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 実家では家事をするか、約束された安息の地であるベッドにあおむいて休むか、ギターを弾くかくらいしかしなかった。家事といっても衣服にアイロンをかけるのと、食事の支度をすこしするくらい。土曜の夜はカレーを食いたかったので野菜を切って炒めるところまでやって、煮込みと味付けはまかせてしまい、日曜日は畑でとれた春菊を辛子和えにしたり、うどんをゆでたり。父親が育てた春菊がたいそう茂っているようで、それをとったり洗ったり調理したりするのがいやなものだから母親は、(まんじゅうこわいの落語を踏まえつつ)春菊こわいだよ、ほんとうに、とか、口にいれるまでがたいへんだよ、とくりかえし言っていた。母親が言っていたことから推すに、どうも父親は今度はシイタケも育てはじめたようなのだけれど、そんなに手広くやらないでほしい(からだが動かなくなったらどうするんだろう)、という前々からの文句および不安をこのたびも漏らしていた。ちなみに母親が先般会ったMのKさんなんかもおなじことを言っていたらしいし、あとだれだったか、父親のH仲間の奥さんだったかも、まえに会ったときに似たようなことを言っていたらしい。やめてほしいんだけど、と。春菊はマヨネーズも混ぜた辛子和えにするのがいちばん好きだ。きのう、月曜日は出勤前に余裕をもって麻婆豆腐をつくるとともに、春菊もたくさんあるし味噌汁にしようとおもって、タマネギと、冷凍庫にパックのまま半端に凍っていた雪国まいたけと合わせて小鍋に入れたところが、味噌がもうなかったので、しかたなく麺つゆとか醤油とかかつおぶしとかで味をつけた。かつおぶしと書いておもいだしたが、ひとつ前の記事に書いた路面の花びらのうち、土っぽく汚れた部分はまさしく濡れたり汁にひたされたかつおぶしの色合いだった。その場でそういうふうにおもっていながら、さきほどはその比喩を忘れていたのだった。
 勤務のパフォーマンスはわりといい。いぜんの感じにほとんどもどったとすら言ってもいい。ただ、職場に出向くまでに、覚醒後、一食目のあと、二食目のあととそれぞれベッドで休んで身をやしなっているので、パフォーマンスがよくなければむしろおかしい。それに一コマのみだし。ただそれだけ休んでからだをだいぶリラックスさせていっても、わずかばかり緊張するには緊張して、腹のあたりにそれが感じ取れたし、今回授業前の号令をやったけれど、さいごのほうでやや息苦しくなって顔が熱くなってしまった。しかしまあそれくらいではある。授業本篇、生徒三人のあいだをつぎつぎ移って回るその感覚とかは、まえのものに近い。さいきん縦に三人ならんだ区画に割り当てられることが多いのだけれど、先頭の、ここでは個人情報をよりおもんぱかって三人の生徒を性別も不問でそれぞれAさん、Bさん、Cさんとしておくが、先頭のAさんにあたっているあいだに、Cさんがそろそろ終わっているな、答え合わせに入っているな、あるいはそれをもう終えたなというのを感知する。視界の端にみえるからだのちょっとした動きとか、解くのをやめて答えの冊子を取り出したときの音とかでわかるわけである。そういう感じで回るのはあまり遅滞なくバランスよくできた。ただしゃべりのペースがちょっとだけまだはやいような気がじぶんではした。なんかちょっと急いてるような感じが。Aさんはとりわけテンポの遅い生徒だ。あいての発言を待つときはいくらでも待てるのだけれど、こちらがしゃべったり説明したりつぎの箇所に移ったりするときに、その呼吸がちょっとだけはやいのではないかという気がする。Cさんはたぶんこちらのしゃべりがはやいとは感じていないのではないかとおもうが、それでもやはり、あとすこしだけ落ち着いて遅くなったほうが、受け答えのリズムがより合致するんじゃないかという気がする。終わりは余裕をもっていいタイミングで入れたし、全体的なできとしてはけっこうよかったとおもうが。
 むかしやっていたように、個々の生徒についてや授業の詳しい内容、流れ、良かった点や反省点、やりとりの感触、はなしたことなどについてもまた記録したいとはおもうものの、まだまだそれができるからだではない。今後の進展を待つ。

 さきほど、実家から帰還。きょうは母親がMさんとMに行っており、父親が代わりに送ってくれた。こちらとしては医者に行ったあといちど実家にもどり、ひとのすくない夜の時間に電車に乗って帰るつもりでいたのだが、昼時、スワイショウしながらさくばん弾いたギター音源を聞いたあと(三〇分いじょうあったのでじぶんで聞き返すのも面倒くさい)、白湯をおかわりしようと湯呑みをもって室を出ると、階段下の部屋にいた父親が声をかけてきて、お前を送るついでにお母さんを迎えに行こうとおもって、というので、そのながれに乗ることにした。それでその後休み、二時半ごろに出発して医者に行き、ロラゼパムをゲットするとTへ。車中で父親がじぶんからはなしだしたところでは、右上の奥歯が縦に割れてしまい、きょうの午前中ということだったのだとおもうが、それの処理に行ってきたという。こちらからはアパート付近の家はだいたいどこも草木や花をきれいに調えてあって、小さなスペースでもうまくあしらっており、一戸建ての暮らしというのはこういうもんなのかなとおもった、と、先日書いたことをはなしたりする。
