2017/3/15, Wed.

 往路、玄関を出た途端に、空気の冷たさが身に触れる。引き続く曇り日の、前日と同じ三時半だが、一日前よりもはっきりと陽が洩れて、路上に影が浮かび上がった。街道に向かっていると、背中は薄陽が乗って仄かに温もるが、正面からは風が来て、身体の前面と背面とで温度が分かれていた。北側の裏を行っているうちに、足先から伸びるおのれの分身や、道脇の家の影の線がくっきりと立って来た。道沿いに生えた梅は白も紅も、花弁をほどいたあとの萼の、紅梅の花よりも艶な緋色を晒して鮮やかだった。前日と同じ白梅のところの、この日はしかし木ではなくて頭上の真ん中に伸びた電線の上に鵯が止まって、雲混じりの薄青く靄った空を後ろに襞なく姿形のみを抽出されて呼ぶように鳴いていたのに、応じたのかもう一羽が同様に、木から線に移って二つになったのを振り仰ぎながら進んだ。

2017/3/14, Tue.

 往路の空気はぬるめで、道に湿りが残っていたが、西の、白さの薄くなった箇所に陽がかすかに溜まって、曇って平坦な空気の調子もほどけはじめていた。街道前の角でガードレールの内に生えた紅梅は、少し前には衣のように隈なく身につけていた花をだいぶ散らして、枝が露出しはじめていた。表を渡って北側の裏通りを行くうちに、背後から陽射しが次第に露わに洩れ出してきて、あたりが仄明るんだところに、米粒のように地に散った白梅の花弁を見、その木に止まっているのか、頭上に弧を描いて張られる鵯の声を聞いた。

2017/3/13, Mon.

 二時過ぎに外出。空の曖昧にぼやけた曇り日だが空気は明るめで、風が顔に触れても、寒さに結実する数歩前に留まっている――と思いながらしかし、街道に出て正面からひっきりなしに流れる東風に、顔や胸のあたりに持続的に当たられていると、やはり冷え冷えとしてくるようだった。出る前に、かすかなものだが、漠とした緊張感のようなものがあったので、あまり頼るのも良くないと思いながらもロラゼパム錠を一つ服用したのだが、そのせいだろう、腰から下が軽く地に引かれるようで、自然に任せていると、歩いているうちに足取りが次第に重く鈍くなって行く。郵便局に寄ったあと、駅も近くなって、ランドセルに黄色い帽子で下校する小さな子らの活気のなかを抜ける頃には、肉体の内の流れが遅くなったかのようで、緩慢の様相に至っていた。

               *

 駅に上がると、向かいの小学校から子供らの声が響く。白い体操服姿でサッカーをやっているが、なかに色味の違った私服の者も含んで、球を飛ばしながら開放的にわいわい賑やかしているのは、この日の授業も済んで放課後の自由な遊びである。横目を送りながらホームを進んでいると、校舎の鎮座した石段の頂上の、端に直立した銀杏の木に目が留まった――秋には綺麗な金色の三角形を描いて燃えるごとくに天を指すものだが、いまは裸になって、しかし姿勢は崩さず、変わらずまっすぐ天を衝いている煤けた肋骨のような枝の、その先があまりに鋭く映った。校庭には紅白それぞれの梅が花を灯してもいるが、こちら側の端の、フェンスに沿って並んだ木々はどれも銀杏と同じように、裸になった分、枝の鋭利さを際立たせている。

