本書が執筆される間に、宇宙探査機カッシーニが土星の大気圏内で燃え尽き、火星着陸探査機スキャパレリが調査予定だった火星の赤さびた岩石地表に墜落して粉々になり、ボーイング777機がクアラルンプールから北京へ向かう途中で跡形もなく消え、パルミラで二千年の歴史を持つベル神殿とバールシャミン神殿、ローマ風劇場の正面 [ファサード] 、凱旋門、四面門および列柱道路の一部が爆破され、イラクのモスルでアル・ヌーリの大モスクと預言者ヨナのモスクが破壊され、シリアで初期キリスト教のマール・エリアン修道院が廃墟と化し、カトマンズの地震でダラハラ塔が二度目の倒壊をし、万里の長城の三分の一が人為的破壊と自然の浸食の犠牲になり、何者かがF・W・ムルナウの遺体の頭部を盗み、かつてその青緑色の水で知られたグアテマラのアテスカテンパ湖が干上がり、マルタでアーチ状の岩石形成物アズール・ウィンドーが地中海に没し、グレートバリアリーフに生息していたブランブルケイメロミス・ネズミが絶滅し、キタシロサイの最後の雄の個体が四十五歳で薬殺され、その結果この亜種で生存するのはその娘と孫の二体の雌のみとなり、ハーバード大学の実験室から八十年に及ぶ努力の末にようやく生成に成功した金属水素の唯一のサンプルが消失した。顕微鏡サイズの小片が盗まれたのか、破壊されたのか、それとも単に元の気体状態に戻ったのか、だれにもわからない。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、7; 「はじめに」)
- 一年前から、ニュース。
(……)新聞一面からウクライナの報をみた。クリミアから東部親露派地域へとつながる「陸の回廊」をロシアがおさえたと。ウクライナ国防省がみとめた情報。東南部地域は掌握され、ウクライナはアゾフ海に接続することができず、黒海からの有力な輸送路が絶たれたということになる。同地域にあるマリウポリはロシア軍が包囲しており、数日前から戦闘もはじまって、それがはげしくなっていると。市民の犠牲は三〇〇〇人に達しているらしい。ほか、電力逼迫や、ロシアが日本の制裁参加にたいして北方領土にまつわる平和条約交渉を打ち切ると通告してきた、という報。
(……)電力逼迫および停電のおそれとロシアの平和条約交渉打ち切りの件を読んだ。きのう、二二日はけっきょく東京電力管内で一時需要が供給を超えて一〇七パーセントに達し、夜間にくみあげた水を放水して発電する揚水発電なる方式でなんとかのりきったという。福島沖の地震で火力発電所がいくつか停まっているのがおおきいといい、不安定な状況は今後つづくかもしれないと。とはいえ、きのうは急に冷えこんで暖房需要が増したという事情もおおきかったわけだから、これからあたたかくなって暖房をつかう必要がなければだいじょうぶではないか。
- 往路。
(……)昼頃から雲が増えて空はいちめん曇っており、空気はおもったよりもつめたく、マフラーをもってくるべきだったなとおもったがいまさらもどる気にもなれないのでコートのいちばんうえのボタンを留める。樹々にかこまれた坂道をのぼっていき、出口がちかくなって空がひらいたところでみあげると、影も差異もほとんどなく延べられた白さにけむり埋まった西のかたに太陽の刻印のみぽっかりあらわで、しかしそれがまぶしさやぬくもりをつたえてくるわけでもない。(……)さんの宅のまえをすぎると左側の道端にはススキがたくさん生えており、ゆるくL字に曲がるみちの角、カーブミラーの設置されている隅まで群れはつづいているが、それらの穂のわずかにくねった垂れかたばらけかたをみるに、きのうの雨に濡らされたときの水気がまだいくらかのこっているかにみえ、大気にも湿り気がかんじられるようでややさむざむしい。
街道に出ると、みちのさきで歩道の拡幅工事をおこなっているのですぐに北側にわたった。すすむ。あたりには杭を打つようなおとがときおりひびき、それはむかいに掘られた溝のなかで人足がハンマーでなにかを打ちつけているおとである。そばにいるベテランらしきもうひとりの監督を受けているのか、なにかはなしながら、一気にどんどん打たず、けっこう間を置いておとはひびいていた。街道沿いの公園にはきょうはあそぶ子どものすがたはふたりのみ、つかまってまわることのできる網状球形の遊具にのぼっていたとおもう。
裏通りを行ってとちゅうの側道のところでおもてのほうをむくと、街道を越えたさきの(……)高校から保護者連れの制服姿があるいてくるのがみえて、入学式にはもちろんはやいから卒業式だろうかとおもいつつも、あまりそんな雰囲気にもみえなかった。子どものすがたが三年を過ごした高校生にしてはいかにもこなれない、おさないようなかっこうにみえたのだ。ひだりてで線路のむこうにそびえる丘のいろは曇天のためあざやかでもないが、裸木の闖入と鈍い緑がくみあわされてくすんだようなそのそっけなさにも、なにがしかの風情は生じる。風はないなと、いつも目をむける外縁部の茂った浅緑がとまっているのをきょうもみたが、すこしさきではながれがうまれて肌寒かった。白猫は不在。高校から出てきた母子のふたりづれがうしろではなしている声をあるきながら耳にしていたが、息子のしゃべりかたがやはりあどけなさをぬぐえていないような、あきらかに卒業生ではなくて入学生のものである。(……)あたりまで来るころにはきょうも小便がしたくなっていたので建物にはいり、用を足して出てくるとこんどは女子と母親の連れ合いをみたが、子どもはやはり高校ではなく中学校の制服でこれから入学するたちばらしく、それで、入学前の説明会、準備のイベントのたぐいかとおもいあたった。制服を注文したりとか課題をうけとったりとかそういうやつだろう。