 Rのまえで降ろしてもらったのが四時半ごろ。ここ数日雨降りだが、このときはほぼやんでちらほら散るくらいだったので傘はもたず。病院前の道に沿って桜が何本かあり、盛りの極みだったのを雨で一気にこぼされたようすで、路面に散ったものが濡れながらおびただしく付着しており、行くあいだにもやや肌寒い空気にふよふよただよいだすものがある。梢は甘ったるさをちょっと混ぜこんだ柔和な白の雲めきがくずされて、葉の軽い緑もすこしずつあらわれだしている。毎年この時期に書いているけれど、桜は満開の豊満よりも、それがくずれて、花びらの白、萼なのかなんなのかわからないが花弁の土台となっていた部分の紅色、それに葉のあかるい緑が同居する時期の混淆態がいちばん好きだ。先日の金曜日に髪を切りに行ったときにも、Y駅に続く南北の道の中学校の付近では、通りの左右に桜木がならんで、道路を見通せば車道の頭上をメレンゲめいたかたまりが、ほんのわずかにピンクをひそめた白さでふくれあがって埋め尽くしているありさまで、車もひともみなそのしたをくぐっていくような具合なのだが、それはそれでべつに悪くはないけれど、そんなあからさまに単色と物量で来られても、みたいな、そんなむやみに浮遊性の幻想感を演出されても、みたいな感じもちょっとおぼえた。病院前の路上に貼られた無数の花弁は点描めいて、かさなって色を混ぜてちょっとだけ厚くなっているところなどじっさい絵の具の質感とみえて、白さを保っているものもありピンクの濃くなった部分もあり、ひとに踏まれて土気を混ぜたらしくすこし汚く沈んでいるところもありがアスファルトをところせましと彩っており、これはこれで興だった。なんだったら木のほうよりも興だった。

 きょう、Aくんに頼んだ、いっしょに本読んで金もらう件の初回だった。バルトの『記号の国』の旧訳である『表徴の帝国』を読むのだが、二時間で扉ページの断り書きと、「かなた」という最初の章(11〜14の三段落)までというスローペースで、それじたいはぜんぜんいいのだけれど、いろいろしゃべっているとちゅうで声が嗄れてきて、こりゃなかなか大変な仕事だわとおもった。実家と職場に行く日いがいはふだんぜんぜんしゃべらないし、きょうは通話のまえに髪を切りにも行ってきて、そこでもけっこうしゃべったので、そのせいもあったとおもうが。きょうは初回なのでお試し扱いで、こんな感じでやっていくよというのを体験・確認してもらい、次回からは一時間、隔週とすることにしたので、声が嗄れるほどのことはないだろう。二時間ののちに近況をちょっと聞くと、Aくんは『寿町のひとびと』という本をいま読んでいるといい、横浜にあるドヤ街のひとびとに取材したルポルタージュだというが、はなしてくれたエピソードや人生がいろいろおもしろかった。著者はいま検索したら、山田清機というひと。こちらからは村上靖彦の『客観性の落とし穴』を紹介し、哲学方面のひとだが近年は西成に出入りしていて、そこでヤングケアラーのひととかに取材した本をつくっているようだと言っておいた。村上靖彦の聞き書き本は読みたい。
 『表徴の帝国』の訳はたしかにあまりよくない。「表徴」も、いまだったら表徴なんてもういわないし。sign、シーニュのことなので、ふつうに「記号」というだろう。
 これでいっしょに本読んで金もらうほうの顧客はふたりになった。体調の向上に応じて塾の勤務も増やし、こっちの顧客も増やして、なんとか自活したい。月一〇万だ。一〇万でなんとかギリギリやっていき、大病をわずらったらもうしょうがねえ、という感じで行きたい。いま小説も書けているし、あとは健康体を取り戻すのと、自活できれば、こちらの人生はだいたいOK。もうすこし元気になったらブログでも顧客を募集しようとおもっているが、ひとまず今月は現状維持かな。来月か再来月くらいにはもうひとり増やせるようになっているかもしれない。このまま行けば一年後にはそこそこ心身のレベルは上がっているだろう。それまでに金がもつのかが問題だが。

 さいきんマジで目をつかうのがそこそこ辛い。それで本も読む気にならないのだ。目やまぶたのあたりの状態が胃腸とつながっているというのは何度か書いている通りだが、さきほど「三人の子ども」を書き進めようとおもってブログの投稿欄に前回の稿をコピーペーストし、前線のまえにさいしょから読み直そうとぼそぼそ音読をはじめたところ、目がかすんで文字がよく見えない。このパソコンはChromebookである。パソコンというか、タブレットに毛が生えたみたいなやつだ。そのディスプレイ設定で表示の大きさを変えられて、いままでもすでに130パーセントにしていたのだけれど、今回最大の150パーセントにしてしまった。しかしこのほうが、すくなくともじぶんのブログは、左右の余白がちょうど本くらいの感じになってなんかいい。

 『säje』の二曲目は"(You Are) The Oracle"という題で、Michael Mayoという男性ボーカリストがフィーチャリングされてスキャットソロを取っている。派手なことはやっていないけれど、音程がずいぶん正確だし、気持ちがいい。このひとのアルバムは聞いてみたい。
 Sara Gazarekも聞いたことがなかったとおもうのでそのうち聞こうとおもうが、そのほかのボーカル三人のアルバムも聞いてみようとTower Recordsの商品ページでなまえをクリックしたところ、Amanda Taylorはこの『säje』しかオフィシャルなリリースはないようだし、Johnaye KendrickとErin Bentlageもそれぞれ客演が一枚のみ。前者はサックスのJohn Ellisの『Mobro』という二〇一四年作で、Becca Stevensなんかも客演している。後者は『säje』のドラマーでもあるChristian Eumanの『Allemong』という作品で、Michale Mayoはここにもおり、「本作はスキャット、ヴォーカリーズを全面に押し出したスリリングなアドリブの楽しめる内容になっている」とあるからこれもちょっと気になる。
