2019/5/9, Thu.

 全然眠気がやって来なかった。一度目を開けると、カーテンの色が薄青くなっていて、外は白みはじめていたので、これはもう眠れないなというわけで、僅か三〇分、床に臥していただけで起き上がり、明かりを点けた。そうして、金原ひとみ『アッシュベイビー』を読むことにした。読みはじめた頃には全面に雲の掛かっているらしい空は薄青かったが、五時を越えた頃には白くなり、東南の果てが僅かに雲を逃れて朝陽の茜色を敷いていた。外気の明るみが充分なものになったので天井の蛍光灯を消し、窓の帯びている明るさのなかで本を読み続け、最後まで読了したあと、感想を手帳に綴っているとあっという間に六時四〇分を迎えた。
 金原ひとみ『アッシュベイビー』。アヤの「愛」は「死」に対する欲望と直結している。村野に殺してもらうことこそが、「彼の手から与えられる、唯一の幸せ」なのであり、アヤにとって「死」は「幸福」と同義である。そして、殺されることは彼女においては村野を所有することであり、同時に彼に所有されることでもある。一〇九頁におけるアヤの言明を見てみよう。そこで彼女は、「私の体だけを殺してくれれば、私はあなたの中で生きられるような気がするの」と述べたあと、間を置かずほとんど連続させて、「私を殺してくれたら、あなたは私の中でずっと生き続ける」とも言っているのだ。前者の言明はわかるが、後者の言明は少々奇妙ではないだろうか。殺されてこの世から消え去った「私」のなかに、どのようにして「あなた」が生きられるだろうか。しかしこれは要するに、「死」における互いの一体化・同一化について語っているのだろう。愛する者と一体になりたいと願うのはごくありふれた感情だと思うが、アヤの欲望のうちではそれは「死」によって達成される。性愛の究極の形態としての「殺害」と「死」というテーマは、この小説においてはさらに、「煙」と「灰」のイメージによって想像されている。アヤは「とても丁寧な動作で」煙草を吸う村野の様子を見つめながら、その「葉っぱと紙」を羨み、「私も、彼の中に入って消化されたい」と空想する。殺されたあとは、「火葬にして私の煙を肺いっぱいに吸い込んでほしい」、「そして灰になった私を、灰皿からゴミ袋に吸い殻を捨てるように、無造作に捨ててほしい」というのが、彼女の究極的な欲望だ。アヤが求めるのは物質的な「死」であり、気体として大気中に拡散する物質の即物性である。ここでは、存在の一体化という「愛」のロマンティシズムが、乾燥的に和らげられている。
 しかしその「愛」と「死」は求めて得られることはない。村野は最後までその内面性を露わに見せることはなく、「幽霊」のような生気のなさでアヤの好意を受け流し、静かに拒否し続け、性交をし、結婚までしても彼らの「距離は全く近づかない」。アヤは結局、「好きです」と甲斐なく呟き続けるだけで、「殺してほしい」という彼女の本質的な欲望を、はっきりと表明して村野に伝えることすらできないのだ。そして小説は、最後に句点を打つこともなく、文の途中で唐突に途切れてしまう。その直前に、「ここには死がない。ここにあるのは、ただ存在が消えるという事だけだ」とある通り、彼女の求めた物質的な「死=愛」は得られず、その代わりに概念的・言語的な「存在の消滅」が与えられて、作品は終わりを告げる。『アッシュベイビー』は、畸形的で激しく過剰な欲望に支えられた、過激で苛烈な「愛」の悲劇である。
 上の部分まで書いて、金原ひとみ『アッシュベイビー』の記事をブログに作成したあと、前日の記事をかたかたと書きはじめた。音楽は流さず、窓の外から小鳥の囀りが入ってくるなか、一時間ほど掛けて完成させ、それもブログに投稿した。Twitterへの通知は、一日の要約を付すのが面倒臭くなったので、紹介文なしで日付とURLのみを投稿した。そうして八時を回ると上階に行った。母親は台所で洗い物をしており、テレビにはNHK連続テレビ小説なつぞら』が映し出されていた。卵とハムを焼くことにした。台所に入って冷蔵庫からそれぞれを取りだし――また前日のサラダの残りも取りだし――フライパンに油を引いて、ハムを四枚敷き、卵を二つ割って投入した。そして、短く焼いて黄身が固まらないうちに丼の米の上に取りだし、居間の卓に就いた。黄身を崩すとともにそこに醤油を垂らしてぐちゃぐちゃと搔き混ぜ、米と黄身と醤油を絡めてから賞味した。新聞を少々めくりながら――米国、コロラド州デンバーの高校で銃撃事件があったと言った――さっさとものを食べ終えると、薬を服用して食器を洗った。母親は九時頃から料理教室に出かけるのだった。こちらは下階に下りて、八時四〇分から読書を始めた。『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』である。小説を読む時はそれなりに頭が働いて、上のように感想の類も最近は多少書けているのだが、ノンフィクションと言うのか、こうした教養書の類はあまり頭は動かず、メモもそんなに取らないし、いかにも自分がうすのろになったような感じがする。一〇時まで読んだところで一回読書を中断してコンピューターに寄ると、YさんからのメッセージがSkypeに入っていたので、しばらくやりとりを交わした。そうして一〇時半過ぎからふたたびベッドに乗って読書に入ったが、いつの間にか意識が朧になっていたようである。気づくと一二時前、そこから身体を水平にして曖昧な微睡みのなかに入り、いくらか眠れたようだった。一時半頃起きて、その頃には母親も既に帰ってきていた。スーツを干さなくて良いのかと部屋の戸口にやってきたので起き上がり、紺色のスーツを持って上階に行ってベランダに吊るした。料理教室で作ってきた品があると言ったが、まだあまり腹が減っていなかったのでひとまず下階に戻り、Yさんとふたたびやりとりしながらcero "Yellow Magus (Obscure)"を歌った。それから小沢健二『Life』を流しだして、日記を書きはじめた。音楽を時折り口ずさみながらここまで綴って、二時一〇分。
 食事を取りに上階に行った。スーツは既に室内に取り込まれていた。母親の作ってきた料理――薩摩芋などの天麩羅や、白キクラゲとフルーツのデザートなど――を食べ、そのあとで風呂を洗ったのだったか、それとも食べる前に洗ったのだったか記憶が不確かだが、どちらでも良いことだ。母親は三時から、今度は歯医者に出かけると言った。差し歯か何かが取れてしまったらしい。こちらは下階に下って、二時四〇分からベッドに乗り、身体に布団を掛けてまた読書をはじめた。BGMとして流したのは小沢健二『Life』の続きと、Evgeny Kissin『Schumann: Kreisleriana; Beethoven: Rondos, Etc.』である。このピアノは高速時の音の粒立ち、その明快さが素晴らしいように思われる。T田は超絶技巧だけれど同時に非常に音楽的でもあると思う、と評していた。クラシック音楽が終わったあとは窓を開けて涼気を取り込みながら読み続け、四時半に至ると書見を切り上げた。便所に行って腸内を軽くし、歯磨きをしながらMさんのブログを一日分読んだあと、もうスーツを着てしまおうということで――六時に復帰手続きのために元職場に出向くことになっていたのだ――ジャージを脱いでワイシャツを身に纏い、着替えたのだが、何と用意してあった紺色のスーツのスラックスが入らなかった。腹回りに肉がついたために、ホックが止まらなくなってしまったのだ。自分はそんなにも太っていたのか! こんなことは予想しておらず、笑うしかなく、またしまったと言わざるを得ないが、しかし冷静に考えて、病前よりも一〇キロも太ったのだからただでさえ細身の身体にぴったりとしていた服が入らなくなるのも道理ではある。そうは言っても、まさか自分がそのような経験をするとはとてもではないが思っていなかった。しかし冷静に焦らず騒がず、もう一つのスーツも試してみることにした。真っ黒な上着のもので、ベストは黒と灰色のリバーシブルになっているやつだ。その黒いスラックスを履いてみると、こちらも相当にきついのだが、何とかぎりぎり身体を入れることができた。しかしそれでも、尻や太腿の周りの布の感触とか、ポケットに手を入れた時のスペースの具合などからして、いささか狭苦しく窮屈である。以前のようにポケットに財布や携帯を入れてバッグを持たずに手ぶらで出勤するということはできないだろう。しかし、ひとまずスーツを身につけることはできた。それにつけてももう一つのスーツが入らないのが何とも勿体なく、悔しいものである。毎日腹筋をして痩せるか、スーツを買い換えるかするしかないが、そう簡単に腹の脂肪を減らして痩せることができるだろうか? 一応付け加えておくと、現在の自分の体重は六五キロほどで、身長は一七五センチくらいなので太りすぎているわけではなくてむしろ適正である。以前の自分が五三キロほどで明らかに痩せすぎだったのだ。それほど太ったのはやはり精神疾患のための薬が寄与していて、夏にオランザピンを飲んだあたりから体重が増えはじめた。オランザピンは今はもう飲んでいないが、セルトラリンなども太る副作用があるのだろうか?
 日記を上記まで書き終えると五時を一〇分ほど回ったところだった。財布や通帳を入れたクラッチバッグを持って上階に上がると、母親が帰ってきたところだった。トイレから出てきた母親に、青いスラックスが入らなくてさ、と報告すると、彼女はそうなの、と苦笑してみせた。紳士服店で直してもらえるのではないかと言う。それか買い換えるかだなと受けて、出発した。
 ベストをなかに着込んでジャケットまで羽織っていると、蒸し暑いような陽気だった。足取り軽く、坂を上って行った。三ツ辻のところにトラック行商の八百屋が来ており、周辺の家の人々が集まっていた。歩いていくと老婦人がこちらを向いたので会釈し、こんにちは、と言いながら歩を進めると、鮮やかな黄色のバナナを持った八百屋の旦那が、珍しいじゃんと声を掛けてきたので、お久しぶりですと受けて通り過ぎた。こちらが過ぎたあとから、T田さんの奥さんが家から出てきたようだった。
 街道に出る頃にはスーツの裏にじっとりと汗を搔いている。表通りを歩いているあいだ、燕が道路の上を飛び交って、すぐ目の前にも滑空してきたかと思えば身を翻して電線へと飛び移り、そこからまた宙に弧を描いて丸く滑る。裏通りに入って、咲き乱れている色とりどりの花のあいだ、歩いて行った。職場に着いたらどういったことを話そうかと思い巡らしながらの途上だった。
 歩いているうちに太陽の脚に追いついて日向のなかに入ると、後頭部に温もりが宿る。液体のような温い陽射しを肩口に受けながら進んでいくと、一軒の前、車の下からちょっと姿を出して白猫が地面に寝そべっていた。近づいていき、しゃがみこんで、手を差し出してみると、猫はそれを避けながら車の下から這い出してきた。右手はバッグで塞がれていたので、左手で猫の体を撫でると、白い毛が綿のように体から取れて空中に浮かんだ。しばらく体をほぐすように撫で回したり、口元に手を持っていったり、首元をくすぐるようにしてやったりしていたのだが、じきに猫はまた車の下に入ってしまったのでそれを機に立ち上がって道を進んだ。
 駅前に出るとコンビニに入り、陳列された品々のなかから二色のボールペンを取ってフロアの奥に向かい、レジに続く列に並んだ。少々待ってから年嵩の男性店員がこちらを呼んだので、歩いて入口に近いほうのレジまで進み、ボールペンを差し出した。二四三円を払い、釣り銭を受け取って礼を言うと、入口付近のダストボックスに寄って、ペンの包装ビニールを剝がして捨て、なかのものはスーツの胸の内ポケットに収めて退店した。そうして職場に向かい、扉を開けるとともに笑いながら、こんにちはと(……)室長に挨拶をした。ちょっと早くてすみませんと言い、どうぞと促されたのに従って靴を脱ぎ、焦茶色のそれを下駄箱に入れるとスリッパを取りだして履き、面談スペースに入った。まもなく室長が面接用の用紙を二枚、持ってきたので、それに個人情報を記入していく。出身大学だとか、希望する担当科目だとかそういったことである。さらに心理検査の類もあったので項目ごとに丸をつけていってそれを片付けると、手近にあった週刊誌――このようなものが教室にあるのを見るのは初めてだったが、今度は四枚ほどまた新たな紙がやって来た。労務規定とか講師台帳とかそういったものだ。ふたたび個人情報を記入し、朱肉を借りて印鑑を何箇所にも押印した。そうして書類の準備が出来ると、室長がやって来て向かいに座り、しばらく話をした。こちらはもうわかっていることなので、室長の説明もさほど詳しいものではなく、講師と生徒のあいだで成してはいけないことのガイドライン――アドレスを交換してはいけないとか、交際してはいけないとかそういうことだ――などが簡易的に解説された。その後、こちらが務めていた時期と変わったこととして、変わったことはそんなにないけれど、誕生日カードというものを作ってもらっているとか、夏期や冬期の講習時のみだったスタンプを通年でやるようにしたという話があった。その後、シフトを書いていきますかと言うのではいと肯定し、持ってこられた日付リストに丸とバツを付けていった。と言って、日曜日以外に特に用事もない身なので、丸でない日などないのだが、土曜日は休みを貰うかというわけで土曜の欄はすべてバツにしておいた。それで来週から実際に働きはじめることになったのだが、研修などは、前とシステム的に変わったこともあまりないのでなしで良いだろうということだった――果たしてすぐに仕事のやり方を思い出せるかどうか不安ではあるが! しかしまあ、何年もやってきていたわけなので、実際始めてみれば身体の記憶が導いてくれるだろう。シフト表を見ながら(……)先生はもういないですかと言うと、そうですね、卒業しちゃいましたとの返答があった。そのほか、元同僚が結構いなくなっていたのだが、半分弱くらいは知っている名前も残っていた。また、名前のリストのなかに一人、過去の生徒だったような覚えのある名があったので、この人は生徒でしたかと尋ねると、さすがですねと室長は言った。それで話が一通り終わったあと、立ち上がって、(……)先生に挨拶してもいいですかと許可を取った。ああ、順番が前後するがその前に、(……)先生もいなくなった、卒業したという驚きの事実が明かされたのだった。(……)先生というのは一番のベテランで、歴々の室長の片腕として事務仕事を一手に引き受けていた人なのだが、彼女が辞めたというのはこの時聞いた話のなかで一番の驚きだった。見切ったみたいですね、会社を、と室長は言った。それで、だから(……)先生が今や一番のベテランと相成ったわけで、彼女はすぐ傍で授業をしているところだったので、パーテーションの蔭からこちらは姿を現し、こんにちは、お久しぶりですと挨拶をした。顔面を笑みで歪ませながら、恥ずかしながら戻ってくることができましたと言った。心強いですと彼女は受けたが、こちらは、仕事を思い出せるかどうか不安ですと苦笑し、新人になったつもりで、と笑みを浮かべた。それでよろしくお願いしますと互いに礼をしあい、こちらはその場を離れた。すると(……)先生はパーテーションのあいだから出てきて、入口付近でこちらと室長と交えてまたちょっと話をした。その後、ちょっと教室内を見て回ることになって、フロアの奥を見分したり、生徒のボードが並んでいる棚を見たりしたのだが、結構以前教えていた頃の生徒も残っていたので、知っている名前を見つけるたびにうわ、懐かしい、と声に出した。
 教室内でのことはそんな感じでいいだろう。それで入口の間際に行き、室長にありがとうございました、よろしくお願いしますと挨拶をして、新人になったつもりで頑張りますとふたたび口にして、礼をして扉を開けた。戸口を跨いで外に出ると振り返り、もう一度礼をしてから帰路に就いた。七時一五分だった。
 涼しげな宵だった。良い季節になったものだ。細い月が青い空に掛かっていた。あれは蟋蟀なのだろうか、じりじりと低い音で道脇から無骨な虫の鳴き声が飛び出してくるなかを歩いていった。月の周りに雲が掛かっているのが月光で照らし出されて、その雲が月を取り囲むように浮かんでいるなかに弧を描いた細月が切れ込みのように入って、全体としては一つの目のように映った。歩いている途中で、こちらの控えとなる書類を教室のテーブルの上に忘れてきたことに気づいたが、まあ室長が多分保管してくれているだろう。また、途中でバッグのなかが振動したので携帯を取りだしてみると、Aくんからのメールが入っていた。自分は新しい体験を求めて新しい小説に手を出してしまうが、こちらの『族長の秋』の感想を読んで、同じ小説を読んでも新しい体験ができるということに気づいた、再読の重要性に気付かされたというようなことが書いてあった。それを読んで、ロラン・バルトが再読について語っている『S/Z』のなかの記述があったと思いだしたので、あとでそれを彼に送っておこうと思った。
 帰宅すると、母親に挨拶し、下階に下りて服を着替えた。そのついでにもう一度、紺色のスーツのスラックスを履いてみたのだが、今度はぎりぎりホックが留まったものの、ぎりぎりもぎりぎりでこれではさすがに無理だろうというようなものだった。そうして食事に行く。スラックスを履けるようにするために、体重を減らし、腹の肉をいくらかなりとも落としたいので――と言ってそんなに腹が出ているわけではないと言うか、むしろ出てはいないほうだと思うが――米は少量にして、そのほかおかずとサラダをよそった。そうしてさっさと飯を食うと薬を飲み、皿を洗って入浴。温冷浴をして速やかに上がると、下階に下り、コンピューターに向かい合って、Yさんとやりとりをしながら日記を綴った。いや、その前に相澤くんに対する返信を綴ったのだった。ロラン・バルトからの引用を地道にかちかちと長く打ち込んで返信を送ると日記を綴りはじめたのが九時過ぎ、今日は何時から通話を始めるかと聞いてきたYさんに、さっさと始めちゃっていいんじゃないですか、時間が早いほうが参加できる人も増えるのではと言うと、九時半から始めることになった。こちらは日記を書かなければならないのでチャットで参加しようと思っていたのだが、いざ九時半が来て通話に出ると、誰も喋らないので、思わず笑いながらマイクをつないで、何で誰も喋らないんですかと声を差し向けた。通話にはYさん、Mさん、Nさんが参加していた。Nさんに『アッシュベイビー』読みましたよと差し向けると、ブログを読みましたとあったので礼を言った。色々詳しく分析されてて凄いと思いましたと言ってくれたのにもありがとうございますと受けると、結局の所、あの小説はお好きでしたか? と尋ねられたので、うーん、と考え、あんまり好き嫌いって感じじゃなかったですけれど、でも結構面白かったですよと答えた。Nさんは、こちらがブログに上げた感想のなかで、一箇所、それはそうだなあと納得の行って頷く場所があったらしかった――それがどこだったのかは具体的にはわからなかったが。ありがたいことである。その後、Yさん企画でMさんがサドやら澁澤龍彦やらについて語る会が始まり、こちらはそれを背景に聞きながら日記を綴り続けた。書くのを忘れていたが、Kさんという新しい方が通話に連れてこられていた。彼と挨拶を交わしてからこちらはチャットに移行して、打鍵を続けたのだった。Nさんは途中で課題があると言って退出した。Mさんは『ソドムの百二十日』は、澁澤龍彦の抄訳よりも、佐藤晴夫の完訳本のほうが面白いと思うと言った。この本はこちらは水中書店で手に入れて、手元に保持しているものであるが、いつになったら読めるのかわからない。『ソドム』は変態性欲の百科事典のような作品だと、澁澤か誰かが言っているらしくて、Mさんもその言には同意らしかった。パゾリーニの映画の話などもしていたが、その頃にはAさんもチャットで参加しており、パゾリーニの逸話など披露していたので、流石、随分詳しいものだなと思った。
 日記を書き終わると通話に参加した。Kさんは関西人で、IDから察するにおそらく一九九〇年生まれでこちらと同年である。彼に、どんなものを読むんですかと差し向けると、小説はたまにで、人文書のような類をよく読んでいるとの返答があった。そのほか漫画も好きで、最近読んだ漫画として、『鬱ごはん』という作品の名前が挙がった。普通のグルメ漫画というのは、如何に食事を美味そうに描くかが肝だと思うが、この漫画はその逆を行っていて、食事を不味そうに食べるグルメ漫画なのだと言う。ほかには、『はたらく細胞ブラック』という作品の名も挙がった。不健康な人の身体をブラック会社に喩え、そこで過剰に働かされる細胞を社畜の社員として描いたものだと言う。そのような話を聞いたあとに、人文書だと何ですかね、哲学とか読みますかと訊いてみると、読むとの肯定の返答があり、彼は中島義道の名を挙げた。大学時代に読み耽っていたらしい。中島義道はこちらも昔、それこそ大学時代にちょっと読んだきりだったと思うが、勿論名前は知っていたので、『後悔と自責の哲学』とかですよねと受けて、地元の図書館の書棚に並んでいる著作の記憶を掘り起こした。確か『明るいニヒリズム』とかいう本も書いていたような気がする。その点に関して、「死」についてよく書いていますよねと言葉を送ると、Kさんは、あの人自身が「死」を異常なまでに恐れている人ですからね、タナトフォビアと言うか、と言って、タナトフォビア(と多分言っていたと思うのだけれど)という用語は初めて聞くものだった。こちらもそうだが、ニヒリズムに陥った若い青年なんかが嵌まる感じですよねというようなことを言うと、Kさんもやはり大学時代はそのような形で嵌まっていたらしき返答があった。そのほか、あの人って騒音が大嫌いで、例えば電車のなかとか、駅のなかとか、やたらとアナウンスがひっきりなしに流れているじゃないですか、そういうのが大嫌いで、それで騒音が嫌いだっていうことで一冊本書いていましたよねと話すと、MさんもKさんも笑った。人文書だと、一番最近は何を読みましたかと訊くと、『存在の呪縛』という哲学書を読んでいたと言う。これは彼の大学時代の恩師の著作らしく、説明が難しくてよくわからなかったのだが、西洋哲学の伝統というのは、今まで「無」を超越的なものとして問うてはいない、その点について突っ込んだ本らしかった。それでこちらも、自分も哲学が結構好きで、と言っても下手の横好きみたいな感じなんですけれど、それで今は『いま、哲学が始まる。』という本をちょうど読んでいますと紹介した。明治大学文学部が二〇一八年になってようやく哲学専攻を新設したらしいんですけれど、その専攻を担当する五人の先生方が集まって対談した本で、対談のほかにはそれぞれの先生が小論を寄せていて、本居宣長の思想と朱子学のそれを対比させて紹介したり、と説明した。すると、Fさんもそういったものを読まれるんですね、いいですねえというような返答があった。こちらはさらに、Aさんに向けて、Aさんは哲学とかは読まれないんでしたっけと差し向けると、めっちゃ好きですという返答があったので、何で黙っていたんですかと笑いながら突っ込むと、いや、私、皆さんのお話を聞いている方が好きでという答えがあった。それでもそこからAさんも自分の好みについて話してくれたのだが、彼女は西洋哲学よりもどちらかと言えば東洋哲学の方が性に合っているのだと言った。西洋の哲学は過去の哲学者の考えを検討して、「これちゃう、これちゃう」といってどんどん破壊していくようなところがあるけれど、東洋の哲学はもう悟ったところから始まっているじゃないですか、それでその考えを弟子とかがまとめるみたいな、と言い、そういったあたりが彼女の性質に合っているらしかった。仏教も好きだし、老荘思想なども読んでいたらしい。こちらはそうした話を聞きながら、古代ギリシアから始まる西洋の哲学の真理への至り方は言わば対話型なのだよなと思いだしていた。対話によって考えや意見や主張を闘わせ、相手の意見の瑕疵を突き、自分の主張の優越点を明確にしながら、対話に参加した誰もが納得できる普遍的な着地点を悟っていく。言わば法廷モデルとも言えるわけだけれど、過去の思想を破壊的に更新していくというのも、過去のテクストとの対話を通して真理に至ろうとするということと同義だろう。そうした点において、西洋の思考傾向というのはひらかれていると言うか、誰しもが真理に至ることができるというような信念がその底にはあるように思うのだが、それに対して東洋のそれは密教型と言うか、まさしく少数のエリートが秘密的に真理を悟ってしまうと言うか、真理はごく一部の訓練された習熟者によって体現され、伝えられるというような違いがあるのだよなとそんなことを思い起こしていた。また、先ほど出た「超越的な無」に関連して、仏教や禅宗なんかはそういった「無」の概念を捉えてきたのではないかとも思ったが、このあたり全然詳しくないので発言はしなかった。
 哲学の話はそんなところだろう。ほかに何を話したのか全然覚えていない。それなのでどんどん次の事柄に行こうと思うが、途中、会話に、と言うか通話上ではなくてグループのチャット上に、誰か知らない、新しい人が現れた。Yさんが追加したわけではなかったようで、一体誰だろうと見守っていると、Y.Cですとの発言があったので、まったく予想していなかったこちらは笑ってしまった。Yさん――Yさんと同じYで被ってしまうので、この日記ではCさんと表記しようと思うが――そのCさんは、Twitterでこちらにもよくリプライを送ってきてくれる方で、たびたび会話をさせていただいており、こちらの日記にも良い評価を持って読んでいただいている方である。それで、Cさんは実際に話すことはしないと事前に聞いていたので、通話に出るだけ出て、ミュートにすれば喋らなくて済む、チャットで参加してくださいと発言をしておき、それからCさんが実際に参加してくるまではいくらか時間が掛かったのだが、ともかく彼もしくは彼女も――一体どちらなのか未だ判断がついていないのだ――こちらは女性だと思っていたのだが、YさんはCくんは男だよと言う――我々の会話を聞きながら、時折チャットで発言することになった。
 それで肝心の会話の内容をまったく覚えていないのだけれど、途中で課題に目処がついたらしいNさんが戻ってきたので、『族長の秋』を読みはじめたらしい彼女に、今どこまで読みましたかと訊いた。すると、パトリシオ、という言葉が返ってきたので、ああ、パトリシオ・アラゴネス、と受けた。一章の途中である。それで、どうでしたか感触と言うか、と尋ねると、読む前はもっと固い、難しいような小説だと思っていたのだけれど、そうではなくて、思っていたよりもするすると読めるという返答があったので、それは良かったと受けた。でも、三人称とか色々あるんですよねと訊くので、三人称と一人称が混在したりというのがありますねと受けると、そのあたりで読みづらくなるかもしれないと言うので、まあ流れに身を任せるような形で、とこちらは軽く返答した。
 零時も過ぎ、一時が近くなると、メンバーも減っていき、こちら、Yさん、Aさんの昨日も三時半まで話していたつわ者たちもしくはYさん言うところのサイコパス候補の連中に、Nさんが加わった四人になった。Nさんは大学が明日一限からあると言い、通学にも一時間半だか掛かるという話だったので、何で今ここにいるんですかと突っ込んで笑った。それで、話していると、途中でYさんがビデオを使って自室の紹介を始めた。飼っているハムスターや蛙などの動物、蛾の標本、それにずらりと棚に並んだ海外文学やら岩波文庫やら講談社学術文庫やらの著作群である。こちらが棚にある書籍群を順番に映すように頼むと、彼はその求めに応じて携帯を棚の前でゆっくり左右に推移させてくれた。ここは図書館なんだと彼自身もよく言っているが、まるで本屋のような品揃えだった。『マルセル・シュオッブ全集』の巨大な存在感を特によく覚えている。下段の方にはオカルティックな類の本――カバラーとか魔法についてとかのそれだ――もあり、「スピ活」をしていた時期のものだと彼は言った。そのほか、衣服の紹介などもあったのだが、印象に残っているのはやはりハムスターの動画で、小さな齧歯類がYさんの指から直接餌を貰って食べ、戯れている映像には皆可愛い、可愛い、と口々に言った。
 そのうちに通話の音声が段々と途切れるようになったので、一旦切ってもう一度掛け直しましょうとなった。そうすると音声の途切れは回復されたのだが、こちらのコンピューターは動作が鈍重になっていたので、一度再起動してきますと言って通話から抜け出した。そうしてコンピューターを再起動させ、そうしているあいだは『いま、哲学が始まる。』を瞥見しながら待ち、もう一度Skypeに戻ると、一時二〇分頃、Nさんが離脱していて、安心した。一限に遅れていないと良いのだが。それで残ったいつもの――いつもと言ってもこの三人のみで話すのはまだ二回目だと思うが――サイコパス野郎どもで会話を続けているあいだ、ここにいる三人は皆感情がやや薄いと言うか、何事にも驚かず、動じることがなさそうだという話になった。Yさんは離人症の気がある。こちらも昨年はまったく何も感情の動きが感じられないという状態に陥ったし、それ以来以前よりも情動方面は多少鈍くなったような感じがある――もっとも、瞑想をやっていたこともあってか、元々基本的に驚かず、平静を保っているような性分だったけれど。Aさんは、一見落ち着いていながらも屈託なく育ってきた感じが窺われるような明るめの方なのだが、それでも小中の頃などは多少いじめにあっていたこともあったようで、そうした体験と関連しているのか、彼女の性分として、「信じる」ということがよくわからない、何かを全面的に信頼するということがなくて、自分の信頼は最高でもせいぜい六〇パーセントくらいなのだと話した。それだから、信頼していた物事に裏切られることがあっても、ああやっぱりな、というような感じで、平静に受け止めることができるのだと言う。
 そんな話をしたあと、二時に至って、こちらはもう眠りますと言って会話を抜けることにした。それとももう皆、解散しますか、と訊くと、しかしYさんが幼い駄々っ子のような調子で、やだ! と口にし、まだ話したいと言うので、それではあとは残った二人でどうぞと言ってこちらは、ありがとうございましたと礼を述べながら通話をあとにした。それでチャット上でもいつも通り、今晩もまたありがとうございましたとのメッセージを送っておき、それからコンピューターを閉ざした。三時頃まで本を読もうと思っていたのだが、何となく眠気の匂いがあったと言うか、わりあいスムーズに眠れそうな気がしたので、もう明かりを落として布団にもぐりこんでしまった。それで実際、結構速やかに眠りに就いたようである。


・作文
 6:45 - 7:03 = 18分
 7:09 - 8:04 = 55分
 13:55 - 14:11 = 16分
 16:53 - 17:09 = 16分
 21:05 - 21:37 = 32分
 21:55 - 23:05 = 1時間10分
 計: 3時間27分

・読書
 4:35 - 6:40 = 2時間5分
 8:41 - 9:59 = 1時間18分
 10:37 - 11:51 = (30分引いて)44分
 14:40 - 16:28 = 1時間48分
 16:33 - 16:45 = 12分
 計: 6時間7分

  • 金原ひとみ『アッシュベイビー』: 131 - 177(読了)
  • 『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』: 2 - 132
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-05「大局にたてばおおよそ千年間やむことなしに降り続く雨」

・睡眠
 4:05 - 4:35 = 30分

・音楽

2019/5/8, Wed.

