2017/1/26, Thu.

 往路、日向のなかを歩きはじめてすぐに、道の傍らから葉に触れる乾いた音が立って、それは林に接した石壁の上の縁、枝から落ちた葉が溜まっているところで鳥が戯れているのだ。近づくと枝に移った姿を見れば、随分と長い尾羽を上下に、柔らかく、鳥というよりはほかの動物種のそれのように細かく震えさせていたが、じきに飛んで行った。

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 街道に出ると、飛行機が頭上高くを渡っていて、車の通りがいっとき絶えると、その唸りが、走行音の消えて風通しの良くなった空間へと伝わってくる。轟々と、まるごと水と化した空をかき混ぜるような鈍い低音で、飛行機の機体にはやや遅れて、その後ろの青空から立って降ってくるようだった。

2017/1/25, Wed.

 洗濯物を取りこもうとベランダに続くガラス戸の前に立つと、部屋の内にいる時点で既に光線が抜けてきて目に眩しく、また大層温かい。戸をひらいて境の付近に留まりながら、吊るされたものを引き寄せているあいだも温もりは同じだが、外に踏みだしてひらいた大気のなかに入ると、さすがに肌の上を流れていくものがそれなりに冷たかった。陽はだいぶ高くなったようで、林の樹冠とのあいだを純白に埋めてひらきがあった。

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 往路。裏道を進む途中に、左右に(それは南北の方向であるが)走る坂道が挟まっている。横断歩道を渡りはじめると、向かいの、ふたたび続く細道の角に置かれた南西向きのミラーに、四時前でもまだ陽が映りこむほどに日は長くなって、下り行く落日が空いっぱいにひらいているのが上端のほうに反映している。それで渡りながら足もとを見下ろすと、斜めに傾いだ坂道の上に楕円形が投影されているのを、過ぎて道に入っても振り向き目をやった。鏡の縁が本体よりも強く光を弾くのだろう、円周は光の色が強く、凝縮されており、間延びした卵のような形に路上を区切って、そのなかはアスファルトの色味を乱すほどではないが、それでも薄衣めいて気体として立ちそうなほどに稀薄な光が被せられていた。

2017/1/24, Tue.

 七時過ぎに覚めた時、カーテンを引いた窓を向くと、薄い一色の青空のなか一箇所だけかすかに、爪を押しつけたような痕が刻まれているのを見た。端まで空に浸食されてひどく細く孤を描いている、去り際の月である。陽は室内に向けて照射されていて、ガラスの向こうの至近に掛かった朝顔の蔓が、明るい黄赤に熱されて木彫り細工のように無骨な質感に映った。

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 街道を見通せば東の空には紫の薄帯が引かれて煙り、千切れ雲が周囲に浮かんでいる。頭上から帯の上までは暮れ方の淡青が広くひらいて、帯を挟んで下側はまた青だが、それが上のものよりも色味が厚く締まっていて、目に緑の感も仄めくようなのが不思議に思われた。葉書をポストに入れて、細道から裏に入ろうと曲がって西空に目をやれば、山際は白く褪せており、裏側から残光に当たられた雲が強く象られて際立ち染みとなっている。

2017/1/23, Mon.

 アイロン掛けをするために台を卓上に置いて器具のスイッチを入れ、アイロンの表面が熱されるのを待っているあいだに、ソファにもたれて空を眺めた。青みもないではなく、明るめの空気ではあるが、雲が結構覆っていて、かき混ぜられて粘りのあるような風合いである。

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 帰路、寒さに耳が痛む。ざらざら、と言うよりはぎざぎざとした質感に、耳が触れられているのではなく、耳そのものが凍って欠けてその形になったかのような感触である。帰り着いて室内の温暖な空気のなかに入ると、外にいた時よりもかえってじりじりと灼くような刺激が強まった。

2017/1/22, Sun.

