2023/4/6, Thu.

 彼らは廃墟をまるで聖遺物のように崇拝し、その復活に望みをかけ、失われた、満足を知らぬ豪華絢爛にうっとりした。つねに何かが欠けていた。目は見る、脳は補う。断片は建物になり、死者の行いは甦る、かつて実際にあった以上に素晴らしく、完璧に。この神聖な街、歴史の首都で、かつて文化財保護という考えが生まれ、全国民がその継承者であると宣告されたのは、トラヤヌス帝が自らとその勝利を称えるために造らせて以来千年以上の時を経たドーリス式円柱を「この世が存在する限り [﹅10] 」無傷のまま保存すべきこと、そしてこれを損なおうと企てる者を厳罰に処すことを古代ローマ元老院が決定した時だった。ローマは滅びたのではない、過去は過ぎ去ってはいない、ただ未来がすでに始まったというだけ。この場所は時代と時代のはざま、世界劇場の半円の中で、古より押し寄せる大衆の愛顧を願うさまざまな建築様式の間に宙づりになっている。ロマネスク様式のバジリカと砂に埋もれた凱旋門バロック様式の教会の正面 [ファサード] と中世の切妻、煤けたピラミッドとルネサンス様式の邸宅――それは死んだ材料と生きた材料からなる、巨大な複雑に絡み合った有機体 [オーガニズム] であり、偶然と必然、そして太陽の法則によって支配されていた。
 これらの遺跡を、その住人たちの惨めな日々の暮らしと隔てる柵はない。彼らは遺跡に感嘆もせず、ただ他の場所と同じように暮らしている。アーチの下にたむろする半裸の乞食たち、壁で囲まれた柱廊の入口の陰で、傷みやすい商品を売りに出す魚売り。古代の公衆浴場で亜麻布を洗う女たち。崩れかけた神殿の中へ羊を追い込む羊飼いたち。羊たちは、かつて生贄として捧げられたその異教の祭壇の前で草を食んでいる。野生の獣や強情なキリスト教徒たちの骨が眠るフラウィウス円形闘技場の地下墓所 [カタコンベ] から、多孔質の黄味をおびた白色のトラバーチン石材を運び出す日雇い人夫たち。使える物はまた建築に充てられるか、船でどこかへ送られた。建材を再利用する商いが栄えた。遺跡は純然たる(end84)財産だった。といっても宝を掘り起こすのではなく、アルバニアの山から銅を採掘するように、準鉱石を解体するのだ。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、84~85; 「サケッティ邸」)



  • 一年前から音楽の感想と書きものについて。センチメンタルにすぎるが。

労働から帰宅したのは午後一〇時くらい。ちょっとやすんだのち、一〇時半ごろからThelonios Monk『Thelonious Alone In San Francisco』をスピーカーからながしだし、まくらのうえにすわってきいた。まえから好きな音源だが、とてもすばらしくて落涙した。タイトルにAloneとはいっているとおり独奏なのだが、ここまでひとりきりになれるものかと。この録音でのMonkはきくもののことをまったくかんがえておらず、そこにはただ音楽と演者とその関係のみがある、という印象をうける。作品としてリリースするために録音された演奏のはずだが、気負いやてらいや大仰さが微塵もふくまれておらず、見せもの性を極限まで排したただただしぜんな演奏の時間がここにながれている。Monkはこれいぜんにも何千回とこのように弾いてきたし、いつでもこのように弾けるだろうし、これいこうも何回でもこのように弾いていくだろう。かれはまいにち、だれもみていないところで、じぶんのためだけに、あるいは最大限にちかしいひとのためだけに、このような演奏をしてきたのだろう。そうおもわせるような、日常性としてのしぜんさ、ピアノを弾くことと生とがひとつのおなじものとなっているにんげんの、とくべつな行為ではないことの稀有な卓越性が記録されているようにきこえる。スタジオではなく、自宅の、自室での、だれもきいていないところで弾いたひとりきりの演奏をかいまみているような気になる。かれはスタジオ(ではなく、Wikipediaをみると、Fugazi Hallというホールだった)に来て、ただピアノを弾いただけで、それいじょうでもいかでもないし、それいがいのことはなにもないのだろう。それいがいのことがなにもないというそのことが、感動的なのだ。このアルバムのAlone、ひとりきりとは、超絶的な孤高のことではない。それはひそやかさとつつましさとしての孤独であり、そのひとりきりのありかたは、ほんとうに、うつくしい。