 九時のアラームで一度ベッドを抜け出したのだが、頭の濁りに打ち負けてふたたび寝床に戻ってしまった。そうすると身体が石と化したかのように、あるいは床に接着剤で貼りつけられたかのように布団のなかに囚われて、あっという間に一時一五分を迎えていた。睡眠時間はちょうど一二時間、丸半日をベッドのなかで過ごしているわけで、言い訳のしようのない、完璧な堕落である。糞だ! 何とも情けない。朝早くから起きて家事をこなしている母親に対しても、同様に今日から仕事に出ている父親に対しても、それどころか世の中自体に対しても何となく申し訳なくなってくるものだ。何とかこの怠惰の網から抜け出したいと思う。
 上階に行くと同時に、母親が下階で掃除機を操りはじめた。こちらは唸り声を上げながらソファに就いてちょっと休んだあと、台所に入ってフライパンのなかの炒め物――前夜の残りである――を皿に取りだし、電子レンジに突っ込んだ。それから米を椀によそって卓に向かい、二品のみの貧しい食事を始めた。玉ねぎと豚ロース肉の混ざった炒め物をおかずにして米を食べ、食べ終えると台所に足を運んで食器を洗い、それから抗鬱剤を服用した。そうしてすぐさま家事を済ませてしまおうというわけで、浴室に入って風呂を洗う。浴槽のなかに入りこんで四囲の壁や床面をブラシで擦り、シャワーで洗剤の泡を流すと出てきて下階に戻った。母親が自室にいた。FREAK'S STOREの紙袋を手にしながら、これはいらないのと訊くので肯定すると、メルカリで売りに出してみようかなと言う。その他、UNITED ARROWSの袋なども母親は見繕って、四枚くらい持って部屋を出て行った。こちらはコンピューターの前に立ち、Skypeにログインすると、Aさんからメッセージが入っていて、ブログを読んでくれたようだったので、礼を述べておいた。そうして二時過ぎから日記を書き出して、いつもとは違ってこの日の分を先にここまで綴って二時二〇分である。今日は立川に出かけようかと思っている。
 日記を書き終えた直後に、元職場に向けて、体調が回復してきたので復帰させてほしいが可能かと尋ねるメールを送った。そうして便所に行ったついでに上階に上がり、立川に出かけると母親に告げた。それから仏間に入って、真っ赤な靴下を身につけると下階に戻り、窓を閉めてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめた。そうして衣服を街着に着替えた。どちらかと言えば冬場に着るような質感のものだが白いシャツを身につけ、下は褐色のスラックスを履き、上にグレン・チェックのブルゾンを羽織った。そうして洗面所に行き、歯磨きをしたあと、"感謝(驚)"を流して歌うと、コンピューターを停止させて仕舞い、荷物を持って上階に行った。母親は卓に就き、眼鏡を掛けてタブレットを見ていた。おそらくはまたメルカリだろう。引き出しからハンカチを取って尻のポケットに入れ、行ってくると告げて出発した。
 玄関を抜けた瞬間から風が吹いており、強い葉鳴りが林の方から落ちてきた。陽射しは道の上に通っていた。坂に入る間際にも、厚い葉鳴りが頭上から降ってきて、それがさらさらと言い表すよりももっと厚い響きだったのは、風の強さのためのみならず、五月を迎えて梢の葉叢が密になったのだろう。その響きのなか、坂を上って行った。
 街道に出ると、石段の上、民家の垣根に白やピンクの躑躅がゼリーのように瑞々しく咲き群がっていた。気温は結構高く、街道に出た頃には早くも背に汗を搔いていた。公園の桜の木の葉は濃い緑に充実しながら揺れており、その背景を成している丘もいつの間にか全体に青々と初夏の色を湛えていた。燕が電線のあいだを飛び交い、その影が車の途切れた道路の上を素早く滑った。
 シャツとブルゾンを少々腕まくりして裏通りに入った。一匹の蝶が前方で、枯葉のように力なく落ちるかと思いきや、突然復活して舞い上がっていた。細道から出てきた老婆二人は、近くの家の庭に咲いた花を見ながら、綺麗だねえと言い合っている。裏通りにも風が通り、歩いているあいだ、ブルゾンの前を左右に押し広げる。林からも葉鳴りが立って、終始道に沿ってささやかに鳴っていた。その林の色は密な緑に締まっていて、見ているとこちらの視力が良くなったかのようにも思われた。歩いている道にある木も、次々に目に入るものすべてが鮮やかな色を満たしており、いつの間にか風景がこんなにも青々としていたかと思われた。
 駅に入ると電車が発車するまで一分だった。改札をくぐり、足早に歩を進め、一段とばしで階段を下り、上る方も同様に一段とばしで軽快に上がり、すぐ手近の車両に乗り込んだ。それから車両を一つ移って、三号車の三人掛けに腰掛け、携帯電話を取りだしてメモを取った。その途中に元職場からメールが入り、それが「ありがとう~」という端的な言葉とともに顔文字を付したものだったので、「どういうことですか笑」と返信を送っておいた。現在時までメモを取り終えるには昭島まで掛かった。その後は加えて、前日にAさんと交わした会話を思い出してメモに取り、立川に着くと車両いっぱいだった人々が降りていくのを待ち、しばらくして人がいなくなってから降車した。無人の階段を上り、改札を抜け、携帯を片手に、連想的に思い出したことをさらにメモに取りながら人波のあいだを進んでいく。広場に出て、今日はオリオン書房の方に向かうことにした。海外文学の新刊を見分しようと思ったのだ。それで強い風の横から吹きつけて顔を顰めさせるなか、歩いていき、ビルに入った。HMVの入口付近のモニターにはテレキャスターを持ったFreddie Mercuryの姿が映っていた。おそらく"Crazy Little Thing Called Love"を演じているところだったのだろう。エスカレーターに乗って書店に踏み入ると、すぐ正面に本屋大賞を獲ったという、濃緑色の表紙の何とか言う作品が飾られていたが、本屋大賞に特段の興味はない。壁際の海外文学の区画に向かった。それで平積みにされている本や、本棚に並んでいる本を見分していった。棚のなかには、フィリップ・ソレルスの新作、『本当の小説 回想録』というものが見られて、これは初めて見かけるものだった。そのほか、平積みにされているもののなかにはブッツァーティーの短編集が二冊並んでいた。幻想・怪奇文学の方面もちょっと眺めてから、哲学の書架に移った。それでやはり平積みにされている本や、書架を見分して四時半を過ぎたが、今買ってもすぐには読めないわけだから、ここで金を使う気はなかった。それに見分してばかりいても実際に読んでいることにはならないわけで、さっさと喫茶店に行って書き物をするかというわけで、書店をあとにして喫茶店に向かった。
 PRONTOへ。途中、ディスクユニオンに寄ってFISHMANSのディスクが何かあるか調べようかとも思ったが、広い交差点を渡るのが面倒だったのでまたの機会にすることにした。喫茶店に入店し、レジカウンターの向こうの女性店員――眼鏡を掛けて、黒髪を後ろで一つに結わえた人だ――に会釈をし、階上に上がった。ガラス戸で区切られた喫煙席傍の四人掛けが空いていたので、ただ一人で来たにもかかわらずテーブル二つを繋げてあるその席に陣取ることにした。リュックサックを席に置いて財布を取りだし、下階に下るとアイスココアのLサイズを注文した(三八〇円)。そうして上階の席に戻り、ココアの上に乗せられた生クリームをストローで掬って少々味わい、それから残りのクリームをストローで突いて褐色の液体のなかに沈めて混ぜ、冷たい飲み物を啜った。そのあとコンピューターを取りだし、書き物を始めたのが五時直前だった。それから一時間半ほどぶっ続けで打鍵して、前日の記事を仕上げ、この日の分もここまで綴ることができた。
 コンピューターを閉ざし、席を立って、通路の途中にいる女性店員に会釈を掛けながらトイレに行った。用を足して便器を閉めると、水を流し、手を洗うとハンカチを使うのではなく、備え付けのペーパーで水気を拭った。そうして室を出て席に戻ると、手首に腕時計をつけ、脱いでいたブルゾンを羽織り、コンピューターをリュックサックに仕舞って、トレイを持って女性店員に近寄り、差し出された両手にトレイを渡して礼を言った。そうして下階に下り、カウンターの向こうの女性店員にもありがとうございますと礼を言って退店した。通りからエスカレーターに乗って頭上を見上げると、空は淡い勿忘草の色に染まってひらいていた。高架歩廊を辿り、駅舎のなかに入って、改札口から出てくる人波のあいだを縫いながら、GRANDUOに向かった。昨日Aさんと話した際に、両親との関係の話になったのだが、特に悪くもなくどちらかと言えば良いけれど、母の日や父の日のプレゼントなどは面倒臭いのであげていないと言うと、それは駄目ですよと咎められたのだ。昨日が母親の誕生日だった、自分は家事ぐらいしかしていないけれど、父親がケーキを買ってきてくれたとも言うと、息子さんもちゃんとしないとと忠告されたので、まあそれもそうだなということで、遅れ馳せではあるけれど、何か甘味の類でも買って帰ろうと決めたのだった。GRANDUOのなかには「銘菓銘品」という店がある。そこに母親の好きな無花果のチョコレートなり、「Pomme D'Amour」という林檎のチョコレートなりがあるので、それでも買って帰るかと思ったのだった。それでビルに入り、並ぶ店舗のなかを通り抜けて行き、フロアの奥に進んで「銘菓銘品」の区画に踏み入った。前に来た時もそうだったのだが、無花果のチョコレートはないようだった。「Pomme d'Amour」は見つかったので、それを一つと、苺餡と緑茶餡の生八ツ橋――一箱で一〇個入り――を二箱買うことにした。三つの品物を持ってレジに向かい、並んでいる婦人方の後ろに就いた。しばらく待って順番が来ると、中年の女性店員が、これはプレゼントですかと訊いてきたのにちょっと考えてから、そうなんですけど、と薄笑みを浮かべ、でもそのままでいいです、と答えた。それで会計、二五三八円を払って紙袋に入れられた品物を受け取り、相手の顔を正面から見据えてありがとうございますと礼を言って店舗をあとにした。GRANDUOのなかから直接駅舎内に通じている改札を通り――その手前でおそらく私立の制服の中学生が二人、身体を組み合わせて戯れていた――電光掲示板に視線を送ると、直近の青梅行きは五番線である。それでそのホームに下りて、一号車の停まる位置に立ち、リュックサックから古い方の手帳を取りだして、韓国関連の事柄の復習を始めた。一九九八年一〇月に金大中が来日して日韓共同宣言が出されたとか、日韓請求権協定は一九六五年だとか、韓国大統領の任期は五年だとかそういったことだ。そうしているうちに電車がやって来たので乗りこみ、扉際の片側に陣取った。そうして引き続き、手帳を眺め続ける。電車内は結構混み合っており、途中までこちらの目の前、扉の正面にも、前に抱えたリュックサック――THE NORTH FACEの黒い、無骨なものだった――をガラス戸にくっつけるようにして目を閉じながら男性が立っていた。
 河辺でいつものようにほとんどの人が降りたので、リュックサックを背負ったまま席に就き、浅く腰掛けて前屈みになって手帳の文字を追う。その頃には視線の先にある文章は、ハンナ・アーレント『政治とは何か』からメモした事柄に移っていた。そうして青梅駅に着き、ホームを階段へと向かう人々の流れを避けるために少々待ってから降りると、空高く、電線の合間に極々細い月が、右下に向けて弧を描いて掛かっていた。ホームを歩き、最後尾の位置に就き、奥多摩行きがやってくるのを待つ。じきに電車がやって来ると乗りこみ、席に腰掛けてリュックサックは隣の席に置き、偉そうに脚を組んだ姿勢で手帳の文字を追い続けた。
 最寄り駅に着くと、星が息絶えたような闇のなかに極細の三日月の切れ込みが入っている空の下、駅舎を抜けて、ボタンを押さずに横断歩道を渡って坂道に入った。昼間と違って風は吹かず、道脇の林から張り出して宙に掛かった枝先の緑葉が電灯の光を受けてそよめきほどの動きも見せずに静止していた。その静かななかを下りて行き、平らな道を行くと、近所の家の垣根の躑躅の白さや、道端に生えた紫色の小花の色が夜の底に見えた。
 帰宅すると居間に入り、母親にお土産を買ってきたと言って、「Pomme D'Amour」を差し出した。それじゃあ明日、お料理に持って行こうかなと彼女は言った。八ツ橋も卓の上に置いておいて下階に戻り、コンピューターを机上に据えて、ブルゾンを脱ぎ、収納のなかのハンガーに掛けた。そうしてジャージに着替えてコンピューターに向かい合い、完成した前日の記事をブログに投稿して、Twitterに通知を流した。そのなかからパニック障害について語った一連の文章を長々とツイートしておき、それから食事を取りに上階に行った。夕食のおかずは麻婆豆腐だった。フライパンに用意されたそれを火に掛けて温め、丼にご飯をよそってその上から垂らし掛けた。そのほか、茹でた豚肉を何枚かと菜っ葉の類を副菜として卓に運び、こちらは胡麻ドレッシングを掛けて頂いた。さっさと飯を食ってしまうと、薬を服用し、食器を洗った。風呂は帰ってきた父親が入っていたので、こちらは一旦下階に下りた。YさんからSkypeにメッセージが届いたのでやりとりをしつつ、一方でHさんからも、パニック障害についてのツイートに関してTwitterでダイレクト・メッセージが届いていたので、そちらにも返信をした。そうして父親が風呂から出た気配を聞きつけると部屋を出て、上階に行って寝間着と下着を持って洗面所に入った。浴室に踏み入り、浴槽の蓋を畳んで、掛け湯をしてから湯のなかに身を沈めた。しばらく浸かってから一度出て、冷水シャワーを下半身に浴びせてふたたび温かな湯のなかに戻る。それをもう一度繰り返したあと、洗い場に座りこんで、髭を剃った。翌日の午後六時に元職場に伺うことになったためである。それで言えば忘れていたが、帰宅した直後に廊下に吊るしてあるスーツからビニールを取り除いておいたし、食後も以前履いていたスーツ用の靴を取りだして、玄関にしゃがみこんで靴磨きで少々拭いておいたのだった。シェービング・ジェルを顔全体に塗って産毛もまとめてT字剃刀で当たり、風呂を上がると早々と自室に戻った。久しぶりに緑茶を用意していた。それを飲みながら日記を書きはじめたのが九時半、Yさんから、一〇時に通話を始めるというメッセージが入っており、こちらは日記を書き終えたら参加すると返答しておいたのだったが、一〇時一三分現在、まだ始まっていない。音楽はBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』のディスク二が掛かっており、今はあの偉大なる"All of You (take 2)"の途中、Scott LaFaroが闊達なベースソロを展開しているところである。
 金原ひとみ『アッシュベイビー』。「モコ」や「あっくん」を相手にした時のアヤの性行為は、砂のように乾いて淡白なものだった。村野との行為も、「砂漠でヤッているようだった」と言われてはいるものの、しかしそこに至ってようやく幾許かの官能性が滲み出してきたようだ。それは村野が、アヤが烈しく恋慕する意中の男性だということも勿論寄与しているだろうが、小説的により重要なのは「傷」の介在である。アヤは村野との絡みの最中、自らナイフでもって太腿に開けた傷を舐められて「ひどく幸せ」な心地になっているし、「村野さんの指が私の傷をえぐるところを想像したら、全身が鳥肌を立てて感じた」とも言う。そうして実際、村野の「異常なほど美しい手」の指で傷を押さえられて、「痛い」とともに「気持ちいい」という言葉を発しているのだ。アヤがこの小説において性交中に「気持ちいい」という喘ぎを上げ、性の快楽を表出するのは、おそらく村野との性行為におけるそれが初めてだったと思う。さらに、彼の親指が「傷口を割って」入りこんでくると、彼女の「天井が、崩壊を始め」、アヤは「ああ、このまま私をえぐり殺して。もっと入れて。その穴こそが私の貴いマンコなんです。その美しい指を、もっと入れて、ピストンして」と熱烈に懇願する。これが痛みと綯い交ぜになった官能の愉悦の表現でなくてなんだろう。
 アヤが自分の太腿をナイフで刺したのは、彼女とルームシェアをしているホクトが赤ん坊を家に連れこんでいるのを目撃した直後である。文庫版の解説を綴った斎藤環も、「ホクトが赤ん坊を監禁していることを知ってアヤはショックを受け、彼女の肉体と精神は解離を起こします」と書いているが、この時点ではホクトは赤ん坊のことを、「親戚の、子供」だと言い訳しており、アヤはホクトの不審な様子に、「もしかして、幼女監禁でもしてんじゃねーの?」と疑念を抱いてはいるものの、おそらく彼が赤ん坊を「監禁」しているということにまだ決定的な確信は持っていないと推測される。実際、そこで「ショックを受け」ている様子も見受けられないし、アヤが解離を起こした直接的な要因は、文脈をそのまま順番に追うならば、ホクトに赤ん坊の世話をしてくれないか、と頼まれたことに対する苛立ちであるように思われる。「クソ野郎」とホクトに向かって呟き、部屋に戻った直後、彼女は自己の内部における主客分裂を引き起こし、自分自身に向かって「お前」と二人称で呼びかけ、ひとしきり悪口雑言を吐き続ける。この滔々と流れ出る罵倒の連なりもなかなか見ものだが、そうした自分自身への悪態の果てに、アヤは「きぇえー」という奇声を上げて、錯乱的に「果物ナイフをつかんで左の内腿に突き立て」ることになるのだ。従って、アヤが自傷行為を行った直接の原因は、赤ん坊の存在とそれに対する苛立たしさであると思われるのだが、上のような性交の場面をのちに読むと、彼女はまさしく村野に「傷」をえぐってもらうためにこそ、引いてはその「傷」を通して彼に殺してもらい、「死」に至るためにこそ、それを作り出したのではないかとも感じられてくる。その傍証と言うほどでもないが、実際彼女は、「もしかしたら、村野さんと知り合ってなかったら、ナイフを太腿に突き刺す事もなかったかもしれない」と述懐してもいるのだ。
 太腿の傷が自分の「貴いマンコ」なのだと言ってそれを性器と重ね合わせているあたり、「傷」を指でえぐられることがアヤにとって性交の代理、その象徴的表現であることは一目瞭然である。と言うかむしろ、それは「代理」と言うよりは、彼女にとっては性交そのもの、「真の」性交とも呼ぶべきものなのであって――だからこそ彼女の「傷=性器」は「貴い」のだ――ここにおいては象徴的・擬似的な性行為と、現実上のそれとの地位が逆転しているように見えるのが特筆するべきことだと思う。そして、彼女が「このまま私をえぐり殺して」と乱れながら懇願したり、「爪を果肉用スプーンみたいにギザギザに削って、その牙で内側からグチャグチャにしてくれればいいのに。その手で私を血と肉だけにしてくれればいいのに」と破滅的な願望を述べたりしているように、「傷」は「死」へと一直線に繋がる「穴」である。「傷」を指でえぐるという、避けようもなく痛みと快楽をもたらす苛烈な行為は、彼女の「死」への欲望を搔き立て、それと密接に通じ合っている。そこでは「傷」―「性器=性交」―「死」という三位一体が成立しているのだが、それには村野の手の「美しさ」が関与している。彼女が村野に殺害されるという観念を最初に表明するのは、村野の「異常なほど美しい手を撫でている」瞬間であり、彼の魅力、官能性が集約されたその手の「美しさ」のあまりにアヤは思わず「この手になら殺されてもいい」と心中で漏らすのだ。
 上に書いた感想を書き記しているうちに一時間ほどが経った。通話は結局、零時近くなってから始まった。こちらは上の文章の推敲がまだ終わっていなかったので最初のうちはチャットで参加した。メンバーはYさんに昨日もこちらと話したAさん、RさんにMさん、それに新しい人であるY味さんだったが、Mさんはほとんど一言も話さないうちに小説を書くからと言って退出し、Y味さんもSkypeの操作がよくわからないようで、音声自体は聞こえているものの、発言が通話に乗らないようだった。こちらは零時を過ぎたあたりで、推敲を終えてそれを長々とTwitterに放流し、通話に参加した。
 今宵はYさんが概ね主導して話していたようなのだが、彼は本当に、落ち着いた調子でありながら滔々と流れるように、連想的に様々なことを思い出してどんどん脱線的に話を展開していく。どんどん横滑っていくその脱線の動きからして、Yさんの話をそのまま文章化したらそれは面白い小説になりますよとこちらは途中で言った。
 今回はサイコパスの話とか、シリアル・キラーの話とか、穏やかでないような話題が多かったようである。Yさん曰く、サイコパスは夜型の生活をしている者が多いのだと言う。夜に活動する動物というのは古来から他の動物を捕食する種類のもので、草食動物などの他の動物は夜は当然穴蔵のなかなどで眠っている。そうした捕食動物の遺伝子が残っているので、サイコパスと言うか、犯罪的な人間は夜型になりやすいのだというような話だったが、こうして書いてみると眉唾物であるし、最近は「サイコパス」という用語も随分と意味が広く扱われている気がしてならない。Aさんは、サイコパス診断などを受けてみると、すべての質問に引っかかるのだと言った。落ち着きがあって一九歳にしては大人びていながらも――というこちらの印象も途中で彼女に伝えた――明るく屈託のなさげな彼女にあっては意外なことだが、これは彼女がホラーやサスペンスものの小説や映画を愛好しているために、そうした発想がどうしても思いつくようになってしまったためではないかとの推測が彼女自身からあった。言わば後天的に、犯罪的な発想、思考というものを学んだようなもので、こちらはそれを受けて、名探偵が一番犯罪者の心理をよく理解するとかそういったことですねと言った。
 シリアル・キラーの心理というものもYさんの口から語られた時間があって、彼はそれを『連続殺人の心理』という本で読んだらしく、その画像をその場で撮ってチャット上に上げてもくれた。曰く、本物のシリアル・キラーという存在は、自分が殺人を犯しているという認識がないということだった。どういうことかと言うと、ある殺人者は、被害者の頭を殴るか刺すかして殺したのだが、その供述を聞くと、「頭を撫でているうちに気づいたら死んでいた」というようなことを言うらしく、従って彼の認識では殺人をしているという自覚はないのだと言う。そうした性向を形作るには、やはり幼少期の激しいトラウマなどが密接に関わっているらしい。
 何かの拍子に、幽霊を信じるかとAさんが尋ねた時があった。僕はあんまり、とこちらが答えると、Yさんは、直接的な体験がないからだよと言って、それにはこちらも同意した。確かに心霊体験の類をしたことはない。Yさんはそれに対して、体外離脱の時に耳元で女性の声で、「どこ?」だったか、「どれ?」だったか、そのような声がはっきり聞こえたという体験を挙げてみせたのだが、そうした経験にはこちらも思い当たるところがあった。それで自分は瞑想をしていたので過去には変性意識に入りやすかった、それで昼寝をしている時なども自然に変性意識に入って――と言うか、変性意識というのは要するに、身体は起きていながら脳は眠るのと同じ状態になっている、要は起きながら夢を見ている、白昼夢を見ているような状態と同じようなものだと思うのだが――そういう時にはやはりかなりはっきりとした幻聴が聞こえることがあったと話した。音楽が聞こえることもあったが、そういう時の音楽というのはこれが実に完璧で、一点の瑕疵もないもので、非常に美しく感じられるものなのだ。瞑想は趣味で、とAさんが訊くので、元々はパニック障害に瞑想が効くとかいう話を聞いて始めたのだと言った。どういうやり方をするんですかと質問が続いたのには、瞑想と一口に言っても色々なやり方はあるが、大別すると集中性のもの――サマタと呼ばれる――と、拡散性のもの――これがいわゆるヴィパッサナーである――がある、瞑想と言うと多分集中性のものをやる人が多くて、これは要は一つのこと、一点に意識を集中させ続ける、大抵は呼吸など、と説明し、これをやっていると変性意識に入ることができて、心地良い感覚を味わえる、そうした状態の時は非常に鮮やかな画像が眼裏に一瞬はっきりと見えるといったこともあったと話した。それから拡散性の方を説明する前に話題が逸れていったのだったが、折角なのでこちらも書いておくと、ヴィパッサナーというのは物事を正しく観ることを目指した瞑想で、これもやり方は色々あるのだろうけれど、実況中継という方法がわかりやすい。瞑想しているあいだに感覚したもの、意識に引っ掛かったもの、浮かんだ思念などを頭のなかで追い続けるのだ。その際に使われるのが「サティ」=「気づき」という技法で、例えば鼻が痒くなったら、「痒み、痒み」という風にそれを言語化して対象化する。何か雑念が思い浮かんでいることに気づいたら、「雑念、雑念」という風にそれも対象化してはっきりとそれを認識する。そういったことを続けて訓練していると、対象化の能力が涵養されてきて、わざわざ言語化しなくとも、自分の知覚を常に一歩あとから追いかけているような状態になる。そうすると例えば不安や怒りが生じた時にも、それを即座に対象化してそれに対して少々距離を取り、感情や心的反応に巻き込まれ飲み込まれることがなくなる。そういった意味でヴィパッサナー瞑想というのは、パニック障害精神疾患への有効性が部分的に認められてもいて、これを西洋式に整えた方法がいわゆるマインドフルネスと呼ばれる種類の療法である。もっとも、瞑想をやりすぎたり、方法が間違っていたりすると、かえって不安を強めたり、疾患を悪化させたりすることもあるようだが。ところでお気づきだと思うが、この実況中継をしている際の頭の働き方というのは、外を歩いている時などに見たもの感じたものをその場で書き綴るテクスト化の技法とほとんど同じものなのであって、こちらが日記を書くに当たっても、ヴィパッサナー瞑想の訓練、その認識のあり方が多大に寄与したということは言えると思う。
 Yさんが滔々と話し続けるのだけれど、彼がどんなことを話していたのかはしかしほとんど覚えていない。と言うか自分は、自分が発言したことならばわりあいに思い出せるのだけれど、他人がどんなことを話していたのかということに関してはあまり記憶できないようだ。それでもAさんはこちらの昨日の日記を読んでくれた時に、時間が巻き戻ったような感じがしたと言い、何であんなに覚えているんですか、メモを取っていたんですかと言ってくれた。メモはほとんど取っていない。ただ覚えている限りのことを書いたのみで、あれでもこちらはまだまだ記憶できていないと言うか、本当はもっとたくさんのことを話したわけで、そのほんの一部しか記録できていないという思いがあるのだが、Aさんからするとあれでも充分、多くのことを覚えているという感じらしい。日記については、要は自分のなかに、自分が感じたこと考えたこと、体験したことをなるべく全部書きたいというような欲望がある、それであれだけ書くことができるのだと話した。それで言えば、最近は本の感想をよく書くことができているわけだが、それも同じことで、本を読んでいるあいだの時間というのは以前はあまり言葉にならなかったものだけれど、最近では読書中に自分が思ったこと、気に掛かったこと、思いついたことなども記録したいという思いがあるので、読んでいて気になった部分は手帳にメモするようになった。そのついでに、頭のなかに浮かんできたことをつらつら書いてみたりもするので、それで日記にあのような感想文を綴ることができているわけだ、とそうしたことも語った。
 あとはAさんに、昨日、母親にプレゼントをあげたほうがいいですよって言ってくれたじゃないですかと話を向け、それで今日、菓子を買ってきましたと報告した。何を買ったのかと訊かれたので、「Pomme D'Amour」という林檎のチョコレートと生八ツ橋だと言い、チョコレートの方は確か神戸壱番館というメーカーから出ていたと思うので、兵庫県明石市在住のAさんは聞いたことがあるかなと思っていたのだけれど、はっきりとは知らないようだった。それで、お母さんの反応はどうでしたと言うので、まあ普通に、ありがとう、みたいな、と言うと、仲が良いんだねとYさんが言ったので、まあ悪くはないですねと答えた。悪くないと言う人は、仲がよいんですよとAさん。それに対してYさんは、ノーマルな家庭、一般的な家庭の感覚がわからないと言い、例えば家族同士で憎しみあっている家庭というのはやっぱり少数派なのかなと訊くので、それは少数派でしょうねとこちらは答えた。詳しくは聞いていないが、彼もどうも難儀な家庭環境で育ってきたようで、そのあたり思うところがあるのだろう。
 そんなYさんの幼稚園の頃の夢の話が面白かった。彼は蛙になりたいと思っていたのだと言う。幼稚園のお遊戯会だか何だかで、皆が将来の夢を発表する段があり、Yさんは紙には蛙と書いていたのだけれど、周囲の皆が消防士だとか何だとか言っているのを聞いて、この流れで蛙は明らかにおかしいなと思ったらしく、咄嗟の判断で変えたのがしかし蛇だったと言うので、結局人間の職業ではないのかとこちらは面白く笑った。Aさんは蛙が苦手で、蛇は好きらしかった。Aさんの宅の周辺は昔は田んぼばかりだったと言って、道の途中に蛙がやたらといるので以前は歩くのが怖かったくらいだと話した。そうした話になったのは、Yさんが買っている蛙の鳴き声が通話のなかに聞こえたからで、Aさんはこれに対しても、私苦手なんですよと言っていくらか怖がっていた。
 あとはグループ名を変更したひとときもあった。元々今までは「SNSでSOS」というYさんが名付けた名前のグループだったのだが、怪奇・幻想文学界隈の人が多いから、その分野の小説のタイトルなどから取るのがいいのではないか、などと話し合った結果、Yさんが手元にある本として、「夜明かしする人、眠る人」というタイトルを挙げてみせた。みすず書房の本であるらしい。それで、深更まで通話に耽る者もあり、通話に参加しなかったり、途中で抜けて順当に眠る者もありのこのグループにはいかにも似つかわしいではないかというわけで、新しいグループ名はそれに決定した。「夜更かし」ではなくて「夜明かし」とあるのが良いポイントだ。
 そうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎて、三時近くになった。三時になったら僕は寝ますよと言いつつ、一〇分前くらいになったところで、二人にこちらの印象を尋ねてみた。何やらYさんやAさんの印象をそれまでに語った時間があったのだ。それでこちらの印象も流れで尋ねてみたわけだが、Aさんは、「意外と人好き」そうと言った。人嫌いな雰囲気を醸し出しているかと思いきや、思いの外に人が好きそうだと言うので、まあもっと若い頃は陰鬱な性分だったけれど、歳を取って社交性を多少なりとも身につけたということでしょうねと受けた。Yさんはこちらの印象をいいあぐねていた。うまい形容が見当たらなかったらしく、まだこちらのことをあまり掴めていないと言うので、しかし我々結構話していますよと言って笑った。でも、昨日のこととか一昨日のこととかすぐに忘れちゃうから、とYさんはそれを健忘のせいにした。
 覚えているのはそのくらいである。三時を迎えて眠ろうと思ったのだが、Yさんが我々を引き止めて、自分で画像を投稿したり、我々にも顔の画像を見せるように求めたりしていた。我々は当然嫌ですよと断り、こちらは代わりにガルシア=マルケスの肖像や、セロニアス・モンクが完全にヤクを決めたかのようなファンキーな顔つきでピアノを弾いている画像などを投稿しておいた。そうして結局通話を終えるのは三時半になってしまった。ありがとうございましたと言い合って電話を切り、チャット上でも、「今晩も、非常に長々とありがとうございました!」「健康に悪い会ですね笑」と投稿しておき、そうしてコンピューターを閉ざした。ベッドに移ると、一日のうちでまったく本を読まないというのはやはり忸怩たるものがあるので、三〇分だけ読もうというわけで金原ひとみ『アッシュベイビー』をひらいた。そうして四時を回ったところで本を置き、明かりを消して就床したのだったが、眠りは一向にやって来ず、三〇分ほどで諦めて起き上がり、ふたたび読書に邁進することになったのだった。


・作文
 14:09 - 14:19 = 10分
 16:53 - 18:26 = 1時間33分
 21:33 - 22:14 = 41分
 22:49 - 24:05 = 1時間16分
 計: 3時間40分

・読書
 22:21 - 22:47 = 26分
 27:35 - 28:03 = 28分
 計: 54分

・睡眠
 1:15 - 13:15 = 12時間

・音楽

2019/5/7, Tue.

 九時のアラームで起きるも布団に舞い戻ってしまい、一一時まで朝寝坊。携帯電話の持続する振動の音で床を抜け出すことができた。電話は母親からで、雨が降ってきたので洗濯物を入れてくれとのことだった。外は無色の曇り色だった。上階に行き、寝間着をジャージに着替えてから洗濯物を取り込み、台所に行って冷蔵庫から昨晩の汁物の鍋を取りだし、火に掛けた。一方で海老フライを一本、電子レンジで加熱し、ゆで卵とともに卓に運んで一人で食事を始めた。黙々とものを食べ終えると薬を飲み、台所に行って食器を洗った。気温が低く、寒さを少々感じたので、久しぶりに温かい茶でも飲むかというわけで、急須と湯呑みを用意し、一杯湯呑みに注いだあと、もう二杯分ほどの湯を急須のなかに入れて、両手にそれぞれ持って下階に下りた。まもなくYさんからチャット上でメッセージが届いたので、茶を飲みながらやりとりを交わした。彼はThe Valerie Projectという音楽が好きだと言ってリンクを貼ったので、Youtubeのそれを流しつつ、Yさんとのやりとりを終えたあとはのりしお味のポテトチップスをつまんだ。すべて食べ終えてしまうと手を拭いて、それからAくんへメールを返信した。昨日、『族長の秋 他六篇』の感想を書いたから是非とも読んでくれとのメールを送って、それに対する返信が入っていたのだ。長々と綴って一二時半前になって、そこから日記を書き出した。音楽は、The Valerie Projectが終わると例によってFISHMANS『Oh! Mountain』を流した。そうしてここまで綴って一時四〇分となっている。
 書き忘れていたが途中、母親が帰ってきた気配があったので顔を見せに上階に行った。その際ついでに風呂を洗ってしまおうと浴室に入ったが、湯が結構残っていたので母親に伺いを立てると、じゃあ洗わなくて良いやとなったので洗濯機に繋がったポンプのみ湯のなかから抜いておいて浴室を抜け、母親の買ってきたおにぎり三種のうちツナのものを貰って下階に下り、即座に貪り食ったのだった。
 前日の記事をブログに投稿すると、上階に行った。両親はそれぞれ、母親が炬燵テーブルで、父親は卓に向かって何かの書類を前にして、静かに書き物をしていた。文字を見やすくするためだろう、居間の天井の電灯が点けられていた。こちらは炬燵テーブルの上に乗せてあった書類をどかし、そこにアイロン台を置いてアイロンを掛けはじめた。シャツ二枚とエプロン一枚を処理すると、下階に戻り、二時二〇分から金原ひとみ『アッシュベイビー』を読みはじめた。読みはじめたと言っても最初のうちは手帳に昨晩読んだ箇所までの感想や分析を綴っており、そうしているといつの間にか四〇分ほどが経って三時を越えていた。
 この小説の第一の特徴は性描写の、ほとんど物質的と言いたいような、石のように乾いた即物性、散文性だろう。その描写方法は外面的な行為の記述ばかりで、そこに性の喜び、官能の甘やかな愉悦はまったく香り立たない。性行為の主体は一応絶頂に達してはいるのだが、それはただ「イッた」と端的に書かれるだけで、そこにあるはずの「気持ち良さ」については何も言及されない。主人公であるアヤは、自慰のあとの「余韻」を味わうこともしないのだ。彼女は合コンで出会った「モコ」と直後にその場で行為に及ぶほどに性に奔放な人間だが、その積極性とは裏腹に、彼女自身の語りによる記述は淡白そのもので、まるで彼女にとって性行為は気の進まない義務であるような、あるいはただただ退屈な単なる習慣に過ぎないかのような印象を受ける。
 アヤは暴力性を内にはらんだ女性である。冒頭からして、登校中の小学生を「ガキ」と呼び、「奴」と言い換え、「そいつら」という代名詞で名指し、そのような粗野な言葉遣いで苛立ちを示している。さらに彼女は苛立ちのあまり、「「殺すぞ」とすごみたい」「母親を見つけだして奴らの目の前で子供を虐殺してやりたくなる」と危険な衝動を語っている。この暴力性の発露、度を越えた過剰な苛立ちと――むしろ憎悪と呼びたいほどの――嫌悪はいささか異常とも言えるもので、実際彼女自身も「私みたいな異常者」と自称しているくらいだ。
 冒頭の二〇頁のうちで、彼女が「殺人」についての思念を頭に浮かべる箇所がもう一つある。それは一九頁であり、そこで彼女は、「恐ろしいほどに互いを知り合っている女たち」を見ていると、「いつかどちらかがどちらかを刺し殺してしまいそうな気がする」と表明している(しかし、殺人の手段は数あるなかで、何故、「刺殺」なのか?)。「あまりにも他人を知ってしまった時、人は死ぬか殺すかの二択になってしまうのではないかと、思う」というのが彼女の人間観だ。一方では自らの殺意の衝動であり、一方では殺人に至りかねない(と彼女には思われる)人間関係への恐怖だが、序盤の僅かな記述のうちに、いささか突拍子もないようにも感じられる「殺人」の観念を二度も脳内に思い浮かべているというのは、彼女にとってこうした過激な思考が身近で、日常的なものであることを示すものではないか。事前情報によって先取りすると、彼女はのちに、愛する男に「殺されたい」と願うようになるらしいが、そうした「異常な」、一線を越えた欲望は、このような形で物語の序盤から準備されているのだろう。
 そのような感想を手帳に書き綴ったあと、ベッドの上で身体に布団を掛けながら続きを読んだ。外では雨が棕櫚の木の上にぽつぽつと降り注いでいた。アヤは外面的な女性なのかもしれない。彼女が「村野さん」に出会って第一に見留めたのもその手の「美しさ」だった。そうした性質がアヤにあるとするならば、それは性描写の表層性とも通ずるものかもしれない。四時過ぎまで読書を続けたあと――BGMとしてBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)を流していた――音楽をBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』に繋げて、日記を書きはじめた。四時半現在、空はまだ濁っているものの、大気中には潮垂れた光が漂って、近所の家の外壁の黄色っぽいクリーム色が少々明るくなっている。
 Nさんへのダイレクト・メッセージの返信を綴ると、時刻はほぼ五時に至った。食事の支度をするために上階に行った。母親はいつものごとく、炬燵に入ってタブレットを操作し、覗き込んでいた。菜っ葉を茹でてくれと言うので台所に入ってフライパンに水を汲み、火に掛けたあと、食器乾燥機のなかの食器を戸棚やカウンターの上に片付けると、下階に戻って手帳を取ってきた。それを眺めながら湯が沸くのを待った。何もせずにただ漫然と待っていると待ち時間は長く、焦れったく感じられるのに、手帳に書かれたことを読んでいると時間は短くいくらも読めず、あっという間に湯は沸いて菜っ葉を投入することになった。箸で搔き混ぜていると、薄緑色の小さな芋虫が箸先に引っ掛かった。母親に言うと大袈裟な嫌気を示してうるさそうなので何も言わずに流し台の排水口に捨てておき、ちょっと経つと野良坊菜を笊に茹でこぼし、ボウルのなかで水に浸した。それから、肉と玉ねぎの炒め物を作ることにした。大きく丸々と太った玉ねぎを一つ取り、皮を剝いて細切りにした。それから三枚の平べったいロース肉をそれぞれ三等分して、生の肉を触れた手を洗うとフライパンにオリーブ・オイルを引き、チューブのニンニクを落とした。加熱しているあいだにパックに置いた肉の上に生姜をすり下ろし、まず玉ねぎをフライパンに投入した。フライパンを振りながらしばらく炒めて、まだやや固いかとも思われる程度のところで一旦丼に取りだした。それからふたたびオリーブ・オイルを垂らし、改めて肉を敷いた。蓋をしながら加熱していき、待っているあいだは手帳を見ながら時間を過ごして、両面に多少焦げ目がついて丁度良く焼けると、取りだしておいた玉ねぎを上からばらばらと掛けて全体を埋めた。そうしてあと少し熱して完成、残りのサラダなどはやってくれと母親に頼んで下階に下りると、YさんのSkypeグループにまたもや新しい人が増えていたので挨拶のメッセージを投稿しておいた。それからベッドに乗って読書を始めた。川の周辺の林の木々の上に、萎れていく太陽の光と蔭との境界線が作られていた。六時半前になると、南の空の低みにはゼニアオイ色に染まった雲が揺蕩い、その上方には上部の表面を茜色に燃やした雲が浮かんでいた。五分少々経ってからふたたび窓の外を眺めると、ゼニアオイ色が上空へと浮かび上がって、茜色は既に見られなくなっていた。
 金原ひとみ『アッシュベイビー』。村野の基本的な属性は無関心と冷淡さである。彼はキャバクラの接待の場でも周囲で馬鹿騒ぎする上司たちを「見下したような目」をしており、アヤの見るところ、その場にある物事の「全てを軽蔑している」。店にいるあいだ、ほかに見せる表情と言えばせいぜい「爽やかな作り笑顔」くらいで、その心の内は見えない。また、彼はほとんど完全に受動的な人間であり、常に成り行き任せに物事を受け止めているようだ。アヤとホテルに行くのも、彼自身の欲望に基づく行動をしているのではなく、「村野さんと寝たいんです」という彼女の望みに答えただけである。アヤが何故、この無表情な男にそこまで惹かれ、執着するのか、その具体的な内実は掘り下げて記されてはおらず、少々不可解に思えるのだが、その点は彼女自身も、「どうして私はこんなつまらない男に惹かれてしまうんだろう」と述懐している。
 アヤが出会った最初の瞬間からほとんど一目惚れ的に惹かれるのは、村野の手の「完璧なフォルム」、その美しさであり、煙草を口元へ運ぶその「優雅な動き」は、「水草をついばむ白鳥」に喩えられている。のちには彼が好みの男である理由として、「手に血管浮き出てるし、何より指細いし、長いし」とも述べられており、アヤはいわゆる「手フェチ」の女性であるようだ。外面的な――それも、確かに整ってもいるらしい「顔」よりも、周縁的な体部品である「手」という――部分から始まるアヤの恋情は、しかし、村野の内側に入りこんでそのなかを見通すことはできず、表面に留まらざるを得ない。村野が何にも関心がないように見え、その内面性を露わに示すことのない男だからである。アヤは村野が「どんな表情でイクのかとか、どんな表情で責めるのかとか」を妄想し、「表情」という外面を通して彼の内面性に到達したいと欲望するのだが、八六頁まで読んだところでは、彼女を待っているのはそつのない冷血漢の鉄面皮のみである。むしろ、その謎めいた見通せなさ、つかみどころのなさにこそ、彼女は惹かれているのだろうか? ただし、彼がその鉄壁の外面性を崩す瞬間が一箇所あり、そこで浮かべられた「嫌味のない微笑み」に、アヤは当然のことながら、「胸を高鳴らせ、涙を流しそうなほど感動」することにもなるのだが。
 七時まで読書を続け、そのあと日記を書き足してから食事を取るために上階に行った。母親の手によって、炒め物以外にサラダやアンチョビ・スープが拵えられていた。それらをそれぞれ用意して卓に運び、炒め物に焼き肉のたれを掛け、玉ねぎや豚肉をおかずにしながら米を咀嚼した。テレビは何を映していたのか覚えていない。ものを食べ終わると薬を飲んで食器を洗い、風呂に行こうというところで八時に至って歌唱番組が始まり、デーモン小暮閣下氷川きよしという異色の組み合わせが中島みゆきの"時代"を歌いはじめた。それをちょっとだけ見やってから下着と寝間着を持って風呂に行き、入浴を済ませてくると即座に下階に帰った。Bob DylanMTV Unplugged』をこの時流したのだったと思う。そうして、Iさんから頂いた小説を読んだ。短いものだったので、三〇分か四〇分ほどですぐに読み終えた。あまり一般の小説に見られないような固い語を時折り効果的に混ぜたしっかりとした文体の佳作だった。読み終えるとすぐにそのままの勢いで、短い感想を綴った。

 深々と雪の降りしきる音だけが響く無音の風景のような静謐と、死の「白い」空気感がまざまざと、手に触れるように感じられる優れた小品でした。その空気の質感が抽象的な雰囲気だけに留まっているのではなくて、具体的で確かな筆力によって支えられているのが如実に感得できます。例えば僕には、「線香の煙によってか、そこには薄紫の面紗が掛かっており、濃密な死の香りが、冬の澄んだ空気に馴致された彼の鼻を刺激した」という一文に見られる感覚の転換や、「雪国では、一面の銀の雪原に太陽が反照し、烙印さながらにかえってその白肌を灼く」のなかの「烙印さながらに」という一節などが印象的でした。物語としても整然と、行儀良く見事にまとまっていると思います。
 「廃市」と言うと、福永武彦が同名の小説を書いていたなと思い出されますが――まだ読んだことはありませんが――、白秋もそのような言葉を使っているんですかね? この作品では街の描写は直接的にはなされていませんが、全篇に立ち籠めているまさしく「白い」、そして「昏い」雰囲気のおかげで、「雪の廃市」のやりきれないような、囚牢的な閉鎖性が文章の余白に香り立ってくるように思われました。
 その他、ほかの小説では見かけないような語彙が散見されることも特徴だと思います。「霏々として」などという表現はまったく初めて目にするものでした。ほかにも、「頽爛」、「奔騰」、「冷艶」といった固めの語が、透徹された記述に相応しく要所で効果的に用いられているのも特筆するべきでしょう。このあたりの語彙の使い方はこちらとしても勉強になるものでした。
 全体として、非常に短い掌篇ではありますが、文体にせよ構成にせよ密に整っており、短さが瑕疵にならず読み応えのある、きらりと光る佳品だったと思います。若干二〇歳でこのようなものが書けるとは、羨ましい実力です。ありがとうございました。

 そうして九時半から、ベッドに移ってふたたび金原ひとみ『アッシュベイビー』を読みはじめた。四〇分ほど読んで一〇時を過ぎると、そろそろSkypeで通話が始まるだろうかとベッドを抜け出し、コンピューターに寄った。H.Sさんが友人であるY味さんという方を連れてきていた。その方に挨拶をしておき、一〇時半が近くなるとこちらが通話ボタンを押して電話を始めたのだったが、Yさんしか応答しなかったので、一度切ることになった。それからしばらく誰も発言しない時間が続いたあいだ、こちらはYさんが紹介してくれた、福岡伸一をゲストに迎えたピーター・バラカンのラジオを聞いていた。聞いていると一一時に近くなったところで通話が掛かってきたので応答した。参加したのはYさんとAさんとこちらの三人だった。Yさんはもうベッドに臥せていたようで黙りがちで、ほとんど喋らなかったので、実質Aさんと二人きりのような形だった。彼はさらに、途中から本当に眠りはじめてその寝息が通話空間のなかに入ってきていたので、こちらが彼を通話のなかから「追放」してしまい、本当にAさんと二人きりで話すことになった。一一時前に始めて一時過ぎまで二時間二〇分ほどぶっ通しで話し続けていたことになる。
 Aさんは兵庫県に住んでおり、大阪の大学の二回生だと言った。何か部活をやっていましたかと訊かれて、高校生の頃から軽音楽部でバンドをやっていたと答えると、彼女も同じだと言う。のちには塾講師のアルバイトをしていることも明かされて、こちらもフリーターとして塾でアルバイトをしていたので、何だか結構共通点が多いなと笑い合った。彼女は大学でもバンドをやっていたのだが、部費が高かったり忙しかったりで今は休部中なのだと言った。彼女が好きな音楽はクラシックだったり電子音楽だったり民族音楽だったりして、バンドで簡単にできるような曲ではないこともあって、自分の好きな曲を演ずることはできないが、歌うのが好きなのでボーカルで参加していたのだと話した。椎名林檎東京事変のカバーなどをやっていたらしい。それで、こちらも大学時代にやっていたものなので、懐かしいなと応じた。こちらがやっていた曲として、"林檎の唄"を挙げると、彼女はわかるようだった。そのほか、記憶が曖昧だったが、"水槽"みたいな名前の曲がなかったかと口に出して探っているうちに、"水槽"ではなくて"浴室"だったと思い出し、それも口にすると、Aさんは、結構やりづらい雰囲気の曲をやりますねと答えた。
 音楽に関することでは、ジャズの話も少々――と言っても本当にほんの少しだったが――あった。Aさんはジャズは音楽としては大好きだが、特に詳しいわけではないらしい。定番中の定番ですけれど、と言いながら、僕はBill Evansの一番有名なライブ音源、『Waltz For Debby』というのが大好きで、毎日流していますと紹介した――本当のところ流しているのは『Waltz For Debby』や『Sunday At The Village Vanguard』の盤ではなく、一九六一年六月二五日のライブを編集せずに実際のままの順番で収録した『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』なのだけれど。
 文学の話にも当然なった。Aさんはホラー・ミステリー・SF・ファンタジーと非常に幅広く読んでいて、純文学系統のものにも手を出しているようだった。小学校三年生くらいからの活字中毒であるらしく、小学生の頃などは一日二〇冊くらい一気に読むこともあったと言うので驚いた。よほど読むのが速いのだろう――本人は特に速読をしている意識はなく、普通に読んでいるつもりらしかったが。そんな読書家である彼女の一番のフェイヴァリットは皆川博子である。皆川という作家はこちらは名前だけ知っていて、まだ一冊も読んだことはないのだが、もう八九歳なのだと言うので驚いた。八九歳でよく小説を書くものだ! 耳などもうほとんど聞こえないらしいと言うが、それでも出版記念か何かで肉を食うパーティーなどひらいているらしく、それを聞いてこちらは、やはり肉なんでしょうね、瀬戸内寂聴もステーキ食べるって言ってましたもん、と応じ、以前Mさんと話したことだが、長生きする人間というのはやっぱりとにかく胃が丈夫なんでしょうねと漏らした。Aさんも胃だけは丈夫だと言ったが、身体は弱いと言う。それはつまり、風邪を引きやすいとか、とこちらは訊いたのだがそうではなくて、紫外線アレルギーやハウスダスト・アレルギーなどを持っているのだということだった。
 ガルシア=マルケスでは『エレンディラ』が一番好きかもしれないとAさんは昨日、チャットで発言していた。それを取り上げて、『エレンディラ』のどんなところが好きですかと訊くと、一言で言えばやっぱり非常に幻想的なところ、という返答があった。こちらは『族長の秋』が一番好きで、先日読んだ回でもう七回くらい読んでいると明かした。Aさんも『百年の孤独』など読んだらしいが、『族長の秋』の方はまだ当たった時期がいくらか幼い頃だったので、途中で読むのを中断したということだった。
 『族長の秋』についてどんなところが魅力なのか、ということを「プレゼン」してくれと求められたので、ええー、と困惑の素振りを見せながらも説明した。『族長の秋』という小説はとにかく時空の移動が高速で、どんどんと流れていく、しかもそこで語られる事象が『百年の孤独』のように過去から未来への単線的な時間に乗っているのではなく、時系列が滅茶苦茶に乱されている、だから読んでいると、自分が今どこにいるのかわからなくなって、本当に時空の大きな流れの渦に、奔流にただ巻き込まれ、飲み込まれているような感じなのだと、概ねそのようなことを述べた。するとAさんは、わかります、やっぱり私も読んでいて、自分今どこにいるんやろ、みたいな、そういう風になる作品が好きですと応じた。
 『族長の秋』は七回も読んでいるものだから、今回は色々なことに気づくことができて、感想を結構書けたと話すと、どんなことを書いたのか「プレゼン」してくださいとふたたび要求されたので、マルケスの「列挙」の技法について述べた。ガルシア=マルケスという作家は具体的な事物を並列的に「並べる」ことの多い作家である。そして、そこで並べられる事物というのは概ねどれも長い修飾が付されて、非常に個性的な、唯一無二と言っても良いような具体性を付与されている。そのような記述を読んでいると、マルケスの世界というのは、河原に大きな石がごろごろと転がっているように、非常に多彩で豊かな「物」が溢れんばかりに詰まっている世界なのだなとそのような感じを受けるのだ、と大体そんなことを語った。これにもAさんは納得してくれたようだった。Aさん自身は本を非常にたくさん読んでいるけれど、感想を書いたりアウトプットをしたりするのは苦手なようで、Twitterで呟くことなんかも大体あらすじにプラスして「良かった」「素晴らしかった」みたいな発言になってしまうと言い、そのあたり悔しいと言うか、多少忸怩たるものがあるようだった。
 マルケスが好きだったら、ホセ・ドノソもお勧めだと彼女は言った。『夜のみだらな鳥』の作家で、『族長の秋』の訳者でもある鼓直が訳していることもあって、この作品も前々からずっと読みたいとは思っているものである。さらにAさんは、マルケスは幻想的と言っても、かなりオーソドックスな幻想性と言うか、きちんとしているような気がするけれど、もっと滅茶苦茶な小説は読んだことがありますかと訊いてきた。特にこちらは思い当たらなかったので、どんなものですかと訊くと、ソローキンの名が挙がったので、それで、ああ、ソローキン! と受けた。ウラジーミル・ソローキンも、名前はよく聞いており、ずっと読みたいと思っている作家である。Aさんによると、とにかく空っぽで滅茶苦茶で凄いらしい。その「空っぽ」という言葉を受けてこちらが思い出したのは勿論、我が敬愛するローベルト・ヴァルザーのことで、ヴァルザーというスイス出身の作家がいて、僕は結構好きでTwitterのアイコンとヘッダーに彼の写真を据えているくらいなんですよと紹介した。とにかくすかすかと言うか、空っぽな駄弁という感じです。ヴァルザーは生涯売れない作家生活を続けたあと、後半生の二〇年くらいかな、精神病院に入ってそこでずっと過ごすんですね、それで、病院のなかで物凄く小さい――と笑いながら――、ほとんど解読できないような文字で滅茶苦茶な小説を綴ったりしてたんです、と紹介した。例の「ミクログラム」の話である。するとAさんは、芸術家の方は何だかやっぱり、精神を病む人が多いですよね、やっぱり感受性が鋭すぎてそうなるんでしょうかと受けた。
 精神病の文脈になったので、こうした話をしたのは本当は一番終盤、通話を終える直前だったが、こちらの精神疾患についての話も書いておこう。もともとパニック障害というものを持っていて、それが何故だかわからないが変質して昨年は鬱病のようになっていた、それで仕事も休んで今現在はニートの身だが、そろそろ復帰する予定であると話した。Aさんはパニック障害について詳しいことを知らなかったようなので、こちらの発病の経緯と病気の症状についても説明した。こちらが最初の発作を迎えたのは大学時代、電車のなかでのことだった。突然息ができないようになり、激しい動悸がしはじめて、吐き気とは少々違うものの何かを吐くのではないかという感覚が生まれたのだが、発作に至るきっかけのようなものはなく、本当に突然やってきたので、「脳の誤作動」のようなもの、本当に「脳がバグった」みたいなことなのだと説明した。それで当然、ひとまず電車からは降り、ホームから階段を上がってトイレの個室に駆け込んだ。そこで三〇分ほど休んだわけだけれど、休んでも特に状態がよくなるわけではない。それでも帰らなければいけないので――その日は大学時代に属していたサークルのバンド練習があって出かけていたのだが、無論、とても練習に向かえるような状態ではなかった――意を決してトイレから抜け出し、ホームに下りたのだが、時刻は夕刻、ちょうど通勤や通学の帰りの人々が電車には大挙して詰まって満員を構成しており、それを見た瞬間に、これは駄目だな、これは死ぬなと思った。絶望という言葉にこれほど相応しい状況もなかなかない。それでこちらはどうしたかと言うと、電車には乗れないので、駅から出て、歩いて帰ることを選んだのだ。と言っても、自宅からは何駅も離れた場所で、徒歩で自宅まで辿り着けるものでもない。それで結局、三駅か四駅分くらいは歩いたが、と言うか固有地名を出すと降りたのは拝島で、そこから確か小作まで歩いたのだったが、そこで力尽きて、諦めて、ともかく乗ってしまおう、と電車に乗ったが、そのあいだも心臓は激しく動悸を売っているし、息も止まりそうな具合で、這々の体で何とか自宅に辿り着いたのだ。馬鹿げたことに、精神疾患という発想がその時はまだこちらの内にまったくなかったので、帰ると風邪を引いたのだろう、それで体調が悪かったのだろうと思って床に臥して眠った。それで翌日だったか数日後だったか、近間の内科に行って話をし、検査をしてもらったところ、外から見て特に悪いところは見受けられない、だから精神的なものではないかと医者に言われて、それで初めて自分が精神疾患というものに冒されたことを知り、インターネットで検索してパニック障害というものがあることを知ったのだ。
 パニック障害が困難なのは発作が起こるということも勿論あるが、厄介なのは予期不安及び広場恐怖である。一度電車内で発作が起こったものだから、ふたたび電車に乗るのが怖くなる、それで、予期不安と言うのだけれど、乗る前から物凄く緊張するし、乗ったあとも不安に苛まれて、それがピークに達すると発作に至るのだと説明した。そしてさらに厄介なのは、発作を恐れるあまり、いつどんな時でも「今、発作が起こったらどうしよう」という考えが頭から離れなくなる。だから常に緊張が続き、気の休まる瞬間がまったくなくなるのだ。そうしたものだから、自分はまだしも軽いほうでそのようなことはなかったが、重い人だと自分の部屋から出ることもできなくなるでしょうねと話した。
 そしてこうした病気の原因と言うのは、勿論、緊張しやすいとか、人目が気になるとか、神経質であるとか、そのような精神的・性格的な要素も幾分関わってはいるだろうが、根本的なところはやはり脳の誤作動のようなものなのだと告げた。そのあたり、Aさんにはなかった見方のようで――もっとも彼女の周りにも精神的に危うい人は結構いるようで、彼女自身はそのような人々の相談を受けやすいタイプだと言い、例えば自殺願望のある友人を一晩中引き止めたりすることもあったと言うので、結構な修羅場をくぐってきたようですねとこちらは受けた――じゃあ誰にでも起こり得るものなんですねと驚きながら言ったのだが、まあ極論するとそういうことになる。特に神経質などの性格的要因がない、精神疾患になりそうもないような明るく屈託のない人間でも、脳が何かの拍子に「バグって」パニック障害なり何なりを発病するということは、あり得ないことではない。そこから鬱病の話も少々したのだが、これもこちらの感覚では、外的なストレスなどは原因で発症したというよりは、やはり何か脳が誤作動を起こしたものだったように思われる。つまりは外因性と内因性というものがあって、とこちらは口にして、自分の病気は多分内因性のものだったと思う、そして極端な話、外に原因がない内因性の疾患というのは、ストレスがゼロの状態でも発症しうるのだと述べた。
 そのような話をしたのが会話の最後だった。一時になったら寝ましょうとその少し前に言っておいたのだったが、そうした話をしているうちに一時は過ぎていた。時間を巻き戻して、そのほかに話した話題、文学のそれに戻ると、Iさんの小説を今日読んだんですよ、という話もこちらは投げかけた。AさんはIさんとはまだ話したことがないようだったが、夢野久作中井英夫が好きなあの方だなというのは認識していた。まだ二〇歳なのに研究発表などもしていて、それに留まらず自分で小説も書いている、しかもその小説が――こちらの見るところでは――確かな筆力に支えられたものである、実に大したものだと話した。それでIさんの小説を、「雪の廃市」の物語で、祖母が死んで主人公が故郷である「雪の廃市」に帰るところから始まるのだけれど、全篇を通じて雪や死の静謐な空気感が満ち満ちていて佳品だったと紹介すると、それは是非読んでみたいですねという反応があったので、通話を終了したあと、Aさんの個別のチャット画面にファイルを送っておいた。
 そのほかAさんは日本の近代文学なども結構読むようで、先日は川端康成の短篇を授業で読んでレポートを書いたと言っていたと思う。こちらは日本の作家だと梶井基次郎が好きだと名前を挙げ、今生きている作家だと、もう八二歳くらいになると思うが、古井由吉がやはり一番凄いという感じですねと話した。どこが魅力かと尋ねられたので、歳が押し詰まっているということもあるけれど、やはり非常に切り詰まった文体で書かれる描写だろうかと話し、文体が凄いので、古井由吉が書いていれば内容はともかくわりと何でも面白いみたいなところはありますねと言うと、Aさんは、私も文体で読むんですよ、物語の内容とかより、文体が好みかどうかというところが肝心なところだと述べた。だから文体が気に入らないと読めないと言うのだが、文体が駄目な作家って誰かいましたかと尋ねると、誉田哲也などの名前が上がったが、この人は確かエンターテインメント方面の人だったと思う。Aさんが日本の近代作家で一番好きなのは泉鏡花だと言い、そのあたりやはり怪奇・幻想文学界隈の人なのだ。しかし彼女は今はマザー・グースの研究書を読んでいると言った。
 自分の来し方、すなわち、大学を出てから文学に出会って、最初は筒井康隆の『文学部唯野教授』を読んで、じきに『族長の秋』に出会って底のない文学という沼にさらに引きずり込まれて――というようなことも話したのだったが、このあたりのことは先日も書いたのでここでは繰り返さずにその日の記述に譲ろう。一時を過ぎたところで、色々と聞いてもらってありがとうございましたと礼を言い、通話を終えた。それからチャットで、「ありがとうございました! またお話ししましょう」とメッセージを送っておき、Aさんの個別のチャット画面の方にIさんの小説のデータも送っておいてコンピューターをシャットダウンし、床に就いた。金原ひとみ『アッシュベイビー』を読み進めようかとも思っていたのだが、何となく今日はもう読書は良いか、それよりも早く眠ろうという気分になっていたので、一時一五分には明かりを消して布団に潜り込んだのだった。しかしそれから寝付くまでには結構時間が掛かって、加えて、翌朝は眠りこけて床を正式に離れるのはぴったり一二時間後、午後一時一五分になる体たらくを晒してしまうのだったが。


・作文
 12:28 - 13:43 = 1時間15分
 16:11 - 16:30 = 19分
 19:04 - 19:32 = 28分
 計: 2時間2分

・読書
 14:21 - 16:08 = 1時間47分
 17:49 - 19:03 = 1時間14分
 20:26 - 21:10 = 44分
 21:29 - 22:07 = 38分
 計: 4時間23分

  • 金原ひとみ『アッシュベイビー』: 29 - 111
  • 水原杏一朗「供花」

・睡眠
 3:00 - 11:00 = 8時間

・音楽

2019/5/6, Mon.

