2017/4/22, Sat.

 家を出たのは午後七時を回ったところで、雨降りのなかに歩み出ればあたりはいかにも暗く、振り向いた西の先では山と空と家並みとがひと繋がりに闇に籠められて黒々と澱んでいた。坂を上って行って先の出口あたりには、街灯が立たない一角があり、前後の光の区画から独立したそこに入ると視界が殊更に暗んで、思わずちょっと止まって左右を見やることもしてしまう。抜けるとしかし、前方からやってきた車の明かりが対照的に白く広がり、落ちる雨の線が半透明の膜のようになって光のなかに掛かるのが、むしろ逆方向に、地から蒸気が湧いて斜めに立つようなさまに見えた。街道のアスファルトは、日々にタイヤが擦れる場所はやはりいくらか窪むものだろうか、車線の中央付近は光を薄く反映して浮かびあがっているが、その左右は水が僅かに溜まるようでまっさらに黒く沈んだ帯が二本走って、遠くの車明かりが突端部による遮断を挟みながら帯の上を縦に渡って長く垂れ下がり、水に混ざることで離れた距離を越え、こちらの近くまでやって来ている。増幅された走行音の唸る表通りから裏に入ると、途端に静かになって、いつもながら線香花火の弾ける音を連想させる雨の打音が頭上にはっきりと響きはじめる。丘は一様に黒い影で、表面の木々の起伏はまるで見えず、いくらか形の変化めいたものが観察されるのは稜線の不均一な上下のみで、その輪郭線を見ていると、もとは墨色の空までもを覆っていた一平面が乱雑に破り剝がされたかのような想像を覚えた。駅近くまで来てから見上げると、あれほど暗いと思っていた空が、地上の光の多さによる差異なのかここでは明るげな薄灰色で、道の左右と奥の建物の線もくっきりとその上に引かれているのに、不思議な気持ちになった。

2017/4/21, Fri.

 往路、坂を上って行くあいだ、道の左右から鳥たちの声が、各々の持つ律動と声調で、それぞれ自律した流れを形作りながら立ち交わすのが、旋律はなくともまさしく多様な楽器の交錯で織られた音楽を聞くような気分にさせる――そのなかで、初めは頼りなげに浮かびだしながら、まもなく大きく跳ね上がって一際厚く響くのはやはり鶯の声で、こちらの乏しい知識のなかに名があるのもそれのみなのがつまらない。雲のある夕刻で、東のものは色も形もそう強くなく生地に混ざって青を和らがせているが、ちょうど頭上あたりが境となろうか、西の方では砂糖を敷き固めたあとから罅の入ったような白さが空を埋めて、その裏から落日が明るんでいた。その断片が漂うのだろう、かすかな温もりの、肩や腕あたりに触れて馴染む日の入りの気である。街道に接する小公園の桜はだいぶ葉も混じって、薄紅色はほとんど溶け尽くして萼桜となり、暗い紅と緑の混濁して渋い色味を帯びているのが、季節外れにそこだけ晩秋に向かう前の植物めく。裏通りを行って空き地に差し掛かると、向こうの宙を燕が何匹か、湿った毛布めいた青さを後ろに鳴き騒ぎながら飛び回るのが見え、行く手には陽の色が薄く混ぜこまれはじめる。向かいから来て脇を通り過ぎて行く、主婦らしき女性の乗った自転車の、乗り手と乗り物の見えなくなってもまだこちらの横に影が長くあとを引いて残り、するすると遅れて去って行ったあとを見れば自身の影法師も、かなり先まで伸びていた。振り向けば落日が、西の丘とこちらとの距離の関係なのだろう先ほど見た時にはもうすぐにも隠れてしまいそうなほど木々に近かったはずが、そこからちょっと浮かび戻したようなあたりで、雲に遮られつつも橙色の明かりを、大きく膨らませていた。

2017/4/20, Thu.

