肉を食いたいなとおもった。きのう米も炊いてたくさんあるし、夕食に惣菜のカツでも食おうということで買いに行くことに。すでに四時だった。きょうもシャツとズボンだけで充分というか、その軽装でもむしろ暑い。アパートを出るとまず金をおろすために近間の郵便局へ。路地を抜けるといつもとちがって右に曲がる。背後から射す陽に日なたがまだひろい。路地の入り口前を通りすぎざまに右を向くと、まっすぐながく奥までつづいているその道のひらきがなにとはなしにうつくしい。いちばん手前のアパートの脇で窓のそとに洗濯物の黒シャツとかがいくつか吊るされているくらいしか、ものをたしかに認知しなかったが、路上にひともおらずなにがありもせず視線がずっと飛んでいくことのできるながい見通し自体がなにかうつくしい。そう感じてつぎの路地の入り口を過ぎるあいだはずっと右を向いていたが、そうすると道の左右の直線を崩すまいとでもいうように家にくっつくように立っている植込みの緑なんかが視界をすべり、数歩すすむあいだに徐々に空間のかたちが変じて、これはこれでなにかいい。郵便局にはいり、ATMで金をおろすと、陽射しのなかで通帳に記された情報を確認し、しまって道をもどった。西向きになるのでさきほどよりも視界がまぶしく、左端を行けばかたわらの建物の高さによって太陽は見え隠れするけれど、あらわれるときは上方からセロファンめいた薄陽がかかって、目のまえに水玉が二、三、生まれる。じきに向かいに渡ったが、日なたはだいぶ暑い。ぬくもりにちょっと重みすらある。もはや冬のシャツを着ている場合ではない。きのうはT字の右にある細道から行ったから、きょうは反対に行こうと交差点の前で渡りなおし、角にあるいまは無人の交番を折れて歩道をすすむ。まもなく渡り、裏にはいる。とちゅうの小公園で、よくみなかったが、まだおさない女の子が三輪車だか補助輪つきのチャリだかに乗ってうろついていて、母親がそれを見守りながら、できたじゃんー、とかいっている。過ぎると背後から男の声も聞こえたので、両親揃っていたようだ。きょうは土曜日だからスーパーにもひとが多めだろうなとおもってすこし気が引けていた。そもそも道中にすでにひとのすがたがやや多い。H通りに来て横断歩道に止まっても、駅のほうから来る細道など、あたりにひと気が多いし車もけっこうあるし、空気がいつもよりにぎわっており、向かいのスーパー前にならんでいるチャリの数をみてもあらためてちょっと気後れする。渡って入れば予想通りだからいくらか緊張して、腹や左胸のあたりがもやもやするし、けっこういやな感じだったが、やばいことにはならないだろうと気楽にかまえた。やばいことになったらさっさと逃げればいい。きのう食い物は買ったからそんなに目当てもないのだけれど、掃除につかう除菌スプレーが切れていたのでそれとか、あとトイレのマジックリンも切れていたのでそれとか、ラップとか。レトルトカレーなんかも買っておく。レジはやはりひとが多いから三列稼働している。きのうは一列だった。会計にならぶのもちょっと気後れするといえばするのだけれど、緊張しながら籠を台に置き、店員のSさんが品物を読み込むのを待つ。金を払うと整理台が空いていなかったので、籠を足もとに置いて財布をしまいながら待ち、空いたところにはいってものをリュックや袋に入れた。退店。道路を渡る。左に折れる。ここの並びにいくらか前から爬虫類のペットショップができている。ちょっと入っていろいろ見てみたい気持ちはあるが飼うつもりはないので実行しない。きょうはそこの扉が開いていたので通りすぎざまにのぞいてみたが、ケージだけで動物のすがたはみえなかった。きのう行きに通った細道を逆から入る。きょうはちょうどきのうとは反対のルートをたどったことになる。犬の散歩をしている婦人がいる。犬はやや鈍重そう。つながれながら道端に止まっている。過ぎると、もう帰るよ! とかいう声が聞こえる。あたりの家々の花をみやったり、頭上の木についているやはり花の色かたちを見上げたりしながら行く。そういえば朝だったか休んでいるあいだだったか、布団にいたときに、そとを通った高齢らしい女性の会話として、この時期はひとの家の庭をのぞいてなにが咲いてるかとかみながらあるいてる、みたいな笑い声が聞こえてきて、わかるなとおもったのだった。空気は暑い。日陰にいて風が吹いて、それでちょうどいい涼しさというくらいだ。空は無雲ではなくひろい範囲にうっすらと雲が乗っていた。太陽にあまり影響はない。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りのうちに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のように半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置でおのれのところを埋め、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついていた砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを帯びて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶はこまやかに星雲をあざむいた。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りのうちに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。いつのこととも判じられない、あたかも他人の記憶のごとく半透明の清涼さだった朝のひかりは徐々に濃くなり、森の木の葉を活性化させる爽やぎの熱にふれられて、知らず知らずと頬は色づき、うなじはうっすら汗をまとった。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどった。おなじひかりが荷台にそそいで缶を磨けば、膠の粒より固く貼りついた虫の死骸のような汚れは白銀の色できららかに燃え、見境なしに染みついた砂埃のざらつきも酸化やくぼみと一緒になってうつくしい痣の風合いと変じ、地にありながら束の間、缶のおもては星雲をあざむいて、輝きながらこまやかにうねった。注ぎ口のもとからふくらみだした肩のあたりのそれぞれ微妙に異なった位置に、太陽のうつし身

