2017/7/10, Mon.

 大きな風が吹き、草葉の擦れる音がたびたび広がって響く昼間だったが、ベッドに横たわっていると背に熱が籠って、枕の端に載せたうなじが湿るのも煩わしかった。身体を拭いてから出かけた夕刻、風は残っており、坂ではニイニイゼミの声が薄く立ち上がる。丘とのあいだにまだ空を残した太陽が、背から尻から膝の裏まで照らすのに包まれて緩慢に行っていると、紅色の百日紅が咲きはじめているのを一軒の塀に見留めた。腹を白く晒して飛び立った鳥の頭上を渡るさまが、水のなかを泳ぐ魚のように映った青空である。街道にいるあいだ、視界の上端に空が入って釣られて仰いだ青の淡さに、陽が昇りはじめた朝の道を歩いているような錯覚が挟まる瞬間があった。
 前日がちょうど望の日だったらしい。帰路、星の散らばって澄んだ空を東に振り仰げばこの日も円い十六夜の月が浮かび、まさしくそこだけ刳り貫いて夜の裏を覗かせたかのように白々と、清く照っている。暖気の漂って残り、温い道だった。肌を濡らしながら街道まで行くと、夜でも公園の灯りに誘われたようで、桜の木からか柳のほうか、浮かぶ緑のなかからニイニイゼミの声が響いていた。道端の紫陽花が腐りはじめているのが、暗がりにあっても目にわかる。下り坂に入ると僅かずつ異なった虫の音が、遠く近くから次々と、替わるようにして立って重なるそのなかを抜けて、家の間近でもう一度月を眺めると、明るい空を下から浸潤している山影が、墨で描かれたように柔らかく映った。

2017/7/8, Sat.

 正午前の炎天下、不要な木材を鋸で切り分け汗だくになって以降、肌のべたつきが取れなくなって、夕刻、職場に出る前に湯を浴びることになった。浸かっていると、外から虫の音が入って来て、随分と蜩に似た声だなどと思っていたところが、支度を整えて居間のソファに座っていると薄明のうちにまた立ち昇った声が、蜩以外の何ものでもない。今夏、初めて耳にする。錯誤が挟まったのは、どういうわけかまだ時期ではないと勝手に思いこんでいたらしいが、過去には夏至を過ぎて間もない頃に聞いた覚えもあるのだから、むしろ遅い方なのかもしれない。家を出て坂に入り、まだ隙間を広く鳴いているのを聞いてもしかし、夏の到来をしみじみと感じ入るでもなかった。いつの間にやら七月に入って気温も高止まりし、朝ごとに汗に濡れながら起きて日中も絶えず肌を粘らせていても、季節に対する感慨をあまり強く覚えないようなのは、過去の日記に書いた言葉を使えば、歳月とともに時間というものも形骸化していくと、そういうことだろうか。一匹、鳴きはじめたと思った途端に声が途切れたものがあって、見ればそちらから鳥が立ったのに、まさか食ったのだろうかと、何故だか信じられないような気持ちでいると、頭上に移った鳥の方からぎぎ、と軋むような声が落ちたので、やはり食ったのだなと樹々を渡る影を見上げた。
 空は黄昏の青さに入る直前で、雲が含まれているとも見えないが淡白に褪せて、なかに赤く、桃色めいても見えるような満月が低く掛かっていた。風呂の直後から肌は湿り続けており、汗の玉が背に流れるのが感じられる。裏路地に添った森からは蜩は立たず、静けさのなかに夕餉の匂いを嗅いだり、食器の触れ合う音を聞いたりしながら歩いた。頭痛の芽生えがあって既に疲れたような、気怠い道だった。
 職場で会議を済ませた帰路は空虚な気分になって、どこにも所属したくないと例の倦怠を繰り返す。鼻水が少々湧き、くしゃみも出るのに風邪を思ったが、じきに温まった身体が落着いて、頭痛も芽のままに留まっていた。夜になって空に雲が混ざったらしく、南の正面に近くなった月はいくらか靄って、橙色の光をぼんやりと広げていた。

2017/7/7, Fri.

