2019/12/1, Sun.

 だが、私の中には、果してわれわれは戦争に勝てるのか、というはげしい疑問が湧きあがっていた。私は、まさにその逆のことを、あまりに多く目にし耳にしていた。これでは、われわれは戦いに勝てないのではないか。
 だが、最後の勝利を疑うことは、私には許されていなかった。それを、信じねばならなかったのだ。たとえ、健全な理性が、これではわれわれは勝利を失うほかないときっぱり私に言い切ったにしても、である。その心は、総統に、その理想に捧げられていた。それは亡びることは許されないのだ。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、342)

     *

 また現在、私は、ユダヤ人虐殺は誤り、全くの誤りだったと考える。まさにこの大量虐殺によって、ドイツは、全世界の憎しみを招くことになった。それは、反ユダヤ主義に何の利益にもならぬどころか、逆に、ユダヤ人はそれで彼らの終極目標により近づくことになってしまった。
 (368~369)


 八時半にアラームを仕掛けており、一度はそれによって寝床を抜け出したのだったが、音を止めるとすぐにまた布団のなかに戻ってあえなく撃沈。正午を越えて一二時二〇分まで人間の屑のような寝坊をする。起き上がって床に足を下ろし、部屋を出て上階に行くと寝間着からジャージに着替えた。台所を覗くと、大鍋にうどんが煮込まれてあったので焜炉の火を点けておき、温めているあいだにトイレに行った。放尿しているとどこかに出かけていたらしい父親が帰ってきて家のなかに入ってくる音がした。それで室を出ると父親がただいま、と言ってきたので、はい、と受け、台所に戻ってもうしばらくうどんを加熱し、丼によそった。そうして卓に就いて新聞をめくりながら食事。書評欄などを眺めながら麺を啜っていると、父親も余ったうどんを丼に入れて卓にやって来て、テレビを点けて『のど自慢』を映し出した。『のど自慢』には水樹奈々がゲストとして出演していた。卓上にはMorozoffのチョコレートの赤い箱があり、開けてみるとまだいくつかピースが残っていたので、ホワイトチョコレートを口に入れながら、その時はまだカウンターの向こうの台所にいた父親に、これはどうしたのかと尋ねてみると、YSさんがくれたのだという返答があった。前日、各家庭に配っていた土産物の中身がそれだったのだろう。食後、もう一粒を頂いたあとに席を立って丼を洗い、それから風呂場に行って、前日は風呂を洗わずそのまま焚いたために残り湯が多かったので、栓を抜いて水が流れていくあいだ、肩を回したり腰をひねったりしながら待ち、浴槽が空っぽになるとブラシを取ってなかに入り、壁や床を擦った。洗剤をシャワーで流しておくと室を出て、一旦階段を下りて自室に入り、コンピューターを点けて各種ソフトのアイコンをクリックすると急須と湯呑みを持って居間に引き返し、歯磨きをしながら『のど自慢』を見ている父親を横目に緑茶を用意するとふたたび居室に帰って、Twitterにアクセスしたり、noteに一一月二九日の記事を投稿したりしながら茶を飲んだ。前日の記事はまだ一文字も書けていない。しかも一日出かけていたわけだから長くなるのは目に見えていて、それなのでなかなか取りかかる気持ちが起こらず、インターネットを少々回っていると早くも一時を回ったので、外は曇って空気も冷たくなっているようだしとりあえず洗濯物を入れようと部屋を出た。父親は出かけたようだった。先に便所に行って糞を垂れてからベランダに出て、その時には薄陽が復活していたものの、もうさほどの強さもなかろうと吊るされたものを室内に取りこんでしまい、入れただけで畳むことはせずに下階に戻って、やはり日記に取りかかる気が湧かないので、前日に買ったCDの情報をEvernoteに記録しておこうというわけで、the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』を流しながらちまちまと、曲目やパーソネルや録音情報などを打ちこんでいった。『Maria Schneider & SWR Big Band』は録音は二〇〇〇年なのだが、発売は二〇一八年と意外と最近のものだったようだ。五枚分の情報を記録し終えると、二時に達する一分前からこの日の日記を書きはじめ、ここまで記せば二時二一分となっている。
 確かここで上階に行ったのだったと思う。炬燵に入っていた母親は、料理教室で、何とか言うメキシコ料理を作ってきたと言ってパックに入ったそれを取り出してみせた。チーズなどを使った皮のなかに鶏肉を閉じこめたような料理で、ちょっと油っぽいが食べるかと訊くので頂くことにして、パックを電子レンジで四〇秒温め、箸とともに下階に持っていった。そうして食べながら読み物に触れることにして、まず二〇一四年の日記を二日分読み、次にfuzkueの「読書日記」、さらにMさんのブログと読めば、時刻は三時を過ぎていた。中途半端な時間だが、先の料理だけでは腹がそこまで膨れなかったので、白菜でも切って食べることにしてふたたび階を上がり、台所で紫白菜をざくざく切って笊のなかで洗い、大皿いっぱいに乗せて卓に持っていくと和風ドレッシングを掛けて食った。そうして食後は緑茶を用意して自室に戻ってきて、相変わらず前日の日記を書く気は起こらず、一文字も綴らないままに読書に気が向いたので、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読みはじめた。茶で一服しつつ文字を読み進め、三杯分を飲み終えると、今度はペンと読書ノートを持って文言を書き写しながら読んでいるうちに、あっという間に一時間が経って四時半を越えた。椅子に座り続けて身体がいくらか固くなっていたので――また、元々一〇時間以上もの長きに渡って臥位で床に留まっていたことによる全身的なこごりもあった――the pillowsの曲を流して歌いながら、柔軟運動をした。それで時刻は四時四五分過ぎ、前夜に教室からコピーしてきたセンター試験の国語の過去問のうち、二〇〇九年度のものを確認しはじめたのだが、まもなく五時に達して、母親がこちらを呼ぶために階上で床を荒々しく踏んでいるらしき音が伝わってきたので、作業を中断してゴミ箱を持って上階に行った。台所に入ると、やって、と端的に母親は口にし、うとうとしていたところに宅配便が来て、とか何とか文句を言ってみせるのだが、その内容よりも声音に宿ったいかにも忙しげな感じと言うか、余裕の欠如のニュアンスにはなかなかうんざりさせられる。ともかく燃えるゴミを台所のゴミ箱に合流させておき、手を洗うと野菜の汁物のために材料を切りはじめた。人参、牛蒡、大根、玉ねぎ、里芋などを薄く切り分けているうちに、左側の焜炉では、こちらが切った玉ねぎのうちの一部をフライパンに入れ、また豚肉も無造作に投入した母親が炒め物を火に掛けはじめた。それとほぼ同時にこちらも右の焜炉で大鍋に野菜を入れて炒めはじめたのだが、焜炉の前に二人立つ余裕はないから、こちらが一人でフライパンと鍋と両方の材料を搔き混ぜなければならず、ちょっと忙しかった。炒め物の方は砂糖と醤油を加えて完成させ、大鍋の方は持ち手が熱くなるので鍋つかみを左手に嵌めて、それで指を防護して押さえながら野菜を搔き回し、肉も入れてある程度色が変わると水を並々と注いだ。沸騰が始まって灰汁が出てくるまでのあいだは何をするでもなくぼんやりと立ち尽くし、灰汁を取ったあとも台所に置かれたストーブの前に立って足先を温めながら、野菜が煮えるのを待っていたのだが、母親はソファに移って『笑点』を見はじめたし、こちらもただ台所に立って待っているのも退屈なので、一旦下階に帰って一五分ほど経ったらまた戻ってこようとそう決めた。それで火を弱くしておき、ゴミ箱を持って自室に帰り、ふたたびセンター試験の問題を解きはじめたのだが、評論文で普通に二問間違えた。なかなか難しいものだ。読んでいるうちに一五分ほど経って六時が目前となり、階上の母親もソファから立って台所に行った気配が伝わってきたので、こちらも部屋を出て階を上がると、母親がスープに鍋の素を加えたところだった。あご出汁を入れたから、鍋の素を二つ入れると塩っぱすぎると母親は主張し、こちらに小皿とお玉を渡してみせるので、味を確認したところ、甘めだがまあ良いのではないかと思われた。それで完成としてすぐに下階に帰り、ふたたびセンター試験の問題を解きはじめた。小説文は加賀乙彦「雨の庭」から取られたものだが、こちらは言葉の意味の問題一文以外は、無事すべて正解できた。しかしゆっくり細かなところまで見ながら読んだために結構時間は掛かって、この読み方では仮に本番を受けていたら間に合わなかっただろうなと思われた。とは言え、教えるためには生徒当人よりも細密に読んでおかなければならないという事情もある。それで二〇〇九年度分を終えたのは六時半過ぎ、そこからインターネットをちょっと回ったあとに、この日の日記を書き足しはじめて、今しがた七時を越えたところである。
 三〇分ほどさらに読書をしてから食事に行くことにした。そういうわけでふたたび下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』をひらいたのだが、椅子に座ってテーブルに寄りながら視線を落として読んでいると、暖房の温もりのためだろうか睡気が湧いてたびたび目を閉じることになり、気づくといくらも読めないままにもう八時近くになっていた。それで書見を中断して階を上がり、米、炒め物、野菜の汁物、サラダ、色の淡いブロッコリーなどを用意して卓に就く。そうだ、この時は母親は、クリーニングを取りに行っていたようで不在で、無人の居間でテレビだけが誰も見る者のいない映像を流していたのだった。テレビを消して新聞に目を向けながらものを食っていると、母親が帰ってきて食事に入った。こちらは野菜スープをおかわりし、完食すると薬を飲んで皿を洗い、風呂に入る前に茶を飲みたかったので、三杯分用意して下階に戻り、ふたたびロラン・バルトのエッセイを読んだ。書抜きたいような箇所は結構見つかる。九時に至る頃、読み物を中断して風呂に行き、浸かっていると飲み会に行っていた父親が帰ってきて、ああ疲れた、疲れた、とか漏らしながら玄関外の階段を上るのが聞こえた。それでもすぐには上がらず、もうしばらく湯の安楽を味わってから出て、ソファに就いた父親におかえりと挨拶するとさっさと自分の塒に帰った。そうしてふたたび、書見をしたようだ。一〇時一五分まで読んだあと、いい加減三〇日の日記をいくらか書いておかねばなるまいと取りかかって、三〇分くらいで切ってちびちび書いていくつもりが綴っているうちに一時間が経ち、いつか一一時半を過ぎていた。そうして作文はそこまでとして、音楽を聞きはじめた。
 まず最初に、いつも通りBill Evans Trio, "All Of You (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3)である。Evansのフレーズの構築性、その整い方はやはり完璧であるとしか言いようがない。ピアノソロの開始から六十四小節目に掛けては、Motianは八小節毎に、リズムをいくらか散らして遊ぶパートと、ハイハットをきちんと二拍四拍に踏んでリズムパターンを固めるパートとを交互に演ずるのだが、後者のパートの後半二回――つまり、四十一から四十八小節目に掛けてと、五十七から六十四小節目に掛けて――においては、Evansもバッキングを切れの良い、固いものにして裏拍に短く差しこみ、それによって演奏を締めるとともに、Motianとのあいだで協同的な進行感を生み出している。LaFaroのベースソロは流麗で、六〇年のBirdlandの音源と比べてその演奏は熟してきているような気がする。聞き返してみなければ確かな印象かどうかわからないが、六〇年のライブの方が全体的に細かな速弾きが多くてアグレッシヴだったように思われるのだ。それは勿論瑕疵ではないものの、この六一年のライブを聞いてみた時に、後者の方がやはりより落着きを持って悠々と弾いているように感じられ、フレーズ構成も熟達している感があり、速弾きもその出番が絞られた分、より効果的になっているのではないか。Motianはピアノソロの後半は、ハイハットをアフタービートに固めた上に時折りスネアを、主に八分の裏拍に差しこんでアクセントをつけるといった地味なプレイに徹しているのだが、それがベースソロに入ると、ピアノが退くことでスペースが空くからだろうか、蠢きはじめて、音量は全体に弱めで繊細ながらシンバルを叩き出すし、スネアの散らし方がリズミカルと言うか、格段に自由度の高いものになる。このあたりのスネアの扱い方に、Motianの持つ自由さの一つの側面が表れているような気がするところだ。総合的なアンサンブルの印象としては、やはり三者の独立性の強さをまざまざと感じるもので、それぞれの内的呼吸が非常に定かに確立されていて、三者とも他者に凭れかかることがなくただ一人で確固と屹立していながらも、しかし同時にそれぞれがそれぞれを支え合うという理想的な協和性が実現されている。
 続いて、"Alice In Wonderland (take 1)"。Paul Motianのプレイがやはりとても興味深いもので、ここでの彼の演奏は、同時代の標準的なジャズドラムの語法とは相当にかけ離れているように思うのだが、実際どうなのだろう。ドラマーの意見を聞きたいところだ。このテイクでのMotianのプレイは、演奏全体の下支えとなるべき確かなビートの持続を整えることをまったく目的としていないかのようで、リズムを固めてぎゅっと密に締めるのではなく、音響を四方八方にただ散乱させることを目指しているようにすら聞こえる。その緩さと言うか、風通しの良さ、すなわち気体めいた拡散性は、このライブアルバム全体を見ても特にこの曲において最高度に達しているのではないか。Motianと比べるとほとんどのドラマーの音使いはあまりに固いと言うか、窮屈にすら感じられるように思われる。拡散的・散乱的でありながらしかしほかの楽器と正面から衝突して邪魔することのない透過性、むしろ他者の演奏を空間的に包みこむことで支えるような浸透性がPaul Motianの特殊さだと考えるものだが、こうしたスタイルや性質を受け継いでいるドラマーは、多分ほとんどいないのではないか。Motianばかりに触れてきたが、このテイクではLaFaroのベースソロも溢れ出るフレーズの泉といった感じで素晴らしいものになっている。先日はEvansを「固体」に、LaFaroを「液体」に、そしてMotianを「気体」になぞらえてこのトリオの音楽形式を整理したわけだが、そうした物質の三様態の交雑に喩えるべき調和形式を最も体現しているのは、この"Alice In Wonderland"の演奏かもしれない。
 "All Of You (take 2)"は三回、"Alice In Wonderland (take 1)"は二回、それぞれ繰り返して聞いたので、メモを取るのに時間を使ったこともあって既に一時近くに達していた。それで最後に、『The 1960 Birdland Sessions』から五曲目、"Come Rain Or Come Shine - Five (Closing Theme)"を流した。三月一九日の録音である。一聴してLaFaroは結構動いており、『Portrait In Jazz』のスタジオ録音に比べると三者の特徴が諸所で如実に感じ取られるものの、"Alice In Wonderland (take 1)"の非常に高度な流動性のあとでは、よほど尋常なピアノトリオに聞こえる。この三人としては標準的な演奏というところだろう。LaFaroのソロは、やはり六一年よりもフレーズが細かくペースが速めなようで、悪く言えばいくらか性急なところがあるように思う。
 その後、一時半前からふたたびロラン・バルトを読み、二時四〇分まで書見を続けたのち、就床した。


・作文
 13:59 - 14:21 = 22分(1日)
 18:41 - 19:02 = 21分(1日)
 22:23 - 23:32 = 1時間9分(30日)
 計: 1時間52分

・読書
 14:26 - 15:09 = 43分
 15:26 - 16:33 = 1時間7分
 16:48 - 17:04 = 16分
 17:40 - 17:54 = 14分
 17:56 - 18:33 = 37分
 19:03 - 19:53 = 50分
 20:29 - 20:56 = 27分
 21:27 - 22:15 = 48分
 25:25 - 26:39 = 1時間14分
 計: 6時間16分

  • 2014/3/8, Sat.
  • 2014/3/9, Sun.
  • fuzkue「読書日記」: 11月4日(月)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-27「隕石のかけらを投げるこの星の重力に負け落ちるのを見る」
  • 「思索」: 「思索と教師(1)」
  • 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』: 84 - 162
  • センター試験過去問・国語(2009年度)

・睡眠
 1:30 - 12:20 = 10時間50分

・音楽

2019/11/30, Sat.

 関係者の多くが、虐殺施設で私が監督しているときに、私に歩みより、自分たちの沈痛な気持、自分たちの印象を私にぶちまけ、私に慰めを求めた。彼らの腹蔵ない会話で、私は、くり返し、くり返し、こういう疑問を聞かされた。
 いったい、われわれは、こんなことをする必要があるのだろうか。何十万という女子供が虐殺されねばならぬ必要があるのだろうか。
 そして私は、自分自身では心の奥底で数知れぬほど、この同じ疑問をいだいた身でありながら、総統命令を楯に彼らを説き伏せ、なだめたことだった。このユダヤ人虐殺は、ドイツを、われわれの子孫を手強い敵から永遠に解放するために必要なのだ、と彼らに私はいわねばならなかったのだ。
 まさに、われわれ全員にとって、総統命令は断乎として背きえないものであり、SSはそれを完遂しなければならなかった。そして、私自身は、どんな場合にも、同じ疑念を告白することを許されなかった。私は、一同に心理的不屈性をもたせるために、断乎として、この無惨、苛酷な命令の必要を確信しているごとくに、自分を見せねばならなかったのである。すべての者が私に注目していた。
 上に述べたような場面が、私にどういう印象をあたえるか、私がそれにどういう反応をみせるか。その点では、私はくまなく観察され、私のどんな反応も語り伝えられた。私は、しっかりと気を引きしめ、体験したことに心動かされるあまり、内心の疑惑や滅入るような気持を、気づかせるような真似は、絶対にしてはならなかったのだ。人間らしい感情をもっているほどの者なら誰しも、心を引き裂かれるような思いの事態の時にでも、私は、冷酷・無情に見せかけねばならなかった。どれほど、人間らしい感情がこみあげてこようとも、私は、絶対に目を背けることを許されなかった。母親たちが、笑ったり泣いたりしている子供たちと共に、ガス室に入って行くときにも、冷たく見送らねばならなかったのだ。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、306~308)