 一二時五〇分まで寝坊。紛うことなき堕落である。上階に行くと父親は居間の真ん中に立ち尽くし、歯磨きをしながらNHK朝の連続テレビ小説の再放送を眺めていた。テーブルの上には薔薇や百合を含んだ大きなアレンジメント・フラワーが置かれていた。これは何かと訊くと、兄が送ってきてくれたものだと言う。それで、そうか、今日は母親の誕生日だったかと気づいた。
 食事は特に何もなかった。台所には父親が食べたカップ麺の空の容器が洗って干されてあった。こちらは冷凍のたこ焼きを食べることにして冷凍庫から品を取りだし、電子レンジに収めて五分を設定した。そのあいだに風呂を洗った。浴槽のなかに入って手摺りに掴まりながら腰を曲げ、顔を下向きにして四囲の壁や床を擦った。そうして出てくるとちょうど電子レンジが活動を停めたところだったので、なかのものを取りだし、鰹節にソース、マヨネーズを掛けて卓に移った。食べながら、今日は出かけるのかと父親に訊くと、クリーニング店に行くと言って、まもなく彼は外出していった。食べ終えたこちらは容器を始末して下階に下り、コンピューターを点けるとFISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして、Skypeにログインした。そうしてYさんとチャットでやりとりしながら、日記を綴った。今日もまたグループのメンバーが増えるらしい。Yさんの吸引力、スカウト力は大したものである。その後、ここまで綴って二時四〇分。
 前日の記事をブログに投稿したあと、いつも通りTwitterにも短い要約文付きでURLを発信した。それからnoteの方にも記事を投稿し、ベッドに移って腹筋運動を行ったあと、三時一七分から読書を始めた。窓を細めにひらき、身を布団のなかに包みこんだ。棕櫚の天辺に生えた掌型の葉っぱや、梅の木の明るい緑の葉が風でばたばたと喘いでいた。じきに空には青味が現れはじめ、うっすらと潮垂れた光のなかで、雨がぽつぽつと降り出したが、すぐに止んだようだった。四時を越えたあたりからこちらはクッションに凭せ掛けていた身をさらに低くして、肩ではなくて頭をクッションに乗せてしまい、そうしていると午前を通じて床にいたと言うのにまたもや眠気が浮かんできて、うとうとと意識を曖昧にすることになった。そうして五時が近づくと、母親が帰ってきたらしき気配がするとともに、天井が鳴った。こちらが身を起こして手帳に時間を記録しているあいだに、何度もどん、どん、と鳴るので、うるせえな、と思いながら部屋を出た。買ってきた荷物を運び込んでほしいと母親は言った。それに従って父親のサンダルを履いて外に出て、車の後部座席から袋を二つ受け取ってなかに戻り、冷蔵庫や戸棚に買ってこられた品物――卵、豚肉、ハム、煎餅、廉価品のピザ、トマト、ブナシメジ、などなど――を整理して収めた。それから食事の支度に掛かることにして、まずモヤシを茹でるためにフライパンに水を汲んで火に掛けた。一旦自室に下りて手帳を持ってきて、それを眺めながら湯が沸くのを待ち、沸騰すると笊にあけていたモヤシを投入した。しばらくしてから笊に上げておき、それから汁物を作ることにした。母親が鉄火巻などの寿司を三パックと、海老フライを一パック買ってきていたので、おかずはそれで大方は充分だったのだ。冷蔵庫を探ると先ほど入れたばかりのブナシメジのほかに小松菜が少量あったので、それらを汁物にすることにして、小鍋とフライパンを火に掛け、ブナシメジの根元を切り落とすと素手で細かく千切った。フライパンには小松菜を入れて茹で、沸いた小鍋には茸を投入しておき、小松菜が茹で上がると笊に取って流水で冷やし、細かく切って小鍋の方に合流させた。そうして粉の出汁に椎茸の粉、味の素を振ってしばらく煮てから、醤油を垂らし入れて完成させた。ほかに、これも買ってこられたばかりの品だが、餃子を焼くことにした。袋に表示されている焼き方の説明に従って、油は少量引き、火をつけないうちにフライパンに餃子を二列斜めに並べて、それから蓋をして中火で加熱した。手帳を眺めながら待つその横では、母親がモヤシやワカメや卵を使ったサラダを拵えていた。五分ほど経つと蓋を取り、火を微かに弱めてそのまま加熱を続け、水気が飛んで餃子の周囲が焦茶色に焦げつくのを待った。大方色が変わったところで、フライ返しで少しずつ引っくり返して完成、それで支度は充分だろうということで、下階に戻った。そうしてBob Dylan『Live 1961-2000 - Thirty-Nine Years Of Great Concert Performances』を背景に日記をここまで綴ると六時が目前となっている。
 寝床に移って手の爪を切った。"It Ain't Me, Babe"の、よく膨れた毬のように躍動的なフォー・ビートのベースに耳を寄せながら、爪切りに付属した鑢で切ったばかりの指先を整えた。それから残骸や粉を乗せたティッシュを丸めてゴミ箱に捨てると、ふたたび読書を始めた。六時半を過ぎ、薄暗闇が部屋のなかを侵しても明かりを灯さずに、カーテンの隙間の窓ガラスから辛うじて入ってくる暮れ方の青白く萎れた光を頼りに、文を追った。頁の上にも闇が覆いかぶさって、文字は実際よりも遠くにあるように見えた。音楽が終わりを告げ、六時五〇分に至って部屋のなかに影が満ちると、さすがに電灯を点け、柔らかなクリーム色に変わった頁の上に引き続き目を落とし続け、七時を二〇分ほど越えると『族長の秋』を読了した。六回目か、七回目になるはずだった。手帳に読書の時間を記録してベッドから身を起こすとコンピューターに近づき、今まで日記に綴った感想を一記事にまとめたものを拵えてブログやnoteに投稿した。Twitterにも通知を投げておき、そうしてから食事を取るために上階に行った。両親は既に食事を始めていた。こちらは台所の皿に用意されていたおかずを電子レンジに入れて温め、サラダの皿とともに醤油を垂らす用の小皿を持って卓に就き、ものを食べはじめた。テレビは『スカッとジャパン』を放映していた。何度でも言うが、これは実にくだらない番組である。悪役がどこまでも悪役として過大化され、善人は善人として麗しく美化されるこの荒唐無稽さは、おそらく中国の学生たちがくだらないと呆れ返っている抗日ドラマのそれに近いのではないだろうか。一周回ってその馬鹿らしさをこそ楽しむ番組なのだろうと思うが、母親などはそれをわりあいベタに、そのまま受け取って楽しんでいるようだった。餃子を貪り、海老フライを齧り、鉄火巻やシーチキン巻きを山葵を混ぜた醤油につけて鼻を刺激しながら食べ、そうして食事を終えると抗鬱剤を服用し、食器を洗って風呂に行った。冷水シャワーと温かな湯船のあいだを何度か行き来して自律神経を刺激したあと、足拭きがあまり濡れないように浴室の入口でタオルを使って自分の身体の水気を払った。そうして洗面所に踏み入り、バスタオルを取って頭から足の先まで、隅々まで水気を拭うと、トランクスを履き、寝間着を着込んで、櫛付きのドライヤーで短髪を乾かした。洗面所を出ると、テレビを見ている両親の脇を素通りして下階に戻り、Bob Dylan『Highway 61 Revisited』を流してMさんのブログを読みはじめた。最新記事まで二日分を読んだのち、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』の書抜きを始めた。大統領の無理無体な命令や、ロドリゴ・デ=アギラル将軍の死の場面や、朝方のベッドに眠るレティシア・ナサレノの姿を見て大統領が歌をくちずさむ美しいシーンなどを書き抜いた。例によって、こちらのよく用いる語彙のなかにない単語を太字にして引いておく。

 (……)各省庁の建物のきららかなガラス珊瑚礁の名残りの奥でまたたく、見すぼらしい明りを見た。(……)
 (270)

 (……)ラバの背にまたがって凍てつくように寒い荒野の果てまで出かけてゆき、ベンディシオン・アルバラドのイメージがぎらぎらしい権力によって汚されていない場所に、彼女の聖性の種子を発見しようと努めた。(……)
 (292)

 (……)銅像ひとつない広大な領土の人跡未踏の地まで、美々しい行列を組んで遺骸を運ぶように命令したときである。(……)
 (297)

 (……)心のそよめきのように激しく動くものを、おふくろの体の奥に感じたけれど、それは、内側からおふくろを食い荒らしていた紙魚の立てる音だった、(……)
 (299)

 (……)それにしても、猛だけしいジャガーの鋭い嗅覚を持ちながら、馴染み深い、甘い危険の臭いを事前に嗅ぎあてることができぬほど、りょうりょうたるトランペットの音に魂を奪われていたとは、まことに情けない。(……)
 (339)

 書抜きを終えると時刻は九時直前だった。音楽をBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)に繋げて日記を書きはじめ、二〇分弱で記述を現在時刻まで追いつかせた。
 それから上階に上がった。父親が誕生日である母親のために買ってきたケーキを頂こうと思ったのだ。冷蔵庫から白い箱を取り出すと、台所で洗い物を始めるところだった父親が、あ、お前それ切れよと言うので、切るようなものなのかと訊くと、丸いホール・ケーキ・タイプのものだと言った。それで箱に掛けられていたリボンをほどき、開けてみると、確かに外周に苺が乗った純白のホール・ケーキである。真ん中には「誕生日おめでとう」と記されたチョコレートの板が乗せられていた。それで、箱の壁をひらいて切りやすいようにしてから包丁を入れ、三角に切り出したものを三つの皿に取り分けていった。そのうちの一つとフォークを持って卓に向かい、賞味し、あっという間に平らげてしまうと、台所でまだ洗い物をしていた父親に皿を任せ、下階に戻った。隣室に入ってギターを少々弄ったあと、コンピューターの前に戻って想田和弘「第二の“もんじゅ”案件、辺野古埋め立てに反対する5つの理由」(https://maga9.jp/190220-4/)を読んだ。米国の、「平和を求める退役軍人の会」が辺野古基地建設計画の見直しを求める声明を、五九一対五の大差で可決していると言う。ところどころ手帳にメモを取りながらその一文を読むと一〇時過ぎ、ふたたび上階に上がったのは、T子さんがテレビ電話を掛けてくるということを聞いていたからだ。上がっていくと両親はソファに就いて、父親の持ったタブレットを前にしていたので、こちらもそこに加わって、T子さんに挨拶をし、Mちゃんに手を振った。兄は今日から仕事で不在だった。兄夫婦は連休のあいだにサンクト・ペテルブルグに行って、エルミタージュ美術館などを訪れてきたのだった。例えばルーヴルならモナリザのような目玉があるが、エルミタージュはこれ、という超有名作がないので、色々と見れて面白かったけれど、私もAくんも絵がそんなにわかるわけではないので、ふうん、へええ、みたいな感じだった、とT子さんは話した。エルミタージュ美術館というところも、こちらは機会があったら是非とも行ってみたいものだ。
 Mちゃんはうろうろと動き回っていたのだが、じきに突然、躓いたように倒れ込み、前方に倒れ伏して顔を床にくっつけるようにして、その姿勢のまま静止した。まるで土下座をしているか、ムスリムがメッカに向かって行う礼拝のような形だった。T子さん曰く、これはすねているのだと言う。何がきっかけなのかわからないが、突発的にこのようになることが最近はたびたびあり、そうなると手がつけられないと言うか、何をしてもあまり効果がないのだと言う。そのうちに膝をついた格好だったMちゃんは、その脚も崩して伸ばし、べたりとうつ伏せで、大の字のような姿勢になった。
 Sくんも元気そうで、と前回通話した時と同じことを言われたので、ありがとうございます、お蔭様でと返答し、見るからに元気、と笑って言われたのには、そろそろ職場にも復帰する予定ですと言った。前の塾、と言われたのに肯定する。いつから、と訊くので、まだ連絡していないんですけれど、連休が明けたら連絡しようと思って、と答えた。職場に復帰しようと思っているということは、母親には話してあったのだが父親には伝えていなかった。その父親はこちらの発言を聞きながら、うん、うん、というように頷いていた。
 ロシアの歯医者がべらぼうに高いという話もあった。先日T子さんは歯医者に行ったのだが、詰め物を詰め直すだけで一五万円とか言っていただろうか? 記憶がはっきりしないけれど、そこはユーロピアン何とかという種類の歯医者らしく、英語が通じる場所なので外国人には重宝されているらしかった。外科もあるので、T子さんは、腕にできた脂肪の塊のようなものも診てもらったと言うのだが、それをちょっと診察するだけで六万円を取られたと言うので、それは完全にぼったくりではないかと画面のこちらの三人は揃って驚いた。
 二〇分か三〇分ほど話して通話は終わり、こちらは母親が買ってきてくれたのりしお味のポテトチップスを持って自室に帰った。SkypeのYさんグループには、新しくJさんが加わっていた。この方はこちらも以前Twitterで一度だけお話しさせていただいた人である。女性だとばかり思っていたのだが、Yさんによると男性らしかった。普通にローマ字で考えるとJさんと書くことになるのだろうが、本人がGと名乗っていたので、Gの文字を使うことにする。それで、Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』をヘッドフォンで聞きながらチャットでしばらくやりとりをして、一一時半を迎えたあたりで、通話してみます? とこちらが投げかけると、すぐさまYさんがボタンを押したようで着信があったので、通話に出て、いつもいきなりじゃないですか、と笑った。だって、皆、(ボタン)を押しにくいでしょう? 初めての人もいるし、とYさんは言った。
 最初に参加していたのはこちら、Yさん、Nさん、Gさん、そしてDさんも既にいたのだったか? それとも途中から加わってきたのだったか? 忘れたが、序盤には既に姿を表していた。Gさんに対して、こんばんは、Fです、よろしくどうぞと挨拶し、以前ちょっとお話しさせていただいて、ありがとうございましたと礼を言った。Gさんは繊細そうな声音の男性だった。しばらく話してから、じゃあ、例の定番の質問をしてみましょうか? と前置いて、Gさん、と呼びかけて、一番好きな小説、教えてくださいよと求めた。Gさんは、こちらがそのような質問を皆に投げかけることをYさんから聞いていたようで、多少「準備」をしていたらしかった。それで今現在思い当たるところだと、彼が好きなのは、ヴェルコールの『海の沈黙』だと言った。こちらは初めて耳にする作家だったが、フランスがドイツに占領されていた時期に活躍した人らしい。言葉を尽くしつつも、その極点として沈黙によって何かを伝える、沈黙によって言葉にならないものを伝えるというような部分が優れている、というようなことを――実際にはもっと長く、丁寧に説明してくれたのだが――Gさんは、その繊細な感受性を証す調子で、ゆっくりと考えながら語ってくれた。語ったあとに申し訳なさそうに、すみません、一人で語っちゃって、と謝るので、いや、いいんですよ、全然いいんですよとこちらは鷹揚に受けた。
 会話にはもう一人、Aさんという方がチャットで参加していた。通話はできないと言うので、こちらが音声を聞くだけ聞いて、チャットで参加していただいても構いませんよと提案したのだ。提案者の責務として、その発言をなるべく拾うようにしたのだが、Aさんもヴェルコールの『海の沈黙』はどうやら読んだことがあるらしかった。「沈黙違いですが、遠藤周作の沈黙も大好きです」と発言が来たのでそれを取り上げると、映画の話になった。GさんとNさんは件の映画を見たことがあるらしく、Nさんは、BGMが全然なかったりして、原作の雰囲気をうまく表現している映画だったと評した。
 その次に、今度はDさんに向けて、一番好きな小説との質問を投げかけてみた。彼はナボコフの名前を挙げ、光文社古典新訳文庫の『カメラ・オブスクーラ』の名を口にした。ナボコフも僕はまだ一作も読んだことがないんですよね、『青白い炎』とかが有名ですよね? と訊くと、皆『ロリータ』って言うと思いますけどねという返答があって、ああ確かにそうだと同意した。『カメラ・オブスクーラ』はナボコフの初期の作であるらしく、そのあたりはまだ皮肉が過度でなく適度に利いている感じで、それが好きなのだとDさんは話した。後期になってくると、もっとどんどん意地の悪いような感じになっていくのだと言う。そこから、宇多田ヒカルナボコフを読んでいるらしいという話にもなったので、Gさんに、宇多田ヒカル、お好きでしたよねと話を振った。チャットで参加しているAさんも宇多田ヒカルは大ファンだと言った。彼女は結構文学を読むようで、Dさんによれば中上健次なども読んでいるらしいと言うので、中上健次とはまたなかなかなところを行くなと笑った。
 それからNさんに、彼女が金原ひとみフリークだということはこちらやYさんは既に知っていたのだが、『アッシュベイビー』について語りますか? と笑いながら問いかけた。Nさんは少々戸惑っていたようだったが、金原ひとみって誰でしたっけ、というDさんの問いに答えて、『蛇にピアス』で綿矢りさと同時に芥川賞を獲った人で、と説明していた。『アッシュベイビー』についてもあらすじを訊かれて、キャバクラ嬢のアヤが愛した男に殺されることを願うようになるのだと――本当はもっと詳しく語っていたのだが――話していた。そうした話をしている最中、物凄く文学好きの集まりみたいな会話をしているなとふと面白くなった瞬間があった。
 零時を過ぎたあたりで、Aさんがチャットから通話に移行して参加してきた。彼女は関西の人で、イントネーションにもそれが聞き受けられて、「東経一三五度の」明石市に住んでいると言った。Aさんにも上と同様の、一番好きな小説を訊いてみたのだが、彼女が決められずに困惑しているあいだに、Yさんの手によって話がずれていき、しばらくしてからこちらが会話の主題をもとの場所に立ち戻らせ、Aさんがそれに対して「忘れていませんでしたか」と悔しそうに呟く、という流れが二度か三度繰り返された。結局、Aさんは好きな作家として皆川博子の名を挙げたのだったが、あまり詳しく語らないうちにふたたび話題は横道に逸れていって、後半はYさん主導で映画の話が繰り広げられた時間が多かったようだ。その頃にはマルキ・ド・サドの横顔をアイコンにしているMさんも会話に加わっていた。Gさんも映画を結構見る。そしてAさんもホラーやサスペンス映画が好きでよく見ているらしいので、こちらはYさんに、良かったですね、仲間が出来ましたよと声を差し向けた。YさんとAさんは色々な映画の名前を挙げながら語り合っていたのだが、こちらはそのほとんど一作もわからなかった。ただ、Yさんによると、『宇宙人ポール』という作、そして『フォース・カインド』という作が結構お勧めであるらしい。
 Yさんはまた、自分は本を全然読んでいないと言うわりに、小説の話も繰り広げてみせた。皆川博子についても結構詳しかった。彼女については、Mさんだったかが、今『蝶』を読んでいるか、少し前に読んでいたかといったことを言って、Aさんはいいですね、『蝶』は一番好きな作品かもしれないと受けていた。彼女は上に述べたように関西人で、関西弁で話して良いかどうか迷って通話にも参加しあぐねていたようだったのだが、いいんじゃないですか、自然な喋り方で、とこちらは軽く受けた。それでもAさんは結構敬語を保って標準語に寄った話し方をしていたようだったが、時折り現れる関西特有のイントネーションがこちらには何となく心地良いようだった。
 Yさんはまた、森奈津子とともに吉屋信子を紹介したり、チェコ文学を紹介したりした。ゾラン・ジヴコヴィッチという作家で、「東欧のボルヘス」という異名を持っているらしい。この世にはまだまだ知らない作家がいくらでもいるものだ。彼は本当に、次々に連想を働かせて落ち着いた調子でありながら滔々と語るといった印象で、見た映画の個々のシーンなどもよく覚えているし、どういう映画なのかあらすじを紹介する時なども適切な要約ができている感じで、本人が思っているよりもずっと喋れる人間だと思う。
 そんな感じで二時頃まで話を続けたあと、二時なのでさすがにそろそろ眠りましょうとこちらが提案して、解散となった――そう言いながらもこちらはその後三時まで起きていたわけだが。チャット上でありがとうございましたと礼を述べてコンピューターをスリープ状態にし、ベッドに移ると金原ひとみ『アッシュベイビー』を読みはじめた。冒頭二〇頁少々を読んだ現在の時点では、主人公アヤの暴力性、殺人に関する思念や、性描写の即物性、物質性などがちょっと気に掛かっている。三時まで読書をしたあと、就寝した。


・作文
 13:25 - 14:39 = 1時間14分
 17:37 - 17:55 = 18分
 20:56 - 21:14 = 18分
 計: 1時間50分

・読書
 15:17 - 16:48 = (30分引いて)1時間1分
 18:07 - 19:18 = 1時間11分
 20:16 - 20:56 = 40分
 21:46 - 22:07 = 21分
 26:05 - 27:00 = 55分
 計: 4時間8分

・睡眠
 3:00 - 12:50 = 9時間50分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bob Dylan『Live 1961-2000 - Thirty-Nine Years Of Great Concert Performances』
  • Bob Dylan『Highway 61 Revisited』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』

2019/5/5, Sun.

 九時のアラームで一度起床、ベッドを抜け出したが、コンピューターを確認したのち、血の巡りきっていない身体の重みに引かれてふたたび寝床に戻ってしまった。しかし、窓から射し込む陽射しを布団の上に受けながらしばらくまどろんで、九時四五分に正式な起床を見ることに成功した。上階へ行くと、父親は南の窓際に立ちながらテレビに目を向けており、母親は掃除機を掛けているところだった。彼女はいくらか苛立っていると言うか、かりかりとした精神状態にあるようだった。食事は昨晩のおじやの残りだと言った。それでこちらは冷蔵庫から小鍋を取りだし、茶碗におじやをすべてよそってしまうと電子レンジに入れ、一方でおかずとして卵を焼くことにして、フライパンにオリーブ・オイルを垂らした。そうして卵を二つ割り落とし、黄身も崩しながらしばらく加熱して、平べったい皿の上に取りだし、卓に向かった。新聞をめくりながら食事を取ったあと、台所に行って水を一杯ごくごくと飲み、もう一杯汲んで今度は薬を服用した。居間の隅にはアイロンを掛けるべき衣服――父親が祭りで使った法被や、ピンクとオレンジの中間のような色のシャツや、ハンカチなど――が溜まっていたが、ひとまずそれらは無視して下階に下りた。前日の記事に記録を付け、この日の記事もEvernoteに作成すると、本を読もうか日記を書こうか迷ったが、結局、Bob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を流しはじめて後者を取った。それが、一〇時半だった。打鍵を進めて前日の記事を仕上げると、この日の分に入り、音楽は引き続きBob Dylanの『Highway 61 Revisited』を聞きながらここまで綴って一一時二〇分を迎えた。
 上階に行くと、何か料理の良い香りが漂っていた。浴室に向かい、風呂を洗った。それから居間に出てきて、アイロン掛けをしていた母親から仕事を引き継ぎ、高熱の器具を前後左右に操ってシャツ二枚の皺を取った。テレビは国分太一と男性の料理人が出演している料理番組を流しており、豚バラ肉の「バラ」とは「あばら」のことなのだと紹介した。アイロン掛けを終えると、まだ腹は減っていなかったので下階に引き返し、一二時一〇分から書見を始めた。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』から『族長の秋』を読み進めるのだが、ベッドに乗って布団を身体に掛けていると、寝坊をせずに七時間の適正な睡眠で覚めたためだろうかやはり眠気が催眠効果を宿した煙のように湧いてきて、二時間に及んだ読書時間のあいだ、半分くらいは眠ってしまったようだった。読書を切り上げたのは二時一〇分だった。上階に行くと、筍を混ぜたカレーを作ったと言った。大皿によそった米の上にそれを掛け、既に椀に盛られてあったサラダも持って卓に就き、食事を始めた。カレーは筍よりも烏賊や海老などのシーフードの風味の方が舌によく触れた。テレビはクイズ番組の類を流していたが、特段に興味を惹かれるものではなかった。ソファに就いた父親は初めはそのテレビ番組の方を注視していたが、じきに頭を後ろに傾け、ソファの背に凭せ掛けて微睡みはじめたようだった。母親はそれを見て、本当に、眠くなっちゃうようだねと言った。こちらは台所に立ち、両親の分と自分の分で三人分の多量の食器を洗って乾燥機に収め、スイッチを入れておいてから下階に帰った。そうしてふたたび読書を始めたのが二時四五分、そこから二時間弱を、今度は眠気に刺されることもなく通過して、『族長の秋』の次々と時空の転変する物語を追った。
 三一八頁には、「わしの心臓の動悸が、お前の森の動物のような匂いの目に見えない力のせいで、メトロノームの拍子よりも速くなるのを感じながら、彼はとなえた」という一節が書き込まれている。この一文は主語が三人称でありながら(「彼はとなえた」)、ほかに一人称と二人称の所有格がそれぞれ一つずつ含まれている(「わしの心臓の動悸」、「お前の森の動物のような匂い」)。対象に対して三人称の距離を保った記述のなかに、いかにも唐突に、大統領の担う一人称の視点が混ぜ込まれているのだ。つまり、「彼は」という三人称視点に適正に合わせるのだとしたら、「彼の心臓の動悸」、「彼女の森の動物のような匂い」と書かなければならないところ、あえて人称を混淆させることで「捻じれ」のような感覚を生み出しているのだ。ここだけ引いてもその「捻じれ」の感触はわかりづらいかもしれないが、この小説はもともと、三人称の語りのなかに一人称の「声」がたびたび差し挟まれる、転変著しい形式を取っていた。物語も後半に至ってそうした視点の移行がさらに甚だしくなり、文が終わって次の文が始まるのを待たずに、一文のなかに嵌入されるようになったのだ。このようなテクニックは『族長の秋』以外において目撃したことはない。「われわれ」という、無数の人々の「声」を含んだ広大な一人称複数によって支えられた記述の上に展開される絶え間ない視点の移り変わりが基盤にあってこそ、こうした非常に特殊な技法が成立するのだろう。
 三一八頁移行、さらに何箇所か、この一文内における人称の混淆の技法が認められる。「体内から発するその声は、お前の腎臓のポリープや、お前の腸の軟らかい鋼鉄や、泉で眠っているお前の尿の温かい琥珀などについて語った」という調子だ。ここに記されている「お前」は、言うまでもなく、小説世界を飛び出してその外部の読者に差し向けられた二人称ではなく、小説世界の内部において登場人物の一人であるレティシア・ナサレノを指し示したものである。こうした特殊な二人称が、レティシア・ナサレノ以外に宛てて使われていないか、それを確かめるためには最後まで読み進めてみなければならないが、もしそうだとするならばそれはおそらく、彼女が、無数の愛妾らを抱えて甚大な数の子を成した大統領のただ一人の正妻であるという特権的な立場にあることを証しているのではないだろうか。
 三二二頁に至ると、これまで語った技術を逆方向に差し替えたもの、つまりレティシア・ナサレノから見た大統領に対する二人称の嵌入が見られる――「彼女はまた、あなたのサーベルや、あなたの男物の香水や、あなたの聖墓騎士団の飾り緒付きの勲章などを押しつけた」という風に。このように、三人称の視点のなかに突如として二人称を闖入させることで大統領を「あなた」と呼ぶ人物も、おそらくこの小説中でレティシア・ナサレノただ一人だと考えられる。従って、これらの技術は彼と彼女の関係が特別であること、そこに覚束ないが――大統領自身の言葉を借りれば――「生涯にただ一度の純粋な愛」が成立していることを形式面からも表すものではないだろうか。形式の特殊性と、内容面における人間関係の特殊性が、互いに反映し合い、互いを証明し合っているように感じられるのだ。
 食事の支度をするために上階に上がった。卓に就いてタブレットを見ていた母親に、何をするかと尋ねると、カレーがあるから菜っ葉を茹でるだけで良いと言った。もう残り少ないではないかと突っ込めば、父親はまた自治会の用事か何かで出かけるので良いのだと言う。それで了承し、台所に入って白々とした電灯を点け、フライパンを戸棚から取りだして水を汲んだ。それを火に掛け、沸騰するのを待つあいだ手持ち無沙汰なので、一旦下階に引き返して手帳を取ってきて、それを読みながら湯が沸くのを待った。ハンナ・アーレントの政治についての考察について読み返しているうちにあっという間に水は沸騰したので、野良坊菜を投入して箸で少々押し込み、野菜がすべて湯に浸るようにした。それからまた手帳を読みつつしばらく茹でて、水を張ったボウルに取りだしたあと、流水で冷やしてから取り上げて絞り、俎板の上で細かく切り分けた。そうしてプラスチックのパックのなかに入れると、味噌汁を食べるのに使う赤茶色の塗りの椀に、辛子と酢、マヨネーズと醤油を入れて箸でぐるぐると搔き混ぜた。それを野良坊菜の上から垂れ掛け、ふたたび箸で搔き混ぜて和えた。これで一品完成して、今日の支度は終了だった。
 下階に帰ると、隣の兄の部屋に入って小型アンプのスイッチを入れ、ギターを手に取った。長いこと弦を張り替えてもいないし掃除もしていないために、フレット・ボードの上に垢のような汚れがひどく溜まったギターで、適当に、気の向くがままに、鼻歌に合わせてフレーズを奏でた。しばらくそうして遊ぶと自室に戻ってふたたび読書を始めた。時刻は六時を回ったところ、窓をひらいて『族長の秋』を読み進めた。細かな虫が空中をぶんぶん飛び回っているのが定かに視認される、淡く穏和な青さが敷かれた空の彼方で、一刻ごとに太陽の光が腐れ、萎え、枯れ衰えていくところだった。六時半を過ぎると空の淡さは極まって、青というよりは白に近づきそのなかに青が一滴混ぜて広げられたようになり、太陽の勢力は萎んで、部屋の隅まで薄暗闇が忍び込み、頁の上にはシートのような影が宿って文字を隠そうとした。そのようななかで、しかし明かりを点けないままに物語に読み耽った。六時四五分になるとさすがにそろそろ明かりを灯そうというわけで立ち上がり、電灯の紐を引いて窓を閉め、カーテンも閉ざした。空は漂白されたあとの白を越えて、今はまた昼間よりも深い青さに満たされはじめていたが、その青味もあと三〇分もすれば宵空の暗黒に一掃されてしまうはずだった。
 Bob Dylan『Highway 61 Revisited』を背景にして日記を書きはじめたが、途中で今まで書いた『族長の秋』の感想を読み返して時間を使ってしまった。七時を一〇分越えたところからふたたびキーボードを打ちはじめ、七時半前に至る頃にはここまで追いついた。
 cero "Yellow Magus (Obscure)"を掛けて細かなリズムのメロディを口ずさみながら、母親の洗ってくれたシーツをベッドに敷いた。それから"Summer Soul"や"Orphans"も歌ったあと、『WORLD RECORD』から"大停電の夜に"と"マクベス"を流した。そうして時刻は八時、食事を取りに行くために部屋を出た。階段を上がり、台所に入ると調理台の上にサラダが用意されており、その傍に手作りのドレッシング――マヨネーズを基調としたもの――も拵えられていたので、スプーンで掬ったそれを大根やサニー・レタスの上に掛けた。そうして冷蔵庫から取り出されたカレーのフライパンを火に掛け、お玉で搔き混ぜながら温めたあと、米の上に盛り、卓に向かって食事を始めた。テレビは『ポツンと一軒家』を映していた。和歌山県の山中――麓から林中の獣道を三〇分以上歩いた先――に立った一人で暮らしている八七歳の男性が取り上げられていた。もともとそこは妻の実家で、彼は婿養子としてその家に入ったわけだが、足を悪くした妻が二〇年前に山を下ったのちも一人でそこに住んでいるのは、若くして戦死した妻の兄を祀り続けるためなのだと言った。これはなかなか面白いな、ちょっと小説みたいだなと思った。自分が生きている限りは義兄の祭壇を護り続ける、そういう腹を固めているのだと老人は決意を語った。そうした番組を見ながら食事を取って、薬を飲んだあと食器を洗って風呂に行った。温冷浴を行って上がってくると、すぐに下階に戻って、しばらくだらけた時間を過ごした。そうして一〇時を越えると、ふたたび読書を始めた。四〇分ほど読んで切り上げ、コンピューターに寄ってSkypeを見てみると、Yさんがまた新たな人を二人、グループに連れてきていた。それでチャット上でよろしくお願いしますと挨拶をしておき、その後も多少発言を投稿しながら、Mさんのブログを読んだ。「どんごろす」という初めて見る単語が文中に出てきて、その奇妙な語感に「どんごろす」って何やねん、と少々笑ってしまった。麻袋のことであるらしい。Mさんのブログを一日分読むと時刻は一一時半、チャット上で、そろそろ通話しましょうかと提案し、皆さん、通話は大丈夫ですか? と尋ねた。その頃にはもう一人、Y井.Rさんという方がメンバーに追加されていた。この人は女子高生であるらしい。それで、返答がないままに待ちきれなかったYさんが通話を始めたので、こちらも電話に応じた。通話に出たメンバーは四人、Yさん、Y井さん、こちら、それにもう一人、先に新しく追加されたうちの一人、Dさんという方が加わっていた。Yさんが、誰が出ているのかわからない、と言うので、自己紹介しましょうかと先頭を切って提案し、Fと言います、よろしくお願いしますと発言した。それにDさんが応じて、工学系の大学院生だと自己紹介したが、先ほどチャット上で、明日が早いので今日は通話には参加しませんと言っていたことを取り上げて、大丈夫なんですかと突っ込むと、今日は自己紹介のみで失礼しますと彼は去っていった。残ったのは三人だった。Y井さんが、スマートフォンの操作がわからないか何かで、声がマイクに乗らないでいるようだった。それで彼女の設定が整うのを待ちながら、Yさんと二人で会話をやりとりしたのだが、ここで何を話したのか全然思い出せない。結構盛り上がった、と言うほどでもないが、会話がスムーズに応酬されて、ほとんど沈黙で途切れることなく続いた記憶があるのだが。福岡伸一の声がこちらのそれに似ている、という話はあった。昨日か一昨日にYさんからSkypeにラジオのURLが送られてきていて、それでこちらも聞いてみたけれど、確かに低めのおじさんじみた声色ではあったものの、それが自分のものと似ているのかどうかと言うと自分自身では判断がつかなかった。Yさんは結構ラジオを聞くようで、例の「ラジオ版学問ノススメ」だと、京極夏彦の話が結構面白いのだと言った。
 結構長い時間が経ったあと、ようやくY井さんの音声が入るようになったのは、イヤフォンを外してみたのだと言った。彼女は今コンクールに出す脚本を書いているところで、それには五月六日の消印が必要で、締切りがもうだいぶ迫っているのだが、まだ一枚も書けていないのだと言った。それで通話している最中も、自分からはほとんど話には加わらず、何か紙に文字を書いているらしき音が彼女のマイクからは聞こえていた。一番好きな小説は、と例によって読書家にとっては答えにくいかもしれない質問を投げかけて、今の気分で全然構いませんよと続けると、今手近にあって取れるなかでは、恩田陸の『三月は深き紅の淵を』だと言った。恩田陸はこちらも過去にいくつか読んだことがあるが、まだ文学というものに興味を持ちはじめる以前のことなので、もはや何も覚えていない。
 そのうちにY井さんのアカウントからは、今度は「ぶーん、ぶーん」というような、引っ張った輪ゴムを軽く弾いているような音が聞こえはじめた。何なのかわからないが、システムの不調だったのだろう。それがマリオのジャンプを連想させるような音でもあったので、Yさんは、Y井ちゃん、何かゲームでもやっているのかななどと言っていた。
 そのほか、何のタイミングだったか、「世界はすべて記号である」というような――これはウンベルト・エーコが元ネタであるらしいのだが――言葉がYさんの口から漏れた時があった。それはどういうことなんだろうねと言うので、自分は鬱病のようになる以前には知覚・感覚があまりに鋭敏化したような時期があって、その時には世界が記号でできていると言うか、この世界そのものがテクストである、織りなされた差異の連鎖であるということが実感としてわかった、と話した。今はもうそのように、ありありと感じられる実感はないものの、しかしこの世界そのものがこの世界で最も豊かなテクストであるという認識は変わらない。それを日々こちらは文章に翻訳しながら生きているわけだ。精神疾患と、そのようなある種神秘主義的な体験とが通じ合うものなのかもしれないという点について、ムージルのことを紹介した。Yさんはムージルという名前を知らなかったので、ドイツ文学の作家で、出身はオーストリアなのだが、『特性のない男』という長い、未完に終わった小説を書いていてそれが二〇世紀文学の最高峰などと言われている、そのなかで、統合失調症の人物の体験と、神秘主義的な体験とを重ね合わせて書いている部分があったと説明し。ムージル神秘主義には一貫して惹かれていた人で、神秘体験というものは勿論、どうあがいても言語になりきらないものを孕んでいるわけだけれど、ムージルはそれをあくまで言語によって論理的にどこまで書けるのかを突き詰めたような人だと紹介した。
 そのうちにIさんが通話に加わってきた。彼は今日は最も愛好する作家である中井英夫の供養塔に参ってきたと話した。そこに供える薔薇の花束を作るのに三〇〇〇円も掛かったらしい。Iさんの言っていたことで面白かったのが、こちらの日記を読んでいると、自分がもしかしてこの日記の登場人物の一人に過ぎないのではないか、というような空想を喚起されるとのことだった。こちらが彼のことをすべて知っていて、実はこちらのプロットのなかには彼の設定が細かく記されてあって、彼という存在はそれを反映しているだけのものに過ぎないのではないかというような。その場合こちらは創造主たる神の立場にある存在として定位されるわけだが、それは面白いな、その設定で一篇、小説を書いてくださいよと提案すると、残念ながらそうした設定の小説は既に世にあるのだと言った――それに続いて彼がしてくれた詳しい説明は忘れてしまったけれど。
 Iさんはそのうちに――一時を過ぎた頃合いだったと思う――眠りに向かって去っていった。Y井さんは作業の傍ら、BGM的にこちらとYさんの会話を聞いているようだった。先日も交わした、自己像の話に立ち戻った時間があった。他者のなかに入ることで反映的に自己の像が確定されてくるとかそういう話だ。Yさんは、Iさんなどの他人から評される自分のイメージ――「知的である」とか「貴族的である」とか――は、自分の実感としてはそぐわないものだと感じているようだった。しかし一概にそれが間違っているとも言えないのではないか、とこちらは指摘した。他者から差し向けられる評価というのは、勿論一種のイメージに過ぎないわけで、それが自分自身の自己像とずれている場合などは、誤解されているように感じ、煩わしかったりするわけだけれど、自分で見えない自分自身の部分というものも確実に存在するのだから、他者から差し向けられるイメージが一抹の真実を語っている場合もあるのではないか。そうした他者からの評価=形容と自分自身が自分自身に差し向ける評価=形容とを照らし合わせながら統合させるというのが大抵の人がやっていることであろうし、それがうまく出来なくて自分自身の自己イメージばかりが肥大化してしまうと、他者のなかでちょっと周りとずれてしまうということも起こるのかもしれない。そうしたことを話すと、Yさんは、自分はその統合ということを今まであまりやってこなかったのかもしれないなあと答えた。話していて特にそうした感じは受けないのだが、彼曰く、突然に他人をびっくりさせるような、常識のないような行動を取ってしまうことがままあるのだと言う。
 そんなような話をし、ほかにも色々な会話を繰り広げたあと、通話も終盤に至った頃だが、こちらが『族長の秋』を紹介した時間があった。全然内容を知らないとYさんが言うので、内容の要約など無意味だと言うか、できないような小説ではあるのだが多少説明した。舞台はおそらくガルシア=マルケスの出身国であるコロンビアに設定されているのだろうが、そうとは明言されていない、南米の架空の国だということになっている。そこに大統領がいる。この大統領は何か超人的な人物で、年齢も一〇〇を越えているとか二〇〇に達しているとかそういう説がありながらも、実際の確かな年齢は定かでない。物凄く大きな睾丸――「睾丸」というとわかりにくいかと思ったのでこちらは補註として言い換えて、「金玉ですね」と有り体な言葉を使った――を持っていて、そのイメージはおそらく牡牛のそれと重ね合わされている。その大統領が死に、民衆層が大統領府の内部に押し入って彼の死体を発見するところから小説は始まる。全六章あって、各章の初めから最後まで改行は一度もなく、ずらりと文字が連なっている。各章の冒頭では必ずその死体の発見のシーンに立ち戻るのだが、そのあとはもう滅茶苦茶と言うか、いつの間にか冒頭のシーンから離れて大統領の治世の回想が始まり、次々と出来事が移り変わっていって高速で流れていく。そうすると、読んでいるあいだに自分の立ち位置がわからなくなる、とYさんがまさしくその通りである適切な指摘をしたので、その通り、と言って、だから本当に渦、奔流のなかに巻き込まれるようなそうした感覚を味わうことができると締めくくった。Yさんは椿實の本を最近は読んでいたはずなのだが、ここ二日ほどは離れているらしかった。
 あとほかには、Yさんのアルバイトの面接の話もあった。この日彼は喫茶店のアルバイトの面接を受けてきたのだが、そのオーナーというのが随分親身になってくれる人で、話を聞くと君は今はアルバイトをしている場合ではない、自分のやるべきことに傾注しなさいと言われたのだと言う。彼の娘さんというのもYさんと同じくフランス語を学んでいる人で、結構優秀で、教授から東大の大学院に行くように勧められて進学したのだが、いざそこに行ってみると周りの人々が皆自分よりも優秀だったという現実に直面させられてしまい、それで少々腐ってしまったと言うか、手がけていた翻訳の活動もやめてしまったと、そのようなオーナーの家庭の事情も聞いてきたと言った。
 この日の話に関してはそのくらいでいいだろう。二時になったら寝ましょうとこちらが提案し、二時五分前にYさんがそろそろ終わろうと言って通話を終了した。それからこちらは三〇分ほどふたたび読書をしたのち、インターネットを少々回って、三時ちょうどに就床した。


・作文
 10:29 - 11:20 = 51分
 16:40 - 17:18 = 38分
 19:10 - 19:26 = 16分
 計: 1時間45分

・読書
 12:10 - 14:09 = (1時間引いて)59分
 14:45 - 16:34 = 1時間49分
 18:02 - 18:43 = 41分
 22:13 - 22:57 = 44分
 23:01 - 23:28 = 27分
 26:00 - 26:28 = 28分
 計: 4時間8分

・睡眠
 2:45 - 9:45 = 7時間

・音楽

2019/5/4, Sat.