 とはいえむかしからそうだけれど、あまり手広く新しいものをどんどん聞いていくタイプではなく、気に入ったものとか、めちゃくちゃ好きなわけでなくても知ったものをなぜかくりかえしながしてしまう固着的な性分で、さいきんはますますそうなのでたぶんそうすぐには聞かないだろう。音楽はスワイショウをやるときにワイヤレスイヤフォンで聞くのだが、さいきんは『säje』をリピートしているし、そのまえはStone Rosesのファースト、そのまえはセカンドだった。Stone Rosesはセカンドをむかし多少聞いていただけで、ファーストはどんなものなのか知らなかったが、二枚目とは毛色が違って、こんな感じだったんだとおもった。二枚目の『Second Coming』は、九〇年代のイギリスのインテリが七〇年代のブルースロックを消化してやったらこうなるわな、みたいな印象で、とにかくギターとベースですわという感じだが、ボーカルの決して熱をもたない気だるい歌も悪くない。Led Zeppelinをあからさまにオマージュした曲もあって、"Stairway To Heaven"の後半を真似したりもしているけれど、その曲にかんしては、そんなに寄せなくてもいいじゃんとおもう。インテリというのはこっちの勝手な印象だけれど、Second Comingというのはイェイツの有名な詩の題でもあって、たぶんそこから取ったんじゃないかとおもっている。しかしいま検索してもそれらしいはなしは出てこないので、そんなことはないのかもしれない。ふつうにキリストの再臨という意味で膾炙しているのか。一曲目が"Breaking Into Heaven"というタイトルで、断片的に聞こえた歌詞からしてキリスト教的な主題を扱っているっぽいし、ファーストのジャケットもジャクソン・ポロックみたいな感じだったから、そういう方面をちょっとかじったやつらなのかなとおもっていた。ファーストは八九年。音を聞くと、なるほど八九年か……たしかに……と、謎の納得感がある。セカンドは九四年。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空はドームをえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をカチカチ噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙に違えてかがやき交わし、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転の兆しは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にきちんとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがたふるえる雨の白昼、薄鈍色のほの暗い空に青い山列は溶けて消え、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、ミルクを売りに行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。荷台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめいて、道中、風や振動に感じてふるふる跳ねては板を叩いた。

 三時すぎに外出。雨降りの日。それほどつよくはない。アパートを出てビニール傘をひらき、右手へ。路地を抜けてちょっと左へ推移し、渡ろうと振り向いたらパトカーが来ていたので見送って、そのあとから対岸へ。そこでたまには違う道を行くかという気になり、そのまま目の前の裏路地にはいった。路面は比較的あたらしい、色濃いアスファルトが舗装されてまだまだしっかりしているなかに、ほんの少しだけ高さのちがう古い地帯が混ざったつぎはぎ状態で、ざらつきの多い古い部分は梅雨時の林にいるカエルの肌のようなよどんだ色をしている。まっすぐ行って突き当たりを左折。そのまま道沿いに細いのをたどっていけば、小学校の脇に出る。いつも通るH通りの一本東を南北に伸びる道路で、北上すればT駅前からずっと東西に長い車道に当たり、向かいはセブンイレブンになっている。そっちに出ていっても良かったが、せっかくなのでその手前で左の路地に折れた。ここはちょうど小学校の北側で、間近でみるとこの学校の校舎はけっこう高くそびえるような感じがあり、横にもながくてなかなか大きい。校舎の裏側にあたるこの道沿いには敷地内に桜の木がいくらかあって、白い花がたくさん群れて清楚ぶっているのに、あれ桜じゃん、もう咲いてるじゃんと見た。ちかくでみると花びらがけっこう大きく、桜の品種など知ったことではないけれど、ソメイヨシノではないんじゃないか。遠くからみるとソメイヨシノはたぶん薄紅にくゆるとおもうのだが、これらの木はぜんぶ真っ白だったので。ところが間近をとおりつつ見上げれば、おなじ木どころかおなじ枝から出ているらしき至近の花でも、花弁のなかが緑っぽいのと紅色のと両方あって、後者のほうが少なかったがあれはどういうことなのか。