2019/1/10, Thu.

 まだ暗いうちに一度覚め、七時台にも覚めながら床を離れることができず、ベッドから抜け出した頃には八時半を迎えていた。床に立ち、ダウンジャケットを羽織ってコンピューターを点け、Twitterを覗く。コンピューターはプログラムの更新のために再起動する必要があるようだったので、そのように操作しておいてから上階に行った。母親に挨拶。食事はおじやかパンだと言う。それで丼に収められたおじやを電子レンジに突っ込み、二分加熱するあいだに新聞記事をチェックする。そうして熱されたものを持ってきて、食べながら(おじやはまだぬるかったが、面倒なので構うまいとそのまま食した)新聞を読む。一一面の「論点 試練のリベラル民主主義」、それに四面の「語る 政治展望2019 国際秩序維持へ指導力」である。どちらも写しておきたいと思うほどにぴんと来る部分はなかった。おじやを食べたあと、それだけでは少なかったので冷蔵庫から豆腐を出し、やはり電子レンジで加熱して、鰹節と麺つゆを掛けて食す。この頃には父親も起きてきており、階段から上って来た彼はこちらがおはようと掛けると、二日酔いででもあったのだろうか、顔を、目のあたりを強く顰めながら返事をした。食事を終えると薬を飲み、皿を洗って部屋から急須と湯呑みを取ってきた。古い茶葉を流しにあけ、新しく茶を注ぎ、急須にさらに湯を加えておいて下階に帰る。風呂は湯が多いので洗わなくて良いとのことだった。そうしてコンピューターの前に立ち、Queen "Need Your Loving Tonight"をリピート再生させた。朝起きた時からこの曲が頭のなかで流れて仕方がなかったのだ。次の"Crazy Little Thing Called Love"も一度掛けて歌うと、日記に取り掛かりはじめた。引用が多いために連日二万字を越すようになってきている。読む方はよほどの暇人でもなければたまったものではないが、断片的にでも読んでいただけるならば有り難い。
 この日は久しぶりに快晴とは行かず、居間の南窓から外を覗くと、空には細かな畝を設けた雪原のような薄雲が広がっていて、陽射しは薄く、空気は無色だった。それでは早速だが、三宅誰男『亜人』からの抜書きを行っておこう。

  • ●9: 「地図にも年表にも載らない話だ。そのような切り出し方が許されるだろうか? ひとを食ったような無礼さからはじまるひとつづきの言葉にわざわざ耳をかたむける奇特な人物がいるとでも? だが、その種の無礼を前提にすることでしか語れないなにごとかがあるはずだ。地理に見放され歴史からもはぐれた辺境によりそうことを決意した言葉だけが浮かびあがらせることのできる諸相というものが。事物にひそむ崇高さがおしなべてまがいもの扱いされる世からは遠くへだたることではじめて可能になる啓示の舞台が。それがアルシドだった。意味とは群れをなすでもなく束になるともなく、それでいてこぞってこちらのあとをつけるうすぎたない追いはぎどもの別名である」――書き出しの一段落。格好良く、実にきまっているものだ。冒頭から早速の自己疑問、自己言及がある。ムージル「トンカ」の書き出しを連想させる―― → ●鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』310: 「とある生垣のほとり。一羽の鳥がさえずった。と思うと太陽は、もう藪かげのどこかに姿をかくしていた。鳥の歌がやんだ。夕方だ。百姓娘たちが歌をうたいながら野をこえてきた。こんな書きかたはくだくだしいか? だが、このような一部始終が、まるで服に取りつくいが[﹅2]かなんぞのように、人の心にまつわりついてはなれないとしたら、それは些細なことだろうか? それが、トンカだった。無限というものは、しばしば、ひとしずくずつ滴り落ちるものである」
  • ●9~10; 「アルシドという呼称が熱帯の海洋に浮かぶ二十三の島々からなる群島全体を名指すものであるのか、それとも領主の館を中心に栄えた城下町といくつかの村落から構成されている主島を名指すものであるのかは定かでない。定かにする必要もないだろう」――まるで必要ならば「定かにする」ことができるかのような口振りである。
  • ●10: 「森は影よりも深く、谷は骨よりも嶮しく、沼には龍がひそんでいた」――「龍」。ファンタジー的な要素。
  • ●11: 「独立不羈の十全なるあらわれか、肌はとりわけ白く、頭髪までもが四十路を待たぬうちに銀色に輝きだすのは[領主]一族共通のしるしであった」――「四十路」の言葉選び、「一族共通」の特徴、同質性。ムージルポルトガルの女」を連想させる。 → ●鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』288~289: 「幾年幾百年を通じて、それがどういう人物だったにしても、褐色の頭髪や髭に時ならぬ白髪をまじえ、六十路の声をきく前に世を去ったという点では、彼らはすべて共通していた」
  • ●12: 「大佐」は、「戦に燃やす細胞の数が人一倍多いがゆえに老いのおとずれもまた人一倍はやいのだろうか?」――自ら語る物語への疑問。語り手は、物語の全域を把握してはいない?
  • ●12: 「(……)太刀筋を競わせるさなかにさえのぞくその危うさに射ぬかれると、進んで斬られたい心地になった。/大佐は完璧な詩人だった。言葉の誤りを指摘されるたびに、むしろその言葉によって指示しようとした当のものを誤用された言葉に見合うべく変形してみせる、しなやかで強情な鑿の振るい手だった。戦の大半は海戦だった」――「(……)振るい手だった。戦の(……)」の部分で、話題の転換、飛躍が起こっている。前段落の最後は「大佐」の武的鋭さについて述べられているわけで、次の段落は「戦の(……)」から始まったほうが繋がりが良さそうな気がするものだ。しかし、「大佐」の「詩人」性についての説明がその前に挟まれている(これは前段落にある、「魂の感受性の異様な繊細さ」を受けているのだろう)。一瞬、記述が迂回していると言えるかもしれないが、しかしそれで違和感を覚えるわけではない。
  • ●13: 「沈没はいつもおおうずをともなった。(……)うずの中心にはまだだれも見たことのない海底への入り口が開けていた」――「おおうず」「うず」。意外な平仮名へのひらき。漢字でも良さそうなものだが。
  • ●14: 「そのとき大佐は三十もなかばをまわったところで、かたわらにはまだ亜人の姿はなかった」――「三十もなかば」。「大佐」の年齢による時間の明示。 → ●12: 「四十もなかばをまわるころには一族の例にもれず、総白髪に白髭をたくわえた隠者の体をなした(……)」
  • ●16: 「左目の視力を失ってもなお大佐は戦の先陣を切りつづけた。片目となった大佐のかたわらにはすでに亜人の姿があった」――「亜人」の現れの時点。
  • ●16~17: 「夜のうちの黒い嵐が乱れがちな潮の流れを一時的にただしたその間隙を偶然に突くかたちで群島の北端に位置する小島に上陸した大陸の船団を返り討ちにした際に、相手方の虜囚であったらしいその[亜人の]身元を大佐が気まぐれからひきうけたのだった。(……)敵船上陸の報せが夜目の利く伝書鳩によって館内にもたらされたとき、大佐は太刀を片手にだれよりもはやく馬上のひととなった」――「夜のうちの(……)」で一度、「大佐」が「亜人」を「ひきうけた」経緯が俯瞰的に距離を取られて簡潔に要約されて語られ、以下に引く話者の疑問が差し挟まれたあと、「敵船上陸の(……)」からはより具体的で詳細な語りが始まっている。ガルシア=マルケスムージルも使う「先取り」の技法である。
  • ●17: 「それをただの気まぐれで片づけてしまっていいものだろうか? 世にあるものごとがおしなべて脈絡なく生じるものだとすれば、およそありとあらゆる行為は気まぐれをその動機とすることになる、そういう意味での気まぐれではなかったか?」――自己の語る物語に対する自己疑問。「世にある(……)することになる」の部分は、持論のような感じか? 物語に疑問を投げかけるということは、話者は自ら語る物語のすべてを把握しているわけではなく、物語は話者にも見通せない領域を含んでおり、語り手は物語から距離を取っている。
  • ●17~18: 「館の門前に敷かれた硬い石畳から夜露に濡れて冷えた大地、密林のなかを蛇行する黒々としたやわらかな湿地から星明かりに青白く照りはえる微風の浜辺へと、蹄の音色がめまぐるしく変わりつづけた。生きるということは期せずして奏でられる音楽であった。はじまりからおわりへと心を方向づける旋律を厭い、なにごとかへの同期にむけて駆りたてるむきだしのリズムとささやかな音色の持続する変容だけがたしかな、ちょうど先住民らのあいだに代々伝わる儀式の伴奏を思わせる、そのような音楽であった」――美しい箇所。「はじまりからおわりへと心を方向づける旋律」とはいわゆる「物語」のこととして取れるのではないか? それに対して、「なにごとかへの同期にむけて駆りたてるむきだしのリズムとささやかな音色の持続する変容」とは、要約的な「物語」に対する一瞬の「出来事」、その差異に触れた時の事物や主体の変容のこととして考えてみたい。つまり生とは本来、「物語」に要約しきれるものではなく、そのような「出来事」の無数の、無限の連なりによって構成されているものだが、「物語」とは事物の複雑性を捨象し、最終的にはそれらに一つの「意味」を付与するものである。そのような「意味」に囚われることなく、「出来事」の「意味」を超えた「強度」とそこにおける変容を称揚しているのだとすると、この部分は冒頭に掲げられた「意味とは(……)別名である」の箇所と並んで、この小説自体の読み方を示唆しているようにも思えて来ないだろうか?
  • ●19: 「ランプの炎がゆれるたびに陰影は濃くなりうすくなり、長くなり短くなりしたが、石のようにかたくななその表情が崩れることは一瞬たりともなかった。そのような存在を前にしていったいだれが息をのまずにいられよう?」――反語。
  • ●20: 亜人の「容貌の醜さが拷問によってきざみこまれた悪意の痕跡であるのか、彼の地で蔓延する未知の風土病によってもたらされた呪いのしるしであるのかは定かでなかった」――「定か」でない事柄。 → ●9: 「アルシドという呼称が熱帯の海洋に浮かぶ二十三の島々からなる群島全体を名指すものであるのか、それとも領主の館を中心に栄えた城下町といくつかの村落から構成されている主島を名指すものであるのかは定かでない」
  • ●21: 「おそらくは(……)大陸の船団によって発見され、母国へのいっぷう変わった手土産にと(……)」――「いっぷう」。ここも自分だったら漢字にしてしまうだろう。
  • ●22~23: 「奥行きの深さがむしろ表面に結実したかのような、透明度の高さがそのまま色づきと化したかのような、どこまでも鉱物的なそのまなざしは相対するひとびとにいやおうなく針のひとつきにも似たうしろめたさをおぼえさせた。野生の動物が逃げもせずにじっとこちらを見返しているときにおぼえるような、人間であることの羞恥と戸惑いを亜人もまた対面者にもたらすのだった」――「人間であることの羞恥と戸惑い」。良い表現。
  • ●24: 「鈴の音ひとつ許さぬ白々とした静寂が昼もなく夜もなく降りしきる大広間はだだっぴろくがらんどうとしており(……)」――「鈴の音ひとつ許さぬ白々とした静寂が昼もなく夜もなく降りしきる大広間」。ほとんど完璧なまでの意味とリズムの結びつき、最高度の音調。
  • ●25: 「(……)本来ならばこのうえなく豪奢な印象をともなうはずのそうした可視性も、生きた墓場のような館のしずけさのうちにあってはさしずめ逃げ場のどこにも見当たらぬ不気味にはなやかな閉塞感、死角のことごとくが漂白されたおそるべき八方ふさがりとしてうらがえしに結実するほかなかった」――「さしずめ逃げ場のどこにも見当たらぬ不気味にはなやかな閉塞感」。ここも素晴らしい。体言止めが上手い。ファインプレーではないか。
  • ●25: 「磨きあげられた大理石に滴りおちる黄金色の光彩がなめらかにはねかえり、風のある日の木漏れ日のようにたえまなくゆれては輝かしくせめぎあうその逐一がまったくの無音のもとではじまりもなくおわりもなく亡霊の手まねきのように謎めきくりかえされる大広間を、亜人は高みからふりそそぐ瞳の欠けた騎士の睥睨を左右に受けながら足音ひとつたてずに、むしろ沈黙をより厳かにきわだたせるつつましさでうつろに徘徊した。好奇心や探究心とはおよそ無縁の、強いられるものでもなければ試みるのでもない、意味も目的ももたぬ、因果の鎖からはぐれた行為ならぬ行為としての徘徊だった」――「はじまりもなくおわりもなく」ということは、「因果の鎖からはぐれた」ということと同義ではないだろうか。また、「謎めき」、「沈黙」も「亜人」の特徴として形容するにふさわしい。「亜人」は言葉を発することなく、意志を表示することなく、暗く「沈黙」した一種の「謎」、ほとんど純粋な「他者性」としてこの小説世界に現れている。それは「因果の鎖」から外れており、「はじまり」と「おわり」のある一つの「物語」=「意味」に還元することができない。それは「物語」を持っていない、いや、持っているのかもしれないが、それは読者には(そして小説のほかの登場人物たちにも)決して見えないようになっているのだ。ここの描写は、そのような一つの「謎」として現れる「亜人」の性質と調和的に書かれているのではないだろうか。
  • ●25~26: 「腕をあげたり足を踏みだしたりするだけのなんでもない身ぶりひとつとっても人間には常に表情というものがつきまとうのだということが逆説的に理解されるような徹底した無表情性(……)」――的確な表現。
  • ●26: 「ときおりなにかに耳をすませるかのようにしてたちどまることもあったが、真意は読みとれなかった。真意そのものの欠落を思わせぬところに、あてどないその歩みを機械じかけの産物として看過することを許さぬあやしげな余白が嗅ぎわけられた」――「亜人」は「謎」ではあるが、答えのまったくない、完全に純粋な「謎」ではないのだ。もし動物ならば、「真意」などというものはないだろう。人間ならば、表面の裏に「真意」や「内面」が存在する。「亜人」はそのどちらでもない、「真意」があるのかないのか、それを決定できない一つの「謎」、まさしく動物と人間のあいだに位置する「亜人」として定義されているのだ。
  • ●27: 「亜人の姿それ自体が、おそれと軽蔑が交差するかすかな領域にあてがわれた特別な感受性の持ち主にのみ働きかけるひとつの作用であった」――「特別な感受性」。 → ●12: 「大佐」は「魂の感受性の異様な繊細さにも恵まれていたが、これは当代領主のみに見られる突然変異のあらわれと見なされていた」
  • ●28: 「罰の予感がすでに罪であり、罪の実感がつねに罰であった」――段落冒頭にある抽象的な一節。どういったことを指しているのか、どこに繋がるのかわからず、語りのなかで浮かびあがっている。
  • ●28: 「骨の谷で発見されたという巨龍の化石見物が、大佐がみずからの用向きに亜人をともなう最初のできごととなった」――「巨龍の化石」。ファンタジー的な要素。
  • ●28: 「(……)一同の前に、一個の腐乱死体がたちふさがった。顔ははがれ落ち、四肢は海水にふやけて蛭のように輪郭をなくし、男か女か、子供か年寄りかさえ見たところ判別できなかったが、ふくらんだ体をぴったりと包みこむ藍色の軍服が、大陸の兵士のものであることは疑いなかった」――「顔ははがれ落ち」、「男か女か、子供が年寄りかさえ見たところ判別できな」い。「亜人」の性質との共通性。「亜人」はこの同質性から、この死体を水葬するのか、などと想像してしまいそうになるが、しかし―― → ●29: 「居合わせた士官のなかには、腐乱死体も亜人も崩れた容貌にかけては似たり寄ったりであると、事の一部始終を品の悪い皮肉の大箱にたやすくしまいこんでそれきりにせんとするものもあった(……)」――先の読みは著者自身によって作品内に書き込まれている。そして、 → ●30: 「かたちをととのえているのだと気づいたときには、遺体はすでに若く勇敢な兵士の無念の表情をとりもどしていた」――男か女かは明らかでないが、少なくとも死体が若者のものであることは判明する。したがって、この死体は「亜人」の仲間ではない(「亜人」は若いのか年老いているのかすらわからない)。
  • ●29~30: 「亜人は(……)やがてゆっくりと息を吐きながらひざを折り、たっぷりとした、それでいてひとしずくのためらいもない動作で、前も後ろも定かならぬ塩漬けの肉体を手のひらでぺたりぺたりと押さえつけはじめた」――「ひとしずくのためらい」。良い言葉選び。
  • ●32: 「小蟹は(……)すり鉢状の窪みに真正面から相対するようにむきなおるがいなや、不意に、なにかしら思うところでもあるかのようにじっと動かなくなった。思うところ? この小さな存在に? きざすものがきざしはじめていた」――自分の語りに対する自問。ムージルから受け継いだであろうこうした「疑問」の投げかけは、独特のリズムを生み出しているようで印象的だが、その効果の射程は自分には未だ充分に明らかではない。
  • ●34~35: 「耽溺しすぎると狂いをもたらすたぐいの緊張、名づけた途端に口をふさぎ、首を絞め、息をせきとめにやってくるにちがいない親殺しの張りつめた感情が胸骨のあたりでたちさわぎ、つぼみのおおきく開花するようにそのむき身を外気にさらそうとつくづく強いた」――「むき身」。 → ●11: 「いざ真正面から相対するとなるとその刀身からほとばしる輝く湯気のような凄みに四肢をからめとられ、気づけばむき身の命をあられもなくさしだしてしまうのだった」。 → ●31: 「馬上の一同に言葉を追いつかせなかったのは(……)美の類型におさまりきらぬむき身の印象、なまなましく滴りおちる営為の凄みのほうであった」
  • ●この小説には「視線」のテーマ、殊に「まなざし」という語が頻出する。 → ●12: 「四十もなかばをまわるころには(……)隠者の体をなしたが、体格はあくまで屈強で眼光はするどく(……)」 → ●12: 「世界と詩と魂が三位一体となってとりむすぶ崇高な共犯関係をたどるその目つき(……)」 → ●14: 「(……)敵兵でおもが徐々にその円周運動をせばめながら無限の胃袋へと接近していくむごたらしさには、血も情けもない歴戦の兵[つわもの]らでさえもがおもわず目を背けた。義務とも権利ともつかぬ一語に影が縫われていたのか、ただ大佐だけがそうした一部始終を直視しつづけた」 → ●15: 「(……)ただ大佐だけが例のごとく、巨鯨が迂回し海獣どもが祈りをささげる未踏の海域へとしずかに沈みさっていく神々の姿にむけて不動のまなざしを送りつづけていた」 → ●19: 「亜人」は、「大佐の手にしたランプのひかりを真正面からむけられてもまぶしさに目を細めることもなければ視線を逸らすこともなく(……)」 → ●22: 「亜人は声を発することもなければ身ぶりでなにかを訴えることもなかった。言いつけや命令にもおとなしく従い、呼びかけには直視でもって応えた。(……)どこまでも鉱物的なそのまなざしは相対するひとびとにいやおうなく針のひとつきにも似たうしろめたさをおぼえさせた」 → ●24: 「亜人」は「館の外には見向きもしなかったが、それでも逃走の意欲や害意の在処を探ろうとするまなざしの傾注が絶えることはなかった」 → ●30: 「円舞はすでに停止し、一同は強い力によって黙視を強いられていた。馬までもが足踏みひとつすることなく、(……)茂みの奥にひそむ未知の気配の正体を見極めんとする顔つきで、硬く強ばったまなざしをひとところに送りだしていた」 → ●32: 「二度目の含羞が直視を耐えがたくさせた。我知らず逸らしたまなざしが、潮風に重くなった砂浜にそれでもかすかにきざみこまれてある亜人の足跡を、彼方の密林から手前にむけて点々と追った」 → ●35: 「大佐は亜人を見た。おのれ自身を含む含むなにものに急かされたわけでもなければうながされたわけでもない、意図や欲望から遠く離れた神話の摂理がかくあるべきと舞台をととのえた、そんなふうなまなざしの送りだしだった」 → ●35: 「(……)亜人のその顔がいつ、みずからの影に沈んだ死に顔から晴天を後光に背負う馬上のこわばりへとむけられるのか、助けを請うまなざしが日暮れを知らぬこの光線に相対してどのように細められさしむけられるのか(……)」 → ●36~37: 「沸きかえる一同にむけて亜人はちらりとまなざしをめぐらした。大佐の硬くひきしまったくちびるから軽薄な発言をひきだすにたるだけの言外の迫力や凄みなどとはまったくもって無縁の、虐げられたものの卑しい鈍光が宿った、まずしい一瞥だった」 → ●40: 「沈没する敵船の背骨の折れる音が雷鳴のようにとどろくと、亜人は大佐と同じく、海の彼方にむけてまなざしを投げかけた」 → ●50: 「野次や笑声をたたえた無数のまなざしが大佐へとそそがれたが、それらのどれひとつとして焦点のはずされていないものはなかった」 → ●57: 「死屍累々たる一面にむけて大佐は、朦朧と濁った、それでいて芯のまだ鈍りきってはいないかぎ爪型のまなざしをめぐらせた」

 以上、ここまで記すともう正午も近くなっている。二時間半のあいだ、打鍵をしていた。
 それからMさんのブログを読み、上階に行った。冷凍庫から冷凍食品のスパゲッティ、「四種のチーズのカルボナーラ」を取り出し、外袋を開け、その裏に書かれてある説明を見ながら品を電子レンジに突っ込む。六分半の設定をして稼働させてから一度部屋に戻り、新聞を取ってふたたび居間に上がると、食器乾燥機のなかを片づけたり新聞の一面を読んだりしながら待った。電子レンジが加熱完了の音を立てるとともに立って取りに行き、火傷をしないように注意して袋の端を持ちながら開封して(開けた時に吹きだしてくる空気が大層熱かった)、皿に盛る。そうして卓に就き、新聞の一面を読みながら麺を啜る。記事は「iPS細胞でがん治療 理研など 「頭頸部」患者治験へ」である。それよりも大きく扱われている「徴用工 日韓協議を要請 政府 請求権協定 基づき」のほうも途中まで読み、皿を洗うと自室に戻って鍵を取ってきた。散歩に出るつもりだったのだ。靴を勝手口に運んでそちらの扉を開けると、外に燃えるゴミのゴミ箱と生ゴミを入れる黄色のバケツが干してあったので、水気をまだ帯びているそれらを室内に入れ、バケツのほうにはビニール袋をセットしておいた。そうして道に出る。
 曇りの日とあってさすがに風が冷たい。歩き出してすぐ、Hさんの家とTさんの宅の境にある低木から鳥が一羽立って、通りの向かいの林の縁に飛んで行き、葉のところどころ赤紫色に染まっている南天の茂みに移った。そちらのほうに目をやりながら過ぎれば短い声を落としながらふたたび立って飛んでいったものの、どうやら鵯らしい。空は一面曇り、頭を後ろに巡らせれば東南の方角、毛布で覆い尽くしたような質感の、茫漠とした雲の広がりが柔らかな壁のようだった。いつものごとく坂を上り、裏道を行く。この日も鼻で呼吸すると、鼻孔の奥に冷気がつんと来る。周囲に視線を送りつつ家並みのあいだを歩きながら、生成という点では外界も内界も変わりない、この世界が絶えず変容し続けているように自分の内側も絶えず思考が巡り、生成を続けているわけだなと考えた。書き記すという点においては内も外も大して違いはない、と言うか、書く働きによって両界はまとめて対象化され、それらのあいだの境は消滅するのではないか、などと。緩い曲がり角を曲がって街道に出る頃には思考は移って、やはり毎日少しずつでも英語を読むべきではないかと考えていた。こちらは以前からヴァージニア・ウルフの著作をいつか翻訳したいという夢を抱いている――小説作品はともかく、エッセイは翻訳されていないものが多くあるし、書簡や日記も同じだ(日記は一部訳されているが完全版ではなかったはずだ)。そうした文化的未発展とも言うべき状況はやはり改善されなければならないわけだが、もし自分がウルフの翻訳をできるとしても、それにはこれから一〇年のあいだ英語を読み続けて、その先の一〇年で取り組むことになるだろうなと漠然と考えた。ひとまず今は、またHemingwayのThe Old Man And The Seaを読み返してみようか――ちょうど一年と少し前、二〇一七年の一一月あたりに読んでいた記憶がある(そうして、物語として読んでも具体性を持っていてなかなか魅力的でありながら、文学に触れたことのない人間にも楽しめるほどわかりやすいように思われたので、その年の一二月の父親の誕生日には光文社古典新訳文庫小川高義訳を送ったのだ)。もう長いこと英語に触れていないので、英単語など基本的なものも忘れてしまっているだろう。今小説を読みながらやっているように、意味のわからなかった表現はノートにメモして、ある程度のまとまりとともに日記に写しておけば良いのではないか? 時間は掛かる、しかしやはり時間を掛けたほうが定着は確かなのではないか――そんなことを思いながら進んでいると、通りの向かいの家からクランチ気味のギターのコードストロークが流れ出てきて、思わず立ち止まった。Queenではないか?と思った。それで耳を澄ましたが、しかし車の途切れて静かだったところにすぐまたやってくるものがあって、音楽はその走行音に塗りつぶされてしまったので、諦めて先を行った。氷の冷たさを持つ寒風のなかを歩き――歩くあいだ、自分に辛うじて出来るのは日記を措けば、翻訳なのではないかと考えた。自分は体験を日記の形で言語化することはできるのだが、いわゆるフィクションの物語を綴る才能はない。作ってみたいとは思うのだが、まったくそういった方面に頭が働かず、まるでアイディアが思いつかないのだ。批評も、ちょっとした感想のようなものなら書けるが、「作品」と言うほどのものを作るのはおそらく無理だろう。そうなると残るは翻訳、ということになる。翻訳ならば元となるテクストがあり、古井由吉の言ったようにそれは逃げて行かない。そもそもこの日記の営みだって、世界の動向を元にしてそれらを言語的に翻訳しているようなものではないか、などと考えていたのだ。――しばらく行ってから右へ折れて、昨日と同じ細道に入る。鳥の声が林のなかに散っている。古めかしいような緑青色の竹を過ぎ、周囲を囲む濃緑の葉叢へと目をやると、いくらも離れていないそれがぼやけて見えたので、目が悪くなったなと思った。本ばかり読んでいるせいだろう、しかしまだ眼鏡を作るほど困ってはいない――コンタクトレンズのような異物を眼窩に入れるつもりはない、それに眼鏡のほうがファッション性があるというものだ。斜面の落ち葉の合間で鳥たちが跳ねるなかを下って行き、道に出ると鍵を取り出し、くるくるやりながら帰宅してなかに入った。
 緑茶と「坂角」の煎餅を持って自室に帰り、飲み食いしながら日記の読み返しをした。一年前のものは大したものではなかった。二〇一六年八月二七日の分からは、以下の描写がなかなか良く思われた。

 既に暮れて地上は暗んでいながらも空はまだ青さの残滓を保持していたが、それもまもなく灰色の宵のなかに落ちて吸収されてしまうはずだった。雨は降り続けており、坂に入ると、暗がりのなかを街灯の光が斜めに差して、路面が白く磨かれたようになっている。前方から車がやってくると黄色掛かったライトのおかげでその時だけ雨粒の動きが宙に浮かびあがり、路上に落ちたものが割れてそれぞれの方向に跳ね、矢のような形を描いているのが見えた。街道に出ると同じように、行き過ぎる車のライトが空中に浮かんでいるあいだだけ、無数の雨の線が空間に刻まれているのが如実に視覚化されるのだが、それらの雨はライトの上端において生じ、そこから突然現れたかのように見えるため、頭上の傘にも同じものが打ちつけているにもかかわらず、光の切り取る領域にしか降っていないように錯覚されるようで、テレビドラマの撮影などでスタジオのなか、カメラの視界のみに降らされる人工の雨のような紛い物めいた感じがするのだった。道を見通すと、彼方の車の列は本体が目に映らず、単なる光の球の連なりと化しており、それが近づいてくると段々、黒々とした実体が裏から球を支えていることがわかる。濡れた路面が鏡の性質を持っているために光は普段の倍になり、二つの分身のほうは路上の水溜まりを伝ってすぐ目の前のあたりまで身を長く伸ばしてくるのだが、その軌跡は水平面上に引かれているというよりは、目の錯覚で、アスファルトを貫いて地中に垂直に垂れながら移動してくるように見えるのだ。横断歩道が近づくと、信号灯の青緑色が、箔のようにして歩道に貼られる。踏みだすたびにそのいささか化学的なエメラルド色は足を逃れて消えてしまい、自分もその照射のなかに入っているはずなのに、我が身を見下ろしても服の色にはほとんど変化がないのだった。

 また、「職場全体で見ても、このような文章を積極的に読みそうな人種は存在しない――別に彼ら彼女らに知られたところで面倒な問題や軋轢を生まなければ構わないのだが、連日数千字も文を綴ってわざわざ自分の生活を人目に晒しているなどということが明らかになると、端的に頭がおかしいと思われそうなので、こちらから知らせるつもりはない」という一節の、「頭がおかしいと思われそう」という懸念に思わず笑ってしまった。そうして読み終えると即座に日記を書きはじめて、ここまで二五分で綴って一時半である。BGMはMarcos Valle『Samba '68』。軽快で清爽な、良質のブラジル音楽。
 洗濯物を取り込みに行った。書き忘れていたが、日記を読み返しているあいだにインターフォンが鳴ったので、部屋を急いで抜けて階段も一段飛ばしで上り、受話器を取ると宅急便だった。ありがとうございますと告げて玄関に出ていくと宅配員は女性、品は父親が折に触れて買っている炭酸水の箱だった。何がそんなに美味いのか知らないが、父親はいつも炭酸水を飲んでばかりいる。それでお運びしますねと言ってきたところが、重いのでこちらがすぐに受け取って椅子の上に置き、差し出された紙に簡易印鑑を押した。礼を言って扉を閉める間際、階段を下りて行く宅配員が、良かった、と暢気そうな声で独り言を言ったのが耳に入った。やはり重いものは女性にとっては負担なのだろう。炭酸水の箱は抱えて元祖父母の寝室に運んでおき、そうして下階に戻って日記を読んだというわけだ。
 日記を記してから、書抜きの読み返しを行った。一二月二八日から二六日まで。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』ほか、沖縄を中心とした現代史の知識。各日の記事に引用してある記述の音読をしてから目を瞑って今しがた読んだ情報をぶつぶつと呟き、記憶を確認するという風にしてやっているのだが、通常二回ずつ読むところ、このあたりの日付だったらもう何度も読んでいるので音読が一回だけでも(場合によってはまったく読まなくても)情報を思い出せる。その後Uさんのブログも読み(しかし自分は本当に読んでばかりいると言うか、家事や散歩や外出の時間を除けば読み書きしかしていないのではないか?)、それからErnest Hemingway, The Old Man and the Seaに取り掛かりはじめた。比較的簡易で読みやすい英語なのだが、やはり語彙は結構忘れている。以下にノートにメモした英単語を、それを含むまとまりとともに写しておく。

  • ●前書き: but it was the satirical novel, The Torrents of Spring, which established his name more widely.――torrent: 奔流
  • ●3: It made the boy sad to see the old man come in each day with his skiff empty and he always went down to help him carry either the coiled lines or the gaff and harpoon(……)――gaff: 魚かぎ、やす
  • ●3: his hands had the deep-creased scars from handling heavy fish on the cords――creased: 皺の寄った
  • ●5: The successful fishermen of that day were already in and had butchered their marlin out and carried them laid full length across two planks(……)――plank: 板
  • ●5: Those who had caught sharks had taken them to the shark factory on the other side of the cove where they were hoisted on a block and tackle(……)――hoist: つり上げる / tackle: 巻き上げ機
  • ●6: I can remember you throwing me into the bow(……)――bow: 船首、舳先
  • ●8: there was a bed, a table, one chair, and a place on the dirt floor to cook with charcoal――charcoal: 木炭
  • ●8: On the brown walls of the flattend, overlapping leaves of the sturdy-fibred guano(……)――sturdy: 頑丈な / fibre: 繊維
  • ●11: The boy had brought them in a two-decker metal container from the Terrace.――two-decker: 二層の、二段重ねの
  • ●13: 'When I was your age I was before the mast on a square-rigged ship that ran to Africa(……)――square-rigged: 横帆式帆装の

 以上。Hemingwayを一五頁まで読むと、四時前から間髪入れずに今度は三宅誰男『亜人』を読みはじめた。そうして五時まで読むと、上階へ。両親は法事から帰宅済み、二人とも炬燵に入って、父親は眠っており、母親はタブレットでメルカリを見ているようだった。ストーブの前に座り込み、温風によって乾かされていたタオルや肌着を畳む。タオルは洗面所に持って行って、それから台所に入って夕食の支度を始めた。まず味噌汁を作ろうというわけで、水を汲んだ鍋を火に掛けて葱と椎茸を切り、沸騰したところで豆腐とともに投入する。もう一品は、両親が葬式のお返しなのか何なのか知らないが色々な缶詰を貰ってきており(マンゴーを食べたらと言われたが夕食前なので断った)、そのなかにスイートコーンのものがあったのでそれで炒め物を作ることにした。それで玉ねぎを切り、冷凍庫から豚肉の切れ端とひき肉を取り出してそれらは解凍しておき、コーンの缶も缶切りを使って苦闘しながら開けると炒めはじめた。玉ねぎ、コーン、肉の順番に投入し、箸でしばらく搔き混ぜる。隣の焜炉には汁物が掛かって鍋のなかで泡が踊っている。各々食べる時に醤油を掛ければ良かろうということで炒め物には味付けをせず、炒め終わると汁物のほうも、「とり野菜みそ」を混ぜ入れて簡単に味を付けた。それから下階に下り、物置を通って外に出て、自転車などが置いてある家の脇のスペースに大根を取りに行く。薄暗がりのなかにあるものを見分けて、数本あったうちから一本取り、台所に戻るとまだ泥のついているそれをブラシで擦り洗った。そうして適当な大きさに切ってからスライサーで細かくおろす。水のなかで洗って笊にあげておくとこちらの仕事はそこまでで良かろうというわけで、あとは頼むと母親に任せて自室に帰った。日記をここまで綴って六時一五分である。
 それから三宅誰男『亜人』を読みはじめた。ベッドではなくコンピューターを置いたテーブルの前の椅子に座って、BGMはElla Fitzgerald『Mack The Knige - Ella At Berlin』である。"Gone With The Wind"、"How High The Moon"あたりはかなりの好演ではないか。『亜人』で最も頻出する語は間違いなく「まなざし」だろう。この小説の登場人物はまなざしを何かに送りつけてはまた周囲から送られている。今一〇七頁まで読んだのだが、そこまでで「まなざし」は計一七回出てきている。しかしそれらのまなざしが何らかの集団的意味の領分を構成しているのかどうかはこちらには良くもわからない。ただ、単なる印象ではあるけれど、この小説の展開のなかで何か大きな事件と見えるものが書かれる時には、そこに「まなざし」の語が導き入れられているような気がしないでもない。「まなざし」の次によく出てくるのは「不意に」「とつぜん」という「唐突さ」を表す語群ではないか。こちらは今までに九回を数えている。これらは多分「啓示」と親和的だろうと思い、いわゆる「啓示」の場面にしか使われていないのではなどと考えてもみたが、どうもそういうわけでもなさそうである。ほか、「極まる」関連の表現が六回、「滴りおちる」が四回出てきている。あと、「むき身」も四回。さらには数えていないけれど、「瞳」と「くちびる」も結構出てきていると思う。
 シシトが「もとめていた響き」を探り当ててのち大佐の寝室で楽器を弾き子守唄を歌う展開とか、その後に亜人を解放する流れとか、どのような論理で彼が動いているのか、シシトの「心理」が読めないのだが、鋭く彫琢された文体も相まって「事件」としての「強度」が描かれているのは確かだ。このあたりムージルから学んだところだと思うのだが、そこでは「深層」を探ろうとせず、深読みしようとせず、作中の言葉を借りれば「ただのそれ自身」としてある「事件」をそのままに読み、味わえば良いということではないのか。冒頭の「意味」を「追いはぎ」に喩えている場所とか、一七頁から一八頁の音楽の比喩など、そうした読み方を示唆しているのではないだろうか。
 七時二〇分に至って食事を取りに行った。台所では父親がフライパンから炒め物をよそっているところだった。大根は玉ねぎや人参を加えられ、シーチキンとマヨネーズで和えたサラダに拵えてあった。父親と入れ替わりにものをよそり、卓に就いて夕刊に目を落としながら食事を取る。皿を持ち上げて炒め物を搔き込んでは白米を頬張る。新聞記事は一面から、「正恩氏「非核化を堅持」 習氏と会談 米との会談 意欲 新華社報道」、「北方領土 首相発言 露が抗議 年頭会見「住民の帰属変更」を読み、さらに「韓国大統領 徴用工「判決を尊重」 年頭会見 日韓で対応検討を」の記事も途中まで読んだ。そうして抗鬱薬ほかを飲み、食器を洗って風呂へ。動作がいちいち鷹揚で、落ち着き払っているような感じだった。湯に浸かりながら小説のことを考えたりして、出てくると身体を拭いて肌着を纏い、水色のチェックの寝間着を身につけ、ドライヤーを手に取ると浴室から湧き出してきた湯気で曇った鏡に熱風を送って曇りを取る。そうして頭を乾かして居間に出、緑茶を用意して自室に帰った。Butter Butlerのガレットも持ってきて一つ食し、茶を飲みながら日記を綴る。現在は九時前になっている。Twitter――「毎日また日記を書けるようになってみると、書けなかった昨年の時間は一体何だったのだろうと思えてならない。何故まったく書けなかったのか不思議である。それが鬱病だと言えばその通りなのだが、今から考えてみると、確かに鬱症状と呼ぶべきものに襲われてはいたものの、自分が鬱病であるという実感は一貫して薄かったように思う。「鬱病」と一口に言っても、本当に人それぞれ発現の仕方が違うのだろう。一人ひとりの脳内で何が起こっているのか、どのような機序でもって「鬱病」が現れているのか、そこにはかなりの多様性があるのではないか。こちらの感じとしては、もっと科学が発展して細かな分類がなされればまったく違う病気になるような事々が、今は「鬱病」として一括りにされているように思う。テジュ・コールの言葉を引こう――「私はよく驚かされるのだが、この類に属する人は個人差が大きいので、私たちが診察しているのは多様な類のまとまりであり、それぞれの差異は、正常ならざる人間の類と普通の人間の類との差異に等しいのだ」(テジュ・コール/小磯洋光訳『オープン・シティ』新潮社、二〇一七年、220)」。
 九時半前からふたたび三宅誰男『亜人』を読みはじめた。コンピューター前の椅子に就き、時折りTwitterを覗きながら日付が変わる少し前まで読み、読了した。読むのは四度目だが、やはり大傑作であった。本当にテクストの全体、どの一行も、作品の隅の隅まで透徹した視線が配られ、まさしく磨き抜かれている、隙なく彫琢されている、それが今まで読んできて今回最もまざまざと感じられたような気がする。圧倒的な才能だ。しかしだからと言って無益な難解に堕してはいない。いや、難解は難解であるのだが、文体の激しさ厳密さ、そして「啓示」などに見られる論理の見通せなさに騙されなければ[﹅7]、物語としてのリーダビリティを充分以上に備えているとすら思う。物語展開としてもやはり高度に整えられており、一文一文の厳密さと物語の脈絡の厳密さとが非常に緊密に調和し、結合しているように感じられる。そうした意味で、形式と内容のあいだに必然的な結びつき――それは初めから、予めのアイディアとして求められるものではなく、一行一行を書くうちに事後的に生産されるものだと思うが――が存在するという、名作に対してよく述べられるあの称賛が、ここでも当て嵌まると思う。そうした意味で、本作は小説として実に正統的な「傑作」なのではないか。読んでいるあいだ、当てずっぽうの曖昧な印象だが、Eric Dolphyを連想するところがあったので、彼の『The Illlinois Concert』を流していた。
 その後、零時過ぎから今度は蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』。Twitterではまず一つ、先日メッセージを送っておいたHさんから返信があり、メールアドレスを教えてもらえたので、メールを送った。もう一つ、『亜人』を読み終えたその勢いを駆って、Mさんにもメッセージを送り、久しぶりに通話をしませんかと持ちかけるとじきに返信があって、明日か明後日に話しましょうと言う。今日(一一日)、おそらくこのあと話すことになると思う。蓮實重彦の読書は二時直前まで続けた。二時間弱掛けて三〇頁も進んでいないのにこの大著は八〇〇頁もあるわけで、これは骨が折れる読書になるなと思った。二時就寝。この日は久しぶりに少々入眠に時間が掛かって、床に就いてから三〇分後の時計を見たのを覚えている。一時間経っても眠れなかったらもう起きてしまって本を読もうと思っていたのだが、その後無事に寝付けたらしい。


・作文
 9:12 - 11:41 = 2時間29分
 13:03 - 13:34 = 31分
 17:46 - 18:13 = 27分
 20:27 - 20:49 = 22分
 計: 3時間49分

・読書
 11:44 - 11:57 = 13分
 12:48 - 13:03 = 15分
 13:42 - 13:55 = 13分
 14:09 - 14:34 = 25分
 14:34 - 17:01 = 2時間27分
 18:21 - 19:21 = 1時間
 21:24 - 23:46 = 2時間22分
 24:07 - 25:55 = 1時間48分
 計: 8時間43分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-08「寄る辺ない生きるも死ぬも罰当たり犬猫畜生おれも逝くかも」
  • 2018/1/10, Wed.
  • 2016/8/27, Sat
  • 2018/12/28, Fri.
  • 2018/12/27, Thu.
  • 2018/12/26, Wed.
  • 「思索」; 「1月8日2018年」; 「1月9日2019年」; 「1月9日2019年2」
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea : 3 - 15
  • 三宅誰男『亜人』: 64 - 157(読了)
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 3 - 30

・睡眠
 2:10 - 8:20 = 6時間10分

・音楽

2019/1/9, Wed.

 二時半に就床し、まだ暗いうち、多分五時台だかに一度覚めたと思う。それから最終的な起床は九時前。ここ最近の日々では遅くなった。カーテンを開けると青空を滑っていく雲の動きが速い。ダウンジャケットを着て上階へ。両親に挨拶をしてストーブの前に立つ。父親は仏事のために今日明日と休み、おじやを食べはじめるところだった。こちらも台所に入り、前日の鍋を用いて作られたおじやをよそり、電子レンジで加熱したあと卓に就いた。新聞を読みながら食べる。七面、エリック・カウフマンのインタビュー――「想う 2019 揺らぐ「白人」 危機の根源 米ポピュリズムは「闇市」 異なる構造の東アジア 「ベージュ」を受け入れよ」。「左翼モダニズム」によって圧迫され、不満を溜めてきた白人の「右翼ポピュリズム」が噴出していると。「日本や韓国は、いわば「閉鎖的な民族ナショナリズム」が政治風土の基盤です。他の民族との結婚は比較的少なく、民族間の境界も明確なため、多数派の優位性が揺らがない。例えば、外国生まれの人口比率は、日本では1・5%、韓国では3・4%だという数字があります。欧米では10~20%が普通なので、社会状況がかなり違うのです」とのこと。また、「白人としてのアイデンティティーを抑圧し、過去の歴史への罪悪感をあおることは、白印を追い込み、ポピュリズム的な不満をかきたて、テロに発展する恐れすらあります」との危惧も。ほか、「壁を越えて」シリーズ、「黒人社会 白い肌に生まれ 根強い差別 正しい理解訴え」という記事と、「政治展望2019 語る 憲法 国民巻き込み熟議を」の記事も読みたいが、まだ読んでいない。
 抗鬱剤を飲んだあと皿を洗っていると母親が、今日の朝、雪が降っていたんだよと言う。そうして、車の上に薄く積もったのを写した携帯電話の写真を見せてくれた。驚きだが、ここ最近のはしたないまでの快晴のなかでは、今日は確かに雲が多い。風呂を洗ったのち、緑茶を用意した。両親は今日、Y家の通夜に行く。それで母親はこの時、花屋に電話して、五〇〇〇円ほどの仏花のフラワー・アレンジメントを送ってくれるよう頼んでいた(そしてその電話のなかで、それまで「Y」だと思っていた漢字が「Y」であることを知った)。それを聞きながら茶を注ぎ、自室に戻ると飲みながら日記を書きはじめた。前日のものを完成させ、ブログに投稿すると、この日の分をここまで綴って現在は一〇時一五分。BGMはJose James『No Beginning No End』。"Trouble"など口ずさむ。冒頭の"It's All Over Your Body"もやはり格好いい(ここのドラムはChris Daveだったか?)。
 それから長々と、最近の自分の日記を読み返してしまって一一時を越える。まあわりあいに頑張っていると思う。その後Mさんのブログを読む。「きのう生まれたわけじゃない」の記事はすべて読んだ、あのブログは最高だった。特に印象に残っているのは「祝福された貧者の夜に」と題された日の記事で、確か当時はSがMさんの元に滞在していた時期で彼女との関係が透明感のある、仄かな感傷と綯い交ぜになった筆致で記されていたと思うのだけれど、あれを読んで自分は、このブログは日記で小説をやっていると感じ、自分も同じようなことをやりたいと思いはじめたのだった。「きのう生まれたわけじゃない」と出会っていなければ、明確に今の自分は存在しなかっただろう。それから自分の日記の読み返し、まず一年前。例によって考察を引用する。

 何故そんなにも呼吸の実践をがんばってしまったかというと、これは明らかに自分の、常に万全の体調でありたいというような願望(これこそまさに我執である)から来ている。そして、なぜそんなに万全さを求めるかと言えば、不安が怖いからであり、なぜなら不安は自分の場合、最終的には発作へと帰着するものだからだ(そしておそらく、自分にとってパニック発作は、象徴的に、「死」「発狂」といったような、「不可逆的に外へ出て戻れなくなること」というような意味を含んでいる。「死」はともかくとしても、そのような元に戻れないような急激な、一挙の変化などこの世にはまずあるまい、と理性的に考えても無駄である。なぜなら最初のパニック発作そのものが「不可逆的な変化」として体験されてしまっているからであり、「一瞬の不可逆的な変化によって戻れなくなること」がこの世に存在するということを、自分の心身は知ってしまっているからである。発作体験が強固なトラウマとなっているわけだろうが、これを克服する方策はひとまず二つ考えられる。一つは、「あの発作は不可逆的な変化などではなかった、パニック障害によって自分は大して何も変化していない」という認識=理屈=物語を新たに作り出すことだが、これは端的に言って不可能だろう。もう一つは、パニック発作と「不可逆的な変化」という意味の連結を現在時点において切り離すことだが、これは結局、上と同じことを言っているのか? ともかく、不安は単なる不安にすぎず、それはそうそう発作につながるものではない、よしんばつながったとしてもそれで自分は本質的にどうにかなるものではないという考えのもとに、不安を受け入れ、それと共存していく、ということだ。こうした認知を自分はとうに構築できているつもりでいたのだが、やはりそうはうまく行っていなかったらしい。ここにおいては(呼吸の存在を中核に据えた)ヴィパッサナー瞑想の観察 - 受け流しの方法論がやはり有力な手法となるだろう。我々不安障害者は不安から逃れることは絶対にできない、しかし不安とは、そもそも逃れる必要すらないものなのだ。

 食後、入浴中は、瞑想について考えた。まず、瞑想の大別としてサマタ瞑想というものと、ヴィパッサナー瞑想があるらしい。前者は「止」の瞑想と呼ばれ、後者は「観」の瞑想とも呼ばれるようだが、要は集中性のものと拡散性のもの、という風にひとまず理解しておきたい。ずっと昔にインターネットを検索して得ただけの情報なので、確かでないが、流派によって、観察をするのに必要な集中力を養うためだろう、サマタを訓練してからヴィパッサナーに移るものであるとか、最初からヴィパッサナー式でやるものだとか、ヴィパッサナーをやるにしても補助として「サティ」の技法、すなわち気づきをその都度言語化する「ラベリング」を用いる派、用いない派と様々にあるようだ(ラベリングは必須なのかとか、ラベリングをすることに囚われてもまずいとか、それは自転車に乗る際の補助輪のようなものに過ぎず、慣れてくれば不要になるとか、当時覗いた2ちゃんねるのスレで色々と議論されていた覚えがある)。それはともかくとして、集中性/拡散性の二分を、能動/非能動(ここではひとまず、「受動」という言葉は使わずにおく)と読み替えてみたいのだが、そのように考えると、サマタ瞑想は一つの対象に心を凝らし続ける能動性の瞑想であり、それに専心するとおそらくドーパミンがたくさん分泌されるのではないか(そして今回、呼吸法の形でそれをやりすぎたためにこちらの頭は少々狂った)。対してヴィパッサナー瞑想は、能動性がほとんど完全に消失した状態として考えられる。以前、瞑想とは「何もしない、をする」時間なのだと考え、日記にもそんな風に記したことがあったと思うが、これはおそらく正解なのだと思う。したがって、ヴィパッサナー瞑想を実践するにあたっては、多分、身体を出来る限り動かさず、静止するということが重要なポイントになると思うのだが、そのように能動性を排除したところで何が残るかと言うと、感覚器官の働きや、心のなかに自動的に湧き上がってくる思念などの、「反応」の類である。そして、ヴィパッサナー瞑想は、能動性を退けたからと言って、純然たる受動性に陥ってこれらの反応に対して無防備に晒されるがままになることを良しとせず、それらに(比喩的な意味ではあるが)視線を差し向けることによって(視線=眼差しには(どのようなものであれ何らかの)「権力」(力)が含まれている)、それらと静かに対峙し、それらの反応をただ受け止め、受け流すことを目指すものである。まず能動性を消去し、その次に完全な受動性のうちに巻き込まれることをも拒むその先に、能動/受動の狭間において露わになってくるもの、それが「実存」ではないかと、この時風呂に浸かりながら考えた(ここでは「現実存在」という言葉から、実存主義的な意味合いを剝ぎ取ろう)。あるいは「存在性」と言っても良いと思うのだが、要はただの「ある」という様態がそこに残る/浮かび上がってくるのではないかと思ったものであり、そこで中核となるのがおそらく呼吸、及びそれと結びついた身体感覚ではないか。そして、「悟り」というか、ヴィパッサナー瞑想が目指している境地というのは、このただ「ある」の様態、「存在性」の様態を常に自らの中心に据えて自覚しながら生きる、というような生存のあり方ではないかと思ったのだが、この議論がどの程度確かなのかはわからない(國分功一郎が取り上げて最近とみに知られるようになっていると思われる、「中動態」というものと、このような議論はやはり関係があるのだろうか?)。

 さらに二〇一六年八月二八日の日記も読み返してブログに投稿した。そうして読書に入る。鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』から「トンカ」の最終盤一〇頁である。ベッドに乗って胡座を搔きながら読み進め、一時間掛けて読了し、鎌田道生のあとがきも読んで時刻は一時前、食事を取るために上階に行った。台所に入っておじやをよそり、一方で豆腐を電子レンジに入れる。熱されたものには鰹節と、この日は麺つゆではなくて「すりおろしオニオンドレッシング」を掛け、卓に就いて食べ出す。両親は二時半頃出かけるらしい。先の二品とゆで卵を食ったが、まだ何か腹に入れたい心持ちだったので戸棚から「明星チャルメラ」の味噌味を取った。湯を注いで待つあいだに自室から新聞を取ってきて、記事を読む。上にも記しておいた、「黒人社会 白い肌に生まれ 根強い差別 正しい理解訴え」である。南アフリカで生まれたアルビノの女性の苦境が語られたものだが、いい加減に人類は肌の色で他人を差別することをやめるべきだと思う。しかし、アメリカで黒人が差別されるのと同様に、黒人が多数派のところでは肌の白い人が抑圧されるわけで、どこであれ人間はマイノリティを自ずと迫害する心性、傾きを持ってでもいるのだろうか? 「国連によると、アフリカの28か国では過去10年間、アルビノに対する襲撃事件は600件を超えた。タンザニアマラウイなどでは、アルビノの骨や臓器に魔術的な力があるとの迷信があり、臓器を抜き取られる事件が相次ぐ」と言う。この世界はガルシア=マルケスの小説ではないんだぞ、と言いたくなる。
 その後、食器乾燥機のなかを片付け、自分の使った皿を洗う。父親は南の窓辺に寄って、歯磨きをするでもなく畑を見下ろすでもなく、視線を虚空に漂わせながら何か考え事をしている風だった。それを見て母親が、お父さん、何考えてるのと言うが、父親は別に何も考えていないと薄く笑う。こちらはその後、緑茶を用意し、海老の混ざった煎餅を一袋持って自室に帰った。煎餅は三鷹のKさんから貰ったものらしい。「坂角」というメーカーのものだった。それを食べ、茶を飲みながらここまで書き足して二時前を迎えている。Jose James『Love In A Time Of Madness』を作業の裏に掛けた。そして以下、読了した「トンカ」からの抜書き。

  • ●315: 「突然ふたりの眼に、泣きわめいている小さな女の子の顔がうつった。その顔は蛆虫のようにくしゃくしゃにゆがんで、真向から日を浴びていた。光の中にあるこの顔の無残な鮮明さは、彼には、彼らがその圏内から出てきた死にもまがう、生の啓示であるように思われた。だがトンカは、単純に「子どもたちが好き」なのだった。彼女は(……)この一件をおどけたこととしか感じていないらしかった。どんなに彼がむきになっても、この光景が外見ほど簡単なことではないのだと、彼女にさとらせることはできなかった」――「啓示」。しかし、その内実、彼が何を受け取ったのかはあまり明らかでない。また、トンカの鈍さ。「外見ほど簡単ではない」――そこには何か深遠なものがあるらしいが、トンカにはそれが見えない。トンカ=表層的、「彼」=深層的?
  • ●317: 「「でもわたくし、お給料をいただかなくては、ならなかったものですから」/ああこれはまたなんと簡単なこと!」――感嘆。この語り手は大袈裟で、感情的[﹅3]である。
  • ●317: 「日が暮れると、空気が顔や手とちょうど同じくらいの温度に感じられ、歩きながら眼を閉じると、からだが溶けて無限の中をただようような気がした」――良い表現。
  • ●318: 「しかし彼は疑い深く、きみ自身のことばでそれを話してごらんといった。彼女にはできなかった。/それではやはり、きみにはわからないんだ。/いいえ、わかります――そして突然彼女はいった――歌をうたわなくては」――トンカは「自身のことば」を持たない。彼女は「ロゴス」の人ではない。その代わりに「歌」がある?→●316: 「しかし、彼女が返事をしようとしながら、いつも最後の瞬間に口ごもってしまうのが、彼にはわかった」「あなたのおっしゃることは前からわかっていましたわ。けれど、それがうまくいえませんの」
  • ●319: 「そしてトンカは、世間なみのことばで話すかわりに、いつも一種の全体を表示することばで語ったので、愚かな鈍感な人間と思われるのを避けられなかった」――「全体を表示することば」とはどんなものだろうか、そしてそれによって何故「愚かな」人間と思われるのか。
  • ●319: 「ある時褐色の蝶が彼らのそばを飛びすぎて、長い茎の上に咲いている花にとまった。とまるはずみに花はふるえ、何度か左右にゆれ、そして急に、中断された会話のようにぴたりと静止した」→連想、●磯崎憲一郎『肝心の子供』39~40: 「タマリンドの老木の、分厚いコケの生した大人の両手ふた抱えもある太い幹には、雪崩れるようなうすむらさきの藤の花が幾重にも巻きつき、そのむらさきが途切れるところから下は、桃色や赤や白の芝桜が流れ広がって、ブッダたちの座るまわりまでを囲んでいた。こぼれ落ちそうになりながらスズメバチが必死に、なんとかかろうじてひとつの赤い花にしがみついていたのだが、風に揺れて、とうとう花から振り落とされてしまうと、今度はあっさりと、何の未練も見せず橙と黒のまだらにふくれた腹を曝けながら、直角に、頭上の空へ飛び立って行った」
  • ●320: 「どの男でも、少しことばをかわしていればすぐ、甘言で誘いよせようとするのが、彼女を憤慨させた。彼女が今、連れの男をながめていた時、突然その思い出が針のように胸を刺した。この瞬間まで、彼女は、ひとりの男といっしょにいるのだとは全然感じなかった。なぜなら、ほかの男たちといる時と、まったくちがっていたのだから」――突然の想起と気づき。トンカは唐突に、「彼」が「ひとりの男」なのだと気づく。
  • ●320: 「自分の靴の恰好がどんなに不細工に見えるか、そもそも、トンカとこうしていっしょに森のはずれに寝そべっていることが、どんなに無意味なことであるか、彼にわかっているのは確かだった。だが彼は、こういう状況の何ひとつとして変更しようとはしなかった。個々に見れば醜いものでも、全部まとめるとそれは幸福というものだった」――印象的なアフォリズム
  • ●320: 「彼女の頭は急にかっと熱くなり、胸がどきどきした。彼が何を考えているのかわからなかったが、彼の眼を見るとすべてが読みとれた」――トンカには彼のことが「わからない」が、しかし「眼を見るとすべてが読みとれ」る。直観? ロゴスによる把握ではなしに?
  • ●321: 「あなたのおっしゃることがわかるかどうか、そんなこと、どちらでもいいのです。わかったところで、ご返事できないでしょう」――「わかるかどうか」は「どちらでもいい」。そして、「返事できない」。三一八頁や三一六頁との親和性。
  • ●321: 「これらはみな、たしかにささやかな出来事だった。しかし奇妙なことには、トンカの生涯においてこれらの出来事は二度、しかもまったく同じかたちでくり返されたのだった。(……)さらに奇妙なことは、二度目に起きた時、それは最初と反対の意味をもっていたということである」――「奇妙」さ。→●321: 「ずっと後になって起きたことにしても、もう千回も世界で起こったことなので、ただそれがトンカをめぐることだったばかりに、不可解なように思われたのだった」――「不可解」。奇妙さとの親近性。→●346: 「奇妙なことにそれは彼の研究が大きな成果を収めた時期だった」
  • ●323: 「なんとトンカは無口だったことか! 彼女は話すことも泣くこともできなかったのだ」――トンカの「無口」、沈黙。
  • ●325: 「それどころか、トンカが彼の申し入れをあっさり承知したことが、この瞬間、彼の心を疑念でみたしたのかもしれなかった」――「承知」による「疑念」という逆説。磯崎憲一郎もこういう論理の作り方をたびたびしていたような気がする。
  • ●325: 「しかしその時彼は思った。「どうしておれは、あんな申し出を彼女にしたんだろう?」 すると、彼女の承諾の理由と同様、この理由も彼には不可解だった。彼女の顔にも彼の顔にも、同じような途方にくれた表情が浮かんでいたのだ」――理由不明。また、連想――→●磯崎憲一郎『終の住処』6~7(書き出し): 「彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた。一年まえに付き合い始めた時点ですでにふたりには、上目遣いになるとできる額のしわと生え際の白髪が目立ち、疲れたような、あきらめたような表情が見られたが、それはそれぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな歳から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない、という理由からでもあった。じっさい、交際し始めて半年で彼は相手の実家へ挨拶に行ったのだ。それから何十年も経って、もはや死が遠くないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった」
  • ●326: 「母は、みたされなかった自分の生涯の夢を、息子に実現してもらいたいと思った」――しかしこの母の「夢」はその詳しい内実が明らかではない。
  • ●326~327: 「この男は母に対して、長年のあいだ、根気強い、敬慕の心をこめた無私の愛情をささげていた。おそらくそれは、軍人の娘としての彼女が堅持していた栄誉と節操の観念と、その観念のかがやかしい照射のさなかにある確固たる主義を、彼が自分の書物の理想として必要としたからだろう」――母は「軍人の娘」であるらしい。
  • ●327: 「つまり彼は、自己の文体の暢達さと(……)」――「暢達」。初見。意味は「のびのびしていること」。
  • ●327: 「つまり、このような人間を信用できる人間というのだ。彼らは精神と性格を通じて、確固たるものを示しているのだ」――話者の「意見」が開陳されている。
  • ●328: 彼は、「感情を破壊することをよろこび、詩、善意、美徳、単純素朴、といったものを敵視した」――「詩」を「敵視」するわりに、「彼」はノヴァーリスの日記を読んだりしている。また、「啓示」を受け取るというのは明らかに「詩的」な感性だと思うのだが?
  • ●328: 「トンカは荷物をまとめ、なんの感情も見せず、至極当り前のようにして故郷をはなれた」――トンカの無感情。→●323: 「あの子の情の薄いことったら。おばあさまのご臨終の時にも、お葬式の時にも、涙ひとつこぼさなかったのよ」→しかし一方で、彼女は「顔を赤らめ」たりもしている。●316: 「「だってお仕事ですもの」とトンカは答えて、顔を赤らめた」「「ええ」とトンカは小声でいった。そしてまっ赤になった」→●325: 「彼が立ち去ったあとで、彼女はボール箱の中のものを、ひとつずつゆっくり取りだして、もとの場所へ置いた。まっ赤になり、何を考えているのかわからず(……)」
  • ●330: 「すべての粗野なもの、非精神的なもの、下品なものが、どのような扮装をこらして近づいてきても、彼女はきっぱりと拒否することができた。理由を聞かれても答えることのできない、この自若たる態度にはまことに驚くべきものがあった(……)」――理由不明。
  • ●331: 「どうしても、完全におたがいのものにならねばならない。なぜなら、その時はじめて、二人の人間が本当にそれぞれの秘密をひらくことになるのだから(……)」――「秘密」、隠されているもの[﹅8]への志向。
  • ●331: 「そしてトンカは来た。苔緑[たいりょく]色の上着を着(……)」――珍しい色の表現。
  • ●332: 「トンカは身をまかせたのか? 彼は彼女に、愛を誓いはしなかった。それだのになぜ彼女は、至上の希望を拒否するような状況に対して抵抗しなかったのか?」――自分の語る物語に対する語り手自身の疑問。
  • ●333: 「つまり、彼のものになりさえすれば、それでもう彼女は彼の一部分だったというわけだ。/どうしてそのようになったのか、後になっていくら考えても、彼には思いだすことができなかった」――理由不明。
  • ●333: 「ふしぎなのは、どの場合にも潜伏期と発病の時期がぴったり一致しないことだった」――「ふしぎ」さ。
  • ●334: 「もしきみが商人のところへ出かけて、彼の商売気をそそるようなそぶりはすこしも見せずに、ながながと時局について論じたり、金持の義務について語ったりするならば、彼は、きみが金を盗みにきたのだと思うだろう」――二人称。読者への呼びかけ。語り手は透明な存在ではない。
  • ●336: 「秘密を聞きだそうとすると、たちどころにトンカは否認した。どうしてこうなったのか、自分でもわからないというのだった」――理由不明。
  • ●336: 「第一、彼の疑いに気づいてからというもの、彼女はまるきり口をきかないようになったのだから」――トンカの「沈黙」。「黙る」「言わない」のテーマ。→●318: 「そのまま二人はしばらく黙ったまま歩いていった(……)」→●319: 「何かいわねばならないと思ったので、彼女の息づかいはときどきせわしくなったが、結局気おくれがして、黙ったままでいた」→●320: 「彼はトンカの腕をとった。そして、自分が黙っていたことを詫び(……)」→●323: 「母の叱責にあって彼は黙った」→●323: 「なんとトンカは無口だったことか! 彼女は話すことも泣くこともできなかったのだ」→●324: 「彼は無言で部屋を立ち去り、トンカに、自分が彼女の面倒をみるつもりだということを伝えにいった」→●324: 「部屋の戸があけ放しだったので、彼はしばらくのあいだ自分が来たことをいわずに、何も知らぬトンカをながめていた」→●325: 「彼女は、はいとも、いいえとも、ありがとうともいわなかった」→●328: 「母は危険を予感していたが、確信はなかったのでそれをあからさまに口にすることはできなかった」→●329: 「実は彼女が黙っているのをいいことにして、当然の昇格もおあずけになっていたのだ」→●330: 「つまり彼が仕事をしている時、黙ってその身近につきそっているのが、彼女の幸福のすべてだったのだ」→●331: 「彼らはその時、「完全におたがいのものになる」ことについても話をした、というのは、彼がしゃべり、トンカが黙って聞いていたということである」→●331: 「ほとんどひと言も語らずにすませた食事のあとで、ふたりは並んですわった」→●332: 「しかし彼女はええともいわず、あなたを愛しているともいわなかった」→●332: 「彼女はまるで、「旦那様」のご威光に打ちひしがれたかのように、黙々と行動した」→●339: 「彼女は返事をせず、ただ眼に涙をうかべた。彼女がひと言もいえないのを見ても、分別のある男は別段感動しなかった」→●339: 彼は、「店員や丁稚のあいだで上等な服を着てすわり、真剣な、誠実な態度で、口はあまりきかず(……)」→●343: 「トンカの不実に対する確信には、何か夢のようなおもむきがあった。トンカは哀切な、こまやかな無言の従順さでもって、この確信をじっと耐えていた」→●343: 「彼女は極端に口をきかなくなっていたが、無邪気なのか強情なのか、どちらともとれそうだった。同様に、策略とも苦悩とも、後悔、不安ともとれたが、あるいは彼に対する羞恥心かもしれなかった」――トンカの「沈黙」の多義性。→●350: 「以前とほとんど同じくらい頻繁に、二人はいっしょの時間をすごした。話はあまりしなかったが、おたがい寄り添うようにしてすわっていた」→●350: 「口を[ママ]出してはいわなかったが、二人はまたおたがいにからだをもとめあうようになっていた」→●352: 「それゆえ、トンカのベッドにつきそっている時、彼はむっつりしていることが多かった」→●353: 「そこで彼は彼女の枕もとにすわり、やさしく親切だったが、きみを信じているよ、とは決していわなかった」→●353: 「トンカの枕もとではほとんど口をきかなかったかわりに、彼は彼女に手紙を書き、いつもは黙っていたことをそこで打ち明けた」
  • ●340: 「彼はよそ者だった。するとトンカはなんだったのか? 彼の精神から生まれた精神? そうではない、彼女は自分だけの秘密をもった別の生きもので、ある象徴的な照応関係において彼の道づれになっていたのだ」――語り手の自問自答。また、トンカは「秘密」を持っている。
  • ●341: 「心のうつろさを感じたのは、無益な番号表を買うためのわずか二十ペニヒの支出も、彼の今の経済状態では楽ではなかったからかもしれない。突然彼は、自分に悪意をいだいている眼に見えぬ力の存在を、自分が敵意にとりかこまれているのを感じた」――「突然」の「敵意」。
  • ●345: 「もしも世間を、世間なみの眼で眺めず、あらかじめすでに眼の中に収めているならば、世界は、夜空の星のように散りぢりになってさびしく生きている、個々の無意味なものに解体してしまう」→●319: 「もし彼女が、連れの男のような考えかたに慣れていたなら、この時トンカは、自然というものが、夜空の星のように散りぢりになってさびしく生きている、ささやかな醜いものばかりでできていることを感じただろう」
  • ●348: 「しかし彼がよく馬のことを考えたのは、それと関係のある、何か特別の意味をもつことにちがいなかった」――この前の段落には、夢のなかでのトンカの姿、彼の抱く愛情、その曖昧さなどについて語られているのだが、それと「馬」が「関係」している「特別の意味」とはどのようなものなのか、明らかではない。言わばここでは論理が見通せなくなっており、その内実は読者の手の届かない「深層」に隠されている[﹅6]。
  • ●348~349: 「彼の幼時の思い出(……)そのような子どもの心が、ときどき彼の中でにわかに燃えあがった。しかしおそらくそれは、消えなんとする前の最後のかがやき、癒着しつつある傷痕のうずきにすぎなかったのだろう。なぜならば、馬はいつも材木をはこんでいたし、蹄の下で橋は鈍い音をたて、下僕たちは紫と茶の碁盤縞の短い上着を着ていたのだから」――「馬」の姿、その「蹄」の「音」、「下僕たち」の服装などが、彼の「子どもの心」の燃焼が「最後のかがやき」であることの理由として書かれているわけだが、何故それが理由になるのか論理の繋がりが不明である。この理路の連結の「緩さ」のようなものは、音楽に例えるとフリージャズの演奏に似ているかもしれない。あるいは、フリーと定型のあいだを越境し、行き来するEric Dolphyのプレイを思わせるかもしれない。
  • ●349: 「妊娠というふしぎな過程のあらゆる変化が現れ、娘の肉体を遠慮会釈もなく蒴[さく]のような形にし、すべての部分の大きさを変え、腰の幅をひろげて下にずらし、膝から鋭角な線を奪い、首を太くし、乳房を張りきらせ、腹の皮膚に細い赤や青の血管を浮き出させた。血があまりにも外界に近いところで動いているのを見ると、それが死を意味しているように思われて、彼は、愕然とするのだった」――生々しい描写。
  • ●350: 「ある時母は新しい医師の説明をわざわざ書き送ってきた。それを読むと、当時トンカが不実をはたらいたのは、なんといっても疑いようがないらしかった。(……)当時どんなことが起きたのか、まるで自分と無関係なことのように彼は考え、たった一度の、はかない心の惑いの結果、これほど苦しんでいるトンカをあわれだと思った」――ここでは「彼」は、トンカは「不実」を犯したのだと考えているように見える。しかし、→●351: 「ひとつの小さな古いカレンダーが、まるでトンカがたった今めくっていたように、ひらかれたままになっていた。その一ページの大きな白い表面には、その日を記念する思い出のピラミッドのように、小さな赤い感嘆符がつけられていた。(……)ただこのページだけ、感嘆符のほかには何も書いてなかった。これが、トンカが秘密にしているあの日の思い出なのだということを、彼はひと目で直観した。時日もほぼ符号するようだった。しかし、実はその確信は(……)次の瞬間にはそれは後退し、消えてしまったのだ。もしこの感嘆符を信じようとするならば、同じように奇蹟を信じてもよかったろう。しかも致命的なことは、彼が両方とも信じようとしなかったことだ。驚いたように、一方から他方へと眼を移すだけだったのだ」――「彼」は一度はトンカの「不実」を「確信」するが、その「直観」は「次の瞬間には」「消えて」しまう。そして「彼」は、トンカが「不実」を犯したのだとも、あるいは「奇蹟」が起こり、彼女が処女懐胎したのだとも信じることができない。
  • ●351: 「おそらくトンカの力は弱すぎたのだ、彼女はいつまでたっても、生まれかけの神話だった」――「生まれかけの神話」。格好良い表現。
  • ●352: 「つまり、トンカを信じさえすれば、彼は病気になったのだ」――トンカが「不実」を犯していないと信じるならば、「彼」は実際にはそうではなくても、彼女が感染した「病気」(これが一体どのようなものなのか、その内実もまたあまり明らかではない)を保有していたことになる。→●353: 「そこで彼は彼女の枕もとにすわり、やさしく親切だったが、きみを信じているよ、とは決していわなかった。実をいえば、もうとうの昔から信じていたのだが」――「彼」は結局、トンカを信じていた。
  • ●353: 「そこでまた彼は、思うことを表現できる自分はなんと幸福なことかと思った。トンカにはできなかったのだ。この時、彼は彼女を完全に理解した。夏の日なかにひとひら舞い落ちた雪片だったのだ」→●323~324: 「なんとトンカは無口だったことか! 彼女は話すことも泣くこともできなかったのだ。だが、話すこともできなければ釈[と]き明かされもしないもの、世界の中で黙って消えていくもの、人類の歴史をしるした板に搔き傷のように刻みつけられた小さな線、このような行為や人、夏のさなかにたったひとひら舞い落ちてきた、このような雪片、これらはいったい、現実なのか夢なのか、よいものか、無価値なものか、それとも悪いものか?」
  • ●354: 「すると、眼に涙がわいてきた。涙は天球のように大きくなり、眼の外へ出ることができなかった」――良い表現。
  • ●356: 「その時思い出が彼の心の中で叫んだ。トンカ! トンカ! 彼は、足もとから頭までまるごとの彼女の存在を、彼女の全生命を感じた」――トンカの死後、究極的な離別のあとに彼女の「全生命」を感じるという逆説(皮肉?)。