 新聞に落としていた目を上げて窓のほうを見やると、景色が随分と稀薄化しているように見えた。川を越えた対岸にあるものらが、木々であれ町並みであれ山であれ正午前の太陽のもたらした明るい霞のなかに籠められていた。川沿い――と言って川面それ自体は低みに隠れて見えないのだが――に聳える薄緑の木立の一本一本の境もあまり露わならず、その向こうで何が光っているのか、茂みを通して点々と埋めこまれた煌めきがある。眺めているあいだに、目が馴れてきたのか、木々や町並みの像はいくらかはっきりとしてきたようだったが、それらの向こうの山は相変わらず膜を貼られており、光によって張りだした部分は均され、引っこんだ部分は補完されて、窪み盛り上がりによる起伏は遠近感を伴った日向日蔭の差異として視認されるのではなく、麓の爽やかな淡緑も含めただ同一平面上に散らばる色調の違いとしてのみ現れていた。

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 坂道を上って行くと、右手の斜面の茂みから飛びだして、空中に軌跡を波打たせながら道を渡ったものがあって、追えば反対側の茂みのなかに止まったのは青と褐色で彩られた鳥である。その色が精妙らしく見えて近づこうと思ったのも束の間、斜面の表面にやや露出した古ぼけた竹の柵の残骸のようなものの上に止まっていたのが、草の内のほうに入ってしまって見えなくなった。それから数歩進むと今度は、右の斜面下から伸びた一本の高い木の途中に、つかまっている人間がいる。七〇くらいか、結構な歳と見える老人で、枝を間引いているらしく、周りには断たれた枝の根元だけ残って瘤のようになった痕がいくつもあり、老人はそこに腰から出たバンド様のものを引っ掛けて身を支えているらしい。見るからに危険そうだが、随分な身軽さで、巨大な蟬のようなと物珍しさに無遠慮に見上げていると、相手も見下ろしてきたが、特に何か言われることはなかった。過ぎざまに、下の道から近所の家の人らしい、こちらも年嵩と聞こえる女性の声が聞こえて、もう終わるかとか、気をつけてとか何とか掛けていた。最後に一度振り向き見てから坂の出口に掛かったところで、またもや左手の短草の生えた小さな斜面から、がさがさと音が立ったのでそちらを向けば、今度は冬気に褪せた草のなかに、鮮やかな薄抹茶色の小鳥の背が覗いており、周囲と比べて一際浮かぶその色の明るさに目を惹かれた。二匹連れ立っていた。凝視しようとしたところでやはりまた各々飛んで、草々の向こうの見えないところへと逃げられたのだが、まさしく抹茶の粉を振ったような色合いが目に残っていたので、帰ったあとに調べてみようと考え、先を進んだ。太陽は出ているが、空を切る風はなかなかに固く、街道に出たところでクラッチバッグを抱えていた右手を握ってみると、水で洗ったあとのように冷たかった。それで、コートのポケットに両手とも入れて、鞄は脇に挟んで歩道を進む。まだ二時台で陽はそこそこの高度を保っており、こちらの行く道の北側にも日向が多い。表をそのまま行こうかと迷ったが、過ぎる車の音が実にやかましいなと嫌われて、裏に入った。そうすれば、靴裏のゴムが地に擦れる間の抜けた鳥の鳴き声のような音が、一歩ごとによく聞こえる静けさである。

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 電車内。外は光が満ちた晴日で、煌めきがそこここに灯りながら流れて行くのと、組んだ脚を包むジーンズの薄水色とを見て、いつかいまよりもずっと歳を取って老い、生の終末も近くなった頃に、こうした何でもないような、穏やかな明るさに浸った瞬間のことを思いだすこともあろうかと頭によぎるが、その思い巡りそのものが既に一種の老いの感覚なのかもしれない。床の上には窓を透けてきた陽が、平たく細くなって薄蜜柑色を宿しており、線路が斜めに折れて窓が陽射しを受ける角度も変わると、進むにつれてその四角形がこちらの足もとをじりじりと這って過ぎながら、厚みを取り戻して平行四辺形へと復帰していく。市役所周りの敷地にいくつも停まった車の列の上を輝きが膨らみながら、一つの屋根からまた一つの屋根へと移って行くのが、歩みの様子にも似ていた。

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 交差点。前を過ぎ去って行く車の窓ガラスに、沼に沈んだような色合いでもって、信号待ちに呆けたように立ち尽くしているこちらの、モスグリーンのコートを羽織りストールを巻いた像が、一瞬だけ映しだされて目に定かに留める猶予もないうちにまた掻き消える。

