2023/4/14, Fri.

 禁欲のうちに修行すること、世を捨てて悪魔に立ち向かうことならだれにでもできる。神の言葉を聞いた者は多く、それを広く告げ知らせた者も少なくない。だが、天使のお告げすら、いつかは風に散る。時が吹き散らしてしまった言葉を一体だれが集め、その智慧を広めるというのか。教えはいつしか風評となり、預言者の見た未来はただの錯覚に変わる。真実となるべきものは、書き留められねばならぬ、と天使は言う。真実となるべきものは、書き留められねばならぬ、とマニは考える。ただ文字だけが、教えを正しく伝え、生きのび、その文字をとどめた素材、たとえば黒い玄武岩の塊や焼かれた粘土板、薄くのばしたパピルスの繊維やごわごわするヤシの紙と同じだけの重みを持つだろう。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、160; 「マニの七経典」)



  • 一年前から、『魔の山』の感想。なかなかよくまとめているなという印象。書きぶりがけっこう密だ。

(……)トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』の下巻(新潮文庫、一九六九年)。そろそろおわりがちかい。いま730くらいまで行った。レコード熱のあとは、エレン・ブラントというオランダ生まれのデンマーク娘が登場し、かのじょが霊媒的な体質をもっているというわけでクロコフスキーのイニシアティヴでひとびとはその研究実験に邁進し、ハンス・カストルプも部屋でおこなわれるこっくりさんに参加する。かのじょを媒介としてよびだされるホルガーという霊は詩人だといい、ひとつ詩をつくってくれとたのむとその後一時間にもわたってワイングラスは文字のうえをひたすら行き来し、長大な叙情的詩文をものするのだが、この趣向はちょっとおもしろかった。こういうオカルティックなことはいかがわしいという観念がハンス・カストルプにはあるようだし、たぶんとうじはきちんとしたおとなならこんなことに首をつっこまないという認識が広範にあったのではないか(まあ、いまでもスピリチュアル方面にはまりすぎるとやばいひとあつかいされるとおもうが)。記述の調子からなんとなくそんな印象をうける(いっぽうで一九世紀末くらいには(とくにイギリスなんかで?)交霊会が盛んにおこなわれるようになったという印象があるが、それがただしい認識なのかはわからない)。それでカストルプもいちどはこのくわだてへの参加をやめ、近代科学的合理主義を旨とするセテムブリーニ氏もとうぜんいちどめの参加を非難しつつそれに賛同しているが、しかしエレン・ブラントにやどった霊がつぎはだれであれ死者を呼びだしてみせると言ったのに誘惑され、カストルプはけっきょく実験にまた参入する。この山のうえで病死したいとこヨーアヒム・ツィームセンをみたいとおもったのだ。それで最終的にみなは実験室にあらわれたかれのすがたを目撃することになるが、「ひどくいかがわしいこと」と題されたこの一節は挿話として(断片的物語として)なかなかきれいに結構がそろえられている感触をうけた。そのつぎの「立腹病」はサナトリウム内にふしぎと好戦的な雰囲気がいきわたって、だれもかれもが激しやすくなり、喧嘩騒ぎがひんぱんにもちあがるというはなしで、反ユダヤ主義者なんかもでてきて一次大戦前という時代の空気をなんとなくおもわないでもない。この節が終わればのこるは「霹靂」という節ひとつのみである。