 上記を記し終えると四時直前だった。Joshua Redman『Compass』を流しており、その七曲目、"Insomnomaniac"が途中だったので、椅子に就いて目を閉じ、最後まで聞いた。そうして音楽の再生を止めると上階に行き、日が完全に暮れてしまう前に散歩に行くことにした。玄関の鍵はまだクリーニング屋から戻っていないので、勝手口から出る。ポストを見ると、夕刊や年金の通知、何やら父親宛ての茶封筒やガス料金の明細が届いていた。それはまだ取らずに道に出て歩き出すと、もう路上に陽がないから冷気がジャージを抜けてきて、上はダウンジャケットを羽織っているから良いが膝のあたりが冷たい。Tさん宅の横の柚子の木は、黄色の果実を太らせて葉枝を垂れ下げていた。陽が当たっているのは遠く南の山や川沿いの木々のみである。ムージル「トンカ」のことを考えながら坂を上り、裏路地を行っていると、鼻から吸いこむ空気の乾いて冷たく、鼻孔の奥に砂を差しこまれたようにつんと来る。風が吹き、曲がり角の脇に生えた椿の低木が弱く揺れる。見上げて、あれ、雲がないではないかと気づいた。西の空には飛行機の、機体は見えないがその白い軌跡が走っていて、燃え上がる彗星のように、あるいは水中を一心不乱に渡る微生物のように、斜め右下へ渡っていく。街道を渡りふたたび斜面に接した裏道に入って、逸れた頭をふたたびムージル「トンカ」に戻す。この小説の語りの特徴は、ほか二篇に比べて語り手の姿が表に現れていることではないだろうか。話者は物語の内容に対してたびたび大袈裟な感嘆を放ち、疑問を投げかけ、時にそれに自ら答え、また意見や評価のような発言を表明する。自らが語る語りを対象化し、そのように自己言及的な「突っ込み」を入れることによって、語りが独特の推進力を得ているように感じられる。この語り手は「感情的」であり、積極的に物語の前面に出てくる、言わば「目立ちたがり屋」なのだ。また、「沈黙」「無言」「言わない」などのテーマが頻出することも気になった。「彼」と「トンカ」の二人はたびたび「黙って」いるのだが、そのうちでも特に黙りがちなのがトンカのほうで、彼女は重要なところで自分の意志を言語的に表明することをせず、言わば「口下手」で、「無言の従順さ」で「彼」に付き従う。しかしそうしたテーマの連鎖が一体どのような意味の射程、象徴の磁場を構成しているのかは良くわからなかった。あとはちなみに、三篇のなかで最も書抜きをしたい箇所が多かったのはこの篇だった。描写や記述の凝縮度で言ったらほか二篇のほうが高いのではないかと思うのだが、それと感性的に惹かれるかどうかは別ということだろう。
 保育園を過ぎながら視線を上げると、丘陵の上部に陽が掛けられて熟したような、甘やかなオレンジ色に染まっており、その上の空はただ一枚の紙を広げたように表面に繊維の乱れなく、一様に仄かな水色でなだらかに連なっている。子犬を散歩させている老人とすれ違い、駅前を通り過ぎ、横断歩道を渡ってから街道を行く。普段入る裏道の手前でもう右に折れてしまい、下り坂になった細道に入った。頭上で竹の葉がさらさらと、弱いせせらぎのような、遠い雨のような響きを立てるなかを、木に囲まれながら下りて行き、道に出るとポケットから鍵を取り出して、その輪を右手の人差し指に引っ掛けてくるくるやりながら帰った。
 郵便物を持って家のなかに入る。アイロンを掛けようと思っていたのだが、居間の片隅、炬燵テーブルの脇を見ると、母親がもう処理したのかそこにあったはずの衣服がなくなっていたので、何もせずに自室に戻った。そうして日記を綴って五時。五時半になったら飯を作りに行こうというわけで、それまで書抜きの読み返しを行った。一月五日、そして一二月三一日から二九日まで、合わせて四日分。音読でぶつぶつと呟く合間、TwitterでHさんという方とメッセージをやりとりした。こちらのツイートにたびたび「いいね」を付けてくれるので、お礼の言葉を送ったのだ。今まで読んだなかで一番好きな作品は何かと尋ねたところ、色々と名前を挙げてくれて、そのなかに山下澄人が含まれていたのがほかの名前とちょっと毛色が違う気がした。『コルバトントリ』はこちらも随分と前に読んだのだが、こうして名前を聞くとまた読み返してみたくなるものだ。五時半頃になると上階に行き、台所に入って冷蔵庫から豚バラ肉、玉ねぎの余り、椎茸を取り出した。もう一つ、新しい玉ねぎをまず切り、一方で味噌汁のために水の入った鍋を火に掛け、玉ねぎと椎茸を切って投入した。フライパンにも油を引いて、チューブのニンニクを落とし、肉を一パック分すべて投入、蓋をしながら時折り振って、概ね熱されたところで玉ねぎとこれも切っておいた葱を加えた。味噌汁の味付けは「まつや」の「とり野菜みそ」で、これは元々鍋用のものだが鍋には使わずこうして味噌汁にばかり用いている。溶く必要がなくて楽である。肉のほうには味付けをせず、よそってから焼き肉のたれを掛けることにして、丼に米をよそってその上に焼いたものを乗せた。そうして卓に運び、自室からコンピューターを持ってきて、Twitterでやりとりを続けながらものを食べる。合間には自分のブログを読み返した。Twitterでのやりとりはもう一人、Aさんという方とも行っており、こちらの方は今までで一番好きな作品は伊東静雄の定本だということだった。この世には読まなければならない本がいくらでもある。食事を終えて、薬を飲む水を汲もうと台所に入ると、味噌汁の火がつけっぱなしになっていて、沸騰している鍋に寄って危ない危ないと消した。弱火だったので支障はなかった。それでもう一杯飲むかという気になり、おかわりをして、飲み干すと皿を洗ったのだが、結局薬を飲んでいないのではないか? どうも記憶にないが、まあどちらでも良いだろう。そうして下階に戻ると六時半、三宅誰男『亜人』を読みはじめた。蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』も読んで、さっさと『特性のない男』にも取り組みたいが、ムージルを読んでいるとどうしてもこの作品を読み返したくなったのだ。以前確か三回読んでいるはずで、今回、四回目だと思う。コンピューターの前の椅子に就き、時折りAさんとやりとりをしながら、ムージルと同様にメモを取りつつ読む。七時頃になって両親が帰ってきた。こちらは八時前まで読書を続け、それから入浴に向かう。上階に上がると両親は炬燵テーブルに並んで入っており、食事を取りはじめていて、母親が夕食を作っておいたことに対して礼を言った。通夜にはYちゃん(立川の叔父)も来ていて、先日払沢の滝に連れて行ってもらった時のことを、あいつは良く三時間も歩けたな、と話していたと言う。それを聞いてから風呂に入り、相変わらず痒い身体――しかし一時よりはましになってきている――を搔きながら浸かり、早々と出ると自分の穴蔵に戻ってきて、ここまで日記を書いて八時半過ぎである。それからふたたび『亜人』を読んだ。読みながら同時に、Aさんとのやりとりを続けて、時間についてだとか、自分がどのように虚無主義を乗り越えたかなどといったことを話した。一時間強読むと一旦中断し、『亜人』からの抜書きを行おうかと思ったのだが、キーボードに触れはじめたところで気が変わって、鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』の書抜きを行った。四〇分間。そうしてふたたび『亜人』の書見。ノートには色々とメモを取ってあるが、それを写すのは明日以降にしよう。今はただ、三一頁から三七頁に掛けての完璧な記述を、非常に長いがここに書き抜いておきたい。初めて読んだ時からここは完璧だと言い続けて来たが、四度目を読んでみてもやはり完璧だとしか思えず、一部の隙も一滴の瑕疵もない最高度の精度で書かれている。この小説がほとんど注目されていないのが信じられない。ここだけでも世に出す価値は充分にあると思うのだが。

 おそらくは異国の習俗かと思われる亜人の弔いを前に、大佐の手は腰にさした太刀にかけられたまま動かなかった。神秘とは常に正邪の蝶番に位置するものだった。侮りと蔑みの対象であった諸々の特徴はまばたきのはやさで選民的な紋章へとうらがえり、あるいは本物の亜人かもしれぬとのおそれにも似た疑いが大佐の四肢を麻痺させた。愚にもつかぬことを! 吹きこまれたばかりのおとぎ話をくりかえし耳にこだまさせる幼子のような感度でおよそ馬鹿馬鹿しいこと極まりない事態の可能性について真剣に疑ってみせるおのれの気の迷いを、大佐はすぐさま恥じた。二度目の含羞が直視を耐えがたくさせた。我知らず逸らしたまなざしが、潮風に重くなった砂浜にそれでもかすかにきざみこまれてある亜人の足跡を、彼方の密林から手前にむけて点々と追った。その道筋のなかばを一匹の小蟹が横断しつつあった。あるかなしかの窪みをなす砂地の足跡の、その周縁をふちどるかすかな盛りあがりをかたわらに控え、小蟹はまず節くれだった四対の脚のいっぽうを砂の斜面にかけて半身をかたむけると、地面と平行に伏せてあったはさみをこころもち高く掲げて重心をととのえながら、探るような脚つきでおそるおそるふちの頂点にむけてよじのぼりはじめた。さしこんだ脚の根元からさらさらと流れおちる砂のせせらぎにときおり甲羅をふるわせながらも、小蟹は一歩また一歩とやわらかな砂地にくさびをうちこみ、みずからの体躯を堅実にひきあげていった。そうしてとうとうふちの頂点に這いあがると、どことなくおぼつかないようにも見える足踏みをいささかせわしなくくりかえし、すり鉢状の窪みに真正面から相対するようにむきなおるがいなや、不意に、なにかしら思うところでもあるかのようにじっと動かなくなった。思うところ? この小さな存在に? きざすものがきざしはじめていた。風景にきたしつつある縮尺率の奇妙な狂いを、大佐は認めないわけにはいかなかった。小蟹は穴の底にむけてふたたびはすかいにむきなおると、甲羅を低くかたむけて傾斜の急な斜面におもむろに脚をさしこんだ。重力のたやすいまねきに歯止めを利かせるべく、さしこんだほうの脚を突っ張りながら、残る脚を器用に折りたたんだりのばしたりして釣りあいをとり、慎重な横歩きをくりかえしてじわじわと穴の底にむけて急斜面をくだりつつあるその一部始終を、島の生きものを愛でる好奇心とは似ても似つかぬ、それを目にするみずからの胸のうちで萌動しはじめたなにごとかにたいするおそれおおさから、大佐は息を詰めて見守りつづけた。馬上からはそれとして一目で見わけることもままならぬあるかなしかの砂地の凹凸が、一匹の小蟹の赤い軌跡によってみるみるうちに地図となって浮かびあがった。木々のさやぎによって風の通り道がなぞられるようなものだった。それどころか、小蟹の一足ごとに押印されるごくかすかな足跡さえもが、さらには針のひと突きにも劣る小さなその足跡を前にしてうろたえる極小の砂蟻どもの動きまでもが、大佐の目にはいまやあますところなくはっきりと見てとれた。亜人の足跡のひとつひとつは火口であった。浜は切りたった峡谷であり、海からの風はあたりいったいの地形を切り崩す壊滅的な突風だった。潮を吸いこんだ砂にほおずりするようにしてはじめてその嶮しさが理解されるような極小の断崖や山脈、吹きさらしの谷底や枯れた水脈などが、だれひとりとしてその設計を把握していない古代文明の遺産のように地平線の果てまできりもなく繰りひろげられているのを大佐は見た。馬上から落ちる影にも満たぬその空間は、巨龍の化石の発掘現場などとは比較にならぬほど深く、広く、ほとんど絶望的な汲みつくしがたさにひらかれていた。常ならば決して意識にのぼることのない根源的な前提がその巨大な輪郭をはじめて浮きあがらせる稲光の一瞬があった。小蟹が窪みのふちにたっていちど体を硬直させたのは、火口の底にひそむ巨大さそのものによってはるか眼下から射すくめられたからではなかったか? そしてほかでもない同様の硬直によっていま、大佐はみずからの四肢がきつく縛りつけられていることを認めないわけにはいかなかった。耽溺しすぎると狂いをもたらすたぐいの緊張、名づけた途端に口をふさぎ、首を絞め、息をせきとめにやってくるにちがいない親殺しの張りつめた感情が胸骨のあたりでたちさわぎ、つぼみのおおきく開花するようにそのむき身を外気にさらそうとつくづく強いた。大佐は亜人を見た。おのれ自身を含むなにものに急かされたわけでもなければうながされたわけでもない、意図や欲望から遠く離れた神話の摂理がかくあるべきと舞台をととのえた、そんなふうなまなざしの送りだしだった。亜人は花びらを全身に散らした若い兵士の脇に手をすべりこませ、海にむけて遺体をひきずり運びこもうとしているらしかった。腱を切られ肉を削がれたその体では塩水にふくれあがった一兵士の重く地面にたれさがった遺体を運びだすのは至難のわざらしく、咳病にかかった老婆のうなり声のような吐息をとぎれがちにしかし激しくふるわせながら、言い分をきかぬ四肢にそれでも厳命を強いる亜人のその顔がいつ、みずからの影に沈んだ死に顔から晴天を後光に背負う馬上のこわばりへとむけられるのか、助けを請うまなざしが日暮れを知らぬこの光線に相対してどのように細められさしむけられるのか、必ず来るその瞬間を不動のまま待ちうけるだけの無限に延長されつづけるいっときがひとつの死のように、隠者の送る余生のように、大佐をつくづく責めた。こっちを見るなと強く思った。強く思うあまりうらがえって口をつくのが呼びかけというものだった。
 「きさまの連れあいであったか」
 遺体の周囲をむらがる蠅どもの羽音がよせかえす波のすきまを縫って明瞭な輪郭をともない聞こえるだけの、一陣の風のようなしずけさが円陣を吹きぬけた。世界が午睡についたかのような、島の生命が一時的に活動を自粛したかのような、あやうい均衡によって司られた間であった。ひとをからかう悪ふざけのようにも聞こえる蠅の羽音は、あるいは書きこみのないその空白を方向づけるのにうってつけだったのかもしれない。岸壁を打つ波のような、低く、力をはらんだ男どもの笑い声がどっと沸いた。絶体絶命の罠にかけられた状況をある奇抜な策を弄することで見事に切りぬけてみせたときに下腹の底からおもわずせりあがるもののような、すでに遠ざかった苦難のあっけなさを安全圏からおおいにあざけり笑ってみせる口元から我知らずこぼれおちるもののような、群衆だけが帯びることのできる共犯者めいた野太さを芯とする哄笑だった。沸きかえる一同にむけて亜人はちらりとまなざしをめぐらした。大佐の硬くひきしまったくちびるから軽薄な発言をひきだすにたるだけの言外の迫力や凄みなどとはまったくもって無縁の、虐げられたものの卑しい鈍光が宿った、まずしい一瞥だった。大佐はようやく太刀から手を離した。四肢の麻痺が解けたかわりに、行き場のない軽蔑の念が銀髪を逆立てた。笑声はなおもとぎれなかった。自虐が勢いをつけたか、呼吸さえためらわれる厳粛な空気にのまれてしまっていたみずからの体たらくを嘲笑的にふりかえる士官らの声の響きは次第に哄笑から高笑いへとのぼりつめ、安心感は優越感へと装いを変えつつあった。士官のひとりなどは馴れ馴れしくも大佐の肩に手をかけ、くしゃくしゃに破顔してみせさえしたが、当の大佐はその手をふりはらうようにして馬のむきを変えると、落としどころの見つからぬ感情を無理やり壁ぎわに片寄せるような宙ぶらりんの手つきで手綱をとり、亜人のほうを見向きもせずに帰路の続きをたどりはじめた。
 (三宅誰男『亜人自費出版、二〇一三年、31~37)

 特に素晴らしいと思うのは、大佐が含羞から視線を逸らしてそれが小蟹の姿へと導かれるところ、そしてまた彼が亜人のまなざしを迎えかねて思わず声を出してしまう箇所、それぞれの実に滑らかな、美しいとまで言っても良いほどの整地ぶりである。三宅誰男はこちらの友人なので積極的にブログで宣伝をしていくが、この作品はBCCKShttps://bccks.jp/store/160461)で購入することができる。上の記述を断片的にでも読んでみて何かしら感じた人は、買って全篇読んでみることをお勧めする。ムージル『三人の女』を踏まえた作品だが、文体・描写の凝集力で言えば本家を越えているのではないかとも思える(しかしそれは翻訳の問題もあるだろう――仮に古井由吉が『三人の女』を訳していたら、おそらくもっと稠密な文章になっていただろうし、原文を読めばそれよりもさらにやばい[﹅3]のかもしれない)。
 ここまで記して時刻は零時四〇分、ふたたび読書を始めた。一時半を迎える頃には空腹だったので、腹にものを入れるために本を持ったまま上階に行った。白々と明かりの広がる天井の電灯ではなく、オレンジ色の小さな食卓灯を灯し、両親は既に眠っているので大きな音を立てないように注意しながら戸棚をひらき、「赤いきつね」を取り出した。湯を注ぎ、文を追いながら五分待って、蓋をひらいて麺をほぐす。左手に文庫サイズの『亜人』を持ち、汁が飛んで頁を汚さないように右手の箸では意識してゆっくりと麺を持ち上げ、息を吹いて冷ましてから口に運ぶ。そうしたことを繰り返し、食べ終えると容器を洗って片付けた。この食欲は何なのだろうか、カップ麺を食べてもまだ何か食べたいような感じがして冷凍庫を探ったのだが、適したものがなかったので今夜は良かろうと自室に帰った。そうして二時一〇分まで書見を続けた。終盤はベッドのヘッドボードに凭れて目を閉じる時間もあって、そろそろ眠るようだなと判断され、それで歯も磨かず便所にも行かずに明かりを落とした。入眠に苦労した覚えはない。


・作文
 9:43 - 10:15 = 32分
 13:29 - 15:56 = 2時間27分
 16:28 - 16:55 = 27分
 20:14 - 20:35 = 21分
 23:51 - 24:38 = 47分
 計: 4時間34分

・読書
 11:25 - 11:49 = 24分
 11:50 - 12:55 = 1時間5分
 16:57 - 17:30 = 33分
 18:37 - 19:54 = 1時間17分
 20:35 - 21:49 = 1時間14分
 22:02 - 22:41 = 39分
 22:51 - 23:49 = 58分
 24:43 - 26:10 = 1時間27分
 計: 7時間37分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-07「最果ての後ろめたさに騙される硬貨を数える赤子を撫でる」
  • 2018/1/9, Tue.
  • 2016/8/28, Sun.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』: 346 - 362
  • 2019/1/5, Sat.
  • 2018/12/31, Mon.
  • 2018/12/30, Sun.
  • 2018/12/29, Sat.
  • 三宅誰男『亜人』: 9 - 64
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』松籟社、一九九五年、書抜き

・睡眠
 2:35 - 8:50 = 6時間15分

・音楽

  • Jose James『No Beginning No End』
  • Jose James『Love In The Time Of Madness』
  • Jose James『Yesterday I Had The Blues - The Music Of Billie Holiday
  • Joshua RedmanCompass
  • Joshua Redman『Trios Live』
  • Joao Gilberto『Joao』
  • Jochen Rueckert『We Make The Rules』
  • Joe Henry『Scar』
  • Joe Henry『Tiny Voices』
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2019/1/8, Tue.

 五時台のあたりに一度目覚めたような覚えがうっすらとある。その次に覚めたのが七時前。二〇一四年に亡くなった母方の祖母の夢を見たのを覚えている。台所に入って、両親と並んで釜の白米をよそっていると、何か狭いなというような感じを覚えた。左方を見ると、冷蔵庫の前に祖母がいる。何をやっていたのかは忘れてしまった。お祖母さん、と呼びかけながら見ていると(死んでしまっているのは夢のなかでも同じで、あれは祖母の幽霊だという認識があったと思う)、じきに祖母は少し後ろに場を離れて、遺影のような表情を浮かべながらすうっと消えていった。こちらは確か、それで泣きそうになったのだったと思うが、目覚めた時にはそうした痕跡は残っていなかった。
 覚めてからもしばらく布団の温みのなかに留まって、七時を回ってから抜け出した。ダウンジャケットを羽織る。部屋を抜ける間際、壁に掛かったオレンジ色のなかに、こちらの影が写し絵となる。上階へ行き、ストーブの前にちょっと座ったあと、台所に入って冷凍の唐揚げを取り出した。残っていた五個を一つずつ箸でつまみ、皿に盛って、電子レンジに入れる。その他米と大根の味噌汁(前日の残り)を用意して卓へ。新聞がなかったので食べる前に取りに行った。玄関を抜けて外気に入ると、息が白く染まり、陽の掛かった林からは鵯の鳴きが立っている。戻ってものを食べながら記事をチェックしたのち、一面に戻って、「北方4島 日露で賠償請求放棄案 平和条約締結時に 政府提起へ」を読んだ。平和条約交渉で、北方領土についての賠償請求権を互いに放棄する方針だというのだが、そもそもロシア側は賠償を要求する言われなどないわけで、これは日本側が一方的に譲歩を強いられたということではないのだろうか――素人なのでまったくよくわからないが。ものを食べているあいだ、卓の向かいの母親が、お祖母ちゃんの命日が近づいてくると嫌だよ、と言うので、こいつ、文句ばかり言っているな、と思った。親戚が訪ねてきたりして、その相手をしたり、仏壇を綺麗に保っておいたりするのが面倒なのだろう。食後、薬を飲み、昨晩父親が放置したものも含めて皿を洗うと、父親への指示をメモに記していた母親が(最近風呂の給湯器の調子が悪く、エラーが表示されるようになったので、今日業者に来てもらうことになっていたのだ)、大根をごま油で炒めてくれと言う。細かく切って干してぱりぱりに乾かした大根を戻したものである。それで望みの通りにフライパンで炒め、その後に洗面所を覗くとまだ洗濯機が稼働していたので、一旦日記を書こうと自室に戻った。前日の記事を仕上げ、投稿してからふたたび上階に戻り、母親と協力して洗濯物を干した。水色のシャツを第一ボタンまで留めて、下にはネイビー・ブルーのジーンズを履いた父親は、無言でテレビを見つめていた。そうしてまたねぐらに帰り、緑茶を飲みながらここまで綴るともう九時も近くなっている。時間が経つのがまことに速い。
 それでは前日に読んだ「グリージャ」から、気に掛かった箇所を抜き出しておく。

  • ●277: 「その時彼女は菫褐色のスカートをはき(……)」――珍しい色の表現。
  • ●277: 「だがグリージャは頑固にもすぐまた谷の方へはなれていきたがったので、この一部始終は、その微細ないちいちの部分にいたるまで、下垂してはまた新たに巻きあげられる振子の重みに似た規則正しさでもって反復された。それがまことに天国的に無意味だったので、彼は彼女自身をグリージャと呼んでからかったのだった」――「天国的に無意味」。良い表現。
  • ●277: 「その時彼女は菫褐色のスカートをはき(……)牧場のへりに腰をおろしていた。(……)そうやってすわっている女に遠くから近づいていくにつれて、胸の鼓動が次第にはげしくなるのに気づかないわけにはいかなかった」――省略部分には、「彼女」=レーネ・マリア・レンツィを「グリージャ」と呼ぶようになった経緯が語られている。そのあとに「そうやって(……」の部分が始まるが、ここで語りの時間が先の「その時」の時点に巻き戻っている。語りはうろついている[﹅7]。このあたりも、ムージルの実力ならもっと容易に、順序良く、整然と語ることができるはずなのだが、何故かそうしない。
  • ●278: 「思うに彼をその農婦に結びつけたものは、ほかならぬ自然のそれらの特質だったろう。また別の反面では、彼女があまりにもれっきとした婦人らしく見えたのに驚くばかりだった(……)森のまんなかで貴婦人が茶飲み茶碗を手にしてすわっているのを見れば、誰もがびっくりするはずである」――両義性。グリージャは「土臭い」「農婦」でありながら同時に、「れっきとした婦人」らしい。「貴婦人」にすら喩えられている。
  • ●278: 「口は彼に非常に強い印象を与えた。それはキューピッドの弓のようにそりかえり、しかも唾をのみこむ時のようにかたく結ばれていた。ここから、その繊細な美しさとはうらはらの、一種断固たる野卑の印象が生まれ(……)」――両義性。
  • ●279: 「どうしてかわからなかったが、彼はこの地でおこなわれている風習やこの地にひそむ危険については、およそ無知といってよく、また別の機会もあることだからと、好奇心にあふれた希望をつないでいたのだった」――理由不明。
  • ●280: 「こうした一部始終は、馬や牝牛や死んだ豚とまったく同様に、きわめて単純な、しかもまさにそれゆえにきわめて非現実的な、魔法の世界の出来事のようだった」――非現実性。「魔法の世界」。→●272: 「はじめて彼は、一切の疑いをまぬかれた天上の秘蹟として、愛を経験した。彼の生活をこの孤独へみちびいた神の摂理をまざまざと思い知りながら、彼は、黄金と宝石を秘めた足もとの地面を、もはや現世の宝庫ではなく、彼のために特別にとりはからわれた魔法の世界のように感じていた」。
  • ●280: 「その口に接吻する時、はたして自分はこの女を愛しているのか、それとも自分に明かされるのはひとつの奇蹟なので、グリージャは、愛するものと自分とを永遠にわたって結びつける使命の、単なる一部分にすぎないのではないか、彼にはまったく見当がつかなかった」――重要な箇所だと思われるが、その内実は良くわからない。「愛するもの」はおそらく子供のことではないかと思うのだが、グリージャとの不倫によって、子供との「合一」「融和」が達成される? また、「ひとつの奇蹟」。→●271: 「あわい緋色の花が咲いていたが、これはほかのどの男の世界にもなく、ただ彼の世界にだけ咲いていたのだった。紛うかたない奇蹟として、神がそのように取りはからわれたのだった」
  • ●281: 「これまでの彼の生活は無力になっていた。それは秋が近づくにつれていよいよ衰える一羽の蝶のようだった」――夏には宗教的な、天上的な愛を経験していたのに。
  • ●281~282: 「とうとう娘は一本の綱でからげた束の下に全身をもぐりこませると、それをかついでゆっくりとからだをおこした。束は、それをかついでいるまだら模様の服装をした華奢なこびとよりも、はるかに大きかった――それともこれは、グリージャではなかったか?」――長くなるので一部にしたが、この部分を含む段落は不思議である。「干し草の刈り入れ」後、その運搬をする「娘」をホモが眺めているのだが、それまでの文脈からしてこの「娘」は当然グリージャのことを指しているのだろうと思って読み進めるところが、最後の一文が来て読者は困惑させられるわけである。ここでは語りの安定性、その真正性が破れている。誰とも知れない「娘」の匿名性。
  • ●282: 「彼と話をしている際に唾を吐く必要があると、女たちは技工をこらしたやりかたをした。三本の指でひと束の干し草を引き抜き、漏斗状にひらいた穴の中に唾を吐きこみ、その上からまた干し草を押しこんだのだ。見ていると思わず吹きだしたくなるようなしぐさだった。ただ、グリージャをさがしているホモのように、彼らと切っても切れぬつながりを感じている場合には、この粗野な上品さにははっと驚くこともあるかもしれなかった」――「粗野な上品さ」。両義性。また、この小説では一貫して何故か、「女たち」が「彼ら」という代名詞によって指し示されている。「彼女」という語で名指されるのはグリージャただ一人である。
  • ●283: 「だがある日グリージャがいった、もうこうしてはいられないわ。いくら問いただしても、なぜこうしていられないのか、彼女はいわなかった」――理由不明。グリージャの他者性、謎。磯崎憲一郎ムージルから盗んでいる部分である。彼の小説では、女性は一貫してその行動原理が不明な、純然たる他者としての相貌を露わにする。『終の住処』の記述を引いておこう。

 新婚旅行のあいだじゅう、妻は不機嫌だった。彼はその理由を尋ねたが、妻は「別にいまに限って怒っているわけではない」といった。(……)
 (磯﨑憲一郎『終の住処』新潮社、2009年、6)

 その日の夕方、帰宅した彼は何かの用事で妻に話しかけた。子供をどちらが風呂に入れるかとか、疲れたから夕飯を外で食べるかどうするかとか、そんな用事だったかもしれない。妻は彼の言葉に応えなかった。また妻の気まぐれな不機嫌が始まったのかな? でもどうせ明日になれば戻るだろう、彼は深くは気にかけなかった。
 翌朝、妻は彼と口を利かなかった。
 次に妻が彼と話したのは、それから十一年後だった。
 (69~70)

  • ●283~284: 「その女は彼の知らないただひとりの農婦だったが、その外見が眼をひいたにもかかわらず、ふしぎなことに、どういう女なのか、彼はまだ誰にもたずねてみなかったのだ」――理由不明。不思議さ。
  • ●285: 「ホモは心の中で、ここへのぼってくるまでの模様をくり返し思いえがいてみた。村の裏手でグリージャと落ちあい、のぼり、道を曲がってはまたのぼる自分の姿が眼にうかび、膝の下にオレンジ色の縫縁[ぬいべり]がついている彼女の靴下、おどけた靴をはいた彼女のゆれ動くような足どりが眼にうかんだ。坑道の前に立ちどまっている彼女の姿が見え、金色にかがやく小さな畑のある風景が見え――突然、明るい入口に彼女の夫の姿が見えた」――秀逸な展開。はっとさせられるような演出。それまでホモの心中の像だった記述が、「突然」、目の前の現実のものへと転換し、「夫」の出現によって物語は最終盤へと突入していく。
  • ●286: 「しかし今彼は、そもそもグリージャのことさえ忘れてしまっていた。彼女の肩に触れてはいたのだが、それにもかかわらず彼女は彼から遠くはなれさっていた、あるいは彼が彼女からはなれていたのかもしれない」――両義性。遠くにありながら「合一」する、近くにありながら離れているという構図はムージルの小説の基本的なものだろう。
  • ●286~287: 「すると狭いすきまが見つかった。(……)これは脱出路だった。しかしこの時、生に復帰するには彼は衰えすぎていたのだろう。復帰を望まなかったのかもしれないし、それとももう意識を失っていたのかもしれなかった。/まさしくこの時、すべての努力が水泡に帰し、企図のむなしさが覆いようもなくなったため、モーツァルト・アマデオ・ホフィンゴットは、谷間で作業中断の指令をくだしていた」――結び。これもちょっと不思議だと言うか、前段落で終わっても良いのではないかと思うのだが、最後はホモから離れて終わるわけである。よくわからないが、何か読者を突き放す[﹅4]ような感じがあるような気がしないでもない。

 こうして見てくると、両義性、相反する事柄の同時共存がムージルの小説の基本的な原理の一つだとわかるだろう。「グリージャ」においては例えば、「女たち」は「近代工場で生産される」「安物のキャラコ」を身につけていながら同時に、「遠い祖先をしのばせる」ものを持っている。彼女らはまた、土着的で男勝りでありながら、女らしい「やさしさと愛嬌」をも備えており、時には「大公妃のようにおおらかに」、また「慇懃に」振舞うこともできる。「Aでありながら同時にBである」というのが、ムージルの作法、その小説の土壌だ。それが頂点に達するのはおそらく彼の中心的なテーマである「合一」においてだろう。ムージルにおいて「合一」は、必ず遠く離れた状態で達成される。二者は、遠くにありながら一体であり、近くにありながら離れている――「しかし今彼は、そもそもグリージャのことさえ忘れてしまっていた。彼女の肩に触れてはいたのだが、それにもかかわらず彼女は彼から遠くはなれさっていた、あるいは彼が彼女からはなれていたのかもしれない」。
 また、「理由不明」というのも「グリージャ」において頻出する性質である(これは磯崎憲一郎が自分の小説に取り入れている)。「どうしてかよくわからないのだが」といった言明が、枕詞のようにしてたびたび導入されるのだ。例えばホモは、「自分でもどうしてかよくわからなかったのだが」、旅館ではなくて「あるイタリア人」の家に滞在する。徴発された犬たちは、「どうしてかわからないが」、いくつかのグループに分かれて結束する。理由が不明な事柄の最たるものは、グリージャの心変わりだろう。ある日彼女は、「もうこうしてはいられないわ」と言って彼との関係を終わらせに掛かるのだが、「いくら問いただしても、なぜこうしていられないのか」、その理由は明かされない。ここでは「理由不明」、「謎」が、女であるグリージャの「他者性」と結びついている。「グリージャ」においては小説の「場」そのものが「理由不明」の磁場となっており、頻出する「どうしてかよくわからないが」の言明は、終盤のグリージャの「他者性」を準備していると言えるだろう。
 上記まで記すとちょうど一〇時、日記の読み返しを始めた。まず二〇一八年一月八日。以下引用。わりあいに良く書けていると思う。

 料理をするあいだなどは、先ほど考えたように、ホームポジションとしての呼吸を意識した。一方、頭に言語が浮かんでくるのが不安になったり、自分が思ってもいないようなことが言語として浮かんできたりするのも特に困惑させられるのだが、しかしこれは気にせず、受け入れれば良いのだろう。ヴィパッサナー瞑想が教える通り、言語や思念とは所詮は心の反応にすぎず、端的に言って、去来するもの=次々と来ては去っていくものである。自分はどうやら、言語を実体化しすぎていたようだ。ある一つの事柄に対して、相反する二つの思いを抱くこともあるだろう(と言うか、そうしたことはむしろありふれているはずだ)。それどころか、もっとたくさんの、複雑に絡み合い、矛盾し合う反応を覚えることもあろう。今回自分は、不安障害的な性向が手伝ってか、それらの断片化された反応群のあいだに整理をつけられず、思考の統合を失いかけ、恐怖を覚えたらしいが、「自己」という点から考えると、それらの混乱した反応をすべて合わせた総体こそが自己である(これはおそらく、「自己」など存在しない、と言っているに等しい)。人間の反応、思考、感情は、すさまじく複雑で、自分は言語と密着しすぎたがためにその複雑に襲われてしまい、頭をやられかけたのかもしれない。要は、主体とは、散乱させられたもの[﹅9]としてある。その散乱した断片群のなかには、我々が目をそむけたいもの、抑圧したいもの、自分の一部として認めたくないものが当然含まれている。「悟り」という概念をひとまず、それらをも等しく受け入れていく態度として考えよう。そのようなある種の平等主義において、(はじめて?)「自由」が発生するとも考えられる。なぜなら、現実に「自己」「主体」として生きている我々は、何らかの行動をしていかなければならず、我々のうちに生起する反応群がいかに込み入ったものだろうとも、そのあいだにおいて何らかの判断を下していかなければならないからである。言いかえれば、自分のうちに発生した無数の相矛盾する反応のうち、我々が我々のものにするのはどれなのかを、我々は具体的な場において判断し、選択し、決定することができる。その判断(吟味)、選択、決定は、時には非常に責任を持たれた理性的なものでもあろうし、時にはただ何となくの、まるで無根拠なものでもあるだろう。具体的な瞬間ごとのそのような決定において、かろうじて、仮に作り上げられるもの、立ち上げられてはすぐにまた散乱していくもの、それが「主体」ではないのか。「主体感」とはそのようにして、その都度仮に確保されるのではないか。
 すべての先行的な観念を相対化・解体し(今のところ、「悟り」をこのようなものとして考えておきたいが)、自己のすべての反応を受け入れる「悟り」の境地にあっては、判断・決定の選択肢は非常に広いはずである。極端な話、そこにおいて主体は、その都度いかようにも姿を変えることのできる「流体的なもの」として現前するのではないか? しかし、理論的にこう考えたとしても、先行的な観念が解体されつくしたとしても、現実的には、主体のその都度の選択をある程度規定し、方向づける具体的な条件が残っているだろう。一つはその場=時空における意味=力の配置のネットワークであり、一つは直前の時点から引き続く状況の文脈であり、一つは主体がそれまでに積み重ねてきた経験の記憶への照会である。以上の記述を踏まえて、ひとまずここでは「悟り」を次のように定式化しておきたい(もう、勤務に向かわねばならない)。すなわち、極限的な自己の微分と、徹底的な帰納主義による主体の高度な流体化、と。

 それから二〇一六年八月二九日の分も読み、投稿したあと、琉球新報「土砂投入海域のサンゴ移植ゼロ 辺野古、首相は「移している」と答弁」をさらに読んだ。何故一国の首相が不正確な発言をするのか、すぐにばれる嘘をつくのか。それからUさんのブログ。面白い。参考になる。自分ももっと豊かな思考を綴りたいという気持ちにさせてくれる。気になった箇所をいくつか、下に引いておく。
 「交通事故の全容が様々な目撃情報によって明らかになるように、土壌から行う思索は、個々人が自らの生ける状況や傾向性を直視しながら行う協同のプロジェクトなのである。そして、仮に原子レベルにまで精密に交通情報を捉えたとしても、過去の経験を活かして知性的応答はできるかもしれないが、次の瞬間に道路で何が起こるかを予知することはできない。思索は、たとえどれほど前例に則った形式を採用しようと前例などなく、目の前の世界を捉え切ることはできない」
 「ある思索が一個人の思い込みを超えていると思えるのは、その思索が余白を残すからである。思索の果実が自己完結しており、ほかに考える余地がないと言われると、それは非常に胡散臭い」
 「始原的思索を試みる者は、誰よりも卓越した言葉の使い手だからこそ、言葉に惑わされてはならないのである」
 「仮に、光と網膜の関係性の原理と、レモン汁と舌の細胞の構造を明らかにしたとしても、それは、そのまま今日も発現する否定しようのない事実を自明視した上での知見に過ぎない。人工農園でレモンを栽培できるようになったとしても、その事実は変わらない。そこで行っているのは、レモンが勝手にこの世界に発現する事実から学んだ暁の条件整備である。人間がレモンを「造っている」わけではないのである。レモンを造っているのはレモン自身の歴史であり、レモンなる果実を生み出す地球の無限に豊かな条件における差異化の過程である」
 「寓話の文脈において概念を示せば、思索者は、その表現物が、あくまでも寓話における一解釈に過ぎないことを読者(次の瞬間の自分・不特定多数の他者)に知らしめることができる。その限りにおいて、思索は私個人がしているにもかかわらず、そこに他者を招き入れることができ、強い主張の思索が持つ窮屈さに陥らなくなる」
 さらにSさんのブログも読んで時刻は一一時半前。[https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005FGFC/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=diary20161111-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=B00005FGFC&linkId=5b040e4735d92518daa7e8c19568c5a9:title=Seiji Ozawa/Wiener Philharmonike『Dvorak: Symphony No.9 』]をヘッドフォンで掛け、ものを読む合間時々、目を閉じて耳を傾けていた。他人のブログを読み終えると第四楽章に入ったところだったので、瞑目し、椅子にじっと静止して聞き入る。激しい躍動感。優美な静と雄々しい動の対比。それからJohn Coltrane『Live Trane』の冒頭、"Impressions"も聞く。Coltraneは序盤は穏当に吹いているかと思いきや、じきにいつもどおり興が乗ってきて、鱗で鎧った龍のように細かくうねりはじめる。DolphyはやはりDolphyである。確かMiles Davisが彼のプレイを「馬のいななき」と評したのではなかったかと思うが、喋っているように聞こえることもある。一〇分以上の演奏に耳を傾けて、それから上階に行った。
 居間は無人。母親は仕事、父親は不明。玄関のほうに出ると、外から車の滑るような動作音が聞こえて、どこかに出かけていた父親が今しがた帰ってきたところらしかった。こちらは台所に入り、茄子を切る。水を張ったボウルに浸け、ちょっとしてからフライパンに油を引いて、チューブのニンニクを落とす。そうして茄子を投入。蓋を閉めて蒸し焼きにし、焼け具合を確認しながら熱していき、豚肉の切り落としも、面倒なのでそれ以上細かく切らないままに一パック分全部入れた。味付けは醤油。フライパンを使う一方で、豆腐を冷蔵庫から出して電子レンジで熱し、鰹節と麺つゆを掛けた。そうして料理が出来ると、丼に盛った米の上に炒めたものを乗せて、部屋から新聞を取ってきて一人食事を取る。記事は一一面、「アラブ民主化 「春」また巡る」。ジャンピエール・フィリユという教授のインタビュー。読み終えて食器を洗う。書き忘れたいたが風呂場を覗くと、何故か既に湯が張られてあった。こちらが部屋に籠っているあいだ、業者がやってきた時に確認のために焚いたのだろうか。
 洗い物を済ませて散歩に出ることに。玄関を抜けると父親がいたので、散歩、と告げて道を歩き出す。歩きはじめると同時に風が正面から駆けてきたが、冷たいものの寒くはない。日向が広い。道端の斜面から生えている櫛形の細い緑葉が、光を受けて金属的に、固くなったように明るんでいる。日向に入っていれば陽光が顔に密着してきて暖かい。頭にはSarah Vaughanの"Everytime We Say Goodbye"が掛かっていた。坂を上り、ムージルのことを考えながら、陽の射す裏道を行く。空は今日は快晴とは行かず、雲が薄く広く浸透するように掛かっている。脇の家の庭木の枝に、メジロの体の薄抹茶色が垣間見える。街道に一旦出て、通りを渡ってふたたび裏へ。風がふたたび走り、身体の全面が覆われて、水の壁に触れているよう。近くの家から鶏の声が立つ。保育園は無人だが、建物のなかから子供らの燥ぎ叫ぶ声が漏れ、道の反対側からは鵯の張り詰めた鳴きが落ちた。ポケットに手を突っ込みながらぶらぶらと駅まで行くと、駅前広場のベンチに座っている老婆がいて、まったく気配を感じず人がいると感知できなかったので、見つけた時には少々びくりとしてしまった。老婆は会釈をしてきたので、視線を逸らして通り過ぎかけていたこちらも遅れて頭を揺らし、駅前を渡って下り坂に入る。細い弦を弾くようなちっ、ちっ、という鳥の声が林のなかから落ちてくる。ガードレールの向こうでは濃緑の葉のそれぞれに隈なく、光の白さが散りばめられて[﹅7]いる。そこを過ぎてまた出てくるほかの木も、葉の上に隙間なく白糸を巻きつけたようになっている。坂を出て道を行くと、Kさんの奥さんがしゃがみこんでゴミ袋を縛っていたので、こんにちはと挨拶をして過ぎた。
 帰宅すると母親も帰ってきており、両親はこれから食事を取るところだった。弁当を一パック貰ってきたと母親は言う。それでそのなかに含まれていた干瓢巻を二つつまみ食いして、緑茶を用意して自室に帰った。そうして、John Lewis『Evolution』を流しながら日記をここまで綴って一時半。ではなかった、日記の前にポール・クルーグマンのインタビューやMさんのブログを読み、一二月二七日の書抜きも読み返したのだった。まあ記述する順番はどうでも良い、記録ができさえすれば良い。
 日記を綴ったあとは、上階で洗濯物を取り込む気配が出ていたので畳みに行ったのだったと思う。タオルや肌着を畳んで洗面所に運んだり、そのあたりにまとめたりしておき、それからアイロンを用意してシャツやハンカチの皺を伸ばした。そうして緑茶を用意し、Jules Destrooperのビスケットを二枚、ポケットに入れる。こちらが下階に下りるとほとんど同時に、両親は出かけて行った。行き先は先日おばさんが亡くなったY家である(明日が通夜、明後日が告別式だ)。こちらはそれからまず書抜きの読み返しを行い、合間に「ウォール伝」の記事も読み、一二月二五日の分まで読み返しが終わったので、この日の日記に新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』から記述を写しておき、それも読んで記憶することを試みた。重要だと思われるのは日米安保体制における沖縄の役割で、ベトナム戦争当時は岩国、佐世保、横須賀などの在日米軍基地からも軍隊が出動した。日米安保条約の第六条に関する交換公文では、日本からの戦闘行動は事前協議の対象になると規定されているのだが、明らかに「日本からの戦闘作戦行動」であるこれらの出動は、しかし協議の対象にされなかった(この事前協議は条約成立以来一度も行われたことがない)。日本の基地から沖縄への移動は戦闘作戦行動ではない、そして当時はまだ返還前だった沖縄は安保条約の適用対象外なので、そこからの出撃は事前協議の対象にはならないという、まあ詭弁と言うべき論理によってそうした事態が容認されたわけだが、このようにして「安保体制を外から強化する役割」を沖縄は担わされていた。有り体に言えば、アメリカの戦争のため、米軍が自由な軍事行動を行うために沖縄は利用されてきたというわけだろう。
 時刻は三時、読書を始めた。鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』から『三人の女』、そのうちの「ポルトガルの女」である。ベッドの上で身体に布団を掛け、前かがみに胡座を搔いたり、あるいはクッションによりかかったり、そして相変わらずメモを取りながら、五時まで読み続けた。最後のほうは部屋のなかに薄暗がりが忍び入っていたので、文字を読み取ったりメモを取ったりするのが難儀だった。「ポルトガルの女」が残り五頁ほどになったところで中断し、上階に行った。夕食の支度である。母親が米を磨いで用意していた。鍋を作ることになった。Queenのベスト盤をラジカセで流し、もう古くなった白菜を、色の変わっているところは省いてざくざくと切り、その他人参・牛蒡・大根も切って炒める。しばらくしてから水をいっぱいに注ぎ、煮はじめたところで、風呂を洗わなくてはならないことが判明した。業者が確認のために焚いたのを追い焚きすれば良いだろうと思っていたところが、父親が言うには、配管の洗浄なども行ったのであの水は汚れているとのことなのだ。それで風呂場に行って見てみると、確かにゴミや毛が含まれているので洗うことにして栓を抜いた。一旦台所に立って新聞を読みながら水がなくなるのを待ち、洗っていると、香典か何かを用意していた母親が台所に入って蟹を切断する。それを鍋に加え、さらにシーフード・ミックスも投入して煮続け、待つあいだはまた新聞を読んだ。記事タイトルについてはあとでメモしておこう。じきに母親が洗い桶のなかにレタスを千切ったので、それを引き継いで、玉ねぎや大根をスライサーでおろす。さらに卵を二つ剝き、簡易な機械で切り分けて合わせておき、鍋にもエバラ「プチっと鍋」(丸鶏塩ちゃんこ鍋)を二つ注いで味を付けた。それで仕事は仕舞い、自室に帰ると六時前、ふたたび読書である。「ポルトガルの女」を読了し、「トンカ」にも入ってしばらく読んだところで七時を迎えたので切り上げ、三〇分間でここまで日記を書き足した。
 上には書き忘れたが、読書のあいだにはJohn Zorn Masada『Masada: Alef』やJoni Mitchell『Blue』を掛けていた。後者は名盤と言うべきだろう――驚くべき透明感。そして日記を綴ったその後、食事を取りに行った。米・鍋・昼間に作った茄子の炒め物の残り・鮭・大根ほかのサラダである。サラダの大根がしゃきしゃきとしており、またキューピーの「すりおろしオニオンドレッシング」も美味く、おかわりをした。テレビは『ヒャッキン』だが、この番組に特段の興味はないので、時たま目を向けつつも、黙ってものを貪るようにして食べた。鍋は母親にやや薄味だが美味しいと好評だった。食事を終える頃、母親が、スルメイカを忘れていたと声を上げた。台所のオーブントースターのなかで熱してあったのだ。それで、それをもう一度加熱し、待つあいだに食器を洗っていると、炙られた烏賊の芳しい香りが漂ってくる。食器を片付けると両親の入っている炬燵テーブルに持っていき、マヨネーズを掛けて食べるのだが、熱してもかなり固いので何度も何度も咀嚼しなくては飲み込めないのだった。それで口に烏賊を入れたまま洗面所に行き、服を脱いで浴槽に浸かってからもしばらくもぐもぐとやっていた。頭を洗って風呂を出ると、緑茶をついで自室に帰った。ここまで書き足して現在八時半ぴったりである。上記で読んだ新聞記事というのは、それぞれ七面の、「壁を越えて 5 宗派融和 子供たちに託す 「イスラムは一つ」 共感呼ぶ」と、イアン・ブレマーのインタビュー、「危険な兆候 備える時 社会分断が加速 欧米でポピュリズム 日独仏など協調を」である。後者から気になった箇所を引いておくと、「トランプ氏を巡っては、米メディアの問題も深刻だ。テレビや新聞など主要メディアが社会の分断を加速させている。トランプ氏とメディアは、反発しながら依存し合っているという「いびつな関係」にある。視聴率を稼げるからといってトランプ政権のことしか報じない現状では、米国民は正しいニュースを提供されていないも同然だ。世界の様々な問題から目を背ける結果につながり、極めて不健全だと言わざるを得ない」とある。こうしたドナルド・トランプ一人に留まらない批判的な視点は重要だろう。ほか、「多国間協調に背を向けるトランプ氏は、ロシアのプーチン大統領北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長らとあたかも共同歩調を取っているかのようだ。従来の米国主導の「有志連合」とは対極にある。同盟ほど強固ではなく、大義を持たないという意味では国際政治における「海賊」のような存在に近いかもしれない」とのこと。
 以下、ムージルポルトガルの女」からの抜き出し。

  • ●288: 「しかし狂騒にたじろぐことなく眼を放てば、この音の抵抗はものの数でもなく、思うさま見はらす眼がやがてはたと驚き、くるめきながら眺望の底知れぬ丸みの中に吸いこまれるのだった」――「くるめく」。こちらの語彙にはなかった言葉。
  • ●288~289: 「ケッテン殿は代々苛烈かつ緻密の性格をうたわれていた。(……)幾年幾百年を通じて、それがどういう人物だったにしても、褐色の頭髪や髭に時ならぬ白髪をまじえ、六十路[むそじ]の声をきく前に世を去ったという点では、彼らはすべて共通していた。また、彼らのしばしば見せた途方もない力が、中背の華奢な肉体からわきでるのでもなければ、そこに居をさだめているのでもないということ、むしろその力は眼と額から発するように見えるということ、この点においても彼らはみな同じようだったという」――代々の「ケッテン殿」の共通性、同一性。
  • ●290: 「相変わらず彼女は、その所有するおびただしい真珠の首飾り同様に神秘的だった。たかの知れた代物、この隆々たる手の上にのせれば、豌豆[えんどう]のようにひねりつぶすこともできようものを、と彼は妻のかたわらに馬を進めながら胸のうちでつぶやいた」――「ひねりつぶす」。→●三宅誰男『亜人』、26~27: 「大広間の頭上をぐるりととりかこむ吹きぬけの回廊をゆく途中、大佐はしばしば祖先の頭蓋を覆う鉄兜の陰に身をひそめながら眼下の光景をながめやった。ここから太刀を投げつければその盲目的な歩みもたちどころに途絶えるものを、その首ねっこ、ひねりつぶしてやろうか!」
  • ●290: 「少年のように素はだかの、日ざしのきびしい日々がまためぐってくると、冬の夢まぼろしがたちまち片隅に押しやられてしまうようなものだった」――音調が良いように感じたが、今抜き出してみるとそうでもないかもしれない。
  • ●291: 「森の中には鹿や熊や、猪や狼がいた、ことによると一角獣も棲んでいるかもしれなかった。(……)森が切れて山なみがひろがるその上の方では、精霊の国がはじまっていた。そこには魔神どもが嵐や雲とともにたむろしていた」――ファンタジー的な要素。
  • ●292: 「二日後には彼はふたたび馬上の人となっていた」→●『亜人』17: 「敵船上陸の報せが夜目の利く伝書鳩によって館内にもたらされたとき、大佐は太刀を片手にだれよりもはやく馬上のひととなった」。
  • ●292: 「十一年たって、彼はやはり鞍にまたがっていた。トレント奇襲は準備不足のために失敗し、緒戦にしてすでに騎士側は三分の一以上の従卒となかば以上の血気を喪失した」――突然の大きな時間の飛躍。素早い展開。しかし、直後の文では「緒戦」にまで時間が巻き戻っているわけで、ここにあるのはガルシア=マルケスなども使う「先取り」の技法だろう。→●294: 「気長に待てば、めったにないことがひょっとしたら起きるかもしれないのだ。彼は十一年待った」――ケッテンの主の負傷や戦闘の状況などが語られたあと、ここに到って、十一年後の時間がふたたび提示される。
  • ●296: 「豪奢な服のスカートは無数のひだになって渓流のように流れ落ち、静かにすわっているその人の姿は、吹きあげてはまた自分自身の中へ落下する噴水のようだった。魔法か奇蹟によらずに、噴水を救済することができるだろうか。噴水が、われとわが身をになうそのたゆたいから、完全に脱けだすことができるだろうか? この女を抱きしめれば、突然魔力的な抵抗の一撃を見舞われるかもしれなかった。実際はそんな事態にはならなかったが、しかしやさしさとは、抵抗以上に無気味なものではなかろうか?」――「噴水」の比喩を受け取って、それを「救済」するなどと言い出す。突然の観念的な記述。意味がよくわからない。「やさしさとは、抵抗以上に無気味なものではなかろうか?」のアフォリズムは印象的。
  • ●297: 「ところで、彼女の城内の取りしきりは、なげやりだがそつはなかった。息子たちは――だが長男も次男も海を見たことがない、それが彼女の子だったろうか? 息子たちが狼の仔でもあるかのような気が、ときどきした。ある時一匹の狼の仔が森から生けどりにされてきた」――「ところで」の文以下、「ポルトガルの女」の「城内の取りしきり」について詳述されるのかと思いきや、そうではなく、「息子たち」にすぐに話が移る。しかもそれは、「息子たちは――」と何かを言いかけたところで「だが」とその発言を打ち消す形になっており、突然彼らが「海を見たことがない」事実が提示される。この場で思いついたことを即時的に導入してみたかのような風である。「彼女の子だったろうか?」の疑い、息子らが「狼の仔」であるかのような錯覚、その直後の「生けどりにされ」た狼の仔の導入も、連想的に綴られているのではないかという気がする。全篇を通して緊密に、実に順序良く語られているこの小説のなかで、ここだけリズムに「つまずき」のようなものがあると言うか、不思議な感じがする箇所となっている。
  • ●299: 「この新しい傷は奇妙に痛んで、どうにもこらえるすべがなかった」→「こらえようのない痛みも奇妙だったが、その後の病状の経過も、ふつうの病人のそれとは似ても似つかぬものだった」――「奇妙」さ。→●304: 「奇妙な経験が彼をおそった。彼をつつんでいた病気の霧の中では、妻の姿が実際よりやさしくほのかに見えた」――しかし最も「奇妙な経験」は、三〇一頁の、ケッテンの頭蓋が何故か小さくなるという、物理法則に反した出来事ではないだろうか?
  • ●300: 「ケッテンの主と彼の月夜の妖女は、この肉体から脱けだして、静かにかなたへ遠ざかっていた。まだ姿は見えた、数歩大股で追っていけば、追いつくことができるだろうとはわかっていた、ただ彼には、自分がもうその二人と同じ世界に属しているのか、まだここにいるのかわからなかった」――「月夜の妖女」。何を指しているのか不明。また、「この肉体」、「彼」はケッテンを指しているわけだが、そこから「ケッテンの主」と「月夜の妖女」の「二人」が「脱けだして」行くわけで、「月夜の妖女」はケッテンの内部に存在していたものであるらしい。そして、その二人と(つまりケッテン自身と)ケッテンのあいだに分裂が起こっている。
  • ●300: 「ベッドにはこびもどされた時、彼は弩をもってくるように命じた。弓を引きしぼることもできないほど衰弱しているのを知って、彼はわが身にあきれはてた。従士を手招きして弩をわたし、命じていった。狼。従士がためらったので、彼は子どものように腹を立てた。その日の晩には狼の皮が城の中庭にかかっていた」――なぜケッテンが狼を殺したのか、その理由や彼の心理は書かれていないし、推測するよすがとなる情報もない。「理由不明」である。「グリージャ」ではグリージャの心変わりが一つの「謎」となって彼女の「他者性」を形作っていたが、ここでは男であるケッテンの主の内に「見通せなさ」が含まれている。この技法を受け継いだのが磯崎憲一郎古井由吉だろう。
  • ●301~302: 「三人でいた時、妻がいった、「まあ、頭が小さくなって!」(……)そもそも頭蓋骨が小さくなるなどということがあるだろうか? (……)しかし疑う余地はなかった、頭は小さくなっていた」――「説明のつかぬ」事象。物理法則に反しているのだが、「疑う余地」がなく「頭は小さくなっていた」と書かれている以上、この小説内においては確かにそれが起こっている。これが言わば蓮實重彦の言葉を借りれば「テクスト的現実」であり、どれだけ不可思議であったり説明がつかないことであったりしても、あることが起こったと書けば確かに起こってしまう、それが小説の、言語の持つ「破廉恥さ」である。磯崎憲一郎『終の住処』にも、蓮實重彦『随想』からの孫引きになってしまうが、「食事からの帰り道、空には満月があった。この数ヶ月というもの、月は満月のままだった。どんなときでも、それはもちろん夜に限ってではあるが、彼が空を見上げればそこには満月があった。月は自らの力で銀色に輝き始め、不思議なことに雲よりも近く手前にあった。しかも彼以外の誰にも気づかれぬくらい密やかに、ゆっくりと、大きくなっていた」という似たような「説明のつかぬ」事象が書き込まれている。
  • ●304: 「ほかに何ごとも起こらぬ以上は、奇蹟の起こらぬはずがないような気がした。運命が口をつぐんでいたい時に、語ることを強いてはならない、やがておとずれるものを待ちうけて、耳をすまさなくてはならないのだ」――「運命が」以降は格好良い。また、「奇蹟」のテーマ。→●296: 「魔法か奇蹟によらずに、噴水を救済することができるだろうか」→●297: 「全力をかたむけて対抗している司教のことを考えると、思いの糸は長くむすばれてもつれからまることもしばしばだった。奇蹟だけがこの糸を解きほぐすことができるような気がした」
  • ●305: 「愛撫する指に小さな爪で子どものようにむかってくるこの小さな生きものに、ポルトガルの女はやさしく身をかがめた。若い友だちは笑いながら、猫とそれを抱いた膝の上へぐっと身を乗りだした。この他愛のないたわむれは、ケッテンの主に自分の癒えかけた病気を思いださせた。病気が死のやさしさを秘めたまま、この動物に姿を変えたのだ、しかもただその体内にやどっているばかりではなくて、この二人のあいだに介在しているのだ、そんな気がした」――勘所と思われるが、その意味の射程が掴めない。ケッテンの「病気」が猫に姿を変え、それによって「ポルトガルの女」と「若い友だち」の関係が保たれている?
  • ●307: 「三人の誰もが、現世からなかば解脱したこの小さな猫にやどっているのは、自分自身の運命なのだ、と思わずにはおられなかった」――上と同様。猫は「従士」によって殺されてしまうわけだが、それが「ポルトガルの男」の死をも暗示しているのだとしたら、彼は猫と同じように自分が殺されるということを予感して、月の出とともに城を去ったということになるだろうか? しかし、ほかの二人の「運命」については?
  • ●307: 「ポルトガルの男は、試練に耐えてでもいるように頭を低く垂れ、それから、女友だちにむかっていった、どうしようもないでしょう。このことばは、いった当人にも、われとわが身にくだされた死刑の判決を承認したようにきこえた」――上の推測を補強しそうな部分だが、そうした穏当な読みで良いのか、果たして。
  • ●307: 「従士は病んだ猫を自分の部屋へもっていった。翌日、猫はどこにもいなかった。誰もどうしたかとたずねなかった。従士が猫を殺したことはみなが知っていた」――猫は「従士」によって殺される。これよりも前に出てくる「狼」もまた、「従士」に殺される。二つの「従士」が同じ人物なのかどうか、それは知るすべがないが、ともかくもどちらも「従士」に殺されるわけで、猫の死は狼の死を反復している。
  • ●307: 「しるしはたしかに示されていた、だがそれをどう解いたらよいのか、何がおこるというのか?」――ここも重要なポイントだろうが、やはり意味の射程が良くわからない。「しるし」とは何のことを指しているのか、猫の死のことなのか?
  • ●308: 「少年のころ彼は、城の下にある登攀不能の岩壁を、一度よじ登ってみたいと始終思っていたものだった。これは気ちがいじみた、自殺にひとしい考えだったが、神の裁きか到来真近の奇蹟のように、茫漠とした感情をとりこにしてしまった」――「奇蹟」のテーマ。

 「ポルトガルの女」は傑作と言うべきだろう。個々の文の修飾や表現、つまり文体にしろ、語りの順序・配分にしろ、隅から隅まで実に緊密に構成されていて、ほとんど完璧だと言いたいほどである。対して、「グリージャ」を自分は「傑作」とか「完璧」とかいう言葉で形容することはできない、あれはまさしく「奇妙な」と言うべき作品となっており、普通の「小説」として、「傑作」として書かれることを目指していないように思われるのだ。「ポルトガルの女」のほうは、大枠では小説として正当な路線を継いでいると言うか、観念的な記述もあるけれど、物語としてのリーダビリティも充分に兼ね備えていると思う。終盤に関しては意味の射程を読みきれなかったので、それは今後の再読に委ねたい。
 続いて、「トンカ」のなかからの抜書き。

  • ●310: 「とある生垣のほとり。一羽の鳥がさえずった。と思うと太陽は、もう藪かげのどこかに姿をかくしていた。鳥の歌がやんだ。夕方だ。百姓娘たちが歌をうたいながら野をこえてきた。こんな書きかたはくだくだしいか? だが、このような一部始終が、まるで服に取りつくいが[﹅2]かなんぞのように、人の心にまつわりついてはなれないとしたら、それは些細なことだろうか? それが、トンカだった。無限というものは、しばしば、ひとしずくずつ滴り落ちるものである」――書き出しの段落。「こんな書きかたはくだくだしいか?」と自己言及(自己批判)がある。この小説の語り手は、自意識を持っており[﹅9]、ただ物語を過不足なく語るのみの透明な存在ではなく、しばしばその姿を露わに示している。/この一段落の全体としての意味はあまり判然としない。「無限というものは(……)」の唐突なアフォリズムとその前との連関も良くわからないが、この一節はそれだけ抜き出しても威力を持つ、印象的なものである。
  • ●310: 「彼が柳の木につないでおいた、葦毛の馬のことも、言い落としてはなるまい」――ここでも語り手は姿を現している。まるで自分に言い聞かせているかのような口振りである。→●312: 「家のことも忘れてはなるまい」
  • ●312: 「十六歳になったトンカが、あいも変わらず平気で従姉ユーリエといっしょにふざけていたのは、不品行に対する無知というべきだろうか、それとも、不品行を感じとる繊細な情感が、すでに磨滅しつくしていたのだと考えるべきだろうか? どのみち彼女の責任ではないが、それにしてもなんと特徴的なことだろう!」――エクスクラメーションによる「感嘆」。ここで語り手は自分の語る物語内容に言わば評価を下しており、やはりただ物語を語るだけの存在とはなっていない。
  • ●312~313: 「彼と知りあうようになってようやく、この印象が常軌を逸していたということに彼女は気づいたのだった。ところで、彼女の本当の名前はトンカではなく、ドイツ風のれっきとしたアントーニエという洗礼名があった。(……)」――突然の話題転換。トンカの名前について説明されるのだが、ここでなくてもほかにいくらでも置くのに適した場所がありそうなもので、この書きぶりも「グリージャ」と似たような「奇妙さ」を与える。
  • ●313: 「だが、こんなことを考えてみたところで、どうなるというのか。あの日、彼女はただ生垣のそばに立っていただけなのだ」――段落替えを挟んで上記に続く部分で、ここでも語り手は自分の語った内容に自ら疑問を呈している。よく覚えていないが、磯崎憲一郎もやはり、こうした自らに対する「突っ込み」のような声を小説内に取り入れていたと思う。
  • ●313: 「本当のことをいうと、彼がはじめて彼女に会ったのは、ある石造りのアーケードのある大通り、「リング」でのことだった」――奇妙な箇所。なぜ最初から「本当のこと」を語らないのか? 上記の「生垣のそばに立っていた」時点が先に来て、読者は当然そこが「彼」とトンカとの最初の出会いだと思って読むが、実はそうではなかったのだ。引用部分で「語り直し」が行われている。それで見てみれば確かに、上記部分では「彼」とトンカが初めて出会ったとは書かれていない。
  • ●314: 「彼女の顔は整ってはいなかった。しかしその表情には何かしら明確な、きっぱりとしたものがあった。顔全体のバランスがとれている時にのみ魅力的に感じられる、あのこせついた狡猾な女らしさは、この顔の中にはどこを探してもなかった」――「顔全体のバランスがとれている時にのみ魅力的に感じられる、あのこせついた狡猾な女らしさ」。的確な表現。
  • ●314: 「この記憶は確かだった。すると彼女はその頃は反物問屋に勤めていたわけだ。(……)これは夢ではなかった。彼女の顔ははっきり心にうかんだ。(……)」――奇妙な箇所。「この記憶」は誰の記憶なのか? 勿論「彼」のものなのだが、語りの位相がはっきりしないと言うか、「彼」に寄ってその視点と同一化しているようでもあるし、同時に距離を置いているようでもある。「これは夢ではなかった」も奇妙。語られている内容に自信が持てない? 「彼」の記憶が曖昧なのだろうか。
  • ●314: 「そして今、過去の霧をすかして、現実にあったことがはっきり見えるこの時、彼自身の母親の微笑、彼に対する同情と軽蔑にみちた、疑わしげな、傍観者的な微笑が心にうかびあがってきた。(……)そしてそれから、新婚の夜々のことが思いだされた(……)」――「彼」が「今」の時点から、回想をしていることがここで明らかになるわけだが、この「今」「この時」とは一体いつであり、「彼」はどこにいるのか?