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 降りた駅でトイレに向かった。室に踏み入ったあたりから、何か妙な音を感知し、小便器の並びにひらく角のところまで来ると、赤い表示のなされた個室のなかで、誰かが叫びのような声を出しているのだとわかった。それが一聴、異様という形容の相応しいだろうもので、甲高く、潰れたような声音で、音色だけでなく語の連なりもぐしゃぐしゃに崩されて、何を言っているのか聞き取られない。男か女かも曖昧なようだったが、男子便所にいるからには男なのだろう。小便を放ちながら、狂ったようになって背後に、沈んではまた高まりながら続くその声を聞いた。泣くとも怒るとも、慟哭とも憤激ともつかない、そのどちらも渾然となった嘆きの、あれが憎しみというものだろうか。一向に判読できないそのなかにふと、「母親殺し」という一節だけがはっきり浮かびあがって聞こえ、残った。穏当ではない。不穏当と言えば、こんなところで、他人が来るのも構わず、立て籠もったなかで憚らずに声を上げているその様子からして既に穏当ではないが、あとから振り返って、室に入ってそれを声と聞いた時から、狂いという語を思いはしても、恐怖も不安も感じずにただ受け止めるような心があった。叫びに中てられない程度には、個室を区切る薄い壁も力があったらしい。狂いたくなるほどの激情を被る事情もあろうと、手を洗って拭きながら静かになって、室を抜けた。抜けるとなかの騒ぎは、壁に阻まれ遠のき、聞こえなくなった。

2017/3/12, Sun.

 四時前に家の前の掃き掃除に出た。絶えず動いてやまない外気のなかに身を置けば、それだけで、屋内の停滞にこごった気分がふっと改まるような感じがする。道先には傾いた陽の手が淡く伸びて路上に触れており、こちらの玄関先は北側で、陽の手はここまで入ってはこないものの、空気は、白っぽくても肌に柔らかく馴染んだ。散っている葉も少なくて、時間も掛からずに大方集めてから箒を立て、鳴りを流して揺らぐ林の緑葉の群れを眺めた。まだくすみがちの色が多いが、それでも色の内に春の兆しが見えるような気もするなかに、黄味混じりの、一層軽くほぐれた竹の葉の房も差して暢気そうに、緩慢に動いている。視線を右に振ると、上り斜面になった竹林の足もとに、山茶花だろうか、一際濃く詰まった緑が溜まっているのが、葉の一枚一枚から薄明るさを跳ね返すようで目に立った。

2017/3/11, Sat.

 昼前、ものを食いながら南の窓外を見やると、乾いた陽の色が粉っぽく舞って、風が吹いているようで家並みのあいだを走る電線が、上下に軽く撓むその上を応じて影が左右に行き来する。緑のなかに煌めくものがあるのに視線が奥に進んで、一体何が光っているのか知らないが、川の対岸から盛り上がって集落の前にはだかる林の茂みの奥に、陽の照射を反映するものがいくつか、宝石が埋めこまれたようになって、見え隠れして震えているのが前夜に見た星の揺動を思い起こさせた。背を伸ばして窓が切り取る図の範囲を変えてみると、先ほどの電線のすぐ下に位置する瓦屋根の、寄棟のうち北側の一面が白さを湛えていて、油を塗ったようなとかアルミを貼ったようなとかお決まりの比喩が浮かんだ。

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 アイロン掛けをしている最中に突然、サイレンの音が遠くから立ちあがって、おそらく山に跳ね返るのだろう、順々に三つ昇って行ったのが上空で一つに合流して持続する。レースの掛かった東の窓に目をやって、何が見えるわけでもなく外の道には人の姿もないが、市街の方か川向こうで火事だろうかと、消防車の色を浮かべて鳴り響く音にも赤さが混じったように感じながら、立ち昇った音のおかげでかえって、あたりは神妙めいて静まったような気がした。それから壁の時計に目を上げて、二時四六分を見たところで、そうか、追悼の、と思い当たった。塔のように高く鳴っていた叫びは、昇る時と同じようにまた三つに分かれて崩れ、それぞれ多少の尾を引きながら消えて行った。

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 往路、午後七時。宵に入った空には東寄りに満月が浮いて、白々と照り映えて、薄雲くらいならばものともせず、千切れたそれに触れても光が弱まることも姿が曇ることもなく、その前を通り過ぎて行くようにしか見えないほどの明るさに、空も紺色が露わである。坂のなかを行くと左右の木々が風に鳴って、空気は冷たいが、大股で速めに歩いて、街道に出るまでには身体も多少温まった。空では雲がどこかからやって来て、替わる替わるに月に寄って行くが、やはり隠れることはない。触れられた雲のほうが、光の広がりに陰影をくっきりと描きこまれて、周縁の白さの滑らかになって内は鼠色が深く滲んだその姿を、視線で切り取る範囲の違いによって動物の顔だったり、蛇か龍のようにうねる体だったりに見えた。

2017/3/10, Fri.