 そのあとは『魔の山』のつづきを読みすすめて、五時まえに読了した。おもしろかった。さいしょの三〇〇ページくらいは、なにも起こらんしかといって描写に生きる作品でもないしぜんぜんすすまねえなとおもいつつその退屈さを味わっていたが、読み終わってみればたいした作品だなあという印象。さいごのひとつまえの「立腹病」の節では、732で、セテムブリーニの容態がだんだんわるくなっておりここのところは数日おきに寝込んでいるとか、それにつづいてナフタの調子もわるくなって病がすすんでいるという言及があるのだが、ここを読んだときに、形而上学的な議論をつねにはげしくたたかわせてきた永遠の論敵同士であるこのふたりもそろって病に服しているということにあるかなしかの感傷をおぼえた。そろそろかれらも死ぬのかもしれないという無常感をえたわけだが、ふりかえってみるに、この小説で死んでいくものたちはじつにあっさりと、ドラマティックな演出はほぼなしで、ひじょうに冷静な語り口のなかですみやかに死んでいく。ちかいところではメインヘール・ペーペルコルンもそうだったし、ハンス・カストルプの親しいいとこヨーアヒム・ツィームセンの死ですらが感情的な要素はほとんどなしに淡々とすぎていった。上巻の後半にもどれば、ハンス・カストルプが急にキリスト教的義侠心や死をおおいかくしてみえないものにせんとする施設の方針への反発に駆られて訪問した重症の患者たちもそうだった。国際サナトリウム「ベルクホーフ」においては病はもちろんつねにその全体にいきわたっており、死も直接ふれがたいながらもおりおりに生じてつぎなる患者によって埋められるべきいっときの不在をつくりだすのだが、そのふたつがもたらしがちな悲惨さや苦痛のいろはこの小説世界に希薄で、登場人物は基本的にだれも苦しんでいない。まったく苦しんでいないわけではなく、環境や設定からくる必然として病気への言及はむろんおおいし、はしばしで苦しげなようすやかなしみをみせるものもいないではないが、ぜんたいとしては病はここでの生活においてたんなる前提にすぎず、問い直されない前提につきものの無関心さであつかわれ、数しれぬ患者の死をみとってきたであろうベーレンス顧問官などは消失と新来の反復に馴れすぎたのか、悲愴さをおもてにしめす機会はほとんどなく、つねに軽妙な口をたたいて冗談ばかりいいつづけており、病も死も人生と運命のたわむれにすぎぬといった喜劇的達観ぶりだ。無数の患者連中においても、病気が苦悶や深刻な悲惨の相から本格的にとりあげられることはついぞなく、だれもかれもが病をむしろ誇りながらしかし同時にそれを無視するかのように山のうえでの生をそれなりに謳歌しており、語りにあらわれるそのすがたは一見したかぎりでは尋常な喜怒哀楽をたのしむ平常人のものと大差ない。なにしろみんなで夜中まで酒を飲んだり、音楽をきいたり、近間の風光を玩味しにいったり、みちならぬ男女の不倫にはしってみたり、街を散策したり、恋心にやられておもいみだしたりといったゆたかさである。そんななかでハンス・カストルプの教育者ふたりのおとろえにわずかばかりのはかなさがにじんだのは、読むこちらがかれらにつきあってきた紙幅や時間の量のせいもあろうし、また終演が間近で作品にもなんとなくニヒルないろあいがかもされてきていたからかもしれない。ニヒルといえばレオ・ナフタは上巻のカバー裏で「虚無主義者」の肩書を冠されていながらいままでその内実がいまいちわからなかったのだが、この終盤にいたってそのあたりがはっきりとえがかれていた。というのも、近代科学もひとつの信仰にすぎぬと否定したり(736~737)、絶対をみとめなかったり(742)、ヒューマニストリベラリズムの欺瞞をあばこうとしたり(744)しているからだ。