雑種みたいなことなのか? 花の感じや白さはむかし新宿御苑でみたオオシマザクラに似ていた気がするが、たしかなことはわからない。そこを過ぎるとちいさな口でHA通りに合流する。左折。小学校脇につらなる垣根の葉っぱが何割か真っ赤に色づいている。空は手がかりのなにもない、偏差のみつけられないまったくの白。そのまままっすぐ歩道を行って、横断歩道をわたってスーパー。食い物を買う。会計を済ませて品物を整理しているところでBGMに耳が行ったが、きょうもさいきんのジャズボーカルっぽい、それもポップス寄りとかではなく正統派のそれだった。Cecile McLorin Salvantかとちょっとおもったが、出口に向かいながら声色のこまかいところを聞き取れず、たぶんちがう。サックスソロも入った、甘ったるくなりすぎないバラードで、けっこう悪くなかった。出ると老婆といっしょに信号を待ち、向かいに渡ってそこの裏へ。右手で傘を差し、左手に提げたビニール袋ははじめのうちちょっと高めにからだに寄せていたが、じきにいいやと腕を伸ばした。道はじきに細くなる。アパートがあり、別のアパートの駐車場があり、ちいさくて小洒落た感じの数軒が左につらなる。右側には奥にはいっていく通路があって、その左右に浅緑のあかるい葉の木がいくつも立って、そのあいだを鳥たちが鳴き立てながら行き交っていた。葉とおなじ色の苔がたくさんついている木を梅かとさいしょみたけれど、幹と木肌の感じが違うのでたぶん違う。桜だろうか? 左側の家々をみると、庭ともいえない玄関前の車も停まる小さなスペースに、濃淡さまざまなピンクの花をともした小木を植えてあったり、短いけれどわりと鮮やかな生垣をつくったり、低いけれどやはりけっこう見事な緑樹を調えたりしてあって、狭い土地をフルに活用して植物をうまくあしらい彩っている。なかなかけっこう、たいしたもんだなとおもった。すこし前に、このへんは二、三年ほどの新しい家はあまりなさそうと書いたけれど、この細道脇のあかるい家々はもしかしたらそのくらい新しいのかもしれない。アパートのそばになるとデザインが平成以降とおもえる家でも、だいたい一〇年以上は経っているんじゃないかという壁の質感になっている。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空はドームをえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をカチカチ噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢は明るさを微妙にたがえてひかり、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転の兆しは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にきちんとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時期、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがたふるえる雨の白昼、薄鈍色のほの暗い空に青い山々は溶けて消え、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝う雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、ミルクを売りに行ってきます」と。「あなたたちはお留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空はドームをえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をカチカチ噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢は明るさを微妙にたがえてひかり、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転の兆しは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍 [むげ] につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦 [から] んではいたろうが、日がな一日小屋のなかに寝て、ほとんど動くことはなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の生む明暗の、半端な織りなしのいちばん底で執念のように俯せつづける、力と無縁のその姿は、集め忘れてそのまま饐えた干し草の束と変わりなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋の内で過ごすあいだも、寄り添う気配はかけらももたず、ひとにはおよそ不可能な無視の極みをつらぬいた。産まれた仔牛に近寄ろうとせず、外を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにふらふらと牛舎の周りを出歩いて、風をまぶしそうに受けながら斜面の縁にたたずんだものの、芝生のあいだを勇んで駈け下り牛を追うことはありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目が開いているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、終日 [ひねもす] 眠っているのと大差なかった。眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた揺れる雨の白昼、薄鈍に暗んだ宙の彼方で山影は雲に溶けて消え、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。