 往路、この日は普段より遅くて午後七時の道である。陽の名残りも既に消えて宵がかった空が深く青い。坂を上って行くとあたりに鳥の音も立たず、暮れて静かななかに、木の間の先から、川の音が随分と厚く立ち騒いで昇って来た。西から東まで晴れているようだが、南の山に接した一角には雲が混ざっているらしいのが、形成すものは一片もないがそこだけ白炭色に変化しているのからわかる。街道に出ると先まで伸びた道の遠くに車の、いびつな円を描いた明かりがひと繋がりになって続き、道の曲がった最奥から次々に備給されて連なりをやめないが、近くまで来ると純粋な発光体だったそれらは間をひらき分解されて、光の裏の本体も露わに単なる物質と化す。公園の桜はもはやほとんど散りきって明かりせず、色の窺えない暗さに沈んでいた。裏道の途中でも、広がった空き地に差し掛かると、敷地に接した二、三軒の窓が、人が不在なのか雨戸が閉まっているのかどれも灯らずに、宵闇を掛けられて家が上から下まで薄黒く静まっているのに、随分と暗いなと思われた。その頃には空も、青さを失って暗色に入っている。出てしばらくは少々肌寒いような感触だったが、歩いているうちに身体が温もったようで、のちには風にも冷えず、体温と同化する滑らかな空気の肌触りだった。

2017/4/18, Tue.

 往路。歩いているうちに服のなかに熱が籠るのが感じられて、前髪の裏もやや湿って来るような気温の高さである。空は雲混じりの薄く柔らかい青さで、ところどころに形を成す雲の塊もあるその前を、街道を渡る電線に止まった燕が黒い影となって鳴きを落とし、二つに分かれた尾羽根の形がよく映った。裏通りを行っているあいだにも、ふと見上げた拍子に、随分と高く遠くを飛んでいるようで小さな鳶の姿が、声を降らせもせず、飛行機のように滑らかにゆっくりと滑って行くのに、首を傾け傾け歩く。桜の時節が終わりかけていた。

2017/4/17, Mon.

 往路、薄白い曇り空の午後五時である。坂を上りながらすぐ傍で立つ鶯の音に、姿を見たいとあたりに視線を振るが、声は近くても一体どこに止まっているのか影がどうしても捉えられない。街道沿いの公園の桜は大方花を落として、薄紅色の方が少ないくらいになっていた。裏通りでも鶯の鳴き声が、林の奥の方から立って届くのが耳に入る。一軒の家先に立つ山桜が葉を旺盛に緑に茂らせて抱えているのが、もうこんなに膨らんだかと驚かれて見やりながら過ぎると、茂みの奥にはまだ僅かに残って潜んでいる白花の姿が捉えられた。それから顔を正面に戻してすぐに、頬に痒いような感触が点打たれて、気のせいのようでもあったが、整然と緑にまとまった四手辛夷に、花の燃え殻もおおよそ落としきって同じく緑葉を纏った白木蓮と過ぎているうちに、水滴が確かに落ちはじめているのがわかった。湿り気を含んだ風が時折り強くなって顔に当たり、耳の横をはたはたと素早く過ぎて行くのに、予報で伝えられている春嵐の気配が兆すようでもあったが、いまはまだ、降るというほどでもなくかすかなもので、傘をひらく必要もなかった。寺の枝垂れ桜は色が濁って背景の木々との色彩の差が小さくなって混ざりはじめている。ほかの場所でももう大方、葉桜に移行しかけているが、裏道の途中、丘のあいだを北に続く道路に差し掛かったところで、森の縁に遅れて満開の一本が、砂糖菓子の甘さを香らせて淡紅に浮かんでいるのが映って、優しかった。

               *

 帰路は雨が始まっていた。大した降りではないが、同時に風があって、時折り強まって傘に寄せて来るとぱちぱちと音が厚くなり、雨粒が飛ばされるから傘の下でジャケットの表もそこそこに濡れる。道中、傘にはしばしば、上に向けての浮遊感がいくらか加わり、一度は風が決然として強く攫おうと引っ張ったこともあった。視界が限られるからあたりにそれほど見えるものもなくて、視線を落とし、濡れたアスファルトが街灯を反映して微光を放っているのなどを見ながら歩いていると、周囲で風が止まっていても高みでは駆けているようで、丘の木々が鳴り騒ぐのが耳に届いた。空は一面曇っているが、それでかえって明るいような具合で、家屋根の輪郭もくっきりと画される、薄く褪せた色である。表通りに出る角で、老人ホームの脇に桜が一本あるその花が、傘で区切られた視界にも入ってきて、足を止めて顔を寄せれば、楕円形の花弁の集まったその中央に、光の下で血のように色を深めた紅色が滲んでいるのが、艶だった。

2017/4/15, Sat.

