2019/5/24, Fri.

 一〇時二五分に起床した。八時一五分にアラームを仕掛けており、その前から目を覚ましていたのだったが、鳴り出したアラームを止めると例によってベッドに舞い戻ってしまい、午前九時の暖かな陽射しのなかに身体を寝かせて漫然と時を過ごしているうちに一〇時半が近づいていた。しかし、就床したのが三時半頃だったので、睡眠時間としては七時間と適正である。窓はひらいてあり、そこから入りこんでくる空気の動きで、中途半端に閉じきらずに隙間を残した部屋の入口の戸が、時折りぎいぎいと音を立てて僅かに動いていた。ベッドから起き上がるとコンピューターを起動させ、TwitterSkypeを確認したあとに部屋の扉をくぐって上階に行った。髪を後ろに短くくくった母親が洗面所にいた。挨拶をして、何かあるのかと問うと、前日の肉巻きの残りがあると言うので冷蔵庫からそれを取り出し、電子レンジに突っ込んで二分間回しているあいだに便所に行って用を足した。トイレットペーパーで便器を拭いてから水を流し、手を洗って戻ってくるとちょうど加熱が終わる頃で、米を椀によそって肉巻きとともに卓に運び、椅子に腰掛けて食事を取りはじめた。アスパラガスを巻いた豚肉をおかずに米を咀嚼する一方で、新聞の一面を眺め、先月の米韓大統領会談の際にドナルド・トランプ文在寅に対して日韓関係の改善を要求していたという記事を読んだ。読み終える頃にものも食べ終えて、それから水を汲んできて薬を飲むと、食器を洗い、前日に母親がM田さんから貰ってきた「BAKE」のチーズ・タルトを立ったまま頂いた。そのあとに台布巾で卓上を拭き、カウンターの上に布巾を放っておくとティッシュを取って鼻をかんだ。母親は風邪を引いたらしくて時折り声をがらがらにざらつかせており、鼻水も出ると言う。こちらも何だか風邪っぽいと言うか、喉がざらざらとするし、鼻水も出た。
 鼻をかんだティッシュをゴミ箱に捨ててから階段を下り、自室に入るとコンピューターに寄って前日の記録を付けた。前日に手帳にメモした英単語などの事柄も日記の方に一つずつ写しておき、それから窓を閉めてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめた。新聞によれば最高気温三一度の夏日で――翌日はさらに上がって三二度だと言う――窓を閉めると熱が室内に漂い籠って暑いものの、音楽を流したければそうするほかはない。それでFISHMANSの音楽が流れるなかでベッドに乗り、ティッシュを一枚敷いて手の爪を切った。時折り歌を断片的に口ずさみながら鑢で爪の先を整え、終わるとティッシュを丸めてゴミ箱に放り、それからコンピューターに近づいて日記を書きはじめた。この日の分をここまで先に綴って一一時半を回っている。薄い頭痛がある。
 しばらくインターネットを回ったのち、一時直前から書見を始めた。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。先ほど布団をベランダに干してあった。そのなかから枕だけ取り込んで、クッションと合わせて背もたれにしながら、脚をベッドの上に伸ばして英文を読んだ。二時に至ると、何もしていないのに、頭痛が滲むこともあって疲労感のようなものが湧いてきて、それに従って姿勢を崩し、目を閉じた。そうして三時頃まで休むと起き上がってベランダに出た。干された布団を叩かず撫でるようにして表面の埃を払っていると、隣家の庭木の向こうでTさんが、草取りか何かを頼んだ高年男性と談笑しているらしく、その姿がちらちらと見えたので、首を傾げて視線が通るようにして、手を振った。Tさんは手を振り返してくれたので、笑って、こんにちは、と大きめの声を放っておき、そうして布団を部屋のベッドに取り込んだ。それから上階に上がって上のベランダに出て、こちらにも干されてあった炬燵布団やタオルなどを室内に入れ込み、畳むものは畳んでソファの背に置いておいて下階に戻った。そうして三時半直前からふたたび読書である。――いや、違った。読書をしたのはもっとあとの時間、四時一五分になってからのことだった。この時は、Mさんのブログを読んだのだ。玄関の戸棚から明星のきつねうどんを取り出し、湯を注いで自室に持ち帰り、コンピューターの前でそれを啜りながら彼の日記を読んだのだった。Mさんは、Kさんの服を選ぶという名目のデート・イベントをこなしていた。それを読みながら、着実に好感度を高め距離を詰めつつあるギャルゲーの主人公の行動を読んでいるような気持ちになった。一七日の分まで三日分の記事を読んだそのあと、ベッドに移って読書に入ったのだった。音楽はDave Brubeck『Jazz At The Blackhawk』を流した。Dave Brubeckという人は白人で、『Time Out』などのイメージからして結構リリカルな、知性的なピアノを弾くのかと思いきや、Thelonious Monkとはまた違った形でピアノを打楽器のように使って、ライブでは結構熱の籠った演奏をする人だった。それを聞きながらシオニズムについての英文の概説書を読み進めた。キブツという生産共同体がどのような生活実践を行ってきたのか、社会主義の理想をどのような形で実現したのかという点にも多少の興味はある。五時四〇分に至ったところで読書を取りやめ、また頭痛が湧いていたので布団に潜ってしばらく休んだ。六時を過ぎたら食事を作りに行かなくてはと思いながら、あれよあれよという間に六時半を迎えてしまい、そこでようやく立ち上がって上階に行った。カレーを作るようにとの指示が書き置かれてあった。それで台所に入って、人参を切りはじめようというところで父親が帰ってきた。光の萎えた午後六時半過ぎの青暗い居間のなかで、グレーのスラックスに白いワイシャツ姿の、髪のもう薄くなった父親の姿を見やりながら野菜を切った。玉ねぎを切っている時に、父親の携帯からゴールデン・ボンバー "女々しくて"のメロディが鳴り響いた。趣味の悪い着信音楽である。電話に出た父親は、相手はおそらく顧客でもある山梨の知人だろう、立ち上がってカレンダーを見ながら、車検のことについてなどにこやかに話していた。こちらは玉ねぎを切って溢れ出てきた涙を拭き、肉を冷蔵庫から取り出して凍ったままに切り分けると、フライパンにオリーブ・オイルを垂らしてその上から生姜をたっぷりとすり下ろした。木べらを使って生姜をちょっと搔き混ぜてから、玉ねぎ・ジャガイモ・人参の入った笊を持ち上げて、野菜を一気に投入した。そうして炒めているあいだに父親は同じ格好のままふたたび出かけていった。市民会館の跡に出来た施設――名前がいつまで経っても覚えられない――で、会議があるのだと言う――何の会議だか知れたものではないが、おそらくは自治会関連のものだろう。こちらは野菜をゆっくりと木べらで搔き混ぜながらじっくりと炒め、じゅうじゅうという音を長いこと立てさせたあと、玉ねぎがしんなりと柔らかくなったところで肉を加えた。それから肉の色が変わるまで同じようにゆっくりと搔き混ぜてじゅうじゅういわせ、もう良いだろうというところで水を注いだ。そうして使った俎板や小さな包丁などを洗い、そのあと、風呂を洗うのを忘れていたことに気づいて浴室に入り、風呂桶を擦り洗うと出てきて、居間の隅に行って肌着類を畳んだ。そうしているとバイクで出勤していた母親が下階から帰ってきた気配が発生した。下から呼びかけてくるのに応え、洗濯挟みを一つくれと言うのに放ってやり、こちらはそれからアイロン台を用意して、自分のGLOBAL WORKのカラフルな格子縞のシャツにアイロンを掛けた。それを下階に運んでおいてから戻ってきて、その頃にはカレーはもう充分に煮えていたので、固形のルーを六つ投入し、搔き混ぜながらスパイスの類も振り入れた。その横からさらに母親がソースやケチャップや牛乳などを加えていく。それで完成、時刻は七時を回ったところだった。もう食事を取ってしまうことにしてカレーを大皿によそり、同じく大きな盛り皿に前日の生サラダの残りを取り分け、スプーンと箸を持って卓に就いた。やはり風邪気味なのだろうか、カレーを食べながら頻りに鼻水が湧いて、たびたびティッシュを鼻に当てなければならなかった。サラダを食い、カレーをもう一杯おかわりして満腹になると、薬を服用して食器を洗い、そのまま風呂に行った。浴室内は暑く、裸で湯の外にいても汗が湧いてきそうな具合だったので、窓を少々ひらいた。それから掛け湯をして湯のなかに身体を収め、しばらく浸かってから頭と身体を洗って上がった。パンツ一丁で髪を乾かして出てくるとすぐさま下階に下り、八時五分から、Eric Clapton & Steve Winwood『Live From Madison Square Garden』とともに日記を書きはじめた。途中、"Sleeping In The Ground"に差し掛かると、ミドルテンポの良い感じのブルースに誘われてコンピューター前を離れて隣室に入り、壁の向こうから聞こえてくる音楽に合わせてギターを少々弄った。一曲終わると大人しく部屋に戻ってふたたび打鍵を続け、三〇分ほどで現在時刻まで追いつかせることができた。
 それから、Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionの書抜きを行った。英語の文を写すのは、当然のことだが、日本語の文章を入力するよりも骨が折れる。一時間ほど打鍵して九時四〇分付近を迎えると切りとして、Skype通話を始める一〇時までのあいだ、何をするかと立ち迷ったが――予め、今日は一〇時から始めると宣言してあったのだ――短歌でも作るかと言うわけで、手近の『黒田三郎詩集』を手に取り、他人の文言を読み、時に借用しながらインスピレーションを膨らませた。

 監獄でメメント・モリを唱えつつ純粋音楽夢見て眠る
 人波を縫って奏でる鎮魂歌白く乾いた煙を吸って
 文字のない書物を君に贈ります青い裸をそこに埋めてよ
 街角でバスに轢かれた猫を見て雨が降ればと祈らずおれぬ
 古ぼけたアパートの灯が消える頃朝は痛みを背負ってくれる
 砂を喰らい喉を灼かせる炎天下水はいらない涙が欲しい
 後れ毛を搔きあげながら唄歌うあの子の眼には無限が見える

 以上のものを作ったところで一〇時を迎えた。Skypeのチャット上には、SYさんという新しい方が現れていた。それで、こちらのSkypeは「このグループは通話するには大きすぎます」という表示がなされて通話ボタンが押せなくなってしまったので、誰か発信してくださいと呼びかけると、彼が発信してくれたので、そこに参加した。最初はSYさんと二人きりだったが、まもなくT.KさんとYさんが参加した。
 SYさんは医学部の大学院生、研究は感染症などの方面。本はエッセイなどが好きだとのことだったが、話を聞いてみるといわゆる作家のエッセイと言うよりは、ノンフィクション本といった方面ではないかと思われた。のちには、リチャード・ドーキンス福岡伸一などの名前が挙がって、それに対してMYさんが、『動的平衡』を読んだと反応していたのが印象的だった。MYさんと言えばサドの横顔のアイコンが印象的な人で、文学を幅広く読んでいるのだが、生物学などの方面のものも読むのかとその読書ジャンルの幅広さに驚いたのだった。
 そのうちに通話にはJさんという方が参加した。Yさんの知り合いであるフィンランド人の方である。二五歳で大学生。研究はドイツ語の方面。文学はあまり読まないらしいが、あとで訊いてみるとトーマス・マンシェイクスピアなどの名前が挙がった。シェイクスピアに関しては、僕は『マクベス』が結構好きなんですよと言っておき――正確に言えば好きなのは、ここ数日日記にも引用している終盤のマクベスの虚無的な言明の部分で、ほかの箇所はもう全然覚えていないが――ドイツ文学に関しては、Robert Musilとチャットに打ち込んで、トーマス・マンと同じ時代の作家で、お勧めですと紹介しておいた。Jさんの反応からすると、彼はムージルの名前を聞いたことがあったのかもしれない。
 話の順序が前後するが、Fさんはどこに住んでいるのですかと訊かれて、東京、と答えた。しかし、東京と言っても、西の方なので、都会ではない、田舎ですなどと話しているあいだ、自然と日本語を相手に聞き取りやすいようにゆっくり区切って、言い方も口語的に崩れるのではなくて教科書的な整然とした文にしている自分がいた。Mさんが中国で学生相手に実践しているのもきっとこういうことなのだろう。Jさんは、日本語はどのくらい勉強しましたかと問うと、大学に入って三年間、独学も含めると六年間と言った。例によってアニメが好きなのかなと思ってそう問うてみると、そんなに見ないけれど、『鋼の錬金術師』が好きだという答えがあった。
 そのうちにJさんは出かけなければいけないと言って離脱し、ほとんど同時にMYさんとBさんが入ってきた。いや、BさんはJさんが退出するよりも前に入ってきていた。また、Dさんもチャットのみで参加してきたが、こちらは彼のプロフィールが詳らかに思い出せなかったので、人数が増えすぎて情報を覚えきれない、と言って笑った。Dさんとは、ナボコフが好きだという話を過去にしたのだった。
 じきに、チャットの人が増えて、彼らの発言を拾いながらまったりとしたトークが展開されるという流れになった。そのなかでMYさんに、最近は何を読みましたかと訊くと、彼は今、川端康成の『浅草紅団』を読んでいるところだと言った。当時の浅草を忠実に描いたもので、まあ何ということもないと言うか、ただ浅草の様子を綴っただけのような作品らしかったが、こちらはわりとそういう風景的な、スケッチ的なものが好きなので、いいですねと受けた。文体がジョイスに似ていると彼は言った。ふらふらと揺れるようなところがジョイスを思わせるらしかった。そのほか、彼は『重力の虹』も、一日に二頁ずつくらいだが読んでいるという話だった。また、皆川博子の『蝶』という作品も最近読んだらしくて、それを受けて皆川博子の大好きなAさんが、チャット上で「ああ あああああ ああああああ」などと、「あ」しか発しない機械となって恍惚に達してしまったのがちょっと面白かった。
 予め今日は零時には抜けると宣言しておいたのだったが、それよりも早く、一一時半を過ぎたあたりでこちらは挨拶をして通話を離脱した。チャット上に、「今晩もありがとうございました!」と投稿しておき、そうしてコンピューターを閉じ、一一時四五分からベッドに移ってふたたび読書を始めた。窓をひらいていた。やはり風邪気味の様子で、淡い頭痛がほどけきれずに頭蓋に宿っており、さらさらと薄い水のような鼻水もよく出た。それで一時を目前にしたところでもう眠ることにして、明かりを落として就眠した。思いの外に眠りは遠くなかったようだ。


・作文
 11:19 - 12:10 = 51分
 20:05 - 20:36 = 31分
 計: 1時間22分

・読書
 12:54 - 14:05 = 1時間11分
 15:27 - 16:13 = 46分
 16:15 - 17:40 = 1時間25分
 20:37 - 21:38 = 1時間1分
 23:45 - 24:52 = 1時間7分
 計: 5時間30分

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 27 - 46
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-15「捨てそびれ拾いそびれたものだけを代入ばかりしている余生」; 2019-05-16「身震いをかさねて震度1となる実存はいま秋の糠雨」; 2019-05-17「神経で綱引きをする聖者らの宴が終わる火星が近い」
  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2017、書抜き

・睡眠
 3:30 - 10:25 = 6時間55分

・音楽

2019/5/23, Thu.

 一二時起床。ベッドを抜け出しコンピューターに寄って起動させ、Twitter及びSkypeを確認してから上階へ。母親は自閉症関連の講演を聞きに出かけている。冷蔵庫を覗くとピンク色のスチーム・ケースに温野菜が仕込まれてあったので、それを電子レンジに突っ込み、二分間加熱しているあいだに便所に行って用を足した。手を洗って戻ってくると米を椀によそり、温野菜とともに卓に運んで椅子に就いた。そうして食事。新聞も読まず、テレビも点けず、晴れ晴れとした天気のなか、黙々とものを食べるあいだ、作歌の回路が駆動しかけていたが、あまりうまく形にはならなかった。温野菜は、大根・人参・アスパラガス・玉ねぎ・豚肉などだった。それに醤油を垂らしておかずにしながら白米を咀嚼した。食べ終えると卓上にあった医者の袋を掴んで、薬をなかから取り出し、水で胃のなかに流し込むと、台所に移動して、青林檎の香りのする洗剤で食器を洗った。それから浴室に行き、風呂を洗う。浴槽の外から内壁を擦り、残り湯が流れ出てしまうと浴槽内に入りこんで引き続き壁や床をブラシで擦る。全体を擦って水垢を落とすと、シャワーで洗剤を流して完了、出てくるとそのまま下階に帰った。自室の南窓に近寄ると、ふわりと心地の良い爽やかな風が入りこんでくるところだったが、窓ガラスを閉めてしまい――外では乾いた緑色の下草が風に震え、そのなかに白い蝶が一匹、飛び交っていた――、Black Sabbath『Live Evil』を前日の途中から流しだした。"Heaven And Hell"など聞いていると、やはりRonnie James Dioの声の太さ、その力強さというのは稀有のものだなという気がした。音楽の流れるなかで前日の記録を付け、この日の記事を作り、それから前日に手帳にメモした英単語などを日記に写していった。その後、コンピューターの動作速度を回復させるために再起動を施し、それからこの日の記事を書きはじめたのが一時直前である。音楽は『Live Evil』のあとに、同じくBlack Sabbathの『Mob Rules』のディスク二に収録されたライブ音源を流している。
 服を着替えた。ガンクラブ・チェックのベージュ色のズボンに、上はGlobal Workの、格子縞のカラフルなシャツである。柄物同士でどうだろうかと思ったのだが、チェックの大きさ細かさが違うので思いの外に違和感はなかった。それから上階に行って真っ赤な靴下を履き、洗面所で後頭部の寝癖を整えた。整髪ウォーターを振りかけ、洗面台に前屈みになって水も髪につけ、櫛付きのドライヤーで梳かしながら乾かした。そうして下階に戻って歯磨きをしたあと、"Heaven And Hell"が掛かっている途中だったのでそれを最後まで聞いてからコンピューターをシャットダウンし、リュックサックに仕舞った。そうして上階へ。図書館に出かけて小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』を借りたあと、立川に出て服を見るつもりだった。
 ベランダの洗濯物を取り込んで、タオルを畳むと洗面所の籠のなかに運んだ。それから足拭きマットをソファの背の上に広げて置いておき、肌着も畳んで整理しておいてから出発した。道へ出て歩き出してまもなく、瑠璃色の蝶が宙を漂っているのが見られ、その影がひらひらと地に映った。そこで忘れ物に気がついた。図書館の利用者カードである。それで道を引き返したが、その際にも瑠璃色の蝶――あれは揚羽蝶の仲間だろうか――がふわふわとこちらの脇を通り過ぎていった。自宅に戻ると玄関の鍵を開け、靴を揃えずにぞんざいに脱いで室内に上がると、自室に戻ってカードをポケットに入れ、ふたたび出発した。
 日向のなかに入るとそれだけで、早速汗の滲んでくる夏日である。坂道の入口に掛かると向かいから車がやって来た。O.Sさんだった。運転席から愛嬌良く手を振ってきたので、こちらも会釈を返してすれ違い、それから視線を落として、チェック柄のズボンの裾から覗く靴下の赤さを目にしながら上って行く。鶯の声が立った。
 午後二時半の液体じみた陽射しが首筋や頬や耳元に貼りつき、街道に出る頃には汗が湧いて、リュックサックの背負い紐の下や背中が湿っていた。通りを渡ると目の前には赤紫色の躑躅の茂みがある。もう萎れた花々は、ひとしきり燃え盛ったあとの花火の残骸めいた無残さで茂みのなかにぶら下がっていた。雀の声の立って落ちるなかを歩いていくと、肩口に掛かってくる光の重み、その感触が既に夏のものである。途上に雲はほとんどなくて、無涯の青さが東の方角のどこまでも広がっており、路傍の緑葉もてらてらと艶めいている。
 裏道は日向に隈なく覆われて、影と言って電線の細く乏しいそれや、庭木の小さな日蔭がところどころにあるのみだった。塀の影は控えめに足もとに引っ込んでいる。道の真ん中には日向を乱すものとてなく、こちらの影がそのなかで浮き彫りとなっていた。
 今日も白猫と遭遇した。家の前に停まった車の脇に体を寝かせて佇んでいた。近寄ってしゃがみ、手を差し伸べる。すると、こちらの周りをうろうろと回りながら脚やリュックサックに身をすりつけてくるのが愛らしい。その体に手をやって、くすぐるように優しく撫でてやった。うろうろしていた猫はそのうちに、車の前輪の横に座り込み、うつ伏せに身を低くして静かに止まった。体や首もとをさすっても嫌がらず、動かずにじっとしている。こちらという人間の存在に慣れてくれたのだろうか。体を撫でてやるたびに、雪をまぶされたように真っ白な体毛が幾本か身から離れて、風に乗って流れていくのだった。
 青梅駅に着くと、電車はこちらが改札をくぐって通路を行っているあいだに出てしまった。ホームに上がって二番線の方に出て、自販機に寄る。二〇〇円を投入し、一六〇円の「ソルティライチ」を購入した。それから、申し訳程度といった感じの貧しい花壇の端に腰掛けて、果物風味の飲料をいくらか飲んだ。そうして携帯を取り出し、線路を挟んで向かいの校庭で小学生たちが体育の授業で歓声を上げているなか、日記を書きはじめたのだが、視界に混ざる明るみのために画面が見えづらかったので、駅員室の屋根の下に移った。まもなく電車がやって来た。二号車の三人掛けに乗りこみ、引き続き携帯を操って日記を書いた。発車してからも周りの様子や窓外の風景にも目をくれず、携帯の画面に視線を落として固着させ、かちかちと操作し続けた。
 河辺に着くと降車して、駅を抜けると、駅舎を出てすぐのベンチに帽子を被った婦人が二人、ペットボトルの飲み物を手に持ちながら笑い合っていた。陽射しのなか歩廊を渡って図書館へ。入館するとかつかつとフロアを歩き、CDの新着棚を見分した。以前にも見かけた覚えがあるが、Jesse Harrisの作品などが見られた。それから邦楽の棚のあいだに入り、椎名林檎東京事変のアルバムを確認した。Skype上での通話でAさんが東京事変椎名林檎の音楽を軽音楽部で演じていると聞いて、懐かしくなったのだった。こちらも大学時代に演じた"林檎の唄"などが入っているのは東京事変の『教育』というアルバムだったが、これは彼らのファースト・アルバムだっただろうか? この時はしかし、作品があることだけ確認して借りはせずに、棚のあいだから出て上階に行った。新着図書を見分すると、小林康夫中島隆博の『日本を解き放つ』がちょうどあったので、手もとに保持し、そうしてフロアを渡って日本文学の棚のあいだに入った。皆川博子山尾悠子の所在を見ておこうと思ったのだ。皆川博子は作家の個人欄も設けられて非常にたくさんの著作が並んでいたが、山尾悠子は何と一冊も見当たらなかった。「や」の区画を見ていると、山岡ミヤ『光点』が目に留まった。蓮實重彦が評価しているということを聞いて気になっていた作品である。ここで目に留まったのも縁というわけでそれも借りることにして、さらにあと一冊、海外文学を借りようと考えてそちらの区画に移った。そうして見分しながら、著者の名前は忘れたけれど『最初の物語』というブラジル文学の一冊か、あるいはロベルト・ボラーニョを借りるかそれともソローキンかと迷った結果、ルイジ・ピランデッロ『カオス・シチリア物語』に決めた。これも前々から読んでみたいと目をつけていた短篇集だった。
 そうして貸出機で手続きをしたあと、トイレに入って用を足してから退館した。陽射しのなか、歩廊を渡っていると、駅に向かってオレンジ色の蛇のような龍のような電車が入線してくるのが見えた。駅舎に入り、改札を通って、降りてきた人々とすれ違いながらエスカレーターを下り、二号車の三人掛けの位置に立った。隣の婦人は立ったままおにぎりをぱくついていた。こちらは携帯を取り出してふたたびかちかちとやりだし、まもなく電車が来ると三人掛けに入って引き続き日記を記した。拝島あたりで視線を上げて左方を見ると、向こうの七人掛けの真ん中に腰掛けた若い男性が、これでもかというほどに前屈みになりながら携帯を覗き込んでおり、杭のように突き出した頭の、やや丸みを帯びた髪型のせいもあって、座席から茸が生え伸びているように映った。
 立川に着くと人々が降りていくなか、こちらはまだしばらく留まって携帯を操作し、しばらくして階段口から人々がいなくなると降り、スイッチを押して電車の扉を閉めておき、そうしてから階段を上った。改札を抜けて右方へ折れ、LUMINE立川に向かう途中、待ち合わせスポットである通称「壁画前」にて、二人の女性が近づき向かい合って、お疲れ様と言い合っていた。LUMINEに入り、エスカレーターを上った。途中でキャリーバッグに凭れ掛かるようにしながら老婆が乗ってきて、やや前屈みに背を丸めてのろのろと動くその姿を、大丈夫だろうかと思いながら見守った。六階で降りると、UNITED ARROS green label relaxingの店舗に入った。今履いているガンクラブ・チェックのズボンに合うシャツが何か一、二枚欲しかった。それで店内を見回っていると、店員の一人から、是非お羽織りになってみてくださいと声を掛けられた。以前応対をしてくれた短髪の、黒い髭を少々生やした店員は今日はいないようだった。それで気に掛かった品物の目星をつけて、五枚を持って先ほどの店員に近寄り、試着よろしいですかと許可を取った。選んだのは深いブルーのフレンチ・リネンのもの、同じくブルーの襟無しのもの、同様に襟無しのターコイズ・グリーンの軽めのさらさらとしたシャツ、モカでチェック柄のトラディショナルな雰囲気のシャツ、それに薄オレンジ色のものの五点だった。試着室に入ってそれらを身につけてみたが、やはり襟があったタイプのもののほうが自分には似合うのではないかと思われた。モカのチェック柄のもパンツの雰囲気と調和して悪くはないが、最終的にはオレンジ色のものか深いブルーのリネンのシャツか、というところまで絞られた。そこでカーテンを開けて店員に、ブルーのものを身につけた姿を見てもらい、オレンジとブルーと、このパンツと合わせるならどちらがいいですかねと尋ねると、ブルーですねと即答があった。こちらもどちらかと言えばブルーの方が良いように思っていた。薄オレンジのものは長袖だったし――ブルーのシャツは七分丈である――色味が中途半端なように思われていたのだ。それでブルーを買うことに決め、さらに、もう一点、いいですかと店員に申し出て、鮮やかなオレンジ色のスリム・パンツを試着することにした。Mサイズを履いてみるとぴったりで、丈がやや短いように見えたが、カーテンを開けると店員は、めっちゃいいですね、めっちゃお洒落ですよと言った。ブルーとオレンジの組み合わせは確かに色鮮やかだった。丈に関しては、九分丈程度で作られているらしかった。色味が気に入ったので、こちらの品もほいほいと購入してしまうことに決めて、元の格好に戻って試着室を出た。カバー・ソックスというものはお持ちですかと店員が尋ねてきた。いや、持っていないですねと言うと、丈の非常に短いもので、ほとんど素足に見えるもので、先ほどのパンツに合わせるのだったら、長い靴下よりもそうしたソックスにして涼しげに演出した方が良いとの説明があった。それで紹介されたそれも、店員の勧めにほいほいと嵌まってしまうけれど買うことにして追加し、三点を持って会計に向かった。合計で一六五二四円である。会計を済ませて深緑色の不織布の袋を受け取り、店をあとにした。これで目的は果たしたはずなのだが、何となく、続けてFREAK'S STOREに足が向いた。しかし、先日応対してくれたTさんという店員はいないようだった。店内を一通り見て回り、退店すると、さらにtk TAKEO KIKUCHIにも足を向けた。入って見ていると、真ん中から分けた茶髪をふわりと額の上に浮かばせた、爽やかげな兄ちゃんといった感じの若い男性店員が声を掛けてきた。たくさん買われたんですか、とUNITED ARROWSの袋を示して言うので、今日はもう買っちゃって、と笑った。ほかに何かほしいものがあるんですかと訊くのには、何か良いものがあればと答えて、Tシャツでお勧めなどありますかと尋ねた。Tシャツは昔は着ていたけれど、今は一枚も持っていないので、そろそろ暑い夏でもあるし、手に入れておきたいような気がしていたのだ。店員は店内を回りながらいくつか紹介してくれた。それで、Tシャツの試着というのは出来ないものだと思っていたのだが、尋ねてみると可能だということだったので、そのなかから三点選んで試着室に入った。一つはグラフィティと言おうか、抽象画めいた、結構パンチの利いたデジタル的な絵柄の入っている白シャツ、もう一つはフィンセント・ヴァン・ゴッホの「ひまわり」の絵がプリントされたやはり白のシャツ、もう一枚は橙褐色で幾何学的な図柄の入ったものだった。それでそれぞれ着てみたのだが、どのアイテムも、ガンクラブ・チェックのパンツに思いの外によく合った。特に、抽象画めいた柄が思ったよりもガチャガチャとぶつからず、結構格好良く決まっているように思われた。店員にも見てもらって、好評を獲得したあと、金をぽいぽいと捨てるように使ってしまうことになるが、抽象画めいた絵柄のシャツと、橙褐色のシャツの二点を買うことにして、店員にそのように申し出た。そうして会計、二点で一二四二〇円である。爽やかげな店員の、左右に動きながらレジを叩く動きは軽快だった。
 散財、どうにも散財、またしても散財、それにしても散財! 店舗の出口まで見送ってくれた店員は、自分の子供に言及するように、たくさん使ってあげてくださいと言った。ありがとうございましたと礼を交わして退店すると、エスカレーターに乗って下階に下りた。LUMINEから出ると、人波のあいだを縫って北口広場に出て、そこから通路を辿ってエスカレーターを下りた。通りに立っている居酒屋の客引きが、DIESELのTシャツを身につけていた。PRONTOに入店し、カウンターの向こうの女性店員に会釈をして通り過ぎると、階段を上った。カウンター席が空いていたので、その端に入ることにして、衣服の入った袋二つとリュックサックを椅子の上に置き、財布を持って下階に下りた。店員は若い男性に替わったところだった。彼にアイスココアのMサイズ(三三〇円)を注文し、深緑色のトレイに乗った品物を受け取ると上階に戻り、カウンター席に腰掛けた。ストローを紙袋から取り出し、ココアの上に乗った生クリームを突き崩して褐色の液体のなかに混ぜ、一口二口啜ってからコンピューターを取り出した。起動を待ち、Evernoteを立ち上げ、五時九分から日記を書きはじめた。ソウルやエレクトロニカ風の音楽が頭上から流れるなか、打鍵を続けておよそ一時間、六時を回って現在時に追いついた。
 コンピューターをシャットダウンして閉ざすと、席を立ってトイレに行った。鏡を見ながら個室に入り、放尿したあとペーパーで便器を拭いておき、水を流してから手を洗った。ハンカチを使わずこちらも備え付けのペーパーで水気を拭い、室を出てくると席に戻って荷物を片付けた。リュックサックを背負って腕時計をつけている途中に、女性店員が、そちらお下げしますねと声を掛けてきたので、礼を言いながらトレイを渡した。そうして席を離れ、厨房の横から顔を出してもう一度礼を言ってくれた女性店員に、こちらもありがとうございましたと返して階段を下り、カウンターの向こうの女性店員に会釈して退店した。まだまだ明るい初夏の暮れだった。ラーメンを食って帰ろうかと思っていたが、通りに出てみると、甘いココアを飲んだためだろうかそれほど腹が減っていないことに気づいたので、ラーメン屋には寄らずにそのまま帰ることにした。エスカレーターに乗って見上げると、空は宵の前の薄青さに晴れており、LUMINEの正面が薄陽を掛けられて仄かに明るんでおり、その陽は駅前広場に立つアーチ型の赤い巨柱をも光らせていた。高架歩廊に出て右方を見やると、高層ビルの側面にも淡いオレンジ色が貼られていて、涼しい風が横から流れて今まさに日が暮れていくところだった。
 人波のなかを縫って改札をくぐり、直近の電車は五番線だが、ゆっくり座って帰ろうということで二番線に下りた。青梅行きは既に到着していた。一号車に乗ったけれど、座席の端は早くもすべて埋まっていたので、七人掛けの真ん中あたりに腰を掛けた。二つのアパレル・ショップの袋は頭上の網棚に載せた。日記を書いてからまだ時間が経っておらず、携帯でメモするまでもなかったので、代わりに手帳を取り出して書いてあることを復習しはじめた。じきに電車は発車した。西立川で何やらピーピーと電子音が鳴り響き、電車が長く停まっているなと思っていると、停止信号が出たとのことだった。あとでアナウンスがあったところでは、倒れた乗客が出て、その救護をしていたらしい。その後は問題なく電車は運行して、乗っているあいだに外の空気は勿忘草の色に沈んでいった。手帳を読んでいるうちに青梅に到着し、しばらく待ってから降りると奥多摩行きに乗り換えて、扉際に立ってふたたび手帳に目を落とした。最寄り駅まで乗って降りると時刻は七時二〇分、ホームには細かな羽虫が群れて電灯の周りを飛び回っており、あたりからは無機質な虫の音も響いて、空は宵の青味に浸されていた。階段通路の電灯にも虫が群がって空中を埋めており、通っているとそのうちの何匹かが顔に当たってきた。駅舎を抜けると坂道に入り、虫の音の湧くなかを下りていって、平らな道に出た。すると前方に歩く人があって、その姿が黒い影となって道の上に浮かび、揺れていた。電灯の下に来ると朧気に、ジャージを着ているらしく見えて、夕刻のウォーキングに励む中年男性の像と思われた。そのあとから歩いていくと、こちらの影が前方に長く伸びて巨人と化したあとにうっすらと褪せて消えていく。途中、道の脇から木立が張り出して宙に葉っぱを掛けているところがあった。それを避けて通り過ぎると今度は梅の木があるが、それも青々と茂って量感豊かに梢を膨らませていた。
 帰宅すると母親に、服を買った、と告げた。シャツが欲しかっただけなのだがいつの間にかほかのものも買っていたと言い訳し、下階に下りるとコンピューターを自室の机上に据え、街着を脱いでズボンは収納に吊るしておき、ジャージに着替えた。Twitterに今日の日記の一部と、またしても散財したという報告を呟いておき、Skypeの方も確認すると食事を取りに上階に行った。母親は自閉症関連の講演を聞いたあと、M田さんと行き会って昭島に行ったと話した。M田さんはBAKEというメーカーのチーズタルトをくれたらしい。また、母親は駄菓子を色々と買ってきたと言った。そうしてこちらは台所に入り、アスパラガスの肉巻きとモヤシの炒め物をよそって電子レンジに突っ込み、そのほか米やサラダを用意して卓に運んだ。大根の味噌汁もよそって同様にレンジで加熱して、用意が整うと椅子に座って食事を始めた。テレビに気を散らされながら新聞をめくり、米アラバマ州で妊娠中絶の厳格な規制法が制定されて論議を呼んでいるという記事を漫然と読んだ。性的暴行を受けていわゆる「望まない妊娠」をしたケースでも中絶が認められてないというのは行き過ぎではないかという意見が、共和党の保守派からも上がっているらしかった。余っていた「ソルティライチ」を飲みながら食事を終えると、薬を服用して食器を洗い、ソファに座って母親の買ってきた駄菓子――ヤングドーナツなど――をちょっと食ったあと、風呂に行った。温冷浴を行ってすぐに上がってくると、下階に戻って窓を閉め、音楽を掛けながら――Black Sabbath『Mob Rules』(Disc 2)の終盤からだ――買ってきた服を袋から取り出し、タグを切り取って押入れのなかの収納スペースに掛けていった。そうして整理が終わると、九時直前からFISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめた。
 三〇分弱で記述を現在のことに追いつかせると、ベッドに移って読書を始めた。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。例によってたくさんの英単語を辞書で調べ、手帳にメモしながら二時間強読み進めて、一四頁ほどを通過した。読む速さは問題でないとは言っても、やはりもう少しスピードを上げたいものである。二時間で一五頁ほどだから、日本語の本を読んでいる時の半分以下のスピードだと思われる。
 その後、コンピューターに寄って、Mさんのブログを久しぶりに読んだ。離れているあいだにいつの間にか大層日にちが経っていて、五月一一日の分から読んでいなかった。悩み相談を受けたあとにKさんの頭を「くしゃくしゃくしゃ」と撫でてあげているあたり、Mさんの無自覚なライトノベルの主人公ぶりがまた発揮されている。しかし、そうした茶化しは別としても、非常に良い関係を彼女とは築けているようで、素晴らしいと思う。読書の終盤や、Mさんの日記を読んでいるあいだは、ヘッドフォンでBlankey Jet City『Live!!!』を聞いていた。冒頭、"絶望という名の地下鉄"中の一節、「地下鉄の片隅にたむろしているのは/ローラーを履いた新しいスタイルの不良グループ/後ろからハンドバッグをひったくる/近づく時の音を消す為に奴等は高級な油を使う」という文言――特に「高級な油を使う」のくだり――はなかなか凄いな、格好良いなと思われた。五月一四日の記事まで読むと時刻は零時二〇分、Skype上に誰かいますかと投げかけると、AさんやBさんからの反応があった。いつもの面子というわけだ。それで、そろそろ始めましょうかと言いながらこちらはコンピューターを持って隣室に移動した。ベッドの上に乗り、ギターを弄りながら長くチャットでやりとりしていると、一時半前に通話が始まった。こちらの画面では、通話ボタンが押せなくなっており、そこにマウスのポイントを持っていくと「このグループは通話するには大きすぎます」との文言が表示されるようになっていたのだが、ほかの人は問題なく発信できるらしい。そして、誰かほかの人から発信してもらえれば、こちらも通話に参加できるようだった。
 そういうわけで参加したのだが、SKさんという新しい方が今宵は顔を見せていた。BさんがTwitterで絡んだことのある人で、彼女が紹介して連れてきたらしい。SKさんは神奈川県住まい、理系学部の大学四年生で、今は就活に追われているところだと言う。専門はパソコン関連と言っていたが、やはり門外漢であるこちらにはよくもわからない。本を読みはじめたのは大学に入ってからで、伊藤計劃の『虐殺器官』だか『ハーモニー』だかを読んで、読書の面白さに開眼したらしかった。好きな本を訊くと、そのほか、シェイクスピアの『十二夜』も面白かったという返答があった。『十二夜』はこちらはずっと昔に読んだのだが、もうほとんど何も覚えていない。SKさんは『マクベス』なども含めてシェイクスピアは大方読んだらしい。それを受けてこちらは、『マクベス』はちょうど昨日の日記に引用したわ、と笑った。どうせなのでもう一度ここに引用しておく。

マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。
 (シェイクスピア福田恆存訳『マクベス新潮文庫、1969年、125~126; 5-5)