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 駅へ戻る。既に陽は下降の途を半ば以上辿ってあたりには蔭の色が強い。駅の手前にはビルが二つ、通りを挟んで立っており、大方日蔭に浸されて寒々しいが、二つの角の縦線に切り取られた道の出口の宙空は、西陽の色を絡められて、左側のビルの側面にも射しこむものがある。淡い青緑色のガラスに、明るみのなかに包まれて歩む人を乗せている駅前歩廊の様子が反映し、緑の色味はほとんど失われて、窓を縦長の細い長方形の連なりに区切っている縦横の枠が橙に発光しているのだが、明暗の境は劃然と分かたれており、そこを越えてこちら側は普段通りの色調にいかにも静まっていた。向かいの通りを歩きながらそちらを眺めていると、出口に近づくにつれて、西陽の分身もガラスに反射して、映りこみはじめた。

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 歩廊に出ると、西南の空の果てに朱色に凝った塊が浮かんでいて、瞳を灼かれるのを怖れてそちらに視線を振ることができず、瞼の隙間を細めて正面を見ていると、金属線のような熱色の切れ端がきれぎれに空中に漂っている。駅舎のほうへ進むうちにまもなく、眩しさの圧がふっと引いて、太陽が山の向こうに落ちたのかと見れば、塊が随分と小さく、稜線のあたりに収束するように縮んでいた。山際に沿っては撹拌された卵白のような雲が塗られていて、そこに差し掛かったらしい。

2017/1/21, Sat.

 この朝は長寝のために瞑想をしなかったので、書き物の前にと枕に尻を載せた。翌日に記すだろうこの日の日記のために、生活のうちで幾許かの印象を落としたものを思い返して辿っていたのだが、そのうちに、胡座のあいだで緩く組み合わせた両手に意識が行った。また思考に立ち返ったり、身体のほかの部分や、周囲の物音に感覚を寄せながらも、何度か繰り返し手に戻っているうちに、静止させた手の感触が稀薄になってきた。腕の先が消えているようでもあり、あるいは実際とは逆にねじれているかのようでもあるような感じが続いていたのだが、その無感覚の範囲が腕を伝って登るように段々と広がってきて、それにつれて視界も白っぽく染められる領域が増えていた。精神が別の段階に入ろうとしているのが見て取られて、それにいくらかの不安を感じていたのだが、そうして、腕だけが幽霊のそれのようになって、肘のあたりまでこちらの感覚上は消えた頃合いになると、動悸が苦しげに早まっており、不安も強まっていた――一種、パニック障害の時期の発作が、その頃よりも程度は随分と弱いが戻ってきたような風でもあって、ひどく久しぶりにああした感覚を味わったものだ。意識が高いほうへと引っ張られるような瞬間もあって、それでもしばらくその状態に留まっていると、身体がやけに軽いようになってきた。その先を超えれば、いわく言い難い幸福感だとか、何か精妙な幻覚だとか――多田智満子がLSD服用実験のなかで目撃した幻想の薔薇のような?――が生まれ出る域へと到達できるのかもしれないが、切迫を受け流し、どうするかと考えて心臓の鼓動を見つめながらも、しかしやはり、怖いものは怖いので、そのあたりで取りやめと決めて、姿勢の固定を解いて、両の手のひらを擦り合わせ、胸のあたりをぱんぱんと叩いてから目をひらいた。立ちあがり、ベッドから下りて椅子に就いても、身体の軽さは続いていて、疲れが洗われて落ちたようでもあったが、しかし同時に、肉の充実でもってしっかりと空間に嵌まっているのではなく、稀薄に溶けかけたような感覚が実に寄る辺ない感じもして、動悸の速度もまだ高まったままだった。

2017/1/20, Fri.