- 帰り。ちょっと笑う。
駅へ。改札を抜け、多目的トイレにはいって我慢していたクソを垂れる。腹の圧力が減ってすこし楽になると出てホームへ。電車に乗って瞑目。発車まぎわににぎやかなれんちゅうがはいってきて、なかに、ホッ、ウォッ、みたいな声が混ざっており、え、ゴリラ? チンパンジー? とおもったのだが、ふざけていたのだとおもう。目をあけなかったものの声から判断するに比較的若い男性三人で、その霊長類めいた声の主はそのあとも、そういうゴリラ的なしゃべりかたのおおきな声で、たぶん電話のあいてにたいしてみじかいことばできっぱりと断言的な受け答えをする、という、おふざけなのかもともとそういうキャラなのかいまいちよくわからないことをやっていた。ときおり噴出する笑い方とか口調のかんじとかはいかにも若い男というかんじで、その気楽さやあそびの調子は大学生らしいものでもあるが、ただ同時に大学生よりはすこしうえなのではないか、二〇代のなかばか後半くらいは行っているのではないかという気配もかんじとられて、はなしは温泉に行きたい、いやそんなにいきたいすか? みたいな、これから(……)まで乗っていってそこで温泉にはいろうみたいな、あきらかにいきあたりばったりの無計画な時間のとちゅうだということがうかがわれるもので、きょうは平日水曜日でしかも午後九時というこの時間に、学生でもなしにそんなすごしかたをしているとしたらなかなかのプータローぶりだなと感心したが、社会の大勢からのはずれかたと無為にまつわるレベルのたかさではおれもそうそう負けはせんぞ。
- 瞑想。このあいだもまったくおなじことを書いたおぼえがあるが。
四時から一〇分ほどだけ座って、四時一〇分に消灯。寝るまえにも瞑想したほうがやはりよくはある。ただ深夜にやるとあまりにしずかすぎて耳鳴りか幻聴でもはじまりそうな気配もあり、耳にはなんだかわるそうな気はする。じっさい、耳鳴りでも幻聴でもないが、聴覚空間に全体的に敷かれている基盤的な持続音みたいなものはふつうにきこえる。ヘッドフォンをつけたり音楽をきいたりすると、機器や音源によってはサーみたいなそれ特有のノイズというか、機器だったらノイズのたぐいだし、音源だったら録音された空間の気配みたいなものがきこえるとおもうが、それの人体版みたいなイメージ。部屋のなかの機器とかがだしているひびきなのかもしれないが、どちらかというとからだじたいのひびきのようにおもえる。あと、慢性の耳鳴りもじっさいあって、左耳の奥でかすかなものがずっと鳴ってはいるのだ。一時期めだってきこえるようになっていたときはあり、さいきんはそこまでではなく日中はまったく気づかないし、深夜などのしずかなときに耳をすまさないときこえないくらいのものだが、ずっと鳴りつづけてはいるのだとおもう。
- そういえばこの耳鳴りはいつのまにかなくなっていた。あれもいわゆる自律神経の乱れ的な、体調がそんなによくなかったということなのだろう。
- 「読みかえし2」より。
1302
断片とは、私たちは知っている、ロマン派の無限の約束であり、いまだ有効な近代の理想である。詩はそれ以来他の文学ジャンルに例を見ないほど、雄弁な空虚、投影に養分を与える空白と結びついている。幻肢と同じく「…」はまるで単語と癒合したかのように、失われた完全性を主張する。もしサッフォーの詩が無疵であったなら、かつて派手な色に彩られていたという古代の彫刻作品と同様に私たちは違和感を覚えることだろう。
残された詩と断片は非常に短く、互いに脈絡もなく欠損しており、全部合わせてもせいぜい六百行ほどだ。計算によると、残されているのはサッフォーの作品の約七パーセントだという。これまた計算によると、全女性の七パーセントが女性にのみ、もしくは主として女性に魅力を感じるというが、ここに相関関係があるのかどうかは、計算によって証明することはできないだろう。
文字の歴史には、未知のものや未定のもの、不在のもの、失われたもの、空白、無を表す代替記号が知られている。古代バビロニアの穀物記録に記された〇(ゼロ)、代数方程式におけるx(エックス)の文字、発言が不意に中断される際の――。
… … …/羊飼い 欲望 汗/… … …/…の薔薇…/…
絶句法、すなわち発言を中断する技法は、私たちは知っている、修辞上の文彩 [あや] である。偽ロンギノスもまた彼の崇高論の中でこれを取り上げたはずなのだが、不注意な図書館員や製本工のために、そ(end127)の部分は失われてしまった。途中で話を止める人、つかえたりどもったりし始める人、急に黙り込む人は、感情に圧倒され、その感情のあまりの大きさにただただ言葉を失うしかないのだ。省略記号はすべてのテクストに、言語化しえない感情、与えられた限られた語彙の前にひれ伏す感情の、あの大きな漠然とした世界への扉を開かせる。
…私の愛しい人…
私たちは知っている、エミリー・ディキンソンが友人にして後に義姉妹となるスーザン・ギルバートに宛てた書簡を出版するにあたり、姪のマーサ、すなわちギルバートの娘が、その中に含まれる一連の情熱的な部分をとくに明示せずに削除したことを。こうして検閲された文章のうちの一つ、一八五二年六月十一日の手紙はこのようなものだ。「あなたがここにいたなら――ああ、あなたがここにいてくれたなら、私のスージー、私たちに言葉はいらない、私たちの目が、私たちの代わりにささやいてくれる。あなたの手を私の手の中にぎゅっと包んでいれば、話さなくたっていい」