 六時にアラームを設定してあった。時間が来ると機械的な音声によって覚醒し、ベッドを抜けて音を停止させたが、そのまま床に戻ってしまった。それでもふたたび完全な眠りに陥ることはないまま、曖昧な意識で一時間を過ごし、七時に至ったところでふたたび布団から抜け出し、上階に行った。両親は既に起きていた。朝食に何を食ったのかなど、もはや覚えていない。確かハムエッグを焼いた気がする。ほかにも何か品があったような気もするが、それは既に忘却の淵に沈んだ。食後は下階に移って早々と黒スーツに着替えたはずである。今日は山梨の祖母宅で食事会、夜には職場で会議があったので、午後に山梨から電車で東京に戻り、そのまま仕事に行くつもりだったのだ。着替えたあとは、七時三八分から前日の日記を書き出している。Bill Evans Trioの音楽を聞いた感想である。最初の"All Of You (take 1)"の感想を綴ってTwitterに垂れ流したあと、次に"Alice In Wonderland (take 1)"を聞いたあいだの印象を言語化するべく試みて、Bill Evansが「固体」であり、Scott LaFaroは「液体」、Paul Motianは「気体」としての性質を持っているという、物質の三様態になぞらえた整理の構図を途中まで拵えたのだが、完成しきらないままに八時一五分に達したので、そろそろ出かけるようだろうと書き物を中断した。それで上階に行き、便所に入って腹のなかを軽くしているあいだに両親は外に出て室内にはこちら一人となり、室を出ると遅れて玄関を抜け、鍵を閉めて父親の車に向かった。水場に置かれたバケツの水が薄い氷を張っていたので、通りすがりに右手の人差し指でちょっと触れて押した。助手席に乗りこもうとすると母親が、トイレの換気扇は消したかと言うので、消していないと答えると、長時間家を空けるのだから消してこいと言うものだから、戸口に引き返して今しがた掛けた鍵をまた開ける仕儀になった。靴は脱がずに手を伸ばしてスイッチを切り、ふたたび鍵を掛けて今度こそ助手席に乗りこみ、車は出発した。Donny Hathaway『These Songs For You, Live!』を車のサウンドシステムに挿入して、音楽を流した。
 道中は大体のあいだ目を瞑って休んでいたので、特段に深い印象は残っていない。出発してまもなく、家の傍で全面赤く鮮やかに染まった楓に目を向けたことくらいか。最初のうちは目を閉じていても意識がほぐれていかず、音楽に耳を傾けていたのだが、そのうちに段々淡い頭になってきたようだった。高速には乗らず、大垂水峠とやらを越えて山梨に向かったらしかった。定かに覚めた頃には既に上野原市内に入っており、「植松」という、餡ドーナツが有名らしい和菓子屋の角を曲がって、まもなくスーパー「オギノ」に到着した。ここで人数分の寿司などを買っていくのだったが、N.YSさんも来ているという話だった。駐車場に入ると白い軽自動車が見つかり、車から降りるとあちらも出てきて、互いに挨拶を交わした。YSさんの息子であるYKくんも来ており、YSさんはスーツ姿のこちらを見て、格好良いじゃんと言った。こちらは眠く、車の狭い席に押しこめられて長時間同じ姿勢を取っていたこともあって身体も固く、伸びをしたり欠伸を漏らしたりしていた。
 それで皆でスーパーに入り、カートを四つだか用意して、食事会で供するための品を見繕っていった。メインとしてはパックの寿司を人数分買っていけば良いだろうということで、一三パックもの寿司が籠に入れられた。そのほか店内を回り、薩摩芋や南瓜や海老フライなどの揚げ物、数種類のサラダ――これも大きなものを分けるのではなくて、一人一パックずつ提供すれば良いだろうということで、一〇〇円かそこらの小さなパックのものが人数分揃えられた――、煮物、きんぴら牛蒡などが籠に加えられていき、さらに飲み物も用意された。こちらはウィルキンソンの辛口のジンジャーエールを見つけて二本取ったが、いざ食事の場になってみると、一本で充分だった。余った一本は母親に託して持ち帰ってもらい、この文章を綴っている一二月一日午後一〇時四六分現在、作文のお供としてちびちび飲まれている。そのほかビールや、母親が飲むためのノンアルコール飲料「ALL FREE」や、緑茶のペットボトル五本などが取り揃えられたあと、最後に母親の希望でデザートを見に行き、苺クリームのロールケーキが二パックだったか三パックだったか選び取られた。そうして会計。カート三つ分、籠は確か五つ分が一つのレジに集合した。残り一つのカートは、我が家の分の品物を求めた母親のもので、それは別のレジで処理された。こちらはカートの脇に立ち、店員が品物を処理していって籠が空くたびに次の籠を台の上に移動させる役目を担った。整理台の方ではYSさんとYKくんが、店内の隅に積まれた段ボール箱から手頃なものを選んで持ってきて、そのなかに会計の終わった品を詰めていた。台の上に移動させる籠がなくなるとこちらも通路を通って整理台の方に出て、レジを通された品物の詰まった籠を整理台に運び、やはり段ボール箱を持ってきてそれに寿司を詰めていった。会計は全部で二万四〇〇〇円強を数えたらしかった。
 そうして荷物を整理するとそれを抱えて店を出て、父親の車の後部に積みこんだ。そうしてあとは、祖母宅に向かうだけである。YSさんたちは先ほどの「植松」に寄って、皆の土産となる餡ドーナツを購入してくるらしかった。そういうわけで別れて発車し、残りの路程はそう長くもないので音楽は良いだろうというわけで流さず、ラジオをぼんやり聞きながら車に揺られた。
 それで祖母宅に着くと車庫に車を入れた。車庫にはもう一台、父親の車と同じ種類の色違いのもの――父親のものは真っ青で、もう一台は赤いものである――が停まっていたが、これは三鷹のZNさん――父親の長兄――のものらしかった。車後部から荷物を取り出し、抱えて庭に入ると、縁側でKKさん――ZNさんの奥さん――が掃除機を掛けるか何かしていたので、母親と一緒にこんにちは、と挨拶をした。そうして玄関に入り、入口のところに箱を置いておくと、ZNさんも廊下を通ってやって来たので、こんにちは、今日は有難うございますと挨拶をした。あちらも、来てくれて有難うな、と礼を言った。それで車とのあいだをもう一往復して荷物をすべて運びこむと、玄関を上がったところのスペースが箱で埋まってしまったので、それらを居間の隅に移動させた。祖母が現れたのはいつだっただろうか? 荷物を運びこんだこの時にはまだ、彼女の姿は居間にはなかったはずだ。トイレにでも行っていたのだろうか、その後いつかのタイミングで炬燵に入っているのに出会ったので、挨拶をした。
 宴会の会場は居間から階段と廊下を挟んだ先にある客間と言うのか、和室で、二室のあいだにある襖を外して空間を広く繋げ、そこにテーブルをいくつか並べて貫くのだった。それで元々そこに置かれてあった大きなベッド――初めて見るもので、祖母は今はこのベッドに寝ているのだと言う――を四人掛かりで別室に運び、さらに襖を苦労して外し、テーブルを運びこんだ。テーブルを拭くための布巾が必要だったので居間を通って台所に行くと、ZNさんとKKさんの娘さんであるNちゃん――多分、N子さんという名前だと思うが、漢字はわからない――と言うか、それで言ったらほかの人々の漢字も果たして合っているのか覚束ない――が料理をしていたので挨拶をした。いや、違ったか? 既に家に入ってまもない時点で顔を合わせていたような気もする。いずれにせよ、この人とは、遥か昔、幼少期に会ったことはあるのかもしれないが、物心ついてから顔を合わせた記憶はなく、実質的には初顔合わせだったので、次男でございます、と自己紹介をした。多分この時だったかと思うが、と言うか、スーパーでYSさんと会った時にも言っていたと思うが、こちらがスーツを着ている事実を補足説明する母親が、仕事なのよ、夜の仕事だから、ホストホスト、と糞みたいにつまらない冗談を言って辟易したということもあった。それで布巾を濡らして絞って和室に持っていき、父親やZNさんが拭いたあとからさらに天板上を拭いて、テーブルの両側に座布団を設置して、その後、買ってきた品々を並べる段になった。席は片側七人分、食事会に参加するのは全部で一三人、その分の寿司のパックを置いていき、さらにサラダもパックの脇に設置した。
 そのほかこちらがやった仕事で覚えているのは、天麩羅を切ることである。買ってきた天麩羅を食べやすいようにいくらか細かく切ろうということになったので、包丁と俎板を求めに台所に行った。すると、KKさんとN子さんが汁物を作っていたのだが、そのために使っていた包丁と俎板がちょうど必要なくなるところだったので、洗ってもらったのを受け取り、布巾で拭いて和室に持っていった。俎板は木製のものである。それで水気があまり取れていなかったので、もう少し拭くか、と言って台所からキッチンペーパーを取ってきて、それで水分を吸わせたあと、天麩羅のパックをひらき、薩摩芋から取り出して切断していった。薩摩芋は二等分、南瓜と海老フライも二等分、あと一種類何かあったのだが、それは何だったかよく覚えていない。イカフライだっただろうか? その品だけは三等分にしたのは覚えている。俎板上は油で汚れ、こちらの左手の指も同じく油でべとべとになった。切ったものはやはりスーパーで買った紙皿に乗せていった。三つの皿に分けて、各テーブル一皿ずつ供したわけである。あと、今思い出したが、惣菜としては手羽先も用意されていて、それも天麩羅と同じ皿に乗せられた。そのほか煮物ときんぴら牛蒡も三パックずつ買ってあったので、それも各テーブルに一つずつ設置した。
 順番が前後するが、こちらはスーツの上着を脱いでハンガーに掛けておき、ベスト姿の上に母親のダウンジャケットを借りて羽織っていた。準備をしているうちに、O田家の三人が到着した。MDさん、SGさん、その息子のBNの三人である。BNは遺伝性の知的障害者で言語を操ることはできない。いつものようにどすどすと大きな足音を立てて入ってきたので、BN、と呼びかけて宥めた。この日見た彼の顔の印象としては、以前よりも何だか穏やかと言うか、落着いたような表情になっている気がした。振舞いも、どすどす音を立てて歩き回ったり、奇声を発したり、祖母の肩を掴んで引き寄せようとしたりと相変わらずのものではあるが、それも何となくいくらか落着いた勢いになっているような気がした。それで、食事会の準備が一段落するとこちらは居間の炬燵に移り、SGさんといくらか話をした。この人も話に聞くところでは、鬱病なのか何なのか、精神の方の調子が悪くなっていたらしく、それでやはり薬でも飲んでいるものだろうか、以前よりも明らかに太って顔が丸く、ふっくらとなっていた。眼鏡はおそらく以前のものから変えて、いくらか暗い色を帯びたものになっていた。男の更年期かな、と自分では言っていた。六八歳かそのくらいらしい。更年期と言うとそれよりももう少し若い年齢でのことではないかと思うが、人間いつどこで精神を悪くするか、わからないものである。とは言え、こうした場に出てこられることから見てもだいぶ回復はしたのだろう。祖母も炬燵テーブルを挟んで、随分顔色が良くなった、と言っていた――と言ってやはり、こちらの目からすれば以前よりも少々元気がないようにも思われたが。
 青梅は紅葉が綺麗だろう、と言うので、先日、川井という駅が奥多摩の方にありますけれど、そこに行きまして、釜飯屋に行ったんですけど、その庭に紅葉が誂えられて――という言葉を使ったのだが、この語を「紅葉」に対して使うのはおそらく誤用である――あって、それが赤くて鮮やかで……陽のちょうど高い時間のことで、頭上の紅葉の葉を透かして、太陽がその向こうに見えるわけですよね、で、葉っぱの影が掛かっているんですけど、それが紫色だった、淡い紫で、紫の影というのは珍しいなと思いましたよ、と話した。
 書き忘れていたが、YSさんのもう一人の息子であるSちゃんもじきに到着していた。彼は口の周りに髭をいくらか生やしていて、それに言及されると、イメチェンですよ、イメチェン、と言っていた。それでそのうちに食事会を始めようという段になり、和室に皆で移って、酒を飲む連中は奥の方に、女性陣は主に手前側にと席に就いた。祖母は片方の辺の真ん中あたりに座り、こちらはその右隣に就いた。全員分の細かい席次は記すのが面倒なので省略する。それでZNさんが最初に挨拶をして、さらにSGさんが乾杯の音頭を取って食事が始まった。隣の祖母が寿司のパックを開けるのに苦戦していたり、サラダについていたドレッシングの封を切るのにやはり苦労していたりしたので、こちらが代わりに開封してやった。寿司は無論美味かったが、こちらはこの時にはそこまで腹が減っていたわけではなかったので、まったくの空腹を満たす時のあの快楽はそこまで強くはなかった。
 書くのが面倒臭いので、覚えていることのみを記してどんどん省略していこう。まず覚えているのは、食事中、右隣に座ったN子さんとちょっと話をしたことで、あるタイミングであちらから、仕事は何をしているんだっけと話を振ってきたのだ。それで塾の講師をしていると答え、何の科目をやっているのかとかについてちょっと話し、大学生の時にもやっていたのと訊かれたのに肯定し、それじゃあそのままそこで就職みたいな、と言われたのには、本当は正社員になどなっておらず未だ非正規フリーターの身分に過ぎないのだが、そうしたことを明かすのも憚られたので、まあまあ、と曖昧に濁した。その後、N子さんの方の仕事の話もいくらか聞いた。彼女はA市の市役所職員をやっており、今は税金関連の部署にいると言う。本人の言によると徴収する方ではなく計算をする方、市民にあなたの税金はこれだけの額ですよと知らせる方だということだった。市役所というのはやはり部署によってかなり労働時間に差が出るようで、楽なところは楽だけれど、そうでないところは仕事が多いとのこと。色々な部署に回されるんですよねと訊くと、N子さんは入った当初は教育関連、教育と言って学校の方ではなくて生涯学習関連というようなところに配属されて、公民館でのイベントとかを多分企画したりしていたらしく、そのあと何と言っていたか、どこかに回されて、今の税金の部署は三つ目という話だったと思う。入所してから一四年ほどになると言った。
 その後、N子さんが汁物を用意するか何かで席を離れたあとに、今度は向かいのSちゃんといくらか話したのだが、その時に、先ほどのN子さんとの会話を踏まえて就職したのと訊かれたので、いや、していない、相変わらずのフリーターなんですよとここでは正直に身分を明かした。だらだら生きてますよ、本当、と漏らすと、Sちゃんは、いやいや、働いているだけまだね、働いてなかったらあれだけど、というような受け方をした。
 食事中のことで覚えている会話はそのくらい。そのうちにKKさんとN子さんが作ったものだと思うが、豚汁めいた汁物が供されて、これもなかなか美味かった。そしてじきに、ZNさんの息子であるSYくん――やはり漢字がわからないので、この字は仮のものである――とその奥さん及び娘さんが到着した。この人と顔を合わせるのも、おそらく二〇年ぶりかそのくらいで、相手もこちらのことを覚えているとも思えないし、こちらも顔の記憶がなかったのだが、彼らが玄関に来たところに出ていって挨拶をした際に顔を見てみると、ああ、そう言えばこんな顔だったな、というような感を得るものだった。奥さんは穏やかそうな人だった。名前は、言っていたと思うのだが、聞き逃してしまったのでわからない。娘さんは三歳、Sちゃんと言って、祖母に当たるところのKKさんによく似た顔立ちをしており、普段は物怖じしないとのことだったがこの時は人がたくさんいて驚いたらしく、最初のうちは母親に密着して隠れるようにしていた。しかし段々慣れてきて、あとになると笑顔を見せたりしていた。
 そのうちにO田さんの一家が、何か用事があるらしく帰らなければならないということで、皆で外に出て見送りに行った。家の入口には明るい陽射しがよく渡って暖かかった。一家を見送ったあとはこちらは一人、庭の隅に行って、目の前に広がる草原と言うか何と言うか、緩い斜面になった広い土地を眺めていた。するとSYくんが声を掛けてきて、今何歳なんだっけ、と訊くので、次の一月で三〇になりますと答えると、若い、という反応が返ったので、いやいや、と笑った。彼の方はこちらの兄と多分同年で、三五歳だと思う。それで連れ立って室内に戻り、その頃には大方食事も終わっていたのではなかったか。もう二時半を越えていたような気がする。こちらは早めに発って仕事の前に立川に寄りたかったので、母親に先にこちらだけ四方津駅に送っていってくれるように頼んだ。ところが、お父さんがまだ帰らないよと言ったりして、母親の返答は要領を得ない。こちらとしては、父親と母親は四時半だかそのくらいに帰るという話だったのだが、その時間では遅すぎるので、母親としては余計に車を運転することになるけれど、こちらだけ先に一人、駅まで送ってほしかったのだが、母親は面倒臭いようでなかなか了承しなかった。それでもスマートフォンで電車を調べて、三時四〇分のものがあると言うのでそれがいいなと言うと、最終的に了解してくれて、先にこちらは出発することになった。そうしたことが合意された時点で既に三時頃に達していたはずである。
 さあ、どんどん省略するぞ。そういうわけで三時一五分かそのくらいでこちらは先に山梨の家を発った。皆に有難うございましたと頭を下げて回り、祖母にも畏まった挨拶をして、そうして母親の運転する父親の車に乗った。疲労感があった。母親も多分疲れたと言っていたと思う。また、おばあちゃんも疲れただろうね、人を迎えるとそれだけで大変だよ、というようなことも言っていたはずだ。四方津駅まで行くあいだ、ちょっと酔うような感覚があって、やはりこちらの体質は自動車という乗り物にはあまり合わない。それで駅に着くと母親に礼を言って降り、改札を通り、通路を通ってホームに下り、東京寄りの方に歩いて電車が来るまでのあいだ立ち尽くした。琥珀めいた色の陽射しが西から渡って目の前の草や線路沿いの家並みに掛かっており、こちらの影も斜めに長く引き伸ばされて線路の上を横切っていた。東京行きがやって来ると乗り、席に就いて、疲労していたので立川まで休むことにして目を瞑った。最初のうちは何度か目を開けてしまい、意識は固いままだったが、そのうちにほぐれていったようだ。
 立川に着くと改札を抜け、駅舎も出て高架歩廊を渡って図書館を目指す。通路を歩いていき、図書館に入ると三階に上がって、CDを見る前に、瀬川昌久の自選評論集みたいな本があったはずだなと思って、ジャズの棚を見に行った。あった。この本は蓮實重彦との対談が収録されていることもあって、前々から読んでみたいと思っているのだった。所在を確認し、ちょっとめくってから棚に戻して、CDの区画に戻る最中、アナウンスが入って図書館は今日は五時で閉館ですとのことだったので、そう言えば土曜日は五時までだったかと思い出した。それでさっさと借りるCDを選んでしまおうというわけで音楽の区画に入り、ジャズの並びを見分した。数年ぶりに来たわけだが、思ったよりも品揃えは変わっていないような印象だった。新しい作品が勿論いくらか増えてはいるのだが、以前見ていた作品も相変わらず結構棚に残されていた。見分して、Christian McBride Trio『Live At The Village Vanguard』、Antonio Sanchez『Channels Of Energy』、『Chris Thile & Brad Mehldau』の三作品に決定し、自動貸出機で手続きをして、館をあとにした。
 時刻はちょうど五時頃である。教室会議は六時半から、間に合うためには五時台後半の電車に乗れば良いのでまだ猶予はある。そういうわけで、久しぶりにディスクユニオンに行く気になっていた。図書館でも借りたものがいくらも溜まっていて、聞く方がまったく追いつかないが、しかし何となく、CDを買いたかったのだ。それで歩廊を辿り、歩道橋の脇から下の道に下り、交差点の横断歩道を渡ってディスクユニオンに入店、the pillowsのアルバムなども欲しいのだけれど今日は時間が限られているのでジャズだけ見ようということでまっすぐジャズの区画に向かい、新着作品から見分しはじめた。Bill Evansのアルバムが欲しかったのだけれど、意外と品揃えが少なく、凄く欲望をそそられるほどのものには出会えなかった。概ね隅まで見て回り、『Booker Little』、Anat Fort『A Long Story』、Benjamin Koppel, Scott Colley & Brian Blade『Collective』、Chris Cheek, Ethan Iverson, Ben Street & Jorge Rossy『Lazy Afternoon: Live At The Jamboree』、『Maria Schneider & SWR Big Band』の五枚を購入することに決めた。『Booker Little』は、Little本人にもわりと興味はあるが、Scott LaFaroが参加しているので逃すわけには行かなかった。Anat Fortの作品はPaul Motianがドラムなのでこれもやはり興味を惹かれる。『Collective』の目当てはScott Colley。『Lazy Afternoon』はJorge Rossyの参加に惹かれたもので、彼は言うまでもなく、第一期Brad Mehldau Trioのドラマーだったわけだが、きちんと聞きこんでいないから曖昧な、当てずっぽうの印象に過ぎないけれど、Paul Motian的なドラムスタイルを継承している人がいるとしたらそれはJorge Rossyにほかならないのではないかという感じを以前からこちらは抱いているので、興味があるのだった。ところで彼は一体今、何をやっているのだろう? 何年も前にドラムではなくてピアノを弾いた作品か何か出していたのは覚えているのだが、ドラムは叩いているのだろうか? 最後のMaria Schneiderのアルバムは二枚組のライブ盤で、こんなものがあったのかと驚かれたもので、二五〇〇円だかしたがやはり買わないわけには行かないだろうということで購入に踏み切った。この日はちょうどセールキャンペーンをやっていた日で、この作品はしかし三〇パーセント引きだかになったので、ちょうど良かった。
 会計して退店。駅に戻って便所に寄って六番線から電車に乗る。満員。一番東京寄りの車両のさらに一番端に乗ったのだが、何やらジャージ姿の中学生の集団があって混み合っていたのだ。すぐ傍にはベビーカーに子供を乗せた若い母親があって、この混み具合では、降りる駅にもよるが出口までたどり着けるかどうか、ことによると手伝ってあげた方が良いかもしれないと思い、どこで降りるのかと声を掛けようかとすら思ったのだが、ひとまず様子見していると、中学生らはじきに、中神かどこかで降りていき、スペースがひらいたので大丈夫そうだなと安心した。ベビーカーを伴った女性は昭島か拝島かどちらかで降りていった。その後はメモを取ることもせずに車掌室との境の壁に凭れて目を閉じ、河辺かどこかで席が空くと座って引き続き瞑目し、心身を休ませて青梅に到着した。
 職場へ。会議の詳細は面倒臭いので省く。(……)さんという、七〇歳だかそのくらいだと言う、昭島教室から「押しつけられた」新人の講師と初めて顔合わせ。会議終了後に挨拶をしておいた。室長と面談した際にも、君も頑張りたまえ、と言いながら彼の身体をぽんぽんやってきたという話だが、こちらが挨拶した際、やりとりの最後にも確かに、こちらの身体をぽんと触れてきた。笑みを浮かべていたので、悪い印象は持たれなかったと思う。三鷹のZNさんにちょっと似ていて、気難しそうな感じもする外見だが、実際はそこまで頑迷ではなさそう。
 帰路は電車に乗らず歩き。なかなか寒かった。凍てた空。帰ったあとの記憶は特にない。日付が替わる前から四五分間ほど書き物をして二九日の記事を確か完成させたのだったか。さらに三〇分読書をしたが、さすがに疲労が甚だしかったので、一時一五分で中断して床に就いた。