Eric Dolphyが『Last Date』のさいごにのこしたゆうめいなことばに、"when you hear music, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again.”というものがある。そのことをとてもつよくかんじさせるのが、このMonkの独奏だった。音楽とはいまそこで生まれ、あまりにもみじかいつかの間のみ生き、まもなく消えてなくなるのだと。その過程のしずけさが、はかなさが、かそけさが、記録されている。そしてこのアルバムのMonkはまるで、そのことをいつくしんでいるかのようにきこえる。ピアノを弾くことで、みずからが生んだ音と、音楽と、ピアノという楽器とをひとしくいつくしみ、それらにいたわりとこころづかいをむけているかのように。そのいたわりをとおしてかれはもしかしたら、じぶんじしんをもまたいたわっているのかもしれない。音楽と楽器とのあいだにこのような関係をきずけるということを、じぶんは心底からうらやましくおもう。じぶんはBill Evansには羨望をかんじない。しかしMonkのこのありかたは、こころからうらやましい。おれもこんなふうに音楽と接したかった。

Monkの独奏をきいたあと飯を食い、それから風呂にはいりながら聴取時の印象を追い、うえに書いたようなことをかんがえていたのだが、かんがえながら、これを書くときにはけっこう困難をおぼえるだろうなという予感があった。いまじっさいに書いてみるとそうでもなかったのだけれど、もろもろの印象や、それをあらわすことばや表現はあたまに浮かびつつも、いざそれらを文章のかたちでならべ、つなげ、整序するとなるとむずかしいなとおもったのだった。たとえばそとをあるいているときに見聞きしたものの記憶を書くのもそんなに変わりはしないはずだが、徒歩中はみちゆきというものがあり、感覚器を経由した空間的配置というものがある。つまり、ことがらの順序が物質的外界にわりとねざしているので、その記憶をつづるのは比較的容易なのだ。それにくらべると、音楽や、そこからえた印象を書くのは感覚的にも曖昧模糊としがちでむずかしい(うえの文はMonkの音楽というより、ほぼそこからこちらが勝手に得た印象しか書いていないが)。ともあれうえに記したようなことを、ある意味風呂にはいりながらもうあたまのなかでまえもって書いているわけだけれど、そうしているあいだに、じっさいに書くときの困難をおもいながら、しかしそのときにはいまこうしておもいうかべていることばやいいかた、おもいかえされるその記憶ではなく、そのときじっさいに書いているその時間にこそしたがい、そこに解をみいださなければならないのだとおもった。あたりまえのようでもあるいいぶんだが、しかしこれがやはり困難なこと、そしてハードなことなのだ。小説作品などを書くときにしても事情は本質的には変わらないとおもうものだが、じぶんが書いているこの文章はとりわけみずから経験した記憶をつづるものであり、そうなると順当にかんがえれば、文を書くときには過去の記憶につくことになる。もちろんそうなのだけれど、しかし、過去にとらわれるようにしてそうするのではなく、現在において過去の記憶につくというか、過去の記憶につくということの現在をとらえなければならないというか、そんなようなことをかんじたのだ。つまりMonkの音楽への感想を書くとして、風呂のなかでかんがえたことにとらわれて、それをくまなくおもいだして不足なく再現するというようなこころではむしろうまくいかないだろうなと。結果的に過去にかんがえたこととおなじ表現になるとしても、あくまでいま書いていること、いまあらたにはじめることとしてそのことばを書かなければならない。