 三時半ごろ外出。スーパー行き。きょうもやはりジャケットは必要ない。無印良品の茶色いシャツと、ブルーグレーのいつものズボン。午前中は曇っていたが、このころには陽射しが出ており、雲なしのじつに晴れ晴れとした青空とはいかないものの、ひかりの色はそれなりにあって空気もあたたかい。アパートを出ると右手へ向かい、すぐに抜ける口から対岸へ。左を向けば西空の太陽が視界にまぶしく、上方は白光で埋められて、前方、T字の突き当たりの一軒にある車はあたまの角に太陽をちいさくうつして放射しており、もっと手前、こちらの間近で道路を渡った年かさの男女ふたりのうち、眼鏡をかけた男性の禿げ頭にも車のボディほどではないが白さが乗ってつやめいている。ふくまれた骨材のおかげでアスファルト上がいたるところきらきらと粒でひかる。T字の横断歩道を渡ると豆腐屋の横から細道へ。おとといよりも風があり、近間の庭木がふるえるが、肌寒いというものではない。路地のとちゅうで白髪の婦人と年若の婦人が立ち話をしており、高齢のほうが、ずいぶん仲が良い、仕事のことでお互いわかる、似たようなこともあるみたいで、弟も兄に相談するし、兄のほうも弟に相談するし、などと穏和な口調でしゃべっていた。若いほうがこちらの接近をみとめてはなしあいてにちかづき道をあけたそのうしろを通っていき、手の指を伸ばしたりしながらしばらくすすんでH通りに出る。左折。歩道を行き、横断歩道まで来ると信号待ちで立ち止まった。対岸の右のほうには寺の敷地に立っている木が二本みえて、こずえの葉叢がじつにあきらかにみどりしており、薄青い空を背景に風にさわさわかたまりで揺らいでいるのをながめているうち、信号が変わっていたので渡って店に入った。耳におぼえのある、たぶんJackson 5かなんかのゆうめいな曲がながれていたが、ヴィブラフォンなんかもふくんでちょっとジャズっぽいアレンジになっていた。豆腐とか小松菜とかキノコとかヨーグルトとかもろもろ購入。荷物を整理して退店すると横断歩道が青だったので渡ろうと踏み出せばもう点滅してしまうので大股でちょっと急ぎ、そこの口から裏へ。まえに小学生の子どもふたり、男子と女子を連れた母親らしきひと。じきに右手の一軒の前から声がかかって、同級生の子の親で知り合いらしく、歩きながらあいさつを交わしている。家のほう、玄関前のスペースとして車なんかを置けるよう固められたそこに女児といっしょに立っている女性が、Yちゃんは児童館に行きました、とか言っていた。道に日なたはあり、その一軒もふくめた右手の家々が三角形の陰を降ろして、ところによっては対岸まで日なたを切りこみ食っているけれど、四時前でまだこんなもんかと、あかるい部分をおおく感じた。公園の縁に立った楕円形の植込みから目にとめられないちいさな鳥が飛び出して一気に上昇し、向かいの家の木にうつった、とおもえばおなじ軌跡をもどって植込みのなかにまた入りこむ。抹茶っぽい緑がみえた気がしたので、たぶんメジロじゃないか。鳥の声がよく聞こえる時季になった。細まった路地を行くあいだもカラスが一匹鳴きながら頭上をバサバサ飛んでいき、見上げれば屋根の向こうで合流したらしく五羽くらいが一気にあらわれて、編隊をつくって鳴き交わしながらべつの方向に飛び去っていく。きのうきょう、布団のなかにいるあいだにもカラスの声がよくしているなと聞きとめていた。出て車道を渡り、また家々のあいだへ。足は無為を知るものの鷹揚さになっていながら同時に軽く、後ろの一本が地を蹴る感触とか、足首の曲がり方とかがスムーズだ。この路地には、正面に抜けたところの公園から飛んでくるのだろう、桜の花びらがまだたくさん散りばめられてあり、といってすきまがおおきいので道路が感染した疱瘡めいている。公園ではきょうも子どもたちが遊んでいた。入り口では一輪車にまたがった女児がひとり、スロープの脇にある銀色の細い手すりにしがみつきながら一輪の扱いを練習していた。アパートは間近である。太陽はいま雲にかさなっており、左手からながれてくるあかるみにふれてさほどの熱さも横顔になく、日陰にはいって風が通っても涼しいくらいで寒くなく、体感にあまり違いがない。アパートにもどって簡易ポストをあければ市議会議員のチラシがはいっていたので、片手に持って瞥見しながら階段をあがり、部屋に帰った。

