2023/4/16, Sun.

 そこで彼はまもなく預言者たちの住む洞窟の一つに引きこもると、左脚の上に座り、歩く時に言うことを聞かず、子どもの頃から引きずるしかなかった右脚を前に出して台にした。その上に冊子本を置いて紐をほどき、本を開いて、葦のペンをまっさらの紙に下ろすと、たった一本の補助線も引かずに書き始めた――彼が発明した、あの非の打ちどころのない文字を。優しい繊細な文字、それらは千(end162)年後も、そのうちの残ったものは、肉眼ではほとんど見えなくても、拡大鏡をかざせばくっきりと読めることだろう。
 マニはページを繰って、今度は絵筆をパピルスの上に置くと、闇にうごめく生き物たちと世界の創造を描いていった。光の支配者が殺した悪魔の皮を剝ぎ、それを天空に丸く張りめぐらす様子、悪魔の砕けた骨で山を、しなびた肉で大地を造り、あの闘いの時に飛び散った光の粒子から太陽と月を創る様子を。彼はまた、この宇宙を動かし、一つ一つの天体をそれぞれの軌道に乗せたあの神の使者も描いた。それからマニは新しいページを開き、ある衝撃的な真実の全体像を描いていった。光のわずかな残りかすから、最初の男女の人間を神の使者の姿に似せて形作ったのは、闇の支配者であった――互いに合一し、増殖したいという呪われた衝動を彼らに与えたのも。最初の男女、青白い裸の二人はたがいにしがみつき、次々に子どもを作る、それとともに光はますます小さな粒に分かれて散らばり、天国へ帰還できる日はますます遠のいていくのだった。
 マニは金箔を小さく切って、その小片をパピルスに貼りつけ、絵の具を何度も塗り重ねた。するとそのページは明るい光を放った。朝になり、夜になった。何日も、何週間も過ぎた。マニは描くのをやめなかった。疲れを知らず回転する巨大な車輪、次第にこの世のすべての光を浄化していく宇宙の車輪、規則正しく満ち欠けする月――煌めくラピスラズリの夜空に浮かぶ黄金色の陶皿――その皿の中に光は集められ、地上の汚れを祓い清められる。そしてほのかに光る渡し舟に乗り、天の川を通って故郷に帰る。誕生の循環から抜け出し、存在をやめることを許された、光の魂。
 最後に彼はリスの毛の筆をとり、もう一度神の使者の衣のひだをなぞった。生命の母の眉、太古の人間の金色に輝く甲冑の輪郭、ヤギに似た悪魔の顔も。闇の支配者の髭や、鱗に覆われた足の鉤爪ですら、彼は芸術家の細心さをもって描いた。芸術家は自分の創ったさまざまな形の創造物を等しく愛するが、その愛ゆえに、悪がかつて善であった例しはないこと、悪が善の近縁者でもなければその後(end163)継者でもなく、堕天使でも反逆の巨人でもないこと、その悪さは何によっても説明しえないことを忘れさえする。マニの細密画において、悪は自分自身を嚙み裂く、竜の体と獅子の頭と鷲の翼とクジラの尾を持つ怪物であり、時の始まりから、己の国を荒廃させてきた――熱い灰からもくもくと上がる煙に覆いつくされ、死体の腐敗臭に満ちた戦場の一面に、死んだ木の切り株がごろごろ転がり、深紅に燃える大きな口がぱっくりと開き、その深淵から黄鉛色の煙が立ちのぼっている。マニの教えは白か黒かであっても、彼の写本はうっとりするほど色彩豊かだ。このような本を持つ者は、神殿も教会もいらない。これらの本自体が、内省と智慧と祈りの場だった。豪華な冊子本は分厚い革で装丁された堂々たる本の塊で、薄く削った鼈甲や象牙を優美に埋め込んである。手に馴染む十二折り判は、表紙に金箔を被せ、宝石をちりばめてある。そしてお守りのように極小の本は、拳の中に隠せるくらい小さい。ザクロとランプの煤から作ったインクは、石灰を塗ったパピルスの上でも、白い絹でも、または柔らかい革、ほのかに光る羊皮紙の上でも同じように黒く輝く。ただ本の題名だけが、判読不能なまでに装飾を施されている。けばけばしいバラの花の装飾、臙脂色の点が連なる縁取り。それは救済と破壊の色、世界の炎上の色だった。深紅の光を放つのは、千四百六十八年間燃えつづけた炎。宇宙を燃え上がらせ、その灼熱が最後の光の粒を解放し、世界全体をのみ込んでしまうまで、燃えるのをやめないだろう。そしてひときわ明るく光り輝くのは、壮麗な未来の似姿、白絵の具と金箔で描かれた、あの天上の光の世界だ。そこでは善と悪がふたたび分かれ、闇の元素は、ことごとく下降し、打ち負かされ、沈められ、生き埋めにされる。そして光の元素はすべて高みへ上昇し、月で洗い清められ、天体の回転によって浄化される。信じたい者は、信じるがよい。そして多くの者が信じたがった。
 ゾロアスターには無数の弟子がいた。ブッダには五人の同行者、イエスには十二人の使徒が――だが、マニには七冊の経典があった。経典が彼の教えをさまざまな国の言葉で世界へ届けた。あのバベルの塔の建設によって分断されたものを一つにするために、そしてかつて前例のないことだが、彼に(end164)従う者と彼を罵る者とを分裂させるために。人々は彼を善の器マナ、あるいは悪の器と呼んだ。人々は彼を天の糧マンナ、あるいは悪しき者らの阿片と呼んだ。放浪の救世主マニ。足萎えの悪魔マネス。啓示を受け、世界を救済する旅に出た者、マニ。世界を破壊する旅に出た気狂い、マニー――癒し手マニ。災いのマニ。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、162~165; 「マニの七経典」)