 新聞の予報では一三度まで上がるとか言って、確かに室内にいても空気に多少のほぐれが触れられなくもないが、底にはまだ冬気の混ざって足先の冷える日である。夕刻五時の往路の大気も顔に少々固めだった。午前は綺麗に晴れたがその後雲が出て、いまも東の途上に広く浮かんで、南東の方まで及んだ端の、軟らかな切れ目が、落日の色を反映させて仄かだった。全体にも色が混ざって灰雲が中和されて濁りがちで、何とも言えない半端な風合いで道果ての丘の際を満たしている。それから逃れた箇所は澄んだ青が染み通って、なかに上りはじめた月の、もう満月にほとんど近づいて白々と丸いのが際立ってよく見えるのを、道を行くあいだも時折見上げた。五時半を回ると、雲に薔薇と紫陽花の薄色がそれぞれ通りはじめていた。

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 夜は一層冷えて、コートの内に寒さが通り、スラックスの膝周りにも冷たさが虫のように寄り集まって固まる感触がある。裏路地を行っているあいだに背後から車が来て投げかけられたライトが、道に沿って低く並べられた枯竹の柵にぶつかって、褪色した円筒の表面を青や紫の深く入り混じった光影が、水面線のように上下に緩く揺れて一抹、情趣だった。月は頭の、遥か直上のあたりに照って、群青に浸った夜空に星の、煌めきはそれほど強くないにしてもその震えが露わだった。

2017/3/9, Thu.

 往路。なかなかに冷たい空気の、この日も続いた夕刻である。街道前で道が表と裏に分かれる箇所の紅梅の木は、散りはじめているようで、一瞥して僅かではあるが、これまでよりも色が淡く、枝を囲む嵩が減っているのがわかった。昼には薄雲が湧いて窓の外の陽の色が薄らむ時間もあったが、いまはまたすっきりと晴れて、街道に出て緩く下った行く手を見通せば、清涼な青さが遮られず先までひらき渡って、果ての空と地の境では紫の色もひと刷毛被せられて仄めいている。裏通りを行くあいだにも、歩く先の家の高い壁面や窓ガラスに、落ち陽の色がほんのり映って、駅の方まで至っても空気に明るさが残り、すれ違う人の顔も見えぬ黄昏の遠くなった時節である。

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 労働のあいだから、原因は知れないが頭痛が始まっていて、風のやや強く吹き過ぎて顔に大層冷たい帰路では余計に重る。濃紺色の明らかな夜空で、まだ欠け気味の月も星も明るく映えていた。

2017/3/8, Wed.

 味噌汁のために白菜とモヤシを鍋で茹でているあいだに、夕刊を取りに玄関を出た。午後六時過ぎである。ポストに寄るとそこから見上げた空は青さが露わで、しかし曇りも僅かあるらしく、なかに左下の欠けた朧月が東寄りに掛かっている。新聞を持って振り返ると、一部我が家に遮られたそちらの空は、青がさらに染み通って清冷である。奥では林の木々の影が塔のように積み重なって、手前の、道を挟んだ林の縁に集まった裸木の枝振りも、宵掛かる空に黒く嵌めこまれているが、その細かな分枝を仰ぐと疲れ目に影がぼやけるようだった。

               *

 二〇分があっという間に経った瞑想ののち、二時半になって消灯して就床した。仰向けになって横隔膜のあたりに両手を置いた布団のなかでも、瞑想の続きのようなことになって、頭が冴えて眠りが一向に寄ってこないのに、目をひらけばカーテンが仄白い。上体を起こしてひらくと、随分と明るい丑三つの夜である。家明かりは消えて青写真のように押し静まったなかに、月はないようだが、夜空は色が抜けたようになって、白いとさえ言えそうなほどの明るさに平らかだった。星が午後一〇時の帰路によく見る時よりも露わで、窓ガラスの端に一際大きなものが輝いているのが、網戸と夏に朝顔を張ったネットに邪魔されて、目にしかと掴めないのが惜しかった。

2017/3/7, Tue.