 洗濯物を取りこもうとベランダに出ると、光線が肌に強く、染み入るようで、陽の色に明るく照らされた眼下では、緑が絶えず緩く揺らいでいる。このなかを歩いて行くのはさすがに骨折りだと、出かける母親の車に同乗させてもらい、医者の間近で降りた。身を包む液体めいた陽射しの大層厚くて、途端に肌が粘りはじめる。それでも晒されて道を行くうちに、暑気の身体に馴染んで軽くなってくるような感じがあった。
 診察は五分程度で終えて薬も貰って出たのが三時過ぎ、陽はまだ旺盛で、目を細めて睨むようにしながら行く線路脇、低く植え並べられた名も知らぬ草の、無装飾に葉茎を突き出して濃緑に調ったものがてらてらと光を溜めて、まるでプラスチックで組み合わされた模型のように映った。図書館に入って作業を進めているうちに、五時に掛かると大窓を塞いでいたカーテンが上がって行き、現れた外の景色はまだまだ明るく暑気もいくらか残っていそうだが、風は走っているようで、コンビニの外に立てられた旗が悶えるように震え、ぼさぼさと乱れ繁った街路樹の枝葉が下から煽られてうねる。階上まで繋がっている大窓は首を傾けて目の届く端まで一面、薄雲混じりの穏和な青に満たされて、窓は南に面しているので夕陽は見えないが、空に流し込まれたような白さを背にビルの輪郭が滑らかに象られているその境を見つめていると、光の感覚が目に強く、逸らして眺めた南の果てには丘陵が、ちょうど顔の高さでほとんど上下もせずに、なだらかに空の下端を縁取りながら淡い陰影を施されていた。
 それからしばらくのち、休憩がてら水分を摂りに行くことにして席を立ち、西窓の彼方に剝き出された夕陽を見ながら階段を下り、入口外の飲食スペースで柑橘類のジュースを飲んでからなかに戻ると、陽はやや低くなっており、奥の階段口から照射された朱色が濃厚に、油をぶち撒けたようにしてフロアに流れている。人が階段を下りて来ると、床の上に傾いでそこだけひらかれた暮れ色の矩形を影が埋めるようにして、しかし埋めきれず、人はまだ階段を踏んでいるのに驚くほどに長く伸びてこちらの目の前にまで届くのだった。自分の顔もいま赤く染まっているなと思いながらそのなかを通り、席に戻って書き物を始めたところがうまく行かなかった。閉館まで時間も少ないのに記事が二日分残っているのが焦りを呼んだようで、二日前だと記憶も薄くなって容易に掴めず、作文が空回りに終わって退館した宵、月は東の満月で、星も見えず暗いが滑らかに冴えた夜空に暈も作れず、ただこちらの歩みに応じて刻々と角度を変じながら両側に突き出す光線を、放つと言うよりは上から次々と被せられるようにして輝いていた。

2017/7/6, Thu.

 午後三時を過ぎた頃、窓の外に葉を打つ音が散らばりはじめて、詰まった響きの雨が始まった。しかし同時に、白い家壁に重なる陽の明るさも垣間見える。前日は持っても使わなかった傘を今度はひらいて家を発つと、坂の上から風が、大きく涼しく走って来たが、表に出る頃にはぱったりと空気の動きが止まっていた。頭上は青く暗んでいるものの、降るものは弱く、西空が薄くなってもきている。路地に入ると背後から暖気の気配が寄ってきて、蒸し暑さが裏に籠るので傘を閉じ、ぽつぽつと落ちるものを構わず受けて歩いて行った。
 勤務が長い方の日ではあったが、世の尋常に比べればよほど短いところを、人のあいだにあって寄せる外圧にいつまでも強くならない身体らしく、勤めを終えると頭痛が始まっていた。今週の労働はこれで仕舞い、しばしの解放が訪れたはずが、前夜の道で覚えたほどの自由も感じない。雲の多い空に月は生え初めた芽のようで、それでも光は白く明るくて、雲の脈が分かれて作る複雑な模様を顕に照らし出す。傘を杖のようにこつこついわせながら行く脚の、頭痛と繋がってもいるのか大層疲労し鈍くこごって、ゆったりと歩く間に、月はだんだんと雲のなかを抜け出して、街道を渡って路地に入る頃には、もうかなり円くなった姿を晒していた。それを見上げているところに背後から車が来たので、脇に避けて目を落とした先、ヘッドライトを投げかけられた紫陽花の、瞬間浮かんだ赤紫が鮮やかだった。

2017/7/5, Wed.