 福田恆存の訳で読んだとこちらが言うと、SKさんは、福田恆存の訳はあまり頭に入ってこないように感じられて、ほかの訳にしてしまったと言った。結構格調高いんじゃないですかねとこちらは受けて、でも、福田恆存の『老人と海』の訳は駄目だった、全然駄目だったと偉そうに上から目線で手厳しく批判した。
 SKさんはAさんに色々と話を聞いており、自分からどんどん質問をしてくれ、こちらから話を振らなくとも色々と喋ってくれたので、こちらとしては楽だった――と言って、いつも充分に「進行役」の務めを果たせているわけではないけれど――。彼はAさんに、SFで読んでおいた方が良いものとかありますかと尋ね、Aさんはそれに対して、以前から聞いている名前だが、飛浩隆という名を挙げていた。どういう作風なのかとSKさんが尋ねるのに彼女は、音楽みたいな小説で、と答えた。文章表現が非常に綺麗で、無駄なく作り込まれているのだと言う。こちらもそのあたりはいずれ読んでみたいところだ。
 こちらの日記の紹介もなされた。自分は日記を書いていて、それは朝起きた時から夜眠る時までのことを順番につらつらと書いたもので、と説明していると、Aさんが綺麗な文章で、と推してくれた。Bさんもチャット上で、「平安貴族官僚の日々の記録かって位、詳細です。Fさんの日記」と言ったが、こちらは平安貴族の連中よりも生を詳細に書いている自信がある。彼らはいつトイレに行ったかなどということはまったく書かなかったはずだ――まあそんなこと、書く必要はないのだけれど。
 そのほかにどんなことを話したのか、全然覚えていない。いや、一つ覚えていることがあった。アニメーションの話で、SKさんは結構アニメも好きでよく見るらしかった。京都アニメーション山田尚子監督作品、『聲の形』などを見て、さらにネット上での色々な演出方法などについての考察なども閲覧して、それでこんなに細かく作り込んでいるものなのかと驚き、そこから嵌まっていったのだと言う。こちらは彼に対して、『リズと青い鳥』は見ましたかと投げかけると、当然見たと言って、彼はあの作り込みは凄い、最高っすねというようなことを語った。こちらはアニメはあまり見ないのだが、『リズと青い鳥』と、先般公開された『響け! ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』だけは見に行ったと名前を挙げた。どうでしたかと訊かれたので、『誓いのフィナーレ』のなかでは、黄前久美子と高坂玲奈が丘の上の東屋みたいな場所で二人で蜜柑飴を食べさせ合うシーンが一番印象に残ったと応じた。細かいことは以前の日記にも書いたので繰り返さないが、親友以上性愛未満といったところの、思春期の同性愛的な感情の繊細さがよく描かれているように思われたのだった。『リズと青い鳥』に関しては、二〇一八年九月一七日の日記から、長々と要約的な感想を引用しておく。この頃はまだ鬱病の圏域にあって、頭もそんなに働いていなかったように思うのだが、今読み返してみると思いの外に、そこそこ分析的に書けているように思う。

 そうして『リズと青い鳥』が始まった。音が良かった、というのは上映後に皆が一致して口にしていた評価だ。冒頭、鎧塚みぞれがまず登場して、物思いや躊躇いを含むような歩調を見せたあと、次に誰なのかわからない無名の女子生徒が通り過ぎて行き、最後に傘木希美が現れてまっすぐな足取りで歩いて行く、その三者それぞれの足音に既に、性格造形をも担った細かな差異がはらまれていた。その他、こちらが生々しくて良かったと思うサウンドは、序盤の音楽室で椅子に座った傘木希美が鎧塚みぞれに近づく時の、椅子と譜面台の足が床を打つ連打の音、バスケットボールが体育館の床に打ちつけられる音、水道から流れ出た水が流しに落ちて当たる音などだが、こうして並べてみるとどれも「打音」に属するものである。シーンとして最も印象に残っているのは、フルートに反射した光の演出だろう。理科室にいる鎧塚みぞれと、そこから見える教室にいる傘木希美とのあいだで、窓越しに身振りによる無言のやりとりが交わされ、傘木希美の持っているフルートに反射した光の玉が偶然、鎧塚みぞれの身体の上で戯れる、という場面である。あとで聞いたところ、T谷もここが最も良いシーンだったという評価だったようで、こちらはあまり注目していなかったが、彼が言うにはこの作品は「窓」を利用した演出が多用されていたと言い、窓ガラスをあいだに挟んだ描写などは、鎧塚みぞれと傘木希美のあいだにある壁を表すことになる。二人の関係性には常にすれ違いや齟齬が含まれているわけだが(鎧塚みぞれは傘木希美に対して同性愛的な強い思いを抱いているが、それが傘木希美に受け止められることはない。また、作中でコンクールの自由曲として演じられる"リズと青い鳥"は、第三楽章のフルート(傘木希美)とオーボエ(鎧塚みぞれ)の掛け合いが一番の勘所とされているが、そこでの二人の演奏はうまく相応しない。終盤では、鎧塚みぞれの才能を目の当たりにした傘木希美は、彼女との差を思い知って涙することになる)、先のフルートに反射する光のシーンでは、こちらは注視していなかったものの、T谷が言うところ彼女らのあいだに挟まった窓がひらいていたらしく、とするとここは常にすれ違い続ける二人が唯一、屈託なく感情を通わせた特権的な瞬間として描かれていることになる(のちのイタリア料理店での会話の際には、こちらはそれを「ユートピア的な」瞬間という言葉で形容した)。ほか、一般的なクライマックスとして捉えられただろう場面は、終盤の合奏で、鎧塚みぞれが迷いを捨ててそれまでうまく演じられなかったオーボエのソロを朗々と吹き上げるところで、Tはここでのオーボエの音に涙したと言っていた。楽曲 "リズと青い鳥"の原作である童話は、「一人ぼっちで」森に住むリズという少女のもとに、ある日突然青い髪の少女が現れるという物語である。その少女の正体は青い鳥で、リズは少女と暮らしを共にして心を通わせながらも、自分の「愛」が彼女を縛っているのだという考えに達し、大空に自由に羽ばたくようにと鳥を逃がすことになる。当初、物語中のリズは鎧塚みぞれと、青い鳥である少女は傘木希美と重ね合わされており(中学時代に「一人ぼっち」だった鎧塚みぞれの前に、傘木希美が「突然」現れて、吹奏楽部に入部するよう誘ったという経緯がある)、傘木希美を愛する鎧塚みぞれは、自ら好きな相手を解放して自分の前から離してしまうリズの心情が理解できず、第三楽章のオーボエのソロをうまく吹くことができない。その迷妄を解消したのは、鎧塚みぞれに音大進学を薦めた新山先生という女性教師で、彼女が鎧塚みぞれに、自分がリズではなく青い鳥だったとしたらどう思うかとヒントを与え、鎧塚みぞれは、青い鳥はリズを愛していたからこそ別れを受け入れたのだという答えに至る。この教師の導きによって、リズ=鎧塚みぞれ、青い鳥=傘木希美だった見立ての構図が反転することになるわけだが(童話中の「リズ」と「青い鳥」が本田望結という一人の女優によって演じ分けられているのは、二者関係の反転/交換可能性を示しているのではないか)、同じ頃、傘木希美もこの反転に気づくことになる。傘木希美は、鎧塚みぞれの薦められた音大に自分も行こうかなと口にしていたが、高坂麗奈(トランペット)と黄前久美子ユーフォニアム)という後輩二人(本篇の『響け!ユーフォニアム』では、彼女らが中心的な主人公になっているらしい)が、傘木希美らの演じるはずの"リズと青い鳥"第三楽章を、独自に演奏しているのを聞き、目撃したことで、「私、本当に音大に行きたいのかな?」と自分の選択に疑念を抱く。そこで、彼女も自分たち二人の関係性が、それまでの見立てとは逆であることに気づく――と言うのは、自分の存在が鎧塚みぞれを束縛しているのだと気づくということだろう――わけだが、この関係の「反転」は一方では「教師」によって、もう一方では「後輩」によって導入されているわけだ。迷いを振り切った鎧塚みぞれの演奏を耳にした傘木希美は、自分が今まで彼女の才能/可能性を制限していたのだと痛感し、合奏の途中で泣き出し、フルートを吹くことができなくなってしまう。その後に、理科室での、言わば「告白」のシーンである(理科室は、鎧塚みぞれの「居場所」である。彼女はそこで、水槽に飼われたフグをぼんやりと眺めながら、過去の記憶を回想したりするのだが、そこに新山先生が現れるのに、彼女は「どうしてここがわかったんですか」と口にする。したがって理科室は鎧塚みぞれにとって「一人になれる場所」であり、一種の「逃避」の場であるのかもしれず、イタリア料理店での会話の時には、少々大袈裟な言葉だったが、こちらはそれを「サンクチュアリ」のような場所と呼んだ(ちなみに、先の「ユートピア的な」シーンでの傘木希美とのやりとりは、この理科室とのあいだでなされている))。自分が今まで鎧塚みぞれの才能を阻害していたのだということをまくし立て、「みぞれは、ずるいよ」と口にする傘木希美を遮って、鎧塚みぞれは「大好きのハグ」(中学時代に彼女らの周りで流行っていた慣習)をしながら、傘木希美が自分のすべてなのだということを「告白」する。「希美の~~が好き」と四つくらい並べるなかに、「足音」が含まれていたのが冒頭以来の演出と合わせてこちらとしては印象的だが、それに対して傘木希美は、「みぞれのオーボエが好き」と返して、その後、身体を折り曲げて姿勢を前に崩しながら大きく笑い声を上げる(この笑いの意味はあまり判然としない)。このシーンは、鎧塚みぞれの感情が傘木希美によってともかくもようやく受け止められた場面、終盤のクライマックスなのだろうが、鎧塚みぞれにとって傘木希美がまさしく「すべて」である、つまりは全的な愛の対象であるのに対して、傘木希美が「みぞれのオーボエが好き」とただ一つの要素を返すのに留まったのは、彼女にとって鎧塚みぞれはあくまで音楽的な才能を尊敬する対象であるに留まるということなのかもしれない。とすればこの場面は、「告白」の「成就」と言うよりもむしろ、(語の意味がやや強すぎて、少々ずれてくるが)ある種の「決別」の場面であるのかもしれず、ここに至っても二人の関係は、それまでとは違った形ですれ違い続けている。実際、傘木希美は音大選択を取り止め、普通大学への進学を目指して勉強しはじめるわけで、彼女らの進路は分かれるのだが、しかしそれがこの二人の関係の収まり方だということなのだろう。二人が下校する結びの場面の確か直前に、紙の上に滲んだような赤と青の色彩が互いに浸潤し合うというカットがあったのは、二者の関係が一つの「和解」(と言うとまた言葉の意味が少々ずれてはいるのだが)に至ったということを示しているはずだ(赤は鎧塚みぞれの瞳の色であり、青は傘木希美のそれである)。そして、真っ暗な背景の上に記された「disjoint」の文字(既に冒頭に登場していた)が「joint」に変更されて『リズと青い鳥』は終わりを告げることとなる。

 この日の通話についてはそんなところで良いだろう。いつものようにだらだらと、ゆるゆると話し続けて、夜も深まり白白明けも近づいた三時半前に通話は終了した。途中から、コンピューターのバッテリーが落ちそうだったので電源コードを隣室に持ってきていたこちらは、眠っている両親を慮ってあまり音を立てないように、自室に移動し、コンピューターを電源に繋いで机上に据え直した。そうして八時一五分のアラームを携帯で設定し、すぐに明かりを落として就床した。


・作文
 12:57 - 13:40 = 43分
 17:09 - 18:05 = 56分
 20:54 - 21:20 = 26分
 計: 2時間5分

・読書
 21:26 - 23:37 = 2時間11分
 23:40 - 24:19 = 39分
 計: 2時間50分

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 14 - 27
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-11「中世の面影はなし大都市の汚水に浮かぶオフェリアの影」; 2019-05-12「覚めぎわの汽水に溺れるわたしが知りたいこととそうでないこと」; 2019-5-13「冬眠をするならここがいいと言う日当たりよしの静かな墓場」; 2019-05-14「焦げついたパイプを捨てるまさか先生と呼ばれる日が来るなんて」

・睡眠
 2:40 - 12:00 = 9時間20分

・音楽

2019/5/22, Wed.

 一一時一〇分起床。起きる少し前に市役所の職員が窓の外に来ている声が聞こえていた。梅の木の確認である。梅が二本、ユスラウメが二本、などと言っているのが聞こえたあと、しばらくして気配はなくなった。そうして身体を起こし、コンピューターを点けて、TwitterSkypeを確認してから上階に行った。母親は不在だった。おそらく料理教室だろう。台所に入ると冷蔵庫のなかにサンドウィッチが作られてあった。それを確認してから便所に行き、黄色い小便を長々と放ったあと、戻ってきて冷蔵庫のなかのものを取り出し、アスパラガスとコーンの炒め物――前夜の残り――を電子レンジに入れて加熱した。そうして卓に向かい、新聞を読みながらものを食べた。スリランカでは一か月前のテロ事件以降、宗教間の分断が深まっており、モスクやイスラーム教徒の商店街などが襲撃されていると言う。そのほか、中東欧諸国に対して中国やロシアの影響力が高まっているという記事も国際面から読んで、食事を終えると薬を飲んで食器を洗った。そうして下階に下りてきて、前日の記録を付けてからコンピューターを再起動し、待っているあいだはジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を読んで過ごした。再起動が完了するとEvernoteをひらき、この日の記事も作って、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめたのが正午直前である。
 三五分間でこの日の現在時まで記述を追いつかせ、前日の日記をブログに投稿した。それから、一二時四五分になるとベッドに移ってジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を読みはじめたが、いつもの如く途中から微睡みに苛まれることになった。一時間ほどはうとうとと意識を曖昧に霞ませていたのではないか。窓をひらいて涼気を取り込むなか、漫然とした書見を過ごして、三時に至ると洗濯物を室内に入れるために上階に行った。ベランダに吊るされたタオルや肌着やシャツやその他の衣服を居間の隅に移動させておき、それから浴室に行った。風呂の栓を抜いて、残り湯が流れていくあいだ、浴槽の上に身を乗り出し、銀色の手摺りに掴まりながら風呂桶の壁を擦った。終えると洗面所から出てきて、玄関の戸棚から明星の「チャルメラ」(醤油味)を一つ取り出し、湯を注いで下階に持ち帰った。そうしてインターネットを閲覧しながら安っぽい味のカップ麺を食い、汁もすべて飲み干してしまうと、容器をぎゅっと潰してゴミ箱に放り込み、四時を回った直後からふたたび読書を始めた。窓を開けたまま、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)を流した。時折り頁から視線を逸らして瞳を閉ざし、"All Of You"や"Waltz For Debby"や"Alice In Wonderland"の演奏に耳を傾けた。最後の曲では、Scott LaFaroの、素早い三連符が詰め込まれたベースソロをしばらく追った。五時を過ぎた頃合いに母親が帰宅した。音楽が終わって、トイレから出た母親が戸口にやってきたところに、何を作るかと問えば、卵が四つ割れてしまったと言う。それではそれを焼けば良いとこちらは受けて、それからまたしばらく本を読んで、五時四〇分に至ったところで書見を止めて上階に行った。台所のフライパンでは玉ねぎなどが混ぜられたオムレツ風の広い卵焼きが調理されていた。こちらは居間の隅に寄ってタオルをハンガーから取って畳み、それを洗面所に運んでおくと、それからアイロン掛けを行った。母親のシャツを一枚と、自分と父親のパンツにそれぞれアイロンを掛けておき、それから台所に入ってフライパンで焼けて固まったものを、もう一方のフライパンに引っくり返して移した。そのほかには素麺を茹でようということになっていた。こちらは読書をしたかったので仕事は僅かにそこまでとして下階に戻り、今度はBill Evans Trio『How My Heart Sings』を流しながら引き続き『ダブリナーズ』を読んだ。このアルバムはBill Evansにはいつもながらのことで美麗ではあるが、一九六一年のライブを聞いたあとでは、やはりいくらか微温的と言うか、序盤ではややもったりとしているように感じられた。ただし、中盤の"Summertime"など聞いてみると、意外とそうでもないのかもしれない。Chuck Israelsも決して悪いベースではなく、端正で品のある奏者で、充分に健闘していると思うが、Scott LaFaroのまさしく水を得た魚とも言うべき闊達さの前ではやはり聞き劣りすると言わざるを得ない。上品さは野蛮さに打ち勝つことは出来ないのだ。"Summertime"の流れているあいだ、窓外の空には鴉が旋回して鳴き声を降らし、そのあとに雀の一団が流星のように宙を斜めに滑って黒い影を見せた。七時直前になって『ダブリナーズ』は読み終えた。全体的に地味な小説で、柳瀬尚紀の独特の言葉遣いを除けば書き抜きたいと思う箇所もほとんどなかったが、「死せるものたち」の終盤、第三部の展開はやはりなかなかのものだった。パーティーも終わって深夜に皆が帰っていく頃、ゲイブリエルは歌に聞き入っていた妻の姿を目にして、その美しさを改めて瑞々しく気づかされ、にわかに復活した情熱を内面でほとばしらせながら二人でホテルの部屋に入る。しかしこれから妻と愛を交わそうというその時に至って、ピアノと歌唱を聞いていたあいだ、彼女は昔の想い人のことを想起していたという事実が判明する。そこから嫉妬と怒りと失望とにまみれたゲイブリエルの姿を描くだけで意地悪く終わるのならば凡百の小説だが、この作品で彼は妻の眠ったあとで「寛大の涙」を流し、早くして亡くなった彼女の昔の想い人――自らの恋敵――に対して、「愛」と名付けるべき感情を向けて悼んでいるのだ。そこまで展開を伸ばし、「生けるものと死せるものの上にあまねく」降り注ぐ雪の情景とともにカタルシスを生んでいるのが素晴らしい。また、その直前、一時[いっとき]前の感情の激しい転変から醒めた彼は、虚無的な気持ちになって、突然、ジューリア叔母もじきに死ぬのだと、彼女のみならず、自らも含めて、「一人、また一人と、皆が影になっていくのだ」と冷静な感慨を述べている。このあたりなどは、シェイクスピアマクベス』の終盤にある、主人公のやはり虚無的な台詞を思い起こさせるようでもあった。

マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。
 (シェイクスピア福田恆存訳『マクベス新潮文庫、1969年、125~126; 5-5)

 そうして書見を終えてコンピューターに寄り、読書記録を付けたあと、日記を書き出したのが七時八分、ここまで綴って現在は七時四五分を迎えている。
 食事を取るために上階に行った。帰ってきて既に風呂に入ったらしい父親が仏間で足に包帯を巻いていたので、おかえりと挨拶をした。卓上には素麺が笊に盛られて置かれてあった。台所に入ると母親が既に食事を皿に盛っておいてくれたので、ボール状のライス・コロッケやケチャップを掛けられたオムレツが載った皿を電子レンジに入れ、山葵の風味が利いたサラダを卓に運んだ。そうして食事を取り、食器を洗うとすぐに風呂に行った。しばらく湯のなかに浸かってから出てくると、すぐさま下階に戻り、九時直前からMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを読みはじめた。英語を読むのは久方ぶりで、語彙などもう相当に忘れてしまっているので、たびたび辞書を引かなくてはならなかった。調べたなかで覚えたい単語は、手帳にメモし、その他気になった箇所などもメモしながら読み進めた。BGMはThe Wooden Glass feat. Billy Wooten『Live』にThe Black Crowes『Shake Your Money Maker』。
 二時間ほど読んで一一時前に至るとコンピューターの前に移り、書抜きを始めた。ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』新潮文庫、二〇〇九年である。BGMはヘッドフォンでBlack Sabbath『Live Evil』を聞いた。書抜きを始めてまもないころだったと思うが、Skype上で通話が始まった。しかし書抜きを優先してまだ通話には参加せず、打鍵を進めて、四五分で書抜きを完了させた。「死せるものたち」の結びのシーン、それは『ダブリナーズ』全篇の結びでもまたあるわけだが、やや長いけれどその箇所を引いておこう。

 妻はぐっすり眠っている。
 ゲイブリエルは片肘をつき、妻のもつれた髪と開き加減の口を憤りもなくしばし見つめ、深い寝息を聞いていた。そうか、そんなロマンスの過去があったのだ。一人の男がこの女のために死んだ。夫たる自分がこの女の人生でなんとも哀れな役割を演じてきたものだと考えても、今、ほとんど苦痛を感じない。自分とこの女がこれまで夫婦として暮したことがなかったかのように、寝顔を見つめた。その顔と髪に彼の詮索する目がじっとそそがれた。そしてその頃、初々しい少女の美しさの当時、彼女はどんなふうだったのだろうと思い浮べるうちに、不思議な友情にも似た憐れみが心の内にわいてきた。その顔がもはや美しくないとは自分自身にも言いたくないけれど、しかしそれがもはや、マイケル・フュアリーが死を賭してまで求めた顔でないことは分った。
 たぶん、すべてを打ち明けたのではない。彼の目は妻が脱ぎ捨てた衣類のかぶさる椅子へと動いた。ペチコートの紐が一本、床へ垂れ下がっている。片方のブーツが、途中からぐにゃっと折れて突っ立っている。もう片方は横倒しになっている。一時間前の感情の騒乱が不思議に思われた。あれは何が発端だったのか? 叔母の夕食から、自分の愚かなスピーチから、ワインとダンス、玄関ホールでおやすみを言い合った浮れはしゃぎ、雪の中を川沿いに歩いた楽しさから。ジューリア叔母さんもかわいそうに! 叔母もまた、じきに影となり、パトリック・モーカンやあの馬の影といっしょになるのだ。婚礼のために装いてを歌っていたとき、一瞬、叔母の顔に浮んだやつれきった表情が見えた。たぶんもうじき、自分は喪服を着て、シルクハットを膝にのせて、あの同じ客間にいることになるのだろう。ブラインドが引き下ろされて、ケイト叔母がそばに腰掛け、泣きながら鼻をかみ、ジューリアの臨終の様子を話して聞かせる。叔母の慰めになるような言葉を頭の中であれこれ探して、結局はぎくしゃく無駄な言葉しか出てこないだろう。そうだ、きっとそう。じきにそうなるだろう。
 部屋の寒気を両肩に感じた。そうっとベッドへ入って躰を伸ばし、妻の傍らで横になる。一人、また一人と、皆が影になっていくのだ。なにかの情熱のまばゆい光輝の中で、敢然とあの世へ赴くほうがいいだろうか、年齢とともに陰鬱に色褪せて萎んでゆくよりは。傍らに寝ているこの女が、ずっと長い間、生きていたくないと告げたときの恋人の目の面影をどんなふうにして心の内にしまいこんでいたのかと、彼は思った。
 寛大の涙がゲイブリエルの目にあふれた。己自身はどんな女に対してもこういう感情を抱いたことはなかったが、こういう感情こそ愛にちがいないと知った。涙がなおも厚く目にたまり、その一隅の暗闇の中に、雨の滴り落ちる立木の下に立つ一人の若者の姿が見えるような気がした。ほかにも人影が近くにいる。彼の魂は、死せるものたちのおびただしい群れの住うあの地域へ近づいていた。彼らの気ままなゆらめく存在を意識はしていたが、認知することはできなかった。彼自身の本体が、灰色の実体なき世界の中へ消えゆこうとしている。これら死せるものたちがかつて築き上げて住った堅固な世界そのものが、溶解して縮んでゆく。
 カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降りだしている。眠りに落ちつつ見つめると、ひらひら舞う銀色と黒の雪が、灯火の中を斜めに降り落ちる。自分も西へ向う旅に出る時が来たのだ。そう、新聞の伝えるとおりだ。雪はアイルランド全土に降っている。暗い中央平原のすみずみまで、立木のない丘陵に舞い降り、アレンの沼地にそっと舞い降り、もっと西方、暗く逆立つシャノン川の波の上にそっと舞い降りている。マイケル・フュアリーの埋葬されている侘しい丘上の教会墓地のすみずみにも舞い降りている。歪んだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍の上に、実のない荊[いばら]の上に、ひらひら舞い落ちては厚く積っている。雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から舞い降り、生けるものと死せるものの上にあまねく、そのすべての最期の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。
 (ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』新潮文庫、二〇〇九年、373~376; 「死せるものたち」; 結び)

 その後、歯を磨いて零時を越えたあたりで通話に参加した。NさんとYさんが話をしていた。序盤でどんなことを話したのかは覚えていない。Nさんは『族長の秋』を読み終えたと言った。思ったよりも難しくなくて、楽しんで読めたと言うので、それは良かったとこちらは受けた。大統領の身体的特徴――「生娘のような手」とか、大きな足とか――が折に触れて何度も繰り返し言及されるのでイメージを作りやすく、そのあたりは勉強になったと彼女は話した。
 こちらが通話に参加した直後に、Kさんも参加したのだったはずだ。幽霊部員になりかけていたけれど、実体として復活しましたと彼は冗談を言った。その後、MDさんも参加し、続々と人が増えてきて、この夜は九人くらいの盛況となった。新しくYさんが連れてきたALさんという方も参加した。彼は山梨の大学の院生だと言う。理系で、研究しているのは量子力学方面のことらしいのだが、説明を聞いても門外漢であるこちらにはあまり判然としなかった。好きな本を訊くのを忘れたが、大切にしている本というものが一つあって、それはアドラーの心理学を自己啓発のような本に仕立てた例の『嫌われる勇気』というやつで、人間関係に悩んでいた頃にそれを読んで、目をひらかされたのだと言う。彼はちょっと緊張している、と言っていたが、やり取りはスムーズで、質問なども結構投げかけていたので、喋るのが極端に苦手な人間というわけでもなさそうだった。
 ALさんが来てくれたので、皆さん、自己紹介を、と言って、こちらがYさんから順番に指名して振っていった。一通り自己紹介が終わったところで――こちらはやらなかったが――Aさんがもう一人、新しい知り合いを連れてきた。AKさんという方だった。彼もしくは彼女は音声を聞きながらチャットで参加した。
 Kさんに最近読んだ本は何ですかと尋ねると、最近は彼はAIなどに興味が向いているようで、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』だと言った。中学生などの、教科書の文章の意味を正しく読み取る読解力が低下しているという話はこちらも以前に新聞で読んだ覚えがある。この本は、読解力の低い子供らが働く頃には、AIに様々な仕事を奪われているのではないかという警鐘を鳴らした著作であるらしいが、そこから教育制度の話にちょっとなった。Aさんがそれについてレポートを書いたらしいのだが、北欧では小学校から大学まで教育費は無料なのだと言う。大学には何年間でもいられるけれど、そのかわりに全体的な税率が二五パーセントと高く、一体どちらの制度の方が良いんでしょうねえなどと皆で話し合った。こちらとしては、やはり教育の機会均等が固く保証されているというのは、税率が高くとも魅力的だなあとは思う。
 そのあたりからこちらはチャットに移行した。そしてそのうちに、Yさんの知り合いであるフランス人のEさんも参加した。ビデオに黒人の方の姿が映っていたので、ビデオ映ってるやんとこちらはチャット上で笑って発言した。YさんがEさんとフランス語でやりとりを始めて、全然わからんわ、と思っていたのだが、突然Eさんは日本語に移行して結構流暢に喋りはじめたので笑った。MDさんもEさんとフランス語で会話し、ボードレールか誰かの詩を読んでもらっていた。Eさんはそのあと日本語で、フランス人だけどこんなの初めて読んだわ、と言った。彼は本を読むのはあまり好きではないらしい。しかし、自分で詩を書いていると言って、どんな詩かと尋ねると、メランコリーなものと言って、フローベールの『ボヴァリー夫人』の名を出して、マダム・ボヴァリーの人生みたいなものと話した。悲しいんだけれど泣いてはいけない、面白いんだけれど笑ってはいけない、そんなような詩だと言った。
 その後、二時を迎える前にこちらは退出した。それからまたMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを四〇分ほど読み進めて、二時四〇分頃就床した。


・作文
 11:52 - 12:28 = 36分
 19:08 - 19:45 = 37分
 計: 1時間13分

・読書
 12:45 - 15:00 = (1時間引いて)1時間15分
 16:02 - 17:41 = 1時間39分
 18:00 - 18:55 = 55分
 20:58 - 22:49 = 1時間51分
 23:00 - 23:45 = 45分
 25:52 - 26:34 = 42分
 計: 7時間7分

・睡眠
 2:30 - 11:10 = 8時間40分

・音楽

2019/5/21, Tue.

 一二時起床。ベッドを抜け出し上階へ。母親は着物リメイクの仕事で不在。台所に入ると稲荷寿司と温野菜が用意されていたので、温野菜のスチーム・ケースを電子レンジに突っ込み、二分間加熱するそのあいだに卓に就いて稲荷寿司を食う。電子レンジの音が鳴ると席を立って温野菜を取ってきて、そちらも醤油をちょっと垂らして食べる。外は神が号泣しているかのような土砂降りである。そのなかを出勤するのは難事なので、夕刻までには止んでくれることを期待する。食べ終えると食器を洗い、抗鬱剤ほかを飲んでから下階に戻った。自室に入るとコンピューターを起動させ、インターネットをちょっと回ったあと、この日の記事を作成し、一二時半ちょうどから日記を書きはじめた。まだ一九日の記事は半分も書いていないし、昨日、二〇日の記事も終わっていない。なかなか骨の折れる仕事である。
 それからまず前日、二〇日の記事を仕上げると、二時四五分まで長いこと掛かって一九日の記事を書き終えることが出来た。身内に疲労感が滲んでいた。それでベッドに移って枕とクッションに凭れ掛かり、身体に布団を掛けながらジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を読みはじめたが、じきに例によって目を閉じたい心地になり、本を置いて瞑目し、頭を枕の横に置いて身体を少々丸めた。四時頃、母親が帰宅した音で目を覚まし、引き続きいくらか本を読み進めたあと、四時二〇分になって中断して上階に行った。母親はソファに座っていた。テーブルの上には彼女が買ってきてくれた薄皮クリームパン(五個入り)があったので、それを頂くことにした。五個入っているうちの三つを頂いたのち、さらに豆腐でも食べようかと冷蔵庫を覗くと、フライパンが入っており、なかに前夜の残り物である玉ねぎや豆腐や豚肉の炒め物があったので、それを取り出して皿にすべて盛ってしまい、電子レンジに突っ込むとともに米を少量よそった。卓に就いて新聞をめくり、欧州議会選で右派が伸長の予想との記事を読みながら、炒め物をおかずにして白米を食べた。そうして食器を洗っておくと、さらに浴室に入って風呂を洗った。それから居間に出てきて、椅子の背に吊るしてあった白いワイシャツを取り、身につけながら仏間に入って灰色の靴下を履いた。そうして階段を下り、自室に戻るとぴちぴちのきついスラックスを履き、地味な水色のネクタイを締めて黒のベストを羽織る。ネクタイも新しいものが欲しいものだ。立川のLUMINEのなかにある、tk TAKEO KIKUCHIの店舗に、赤の格好良いものがあったような覚えがある――結構値は張ったはずだが。ワイシャツも新品をそのうちに買わねばならない。着替えたあとは歯磨きをしながらベッドの上で『ダブリナーズ』をまた少しだけ読み進め、それからコンピューターに寄ってここまで日記を書き足した。雨は止んでいた。夜になってまた降らないことを祈る。
 日記を書いたあと、クラッチバッグを持って上階に行った。ソファに座っていた母親がもう行くのと訊いてきたので、肯定し、便所へ行って腹を軽くした。出てくると、財布と携帯の入ったバッグを持って出発、玄関を出ると中空を見上げて、片手を上に広げて雨が落ちてこないかどうか確かめた。迷ったけれど、傘は持たないままに出発した。
 昨日、出勤のために家を出て直後にO.Sさんと話したことを書き忘れていたので、ここに記しておく。家を出て階段を下ると、我が家の敷地の端っこに何やら用紙が落ちていて、見れば宅配の受領用紙のようなもので、そこにOさんの名が記されていたのだ。彼女は我が家の向かいの木造家屋を使って、何やらよくわからない商売をやっている。それで家の戸口に寄って引き戸をとんとんと叩き、ごめんくださいと言って引き開けた。Oさんが出てきたので、こんにちはと挨拶し、これが落ちていたんですけれどと言って用紙を差し出した。受け取ってもらったあと、彼女は、今から、と訊くので、お蔭様で職場に復帰できたのだと報告した。こちらの灰色のベスト姿を見た彼女は、凄く決まっていると褒めてくれた。ありがとうございますと少々笑いながら返し、Sくんはと訊くと、彼は高校で和太鼓部に入って忙しいのだと言う。それでも勉強には不安を抱えているようで、こちらと一度会って話をしたいと言っているとのことだったので、こちらとしてもお会いしたいと伝えておいてくださいと頼んだ。そうして別れて、出勤路を辿ったのが昨日の話である。今日のことに話を戻すと、坂道を上って行って三ツ辻には、今日は八百屋の姿はなかった。無人のなかを通り過ぎ、手近の家の前に咲いている大輪の、青味がかった紫色の濃い花を横目に行く。
 街道に出てすぐに渡ると、目の前に躑躅の茂みがある。花はもう大方萎れて、無数に吊るされた虫の死骸のようにして力なく垂れ下がっており、その足もとにも赤紫色が多数散って伏していた。車の走行音の隙間に雀やら何やらの囀りが紛れずに挟まり聞こえるなかを進んでいく。空は一面石灰色の澱んだ曇りで、東南の果てには黒っぽい雲が低く垂れ込めていた。老人ホームではこれから早めの夕食だろうか、テーブルの周囲に老人たちが集まっており、なかには車椅子に小さな身体を沈めるように預けている老婆もいる。大きな緑葉の木が立った角を曲がって裏通りに入った。
 湿り気をはらんだ風が正面から流れてくるが、服の内はやはりいくらか蒸していた。路面には濡れ痕が残っており、じめじめとした空気が立ち昇ってくるものの、通り過ぎる家々の庭木の葉の表面には露はもう見られない。鶯の音楽的な、明確な音程をはらんだ狂い鳴きの唄が今日も道に降った。
 犬の散歩とすれ違って歩いて行くと、白猫が家の前に佇んでいた。近寄ってしゃがみこみ、手を差し出して顔のもとに持っていき、鼻面を押し付けられるに任せたり、身体を撫でたりしたが、この日の猫は寝転がって腹を見せたりしてくれず、ちょっと戯れたあと、すぐに車の下に入りこんでしまったので、名残惜しく離れて先を行った。
 職場に着くと準備。今日の相手は(……)さん(中一・英語)、(……)さん(高三・英語)である。準備時間で(……)さんがやっているチェックテストのテキストや、問題集の当該部分を確認しておいた。知覚動詞や使役動詞を使ったSVCOの形である。そうして六時から授業。二人が相手だったので全体にまあ結構詰めた指導を出来たのではないか。(……)さんの試験範囲は、I am / You areの平叙文・疑問文・否定文。一番最初の簡単なところであるし、文法は問題ないだろう。単語も意味はわかるのだが、ただ書く方はやや苦手なようで、スペルがわからないものが多くあったので、それらを練習してもらい、ノートにメモさせた。チェックテストはレッスン一のまとめの部分で、ちょっと問題数が多かったが、勉強させずとも半分程度は取ってくれた。今のうちから単語の覚え方、その練習の仕方を押さえておかないと、この先苦しいことになるだろう。それで、何度か練習させたあとに必ず答えを隠して書けるかどうか確認するという方式を取り、授業の最後にもノートにメモした単語をもう一度繰り返し練習させてから確認、と繰り返し当たった。(……)さんは問題集の七三頁を扱ったのみで終わってしまったが、結構色々ノートに書いてくれたので良いだろう。気になったのはbeginやwantの意味を忘れていたことで、高三でそれを忘れていては非常にまずい。本当に忘れていたのだろうか? さすがにそのあたりは覚えているような気がするのだが。知覚動詞・使役動詞の使い方はもう少し繰り返さないとおそらく身につかないだろう。そういうわけで宿題は、前回の宿題だった頁も含めて今日やった箇所の間違えた問題をもう一度と、復習として問題集の一番最初の問題頁を加えて出した。毎回一頁か二頁ずつ、宿題で復習していければ良いのではないか。
 そうして授業を終え、片付けや室長への報告も済ませて退勤。一時限のみの楽な仕事である。次の勤務日はまだ決まっていないが、室長の口ぶりでは来週までないような雰囲気だった。しかし実際はどうだかわからない、また突然勤務を頼まれることもあるかもしれない。職場を出ると、ほんの微かに雨が散っていた。駅舎に入って改札を抜け、涼風の流れるなかホームのベンチに腰掛けて、携帯を取り出して行きの道中のことを記していった。毎回の勤務後はこのようにして電車での帰路を取って、待ち時間を携帯での日記の作成に充てれば良いのではないか。そうして電車がやって来ると乗りこみ、席に座って引き続き携帯をかちかちと操作する。猫と会ったあたりまで書いて、最寄り駅に到着した。
 駅舎を抜けて坂道に入った。あたりには竹の葉っぱがたくさん散って重なり合っている。木の下の路面はまだ水気がかなり残っていて、じめじめとしており、街灯の光を受けて白く硬質に光っている。平らな道に出ると、南の空に目をやった。薄墨色に澱んで偏差のほとんど見分けられない空のなか、市営住宅の棟の上端、その際が仄かに明るんでいるのは、その先にある川向こうの町の明かりが空に反映しているのかもしれない。
 帰路を辿って自宅に到着し、玄関扉の鍵を開けてなかに入った。居間の母親にただいまと挨拶し――父親ももう帰ってきていて風呂に入っていた――、下階に下りて自室に入り、ベストを脱ぎながらコンピューターを点ける。ネクタイを外し、ワイシャツとスラックスも脱いでからSkypeを確認すると、Tさんが新しい人を連れてきていた。加えて、Yさんがこちらに呼びかけて、今日は何時から通話をするのか決めておいた方が良いと思うと言っていたので、一一時くらいからでいいんじゃないですかと適当に答えておき、丸めたワイシャツを持って上階に行った。洗面所の扉を開けて、籠のなかにワイシャツを放り込んでおき、そうして台所でおじや――玉ねぎや菜っ葉や鱈子スパゲッティの素が混ぜられたもの――を丼にたくさんよそって電子レンジで温めた。加熱されているあいだに、アスパラガスとコーンとハムの炒め物も皿によそり、さらに小松菜も小皿に盛って卓に運んだ。温まったおじやを盛ってきて、炒め物も同様に電子レンジで加熱しているあいだにものを食べはじめた。テレビは歌謡ショー。そしてその後、ニュース。それらにぼんやりと目を向けながらものを食べ、食べたあとも何となく物足りない感じがしたので、木綿豆腐を冷蔵庫から取り出して電子レンジで加熱した。それに鰹節と麺つゆを掛けて食い、さらにヨーグルトも食べて食事を終え、食器を洗った。そうして入浴。しばらく浸かってから出てくると下階に戻って、Miles Davis『Kind Of Blue』をお供に日記を書きはじめた。音楽はその後、『伊福部 昭の芸術 10 凛 - 生誕100年記念・初期傑作集』に移して打鍵を続け、現在一〇時二〇分が目前となっている。
 それから読書、ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』。ベッドに乗って布団を身体に掛けつつ読み進めて、約束の一一時を越えてからもしばらく読んで、「委員会室の蔦の日」まで読み終わった。その時点で一一時一五分付近だった。コンピューターに近寄り、そろそろ始めましょうかとSkype上で呟くと、即座に着信があった。受けるとYさんしか通話相手はいなかったが、まもなくTさんと、彼が連れてきた新しいメンバーであるMR.Hさんが参加してきた。Tさんはチャット、MRさんは音声での通話だった。Fです、よろしくどうぞと挨拶し、相手のことをいくらか訊いた。彼女はTさんの同級生でクラスメイトであり、従って高校二年生なのだが、全国高校生何とかかんとかみたいな大会(?)で現代詩の賞を受賞したことがあるのだと言う。小説の方も、中学一年生、二年生の時分に書いたものが賞を受けたということで、そんなに早くから書いているんですねとこちらは受けた。好きな作家は、江國香織川上弘美川上未映子村上春樹江國香織という名前を聞いて、Bさんという方が、このあいだ江國香織の話をしていましたと紹介した。彼女は兎を飼っていたのだが、その可愛らしい兎が亡くなってしまったその一か月後に、江國香織の『デューク』という作品を国語の授業で読み、この作はペットが亡くなってしまう話だったので自分の境遇と重ね合わせてボロ泣きし、クラスメイトに引かれたという話だ。
 こちらとYさんも自己紹介した。Yさんは例によって、映画のことをどちらかと言えば話すというようなことを言っていた。こちらは、どちらかと言えば海外文学を読むと言い、どんなものかと訊かれたのには、ガルシア=マルケスとか、アイコンにもしているヴァージニア・ウルフとか、あとはマイナーだがローベルト・ヴァルザーというスイス出身の作家とか、と紹介した。ガルシア=マルケスの『族長の秋』は特に好きで、今までに七回読んでいる、それで先日読み返した時からこのグループでもその話ばかりしているので、何だか自分は『族長の秋』の人みたいな扱いになっていると笑って言った。日本の作家では梶井基次郎が好きで、もう高齢だが今も現役で書いている作家のなかでは古井由吉が好きだと紹介した。MRさんはそれを受けて、古井由吉の作品は今家のトイレにあると言った。挙げる名前がいかにも純文学って感じですねとも彼女は言った。
 MDさんが一瞬参加して、MRさんと挨拶を交わしてからすぐに退出された。そのうちにYさんが、室内の書棚の写真や、標本の写真などを撮ってアップしはじめたので、Yさんはこういう人です、何かいきなり写真を撮って上げるみたいな、と紹介した。音楽の話も少々した。Tさんは母君の影響でクラシックを聞くと言う。特に好きなのはバッハあたりのバロック音楽などだと言う。ルネサンス音楽にも嵌まっていると言うので、クレマン・ジャヌカンの"鳥の唄"という合唱曲があって、とこちらはT田経由で知った曲を紹介し、YOUTUBEのリンクを貼っておいた。
 その後、MRさんもチャットに移行した。その頃には、何故かYさんがこちらに対して、金原ひとみ『アッシュベイビー』の感想を述べ、要約して紹介するように求めてきて、それに応じてこちらはブログに書いたようなことを適当に喋ったのだったが、それでこちらの一人喋りみたいになってしまった(Bさんなどは、「Fさんのニコ生だ」などと言っていた。彼女も最初は音声通話をしていたのだが、たびたび音声が籠って間延びし、彼女のいる空間だけ時間が遅れたようになるので――それがまるで水のなかから通話しているかのように聞こえるので、この現象が発生するたびにこちらは「水中、水中」と言って嗜める――チャットになっていたのだ)。性描写の乾いた即物性・散文性が最初に印象的だったこと、「傷」を抉るという行為が性交の代理、と言うよりはむしろ真の性交のように描かれており、象徴的な性行為と実際の性行為の序列が逆転しているように思われたこと、などを述べて、過激な小説なので、高校生くらいの方が読むと刺激は強いかもしれませんねと締め括った。それに対してBさんは、サドは? と訊いてきたのだが、サドは普通は中高生は読まないでしょう……とこちらが受けると、彼女は、チャット上で「え?」を連発した。だって裁判沙汰にもなったような作品ですよとこちらは言った。彼女は中学生の時分からサドを読んでいたというつわもので、サドは教養小説、言わば教科書であると言い放つのだ。
 それで、Yさんもチャットになってしまったので、こちらが皆の発言を拾って一人喋りをしているところに、救い主であるAさんがやってきてくれたので、何とかニコ生状態が解除された。こちらはMRさんがいたので、Aさんに自己紹介をするように求め、さらに最近のおすすめの講義は、と訊くと、彼女は最近では文化人類学なども興味を持っていると言った。文化人類学と言って、こちらはレヴィ=ストロースくらいしか名前を知らないしほとんど読んだこともない。それでもレヴィ=ストロースだったら、『悲しき熱帯』を読んだと言い、するとAさんが是非プレゼンを、と応じるので、もう随分前に読んだものだからプレゼンなどは出来ないが、印象に残っている部分として、レヴィ=ストロースがブラジル行きの船の上で甲板から空の雲の生成変化する様子をじっと観察し続けており、その描写が八頁くらいに渡って延々と続くという箇所を挙げた。レヴィ=ストロースという人間は、自分で小説や戯曲も書いていたようで、文学的な素養も相当にある人物なのだ。
 Tさんは一時前に眠ると言って去って行った。それからどういう経路を辿ったのだったか、英語や翻訳の話になって、こちらは以前、二〇一四年のことだが、Virginia WoolfのKew Gardensという短編を訳したと言うと、Aさんが是非読みたいと言うのでURLを貼りつけた。彼女はいつもながらの素早さで即座に読むと、めちゃくちゃ好きですと言ってくれた。そのAさんも、こちらが勧めていたのに応じて、最近ブログを始めたと言う。これでIさん、Yさん、Aさんの三人が新しくブログを始めたわけで、良い傾向である。いいですか、いつも言っていますけど、とにかく続けたやつが勝ちですからね、一日一行であれ、とにかく続けていればそれでいいんですとこちらはいつもながらの論を振りかざし、こちらの勧めで三人が文章を書きはじめたことについて、何だか僕が黒幕みたいですねと笑った。
 一時二〇分頃にMRさんも去った。かくして、こちら、Yさん、Aさん、Bさんのいつもの面子が残ったわけである。それからも二時二〇分頃まで通話は続いたが、何を話したのかはよく覚えていないので記述は省略しよう。通話を終えるといつもどおりチャット上で、ありがとうございましたと礼を述べておき、コンピューターを閉じると、本を読もうかどうしようかちょっと迷ったが、結構眠気が満ちていたのでこれなら眠れるだろうと明かりを落として就床した。


・作文
 12:30 - 14:45 = 2時間15分
 16:54 - 17:03 = 9分
 21:32 - 22:17 = 45分
 計: 3時間9分

・読書
 14:55 - 16:20 = 1時間25分
 22:18 - 23:16 = 58分
 計: 2時間23分

・睡眠
 1:45 - 12:00 = 10時間15分

・音楽

2019/5/20, Mon.