 出勤の支度を済ませて上がって行き、本当に雪が降るのだろうかと居間の南窓から外を見やれば、雪というよりはほとんど微雨に近いようなものだったが、確かに落ちるものがあって、既に降っていると洩らせば炬燵に入っていた母親が引かれて顔を上げた。靴を履くと傘用の棚をひらいて一本、黒いものを持って玄関の扉をくぐったが、すぐに差す必要はなく、いまにも消え入りそうな降りで塩の欠片のような粒が舞ってくるに過ぎなかった。空気は寒かった――と言って、怯むほどではなく、新聞の予報によれば最高気温が五度と言い、前日の半分くらいになったようだが、それでもこのくらいならば怖れていたほどのものでもなく、充分に耐えられると思われるくらいだった。とは言え歩きはじめのうちはやはり、コートの内側に温もりが溜まっても、なかなかそれが広がらずに身体がなかのほうから細かく震えるのを感じながら坂を上って行った。頭上の電線に、何という名なのか一向に知らないが、顔のすぐ下から丸々と胴を太らせて愛らしいような鳥が止まっていて、寒々しく白い空を背景にそれがシルエットとなっているのを見上げながら過ぎ、今度は右側のガードレールの向こう、一段下から生えた木のほうに目を振ると、いましがた見たのと同じ種かどうかわからないが、短く鳴き交わしながら小鳥が何匹か、枝から枝に移って行くその動きの、やはり空を向こうにして黒く貼られた木枝と一緒に影と化して滑らかに宙を渡るのが、何だかパズルが組み替えられているようで、木の一部として構造化されたかのように機械じみていた。風は前日のように固く肌に擦れると言うよりは、そうした摩擦の感覚も確かにあるが、加えてさらに一段進んで、顔に正面から当たって来るとそのまま細胞に染み入って、震えを誘発させるような、と思われた。裏通りに入ったあたりで、降りの間がやや縮まったように見えたから傘をひらいた。すると、耳元に、ちりちりと鳴りが聞こえる。それは足音のなかに紛れるように幽くあって、足もとの細かな砂を靴の踏みにじる響きかとも思ったのだが、ちょっと停まってみると確かに頭上を囲む傘から鳴っているので、粉雪の粒子が布の表面と触れ合い、転がる音に違いなかった。進むうちに段々と、耳が気温の低さに負けて、顔の横から滲むのが歯痛のようでもある刺激がじりじり始まったが、むしろそれほどひどくならないのは、出る前に耳をよく揉んでおいた恩恵と見えた。傘の柄を持つために露出する手の肌もひりついたが、左手に一度持ち替えてもう一方をしばらくポケットのなかで休め、ふたたび右に戻したあとは、耐える心を決めて右手を動かさなかった。

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 夜道の途中で、猫が通りを横切る影を、少し先に見かけた。建てられてまだ比較的年数の短い、駐車場を家の前に設けた敷地に土の露出するところがなく、いかにも新興住宅といった感のあるこじんまりとした家の数件集まったあたりから出てきて、垣根に囲まれたうちは草も生えて昔からそこにあるだろう民家のほうへと入っていったのだが、その前に来たところで、口笛を短く鳴らしてみると、暗闇に包まれた垣根の向こうからみゃあみゃあと、両唇鼻音の要素の強い声が聞こえた。こちらに応えると言うよりは、ほかの誰かに呼びかけるような、何か探しているかのような鳴き方だった。過ぎてしばらく行くと、後ろから同じ声が聞こえて、振り向けばまた影が道の上を通って自動車整備工のあたりに消えるのを見た。戻ってみようかと思ったが、自転車のライトがその向こうから来るのに気を失くして、また帰途に復帰した。この日の行きだったか前日のことだったか、先の垣根の民家のあたりで明るい褐色の姿を見かけたので、その同じ猫だったかもしれないが、この時思ったのは二年ほど前によく行き会って戯れていた白猫のことだった。ある時からとんと消えたので死んだかと思っていたのがまた見えたのかと疑ったが、しかしあの猫はあんな風に、甘えるように鳴き声を立てはしなかったし、首輪についていたはずの鈴の音も聞こえなかった、と考えながら息の濁って膨らむ道を行った。

2017/1/18, Wed.