 陽の色の窓に見えて、爽やかな空気の流れるなかに起きたところが、午前が尽きるにつれて曇り空となり、モニターを前にした肌にいつの間にか汗をかきはじめている。出かける直前には雨が始まって、ざっと流れてすぐに衰えはしたが、大気の気配の定めがたさに、昨日は余計な荷物と払った傘を今日は持つことにした。坂から遠くに見下ろす川は前日の雨に増水し、土色に濁りながらそのなかに、黄緑の感触を僅か混ぜてもいる。街道では久しぶりに、燕が曲線を描いて宙を駆けるのが見られた。見上げれば雨雲が淀んでいるが、離れた空は色が薄く、明るいような暗いような、しかし歩くうちに陽が出て影の浮かぶ時間もあって、傘を使うことはなかった。
 帰路、夜の路地を行っていると、大きな風が走って久しぶりに涼しさというものを感じさせるようで、頬に寄せて続くのに軽い恍惚感らしきものが滲む。解放の感覚に浸ってゆったりと行く脚に、荷物だと思っていた傘の杖つく音がこつこつ添って、そのリズムさえもが心地良いようだった。どこにも属さず何をもせずただ脚を動かしているだけの、どこかからどこかへ移り渡っている歩のあいだの宙吊りこそが、自分にとっては自由というものを如実に感得させるらしい。またすぐに、どこかに止まってしまうのだが、いまこの時ばかりは、と風を浴びていた。

2017/7/4, Tue.

 鶯の鳴く声の、久しぶりに窓の外に盛んに立って、その合間に時鳥の音も差し込まれて届く賑やかな昼間だった。そこから少々下ってから出た往路、夜から台風が来るとか聞いていたが、確かに涼風の先触れはなくとも、真白く起伏のない空と小暗くくすんだような空気に、雨の雰囲気が籠っている。大方降る気色に見えたが、傘に片手を奪われるのが煩わしくて、降れば降ったで、と軽く払った。コンビニでちゃちなビニール傘を買っても良いし、最寄りまで電車を使ってそこから一〇分足らずの道を濡れながら駆けても良い。そんなわけでいつもと同じ、何も手に持たない身軽な格好で発ったが、軽く気楽な身のはずが脚が速まっているのに途中で気づき、そこからはポケットに両手を突っ込み歩調を落として、ぶらぶらと緩いように行った。職場に着いたのは、ぎりぎりだった。
 夕刻から降り出して、勤めたのちの夜にも落ちるものは厚く、薄青いシャツに水玉を付けながら駅へ駆け込み、最寄りまで来ると今度は急ぐ気にもならず、平然ぶって濡れるに任せて雨のなかを行った。坂に入れば木蔭に少しは和らぐかと思いきや、樹の下は葉に溜まった粒が大きく強く落ちてきて、それは髪に吸収されずに顔のほうまで流れてくるから、かえって難儀である。通りに出る頃には頭から膝までそぼ濡れて、前髪を掻き上げた顔面に水が絶えず縦横に蠢いて切りがないが、あくまで走らず、来たるものを浴び続けた。

2017/7/3, Mon.

 布団の下で、肌に汗を溜めて寝覚めた朝だった。東京でも三五度に迫る猛暑で、雲はあって晴れきるでないが、眠りの少ない身体が暑気に頼りない。一一時を迎えて出た道に風はあり、坂の落葉は乾いて茶色く左右に積まれ、そのなかを駅まで行ってベンチに座ると、西行の和歌を読みながら電車を待った。屋根の下にあっても光が照って明るさに囲まれれば、熱気が日蔭のなかまで身を包むように迫って頭に上り、熱中症を思いもするが、折々に風が波打って寄せ、熱を散らす助けとなり、外では線路の周りに立った雑草が水底の海藻のように揺らいでいた。
 図書館で文を綴り、軽食を取りに出た午後、気温の調った屋内から一歩出た途端に、熱が群がって身の周りをぴったりと固めるのに、夏の空気とはこういうものだったなと思い出した。とは言え、おにぎりを買って座ったベンチの、風は弱く揺らぐ樹の蔭はこちらを逸れているが、陽は空に止まっており、三時まで来てさすがに盛りも過ぎて、さして暑いわけでない。周りで遊ぶ鳩のなかに、恋人同士のように連れ立った二匹がいて、熱情的な接吻を押し付けるように相手の顔周りを繕う片方に、もう片方は成されるがままになっていた。
 五時に到って館を去ると、先ほどの軽食時よりもよほど暑く感じられ、ホームに立っても頼りなげな身体に、高まっているわけでもないのに心臓の鼓動が煩わしく響く。眠りの少なさと猛暑とで既に疲れはじめていたようで、勤めを済ませた夜には身体が大層重く、頭痛が始まっていた。甚だしい疲労感に、慣れた夜道が長い。月は雲を煙らせるのみ、風があっても涼しさというものを忘れてしまったような夏夜で、じきに襟足が濡れるほどに汗が浮かんだ。帰って服を脱ぐと床に転がり、文庫本を手に休んでから、食事を取って風呂に疲れを溶かしたあとの夜半過ぎ、頭痛は収まったが、ふたたび本を持った手の先が、不健康に痺れていた。