 正午ちょうどに起床。例によってアラームで一度覚めるも、ベッドに舞い戻ってしまい、そこからだらだらと寝過ごす。一二時に至って寝床から抜け出し、上階に行って、母親に挨拶をした。台所に入ると、おにぎりに小さな骨付きの鶏肉が二つ、同じ一皿に載せられ、もう一皿には冷やし中華ならぬ雑多な野菜が混ぜられた冷やし素麺が用意されてあった。素麺の方につゆを掛けてから、二皿を持って卓へ、食事を始めた。テレビはニュース。山形県で五〇代の女性医師が殺された疑いとか、一月に新宿で歩行者に突っ込んだ車の運転者――七九歳の高齢者――が書類送検されたとか。ものを食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、食器を洗った。母親は今日は「K」の仕事がある。それでピンク色のポロシャツを着て身支度を整えていたが、彼女から、米を三合半磨ぐことや、アイロン掛けをすることなどを頼まれている。こちらも今日は六時から仕事があり、加えて長くなることが必定である前日の日記を書かなければならないので、なかなか忙しい――多分出かけるまでに書き終えることは出来ないだろう。
 こちらが下階に戻ってまもなく、母親は出かけていったようである。こちらは部屋に入ると開けていた窓を閉めて、コンピューターを点け、前日の記録を付けるとともに支出を計算した。それからコンピューターを再起動させているあいだに洗面所に行って歯を軽く磨き、さらに便所に入って腹を軽くした。戻ってくるとパスワードを入力してログインし、Evernoteを立ち上げて、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しながら日記を書きはじめたのが一二時五〇分である。
 それから一時間四〇分ほど、前日の日記を記し続けて、薔薇園にいる途中、午後一二時過ぎくらいの事柄まで至ったあたりで、疲労を感じたのでベッドに横になって休むことにした。ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を持って寝床に臥し、本を読み進める。四〇分ほど読んで三時一〇分に至ると力尽きて本を置き、それからうとうとと微睡むことになった。四時になったら起きねばならないと思っていたところが身体が持ち上がらず、四時一五分になったら、四時二〇分になったら、と段階的に期限が滑っていき、結局四時半になったところでようやく起き上がった。そうして上階に行き、家事に取り掛かった。まずは風呂洗いである。重い身体を引いて浴室まで行き、風呂を洗うと出てきて、次に米を磨いだ。三合半、笊のなかに用意されていたものを洗い桶のなかで磨ぎ、炊飯器の釜に収めて水も注ぎ、六時五〇分に炊けるようにセットしておいた。それから、アイロン掛け。白シャツ二枚の皺を伸ばすと、居間の片隅、椅子の背に吊るされてあったワイシャツを取り、身につけながら仏間に入って、靴下も履くと下階に下りた。そうしてベスト姿に着替える。それから歯磨きをすると時刻は既に五時を回ったところで、もうそろそろ出なければならないが、少しでも日記を書き足しておきたいとこの日の記事を僅か四分だけ綴って、五時一一分に至ったところでコンピューターを閉ざした。クラッチバッグを持って上階に行き、ハンカチを尻のポケットに入れて出発した。
 夜から雨が降るとの予報だったので、大きな黒傘を持った。空は確かに降ってきそうな曇りである。坂を上って平らな道に出て、三ツ辻まで行くと今日も行商の八百屋が来ていた。その手前で、八百屋の買い物を終えたらしい老婆一人とすれ違ったので、こんにちはと挨拶をすると、降ってきそうだねとか何とか言われたので、そうですね、うん、とすれ違いざまに返答した。そうして三ツ辻に達して、こんにちはと挨拶をして通り過ぎると、八百屋の旦那が、帰りは土砂降りだぜ、と大きな声で言って笑う。こちらも笑みで応じて、降らなければいいんですけどねえと受けると、他人の不幸を笑っちゃいけねえ、と旦那は自ら執り成して、気をつけて、と言うのではい、と受けて先を進んだ。
 街道に出る頃にはやはり温みが服の内に籠っていくらか蒸し暑かった。街道を行って裏道に入ってさらに進むと、甲高い犬の鳴き声に紛れて、林の方から時鳥[ホトトギス]の鳴きが聞こえてきた。数日前の深夜にも自室で聞いた覚えがある。一軒の前に咲いたコデマリは、オレンジ色の砂をまぶされたようになってもういくらか萎え気味だ。進んで行くと、鶯の鋭い鳴きも立って、さらには色彩の破片を撒き散らすような例の谷渡りも聞こえた。
 道の後半ではぽつぽつ雨が落ちはじめた。風に乗って斜めに流れて顔に当たってくるけれど、そこまでではないと傘を差さずにいたところが、気づけばいつの間にか嵩んでいたので黒傘をひらき、職場に向かった。傘をばさばさやってから入口の扉を開け、こんにちはと挨拶を投げかける。傘を傘立てに差しておき、スリッパに履き替えてフロアに踏み出し、座席表を見やると、この日は三人相手だった。それで三人じゃないですかと背後の室長に投げかけると、そうなんですよ、三人になってしまった、と相手は受けた。頑張りますと言ってフロアの奥の方に進んでいき、準備をしていた(……)先生にこんにちはと挨拶をして、ロッカーにバッグを収めた。そうして準備。
 授業。(……)くん(中二・英語)、(……)さん(高一・英語)、(……)さん(中一・数学)が相手。(……)くんは(……)の弟である。懐かしい。顔も似ていた。挨拶をしたあと、お姉さんがいるね、と言って、知ってるから、あいつに会ったって言っといて、と告げて笑った。彼は学校のワークをやりたいと言うのでそのようにした。室長はやばいと言っていたけれど、それほど出来ないようには思われなかった、単語テストも答えを確認させないでいきなりやってみても三二点中二〇点を取っていたし、学校ワークも自力で順調に進められており、文法の理解は結構身についている印象だった。それでノートに書くのは単語だけになってしまったのが勿体無いと言うか、反省点ではある。単語テストのわからなかった単語から、amusement park、traditional、talk aboutの三つを練習させてそれを書かせたのと、ワークのなかに読解問題があったので、それを一緒に訳したなかから、a lot ofとthemの意味を学ばせたのがもう一つ。ワークの読解問題も途中までしか訳せなかった。やはり三人相手だとなかなか忙しくて、思う通り充分な授業をするのは結構難しい。
 (……)さん。英語はかなり苦手なようで、まずもって三単現のsを理解していなかったので、基本から確認した。彼女も単語テストがあったのだが、答えを確認して勉強するのに結構時間が掛かってしまい、やはりこれは勿体無い。単語テストは、やるならば答えの確認はなしにして、即座にやらせて、それで出来なければ出来ないで良い、間違えたなかからいくらか練習させる、という方式でやるのがやはり良いのだろう。先のように三単現からして知らないような状態だったので、宿題の解説にも結構な時間が掛かってしまった。単語で言うとbeginなども知らない状態なので、なかなか骨が折れるは折れるが、一方ではそういう生徒相手の方がやり甲斐があると言えばある。髪型など見るとやや「ゆるふわ系」とでも言うか、愛嬌のある女子で、コミュニケーションは問題なかったと思う。ノートに書かせたのは三単現についてと、単語をいくつか。これももう少し、文法事項についてなど書かせたかったところではある。宿題は多分やってきてくれるのではないか。ある程度出来るところを出さないと話にならないので、前回の宿題だったところをもう一回と、前回の授業中に扱った頁を再度コピーして出したのだが、先にも述べたように三人相手だと結構忙しくて、鐘が鳴ってからも少々彼女を待たせる形になってしまって、この点も反省点である。余裕を持って終わりの支度に入るようにしなければならない。そしていま書いていて思い出したのだが、彼女のこの日の授業は先にも述べたように単語テストと宿題の解説に大方時間を使ってしまって、三八頁を一頁扱ったのみで終わってしまったのだが、その頁の解説もできないままに終わってしまったのだが、次回指示にそこの解説を頼むと書くのを忘れていた。これは今日出勤したあと、ポスト・イットでも使って指示を貼っておかなければなるまい。解説が出来ないで終わるのも致し方なかったとは言え、良くない。三八頁をすべてやらせたのがまずかった、大問一つずつで区切っていったほうが良かったと思う。反省である。
 (……)さん。彼女は数学を英語と間違えて、英語を持ってきていたので、コピー対応した。宿題をやっていないと言うので、宿題だった三四頁、四〇頁をやらせたのだったが、彼女もそこまでで終わってしまったのが、うーん、という感じであった。本当は除法も試験範囲に入っていたので、そちらもやらせなければならなかったのだが――一応宿題に出しはしたものの、今日だか明日だかが試験なので、そうすぐには出来ないだろう。とは言え問題はわりあいに解けていて、ミスも解法の問題と言うよりは単なる計算ミスに終始していたので、乗法は計算ミスさえしなければ多分大丈夫ではないか。累乗がよくわからないということだったのだが、問題は概ね出来ていたし、負の数で括弧の外に累乗記号がある場合と、括弧の内にある場合の違いも確認した。ノートにはそれを書いてくれた。
 以上のように、この日の授業は全体にいくらか不満の残る結果となったようである。それはそもそも、三対一という人数のシステムに、いくらか無理があるということではないかともこちらは思う。こちらの実感としてはベストな体制は生徒二人に対して講師一人だと思う。三対一でうまく回る時というのは、生徒の方がある程度自分で進められる実力を持っている、優秀な生徒の場合であって、そうでない場合――長時間相手に就いて細かな指導をしなければならない場合――だとどうもうまく回らなくなる。システム的に二対一の方がきめ細かい指導をしやすいのだが、まあ三対一の大きなシステムが変わることはないだろうから、そのなかで出来る限りうまくやっていくほかはない。
 そんなところである。終わって退勤すると、雨はほとんど止んでいて、歩いて帰るか電車を待って帰るか迷ったのだが、また降り出さないとも限らないし、電車を取って、待ち時間を携帯を使って昨日の日記を綴る時間にすることにした。それで駅に入り、ホームの木製ベンチに座って携帯を取り出し、かちかちと昨日の記憶を打ち込んでいった。そのうちに奥多摩行きがやってきたので乗り、引き続き携帯を打って、最寄り駅に着くと降車。満月が皓々と、白々と大きく照り輝いていた。いや、それはこの日ではなかったか? 前日のことだったかもしれない、何しろこの日は雨が降っていたわけだから、空には雲が掛かっていて満月など見えなかったのではないか? 記憶が不確かである。坂道に入ると、傘をひらいて木々から落ちてくる水滴を避けて進み、家路を辿った。
 帰宅。この日の帰宅後には大したことはしていない。食事を取ると疲労のためにすぐに立ち上がれず、だらだらと過ごしてしまい、九時三〇分頃になってからようやく風呂に入ったと思う。もっと遅かったかもしれない。それで風呂のあとは自室に帰って、ベッドに寝転んでしまい、そこから一時四〇分頃まで本も読まずに長く休むことになった。どうも疲労感が募っていたのだ。たかが一時限のみの労働でそうなるのだから体力がない。それで一時四五分頃に覚めて、そのまま明かりを消して就床した。


・作文
 12:50 - 14:26 = 1時間36分
 17:07 - 17:11 = 4分
 計: 1時間40分

・読書
 14:29 - 15:10 = 41分

・睡眠
 2:30 - 12:00 = 9時間30分

・音楽

2019/5/19, Sun.

 六時半のアラームで起床。睡眠時間は三時間半。用事があればこのように起きることは出来る。上階に行き、両親に挨拶。それから台所に入り、卵とハムを焼くことに。フライパンに油を垂らし、その上からハムを四枚も落として、さらに卵を二つ割る。それをしばらく加熱してから丼の米の上に取り出し、そのほか母親が用意してくれたレタスとトマトの生サラダを持って卓へ。牡蠣醤油というものを使って黄身と米を絡めながら食べる。サラダにはマヨネーズ。早々と食事を終えると抗鬱剤ほかを服用し、食器を洗って仏間に入り、真っ赤な靴下を履いた。それから寝間着の下をその場で脱いでしまい、パンツと肌着の姿になって下階に帰ると、すぐに着替えてしまった。真っ黒なズボンに、上はボタンの色が一つずつ違っていてカラフルな白シャツ、羽織りはグレンチェックのブルゾンである。それで寝間着の上も持って上階に上がって洗面所に置いておき、ついでに洗面台の前に立って整髪スプレーを後頭部に吹きかけ、櫛付きのドライヤーで頭を整えた。そうして下階に戻ると、七時を越えてから日記を書きはじめた。前日の記事、この日の記事とスムーズに進めて、七時四〇分である。八時半には出なければならない。今日は調布の薔薇園を見に行くのだ。
 出かけるまでにまだ多少猶予があったので、七時四五分から読書を始めた。ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』である。「アラビー」の篇の最中、四九頁に「寐ても寤[さめ]ても」とあって、この表記は初めて見た、ちょっと凄いのではないか。八時一五分頃まで読むと中断し、身支度を整えて上階に行った。尻のポケットにBrooks Brothersのハンカチを収め、母親に行ってくると告げて出発する。
 最寄り駅までの道中で覚えていることは、平らな道を歩いているあいだ、南の方角、つまり左方から早くも高く昇りはじめている太陽の光が射して、顔の横に当たっていたこと、坂道に入る前に鶯の鳴き声があたりの木々から立っていたこと、坂道の左右には竹秋を迎えた竹の薄色の葉が多数落ちて重なっており、道を縁取るように、あるいは外縁から路上を侵食するようになっていたこと、そのくらいである。駅に着くとともに電車がやって来たので、一段飛ばしの大股で階段を上がったのではなかったか。しかし電車はすぐには発車せず、二、三分猶予があったので、ホームに下りると急がず一号車まで移動してそこに乗った。青梅駅までのあいだは手帳を眺めた。青梅駅に着くと乗り換え電車はすぐに発車だったので、向かいの車両にさっさと乗り移り、そこから車両を移って三号車まで行き、三人掛けに腰を下ろした。そうして立川までの道中はジョイスを読書である。道中、特段に興味深いことはなかったと思う。
 立川に着くと、周りの人々が速やかに降りていくなか、こちらは少々車内に留まって、階段口に人々がいなくなった頃合いを見計らって降車した。階段を上りはじめると、向こうの三番線に東京行きが入線してくるらしき気配が伝わってくる。上って、三・四番線ホームに下りて行ったが、三番線の東京行きはもう発車するところだったので乗るのは諦めて、向かいの四番線の方に進んだ。電車は九時三一分発だったと思う。まもなくやって来たのでそれに乗りこみ、席の端を取って引き続き書見をし、発車してからも本に視線を落として、国分寺に着くと中央特快に乗り換えた。それで扉際に立って扉に凭れ掛かりながら本を読み、三鷹に着くと降りた。時刻は九時五〇分にも至っていなかったように思う。一〇時一五分のバスに間に合うようにバス停に集合だったので、かなり余裕があった。
 エスカレーターを上り、駅舎内の通路を進んでいき、改札を抜けると、券売機のある区画の端にATMがあるのを発見したので、そこで五万円を下ろした。財布内に五〇〇〇円くらいしかなくなっていたのだ。それから南口へ出て、前日にGoogle Mapを使って確認しておいたバス乗り場、三番の方へ歩いていく。歩道橋を渡ってそこから下の道路に下りればすぐそこ、三番乗り場の前には二番乗り場があるのだが、そこに高齢者を中心とする人々がバスを待って大挙し、ずらりと長い列を作っていた。それも我々と同じくどうやら神代植物公園に向かう人々らしかった。三番乗り場に到着し、時刻表を見て一〇時一五分のバスがきちんとあることを確認すると、手近の赤い躑躅の植込みを縁取る低い段に腰掛けて読書をしながらほかの二人が来るのを待った。ジョイスを読んでいるあいだに、二番乗り場と三番乗り場にそれぞれバスは一つか二つずつくらいやって来て、高齢者たちがどちらに乗るか迷って二つの乗り場のあいだをうろうろ移動したりしていた。神代植物公園のホームページには三番乗り場からのバスに乗るように案内されていたのだが、二番乗り場のバスも神代植物公園前に停まるようだった。どちらに乗っても行けるのだ。
 そのうちにT谷がやってきて、こちらのすぐ前に止まって手を振ったので、見上げて、おう、と言った。T谷は茶色の髪を切っていた。格好は半袖のシャツと言うかトレーナーと言うかに、真っ黒のズボン。こちらも真っ黒のズボンで、この日はKくんも同じように黒一色のズボンだったので、三人のボトムスの装いが被ることになってしまった。T谷は、あれは何バッグと言えば良いのか、褐色の、身体に斜めに掛けるようなバッグを持っていて、軽装だった。そして二人でMUさんを待つのだが、彼女はなかなかやって来なかった。列に並ぶのはMUさんが来てからにすることにして、並んでいた列から外れ、こちらは手近の、あれも何と言うのか柵と言うのか、それとも車止めの類なのか、駅前なんかによくある銀色の、アーチ状を描いたそのなかに一本横に棒に渡されて全体としてアルファベットのAを低くし、横に広げて丸くしたような形の柵のようなものがあると思うけれど、子供の頃によくやったようにそれの上に腰掛け、足を横棒の上に乗せながら待った。T谷は二番乗り場の時刻表を見に行っていた。一〇時一八分発があると言うので、三番乗り場の一五分発に間に合わなかったらそれに乗れば良いだろうとなった。そしてMUさんは、やはりなかなかやって来なくて、これは次のバスに乗るようかと思ったのだが、何とかギリギリで間に合って、三番乗り場に停まってもう発車間近だったバスに乗ることができた。ICカードを機械にタッチして、バスのなかはほとんど満員で奥には進めなかったので、前の扉付近に三人で立ち尽くす。MUさんの背丈はこちらの胸のあたりまでしかなかった。T谷も男性にしては背が低い方なので、それよりも僅かに高いくらいで、こちらは二人をちょっと見下ろすような形になった。MUさんの装いはスカートに、上のインナーはよく見なかったが、羽織りはあれはビーズと言うのか何と言うのか、極々小さな真珠を模したような細かな白い粒があしらわれたカーディガンのようなものだった。道中は適当に話をする。アニメを最近は全然見ていないという話からMUさんが『宝石の国』の名前を出して、漫画の方は持っているとこちらが言うと、T谷から意外だとの反応があった。
 それで神代植物公園着。こちらが降車ボタンを押すと、その時バスの前部のモニターに表示されていたのは調布総合体育館前か何かで、間違えて一つ前で押してしまったのではないかと判明して、まあそれでも良いか、一つ前からゆっくり歩いて行くかと三人は合意したのだったが、結局着いてみるとそこが神代植物公園前だった。モニターの表示が切り替わるのが遅れていたのだろうか? よくわからない。ともかく高齢者たちとともにバスを降りて、公園の正門前に行くと、チケット売り場にずらりと、うねる巨大な蛇の体のようにして人々が並んで列を成していた。もうこれで一五分くらい使いそうな勢いではないかと言いながら後ろに就いたのだったが、チケットを買うだけなので結構速やかに列は進んで行ってそこまで待ちはしなかった。チケットは五〇〇円だった。自動券売機でそれを買い、もぎってもらって入園した。T田、T、Kくんの三人は先に来ていて、薔薇園のガイドを受けているのだった。ガイドは一〇時半には終わる予定だったのだが、バスにいるあいだに、Kくんから、「園長が延長」という洒落のメッセージが届いていた。それでとりあえずは合流するために薔薇園の方に向かってみるかというわけで歩き出した。公園は広く、その内には薔薇園以外にも、藤園や芍薬園、ダリア園、梅園など様々な植物の園が設けられているようだった。
 しかしメインはやはり何と言っても薔薇園のようで、ここは園内のなかでも最も広いスペースを充てられていた。着いてみると、地平の果てに青々と濃い樹木が壁のように立って敷地を縁取っているなか――これらの樹木は、ビルなどの姿を隠す役目を果たしているらしかった――見渡す限り色とりどりの、黄色、白、赤、ピンク、オレンジ、紫などの、薔薇、薔薇、薔薇である。敷地の奥の方には、屋根のあるスペースが設けられていて、そこに人だかりが見えたのであのなかに三人はいるのではないかと推測し、そちらに向かってみることにした。その途中、薔薇の植えられているなかに入り込み、あたりの色々な種類の花を眺めながら進んだ。一見して薔薇には見えない、薔薇と言って我々がイメージするものとは違う、ハナミズキのような、花弁が幾枚も重なって襞を成しているのではなくて、一段になっているそういう種類の薔薇もあった。「マチルダ」という品種の薔薇が、フリルのようにひらひらとした感じで、なかなか良いなと思った。そのようにして薔薇に目をやっていると、いつの間にかT田、T、Kくんの三人が近くに現れていた。声を掛けていたと言うのだが、まったく気づかなかった、薔薇に夢中になっていたと答えた。T田はシンプルなチェック柄の白シャツに、苔のような緑色のズボン、バッグは手持ちの、深い焦茶色のもので、フォーマルにも使えそうなタイプのものだった。Kくんの装いは青いストライプ入りの白シャツに、先にも記したように真っ黒なズボン、バッグはリュックサック。Tは花柄の、オレンジと言うかピンクと言うかその中間の色のようなワンピース――ファスナーで前を開閉するタイプのもの――の上に何か軽い羽織りをしていたと思うのだがよく思い出せない。彼女はこちらの予想通り、日傘を差していた。
 合流すると、敷地の奥の屋根のあるスペース、そのあたりで音楽の演奏がまもなく始まると言うので、そちらに移った。その脇には車両タイプの売店があり、薔薇ソフトなるものを四〇〇円で売っていたので、皆で食べてみることにした。こちらはそれに加えて、飲み物として「いろはす」を一五〇円で買ったのだが、一五〇円もするわりに出てきたのは三四〇ミリリットルしかない、やや小さなペットボトルであった。それで、観客の人々が集まっているその脇で、段に腰掛けながら薔薇ソフトを舐め、食べる。確かに薔薇の香りと言うか、植物のような風味があって、結構美味いものだった。ここでこちらは、隣に座ったT田に、借りていたクラシックのCDを返してしまった。Leopold Stokowskiのチャイコフスキー交響曲第五番をわりと聞いた、と言った。T田は第二楽章が素晴らしいと言っていたが、俺はどちらかと言うと第一楽章の方が好きかもしれないと。そんなことを話しているうちに、音楽の演奏が始まった。ジャズだった。最初の一曲は薔薇園にちなんでというわけだろう、"The Days Of Wine And Roses"だったので、酒バラだ、と呟き、T田やTにも、これは"酒とバラの日々"っていう曲だよと教えた。トイレから戻ってきたKくんも、こちらと顔を合わせるなり、酒とバラの日々、と言ったので、彼もそこそこジャズ・スタンダードを知っているらしい。二曲目は"Someday My Prince Will Come"、編成は、人々の集団の裏側にいたので演者の姿が見えなかったのだが、ピアノとテナー・サックスとベースのトリオか、あるいはベースはいなかったかもしれない、サックスとピアノのデュオだったかもしれない。ベースソロを一度もやっていた記憶がないので、多分後者だったのではないか。三曲目は"Lotus Blossom"。この曲が始まったあたりで我々は動き出していて、薔薇園を見ながらガイドで学んだことを説明しようということになっていて、通路を歩いていたのだが、"Lotus Blossom"だとこちらが言うと、T谷が、クラシックならわかるのだが、ジャズを聞いてすぐに曲がわかる人って、何かキモい、と口にして、並んでいたT田とこちらは笑い、こちらは何がキモいんだよと応じた。こちらからしてみればクラシックの方がわからないのだが、クラシック好きが曲を聞いてこれは誰の交響曲第何番だとか判別するのとまあ同じことだろう。四曲目はわからなかった、何か聞き覚えがあるような気はしたのだが、深淵な感じのするゆったりとしたバラードだった、と書いたところで思い出したのだが、Billy Strayhorn作曲の一曲にそんなようなものがあったような気がしてきた。何という曲か思い出せなかったのだが、今調べたところ、"Chelsea Bridge"で、多分これだったと思う。サックスが泣き声のような調子でこのメロディを吹いていたような覚えがある。それで五曲目は"Take The 'A' Train"だったので、Billy Strayhornの曲が"Lotus Blossom", "Chelsea Bridge", "Take The 'A' Train"と三曲も取り上げられたことになる。"Take The 'A' Train"が遠くで始まったあたりでは我々は既に薔薇園の内部にいて、Tのいくらか覚束ないような説明を聞いていたのだったが、彼女が話してくれたことは全然覚えていない。品種改良された薔薇のもとになった薔薇というのは九種類しかないというのを聞いて、それに対してこちらは、要するにイスラエルユダヤ人の起源となる部族が一二部族あったみたいなそんなことだろうとよくわからない例えを返したのだったが、そのくらいのことしか覚えていない。T田があとになってくれた手もとのパンフレットをもとに見かけた薔薇の名前を列挙しておくと、リリベット、ピエール・ドゥ・ロンサール――これはフランスの一六世紀の詩人であるロンサールから来た名前だろう――、ロサ・ギガンテア(これはTが、ギガンテア、強そう、と小学生のような可愛らしい感想を洩らしていた白い花で、花びらの先が尖ったようになっていて、それを見てこちらは、海の生物のようだなと言った)、ダマスク・ローズ(ダマスク織りというのがあったと思うが、ダマスクというのはどこのことなのだろうか。トルコだろうかシリアだろうか。ダマスクスがあったのは確かシリアだっただろうか?)、ブルボン・クイーン(言うまでもなくフランス・ブルボン王朝から来ている名だろう)、シャポー・ド・ナポレオン、アンリ・マルタン、アンヌ・マリー・ド・モンラヴェルラ・フランスマリア・カラス(これはかなり大きな赤い花で、存在感・重量感抜群であり、美しかったのだが、これに出会った際には、これは確かオペラ歌手の名前だったはずだとTに言った――続けて、Freddie Mercuryがファンだった人のはずだとも)、アイスバーグ、オルレアン・ローズ、ノイバラ、モッコウバラ、かがやき、ブルー・ムーン(これはブルーと言うよりは薄紫色の薔薇で、「ブルー系」の香りというものがあるらしかったが、ほかの薔薇の香りとの違いはこちらにはよくわからなかった)、そのくらいだろうか。あと、「殿堂入り」の薔薇の区画の端に、黄色を仄かにはらんだ薔薇で、さすがに殿堂入りだけあってこちらのような素人にもその美しさがわかるな、というようなものがあったのだけれど、名前を忘れてしまった。
 一二時頃になって一度、薔薇園を離れて通路を辿り、原っぱの方に行った。その途中、売店で、Tは揚げ餅を、Kくんはチップスターをそれぞれ買って食っていた。子供たちが遊び回っている原っぱの中央あたりには、実に背の高い芒らしき植物の塊があって、KくんとTはそれに向けて並びながら走って行ったその後ろ姿を見てT谷が、青春してるな、と口にした。芒は三メートルから四メートルほどはあったようだ。
 原っぱから薔薇園でふたたび戻る。それでまた見て回る。この時、「殿堂入り」の薔薇たちや、マリア・カラスなどを目にした。敷地の端にはベンチが並んでおり、その後ろには蔦性だったか蔓性だったか、そうした種類の薔薇が壁のようになって展示されていた。そのなかのベンチの一つに皆で腰掛けて写真を撮ったあと、さらに回り続けたが、途中で疲労したKくんが芝生に座り込み、仰向けに寝転がった。彼を置いてほかの面子は近くをさらに見て回ったが、そのうちにこちらとT谷も芝生に座りこんだ。T田とMUさんは、KくんとTのカップルの写真を撮りに行った。T田が前から迫る一方、背後から気づかれずに近づいてシャッター・チャンスを狙う。それから皆合流して、Tが何かアプリ関連でスマートフォンの操作をしているあいだに、後ろでほかの連中は雑談を交わした。時刻は一時頃で、腹が非常に減っていた。食事をどうするかと話す。深大寺と言えば蕎麦で評判の高いところである。それでT谷が、店の場所をスマートフォンで検索した。さらにT田が取り出した地図を見てみると、この植物公園には正門以外に深大寺門というのがあって、そこから出れば早いようだった。玉乃屋という評価の高い店が近くにあるらしい。それで、Tの用事が終わり、通りすがりの人に六人揃った写真を撮ってもらったあと、出発した。
 薔薇園敷地の端から雑木林のあいだに入り、通路に沿っていくあいだ、こちらはTと並んで話をした。こちらの復帰した塾の話をする。国語を教えるのが難しい、生徒は授業記録用のノートをそれぞれ持っており、それに問題の解き方や知識などを書かせるのだが、国語はなかなか何を書かせたら良いのか難しいと話す。そういう場合どうするの、と訊かれて、このあいだの授業では……と話しはじめようとしたところで、Tが、ちょっと待って! と声を上げた。深大寺門の前で、スタンプを発見したのだった。円形の大きなスタンプで、Tは用紙にそれを押したのだが、インクの量や力が足りなくて絵柄がほとんど映らず、薄くなってしまった。そこでKくんが彼氏らしく任せろと言って二度目を試みたが、彼がインクをたっぷりつけて力強く押しても、やはりところどころかすれて映った。
 それで深大寺門を出るとすぐそこに玉乃屋があったのだが、やはり評判が良いだけあるのか混み合っており、待っている人々が結構な数あった。それでどうするか、ここでほかの店を探すか、三鷹に行くか、Kくん宅に行くかなどいくつか案が出たあと、やはりこの周辺で蕎麦を食おうということになった。それで玉乃屋は待ちそうだったので避けて、道を行き、いくつかの店を通り過ぎたあと、青木屋という店が見つかって、ここに入れそうだったのでここにしようかとなった。入店。店内は酒場のような騒がしさで、婦人店員の声がかまびすしい。座敷に上がってもらえますかとの少々ぞんざいな、大きな声音に従い、店の奥に進んで、靴を脱いで座敷に踏み入った。脱いだ靴はビニール袋に入れて手もとに持つように、白い袋が用意されてあった。それで靴を持ってなかに入ると、ちょうど前客が去るテーブルがあったので、そこに入った。声の大きな、ベテラン格らしい婦人店員が、水気を完全に絞りきれていない布巾でテーブルを拭いてくれ、卓上には水玉がいくらか残った。こちらは天麩羅を食いたかったので、天盛り蕎麦にしようと決めた。実のところ、店側もそれを頼んでくれることを期待しているらしく、周囲の壁に貼られた紙はほとんどすべて、天盛り一一五〇円と記されたものだったので、天盛り推しすぎでしょ、などと皆は言って笑った。それでこちらと同じくほかの四人も天盛りを注文し、T田だけが暖かい鰊蕎麦を頼んだ。お手拭きの類が出てこなかったので、皆はトイレに行って手を洗っていたようだが、こちらは面倒臭いので意に介さなかった。店員の様子はいかにも忙しそうで、余裕が全然なく、とても落ち着いた雰囲気とは言えなかった。
 そのうちに蕎麦がやってきたので食べたのだが、不味くはない。しかし際立って美味いかと言えばそういうわけでもなく、天麩羅など普通に美味いけれど、あくまで「普通に美味い」のレベルで、果たして一一五〇円を払う価値があったのかどうかはわからない。蕎麦の風味のようなものを感じられなかったのだが、しかしそれはこちらの舌の問題なのかもしれず、あるいは評判の高い玉乃屋など行けばもっとよくわかるのだろうか。まあともかくも食事を済ませて、このあとどうしようかとなって、結構歩くけれど一応付近に喫茶店があるらしいのでそこに行こうかと固まった。それで退店。高齢の男性に一一五〇円を払って外に出て、歩き出した。道中のことはあまりよく覚えていない。蕎麦屋がやたらとあった。結構暑く、汗も搔いた。深大寺を離れ、大きな通りに出て結構行くと、件の喫茶店があったのだが、どうも六人入れるスペースがないようだった。それで、もう一軒の方に行ってみるかと言ってまたしばらく陽射しの下を歩いたのだったが、こちらはもう品物がほとんどないとのことで、やはり三鷹に行こうか、Kくんの宅に行こうかと相成った。それでバス停に移動したところが、三鷹行きのバスがちょうど来たところだったものの、並んでいる人々が多すぎて入れなかった。それでもう一つ別のバス停に移動し、そこでは吉祥寺駅行きがまもなくやってくるようだったので、吉祥寺に行くのも良いではないかと方針を変えて、それに乗り込んだ。こちらはTと隣り合って席に座った。それで話を交わす。貸した音源を聞いたかと訊くと、まだGretchen Parlatoしか聞いていないとのことだった。あの人は何をやっているのかわからないね、と言うので、わからない、わからない、と笑って答えた。
 こちらのすぐ目の前に、高齢の女性が乗ってきたので、その腕に触れてこちらに注意を引き、座りますか、と訊いたのだったが、婦人はちょっと迷ったあと、笑って、いいですと答えた。それでこちらはそのまま椅子の恩恵を受けたのだったが、婦人は頑張って震えるようになりながら踏ん張ってバスの揺れに耐えているし、やはり替わってあげたほうが良いのではないかとも思ったのだったが、結局その後、声は掛けなかった。婦人としては、満員の車内で、動くスペースがあまりないなかで、こちらの席と居場所を変わるのも難儀だし、彼女一人座っても、連れのもう一人の婦人と離れてしまって話が出来ないという判断があったのだろうと推測する。Tはカナダに行ったことがあるのだが、彼の地ではバスなどで高齢者が乗ってくると、若い者が立って席を譲るのが当然のことのように行われていたと話した。オーストラリアなどでもそうらしい。それで、日本の方が冷たいのかなと訊くと、そうだと思うとの返答があった。
 そのうちに、Tのお兄さんの話になった。彼は統合失調症患者で、現在作業所やコミュニティに通っているものの、まだ正式な就職は出来ていないところらしい。それでお兄さんを見ていると、やはり自分が病気だからということで色々と諦めてしまっている部分がある、とTは言う。それだから、こちらが事もなく一歩踏み出して仕事に復帰したのを見ると、凄いと思ったと言うので、しかしこちらもお兄さんの気持ちはわからないでもない、何しろ労働しなくていいということは楽なものだから、と答えた。お兄さんは先にも述べたように色々と諦めてしまうことがあって、例えば恋愛などもそのうちの一つで、自分は結婚は出来ないだろうと言っているらしいのだが、そうしたことも諦めなくても良いのではないかとTとしては思っているらしい。そのほか、お兄さんはやはりいくらか自分に甘いようなところが、Tの目から見ているとあるらしく、自己を客観視できていない部分があると言う。彼女からしてみると、お兄さんに生き甲斐のようなもの、何か打ち込めるものがないという点が、おそらく一番の懸念であるようだった。お兄さんはゲームやアニメが好きらしいのだが、それは打ち込んでいると言うよりは、どちらかと言えばやはり現実逃避的な側面が強いらしかった――彼女の観察によれば。ただ、それで声優の勉強を一時期していたらしく、そうしたことをするのは良いと思う、それで仮に声優になれようがなれまいが、自分の興味関心に従ってそうした勉強をしたという経験は何かに活きるのではないかと思う、というようなことをTは言った。そうした話を受けてこちらは、お兄さんにも、人間としてよく生きるっていうのがどういうことなのか、是非考えてもらいたいねと、ちょっと偉そうなことを言ってしまったのだが、Tは、いや本当にそう、そこが根本なんだよなあと受けた。
 そのほか、彼女がコンサルタントの仕事を始めたという話もあった。学校の非常勤講師はあと一年は続けなくてはならないらしく、それと同時並行してやっているので最近はかなり忙しいらしい。コンサルタントと言ってどのようなことをやっているのかと訊くと、家族問題を抱えている女性に助言をするようなことをしているとか何とか。Tも、先に記したようにお兄さんのことなどで、家族に関しては結構難儀してきた人間だから、同じような境遇の女性の力になりたいとそういうわけなのだろう。今のところは、一人、担当する女性クライアントが出来たところだと言った。
 そのような話をしているうちに吉祥寺駅に着いたので、降車。バスの運転手は、いかつい大きなサングラスを掛けた男性だったのだが、Tが降りる時に挨拶をしたら穏やかに会釈を返してくれたらしい。そうして吉祥寺駅前で溜まって、どうしようかと話した。Kくんの宅に行くというのも良かったのだが、吉祥寺の町中の喫茶店に行くのでも良い。それでこちらが、このあいだ行かなかった「武蔵野文庫」というところに行くのはどうかと提案した。先日は「多奈加亭」という店に行ったのだったが、そのすぐ隣に「武蔵野文庫」という趣深そうな店もあって、こちらはちょっと興味を引かれていたのだ。それでKくんとTが先導して歩き出し、件の店に向かった。道中はT田と並んでいくらか話をした。例の人との文通はどうなっているのだと訊くと、まだ続いていると言う。一一月からだからもう半年ほども続いているわけで、なかなか大したものである。書く内容には相変わらず苦戦しているらしかったが。とにかく続けるということが大事だから、そのようにして、手紙という形ではあっても、時間を共有したという経験は、目に見えるような明確なものに繋がらなくとも、何かになるとは思うと告げると、T田もそうであってほしいと言った。
 それで店に着いたのだが、やはり六人入るスペースはなく、入るのだったらテーブルが分かれてしまうという話だった。それで長々とたくさん歩いて来たけれど結局、Kくんの家に行くかということになって、道を引き返したのだが、その途中で、カラオケに入るのはどうかと誰かが提案した。こちらにもお伺いが来たので、いいんじゃないかと答えて、近くのカラオケ「まねきねこ」に入ることとなった。ビルに入り、エレベーターで二階に上がって入店。ドリンクバー付きのサービスにして――しかしこちらは一杯のカルピスしか飲まなかった――個室へ。皆が飲み物を取りに行ったり、トイレに行ったりしているあいだ、こちらはFISHMANS "いかれたBABY"をもう歌いはじめてしまった。そのほか、cero "Orphans"、小沢健二 "いちょう並木のセレナーデ"、"流星ビバップ"、the pillows "ストレンジカメレオン"、FISHMANS "なんてったの"などを歌った。ほかの面子が歌っていた曲は省略。ただ一つ書いておくと、MUさんが栗コーダーカルテットUAがコラボレーションした"Popo Loouise"という曲を歌っていて、ちょっと面白かった。MUさんの声も、音程はやや不安定だったが、高音部の声質など結構透き通っていた。
 それで、四時から七時まで三時間カラオケ・ボックスには入っていたのだが、六時を過ぎて後半は、Tが皆に話したいことがあるということで、モニターの音を消して、話をする一幕となった。帰り道で、「(……)」のことは書かないでほしいとTに頼まれたのだったが、しかしどこまで「書かないでくれ」なのか細かいところがわからない。とは言え、この時カラオケで話されたことも、結構デリケートな性質の話だし、「(……)」の成り立ちにも深く関連する事柄だろうから、ここは書くだけで公開はしないことにする。(……)
 (……)
 そのような話がなされたあと、七時を迎えて退出となった。会計をして――自動精算機で、こちらが皆の分をまとめて会計し、皆からそれぞれ二〇〇〇円ずつを受け取った――退店。食事をどこにするかといったところで、ちょうど一階上にサイゼリヤがあったので、そこにするかと相成った。それでエレベーターで一階上がり、紙に名前を書いて、しばらく待ってから入店。テーブル席に通される。こちらが注文したのは柔らかチキンのサラダとシーフード・グラタン。その後チョリソーも。ほかの面子の食事は面倒臭いので省略。食後、こちらがT田に、最近興味深かったことはあるかと尋ねて、T田が百合もいいなと思った、などと答えて皆が笑う一幕もあり、その後こちらに話が振られて仕事のことを話したり、T田と『響け! ユーフォニアム』の映画のなかで同性愛的な感情の繊細が描写が良かったと話したり、T谷が何やら話していたりということもあったのだが、それらすべて面倒臭いので細かいことは省略する。九時半頃になって退店。エレベーターで下ってビルの外に出て、駅までの道を行く。駅に入るとKくん、TとMUさんは総武線のホームへ。こちらとT田とT谷は中央線のホームに上がり、方向の違うT谷とは別れ、T田と二人で立川行きに乗った。電車のなかでは、音源を聞かせてもらった。"N"にT田がアレンジを施したもので、アンビエント風味にしたかったらしいが、聞いてみるとそれがよくわかった。思いの外に、電子的なアレンジが嵌まるかもしれない曲だと思った。それで、思い切り電子的な方向に振り切ってもいいかもしれないなとコメントし、James Blakeのことを思い出したので、参考になるかもしれないとT田にその名前を教えておいた。その他の話は省略。
 立川に着き、T田と別れると一番線ホームへ。青梅行きに乗り、扉際に立って、 ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を読む。青梅駅に着いて降りると引き続き読書をしながら待ち、やって来た奥多摩行き一一時一一分発に乗車。最寄り駅までのあいだも本を読む。降りると、満月が明るく南の空の高みに掛かっている。駅舎を抜けて坂道に入ると、あれがシリウスだろうか、満月の左下に一つ輝いている星があって、貼りつけられたようでもあり、火花を弾きながら停止した線香花火を思わせるようでもあり、宙に糸で浮かんで静止する蜘蛛を思わせるようでもあった。
 帰宅。帰宅後のことは面倒なので省略する。風呂に入って休んだあと、YさんとMYさんと通話をいくらかして二時半頃就床した。