 月曜日に勤務を終えて実家に帰り、安息のベッドで三〇分ほど休んでから食事を取りに居間に行くと、母親が『月曜から夜ふかし』という番組をみている。マツコ・デラックスと、村上信五がやっているやつ。まえにも二、三回、みたことがある。ものを食べながらこちらもながめる。ふつうにわらえる。母親は、くだらないけど、わらっちゃう、という。似たようなバラエティをみるとき、よく口にしている。いいことだ。くだらないことでわらって生きられたほうが、精神衛生にいい。それに、くだらないけどわらっちゃうのではなく、くだらないからわらえるんじゃないか。番組内に「中国から夜ふかし」というコーナーがあって、もう何回かやっているらしいが、こんかいは広東省の広州市がとりあげられていた。広東省のにんげんはなんでも食べるということでゆうめいらしい。蛇でもカエルでも蟻でもなんでもと。中国人は足のあるものなら机以外はなんでも食う、だったか、そんなことばがあったとおもうが、それも広東省のことなのかもしれない。あと猿の脳みそとか。若い中国人男性のコメントとして、広東省のとなりは福建省だが、そのうち福建省のにんげんも食べるいきおいだ、とあったのはわらった。その広東省のあれも広州市内だったんだとおもうけれど、ひなびた飯屋のおばちゃんが、きょうはちんこ客がすくないからちんこ暇だよ! みたいなことばづかいをしていて、テロップではち◯ことなっていたが、要はその地方では程度のはなはだしさをあらわす強調語としてちんこにあたることばがもちいられるらしい。若い世代はつかわないようで、客の若者がツボにはいって笑っていた。英語でいうところのfuckin'にあたるとおもわれる。ロックバンドのやつらみたいな感じだ。OasisのGallagher兄弟なんかもfuckin' fuckin'言いまくっていたイメージがある。日本語でいうと「クソ」がそれにちかいだろう。もうすこしやわらげれば、「めっちゃ」というところか。fuckはいうまでもなく性行為で、ちんこは性器だ。クソはうんこで、排泄物だ。趣味によってはうんこも性的になるだろうが、まえのふたつにくらべると性的度合いはまだすくない。いずれシモの領分なので、ちかいところにはあるが。こういう卑語を強調にもちいるのはだいたいどういう言語にもある用法なんじゃないかという気がするが、日本語にあからさまに性的な語による強意があるか、おもいつかない。ちんこもまんこも強調にはつかわないだろうし、罵倒をかんがえても、クソ野郎、は一般的だが、ちんこ野郎、とはあまりいわないだろう。野郎にちんこがついているのはふつうなので、罵倒にならない。野郎の対義語としてはいちおう女郎 [めろう] というのがあるとおもうが、女郎 [じょろう] とまぎらわしいし、女性をののしるばあいもクソ女郎とはまずいわない。クソ女、とか、クソアマ、となる。野郎にしても、女性を軽蔑的にいうアマにしても、語源がなんなのか、かんがえてみると不思議だ。いまとりあえず「野郎」のウィキペディア記事をみてみたら、「江戸時代では前髪を落として月代を剃った男性を指した。のちにこの言葉は男性を侮蔑する場合に使用されるようになる(対語は「女郎(めろう)」)」「月代を剃った頭を「野郎頭」と言い、その「野郎頭」の役者のみで興業される歌舞伎は「野郎歌舞伎[4][5]」と呼ばれた」とあった。「郎」がおとこを指す語だから、たぶん、野卑な男、粗野な男、みたいなことなんだろう。アマは尼なのかなとおもっていたらやっぱりそうみたいで、おなじくウィキペディアには、「女性が髪を肩のあたりで切ることやその髪型を尼削ぎ(あまそぎ)というが、そのような髪形の童女を尼という場合がある。