2017/7/2, Sun.

 曇り日でありながら暑気は盛り、何をせずとも部屋にあるだけで汗が身を包んで粘る有様、七月に入っていよいよ夏も奮ってきたこの日、祖父の命日である。しどけなく転がって西行の和歌を読んだり、麻婆豆腐を拵えたりして日中の熱気をやり過ごしての暮れ方、都議選の投票に出た。七時を回っていたが、空はまだ青さが深みに入る手前で、見上げれば、綺麗に象られて浮かんだ月は上弦、樹々の間に白く重なった雲には、茜色の残骸が幽かに含まれているようだった。行く道の空気に、脇の家の花から洩れ出るものか、甘いような匂いが混ざって吸われる。
 樹々に接した坂を上って行くと、予想にないところで前がひらけたのに困惑し、そうか、こちらの道は近頃来ていなかったが、ここの林は伐られてしまったのかと気が付いた。水もほとんど涸れたらしい沢の跡を底に露わに、以前には見えるべくもなかった表の道路まで視線が通って、中途で断ち切られて残った薄色の樹の、断面から新たな枝葉が生まれ伸びているその先に重なって、青く浸った体の端をぼろぼろと零した夕雲が、残光の、最後の裾を受けていた。まもなく黄昏れても大層暑く、草間から近く叫ぶ虫の音の、耳にいかにも押し付けがましいなかに風も吹かず、汗がひどくべたついて、通りには風呂の匂いが漂ってくすぐる宵だった。
 投票を済ませると、ぽっかりと綺麗に、ちょうど半分から割られたような月を青の深まった空に戴いて、また汗をかきながら家に戻った。少々休んでから風呂に行くと、先ほど歩いているあいだはなかったはずが、外で随分と風が立って林を通っている。なかに赤ん坊の泣く声が、遠くから仄かに、伝わってきた。葉擦れが時折よほど大きく膨らむのに、枝葉を左右に揺り乱している樹々の様子を眼裏に浮かべながら湯に浸かった。

2017/7/1, Sat.

 雨の予想の、高さは聞いていた。昼を過ぎて出れば実際、散るものがあるが、降り出しというよりはむしろ降り終えのかそけさに、傘を持つ気にはならず、盛れば盛ったでどうでも、と払った。街道まで来ると落ちるものの間がやや狭くなり、顔に掛かってくる水に目を細くさせられたが、それもすぐに衰えて、じきに消えて行った。水気が宙に散っても涼しさは立たず、肌がべたついてやまない曇天である。
 立川で友人との会合、喫茶店で話して暮れ方、書店を訪れさらにラーメンを食ったのち、またもや喫茶店に入って、思いのほか長く、閉店時間まで話し込むこととなった。最寄りに着いたのは日付替わりも済んだ頃で、ぬばたまの、とはこのことか、漆黒に籠められた空のもと、足下[そっか]のホームの表面に含まれた何かの粒が、星の代理めいて、街灯の光にきらきらと応じていた。木の間の下り坂に入ると煙草のような香りが触れたのは、誰が吸っているでもなく、植物が自ずと吐く臭気なのだろう。道のあちこちから、まだ水気が散りきってもいない。風どころか空気の動きがまるでなく、周囲に耳を張っていても葉の擦れる音が一つも拾えない静寂のうちに、沢のせせらぎのみが、やがて小さく抜けてきた。
 玄関に入る間際、顔に触れるものの一滴を、その時は気にもしていなかったが、風呂に行ってまもなく、日中には結局降らなかった雨がここで始まった。湯に浸かって聞いているうちに、音は窓の向こうに浸潤し、降りは繁くなって、部屋に帰ってからも雨気が身に沁みるような具合に寄ってくる。響きからするにまっすぐ降っているようで、音も結構厚くなったが、そのわりに吹くものはないのだろう、風が室に入ってくることはなかった。

2017/6/30, Fri.

