2022/9/16, Fri.

西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)

●31~32(「あの苦い休息に厭き……」(Las de l'amer repos))
 私はかつて一つの栄光のために自然の青空の下
 薔薇の咲く森の美しい幼年期を避けたが
 私の怠惰がその栄光を傷つけるあの苦しい休息に(end31)
 厭きまたそれに七倍して厭きたのは固い契約、
 不毛に情 [つれ] ない穴掘りの
 私の脳髄の欲ばかりの冷たい土地に
 徹夜で新しい穴を掘る契約だ。




 いまもう一七日の午前一時過ぎ。起床付近のこまかなことはわすれた。覚めたのは九時だったが、床をはなれるには一〇時までかかった。一〇時二〇分だったかな。この日の出勤前はとくだんのことはやっていない。寝床でも日記の読みかえしをサボったし、食後もウェブをてきとうに閲覧して過ごしてしまった。洗濯はおこない、一一時半ごろ再度の離床をしたときに干した。天気はそれほど晴れがましいわけではなく、覚醒時も空気の質感が涼しげだったし、干すころも陽はとおっていても雲が多くて水色がかくれがちだったのだが、大気に浸透したおだやかな熱と風のおかげで、出発するまえの二時ごろに入れたときには意外に具合よくかわいていた。きのう、ワイシャツ二枚をアイロン掛けしておいてよかった、だらだらしてしまったのでシャワーを浴びて身支度するくらいしかできなかった。二時半ごろそとへ。階段を下りていくとアパートの入り口前ではなしている声が聞こえ、箒かなにかもった女性のすがたもみえる。空の郵便受けを確認して出るとちょうどそのひとの目のまえにあたり、女性のそばには老人がおり、かのじょとこちらでたがいにこんにちはと会釈をしながら過ぎてあたまのうごきを老人にもちょっと向けたものの、こちらは無反応だった。素性は知れない。女性は保育園の保育士だったのか、それとも一階のクリーニング屋の店員なのか。老人とは知り合いのような雰囲気だったが、そちらも近所のひとなのかなんなのかわからない。


     *


 道にはひかりがよくとおって日なたがいたるところ敷かれているものの、大気に熱はそう籠っておらず、風もながれつづけてまだ水気ののこっている髪の毛を額や耳もとにささめかせる。からだが西向きになって正面から直射されればもちろん熱いが、肌にじりつくような感触は光線にもはやなく、細い裏路地をすすむあいだ屋根のむこうにのぞく南空や行く手の西から北にかけてが、雲をたくさん溜めた様相で、そのあいまにはさまって埋めている水色にも周囲の雲からぱらぱらこぼれたものが混ざったかに粉がかった質感で、まろやかな空だった。陽射しはかなり厚いけれどのしかかるような重さはなく、いってみれば浮遊的な熱さで、夏の一時回帰までは行かない、ほどけるようなさわやかさが路上にあってたしかにふれられる。路地の出口がちかくなると小学生の声が聞こえて、行けば帽子をかぶったランドセルの男児ふたりが角の別れ際に、あっかんあっかんあっかんべ! だったか、ことばをわすれてしまったのだが、向かい合って声を調子良く合わせた別れの儀式をとりおこなっていた。方向を違えてからもまだ、あしたおれやすみ! とか、なんで? とか言い合ったりしている。(……)通りの横断歩道のところには旗をもった老人が立っており、腕章かベストをつけていたとおもうが、おそらくシルバー人材センターの登録者で、登下校の子らの見守りや誘導をしているのだろう。金曜日というのは近間の小学校がこの時間で終わるらしい。水曜日もおなじ時刻に出るが、そのときは下校中の子どもたちはみかけない。横断歩道で陽を当てられながら寸時待ち、渡ると細道をまっすぐ。ここでもひかりにさらされざるをえないけれど、路地には日陰もたしょうできていて、ひと月前にはそれもなくて晴れた日にはほぼまっさらだった記憶がある。時刻におうじた太陽の位置が、やはりうつろっているのだろう。左手には建設中なのか一軒の、脇の階段を重そうな板状の、なにかコンクリート的なブロックのようにもみえる灰色のものをかかえてのぼっているふたりがおり、さきを行くひとはもう年嵩らしく、息を切らして笑いながら、後期高齢者だからみたいなことをもらしていた。駅に着くと口をマスクで覆ってなかへ。改札を抜けててまえのホームにかかればその表面に反映光がひとときよぎり、階段通路を行って向かいにうつり、てきとうな柱のそばで立って目線をあげると、各室のベランダがくぼみ状にきっちり区切られて洞窟内の広い壁にできたなにかの巣穴をおもわせないでもない、そんな駅前マンションの、そのくぼみのおおくには洗濯物の色が乗せられ、その左脇、とおくで突き立っている赤白の電波塔付近の空は淡い雲をはらはら撒かれながらも水色をとどめている。FISHMANSの『男達の別れ』をきょうも聞き出した。薄赤色をおもわせるようなあかるい陽射しの昼間のなかでナイトクルージングする。