・作文
 7:09 - 7:40 = 31分

・読書
 7:45 - 8:13 = 28分
 8:52 - 9:47 = 55分
 22:23 - 23:13 = 50分
 計: 2時間13分

・睡眠
 3:00 - 6:30 = 3時間30分

・音楽
 なし。

2019/5/18, Sat.

 二時まで糞寝坊。またもや堕落の輪のなかに取り込まれてしまった。どうあがいても起きられない。起床すると携帯にメールが入っていて、と言うか微睡んでいるあいだに携帯が震えたのは認識していて、職場からだろうかと思いながらも起きられずに放っておいたのだったが、それを見ると当日の出勤要請だった。三時からのコマだと言うので余裕はないが、困っているようだったので応じて出ることにして、ギリギリになると思いますが向かいますと返信しておいた。そうして上階に行き、母親に急遽仕事が入ったと知らせて、炒飯とサラダを素早く食べる。そうすると時刻は二時一五分かそこらだった。下階に下り、寝間着からスーツに着替える。今日も前日と同じ、父親に借りた高島屋のグレーのスーツを着た。暑いだろうからジャケットは羽織らず、ワイシャツの上にベストを纏ったのみの格好である。それで荷物をクラッチバッグにまとめて上階に行った。家の南側で外気に触れながら本を読んでいた父親がなかに入ってきていたので、風呂を洗ってくれる、と頼んだ。歯磨きをしている時間もなかったので、ガムを一つ貰って噛み、便所に入って排便すると、母親に続いて家を出た。母親も壊れたドライヤーの替わりを買いに出かけると言うので、車で乗せて行ってもらうことにしたのだ。それでギリギリに着くことは避けられるはずだった。家を出た時、時刻は二時半を僅かに回ったあたりだった。車の助手席に乗りこみ、どうでも良い音楽が掛かっているなか発車、坂を上って行って街道に出て、市街へと走っていく。母親は途中、今日も父親が休みなのでテレビを取られてしまって見られない、いつまでも酒を飲みながらものを食べているし、それでちょっと憂鬱、とか口にしてみせた。こちらはそれには何とも受けずに無言で通して、青梅駅近くに来るとちょうど信号が赤だったので車が停まったところで礼を言って降りた。強い風に旗がばたばたと激しく震え、銀杏の木の青々とした葉っぱも揺れているなかを歩いていく。八百屋の前では葱か何かの匂いが香った。
 職場に着くと室長が、ありがとうございますと本当に助かったらしい笑みを浮かべてくる。それにこちらも笑みと会釈で応じて、奥のスペースに行き、ロッカーに荷物を仕舞って準備を始めた。三時からの時限と、六時からの時限をやってほしいと知らされていて、あいだの空き時限で日記を書けるだろうということでコンピューターを持ってきていた。その点室長に確認し、合間の時間は奥の方で自分のことをやっていて良いという許可を取りつけた。それで授業。一時限目は(……)くん(小六・国語)に(……)(中一・英語)。前者は初顔合わせ。線の細くて、声も細いような大人しそうな子だった。後者は以前勤めていた時にも担当していた子なので、初めましてという例の冗談を言ったあと、またよろしくお願いしますと挨拶した。(……)くんは中学受験用のテキストをそのまま進めた。今日やったのは説明文・論説文。段落ごとの役割を捉えろとか、筆者の意見は最終部にまとまっていることが多いとか、そのようなことを説明し、あとは一段落ずつ、どんなことが書かれていますかといちいち訊いていって答えさせるようにした。そのようにして内容をまとめる力が少しでもつけば良いだろう。(……)はテスト範囲の復習、テスト前に今日のこの一時限しかないとのことだったが、範囲がI am ~/ You are ~やその否定文などでそれほど広くなかったし簡単なところだったので、充分復習できたと思う。文法的な理解は問題ないのだが、単語のスペルミスが結構目について、書けない語がいくつかあったので、それらを練習させた。tired, thirsty, Sydney, Australiaなどである。練習させたあとは確認のためにノートの別の頁をひらいて答えを見ずに書かせ、その後も授業中で折に触れて同じように答えを見せずに書かせて確認した。あとはテストの日まで覚えていられればというところだが、まあ多分忘れてしまうのだろう。
 それで一時限目は終了。合間の時間にまず外に出て、近くの自販機で「GREEN DAKARA」を買った。大してうまくもない飲み物だったが、これくらいしか飲みたいようなものが見当たらなかったのだ。それで教室に戻って、奥の方の一席を借りてコンピューターを置き、日記を書いた。四時四〇分頃から初めて一時間強打鍵し続けて、前日の日記を何とか仕上げることができた。
 それで二時限目の時間、六時が迫ると入口近くに立って生徒の出迎え・見送りをした。そう言えばこれよりも前、合間の時間に入ったばかりの頃だったと思うが、(……)さんとも再会した。彼女が入ってきたところにこちらはちょっと離れたところから突っ立って視線を送っていると、気づいた相手が、驚きの表情を見せ、会釈しながらお久しぶりですと挨拶してきた。彼女が近寄ってくると、お久しぶりですではなくて、初めまして、新人のFって言いますと例によっておちゃらけてみたのだが、そうすると彼女は、それはひどい、と笑って口にした。その後真面目なトーンに変えて、またよろしくお願いしますと挨拶しておいた。
 それで二時限目の授業だが、この時間は相手は中三の(……)くん一人、科目は社会である。この生徒も以前から面識のある生徒だったので、お久しぶりです、よろしくお願いしますと挨拶した。それで社会は歴史を扱って、テスト前なので対策、条約改正あたりから第一次世界大戦くらいの事柄である。まず宿題二頁のうち、一頁は全問正解で問題なく、二頁目はややわからない部分があったが、それでも一次大戦の始まった年、終わった年など訊くとすぐに答えられて、思ったよりもこの子は出来るのではないかと思われた。彼が覚えにくかった部分というのは、芸術家などの名前だと言うので、横山大観黒田清輝高村光雲がそれぞれ日本画、洋画、彫刻の分野の人間であることを確認し、授業の合間に折に触れて復習して確認して、またノートにもメモさせた。歴史の授業は結構解説することがあってわりあい面白い。この日も不平等条約の内容だとか、社会主義というのはどういう思想かとか、まあそういったことを解説したのだが、社会主義って知ってる、と訊いても、あれですよね、平等な……とか言ってみせるので、やはり意外にも、と言っては失礼だが、結構基本的な知識はある生徒であるらしい。問題の出来にもそれは表れており、復習確認のような頁と、やや難しい問題、結構難しい問題とやらせたのだが、全体に出来は良く、こちらは僅かに間違えたところを拾って解説すれば良い、というような形だった。ノートにも色々と書いてくれて、ノートの記録欄がすべて埋まるくらいになったので、これなら誰が見ても文句はないだろうという状態に持っていくことができた。まあマンツーマンであったから、それくらい出来ないとやはりいけないだろう。
 それで終了。生徒たちの見送りをして、室長に授業記録をチェックしてもらった。それから、室長にまた、夏休み、八月にモスクワに行くことになったので長めに休みを頂きたいと話を切り出してみたところ、事もなく、良いよ、という返答があったので安心した。これでモスクワ行きは大丈夫そうである。そうして退勤。出口の近くに来ると室長が、今日は本当に助かりましたと礼を言うので、まあ暇人なんで、と受け、また何かあったら、呼んでいただければと応じた。そうして退出。
 空には雲が全面に掛かっているらしく、東の空の満月が朧に霞んでいた。夜気は涼しいものの、歩いているうちにやはりベストの裏が蒸してきて、首筋など汗の感覚が滲む。裏通りの途中で鳴いていた虫が突然声を消した瞬間があり、一瞬、耳がきんとなりそうな静寂があたりに満ちたのだったが、歩を進めているうちにまたどこかから虫の小さな声が湧いてきて、その静寂もすぐに破られてしまう。朧月は雲を掛けられながらもそれに負けずに光を放っていて、黄色い目玉のようだった。
 帰宅。両親に挨拶して下階へ。コンピューターを机上に据えてスイッチを押し、準備させながら服を脱ぎ、汗ばんだ肌に息を吸わせて、TwitterSkypeをチェックしてから上階に行った。食事はジャガイモやウインナーの炒め物に鮭、米に柔らかい味の魚介や野菜のスープ。父親は休みなのでまた酒を飲んだらしかった。こちらは食事を終えても疲れのためにすぐには立ち上がれず、ちょっと休んでから台所に立って皿を洗い、風呂に行った。風呂のなかでFISHMANS "頼りない天使"のメロディを吹きながら身体を休め、上がってくると居間の南窓のカーテンを閉め、それからすぐさま下階に戻って、久しぶりに短歌を作った。風呂のなかにいるあいだに久方ぶりに作歌の回路が駆動していたのだった。五つを適当に拵えた。

 鈍色の涙を燃やせ不死鳥よ氷雨に刺されて血を噴きながら
 夕暮れて影法師たちのセレナーデ鳥も樹木も風に狂って
 寝覚めしてゼニアオイ色の黄昏に狂気の本を繙き耽る
 真っ青な原始時代の白夜にて無涯の海に投身自殺
 儚くて正義も罪も平等も犬に喰わせて空き地に埋める

 ブログの「短歌」記事にも最新の分まで追加しておき、TwitterSkype上にも呟いて、それから日記を書きはじめたのが一〇時九分だった。FISHMANS『Oh! Mountain』や、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)をお供にしてそれから一時間打鍵して現在時に何とか追いつくことができた。日記を毎日書くというのもなかなかそう楽ではない。
 ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みはじめた。「死者たち」の後半である。この篇は三宅さんが好きで印象深いものとして東京に来た時など言及していた覚えがある。彼が言及していただけあって、その終盤は今まで読んできたなかでは一番印象的だった。妻の死んだ恋人、恋敵に対する嫉妬や怒りで終わらせないで、そこから一種の「愛」の感情へと展開していくのがさすがであると思ったのだったが、それでもやはり最後まで翻訳に馴染めず、書抜きをしたいとは思わなかった。柳瀬尚紀訳で読むとまた違うかもしれない。零時まで読んでこの本は読了し、その後、インターネットを回ったあと、既に始まっていたSkype上の通話に、零時四〇分あたりから参加した。
 T.Kさんという新しい人がチャットで参加していた。高校生だと言う。鉱物が大好きらしい。好きな科目は理科や数学ともろに理系。中原中也の詩も好きらしい。そこから、教科書に載せてほしい作品、というような話になった。こちらは『族長の秋』を載せろよと以前は思っていたと言ったのだが、これはやはりさすがに無茶な要求である。しかしああいう訳のわからないようなものに学校で触れさせて、この世にはそういう存在があるのだぞ、この世界というのはお前たちが思っているよりも広いのだぞということを子供たちに知らしめるだけでも有益なことではないかとも思うのだが。Bさんは便覧に三島由紀夫の作品として、『潮騒』とか『金閣寺』とかそのあたりの有名作しか載っていないのが不満だと言った。もっと『豊饒の海』とかも載せろよという立場らしい。
 そのうちに、Iさんがやって来た。彼は今日、金来成[キム・ネソン]という韓国の作家の小説を読んだと言った。アンチ・ミステリーといった趣のものであるらしい。この作家に関してはウィキペディアに記事があって、「韓国推理小説創始者」などとされている。そこからアジア圏の文学も面白そうなのだけれど、全然触れられていないなという話になった。Aさんがチャット上で、ハン・ガンの名前を出したので、『すべての白いものたちへ』でしたっけとこちらは即座に応じた。ちょっと前にTwitter上で好評を得ていたような記憶がある。
 その後、実に幅広くものを読んでいるAさんが読んでなさそうな作品――今まで自分が読んだもののなかで――を挙げようというゲームが何故か始まった。こちらはムージルの『特性のない男』を挙げたのだったが――まだ一巻しか読んでいないけれど――、Aさんは以前こちらがムージルについてした話を覚えていたものの、まだ読んでいないということだった。その過程で、Aさんが、ミック・ジャクソンという作家の名前を出した。この人は本名がマイケル・ジャクソンで、例の有名人と間違えられるのでミックに改名したという話だが、その後はその後でミック・ジャガーと間違えられるようになったという不憫な人らしい。
 それから今皆さんは何を読んでいるんですかと尋ねると、NNさんは須賀敦子を読んでいるとのことだった。須賀敦子もこちらはまだ一冊も読んだことのない作家である。Yさんが応じて須賀敦子の著作がいくつか並んだ写真をチャット上に載せたのだが、そのなかに、『ユルスナールの靴』というのがあって、ユルスナールってマルグリット・ユルスナールですよねと問いかけ、僕は二冊読んだことがありますよ、『ハドリアヌス帝の回想』と、『黒の過程』と、『ハドリアヌス帝』を読んだのはもう随分前なので内容は全然覚えていないですが、重厚な文体の感触だけは何となく残っていますと話した。そこから『ハドリアヌス帝の回想』を訳した多田智満子の名前を出したりもした。Aさんはマルセル・シュウォッブの『少年十字軍』を多田智満子訳で読んだと言う。
 そうして二時を迎えたところでこちらは離脱した。チャット上に、今晩もありがとうございました、よい眠りをと挨拶しておき、Yさんが上げた服の写真だけ見てからコンピューターを閉ざした。そうしてベッドに移り、ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を読みはじめた。やはりこちらの方が訳が全然良い、精度が違うと思う。また、「出会い An Encounter」という篇のなかには、路傍の子供らがプロテスタントを罵る"Swaddlers"という語が出てくるのだが、これを、米本義孝は「オムツ新教徒やーい! オムツ新教徒やーい!」と訳している(swaddleというのは「赤子用オムツ」のことであるらしい)。これは「オムツ」の意を汲みながらも、やはりあまりこなれた訳とは言えないと思うのだが、そこを柳瀬尚紀は、「メソジスト」に掛けて「めそ児[じ]ッたれ! めそ児ッたれ!」と訳していて、かなり大胆な意訳ではあるけれど、さすがの手腕だと言わざるを得ない豪気な訳しぶりである。それは特殊な部分だが、やはり全体的に米本訳よりも日本語としての組み立て方がきちんと整っているように思う。さすがは『フィネガンズ・ウェイク』を訳したつわものだと言うべきだろう。
 三時直前まで読んで、六時半のアラームを仕掛けて就寝した。


・作文
 16:43 - 17:51 = 1時間8分
 22:09 - 23:07 = 58分
 計: 2時間6分

・読書
 23:11 - 24:00 = 49分
 26:06 - 26:57 = 51分
 計: 1時間40分

・睡眠
 3:30 - 14:00 = 10時間30分

・音楽

2019/5/17, Fri.

 九時二〇分に起床することに成功。睡眠時間は六時間にも満たない。快挙である。堕落の輪を一時断ち切ることが出来た。起き上がって上階に行くと、母親は台所で立ち働いていた。サラダか何か拵えていたようだ。台所に入ると輪切りにしたウインナーを菜っ葉やピーマンとともに炒めた料理があったので、それを電子レンジに突っ込む。その他米をよそり卓に就くと、母親が作ったばかりのサラダを皿に載せて寄越してくれたのでそれも運び、食事を取った。食後、抗鬱剤ほかを服用し、食器をさっと洗って下階に戻ると、コンピューターを再起動させて、それから前日の記録を付けた。この日の記事を作成してさて日記を書きはじめるとまもなく、母親が掃除機を持ってやって来たので、機械を受け取って自室の床の細かなゴミや埃を吸い取った。それからFISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書いて、現在一一時過ぎである。音楽はBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』に移行している。今日は午後、医者に行こうかと思っている。その後図書館で日記を書いたのちに夜から労働の予定である。
 前日の記事をインターネットに投稿。のち、一一時半から読書。ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みはじめたのだったが、じきに目がひりつき、眠気が煙のように身中に湧き昇ってきて撃沈。枕に頭を載せてしばらく休む。一時二〇分頃起きて、再度読書を始めたようだ。この時に、干してあった布団を取り込むこともしたと思う。それでふたたび書見の時間なのだが、ここでも眠気に刺されてしまって、一応二時半過ぎまで読んだけれどその後はあえなくまた床に臥してしまった。三時頃まで休んでそれから食事を取って出かけようと思っていたところが、気力が身体に宿って来ずに、あれよあれよという間に時間が過ぎて、結局四時を迎えてしまった。そこでようやく起き出して、上階へ。カップラーメンとおにぎりを食べることに。玄関の戸棚からカップ麺(柚子塩味)を取り出して湯を注ぎ、三分か四分待つあいだに台所に行って大きなおにぎりを拵えた。味付けは塩と味の素のみである。そうして卓に就き、おにぎりを半分以上貪ったあと、カップ麺の蓋を剝がして麺をほぐし、香味オイルと粉末スープを加えて搔き混ぜた。そうして啜るのだが、このカップ麺は大して美味いものではない。それでも完食して、しかしスープはあまり飲まずに台所に行って容器を片付け、そうしてワイシャツと靴下を身に纏いながら下階に下りた。今日のスーツは父親から借りた高島屋のグレーのものを着ることにした。スラックスは僅かに腰回りが緩いので、茶色のベルトを締め、首もとに臙脂色のネクタイも巻き、そしてこのスーツにはベストはついていないのだけれど、同じ灰色でそう違和感もあるまいということで自分のスーツに付属しているベストを身につけた。そうして便所に行って腹を軽くしたあと、Miles Davis『Kind Of Blue』の冒頭、"So What"が流れるなかで歯磨きをして、荷物をまとめて出発である。
 今日も風が流れて、葉擦れが鳴っているなか、坂を上って行く。空には青味が窺えて、空気もそう暗くはないが、太陽は西の雲に覆われているようで日向の感触は道にない。歩いているうちに、やはりベストにジャケットまで着込んでいると熱が身内に籠って、汗の感覚が生じはじめた。街道に出て通りを渡ると、目の前には躑躅の花叢があったが、赤紫色の花はもう大方萎んでおり、地にもたくさん伏したものが散らばっていた。Mさんが二月に来都した時のことをふと思い起こして思い出し笑いをしながら表通りを進んで行く。途中で老人ホームの、道に面した大窓を覗くと、車椅子に乗った高齢者たちが多数テーブルの周りに集まって、通りすがりのこちらを眺めていた。その角、青々と大きな葉をつけた桜の木の前を曲がり、裏通りに入る。
 コデマリやらミモザらしき花やら、色々と咲いているなかを歩いていき、白猫の家に至ると、今日も猫は家の前にうつ伏せになって佇んでいたので、寄っていって手を差し出した。相手は顔をこちらの指先に寄せてきて、湿った鼻面の感触が微かに触れる。それから頭を撫でてやったり、腹をくすぐるように触ってやったり、背中をゆっくりとさすってやったりして一時――五分もなかったのではないか?――戯れたあと、立ち上がり、身を屈めて、最後にもう一度頭を撫でてやったあとに別れを告げた。
 元市民会館のあたりまで来ると、森の方から響いてくる鳥の声が少ないなと思われた。過去の記憶によると、初夏の出勤路には、鵯のけたたましい鳴き声が響いていたような気がするのだが、あれは朝のことだっただろうか? ともかく駅に至ると改札を抜け、ホームに上がるとちょうどアナウンスが入って電車が入線してくるところだった。停まった電車の、二号車の三人掛けに腰を下ろし、リュックサックを傍らに置いて、手帳を取り出して眺めた。道中搔いた汗の感触が身体中にあって、熱が籠って暑かった。
 河辺に着くと降り、改札を抜けて左へ、駅舎を抜けると医者を目指す。家々のあいだの道の途中に陽射しが湧いて、ところどころ日向がぱっくりと口をひらいていた。その薄オレンジ色に比して、なかに伸びるこちらの影や、日蔭の色が青く際立っている。そんななかを歩いていき、ビルに着くとなかに入って階段を上った。待合室に入ってみると待っている人はこちら以外に僅か二人、これなら早そうだと期待して、受付に保険証と診察券を差し出した。そうしてすぐ傍の席に腰を下ろし、ジャケットを脱いで二つ折りに畳んで傍らに置き、ベスト姿でジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を取り出して読みはじめたのが五時四三分だった。そうして六時ぴったりに順番が回ってきて名前を呼ばれた。はい、と低く返事をして、診察室の扉に近づき、こんこんと二回ノックをしたあとになかに入って、こんにちは、と挨拶した。そうして革張りの黒い椅子に腰を下ろす。どうですか調子は、といつものように問われるので、まあ変わらず、普通……普通です、と答えたあと、続けて、職場に復帰致しましたと告げた。そうじゃないかなと思ったんですよと先生はこちらのベスト姿を見て言った。一年ぶりの仕事の調子はどうかと問われたので、そうですね、思いの外に働いてみると身体が動いて、今の所問題なく、わりあいに上手くやれていると思いますと答えた。その他、睡眠は取れていますかと訊かれたのには、やや過眠気味だと受けて、先生はそのあたり少々気になっているようだったが、これはこちらの意志薄弱の為せる業である。同僚などは以前の人が残っているのかと問われたのには、結構いなくなってしまったが、残っている者は残っていると応じ、生徒の方はと訊かれたのにも、結構残っていますよと答えた。久しぶりと言って、旅に出ていたんだとか言ったりして、と話し、それから、どうでもいい話をしてもいいですかと許可を取ってから、病中に太りまして、一〇キロも太ってしまいまして、それで職場に復帰するにあたって久しぶりにスーツのスラックスを履いたら入らなかったんですよと笑った。続けてセルトラリンは太る薬ですかと訊いたが、特にそういうわけでもないらしい。オランザピンを使った時に太ったのだと思うと話すと、それ以来落ちていないということですねと先生は笑ったので、肯定した。まあ以前が痩せすぎだったのであって、今の体重の方が適正であるくらいなのだ。
 薬の処方は、職場に復帰したばかりでもあるし、以前と変わらずということになった。ありがとうございますと椅子に座ったまま医師に向けて礼をして、立って扉に寄るともう一度礼をしながら失礼しますと口にして退出した。スーツのジャケットを羽織って荷物をまとめるとすぐに会計、一四三〇円を払って、受付の職員にもありがとうございますと正面から礼を言って待合室を出た。領収書を畳んでリュックサックに入れるとともに、お薬手帳を取り出し、処方箋を片手に持って階段を下りていく。ビルから出るとすぐ隣の薬局に入り、挨拶しながら処方箋と手帳を差し出した。八八番の札を代わりに受け取って、がらがらに空いている席のなかの一つに就き、手帳を読みながらしばらく待っていると――頭上に設えられたテレビは日本文化を模したタイの観光地について取り上げていた――すぐに八八番の方、と呼ばれた。それでカウンターに寄り、定型的なやりとりを交わしたあとで会計、一九九〇円を払って礼を口にして薬局をあとにした。
 線路沿いに出て道を行けば、西空に掛かった雲の向こうから残照が仄かな明るみを洩らしており、それを背景に小さな黒い点と化した鳥たちが、風に舞う花びらのように空中を群れて行き交う。線路沿いを歩いていき、駅に着くと階段を上って、駅舎内の通路を通って反対側に出た。歩廊を図書館に向けて途中まで進んだところで、電車の時間を確認していなかったことに気づいて駅に引き返した。それで掲示板を確認すると、乗るべき電車は七時七分か一八分、一八分だと労働までの余裕がいくらか乏しいので、七時七分に乗れば良かろうと定めてふたたび歩廊に出た。西空に浮かんだ千切れ雲の上端に、薄紫色が乗っていた。
 図書館に入り、新着のCDを見ると、Woody Shawの八一年の日本でのライブ音源があった。それから階段を上って上階に行き、新着図書を眺めたが、それほど目新しいものはない。書架のあいだを抜けて大窓際の席を見れば、テスト前だからだろう中高生の姿が多く見られて席は混んでいる。喉も乾いているし喫茶店に行くかと思いながらも席を辿ってみると、一席空きが見つかったのでそこに入った。ジャケットを脱ぎ、椅子の背に掛けて、ベスト姿になって席に就く。コンピューターを取り出し、日記を書きはじめたのが六時半、それからぴったり三〇分、七時ちょうどまで打鍵して、医者にいるあいだの途中のことまで書くと、速やかに荷物をまとめて席を立った。何か本を借りようかと思っていたものの、見分している時間はもはやなかった。退館し、歩廊に出ると、果てから足もとまで等しく青さに浸った午後七時の空気のなか、右方の西空の山際には幽かにゼニアオイ色がくゆり、左方の東空に出た満月は青さのなかでくっきりと際立ちはじめていた。河辺駅に渡り、改札を抜け、エスカレーターを下ってホームの先頭、一号車の位置まで行き、手帳を眺めているとまもなく電車はやって来た。乗りこみ、扉際に立ちながら手帳に目を落として、青梅に着くと降車して、ホームを辿っていく。駅を抜けると職場に向かった。
 職場に入り、奥のスペースに行くと、(……)先生がいたのでお疲れ様ですと挨拶をした。この日は室長がいなかった。担当は国語二名、(……)くん(中一)と、(……)くん(同じく中一)。(……)くんは三回目である。テスト前の国語三時限をこちらがすべて担当したことになる。この日はワークの問題は終わってしまったので、補助教材を使って進めた。補助教材にはやや難度の高い記述問題があるのだが、それも積極的に書いてくれて良い感じである。記述を解く時はまず中核となる答えを短く簡単に考えて、それから周辺情報を付加していくようにとのアドバイスを行った。
 (……)くんは以前勤めていた時にも担当したことのある生徒で、少々背など高くなっていたと思う。お久しぶりです、またよろしくお願いしますと挨拶をした。彼は私立学校の生徒である。それでしかし、国語の教材を何も持ってきていないと言うのでどうしたものかと思ったところが、使っている教科書を訊くと公立学校のそれと同じで、やっているところも同じだと言うので、それならば対応するワークがある、ということでコピーして対応した。それで国語はやはり、突っ込んで解説をしたり、ノートに事柄を書かせるのが難しい。突っ込んで質問したり解説したりするところまではある程度出来るが、そこから学んだことをいざノートにメモするとなると、これがなかなか困難で、ほかの教科のように逐語的な知識があまりある科目ではないので、何を書けば良いのか生徒のほうも戸惑うような形だ。この日は一応、(……)くんの場合は、「花曇り」という言葉の意味と、蟷螂の詩について書かせた。蟷螂の詩については、力強い感覚があると答えにはあるが、どこの部分が力強いかという質問をすると、まずもって「~ぜ」「~だぜ」という語調になっているのが強い感じがするという答えがあって、それはなかなか良い着目点ではないかと思ってそれをノートに書かせたのだったが、果たしてこうしたことをメモっておいて何か意味や効果があるのかというと心もとない。しかしほかに書くこともないのだ――空欄にしてしまうのはまずいので、どうしてもノートを埋めることが自己目的化してしまいがちなのが我が塾のシステムの危ういところである。
 とは言え授業は全体的には問題なく、わりあいに上手くいっただろうと思う。また、この日はこちらが(……)くんの教材をコピーしている時に、(……)先生という女性の先生があちらから挨拶をしてきてくれた。向こうから挨拶が来たのは初めてで、この夜に両親とも話したことだけれど挨拶というのはやはり何だかんだ言っても大事で、そのあたりこちらから行くばかりで向こうから来る人があまりいなかったので、この日の(……)先生の対応には安心した。また、(……)先生も授業後、挨拶が遅れましてと言いながらこちらのもとに来てくれたので、これも良かった。そのほか(……)先生と(……)先生にはこちらから挨拶をしたので、これで同僚とはほとんど一応一回は言葉を交わしたことになると思う。さらにこの日良かったこととしては、コピー機の前にいる時に(……)がやって来たのだが、そのうちの一人――双子なのでどちらがどちらなのかわからない――が、先生の授業もう一回受けたいですよと言ってくれたことがある。なかなか嬉しい評価ではないか。
 あとそうだ、(……)先生とも再会して、授業後にちょっと立ち話をした。彼女は今大学三年生だと言う。と言うことは、こちらが以前いた時分には大学一年生だったということなのだが、当然のその事実を確認して、マジかと口にし、月日の流れてしまったその事実に打ち震えた。いつの間にか、気づけば三年生になってましたと彼女は言う。就活などしなければならないのだが、元々教職志望だったところ、色々と調べてみると自分には向いていないのではないかと思うようになって、今進路を迷っているところらしい。そんなような話をして、一緒に出口のところまで行き、お疲れ様ですと見送ってこちらも外に出て、ロータリーを回った。
 水分の抜けた身体を潤すかというわけで、裏道の途中にある自販機に寄って、一〇〇円のコーラの缶を一つ買った。そのプルタブを引き開けると、しゅわしゅわと音を立てながら中身の炭酸水が噴出してきたので、マジかと思ったが、噴出はすぐに止まって、液体が缶の上端を越えて少々零れるだけで済んだものの、左手がべたべたと汚れてしまった。それでもそのコーラを飲みながら歩いて行き、途中に差し挟まった間道に出ると、午後九時半の深い闇空のなか、左方、南の方角に、満月が輝かしく照っていた。その後、コーラをごくごくと口にしながら歩いて行き、青梅坂まで来てふたたび南空に目をやると、先ほどは星の息絶えたように黒々と深んでいた夜空に、今度は美しい青味が露わになっている。その青々と光の照り渡った夜空の下、坂を下りて角の新聞屋の前のゴミ箱に缶を捨て、表通りを歩いていくあいだ、道行きの左方に常に満月が付き添ってきた。
 家の傍に続く最後の坂を下りると、右方にひらいた木の間の上り坂の中途に、白い影がある。猫だった。それでしゃがんで手を伸ばしてみるのだが、猫はこちらを一顧もせずに上って行ってしまう。それを追いかけるけれどもあちらも走って逃げて、一度はすぐ傍まで接近することができて、相手は振り返って止まったのだが、やはり警戒して逃げてしまったので、途中で諦めて坂道を引き返した。そうして帰宅。両親に挨拶し、下階に下って服を脱ぐ。汗だくだった。コンピューターを机上に据えて起動させておき、肌着の真っ黒なシャツにジャージ姿になると、支出を記録してから上階に行った。そうして食事、餃子や炒め物をおかずに白米を食った。父親が話しかけて仕事のことを訊いてきた。それが発端になって、職場のことを色々と話したが、細かく思い出して記すのは面倒臭い。国語の授業が難しいといったこととか、詳しく書くと素性がバレるので避けるが、塾全体のシステムを説明してその問題点を指摘したりとか、あとは同僚たちがあちらからあまり挨拶をしてこないということなどだ。風呂から出てきた母親も交えて零時を過ぎるまで長々と話したのだったが、挨拶の件について触れておくと、自分は以前から、新しく入った新人の講師と時間が一緒になったら、こちらからFです、よろしくお願いします、文系科目を担当しているのでわからないことがあったら訊いてください、くらいの声は掛けるようにしていた。ところがこちらが復帰して入っていっても、面識のなかった先生からの挨拶がなかなかなくて、こちらから行かねばならない、そのあたりちょっと釈然としないものを感じていたのだ(しかしこの日は先に綴ったように、二人の先生から挨拶されたのでそれは良かったのだが)。あとは、同僚同士の挨拶だけでなくて、生徒の出迎え、見送りの挨拶も、こちらが入口に一番近いところに立ち、言わば最前線に立ってやっている。そのあたりも、皆もっと来いよ、ついて来いよ、と思うと両親に話すと、そうした改善点が目につくのだったら、今すぐでなくても良いけれど、教室会議の折などに指摘したほうが良いと思うとの返答があって、まあそれはその通りである。あとは塾で働くに当たっての心構えとか、英単語テストの使い方の難しさ、その無意味さなどについても話したのだけれど、そのあたりは面倒臭いので省略しよう。
 零時を結構過ぎてから風呂に入った。出てくると下階に下り、零時五〇分頃から読書を始めた。ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』から「死者たち」である。それを一時間弱読んだところで、中断し、コンピューターに寄ってSkypeでやり取りして、二時前から通話が始まった。何を話したのか例によって全然覚えていない。幽体離脱の話があった。Yさんが以前体験したらしい幽体離脱の手前の体験のことが話された。こちらも応じて、以前瞑想を習慣的にやっていたのだが、変性意識に入ると眼裏に鮮明な画像が見えたり、昼寝の時に幻聴が聞こえたりしたことがあったと話した。また、恐怖症の話もあった。MDさんが皆さん、何か恐いものってありますかと訊いたのだった。いや、訊いたのはYさんだったか? 皆の恐いものって何かな、と彼が訊いていたような気もする。MDさんは「トライポフォビア」とかいう単語を口にした。訊けば、何か丸いものが無数に連なっているのが恐いという恐怖症、例の「蓮コラ」のようなものに対する恐怖症のことだと言う。以前MDさんがイギリスを訪れた時に、ウェストミンスター大寺院だかを見に行ったと言うのだが、その時に連れ立っていた相手がこの恐怖症で、美しい薔薇窓のステントグラスをその人は直視できなかったということだった。
 しばらくするとRさんが参加してきて、このグループの皆さんで同人誌みたいなものを作ったらどうでしょうかとの提案をしてきた。その場にいたメンバーは概ね好意的な感じだった。こちらは日記しか提供できないが。あとは短歌があると言ったら、それを出しましょうとRさんは言ったけれど、あんなもので良いのだろうか。短歌に関して言えば、MDさんがこちらの例の短歌を好いてくれているらしく、ファンですとまで言ってくれたので、ありがとうございますと照れながら礼を言った。同人誌は、Rさんの構想では、何かサイケデリックな感じとか、幻想的な雰囲気のものになれば良いと考えているようだった。Iさんが小説を提供できるとして、僕は日記、Aさんに絵を描いてもらって、あとは詩ですねと口にし、Yさんに詩を書いてもらうか、何となく書けそう、と無茶なことを言った。
 その後はBさんの音声がまた水中から通信しているかのようにくぐもってしまい、彼女はチャットに移行したので、その発言をこちらが拾うような形で話が展開された。同人誌の話から文学フリマという単語が出てきて、それでかつて行っていた読書会の話をした。二〇一四年だったか二〇一五年だったかの文学フリマにそのメンバーで訪れたのだけれど、その帰りに代々木のPRONTOに寄ったところで何故か政治談義になり、なかに一人、本気で――と言ってどれくらい本気だったのかわからないけれど――共産主義革命、全世界同時革命をしなければ駄目だと主張する人がいて、周りのメンバーは皆、いやいやさすがにもうそんな時代ではないでしょうと応じて対立みたいな形になり、その人が孤立無援のなか、決裂ということになって会が解体した、そんな体験があったのだった。それについて話し、今も一つ読書会を僕はやっていますとも言い、このグループで読書会とかやるのもいいんじゃないですか、と言うかSkypeで出来るじゃないですかと提案した。読書会と言っても簡単な話で、同じ本を皆で読んできてそれについてくっちゃべるというだけのことである。
 そのほかBさんが先日、Twitterで他人の読了ツイートにケチをつけているような人を見かけて、それから怖くてしょうがないという話があった。そこから思い出してこちらは、やはり他人の「質問箱」に来ていた妙な質問の話をした。それは、「アラサー無職が偉そうに文学について語っているの、どう思います?」みたいな質問で、阿呆か、という話ではあるのだけれど、それを見た時、あれ、これ俺のことじゃね? と自意識過剰にも思ったのだった。自分はアラサーであるし、当時はまだ職場に復帰していなかったので無職でもあったし、長々しい感想ツイートを垂れ流しているので、それが「偉そうに」見えることもないではないかもしれない。その質問を受けた当人は、文学を語るのに年齢とか身分とかは関係ないと思いますというような、穏当な返答をしていたので安心するのだが、まあそんなことがあって、これ俺じゃね? と思ったのだと言って一人で大笑いした。
 そんなような事々を話して、三時半になったところでやはりこちらが、もう三時半なので寝ましょうと呼びかけて通話を終了した。そうしてコンピューターを閉じると、すぐに明かりを落として寝床にもぐりこみ、就床した。


・作文
 10:17 - 11:10 = 53分
 18:30 - 19:00 = 30分
 計: 1時間23分

・読書
 11:30 - 12:24 = 54分
 13:20 - 14:35 = 1時間25分
 17:43 - 18:00 = 17分
 24:48 - 25:43 = 55分
 計: 3時間31分

・睡眠
 3:30 - 9:20 = 5時間50分

・音楽

2019/5/16, Thu.