 前夜は窓の奥、遠くで、雨の気配が幽か兆しながらも降りまで結ばれずに収まることを繰り返したのち、三時の遅きに到って、さすがにもう眠ろうという瞑目の内に始まった。午前は降り続き、墓参に出た正午過ぎ、止んだなかに風は立たず、せめて涼気が寄ってくるでもなくて、外もなかも変わらぬような空気だった。
 玉のように円く太った紫陽花の寺に、平日の昼下がりで、雨のあとでもあってひと気はなく、墓地の上空に掛かった電線に、燕が並んで声を降らせるのみである。墓所を片づけ花を供えて、線香もあげてそろそろ行こうかというところに、近くの墓石に鳩が渡ってきて、それが我が家の墓所にも近づいてくる。駅前にうろついているのをよく見る種の、灰青色に落着いて首もとに緑や紫の差し込まれたのとは違って、土埃を被って褪せたような、土着の匂いの強いような鳩で、首の脇にはこちらは、小さな縞模様が飾りのように入っていた。眺めつつ立ち去りかねているうちに、墓のあいだを来る人があって、それがちょっと離れた街に住む大叔母である。鳩に留められて、たまたま行き会った形になった。彼女の持ってきたのも合わせて改めて花を調え、米も供えるあいだ、鳩は人に怖じず、墓石に乗って無遠慮に歩き回り、米を啄みはじめて終いには、大した勢いで貪っているのに、亡き祖父の妹は、おじいさんおばあさんがやって来たのだなどと言っていた。
 両側に分かれて戒名の刻まれた墓誌に、新たな名を彫る余地があと三人分くらいしかないななどと、混ぜ返していたところ、今まで気づきもしなかったがよくよく見ると左側の、幼いうちに亡くなったらしい者ら三列のなかに一人、童女とついた戒名だけで名の記されていないものがある。昭和五年と刻まれていた。祖父は大正一三年の生まれと言うから、六つの差になる。満州事変の起きた一九三一年に生まれて嫁に来た祖母には、一つ違いの義姉となったろうその子について、あとで大叔母に尋ねてみると、この人はいま七〇過ぎの末妹で詳しいことは聞いていないが、何でも「はつこ」という名の女児がいたとか言う。墓誌には書かれていないのだから、死んだあとから与えられたものなのだろう。それぞれに老いて弱りながらも生き長らえている祖父の妹たち五人の、その先に生まれながら、名を受ける間もなく逝った長女があったらしい。
 駅まで送られた大叔母とともに車を降りて、こちらは図書館に入った。出た暮れ方、西にひらいた雲間から絹のように伸びた黄金色のなか、近間のドラッグストアへ歩いた。横断歩道に止まれば、向かいの人々の顔の、片側は光を浴びて色づき、片側は影を帯びて、誰も夏の日によく焼けたかに見える。買物が済むとあたりはもうだいぶ黄昏れて、金色は低く、建物の裏に隠れたが、西にひらいた道の果ては、埃が密に舞うかのように琥珀色に霞んでいた。

2017/6/28, Wed.

 木の下にも、暖気の漂って身に触れる曇りの昼下がりだった。空は大方白く、雲も厚く思えたが、綻びに青さがちらほらと見えてもいたようで、坂を抜ければ薄陽が眼前に浮かぶ。離れた電線で声高に、曲線的な鳴きを上げている鳥を、画眉鳥らしいと聞いてから表に出れば、少し前には宙を盛んに飛び交っていた燕の姿も声も、街道に見当たらない。裏に入ると鵯が電線に止まっていて、鳴かないなと見て過ぎた直後、一羽をきっかけに一斉に声が立ち、互いのあいだを反射して行き来し、四角い輪郭を描くように、宙に響いた。進めば森の方でも、樹々に紛れて姿は見えず、何を伝え合っているのか、鳴き交わしている。やがていくらか涼しくなったような気がしたが、吹くというほどの動きも空気にはなく、肌が暑気に慣れたというのが本当だろう。
 勤めを済ませた宵も外に出た途端に鼻に温さが匂って、夏至も過ぎて気温の高止まりした夏の夜らしい。西はやや晴れたか、空が青く深まっていた。涼しくもなく蒸し暑くもなく、ただ温いような夜気に、肌は粘るほどでないが湿りを帯びる。闇にのしかかられるような裏の通りを、ほかにひと気もなく、虫の音を共連れに一人で黙々と歩いていると、またこの道の夜を行っている反復に、何か現実感が稀薄になって、鮮明な夢のうちにいるかのような気がしてきたものだ。表で炭酸飲料のペットボトルを買い、手にぶら下げて家の傍まで来て、下り坂を出る間際、林に風が走って、なかから立った響きのにわかに雨音めいたのは、葉が揺れるだけでなく枝から離れて下のものに当たるからだろう。散った葉の、色合いは鈍く濁り気味だが、脇に転がって道を彩っているのをここ数日の日中、見留めていた。