言葉を介さない盲目の理解は、言葉を尽くした無限の感情の誓いと同じく、恋愛詩の不動のトポスだ。判読しうるかぎり、サッフォーの言葉はきわめて誤解の余地のない、明確なものである。それは思慮深いと同時に情熱的に、すでに滅びてしまった言語、翻訳するたびに甦らせなければならない言語でもって、二十六世紀たったいまも何らその強度を減じていない天国的な力について語っている。人をまるで無防備にし、両親も配偶者も、わが子さえ捨てさせる欲望の対象へと、一人の人間が突然の不可思議な、残酷なまでの変化を遂げるのである。(end128)
エロスがふたたび私を揺さぶる、四肢を溶かす者が/苦くて甘い、屈服させがたい爬虫類
私たちは知っている、古代ギリシャ人にとって、当事者同士が同性か異性かによってその欲望を区別する考え方は馴染みのないものであったことを。むしろ決定的なのは、性行為における役割が当事者の社会的役割に対応していたことである。成人男子は性的に能動的に振舞い、一方若者や奴隷や女性は受動的な役割を演じた。この支配と服従の行為を分けるのは男か女かではなく、侵入し所有する側か、侵入され所有される側かということであった。
サッフォーの現存する詩において男性が名前入りで登場することはないのに対し、女性の名前は数多い。アガリス、アッティス、アナクトリア、アナゴラ、アバンティス、アリニョータ、アルケアナッサ、エイラナ、エウネイカ、ギュリンナ、クレアンティス、クレイス、ゴルゴーン、ゴンギラ、ディーカ、テレシッパ、ドリチャ、プレイストディカ、ミカ、ムナシス、ムナシディカ、メガラ。彼女たちこそ、サッフォーが優しい献身や炎のような欲望、熱い嫉妬や氷のような軽蔑をこめて詠ったものだ。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、127~129; 「サッフォーの恋愛歌」)
1303
長い間女同士の行為は女と男の間の性行為を模倣している場合にのみセックスと見なされ、処罰の対象となりえた。性行為を特徴づけるのは男根 [ファルス] とされ、男根のないところにあるのは何らかの記号によって強調されることのないただの空白、見えない点、隙間、女性の生殖器と同じく埋めるべき穴にすぎなかった。
この空白につけられた息の長い表題が「トリバーデ」である。これは西暦一世紀から十九世紀までの男性によって書かれた書物に徘徊する、男の役割を演ずる女の幻影で、異様に巨大化したクリトリスもしくは男根に似た補助具の助けを借りて他の女たちと交情した。私たちが知るかぎり、自らトリバーデと名乗った女性はいまだかつていない。私たちは知っている、言葉や記号の意味は変化するものだということを。長い間、並んで記された三つの点(…)は失われたもの、未知のものを指したが、いつしか口に出されなかったこと、言葉にしえないことをも表すようになり、削られたもの、省略されたものだけでなく、未決定のものをも示すようになった。こうして三つの点は、暗示されたことを最後まで考え、欠けているものを想像するよう促す記号となった。それは言葉にしえないことや黙殺されたこと、不快なことや卑猥なこと、有罪とされることや推測的なこと、そして省略の特別な一変種として、本源的な事柄を置き換える代替物である。
また私たちは知っている、古代において省略を表す記号はアステリスクであったことを――その小(end131)さな星の印(*)が、文中のある箇所をそれに関連する欄外の注と結びつける役割を担うようになったのは中世のことである。セヴィリアのイシドールスは七世紀に著された『語源あるいは起源』の中で書いている。「星――印刷記号としての――は何かを省略した場合にその箇所に挿入される。この記号により、不在の物は明るく照らし出される」 今日この星は時として、一つの名詞になるべく多くの人とその性的アイデンティティを含ませるために使われる。省略から包含が、不在から存在が生じ、空白から豊かな意味が生まれる。
そして私たちは知っている、「レスビアーズィン」すなわち「レスボス島の女たちのようにする」という動詞が、古代において「だれかを辱める」とか「堕落させる」ことを意味する語、レスボス島の女性たちが発明したと考えられていたフェラチオという性技を表す語であったことを。ロッテルダムのエラスムスはまだその古代の格言集において、このギリシャ語をラテン語のフェラーレ、すなわち「吸う」と訳し、このようなコメントとともにこの項目を締めくくっている。「概念はまだ存在するが、こうした風習は私が思うにすでに根絶された」
そのほんの少し後の十六世紀末、ブラントームはポルノ的小説『艶婦伝』の中で述べている。「この業 [わざ] に関してレスボスのサッフォーは良い教師であったと言われる。それを発明したのはサッフォーだという説さえある。以後レスボスの女性 [レスビアン] たちは熱心に彼女を見習い、今日までそれを実践している」 その後、空白は地理的な故郷に加えて、言語的な故郷をも持つことになった。もっともアムール・レスビアンという語は近代にいたるまで、年下の男性に対する女性の叶わぬ恋を表すものであったのだが。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、131~132; 「サッフォーの恋愛歌」)
1304
禁欲のうちに修行すること、世を捨てて悪魔に立ち向かうことならだれにでもできる。神の言葉を聞いた者は多く、それを広く告げ知らせた者も少なくない。だが、天使のお告げすら、いつかは風に散る。時が吹き散らしてしまった言葉を一体だれが集め、その智慧を広めるというのか。教えはいつしか風評となり、預言者の見た未来はただの錯覚に変わる。真実となるべきものは、書き留められねばならぬ、と天使は言う。真実となるべきものは、書き留められねばならぬ、とマニは考える。ただ文字だけが、教えを正しく伝え、生きのび、その文字をとどめた素材、たとえば黒い玄武岩の塊や焼かれた粘土板、薄くのばしたパピルスの繊維やごわごわするヤシの紙と同じだけの重みを持つだろう。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、160; 「マニの七経典」)