 昼間、現代ジャズ方面の女性ボーカルが四人あつまったsäjeというグループの『säje』をスワイショウしながら聞いていて、四曲目で"In the Wee Small Hours of Morning"をやっているのだけれど、この題で一篇書けるなとおもいついた。
 四人というのは、Sara Gazarek、Amanda Taylor、Johnaye Kendrick、Erin Bentlage。ベースにBen Williams。ピアノDawn Clement、ドラムChristian Eumanだが、このふたりはぜんぜん知らない。ボーカルもSara Gazarekすらなまえを聞いたことがあったのみで、ほかの三人はぜんぜん知らない。
 すこしまえに「Happiness is a step away from misery」というタイトルもかんがえたけれど、これはまだなにもおもいついていない。
 あと、「孤独のなかの神の祝福」は、やはり気取りすぎで堅苦しい気がしてきたので、おなじ音楽の題を借りるんだったら、「God Bless the Child」のほうがいいんじゃないかとおもいはじめている。Billie Holidayもうたってるし。

 三月三一日日曜日の午後三時半ごろ、ひさしぶりに川にでも行こうかなという気になって家を出た。さいしょはジャケットを着ていこうとおもったのだけれど、陽射しもすこし出ていて暑そうだったし、シャツとズボンだけ。家を出ると右に折れて、すぐにまた右にくだる坂があるのでそこを下りていく。近所の家の子どもの声がうっすら響いている。坂の下端にたどりつかないうちに左にはいれる口があるのでそちらへ。そこにある家はNさんといって、保育園から小中までの同級生であるI.Kの祖父母の家で、子どものころはよく遊びに行き、行くたびに缶のサイダーなんかをごちそうになった。じいさんのほうはリウマチを患って死にかけながら一時復活し、数年前にのろのろと散歩しているところを家の前で会ったおぼえがあるが、去年だか二年前だか三年前だか、とおくない過去に死んだ。九〇代だったはず。おばあさんのほうはまだ生きているはずだが、このとき家の前を通りながら目を向けても、いるのかいないのか気配がない。ただ居間の窓のそとにある物干しスペースみたいなところになにかかかっていたようだったので、住んではいるのだとおもう。そこを右に折れて細道にはいる。折れてはじめの右側は空き地で、液体的な、葉の一枚一枚に注ぎこまれているようなあかるい緑の雑草が土の上をひろく埋めている。太陽がやっぱりけっこう暑いなとおもいながらすすんでいくと、そのうち前方に白い花の木が見えて、木についているものも多くはもうはしばし焦げているし、道にもおなじように端から炙られた様相のものがたくさん散らかっている。なんだっけとなまえが出てくるまで数瞬あってから、ハクモクレンだとおもいだした。足もとに散っているのに目を向けると、花びらの浅いふくらみを上に向けているやつなど、細めの二枚貝の殻のかたわれにみえる。すでに川は左手にみえている。まもなく今度は、ちいさな緑の葉っぱがハクモクレンよりもたくさんに、道のまんなかを埋め尽くすようにして散らばっている。丸いともいえず細長いともいえず、強いていうならば下端がすぼまって先端に一点つくった細めの盾型というようなかたちの、なまえのわからない、そのへんにいくらでもありそうな葉で、木自体は左のガードレールの向こう、川の岸のいちばんこちらがわから伸び上がっている岩鼻みたいな場所のうえに立っていて、そこまでは数歩、たぶん五、六メートルくらいの距離があるけれど、頭上の枝ぶりがその距離を差し伸びてきて路上に葉っぱが落ちている。その葉はなぜかほとんどのものが裏向きで転がっており、それはたぶんやはり浅い丸みが上になるとそれでバランスが取れるということなのかもしれないが、裏地は木についている葉のおもての緑と比べるとけっこう薄味な色だ。越えると川の入り口が近い。右手からくだってくる道との合流点を折れ返すように曲がって、湿った石や岩板や草を踏んでくだっていく。右折すると川岸。一見して以前よりもススキのたぐいの勢力がはるかに増しており、岸のほとんどがそれで埋まっているといっていい。ススキなのか荻なのかそれ以外の植物なのかわからないのだけれど、茎の先に花穂をもった、いまはおおかた薄白いように老い侘びているやつだ。その群れにはさまれながら、とりあえず入り口からまっすぐ川水のきわまで行って止まる。立ち尽くす。ながれの半分くらいから向こうは右から左へ、つまり西から東へながれがゆったり推移しつづけており、水はその上の梢を映しこんだという以上に水のなかへ溶かし入れたような濃い緑色、どう考えても濃くしすぎた抹茶みたいな色を沈めている。