 まだ六頁しか読んでいないのだが、「トンカ」は妙に引っ掛かるところが多い。もしかしたら、「グリージャ」以上に奇妙な小説となっているのかもしれない。この二篇と比べれば、「ポルトガルの女」は、まだしも言わば「普通の」小説としての範疇にあり、その範囲で高い完成度を達成していると思う。ところでそれにしても、今、腹が刺されたようにしくしくと痛むのだが、まさか盲腸か何かだろうか。
 しばらくTwitterを覗いたり歯磨きをしたりしたあと、一一時半から書見。ムージル「トンカ」。時折りTwitterを見ながら二時半過ぎまで三時間。エクスクラメーションを用いて大袈裟な感嘆が示されたり、クエスチョンマークによって疑問が提示され、それに自問自答的に答えることによって語りが進んで行く感じなど、いかにもムージルらしいという感じがする。「!」と「?」の数は『三人の女』三篇のなかで一番多いのではないか。
 「トンカ」を読み終えるべく、三時頃まで夜更かしをしてしまおうと思っていたのだが、二時半で眠くなったので力尽き、読了はできなかった。それよりも前、一時半には小腹を満たしに上階に行って、台所の電灯を点け、夜の静寂のなかで音をなるべく立てないように皿を片付け、そのあとからラップを敷いておにぎりを作った。戻ってベッドの上でそれを食いながらさらに読み進め、二時半に到って歯も磨かずに就床したというわけだ。眠りに苦労はしなかった。


・作文
 7:52 - 8:18 = 26分
 8:34 - 10:00 = 1時間26分
 13:02 - 13:31 = 29分
 19:04 - 19:31 = 27分
 20:23 - 22:45 = 2時間22分
 計: 5時間10分

・読書
 10:03 - 11:22 = 1時間19分
 12:39 - 13:02 = 23分
 13:59 - 14:18 = 19分
 14:34 - 14:59 = 25分
 15:03 - 16:56 = 1時間53分
 17:52 - 19:00 = 1時間8分
 23:27 - 26:33 = 3時間6分
 計: 8時間33分

  • 2018/1/8, Mon.
  • 2016/8/29, Mon.
  • 琉球新報「土砂投入海域のサンゴ移植ゼロ 辺野古、首相は「移している」と答弁」
  • 「思索」: 「気分と調律(8)」; 「気分と調律(9)」
  • 「at-oyr」: 「三日目」; 「出勤」; 「公園通り」; 「プレイタイム」
  • WEBVoice: ポール・クルーグマン「消費増税は景気回復を妨げる ポール・クルーグマン氏が語る日本経済の未来」
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-06「感傷は錆びた道連れくそったれ言葉は鉄におれは潮に」
  • 2018/12/27, Thu.
  • 2018/12/26, Wed.
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「新年二発目。」
  • 2018/12/25, Tue.
  • 2019/1/8, Tue.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』: 288 - 346

・睡眠
 0:20 - 6:50 = 6時間30分

・音楽

  • Scott Colley『The Magic Line』
  • Seiji Ozawa/Wiener Philharmonike『Dvorak: Symphony No.9
  • John Coltrane, "Impressions"(『Live Trane - The Europern Tours』:#1-1)
  • John Lewis『Evolution』
  • 『John Mayall & The Blues Breakers with Eric Clapton
  • John Zorn Masada『Masada: Alef』
  • Joni Mitchell『Blue』
  • Joni Mitchell『Hejira』
  • Joni Mitchell『Shadows And Light』
  • Jose James『No Beginning No End』

2019/1/7, Mon.

 まだ部屋の暗い五時台に一度、覚めている。その次に目覚めたのが七時四〇分だった。カーテンを開けると、窓に切り取られた空に雲は一片も見えず、すっきりとした青さに満たされていて、昨日は日中雲が湧いたが今日はまた快晴が戻ってきている。ベッドを抜け、ダウンジャケットを羽織って上階へ行った。母親に挨拶をして、前日の残り物(葱と玉ねぎを混ぜた鶏肉のソテー、玉ねぎと椎茸と卵の味噌汁)で食事を取る。ものを食べながら新聞をめくるが、特段に興味を惹かれる記事は見つからない。味噌汁をおかわりして小鍋に残っていたものを払ってしまい、食べ終えると抗鬱薬を飲んで皿を洗った。そうして、母親と協力して洗濯物を干し、仏壇に供えられた花の水も取り替える。それから緑茶を用意していると、母親が、今日T子さんは「そうは」の手術をするのだと言う。掻爬なんて難しい言葉よく知ってるじゃん、搔き出すってことでしょ、難しい字だよねと笑うと(こちらは多田智満子の詩集でこの語を知った)、書けないけど、だって中絶で、掻爬の手術とかよく言うじゃんと母親。T子さんは第二子が残念ながら腹のなかで亡くなってしまったので、その「御遺体」を取り除く手術をするわけなのだ。そうして緑茶を持って下階に戻り、コンピューターを点けて前日の記事を僅かに書き足し、投稿。読んだなかから気に掛かった箇所は断片的な文言とともに読書ノートに書き記しており、その部分をいちいち写してコメントを付していたので時間が掛かり、文量も二万六〇〇〇字と馬鹿みたいに長くなってしまった――果たしてこんなものを、好んで読んでくれる人がいるのだろうか? しかし読書ノートに細かく記録を付けながらゆっくり読んでいると、いかにも精読しているという感が湧くものだ――だからと言って、そこから大した考察も生まれてはこないのだけれど。ヘッドフォンをつけて音楽を聞きながらここまで日記を綴って、現在は九時過ぎを迎えている。
 上階に行った。洗面所に入って立てかけられていた掃除機を取り出し、動作音のなかでQueen "Crazy Little Thing Called Love"を口ずさみながら、居間から台所から玄関まで埃や卵の欠片を吸い取った。それから玄関を開けて外を見たが、落葉ももうシーズンが終わったか、ほとんど散っていなかったので掃除はせずとも良いだろうと判断した。そうして自室に戻り、ベッドに乗って読書。鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』から「愛の完成」の続き。まだ低い太陽が顔の左側に光線を送りつけてきて、頁の上にもそれは掛かり、右側の頁が明るむとともにその三分の一ほどまでは左頁の影で覆われる。空にあるのは太陽と青の色だけで、ほかに視線の縁[よすが]となる何の存在も見られない。BGMはChris Potter『Traveling Mercies』。一〇時頃、母親が部屋にやって来て、Yのおばさんが亡くなったと知らせた。九日が通夜、一〇日が告別式だと言う。これで母親は、一〇日に兄夫婦を見送りに成田まで行くはずだったところが、それができなくなったわけだ。お前ももし良かったら、と言うのだが、自分は出なくても良いだろうとこちらは受けた。それほど親[ちか]しい関係だったわけでもないし、息子さんともほとんど会ったこともない。それからしばらくすると今度はベランダに続く窓がとんとんと叩かれるので、鍵を開けて布団を二枚、毛布と薄いものだけ干した。一番外側の掛け布団は身体に掛けておきたかったのだ――そうすれば暖かいし、本を載せて読みやすくもなる。一一時半過ぎまで読み続け、「愛の完成」を読了した。傑作と言うべきだろう。「静かなヴェロニカの誘惑」よりはわかりやすかったが、しかしまだまだこの小説の真価を読み切れていない感じはする。いずれ岩波文庫の新訳で読み返す必要があるだろう。「ヴェロニカ」のほうは全然よくわからなかったのだが、しかしやはりバーナード犬の胸のあたりの描写は素晴らしかった。「愛の完成」のあと、そのまま『三人の女』の「グリージャ」にも入っていると母親が来て、唐揚げを揚げてくれと言う。すぐに了承して上階へ行き、台所に入った。調理台の上には既にボウルのなかに切り分けられた鶏肉が入れられ、味付けがなされていた。そこに天ぷら粉を足し、水を少量入れて混ぜ、古い油の残っていたフライパンのほうには梅干しを入れて熱し、毒気を抜く。ほか、エリンギも切って茸のほうから揚げはじめた。ラジカセで『ボヘミアン・ラプソディ』のサウンド・トラックを流し、Queenの曲を口ずさみながら進める。終わった頃には米もちょうど炊けて、揚げ物が温かいまますぐに食事にすることができた。ほか、里芋の煮物、大根とトマトのサラダ、ピザパン、前日に買ってこられた焼き鳥。Y家について母親と話しながら食事を取り(息子さんのお嫁さんが、義母が死んだと言うのにその片付けをまったく手伝おうとしないらしかった)、皿を洗って、下階に戻るとキーボードに触れはじめた。ちょっと書き足してから緑茶をつぎに行く。すると母親が、昨日T子さんから貰った菓子を食べるかと言うので、Jules Destrooperのビスケットを三枚貰って自室に帰った。そうしてここまで書き足して一二時五〇分。図書館に出かけようかと思っている。
 風呂を洗うのを忘れていたので洗いに行った。それから自室に戻ってくると、日記の読み返しを行った。まず一年前、二〇一八年一月七日。紙のノートに取った断片的なメモを写したなかに、「日記("水星"反復されて集中できない)」とある。頭のなかの自生音楽の程度が甚だしく、気を逸らされていたようだ。自生音楽は今もあり、折に触れて自分の脳内では音楽が自然に想起されているのだが(自分の頭というのは、音楽が鳴っているかそうでなければほとんど常に何らかの独り言=言語が湧いているか、そのどちらかである)、以前のようにそれに恐怖を覚えるとかいうことはなくなって、生活の一部として受け入れている。
 その次に、二〇一六年八月三〇日。『失われた時を求めて』を読んでいる。一つ素晴らしいと言って日記内に引用している部分があって、読み返してみてもやはり良かったのでここにも改めて引いておく。

 この日写したなかにはとりわけ素晴らしいと思われる箇所が一つあって、それは例の、スワンがオデットに会いたくてたまらなくなって夜の通りを彷徨い、ついに遭遇できたあとの馬車のなかで、胸元に挿されたカトレアの花を直すことを口実にして彼女を「ものにする」一夜の場面、その接吻の直前の一段落なのだが、スワンは自分が触れてその「肉体を所有」する以前の、最後のオデットの姿を記憶に残しておきたいとその顔をじっと見つめるのである――自分が「まだ接吻すらしていない」恋の相手の「最後の見おさめ」などという発想は、(実際に濃密な恋愛を経験した者からするとこうした心理はあるいはありふれたものなのかもしれないが)自分が恋愛小説を書くとしてもどうあがいても思いつけないものだと思われて、読んだ時にも勇んでページをメモしたし、今回書き抜きながらも再度びっくりさせられた。件の一節は次のようなものである。

 彼はもう一方の手を、オデットの頬に沿って上げていった。彼女は、物憂く重々しい様子で、じっと彼を見つめたが、それはかねがね彼がよく似ていると思っていたフィレンツェの巨匠の描く婦人たちの目つきだった。彼女らの目のように大きく切れ長で、きらきら光っているオデットの瞳は、飛び出さんばかりに瞼の縁まで引き寄せられて、まるで二粒の涙のように今にもこぼれ落ちそうに見えた。フィレンツェの巨匠の婦人たちが、宗教画のなかでも異教の情景のなかでもみなそうやっているように、彼女も首をかしげていた。そして、たぶん彼女のいつもの姿勢なのであろうか、このようなときにふさわしいことを心得ていて、忘れずにそうするように気をつけている姿勢をしながら、まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く、スワンの方が彼女の顔を両の手にはさんで、少し自分から離してそれを支えた。彼は、自分の思考が大急ぎでそこに駆けつけて、こんなに長いこと温めてきた夢を認め、その夢の実現に立ち会えるように、その余裕を与えてやりたかったのだ――ちょうど親戚の女性に声をかけて、彼女がとても可愛がっていた子供の晴れの舞台に列席させるように。おそらくまたスワンは、まだ肉体を所有していないオデット、まだ接吻すらしていないオデットの、最後の見おさめにと、あたかも出発の日に永久に別れを告げようとしている眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする人のように、その視線をじっと彼女の顔に注いでいたのだろう。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』集英社、一九九七年、 94~95)

 ほか、次の描写がなかなか良かった。

 頭上広くはスポンジのようにしっとりとした薄灰色の雲が敷かれているのだが、市街上空の一角でそれがほつれて、横に棚引く雲の有り様が露わになり、そのところどころが埋めこまれた電球によって内側からぼんやり照らされているように、茜色と橙色と薄紫色の三方から等しく距離を取ってその中心に収まる微妙な色合いで染まっているのだった。

 

 三時前まで二時間四〇分ほど、何物にも――眠気にさえ――妨げられることなくひたすら文字を追った。両親は既に寝付いており、時折り何かに苦しむように発される父親の呻きもこの日は聞こえず、家のなかには何の身動ぎの気配もなく空気が停滞していて、外からは青みがかった硝子色の虫の音が響いているが、それが海の表面を滑って行き来する漣のように間断なく、また立つ種の声もほとんど定期的なまでに一定の調子で立ちあがるため、一つのシーケンスを切り貼りしてループさせたコンピューターミュージックのように、延々と同じものが反復されているように聞こえて、動き進んでいるものと言えば目前に文字として迫る本のなかの世界だけのように思われるのだった。まるで現実は凍りついて時間が流れていないかのようなのだが、実際には勿論時計の針が一刻も休まない勤勉さでその歩みを進めており、この夜に囚われているあいだに本の終わりまで貪り読みたいというこちらの望みなどお構いなしに、朝と夜の分水嶺めいた午前三時の一点を越えようとするのだ。

 また、「読書中もそうだったが意識が冴えきっており、そのために頭が痛いかのようで、瞑想をして脳内を回したためか横になってからも思考が高速で回転して止まらなかった。その空転は何ら有効な考えには辿り着かずに、ただ無秩序に次々と、意味を構成しない言葉や声やイメージを増幅させ、氾濫させていく。それを前にしていると永久に眠くならないかのようで、視界から溢れ出るようにして押し迫ってくるそれらの圧迫感とまともに向かい合うのが嫌がられて、こんな状態を何度も続けたら自分は狂うのではないか、そのうちに統合失調症にでもなるのではないかと不安になったが、狂ったところで今度はその狂いを書き記すだけだと虚勢を張って、窓外の虫の声に意識を逸らした」とある。ここに書かれてある通り、それから一年と半年ののちには統合失調症的な度を越した自生思考に襲われるわけで、一種の予言のようだ。これを見ても、自分の頭は元々自生思考的だったと言うか、病前にあっても常に脳内で独り言を言っているような状態だったのがわかる。昨年初頭の変調はしかし、その動きが激しくなりすぎたことと、それに恐怖を覚えるようになったことが病的だったのだ。
 日記の読み返しを終えると時刻は一時半前、出かけることにした。Queen "Staying Power"を流して服を着替える。『Hot Space』Queenの作品のなかでは一種問題作と言うか、らしくないとしてあまり評判が良くないのではないかと思うが、ディスコ風味のこの曲はなかなか佳曲ではないか。間奏の勢いなど結構なものだ。服は濃紺と灰色のシャツに下は星模様が散ったベージュのズボン、そうしてモッズコートを羽織った。面倒だったので歯は磨かず、リュックサックに荷物を入れ、寝癖を直すのも面倒だったので帽子を被って上階に行くと、テレビには安藤奈津が出演しており、タブレットで彼女の情報を検索したらしい母親が、安藤奈津も一三年間、鬱病だったんだってと言う。ほか、犬養毅の「妾」(古めかしいような言葉だ)の娘なのだとか何とか。
 出発。道の上には日向が広く掛かっている。坂。正面から寄せてくる風が、清涼と言うにはやや冷たい。坂途中の家は今日も布団を干していた。頭の内には、先ほど流した"Staying Power"が流れている。街道前の梅の木が、色付きの豆電球のようにピンク色の花をつけていた。通りを渡ると、車の途切れた隙の静けさのなかに、竹の葉がさらさらと風に撫でられる音が忍び込む。街道を歩いていても正面から風が走ったが、いくらか歩いて身体が温まったのか、ここでは乾いて軽く冷たくもなく、清涼そのものだった。空は未だ雲の一つもその存在を許さない快晴、目から飲めるような清澄な青さがどこまでも広がっている。裏道に入る。後方からやってくる自転車の、タイヤの回転する音に耳を張りながら、病前のような集中力、まさしくムージルでもないけれど異界を幻視しようとするかのような、事物の裏にあるものを見通そうとするような、何かの訪れを深々と待ち受けるかのような集中力はやはりもうないなと見た。瞑想によって時にそうした集中力を獲得していたのだが、上の引用からも推測されるように、そのような精神の働きを鍛えすぎたことによって変調を招いたのではないかという気がしないでもない。何事もほどほどというものだろう。それで言えば今は読み書きへの欲望が以前よりは緩くなって、気負いがなくなった分、また変調以来の身体の変化で何だかあまり疲れなくなったから、かえって怠けることがなく病前よりも多くの時間を読み書きに充てられているようである。裏通りの途中では二箇所で工事をしていた。一箇所は青梅坂に出る前、ここでは工事夫がマンホールの蓋を開けてしゃがみこみ、そのなかを覗き込んでいた。もう一箇所は市民会館跡地の裏、ここでは路上の端が開けられて溝になっており、ショベルカーがそのなかから土を掘り出していた。
 駅。ホームに出て、停まっている電車の二号車、三人掛けに乗る。河辺まで二駅、数分しかないが、本を取り出して「グリージャ」を読み進める。発車してしばらくすると、線路が曲がって電車の向きが変わるのに応じて、床の上の光の矩形が緩慢に、忍び足のように滑って移動し、頁の上にも光と影が斜めに流れて行く。河辺で降車、便所に寄って放尿してから改札を抜け、図書館へ。カウンターでCD三枚を返却。そうしてCD棚へ。新着にめぼしいものはない。ジャズの区画を見ると、シーネ・エイがあって、バックの面子がJoey BaronにScott Colleyと豪華である。これは少々聞いてみたい気がする。ほか、借りるとしたら大西順子エスペランサ・スポルディングあたりだが、カードを忘れたのでこの日は見送った。そうして上階へ。新着図書、笙野頼子の作品や、『ユダヤ人の歴史』というものがある。それらを確認したのち書架を通って窓際に出たが、席は空いていない。フロアを辿り、テラス側に出てみてもわりあいに混んでいるものの、一応空いているところがあったので入った。荷物を置き、ストールを首から取り、コートも脱いでコンピューターを用意する。ソフトの起動を待つわずかなあいだも本に目を落とし、Evernoteが用意されると日記を書き出した。BGMはAaron Parks Trio『Alive In Japan』。ここまで書き足して、三時直前となっている。それでは以下に、先の読書の時に気になった箇所をメモしておこう。

  • ●242~243: 「自分の内には、行為には表わされず、また行為からは何ひとつこうむらぬものがある。言葉の領分よりも深いところにあるので、おのれを弁明するすべも知らぬ何か、それを理解するためには、まずそれを愛さなくてはならない、それがおのれを愛するように、それを愛さなくてはならない何か、ただ夫とだけ分かちあっているそんな何かが自分の内にあることを、彼女はこうした沈黙を守っていると、いよいよ強く感じた。それは内なる合一だった」――夫との「内なる合一」。彼女の内には明言できない「何か」があり、それは表面には顕れず、表面的な事柄からは何の影響も受けない。言語はそれに届かない。
  • ●245: 「目の前に立つこの男は醜いまでに凡庸な精神の持ち主だという意識が、彼女の心から一度に消えた。はるか遠い野面に立つ心地に彼女はなった。まわりにはさまざまな音が宙に立ち、空には雲が静かに浮かんで、それぞれおのれの場所と瞬間に耽りこんでいる。彼女ももはやそのような雲、そのような音、ただ渡り行くもの、鳴り響くものにほかならない……。獣たちの恋を彼女は理解したと思った。雲や物音の恋を」――男の「凡庸」さの消失。しかし匿名性は変わらない。この参事官はほとんど個性を持たない人物で(外見の情報は「髭」と「輝き出た片方の目」のみだし、人格的な部分ではいくつかの発言と、「如才のない受け答え」をするということくらいだ――「如才のない受け答え」などというのはしかもむしろ、没個性の証ではないのか?)、クラウディネは彼が彼であるそのこと故に彼に身を任せるのではない。最終盤では、参事官自身を愛しているのではなく、「参事官さんのそばにいること」、その「事実」、「偶然」を愛している、と彼女は述べている。
  • ●245: 「この瞬間、彼女の愛は途方もない冒険となりつつあるのか、それともすでに色あせて、かわりに官能が物見高い窓のようにひらいていくのか、彼女にはわからなかった」――「愛」が究極的な夫との「合一」を達成するのか、それともそれは単なる「官能」、性欲に堕してしまうのか。
  • ●245: 「口にする言葉がすべて袋か網かの中にとらえられていく想像をいだいた。遠い人間たちの言葉の間にあって、自分自身の言葉こそ、彼女には遠く感じられた」――離人感? 自己疎外感。
  • ●245: 「彼女はまたしても感じた。自分のことで、口で語れる、言葉で説明できることが、それが大事なのではなくて、あらゆる釈明はまったく違った何かの中に、ひとつの微笑、ひとつの沈黙、内なる声への傾聴の中にあるのだ、と」――「内側」への志向。「内なる声」を聞くことが、「不実」への釈明になる?
  • ●247: 「そして彼女は、男が眠気をそそる一本調子でしゃべるその間、その髭が上へ下へ、含み声の言葉を食むおぞましい山羊の髭のように、たえまなく動くさましか、もはや見ていなかった」――男の「髭」。
  • ●248: 「まだどこかしらにあの手が、かつがつに補われる温みが、<あなた>という意識があった。そのとき彼女は手を放した。そしてひとつの確信が彼女を受けとめた。いまでもまだお互いに最後の者でありうる。言葉も失ない、信じあうこともなく、それでも互いにひとつになって死ぬほど甘美な軽やかさをそなえた一枚の織物となり、まだ見出されぬ趣味のために織りなされたアラベスクとなり、それぞれひとつの音色となり相手の魂の内にだけひとつの音型を描き、相手の魂が耳を傾けぬところにはどこにも存在せず……」――彼女と「あなた」、夫は「互いに最後の者」となる。また、「音色」のテーマ。「音色」や「音楽」のテーマは諸所に出てきており、それはおそらく「合一」と何らかの関連があるようなのだが、この表現がどのような意味の射程、効果を持っているのか、それはまだ見えて来ていない。
  • ●249: 「この瞬間、彼女は自分の肉体を、おのれの感じ取るすべてを故郷[ふるさと]のように内に匿うこの肉体を、不透明な束縛と感じた。ほかの何よりも親しく彼女をつつみこむこの肉体の自己感覚を、彼女はいきなりひとつの脱れられぬ不実、愛する人から彼女を隔てる不実と感じた」――「肉体」は「束縛」、「不実」である。とすれば「肉体」を放棄し、男に委ね、自己を虚しくすることで「誠実」になることができる?
  • ●249: 「おそらくそのときでも、彼女は愛する人にこの肉体を捧げたいという願いのほかには何ひとつ心になかった。しかしさまざまな精神の価値の根深い揺らぎに戦慄させられて、その願いはあの縁もない男への欲求のごとく彼女をとらえた」――勘所だろう。夫に「肉体を捧げたいという願い」が、しかし、無縁の男に対する「欲求」となってしまう。何故そうなのか? 姦通が「究極の結婚」となるのと同じく、その論理が明晰に見えてこない。「精神の価値の根深い揺らぎ」がその媒介なのだが、これが一体どういうことなのか、よくもわからない。
  • ●249~250: 「まるで参事官の言葉を受けとめたかのように、「あの人はそれをこらえられるかしら……」と。/夫のことを口にしたのは、これが初めてだった。彼女ははっとした。何ひとつとして現実のものとも思えなかったが、しかしいったん口から洩れて生命を得た言葉の、とどめがたい力を、彼女はすでに感じ取った」――「いったん口から洩れて生命を得た言葉の、とどめがたい力」。素晴らしい一節、素晴らしい展開ぶり。三宅誰男『亜人』にも似たような展開の仕方がなかったか? /離人感? 非現実感。
  • ●250: 「暖かく輝く球の中へ這いこむように、夫へのあの感情の中へ這いもどることもできた」――「球体」のテーマ。
  • ●251: 「あのとき、ある思いがひそかに彼女の心をおそったものだった。どこかしら、この人間たちのあいだに、ひとりの人間が暮らしている、自分にはふさわしくない人間が、あかの他人が。しかし自分はこの人間にふさわしい女にもなれたのかもしれないのだ。もしもそうなっていたとしたら、今日ある<私>については、何ひとつ知らずにいたはずだ」――可能性感覚。おそらく「合一」と並んでこの小説の中心的なテーマ。当然「合一」と関わりがあるはずだが、どのような論理でそれらが繋がっているのか、自分にはまだよくわからない。
  • ●252~253: 「目がベッドの前の、大勢の足に踏みにじられてすりきれた小さな敷物の上にとまった。彼女はいきなり、それらの足の皮膚から染みだしてはまた見も知らぬ人間たちの心の中へ、生家のにおいのように親しく頼もしく、染みこむにおいのことを思った。それは独特な、ふた色の光に顫える想像だった。けうとくて吐気を催させたかと思うと、さからいがたく惹きつけ、まるでこれらすべての人間たちの自愛が彼女の内へ流れこみ、そして彼女には自分のものとして、もはや傍観する目しかのこらなくなったかのような」――クラウディネの過敏さ。「大勢の足」、人々の単なる痕跡(「におい」)に、彼女は作用されている。「吐気」と「惹きつけ」られる心の同時性(結びの部分、「あらゆる嫌悪にもかかわらず快楽に満たされてくる」のと軌を一にしている)。「自愛が彼女の内へ流れこみ」はよくわからないが、それによって彼女は自己を虚しくし、「傍観する目」と化す。
  • ●253: 「膝をついたままゆっくりと彼女は身を起した。今ごろはもう現実のこととなっていたかもしれない、という不可解さへ目を凝らし、自力によらずに、ただ偶然から危機を脱れた者の身ぶるいを覚えた」――可能性感覚。その「不可解さ」、馴染めなさ。
  • ●255: 「(……)彼女は感じた。あたしはあなたを苦しめている、と。しかしまた奇妙な感情をいだいた。あたしのしていることは何もかも、あなたもしているのだ、と」→●「テルレス」40: 「彼はあらゆるものを捨て去り両親のイメージを裏切ったのだ。そして今それによって自分がひどく孤独なことをしたのですらなく、まったくありふれたことをしたに過ぎないのだということを認めざるを得なかった。彼は恥ずかしく思った。だがまたもや別の考えが浮かんだ。両親も同じことをしているのだ! 彼らもお前を裏切っているんだ! お前には秘密の共演者がいるんだ!」――「裏切り」、「苦しめ」ることの相互性。
  • ●258: 「それでも肉体は彼女をつつんで、森の中で追われる獣のようにおののいた」――「獣」のテーマ。
  • ●258: 「いいえ、あたしは参事官さんのそばにいることを愛しているのです。参事官さんのそばにいるというこの事実、この偶然を。エスキモーたちのそばにだって坐っていられるかもしれませんわ。毛皮のズボンをはいて。垂れ下がった乳房をして。それを快いと感じる」――ここも勘所だと思うのだが、参事官自身ではなく、「参事官さんのそばにいることを愛している」とはどういうことなのか、いまいち判然としない。「幸福」が「偶然にすぎない」という意識、「遠く思いもおよばぬ生き方」があるという意識、つまりは可能性感覚と関わっているとは思うのだが、その理路が見えてこない。
  • ●258~259: 「……狭い峠道を越えていくときに似てるわ。獣も、人間も、花も、何もかも峠ひとつ越すと変ってしまう。自分自身もすっかり違ってしまう。そして首をかしげるんだわ、もしも初めからここに暮らしていたとしたら、あたしはこちらをどう思うことかしら、あちらをどう感じることかしらって。(……)でも、あたしはいよいよ色あせていくのでしょうね、人間たちは死んでいく、いいえ、しぼんでいくのでしょうね、樹木も鳥も獣たちも」――可能性感覚。および「獣」のテーマ。

 以上である。上記を写し終えたあとは、書抜きをしたのち、四時から読書に入った。『三人の女』から「グリージャ」である。ほとんど一頁ごとにノートにメモを取りながら読んでいくのでなかなか進まない。背後の席は高校生が座っているようで、何度か仲間が席のところにやって来てこちらの近くに立っていたが、イヤフォンで耳を塞いでいたおかげで声や物音はまったく聞こえなかったし、視線をそちらに上げることもせずに本を読み続けた。BGMとしてSarah Vaughanを掛けていたが、じきにコンピューターのバッテリーが少なくなって自動的に動作を停めたので、それからはイヤフォンを外して無言の静けさのなかで文字を追った。そうして六時に到って読書を切りあげ、帰ることにした。コンピューターを仕舞い、席を立ってコートやストールを身につける。リュックサックを背負ってそうしてフランス文学の区画に入り、棚から蓮實重彦『『ボヴァリー夫人』論』を手に取った。これから四月までニートをやっているあいだに、『熱狂家たち』が入っている第八巻、日記やエッセイが収録された第九巻、そうして『特性のない男』全六巻と、『ムージル著作集』をすべて読み通すつもりでいるのだが、その前に蓮實重彦のテクスト読解の手付きやその見識などを――勿論自分がその真似事でさえもできるとは思っていないが――学んでおこうと思ったのだ。それで、八〇〇頁超の分厚い書籍を片手に下階に下りて、カウンターに近寄ると、職員がこんばんはと掛けてきたのでこちらも挨拶をした。すみません、これを借りたいんですが、カードを忘れてしまったんですけれど。お手数ですが、と個人情報記入の紙を差し出されたのに、番号がわかれば良いんですよねと聞いて、覚えていますのでと自分のカード番号を告げた。それで検索してもらい、こちらに向けられたコンピューターに映っている名前が自分のものであることを確認して、はい、僕ですと答えて手続きをしてもらった。そうして退館。
 河辺TOKYUへ。通り過ぎざまに灰色の籠を取り、最初に三つ一セットの豆腐を二セット入れる。そのほか、油、ドレッシング、飲むヨーグルト、豚肉などを集めていく。卵だけどこにあるのかしばらくわからなくてフロアをうろついたが、端、壁際のハムやソーセージが並んでいる区画に一緒に置いてあった。そうして会計へ。以下、購入したものの一覧。

1341 キャノーラ油1000g  \298
1511 スリオロシオニオンドレ380  \448
1511 シーザーサラダドレ380  \448
3274 ブルガリアノムプレーン
    2コ × 単138  \276
自動割引4  20%
    2コ × 単-28  -56
421 国産豚切り落し  \435
3252 JA 彩姫  \198
3201 絹美人 
    2コ × 単78  \156
小計  \2203
外税  \176
合計  \2379

 整理台で買った品物をビニール袋に収め、退館する。高架歩廊。風がさすがに肌に冷たい。駅に入り、改札から湧き出てくる人々の脇を通り抜け、エスカレーターを下る。ホームの先まで行き、ビニール袋をベンチに置いた。そうして本を取り出し、立ったまま読み出す。風は吹かず、首もともストールで守られてさほど寒いという感じはしなかった。電車が来ると乗り、同様に袋を座席に置いて、立ち尽くしたまま片手で手摺りに掴まって読書を続けるのは、リュックサックを下ろしたり背負なおしたりするのが面倒だからである。青梅に着くと降車。ちょうど奥多摩行きが来ていたが、四分ほどあったので本を持って急がずホームを歩く。最後尾の車両に乗車。車両内を歩いていると、W.Hが座席に座っている。塾で働いていた時の生徒である。相手のちょうど前で立ち止まるとこちらに気づいて、おつかれさまですと無声音で言ってくるので、会釈を返した。そこを過ぎ、扉際に立ってムージルを読み進める。最寄りに着くと、Wくんがこちらを窺っている気配を視界の端に感知したので、顔をふっと右に向けて、右手を上げながらドアの開閉ボタンを押した。降りるとベンチにふたたび荷物を乗せ、本を仕舞って家路を辿る。木の間の坂を下って行く。平らな道に出て見上げれば、乱れなく星の映って快晴の宵だった。
 帰宅。自室に帰り、コートを脱いで廊下に吊るしておく。そうして食事を取りに上階へ。エリンギとコーンなどの炒め物・大根の味噌汁・里芋の煮物・大根のサラダ・米である。夕刊を読みながら、炒め物をおかずに米を食い、食べ終わるとオレンジジュースの「なっちゃん」を飲んだ。コップを濯いでさらに水を汲み、薬を服用する。それから食器を洗って、入浴へ。例によって身体を搔きながら湯に浸かり、FISHMANS "いかれたBABY"のメロディを口笛で響かせる。出てくると短髪を櫛付きのドライヤーで乾かし、洗面所を抜けて自室に帰った。急須と湯呑みを持って上がり、緑茶を用意する。茶菓子として、Jules Destrooperのビスケット一枚と、Butter Butlerのフィナンシェを一つ、ポケットに入れて戻った。それらを食べたあと、茶を飲みながら日記を書き足して、現在九時過ぎ。scope『野中の薔薇』を流している。
 それでは例によって、「グリージャ」を読んでいて気に掛かった部分を写しておこう。

  • ●264: 「ホモは旅館ではなくて、実は自分でもどうしてかよくわからなかったのだが、ホフィンゴットの知りあいのあるイタリア人の家にとまっていた」――理由不明その一。
  • ●265: 「赤や青や淡紅の小さな家が、木々の中にうもれながらそれでもあざやかに眼にうつり、ばらばらに置かれたさいころのように、自分でもわからない独特の形式法則を、あからさまに人前にさらけだしていた」――「自分でもわからない」。
  • ●267: 「ここでは(……)どんな人間であろうと、さまざまな人生の問題についてどう考えていようと、ともかく愛をわがものとすることができたのだ(……)愛は伝令使のように先駆けし、いたるところで清潔な来客用ベッドのようにしつらえられ、ひとの視線はそのまま歓迎の贈りものだった」――「村」は「愛」の領域である。
  • ●267: 「だが、とある野のほとりを通りすぎる時、ひとりの老いた農夫がそこにたたずんで、現身[うつせみ]の死神のように大鎌をひらめかすことも時にはあったのだ」――「愛」の村に差し込む一抹の不吉さ。
  • ●267: 「この谷のはずれには奇妙なひとびとが住んでいた」→●265: 「村のまわりの風景も尋常一様のものではなかった」→●265: 「谷間へはいってみると、奇妙な村があった」――「村」や「ひとびと」の「奇妙」さ。
  • ●269: 「女たち(……)首のまわりに巻きつけたり、胸の上で十字形に結びあわせたりしている布は、近代工場で生産される規格判の安物のキャラコだった。しかしその色合い、ないし色の配合には、どこかしら、数世紀をへだてた遠い祖先をしのばせるものがあった。おおよその農民の服装よりもそれははるかに古かった」――相反する事柄の同時共存。「近代工場」の「キャラコ」を身に着けていながら、同時に「数世紀」前の「祖先」を思わせる。
  • ●269: 「彼らはまるで日本の女たちのように歩くのだった。(……)彼らは道ばたに腰をおろすのではなくて、道路の地べたにそのまますわりこみ、黒人のように立てひざをした。(……)驢馬にのって山をのぼっていく時には、横ずわりはせずに、男同様、太腿がすれるのもいっこう平気で、荷鞍のかたい木のかどの上にまたがり、またしても無作法に脚をひきあげ(……)」――何故か「女たち」に対して「彼ら」が使われている。また、「女たち」の男勝り、「無作法」さ、無骨さ。
  • ●269: 「しかしまた彼らは、ひとを戸惑いさせるほどこだわりのないやさしさと愛嬌をふりまくこともあった。(……)まるで大公妃のようにおおらかに、「どうぞおはいり」といったり、(……)突然いとも慇懃に、しかもつつしみぶかげに、「コートをおあずかりさせていただけません?」などということもできたのだ」――女たちは男勝りで「無作法」でありながら同時に、女らしい「やさしさと愛嬌」を備えており、「慇懃に」、「つつしみぶかげに」振る舞う。相反する事柄の同時共存。
  • ●269: 「ドクター・ホモがある時かわいい十四歳の少女にむかって、「おいで、干し草の中へ」といった、――それはただ干し草が彼にとって、動物が餌を見るように、突然この上なく自然なものに思われたからだったのだが」――「干し草」が「突然」、「自然なものに思われ」る。唐突な事物の性質の変容。
  • ●270: 「これまでのいかなる生活よりも明るく強烈な香りをはなつこの生活は、もはや現実ではなく、虚空にただようひとつのたわむれではないのか、そんな思いを彼はもうふり捨てることができなかった」――「愛」の「村」での生活は、「これまでのいかなる生活よりも明るく」、「現実」とは思えない。
  • ●270~271: 「白、紫、緑、茶、さまざまな色に野はよそおいをこらしていた。彼は幽霊ではなかった。やわらかな緑の髪を生いしげらせた、落葉松[からまつ]の老樹の童話めいた森が、エメラルドの色した斜面をおおっていた。苔の下には紫色や白色の水晶が息づいているかもしれなかった」――「彼は幽霊ではなかった」の一文が唐突で、この文脈での意味が判然とせず、不思議なものである。これがないほうがむしろ描写はスムーズに繋がるはずなのだ。
  • ●271: 「この自然界のおびただしい秘密はたがいに結びあいながら、ひとつの全体を形づくっていた。あわい緋色の花が咲いていたが、これはほかのどの男の世界にもなく、ただ彼の世界にだけ咲いていたのだった。紛うかたない奇蹟として、神がそのように取りはからわれたのだった。秘められた肉体の一点があって、死を招こうというのでないならばなんぴともそれを見ることは許されなかったが、ただひとりだけには許されていたのだ」――「あわい緋色の花」が実体的なものなのか、幻覚のようなものなのか、何かの比喩なのか判然としないが、ともかくそのまま読むと、それはほかの男には見えず、彼だけに見ることが「許されてい」る。言わば彼は神から選ばれて[﹅4]いる。
  • ●271: 「彼はおのれの手のうちに愛するものの手を感じ、愛するものの声を耳にした。肉体のありとある部分が、今はじめて外界の接触を受けたようだった。自分が、誰か別人の肉体によって構成された形態のような気がした。しかし彼はすでにおのが生命を投げ捨てていたのだ。愛するものの前で彼の心はかぎりなくつつましく、乞食のように貧しくなっていた。誓いと涙がまさに魂の中からあふれ出ようとしていた。だが、それにもかかわらず、彼がもう帰らないということは確実だった」――「愛するもの」とは子供のことだろうか? 離れながらの「合一」? 彼は、離れていながら、「愛するものの前」にいる。そして「それにもかかわらず」(愛するものの前にいられるなら、それが故に、が普通ではないかと思うのだが)、彼は「帰らない」。
  • ●271: 「彼の昂奮は森をめぐって一面に花咲きみだれる野の姿と、奇妙な具合に結びついていた。未来へのあこがれにもかかわらず、このアネモネや勿忘草や蘭やりんどうや、みごとな緑褐色のすかんぽのあいだに、いつかは倒れ伏して死ぬだろうという予感も、心にまつわりついてはなれなかった」――宗教的体験と「野」、自然の結びつき。
  • ●271~272: 「今までずっと彼は、現実の中に生きてきたつもりだった。だが、ひとりの人間が彼にとって、ほかのすべての人間とは別種の存在だということ、これほど非現実的なことがあったろうか? 数知れぬ肉体の中のひとつに、彼の内奥の本質が、ほとんどわれとわが肉体に対すると同じほど依存しているということ、その肉体の飢えや疲労、聴覚視覚が彼自身のそれと密接につながりあっているということ、これほど非現実的なことがあったろうか?」――ただ「ひとり」、「別種」の人間、そうした存在があること=「非現実的」。子供との相互依存、「合一」?
  • ●272: 「はじめて彼は、一切の疑いをまぬかれた天上の秘蹟として、愛を経験した。彼の生活をこの孤独へみちびいた神の摂理をまざまざと思い知りながら、彼は、黄金と宝石を秘めた足もとの地面を、もはや現世の宝庫ではなく、彼のために特別にとりはからわれた魔法の世界のように感じていた」――彼は「神の摂理」によって「天上」の「愛を経験」する。また、「足もとの地面」が「魔法の世界のように」なった。超現実感および天上性。
  • ●272~274: ここの一段落は特殊である。と言うのも、一つの段落のうちに複数の時間軸――少なくとも、六つ――が改行を挟まれずに詰まっているのだ。1. 「小僧が酒を盗んだ」挿話。2. 「馬がやってきた」挿話。3. 「犬がのこらず徴発された」挿話。4. 「朝の三時半」「山道をたどっていく」と、「牛」が「寝そべっていた」。5. 「男が脚を折って」「はこばれていった」。6. 「岩」の「爆破」を端緒とする「豚」の屠殺の挿話。これら六つのエピソードが、段落を変えず、一気に、ひと繋がりに語られている。しかもそれぞれのエピソードに充てられた文量の配分は不均等で、例えば五番などはたった一文で終わらせられている。また、一番と五番以外には動物が関わっているのも特徴だ。
  • ●273: 「馬たちは(……)いつも、どういう具合か一見無秩序にむらがって谷底へおりていくので、ひそかな黙契をかわした美学上の法則にもとづいて、それがあのセルヴォト山麓の緑や青や淡紅の小さな家々の追憶と、そのまま同じ姿を見せているのではあるまいかと思われるほどだった」――「馬たちは」「どういう具合か」、「無秩序にむらが」る。理由不明。また、「美学上の法則」。→●265: 「赤や青や淡紅の小さな家が、木々の中にうもれながらそれでもあざやかに眼にうつり、ばらばらに置かれたさいころのように、自分でもわからない独特の形式法則を、あからさまに人前にさらけだしていた」
  • ●273: 「月かげを浴びながら三時に出発し、朝の四時半にこの盆地に来かかると、馬たちはいっせいに通りすぎていく人間の方をふりむく(……)朝の三時半にはもうすっかり明るかったが、太陽はまだ見えなかった。山道をたどっていくと、近くの牧場の上で牛どもが(……)寝そべっていた」――上記の二番と四番のエピソードに当たる。ここにはまったく違う時のそれぞれの時間が、具体的な時刻で指し示されている。一つの段落中に、まったく異なる「三時」及び「四時半」と、「三時半」が並べて書き込まれ、共存しているわけである。
  • ●273: 「(……)馬たちはいっせいに通りすぎていく人間の方をふりむく、すると、おぼろな昧爽[まいそう]の光の中で、自分が非常に緩慢な思考の経路にうかんだ、ひとつの思想ででもあるかのような気がするのだった」――まず、「昧爽」の語は初見。夜明け、暁と同義。次に、うまく説明できないのだが、ここで用いられている「自分」が何か不思議な感じがする。語りの位置、位相がそれまでと少しずれているような?
  • ●273: 「どうしてかわからないが、犬どもはすぐいくつかのグループにわかれ、かたく結束を守っていた」――理由不明。
  • ●274: 「茫漠たる高貴な存在の世界を突っきるように、この牛どもの圏内を横断して、さらに高いところからふりかえると、彼らの背骨と後脚と尾で構成された線は、散乱する白い沈黙のト音記号のようだった」――「散乱する白い沈黙のト音記号」。卓抜な比喩。牛とムージルと言えば、磯崎憲一郎『肝心の子供』にも牛の出てくる風景があったことを思い出したので、下に引いておこう。

 思い返してみれば、確かにこの場所に一歩入ったときから、どこか奇妙に大袈裟な感じはあったのだ。野生の白い牛が三頭、野原のほぼ真ん中あたりに、前脚をきちんと折り畳んで寝そべっていた。彼らはブッダたち一行が近寄って来て傍らを通り過ぎようとしてもまったく動じることなく、三頭がそれぞれにどこか遠くの一点を凝視しながら、反芻する口を長い呪文でもつぶやくように、規則的にゆっくりと動かし続けているだけだった。牛の瘦せた背骨と皮のうえには、何匹もの蠅が留まっているのが見えたが、これらの虫でさえもじっと動かず、春の太陽を浴びて、黄金に光り輝いていたのだ。(……)
 (磯崎憲一郎『肝心の子供』河出書房新社、2007年、39)

  • ●275~276: この一段落も不思議である。「ジェラルディン・ファラー」のレコードの挿話と、「蠟引布」の上で死んでいく蝿の挿話が含まれているのだが、そのあいだに有機的な連関はなく――あいだに「いや、情欲ではない、冒険心なのだ、――いや、冒険心でもない、天から落ちてきたナイフ、死の天使、天使の狂気、戦争ではなかったろうか?」という、抽象的な語り手の独語を挟みながら――ただ並列させられているだけのように見える。また段落の終盤に、「ある男が実際に計算したところによると、ロスチャイルド家の全財産をもってしても、月へ行く三等料金を支払うにもたりないそうだ」という発言が差し込まれているが、これもそれを取り囲む蝿の挿話とは何の関係もない。蝿が死んでいくのに注目しているのはホモただ一人で、一座のほかの仲間たちは勝手に喋っているわけで、その点この「関係のなさ」は、そうした場の表現として一抹のリアルさを醸しているように感じないでもない。

 日記を書き足したあとは一〇時半からふたたび読書に入った。ベッドの上でヘッドフォンをつけて、Scott Colley『Empire』を流していた。そうして一時間ほど読み、「グリージャ」は読了した。全篇に渡って不思議なと言うか、奇妙な感触のある短篇だった。いくつかのエピソードは作中でどのような意味・役割を担っているのか、それがよくわからない。一番特殊に思われたのはやはり、二七二から二七四頁の長い、複数の時間が詰め込まれた一段落だろうか。ムージルの手腕を持ってすれば、あそこに書かれていたそれぞれの挿話をもっと整然と並べて上手い文脈を作り出すことなど容易だと思うのだが、何故か不均等になっている。そのあたり、緻密に組み立てられたと言うよりは、勢いで書かれているような気がしないこともないのだが、しかしムージルが勢いだけで書いたりするものだろうか。蝿の挿話の段落も同様だが、あそこはなかなか印象的である。ほか、離れている子供との「合一」のような(ここでは「融和」という言葉が使われていたが)宗教的な体験もあるのだが(天上的な「愛」の自覚)、これもその後の物語中で発展させられず、話はグリージャとの関係に移行していき、子供については(完全にそう明言されてはいないのだが)グリージャよりも愛するものがホモにはある、という形で僅かに触れられるのみである。そもそもこの子供についての情報は乏しく、ただ彼が病気であるということしか語られていない(妻に到っては完全に匿名的な存在だろう)。「合一」というのはムージルの中心的な主題の一つだと思うのだが、それが十分に発展・展開されず、突然の、一つの啓示体験のみで終わっているのも不思議な感じを与える(そしてこの宗教的体験の意味、それとグリージャとの不倫との関係もあまり明らかではない)。書抜きをしたいと思ったのは例の、「散乱する白い沈黙のト音記号」の比喩が含まれた牛の風景。
 一一時半からはしばらくインターネットを覗き、零時二〇分頃就床した。床に就いてから一五分後に一度時計を見たが、それからしばらくして寝付くことができたらしい。三〇分くらいで眠ったのではないか。「グリージャ」の残りの気に掛かった部分については、翌日の日記に記そう。


・作文
 8:29 - 9:04 = 35分
 12:27 - 12:49 = 22分
 14:30 - 15:41 = 1時間11分
 20:16 - 22:09 = 1時間7分
 計: 3時間15分

・読書
 9:25 - 11:38 = 2時間13分
 12:59 - 13:22 = 23分
 15:42 - 16:00 = 18分
 16:01 - 18:01 = 2時間
 18:25 - 18:46 = 21分
 22:33 - 23:30 = 57分
 計: 6時間12分

・睡眠
 1:15 - 7:40 = 6時間25分

・音楽

  • Chris Potter『The Dreamer Is The Dream』
  • Chris Potter『Traveling Mercies』
  • Aaron Parks Trio『Alive In Japan』
  • Alan Hampton『Origami For The Fire』
  • Sarah Vaughan『After Hours』
  • Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』
  • scope『野中の薔薇』
  • Scorpions『Tokyo Tapes』
  • Scott Colley『Empire
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2019/1/6, Sun.

 五時二〇分頃一度覚める。ふたたび眠りに入り、七時二五分頃起床。ベッドを抜け出しダウンジャケットを羽織り、上階へ。母親におはようと挨拶をしてストーブの前に座り込む。おかずは特にないと言うので、例によってハムエッグを作ることに。便所に入ろうと思ったら父親が入っていた。それで先に台所に入り、フライパンに油を引き、ハムを四枚敷いて卵を二つ投入する。熱しているあいだに丼に米をよそり、ハムエッグが良い塩梅になったところでその上に搔き出す。ほか、前夜の味噌汁の残りを温め、卓に就いて食事を取ろうというところが、新聞が見当たらないので玄関を抜ける。息が白く染まる。戻って新聞記事をチェックしながらものを食べる。食べ終えて薬を飲んだあとも椅子に座ったまま記事をいくらか追う――「改憲戦略 仕切り直し 首相・自民 国民投票法を優先 公明・野党に配慮」(三面)、「公営住宅 遺品放置1093戸 単身者死亡後 相続人捜し苦慮」(一面)、「仮設なお4800世帯 西日本豪雨半年」(一面)。そうして、正面で納豆ご飯を食べ終えた父親が皿を洗ったあとから台所に入り、こちらも食器を片付ける。時刻は八時頃。両親はそろそろ出かけると言う――王子の兄夫婦がロシア行きのために引っ越し準備に追われているのだが、そのあいだにMちゃんの世話をする係を受け持ちに行くということだったのだ。こちらは遠慮した――本を読みたかったためである。それで、まあすぐに自室に籠ってしまわずに、彼らが出かけるその見送りくらいするかというわけで、窓辺に寄って両親が出立するのを待つ。畑の斜面、薄緑色の下草は露を帯びて、草のなかにガラス玉が埋め込まれたようになっている。空は快晴、雲は南の山際に低く、横に広く連なったのが、昇りはじめた太陽を受けて翳を帯びており、左方には刷毛でひと塗り、さっと走らせたような鱗状の雲が掛かっていた。外を眺めるのにも飽きると、椅子に就いてふたたび新聞をひらき、「壁を越えて 3 プラごみ撲滅の戦い 回収と予防 美しい海守る」(七面)を途中まで読んだ。米国とハワイ沖のあいだの海域は「太平洋ごみベルト」と呼ばれており、そこに溜まるプラスチックごみの総量は約八万トン、ジャンボジェット五〇〇機分の重さを持ち、面積は日本の四倍以上になると言う。
 それで両親を見送ったあと、緑茶を用意して下階へ。Ambrose Akinmusire『The Imagined Savior Is Far Easier To Paint』を流し、早々と前日の記事を書き足す。仕上げてブログに投稿するとこの日の日記もここまで綴って九時一一分。たくさんの引用をしているため、連日記事が長々しくなっているが、これほど長いものを好んで読んでくれる人などいるのだろうか。
 それから日記の読み返し。まず一年前のもの。それほど書いていないし、光る記述もない。そうしたものがあったのは自分の文章ではなくて、その日の日記に読んだものとして引かれていたMさんのブログの文章で、こちらの頭が狂いかけていた昨年の一月三日、彼と通話をして話を聞いてもらったのだが、そこでの会話から導き出されたMさんの考察が面白かったので以下に引用させて頂く。

主体の解体=地盤の喪失というのがきわまった先にあるのはなにかといえば、それはこの世界がこの世界であることになんの根拠もないという無根拠性の実感にほかならないはずで、ハイデガー的にいえば根拠律の欠落ということになるのかもしれないし、ムージルの可能性感覚とも多少なりと響きあう話になるわけだが、この世界がこの世界である根拠がないというのは、換言すれば、この世界は別様の世界でもありうるという「信」、すなわち、この世界そのものの相対化という域である。ただ、相対化を果てまできわめてしまえばそれでおしまいかといえば、そうではなくって、ここからは完全に後期フーコーめいてくるのだが、問題はそこにおいてあらたにたちあげることが可能となる別なる「制度」「権威」である。この世界(という「制度」「権威」)を相対化しきった先にある、すべてがフィクションでしかないという「悟り」に達してはじめて、ひとはみずからを律する「制度」「権威」をみずからの手で作り出すことが可能となる(真なる自律!)。F田くんはそのあたりを後期フーコーと仏教の交点として見出すことができるのではないかと考えているらしかった。しかしながら、それだからといってそこであらたにうちたてる別様の「制度」「権威」が、いわば既存の「制度」「権威」とまったくもって異なる姿をとるとはかぎらないだろう。一休宗純の逸話など拾い読みしていると、あれは相対化の極北=自己解体=悟りの域に達したものの、あえてそこで別様の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)をたちあげず、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)をいわばある程度模倣する格好で倒錯的にたちあげたのではないか、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)をあえてふたたびよそおうにいたったのではないかという感じがおおいにするのだ(というかそういうふうに彼の生涯が「読める」)。一休宗純だけではなくほか多くの風変わりな逸話をのこしている僧・仙人・宗教家・哲学者・芸術家などもやはり同様である気がするのだが(彼らはみな奇人・変人ではあるかもしれないが、決して狂人ではない)、しかしながらそれならばなぜ彼らはそのような擬態にいたったのかとこれを書いているいま考えてみるに、それは、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)からおおきく逸脱した「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)というのが、ほかでもない狂人でしかないーーそのような存在様態としてしかこの世界という「制度」「権威」内では認識・解釈できない主体になるーーからなのではないか。物語に対抗するために有効なのは非物語ではない。意味に対抗するために有効なのは無意味(ナンセンス)なのではない。物語に対抗するために有効なのがその物語の亜種に擬態しながらも細部においてその大枠をぐらつかせ、亀裂をもたらし、内破のきっかけを仕込むことになる致命的にしてささやかな細部(の集積)であるように(体制内外部!)、既存の「制度」「権威」に変化を呼び込むのは(「くつがえす」のではない)、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)に擬態する狂人なのではないか(これは蓮實重彦が想定する「物語」と「小説」の対立図式を踏まえた見立てだ)。狂人でありながらこの世界を生きるために狂人でないふりをするほかない役者の芝居、演技、その上演の身ぶりこそが、いわば革命の火種をいたるところに散種する。芸術にかぎった話では当然ない。政治経済を含むこの社会全域において応用可能な話だ。革命は「転覆」ではなく、「変容」あるいは「(変容の)誘導」として、いわば永遠のプロセスとして試みつづけられている。という論旨になるとなにやら『夜戦と永遠』めいてくるわけだが、これはしかし換言すれば、「動きすぎてはいけない」(千葉雅也)ということでもある。狂人としてふりきれてしまうのでもなく、かといって既存の主体におさまるでもない、既存の主体に擬態しながらも部分的にその枠からはみだしてしまっている、そのような「中途半端さ」(これは今回の通話におけるキーワードである)にとどまるという戦略。

 それから二〇一六年八月三一日。当時のブログに公開していたなかでは最後の記事である。最後の日に相応しく、ブログや日記について自分が考えるところを考察しているので、これもまた長くなってしまうが以下に引いておく。

 書きながらブログについてふたたび考えたのだが、結論としては、少なくともいまのブログは引き払うことに決めた。なぜなら、隠遁によってテクストが生の記録としてより完全なものへと近づくと思われるからで、だとしたら迷う余地はない、人目から隠れることは必須である。しかし同時に、ひらかれた場所にテクストを置いておきたいという気持ちも残っていて、それにはいくつかの理由がある。そのなかには単純な自己顕示欲のようなものもあるのだろうが、もう一つ挙げられるのは、文学的(芸術的?)野心のようなもの――すなわち、以前から折にふれて表明していることだが、自分が死ぬまでのすべての一日を記し、集積した文章、生そのものと同じくらい長く続く絵巻物、ほとんど永久と思えるまでに続く一冊の書物のようなものを、世界の一角にごろりと転がって座を占めている巨大な畸形生物のようにして、電脳空間の片隅に鎮座させたいという欲望があるのだ。そして、いま物質的な肉体を持って現実に生きているこの自分の存在が、生身を離れて匿名的な言葉の上だけの存在と化し、自分の生に現れたさまざまな人間たちもまるで虚構の小説の登場人物のように、実際のその人のことを誰も知ることができないまま、ただ文字のみで構成された人間として立ち現われ、漂流していく――そうした事態を考えるのは魅力的なことだ(こうしたロマンティックな誇大妄想を排除できない、ナイーヴな性向を持っているのだ)。ほかには単純に、完全に外界から切り離された場に引き籠るよりは、かろうじてひらかれた場で、他者に対して何らかの作用を及ぼす可能性が(少なくとも可能性だけでも)確保されていたほうが良いのではないかという気持ちもあるし、その延長で、自分の文章を読んでくれていたはずの、具体的に名も顔も知っている個人や、名も顔も知らない誰かとの、ある種の密かな連帯感のようなものが失われてしまうことにも多少の寂しさを覚えないでもない(親しみという観点から言って、この文章を読んでいる人間は明らかに肉親よりも自分のことをよく知っているし、こちらの気持ちとしても、家族よりも強い親近感を覚えるのだ)。孤独と連帯という二つの相剋する道を繋ぐ折衷案は、二つある。一つは制限公開で気の許せる人間にだけ読んでもらうこと、もう一つは、こちらの具体的な素性に繋がるような情報は排して、公開して支障のない部分――そして公開する価値のあるほど良く書けたと思える部分――だけを断片的に公開することである。後者の場合、それはロラン・バルトが試みた「偶景」のバリエーションの一つのようなものになると思われるのだが、どちらかと言えばこちらの案には魅力を感じない、というのも、この種の文章はやはり一日一日が全体として欠けずにまとまっていて意義を成すものではないかという気がするからだ。実行するとすれば前者だが、こちらの道を実際に取るかどうかも、いまのところは未定である――この八月三一日の夜の時点でもそうだったし、この文章を書き付けている九月一日の夜においてもそうだが、別に誰にも読まれなくても良いかな、という消極的な気持ちが立っているのだ。完全に隠遁して自分のコンピューター内に引き籠ったところで、自身がいまと変わらず、性懲りもなく毎日を記し続けるだろうことを、自分は既に知っている――なぜなら、人は読まれることによって書くのではなく、自分の欲望によって書くからだ。その場合、生の記録は、(現在と未来の)自分自身のみを読者とした閉鎖的な営みと化すわけだが、しかしこの「読者」はそれに尽きないものをもはらんでいるのではないか――純粋な観念としての「読者」が、自分の頭のなかに存在しているような感じがするのである。そのことに気付いたのは、ブログから離れたあとの自身を考えてみたとして、自分はそれでもいまと変わらず、文体を整え、自分自身だけに向けて書くのなら不必要なはずの生活の背景的な説明などを、懇切丁寧に綴るだろうと思われたからだ。ある種の作文者は、こうした観念上の「読者」を頭のなかに抱いており、それは現実には親しい友人や単なる知人や赤の他人など、さまざまな水準で具体化されるものの、究極的にはその人の文章は、最も抽象的なレベルの「読者」に向けた報告のようにして綴られるものなのかもしれない。こうした態度はおそらく宗教的なもの、信仰のそれに近いものだと思われる――そう考えた時にうっすらと光を放って共鳴しはじめるのは勿論、フランツ・カフカが日記に書き残した、「祈りの一形式としての執筆」という言葉である(ここでいう「読者」を「神」に、日々言葉を綴り続けることを、敬虔な信仰者の毎日の祈りに置き換えても整合するはずだ)。そしてそれとともに連想されるのは、ヴァージニア・ウルフが小説のなかで、なぜパーティをひらくのかと自問するダロウェイ夫人に独語させた「捧げ物」の一語、「捧げ物をするための捧げ物」という一言であり、また、作家生活晩年のローベルト・ヴァルザーの執筆態度である。いわゆる「ミクログラム」――掌大の紙片に、一、二ミリほどの、常軌を逸したかのような微小な鉛筆文字として綴られた原稿――をヴァルザーは、誰にも読ませるつもりがなかったはずなのだが(なにしろその内容を明らかにするのに研究者による長年の「解読」が必要だったわけだし、また、W・G・ゼーバルト『鄙の宿』には、精神病院で彼の看護人だった人物の証言として、「人に見られていると思うや」、「まるで悪いことか恥ずかしいことでも露見したかのように、そそくさと紙片をポケットに押し込んでしまった」ヴァルザーの姿が紹介されている)、それにしてはその時期の文章には、「読者」に対する呼びかけが頻繁に見られ、その存在を前提とした書き方がなされている。その不思議について知人との会話で触れた時には、未来に自分の原稿が陽の目を見ることを期待していたのか、それとも単なるそれまで築いてきたスタイルの(いささか惰性的な?)持続に過ぎなかったのか、と話したのだが、おそらく事態はそのどちらにも留まるものではない。ヴァルザーはきっと、「読者」を前にしていたのだ、といまの自分には思えるのである。

 それでは今から、前日にムージル「テルレスの惑乱」の「沈黙」一覧を作ったように、今度は「静かなヴェロニカの誘惑」の「獣」一覧表を作ろうと思う――しかし、こんなことをして果たして何か意味はあるのだろうか? とは言え、読むこととはきっと、ここにこれがある、と明確に指差すことから始まるはずだ。
 ・「ところがそのとき、あなたは相手のすごんだ顔を見て、痛みをひときわ強く感じはじめて、とたんに相手にたいしてひどい恐れをいだいたのだわ。(……)そしてふいにあなたは微笑みだした。(……)あのあとであなたはあたしに、僧侶になりたいと言ったわね……そのとき、あたしは悟ったのだわ、デメーターではなくて、あなたこそ獣[けだもの]だって……」(174~175)――初出。これ以降、このテクストには「獣」の文字が折に触れて、場所によってはほとんど一、二頁ごとに現れ出す。
 ・「「あなたはなぜ僧侶にならなかったの。僧侶にはどこか獣じみたところがあるわ。ほかの人なら自分自身のあるところに何もない、この空虚さ。着物にまでその臭いのまつわりつく、この穏和さ」(175)――ヴェロニカにとって「獣」じみているとは、「自己」の消失と関連しているらしい。
 ・「上[かみ]の村の農家のおかみさん」「あの人はもう愛する人というものがなくて、二頭の大きな犬だけを相手に暮らしていたの。(……)この二頭の大きな獣がときどき歯をむいて立ち上がるところを思い浮かべてみて。(……)かりにあなたがおなじ獣だとしたら、と考えて。実際にあなたはどことなく獣なんだわ。獣たちの肌をおおう毛をたいそう恐れるけれど、あなたの内側にのこされたごく小さな一点を除けば、そうなんだわ。ところが、いい、次の瞬間主人がちょっと身ぶりをしてみせると、もうだめなの。おとなしく、這いつくばって、ただの獣にもどってしまうのですって。それは獣たちばかりのことじゃないわ。あなたこそそうなのよ。そうしてひとつの孤独を守っているのだわ。(……)あなたこそ、毛につつまれた空っぽの部屋なんだわ。そんなもの、獣だって願いやしない。獣というよりも、あたしにはもう言葉であらわせない何かなんだわ」(176)――「毛につつまれた空っぽの部屋」――「獣」は「空っぽ」なものであるらしい。上記の「空虚さ」と相同的だろう。また、ヨハネスは、ヴェロニカにとっては言語を越えた存在であるらしい。
 ・デメーター。「俺の内にはときどきわけもなく突っ立つものがあるんだ、樹のように揺れるものが、およそ人間離れしたすさまじい音が、子供のガラガラ[﹅4]みたいな、復活祭の叫喚みたいな……俺は屈みこみさえすればもう自分が獣になったように思えてくる……ときどき顔に色を塗りたくりたくなる……」(178)
 ・デメーターはヴェロニカにとって、「男としては、あたしにとってほかの誰かれとおなじ疎遠な人のままだったのよ。だけど、あの人の中へ流れこんでいくさまを、あたしはふと思い浮かべたの。そして唇の間から滴となってまた落ちてくるのを。水を呑む獣の口の中へ吸いこまれたように、どうでもよく、ぼんやりと……」(178)
 ・「それほどまでに自分をなくしたものに、人間ならば、なれるものじゃない、そんなふうになれるのは獣だけ……どうか助けて、この話になると、なぜあたしはいつも獣のことばかり考えるのかしら……」(180)
 ・「それほどまでに自分をなくしたものに、人間はなれるものじゃない、そんなふうになれるのは獣だけよ……」(181)
 ・「彼女がその強い異様な官能性を、人の知らぬ病いのように身にまつわりつけて彼のそばを通りすぎるとき、彼はそのつど、彼女がいまこの自分を獣のように感じていることを、思わずにいられなかった」(182)
 ・「バーナード犬」「胸のところ」「この大きな秩序の中にどれもこれも小石のようにじつに単純に従順におさまっているけれど、それでもそのひとつひとつを取り分けて眺めれば、どれもこれもおそろしいほどに内に入り組んで、抑えつけられた生命力をひそめている。それだもので、感嘆して見つめるうちに、いきなり恐れにとりつかれる。まるで前肢をひきつけてじっと地に伏せ、隙をうかがう獣を、前にしたときのように」(183)
 ・「さらに巨人が愛に駆られておそいかかってきたなら、山鳴りのように足音が轟いて、樹々とともにざわめいて、風にそよぐ細かな毛が自分の肌に生えて、その中に毒虫が這いまわり、言いあらわしようもない喜びにうっとりと叫ぶ声がどこかに立ち、そして自分の息はそれらすべてを虫や鳥や獣やの群れとひとつにつつんで、吸い寄せてしまうことになるのではないかしら」(184)
 ・「身を起そうとした瞬間、犬の舌が生暖かくひくひくと触れるのを、顔に感じた。独特なふうに彼女は痺れた、まるで……まるで彼女自身も獣になったように」(184)
 ・「彼女が求めるものにすでに近づいたかと思うと、そのつど一頭の獣がその前に立ちはだかる。そのことが彼女を不安にさせ、苦しませた。ヨハネスのことを思うと、しばしば獣たちの姿が心に浮かんだ。あるいはデメーターの姿が」(188)
 ・「彼女にはヨハネスが一頭の大きな、力つきた獣、どうしても自分の上から転がしのけることのできない獣に思われ、自分の記憶を、ちょうど小さな物を手に熱く握りしめているふうに内に感じた」(191)
 ・「そうして二人は並んで立っていた。そして風がいよいよ豊かに道を渡ってきて、まるで一頭の不思議な、ふくよかな、香りのよい獣のようにいたるところに身を横たえ、人の顔をおおい、うなじへ、腋へ入りこみ、そしていたるところで息をつき、いたるところで柔らかなビロードの毛を流し、人の胸のふくらむそのたびにいよいよひたりとその肌に身を押しつけ……」(192)
 ・「そして二人は肩を並べて立ち、大きな真剣な姿を浮きあがらせた。まるで夕空の中に背をまるめて立つ二頭の巨大な獣のように」(193)
 ・「子供たちと死者たちには魂というものがない、あのような魂はないのだ。そして獣たち。獣たちはその威嚇する醜悪さによってヴェロニカをぞっとさせるけれど、点々と刹那ごとに滴り落ちる忘却を目にたたえている」(196~197)
 ・「ヴェロニカもまたつねにどこだかに一頭の獣がいるのを知っていた。誰でも知っているとおりの、悪臭をたてるぬらぬらとした肌の獣がいるのを。しかし彼女にあっては、それは目覚めた意識の下をときおり滑っていく、落着きのない、姿かたちもはっきりしない暗い影、あるいはまた、眠る男に似てやさしくはてしない森、そんなものでしかなかった。それは彼女の内ではすこしも獣じみたところがなく、ただ彼女の魂におよぼすその影響が、いくすじかの線となり、どこまでも長く伸びていくだけだった。するとデメーターは言った、屈みこみさえすれば俺はもう獣になる……と」(197~198)
 ・「彼女は思った、神とこの人が呼ぶのは、あの異なった感触のこと、その中で彼が生きたいと願っているひとつの空間の、おそらくその感触のことなのだ、と。そんなことを考えるのも、彼女が病んでいるからだ。しかし彼女はこうも考えた。獣というものも、そんな空間と同じなのかもしれない、と。そんな空間と動揺に、すぐ近くを通り過ぎていく時には、目の中に入った水のようにさまざまな大きな姿かたちへ散乱するが、外にあるものとして見れば、小さくて遠いものでしかない。なぜ、童話の中ではあんなふうに、姫君たちを見張る獣のことを考えることがゆるされるのだろう。あれも病いなのか」(198)
 以上である。結局こうしてすべての箇所を抜き出してみてもやはり、「獣」の意味と射程は判然とせず、謎めいていて、脳内に何の考察も構成されず困惑させられるばかりである。
 それから、棚に積み上げられている本類のなかから、岩波文庫版の『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』を取った。松籟社の『ムージル著作集』の版は一九九五年、文庫版は一九八七年なので、松籟社版も新訳かと思いきや、読み比べてみると違っている。文庫化に当たって、相当に改稿したようだった(ヨハネスの「神」に対する呼びかけなど、「あなた」だったのが「おまえ」に変わっている)。新訳のほうもいずれは読み返してみなければならないだろう。それから古井由吉『ロベルト・ムージル』も手に取って、「静かなヴェロニカの誘惑」についての考察を流し読みしたあと、上階に上がって風呂を洗った。時刻は一一時半というところだったろうか。散歩に出るか、ものを食べるか迷ったが、空腹で外に出ては寒いだろうと先に食事を取ることにした。戸棚からカップ蕎麦を取り、粉末スープを入れて湯を注ぐ。合間に前日から残った大根の葉の炒め物を温め、生野菜のサラダも冷蔵庫から取り出す。それぞれ卓に運んで、まず大根の葉に醤油を掛けて食べてしまい、それからカップ蕎麦の蓋をひらいて搔きまぜた。七味を入れ、搔き揚げも乗せて、新聞を読みながら麺を啜る。先ほどのプラスチックごみ関連の記事を読み、さらに同じ国際面から、「「台湾の核心的利益と衝突」 蔡総統、習氏演説を批判」、「海底地名 中国活発申請 沖ノ鳥島南方 4件受理されず」の記事も読んだ。そうして食器を片付け、散歩に向かう。
 部屋に鍵が見つからなかったので――前日に履いたズボンに入れっぱなしのままだったかと思うのだが、そのズボンは両親がクリーニング屋に持って行ってくれているので確認できない――勝手口の鍵を持って、靴を玄関から台所のほうに運んで出かけた。朝は光の通る快晴だったところが、昼前から曇り出し、雲は毛布のような襞を成して空の全面を覆っている。風が吹けばやはり冷たく、張りのある空気だった。小公園では桜の木が二本、皮膚病のような緑の苔に覆われ、裸の枝を広げて静まっている。坂を上り、裏路地を行く。FISHMANS "チャンス"が頭に流れていた。太陽は雲の薄らいだ部分に辛うじて白さを引っ掛けており、路上に日向と日蔭の境も生まれないが、肩口に暖気が淡く漂うように感じられた。街道に出たが通りを渡ってふたたび路地に入る。日曜日で人のいない保育園を過ぎる。道の途中の諸所で柚子の木が、丸々とした実を垂らし、その黄色ももういくらか煤けたようになっている冬の日和である。駅にまっすぐ向かわず道を折れて、線路の上を掛かる短い橋を渡った。そうして駅を過ぎ、悪魔の手のように節張っている梅の木の前を通りながら、Hさんにメールを送ろうかなと考えた。頭のなかで散漫に文言を回しながら歩き、坂を下ると、歩いてきたいくらか温まった身体に微風が流れて、顔の冷たさが心地良いようだった。
 帰宅すると緑茶を用意して室に帰り、WITTAMERの、マカデミアナッツの入ったチョコレート・クッキー(先日の会食の時にT子さんから頂いたものだ)を食べ、茶を飲みながら、Hさんへのメールを綴った。一〇分ほどでさっと書き、口に出して読み返して推敲してから送ったが、アドレスを見て半ば予想していた通り、もはやこのアドレスは使われていないと返ってきた。彼女はTwitterもやっているのだが、こちらをフォローしていないためダイレクトメッセージを送ることができない――Tumblerのほうにコメントしてみようかとも思ったが、ひとまず機会を待つことにしてこの問題は措いておいた。
 それから他人のブログを読む。その後、沖縄関連の書抜きの音読での読み返しも行い(一二月三〇日から二八日まで)、Twitterをちょっと覗いてから鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』を読みはじめた。「愛の完成」に入っている。「静かなヴェロニカの誘惑」と比べるとまだしも読みやすく、意味が取りやすいように感じられる。「ヴェロニカ」は記述がとにかく抽象的・観念的で神秘的と言っても良いかもしれないが、「愛の完成」のほうは観念的なイメージと具体的な描写との配分がバランス良く、地に足ついた安定的な記述が折々に配されており、作品世界のなかで時空を見失わないで済むようだ。その点、「愛の完成」のほうが小説的と言えるかもしれないのだが、これはもしかすると傑作ではないのだろうか。それに対して「ヴェロニカ」のほうは通常の意味での「傑作」の枠を越えたもののように思われる――その点で、ウルフの『波』とか、同じムージルの『熱狂家たち』を連想させる。説得したり納得させたりするのではなく、読む者をただひたすらに困惑させ続ける類のテクスト。ロラン・バルトの次の記述が想い起こされる。