2017/6/27, Tue.

 靴を履いて玄関を出る間際に、密閉された車に長く乗って酔った時のような疲労感が、鼻筋から眉間のあたりをかすかに通った。気付けば身体も、微熱ほどですらないが熱を持っており、四肢の先に頼りないようなぶれを感じる。その肉体を外の空間に慣らすようにして、病み上がりのような緩慢さでとろとろ歩いて行ったが、僅か流れる風も涼しいでもなく、停滞気味の空気だった。それでも脚を動かすうちに、血がよく巡るようになったのか、身体はこなれて、自らの輪郭に落着いて、いくらか楽な風になった。
 出掛けの薄い愁訴のわりに、長めの勤務が事なく済んで、終えれば身体は軽く、気力が残っているらしい。道に掛かる光のなかが煙いようで、水気の匂いも鼻に寄るのに、どうも雨が降ったのではと見れば、確かに路地の両脇に、濡れた名残りが薄くある。室内にいたあいだ一度、雨音らしきものを聞いた覚えもうっすらあったが、それをさして気にせずすぐに忘れて、また水溜まりも作られず、道の真ん中は既に平常の色に乾いているところでは、短く去った雨だったのだろう。それにしては空気に霧がかったようなところが残り、湿り気の匂いも定かだが、雨後の涼しさはなく、風も通らず、かと言って暑いほどでもなく、半端な夜気だった。
 帰って飯を平らげたところ、しかしすぐに椅子から立ち上がれず字義通りに腰が重いのに、体力の残っていたつもりがやはり疲れはあると見えた。湯を済ませて戻った部屋に入る外気の、深夜に到っても冷やりともせず過ごしやすい代わりに、睡気が混ざりがちの濁った読書となった。

2017/6/25, Sun.

 道を前から、風が滑ってくる。通りがかり、下方から昇って一瞬耳に触れた沢音と、肌を包む風の湿った柔らかさに、確かに雨が落ちてきてもおかしくはない気配を覚えた。高い降水確率を新聞の予報に見ていたが、玄関で傘を取る気にはならず、今更戻る気もなくて、降らば降れと払って坂を行くと、鶯が鳴く。部屋内で、文庫本を手に転がっている時から聞こえていた。窓先に何かの声を聞いたのに一瞬遅れて、文字から耳に意識が逸れた合間に、あれも鶯のものなのか、鳴ききるのではなくて二音で半端に途切れ、そのためにかえって音程を顕に旋律の破片めいて耳に残る声があるのに、鶯も近頃の暑さに参って鳴き通すにも苦労かなどと戯れに思っていたところが、外で聞けば鳴きは大きく、朗らかさに程遠く雨気の近いような曇天のなかでこそ、むしろ朗々と渡る響きのするものだ。
 空は灰に染められて、表ではよく吹いた風が、裏に入ると、森には寄るが道まであまり降りて来ない。あちらこちらで日曜らしく、ボールを投げ合っていたり縄跳びを飛んでいたり、子らが外に出ていて、草茂る空き地では幼児を抱えた父親も混ざりながら群れでサッカーボールを蹴り合って、なかで転んだか女児が一人泣き声を上げているのに、ゲームだのスマートフォンだのあっても外遊びの文化が廃れきっていない我が田舎町かと見た。
 電車内でも西行の和歌から時折目を上げて、外の色を窺うようにしていたが、東京駅を降りても落ちるものはなく、そそり立つビルに押し上げられた空が変わらず灰に淀んでいた。知人と合流し、店を移りながら夜半前まで話しこんで、別れたのちの車内は大方立ち放しで、住む町に帰る頃にはさすがに脚が疲れて、その強張りをほぐすように一歩一歩、暗夜の道を行った。既に一時過ぎ、己の足音と、重なり合う虫の音のみが響いて家明かりも定かでない路地に、時々それでも、湯の響きやらテレビの音やら、家内にいる人の気配が通りすがりに立って届く。遅い時刻に、欠伸も湧かない。思い返せば電車内でも一度も出なかったのも、人中に出て多少なりとも張ったであろう気の名残りだろうか。身体が熱を帯びているのも遅くまで人のあいだにあったせいか、涼しい夜気に肌を冷やされながら、家路を辿った。