 往路、午後四時。坂の中途の、木の間がややひらいた斜面に、菫の種らしい青紫色の小さ花が密集して一角を埋めている。空はこの日も、端から端まで天色に満たされ澄み渡った快晴である。丘を見れば少し前までは箒を逆立てたようになっていた裸木の地帯に、葉が萌えはじめたようで淡い緑が煙るように掛かって、全体に明るくなったなかに差しこまれた桜の甘い淡紅色がくゆって浮かぶようだった。街道では燕が活発化して、道の両側を繋ぐ電線の上に止まって分かれた尾を振りながら、あるいは巣を作ったらしい家の軒先に寄りながら、泡立つような鳴き声を立てている。小公園の桜は散花が進んで乱れが目立ちはじめており、幹からは緑葉も芽生えはじめていた。過ぎざまになかを覗くと、地には粉が撒かれたように花弁が散っていた。背後から照る陽が暑いほどで、歩いていれば服の内に汗も滲んでくる初夏の陽気である――最高気温は二五度とか言った。鳶が長閑に飛んで声の降る下を歩いて行き、寺のあたりまで来て枝垂れ桜に目を送ると、こちらも散りはじめているようで、薄桃色の合間に隙間が点じられて連なりが薄くなっていたが、それはそれで実をつけた果物の房のようだった。

2017/4/14, Fri.

 例日通り五時に外出。坂の入り口から右にひらいた細道に立つ桜の小木は、花の嵩を減じており、既に陽も当たらない場所で澄んだ空を背景に、水で塗られたごとく白さの上から薄青い蔭に染まっている。街道に出ると、車道の左右に伸びる電線のあいだを、燕だろうか鳥がしきりに渡っているのが、通る車の上に見える。空は一面の青さで、遮られるものなく陽がよく通って、小公園の桜の花が、雪白のなかに茜色を混ぜこまれていた。枝先の方では散って萼の鈍い紅の覗いた箇所も見え、崩れが始まっている。摩擦のまったくなく、肌に触れる感触の稀薄な空気に含まれた幾許かの温さに、匂うような、と思った。裏通りに入ると前方を帰る女子高生の、スカートから出た脚の色が、西陽の照射を受けてこれも濃い橙色に色づいている。春の気に誘われたのか、裏道は普段よりも人が多い。祖母らしい婦人に連れられた幼子が道の向かいからてくてく走ってきて、こちらが行く手にいるのも見えず目前に来てからいとけなく立ち止まるのに、笑みを返してやった。駅が近くなってマンションが見えると、最上階を彩る陽の具合が先日と違って、端の方の窓に僅かに映るのみであるこれも、日の伸びを表すものらしい。建物の全景が露わになる駅前ロータリーに来ると、三、四階あたりの一つのガラスに太陽が入りこんで濃縮され、内から破裂させんばかりにいっぱいにオレンジ色を輝かせた。

               *

 帰路の空気は快い涼しさに収まって、肌寒さに脚が知らず速まった時節も遠く、歩調が自ずと緩む。昨晩の満月にこの日も東に月を探して、振り向き歩いたが、なかなか見えず、空の青さも昨日よりもだいぶ暗んでいた。低みで家々に隠れていた月は、広めの空き地に差し掛かってようやく現れ、夕刻に見た西陽の色を注入されたかのように赤らんでいる。街道に出て対岸から見る小公園の桜は花明かりして、暗中に仄めき浮かんでおり、枝の一番先を僅かに揺らすこともなく、白く凍りついたように静止していた。足もとには枝から落ちて渡ってきた花が散らばっており、歩を進めて結構離れるまでかすかに残って点じられていた。

2017/4/13, Thu.

 往路。この日も空には雲が多く、首もとを風が擦ってやや冷え冷えとする。坂を上って抜けると、西空から射す薄陽があたりに掛かって、木々の緑の上から艶のある琥珀色を重ねていた。街道を渡って歩道を行き、小公園の桜に目を向けながら前を過ぎる。淡紅の桜の花はそれぞれの枝先に円く群れなして、木々のあちこちに小さな毬を集めてぶら下げたようである。なかの一本は柳の木に隣り合っていて、明るく垂れ下がった薄緑を背景に紅の仄かな白さが際立って優美だった。裏通りを行くあいだ、空は雲が広く占領しているが、ひらいた穴からは爽やかな青さも垣間見えて池のようになっている。しばらく歩いてからまた見上げると、数分のあいだに池は消え、雲によって描かれた模様ががらりと変わっている。千切れ雲が湿った青灰色に浸りながらも、大きなものの頭の方には陽が当たって白くはっきりと明るんでいる夕べである。薄桃色の水が上から撒き散らされながら固化したかのような寺の枝垂れ桜を見やりながら、道を行った。