     *


 勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 この日は比較的はやく退勤した。といっても八時二〇分くらいだったか。(……)帰路はまた(……)まであるいた。その後電車に乗って(……)まで行くと、帰りはスーパーに寄った。実家からもらってきたピーマンとナスをそろそろ始末しないといけないところが油がないので買っておきたかったのだ。しかしこの日はやらず、炒めものをつくったのは日曜日、一八日(きのうにあたる)の夜。一六日の夜のことはもはやわすれてしまった。


―――――

  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「読みかえし1」: 406 - 411, 412 - 424

413

 『ペリフュセオン』は全五巻からなる。創造し創造されない自然については第一巻で、創造され創造する自然は第二巻で、創造され創造しない自然は第三巻で論じられたうえで、第四巻と第五巻が、創造せず創造されない存在をあつかう構成となっている。偽ディオニシオス文書でいうなら、第一巻から第三巻は、神から発するイデアを経て被造物にいたる肯定神学あるいは下りの道(カタファティケー)に、四巻と五巻は、神の痕跡である世界からもういちど創造者へ(end209)と回帰する否定神学(theologia negativa)もしくは上りの道にあたることになる。
 肯定的な道にあっては、神は存在し、真理であり本質であると語られる。だが正確にいえば、被造物についても述語されるこうしたことばは、神については比喩的にのみ語られるのであるから、神はむしろ、存在を超えたものであり、真理を超えたものであると語られなければならない。神がたとえば知恵ある者であるとは、比喩的な意味で語られる(のちにスコラ哲学者たちは「類比的」に、と主張することになるだろう)にすぎない(次章参照)。
 存在を超えた神のありかたは「無」とも言われる。神については、どのようなカテゴリーもほんらいの意味では当てはまらず、上りの語り(アポファティケー)にあってはそうした述語づけのいっさいが否定されてゆくことになるからである。だが、神が非存在であると語られるとき、神は「その語りがたい卓越性と無限性のゆえに」いみじくもそう語られるのだ。神が無であると言われるのは、神がむしろ「存在以上のもの」であるからである。ボエティウスが主張していたように、神が無から世界を創造したと言われるとき意味されているのも、存在は、すべて「神の善性の力」によって非存在から造られたということなのである(第三巻第五章)。

このことば〔無(nihil)という語〕で意味されているのは、人間の知性であれ、天使のそれであれ、どのような知性によっても知られていない神の善性の、語りがたく、とらえがたく(end210)近づきがたい明るみであると思われる。それは本質を超えており、自然本性を超えているからである。それは、それ自体において考えられる場合には存在していないし、存在しなかったし、存在しないであろう。すべてのものを超越しているので、どのような存在者においても考えられないからである。それは、けれども、存在者たちへの語りがたい下降をとおして、それが精神の眼で見られる場合、ただそれだけが万物において存在しているのが見いだされ、現に存在し、存在したし、存在するであろう。(第三巻第十九章)

 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、209~211; 第13章「神性への道程 神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる ――偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス」)