・作文
 7:38 - 8:15 = 37分(29日)
 23:51 - 24:36 = 45分(29日)
 計: 1時間22分

・読書
 24:46 - 25:15 = 29分

・睡眠
 2:05 - 7:00 = 4時間55分

・音楽

  • Joe Lynn Turner『Holy Man』

2019/11/29, Fri.

 その点では、特殊部隊の態度もまた、全く異様だった。彼らは、その作戦行動が終るときには、すすんでその虐殺を助けた何千というその同胞と同じ運命に、自分も見舞われるのだということを、もちろん十分に承知していた。にもかかわらず、彼らは熱心に協力して、いつも私をおどろかせたものだった。
 もちろん、彼らは、犠牲者たちに待ちうける運命を一言も告げなかったばかりでなく、脱衣の時はせっせと手助けをし、逆らう者たちは力ずくでも服を脱がせた。また、動揺する者を連れ去り、射殺の際には、しっかりと押えることまでやった。さらに、彼らは、銃をかまえる下級隊長たちが目に入らないように、犠牲者たちを連れてきたので、その下級隊長は、人目につかずに、頸筋に銃をあてることができた。また、彼らは、ガス室の中へ運びこめないような病人や衰弱した者たちにも、同じような処理の仕方をした。まるで、自分自身が殺す側に属しているかのような自然さだった。
 つづいて、部屋から屍体を引き出す、金歯を取去る、髪の毛を切る、墓穴または焼却炉へ引きずってゆく。それから、穴のそばで火の調整をする。集めてある油を注ぎかける、燃えさかる屍体の山に風通しを良くするために火を搔きたてる。
 こうした作業全部を、彼らは、まるで何か日々のありきたりのことのように、陰鬱な無表情さでやってのけるのだ。屍体を引きずっている最中でさえ彼らは、何かを食べたりタバコをふかしたりする。すでに長時間、大きな穴に転がされて腐臭を発する屍体を焼くという、陰惨な作業の時にさえ、食べるのをやめないのだ。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、303~305)


 一一時半起床。コンピューターは素通りして上階に行き、母親と顔を合わせて寝間着からジャージに着替えた。台所の大鍋にはシチューが拵えてあった。加えて前夜の白菜の味噌汁も残っていたので双方火に掛け、同じく前夜の余りである餃子を電子レンジに突っこむと米をよそった。米と餃子を先に卓に運んでおき、それからシチューと汁物をそれぞれ深皿と椀に盛ってそれらも運び、新聞を瞥見しながらものを食べはじめた。母親は、アイロン掛けをしてほしいとか、下階に採ってある大根を持ってきておいてほしいとか、ストーブの石油を入れておいてほしいなどと、こちらにやってほしい家事をメモ用紙に列挙して示してみせる。食事を終えて皿を洗い、風呂も洗ってしまうと早速、下階に下りて物置きを開け、そこに放置されていた大根三本を袋に入れて上階の台所に持ってきておいた。そうして電気ポットに水を足しておいて自室に帰り、コンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げて、インターネットを回るとともに前日の日課記録をつけ、この日の日記記事も新規作成した。そうして緑茶を注いでくると例によってやる気が湧かないのでしばらくだらだらとした時間を過ごし、一時を過ぎるとコンピューター前から離れて、何となくギターを弾くことに気が向いたので、隣室に入って楽器を手に取った。適当にブルースをやったり、定番のコード進行に乗せて曲を考えたりして満足すると自室に戻って、身体を温めることにした。the pillows『Once upon a time in the pillows』を流して歌を歌いながら、固まった肉体を和らげていく。三曲分のあいだ肉をほぐすと、音楽はそのまま流し続けながら、コンピューター前の椅子に就いて日記を書き出した。時折り歌を口ずさみながら、この日の文章をここまでさっと綴るとちょうど二時に至っている。
 口内が汚れているのが煩わしかったので、歯磨きをすることにした。歯磨きという行為だけを単一で行うのも手持ち無沙汰なので、そのあいだは当然、読み物に触れることになる。そういうわけで洗面所に行って歯ブラシを口に突っこんでくると、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログを読みながら口腔内を綺麗に磨いた。二〇分ほどで大方汚れを取れたようだったので、口を濯ぎに行くと、階段を上がって居間に踏み入り、ベランダに続く戸をひらけば、午後二時半の太陽が眩しく瞳に引っかかってくる。洗濯物を入れるあいだ触れた外気は、晴れていてもさすがにそろそろ冬らしくきゅっと固く締まっていた。室内に入れた洗濯物のなかからタオルを取って畳み、洗面所に運んでおくと、それから肌着も整理した。その次にストーブの石油を補充することにして、空っぽで随分軽くなったタンクを持って玄関から出ると、家の前には落葉がいくらか散っているがこれは今は片づける気にならない。勝手口の方へ回って石油のポリタンクが保管してある箱を開け、ポンプをタンクの口に挿しこんでスイッチを押した。あとは液体がいっぱいになれば自ずとセンサーが反応して、音を立てながら作動を止めてくれる。肩を回したり首をほぐしたりしながら待つその頭上の空は澄みやかに青く、形の曖昧な雲がいくらか塗られていた。タンクがいっぱいになると箱を元の状態に片づけ、室内に戻ってストーブにタンクを戻しておき、そうして一旦下階に帰った。二時三九分から前日の日記を書き出して僅か一七分で終了、これであと残っているのは二七日の夜、Tと通話したあいだのことのみだが、これに関しても細かく書くつもりはなく、よく覚えていることのみさらりと綴って終える予定だ。今日は休日で余裕があるので二七日の作文は後に回し、夏目漱石草枕』の書抜きを先に行った。BGMとして流したのはOscar Peterson『The Trio』である。ちまちま文言を打ちこんで、三〇分ほどでこの本の書抜きをすべて終えると時刻は三時半前、食物を摂取することにした。
 白菜を刻んで生のままドレッシングを掛けて食べれば良かろうと考えていた。そのほかに、同じく白菜の味噌汁も一杯分残っている。ただそれだけではボリュームが足りないように思えたので、米はないものの卵とハムを焼くことにした。まず先に白菜をざくざく切り刻んで笊に入れて洗い、それを置いておくとフライパンに油を垂らしてハムと卵を乗せた。焼いているあいだに温まった味噌汁を椀に流しこみ、白菜も大皿にこんもりと盛って、胡麻ドレッシングがもうないが新しい品は買ってあるのかと調理台下部の収納を覗けば和風のものがあったので、それを開封した。そうして焼けたハムエッグも皿に乗せて卓へ行き、新聞を読むこともなく黙々と食事を取った。生野菜にドレッシングを掛けるだけの品でも、充分美味いものだった。キャベツや白菜の類に、ハムと卵があれば質素ではあるが立派な一食を拵えることができ、カップ麺の類を食うよりも健康にも良いだろう。
 ものを食べたあとは食器を洗い、次に米を磨ぐ段だが、その前に玄関前の落葉を掃いておくことにした。サンダル履きで外に出て、柄の分解しかけている竹箒を取って、地を擦りながら色づいた枯葉を集めていく。駐車場の方を掃いていると賑やかな声がやって来て、中学生か、とすると、と思っていると案の定、(……)兄弟がなかにいたので、笑ってこんにちは、と挨拶をした。ほかに(……)くんと(……)くんの姿もあって、彼らは塾では(……)兄弟とはあまり関わりがないような印象だったが、実際にはそうでもないらしい。彼らが賑やかに過ぎていったあとも冷え冷えとした空気のなかで作業を進め、四時の鐘が鳴る頃に集め終わったものを塵取りに入れて、林の縁に捨てた。そうして室内に帰ると手を洗い、戸棚から米三合を笊に取って、釜を洗ってから洗い桶のなかで磨いだ。洗ったものをすぐに釜に収めて、水も注いで炊飯器に戻すと六時半に炊けるようにセットしておいた。これであとこなすべき家事はアイロン掛けくらいのものである。食事の支度はシチューもあるし、父親は今日は会合があって外で食うらしいし、冷凍されている牛肉を簡便に炒めれば充分である。
 そういうわけで緑茶を用意して自室に帰り、英文を読みはじめた。昨日に引き続きJames Blachowicz, "There Is No Scientific Method"(https://www.nytimes.com/2016/07/04/opinion/there-is-no-scientific-method.html)を読んで、さらにKatalin Balog, "‘Son of Saul,’ Kierkegaard and the Holocaust"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2016/02/28/son-of-saul-kierkegaard-and-the-holocaust/)も途中まで読めばノルマの三〇分が経過したので中断し、この日の日記を書き足して、ここまで書くと既に五時を越えている。

intuit: 直観する
・tentatively: 暫定的に、仮に
・falsificationism: 反証主義
・immerse: 浸す
・elicit: 引き起こす、生じさせる
・visceral: 直感的な、理屈抜きの
・repellent: はねつける、寄せ付けない
・attunement: 調和
・ineffable: 言葉では言い尽くせない

 五時を越えたのでもう外も深く暮れて居間は真っ暗、というわけで明かりを灯しに行った。階段口で手探りで壁のスイッチを点け、階を上がって食卓灯を引く。それから三方のカーテンを閉め、トイレに行ってから部屋に戻ってくると、二七日の日記を書きはじめた。まだ記さずに残っていたのはTとの会話のみだが、そんなに内容も覚えていないし短く済ませようと思ったところが書いていればそこそこ色々出てくるもので、完成させるまでに一時間が掛かった。そうして二七日と二八日の分の記事をインターネット上に投稿しておくと、アイロン掛け及び夕食の準備のためにふたたび上階に上がった。アイロン掛けは母親のシャツをエプロンである。三枚を処理して終わらせると、台所に入って玉ねぎを切り出した。冷凍された牛肉も電子レンジに入れて一分温め、そのあいだにフライパンに油を垂らしてチューブのニンニクを落とし、玉ねぎを放りこんだ。続けて肉も投入して搔き混ぜながら炒めて、砂糖を少々と醤油を掛けてフライパンを振れば手早く完成である。もう食べてしまっても良かったのだが、それほど腹が減った感じがしなかったので、食事はもう少しあとに回して、下階に戻ると兄の部屋に入ってふたたびギターを触った。料理中にメロディの断片が頭に浮かんでいたのでそれを形にしようと考え、一応ある程度整ったので自室に戻ってMIDI形式で打ちこんだのだが、作曲をやるにはやはり環境があまりにも貧弱過ぎる。自分の頭のなかにあるサウンドを再現できるシステムが整っていないので、細かく詰めるほどのやる気が出ないのだ。かと言って音楽制作ソフトを買うにはコンピューターのスペックが心許ないし、そこまでの熱意もない。自分があと音楽方面でやりたいと思っているのはアコギによる弾き語りくらいのもので、ちょっと練習して色々な曲がアコギ一本で歌いながら弾けるようになったら楽しいだろうなと夢想しているに過ぎない。
 それでメロディ案を一応MIDIに仕立てておくと七時半頃だった。八時になったら飯を食いに行くことにして、それまでに 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』に触れることにした。まず、書抜きである。二箇所を一〇分で写したあと、さらに新しい頁を読み進め、八時五分で切って上階に行った。帰ってきた母親の礼を受け、炒め物とシチューを温め、玉ねぎと牛肉は丼に盛った米の上に乗せ、シチューは深皿によそり、そのほか母親が買ってきてくれたカレーパン半分を温めて、卓に運んだ。テレビは信じがたいほどにどうでも良い番組を映しているのでほとんど目を向けず、夕刊を読みつつものを食って、食後、皿を片づけると風呂に入った。さすがに裸になった時に肌を襲う空気の質感が、なかなかに張ったものになってきた。湯に浸かりながら詩句の案を考えたり、雑多なことに思い巡らせていると父親が帰ってきた音がしたが、だからと言ってすぐには上がらず、ゆっくりさせてもらうことにしてもうしばらく浸かってから上がった。出ると父親に挨拶し、電気ポットに水を足しておいて下階へ、(……)茶を用意しに行き、持ってくると一服しながら「対談=與那覇潤×石戸諭/與那覇潤×安田峰俊 歴史がおわる世界から、もう一度 『歴史がおわるまえに』(亜紀書房)刊行記念対談 載録」(https://dokushojin.com/article.html?i=6224)を読んだ。

石戸  山本さんは、平成の天皇、つまり現在の上皇について、お父さんのような存在だと語っています。自分は父親がいない家庭に育ったから、父性をどこかに求めている。平成の時代に天皇がしてきたこと、戦地や災害地に赴いて、民に声をかけ元気づける。その姿に父性を感じるのは普通の感覚ではないですかと。山本さんはちょっと心配になるほどストレートな左翼なんだけど、体系的なイデオロギーは持ってないんです。

那覇  イデオロギーではなく実感だけがあると。これは丸山眞男が昔、日本人の無思想ぶりに対する「悪口」としていったことですが。

石戸  それがいまや熱狂的に迎えられている。僕の周りでも、タイムラインがれいわで埋まるぐらい、熱狂している人がたくさんいます。でもその現象の中心にいる山本さんには、天皇を持ち出せば右派を味方につけることができるだろう、というような計算を全く感じない。計算がなくて、実感だけがある。そこに危機感を持っています。実感だけで勝負するという系譜のなさに。

那覇  日本だけでなく、まさにいま世界中で起きている問題でもありますね。丸山や、拙著で取り上げた評論家の山本七平は、「純粋な人間」が理屈でなく感情で周りを引っ張っていく現象を、日本の特殊性だと捉えていた節があります。
 欧米のインテリは知性で考える。それに比べて日本のインテリは実感信仰だから、ずるずる民意に引きずられるんだと。でも最近では、トランプみたいな人が似た感じで米大統領になっていて、この現象をポピュリズムと呼ぶわけです。

那覇  郵政選挙の頃から批判的にポピュリズムの語が使われ始め、続いてむしろ「民主主義とポピュリズムは、本当に区別できるのか」という疑問が湧きだした。民主主義は多数決な以上、選挙が人気投票になるのも逸脱ではなく本質なんだと。この空気にうまく乗ったのが、政治家時代の橋下徹さんです。その後、右翼の専売特許のようにいわれてきたポピュリズムに「左の側から乗ろう!」とする人が世界的に出てきて、日本にも山本さんが登場する。
 しかしもう一度、民主主義とポピュリズムは「何によって区別できるのか」を考えるとき、僕がいま指標になると思うのは時間の感覚です。歴史や系譜の喪失を議論してきましたが、ポピュリストと呼ばれる政治家は、時間感覚が「現在」に集中していますよね。いま、これをいえばウケる、票が取れると。
 ハイデガーの『存在と時間』をはじめとして、哲学の人がよく「時間とは主観的な現象だ。客観的な実在ではない」といいますね。普通に生活してると全然実感ないけど(笑)、重度のうつを体験すると「時間感覚は人によって違う」ことが身に染みて分かるんです。ポピュリストは、過去にAがあって、いまBという問題が生じているから、Cな対策をして、次の世代にはDの状態にしていこうといった、長い幅のある時間軸を持たない。半年後に破綻しますといわれても、「いま」の満足度をMAXにする政策を叫ぶ。これが民主主義とポピュリズムの分かれ目のように思うんです。

那覇  「つくる会」のピークは、九〇年代末です。九七年に結成され、最初の教科書の検定合格が二〇〇一年。これは見方を変えると、右翼の左翼化なんです。藤岡信勝さんは共産党からの転向者ですが、冷戦下の保守系知識人には、大衆は放っておいて、政権を動かすエリートだけに働きかければいいとする態度があった。平成の「つくる会」の新しさは、庶民の側へ近づいていったことです。既存の教科書の権威に、むしろ下からの運動で挑んでいった。

石戸  「つくる会」を右からのポピュリズム運動と呼んだのは小熊英二さんですが、この認識を僕も踏襲しています。右からかつ下からの動員です。

那覇  「人民は間違わない」という考え方も、本来は左翼的ですね。

石戸  意識的に取り入れたと、藤岡さんは明言していました。

那覇  右翼の左翼化が起きたのが九〇年代だとすると、平成末期に進行したのは左翼の右翼化で、しかも右翼は左のいい部分を取り入れたけど、左翼は「時間軸の放棄」という右のダメな部分を取り入れている。

那覇  最近思うのは、『永遠の0』は歴史が「完全に死んだ後」の世界で、最初に書かれた歴史小説だったのではないかと。先発者のメリットで、いちばん売れた面はある。
 僕らの世代までは「戦後」といわれて、「どの戦争の後?」とは訊き返しませんよね。第二次大戦の悲惨さは国民全員が、本人が体験したかに関わらず、必ず記憶に刻んでおくべきだとされてきた。そうした巨大な蓄積を踏まえて戦争を語るときは、まず「逡巡する」という所作が自然に出てきたと思うんです。俺なんかが、こんな風に語っちゃっていいのかなと。
 『永遠の0』にはそれがない。容貌や表情の描写に乏しく「のっぺらぼう」な登場人物が、特攻の体験を調べたり語ったりして、しかも証言者が例外なく饒舌なんです。いい淀む人・口を閉ざす人は出てこない。歴史の「重さ」みたいなものを百田さんは感じてなくて、純粋に参照した情報だけを流してゆく。『永遠の0』は零戦のゼロではなく、「歴史ゼロ」の社会に向けて書かれた最初の小説だった。