               *

 帰路の空気もやや冷えていた。欠伸が洩れて眼球の表面が湿ると、黄みを含んだ街灯が途端に増幅されて、蝶の口吻のような光を瞳へ柔軟に伸ばしてくる。東の空に満月が浮かんで青さの露わな明るい夜だった。裏を抜けて表に出て、小公園の夜桜が白く煙っているのを過ぎて東を振り見ると、月を抱いた空は石膏を固めたように滑らかで、東の明から西の暗への推移のなかに一点の曇りも乱れもない。表通りの街灯の下にあっては西空は暗さが勝って木々も紛れるが、裏に入れば光が乏しくなるのに応じて夜空は明度を増し、西まですっきりと色が渡るなかに、未だ葉を付けない裸木の枝分かれの影がくっきりと黒い。その向こうから一匹、口笛を短く軽く連続させるような、虫にも似た鳥の声が遠く近く、浮かんでいた。

2017/4/12, Wed.

 窓を開けて瞑想をする。外は光が満ちていて、穏和な陽気が漂って左肩のあたりに触れる。風はほとんどないようで、空気の柔らかさを乱す流れが室内に入ってくることもなく、下草が揺れる音もせず、時折猫が慎重に踏むような擦過音が聞こえるのみである。鳥たちが鳴き交わす一方、空間の奥には、前日の雨で増水しているのだろう、遠くから川の鳴りが立ち昇って敷かれており、そのなかに近間の沢の音もやはりいくらか勢いが良く、水の弾ける響きが混ざる。

               *

 午後五時の往路に出た頃には朝の爽やかな晴天はなくなって、雲の多い空となっていた。最高気温が一九度と新聞の予報で見たわりには、いくらか涼しさの勝る夕方だが、それでも日中、気温が結構あったらしいのは空中を飛び回る羽虫の姿が証している。街道沿いの小公園の桜木を近くまで来て目にすると、全体に紅が薄れて白さが強まり、まとまったように映って、ありがちな比喩ではあるがさながら雪を枝の上に積ませた風情だった。散る前の予兆だろうか――あとで目にした寺の枝垂れ桜も、色がより仄かに、滑らかなようになったと見えたが、散花に向かうものの一日毎に淡くなって白無垢に近づいて行くということが、あるのかもしれない。風が時折り正面から顔に当たって髪を額に擦らせるその頭上で、空は雲の畝を広範に拵えて、青と灰の混濁した乱れ具合で、裏通りを行くあいだそのなかの、この日は森の方ではなくて住宅の上を、鳶が一羽で旋回し続けるのに鳴くかと見上げていたが、結局声を落とすことはなかった。

2017/4/10, Mon.

 往路。この日もまた薄灰色の、雨が落ちてもおかしくなさそうな空気の風合いだったが、結局降ることはなかった。気温はやや下がって、コートもマフラーもつけずに出ると顔に当たる微風がちょっと冷やりとするが、歩いているうちにそれも紛れた。坂の入り口で右にひらき下る細道の中途に立った桜は、目を凝らせば紅の風味が瞳に触れるが一見してはほとんど白で、清潔に膨らみ、曇り日で背後との対比も弱く、実に柔らかい。街道沿いの小公園の三本は盛りだが、薄暗さのために前日と同じく、花色のなかにちょっと鈍さが混ざっていた。裏を行くあいだ道の先に、鳶が数匹集まって森の縁あたりを飛んでいる姿が見え隠れする。林の奥の方に行って見えなくなっても、ひゅるひゅると回転する声だけがしきりに降ってきて、同じ一匹らしいが、間を置かずに連続して、随分と鳴きつのる時間もあった。背後を向くと白い空のなかに陽が溶けていて、マンションの最上階の窓の端をかすかに彩るくらいの、仄かな明るさはある。

2017/4/9, Sun.