 比較的早めに床に就いたと言うのに、一一時半起床。いつも通り変わらないではないか! 糞だ! しかし、ひとまず辛うじて午前中に起きることができたということを一抹の救いとしよう。上階へ行くと、両親は祭りの片付けに駆り出されていて不在である。冷蔵庫のなかから、褐色の五目鶏飯と唐揚げ二粒の乗った大皿を取り出し、電子レンジに入れて二分を設定した。温めているあいだに洗面所で顔を洗い、トイレに行って用を足してくると、卓に就いて食事を取った。南窓はいくらかひらいており、初夏の空気のなかに時折り風の動きが微かに生まれて爽やかである。食事を終えると薬を服用して下階に戻り、一二時一二分から日記を書きはじめた。一時間弱でここまで。
 音楽は、小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を流していた。"ローラースケート・パーク"が爽やかで、初夏の空気に似つかわしい。音楽をFISHMANS『Oh! Mountain』に移して、前日の記事をブログやTwitterやnoteに投稿した。するとTwitterで、Hさんが先日青梅に訪れていたようで、偶然ですねとリプライを送ってきたそのツイートには青梅駅から祭りの音を捉えた短い動画が付されていた。それに返信を送り、さらにリプライを送ってきてくれていたY.Cさんへも返信し――ラテンアメリカ文学の幻想性を味わいたければ、ブルース・チャトウィンパタゴニア』など読んでみるのが良いだろうとのことだった――上階に行くと、両親が帰ってきていた。団子があると言うので、卓に就いて琥珀色のたれの掛かったそれを頂き、それから風呂を洗った。父親は自治会の用事があるのか、結構ぱりっとした格好――ピンクっぽい色のチェック柄が入った白シャツに、テーラード・ジャケット――をしていた。クリーニング屋に向かう母親と一緒に出かけるらしい。こちらも図書館に出かけると言った。そうして下階に戻って歯磨きをしたあとに服を着替える。United Arrows green label relaxingの黒一色のパンツを身に着け、先日FREAK'S STOREで購入したグレン・チェックのブルゾンを紙袋から取り出し、タグを取ると丸めて持って上階に上がった。それで居間の片隅、椅子にハンガーで掛けられていた臙脂色のシャツを着ようとしたのだが、母親はそれはもう色が冬っぽいと指摘する。それに対して父親は脇から、お前はすぐそうやって冬っぽいとか何とか言う、と突っ込んだのだが、こちらはそれでは半袖でも着るかというわけで自室に戻り、ボタンの色がそれぞれカラフルに違っているデザインの、真っ白な麻のシャツを、これで文句はないだろうというわけで身につけた。そうして上階に行ってブルゾンを羽織り、洗面所に入って髪を水で濡らして櫛付きのドライヤーで寝癖を整える。そうするとそろそろ出発しようとなったので、雨が降りはじめたことでもあるし、こちらも乗せていってもらうことにした。それで自室に戻ってリュックサックに荷物を整理し、ブルゾンのポケットに手帳も入れて、室を抜けて上階へ、玄関を出て扉の鍵を閉めた。両親は父親の真っ青な車に乗っていた。助手席に乗りこむと、車内の生暖かい空気に身が包まれたので、暑いなと口にした。それで発車、まずは父親を送るために自治会館へ向かうのだった。粒の大きな雨が、しかし乏しく降るなか、窓をひらいて進んで行き、裏道から街道に出るとさらにもう一度細道に入って上って行き、自治会館前に着くと父親はありがとうと言って降りた。訊けば祭りの慰労会で、それ自体は二、三時間で終わるらしいが、そのあと例によってYに繰り出すかもしれないと言う。まあまず間違いなく酒を飲んで帰ってくるだろう。それからこちらと母親は二人で車に揺られて河辺を目指す。青梅市街、通りの左右には観光客らしい人々の姿が結構見られた。西分から千ヶ瀬に下りて、クリーニング屋に寄る。裏道の駐車場、車を停めた箇所の正面には大きな花弁の躑躅が咲き満ちていた。母親がクリーニング屋に行ってしまったあと、ひらいた窓からその躑躅の、紫を幽かに孕んだような濃いピンク色を見つめて時間を潰す。じきに蜂が一匹、その躑躅の周りに現れて、それから花のなかに潜ったものか、姿が見えなくなったが、蜂の羽音らしきじっ、じっ、という音が間歇的に聞こえる。しかしそれは微かなので、風に揺られて僅かに擦れ合う草木の響きと区別がつかないようだった。彼方の空からは、巨人の手が大気そのものをぐしゃぐしゃと潰して崩落させたような雷の音が何度か響いて、帰り道に強く降らないだろうなと恐れられた。傘を持ってきていなかったのだ。
 そのうちに母親が帰ってきてふたたび発車、クリーニング屋は何でも六月いっぱいで閉店してしまうと言う。働いている人は吹上の方の店に移るという話だ。人員がいないらしい。やっぱり朝から八時までってなるときついよね、なかなかもう世話のない人じゃないとできないよね。クリーニング店で今受付を担当している人は、母親と同じ亥年生まれらしく、そうすると七二歳だよ、と彼女は言う。七二歳で店に立って働いていれば大したものだが、本人は私だっていつまで働けるかと漏らしていたらしい。そんな話をしながら河辺に向かい、ハナミズキの街路樹が咲き乱れている通りを走り、中学校の傍を折れて駅前に出たところで下ろしてもらった。ありがとうと残して車を下り、街路に入ってポケットに手を突っ込みながら歩いていき、図書館への階段を上って入館した。いつも通りCDの新着を見ると、先日も見かけたBob Dylanのライブ音源があったり、John ScofieldやOmer Avitalの音源があったり、はたまたRobert Glasperがプロデュースしたものらしいのだが、フェラ・クティの孫だか何だかがやっているらしきバンドの音源があったりして、興味は唆られるけれども、もう少し今ある音源を繰り返し聞いてからにするかということで今日は借りないことにした。そうして上階へ階段を上がって新着図書を確認し、書架のあいだを抜けてみたものの休日だから席は空いていない。ひとまず金原ひとみ『アッシュベイビー』を手もとに持つことにして、文芸の「か」の欄を目指して歩いた。SkypeTwitterのダイレクト・メッセージでNさんにお勧めされたので、早速読んでみようと思ったのだ。単行本のコーナーを見ても『アッシュベイビー』は発見されたが、家にいるあいだに図書館のホームページで検索して文庫本も所蔵されていることがわかっていたので、そちらを借りることにして、フロアの端の方に移った。ついでにテラス側の席も覗いたが、やはり混み合っていて隙間はほとんどなさそうだった。それで書き物は喫茶店で行うことにして、文庫版『アッシュベイビー』を手に取ると、解説は斎藤環が担当していた。それを持って文庫の哲学の区画などちょっと見て、もう一冊くらい何か借りようと思っていた。それでフロアをまた渡って哲学の区画を見に行く。野家啓一『はざまの哲学』にもちょっと惹かれたが、より入門的な著作ということで、『いま、哲学が始まる。明大文学部からの挑戦』を借りることにした。さらにもう一冊、借りようという気になっていて、新着図書にあった鷲田清一の『濃霧の中の方向感覚』でも借りようかと思ったところで、エッセイという関連から岸政彦『断片的なものの社会学』があったのだと思い出されて、それを借りることにした。それでまたもやフロアを横切ってエッセイの棚に行ったが、「き」の欄に当該作品はない。書架のなかを抜けて、検索機に近づき、簡単検索で「きしまさひこ」とキーワードを入力して見てみると、しかし『断片的なものの社会学』は貸出可能になっている。あるいは誰か今ちょうど取って読んでいるのだろうかと思いながら、ふたたびエッセイの「き」の区画の周辺を、「か」や「く」の欄も含めて見てみたが、やはり見つからない。これは小説作品の方に置かれているかもしれないぞと思ってそちらに移ってみると、果たして『ビニール傘』と一緒に並べられていた。それで、『ビニール傘』の方も見てみて、正直そんなに興味を惹かれたわけではないが、短めですぐ読めるものでもあろうし、新し目の文芸作品というものも読んでみるものだろうというわけで、二冊まとめて借りることにして、計四冊を貸出機に持って行って貸出手続きした。そうして階段を下りて退館。河辺TOKYUに渡る。河辺TOKYUは四月で閉店し、新しく改装されるので、喫茶店もやっていないのではないかと危惧していたが、Saint Germainは影響なく営業していた。入口を入ると、以前はスーパーへと続いていた通路がすべて壁で閉ざされている。その壁に沿って折れ、Saint Germainに入店し、フロアの一番隅の席を取ってからレジに寄って、アイスココアを注文した。四〇九円。生クリームを乗せますかと訊かれたので、どちらでも良いのだがはいと答え、カウンターの端の方にずれて、店員が品物を用意するのを注視し、できたものを受け取るとありがとうございますと礼を言って、トレイを持って席に戻った。プラスチック・カップの蓋を外し、ストローでもって生クリームを搔き混ぜ、浸透させてから一口啜った。そうしてコンピューターを取り出し、起動させて、ココアを飲みながら日記を綴って四〇分弱、現在四時直前に至っている。
 それからガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』の書抜きを行った。自分の使う語彙には含まれておらず、そのなかに取り入れたい言葉がいくつかあるので、太字にして下に引く。

 (……)静寂ははるかに由緒ありげだし、そこらの器具も、しおたれた光のなかで、かろうじて見えるというありさまだったからである。(……)
 (139)

 (……)正面の玄関で時間がいぎたなく眠りこけ、ヒマワリが海に顔を向けている、古い石造りの大邸宅。(……)
 (151)

 (……)十二月になると、大統領は好んで海をのぞむテラスの椅子に座って、午後のひとときを過ごした。ただしそれは、あの大勢の役立たずにドミノの相手をさせるためではなかった。彼らの一人ではないという、いじましい喜びにひたり、彼らの惨めな境遇を他山の石として肝に銘じるためだった。(……)
 (157)

 (……)人間の造ったもので、この、国ぐらいけっこうなものはないね、と溜息まじりにつぶやくことがよくあったが、腋の下がタマネギ臭いといって大統領を叱ることのできる、この世でたった一人の人間の返事を待つわけでもなく、カリブの一月という素晴らしい季節や、老年におよんでやっとついたこの世との折り合いや、教皇使節とめでたい和解に達した紫にけぶるかわたれどきなどを思いだして浮き浮きしながら、正面の門をくぐって大統領府へ帰っていった。(……)
 (158)

 (……)ある大国に海を売却した結果、底知れない夕闇を迎えるたびに心痛むのだが、月面の粗い塵を敷きつめたような、この無涯の平原を目の前にしながら暮らすという生活にわれわれを陥れた、想像を絶する非情さからも、そう考えられていた。(……)
 (187)

 (……)彼女の好物であるフルーツの砂糖漬けを手渡し、その機会を利用して、海兵隊の操り人形になり下がった、つらい立場について綿々と訴えた。(……)
 (190)

 (……)惨めな話だが、午後三時の液体ガラスのような空気と情け容赦ない暑さのこもった寝室で行なわれる、この間に合わせの色事に仰天して騒ぎ立てるメンドリの声とともにとだえていく、あるいは腐れていく孤独な涙声。(……)
 (191)

 (……)ゼニアオイ色の朝の光のなかで、従卒たちが宴会の間の血の海でパシャパシャやっているのを見たのだ。(……)
 (199)

 また、二〇六頁から二〇八頁と長くなるが、大統領が眠りに就く前に大統領府のなかをうろつき回る一続きの描写も引用する。「~~した」という行動の連鎖で綴られる確かな密度を持った具体性の連なりが素晴らしいのだが、それに加えてこの部分で特筆するべきは、そうした外面的な描写のなかから、夜の広大な大統領府に染み渡っている、足音が尾を引いて長く響き渡るような静けさが表象され、そこに寂しさや切なさ、つまりは「孤独」の香りが、何故だかわからないが強く漂ってくるように感じられる点だ。この箇所のなかでは例えば、「回転する灯台の光線の矢、緑がかった光線でつかのま生じる朝のような明るさのなかに、金の拍車からこぼれる星屑のように、泥の痕が残された」といった綺羅びやかな光とそのなかに引かれる泥の筋を描写した一文も素晴らしい。しかし、郊外の屋敷で死体のように眠っている母親と、距離を差し挟んでいるにもかかわらずテレパシー的に「お休み」という言葉を交わし合う部分において――空間的な隔たりを飛び越えて他者と繋がり合っているにもかかわらず――「静けさ」や「孤独」の雰囲気が最高潮に達しているように感得される、その点が白眉であるように思われる。

 (……)八時を打つ時計の音が聞こえた。大統領は小屋のなかの牛に牧草を与え、糞を外へ運びださせた。建物全体を調べてまわった。手に持った皿の上のものを歩きながら食った。豆入りの肉のシチュー、白い米、まだ青いバナナの薄切りなどを食った。正門から寝室まで配置された歩哨の数をかぞえた。十四名。みんな、ちゃんと持ち場についていた。第一の中庭の哨舎でドミノをして遊んでいる護衛たちを見た。バラの植込みで寝ているレプラ患者や、階段に転がっている中気病みを見た。まだ食い終わっていない皿を窓のところに置いた。気がついてみると、それぞれ月足らずの赤ん坊を抱いて三人でひとつのベッドに寝ている、愛妾たちの小屋のヘドロめいた空気を手でこね回していた。残飯の臭いのする山の上におおいかぶさり、頭ふたつをこちらへ、足六本と腕三本をあちらへどかした。相手が誰なのか、気にも留めなかった。目も開けず、彼が相手だとはつゆ知らず、乳房をふくませてくれた女が誰なのか、気にも留めなかった。そんなにガツガツしないでくださいな、閣下、子供たちがびっくりしてるわ、と眠ったままべつのベッドからささやく声が、いったい誰のものなのか、気にも留めなかった。やがて建物の内部へ引き返して、二十三個の窓の鍵をよく調べ、入口のホールから個室まで五メートルおきに、火をつけた牛の糞を並べた。焦げくさい臭いが鼻をついた。自分自身のものであるはずだが、とてもそうは思えない少年時代を思いださせられた。しかしそれを思いだしたのは、煙が立ちのぼりはじめたほんの一瞬だけで、すぐに忘れてしまった。さっきとは逆に、寝室から入口のホールへ戻りながら電灯を消していった。小鳥たちが眠っている籠にカバーを掛けていった。麻のカバーを掛ける前に数をかぞえた。四十八羽いた。ランプを手にさげて、もう一度、建物の全体を見てまわった。火の入ったランプをさげた将軍の鏡に映った姿を、十四回も眺めた。時刻は十時、どこにも異常がなかった。護衛たちの寝室へ取って返し、さあ、もう寝ろ、と言いながら電灯を消した。一階の執務室や待合室、トイレはもちろん、カーテンの奥やテーブルの下まで調べた。誰も隠れてはいなかった。手の感触だけで区別のつく鍵の束を取りだし、執務室のドアを閉めた。それから二階に上がって部屋をひとつひとつあらため、ドアに鍵を掛けた。額縁の後ろの隠し場所から蜂蜜の瓶を取りだし、スプーン二杯分を舐めてから横になった。郊外の屋敷で眠っている母親が頭に浮かんだ。コウライウグイスに上手に色付けする、いかにも小鳥売りらしい血の気のない手をして、シュロとランの花に囲まれながら眠っているベンディシオン・アルバラド、横向きの死体のような母親の姿が頭に浮かんだ。お休み、と言った。お前もお休み、と郊外の屋敷のベンディシオン・アルバラドが眠ったまま答えた。大統領は寝室のドアに表側にある鈎にランプを吊した。急いで部屋を出るとき必要な明りだ、絶対に消してはならん、と厳命し、眠っているあいだも吊しておくランプだった。時計が十一時を打ち、大統領は最後にもう一度、暗闇のなかの建物を点検して回った。寝ているすきに何者かが忍びこんでいることを恐れたのだ。回転する灯台の光線の矢、緑がかった光線でつかのま生じる朝のような明るさのなかに、金の拍車からこぼれる星屑のように、泥の痕が残された。大統領は、光が一度明滅するあいだに、眠ったままうろつき回っている一人のレプラ患者を見た。前をさえぎり、闇のなかを誘導した。その体に触れはしなかったが、見回り用のランプで足許を照らしてやりながら、バラの植込みへ連れていった。暗がりに立っている歩哨の数をもう一度かぞえ、それから寝室に引き返した。窓の前を通りかかると、そのひとつひとつからおなじ海が、四月のカリブ海が見えた。大統領は足を止めずに二十三度、カリブ海を眺めた。四月はいつもそうだが、それは金色の沼のように見えた。やがて十二時を告げる鐘が聞こえた。大聖堂の鐘の舌が最後の音を打ち終わると同時に、大統領は、ヘルニアのかぼそい恐怖の声がくねりながら背筋を這いあがってくるのを感じた。それ以外には物音は聞こえなかった。大統領がすなわち国家だった。大統領は寝室のドアを三個の掛け金、三個の錠前、三個の差し金で締めきった。携帯用の便器で小便をした。二滴、四滴、七滴の小便を苦労してしぼりだした。床にうつ伏せになり、すぐに眠りのなかに落ちていった。夢はみなかった。(……)
 (206~208)

 また、マヌエラ・サンチェスとともに屋根の上から彗星を眺める場面は、過去にはこの小説のなかで最も美しいと感じ入って嵌まりこんだシーンだ。さすがに以前のような衝撃を受けることはもうないが、やはりスケールの広く、美しい一節ではある。

 (……)大統領はマヌエラ・サンチェスの家の屋根の上で、彼女と母親のあいだに腰かけて奇跡の出現を待った。不吉な前兆のただよう凍てた空の下で感じる心臓のはたらきの不調を気づかれないために、わざと大きく呼吸した。そしてそのとき初めて、マヌエラ・サンチェスが夜吐く息を吸い、屋外での、野天での彼女の冷たさを知った。異変を迎えて呪文のように打ち鳴らされる、地平線の鐘の音を聞いた。彼らより早く生まれて、彼らより長く生き延びるにちがいないのだが、彼らの力の及ばぬ創造物を前にして、恐怖に打ちのめされた群衆のかすかな嘆きの声、沸きたつ溶岩の音ににたものを聞いた。時間の重みを感じ、一瞬、人間であることの不幸を思った。そしてそのとき、問題のものを見た。あそこだ、と教えた。事実、そこにあった。それは、よく知っているものだった。宇宙の向こう側にあったとき、すでに見た、おんなじものだ。あれは、この世界よりも古いんだ。天空いっぱいに広がった、痛ましい光のメドゥーサは、その軌道を二十センチほど進むたびに、誕生した空間に百万年戻っていくのだ。錫箔の房飾りの鳴るのが聞こえた。悲しげな顔や、涙を浮かべた目や、宇宙風のせいで乱れが髪からしたたる冷たい毒液などが見られた。宇宙風はこの世界にきらきらと輝く宇宙塵の尾を、また、地上の時間の始まる前から存在する海底火山の灰やタールの月によって引き延ばされた夜明けを、あとに残していくのだ。あれがそうだ、と大統領はささやいた、ようく見ておけ、百年後でなければ見られないんだ。マヌエラ・サンチェスはおびえて十字を切ったが、彗星の青白い燐光に照らされ、小さな隕石や宇宙塵の雨を頭に白く浴びたその姿は、かつてない美しさで輝いていた。ところがそのとき、おふくろよ、ベンディシオン・アルバラドよ、そのときマヌエラ・サンチェスは、永遠の時間の奈落を空の一角に見てしまったんだ。彼女は命にしがみつくように宙に手を伸ばしたが、摑むことのできたのは、大統領のしるしの指環をはめたぞっとしない手、権力のとろ火で煮つめたように温かい、つるっとした、貪欲な手だった。(……)
 (223~224)

 四時を過ぎた頃には午後も深くなって夕刻の近づいた時刻のうっすらとした明るさがあたりに波及していたのだが、じきに雷が鳴りはじめ、現在午後五時においては絶え間ない虫の大群のような雨が降りだしている。傘を持ってこなかったのは失敗だった。
 荷物をまとめ、席を立った。返却台に向かってトレイを置くと、ちょうど台の向こうに女性店員がいてありがとうございましたと声を掛けてきたので、こちらもありがとうございますと礼を返した。そうして退店し、ビルの外に出ると、雨は結構な勢いで天から落ちていた。歩廊に踏み出すとともに走り出して、大粒の雨に打ちつけられながら階段を下り、コンビニに入った。入ってすぐ右側に傘がいくつも並べられてあった。七〇センチメートルの大きな黒傘があったので、一三〇〇円以上する高値の品だったがそれを購入することにした。一本取ってレジへ向かい、何と言っているのか発音が不明瞭でいまいちよくわからない女性店員を相手に税込みで一四五八円を支払った。傘はカバーに包まれていたので店内の片隅でそれを取り、片手に持って外に出ると買ったばかりのものをひらいて雨のなかに踏み出した。そうして駅に向かい、エスカレーターに乗って傘を閉ざし、駅舎のなかに入ると時刻表の記された掲示板に寄った。奥多摩行き接続の電車は五時八分、つい先ほど出たばかりだった。次の電車は五時一八分だった。改札をくぐってエスカレーターでホームに下りると、線路の方に向けて傘をばさばさやって水滴を弾き飛ばした。そうして傘を閉じるとエレベーター室の外側の壁に立てかけて片手には手帳を取りだし、記してある事柄を復習しはじめた。じきに電車がやって来たので乗りこみ、扉際に立って手帳に目を落とし続けた。東青梅で三分ほど停車しているあいだ、降りた少年が大降りの雨のなか、駆けて行くのが見えた。それからふたたび発車して青梅に着くと、車両を辿って屋根のあるところから下り、ホームを移動して木造の待合室に入った。先客はいなかったが、あとからすぐに一人、男性が入ってきた。雑誌かパンフレットの類が置かれている棚に傘を引っ掛けて固定し、室の奥の木のベンチの上に腰掛けて、引き続き手帳を眺めた。ハンナ・アーレントの著作から引いた政治についての考察などを復習しているうちに、次々と人が入ってきて室内は混み合った。それから十数分が経って奥多摩行きがやって来ると、立ち上がって出口に向かった。奥多摩行きからは行楽客が多数降りてホームを横切り、一番線に停まっていた電車に乗りこんでいき、そのあとから二番線の電車に乗ると、乗客らのつけていた香水かあるいは加齢臭の類か、それともそれらの混ざったような独特の臭気が漂っていた。三人掛けに腰掛けると、向かいの席には髪の薄くなった男性が一人就いており、ボトル型の缶コーヒーを飲みながら、おそらく駅内の自動販売機で売っているものだろうが、ポテトチップスをぱりぱりと音を立てて食べていた。食べる際に口を閉じずに開けたまま咀嚼しているために、音が漏れて聞こえるのだった。
 最寄り駅に着くと手帳をポケットに仕舞い、立ち上がって電車を降りた。間が良いのか悪いのか、その頃には雨は止んでおり、西の空から青さが生じはじめていた。緑一色に染まった桜の木を見ながら駅舎を抜け、車の隙をついてボタンを押さずに横断歩道を渡り、坂道に入った。竹秋を迎えた黄色の竹の葉や雨に降られて落とされた荒れた落葉や木の屑が道の上に乱雑に散らかっていた。木の間の坂道のなかは今でも雨が降っているように頭上から水滴が落ち、あたりに雫の音が響いていたので、手もとの黒傘をひらいて下りて行くと、途中から足もとには、桜の花ではないと思うが、ピンクのような紫のような色をうっすらと帯びた小さな花弁が点々と散りはじめた。平らな道に出ると傘を閉ざして家路を辿った。時刻は六時だが、あたりにはまだ明るさが残っていた。林の上空に敷かれた水っぽい青さのなかに、波頭のような白い雲が縁を崩して引かれていた。
 帰宅すると母親に挨拶をして下階に下りた。コンピューターを机上に据えて図書館で借りてきた本をリュックサックから取りだし、スピーカーとアンプの上に積み上げてある本たちのさらにその上に置いた。それから服を脱ぎ、収納のなかのハンガーに吊るし、ジャージの下を履いた。それからFISHMANS『Oh! Mountain』の続きを流しだし、ここ最近の日記に綴ったガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』の感想を一つの記事にコピー&ペーストしてまとめていった。そうしてみると四月二七日からほとんど連日――正確には一日を除いてすべての日――何かしらの感想文を記しているので、自分はこんなに書くことができたのかと驚いた。読み終わったら一記事にまとめてブログに投稿するつもりだ。
 そうして七時を越えると食事に行った。台所に入るとボウルに胡瓜や卵や人参のスライスしたものが入れられてあり、その傍に茹で上がったパスタも置かれていた。それを混ぜてくれと母親が言うので、パスタを笊から取ってボウルに入れ、辛子は既に混ざっていてその香りが立っていたのでマヨネーズをさらに加えて箸で少しずつ持ち上げ搔き混ぜて和えた。そうしてサラダを拵えると焜炉に寄って、野菜や卵の入ったおじやを椀によそり、煮られた鯖を皿に盛って、さらに今作ったばかりのパスタサラダもたくさん盛りつけて卓に行った。テレビはどうでも良い番組を流していた。こちらが食事を終えた頃に母親が膳を運んで食事を始め、何か脂っぽいものがちょっと食べたいねと言ったので、冷凍の唐揚げを食べようと提案し、四つを皿に取り分けて電子レンジに入れてもらった。それで新聞からベネズエラ関連の記事などを読みつつ唐揚げが温まるのを待ち、電子レンジの音が鳴ったので台所に行って皿を取り出すと、火傷しそうなくらいに熱かったのでミトンを右手につけて持ち、卓に運んで母親と分け合い食べた。そのあと抗鬱剤ほかを飲み、食器を洗うと仏間の簞笥に仕舞われていた寝間着を取りだして風呂に行った。しばらく浸かってから頭を洗い、温冷浴を久しぶりにやることにして冷水シャワーを下半身に当てると、これが意想外に冷たくてすぐに湯のなかに戻った。そうしてもう一度冷たいシャワーを浴びると上がり、櫛付きのドライヤーでさっと髪を乾かして洗面所を出ると階段を下りて自室に戻った。
 だらだらとした時間を過ごしたあと、一〇時を回った頃合いからBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を流しだし、日記を書きはじめた。その途中でSkypeにログインすると、ここ数日通話を交わしているYさんのグループに新たなメンバーが加えられていた。Mさんと言って、こちらもTwitterで見かけたことのある人だった。それで、こんばんは、よろしくどうぞと挨拶をしておき、それから、YさんがFくん、今夜も通話する? と訊いていたので、今晩も通話するんですか? と反対に訊き返しておいて日記に戻っていると、突然通話が掛かってきた。それでBob Dylanの音楽を停め、日記に作文時間の記録も付けておいてから通話に出て、いきなりじゃないですかと笑った。通話にはYさん、Mさん、Rさんとこちらの四人が参加しており、途中からIさんも加わった。Mさんは電機通信大学に通っていて、理系学部の大学生だった。理系なのに――なのにと言うのも変ですけれど――文学を読むのがお好きで、と話を向けると、姉が二人いるのだが彼女らはどちらも私立の文系に進学し、自分は男なので学費の安い国立の理系に進むようにとの要望があったのだと言った。加えて、本人も勉強としては物理や数学などの理系科目の方が得意だったらしい。
 じゃあ定番の質問をしましょうかと前置いてから、Mさんに、一番好きな小説は何ですかと尋ねると、小説ですか、作家じゃなくてという反応があった。どちらでも良いですよと受けると、一番好きなって言うと、その時の気分で変わりませんか、と言うので、それで全然構わないですよと答えた。今の気分だと、『家畜人ヤプー』だと彼は言った。彼は中学生時代から『家畜人ヤプー』を読んでいたらしく、なかなかハードコアな趣味の持ち主である。『ヤプー』と言うと皆政治的な事柄を読み込もうとしたり、SFだと捉えられたりするが、Mさんの思うところその本質は「ユートピア小説」なのだと話した。もっともそれは作者である沼正三の思うユートピアであって、ほかの人からすればディストピアなのだけれど。
 これも結構皆に聞いているんですけれど、と前置きをしながら、文学との出会いと言うか、読みはじめた端緒みたいなものはありますかと尋ねた。小学校の頃に、江戸川乱歩に触れたことがきっかけだったと言う。その後、スティーヴン・キングにも接して、僕の基盤はこの二人で出来ていますと言うので、Rさんに、仲間が現れましたよと話を振った。彼もまた、小学生の時分から江戸川乱歩に読み耽っていたつわ者なのだ。ホラー・エリートが二人いますねと冗談めかして言うと、Iさんが、ホラー・エリートっていうパワー・ワードやめてくださいよ、と笑った。
 そのIさんはじきに風呂に行くと言って一旦会話の場を離れた。そのあいだにこちらはMさんに呼びかけて、会話は得意ですかと尋ねると、彼はえ、え、と困惑気味に口ごもりながら、いや、全然得意じゃないですと言うので、ここにいる人たちね……皆そうなんです、と笑って明かした。皆、会話が得意じゃないんですよ、ああでもIさんは得意そうだな。まあともかく、だから会話の途中で沈黙が、天使が通るなんて言いますけれど、話題がなくなって沈黙が差し挟まっても大丈夫なんで、安心してくださいと、慰めになるのかならないのかよくわからないことを言うと、Mさんは苦笑めいたニュアンスでわかりましたと答えた。
 そのうちにYさんが、皆、自分の自己イメージって掴んでいるかというようなことを尋ねた。彼は乖離や離人症の問題もあって、自分の像があまり確定的でないと言うか、ふわふわとしているようで、本人の使った言葉を引けば「煙」みたいなのだと言う。僕はまあ、毎日自分の分身をテクスト化しているようなものですからね、あれが僕の自己像と言えばそうなのかなと答えたのち、Mさんはどうですかと話を回した。彼は、自分は怪奇・幻想小説好き、そのくらいの自己像で満足のようだった。さらに、Rさんにもどうですかと回してみると、自分のことは自分ではよくわからないという返事があったので、Yさん、自己像のわからない仲間がいましたよと話を振った。それから、自己イメージというものも、様々な他者と繋がり、関わり合っていくうちに、ありがちな言い方ではあるが鏡のように反映的に見えてくるものではないかと考えを述べた。だからYさんが今こうして、インターネット上ではあるが色々な人々と話をし、コミュニケーションを取っている、それは彼の存在を定かなものたらしめるに当たっては良いことなのかもしれない。
 そのYさんは相変わらず映画の記憶が豊富で、会話をしているうちにあの映画にこういうシーンがあったなどと思いだして結構話すのだ。映画に限らず、彼は結構自分の体験だったり、触れたものだったり、話題が豊富だという感じがする。映画で言えばMさんも大学で映画サークルに入っているらしく――一方で文芸サークルにも入っていて小説を書いているとのことだったが――やはりホラー系統の映画をよく見ているようなので、そのあたりでYさんと話が合っていた。それで、Yさんに、映画仲間が見つかって良かったですねと話を向けた。このグループの人はほかには映画をあまり見ない人種ばかりだったのだ。
 Yさんがほかに思い出した話で言うと、「ラジオ版学問ノススメ」というラジオ番組を彼はたびたび話題に出していて、様々な作家や学者や知識人などを招いてトークするこの番組を彼は過去に結構聞いているようなのだが、そのなかで養老孟司が言っていたこととして、どうしてそういう話になったのだったか忘れてしまったが、唾の話があった。何か虫の話をしていたその文脈だったような気がする。虫など結構嫌がる人がいると思うが、養老孟司の言うには身体のなかには無数の細菌が生息しているわけで――細菌と虫とは違うものではあるが――それを普段我々は意識することもなく生きている。人間は自分の外部にあるものに関しては忌避感を抱くけれど、内部にあるものに関してはそうではない、それが証拠に、自分の唾液というものは口のなかにある時点だったらいくらでも飲み込めるのに、一度口の外に出したものをもう一度飲み込むとなるとそれには忌避感が付き纏う、とそんなことを養老が語っているらしかった。
 Yさんが小説を書いたという話もあった。Nさんの小説を彼は読んだらしいのだが、それに影響を受けたのか否か、極々短いものを綴ったと言ってSkypeのチャット上にデータを上げてみせるので、あとで読ませて頂きますと言ってダウンロードした。Mさんも上に書いた通り大学でサークルに属していて小説を書いているらしく、短いものをもう三、四本くらい書き上げたと言うが、もう少し数が集まってボリュームが出たら、「小説家になろう」か「カクヨム」かそのあたりに発表しようと考えていると言う。日記しか書けない自分からしてみれば、どんなものであれ、小説作品というものを作れるのは凄いことである。こちらが書けるとしたら、ローベルト・ヴァルザー『盗賊』みたいに、ほとんどワンコードのアドリブ一発みたいな、そういう感じのものになるような気がする。しかしそのためにはヴァルザー以外にも、ベケットソレルスエルフリーデ・イェリネクあたりを読まねばならないのではないかという気がしている。
 この時の会話に関してはそんなところで良いのではないか。零時が近くなってくると、こちらは突然、皆さん、と呼びかけた。すると皆口を噤んでこちらの言葉を聞く気配になったので、何で黙っちゃったんですかと笑いつつ、今日もそろそろ僕は抜けますと申し出た。日記を書いている途中だったし、この日はまだ本も読み進めていなかったので読書もしたかったのだ。それで、昨日も会話を抜けて比較的早く寝たのだけれど、いつも通りの寝坊だったと少々大きな声で自分の堕落を熱弁し、Yさんに夢を見たでしょうと訊かれたので、日記に書いた迫害される夢のことをちょっと話したあと、そんな感じで僕は失礼します、ありがとうございましたと挨拶をして通話を抜けた。そうしてチャット上に、「今日もありがとうございました!/どんどんメンバーが増えていきますね笑/これもYさんの人徳か?/それでは」と発言しておき、日記の作成に戻った。BGMはBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』。この音源では弾き語りの"Tangled Up In Blue"が大層格好良い。Twitter上でNさんにダイレクト・メッセージを返信しながら、四〇分ほど文を綴って、零時半に達したところで作文は切り上げることにして寝床に移った。そうしてガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。眠気は遠そうだった。一時間ほど読んだところで、腹が減ったのでカップラーメンでも食って夜を更かしてしまうかというわけで、忍び足で上階に行き、玄関の戸棚からカップヌードルを取りだし、湯を注いだ。割り箸とともに下階に戻ってきて、コンピューターの前に座って麺を啜り、不健康なことだがスープも飲み干してしまうと容器は潰してゴミ箱に捨て、それからまたすぐに寝床での書見に戻った。二六七頁から二六八頁、ロドリゴ・デ=アギラル将軍の死。大統領は「終生の友」と見込んでいたこの男に裏切られてしまう。彼に対する反乱や暗殺を蔭で策謀していたのがアギラル将軍だったのだ。『族長の秋』は、一見牡牛のように雄々しくありながらその実様々な不安に苛まれ、人間的な「弱さ」をはらんだ一人の男の、「愛」を求めて得られずに裏切られる「孤独」の悲劇であるわけだけれど、少なくとも親友を殺し、自らの手でオーブン焼きとなった彼の身体を切り分けていくこのシーンには、悲劇的な調子は微塵も窺われない。そこには、一周回ってほとんどユーモラスとすら言いたい、あっけらかんと明るいようなグロテスクさが漂っているばかりだ。この小説では無数の人が死に、かなり残虐非道な描写も散見されるが、「カリフラワーや月桂樹の葉で飾った銀のトレイに長ながと横たえられ、香辛料をたっぷりかけてオーブンでこんがり焼きあげられた」ロドリゴ・デ=アギラル将軍の死は、そのなかでも最もぞっとするような、衝撃的な死に方である。彼は、「礼装に五個のアーモンドの金星、袖口に値の付けようのない高価なモール、胸に十四ポンドの勲章、口の一本のパセリをあしらった」豪勢な料理と化してしまい、大統領は手ずからその身体を切り分け招待客に配って、「諸君、腹いっぱい食ってくれ」とのたまうのだ。
 二時四五分まで読書を続けて、就寝。


・作文
 12:12 - 13:06 = 54分
 15:18 - 15:55 = 37分
 16:43 - 17:03 = 20分
 22:03 - 22:29 = 26分
 23:50 - 24:29 = 39分
 計: 2時間56分

・読書
 16:00 - 16:42 = 42分
 24:32 - 25:35 = 1時間3分
 26:02 - 26:45 = 43分
 計: 2時間28分

・睡眠
 1:05 - 11:30 = 10時間25分

・音楽

2019/5/3, Fri.

 今日も今日とて、一三時まで糞寝坊。夢を見た。よく覚えていないが、またもや合唱祭か何かのイベントで、何か気に入らないことがあり、「俺は降りる」と言って自分一人参加しようとしないことに対してクラスメイトから迫害される、というような内容だったと思う。夢のなかでは迫害されてばかりの身である。何か不安なのだろうか? ベッドから起き上がって上階に行くと、祭りの役目に出ていた母親が帰ってきていた。また七時頃に行かなければならないと言う。こちらはパジャマを脱いでジャージに着替え、上は肌着のままの涼しい格好で洗面所に入って顔を洗い、台所に出されていた冷凍の唐揚げを三つ、箸でつまんで小皿に取り分け、電子レンジで三分温める。温めているあいだに卓に就いて、母親が貰ってきた寿司の弁当――干瓢巻や稲荷寿司などが入っていた――と、温めた前夜の味噌汁を食べ、三分が経つと台所から唐揚げを取ってきてそれも食した。そうして薬――アリピプラゾール三ミリグラムとセルトラリン――を服用し、食器を洗うと下階に戻って、cero "Yellow Magus (Obscure)"を歌った。それから一度、動作速度を回復させるためにコンピューターを再起動させ、cero "Yellow Magus (Obscure)"をもう一度歌うと、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして日記を書きはじめた。それが二時八分だった。Twitterのダイレクト・メッセージにNさんからの返信が届いていたのでそれに再返信をしながら書き進め、一時間強掛けて前日の記事を仕上げてここまで綴るともう三時半前になっている。もっと早起きして睡眠時間を少なくしなければならない。いい加減、夏休みの中学生みたいな生活とはおさらばするべきだ。
 上階へ行くと台所の戸棚の上にキッチン・ペーパーを掛けられた皿が置かれてあって、何かとめくってみれば結構深めに揚げられた鶏肉の唐揚げが乗せられていた。そのなかから二粒つまみ食いして風呂場に行き、蓋をめくって浴槽のなかを見てみると、結構湯が残っている。これでは洗わなくとも良かろうと判断して、母親の姿がないので筍を取るとか言っていたから外にいるのだろうかと、先日の筍採りで泥に汚れたクロックスを突っかけて出てみれば、やはり林の縁のあたりで筍を採っている母親の姿があった。吹き流れる滑らかで広やかな風が半袖から露出した腕の肌に涼しい。近づいていき、風呂は洗わなくて良いかと訊いて了承を取り、それから包丁と袋を持ってきてくれと言うので室内に戻って台所に行き、食器乾燥機に積まれた雑多なもののなかから包丁を探り出し、手近にあった大きめのビニール袋を一枚取ってふたたび外に出た。母親は既に四本ほどの筍を採り終えていた。林の奥の方で皮を剝いているところに合流して、包丁で一本ずつ、力を籠めて切れ目を入れていく。皮を剝くのは母親に任せ、こちらは剝かれた皮をまとめて抱えてさらに林の奥の方へ入っていき、そのあたりに放って捨てた。それでビニール袋に入れられた筍と包丁を持って室内に戻り、遅れて帰ってきた母親が台所で筍を切り、節のあたりの筋を取って切り分けていくその横で、切られたものを受け取って鍋に投入していく。米もカップに一杯弱持ってきておいて、母親がその一部を鍋のなかに入れるとカップを受け取って、玄関の戸棚の米袋のなかに余りは返しておいた。そうして下階へ。
 四時前から読書、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』である。二一七頁から二一八頁では、三人称の記述の連鎖のなかに突如、転換的にマヌエラ・サンチェスの「声」が登場し、埋め込まれて、彼女から見た大統領の様子が描写されている。それが言ってみれば一種の「証言」のような雰囲気を帯びているものだったので、この小説は大統領に関する色々な人々の「証言録」としての形も持っているものなのではないかと思った。三人称の文章のなかから、突然このような「声」による「証言」が浮かび上がってくるその移転の動きを支えているのは、各章の冒頭にて示される「われわれ」という一人称複数の人称代名詞の汎用性だろう。 その範囲は広大で、マヌエラ・サンチェスのような固有名詞を持った主要な登場人物から、匿名的な民衆層の集合までを含んでおり、ほとんどこの国の民全員をカバーしているようである。この「われわれ」は各章の序盤に登場したあとは決まって文章の裏に隠れてしまうものの、三人称の語りが流れているその蔭には常にこの「われわれ」が潜んでおり、折に触れてその「われわれ」のうちから一人の声が浮上してくるのだ。そのようにして、大統領に関する無数の人々の「証言」によって編まれ、織りなされているのがこの小説だという見方もできるかもしれない。
 途中、いくらかうとうとと微睡みに襲われながらも六時半まで書見を続けた。その後、少々だらだらと過ごしたのち、七時を迎えると上階に行った。母親はふたたび出かけており、父親も祭りの役目で今日は一日出ずっぱりで、居間はこちら一人である。褐色の五目ご飯をよそり、唐揚げを五つ、皿に取り分けて電子レンジで温め、そのほか前日の生サラダの残りを冷蔵庫から取り出して卓に就いた。新聞をめくって瞥見しながら、遠くから花火の響きが伝わってくる静寂のなかで、一人黙々と食事を取る。食後、水を汲んで一杯ごくごくと飲み干したあと、もう一杯汲んで抗鬱剤ほかを飲み、食器を洗うとさっさと風呂に行った。風呂は残り湯のある状態で焚かれたので、湯が浴槽のなかほとんどいっぱいに溜まっており、そのなかにゆっくりと入ると浴槽の縁から少しずつ零れ出していった。しばらく浸かってから頭と身体を洗って上がり、下階に戻ると、昨日に引き続き、YさんからSkypeで通話の誘いが届いていた。こちらは既に食事と入浴を済ませたのでいつでも可能だと返信しておき、しばらくすると、K.SさんというYさんの知り合いを交えて会話が始まった。Kさんは大学四年生、フランス文学を専攻しており、専門は今決めかねているとのこと。好きな作家は誰かと尋ねたところ、ル・クレジオという答えがあって、なかなかハードコアである。ほかにはと訊けば、アゴタ・クリストフと返答があって、アゴタ・クリストフが好きだという人は何となく珍しいような気がする。フランス語は高校生の時からやっているとのこと。住まいは東京の神奈川寄り。ル・クレジオはこちらはまだ一冊も読んだことがないのだが、例えば『物質的恍惚』などとにかく難解で、フランス語特有の言い回しなどを活用しているらしい。プルーストは読みましたかと訊くと、今ちょうど原書で読む授業を取っていて、「泣きながら」読んでいるところだと言う。八時ちょうどあたりからそのような話をして、三〇分ほど経ったところで、Yさんがそろそろ食事に行くと言うので一旦おひらきということになった。九時からふたたび集まろうとのこと。それでこちらは通話を終えると、ceroの曲を二曲歌い、それから日記を書き出した。九時からふたたびチャットでやり取りをしながらここまで綴って九時二〇分。
 それからSさんのブログを読んだ。それで一〇時。その頃になると両親が帰ってきた気配があったので、顔を見に上階に行く。階段を上がって行くと青い法被姿の父親がいて、お帰りと言うと、疲れたよ、と言いながら相貌を崩してみせた。それから、玄関にいた母親も居間に入ってくる。卓に就いた彼女は、煮物を貰ってきたと言って包みを取り出す。そのなかに小さな柿の種の袋が含まれていたのでこちらはそれを頂き、さらに鮮やかに黄色い沢庵漬けも数枚貰ってから、ゴミを始末して下階に戻った。
 Skype上ではIさんとYさんがやり取りを交わしていた。まだ通話は始まらなさそうだったので、こちらはベッドに乗ってガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。大統領はその牡牛めいた豪壮な外観や行動とは裏腹に、「不安」や「心細さ」をわりと頻繁に感じている。読んでいるうちに一〇時三〇分になったのでコンピューターに寄って確かめてみると、ちょうど通話が掛かってきているところだったので、ベッドに戻って手帳に読書時間を記録したあと、ヘッドフォンをつけ、マイクを持って参加した。Yさんがまた新しいメンバーを呼んでいた。Rさんと言って、この人も幻想、怪奇文学界隈の人のようだった。今二四歳で、「格好良く言うと」エディトリアル・デザイナー――雑誌などの誌面のレイアウトを組む仕事――をしているとのこと。一番好きな小説は何ですかと訊いたのだが、色々読んできていてどれかを一番に絞ることは出来ないようだった。本人は浅く広く、と言っていたが、あとで聞いた話によると、母親が江戸川乱歩全集を持っていて、小学生の時点で乱歩を読んでいたというつわ者で、それだから今までにも相当な数の文学を読んできているのだろうと推測される。
 どんな話をしたのか全然思い出せない。三人で話しているうちに、用事を済ませてきたIさんが合流し、四人での会話が始まった。Iさんに訊かれて、先日もYさんに話したのだけれど、自分が文学を読みはじめたきっかけを語った。こちらが文学というものに本格的に触れはじめたのは二〇一三年の一月からだが、当時Twitterをやっていて、それを見ていると周りに自分と同じ大学生らしい人で、しかし知性豊かに哲学の引用などをしながら文芸作品について評論を書いているような人々が散見された。それを見て、何だかわからないが格好良いな、自分も文学というものに触れてみたいなと思ったのが端緒だったわけだ。それだから最初は文学の読み方、文学作品というものをどのように読むのかということが知りたくて、だから一番最初に読んだのは確か筒井康隆の『文学部唯野教授』だったと思う。文学理論を小説の形で解説したような著作だ。Rさんもしくはその頭文字を取ってMさんと呼ぶことにするが、彼もやはり高校生の頃には筒井康隆に嵌まっていたらしく、『文学部唯野教授』も読んだと言った。読んだで言えば彼は『族長の秋』も読んだらしいのだが、読んだのが人生で一番忙しいような時期に当たっていたらしくて、あまり集中して味わうことは出来なかったようである。それ以来、もう一度読まなければならないと思っているんですけれど、あの分量をもう一度読むのか……と思うとどうしても手が出なくて。こちらは、今六回目だか七回目だかをちょうど読み返していますと告げると、それは凄い、という反応があったので、さすがにそのくらい読むと慣れてきますねと言った。
 (……)そうした話題にMさんが食いついて、色々と話を聞いていた。Mさんは本人が言う通り、会話はあまり得意でないタイプの物静かな人のようで、全体に黙りがちではあったのだが、Iさんが参加してからは趣味を同じくする相手を得たこともあってか、中井英夫の話など盛り上がっていたようで、Mさんにも喋ってもらいたいと思いながらもどう話を回せば良いのか考えあぐねていたこちらからすると、Iさんがうまく話を展開してくれて安心した。
 Iさんは大学で文芸部を設立したと言う。それは幻想文学に限った集まりではなく、結構色々と取り上げているようで、文学にあまり詳しくない人々にもそれを通じて「啓蒙」を図っているとのことだったが、Iさん自身は最近では会を運営するのが面倒臭くなってきているらしく、後継者を探していると言う。それに関して彼は、僕は躁鬱の気味があるので、と言った。会を作った時には言わば「躁」の時期で、意気込んで設立したわけだが、それから時間が経ってみると億劫になってきて、自分は何であの時こんな会を作ってしまったのだろうと後悔している形らしい。
 ほかにも色々な話をしたと思うのだが、よく思い出せない。三人で話している時には、Yさんが結構例によって一人語りをして、それで思い出したのがアテネ・フランセでのエピソードだ。アテネ・フランセに通う人というのはあまり若者はいなくて、結構年嵩の人が多いらしいのだが、そのなかで彼は一人、自己紹介の時に、悪魔が好きだみたいなことを言ってしまったらしくて――このあたりちょっと正確ではないので、彼が言っていた実際の内容とは違うと思うが――それで周りの人から怖がられて、教師から注意を受けたと言う。それで結局はその場にいづらくなってしまって辞めたという話だった。Yさんはほかにも、きゃりー・ぱみゅぱみゅに影響された格好をして――鬘を被るなど――フランス人の仲間ときゃりー・ぱみゅぱみゅとコラボレーションか何かしたカフェに通っていたりした時期もあったそうで、なかなか面白い挿話を色々持っている。
 かく言うこちらは、先日よりはうまく喋れたと言うか、相手の言うことに結構応答したり、質問を送ったりできたような気がする。もっとMさんみたいに相手への質問も自分のこともバランス良く話して、会話を満遍なく回せると言いのだが、まあ自分は「調停者」ではないので、こんなものだろう。午前零時に至ったところで、すみません、僕は今日はそろそろ抜けますと言った。早めに床に就いて糞寝坊の生活習慣を改善したかったのだ。それでありがとうございましたと礼を言って通話から抜け、チャットでも礼のメッセージを送っておいてからコンピューターを閉ざし、ベッドに移った。眠気はまだなかったので、ふたたび読書を始めた。二五四頁には、「多雨地帯」の描写として、動物たちの肉が歩いているうちに腐ったり、木々のあいだをタコが泳いだりしているという記述のなかに、「人語にはアヤメが芽を吹いた」という一節があるのだが、これがあるいは『族長の秋』全篇を通して最も不可思議な節かもしれない。「人語」という形のない概念的な存在に、一体どうやって具体的な形態を持った物質である「アヤメ」という植物が芽を吹くことができると言うのか。この一文は、幻想的とか超現実的とかいうことを越えていて、ただただ訳がわからないと言わざるを得ない。
 一時五分まで読んだところで消灯し、床に就いた。


・作文
 14:08 - 15:23 = 1時間15分
 20:43 - 21:21 = 38分
 計: 1時間53分

・読書
 15:55 - 18:27 = 2時間32分
 21:25 - 22:00 = 35分
 22:05 - 22:30 = 25分
 24:12 - 25:05 = 53分
 計: 4時間25分

・睡眠
 3:30 - 13:00 = 9時間30分

・音楽

2019/5/2, Thu.