那覇  安田さんは月刊誌『文藝春秋』に二号連続で香港ルポを書いています。十月号では、非暴力で平和裏に五大要求を突きつける主流派(和平派)に対し、死ぬまで権力と闘うと叫んで路面のレンガで投石する過激派(勇武派)が台頭し、運動がカオス状態になりつつあると。その記事を読んで、日本でいう六〇年安保と七〇年安保が、同時に起きているような印象を受けました。
 六〇年に丸山眞男らの知識人が指導して、岸信介による日米安保改定の強行を許さず「民主主義を守ろう」とした平和裏なデモがあった。しかし十年後の学生運動では、民主主義とは名ばかりで体制自体が腐っている、こんな日本に未来はない、全てぶっ壊すしかないんだと。そう唱えて全共闘が暴れまわった。それと重なる性格の変化が、より急速に香港ではいま起きていませんか。

安田  類似点はもう一つあります。香港デモは反中デモであると報道されますが、ここでいわれる「中国」は、かなり観念的なものなのです。実際にデモ隊が怒りを向けているのは、香港政府であり、林鄭月娥であり、香港警察です。その意味でも六〇年、七〇年安保と似ていると思うのは、あの闘いで唱えられた反米も、観念的なものだったからです。その背後には、ベトナム戦争を主導するアメリカへの抗議がありつつも、新左翼が抗議した対象は、傀儡の出先機関である自民党政権であり、許せないのは日本の政治と警察だった。

那覇  なるほど。ノンフィクションの賞を獲られた安田さんの『八九六四』は、天安門事件の「その後」を描くルポでした。興味深かったのは、香港の民主派はいちばんあの事件に強くコミットし、記憶を語り継ごうとする人々だった。中国本土で「八九六四」は完全な禁句ですが、香港では毎年事件があった六月四日に追悼デモが起きる。しかし、そうした歴史意識と共にある「天安門の都」だったはずの香港で、最近は「天安門離れ」が起きていると。

安田  香港人アイデンティティの変質が起きています。かつての植民地時代の香港人は、イギリスに支配されていても自分たちは中国人だと。そこでいう中国人とは、毛沢東を賛美するわけでも、中国共産党を支持するわけでもない、「チャイニーズ」であるということです。中華人民共和国というネイションではなく、もっと大きな枠組みで見た中国に属する存在であると。ゆえに、天安門事件は自身の問題であるし、「愛国」的な行動だと。
 ところがそうした伝統的な香港人アイデンティティが、二〇一四年の雨傘革命から変わりはじめます。若い人たちは、自分たちを「香港人」だと思いはじめた。天安門事件は人道上の悲劇だが、隣の国で起きた出来事であり、自分たちは当事者ではない。それをなぜ「愛国」として追悼するのかと。結果、香港での天安門追悼運動は低調になりつつあるんです。

 それで一〇時、ここまで書き足せば一〇時一七分。翌日は山梨の祖母宅で食事会だが、朝八時半には出なければならないと言う。果たして起きられるだろうか。
 音楽を聞きはじめた。まず最初に、Bill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)を三回連続で聞いた。Paul Motianのドラムは軽やかで、シズルシンバルの残響の為せる業も大きいのだろうが、空気をよく孕んでいるような、やはり気体的と言うべき質感を持っているように感じられる。尋常のアンサンブルだったらドラムが全体の下支えになるものだろうが、Motianのドラムはとにかく軽く、浮遊的で、むしろドラムの方が上に乗っているように聞こえる。その際に「乗る」というのはしかし、ほかの楽器の作り出す層の上に乗るのではない。一九六一年六月二五日のBill Evans Trioには、誰が誰の上に乗るという上下関係が存在しないからだ。そこにあるのは水平方向の対等性の関係のみで、たまさか上下の複層関係が生ずるにしても、それは決して恒久的に固定化されたものではなく、その位置取りは絶えず入れ替わっていく。三者全員で全員を支え合っているのがBill Evans Trioの力関係だ。この三人は互いの顔を見合わせ相手の出方を窺いながら演奏している感じがしない、むしろ、三者とも視線を交差させることがなく、皆で揃ってただ一つの方向を向いているように聞こえる、というようなことを以前に記したことがあるが、そうした印象は今回改めて繰り返された。勿論現実には、相手の呼吸をこの上なく鋭敏に感知し掴んでいるに違いないのだが、聞く限りの印象としては、三者三者とも互いの演奏に合わせようとしているのではなくて、それぞれ己の内なる音楽形式に忠実に従って演じた結果が偶然にも調和してしまっている、というような感覚を覚えるのだ。陳腐な言い方になるが、彼らはまさしく「音楽」という一つの共通した観念としての土台の上に、三者とも同じ高さで立っている。そのユートピア的な、完全なる平等性の様相は、感動的である。
 次に、"Alice In Wonderland (take 1)"。これも改めて聞いてみると、とてつもなく凄い演奏だと打たれるもので、名演だと断言せざるを得ない。動きの多様さ、織り重なりの複雑さで言ったら、あるいは"All Of You"以上かもしれず、このライブ音源のなかでもほかには聞かれないような精妙な絡み合いを実現している感覚がある。ベースソロも機動性が非常に高く、鮮烈な動き方をしていて素晴らしいことこの上なく、Motianのドラムの多彩さ、拡散的な歌いぶりも、この曲がおそらく最高度に達しているのではないだろうか? 繰り返し聞きこまざるを得ない。
 Bill Evans Trioの演奏は、そのベストな様態においては一瞬たりとも固化することがなく、常に不定形に流動し続ける。それはScott LaFaroPaul Motianが音楽空間を常に搔き回しているためで、とりわけLaFaroの攪拌ぶりが激烈なのは言うまでもない。「堅固」という重量感溢れる言葉があまり似つかわしくないようなイメージのBill Evansだが、しかしそうした点から見れば、この三者のなかで最も堅固なのは彼なのではないか。LaFaroとMotianがどれだけ演奏を搔き混ぜても、Evansは決してそれに引きずられることがなく、確固たる一定性を常に保って音楽世界を支えているからである。彼は透明感溢れる明鏡的な不動性の権化であり、美しく定かな宝石めいた「固体」としての様相を持っている。それに対してLaFaroは流体的かつ攪拌的な遊動性を担当し、変幻自在の柔軟さを宿したまさしく「液体」である。そして、Motianのドラムは軽やかな微風のような拡散性を特質としており、型に嵌まらず予測できない動きで音響空間を広くひらくその演奏は、言わば「気体」になぞらえることができるだろう。「固体」たるEvansが構築するこの上なく明晰で揺るぎない音楽世界のなかに、「液体」としてのLaFaroが泳ぐように縫うように分け入って空間を柔らかく搔き混ぜ、「気体」であるMotianは外周から浮遊的に音響世界を包みこんでその最小の細部まで浸透していく――それが、一九六一年六月二五日のBill Evans Trioの音楽的動態である。
 さらに、Bill Evans Trio, "Autumn Leaves"(『The 1960 Birdland Sessions』: #4)。これは三月一九日の音源で、すなわちこのアルバム冒頭の"Autumn Leaves"の一週間後に演じられた同曲のテイクである。一曲目のテイクではLaFaroのソロから始まっていたが、今度は尋常に、『Portrait In Jazz』のテイクと同様の始まり方をしており、スタジオ盤のテイクにライブならではの熱が付け加えられたといった感じだ。ベースソロはLaFaroがリズムの補助もなしに完全な独奏で演ずる場面が長く、店の客の笑い声やざわめきによって細部まで聞き取るのが難しく、またリズムも自然な揺らぎを帯びているのでついていくのがなかなかスリリングなのだが、やはりライブなのでフレーズの動きはより大胆になっているのではないか。Evansも単音でのソロ前半はともかく、後半の盛り上がりはスタジオ音源よりも一歩先まで踏みこんでいるように思われた。派手に畳みかけるような三連符の連なりも披露し、リズムの構成に変化をつけた場面も一部あって、その点、六一年の不動性とは微かに異なる感覚も覚える。六一年時点でのこのトリオが"Autumn Leaves"の演奏を残すことがなかったのは、実に惜しいことだ。それにしても、今や伝説となっているこの時期のBill Evans Trioは、三月一二日のテイクを考慮に入れてみても、これほどの演奏を霊感に導かれた特別のものとしてではなくて日常的に提示することができたのは疑いないのだが、それはまったくもってとんでもないことである。この三人はやはり化け物だ。
 音楽鑑賞のあとは零時半直前から読書に入り、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を二時まで読み進めて就床した。
    


・作文
 13:50 - 14:00 = 10分(29日)
 14:39 - 14:56 = 17分(28日)
 16:43 - 17:05 = 22分(29日)
 17:08 - 18:09 = 1時間1分(27日)
 21:59 - 22:18 = 19分(29日)
 計: 2時間9分

・読書
 14:01 - 14:22 = 21分
 14:58 - 15:25 = 27分
 16:11 - 16:42 = 31分
 19:29 - 19:39 = 10分
 19:40 - 20:05 = 25分
 21:31 - 21:57 = 26分
 24:28 - 26:02 = 1時間34分
 計: 3時間54分

・睡眠
 3:30 - 11:30 = 8時間

・音楽

2019/11/28, Thu.

 さて、ユダヤ人大量虐殺の開始される以前、一九四一年から四二年にかけて、ほとんど全強制収容所で、ロシアの政治将校と政治委員が清算された。秘密の総統布告にもとづき、すべての捕虜収容所でロシア人の政治将校と政治委員が、ゲシュタポ特別部隊の手で、選びわけられた。選びわけられた者たちは、隣接の強制収容所に移送された。
 この措置の理由として公表されたのは、こうだった。ロシア軍は、ナチ党の党員たると支持者たるとを問わず、すべてのドイツ軍兵士を、とくにSS隊員を、即座に斬殺した。一方、赤軍の政治委員は、捕虜となった場合にも、捕虜収容所もしくは労役地で、あらゆる形の不安動揺を惹起し、あるいは、作業をサボタージュする任務をうけている、と。
 こうして選び出された赤軍の政治委員は、清算のために、アウシュヴィッツへも送られてきた。最初に輸送されてきた小グループは、部隊の死刑執行部によって銃殺された。
 私がある職務上の小旅行をしている間に、私の代理・保護拘禁所長フリッチュが、殺害のために毒ガスを用いた。それがまさに青酸ガス・チクロンBだったのだ。それまで、これは、収容所内の害虫駆除に常用あれ、備蓄されていたものだったのだが。
 旅行から帰って後、私はそのことを報告され、次に移送されてきたグループにもまたこのガスが用いられた。ガス殺人は、第一一ブロックの懲罰拘禁室で行なわれた。私自身ガスマスクをつけて、その殺害をこの目で見た。
 超満員の部屋の中で、計画どおり、瞬時に死が訪れた。わずかに、短く、ほとんど絶えだえの一声をあげるだけで、もう終りだった。この最初のガス殺人の場面は、どういうものか、私にははっきりと意識にのぼってこない。たぶんその全体の光景から、あまりにすさまじい印象をうけたためだろう。
 もっと強烈に思い出されてくるのは、すぐこれに引きつづいて、九〇〇人のロシア人を、古い火葬場で、ガスで殺した時のことだ(ここを用いたのは、第一一ブロックの使用には、あまり手がかかりすぎたからだ)。さしあたり、ガス噴射の際には、たくさんあいている穴は、屍体室の土やコンクリートで上からふさがれた。
 ロシア人は、まず前室で服を脱ぎ、全員おとなしく屍体室に入っていった。虱を駆除するからという風にいわれていたからである。グループ全員が、完全に屍体室に入りきると、ドアがしめられ、開口部からガスが噴出した。
 この殺害にどれだけ時間がかかったか、私は知らない。しかし、なおしばらくの間、呻き声がききとれた。噴射の際、少数の者が「ガスだ」と叫び、ものすごい叫びがきこえ、両側のドアにドッと人がぶつかってきた。しかし、ドアは、この圧力にビクともしなかった。
 何時間かたって、ドアがあけられ、排気がおこなわれた。私が、堆[うずたか]いガス屍体の山を見たのは、それが初めてだった。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、292~295)


 またも正午まで寝床に留まり続ける。言い訳はするまい。私は堕落して腐りかけ、地に這いつくばる茸に過ぎない。ベッドを抜け出し、ダウンベストを持って上階に行き、母親に挨拶すると寝間着からジャージに着替えた。食事は即席の煮込み蕎麦である。大鍋に入ったそれを熱し、そうすると鍋の持ち手も熱くなるので濡れた台布巾で手を守りながら鍋を持ち上げ、丼に蕎麦を流しこんだ。そのほか、薩摩芋を混ぜて作ったホットケーキ様のものがあったので、これは台所に立ったままつまみ食いし、丼を持って卓に向かうと新聞を瞥見しながら麺を啜った。食べ終わる頃には母親は仕事に出掛けていった。こちらは皿を洗い、風呂も洗って、一旦自室に戻るとコンピューターを点けてログインし、各種ソフトを立ち上げておいてそのあいだに緑茶を仕立てに行った。三杯分を用意して戻ってくると、インターネットを見回ったり、今日の記事を新規作成したりしたが、その後すぐには日記に取りかかれず、休日であることもあってか気分が緩くてやる気がまったく湧かず、長くだらだらと過ごした。そうしてあっという間に二時前に至り、そろそろ正式な活動を始めるかというわけで、まず最初に身体をほぐすことにした。例によってthe pillowsの曲を流して歌いながら下半身や肩周りの肉を和らげ、柔軟運動を止めてからも"Ladybird girl"とか"Tokyo Bambi"とか"Funny Bunny"とかを歌い、その後Bessie Smith『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』を流しながらようやくこの日の日記を書きはじめた。ここまで綴れば二時二三分である。
 さらに二六日の日記に取り組んで、三〇分強綴ったのだが、三時で作文の時間が途切れている。次に日課が記録されるのは三時半、読み物を始めており、この時食事を用意してきてそれを食べながら過去の日記などを読んだのは覚えているのだが、三時から三時半までのあいだに何をしていたのかが不明である。ともかく、三時半前になると腹が減ったのでものを食おうというわけで、上階に行き、セブンイレブンカップのきつねうどんに湯を注いで割り箸とともに持ち帰ってきたのだった。味の結構濃いそれを啜りながら二〇一四年三月六日の日記や、fuzkueの「読書日記」や、Mさんのブログを読んだ。読み物の後半にはまた、おにぎりも一つ作ってきて食べていた。そうして午後四時で読み物からふたたび書き物へ移行し、二六日の記事をまた進めて、五時前に至って完成させることができた。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』の感想を一所にまとめた記事とともに、二六日の日記をインターネットに放流すると五時、そこから音楽を聞いて心身のチューニングを図ることにした。いつものごとくBill Evans Trio, "All Of You (take 1)"を聞いたのだが、予想通り、音楽に包まれて視覚も聴覚も閉ざしていると睡気が湧いてきて、いつか意識が逸れてまともな聴取にならず、何度か流していれば頭が晴れてくるかと思って四、五回聞いたのだが、結局明晰な認識には至らず、従ってほとんど印象も残っていない。いつの間にか、六時になっていた。そろそろ飯を作らねばならないと思っていたが、六時半まで休むことにして、ベッドに移って横たわり、寝床に生えた茸と化して三〇分、褥の安楽を味わうと、起き上がって階を上がった。野菜室を見ると大きな白菜があったので一つにはこれを味噌汁にすることに決め、おかずには鯵があったものの何となく気が向かずほかの品を探していると、冷凍庫に餃子の袋を発見したのでこれを焼くことにした。それで白菜を三枚剝ぎ取り、洗って切り分け、鍋の湯のなかに投入し、一方ではフライパンで餃子を焼きはじめた。火を点けるとまもなく水を注いで蓋をして、餃子を加熱し白菜も煮ているあいだは食器乾燥機の皿を片づけたりしながら待って、しばらくするとフライパンの水が少なくなって弾ける音の種類が変わったので、蓋を取って水気を散らす段階に入った。それでちょっと焦げ目をつけて餃子は完成とし、一方で汁物の方も具合が良さそうだったので火を止めて味噌を溶かし入れ、それほど腹は減っていなかったが焼き立ての温かなうちに餃子を食ってしまいたかったので、食事を取ることにした。丼の米の上に餃子を乗せ、白菜の味噌汁とともに卓に運ぶと、夕刊をひらきながら食物を摂取しはじめた。渡辺貞夫が一二月にストレートアヘッドなフォービートジャズのライブ盤を出すと言う。メンバーはSteve GaddにJohn Patitucciに、確かRussell Ferranteと書いてあったか? Steve Gaddは近年はあまり目覚ましいプレイをしていないような印象なのでそこまで惹かれないが、John Patitucciの参加にはちょっと興味を覚える。それから三面に戻って香港の覆面禁止規則の適用が延長されたという記事を読み、一面から米国で香港人権法案が成立したという報も読んで、ものも食べ終えて抗鬱薬を飲み、台所に移って皿を洗う段になって母親が帰ってきた。何をやったのと言いながら入ってきたので、餃子と味噌汁と答えて食器を洗い、電気ポットに水を足しておいてから下階に帰った。漫画について少々検索したあと、緑茶を用意しに行き、戻ってくると一服しながらJames Blachowicz, "There Is No Scientific Method"(https://www.nytimes.com/2016/07/04/opinion/there-is-no-scientific-method.html)を読んだ。結構長いエッセイで、気づけば四五分が経っても最後まで読み終わらなかったので、途中までで続きは翌日以降と定めて切り、便所に行ってきてから日記を書き出した。ここまで記すと八時三八分。

・append: 付け加える
jot: 手早く書き留める、メモする
・profanity: 口汚い罵り、冒瀆の言葉
・itemize: 箇条書きにする
ad hoc: その場しのぎの、即興の; 特別の問題(目的)のための
・composite: 合成の、混成の
・criterion: 基準、尺度
・ellipse: 楕円
・default: 初期設定、初期値
・entertain: 心に抱く
・oval: 卵型
・lopsided: 一方に傾いた、不均等の
・curve-fitting: 曲線適合法
・seat-of-the-pants: 経験と勘による
・devoid of: 欠いている、持っていない
・tack on: 追加する、付け加える; 上乗せする
・prescribe: 命じる、指図する、規定する
・projectile: 発射物、投射物
・parabolic: 放物線の
・variable: 変数; 不確定要素

 そこからしばらく何かをして、確か九時を越えてから風呂に行ったと思う。湯のなかに浸かり、縁に頭を預けて安らぎながら目を閉じて、詩句の案を考えた、今現在、詩のアイディアは二つ頭のなかにあって、まあどちらも似たような感じのテーマではあるのだが、そのうちの一つについて思い巡らせたのだった。第一連の構成は何となく見えていないでもないものの、その一連目だけで完結してしまいそうな雰囲気もあり、もっと広がりを出して展開させていくにはどうしたら良いのか、考えどころである。しばらく言葉を頭のなかで遊泳させて、上がって自室に帰ると、いくつか使えそうな語句をEvernoteにメモしておき、そうして九時半過ぎから二七日の記事を綴りはじめた。一時間を打鍵に邁進して、Tとの通話に入る前の場面まで書き終えることができた。通話で話したことを書くのは翌日の自分に譲ることにして時刻は一〇時四〇分、そこから書見を始めるまでにまた間があるのだが、何をしていたのか覚えていない。一一時半に達するとまず、夏目漱石草枕』の書抜きを行った。三〇分余りをそれに費やすと次に、プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読み出して、二時間半をぶっ続けでこの作品に充てて、最後まで読み終わるに至った。どの篇も科学的な、あるいはファンタジックで豊かな想像力に基づく創造的なアイディアが主軸に据えられていて、文章としてもすこぶる読みやすく、よくできたSF的物語の集合としてなかなか面白かったが、言語表現とか文学的形式とか小説の構成として興味を覚えたり深い印象を得たりする瞬間とは遭遇せずに、さらりと読み通してしまったような感じだ。書抜きをしたいと思う箇所とも、出会うことができなかった。
 さらに続けて下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読み出し、三時半前まで書見を続けたのち、就床した。


・作文
 14:15 - 14:23 = 8分(28日)
 14:23 - 14:57 = 34分(26日)
 16:00 - 16:47 = 47分(26日)
 20:16 - 20:38 = 22分(28日)
 21:37 - 22:40 = 1時間3分(27日)
 計: 2時間54分

・読書
 15:29 - 15:55 = 26分
 19:22 - 20:08 = 46分
 23:33 - 24:07 = 34分
 24:13 - 26:45 = 2時間32分
 26:48 - 27:22 = 34分
 計: 4時間52分

・睡眠
 2:15 - 12:00 = 9時間45分

・音楽

2019/11/27, Wed.