向かいは岸といっても立てる場所もないような、そのまま岩と林がそびえ立っている野生の岸で、その間近に水中の岩がひとつあり、ながれのなかでその前あたりはひかりの加減で、あるいはさざなみの加減で、ほんの少しだけ色味のちがう、数ミリだけ削り取られてへこんだみたいなおおまかに丸い影のいくつかが揺らぎながらくりかえし生まれて、ながれとともに移動しているようにも見えるのだけれどじっさいにはその場所から一向に消えない。太陽は右斜めうしろを振り仰げばある。上流方向に目を向けてすこしだけ先の対岸付近はその陽をあからさまに受け取って白波の色が無数に騒ぎ立っている。そこから手前に目を引けば、かがやきの薄くなって無方向にうごめく地帯を経て、足もとから川のこちらがわ半分までは、小石の汚く透けてみえる浅瀬がこまかい波をさわさわ手前に寄せつづけている。境のあたりに視線を置きながら焦点をゆるめて集中させないようにすると、奥にある横のうごきと手前にある引き波の匍匐が同時に目をなぞり、右手のうごめきやかがやきもわずかに視野にはいってきてすごいのだが、あんまりそうしていると動きがおおすぎて吐き気がしてくるんじゃないかと少しこわくなったので、ほどほどにした。それから移動することに。むかし、当時書いた記述の記憶の感触からすると二〇一六年ごろだったんじゃないかとおもうが、あるいはそれ以降、二〇一九年とかにもいちど来たかもしれないが、そのときはススキがこんなに旺盛に繁殖しておらず、岸はひろくひらけていたし、犬の散歩をするひとなんかもいた。この日はこちら以外だれもあらわれなかったが、こちらが移動しているあいだにあらわれていたとしても、ススキに遮られて見えないのでわからない。以前来たときには西方面へ岸を行けるところまで歩いていって、端の岩場にちょっと登ってしばらくたそがれたり、そのへんの汀に座ってながれのなかに無数の山脈を見たりした。今回もいちおうそっちのほうに行ってみることに。ススキの群れのなかにかろうじて歩けるすきまがあるのはやはりなんだかんだ通るひとがいるということなのか。花穂はいま硬い粒の集合みたいになっていて、使い古しまくった小ぼうきの毛の様相で、ぜんぜん鮮やかではないがいちおう茶色の色をもっており、西陽をあおぐ方向に群れをみれば茎のあたりも、琥珀色や鼈甲色まではとても届かないがそちらに向かってわずかにすすんだ色を帯びはして、透きとおる感じもほんの少し出て、鄙の風情を醸さないでもない。不揃いな石の上をごつごつ歩いているあいだにもう一種よくあったのは、遠くからみるとナッツをこまかく砕いてまぶした棒を揚げた細長い菓子みたいにみえるのをいくつももっている低い植物で、覇気のない茎や葉はいちおう緑色、ナッツ部分は近くでみると米粒よりは太いかなという丸さの、紙みたいに薄っぺらい一片がたくさん集まっており、ミツバチが花粉を集積しすぎたそのかたまりみたいな感じでもあり、色はだからそういう茶色っぽい黄色っぽい色なのだけれど、あれが花なのか花の残骸なのかそれ以外のなにかなのか、植物の生態は謎すぎてわからない。なまえもわからない。あまり似てはいないけれど、望むならユキヤナギの野蛮な親戚ということにしてやってもまあいい。そいつらとかススキのたぐいに阻まれながらも進んでいき、このへんだなというところで汀のほうにかたむいていくと、前来たときはこのへんの小さな斜面はもっと砂っぽいこまかい石の地帯だった覚えがあるのだが、それも変わったのかしっかりした石が集まっている。水の直前に立つと、このあたりはちょうど流れの曲がり目付近で、先ほどの場所より水もはやく、寄せてくる波に迫る感じがよりあって、もう一歩だけ足を前に出せば靴がまともに濡れてしまうだろう岸の端に、しかし水が乗り上げてこずにぎりぎりで守られているのがなんとなく不思議だ。目前は岩である。でかい。といっても四メートルくらいか? わからないが、水遊びをするやんちゃな子どもらのいい飛び込み場所になりそうな具合だ。しかし飛び込んだとて、からだを受け入れてくれるほどの深さがそこにあるのか、濃緑の濁りに水が包まれていてわからない。先の場所よりは速度もあるし、岸のそばも緑色が濃くてすぐ深くなっているようではある。その水の上には絶え間なく、油でできてんのか? というほどに粘っこい動きで等高線めいた襞がいくらも生まれてながれていき、左手をみれば右斜めうしろから注ぐひかりが襞の上を白く染めて、金属の質としかいいようがない研磨感を乗せながら、そのままで水はひたすらうねっていく。ながれの途中にはすこしへこんだ、水中におおきな石だか段差だかあるらしい箇所があって、一方向にひた走る線群を放射しながらごぽりごぽりと時折り盛り上がりを見せていて、その下に永遠にとらわれておなじ一所を泳ぎつづけることを定められた大魚が隠れているような調子だ。金属的なうねりをあまり正視しすぎるとやはり気持ち悪くなるんじゃないかと恐れたので、視線をあまり集中させず、目をかたく凝らさないようにして、からだのちからも抜いて両手をだらんと垂らしたまま立っていたのだが、じきに太陽が雲にかかった。川水から白さが薄れていったのとあたりの空気の変移でとうぜんわかるわけだ。見上げれば太陽をひっかけたのとは別だけれど、思いの外に巨大な大陸じみた白雲が川の両側をつないで幅広く、上流方向に広がっていて、その雲もけっこうはやく、川水とおなじ方向にうごいている。そのうちに今度はまた左のうねりのあたりが微光してきた、と思いきや色は白さを越えてさらに彩ってうねりのそこここが発酵して濁ったような薄オレンジ色をかぶせられて、目前の深緑もその色に中和されて中身を抜かれたように薄くなった。時ならぬその移行はちょっと感動的だった。