 一一時四五分までいつものように寝坊したが、午前をすべて眠りに食い尽くされていたここ最近のなかではましなほうである。しかし、意識は覚醒しており目も開いているのに身体だけが起き上がらないというのは一体何なのだろうか。上階へ行くと両親は不在。母親は「K」の仕事の一環で、あきる野市自閉症か何かの講演を聞きに行っているとのことだった。書き置きを見ると、洗濯機のなかにあるジーパンほかを干してくださいとあったので、早速洗面所に行って洗濯機を開け、洗濯物を取り出してベランダの方に移動し、ハンガーに吊るして外気のなかに干した。それから台所に入り、鍋の煮込み素麺――つゆがほとんど残っていなかった――を温め、丼によそって卓に就いた。新聞から、EU離脱を完遂できない英メイ政権の苦境を伝える記事を読みながら――保守党の支持率は一〇パーセントしかないと言い、それに引き換えてナイジェル・ファラージEU離脱党だったかが支持を伸ばしているらしい――素麺を食い、食べ終えると台所に移動して皿を洗ったあとに水を汲んで抗鬱剤ほかを服用した。そうして、「ドンタコス」を持って自室に戻り、それを食いながらコンピューターを点けると、Skype上でチャットをしつつ前日の記録を付け、この日の記事を作成した。BGMとして流したのはいつも通り、FISHMANS『Oh! Mountain』。そうして一二時半過ぎから日記を書きはじめ、前日の分を仕上げて今日の分もここまで綴ると一時一五分。
 前日の記事をインターネットに放流したのち、一時半過ぎからジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みはじめた。その途中で母親が帰ってきたので、一旦上階に顔を見せに行った。パンを買ってきたと彼女は言った。下階に戻ってふたたび読書に耽り、二時を四分の一越えると中断し、風呂を洗うために部屋を抜けた。階段を上って重い身体を引きずって浴室に行き、身を屈ませながら浴槽を擦ったあと、アイロン掛けを行った。自分のワイシャツや母親のエプロン、それにハンカチに高熱の器具を押し当てて皺を伸ばしたあと、笊を持って玄関の戸棚を開け、米を三合取り分けて台所に戻るとそれを磨いだ。洗い桶に白濁した水がいっぱいに溜まるまで磨ぐと炊飯器の釜に米を入れて、六時五〇分に炊けるようにセットしておき、それから母親の求めに応じて居間の隅にあった重たいミシンを卓上に運び上げた。そうして下階に戻り、ふたたび読書。音楽はBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)の最終、"Solar"から始めて、Miles Davis『Kind Of Blue』を流した。時折り目を閉じて、Paul Chambersの素早く滑らかな三連符に耳を傾ける。そうしてふたたび一時間ほど読み進めて――途中、いくらか気づかずに微睡んでいる時間があった――エネルギーを補給しに上階に行った。母親は洗濯物を取り込んで畳んでいるところだった。こちらは卓に就いて、彼女の買ってきてくれたクリームパンを一つ食べる。外からは音楽的とも言える鳥の自由な囀りが響き、部屋のなかに入りこんできていた。クリームパンを食べ終わると、さらにもう一つ、カレーパンも電子レンジで温めて頂き、そのあと赤のアーガイル柄の靴下を履くと先ほどアイロンを掛けたワイシャツを身に纏った。そうして下階に戻り、スーツに着替える。この日の装いは灰色のスラックスである。それから薄水色のネクタイを締め、ベストは灰色と黒がリバーシブルになっているので、灰色の面の方を表に出して身につける。ベスト姿が完成すると、Blankey Jet City『C.B. Jim』を流しだし、日記を書きはじめたのが四時九分だった。そこから僅か一〇分ほどで記述を現在時に追いつかせることができた。
 勤務に出発する時間までまだいくらか余裕があったので、ベストにスラックスの姿でベッドに乗り、枕とクッションに凭れて脚を伸ばしながら『ダブリンの人びと』を読んだ。四時五〇分になると中断してコンピューターの前に移動し、cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌った。そのまま"Summer Soul"も歌い、そうすると五時一〇分頃になったのでジャケットを羽織り、クラッチバッグを持って上階に行った。ハンカチを尻のポケットに入れると母親に行ってくると告げて出発した。
 風が厚く吹き流れ、林は震え、大きな葉擦れの音を立てていた。そのなかを歩いて行くと、道の脇の頭上、林の縁から、雪崩れるような白い小花を密集させた植物が多数張り出している。これは今しがた調べたところによると、多分、エルダーフラワーというものではないか。そこを過ぎ、坂道に入って、散らばっている葉っぱの繊維を踏み砕きながら上って行き、出口付近まで来ると、民家の側壁や樹木の明るい緑の上に薄陽が掛かって、仄かに明るんだ家壁の上にはさらに電線の影がうっすらと浮かび上がっていた。空を見上げれば、満月に近い月が、雲の端切れと同じ希薄さで現れている。
 三ツ辻まで行くと行商の八百屋が来ており、T田さんの奥さんもいたのでこんにちはと挨拶をして、そこから少々立ち話が始まった。八百屋の旦那は、自分は勉強が駄目だったということを繰り返し口にして、優秀なやつばかりならいいけど、俺みたいなのがいちゃ大変だよなあと豪快に笑う。こちらはそれに、やる気のある子ばかりじゃないんですよねえと笑って答えた。T田さんは息子さんの話もいくらか開陳してみせた。現在四一歳で、(……)の副校長を務めていたと言うが、今は(……)の教育委員会にいるとか何とか。それは凄いですねとこちらは受けて、僕も頑張りますと言って歩きはじめる素振りを見せて、別の婦人客の相手をしようとしはじめていた八百屋の旦那に、じゃあ、どうも、と声を掛けて道を進んだ。
 街道に出て通りを渡ると、頭上の民家の敷地の縁から落ちた躑躅が、開口部を真下に向けて地に伏していた。立ち話で七、八分使ってしまったので、脚を少々速めに動かしながらその脇を通り過ぎて行くと、燕が道路の上を滑るようにして現れ、宙を斬り裂いていく。途中の小公園のなかでは、親子がキャッチボールをしていたようだ。それをちらりと横目に見やり、老人ホームの前を通って桜の木の生えた角で裏道に折れた。
 歩調は変わらずやや速めに、鶯の音の立つなかを歩いていく。あれはミモザというやつだろうか、一軒の塀の向こうから、黄色い細かな花の集合が飛び出すようにしていた。白猫がいたらまた時間を食ってしまうなと思っていたのだが、今日は民家の前にその姿はなかった。あたりを見回しながら歩いていき、大きな木の下をくぐって途中の坂を渡ると、背後の彼方ではそろそろ太陽が丘の際に近づきつつある頃だった。膨張するその姿が路傍のミラーに映り、もう少し進めば陽の脚に追いついて、路上にも砂のような乾いたオレンジ色が敷かれて、そのなかにこちらの影が斜めに伸びる。
 職場に着くとこんにちはと言いながらなかに入り、靴をスリッパに履き替えると、同様にこんにちはと挨拶しながら通路を進み、奥のスペースに入った。そこにも一人、年嵩の人がいたのでやはり挨拶し、これが室長の言っていた(……)先生だなと認め、鞄をロッカーに収めてジャケットを脱ぎ、ハンガー・ラックに吊るしたあとに、(……)先生でいらっしゃいますかと声を掛けた。肯定の返事があったので、新しく入ったFと申します、よろしくお願いしますと挨拶をすると、相手は、若い人たちばかりのなかで、少々浮いていますと言うのでこちらは笑いで受けた。四月から入ったばかりだと言う。室長が言っていた情報では、確か(……)高校かどこかの教員を長年務めてきて今は六五歳だか、定年を過ぎて再就職というわけだが、穏やかそうな雰囲気の人だった。前日の日記には書き忘れたが、実は奥のスペースにあるホワイト・ボードに、この(……)先生の名を騙る落書きのようなものが残されていたのだった。授業中に鼻をかみに行った生徒に知らされてそれに気づいたのだったが、ボードには赤いペンで「しつちょうしね」みたいなことが――平仮名で!――綺麗とはお世辞にも言えない字体で記されてあって、その最後に「(……)より」と丁寧に名前が入っていたのだった。さすがに良い歳の大人がこのような馬鹿なことはしないだろうと思い、おそらくは(……)先生を嫌う生徒が彼の名前を騙って悪戯をしたものだろうと判断して、その場で証拠を隠滅し、室長にも報告しないでおいたのだったが、今日実際に(……)先生と会ってみても、そのようなことをしそうな頓狂な人物には見えなかった。実は心の奥底で彼が室長を憎んでいるという可能性もまったくのゼロではないけれど、四月から入ってまだ一か月しか関係がないのにそんなに憎しみを募らせるというのもありそうにないし、もし仮にそうだとしてもわざわざ自分の名前を残して果たし状のような真似をするはずもないだろう。そういうわけで昨日の件はやはり穏当に、生徒の誰かの悪戯だと考えたい。
 それで準備をして、勤務。この日は一時限のみである。相手は(……)くん(中一・国語)に(……)さん(中三・英語)。(……)くんは一昨日も同じく国語で当たった子で、その日の続きである。宿題に漢字練習を出したのだったが、きちんとやってきていて真面目な子である。今日は読解問題をやったが、これも全問正解してなかなか優秀、ただそうするとノートに何を書かせるかというのが困るところで、この日は一応本文を口頭で軽く要約させたあと、それを短くまとめて書かせる、という風にやったけれど、国語の授業というのはなかなか難しい、もっと高度なテクスト読解のようなことをしたいのだが、中一のものなので当然だけれど内容自体がそこまで高レベルなものではないし、こちらの能力も覚束ない。どうにかうまく考えさせるような授業が出来ないものか。
 (……)さん((……)さんだったか?)は二〇一六年までいた(……)という子の妹であるらしいのだが、こちらはその名に覚えがなかったし、顔も思い出せなかった。この妹さんは宿題もきちんとやってきていたし、単語テストも勉強してきていたようで、好感触である。今日扱ったのは受動態のまとめ。現在完了にせよ受動態にせよ、文法の基本は大丈夫だろうと思う。hisとhimの使い分けを間違えた箇所があったので、所有格と目的格の違い、目的語というものについて説明した。授業全体としてはわりあいにうまく行ったのではないか。
 授業の最中に、(……)と再会した。すぐ傍の席で彼女が授業で、遅れてやって来たのだ。久しぶり、と挨拶して、長いあいだ塾にいなかったことについては、事情があってねと濁した。その後もたまに話しかけてみると、中三の時よりは今のほうが真面目にやっている、テスト勉強など力を入れていると言う――本当かどうかわからないが。「脱力系女子」だったじゃん、と向けると、それは今も変わらないと言っていた。そのほか、やはり(……)くんも隣の先生――確か(……)先生という名前ではなかったか?――の授業を受けていたが、話を聞いている限り彼は中三の頃よりも不真面目になったような印象だった。
 そんなこんなで授業は終了。生徒たちの見送り及び出迎えに入口近くに立っていると、(……)がやってきて、彼女も塾に残っていたとは少々意外である。顔を合わせるなり、太った、と言われたので苦笑しながら肯定した。その後、片付けをしている最中に、以前勤めていた時にはいなかった講師の一人が奥のスペースに入っていったので、それに乗じてこちらもそちらの方に行き、お疲れ様ですと声を掛け、Fと言います、よろしくお願いしますと挨拶をした。相手は(……)先生という男性の講師だった。その後、片付けをして、室長に授業記録をチェックしてもらい、終了。明日の金曜日も七時台後半から一時限、働くことになった。(……)くんのテスト前の国語はこれで三時限ともこちらが担当することになったわけだ。
 夏休みのモスクワ行きの件を室長に話すのを今日も忘れてしまった。退勤すると、電車は取らず、裏路地に入って人気のないなかを歩いて帰る。歩いているとやはり結構蒸し暑くて、風もなくて、じっとりと服の内が汗と湿り気を帯びた。青梅坂を越えてふと見上げれば、青味の残った空に満月に近い月が明るく照り輝いていた。あれもミモザだろうか、途中で、薄暗がりのなかでも黄色く際立つ花を見た。街灯の届かない駐車場の蔭の度合いを見てみても、月の清けさが地上にまで及んでいるようだった。
 帰宅して居間に入ると母親に挨拶。今日はどうだった、と訊かれたので、まあ余裕だなと返して階段を下った。自室に帰るとコンピューターを点けて、TwitterSkypeを確認しながら服を脱いだ。ジャージ姿になって上階に行き、丸めたワイシャツを洗面所の籠のなかに放り込んでおくと、台所で食事を皿に盛った。マグロやエリンギのソテー、茹でた人参に菜っ葉、スチーム・ケースで蒸した南瓜などである。食事をよそっているところに父親が帰ってきた。卓に就いて食べていると、お前今日はどっか出かけたのかと訊くので、仕事だったと答えた。テレビはNHK、子供の鬱病について紹介していた。通常の鬱病とは違い――成人の鬱病でもそういう症状はあるが――子供の場合は、苛立ちや過眠や過食が見られるという話だった。食事を食べ終えると薬を服用して食器を洗って片付け、風呂は父親が入っていたので一旦下階に下りた。手には昼間に食った「ドンタコス」の残りを持っていた。それに、職場から貰ってきたYOKU MOKUの「Cigare」という棒状の菓子を二本食う一方、インターネットを回り、Skypeのグループ上にcero "Orphans"の動画URLを貼りつけて薦めておいた。すると、Nさんから"Orphans"はceroで一番好きな曲だとの反応があった。Dさんもceroは聞くそうで、『WORLD RECORD』を相当聞いたらしかった。それでこちらは"Orphans"やら"Yellow Magus (Obscure)"やら、FISHMANS『Oh! Mountain』の"感謝(驚)"やらを流して歌ったあと、入浴に行った。
 出てくると自室に戻り、日記を書きはじめたのが九時四五分だった。Miles Davis『Four & More』とともに打鍵を続けて、一時間以上掛かってここまで追いついた。
 その後、隣室からギターを持ってきて、小沢健二 "いちょう並木のセレナーデ"のコードを弾いたり、ペンタトニック・スケールに合わせて適当にアドリブをしたりした。そのうちにSkypeの通話着信があったが、それにはまだ答えずギターを弾き続け、ちょっとしてから隣室に楽器を戻して通話に参加した。この時点ではまだYさんとこちらとNNさんしか参加していなかったはずだ。その後Nさんが現れ、Cさんも現れ、MDさんが現れ、のちにはAさんとBさんも参加した。この日の通話では、NNさんが初めて声を出して参加した。ちょっとおっとりしたような感じの雰囲気に思われた。最初のうちは音楽の話などしていて、FISHMANSの"感謝(驚)"のライブ映像をこちらは貼ったりした。そのうちに、Yさんが確か今日だか昨日だか新しくハムスターを買ったという話からこちらが、ハムスターって共食いするんでしたっけという穏やかでない質問を発した。それに答えてMDさんが、人間の臭いが染みついた子供を親が食べるとかはありますねという答えを寄越して、それを機にエログロややや猟奇的な話になった。映画の話などが語られた。
 その後、そうした話から繋がっていたのか否か、水木しげるのエピソードなどもYさんによって語られた。戦時中、ラバウルで右腕だか左腕だか片腕を彼は失ったのだが、それにもかかわらず腕一本で崖を登って、現地民の集落に入りこんだ。そこで歓迎されて色々なものを食べたり、おそらくはドラッグの類もやったりなどして非常に仲良くなって、のちに漫画家になったあと、三〇年後くらいだろうか、ふたたび現地に訪れてみるとその当時の人々がまだ生きて残っていて、感動の再開を果たしたという話があるらしい。Bさんはチャット上で、『ゲゲゲの鬼太郎』よりも『墓場鬼太郎』の方が好きだと言った。全然売れなかったという初期の作で、『ゲゲゲ』よりも気持ち悪さが勝っているらしかった。
 その後、『不思議の国のアリス』の話をしたり、スター・バックス・コーヒーの話をしたりしたのち、絵本の話になった。そこでレオ・レオーニという名前が出てきた。この人の名前はこちらは本屋で、シュルレアリスム幻想文学界隈の棚に見かけて、『平行植物』という著作を書いている人として知っていたのだが、それが絵本作家でもあるとは知らなかった。『スイミー』を書いた人らしい。それで『平行植物』のことを言うと、Yさんがすぐさま当該の本を取り出してきて――さすが「図書館」である――なかの写真を撮影してチャット上にアップしたりした。その流れで、誰かミシェル・レリスって読んだことありますかと訊いたのだが、誰も知らないようだった。保坂和志を読んでいる人なら例の小説論三部作からその名を知っているだろうが、やはりまだまだ彼の知名度は低いようだ。こちらは文学を読みはじめた初期の頃に保坂和志が紹介しているので知って、断続的にずっと日記を書き続けた作家だというのでシンパシーを感じて、その著作を集め、今手もとに何冊も積んであるのだがまだ一冊も読めていない。こちらが読んだのは日記と、『幻のアフリカ』を途中までと、『オランピアの頸のリボン』だったか、そんな名前の著作だけだ。『幻のアフリカ』というのはレリスがダカールジブチ横断隊に参加した時の日記で、民俗学の研究のためにその旅に彼は参加していたのだったが、フランス側の研究者たちが現地民の祀っていた何かの道具か何かを強奪してしまう、そのようなことまで克明に記録されていて結構面白いと紹介した。そのほか、『ゲームの規則』が四巻本で出ている、自分はそれを全部買って積んであるということも言った。多分結構面白い作家だと思う。
 それから、Bさんにチャット上で大学の話を振った。彼女は今日はキリスト教講義などを受けてきたと言う。善きサマリア人や隣人愛についてやったらしい。さらにNさんにも大学のことを訊くと、彼女はデザインを勉強しているという話だったが、それはウェブ・デザインのことで、CSSとかHTMLとかの基礎的な事柄をやっているとのことだった。最終的にはJAVA Scriptを操れるようになるところまで行くような課程らしいが、このあたりは自分はよくもわからない事柄である。教養科目はもうすべて取り終えてしまったと言う。その教養科目では例えばジェンダーについてなどを学んだらしい。応じてAさんが、大学の時間割を載せたのだが、そのなかに鼓宗という名前があって、スペイン語か何かを教えていたので、これは鼓直の息子ではないのかと言ったところ、NNさんが朝日新聞の記事を探し出してきてくれて、鼓直の長男の名前がまさしく宗であることが判明したので、これは決定だなとなった。鼓直というのは言うまでもないが、こちらの大好きな『族長の秋』の翻訳者である。それでAさんに、今度会ったら、知人に『族長の秋』好きな人がいますって言っておいてください、七回読んだって、と頼んだ。
 二時頃になって、そろそろ眠らなければならない人は眠りましょうとこちらが呼びかけ、それでNさんとNNさんが去った。そのあとはAさんにも大学で面白い講義は何かありますかと訊いて、彼女は応じて人狼裁判や動物裁判の話を語ってくれた。動物裁判の説明が面白かった。中世ヨーロッパでは、例えば豚が人間に危害を加えたりしたら、それも裁判で裁かれるのだが、その処刑方法というのが残虐なもので、鼻を切り落としたりとか、市中引き回しにしたりとか、細かくは忘れてしまったけれどとにかく徹底したもので、それを聞きながらこちらは、ミシェル・フーコーが『狂気の歴史』だったか『監獄の誕生』だったかの冒頭で確かそれを紹介していたと思うのだが、ダミアンと言ったかルイ一五世だかを暗殺しようとした犯人の処刑方法も同じように残虐なものだったなと思いだして言及した。確か四つ裂きにするものと言うか、両腕両足にそれぞれ馬を結びつけてそれで別の方向に引っ張らせ、身体をばらばらにするということを目指したものだったと思うのだが、結局馬の力だけでは人間の四肢は分解されなかったので、ナイフで切れ込みを入れてようやく成功したとかいう話ではなかったか。動物裁判はほかには、毛虫を裁判に掛けるというようなものがあったらしく、毛虫が葡萄園だかオレンジ園だかに繁殖して作物の生育に影響を与えたために裁判されたと言うのだが、そうした場合に弁護士までもが雇われるのだと言う。それで弁護士は園に行って毛虫に対して召喚に応じるように呼びかけると言うのだが、このあたりシュールなギャグ小説のようで笑ってしまった。さらに判決も、それは教会による裁判で、毛虫に対して破門を言い渡すというものだったらしく、そもそも毛虫はキリスト教徒なのかとか突っ込みどころがあって面白かった。
 そんな話をしたあとだったかその前だったか、Bさんが飼っている(飼っていた?)兎について言及した時間があった。画像は過去のチャット上に載せられてあって、なるほど確かに可愛らしいものである。そうだそれで、江國香織のことも彼女は語ったのだった。江國香織には『デューク』という作品があって、それがどうやら飼っていた動物が死んでしまうという話らしいのだが、Bさんは飼っていた兎が亡くなったその一か月後に国語の授業でそれを読み、ボロ泣きしたらしく、クラスで一人だけ声質が変化してしまうくらいに泣いていくらか引かれたというエピソードが披露されたのだった。そのあと、兎の名前はというYさんか誰かの質問に対して、Bさんが静かに一言、ちゃん子、と答えたのもちょっと面白かった。それまでのいくらか湿っぽいエピソードのなかから急に、ちゃん子という、どうしても力士を想像してしまうところから来る太ましいようなニュアンスをはらんだ言葉が飛び出してきたのが可笑しかったのだ。Bさん曰く、「ちゃん」は平仮名で、「子」は漢字だと言って、その点こだわりがあるらしく、日記にあとで書こうとメモをしているこちらの動きをどうも彼女は聞きつけたらしくてFさん、お願いしますよと言ってきたので、そのように表記した。
 その後、絵の話が僅かに差し挟まって、ブリューゲルの「バベルの塔」の画像がチャット上に貼られた。そこでこちらは、バベルの塔に関連する話をしましょうか、と言って、バベルの塔を建てた人間の言葉を混乱させようという時に、神は「我々」という一人称複数を使う、旧約聖書の神は唯一神なのにこれはおかしいじゃないですかと投げかけると、Aさんが、それは文法上のことだけであって、日本語に訳すと「我々」という複数になってしまうのだけれど、意味的には敬意を表すものなのだというような、大学の教授から聞いた話を持ち出したのだが、こちらが知っているのはそれとは違う説だった。山我哲雄『一神教の起源』で読んだことだけれど、そもそも旧約聖書の神は冒頭で人間を創造する時にも、「我々に似せて」という言い方をしている。唯一神であるはずなのに何故、ということなのだが、山我の本に書かれていた解釈によると、これは、神が天の宮廷のような場所にいることが聖書では暗黙の前提となっていて、神の周囲にいる神的存在=天使たちをも含めて言及したものではないかという話らしい。それでは何故、旧約聖書の作者はそのような「我々」という曖昧な観念を導入したのかと言うと、神が「わたしに似せて」と一人称単数で語ってしまうと、人間と神との距離が近くなりすぎ、旧約聖書の神観には抵触するからではないかというのが『一神教の起源』に書かれていた説だった。その傍証として、旧約聖書中には、あと二箇所、神が「我々」という言葉を発する箇所があるのだが、そのうちの一つがアダムとエバの楽園追放のエピソード、もう一つがバベルの塔のエピソードで、この二箇所のどちらとも、人間と神の距離が近くなりすぎることが問題になっている箇所である、とそんな話を披露したのだった。
 そうした話をする頃には時刻は三時に近くなっていたはずだ。Yさんが皆の本名を知りたがって、と言ってAさんとBさんに関しては先日既に明かされていたのだったが、それで改めて皆の名前が紹介された。こちらはMDさんのお名前を初めて新しく知ったのだったが、I.Mさんと言うらしく、皆が文学作品に出てきそうな名前、というのに同意するものだった。そうして皆の名前が判明したところで、もう三時も過ぎていますし、皆さん、寝ましょうとこちらが呼びかけて、通話は終了した。三時二〇分頃だった。チャット上でありがとうございました、よい眠りを、と挨拶しておき、コンピューターを閉じると、すぐに明かりを落として寝床に潜り込んだ。眠りは結構近かったように思う。


・作文
 12:37 - 13:16 = 39分
 16:09 - 16:21 = 12分
 21:46 - 22:50 = 1時間4分
 計: 1時間55分

・読書
 13:34 - 14:14 = 40分
 14:43 - 15:45 = 1時間2分
 16:23 - 16:50 = 27分
 計: 2時間9分

・睡眠
 2:05 - 11:45 = 9時間40分

・音楽

2019/5/15, Wed.

 いつも通り、午後一時まで寝耽る。九時に至って一度ベッドを抜け出し、コンピューターを点けもして、そこで上階に行こうと思えば行けたと思うのだが、ベッドのシーツの上に射し込んでいる陽射しが心地良さそうでふらふらと舞い戻ってしまい、光のなかで肌をじりじりと熱されながらふたたび眠ることになった。その後も起きようと思えば起きられるタイミングはいくらもあったはずなのだが、夢の続きを見たいがために目覚めるたびにふたたび目を閉じて、薄い夢世界のなかに入ることを繰り返し、そうこうしているうちに一時を迎えていた次第だ。しかもせっかく見た夢もほとんど覚えていない――色々と面白い場面があったような気はするのだが。
 上階へ行き、母親に挨拶。台所に入るとフライパンに焼きそばが拵えてあったので、大皿にすべてよそって電子レンジに突っ込む。そのほかサラダと、デザートにゼリーを用意して卓へ。テレビは『ごごナマ』で、郷ひろみが出演していた。先日『のど自慢』に出ていた時と同じ衣装で、左耳に鳥の羽根のような装飾のついたピアスだかイヤリングだかをつけていた。ものを食いながら、写真を撮りに行かなくてはならないと向かいの母親に話す。すると彼女は、ちゃんとした写真屋で撮った方が良いと言うのだが、それだと金も掛かるし面倒臭くもあるので、こちらは駅に設置されている簡易写真撮影サービスで撮るつもりでいた。確か河辺駅にあったはずだ。そのほか外出の用事としては、立川に出て柳瀬尚紀訳の『ダブリナーズ』を買おうかと少々迷ってもいるし、図書館で小林康夫中島隆博の共著、『日本を解き放つ』も借りたい心があるが、後者のこれは先ほど図書館のホームページで調べてみると、現在貸出中とのことだった。
 食事を終えると薬を服用し、母親の分もまとめて食器を洗って片付け、食器乾燥機のスイッチを点けておく。風呂は今日は母親が洗ってくれたと言う。それでジャージに着替えて下階に下り、自室に入るとコンピューターの前に立ち、前日の記録を付けるとともに今日の記事を作成した。その後便所に行って排便したあと、トイレットペーパーが一つなくなったので取り替えておき、芯を二つ持って上階に行って、玄関の戸棚のなかの紙袋に入れておく。それから部屋に戻ってきて、日記を書きはじめたのが二時だった。先にこの日の分から始めて、ここまで一〇分で綴ることができた。
 それから、歯磨きをしたのが先だっただろうか? そんなことはどちらでも良いのだが、FISHMANS『Oh! Mountain』を"感謝(驚)"から流しはじめて、そのなかで服をスーツに着替えた。一旦ベスト姿で上階に行くと、居間の隅でタオルを畳んでいた母親が、自分も行くので送っていくよと言う。加えて、簡易写真機ではなくて、やはりちゃんとした店で撮った方が良いと熱烈に推すので、まあこちらもそれほどこだわるつもりもなし、何であれ撮れれば良いわけで、まあそれならそれで良いよと落とした。「カメラのK」という店が小作あたりにあるのでそこまで送って行ってくれると言う。それで下階に戻ってリュックサックに荷物を用意して、ジャケットを羽織って上階に行った。母親が準備をしたり、料理教室の申し込みに市役所に電話したりしているあいだ、手帳を眺めながら待ち、彼女がチェック柄のコートを羽織ってよし行こうと言うと、玄関に出て褐色の靴を履き、外に出た。車の傍に寄って、ふたたび手帳を見ながら母親が出てくるのを待つ。ジャケットまで身につけていると暑いのではと思っていたが、爽やかな風が厚く吹き流れて、思いの外に涼しいようだった。彼女が出てきて車の準備が整うと、手帳を胸の隠しに仕舞って助手席に乗り込んだ。
 発車。車内はどうでも良い、薄っぺらな音楽が掛かっている。青梅市街を抜けるあいだ、母親は、何の話からだったか――半袖を着るのが嫌だという話から始まったのだった。それは子どもの頃に腕を片方折ったことがあって、その骨接ぎがうまく行かず、綺麗に伸びた格好にならないからだと言う。それで運動なんかも嫌だったなという話から、運動会なんてのは本当に嫌だった、リレーでもいつもビリケツの方で、後ろから数えた方が早いくらいで、というような話を、こちらの相槌も求めずに勝手に話していた。こちらは欠伸を時折り漏らしながらそうした話を聞き、東青梅を抜け河辺も通過して、隣のTさんの息子さんがやっている蕎麦屋のあたりまで来ると母親がそのことに注意を促した。二人の息子さんの名前を聞いたあと――兄がYさん、弟がAさん――息子さんと言ったってもう七〇くらいだろう、それだとおばさんよりも先に死ぬ可能性だって充分あるわなと失礼なことを言うと、本当にそうだねと母親も同意した。Tさんのおばさんは九八歳だかである。
 それで小作まで行き、件の「カメラのK」に到着した。母親を車中に残して、スーツのポケットに財布を入れて入店し、カウンターの店員に、証明写真を、撮りたいんですがと告げると、その男性店員はもう一人、大柄の、ものを食べることが大好きそうな――「食いしん坊」という形容が似合いそうな――店員を呼んできて、彼がサービス説明のパネルをカウンター上に提示しながら、こちらの望みを訊いていった。必要な証明写真のサイズを職場から聞いていなかったのだが、まあ普通のスタンダードなタイプのもので大丈夫だろうということで、通常履歴書に使う四ミリ×三ミリのサイズを選んだ。そのほか、色々と加工できるプレミアム・サービスもあるらしかったが、そんなものはいらんとスタンダードなサービスの方を選び、背景は白を選んだ――のだが、のちのち写真作成の時には、店員は青を背景として作っていたような気がする。まあ背景色などどちらでも良い、ともかくこちらだとわかる写真が入手できれば何でも良いのだ。それでサービスを選び終わったあと、スタジオの準備をしますので少々お待ち下さいと言われたので、カウンターを離れて陳列されているカメラを興味もなく手持ち無沙汰に眺めていると、まもなく声が掛かった。それで奥のスタジオに入り、狭いスペースのなかに設置された背もたれのない回転椅子に腰掛け、横の鏡でちょっと身だしなみを確認したあと、撮影が始まった。背筋を伸ばし、胸をやや張り、顎は少々引くように、そして口角を意識するようにと求められたのだが、にこやかで柔らかい表情をするのは苦手である。二、三枚撮ったあと、ネクタイがちょっと歪んでいるというようなことを指摘されて、自分で直してみたのだがプロの目からするとそれでは不十分だったようで、触れてもいいですかと断りが入ったあと、この大柄の男性店員がこちらの首もとに手を伸ばして直してくれた。それを崩さないままにさらに撮影し、終わるとスペースから出て、コンピューターの前に立ち、店員と一緒に出来た画像を確認した。ネクタイを直したあとの画像が二つあり、どちらが良いですかねと訊くと、どちらもあまり違いはありませんが、強いて言えばこちらですかねと先に撮った方を店員は指すので、こちらにはそちらの方がより良いとされた基準が全然わからなかったが、その言に従って、それでお願いしますと言った。一〇分から一五分くらいで出来ますが、店内でお待ちになりますかと訊くのには、一度外に出て戻ってきますと答え、それで控えを渡されると、よろしくお願いします、ありがとうございましたと礼を言って退店した。それで車に戻り、一五分くらいで出来るからと母親に告げ、一七〇〇円くらいだったからと千円札二枚を渡して、よろしく頼むと品物の受け取りを頼んだ。
 それでふたたび発車、羽村駅まで送ってもらい、こちらは躑躅の咲き群れている植え込みの前に降りて、母親に礼を言い、駅へと向かった。階段を上がっているところに電車が入線してきて、これは間に合わないなと諦めてゆっくり歩を進め、券売機に寄ってSUICAに五〇〇〇円をチャージした。それから改札を抜け、エスカレーターでホームに下り、ホームの端の方、先頭車両の位置まで歩いた。そこで立ち尽くして手帳を眺めながら電車を待っていると、線路を挟んで向かいの道を、幼稚園に通っている時分の幼児が何人か、台車に載せられた箱のようなものに入れられて、大柄の女性の手によってゆっくりと押し運ばれてこちらの目の前を横切っていった。幼児に視線を送りつけながらそれを見守り、その後も手帳を眺める。背後から陽が射して、背中や膝の裏が熱いくらいだったが、同時に風もあった。
 電車が来ると乗車。席の端を取る。傍には羽村高校の生徒だろうか、高校生の集団が乗って、向かい合って席に座り、馬鹿馬鹿しい、どうでも良いような話をしながら笑い合っている。なかに一人、隣に座った男子の距離感からして彼と付き合っているらしかったが、女子がいた。箸が転げてもおかしい年頃、というやつだろう。こちらは手帳を眺めつつ、時折り彼らの発言にも耳を貸して――と言うか騒いでいるので自然と耳に入ってくるのだが――立川まで過ごした。立川駅に着くと、皆一斉に降りて行って車内はこちら一人になるのだが、皆なぜあんなにすぐに降りてしまうのだろう? 混み合った階段口で人々に囲まれながらたらたらと歩くのが嫌ではないのだろうか? こちらはまたちょっとのあいだ手帳を見て人々が去っていくのを待ち、そろそろ良いだろうと降りると、階段は無人だったのでそのなかを悠々と上がっていく。そうして人波のなか改札を抜け、引き続く人混みのなか北口広場に出て、眩しい光のなかを渡って通路に入り、伊勢丹の前を横切って行った。歩道橋を渡る際に、何か声が聞こえたのでその方をみやってみると、下の道で子供らが、ジャンケンをして勝ったものがいくらか進むという遊びをやっていた。視覚障害者用の段差のついた黄色いラインや、敷かれたタイルの模様に沿ってそのような遊びをしているようで、子供という存在はどんな場所でも遊び場に変えてしまうなと思いながら歩道橋を渡り、通路をたどって高島屋に入った。
 エスカレーターに乗って階を上がり、淳久堂に入店。哲学の区画の入口にはいくつか本がピックアップされて置かれていて、そのなかに『現代思想』の、あれは特集版なのか、現代思想のキーワード四三、というような企画の組まれた真っ黒な表紙の刊があって、それを立ったまま手に取り、いくらか紙面を眺めた。冒頭で千葉雅也と松本卓也が対談をしていた。彼らが東浩紀の仕事を解説したくだりを少々読んだあと本を棚に戻し、哲学の棚のあいだに入りこんだが、ちょっと見ただけで出て、文庫本の方に向かった。新潮文庫の、柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を買うつもりでいた。間に合うかどうかわからないが、出来ればAくんらとの読書会までに米本義孝訳に加えてこちらも読み終えてしまいたい。棚に目当てのものを発見すると手に取り、ちょっとめくって中身を覗いてから保持し、それから岩波文庫の方に移動したが、こちらにはジョイスの著作は見られなかった。それから海外文学の方に移動して、サーシャ・ソコロフはないかと思ったのだったが、棚に該当の著作はない。それであたりを見分し、何かもう一冊買おうかなと探り、幻想文学の方なども珍しく見分して、山尾悠子『飛ぶ孔雀』を買うことにしたのは、この著作が受賞した泉鏡花文学賞の選考委員らしいのだが、帯に金井美恵子の推薦文が記されていたからである。山尾悠子の名はSkypeのグループの通話でもたびたび話題に出ていたし、金井美恵子が推しているとあってはやはり興味を惹かれるものだ。それでそれも手もとに保持したあと、レジに向かったが、途中で、この著作なら図書館にあるのではないかと思って買うのを躊躇した。ひとまず詩の棚に近寄り、松本圭二の著作があるのを確認し、山尾悠子の代わりにそちらを買おうかとも思ったのだが、やはり手もとにあるものを読んでからにしたい。それで結局やはり、図書館にあったとしても別に良いかと払って、『ダブリナーズ』と『飛ぶ孔雀』の二冊を買うことにしてレジに並んだ。少々待ってから会計をして――二八〇〇円くらいだった――ありがとうございますと礼を述べて品物を受け取り、近くのベンチの上でリュックサックにビニール袋に入った本を入れ、エスカレーターを下った。
 高島屋の入口脇には真っ赤なウインドウのPaul Smithの店舗があって、ちょっと見てみたかったのだが、どうせ高いのだろうから見たって何も買えるはずがない。それで素通りしてビルの外に出て、高架通路を通ってシネマシティの手前から下の道に下りた。ディスクユニオンに行くつもりだった。FISHMANSのライブ盤がないか見てみようと思ったのだ――おそらく目ぼしいものはないだろうと予想してもいたが。それで交差点の方に歩を進める。まだ辿り着かないうちに信号が青になって人々が渡りはじめたが、こちらは急がず鷹揚に歩き、交差点に着いた頃には信号がまた変わって赤になっていた。待っているあいだ、目の前をバスやらタクシーやら普通車やらが次々と通り過ぎていく。通りの向かい側には、すぐそこにあるローソンに何か届けたものだろうか、佐川急便の青い制服を着て帽子を被り、台車に載せられた箱のような運搬装置を伴った配達員が何人か信号を待っていた。彼らを見ていると視界の端を擦るものがあって、見上げれば濃緑色の大きな街路樹の葉叢のなかに、あれは鴉だったのだろうか黒い鳥が突っ込んでいき、その姿は揺れる梢のなかに消えてしまった。そうやって周りを見ていると信号もあっという間に青に変わり、通りを渡って階段を上り、ディスクユニオンに入店する。FISHMANSは、やはり予想した通り特に目ぼしい作品はなかった。SUNNY DAY SERVICEとかBLANKEY JET CITYとか買おうかなとも思い、Bob Dylanの並びを見て、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ音源などもちょっと欲しいなと思ったのだったが、SUNNY DAY SERVICEはともかく、BLANKEY JET CITYの方はやはり手もとに音源があってまだ聴き込めていないし、Bob Dylanも同様である。それで何も買わないことにして退店し、通りへ下りて、ふたたび交差点の横断歩道でしばらく待ったあと、南へ向けて、つまり駅の方へと通りを渡った。メイド喫茶の店員が媚びたような声でチラシを配っている横を通り過ぎ、フロム中武の前を進んで、もう一度横断歩道を右へ渡り、PRONTOに入店した。いらっしゃいませと店員が声を掛けてくるカウンターを素通りして上階に行き、見ればテーブル席は結構混んでいてカウンター席に空きがあったので、その真ん中あたりに入って椅子の上にリュックサックを置いた。それから下階に下って、アイスココアのMサイズ(三三〇円)を注文し、にこやかな男性店員にありがとうございますと述べて深緑色のトレイに乗った品物を受け取り、上階の席に戻った。生クリームを今日は掬って食わずにストローで突き崩してココアに混ぜ、一口二口液体を啜るとコンピューターを取り出し、プログラムの更新か何かで起動には時間が掛かりそうだったので、ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みながら待った。そうして準備が整って、日記を書きはじめたのが五時半前だった。それから一時間半ほど掛けて、前日の記事と今日の記事を書き進めて、現在七時直前に至っている。
 コンピューターをシャットダウンさせると、トイレに立った。鏡を見てネクタイに触れて位置を調節しながら個室に入り、用を足すとトイレットペーパーで便器を拭いておき、それから水を流した。手を洗ったあと、ハンカチを忘れてきてしまったので備え付けのペーパーで手を拭い、室を出てカウンター席に戻るとリュックサックにコンピューターを収め、脱いでいたジャケットを羽織り直した。そうしてトレイを厨房の方のカウンターの、色々と物が置かれたその隙間に返却しておき、階段を下った。レジカウンターの向こうの女性店員が礼を言ってきたので、会釈を返して退店し、居酒屋の客引きがうろついている通りを行って、エスカレーターに乗った。見上げれば光の萎えて残光も残らない空は薄青く、駅前広場に聳えた真っ赤なアーチ状の柱が目に入る。高架歩廊に踏み出すと、人々の流れのなか、滔々たる大河の流れのような現実のなかに入りこんでいき、それに巻き込まれながら改札を目指した。改札を抜けると、直近の電車は五番線だったが、座って帰ろうということで二番線を選択し、そちらのホームに下りて一号車の位置に立った。そうしてジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を取り出して読みはじめた。そのうちに電車がやってきたので乗り、七人掛けの端に就いて読書を続けた。
 青梅に着くまでのあいだ、脚を組んだ姿勢でずっと本を読み続け、到着してもすぐには降りずに紙面に目を落としながら少々待ってから降車した。奥多摩行きまでは結構時間があった。ホームを移動し、木製のベンチに座って引き続き書見を続けるこちらの周りに、中学生か小学生か、まだ背の低くてあどけないような男子らのジャージ姿の集団が群れ集まって騒いでいた。何かの部活動の帰りだろう。八時を越えると奥多摩行きがやって来たので乗り、引き続き書見をしながら到着を待って、最寄り駅で降りてホームを移動すると、闇空に薄雲を掛けられた朧月の、それでも光を皓々と明るく放っているのが浮かんでいるのが見えた。駅舎を抜けて横断歩道を渡り、坂道に入り、それを見上げながら下っていくと、月はそのうちに黒々とした樹木の梢に吸い込まれていったが、そのなかにあっても時折り光を洩らしてくる。坂道の左右には竹秋を迎えた黄色いような竹の枯葉が多数散らばって道を縁取っていた。ポケットに手を突っ込みながら歩き、帰宅した。
 父親も既に帰ってきていた。卓に就いた母親に写真を受け取ったかと訊くと、最初彼女は、写真? 写真って何のこと? ととぼけていたが――こういう場面に立ち会うと、早くももうぼけはじめているのではなかろうなと懸念が浮かぶ――じきに思い出して、証明写真を渡してきた。それを受け取り、下階に下って、リュックサックからコンピューターを取り出して自室に机上に据え、服を着替えた。そうして上階に行き、食事を用意する。餃子や、牛蒡・筍・肉の煮物が一皿にまとめられて置かれてあった。それを電子レンジに突っ込み、大鍋の煮込み素麺を温めて、レタスなどの生サラダを大きな皿に盛って卓に移った。テレビはニュースの類だったはずだが、どんなことを放送していたのかは覚えていない。ものを食べ終えると薬を飲み、母親や父親の分もまとめて食器を洗って片付けると、風呂に行った。入浴中に特段のことはない。出てくると即座に下階に戻り、自室のゴミ箱を上階に持っていって燃えるゴミを合流させておき、そうして戻ると、一〇時前から読書を始めた。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)及びMiles Davis『Kind Of Blue』が流れるなか、ベッドの上で読み続けて、零時半を迎えた。この夜は、グループが作成されて以来初めてのことではないかと思うが、通話が始まらなかった。こちらはそれから、カップ麺でも食べようと上階に上がっていくと、白い寝間着姿の母親がまだ起きていて、ソファに就きながらタブレットを弄っていた。またメルカリを見ていたらしい。こちらは戸棚から鰹風味のカップ麺を取り出して湯を注ぎ、そのあとからポットに水を足しておき、カップ麺を持って自室に帰った。それでコンピューターの前に就き、麺を啜ったが、大して美味いものではなかった。やはり何だかんだで日清のカップヌードルとか、「どん兵衛」の鴨出汁蕎麦とか、あのあたりが美味いと思う。健康に悪いことにスープをすべて飲んでしまうと空いた容器をゴミ箱に捨てておき、一時からふたたび読書に入った。ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』は、やはり訳との相性が悪いのだろうか、それとも作品自体の問題なのか、驚くほどに気に掛かるところが見当たらず、メモも全然取らずに読み進めている。一時間ほど読んで、二時を回って就床した。