 『S/Z』の中で、ある対立関係が提案された、すなわち、《読みうること》/《書きうること》である。《読みうる》テクストとは、私がふたたび書くことのできるとは思われぬテクストである(今日(end181)私に、バルザックのように書くことができるか)。《書きうる》テクストとは、私が、自分の読み取りの体制をすっかり変えてしまわないかぎり、苦労しながらでなければ読めないテクストである。ところで、いま思案中なのだが(私のもとへ送りつけられるある種のテクスト群から示唆を受けてのことだ)、もしかするとテクスト的実体として第三のものがあるのかもしれない。読みうるもの、書きうるものと並んで、《受け取りうる》ものとでもいうような何かがありそうなのだ。《受け取りうるもの》とは、読みえないものであって、挑発するもの、そして、あらゆる真実らしさの外にあって絶えず産出されつづける、燃えあがるテクストである。また、その機能は――あきらかに見て取れるとおりその書き手が引き受けている機能は――著作物をめぐる金もうけ主義の制約に対して異議申し立てをするところにあるらしい。そのテクストは、《刊行不可能》という思想によって主導され、武装されており、みずからのもとへ次のような返信を呼び寄せそうである。すなわち、あなたの産出なさっているものは、私には読むことも書くこともできません、しかし私はそれを《受け取ります》、火として、刺激剤として、謎めいた組織破壊作用として。
 (佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルト』みすず書房、一九七九年、181~182; 読みうること、書きうること、そしてそれを越えて Lisible, scriptible et au-delà)

  • ●213: 「彼女にとってこの男の背後からすでにほのかに顕われはじめた何ごとかを話しているのだということが見えた」――ムージルの登場人物は、「背後」にある何ものかを見ようとする。
  • ●215: 「現実には、あたしはあなたのそばにいたのよ。だけどそれと同時に、ぼんやりとした影ほどにあたしは感じたの、あなたから離れても、あなたなしでも生きられるように」――「現実」(そば)と「影」(離れて)の共存、同時性。
  • ●215: 「ときどき物という物がいきなり、二度にわたって現われることがあるものよ。一度はふだん知っている張りのある鮮やかな姿で。それからもう一度、今度は蒼白くて、ほの暗い、何かに驚いた姿で」――「物」の二重性。→●「テルレス」74: 「事物も出来事も人間も、なにか二重の意味を持つものとして感じ取るという感覚が狂気のようにテルレスを襲った」。
  • ●215: 「あたしはあなたをつかんで、あたしの中へ引きもどしたかった……それからまたあなたを突きはなして、地面に身を投げ出したかった」――両義性。相反する感情の同時性。愛する気持ちと遠ざける気持ち。
  • ●216: 「彼女は長いあいだ見たところいつも誰かしら男に完全に支配されていた。ひとたび男に支配されるとなると、やがて自分を投げ棄てて、自分の意志というものをまったく持たなくなるまでに、男の言いなりになれたものだった」――過去のクラウディネの男への服従。自己の放棄。
  • ●216~217: 「いずれ屈従にまで至りつく強い情熱の行為を彼女はさまざま犯し、それに苦しめられた。にもかかわらず、自分のおこないはどれも結局のところ自分の心には触れないのだ、ほんとうは自分と何のかかわりもないのだ、という意識を片時も失わなかった」――離人感?
  • ●217: 「現実の体験のあらゆる結び目の背後で、何かが見出されぬままに流れていた。彼女は自分の生のこの隠れた本性を一度としてつかんだことはなかった」――「背後」への志向。ムージルにおいて、物事の本質・本性は事物の背後に隠されている。「物の二重性」もそれと関わるだろう。すなわち、事物は表層と深層=真相を持っていて、本質はいつも深いところ/裏のほうにある。そしてその本質は、言語によって完全に捉えきることができない。→「テルレス」70: 「彼が先ほどバジーニのことを思い浮かべたとき、その顔の背後に二つ目の顔が朧げに見えはしなかっただろうか?」
  • ●217: 「彼女は何が起ころうとそれについて客人のよそよそしい気持しかいだかなかった」――離人感?
  • 218: 「見たところ落着きはらった慇懃な物腰で人々の間を歩みながら、じつは自分が是非もなくそうしているのを彼女は感じ、そのことを屈辱のように心の底で病んだ」――「心の底で病んだ」の言い方が珍しい。
  • ●219: 「彼女はようやく夫のことを思い、その思いは雪の湿りをふくんだ空気のように柔らかでけだるい幸福感につつまれたが、あらゆる柔和さにもかかわらず、なにやらほとんど身動きをさまたげるものがあった。あるいは、病が癒えかけて、ながらく部屋になじんだからだが、はじめて戸外へ足を踏みだすことになったときの、思わず立ち止まらせ、そしてほとんど苦痛をあたえる幸福感が。その背後にはひきつづき、漠として揺らぐあの音色が、彼女にはとらえられぬままに、遠く、忘却の中から、呼んでいた。幼い日の歌のように、ひとつの痛みのように、彼女自身のように」――「背後」及び「音色」のテーマ。
  • ●219: 「感覚は冴えざえとさめて、物に感じやすくなっていた。しかしその感覚の背後で何かが静まろうとし、伸びひろがろうとし、世界を滑り過ぎさせようとしていた」――「背後」のテーマ。そこには「何か」がある。
  • ●220: 「彼女は夫とともにこの世界の中で、ひとつの泡だつ球体の内に、真珠と水泡と、羽毛の軽さでさざめく雲片とに満たされた球体の内に、生きている心地がした」――「「球体」のテーマ。クラウディネは今電車のなかにいて、夫とは離れているが、それにもかかわらず「夫とともに」球体に包まれている。→●213: 「木々があり、草原があり、空があり、そしていきなり、なぜすべてがここでは青く輝いて、かしこでは雲に覆われているのか、わからなくなる。二人はこれらの第三者がそろって自分らを囲んで立っているのを感じた。ちょうどわれわれを包みこみ、ときおり、一羽の鳥が不可解に揺らぐひとすじの線を刻みこんで飛び去るそのとき、見なれぬ透明な姿でわれわれを見つめ、そして凍えさせる、あの大きな球体のように。夕べの部屋の中にひとつの孤独が、冷たい、はるばるとひろがる、真昼の明るさの孤独が生じた」――世界の不可解さ。疎外感? 先の部分では、クラウディネは列車の外を風景/事物が流れ過ぎて行くのを見ながら、「陽気で軽快なもの」「心やさしい感じ」を覚えているが、この部分では「球体」に包み込まれることは、「凍えさせ」、「孤独」をもたらすものである。前者では、夫と離れていながら「夫とともに」「生きている」のに、後者の箇所では夫とともにいながら「孤独」が生じている。
  • ●220: 「何かしら圧迫が身から除かれたように感じられ、彼女はふと、一人でいることに気がついた」→●219~220: 「そこにはなにやら陽気で軽快なものがあった。壁がひらいて視界がひろがったような、なにやら解きほぐされて重みを取り除かれたような、そしていかにも心やさしい感じが」――「圧迫」や「重み」が取り除かれる。
  • ●220~221: 「愛する人間への関係の中には、たくさんの問いが考えつくされぬままにのこるものだ。共同の生活はそのような問いが考えつくされるのを待たずに、問いを乗り越えて、築きあげられなくてはならない。そしてのちになると、ひとたびできあがった生活は、ほかの可能性をただ思い浮かべるだけの力さえ、もう余してはおかない。それからある日、道端のどこかに一本の奇妙な杭が立ち、ひとつの顔があり、なにやら香りがためらい、石がちの草むらの中へ、まだ踏み入ったことのない小径[こみち]が消えるのが見える。ほんとうはひきかえさなくてはならない、見にいかなくてはならないのだとはわかっている。しかしすべては前へ前へと走ろうとする。ただ蜘蛛の糸か、夢か、さらさらと鳴る枝か、そんな何かが歩みをためらわせ、まだ生まれない思いから静かな痺れが放射してくる」――「愛する(……)余してはおかない」まではわかりやすい。一種のアフォリズムと言うか生活訓と言うか、ともかくも容易に納得の行く言明である。ところが、その直後、「それから」以降は突然イメージの世界へと飛躍しており、全体としてどのような意味を指しているのか途端にわかりにくくなる。記述の位相がまるきり変化している。
  • ●221: 「クラウディネは幸福のさなかにあってもときおり、これはただの事実にすぎない、いやほとんど偶然にすぎない、という意識におそわれることがあったおそらくもっと違った、遠く思いもおよばぬ生き方が、自分のために定められているにちがいない、と思った」――ここで言う「幸福」とはおそらく、夫との生活のことだろう。それに根本的なところで必然性がないことをクラウディネは予感している。その「幸福」と違った、「遠く思いもおよばぬ生き方」とは、この小説中で起こる姦通を暗示し、記述のレベルでそれを下準備しているのかもしれない。そしてその事件は「定められている」。避けられない運命としてあるということか?
  • ●221: 「あるいは、それはひとつの孤独な幸福、何よりもはるかにすばらしいものなのかもしれない」――夫から離れて、「遠く思いもおよばぬ生き方」をすることは、「孤独な幸福」なのかもしれない。今ある愛の生活とは異なった生き方。
  • ●221~222: 「ときおり、彼女には自分が未知の愛の苦しみへ定められた者のように思われた」――「事件」の暗示か?
  • ●222: 「赤裸な、力なく生と死との間に掛かる冬の日々に、彼女はなにやら憂愁を感じた。それは通常の、愛を求める心の憂鬱とはならず、いま所有しているこの大いなる愛を捨て去りたいという、憧憬に近いものだった。まるで彼女の前に究極の結びつきへの道がほの白み、彼女をもはや、愛する人のもとへは導かず、さらに先へ、何ものにも守られず、せつないはるけさの、ものすべてが柔らかに枯れ凋[しぼ]むその中へ、導いていくかのようだった」――「大いなる愛を捨て去りたいという、憧憬」。夫との愛は「大いなる」ものでありながら、しかし彼女はそれを捨てることを夢見ている。「究極の結びつき」というのは、あとに出てくる「究極の結婚」と同義だろうか。愛を捨て去り、姦通を行うことによってクラウディネは逆説的に究極の愛の地点に到る? そんな風にこの物語が書かれていたかどうかは、残りの部分を再読してみないとわからない。
  • ●222: 「この途方もない鮮明さにおののくひと時の中にあって、もの言わぬ従順な物たちがいきなり二人から離れ、奇妙なものになっていくかに感じられた。物たちは薄い光の中に屹立し、まるで冒険者、まるで異国の者たち、まるで現ならぬ者たち、いまにも響き消えていきそうにしながら、内側ではなにやら不可解なものの断片に満ちていた」――世界からの疎外感? 「物たち」が馴染みのない、不可解なものになっていく。
  • ●222: 「そんなとき彼女は、ことによると自分はほかの男のものにもなれるのかもしれない、と思うことができた。しかも彼女にはそれが不貞のように思えず、むしろ夫との究極の結婚のように思えた。どこやら二人がもはや存在しない、二人が音楽のようでしかなくなる、誰にも聞かれず何物にもこだまされぬ音楽にひとしくなるところで、成就する究極の結婚のように」――この小説のメインテーマがここで明らかにされているはずだ。「どこやら」以降の音楽の比喩は美しい。「誰にも聞かれず何物にもこだまされぬ音楽」。
  • ●223: 「自分たちはことによると、ほとんど狂ったように心こまやかに響いてくる、かすかな、せつない音色を、そんな音色を耳にすまいとする声高な抵抗によって、ようやく愛しあっているのかもしれない、という思いにおそわれながら、彼女は同時にまた、いっそう深いもつれあいを、途方もないからみあいを予感するのだった」――「音色」のテーマ。ここの「音色」は、違った生き方をすること、あるいは姦通への誘惑を指しているのかとも思ったが、そう明示されてはいない。「ようやく愛しあ」いながら、同時に「深いもつれあい」を想像する。相反する事柄の同時共存がムージルの小説には多い。姦通が「究極の結婚」となるのはその最たるものではないか。
  • ●223~224: 「彼女の思いのせいか、それともほかの理由からか、なにやら目にさからうものが、空虚ながら頑なに風景の上をおおい、不快な乳濁した薄膜を通して物を眺める気持がした。あのせわしない、あまりにも軽やかな、まるで十本もの肢でうごめく賑わいが、いまでは堪えがたいほどに張りつめられていた。その内には侏儒[こびと]の小走りのようにあまりにも活発なものが、はしゃぎきって、人をからかうように、こまかくうごめき流れていたが、それも彼女にとってはやはり物言わぬ、生気もないものだった」――離人感? 「風景」は「賑わ」っており、その内に「活発なもの」が「うごめき流れて」いるが、クラウディネはそれを生き生きと感じることができない。
  • ●224: 「その虚無を前にして一枚の薄膜となり縮まりこみ、自分のことを思う不安を、この声なき不安を指先に感じ、そしてさまざまな印象が粟粒とこびりつき、さまざまな感情が砂と流れるその間、彼女はまたしてもあの独特な音色を耳にした。ひとつの点のように、一羽の鳥のように、それは虚空に浮かんでいるようだった」――「音色」のテーマ。何を指しているのかは判然としない。姦通への欲望のことだろうか?
  • ●225: 「そのとき、彼女は何もかもがひとつの運命であるように感じた。(……)そして彼女には自分の過去が、これからようやく起らなくてはならぬ何ごとかの、不完全な表現に見えてきた」――「事件」の予感だと思われる。
  • ●225: 「彼女の思いは、まわりの人間たちがいかにも大きく、甲高く、揺ぎなくなっていくのを感じた。それに怯えて彼女は自分の内へ這いこみ、自分の無と、重みのなさと、何かをひたすらめざす衝動のほかには、何ひとつ知らなくなった」――「知らなくなった」という言い方は古井由吉『白髪の唄』にも出てくる――「(……)人に棄てられた防空壕の中へ、お父さんには申訳ないけれど、火が吹きこんだら三人一緒に死にましょう、と飛びこんだきり、周囲のことは知らなくなった。妹の息のほかは、何も知らなくなった」(338)。「何ひとつ」「何も」の類同性から見ても、ここが元ネタだろう(意図的に取ってきたかどうかは知らないが)。/また、「重みのなさ」。→●225: 「家の中でさまざまな物音が部屋から部屋へさまよい歩き、自身はどの部屋にもなく、魂の重みを取り除かれて、なおもどこかしらに浮游する生をいとなんでいる、あの心地」→●225: 「そら恐ろしいまでに未知なものの重みを受けて、彼女の心はしだいにあらゆる拒絶の構えを、克服の意志の力を恥じはじめた」→●220: 「壁がひらいて視界がひろがったような、なにやら解きほぐされて重みを取り除かれたような、そしていかにも心やさしい感じが。彼女のからだからさえ、おだやかな重みがのぞかれていった」――クラウディネは「重み」を失い、軽くなって「浮游」する。
  • 226: 「彼女は夫のことを思い出そうとした。しかしすでにほとんど過去のものとなりかかった自分の愛を、長いこと窓をとざした部屋のような、いぶかしいものとしてしか思い浮かべられなかった。(……)そして世界は、ひとりのこされて横たわる寝床のように、ひんやりと冷たくて心地よかった。とそのとき、彼女にはひとつの決定が自分を待っていると思われた。なぜそう感じたか、自分でもわからなかった」――「愛」からの疎外。そこにあって「世界」は「心地よ」いものである。「ひとつの決定が自分を待っている」というのは、やはり「事件」の予感ではないか。
  • 226: 「この男が誰なのか、彼女は知らなかった。この男が誰であろうと、どうでもよいことだった。ただ、相手がそこに立って何かを求めているのを感じた。そしていまや何かが現実となりはじめているのを」――やはり姦通の予感か。
  • ●227: 「そしてさまざまな事実が不可解にも流れ動きはじめるとき、感じやすい人間たちが多くそうであるように、彼女はもはや精神のはたらきをもたぬことを、もはや自分ではないことを、精神の無力と、屈辱と、苦悩とを愛した。あたかも弱い者を、たとえば子供や女を、かわいさのあまり叩いてしまって、それから着物になってしまいたい、着物になってたった一人で自分の痛みを人知れずつつんでいたいと願うように」――「着物になってしまいたい」とは、唐突で不思議だが印象的な比喩。

 こうして気になった部分を写してきてみると、二番目のパートは繰り返し事件の「予感」を書き込み、全篇を通じてゆっくりと、クラウディネが姦通を犯すことの下準備を敷いているという印象を受ける。注意深く読めば、情事は予告され、ほとんど定められている。
 読書はBGMはAndre Ceccarelli『Carte Blanche』。ライブ音源を収めたディスク二の"All Blues"が相当に充実している。書見は四時過ぎまで。そうして日記を綴っていたが、ムージルの文章を写して考えを付していくのに時間が掛かり、五時を迎えてしまったので家事をやりに行く。上がると、まず食卓灯を点けてカーテンを閉ざす。南窓のみそのままにしたのは、外の風景が宵闇に包まれていくのを見たかったからである。そうしてアイロン掛け。海底にいるように青く暗い空気が、刻々と暮れて行く。背後からは食卓灯のオレンジ色の光が射し、目の前に置かれたアイロン台とシャツの上に、こちらの影が掛かって左右に動く。アイロン掛けを済ませると、食事の支度に掛かった。鶏肉のソテーを作ることに。葱と玉ねぎを切り、鶏むね肉も一口大ほどに分けて切り込みを入れる。そうして肉からフライパンに投入。蓋をして熱しているあいだに小鍋を火に掛け、椎茸と玉ねぎをもう一つ切る。味噌汁である。それらを鍋に投入しながら、フライパンには野菜も入れて、良いだろうというところで塩胡椒を振った。味噌汁のほうは「とり野菜みそ」で味付けをして、最後に溶き卵を垂らして完成。時間はまだ六時前だったが、腹が減っていたので早々と食べてしまうことにした。作った二品に米を加えて卓に並べ、新聞を読みながら食べる。「レーダー照射 「反論」映像 韓国で詳報 日本と関係悪化 懸念も」(二面)。食後、薬を飲み、食器を片付けて下階へ。緑茶を飲みながら日記の続きを作成する。そうして七時一五分。
 それからMさんのブログを読んだ。八時になったら風呂に入ろうと思っていたところ、まだ間があったのでそのまま、Mさんが紹介していた行方不明者の日記も読むことにした。特定非営利活動法人日本行方不明者捜索・地域安全支援協会という団体のホームページに載せられているものである。Mさんが推していた「アオエさんのダイアリー」をなかなか面白く読んだ。特に二〇〇四年一一月の二つの記事が良かった。放置されたパウンドケーキを見つけた「食わなきゃ餓死するんだしどうせなら食って死にたいというペシミスティックな自答」というのは生々しいし、「死ぬよりは生きるほうがいいと売春をし、いろんなひとのいろんなところを舐め、よってわたしは今スプーンをねぶることができる」という一節の「スプーンをねぶる」という言葉選びも印象的。一一月七日の記事は全篇を通して一つのリズムを持っているように感じられるので、以下に引用する。

鈍感であるのならいっそのこと不感だったらよかった。引っ越し引っ越しって全然うかれてない。ただ同じ業種でも東京ならもっと割のいい手取りになるから、それだけ。やさしさなんて言葉で言い表す自分からアクション取ろうとしない面倒くさがりの恋人さんとのセックスがどうしてもどうしても受け入れられなくなった、それだけ。綺麗に持っていくもの捨てるもの判別しちゃって、いつ出て行くことになってもいいようにって物は必要最低限に収めようとしてる生活態度、「進学したけど辞めました」って言う屈辱、保証人不用の安いとこ安いとこ探して、どこでもいいなんて本当は思ってない。石川啄木ですな、働けど働けどってな。まったくだよな、何もかも上手くいきやしねえよ。わたしは悪い事したよ、年齢不相応だとかそんなの悪いことなんてひとつだってしちゃあいけないのは知ってるよ、分かってる、だからもうしないって頑張ってるけど悪い事する前からどうしてわたしを傷つけたの、そんなに嫌いなら捨ておいたままにしておいてくれればよかったのに、どうせわたし男の子じゃなかったもの、みんなの望む通りの女の子じゃないもの、もうやだ、ぜんぶやだ、努力してるもの、でも羅針盤自体が狂ってたらどうしたらいいの、そんな誤差、正しい真北知らないもの、誰か教えてくれなきゃ修正できない
 (http://www.mps.or.jp/diary01/diary.php?year=2004&month=11&user=aoe22

 それで八時を迎えたので風呂に行った。浴室に入ると同時に、帰ってきた父親の車の静かな動作音が聞こえた。身体はやはり痒いが、ましになってきてはいる。それでも腰回りや二の腕などの赤くなっている箇所をぼりぼりと搔きながら浸かり、出ると櫛付きのドライヤーで頭を撫でて乾かした。居間に出て両親におかえりと挨拶をする。コンビニの焼き鳥を買ってきたと言うが、腹が減っていないので翌日頂くことにした。それでねぐらに帰り、ムージル「愛の完成」の続きを読みはじめた。BGMはJohn Coltrane『Live Trane - The European Tours』(Disc 1)に、Martha Argerich『Schumann: Fantasie In C, Fantasiestucke, Op. 12』John Coltraneも大概だが、Eric Dolphyもわりと頭のおかしいプレイをする。

  • ●227: 「やがて、彼女は自分たちがいま二列に並ぶ高い樹々の間を走っていることを知った。目的地に近づくにつれて狭まっていく暗い通路のような」――クラウディネが姦通へと追い込まれていくことの暗示か?
  • ●227: 「この男が誰なのか、彼女は知らなかった。この男が誰であろうと、どうでもよいことだった」――男の匿名性。その像は曖昧で、判然としない。
  • ●228: 「そしていきなり自分自身について、無力な、取りとめのない、まるで切断された腕でも振りまわしているこころもとなさを覚えた」――「無力」のテーマ。→●226~227: 「彼女はもはや精神のはたらきをもたぬことを、自分ではないことを、精神の無力と、屈辱と、苦悩とを愛した」→●225: 「彼女は自分の内へ這いこみ、自分の無と、重みのなさと、何かをひたすらめざす衝動のほかには、何ひとつ知らなくなった」
  • ●228: 「しかしすべては、まどろみの中で重苦しい夢を見ながら、それが現実でないことを、たえずすこしばかり意識しているのと似ていた」――現実感喪失、稀薄さ。
  • ●228: 「そのうちに、男が窓のほうへ身をかがめて空を見あげ、「われわれは雪に降りこめられることになりそうですな」と言った。/そのとき、彼女の思いは完全な目覚めへ、たちまち跳び移った」――突然の覚醒。なぜ男のこの発言が彼女の覚醒を呼んだのか、それは書かれていない。読者が読み取れるのは、発言がともかくも何らかの作用をクラウディネに及ぼし、覚醒の引き金になったということだけである。ここでは論理が読者の届かない深層に隠されている[﹅6]。あるいは隠されていると言うよりは、深層=真相があるように見えながらも、本当はそんなものは存在しないのかもしれない(つまり、ムージル自身にも作用の内実は不明だということだ)。
  • ●228: 「そして彼女は現実を、奇妙にひややかに、しらじらと意識した。しかし気がついて驚いたことに、それにもかかわらず心を動かされて、この現実の力を強く感じていた」――離人感? 現実からの疎外? しかしそれに留まるものでなく、「現実の力」に影響されている。
  • ●229: 「一瞬、細いうなりを立てて、心ならずも淫蕩な驚愕が、まだ名づけようもない罪を前にしたように、彼女の心をかすめた。(……)そして彼女の肉体はかすかな、ほとんどへりくだったような官能に満たされて、魂の奥処[おくが]をつつみかくす暗い覆いのようだった」――男を前にして彼女は「淫蕩」「官能」を覚える。男に性的に惹かれているということだろうか? だとしても、男の存在は情報が少なく曖昧なものであり、彼の「個性」の故に惹かれているわけではない――彼女は今のところ、男を魅力的な特殊性を備えた個性ある人間としては見ておらず、彼女が惹かれているのはおそらく、男自身ではない。
  • ●229: 「彼女は自分に言いきかせようとした。これは何もかも、見も知らぬ人間たちの間にまじって行く、この突然の一人旅の、幻覚とまぎらわしいまでに混乱した心の内の静けさのせいにすぎないのだ、と。またときには、これは風のせいなのだ、そのきびしい、焼けつく冷たさにつつまれて、自分は硬直し、意志を失ってしまったのだ、と思った」――彼女は「官能」と「不安」を覚えているが、それは「心の内の静けさ」によるものである。これは特殊な表現だと言うか、普通官能を覚えたり興奮したりする時は、それを例えば炎などの比喩で表し、その激しさを強調するものだと思うが、ここでは「静けさ」が用いられている。「風」も同様。/「焼けつく冷たさ」――両義性。/また、意志の放棄。自己放棄は彼女にとって、男に支配される生活を送っていた過去と結びつくものだと思われる。→●216: 「彼女は長いあいだ見たところいつも誰かしら男に完全に支配されていた。ひとたび男に支配されるとなると、やがて自分を投げ棄てて、自分の意志というものをまったく持たなくなるまでに、男の言いなりになれたものだった」
  • ●230: 「そしてこの弱さと官能こ彼女の愛におけるひとつの神秘な感情であるかのように、思われた」――「弱さ」は男に屈服=姦通したがっている自分の心というところだろうか? 官能と神秘の結びつき。性が「超越」と結びつくのは、「テルレス」以来のムージルの中心的なテーマだろう。
  • ●230: 「そして男のほうをまたしても眺めやり、おのれの意志の、つれなさと侵しがたさの、この呆然たる放棄を感じたそのとき、あかあかと彼女の過去の上に一点の光がかかり、彼女の過去をまるで名状しがたい、見知らぬ秩序をもつ遠方のように照らし出した。とうに過ぎ去ったはずのものがまだ生きているかのような、奇妙な未来感だった」――意志の放棄。おそらく彼女は自分の過去を想起している。「未来感」というのは、その過去(男に屈服していた過去)がこれから先の未来に起こるかのように感じられるということではないか。
  • ●230: 「(……)この橇の中にあるという取るに足りぬ現在(……)/それから、夜中になって、彼女は目を覚ました。(……)自分が獣のように素足を床におろしたのがぼんやりと見えた」――段落替えを挟んで場面が「橇」から宿の「部屋」に転換している。「素足」や「床」によってそれは書き込まれているし、あとには「部屋」や「戸棚」「寝台」などが出て来て明らかに判明するが、ちょっと注意を怠っているとまだ橇のなかにいるかのように読んでしまう箇所である。場面転換の素っ気なさ。また、「獣」のテーマ。
  • ●231: 「彼女はいきなり幻想的な興奮に熱くなるのを覚えた。低い声で呼んでみたかった。不安と欲情にかられて叫ぶ猫のように、真夜中に目覚めてここに立ちつくすこの身で」――「興奮」に「欲情」。彼女は男を求めている。
  • ●231: 「それから彼女はあの男の姿を思い浮かべようとこころみたが、それはうまくゆかず、ただ自分の思いの、用心深く前へ伸びていく獣じみた歩みを感じるばかりだった。わずかにときおり、あの男の何かしらを、実際にあったがままに浮かべた。髭を、輝き出た片方の目を」――男の外貌情報は「髭」と「片方の目」だけでその像は曖昧模糊として判然としない。また、「獣」のテーマ。
  • ●231~232: 「自分はもう二度とほかの男のものにはなれない、と彼女は感じた。ところがまさにそのとき、まさに彼女の肉体がただ一つの肉体をひそやかに求めて、ほかのあらゆる肉体に嫌悪をいだくそのとき、それとともに彼女は――まるで一段と奥深いところで――なにやら低く身をかがめていく動きを、眩暈を感じた。それはおそらく人間の心の不確かさへの予感、おそらくおのれへの危惧、あるいはただ、不可解にも無意味にも淫らをこころみる心、なおかつあのもう一人の男のやってくるのを願う心にすぎなかったのかもしれない」――実にムージル的な記述ではないだろうか? 一方の極限に達したかと思ったまさにその時、もう一方の極に振れる動きが起こる。
  • ●232: 「自分の心を誘うのはあの男ではなくて、ここに立って待っているというそのこと、自分であるという喜び、人間として、生命[いのち]なき物たちの間で傷口のようにぱっくりとひらいて目覚めてあるという、この鋭敏な、奔放な、捨て身の喜びにほかならぬことを」――クラウディネは男自身に惹かれているわけではない。
  • ●232: 「そして自分の心臓の鼓動を、どこからか物に驚いて迷いこんできた獣を胸に抱き取る心地で感じるうちに(……)」――「獣」のテーマ。→●231: 「それから彼女はあの男の姿を思い浮かべようとこころみたが、それはうまくゆかず、ただ自分の思いの、用心深く前へ伸びていく獣じみた歩みを感じるばかりだった」→●230: 「彼女は素足のまま、爪先立ちで窓辺に忍び寄った。何もかもすばやくあいついでおこなわれた。自分が獣のように素足を床におろしたのがぼんやりと見えた」→●214: 「そして彼女たちがこの花環を感じ取るだろうかと、しばらく心やさしくためらい、それから花環を捨てて決然と昇っていく。孤独の秘密の、はばたく翼に運ばれて。見なれぬ獣のように、神秘の満ちた空無の中へ」
  • ●232: 「奇妙にも肉体は静かに揺らぎながらふくらみだし、かすかに揺れる大きな見なれぬ花となり心臓をつつみこみ、突然この花をつらぬいて神秘な愛の結びつきの、目に見えぬ彼方まで張りひろげられた陶酔がおののき走った。愛する人のはるかな心臓がさまよい歩くのを彼女はかすかに耳にした。定めなく、安らぎなく、故郷もなく、境界を越えてたえだえに運ばれ遠くから星の光のごとく顫える音楽の一片のように、静けさの中へ鳴り響きながらさまよい歩くのを」――離れて存在している夫との合一? また、「音楽」の比喩は「究極の結婚」のところでも出てきた。→●222: 「どこやら二人がもはや存在しない、二人が音楽のようでしかなくなる、誰にも聞かれず何物にもこだまされぬ音楽にひとしくなるところで、成就する究極の結婚のように」
  • ●232: 「そのとき、彼女はここで何ごとかが完成されなくてはならないのを感じた」――姦通の決意? 「愛の完成」。
  • ●234: 「そしてだんだんに、自分がどんな姿かたちをしているのか、感じ取れなくなり、現在の内にあって自分の輪郭が、暗闇にあいた奇妙な穴にしか見えなくなった。そしてごくおもむろに、自分が現実にはここに存在していないかのように思えてきた」――離人。自己の希薄化。
  • ●234: 「そのとき、愛する人のために操を守りたいと、小心翼々とすがりつく願いの真只中からせつなく差し伸べられた両手をゆっくりと力萎えさせながら、ひとつの思いが浮かんだ。<あたしたちは、お互いを知りあうその前から、お互いを裏切りあっていた>と。(……)いや、それは、<わたしたちは、お互いを知りあうその前から、お互いを愛しあっていた>という思いとほとんど変りがなかった」――両義性。「裏切り」と「愛」の相似。
  • ●235: 「不実であること、それは雨のようにひそやかな、天のように大地を覆う悦び、不可思議にも生をつつみ取る悦びにちがいない」――「不実」=姦通の「悦び」。
  • ●235: 「そしていきなり、自分の手がいまこの目覚めの、朝のうつろさの中で上へ下へと動くさまが、自分の意思には従わず、なにかどうでもよい、見も知らぬ力に従っているかのような、奇妙なものに見えた」――まさしく離人感。自己の意思の希薄化。
  • ●237: 「彼女はごく事務的なことだけを話し、ごく事務的なことだけを聞いた。しかしときおり、それさえもほとんどひとつの自己放棄と思えた。彼女は驚いた。なぜといって、ここの男たちに彼女はなんの好意も覚えなかった」――彼女にとって「自己放棄」は男に支配され、屈服させられていた過去と、つまりは姦通と結びついているのではないか。寄宿舎の教師たちとただ話しているだけで、彼女は姦通しているかのように感じられる?
  • ●237: 「独特な屈辱感が彼女の立居振舞いにいちいちつきまといはじめた。話題のささやかな転換にも、やむをえずとっている傾聴の姿勢にも、そればかりか、そもそもここに坐って話をしているというそのことにも」――「屈辱感」。上と同様。
  • ●238: 「鈍い光の中で、黒服を着て口髭をはやしたこれらの男たちが、彼女にとってはいかにも遠い生活感のつくりなすほの暗い球体の、その内に閉じこめられた巨大な像に見えた。そして、わが身のまわりにこんな球体の閉じるのを感じるのは、どんな気持だろうか、と思い浮かべてみようとした」――「球体」のテーマ。
  • ●238: 「彼女は自身の声が欲情の中でこなごなに砕かれて深みへ滑り落ちていくときどんな音[ね]をたてるか、それを思い浮かべてみようとした。(……)荒唐無稽な半獣神を彼女は感じ取ろうとした、まるでそんなものを信じている女のように。彼女の生活にはすこしも縁のない、見なれぬ生きものが、毛むくじゃらの、気の遠くなる臭いを吹きかける獣が、彼女の前に真近から大きく、おおいかぶさるように立ちはだかる」――「獣」のテーマ。
  • ●239~240: 「おそらく、ものごとの意味を定める大きな連関というものは、独特なさかさまの道理によってしか体験できないのかもしれない。それにしても、かつては肉体のように親しく自身をつつんでいた過去を、今では無縁のものに感じることができるという、移り気の軽々しさが、彼女にはいまや理解できない。また一方では、そもそも今とは違った何かが、かつてありえたという事実が、理解しがたく思える。これはどういうことなのか、と彼女はこだわった。人はときおり遠くに何かを見る。無縁のものだ。やがてそちらへ近づいていく。そしてある地点まで来ると、それはむこうから生活の圏内に踏みこんでくる。ところが、今まで自身のいた場所は、今では妙なふうに空虚なのだ」――古井由吉を思わせる記述だが、むしろ古井由吉ムージルを思わせると言うべきなのだろう。
  • ●241: 「愛する不安からたった一人の人間にすがりついていることにほかならぬ、この自分の揺るぎなさが、このとき彼女にとっては、恣意のものに、本質的ではなくてただ表面的なものに思われた」――夫への愛の不確かさ。
  • ●241: 「獣姦という言葉が浮かんだ。あたしは獣と淫らごとをおかすことになるのだろうか……。その奥にはしかし彼女の愛の試みがひそんでいた。/<あなたが現実の中で思い知るよう、あたしは、あたしはこの獣に身をゆだねる。(……)>」――「獣」のテーマ。

 
 読書後、ここまで日記を書いて現在は零時四五分。読んでいて気になった箇所を、ロラン・バルト『S/Z』のように細かく区分けして写してきたが、これは時間と労力が掛かりすぎるのでどうしたものか。気になった事柄とそこで駆動された思考についてはすべて記録したいというのがこちらの意向だが、考えものである。今はニートだから良いが、また働きはじめたらこうは行かないのではないか。
 その後、音楽。まず、Bill Evans Trio, "All of You (take 1)"。ベースソロに合わせて旋律を口ずさむ。それから、Chris Potter, "The Dreamer Is The Dream"。バスクラ。暖かみのある曲調。ベースソロ長し。二曲を聞いただけでこの日を終わらせることにして、ベッドに移った。消灯は一時一五分。入眠には苦労しなかった。段々と普通に眠れるようになってきているらしい。


・作文
 8:30 - 9:11 = 41分
 9:46 - 10:39 = 53分
 12:17 - 12:51 = 34分
 16:13 - 17:00 = 47分
 18:03 - 19:15 = 1時間12分
 22:57 - 24:46 = 1時間49分
 計: 5時間56分

・読書
 9:27 - 9:45 = 18分
 12:52 - 14:05 = 1時間13分
 14:13 - 16:13 = 2時間
 19:18 - 19:59 = 41分
 20:51 - 22:50 = 1時間59分
 計: 6時間11分

  • 2018/1/6, Sat.
  • 2016/8/31, Thu.
  • 「ワニ狩り連絡帳」; 2019-01-03; 2019-01-04; 2019-01-05
  • 「at-oyr」; 「冬の日々」; 「飛ぶ夢」; 「なんとなく、クリスタル」
  • 2018/12/30, Sun.
  • 2018/12/29, Sat.
  • 2018/12/28, Fri.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』: 211 - 242
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-01-05「自炊する肉と野菜を切り刻む死んで償え来世の分まで」
  • 特定非営利活動法人 日本行方不明者捜索・地域安全支援協会「行方不明者ダイアリー」; 「アオエさんのダイアリー」; 2004-02-06; 2004-02-07; 2004-08-19; 2004-11-07; 2004-11-25; 2004-12-05; 2004-12-12; 2005-03-28; 2005-03-29; 2005-04-01; 2005-04-06; 2005-04-07; 2005-04-08; 2005-04-14; 2005-04-29; 2005-05-01; 2005-11-21; 2005-12-31; 2006-03-20

・睡眠
 0:50 - 7:25 = 6時間35分

・音楽

  • Ambrose Akinmusire『The Imagined Savioir Is Far Easier To Paint』
  • Ambrose Akinmusire『A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard
  • Amos Lee
  • Andre Ceccarelli『Carte Blanche』
  • John Coltrane『Giant Steps』
  • John Coltrane『My Favorite Things』
  • FISHMANS, "ひこうき"、"チャンス"、"MELODY"
  • John Coltrane『Live Trane - The European Tours』(Disc 1)
  • Martha Argerich『Schumann: Fantasie In C, Fantasiestucke, Op. 12』
  • Chris Potter『The Sirens』
  • Aaron Parks Trio『Alive In Japan』
  • Bill Evans Trio, "All of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: #1-5)
  • Chris Potter, "The Dreamer Is The Dream"(『The Dreamer Is The Dream』: #3)

2019/1/5, Sat.

 七時一〇分頃起床。ダウンジャケットを羽織って首もとまで閉ざし、コンピューターを点け、Twitterを確認してから上階へ。母親におはようと挨拶。そうしてストーブの前に座り込む。熱風の刺激が肌にじりじりとする。洗面所にいた藍色の寝巻き姿の父親も出てきたので、おはようと挨拶。母親が前日のカレーの余りをドリアにしてくれている。便所に行き、ドリアが完成するとガラスめいた皿に入ったそれを卓に持ってきて、食事。ほか、中くらいのトマト一つ。新聞から、立憲民主党が脱リベラル層を目指しているという記事と、一面、首相の年頭報告の記事を読む。そうして皿を洗い、急須に湯呑みを自室から持ってきて、緑茶を用意する。小さな器に注いで仏壇に運び、こちらの湯呑みにも注いで、急須のなかには二杯目を入れて下階へ下りる。川本真琴 "タイムマシーン"を掛けて昨日の記事を読み返しながら、ポテトチップスを食う。袋を斜めにして最後の欠片を口に注ぐと、ティッシュで指を拭ってから日記。音楽は途中、Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』に。前日の記事を仕上げ、ここまで記して八時五〇分。
 昨日の記事に記し忘れたが、夜、本を読んでいるあいだに、fuzkueの読書日記メールマガジンの登録をした。月額八〇〇円ほど。
 上階へ。母親は新聞を読んでおり、青梅東部の英語マップだってと地域面に載せられていた我が町のニュースに言及してみせる。ああ、と受けてこちらは風呂場に行き、浴槽をブラシで擦って、出てくると早々と下階に戻った。Sarah Vaughanを掛けっぱなしで部屋を出ていたところ、プレイヤーが自然に移行して、階段を下りるとライブラリでVaughanの下に位置していたscope『自由が丘』が流れ出していた。久しぶりに聞くものだが、AOR風味の入った良質なロックで、東京事変で叩いていた刄田綴色畑利樹)が昔からサポートしているバンドだ。こちらは畑のファンだったW.G――大学時代にやっていたバンドの同僚のドラマー――にその存在を教えてもらった。彼も元気でやっているのだろうか。もう服を着替えてしまい、インターネットを覗き、冒頭、"自由が丘"に一度戻して歌ったあと、日記の読み返しを始める。二〇一八年一月五日。激しい自生思考による不安に対する考察。

 (……)今次の自己解体騒ぎは実に色々な側面から考察することができるのだが、この時考えた理路からは、今回の危機はこちらの相対化傾向が極点まで至ったことによるものだろうと考えられた。元々自分は、中学二年生になったあたりから、どうもこの世の中というものはくだらないなと思いはじめ(まさしく「中二病」的なのだが)、高校生の時期には、特段死にたいわけでもないけれど、大して長く生きたくもない、まあ四〇歳程度で死ねれば良いかな、という風に考えており、大学時代には完全にニヒリズムの病に冒されていた。要は、青年期にありがちないわゆる「実存の危機」だが、自分が生きている意味がわからない、ということで、大学四年の時には卒業論文を担当してもらう教授に相談に行き、本を読んだり勉強をしたりするというのは、何のためにやるのでしょう、などという問いを発してもいたのだ(教授の返答は、自分のような歳と立場になってくると何のためになどと考える前に、まず目の前のことをこなさなければならない、という実際的なものがまずあり、その次に、でもやはり、楽しいからとか、何かを知りたいからとかでは、というものが返ってきた)。しかし結局、こちらはこの時この返答には共感することができず、例えばイラクあたりの歴史の本を読みながら、相変わらず、これを読んで何になるのだろう、などとその「意味」を探し求めていたのだ。そんな具合で卒業論文にも身が入らず、今から考えると糞尿以下の代物を提出してしまったのだが(それで学位取得が許されるのだから、都の西北、などと誇らかに言われていても、たかが知れている)、その後、いつ頃になってからだったか、ニヒリズムなどというのは単なる観念論(当時はこのような言葉遣いをしなかったと思うが)に過ぎない、と気づく時があった。自分が生の意味を感じられないのには、いずれ自分は死んでしまうのだから、というありがちな論拠があったのだが、自分が死ぬことが決まっていても、いま現在ここで自分が何かを喜んだり、食事を取って美味いと感じたりしているということは否定できない、と考えたのだ。すなわち、自分はニヒリズムを相対化することに成功したのだが、それ以来段々と、この「いま・ここ」への集中、現在の時間を味わい尽くす、というような姿勢が自分の基本的な生存様式になり、それは書くことに対する欲望と結びついて、現在時点を絶え間なく言語化する営みへと結晶したわけだが、それによって、この「いま・ここ」の実在さえもが解体されかかった、というのが今回の危機だと考えられる。
 言語化とはそのまま相対化である。しかし、ほかの人々が例えば、自己などというものは存在しないのではないか、いま自分が見ているこの世界は実在しないのではないかなどと考えたとしても、それで少々不安を覚えるようなことはあっても、実際に自我の解体の危機を感じるなどというところまでは行かないはずだろう。実際、そのような議論を行っている哲学者たちは、実に理性的に、その自我を保ちながら論を考えているはずだ。ところがこちらにあっては、こちらが考えたこと、こちらの頭のなかに浮かんできた言語が、そのまま強い不安という身体症状を引き起こすわけである。こちらが感じ考えたことを言語に移し替えているのではなく、言語として浮かんできたことがそのままこちらが感じ考えていることになるかのようだったのだが(ここ数日の自分の体験を言い表すのには、「言語が第六の感覚器官になった」という比喩よりぴったり来るものを思いつけない)、これは明らかに異常であり、この点にこそ自分の狂いがあるのかもしれない。しかし、実際には、これはやはり不安障害が寄与しているものだろうと思う。不安に襲われている脳と身体というのは、瞬間瞬間に自分の思いつくことの影響を、非常にダイレクトに受けてしまうのだろう。あるいは、不安障害自体を、意味論的体系が現実的体系と畸形的にずれ、あまりに過剰になりすぎる病状として定義することもできるのかもしれない(何しろ、ほかのほとんど誰もが危険や不安を感知しない場において、「不安」の意味を読み取ってしまい、それが高じて発作を誘発するくらいなのだから)。だから、最初のパニック発作の時点でこちらの頭はどこか決定的にずれてしまい、その後ずれにずれ、意味論的体系が膨張しすぎて今に至っているのかもしれない。

 話をちょっと戻すと、相対化のことを説明した際に、自分にはそもそも性質として、どうしても「確かな」ものを求めようとしてしまうところがある(格好良く言えば「真理」への愛であり、すなわち哲学=フィロソフィアである)、しかし同時に、(普遍的に)確かなものなど存在しないのだということもわかっている、しかし、その都度その都度「確かだと思われたもの」で良いので、そうしたものをその都度その都度発見して行きたいのだが、それが今回、不安性向と結びついて極地に至ったのではないか、という自己分析を話した。つまり、その時々の「確かな」事柄を判断するために自分の精神は瞬間的な物事の相対化を行うが、直後にはすぐさま、それが本当に「確か」なのかと疑いはじめてしまい、不安を呼び起こす、そしてその不安から逃れるために/不安から追い立てられて、精神は高速で次の「確かさ」を探り当てようとし、発見したかと思えばそれをまたすぐに相対化しはじめる、といった具合で、自分の頭は永遠の循環に陥っているのだろう。実際、今回の危機でもそのままこれが起こって、目の前の世界の実在を疑い不安が生じるやいなや、身に湧き上がってくる不安こそが「リアル」なものとして感じられ、それで自分はまだ正気であると確認する、しかしそのすぐあとにはまた自らの正気を疑いはじめる、というような反復が何度も繰り返されたのだ。どうもそのように非常に分裂的な傾向が自分にはあるらしいと説明し、しかしもうそれで仕方がないと思っている、自分は不安を感じながらでも、その都度の確かさを求めて行きたい、それが自分なのだと先ほど図書館で開き直った、ということも話し、ただ、その分裂の幅をもう少し狭くしたいので、その点、薬で調節できたらと思っていると告げた。つまり、三日にMさんとの通話で出てきたキーワードで言えば、自分の精神は明らかに「動きすぎて」いたのだが、「動きすぎず、動き回りたい」というのがこちらの望みなのだ。また、この「分裂」を主軸として自分の不安の意味論的体系を(ある程度まで)読み解くこともできると思われるのだが、それはここでは触れない。さらにまた、自分のこのような特性を観察した結果として、むしろ「不安」こそが自分を自分として成り立たせている第一/最終原理、つまりはそれ以上相対化できないものとして定位されているのではないか(中世のキリスト教神学者たちが「神」に与えていた地位が、自分においては「不安」になっている)と考え、さらにそこから、「悟り」というのはこの「不安」でさえも相対化/解体しきったその先にあるのではないかということも考察したのだが、それもここで細かく述べる気にはならない。しかし今回のことで、仏教の言う「一切皆苦」という考え方がこちらには身に染みて理解できた。釈迦は不安障害患者だったとしか今の自分には考えられない。

 それから二〇一六年九月一日の分も読み返し、ブログに投稿。日記を非公開にした時期の最初の記事ではないか。読み終えると隣室に入って久しぶりにギターを弄る。ブルースの真似事をしばらく適当にやってから戻ると一〇時、ここまで日記を書き足した。母親が出かけるから送って行ってくれると言うがどうするか。
 コンピューターを仕舞い、リュックサックに荷物も入れて(財布、携帯、『ムージル著作集 第七巻』、読書ノート)上階へ。南の窓辺に寄って外の風景を見やる。額に太陽の光線が当たってじりじりと熱される。大根の生えている畑を見下ろして、次に斜面に生えた棕櫚の木を見れば、蓑のような枯葉の乏しくなってほっそりとしており、頂上の緑葉も少なくて松明のようである。梅の木には蕾がつきはじめているようだ。見ていると、隣家の敷地に猫が現れる。鼻から腹のあたりまでが白く、あとは黒い体の猫である。日向ぼっこではないのだろうか、ちょうど柚子の木の影に入ったところで立ち止まり、鷹揚とした調子であたりを見回している。耳がぴくぴくと動く。口笛を吹いたり、窓をリズミカルに叩いたりしてみるとその音に気づくのだろう、こちらのほうを見上げて目が合う。しばらく観察して、母親に猫がいるから見てみ、と呼び掛ける。すると見ていた母親がこっちに来た、と。こちらももう一度窓に寄ってみれば、猫は我が家の敷地のなかをゆっくりと闊歩しており、その姿が見えなくなるまで追った。そうして出発。猫が家の南側から上がって来ているかと思えば、こちらが玄関から出てきた瞬間、家の脇から駆け出して、正面の家の横に入った。売る本の入った大袋(United Arrows green label relaxingの深緑色のものである――実に久方ぶりに行きつけの古本屋に行くつもりだったのだ)を地面に置いて猫に近づくが、いくらも近寄らないうちに逃げられてしまう。さらに追いかけて落葉の散り積もった宅の裏側に入るが、猫は姿を消していた。それで戻って、車の後部座席に乗る。発車。運転しながら母親は、メルカリでコメントを返さない人がいることについて、文句を言ってみせた。神経質なことだが、値引きを求められてこちらがメッセージを送ったところ、何の反応もないのが釈然としないらしい。そういう人もいるだろう。じきにラジオが流れはじめる。丸みを帯びたジャズギターの演奏。わりと良質なスムース・ジャズで、Lee Ritenourフュージョンではなくて純ジャズをやっている時の雰囲気を連想した。空はこの日も雲が一片も見られない快晴である。青梅図書館に寄って母親が本を返し、その後駅前まで送ってもらう。
 駅に入ると東京行きはまだ先だったので(荷物が重いので立川で乗り換えず、一気に三鷹まで座って行きたかったのだ)、ベンチに就いてメモを取り、それから鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』を読みはじめた。「静かなヴェロニカの誘惑」。
 ・169。
 ・「くりかえしめぐりくるもの」「彼はあの存在にむかって、一人の人間に話しかけるように呼びかけたものだった」――「めぐりくるもの」=「あの存在」。これは何かしらの存在ではあるが、おそらく「あの存在」と名指すことしかできないもので、人間ではない。
 ・「あなたが僕の外側にも存在していてくれれば」――その「存在」はヨハネスの内側に存在している。
 ・170。
 ・「あなたは神だと言えれば」――ヨハネスはその存在を、「神」だと断言することができない。
 ・「(……)さだかならぬ力強い存在の、そのたくましい、まだ顔というもののまったくない頭部があらわれた」――「力強い存在」=「あの存在」。それには「頭部」がある。「すると、その頭[かしら]の下へ両肩を入れてその中へと生い育ち、その頭を自分の頭とすることができそうな、自分の顔をその隅々にまで浸透させることができそうな、そんな感じがしてくるのだ」――「力強い存在」との合一?
 ・「あるとき、彼はヴェロニカに、それは神なのだと言った」――ここでは「存在」を「神」の語で名指している。神なのか、神でないのか、一体どちらなのか? ヨハネスがそれを「神」だと言いたいのは上記箇所から確かだ。
 ・「しかし彼がその思いを口にすると、それはもう価値もない概念でしかなく、彼の言わんとするところを何ひとつあらわしていなかった」――言語還元不可能性。
 ・「それはちょうどときおり人の顔に浮かんで、当の顔とはすこし結びつかず、あらゆる目に見えるものの彼方にいきなり推しはかられる異なった顔と結びつくあの奇妙な表情と同様に(……」――「あらゆる目に見えるものの彼方に」――超越性?
 ・171。
 ・「それは感情というよりもむしろ、あたかも彼の内で何かが長く伸びて、その先端をすでにどこかにひたし、濡らしつつある、そんな感じだった。彼の恐れが、彼の静けさが、彼の沈黙が。ちょうど、熱病の明るさを思わせる春の日にときおり、物の影が物よりも長く這い出し、すこしも動かず、それでいて小川に映る像に似てある方向へ流れて見えるとき、それにつれて物が長く伸び出すように」――印象的な記述。真ん中に挟まれた「彼の恐れが、彼の静けさが、彼の沈黙が」の一節は特にファインプレーではないか? 古井由吉の力量もあるだろう。
 ・172。
 ・「「それは現実の物」と彼は言った、「意識の地平の彼方にある物なのだ。意識の地平の彼方を、しかも目にありありと流れ過ぎていく物なのだ」――それは超越的なものでありながら、同時に「目にありありと」見えるものでもある。
 ・「それは精神の濁りでもなければ、魂の不健全さのしるしでもなくて、ひとつの全体への予感、どこかしらから尚早にあらわれた予感であり、もしもそれらの予感をひとつにつかねることに成功すれば、そのとき何かしらが、一撃のもとに地を裂いて湧き出すように、想念の細かく分かれてたその先端から、戸外に立つ樹々の梢にいたるまで、物すべてをつらぬいて昇り、ごくささやかな身ぶりにも、帆にはらんだ風のようにみなぎるだろう」――言っていることは良くわからないが、実に精度の高い記述。しかし「分かれてた」はなぜ「分かれていた」ではないのか。あるいは「分かれた」の誤植か。
 ・「あたしの中にも何かがあるの……」――ヴェロニカのなかにも何かの「存在」がある。
 ・「それを彼女はまのあたりに見ていた(……)何でもない出来事なのに、まったく理解のつかないことのように。雄鶏がなんとも言いようのない無頓着さでふわりと飛びかかり(……)精気のない朽ちた光の中に立っている」(173)――事物の二重性。
 ・「あのあとであなたはあたしに、僧侶になりたいと言ったわね……そのとき、あたしは悟ったのだわ、デメーターではなくて、あなたこそ獣[けだもの]だって……」/ヨハネスは跳びあがった。彼には理解できなかった」――突然の「悟り」および「獣」の導入。ヴェロニカの理屈は、ヨハネスには「理解できなかった」とある通り、通常の論理を越えていて困惑させるものだが、この突然の断言は鮮やかで印象的である。
 ・「僧侶にはどこか獣じみたところがあるわ。(……)この空虚な穏和さ。(……)あたし、それを悟ったとき、とてもうれしかった」――この「うれしさ」も半ば意味不明である。
 ・「(……)実際にあなたはどことなく獣なんだわ。(……)あなたこそ、毛につつまれた空っぽの部屋なんだわ。そんなもの、獣だって願いやしない。獣というよりも、あたしにはもう言葉であらわせない何かなんだわ」――言語還元不可能性。
 「合一」の二篇は実に抽象的・思弁的で晦渋だが、以前読んだ時よりも、良く理解できるとは言わないまでも、読むこちらの負担が減ったような気がしないでもない。一文一文の意味は一応概ね取れる。ただそれらの組み合わせとして、一つのまとまりがどのようなことを言っているのか、それが良くわからない。
 それでは、以下に長くなるが、「テルレスの惑乱」の「沈黙」一覧を作成しようと思う。全四〇箇所。
 「(……)肉体的記憶(……)そうした記憶はあらゆる感覚に語りかけ、あらゆる感覚の内に保たれているものだから、なにを行なうにしても沈黙し姿の見えぬ他人が傍らに居るのを感じてしまう」(9)
 「古い地方貴族の城にただよう沈黙、宗教の勤行の際の沈黙が、まだいくばくか彼には付きまとっているように思われた」(11)
 「それはつまり、声の抑揚、物を手にとる時の格好、いやそれどころかその人の沈黙の音色、またある空間に自分を順応させる肉体の姿勢を通して他人を識り楽しむことを彼に教えてくれたのである」(11)
 「今彼は、眼前に燃えさかる網しか感じなかった。(……)それはまったく沈黙したもの――いわば喉につかえる感覚、ほとんどそれと気付かぬ思想だ」(19)
 「彼[ライティング]にはテルレスの沈黙と暗い眼差しが気になっていたのだ」(19)
 「[テルレスとバイネベルク]二人のあいだの沈黙はほんの十分も続かなかったが、テルレスは自分の反感がすでに極限にまで高まっていることを感じた」(23)
 「沈黙が破れるとともにテルレスにのしかかっていた重圧も砕かれた」(24)
 「なんなのだ、ぼく達の耳には聞こえない言葉のようなこの不意の沈黙は?」(26)
 「中ではアコーデオンが不意に沈黙し、騒がしい声が一瞬待ち受けるように止んだ」(31)
 「ぼくが何も言わないうちにバジーニが――沈黙に疲れきったのであろう――泣き始め、許してくれと縋った」(51)
 「また、身を屈め、力を溜め、息を殺す瞬間が、つまりは二人の人間のあいだに心の極度の緊張のあまりに、そと目には沈黙している一瞬が存在すると主張されたりもする」(52)
 「彼は天が巨大な姿をして沈黙したまま自分をじっと見下ろしているのを感じた」(74)
 「そこにはまずあの子供時代の思い出があり、そこでは木々がさながら魔法にかけられた人間のように深刻な面持ちで沈黙したまま立っていた」(74)
 「バジーニの身に起こったことについての観念がテルレスの心を真っ二つに引き裂いた。それはあるときはまともで、ありふれたものであったが、またときにはさまざまなイメージが掠め過ぎる沈黙に包まれていた。この沈黙はこれらすべての印象に共通しており、次第にテルレスの知覚の中に染み通り、今や不意に現実的なもの、生命を持ったものとして扱われることを要求した」(74)
 「テルレスは今、その沈黙が八方から自分を取り囲んでいるのを感じた」(74)
 「恐ろしいまでに静かな、もの悲しい色に包まれた幾晩かの沈黙の記憶が、夏の正午の熱く震える不安とたちまちに入れ替わった」(75)
 「ついでわが家の暗くなってゆく部屋の沈黙がちの光景が現われ、それが後に彼の失った友人のことを不意に思い出させた」(75)
 「しかし今は白昼そのものが突き止めがたい隠れ家となったように思われ、生き物のような沈黙がテルレスを八方から取り囲んだ」(77)
 「短い沈黙が訪れた。すると不意にテルレスが、小声で優しそうな口振りで言った。「言えよ<ぼくは泥棒だ>と」」(84)
 「もう一度、測ることのできないほど短い沈黙が訪れた。やがてバジーニが小声で、一息に、そしてできる限り無邪気な口調で言った。「ぼくは泥棒だ」」(84)
 「テルレスは教授が沈黙したとき嬉しくなった」(90)
 「とうとうテルレスの中で一切が沈黙した」(98)
 「確かにバイネベルクを沈黙させたのは思いも掛けなかった自分の威勢のよさに過ぎない……」(100)
 「その特性は、生命のない事物、単なる対象に過ぎないものによってすら不意打ちにあい、時としてそれらを沈黙の内に問い掛ける数百の目のように感じてしまうのだ」(106)
 「建物の沈黙が、いわば彼らを呑み込み(……)」(110)
 「沈黙――期待がテルレスを過敏にしていた――そして絶え間ない注意が彼の精神力を消耗させ、彼にはどのような思考もおよそ不可能となった(112)
 「すべての廊下には、沈黙の暗い潮がじっと動かずに眠っているように思われた」(126)
 「彼は自分を取り戻そうと思った。しかし、黒服の番人のように沈黙の潮がすべての門の前に横たわっていた」(126)
 「お前の沈黙は、ぼくにはその答えとなるだろう。心の内から目をそらすな……!」(142)
 「「おい、バジーニ、うまくいったか?」/沈黙。」(142)
 「遂にテルレスが沈黙を破った。彼は早口で話し、まるで、とっくに片付いた要件を形式的にもう一度処理しなければならないかのように退屈そうに言った」(145)
 「(……)遂に黒々として熱気の籠もった、陰惨な情欲を孕んだ沈黙のようなものがクラスの上を重苦しく覆った」(152)
 「そして、とうとう血まみれ埃まみれになり、獣めいたガラスのような眼をして崩れるように倒れる。その瞬間に沈黙が侵入し、みんなが床に倒れた彼を見ようと前に押し寄せる」(153)
 「失踪の動機を聞かれても、テルレスは沈黙したままだった」(157)
 「(……)いわば二重の形をとって我々の人生に入り込んで来るように定められたある種の事柄が存在している(……)。ぼくは、人間も出来事も、暗くて埃っぽい片隅も、高くて冷たく、沈黙していながら不意に生気づく壁も、そのようなものに見えました……」(158)
 「ぼくは、ある思想がぼくの内部で生命を得るのを感じますが、それと同様に、さまざまな思想が沈黙する時に事物を見つめていると、なにかがぼくの内部で生命を得るのも感じるのです」(161)
 「この沈黙する生命がぼくを圧迫し周りを取り巻き、それを凝視するようぼくを常に駆り立てたのです」(162)
 こうして写してみて気づくのは、「沈黙の語とともに、たびたび「不意」の語が用いられているということである。その組み合わせが見られるのは四〇の「沈黙」のなかで全七箇所。下に改めてそれらを抜き出しておく。
 「なんなのだ、ぼく達の耳には聞こえない言葉のようなこの不意の沈黙は?」(26)
 「中ではアコーデオンが不意に沈黙し、騒がしい声が一瞬待ち受けるように止んだ」(31)
 「バジーニの身に起こったことについての観念がテルレスの心を真っ二つに引き裂いた。それはあるときはまともで、ありふれたものであったが、またときにはさまざまなイメージが掠め過ぎる沈黙に包まれていた。この沈黙はこれらすべての印象に共通しており、次第にテルレスの知覚の中に染み通り、今や不意に現実的なもの、生命を持ったものとして扱われることを要求した」(74)
 「ついでわが家の暗くなってゆく部屋の沈黙がちの光景が現われ、それが後に彼の失った友人のことを不意に思い出させた」(75)
 「短い沈黙が訪れた。すると不意にテルレスが、小声で優しそうな口振りで言った。「言えよ<ぼくは泥棒だ>と」」(84)
 「その特性は、生命のない事物、単なる対象に過ぎないものによってすら不意打ちにあい、時としてそれらを沈黙の内に問い掛ける数百の目のように感じてしまうのだ」(106)
 「(……)いわば二重の形をとって我々の人生に入り込んで来るように定められたある種の事柄が存在している(……)。ぼくは、人間も出来事も、暗くて埃っぽい片隅も、高くて冷たく、沈黙していながら不意に生気づく壁も、そのようなものに見えました……」(158)
 以上である。話を青梅駅に戻すと、東京行きの電車の入線のアナウンスが入ると本を閉じて立ち上がり、ホームを移動して二号車の三人掛けに座った。そうしてふたたび書見。本に傾注していたため、電車内で特に印象に残っていることはない。三鷹に着くと降り、手帳に読書時間をメモしておき、歩き出す。エスカレーターを上がり、客引きの声が掛かるパン屋の横を抜け、改札を通って駅を出る。配られているポケットティッシュを受け取って通りを渡り、S書店へ。街路に連なる銀杏の木はもう大方裸で、葉を残しているものも、乱暴されてずたずたに引き裂かれた女性の衣服のように無残に乏しく垂れ下がっている。書店着。外の百円均一は見ないで入店し、店主にこんにちはと挨拶をする。買い取りを頼む。思想の棚をしばらく見ていると声が掛かった。三五〇〇円だと言うので了承し、書類に住所ほかを記入する。売ったのは以下の四〇冊(漫画を含んでいるため、冊数としては多く見える)。

石井遊佳百年泥
・南直哉『日常生活のなかの禅』
・トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』
・ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』
・ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』
芦奈野ひとし『コトノバドライブ』一~四
芦奈野ひとしカブのイサキ』一~六
・岡田睦『明日なき身』
朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』
・『多田智満子詩集』
藤原カムイドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 ~紋章を継ぐ者達へ~』六~一一
・デュマ・フィス/西永良成訳『椿姫』
夏目漱石『門』
・カガノミハチ『アド・アストラ スキピオハンニバル』一~一三
panpanya『枕魚』

 そこで改めて、ご無沙汰しておりましたと挨拶し、明けましておめでとうございます、今年もよろしくどうぞ、と交わす。Kさんは忙しくしていて、あまり本を読めていないということ。また、三鷹にKさんの知り合いが店をひらくらしく、それもいずれ知らせてくれると。そうして、またちょっと見させてもらいますねと言って、店内を見分。ほとんど隅から隅まで回って、何冊だっただろうか、今喫茶店で場が狭く、本を取り出せないのであとで一覧を記しておくことにする。会計は九六〇〇円。本を持って行き、Kさんがレジに値段を打ち込んでいるあいだ、いやあ、と小さく呟き、やっぱり買っちゃいますねと告げる。たくさん見つけていただいてありがたいですとあちら。久しぶりに来ると店内の棚も変化していて、目新しいものもあるでしょうから良かったのではと続く。その後、新刊を買うとしたら近いのはどこかと訊くので、立川のオリオン書房淳久堂だと答え、オリオン書房は海外文学が非常に充実しているんですよねと話を交わす。フィクションのエル・ドラードという水声社のシリーズがあるが、あれが充実しているのはオリオン書房くらいで、あとは新宿の紀伊國屋書店にでも行かないと見つからないとAくんも言っていた。
 礼を言って退店。もう少し話せば良かったか、最近気になっているものはありますかとか訊けば良かったかとあとから思う。時刻はちょうど一時。道の先、午後一時の粉っぽい太陽の光が掛かって空中が薄く霞んでいる。駅前に戻り、ドトール・コーヒーに入店。早々と日記を書こうと思ったのだ。地下に下り、角のカウンター席を取り、上に上がってコロッケサンド(二九〇円)とアイスココア(三二〇円)を買う。戻って席に就き、ココアを啜って喉を潤す。そうしてお手拭きを使ってからサンドウィッチを食べ、終えるとトレイを端に寄せてコンピューターと本を取り出した。そうして日記の作成、一時二〇分から。ムージルの小説から諸々写したので時間が掛かって、現在は三時直前。
 以下、購入本の一覧。

・ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ/仲澤紀雄訳『徳について Ⅰ 意向の真剣さ』国文社、二〇〇六年
・ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ/仲澤紀雄訳『徳について Ⅱ 徳と愛 1』国文社、二〇〇七年: 二冊で三八〇〇円
古井由吉『山躁賦』集英社、一九八二年: 五〇〇円
井上輝夫『聖[サン]シメオンの木菟 シリア・レバノン紀行 <新版>』ミッドナイト・プレス、二〇一八年: 一〇〇〇円
管啓次郎『ストレンジオグラフィ Strangeography』左右社、二〇一三年: 八〇〇円
大江健三郎『懐かしい年への手紙』講談社、一九八七年: 五〇〇円
・ミシェル・ピカール/及川馥・内藤雅文訳『遊びとしての読書 文学を読む楽しみ』: 二五〇〇円
山本利達校注『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』新潮社、一九八〇年: 五〇〇円
 計八冊: 九六〇〇円

 一番最初に目についたのは、ミシェル・ピカール『遊びとしての読書 文学を読む楽しみ』だった。次が紫式部日記管啓次郎『ストレンジオグラフィ Strangeography』は、彼の名は以前から知っていたものの一冊も読んだことがなかったところに、Mさんが最近彼の作品を読んでいたのでこちらも惹かれたものである。井上輝夫の紀行文は見たところ、管啓次郎と同じく詩人らしい、瑞々しい言葉で綴られているようだったので購入。古井と大江は安かったので。古井の『仮往生伝試文』もあって欲しかったが、これは解説付きの講談社文芸文庫のものをいずれ買うかということで見送った。ジャンケレヴィッチは、『徳について』などとは実に古代ギリシア的なテーマだが、徳とか善とかこうした古典的なテーマにこちらは興味があるのだ。ほか、金子光晴の紀行文なども買おうかと思ったが重くなるので断念。
 トレイを片付けて退店。横断歩道を渡り、先ほどと同じ人の配っているティッシュを今度は受け取らず、駅に入る。改札を抜けて掲示板を見上げると、電車は三時四分発。エスカレーターを歩いて四番線に下りて行き、先頭車両の位置に就く。乗車。扉際を取り、リュックサックから携帯電話を取り出して、Mさんのブログを読む。外はすっきりとした青空が地平の果てまで続いており、北の先に飛び魚のような細長い雲が連なっている。整然とした窓に風景の映りこむマンションを過ぎて、立川着。一番線に乗り換え。席に就いて、ムージルを読みはじめる。しばらくすると一人の女性が、身体を奇妙に揺らしながら車両のなかを通り過ぎて端に行く。何やらぶつぶつと独り言を呟いている。その女性がこちらの横に腰掛けてきて、息をはあはあとやや荒くしながら、同時に身体を前後に揺らしつつ、「太田くん」(太田光のことらしい)とか「役所くん」(役所広司のことらしい)とか、「諫早市」とか、一体彼女のなかでどのような意味を持っているのだろうか、断片的な語を呟き、一人で喋っている。こちらの身体にも擦れ合うその動きと声が気に掛かって本に集中できなかったのだが、じきに女性は立ってまた車両の端に行き、最終的に拝島で降りて行ったようだ。女性が席を立つと今度は右方の端の方から、幼児に絵本を読み聞かせているらしい声が伝わってきた。そのようななかでムージルを読み進める。
 ・「たった一人の人間が、いや、ときにはたったひとつの言葉や、ひとつの暖かみや、ひとつの吐息が、渦巻きの中のひとつの小さな岩のように、いきなり君に中心点を、そのまわりを君が回る中心点を、示してくれることがある」(181)→「僕の中で何かがじっと動かず中心点の静けさで横たわっている、それがあなたなのだ、と言えればよいのだが」(170)――「中心点」。
 ・「そして彼女がその強い異様な官能性を、人の知らぬ病いのように身にまつわりつけて彼のそばを通りすぎるとき、彼はそのつど、彼女がいまこの自分を獣のように感じていることを、思わずにいられなかった」(182)――ヴェロニカの「官能性」。
 また、以下の二箇所が印象に残った。ほとんど完璧と言いたいまでに磨き抜かれた、冴えに冴えた記述だと思う。特に前者の、「胸の上には(……)静止している」の部分は、意味とリズムとが完璧に結びつき統合された最高の音調を実現しているように思われる(古井由吉の仕事ぶりときたら!)。この圧倒的な具体性、これこそが小説というものではないか?