1306
そこで彼はまもなく預言者たちの住む洞窟の一つに引きこもると、左脚の上に座り、歩く時に言うことを聞かず、子どもの頃から引きずるしかなかった右脚を前に出して台にした。その上に冊子本を置いて紐をほどき、本を開いて、葦のペンをまっさらの紙に下ろすと、たった一本の補助線も引かずに書き始めた――彼が発明した、あの非の打ちどころのない文字を。優しい繊細な文字、それらは千(end162)年後も、そのうちの残ったものは、肉眼ではほとんど見えなくても、拡大鏡をかざせばくっきりと読めることだろう。
マニはページを繰って、今度は絵筆をパピルスの上に置くと、闇にうごめく生き物たちと世界の創造を描いていった。光の支配者が殺した悪魔の皮を剝ぎ、それを天空に丸く張りめぐらす様子、悪魔の砕けた骨で山を、しなびた肉で大地を造り、あの闘いの時に飛び散った光の粒子から太陽と月を創る様子を。彼はまた、この宇宙を動かし、一つ一つの天体をそれぞれの軌道に乗せたあの神の使者も描いた。それからマニは新しいページを開き、ある衝撃的な真実の全体像を描いていった。光のわずかな残りかすから、最初の男女の人間を神の使者の姿に似せて形作ったのは、闇の支配者であった――互いに合一し、増殖したいという呪われた衝動を彼らに与えたのも。最初の男女、青白い裸の二人はたがいにしがみつき、次々に子どもを作る、それとともに光はますます小さな粒に分かれて散らばり、天国へ帰還できる日はますます遠のいていくのだった。
マニは金箔を小さく切って、その小片をパピルスに貼りつけ、絵の具を何度も塗り重ねた。するとそのページは明るい光を放った。朝になり、夜になった。何日も、何週間も過ぎた。マニは描くのをやめなかった。疲れを知らず回転する巨大な車輪、次第にこの世のすべての光を浄化していく宇宙の車輪、規則正しく満ち欠けする月――煌めくラピスラズリの夜空に浮かぶ黄金色の陶皿――その皿の中に光は集められ、地上の汚れを祓い清められる。そしてほのかに光る渡し舟に乗り、天の川を通って故郷に帰る。誕生の循環から抜け出し、存在をやめることを許された、光の魂。
最後に彼はリスの毛の筆をとり、もう一度神の使者の衣のひだをなぞった。生命の母の眉、太古の人間の金色に輝く甲冑の輪郭、ヤギに似た悪魔の顔も。闇の支配者の髭や、鱗に覆われた足の鉤爪ですら、彼は芸術家の細心さをもって描いた。芸術家は自分の創ったさまざまな形の創造物を等しく愛するが、その愛ゆえに、悪がかつて善であった例しはないこと、悪が善の近縁者でもなければその後(end163)継者でもなく、堕天使でも反逆の巨人でもないこと、その悪さは何によっても説明しえないことを忘れさえする。マニの細密画において、悪は自分自身を嚙み裂く、竜の体と獅子の頭と鷲の翼とクジラの尾を持つ怪物であり、時の始まりから、己の国を荒廃させてきた――熱い灰からもくもくと上がる煙に覆いつくされ、死体の腐敗臭に満ちた戦場の一面に、死んだ木の切り株がごろごろ転がり、深紅に燃える大きな口がぱっくりと開き、その深淵から黄鉛色の煙が立ちのぼっている。マニの教えは白か黒かであっても、彼の写本はうっとりするほど色彩豊かだ。このような本を持つ者は、神殿も教会もいらない。これらの本自体が、内省と智慧と祈りの場だった。豪華な冊子本は分厚い革で装丁された堂々たる本の塊で、薄く削った鼈甲や象牙を優美に埋め込んである。手に馴染む十二折り判は、表紙に金箔を被せ、宝石をちりばめてある。そしてお守りのように極小の本は、拳の中に隠せるくらい小さい。ザクロとランプの煤から作ったインクは、石灰を塗ったパピルスの上でも、白い絹でも、または柔らかい革、ほのかに光る羊皮紙の上でも同じように黒く輝く。ただ本の題名だけが、判読不能なまでに装飾を施されている。けばけばしいバラの花の装飾、臙脂色の点が連なる縁取り。それは救済と破壊の色、世界の炎上の色だった。深紅の光を放つのは、千四百六十八年間燃えつづけた炎。宇宙を燃え上がらせ、その灼熱が最後の光の粒を解放し、世界全体をのみ込んでしまうまで、燃えるのをやめないだろう。そしてひときわ明るく光り輝くのは、壮麗な未来の似姿、白絵の具と金箔で描かれた、あの天上の光の世界だ。そこでは善と悪がふたたび分かれ、闇の元素は、ことごとく下降し、打ち負かされ、沈められ、生き埋めにされる。そして光の元素はすべて高みへ上昇し、月で洗い清められ、天体の回転によって浄化される。信じたい者は、信じるがよい。そして多くの者が信じたがった。
ゾロアスターには無数の弟子がいた。ブッダには五人の同行者、イエスには十二人の使徒が――だが、マニには七冊の経典があった。経典が彼の教えをさまざまな国の言葉で世界へ届けた。あのバベルの塔の建設によって分断されたものを一つにするために、そしてかつて前例のないことだが、彼に(end164)従う者と彼を罵る者とを分裂させるために。人々は彼を善の器マナ、あるいは悪の器と呼んだ。人々は彼を天の糧マンナ、あるいは悪しき者らの阿片と呼んだ。放浪の救世主マニ。足萎えの悪魔マネス。啓示を受け、世界を救済する旅に出た者、マニ。世界を破壊する旅に出た気狂い、マニー――癒し手マニ。災いのマニ。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、162~165; 「マニの七経典」)