 ベランダに続くガラス戸の前に立った時点から、既に眩しい陽が窓を抜けてきて、目を細めさせる。ひらいて吊るされたハンガーを手に取りながら太陽のほうに視線を向けると、林の上で周囲に棘を伸ばしながら膨張しているそれと、樹冠とのあいだに幾許かの空間があるように見えて、以前は洗濯物を取りこむ際には既に球体がほとんど木々に接していたように思いだされ、冬至も過ぎて日が長くなったようだとの思いが浮かぶ。

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 ソファに座って、何をするでもなくただ窓外の空や木々や近所の屋根を眺めるまったくの無為の時間を持った。メロンの果肉めいて淡い甘やかさの空は視線を吸いこませ、ただ青さの広がる空中の何もない一点に投錨点を作って眼差しの行き先を固めてみると、視界に一片の動きもなくいかにも静止しているとの印象が持たれる。雲はあるのだが、それもかすかで、パフではたいてちょっと白粉を付したようなものに過ぎず、空の上を滑っているとも見えない。ぼんやりと眺めていると、焦点の付近ではなく、瞳により近い室内の宙に、窓の淡青を背景にしてちらちらと、入れ替わり立ち替わり微光を帯びて現れ消える群れがある。普段は視認もされないほど細かな塵が、明るい一色の前に舞うのが、浮遊の角度に応じて光に照射されて、一瞬姿を浮かびあがらせるのだろう。視線を手近に巻き戻すと、それぞれ短い距離を滑っては失せ、また出現することを果てなく繰り返すそれらの蠢きはいかにも虫の動きで、あるいは顕微鏡を覗いて見える微生物の集まりにも似ているようだった。

2017/1/17, Tue.

 晴天。道路に放り撒かれた打ち水のようにして、炬燵テーブルの天板上に、液体じみた光が撒き散らされており、びしゃり、という音すら聞こえてくるような輝かしさで、食事を取る合間に目を向けるとひどく眩しい。窓の外でも、そこここが光っている――川向こうの町並みの前を縁取るようにして並んだ木々の、茂みのなかに宝石めいて煌めきがいくつか埋まり、光の溜まるあまりに水面と化したような屋根が見られ、電線の頂点にも小さく白明かりが点って、町の姿が全体として揺らぎを帯びている。

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 前日と同じような青い黄昏時、街道に出て振り向くとやはり山際から和紙のようなあえかな乳白の残光が洩れて、青味の浸食に抗している。寒さは一日前よりは収まったようで、耳が痛くなることはなかった。

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 前日とは違って、帰路のほうが寒く感じられた。月はもうだいぶ移動したらしく、午後一〇時前では、見える範囲にはなく、裏通りから表に出るところで見上げると、黒々と闇が籠りながらもしかし透き通って表面的な空の正面に、オリオン座が斜めに掛かっている。坂道まで来てひらいた空間に臨めば、市街の上に雲が湧いて、端々を持ちあがる炎のそれと同じく不定形に崩しながら広がっているが、下端は水平線には達せず、その手前でまっすぐ横に切れて、明かりの散らばった建築群とのあいだに群青を溜めていた。

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 読書をして、丑三つの頃合いに到り、眠ろうと明かりを落として布団に潜り、しばらく眼裏の闇に沈んでからふと瞼をひらくと、暗がりに慣れた瞳の捉えたカーテンが薄明るんでいて、幕を透かして朝顔の萎びた蔓の影が映りこんでさえいるのに驚きめくれば、帰路には見えなかった月が遅れて登って、夜空に掘られた穴に半ば埋まったような相貌で、白々とした顔を出していた。

2017/1/16, Mon.

 往路、ひどく寒い。コートを羽織って肩のあたりは動じないが、腹や脇腹を攻められて初めのうちは身体が震えがちである。進むにつれて耳が冷えて痛みだすのにも難儀した。熱を持たせようと揉みほぐしながら街道を行くが、大した効果はないようだった。青い暮れ方で、西の際には残照が僅か浮かんで精妙である。裏通りを行くうちに身体のほうは落着いたが、耳の刺激が増して、冷気が穴に流れてくるのが擦られるように痛く、そこから顔の内のほうにも波及するようで、耳の痛みなのか頭痛なのかが判然とわからないような有り様だった。

2017/1/15, Sun.