そのときにじぶんが書いていることば、書きつつあることばをこそ、よくみなければならないのだ。もちろんそれとどうじに記憶や、印象や表象をもよくみなければならないのだが、そちらにむかってばかりで書いている現在がおろそかになってはならず、書いている目のまえの現在をよくみることにこそ、そのときどきのこたえがあるだろうと。そこにおいてその都度に、なにかが生まれているはずなのだ。それは過去にいちど生まれたものとおなじものかもしれないし、たいていのばあいはそうなのだろうが、しかし都度にまたあたらしいものがそこに生まれてもいるはずである。過去のことにしても、それは絶えず書く現在において生まれ直しているだろう。生まれ直しているものとして、はじめて生まれるものとして、その都度にあたらしくはじめることとして、ことばを書かなければならない。それが徹底的に現在につくということの意味である。端的にまとめて、あらかじめかんがえたりあたまに書いてあったことと、いまじっさいに書いていることやその時間とは、まったくべつものなのだということだ。これは書くことにかぎらず、もっと一般的に、なんであれなにかをするにあたって肝に銘じておくべきことだとおもう。たとえば労働だってそうである。なにかをじっさいにおこなうまえ、行為の時間にはいるまえに、ひとはあらかじめいろいろとかんがえ、どういうふうにやればうまくいくかとか、どうするのが正解なのかとか、計画を立てたり戦略を練ったりさまざまおもいをめぐらせる。そこでたくさんかんがえることは重要であり、必要なことである。しかし、その事前の思考は、じっさいの状況にはいったとき、本質的には役に立ちなどしないということもたしかに認識しておくべきだとおもう。あらかじめ徹底的にかんがえつくし、そして、いざ行為の時間にはいって行動するときは、そのかんがえを捨て去らなければならない。捨てないにしても、それにとらわれて目のまえの現在をないがしろにすることがあってはならない。事前の思考を利用し、採用し、たよるにしても、いま現在に生まれ直したものとして、そのときにその場でそれを再誕させなければならない。そのことがやはりハードなのだ。端的に心身がととのっていないとそれはできない。なぜならそこにはささえがないからであり、たしかな場所を生き直すことでふたしかな場所を生きなければならないからだ。だが、そのふたしかな場所にしか、たしかなこたえや、なにかあらたなものは生じえない。それを引き寄せ、みいだし、それにふれなければならない。つねにではないにしても、おりおりそれは生まれているはずなのだ。

  • 往路。「花というより胞子の集合めいていて、ちかくからみれば枝先にいくつも毬様のまるいひらきがくっつきぶらさがっているのが青空にのって浮かぶさまの、きれいはきれいなのだがどちらかといえば奇特なようでもあった」という桜の花への印象は、ことしもまったくおなじことをせんじつおもった。夜にスーパーに出たさい、(……)通りの公民館的施設に接した公園の桜をみておもったことだが。花びらというより菌とか胞子のようだなという比喩と、うつくしいというより奇観にうつるという、あたまのなかでひとりごちた言い方がまったくおなじ。

洗濯物をとりこんだとき、ベランダに日なたがあかるかったのでそのなかでちょっと屈伸をしたり上体をひねったりした。出発は一時四五分くらい。みちに出れば林に接した土地ではピンクパープルの小花が群れ、すすんでいくと近間の宙を黄色い蝶が二匹、求愛か交尾かつれだってすばやくおどっており、いかにも春の爛漫の風情、どころか背に寄せるひかりは初夏の陽気だった。坂を越えてすすむとゆくてから風音がきこえてきて、しかし樹々がゆれないなと、鳴りだけであたりのみどりがしずかなのをいぶかりながら出所をさぐっているうち、風のおとではなくて斜面したの、ほそい水路のひびきと知れた。先日の雨で増水したらしい。それからみちばたのススキをぼんやりみながら行っていると、横の視界のそとからあいさつをかけられ、みれば(……)さんがいつもながら品良いかたむきで会釈をおくっていたので、こちらも一瞬足をひらいてそちらをむきながら、あ、こんにちはとかえしてすぎた。何年かまえから髪を染めなおさず白さの弱い灰色にとどめているようだが、それもあってか、からだは息災としても老いの印象をおもってしまう。いますぐではないが、一〇年二〇年すればあのひとも死ぬだろう。