1308
一九二九年の特別暑い日のこと、三人の青年がメディネット・マディからほど遠からぬ、なかば砂に埋もれた廃墟を通りかかり、丸屋根の下にぼろぼろに朽ちた木の箱を発見した。箱は太陽の光にさらされて瞬時に崩れ去り、その中から腐朽したパピルスの束がいくつか姿を現した。水が紙の奥深くまで浸透していたため、数え切れぬほど多くの世代にわたって虫や蟻の被害は免れたものの、代わりに非常に細かい塩の結晶に蝕まれていた。青年たちはすぐにそれらの本を手に古物商のもとを訪れたが、この縁が黒く変色した紙の塊のために金を出すことを最初はためらった。後にその朽ちた束の一つを鑑定した修復士もまた、果たしてそこから太古の秘密を引き出せる時が来るかと訝しんだ。
彼はようやく何か月もかかって、くしゃみをしただけですぐに粉々になってしまいそうに薄くて破れやすい本の頁を、斜めに置いた台板とごく小さなピンセットの助けを借りて、一枚ずつばらばらに剝がすことに成功した。それは偶然か、それとも神意か! ベルリンで古文書学者たちが拡大鏡と鏡(end167)を手に、ガラス板の下に広げてのばした、絹のように光る聖典とおぼしき書物の断片をのぞき込んでいた頃、物理学者フリッツ・ツヴィッキーはロサンゼルスからほど遠からぬ山上にあるカリフォルニアの天文台で、直径二百インチの反射望遠鏡をかみのけ座の方向へ向けた。そしていくつものぼんやりした星雲、それらは独立した銀河であることが明らかにされていくのだが、そうした星雲の動きを観察し、自分の計算と比較するうちに、彼はあることを発見するに至る。
目に見える物質だけでは、この銀河団を束ねておくには力が足りない。宇宙には目に見えない物質が存在するに違いなく、その存在はそこから生じる重力によってのみ認識しうる。これこそ他の物質にほんの少しだけ先んじて凝集し始める物質で、その重力が残した痕跡に、他のあらゆる物質は従わざるをえない。神秘的な力、新たな宇宙の勢力、それをツヴィッキーはその未知の性質ゆえに「暗黒物質 [ダーク・マター] 」と呼んだ。
ベルリンの古文書学者たちはその間、ガラスで守られた断片を並べ替え、見事に書かれた文字を解読し始めた。断片はマニの信徒の滅亡を予言し、彼らに加えられることになる残虐な仕打ちを詳細に描写していた。しかし、それはまたこんなことをも告げていた。幾千もの書物が救われるであろう。それらは心の正しき者ら、敬虔なる者らの手に渡るであろう。大福音書と生命の宝、プラグマテイアと秘儀の書、巨人の書と書簡、わが主に捧げる賛歌と祈祷文、絵本と啓示、寓話と密儀――一つとして失われる物はないであろう。どれほど多くが失われ、破滅するだろうか。幾千冊かが失われ、幾千冊かが彼らの手に託される、そうして彼らはふたたび私の書を見出すであろう。彼らはそれに接吻して言うであろう。「おお、偉大なる者らの智慧よ! 光の使徒の鎧よ! おまえはどこに迷い込んでいたのか。どこから来たのか。おまえはどこで見つけられたのか。この書がわれらのもとに届けられたことに、私は歓声をあげる」(end168)人々がそれらの書物を声に出して読み、一つ一つの書の名を告げ、主の名と、それを書くためにすべてを抛った者らの名、そしてそれを書き留めた者の名、句読点を記した者の名を呼ぶのを、おまえは目にするであろう。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、167~169; 「マニの七経典」; 結び)
- Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 393 of the invasion”(2023/3/23, Thu.; 00.29 GMT)(https://www.theguardian.com/world/2023/mar/23/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-393-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2023/mar/23/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-393-of-the-invasion))
The US secretary of state, Antony Blinken, said China is watching “very carefully” to see how Washington and the world respond to Russia’s invasion of Ukraine. Speaking at the end of president Xi Jinping’s visit to Moscow, Blinken said that if Russia was allowed to attack Ukraine with impunity, it would “open a Pandora’s box” for would-be aggressors and lead to a “world of conflict”. He added that China has not yet crossed the line of providing lethal aid to Moscow.