また近世以降少女または女性を卑しめて呼ぶときにも尼という語を用いた」とあった。どうもどちらも髪型に関係している。ちなみにウィクショナリーのほうでは、「阿魔」という表記も紹介されていて、例文として、「このアマめ。キサマ、死ぬと見せて、男だけ殺したな。はじめから、死ぬる気持がなかったのだな、悪党めが!」(坂口安吾『行雲流水』)と、「おい、しっかりしろ、あの娘はとんでもない阿魔だぞ。」(吉行エイスケ『大阪万華鏡』)のふたつが載っていた。罵倒のクソにはなしをもどすと、まず「くそったれ」といういいかたがある。たれは垂れだろう。だからこれはうんこっ垂れということで、そこそこひどいが、意味合いとして、うんこを垂らしているような見下げ果てたやつ、ということなのか、うんこを垂らしていろ、という命令なのかが判然としない。それにたいして「くそくらえ」は明確だ。うんこ食ってろ、ということで、丁寧ないいかたにするとおグソをお召し上がりください、ということだ。冷静にかんがえるとこれは相当ひどいことを言っている。日本語が誇るべきすばらしい悪態だとおもう。果たして英語にeat the shit!という罵倒があるのか? とおもっていま手もとのランダムハウス英和辞典を引いてみたら、英語にもeat [or take] shitといういいかたがあるらしい。「((米))(1)屈辱 [苦しみ] に耐える, 嫌な [腹立たしい] 事を甘受する. (2)((軽蔑を表して))くそったれ, くそくらえ.」とのこと。だから、とくべつ日本語のみが誇るべき悪態ではなかった。これらの悪態や、あるいは強調用法としてクソの語を口にするときあるいは文に書くとき、それがもともとうんこを指していることはそれほど意識されないとおもう。あるいはまた、悔しさとか怒りとかをあらわす間投詞として、くそっ、とか、くっそー、といういいかたはより日常的にもちいられるが、おもわずこれが口をついて出てしまったさい、やはりうんこと言っているという自覚はないだろう。大便への参照はかなり薄くなっている。同様の間投詞としてはちくしょう、があって、まあいまあんまりちくしょう、なんていうひといない印象だけれど、これももとは畜生で、仏語ではないか? やはりそう。コトバンクに、「改訂新版 世界大百科事典」の解説として、以下のように詳しく載っている。「サンスクリットのtiryag-yoniの訳語。原語のtiryac(本来はtiryañc)は〈横の〉を,yoniは〈生れ〉を意味している。それゆえ,〈横に動く生き物〉で,獣・動物を指す語である。畜生と訳したのは,前半部のtiryacのなまった形に畜の音を当て,後半のyoniは意味をとって生としたものかと思う。〈傍生(ぼうしよう)〉とも訳されている。古来,人が食用や力役(りきやく)のために畜養するけものであるから,畜生と名づけられたと誤って解釈され,また傍生の傍は傍行(ぼうこう)(横ざまに動く)の意味ともされている。仏教では,仏や人間やすべての動物の状態やあり方を順位をつけて分類して十界(じつかい)とするが,畜生趣(ちくしようしゆ)(畜生の状態)はそれらの下から3番目で,地獄,餓鬼(がき)と合わせて三悪趣(さんあくしゆ)と呼ばれ,悪い行いの結果生まれるところとされている。また,この語は本来仏教用語であったが,その意味から広く他人をののしったり,人生の悪行や苦しみをあらわす場合にも用いられている。」 ところで犬畜生ということばもある。畜はそのほかにもたくさんいるのに、猫畜生とも牛畜生とも馬畜生ともいわない。なぜ犬だけがまるで畜生どもの代表であるかのように、我が物顔で畜生のあたまに居座っているのか?