 隣家の庭の、柚子の木の足もと、枯れてほとんど脱色された黄の葉が散って敷かれているそのなかを、鳩が一羽、鷹揚とした調子で歩き回っている。ところどころで地をつつきながら、いかにも邪気のない無害な様子でうろつくのを視線で追っているあいだ、雲が大きく動きも速いようで、陽が陰ってはまた出るごとに、近くの家の屋根瓦が濡れたり乾いたりを繰り返す。鳩の近くの敷地の端に、名も知らないが橙に染まったかそけき風情の草が一本生えており、あたりを見回してもほかに確固として鮮やかな色味も見当たらなくて、そこだけ秋の名残りのように映った。

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 外出。陽はあるものの、前日に引き続いての最寒の様子で、街道に行くまでのあいだにも流れる空気が顔に触れて覆うのに、肌がひりひりとしてかすかに痛いような有り様である。風の先端が鋭く瞼のうちに忍びこんでくるのに、自然と瞳が湿る。小型鞄を抱える手も大層冷えて半ばかじかむので、途中からはポケットに両方とも入れて、コートの内側に鞄を入れて二の腕で挟むように支えて行った。

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 裏通りに入って歩きながら林のほうを見ると、その上端の裏からのし上がる雲が厚く膨らんで、白さも詰まったようで、接する空の青さがまた濃いのが、そこだけ切り取ると夏の空のようである。南のほうに視線を振っても、大きな雲が広がっているのが同じ印象を与える。その後また視線を地に落とし気味に進んでいると、前方から突然、ばたばたと風を切る音が立って驚き目を向けてみれば、短い草の生えた地面から雀が数匹、一斉に飛び立ったところで、それぞれに曲線を描きながら塀の上に止まった。装飾のようにして並んだその隊列を眺めようと足を止めたが、こちらの近くに止まったその存在の重みを嫌ってか、小鳥たちは足の止まったのとほとんど同時にまた飛んで、視界を外れて過ぎてきた家のベランダの、崩れそうなほどに錆びた柵の上に移った。太陽がその方向で、柵も雀も黒っぽく塗られて繋がり、鳥たちの仔細な様子が見分けられないので、前を向いてまた進みだした。

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 背後の線路を渡った先の小学校の校庭で、まだ声変わりを済ませていない少年たちの甲高い掛け声が、一つに合わさりながらも重なりの余白を覗かせながら立つ。何と叫んだのかはわからなかったが、それを皮切りの合図としてサッカーが始まり、白と青のユニフォーム姿が入り乱れはじめた。こちらから正面の位置にある体育館のほうでも何かやっているらしく、人の姿がちらほら見える。その脇の校庭の端には親子連れがいて、歩きはじめて間もないような小ささの幼子が、こちらの後ろに入線してくる電車に向けて、殊更に小さな手を顔の横に掲げて振っているのが愛らしかった。

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 帰路、月はだいぶ東寄りの低い位置に。坂を下って出たところにある自動販売機の薄白い光が、木々の下からだと随分と明るく旺盛に、十字路の真ん中を充満させているように見える。通りを歩いても、雨の気配もなくむしろ空気は乾いているはずだが、湿気のある時のように街灯の光の膨らみが大きいような気がした。

2017/1/14, Sat.

 この冬一番の冷えこみと前日から言われていただけあって、寒い日だった。居間に上がって行くと、母親が、雪がちょっと降ってきたと言うので窓に目を向ければ、確かに細かなものが散っている。食事中にも消えたかと思いきやまた軽く舞うのに、母親が風花、と洩らしたのが耳に残った。

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 出た頃には雪も消えて、弱く陽が射す瞬間もあったが、息を切らしながら林中の急坂を上って街道に出ると、正面から顔に当たる空気の感触が、さすがに冷たく、硬質である。ここ一週間ほどのそれよりも一段階以上深く冬に踏みこんだ感覚で、今冬一の冷えこみとの言が証される。

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 通りを渡って林中の坂へ。下って行くと、沢の上に茂った枝葉の網のなかに、色濃いピンク色が点じられているのに気付いて、初めは孤立して一つ、慎ましく映ったのが、近づくにつれて葉陰から新たにいくつか現れて、常緑の葉色の厚みと良い対照となる紅の山茶花である。

2017/1/13, Fri.