・作文
 14:01 - 14:12 = 11分
 17:27 - 18:55 = 1時間28分
 計: 1時間39分

・読書
 19:05 - 20:18 = 1時間13分
 21:52 - 24:28 = 2時間36分
 24:59 - 26:03 = 1時間4分
 計: 4時間53分

・睡眠
 3:30 - 13:00 = 9時間30分

・音楽

2019/5/14, Tue.

 またもや一時半まで糞寝坊。労働再開の日だというのに普段と何の変わりもない。緊張感に欠けている。いつものように九時のアラームで一度ベッドから抜け出しているのだが、磁石に吸い付けられる砂鉄のようにしてまた寝床にどうしても舞い戻ってしまう。それからちょっと休むだけでふたたび起きようと思っていたところが、あれよあれよという間に時間が過ぎていって、意識ははっきりとしているのに身体だけ動かない時間が続いて、結局は一時半である。完全な堕落である。本当はもっと早起きして、家事もやりたいし本も読みたいのだが。ともかく、ベッドを抜けると上階に行った。母親は着物リメイクの仕事、今日は休日である父親はちょうどどこかに出かけたところのようだった。食事は特になかった。焼きそばを作ったらと書き置きにはあったが、面倒臭いのでレトルトのカレーで簡便に済ませることにして、戸棚からパウチを一つ取り出し、フライパンに水を汲んで沸騰しないうちに最初からパウチを放り込んでおき、加熱する。そのあいだに風呂を洗うことにして浴室に行き、浴槽の栓を抜いた。水が流れでているあいだに今度は寝癖を直すことにして一旦洗面所に出て、後頭部を水で濡らして櫛付きのドライヤーで整えた。そうしてゴム靴で浴室に戻り、水の抜けた浴槽のなかに入って、四囲の壁や床面をブラシで擦っていった。終えて出てくるとフライパンは既に沸騰してたくさんの泡が生まれているので、鋏を使ってパウチを湯のなかから取り出し、大皿によそった米の上にカレーを掛けた。頭にはcero "Elephant Ghost"が流れていた。そうして卓に就いて一人黙々と食事。終えると即座に皿を洗って片付け、抗鬱剤ほかを服用して、下階に戻った。コンピューターを起動させてSkypeを確認すると、Yさんがブログを始めていた。良いことである。彼にメッセージを送っておき、二時を回ったところからFISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめた。それから一時間ほど掛かって前日の記事を仕上げ、ここまで綴った。
 ブログやnoteに記事を投稿。Twitterにも通知。それから出勤前にもう少し腹にものを入れてエネルギーを補給しておくことにして、上階に上がった。豆腐を食べるつもりだったが、冷蔵庫を覗くと豆腐がなかったので、おにぎりを作ることにした。炊飯器に寄り、戸棚の上のスペースにラップを敷いて、そこに白米を乗せたあと、塩と味の素を振って包み込んだ。米を握って成型しながら階段を下り、自室に入るとコンピューターの前に座って白米を咀嚼した。食べ終えてしまうと歯ブラシを洗面所から持ってきて、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)の流れるなか、歯磨きをしていると、窓がとんとんと鳴った。父親が外から、木の棒を使ってこちらを呼んでいるのだった。歯ブラシを口に突っ込んだまま、ベッドの上に乗り、窓に寄って開けると、父親が、クローゼットに夏物のスーツがあるから、もし良かったら着てみて合いそうなものを着ていきなと言った。うん、と答え、それからまたちょっと歯磨きをして口をゆすいだあと、両親の衣装部屋に入って戸棚をひらいてみたが、身につけて精査するのが面倒だったので、今日は自分のスーツを着ていくことにした――と言うか、もともとそのつもりだった。それで上階に行き、洗面所に入ってまずは髭を剃った。電動髭剃りで持ってもみあげの下端や、口の周りや顎を当たって、剃ったあとから保湿ローションを塗っておくと洗面所を抜け、仏間に行って真っ赤な靴下を履いた。そうして下りていき、自室に戻ると真っ白なワイシャツを身につけ、少々きつい黒のスラックスを履いた。それから水玉模様の水色のネクタイを首もとに締めて黒のベストを羽織って、一番下のボタンは外したままにした。その格好でベッドに乗り、ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みはじめた。ベッドに乗った際、窓の外をちょっと見やると、父親も木製のベンチの上にうつ伏せに横たわって本を読んでいるのが見えた。『ダブリンの人びと』は、やはり訳に何となく釈然としない感触を感ずる――どこがどう、ということはうまく説明できないのだけれど。今のところ際立って思考や感覚を駆動させる箇所には出会えていない。四時前まで本を読むと、日記を綴りはじめ、一〇分も掛からずにここまで書き足した。
 インターネットを少々回り、流れていた"My Romance (take 2)"を立ったまま聞くと、スーツのジャケットを身につけ、財布や携帯を入れたクラッチバッグを持って上階に行った。居間には外から入ってきた父親がおり、南の窓際に寄って読書をしていたようだ。こちらの足もとを見て真っ赤な靴下に言及するので、まずいかと訊くと、まずいと言うか、奇抜ではないかと父親は笑い、真っ黒な装いと合っていないというようなことを口にするので、取り替えることにして仏間に入り、赤の靴下を脱いで灰色のものを身につけた。そうして便所に行き、膀胱を軽くしてから居間に戻って、じゃあ行ってくると父親に告げてクラッチバッグを持ち、玄関に行って褐色の靴を履いた。大鏡に全身を映して確認してから玄関を抜け、道に出て歩いていると、涼しく湿り気をはらんだ風が流れて、薄緑に染まった楓の枝葉の裾が柔らかく揺れる。坂に入ると、こちらよりもいくらか先んじて傘を差しながら――雨は降ってはいなかったのだが――歩いていた老婆が、左方の林の縁に近づき、何やら葉叢のなかの茎の先について白い花を見分しているようだった。ちょっと見てはまたすぐに離れて歩き出し、そうしたかと思うとまた葉叢に近づいて目を寄せるのだ。何を意図しているのかよくわからなかった。上がっているうちにこちらはその老婆を追い抜かし、前方からやってきた中学生二人ともすれ違って進んで行き、街道前で空に目をやれば、薄白さが満ちた西空の一角に、太陽の円形がさらに白く収束している。
 風が踊る道行きで、空気の流れに晒されてジャケットの前がひらくので一度はボタンを留めたが、何やら剽軽な動きをしている女子中学生ら三人とすれ違ってまもなく通りを渡ってから、すぐにふたたびボタンを外した。白髪の老婆が一見の古家の前で、市指定の青緑色のビニールのゴミ袋を腕に掛けながら、植木の根元に鋏を寄せて剪定しているようだった。その脇を通り過ぎて進んで、老人ホームの前に掛かって何とはなしになかを覗いていると、窓際にテレビが持ち出されていて、老婆が一人、テレビと向かい合う形でテーブルの周りに就いていた。これから映画か何か見る催しがあるのだろうか。
 裏通りにも風が吹いて、スーツのなかの温もりをいくらか散らしてくれる。鶯の声が線路の向こうの森の方から響き落ち、さらにもう一度続いたのに三度目はいつかと耳を張ったがあとに続かない、と思っていると突然、狂い鳴きが始まった。色彩の破片をあたりに撒き散らすような、比較的はっきりとした音程の付与された鳴き方であり、フリー・ジャズのサックスのブロウのようにも聞こえなくもなかった。
 それからしばらく行くと、一軒の敷地の入口のあたりに白猫が佇んでいる。近寄って行くとあちらからも寄ってきて可愛らしく、手を差し出せば鼻先をその手に押しつけてくるようにするのも愛らしい。それからしばらく、身体や腹や頭の上や首もとを撫でて可愛がってやった。猫はこちらの持ったバッグに顔を擦りつけ、あるいは鼻面を押し当てるようにしていた。戯れているうちにスラックスに白い毛が多数付着してしまったので、立ち上がり、指でつまんで取り除いたり、それでは埒が明かないのでハンカチを取り出して擦り取ったりしているこちらの背後では、子どもらが幼い声を上げながら数人走ってくるような声音がしていた。それを機に猫の頭をもう一度撫でてから別れ、子どもたちの遊んでおり母親が一人見守っているなかを歩いていき、先を進んだ。
 大樹の生えた敷地の横を通る際、足もとに散らばった枯葉の群れの、オレンジがかったような色とか黄褐色とかに染まっているのを見るにつけ、まるで夏を飛び越えて既に秋の道のようだなと、薄曇りの天候から来る初夏の陽気に至らぬ涼しさも合わせて思えばそれと同時に、三宅誰男『囀りとつまずき』のなかに、やはりある季節にあって別の季節を思う心の有り様を、どことも知れない季節の汽水域に身を置いている、という風に表現した断章があったなと思い出された。ここに引いておこう。

 おもてに出たとたんに肌をなぜてみせる夜気がきたるべき冬の気配をはらんでまだまだ気のはやい十月初旬である。年の瀬の気ぜわしさすらもよおしかねぬ先駆けの、長ずるにつれて不在の夏へのあこがれまでをもまねきよせるようであるのに、秋のさなかにありながら冬の気配にかこまれて夏を思慕している、いずことも知れぬ季節の汽水域にたたずむこの身ばかりのたしかさとなる。
 (三宅誰男『囀りとつまずき』自主出版、二〇一六年、48)

 若々しいと言うよりは幼さの残る粗雑な口調で話している女子中学生を追い越して駅前に出ると、尿意がいくらか満ちていた。出掛けに済ませてきたのにふたたび満ちるものがあるというのは、自覚もほかの身体症状も特段に見当たらなかったものの、労働への復帰に当たってやはり多少なりとも緊張しているということなのかもしれない。ロータリーを通って公衆便所に寄り、湿った小便の臭いの染みついた空気のなかで再度放尿し、バッグを小脇に抱えて手を洗うと外に出てハンカチで水気を拭った。そうして職場へ向かった。
 入口の戸を開けてなかに入ると、奥にいた(……)室長がすぐさまこちらに寄ってきたので挨拶をした。それとともにマネージャーらしき人も寄ってきて、靴を脱いでスリッパに履き替えると、礼をしながら(……)です、と挨拶をしてきたので、Fですと返し、早速、どうぞと促されたのに面談スペースに入る。椅子が変わっているのが目についたので、椅子が変わりましたねと口にして話の取り掛かりをつけたのだが、ちょうど今日入れ替えたばかりなのだと言う。新しい椅子は下にキャスターがついているタイプのものだった。
 それでしばらく――と言って二〇分も掛からなかったと思うが――マネージャーと面談した。彼が一度会って話したいそうなので、五時に来てくれと言われていたのだ。改めてよろしくお願いしますと挨拶をしてから、最初に何を話したのだったか――確か、正確にはいつからいつまで働いていたのかと訊かれたのではなかったか。それで大学時代は一年生から二年生の冬まで、そこでパニック障害になってしまって一度辞め、大学を卒業してのち二〇一三年の四月から、昨年二〇一八年の三月いっぱいまで働いていたと説明した。その時も体調が、と言うので、そうですね、パニック障害が悪化したような形で、医者に行ったら休んだ方が良いのではないかということで、と答えた。その後、本当は鬱病らしき様態に転換していったりといくらか推移があるのだが、そのあたりは話さなかった。住まいはと訊かれたので、(……)の方ですと言い、付け加えて、(……)駅の傍ですねと言うと、相手は理解したようだった。生まれも育ちも青梅だと言うと、マネージャーもそうなのだと言った。出身は(……)のあたりらしい。
 室長にもそうですけれど、何か聞いておきたいこと、気になることなどありますかと訊くので、いやもうまず、今日の復帰からしてきちんと仕事を思い出せるかどうか、それが不安ですと笑いながら応じた。労働は、体調にも波があるだろうからと――今の自分の実感としてはもう相当に安定していて、波など生まれていないのだけれど、まあ今後また下降する時が来ないとも限らない――最初のうちは慣らし運転みたいな形で、と言ってくれたので、ありがとうございますと礼を言い、話を終えると面談スペースから出て、フロアの奥の方、ロッカーのある区画へ行き、荷物をロッカーに入れて鍵を閉めた。そこに室長がやってきて、生徒の座席表を見せてきたのを見ると、二時限目に(……)の名があったので、おお、と笑った。相変わらずやる気はないと言う。
 それで授業の準備をした。タブレットからシステムにログインするのに他人のIDとパスワードを借りなければならなかったのだが、そのあたりでうまくログインできずいくらか手こずったりもしたけれど、まあ概ね問題なく準備し終え、授業を迎えた。一時限目は(……)くん(中一・国語)と、(……)くん(中二・英語)。二人とも大人しそうな少年で、特に一年生の(……)くんの方は結構引っ込み思案そうで声も小さかった。(……)くんは真面目そうな感じ。彼の通っている(……)は中間テストがないらしいので予習を進めているのだが、学校の進度からも大幅に先んじていて、なかなか優秀そうである。彼は今日は接続詞のthatを扱い、そのあとでThere is/are 構文の予習に入った。(……)くんの方はテスト前の増加授業ということで、まあ普通に一年生の一学期なのでワークの頭から扱った。最初の単元の出来は良かった。詩の主題の読み取りで一問ミスしていたのみだったが、しかしその後の単元の漢字の出来を見ると、全体としてはまあまあといった感じではないか。本当は間違えた漢字を練習させるところまでやりたかったのだが時間が足りなかった。その後、生徒情報を見たところ、国語はテスト前に一コマしかなかったので、失敗したと思った。それを把握していたなら漢字練習などやらせずにもっと読解問題に取り組むつもりだったのだが、授業の組み立てを誤ったなと思ったものの、しかしあとで室長に聞くと、おそらくまだデータに反映されていないだけで残り二コマあると言うので、安心した。
 一時限目の途中で、(……)先生に挨拶をした。こんにちは、と声を掛け、新人のFですと冗談を言うと、いやいやいや、ベテランですよと即座に否定された。一時限目と二時限目の途中の休み時間は入口の方に立って生徒の出迎えをしていたのだが、そこで(……)さんと再会したので、ここでも、こんにちは、新人のFって言います、と冗談を飛ばすと、いやいやふざけすぎでしょ、と笑いながら突っ込まれた。久しぶりだよねと言うので、事情があってねと言ったのち、旅に出ていたんだとこれも冗談を口にすると、放浪してたと彼女は笑い、してそう、旅してそうと言ったが、旅など実際は全然したことがない。彼女は勉強がやばいと言った。今日は数学の授業で来ていたのだが、全然わからないと言う。日本史もやばい、英語が一番やばい、と言うか大体全部やばいと言うので、まあ頑張りましょうとしか言えないけれど、とこちらは落として、二時限目の授業に向かった。
 二時限目は(……)。まずもっていつもそうらしいのだが、二人とも、二〇分から二五分くらい遅刻してきて、八時過ぎにならないと姿を現さなかった。待っているあいだこちらは一席に就いて、手帳に行きの道中のことをメモしていた。生徒がやってくると、初めましてとにやにや笑いながら口にして、新人のFですと同じ冗談を言うと、いやいや知ってますよという反応があった。彼らは遅れてきたこともあり、また授業の最後にアンケートを書いてもらったこともあって、あまり充分にワークを扱えなかった。単語テストの扱いにも、これも以前働いていた時からの懸案だけれど悩むところだ。彼らのように勉強してきていない生徒に単語テストをやらせても、ちょっと解答を確認してから短期記憶でもってぱっと答えてまあ六割七割くらいの正答、という感じなので、長期記憶には結びつかずはっきり言って意味がないのだ。やはり単語テストは、勉強してきていない生徒に対してはその場で授業内でいくつかピックアップして勉強させる時間を取るというのが良いのかもしれないが、しかし多分塾全体の方針としては勉強してきていなくても良いから、とにかくやるだけはやらせろというものなのではないだろうか。あまり充分な内容を扱えなかったという話に戻ると、(……)の方は今日はワーク三二頁の第二番並べ替えの問題五問しかできなかったし――まあそれにはこちらが、その五問を解いたあとに三文ピックアップして練習させる時間を取ったこともあるのだが――、(……)の方も、現在完了形を一頁やったのみだった。本当は受動態の復習もしたかったのだが。まあなかなか思い通りの授業を展開するのは難しい。あとはやはりもっと授業中に質問を投げかけて――例えば、現在完了の形は? などという風に――記憶するべき事柄を記憶させなければならないだろう。宿題をやってきてくれればまだ多少伸びると思うのだが、しかしこればかりはこちらの力ではどうにもならない。
 そんな感じで、授業は概ね恙無く終わったのだが、四人のうち三人はノートにコメントを書くのを忘れてしまった。これがミスした点である。最後の一人の時は気づいて、過去分詞を覚えていてよかったですというようなことを短く記した。それで授業後は入口の方に立って生徒の見送りをして、そのあと室長に報告し、授業記録をチェックしてもらって――あと、生徒たちが大方去ったあたりで、(……)先生にも挨拶をした。この時も、どうもと言って笑いかけ、新人のFですと冗談を飛ばして自ら笑い、完全にネタにしてしまっているというね、と自分自身で執り成した。以前勤めていた時にいなかった先生方にはまだ全然挨拶を出来ていない。皆、授業が終わると速やかに、お疲れ様ですと言って帰ってしまった。それで室長を除けばこちらが一番最後まで残っていたくらいである。YOKU MOKUの菓子があって、早く食べないとなくなっちゃうので是非と言うので、二つもらってバッグに入れた。「ヨクモク」というのが最初聞き取れず、何のことかと思ったのだが、そういうメーカーがあるのだ。あれは何と言うのだろうか、棒状の、さくさくしていて仄かに甘味のある洋菓子である。それでロッカーから荷物を取り出して入口の方まで行き、室長と少々話した。次回はいつ頃になりそうですかと訊くと、明日の水曜日、早速足りないんだけどなあと言うが、それには首を振り、明後日の木曜日とか、と言って、(……)くんの国語の続きが出来ますよと来たのには、いいんじゃないですかと応じた。そういうわけで次回の勤務は木曜日、一六日の六時からである。
 お疲れ様でしたと挨拶をして外に出ると、楽しそうでした、と室長から声が掛かったので、会釈をして職場をあとにした。なかにいるあいだに雨が降りはじめていたが、今はほとんど降り止んでいて、僅かな雨粒が散っているのみだった。それでも歩いているあいだに嵩んできてはたまらないので、電車で帰ることにして駅に入り、改札をくぐって奥多摩行きに乗り込んだ。最後尾の車両の一番前側の扉際に就き、手帳を取り出して眺める。東京方面から来る青梅駅止まりの電車が遅れているということで、その電車からの乗り換えを待つこの奥多摩行きも必然的に遅れる見込みだった。しかし手帳を読んでいるあいだにあっという間に発車の時間が来て、最寄り駅に着くと降り、ホームを移動して自動販売機に寄った。久しぶりに働いたためだろうか、身体のなかに温もりが籠っているような感じがあり、喉が渇いていたので、何か炭酸飲料でも買おうと思ったのだ。一四〇円でカルピス・ソーダがあったのでそれに決めて、バッグから財布を取り出し、その財布からまた硬貨を取り出して一つずつ挿入していき、ボタンを押した。出てきたペットボトルをバッグに入れて駅を抜けた。車の途切れた隙に横断歩道を渡り、坂道に入りながら上を向くと、薄墨色に染まった空のなかに一点、チョークの付着した指を誤って擦りつけたかのように月の明かりが、ぼんやりと貧しく浮かんでいた。坂道を下りて行き、平らな道に出て行っていると、Kさんの家の前にあれは薔薇だろうか、大きく真っ赤な花が一つ咲いていて、それが闇のなかでも蠟でできた固い彫刻のような重量溢れる存在感を放っていた。
 帰宅。居間に入って両親に挨拶。母親がどうだったと訊くので、まあ余裕でしょうと言いながら冷蔵庫にカルピス・ソーダを入れる。そうして下階へ。コンピューターを点けつつ、スーツを脱いで廊下に吊るす。ワイシャツを身体から剝ぎ取ると、肌が薄い汗でべたついていた。ハンカチと脱いだワイシャツを丸めて持って上階に行き、洗面所の籠のなかに洗い物を放り込んでおくと、台所に出た。夕食は大鍋に残ったカレーの残骸を利用したカレー素麺だった。そのほか、筍や人参や鶏肉が混ざった炒め物など。それぞれ卓に運んで椅子に就き、今日は休日で酒を飲んだらしく顔が赤い父親と仕事の話など少々交わしながらものを食べた。食事をしながらカルピス・ソーダを氷を入れたコップに注ぎながら飲み、ペットボトル一本分飲み干してしまった。食事を終えると父親と入れ替わりに台所に入って皿を洗い、風呂は母親が入っていたので一旦下階に戻った。Twitterで労働が恙無く終わったことを呟いたり、インターネットを回ったりしているうちに風呂が空いたので入りに行き、出てくると居間には父親が一人で残ってテレビを見ていた。畳んだジャージをソファの縁に置いておき、下階に戻るとTwitterで返信をしながら日記を書きはじめたのが一一時過ぎである。Bill Evans Trio "Milestones"から流しはじめ、それが終わると Bill Evans Trio『Bill Evans At The Montreux Jazz Festival』、そしてMiles Davis『Kind Of Blue』と続けて流しながら書き物を進め、一時直前になってここまで至ることができた。
 その後、Skype上のグループでしばらくチャットでやりとりが続いた。日記が終わったので通話しましょうか? と尋ねると、着信が掛かってきた。最初に参加していたのはYさん、Aさん、MYさん、MDさんだったと思う。のちに、MYさんとMDさんが去ったあとだったかと思うが、Dさんが参加してきた。Aさんが、Fさん、お疲れ様でしたと言ってきたので、ありがとうございますとまずは返した。まあ余裕でしたね。Yさんがその後、仕事をまた始めると、日記を書く量が減るのかなと訊くので、いや、今日は仕事中のことも書いてしまいましたけどねと答えた。しかし、会社の方からはSNSに塾のことを書き込むなという厳命を受けている。この日の通話中には、まあバレなきゃいいかな、っていう感じで、と言ったのだったが、一体どこから何に繋がったり炎上したりするかわからないこの世の中である、やはり職場にいるあいだのことは公開しない方が良いのではないかという気もしていて、この日の記事もどうするか迷うところだ――まあ、公開していたとしても、これほど長い文章を読むような人間は職場の同僚にも生徒にもいないだろうと考えられるから、心配はないと思うのだが、しかし先にも述べたように、どこから何に繋がるかわからないこの世の不確定性が自分を怯ませるところではある。バレたらまあ、首にしてもらうしかないかな、とこの日の通話では呟いた。まあリスクと言ってその程度のことなので、バレたってまあ構わないという気持ちもないではない。
 日記には一日どれくらいの時間を使っているのとYさん。今日の記事を見て、今日はもう三時間書いていますねと答えた。それで、YさんはAさんにも、Aちゃんも日記書いてみたらと言うのだが、彼女は三日坊主にもならなかった前科がある。一日一行でも、とにかく毎日書いていれば勝ちなんですよといつも言っていることをまた口にしてこちらも勧めてみるが、彼女は今のところブログを開設したり日記を書いたりする心はないようだ。ブログと言えば、Yさんがこの日、ブログを開設して、エッセイ的なものをいくつか書いていた。こちらはその後、短歌とかやるのもいいんじゃないですかね、僕も以前、適当な短歌を作っていた時期がありましたと言うと、それは是非読みたいという反応があったので、ブログにまとめてあった短歌の記事のURLを貼ると、わりと皆から好意的な反応があった。MYさんなどは、言葉選びの感じが塚本邦雄に似ているとも言ってくれたのだったが、それは明らかに言い過ぎである。あれらは本当に適当に、五・七・五・七・七のリズムに沿って出鱈目に言葉を並べただけのものに過ぎない。Aさんは例の素早さで即座に一〇〇いくつかある短歌すべてを読んでくれて、九三番が好きだと言った。「鴇色のやさしい人はおしなべてうつむき歌う風の言葉を」という一首である。それで、ああこれはパクリなんですよと言った。岩田宏という詩人が神田神保町という詩を書いていて、そのなかに「やさしい人はおしなべてうつむき/信じる人は魔法使のさびしい目つき」という一節があって、そこから取ったものですといくらか早口で話した。八四番が好きだと言ってくれたのはMYさんだっただろうか? 「ガラス窓の向こうに佇む亡霊を抱いてキスして初めて笑え」という歌である。Yさんは一六番、「退屈な映画みたいな人生さオレンジ潰して燃えてさよなら」が好きだと言ってくれた。これはわりあいに意味の濃度が高い、わかりやすい一首である。こちらの気に入りはどれだろう? 「くだらない夜に滲んで吐く熱をサディストどもが吸えば泣くだろう」とか結構良いかもしれない。あとは、別にお勧めではないが、大好きな『族長の秋』にちなんで作った歌もある――「肥大した睾丸さげて戦争へ死神犯せ族長の秋」である。Aさんはどれも良いけれど――そんなはずがないが――特に九〇番台から良くなるとも言ってくれた。確かに、そのあたりに至ると、あまり適当にぽんぽん作るのではなくて、意味の濃度とか組み立てとかを多少考えて作成するようになっていたような気もしないでもない。今、「短歌」のページには確か一〇四番までしか掲載されていなかったと思うが――現在出先の喫茶店で書き物をしており、インターネットが使えないので確認が出来ない――それ以後に作ったものもいくつかあるので、それをここに載せておく。

月の陰で言葉を食べる兎たち地球を夢見て叙事詩を綴る
美しい破片となった時間だけ投げて散らして一人で遊ぶ
ナイフ持て世界の心臓貫いて流れ出た血で罪を清めよ
黄昏に行くあてのない幽霊は動物たちにキスして消えろ
一杯のきれいな水が欲しいのに手に入るのは雨の尨犬
明け方にクリーム色の夢を見て破壊衝動堪えて眠る
どぶ板のハツカネズミとダンスして月の写像へ向けて宙返り
復讐よ儚く散って風になれ恋も恨みも刃も捨てて
文学の全体主義を夢想するトワイライトの夜明けは間近
月光の共産主義のただなかで革命前夜の太陽墜ちる

 そのほか、「断片#29」、例のローベルト・ヴァルザーをパクった調子や文体で、電車のなかに一人きりになった時間のことを書いた小品だが、これものちになって自信作ですと言って紹介した。これもAさんはその場で即座に読んでくれて、面白い、日記と文体が全然違っていて、こんなものも書けるんですねと言うので、こんなものを書いていた頃もありましたと応じた。日記の文よりも、エクスクラメーション・マークなど多用されていてテンションが高いと思う。それでAさんは、このテンションで音読してほしいです、とも言ったが、それは笑って控えた。
 話が戻るが、日記を三時間書いていると言った時に、今日は日記を三時間書いていて、本は二〇分しか読んでいないと言うと、MDさんから、何を読んでいるんですかとの質問が入ったので、ジョイスの『ダブリンの人びと』というやつですと答えた。しかし、あまり訳が良くないと言うか、二〇〇八年で一番新しい訳なのでこれにしたんですけれど、それにしては何となく……どこがどうとは言えないんですけれど……精度があまり高くないと言うか……あと、ちょっと古臭いと言うか古めかしいような感じもあって、と曖昧な不満を述べると、MYさんが、自分もジョイスを読んだと言う。彼が読んだのは、柳瀬尚紀訳の『ダブリナーズ』と、何と驚嘆すべきことに『フィネガンズ・ウェイク』も読んだのだと言う。それであれをよく読みましたねと笑ったが、MYさんは、いや、あれは読んだとは言えないですねと答えた。MYさんはまた、ジョイスは確かに文体が不安定でふらふらしているから読みにくいようなところがあるかもしれないのだけれど、読んでいると段々それが気持ちよくなってくる、というようなことを言ったので、こちらはそういうものかと落とした。ただ、調べてみると、新潮文庫は古い訳しかないと思っていたのが、柳瀬尚紀訳が二〇〇九年に出ていたようで、これがおそらくすべての版のなかで一番新しい訳だと思われるので、驚天動地の怪作『フィネガンス・ウェイク』の訳者でもあるし、こちらを選ぶべきだったなと悔やんだ。
 その他に覚えているのは、ソローキンがやばいという話くらいである。この話をしたのは確かDさんが加わったあとではなかったかと思うが、『青い脂』というこちらも見かけたことはあって記憶に留めてはいた作品が特に、下品と言うか下品とすら言えないというか、滅茶苦茶でぐちゃぐちゃみたいな感じらしく、Aさんが一節を引用してチャット上に貼ってくれたのだが、確かに凄そうな文章ではあった。彼女は、ソローキンは人に勧めたくないですね、品性を疑われそうみたいなことを言ったが、しかし彼女も本当に幅広く読んでいるものである。その他、Dさんに、サーシャ・ソコロフって知ってますかと質問を投げかけるも、彼も知ってはいたが、読んだことはないと言った。あれ気になっているんですよねと言うので、いや僕も気になってるんですよと笑い、何か凄そうですよねと同意しあった。
 そんな感じで話し合って、三時を迎えたところで通話を終えた。チャット上でありがとうございましたと礼を言い、もっと本を読まなきゃならないなあという気持ちになりますと通話の感想を述べ、それからインターネットを少々回ったのち、三時半に就寝した。


・作文
 14:03 - 14:56 = 53分
 15:57 - 16:05 = 8分
 23:08 - 24:59 = 1時間51分
 計: 2時間52分

・読書
 15:35 - 15:56 = 21分

・睡眠
 2:20 - 13:30 = 11時間10分

・音楽

2019/5/13, Mon.