  ふうけいしゅう



 くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。



 こうえんのはじにうめのきがある ちいさな あめのひだった わさんぼんのほのかなあまみをはらんだしろが、つつつ、とならんでえだをうめている ゆらぎなく あめにおされず、つちにひかれず、しずかにとまっている かさなるように、かたわらに、もっとちいさないっぽんがあでやかなあかをよせている。



 としょかん、となりあうたいいくかんから、けんどうのひびき たけのかたなでたたきあうおとやながくのびやかなこえ、こえたちが、ざわめきのくもでかべからもれる かん、というよりは、としょしつとみえる、ちいさなとしょかん ぜんごからはさむたなははいいろ、むきしつに かうんたーのほうから、ほんをよみとるきかいおん、つづくぱそこんのしすてむおんがきこえてきた きおくをよぶおと ちゅうおうとしょかんには、もはやないおと。



 うすぐもり ひざしというほどのものもなし にしのそらにばくぜんとくも、はいいろとあおをまぜあってひろく、ふちだけしらんであかるみをさす でんしゃないはやまからかえるひとでいっぱい おおくはこうねん こうすいとあせとよるとしなみの、なんともいえないふくざつなにおい すないろのはだのいこくのだんじょ、かたいめをしたおとこのひょうじょう、するどいまでにりりしいしせんがまわりにむけられさまよっている。



 みちのうえ ときのとまったようにあおいそらからひざしはそそぐ かぜとれいきをちゅうわする はてにまちなみ うえにもりあがりしたはまっすぐたなびいたくもひとひら、ぼうしめく、まちのずじょうに ゆきからひとつきがたった しらさごはみちをさった じゃりのまじったかたまりはいえいえのかげにしつこくなごる それをかきだしてみちばたへ、ひなたのなかへ、おとすひと。



 しょうぼうしゃが、いくつもいならんで、ざつみなしのあかにかがやいている、たてもののよこ、にんげんたちは、すばやくうごき、うごきをからだにおしえこんでいる、いそしんでいる、ちゅうがっこうのまえからめをやる、とおくのそらははればれと、ふしぎなほどにひろくわたっている、ひこうきぐもがうまれない、はずがない、としょかんはほんをかりてでる、おちてきたたいよう、はじっこにまぶしくて、めをふせている、かえりのでんしゃ、ひかりがさしこんで、ゆかにかげがけいせいしている、せんろはゆったりまがっている、しへんけいがかたむきをかえ、かげはゆっくりじわじわうつる、いえやきのかげがかさなってすべる、とき、かたちはかたちでなくなっている いちじかんまえにあるいたみちででんしゃをながめたそのみちを、こんどはでんしゃからながめている。