 往路、街道に出て、日向に入って陽を背にすると大層暖かく、肩口から膝の裏のあたりまで撫でられてほぐれる。その温みを愛しんで久しぶりに裏に入らず、表の歩道を進む。日向はそう多くもなくたびたび蔭が差し挟まれるが、そこを通るあいだも背に点って溜まった温もりが消えず、護りとなる。対岸、南側ではほとんど切れ目のない家蔭のなかを、脚を晒して寒々しく女子高生たちが駅に向かう。進んで道幅が狭くなると、向かいから湧く蔭がこちらのほうにも容易に届くようになり、背に宿った恩恵も次第に薄まる。屋根の切れた合間から覗く南の遠くの山は、その前に積まれた空気層が光を絡められてむしろ濁っているはずなのだが不思議と同時に、透過度を高められたようにも見えて、その奥で日光浴に磨かれて得々としているかのようである。

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 帰路、月が前日よりも東寄りになっているのが如実にわかる。翌日からはこの冬一番の冷えこみで、既に北陸や東北などでは雪も降っていたようで、さすがに空気が冷たく、身じろぎを僅かしても震えに転じかねないような様子だった。気温の低さと夜空の冴えと、関係があるのかないのか知らないが、藍色が凍てたように渡って星の映りが、ここ三日で一番良いように思った。

2017/1/12, Thu.

 居間に上がると、窓に寄る。数日前には朝陽のなかで汚れも曇りもなく透明に見えた窓ガラスに、塵の付着なのか、一面細かな、整然としたような水玉模様が張り巡らされているのが顔を近づけると視認される。その眼前の窓と、外の、密度の高い青さの瓦屋根とのあいだに繰り返し、焦点を行き来させる。

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 出発。坂道に入ると道の上は青蔭が乱雑に交錯しているが、ガードレールを拡大して象った太い帯がない。左隅に寄ったのと、道の真中を堂々と行くのと、過去にそれぞれを見たのは朝と、正午頃だったかと思い出し、後ろを向くと、ちょっと曲がった坂の入口あたりに生えた木の影が二、三本、実物よりも細身になってひょろ長く、頼りなげに伸びている。その梢の先の真正面に太陽が浮かんでおり、三時だともうこれほど西のほうに寄っているのかと、意外の感を受ける。

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 街道を越えて裏へ。ある家の庭で老人が輪投げをしている。歩むにつれて、行く手の家々の高みにある窓に、飴のようなオレンジ色が映りこみ、過ぎ去って行く。線路の向こうの森は、老人の皮膚のように水気なく褪せた緑やらそれの黄ばんだような色やら、褐色めいた鈍色やら複雑に差しこまれて組み合わさった上に、陽を受けて和んだような色合いになっている。進むうちに線路の向こう側に人家がなくなって、森の縁が一段こちら側に張り出てくる。最前の木々の、緑と褐色の混合が、風を受けて左右にゆたりと揺れている。遠くに浮かんでいる雲はひとまとまりのうちに色味の差異はあるが、貼りつけられたシールのような立体感のなさである。空はほとんど一面青く、正面に視線を放るとそれが当たる拠り所がなく、遥か先に立った壁のようだが、視線を上げるにつれてその平面が起伏も見せずにこちらの頭上までひと繋がりに通ってくるのが不思議なようでもあった。果てなく、視線の通り抜けることができない、深いが明るい青さである。

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 帰路は寒いには寒いが、このくらいの寒さには慣れたもので、芯まで通ってもこない。月は高く、空は前日よりも青が深く暗みが強いように見える。裏に入って坂を下りかけたあたりで見上げると、高みに、まさしく宙に掛かった電灯のように丸く満月が嵌めこまれており、距離のためか白い照りのためか、表面が滑らかに、起伏や模様が殺されている。夜空は市街の屋根屋根を越えて届く限りの果てまで藍に浸って、その最遠の際では、街明かりが滲み洩れて浮遊するようで、仄かに赤さが漂って青味に接しているのが、心憎いようである。振り向き振り向きそれを見やりながら、木々のあいだに入って、坂を抜けた。

2017/1/11, Wed.

 往路。晴れだが空気はなかなかに冷たく、街道で、横を大型トラックが凶暴な音を響かせながら過ぎて行く時などは、巻かれた風が吹き付けてきて、思わず身を竦めるようになる。裏道へ。寺の周りの丘に陽が浸透しており、その朱色に木々の老色がややほぐれている。丘を伝って空に目が行くと、雲なく、青の階調の境が見分けられないが、際のあたりは何とも言えず淡く、擦り取られたような淡色である。