 彼女はあのころ、一頭の大きなバーナード犬の、ふさふさとした毛が好きだった。とりわけ前のほうの、ひろい胸の筋肉が骨のふくらみの上で犬の歩むたびに二つの小山のように盛りあがる、そのあたりが好きだった。そこにはいかにもおびただしい、いかにも鮮やかな金茶色をした毛が密生して、見渡すこともできぬ豊かさ、静かな果てしなさに似ていて、たったひとところをひっそりと見つめていても、その目は途方に暮れてしまう。そのほかの点では、彼女はひとまとまりの強い親愛の情、十四歳の少女のいだくあのこまやかな友情を感じていただけであり、あれこれの物事にたいする情とさほど変りもなかったが、この胸のところでは、ときおりほとんど野山にいる気持になった。歩むにつれて森があり、牧草地があり、山があり、畑があり、この大きな秩序の中にどれもこれも小石のようにじつに単純に従順におさまっているけれど、それでもそのひとつひとつを取り分けて眺めれば、どれもこれもおそろしいほどに内に入り組んで、抑えつけられた生命力をひそめている。それだもので、感嘆して見つめるうちに、いきなり恐れにとりつかれる。まるで前肢をひきつけてじっと地に伏せ、隙をうかがう獣を、前にしたときのように。
 ところがある日、そうして犬のそばに寝そべっているとき、巨人たちはこんなじゃないかしら、と彼女はふと思った。胸の上には山があり、谷があり、胸毛の森があり、胸毛の森には小鳥たちが枝を揺すり、小鳥たちには小さな虱が棲みつき、そして――それから先のことはもう知らないけれど、それでおしまいにすることはなく、すべてはまたつぎからつぎへ継ぎ合わされ、ひとつまたひとつと内へ押しこまれ、そうして強大な力と秩序に威[おど]されてかろうじて静止している。そして彼女はひそかに思ったものだった。もしも巨人が怒りはじめたら、この秩序はいきなり幾千もの生命へ、大声をたてて分かれ、恐ろしいほど豊かな中身を浴びせかけてくるのではないかしら、と。さらに巨人が愛に駆られておそいかかってきたなら、山鳴りのように足音が轟いて、樹々とともにざわめいて、風にそよぐ細かな毛が自分の肌に生えて、その中に毒虫が這いまわり、言いあらわしようもない喜びにうっとりと叫ぶ声がどこかに立ち、そして自分の息はそれらすべてを虫や鳥や獣やの群れとひとつにつつんで、吸い寄せてしまうことになるのではないかしら、と。
 (鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』松籟社、一九九五年、183~184; 「静かなヴェロニカの誘惑」)

 そしていま、今日のうちに出立するはずのヨハネスと並んで、彼女は立っていた。あの少女の頃からすでに十三年か十四年に近い年月が流れ、彼女の乳房はとうに、当時のように好奇心に満ちて赤く尖ってはいなかった。いまではこころもち垂れ下がり、ひろい平面におきざりにされた紙帽子に似て、すこしばかり哀しげだった。彼女の胸郭はひらたく横へ伸びてしまい、彼女をつつむ空間が胸郭からはみだしたかに見えた。しかし入浴や着替えの際に裸になったわが身を鏡に映して、それでそのことを知ったわけではなかった。とうの昔からそんな際によけいなことはしなくなっている。そうではなくて、彼女はそのことをただ肌で感じ取っていた。昔は着物の内にからだをぴったりと、どちらの方へもきっちりつつみこむことができたように思えるのに、今ではただ着物でからだを覆っている感じしかないのだ。わが身を内側からどんなふうに感じ取ってきたかを思い出してみると、昔はまるく張りきった水滴のようだったのに、今ではとうに、輪郭のぼやけた小さな水たまりでしかない。いかにもだらりと伸びきった、張りのない感覚で、物憂さとけだるい安易さ以外の何ものでもないはずだった。もしもときおり、たぐえようもなく柔らかなものがゆっくり、ごくゆくり[ママ]と、幾千ものやさしく細心な襞を畳んで内側から肌にひたりとまつわりついてくる、そんな感触がなかったとしたなら。
 (鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』松籟社、一九九五年、185; 「静かなヴェロニカの誘惑」)

 頁の上に時折り、去りつつある太陽が送りつけてくる黄金色の光線が放たれ、コートの上や座席の周囲もぱっと一瞬彩られてはすぐにまたその色は消えて行く。青梅着、奥多摩行きの乗り換えまで三〇分以上あったので、歩くことにした。駅を抜ける。道端に立った二人の老年女性が、漬け物を持ってきた、あらあ悪いじゃないの、いや一口だけだから、一口だけ、などと話している。コンビニの角を折れ、裏路地を進み、図書館前の細道から表に出た。道は全面日蔭に覆われ、山の先に向かう太陽の色が掛かるのは、通りの南側の建物の側面のみだ。道を歩くうちに時折り、建物のあいだから明かりが抜けて辛うじて目を射って来るが、大した威力もない。くるり "グッドモーニング"を低く呟きながら歩く。空はこの時間になっても前日と同様、四囲の端から端まで雲の消滅して水色に満ち満ちている。歩くうち北側の家々の窓に、もう山の稜線に掛かった太陽が金色に映り込み、それに瞬間目を向けて逸らすと視界の内に緑色の痕跡が印されるが、その反映も段々と下降して行って、家に続く裏路地に入る頃には巨大な光球は山の彼方に入り込み、空の色が淡くなったなか山際に漂白されたような純白が漂う。首もとは灰色のマフラーで守られて、午後四時だけれど寒さはなかった。木の間の坂を下って出ると、道端に生えた柚子の木が、黄色の実をいくつもつけて枝を撓らせ、木叢を垂れ下げていた。
 帰宅。母親にいくらで売れたか、と訊かれる。三五〇〇円と。それでいくら買ったのと言うので、一万円と答えれば、母親はえっと苦笑し、何で売れた範囲内に収めないのと苦言を呈する。知ったことではない。下階に下り、リュックサックやポケットから荷物を取り出し、コンピューターを点けて服を脱ぎ、上階の洗面所に置きに行った。それでジャージに着替えると、母親が、これを半分食べるかと言って苺ミルク蒸しケーキに言及するので頂くことにした。半分を貰い、緑茶を用意してきて自室で日記を書き出す。しかしじきに気づけば五時を回っていたので、一旦中断して夕食を作りに行った。居間が真っ暗ななかで母親はタブレットを見ているので、明かりを点けてカーテンを閉めた。飯を作る前にアイロン掛け。シャツ、ハンカチ、エプロンを処理し、それから台所に入って、茹でられていた大根を鍋へ。水を少々、それに麺つゆを入れた上から切り落としの豚肉を投入。それを火に掛けて、今度は大根の葉を絞り、細かく切り分ける。さらに葱と肉も切って一緒に合わせて炒める。それが終わると味噌汁を作ることにして、小鍋の水を火に掛け、葱の余りを細く切り分けて投入、さらに豆腐も加えた。味付けは先日ららぽーと立川立飛で買ってきた「とり野菜みそ」でつけた。そうして残るはサラダだけとあったので(おかずとしてはほかにカニクリームコロッケを母親が買ってきていた)、こちらは下階に戻ると言って自室に帰り、六時前から日記を書き足して一時間が経った。
 書抜きの読み返し、一二月二四日。その後、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』から今日の記事に三箇所引用しておき、それも読む。さらに、一二月三一日の分も読んで、そうして食事へ。カニクリームコロッケ、大根の葉の炒め物、大根の煮物を大皿に。その他米、昼の残りの蕎麦、味噌汁。新聞の国際面を読みながらものを食べ、食後に皿を洗ってそのまま即座に風呂に入ろうというところでしかし父親が帰ってきた。それなので湯浴みは譲って、緑茶を持って自室へ戻る。そうしてムージルの書抜きをしたのち(Bobby Timmons Trio『In Person』を流す)、Uさんのブログ。「思考が欠如した証とは、その残滓と対峙しなくとも内容が簡単に予想できることである。逆に、優れた思索者は、常に思考をしているので、その人の表現は読者の予想を超える」「思索者の責任(responsibility)とは、思索の豊かさに関する反応の機敏さ(responsiveness)を保つことである」「脱構築は、結局、ハイデガーのプロジェクトを、独特の思考様式と哲学史よりも広い射程を持って語り直した賜物である。二元論とは、ハイデガーの語彙で言えば、形而上学である。簡単に言えば、ここでいう形而上学とは、原理化のことである。世界を理解するために、原理を提起する語りをした途端、それは世界の写し鏡のようになり、二つの世界が生まれるー形而上学を始めててしまうーわけである」「プラグマティズムは、アクティビズムへの関心が高まると関心が再燃し、行動の哲学としてもてはやされるが、私の理解によれば、それは、行動「のための」思索ではなく、行動(というか否定しようのない物事の動き)「において」考える思索である。つまり、あくまでもプラグマティズムは思索の方法なのである。それを提起したパースに至っては、自らを客観的観念論者と呼び、複雑な帰結の群ー私たちが常識的に現実と呼ぶものーを、帰納(個別事象を積み重ねることで原理に到達する論理的様式)に着目することで、概念化しようとしている。晩年のプラグマティズムに関する講義においては、もしヘーゲルが観念の世界に後退せずに思索をしていたら、彼はプラグマティズムのヒーローになり得たとすら言っている」。読み終えて入浴へ。肌はまだ赤くぼつぼつとしており、痒いには痒いが、痒みの度合いは段々減じてきている気がする。出ると母親が、林檎を食べたらと言うのでちょっと頂き、階段を下ると父親と目が合う。そうして彼は、お前これ、とダウンジャケットのポケットから金の入った封筒を差し出してみせた。受け取ろうかどうしようか一瞬迷う心が働くが、上手い断り方も思いつかないので、ありがとうと言って受け取る。去年の一月から一年分、と言うので、林檎の入った口を閉ざして「ん」の音だけで「本当に」を表現し、一月から働けなかったから、と続くのには、すみませんと受ける。有効に使ってくれと言うのをあとに部屋に戻り、封筒の中身を覗く。一か月五万円が一二か月分で六〇万円である。一万円札が見たことのない厚さに重なっていた。有効に使ってくれと言うが、使わずに取っておこうと思う――そうして、一月に少しずつ母親に与えて、食費や何かに充ててもらうのが良いだろう。この歳になってこのような大金を貰うなど、決まりが悪い――いかにも甘やかされている。
 読書。合間にTwitterで感想などを呟く。「ムージル「静かなヴェロニカの誘惑」。記述が相当に抽象的で、今自分が作品世界中のどこにいるのか、いつにいるのかわからなくなる。どことも知れない場所、いつもと知れない時間のなかで、イメージと思弁のみが執拗に、豊穣に膨張していく」「ムージル「静かなヴェロニカの誘惑」で最も頻出する語は、間違いなく「獣」だろう。数えてみると、今のところ二五頁で二五回出てきている」「ムージルは彼独特の口癖のようなものとして、「そうなのだ」という言い方を文頭で前置き的に使うことがある。「テルレスの惑乱」と「静かなヴェロニカの誘惑」で、今のところ三度見かけた」。書見に二時間半。BGMはBojan Z『xenophonia』(削除)、Bon Jovi『One Wild Night 1985-2001』(まあまあ)、Jakob Dinesen『Everything Will Be All Right』Kurt Rosenwinkel参加。結構良質)。そうして日記を綴り、日付が変わった。
 ・「さまようものが、さすらうものが、彼女の内にあった。それが何であるか自身にもわからなかった」(188)
 ・「そして風が満ち上げると、彼女には、彼の血が裾から肌をつたって昇ってくる気がした。それは彼女を肉体にいたるまで、星のかたちの、盃のかたちの、青や黄の花、そして幾筋もの細い雄蕊のそっとさぐる感触、野の花が風の中に立って受胎する、じっと動かぬ官能の喜びで満たした」(193)
 ・「自分がこうして手で触れるばかりになまなましく感じているものは、ヨハネスの存在ではなくなって、自分自身にすぎないのだ、という予感がすでに彼女の内にあった」(200)
 それからベッドに移ってさらに書見を続け、「静かなヴェロニカの誘惑」は最後まで読み終わったが、結局記述が抽象的過ぎてこの作が何を意味しているのか最後までわからない。しかしそれが故にこの本を売っ払ってしまう気にはならず、またいずれ読み返すだろうと思うし、上記に引いたようなほとんど完璧な小説的描写があるだけでもこの篇の価値は高いというものだろう。「獣」の語は結局、全篇で三三回用いられていた。それからそのまま「愛の完成」もちょっと読み出したのだが、その頃には眠気が湧いて視界がぶれるようになってきたので眠ることにして消灯した。零時五〇分。入眠には苦労しなかったらしい。
 ・「扉のこちら側では肌着しか身につけず、ほとんど裸に近い恰好で下はあらわなままに立つそのあいだ、表では人がすぐ近くを、たった一枚の戸板に隔てられて過ぎていく。それを思うと、彼女はもうすこしでうずくまりこみそうになった。しかし何よりも不思議に感じられたのは、扉の外にも自分自身の何がしかが存在するということだった」(206)


・作文
 8:09 - 8:53 = 44分
 10:00 - 10:07 = 7分
 13:20 - 14:54 = 1時間34分
 16:40 - 17:11 = 31分
 17:51 - 18:49 = 58分
 23:55 - 24:10 = 15分
 計: 4時間9分

・読書
 9:19 - 9:43 = 24分
 10:42 - 11:45 = 1時間3分
 15:05 - 15:48 = 43分
 18:51 - 19:23 = 32分
 19:55 - 20:09 = 14分
 20:18 - 20:57 = 39分
 21:26 - 23:48 = 2時間22分
 24:20 - 24:50 = 30分
 計: 6時間27分

  • 2018/1/5, Fri.
  • 2016/9/1, Thu.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』: 169 - 211
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-01-04「千の夜を越えて指折り数えるが何を数えているのか知らない」
  • 2018/12/24, Mon.
  • 2019/1/5, Sat.
  • 2018/12/31, Mon.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』松籟社、一九九五年、書抜き
  • 「思索」; 「気分と調律(6)」; 「気分と調律(7)」

・睡眠
 2:00 - 7:10 = 5時間10分

・音楽

  • 川本真琴 "タイムマシーン"
  • Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』
  • scope『自由が丘』
  • Blue Note All-Stars『Our Point Of View』
  • Bobby Timmons Trio『In Person』
  • Bojan Z『xenophonia』
  • Bon Jovi『One Wild Night Live 1985-2001』
  • Jakob Dinesen『Everything Will Be All Right』
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2019/1/4, Fri.

 前日の記事に書き忘れたのだが、昨日は午後九時頃、市川春子『宝石の国』第九巻を読んだ。
 たびたび覚醒して、最終的な起床は六時四〇分頃。最近の日々のなかではやや遅くなった。夢。学校の教室で授業を受けていたと思う。窓の外に、米軍の迷彩柄ヘリコプターが現れ、窓の上部に設けられた開口部を通して(まるで放り投げられたように放物線を描いて)小さな扉のようなものを落として行く。それがこちらの机の上に落下し、右手にほんの少し掠って怪我をする。血が出たので、憤慨しながら廊下の水場に行くと、あとからクラスメイトの女子がついて来る。こちらに好意を持っているらしいことがわかるのだが、こちらはその名前も覚えていないくらいで、視線を落として上履きを見てその名をようやく思い出す。村上何とかという名前だった。絆創膏を持っていないかと訊き、持っていると言うので貰う。
 その他、小中の同級生だったK.Yと何かしら険悪な関係になる夢があった気がするが、これはこちらからの一方的な憎悪だったかもしれない。現実の彼との関係は悪くはなく、むしろ小学生の頃などかなり仲が良かったと言っても良いほどで、と言うのは彼の家はこちらの宅の正面だったから遊びに行ったこともままあるし、学校への行き帰りなどよく一緒になって家の前の林を通り、どちらか速く下りられるか競争したりもしたものだ。
 ベッドから抜け出してダウンジャケットを羽織り、ファスナーを首もとまでぴっちりと閉めて便所に行く。放尿してから戻り、身体に布団を掛けて足をストーブに晒しながら読書を始める。『ムージル著作集 第七巻 小説集』から「テルレスの惑乱」。バイネベルクが形而上学的であるのに対し、テルレスも抽象的なことを考えるものの、彼はどちらかと言えば文学的だろうか? 観念による思考とイメージによる思考。ライティングはナポレオンを奉じているところから見て、もう少し実際的であるようだ。書見は七時三五分まで。七時半に近づくと太陽の光線から朱色が剝ぎ取られ、扉の横に生まれた矩形のなかは無色になってこちらの影が映し出される。空は淡い。
 上階へ。母親に挨拶。大根の葉の炒め物が残っているので皿に。ほか、納豆を食べようかと思ったところが、前日に父親が買ってきたセブンイレブンのチキンが一つあったのでこれをおかずに米を食うことに。味噌汁などそれぞれ用意して卓へ。図書館に行ってスーパーで買い物をすると言ったところ、緑茶は新しいものがあるとのこと。「大井川茶園 癒やしの禅」というものだった。食後、皿を洗っているところで蛸が余っていたのを思い出し、洗った箸をもう一度持って卓に就き、添えられていた山葵を擦りつけて蛸を食す。ふたたび洗い物をしてから風呂を洗おうかと思えば、湯がまだ少し残っていて母親が洗濯に使うというのでのちに。茶壺に新しい茶を入れておき、小さな容器に注いで仏壇に供え、そのあとから自分の分もついで下階へ。Queen『The Game』を流す。インターネットを覗き、"Crazy Little Thing Called Love"を歌ったのち、八時三五分から日記を作成。現在は九時一六分になっている。父親は今日は病院に行く祖母の付き添いに出ている。
 上階へ行って風呂を洗う。それから自室に戻り、FISHMANS "チャンス"をリピート再生させながら服を着替える。赤・黒・白三色の格子縞のシャツにグレーのイージー・スリム・パンツ、そしてその上からモスグリーンのモッズコートを羽織った。その格好で排便に行ってから歯磨きをし、口を濯いで戻ってくると "チャンス"が途中だったので、裏拍に指を鳴らしながら最後まで聞いてからコンピューターをシャットダウンした。そうしてリュックサックに収める。リュックサックにはほかに、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』『沖縄現代史 新版』、櫻澤誠『沖縄現代史』や、年金の支払い書に読書ノート、財布と携帯を入れた。返却本三つのうち後者二つは読めていないが、この先ムージル『特性のない男』を読むことにしたので、読むことの出来るまたの機会を待って返してしまうことにしたのだ。それで、緑色のチェックのストールを巻き、上階へ。母親は下階のトイレに入っていた。出てきたところに階段の上からもう行くよと掛けたものの聞こえなかったようなので、階段を下り、両親の寝室に行って、鏡台の前に座っていた母親に出かけることを告げて出発した。
 時刻は九時四五分。落葉の僅かに散った道に日向が広い。空は雲の完璧に排除されて、隅から隅まで乱れなく均一な青一色をひらいて静まっている。坂に入り、解体中の白井宅のほうを見下ろしながら進んで行く。上りきって街道に向かうと、空中に塵埃のような細かな虫が群れており、そのなかを分けるようにして進む傍から、また前方から途切れずに群がってきてこちらの脇を通り過ぎて行く。街道に出ると、日向の多い北側に渡った。右の側頭部から耳のあたりに掛けて太陽の感触が暖かく、対岸の家々から伸びてくる日蔭はこちらの頭まで隠す長さを持たず、薄青い蔭のなかに入っても寒くはない。ストールを巻いている首が少々暑いくらいだった。一軒の入り口で、父親が赤子をベビーカーに乗せているところだった。そちらのほうを見やって赤子と目を合わせながら、見つめ続けることができずに逸らしてしまう。本当は一つの絵画のように、あるいは一種の映画のようにそれらを観察したいのだが、生身の人間が相手では、失礼で風変わりな人間に思われるのではないかという自意識が働いて、そうそう視線をじっと持続させることができないのだ。視線には既に意味=権力が含まれており、人に向ければその力が作用してしまうのだ。それからちょっと進むと後ろからがらがらという音が聞こえはじめ、自転車と思っていたところが一向に抜かされないのは、先の赤子を乗せたベビーカーだった。脇に寄っていると、ベビーカーを押す父親は小走りになってこちらを抜かして行った。この頃から、右足の裏が筋肉痛になったように、突っ張ったような痛みが生じていた(実のところ、前日の散歩のあいだにも生じていたのだが)。駅に近づく頃には、その鈍い痛みがさらに嵩んでいた。それで、元々図書館まで一時間余り掛けて歩いて行くつもりだったが、この足の状態であと三〇分だか四〇分だか歩かなくてはならないのは厳しいな、というわけで、やむなく電車に乗ることにして、青梅駅前で路地に折れた。
 改札を通ってホームに上がり、二号車の三人掛けに掛けるとすぐにムージルを読みはじめた。バイネベルクの言っていることが形而上学的でよくわからない。発車してからも頁に目を落とし続けるが、途中でその視線を上げると、窓から射し込んで床に斜めに伸びたいくつもの陽だまりのなかを、車両の端から端まで、外の風景の作り出す影が高速で繰り返し滑って行く。それを凝視しながら、映画のようだと思った。
 河辺で降車。降りると足の痛みは引いていた。改札を抜けて図書館へ。歩廊から前方には、青く明るい空を背景に二つのビルを繋ぐ空中通路のなかで、人形のような薄影と化した人々が歩いて行く。背後から後頭部に太陽が当たって暖かい。入館。リュックサックから本を三冊取り出して返却。ありがとうございますと礼を言って離れ、CDの新着棚に行き、先客の後ろから覗き込む。「枯葉」の邦題で知られる有名作、Sarah Vaughanの『Crazy And Mixed Up』があったので借りることにした。ほか、ジュリー・ロンドンカーメン・マクレエ。後者の『After Glow』も借りることにして、現代のものは何かないかとジャズの棚を見に行くと、Blue Note All-Stars『Our Point Of View』があってこれは有り難い。Lionel Loueke、Ambrose Akinmusire、Marcus Strickland、Kendrick Scott、Robert Glasper、Derrick Hodgeというまさに錚々たるメンバーである。それらの三作を持って上階に上がり、貸出機て手続きをしてから新着図書を見分した。棚の半分だけ見て、もう半分の前には人がいたので先に席に入ることに。書架のあいだを窓際に抜けて見回すと、端から二番目の席が空いていたので近寄り、ががが、と音を立てながら椅子を引いて、リュックサックを下ろしストールを首から外した。コンピューターを起動させて早速日記を書き出して二五分、現在は一一時を迎えている。
 それから日記の読み返し。一年前の一月四日は、自生思考の暴走による不安がピークだった日で、風呂に入っている時に頭のなかの言語が完全に秩序を失って、「ああああああ」という意味を成さない呻きと化したことを今でも覚えているのだが、そういうわけで日記はきちんと綴っておらず、断片的ないくつかの文言が残っているのみである。そのほか、二〇一六年九月二日のものを読み、それから借りたCD三つの情報を早くも記録してしまうことにした。

Blue Note All-Stars『Our Point Of View』

1. Bruce's Vibe [Robert Glasper]
2. Cycling Through Reality [Kendrick Scott]
3. Meanings [Marcus Strickland]
4. Henya [Ambrose Akinmusire]
5. Witch Hunt [Wayne Shorter]
6. Second Light [Derrick Hodge]

1. Masquelero feat. Wayne Shorter & Herbie Hancock [Shorter]
2. Bayyinah [Glasper]
3. Message Of Hope [Hodge]
4. Freedom Dance [Lionel Loueke]
5. Bruce, The Last Dinosaur [Akinmusire]

Produced by Robert Glasper And Don Was
Recorded by Keith Lewis and assisted by Steve Genewick at Capitol Studios, Hollywood, CA
Mixed by Keith Lewis at Flying Dread Studios, Los Angels, CA
Mastered by Ron McMaster at Capitol Mastering, Hollywood, CA

Blue Note Records; (P)(C)UMG Recordings, Inc.
UCCQ-1072/3

Carmen McRae『After Glow』

1. I Can't Escape From You [Leo Robin / Richard A. Whiting]
2. Guess Who I Saw Today [M. Grand / E. Boyd]
3. My Funny Valentine [Rodgers / Hart]
4. The Little Things That Mean So Much [Harold Adamson / Teddy Wilson]
5. I'm Thru With Love [Matt Malneck / Fud Livingston / Gus Kahn]
6. Nice Work If You Can Get It [George & Ira Gershwin]
7. East Of The Sun (West Of The Moon) [Brooks Bowman]
8. Exactly Like You [McHugh / Fields]
9. All My Life [S.H. Stept / S. Mitchell]
10. Between The Devil And The Deep Blue Sea [Harold Arlen / Ted Koehler]
11. Dream Of Life [Carmen McRae / Luther Henderson, Jr.]
12. Perdido (Lost) [J. Tizol / E. Drake / H.J. Lengsfelder]

Carmen McRae: vo / p on 1,4,8,12
Ray Bryant: p
アイク・アイザックス: b
スペックス・ライト: ds

#1~4,7,8,11,12: 1957年3月6日録音
#5,6,9,10: 1957年4月18日録音

A Decca release; (P)(C)1957 Verve Label Group
UCCU-5863

Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』

1. I Didn't Know What Time It Was [Lorenz Hart / Richard Rodgers]
2. That's All [Alan Brandt / Bob Haymes]
3. Autumn Leaves [Johnny Mercer / Jacques Prévert / Joseph Kosma]
4. Love Dance [Paul Williams / Ivan Lins / Victor Martins]
5. The Island [Alan Bergman / Marilyn Bergman / Ivan Lins / Victor Martins]
6. Seasons [Roland Hanna]
7. In Love In Vain [Leo Robin / Jerome Kern]
8. You Are too Beautiful [Lorenz Hart / Richard Rodgers]

Roland Hanna: p
Andy Simpkins: b
Harold Jones: ds
Joe Pass: g

Produced by Sarah Vaughan
Studio: Group Ⅳ Studios
Hollywood, CA
March 1 &2, 1982
Engineers: Denis Sands, Greg Orloff

(P)1982 Pablo Records, Inc.
(P)1982 & (C)2007 Concord Music Group, Inc.

 それから新着図書を確認するために席を立った。見ていなかった残り半分を見分し、手帳にメモを取る。気になったのは、ナボコフ若島正訳『ロリータ』(新潮文庫(だと思う))、残雪『黄泥街』(白水Uブックス)、『カタルーニャでいま起きていること』、岡真理『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)、坂口恭平『建築現場』(みすず書房)。メモを終えるとトイレに行き、放尿して手を洗い、Brooks Brothersのハンカチで水気を拭う。そうして席に戻り、ムージルの書抜き、現在読んだところまで。すると一一時五〇分、「テルレスの惑乱」の続きを読みはじめる。大窓に掛けられた遮光幕の隙間から太陽が斜めに射し込んで、本の上に横向きの光の帯を作り出し、そうすると紙の頁に刻まれた、樹木の表面のような微細な肌理が目に見えるほどに浮かび上がる。太陽の帯は読み進めるあいだ、段々と頁の上を下って身体に近づいて行き、じきに左の側頭部にまで達して温もりをもたらす。外を見やればあれは何という木か、枝先を伐られて中途半端な箒のように短くなった街路樹が影を伸ばし、道の上は全面白く染まっている。セブンイレブンに「華の舞」が入った建物の屋上、縁に鳩がたくさん止まっており、二階にある居酒屋の窓には車の動きがたびたび映し出されて視界の端を掠めて行く。書見は一二時四五分まで続けた。
 ・「テルレスは考えるというより夢を見ていた」(71)――テルレスは思索者と言うよりは夢想家ではないか。イメージ=比喩による文学的思考。過敏でひどく繊細な少年の感受性が、見た物感じた物の端々から豊穣なイメージを引き出さずにはいられない。
 ・「事物も出来事も人間も、なにか二重の意味を持つものとして感じ取るという感覚が狂気のようにテルレスを襲った」(74)→「彼が先ほどバジーニのことを思い浮かべたとき、その顔の背後に二つ目の顔が朧げに見えはしなかっただろうか?」(70)――物の二重性。背後に隠されたもの[﹅9]=超越(?)の認識(直観?)。
 ・「彼は天が巨大な姿をして沈黙したまま自分をじっと見下ろしているのを感じた」「バジーニの身に起こったことについての観念がテルレスの心を真っ二つに引き裂いた。それはあるときはまともで、ありふれたものであったが、またときにはさまざまなイメージが掠め過ぎる沈黙に包まれていた。この沈黙はこれらすべての印象に共通しており(……)今や不意に現実的なもの、生命を持ったものとして扱われることを要求した」「テルレスは今、その沈黙が八方から自分を取り囲んでいるのを感じた」(74)→幼少期の挿話、森のなかに一人きりで残される――「なんなのだ、ぼく達の耳には聞こえない言葉のようなこの不意の沈黙は?」(26)
 腹のなかが空になっていたので食事を取りに行くことに。席から離れながらモッズコートを羽織り、下階に下って退館する。歩廊の上に反射する白昼の光が眩しい。高架歩廊から階段を下りてコンビニへ。まず年金の支払いを済ませ(一六四三〇円)、それから棚に寄っておにぎりを三つ――ツナマヨネーズ(一一五円)、明太子マヨネーズ(一三〇円)、旨辛鶏唐揚げ(一三〇円)――取り、先ほどと同じ店員のレジで精算した。外に出て、木製のベンチに腰掛けて買ったものを食べる。背後から陽が射してこちらの席は日向に包まれており、光線が後頭部に当たって熱をもたらす。風もなく、ストールを巻いてこなかったが寒くはない。周囲には石板のように薄青い羽根の鳩が何匹かうろうろとしていた。おにぎり三つを食べ終えると席を立ち、頬張ったものをもぐもぐと咀嚼しながら、コンビニのダストボックスに袋を捨てた。そうして図書館に戻る。
 時刻は一時。日記を書き足してからふたたび読書。しかし読みながら眠気が湧き、視界がぶれてなかなか集中できない。それでも二時半過ぎまで続けて、帰ることにした。荷物を片付けて席を立ち、モッズコートを羽織ってストールを巻く。退館。車の流れる音、電車の発車する音。歩廊を渡って隣の河辺TOKYUへ。薄灰色の籠を取り、野菜の区画を周り、茄子、椎茸、エリンギを収める。大島椿シャンプーを買ってきてほしいと母親からメールが入っていた――ここにしか売っていないらしい。それでシャンプーを保持し、その他緑茶やパンなど。飲むヨーグルトを買おうとしたら、ブルーベリー・ミックスと味のついていないプレーンしかなく、普通の味のものは売り切れていた。それで最後に肉を二パック取って、会計へ。以下一覧。

421 国産豚切り落し  \470
421 国産豚生姜焼ロース  \480
1861 放香堂 宇治茶  \748
3292 Vバターロール  \148
3291 ふんわり食パン  \160
1681 カルビー BIGBAG ウスシオ  \238
7110 大島椿シャンプー 400ml  \540
150 なす 3本パック 2コ × 単176  \352
130 生しいたけ  \176
137 V雪国エリンギ  \98
小計  \3410
外税  \272
合計  \3682

 愛想の良い女性店員相手に金を払い、整理台へ。茄子、椎茸、ポテトチップスはリュックサックに入れる。その他のものをビニール袋に詰め、右手に提げて出口へ。歩廊を渡って駅。エスカレーターを歩いて下り、ホームの先、日向のなかへ。ベンチに袋を置き、リュックサックから携帯を取り出してMさんのブログを読み出す。一五時四分発青梅行きに乗車。座らず、席に荷物を置いて立ったままブログを読み続ける。青梅に着いてからも待合室に入らず、ベンチにも腰掛けずに室の前に立ち尽くして読む。餅を一生食わないと決めている、というこちらの断言に対して爆笑したと。Thank you! 奥多摩行きが来ると扉際に就いて、ブログを読み終えると窓の外を覗く。車内の反対側、端のほうにはベビーカーが置かれ、幼児がはしゃぎ声を上げている。外は青梅市立第一小学校。こちらの母校である。その校庭に生えている常緑樹を眺めたり、視線を上げて青々と明るい空を眺めたり。石段を上って端、校舎の脇には二本、骨組みだけになった銀杏の木が立っており、天をまっすぐに刺すようなその枝々が鋭い。秋になると巨大な炎のように黄金色に燃え盛るものだ。視線を落とすと電車の外側、線路のあいだには老いて薄茶色になった猫じゃらしが生えている。幼児は発車後、沸騰した薬缶の蒸気が立てる音のような甲高い叫びを上げていた。
 発車。鬱蒼と茂る森(以前に一度だけ電車に乗っているあいだに鹿を見かけたことがある)を眺めながら乗り、最寄りに着くと、もうほとんど森に接しかけている太陽がその身を広げて眩しい。階段、老人がゆっくりと歩いている。その脇をゆっくりと抜かして行くと、横断歩道で老人二人と一緒になる。ボタンを押してもらって渡り、坂に入りながら空を見回せばこの時間になってもまだ雲の一片も存在しない青の領域が続いている。Mさんと初めて実際に会った時の二日目、二〇一四年三月一一日のことだが、その日もこのような、青梅から上野に行くまで雲をひとひらも見かけなかったのを覚えている。坂を下って平らな道に出ると、Nさんがしゃがんで何やら庭仕事か何かやっていた。そこにこんにちはと掛け、明けましておめでとうございますと互いに挨拶をする。父親に言及され、今年は大変な役が待っていますけれど、というようなことを言われる。別れて歩き出したあとから、休みはいつまでと追加で掛けられたので、えっと、僕は、明日までです、と嘘をつく。別に知られたって一向に構わないのだが、鬱病になってニートをやっているなどと説明する間柄でもないだろう。これだけ日記を書けることからもわかるように、もうほとんど治っていると言って良いと思うのだが、ひとまず休みはじめてから一年間、四月までは休ませてもらうつもりでいる。本当に日記を再開してから元気になってきた。やはり書くことによって自分の生は活性化されるらしい。その後、隣のTさんにも遭遇。ここでも明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いしますと礼をしながら挨拶すると、良い男だねとTさんは褒めてくれる。いつものことだ。こんなに良い男なら、彼女がいるんでしょうと続くのには笑みを浮かべて、いやいやいや、と首を振る。寒いから、おばさんも、気をつけて、と声を張って別れ、帰宅。カレーを作ったと言う。また、TさんとKさん(Sさん宅から下って行ったところの人らしい)が来て、色々と喋っていったと言う。買ってきた荷物を冷蔵庫に収めてから下階へ。FISHMANS "チャンス"をリピートさせながらジャージに着替え、脱いだ服を洗面所へ持って行く。戻ってきて、買ってきたポテトチップスを食いながら、借りてきたCDをインポート。あいだはずっと"チャンス"が掛かっている。終えると緑茶を用意してきて、Blue Note All-Stars『Our Point Of View』に音楽を切り替え、日記を書き足しはじめる。ここまで記して五時直前。『Our Point Of View』は結構な演奏。
 ムージル「テルレスの惑乱」を読み進める。七時半過ぎまで。BGMは今日借りてきたSarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』にCarmen McRae『After Glow』。Vaughanのアルバムは世評通りの名盤だった。冒頭の"I Didn't Know What Time It Was"をちょっと聞いただけでもそれが予感される。McRaeのほうも悪くはない。読書、テルレスは言語に還元できない事物の真相のようなもの――例えばそれを「謎」とか「超越」とか言ってみたいが、言語に還元できないのだからそれは適当ではないのだろう――ただ「何か」と名指すことしかできないようなものの実在を予感し、それに惹かれ、求めている。それは彼にとって、思春期の性的欲望に密接に関連しているらしい。その性的衝動の対象となるのがバジーニである。
 上階へ。台所にいる父親におかえりと挨拶。食事、カレー、白菜や人参などの上に豚肉の乗ったサラダ、山芋のサラダ、そして雪花菜に栗きんとんの余り。食事を取りながら、新聞から佐々木毅と落合陽一の対談を読む。テレビにはほとんど目を向けなかったので特段の印象はない。食後、湯浴みへ。入る前にまず洗面所で髭を剃った。湯に浸かると身体はやはり痒いのだが、それでも段々ましになっているような気がしないでもない。出てくると母親が、山梨から貰ってきたオレンジジュース(先日の会食の余りだ)を飲みなと言う。特に飲みたくはなかったのだが、母親についでやり、こちらもコップに半分ほど注いで飲む。それから緑茶を用意して自室へ。ポテトチップスを食いながら自分のブログを読み返す。その後、ふたたびムージル。BGMはQueen『A Night At The Opera』小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』松本茜『Playing N.Y.』。最後の作は古き良き時代の、という言葉を思わせるジャズピアノという感じで、プレイは軽快でスウィンギーで良質である。Joe Farnsworthだったと思うが、ドラムスが軽く、小気味よく、Shelly Mannを連想させる。立ったり座ったりしながら文字を追う。どちらの姿勢であれ重要なのは、身体をなるべく動かさずに静止させることである。「テルレスの惑乱」には「沈黙」という語が頻出する――一つには通常の意味で使われ、もう一つには言語に還元不可能な「何か」を隠している事物の様相を指す語として使われる。今まで読んだところまで(もう最終盤だが)で、三三箇所出てきている。
 ・「彼がその中に入って行き視線とともに奥へ奥へと昇りつめて行けば行くほど、その青い輝く天の底はますます深く後退していった」(72)→「(……)それらのものは決して完全には言葉や思想にはなり切らないように思われた。出来事と彼の自我、いや、彼自身の感情とそれらの感情の理解を渇望する、いわば内奥の自我の間には、いつも境界線が引かれ、その線は彼がそれに近づけば近づくほど、まるで地平線のように彼の欲求の前に後退した」(28)――無限の観念と、「感情(感覚)」の相同性。
 ・「そのとき彼を苦しめたのは言葉の無力であり、言葉は詰まるところ感受された物を表現する偶然の口実でしかないという中途半端な意識であった」(76)→「彼には、それらのものが手に取れそうなほど分かりやすく見えたが、しかし、それらのものは決して完全には言葉や思想にはなり切らないように思われた」(28)→「彼はさまざまな人間を今まで見たこともなければ感じたこともないような姿で見た。(……)しかし、彼らはまるで踏み越えることのできない敷居のところで立ち止まるかのように、彼らを我がものにしようと言葉を探しはじめるや退いてしまうのであった」(64)→「なにかを言い当てなければならない気がしているのだが、しかし言い当てられない」(83)
 ・「そのときまたもや欲望が一段と強まった。それは彼を坐っているところから引きずり下ろし――跪かせ床に倒さんばかりであった」(81)→「今や現実にテルレスの中に激しい興奮が生じ、彼は自分を引き倒そうとする目眩から身を守るためにかたわらの梁にしがみつかねばならなかった」「テルレスは、自分が一種の性的興奮状態にいることに気づいていぶかしく思った」(82)→「この光の溜まりの中を転げ廻り――四つん這いになってあの埃っぽい片隅の真近にまで這って行きたいという欲求(……)そうすればまるでそのなにかを言い当てられるかも知れないような気持になるのだ」(83)――性と「超越」の結びつき? →「あたかも彼をその爪で掴み、その眼光で引き裂くような身の毛もよだつ獣じみた性の衝動」「今彼は、眼前に燃えさかる網しか感じなかった。それは言葉にはならなかったし、また言葉で言えるほど激しいものではない」(19)
 ・「バジーニの姿は信じ難いほど小さく撓められた(……)」(105)→「そのとき……遠くの端の方から……二人の小さなよろめく人影が――机の上を横切って近付いた。それは明らかに彼の両親であった」(98)→「しかし次の瞬間にはバジーニは姿を消し、やがて小さなごく小さな姿になって、(……)深いとてつもなく深い背景を前にきらきらと光を放った」(61)
 ・「肉体の影響力がバジーニから発散しているように思われた。いわば、女の傍らで寝ていていつでも掛け布を剝ぎ取れるという刺激。(……)若い夫婦をしばしばその性の欲求をはるかに越えた耽溺へと駆り立てるもの(……)」「性の衝動は弱くもなりまた強くもなった」(109)→「しかし今日は始めから、起き上がって向こうのバジーニのところへ行きたいという性的な欲望しかなかった」(112)
 テルレスは青空を見て「無限」の観念を実体的に理解・体験しているが、彼が事物の裏に感知する「何か」もそれと類同的なものではないのだろうか。すべての事物の背後には「無限」が隠されている――これはこちらの「信仰」、すべての瞬間・事物は書き記すに値するという原理的な幻想とも関わり合うだろう。我々がそれを認識できなくとも、事物の内に無限の差異があるからこそ、物を書くことができる。
 理屈は良くわからないものの、テルレスは性の衝動によってその「何か」に到達できると予感しているようだ。性と関連して「超越」のようなものに到るという命題を考えた時に思い出すのは、浅田彰メイプルソープについての講演で語っていたことで、ある種のゲイのコミュニティでは究極的なフィストファックとして、肛門から直腸まで腕の全体を突っ込むことが行われているのだと。それは死ぬこともあり得るほど危険な行為で、快楽の彼岸に達そうとするそのような行為は、ほとんど宗教的な儀式のようになるらしい。
 あとは「沈黙」の語の使用箇所一覧を作ろうと思うが、現在もう二五時の遅きに到っているので、これは明日以降、篇を最後まで読み終えてからで良いだろう。読書は零時過ぎまで続け、川本真琴 "タイムマシーン"をリピートさせながら日記を書き足した。
 一時過ぎ。ベッドに移ってふたたび読書。二時まで読み、「テルレスの惑乱」を読了してから就床。相変わらず眠気はないのだが、右を向き、腕を組みながら静止しているうちに眠れて、入眠には苦労しなかったようだ。
 ・「ある発展が完結した。魂が若木のように新しい年輪を一つ刻んだのだ――このまだ言葉にならない強烈な感情が、これまでに生じたすべての過ちを許した」(154)→「くぐり抜けねばならなかった精神の発展過程の終着点からほんの一歩のところに彼は到達していたが、その一歩が底知れぬ深淵のように彼を恐れさせた」(155)
 ・「事物の持つ第二の生命、秘密の、人に顧みられることのない生命(……)生きているのは、これらの事物じゃありません(……)そうではなくてぼくの中に、これらすべてのものを知性の目では見ない第二の生命があったのです」(161)――最終盤に到って、それまで「事物」のほうに託されていた「何か」が、テルレスの内にあるものとして、また「第二の生命」という語でもって指し示される。「知性の目では見ない」のだったら、どのようにして見るのか?(直観ということなのか? ムージルは「直観」という語は多分一度も使っていなかったように思うが)
 ほか、以下の記述が印象的だった。「思想というものは(……)もはや思考でもなく、もはや論理的でもないあるものがそれにつけ加わるその瞬間に初めて生命を得る(……)」。言うまでもなく言語とは形式論理に過ぎず、この世界の実相とはほとんど何の関係もないくらいに(というのは言い過ぎか)異なっている。その不完全な形式論理の網を用いて、いかに世界の動向を捉えるかというのが作家・文学者・哲学者たちが心を砕いてきたところだ。ムージルはそれを最も先鋭的な形でやった作家の一人だということになるのだろう。ここの記述は、一種の神秘主義宣言だろうか?

 そうなのだ。思想には、死んでいる思想と生きている思想がある。日の当たる表面を動く思考、常に因果律の筋道に照らして検証される思考は未だ生きている思考とは言えない。こうした道を歩む思想は、行進する兵士の隊列中の任意の兵のようにどうでもよいものだ。思想というものは――それは随分前にすでに我々の脳裡を掠めたかもしれないが――もはや思考でもなく、もはや論理的でもないあるものがそれにつけ加わるその瞬間に初めて生命を得るのであり、その時我々はその思想の真実に触れるのだ。だが、その真実はあらゆる論証の彼方にあり、あたかもその思想から投じられ、血の漲[みなぎ]る生きた肉体に食い込んだ繋留錨のようなものだ……偉大な認識は、その半分が脳髄の光の圏域で生まれ、他の半分は心の暗い奥底で生じる。そしてその認識とはなかんずく、最先端に思想がほんの一挿しの花のように載っている魂の状態に他ならない。
 (鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』松籟社、一九九五年、160~161; 「テルレスの惑乱」)


・作文
 8:35 - 9:17 = 42分
 10:35 - 11:00 = 25分
 12:59 - 13:18 = 19分
 14:36 - 14:43 = 7分
 16:28 - 16:57 = 29分
 24:24 - 25:07 = 43分
 計: 2時間45分

・読書
 6:50 - 7:35 = 45分
 11:02 - 11:49 = 47分
 11:50 - 12:45 = 55分
 13:19 - 14:43 = 1時間24分
 15:02 - 15:25 = 23分
 17:11 - 19:35 = 2時間24分
 20:55 - 24:05 = 3時間10分
 25:10 - 25:55 = 45分
 計: 10時間33分

  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』: 58 - 165
  • 2016/9/2, Fri.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』松籟社、一九九五年、書抜き
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-01-02「指先にともした炎元旦の星座が焼けるあのひとはいま」; 2019-01-03「惑星は神の眼球あらためて恥も誇りも地上のくびき」

・睡眠
 1:20 - 6:40 = 5時間20分

・音楽

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2019/1/3, Thu.

 二時台だか三時台に一度覚めた記憶がある。その後、五時半頃にふたたび覚醒。寒さに怯んで布団のなかにしばらく留まり、五時五五分になったところで起き出し、ストーブを点けておいて便所に行った。震えながら排尿を済ませ、戻って読書。『後藤明生コレクション4 後期』より「しんとく問答」。読みながら、Twitterに感想を呟く。「『しんとく問答』収録各篇の後藤明生は歩く。歩くことから小説が生まれる。中上健次もどこかで歩かないと小説にならないと言っていた。車でさっと移動できるところを、敢えて時間を掛けて歩くから小説になると。この点で小説とは、アナログ的な形式である」。「自分の体験を綴っている点で私小説的でもあるが、しかしここには近代文学的な自意識の発露や心理の分析などは存在しない。あるのは資料(他者のテクスト)の引用による歴史的な記述と、歩き、見たものの克明な記録である。記述はこまごまとしており、日記的であるかもしれず、独特の素っ気なさがある」。「歩くところから小説が生まれるというのは体験的にもよく理解できる(こちらが書いているのは日記だが)。三〇分間散歩をすれば、二〇〇〇字くらいは書くことができよう。哲学者や作家は歩くものが多い。ヴァルザー然り、古井由吉然り」。「昭和二〇年三月と言うと東京大空襲の時期だが、同じ月に大阪大空襲もあったのだ。後藤明生の小説のなかに、ほんの一言だが出てきた」。読書はベッドに腰掛けて布団を膝に乗せ、脚を温風に晒しながらやっている。その後、最後の篇、「麓迷亭通信」。話題の移り変わりが速い。以下引用。

 (……)大阪から追分に来るようになって、もう何年になりますか。食道癌の手術を受けたのが五十五のときです。「五並びのゾロ目」は危険だといわれておぼえているのですが、いま六十四ですから九年前になります。大阪へ行くことになったのは手術の翌年ですから、八年前ということになります。追分行きは東京からよりも大阪からの方が不便です。距離も違いますが、それでも最初のうちは直行の夜行列車が出ていました。「軽井沢シャレー」とかいう夏の臨時列車で、神戸発だったと思います。全車寝台で通路の両側に二段ベッドが並んでいます。上段の方がいいと思って予約したのですが、細長い梯子の途中で足が止まりました。アナカシコ、アナカシコ、ヤンヌルカナ! 食道癌の手術は癌部を切除し、胃袋を釣り上げてつなぎ合わせるというもので、全身麻酔で九時間かかりました。『首塚の上のアドバルーン』の連作七篇のうちの第三作を書いたあとでした。雪の多い年で十二月の大雪の日に退院、数日後に地震がありました。かなり大きな地震で、幕張のマンションの十一階の仕事部屋の二段重ねにしておいたスチール製ロッカーの上段が滑り落ちて、床の絨毯に突きささっていました。退院後は小型座布団を紙袋に入れて、近くの公園や遊歩道を散歩しました。歩行訓練で、ベンチからベンチへ約五百メートル歩いては一休みするのですが、尻の肉がなくなっているので、公園のベンチにじかに坐れません。小型座布団はそのためです。入浴のときはタオルを四折りにして尻に敷きます。これはいまでも習慣化しております。歩く力はほぼ回復しました。近鉄大阪線の駅から大学まで約一キロ、学生、自転車、小型トラックなどが入り乱れる商店街を鞄をさげて歩きます。九十分授業も立っ放しで平気ですが、どうも階段がいけません。JR、私鉄、地下鉄、登り下りとも、混んでいないときはつい手摺りを使っています。二年前に改造した山小屋の階段にも手摺りをつけました。夜行寝台列車の梯子はほんの数段です。ところが三段目あたりでとつぜん不安になり、車掌に頼んで下段に替えてもらいました。(……)
 (『後藤明生コレクション4 後期』国書刊行会、二〇一七年、473~474; 「麓迷亭通信」)

 寝台列車にて、「梯子の途中で足が止ま」った理由が明かされないまま、「アナカシコ、アナカシコ、ヤンヌルカナ!」の意味不明な合いの手のような叫びが入り、その前に書かれていた癌の話題が回帰してくる。その後、それに関する記述が続いたあと、しばらくしてから突然また、先ほど取り上げられた寝台列車の梯子の話が戻ってくる。普通だったらおそらく、先の「足が止まりました」の直後に、「夜行寝台列車の梯子はほんの数段です」が続くだろう。そのあいだに癌の説明が嵌入されたようになっており、話題が互い違いに[﹅5]組み合わさっている。ジグザグ[﹅4]のような動き方。
 まだ青の深い空には、爪を押し付けた痕のように細い月が浮かんでいた。山際に塗られた朱色は、七時が近づく頃には幾分控えめに抑えられ、空は和紙のような淡さに変わり、広まった曙光によって月も星も覆い隠されて姿を消した。七時半まで読書をして、「麓迷亭通信」を読み終える。残るはいとうせいこうの解説のみである。そうして、日記。ここまで綴って八時過ぎ。
 上階へ。母親に挨拶。米がないのでパンを食べるようだと言う。食パンを焼くのが面倒臭いので、電子レンジの前にあった胡桃ロールを食べることに。ほか、ハムエッグを焼く。フライパンに油を引き、ハムを四枚敷いた上から卵を二つ割り落とす。蓋をして加熱しているあいだ、立ったまま胡桃ロールを齧る。その他即席の、赤だし蜆汁も用意。また、トマトを一つ、母親が皿に乗せてくれる。このトマトは前日、上野原のスーパー・オギノで母親が買ったトマト福袋に入っていたものである。そうして食事。テレビは和菓子の歴史などやっていた。トマトはどうかと訊かれたので、大した味ではないと答えると、その後に食べた母親も同意する。新聞、一面は改元について。新元号四月一日に公表と決まったらしい。食後、抗精神病薬抗鬱薬を飲み、母親の分もまとめて皿洗い。彼女の方は洗濯物を干している。それから風呂を洗って、ポットに湯を足しておいて下階へ。
 緑茶を用意してきて『後藤明生コレクション4』から、いとうせいこうの解説を読む。読了。印象に残っているものとしては、やはり「蜂アカデミーへの報告」が大作だったのではないか。そのほか、『しんとく問答』所収の、町を歩き式の諸篇も結構良かったように思う。そっけない文体でのこまごまとした記述が散文的・日記的(おそらく通常の意味での日記ではなく、こちらの考える「日記」なのだろうが)かもしれない。それから日記の読み返し。一年前のもの。「前日の記事を書こうと思ってコンピューターに向かい合ったのだが、頭のなかに言語が浮かんでくることそのものが恐ろしく、二、三文書いたところで、どうもこれ以上は続けられないなと判断された(……)」「自分が何を恐れているのかと考えると、まず何よりも、自分の頭が狂うことだった。頭に言語が自動的に浮かんでくるということが怖いというのもそのためで、止せば良いのに(とわかっていながら調べてしまうのが精神疾患の患者というものなのだが)インターネットを検索して、統合失調症の症状として思考が止まらず溢れ出してくる、というものがあるということを知り、自分は統合失調症になりかけているのではないか、このままだと頭のなかの言語がコントロールを失って、そのうちに幻聴のようになってくるのではないかという恐れがあったのだ」。明らかに精神が狂いはじめている。脳内の言語そのものが怖いなどと、常軌を逸しているではないか? 以下さらに、非常に長くなるが、当時の考察を引いておく。自分の「徴候」、不安障害というものを意味論的に読解しようとする試みで、一方で半ば頭が狂いながらも、他方ではこのようにして自分の変調を客体化し、明晰に分析してみせる理性が保たれていたわけだ。

 (……)気が狂うことが怖いと言って、それでは気が狂うことの何が怖いのかと考えた時に、解答として浮かんできたのが「他者」の存在である。要は、他人から、例えば彼は統合失調症なのだという風に明確なレッテルを貼られて、完全に共同体の「外」の存在として疎外されることが怖いのだと判明した(統合失調症と呼ばれる病理を現実に生きている方々を愚弄するつもりはまったくない)。もう一つのイメージとしては、自分の主体が解体し、それによってこの世界そのものも解体した時に、完全に何も見えない、何も聞こえないような、あるいはそのような「無」ではなく「混沌」の様相なのかもしれないが、ほかの人々とまったく共有できない世界像のなかに放り込まれ、その「ほかの人々」の存在すら認識できなくなり、まさしく極限的な、純粋な孤独[﹅5]に陥るのが怖い、というようなものがあった。
 これはそこそこ、意外な話ではある。と言うのも、自分は、「他者」の存在に配慮をせねばならないという多少の倫理観は持ち合わせているものの、実際のところ、わりあいに他人のことなどどうでも良く、社会の「本流」からずれていようが何だろうが、あまり致命的な迷惑を掛けない範囲でこちらのやりたいようにやらせてもらおう、というつもりでいたからだ。しかしここに至って、自分は「他者」の存在を無視できない、ということがわかった。このことから考えるに、こちらは物心ついて以来、どうも自分はほかの人々とちょっとずれているのではないかということを折に触れて感じてきたし、この社会共同体に流通している最大公約数的な「物語」に安住してやまない人々を、多少は軽蔑もしてきたと思うのだけれど、自分はことによると本当は、彼らと世界観を共有したかったのかもしれない、彼らの仲間になりたかったのかもしれない、と思われた。
 ここで話がのちの時間、風呂に浸かっていた時間のことに飛ぶのだが、主題がちかしいので、「他者」に対する恐怖についても触れておこう。風呂のなかでは、今までのパニック障害の体験からして、自分が何に不安を覚えてきたのか、ということを整理した。そのなかの一つに、「他者」の存在がある。これは「恥」の観念に結びついたものなのだが、正確には、「他者」とのあいだに齟齬を起こすこと、として帰結するものである。つまり、パニック障害の前期には、症状は主に電車のなかで発生していたわけだが、そこにおける不安の主な現れ方は、このまま呼吸が止まって倒れるのではないか、あるいは胃のなかにあるものを嘔吐してしまうのではないか、というようなものだった(したがって、大学時代には、空腹が頂点に達しても昼食を取らず、帰ってくるまで何も口に入れないという生活を続けていた時期が長くあった)。それは結局、そのようなことを招いてしまうのは恥ずかしい[﹅5]、周囲の人たちに迷惑を掛けてしまう、という危惧である。
 こうしたことを鑑みるに、自分はいわゆる「承認欲求」、他者と仲良く協調し、他者に認めてもらいたいという気持ちが結構強かったのかもしれない。そうした気持ちを持ちながらも、現実に多数の人々とのずれを感じるなかで、一方では承認欲求が強化される方向に向かい、他方ではそれを抑圧して彼らの外に出ようとするという二方向に自己が分裂し、そのあいだの葛藤がパニック障害として顕在化したと見ることもできるだろう。(……)

 (……)自分の最近の症状と言うのは、不安障害の症候そのものだったのだと気づく瞬間があった。それまでは、自分は本当に、統合失調症か何かになりかけているのではないかと危惧していたのだが、このままだと気が狂うかもしれないという不安というのは、パニック障害の特徴の代表的な例として良く紹介されているのだ。それでは、自分は根本的には一体何を恐れているのかと問うてみた時に、確かな解答はわりと速やかに出てくる。それは、不安という心的状態そのものである[﹅16]。おそらく不安障害も一番初めは具体的な何かに対する不安から始まるのだろう。しかし、症状が進むなかで不安は転移していき、次々と新たな不安の対象を発見していき(あるいは作り出していき)、最終的には不安そのものを怖がる不安不安症、恐怖恐怖症に至ってしまう。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がこのようなことを言っていたらしいのだが、これは自分には非常に納得される考えである。自分は明らかに、こうした地点にまで至っている。
 こちらが今まで不安や恐怖を感じてきた対象を大まかに区分すると、一つには上にも挙げた「他者」がある。もう一つは、「死」である。三つ目が、不安そのものである。これらに共通することは、「受け入れるしかないもの」だということである。「他者」はこちらから独立自存して存在しているものだから、その存在は受け入れるほかなく、また彼らは自分と異なった存在なので、彼らとのあいだに齟齬が生じることも仕方がない。「死」は言うまでもなく、どうやら誰の身にも訪れるものらしく、またそれがいつ来るかはわからないのだから、どうにもならない。そして不安という心的現象は、不安障害者である自分にあっては、コントロールできるものではない。
 このように、自分は「受け入れるしかないもの」を受け入れることができていなかった、それが不安の根源ではなかったかとまず考えた。これらのうち、最も根源的なものだと思われるのは、不安そのものに対する不安である。おそらく初めは、「他者」やそこから生じる齟齬そのものが怖かったはずだが、その後、病状が不安不安症と言うべき様相に至った時点で、不安そのものを軸として関係が逆転し、「他者」や「死」とは、不安を引き起こすから怖い[﹅12]という同義反復的な論理の認知が生まれたのだ。そして、ここから先が重要なポイントだと思われるのだが、不安の発生そのものを怖がる不安障害患者にとって、この世のすべてのものは潜在的に不安に繋がる可能性を持っている[﹅30]のだ。言い換えれば、彼にとっては、すべての物事の最終的な帰着先、究極的なシニフィエが不安だということである。したがって、彼にあっては、生きていることそのもの、目の前に世界が現前していることそのもの、自己が存在していることそのものが不安となる。生の一瞬一瞬が不安の色を帯び、ほとんど常に不安がそこにある状態を体験することになるのだ。
 自分がこのような状態に至っていることをまず認識した。そして、ここから逃れる方法は一つしかない。それを受け入れることである。すなわち、不安からは絶対に逃れられない、ということを心の底から確信して受け入れられた時、初めて自分は不安から逃れることができる。まるで禅問答のようだが、これがこちらの根底的な存在様式なのだ。こうしたことは、パニック障害を体験する過程で考えたことがあるし、自分はそれをわかっていたはずだったのだが、薬剤に馴染んで症状が収まるにつれて忘れていたのだろう。今回、自分は改めてこのことを定かに認識した。自分は自分が思っていた以上に不安障害患者だったのだ。ここ数日、頭が狂うのではないかなどという恐れを抱いていたが、何のことはない、上のような意味で、自分の頭ははるか昔に既に狂っていたのだ。

 そのほか、Mさんとの通話で話したフローベール文学史的位置づけについて。

 (……)まず、小説作品に「描写」的な細部がはっきりと取り入れられるようになったのが、概ねフローベールあたりからだという正統派文学史的な整理があると思う(これが確かなものなのか、それすらこちらは知らないのだが、ここではひとまずそういうことにしておいてほしい)。そうした理解では、「描写」とは現実世界の様相を緻密に、克明に写し取るための技術として認識されており、多分その後のゾラなどは実際にそういうつもりでやっていたと推測され、フローベールもゾラの先行者的な位置に置かれている気がするのだが(つまり、「リアリズム」の作家として位置づけられていると思うのだが)、しかし同時に、「描写」とはまた、物語的構造に対して過剰な細部として働くものでもあり、大きな構造に対する抵抗点として機能させることができるものでもある(絵画を遠くから一度見たあとに、近寄って様々な細部に目を凝らし、諸要素の配置を把握してのちふたたび距離を置いて眺めると、まったく違う様相として映る、そのようなイメージである)。ここで思い出されるのが、フローベールが書簡に記した(のだったと思うが)有名な言葉(と言いながら、引用を正確なものにできないのだが)、自分は何一つ言わない小説、何一つ書いていない小説を書きたいという宣言で(確か、「言語そのものの力によってのみ支えられている(だったか、「浮遊している」だったか)」というようなことも言っていたはずだ)、ここから推測するに、フローベールは現実世界のある側面を「そのまま」克明に写し取ろうなどとは考えていなかったのではないか? つまり、彼は「リアリズム」の作家などではなかったのではないか。こうした路線でフローベールを読み、正統派文学史の神話を解体しようとしているのが、蓮實重彦の試みなのではないかと思ったのだが、例の『「ボヴァリー夫人」論』も読んでいないので、確かなことは良くわからない。

 その後、ブックマークしてあるブログ類をすべて読む。Uさんのブログから――「「勇気を持って」世界に参加し続けなければならない理由は、新たな経験は不快だからである」。「しかし、恋愛漫画を読んでも恋愛が上手にならないのと同様に、いくら先人の優れた文章を読み解いても世界についての理解は深まらないことを忘れてはならない」。「ウォール伝」では、ニヒリズムを打倒するには理性と悟性に根ざした非合理的なものによるほかはない、と考察されているが、自分のいわゆる「信仰」(すべての瞬間は書き記すに値するのだという信念)はこの「理性と悟性に根ざした非合理的なもの」に相当するのではないかと思う。それはまた、欲望でもあるのか? ロラン・バルト曰く人は自分の欲望によって書くらしいが、こちらの場合、もうあまり欲望に基づいて日記を綴っているという感じもしないのだが。
 ものを読むあいだはFISHMANSの一枚目から三枚目を流していた。上階へ。母親はメルカリで売る品の準備に追われ、父親はテレビのすぐ前で箱根駅伝を視聴していた。石油ストーブの上には鍋が置かれて、醤油風味の野菜スープが熱されている。それに素麺を入れて煮込むのが昼食だと言う。散歩に出てくると言い残して、玄関を抜けた。ダウンジャケットのファスナーを首もとまで上げて歩き出す。この日も快晴の、陽の暖かな日和である。道の果てまでアスファルトは白さを帯びて、脇の草々も小さな葉の上に煌めきを乗せる。Tさんの宅の手前、あれは柚子ではないのだろうか、黄色の柑橘類がたくさん丸々と実っているのを見上げて過ぎる。風が吹いても寒さはない。
 FISHMANS "いかれたBABY"を脳内に鳴らしながら裏路地を行く。冬になって太陽が低いため視界の端に引っ掛かり、光線が斜めに入りこんで、虹色の模様を帯びたセロファンのような膜が眼球の表面にいくつも生まれる。夏にも同じものが生まれるだろうか? 道は全面日向に覆われ、底冷えのして足の冷たい室内よりもかえって暖かいくらいである。街道に出ると自転車が四台やって来たので、端に寄って彼らが過ぎるのを待ち、東へと方向を変えて歩き出す。空には擦り傷のような僅かな雲が散るのみである。正面から風が寄せて身体の前面は冷やされるが、背後は陽光が降って背に溜まるのが暖かく、身体の前後で二つの異なる感覚が同時に、混じり合わずに共存する。最寄り駅を過ぎたあたりで、部厚い風が長く、連なり流れて身を貫き、そうするとさすがに寒々しかった。ふたたび裏に入ろうとしたところが、家の建て込んだところで下り坂が全面日蔭になっていて、それを厭うて遠回りになるがまだ街道を歩く。日向のある迂回路から路地に入り、葉叢の白い木の間の坂を下って行く。坂を抜けるとまた日向がひらいて、腋の下などちょっと汗ばむくらいの朗らかな陽気が身の周りに戻ってきた。空には雪の塊のような雲が浮遊し、太陽の光を受けて清涼に白い。
 歩いているあいだに素麺が出来ているかと思いきや、両親の配置は変わっておらず、鍋もまだスープだけである。それでこちらがやろうと冷蔵庫を探るが素麺が見つからない。ところへ母親が玄関の戸棚から持ってきた。「湧水の糸」というものである(一袋一七八円くらいだったのではないか?)。鍋つかみを両手につけて白鍋をストーブから焜炉に移し、素麺を三束入れて煮込んだ。一方で豆腐を電子レンジで加熱し、鰹節と麺つゆを掛けて卓に運ぶ。父親は何故か椅子にも座らず、テレビのすぐ傍に立ち尽くして駅伝に注目していた。こちらは駅伝には特段の興味はない。早々とものを食べ終えると皿を洗い、アイロン掛けをする。両親のものとこちらのもの、三枚のシャツを処理し、ベランダに出てもう乾いたハンカチも持ってきて皺を伸ばすと、下階に戻って日記を書き足した。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』
 書抜きの読み返し、一二月二八日途中から二六日まで。一箇所につき二度ずつ音読したあと、文章を隠して覚えている限りのことをぶつぶつと呟き、確認する。一日に三日分ずつできれば良いのではないか。時刻は二時に到る。鎌田道生・古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』を読み出す。「テルレスの惑乱」。ムージルの記述は時に抽象的で晦渋であり、何を言っているのかわからないことがままあるが、だからと言ってそれで退屈になるのでなく、つんと鼻に利く山葵を食べた時のような、一種の痛みと綯い交ぜになった刺激の快感があるかもしれない。
 ・「公子との交際は、そこでテルレスにとって微妙な心理学的な楽しみとなった。そのお陰で彼の心の内に一種の人間を知る道が切り開かれた。それはつまり、声の抑揚、物を手にとる時の格好、いやそれどころかその人の沈黙の音色、またある空間に自分を順応させる肉体の姿勢を通して他人を識り楽しむことを彼に教えてくれたのである」(11)――「沈黙」に「音色」がある。
 ・「その当時の彼は、性格というものを全然持たないように思われた」(14)――「特性のない男」?
 ・「手の動きの中でしか彼の精神は生きていなかった」(14)→「彼はこの手紙の中でのみ生きていた」(8)――テルレスは執筆者である。
 ・「彼の全生活は、事実、自分より粗暴で男らしい友人達に遅れを取るまいとする努力の絶え間ない繰り返しと、その一方、心の奥底でそうした努力を冷淡に見つめることの連続にほかならなかった」(15)――分裂。自己客体化。
 ・「バイネベルクの体から衣服を剝ぎ取った様子を想像すると、静止したしなやかな肉体の像を心に留めて置くことはテルレスには全く無理なことであった」「その手にはなにか淫らな感じがつきまとっていた」(23)――テルレスの同性愛的志向?
 書見は五時直前まで。上階に上がって夕食の支度。まず大根を千切りにして味噌汁を作ることに。大根を煮ているあいだ、凍った雪花菜を電子レンジで熱し、解凍してボールに入れて粉状に解体する。人参をスライサーで細かく下ろし、葱や鳴門巻きも細く切る。母親が友人から貰ったという麦味噌で味噌汁に味を付けると、桜海老や油揚げがさらに混ぜられた野菜たちをさっと炒める。そこに雪花菜を追加して、水も垂らしてかき混ぜ、しっとりとした感触になるまで炒めた。砂糖、醤油、酒などで味付け。三品目は大根の葉。水を絞って細かく切り分け、ハムも同様に細く切って一緒に炒める。塩胡椒。それで支度は良いだろうと。あとは鮭を焼くらしい。
 この日二度目の散歩に出ることに。灰色のPaul Smithのマフラーを巻きつけて玄関に行くと、年賀状を郵便局に出しに行った父親が帰ってきたところだった。散歩に出ると言うと、鍵を持って行けと渡される。ポケットに入れて出発。昼とは反対方向、東側に向けて歩き出す。空には青味が僅か残っており、暗い色だが氷の壁が立ち塞がっているように澄明で、乱れなく均一なその色のなかに塵のように小さな星が埋めこまれてちらちらと光っている。坂に入ると川の響きが南側から上って来るが、そちらに目をやっても闇に包まれて流れの姿は見えない。木の間の坂を上って行く。そうして左折し、今度は建て込んだ家並みのあいだの坂を上る。途中、脇の家からぱっとセンサー式の白光が投げかけられて、路上に柵の影が浮かび、その上を斜めに伸びたこちらの影も推移して行く。歩調はやや速め。最寄り駅を過ぎて先、冬木立の遥か彼方に山が黒く沈んでおり、その影が抱く宵闇のなかに町灯りが、間隔を開けて乏しく花開いている。空気は静止しており、動きがあればすぐに冷たさとなって感じられるが、それもない。Y屋の先で左に折れて裏に入った。空が広い。坂を下ってしばらく行き、昼にも見上げた柑橘類の木をふたたび見上げ、野球ボールのような黄色の実を見つめながら過ぎる。マフラーを巻いた首の後ろが温もって、正面から風が流れても揺らがず立ち向かうことができる。
 帰宅すると、両親は玄関にいて何やら戸棚を探っていた。父親がフランクフルトを買ってきたと言う。彼に鍵を渡して自室に帰り、ここまで日記を書き足した。BGMはJimmy Rogers『Chicago Bound』。明日は図書館に行くつもりだが、きっと天気も良いだろうから電車ではなく時間を掛けて歩いて行こうと思う。また、スーパーで緑茶や油などを買うこと。
 それから、一二月二五日の日記に引用した沖縄関連の記述を読み返し。書抜きは一日の記事に基本三箇所ずつくらい引用してある。それらを読み返して行くわけだが、一日三日分できれば良いだろうと上には記したものの、この日はそれに一日分追加したことになる。さらにムージルを少し読んでから食事へ。フランクフルト・白米・大根の葉の炒め物・雪花菜・大根の味噌汁。フランクフルトにケチャップとマヨネーズを掛けて最初に食い、その後炒め物をおかずに米を頬張る。父親は入浴していた。テレビは最初ニュースが掛かっていて、熊本でまたもや起きた地震の報を伝えていた。発生から一時間ほど、まだ詳細な情報が入ってきていないようだったが、いくつか伝えられた各所の役場職員の証言によると被害はさほどでもないような印象を受けたものの、果たしてどうか。食後、皿を洗っているあいだ、母親がスルメイカをオーブントースターで焼く。それにマヨネーズを掛けて口に運び、固くて容易に噛み切れないのをもぐもぐと咀嚼しながら洗面所に入った。そうして入浴。相変わらず身体は痒い。風呂に入ると余計に痒くなるようなのは、やはり熱されて体温が上がるからだろうか。がしがし、がしがしと、赤くなった肌を発疹の上からさらに搔きながら湯に浸かる。出てくるとふたたび烏賊を頂いて、緑茶を用意して下階に帰った。Chris Potter『The Sirens』を流しながら、九時過ぎからムージルを読み出すのだが、じきに眠気が湧いた。一〇時半くらいには横になって休んでいたのではないか。気づくと、一時過ぎを迎えていた。上階からは酒に寄った父親がテレビに向かって一人で頻りに、そうだよなあ、などと呟いている声が聞こえていた。しかしまもなく父親も下階に下りてきた音がして、こちらは尿が溜まっていたがものぐさに、便所にも行かず歯も磨かずにそのまま就眠した。


・作文
 7:35 - 8:07 = 32分
 8:54 - 8:58 = 4分
 11:37 - 11:47 = 10分
 13:08 - 13:27 = 19分
 18:03 - 18:41 = 38分
 計: 1時間43分

・読書
 6:04 - 7:31 = 1時間27分
 9:10 - 9:33 = 23分
 9:42 - 10:02 = 20分
 10:08 - 11:37 = 1時間29分
 13:31 - 14:04 = 33分
 14:08 - 16:57 = 2時間49分
 18:42 - 19:18 = 36分
 21:11 - ?
 計: 7時間37分+α

  • 後藤明生コレクション4 後期』: 458 - 496(読了)
  • 後藤明生コレクション4 後期』国書刊行会、二〇一七年、書抜き
  • 2018/1/3, Wed.
  • 2016/9/3, Sat.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-01-01「きのうライオンが鹿にキスするのを見たよ」
  • 「悪い慰め」; 「読書日記(2019-01-03)」
  • 「思索」; 「気分と調律(5)」
  • 「ワニ狩り連絡帳」; 2019-01-01 (Tue); 2019-01-02 (Wed)
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」; 「新年一発目。」
  • 2018/12/28, Fri.
  • 2018/12/27, Thu.
  • 2018/12/26, Wed.
  • 鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』: 7 - 58
  • 2018/12/25, Tue.