 さて、ヒムラーの意を体して、アウシュヴィッツは、古今未曾有の大虐殺機関とされた。一九四一年夏、アウシュヴィッツに大量虐殺用の場を整え、その虐殺を実行すべしとのヒムラーの命令が伝えられたとき、私は、その規模と行く末について、片鱗も思い浮かべられなかった。
 たしかに、この命令には、何か異常なもの、途方もないものがあった。しかし、命令ということが、この虐殺措置を、私に正しいもの[﹅6]と思わせた。当時、私は、それに何ら熟慮の目をむけようとはしなかった――私は命令をうけた――だから、それを実行しなければならなかったのだ。
 このユダヤ人大量虐殺が必要であったか否か、それについて、私はいかなる判断も許されなかった。その限りで、私は盲目だったのだ。もし、総統自らが「ユダヤ人問題の最終的解決」を命じたとあれば一人の古参ナチ党員にとって、いかなる疑いもありえない。まして、SS隊長となれば、なおさらのことである。「総統は命じ、われらは従う」――これは、われわれにとって、決して空言葉ではなく、単なるスローガンなどでは絶対になかったのだ。それは、きびしく、真剣にうけとられたのだ。
 戦後、逮捕されて以来、私はくり返しいわれた。まさにこの命令を、私は拒否しえたのではないか、ヒムラーを射ち殺すことさえできたのではないか、と。――だが、私は信じない。何千というSS隊長の中に、ただ一人でも、そうした考えを自らに許した人間がいたとは信じない。要するに、そうしたことは、全くありえないことだったのだ。
 たしかに、多くのSS隊長は、ヒムラーの苛酷な命令に不平をいい、毒づいたりもした。しかし、それでも、彼らは、それをすべて実行した。ヒムラーは、その仮借ないきびしさによって、多くのSS隊長を、容赦なく処断した。しかし、それでも、彼に手をかけることを敢てしようなどと、心の奥底で考えるだけでもした人間が一人でもいたとは、私は信じない。SS全国指導者としての彼の人格は、神聖冒すべからざるものであったのだ。総統の名における、彼の原則的命令は、聖なるものだったのだ。それにたいしては、いかなる考慮、いかなる説明、いかなる解釈の余地もなかった。その命令は徹頭徹尾完遂されねばならなかった。たとえ、そのために命をなげうたねばならぬことがあろうとも。そして事実、戦争中、少なからぬSS隊長がそのとおりにした。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、290~291)


 今日も今日とて、正午過ぎまで腐れ寝坊。ベッドから出るとコンピューターは点けずに上階に行き、寝間着からジャージに着替えてダウンベストを羽織った。母親は料理教室に出掛けている。台所に入ると昨晩のおじやが残っていたのでそれを電子レンジに入れ、フライパンに炒められてあった豚肉も皿に取り出してからトイレに行った。排尿して戻ってくるとおじやと入れ替わりに肉をレンジに突っこみ、熱を持ったおじやの容器を両手で持って卓に運び、腰を下ろすと食べはじめた。その後、豚肉も持ってきて、新聞を瞥見しながら食事を取り、平らげると台所で食器を洗った。風呂は残り水が多いので洗わなくて良いと書置きにあったので放置して、そのまま下階に帰ってくるとコンピューターを点け、前日の記録をつけたり今日の記事を用意したりした。ちょっとだらだらしたあとに日記作成に取り掛かって、まず今日の分をここまで短く記して一時九分である。
 それからメモに従って二五日の記事を進めた。力の抜けた平易な書きぶりになったように思う。二時半を越えて完成させ、インターネット上に日記を投稿するついでにTwitterをちょっと眺めてみたが、およそ退屈の感しか湧いてこなかった。Twitterという空間も、どうやら自分の居場所ではないようだ――昔にも同じことを思って撤退したのだが。今回は撤退はしないまでも、日記の投稿通知と、わりあいによく書けた箇所の引用だけ呟いていればあとはもう良いかな、という気分になっている。とにかく皆、どうでも良い冗語を喋りすぎではないかと思う――「白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ」(シェイクスピア福田恆存訳『マクベス新潮文庫、1969年、125~126)。
 その後、運動をした。長く寝坊しただけあって身体が固かったので、the pillowsを歌いながら屈伸を何度も何度も繰り返し、そのほか開脚や腰をひねる運動も行った。そうして三時直前に至って食事へ向かった。母親は帰宅しており、料理教室で弁当を作ってきてくれたのでそれを有り難く頂くことにして、台所の調理台の上に置かれてあった弁当箱を温めた。メニューは米にビーフストロガノフ、それに南瓜のコロッケ、あとはキャベツのコールスローサラダである。ビーフストロガノフとは何なのかと食べながら訊くと、牛肉と玉ねぎを炒ってデミグラスソースで和えた料理だとか言う。八月のロシア旅行の最中にも食ったもので、あの時には壺のような容器のなかに入っていて、確か蕎麦の実と一緒に詰めこまれていた記憶がある。ゆっくり味わって弁当を食っていると母親が、饅頭を買ってこようかなと言う。三〇日に山梨の祖母宅で食事会があるのだが、そこに持っていくための品だ。それを求めに出掛けるらしかったので、緑茶を買ってきてくれないかと言うと、まだあると答えて母親は戸棚を探り出し、高いのがあったと持ってきたのは、これもまた例によって何かのお返しの品らしいが、確かにわりと品の良い包装に包まれてあるのだった。「いなば園」という会社の静岡茶で、お返しの品は大抵は美味くないのであまり期待できないのだが、これは高いから美味しいと思うと母親は主張する。それで食後、皿を洗ってから袋を開封して茶葉を茶壺に入れてみたところ、その際の香りは悪くはなかった。下階から急須と湯飲みを持ってきて注いでみたが、緑色の湯から立ち昇る香気もやはり悪くない。自室に戻って読み物に触れながら一服してみると、味も、物凄く美味いわけでもないが、普通に美味い緑茶で、雑味がないのが何より良かった。それで飲みながらいつものように、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと読むと三時四二分に達したので、一旦中断して上階に行き、アイロン掛けに取りかかった。アイロンのスイッチを入れて南の窓外に視線を放つと、どうも雨が降っているような空気の色合いで、それで窓に寄って目を凝らしてみたところ、幽かに降っているようだけれどうまく見えず確定できない。今度はベランダの方のガラス戸を開けて手を突き出すと、仄かに触れるものがあった。その頃には既に器具が温まっていたので炬燵テーブルの側面に戻り、アイロン掛けを始め、母親の白いシャツやエプロンやハンカチを処理し終えると階段を下って、洗面所で歯ブラシを取った。洗面所の前、階段下のスペースでは、大きな編笊に細く小さく切った大根がいっぱい乗せられて、扇風機の風で乾かされている。それを跨ぎ越して部屋へ移動すると、Sさんのブログを読みながら歯磨きをした。一一月六日から一一日の記事まで読んだなかで、七日の「久保さん」という記事が面白かった。若きSさんの芸術や絵画に対する熱情についてちょっと触れられていて、やはりそういう心情=信条を持っていたのだなあと思った。
 それから口を濯いできて、the pillows "New Animal"を流して歌いながら着替えである。今日は黒の装いに、ネクタイは鼠色のものを取った。ベスト姿になると、"プロポーズ"を歌った。この曲は、どちらかと言えば地味な方である気がするが、こちらは結構好きである。ブルース進行に則っているのも好みだし、Aメロの歌詞も意味がよくわからず、架空の映画を思わせるような雰囲気があるのが良い。歌を歌うと四時一五分からこの日のことをメモ書きし、それを終えると出勤までにまた音楽を聞くことにした。
 Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)。このテイクの"All Of You"もやはりまた完璧である。Evansは序盤は間を広めに空けて、悠々と弾いているような感覚で、そうすると機動的なLaFaroの動きが自ずとそこに吸いこまれてきて耳に届く。このテイクのEvansはソロの前半では結構繊細なタッチで弾いているようで、優しげな印象も感じさせないでもない。リズムがフォービートに移行するとフレーズの息が長くなり、また例によってコードを叩きはじめ、Evansが厚いコードを打つのに応じて、Motianもシンバルのダイナミクスを上げて活気づいていくのがよくわかる。LaFaroのソロはやはりかなり歌っていると思うし、拍頭を捉えづらくなるようなダイナミックな速弾きも耳にできる。
 その後、"Gloria's Step (take 2)"。三枚組の音源の冒頭に戻ってテイク一を聞こうと思ったところが、間違えてディスク二の最初を聞いてしまい、聞き終えたあとになって気がついた。"All Of You"と同様に三テイク収録されている"Gloria's Step"のなかでは、LaFaroはテイク三において最も過激な振舞いを取っているのではないかと思っていたが、なかなかどうしてこのテイク二もかなり動き回っている。明らかに派手で目立つ動きはテイク三の方が多いかもしれないが、例の三連符の突っこみなどはここでも聞かれ、よく言われることだけれど、ほとんど独奏みたいな動き方をしているものだ。
 次に、"Gloria's Step (take 1, interrupted)"。テンポはおそらくこのテイクが一番速いだろうか? これもやはり凄いと言わざるを得ない。LaFaroのベースというのは、素早さと言うかスピーディーさと言うか、機動性のような感覚がずば抜けていて、突然二拍三連に移行してみたりとか、フォービートで上昇した先でそのまま副旋律めいた細かなフレーズに滑らかに推移したりとか、方向転換が非常にクイックである。まさしく融通無碍で、変幻自在と言うべき柔軟さに満たされていて、ソロも勿論素晴らしいけれど、それよりもやはりバッキングでのそうした素早い遊動が印象に残るものだ。
 音楽を聞いてメモを記しておくと五時を過ぎたので、バッグに荷物を入れ、今年の給与の明細をすべて封筒一つにまとめておき、上着を着て内ポケットに手帳を入れると、荷物を持って上階に行った。母親に、これ、明細、と告げて卓上に置いておく。父親から、今年の収入をわかるようにしておいてくれとメールが届いていたのだ。それから窓際にあった灰色のマフラーを取って首に巻き、引出しからハンカチも取って玄関へ向かった。母親は、おばさんもう帰ってきたかな、大根置いといたけどわかったかなと呟きながらついてくる。隣のTさんのことである。戸口をくぐり、道へ出ると、マフラーを巻いていることもあってか、昨日よりは寒気が強くないように感じられた。歩きだすと、母親が隣家の勝手口でこんばんはー、とTさんを呼んでいる声が背後から渡ってきた。
 公営住宅前まで来ると前方に人影があって、こちらを振り返ってみせるその姿は、どうやらNさんらしい。近づいてこんばんはと声を掛け、寒いですねえ、なかなかねえ、と笑いかけると、お父さんにはいつもお世話になって、というようなことを答えるので、とんでもない、こちらこそと受けておき、色々とお願いしますとよろしく言ったあと、それじゃあ、失礼しますと挨拶を送って別れた。電灯が積もった葉っぱの色を露わならしめている坂道を上って駅に着き、ホームに入るといつも通りベンチに座ってメモを取った。電車が来ると乗りこんで席に就き、引き続きペンを動かし、青梅に着くとちょっと経ってから降り、黄線に沿ってホームを行った。屋根と電車の車体の隙間に見える丘を背景にした空間は純然たる闇に籠められており、そのなかに線路上の白色灯が人魂のように――と言っては明るすぎるが――浮かんでいた。
 教室に着くと早速準備を始め、今日も大学入試センター試験の国語の過去問を読んだ。玉虫を題材にした井伏鱒二の掌篇である。今日の生徒は(……)(高二・英語)に(……)くん(高三・国語)、(……)くん(中一・英語)である。今日の授業はあまり上手く行かなかった。予習の時間が満足になくて文章を読めなかったので致し方ないことではあるが、国語の問題を上手く解説できず、(……)くんも納得が行かないような表情をしていた。終わりに、今日はあまり上手く突っこめなくて、とカバーしておいたが、すると、会話が芸人みたいと言われて笑いが起きたので良かったものの、やはりもっときちんと教えられないと講師としては駄目だろう。そのためには勿論、国語だったらせめて本文を事前に読んでおかなければならないのだが、と言って準備時間ではそこまで読む余裕はないから、結局やはり在宅勤務と言うか、家で確認しておかなければならないことになるわけだ。インターネットでセンター試験の過去問を探らなければならないだろう。あるいは赤本を買っても良いだろうが、それだって自腹になるわけで、そこまでするべきなのかちょっとわからない。
 (……)も仮定法を扱ったのだが、あまりいくつも解説できず、基本的な事柄を確認したのみで終わってしまった。(……)くんも、進行形の疑問文などの形を一頁分扱ったのみで終了。彼の場合は、授業本篇に入る前の諸々の確認で、結構時間が費やされてしまったのだが、三人相手はやはりかなり忙しい。働けば働くほど、二対一がバランスとしてベストな形式だという確信が強まっていく。
 授業後は室長の代わりに(……)先生の授業記録を確認し、書類を記入して提出すると退勤した。ちょうど八時頃だった。駅に入って自販機でチョコレート飲料を買い、ベンチに就いて甘く温かな液体を空の胃に流しこみ、缶を捨ててくるとメモ書きをした。奥多摩行きが入線してくると乗って三人掛けに座ったが、するとそのうちに三人連れの、柄のあまり良くなさそうな男たちが乗ってきて、立川から家に帰るまで八時間掛かる、とか言っていたのだが、それは夜通し飲んで朝帰りで帰ると電車のなかで寝てしまい、電車が立川と青梅を往復するあいだずっと眠っている、とそんな話らしかった。乗換え客が入ってきてまもなく電車は発車した。向かいの席に就いた女性が数年前の生徒のように思われたが、こちらは彼女を担当したことはないし、名前もよく覚えていない。
 最寄り駅で降車すると、どうにかして金を必要とせずに生きていくことはできないだろうかと至極無益なことを考えながら駅を抜ける。やはりキブツみたいな、有志による小共同体的な形しかないのだろうか。全然知らないのだけれど、シャルル・フーリエファランステールとかいうやつはそういう感じのものなのだろうか――ロラン・バルトがどこかで言及していたような気がするのだが。しかしいずれにせよ、そういったユートピア的な共同体を自分の力で作れるわけでもないだろう。あとは、どうにかしてもっと睡眠時間を短くせねばならないということも己に言い聞かせ、また、出勤退勤はやはり電車に乗らずに歩く方が良いだろうなとも考えた。昔は日々行きも帰りも歩いていたところ、最近は横着して、また長く歩くと書くことが増えてしまうからと電車を選びがちだったのだが、作文の主題がちょっと増えるくらい大したことではなく、どうせ書くものなのだから生きていくに当たってそのくらいの負担は担わねばならない。また、歩けば単純に運動にもなるし、電車賃の節約にもなるのだ。と言って微々たるものではあるが、しかし数日電車に乗らず歩いて出退勤すれば文庫本代くらいにはなろうし、一か月頑張ればものにもよるが単行本一冊くらいは買えるだろう。馬鹿にならないものだ。
 帰宅すると自室へ下りて、コンピューターのスイッチを押し、ポケットからものを出しておき、上着を脱いで廊下のハンガーに掛けた。それからジャージに着替えて上階へ行くと夕食は、米に、トマトソースを掛けた鮭、煮た薩摩芋、葉っぱと一緒に輪切りの大根をソテーした料理、それに雪花菜や人参や玉ねぎや魚肉ソーセージを酸っぱく和えたサラダである。それぞれ用意して卓に就き、ものを食べながらイギリスの総選挙の見通しを伝える記事を読んだ。テレビは、『家、ついて行ってイイですか?』を放映しており、二〇代のカップルが出ていて、女性が妊娠したのでその報告を彼氏に対してサプライズで告げるとか何とかやっていたのだが、まったく凄いものだなと思う。とてもでないが自分は子供を作り、養っていく気概など持てるはずもない。
 食後、風呂に入った。今日は浴槽を洗わなかったので、床や壁の下端がいくらかぬるぬるしていた。二〇分くらい浸かって出ると九時半、一〇時からTと通話する約束になっていた。下階へ下りて急須と湯呑みとゴミ箱を持って上がると、父親がちょうど帰宅した。今日は山梨の実家に行っていたらしく、色々と野菜を貰ってきており、それらが卓上に並べられた。これは誰から、とかいう説明を聞きながら、母親はうんざりしたような態度を取っていた。腐らないうちに切って調理し、使い切ってしまわなければならないのが面倒臭く、また生ゴミがたくさん出るのも嫌なのだろう。こちらは燃えるゴミを整理するとゴミ箱を下階に戻しに行き、緑茶も用意して戻ってきて、一服しながらメモ書きをするともう一〇時が目前になっていた。
 Skypeにログインし、LINEの方でTに、Skypeにログインしていると伝えると、まもなく、掛けるよというメッセージが届いたのでOK、と返すと着信があった。こんばんは、と挨拶し、今日は時間を頂き、有難うございますと礼を言った。特別な用事があるわけではないのだけれど、このあいだ会った時に、意外と近況を話していなかったような気がしてと向けると、しばらくTが知っている各人の生活ぶりを語ってくれたと思う。と言って、前回会った時から一か月ほどしか経っていないので、皆、あまり変化はないようだ。TとKくんとしては入籍し、新居にそろそろ移ることになっているのが大きいだろう。また、これは後ほど話したことだが、MUさんに関しては、先日集まった際には随分と明るく、雰囲気が緩くなっていたとTは観察を述べた。こちらはその点あまり明確に気づかなかったが、確かにテンションが高かったような気はする。それは何故なんですか、と質問するとTは、新しい仕事が始まって一か月くらい経ち、段々落着いて余裕が出てきたのだろうという分析を述べた。新しい職場に移ってまもない頃は、確かに緊張してストレスもあるだろうしなとこちらは受けて、加えて、このあいだ、誕生日プレゼントを贈ったことがもしかしたらあるんじゃないのと推測を返した。ある意味、ある意味だが、あれでより正式なメンバーとして認められた、というような感じを得たのかもしれない、と話すと、Tもそれはあるかもしれないねと同意した。
 T谷については簡単なものではあるが、先日集まった際にファミレスで近況めいたものを聞いた。T田は大阪行きに向けて諸々準備を進めているところだろう。T田の来年からの引っ越しに関しては、メンバーが一人遠く大阪へ離れてしまうのに、誰も何の不安も感じていないねという話ものちのち出た。活動に支障が出るという可能性を誰一人考えていないと。一年前と比べるとこちらの体調も改善し、気性も明るくなって良い具合だし、T谷も先般までは忙しくて調子も悪かったようだが、このあいだ集まった時にはだいぶ回復して余裕も生まれていた、MUさんも先ほど述べたように朗らかになって、いや、気づかなかったけど、こうして見ると私たち、凄くいい状態にいるな! とTは感嘆した。この一年間は、そうした良い状態や雰囲気に持っていくためのしっかりとした土台作りをしていたような気がするね、と言う。作品制作の面、音楽活動の面から言えば、それほど急激に進展があったわけではないかもしれないけれど、個々人の状況だとか、メンバー同士の人間関係だとかを整えるという点では、これからの活動を支える確固としたベースが確立されているんじゃないか、というようなことを彼女は話した。
 こちらに関しては、この一年間で本当に凄く明るくなったという印象が強いようで、Kくんともそれについては何回か話したのだと言う。確かに病前と比べても、落着いて比較的朗らかな気性になり、他人とのコミュニケーションにおいてもむしろ以前よりも物怖じしなくなったような感はある。体調も、夜更かしと糞寝坊ばかりしているわりに問題なく整っており、油断はできないものの、良いバランスを保っていると思う。書き物もあまり自分を追いこむことなく、適度な負担を負いながら日々地道にやっている。それで言えば、昔と比べて俺もかなり丸くなったな、という話もした。Tにも自分は昔の方がもっと尖っていたという実感があるらしく、でもそうした先鋭さを失ったことを悪いことだとも思っていないとのことだったので、その辺りはこちらと同じような認識を持っているようだ。こちらにもやはり、二〇一四年、二〇一五年の頃の方が読み書きに対する熱情が強かったように思われ、それは人生におけるほかの種類の時間をおおよそ無価値なものとして、あるいはそこまで行かなくとも読み書きよりは当然価値の劣る半ば無駄な時間と見做していたことに端的に表れていたのだが、現在ではそのあいだの有価値/無価値の境が融解しかかっている。勿論、作文と読書が毎日こなすべき第一の事柄としてあるのは変わらないが、単純な話、自分のキャパシティのすべてをそれに完全に注ぎこもうとまでは考えなくなり、生活におけるほかの活動の余地を広く認めるようになっている。そして、そちらの方が良いだろうと今の見地から思われるのは、過去においては情熱が強い分、それだけ反動のような趨勢も自分のなかにたびたび生じることがあったからで、つまりは完璧な勤勉さを求めながらもそれに徹しきれずにかえって怠けてしまい、それに対して自己嫌悪に駆られ、勤勉でなければならないという理想的な命令と、現実的な自分の能力で実現できる努力状態とのあいだで板挟みになることがあったということだ。それに引き換え現在は、まあ怠けたければ怠ければ良いと思っているのだが、そのわりに一日すべて怠けて過ごすようなことはほとんどなくなり、少時間であっても毎日必ず読んで書くという営みは維持できている。活動が情熱的なものでなくなった分、過去よりも遥かに自然なものになったのだ。そうしたことを踏まえて、やっぱり自然さが大事だよ、飯を食うように書く、空気を吸うように読む、そういう自然さ、という風に述べると、Tは、やっぱりそうだよね、自然さ、大事だよねと意気込んで同意し、いやー、やっぱ自然さだな、名言出たね、と言って、画面の向こうでメモを取っているようだった。
 それ以前に、人に伝わる歌、人の心を動かすような歌とはどういうことか、というような話をする時間もあったのだった。Tは今日、こちらと話す予定が生まれてから、こちらにそれを聞いてみようと思っていたと言うので、いや、難しいですね、と笑いながらもこちらは、でも今話を聞いていて一つ思ったことがあって、俺の知り合いにHMさんっていう人がいるんだけど……大学の時にHGと一緒にバンドをやっていた人で……(ああ、このあいだ会ってた人?)そうそう、ドラマーなんだけど、彼はドラマーだから、ほかのドラマーのプレイを観察するわけだよね、そうすると、技量は高いけれど、技量が高いだけであまり響いてこないっていうような人がやっぱりいて、それに対して、テクニックは劣るかもしれないけれど、何か魅力が醸し出されているっていう人もいて、HMさんはそのことを「艶がある」っていう言葉で言ってたんだよね。まあそこから考えるに、作家でも、音楽家でも、美術家でも同じじゃないかと思うんだけど、芸術家の究極的な目標って、やっぱり自分自身の存在として芸術作品のようになるってことじゃないかと思う、書いている文章だけが素晴らしい、そういう人も勿論いるだろうしいていいんだけれど、存在そのものとして、総体として作品であること。俺が文を毎日書くのもそういうところがあって、文を書くことで自分を作っているような感じがあるのね、彫刻家が像を彫って形を整えていくように、自分の生活を隅々まで書き記すことで自分という存在を彫りこんで洗練させていくような。だから、歌っていう領域でも、何かそういう風な、自分を高めるような営みの仕方ができるといいのかもしれない、と話した。
 その前にTは、テレビで見た歌手のオーディション番組の話をしてくれたのだった。その番組ではどうも著名らしいプロデューサーが、候補者の歌を聞いてアドバイスをするような役目で出演していたらしいのだが、その人の言うことを聞いていると、ああ確かにそうだなあ、っていうのがわかるのだ、とTは話した。歌は上手いけれど、自分に自信がないみたいだ、とか、曲を自分のものにできていない、曲に負けてしまっているとか、細かいことは忘れたけれど何かそういうようなコメントをしていたらしくて、それを聞くといちいち、ああその通りだなと実感できたのだと言う。それでTが思ったことに、歌というのは歌の巧さだけではなくて、ステージに立って歌っているその姿、身振りとか、表情とか、そういったものも込みで、自分が表れてしまう行為なんだな、というわけで、そうした話を受けて上のようなことをこちらは述べたのだった。
 そのほか、やはりこちらが凄いと思うのは、例えば音楽だったら、音楽そのものになっているような人、音楽と同一化しているような人だと言った。そこにおいては小手先のいわゆる「個性」などというものは問題にならない。どうやって自分の独自性を出すか、スタイルを確立するかみたいな話が結構されると思うけれど、そんなものはあとからいくらでもついてくると言うか、音楽なら音楽そのものになることを目指すその苦心の仕方がそのままその人の個性となるのであって、つまりは自己を一種放棄し、虚しくして、存在総体として音楽というものを具現化しようとした時に、しかし生身の人間であるから何かしらのものは勿論必ず残ってしまう、そのようにどうあがいても消しきれずに残ってしまうようなものが個性と呼ぶに値するのではないか、というようなことを述べた。Tの意識としては、音楽制作や歌唱においては二種類のパターンがあって、一つは彼女の言うところの「妖精さん」に与えられて、その「妖精さん」がやりたがっていることをなるべく実現するという種類の曲、もう一つは彼女自身に属すると感じられる曲で、前者においては自分を消して「妖精さん」の求めることを最大限に具現化するような方向性を目指さなければならないけれど、後者においては自分の気持ちとか考えとかを表現しなければならないのだと言った。言わば前者においてTは一種のシャーマンと言うか、霊媒者的な存在、音楽そのものを表現するための媒介になる方向を目指しているわけだろうとこちらは理解したが、そうした媒介者としての彼女の性質は、音楽を離れて「G」内の人間関係における位置づけにも相応するような気がする。彼女自身は、自分はボーカルを担当しているけれど、自分が主役なのでは決してなく、皆、凄い人ばかりなのだから皆が主役として活躍してもらって、自分はそういう人たちを結びつける役割をしている、言わばマネージャー的な位置づけだと思っているという風に以前述べていたのだが、今回話を聞いていて、それが以前よりも理解できたような気がする。確かに彼女は、メンバー間の媒介者なのだ。それをこちらは、繋ぐ人、言わばプロデューサーとか編集者だね、と言った。
 (……)
 零時半頃まで話して、そろそろ眠る準備をしなきゃとTが言うので、礼を言い合って通話を終えた。その後こちらはだらだらと過ごし、一時半からプリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読み出し、二時一五分頃床に就いた。