Xi Jinping’s visit to Russia was a “journey of friendship, cooperation and peace”, a Chinese foreign ministry spokesperson said, as China’s president ended his three-day visit to Moscow. Wang Wenbin reiterated Beijing’s claims that it remained neutral in the Ukraine conflict and said China would “continue to play a constructive role in promoting a political settlement of the Ukrainian issue”.
Vladimir Putin has no immediate plans for peace in Ukraine, so the west needs to brace itself to supply lethal aid to Kyiv for a long time to come, Nato’s secretary general has warned in an interview with the Guardian. The fierce fighting, currently centred around Bakhmut, in eastern Ukraine, demonstrated Russia was willing “to just throw in thousands and thousands more troops, to take many casualties for minimal gains”, the head of Nato said.
*
Russia’s foreign ministry has warned that Moscow will not leave “unanswered” a UK plan to supply Ukraine with tank shells made with depleted uranium. “This decision will not remain without serious consequences both for Russian-British bilateral relations and at the international level,” it said on Wednesday. Russia’s foreign minister, Sergei Lavrov, said Britain’s decision took the situation to new and dangerous levels.
The UK foreign secretary has said there is no “nuclear escalation” in the country’s decision to supply Ukraine with shells made with depleted uranium. “They are not nuclear munitions. They are purely conventional munitions,” James Cleverly said, a day after Vladimir Putin accused the west of “beginning to use weapons with a nuclear component”.
Russia’s deputy foreign minister, Sergei Ryabkov, has said the risk of a nuclear conflict is at its highest level in decades. Russia was committed to keeping the world “safe and free” from the threat of nuclear war, he said, but added later that business could not continue as usual, given that Moscow was now “in a de facto state of open conflict” with Washington.
Rebuilding Ukraine’s economy is now expected to cost $411bn, 2.6 times Ukraine’s expected 2022 gross domestic product, a new study by the World Bank, United Nations, European Commission and Ukraine found.
Sweden’s parliament has formally approved a bill to allow the country to join Nato. Sweden and its neighbour Finland applied to join Nato in May 2022, abandoning decades of non-alignment after Russia’s invasion of Ukraine. The process has been held up by Turkey, which along with Hungary has yet to ratify the memberships.