ガードレールのむこうで斜面したから伸び上がってならぶ杉の木の、茶色の雄花を随所につけながら陽をあびせられてみどりあざやかな立ちすがたの壮観だった。街道に出るときょうも工事をしており、いま交通警備員が車を停めてむこうからやってくるのをとおすところだったので、さえぎるもののないひろびろとしたひかりのなかでしばらく待つ。停まってならんでいたこちらがわの車も去っていったあとから北側にわたり、歩道を東へあるいていった。工事はむかいの歩道を拡幅するもので掘られた溝に人足がドリルをさしこんでガリガリやっており、その音響がなかなかの圧迫をもった衝撃波として身に寄せてくる。起きたころにはもうすこし雲があった印象だがいつか去ったらしく、みえるのは東南の一角に淡く乗った溶けかけのひと群れのみ、直上をみあげれば吸いこむような、だいぶ色濃い青さがみだれなくひろがっていた。公園の桜は満開で、しかしここのはとおめにみてもひとつながりのたなびく雲というよりややすきまをもうけた粒の感がつよく、花というより胞子の集合めいていて、ちかくからみれば枝先にいくつも毬様のまるいひらきがくっつきぶらさがっているのが青空にのって浮かぶさまの、きれいはきれいなのだがどちらかといえば奇特なようでもあった。花とか植物というのはだいたいどれも、あらためてまじまじみてみると美よりもむしろ奇異の観にうつる。

週日のまんなかだが昼下がりの陽気のためか裏路地にそとに出ているひとがおおく、大学生ほどの若い男が乗った自転車がすぎていったり、駐車場の端で草をとっているしゃがみ姿もある。家々のあいだにひろくひらいたあまり舗装もされていないような共同駐車敷地にかかるとすこし土手になった線路とそのむこうの林がみとおせて、いつもこの林縁のみどりに風をみたりみなかったりするのだが、きょうはかれらは旺盛にゆれており、手招きでもないがなにか呼びかけるごとく左右にかたむきながら泡のようなひびきを吐いている。もうすこしすすむともう一箇所、さきよりはせまいがやはり駐車スペースから線路のむこうがのぞく場所があり、ここの樹々はもっとこまかく渦を巻くようなうごきをはらみ、そのうしろでたかくのびあがった杉の木もゆれさわいでいた。午後二時だから裏通りにもまだまだひかりはあって肩口を中心に身に寄っていたその熱を、服をつらぬく風が散らしてすずしさへと中和していった。ハクモクレンはこずえに花のひとつもなくなりはだかの枝先に新芽がはじまっていた。地面にも花の残骸はまったくみられず、すでにかたづけられた空間がつぎの季にうつっている。

(……)の枝垂れ桜が盛りというわけで淡いピンクの巨大な逆さ髪に似たそのまわりに訪問者のちいさなすがたもおおくみられ、こちらが行くみちのはたにとまって談義しながらながめる高年の一団もあった。職場について勤務。(……)

  • いま五時前。きょうは八時四〇分くらいの覚醒だったか? 起床時間の正確なところなどわすれたが、起きた時点ではまだ曇り空で、晴れる気配もあまり感じられず、天気予報をみてみてもむしろ正午ごろは雨となっていたので洗濯をひかえたが、けっきょく降らず、その後薄陽もながれてきて、いまはレースのカーテンの向こうで保育園の屋上の線に接して西陽に裏から照らし出された雲が、その身をちいさくひかりに満たしている。風のやたらつよい日で、さくばん歩きに出たあいだもよく吹いていたが、きょうは起床後に瞑想をしているあいだに巨大ななにかが転がっているような、吹奏楽の太鼓の低音が体育館にひびいているような音が聞こえたし(同時に飛行機のうなりも上空に浮かんでいた)、正午を越えたあたりからさらに吹きつのって、抑制されて実体のない平和な雷みたいな調子でroll的な重いひびきが頻々と立ち、春の嵐といった風情。それにおうじてか保育園の子どもらの歓声も立っていた。陽気は初夏。一食目を食べたあとは暑かったので、今年はじめてになるがしばらく窓を開放して外気を取り入れていた。いまも室内でさわがしく遊び回っている声が聞こえてくるので、こちらはもう閉めたが、あちらでも窓を開けているのだろう。