 へやのべっどからたちあがる かおをしたにむけたとき、こげちゃのいろこいふろーりんぐのゆかが、すこしだけちかくなる みぎてに、つるつるしたしろさのほそながいてーぶるがある そのしたにせんがおちていた たけぐしがある、とおもった かーてんのすきまをぬけてきた、ひかりのきれはしだった。



 こうえんのかどにあたるじゅうじをみぎにおれる あさのあめがきえたそらに、りんかくせんをおとしたくもが、そこらじゅうなじんではれがあわい うすびかりがある みぎにならぶいっけんのまえ、みちとのさかいにあかいきをみる ひくいあたまがこまかくあかい ぴんくもわずかあり、うめとみる くうかんのなかのまちがいのように、ひとつぶふたつぶ、そのいろがふよりとながれる ちかくにみると、もうほとんどちりきって、はなびらにかこまれていたまんなかだけがのこっている はなびのもえがらめきしわしわとかわいた、おいらくの、あざやかなべに すぎてから、いちどかえりみる。



 としょかんをでて、しょうがっこうへ ぐらうんどのすみ、こどもたちが、あかやきいろのごむのばっとでぼーるをたたく さっかーぼーるも、あしでたたかれる おおよそにじゅう、さんじゅうのあいだ すがたさわがしく、こえはかんだかくひろさにまぎれ、きえていく いしだんのうえにしろかべはひかりをまとい、おくじょうのさき、もりのきたちが、てんでにのぞく もんをまがってせんろにそった みぎてにでんしゃ、うごきだしたりとまったり きかいのおと、あなうんすのこえ、ひるさがりのしろいしずけさ はんたいがわのもんのそと、なのないくさのとちのはじ、うめのきいっぽん、ともしとなって、ももいろ、くれない、どちらをもはらむ はなをみあげたひとみのせんがえだのあいだをすりぬけて、うらやまへむかうにんげんのかげをきときのすきまにのぞきみる せんろをわたればまたほそいみち むかいからいぬ、ちゃいろのふさふさとした せんろわきのくさをかぐ かいぬしがひきはなしてもまたすぐにかぐ ふみきりが、ふたついっぺんになりだした よっつのおとがびみょうにずれあうふおんなわおんのひびきゆらゆら、でんしゃごとごとそのなかをいく ひとはとぼしい まどのうちにはひかりをみたしたすいそうのみどり、おもてにはかがみにうかぶ、あたりのいえいえ。



 うらからおもてへ あかしんごうにとめられる かどにめをふれば、ぱんじーのかだん きいろやむらさきのはな、もうしおれて、ひらかずちからなくうなだれ、そのうしろにたってなまえふめいのしらないうえこみ、あかやももいろをさかせてまだらにあざやかである おおがらのとらっくがめのまえをまがってぎりぎりいうとき、たいようをわけられたにびいろがぎんいろのまぶしさとなる やきとりやのとなりのとちにしょべるかー がれきをみると、なにがあったか、もうわからない。



 としょかんの、そと あおくそまっている、そらが、いちめん はだかのはれではない、もやになったあいまいなあお たいようはぼやけながら、いばしょをおしえる たよりなくとけたひかり そのした、やまのちかくで、もやはとぎれる やまはそらのあおよりあおい ひらいたすきまにくもがあかるく、そこだけしろく、うずをえがきだす。



 (2024/3/7, Thu. - )

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りのうちに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどった。知らず知らず高まりつつある朝陽の斜行が缶を磨けば、膠粒よりしつこく居着いた汚れの鋲は点々と白銀の色を燃やして放ち、酸化もくぼみも分かたずざらざらと染みついた砂埃のいちいちもひかりに通られてうつくしい痣の風合いにうねり、