 働いてきた。エイプリルフールなるものがこの世に存在していることを、塾で生徒に会うまでわすれていた。
 労働後に電車に乗り、T駅から三〇分かそこら歩いてきたので、けっこう疲労はある。とくに目が。じぶんの疲労やストレスによる負荷はやはり目に出る。ひるがえって、目をつかうとそれがからだに対する負担にもなり、とくに胃腸に響く。飯を食ってすぐだとそれがよくわかる。なのでものを食ってからすくなくとも一時間は文を書けないし、読めない。そもそもさいきんは本をほんとうにぜんぜん読んでいない。Kさんと通話するときに『灯台へ』をすこし読むだけ。
 ただ、疲労がありつつも、こうして労働後に、どうでもいいようなことであっても書く気になり、じっさい書けているというのは回復の証だろう。きょうは衣服などのはいったリュックサックに加えて、ロラン・バルト関連の本数冊とレベッカ・ソルニットの『迷うことについて』を横浜元町霧笛楼の紙袋に入れて持ってきてしまったので、駅から歩いているあいだに両肩もけっこうこごってきていた。これはいぜんもあったことだ。労働後の帰路は疲労でリュックサックをかけている両肩がちょっとピキピキ来て、帰り着いてたとえばジャケットを脱ぐときとか、それをハンガーにかけて壁の出っ張りに引っ掛けておくときとか、カーテンレールにかかっていたバスタオルなんかを取るときとかに、肩もしくは肩甲骨のあたりが一瞬ピキリと痛むことがよくあった。きょうもそういう感じはすこしだけあったけれど、イス軸法をやり、一〇時から三〇分ほど横になって休んだ結果、わりあいほぐれて、遅い時間で健康にわるいがたまにはカップ麺でも食うかとだいぶまえに一個だけ買っておいたどん兵衛の鴨出汁蕎麦や出来合いのごぼうサラダで食を取り、入浴してのいまもう一時直前だ。実家にいるあいだに体重をはかったら49.85キロで、50キロ以上になって以来、そこを下回ったのはさすがに人生ではじめてのことだ。炭水化物を食わないとやばいが、食欲もまえよりは出てきているので、このまま順調に回復していけば、じきにおのずと食の量も目方も増えてくるだろう。からだの貧弱さ脆弱さには絶対の自信をもっているこちらでも、とうぜんのことだが、いまが生涯でもっともひょろい。きのう風呂にはいるまえに実家の洗面所の鏡でおのれの裸体を見たのだけれど、じぶんの裸体なんてまああんまり見たくもないもので、髪も来週切る予定でだいぶ伸びているし、鏡を見たときは髭もまだ剃っていなかったので、贅肉のまるでないゆえにほとんどあるなどといえない腹の筋肉のかたちがよくみえるという、腰のたいそう細いそのすがたが、あれ、苦行中のイエス・キリストではないですよね? 柱頭行者のひとではないですよね? みたいな印象だった。
 土曜の寝るまえに一回、きのうの夜に二回つづけてギターを弾き、録ったのがまえの記事の三つ。いいかげん、エレキなのに生音だと音量も小さくて聞きづらいし、兄の部屋に追いやっていた、というかもともと兄のものだったのだが、ローランドのジャズコのちいさいやつを持ってきて、ようやくアンプに通した次第。それがきのうの二つ。ちいさいといっても部屋で弾くには出力過剰で、ボリュームノブを少し回しただけでかなり出る。フルテンになんてとてもできない。
 きのうはまた昼間に『なりゆき街道旅』という番組をみて小説のことをちょっとかんがえたのと、三時半くらいに川に行ってすばらしかったのと、夜には『ポツンと一軒家』をみてそこそこ面白かったことくらいを明日以降に書けたら書きたい。きょうの帰路も自由の感覚がおとずれて良かったので、それも書けたら書きたい。川はマジですごかった。吐き気がしてくるんじゃないかとちょっとおそれるくらいにすばらしかった。
 ちなみにいま書いている「三人の子ども」は、タイトルからしてムージルをおもわせるものになってしまったが、山の上が舞台で牛が出てきているのは「グリージャ」を意識したわけではなく、何週間か前の『ポツンと一軒家』に、たしか高知県の山の上で山地 [やまち] 酪農をやっているひとが出ていて、へー、おもしれえとおもい、それを発想源にしてもともと「夜のひとみは千のかがやき」をかんがえていたのだ。かんがえていたといっても、山の上で酪農をやっている一家のはなしということと、兄と弟がいて、弟があたまのなかに声が聞こえると言い出して脱走し、追いかけていった兄が弟をみつけたところで季節外れの、そんなところにあるはずがないホタルの群落に遭遇するという、このふたつしかかんがえていなかった。それがなぜか少しまえに奇形化しつつにわかに固まりだして、いまああいうことになっている。語りは「トンカ」の影響が大きい。冒頭を分析したからだ。「トンカ」を再読してはいないのだけれど、冒頭をみるついでにぱらぱらめくって最初のほうをちょっとだけ覗いていたら、あれ、こんなに変な語りだったの? というのにあらためてびっくりして、その印象がたぶん影響してああなっているのだろう。いまの段階ではまだそんなに影響が大きいようには見えないかもしれないが、そのうちそれっぽくなってくるかもしれない。というか、影響されたとしても、だからといって「トンカ」みたいな語りそのままになるわけがないので、あ、なんかこんな変な語りできるんだ、というおどろきを消化したかたちでじぶんなりの変な語りをやることになる、というのが正確なところか。ただし、「トンカ」の一文をあからさまにパクった一文をいれる予定ではある。