 午前から雨が降っていたが、四時半に近づいて出る頃には止んでいた。路上には濡れ跡が残っており、流れる空気のなかにも湿り気がやや籠ってしっとりとしている。車が行き交う街道のアスファルトは既に乾いていた。桜が至る所で盛りを迎えている――街道沿いの小家の前に置かれたささやかな木は、ほかのものから先立って既に葉桜に移行しかけているが、その先、小公園に立った二、三本は満開の風情で、通りの向かいで家先に出てきた女性が、連れた幼子の関心を促していた。枝の隅まで泡のようにして縁取り膨らんだ花の隙間から覗く空は、薄紅色との対比で僅かに青く見えるような気がする程度で、一面薄灰色に均されており、仄暗さを被せられて花色も艶は弱い。裏に入ると風はほとんどなく、顔に触れるものも軽く、音は表から車の音が入って来て、反対側の林の奥から鵯の鳴きが漂うのみで、広い静けさのなかで自らの足音が立つ。四手辛夷を行く手に見た瞬間に、花の白の裏に緑色が混ざりはじめているなと視認された。二階屋の上に届く白木蓮はもう大方褐色に崩れて、さながら花火の燃え殻である。寺の傍まで来ると枝垂れ桜の、二本あるうちの、森に接したほうの一本が明度を高めて、いくらか浮遊するように軽くなって、それまでの紅色にはなかった品の良い甘さが混ざっているのが片方との対比で良くわかって、そうか桜というのは、盛りを迎えるとこのように、自ずと色が明るんで菓子のように、香るようになるのだなと、今更なことを思った。

               *

 最寄り駅に着く頃には七時前で暗んでおり、ホームに降りた時にはここにも桜があることを忘れていて、闇に沈んだ反対側の丘の方を向き、宵に掛かりながらも青みのかすかに残っているように見える暗色の空に目をやっていたが、通路を抜けると暗中で淡紅に柔らかく膨らみ枝を埋め尽くしているものが、繭のような、と映った。まさしく盛りで、足許には花びらが無数に散って白く点じられている。いくらか冷えた空気のなか、木々に囲まれていて路上に湿り気が残っている坂を下ると、公営団地の敷地の端から伸びる桜も満開だったが、街灯を投げかけられて一つ一つの花の区切りを定かに浮かんだこちらは白く固まったようで、掴めば粉に崩れる硬い細工の印象を得た。見ているうちに団地の方から、小さな爆竹を破裂させるような音が連続して聞こえて、人らの気配も漂ってくるのに歩き出すと、こちらのいる道からは一段下がった団地の入り口あたりに、これから出かけるらしい数人がいる。母親らしい最後尾の女性のあとを追って女児が何かを届けに来て、快活に仲良く言葉を交わしていたが、サンダルか何か角の立ったらしい履物で住宅の階段を次々下りる際の反響が、先ほどの音の正体だった。

2017/4/7, Fri.

 往路、午後五時。前日と同じように気温が高くて、微細な羽虫が空中を飛び交っていた。空は青を湛えてすっきりと晴れたなかに夕月の、下端だけ消えて表面の模様もよく見えるのが白く露わに浮かんで、南の方にただ一筋だけ、雲が引かれて、丸みを帯びた部分部分が繋がったようにして横にまっすぐ伸びているのが芋虫めいていた。風の動きもそれほどなく、止まれば肌に馴染んで同化し、触れられている感触もない春の空気の軽さである。裏通りを行くうちにあたりに薄く漂う陽の感触に気づき、まだ声の高めな中学生の、白い野球服を身につけたのが三人、自転車で追い抜かして行ったあとから振り向くと、落ち陽が稜線に掛かって山を円くえぐっているところで、前に向き直ると横の家塀に映ったこちらの影は、半紙に水で文字を書いた時と同じ淡さだった。先日から何やら工事の始まってシートに包まれた二階屋の隣の白木蓮は、もうあちらこちらを茶色に枯れ萎ませて老いの坂を駆け下っている。いつも通り鵯の声の林のなかから響くあたりまで来て、寺の枝垂れ桜の桃色に横目をやりながら過ぎると、行く手に突き当たる家屋を越えて現れた駅前のマンションの高層階が、先日も同じような場面に行き会ってその時は窓が落日の金色に浸っていたが、この日はガラスのみならず建物の表面すべてが、地の黄褐色を新しく塗り直されたように明るんでいた。駅前に出ると陽の感触は下層階の方に移っており、壁色にいくらか艶を帯びさせながらもその明るさのなかの端々に古い黒ずみを浮き彫りにし、歳月を経たもの独特の風情を抽出して露わにしていた。

2017/4/6, Thu.