 外出、三時半頃である。往路、家を出た途端に、冴え返った空気の辛さが頬に染みる。雨は消えて、雲はまだ多いが、南の方から陽が浮遊してきて雨跡のまだ残る路上に薄く宿っていた。青から黒さの抜けきっていない空と林の、暗めの色調の背景を横切って、ちょうど川の上空にあたる経路だろう、白い鳥が一羽渡って行くのを、坂下の畑の脇に寄り集まった年嵩の、老婆と言っても良さそうな姿形もなかに含まれている女性たちの三人ほどが、揃ってそちらを向いて眺めているような雰囲気だった――この白い鳥は、ここのところ暮れ方に差し掛かるとたびたび、自宅の居間から南窓を通して、遠くてほとんど紙か袋のように見える姿で同じように東から西へと渡って行き、川沿いの林のあたりに降りて行くのを目にしていたが、名は一向に知らない。葉はとうに落としきって枝だけが赤紫色を仄帯びている楓の木に近寄ると、枝先についた思いがけない白さが目の端を掠って、一瞬梅の花を思ったのだが、さらに寄って見れば、両側に分かれた羽状の物体がぶら下がっているだけのことだった――翼果、と言うらしい。過ぎて入った坂は、木の下から抜けるところまで来ると、水気の落ちていない路面に空の色が反映して、滑らかで落ち着いた勿忘草の青を発している。坂を上りきれば、脇に並ぶ家屋根を越えて遥か果てに、陽の輝きのある気配が段々窺われて来て、別の坂の角まで来て左手が一挙にひらくと、西に向かって上って行くその軌跡が一面白光を撒き散らされており、とても直視できないほどで、その途中に立った人影もほとんど光の内に取りこまれて、およそ曖昧な造形で細めた視界の端に浮かんだだけだった。街道に出る頃には、太陽が雲を逃れる時間も多くなり、こちらを追い抜かして東へと進んで行く車の、背面のガラスや車体には必ず、何万分の一かそれとも何億分の一か、激しく縮小された天体の分身が白く凝縮された姿で映し出されており、さらにそこから、これもやはり濡れ跡が残っているためだろう、足許のアスファルトへも反映が飛んで、車の各々は、湯のなかで踊る溶き卵を思わせるように不定形で、かつ半透明な、光の反射の成れの果てを地に引きずりながら走って行くのだった。肌や鼻孔に触る空気のなかに、締まって澄んだ冬の名残が確かに感じられる――しかし同時に、それが名残でしかないのもまた確かであって、つんとした冷たさのかすかに香るのに、ふた月前はこの匂いがもっと強かったものだと、もはや去った季節の幻影を鼻の内に呼んだ。背中に受ける陽の温もりが恋しくて、裏通りには入らず、久しぶりに表をそのまま歩いて行った。眼前の、足先あたりの地面に目を落として視界を狭めながら、聴覚を代わりに周囲に広げるようにしていると、横を過ぎて行く車たちの、間断なく波を描いて繰り返される走行音に、川に臨んでいるような心地が訪れる瞬間があった――それもあるいは、タイヤが地を擦る音のなかに、水の感触が僅か含まれていたためだったかもしれない。