  • 一年前からニュース。

 (……)新聞一面はウクライナ情勢。きのうのニュースですでにみたがロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」沈没の報。大型ミサイル巡洋艦という種類の船であるこの艦は、S300とかいう防空ミサイルをそなえていて、ウクライナ南部に攻撃をしかける隊にたいして防空網を提供する役割をはたしていたといい、したがってそれがうしなわれたのはロシアにとってはおおきな打撃であり海軍力の低下はさけられず、攻撃戦略にも影響があるだろうと。ロシアはキーウにむけてミサイル攻撃を再開し、それは報復の可能性がある。東部への部隊配備はおくれており、総攻撃はまだはじまっていないらしい。ロシアがわはマリウポリの製鉄工場を「解放」したと発表したが、これがきのうおとといにウクライナ軍とアゾフ大隊のさいごの拠点としてつたえられていた製鉄所とおなじものだとすると、マリウポリはいよいよ制圧間近ということになるのではないか。ウクライナがわはその情報を否定。
 今年末にむけて自民党が安保関連三文書の要綱案を提案したという報もあった。NATOが各国にもとめている数値にあわせて、GDP比で年二パーセントの防衛費割合を五年以内に実現することをめざすと。いわゆる「敵基地攻撃能力」は専守防衛の枠組みのもとで保有。攻撃対象として基地のみならず敵側の司令本部などもふくむといい、それは司令部をたたかなければミサイル攻撃などの連続をとめることは困難であるとのかんがえからだと。

  • 「夕暮れと真昼を分かつ破線上冒険者には既知がみえない」という一首がちょっと良かった。

Poland and Hungary have banned imports of grain and other food from Ukraine to protect local farmers, officials from both countries said on Saturday. Ukraine’s grain exports have been transiting through the European Union to other countries since Ukraine’s Black Sea routes were blocked by Russia’s invasion, leading to prices being driven down.

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The Brazilian president, Luiz Inácio Lula da Silva, has said the US should stop “encouraging war” in Ukraine “and start talking about peace”. In that way, the international community would be able to “convince” the Russian and Ukrainian presidents that “peace is in the interest of the whole world”, Lula told reporters in Beijing at the end of a visit where he met president Xi Jinping.

  • いまもう午後一〇時。マジで打鍵すると左手から左半身ぜんたいにかるいしびれのようなきしみがひろがるので、しばらく最低限ですませるしかない。一〇日の夜に実家まであるいたときのしずけさについては書きたかったのでいま記して投稿したが。きょうなんか起きたときから左手の甲がずっとひりついているような始末だった。そしてそれが肘や肩や肩甲骨をとおって腰や膝や足の裏までつうじているのがわかるのだ。しばらく箇条書きの日報形式でがんばるしかない。左手はもともと手首が右にくらべるとわるくて、それは高校時代にすでにそうだったのだが、ギターを弾いているうちに負荷が蓄積されてそうなったのだろう。そうして一〇数年後のいま、若さによってカバーできていたものができないところまで来てしまったようだ。ちなみにいまこれはChromebookのほうで、椅子について膝にのせたそれをあいてに打っており、ふだんつかっているパソコンよりもこっちのほうがキーの感触からしてまだましな気がする。しかしどっちにしてもたいして変わらん。胃液感が出てきたり、首の右側がピクピクしたりするしな。とにかくこれからしばらくのあいだは最低限の箇条書きでがんばりますわ。というかむしろ休んでしまってもよい、むしろそのほうが良いような気もするのだが、まだそこまでの判断はくだせていない。
  • きょうのことといって天気は起きたころには曇りだったが昼くらいから雲が割れて青さがのぞき、陽射しもかくされがちではあるもののながれたので洗濯をしたということと、三時くらいにスーパーに買い物に行ったというのと、あとはだいたいごろごろしながら本を読んだり。書きものができないとなると読むかなまけるしか基本やることがない。


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  • 日記読み: 2022/4/16, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1363 - 1381
  • 「ことば」: 1 - 3