その語り口は大仰かつ高遠でありながらも同時に「へへ、」という、ロシア古典文学をおもわせないでもない特徴的な憫笑がときにさしはさまれることでユーモアの味を一抹確保されており(743、744)、それをみるとおもわずわらってしまうのだけれど、話者は「理性の攪乱を目論んだ」(735)とか、「始末の悪いことになった」(736)とか、「陰険な底意」(739)、「悪意ある議論の実例」(739)などといっているから、一読したかぎりではセテムブリーニ氏の側についており、ナフタはこの小説において基本的には、そして最終的には否定さるべき像としてあらわれているようにみえる。訳者あとがきに紹介されていたトーマス・マンじしんの思想や政治的活動をかりに考慮にいれたり、またこの小説が設定されている一次大戦前という時代的舞台、ならびにこの小説が発表された一九二四年という時代の思潮を漠然とかんがえてみてもそれはたしかとおもえるが、ただしそう単純なはなしでもなく、レオ・ナフタの独裁的共産主義への親和やテロリズムの唱道は、一次大戦当時の欧州の別側面を憂慮とともにえがきとりつつ、またロシア革命を参照しつつ、一九二四年以後におとずれた第二次大戦の世界まで射程をのばしているようにもみえるわけだ。さらにまた、ひたすらにテロリズムにながれる極端さや、観念をただただまぜっかえして混乱させたいだけではないかという冷笑家ぶりや、ところどころ矛盾する思想の体系的瑕疵の印象はおくとしても、部分的にはかれのいいぶんは、いわゆるポストモダンの隆盛をみたのちの西暦二〇二二年になじみぶかいというか、要するにその精神の主旨は懐疑と近代批判である。それはいまや現代にめずらしいものではない。いずれにしても、健康的で明朗なる啓蒙主義者にして理性とヒューマニズムの徒であるセテムブリーニ氏がその悪逆な破壊性をゆるせるはずがなく、たびたび激論をたたかわせてきたこの二者は終盤においてついに決闘にいたるのだが、セテムブリーニが拳銃を頭上の空にむけて発砲したのを受けてナフタは武器をみずからのこめかみにむけ、ただ一息に自害して終わる。
 そうしておとずれる最終節は「霹靂」という題であり、容易に予想されるとおりこの青天の霹靂とは、その後に第一次世界大戦と呼ばれるようになった戦争の勃発なのだ。それによってこの山のうえで七年をすごし、おおいに知的発展を遂げながらも病と無為をむさぼりつづけていたハンス・カストルプは、いやおうなく低地に引きもどされて一片の兵として戦争を生きることになる。この身も蓋もない歴史のちからの到来によって高山の魔境が浸食され、下界とのあいだに堅固にたもたれていた隔離がほとんど一瞬のうちに消滅するさまは、(……)さんの『双生』を如実におもいおこさせた。「彼は両脚を引寄せ、立ちあがり、あたりを見まわした。彼は魔法を解かれ、救いだされ、自由になったのを知った。――残念ながら、彼自身の力によってではなく、恥ずかしい話だが、彼一個人の解放などということはおよそ問題としないほどの、巨大な自然力のごとき外力によって、一挙に魔法の圏外へと吹き飛ばされたのであった」(780)。ハンス・カストルプが、ついにかれを「君」と親称で呼ぶようになったセテムブリーニ氏と汽車のなかから別れをかわしたあと、二行の空白がさしはさまれたのちに戦場のようすがつぎつぎと具象的に描写され、そこを前進するハンス・カストルプが大戦を生きたのか死んだのかわからないままに話者は終幕を告げる。さいごにいたって戦争の場が具体的に、詳細に描写されたことはよかった。このながながしい小説の終わりかたとしても、事前の了解どおりといえばそうだが、これいがいには終わらせようがなかったようにおもう。数日前にふれたように、この山のうえには永劫を望見させるような再帰的な時間の沈殿が支配的なてざわりをもって鎮座しており、それはこのままいつまでもつづくのだろうなという印象すらあったのだが、この永遠を終わらせるには、歴史と事件のみがもつ暴力的な切断のちからが必要だっただろう。