               *

 電車を降りると、駅舎を越えて盛り上がった雲の、水っぽく沈みがちな青さのなかに茜色が混ざった暮れ方の西空に、ホームではカメラを向けている女性がいた――電車に乗った駅を入る前に、そこの高架歩廊から見た時には、噛み合いが僅か崩れたように上下に割れて、ぎざぎざとしたその裂け目から夕光りの洩れる雲はまだ練ったような白さを残していたものだが、それから一〇分か一五分くらいでもう青に浸っているのに感じるところがあった。

               *

 六時前、最寄りからの帰路、坂を下りて家の通りまで来ると、東南の空の低みに、夕刻のグラデーションを見る――精妙な、という形容動詞が改めて、実にふさわしく感じられる自然の巧手で、青から白さを中途に孕ませながら紫を通過しまた青へと、粒子の集合体の切れ目なさでもってごく仄かな色調を描いて行くものだが、同じそれは先月の半ばだったら、午後五時の、上って行く坂の出際から、市街の上に良く目にしていたもので、時間のずれが淡く印象に残った。

2017/3/6, Mon.

 往路、曇天。雨の気配がなくもないので、傘を持った。気温はそれほど低くはない――出る前に風呂に入ったためだろう、肌の温もりが服の内に籠もり留まって柔らかく、露出した顔や傘を持つ手に触れる冷気も表面を撫でるばかりで、芯には侵入してこない。空気が霞んでいる日で、街道の見える場所まで来ると、その向こうの、線路を挟んでさらに先の林を縁取る裸木の、突き立って重なる枝分かれのそれぞれが分明ならず、煙ったようになっていた。表に出て、東へと緩く下って伸びて行く道の先を見通しても、町並みに沿って左手から張り出した丘は袋に包まれたようで、同じく曇っている。空は真っ白でどこを見ても視線の手掛かりがなく、低みに向かうにつれて僅か暗く濁りはじめるのみで、色調の差もほとんど見受けられない。

               *

 帰路はさすがに空気の冴える晩である。西の途上には夜空から生えた指先のような月が掛かっており、雲はなくなったのか、見上げれば青味が渡って星もあった。しかし同時に、やはり空気が霞んでいるような感触もあり、行く手に点々と灯る街灯の幕もどこか水を含んだようで、それを抜けた果ての空間の様相がはっきりしない。

2017/3/4, Sat.

 米を研ぐ手に上から当たる流水にそれほどの冷たさが含まれておらず、長時間晒されていても、多少ひりつきはするものの、内の骨にまで食いこんで軋ませるようなあの麻痺が始まらないのに越しつつある冬の過ぎ行きが現れている。

2017/3/3, Fri.

 ベランダに出ると、空気が緩く、肌に触れる陽射しの柔らかさにも春の感が立つが、洗濯物を取りこむあいだに風が動くと温もりが涼しさへと転じ、さらに吹けばやはりまだ冷たさが残る。畑を囲む斜面に低く生えた梅桃[ユスラウメ]の、手指をやや湾曲させながら手のひらを広げたようになっている枝に花がひらいて、珊瑚色が引かれたなかにまだひらかぬ蕾の固く締まった紅褐色が点じられ、混ざっているのが、女人の髪飾りや着物の装いを思わせてふたたび春めく。

               *

 往路。坂を上って行きながら、正面の空の青の色合いが、二月中に同じ場所を同じ時間で通った時の目の記憶よりも明確に密度を増して濃くなっているように見出す――市街の方に乗った雲の下端にも、淡紫の色味は少ないのを見れば、三月に入って途端に日が伸びたような気味に見受けられる。しかし鼻先を擦る空気は冷たく、まだ固さを持っている。街道から家間に覗く空の果てが淡さの極みで紫にくゆっているのを、中学校の、古びて無機質な白さの校舎を前に見通すと、言葉にならぬ印象が胸中に滲んだ。道に沿って正面の方向に浮かんでいる雲の塊は、灰に青に紫陽花色が複雑に混ざり組み合った上から陽が僅か乗って、濁りながら黄ばんだというよりは、そんな言葉があるのか知らないが、「赤ばんだ」ようになっているのが、古物の趣を帯びていた。