 何と一時四五分まで寝床に留まる。睡眠時間は一三時間。端的に言って、糞である。上階に行くと無人。両親とも祭りの役目に駆り出されている。今日、明日と青梅大祭である。ハムエッグを焼いて丼の米に乗せ、冷蔵庫のなかにあった茸の味噌汁を温めて食事。一面をいっぱいに使って報じられている新天皇即位の記事を読む。そうしてものを食うと薬を飲み、便所に行って糞を垂れ、手を洗って戻ってくると食器を洗った。そのまま風呂洗いも済ませて下階に戻り、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして日記を書きはじめたのが二時半である。ほとんど同時にYさんからSkypeでメッセージが届いたので、やり取りをしながら前日の日記を綴る。思いの外に時間が掛かった。途中、母親が帰ってきたらしき気配を耳にしていたので、一度上がって行くと、炬燵に入って休んでいる姿があった。もう終わったのかと問うと、まだ、夕方にもう一度行くようなのだと言った。お前も山車を引くのを手伝いなよと求められるのに、嫌なこった、と答えて階段を下り、自室に戻ってFLY『Year Of The Snake』を背景に引き続き日記を綴った。そうして四時目前になってようやくここまで。
 ブログとnoteに前日の記事を投稿すると、Twitterを眺めたりしながら引き続きYさんとSkypeでチャットのやり取りを交わした。三大欲求の話を日記に書いてねと別れ際に言われたので、そのことを書こう。Yさんはスター・バックスの店員の一人を気に入っている。その人は「Rちゃん」と呼ばれたり、次には「Zちゃん」と呼ばれたり、最後には「Kさん」という名前に落ち着いたのだが、彼曰く彼女の胸の形が素晴らしいらしい(Seinというのはドイツ語では「存在」だが、フランス語だと「胸」という意味になるらしかった――それで「Zちゃん」という呼び名が生まれたわけだ)。そこで、Yさんは性欲はあるんですかと尋ねつつ、こちらは精神疾患の薬を飲んでいるので性的欲求が希薄だと明かすと、彼はそうした症状はないと答えた。とは言え、食欲や睡眠欲は希薄であるらしい。それを受けてこちらは、昨年中は三大欲求がすべて消滅していたと言うと、それはまるで人形みたいだとの返答があったが、あながち外れてもいない。
 そうした話から澁澤龍彦訳のバタイユ『エロティシズム』が話題に上がったり(こちらは幻想文学方面には詳しくないので、そんなものがあるのかとここで初めて知るものだった)、ハムスターの写真を見せてもらったりしたが、ほかにこちらの関心を引いたこととしては、こちらもTwitterで一度だけ絡んだことにあるNさんという方がこちらの日記を楽しみにしてくれているらしい。Yさんは彼女ともダイレクト・メッセージで交流をしているようなのだが、彼はTwitter上で色々な人と交友関係を持っている(それを指摘すると、孤独を嫌うからかもしれないという返答があった)。それでSkypeにNさんも呼んでみたらどうですかと提案したところ、夜に余裕があれば話せるかもしれないとの返答があったようだったので、日記をいつも読んでくれてありがとうございますと礼を伝えてくれと頼んだ。Nさんとも話すことになるとしたら、話の種として彼女の書いた小説を読んでおいた方が良いだろうと思ったので、Twitterに投稿されていたリンクを辿って、五時になる少し前からその作品に目を通していた。そうして五時を迎える頃、自分はそろそろ食事の支度をしに行きますと言ってやり取りを終え、上階に上がった。
 母親はまた祭りの役目で出かけると言った。魚だけ焼いておいたと言うので、ほかに味噌汁とサラダを拵えることにして台所に入り、母親が出かけたあと――彼女は出かける前、例によって、玄関の鍵が見つからないなどと言ってばたばたしていた――玉ねぎに包丁を入れた。小鍋には水を汲んで火に掛けてある。それが沸騰しないうちに切った玉ねぎを放り込んでしまい、続けて大きな椎茸も切って入れ、さらに葱をスライサーで細かくおろして加えた。それで煮ているあいだに、洗い桶のなかに大根と胡瓜を、やはり器具を使って細かくおろして生サラダを拵え、鍋が煮えるのをしばらく待ったあと、冷蔵庫から味噌の入ったプラスチック・パックを取り出し、菜箸で小さなお玉に適当に取り分け、それを鍋のなかに入れて箸で擦るようにして溶かした。味見もせずに味噌汁はそれで完成とし、洗い桶のなかで水に浸かっていたサラダを大きな笊に流し込んで上げておき、その笊は食器乾燥機のなかに入れて蓋を閉め、密閉空間のなかに入れておく。それで支度は完了、短い仕事だった。下階に戻ってくるとceroの曲をいくつか歌い、そのあとFLY『Sky & Country』を流しながらNさんの小説作品を読んだ。それで時刻は六時を越えて、日記を書きはじめてここまで綴れば六時半も近く、部屋のなかには薄闇が忍び込んできており、コンピューターのモニターの白さが際立っている。
 それからNさんの小説に関しての感想や指摘を非常に大雑把に、箇条書きで日記に記した(この感想はのちに、彼女に、多少苦言を呈してもいるのだけれど送ってもいいかと尋ねたところ、是非とのことだったので、Twitterのダイレクト・メッセージの方に送っておいた)。それで時刻は七時。食事を取りに上階に行った。母親はふたたび帰ってきていた。食事は鯖に白米、大根と胡瓜の生サラダに玉ねぎの味噌汁である。テレビは何を映していたのか、全然覚えていない。ニュースだっただろうか? 食後、入浴。上がって「キレートレモン C WATER」を持って下階へ戻ると、八時からMさんのブログを読んだ。それで九時も近くなった頃、Skype上でYさんが、誰かのアカウント・ナンバーを投稿したので、これは誰のものかと訊けば、Iさんのものだと言う。この人はこちらもYさんから話を聞いていて、Twitter上で知り合った彼の友人であり、先日北鎌倉で実際に会ってきたらしい。彼も会話に参加したいと言っていると言うので、こちらがコンタクトを送って、三人のグループを作成した。じきに来るだろうということでもうそこにNさんも加えられ、しばらくチャットでの会話をしながら、こちらはSさんのブログを読んでいた。「ル・コルビュジエ」の一段落目の風景描写が大層良かった。しかし、その記事の主題である展覧会の感想よりも、副次的な部分である導入部の描写の方にこそ惹かれてしまうというのはどうなのだろうか――それこそが「小説」的な楽しみ方だとも言えるのかもしれないが。チャットの話をすると、Iさんは幻想文学方面が得意な人で、夢野久作研究会に属しているのだが、夢野も好きだけれど一番好きなのは中井英夫だと言う。お勧めは何かと訊くと、やはり『虚無への供物』が勧められるとのこと。そのほかには、短編集である『とらんぷ譚』というのも面白いという話で、幻想文学方面というものも全然手を出したことがないので読んでみたいものだ。こちらからは今ちょうど読んでいる『族長の秋』を勧めておき、そのうちにNさんも加わって通話をする流れになったので、その前に用を足しておこうということで通話ボタンを押すだけ押しておいて便所に行った。膀胱を軽くして手を洗ってから戻ってきてヘッドフォンをつけると、ちょうどFさん、Fさんと呼びかけられているところだったので、はいと返事をした。
 覚えている限りのことを記そう。まずはやはり小説の話。Iさんは海外の文学だとカフカを読むと言った。これはチャットの時点で話していたことだが、こちらは「ある犬の研究」が一番破綻すれすれのような感じで印象に残っていると話した。Iさんは海外文学はそれほど深く読んでいるわけではないようで、幻想文学や日本の近代文学が得意分野のようだった。どういう流れからだったか、梶井基次郎の話にもなった時間があった。梶井基次郎は……とこちらは無意味な溜めを作って、素晴らしい、と断言する。梶井基次郎は天才ですよね、とIさんが応じるのにさらに合わせて、梶井基次郎は……天才に近いですね、と勿体ぶった調子で返答した。彼の話になったのは、金原ひとみ『アッシュベイビー』の話からだったような気がする。Nさんが金原ひとみが大好きな人で、『蛇にピアス』も良いが、『アッシュベイビー』という作がよりぐちゃぐちゃで過激で良いのだと言う。ロリータ・コンプレックスの男が出てきたり、何やら動物か何かを使ったどぎつい性行為の描写があったりするらしいのだが、何でそれが好きなんですかとこちらが突っ込むと、Nさんはちょっと笑って、よく人に言われます、頭がおかしいって言われたりしますと答えたが、文学好きなんて大体そんなものだろう。『族長の秋』だって一般のエンターテインメント的な小説しか読んだことのない人に見せてみればわりと頭がおかしいと思われるに違いない。それで、そこを引き取ってIさんが、Nさんはグロテスクなもののなかにきらりと光る美しさというものに惹かれているんだと思いますと代弁すると彼女は、まったくその通りですと応じた。それでこちらは思い出したことがあって、それは梶井基次郎のことで、つい先ほどMさんのブログで読んだばかりの挿話だったのだが、梶井基次郎が何かの小説で、自分の吐いた血混じりの赤い痰が水溜まりのなかで金魚のように見えたという比喩を書いていて、それを思い出しましたと告げた。そこから、梶井基次郎は素晴らしいという話になったのだったと思う。
 音楽の話。Nさんはこちらが毎日毎日FISHMANS『Oh! Mountain』ばかり聞いているものだからそれで興味を持ってくれたらしく、『Oh! Mountain』を聞いたと言うので、独特ですよね、ボーカルがへろへろで、と話して、気に入ってくれると嬉しいですと言った。昔は――と言うのは中高時代だが――ハード・ロックばかりを聞いていて、高校では軽音楽部をやっていたという話もした。Deep Purpleなどをやったと。楽器はギター。Iさんはそれに対して、中学三年から高校三年までベースをやっていたと言う。好きなベーシストとかいたんですかと訊くと、何とか言うバンドの名前を挙げていたが、これは残念ながらこちらの知らないものだった。部活の話で言うと、Nさんは今、文芸部に入っていると言う。彼女は大学だか専門学校だか忘れたが、デザインの勉強をしていて、美術方面では現代アートインスタレーションなどに興味があると言う。それで、そちらの方面はFさんはご存知ないですか、と訊かれ、彼女らのイメージのなかでは何故かこちらは色々な分野に精通している人物であるという像が出来ていたらしいのだが、美術などこちらは全然知らない。せいぜい数年前にMさんとH.Tさんと一緒にナム・ジュン・パイクを見に行ったことがある程度なので、その名前を出したが、皆聞いたことがないようだった。それで、ジョン・ケージなんかと仲が良かった人で、ビデオを使った作品を作っていてと、説明とも言えないような説明をする。美術で言うとIさんは、オディロン・ルドンと、あと一人日本人の、大島何とかと言っていただろうか、その人が好きらしかった。どちらも幻想的な作風の画家で、ルドンというのは名前を聞いたことがあるし、その絵もどこかで見たことがあるなと思っていたのだが、記憶を探ってみると、それは、金子薫の『鳥打ちも夜更けには』の表紙絵がルドンのものだったのだった。
 恋愛の話。こちらは恋愛経験と言うか、女性と付き合った経験がないと言うと――男性と付き合ったこともないですが、と添えると微妙な笑いが起こった――、皆それは意外だという風な反応だった。しかしないものはない。恋愛経験と言って、数年前に片思いをしていたくらいのことしかない。その相手と言うのはこの日記にもたびたび出てくるTのことで、現在彼女はKくんと付き合っており、近々結婚もするような雰囲気だが、だからと言ってこちらはそれに対して特に何も思うところはない。数年前にはあれほど熱情的だったのに、気持ちというものは容易に希薄化してしまうものだ。それで、経験と言ってその一つくらししかないので、求められるがままに、高校の頃から彼女のことをわりと好いていたこと、しかし当時彼女には恋人がいたので特に告白するでもなく卒業したこと、それから数年して大学三年生のあたりにふたたび交流が始まって、もう一度会ってみるとやはり結構好きだなと思ったので、その当時も彼女には恋人がいてこちらが付き合うことはできないとわかってはいたものの、思いを伝えるだけは伝えておくかと青春ぶってそこで恋情を告白したこと、などを話した。そうするとIさんなどは、格好良い、と言ってくれたが、特段格好良くはないだろうと思う。格好良いで言えば、皆、通話中のこちらの声が渋くて格好良いと言ってくれたのだけれど、声を褒められるのなんて初めてだったので気恥ずかしかった。Tの話に戻ると、当時こちらが告白しようと思ったのは、彼女から音楽活動を一緒にやらないかと誘われたためで、共にそうした活動をするということになったら、半端に気持ちを押し隠したままではいられないなと思って、告白という英断に至ったのだった。当時はやはり結構緊張したと思う。しかしいざ告白してからは箍が外れたようになって、結構恥ずかしいことも平気で彼女に言ったし、ある日、恋情に焼かれて彼女の身体に触れたい、抱きしめたいという強い衝動を覚えながら自宅で悶々としたことがあったのも覚えているが、片恋慕であるとは言え、実に健全な若者の恋愛らしい経験ではないか? そんな時代ももはや遠くなりにけり、だ。
 Iさんはわりと恋愛経験豊富らしく、最高の恋愛も最悪の恋愛もしてきたと言った。モテ野郎である。Nさんは、先ほどこちらが読んだ私小説的な作品は、一応架空のものではあるけれどやはり自分の恋愛体験、付き合っていても相手の心が見えなくて不安になった時の心情や、幸福がいつまで続くかわからないことに対する不安などを反映させたものだと言った。
 Yさんの話を全然書いていない。彼は映画の知識がやはり豊富で、折に触れて、こういう映画にこういうシーンがあって、とかそういう話を差し挟んでいた。Iさんと会った時は、北鎌倉を散策しながら澁澤龍彦邸を探したのだが、全然見つからなかったと言う。僕ら、完全に不審者でしたよ、とのこと。Yさんは自分で思っているのとは逆で結構よく話す方で、彼が少々間延びしたような独特の調子で話し出すと妙な雰囲気が生まれて――悪い意味でなく――ほかの三人は彼の言うことをじっと聞くような態勢になるのだった。そのなかでもIさんは、もう結構Yさんと気心も知れているようで、仲良さげに突っ込んだりしていた。彼曰く、Yさんのキャラは非常に濃いとのこと。Iさんが言うには、実際に会ったYさんは、知的な感じのする人だったとのことだ。
 住まい。こちらは東京都青梅市という東京のくせに片田舎に住んでいて、どれくらい田舎かと言うと鹿が出て、電車に衝突してそのために電車が停まるくらいだと話したのだったが、Iさんはさらにそれを上回る田舎の出身で、山形の村の出だと言った。今時村出身というものも珍しい、と自分で言ってみせたが、そこでは自動車で熊の子供を轢き殺してその晩の夕食にするようなことが平気で行われていたらしく、熊なら青梅にも以前出没したことはあるが、しかしこれには勝てない。それでIさんは今は静岡の大学に通っているのだが、現在連休中は神奈川にある祖母の宅に遊びに来ているとのこと。それで横浜に住んでいるYさんとも会うことができたわけだ。Nさんは福岡住まいである。
 主題的にまとまった話はそれくらいだろうか。あとはYさんの連想で話題がどんどん脇道に逸れていったり脱線したりしている時間が多かったような気がするが、それが雑談というものだ。Yさんの大学時代の話とか、フランス人との交友の話とかもあったけれどそれは良いとしよう。それで、一時台だっただろうか、Nさんが明日は用事があるのでということで退出した。それから二時を回った頃だったかにIさんも眠いと言って脱落し、こちらとYさんのみの会話になったが、こういう時に話題を全然提供できないのがこちらの弱さである。それでこちらはベッドに寝そべり、マイクをベッド脇のスピーカーの上に置きながら、Yさんが思いつきで話す事柄に対して相槌を打ちながら聞き、まったりとした時間をしばらく過ごした。それで三時半前になったところで、そろそろ眠ろうかということになった。Yさんの父親が明日――と言うかもう「今日」の時間になっていたわけだが――誕生日らしく、妹さんがやって来て一〇時から食事を取りに行くとのことだった。それで別れの挨拶をして就寝。
 自分の日記について話したことを書くのを忘れていたが、面倒臭いのでそれは省略しよう。あとIさんから彼の自作小説を送ってもらったので、これも近いうちに読みたい。


・作文
 14:32 - 15:57 = 1時間25分
 18:04 - 18:24 = 20分
 計: 1時間45分

・読書
 20:05 - 21:00 = 55分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-04-27「ひとつきりしかないものにひとつきりの名前をつけたものから死ぬ」; 2019-04-28「衣替えしたから摂氏十五度もしのごの言わず夏だぞ叫べ」; 2019-04-29「ため息も聞き做しすればカタカナの響きだと知る異国の夜長」; 2019-04-30「日めくりを折り鶴にする今日もまた命日である赤の他人の」; 2019-05-01「明け渡す未曾有の夜を静粛に既知のうずまくあなたの利き手に」
  • 「at-oyr」: 「終わらない」; 「SIMON GOUBERT」; 「お笑い」; 「ビジネス書」; 「巣鴨」; 「日」; 「夢二題」; 「二度寝」; 「ラジオ」; 「喉」; 「復活の6」; 「金沢八景」; 「ル・コルビュジエ」; 「豊かな音」; 「アオサ」; 「未練」

・睡眠
 0:50 - 13:45 = 12時間55分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • FLY『Year Of The Snake』
  • FLY『Sky & Country』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』
  • Evgeny Kissin『Schumann: Kreisleriana; Beethoven: Rondos, Etc.』

2019/5/1, Wed.

 七時のアラームで一旦ベッドを抜け出すも、ふたたび布団のなかに戻ってしまいあえなく撃沈。安穏とした微睡みに長く浸り続け、結局いつも通り一一時半の起床となった。夢を色々見たが、大方どれもあまり良くない印象のものだったと思う。学校の合唱祭で自分一人だけ歌うことをあくまで固辞し、そのせいで同級生から迫害されるといった種類のものだ。現実の自分としては、合唱祭というイベントは結構好きだったので、何故そのような夢を見たのかわからない。
 上階へ。両親は不在。母親は確か「K」の仕事だったと思う。父親は祭り関連の用事だろう。明日明後日が本番なので、準備とか最終の詰めとか色々あるはずだ。便所に行って立ったまま放尿し、便器をトイレットペーパーで拭いてから水を流す。それから冷蔵庫を覗いてみるとサラダや鮭など色々食べ物があったが、そのなかから牛蒡と豚肉の煮物に焼売と混ぜご飯だけ食べることにした。混ぜご飯には鮭の身、細切りにした大根の漬物や人参が混ざっていた。煮物と焼売を電子レンジで温め、混ぜご飯を大皿から椀に取り分けて卓へ。新聞は見当たらなかった。ものを食べ終えると薬を服用し、台所で洗い物をして下階に帰った。Yさんから「洋服をよく買ってらっしゃいますね」とのリプライが届いていたので、「そうなんですよ。結構好きなんですね。しかし、欲しくなるものは大概どれも高いので困ります……」との返信を送っておき、FISHMANS『Oh! Mountain』を今日も流しだして日記を記しはじめた。まずこの日のことをここまで記して一二時四〇分だが、時間が掛かったのは途中でLINEやSkypeを確認していたからである。LINEの方ではTが新しい曲のデータをGoogle Driveに上げたと報告していたので見てみると、これがMVだった。視聴してみると、映像方面は何もわからないので分析的なことは何も言えないのだが、思ったよりもずっと本格的でしっかりとした造りだったので、凄いなと思った。それでLINEの方に、「MV拝見。素晴らしい」と端的に発言を投稿しておくと、すぐに反応があった。そしてこれから前日の日記を書かなくてはならない。
 二時半まで日記を書き続けて、前日の記事は完成させた。その後、三時頃からYさん(これは上のYさんとは別の方である)とSkypeで通話をした。彼はもっと寡黙な人なのかなと思っていたところが、よく喋る人であった。話しているうちに連想的に色々なことを思い出して話題が繋がっていくのだった。こちらは例によって基本的に受ける方に回って、相手の話をうん、うん、と相槌を打ちながら聞いた。彼は今、椿實という作家の『メーゾン・ベルビウ地帯』という作品を読んでいると言った。これはTwitterでほかの人も読んでいるのを見かけたことがあるが、幻想文学の方面の作品らしく、この本は最近出たものだと思うが、初版八〇〇部しか生産されなかったようでレアなようだ。そのほかにも色々な話をしてくれたのだが、今ちょっとスムーズに思い出せない。Yさんはスター・バックスにいると言ったが、そのスタバは高校生の頃から通っている行きつけらしい。結構変な人たちがそこには集まるらしくて、電話をしている途中にも、声の大きなおじさんが入ってきたと言った。この人もよく来るらしくて、自分の席がわからなくなってしまうということがあるおじさんらしく、何度かYさんは案内をしたことがあると言う。「迷い犬」のような人だと言ったが、声が大きくて他の客は皆結構びっくりするらしい。Yさんもそうした「変な人たち」のなかに含まれているだろうと自分で言ったが、話していて彼が言うほど奇矯な人物であるという感じはしなかった。しかし乖離を患っていたり、色々と難しい生活環境で暮らしてきたこともあって、彼には自分はノーマルな人生を送れなかったというコンプレックスのようなものがあるようだ。
 後半、彼は語りすぎたと言って、こちらにも自分のことを話すように求めたが、いざ自分のことを語るとなると――毎日日記で自己語りをしているようなものだが――何を話せばいいのかわからない。大学時代のことは、と訊かれたので、文学部の西洋史コースに属していたこと、卒論はフランス革命で書いたが糞だったこと、そもそも大学時代はパニック障害の真っ只中だったのであまり思い出らしい思い出もないこと。嘔吐恐怖があったので、講義中に吐きそうになったり、外食が出来なかったので昼食が取れずにまったくの空腹を抱えて帰らなければならなかったことなど話した。文学は二〇一三年の一月から、卒業したあとから読みはじめた。最初に読んだのは何かと訊かれたので、筒井康隆の『文学部唯野教授』だったと答える。これは小説の形で文学理論を簡易に解説したような作だが、と言うのも当時のこちらの文学への関心というのは、文学作品というものをどのように読めば良いのかという形だったのだ。そうした興味を持つに至ったきっかけというのは、当時Twitterなどやっていたのだけれど、その界隈を見ているとどうやら自分と同じ大学生らしい若者が、哲学など引用して格好良く文芸作品について論じている、それにちょっとした憧れのようなものを抱いた、ということだった。それで最初のうちは、文学の読み方を解説したような本をいくつか読んでいたのだった。
 そんなような話をしていると、Yさんがトイレに行くようで、一度マイクをミュートにして席を立った。しばらくして戻ってきた彼は今度は飲み物を追加注文しに行くと言って、この時はマイクをミュートにせずにそのままにして、聞いていると彼が飲み物を注文するらしき声や、店員の声や、何か機械の動くような音が響いてきた。それで彼が戻ってきて、何の話だったっけと言ったのだったが、時刻が既に五時で、天井も何度か鳴って呼ばれていたので、残念ですがお時間ですと告げた。夕食を作りに行かなければならないと言って、ありがとうございましたと礼を交わして通話を終えた。そうして上階へ。
 青梗菜とウインナーを炒めてくれと母親が言った。冷蔵庫を覗くと、大鍋に残った素麺なり、昼の混ぜご飯なり、サラダなり、色々なものが余っているので、炒め物を作ればそれで食事の支度は充分そうだった。それで青梗菜を洗って切り分け、ウインナーも一〇本を――何と二袋でたったそれだけしか入っていなかったのだ! 母親にそれを告げると、安かったからだねと言った――それぞれ三つに切り分け、小鍋に湯を用意して少々湯搔いた。そうしてオリーブオイルをフライパンに垂らし、チューブのニンニクも落として、フライパンを傾けながらちょっと熱してから青梗菜を投入した。大雨のような音がフライパンから響いた。しばらくしてウインナーも加え、強火で炒めて、塩胡椒を振って完成とした。それから居間に行って、アイロン掛け。シャツとハンカチを処理すると下階に戻り、六時半からガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。この日読んだ箇所ではないが、好きなシーンを一つ引用しておこう。

 (……)彼らとちがって大統領は、ひとり夢想にふけりながら、泥深い沼にもにた幸福感にひたっていた。まだ暗い夜明けの建物の掃除をしているおとなしい混血の黒人女たちを、悪霊のように忍び足でつけ回し、あとに残る大部屋や髪油の匂いを敏感に嗅ぎとった。格好の場所で待ち伏せして一人をとっ捕まえ、執務室のドアのかげに引っぱりこんで、まあいやらしい、出世しても助べえなところは、ちっとも変わらないわ、とまわりで笑いころげる女どもの声を無視して、そそくさと事をすませた。だが、そのあとは決まって憂鬱な気分に陥り、他人に聞かれる心配のない場所をえらんで、気晴らしに歌をうたった。一月の明るい月よ、とうたった。絞首台のような窓ぎわで、浮かぬ顔したおれを見てくれ、とうたった。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、157)

 『族長の秋』は大統領という絶大な権力の座に就いた独裁者の、あるいはほとんど誰にも愛されない一人の男の「孤独」を大きな主題の一つとした小説でもあるわけだが、愛欲に満たされぬ大統領が「憂鬱な気分に陥り」、独りで歌を歌うこのシーンにその孤独が収斂されているような気がして好きである。
 一七九頁には、「われわれは、一枚しか残っていないシャツの胸に勲章をピンで留めてやり、その国旗で遺体を包む」という一文が記されている。三人称の記述の連鎖のなかに唐突に登場するこの「われわれ」という一人称複数は、ここでは直接的には亡命した旧独裁者たちのことを表している。同じ「われわれ」という言葉はこの小説の冒頭から見られるものの、その際の「われわれ」は大統領府に押し入って大統領の死体を発見する民衆たちの自称である。大統領府の内部の様子や大統領の遺体の描写をしているかと思いきや、後者の「われわれ」はいつの間にか三人称の回想的記述のなかに消えていき、語り手の姿は文章の裏に埋没してしまう。それが第一章も終盤に至ってふたたび登場するのだが、そこではこの「われわれ」は別の主体を指し示し、別の話者に担われているのだ。それまでの文脈、それまでの記述の距離感からすれば「彼ら」と名指されるべきであるはずの物語の登場人物――旧独裁者たち――に、三人称の語りが突如として距離を捨ててふっと同一化し、一時的な視点の転換を成し遂げている。このように、三人称のなかに一人称の「声」を嵌入し、突然に素早く、しかしシームレスに人称間の移動をこなすこと、これもこの小説の優れた形式的テクニックの一つだろう。
 一八〇頁から一八一頁には、ガルシア=マルケスの得意技、「眺めた」の列挙がある。ここも素晴らしいので、長くなるが引用しておきたい。

 (……)やはり昔のことだが別荘が建てられた年の十二月、大統領はそのおなじテラスから、どこまでも連なるアンティリャの幻の島々を、一人の男がショーケースのなかを指さすようにして教えてくれる島々を、眺めたのだった。あれですよ、閣下、と言われて、マルティニーク島の芳香ただよう火山を眺めた。その結核療養所を眺めた。教会の入口で総督夫人たちにガーデニアの花束を売りつけている、レースのシャツを着た黒人の大男を眺めた。あれですよ、閣下、と言われて、パラマリボの港の騒々しいマーケットを眺めた。トイレを利用して海から抜けだし、アイスクリーム屋のテーブルに這いあがったカニを眺めた。どしゃ降りの雨だというのに、みごとなお尻を地面にどっかと据えてインディオの首やショウガを売っている、黒人の老婆たちの歯にはめ込まれたダイヤを眺めた。あれですよ、閣下、と言われて、タナグアレナの浜辺で眠っている純金の牛を眺めた。絃が一本しかないバイオリンで死神の誘いの手を払い、代わりに二レアルをいただくという、グアイラ生まれの千里眼的な盲人を眺めた。トリニダードの八月の焦熱地獄や、バックで走り抜ける自動車を眺めた。絹のワイシャツや、中国の大官を彫った丸ごと一本の象牙をあきなう店の前の通りで、大ぐそを垂れているインド人たちを眺めた。悪夢のようなハイチや、その青いのら犬たちや、夜明けの道端の死骸を集めてまわる牛車などを眺めた。キュラソーのドラム缶のなかで息を吹き返したオランダ・チューリップや、雪よけの屋根のある風車小屋や、都心のホテルのキッチンを通り過ぎていく怪しい汽船などを眺めた。カルタヘナ・デ・インディアスの石がこいや、一本の鎖で仕切られた湾や、家々のバルコニーに当たっている日射しや、いまだに副王の飼い葉を恋しがっている貸馬車のやせ馬などを眺めたのだった。閣下、素晴らしい眺めじゃありませんか、世界は広いでしょう、と言われたが、事実、世界は広かった。広いばかりでなく、気の許せないものでもあった。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、180~181)

 読者は八時まで。以降のことはよく覚えてもいないし、食事、入浴、読書くらいなので簡潔に省略して書こう。そのほかのこととしては、入浴して洗面所から出てくると、ロシアの兄からテレビ通話が掛かってきていて、両親がソファに就いてタブレットを前にしていた。Mちゃんの姿が映っていた。こちらもタブレットの方に寄っていき、呼びかけながら手を振ってやると振り返してくれた。それからしばらく彼女が遊ぶ姿を眺めて、通話を終えると、下階へ。一〇時一五分からふたたび読書を始め、零時四〇分頃まで読んで就寝。


・作文
 12:16 - 14:30 = 2時間14分

・読書
 18:30 - 20:02 = 1時間32分
 22:15 - 24:37 = 2時間22分
 計: 3時間54分

・睡眠
 2:45 - 11:30 = 8時間45分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Bob Dylan『Blood On The Tracks』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』

2019/4/30, Tue.