  • ニュース。

(……)新聞一面にはバイデンがロシアのおこないをジェノサイドとはじめてみとめたという報があった。いままでは戦争犯罪だといいながらもこの語はつかっていなかったらしい。国際刑事裁判所ICC)の調査はすでにはじまっており、フランスの法医学専門家チームもブチャにはいったという。ウクライナのイリーナ・ベネディクトワ検事総長は五六〇〇件だかの戦争犯罪を調査しており、五〇〇人いじょうの容疑者をみこんでいると発表。マリウポリ市長はCNNとのインタビューで、市民の犠牲は二万二〇〇〇人にのぼるとかんがえられると述べた。ロシア国防省マリウポリにてウクライナ軍兵士一〇〇〇人が投降したと発表し、事実ならばさいごの拠点にいるとされる勢力の三分の一が降伏したことになるが、ウクライナ側は情報がないといって否定している。

  • 「つつましく死期を占え青空にかくれた星は仇 [かたき] にならぬ」という短歌がすこしだけ良かった。
  • 九時半に時刻をみて離床は一一時半。わりとだらだら。
  • 雲のかかった白い空ではあるが、陽射しもあり、空気はおだやかで、ぬくもりが室内にもややこもる。
  • 腕振り体操をよくやってからだをすっきりさせる。前後と左右と両方やるのがよい。
  • 三時ごろ手の爪を切った。BGMにRalph Towner『At First Light』をながす。よい。diskunionのページにもう八三歳とあったとおもうが、八〇を越えてもこんなふうにギターを弾けるのだからうらやましい。
  • もう食料がとぼしい。
  • 食後はムージル書簡を読んだり、じきに臥位にながれて書見したり。山内昌之細谷雄一編著『日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ』(中公新書、二〇一九年)。きのうなんとなく読み出したもの。105から、いま128。中国の日本にたいするイメージが悪化することになった原点としての対華二一か条要求や、一九一〇年代から三〇年代にかけての日中関係など。きのう書き抜き箇所をメモせずに読みすすめてしまい、きょうあらためてさいしょからおおざっぱに追いながらノートにメモしたが、それできのういちにちで一〇〇ページも読んでいたのかとおどろいた。しかし新書なのでそんなものだ。書き抜きメモにかんしてはティム・インゴルドの本もとちゅうからできておらず、きょうの食後にもいくらかすすめて400まで。
  • ムージルは父親のしごとなかまだったという年上の友人に文学論をものしていたり、リースルというこれも詳細不明の女性にたいしてまたよくわからんことを書きおくっていたり、一九〇八年にはベルリン大学で親友になったヨハネス・フォン・アレッシュという友人にたいして博士号取得口述試験の報告をしたりしている。
  • ここまでで三時半。からだがついていかないこともかんがえて業務日誌もしくは日報のような書き方にしてみようとおもってこんな感じ。これもよい。しばらくこの調子でやっていきたい。とはいうものの、それもその日そのときの体調と気まぐれしだいではあるので、ちょっとよくなっただけでまたつらつら書き出してもおかしくはない。
  • 四時半ごろから買い物へ。外出中のことはのちに書く余裕があれば。帰ってくると五時台後半。しばらく横になってやすんでから食事。スーパーでひさしぶりにがっつり肉でも食いたいとおもって惣菜のロースカツを買ってきたのでそれをおかずに炊きたての米を食ったがうまいといったらない。食後は脚が疲れており立っているのがたいへんだったので、ウェブをみながら尻のうえのほうを揉んだり、両の太ももを前後ともこまかくよく揉みほぐしたり。太ももを揉むとめちゃくちゃ楽になる。汗も出てくる。いまはRalph TownerをBGMに日記を投稿しているところ。六日分から。もうだいたいいま書いてあることだけで、もし書き足すとしても日報的にちょっとだけにしてさっさとかたづけてしまおうとおもう。Ralph Townerの『At First Light』というこのソロギターアルバムはかなりよい。ちょっとすばらしい。Ralph Townerなんていままでぜんぜん注目していなかったけれど、独演をわりとよくやっているのだろうか? ほかにもソロギターアルバムがあれば聞いてみたい。


―――――

  • 日記読み: 2022/4/14, Thu.