- (……)さんのブログから。
どうもルーセルはおよそのところ、大衆作家たち以外では、最も伝統的な作家たちにしか親しんでいなかったらしい。彼はつねにあらゆる藝術的ないし文学的運動から離れたところに身を持していた。若いころ、プルーストと会う機会があったが、交際を結ぶには至らなかった。『アフリカの印象』の上演について、何度か『ユビュ王』のスキャンダルが引き合いに出されたにもかかわらず、彼はジャリを読んだことがなかった。同様にして、彼はアポリネールを知らなかったし、おそらくランボーも知らなかった。ある日、彼は笑いながら私にこう言った――「私はダダイストなんだそうだ、ダダイスムが何なのかも知らないっていうのにね!」
(ミシェル・フーコー/豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)
マダム・デュフレーヌによれば、ルーセルは朝、平均三時間執筆し、時間きっかりに始めてきっかりに終わること、さながらオフィスでの勤め人のようだった。けれどもこの執筆時間の能率はたいへん不規則で、ルーセルはその三時間のあいだに一人の作中人物の名前しか見出せないこともときとしてあった。またときには鎧戸を閉めきって、電燈の明りで仕事をすることもあった。調子がいいと感じるときには、余分に何時間かやることもあり、それは先まわりをしておいて、もし必要があれば、休暇を楽しめるようにと思ってのことだった。オセアニアを航海していたときには、タヒチ島で心おきなく歩きまわれるように、何日間も船室を動かずに仕事をしたことさえあった。北京では街をざっと見物したあと、修道僧のように閉じこもってしまった。
(ミシェル・フーコー/豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)
栄光を当然の権利と見做し、たとえば、まだサロンに顔を出していたころ、誰一人として彼から発する光輝を知覚しているように見えないことにまったく素直に驚いていた彼は、どんな讃辞にも満足することがなかった、なにしろどんな讃め言葉であろうとも、自分が当然期待して然るべきものよりは劣っていると判断していたのだから。彼は批評記事の評価を自分にとって好都合なものにするために何ひとつしたことがなかった。つねに失望をくり返したにもかかわらず、彼は自分の戯曲の上演はひとつとして欠かさなかった。とはいえ、『太陽群の塵』のとき、ルネサンス座での大荒れの夕べには、もうとても我慢できないと言って芝居が終らないうちに劇場を出てしまった。事実、その後のどの上演にも顔を出さなかった。 一九歳の折、彼がその間ずっと「世界的栄光の感覚」を覚え続けたあの発作、一生のあいだそれをふたたび見出すことを絶望的に試みた強烈な至福状態の最中に、ルーセルは自己の天才の啓示を受けたのだった。いつもながらに細かく気をまわす彼は、論破しがたい証拠をあくまで求めつつ、そして自分の〈運命〉というものの客観的実在について自分を安心させるにふさわしい確認と思われるものを行なおうとして、サン=サーンスと、そして間接的にピエール・ロティの秘書とに問い合わせて、この二人がそのような悟明を経験したことがあるかどうかを知ろうとした。
(ミシェル・フーコー/豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりミシェル・レリス「ルーセルに関する資料」)
- 『アフリカの印象』はじめルーセルの作品が戯曲として演じられているわけだから、フランスっていうのもとんでもねえ国だなとおもった。ドイツもムージルの『熱狂家たち』が――とおもいつつ、あれはけっきょく演じられる機会があったんだっけ? とはっきりしなかったので検索してみたところ、長谷川淳基「ローベルト・ムージルとアルフレート・ケル 1929年4月 『熱狂家たち』初演のスキャンダルをめぐって」(https://core.ac.uk/download/pdf/230637102.pdf(https://core.ac.uk/download/pdf/230637102.pdf))という論文が出てきて、その冒頭をみてみれば以下の由。
そして本の出版から数えて7年と半年後の1929年4月3日,『熱狂家たち』はようやく舞台に上ることができた。が,何とこの公演に先がけて当のムージルが反対の声明を出していた。
そして迎えた初演当日,劇場は満員,演劇批評家だけでも200人が顔を連ねていた。上演の結果は?前もってサクラとして劇場側が観客席に配しておいた連中を除いて,入場料を払ってこの夜の芝居を見た観客の大半が不満足を態度で示した。芝居は完全な失敗。それに伴う騒動,スキャンダルという即興茶番劇が生まれただけで,『熱狂家たち』はその後ムージルの存命中二度と舞台に上ることはなかった。
- 作家ほんにんが上演に反対してるの笑うが、それでもいちおう一回だけは舞台にあがったわけだ。あんなのどだい成功して受け入れられるわけがねえだろと言いたくなってしまうが。ちなみにこの論文では『ヴィンツェンツ』とされている邦訳では「フィンツェンツとお偉方の女友達」というタイトルだったとおもうあの作品は、「『熱狂家たち』への加勢として」書かれたという。アルファというなんだかうさんくさい女性にたしか商人だったか金持ちのおっさんが求婚するというやつで、おっさん「おまえといっしょになれないなら、わたしは死ぬしかない!」 アルファ「そういうことは、もっと文学的におっしゃらなくっちゃ」 おっさん「たとえば?」 アルファ「こう言いなさいな、『生において合一するか、死において合一するか』だって」みたいなやりとりがあったのをおぼえている。あと、おっさん「もし世界を一切れずつ分けてあんたに手渡していけるとしたら、わたしは全世界をじぶんのものにできる気がする!」とかいうおおげさで熱烈なラブコールと、フィンツェンツ「相関的でないものをだれにも気づかれることなく相関させることができるのは、言語だけです」というセリフ。せっかくなので引いておく。
ベールリ わたしにはもう二つの可能性しか残されていない、あんたがわたしと結婚するか、それともわたしがあんたを殺して自殺するかだ。
アルファ そういうことはもっと美しくおっしゃらなくちゃ。
ベールリ どんなふうに?
アルファ せめてこうおっしゃい、《生において合一するか、死において合一するか》だって。
(斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』松籟社、一九九六年、276~277; 「フィンツェンツとお偉方の女友達」)*
ベールリ (……)もしわたしが世界を一切れずつあんたに手渡せるものなら、きっとわたしは全世界を再創造できるという気がする!
(斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』(松籟社、一九九六年)、278; 「フィンツェンツとお偉方の女友達」)*
フィンツェンツ 相関的でないものを誰にも気づかれることなく相関させることができるのは言語だけです。
(斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』(松籟社、一九九六年)、285; 「フィンツェンツとお偉方の女友達」)
- また、高田みどり『Cutting Branches For a Temporary Shelter』『You Who Are Leaving To Nirvana』という作品名があって、タイトルかっこういいなとおもった。ぜんぜん知らんがアヴァンギャルド方面のパーカッショニストらしく、佐藤允彦なんかとやっているようだ。
- 覚醒し、いったんの起床が一〇時ごろ。天気は雨降り。めざめたときから音が聞こえていたが、実家とはちがってやはりひろがりのない音響で、雨音というよりも溜まったしずくが落ちてどこかを打つ打音がメイン。水を飲んだり用を足したりしてから寝床にもどる。雨降りでもさむくはないので、もういちど掛け布団をかぶる必要はない。Chromebookで日記を読んだり「読みかえし」ノートを読んだり。一一時ごろ離床し、瞑想もちょっと。はじまりをみなかったが済んで携帯をみれば一一時二〇分だった。食事へ。温野菜。あたらしいキャベツはまだつかいはじめず、白菜のほうを開封してブロッコリーと豆腐、ウインナーと合わせたが、白菜は熱するとかなり嵩が減ってしなしなになっていたのでキャベツを入れてもよかった。白米と納豆、バナナにヨーグルト。ウェブをてきとうにみながら食し、食後も歯磨きをしたり皿洗いをしたりしながらちょっとだらけて、そのいっぽうで上腕を中心に腰とか胸とかからだの各所をかるく揉んでほぐす。そのうちにWoolfの英文を音読。古井由吉訳の「ドゥイノの悲歌」第七歌も読んでおいた。それで一時半をまわっており、布団を床におろしてしばしころがりながら(……)さんのブログを読んで、起き上がると二時半。寝床にころがるまえに、『フォークナー短編集』がきょうとどく予定だったのでもう来ているかなと部屋を抜けて、すると通路の端の開口部からみえる空は真っ白でそのなかに雨線がみだれて揺動しており空気はすずしい。扉の横の壁にとりつけられているものを入れられるちいさな籠みたいなところにはなく、階段をおりて簡易ポストをみてもなかったのでまだかともどったが、その後寝転がっているあいだに配達らしき気配がやってきたので、たぶんそのときとどいたのではないか。布団をはなれるときょうのことを書き出したのだけれど、椅子のうえで姿勢をとってゆびをうごかしはじめればすぐさま背骨のあたりに来るので、いちど立って腕を振ったり、深呼吸しながら背伸びをしたりしなければならない。ここまで綴ると三時一九分。ともあれ湯を浴びたいところだ。
- いま一一時三六分。その後は湯を浴びたり、だらだらしたり、日記を書いたり、食事を取ったりでたいしたこともなし。『フォークナー短編集』も夜に回収。一七日の記事をいま書き終えたところなのだけれど、二食目のあと九時くらいから書き出して、しかしやはりどうしても打鍵しているとからだの各所がピリピリいったりしてひじょうに妨げがあり、たびたび立って腕を振っていたが根本的には快癒しないので、布団に逃げてゴロゴロしながら身をやしなった次第。むずかしい。マジで文を書きつづけるためにからだをととのえたり鍛えたりしていかないと営みがあやうい。こんな調子では小説なんていつまで経っても書けるわけがない。詩ならわりとあたまのなかでかんがえてみじかくつくれるので行けるかもしれないが。やっぱりまいにちあるいたりしたほうが良いのだろうか。ジョギングをするほどの気概はないので。足をうごかさないと駄目なのかな。
- 夕方くらいにギターを弾いた。録音したのがこちら(https://note.com/diary20210704/n/ndf428931b7f4(https://note.com/diary20210704/n/ndf428931b7f4))。ウォーミングアップそこそこでさっさと録りだし、いつもどおりAブルースからはじめてじきに似非インプロにながれたが、そのまま二七分やっていたのでけっこう弾いた。この日はさいしょからわりとゆびや意識がおちついていて、じぶんが弾く軌跡がけっこう明瞭にみえる感じだった。あと雨降りの日だったためだろう、湿気で楽器じたいや弦のひびきが変わるらしく(室内の音響もそうなのかもしれない)、いつもよりあきらかに響かない、すこしこもったようなトーンに聞こえたが、録られたのを聞いたかぎりではふだんと特段の差があるようにはおもえない。
- 書きものをしたいのだがどうしても左腕が、ならびに首とか腰とかがピリピリ痛んで取り組めない。深夜に夕食を取ったあとは寝床にいるうちにいつのまにかねむっていた。かっこうもジャージのままだし、明かりもつけっぱなし。朝になってめざめたときに布団をきちんとかぶっていたのだが、正式に寝ようとおもってそのしたにはいった記憶はない。
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- 日記読み: 2022/3/23, Wed.
- 「読みかえし2」: 1301 - 1310
- 「ことば」: 1 - 3, 10