 一一時三五分起床。いつもながらの怠惰な寝坊だが、就床したのが四時なので睡眠時間は七時間三五分と、意外と適正の範囲である。上階に行き、ソファに就いてテレビを見ている父親に挨拶。母親は確か「K」の仕事だと言っていたと思う。いや、違ったか? それは明日、五月一日のことだったかもしれない。ともかく不在である。昨日まで着ていたジャージを洗ってくれたらしく、居間の隅の物干し竿に吊るされてあった。それはまだ乾いていないだろうと思ってもう一つのジャージを取りに仏間に入って箪笥を開けたが、そこに目的のものがない。居間の隅や、洗面所も見て回ったけれど見つからないので、ジャージがないぞと父親に言うと、あれじゃないのかと吊るされているものを指す。それで近寄って触ってみると、温風を吐き出しているエアコンの真ん前に吊るされていただけあって既に乾いていたので、これを着ることにした。着替えて便所に行き、膀胱を軽くしてから洗面所で顔を洗い、それから台所に入って前日の天麩羅の残りを小皿にいくらか取り分け、電子レンジで一分二〇秒加熱した。加熱しているあいだに白米を椀によそり、卓に運んで新聞を瞥見すると、一面では今上帝が今日退位と大きく取り上げられていた。天麩羅も持ってきて食事を始める。テレビは爆笑問題の二人や、あの指原何とか言うAKB48の人(だと思うのだがよく知らない)が出演していて、平成時代を振り返るみたいな番組をやっていた。食事を終えると台所に行って水をごくごく飲み、さらに一杯汲んできて抗鬱剤ほかを服用すると、食器を洗って下階に下りた。ソファに就いた父親は祭りで履く草履を何やら加工しているようだった。
 Art Blakey Quintet "Split Kick"を流し、タングトリルで各人のソロの旋律を追って歌う。それからcero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌ったあと、音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』を流し出して日記を書きはじめた。一二時一七分から一七分間で現在時に追いつかせることが出来た。髭がぼさぼさと伸びっぱなしなのが少々気になってきた。母親にも剃れ剃れとやかましく言われている。
 前日の記事を投稿し、Twitterを眺めたあと、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しっぱなしのまま、一時から読書を始めた。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』である。「愛の彼方の変わることなき死」をすぐに読み終えて、いよいよ『族長の秋』に踏み入った。この小説を初めて読んだ頃はその威力に完全にやられてしまって、冒頭の数頁など完璧に覚えきって暗唱できるようにしようと日々口に出して読んでいたものだ――そして実際、三頁か四頁くらいは暗唱できるようになったのだったと思う。そのくらい入れ込んだ作品であるわけだが、今回で読むのは六回目か七回目かになるはずである。さすがに往時のように大きな衝撃を受けることはもうないが、それでもやはりガルシア=マルケス特有の骨太な密度を持った記述は魅力的で、また昔に比べてこちらの注意力や読みの精度も上がっているので、細かな箇所に新しく感応することができる。例えば、一四〇頁から一四一頁に掛けては、「奥のほうに、よく馴染んだ土や樹液や小雨ごと、巨大な温室付きの船に乗せて小アジアから運ばせた、シダレヤナギが見えていた」という一文があるのだが、「土」や「樹液」を運ぶのはまだ理解できるものの、「小雨」という自然現象を「船に乗せて」運ぶというのはどういうことなのか訳がわからない。ところが、それが可能なのがガルシア=マルケスの世界なのだ。このようなさりげない部分、たった一語のささやかな記述によって、このあとも様々な奇想が繰り広げられる壮大な超現実の世界が準備されているわけだろう。「雨」というものをどのように運ぶのかと、現実的な解釈を考えてみても仕方がない。そのように書かれているからには、現実離れした事柄であっても、この小説においてはそのようなことが確かに起こっているのであって、あることを書けばその世界のなかでは書いた通りに現象してしまうというこの性質が、小説言語のいかがわしい、いかにも破廉恥なところだ。
 音楽はFISHMANSの次にBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)を繋げて、二時半前まで読書を進めた。それからcero "Yellow Magus (Obscure)"を流して口ずさみながらジャージを脱ぎ、臙脂色のシャツと、先日買ったばかりのガンクラブ・チェックのズボンを身に纏った。そうして上階に行き、母親に出かけることを告げると、浴室に入って風呂を洗った。風呂を洗いながら何となく、立川の叔父宅に遊びに行こうかなという考えが生じていた。それで浴室を出て居間に来ると母親に、立川の家に遊びに行こうと思うが良いかと伺いを立てると別にいいよとの答えが返ったので、自室に戻ってYさん(叔母)に突然ですまないが今日遊びに行っても良いかと尋ねるメールを出した。そのあとリュックサックにコンピューターと本を収め、BANANA REPUBLICのブルー・グレーのジャケットを羽織って上階に行った。羽織ったばかりのジャケットをソファの上に脱いでおき、洗面所に入ると後頭部を濡らして寝癖を整え、それから電動髭剃りで伸ばしっぱなしだった髭をあたった。剃刀を行き来させていくらかひりひりした肌に化粧水を染み込ませておくと、母親が、サブレを持っていったらと言う。そのほか、筍やほうれん草などもと言って、こちらは荷物が多くなるし野菜は良いだろうと思っていたのだが、母親は構わず準備を始めた。それで、銀色の保冷袋に収められた野菜類――筍に椎茸、ラディッシュか何かの葉っぱにほうれん草――と、東京牛乳サブレとかいう品をリュックサックに入れ、本やコンピューターと合わせて満杯になったそれを背負って出発した。雨が降っていた。傘をひらいて道に出てすぐ、年金の支払い書を忘れたことに気づいたので家に戻り、忘れ物と言って居間に入っていき、自室に戻って支払い書をリュックサックの小さなポケットに収めた。もともと今日出かけることにしたのは、年金の支払い期限がまさしく今日までだったためなので、これを忘れては元も子もない。そうしてふたたび出発し、傘を差して歩いていく。
 雨は細かいが鋭く素早く落ちて、加えて軽く風に乗っていくらか傾くので、街道に出た頃にはせっかくのジャケットが早くも湿っていた。今更の思いだが、青梅駅まで三〇分掛かる徒歩を取ったのは選択の誤りだったのであって、最寄り駅から電車に乗るべきだったかもしれない。斜めに掛かってくる雨を防ごうと傘を前方に傾けて、制限された視界のなか、足もとに視線を落としながら進んで行く。そんな調子だったので特段に興味深い事物は見ず、せいぜい鶯の音が湿った空気のなかを渡って響くのを聞いた程度である。
 青梅駅に着くと傘を閉じて改札を抜け、発車まで一、二分だったので歩速を少々速めて階段を下り、上りの方は一段飛ばしで大股に上がって行って電車に乗った。この日は席には就かず、扉際に立って、手帳を出して眺めることもせずに、茫漠と白い空の下、雨に濡れた町の様子にただ目をやった。そうして河辺に着くと降車する。ホームの真ん中に、中国人の女性ばりに大きな声で電話をしている年嵩の女性がいた。その横を過ぎてエスカレーターを上がり、改札を抜けると窓の外では遥かな山並みが白く煙った姿を背景に燕が飛んで宙を横切り、鳩が建物の屋上に止まっている。駅舎を出て傘をひらいて高架歩廊を渡り、図書館の入口に掛かると閉じた傘をばさばさやってからなかに入って細長いビニール袋を一枚取った。口を指で広げながらそれに傘を収めて入館し、CDの新着を確認すると、Bob Dylanのライブ音源が二つ入っていて、これは是非とも借りたいがその時は今日ではない。上階に上がって新着図書には特段に目新しい顔は見当たらなかった。書架のあいだを通り抜けて大窓際の座席を見ると、一つ空いているものを発見したのでそこに入り、リュックサックを足もとに下ろして寝かせないように――筍が水に浸かっているからだ――注意して席の柱に凭せ掛けて立て、濡れそぼったジャケットを脱いで椅子の背に掛ける。それからコンピューターを取り出すと起動させ、日記を書き出したのが四時前だった。そこから三〇分ほどでここまで綴ることができた。
 余計な時間を使わずに立川に向かうことにした。コンピューターをリュックサックのなかに仕舞って立ち上がり、大方乾いたジャケットを羽織ってリュックサックから財布と年金の支払い書を取り出した。財布はジャケットの右ポケットに入れ、腕時計をつけ、手帳を机上から取って胸の隠しに入れると、支払い書を片手に歩き出した。イギリス史や中東史、中国史の本が並んだ書架のあいだを通り抜け、階段を下りて退館した。傘の袋をそれ用に設けられたダスト・ボックスに捨て、自動扉をくぐって外へ出ると、傘を差して高架歩廊に踏み出て、階段へと折れた。階段を上ってきた男二人――まだ少年のような面影を残した威勢の良さそうな若者たち――とすれ違うと、香水か洗剤か、香るものがあった。
 コンビニに入って真ん中のレジに寄り、お願いしますと言って男性店員に年金の支払い書を差し出した。ご確認をお願いしますと言われて画面に表示されたパネルを押し、二万円と小銭を払うと店員は実に素早い手付きでレジを打ち込んだ。釣りを貰って礼を言い、退店する前に店内の片隅でリュックサックを下ろして財布と年金支払い証書をなかに入れ、外に出ると傘をひらいて駅に向かった。エスカレーターを上がって駅舎に入り、改札を抜けてホームに向けてエスカレーターを下りるとちょうど立川行きが入線してきた。それで先頭車両に乗って、七人掛けの端に就き、リュックサックを立てて脚のあいだに置いた。
 電車内は空いていた。手帳を取り出して、メモしてある事柄を、時折り目を閉じて心中で唱えるようにしながら復習していく。こちらの位置から見て左斜め前の七人掛けの中央には、サラリーマンと同僚の女性二人が就いており、何やら仕事の話をしているようだった。左から男性、女性、女性の順番で座っており、スカートを履いている端の女性は背を曲げて身体を前に出し、大方男性の方を向いていてこちらには横顔をほとんど見せず、熱心に話を聞いているようだった。
 立川に到着すると急がず人々が降りていくのを待つ。手帳を見たまま少々時間を取り、そろそろ階段からも人が捌けただろうというところで降車して、たった一人で階段を上った。改札を抜けると、平成最後の日ということが関係しているのか否か、今日も立川は大層な人出で、壁画前には壁から盛り上がるようにして待ち合わせの人々が並び立っていた。LUMINEに入り、エスカレーターに乗って六階を目指す。A家に行く前に駅ビルに寄ったのは、先日ららぽーとFREAK'S STOREで試着してみたガンクラブ・チェックのブルゾンがこちらのFREAK'S STOREにもあるのではないかと確認しに来たのだった。それで六階で下り、FREAK'S STOREの店舗に入って回ってみると、チェック柄のブルゾンは見つかったのだが、こちらはグレーのグレン・チェックのもので、先日見たベージュのガンクラブ・チェックのものとは微妙に風合いが違う。どうしようかと考えながら他の品物を見て回った。ひとまずここでも試着するだけはしてみることにして、竿に掛けられたものを取って近くの男性店員に目配せをして、試着、よろしいですかと尋ねると、そのまま羽織りますか、試着室を使いますかとあったので後者を選択すると、ちょうど試着室は使われているところだったので、空いてからご案内しますとなった。それでさらに店内をうろついて、靴や靴下などのアイテムも見て時間を潰していると声が掛かったので先導に従って試着室に入った。ジャケットを脱いで代わりに羽織るだけなのでカーテンを閉める必要はないのだが、閉ざされたカーテンの後ろでグレン・チェックのブルゾンを身に着けた。ちょうど先日買ったガンクラブ・チェックの今履いていて、微妙に異なる柄同士を組み合わせた形になったのだが、そこまで変ではないように思われた。ちょっと経つと店員がカーテンの向こうから話しかけてきたので、幕をひらいて、こんな感じですと姿を披露した。似ているチェック同士なので違和感はないですねと彼は言う。店員はこちらのパンツに目をつけて、それはうちの品ですかと訊くので肯定し、先日ららぽーとに言ってきて買ったのだと答えた。その時に、同じ柄のブルゾンがあるじゃないですか、セットアップみたいにしてそれも試着したんですけれど、それがこちらにもあるかなと思って来たんですと話すと、店員は相貌を崩し完売しちゃいましたと言った。それでこちらも、そうですかあと、残念な情を籠めた、眉の下がった笑みを浮かべる。
 こちらがシャツをズボンのなかに入れて、ブルゾンのファスナーを閉めてきっちりと着込んでいたのに対して店員は、是非シャツの裾を出して、ひらいて着ていただいた方が、と勧めて来たのでそのようにしてみると、確かにその方が固くなりすぎずに良いようだった。セットアップでないのが残念だが、柄が違っていても微妙な差異なので変というほどではない。しかしどうしたものかなあと思いながら店員にふたたびカーテンを閉めてもらい、ブルゾンを脱いだ。そうして幕をひらいてシャツ姿のまま店内に踏み出し、店員にもう一着いいですかと声を掛け、真っ黒の固めの織りの、しっかりとした生地のジャケットを手に取ると、店員はあ、良いと思いますと言った。試着室に戻ってそれも着てみると、こちらも悪くない。Lサイズだったのだがゆったりと着れる。店員の話では、Aラインもさほど絞っていない品なので、また織りも固くなっているので腕をまくったりしてカジュアルに着れるとのこと。今日の格好だったら、こっちですねと彼は言った。
 持っているのがジャケットばかりなので、カジュアルな方面にもちょっと挑戦したいんですよと話した。すると店員は、もっとカジュアルにしたければ、やはりなかをTシャツにすることだと言って、白のシャツを持ってきた。お持ちですよねと問われたのには、いやそれがね、と置いて、Tシャツを一枚も持っていないんですよと笑う。襟付きのシャツばかり着ていて。それでしたらということでさらに彼が持ってきたのが、何と言っていたか忘れたが、何とかネックというタイプのもので、首周りが窄んでおり、襟付きのシャツに似た着心地が味わえるのだと言う。
 それから彼は、羽織りをお求めですかと訊いてきたので、そうですと肯定し、もう春だし薄手の羽織りが何かあればなと、と言った。何かお勧めはありますかと問うて店員が持ってきたのは二品で、一つは真っ黒の、シアサッカーという素材あるいは織り方の、ジャンパーめいた上着だった――コーチ・ジャケットと言っていたか? これも悪くなく、軽い着心地で、店員によるとややスポーティーに着こなせるとのことだった。
 もう一つはオリーブ色の薄手のシャツ・ジャケットのようなもので、オリーブは着たことのない色なので新鮮な感じがした。オリーブにも色々あって、と店員は語る。カーキ色に近いものとか、フォレストと言っていかにもな緑色のやつとかあって、それらはやはり秋っぽいのだけれど、この品は明るくで春でも着れるような色味のものだと言う。今日のなかだったら、僕としてはこれが一番お勧めですねと店員はこの品を推してきて、確かに実際なかなか良かったのだ。それでもやはりこちらとしてはチェック柄のブルゾンに未練が残っていた。それで最後にもう一度着てみても良いですかと問うて了承を取り、オリーブ色のジャケットを脱いで値段を見てみると、こちらは一六八〇〇円だかしたので、これはさすがに高すぎるなと判断された。
 そうしてもう一度グレン・チェックのブルゾンを羽織ってみると、やはり軽く爽やかな着心地でしっくり来る。しかしセットアップでないのがやはり残念だと同じことを思いつつ店員に、こうしたチェックとチェックの組み合わせはありなんですかねと尋ねると、そこはもう本当に個人の好みになってしまうから、自分で着れると思ったらどんどん着ていくのが良いと思うけれど、と留保が入った上で、でも僕としてはなしですかねと店員は笑って、ここで少々本音が出たような気がする。しかしそれは柄と柄の組み合わせが変だと言うよりは、彼の好みとしておそらくもっとカジュアル寄りなので、パンツにガンクラブ・チェックのトラッドでフォーマルなものを履いているのだったら、もっとワーキング風味な品などを上着には選んでやや外しを入れていくべきだとの考えだったのではないかと推測する。実際彼の格好も、ペイズリーのような柄のジャージ(と本人は言っていたのだが)に、上は軽めのジャケット、インナーはオレンジっぽいような色だった気がするのだが、そのように、カジュアルとややフォーマルな品を組み合わせた服装だったのだ。カジュアルな方面を試したいのだったら、やはりワーク・スタイルの品などが合わせやすいと言った。FREAK'S STOREと言うとアメリカン・カジュアルのイメージが強いかもしれないが、フランスなどヨーロッパの方からも品物を取り寄せており、そちらの方の服は結構綺麗目のスタイルにも合わせやすいのだということだった。
 彼は色々と丁寧に話してくれたのだったが、その内容を全然覚えきれず、上の程度の記述になってしまった。それで最終的に、セットアップでないのがやはり残念ではあるが、しかし別にガンクラブ・チェックのズボンと合わせて着なくたって、独立に着たって良いのだというわけで、グレン・チェックのブルゾンを購入してしまうことにした。カーテンを閉められたその裏で服を脱ぎ、ジャケットを元通り着込んで、ブルゾンを畳んで持って試着室を出ると、店員に、こちらを頂こうかと思いますと宣言した。そうして会計。FREAK'S STOREのアプリなどは登録されていますかと言うので、いやと否定し、僕、携帯がガラケーなんですよ、駄目ですよねと訊くと、カードを作ることは出来るが、アプリにログインできないのでポイントをつけられないかもしれないとのことだったので、笑って、仕方ないですと答えた。文明から遅れている人間なんでと言うと、店員は一体どんな根拠か、いや、大事なことですよと言い、僕もそういうこだわりがあるんですなどと話しながらそれについては詳しくは語らず、でも僕、携帯は全然iPhoneですけどねと笑うので、こちらも、何やねんそれと笑いを返した。そうして一二七〇〇円を支払い、雨除けのカバーをおつけしましょうかと訊かれたので、お願いしますと頼む。店員は服を畳んで透明なビニールに包み、緑色一色の袋にそれを入れると口を大きめのシールで封じ、それから雨除けのビニール袋を取り出すとばさばさと振ってその口をひらき、ショッパー・バッグに被せた。それでありがとうございますと言いながら品物を受け取ったあと、さらに続けて、色々とありがとうございましたと礼を繰り返し、右手を差し出して笑みとともに握手を求めた。差し出されてきた手を握ると相手は、Tと申しますと言うので、Tさんなんですね、と応じ、最後にもう一度ありがとうございましたと礼を言って店舗をあとにした。
 エスカレーターを下って一階へ。菓子類を売る店舗がひしめき合っているフロアである。立川の家を訪れるに当たってまた何か洋菓子の類を買っていくつもりだったのだ。ロールケーキが良いだろうと考えていた。過去にA家を訪れる際にはよくロールケーキを買っていったものだから、それを踏襲しようと思ったのだ。それでガラスケースのなかに視線を送りながら歩きはじめると、フロアに下りてすぐのところの、DOLCE FELICEという店舗に、フルーツ・プリン・ロールケーキがあるのを早速発見した。九〇〇円と値段もまあ手頃である。それに目を留めておいてからフロアをさらに回ってみると、ほかにもロールケーキは二、三発見されたが、一五〇〇円とか二二〇〇円とかでなかなか高い。それで先の品物に早々に心を決めたのだけれど、九〇〇円の品一つだけでは何となく物寂しい。どうしたものかとDOLCE FELICEの前に戻ってガラスケースのなかを眺めていると、「エクレール・~~」という名前の、横に長いシュークリームのような類の品が三種類あったので、これを一つずつ買っていってそれぞれ二つに分けてもらえば六人分になってちょうど良いではないかというわけで、これをロールケーキと合わせて購入することにした。それで、ガラスケースの向こうの女性店員に、よろしいですかと声を掛けて、フルーツ・プリン・ロールを一つ――元々一つしか残っていなかったのだが――と言い、それに、このエクレール・シリーズがありますね、この三種類をそれぞれ一つずつ、と注文した。エクレール・シリーズの品は、それぞれ、「エクレール・フレース」、「エクレール・フリュイ」、「エクレール・マロン」という名前だった。マロン以外は意味がわからない。エクレールというのはエクレアのことなのだろうか? ともかくそれで一七八二円を支払い、店員が品物を用意してくれるのを待つ。ここでも雨除けのカバーをお掛けしますかと訊かれたので、お願いしますと頼んだ。店員はまだ新人の方だったのか、箱二つを入れる袋のちょうど良いサイズを一度で見極めることが出来ず、何度か選び直していた。それから雨除けのカバーをつける際にも先輩らしき店員に手伝ってもらっていた。それで作業が終わると女性店員が、大変お待たせ致しましたと言いながらカウンターの裏から出てきて袋を渡してくれたので、ありがとうございますと礼を言ってその場をあとにした。
 のろのろとしたエスカレーターを上がって二階から駅舎のなかへ出た。コンコースには見渡す限り無数の人の頭の作り出す波がうねっている。そのなかを通って南口に行き、高架歩廊から下の道に下りた。いつもはマクドナルドの手前を西に折れて行くのだが、たまには違うルートを取るかというわけで、向かいのマクドナルドの方に横断歩道を渡って、高架歩廊の下で雨を避けながら南に向かった。そうして大きな通りに突き当たるとさらに南側の歩道に渡り、西に折れる。そうして交差点に至るとさらに左、南側に折れて、裏通りに入ってA家を目指した。左手に紙袋二つを持っていたが、荷物を持っているために手の位置が下がって、小さな傘では雨を避けこれずに袖のあたりが濡れそぼってしまった。
 A家に着くと傘をばさばさやって閉じ、インターフォンを鳴らした。しばらく待っても出てこなかったのでもう一度鳴らすと、ばたばたという足音がしてYさんが出てきた。あんた随分濡れてるじゃないと言って、タオルを持ってきてこちらの腕を拭いてくれた。これ、とケーキの袋を示すと、そんなのいいのに、と言ったが、立川の皆はいつも大袈裟に喜んでくれるのでこちらとしても買っていく甲斐がある。それで靴を脱いで上がり、廊下を通って居間の方に入った。YとYちゃん(叔父)がいた。どうもお邪魔しますと言いながら入っていくと開口一番、Yちゃんが、何お前、丸くなってんの、というようなことを言った。笑って、太ったんだと受けると、いいよ、実にいいよとYちゃんは言った。ジャケットを脱ぎ、Yの持ってきたハンガーに掛けてもらって、居間の入り口から見て向かい、炬燵テーブルの長い辺の位置に座って、掘り炬燵に足を入れた。
 調子は良いのかと尋ねられたので、お蔭様でと返す。昭和記念公園など、人が凄いとYちゃんは言った。どうやら右翼と左翼の人々がどちらも集まってそれぞれ街宣しているらしい。一方は天皇を崇め、もう一方は天皇制の廃絶を訴えているわけだろう。それで昨日立川の街に出たけれど、どこも渋滞していて一回りするのに二時間だとYちゃんは言った。彼はこのゴールデン・ウィークは特にどこにも出かける予定がないのだと言う。ずっとここにいて(と自分の席を示して)、酒を飲んでいると言う。晴れていればさっさと外に出てしまってサイクリングなり何なりするが、雨だと出かけられないので、ずっと家中にいてテレビを見ていると。しかしテレビだって大して面白くないでしょうと言うと、そうなんだよと彼は嫌な虫を見た時のような表情をした。あとになってDVDでも見ればいいじゃないとこちらが提案した時には、その言葉をYさんが即刻捕まえて聞いてよ、と言い、私もそう言ったのよと話す。Yさんは明日まで仕事があって、子供たちもそれぞれに予定があるから、そのあいだYちゃんは一人で時間を潰さなければならない。それでDVDでも借りておいて見れば良いじゃないとYさんも言ったらしいのだが、何故だかYちゃんは嫌だと固辞したらしい。
 食事はまず、微かに山葵の混ざった菜っ葉の和え物。山葵は大丈夫かと訊かれたのだが、こちらは唐辛子系統の辛さは比較的苦手でも、山葵はわりと好きである。今、駄目な食べ物はあるのかとYちゃんが訊くので、端的に、キムチ、と答えた。
 その次に鰹節の掛かった豆腐。そして茄子の煮浸し。茄子は大丈夫かとふたたび訊かれるので、大丈夫だ、むしろよく食べるし自分は茄子をよく買うと答えると、Yちゃんが、買うの? と。彼は野菜を自分で買ったことがない――三〇年も!――と言う。Yちゃん(というのはこちらの父親のことである)だって買ったことがないだろうと言うので、ないだろうねとこちらは同意する。しかし、茄子は豚肉と一緒に炒めれば楽に美味い一品が出来て簡単なのでこちらはよく買うのだと繰り返す。
 メインのおかずはレタスとマヨネーズを添えられた豚肉の炒め物だった。塩ダレかポン酢を掛けて食べてくれと言うので、半分ずつそれぞれを掛けて、豚肉とともに白米を貪る。そのほか、手作りのマカロニグラタンも出てきて大変満足する食事だった。食事に関して言えば、最近は筍の天麩羅をよくやっていると話す。するとYちゃんはここでも、お前がやるの? と意外そうな様子だった。そうだと、俺が揚げているのだと答える。
 テレビは最初のうちは改元関連の話題を取り上げていた。最後の言葉を述べる今上帝の様子が流れるのに対してYがこの人たちは五月一日から何をするのかなあなどと漏らしたのに、Yちゃんが、でも息子たちのことが気になって仕方がないと思うよ、あれだけ人々に受け入れられる存在になって、象徴天皇としての務めを次の代もきちんと受け継いでいけるか、というようなことを言った。テレビはその後、主に『開運! なんでも鑑定団』が映し出されていた。これも平成最後ということで、平成時代に取り上げられた高額の宝であったりとか、鑑定人たちの心に残っている一品だとかが紹介されていた。番組の最後の方で石坂浩二が出てきたのだが、この人は本当に若いなとこちらは口にした。Yが携帯で調べたところ、七八歳らしいのだが、髪だって豊富にあって綺麗に撫でつけられているし、グレーのスーツもきちんと整っていて非常に格好良い、紳士然とした佇まいで、姿勢の綺麗さや細かな身振り、動きの感じが、八〇を目前にした老人のそれとはとても思えなかった。
 番組の途中では渡辺崋山の絵などが取り上げられて、蛮社の獄だなとこちらは口にした。その流れだったと思うが、Yが意外と日本史の知識を持っていることが判明した。大学入学時に日本史で受験したからである。モリソン号事件とか安政の大獄とか知っていて、いや、勿論普通に勉強した人間であれば名前は知っているのだと思うが、Yは決して勉強が得意な方ではないからこれは結構意外だった。あとあとになっては、Yちゃんやこちらが秋篠宮殿下の話をしていた際に、部屋の反対側にいたYが、紫香楽宮は、などと言い出したので、紫香楽宮聖武天皇だとこちらは突っ込んだのだけれど、紫香楽宮なんて高校日本史のなかでも結構マイナーなワードではないだろうか。秋篠宮家について話していた話というのは、Kのやつが秋篠宮家が嫌いだと言うか、彼らはあまり頭が良くないと批判しているらしく、一体どんな根拠でそんなことを言っているのかわからないのだけれど、ともかくそんなことを言っているらしい(小室圭氏の件は特に関係がないらしい)。それで、あいつ、根性が捻じ曲がっちまったんじゃねえのなどとYちゃんは漏らしていた。そのKは今日は不在で、何でもまた彼女の家に入り浸っているという話である。
 Kは予備校で働いているのだけれど、東大に行くような子供たちの相手をしていて、彼が話すには子を東大に行かせたいという家庭の親は、碌でもないと言うか、やはりどこか壊れているようなところがあるのだと言う。やはりモンスター・ペアレントみたいな人がいるのかもしれない。その対応に彼は日々追われているのだろう。しかし東大に行ったからって凄いとは限らないじゃないかと、そんな話をしている最中にこちらがYちゃんに向けると、まったくその通りと彼は深く頷く。そんなことは問題じゃねえんだ、東大に行ったって悪いことをするやつもいるし、性格がとんでもないやつだっているし、人とコミュニケーションを取れなかったりするやつもいるし、と。こちらとしては、やはり人間の人間たる能力というのは創造性にあるのではないかと何となく思っていて、だから頭が良いとか賢いとか言うのは勉強が出来る仕事が出来る云々よりも、発想力などの問題、自分に備わった創造性をいかに十全に発揮できるかに掛かっているのではないかというようなことを考えた。だから学歴などまったく問題ではないとその点はこちらも同意するのだが、しかしまあ東京大学に行くくらいに優秀な地頭を持っている人々だったら、やはり創造力の面でも優れている人が多いのかもしれない。
 Yは中学校の体育教師をしているのだけれど、先日も聞いた話だがやはり非常に忙しくて、このゴールデン・ウィークに入るまでに休みが一日だか二日くらいしかなかったという話だ。相当にブラックな職場環境らしい。親父が寄れって言ってたぜと言うと、そのうちに本当にお世話になる時が来ると思うと彼は答える。このゴールデン・ウィークで体力を回復させないといけないと言うが、しかし青梅大祭には遊びに来ると言う。是非そこで鋭気を養って五月病を回避して頑張ってもらいたいものだ。
 ケーキはどれも好評だった。K子もYさんもYちゃんもYも喜んでいた。Yちゃんが、でもS、うちに来るのにそんなに心配しなくていいんだぞ、と何度も言うので、別に心配などしていないとこちらは答える。心配しなくていいというのは気を遣わなくていいという意味なのだが、それに対しても、別に気を遣っているわけではなくて、たまのことなのでケーキでも買っていって皆が喜んでくれればそれでいいかなと思って、と答えた。ロールケーキもエクレールも美味であった。ロールケーキはなかにプリンが入っていて、このプリンがなかなか美味いものだった。こちらはロールケーキを二切れ頂き、エクレールはK子が余分に一つ食って、Kの分はなくなった。
 結構あとの方の時間になって、テレビCMで小沢健二 "ラブリー"のカバーが流れた時があったので、小沢健二ではないかと言うと、Yちゃんは、オザケン、何か有名なのあったよなと漏らす。それで、"今夜はブギー・バック"とかとこちらが言うと、Yがその場で携帯を操作してyoutubeの動画か何か流してくれたのだが、YちゃんにもYさんにも聞き覚えはないようだった。こちら一人、流れる音楽に乗って身体を揺らしていたのだが、じきにその音も会話に紛れていった。
 例によって、本当はもっとたくさんの会話があって、たくさんの差異が時間のなかに生まれていたのだけれど、それを十全に記憶して書き記すことはこちらの能力を越えている。ああしかしあと一つ書き忘れていたのは、新しく買った服のお披露目をしたことだ。今日さあ、LUMINEに言ってさあ、服、買っちゃったんだよと、ちょっと浮かないような表情で漏らすと、Yさんがいいじゃないと言う。金を使っちゃったんだよとこちらは続けて、居間の片隅に置いてあった紙袋を持ってきて、なかのものをお披露目した。皆の反応は大体好評で、お洒落じゃない、といった類のものだったが、Yちゃんなどは、でもそう言われたら悪いなんて言えないじゃんと漏らして、それは確かにその通りだ。Yがちょうど、似たようなチェック柄のジャンパーの類を着ていたので、似てるじゃん、お前(とYに)俺のと同じじゃんとか思っているんだろ、とYちゃんは冗談を言う。それでこちらが買ったブルゾンをYちゃんに着せてみたりしたのだが、Yさんの評価では、似合わないよとのことだった。また、Yにもこちらの着てきたBANANA REPUBLICのジャケットを着せてみたのだけれど、これが相当に似合っていて、サイズもぴったりで、皆格好良い格好良いと褒めそやした。じゃあ頂きますか、などとYやYちゃんは冗談を言うのだけれど、さすがにあげるわけには行かない。このジャケット、いくらだと思う、と皆に問いかけた。それぞれめいめいに答えたあと(Yちゃんは一人低めで、三五〇〇円などと言っていた)、もともと三万五〇〇〇円の品が、古着屋で八〇〇〇円、しかも未使用品だったと告げると、それは良い買い物をしたねえとの反応があった。
 まあそんなところで良いだろう。一〇時を迎えると、もう一〇時なのでそろそろ帰りますと言い出した。ジャケットを羽織ってリュックサックを背負い、ありがとうございましたと皆に挨拶すると、またいつでも来いよ、うちはいつでもウェルカムとYちゃんが言ってくれて有り難いことだ。それで居間を抜け、廊下を通ってもと来た扉、あれは勝手口なのだろうか、わからないが、外に出ると雨はまだ少々細かく降っていた。門のところまでYさんが来てくれたので、ありがとうございましたと礼を言い、戸口で見送ってくれたほかの三人に向けてじゃあねと手を振って歩き出した。来た時とほとんど同じルートを辿って駅まで行き――いや、同じルートではなかった。途中、立川南駅のところででエスカレーターで高架歩廊に上がったのだった。それでアレアレアの横を通って駅舎まで行くと、駅舎に踏み入ったあたりから周囲に下水道のような臭いが立ち籠め始めたのだが、あれは雨で濡れた床に人々の靴についた汚れが混ざって生まれたものだったのだろうか。その傍証として、コンコースのなかの方に進んでいって床の乾いた地帯に差し掛かると臭いは消えた。
 改札をくぐり、一番線に下りて進行方向から見ると最後尾の車両に乗る。扉際を取り、手帳を取り出して眺めた。車内にはギャルじみたぱさぱさとしたような茶髪の女性二人とか、白に近い金色の髪の裾をピンクに染めたややロリータ・ファッションの女性などがいて、ゴールデン・ウィーク感があると言うか、都市の感があると言うか、色々な人がいるなあと思われた。手帳は拝島に着いたところで仕舞い、それから先は携帯電話をかちかちやって今日のことをメモしはじめた。あっという間に青梅に着き、降りると二番線で乗り換え電車を待ち、まもなくやって来たものに乗ると三人掛けにリュックサックを背負ったまま腰掛け、前屈みになって引き続き携帯電話をぽちぽちやった。最寄り駅に着いたあとには特段のことはないので省略する。
 帰宅。両親に挨拶して下階に下り、リュックサックの中身をすべて取り出し、服を脱ぐとシャツにパンツの姿で入浴に行った。出てくると母親が一人、眼鏡を掛けて居間に残っていたので、A家でのことをちょっと話して下階へ。小沢健二『LIFE』をヘッドフォンで聞きはじめ、零時二〇分から日記を書き出した。音楽をBob Dylan『Blood On The Tracks』に繋げて一時二〇分まで一時間綴ったあとは、今日の作文はそこで切り上げることにして、寝床に移って読書に入った。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』。一五三頁では、「市中の見回りに出かけた」大統領が「眺めた」様々な事物が体言止めの形で「列挙」されているのだが、短篇で同じ技法が使われていた際よりも、修飾は長くなり、記述の密度はより凝縮されたものになっている。「正面の玄関で時間がいぎたなく眠りこけ、ヒマワリが海に顔を向けている、古い石造りの大邸宅。副王時代からの街の、ろうそくの臭いがただよう石畳みの通り。日射しの明るいバルコニーのカーネーションの鉢とパンジーの吊り鉢に囲まれながら、身についた上品な手つきでレース編みの棒を操っている、色白な令嬢たち。初めての彗星の通過を祝うのに使われたこともあるが、午後の三時になると決まってクラビコードの弾奏が始まる、ビスカヤ出身の尼僧らの住む修道院市松模様」といった調子だ。ここでは無時間的な描写によって物語の進行は一時停止し、記述はそこにおいて様々な事物を次々と並列的に映し出す純粋なカメラと化していると言うか、映画的になっているような気がする。この「列挙」の機能は物語を進めることでも、何かを緻密に描写したり分析したりすることでもなく、色とりどりの物々を即物的に、巨石のようにごろごろと転がすことで、この小説世界の豊穣さを示すことである。マルケスの壮大な世界の魅力は、いわゆる「マジック・リアリズム」としてよく語られる荒唐無稽な出来事の氾濫や、その内容面の過激さからすれば意外なほど几帳面に、ほとんど完璧に遂行される高速の時空の操作――ほとんど紳士的とも言うべく整った形式面における整然性――などがあるが、それを裏から密やかに支えているのが具体的で個性を持った事物たちの多彩さだと考える。ガルシア=マルケスの世界は、一面では確かに「物」の世界なのだ。
 二時四五分まで読書を続けて、パトリシオ・アラゴネスが瀕死になったところあたりまで読んで就床した。


・作文
 12:17 - 12:35 = 18分
 15:53 - 16:25 = 32分
 24:21 - 25:22 = 1時間1分
 計: 1時間51分

・読書
 13:00 - 14:24 = 1時間24分
 25:25 - 26:42 = 1時間17分
 計: 2時間41分

・睡眠
 4:00 - 11:35 = 7時間35分

・音楽

2019/4/29, Mon.

 早い時間、六時台のあたりから目覚めていた。夢を見ていた。詳しくはもはや覚えていないが、恋愛を主題にした幸福な雰囲気のものだったはずで、その続きを見たいが故に二度寝を遂行したものの、直接的な続篇は見ることが出来なかった。その後も細かく、薄い夢のなかに入ってはすぐに覚めるということを繰り返して結局一一時四五分までだらだらと床に留まった。夢の大半は学校を舞台にしたものだったと思う。最後の方に見た夢を少しだけ覚えている。女性教師の授業を受けていたのだが、それが、名詞に対してそれぞれ適切な語尾を考えて一人一つずつ発表していくというような趣旨のもので、阿呆か、という話で、こんなくだらない授業に参加してなどいられないと授業中にも関わらず教室を出て行ってしまったのだった。こちらの現実の学校生活でそのような「不良行為」をしたことは一度もなかったはずだ。それで仲間らと階段を上って最上階の、立入禁止になっている無人のスペースに行こうとしたのだが、その途中で廊下の向こうから教師がやって来て見咎められる。その教師というのが、小池百合子として認識されていた。それで急いで階段を下りて逃げ、こちらは一人、途中の階で折れて廊下を行くのだが、その途中にも教師が立っている。しかし、こちらはいつの間にか「優等生証明書」というような書類を持っており、これに印鑑なりサインなりをしてくれる教師を探しているという体裁でうろついていることを咎められずに乗り切れると考えていたようだった。そうして廊下の反対側、校舎の端の階段を下りて一階に出ると、小池百合子にふたたび遭遇する。しかし彼女はこちらに目を向けずに、職員室とはちょっと違うが、職員の集まって作業をしているガラス扉の向こうの室に入っていってしまったので、咎められずに済むかと思って通り過ぎようとしたところが、その扉の向こうから呼び止められる。その呼ばれ方が、Aくんの弟さん、というような呼ばれ方だった。それで仕方なくそちらの方に行き、室に入って、カウンターか何かの向こうにいる小池百合子――と言ってもそれは認識上だけのことであって、顔は実際の小池とは違っていたようだが――とやり取りを交わす。Aくんはロシアから帰ってきたんだっけというようなことを訊かれるので、えーっと、と考え、先日……あれはいつだったかな、一度帰ってきました、今はまたロシアに行っています、などと答える。
 それで一一時四五分に起きて上階へ。両親はどこにだか知らないが出かけていた。台所に入るとフライパンに炒飯――筍と牛肉が混ざっていた――が、鍋にうどんが用意されていたので、それぞれ焜炉で加熱して皿と椀によそり、卓に就いた。新聞をめくって、カリフォルニアはサンディエゴ郊外で起きたシナゴーグ襲撃事件の報を読んでいると――憎悪犯罪が蔓延する、不幸で嫌な時代だ――、両親が帰ってきた。母親が居間に入ってきて、ジェラートを食べに行ってきたと報告した。それからスリランカのテロの続報も読んでいると、母親が冷蔵庫に肉があると言う。それで席を立って、冷蔵庫から筍と牛肉の炒め物を取り出し、電子レンジで一分半温めて取り出すと、うどんにちょっとくれと母親が言うので、こちらは椀を持ったまま、母親が箸で炒め物を掴んで鍋に入れるに任せた。そうして卓に戻って食っていると、肉だけでなく野菜も食べなと小学生のようなことを言われて母親がサラダを用意してくれたのでそれもぽん酢を掛けて頂き、その頃には父親も室内に入ってきた。ただいまと言うので、おかえりと返す。そうしてこちらは薬を服用し、両親が並んで食事を始めるなか、台所に移って食器を洗い、そのまま浴室に行って風呂も洗った。出てくるとコーラの缶を一つ冷蔵庫から取って持ち、そうして自室に帰った。
 Twitterを見ていると、何かしら小沢健二 "ラブリー"のことを連想させる文言を目にしたので、今日はFISHMANS『Oh! Mountain』ではなくて小沢健二『Life』を久しぶりに最初に流すことにした。それでTwitterにもその旨呟いて、感想をちょっと書いていると、M.Dさんという変な名前(失礼!)の方がリプライを送ってきてくれたので――この方とは以前も何度かやり取りしたことがある。確かジャズのベースを弾いていた人だったと思う――返事を返す。ほとんど同時にYさんからもダイレクト・メッセージが届いたのでやり取りを交わしつつ、『Life』の音楽を聞いて時折り歌を口ずさむ。音楽に気を取られて日記を書きはじめることが出来ず、しばらくそのようにして過ごしたのち、一時一七分から次の音楽に小沢健二『球体の奏でる音楽』を繋げて、ようやく文章を綴りはじめた。まずこの日の分をここまで綴ると、既に二時が目前になっている。
 それからFISHMANS『Oh! Mountain』をこの日も掛けて、前日の日記をひたすら綴る。四時過ぎになって一旦中断。昨日買ったUNITED ARROWS green label relaxingの袋のなかに入れられていたカタログ――なかを覗いてみたが、着こなしの軽いテクニックのようなものが紹介されているだけのもので、普通にいらない――を持って上階に行き、これをあげると母親に差し出すと、当然のことだが別にいらないと言われる。それで父親の方に、これ見て勉強しなとカタログを向けると受け取った彼は、はにかみながら中年向けのなんてないだろうと言った。父親だってそこそこの店で似合うものを見繕えばきっとそれなりの見栄えにはなるだろう。それから、アイロン掛けをした。チェック柄のブルゾンがあって欲しかったのだが高いので諦めたのだ、などと背後の母親に話しながら、シャツを二枚にハンカチを一枚処理しておき、それから下階に一旦戻って、昨日買った二つのパンツを持ってきて母親にお披露目した。ジャージを脱いで両方とも履いてみせると、母親の評価はなかなか好評だったようだ。そうして二つのズボンのタグを外しておいてから下階に戻り、収納のなかの服掛けにハンガーを使って掛けておき、それで四時半、ふたたび日記を書きはじめた。時折り、右の後頭部に刺すような鋭い頭痛が生じていた。まさか脳出血ではないだろうなと反射的に考えてしまう自分の性向を、「何か右の後頭部がずきずきと痛いのだが、こういう時、不安障害だった過去の名残で、反射的に、脳出血ではないか、このまま自分は死ぬのではないかなどと考えてしまう。もうそういう連想に繋がるように脳の回路が出来上がっているのだ」としてTwitterに呟いておいた。脳出血だったらおそらく吐き気が生じてくるはずだから――くも膜下出血で倒れた祖母も意識が曖昧になったあとに嘔吐していた――嘔吐感のないうちは大丈夫だろうと判断して日記を綴っていると五時一五分になって母親が呼ぶので音楽を止めて――Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)を流していた――部屋を抜けた。上階に行くと、天麩羅をやると言う。筍をまたもや貰ったためである。その前に米を磨がなくてはならなかった。三合を用意してきて洗い桶のなかで磨いた。流し台を片付けて釜に入れておき、それからモヤシを茹で、さらに菜っ葉も同様に茹でる。そのあいだ、母親は居間の方でフローリング敷きの床に座って洗濯物を畳んでいた。それから台所の片隅に転がっていた筍に包丁を入れて二つに切断し、皮を剝いで中身を取り出し、根元のほうにあるぶつぶつとした、少々グロテスクな紫色の粒を包丁で削ぎ落とす。そうしてフライパンに油を用意し、梅干しを二つ入れて焜炉の火を点けた。これで古い油を消毒するのだ。梅干しが加熱されて泡を出しているあいだに、ボウルに天麩羅粉と水を用意して練り、エノキダケから揚げはじめたのだが、第一投目は全然固まらず、茸はふにゃふにゃのままだった。衣が緩すぎたのだろうと母親が言って粉を足し、二投目を投入してみると、確かに今度は比較的固まる。ただ全体を通して見てみると、それでも序盤のうちはあまりうまく揚げられず、後半になってくるにつれて天麩羅が狐色に染まってからりと揚がるようになったのだが、これはおそらく最初、揚げはじめる前に油の温度を充分に上げず、低いままで始めてしまったことが原因だったのではないか。ともかくエノキダケと筍を揚げていき、途中で手帳を持ってきてそれを眺めながら揚がるのを待ち、良い色と固い感触になってくると隣の焜炉の上に置いた皿の上に上げていった。そうして六時半前になると多量の筍をすべて揚げ終わり、仕事は終了、書き忘れていたが背後にはBGMとしてFISHMANS『ORANGE』をラジカセで流しており、天麩羅を揚げながら"感謝(驚)"などに合わせて身体を揺らしていた。そうして自室に帰るとふたたび早速日記を書き出し、Antonio Sanchez『Three Times Three』を共連れて進めて、七時四四分に前日の記事をようやく記し終えた。引用も含めて二万三〇〇〇字ほど、四時間半程度掛かったが、今日はだれることもなく、面倒臭さや嫌気が滲むこともなく、なかなかスムーズに記せたように思う。気力が充実していたのだろうか? 
 頭痛は天麩羅を揚げているうちになくなっていた。ガルシア=マルケスの小説の感想を長々とTwitterに投稿し、それからブログにも記事を投稿、さらにnoteにも投稿した。そうしてTwitterに投稿通知を流しておく。最近はURLとともに、その一日の目立った出来事なりを短文で付け加えて紹介しているのだが、二八日の分は「長文。四時間半を掛けて二万三〇〇〇字を作成。高校の同級生Nとららぽーと立川立飛に出かける。立川LUMINEも見て回ってズボンを二着購入。二万円ほど。「散財癖のあるニート」の面目躍如」と記した。
 あと書き忘れていたこととしては、Twitter上でM.Dさんと結構長いあいだやり取りをしていた。Yさんともまたダイレクト・メッセージでやり取りをしていて、彼がSkypeかLINEで話せないかと言うものだから、今は日記を書いているので通話は難しいが、今度時間を決めてSkypeで話しましょうかと返し、彼のアカウントにコンタクトを送っておいた。また、昨日の記事に書いたパニック障害の説明――一生涯で最も緊張した時の緊張・不安の度合いが四六時中続くという部分――もTwitterに流しておいたのだが、それについてHさんという、やはり精神疾患を体験しているらしき方からリプライが送られてきたので、それにも返信をしておいた。そうして八時頃になって上階へ。先に風呂に入ることにした。マルケスの「エレンディラ」のことを考えながら入浴し、出てくると食事、白米に天麩羅にモヤシやトマトや菜っ葉のサラダ。テレビは『スカッとJAPAN』。この番組は端的に嫌いである。実にくだらない番組だ。しかしそれを少々眺めながらものを食い、食べ終わる頃には父親が洗い物をしていて自分の分を洗い終えた彼が居間にやって来て、それも、と言って母親の分の食器とこちらの分の皿を洗ってくれるらしかったので礼を言って渡し、薬を飲んだ。そうしてコーラを一缶持って下階に戻り、Art Blakey Quintet『A Night At Birdland』を流しはじめて、タングトリルでLou DonaldsonやCliffored BrownやHorace Silverのソロの旋律を追ったあと、九時を回って日記を書きはじめた。ここまで綴って一〇時前。今日はもう五時間半も文章を綴っている。
 夜にも関わらずcero "Yellow Magus (Obscure)"を流して、しかしさすがに遅い時間なので声はやや潜め気味にして歌った。それから隣室に入り、VOXの小型アンプのスイッチを点け、一弦の切れてフィンガ―・ボードの醜く汚れたギターを手に取り、椅子に座ると、Eマイナー・ペンタトニック・スケールに合わせて適当にフレーズを奏でた。三〇分少々、遊んでいただろうか。そうして自室に戻り、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』をベッドの上で読みはじめた。あっという間に二時間と三〇分弱が立って、一時二〇分を迎えると、「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を読み終えた。
 序盤においてエレンディラの心理ははっきりと明快には描かれず、掴みがたい。陥った不運を悲しむでもなく、彼女を身売りの境遇に陥れた祖母を恨みに思うでもなく、売春に嫌悪を抱くでもない。ほとんど無感情で、「はい、お祖母ちゃん」と呟きながら祖母の言うことに唯々諾々と従う機械のような印象を受ける。そんな彼女が初めて明確な感情を表すのが六六頁で、午後から夜中までぶっ続けで男たちの相手をしたことによって疲労困憊し、「怯えたけもののように、わっと泣きだ」すのだ。それに続けて、祖母の観察するところ、エレンディラは「不安の限界を越えている」ようだと述べられるのだが、しかしこの感情描写の乏しさ、控えめさは何だろう。語りは感情の上に止まらず、詳らかな描写を重ねずに、遅滞せずまさしく無情に通り過ぎていく。従って、ガルシア=マルケスの小説はおそらく、いわゆる「感情移入」を求めて読むには適していないだろう。もしそうしたいのならば、読者は他の小説にも増して想像を働かせ、書かれてあることから書かれていないことを自ら積極的に補わなければならない。マルケスの語りは感情を置き去りにして速やかに流れていく。細部に拘泥せず大河の水のように過ぎ去っていくこの「速さ」と距離感は、おそらく民話のそれに近いのではないだろうか。そこでは人間の感情などというものは、ふっと一瞬大気を揺らがせる微風のような、ささやかな一自然現象のようなものに過ぎない。大いなる「運命」の流れの前では、少女の涙など何の影響も与えないただの一滴でしかないのだ。語りが持っているそのような「距離」の感覚によって、この小説ではエレンディラの「悲惨さ」の無慈悲な即物性が際立っているのではないだろうか。
 八〇頁では、誘拐された修道院から偽の結婚式によって連れ出されたエレンディラは、「お祖母ちゃんといっしょよ」と口にして、自らの意志でふたたび祖母と共に暮らすことを選択する。祖母はエレンディラをその「悲惨」、身売りの境遇に突き落とした張本人のはずである。またその後も彼女を拘束し、金儲けの道具として使っており、のちには(九五~九六頁のことだ)エレンディラは「犬用の鎖」を足首につけられて、ベッドの枠に繋がれるという屈辱的な仕打ちを受けていることまでが明かされる。それにも関わらず、八〇頁の時点では彼女には祖母を恨む様子も憎む様子も見受けられない。エレンディラの祖母への「憎しみ」が最初に直接的に言及されるのは、もう物語も終盤に差し掛かった一〇五頁のことだ(「エレンディラは深い憎しみをこめた目で(……)眠っている祖母の姿を眺めつづけた」)。
 彼女も一度は祖母のもとを離れ、誘拐された修道院の生活のなかで、「わたし仕合わせだわ」などと感慨を漏らしており、また、偽の結婚式の途中までは院に留まれるのではないかという「一縷の望み」を抱いている。ところが式が終わって祖母を含む人々の前に立つと、何と「妖しい力に呪縛され」、先の「お祖母ちゃんといっしょよ」という言葉を「きっぱりと」宣言することになるのだ。やはり彼女は大きな「運命」から逃れることはできないのだろうか? もしそうだとすれば、その「運命」とは、この小説においてはまさしく祖母そのもの、彼女の祖母の姿として形象化されているのではないだろうか? 八六頁では「お祖母ちゃんの許しがなくちゃ、誰もどこへも行けないのよ」と彼女は明言しているが、その細かな理由はわからない。そこには無条件の確信があるのみで、何か不可思議な、大いなる力が働いているかのようだ。実際、祖母は生きているあいだはエレンディラの桎梏となり続け、彼女は――実際に殺人を実行したのは彼女の恋人であるウリセスだが――祖母を肉包丁で刺し殺すところまで突き進むことになる。祖母が死んだその時になって初めてエレンディラは自由を得るのだが、そこから先の彼女の消息は知れず、途端に物語は終幕を迎えてしまうのだ。
 恋人のウリセスは最初のうちは、エレンディラを「笑わせる」男として登場する。疲労困憊していたエレンディラは初めてウリセスに会った時、その冗談に「声を立てて笑」い、「まじめな顔で冗談をいうところが、わたし好きよ」と漏らして、邪気のない小娘の笑みを浮かべている。二度目に会った時にもウリセスはフクロウの鳴き真似でエレンディラを笑わせ、二人は会話のなかで男の勘違いに思わず「吹きだした」りもしている。彼といると彼女は快活で幸福そうなのだが、それもいつまでは続かず、物語の後半でウリセスが祖母の殺害に失敗した際には、「ぞっとするような冷たい目」で彼を見つめることになる。その時に彼女の口から漏れるのは、「あんたは満足に人も殺せないのね」という、むしろそれこそがまさに「ぞっとするような冷たい」、手厳しい非難の言葉である。男女間の幸福の脆さを如実に示すこの急速な感情の冷却、その転変は印象的だが、それが「殺人の失敗」によって引き起こされているという点が、エレンディラの冷酷さを表しているように思われる――実際、彼女は殺人の場面を「恐るべき冷静さで」見つめるのだし、祖母が息絶えたあとには狡猾にも、祖母の身につけていた「金の延べ棒のチョッキ」を奪って、恋人を捨てて一人で逃げ出すのだった。
 九二頁では気の良い脇役である写真屋がライフル銃に撃たれて死ぬことになるのだが、死の記述はほとんど一文のみで、その様子は実にあっさりとしていて無慈悲である。これもほとんど自然の現象のような即物性でさらりと書かれており、『平家物語』の那須与一の挿話中の一武士を思い出させるものだ。そこでは、与一の弓の腕前の素晴らしさに感激した平家方の武士が一人、船の上で舞を踊りはじめるのだが、与一は命令を受けて冷酷にもその武士をも射殺してしまうのだ。物語中に現れたかと思えば途端に、僅か一行の記述でもって退場させられる武士の死の、その呆気なさがここでは思い起こされるのだった。
 九三頁では、それまで三人称の記述が続いていた地の文に、突如として「わたし」の語が登場し、この物語はその「わたし」が伝え聞いて「おもしろい話」として書いたものだということが明らかにされている。ここで話者が透明な無身分の語り手ではなく、具体的な素性を備えてエレンディラたちと物語世界を共有している存在だと判明するのだが、何故マルケスはこの物語を最初から最後まで三人称で描ききるのではなく、こうした一人称で自らを指し示す語り手を登場させたのか、それは少々不可解である。その九三頁では、「わたし」がエレンディラのことを知るのは、アルバロ・セペダ=サムディオという友人に連れられてのことだと記されており、このセペダ=サムディオという男は実在のコロンビアの作家であるらしいので、もしかするとマルケスは知人である彼に目配せを送って、彼を言わば物語中に「友情出演」させるために一人称を導入したのかもしれない。
 エレンディラの物語を読み終えたあと、早速上記の感想を綴って、そうすると二時を四分の一ほど越えることになった。眠気がやって来なかった。それで久しぶりに深い夜更かしをすることにして、空腹にもなってきたので夜食にカップ麺でも食べるかというわけで、忍び足で上階に行き、オレンジ色の食卓灯を点けると、玄関の戸棚から「赤いきつね」を取り出して、ポットから湯を注いだ。真っ黒でつるつるとした箸とそれを持って、忍び足で階段を下りて自室に戻り、コンピューターを前にしながらカップうどんを啜った。つゆもすべて飲み干し、ふたたび上階に行くのが面倒だし物音を立てるのも憚られたので、空になった容器は自室のゴミ箱に捨てておき、それからもしばらくだらだらと過ごした。そうして三時半を目前にして寝床に移り、ふたたび読書を始めた。「この世でいちばん美しい水死人」を読み終え、「愛の彼方の変わることなき死」に入ったところで――この篇を読み終えれば、ついに『族長の秋』に突入することになる――三〇分が経過しており、良い具合に眠れそうな感覚が漂いはじめたので、就床することにした。四時になるところだった。


・作文
 13:17 - 16:06 = 2時間49分
 16:29 - 17:15 = 46分
 18:33 - 19:44 = 1時間11分
 21:05 - 21:49 = 44分
 25:20 - 26:17 = 57分
 計: 6時間27分

・読書
 22:57 - 25:20 = 2時間23分
 27:28 - 27:58 = 30分
 計: 2時間53分

・睡眠
 2:45 - 11:45 = 9時間

・音楽

2019/4/28, Sun.