・睡眠
 1:15 - 5:55 = 4時間40分

・音楽

  • FISHMANS『Chapppie, Don't Cry』
  • FISHMANS『KING MASTER GEORGE』
  • FISHMANS『Neo Yankee's Holiday』
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Jimmy Rogers『Chicago Bound』
  • Jimmy Rogers『Blues Blues Blues』
  • Chris Potter『The Sirens』
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2018/1/2, Wed.

 二時半に一度覚醒。二度寝に成功する。次は四時半。まだ起床せずに布団の内に留まるが、今度は眠れなさそうだったので、四時五五分に到って明かりを灯す。睡眠は四時間二〇分。『後藤明生コレクション4 後期』を書見。「四天王寺ワッソ」、「俊徳道」。年明けのまだ暗い早朝だが、寒さはそれほどでもなかったようだ。とは言え、ストーブを点けて、膝の上に布団を掛けながらベッドに腰掛けて脚を熱風に当てる。じきに曙光が漏れはじめて、空は深い青に色づき、そのなかに細い月が浮かんだそのすぐ脇に、皓々と明るい星も一つ穿たれていた。
 六時一五分になったところで読書を中断し、上階へ。タイマー設定されていた石油ストーブが暖風を吐き出している。台所に入り、ハムエッグを焼く。その他おじやの残りがあったので電子レンジで温め、新聞を取りに外に出た。寒いには寒いが、がたがたと身体を震わせるほどではない。新聞はなかったので手ぶらで戻り、前日のそれから今夏の参院選関連の記事を読みつつものを食べる。最後に即席の赤味噌汁も拵えて啜り、食器乾燥機のなかを片付けると早々と皿を洗って下階に戻った。すぐさま日記に取り掛かり、前日の分を仕上げて投稿。この日のものも綴って現在、七時一〇分前である。オレンジ色の光球が山の稜線に掛かったところで、部屋の壁にこちらの影が映し出されている。
 FISHMANS『ORANGE』をヘッドフォンで聞き、"気分"に身体を揺らしながら日記の読み返しをする。昨年のもの。去年の一月二日は今日と同じく山梨に行って、Kさんの息子であるKくんと遊んだりしていた。二〇一六年九月四日のものも読み返し、ブログに投稿してから上階へ。両親に挨拶をしてから風呂を洗う。戻ると歯を磨き、服を着替え、Twitterを覗いたあと便所に行って排便していると、父親が外から呼びかけて来る。八時二〇分に出ると言う。はいと答えて水を流し、時計を見ると既に八時一〇分だった。
 日記を書き足してコートを着込み、バッグとダウンジャケット、FISHMANS『ORANGE』のCDを持って上階へ。バッグのなかにはHelenaの財布に携帯、『後藤明生コレクション4』。濃紺の地に水滴のような模様が整然と並んだBrooks Brothersのハンカチを尻のポケットに入れる。出発。父親の車の助手席に乗り込む。Oasis "Live Forever"を低く口ずさみながら母親が来るのを待ち、発車するとカーナビの下部から「Audio」ボタンを押して、『ORANGE』のディスクを挿入。"気分"はやはり格好良い。まだ低く山に近い太陽から送られてくる陽射しが顔の横に暖かい。多摩川を渡る橋の上で、俺は電車で帰ると前もって両親に告げておく。自動車というものはどうもこちらと相性が合わず、酔って気持ち悪くなることも多々あるし(先日王子のT子さん宅に行った時などは、帰りの車内でひどく気持ちが悪くなり、帰宅後に嘔吐してしまったのだ――しかしどうもそれは、飲みはじめたばかりだったセルトラリンの副作用も寄与していたのではないかと思うのだが)、何より長時間車の狭い座席に押し込められるのは疲れる。密室のなかに留まっていては感覚的刺激もないので書く事柄も増えないし、それに電車で帰ればその分本を読めるではないか、というわけだ。峠を越えて日の出町へ入った頃、母親は突然、二人とも紅白を見なかったじゃない、と話を振ってきた。何でも松任谷由実桑田佳祐が"勝手にシンドバッド"を演じて、そのなかで気分が高まったのか二人はキスを交わしたのだという話で、やり過ぎって言うか、と母親は苦笑の気配だった。日の出インターから高速道路に乗る。眠い。眠れない、眠気が湧かないとたびたび言ってきており、それはそれで事実なのだが、この時はちょっと眠いような匂いがしていた。それで目を閉じる。しかし純白の、激しい光線が正面から顔にぶち当たってきて目を閉じていてもひどく眩しく、瞼をこじ開けられる。光線から逃れるとまた瞑目。藤野のパーキングエリアに寄ったのはLINEの通知があった父親が携帯を見るためだが、O.Mさんからではなくて会社からの連絡だと言った。上野原に入ったのは九時過ぎだった。早すぎるくらいである。開店前のスーパー・オギノの駐車場に入る。開店は一〇時である。母親はそのあたりを散策してくると言って外に出て行った。残った父親が目を閉じて休んでいる横で、こちらは手帳にメモを取った。
 戻ってきた母親は、手作りの豆腐屋があったと報告する。こちらはメモを取り終えると後藤明生を読みはじめた。身体をなるべく動かさないように静止させながら、頁の上にじっと視線を落とす。母親が止まっているあいだは音楽を止めたほうが良いと言うので、モニターを操作して再生を一時停止させた。彼女はまた、スマートフォンでニュースを見ていたのだろうか、東京都で正月の餅を食って何人だか死んだと知らせる。こちらは餅を喉に詰まらせて死ぬというのは、たくさんある死に方のなかでも一番嫌な、勿体無いようなそれだと思うので、一生餅を食わないことに決めている。個人的には、蜂に刺されて死ぬのも同じくらい嫌な死に方だが、後藤明生が「蜂アカデミーへの報告」のなかで集積した新聞記事を見ても、一年で何人も雀蜂に襲われて亡くなっているようだ。
 一〇時を迎えて店内へ。一〇時に待ち合わせをしていたOさんはまだ現れていなかった。飲み物を買いに行く父親について行き、ペプシ・コーラの大きなボトルと、通常の大きさのジンジャーエールを籠に入れる。後者はこちら一人の分である。お前それじゃあ足りないだろうと父親に言われたが、そんなに飲むつもりはないし、コーラも余るだろうと見込んでいた。じきにトイレに行っていた母親がやって来たので、今度はそちらについて店内を回る。祖母宅に集まるのは全部で一四人である。全員分の寿司(一〇貫入り)を籠に入れているところでMさんがやって来たので、おめでとうございます、と挨拶する。バルカラーコートの効力だろうか、ますますイケメンになったんじゃないの、と褒められたが、そんなに大した顔はしていない。Sさん(Mさんの旦那)が体調不良で参加できなくなったと言うので、寿司を一つ売り場に戻した。それでMさんとも一緒に相談しながら、その他唐揚げ、オードブル、サラダ、ピザなどを籠に入れて行き、このくらいで良いだろうとなったところで会計へ。全部で一九五〇一円だった。荷物を袋や箱に詰め、それらを持って車へ戻る。トランクに載せておき、カートを店内に戻しに行く。そこから戻る時、空の遠くに山が横に広くなだらかに連なって、明るい空気のなかにはっきりと姿形を浮かばせているのを見て、風光明媚という言葉を思った。
 車に入ると運転手は母親に交代していた。この日、父親は酒を呑むので帰りは母親が運転しなければならない、その予行練習というわけだったのだろう。上野原市内を抜けて行き、四方津駅から坂を上って行く。滑るような滑らかな走りだったが、それは母親の腕ではなく車の性能の問題だろう。貯水池の横を過ぎると、水面に太陽の光が白く宿って、石が水を切るように点々と飛び跳ね渡って行く。
 祖母宅に着くとCDの再生を止め、ディスクを仕舞ってケースごとバッグのなかに収めた。そうして荷物を宅に運び込む。庭に入って行くと縁側にSちゃんがおり、挨拶をする。随分と大人の格好をしている、と言われた。ものを運んで家に上がり、居間に入って祖母にも挨拶。Yくんが祖母の肩を揉んでいるところだった。仏壇に線香を上げ、コートを吊るしておいてダウンジャケットを代わりに羽織った。炬燵に入って温まる。炬燵にはほかに祖母と、Yくんが入っていた。しばらくすると宴会の準備が始まるので台所に行く。するとここに三鷹の二人、ZさんとKさん(漢字が合っているか不明)がいたので、それぞれ頭を下げて挨拶を交わす。何かやることはあるかと問えば、豆の入った皿を運んでくれと言うので、二つを持って客間に行った。畳敷きの和風の客間は合間の壁を取り払って、二部屋を貫いてテーブルがいくつか連ねられていた。卓上に皿を適当に配置し、Yさん(漢字不明)から残りの二皿も受け取って置く。
 そのほか、色々な人たちが立ち働いていて、仕事はさしてなさそうだったので炬燵に戻り、祖母を話をしたり、駅伝をぼけっと眺めたりしながら食事の開始を待つ。B(Oさん夫婦の次男。こちらの一つ上で、知的障害者である)がたびたびやって来て炬燵に入ったり、また出て行ってどたばたとどこかに行ってしまったり、かと思えばまた戻ってきて祖母に抱きつくように寄り掛かったり(祖母は苦しそうな顔をして止めるように求め、こちらもB、と制止と窘めの意味を込めて呼び掛ける)と忙しい。Bはこの日、大勢が集まって嬉しかったのだろうか、テンションがかなり高かったようだ。
 向かいの祖母に調子はどうかと訊く。苦しいのはなくなったかと。水が抜けて以前よりも結構楽になったが、それでもまだ「苦労」は苦労だと祖母は言った。彼女はニット製の丸い帽子を被っていた。それをまたBが引っ掴んで脱がしてしまったりして、窘めることになる。じきに父親が迎えに行った兄夫婦がやって来たので兄に挨拶をして、それから玄関に出て行ってT子さんにも明けましておめでとうございますと挨拶をしたが、この時、上がり框に掛けて靴を脱いでいたT子さんを立ったまま見下ろす形になったのはあまり良くなかったかもしれない。Mちゃんは早速泣いていた。大勢の人間がいて驚いたのかもしれない。
 宴会の前に皆で並んで写真撮影。母親、父親、T子さんがそれぞれ撮り、それから会食が始まる。席次はこちら側の右端からZさん、父親、こちら、祖母、Yくん、母親。向かいの右端からSくん(Sちゃん)、兄、T子さんとMちゃん、Yさん、Kさん、Mさん。酒飲みは酒飲みで右端のほうに固まった格好だ。BはMさんが世話をするわけだが、会食のあいだじゅう動き回って遊動していた。
 それぞれ飲み物が行き渡ると、Zさんが音頭を取って乾杯。食事のメニューは一〇貫入りの寿司(帆立・鮪・烏賊・ネギトロ・海老二種・サーモン・蟹・イクラ・最後の一つは忘れた)、ピザ二種、オードブル(ソーセージ・エビフライ・ポテトフライ・エビチリ・鶏肉など)、ザーサイと鶏肉のサラダ、母親が作ってきた薩摩芋のサラダにモヤシのサラダ、里芋の煮物、沢庵(K子さんが我が家にくれたもの)、白菜の漬け物(これはどうも三鷹で持ってきたものだったのではないか?)など。会食中、例によってこちらはあまり喋らず、聞き役に回る(カフカが、大人数でいる時、無口だと思われないためにはどのくらいの頻度でどのくらいの長さ喋れば良いのか、などと日記に自問を書いていたような覚えがある)。交わされていた話も特に覚えていない。大した話はなかったはずだ。耳新しい情報もなかったと思う。
 じきに、SちゃんやZさん、父親の働きで、古めかしい木製の台が運び込まれ、その上にさらに居間のテレビが持ってこられて載せられる。DVDプレイヤーが繋がれて流されたのは、祖母が日本舞踊を踊っている映像である。着物に傘。祖母は全然下手くそな、笑ってしまうようなものだと言っていたが、門外漢のこちらにはそもそも上手い拙いの基準がわからず、評価の仕様がなかった。習っていた先生と一緒に演じている映像もあって、祖母は先生のほうが全然上手だと言うが、やはり差がほとんどわからない。それで祖母には悪いが、じきに退屈してくる。腹もいっぱいだった(結構食べたので、一瞬気持ち悪くなるというか、現実的な気持ち悪さではなくて、吐くのではないかという考え[﹅2]が過ぎったことによって何となくちょっと苦しいようになる、ということがあった。パニック障害の僅かな残滓のようなものだ)。それで便所に立ってから戻ってくると、ちょうど母親とT子さんがMちゃんを連れて外に行こうとしているところだったので、これに便乗することにした。母親がMちゃんに靴を履かせる。T子さんはSくんに抱いてもらったら、と言って赤子をこちらに渡してきて、我々に子どもを預けて彼女は室内に留まることになった。それで受け取るのだが、赤子は何だか嫌そうな素振りを見せる。苦笑していると、外に出れば大丈夫だと思うと言うので、強制的に連れ出したところ、確かにすぐに慣れたようでMちゃんは落ち着いた。赤子はかなり重かった。一歳八か月で、既に一三キロあると言い、抱えていると疲れるので、T子さんは大変だなと強く思った。倉庫兼車庫を抜けて、宅の前の駐車スペースに出る。そこでMちゃんを地面に下ろしたが、段差があって危ないので、急に動き出したりちょろちょろと歩き回る幼子から目が離せず、段差のほうに行きそうになるたびにその行く手を遮る。Mちゃんは、O家のオレンジ色の車の、ガソリンを給油する部分の蓋に手を触れて、「まる」と発語した。確かに蓋は円状だったので、どうもものの形というものを理解しているらしい。ほか、あとで室内で水性の塗り絵(ペンに水が含まれており、それで絵を塗ると色づくのだが、水が乾けば紙はふたたび白に戻る)をやって、数字の一、二、三、をそれぞれ指さしながら、Mちゃん、これは何、と訊いた時にも、いち、に、さん、と確かに言っていた。T子さんが指さしながら発語していたのを覚えているのだろう。
 しばらくそのあたりを動き回らせてから、母親に赤子の手を引いてもらって、家の裏側を回って庭までやって来た。そのあたりでまた赤子を放ち、動き回らせる。母親がトイレに行って、Mちゃんとこちらの二人だけになった時間があった。動き回る赤子に付き合って、そのあとを追い、あるいは横を一緒に歩きながら、それは~~だよ、とか何だかんだと話しかけてしまう。こちらの言葉を理解する能力がまだなく、定かな返答もないとはわかっていても話しかけてしまう。ペットの動物相手に話しかける人間もこれと同じことだろうか。じきにMちゃんは、庭の一角に敷かれた木材の上に腰を下ろした。こちらは隣に座って、頭を撫でてやる。そのあたりには植木鉢のほかに、Bが過去に作ったもののようだが、あれは粘土なのだろうか一種の焼き物で、干支の動物を象った小さな人形があって、Mちゃんはそれを指さしたり、持ち上げたりしながら遊んでいた。ここでも、鳥を指しながら「ぴーぴー」と言ったり、牛を指しながら「もーもー」と発話したりしていたのだが、これは偶然なのだろうか。天気は非常に良かった。直線的な、威勢の良い風が折りに吹いてその時は冷たいものの、それだって身体を震わせるほどの威力は持たず、日向のなかにいれば室内よりも暖かいくらいだった。ピラカンサと言うらしいが(シーラカンスのような名前だ)、南天によく似ていてそれをもう少し大振りにしたような赤い実の植物が大いに実っていて、粒々が雪崩れるように連なっているのが青く明澄な空を背景に鮮やかだった。そのうちに兄も外にやって来て、そのあとから父親とZさんも出て来てどこかに出かけて行った。近所回りだったようだ。兄が戻ったあと、しばらくまた母親と三人で過ごして屋内へ。
 その時点で二時半くらいだったのではないか。客間に戻ってからはこちらは席を移ってMちゃんの近くに行き、ひたすら頭を撫でたりしていた。Mちゃんは高いところにすぐ登りたがるらしく、部屋の隅にあった古い木製の鏡台の上に登っては下りていた。屋内に戻ってきてからのことだったと思うが、居間に行くとSちゃんが一人で炬燵に入り、スマートフォンを弄っていたので、こちらも同席した。もう劇はやらないのか、と口火を切ると、別に責めてもいないのに、手厳しいね、と言う。この従兄はいま三五歳くらいだと思うが(帰りの車のなかで兄が自分よりも一つ上だと言っていた)、若い頃(もう一〇年くらい前だろうか)に演劇をやっていて、おそらく当時高校生だったこちらも両親と一緒に一度、荻窪まで見に行ったことがあったのだ。そもそもやっていた頃は自分で書いていたのかと言うと、そうだと言う。今は全然書いていないし、本も読んでいないと言う。やっても仕方がないという感じらしい。それはやったところで金にならないという意味でもあり、また見に来てくれるのはせいぜい友達の友達くらいまでで、社会に一石を投じられるわけでもない、というような意味でもあったようだ。それに対してこちらは、自分はそもそもプロになろうとも自分の文章を金にしようとも思っていない、趣味でただ日記を書いているだけだからなあと話す。誰にも見せないのかと問われたのには、友達には見せると答えた(ブログをやって公開しているとは言わなかったが、嘘はついていない、MさんやHさん、Uさんらはこちらの友人で、彼らはブログを読んでくれているはずだ)。ごく一握りのものしか成功しないという話からだったか、じきにYoutuberに話題が流れた。アイドルみたいなものでしょうとこちらは言い、リスクが高いとSちゃんは受ける。顔出しして、名前も晒して変なことをやって、受けなかった時のリスクが、と。やりすぎて捕まった人もいるしねとこちら。しかしそれが今後普通になって行くのかな、顔も名前もインターネットに公開するというそれがマジョリティになってしまえば、リスクではなくなるよね、などとSちゃんは話す。小学生などでも、Youtuberになりたいという子どもが増えているらしいとこちら。そんなような話をしていると、片付けが始まったようで台所と客間のあいだで行き来が生まれはじめたので、我々も手伝おうと炬燵から抜けた。
 その後、食後のデザートとして苺が出される。それを頂きながら引き続きMちゃんを愛でる。苺以外には母親が家から持ってきた「とんがりコーン」が提供されたのだが、それを与えられたMちゃんはこの菓子が気に入ったのか、スナックの分けられ収められた箱を持ち、独り占めしようとする。こちらが取り上げて遠くに置いても、それを追って移動してしまうのだ。その一方で、T子さんが、Sくんにあーん、してあげたら、と提案した時には、一つつまみ上げてこちらに向けて差し出してきたので、顔を寄せてぱくりとやった(父親が一つちょうだい、と言った際にもあげていた)。
 その後はふたたび居間に行って炬燵で寝転んで瞑目し、休んでいたのだが、じきに父親が本日の会をまとめはじめて、お開きとなりそうだったので炬燵を抜けて隣室に行き、一座に加わって礼を言った。母親が兄夫婦を四方津まで送っていくので、こちらもそれに同乗し、電車で帰ることに。早々とコートを羽織り、玄関で三鷹の夫婦にありがとうございました、お身体に気をつけて、と挨拶をすると、Zさんが、今日はありがとうなと返してきたので、はい、とまっすぐな返事で受ける。それで辞去。身体の大きな兄は助手席に乗り、後部はチャイルドシートに固定されたMちゃんに、T子さんが真ん中、こちらが右側に座ったが、三人だと狭く、M子さんと身体を密着させることになった。四方津まで一〇分余り。車から降りると兄に、ベビーカーを運んでくれと言われたので、はいと素直に返事をして受け取る。それを持ち上げながら改札を通り、階段を上り下りして一番線ホームへ。Mちゃんはここでもうベビーカーに乗せられた(彼女は車に乗っているあいだに眠りに就いていた)。一六時二分高尾行き。兄がベビーカーを持ち上げ、ホームと車両のあいだにひらいた隙間を越えて乗車する。扉際に。
 高尾までのあいだ、こちらはほとんど黙っていたし、兄夫婦の会話もあまりなかった。頭のなかにはFISHMANS "気分"のイントロ、パッパッパーパッパパー、といういあの部分が繰り返し流れていた。高尾に着くと乗り換えはすぐに発車、ここでも兄がベビーカーを持ち上げて、向かいの電車に素早く移り、座席を確保した。座れて良かったですね、とT子さんに言う。ここでも黙っていようかと思ったのだが、たまには話題を振ってみることにして、まだゲームはやっているんですかと隣のT子さんに尋ねた。今はやっていないが、先日実家に行った際などはやって、起きるのが昼頃になったりもしたと言う。「課金」と言っていたことから、T子さんのやるゲームというのはスマートフォンのそれらしい。でもやったあとで何時間やったとかいうの見ると、これだけ時間を無駄にしたんだなってなるねと言うので、Nも同じことを言っていたと思い出し、僕の友だちもPS4を買ってけれど、プレイ時間が出るのでそれを見ると虚しくなるって言っていましたと話す。現実に戻されるよねとT子さん。Sくんはやらないのと訊くので、僕は高校生くらいでやめちゃいました、と。うちはハードがスーファミまでしかなかった、ロクヨンなんかをやりたい時には友だちの家にいかなければならなかった、それで高校生になる頃にはもうゲームには触れなくなってしまった(それには中学二年の時、音楽とギターという趣味を見つけたことも寄与していただろう)。
 立川に着く前に、今日はありがとうございましたと挨拶。今日で会うのは最後ですかね、気をつけて、気をつけて行ってきてください。そちらもぜひモスクワに来て下さい、と。行けたら行かせてもらいますと。それで立ち上がり、最後にまた礼を言って別れる。二番線へ乗り換え。席に就くと、『後藤明生コレクション4』を読み出す。「贋俊徳道名所図会」から「しんとく問答」へ。結構面白いと思う――しかし、何が良いのだろうか。途中、眠くなって中断。瞑目するが眠りには就けない。青梅で降車、待合室へ。この日は先客二人、あとからさらに二人以上入ってきた。脚を組んで座席に座り、引き続き本を読み、奥多摩行きが来ると室を出て乗車し、また文を追う。
 最寄り駅。階段まで行くと前方に、キャリーケースを持ち上げて登って行く後ろ姿がある。密度の高いビリジアン一色のジーンズに、朱色のダウンジャケット。帽子を被っていたと思う。そのため年齢不詳、また男性とも女性とも判別しづらい。その人が横断歩道でこちらと一緒になり、下り坂でも同じ道を行くが、後ろからこちらを追い抜かしてさっさと下りて行く。FISHMANS "感謝(驚)"がこちらの頭のなかには流れている。風もなく、空気は大して冷たくもない。身体が震えることはない。
 両親はまだ帰宅していなかった。居間に入ると食卓灯を灯し、カーテンを閉める。風呂のスイッチを点けて、そうして自室へ。着替えながらインターネットを覗いていると、両親帰宅。顔を見に行ったのち、室に帰る。メールチェック。Uさんからの返信が届いていた。読み、そして日記。七時前に始めて八時四〇分まで。七〇〇〇か八〇〇〇字ほど書いただろうか。そうして上階へ。蕎麦と餃子で食事。テレビは『ブラタモリ』と『鶴瓶の家族に乾杯』のコラボレーション番組。タモリが出てくると父親は大笑いしている。酒を飲んできて良い気分に酔っているのだろう。タモリ曰く、彼のいとこ四人は固まって同じ場所に住んでいて、その子どもらは夕時になると、その時いる家で食事を食べると。親は全員の親のような感じらしい。それを受けて鶴瓶が、どこかの島で同じような、共同で子どもを育てる慣習があって寝屋子制度と言う、と(タモリは寝屋子セール?と聞き間違えていた)。
 入浴。身体はやはり痒い。いつになったら皮膚が治るのか。出るとポットの湯を足しておいて部屋に戻り、しばらくしてから緑茶を用意してくる。そうして日記、一〇時から。BGMはChris Potter『The Sirens』(先ほど日記を書いていた時には、FISHMANS『ORANGE』とChris Potter『The Dreamer Is The Dream』を流した)。これはなかなかのアルバムではないか。ここまで記して現在は一〇時四五分。
 書き忘れていた。風呂に入ろうという時に父親に呼び止められて、聞けばこちらの家事手伝いに対して給料を払ってくれると言う。先日話したところによると、こちらは料理に一時間、その他のことに三〇分として一日のうち一時間半くらいは家事を担っている(実際にはもう少しやっている気がするが)。東京都の最低賃金は九百いくらか、それに色を付けて一〇〇〇円としよう、すると一日一五〇〇円で一か月だと四万五〇〇〇円、さらに色をつけて五万円を一月の給料として与える、と。そんなものは良いとこちらは言うのだが、父親は聞かず、いやそうするからと強情である。良心的な扱いをしてくれるのは有り難いが、一方では情けないことでもある――二九にもなろうというのに、自分で自分の生計を立てることができないのだ。いくら家事をやっているとは言っても、これは要は小遣いを貰うのと変わりのないことだし、それにこちらに給料を払うのだったら母親にもそうしなければ不義というものだろう。さてどうするか――。
 先日買ったFISHMANSなどのCDの情報をEvernoteに写しておく。プロデュース、レコーディングやミキシング、マスタリングのエンジニアなども律儀に写す。それから音楽、Chris Potter『The Dreamer Is The Dream』から二曲。三曲目 "The Dreamer Is The Dream"と四曲目 "Memory And Desire"。しかし眠気が薄く湧いて、眼裏には無秩序なイメージが浮かび、曖昧な聴取だったようだ。その後、書見。これも終盤、眠くなって瞼が閉じるようになってきたので、一時一五分で切り上げて就床。

2019/1/1, Tue.

 四時半前に覚醒。未だ真っ暗で、三時間ほどしか眠っていないが、もう起きてしまうことに。身体は相変わらず痒い――しかし何故か、寝間着の上からダウンジャケットを羽織ると比較的収まった。読書、『後藤明生コレクション4 後期』。「蜂アカデミーへの報告」。電気ストーブを点けてベッドのほうに持ってきて、最初のうちは枕とクッションにもたれながら布団のなかに入っていたが、じきに膝から腹まで布団を掛けた状態でベッドに腰掛け、脚をストーブの前に下ろした格好になる。「蜂アカデミーへの報告」はなかなか面白い。信濃追分の山荘での蜂との格闘・攻防体験を題材にしたもので、その経緯が克明に記述されており、私小説的でもあるがファーブル『昆虫記』ほか様々な新聞記事や著作からの引用が集積されていたりもする。文体は余計な修辞を取り払ったもので、飄逸ながら散文的で読みやすく、すらすらと読み進めることができる。ファーブル『昆虫記』は文学的散文として優れた著作のようで、読んでみたい気がする。六時半前に達してカーテンをめくると、山際に沿ってオレンジ色が横に塗り込められて帯を成し、それを背景に密集する枯れ木の影が黒く生えている。ごく細い月が直上西寄りに出ていた。雲は山の向こう、空の低みにあって横向きに長く、水っぽい青の色で垂れているのみで、天上はすっきりと払われている。六時四五分頃になると、曙光の色はかえって抑えられて空の青も和紙のように淡くなる。七時直前で読書を切って、前日の日記を僅かに書き足して投稿、それからこの日の記事もここまで綴った。
 ふたたび後藤明生の読書。ストーブを消し、ベッドに乗って身体に布団を掛ける。太陽は山から離れて空中に浮かび、その色からは既に橙色が抜けて純白で、光線が窓から入りこんで顔の横を温める。永井荷風の『断腸亭日乗』は有名な日記だが、これは非常に長く大正六年(一九一七年)九月一六日から昭和三四年(一九五九年)四月二九日まで続くものらしく、だから荷風は四〇年以上に渡って、まさしく絶命するその前日まで日記を書き続けたわけだ。彼は天気だとか買った物だとかあるいは関係を持った女性のことだとかを逐一記録しているらしく、こちらもこの先達の顰に倣って記録的熱情を大いに発揮し、生命を失うその日まで日記を書き続けたいと思う――生のドキュメントとしての、世界一長いであろう日記を。しかし勿論、病気によって一時書けなくなっていたようにまた不測の事態によって記せなくなるかもしれないし、単純に飽きてしまうということもあるかもしれないが。
 八時半くらいからうとうととして文字を負えなくなった。九時頃意識を取り戻して上階へ。おはよう、おめでとうございますと両親に挨拶をして、ストーブの前に座り込んで身体を熱風で温める。しばらくしてから台所に入り、伊達巻玉子や錦玉子を切り分ける。父親も立って、カウンターの上で蒲鉾を切っていた。それらを大皿に盛って行き、ほか母親の作った醤油風味のスープもよそって卓へ。新聞をひらき、記事をチェックする。そうしているあいだに盛り付けが完成したので食卓に運んで、席に就く。こちらの飲み物はなかった――母親がビールをほんの少しだけと言ってついでくれたので、乾杯をして僅かに、舌で舐める程度口をつけてみたが、これが不味い。顔を歪ませて不味い、と漏らすと、母親は大笑いしていた。ビールすら美味しく飲むことのできない、幼児的な味覚である。二〇歳の時点では既にパニック障害に侵されており、精神系の薬剤はアルコールとの飲み合わせが悪いので、今までずっと飲まないで来たのだ。大皿に盛られた品は先の三品に、黒豆、栗きんとん、生ハム。生ハムが美味だった。テレビは正月特番をやっていて、まあおよそどうでも良い類のものだが、芸人が色々出てくる。けん玉とダンスを混ぜたパフォーマンスをする二人組ユニットが出演しており、これには凄いなと目を向けた。音楽に合わせて踊りながら高速でけん玉を振り、回し、宙を飛び交う玉は次々とそれぞれの土台に移って行き、パフォーマンスのあいだ一度も失敗することなく着地するのだ。しかも最初のうちは、紐のついていない玉でそれをやっていたようだった。それを見てものを食べ終え、皿を洗うとそのまま玄関に行く。後ろから来た母親がこちらの動きを捉えて、外を掃いてくれるのと掛けてきたのでそうだと肯定し、裸足にサンダルを履いて玄関を抜けた。中くらいの箒と塵取りを使って落葉を集めて行く。一〇分もしないで集め終わり、林のほうに捨てておくとすぐに玄関に戻ったが、すると母親がもう終わったのと言う。確認しに出た彼女に、端のほうにまだ葉が残っていることを指摘されたが、面倒臭かったのであとは頼むと言って自室に下りた。ブログにアクセスして自分の日記を読み返したあと、この日の日記を書き足して、現在一一時過ぎである。FISHMANS『Chappie, Don't Cry』を流している。相変わらず"ひこうき"が良い。
 それからUさんに宛てたメールを綴りはじめた。まずおおまかに文言を作成し、口に出して読み返しながらその都度細かな部分や読点の位置を修正していく。四回か五回ほど読み返したところで、直すところがなくなったと思われたのでコピー&ペーストをして送信した。以下がその本文である。

 Uさん、お久しぶりです。明けましておめでとうございます。お元気にされているでしょうか? 新年がUさんにとって実り多き、恵みの豊かなものとなることを願っています。

 こちらのほうはと言えば、昨年はとてもではないが良い年とは言えませんでした。この一年は統合失調症的な精神の変調から始まり、鬱病の症状も経験して、一時は読み書きもまったくできなくなり、人生のなかでも二度目となるどん底を体験しましたが、年の最後に到って日記の作成をまた習慣として復活させることができました。それは、図書館の新着図書の棚で西村賢太の日記を少々覗いたことがきっかけです。彼の日記はこちらの書いていたものとは違って、至極簡潔、簡素な類のものでした。それを読んで、自分もこの程度のもので全然良いじゃないか、ともかくもまた書きはじめてみよう、と再開したところ、初めのうちはなかなか書きにくかったのですが、また次第に記憶を細かく辿れるようになり、昨日の分など二万字を超えるほどに詳しく綴ってしまいました。むしろ以前よりも詳細に、緻密に書くことができていると思います――一筆書きのようにして、流れるがままに「ただ書く」という領域に近づいているような気もします。生命の危機、瀕死状態を迎えるたびに一回り力強く復活し、より強大な能力を得るサイヤ人のように(『ドラゴンボール』をお読みになったことはあるでしょうか?)、病気を通過したことによって自分の頭は新しい力を得たと言えるのかもしれません。

 今回の件を通して、やはり自分には日記を書くことしかないと改めて確信しました。実際、文章をたくさん書けるようになってからのこちらは調子が良く、感情が完全に戻ったわけではありませんが、読み書きも充実していると思われ、自分は現在の状態に概ね満足しています。結局自分にとっては、毎日書くこと、やはりそれが重要なのだということを強く再認識しました。たとえたったの一行であっても毎日書けていればそれで良い、それを本当に、この世から彼岸へと去って行くその日まで続けることができたならば、それはなかなか大したことではないでしょうか? 自分は日記を書くことによって、つまりはこの世界から意味を読み取ることによって、自分の生に意味を与えているのだと思います。絶え間ない生成の差異/ニュアンスを取り込むことによって、生命を活性化させているとも言えるかもしれません。

 ちょうど一年前の日記でも考察したことですが、自分の生の隅々まで隈なく目を配り、それを言語化するということは、こちらにとっては書くことと生きることの往還のなかに自分を投げ込み、それによって、彫刻家が鑿を使って木や石から像を創り上げるように自己を彫琢し、洗練/変容させて行くという意味合いを持つものだと思います。短く言い換えればそれは、自己を芸術作品化して行くということです(ミシェル・フーコーが晩年に追究していた主題です)。それはさらに換言するならば、自己のテクスト的分身を作り、それとのあいだに相互影響関係を築くということですが、要するにテクストそのものになりたいということ[﹅18]、それがこちらの欲望の正体なのかもしれません。

 日記を書き続けることで本当に上のようなことが実現できるのか――この先実際に、こちらの見識や性質が深化/成熟して行くのか、それは先になってみないとわかりませんが、ともかくも自分はふたたび書くことを始めました。そしてこの頭のなかにある自動筆記装置、「テクスト的領域」とこちらが呼び習わしている能力を、もう二度と失いたくないと心の底から願っています。Uさんのほうも、言われるまでもないことと思いますが、書くこと、考えることを止めず、日々に続けて行ってほしいと思います。Uさんのブログ、「思索」もたびたび読ませていただいており、刺激を受けています。こちらのブログももしまた読んでいただけるならば嬉しいです。

 それでは。またいずれお会いして、色々とお話をする機会が巡ってくることを心待ちにしております。

 時刻は一二時過ぎ。散歩に出ることにした。部屋を抜けて上階に行くと、父親は炬燵のなかに潜り込んで寝転がっており、何かくぐもったような唸り声を立てていた。炬燵テーブルの上に置かれてあった青い靴下を履いて、ダウンジャケットを羽織ったジャージ姿で玄関を抜ける。道には陽が射して日向が広く作られており、歩きはじめると天頂に達した太陽が視界の端に広がって眩しい。道端の垣根の葉の上に白さが貼り付いている。道の先に人の姿が見えたのは、Sさんだったようだ。人通りのない正午の静けさのなかに道端の、枯れかけて乾いた草木の風に触れられてさらさらと鳴る音が立ち、遠くからは救急車の響きが伝わって来る。日蔭に入ると背に触れる空気の流れがやはり冷たいが、坂に掛かってまた日向が生まれていた。頭のなかにはFISHMANS "ひこうき"が流れていた。
 裏路地を通って行き、表道との交差部に出て横断歩道で止まったところで空を見上げると、その水色の均一な明瞭さに思わず驚かされた。左右を見回してみると、本当に雲の一片も存在せずに隅から隅まで青さが湛えられている。道を渡ってまた裏道に入ると、前方に見える木々の姿形も、青空を背景にひどくくっきりとしている。近くから何か音が立って見れば、脇の斜面に鳩が二羽現れていて、鳩だ、と無声音で呟きながら立ち止まった。距離はかなり近かったが、鳩たちはこちらの出現に驚くこともなく、飛び立ちはしなかった。振り向いてみるとしかし、犬を連れた女性が後ろからやって来る。立ち尽くして鳩をじっと見つめているのを見られるのも気恥ずかしかったので足をまた動かしはじめると、片方がばさりと飛び上がって斜面の上のほうに着地した。墓場を過ぎて掛かった保育園では、賑やかに叫び声を上げながらブランコで遊ぶ子どもらとその親たちがいた。もう少し行けば雅楽の笛の音が聞こえてきたのは、神社で演奏されているらしい。
 駅はちょうど電車が入線してきたところだった。過ぎて街道を行き、裏に入って家へと続く坂を下って行く。Tさんの宅に息子さん夫婦だろうか、子どもを連れた家族が入って行くところだった。木の間の坂では常緑樹の葉の上にやはり白さが溜まって、緑と白とで稠密な、しかし整然とはしておらず少し型破りなチェック模様のようなテクスチャーが出来ていて、目にざらざらとした感触を与える。坂を抜けると我が家のすぐ前の道を、何か黒い動物がのそのそと横切って行くのが見えた。猫か、あるいは狸だったかもしれない。遅れてその地点に達したが、林のなかかどこかに消えてしまったようで、動物の姿はもうどこにも見えず、木々のさやぐ音のみが響いていた。
 家のなかに入ると、炬燵の父親の姿はなくなっていた。自室に戻って『後藤明生コレクション』を読みはじめたが、腹の内で臓器が蠢き鳴ったので、何かものを食おうとすぐに上階に上がった。「マルちゃん」の「黒い豚カレーうどん」を食べることにして、戸棚からカップ麺を取り出し、湯を注ぐ。ティッシュ箱をその上に載せて本を読みながら五分待ち、蓋を開けると、本はティッシュ箱に立てかけながらテーブルのちょっと奥に離して、汁が跳ね跳ばないようにゆっくりと麺をほぐす。紙上に目を向けながら、本を汚すことのないように、やはりゆっくりと静かに麺を持ち上げ、同様に勢いよく啜ることもせずに口のなかに取り込んで咀嚼することを繰り返した。口内炎に沁みるのを我慢しながら、汁はなくなる三歩手前くらいまで飲んで台所に立ち、容器に水を入れておくだけで片付けはせずに下階に戻った。そうして読書を続ける。途中で隣室にいた母親がこちらの部屋にやって来て、携帯を取ってくれと言う。兄のベッドの下に落としてしまったらしい。それで隣室に入り、ベッドの上に乗って隙間を見てみるがどこにあるのかわからない。両親の部屋に行き、ベランダに出て布団を取り込んでいた母親に向けてわからないよ、と言うが、この時、アザラシのようにうつ伏せになって布団にくるまり寝転がっていた父親を気づかず踏んでしまい、痛え、という声が上がったので笑いながらごめんと謝った。母親が取り込んだ掛け布団をその父親の上に二枚掛けてやり、それから兄の部屋にまた移る。床に伏せてベッド下を覗いてみると、確かに携帯が落ちている。母親が何かないかとそのあたりを探って渡してきたブーメランを持ち、床に低くなって腕を伸ばし、ブーメランの先で携帯を壁際まで押して取ることができた。そうして自室に戻り、読書の続き。途中で、室内にちょっと暖気が籠もっているような感じがしたので窓を開けたが、寒くなかった。川の響きや烏の鳴き声が伝わってくる。「蜂アカデミーへの報告」の終盤に、岩田久二雄という昆虫学者の言が引かれている。

 記録というものはいくら冗長でもさしつかえない。冗長で克明なほどよい。要領よくとられた記録は、もはや万能の資料としては役立たない。篩にかけた記録は、やはりそれをとった当座に思いついていた目的のみにそう抽象でしかない。記録は完全な客観として初めてその価値をもち、自然の反映となれるのである。(……)
 (『後藤明生コレクション4 後期』国書刊行会、二〇一七年226~227; 岩田久二雄『昆虫学五十年――あるナチュラリストの回想』中公新書より)

 自分の生の記録であるこの日記も、相当に長々しい、冗長そのものという類の文章だと言えるだろう。しかしそれで良いどころか、そうでなければならないのだ。後藤明生は岩田久二雄のこの発言を取って「冗長主義」と言っているが、自分も自信を持って冗長主義を奉じて行きたいと思う。この明治晩年生まれの昆虫学者は「日本のファーブル」と呼ばれているらしく、その著作、四巻本だという『自然観察者の手記』というものは、ちょっと読んでみたいような気もする。インターネットを探ったところ、何でも平出隆が何とかいう作品を作る時の構想元になった本だそうだ。その他、「ピラミッドトーク」「ジャムの空壜」も読んで三時を迎え、読書を中断して日記に。BGMはAlan Hampton『Origami For The Fire』。三〇分掛けてここまで書き足した。
 一年前の日記読み返し。Albert Ayler『Goin' Home』を掛け、ゴスペル風味の音楽に合わせて指を鳴らしながら読む。体調が悪くなってきている。発狂への恐怖。以下、当時の考察。

 ウィキペディアの「解離性障害」の記事には、「離人症性障害/現実感喪失」という項目があり、そこに定義要件の一つとして、「自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように(例えば夢の中であるかのように)感じることが持続的または反復的である」と書かれているのだが、これは自分の感覚にぴったりと適合する記述である。自身を絶えず観察/傍観し続けるというのはヴィパッサナー瞑想の中核を成す技法であって、したがってヴィパッサナー瞑想はそもそも、場合によっては離人症を促進するような性質を持ったものだと言えるのかもしれないが、自分の場合さらにそこに「書くこと」に対する欲望が結びついて、「観察」がほとんどそのまま「言語化」として定式化されてしまった。感覚的直接性を絶えず言語に変換しようとするのがこちらの主体としての存在様式なのだが、それによって感覚的直接性が切り離され、この世界そのものが記号の体系として現実感を失ったものとして構成される、それが怖いのではないかということである。
 元々自分は、自分の体験したもの、この世界の豊かさを隈なく書き記したいという欲望を持っており、物事をより緻密に感じ取れるように感受性を磨くことを目指してきた。だから当初は感覚が大元としてあり、それを表現/記録するために言語を使う、という関係だったはずが、言語的能力(文を作成する能力)が発展してくるにしたがい、いつの間にか言語の地位のほうが優勢になってしまうという転倒が起こったのではないだろうか。つまりは自分の体験がすべて言語に還元されてしまい、感覚的直接性を確保できなくなるかのようであること(これが離人感というものだろう)に不安を覚えるのではないか。
 別の説明の仕方をしてみると、世界の認識における区分として、まずカントが「物自体」と呼んだこの世界そのものの姿、というような段階がある。これがどのようなものなのか我々人間は知ることができず、人間が認知することができる世界の像は、人体の感覚器官を通して構成されたものにならざるを得ない。これが通常「世界」とか「現実」とかと言われているものであり、先ほど言及した「感覚的直接性」もこのレベルのものとして考えている。この「世界」は言わば、「物自体」の表象としてあると考えられるわけだが、この上にさらに、二番目の「世界」の表象として、言語によって構成される意味論的体系の領域としての世界像が個々人において作り出されるだろう(それを「物語」とか「フィクション」とか呼ぶはずだ)。二層目の世界像と三層目の世界像は勿論相互に関連し合っており、そう截然と区分できるものではないはずだが、自分は今まで、感覚的直接性の世界の「真正性」を信じていたはずのところ、言語的に構築された世界のほうが優勢になってきて、言わばそちらのほうが「リアル」に感じられるようになり、感覚世界の像が相対化されて崩れていく、それに不安を感じているということではないのだろうか(要はこの世界そのものが記号の体系(「テクスト」)として、「フィクション」としてますます感じられるのが怖いということではないか)。

 それからSさんのブログ、「ワニ狩り連絡帳」と読み、ふたたび自分の過去の日記、今度は二〇一六年九月五日を読んでブログに投稿。そうして『後藤明生コレクション4』。読んでいると五時直前になって天井が鳴ったので、本を閉じ、Albert Ayler『In Greenwich Village』も止めて上へ。今日は風呂を洗っていないよねと母親に指摘され、忘れていたことに気づく。それで浴槽をブラシで洗い、それから夕食の支度。米が釜に結構あり、レトルトのカレーにしようかと母親は言う。ほか、大根の葉の炒め物。流し台には大根や春菊が置かれてあり、これだって自分で取ってきたんだよと母親は文句を言う。フライパンに水を入れて火に掛け、沸騰を待つあいだに外に出る。夕刊を取ろうと思ったのだが来ていなかったので、今日は休みなのか? それで朝刊の一面から、政府はサイバーセキュリティの観点上、電力や水道の業者には電子データを国内サーバーに保存するよう求める方針、との記事を読むのだが、まもなく湯が沸いたので、冒頭の要約しか読めず。大根の葉を入れ、すぐに取り出して水のなかへ。絞って切る。肉も切り、さらにエノキダケと合わせて炒める。醤油で味付け。それから、モヤシを二袋、笊にあけて洗い、白く大きめの、菫の花(ヴァイオレット)が描かれた鍋にまた湯を沸かす。合間、新聞記事に目を通す。そうしてモヤシを茹ではじめると、居間のほうでタブレットを弄りながら『笑点』を見ていた母親がやって来て、メルカリで気になったブラウスを買おうかと思うがどうかと意見を求めてくる。薔薇の柄のブラウスが良いと言うが、模様がいくらかがちゃがちゃしているように思われた。しかしそれは口にせず。もう一つ、黒の地にレモンとライムがいくつも描かれたものも非常に気になると言うので、ならば買えば良かろうと受ける。そうしてモヤシを母親の持った笊にあけ、洗い桶を掃除してそこにスライサーで大根を下ろす。水を注いで冷やしたあと、これも笊に取っておき、それで支度は終了。
 下階へ戻って読書。「禁煙問答」「『芋粥』問答」を抜け、「マーラーの夜」に入る。後藤明生の小説には(少なくとも自分が読んだこの『コレクション4』においては)必ず他者のテクストが引用される。テクストとテクストのあいだを飄々とした感じで、小気味よく繋ぎ、渡って行く。Charles Lloyd『Sangam』を背景に六時半まで読んで、それから日記。
 夕食を取りに上階へ。レトルトのカレーを食べるという話だったが、加熱を待つのが面倒なので納豆で食うと告げる。メニューは米、ひきわり納豆、冷凍の塩唐揚げ四つ、大根やトマトのサラダ、醤油風味の薄味スープに酢蛸。卓に就き食べはじめると、七時のニュースで、原宿は竹下通りで行われた車暴走事件が伝えられる。容疑者の男は初めテロを起こしたと供述し、さらにその後、「死刑制度への報復のためにやった」と言っているらしい。一人重体とのこと。それを聞いたあと、ものを食いながら新聞の一面に目を落とす。東京電力が千葉県銚子沖に原発一基並の発電量を持つ洋上風力発電施設を造る計画、と。早々とものを食べ、さっさと皿も洗うとアイロン掛け。炬燵に入った母親にちょっとずれてもらい、その脇、テーブルの上にアイロン台を乗せる。シャツやエプロンにアイロンを掛けているあいだ、テレビは歌の上手な子どもたちが競う歌唱大会を映している。MISIA "Everything"を歌う一二歳の日本人少年がいて、確かに声は安定しており音程も乱れず上手いが、上手い以上の感想は出てこない。その次に歌ったのはカナダかどこかのこれも一三歳だかの少年で、Stevie Wonder "Superstition"を演じていた。ピアノの弾き語りから始まってマイクを持つと踊りながら歌う。なかなか盛り上げ上手で、音程や声のまとまり、安定性では甲乙付けがたいものの、選曲のセンスとパフォーマンスの個性で後者の勝ちだろうなと勝手な予想を立てていると、果たしてその通りだった。それから電話が鳴る。出るとI.Y子さんで、お世話になっておりますと告げる。今年もよろしくと言ってきたのではい、おめでとうございますと返して母親に変わると、彼女は炬燵を抜けて洗面所か玄関のほうへ話しに行く。風呂から出てきていた父親のほうは、こちらがハンカチを処理している横で、O.Mさんに電話を掛けていた。明日は山梨の祖母宅(父親の実家)に集まることになっているが、その時刻を一〇時半としていたところ、一〇時でも良いかと。そうなると我々は八時半には出なければならず、なかなか早い活動開始である。
 アイロン掛けを終えるとすぐに風呂に入った。身体はやはり痒く、赤くなって発疹のために到るところざらざらとしている。FISHMANS "ずっと前"を口ずさみながら浸かり、出るとポットに湯を足しておいて自室へ。しばらくすると茶をついできて、それを飲みながらTwitterを覗き、いくつかアカウントを新しくフォロー。そうして九時ちょうどから読書。「マーラーの夜」。この篇の主題はタイトルにもなっているマーラーの演奏会なのだが、その演奏会自体は結局小説のなかで体験されることがなく、そこに向かう前に「海老フライライス」を食おうと「レストランG」に向かうところでこの篇は唐突に終わっている。一応、レストランがいつの間にか閉店していたという落ちがついてはいるのだが、突然の、尻切れトンボの感じがないこともない。また、この篇から舞台は大阪に移っており、続く「十七枚の写真」「大阪城ワッソ」と、後藤明生の語り手は町を歩きはじめ、そこで見たものを細かく記し出す。それまでテクストとテクストのあいだを渡り歩いていた後藤明生的主体は今度は実際の町を渡り歩き出し、二種類の遊歩が相互に交錯するわけだ。また後藤明生は、ホームレスのことを「ディオゲネス犬儒派の末裔」と呼ぶ。
 一〇時五〇分まで書見。ベッドの上に胡座をかき、布団を身体に乗せてじっと静止し、文字を静かに追い続ける。それからここまで日記を書き足して一一時半。打鍵のあいだにダウンジャケットのポケットに手が当たり、何か硬いものの感触があったと思えば、プレス・バター・サンドが入っていた。緑茶での一服とともに食べようと思っていたのをすっかり忘れていたのだ。これは先日の会食の時にT.T子さんから頂いたものらしく、なかなか美味だった。東京駅で売っているようだ。
 音楽を聞くことに。ヘッドフォンをつけ、FISHMANS "気分"を流し、先日買ったCDの曲目や録音情報をEvernoteに写す。Chris Potterの二作を写したのみで仕舞いとし、椅子に就いて目を閉じ、彼の『The Dreamer Is The Dream』を聞きはじめる。"Heart In Hand"。Chris Potterはやはりトーン・コントロールが抜群だというか、中心に強い芯の通って非常に明晰な、まさしくトーン[﹅3]というものを持っている演者である。二曲目、"Ilimba"。弾力的でリズミカルだが、譜割りが良くわからない。四拍子か三拍子かそれとも七拍子なのか。サックスソロのあいだはそれで困惑し、音楽をうまく掴めない。ピアノソロになると小節の頭を律儀に維持しているベース(Joe Martin)に導かれて聞けるようになる。それでも細かな譜割りはやはり良くわからない。四か三だが、順当にそうは聞こえないようなリズムを組み立てているような気がする。Potterはかなりのハイトーンまで吹いているが、音が濁らず、痩せ細ることもなく、音程のフラット・シャープなどもまったくなく安定しているのが流石である。
 零時過ぎ。ふたたび読書。零時三五分で切り上げて消灯。この日の作文は二時間五三分、読書は数えてみると何と一〇時間三三分も行っていた。『後藤明生コレクション』はこの日だけで二七〇頁ほど読んだことになる。

2018/12/31, Mon.

 四時頃に一度覚める。二度寝成功。六時直前に正式な覚醒。カーテンを開けて南の山際に揺蕩う朱色を見てから、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読み出す。やはり身体は痒く、寝間着のなかに手を突っ込んでぼりぼりとやりながら、寒いので臥位のまま布団に潜り込んで片手だけを外に出して読み進める。時間が経つと山際から漏れていた橙色はかえって低く、薄く控えめになって、薄紫色、次いで純白が見えはじめる。右方にはこれから西へと漕ぎ出して行く三日月が浮かんでいた。朝ぼらけ、有明の月、というわけだ。六時半頃を迎えると、雲の下腹が薔薇色を湛えて、それから一〇分ほど経つとその色もなくなって空はすっきりとした青に染まる。七時を越えると太陽が山の向こうから姿を見せて、射し込んだ光線が窓に切り取られながら入り口の扉の横に溜まり、矩形をひらかせる。壁に一時間ほど読んで読了した。面白かったのはやはり神話の記述だろうか。この点自分の感性は歴史学的というよりは、やはり文学的なものであるらしい。肝心の天皇制の詳細とか、官制、政治関連の事柄は細かく史料が引かれたりしてなかなか難しく、と言うかそれをこまごまと深く理解し記憶するだけの興味が持てず、読んだと言っても本当にただ読んだだけで、ほとんど頭には入っていない。
 コンピューターを点け、インターネットを一瞬瞥見してから上階へ。「弱」に設定されていたストーブを「中」に変え、その前に立って脚を温める。テレビには浅田真央が出演して、『真央が行く』という旅の企画を行っていた。台所に行くと、小鍋に卵が二つ茹でられているのはいつものことである。前夜の残りである鍋があったので火に掛け、納豆を冷蔵庫から取り出してタレと甘味のある酢を混ぜる。それから米をよそり、卓に運んでおくと、鍋が温まるのを待つあいだに外に出て新聞を取った。息が白く染まる。新聞は何故か読売と朝日の二つが入っていたが、あとで訊けば一月から読売になるのだと言う。戻って鍋をよそり、卓に就いて新聞をひらくと、母親が下階から上がってきた。新聞には特に興味を惹かれる記事はなかった。ものを食べて薬を飲み、皿を洗ってテーブルを台布巾で拭いておく。そうして、洗濯機が止まるまでまだしばらくありそうだったので、自室に戻った。時刻は八時前。早速日記を書き出す。なかなか勤勉な取り組みぶりである。変調以前、一年前のこの頃は書きたいことが頭のなかにたくさん溢れていながらも、いざ記すのに骨が折れるというか、後回しにしてしまうこともあったような覚えがあるのだが、ここ数日はまったく気負いなく、すらすらと書けている。まさしく一筆書きという感じだ。頭がまた日記を書くモードになってきたというか、精度はともかくとしても、脳内の自動筆記装置、「テクスト的領域」が復活しつつあるのかもしれない。
 上階へ。洗面所に入ると洗濯が終わっていたので、籠に洗濯物を収めてベランダのほうへ。母親と協力してタオルや衣服を干す。テレビは『半分、青い。』の再放送を流していた。それから緑茶を用意して自室に戻る。そうして、昨年の日記。「カタルーニャ関連の記事を読もうとするのだが、文を追っていたはずがいつの間にか自分の頭のなかの言語にまた目を移しており、目の前に書かれてある文章を読み取ることができない、ということが繰り返された(……)」とある。頭が自生思考に侵されはじめているようだ。また、夜眠る時にはいわゆる「禅病」らしき強烈な足の冷えに襲われている。瞑想をやりすぎたためなのだろうか、自律神経がどうにかなっていたようである。ほか、ミシェル・フーコー中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』を元にした考察。読む前には一年前のこの頃の記述はもっと良く書けていると思っていたのだが、考察を読み返してみるとさほどでもないと言うか、特に目新しい考えが披露されているわけではないものの、まあそれなりなので下に引いておく。

 まず、一四二から一四五頁に、プラトンの『ラケス』が紹介されており、「話す人と話されることが同時に、互いにふさわしくて、調和しているということを観る(……)。そしてこのような人はたしかに「音楽家[ムーシコス]」であると私には思われる」という作中のラケスの発言や、「ラケスはソクラテスの語ることと行動、言葉[ロゴイ]と行為[エルガ]が調和していると語るからです。ですからソクラテスはたんに自分の生について語れるだけではありません。自分の生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>ようになっているのです。語ることと行うことの間に、いかなる齟齬もないのです」というフーコーの説明が見られる。ここにある「言葉と行為の調和」とは、こちらの言葉に置き換えれば明らかに、「書くことと生きることの一致」に相当するテーマだろう。さらに別の言葉を使えばそれは、「ロゴスとビオスの一致」ということになるわけだが、例えば自分の「日記」の営みにおいて/関連して、ここで言われている「生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>ようになっている」という状態は、どのように実現されるのか? まず、この「日記」の意義を考えてみるに、第一にそれは、自らの生活/生に対して「隅々まで目を配ること(視線を向けること/監視すること)」である。コンピューターに向かい合って脳内に記憶を想起させながらキーボードを打っている時は勿論そうだが、それに留まらず、そもそもこちらは生を生きているその場において[﹅7]、そこで認知したものなり、自分の行動/心理/身体感覚なりに目を配っている(ヴィパッサナー瞑想の技法)。すなわち、自分においては「目を配ること」(そしてそれはこちらの場合、「書くこと」に等しい)は即時的/即場的な行為である。一方ではこちらにおける「書くこと」は、過去の経験の「想起」の問題/技法としてあるが、他方ではその場における「記憶」の問題/技法としてある(あるいは後者を、「瞬間的な想起」として考えても良いのかもしれないが)。つまりはこちらの生/存在様式においては、ヴィパッサナー瞑想の技法及び書き記すことに対する自分の欲望を経由して、「目を配ること」が「書くこと」に直結し(前者が後者とほとんど等しくなり)、「書くこと」が生の領域において「全面化/全般化」している。
 ここにおいて自分自身(及びその体験)に「目を配り」、「書くこと」とは、自己の存在そのものを(即時的に、また回顧的に)テクスト化するということであり、言い換えればそれは、自分をテクスト的存在として(再)構築すること、あるいはまた、自己のテクスト的分身=影を構成/創造するということになる。そしてそのようにして構成されたテクスト的な自己が、逆流的/還流的に、生身の存在としてのこの自分自身[﹅16]に戻ってくる/送り返される、このような生と言語のあいだの往還がそこにおいては発生するだろう。言語を鏡として自己を観る、という言い方をしても良いと思う。
 自己を言語的に形態化することによって定かに観察/認識し、自分にとって望ましい基準/原則に沿ってその方向性/志向性を調整/操作することになるわけだが、これを言い換えれば、反省/反芻による自己の統御/形成ということになると思う(「書くこと」は明らかに(即時的/回顧的に)「反芻すること」から生じ/「反芻すること」ができなければ「書くこと」は存在せず、「反芻」に「評価」という一要素を加えるだけでそれは「反省」に変化する)。よく覚えていないのだが、グザヴィエ・ロート『カンギレムと経験の統一性』を読んだ記憶によると、一九世紀から二〇世紀のフランス哲学のなかには、確か「反省哲学」というような系譜があったらしく、具体的な名前で挙げれば、まずラニョーという人がおり、その弟子がアランだったらしい。そしてカンギレムは若い頃アランに傾倒していたらしく、この著作はカンギレムをこの伝統/系譜のなかに位置づけつつ、彼が受け継いだもの、受け継がなかったものを明瞭化するというような試みだったと記憶しているが(具体的な論点はほとんど思い出せないのだが)、ここにおいて自分にとって何よりも重要なことは、ジョルジュ・カンギレムという思想家は、ミシェル・フーコーの師だった[﹅30]ということである(確か、論文の指導教官を務めていたはずだ)。このあたり、どうも繋がってくるのではないかという気がする。
 話を戻すと、「自分の生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>」というような状態を実現させるためには、「反省/反芻による自己の統御/形成」のその痕跡/形跡が、具体的な個々の行動において表れるようになっていなければならない。つまりはこのように日記を綴り、「反省/反芻」の目を自分自身に向けることによって導出された言語的な原則/行動基準(ロゴス)が、ある時空における行動/実践において具現化されていなければならないというわけで、言い換えれば、自己を「彫琢された存在」として現前させなければならないということだ。より平たく言えば、「あの人は自分自身及び他人に(ある何らかの仕方で)気を配っているな」という感じを他人に与えなければならないということで、したがって当然、「ロゴスとビオスの一致」の現前を実現させるためには、「目撃者の生産」がそこに伴うことになる。
 そのような「ロゴスとビオスの一致」を実現し、「彫琢された存在」となった主体の例を考えてみるに、最も直近のものとして思いつくのは、この二日前に中華料理屋で見かけた女性店員の所作の「優雅さ」である。彼女だって働きはじめた当初からあのような動作形式を身に着けていたわけではおそらくなく、自らに視線を差し向けることで(自らに気を配ることで)「自律」を働かせ、それを次第に自然さにまで高めたのではないか。つまり彼女は、身ぶりに「芸術的」ニュアンスを付与することに成功しており(少なくともある一面において自己を「芸術作品化」することに成功しており)、それを見た自分は(「目撃者」として生産された自分は)、彼女は自分自身に気を配っているな、という印象=意味をそこから引き出すことになった。これが何に繋がるかと言えば、(芸術作品による)「感染/感化」のテーマであって、フーコーが一五八頁で述べているのだが、グレコ・ローマン期のパレーシアの目標は、「ある人物に、自己と他者について配慮する必要があると納得させることです。その人物に、自分の生活を変えなければならないと考えさせるのです」という言も、そうした方面から読み、考えることもできるのだろう。

 また、この日は部屋の掃除をしていて、その途中、(……)の結婚式で貰ったメッセージ・カードを発見して、捨てかねている(しかしこれは今しがた探してみたところ、見つからなかった)。それで思い出したのだが、自分の引き出しのなかには高校時代にクラスメイトから貰った手紙などが未だに保管されてあるのだ。これらをいい加減もう捨ててしまうことに決めたのだが、ただ廃棄するのは忍びないので、文言を日記に写しておくことにした。すべてのテクストは記録される価値がある。一つは塾で働いていた数年前、卒業していく同僚の講師から貰ったもの、二つは一七歳の誕生日に、当時仲良くしていた女子クラスメイトから貰ったものである。

(……)

(……)

(……)