・作文
 13:04 - 13:09 = 5分(27日)
 13:09 - 14:33 = 1時間24分(25日)
 16:15 - 16:31 = 16分(27日)
 21:34 - 21:56 = 22分(27日)
 計: 2時間7分

・読書
 15:19 - 15:42 = 23分
 15:52 - 16:04 = 12分
 25:30 - 26:13 = 43分
 計: 1時間18分

  • 2014/3/5, Wed.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 11月2日(土)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-24「翌朝の私よどうかいつもより多少は狂っていますように」
  • 「at-oyr」: 2019-11-06「California Girls」; 2019-11-07「久保さん」; 2019-11-08「明日はきっといいことがあるさ」; 2019-11-09「お香」; 2019-11-10「外食」; 2019-11-11「来たるべきもの」
  • プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』: 134 - 185

・睡眠
 3:00 - 12:15 = 9時間15分

・音楽

  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)", "Gloria's Step (take 2)", "Gloria's Step (take 1, interrupted)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4, D2#1, D1#1)

2019/11/26, Tue.

 ところが、ザクセンハウゼンの聖書研究会のメンバー、とくにその中の二人は、これまで体験したどれをもしのぐほどだった。とくに狂信的なこの二人は、何かちょっとでも軍隊の匂いのするようなことは一切拒否した。彼らは、気をつけもしなければ、靴の踵をあわせることもせず、両手をズボンの縫い目にあわせもせず、脱帽もしない。彼らは、そういう尊敬のしるしは、エホバだけに捧げられるもので、人間に向けられるものではない、というのだ。彼らには上に立つ者などはなく、エホバだけをただ一人上に立つ者として認める。彼らは、たえず他の聖書研究会員たちにも同じ態度をとるように強いるので、聖書研究会員たちのブロックから引きはなして、独房にいれねばならなかった。
 アイケは、彼らが規律違反の態度をとるので、何度も、鞭打刑を科した。しかし、彼らが一種熱狂的な態度で鞭打ちを受けるので、ほとんど、性的倒錯の傾向があるのではないか、と考えられるほどだった。彼らは、彼らの理念とエホバをいっそう明らかにするために、もっと打ってくれと、所長に嘆願する始末なのだ。
 彼らは、当然予期されたことだが、徴兵検査を完全に拒否したので――さらに、軍役関係の書類への署名も一切拒んだ――その直後、ヒムラーは、死刑を命じた。
 拘禁室でそのことを伝えられると、彼らは、喜びで有頂天になってしまった。死刑執行の直前まで、そのことは全く予期していなかったのだろう。二人は、手をよじり、恍惚として天を仰ぎながら、ひっきりなしに叫ぶのだ。
 「われらは、間もなくエホバの御許にまいります。おお、何たるしあわせ、われらがそのために選ばれるとは!」
 彼らは、その数日前、同じ信者仲間が死刑されるのに立ち会ったのだが、ほとんど手がつけられないくらいだった。折あらば、自分たちも同じように銃殺されようとするのだ。その狂乱ぶりたるや、ほとんど正視するに耐えないくらいだった。そのため二人を力ずくで拘禁室へ引き立ててゆかねばならなかった。
 だが今、自分たちの処刑となって、彼らはほとんど馳けんばかりにして進んでいった。二人は、両手をエホバにむけてかかげるために、どうしても縛られることに同意しなかった。もはやそこには何一つ人間的な気配の感じられぬような標的台の木塀のまえに、光明にみたされ恍惚のていで彼らは立った。
 私は、キリスト教の創成期の殉教者たちが、ローマの闘技場[アレナ]で、野獣たちに引き裂かれるのを待ちうけているさまを、思い浮かべた。まったく晴ればれとした表情で、目は天を仰ぎ、手は祈りのために組んで、おごそかに彼らは死んでいった。この死のさまを見た者はすべて感動し、処刑を指揮した者たちでさえも、はげしく心をうたれた。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、178~180)