 今日も今日とて、二時まで糞寝坊。九時のアラームで一度床から離れるのだが、意志薄弱のために布団のなかに舞い戻ってしまい、そうするといつものようにだらだらと寝過ごしてしまう。一時頃には眠気も散って、意識ははっきりしていたのだが、やはりサンクチュアリたる布団のなかの心地良さのためだろうか何故か漫然とその後も起き上がらずにぬくぬくと過ごしてしまった。塾で授業をしている夢を見た。社会か何か教えていたと思う。二時を迎えてようやくベッドから抜け出すと、上階に行った。母親は「K」の仕事で不在、何か食べ物はあるかと台所に入ると、大鍋にカレーが拵えられていたので、心のなかで彼女に感謝した。鍋を火に掛けているあいだに便所に行って排泄し、戻ってくると大皿に米を乗せてその上にカレーを掛けた。そうして卓に向かい、茄子や筍やシーフードの混ざったカレーを小さなスプーンで掬って一人で黙々と食べる。食べ終わるともう一杯おかわりして、食後は青林檎の香りのする洗剤で皿を洗ってから、抗鬱剤ほかを飲んだ。それからそのまま即座に浴室に行って、風呂を洗った。そうして下階に戻ってくると、コンピューターの前に立ち、ひらいていた窓を閉めてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しだすと、Skype上でYさんにメッセージを送った。その後、日記を書きながら、昨晩と比べて調子はどうですかと訊くと、別人だよとの返答があったので、それは良かったと返した。ここまで一〇分も掛からずに綴って、これからいつものように前日の日記を書かなければならない。
 FISHMANS及びBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)を背景にして前日の記事を綴ると、三時五〇分だった。記事をブログやnoteに投稿し、Twitterにも投稿通知を流しておいてから、Iさんのブログを読んだ。幼少期の喘息についての思い出を語ったもので、短いながら端正な叙述でうまくまとまっており、感覚の具体性もよく捉えられているように思われた。同じく肺の病に悩んだ梶井基次郎の、「のんきな患者」のなかの記述を連想的に思い起こしたので、それをここに引いておく。

 (……)しかし何故不安になって來るか――もう一つ精密に云ふと――何故不安が不安になつて來るかといふと、これからだんだん人が寢てしまつて醫者へ行つて貰ふといふことも本當に出來なくなるといふことや、そして母親も寢てしまつてあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取殘されるといふことや、そして若しその時間の眞中でこのえたいの知れない不安の内容が實現するやうなことがあれば最早自分はどうすることも出來ないではないかといふやうなことを考へるからで、――だからこれは目をつぶつて「辛抱するか、頼むか」といふことを決める以外それ自身のなかには何等解決の手段も含んでゐない事柄なのであるが、たとへ吉田は漠然とそれを感じることが出來ても、身體も心も拔差しのならない自分の狀態であつて見ればなほのことその迷蒙を捨て切つてしまふことも出來ず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます增大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪へ切れなくなつて、「こんなに苦しむ位なら一そのこと云つてしまはう」と最後の決心をするやうになるのだが、そのときはもう何故か手も足も出なくなつたやうな感じで、その傍に坐つてゐる自分の母親がいかにも齒痒いのんきな存在に見え、「此處と其處だのに何故これを相手にわからすことが出來ないのだらう」と胸のなかの苦痛をそのまま摑み出して相手に叩きつけたいやうな癇癪が吉田には起つて來るのだつた。
 (『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房、一九九九年、227~228; 「のんきな患者」)

 それから音楽を流しっぱなしのまま、ベッドに乗って読書を始めた。まず、岸政彦『断片的なものの社会学』である。「私たちは、遠いひとたちに冷酷で、近いひとたちに弱い」と二一三頁にあり、耳の痛いような警句だ。「甘い」などではなくて、「弱い」という言葉が使われているのが岸の着実な人間認識を表しているように思われる。三〇分ほどで同書を読み終えるとちょうど音楽も終わったところだったので、ベッドから一旦立ち、コンピューターに寄って、続いてMiles Davis『Kind Of Blue』を流しはじめ、ベッドに戻って今度はジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みはじめた。そうして五時半過ぎまで書見の時間に充てた。『ダブリンの人びと』は、まだ冒頭の「姉妹」という篇を読んだだけだが、今のところはそれほどはっきりと自分の感覚や思考に引っかかる部分は見つかっていない。ただ、二〇〇八年の新訳にしては訳が少々古めかしいように感じられなくもなく、例えば「前身頃」というような言葉選びにそうした感触が示されているように思われる。
 五時三五分で読書を切り上げ、それから音楽に耳を傾けながら布団に包まれて少々休んでいると、玄関の階段を上がる足音が伝わってきた。誰か来訪者だろうか、そうだったら出るのが面倒臭いから無視しようと思ったのだったが、インターフォンが鳴らずにそのままなかに入ってきた気配があったので、足取りの重さも勘案して父親だなと判別した。それでベッドから抜け出し、上階に行くと、果たしてワイシャツ姿の父親が居間にいたので、おかえりと挨拶し、早いじゃんと付け加えた。医者に寄ってきたのだと彼は答えた。台所に入りながらこちらは、もうカレーが作ってあると言うと、そうか、ありがとうと答えるので、俺じゃねえ、お母さんが作って行ってくれたみたいと補足説明した。冷蔵庫のなかにはキャベツのサラダやそのほかこまごまとした品などもあったので、夕食の支度はしないでも良さそうだった。そうして下階に戻ってきて、またベッドのなかで目を閉じて、漫然とした心地でちょっと休んでから、日記を書きはじめたのが六時九分だった。Antonio Sanchez『Three Times Three』の流れるなか、それから一五分ほどでここまで書き足した。
 上階に行った。居間の片隅に吊るされたハンガーから下着を取って畳み、ソファの背の上に置いておいた。靴下も同様に畳んだあと、アイロン台を取り出して炬燵テーブルの端に置く。そうして母親のシャツやエプロンをアイロン掛けしているあいだ、テレビはニュースを映していて、渋谷の交差点にベッドを置いて交通を乱したYOUTUBERが書類送検されたという事件のくだりに掛かると、こちらの傍ら、ソファに座って寝間着に着替えた姿で携帯を操作していた父親が、ああ、あの事件か、と顔を上げた。男女七人が送検されたうち、主犯格のYOUTUBERは二〇代の会社役員だと報じられて、こちらが会社役員だって、と苦笑しながら言うと、父親は驚いたような声を上げていた。アイロン掛けが終わると下階に戻り、書抜きを始めた。BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』、音楽の流れるなか、岸政彦『ビニール傘』と『断片的なものの社会学』の書抜きを進め、七時二〇分が過ぎると中断して食事を取りに行った。上がって行くと母親が帰宅しており、疲れたような顔で椅子に就いていた。台所に入ってカレーを用意しながら、今日はどうだった、と訊くと、疲れた、と彼女はぽつりと漏らし、それから、うんこを漏らしちゃった子がいてさと話しはじめた。教室にいるあいだにどうも漏らしてしまったらしいのだが、職員は誰も気づかずに彼を帰路へ送り出してしまい、帰りに送っていった職員が車のなかが凄く臭かったと言って、そこで事の次第が判明したらしい。母親は、一緒に遊んでいながら自分がその子の粗相に気づけずにいたことを気に病んでいるようだった。非常に大人しい子なのだと言う。それで言い出すこともできなかったのだろう。小学校二年生と言う。親御さんの話すところによれば、自宅外のトイレで用を足すということができない子らしくて――不安なのか、潔癖なのかは不明だが――それで漏らしてしまうということが折にあるのだということだった。台所で食事を用意し、また卓に就いてカレーやキャベツの生サラダを食べながらそうした話を聞いたあと、こちらが食事を食べ終わった頃に電話が掛かってきた。母親が出た。はい、Fです、と甲高い声で答えたその一瞬後には、ああ、はいはいと声のトーンががらりと変わって低くなって、それで電話の相手は兄らしいと知れた。八月に控えたモスクワ渡航の件である。兄がモスクワに駐在しているものだから、その期間中に是非家族で来るようにと誘われていたのだった。パスポートの画像を送るようだとか何とか話している母親のすぐ横に立って、冷蔵庫から取り出したアーモンド・チョコレートを二粒食べていると、母親がこちらに電話機を渡してきた。もしもし、と出て、兄の話を聞くに、この先航空券の値段が高騰してしまうから今のうちにこちらで押さえようかと思っている、引いてはその予約手続きのためにパスポートの画像が必要である、計画としては一応、八月七日から一三日あたりの期間を考えていると言う。父親はもう七日から一五日まで休めることになっているらしかった。それで、明日仕事があるからそこで交渉してみるとこちらは答えた。値段のまだしも安いJALに乗るとすると、七日の一〇時四五分だかのフライトになるらしく、そうなると成田までその時間に間に合うためには早朝六時頃の電車に乗らねばならない。さすがにそれは厳しいだろうということで、新宿あたりに前泊することを兄は勧めた。こちらもその方が良いだろうと受けて、そうすると六日から休みを貰わねばならないようだなと落とした。その後、炬燵テーブルに向かって食事を始めていた父親に電話を渡してこちらは食器を洗い、薬を飲んで、自室からパスポートを持ってきた。写真の顔が物凄く細く、頬が痩けていると言っても良さそうな痩せ方で、自分はこんなに不健康に細かったのだなと思った。鋭いような、頬から顎に掛けてのラインだった。それを父親に渡しておき、風呂に行った。翌日の勤務に備えて髭を剃らねばならないのだったが、T字剃刀で隈なく当たるのが面倒なので、翌日に電動髭剃りで剃ることにして、顔を洗うだけで上がってくると、椅子に就いて両親と渡航の件について少々話した。それから下階に戻り、音楽を流しながらジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を三〇分ほど読み進め、九時を迎えるとふたたび岸政彦『断片的なものの社会学』を書き抜いた。三〇分で書抜きを終了したあとは、日記を書いていたのだが、その途中でYさんが、一〇時になったらMDさんとともに通話に参加するからコールしてくれと言う。新しい方である。それで了承し、一〇時直前になると用を足しにトイレに行き、戻ってくるともう九時五九分だったので日記はあとほんの少しで現在時に追いつけないまま中断し、一〇時を迎えるとチャット上で、一〇時になったのでコールします、と発言した。それでちょっと間を置いていると、こちらがコールするまでもなく向こうから掛かってきて、通話が始まった。こんばんは、初めまして、Fです、とMDさんに挨拶をする。彼女は大学院生、修士課程二年で、フランス文学と言うか、フランス語専攻と言うか、言語学を研究している人だった。あとで話を聞いたところによると、冠詞に深く関わる分野の研究をしているようで、例えばある名詞が文章中に出てきた時、例としてモーツァルトを彼女は挙げたが、それが次には例えば「その偉大な音楽家」という風に言い換えられる、そうすると冠詞が不定冠詞から定冠詞に変化したりする、そうした現象に関係する事柄を研究しているということだったが、今読んでいる論文は誰のものなんですかと訊いて、彼女はジョージ・何とかと言っていたか、そんなような名前を呟いていたと思うのだが、こちらは当然ながらまったく聞き覚えのない名前だった。かなりマイナーなと言っては失礼かもしれないが、そういった分野の研究をしているようだ。フランス文学専攻ではないのだが、文学もそれなりに読むと言う。それで好きな作家を訊いてみると、これは結構珍しいと思うのだが、レーモン・クノーの名が挙がったり、また、フランシス・ポンジュの名前も出てきた。フランシス・ポンジュと言うと、「物」の……とか何とかもごもごと、曖昧な記憶で呟くと、日常的な身の回りにある物について書いている詩人ですねとの返答があった。ポンジュはこちらは物凄く前に一度だけ読んだことがあるし、一応詩集も古書店で求めて積まれている。主題は日常的でありふれているのに、それを非常に豊穣な言葉で描くような作家だったという印象が残っている。フランシス・ポンジュとか読んでいる人は初めて会いましたよ、レーモン・クノーとかも、と、クノーの方はこちらは読んだことがないのだが、そう言った。
 そのうちにYさんは、三〇分ほどしたら戻ってくると言って退出した。こちらはMDさんと二人きりで残されて、初対面の人と一体何を話せば良いのだ……という戸惑いのなかに置き去りにされたのだが、MDさんが落ち着いて穏やかな調子でありながらも結構よく喋ってくれて、また、沈黙が差し挟まっても彼女の雰囲気からして悪い沈黙ではなく、間が持たないということはあまりなかったようである。色々なことを話したのだが、例によってあまり覚えてはいないしメモも取っていない。文学の話をほかにもしたはずなのだが、何だったか――そう、例の、一番好きな小説は何ですかという質問を投げかけたのだった。ほかの読書家の皆さんと同じように、MDさんも、うーん……としばらく考え込んで、一つに絞るのは難しいですねと言うのだった。それもそうだろうとこちらは受けた。MDさんはしかし最終的に、好きな作品として、エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』を挙げてみせた。名高い古典である。光文社古典新訳文庫で出てますよねと訊くと、あれは読みやすいですよとの返答があった。それで、このグループにいると読まなければならない本が次々と増えていく、と笑い、いや、ここにいなくてもそれはそうかと言った。MDさんはほかにも、モームとか、イギリスのものとか、古典の方面の作品を結構読んでいるようだった。日本だと谷崎潤一郎とかが好きだと言っていたと思う。やはり現代というよりは、近代文学の方をよく読むらしかった。
 こちらは全然詳しくないのだが、美術の話もいくらかした。MDさんは、彼女自身も詳しくはないとは謙遜していたが、イタリアの絵画など非常に好きであるらしかった。僕はパリに一度だけ、一回だけと言うよりも一日だけだな、行ったことがあって、その時オルセー美術館を見てきましたと言うと、ああ、良いですよねという反応があった。彼女もパリには三回だか四回だか行ったことがあって、たびたびルーヴルやオルセーやオランジュリーを見てきたのだと言う。こちらは、クールベ、と名前を出して、クールベの、鹿が二頭、森のなかでバトルしているような大きな絵があって、それが印象に残っていますと話した。そのほか、『地獄の門』も見ました。本当に、一時間くらいしか時間がなくてほとんど見て回れなかったんですけれど、『地獄の門』の前で三〇分くらい止まってしまって、それでほとんど時間を使ってしまいましたね。
 MDさんは映画もよく見るようで、ゴダールなどのフランス映画から、『名探偵コナン』などの大衆向けのものまで幅広く見ているようだった。そして、『ロード・オブ・ザ・リング』が非常に好きだと言うので、Aさんという方がいて、その人も『ロード・オブ・ザ・リング』が大好きで、エルフ語の勉強をしようとしたなどと言っていましたと紹介した。MDさんは兵庫県に住んでいるらしく、その点もAさんと同じくするところで、彼女ら二人は何となく共通点が多いような感じがした。そのうちに、そのAさんもチャットで通話に参加してきて、ほか、K.Sさん、それにY.Cさんが短い時間だが通話に参加した。Cさんは、こちらは何となくずっと女性のように思っていたのだったが、先日自分は男性であるとの連絡があったところだった。それでいざ声を聞いてみると、確かに非常に男らしい、低音のふくよかな声だったので、Cさん、めっちゃ男らしい声じゃないですかと笑った。彼自身は自分が何故女性だと思われていたのか不思議で仕方がなかったようだが、花柄のカーテンのアイコンや、名前や、あとは非常に丁寧な文章の感じなどから、何となく女性的な雰囲気が醸し出されていたのだと思う。
 SさんとMDさんは、同じフランス語を学ぶ者同士というわけで、フランス語の勉強の仕方とか、教材についてなど話していた。その後Sさんが去り、Cさんもチャットになって、フランス語を学ぶコツは何ですかというような質問をAさんが投げかけた。それに答えてMDさんは、自分はあまり勉強として学ぶという風にやって来なかった、音楽や映画などを活用して楽しく自然に覚えてきたというようなことを言った。そのほか、暗唱がやはり効果がありましたと言うのでこちらは、シュリーマン方式ですねと言葉を挟み、暗唱というと僕も一時期暗唱をしようとしていた時期があるんですよと、またもや例の『族長の秋』の話をしてしまった。三頁くらいは暗唱できるようになったと思いますと話している途中に確かIさんが通話に参加してきて、また『族長の秋』の話をしていますねと突っ込みが入ったので、笑いながら、すみません、いつもいつも『族長の秋』のことばかり話してすみませんと謝った。同じ頃合いにBさんもチャットで参加しはじめたが、彼女はそのうちに通話に移行した。移行したは良いのだが、その音声が非常に籠っていて、前にもあったのだがまるで水中から話しているかのような音質だったので、Bさん、水中、水中、などとこちらは言って笑った。
 その後、Bさんに、今日はどんな生活でしたかと尋ねると、大学に行って、文学の講義を受けたとあったので、どんな内容でしたかと続けて尋ねた。中国の神話についてやったらしい。中国の創世神話というものは、儒教が成立して以来忘れ去られていたらしいのだが、近代に至ってそれを発掘と言うか復活と言うかしようとしたのが例の魯迅なのだと言う。それを説明している最中にBさんは、「魯迅が個人で」という発言をしたのだが、それをIさんが即座に拾って繰り返し、音律の重なりが相まって何故かその発言がネタのようになってしまい、「しるぶぷれ~」に続く新たなBさんのネタが開発されそうになった――Iさんなどは、「魯迅が個人でしるぶぷれ~」などと言ってからかっていた。
 一時に至ったあたりで僕はそろそろ退出しますよと言うと、MDさんもそれに応じて去って行った。Bさんが一時半になったら離脱すると言うので、それではこちらもそれまでは付き合うかというわけで一時半に期限を定めたのだったが、結局その時間を過ぎることになったのは、Iさんが山尾悠子について熱心に語ったために、退出の隙を見つけられなかったためである。山尾悠子の作品の大きなテーマと言うか仕組みとして、「噂」と「退屈」というものがあるらしい。人々が退屈しているところに噂話が舞い込んできて物語が駆動しはじめるというような構造が観察されるらしく、その噂話がさらに集積され、形象化されたような事物も作品中に登場するとか何とか。そのような語りを興味深く聞いていたので、退出するのは一時半を過ぎて一時四五分頃になってしまった。今宵もありがとうございましたと挨拶し、またいずれと言って通話を終え、チャット上でも礼を述べておいてからコンピューターをシャットダウンした。そうして洗面所から歯ブラシを取ってきて歯磨きをしながら、ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』をふたたび少々読み進め、二時一五分を過ぎたところで消灯して就寝した。


・作文
 14:39 - 15:50 = 1時間11分
 18:09 - 18:24 = 15分
 21:35 - 21:59 = 24分
 計: 1時間50分

・読書
 16:00 - 16:07 = 7分
 16:08 - 17:35 = 1時間27分
 18:44 - 19:22 = 38分
 21:03 - 21:35 = 32分
 25:50 - 26:16 = 26分
 計: 3時間10分

  • 「彼方より」: 「喘息」
  • 岸政彦『断片的なものの社会学』: 202 - 241(読了)
  • ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』: 5 - 52
  • 岸政彦『ビニール傘』新潮社、二〇一七年、書抜き
  • 岸政彦『断片的なものの社会学朝日出版社、二〇一五年、書抜き

・睡眠
 3:30 - 14:00 = 10時間30分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
  • Miles Davis『Kind Of Blue』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Pablos Casals『A Concert At The White House』

2019/5/12, Sun.

 たびたび目を覚ましてはいたが、例によって起き上がれずに一二時四五分を迎えた。ベッドを抜け出し上階に行くと、母親が食事を取っているところだった。父親は床屋に行っていると言う。食事は煮込みうどんの残り、天麩羅の僅かな残りに、廉価で安っぽいピザ二切れだった。ピザをオーブン・トースターに突っ込んでおき、天麩羅は電子レンジへ、そしてうどんをよそって卓に就いた。テレビは『のど自慢』を映しており、今はちょうど、オーバー・オールを身につけた女子大生がaiko "ボーイフレンド"を歌っているところだった。思い切りの良い歌声を聞きながら、多分合格だろうなと思っていると、果たして合格の鐘が鳴った。
 食事を取っているうちに番組は進んで、最後に郷ひろみがパフォーマンスを披露した。それを見て母親は、無理してるよね、もう少し爺臭い格好すれば良いのに、あんなピアスなんかつけちゃって、と言う。母親が携帯で調べたところで、郷ひろみももう六三歳だと言うが、それにしてはやはり若々しく、格好良くて歳相応に老いているようには見えない。しかし楽曲自体は歌詞にせよアレンジにせよ、絶妙な「ダサさ」を醸し出しているものだったが、これがこの人の色なのだろう。その後母親はさらにネット検索して、郷ひろみの双子の子供の名付け方にネット上では批判が集まっているなどという記事を見つけたようで、こちらに知らせてきたけれど、どうでもええがな、とこちらは何故か似非関西弁でそれに答えて、薬を飲んで食器を洗った。そうして風呂はまだ洗わずに下階に戻り、自室に入るとコンピューターを点け、TwitterでCさんに返信を送り、この日の記事をEvernoteに作成すると、コンピューターの動作速度を回復させるために一度再起動した。再起動をしているあいだは、岸政彦『断片的なものの社会学』の「イントロダクション」を読みながら待った。そうしてコンピューターの準備が整うと、Evernoteをひらいてこの日の記事を書きはじめた。BGMにはいつものように、FISHMANS『Oh! Mountain』を選んだ。時刻は一時半だった。
 それから前日の記事を作成し、書き終えると二時半前だった。ブログに記事を投稿する前に上階に行き、風呂を洗った。両親は買い物か何かに出かけているようだった。それから居間の片隅、ベランダに続く戸の脇に取り込まれていた寝間着や肌着を畳んでソファの背の上に整理しておいてから下階に戻った。ブログやnoteに前日の記事を投稿し、三時直前から読書を始めた。岸政彦『断片的なものの社会学』である。BGMとしてはBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)を流した。何の変哲もないただの「小石」の、その固有性のエピソードはやはり印象的である。「世界中のすべての小石が、それぞれの形や色、つや、模様、傷を持った「この小石」である、ということの、その想像をはるかに超えた「厖大さ」」。同じようなことは、立川などに出て大波のようにうねる人混みの合間にいる時にこちらも感じたことがある。四時まで読んだところで一旦上階に行った。先日買ってきた生八ツ橋がまだ残っていたはずだからそれを食べようと思ったのだ。そうして階段を上がって行き、冷蔵庫から八ツ橋の箱を取りだして卓に就くと、目の前にスナック菓子「ドンタコス」(焼き玉蜀黍味)があったので、懐かしいなと言いながらそれも頂き、三つ残っていた苺餡の八ツ橋も頂いた。そうしていると母親が、人参を茹でているので見てくれないかと言う。隣のTさんに何か届けに行ってくるらしい。それで了承し、八ツ橋をもぐもぐやりながら台所に立って、大鍋で茹でられている人参の前に立った。しばらくして母親は戻ってきたが、その頃にはこちらも鍋を流し台に持っていって、笊の上に人参を茹でこぼしていた。ほかに何をやるかと母親は言うが、昼間に焼いた鯖がたくさん残っているし、米も炊かれてあるしで、そのほかには特に食事の支度は良いのではないかとなった。それで、茹でられてあった野良坊菜――あるいはあれは小松菜だったか?――と春菊を絞って切り分け、プラスチックのパックに入れておいてから、下階に戻った。四時半前からふたたび読書を始めた。「あらかじめ与えられず、したがって失われもしないために、私たちの目の前に絶対に現れないようなものが、世界中に存在しているのだ」(31)。「世界中で何事でもないような何事かが常に起きていて、そしてそれはすべて私たちの目の前にあり、いつでも触れることができる」(38)、その「厖大さ」。また、八八から八九頁には、「私は奄美の人間で、沖縄は合いません」と話すタクシー運転手の「おっちゃん」のことが語られている。「本土の人間からすると、どっちも似たようなものだと思いがちなのだが」とあるように、こちらもこの二つの地域を一緒くたにして考えてしまっていたのだが、「実は奄美と沖縄とはかなり複雑な関係にある」と言う。それは、一九五二年に奄美が沖縄よりも先に日本に返還されたという歴史的事実から来る軋轢のようなものなのだろう。
 Bill Evans Trio『Explorations』の流れるなかで読書を続け、六時一八分で一度中断した。そこからcero『WORLD RECORD』を流して日記をここまで書き、現在七時前となっている。
 食事を取りに上階に行った。台所に入って焼かれた鯖を二切れ、フライパンから取りだし、電子レンジに突っ込む。白米を椀によそって卓に運び、そのほかワカメとメンマを混ぜた和え物や――これは父親が作ったようだ――茹でられた人参を小皿に取って食卓に就いた。ものを食べているあいだ、テレビはニュースを映していたのだが、どんな事件を報道していたのかは忘れてしまった。炬燵テーブルでは母親も食事を取りはじめており、父親はジャージから寝間着に着替えて風呂に向かった。こちらは速やかに食事を終えると水を一杯汲んできて、薬を服用し、よく泡の立つ洗剤を使って食器を擦って洗うと一旦自室に帰った。インターネットを回っていると、Skype上でY.Cさんからメッセージが届いてきた。こんばんはと挨拶し、その後、Mさんのブログを読みながらやり取りを行った。八時を迎えると、入浴に行った。階上ではテレビで大河ドラマ『いだてん』が始まったところだった。風呂に入り、湯にしばらく浸かって、今日は温冷浴はせずに上がると、洗面所に踏み入る前にフェイス・タオルで身体の水気を拭った。それから扉を開けて足の裏も拭きながら踏み出し、足拭きの上に立つとバスタオルを取って身体からさらに水気を取り除いた。そうして肌着や寝間着を身につけ、櫛付きのドライヤーで髪を乾かすと洗面所を抜け、母親に向けて挨拶の声を掛けながら階段を下りた。ふたたびCさんとやりとりをしながらMさんのブログを読んだ。そうして九時に至ると、ベッドに移り、 岸政彦『断片的なものの社会学』をふたたび読みはじめた。Mさんも以前ブログに引いていたと思うけれど、「一方に「在日コリアンという経験」があり、他方に、「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人々がいる」というのは本当にその通りで、実に鋭い指摘だと思う。これは、自分は自分のことをはっきりと「マイノリティ」だと自認してはいないけれど、精神疾患のことを考えればよくわかる。パニック障害になったことのない人間のほとんどは、「パニック障害」という体験そのものを考えることはないだろうし、「普通」の人にとってそれを想像したり理解したりすることもおそらくは相当に困難なことと言うか、ほとんど不可能なことではないかと思う。
 また、いわゆる「マイノリティ」の人々の経験に関する上のような文章を読んでいて、以前同級生との花見の会にて感じた違和感を思い出したので、当該の日記の記述を二〇一七年四月一日の記事から引いておく(この頃は日記の一部しか公開していなかった時期なので、この文章を人目に晒すのは初めてだと思う)。同じような「違和感」を覚えたことは、過去、職場の同僚たちとの飲み会においてもあった。自分にはゲイの知人がいると言った時の皆の反応が、ええっ、というような驚きとともに、いくらかの笑い――気まずさを散らそうとするような乾いた笑いだっただろうか?――を孕んだものだったように記憶している。

 生活上で最も大きな変化を迎えたのはおそらくはHさんで、結婚は誰からか聞いていたが、妊娠をしたというのがこの日に発表された。三か月だと言う。まだM田が来ていない時に、そのHさんがFの近況を皆に語って聞かせた時間があったのだが、こちらの対角線上、席の端から一座に向けて語りを展開するのを見ていると、やはり何というか彼女はこの同級生の女子らのなかにあっても主導的な位置――語り手になることができるという――にいるのだなという気がした。Fについても一応記録しておくと(ちなみに彼女もWの結婚式の二次会にいた――その時いた女子は、Kさん、U田さん、FにK島さんの四人である)、二週間前だったかつい最近に元の恋人と別れ、いまはプリン屋の息子(しかしプリン屋を継いでいるわけではない)とまた新しく付き合い出したのだと言う。元の恋人というのは、以前にも付き合っていたことのある人で、そんなに好いてもいないのに、(Hさんが言うには)「手頃なところで」縒りを戻したのだが、その彼氏を女子高生に取られたのだという話だった。曰く、再度付き合いはじめてまもなく、バレンタインデーの機会に藤本は恋人が欲しがっていたリュックサック(ではなかったかと思うが)、一万五〇〇〇円だか結構するものをプレゼントしたのに、ホワイトデーだったかそのお返しには頼んでも彼女の欲しいものを買ってくれず、何もしてくれなかったとのことで、そんな折に彼氏の携帯電話にSMSの着信があって、表面に表示されたメッセージが浮気を示すもので見れば、相手は女子高生だったと言う。Fは、M田と付き合っていた高校の頃からそうだったと言えばそうなのかもしれないが、碌でもないような男に容易に良いように扱われてしまう女性なのだなとの感を今回新たにした。HさんはそんなFを、自分はゲイに彼氏を取られたことがあるから大丈夫、と励ましたと言い、その挿話も披露されたのだが、そちらは特段の印象を惹かなかったようでよく覚えてもいないのでここには省略する。こちらの関心を惹いたのは、そうした同性愛者に恋人を取られたという話が、女子高生に取られたというエピソードよりも特別なものとして語られることのできる現今の社会状況の方で、これが一体どういう意味なのか、疑問を持ち釈然としないものを感じながらも、それを明確化することがこの日のこの席ではできなかったし、いまもできないでいる。この話は、女子高生の件よりも、起こる可能性の低いこと、「珍しい」こと、「特殊な」出来事として語られたはずなのだが(そうでなければFを「励ます」ことにならないだろう)、その「特殊」のニュアンスの詳細な内実が良くわからない――「励ます」という意図からすれば、「不運な」話、あるいは「酷い」話というような含意がごく薄くともなければそうした機能を果たさないのではないかと思うが。つまり、「女子高生に彼氏を取られたって言うけれど、自分はもっと「大きな」こと、「運の悪い」ことに、同性愛者に恋人を奪われたことがあるのに、いまこうして結婚も出来たし幸せになれているから、あなたも大丈夫だよ」というような言明がそこにはあるのではないかと思う(そもそもこの励まし自体が、実際にはよくある論法であるとはいえ、論理的なものではないのだろうが、それはまた別の問題である)。だからと言って、自分はポリティカル・コレクトネスを強く信奉しているわけでもなく、Hさんの話しぶりは同性愛者差別であるなどと、拙速に、そして声高に糾弾するつもりもない。自分がよくわからず、釈然としないのは、今回のような話が「励まし」として意図されることができ、実際にそのように機能してしまい(少なくともその可能性があり)、そしてそうした作用が、疑問を感じられることもなく滑らかに共有されてしまうという事実そのもの、こうした現象を支えている社会的な風土あるいは制度である。だいぶ昔のことだが、恋人を作る気配のまったくないこちらに向けてHが、同性愛者なのかと思ったこともあると冗談めかして言ったことがあったが、これも同種の事例で、こうした事柄が時に「面白い」冗談になるという社会状態がよくわからないのだ。先にも述べたように、それをすぐさま差別だなどと言うつもりはないが、少なくとも同性愛者という人々が「違った」存在として捉えられていなければ、こうした冗談は成立しない(上の「励まし」についても同様だが、こうした一見些細な点において端的に、そして非常に率直に、同性愛者の人々が置かれている社会的状況の一端が露わになっているように思われる――つまり、「お前、ゲイなの?」という言葉が冗談になるとしても、「お前、女が好きなの?」という発言は決して冗談にならない)。(……)

 一〇時四五分まで読書を続けたあと、コンピューターの前に移り、日記をここまで綴ると一一時一五分。Skype上では通話が始まっているが、こちらは日記を書きたかったので一旦参加せずにキーボードを打鍵した。BGMとしてはMiles Davis『Kind Of Blue』を流していた。読書中もスピーカーから流しだしていて、本を読んでいる合間にたびたび目を閉じて音楽に耳を傾けていたのだが、やはりCannonball Adderleyの活きの良い魚がぴちぴちと跳ね回るような闊達な吹きぶりなど、大したものだ。
 一一時半頃、通話に参加すると、Iさんが何かの文章を音読していた。彼の声がちょっと途切れた合間を縫って、何で朗読しているんですかと突っ込むと、喋るのが自分一人しかおらずあとは皆ミュートでチャットだったので、自分の書いた論文を音読していたのだと言う。論文を書けるというのは、小説作品を作れるのと同じく、こちらには羨ましい能力である。そして、今まで一人でラジオのように喋っていたと言うのも凄いことで、彼はコミュニケーション能力や話術に優れているようだ。彼はこちらの営みに触発されて、日記のようなブログを始めたと言った。嬉しいことである。最初の記事は、幼少期の喘息体験についてのもので、こちらはまだきちんと読んでいなかったが、一見したところではやはりしっかりとした文章で記されているような印象を受けていた。
 その後、Iさんに、大学の学部は何でしたっけと尋ねると、文化政策学部という返答があったのだったか? 珍しい名前の学部で、日本に三つくらいしかないのではないかという話だった。彼は夢野久作中井英夫やらの研究をしているのだけれど、それは言わば趣味と言うか、大学でやっていることとは全然違うのだと言う。大学の方では、反出生主義について勉強しているという話だった。反出生主義というのは、話を聞いたところによると、人間は子供を作らない方が良いのではないかという考えらしく、そうなると論理的必然的に人間は滅亡した方が良いという帰結になってしまうわけなのだが、まあそこまでの極論を唱える人は珍しいにしても、おそらく不幸な環境で生まれる子供を減らすための考えというようなものではないのだろうか。チャット上ではこの反出生主義の考え方に対して賛成を唱える人が結構いて、Aさんなど、こちらが、そうなると人間は滅んだ方が良いってことになりますよねとIさんに訊いた時、滅んでいいと思いますよ! とチャット上で発言していた。こちらもそれを受けて、まあ僕も昔は、生殖に快楽が伴うのではなくて、苦痛が伴った方が良かったなと思っていたことがありました、そうすれば覚悟のある人間しか子供を作らなくなるじゃないですかと、かつてのことを述懐した。
 その後、まもなくIさんは会話から離脱したのだが、これでこちらもラジオのように一人喋りを展開しなければならないではないか、そんなことはできないぞと恐れ慄きながらも、チャット上の発言を拾って何とかお茶を濁していたところ、すぐにAさんがミュートを解除して通話に入ってきてくれたので安心した。その後もチャットを拾って、アンドロギュノスとかいう単語が出た時には、プラトンの『饗宴』のなかにありましたねと曖昧な記憶で例の両性具有体のことを語ったり、ヘリオガバルスという単語が出た際には、アントナン・アルトーに『ヘリオガバルス、もしくは戴冠せるアナーキスト』みたいなタイトルの作品があって、多田智満子が訳していて、昔から読みたいと思っているんですけれど未だに読めていないですね、などと話した。
 そのうちにBさんも会話に参加してきて、互いに今読んでいる本のことを紹介する流れになった。こちらは岸政彦『断片的なものの社会学』を読んでいると言い、この人は色々な人々の生活史、人生の来し方を「聞き取り」している人で、そのインタビューがそのまま丸々著作のなかに挟まれていたりすると述べた。そのほか、僕が一番印象を受けたのは、と言って、上にも引いた、「一方に「在日コリアンという経験」があり、他方に、「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人々がいる」という部分について語り、これは自分もパニック障害という経験があるのでそれを考えるとよくわかる、と話すと、Aさんも、自分も醜形恐怖症の気味があるのでそれはよくわかりますと受けた。Bさんも、醜形恐怖症とまでは行かないかもしれないが、鏡を見て身だしなみを整えるというようなことが嫌で、自然に出来ない、あるいは過去に出来なかったのだと言った。それで、このグループは闇を抱えている人が結構多いですねとこちらは冗談を言って笑った。
 Bさんは、図書館で色々と借りてきていて、今日はゾラン・ジヴコヴィッチという、Yさんが紹介していたものだが、チェコの作家の短編集を読み終えたと言った。結構するすると読めるようなものだったらしい。それで、読むの速いですねと言いながらも、まあ僕も一昨日昨日で一冊読みましたけどねと口にすると、何でしたっけと訊かれたので、先に話したのと同じ岸政彦の『ビニール傘』ですと言うと、それも是非プレゼンしてくださいとAさんが言う。またですかと受けながら、感想を書いたページを参照しつつ、複数の「俺」たち、「女」たちが、全体として一つの集合的な「俺」、「女」の像を作っているような作品だったと紹介した。
 Bさんはこのあと、坂口安吾やら飛浩隆やらに進もうかなというところらしい。Aさんは今日は大学にバイトがあったのであまり本を読めなかったと言いながら、皆川博子を三冊、そして山尾悠子を二冊読んだとかいうものだから凄まじい。彼女は恐ろしく本を読むのが速いのだ。それも速読法の類を実践しているわけではなく、速読しているという意識も自分でなく、ただ読んでいるだけだと言うものだから、文を読み取る地のスピードが単純にとんでもないのだろう。皆さん、併読はしますかとAさんは尋ねた。僕はしない、一冊ずつ読むと言うと、私もそうなんですけど、Twitterを見ると結構皆さん併読されてますよねと彼女は言った。それで思い出したのはCさんのことで、Cさんも一〇冊くらい併読しているって言っていましたね、そうでないとむしろ集中力が続かないとか、とこちらは話した。
 そのあと、零時台の途中からだったろうか、それとも一時頃からだっただろうか、Yさんのお悩み相談ではないけれど、彼が「本音」を訥々と語るという時間が通話の終了まで続いた。彼は今夜はあまり調子が良くなかったようで、声音や話し方も明らかに「落ちている」時のそれで、うまく言葉が出てこないようだった。本の話などしたいのだけれど、本を読んでいないし、今まで普通に話すということをやってこなかったから、会話への入り方がよくわからない、話し方がよくわからないというようなことを彼は言った。話を聞くところ、彼は祖父母や両親から虐待じみた仕打ちを受けてきたらしく、それでPTSDや解離の精神症状があるようなのだが、家族環境というものが悪いもので、過去にはそのように辛い目にあってきたし、今も会話など全然なく、普段人と会話をしないものだから、普通のコミュニケーションというものがあまりよくわからないのだと言った。「ノーマルな」、「普通の」、「幸福な」家族、そういった人生に憧れるとYさんはたびたび漏らした。しかしその一方で、常識とか世間体というものを嫌うとも言っており、そのあたりアンビヴァレントな、二律背反的な感情が見え隠れするようでもあった。感情と言えば、彼は感情が全体的に希薄だとも言っていて、こおのあたりやはり虐待の過去と、それに起因する離人症によるものなのだろうという気がこちらはする。「鬱病」の可能性は診断上ないらしかったが、果たしてどうか? こちらも昨年には、おそらく鬱病によって情動がまったくないような状態に陥ったので、それと似ているような気もするのだが。
 ともかく、こちらは、彼の声のトーンがこのまま本当に自殺でもするのではないかというようなものだったので、ひとまず彼の「本音」を吐き出せるだけ吐き出させたほうが良いだろうなということで、Aさん、Bさんと一緒になってうん、うん、と静かに相槌を打ちながらゆっくりとした彼の言葉を追った。そうしている最中、二時頃に、Sさんという女子高生の方が会話に突然参加してきたので、今、このタイミングで来るかと苦笑してしまった。彼女とはちょっと話したあとに――学校の先生から「紙一重」だと言われたと彼女は言ったが、それがどういう意味なのか、何と「紙一重」なのかその内実は不明らしかった――、寝なくて大丈夫ですかと配慮を差し向けて、すると彼女はもう寝ますねと言って二時を回ったあたりで去って行った。それからふたたびYさんの話を聞く態勢に入り、AさんやBさんはYさんの語りの合間合間に、彼を励ますような言葉を差し挟んでいた。こちらは、今までのある種「閉鎖的な」環境のなかに、言わば一つの「抜け道」としてこうした場が出来たわけですけれど、その点についてはどうですかと――小林康夫『君自身の哲学へ』で語られていた、井戸の底にありながらも同時にそこから外部へと繋がっていく、というようなイメージを思い浮かべながら――Yさんに尋ねると、非常に面白いという返答があったので、それは良かったと安心した。そして、まあ時間を共有していくということが大事じゃないですかね、別に話さずにその場にいるだけでも僕は良いと思っていて、ただ単に同じ時間を共有していくということ、それを重ねていって、それが何かに繋がればそれはそれで良いし、繋がらなければそういった時間があったということだけでも良いと、僕はそういうスタンスでいますと話し、少なくとも我々は――とAさん、Bさんも含めて――話を聞くことはできると思うんで、また「本音」を話したくなったら呼んでくれればいいんじゃないですかと落とした。そうして、ちょっと声のトーンを変えて眠そうな、疲れたようなものにしながら、Yさん、僕はそろそろ眠りますよと言った。それでAさんもそれに同調し、この日の通話はおひらきとなった――ちなみにその頃にはBさんは既に寝落ちしていたようで、反応がなかった。
 会話の途中から、健忘のあるYさんがあとで聞き返せるようにと通話を録音していたのだが、そのデータがグループのチャット上に即座に上げられて――のちに削除されたが――それをその場ですぐに聞いてみると、よく言われることだが、録音されて客観的な音声となった自分の声がすごく変なものに感じられ、思わず、「俺、こんな声なのか笑」、「俺の声めっちゃ変やん笑」、「僕の声で「他者」とかいうとかしこぶってる感が凄い笑」などと発言を呟いてしまった。そうしておやすみなさいと挨拶をしてコンピューターを閉じ、ベッドに移ってまた少し岸政彦『断片的なものの社会学』を読んだあと――今日一日で二〇〇頁も読んでしまった! するすると読みやすい本である――三時半になって就床した。


・作文
 13:28 - 14:23 = 55分
 18:29 - 18:47 = 18分
 22:46 - 23:15 = 29分
 計: 1時間42分

・読書
 14:55 - 16:02 = 1時間7分
 16:26 - 18:18 = 1時間52分
 19:31 - 20:04 = 33分
 20:32 - 21:04 = 32分
 21:13 - 22:45 = 1時間32分
 26:57 - 27:22 = 25分
 計: 6時間1分

  • 岸政彦『断片的なものの社会学』: 2 - 202
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-06「性癖の数だけ宇宙があるというアダルトサイトにおさまる宇宙」; 2019-05-07「マネキンと踊る月夜の石畳垣根を超えて人影ふたつ」; 2019-05-08「寝不足の瞳にメスを走らせて覚醒したいアンダルシアで」; 2019-05-09「最後尾の座席で膝を生意気にたてて座れば市バスも自室」; 2019-05-10「極北を駆け抜けていくけだものの蹄よやどれ詩を書く指に」

・睡眠
 3:10 - 12:45 = 9時間35分

・音楽

2019/5/11, Sat.