2017/6/24, Sat.

 窓から覗く空気の日影に色付いて、部屋内にも暑気が入ってわだかまる夏の風情に、この陽のなかを歩いて行くのはと怯んでいたところが、昼が下るといくらか雲が掛かって和らいだ。三時過ぎの坂には大きな葉鳴りが渡り、吹く風は厚いが重みはない。しかし途切れれば、熱の籠った空気そのものが粘って嵩張る。坂を抜けると一軒の屋上に、風に上下に煽られる蜘蛛の巣とともに鵯が一羽、白さに巻かれた太陽を逆光に、立っても飛ばずにその場で低く跳躍を繰り返してから、やがて移った樹の緑葉の、弱く艶めいていた。この日も身体が固くて歩みは鈍く、矍鑠と歩く老婦人にも抜かされながらのろのろ行くあいだ、背は濡れるが、風がよくあって不快ではなく、蒸し暑さで言えば昨日の方が強かったようだ。
 図書館の席が空いていなかったので、コンビニ前のベンチでおにぎりを食ってから喫茶店に入り、文字を打ち続けて数時間、そうして涼しくなった家路を辿って、扉をくぐる前に蛍は今日もいるかと林に寄れば、初めは暗闇だけだったが気配を殺すように待つうちに灯りはじめた。目に街灯が掛かってくるのが邪魔臭くて、暗がりに数歩踏み入って眺めると、木の間を虚ろに浮遊しながら小さく明かる光の、ありがちな形象ではあるが、花のゆったりと闇にひらいては閉じるがごときさまである。しばらく見てから離れて、時計を確認すると九時を示しているのに、もっと夜の浅いつもりでいたと困惑が差し挟まったのは蛍につられたか、涼しいような温いような夏の宵の口を思っていたらしい。

2017/6/23, Fri.

 仄かに陽の色の窓にあるなかで起き、枕の上に就いて瞑目しているそのなかで、風が一度、窓外に膨らんだ。カーテンをすり抜けてその裾が肌に触れてくるのが、起き抜けの、まだ暑さの移っていない身体に爽やかだった。その後の日中は蒸し暑く、服を脱いで肌を晒す時間も多くあり、暑気のせいかやけに気怠く睡気が湧くのに、英語を読んだあとには微睡みもした。
 夕刻に出れば薄白い曇天が涼しくなっており、これならと思ったところがそれは錯誤で、涼気を覚えてから三分も経たず、坂を上りながら既に汗が滲みはじめる。風はある。街道では正面から走ってきて身を柔らかく包み、道中もそれなりに通って、空気に熱の籠った感触も定かにないが、湿り気はよほど強いらしく、背に肌着が寄り付いてきて冷たくなるのに、梅雨入り以来最も蒸した夕方ではないかと見た。
 前日と同様、帰りは身体が、とりわけ腰がこごっており、今週の勤めはこの日で仕舞いだが、解放の気楽さも特段なく、丹念なように歩を運んだ。星も前夜と同じく、赤味がかった一つが明かり、しかし少々低くなったようで、加えて今夜はその上方、天頂近くにもう一つ、仲間があった。帰り着いたあとは久しぶりに、服を脱いですぐ食事に向かわず横になってしばらく休み、風呂を済ませたあとにも眠ってしまい、そのうちに夜半に深く入りこんでいた。書くことを書かねばと椅子に腰を据えて三時を回り、目はモニターの光を受け脳は言葉を巡らせたためか、意識が興奮して固く冴えたようで、睡気の小さな灯しもない頭を、西行の歌を読みつつ落着けて、未明の青さが洩れてこないうちにと明かりを消した。