 一面白く染まって寒々しい空を目にしながら、今日も今日とて一一時一五分まで寝坊した。以前と同様、起床後にも瞑想をやってみることにして、時間を記録する必要があるのでまずコンピューターを点け、各種ソフトのアイコンをクリックして起動を待つあいだ、寝間着の上にダウンベストを羽織った格好でトイレに行った。黄色い尿を放って戻ってくるとEvernoteをひらき、一一月二六日の記事を作成して睡眠時間を記録しておき――三時から一一時一五分までの八時間一五分――「瞑想」の欄に一一時二七分開始を記しておいてからベッドに移り、窓をちょっとひらいて枕に尻を乗せ、目を閉じた。瞑目のあいだ、中村佳穂の音楽が何度も何度も頭のなかに回帰して仕方がなかった。一〇分少々経った頃合いで、眼裏の視界に波動が生まれはじめ、例の、青とも紫ともつかない色の不定形のアメーバめいた靄が蠢きはじめたのだが、やはり以前のように繭に包まれているような感覚はもたらされなかった。しかしまあ、それでも良いのだ。変性意識に入ることとか、感覚を鋭くすることとかを目的とせずに、ただ心身のチューニングとしての瞑想をまたしばらく続けてみるつもりである。このくらいかなというところで切り上げてベッドを降り、コンピューターに寄ると時刻は一一時四三分、一六分間座ったことになる。そうして上階へ、母親は着物リメイクに出掛けていて不在なので、居間は無人である。寝間着からジャージに着替えてダウンベストを羽織り直し、台所に入ると弁当が作られてあったので有り難く頂くことにして、傍らに置かれてあった鮭も電子レンジに突っこんで温めた。そうして卓に就き、新聞をめくりながら弁当のなかの焼売などをつまみ上げて口に運ぶ。その他鮭の混ざった冷たい米を食べ、新聞からはイスラエルの入植活動拡大についての記事を読んだ。一気に気温が下がったようで居間は結構寒く、足もとが冷え冷えとしてストーブが欲しい気候だった。ものを食べ終えると台所に移動して使った食器を洗い、それから風呂場に行って浴槽も念入りに擦ると、自室から急須と湯呑みを持ってきた。茶壺のなかの茶葉があと一回分でなくなってしまうので新しい茶はないかと玄関の戸棚を探ったのだが、どうもなさそうだったのでまたそのうちに買ってこなければならない。それで最後の一回分の茶葉を急須に入れて茶を仕立て、それを持って自室に帰ると飲みながら早速日記を書きはじめた。ここまで綴れば一二時三九分。
 続けて二三日の記事を進めた。足もとには電気の小さなストーブを点して温風を送ってもらいながら一時間取り組み、仕上がるとインターネットに記事を投稿した。井上陽介『GOOD TIME』の記事も投稿し、その勢いで二四日の記事も完成を目指して打鍵に邁進し、ふたたび一時間を費やして三時ちょうどに仕上げることができた。それから、運動である。音楽はthe pillowsを流し、下半身や肩周りを柔らかくする。開脚して両腕を太腿に乗せ、力を入れて突っ張るようにすると自ずと肩が上がり、この姿勢を続けたまま静止していると覿面に肩が柔らかくなって声が出やすくなるのだ。それで、"ストレンジカメレオン"とか"Swanky Street"とかを久しぶりに歌って三時半に至ったところで、食物を摂取することにした。簡便に、日清のカップヌードル(シーフード味)である。さらに、冷蔵庫を覗くと前夜の生サラダがちょっと残っていたのでそれも頂くことにして、テーブルの端に容れ物を持ってきてドレッギンスを掛けた。そうしてカップ麺に電気ポットから湯を注ぎ、両品を持って自室に下りてくると、サラダを先に胃のなかに入れ、カップ麺も食べながら読み物に触れた。過去の日記は今日は二〇一四年三月四日である。この日は当時の自分の二四歳という年齢はまだまだ若いものだということに気がついている。それまでは随分と歳を取ってしまったものだと感じていたようだが、二〇代が終わるまでにあと六年も残っているという事実の方に目を向けて、自らの若さを実感したようだ。その六年間もそろそろ尽きかけ、あと二か月足らずで三十路に入ろうとしている現在、実感として自分はまだまだ若いのか、それともそれなりに歳を取ったと言うべきなのか――そんなことは知ったことではなく、どちらでも良いという気持ちが強い。歳を表す数字のわりには老いづいていると昔から言われがちで、それはある程度当たっているとも思うが、しかし自らの独力で生計を立てたことがないものだから、やはり世間の波に揉まれておらず幼い部分がどこかにあるだろうとも思う。それが露呈しないようにとの計らいから、かえって老成した風に余裕ぶっているというのが実情かもしれない――そんな自己分析など、やはり知ったことではないが。
 その後、fuzkueやMさんのブログも読んだ。Mさんの日記を読んでいる途中で食物は食べ終わり、食後の余韻も味わわずに歯ブラシを持ってきて、歯磨きをしながら引き続きブログを読んで、口を濯ぐと上階に上がった。居間の隅に吊るされてあったワイシャツ三枚を持って移動し、階段口に入りかけたところでもう靴下を履いてしまった方が良いなと気がついたので、ワイシャツを腰壁の上に置いておき、仏間に入って灰色の靴下を履くと、下階に戻って廊下に吊るされてあるコートや礼服を室内の収納のなかに移動させておき、ワイシャツは薄水色のものを選んでスーツは紺色、ネクタイも午後五時の暮れ方を思わせる濃い水色のものを締めて青系統の装いに揃えた。ベスト姿になるとこの日のことをメモに取って、現在時刻まで記せば四時二一分だった。
 それから出勤前に音楽を聞いた。まず、Bill Evans Trio, "All Of You (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3)。テイク一とどちらが優れているだろうかと考えてみても判断がつかず、どちらも等しく完全でまったく瑕疵のない演奏だと感じられてならない。LaFaroのベースは、ある箇所で、高音部と低音部のあいだで大きな段差を挟みながら素早く飛び移る振舞いがしばらく繰り返されて、それを聞くとまったくもって、何やってんねんこいつ、と思ってしまう。勿論けなしているわけではなくて、ほかのベーシストがそのような振舞い方をしているのを聞いたことがないのだ。Evansのソロ後半のコードプレイは圧巻といった感じで、和音が何とも鮮やかで美しい。このライブの"All Of You"は三テイクとも何度でも繰り返し、おそらく死ぬまでずっと聞くことができるだろう。
 次に、このライブ全体の最終曲、"Jade Visions (take 2)"。一聴してテイク一よりもベースの重量感が増しているように聞こえたのだが、それはテンポが遅くなっているためなのだろうか。ピアノとドラムが入ってきて以降も、幾分溜め気味の演奏になっている。先日、テイク一を聞いた時には静謐さと冷たさを強く感じたが、今日はテーマを聞いているあいだ、儚げな愛らしさのようなものをちょっと覚えないでもなかった。ベースとピアノが遊ばずに落着いて演じている分、天の川めいて煌めくシズルシンバルの音響やスネアの擦り方など、Motianのドラムの響きが堪能できる演奏となっているのではないか。
 次に、同じくBill Evans Trioの、『The 1960 Birdland Sesions』に移って、冒頭の三月一二日録音の"Autumn Leaves"。やはりこの段階ではMotianの独自性が発揮されはじめているように思う。フォービートに入る前、テーマでのハイハット――だと思うのだが――の無闇な連続、流れを躓かせるような、がたつかせるような連打の差しこみ方は、やはり彼特有のものだろう。諸所でのLaFaroの振舞いと同じように、何やってんねんこいつ、と思わず突っこみたくなるような、通常の整然性から逸脱した感じがある。その後も、スネアの刻みなどが妙に一瞬だけ細かくなるような場面が何箇所かあったと思う。LaFaroはソロ以外の場所では尋常なフォービートを演じているようで、Evansのソロは先日聞いた際と同じく、前半はやや緩めだが後半に掛けて盛り上がってくるという印象である。
 音楽を聞き終え、五時頃上階へ向かった。廊下は真っ暗だったので、階段口まで来ると壁のスイッチを手探りで点け、居間に上がるとここでも食卓灯を点してカーテンを閉めた。南窓のカーテンを閉ざす際に、Sさんの宅の敷地で、ドラム缶か何かを使って物を燃やしているようで、丸く固まった炎の色が見えた。それから便所に行って排便し、ポストに寄って夕刊などを取り、玄関のなかに入れておくと出発した。空気はかなり冷えこんでいた。眠りこけていた午前のあいだか、打鍵に邁進していた午後のことか、雨が通ったようで路上に濡れ痕が残っており、そこから冷え冷えとした空気が立ち昇るようで、息は白く濁って大気の質感は固く鋭く、そろそろマフラーが欲しい気候だった。坂道には葉っぱが濡れて貼りついており、その上に電灯が掛かるとアスファルトと同化したガムのように落葉の姿が浮かび上がる。
 駅前まで来ると、立ち尽くして煙草を吸う人影があり、吐息よりも濃い煙色が曖昧な円味を帯びてくゆっていた。駅にはちょうど奥多摩行きが入線してきたところで、降りてくる人々とすれ違いながら階段通路を行き、ホームに入るとベンチに座ってメモ書きをした。やはり空気はかなり冷たい。電車に乗って座ると、メモは既に現在時刻まで終えていたので瞑目し、冷えた身体を暖房で和らげ、青梅に着くと降りてホームを行った。前方を歩いていた女性の車掌が同僚の男性とすれ違う際、男性の方はお疲れさまですと挨拶をしたが、女性の方がそれに答えていないように見えた。しかし、無視したというのも考えづらいから、多分声が聞こえなかっただけだろう。彼女はその後、奥多摩行きの電車の端の乗務員室に入っていった。扉が閉まる音が、ばたんと大きく響く。
 職場に着くとすぐに準備を始め、二〇一二年度のセンター試験の国語の問題を読んだ。評論は木村敏の文章だった。しかし、途中までしか確認できないままに授業である。一コマ目は(……)(中三・英語)、(……)くん(中三・国語)、(……)さん(小五・社会)が相手。(……)さんは初顔合わせで、挨拶にちゃんとにこやかに答えてくれたし、プリントをコピーしてきた時などは礼も言ってくれて、わりと気立てが良さそうな感じである。今日は三大洋や日本列島を構成する四つの大きな島々や、輪中などについて確認した。(……)はいつも通りおちゃらけた感じで、(……)くんとは学校が一緒なのでたびたびちょっかいを出していたが、まあ問題はそこそこやってくれた方ではないか――と言っても、一頁そこそこに過ぎないが。(……)くんは学校では島崎藤村の「初恋」を扱っていると言ったが、もう冬期講習用のテキストに入ってしまうかと希望を訊いてみると肯定が返ったので、評論文の演習に入った。「前者」「後者」という言葉の使い方を確認。文章の内容はわりと読めていたように思う。
 二コマ目は(……)くん(中三・英語)、(……)さん(中三・英語)、(……)くん(高三・国語)を担当。何だかわからないが、結構忙しかった印象。(……)さんがテストを持ってきたので大量のそれをコピーしなければならなかったことなどが要因だったろうか。それで、(……)くんをもっと見てあげたかったのだが、二問しか確認できなくて申し訳なかった。(……)くんはwant A toの形を扱った。三単現の説明が危うかったので、大丈夫だろうかとちょっと心配になるが、一応理解はしているらしい。あと、tellの過去形をtoldedとしていたのも危うく、彼はそこそこできる方の印象なのだが、意外と基本的な事柄が完全には身についていないのかもしれない。(……)さんは前回扱った間接疑問の単元で残っていた頁を一頁解いてもらい、さらに長文の単元にもちょっと入った。彼女も英語はあまり奮わず、findやbelieveなど基礎的な単語の意味も覚えられていなかった。レベルアップさせてあげたいところだが、如何せんあまり当たることがなく、今日担当したのも随分久しぶりのことである。
 生徒の見送りや片づけをしているあいだに電車の時間が迫った。急いで片づけをして、(……)が壁に描いた落書きを消したりもして、室長とのやりとりもそこそこに九時半ぴったりに職場を出た。電車は三二分発である。駅に向かうと乗換え電車が入線してきたのが見えたので、改札を抜けて小走りに通路を行き、階段も一段飛ばしで上がって奥多摩行きに乗った。扉際で瞑目して到着を待ち、最寄りで降りると空気が冷たいから、さすがに今日はそのなかでゆっくりベンチに座ってコーラを飲む気にはなれない。それでさっさと階段通路に入ると、幼い男児を連れた若い母親が子供の手を取って遊ぶように段を下ろしてあげている。その横を通り、街道を渡って葉っぱの散乱した坂道を下りていく。帰路に特段に印象深いことはなかった。
 帰宅すると母親は居間にいたが、既に帰ってきている父親は寝室に下がっているらしい。寒い、と訊くので寒いと答え、下階へ行くと自室に入ってコンピューターを点け、上着やベストやスラックスを丁寧に扱ってゆっくり吊るし、着替えを済ませた。ジャージ姿で上階へ行くと、夕食のメニューは、おじやにすき焼きめいた豆腐と肉の炒め物、小松菜のお浸し、大根か何かを和えたサラダ少量である。おじやは丼によそって電子レンジで二分半加熱し、その後肉も温めて、卓で食事を開始した。夕刊をめくると、朝海浩一郎という外交官が四〇年に渡ってつけた日記が発見されたとの報があり、国連脱退を宣言した松岡洋右の演説を堂々たるものだと評価しているとかいう情報があった。あとは一面に戻って、在職老齢年金の話題を読んだ。減額基準が四七万円とか書いてあったか、六〇歳以上の人々は賃金と年金と合わせてその額に達していると年金額を減らされるらしい。ものを食べ終えると食器を片づけ、抗鬱薬を飲み、風呂は母親が入っていたので下階へ帰った。緑茶を飲めないのが物足りない。
 だらだらと過ごし、一〇時四〇分頃になると母親が出たので入れ替わりに入浴に行った。二人が入ったあとなので水位が低く、身体を低く落として湯のなかになるべく収めるようにして、頭を縁に預けて温まった。するといくらかうとうとしたようだが、同時に、右足の裏にちょっと突っ張ったような感覚があって、痛みが滲むのも感じていた。三〇分以上浸かって上がると塒に帰り、この日のメモを取ればもう日付が替わるところだった。
 ふたたび音楽を聞いた。最初に、Bill Evans Trio, "Autumn Leaves"(『The 1960 Birdland Sessions』: #1)である。今度はLaFaroに耳を傾けてみたのだが、ソロでの動きの大きさは『Portrait In Jazz』のテイクよりも明らかに増していると思う。テーマ前半でも、あまりよく聞こえないのだが、高音部まで上昇してEvansと絡んでいるようだ。その後、テーマ後半以降はほとんど尋常なフォービートを演じるものの、終盤に至ってふたたび始まるインタープレイにおいては、細部での突っこみの鋭さなど、『Portrait In Jazz』よりも勢いが強く、六一年のライブに近づいているようにも思われる。
 次に二曲目、"Our Delight"。ここではEvansは概ねバップピアニストに徹しているが、それでも結構多彩な技を織りこんでおり、無理矢理突っこむような場面があったりとか、唐突に流麗な速弾きをひらいてみたりとか、リズムの散らし方やペースの作り方が、六一年のライブのあの一定性、不動性とは幾分違うような印象を受ける。ソロの終盤からよくやるお得意のコードプレイ、右手と左手でタイミングを合わせてリズムを分厚く強調する例の技も控えている。リズム隊はこの曲においては基本的なフォービートのサポート役として振舞っており、LaFaroはソロがいくらかあるものの、一部リズムがもたついているように聞こえて、そこまで奮わないような印象である。Paul Motianはソロを聞いてみると、二拍三連を組み合わせるフレーズだとか、スネアロールからシンバルにふっと飛ぶ流れだとか、シンバルをバシャバシャ鳴らして中間部の空白を広くひらく手法だとか、キックの奇妙な散らし方だとか、彼らしい点が散見されるように思う。やはり例えばPhilly Joe Jonesなどとはかなり違うフレーズの作り方をしているのではないか。
 三曲目は"Beautiful Love - Five (Closing Theme)"。ピアノソロの序盤においてLaFaroが痙攣的な三連符の連打を組みこんでいて、突っこんできたなと思った。終盤でも同様に、今度は同音の連続だが細かい強打があって、彼の野蛮さが諸所に垣間見えるようだ。それに引き換えMotianは、二拍四拍で整然と刻んで随分と大人しい印象である。Evansのソロは後半で例の左手のコードと合わせた技法が披露され、畳みかけるようなそのプレイは迫力満点で、ライブならではの熱が籠っていて圧巻である。聞き返してみないとわからないが、『Explorations』のスタジオ録音のバージョンよりも、随分と熱く演じているのではないか。ただ、ソロの終わりで無闇な速弾きを散らしてぎこちなく終えるのは、唐突感があってあまり彼らしくなく、せっかくそれまでの演奏で構築してきたまとまりに最後でいくらか綻びが出て、統一感が損なわれてしまっている。LaFaroのソロも結構なものなのだろうが、音質が悪いせいで細部で何をやっているのか聞き取りきれず、評価がしにくい。とは言え、伸びやかな部分と細かなフレーズと、わりあいにバランス良く配分して歌っているような感じはする。
 音楽を聞いたあとは一時過ぎからプリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読みはじめたものの、途中でベッドに入ってしまい、案の定意識を失った。三時に正式な就床である。


・作文
 12:23 - 12:39 = 16分(26日)
 12:39 - 13:38 = 59分(23日)
 13:58 - 15:00 = 1時間2分(24日)
 16:12 - 16:21 = 9分(26日)
 23:34 - 23:59 = 25分(26日)
 計: 2時間51分

・読書
 15:34 - 16:00 = 26分
 25:06 - 26:53 = (1時間引いて)47分
 計: 1時間13分

  • 2014/3/4, Tue.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 11月1日(金)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-22「雨それは垂直の川六月の大地は下流空は上流」; 2019-11-23「片手に詩集をたずさえ何者かになったつもりのチンピラひとり」
  • プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』: 106 - 134

・睡眠
 3:00 - 11:15 = 8時間15分

・音楽

  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 2)", "Jade Visions (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3, D3#6)
  • Bill Evans Trio, "Autumn Leaves"(×2), "Our Delight"(×2), "Beautiful Love - Five (Closing Theme)"(×2)(『The 1960 Birdland Sessions』: #1, #2, #3)

2019/11/25, Mon.

 私たちが、同行の警官からきかされた話は、こうだった。このSS隊長は、ある元共産党員を逮捕して、収容所に移送する任務を与えられた。ところが彼は、件の人物を、すでにずっと前、保護観察勤務のころから良くしっていた。そして、この人物は、いつも、遵法的な態度をとってきた。
 そこで、彼はつい善意から、この人物に、もう一度家に帰って、服を着替え、妻に別れをいうことを許可したのだった。ところが、部下をつれた彼が居間で、その人物の妻と話をしている間に、本人は別の部屋をぬけて、逃亡してしまったのだ。彼と部下が、逃亡を発見したときは、手おくれだった。
 このSS隊長は、逃亡の報告をすると、その場でゲシュタポにより逮捕され、ヒムラーはただちに戦事法廷の措置を命令した。一時間後には、すでに責任者にたいする死刑判決が下され、彼の部下は、重禁固の刑に処せられた。
 ハイドリッヒやミュラー情状酌量の嘆願も、SS全国指導者ヒムラーは、きっぱりとはねつけた。SS指導者たる者が、戦時にかかる重大な第一号職務違反をしたことは、見せしめのためにも、厳重に処罰されねばならない、というのである。死刑判決をうけたこのSS指導者というのは、三〇代も半ばの、しっかりした人物で、結婚して三人の子供もあり、それまでも、じつに厳格・忠実に勤務にはげんできたのだが、今、自らの善意と人を信じる心から、倒れねばならなくなったのだ。彼は、従容[しょうよう]として、静かに死んでいった。
 しかし、どうやって、私が、心を静め[﹅6]、射殺命令を下せたのか、今もって、私にはわからない。射撃した三人の兵は、自分たちが誰を射たねばならぬのか、を知らなかった。それはそれでよかったのだ。さもなければ、彼らは、ふるえて射てなかったことだろう。
 内心の動揺のあまり、私は、こめかみにピストルをあてて、とどめの一撃をすることがほとんどできかねるほどだった。しかし、ともかくも、何とか気をとりなおしたので、立会い者たちには何も気づかれないですんだ。私は、その数日後、三人の下級隊長のうちの一人と、死刑執行指令のことを話しあい、それについて論議もした。――この銃殺のことは、たえず要求される自己克服と不屈の苛酷さということに関連して、いつまでも忘れられないでいる。
 これは、すでにして、もはや人間的ではない、と当時、私は信じた。――しかも、アイケはいぜんとして、なおきびしくなれ、と訓戒する。SS隊員は、ごく身近な家族であろうとも、国家とアドルフ・ヒトラーの理念に背く者とあれば、抹殺しうるものでなければならない。「枢要なることはただ一つ、命令である」 彼の手紙の上には、あらかじめ、こう印刷されてあった。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、174~176)