 思い返してみるとこの高校生の頃が自分の人生のピークだったと言うか、有り体に言って女性にも一番モテていた時期だろうと思うのだが、当時はそんなことはわからない。実際、この二人からもそれなりの好意を持たれていて(バレンタインデーのチョコレートなど貰っていたはずだし、(……)さんからは一応告白もされたと思う――しかしその告白というのがこちらの手違いで良くないものになってしまったというか、メールでやり取りをしながらこちらが先手を打って、「俺のこと好きなの?」などと訊いてしまったのだ。メールを送ったあとに、これは失敗したな、(元々断るつもりではあったのだが)きちんとあちらから思いを伝えさせてあげるべきだったと反省した、という苦い思い出がある。(……)のほうも、三年生の頃だったかに、「一時期好きだった」とか言われた覚えがある。ちなみにこの二人は考えてみればどちらも、昨日会った(……)と付き合っていた女子で、(……)さんについては昨日もほんの少し話題に出て、どうやら結婚したらしいと言う)、うまくやれば付き合うこともできたのだろうが、その点ひどく不器用でうまくやれないのが自分なのだ。そうしてそのまま、女性との付き合いなどないままに現在に到っている。
 FISHMANS "ひこうき"を流しながら服を着替える。母親と買い物に行くことになっていたのだ。それで上階に行き、風呂を洗おうと思ったところが、洗剤が空になっていて洗えない。まだ結構あったと思うのだが、前日の大掃除で父親が全部使ってしまったらしい。それで風呂は買い物に行ってから洗うことにして下階に下り、もうモッズコートを着てしまう。引き出しを探っていると(……)からのメッセージ・カードを発見したので、短いものだがこれも写しておく。「(……)」。
 インターネットを覗いたり、自分のブログにアクセスして日記を読み返したりしていると、天井が鳴ったのでそろそろ行くのだなとコンピューターを閉じて部屋を出る。上階へ。母親の支度を待つあいだ、ぼけっと立ち尽くして宙を眺める。炬燵テーブルの天板の上に陽射しが広がり、その上の空中、光線のなかに塵が舞って、目にようやく視認されるほど微小でもやはり質量と複雑な形を持っているわけだろう、光の当たる角度が刻々と変わるようで、蛍の尻のようにうっすらと明るみを帯びてはまた宙に沈んで見えなくなる。その後、母親に渡された丸まった袋を放ってはキャッチして遊びながら待ち、出発。玄関をくぐって向かいの家の脇、日向に入って母親があとから出てくるのを待つ。林からは鵯だろうか、鳥の声が降ってきて、どこか遠くからはトタン板を叩いているような響きが伝わってくるのは、(……)さんの家を解体しているおそらくその音だろう。道路の上、空中には先ほどの埃と同じように微細な虫が無数に浮遊し、快晴なのに雪の前触れのように、あるいは何かの精霊のように、集団で蠢き入り乱れている。寝癖を直すのが面倒だったので久しぶりに帽子を被ったのだが、そのつばの下の顔にまで光線が漂い触れて暖かい。母親が車を駐車場から出すと、助手席に乗った。何かいい音楽はないかとダッシュボードを探れば、Donny Hathaway『These Songs For You, Live!』があるので、CDを挿入して掛ける。町を渡って行くあいだ、冒頭、"Flyin' Easy"を、歌詞がわからないので適当に口ずさむ。途中、母親は例によって、職を失うっていうのは……と繰り言を漏らす。(……)の踏切りに掛かったところで、家に帰るとまたやることがたくさんあるし、と言うので、しょうがないじゃん、生きてるんだから、と身も蓋もないことを言って宥める。その頃には音楽は三曲目、"Someday We'll All Be Free"に移っており、母親と話す合間にこれを小さな声で、しかし熱を込めて歌う。文句なしの名曲、名演である。次の"You've Got A Friend"も同様、歌いながら到着を待ち、五曲目、"He Ain't Heavy, He's My Brother"の途中で(……)に着いた。車から降りると、揚げ物の良い匂いが鼻に香る。カートに籠を二つ乗せて入店し、まず葱を見ると二本で一二九円で、高いと母親は言った。それからモヤシを二袋取り、玉ねぎの詰め合わせは一袋一九九円。その他、併設されている一〇〇円ショップで梱包材を入手したり、冷凍の唐揚げに南瓜、パン、チューハイ一本、シーフード・ミックスなどなど、籠がいっぱいになるまで集めてレジへ。こちらが並んでいるあいだに母親は蜜柑を取りに行った。戻ってきた時、既に店員が商品の読み込みに入っていたが、こちらの後ろには老婆が一人入っていて、母親はその後ろに就く。老婆に遠慮して分けて会計をするつもりだったようだが、一緒にしてしまえとこちらが老婆越しに蜜柑と花を受け取り、これもお願いしますと言って籠に追加する。母親は老婆に後ろから、すみませんねと快活に謝っていたが老婆は反応を示さない。耳が遠くて聞こえないのかと思えば、もう一度声を掛けられて首を振るか手を出して振るかしていたので、聞こえてはいたようだ。母親はその後も二、三回、ごめんね、申し訳ありませんなどと謝っていた。会計は五千いくらか。整理台に移動して品々を持参した袋に入れて行く。袋は三枚になった。こちらが二つを両手に提げ、母親がカートに一つ乗せて出口へ。母親は入り口近くのオレンジの試食に立ち止まっていたので、こちらは彼女を置いて先に車のところに戻る。この試食コーナーに関しては入店した時にももちろん目にしており、その時思い出したことがあって、それは刑事ドラマ『相棒』の一エピソードのことで、飯も食えないほどの貧困に陥った人が試食コーナーを渡り歩いて何とか食事を確保していたのだが、ある時パン屋だったか菓子屋だったかの女性店員に、「たまには買ってくださいね」と言われて絶望し、殺人に見せかけて自殺してしまうという話のことが一瞬で頭のなかに想起されたのだ。それで、現実にこの世にはそういう人もいるのだろうななどと思いを馳せながら野菜の区画を歩いたのだった。
 母親はすぐにやってきた。後部座席に荷物を乗せて助手席に入り、発車すると靴を脱いで偉そうに脚を組む。先ほどの老婆が自転車に乗って帰るのを見かけて母親は、あのおばさん、自転車だ、すげえな、な、と言っていた。"What's Going On"を歌う。(……)へと続く立体交差の下り坂まで来ると母親が、女の人はお正月大変だよね、特に長男の嫁なんて、と口にする。料理教室の人が言っていたけれど、来るばかりでこっちから行ったことなんて全然ないって、それに行ってもお昼も出ない、来た人たちはさんざお昼ご飯を食べて行くのに、こちらが行けばお昼どうする?って感じなんだって、と話す。そうだろうなあと心のなかで思いながら歌を歌い続け、曲は"Yesterday"に移る。スローでメロウでソウルフルなアレンジのこのThe Beatlesのカバーも魅力的である。このアルバムは本当に隅から隅まで名演揃いで捨て曲というものが一つもなく、最高のライブ音源の一つではないかと思う。坂を上って(……)まで来ると、交通整理員を目にした母親が、今日は亀仙人いないのか、三一日は休みなのかと言う。それからまたしばらく走って帰宅。ウインド・ブレーカー姿の父親は大根を取って外の水場でそれを洗ったところだった。隣家の前には(……)さんが出ており、箒で落葉を掃き掃除している。こちらは荷物を持って家のなかに入る。母親は(……)さんに大根を一つあげていたようで、さらにあとから買ってきたパンも一袋あげていた。こちらは買ってきた品々を冷蔵庫に収め、そのまま着替えないうちに浴室に入り、買ってきた詰め替えの風呂洗剤を容器に移す。ちょっとこぼしてしまって手や容器がべたべたとなった。そうして風呂を洗い――父親が前日頑張ったようで、窓の縁の目地の黴など結構なくなっていた――自室に帰る。FISHMANS "ひこうき"を流して服を脱ぎ、シャツは脱がずにその上からジャージを着る。そうして排尿してくると即座に日記に取り掛かる。ここまで記して一二時半前となっている。BGMはThe Beatles『Help!』だった。
 Twitter。「今年は統合失調症めいた精神の変調から始まって、四月頃からは鬱病にやられ、ほとんど何もしていなかったというか、今年という時間そのものがなかったかのような感じがするのですが、ともかくも年の最後にまた日記を書けるようになって良かったです」。「日記を書けさえすれば、自分の人生は死ぬまで退屈しないはずだ」。それから上階へ。鍋の残りのなかに米を入れて作ったおじやを頂く。テレビは年末ジャンボ宝くじの当選発表回。これは昨年のこの日も目にしていて、その時は小池百合子都知事が招かれて挨拶をしているのに、「貼り付けたような笑み」とはまさにこのことだな、などと雑感を漏らしているのだが、今年挨拶をしたのは総務大臣だった。ほかにゲストとして二人、何とか言う指揮者の人と、ヴァイオリニストの宮本笑里が登壇していた。食後、両親の使った分もまとめて皿を洗う。それから母親に、下の部屋の石油を入れたかと訊くと入れていないと言うので、両親の室に行き、ストーブの小さなタンクを持つ。外に出て勝手口のほうに回り、タンクに石油を補充する。冷たい風が吹き、林の竹の黄色味がかった葉っぱがさらさらと音を立てて揺れる。父親は蛍光的な色の防水服のようなものを着て、高圧洗浄機らしいものを用意していた。駐車場を掃除するようだ。あれは何というのだったかと思いながら、黄色い機械の表面に書かれている「KARCHER」という文字を見て、そうだケルヒャーだと思い出した。なかに入り、ストーブのタンクを戻してから室へ。一時。二〇一六年九月六日の日記を読み返し、ブログに投稿する。それから『天皇の歴史①』の書抜き。BGMは『川本真琴』。三箇所を早々と終わらせると、日記を読みながら食べていたポテトチップス・コンソメパンチ味の残滓が口のなかに漂うのが気になって、茶を飲むことに。上階に行って緑茶を注ぐ。母親はメルカリで売れたコーヒーカップのセットに、先ほど買ってきたシートを巻き付けて割れないように包み、梱包作業を進めていた。戻って(……)さんのブログを読む。その途中で(……)からメール。先ほど、年末年始は(……)に来ているのか、そうなら久しぶりに会えたらと思うがどうかと送ってあったのだ。ちょうど今日、時間があると言う。それならちょうど良いな、何時が良いかと送って、四時半前後ではどうかとなったので了承した。そうして日記をここまで書き足して二時。川本真琴 "タイムマシーン"を繰り返している。エモーショナル。
 書抜きの読み返し。Chris Potter『The Dreamer Is The Dream』を掛けながら。沖縄関連の記述をぶつぶつと音読していると、母親がやって来て、梱包を手伝ってくれと言う。メルカリで売るコーヒーカップのことである。それで音楽を止め、上階へ。箱の蓋と下部をガムテープで接着するのを手伝う――と言っても、こちらはただ箱を押さえていただけである。四面にガムテープを貼り終えると、今度は、緑色の背景に幼児的な絵柄で熊やら麒麟やら動物が描かれたイトーヨーカドーの包装紙を切り、箱の上から被せるようにして貼り付けた。そのようにして作業を終えると便所に行ってから自室に帰る。ふたたび音読。三時になったら支度をしようと思っていたところ、二八日の分を読んでいる途中で時刻を迎えたので、中断して歯磨き。そうして服を着替える。白の地に、腕の部分に薄水色でストライプの入ったシャツ以外は昨日と同じ格好である。着替えると上階へ上がって出発。まだ玄関の外で作業をしていた父親に、出かけてくると告げると、どこへと訊かれたので、(……)と続けて答える。母親は何故か車に乗っていた。そこから出てきて、カーディガンは着たかと言うので、昨日と同じくああ、と簡潔に虚言をつく。さらに続けて手袋を持って行ったらと言うのにも、いいと答えて歩き出した。空はまだまだ水色に明るいが、道は全面日蔭となっている。坂まで来ると、南側の斜面の木々が伐採された場所だから日向があるが、それは短く、すぐにまた木々に囲まれた日蔭に入ってしまう。街道。僅かばかりではあるものの日向のある北側に渡りたいが、車が多くてなかなかチャンスがない。ようやく渡った時には、西南で太陽が雲に隠されて日向は閉じていた。雲は昨日より多く、太陽を遮っている一角は焼きつけられたような純白に明るんでいる。小公園まで来ると太陽は雲から逃れたようで、日向が生まれた。
 表の道を行くか裏に入るか迷う。一度裏道に入りかけながら、いややはり、いややはり、としばし左右に行き来して、結局考え事のしやすそうな静けさを取るかということで路地に入った。歩きながら(……)さんのことを思い出し、年の瀬だしメールを送ろうかと考え、どういったことを綴ろうかと頭を回す――と言うか、勝手に頭のなかに文言が無秩序に回るのだが、じきに思考は逸れて行く。鬱症状のピークだった夏頃は希死念慮に襲われて、ベッドに伏しては近所の橋から飛び降りることを想像していたものだが、日記もまた書けるようになったし死ななくて良かったなと思った。一時は本気で、冬になったら練炭を買おうと考えていたのだ。しかしそのうちにそうした心も挫けて現世に踏み留まったのだが、それには次のような考えが寄与している――自殺者遺族の人々からしてみれば噴飯物の考え方であることは承知で記すが、自殺に成功した人間というのは、一種のエリート、選ばれた者[﹅5]だと考えたのだ。アイドルやロックスターになりたい者はごまんといても、実際にそうなれるのはほんの一握り、そしてその周りには夢破れて目的を達成できなかった人々が遥かに大勢いるのと同じことで、自殺者の周囲には自殺失敗者がそれよりも多数存在しているに違いない。そして、インターネットで自殺の失敗談を読むにつけて、自分はきちんと死に切る[﹅4]ことができないだろう、自分が自殺を試みたとしても必ず失敗するだろうという確信を強めたのだ。それで何か後遺症なり残った状態で生を保ってしまうほうが、ある種死に切ることよりも怖いのかもしれなかった(死自体が怖いという心も勿論あったわけだが)。希死念慮に襲われている人がもしいたら、自殺失敗者の体験談を読むことをお勧めする。
 しかし自分は今、本当に生きているのか? 勿論生きて、歩き、こうしてまた文を書いているのだが、その実感があまり湧かず、薄いようなのだ。そのことについて歩きながら思考を巡らせるに、それはこの世界には究極、現在時しか存在しない[﹅9]ということが体感されているのではないか、と思いついた。過去と未来は明らかに我々の思考が作り出した観念的存在である。それを人間は概ね実体化して捉えてしまう傾向があるわけだが、その実体化の度合いが以前よりも低くなって、過去と未来というものが仮構物であるということが、以前よりも身に沁みて[﹅5]感じられるのではないかと考えたのだ。それしかこの世に存在しないはずの、純粋な現在時の持続――それを実感するというのは、ヴィパッサナー瞑想の目指す悟り[﹅2]の境地ではないのか? 自分はそうした地点に達したと言うのか? まさか。しかしこの仮説に今はひとまず従うとして、現在時の持続がまざまざと感じられるようになったとしても、それはこちらにおいては現実感を強化するよりはむしろそれを奪い、稀薄にして、夢のなかに生きているような感覚を与えるようである。ところで、過去と未来が切り捨てられた純粋な現在の持続とは、また表層の連鎖ということではないのか? 絶え間ない表層の生成/推移――それによってもたらされる非現実感、自分において日記を書くこととは一種、それに抗うことではないのだろうか。
 また別の面から考えると、自分が日記を書くのは明らかに、時間が過ぎるものだから[﹅11]である。砂の柱が毀たれ、崩れ落ちて行くように、現在の一瞬一瞬が「時の階[きざはし]を滑り落ちて」(シェイクスピア福田恆存訳『マクベス』)行き、すべては消えて流れてしまう。そのことに納得が行かないような、釈然としないような、それを認めたくないような思いがあるのだ。日記は自分にとって、その違和感の表現だと言えるかもしれない。
 そんなことを考えながら歩き、駅に到着する。ホームに上がり、二号車の三人掛けに就く。そうして手帳に、歩いているあいだのことをメモする。発車してからも赤のボールペンを走らせ、現在時に追いつくには(……)まで掛かった。それから、『後藤明生コレクション4 後期』を読み出す。脚を組み、クラッチバッグは隣の座席に置いておく。二つ隣に座る人が来たらどかそうと思っていたのだが、人が乗ってきてこちらに来るかと思いきやその前を通って一号車へと抜けて行く、ということが二度繰り返された。(……)に到ってついに座る者が現れたので、バッグを二つ折りにしてこちらの右脇に置く。そうして書見を続け、(……)で降車。
 階段を上っていると、バッグのなかで携帯が震える音が伝わったので取り出す。(……)で、今向かっているが、どこにいるかと問うものだった。ちょうど今着いた、壁画前にいると送り返して改札を抜け、待ち合わせスポットに立ち尽くして、目の前を左右に行き過ぎ、交錯する人波をぼんやりと眺める。じきに一人の女性が、こちらの隣にいた男性の前に跳ねるようにして現れ、どん、と両足を揃えて音を立てる。唇が赤く、円型のピアスだかイヤリングだかを両耳につけている女性だった。それからしばらくして、(……)がやって来た。お久しぶりです、と互いに会釈しながら挨拶して、(……)に向かうことに。昨日も(……)に行ったんだわ、昨日は(……)と会って、と言うと、(……)も昨日はこのあたりをぶらぶらしていたらしい。駅舎を抜け、広場を行きながら、元気だったかと問われたので、いや、と苦笑し、今年はあまり元気ではなかった、あとで話すけどと答えた。そうして下りのエスカレーターに乗り、前の(……)に上から、子どもできた、と訊くと、振り返った彼は笑みを寄越して、こちらもあとで話す、と答えた。下の道に下りる。数年前の記憶で、今日は六時までじゃないかなどと言いながら店の前まで行くと、六時までどころか既に閉まっていたので、もう閉まってるのかよ、早いなと口にした。(……)は通りの向かいを指して、(……)に行く、と言うので了承し、横断歩道を渡って(……)に入る。入り口から左方、窓際の一人掛け丸テーブルが二つ空いていたので、そこに二人並んで入ることにした。荷物を置き、マフラーを取り、バッグから財布を出してカウンターへ。ミルクココアを注文(三一〇円)。(……)も同じものを頼んでいた。席に入って、ココアに口をつける。あまり美味くはない――昨日の(……)のもののほうが美味だった。一息つくと横の(……)が、元気じゃなかった、と問うて来るので、鬱病になったのだと口火を切る。元々パニック障害を持っていて、去年のちょうど今頃、年末年始にそれが悪化した、それで一月から三月は色々あって、三月の終わり頃に病状がまずくなり、四月から仕事を休んだのだ、そうしてそれからは症状が鬱病の方向に移行していった、夏がピークで、今は段々治ってきていると経緯を説明する。(……)は笑うでもなく、殊更深刻そうにするでもなく静かに受けて、しかしほんの少し神妙そうな雰囲気を醸していた。だから今は無職なんだ、ニートをやっているんだ、と満面の笑みを浮かべて告げると、(……)は笑い、そんな笑顔で言われても、と言った。この時ではなかったが、統合失調症の初期症状に自生思考というものがあって、ということも説明した。自分で思ってもいないようなことがぽんぽんと頭のなかに湧いてきて、思考が止まらなくなる、それが一月から三月くらいに掛けてあって、だからその頃は自分が統合失調症になっているのではないかと恐れてばかりいた、と。また、感情が稀薄になってしまったのだということも言い、しかし今は段々持ち直してきているようだと補足した。
 説明を終えて、俺はそんな感じだったと言い、そちらはどうだったかと尋ねると、仕事がひどく忙しいらしい。子どもに関しては、順当に行けば六月に生まれると言う(おめでとうございます、と頭を下げた)。しかし奥さんの体調が悪い日もあり、まだ安心はできないと言う。不妊治療を二年続けた末の子だと言い、時期もちょっと変なので、俺の子だよねとそれだけは確認した、と(……)は笑って言う。今は生活の中心が仕事とそのことになっており、だから細君の調子の悪い日などは家事を代わりにやらなければならないと。
 彼は仕事は製薬会社、というか流通のほうなのか、薬を売る会社の営業をしている。仕事は忙しく、ここで部署を移って、一応そこの営業のなかのトップを任されていると言う。昨日の(……)の話を思い出し、あいつも、宅建士の資格を取って不動産屋で働いているのだが、一一月の営業成績が二位だったと言っていたと知らせる。お前ら優秀だよ、と言うと(……)は破顔していた。上司からもどうやら有望視されているらしく、俺を責任のある立場につけたがっていると言う。しかし、会社から要求される事柄の水準が高すぎる、と言うかどう考えても不可能なレベルで、それに苦慮しているらしい。あとで話されたことだがまた、後輩や新人はあまり有能ではないらしい――会社全体も、「頭の悪い」会社だと言っていた。と言うのは、詳しく突っ込んでは訊かなかったが、新しいシステムを導入した結果、目的の仕事は効率化されたものの、ほかの部分で手間が掛かるようになり、全体としてはむしろ相対的に仕事が増えたのだと言う。部下に関して言うと、(……)の感覚では世代的なものであるらしいが(おそらく今年入社してきた新人あたりの世代を指して話していたのだと思うが)、悟り世代だか何だか知らないけれど、自分で考え、行動を判断するという頭を持たない、そういう傾向があると述べた。君はどう思うの、と訊いても、何の意見も出てこないと。それだから、いちいち指示を与えなくてはならないらしいが、(……)はしかしそれに怒るのではなく(別の時には全体的に仕事に当たってむしろ怒りやすくなったと言っていたが――と言うのは、一応それなりに責任のある立場に置かれて、後輩や部下たちを会社から「守らなければいけないから」だと言う)、感覚の問題で、元々そういう感覚というかセンスというか、考え方を持っていないのだから、怒っても仕方がないと言った。だから例えば選択肢を二つ与えて、どちらのほうが気に入るか、良いと思うかなどと訊き、少しでも自ら考える方向に導いたりしているらしい。元々持っていない考え方だと言うのは、こうこうこれをプログラミングして、と言われても門外漢にはまったくわからないというのと同じことだ、というようなことを言い、それだから難しい、と(……)は渋いような顔をした。しかし自分でものを考えるというのは本当に難しいぞ、とこちらは受けて、まずは他者や自分の外側から学ばないと、自分で行動する、考えるということはできるようにならないだろうと、一般的なことを言う(言語を食べ[﹅2]なければ、言語を書けるようにはならない)。色々話したあとに、人間は難しい、と(……)は結論めいて落とすので、それは一般的過ぎるだろうと突っ込んで、互いに笑った。
 音楽の話。音楽は聞いているかと問うと、聞いていると言う。何かと訊けば、まず答えられたのはあいみょんという名前だったが、これはこちらは知らない。ほか、Queenも聞いているし(これ以前に、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行った、あれはぜひ劇場で見るべきだ、感動してサウンド・トラックも買ってしまったという話が出ていた)、あとはAwesome City Clubというバンド(?)もなかなか良いと言う。ちょっと八〇年代風味の香るポップスらしかった。CDはちょくちょく買っていると言うので、データを買ったりはしないのかと訊けば、データをダウンロード購入したことはまったくない、と断言する。そこでこちらはFISHMANSを最近は聞いているのだが、先日Amazonでデータを購入したら、四曲目と七曲目が破損していて読み込めず、損をした気分になったと挿話を話した。その点物質のほうがやはり安定感はある、と。
 本。本を読むかと訊くと、ビジネス的な自己啓発本の類をよく読んでいるらしい。読んでみると、自分が実践しているのと似たようなことが書いてあるもので、それでああ俺のやってきたことは間違っていなかった、と自分に言い聞かせて頑張っていると言うので、精神安定剤ではないかと笑った。今は何を読んでいるのかと問われるので、後藤明生という作家を読んでいると言ってバッグからハードカバーを取り出すと、(……)は厚っ、と驚いていた。五〇〇頁ほどある。どんなものかと問うので、まあ小説だ、いわゆる文学だ、文学好きなので(と自分の顔を指しながら言う)、コミカルでユーモラスな感じの文学、と簡潔に形容する。その他、鬱気が強かった時には文を書くこともできなくなったのだが、一週間くらい前からまた再開して今は書けている、と報告もした。
 高校の友人に会ったかと問うと、ここ一年は会っていない、唯一(……)(上に手紙を引用した女子である)とは定期的に会っていて、今度また一月に飲む約束をしていると言う。あいつも大変だと言うのは、離婚したということだ。あいつ、ずっと男性関係で失敗してるよねと、肘を突きながら向けると、(……)は苦笑して、まあ話を聞くと今回は仕方がないかなという感じだけどね、と答える。確か彼女は(……)にいたと思うのだが(今は(……)かどこか、「海沿いのほう」に住んでいるようだ)、旦那の周囲のコミュニティが緊密で、彼はそちらのほうにばかりかまけていて、帰ってくると自分のベッドで知らない人が寝ている、というようなことが多々あったのだと言う。不憫な女性だ。
 喫茶店にいるあいだに話したことは、概ねそんなところだろうか。あとは、最近は歌を良く歌っているという話があった。通勤に車で一時間掛かる、それなので車中では音楽を爆音に掛けて歌っている、気づくと自然と非常に大声を出していることもある、周りから見るとちょっと変人かもしれない、とのこと。それだから歌がうまくなった、会社のカラオケでも盛り上げることができている。何を歌うのかと問えば、沢田研二浜田省吾、それを歌っておけばおじさん連中への受けは間違いないと。そんな様子だったので、カラオケ行く、と笑いながら言を向けてみると、(……)は破顔して、別にいいけど、行くかと答えた。それで退店し、通りに出る。カードを持っているかと訊くと、スマートフォンを操作しながら(……)は、BIG ECHOのものならあると言う。ちょうど通りの向かいに同店があったので、あそこに行くかということで横断歩道を渡り、ドラッグストアの上へと階段を上って入店。男性店員を相手に手続きし、ルームに入ってドリンクを注文。こちらはジンジャーエール、(……)はレモンスカッシュ。こちらが歌ったのは、FISHMANS "いかれたBABY"、Suchmos "YMM"、キリンジ "双子座グラフィティ"、小沢健二 "大人になれば"、Queen "Crazy Little Thing Called Love"、the pillows "ストレンジカメレオン"。(……)は、ビッケブランカ "まっしろ"(テレビドラマ『獣になれない私たち』の挿入歌――上に書き忘れたが、(……)は最近テレビドラマもよく見ていると言い、こちらが『獣になれない私たち』というのが面白いらしいなと向けると、それも見ていた、新垣結衣に感情移入して胸を痛めていたと言った)、二曲目は忘れ、三曲目はJASMINE "Dreamin'"、Awesome City Club "今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる"、五曲目も忘れ、最後に桑田佳祐 "明日晴れるかな"。"大人になれば"まで歌ったところで、何か(……)の好みが……と漏らすので、読めるだろ、と笑い、洗練されたポップスみたいな、と言うと、(……)も笑っていた。しかしそれで言えば彼の好みもわかりやすくて、六曲中三曲はピアノの利いた感傷的なバラードだったはずだ。全体としては、まあありきたりの、出来合いのJ-POPの枠をどれも越えないといった感じ。(……)は歌う時、上体を前後に揺らして、感情を籠めていた。確かに以前よりも上手くなったようで、発声が前よりもしっかりしているんじゃないかと言うと、爆笑していた(彼の二曲目を思い出したが、浜田省吾 "I Am A Father"だった)。
 ボックスで一時間過ごして退室。会計は二七〇〇円くらいだったと思う。こちらが千円札を一枚出し、(……)が二枚出す。それだけでは悪いので、もういくらか渡そうと財布を探り、三五〇円を手に取ると、(……)はトイレに行ってくるのでお釣りを受け取ってくれと言う。それで釣りとレシート、サービス券を受け取り、トイレのドアを開けると、小便器は一つだけだったので引き下がり、彼が出てくるのを待つ。出てきたところに釣りを渡し、これもと三五〇円も与え、それから入れ違いにトイレに入って排尿した。ハンカチを忘れてしまったので、送風機で手を乾かして退室、退店。
 通りに出たところで飯はどうすると訊くと、食べていくかと返されるので、どちらでも良いけれどと言えば、親が一応用意しているんだよなと(……)は言い、ちょっと考えたあとに帰るか、と言ったので了承した。エスカレーターを上る。(……)の格好は黒のコートというかジャンパーというかに、脇に線の入ったグレーのズボン、靴も黒のスニーカーだった。上りながら(……)は、(……)くらいなら全然来れるから、また何かあれば、と言う。バスケットボールをやるために(彼は高校時代バスケ部で、今も有志と競技を続けている)(……)や(……)まで来ることもあるとのこと。了解し、広場を越えて駅舎に入り、改札の前に到るとありがとうと言って手を差し出した。握手すると、頑張って、と言われ、両手でこちらの片手を包んでくる。今、(……)パワー送っといたから、と言うので笑って、それじゃあなと手を上げあって別れた。電車は七時一六分発。一号車に入り、席に就くと『後藤明生コレクション4 後期』を読み出した。「謎の手紙をめぐる数通の手紙」。胡散臭い饒舌さと迂遠さ。「つい話がそれたようです。お許し下さい」と言いながら、話題を変えず、一向に本題に入らず閑話を続ける。また、以下引用。

 とつぜん小生は、自分のすぐ右隣[﹅2]に、A・B氏の姿を発見したのです。小生は一瞬、軽いメマイをおぼえました。もちろんこれは、A・B氏そのもののせいではありません。いわば小生の生理的不安でありまして、一日に何度か、自分の肉体の左側に、ある種の空洞のごときものを感じるわけです。昔風にいえば、脾腹のあたりでしょうか。その左脇腹のあたりが、とつぜん、すうーっと支えを失い、自分の肉体が、地球上を左へ左へとズレてゆくような不安です。左へ左へと滑ってゆく[﹅5]、という程の速度[﹅2]ではありません。しかしそれは、単なる心理的な不安ではなく、明らかに左へ左へとズレてゆく、肉体的な感覚であります。
 したがって小生は、誰かと並んで歩くとき(蛇足ながら、妻の場合も例外ではありません)、必ずその同伴者の右側につきます。左へ左へとズレる不安を免れるためです。一人のときは、道路の左端を歩きます。バス、電車などの乗物においても同様の理屈で、左脇腹(あるいは左腕)を支える(固定する)ことの出来る場所(例えば、シートの最左端の手摺りのついた席)が、小生にとっては最上の席ということになります。もっとも、これは常に確保出来るものではありませんし、毎日の通勤電車の模様は、貴殿がよくご存知の通りであります。そこにはもはや、右も左も存在しません。前も後もありません。その代り、左へ左へとズレる不安もあり得ないわけです。
 もちろん(敢えて断るまでもありますまいが)、小生はこの「左へ左へ」とズレてゆく不安を、いわゆる「パスカルの深淵」(ご存知のごとく、彼は自分の左側に無限の深淵があると感じていた、と伝えられております)になぞらえようなどとは、考えておりません。ただ、(お忘れかも知れませんが)少し前のところで小生が「右隣」という部分に、わざわざ傍点をつけた意味を、一言説明したかったまでです。つまり小生は、貴殿の古き友人であり、小生がかねがね尊敬するところのA・B氏の言葉(それはまったく、想像もしなかった言葉でした)を、左の耳ではなく、右の耳できいたわけです。(……)
 (『後藤明生コレクション4 後期』国書刊行会、二〇一七年、37~38)

 この奇妙な「生理的不安」の唐突な導入。これは一種の与太であり、ほとんど突然の思いつきのようにして書かれているような気がする。その点、ちょっと種類は違うかもしれないが、ローベルト・ヴァルザーの記述のやはり唐突な飛躍を思い出さないでもない。
 電車内では、子供連れ(ベビーカーに一人と、それよりも小さな女児一人)の親がいて、女児が「ママ」とも「あまい」とも「おもい」ともつかない大きな声を上げており、耳に痛いほどにそれが高まる一瞬もあったのだが、オレンジのゴムで髪を後ろで一つに結わえた女児は、緑のジャンパーを羽織った父親に抱き上げられて落ち着いたらしく、その後はあまり騒いでいなかった。(……)着。本を閉じ、しかし仕舞わず、小脇に抱えたまま降り、ホームを渡って昨日と同じく待合室に入る。昨日と同じく無人。昨日と同じく席の端に就き、読書を続ける。昨日とは違って(……)行きが入線してくるとすぐに席を立って乗った。本を読みながら最寄りに着くのを待ち、降りるとこの日も暗夜。横断歩道を渡り、坂に入ると小走りになって靴音を響かせながら降りて行く。早く帰って日記を書きたいという気持ちがあったのだ。平ら道に出てからも走って、自宅に到ると鍵を探ったのだが、ポケットに入っていなかった。忘れてきたかと思いながらインターフォンを鳴らし、母親に鍵を開けてもらう。居間に入り、ただいまと挨拶し、すぐに下に下りる。それで机を探したが、鍵は見当たらなかったので、どうもどこかに落としてきたのではないか――ズボンのポケットに手を入れた覚えがないので信じられないが――一応、勝手口のほうの鍵がまだあるにはある。
 コートを脱いで上に行き、母親に鍵を落としたようだと報告する。夕食は、天麩羅に唐揚げ、筑前煮、モヤシのサラダがあった。そのほか蕎麦を茹でるというので、先のものを食べているあいだに茹でてもらって、それも食した。テレビは『紅白歌合戦』。席に就いた時には、何かアイドルアニメの映像を背景に踊り歌う女性グループが出演していた。次はYOSHIKIHyde。二人がパフォーマンスを行ったあと、YOSHIKIは舞台の前景に置かれたピアノに就いて、"Miracle"という彼作曲の曲が演じられるのだが、これを歌うべく登場したのがサラ・ブライトマンだった。その次は場所を変えて、星野源が「おげんさん」という女装をして、アコースティック・ギターを弾きながら"SUN"をやり、その次が島津亜矢の中島みゆき"時代"のカバーだったと思う。さすがの歌の上手さ。この時、背景には平成時代を回顧する映像が映し出されて、既に酒を多く召していたのだろうか、顔がちょっと赤くなっているように見える父親が、そう言えばガングロとかあったなあと呟く。その次にはカツラを被って額の広く後退したサラリーマンに扮した内村光良ムロツヨシが現れ、赤いタンクトップに短パン姿の武田真治DA PUMPの連中も姿を見せる。それからDA PUMP五木ひろしのコラボレーションがなされ、このあたりでこちらはものを食べ終わり、席を立って皿を洗った。『紅白歌合戦』に特段の興味はない。唯一Suchmosのパフォーマンスだけはちょっと見たい気がしたが、それよりもとにかく日記を書きたかった。
 風呂に入るのも面倒臭かったが、渋々入ってすぐに出る。緑茶を用意して即座に下階に行き、文字入力のスムーズさを求めてコンピューターを再起動させ、ソフトがひらくのを待ちながら『後藤明生コレクション4 後期』に目を落とす。それから日記。九時半から取り掛かって二時間強、現在は一一時四〇分。BGMはChris Potter『The Dreamer Is The Dream』、『Imaginary Cities』、『Chris Dave And The Drumhedz』。ここまでで引用を含めて二一一〇〇字ほど。こんなに書いたのは初めてではないか。驚くほどにすらすらと書けるのだが、これが一種の躁状態で、また精神が変調を来したりしないかと、それがちょっと不安である。
 (……)さんのブログ。「一度だけ啓示が起こり、その後に信仰が始まるというのは迷信だろう。強烈な経験が精神の運動の方向性を規定するというのは言うまでもないが、より肝要なのは、無作為な経験によって動き出した精神を絶えず自由の方へと向け続けられるように常に徹底的に自らを見つめ直す努力だろう。回心や転向は各瞬間に起こっているのである。一見、これは、思想において流される種類の悪しき習慣に見えるが、むしろ問題なのは、回心や転向を自らの技巧と工夫によって行う習慣の育たない者による突然の「回心」や「転向」である。そういう者においては、体系や潮流において教義を「吟味」することよりも、教義を「持つ」ことに重きが置かれているため、新たな、魅力的な教義や英雄が現れると、真っ先に「回心」「転向」してしまう。しかし、思索において毎日自らの回心と転向に細心の注意を払う者は、新たな見解や動向が顕れたとき、その内容や状況にかかわらず、思索において徹底的に吟味する。その意味で、真摯な思索者であればあるほど、考えを突然変えることは少ないはずである」。歯磨き。その後、寝床に移って読書。一時半に就床。入眠にはさほど苦慮しなかったようだ。

2018/12/30, Sun.

 五時五五分に起床する。山際にうっすらと曙光の兆しが見えるのみで、まだ暗い。発疹ができて痒い腕に痒み止めクリームを塗っておき、読書を始めた。大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』である。有名な話で、飛鳥時代の六〇七年、倭国は隋に国書を送るのだが、そこに「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」と書かれてあって隋の煬帝が怒ったという話がある。何故怒ったかというと、日が昇るほうを倭に比定して立場が上と示したからという説があるのだが、これは俗説だと言い、出づると没するは単に東と西の方角を示しているに過ぎないらしい。その根拠となるのが『大智度論』の記述で、これに「日出づる処は是れ東方、日没する処は是れ西方」とあって、この仏典を元にした表現だったと言う。では何故煬帝が怒ったのかといえば、これは倭王が「天子」と名乗ったことが原因で、天下を統治する者は世界で中国皇帝ただ一人しか認められないからと言うのである。
 六時半頃になると海のように深い縹色の空、オレンジ色の漏れる山際の上部に、ラベンダーのような薄紫色が漂いはじめる。それからその紫色は上方に向けて拡散して行き、光が強くなるにしたがって空の青もごく淡く、勿忘草の色に薄まって行った。七時前まで書見。それからインターネットをちょっと覗いたあと、早々と前日の日記を記しはじめた。仕上げて投稿。引用を含めて一万三〇〇〇字に達したのでなかなか長い。それから今日の分もここまで書いて七時半。既に太陽は山を超えて眩しく輝き、部屋の入口の脇の壁に光線が矩形を作り出して、そのなかにこちらの姿形が影となってのっぺらぼうに映っている。
 上階へ行って、母親におはようと挨拶した。おじやを作っていると言う。台所に入ると、ぐつぐつと煮立っている鍋があった。卵を入れてと言われたので、そこに置かれていた褐色の卵を一つ椀に割り、執拗にかき混ぜる。その間母親は米を鍋に追加し、もう少し煮るようだと言うのでこちらは場を離れて、外に新聞を取りに行った。肌の張るような冷たい空気で、いよいよ本格的に冬めいてきたようだ。新聞を取って卓に戻り、ビニール袋を鋏で切り開けて記事をチェックした。テレビは『小さな旅』。宮川の鮎の「しゃくり漁」を受け継ぐ一七歳の高校生が紹介されていたが、これは夏頃にも見た記憶がある。再放送なのかと思えば、「彩りの四季」という総集編らしい。
 前夜の野菜炒めの混ざったおじやが完成したので食す。なかなか美味。食後、前日に買ってこられたユーハイムの薩摩芋パイも食す。ほか、同じく東京駅で買ったクリームの入ったケーキも食べてしまうようだと言うので冷蔵庫から取り出して、向こうに置いておいてと母親に渡す。それで皿洗い。さらに、母親と協力して洗濯物も干す。このあたりで時刻は八時半頃、父親も起きてきた。洗濯物を出してしまうと、風呂は年末の大掃除で父親が掃除するのでこちらは手を付けず、先ほどのチーズケーキを食べた。「ラ・テール洋菓子店」の「酪円菓[らくまどか]」というものである。栞の文言を写しておく。「赤ちゃんのホッペのように、ほんわり、ぷっくり、やさしい食感の生地の間には、北海道産の「マスカルポーネ」を使ったチーズクリームをサンドしました。/マスカルポーネは、イタリアのデザート"ティラミス"のベースになっていることで一躍有名になったチーズです。/発酵させないでつくるフレッシュタイピウのため、チーズというよりクリームのようななめらかさとコクのあるミルキーな味わい。/チーズ独特の酸味やクセがなく、お菓子にした時にもやさしい味に仕上がります。/生地にも混ぜ入れ、お口に含むと、なんだかホッと心和むようなやさしい食感と味わいです」。
 テレビは、芸人たちが時事ニュースを漫才にすることに挑戦するという番組をやっていた。こちらはそれから、裸足にサンダルを突っかけて、ストーブの石油を補充しに勝手口のほうに出た。タンクを満杯にしてストーブに戻すと、もう一度外に出て、さらに掃き掃除をする。塵取りを片手に持ち、もう片方の手では箒を横にして、狭いほうの面で弾くようにして落葉を集めて行く。一〇分も掛からずに終えて屋内に戻って、緑茶を用意する。父親は回覧板配りに出かけて行った。こちらは室に下りてFISHMANS『Chappie, Don't Cry』を流し、日記をここまで書いて九時を迎えた。
 大津透『天皇の歴史①』を書抜き。現在手帳にメモしてある部分まですべて終わらせる。途中、天気が良いので布団を干すことにして、ベランダの柵に掛け布団と毛布を掛けた。書抜きののち、日記に引用してある沖縄関連の記述の読み返し。各箇所二回ずつ音読する。その途中で母親は(おそらく父親も一緒に)買い物に出かけて行った。蒲鉾や蛸など、正月の品々を買いに行くのだったが、こちらはNと会う予定があるので行かなくても良いことになっていたのだ。読み返しは三〇日から遡って一二月一九日まで。音読したあとに記述を隠しながらぶつぶつと誰かに説明しているかのような独り言を呟いて、知識が頭に入っているかどうか確認することもした。何か知識というものを自分のなかに定着させるには、「思い出す」という働きが不可欠だ。一九日、二四日、二五日あたりの記述に関してはかなり覚えてきている。そうしてMさんのブログも読んで、一一時半。作業中のBGMはFISHMANS『KING MASTER GEORGE』『Oh! Mountain』と移行させた。
 歯磨きをしながらUさんのブログ。「否定の思索しかできない者が、自らの経験内容や、他者が経験を形式化した言葉の範疇でしか世界に参加できないのに対し、自ら発現し続ける豊かさが思索できる者は、収束することのない、参加すればするほど豊かさの増す、結論や帰結はないが始原である、圧倒的に安定した、不安定な運動を表現することになる」。それから、二六日の朝刊。「全県で実施「黄信号」 沖縄県民投票 「不参加」2市表明」と「インドネシア 揺らぐ多宗教 イスラム以外に不寛容 教会・仏寺院に被害」の二記事。宜野湾市宮古島市辺野古移設賛否の県民投票を実施しないと明言している。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』を読んだところによると、近年先島諸島地域では保守化が進んでいるらしく、実際、投票の実施について、宮古島市が不実施、石垣市は再議で否決されて首相の判断待ち、与那国町はこれから再議となっている。後者の記事は、多宗教国のインドネシアイスラム教の強硬派が伸長しており、他宗教への不寛容が広がっているとするもの。「スマトラ島では8月、イスラムの礼拝を呼びかけるスピーカーの音が大きいと苦情を言った仏教徒の女性に地裁が宗教冒瀆罪で禁錮1年6カ月の判決を下し、仏教寺院が襲撃される事件も起きた」。苦情を言っただけで裁かれてしまうとは! また、インドネシアの国是に「パンチャシラ」(建国五原則)というものがあり、他宗教への尊重を謳っているらしいが、これは先月読んだワールポラ・ラーフラ/今枝由郎訳『ブッダが説いたこと』のなかでは、「平和五原則」と称してインドの基本的な国政方針としても紹介されていた。その他、二七日の新聞から、横田基地へのオスプレイ配備関連の記事も読む。Nからは連絡があって待ち合わせを三時にしてほしいと言うので了承した。
 新聞を読んでいるあいだに両親が帰ってきていた。上階へ。テレビは「報道の日 2018」という番組を流していて、今上帝の米国訪問について扱っていたが、そこにウォルター・モンデール元駐日大使が映っていた。『日本にとって沖縄とは何か』を読んだので、これは一九九六年四月一二日に普天間基地返還合意を発表した時の大使だと覚えていた。元々昼食は食わずに出るつもりだったのだが、待ち合わせが遅くなったので腹ごしらえをすることに。煮込み素麺を頂く。食後、アイロン掛け。自分のものと両親のものと、シャツ三枚。テレビはあまりよく見なかったが、羽田孜首相が平成の総理大臣のなかで唯一米国大統領と会談したことのない人だなどと紹介されていた。
 自室へ下りる。FISHMANS『ORANGE』を流す。"Intro"及び"気分"のベースが素晴らしい。名盤の匂いが香った。音楽を流しながら服を着替える――昨日と同じ格好である。それから、あるいは着替えの前だったかもしれないが布団を取り込み、ベッドを整える。そうして歯磨き。FISHMANSを最後まで聞き、『後藤明生コレクッション 4』をほんの少しだけめくる。この著作も、二月に読んだものだが、読み返したい気がする。それでコートを着込んで上階へ。母親に、カーディガンは着たかと訊かれる。実のところ、よく晴れているしさほど寒くもなかろうと着ていなかったのだが、ああ、と簡潔に答えて嘘をつき、追及を回避する。便所で排尿してから、二時四五分に出発。道はまだ全面日向に覆われており、風に押された落葉がからからと乾いた音を立てながら地を走る。坂を上って行くと途中の家のベランダに布団が干してあって、偏差なく澄明な、ほとんど明け透けなまでの青空を背景にして、実に似つかわしいなと思った。FISHMANS "ひこうき"が頭のなかには流れている。街道に出る前の交差地点で、やはり紅梅が花をつけている。本当に花だよなと、遠くから見ても薄桃色の明らかなのだが信じられないようで近づき、まじまじと眺めると、まだ蕾のものもいくらかあるが確かに花がひらいていた。街道に出て西に大きな雲を仰ぎ、進んで行って裏に入ると、前方突き当たりに白い市営アパートがあり、ベランダにはことごとく洗濯物が干されて彩られており、上階のタオルなどは風に吹かれてめくれて揺れる。地上に生えた木の葉っぱも揺れている。それを頭のなかで言葉にしながら過ぎたあと、どうしてああも意味のないものを印象に残してしまうのだろうなと自問した。しかし、そうしたほとんどまったく意味のないもの、それこそを書いていきたい、取り込んで行きたいのではないか? これは以前抱いていた信念/信仰の復活の兆しなのかもしれない――すなわち、この世のすべての事物はそこにただ存在しているというだけで(存在していなくとも?)書く価値があるという信仰である。二〇一五年あたりの自分はこれを本気で、熱情的に信じており、それにしたがって毎日事物の具体性を捉えようと日記の執筆に邁進していた。しかしむしろ今のほうが、「ただ書くこと」に近づきつつあると思われる今のほうが当時よりも、上の信仰を的確に表現できているのかもしれない――その後、頭のなかに言葉を巡らせながら歩く。思考とは脳内で言語を浮遊させること、動かすこと、蠢かせることである。すなわちそれは、精神のうちに「テクスト的領域」を形作ること――頭を擬似的なペンとノートと化して文を書くことにほかならない。空中を漂うシャボンの泡のように浮かび、入り混じり交錯する意味=言語――人は言語によってしか考えることができず、言語には必然的に意味がついてくる。思考のなかでは意味と言語とは完全に一体のものである――しかし、言語なき思考、記号なき思考というものがあるのだろうか? 多分あるのではないか。それは「直観」という言葉で名指されるような現象かもしれないが、この点は自分にはまだよくわからない。
 路程の終盤に到って、ムージルのことを思い出す。ニート生活で時間がたっぷりある今のうちに『特性のない男』を読んでしまうのも良いかもしれないなと思ったのだ。『特性のない男』の訳者の誰だかは、難解なムージルの記述にやられて本当に精神を狂わせかけたというか、ノイローゼになりかけたのだと聞いたことがある――これは確かMさんが、訳者の知り合いだという京都の古書店の店主から聞いたエピソードだったはずだが、そんなことも思い出した。「合一」を日本語にした古井由吉も凄まじい仕事をやったものだ。
 青梅駅。券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージ。改札を抜ける。通路を行きながら、後ろからうぉっ、うぉっ、という感じで、ゴリラのような唸り声が聞こえてくるので知的障害者の人だろうかと思う。ホームに出て先頭車両へ。席に就き、手帳に徒歩のあいだのことをメモする。そうして読書。大津透『天皇の歴史①』の続き。発車。先ほどの知的障害者の男性は親らしき男性に付き添われて車両の先頭に乗っており、うー……と唸ったあとにうっ、と声を上げる、ということを繰り返していた。太陽が南窓から光線を射し入れて、組んで上に載せた右脚に掛かって暖かく、靴の金具の角に光が溜まってそこから八方に、淡く白い筋が拡散する。
 立川で降車、三番線。立ったままポケットから手帳を取り出し、読書の時間を記録してから(二時五五分まで)階段へ。蟻の群れのように蠢き撓む人波のなか改札を抜けて、壁画のほうへ。Nは既に来ていた。近づいて行き、挨拶をする。腹が減っていて、ひとまず何か食いたいと言うので歩き出す。「KANGOL」と記された小ぶりの黒のハットを被っていたので、お洒落な帽子を被っているじゃないかと向ける。もう数年使っているものらしい。ちょっと進んでから、お返しのようにしてこちらのバルカラーコートも褒められるので、つい三日前に買ったばかりなのだと明かす。PRONTOに行くことになった。歩廊からエスカレーターで降り、居酒屋の客引きの横を行きながら、文章をまた書きはじめたということを報告する。
 入店。カウンターの向こうの店員から、先にお席の確保をお願い致しますと言われて二階へ。一方が長いソファになった二人掛けのテーブル席に入る。ソファのほうに就いたのはこちらである。マフラーを外し、クラッチバッグのなかから財布を取り出し、荷物はその場に置いたまま一階に下り、注文へ。Nはサーモンとたらこのパスタ、こちらはホットココアのMサイズ(三三〇円)。Nはスマートフォンを使って会計を支払っていた。
 二階に戻って席に就き、コートを脱いで丸め、ソファ席の上にバッグとともに置く。ホットココアを啜りながらしばらく喋る。Nはフォークを使ってスパゲッティを丸く大きく巻き付け、一口一口口いっぱいにそれを頬張りながら食べていた。一〇月から一人暮らしを始めた身である。食事はすべて外食で済ませており、それだから金が掛かって仕方がないと言う。一日に一八〇〇円くらい掛かるらしい。三〇日で換算すれば五万四〇〇〇円である。炊飯器はないのかと訊くと、炊飯器はおろか冷蔵庫すらないと言う。それでは金が飛んでいくばかりだ。炊飯器があれば米を炊いて、スーパーでちょっとした惣菜を買うだけでも、と提案する。Nは何となく口数が少ないような気がしたが、これはものを食べていたからというだけのことだろう。仕事のことなど聞こうかと思ったが、食べながら話させるのもと思って訊かず、咀嚼と咀嚼のあいだにNが口をひらくのを待った。
 順番が前後するが、話の最初は、最近何か変わったことはあったかと訊かれて、変わったことでもないが、イベントとしてはつい昨日、会食があったと答えたのだったと思う。兄夫婦と兄嫁の両親とこちらと両親とで東京の和食屋に行った、一コース一万円くらいする店で、兄は大層金が飛んだだろうと説明する。
 じきに、最近何か音楽は聞いているかと問われた。最近一番聞いているものと言えば、FISHMANSをおいてほかにはない。それで知っているかと尋ねると、名前は聞いたことがあったらしい。良いぞと勧めるとNはスマートフォンを使って、即座に彼らの音楽を検索した。何かそういうアプリがあるらしい。覗いた曲目のなかに"いかれたBABY"が見えたので、"いかれたBABY"は良いぞと言うと、Nはワイヤレスのイヤフォンを片耳につけて聞きはじめる。Wi-Fiの使用量を超過しているらしく通信が制限されており、読み込みが遅いのに難儀していたが、じきに流れはじめたようだった。FISHMANSの音楽はわりあいに気に入られたようだ。
 今日はNが買い物をしたいのだということだった。何を買うのかと問えば、雑貨とか家電とか服とかと言う。雑貨と言ってどこに雑貨屋があるか、ルミネの上などにはいくらかあるけれど、それかグランデュオかと、駅ビルしか知らない我々である。しかしNは、立飛のららぽーとに行ってもいいかと提案してきたので、勿論了承する。それで喫茶店を出て、モノレールの立川北口駅へ向かう。高架歩廊に続くエスカレーターに乗りながら、目の前のNの服を見やる。黒のコートは片側をジッパーで閉めるもので、そのなかにさらにもう一つジッパーが、こちらは首もとまでついている二段式のものだった。表面は結構毛玉というか毛羽立ちが見られて、長いあいだ着ているのではないか。ジーンズは青、太腿のあたりが褪せており、右膝に穴のあいたダメージタイプ。靴は赤一色のHYSTERIC GLAMOURのスニーカーで、これも結構年季が入っているものだ。六月頃に会った時もこれを履いていて、母親などNの名前を出すと、あの赤い靴の子ね、と記憶に留めていた。
 モノレール立川北口駅に入る。ホームへ上る。電車まで数分間がある。ここでNの仕事の話がなされた。彼は宅建士の資格を取って不動産屋に勤めている。一一月の営業成績が二位だったと言うので、優秀なんだなと褒めると、Mは謙遜して、紹介が多かったからだと言った。しかし半年だか四半期だかでも五位の成績だったらしく、一年目でそれだから将来有望視されているのではと言うと、そうでもないとの返答があったが、立派なものだ。しかしそのかわりにひどく忙しく、一一時頃まで仕事していることもあったと言う。
 モノレールに乗り、二駅。ららぽーとの敷地内で、子どもたちが白い人工の丘のような遊具の周りで遊び回っているのが見下ろされる。立飛で降車。改札を抜ける前に便所に寄らせてもらった。排尿し、手を洗い、ハンカチで水気を拭いてから、行きましょう、と言を合わせる。ららぽーと立川立飛は改札を抜けてすぐそこである。三階分のフロアマップの前で立ち止まって入っている店を確認してから――NはDIESELに行きたかったのだと言った――二階のフロアに入る。入ってすぐ右側にFREAK'S STOREがあって入る。入ると入り口付近に柄物の靴下が置かれてあり、三つで一五〇〇円である。Nは早速、これは買いだと言って二セット保持していた。時たま離れたり、また近づいたりしながら店内を見て回る。品は大方三〇パーセントや四〇パーセントオフになっていた。Nはさらに加えて、やはり柄物のマフラーを買うことにしていた。こちらは、ソフトタッチの茶色のズボンがちょっと良いなと思ったが、三日前に服に金を費やしたばかりなので踏み切れず。それでNの会計を待って、退店。
 先にその後見て回った店を順不同で挙げておくと、Urban ResearchZARAUnited Arrows green label relaxingDIESEL、AVIREXなどである。United Arrowsに入る時は、身につけているコートとズボンを指して、これとこれはこの店で(立川ルミネ店のほうだが)買ったのだと明かす。それで、どの店もセールをやっているから、同じものが値引きされていたりしたらがっかりだななどと言いながら入ると、果たしてセール品のなかに同じダーク・ブルーのバルカラーコートがあった。値段は見なかったが、こちらが買った時も一万円値引きされたのでセールみたいなものだ。ZARAは品揃え豊富で、しかもどれも結構安かった。DIESELジーンズは高い。
 三番目あたりだっただろうか、序盤のほうでAVIREXに入っており、ここでNが気にいるミリタリー・ジャケットあるいはジャンパーを見つけた。緑で迷彩がちょっと入ったものだったと思う。二万六〇〇〇円、こちらのバルカラーコートと同じ値段である(それは告げなかったが)。ウェーブの掛かった髪を左右に分けた店員の相手をしながら、Nは試着させてもらっていた。これはありだなと彼は言い、Mサイズだろうか、そのサイズはもう最後の一着だったらしく、店員のほうも、年始になるともう売れてしまうと思います、買うならこの平成最後の年末に、などとプッシュしてくる。それで一旦保留して店舗を出たのだが、ほかの店を見回っているあいだに(……)の心は購入に固まってそれでふたたび戻った。先ほどと同じ店員を相手にして、会計するのだが、見ればNは店内の革張りの大きなソファに座って、何やらスマートフォンを操作しており、その傍らには店員がしゃがんで控えている。何かしらの手続きをしているらしいので、こちらは店内を見て回った。一三〇〇〇円ほどだったが、濃い茶色のジーンズがあって、先ほど来た時にも色が良いなと目に留めていた。それを手に取って広げてみるとしかし、思ったよりもピンとこなかったというか、太腿のあたりにジッパーのついているデザインが何だかなと思われたのだが、衣服をまじまじと見つめているこちらに向かって横から女性店員が、いい色ですよねと話しかけてきたので、同意を返した。気になるんですけど、つい三日前に服を買っちゃったんですよと告げて推薦を回避する。
 それからまたしばらく回ったがNの作業はなかなか終わらなかったので、じきにこちらもソファで彼の隣に就いて待つ。Nは会員登録かアプリの登録かを処理しているようだった。名前やパスワードを入力していくのを横から眺め、それが終わって会計をしているあいだ、こちらは足を組んでソファにふんぞり返って待っていた。時刻を確認すると五時だった。Nが会計を済ませると立ち上がって、ともに退店。
 服はもういいだろうということになって、次は雑貨を見に行くことにした。フロアマップを見るとFrancfrancだったか、それが遠くにあったので、フロアを渡って行く。しかしいざ行ってみるとその店はひどく女性っぽいというか、店内の色調も全体に淡いピンクで良い香りが湧き出しており、女性の使う製品しかなさそうだったので断念し、別の店を探す。それで、GEORGE'Sというものに到る。Nは玄関マットなど買いたいらしかった。それで見て回るが、キッチンマットはあったものの玄関マットらしきものはない。ほか、観葉植物も欲しいのだということで草木を見分し、その結果、Nはパキラという名前の小さな種を購入することにした。こちらは、店内に置かれた食品のなかに、「まつや」の「とり野菜味噌」というのがあるのを何となく目に留めていた。主用途としては鍋用のものらしいが、鍋のみならずほかの料理にも勿論使える。五〇〇グラムで八〇〇円ほどと結構いい値段だが、母親への土産がてらこれを買っていくことにした。それでレジに並んでいたNの後ろに就くと、こちらの手に持ったものを見た彼は、あはは、ともおほほ、ともつかない笑いを上げたあと、お母ちゃんに、と訊くので肯定する。Nの品は一二〇〇円くらいだったと思う。こちらのものは七八八円。袋は貰わず、パックに入った製品をそのままクラッチバッグに収める。
 それでそろそろ五時半、いい時間だし喉も乾いたし、立川に戻って飯でも食うかとなった。ららぽーとを出る前に最後、AWESOME STOREという雑貨屋にも寄ったのだが、ここでは特に何も買わなかった。それで退店。外は既に真っ暗だった。円状に人工芝の敷かれた広場に掛かると、アコースティック・ギターの音が流れ出しているのが聞こえ、すぐに"More Than Words"だと判別される。それで、"More Than Words"だ、Extremeの、懐かしいと口に出してNに知らせたが(高校の時分、こちらと同様ハードロックが好きだったNも当然知っているものだと思ったのだが、彼の反応は曖昧だったので、もしかしたらこの全米一位(だったと思うのだが)の曲にそれほど馴染みがなかったのかもしれない)、続けて始まった声は女性のもので、Extremeのオリジナル版ではなくカバーだった。広場では、子どもが何人か集って、円型のスペースの床に埋めこまれた複数の電灯の上を次々に辿って行くという原始的な遊びをやっていた。足を移していくあいだに電灯の色が変化するのが面白いらしい。
 駅へ。ホームに上がると、六分ほど間がある。それで、そう言えばバンドは結局やることになったのかと問うた。これ以前に、インターネットでバンドメンバー募集の告知を掛けたらそれを職場の同僚に見られた、その人がMISIAのバックなどで演じた経験がある人だったという話を聞いていたのだ。結局そのボーカルギターの人と、彼の知り合いであるベースの人とちょっとやることになったらしい。その他、PS4を買ったが、何時間ゲームに費やしたか表示されて、それを見るとこれだけ時間を無駄にしたのかと虚しい、などという話を聞きながら電車に乗る。
 立川北。改札を抜け階段を下り、寒風のなか駅舎のほうへ。ルミネに入店し、エスカレーターで上層階へ。中江は三時にパスタを食べたばかりだから、まださほど腹が減っていなかった。それで店一覧の前で、前回は寿司を食ったが、また寿司でも良いのではないか、細かく注文できるしなどと提案する。ひとまずフロアを回ることに。それで一周して、結局寿司にすることになった。紙に名前を書いて、待合席に就く。しばらくしてから紙を見に行くと、我々は六番目で、結構時間が掛かりそうだと思ったが、結局二〇分ほど待ったのではないか。待っているあいだ、Facebookを見ているかと問う。たまに、と来るので、何か(高校時代の友人たちの)新ニュースはあるかと訊くと、特に無いらしい。そもそもFacebook自体がだいぶ過疎化してきており、活発に投稿しているのはMさんくらいのものだと言う。高校時代のクラスメイトにも当然、結婚して家庭を持つものが出てきている。それで、皆がひょいっと結婚して子どもを作り育てることができるのが信じられないなどと漏らす。ひょいっとではないと思うがと笑われるので、いや勿論、皆それぞれに覚悟を持っているとは思うがと補足するものの、しかしそれがこの世の大多数なわけだろう、言わば世間の主流なわけだろうと言う。恋愛、結婚、生殖、これらほどこちらに縁のない事柄はない。未だ親に頼っているニートの身分で、子どもを育てることなどとても自分にできる気がしない――Yちゃん(叔父)などは、子育てほど楽しいことはなかったなどと言うが。
 今思い出したのでだいぶ前のことになるが記しておくと、喫茶店にいるあいだ、Nの愛人(いや、この語は強すぎるというか余計なニュアンスが付き纏いすぎるか)あるいはセックス・フレンドだったメキシコ人Bに関して、彼女はメキシコに帰ってしまったのだという報告があった。自炊ができないのなら、件のメキシコ人に来てもらって料理を作ってもらえばとこちらが言った時のことだ。Bは大学生で、しかし日本が大層好きで(前回話を聞いた時には、やはりご多分に漏れず日本のアニメが好きで、しかも嫌韓・嫌中だという話だから、それではネトウヨのようではないかなどと笑ったものだ)休学して日本にやってきていた――家は裕福らしく、月に二十何万か仕送りを貰っていたらしいのだが、以前からそれに怒っていた父親がとうとう耐えられなくなったらしく、それで帰国したのだと言う。Nはメキシコ人、懐かしいな、などと、まだ別れてさほどでもないだろうに言っていた。なかなか淡白である。
 寿司屋の順番を待っているあいだには、最近何か楽しいことはあったかと訊かれたので、ちょっと考えて、やはり何だかんだで文を書いている時は楽しいのかもしれないと答えた。それから、またやはり本を読むのも面白くなってきているような気がしないでもないとも答えた。それで今は何を読んでいるのかと問われたので、日本史の本を読んでいるとバッグから文庫本を取り出して渡した。Nはページをぺらぺらとめくってからこちらに返してきたので、結構難しいけどねと告げる。とてもではないが隅々まで理解はできない――と言うか、そこまで興味関心が追いつかない。しかし本を読む時は、書抜きをしたいと思う事柄が一つでもあれば儲け物というものだろう。
 それで順番がやって来て、カウンター席に通される。やって来た女性店員は少し不安そうな面持ちのというか、おずおずとして挙措もぎこちないような感じの人で、前回来た時にもこの人がいたなと思い出した。おしぼりを渡されて礼を言い、何かお飲み物は注文されますかと問われたのにNがコーラと答えたので、こちらも何となく流れに乗って、ジンジャーエールを頼んだ(三五〇円)。それで飲み物がやってきてから、紙に品を書いて注文する。個々にネタを注文しないのだったら、「ばらちらし」というやつが一二〇〇円ほどで一番コスト・パフォーマンスが良く、前回は二人ともそれを食べていた。Nは今回もそれにすると言う。こちらは今回はそれよりもちょっと奮発して、一四〇〇円の「すし御膳」というものを頼んだ。ネタはイクラ、甘海老に鮪二種、それにカンパチか何かだろうか、鴇色の魚の五つがあって、それにミニちらしがついてくるというのでネギトロのものを選んだ。ほか、小さな茶碗蒸しと味噌汁付きである。握りの分、ちらしが少なくてちょっと足りないような気もしたが、美味だった。
 会計して(一八九〇円)退店。エスカレーターを下り、駅通路に出て人波のあいだを歩き改札をくぐったところで別れる。元気なFが見られて良かったと言う。来年また会おうぜと言うのには、またメールしてくれと返し、ありがとうと言い合ってそれぞれの方向に別れた。一番線、一九時一六分発青梅行き。席に就き、読書をしながら電車に揺られる。青梅に着いたのは七時四五分。マフラーを巻いて降り、ホームを辿って自販機の前へ。スナック菓子二種を購入(一八〇円)、それから夜風が冷たいので木製壁の待合室へ。なかはエアコンが利いていて暖かい。一人で席に座って本を読んでいたが、じきに三人入ってくる。そのあとから二人、男女のカップル。彼らはこちらの目の前に就いて、じきに女性のほうが靴を脱ぎ、座席に横になって彼氏の膝の上に足を載せると、男性のほうはそれを取り上げて臭い、臭いなどと言って笑っていた。じろじろ見るのも悪いので視線はずっと本に落として記述を追っていたが、そのくらいの動きは視界の端に視認される。八時一四分発奥多摩行きの出発が近くなったところで、皆出て行く。一人になったそのあとから文庫本を手に鷹揚に立ち上がり、室を抜けて乗車。優先席に座って本を読み、最寄りに着くのを待つ。
 降車して駅を抜け、下り坂へ。この日も暗夜で、木々は黒い影と化して空のなかに埋没している。坂を下りながら耳を張るが、沢のせせらぐ弱い響きと自分の足音のほか、何の気配も音もない。下の道に出ると、空の僅かな青味が見て取れる。つるつるとした氷の表面のように澄み渡った夜空に星が輝き、オリオン座が横向きに掛かっている。ちょっと歩いて帰宅。
 居間に入ると両親は揃って炬燵に入っている。テレビは日本レコード大賞を掛けていた。買ってきた「とり野菜味噌」を取り出し、土産だと言って母親に差し出して、立飛ららぽーとに行って雑貨屋に寄った、ちょっと気になったので買ってきたと説明。それから下階に下りて着替え――と言うか外行きの服を脱ぎ、肌着のままで上階に戻り、そのまま入浴する。身体は相変わらず痒く、腕の発疹が着実に広がっており、浴槽に浸かると湯の熱で少々ひりひりとする。出るとポットに水を足して沸かしておき、一旦自室に帰ってインターネットを見て回る。しばらくしてから緑茶を用意してきて(テレビにはピンク・レディーが出演していた。もう五〇代か六〇代かだろうに、大したものだ)、それを飲み、自販機で買ったポテトチップスをつまみながら日記を読み返す。二〇一七年一二月三〇日。覚醒時に心臓神経症が見られ、外出時に不安を感じてもおり、帰りには奇妙な発熱に襲われている。こちらの変調の本格的な始まりである。不安はパニック障害の悪化/回帰と解釈できるが、呼吸を深くしたがための発熱というのは結局何だったのか今に至っても良くわからない。しかし自分の心身が着実におかしくなっていたことは今振り返ってみると、日記の記述とも照らし合わせてよくわかる。
 それから「ワニ狩り連絡帳」の記事も読んでから日記。BGMはDokkenなど流す。独特の臭さ。『Tooth And Nail』から始めて『Under Lock And Key』『Breaking The Chains』と移行。最後のタイトル曲、"Breaking The Chains"のサビがなかなか良い。これは確かファーストアルバムだったはずで、色々聞いてみたなかでデビュー作の一番最初の曲が一番良いとは何だかなと思われる。一気呵成といった感じで日記を綴って、現在は一一時五〇分。二時間で一万字を書き足したので、書くのがだいぶ速くなったものだ。
 Twitter。「Twitterで何か呟こうと思っても、本当に、何も思いつかない。発信したいことはすべて日記に書いてしまっている」「しかしあんなに長々しいものを、好んで読んでくれる人がそれほどいるのだろうか」「図書館で西村賢太の日記を見て、簡潔で良いので、何だったら一日一行でも良いのでまた日記を書こうと思って再開したわけだが、いざやってみると意外と書けて、昨日も今日も一万字を越えている」。日記のことについてなら呟けるのかもしれない。それから、歯ブラシをくわえながら、fuzkueの「読書日記(117)」を読む。しかし、途中で何故か今しがた書いた自分の日記を読み返してしまったり、リピート再生でヘッドフォンで聞いているFISHMANS "ひこうき"に合わせて身体を揺らしたり手を振ったりしてモニターから目を離してしまったりして、五〇分ほども掛かる。
 コンピューターを閉じて寝床に移り、読書。『天皇の歴史①』。二時直前まで読んで消灯。腰回りなり腕なり脇の下なり、とにかく身体が痒く、これでは眠れないのではないかと思いきや、比較的スムーズに寝付いたようだ。掛かったのは多分、三〇分くらいだったのではないか。

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2018/12/29, Sat.