 そう言えば、昨夜、ガルシア=マルケスの「大きな翼のある、ひどく年取った男」を読んだ際に、そう言えば過去にこの篇を真似して書いた断片があったなと思い出して、Evernoteの日記を検索した結果見つけたので、ここに紹介する。二〇一四年一二月九日のものである。文章を書きはじめてから二年弱のものにしてはまあまあではないだろうか。この時期はブログに公開していた「日記」よりもむしろEvernote内に封じ込めていた本物の日記、個人的な書き付けや断片の方が文章としてしっかりしている。

 康司がまだ中学生だったころの話だが、家の隣の敷地に苦行者が住みついたことがあった。隣家に暮らしていた老夫婦がふたりとも死んでから一年くらいしたあとのことで、そのころには木造の古い家も取り壊されて、むき出しになった粗い土の地面に伸びはじめた春の雑草が生い茂り、名もない小さな青い花をつけていた。中学校から帰宅する康司が坂の上から自宅のほうを見渡すと、淡く透きとおった西陽のオレンジ色のなか、家の手前に小さな茶色い柱のようなものが立っているのが見えた。自宅の目の前まで来てみると、それが人間であることがわかった。頭に巻いた布からぼさぼさとした髪がはみ出ており、縮れたひげをたくわえ、着ている服は薄い道着のようなものだったが、ほとんどぼろ布のようにあちこちがほつれ、褐色の肌が見え隠れしていた。見たところでは肌の色といい彫りの深さといい、異国の人種のようだが、そのような外見に生まれついた日本人であると言ってしまえば言えなくもないようにも思えた。何をしているのかと言って取りたてて何かをしているわけでもなく、ただ目を閉じたまま両手を胸の前で軽くあわせて、その場に立ち尽くしていた。妙な人間に近づくのは気がひけたので、康司は視線をその男に合わせたまま前を通り過ぎ、自宅の玄関前の階段をあがり、扉をあけたのだが、そのあいだ男はぴくりとも動かず、その静止ぶりは、まさかあれは蝋かなにかでできたひどく精巧な人形ではないか、という疑いがよぎるほどだった。康司は台所で米をといでいた母親に男の存在を告げた。母親は勝手口をひらいてその姿を目にするとぎょっとしたような表情になり、全然気づかなかった、とつぶやいてから、不安げな眼差しを左右に落ちつきなく揺らした。エプロンで濡れた手をぬぐって、ばたばたと足音を鳴らしながら玄関の電話を取り、近所の主婦仲間に次第を知らせた。そういうわけで、康司の家の前に人々が集まって、手をこまねきながら男を遠巻きに眺めることになった。警察を呼ぼうか、という話も出たのだが、男はさしあたってなにか迷惑行為をしているわけでもない。むしろ何もせずにただじっと立ったままでいるその様子が不気味であり、男たちは働きに出ているから、集まったのは女と老人ばかりと心細いこともあって、容易に近づきがたい得体の知れなさをみな感じていた。ところが、騒ぎを聞きつけたのだろう、康司の家の逆の隣に住んでいる九十を超えた老婆がよたよたと顔を出して、心配ない、と断言したのだ。あれはありがたいお人だよ、私が子どものころにも一度来たことがある。具体的にどうありがたいのかその内実は一切不明だったが、ともかく害はない、むしろ幸福をもたらすものだ、ということで、老婆は高齢で足腰が多少弱っていたとはいえ、頭のほうはしっかりしていて、その年の功で近隣住民からは一目置かれていたこともあって、おばさんがそう言うなら、とみな安堵の吐息をつき、その場は解散することになった。彼女が語るところによると、男ははるか遠い子供時代に見たときも今とまったく変わらぬ姿で同じようにただ立ち尽くしていたと言うのだが、一同はそんなことがあるだろうかという腑に落ちない気持ちと、そんなこともあるかといういくらか無理矢理の納得とを半分ずつ抱えて、それぞれ帰宅した。人々が帰ったあとに、老婆がまだぼうっと男を眺めていた康司に対してこう言った、あの人を養うのは、あんたの家の役目だよ。
 養うと言ってなにか特別なことをするわけでもない、ただ日に二度、食事を用意してやればそれでいいのだ、と言った。そういうわけで次の日から、康司は学校へ行く前と、帰宅してからの二回、母親が作った食事をいくらか取り分けて男の足元に置いておいた。食事を届けにいくときは、おっかなびっくりといった感じでゆっくり近づいたが、男は康司が近くに来てもその存在に反応を示すどころか、気づいた様子すらなかった。目の前に立ってはじめてわかったのだが、ひげの奥に隠された口が絶えずかすかに動き、なにか呪文のようなものをもごもごと唱えつづけていた。それに気づいた瞬間に康司は人間ではないものが人の姿を偽装しているのを見たような不気味さを覚えて、食事の盆を手早く足元に置き、走って草はらを抜けだし、学校へと急いだ。食事の椀はと言えば、箸やスプーンを添えておいたわけでもない、また、男は姿を見るかぎりいつも最初に見た状態のまま、手を合わせて立ち尽くしているというのに、いつの間にか空になっているのだった。いつかは知れないが、ともかく食べているのは確からしかった。ところが、常に誰かが見張っているわけではないとはいえ、用を足している様子もない。最初の何日かのあいだは、近隣の住民がまた集まって様子を眺めたり、噂を聞きつけた連中が入れかわり立ちかわり頻繁にやって来ていたので、なにか動きがあればすぐに知られたはずだった。噂が早いのは田舎の常で、康司も男があらわれてから二日目の朝には、学校でクラスメイトたちから男について訊ねられた。何の刺激もない退屈な田舎の想像力が爆発したのか、わずか一日挟んだだけだというのに情報は驚くべき多彩さを取って変質し、康司のもとに来た子どもたちが告げた噂話のなかで事実として共有されているのは、その家の隣に男が居座ったというくらいで、その姿については、力士のような巨漢であるとか、海外のモデルのような青い目とブロンドの白人であるとか、時代劇で見る武士の姿をして刀をさしているとかさまざまだったし、その男が何をしているのかという点についても、休みなく踊りつづけているとか、ずっと逆立ちのままでいるとか、多数の憶測が混交していた。放課後になると、好奇心旺盛な友人を何人かつれて康司は帰路をたどった。最初の日と同じように、坂の途中から、透きとおった春の陽ざしのなかに茶色い柱のような立ち姿が見えて、それを見た瞬間から子どもたちは陽気に騒いだけれど、実際に近づいて眺めてみると、その動きのなさに拍子抜けしてしまった。彼らはしばらく不満をもらしていたが、そうしているあいだにもまったく動きを見せない男に対してやはり不安を覚えたらしく、やがてみな押し黙ってしまった。石を投げてみるか、などとひとりが口にしたが、そう言った当人とて本当に実行する勇気はなく、誰も反応を見せないのに焦れて、ほかの者の肩を押してけしかけたりもしたが、そうした不気味な気分に伝染されまいとするから騒ぎも空々しく響くだけで、触れてはいけないものを前にしたおそれを次第に受け止めた。

 七時のアラームで一旦ベッドから抜け出した。コンピューターを点けてTwitterを確認したあと、ふたたび寝床に戻って二度寝。妙な夢を見た。学校で、クラスメイトの一人と対立したが故にほとんどクラス中の皆から迫害を受けるというもので、細かい部分はもう忘れてしまったので詳らかにしないが、その迫害の理由となる事柄の中核がどうしても見えてこないという性質のものだった。九時四五分になって正式な起床。上階へ。父親に挨拶。母親は自治会の会合か何かがあると言っていたはずだ。台所に入ると小鍋のなかにレトルトのカレーがある。火を点け、熱しているうちに風呂を洗ってしまうことにして、浴室に入り、ブラシを取って浴槽を擦りはじめると、居間の父親が声を放ってきて、何時に出かけるのかと訊く。えーっと、とちょっと考えて、一二時前、と答えを返した。それから浴槽のなかに入って、膝を軽く曲げ、腰を屈めながらブラシを上下左右に動かして風呂桶の壁を洗う。そうして出てくるとカレーは充分温まっていたので、米の上に掛けて卓に移った。父親も自治会館に出かけると言う。了解してものを食い、食い終わる頃に父親は出かけて行った。こちらは台所に入って皿を洗い、昨日買ったポテトチップス(うすしお味)を持って自室に帰ると、前日の記録を付け、他人のブログを眺めながらチップスを食った。それからFISHMANS『Oh! Mountain』をお供に日記の作成である。前日分はマルケスの小説の感想を綴って終え、この日の分もここまで書くと一一時二五分。そろそろ出かける必要がある。
 音楽を"感謝(驚)"まで戻して流し、Twitterにガルシア=マルケスについての感想――と言うほどのものでもないが――を長々と放流したあと、ブログにも前日の記事を投稿した。それから歯を磨き、服を着替える。GLOBAL WORKのカラフルなチェック柄のシャツに、ブルー・グレーのイージー・スリム・パンツ。クラッチバッグを用意して、おそらく読まないと思われたが――と言うのも最近は外で空き時間が生まれれば手帳を読むことにしているからだ――ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を一応入れた。そうしてBANANA REPUBLICのグレー掛かった水色のジャケットを羽織り、胸の隠しに手帳を入れて上階へ。父親が帰ってきていた。もう行くのかと訊くので肯定し、仏間に入ってアーガイル柄の赤い靴下を持ち出し、居間に出て履きながら、父親が何か布を腰に巻いていたのでそれは何かと訊けば、着物の帯だと言った。祭りで着るものである。その練習をしているのだと言う。戸棚の引き出しからBrooks Brothersのハンカチを取り、尻のポケットに入れるとじゃあ行ってくると言って出発した。
 道路の上に日なたが明るく敷かれて晴れ晴れしい日和である。坂道からTさんが上って来たので、こんにちはと挨拶し、相手がこちらの横を通り過ぎる際に、いいお天気で、とさらに声を掛けた。すると、今からデート、と訊いてくる。いやいや、と笑うと、偉い格好良い服を着ているからと言うので、ありがとうございますと会釈して別れた。
 坂道に向かうと、道の脇の柵の上に鴉が一羽止まって、跳ねながら狭い足場の上を移動している。近くで見ると結構大きい体をしているものだ。近づくと飛び立ってしまった。坂道に入って周囲を見回すと、空は大方青く澄んでおり、一部幽かな薄雲が引かれてもいるものの、青さを隠すほどの勢力はなかった。
 風が少々涼しく肌に触れてくる。街道前、ガードレールの向こうに生えた梅の木は緑の葉の上に薄赤く染まった葉をところどころ乗せている。表通りに出て渡り、車道に沿って行くと、老人ホームの脇にハナミズキが咲きはじめていた。
 そうして裏通りに入る。電線の上に止まった鳥の影がくっきりと路上に映る晴れ日である――その影は、落ちてきた鳴き声からするとどうやら鵯のものらしい。裏道の家々にも白や紅色のハナミズキが咲き、手裏剣のような蝶のような花を多数広げていた。雀のちゅん、ちゅん、という声が響く道を行けば、空中に温もりが漂って暖かく、風から涼しさが抜けて滑らかに顔に触れてきた。白猫はいつもの家に姿が見えなかった。路上に白い蝶が飛び交い、白木蓮の木の下、紫掛かったピンク色の小花の集合にも揚羽蝶が止まっていた。観察しようと目の前で立ち止まると、すぐに飛び去ってしまう。それを追ってふたたび歩き出せば、前方から高校生の一団がやって来て、誰と誰が付き合っているとか、羨ましいとか、若々しい話をしながら過ぎて行った。
 市民会館跡地の施設――ネッツ何とかいう名だったと思うが、正確なところがわからない――の裏にはたくさんの自転車が停まっており、そのなかから親子連れが自転車に乗って出発しようとしていたが、そこに知り合いがやって来て立ち話が始まっていた。施設ではどうも、何かしらの催しが行われていたのではないかと思うが、詳しいことはわからない、何しろ裏からではその様子が掴めなかった。もう少し行った先の路地裏――梅岩寺に入っていく道の踏切りの手前――では祭りに向けてというわけだろう、仲町の山車が出されて人が集まっていた。駅前に続く裏道に入ると、自転車の親子連れに抜かされるのは、どうやら先ほど市民会館裏に一団のようである。なかで一番小さな子だろうか男児が、サイゼリヤがいい! サイゼリヤに決定! と何度も繰り返し叫んでいた。何でもガストは嫌らしい。
 ゴールデン・ウィークだけあって、駅前も普段よりも人通りが多いようだった。改札を抜けて駅のなかに入り、ホームに出るとまもなく発車する電車に乗って、例によって二号車の三人掛けに腰を下ろす。そうして携帯を取り出してメモを取る。河辺で早くも結構人々が乗ってきて、こちらのいる一角の六席のうち、こちらの隣の一席以外はすべて埋まってしまった。これは珍しいことである。その後、羽村に着くと隣席も埋まった。途中、メールが送られてきたのはNで、一時待ち合わせのところがゆっくりしすぎて一時半になるということだったので、了解と送り返して引き続きメモを取った。結局立川近くまで掛かって現在時に追いつく。
 立川のすぐ手前で停止信号を受信したとかで、ひととき停車した。かつてはこうした時間、密室に閉じ込められたまま線路の上に置いてきぼりにされ、逃げ場がなくなったように感じられて覿面に不安になったものだ。しかし今では、心臓の鼓動を探ってみても何ともないのだから強くなったものである。そうして立川駅のホームに電車が入線すると、手摺りに手を掛けてゆっくりと立ち上がった。ベビーカーを伴っていた夫婦がずれてくれたので、すいませんと声を掛けて扉の際のスペースに入り、到着すると降車した。壁に寄って人々が捌けて行くのを待ちながら、ふたたびメモを取った。
 そうしてしばらくしてから階段を上がり、改札を抜け、向かいの壁際の端にあるATMに寄って機械を操作し、五万円を引き下ろした。そうして北口広場へ。広場の片隅では、あれはペルー人だろうか、南米めいた風貌の人がスピーカーに囲まれて何かの演奏を始めるところらしく、見物の人々もそこそこ集まっていた。広場の中央に設置されている植え込みの裏側、陽の当たっている箇所に座ると、笛の音が右方から漂ってきたが、何故か演奏はすぐに停止されてしまった。陽射しのひどく明るい一角だった。それで携帯電話の画面が視認しづらいので、手を翳して影を作りながら操作し、北口広場の植え込みにいるぜ、とNにメールを出しておいてから、手帳を読み返した。しばらく手帳を読み返して、ふと視線を上げると、黒いサングラスを掛けた男の姿があって、それがNだった。サングラスを外してシャツの首もとに掛けながら近づいてきたので、おいおい、何かいかついやつが来たぞとからかうと、向こうは向こうで、セットアップじゃん、めっちゃ決まってるじゃんと言う。セットアップではないのだと否定しておき、お前の方が決まっているだろと返して、しばし話を交わした。Nは朝から何も食っていないと言う。それで結構普通にがっつりと食べたいと言うので、それでは喫茶店では足りないだろうしどうするかと考えあぐねていると、普通にPRONTOは、と向こうから喫茶店の選択肢を提案してきたので、お前がそれで良いながらPRONTOに行こうというわけで同意して、立ち上がり、歩廊を歩き出した。NはAVIREXのモス・グリーンの迷彩柄のジャンパーを着ていた。これは前回会った時――二〇一八年の末のことである――今日と同じくららぽーと立川立飛に行って買ったものである。エスカレーターに踏み入りながらそれを指摘すると、この四か月はほとんど私服を着る機会がなくて、大概そればかり着ていたと言う。
 下の道に下りて、PRONTOへ。レジカウンターには列が出来ていて見るからに混んでいる風情だったが、入り口を入ってすぐ脇にある四人掛けのテーブル席が幸運にも空いていたので、ここで良いではないかとそこに入った。椅子の上にバッグを置いておき、Nは上着を脱いで椅子に掛けておいて、レジへ向かう。Nはアイスコーヒーと、帆立とサーモンか何かのスパゲッティを注文していた。こちらはアイスココア(三三〇円)。それぞれ品を受け取って席に戻ると、こちらはココアの上の生クリームをストローで掬って食べる。それで何を話したかなんて大体覚えていないのだけれど、最初のうちにAさんの話があったのはよく記憶している。AさんというのはNと同じく高校のクラスメイトの女性で、美大に進学して、今は地方の伝統工芸品を扱う仕事か何かしているはずだ。その彼女が例年四月になるとお花見をするなどと言って同窓会の幹事を務めてくれていたのだが、今年はそれがなかったという話になって、忙しいのではないかと言うと、Twitterで壁にぶち当たったようなことを呟いていたと言う。お前、何でAさんのTwitter知ってるんだよと笑って突っ込みながら見せてもらうと、確かに何か自分の力ではどうにもならないような事柄に突き当たったらしき文言が書かれてあった。その他、最新のツイートなど見てみると、平成最後の~~とかいうのは「くそほど興味ないうるさい」と書かれていたので、何があったのか知らないが荒んでいるではないかと笑った。「くそほど」などという言葉遣いをする人だとは思わなかったのだ。
 その他、Nの女性関係の話。この四か月、仕事が実に多忙で、朝は八時か九時には出勤して、帰りは一一時というブラックな労働環境が続いたらしいのだが、そんななかでもこの男は女性を何人か引っ掛けているわけである。一応今は一人の女性と付き合っていると言うが、それまでに取っ替え引っ替え――と言うか同時並行的に――関係を持った女性が四人か五人いると言う。そのなかでも「つわもの」が二人いるらしい。そのうちの一人が今の彼女で、この人はNが「ラウンドワン」でアルバイトしていた頃の後輩である。もう一人は創価大学のこれも後輩みたいな人らしく、今の彼女と一応付き合い始めたのはここ一か月ほどだが、それからも後者の女性を部屋に呼んだこともあると言うので、笑った。話を聞くと、現彼女は今Nの部屋に住み着いているような状況らしく、ただだらだらYoutubeを見てばかりいて、家事もあまりやらない、脱いだものも脱ぎっぱなしでNがそれを拾って洗濯機を回すような次第らしく、逆じゃね? と彼は言っていた。まあそうした恋人関係には色々な形があるとは思うが、話を聞いた限りそれほど相性としてNに合っている相手とも思えない。むしろ、後者の創価大学の――院生と言っていたか?――女性の方が、ややインテリであるし、会話をしていても楽しい、加えて夜のテクニックのほうも抜群とあって、むしろ何故そちらと付き合わなかったのだと疑問に思うものだった。まあ、タイミングというものがあったらしくて、今の彼女とやることだけやってぽいと捨ててはさすがにひどすぎるし、女性の方が――精神的に不安定な人なのだろうか?――「自殺するかもしれない」という恐れもあったらしく、実際、彼女の方も付き合うと決まった時に、これでセフレとか言われてたら私死んでたわ、などと漏らしたらしい。創価大学の人の方は、N自身が使った言葉曰く、「変態」で、性欲があまり抑えられない女性らしく、一度セックスをすると三回戦くらいにはなるのが常だと言う。お前そんなに出るのかよと突っ込むと、三回戦目はさすがにきつい、気を抜くと萎えてしまう、だから相手だけイかせてこっちはフェード・アウトみたいな、との返答があった。
 性の話を続けておくと、こちらは性の快楽がほとんどなくなったということも話した。一応勃起は出来るのだが、端的に、自慰をしても全然気持ちが良くないのだ。それは原疾患のせいもあるだろうし、抗鬱薬の副作用のおかげもあるだろうが、いずれにせよ、自分は三十路も手前になっても女性と付き合ったことがなく(男性と付き合ったこともないが)、当然と言うか、性経験もないのだけれど、それでありながら性の快楽についてはもはや諦めたなどと達観した調子で話した。お前も、さすがに中学生の頃とかよりも興奮しなくなっているだろう、と話をNに向けると、しかしあちらはそんなことはないと言う。行為の最中は興奮しかない、まるで獣だと言う。それは凄いなと笑った。
 それで、今彼女が住み着いているわけだけれど、その彼女とは二九、三〇と言ったか、三〇、一と言ったか、ともかくこのゴールデン・ウィーク中に付き合いはじめて初めて――今まではずっと仕事が忙しくて、会うとしても一〇時以降が常だったので、飯を食って部屋に来てもらうか、一緒に食いに行ったあとはやることをやって眠る、みたいな関係だったらしい――遊びに行くと言う。その遊びにどこに行くかというのもNは携帯で検索しながら候補を探していたのだけれど、これはのちの、夜の喫茶店でのことだ。それで、ともかく今日の夜、一旦彼女は自宅に帰る。その隙をついてもう一人の創価大学の女性を呼ぼうと思っていると言うので、こいつはまったく、と笑った。Nは自分でもこうした女癖の悪さについて、病気だとか、やばいとは思っているとは口に出すものの、肝心要の中核部分で悪びれるということはないようである。女性の方からすればたまったものではないが、端から聞いている限りではまあ面白い。しかしその現彼女というのが、どうやらNにほかに女がいるのではないかと疑っているようで、口紅を机の下に転がしておく、というようなトラップを仕掛けてきたと言う。それはもうバレているだろ、とこちらは突っ込む。職場でデスクが隣の女性にも――この女性はNと同様、「貞操観念の低い」人で、結婚前は色々と男性を漁っていたらしいのだが――あんたそれバレてるからね、と言われたと言う。彼女は部屋の鍵を持っているらしく、一度帰ったはずのところが忘れ物をしたなどと言ってまた戻ってきて、創価大学の女性を呼んでいたところに鉢合わせ、などとなるのを恐れているようだったので、むしろお前、それは読まれてるぞ、絶対帰ってくるぞとこちらは関係のない人間の気楽さで脅かした。さらに、今晩を乗り切ったとしても、明日また彼女はやって来る、それまでに創価大学の女性を帰しておかなければならないわけで、なかなか綱渡りを行う男である。この後者の女性の方もNの浮気に感づいているのか、以前は「いいペース」だったのが、最近では毎日、会うことをせがむようなLINEを送ってくるようになったと言う。そのあたり聞いていても、そのLINEの頻繁な送信をそれだけ好かれているものなのだと解釈すれば、やはりこの創価大学の女性の方と付き合った方が良かったのではないかと思うのだが、まあそれは個人の問題だ。お前、前は、今までちゃらんぽらんしてきたから、そろそろ真面目な関係を気づいて結婚したいと言っていたじゃないかと突っ込むと、求められれば結婚する気はあるよと事もなげに答えるので、軽いなあ、と笑った。でも今の彼女は結婚したい相手なのかと訊くと、それはちょっと……と詰まるので、ここでも笑った。
 PRONTOでの話で今のところ思い出せるのはそのくらいなので、それで良いとして次に行こう。腕時計を見ると二時五〇分を迎えていたので、三時になったら行くかと告げた。Nもそれに同意し、トイレに行ってくると言ってレジに並んでいる人々の脇を通り抜けて上階に行った。戻ってくると、それでは行くかとなったのだが、トレイほかを片付ける場所がわからなかった。と言うか正確には、フロアの奥のカウンターの一角だったと思うのだが、そこに辿り着くまでには相変わらずレジに並んでいる客たちが邪魔になっていて、細い隙間を大きな皿の乗ったトレイを持ちながら通り抜けるのは難しそうである。それで仕方なく、このまま置いておくかということにして、食器類を机上に放置したまま店をあとにした。
 エスカレーターを上って高架歩廊へ。人通りの多さにゴールデン・ウィークだな、などと感慨を漏らしながらモノレールの立川北駅へ。改札を抜け、ホームに上がる。ここで両親のことを訊かれたのだったか、それとも喫茶店にいるあいだにもう訊かれていたのだったか、父親が自治会長をやっていて、祭りの準備で忙しいのだということをちょっと話した。今日家を出てくる時も、祭りの着物の帯を腰に撒いて練習だと言っていたと話す。祭りの草履を履くために足の手術もしたのだということも話そうかと思ったが、それは良いかと払った。思い出した、モノレール駅に入るあたりで、あと三か月もすれば祭りだぜと向こうが言ったのだった。それに対してこちらは、青梅はもう祭りである、青梅大祭が五月の二日三日に毎年あると話したのだった。青梅街道沿いに出店がずらりと並んで、青梅の町が一年で一番賑わう時だと紹介したのだった。その話の流れで父親のことを話し、祭りがあるのだと言うと、Nはちょっと行きたいなと興味を示していた。
 それでモノレールに乗って、二駅、立飛駅へ。Nはホームにいる時及び電車内では、携帯電話を操作して、SUICAにチャージをしようとしていた。彼のSUICAやらほかのカード類やらはすべて、腕につけている、あれがアップルウォッチというやつなのか知らないが、それに集約されていて、その残高が切れかけていたのだった。カードを携帯の前に翳しても読み取ってくれなかったりして苦戦していたようだが、結局何とかチャージできたようで、改札を抜けることが出来た。立飛駅で改札を抜ければもうすぐそこがららぽーとに繋がっている。高架歩廊から二階に繋がっているのだが、その二階の入り口前にある広場では、何やら女子高生が物凄くたくさん集団で集まっていた。何かのイベントを催しているようで、遠くでよくわからないが舞台上にも男子高校生のような格好の――ベージュ色のカーディガンのような服装が見えたのだ――人々が数人立っていた。これはあとで帰りの時に近くの看板を見てみると、何かしらのアイドルグループのサイン会か何かだったようで、あたりの会話からは名古屋から来た、などという声も聞かれていた。様々な種類の制服を着た女子高生がそこにいる人々のほとんどだったようで、全然知らないグループだったがこれだけの人を集めることが出来るのだから大したものだと思われた。
 それで入店。最初に、入り口を入ってすぐ脇にあるFREAK'S STOREへ。店内を一通り見て回ってNと合流すると、Tシャツがありだなと彼は呟く。それからその向かいにあったやや綺麗目寄りと思われる服屋にも入り、回ると、ここでもNはシャツがありだなと呟く。この日彼は、「ありだな」ばかり呟いていた。ここから先はどのような順番で店を回ったかとても覚えていないので、ホームページの店名リストを参照しながら順不同で列挙しようと思うが、訪れたのはARMANI EXCHANGE(結構派手な、主張の強いブランドだった)、B:MING LIFE STORE by BEAMS、GEORGE’S(これは雑貨屋である)、TOMMY HILFIGER、URBAN RESEARCH DOORS(これがFREAK'S STOREの向かいにあった店だ)、ZARA、JOURNAL STANDARD relume、Trans ContinentsBANANA REPUBLICUNITED ARROWS green label relaxing、GUESSなどである。ZARAは安くて結構良いのだが、何となくいかにもな「ZARA感」のようなものがあって、買おうという気にはならなかった。ZARAZARAしている、ZARAってるななどと言いながら退店すると、Nは、どちらかと言うともう少し若い、ティーンズ向けだよねと言う。そのあたりはこちらにはよくわからない。Trans Continentというのは結構安い店で、ジャケットがラックに並べて掛けられてここからここまですべて五〇パーセントオフ、などという風に叩き売られており、そのなかに地味なチェック柄の、まあ冬用のようではあったけれど結構欲しくなるようなジャケットがあったのだけれど、元価格で五万いくらか、半額でも二万五〇〇〇円以上するので諦めた。BANANA REPUBLICは結構良くて、Nはここで夏用の麻の長袖のシャツを青と白の二枚買っていた。こちらもここで薄赤いシャツや深い紺色にドットのついたシャツを買おうかと迷って、二回来たのだけれど、結局踏み切れずに断念した。今日着ていったジャケットも古着屋で入手したものだけれどBANANA REPUBLICのもので、それとおそらくまったく同じ型の品があって、その前に立っていると話しかけてきた男性店員が、同じものですよね、利用して下さっていますか、ありがとうございますなどと言って、それに対して何故かうまく答えられず、あ、そうですかね、などと言ってしどろもどろになってしまった。ほかUNITED ARROWS green label relaxingも、こちらは結構好きなメーカーなのだがやはりなかなか良くて、ここではオリーブ色の軽いジャケットを羽織った。しかし一万五〇〇〇円出すほどではないかなという感じだった。ほか、シャツも良さそうなものがあったけれどひとまず保留。Nは薄いジャンパーのようなものが欲しかったようで、TOMMY HILFIGERの二万いくらかのものを最初は欲しがっていたのだが、試着してみると心が揺らいでしまったらしく、それよりもGUESSかなと方向が変わった。GUESSというブランドもなかなかイケイケと言うか、主張の激しいメーカーで、店の壁には胸の大きい白人女性を侍らせているような男の広告写真が設けられていて、存在感の薄いこちらにはおそらく全然似合わないメーカーだと思うが、入り口付近にあった新着のジャンパーをNは目に留めていて、序盤に一度入った時に女性店員から勧められていたのだった。それでGUESSに戻って入って入り口付近に立って品を見ていると、今度は別の女性店員が、青のほうはリバーシブルになっていまして、ほかに緑と紫の品があって、と前の店員と同じ説明をしてくる。それでNは緑の差し色が入ったジャンパーを試着して、購入を決定していた。このほかNが買ったのはGEORGE'Sでコップ――Nはこの四か月、食事はすべて外食で済ませて、冷蔵庫すらも昨日届いたばかりという有り様で、これでシリアルを食えると思ったところが皿のないことに気づいたと言っていた。これは喫茶店にいたあいだに交わした話しだ。そこでこちらは、皿は盲点だったなと返すと、Nは笑っていた。そういうわけでこの日、Nはできれば皿も買いたかったのだが、荷物が重くなってしまうし良い品が見つからなかったということでそれは断念していた――を四つ、FREAK'S STOREでTシャツの類、多分ららぽーとではそれだけだったと思う。こちらは、一通り回ってみても決断しきれなかったので、買わずには終わるかと思いきや、入り口付近に戻ってきてFREAK'S STOREに二度目に入った際、ガンクラブ・チェックのブルゾンを手に取った。一度目に見たときにもなかなか良いなと思っていた品で、一六四〇〇円だかが二〇パーセントだか四〇パーセントだか忘れたけれど値引きになっていた品である。それを羽織って鏡の前に立ってみたが、襟付きのシャツを下に着ているとあまりぴったりはしなかった。また、同じチェック柄のシャツだったこともあるかもしれない。そのすぐ近くに同じくベージュのガンクラブ・チェックのパンツもあったので、こちらも試着させてもらうことにして店員に声を掛けると、先ほどのブルゾンとセットアップみたいに出来ますけれど、どうしますかと訊かれたので、それじゃあお願いしますと頼んでそれも持ってきてもらった。それで上下合わせて着てみると、悪くはないのだがやはり下が襟付きシャツのせいかいまいちぴったりと来ない。セットで買うと結構金が出るし、パンツの方だけをここでは買うことにして、試着室を出て店員に声を掛けたのだが、今考えてみるとブルゾンの方も欲しくなってくる。Tシャツというものを現在一枚も持っていないのだけれど、下に白いプリント付きのTシャツでもラフに着てセットアップで身に纏うと格好良いかもしれない。それで店員が言うのは、もう一着何か買っていただけると一〇パーセントオフになりますということで、欲しいものがないだろうかと店内を見て回った。何となく、真っ黒のシャツか薄い上着かズボンか、とにかく真っ黒のぱりっとしたようなアイテムが欲しいなという気になっていた。それでジャンパーの類など羽織ってみて、Nは良いと言って強く勧めるのだが、普段あまりそうした服を着ないためかいまいちピンと来ないところがあって、結局ガンクラブ・チェックのズボン一着のみを買うことにした。一三九三二円である。
 その頃には午後六時だかそのくらいになっていたはずだ。日が長くなったなと言いながら外に出ると、相変わらず広場には女子高生たちが集っている。その女子高生の集団のなかで、地面から水が低く吹き出している一角だけは親に連れられた小さな子どもらが遊ぶ場所になっていた。駅に戻り、ホームに上がるとちょうど電車がやって来ていたのでちょうどよいなと言って乗り込む。窓の向こうには落ちていく西陽が大きく膨らんで眩しく目を刺す。俺のゴールデン・ウィーク二日目が、とNが漏らすので、暮れて行くよとこちらは合わせた。それで二駅乗って、立川北駅で降りる。改札を抜け、駅舎から出て階段に掛かると、Nが、立川のこの風景がやはりいいな、と頻りに「いいな」と繰り返した。目の前にあるのはモノレールの線路や、高層ビルや、その下の店々の類である。モノレールがやっぱりいいなと言うので、近未来感があるねとこちらは受けると、漫画家が描きたいというのも頷けると言う。聞けば結構色々な漫画で立川の町はモデルになっていると言う。
 それで飯を食いに行こうというわけでLUMINEに入ったのだが、ここでも服を見ることになった。まずは入ったところの二階にあるUNITED ARROWSである。ここは高いからとこちらは遠慮していたのだが、Nがちょっとだけ見ていいかと言うので入り、こちらも真っ黒なアイテムを探したところ、パンツの類があって、高いだろうと思っていたところが一万円くらいで手の届く範囲なので――パンツに一万円も使うのは充分高いのかもしれないが――やっぱり見て行こうとNに言って店内を回った。それで、黒いパンツ二種と、やはり真っ黒なブルゾンを試着させてもらった。パンツはどちらも少々きつかったし、サイズを変更するのも面倒臭く、細身すぎるのがあまり気に入らず、却下。ブルゾンはシンプルですらっとしていて良かったが、如何せん真っ黒なのでちょっとシンプルすぎて、っこれに一万二〇〇〇円を使うのはなあと思われたのでこれも断念して、退店した。Nはここでも上着か何か買っていて、それまで四つくらいの紙袋をすべて一手に持っていたのが、UNITED ARROWSの非常に大きな袋にまとめて入れてもらっていた。
 それから六階へ。今度はUNITED ARROWS green label relaxingである。店内を見て回っていると、先日こちらの試着を担当してくれた、ちょっと髭を生やした短髪の男性に話しかけられたので、先日はどうもと挨拶した。何か真っ黒でぱりっとしたものが欲しいんですよ、シャツでもズボンでも何でもいいんですけど、と適当なことを言うと、近くにあったオープンカラーのシャツを勧めてくれた。そのほか、ボトムスはと訊くと、店内を移動して、一つさらさらとした素材のものを勧めてくれたけれどこれは履きやすすぎるように思われてあまり気に入らなかった。もう一つ、綺麗目カジュアルといった感じのパンツも紹介してくれたので、これと、先ほど見て回っていた時に気になっていた薄手の羽織りを試着させてもらうことにした。薄手の羽織りは真っ黒のものはSサイズかLサイズしかなかった。こちらの体躯にぴったり合うのはおそらくMサイズだと思われるのだが、そこはひとまずオリーブ色で合わせてみることにして、三枚と一着を持って試着室に入った。それで着てみたのだけれど、羽織りはSサイズでも意外とゆったりとした作りで問題がなかった。パンツの方もぴったりで、声を掛けられてカーテンを開けると店員が、これほどまでにぴったりだとはと言うほどだった。オリーブ色の羽織りも着てみて、それもなかなか良かったのだけれど、やはりどうしても普段着慣れないタイプのものなので良いのか悪いのか決定的な判断がつかず、どうしても自分の感性というのはどちらかと言うとフォーマルな方向に、いわゆる「綺麗目」の方向に寄ってしまう。そういうわけで、真っ黒なズボンだけを購入することにして、自分の服に着替えて試着室を出て、こちらを頂こうかなと思いますと店員に話しかけた。店員はありがとうございますと言って服を畳み、ご案内しますねとこちらをレジのほうまで連れていく。そこで別の店員――深い青色のセットアップ・スーツを着ていて、なかなか格好が良かった――に引き渡され、会計。八五三二円。こうしてまた大金が飛んでしまったわけで、これではまたもやMさんから、「散財癖のあるニート」と呼ばれてしまう!
 店を出て、さあこれで飯を食いに行こう、ということに相成った。それでエスカレーターを二階分上がって八階のレストラン・フロアへ。Nがトイレに行きたいと言うので、こちらは彼の荷物を預かって通路の途中で待った。通路の中途には腰掛けるためのソファが置かれており、そこに座っている一人の男性は、ペンを持ちながらもそれを動かすことなくじっと静止させて、向かいの壁の広告か何かに視線を送り続けていた。沈思黙考していたのだろうか? それでNがトイレから戻ってくると荷物を引き渡し、食う店を探しに行った。ゴールデン・ウィークだけあって、フロアは混み合っていた。Nと遊ぶ時は大体ここで飯を食っているのだが、寿司屋に入ろうかと思ったところが、凄い待ち人の数で、名前を書く用紙のほとんど一枚分すべてが待機になっているので、今日はここは諦めようとなった。それでもうちょっとフロアを回って差し掛かった「地鶏や」が、あまり混んでなさそうで、紙を見てみても二組ほどしか待っていなかったので、ここにしようと相成った。紙に名前を書き、向かいの壁に寄って待っていると、出てきた店員に、「地鶏や」で待っているお客様ですかと問われたので、そうですと返すと、こちらの方でお待ち頂けますか、そこは一風堂さんの場所なのでと言われた。それで「地鶏や」の店舗の方に寄って立ち、待っているあいだに椅子があいたのでそこに腰掛けた。待っているあいだ、目の前を、赤ん坊を抱き、もう一人幼児の手を引いた女性が通り過ぎて行った。その際に、幼児がこちらを剝いていたので、手をちょっと挙げてぱっ、ぱっ、というようにひらいたり閉じたりして合図を送ってやった。それからしばらくすると先の女性と子供らが一旦戻ってきて、近くの店のなかに入っていった。それからさらにしばらくすると、今度は別の女性が先ほどと同じ、目のつぶらで大きな幼児を一人連れて通ったので、ふたたび手を挙げると、子供はこちらの方にいたいけな手を伸ばしてきたので、その手を軽く掴んで触れてやった。母親なのだろうか、女性の方はすみません、と苦笑していた。去っていく子供にまた手を振って見送ったのだが、先の女性が母親でなかったとするとあの時この子を連れていたのは何だったのだろうか、母親同士が友達だったりするのだろうか。それに通路を何の目的もなさそうに行ったり来たりしてこちらの目の前を通るのも何をしているのか解せなかったが、まあそれはともかくとして、じきに呼ばれて店内へ。カウンター席の端に通された。喉が渇いていたので運ばれてきたお冷やをすぐにごくごくと飲む。それで、メニューを見て、こちらは鶏白湯[とりぱいたん]そばと葱チャーシュー丼のセットにすることにした。Nはミニ鶏白湯ラーメンと、串焼きを何本か。それで待ちながらカウンターの向こうの厨房で非常にせわしなく立ち働く料理人の姿を眺めたり、適当に雑談を交わしたりする。母親は元気かと問われたので肯定し、ここで仕事を始めたのだと説明する。「K」と言って発達障害のある子供らと一緒に運動をしたり勉強をしたりして支援する施設だ、一年前にも短い期間勤めていたのだが、こちらの頭がおかしくなったので(と笑う)、休止していたのだ。家にいて家事をやるのが嫌だと言って仕事に出ている、まあいいんじゃないだろうか、続くかどうかわからないと不安を漏らしてはいるけれど、あと、二六歳の若い元ヤンみたいな同僚の車に乗ったら、香水の匂いが凄くきつかった、サーファーのつける香水だったなどと話す、と知らせ、知らねえっての、と笑う。Nはその後、彼女とのデートでどこに行こうかと携帯を使って検索していた。そのうちに食事がやって来る。ミニラーメンは思ったよりも小さくて、Nはほかに串焼きがあると言ってもそれでは全然足らないようだったし、こちらも腹が減っていたので、食べ終わったらまた何か注文しようと言った。それで食し(Nはラーメンのスープが美味いと頻りに言っていたが、こちらの感覚ではさほどでもなかった。葱チャーシュー丼はまあまあ美味かった)、追加注文として鶏肉の炭火焼きと「地鶏や」名物だという「コリコリ」という品を頼んだ。軟骨と砂肝を木くらげや山くらげと混ぜて葱塩味に和えたものらしい。その二品が出てくるのに結構時間が掛かって、Nなどは、そのあいだに満腹中枢が働いて何となく腹がいっぱいになってきたらしかった。それでも品が来れば食べる。炭火焼きは柚子胡椒を付してその辛味を感じながら葱と一緒に頂き、「コリコリ」の方はNが野菜が嫌いで葱を食わないと言うので、葱が全面にいっぱいに混ざっている品だったので彼は鶏肉の細かな欠片を少々つまんだのみでこちらがほとんど頂いた。そうして食事を終え、店をあとにする。こちらがひとまずまとめて払ってしまうからと言うと、Nは喫茶店で金を崩して返してくれると言う。しかし、この食事の代金は結局こちらもNもその後それについて忘れていて、こちらが全額支払った形になった。帰りの電車のなかでメールが送られてきてそれに気づいたのだったが、面倒臭いので次回会った時にはお前が奢ってくれという形で手打ちとした。それで会計を済ませ(三五九六円)、店舗の外に出た。エスカレーターを下って行き、LUMINEから駅のコンコースに出て、ふたたび喫茶店に向かうことに。駅のすぐ傍にあるEXCELSIOR CAFFEである。北口広場に出る前の右方に折れる階段を下りながら、もう八時か、一日があっという間ですなあと漏らした。
 そうして喫茶店に入り、一階の席のなかの、丸テーブルを挟んで向かい合った一席に入った。弾力のある椅子には両側に銀色の手摺りがついている。それで注文、ここではこちらはアイスココアではなくて、グレープフルーツ・ジュースを頼んだ(五〇〇円――PRONTOのアイスココアと比べると結構高い!)。そうして席に就き、向かい合ってふたたび雑談。ここではどんな流れでそうなったのだったか、過去のパニック障害の経験を語ることになった。確か苦労というものはやはり何だかんだ言っても大事なものだというようなことを相手が言って、それで言えばまあ自分は一応、大抵の人は経験しないような苦労を体験してきてはいるなという風に受けた、その文脈だったかもしれない。それで確か自分のことを語る前に、塾で働いていた時の一人の生徒と、それに対する同僚たちの反応のことを話したのではなかったか。その生徒というのも神経質と言うか、病院で見てもらえば社会不安性障害か何かの診断が下っただろうと思うのだが、非常に緊張してしまうタイプで、加えて緊張をするとたくさんおならが出てしまうのだと言った。そうすると恥ずかしいからまたそれで緊張して、悪循環になるし、授業中に許可を取ってトイレに行ったりするのも皆の注目を浴びてしまうから恥ずかしい。そんな状態では端的に言ってテストの時など地獄だっただろうし、塾にも途中から来ないようになってしまったのだったが、そうした彼の事情を話す際の当時の同僚らの調子は、勿論馬鹿にするというのではないけれど、おならぐらいで、みたいな、やはり非常に軽く考えている風だったのだ。そこから精神疾患の苦しみというのは理解されづらいと述べ、お前が今までの人生のなかで一番緊張した出来事は何かと相手に尋ねた。Nは手術の前はむしろ緊張せず、落着いた、穏やかな気持ちでその日を迎えることが出来たと言ってから――手術と言うのは、彼はマルファン症候群という遺伝病の患者で、それは遺伝子の欠損のために細胞が非常に脆く、弱くなるという病気であり、そのために心臓の血管が肥大するか広がるか何かして、それを治癒しなければならなかったのだ――剣道の段位昇格戦の時かなと言った。パニック障害と言うのは、その生涯で一番緊張している状態――あるいはむしろそれ以上の緊張や不安――が四六時中ずっと続くのだと考えると、体験したことのない人にとってもわかりやすいかもしれないと話した。Nはなるほど、というように受けていた。俺も昔は、電車のなかで、トイレに行きたくてたまらなくなって降りたりした時があったよと話す。それで、今日来る時も立川の手前で電車がしばらく停車したのだが、そういう時も以前は不安になって仕方がなかったものだったと。まあ今はもう大丈夫なんだけれど。
 マルファン症候群の話もちょっとして、これは会ってすぐの時もして、その時はそちらは身体の調子はどうだと訊いたのに、まあ大きな問題はないと答えられたのだった。夜の喫茶店では、マルファン症候群と言うのは、遺伝子の問題なのだよなということを確認した。そうだと肯定が返る。生まれつきの遺伝子の問題で細胞の作り自体が違ってしまっている、だから端的に言って完治の方法がない、対症療法しかないとのことだった。遺伝子操作が出来るようになれば別だがとこちらが言うと、もうそういうのも始まっているらしいよなとあちら。確かに、中国だかどこかで遺伝子操作した赤ん坊が誕生したというニュースを見たような記憶がある。いわゆるデザイナー・ベイビーというものだろう。それに関連して、マイケル・サンデルがそういうデザイナー・ベイビーに反対する主張をしている唱えているらしいのだが、そのあたりのことも軽く話した。つまり、「運」というものが人間の力では左右できない「平等」の最後の砦としてこの社会の最低線を引いている。金持ちに生まれついたけれど運動神経が悪いとか、身長が低いとか頭が悪いとかそういったことがあるわけだ。その自分の力ではどうにもできない「運」の要素がこの社会の「平等」を最終的なところで担保しているのだが、デザイナー・ベイビーはそこに介入することが出来てしまう。「運」さえも操れるようになるというわけで、これは社会的平等の観点からは途方もない負担と言うかリスクを孕むことになるだろうと概ねそんな話だ。それを受けてNは、これは本当に難しい話だと言い、例えば法律で、すべての親は自分の子供に対して遺伝子操作を施して好きな性質を選ぶという風に出来ればまだ良いと思うが、そんなことは現実的には不可能だから、どうしても不平等が生じてしまう、というようなことを言った。それを受けて、だから極端な話、子供が親を訴えるみたいな事例も出てこざるを得ないわけだ、何で自分を遺伝子操作してくれなかったのかと言って、とこちら。まあ特殊な遺伝病の場合に限って認める、みたいなことが出来ればそれは良いのかもしれないなとそのあたりで互いに一致した。
 そのほかのことは覚えていない――と思ったが、一つ覚えていたことがあって、それは話の内容ではなくてほかの客のことなのだが、こちらから見て左方の二つ隣のテーブルには耳の聞こえない人が二人就いていて、手話で会話をしていた。その身振りが非常に素早く、激しいもので、時折り唸り声を漏らしながら会話しているのだが、あれで本当に互いに意思疎通を出来ているのか、適当に、ただ滅茶苦茶に両手を動かしているだけではないのかなどと疑ってしまうほどスピードの速いもので、本格的な手話での会話というのは初めて見たが凄いものだ。どの程度細かく意思疎通が図れるものなのか、互いに笑い合ったりしていたところを見ると、何か面白いことや冗談の類なども伝達できるらしい。二人の――ちなみに二人とも結構年嵩の男性だった――うちの一方は、時折り男性店員を捕まえては大きく素早い身振りで何かを訴えていたのだが、店員の方もそれに対して、時には筆談も交えていたようだが、もう一杯、とかミルク? とかストロー、とか解読して適した対応をしており、なかなか見事だった。客で言えばもう一人記憶に残っているのはこちらの右方の席に途中からやって来た白人で、この人は一人で、脚を前方に伸ばしながら静かに英語の本を読んでおり、こちらはたびたび右方に目をやってその頁を無遠慮に覗き込むなどしてしまったのだが、どうも小説ではなかったように思う。Nがトイレに行ってこちら一人になったあいだなど、よほど何の本を読んでいるのかと話しかけてみようかと思ったのだけれど、肝心なところで勇気を出せず、引っ込み思案を発揮して結局黙っていた。
 喫茶店でのことはそんなところで良いだろう。九時半を過ぎたあたりでそろそろ帰ろうとなった。それで退店し、駅に入るとコンコースの人通りはもう夜だからか思いの外に少ない。改札を抜けて、通路の真ん中で立ち止まり、今日はありがとうと互いに挨拶した。それからちょっとまた話したあと別れることになったので、こちらは気をつけて、と声を送ったのは、女性に浮気がバレて刺されないように気をつけろよ、という意味合いを含んだものだった。そうして一番線に下り、電車に乗って、がらがらと車内で席の端を悠々と取る。それで携帯電話でメモを取ろうと思ったのだが、どうせメモしても大して多く記述出来るものでもなし、それだったら今日のことは記憶に任せて書くとして、ここでは持ってきた本を読むかと考えて、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』をひらいた。そうしてあっという間に三〇分ほどが経ち、青梅駅着。奥多摩行きは既にやって来ていた。乗り込むと席に就いて引き続き書を読む。そうして最寄り駅に着いたあとの帰路には特段のことはなかったと思う。
 帰宅して母親に挨拶をして――父親はトイレに入っていた――下階に下り、服の入った袋を床に置き、街着を脱いでパジャマを持って上階に行った。そうして入浴。出てくると、確かコーラを一本持って自室に下ったのではなかったか。それでしばらくTwitterを眺めるか何かしたのち、日付が変わる直前からこの日の日記を綴りはじめた。BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』。四〇分ほど綴ってちょっと休んでから、この日の日記はここまでとすることにして、ベッドに移り、一時一〇分すぎからガルシア=マルケスをふたたび読みはじめた。
 ガルシア=マルケスの文学的特質の一つとして、「列挙」の技法があると思う。まずは少々、引用してみよう。「果たさねばならぬ冒険にあまりにも気を取られていて、いつものようにインド人の店先で足を止め、まるごと一本の象牙に彫りこまれた、大理石の中国の大官たちを眺めるのを忘れた。美容健康のために自転車に乗った、オランダ人の血のまじった黒人をからかうのを忘れた。また、炭火で焼いたブラジル女のヒレ肉を売る怪しい店を訪ねて世界を一周したという、コブラのような皮膚をしたマレー人たちに出くわしても、これまでのように驚きはしなかった」(四二頁; 「幽霊船の最後の航海」)。ここではそれぞれ長めの修飾を付け加えられた「中国の大官たち」「黒人」「マレー人」といった、同じカテゴリに属する様々な名詞が次々と並び立てられている。それは、具体的な情報を凝縮して付与されることでそれぞれ唯一無二の個性をはらんだ事物であり、この修飾情報の付加によってマルケスの「列挙」的記述は、河原に転がっている石のようなごろごろとした手触りを帯びている。それによってとても豊穣な「物」の世界が読者に垣間見え、マルケスの世界に含まれた事物の豊かさが我々に香り立つことになるのだ。
 「列挙」の技法を用いている部分に限らず、マルケスの記述はいつも具体的で、思弁的要素は欠片もなく、(いわゆる近代文学的な?)心理や内面の襞ともほぼ無縁である。しかし、外面のみを描写することでその文章は乾いて淡白になるのではなく、途方もない豊穣さを湛えた骨太な威力を持っており、そこにはまざまざと手に触れられるかのような具体性が隅から隅まで常に保たれているのだ。それこそが彼の文体的特徴というものだろう。
 四二頁から四三頁にはまた、「おふくろよ」という「呼びかけ」の技法も見られる。引用してみよう。「またまた迎えた三月の夜、何気なく海のほうへ目をやると、おふくろよ、なんてこった、不意にそこに、石綿づくりの巨鯨、怒れる海獣が出現したのである」「じつはそれはおふくろよ、想像もつかないくらい大きな(……)客船がそこに、目の前にいたからだった」。これはのちには『族長の秋』においてもふんだんに利用されているテクニックである。この二箇所では、語り手が主体となった地の文のなかに突如として「彼」の母親に対する呼びかけが闖入してきており、ここでは話者と一登場人物に過ぎない「彼」との位相が渾然一体と溶け合っているのだ。
 そのほか、マルケスの小説には「数」も頻繁に現れ、利用されていると思うが、そのなかに時折り、途方もない数字が含まれていて、世界のスケールの大仰さを表しているのも特徴である。例えば、「三十万トンほどの鮫の臭い」とか、「つぎつぎに割れる九万五百個のシャンパングラスの音」とか、「客船は真っ白で、塔の二十倍も高く、村の九十七倍の長さがあった」といった調子だ。
 またほかにこの日読んだ部分においては、「星の重味を背負った夜」とか、「星が息絶えたかのように闇が濃くなった」といった「星」の表現や、「巨船が運んでいるのはそれ自身をつつむ静寂」だったというような言い方がなかなか気に入られた。最後の部分は少し前から引用しておこう。

 (……)唐突に星が息絶えたかのように、闇がいっそう濃くなった理由も分からなかった。じつはそれは、おふくろよ、想像もつかないくらい大きな――この世のほかの何物よりも巨大で、陸と海のほかの何物よりも真っ黒な――客船がそこに、目の前にいたからだった。三十万トンほどの鮫の臭いが小舟のすぐ脇を通りすぎたおかげで、彼は鋼鉄の絶壁の接ぎ目を見ることができた。無数と言ってもよい船窓に灯ひとつなく、エンジンの吐息は聞こえず、人影も見当たらなかった。巨船が運んでいるのはそれ自身をつつむ静寂、それ自身を覆った空虚な夜空、それ自身のうちに澱んだ空気、それ自身の停止した時間、溺死した動物のすべてが漂っているそれ自身の放浪の海だったのである。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、43; 「幽霊船の最後の航海」)

 「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」の途中まで読んで二時四五分に就床した。


・作文
 10:33 - 11:25 = 52分
 23:57 - 24:36 = 39分
 計: 1時間31分

・読書
 21:58 - 22:44 = 46分
 25:12 - 26:42 = 1時間30分
 計: 2時間16分

・睡眠
 1:30 - 9:45 = 8時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』

2019/4/27, Sat.