  • 起床後はひさしぶりに瞑想。たしか一〇時半くらいから一一時直前までだったか? もっとまえだったかな。からだがなかなかただじっと座っているという時間の持続に耐えられる状態にならない近頃だったが、深呼吸をするとやはり全身が内側からマッサージされるような感じでほぐれる。ひさびさにじっと静止して、からだの感覚を受け取りつづけるということができた。のち、書見に切りをつけて日記を書くまえにももういちどやったが、このときは短く、一五分程度だった。さいしょに座ったときには腰のあたりが硬くて、たぶん上体の土台であるそこが硬いので背中がすっと立たず、反るような感じになって負担がかかり、それで肩甲骨のあたりまで硬くなってしまって胃に来たり喉が詰まったりするのではないか。その後飯を食ったり、ストレッチしたりごろごろしたりするうちにけっこうほぐれてきたが。瞑想中に去来する思念は、そろそろもうひとつ学習塾ではたらきはじめたほうがよいがしかししょうじき体調もそんなによくはないなあとか、きょう(……)さんと通話するから、文章関連で金を得るというのは、ひとまずかれにたのんでひとりめの顧客にさせてもらおうかなとかそういったあたり。(……)
  • 書見はティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)をつづけており、第五章まで読み終えて189にいたっているが、ここまでマジで言っていることぜんぶほぼ同意でよくわかるという感じで、むかしなつかしき2ちゃんねるスラングをつかえば「はげあがるほど同意」という調子。存在を関係論的に構成されたものとしてとらえるたちばなわけだけれど、その関係性を「ネットワーク」概念ではなく、「メッシュワーク」という独自の構図でかんがえるのが独特なところで、要はネットワークは点と点のむすびあいであり、ネットワーク概念に依拠する理論はすべて要素よりも要素間の関係に重点を置くとはいえ、むすびつきをかんがえるためには要素と要素間のつながりがまず分離されなければならず、ということはけっきょく有機体や生命というものを境界線の内側にかこいこむことになってしまう、それにたいしてメッシュワークというのは無数の線的痕跡の織りなしやかさなりあいとして世界をとらえるものであり、そこであらゆる要素は動的で絶えず流動しつづけており、したがって実体的な要素と要素間の関係との区別がなく、線という形象に沿って生きられるその無数の流動の接触や交錯や交雑、相互作用や相互浸透こそが世界なのだというはなしだとおもう。したがってネットワークにおける点のように固定的な実体は存在しない、ということになるのではないか。読めばこれはほぼ仏教的な世界観なのでは? という類推はむろんはたらくし、南方熊楠のいわゆる「南方マンダラ」をおもいだしもする。このあいだ読んだ松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)をいま返却してしまっているので正確なところの比較はわからないが、ティム・インゴルドのこの本のなかでは、有機体をしめす図としてカンギレムを参照しながら(『生命の認識』(一九五二年)の、「生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである」という一文だが、ここでカンギレムが出てくるのもちょっとおどろくところだ)、いくらかうねりをはらんだ複数の線がまじわりあう線画が描かれているのだけれど(174)、「南方マンダラ」もこんな感じだった気がする。「南方マンダラ」がつうじょうの意味のネットワーク的世界観ではなく、ティム・インゴルドのいう「メッシュワーク」とか、あるいはカンギレムの論じた有機体や生命のとらえかたとおなじことを言っているとかんがえられるのだとしたら、その先駆性はかなりのものである気がするのだが。