 往路。午前には旺盛な陽があったが、昼過ぎから雲が広がりはじめて、あたりが薄鈍色と化した午後五時である。それでも最高気温二〇度とあって、風が流れても肌寒さは微塵もなく、今年初めてストールを巻かずとも済んだ。空気の暖かさのために一挙に湧いて活発化したのだろう、細かな羽虫の群れがそこらじゅうに湧いていて、道行きに終始ついてきて、視線をどこに向けても宙を飛び回るものが目に入り、顔や服に触れないまでも常にそのなかに包まれているような状態である。街道沿いの古家を過ぎると、小公園の桜もさすがにもう花開きはじめており、空中に薄紅の絵の具を粗く点じられた風情だった。風は丘から鳴りが立つほどではないが、時折通って、近場の木々の葉群れを撓ませ、そよぎを道に添える。家を発ったころはまだしも青さが残っていた雲も灰色に落ちて、あたりが鈍く沈んだなかで寺の枝垂れ桜は色艶が足りないが、桃色を塗られて上から下へと流れており、ほとんど緑しかない森の木々を周囲にそこだけいくらか明るんでいた。

2017/4/5, Wed.

 光の溢れる屋内に出た途端に、空気のなかに染み渡った朗らかな匂いが鼻に入って来て、乳のような、と思った――無論、牛乳の匂いなどしていないが、何の香りとも言い難いものの温もった大気のなかに広がって鼻孔をくすぐるものがあるのは確かで、乳の比喩が浮かんだのはそのまろやかと言うべき質感のためだろう。本格的に春めいて気温の上がったここ数日は、道を行っていても、土や植物の香りが溶け出すのか、やはり何ともつかない物々の匂いが空気中に浸透している感じがする。モッズコートはもはや不要で、シャツの上にデニムジャケットを羽織ればそれで快い陽気である。車に乗って駅へ行き、叔母を拾ってから墓へ向かった。墓場の入り口脇には白木蓮が咲いていて、ここにあるのは確か海棠だと思っていたがと記憶の不一致に訝しみながら、裏通りのものよりも背が低いが花は大振りで、花弁の底に細かく粒だった蕊の集まりが覗けているのを眺めた。墓掃除をし、花を入れ替えて、線香と米を供えて拝んだあと、母親が余った水を通路に撒くと、足もとに一気に白い照りが広がって、完全に均されてはおらずいくらか凹凸のある石畳の内に水が浸透していくその一刻ごとに、泡の破裂する音かぷつぷつと鳴りながら、新たな白さがあちらこちらで生じて密度を高めて行くさまを気付けば見つめていた。

2017/4/4, Tue.

 往路、最高気温は一七度の、緩くほぐれた春日である。左右を木々に囲まれた坂を上って行き、平らな道に出たところで、西から射しこんで顔のあたりに掛かる光の明るい温もりに、匂うような陽だ、と思った。街道を歩いていると、古家の前の低く小さな桜木はもう大方花をひらいてその下には葉の清涼な薄緑もあるが、表に面した小公園に立つ高い木の方は、枝にある色はまだすべて蕾の赤褐色である。裏通りから、前日と同じく丘の表面が細かく蠢いているのが見えるが、風はこの日はそれほど寄せていないようで、鳴りは地上に近い森の縁からしか立たない。並ぶ家に沿ってその裏に伸びる線路を越えて向こうの、林の最も表側の木々がいくらか音を立てているのを見やっていると、その上空、澄んだ青のなかに、まだ年若い鳶だろうか、翼を広げても端から端までがそれほど大きくないが、鳥が四匹、悠々と旋回する姿が現れて、見上げているうちに、例のくるくる巻きながら落ちるような、長閑な鳴き声も一度降ってきた。色濃い晴れ空の果てには、形は見えるけれど物量の感じられない、ぺらぺらに圧縮されたような雲が貼られていて、明るい部屋の壁に投影された写像の稀薄さだった。寺の付近まで来ると、以前から視認してはいたが、林の縁から一つ奥に入ったところに、表の木に見え隠れしながら、あれも桜だろうか、鮮やかな鴇色の花を戴いた木があって、この日はその色が殊更に目を惹き、鵯もいつもはそれを隠している方の木の樹冠に飛んでいくのを見かけるが、この日は少し奥から鳴きを聞かせるようだった。