 例によって一時半まで糞寝坊。九時に一度ベッドを抜け出したのだが、いつも通り戻ってあえなく撃沈。上階へ。父親もソファの上で臥位になって目を閉じていた。食事は鮭や昆布の混ざった寿司飯、筍に前夜のジャガイモの味噌汁の残り。食べ終えると薬を飲み、食器を洗ってから外されていた炬燵テーブルの天板を卓上に戻した。それから風呂を洗ったあと、父親のスーツを合わせてみればと母親が言うのに従って階段を下り、両親の衣装部屋に入ってグレーのスーツを身に着けてみた。上着は丁度良い。スラックスはやや緩くて、そのままだと動いているうちに少しずつずり落ちてきそうな気配だったが、ベルトを締めれば問題ない程度だった。たくさんあるので一着くらい貸してもらうか譲ってもらうかすれば良いと母親は言うのだが、どちらにしても今ある自分のスーツも腰回りの幅を直せるのかどうなのか、紳士服店に訊きに行かなければならない。母親は今日早速行くかと意欲を見せるが、面倒臭いので今日は良いと答え、スーツを脱いでジャージを履いて階段を上った。そのまま外に出て背に温かな陽射しを浴びながら家の南側に下り、雑多に置かれている植木鉢たちにホースで水をやりはじめた。そのうちに母親もやって来て、畑まで下りていくのは面倒臭いから、上から水を放つかと言って、こちらが差し出したホースを受け取って直射的に水を畑へと撒いていたのだが、結局玉ねぎを採ると言ってそのあと畑まで下りていくことになった。こちらも遅れて階段を下って、草の生い茂っているなかに踏み入り、そちらにも置かれているホースを取ってジャガイモや玉ねぎに水をくれる。母親は紫玉ねぎを一つ収穫していた。水をやり終わったあと、それを受け取ってこちらは上がっていき、水道の栓を忘れずに締めておいてから屋内に戻った。台所の調理台の上に玉ねぎを置いておくと下階に下って、自室に戻り、開けていた窓を閉めてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめた。そうして前日の記事の記録を付け、この日の記事も作成して日記に取り掛かったのが二時四四分だった。これから前日の夜のことを書かねばならない。
 その前に、"感謝(驚)"の流れるなか、起床直後に干してあった布団を取り込み、寝床を整えた。それから日記に戻って、前日の記事を仕上げると三時半過ぎだった。ブログやnoteに記事を投稿し、Twitterにもリンクを通知しておいた。ここ数日、ブログのアクセスが増えていて、ほぼ恒常的に一〇〇を越えるようになっている。それ以前は平均してまあ二〇~四〇といった程度だったのだが、今日などは六時二〇分現在で一三五を数えている。一体どこから流入しているのか謎なのだが、ことによるとSkypeグループの皆さんが読んでくれているのかもしれない。いずれにせよ、有り難いことである。その後、三時五〇分頃から読書を始めた。岸政彦『ビニール傘』である。タイトル作である「ビニール傘」は二部構成で、一部においては様々な、少しずつ違っていながらもすべて同じ一人でもあるような複数の「俺」が断章形式で物語を語っているのだが、二部においてはそれが「私」一人の一続きの語りへと変わっている。ちょっとしたずれを孕みながらも共通点も持ち、繋がっているようで繋がっていない、ようでやはりどこかで繋がっているらしき「俺」たち、及びその「俺」たちと関与する「女」たちの匿名性、全体で一つの「俺」や「女」の像を形成しているかのような無名性、そのあたりについて分析できたら分析してみたいと思う。そういうわけでこの作品は最後まで読み終えたのだが、メモをまったく取らずに一気に読んでしまったので、頭まで戻ってもう一度詳しく読んでみたい。四時半に至ると読書を中断して本を枕の傍らに置き、目を閉じて休みながら、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)の音楽に耳を傾けた。"Milestones"のベースはやはり凄い。音楽が終わったあとも目を瞑って布団を被りながら、しかし意識は落とさずに休み続け、五時の鐘が鳴ると立ち上がって上階に行ったが、そこでもすぐに食事の支度には取り掛からず、椅子に座って卓に突っ伏してしばらく休んでしまった。母親が台所に入り、蕎麦にしようとか、面倒臭いけれど天麩羅を揚げようとか何とか言っていた。それで、しばらく休んでから身体を起こしてこちらも台所に合流すると、既にフライパンに油が溜められ、それが火に掛けられ、ボウルのなかに粉も入れられてそろそろ揚げはじめることができそうだった。まず最初に、細かく切った餅をフライパンに投入して揚げ、あられ煎餅のようにした。それをあと二度繰り返して、揚げたばかりの煎餅を茶色の紙袋に入れ、塩を振ってつまみ食いしながらその後の作業を進めた。揚げたのはほかに、筍・牛蒡・人参・玉ねぎ・春菊で、春菊が最後まで終わると衣がほんの少々残っていたので、ハムでも揚げるかと言って母親が冷蔵庫から薄いハムを一パック取りだし、それも三枚揚げて天麩羅は終わった。揚げているあいだに母親が、揚がったものをその傍から三つの皿に分けて整理していた。さらに加えて、父親が自治会の会合に行く前に何かものを食べたいと言うので、蕎麦も続けて茹でることにして、三つある焜炉のなか、三角形の頂角の位置の焜炉に乗せられていた大鍋を――この位置の焜炉は火力が一番弱い――右下の、火力の強い焜炉の方に移し替えて、蕎麦を一輪と少々茹でた。鍋の位置を少々ずらして湯に対流の動きが生まれ、蕎麦がよく踊るようにして数分、そろそろ良いだろうというところで、こちらの傍らに立った母親が持った洗い桶の水に、箸で蕎麦を掬って移していった。それを母親が洗って竹製の笊の上に乗せ、天麩羅も揃って膳ができたので盆に乗ったそれを卓に運んでおくと、書類に向き合って何やら作業をしていた父親は、はい、ありがとうと言った。我々の食事のためには、おかずに天麩羅ができたし、昼の寿司飯も残っているので、あとは蕎麦を茹でるだけというわけで、あとの作業は母親に任せて、こちらは階段を下りた。自室に戻るとcero『Obscure Ride』を流しはじめ、"Yellos Magus (Obscure)"を歌ったあと、日記に取り組みはじめたのが六時二〇分、そこから三〇分ほどで記述を現在に追いつかせることができた。
 七時直前から、岸政彦『ビニール傘』をふたたび読みはじめた。タイトル作、「ビニール傘」の冒頭に戻って、気になったところを手帳にメモし、折に触れて観察されたことをコメントにして書いてもいると、あっという間に一時間が経って、八時に至った。そこで本と手帳とペンを置き、食事を取るために上階に行った。メニューは蕎麦、天麩羅、昼の寿司飯の残りや筍に菜っ葉だった。夕刊をひらいて目を落としている母親の向かいでどうでも良いテレビ番組に目を向けながらもぐもぐとものを食べ、速やかに食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、照明の薄い台所に移って食器を洗った。そうしてすぐに入浴に行き、洗面所で服を脱いで裸になって、タオルを持って浴室に踏み入ったのだが、蓋を開けると風呂が沸いていなかった。それで湯沸かしのスイッチを押しておき、洗面所に戻るとパンツのみ履いてほとんど裸の格好のまま外に出て、母親に沸いていなかったと告げると、用意ができるまでの時間を過ごすために下階に引き返した。そうしてふたたび、岸政彦「ビニール傘」を読んだ。三〇分が経つとそろそろ沸いただろうと上階に行き、入浴した。温冷浴を行って上がり、洗面所で身体を拭いていると電話が鳴り、出た母親の声の調子からすると父親らしい。電話を切った母親は、茹でている途中のうどんを見てくれと言って彼を迎えに出かけて行ったので、寝間着の下を着て上半身は裸のままのこちらは鍋を瞥見しながら髪を乾かし、そのあと自室から手帳を持ってきて、台所の大鍋の前に立って番をした。一〇分ほど経つと麺を一本掬って、啜ってみると丁度良い茹で具合だったので火を止め、鍋を持って流し台の縁に置き、箸を使って洗い桶のなかに麺を流し込んだ。そうして流水を使って洗っていると、両親が帰ってきた。グレーのスーツ姿で居間に入ってきた父親は、こちらの作業を見て、うどんをやってくれているのか、と笑った。洗った麺を指に巻いて丸い塊にして、竹製の笊の上に取り分けていき、すべて済むと手を拭いて手帳を持ち、下階に戻った。そうしてcero『Obscure Ride』の続きをヘッドフォンで聞きながら日記を書きはじめて、ここまで一五分ほどで記した。
 岸政彦『ビニール傘』。タイトル作である「ビニール傘」は、二部に分かれており、第一部は八つの断章から構成されている。その八個の断章の語り手を担っているのは、いずれも等しく自らを「俺」という一人称で名指す無名の男性である。それに対して第二部では「私」という一人の女性によって、複数の断章には分かれずひと繋がりの記述でもって彼女の物語が語られる。
 この小説は、文体にこれといった個性的な特徴がなく、記述は全体にフラットで淡々としているのだが、それがむしろ複数の語り手「俺」の一体的な匿名性を生み出しているように思われる。すべての「俺」は少しずつ違っている――ずれている――のだが、そのすべての「俺」が集まり重なり合って、一つの集合的な「俺」の像を形作っているように感じられるのだ。
 断章①の「俺」はタクシードライバーをしており、ある日、「真っ黒」な「巻き髪」の「若い女」を客として乗せる。「新地の女」と呼ばれる彼女は、話者が観察するところ、おそらくガールズバーでアルバイトとして働いているらしい。女は、「いまから出勤ですか? さいきん景気どう? 店流行ってる?」といった「俺」の質問にまったく答えず、ただひたすらにスマートフォンを弄りながら無言を貫くのだが、しばらくすると「とつぜんすすり泣きをはじめ」る。マスカラが崩れないように、「器用に人差し指で涙を拭いている」彼女の仕草が描かれたところで断章①は静かに終わりを告げる。
 断章②の「俺」は清掃員である。彼が「今日の作業をする小さなビル」に赴き、廊下のモップ掛けをしていると、「黒髪の女」がエレベーターから降りてくる。彼女の目のマスカラはほんの少しだけ崩れ、流れていて、「女」は「さっきまで泣いていたように見える」。
 さて、断章①の「新地の女」と、断章②に一瞬だけ登場する「黒髪の女」とは同一人物なのだろうか? そのようにも見えるのだけれど、それを完全に確定させる要素はないのだ。むしろ、この二人の「女」は、同一人物であってもなくても良いように書かれているように思われる。この小説では複数の「俺」と同様に、「女」やのちに出てくる「彼女」も、複数でもあり、同時に一人でもあるような存在なのだ。
 断章③の「俺」はコンビニの店員として働いているのだが、彼もまた、客として接した「女」のことを、「ガールズバーか居酒屋のチェーン店か、安いサービス業のバイトをしているのだろう」と推測している。さらに続けて「女」の住まいの様子が、「何ヶ月もシーツを替えていない枕もとには、子どものときに買ってもらったミッキーマウスのぬいぐるみが置いてあるだろうか」といった調子で想像されるのだが、そこから改行を挟んで突然、「部屋の真ん中には小さな汚いテーブルがあった」と、過去時制の断言が書き込まれている。この段落は全体を書き抜いてみよう。

 部屋の真ん中には小さな汚いテーブルがあった。その上は吸い殻が山になった灰皿と、携帯の充電器と、食べかけのジャンクフードの袋と、なにかわからないドロドロした液体が入っているパステル色のコスメの瓶であふれかえっていた。床の上には、脱ぎ捨てた服や下着、ゴミのはみでたコンビニの袋、ジャニーズの雑誌が乱雑に散らばっている。小さな液晶テレビ、派手なオレンジ色のバランスボール、足がグラグラするコートハンガーには大量の安っぽい服がぐちゃぐちゃに掛けられていた。テーブルの上をもういちどよく見ると、カップ麵の食べ残しがそのままになっている。
 (13)

 「俺」はコンビニで働いていたはずなのだが、それが「女」の境遇の想像を経由して、どこの誰のものとも知れない部屋を観察し、描写する視点に移っている。その部屋は、「コスメの瓶」や「ジャニーズの雑誌」が置かれているところを見るに、女性の住人のものらしい。
 実のところ、この一三頁における記述は、第二部も終盤の六八~六九頁に書き込まれている、自殺した「私」の友人の部屋の描写とまったく同じである。常識的に考えるならば、この部分の描写はコンビニ店員である「俺」が「女」の部屋を想像し、仮想的にその場に立っているように描かれているものだと解釈するべきなのだろうが、のちの記述を読んだ読者には、ここに第二部の「私」の記憶が唐突に、時空を越えて嵌入されているようにも感じられる。そのような形で、この小説の第一部と第二部は、「俺」たちあるいは「女」たちと「私」とは緩く繋がっているのだ。「俺」たち「女」たちは、一人の「俺」、一人の「私」の様々な可能性の分岐なのかもしれない。
 さらに続けて改行ののちに、「俺はカップ麵から目をそむけ、テトラポットの上に座ると、ぼんやりと大阪港の海を眺めた」と書かれている。またしてもいつの間にか、場面が移転しているのだ。「俺」はコンビニにいて、次にどことも知れない女性の部屋を眺めていたはずが、次の瞬間には突然、その部屋のなかの「カップ麵から目をそむけ」て、海に臨んでいる。いささか強引とも思えるような、物理法則を超越した時空の転換だ。
 この海を眺めている「俺」は「日雇いの仕事」をしているらしいのだが、彼が断章③の最初に出てきたコンビニ店員の「俺」と同じ「俺」なのかどうかもはっきりしない。むしろ、先の――「私」の記憶の嵌入であるかのような――「部屋」の描写を挟んで、「俺」が別の「俺」に転移したと読んだ方が、筋が通るようにも思われる。
 その後、場面はまたシームレスに、突然に「マクド」に移動するのだが、そこで「俺」が座るテーブルの反対側には、「若い女」が座って、彼をじっと見つめている。「どうやって声をかけようか」と躊躇しているうちに、女は店を出ていってしまうのだが、そのあとから「俺」が退店すると、「マクドの前」にはその女が立ち、彼を待っていたのだった。そして、短い断章④を挟んで断章⑤では、この小説において初めて「彼女」という人称代名詞が現れる。ここで同棲生活をしている「彼女」と「俺」は、「マクドの前の路上で出会っ」たらしいのだが、彼らは断章③の最後で「マクドの前」で向かい合った男女と同一なのだろうか? ――それもやはり最終的にはわからない。しかし、上にも記した通り、それはどちらでも良いことなのだ。これらの男女たちは少しずつずれながら繋がっている。つまり、繋がっているようで繋がっていない、ようでしかしやはりどこかで繋がっているような存在の有り様を描くのが、この小説の目的なのだと思う。
 この後の記述に沿った詳しい分析は行わないが、そのほか、複数の「俺」たちが、「このあたりがむかし湿地帯だった」ことに口々に言及するのも特徴である。最初に冒頭からまもなく、八頁において、「此花、西九条、野田あたりは、昔はだれも住んでなくて、ちょっと雨がふるとすぐに水浸しになるような湿地帯だった」と触れられており、その次には断章③のなか、一二頁で、「このあたりは昔は湿地帯で、誰も住んでいなかったらしい」と述べられている。同じく断章③で「日雇いの仕事」をしている「俺」は、「マクドの百円のコーヒーを飲みながら」、「このあたりがむかし湿地帯だったことをふと思い出し」ている。こうしたたびたびの言及を見る限り、この小説の「俺」たちは、大阪の、同じ土地に根付いていて、そこの記憶を共有しており、互いに交換可能であるような存在なのだと思われる。
 第二部の「私」は、第一部断章⑧の「彼女」に似ているのだが、「彼女」の田舎が「四国」であるのに対して、「私」の実家は「和歌山の片隅の、海に面した小さな町」である。また、断章⑧の「彼女」は、「昔」にガールズバーで働き、そのあとで美容院に勤めているが、「私」は美容師を辞めたあとにガールズバーで働くことになる。このように、微妙な、ささやかなずれが仕込まれることによって、第二部の「私」も、第一部の「女」あるいは「彼女」たちのうち、誰でもなく同時に誰であっても良いような存在として現れているわけだ。
 上記まで書き終えると時刻は一一時、ふたたび読書に入って、『ビニール傘』から「背中の月」の篇を読んだ。四五分ほど掛けて一気に読み終えたが、こちらの篇は特別に気に掛かる部分は見当たらず、さらりと読み過ごしてしまった。そうすると時刻は零時前、何となく疲れたような感覚が湧いていた。それでヘッドフォンを点け、Charles Lloyd『Mirror』を流しだし、ベッドに乗って布団を身体に掛けながらクッションに凭れて目を閉じ、音楽に耳を傾けた。そうしていると三曲目の途中でSkype上での新たな発言を知らせる電子音が入ってきたので、コンピューターに寄って確かめると、Bさんが、「皆さん今日はもう集まらないのですか?」と発言していたので、それに答えて、僕はいますよと返信しておいた。その後しばらくしてから、通話しましょうかと投げかけると、即座にBさんから着信があったので応答した。
 それから三時頃まで長々と、まったりとした会話を続けたのだったが、例によって何を話したのかはあまり覚えていない。しかし皆にこれは書いてくれと言われた話題が三つあって、メモしておいたのだが、それはタイトルをつけるならば、「しるぶぷれ~」と、「エッチな女子高生」と、「乳房肥大化」という話である。最初の話題は、八時頃にYさんが間違えて通話発信をした際に、それを謝るような文言をフランス語及びドイツ語で発言していたのだけれど、それに対してBさんが「和訳でしるぶぷれ~」と応じていて、過去ログを遡ってそれを見たIさんが、「和訳でしるぶぷれ~」「訳してしるぶぷれ~」とネタにして何度も発声して、それが面白くて皆で笑ったということだ。Aさんなどはかなりツボに入ったようで、大いに笑っていた。その後もIさんは折に触れて、「許してしるぶぷれ~」とか、「祝ってしるぶぷれ~」とか、新たなバージョンを開発してBさんを弄りまくり、そのたびにBさんは、そのネタいつまで引っ張るんですかと抗議し、皆は笑い、こちらは汎用性高いなと冷静に感心して口にした。
 「エッチな女子高生」というのは別にエロい猥談ではなくて、Twitter上でよくある業者アカウントやそれから送られてくるダイレクト・メッセージの話題である。最初はYさんの積極的なダイレクト・メッセージについて話していたのだと思う。IさんもAさんも、Yさんと相互フォローになった途端に彼からメッセージが突然送られてきて、それで話が続いているうちに仲良くなったということだったのだが、BさんはこのSkypeグループに誘う内容の長文が送られてきたと言うので、よくブロックしませんでしたねというような話になったのだ。実際、Yさんは、ほかの人からは怪しがられてブロックされることもあるようなのだが、そうした話から、Twitter上では何だかよくわからない投資を呼びかけるアカウントとか、起業やビジネス系のアカウントがあってそれからメッセージが送られてくることがあるという話題に移った。そこでIさんが、あと、何か、エッチな女子高生みたいな、と口にして、ああ、あるある! と皆は同意した。実際こちらのアカウントも、たまにそのようなエロ系アカウントからフォローされている。面倒臭いのでいちいちブロックなどはしていないので、こちらのTwitterアカウントのフォロワー欄を見ると、ごくたまにそのような露出の激しいプロフィール写真を載せているアカウントが散見されるはずだ。それでIさんは続けて、そういうアカウントのプロフィールを見ると、フォロー数が一で、何故か僕だけしかフォローしてないんですよと言うのでそれには笑った。そういうのが好きそうだと思われてるんじゃないですか、とAさんが応じて、もっとムッツリな人をフォローしてくださいよとIさんは嘆いた。
 「乳房肥大化」は、のちになって二時頃だっただろうか、Yさんが参加して以降の話である。これはAさんがYさんから送られてきたメッセージのなかに、「乳房肥大化」という言葉が混ざっていたらしくて、そのやり取りの画像をAさんはチャット上に貼ってくれたのでそこから引用しよう。Yさんがまず、「先端きょだいしょう」「ホルモン分泌」「乳房が肥大化」と片言のように断片的な発言をしたのに対して、Aさんが、「落ち着いて…」と冷静に呼びかけ、それに対してYさんは「ん?」と答えたあと、ふたたび、「乳首の肥大化」「間違えた」「左乳房の肥大化」と応じている。これだけ見ると訳がわからないのだが、Yさんが話したところによると、彼は女性ホルモンの分泌の関係とか、あるいは豆乳をたくさん飲んでいる関係とかで、胸が少々大きくなっているのだと言う。それをAさんに伝えたかったようなのだが、上のような断片的な発言のみではその意図が伝わらないのも道理で、Aさんが困惑しながら「落ち着いて…」と求めたのもむべなるかなといった感じである。
 その他、Aさんが本を読むのが非常に速いという話から、映像記憶、フォト・リーディングというものがあるらしいですねというような話題にもなった。そこでこちらは、エルンスト・カッシーラーがそのような映像記憶能力を持っていて、どこにいてもいつであっても古典作品などの引用を正確に出来たらしいというエピソードを披露すると、古典で会話とか出来たら格好良いですね、やばいですねとIさんが言ったのだったが、それを受けてチャットで参加していたNさんが、「古典だけで会話はまるで押井…」と発言した。押井守作品のことで、『スカイ・クロラ』とか『イノセンス』などでは、「話と全く関係ないけど、齊藤緑雨とか孔子とかの引用で登場人物が会話する」らしい。『イノセンス』はNさん的にお勧めの映画なので見てほしいと言ったが、映画も見たいけれどなかなか生活習慣のなかに入ってこないんだよなあ、本ばかりで、とこちらは応じた。さらに続けて、まあこの通話している時間を映画に当てろっていう話ですよねとも口にした。
 あと、「ふぅ」というゲーム実況者の声がこちらに似ているということもIさんが話して、動画を貼り、それをこちらもちょっと見てみたのだけれど、似ているのか似ていないのか自分ではあまり判別がつかない。ほか、Bさんの学校でのポジションはどんな感じですかと問いかけたこともあった。彼女は学校では読書家だということを隠しているらしい。高校生の時にはそれで「ガリ勉」キャラのように思われたこともあって、それが嫌だったかららしいのだが、しかしこんなところに来ている時点でアウトサイダーなのは確定なんですから、今更本を読まない人間ぶったってしょうがないですよ、とこちらは身も蓋もないことを言った。あと、そのBさんに、『族長の秋』について紹介した時間もあったが、この作品についてはこれまで何度も書いてきているので省く。ただ、『族長の秋』の話ばかりしているので、段々こちらが「『族長の秋』の人」みたいになってきてますよとAさんが言ったが、まあ光栄なことと見なして良いのではないだろうか。何せ七回も読んでいるわけで、世界広しと言ってもあの作品を七回も繰り返して読んでいる人間はそんなにはいないだろう。
 Yさんはこの日珍しく、通話の最初には参加しておらず、どうしたんでしょうなどと皆で言い合っていた。Rさんなどは、昨日僕が嘘つきって言ったから、それでショックを受けたのかもなどと言っていたが、結局別にそういうわけではなく、単純に何か用事があったらしい。それで二時を過ぎてYさんが通話に参加したあとは、例によって映画の紹介などしていたのだが、こちらは二時には通話を離脱するつもりが、結局三時を迎えてしまった。それは、Yさんが彼の飼っている白いハムスターの非常に可愛らしい映像を映したことが原因である。机の上を駆け回って、机の端の僅かな隙間に入りこんだりする齧歯類の様子を見ているうちに三時に至ってしまったのだ。それでこちらはようやく通話から退出し、今晩もありがとうございましたと礼を述べておいてからコンピューターを閉ざした。そうして明かりを落とし、すぐに寝床に入って就寝した。眠るのにそれほど苦労はしなかった。


・作文
 14:44 - 15:37 = 53分
 18:20 - 18:48 = 28分
 21:31 - 22:58 = 1時間27分
 計: 2時間48分

・読書
 15:48 - 16:30 = 42分
 18:55 - 20:00 = 1時間5分
 20:27 - 20:57 = 30分
 23:07 - 23:51 = 44分
 計: 3時間1分

  • 岸政彦『ビニール傘』: 41 - 124(読了)

・睡眠
 2:45 - 13:30 = 10時間45分

・音楽

2019/5/10, Fri.

 例によって午後一時まで糞寝坊。一応九時に携帯が鳴るようにアラームを仕掛けてあって、携帯が所定の場所から机の上に移動していたので、一度起きてアラームを止めたのだと思うのだが、記憶がまったくない。一時に至って職場からのメールが入ったその振動音で何とか意識を晴れさせることができたという体たらくである。メールは、証明写真がやはり必要であること、そして今日の夜に早速仕事に入ってくれないかという頼みを伝えてくるものだった。来週からと聞いていたので、昨日の今日でいきなり仕事を始めるのは面倒臭いなという気分になり、頼みは断ることにした。返信を送っておき、それからもちょっと布団のなかでごろごろしてから起き上がって上階に行った。母親はどこに行ったのか不在で、足拭きをあとで入れてくれという書き置きとともに、胡瓜の漬物と切り分けられたオレンジが卓上に置かれてあった。漬物をその場でつまんで食べてしまい、それから台所にも鮭などがあったのだが、これらは今は食べないことにして冷蔵庫に入れ、代わりに豆腐を一個取りだして皿に出して電子レンジに突っ込んだ。二分間、加熱しているあいだに卓で新鮮なオレンジを食べ、温まった豆腐に麺つゆを掛けてそれも食べると、抗鬱剤ほかを飲み、食器を洗った。そのまま浴室に行ってゴム靴でなかに踏み入り、浴槽のなかに入って手摺を掴んで身を屈めながら、四囲の壁や床を掃除した。そうして出てくると下階に戻ってコンピューターを点け、例によってYさんとやりとりをしつつ、前日の記録を付けたり、この日の記事を作成したり、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしたりした。日記を書きはじめたのが一時五〇分、先にこの日のことをここまで一〇分も掛からず記して、これから昨晩のことを書かなければならない。
 FISHMANS『Oh! Mountain』及び『空中キャンプ』とともに前日の記事を仕上げると、二時四五分だった。そこからブログやnoteに記事を投稿し、三時過ぎからベッドに乗って腹筋運動を行った。しかしこんなことで――この程度の運動で――本当に腹回りを今よりもスマートにできるのだろうか。そうして三時一五分から『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』を読みはじめたのだったが、例によって布団を被っているとあれほど眠ったと言うのにまたもや眠気が差してきて、ヘッドボードとのあいだに差し入れたクッションに凭れてしばらく目を閉じ、微睡んだ。その後も読書には完全には復帰できず、姿勢も臥位にしてしまい、眠るわけではないけれど何をするでもなくただ布団に包まれて目を閉じていた。ひらいた窓から涼気が流れこみ、外では様々な鳥の声がぴちぴちと響いているなか、ぬくぬくとした温かさにまみれて長いあいだ臥していた。それであっという間に六時を迎えた。今日は金曜日なので、母親は「K」の仕事で遅くなるのだったと思い出した。それで食事の支度をしなければならないので一念発起してベッドを抜け出し、上階に行って冷蔵庫のなかを覗いた。大した材料はなかったが、野菜炒めを作れそうだったのでそれにするかと決めて、玉ねぎ、人参、白菜と、冷凍庫にあったしゃぶしゃぶ用の豚肉を取りだした。そのほかにジャガイモが結構あるのでそれを味噌汁にすればよかろうということで、調理に取り掛かった。白菜・玉ねぎを切り分け、人参を千切りにして笊に集め、切り終わるとフライパンにオリーブ・オイルを引いてチューブのニンニクを落とした。ニンニクがじゅうじゅう音を立てて加熱されているあいだに水を一杯飲み、それからフライパンの前に立って野菜を投入した。溢れんばかりの量だったので、少しずつ木べらで搔き混ぜて強火で加熱し、時折りフライパンを覚束なげに振って野菜を引っくり返した。そうしていると零れるものが出てくるのでその都度拾いながら進め、ある程度野菜に火が通ったところで肉を投入したのだが、これが解凍したのだけれどまだいくらか凍っていたので、赤味がなくなるまで結構時間が掛かった。肉にも火が通ると塩胡椒を全体に振りかけて完成、それから小鍋に残っていた前日の汁物を椀に取っておき、鍋を洗って改めて水を汲んで火に掛けた。そのあいだにジャガイモの、悪魔的に蔓延った芽を包丁で抉り取り、それから皮を剝いて櫛切りにした傍から湯のなかに投入していった。煮ているあいだに一度下階の自室に戻り、TwitterでCさんに返信をしておき、手帳を持って戻ってくると鍋は吹きこぼれんばかりに煮立っていたので火を弱め、灰汁を取ると粉の出汁、椎茸の粉に味の素を振り入れた。それからしばらく手帳を眺めながらジャガイモが柔らかくなるのを待ち、一つ取りだして食べてみて火が通ったのを確認すると、冷蔵庫から味噌を取りだして溶かし入れた。それで完成、居間のカーテンを閉めておき、下階に戻るとすぐにBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)を流しだし、日記をここまで書けば七時を回っている。
 上階に行き、帰宅した母親に挨拶をした。そうして台所に入り、冷蔵庫から昼間の鮭やジャガイモの煮物の残りを取りだして、汁物の残りとともに電子レンジに突っ込んだ。一方で野菜炒めを大皿によそり、ジャガイモの味噌汁も椀に掬い入れたので、この日の食卓には汁物が二種類並ぶことになった。卓に就き、塩胡椒で味付けした野菜炒めを食べ、電子レンジの駆動が止まるとなかの皿を食卓に持ってきて、食事を続けた。痩せたいので――そんなことで本当に痩せられるのか疑わしいが――米は少量にした。食べ終えると薬を服用し、食器も洗って一旦下階に戻った。『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』を四〇分ほど読んで八時も回ったあと、そろそろ父親が風呂から出たかなと上階に行くと、一旦帰ってきたはずの――下階に下りてまもなく、音がしたのだった――彼は何だか知らないが会議に行っていて不在だと言うので、入浴に行った。外から散文的で色気のない虫の音が入りこんでくるなか、湯を浴びて、出てくると即座に自室に戻り、ふたたび読書を始めた。上半身裸で窓を開け、しかし布団も身体に掛けながら読んでいると、何故かまたもや眠気のような感覚が差してくる。あれほど眠り、昼の読書時にも休んだのに、何故こうも眠くなってばかりいるのか。それでしばらく目を閉じる時間を挟んだが、何とか書見を進めて、『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』を読み終えた。最後の章である池田喬「自立と依存――哲学的考察の行方」を読みながらメモを取っていなかったので、もう一度読み返してしばらく手帳にメモ書きをしたのち、コンピューターに寄ってみると、Skypeのグループに新しい人が二人やってきていた。Bさんという方と、Nさんという方だった。それとYさんを含む三人で一〇時半頃に一旦通話を始めたが、すぐに解散したらしかった。その後、一一時ちょうどにもう一度通話をするとYさんが呼びかけていた。こちらは一〇時四〇分から日記を書きはじめて、ここまで一〇分ほどで速やかに綴った。
 一一時から通話が始まった。こちらは『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』の書抜きをしていたので、チャットで参加した。新しく参加したBさんに、好きな本は何ですかと尋ねると、澁澤龍彦の名が挙がった。彼女は若干一八歳でありながらサドなども読んでいて、中学の頃から澁澤も読んでいると言うので、また一人、ホラー・エリートが増えたなと思った。しばらくチャットで会話して、一一時半頃になって書抜きを終えたので、ミュートを解除して会話に参加した。そこで改めてBさんに、例の、一番好きな小説を教えてくださいよという質問を投げかけると、その前に夢野久作の話をしていたので――彼女のTwitterの固定ツイートに設定されている、好きな小説一〇選みたいなもののなかに夢野久作の名前があったので、このあと、夢野久作の研究をしているIさんという方が来ますよと話していたのだ――彼女は、夢野久作だと、「ココナッツの實」と「氷の涯」だと言った。「氷の涯」と言うのは、日本、満州、ロシアを跨いで壮大な陰謀が繰り広げられる小説であるらしく、その構成が凄いという話だった。彼女は夢野久作のなかでも、異国のことを描いたような種類の作品が特に好きであるらしい。
 しばらくBさんと話してから、そう言えば今日は新しい方がもう一人いるんでしたねと言って、チャットで参加していたNさんに話を振った。どんなものを読むのかと訊くと、純文学、哲学、幻想文学の類だということだった。こちらの日記もたまに読んでくれているらしいので、ありがとうございますと礼を言い、彼もしくは彼女にも一番好きな小説はとの質問を投げかけると、難しい……という返答があったので、難しいですよねと笑った。こちらの場合は『族長の秋』とか、『灯台へ』とか、Mさんの『亜人』とか、もう定まっているのだけれど、読書家であるほど色々な凄い本を知っているだろうから一つに絞るのは難しいだろう。音楽のことを考えてみればそれはこちらにもよくわかる。それで、Nさんは、考えた挙げ句に、ダンテの『神曲』になりそうだと言ったので、古典派ですねえと驚いた。「あれほど緻密に幻想を練り上げたものはない」との評価だった。また、哲学だとどんなものを読むのかと問うてみると、古典から現代まで雑多に色々と読んでいるという返答があったので、現代のものを読めるのは凄いなと反応し、今は何を読んでいるかと続けて訊けば、ブルデューの入門書だと言った。そこでBさんが横から、自分は哲学がとても苦手だと言葉を送ってきた。彼女は好きな小説のなかに出てきた本や作家のものを読むという癖があると言い、伊藤計劃の『ハーモニー』のなかにフーコーの言葉が出てきたので、フーコーのものを読んでみたのだが、誇張ではなく二行で眠ったと話した。一八歳でフーコーなど読めたら相当な秀才である――浅田彰なんかは一五歳で柄谷行人のサド論か何か読んでいたらしいが! それを受けてNさんが、最初からフーコーというのは相当に厳しいでしょう、最初はプラトンの対話篇から入るのがやはり基本ではないかと発言したので、あれは要は戯曲ですからね、文学としても楽しめるとこちらも応じた。
 その後、Iさんが通話に参加したので、Bさんと引き合わせて、夢野久作について話を交わしてもらった。Bさんは先に書いたように夢野久作のなかでも異国情緒が香るようなものが好きだと言うが、Iさんは逆に日本的なものの方が好きだという話だった。色々と作品のタイトルが出ていたが、全然覚えられていない。それからIさんに、小説を読ませていただいて、ありがとうございましたと礼を言い、素晴らしかったですよと好評価を伝えた。Fさんに褒められると嬉しいですねと彼は言うので、何でですかと笑って返したところ、いや、読書家じゃないですかと言うが、このグループには自分などとても及ばないほどの読書家がごろごろいる。Iさんの小説についてはさらに、固めの難しい語彙を使っているのだが、それが違和感なく文体のなかに馴染んでいた、こちらは「霏々として」という表現など初めて知った、と感想文にも書いたことを伝えた。それで、グループのほかの皆さんにも読んでもらったらどうですかとこちらは提案し、それに応じてBさんなども読みたいですと言うので、グループのチャット上に彼の小説がアップロードされた。そこで通話を聞かずにチャットで参加していたY.Cさんが、I氏の小説ですか? と訊くので、そうです、是非! とこちらが勧めると、何故F氏が……という反応があったので、笑ってしまった。「僕も読んで、面白かったので」と答えておき、それからほかの話としては、ショーペンハウアーの話題などがあった。Iさんはショーペンハウアーが結構好きなようで、諏訪哲史の『アサッテの人』のなかに彼の詩が引用されているらしく、それをマイクの向こうで素早く朗読してくれた。それを受けて、Yさんが、Sちゃんがショーペンハウアー好きなんだよねと言って、チャットで参加していたK.Sさんに話が向いた。彼女は叔母がショーペンハウアー好きだったのだと言う。その頃にはAさんも会話に参加してきて、そこから画家の話になったのだったと思う。彼女がハンマースホイというデンマークの画家の名前を出すと、Sさんはチャット上で強烈に反応し、ハンマースホイは世界で一番好きな画家だと言った。その勢いで彼女は思わずといった調子でチャットからマイクをオンにして通話に移行し、Aさんと二人で美術について語っていた。Iさんは美術だと、マックス・クリンガーという画家が好きだと言って紹介していた。あと、AさんがTwitterのアイコンにもしているワッツという画家。ほか、マックス・エルンストの名前なども話題にちょっと出ていた。
 そのほか話したこととしては、Iさんが小説のなかに使っていた「廃市」という言葉から、福永武彦の名前なども出た。この「廃市」という言葉は元々北原白秋が用いたものであるらしいのだが、福永武彦はそれを援用して『廃市』という小説を書いたわけだ。福永武彦ってちょっと何だかマイナーな感じがするとIさんが言うので、確かにそうかもしれませんねと応じながら、自分の通っている精神科の先生は、東大だったんでしょうね、若い頃は仏文の人たち、大江健三郎とか福永武彦のものを読みましたと言っていましたと話した。そのほか、彼は『古事記』も訳していますよね、河出文庫に確か入っていましたと言い、『古事記』で国造りをする神ってイザナキとイザナミじゃないですか、でも本当はそれよりも前に一〇体くらい神がいるんですよ、しかしそれらの神はことごとく姿を隠してしまうんですと紹介し、以前も書いたことがあるのでここには繰り返さないが、例の、イザナミから声を掛けてまぐわったところ国造りに失敗し、男であるイザナキから声を掛けたところ成功したという男尊女卑的な観念を思わせるエピソードなどを語った。
 Iさんはそのほか、中井英夫は――彼は中井英夫が一番好きな作家で、彼に生涯を捧げるつもりであるらしい――日記も面白いと話した。中井英夫には男の恋人がいたらしいのだが、その人が病気で衰弱している時に、中井英夫本人は家でジントニックなど飲んで酔っ払いながら自己嫌悪に耽っている、そのあたり面白く、また可愛らしいところだということだった。
 一時を越えたあたりでこちらはマイクをミュートにして、洗面所に立ち、歯磨き粉をつけた歯ブラシを口に突っ込んだ。すると父親が階上からゆっくりと下りてきたので、口のなかをもごもごと言わせながらおかえりと挨拶し、寝室の方へと去って行こうとする彼に向けて、来週から仕事に復帰するよと伝えた。前に話していたように、最初は例えば無給で、試験的な感じで出来るのかと、そう訊くので、そうではないが、最初は一コマだけ、それも多分二人相手にしてくれると思うと返した。また頑張っていこうと彼は言うので同意し、おやすみと別れて自室に戻り、通話を聞きながら歯を磨いた。口をゆすいできてからのちは通話には復帰せず、チャットで参加し続け、一時四〇分くらいになったところで、今日はこのあたりで失礼しますと言って離脱した。それからベッドに乗って、窓をひらき、涼気を取り込みながら『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』のメモの続きを取るとともに、岸政彦『ビニール傘』を読みはじめた。ぱらぱらをめくった時の字面の感触と言うか、何となくの直感としてあまり期待していなかったのだが、いざ読んでみるとわりあい面白い形式が散見されて、そのあたりについては追々また綴れたら綴ってみたいところである。二時四五分まで一時間読んで就床。


・作文
 13:49 - 14:45 = 56分
 18:54 - 19:07 = 13分
 22:42 - 22:53 = 11分
 計: 1時間20分

・読書
 15:16 - ? = 1時間?
 19:35 - 20:13 = 38分
 20:43 - 22:40 = 1時間57分
 23:07 - ? = ?
 25:45 - 26:45 = 1時間
 計: 4時間35分

  • 『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』: 132 - 201(読了)
  • 『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』明治大学出版会、二〇一八年、書抜き
  • 岸政彦『ビニール傘』: 7 - 41

・睡眠
 2:00 - 13:00 = 11時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • FISHMANS『空中キャンプ』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』