 散歩。三時三五分に外出。もはやジャケットを着る必要はない。この時刻でもまだまだあかるく、通りに日陰はあってもそこかしこにひかりもただよい、空も澄んでいる。アパートを出て路地を右に抜けると向かいへ。目のまえは駐車場、ここに駐車場があることをはじめて意識したが、数えてみれば七台分のスペースがあって、しかしいちばん左の一台分は中途半端で、路地に接して斜めに細くなっている。その駐車場は一軒のまえに面しており、じっさいには敷地の境となっている垣根が赤く染まって陽にかがやいているのが真っ先に目にはいったのだった。カナメモチというやつだとおもう。よく生け垣にされているこの植物の葉っぱが大量で真っ赤に照っているのをみるのは好きだ。かなり好きだといってもいい。のちほど、駅方面の裏路地をあるいていたあいだにも一軒、そこそこながい垣根をこれでつくっている家があって壮観で、右のほうは緑もみえて赤がまだ比較的あかるいいっぽう、左のほうはほとんど染まりつくし、赤味も右より熟したような重さをはらんだのが集まっていると色の合間に翳の質感がちょっと出ており、そこにひかりがかかって貼りつき真白くかがやいているのがもはや何色なのかよくわからないようなありさまだった。アパート近くのことにもどると、陽の射すなかを西に行き、T字の横断歩道を渡るとまた裏へ。風はあまりない。あっても微風。細道の左右は側溝の上をコンクリートがぴったり閉ざしており、それはそのまま端からちいさな段差をつくって家々の土地との境になっているが、その段差のもとに桜の花びらがたくさん片寄せられて散らばっており、門のうちにはいりこんでいるものもいくらかある。段差部分に生えている苔は辛子のような色に古く乾いて、コンクリートもこまかく削れてざらざらしている。抜けると前は車道。H通り。右にすこしずれて横断歩道。信号を待つ。正面の西空に太陽がまだ高くまぶしい。対岸は寺で、その住居部分の屋根の斜面、横線をいくつも引いて区切られた三角形がひかりを乗せてひたむきに白い。通りを渡るとそこからまた路地へ。さいしょの分かれ目を左に行けば寺の脇をとおって駅前につづく道で、駅前マンションの横に立っている桜木が、全貌はみえないが見通す視線にひっかかるほど道のほうまでひろげた枝に花をまとって揺れていた。折れず、直進。右にならぶ家々をあるきながら見上げてみれば、無地の壁というのは意外とすくなく、けっこうどこも模様がはいっている。模様といってもおおかた四角形のたぐいで、チェックだったり、レンガ積みを模したものだったり、単に横線を何本もかさねたものだったりするけれど、その上に電線の影がななめに走って映っているのはけっこういい風景だ。場所によっては電柱や街灯の先端までうつりこんで複雑さを添えており、実物の物体感より、宙に立ち上がった日なたのうえにそうして投影されている影の交錯のほうがなんとなくおもしろい。じきに踏切り。ちょうど電車が来ていたので待って渡り、カナメモチの一軒があったのはそれからまもなく。シャツだけでも暑いくらいの陽気で裏路地でもひかりはたくさんあってあかるいし、見るもの見るもの色彩があざやかで、そとをあるくのに気持ちのいい、目とこころと思念が勝手に浮き足立って幸福感に疲れてしまうような、すばらしい季節になってきたなとおもった。とちゅうで左折。二ブロック分すすむと、Rの裏手あたりに出る。渡らずにそのまま左折。この北側のほうが日なたになっているので。食事屋のたぐいがいくつかある横を行く。そのうち病院の駐車場が来る。脇の歩道には桜が立ち並んで遠目にも宙も地も白い。そのしたに車椅子を押す年かさの男性がおり、駐車場から出てくる車やこちらの横を過ぎて車道を行く車にたいしてことわりのように手をあげながら段差を越えて歩道に入る。押されているほうはよく見えなかったが真っ赤なカーディガンらしきものを羽織っており、白髪の女性のようだった。妻を手伝って散歩している連れ合いの図と見えた。こちらも歩道にさしかかって行けば足もとは桜花の破片が無数で、ピンクというよりはそれをふくみながらも紫にちかく見える色が白さのそこここに隣り合ったなかに黄色っぽく腐った濁りもままある。駐車場の縁の土の上もほとんど埋まっている。つづいてもうひとつ駐車場スペースがある。病院の管理棟の対岸にあたるが、そこの入り口に職員用とあるのをきょうはじめてみとめた。ここは職員用だったのか、とおもってあらためて見れば敷地もけっこう広く、車の台数がずいぶん多い。病院の規模をかんがえれば納得だけれど、これだけのひとが勤めているのか、とおもった。駅前マンションのまえを過ぎたあたりで道路を渡って向かいの歩道にうつると、そこは空き地の横で、菜の花が湧きかえるように群れており、いちばん高いところはこちらの背丈とちょうどならぶくらいに育っている。踏切り。なかにいるときにちょうど警報が鳴り出して、心臓に悪い。抜けて右手の道沿いに行き、ふたたびH通りに来て渡るとそのまままた裏へ。まっすぐ行く。抜けるとコンビニあたりに出る。高校生やら中学生が店から出てきて停めておいたチャリのところまで来る。その横を過ぎて曲がったところで目をあげ首を曲げて四囲の空を確認すると、西側がやはりつよくまばゆい無雲の水色だった。行きながらもう少し見てみると、東南方向にほんのすこしだけ、煙の残滓くらいの薄さの雲が浮かんでいたが、よく見なければ気づかないくらいだ。裏にはいって行き、アパートのある路地に来ると左折。公園前を行くことになる。のぞくと対岸の桜木を背景に子どもたちが一〇人弱、遊んでいて、空の青さと桜の白さとかれらかのじょらの服の色とがどれもあかるく、とりどりの衣服をとても一挙に把握できないが上にしろ下のジーンズにしろ青さが主に目にのこり、それぞれのからだが左右にゆっくり、砂を蹴る音を立てながら微妙な間合いで推移していく動きばかりに意識がいって、一〇人が色と動きになってしまったその数秒は、かれらかのじょらがなにをしていたのかも認知していなかったし、そうと気づいたときにはグループが分かれて滑り台に群がるものあり、上着のまえを両手につかんで左右にひろげながらうわーっと駆けていくものありで、さきほどなにをしていたのかはけっきょくよくわからなかった。子どもたちのいなくなった空間に桜の花弁がはらはら散ってながれていた。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は半球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をぎりぎりと鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、ミルクを売りに行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのうちに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどった。