 こんかいの「三人の子ども」は「塔のある街」と比べるとだいぶゆっくり書いていて、これくらいでちまちまゆっくり書いていったほうがやっぱりいい。「塔のある街」はさーっと書きすぎた。あれはあれで、そういうものでいいのだけれど。
 「塔のある街」は変なものを書いたとはおもっていなくて、来たものを素直にそのままさらさら書いた感がつよい。「三人の子ども」はそれよりはゆっくりと時間をかけて、多少かんがえたりこだわったりしながら書いているので、素直度は低い。読み返してこまかい手直しもちょいちょいやっている。さいきんじぶんでじぶんのことを、素直なひねくれもの、もしくは素直な天邪鬼として規定する向きがあって、要はひねくれものが一周まわって、もしくはもういちどひねくれた結果として素直になりつつある気がするのだけれど、そういうじぶんが素直に書いたものは、少なくともMさんからはずいぶん変な小説だといわれた。「三人の子ども」はそれよりはきちんと変なものになるとおもっている。ということはもしかしたら、むしろわかりやすいものになるのかもしれない。ただ、「塔のある街」も、文学なんぞを読みつけない友人にも読んでもらったのだけれど、結果、面白かったということばが返ってきたわけだ。だからあれはあれでわかりやすい、よりどころをみつけられる一篇だったのだ。つまり、最初から最後までただひたすら意味深なだけ、という。そういう意味深で不思議な街がただ書いてあるだけ、というかたちで受容できる。文学的な深読みとかを考えない、ぜんぜん知らないひとのほうがむしろそういう風に楽しめるのかもしれない。Kくんが例のピンク色のふにゃふにゃした四角形がなにを意味しているのか、なにかの象徴なのかとか、壁になんかあったんだろうかとか、要は(こちらに言わせれば)そこに書かれていないことをいろいろ考えてしまった、と言っていたのに対して、Tは、そういう象徴的な読み方というものがあるということ自体をちっとも知らなかったから、まったく考えなかった、と言っていた。ピンク色のあれなんかはあの小説のなかでいちばん意味深な要素だとおもうが、たぶんあれは象徴的に解釈しようのないものになっているとおもう。あそこは、ジャジャーがさいごに説明のつかない行動をする、その前段として、まずいちど説明のつかない行動をさせておきたかった、つまりさいごにいきなり奇妙な行動をするとあれだから、二段構えにしたかったというだけのことで、ピンク色のあれはだからピンク色のあれである必然性はない。ただあれがおもいついたからそう書いた。そこにKくんが引っかかっていろいろかんがえてしまったというのは、ピンク色のやつも含めてあの小説の、あるいはあの小説に限らず意味深さというのはときに読者を引っかける罠、おとり、デコイみたいなものとしてあって、「塔のある街」にかんしては、それをひたすらばらまくことでほんとうの謎をそのなかに隠した、という感じが漠然となくはない。書き終えたあと、ある意味で「グリージャ」の逆をやっちゃったんじゃないか、とちょっとおもったのだ。つまり、こちらの受ける感触だと、「グリージャ」というのは、謎があるはずなのにそれがないように見えるのが謎、という小説だった。「塔のある街」は、謎がありすぎてほんとうの謎がなんなのかわからない、というものなのかもしれないと。とはいえじっさいには「ほんとうの謎」というのは明白で、それはもちろんジャジャーの行動で、あれが「塔のある街」のなかでかろうじて唯一の物語的な枠組みというか線になっているのだけれど、ただ、あれをやっぱり「ほんとうの謎」としてうまく構築できなかったんだろうなというのがいまのじぶんの見通しである。きちんと読んでみないとわからないけれど。「ほんとうの謎」としてうまく構築できなかったというのは、あの小説がもつ固有の論理みたいなものをそこに注ぎこめなかった、展開できなかった、形作れなかったということで、「三人の子ども」はうまく行けばもしかしたら、そういう独自の論理みたいなものをつくれるかもしれないという漠とした予感があるにはある。が、その「独自の論理」は、じつはぜんぜん謎めいたものではなくて、わかりやすく読めるものになってしまうのかもしれない、というのは上に触れた通りだ。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空はドームをえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をカチカチ噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢は明るさを微妙にたがえてひかり、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて風化していった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転の兆しは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りがはやまれば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちふるえる旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍 [むげ] につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。