               *

 帰路、変わらず空気は冷たい――日中は春の匂いが如実に香って空気がほぐれても、遅くなるとまだまだ冴え返る早春である。途上に低く、山の傍に、下向きに弧を描いた細三日月が、やや熟したような色で浮かんでいたが、街道に出た頃に気づくと、見えなくなっていた――家の並びや木々に隠れるほど、地に近かったのだ。夜空は暗く、裏道で見上げれば電線がそのなかに溶けこんで、黄と緑の色味を含みながら点々と並んでいる街灯が、光の糸をひらいて視界に斜めに掛けてくるのが、目につく。

2017/3/2, Thu.

 往路、雨降りの日である。肩口は上着に守られて温もるが、外気の摩擦が鼻先に強く、冷たい。街道との交差点の脇の、ガードレール沿いに生えた紅梅は、枝を端から端まで膨らんだ花に装われて堂々と、揺らがずに静まっていた。表通りに出ると、風の動きが活発になって、走り去る車のあとから水飛沫も舞っている。向かいへ渡ろうと振り向き振り向き機会を窺っていると、前後で路面の色合いが異なるのに気づいた。背後の西は、空の際が青く籠もっていて、それが反映された道の上も、中空も青味を帯びているが、行く手の東側に伸びて行くアスファルトには一面石灰色が敷かれて、舗装し直されたかのようであり、白く濁った空がその色のためにかえって、西側よりも明るいようだった。

2017/2/28, Tue.

 往路。空は坂に沿って並ぶ木々の毛細血管めいた枝振りをその上に黒く刻印されながら、軽い水色に広々とひらき、低みではそのまま和紙の淡紫に移行している、晴れた晩冬らしい夕刻である。コートの下の身体の方には冷気がさして伝わって来ないが、真正面からやって来て顔を擦って行く風に、頬や鼻の周りの肌ばかりが無闇に冷たいのに悩まされながら道を行った。

               *

 帰路も、ここ最近では久しぶりに冷たさに寄った夜気で、たまには車の光でも見ながら歩くかと表の通りに出た。空気は夕方に比べると動き少なく、ほとんど止まっているようで、道端の、通りがかりの家の足もとで褪せている草の先も揺れない。往路ではいくらか掛かっていた雲は消えたらしく、街灯の合間から見上げる空はいかにも黒々と、偏差なく磨きこまれたような風情で、星も薄く灯っているなかで、地上の道路では、タクシーが客を送って帰って来たのとよくすれ違い、鼻面を黒く沈ませて二つ目だけを露わに光らせながら滑ってくるのが、機械というよりは何かしらの生物――イメージをより限定すれば、巨大な虫だろうか――のようにも映った。裏道の坂の上に至ると、西は変わらず黒いが、市街の上空の低みまで見晴らされる東の方は地上の光が混ざるのか、かすかに色が薄らんでいるのが見て取れる――青味のどこにも窺われない、黒髪に籠められたような夜で、下りながら見上げた木々の、まっすぐ屹立して星を隠さんとする突き出しの先端が、夜空に溶けこみがちだった。

2017/2/26, Sun.

 図書館に行って、『失われた時を求めて』の最終巻を借りて来ることにした。一時四〇分頃に出発した。正面から風が渡って来て、顔を包みこむ感触が、前日と比べてやや冷たかった。空には雲が多く、陽が射す時間もないではなかったが、長くはない。とは言え、鞄を持った右手がそう冷えるわけでもない。日曜日なので裏通りには、散歩やらウォーキングやらをする人が多く見られた。道を進んでいるとすぐ傍の木の葉鳴りが脇に沿って来て、鵯か何かの鳥が二匹、雲の明るめの白を背景に空中を横切ってその木に渡るのも見えた。本を借りてのちの帰路は街道に出たが、風は収まって、雲はより多くなり、西空に広く掛かったものは青くなって、水で良く溶かした墨の感触がなかにあった。