 あと明確な変化としてはあれだ、今回、実家で新聞を読むことができた。いままではどうも、やはり文字を追うのがすこしつらくて、読む気にならなかったのだ。たいへんひさしぶりにパレスチナまわりの情報を見たり。実家の新聞は読売である。これはちょうどきょうの車中で父親が言っていたことには、こちらの一個下にH.Kというやつがいて、家はM駅の前の坂を下ってすぐの右側なのだけれど、そのKの父親のHさんがSにある読売の販売店の店長だかやっているらしく、そのつきあいでずっと読売で、さいきんも更新したらしい。それで土曜日に実家に来たとき、玄関に衣料用液体洗剤の化学的な緑色の袋がいくつも置かれてあった。これは契約更新のお礼みたいなものらしく、たぶんほんとうはもうこういうのは駄目なんだとおもうが、田舎だからまあいいだろう。ちなみにむかしは一時朝日をとっていた時期もあり、あれはなんだったのかよくわからない。ついでにふれておくとTのA家の新聞はむかしからずっと東京新聞だ。
 読売の日曜版は作家が書いた一文にまつわって各地をとりあげる連載を載せており、これはけっこうおもしろい。今回はドナルド・キーンだった。日本細見(一九八〇年)から。香川県高松市の栗林公園というのがとりあげられていた。「りつりん」と読む。園内に一三〇〇本だか松があって、そのうちの一〇〇〇本いじょうだかを職人が手ずから世話して調えているということで、この園を評して「一歩一景」ということばがあるという。おお、とおもった。こちらが道をあるいているときの実感にもいくぶんか即す。ちかくの屋島山上は観光地で、たしかそこになんとかいう、明治大正あたりの農村生活を家とか道具とか、たとえば楮づくりのそれとか、あと「かずら橋」という橋とかを再現した一帯が七〇年代にできたらしく、ドナルド・キーンはこれを魅力的だと評価していたという。「やしまーる」という展望施設みたいなものも二年前だかにできたとのこと。