おなじ174では図のあとに、「有機体と人間はそのとき、ネットワークにおける節 [ノード] というよりもむしろ、結び目からなる織物の結び目 [ノット] である。そしてある結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する」という説明があるし、すこしもどると、「そのような跡の一つひとつはさまざまな跡からなる織物の一本の撚り糸にすぎず、それらは一緒になることで生活世界の肌理を構成するのである。この肌理こそが、有機体は関係論的場の内で構成されると言っている意味である。それは互いにつながれた点からではなく、編み合わされた線からなる場である」(172)という説明もあるが、「織物」「撚り糸」「結び目」などという比喩をみるに、これはかんぜんにテクスト論的世界観じゃないですかと、とりわけ「肌理」なんてことばをつかっているのにはロラン・バルトじゃないですかとおもわざるをえないのだけれど、ただ参考文献にバルトの名はない。ティム・インゴルドが「線」という形象を重要視するようになった直接の参照元ドゥルーズおよびベルクソンらしいのだ。そしてこうした流動性や運動の優位、内と外の区別にもとづくのではない相互浸透的でひらかれた有機体のとらえかたというのはアニミズム的世界観もしくは存在論だとも言われており、それにもとづいて、というかそれをかんがえなおすことによって、いまの科学にうしなわれてしまったものを取り戻したり、いわゆる西洋的な思考の伝統的なありかたを再考しようというのがティム・インゴルドの企図だが、それでいえば去年あたりに奥野克巳と清水高志の『今日のアニミズム』という本が出ていて、それもこういうはなしをしているのかもしれない。図書館にあったのでそのうち読みたいところ。
  • こういう世界観がじぶんの性質と親和的なのはいうまでもなく、さらにとりわけ「驚き」と「驚嘆」を区別する点とか、風景について述べているあたりとかも奥底まで同意という感じなのだけれど、ただ流動的世界をおもうときにいつもおもうのはそれでいいのかなあということで、つまり固定点なくてだいじょうぶなのかなあということで、唯一神という絶対的な固定点の桎梏をつくってしまった西洋文明からすると第一原理的固定点というのはむしろ解体するべききわめて強固な拘束にもうつるとおもうのだけれど、流動的無常世界みたいなのは形而上学から下りてきて政治社会的に援用すると永久革命論になり、主体論に適用すれば主体はひたすらに変化・変容していけるという無境界的自由みたいなはなしになるはずで、それはそれで魅力的だけれどやっぱりなんかちがうなと、楽観的に過ぎる感じがあるとおもうのだ。有限性が大事ではないかと。ただじっさいティム・インゴルドのメッシュワークにしても、あるいはドゥルーズ=ガタリの論にしても、それがじっさいに無限的なというか永久変容みたいなこととしていわれているのかはわからないし、なんというか流動とはいってもその流動にも幅や範囲があるはずなので、固定点がないにしてもなんらかの有限性(総体としても局所的にも)は介在するのではないかとおもうのだが。しかし幅や範囲を導入すると、境界区分的囲い込みが発生してしまうようにもおもえる。有限であるということは境界区画とおなじなのか? という問いだ。一見するとというかふつうにかんがえるとおなじであるようにおもえるのだが、ただ流動性と生成変容とは言ったって、その流動にもまさしくそこまでのながれがあるでしょうというはなしで、そしてまたそのながれ、メッシュワークのいっぽんの線を可能にする条件があるでしょう。そういう環境的(そのいっぽんの線をまさにつつみこんでいる――「つつみこんでいる」のであって、「囲いこんでいる」のではないことが重要なのかもしれない)条件としての流動の範囲があるのではないかということで、ひらたくいって、にんげんにしてもほかのなにかにしても、そんなに革命的にがらっとはなはだしいかたちで生成変容できなくない? とおもうのだ。ドゥルーズ=ガタリの論ではむしろそういう純然たる「変身」みたいなものが称揚されているのかもしれないけれど、いかんせん読んだことがないのでわからない。しかしまた、そうでもないのかな。たとえばにんげんにしても死んで焼かれて灰になるというのはそうとうはなはだしい生成変容とおもえる。しかしそれは有機体としての生の範囲を越えてしまっているので、ひとまず有機体としての生のみちゆきでかんがえたほうがよいかもしれない。だがそれはまたけっきょくのところ固化的主体にこだわることになってしまうのではないか。