 一一時まで例によってだらだらと寝過ごす。一〇時半頃には眠気は散っていたが、布団のなかの安穏とした心地良さから逃れることが出来なかった。いい加減、七時、八時頃にきちんと起きる生活を実現したいのだが、どうしても眠りというものに打ち勝つことが出来ない。上階へ。母親はソファに就いてテレビの録画欄を映し出していた。食事はおじやだと言う。台所に入って小鍋のおじやを温め、その他ゆで卵も持って卓に移る。食べていると母親が冷凍されていた筍の天麩羅を解凍して出してくれて、自分もそのまま食事に入った。スリランカのテロ事件の続報を新聞から追いながらものを食べ、薬を飲んで皿を洗った。そうして下階に戻り、FISHMANS『Oh! Mountain』を流し出して前日の記録を付けたり、他人のブログをちょっと覗いたりしていると、母親が呼びに来た。筍を採るから手伝ってくれと言う。わざわざ労力を掛けて採らなくても良かろうと思うのだが、祭りに持っていくとか何とかでどうやら必要らしい。それで、裸足にクロックスのサンダルを突っかけて上階の玄関から外に出た。道を渡り、林に接したスペースに行く。母親は大きめのビニール袋と、鍬を持ってきていた。それで彼女が斜面になっている林のなかの、低い位置に生えているものを、鍬を使うまでもなく両手で引っ張って採るのをぼけっと突っ立って眺め、採れたものを受け取って袋に入れる。そのようにして二本採ったあと、次はもう少し高いところにあるものに挑戦することになったので、これはこちらが担当することにした。鍬を受け取り、サンダル履きという頼りない足もとだが、それを物ともせず、雨で濡れて積もった落葉の柔らかくなった斜面を、竹に手を掛けたり足場として支えにしたりしながら慎重に昇って行き、目的の筍を採っていると、母親が頭を下げて誰かに挨拶をしている。現れたのは賑やかな男性とその夫人らしき女性で、こちらには誰だかわからなかったのだが、斜面の上から挨拶をした。夫人の方が、良く会うのよねなどと言っているので、ああ先日遭遇したオレンジのマスクの婦人だったかとわかった。それでWさんかなと見当を付けたのだったが、あとで母親に訊くとそうではなくて、この人たちはKさんと言って、Aくんの家のすぐ傍に住んでいる人たちらしい。こちらは今まで全然会った覚えのない人たちだが、よく夫人の方はこちらのことをFの息子だと認識していたものだ。それで母親が夫妻に筍を持っていくように勧めて、旦那さんの方が遠慮のしない人のようでこちらにも話しかけてくるので、そこの袋に入っていますと言うと自分で欲しいものを勝手に選び出していた。ちょっと大きいですよね、もう育っちゃってますねなどと言いながらこちらはもう一本、鍬を使いながら筍を採って、それを持って下に下りる頃には夫妻は既に去っていた。それからあともう一本、林の奥の方に入って、結構高いところまで昇って採ったのだが、そこまで斜面を昇っているあいだに、風が吹いて、雨の止んで仄かな薄陽の入り込んでいるその空中に、黄色く染まった竹の葉がはらはらと舞い落ちる光景を目にした。昇って筍を採っているあいだにも、こちらの方まで小さな黄色い葉っぱがひらひらと漂ってきて、竹秋が近いなと思われた。そうして仕事は完了、袋を持って家の横の、自転車置場のあたりまで運んでおき、それから玄関外の水場で手を洗った。そうして自転車置き場に戻ると、母親が重い袋を持つのに難儀していたので、替わって物置のなかに運び込んでおき、玄関から室内に入ると台所で石鹸を使ってもう一度手を洗った。それで下階に戻り、一二時一二分から日記を書き出そうとすると、携帯電話が持続的に震えて、見ればNからの電話である。何となく、ゴールデン・ウィークにも入ったしそろそろ連絡が来るのではないかと思っていたところだった。出る。元気かとあるので、お蔭様で調子は良いと答え、訊けば昨日まで非常に多忙だったが、ゴールデン・ウィークは七日間休めると言う。それでららぽーと立川立飛にまた行きたいと言ったので了承した。こちらも何となく、Nと会うことになったらまた行きたいと思っていたところだったのだ――先日買ったばかりで贅沢なことだが、何か格好良いジャケットが欲しい。それで翌日の一時から会うことになった。約束を決めて通話を終え、そうして日記に取り掛かり、前日分を仕上げてのちにここまで書くと、現在はちょうど一時である。今日は久しぶりに図書館に出かけようかと思っている。
 前日の記事を投稿していると、母親がまた呼びにやって来た。今度は筍を切断するのを手伝ってくれとの由である。それでブログとnoteに二六日の記事を投稿し終わると、音楽を止めて部屋を出て、下階の物置に入った。包丁を借りて、筍に縦に切れ目を入れていき、二つに割ったそのあとから皮を剝いでいく。二本分、そのように行ってなかの身を取り出したあと、不要な皮の部分を捨てに行くことになった。それでこちらは剝き出しのまま皮を集めたものを両手に抱え、母親は袋に入れて物置きから外に出て、ふたたび林の奥の方へ向かう。そのあたりに放り投げて皮を捨てておき、戻るところで通った高年の夫妻があって、母親がそれに声を掛けた。Tさん、と言った。三丁目に住んでいて、料理教室で一緒の人らしい。それで女性同士の立ち話が始まってしばらく続くのを、こちらと、あちらの旦那さんの男連はやや所在なげに立ち尽くして終わるのを待った。そうして別れ、物置きに戻ると、皮を剝いた筍を持って上階に上がり、米の磨ぎ汁で湯搔くためにまずは流し台を片付けなければならない。それで放置されていた洗い物を洗って片付け、それから米を三合半磨いで、釜も洗っていなかったので洗ったあとから米を入れて六時五〇分に炊けるようにセットしておき、磨ぎ汁を洗い桶から筍の入った大鍋に注いだ。それでこちらの仕事は終わり、図書館に行くと言うと母親も出かけると言うので、雨も降ったりやんだりでよくわからない天気で、外を歩いていても大して気持ち良くもなさそうなので、車に同乗させてもらうことにした。そのためには筍を湯搔き終わるのを待たなければならないというわけで下階に戻り、まず歯を磨いた。それから、一時半過ぎから「記憶」記事を音読し、イギリスのEU離脱関連の情報などを確認したのち、服を着替えた。上は白シャツ、下はベージュの、星のような模様が黒く散っているズボン、その上にジャケットの格好で、靴下は赤一色である。そうしてTwitterを眺めていると、鼓直の訃報に接したので、『族長の秋』は自分を文学の終わりなき沼に引きずりこんだ「恩書」である、これを機に『族長の秋』を読み返そうと思うと呟いたので、次に読む本はそのように決まった。しかしこのようにしてまた、ムージル『特性のない男』の読了が遠のいていくわけだ。
 それでコンピューターをシャットダウンし、荷物をまとめて上階へ。母親がまごまごと支度をするのを手帳を眺めながら待ち、一旦支度が出来て玄関まで行ったかと思えば、ここでもまたぐずぐずとトイレに行ったり何だりしていて待たされるのでやはり手帳を眺め、そうしてようやく家の外に出た。風が流れており、林から竹の葉の黄色い集団が雨に混じって舞い落ちるのがふたたび見られた。それで車に乗り、持ってきたFISHMANS『ORANGE』のディスクをシステムに挿入する。
 最初に、時計の電池を替えてもらうために時計屋に寄るとのことだった。薄く流れる音楽を聞きながら車に揺られていると、自分は乗っているからお前が店に行ってきてくれと言われたので了解し、駅前に着くと小さな時計を持って車を降りた。入店すると、店の奥にいた主人がいらっしゃいませと声を掛けてきたので、こんにちは、と言い、鷹揚な足取りで近づいて行き、電池を取り替えてもらいたいんですがと頼んだ。高年の、白髪のもうあまり残っていない主人はすぐに了解し、お掛けになってお待ち下さいとのことだったので、宝石のついた指輪の並んだケースの前に置かれていた椅子に腰を掛けた。ケースの向こう、室の角のところで主人は作業をしており、その傍の壁には一面いっぱいに時計が掛けられてあって、複数の振り子が微妙にずれて交錯しながらかちかちと音を重ねているのを聞いていると、このような響きのなかにある時計屋というのは独特な雰囲気の空間だなと思われた。ケースのなかの宝石――小さなダイヤモンドやら、サファイアやら、ペリドットやらエメラルドやら――を眺めているうちに作業は終わって、主人は壁の時計を見やりながら手もとの時計の時刻を合わせてくれ、動くようになりましたけど、と言うので礼を言った。二五〇円だと言う。硬貨でぴったり支払って、レシートを受け取ってどうもありがとうございましたと礼を言うと、またお願いしますと主人は返した。それでふたたび鷹揚な足取りて出口まで歩いて退店し、車に戻り、母親に時計を渡すとふたたび発車した。
 さっさと図書館に下ろしてもらっても良かったのだが、スーパーやユニクロに行きたいと母親は言う。それに付き合う義理も特段あったわけでもないけれど、先にそちらに行っても良いかと言うので、まあ良いかと了承し、一路東へ走った。そうしてスーパー「ジェーソン」に到着する。こちらはだらだらと眠ったにも関わらず――あるいはむしろそのために――何だか身体が疲れているような感じがして、呻きを漏らしながら車から降り、目つきの弱いような覇気のない顔でカートを持って入店した。それで基本的に母親のあとをついて回り、ジュースの缶やらペットボトルやら、菓子やらを籠に収めていく。その他、母親が翌日、自治会の会合で使うらしい紙コップや、化粧水など。これで良いと言いながら母親が店内を見て回るのをやめないので、結局それに付き合ってほとんど隅々まで回ることになったが、実に色々な品物が売っているものだ――なかにはペットをあやすための、尻尾のような毛が先端についた棒などという製品まであって、人間よくぞこうしたものを思いついて売り出そうと考えるものである。それで会計、二七〇〇円少々だかを一万円札で支払い、整理台に移って二つのビニール袋に品物を分けて詰めた。そうして退店し、車に戻ると、今度はすぐ斜め向かいにあるユニクロに移動した。高年の案内員の誘導に従って駐車場に入って車を停め、降りて案内員の傍を通り過ぎる時に母親が会釈すると、彼はいらっしゃいませ、とにこやかに声を掛けてくれたので、こちらも会釈をした。それで入店。入ってすぐのところにまあまあ見目の良いパンツの類が置かれてあって、四〇〇〇円くらいだったが、ユニクロで街着を買おうとは思わない、買うとすれば肌着や靴下の類である。それでフロアの奥に進んで、靴下を見たり、下着を見分したりした結果、ニット・トランクスを二枚買うことにした。品物を手に掴んで店内を回り、母親を見つけると、彼女はカーディガンを見分しているところだった。籠を持ってきてトランクス二つをそのなかに入れ、母親を待っていると彼女も買うものを決めたのでカーディガンを受け取って籠に入れ、そうして会計してきてと言うので一人で支払いに向かった。ユニクロの支払いはセルフレジになっていて、こちらの前には高年の男性が並んでいて、女性の店員が丁寧に案内をしていた。こちらも教えてもらわないと良くもわからないなと思っていたところが、実際は特段苦労もしない簡単なシステムで、ハンガーは事前に取っておかなければならないのだけれど、籠をスペースに収めて、手もとのタッチパネルで案内に従っていれば――押すのは大概、「次に」か「確定」かである――自然と支払いが完了した。代金は三〇〇〇円ぴったりだった。そうして支払いを終えると背後の台に近づき、合流した母親の用意したビニール袋に品物を入れ――「ジェーソン」でもあったのだが、この際、袋の口を指で擦ってひらくことができない母親が渡してきたものをこちらが触れて擦ると、簡単にひらくことができるのだった。やはり歳を取ると指からも油や水気がなくなるということなのだろうか――退店した。退店する際、前を親子連れが通っていて、その子供が数人、ペンギンの子供のようにしてよちよちと歩いていて可愛らしかった。
 車に戻ると発車し、あとは図書館に寄ってもらうだけである。セカンド・ストリートに寄ろうと誘われたが、明日Nと服を見に行くからと断って、それでしばらくすると図書館の付近に到着して車を降りた。近くの八百屋に長い行列が出来ていたのだが、これはどうも焼き芋の売出しが始まって、それを目当ての客だったのではないか。おそらくその八百屋の客の持ち犬だと思うけれど、傍のガードレールのポールに紐を繋がれて大人しく待っている薄褐色の犬――柴犬だろうか?――がいたので通り過ぎがてら、他人の犬なのに勝手に頭を撫でてやったが、あまり大した反応も見せない無頓着な犬だった。そうして紅色と白のハナミズキの咲きはじめている街路を歩いて行き、図書館に入館し、CDの新着棚を見るとジェシー・ハリスのアルバムや、イリアーヌ・イリアスのブラジリアン・アルバム――ランディ・ブレッカーやマイク・マイニエリが参加しているけれどこれはあまり借りようという気にはならない――、ほかにはOmer Avitalの新作らしきものがあって、こちらは少々興味を惹かれた。しかし今はT田から借りたクラシックを聞く期間なので借りはせずに上階に行き、新着図書を見ると、松浦寿輝の新刊、『人外』が入っていた。それで書架のあいだを抜けて大窓際に。席は空いていて、容易に一席に入ることができた。リュックサックを置くとそのまま席を離れて、政治哲学のあたりをちょっと見たのち、フロアを横切って海外文学の方に行った。鼓直訳の作品は何かないかと思ってスペイン語文学の区画を見たのだったが、『族長の秋』と『百年の孤独』くらいしかなさそうだった。文庫の方を見ると、ボルヘスの『アレフ』と、『創造者』だったか、そんなような名前の作があったけれど、ボルヘスには今のところそこまでの強い興味は抱いていない。しかしいずれは読んでみても良いだろう。確認するだけして席に戻り、いよいよコンピューターを取り出して日記を書こうというところで、リュックサックのなかに入っている携帯が持続的に震えているのに気づいた。電話である。誰かと思って取り出せば母親の名があって、ひとまずテラスが遠いので着信を切ってみると、既に五件くらい着信が入っていて、メールもある。簡易留守メモを聞くと、鍵を持っていったままだろうと焦り困った声音が聞き取れて、それでとりあえず連絡しようとテラスの方に歩いている途中、ふたたび着信が入った。テラスに出ながらそれを受け、通話に出ると、車の鍵を持って行ってしまっているだろうと、やや激しい、困惑した調子で告げられる。こちらが鍵を持って出てしまったので車を再発進できなくなったということらしい。それで今いくと告げて切り、やれやれと思いながらフロアを横切って階段に行き、退館すると道に下りて、しかし急がず、走ることもせずに、ジャケットを広げる向かい風のなか、先ほど降りたその場所に停まっている車に向かった。着くと母親は、お父さんにも電話しちゃったと言う。鍵を渡し、たまに携帯見てねと言われるのに扉を閉め、そうして道を戻った。八百屋の行列は解消されており、繋がれていた犬も既にいなくなっていた。道を渡ってハナミズキの下を通り、階段を上がってふたたび入館、席に戻ると今度こそコンピューターを取り出し、ハンカチを尻のポケットから出してマウスとモニターの上を拭うと、起動スイッチを押した。コンピューターとEvernoteの準備が整うのを待つあいだ、手帳を眺めて過ごし、まもなく準備が整って、五時直前から日記を書き出した。そうして五〇分ほどでここまで綴った。あちこち行ったので一時間を越えるかと思ったが、そうでもなく、スムーズに書けたものだ。
 その後七時過ぎまで、ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』から手帳にメモ。九二頁の記述によれば、ローマにおける「レックス lex」というのは本来「持続的結合」を表しており、ここからさらに契約・条約という意味が生まれた。つまり、法律というものはそこにおいては、話し合いによって成立したものであり、議論のやり取りと深く結びついたものだったのだ。そしてこの言論による対話こそが、ギリシア・ローマの観念では、政治的なものすべての中心にあるものだった。
 ところが九五頁にはまた、法律はその成立からしても本質からしても暴力的なところがあるとも述べられている。それは、(自然をも改変する暴力的な力という含意をおそらく持った)「制作」によって生み出されたものであり、「活動」によってではないと言われるのだ。これは矛盾ではないか――と思ったのだが、読み返してみると、この九五頁の記述は、ギリシア人のあいだでの法について説明している文脈のなかにあるものだった。そこにおいてはローマ人のあいだにおける法律概念とは異なって、法とは(おそらく単独の?)立法者が考え生み出すものであり、政治的な領域の前段階に位置し、それが定められたあとからその内部に政治的空間が成立するものだと言う。言わばそれは、所与として政治的領域の外部から押しつけられ、境界を定めるものだということだろう。ギリシアにおいては、法というものはポリスにおける主人であり、命令者でもあって、法への服従は息子の父親への服従あるいは主人と奴隷の関係に喩えられている。
 対してローマにおける法律は、先住者と侵入者のあいだの契約から生まれた。これはつまり、ローマにおいては政治が外交として始まったということを意味する。反対にギリシア人にとって外交――自己のポリスの境界線を越えたところにある他のポリスとの関係――は強制と暴力の原理が支配する非政治的な領域だった。一〇三頁には、外交政治という概念、つまりは自分の民族や都市を越えたところに政治秩序があるという考え方はローマから生まれた、と同趣旨のことが繰り返されている。我々は法を、服従を求める掟として考えることに慣れているが、本来法律というものは話し合いから生じたのであって、我々が自由に「活動」――アーレントにおけるこの語は、人間が自由と平等を前提にして、身分や地位に左右されず、互いにかけがえのない存在として認め合うような共同行為という意味をはらんでいる――できる空間を契約によって生み出すものなのだ。
 メモをしたのち、書抜きもしてしまおうかとも思ったのだが、もう時刻も遅いし、帰ることにした。荷物をまとめて席を立ち、政治哲学の区画をちょっと眺める。さらには人種問題などの著作も眺め――ここにレオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』全五巻が並んでいる――それから哲学の区画に移動した。千葉雅也の『意味のない無意味』が棚に新しくお目見えしていた。そのほか面白そうな著作はいくらもあってよほど借りようかと思ったのだが、ひとまずは『族長の秋』を読むのだというわけで誘惑を払い、階段を下りて退館に向かった。外に出ると、手に持っていた神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』をブックポストに入れ、歩廊に踏み出す。紅色のハナミズキが街灯の明かりを受けて鮮やかに色を撒いている。歩廊を渡って駅へ入り、掲示板の前で電車を確認すると、次に来る青梅行きがちょうど奥多摩行き接続のものだった。ホームに下りると風が冷たく、ベンチに座っている人も脚をばたばたと貧乏揺すりさせている。風を防ぐためにエレベーターの周囲の壁の蔭に隠れ、手帳を取り出して読み返した。そうして電車がやって来ると乗り、扉際に立って引き続き手帳に視線を落とす。青梅に着くとすぐ向かいの奥多摩行きに乗り換え、しばらく揺られて最寄り駅着、夜闇のなかでも青々と締まった桜の、もう緑一色に統一されている姿を見やりながら駅を抜けると、横断歩道周辺の足もとに白い花びらがしかし散っているのは遅れて咲いた八重桜のものである。渡って静寂の坂道に入り、寒風のなか帰路を辿った。
 帰宅して母親に挨拶するとすぐに下階に戻り、コンピューターを机上に据えるとともに服をジャージに着替えた。そうして食事へ。米・メンチカツ・挽き肉の炒め物・キャベツの生サラダ・汁物である。あの八百屋、河辺の、あそこで水菜が一袋七円だったよなどと母親に話しつつものを食べ、食べ終えると薬を飲んで皿を洗ってすぐに風呂に行った。湯に浸かりはじめると同時に、家の外で父親の車が帰ってきた音がした。出て、食事を食べはじめるところの父親に挨拶し、「ジェーソン」で買ったポップコーンとカルピスを持って下階に帰った。Yさんとやり取りをしながら、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)とともにMさんのブログを読み出す。三日分を読んで最新記事に追いつき、それからハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』の書抜きをした。そうして時刻は一〇時。一〇時ぴったりから日記を書き出し、音楽はDominique Visse; Ensemble Clement Janequin『Janequin: Le Chant Des Oyseaulx』を通過してLeopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』を先ほど聞きはじめた現在は一〇時五五分である。やはりこのアルバムは冒頭、チャイコフスキーの第一楽章の、非常に大仰で雄々しく豪壮なメロディが好きかもしれない。
 一一時半からベッドに移り、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。冒頭、「大きな翼のある、ひどく年取った男」。ペラーヨとエリセンダの家に現れた「天使」の効験に与ろうと、「カリブ海じゅうの不幸な重病人たち」が彼らの家を訪れてくる。そのなかに、「子供のときから心臓の動悸をかぞえ続けて、今では数のほうが不足しはじめた哀れな女」や、「星の動く音が苦になって眠れないジャマイカの男」などがいるのだが、このあたりの荒唐無稽な、しかし完全に非現実的とも言い切れないような絶妙な奇想が実にガルシア=マルケスらしい。「天使」という一見不思議な、超自然的な存在の出現よりも、こうした奇妙な病人の性質を語る、僅か一、二行に凝縮された記述の贅沢な使い方のほうにこそ、マルケスという作家の匂いを強く感じるものだ。
 さて、その「天使」の方も、人間の理解を絶している否定しがたく超自然的な存在というわけではなく、翼という本来人間には存在しない体組織は備えているものの、地上のものとも天のものともつかないある意味で中途半端な生き物である。彼が行ったと見なされる「奇跡」も不完全なもので、盲人には視力を回復させる代わりに三本の歯を与える、といった類のものであり、本文中で述べられている通り、それらは「むしろ悪ふざけとしか思えない」。篇の後半ではそれまで何語ともわからなかった彼の話す言語が地の文において「古代ノルウェー語」であるとはっきり確定されており――ちなみに、この「天使」の素性を調査する教皇庁の書簡には、彼が「翼のあるノルウェー人に過ぎないのではないか」という疑惑が述べられているのだが、一体なぜノルウェーなのか?――また、彼は時折り、星空の下で「船乗りの歌」を歌う習慣があるらしい。そのように妙に人間臭さを持っているこの「天使」に対する民衆層――「無知な人びと」――の基本的な反応は、予想される通り、彼を見世物扱いにするというものである。そのおかげでペラーヨとエリセンダは多額の金を稼ぎ、家も新築することが出来たので、そうした意味ではこの「天使」は彼らに幸福をもたらす天の使いだったと言えなくもないのかもしれないが、見世物としても中途半端な彼は、民衆の娯楽的な関心の対象としてより完全な「怪物」――「表からも裏からも」調べてみてもいんちきであることが窺われない蜘蛛女――に劣っており、やがてお払い箱になってしまう。それでも家中の寝室に、台所にとうろつき回る「天使」に対して、エリセンダなどは、「なんの因果で、こんな天使だらけの地獄に住まなきゃならないのかしら」と「大きな声で喚い」てみせる始末であり、彼女は完全に彼を侮り、疎ましく思っているようだ。
 そもそも彼女や人々はこの年取った男を「天使」として疑うことなく受け入れているようなのだが、その根拠となっているのは「生と死に関わりのあることならなんでも心得ている隣家の」「物知りの老婆」の、「これは、天使だよ」という無条件の断言のみである。遅々として進まない教皇庁の馬鹿馬鹿しい調査――何しろ、それは「囚人にへそがあるかないか」、「針の穴を何度もくぐることが可能か否か」といった類のものだ――にも関わらず、男が「天使」だと確定されたという結果は導き出されていない。お上の判断は下っていないのだ。翼を生やしているのだから人間としての法則を幾分外れた存在であることは間違いないが、先のようにその効験もとてもあらたかとは言えない半端なもので、超自然的な能力を備えているとも思われず、曖昧な生物なのである。従って、この篇のタイトルはあくまで「大きな翼のある、ひどく年取った男」でなくてはならず、そこに「天使」という言葉が入っていないのも頷けるところだろう。
 この「天使」はその特徴として、「光」と結びついたところがあるらしく、その点は一応「天使」らしいと言うことが出来るかもしれない。彼はまず最初に、「真っ昼間だというのに乏しい光線」のなか、ペラーヨ宅の中庭に現れる。小屋に収められてからは、「広げた翼を太陽の光線で乾かして」おり、その身体には「我慢のならない日なた臭さ」が染みついている。さらに、衰弱してうわごとを呟くまでになっていた彼はしかし「春の光を浴びて元気を回復し」、一二月のある朝、「光のなかを滑」りながら羽ばたき、飛び立って去って行くのだった――もっともその羽ばたきは「見っともない」、「老いぼれた禿鷹のようなはらはらする」ものではあったが。
 一時半前まで同書を読んで、就寝。


・作文
 12:12 - 12:59 = 47分
 16:55 - 17:44 = 49分
 22:00 - 22:56 = 56分
 計: 2時間32分

・読書
 13:37 - 13:56 = 19分
 20:55 - 21:56 = 1時間1分
 23:30 - 25:22 = 1時間52分
 計: 3時間12分

・睡眠
 1:00 - 11:00 = 10時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
  • Dominique Visse; Ensemble Clement Janequin『Janequin: Le Chant Des Oyseaulx』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』

2019/4/26, Fri.

 例によって一二時までだらだらと寝坊する。上階に行くと母親が食事を取りはじめているところだった。こちらも冷蔵庫から前日の天麩羅の残りを取り出し、電子レンジで加熱する。そのほか、米・大根の味噌汁――味噌汁には珍しく生姜の風味が感じられたので訊いたところ、出汁と間違えて生姜の粉を入れてしまったということだった――南瓜のサラダなど。新聞はめくってはみたものの、特段興味を惹かれる記事を見つけられなかった。食事を取ると食器を洗って片付け、それから抗鬱剤ほかを服用する。そうして下階へ。母親はまもなく、「K」の仕事に出かけていった。
 コンピューターを起動させ、前日の記事の記録をつけ、この日の記事もEvernoteに作成すると、一時直前から読書を始めた。ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』である。外は湿った軽い雨降り。窓を閉ざして、FISHMANS『Oh! Mountain』を背景にして、胸のあたりまで布団を掛けてクッションに凭れ、脚を前に伸ばしたり曲げて膝を立てたりしながら読み進める。さすがに一一時間も床に留まっていただけあって、眠気に刺されることはない。二時過ぎ頃だっただろうか、上階に人の気配が生まれた。重そうな、ゆっくりとした足取りからして父親である――今日も早く帰ってくるらしいということを母親から聞いていた。三時に至ると読書を中断し、風呂を洗いがてら顔を見に行くことにして部屋を抜け、階段を上がるとソファに就いて本を読んでいる父親に、おかえり、と小さな声を掛けた。そうして浴室に行って、風呂を洗う。久しぶりに浴槽の外側の壁、そして入り口の扉の際にあたるあそこは何と言えば良いのか、扉が閉じる時に接触する下端の部分も洗っておいた。そうして室を抜け、台所に出ると冷蔵庫から菓子パンのホットドッグを取り出し、電子レンジで三〇秒温める。夕食には鯖をハーブと混ぜて焼いてくれとのことだった。鯖の場所を確認したりしながら加熱を待ち、終わるとなかのものを取って下階に下り、コンピューターの前に座りながら食べた。その後しばらく、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)を掛けながらだらだらとした時間を過ごしたのち、Antonio Sanchez『Three Times Three』を流して日記の作成に入ったのが四時ぴったりである。二〇分少々で前日の記事及びここまでのことを仕上げた。
 YさんとTwitterでやり取りをしながら――何をしたのだったか。何かしらのことをして、五時半頃になると上階へ夕食を作りに行った。まず最初に、フライパンが汚れていたので、水を汲んで火に掛けた。手帳を持ってきて眺めながら沸騰を待ち、まもなく湯が沸くと零して、キッチンペーパーで汚れを拭う。そうして綺麗になったフライパンに油を引き、ローズマリーを散らしてから鯖を投入した。皮を下にしてこんがりと焼いていく。合間に、大根・胡瓜・玉ねぎを洗い桶にスライスして溜めた。それを笊に上げて食器乾燥機のなかに置いておき、さらに水菜を用意したのだが、袋にさっと茹でるようにと書いてあった。生でも良かろうと思ったのだけれど、一、二本生で食ってみると、ちょっと苦味と言うか、妙な風味のようなものがあとから感じられたので、茹でることにして、鯖を焼き終わったあとにもう一つフライパンを準備して、短く茹でた。それも別の笊に上げて、先ほどの野菜とともに食器乾燥機に並べて置いておき、あとは味噌汁は昼間の残りがあるので、これで支度は終わりである。こちらが台所で立ち働いているあいだ、父親は一貫してソファに就いて本を読んでいたが、支度が終わって居間に出ると、ありがとうと小さな声で礼の言葉を掛けてくれた。そうして下階に戻った。戻ったあとは確か、T田のクラシック選集を背景にしてだらだらとした時間を過ごし、七時半頃まで怠けたと思う。
 食事へ。米・鯖のソテー・大根や水菜のサラダ・大根の味噌汁である。テレビは貧困生活をしている子供に対する学習支援の取り組みについて報じていて、そのなかで支援を受けている子供の一人が、本音を漏らしたといった感じで、自分が住んでいる家のことを、こんな場所は家ではない、小屋だね、小屋、こんなところが家だったら絶句だね、と言っていた。その「小屋」という言葉選びがやはり少々衝撃的で、印象に残った。
 その後、入浴。長めに浸かって、散漫な物思いを巡らす。T田から先日、来年大阪で暮らすことになりそうだからルームメイトにならないかと誘われたのだが、もしそのような生活が実現したらどのような暮らしになるだろうかと想像していた。そうして上がり、下階に戻って、八時半から「記憶」記事の音読。この復習も最近では面倒臭くなってきて、ここ一週間ほどは取り組んでいなかった。一項目につき二回ずつ読むのも面倒臭くなってきて、この日は大方一回ずつで済ませ、一一五番から一二六番まで。やらないよりはやった方がまだましだろう。
 その後、九時半から読書、ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』を読み終える。それから何をしようか迷った。本を読み続けるには気力が少々足らないようだった。また、読むとしても次に何を読むか、ムージル『特性のない男』の続きを読む流れに復帰するか、それとも翌日図書館で何かを借りてきて読むか、そのあたりが決断しきれなかったので、しばらく床に臥して目を閉じ、掛かっていたLeopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』の演奏に耳をやった。T田はこのチャイコフスキー交響曲第五番の演奏は、第二楽章がいわゆる美しいクラシック音楽のなかでは最高峰だと言っていたが、こちらは豪壮なメロディの第一楽章の方が好きかもしれない。音楽が流れるなかで、本を読むのではなくて手帳を読み返していたが、そうしているうちにいつの間にか意識を失っており、気づけば一時を目前としていたのでそこで就寝した。


・作文
 16:00 - 16:22 = 22分

・読書
 12:54 - 15:07 = 2時間13分
 20:33 - 20:51 = 18分
 21:32 - 23:10 = 1時間38分
 計: 4時間9分

・睡眠
 1:00 - 12:00 = 11時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • 『Classical Music Selection』
  • Dominique Visse; Ensemble Clement Janequin『Janequin: Le Chant Des Oyseaulx』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』

2019/4/25, Thu.

 一〇時半起床。上階へ。母親は「K」の研修で不在。父親は仕事。トイレに行って放尿してから、洗面所に入って顔を洗った。それから冷蔵庫から前日の残り物――筍と鶏肉、パプリカなどの炒め物に、同じく筍と椎茸と菜っ葉の味噌汁――を取り出し、それぞれ温めて卓に就いた。新聞の国際面を見ながら食事を取る。スリランカのテロは、「イスラム国」の残党が関わっていた可能性があると。ムスリムが実行したらしいテロ事件を受けて、その余波としてモスクへの投石など、ムスリムに対する副次的な事件がいくつか起こっていると。最悪だ。まさしく憎しみの連鎖、Chain of Hatredだ。食事を終えると薬を服用し、食器を洗って下階に戻った。前日の記録を付けるとともにこの日の記事を作成し、冒頭にはムージル『特性のない男』からの書抜きを引いておく。その後、ちょっとだらだらしたのち、一一時半過ぎから読書に入った。ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』である。前日に続いて、手帳の下端にメモしたい箇所のある頁と行数を記録しながら進めるのだが、この読書が結構これも骨が折れるもので、一時間に一〇頁程度しか進まない。最初はクッションに凭れて姿勢を保っていたが、途中から布団を被って横になり、枕に頭を乗せることになった。しかしそれでもこの日は眠気に襲われることはない。ただ何となく気力が出ない感じがしたので、ひらいていた窓を閉じ――窓の外では白い曇り空の下で、鶯や四十雀など、様々な鳥の声が入れ替わり立ち替わり交錯して響いていた――FISHMANS『Oh! Mountain』を流した。それをBGMにしながらさらに本を読み進めて、一時四三分になったところで中断。上階に行くと仏間からベスト姿の父親が出てきたので、おかえりと言った。なぜ帰りがこんなに早いのかは知れない、早引けして病院に寄ってきたのかもしれない。こちらが風呂を洗っているあいだに、父親は玄関を抜けてまたどこかに出かけたらしかったが、二時半過ぎ現在、また帰ってきたらしい気配が上階にある。こちらは風呂を洗い終えるとハムと卵を焼いて食事にすることにした。フライパンに油を垂らし、その上にハムと卵を落とす。しばらく熱して黄身を保ったままに白身が良い具合に固まると、丼によそった米の上に取り出し、卓に移った。醤油を掛けながら黄身を崩して、ぐちゃぐちゃと搔き混ぜて米と絡め、食べながら新聞の国際面を読んだ。スペインの下院総選挙(定数三五〇)でも極右政党「ボックス」が伸長との見込みで、三二議席かそこらは取りそうだという話だ。右派政党での連立も考えられると言う。それを読みながら食べ終わると、さっさと食器を洗って片付け、自室に帰ってきて、FISHMANS『Oh! Mountain』の続きを流しながら日記を書いた。二時一七分から始めてちょうど二五分を費やした。
 上階へ。階段を上がりきるまでもなく、何か塩気の強い匂いが室内の空気中に漂っており、居間に出ればテーブルの上に、父親の食べたカップラーメンの残骸が乗せられてあった。それを見れば訊くまでもなく明らかなのだが、階段から居間に踏み出すと同時に、食った、と尋ねて、父親は肯定を返す。台所に入りながら続けて、医者に寄ってきたのかと訊くと、そうではないが今日はもう早く帰ってきてしまったのだと言う。何故かと続ければ、足を労るためと冗談とも本気ともつかない返答が帰ったので、は、と鼻を鳴らすような抑えた笑いで受けた。それで炊飯器に寄り、中途半端に余ったなかの米を皿に取り出し、保温されていた釜は熱いのでミトンを取って右手につけ、片手で釜を持ち出して流し台に置く。水を流して釜を洗って付着した米粒を取り除くと、笊を持って玄関に行き、戸棚のなかの米袋から三合を取ってきた。薄ピンク色の洗い桶のなかでじゃりじゃりとそれを磨ぎ、釜のなかに米を入れて水も大雑把に注ぐと釜を炊飯器に戻し、六時五〇分に炊けるようにセットしておいた。そうして下階に戻ると、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)を流し出し、 ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』の今まで読んだ部分から手帳にメモを取ることにした。コンピューター前の椅子に就き、背中を丸めつつ、畳んだコンピューターの上に手帳を乗せ、その左方に本を置いて文言を書き取って行く。三三頁には全体主義の恐ろしさとして、そこにおいて人間の自由は歴史の展開のために犠牲にされなければならず、人間の自由な活動は歴史過程の邪魔であるという考え方が挙げられている。全体主義というのは、一種の進歩史観なのだろうか? 六九頁にも同様の趣旨が述べられているが、ここでは、全体主義における「人間の本質的機能は、進歩の過程に奉仕し、その過程を一層早く前進させることにある」として、はっきり「進歩の過程」という言葉が用いられている。全体主義という思想は、「進歩」を奉じた啓蒙の時代が誤った形で受け継がれた結果、そこから産み落とされた鬼子であったりするのだろうか。
 三時過ぎから始めて五時過ぎまで、二時間をメモに費やした。それから上階へ行く。冷蔵庫から自宅で採れた野良坊菜の余りと買ってこられたほうれん草を取り出し、昼に卵を焼くのに使ったフライパンに水を汲んで火に掛ける。沸騰を待つあいだには手帳を持ってきて、今しがたメモした事柄を眺めていた。湯が沸くと流し台に零して、キッチンペーパーで汚れを拭き取り綺麗にすると、もう一度水を汲んでふたたび焜炉の上に置く。それで菜っ葉類を茹で、柔らかくなると水を溜めた洗い桶のなかに入れた。それから、天麩羅を揚げることになった。うどがあり、外に生えている葱坊主も大きくなっているだろうし、また筍も残っているから、というわけだ。それで母親が葱坊主を取りに行っているあいだ、うどの皮を剝き、細切りにして、絵の具のような赤紫色の梅酢に浸けておいた。ところが母親が戻ってくると、梅酢に浸ける前に茹でるのを忘れていたことが判明したので、小鍋に湯を沸かし、液体を零さないように注意しながら梅酢の皿から箸で一掴みずつ、うどを鍋に入れていった。さっと茹でて笊に上げておき、それから天麩羅の準備である。ボウルに天麩羅粉と冷蔵庫で冷やした水を入れ、軽く搔き混ぜる。椎茸や筍を切り分けて、筍から揚げはじめた。揚げているあいだ、南瓜をさらに切らねばならなかったが、固いのを力を込めて切断するのが億劫で横着していると、母親が南の窓際で優雅に本を読んでいた父親に、南瓜を切ってくれと声を掛ける。それに答えて父親はゆっくりと台所にやって来た。最初の一刀だけはこちらが担当して半分に切断し、あとは父親に任せてこちらは天麩羅に取り掛かった。その後、揚げているのを待つあいだには手帳を眺めながら、椎茸・南瓜・葱坊主・うど・鶏肉を天麩羅にしていって、終わる頃には六時半が近くなっていた。あとのことは母親に任せて下階に下り、六時半からふたたび読書を始めた。

 その際、想起すべき重要なことは、政治的なものの自由が成り立つためには、多数の人がいて、その人たちが同権であることが必要だということである。一つの事柄が多くの相から示されるためには、多くの人が現にそこにいて、その事柄がその都度異なった様相においてその人々に現象するということが必要である。たとえば専制政治の場合には、万事が専政者の立場のために犠牲にされてしまうのだが、そのように、この平等な他者というのが消されて、その個々の個別の意見がなくなってしまえば、誰も自由でなくなるし、専政者も含めて誰も洞察ができなくなる。このような政治的自由は、最良の成果としては洞察力と同じものになるが、これは、我々の意志の自由とか、ローマの「リベルタス libertas」、あるいは、キリスト教の「意志の自由[リベルム・アルビトリウム] liberum arbitrium」というのとは全く関係がないのであって、事実としてもこれらのどれにもギリシア語にはその単語がない。個人は孤立させられては断じて自由ではない。個人が自由になりうるのは、ポリスの地を踏んでそれにかかわる場合のみである。自由が、一種の人間ないしは人間類型(たとえば、異邦人に対するギリシア人といった)の特質となる以前に、自由は人間相互の組織の一定の形態の属性だったのであって、それ以外ではなかった。自由の成立する場は、意志、思考、感情といろいろ変化はあっても、そうした人間の内面にあったのではなく、人間が集う間の空間なのである。この空間は、何人かが一緒に集う限り生まれてくるし、共同に生活する間だけ存続できるものである。自由の空間が存在し、そこに参加を認められた人は自由であり、そこから排除された人は不自由なのだ。このように参加を認められる権利、すなわち、自由は個人にとっての財産であり、富や健康と同じく個人の生涯の運命を決定するものだった。
 (ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』岩波書店、二〇〇四年、83)

 そうしてあっという間に八時過ぎ。本を置いて読書時間を手帳にメモし、食事を取るために上階に行った。メニューは白米・天麩羅・南瓜のサラダに菜っ葉。テレビのことは良いだろう。食事を終えると食器を洗い、薬を飲んで、さっさと風呂に行った。浸かっていると暑くなってきたので、立ち上がり、浴槽の縁に腰掛けて、脚を組んで目を閉じながら散漫に物思いをした。もっと創造性というものを身につけ、発揮したいものである。九時を迎えると浴槽の縁を跨ぎ越してマットの上に座り、頭と身体を洗って浴室から出た。そうしてすぐに下階に帰ると、九時半から日記を書き出してここまで至ると一〇時二〇分。BGMに流したのはAntonio Sanchez『Three Times Three』、Dominique Visse; Ensemble Clement Janequin『Janequin: Le Chant Des Oyseaulx』で、現在はそれに続いてLeopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』が流れている。
 風呂から出てきて日記を書くまでの一時、第三帝国について調べた。調べたと言っても、単にウィキペディア記事を眺めただけである。第三帝国がどのような意味で「第三」なのか、何となくは知っていたけれど記憶がはっきりしなかったので確認したのだ。神聖ローマ帝国、帝政ドイツに続く三番目のドイツ人の帝国だということだった。それで、第一、第二帝国の始まりと終わりを手帳にメモする。神聖ローマ帝国の始まりというのは、日本では九六二年のオットー一世戴冠から考えるのが一般的だが、海外では八〇〇年のカール大帝戴冠を開始と見なす方が多数派だということだった。
 日記を書いたあとは少々だらけて、三〇分ほど過ごしたあと、一一時過ぎからふたたび読書に入った。ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』を二時間弱読み進め、一時直前になって就寝。窓を開けたまま眠った。


・作文
 14:17 - 14:43 = 26分
 21:31 - 22:21 = 50分
 計: 1時間16分

・読書
 11:35 - 13:43 = 2時間8分
 18:29 - 20:07 = 1時間38分
 23:08 - 24:54 = 1時間46分
 計: 5時間32分

・睡眠
 0:30 - 10:30 = 10時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Dominique Visse; Ensemble Clement Janequin『Janequin: Le Chant Des Oyseaulx』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』