 七時のアラームで覚める。その前にも二度くらいは覚めていたのではないか。腕が痒く、搔きながら暖かい布団のなかにぬくぬくと留まって、七時四〇分を迎えたところで布団を捲って起床した。痒み止めを腕に塗っておき、ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親に挨拶。お好み焼きを一枚食べて行ったらと言うので、電子レンジの前の皿に二つ入っていたもののうちから一枚取って熱する。その他、ヨーグルトを用意。卓に就いて食事。食べながら新聞をめくり、書評欄に載っている選書三冊のうち、野矢茂樹のものなどを瞥見する。熊野純彦について、「この人の頭のなかは一体どうなっているんだ」という称賛があった。一頁ずつめくって記事をチェックしてから一面に戻り、改元関連の記事を読む。新元号は来年五月一日の改元の一か月前に公表する方針になったと言う。食後、早々と皿洗い。薬を飲み忘れたことに気づいたので今から飲んでこよう。アリピプラゾール一錠にセルトラリン二錠である。
 臙脂色の靴下を履いて下階へ。コンピューターを点け、前日の記録を完成させるとそのまま日記を記して投稿。誰がそんなに読んでくれたか知らないが、前日のアクセスは九二を数えていて珍しく、有り難い。普段はせいぜい一〇とかそのくらいである。Twitterにもブログの投稿を流しておき、ここまで記して八時半。南の空を白く埋める太陽が背後の窓から射し込んで身体に当たって暖かである。
 上階に上がって薬を飲み、それから風呂を洗った。戻ってくるとTwitterなどを覗きつつ、FISHMANS『1991-1994~singles&more~』を流す。冒頭の"チャンス"が良い。それで指をぱちぱち鳴らし、リズムに乗りながら服を着替える。臙脂色のシャツに一昨日買った水色風味のグレーのイージー・スリムパンツである。二曲目の"ひこうき"もなかなか良かった。今日これから、東京に食事会に出るので、帰りに、大層久しぶりのことだが新宿のディスクユニオン中古センターにでも寄ってFISHMANSのCDを探そうかとちょっと思う。データで買っても良いのだが、またファイル破損の憂き目に合う可能性もあるのでその点物質のほうが安心ではある。
 書抜きの読み返しを九時半まで。Suchmos "YMM"を歌って、コートを取って上階へ。上がると父親が、お前それじゃあ寒いんじゃないのと言うので、そうかなと答えつつ、部屋に戻ってカーディガンを羽織る。海のような濃い青色の地のなか、左側に紅白の格子縞が縦に走ったものである。それで上階へ行き、コートを着込んで南窓に寄る。端的な快晴。近所の敷地の上に広く敷かれたビニールシートが太陽を受けて金属的に輝き、メタリックな灰色の濃い部分と薄い部分との差の襞がよく見える。それを眺めながら比喩を探るが、良いものが思いつかない。それからそろそろ出発の時刻。Paul Smithのグレーのマフラーを首に巻きつけ、玄関の大鏡に姿を映す。後頭部の髪の毛が中途半端に持ち上がっていて、半ば寝癖のようになっているので、もう髪を整えている時間はなく気休めだが、洗面所の整髪ウォーターの類を振りかけておく。それで出発、九時四五分頃。母親は今は閉鎖されている家の前の林のなかを登って行くと言うが、こちらと父親は順当な道を行く。先に出た父親のあとを追うようにして歩きはじめると、陽射しのなかに微小な虫が点となって流れる。近所の犬がわんわん、わんわんと執念く鳴く声が空気を渡って届く。Kさんの家に掛かると、犬小屋のスペースに旦那さんがいて、こんにちはと挨拶を掛ける。お久しぶりですと続け、今お父さんが通ったよと言うので、今日は家族でちょっと出かけるんですよと答える。海外旅行、と言われたのには、いやいやいや、と否定し、口籠りながら、そんなにすごいもんじゃないんですけど、と言って、気をつけてなと最後に力強く掛けられたのにはいと返して進む。落葉を踏みながら坂に入り、上って行き、横断歩道を渡って駅へ。ホームに行っても母親の姿が見えないと思ったら、あとから来た彼女はトイレに寄っていたのだと言う。座席に座った父親の格好を見て、もう少し洒落た格好をすれば良いのに、と思った。セーターの上に薄灰色のジャンパー、下は苔色のズボンで、何よりそう思う要因となったのは白一色の靴下で、これが軽い茶色の靴の上に覗いているのがいかにも野暮ったく感じられた――この点はあとで母親も同じことを指摘していた。
 一〇時ちょうど発の電車に乗る。FISHMANS "頼りない天使"が頭に流れて仕方がなかった。青梅で降りて乗り換え。父親がいつも乗っているという四号車の位置に向かい、電車がやって来ると三人掛けの席に入る。席に就くと、こちらは早速、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読みはじめた。父親は『心房細動のすべて』という新書を持ってきていたがここでは読まずに眠り、母親は序盤は時たまこちらに何やら話しかけてきたが、じきに沈黙した。眠ってはいなかったと思う。拝島あたりでだろうか、我々と同じく、やや高年の夫婦と息子らしい男性の三人連れが乗ってきて、やはり親戚に会いに行くのだろうかなどと思った。来年の七月に参院選があるだろうから、どこかの施設が使えなくて祭りは七月上旬になるだろう、みたいなことを話し合っていた。
 『天皇の歴史①』の一七八頁に、高尾長良『影媛』の元となった説話が紹介されているのでここに引いておこう。「[『日本書紀は、』]武烈の即位の前に、大臣平群真鳥[おおおみへぐりのまとり]が国政をほしいままにして国王になろうとしたと記す。さらに小泊瀬[おはつせ]皇子(武烈)が、大連物部麁鹿火[もののべのあらかい]の女影媛[かげひめ]をめとろうと真鳥の子鮪[しび]と歌垣の場で争ったが、敗れたので大伴金村と謀って鮪を殺し、さらに金村は真鳥を滅ぼして武烈が即位したと記す」。この物語についてはもはやほとんど何も覚えていないが、古代を舞台にしているだけあって古代的な手の込んだ文体で構成されていたものだ。この鮪(志毘)と影媛の悲恋を描いたもので、確かに物部麁鹿火など出てきていたような気がする――この大連は、筑紫国造磐井の叛乱を鎮圧した将軍として高校日本史にも辛うじて出てくる名前だったと思う。高尾長良というのはこちらよりも若い一九九二年生まれなのだが、『日本書紀』の僅かな記述から物語を一冊拵えてしまうのだから、大したものだ。
 立川で降車。ぞろぞろと連なる人々のなかに混じって階段を上り、三番線ホームに移る。特快東京行き。うまい具合に扉際を取ることができたので、父親が網棚に載せた荷物の奥にクラッチバッグを挟み、落ちないように整える。そうしてふたたび読書。空は一面青く、雲のなく、空気の澄んだ快晴で、東小金井のあたりから、果てに青く貼り付いた山影のさらに向こうに、富士山の真っ白な頂きが見えた。三鷹で乗ってきた者が多くて混み合う。若い女性の二人連れ(英語がどうとか理科がどうとか言っていたので、高校生ではないか)がこちらの目の前に位置取り、そのうちの片方はほとんどこちらに密着するような形になり、狭く、身や手のやり場に困る。そんな状況で読書をするのも意固地だが、空いた空間に文庫本を持った片手をずらして何とか書見を続行する――しかし、時折り女性の払った髪の毛が本の上に掛かったりした。中野に着いたところで、扉の目の前にいるのだから彼女らは一旦降りてくれるだろうかと思ったところが降車せず、乗り降りの客を避けるためにこちらのほうに遠慮なく背中を押し付けてくるので、これは一歩間違えたら痴漢になるぞと思った。女性らは新宿で降りた。その後は平和に書見を続ける。御茶ノ水四ツ谷あたりで乗ってきた男性が、青緑色のビンに入ったラムネをぼりぼりと食べていて、懐かしいものを、と思った。
 終点、東京駅で降車。東京に来たのは二〇一七年の六月二五日にUさんに会って以来である。その時は八重洲南口で待ち合わせ、ビルのあいだに入って中国人のやっている中華屋で炒飯などを食った。あの時は哲学の話などして楽しかったものだ。変調以後は哲学などもう読めないと思っていたし、Uさんとも話せることがなくなってしまったと失望していたのだが、調子を取り戻してきた現在、また哲学の本も読んでみようと思っているし、Uさんともまた会う機会を持ちたい。話をこの日のことに戻すと、ホームから覗いている周囲のビルがどれもひどく高い。長々しいエスカレーターを下り、人波に溢れた通路を辿って行く。途中で両親がトイレに寄ったので、そのあいだに手帳にほんの僅かメモを取った。女性トイレは人がたくさん並んでおり、母親が出てくるのも遅かった。合間、周囲の人の流れを眺めていると、キャリーケースを引いている人が非常に多い。帰省なのだろう。
 東京駅には待ち合わせスポットとして「銀の鈴」というものがあり、以前NHKの『ドキュメント72時間』でこの場所が取り上げられていたのをこちらも見たことがあるのだが、その近くに美味いかりんとう屋があるという情報を母親はキャッチしており、寄りたいようだったものの、会食の店の場所も細かくわからないし早めに向かったほうが良かろうと、寄るのは帰りということになった。八重洲中央口から出る。父親が携帯電話で路程を表示させているので、こちらは彼についていくのみである。「やけに広い横断歩道」(くるり "グッドモーニング")を一つ渡り、右に折れてもう一つ渡らなければならない。そこで信号が変わるのを待ちながら、背後を振り返って見上げると、聳えるビルの大変高くて、頂上が見えるほどに首を曲げると股間のあたりが収縮するようで、ちょっと怖くなるほどだった。横断歩道を渡り、まっすぐ進む。八重洲ブックセンターを過ぎ、左に折れて一ブロックほど行くと件のビルがあった。やはり長々しいエスカレーターにここでも乗ったが、この時は後ろに誰もおらず、また周りが包まれていない開放的な空間だったためか、高所恐怖が出てやはり股間のあたりが収縮するような感覚が訪れ、乗っているあいだ精神に悪くて早く終われと思っていた。エレベーターに乗って五階へ。
 店は「北大路 京橋茶寮」というものである。エレベーターを出ると、待ち受けていたように同時に店員の挨拶があった。着物である。店員の着物は、滑らかな艶消しの白のものと、濃紺のものと二種類があった。店員は皆朗らかで、高級店然とした整然とした動きだった。まだ兄たちや先方の両親は来ていないようだったが、室に通される。「向日葵」の部屋で、長い廊下を辿って店の一番奥にある場所だった。入ると長テーブルに膳が七つ、それにすっぽりと嵌まるような形で入れるMちゃん用の席が用意されている。膳は「北大路」の文字の入った木箱に、小鍋である。兄たちが来るのを待つあいだ話し合って、席はT家とF家でそれぞれ分かれるのが良いのではないかということになった。それからしばらくすると兄、T子さん、T子さんの母であるT子さんと父Tさん(漢字が合っているか不明)がやって来た。部屋の入口でベビーカーを片付けているところに出て行って、先方の両親にどうもこんにちは、ご無沙汰していますと挨拶をする。
 席は先ほど話し合った通りに定まった。すなわち、出入り口に一番近い席にこちら、そこから横に兄、母親、父親と並び、向かいにはこちらの前にMちゃん、そしてT子さん、T子さん、Tさんと就き、父は父で、母は母でそれぞれ向かい合って話しやすいようにした。そうして飲み物を注文し――最初はこちら以外の全員がビール、こちらはジンジャーエール。その後、晴耕雨読という日本酒だか焼酎だかや、赤ワインなどが頼まれた――食事が始まる。それぞれの席に配置されていたお品書きを貰ってきたので、下に一覧を記しておこう。

【前菜】
 一口寿司
 青菜のお浸し
 旬彩五種

【お造り】
 本日入荷の鮮魚盛り

【台物】
 黒毛和牛蒸し陶板

【揚げ物】
 季節の盛り合わせ

【蓋物】
 本日の逸品

【お食事】
 炊き込み御飯
 止椀 香の物

【水物】
 アイスクリーム

  前菜にはほかに高野豆腐と胡桃がついていた。お浸しには数の子が混ざっていた。「旬彩五種」というのはどれがそうだったのかわからない。なかったように思うのだが、寿司に添えてミョウガなどあったので、それがそうだったのだろうか――あるいは、「入荷状況により内容を変更することがございます」と記してあるのでそういうことなのかもしれない。鮮魚盛りは蛸に鮪に鰤など。小鍋に用意された黒毛和牛蒸しは味噌が混ざっており、さすがに美味く、兄も肉を口にしてこれは良い肉だと唸っていた。ほか、非常に柔らかい大根、シイタケ、マイタケ、葱などが入っており、キノコの苦手な兄は隣のこちらにシイタケとマイタケを分けてくれた。天麩羅は海老、獅子唐、薩摩芋に、魚のすり身が何かを海苔で巻いたもの。これは天つゆなどなく塩味で、お好みでレモンを掛けて食べるもの。「本日の逸品」は茶碗蒸しである。どれも美味だったが、やはり一番美味かったのは台物だろうか。天麩羅や茶碗蒸しも美味く、ジャコと山椒の混ぜ込まれた御飯も美味かった。アイスクリームは餅と苺にバウムクーヘンが添えられていたが、これに加えて父親とT子さんのものは、彼らの誕生日が一二月だからということで兄がサプライズを用意して、もう一、二品、追加されたものになっていた。兄夫婦はまたプレゼントも用意していて、T子さんには万年筆、父親にはボールペンである。
 話されたことはほとんど覚えていない。こちらは例によって黙りがちで、先方の両親が話すことなどに対して顔を向けて頷き、聞き役に回り、あるいはMちゃんに声を掛けたりしていた。T子さんが自分の食事をMちゃんに分けるのだが、赤子は食欲旺盛で、全品半分くらいは食べていたのではないか。両家の父親と兄のあいだでは、結構仕事関連の話が交わされていたようである。兄はKに勤めているのだが、ロシアでどこに工場があるのかと問われた時に、マガダンの名前が上がった。収容所のあったところだよねとこちらが口を挟むと、兄は肯定し、コリマっていうのがな、と続けた。マガダンに収容所があったというのは、クセニヤ・メルニク『五月の雪』という小説を読んで身につけた知識である。コリマに関しては、Varlam Shalamov, Kolyma Talesという洋書がうちにあるので、兄はそれを読んだのだろう。
 ほか、こちらが口を挟んだのは、ロシア人の炭鉱夫などはとにかく酒を飲むというようなことが言われた時で、そう言えば以前、アルコールなら何でもいいと酒の代わりに石鹸か何かを飲んで人が死亡したということがあったよねと言ったのだ。そのほか一応記憶に残っている話は兄の失敗のことである。T子さんは第二子を妊娠したもののうまく育たず、胎内で死産ということになってしまったのだが、その「ご遺体」を取る手術をするために、昨日だか一昨日だか入院していた。それから退院して帰ってきたその夜に、兄は酒を大層飲んで酔っ払って来て、連絡も間違えて母親のほうにするような有様で、T子さんはそれに憤慨して昨日は口を利かなかったと言う。T子さんも酒が好きなのだが、節度を保って楽しく飲むそれが好きで、悪い、汚い酔い方をする酔っ払いには大層手厳しいのだ。そうした事件を受けて兄は、ロシアに行ってからは、まあどうしても接待などで飲まなければいけない時はあるだろうけれど、酒は控えるようにする、家族の大事なイベントが有る時はそちらを優先する、「三杯まで」と決めていてもいざ飲みはじめればその三杯が四杯になったりしてしまうから、なるべく飲まないようにするということを誓わされたらしかった。この点ではやや尻に敷かれているようだ。
 ほか、山梨に集まる予定など。一月二日に親戚連中で山梨の祖母(父親の母親)の宅に集まることになっているのだが、心臓弁膜症で先般入院していた祖母の体調の問題もあるのでどうかということだったのだ。兄夫婦も一月二日は空けてあると言うので、祖母の調子(入院していた時は四六キロだったのが四〇キロまで減って退院したと言う――六キロも体重が減ったのはそれだけ身体に水が溜まっていたということなのだ。水が抜けてだいぶ楽になったらしい)が悪くならなければ集まるということになった。ほか、立川の連中とも会食を持つかという話もあったのだが、兄夫婦はロシアへの引っ越しの準備で忙しいので、これは無理にしなくても良いだろうと落とされた。どうなるかまだわからない。こちらとしては開催してほしいような気はする。立川の連中は皆愉快である。
 店にいたあいだのことについてはそんなものでいいだろう。三時頃にお開きとなった。コートを着込んでマフラーをつけ、靴を履いて、こちらは一人先に出て便所に寄る。出てくると既に全員エレベーターの前に集まっていた。店員にありがとうございましたと挨拶をして、エレベーターに乗り込む。一階で降りて、そこで解散。兄夫婦と先方の両親は、京橋にあるのだろうか(この建物のすぐ下が京橋駅だったようだ)、「コレド室町」という場所に行くと言う。そこで売っている芋けんぴが大層美味いらしいのだ。我々三人は東京駅の銀の鈴付近に寄るので、ここで別れとなった。それで来た道を駅まで戻る。母親は父親の腕を取って歩く。八重洲ブックセンターに寄りたいような気がちょっとあったが、素通りした。
 改札のなかに入り、母親がトイレに行ったところで、父親に、じゃあ俺は先に行くわと告げて別れた。中央線が通る一、二番線まで通路を長々と辿り、一五時二八分発(だったと思うのだが)の青梅行きに乗った。扉際で読書。空に広がる太陽が光線を降らせ、眩しい輝きが外のレールを電車に合わせて並走し、濠[ほり]の水に光球の姿が鏡写しになる。新宿で降車して、東口へと向かった。歌舞伎町方面の出口から出る。駅付近はやけに混み合って、のろのろと進むようだった。人波のなかにキリスト教の布教をしている人が立て看板を持って立っている。看板には「キリストは罪を負った」だったか、そのようなことが書かれており、上部についたスピーカーから、キリストを信じれば救われますみたいなことが放送されていた(あまりに単純だが、これはこちらが文言を要約して矮小化しているわけではなく、本当にそのくらいのことを言っていた)。横断歩道を渡り、右へ。ABCマートの前を過ぎ、新宿紀伊國屋書店に掛かる。ディスクユニオン中古センターはその隣のビルに入っていると記憶していたのだが、見ればここが改装だか何だかで閉鎖されている。記憶違いかと思って一応それからちょっと歩いて先に行ってみたが、記憶に合致するビルはやはり見当たらないので、閉店したかほかに移ったのだろうと判断し、折角新宿に来たのだからそれではジャズ館に行くかということにした。通りを渡って路地のなかへ。ジャズ館のある場所も変わっていた。元々ジャズ館のあったところにはほかのジャンルの店が入っており、しかしここの地下一階がJ-POP/インディーズのストアだったのでちょうどよいと階段を下った。店は狭い。通路が狭く、レコードやCDを探索している猛者たちを避けて通るのが難しい。FISHMANSは結構あった。そのうち、ライブ盤の『Oh! Mountain』(一一八〇円)、セカンドの『King Master George』(一二八〇円)、四枚目の『ORANGE』を買うことに。店員の態度は丁寧だった。三四五六円を払って退店する。
 店の前に記された地図情報を見て、ジャズ館の場所を確認する。そのあいだ入り口に置かれたアンプからはQueenの音楽が流れ出ている。音楽というか、Freddie Mercuryがライブの時に観客と一緒にやる発声練習、あの「レーロ、レーロ」というやつである。聞き覚えがあった。これは『Live At Wembley』の音源だなと判断され、案の定、その後に「Hey, hey hey heeeey! Hammer To Fall!」とこれも聞き覚えのあるFreddieのアナウンスが入って曲が始まった。そこでその場をあとにし、大塚家具の角を曲がってジャズ館のある建物へ。入る。ここもまた通路が狭い。店の奥にある階段まで行くのに、人を越えていかなければならず、動線が広く整備されていない。ここの二階が中古センターになっていたので、寄る。FISHMANSを見ると、ファーストである『Chappie, Don't Cry』(一一八〇円)があったので、これも買うことに。それからジャズをちょっと見たのだが、通路が狭いし、品揃えもさほどでなくて気乗りがしなかったので、さっさと購入に。BGMに聞き覚えがあってなんだろうかと思っていたところに、"Under My Thumb"が始まって、The Rollins Stonesだなと同定された。
 それから一階上がってジャズのフロアへ。ジャズ館が縮小されたのは残念だが、品揃えは豊富で、フロアも以前よりも広いのであまり衰えてはいないかもしれない。以前は一階が新品、二階が中古の新着、三階が中古という配置だったのだが、新しい店は中古も新品も一緒くたにして棚に置かれていた。Paul Bleyを見る。次にベースのあたりを見る。ここでギターのAlan Hamptonの『Origami For The Fire』(一一〇〇円)を見つける。これは買うことに。それからChris Potterを目当てにサックスのほうへ。Mark Turnerを見るが買うほどではない。John Coltraneの一九六一年のVillage Vanguardのコンプリートライブ盤四枚組が三五〇〇円くらいであって、これは欲しかったが、しかし七枚組『Live Trane - The European Tours』もまだ全然聞いていないしなと考えて断念する。それからCharles Lloyd。並んだもののなかから、Zakir HussainとEric Harlandとやったライブである『Sangam』を買うことに(一〇〇〇円)。ライブ音源であることが購入に当たってはやはり大きい。それからChris Potter。近作の『The Dreamer Is The Dream』と、オーケストラでやった『Imaginary Cities』で迷う。何となく三枚にしようと思っていたのだ。しかし結局、ええい両方買ってしまえというわけで、四枚にしてレジへ。BGMにはやはり聞き覚えのあるものが混ざっており、Joe Hendersonの『Page One』ではないかと思ったが、多分違うだろう。レジに行くと、あと一枚買えば一〇%引きになるがと言われた。あ、そうですかと受け、しかし、いやいいですと断る。横ではレコードを試聴している人がいた。会計は五一〇〇円。袋をバッグに入れて、階段を降り、ふたたび狭い通路を通って退店。駅へ。
 東南口から入る。意気揚々と歩いてくる人々とすれ違って、中央線のホームへ。一番前の車両に向かう。ちょうど高尾行きがやって来たところだった。扉際、取れず。その前に位置取りして、バッグを足の間に置き、外を眺めながら揺られる。空の果てには薔薇色に縁取られた雲が横に群れて浮かんでいる。中野を越えるともうその薔薇色は雲から離れて水平線に垂れ落ち橙色と混ざり、街並みには宵闇の先駆隊が忍び入りはじめている。一分ごとに着実に暮れていく夕刻である。三鷹に掛かったあたりで携帯電話を取り出して、Mさんのブログを読んだ。書くのを忘れていたが、東京を発ったあたりでNからメールが入っているのに気づいた。調子はどうか、今日か明日、立川に買い物に行こうと思うが、飯がてらどうかと言う。一瞬今日会おうかとも考えたが、日記が長くなることが目に見えていたので、明日にすることにした。それで、調子は結構良くなってきた、それじゃあ明日会おうと返し、それから間を置いてやり取りを続けて、明日の一四時に待ち合わせることになった。
 立川で降車。二番線、青梅行き。五時一三分発。席に就くことができ、落ち着いて本を読める。読書を続けて青梅まで。乗り換え、間もなくやって来る。乗ってふたたび本を読み、最寄りで降りると、ホームの先のほうに真っ赤なコートに白いバッグを掛けた姿が、宵闇のなかに浮かんで見える。母親である。ちょうど両親と同じ電車で帰ってきたのだった。こちらに気づかず先を行く彼らのあとを追って行く。横断歩道を渡り、暗い坂へ。木々が黒々と、濃紺色の空とほとんど同化している。風は冷たいが、震えるほどではない。平らな道に出ると、前方に父親の姿がある。手に持った荷物を揺らすのが犬を散歩させている影のように見えて別人かとも思ったが、良く見ればやはり袋だった。家の前まで来ると父親は立ち止まってこちらを向いた。近づいて行き、母親はと訊くと、駅でトイレに寄ったと言う。こちらは玄関の鍵を開けて(父親は鍵を持っていなかったのだ)、居間に入ってカーテンを閉めていると母親も帰宅した。下階に降りてジャージに着替え。それで台所へ。野菜炒めを作って中華丼の素を混ぜると言う。白菜が多量、既に切られてあった。それに玉ねぎを追加して切って、フライパンいっぱいの野菜を炒める。強火でだいぶ炒めて水気が出たところで中華丼の素を加える。その他、チンゲン菜を胡麻和えにした。ほか、母親はレンコンを炒めて鮭を電子レンジで熱していた。支度を終えて下階へ。
 ブックマークに追加してあるブログ類を読みながら買ってきたCDをインポートする。結構掛かって、それでもう八時前。食事へ。野菜炒めを丼飯の上に持って、醤油を掛けてともに食う。食後、入浴、八時半頃から。身体は相変わらず痒く、腕の発疹が広がってきている気がする。出ると自室に戻り、九時二〇分から書き物。ここまで一気呵成に書いて一一時四〇分である。BGMはJohn Coltrane『Live Trane - The European Tours』。文体などもはやどうでも良い、という心境になっている。流れるように「ただ書く」という領域に近づいているかもしれない。記録的熱情の発散。こうして書いてみると、いまここまでで一万六〇〇字を数えているわけで、記憶力が以前よりも衰えたと思っていたが意外と結構覚えているものだ。家の中での動きなどはなかなかあまり明晰に思い出せないのだが、外出すると何だかんだで世界の流れがあるというか、感覚的刺激が多いので結構記憶に残るのだろう。
 結局自分には日記を書くことしかできない。保坂和志が、人間には無限の可能性があるなどと言われるが、三〇歳くらいになるとその可能性が一つに狭まって行く、収斂していく、「できない」可能性の選択肢が消えて、捨象されて、「これしかできない」というものが見えてくる、というようなことを言っていたような記憶があるが、自分にとっては日記がそれだろう。ともかくも、毎日一行であれ、どんな文体であれ、どんな内容であれ、戯言であれ、とにかく書き続ければそれで良いのだ。書き続けた者が勝ちである(何の?)。それがこちらの原点だ。
 歯磨きをしながら一年前の日記を読み返した。この日は立川で兄夫婦と会食をして、その後書店で本を見分している。興味を惹かれたものとして記されていた書群を改めてここに引いておく――バンヴェニスト『言葉と主体』、アラン・クルーズ『言語における意味』、ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『肉中の哲学』、ヤコブソン『言語芸術・言語記号・言語の時間』、S・ダーウォル『二人称的観点の倫理学』、三浦俊彦『虚構世界の存在論』、リチャード・シュスターマン『プラグマティズムと哲学の実践』、ジャコブ・ロゴザンスキー『我と肉』、M・アンリ『受肉 <肉>の哲学』、入谷秀一『かたちある生』、B・ヴァルデンフェルス『講義・身体の現象学』『経験の裂け目』、中敬夫『行為と無為』『身体の生成』『他性と場所 Ⅰ』、田口茂『フッサールにおける<原自我>の問題』、山形賴洋『声と運動と他者』、吉永和加『感情から他者へ』、斎藤慶典『生命と自由』、菊地恵善『始めから考える』、ジョン・マクダウェル『心と世界』、ブリュノ・ラトゥール『近代の<物神事実>崇拝について』、ヤン・エルスター『合理性を圧倒する感情』、ゼノン・W・ピリシン『ものと場所』、ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」』、D・デイヴィドソン『行為と出来事』『真理と解釈』、永見文雄『ジャン=ジャック・ルソー 自己充足の哲学』である。
 それから、二〇一七年九月七日の日記も読み返した。

 文字を見つめている瞳の奥から睡魔が炭酸の泡のように増殖して、脳を痺れさせていた。それに耐えながら言葉を追っていたが、ある一瞬、意識の位相ががらりと変わって現実を離れ、しかし眠りに落ちはしない中途半端な状態を保ったまま、半ば夢のような精神世界のなかに落ちこんだ時があった。世界が切り替わると同時に、「許さない」という女性の声がはっきりと右耳に響き、その言葉が語尾まで到らないうちに脳内に何かが生まれて高まりはじめ、それと同時に自分の口がひらいて意味をなさない呻きのような声が出た感触がかすかにあった。そしてその声は、高まって脳内に浸潤していく液体のような何かと同化して叫びと化したのだったが、その叫びはおそらく頭のなかだけに響いていたもので、自分が実際にそれと呼応して声を上げていたのかどうかは定かではない。中途半端な昼寝を取った際に、金縛りのような状態で意識がちょっと覚醒して、脳が水のなかで溺れているかのように苦しげな時間が時折りあるものだが、それに似た苦しさと痺れの感覚があった。それはまた、(あとになってのことだが)過去の日記にも書きつけたいつかの夢をも思い出させた――どこかの一室で、やけにのっぺりとしたような顔の若い男がいるのだが、彼が口をひらいて、しわがれたような声音で何かを発すると、それを引き金として夢の世界がめくれて不穏な色に満たされ、直後に目が覚めたのだったと思う。それに似た、数秒間での素早い様相の変化を目の当たりにしながら、大麻を摂取するとこんな風になるのだろうか、またあるいは、統合失調症の人が体験する幻覚や幻聴というのもこんなものかもしれないな、とちらりと思った。叫びが静まったあとには、低くくぐもった、火薬の爆発するような音がいくつか小さく繰り返され、そのうちに目をひらいて現世に帰ってくることができた。

 陽の色はない空で、雲が上下に分かれて湾のように曲線を作り、そのあいだを満たす空の青さは、ミルクを目一杯混ぜたカフェオレのようにまろやかで、同様に周りの雲の灰色も雨の香りを感じさせない和らぎ様で、二つの接する領域が長閑にまとまって調和していた。窓の左側から鳥が小さく現れ、空の前を通過する時はその姿がかろうじて視認されるのだが、電線の上に降り立って川沿いの林を向こうにすると、もう見えない。右方からは、どこかでものを燃やしているらしく、煙が湧いて、少しずつ形を変化させながらもしかしその中核の灰白色は保って、左へとゆっくり這うように流れていった。

 文の構築、描写に関しては今よりもこの頃のほうがよほど頑張っているというものだろう。世界から取り込む/読み取る情報量が多く、より細かく分節して書いていることがよくわかる。
 その後、ベッドで書見。一時四五分まで読んで就床。例によって眠気なし。三〇分後に時計を見たのは覚えている。その後、無事に寝付いた。

2018/12/28, Fri.

 一二時まで長く寝坊する。上がって行くと台所で茹でた蕎麦を洗っていた母親が、まったくもっと早く起きて手伝ってくれないと、と苦言を呈して来た。まったくその通りで、情けないことで、反論のしようはない。蕎麦と天麩羅(エノキダケ、搔き揚げ、薩摩芋)、前日のサラダの残りに林檎を食べる。料理を手伝えなかったので、皿はすべてこちらがまとめて洗い、風呂も洗った。
 緑茶を注いで下へ。一時。Fabian Almazan『Alcanza』を流す。それで書抜きを読み返して、知識を頭に入れようと試みる。二四日から二六日まで。それから、毎日新聞琉球新報)の、「「戦略的必要性ない」 在沖海兵隊に元米軍高官言及 90年代分析 日本の経費負担好都合 /沖縄」という記事も読む。「日本政府が多額の駐留経費を負担する在沖海兵隊カリフォルニア州での経費より米側の負担は50~60%安く済む」「沖縄の海兵隊駐留に正当な戦略上の必要性はないことが示された。(駐留は)全てお金と海兵隊の兵力維持のためだった」と言う。
 二時過ぎから、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を書抜き。BGMはFabian Almazan『Personalities』『Rhizome』と移して、三時前から日記。前日の記事は出かけたために書くことが多くて、九〇〇〇字ほどを数える。BGM、FISHMANSに移行しつつ書き、この日のことも記して現在は五時前。既に外は暗く、空には仄かな紫色が混じっている。
 上階へ。母親はまだ帰ってきておらず居間が真っ暗だったので、食卓灯を灯し、カーテンを閉める。それからアイロン掛け。その後部屋に一度戻ると母親の帰宅した音がしたので玄関へ。荷物を運び込む。それから買ってこられた小松菜を茹でるために、フライパンに入っていたベーコンと大根の葉の炒め物を小皿へ。フライパンに水を注ぎ、火に掛ける。沸騰を待つあいだに小松菜の、少々突出した白い根の周りを指で擦って泥を落とす。沸騰したら湯を零し、キッチンペーパーを使って汚れを拭き取る。焦げで黒く染まったペーパーを捨て、もう一度水を汲んでふたたび加熱。小松菜は大きかったので半分に切断して投入。しばらくして洗い桶に取り、水で濯ぐ。
 余っていたエノキダケで汁物を作ることに。キノコを切り分け、小鍋の湯に投入。ほか、小さな豆腐も入れて、出汁と醤油で味付け。それから、昼間の天麩羅の、搔き揚げのタネが余っていたので、これをお好み焼き風に焼くことになった。水と粉を追加して、人参や春菊などが含まれたそれをフライパンに広げる。ヘラで液状のタネを搔き出す横で、母親が箸でフライパンのなかのものの形を整える。弱火にして火に掛けておき、そのあいだにサラダを拵える。もう随分と小さくなっているレタスの葉を最後の部分まで千切り、大根をスライサーで下ろして洗い桶のなかで合わせる。ほか、トマトを切り分け、母親が野菜を笊に上げたところに、縁を彩るように円状に配置しておいた。お好み焼きはその頃にはもう焼き上がっており、食事の支度は仕舞いとして自室へ。時刻は六時。Queen『Live Killers』を流す。インターネットを回って少々時間を使ったあと、"Love of My Life"など歌いながら、日記をここまで書き足す。佳曲である。
 書抜きの読み返し。Uさんのブログから、「気分と調律(2)』も読む。考察の理解が難しかったので集中するために音楽は途中で消した。さらに、「悪い慰め」というこの日新たに発見して読者登録したブログから、「読書日記(2018-12-26)」も読む。そうしてまた、Mさんのブログの最新記事。そこまで読んで八時過ぎ、食事へ。天麩羅の残りをおかずに米を食い、その他お好み焼き、サラダ、玉ねぎ混じりの薩摩揚げ、汁物。テレビは『爆報!THEフライデー』。テレサ・テンの死の真相とか、ジャイアント馬場の死体隠蔽の真相とか(「真相」ばかりだ――人間という生き物は、「隠されていたものが明るみに出る」という事柄に弱いのだろうか)放映しているが、この番組に特段の興味はない。食後ちょっと休みながら、椅子に就いたままぼけっとそれを眺めて、それから皿を洗って入浴に行った。腰の両側が痒く、ぼつぼつと赤い発疹が広がっているのにその上からまた搔いてしまう。その他脇のあたりや二の腕の周囲なども痒く、全体的に肌が荒れている年の瀬である。出てくると即座に自室に帰り、過去の日記を読み返した。二〇一七年一二月二六日から、フーコーの言葉――「自己をひとつの芸術品/技法の対象[objet d'art]にすること、それこそが価値あることなのです」。このようにして日記を書くというのは明らかに一つの「技法」である。その対象はまさしく自分自身であるわけだが、己の生を出来るだけ隈なく記し、それに目を配る[﹅4]ことで、文章の鑿によって自己を彫琢し、「ひとつの芸術品」のように変容/洗練させていくことができるだろうか? 二八日の日記からは、だいぶ長くなるが良く書けていると思われる二箇所を引用しておきたい。このような透徹した分析/考察をまた書けるようになりたいものだが、この日の勤務中に訪れている緊張の高まりが、今から思えばその後の変調の端緒だったのだろう。読み返しのBGMはQueen『Made In Heaven』。"I Was Born To Love You"は大層人口に膾炙していると思うが、何だかんだ言って快活で力強く、乗せられて身体を動かす。

 勤務中、この日は目立った出来事があった。と言っても外界的なものでなく、こちらの内部における出来事に過ぎないのだが、久しぶりに突如として緊張が強まってくるということがあったのだ。発生したのは勤務を始めた序盤、おそらく一〇時になるかといったあたりだったように思う。生徒と向かい合って喋っていると、本当に突然、緊張感が高まってきて、そうなると落着いてゆっくりと喋っていることなどできないのでその後の発話もなおざりなものになってしまい、早めに切り上げて一旦その場を引き、自分の心中/身中の様子を観察した。まず、この時の自分の状態として明確に観察されたのは、分離感[﹅3]である。自分の心身が緊張に追いやられて[﹅6]いるのはまざまざと感じており、ことによるとそれがコントロールできなくなり/抑えきれなくなるのではないかという危惧もあったものの、我が身に生じている変事が対岸の火事めいていて、危機感が迫ってこなかったのだ。つまり、自分の身体が何か勝手に[﹅3]本来の状態から逸れているな、というような感じで、今回の出来事はパニック障害が盛っていた頃の症状の発生と感じとして似ていたとは思われるものの、危機感がないということ、緊張に伴って恐怖というものをほとんど覚えなかったということが、今までの精神症状と異なる重要なポイントだと思われる(これは、自己を相対化/対象化する能力の向上を意味しているのではないか)。ただ、そうは言っても、このまま発作のようになったら当然困るという判断もあり、財布のなかにただ一つのみ残っていたスルピリド錠を飲んだ(これで手持ちの薬剤はすべてなくなったわけだ。現在のところは、もう薬がなくても大方大丈夫だろう、どうにかなるだろうと思っているが、今回のような事態に備えて、頓服用に数錠は貰っておいても良いかもしれない)。これは不安を鎮めるのではなく、気分を持ち上げるタイプの薬だったはずだが、それが効いたのか否か、実際時間が経つにつれて、いくらか気分が上向き、口調なども微妙に明るくなっていたようだ。
 もう一つ、症状の目立った特徴として発見されたのは、座ると緊張が増し、立っていると比較的収まる、ということだった。体位の違いによって一体どのような要因が生じているのか、不思議なことだが、これは間違いなく観察された事実である。そういうわけで、立ったままに呼吸を深くして精神を落着かせるようにして、状態が改善されるのを待った。薬を飲んだこともあってか、回復は早く、二時限目には平常に服していたと思う。
 今回の事態を招いた要因としては、やはり眠りの少なさがあったのだろうか、という気がしないこともない。しかし、ヨガの真似事をしたおかげで肉体はほぐれていたはずで、症状の発生していた前後も、意識が眠気によって濁っているということはなく、むしろかなり明晰なほうだったと思われる。頭が晴れているために時間の流れがゆっくりと感じられ、まだこんな時刻か、時間が過ぎるのが遅いなと思った覚えがあるのだ。以前にも記したと思うが、精神が明晰であるがゆえにかえって、不安や緊張を招き寄せるような余計な意味の断片をも明瞭に拾い上げてしまう、ということがあるのでは、という気もする。もう一つには、ヨガの真似事をしたことで肉体の状態が何らかの形で普段のそれから変容していたのではないか、ともちょっと考えられた。具体的にどうということは勿論わからないが、座位と立位によって緊張の度合いが変わるというのは、何かそのあたりが関係していたような気がしないこともない。
 また、この時自分が何に対して不安を覚えていたのか、ということを考えるに、それはやはり、他人とのコミュニケーションなのではないかと思う。座位と立位の差異も、こちらの肉体内部の要因を措いて、相手との位置関係の面から捉えてみると、椅子に座った状態では相手と同じ目線の高さで正面から向かい合って顔を合わせることになる一方、立っていれば、座っている相手をやや見下ろす感じになり、相手がこちらをまともに見上げてこなければその表情も見づらく、視線が合うことも少なくなる。そのような形で、立位においては少々相手との距離が生まれることになるのではないか。
 それでは他人とのコミュニケーションの何が怖いのかと言ってそれも良くわからないが、やはりそこにおいて生じる齟齬ではないかというのが、ひとまずの仮説である。この点自分は、対人恐怖的な(あくまで「的な」に留まるわけだが)性向を備えており、ある程度の大きさを持った「衝突」ばかりか、微細な「齟齬」すらもまったくないユートピア的な(ロラン・バルトが、『いかにしてともに生きるか』でそのようなユートピア的な共同体の可能性を探っていなかったか。あるいは、「可能性を探っていた」というよりはむしろ、「フィクショナルなものとして夢想していた」とでも言ったほうが正確なのかもしれないが)人間関係を求めている、という向きがあるのではないか。こうした精神の傾向がこちらにあると仮定してみて、しかしそれは、ある種「幼児的」で、「甘えた」ものだと言うこともできるかもしれない。なぜなら、言うまでもなく、意味/力の作用のやりとりとそこにおいて生じる齟齬こそがこの世の常態なのであり、まったく齟齬の生まれない関係など現実にはまず存在せず、そうしたものを求めるというのは、おそらく、自分を少しも傷つけてほしくない、という願いに平たく翻訳できるとも思われるからである。

 Uさん、返信をありがとうございます。「哲学」が「生きている」と感じられるような具体的な現場に触れられていることを、とても羨ましく思います。

 今しがた、ブログのほうをちょっと覗かせていただきましたが、なかに、「哲学に共通点などがあるとすれば、それは、問い直してはならないことなど何もないことである」という一節がありました。これはこちらにおいても同意される考え方です。「哲学」とは、気づかないうちに我々を取り囲み、外部から規定している「制度」や「常識」、そういったものに視線を向け、真っ向から対象化して吟味し、それに本当に確かな根拠があるのか、自分自身としてそれに本当に賛同することができるのかと精査する営みのことではないでしょうか。

 このようなことは最近、自分には今までよりも心身に迫って、実感として感じられるものです。一例としては、時間に対する感覚の変化があります。自分には、いつも出来る限り落着いた心持ちで、穏やかに自足して一瞬一瞬の生を送りたいという、おそらく根源的なとも言うべき欲望があります。そこにおいて、「時間がない」という焦りはまったく煩わしく、精神の平静を欠くものであり、何とかして自分の内からこのような感じ方を追い払いたいと前々から願っていました。そのようなことを日々考えるにしたがって、そのうちに自分は、そもそも時間が「ある」とか「ない」とかいう捉え方が間違っているのではないか、それはこちらの感覚にそぐわないものなのではないかと直感的に思うようになりました。我々が非常に深く慣れ親しんでいる何時何分とか、三〇分間とかいうような時間は、数値という抽象概念を外部から当て嵌めて世界の生成の動向を(恣意的に)区分けしたものに過ぎず、自分がその瞬間に感じている感覚とはほとんど何の関係もないと思われるからです。それは実につるつるとして襞のない、(ありがちな比喩ですが)言わば「死んだ」時間であり、こちらはそれよりも、自分がその都度具体的に知覚・認識している個々の時間を優先して捉えるようになり、その結果、最近では「時間がない」と感じて焦る、ということはほとんどなくなったようです。つまりは、例えばこの文章を記している「現在」は西暦二〇一七年一二月二八日の午後一一時五六分ですが、この瞬間がその時刻であることには、根本的にはまったく何の根拠もないはずだ、ということです(このことをさらに別の言い方で表すと、「未来」などというものは純粋な観念でしかないということが、自分のなかでますます腑に落ちてきている、ということではないでしょうか)。

 こうした事柄は、多少なりとも抽象的な思考をする人間だったらわりあいに皆、考えるものではないかと推測しますが、それを繰り返し思考することで、自分の「体感」がまさしく変わってくるというのが大きなことではないかと思います(驚くべきことに、「思考」には「心身」を変容させる力があるのです)。このようにしてこちらは、大いなるフィクションとも言うべき「時刻」の観念を相対化し、半ば解体することになったわけですが、勿論だからと言って、例えば約束事の時間をまったく気にせず無闇に遅刻して行くということはありませんし、労働にもきちんと間に合うように真面目に出勤しています。社会的な共通観念である「時刻」というものが所詮は「フィクション」でしかないということを理解しながら、それに従うことを自覚的に/意志的に選択しているわけです。この、選択できるようになった、という点が重要なのではないでしょうか。「時刻」を所与のものとして受け入れ、それに疑問を抱かない状態においては、時間を守るかどうかに選択の余地はなく、それに規定されるまま、囚われの身になってしまっているはずです。したがってここにおいて、非常に微々たるものではありますが、こちらの個人的な認識及び生活選択の領野のうちに、物事の相対化による「解放」と「自由」が生まれているのではないかと思います。

 「哲学」とはこのように、相対化と解体の動勢を必然的にはらむものだとこちらは考えます。しかし、そればかりでは純然たる相対主義に陥ってしまい、我々は何事も判断できず、極論すれば何も行動できなくなってしまうはずです。したがって我々は、物事の吟味による相対化と解体を通過しながら、そこから新たに、自分にとってより納得の行く根拠を見つけ、世界の捉え方を自ら「作り出して」いかなければならない。これもまた手垢にまみれた比喩になってしまいますが、このような解体/破壊と建設/構築のあいだを(日々に、あるいは、ほとんど瞬間ごとに、とこちらとしては言いたいものです)往来するその運動[﹅2]こそが、「哲学」と呼ばれる営みを表しているのではないかと自分は考えました。「哲学」とは、凄まじく動的[﹅2]なものであるはずです。

 言うまでもなく、こうした精神の運動は、人生行路の道行きのなかで程度の差はあっても誰もが体験することだと思いますが、武器として活用される言語及び意味と概念に対する感覚を磨き、高度に優れた水準でそれが行われる時、「哲学」と呼ばれるのでしょう。このようなことを考えてきた時に、自分の念頭に浮かんでくる事柄がもう一つあります。哲学は「役に立つ」のかどうか、という非常に一般的な話題が時折り語られることがあると思いますが、こちらとしては、「哲学」とは「役に立つ」云々などという穏当無害なものではなく、場合によっては「危険な」ものですらあり得るのではないかと感じられるわけです。この営みを続けるうちに、共同体の「本流」となっている考え方から次第に逸れていくということは避けがたい事態でしょうが、そこにおいて方向を少々誤れば、人々との関係に齟齬を生む独善に陥り、極端な場合には狂信者や悪辣なテロリストのような人間を生み出しかねないとも思われるからです。だから我々は、自分にとって「確か」だと思われる事柄を探し求めつつ、しかし同時に、その自己が痩せ細った狭量さのなかに籠もらないように、常に外部から多くの物事を取りこんで自分自身を広く、かつ深く拡張していくことを心掛けなければならないのではないでしょうか。

 (最近、このようなことに思いを巡らせながらこちらは、前回お会いした時にUさんが話してくれたRichard Bernstein教授(でしたよね、確か?)の発言を思い出していました。朧気な記憶ではありますが、確かそこでUさんは、哲学とは何なのでしょうと教授に尋ねたところ、物事が本当に確かなのかどうか、繰り返し考え直す[﹅8]、ということだと明快な返答を受けたというエピソードを話してくれたと思います。自分としては、教授のこの短い発言を、上に述べてきたような事柄として敷衍して解釈したいと思うものです)

 精神の変調を被ったこの頃からもう一年間が経ってしまったということに全然実感が湧かない。時間が過ぎて行くということにまるで手応えがない――ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』の一節のことが思い出される。「そんなわたしでも、一日が終われば次の日が来る。水曜日、木曜日、金曜日、土曜日……。朝には目覚め、空を見上げ、公園を歩き、ヒュー・ウィットブレッドと出会ったかと思うと、不意にピーターがやってくる。最後はこの薔薇の花。これで十分だわね。こんなことがあったあとに、死など到底信じられない――これがいずれ終わるなんて。わたしがこのすべてをいかに愛しているか、世界中の誰も知らない。この一瞬一瞬を……」(ヴァージニア・ウルフ/土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』光文社古典新訳文庫、二〇一〇年)。自分がいずれ死を迎え、この意識が消失するということに現実味が感じられないのだ。
 それから、二〇一六年九月八日の記事も読み返してブログに載せておいた。過去の日記も一日一記事のペースで読み返してブログに上げ、あの場所を二〇一四年以来の自分の生の記述の蓄積場所と化し、その道行きを辿れるようにしようと思う――自分がMさんの「きのう生まれたわけじゃない」をすべて読み返したように、こちらの日記を過去からずっと読んでくれる人がもしいれば有り難く嬉しいことだ。その後、ここまで記して一〇時過ぎ。それから翌日の電車の時刻を調べる。明日は兄夫婦と兄嫁の両親と東京で食事会である。一コース一万円くらいする和食の店に行くようだ。待ち合わせは一二時、それでYahooの乗換案内で調べると、一〇時ちょうどの電車に乗れば一一時半には着くのでちょうど良い。それを知らせに上階に行くと、ダウンジャケットを羽織って炬燵に入る父親の姿があったのでおかえりと挨拶し、明日は一〇時と言う。しかし父親が既に調べて知らせていたようだ。それから自室にまた戻ってきて、今から何をしようか迷っている。本を読み進めるか、書抜きをするか、漫画でも読むか新聞を読むか。
 書抜きをした。Fenn O'Berg『Live In Japan Parts One & Two』を流しながら一一時まで(このアルバムは大して気に入られなかったので削除)。それからインターネットを回ってまたブログを探索し、「晩鮭亭日乗」というものを発見してブックマークに加えておく。歯を磨きながらその記事を読んで零時。
 眠る前に読書。大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』。一時四五分までで、一三九頁から一七六頁まで。第二章「『日本書紀』と『古事記』の伝える天皇」を読み終える。読んでいるあいだ、上階では父親が宵っ張りで起きていて、テレビを前にしながら感心したように唸ったりぶつぶつ呟いたりする声や、時には拍手をしたりする音が聞こえていた。こちらが消灯してからもしばらく起きており、下に下りてきたのは多分二時半くらいだったのではないか。こちらは例によって眠りが遠く、就床から三〇分ののち、二時一五分を見たのは覚えているが、その後何とか一時間を迎える前には眠れたようである。

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2018/12/27, Thu.

 この夜も満月、直上に。眠れず。本を読みたい気持ちが勝ったので、三時二五分になって起き出す。床に就いて一時間も経っていない。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の二度目を読み終え、そこから大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』に入り、六時までぶっ続けで一気に六〇頁ほど読む。箸墓の名の由来になった三輪山伝説はなかなか面白い。大物主神[おおものぬしのかみ]の妻となった倭迹迹日百襲姫[やまとととびももそひめ](凄い名前だ――三つ連続で続く「と」のリズム)は夫の姿を見たいと望むが、それが小蛇であることに驚く。神が恥じて三輪山に還ってしまったところ、姫は自分の行いを悔いたのだろうか、箸で陰部を突いて死んだのだと言う。また、朝廷の三種の神器八尺瓊勾玉、八咫の鏡、天叢雲剣のうち、鏡と剣は天皇の即位にあたって奏上される王権の象徴となっているのだが、それはどうも卑弥呼が魏から賜った「五尺刀二口」と「銅鏡百枚」にまで遡るらしい。
 六時を過ぎて上階へ。排便。それから、カーテンも閉め切られて暗いなかにオレンジ色の食卓灯を灯して、パジャマからジャージに着替える。ダウンジャケットを羽織り、南窓のカーテンをちょっとめくって覗くと、空の果て、水平線には口紅を軽く塗ったようにうっすらと橙色が浮かび上がり、空はトワイライト・ブルーに染まって、その上に湿原めいた雲が横に広がっている。台所へ。汚れていたフライパンに水を入れて火に掛け、沸騰を待つあいだに、流し台に溜まっていた父親の食器を片付ける。フライパンの湯が泡立ったらこぼし、ペーパーで拭いて新しく油を垂らし、ベーコンと卵を焼きはじめた。丼に白米をよそっておき、黄身が固まらないうちにその上に取り出す。ほか、大根の煮物と里芋のサラダ。食卓に就いて、目玉焼きの黄身を崩して醤油を垂らし、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食す。食べながら、前日の夕刊から「回顧2018 論壇」の記事を読む。ケント・ギルバートの『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』は、「ある民族」について「『禽獣以下』の社会道徳や公共心しか持たない」などという差別的な記述が含まれていながら、五〇万部以上売れているらしい。六時半を過ぎて母親も起きてくる。どうしたのと言うので、どうもしない、ただ眠れなかっただけだと告げる。とにかく眠気というものが湧かない。眠れたとしても気持ちよくはない。睡眠の甘美さを味わうことができず、自分がサイボーグになったかのような感じがして味気ないが、その分本を読めると思えば悪くもないのかもしれない。
 皿を洗ったり、燃えるゴミをまとめたりしたあと、二六日の朝刊から、インドネシア関連の記事や磯崎憲一郎文芸時評も読む。室に帰って、七時二〇分から日記。一時間半掛けて前日の記事からここまで。まことに時間が速い。
 上階へ。母親の座っているテーブルに寄り、彼女の持っているタブレットを背後から覗きながら林檎をいただく。LINEだかViberだかの画面には、兄の用意した朝食に臨むMちゃんの写真が載っていた。それから風呂を洗い、部屋に戻ってくると横向きにベッドに寝そべった。果たして眠れるかどうか心許なかったが、気づかぬうちに無事入眠しており、気づけば一時過ぎを迎えていた。四時間ほど眠ったことになる。それでもこの日休んだ時間は四時間四〇分なので、随分と多くの時間を使えるというものだ。ふたたび上階に行って食事を取ったが、この時何を食べたのだったか、もう覚えていない。
 母親はフラワー・アレンジメントの教室に出かけて行った。日記の各記事に何箇所かずつ引用してある書抜きを読み返したあと、こちらも支度をして外出に向かう。ユニクロで買ったものだが、椛の葉のような臙脂色のシャツに、下は藍色のピンストライプのズボン、上にはモスグリーンのモッズコートを羽織る。リュックサックのなかに大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』や財布を入れ、ポケットにはハンカチと手帳を籠めて玄関を抜けたのが、二時二五分だった。もはや紅葉の盛りも過ぎて、道に落葉は少ない。先ほど読んだ記述の記憶を思い返し、日米安保条約がどうとか頭のなかでぶつぶつやりながら坂を上って行く。風は弱く、さほどの冷たさもない。Tさんの宅の前に掛かると、何か芳しい花の香が薫ったが、あたりに目を向けても出所らしき植物は何もなかった。街道との交差部、ガードレールの向こうに生えた紅梅が早くも色づいていたが、蕾にしてもこんなに早くつくものだろうか。
 空は快晴、綿飴のように端のほつれた雲がいくつか浮遊するのみで、西南の太陽は広くひらいてその光線を遮るものとてない。八百屋の旦那と婦人が話しており、女性が道を渡って車のところまで来ると、焼き芋の香りが漂った。穏和な空気のなかを歩いて行き、郵便局に寄って五万円を下ろした。残っている貯金はついに六〇万まで減ってしまい、着実に金を失って行っている。道行きのあいだたびたび救急車のサイレンが聞こえ、市民会館跡に掛かった時も後ろから走ってきたのを、そこの工事現場から出てきた交通整理員の老人――髭を蓄えてサングラス風の眼鏡を掛けていて、母親が「亀仙人」と呼んでいる人だ――が警棒を振って導くようにしていた。床屋の前を通ると、風鈴の音がちりん、ちりんと鳴る。駅前の路地のところでは、正月の注連縄や注連飾りを売る露店が設けられていた。
 駅に入り、ホームを行きながら手帳を取り出すと電車が入線してきた。乗り込んで座席に座り、道行きのあいだのことを断片的に素早くメモして行く。電車は一五時八分発、その後は大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読んで立川まで乗った。降りて階段を上り、すれ違う人の顔にYさんの面影を見ながら歩き、改札を抜ける。人波のあいだを泳いで駅舎を出て、広場から左方、オリオン書房のほうに向かいながら、これだけの数の人がいるのに、自分が自分であってほかの誰でもなかったということの不思議を思った。これは永井均的な疑問だろうか。正確には、こちらがただこちらでしかなく、こちらでありながらほかの何かになることができないということ、すべての人間がそのようにしてただ一つの主体であらざるを得ないということに何か納得が行かないような気がしたのだった。
 建物に入り、エスカレーターに足を掛けると、背後のHMVの方から、"The show must go on"と叫ぶFreddie Mercuryの声が聞こえてきた。本屋に入店すると、まず海外文学を見に行くことにした。その途中、日本文学の棚から『後藤明生コレクション』の存在を確認しておき(一から五まですべて揃っていた)、書架のあいだを抜けて壁際の海外文学のコーナーに至ると平積みにされている本を端から見下ろして行く。ジョルジュ・ペレックの『パリの片隅を実況中継する試み: ありふれた物事をめぐる人類学』という作にちょっと興味を惹かれて、手に取り開いた。これはこちらがやりたいことに近い試みだというか、そこにあるものをただそこにあるものとして記したいというような思いがこちらのなかにはあるかもしれない。それから哲学の棚に移ってここでも同じように新刊本をチェックしたあと(重田園江『隔たりと政治――統治と連帯の思想――』という著作を手に取った。この人はミシェル・フーコーの研究者で、『統治の抗争史: フーコー講義1978-79』という作も並べて置かれてあった)、漫画の区画に入った。カガノミハチ『アド・アストラ』の最終巻などを買おうと思っていたのだ――第二次ポエニ戦争におけるスキピオハンニバルの抗争を描いたこの漫画は、面白さとしてはそこそこという感じだが、最終巻のみ読まないのはやはり締まりが悪いというわけで、最後まで付き合うことにしたのだ。その前にアフタヌーンの棚から、市川春子宝石の国』九巻と、幸村誠ヴィンランド・サガ』の一巻から三巻を保持する。幸村誠は先日読んだ『プラネテス』がなかなか良かったので、『ヴィンランド・サガ』のほうも読みはじめてみることにしたのだった。それから棚を移ったが、薄々そんな記憶を持っていたところ、『アド・アストラ』は最終一三巻のみが棚にない。それで仕方なく淳久堂のほうに行くことにして、保持したものを棚に戻して店を出た。エスカレーターを下ってフロアを行くと、HMVからは今度は"Keep Yourself Alive"が流れ出ていた。そこを過ぎてSUIT SELECTからはサックスの響きが聞こえ、それを背に建物を抜けた。
 高島屋の側面に、赤味を仄かに混ぜたような稀薄な橙色が掛かって、その上をモノレールの影が横に滑って行く。高架歩廊を歩き、高島屋入り口の前まで来たところで、視線の先の交差点のさらに向こう、空の果てに黒い点の集合と化した鳥たちの姿が見えた。入店し、エスカレーターを上って淳久堂書店に入る。降りると右方へ二度折れて、コミックの区画に入った。目当てのものをそれぞれ手もとに持ち(『ヴィンランド・サガ』は一巻増やして四巻までを買うことにした)、会計に向かう。三八五九円。袋はビニールか紙かどちらが良いかと訊かれたので、ビニールを選択し、下りのエスカレーターに踏み入るとリュックサックのなかに荷物を収めた。
 高架歩廊に出ると時刻は四時、空気は確実に明度を下げて、下の道から伸びた電灯の、街路樹の葉に掛かったオレンジ色が浮かび上がりはじめている。駅舎前の広場まで来ると、高層ビルの合間に僅かに覗く西南の空に夕陽の橙色が広がり、その上にはシャツを濡らす染みのような稀薄で曖昧な雲が浮かんでいた。駅舎のなかに入り、LUMINEに入店する。この日の外出は、二日後の食事会に着て行くためのコートを購入するというのが主目的で、漫画を買うのはそのついでだったのだ。それで二階のUnited Arrowsをまず見たのだが、良いなと思うコートは四万円、その他のものでもすべて三万円台で、さすがに一着の衣服に三万円も出すのは躊躇われる。加えて、今は無職の身分でもある。貧乏人は大人しく身の丈に合った店に向かうことにして、エスカレーターに乗った。それで六階で降りて、まず先ほどのUnited Arrowsの下位ブランド、greeb label relaxingの店舗に入った。ここには二万四〇〇〇円のメリノ・ウールのチェスターコートがあることを以前確認していた。店内を見て回るとしかし、それよりも高値、二万六〇〇〇円のバルカラーコートというのがあり、ダーク・ブルーの地に黒で細かな、しかし控えめでくどくはないチェック模様が入っているのを見て、これが一番良いなとピンと来た。しかし二万六〇〇〇円も結構値が張る。それで一旦保留にして店舗を出て、次にtk TAKEO KIKUCHIのほうに向かった。こちらにも、一万八〇〇〇円だかのチェスターコートがあるのを以前目に留めていた。United Arrowsの店員は、いらっしゃいませと言うのみで何だかんだと話しかけてこないのだが、こちらでは短髪を立てた若い男性の店員が、気になったらぜひ羽織ってみてくださいと言ってきたので、チェスターコートと、もう一つボタンが首もとまで閉まるタイプのものを試着させてもらった。チェスターコートはかなり軽く、ウエストが僅かに絞られた細身のものだった。ほかの店などでは大概五〇パーセント程度のウールが七五パーセント入っているのが売りで、軽くて外見には薄く見えるが暖かいとのことだった。それも悪くはなかったが、やはり先ほどのUnited Arrowsのものが気に掛かっていたので、もう一度そちらに向かうことにして、tkの店員に礼を述べ、また来るかもしれません、お願いしますとお愛想を言って店を移った。それで件のものを試着すると、Sサイズでぴったりだった。ほかに明るく軽い茶色のものも身に着け、また密度の高い締まった茶色のチェスターコートのほうも羽織ってみたが、やはりダーク・ブルーのものが一番良いように思われた。それで大方これを買うことに心を定めて、そのほかズボンを見分した。これも一万円の、ダーク・グリーンのものがあるのを以前目に留めていたのだ。棚を見ているとここで店員が、ぜひ試着をどうぞというような感じで話しかけてきたので、ダーク・グリーンのものと、もう一着、黒っぽいデニムとを試着させてもらうことにした。試着室の壁にズボンを掛ける際、店員が、ダーク・グリーンのほうの裾を大幅に折り込んで吊るした。丈直しを前提として、裾がかなり長く作られていたのだ。試着してみると悪くはなかったが、丈直しを待ってもう一度取りに来るのも面倒臭い。もう一つのデニムは、三〇インチだったがぴったりでやはり悪くはなかったが、しかしポケットのあたりが少々きついように感じられて、これも却下した。やり取りをした店員は、声のちょっとかすれて柔和な感じの、髪を六対四くらいに分けて左右に流し、顎と鼻の下に僅かに髭を生やした人だった。年齢がわかりづらかったが、顎髭に白いものが混じっていたところを見ると、四〇代かあるいは五〇歳くらいに達していたのかもしれない。その人とやり取りをしながらもう一着、薄水色に寄ったグレーのパンツを試着した。最初、Sサイズのものを着たのだが、これはやはりきつかった。それでMサイズのものを持ってきてもらうとぴったり、きつくも緩くもなくてちょうど良かったので、これも購入することにした。それで試着室を出て、今日はコートを買いに来たんですよと言いながら先ほどのコートのところに行き、もう一度試着させてもらったあとに、先ほどのパンツとこのコートの二つを購入したいと申し出た。バルカラーコートとはどういうものなのかと尋ねると、ステンカラーコートまでは行かないが、襟が大きめで特徴的なもので、チェスターコートよりもボタンが上まであってV字の領域が狭くなっているとのことだった。そもそもステンカラーコートというのがどういうものなのかもこちらは知らないのだが、いま検索してみると、ウィキペディアではステンカラーコートの別称としてバルカラーコートという呼び方もあると紹介されていて、良くわからない。さらにこの柄と色が良いと思ってピンと来て、と話すと店員は、グレーなんかだとこういう柄はあると思うが、ダーク・ブルーのものは滅多にないと思いますねと答えた。それからレジに向かう前に、ポイントカードはお持ちですかと尋ねられた。ないと答えると、今ちょうど優待サービスをやっていて、作ってもらえればコートのほうを値引きできると言うので、作成することにした。それでレジに行ったのだが、ここで何やらトラブルがあったらしく、女性の店員がクレジットカードの機械を相手に奮闘していてレジが使えず、しばらく待つようだった。目の前に立ち尽くして待っているこちらに対して女性店員は、作業をしながら、お待たせして申し訳ありませんと沈痛な感じで言うので、いや全然大丈夫ですよと笑って答えたのだが、彼女の沈痛そうな表情は和らがなかった。待っているあいだ、先の男性店員はレジの後ろ側に入って、コートの袖のところについた「MERINO」というタグを切って取り除いてくれていた。じきに機械から連続で三、四枚レシートが発出されて、それで処理は終わったようで会計となった。カードを渡されて財布に入れ、値引きは大したものではないだろうと思っていたところが、これが四〇%、一万円以上も減額されたので非常に有難かった。コートは一万五〇〇〇円ほど、パンツのほうは七九〇〇円で、計二五三八〇円だった。良い買い物をしたと言うべきだろう。
 暗緑色の大袋に入れられた荷物を受け取って退店し、エスカレーターを降りて駅通路に出る。時刻は五時、帰路に向かうことにして、一七時三分発の電車に乗った。網棚に荷物を上げて席に就き、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読んで到着を待った。Oに着くとちょうど乗り換えが来ており、それに乗って最寄りで降りる。暗い宵だった。横断歩道を渡って坂に入り、空を見上げると、快晴の日和で星は見えるが、月はまだ遠いようで暗んでいる。下り坂を抜け、平らな道に入って暗色に沈黙している空をふたたび見上げながら帰宅した。
 母親は既に帰っていた。買ってきたコートとズボンを改めて身に着けて、玄関の大鏡で確認する。食事会への格好はこれで良いように思われた。それから下階に下りてジャージに着替えたあと、台所に入って食事の支度をした。牛肉をキノコとともに炒め、ほか、里芋と厚揚げの煮物、大根・人参・玉ねぎ・胡瓜を細かく下ろしたサラダなどである。支度を終えると自室に戻って新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の書抜きをした。それから、先ほど受け取ったカードのことを思い出して、忘れないうちに登録を済ませることにした。カードに記してあるURLをブラウザに打ちこんでサイトにアクセスし、個人情報を入力して登録を完了した。パスワードは(……)である。ファッションにさほど強いこだわりがあるわけでないので、メールマガジンやお知らせの類はすべて受け取らない設定にした。その後、FISHMANSを作品をデータで購入することにした。前々からFISHMANSのアルバムは集めたいと思っているのだが、ディスクユニオンなどに行ってもライブ盤などしか見当たらなかったのだ(ライブ盤はライブ盤でほしいのだが)。それでもうデータで買ってしまうことにして、"いかれたBABY"の入っている作品にしようとウィキペディアを探ると、『Neo Yankees' Holiday』というのがそれだった。それでこれを購入し(二〇〇〇円)、データをダウンロードしたのだが、ファイルの名前が文字化けしていた。それはまだ良いのだが、四曲目と七曲目に到っては、mp3のはずが破損しているのかそれとして認識されず、ライブラリに取り込んでみても読み込まれない。それで損をした気分になったが致し方ない。
 夕食。テレビは素人のカラオケ大会。清水翔太の歌を歌う人がいたのだが、テレビに映し出されるその歌詞を見ていると、やはり最も流通する類の大衆歌の詩というのは、まるで具体性がないなと思った。「気持ち」や「感情」ばかりで、「風景」だとか、そもそも「具体物」がまったく出てこないのだ。しかしそれで観客の芸能人たちはじんと来て涙ぐんだりしている。この圧倒的な物語、ふわふわとした曖昧さによる感情の共同体、というわけだ。それに対して以前のように嫌悪感はないが、やはり何となく釈然としないというか、自分はこの共同体に巻き込まれたくはないなという気がする――しかしこれはまたアンビバレントな感情であって、以前よりも感性の稀薄化している現在、そのように出来合いの物語にでも「感動」できるほうが人生として面白いのではないかという気もしないではない。つまり、そうした「本流」の人々の価値観/感性に同調できないことに対して、仄かな疎外感を覚えないでもないということだ。
 入浴して九時前。自室に帰り、カガノミハチ『アド・アストラ』の一三巻を読み、スキピオハンニバルの死、物語の終幕を見届けた。それから大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』の書抜き。BGMはFrank Amsallem/Tim Ries Quartet『Regards』。そうして一一時前から零時ちょうどまで、同書をさらに読み進めた。歯磨きをして、(……)を二話分視聴。一時からふたたび読書、二時直前まで。そうして就床。
 読んだなかでは、やはり神話の挿話などが面白い。もっとも日本の記紀神話はほかの神話とは違って、自然法則などの説明できないことを神の仕業として説明するものではなく、大和政権の正統性を説明する趣旨のものらしいが、それでも部分的には通常の神話的な記述もあり、本書では人間はなぜ死ぬのかという点が紹介されている。曰く、ニニギは天孫降臨ののち、オホヤマツミからコノハナノサクヤヒメとイハナガヒメの姉妹を差し出されるが、岩石のように永遠だが醜い後者と、花のように美しいが枯れてしまう前者のうち、イハナガヒメを返してしまう。彼女をもらっておけば永遠の命があったのに、以来人間の命は有限になってしまったというのだ。花と結婚して石とは結婚しなかったがために人は死すべきものになったというその原始的な(?)論理が面白いわけだが、こうした神話は世界中に分布していると言う。
 また、記紀神話の冒頭では、イザナキとイザナミの男女神が、「この漂える土地を固めなせ」という命令を受け(誰から?)、矛で海水を「こをろこをろ」と攪[か]き鳴らし、その矛から滴った塩が積もってオノゴロ島ができると言うのだが、ここを読んだ時に記憶の刺激される感覚があった。「こをろこをろ」という擬音を以前、小説作品のなかで読んだことがあったのだが、その作品というのは、高尾長良『影媛』である。該当部分を含む段落を下に引こう。

 彼女は緒を落した。水底へ手を伸ばし、一本の枝を拾い上げた。粗い木の膚が掌をざらざらと擦り軽く快い痛みが背筋へ廻った。彼女の掌を陽の光から匿す様に、志毘の掌が彼女の掌を覆い包、其れと共に、二人の手に包まれた一本の木の宿す命が湯水の様に頭の頂に流れ込み身内へと滴り落ちて来た。予[かね]てから定められていた事を為し遂げる様に、二人は蹲った。志毘の手に覆われた彼女の掌が檀[まゆみ]の様に撓い、水の内へ棒を指し下ろして廻した。こおろこおろ、と水は玉の様に鳴った。底は遠く、棒の尖を水の面から稍奥へ、棒の中程が漬ずるまで入れて画き鳴していった。引き上げた棒の末から光る水が垂[したた]り落ち、累なり積って島の様に成った。総身が水の垂りと木魂した。彼女は眼を閉じ、躰の底から湧き起こる、山野の闇の韻を聞いた。
 (高尾長良『影媛』新潮社、2015年、82~83)

 日本古代を舞台にした悲恋を描いた小説で、その細かな物語はもはや何も覚えていない。しかし、記録によれば二〇一五年三月と三年以上も前に読んだにもかかわらず記憶が呼び起こされるほどには、この「こおろこおろ」という擬音が印象的だったのだが、その元ネタというのが「記紀神話」だったわけだ。さらに今、読み返していて気づいたのだが、「引き上げた棒の末から光る水が垂[したた]り落ち、累なり積って島の様に成った」という部分も、おそらくは塩が積もって島ができるという神話の記述を元にしているのだろう。

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