  • きょうのことを綴ったあとはまた寝転がってだらだらなまけてしまい、七時過ぎにいたってようやく起き上がった。八時から(……)さんと通話だったので、そのまえに二食目を取っておきたかったのだ。それで七時半ごろに煮込みうどんのさいごの一杯と納豆ご飯で飯を食い、通話。九時ごろまで。それから二〇分くらい瞑想をして、四月三日月曜日のことを書き出し、一〇時半前で一回切って、ちょっとそのへんをひとまわりしてくるかというこころになった。食料がもうとぼしいからスーパーに行くのがよいのだけれど、気分としては買い物までするこころではなく、ただちょっと散歩をするつもりだったのだけれど、ところがジャージを脱いでひさしぶりに薄手の真っ黒なズボンを引っ張り出し、うえは肌着にブルゾンの軽装に着替えるとやっぱり買い物もしてくるかというきもちになって、リュックサックを背に負った。部屋を出るとさっそくあたりから風が建物にぶつかる音が立って聞こえる。階段を下りて道に出ると右手の口から路地を出て、向かいに渡って道路の端を左折する。首を左方にひねってみあげれば月がまるまると架かっていて、空は雲が優勢だからむき身のつややかさではないがひかりは厚くて減退もわずか、雲を敷かれて黄みがかった淡い暈をまといながら本体はときに遮蔽を越えてみずみずしくなる。首をひねりひねり見上げ見上げすすむあいだ風は盛んで、布団屋のまえの旗がきょうも引きちぎれんばかりにはげしくふるえて身悶えしている。室内にいて文字やモニターばかりみていたあとの瞳に空間の像がややぼやけるようだったので、眼球の向きを変えつつシパシパとまばたきをくりかえしながらあるく。信号を無視して豆腐屋のまえに渡ったころにははやくもじつにいい空気だなと、こんな夜道をせかせかあるいてしまってはもったいないと歩調がゆるくなっており、(……)通りに曲がっても両手を黒ズボンのポケットに突っこんで視線を落としたり空にはなったり、てきとうにあたりに飛ばしたりの気楽なあゆみがつづき、公園で道沿いにあらわな桜木はもう花弁のいろはほとんどなくて、葉の緑がおおかたになっていた。まっすぐ伸びる通りを行くあいだも風は舞い、からだに感じられるその軌跡は微妙に揺動しながらときに方向を変え、大気はひっきりなしにうごいてあたりからシャッターの揺れなどものおとも立つが、不思議と身の至近だけはしずまってうごかなくなりながらそのそとや対岸では音とうごきがつづいている、そんな瞬間も生まれる。しかしだいたいは空気のながれをまとっているような状態で、その接触や押圧をからだの各所に感じながら、身をつつみかすめなでてつらぬき過ぎ去っていく複数の線状跡を想像し、ティム・インゴルドがいっていた無数の線跡の集積かさなりまじわりで生まれる世界の肌理とは風と大気そのものではないかとおもった。出口付近の向かいは小学校になっており、みやれば校庭を越えてかなたの空に視線はのぼり、くまなく貼り伸ばされた粘土じみて鼠色に平板なそのなかに遠くの電波塔が赤灯の点をひとつ呼吸させ、ひるがえって頭上には平板さのなかに墨汁を垂らしてなすったような雲のほころびが暗い口となり、通りを抜けて横断歩道で止まりながら左手をみあげれば駅前マンションのあたまからけっこうひろく雲間がみられ、ふたたび遭遇した南の月のまわりもどちらも抑えた白と黒と複雑に入り混じった様相を呈している。渡ると寺の角から裏にはいり、すぐに左折すればマンションのまえをとおって駅につづく暗い道、道脇の桜は枝ぶりこそおおきなつばさのようにひろげているが色はほぼみえず、月も寺の木々にかくれてこずえの先端にわずか明かりがもれるばかり、ここで風が一気にまさって正面から分厚く走り、するとさすがに涼しさを越えるいきおいもあるが、それも一瞬が何回かという程度で、冷たさにはほど遠く、肌寒さにもいたれるか否かかろうじてというところ、しかしながくつづいて駅前に来るまでやまなかった。駅からはいまちょうど電車を降りてきたひとびとがたくさん湧き出して道を行く。月は頭上にあらわにある。ひとびとのながれになかばまじるようにして踏切りのほうに行くと、こちらのまえにワンピース的なよそおいをした若い女性がひとりさきに線路を越えて、そのあとからこちらも越えてひだりに折れると行く方向がおなじなのですこしうしろにつくような感じになり、男に背後をあるかれるといやだろうからとむこうが歩道の左側をあるいているのをこちらは右にずれ、なるべく距離がはなれていくように歩調も落としていくそのあいだ、左手にはオレンジ色の街路灯をふりかけられた駐輪場があるのだが自転車はほとんど駅寄りにあるもうひとつのほうに停まっているらしく、こちらの区画にものはとぼしく閑散とした地面と宙にどことなくなじみづらいオレンジの明かりだけが浸透している。前方から男性の対向者が来たのでひだりにずれなければならず、駐輪場が終わるとそのつぎの土地はなにかの畑で、といって野菜が植わっているのをみたおぼえはなく、黒々としたゆたかないろの土が敷かれているがまもなく垣の代わりめいた低木のならびがはじまるのでそれもみえなくなる。前方の女性との距離はつつがなくはなれた。あちらはうしろすがたの固定ぶりからしスマートフォンをみながらあるいていたようだ。中華料理屋の裏をとおらずおもてまで行って左折し、するとさきほどの女性は向かいに渡るようで横断歩道のまえで止まっていたのでここで路程は分かれ、こちらはまっすぐ踏切りまで行き、渡って当たった通りを左折すればそのさきがスーパーになる。
  • 店内でのことはもうわすれた。帰路もあまりおぼえていないが、遠回りをしようというわけでスーパー前を渡るとそこの口にははいらず、ひだりに折れて、行きも来た(……)通りのほうから帰った。ここを行っているあいだに心身がいっそうしずまって、恍惚も官能もいまやないがただとにかくおちついて、夜、帰路、ひとり、風、ゆっくりとした歩み、それらの積算と混淆によって浮上してくる解放感、あのまじりけなしの自由の時が現成し、これがじぶんの生のなかでもっともおちつく時間であることはうたがいないとおもった。こういうとき、わりともう死んでもいいなというか、死ぬんだとしたらこういうときがいちばんもってこいじゃないかとおもったりもし(ところで金関なんといったっけ、アメリカ文学のひとが訳したネイティヴ・アメリカンの詩集で、『きょうは死ぬのにもってこいの日だ』みたいなタイトルのやつがあってかなりむかしに読んだ記憶がある――またいっぽう、ウンベルト・エーコ岩波文庫にはいっている文学の森七講義みたいなやつのさいごで、うつくしい星空をみたさいにいまこそ死ぬべきではないかとおもったみたいなエピソードを語っていたのもおもいだされるが、後者を読んだのはたぶん読み書きをはじめた二〇一三年中のことなので記憶がそうとう曖昧だ)、さらにいえばどんどん歩速を落としてしずかにあるいているいまここのじぶんが生きている、社会的秩序のなかで生活をしているというのがよくわからないような、ふしぎな、困惑させるような感覚が生じ、じぶんがもう死んでいるような、あるいは語義矛盾的だが死後を生きているような、ともおもわれるのだった。そういうところに行きもみとめた公園の桜が道の向かいで夜の宙にいろのあきらかでないこずえをひろげているのが目をとらえ、それだけでそこはなにかであり、脚をとめてしばらく、もしくはずっとそれをみていたいような気にもなるのだけれど、じっさいにそうするほどにまだ生活というものからはなれさることができておらず、緩慢ながらすみかに向かってあゆみはとぎれずつづいてしまう。
  • 通話時のこと。(……)


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  • 日記読み: 2022/4/6, Wed.
  • 「読みかえし2」: 1338 - 1343
  • 「ことば」: 1 - 3