 一一時五〇分まで寝坊をする。睡眠時間は一〇時間二〇分にも及ぶ。腐っている。私は茸だ。粘菌だ。黴だ。苔だ。とにかく糞である。いつもと比べると比較的早めに、一時半には床に就いたのだが、どうして早く起きることができずかえって余計に眠ってしまったのか?
 ベッドを抜け出し、上階に行き、母親に挨拶をしてからジャージに着替えた。そうして洗面所に入って顔を洗い、台所に出てくると冷蔵庫から昨夜の肉焼きとメンチ一つを取り出した。それらは一緒に電子レンジに突っこんで温め、そのほか米とスープをよそり、卓に就くと新聞を読みながら食事を始めた。ローマ法王被爆地長崎を訪れて演説を行ったという記事を読みつつ、テレビのニュースでも同種の報が伝えられるのを眺めていると、次には香港区議会選挙の結果が映し出され、民主派が八割の議席を得たと言う。政府や警察に対する不信感は募るばかりで、大半の住民はデモ隊や民主派の味方に与しているというわけだろう。食事を取り終えると皿を洗い、それから風呂場に行った。蓋を取り上げて水気を落としてから洗い場に置いておき、汲み上げポンプも取って同じように管のなかに入った水を排出させ、バケツのなかに入れておくと、ブラシを取って浴槽を擦りはじめた。水がすべて流れ出してしまうとなかに入りこみ、腰を曲げ身体を屈めてゆっくりと念入りに壁を擦った。そうしてシャワーで流しておくと出てきて、電気ポットに水を注ぎ足しておいて下階に帰った。母親は仕事に出掛けていった。
 自室に入るとコンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げ、TwitterにアクセスするとISさんからダイレクトメッセージが入っており、一五日は年に三回しかない句会があるので、読書会の日をずらせないかと言うので、了承して、それでは前日の一四日にしましょうと送っておいた。そうしてEvernoteをひらいて二四日の日課記録を完成させ、この日の記事も作成すると、上階へ緑茶を用意しに行った。一面曇り空だった前日から転じて、今日は明るく光の通って南の窓際に宿る快晴の日和である。緑茶を仕立てて急須と湯呑みを両手に持って帰ってくると、一服しながらだらだらして、一時二六分から日記を書きはじめた。BGMにはthe pillows『Wake Up Wake Up Wake Up』を流したが、なかなか気持ち良くポップな佳曲が揃っているアルバムで、たびたび口ずさんでしまって打鍵がなかなか進まなかった。ここまで綴ると、一時四五分。
 さらに続けて、二一日の記事を作成しはじめた。大方は既に記述が済んでおり、記せていないのは音楽の感想部分のみである。そこを綴るのに四四分も掛かって、二時半を越えたところでようやく完成、インターネット上に投稿しておくと、作文は一旦中断して少々身体を温めることにした。the pillowsの音楽を流して歌いながら膝を曲げ伸ばししたり、脚の筋や股関節を和らげたり、脚を大きく広げ腰を沈めて肩を上げた姿勢で静止したりした。そうして肉体が熱を持つと、syrup16g "I.N.M"も歌って、それからまた日記に取り組みはじめたのだが、三時半前に至って携帯が振動音を立てた。見れば母親で、洗濯物をよろしくとあり、それを目にして洗濯物のことをまったく忘れ去っていたことに気がついたので、作文を止めて上階に行き、ベランダに出て吊るされたものや柵に洗濯挟みで取りつけられたものを室内に入れた。空には雲が蔓延っているが空気に暗さはなく、近間には陽の色もないけれど東の果ての市街に建つマンションの側面には暖色が触れ、振り向いて西の空には群れた雲の隙間から青さも覗いている。洗濯物を畳む前に、出勤前の食事のことを考慮して米を炊いておこうと決めて、炊飯器に余っていた米を皿に取り出した。そうして笊に三合を用意してきて洗い桶のなかで磨ぎ、調理台の上に上げておくと釜を洗って、そのまま米を釜に投入して水も注ぎ、機械に戻すと早速炊飯スイッチを押しておいた。それから洗濯物を畳むのだが、何だか面倒臭かったので肌着は整理せずにタオルを畳むのみで済ませ、洗面所に運んでおいたそのあとに、アイロン掛けに入った。南の窓の果てに聳える山の色はもう結構黄や橙に変わってきている。それを見ながら三枚のシャツにアイロンを当てると、それらを持って階段を下り、二枚は途中に掛けておいて、自分の白いシャツは自室に持ち帰って収納に入れた。そうして、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』を聞いた感想をまとめた記事をブログやnoteに投稿しておくと、四時からふたたび二二日の日記を作成しはじめ、四時半に至る直前で空腹が極まったので作業を止めて食事を取りに行った。
 冷凍庫からコンビニの手羽中を出して電子レンジへ、温めているあいだに炊けたばかりの瑞々しい米を搔き混ぜて椀によそり、母親が作っていってくれたおでんも深めの皿に盛って、まず白米を卓に運んだ。それから電子レンジの前で鶏肉が温まるのを待ち、加熱が完了すると替わりに今度はおでんを入れて、鶏肉を持って卓に就き、熱々の手羽中をおかずに熱々の米を貪った。おでんも温まると持ってきて、ローマ教皇フランシスコが長崎で行った演説の全文を読みながら食事を取り、完食すると食器を洗い、食事を取っているあいだにもう外はよほど青暗く暮れてきたので、カーテンを閉めておいてから下階に帰り、間髪入れずこの日の日記を書き足しはじめた。ここまで記せば五時七分に至っている。
 さらに二二日の記事を書き進め、四〇分を費やして六時前で中断し、歯磨きに移行した。過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと読み物に触れながら歯磨きを行い、ブログを読んでいる途中で口を濯ぎに行った。洗面所の洗面台の汚れが目についたが、しかしスポンジや束子の類が辺りにない。それなので放置して部屋に戻り、ブログを切りの良いところまで読み終えると、the pillows "サード アイ"を流して着替えを始めた。白いワイシャツに、今日は灰色の装いを選び、ネクタイは水色に水玉模様の付されたものをつけ、ベストを羽織って曲を歌い終わると上階に上がり、仏間に入って座椅子に腰を下ろして黒い靴下を履いた。それから玄関へ行き、サンダル履きで外に出ると、道の先、街灯の下で楓が赤々と色を籠め、闇のなかでそこだけ鮮やかに浮かび上がっていた。ポストに寄って郵便物が色々入っていたのをまとめてなかへ持っていき、居間の卓上に置いておくと下階に戻ってさっとメモを取った。
 そうして出勤前に少しでも音楽を聞くことにした。いつものごとくBill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)を流したわけだが、この音楽は本当に完璧である。完璧とはこういうことを言うのだ。音を連ねている場面ばかりでなくて、そのフレーズを収める呼吸の配分、息の継ぎ方までもが絶妙で、完全な統一性に満たされきっている。隅から隅まで一点の瑕疵もなく、休符すらも必然性を担っており、そのあまりにも整った構成のなかに、LaFaroのベースが入りこんで絡み合う。と言うか、Evansが適度に空白を配置することで、LaFaroがわざわざ意図せずとも自然とそこに吸いこまれていき、演奏が組み合うようになっているのだ。もう一度言うが、一つの完璧な音楽がここにある。
 音楽を聞いてメモを取っていると激しい風音が家を取り囲んだ。"All Of You"は完璧に過ぎて言語化できない。この音楽は言葉の行き止まりに位置している。一つの到達点に達している。コンピューターを停止させると上階に行き、玄関を抜けた。葉っぱが地面に多数散らばっており、林が強く揺れて風の響きが立っている。道に出ると結構強い風が前から吹きつけてきたものの、寒さは感じられなかった。午後七時前の暗い道を進むあいだ、林の分厚い鳴りが添ってきて、道端の車庫の前などにはどこにも枯葉が落ちている。風のなかに料理の匂いが混ざっていた。公営住宅前まで来ると今度は背後から追い風が寄ってきて、それには冷たさがいくらか含まれていた。林は絶え間なく蠢き、鳴り響いており、辺りの庭木も終始ざわざわと音を立てている。
 坂道に入れば、誰かがわざわざ葉を集めて万遍なく撒き散らしたように道は埋め尽くされており、電灯に抜かれた常緑樹の影がその上でおどろおどろしげに細かく震える。どこを踏んでも葉の擦れる音が立つなかを上っていくと、出口付近でふたたび風が吹き、林の竹が傾き揺れて、その影が電灯の光とともに脇の家の木の壁に映りこんでいるのを見れば、木製の濃褐色の壁はその素材からは思いもつかないほど滑らかな質感を帯び、チョコレートのような、あるいは金属めいた光沢を放っているのだった。
 駅では帰宅する人々とすれ違いながら階段を行き、ホーム入口まで来ると若い女性が一人、SUICAを読みこむ機械にカードを触れさせながら、残高不足に捕まっていた。何度も繰り返しタッチして試すが表示は変わらず、女性は諦めて階段を上りはじめた。この駅ではチャージできないと伝えるかどうかちょっと迷ったが、しかしそこまでの義理もないし、この時間に帰ってきているということは地元民だろうから、おそらく事情は知っているだろう。そういうわけで声は掛けずにベンチに入り、メモを取ったが、そのあいだも風が強く身体を貫き吹きすぎていった。
 電車は空いており、ほとんど客はいなかった。青梅に着いて乗換えの客が入ってくるとともに降り、ホーム上でも風を受けながら歩いていき、職場に向かった。入るとちょうど室長がシフト表を前にしているところだったので渡してもらい、一四日を休みとさせてもらい、それから奥のスペースに行って引き続きメモを取り、準備開始前までに職場に着くところまで記録することができた。今日の授業の相手は(……)くん(高三・英語)と(……)くん(中一・英語)である。二対一なので余裕があり、そこそこ密着的に回すことができたと思う。(……)くんはいつものごとく睡気に苛まれていて、いくらか寝かせる時間を取ったけれど、結局最後まで意識はあまりはっきりしなかった。毎回そうなので、わざと眠い振りをして授業を避けようとしているのではないか、という疑いも湧くが、まあそれならそれで良い。辛うじて、冠詞のルールなどについて確認した。(……)くんは英語の実力が上がってきているようで、今日扱った箇所はほとんど支障なく読み、解けていた。一二月からセンターの過去問に取り組みたいとのこと。
 授業後、(……)という先生について室長からちょっと話を聞く。昭島から送られてきた――室長の言葉を使えば、「押しつけられた」――人で、七〇歳だかそのくらいの年嵩なのだが、かなり癖のある人だと言い、面談の際に、私も頑張るから君も頑張りなよ、などと言って室長の身体をぽんぽんやってきたとのことである。気さくではあるらしい。前職は何かと尋ねたが、判然としなかった。
 退勤して駅に向かうと、モスバーガーの店舗から良い香りが漂って鼻をくすぐる。駅に入って奥多摩行きのなかを見てみると、混んでいるというほどではないが席の端は埋まっていて、いつも座る三人掛けも、北側も南側も一人ずつ座っていたので、どうしようかと迷ってうろうろしながら、結局そこに入ることに決めた。発車まで時間が少なかったのでメモは取らず瞑目していると、隣の人からは音楽が漏れており、どんなジャンルか聞き分けられるほどでなかったが、それに合わせて足を動かしたり手でリズムを取ったりしているらしき音も聞こえた。静寂のなかで、こちらの空腹がちょっと動いて音が鳴るのがやや恥ずかしい。
 最寄り駅に着くと自販機でコーラを買い、ベンチに就いて、ほかに何もせず、目を瞑りながらゆっくり飲んだ。辺りには誰もおらず、誰もやって来なかった。飲み干してゴミを捨て、駅を出て坂道に入れば、虫の音がまだ完全に死滅せずに僅かに残っている。風は止んだようで葉音は立たず、行きのあの激しさは何だったのかと思いながら葉っぱの散乱したなかを下りていくと、落葉が形なす道の端の帯が厚く太くなっていた。
 家の前まで来ると父親の車がなかったので、まだ帰ってきていないようだ。なかに入ると母親も風呂に入っているようで居間に姿はなく、点けっぱなしのテレビが見る者のないから騒ぎを演じていた。すぐに下階へ下り、コンピューターのスイッチを押してジャージに着替え、各種ソフトを立ち上げておいて上階へ行き、夕食はおでん、大根の葉の炒め物、大根や柔らかいレタスの類を合わせた生サラダ、それに白米をそれぞれ用意し、卓に就いた。テレビは『しゃべくり007』を映していて、田中みな実という人が出演していた。元アナウンサーだったような気がするが、今は何をやっているのかよくわからないし、どうでも良いことだ。そう思いながらも何となく目を向けてしまい、特段の関心はないのだけれど、まあ生きるのって結構楽じゃないよね、皆頑張って生きているよね、とは思った。新聞の一面は香港区議会選挙での民主派の圧勝を伝えており、それを読んだりテレビに目を向けたりしながら、大根の葉に醤油を掛けたものをおかずに白米を食った。そのうちに母親が風呂から上がってきて、それとほとんど同時に食事を終えて皿洗いをすると、父親がもうすぐ帰ってくると言うので、ゆっくり入りたいからと風呂は先に譲ることにした。緑茶を用意して下階へ下る。
 そうして二二日分の日記を四〇分綴り、一一時過ぎに仕上がったのでインターネット上に投稿した。noteの記事に有料設定をするのは止めた。投げ銭システムを使ったところで、どうせほとんど誰も買わないのだし、もう自分の文章で金を稼ぐことを求めるのは止めにする。金になるかならないか、そんなことはどうでも良いのだ。ただ書き続けることだけが重要で、金にも何にも繋がらず称賛も得られずともたゆまず続ける、そういう種類の行為があるということを示すべきなのだ。
 その後入浴に向かった。台所で父親と行き逢ったのでおかえりと挨拶し、風呂に入れば二人が入ったあとだから水位が低く、浸かりきれず露出した胸から上の肉が少々涼しい。一一時二〇分頃から浸かりはじめ、瞑想めいて瞑目のなかに静止して、今日のことを思い返したりしていたが、段々と意識が緩くなっていった。二〇分ほど浸かって出るとすぐに下階へ戻り、現在時までメモを取れば零時一一分だった。
 久しぶりに瞑想をやってみることにした。心身のチューニングをするような意識で、枕の上に座って一八分、なるべく動かず静かな呼吸の内に過ごし、終えるとしかしそのまま横たわってしまい、一五分がそこらうとうとすることになった。それから読書、プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読み進めた。表題作、「天使の蝶」では、「天使というものは、たんなる空想の産物でも、超自然的存在でも、詩的な夢でもなく、わたしたち人間の未来の姿だ」(95~96)という妄想的な考えが登場する。曰く、アホロートルという生物は、成体にならないままに繁殖を行うことができ、そのなかでもごく僅かな割合で、「おそらくことさら長生きした個体だけが」「変態して別の姿になる」(93)のだが、「幼形成熟[ネオテニー]」と呼ばれるこの性質を人間にも敷衍して考えると、我々人間も、「さらに別の"成体"になる可能性を秘めていながら、たんにそれよりも早く死に邪魔だてされて、変態できないだけなのではないか」(94~95)という発想が導き出される。そうしてそこから、人間が変態する可能性を持つ究極的な「成体」としての姿がまさしく天使である、という少々飛躍的な結論が獲得され、作中ではレーブというマッドで「風変わりな」(91)科学者がこうした思想に取り憑かれて人体実験を行うまでに至るのだが、これはファンタジックかつSF的な奇抜な発想でなかなか面白い。しかし、この篇はそうしたアイディア自体は興味深いのだが、如何せん物語として短すぎると言うか、小説がその上に乗って展開する舞台設定を用意したところまでで終わってしまっているような感じで、その点残念である。表題の「天使の蝶」というのは、ダンテが『神曲』のなかで人間のことを「蛆虫、つまり完全なる姿とは縁のない虫」(96)にたとえる場面で使われている言葉らしいが、こうした文学的意匠による興趣もなかなか味わい深いものではある。
 作中人物の一人、レーブの消息を調査する化学者ヒルベルトの饒舌にはユーモラスな気味がある。三つ目の篇である「詩歌作成機」もユーモア溢れる大胆な作だったが、終戦直後のベルリンを舞台としており、扱っているテーマからしても不穏な雰囲気が全体に漂っている「天使の蝶」のなかでも、ヒルベルトの言動だけは軽快な小気味よさを保っている。ユーモアは、レーヴィの作品を構成する主要な要素の一つなのかもしれない。
 一〇四頁から始まる「《猛成苔》」の篇は、「自動車には特有の寄生生物が存在する」という一文から始まるもので、これもやはり奇抜で、感興深い発想だ。《猛成苔[クラドニア・ラピダ]》という苔の一種がそれだとされているのだが、続く頁でレーヴィは、「ニトロセルロース塗料」とか、「フタル酸グリセリン塗料」とか、「痂状地衣植物」とか、専門用語を含みながら、まるで本当に存在している植物について書くような克明さでその特性を記述している。いくらか子供じみたような自由な想像力に、リアルな枠組みを与えて一つの形に仕上げるその手つきが、化学者でもあった彼の腕の見せ所というわけだろう。
 三時前まで書見を続けて、瞑想を行ってから就床した。


・作文
 13:26 - 13:45 = 19分(25日)
 13:52 - 14:36 = 44分(21日)
 15:17 - 15:27 = 10分(22日)
 16:01 - 16:27 = 26分(22日)
 16:50 - 17:08 = 18分(25日)
 17:08 - 17:48 = 40分(22日)
 22:27 - 23:06 = 39分(22日)
 23:51 - 24:11 = 20分(25日)
 計: 3時間36分

・読書
 17:49 - 18:06 = 17分
 24:48 - 26:45 = 1時間57分
 計: 2時間14分

  • 2014/3/3, Mon.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 10月31日(木)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-21「溺死せよ午後の光をたくわえた日曜日の水たまりの中」
  • プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』: 24 - 106

・睡眠
 1:30 - 11:50 = 10時間20分

・音楽

2019/11/24, Sun.

 (……)こうした関連からいうと、彼の投げかけた問題、つまり、彼が部隊の戦友愛のなかでつねに快く感じられたのはなぜか、という問いは特徴的である。一定の種類の内攻的な一匹狼性とはまさに一つの大衆的病患をあらわすものであること、彼の自伝で見うけられるような、彼の「内面性」、おぼれこむような動物愛、等々は要するに、ふつうの人間関係に対する断念、そして、個人として他の個人との接触を見出せないことの埋め合わせであるにすぎないこと、そのことをヘスは理解していない。男子共同体の絶対化された戦友愛も、ヘスにとっては明らかにそのような代替機能をもっていた。戦友愛とは、それの肯定的な側面はさておいて、まさにパートナーの人格的・個人的なものに基づくのではなく、グループの所与の状況、その時どきの「配置」によって規定され、「そこに属する」者には全員に無差別にそれが承認されること、これが戦友愛の本質となっている。戦友愛とは掟であり、義務であり、求められるのは相手の独特なるもの・個人的なるものにかかわることではなく、友情とは逆に個人の貌[かお]はぬきにして重んじられるものなのである。ヘスにとっては、部隊にしろ、義勇軍にしろ、SSにしろ、何らかの男性の戦友愛に帰属することが彼の生活形態となっており、そうした帰属は、第一次大戦後に家族および市民的世界から根を絶たれたことで助長されるのではあるが、そうした帰属感はまた、当然のことながら、他の個々人の中での自己責任ある個人という市民的存在からの逃避と解釈することもできるだろう。この点でも、ここには、単なる個人的運命以上のものが語られている。これと密接にかかわりがあるのは、ヘスが、きびしい義務と階層的に秩序づけられた関係の世界の中でのみ生きえた、という事実である。そこは彼のフィールドであり、そこでなら彼も勝手がわかるし、自分の値打ちもしめすことができた。その場合、かかわっているのが戦線の部隊であるか、義勇軍であるか、刑務所であるか、そして最後にSSの「騎士団」であるか、ということは、単なる形式的な違いでしかない。ヘスは、パレスティナ戦線の塹壕の中でも、ブランデンブルク刑務所の住人としても、その後の強制収容所のブロック隊長あるいは所長としても、同じように模範的であり、義務感にあふれている。彼はいつでも、何らかの権威の職務に熱心な実行機関なのである。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、45~47; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 一二時五分まで寝過ごす。睡眠時間は九時間。さすがにどうも、長過ぎる。睡眠という天敵に敗北し続ける人生である。ベッドから離脱するとコンピューターを点け、各種ソフトを立ち上げておいてから上階に行った。母親に挨拶。寝間着を脱いでジャージに着替え、トイレに行って糞を垂れ、腹のなかを幾分か軽くした。食事はフライパンに中華丼の素で和えた野菜炒めが拵えてあった。それを皿うどんの麺に掛けて食っても良いし、ちゃんぽんの麺を茹でてそれに乗せても良いし、米と一緒に食べても良いとのことで、丼の米に乗せて食うのが最も簡便だと思われたのでそのようにした。ほか、白菜の味噌汁の余りを椀に注ぎ、卓に行って食事を取りはじめる。新聞からは書評面を少々読みながら、炒められた野菜とともに米を食い、味噌汁も飲んで完食すると、早々と皿を洗ってそのまま風呂場に行った。洗濯機に繋がった汲み上げポンプをバケツに収め、栓を抜いて水が流れ出ていくのを待ちつつ、浴槽の、水が届かず露出している部分を擦っていく。残り水がなくなるとなかに入りこんで、四囲の壁や足もとを隈なく洗い、シャワーで洗剤を流して出てくるとさっさと下階に戻った。前日の日課記録を完成させ、この日の記事も作成し、インターネット各所をちょっと見て回ったあと、速やかに日記を書き出して、ここまで綴れば一時前。
 続けてまず、前日の記憶を文章に落としておくことにした。それで二三日の記事を、音楽の感想は後日正式に綴ることにして省き、それ以外の部分だけ記述して一時一二分、さらに二〇日の記事をメモに従って三〇分ほど進めたのち、出掛ける準備を始めた。まずは歯磨きである。洗面所に行って、歯磨き粉を乗せた歯ブラシを口に突っこんで戻ってきて、口内をしゃこしゃこ掃除しながら過去の日記や、fuzkueの「読書日記」や、Mさんのブログを読んだ。それから、出掛けるのは三時頃になってからにするかと気を変えて、二〇日の日記を書き進めたのだが、やはり早めに出掛けてしまおうと再度気を変えて一三分で中断し、the pillows "New Animal"を流して声を出しながら服を着替えた。ジャージを脱いでベッドの上に畳んで置いておき、収納から青灰色のズボンを取り出して履いたが、白いシャツが見当たらなかったので、肌着の黒いシャツをズボンのなかに入れた野暮ったい格好で上階に行った。先に洗面所に入って伸ばし放題だった髭を剃り、それから居間でシャツを探していると母親が、白いやつはお祖母ちゃんの部屋にあると教えてくれたので連れ立ってそちらに行き、母親が取ってくれたものを受け取って身につけた。そうして下階に戻るとリュックサックに本とCD合わせて七点を収め、紺色のジャケットを羽織って階を上がり、両親に行ってくると告げて玄関に行き、まろやかな褐色の靴を履いて姿見に向かい合うと、今日着ている肌着は首元まで高く覆うもので、シャツの隙間から黒い布が見えて凄くダサかったので、第一ボタンを留めて肌着を隠した。そうして出発、正午過ぎまで眠りこけていたのでいつ降ったのか知らないが、雨が通ったらしく路上は濡れていた。自宅近くの楓は目覚ましいような紅の色を強く鮮やかに湛えており、枝葉の裾には薄緑やオレンジ色もまだ残っている。柔らかく肌に馴染む空気のなかを歩いて坂道に入ると、眼下に黄色く染まった銀杏の樹が現れ、さらにその先に、老いてまろやかな緑を満たした川が見えて、前景の黄色と背景の緑の取り合わせがなかなか良いなと思われた。川沿いにはほかに、超常的に巨大な画家の手によって人工的に塗り作られたように、オレンジや赤の樹々も差しこまれていた。坂道の路面には葉っぱが散って、濡れて沈んでいる。そのなかを上っていくと地を擦って葉を掃いている箒の音が先から聞こえてきて、出口付近まで来て見れば、一段下の道に接した家の前で若い者が掃き掃除をしていた。
 坂を出ると微風の音が近間の林から鳴り出したが、しかしそれにしては梢が揺れていないなと見ながら進むと、T田さんの宅の脇に流れる沢から音が立っていて、先ほど聞いたのは風音ではなくて水音だったようだ。街道前まで来ると梅の樹は当然まだ裸だが、その向こう、裏道の奥には、ここにもまたこんもりと葉を茂らせた紅色の樹が立っていた。
 街道に出てすぐに北側に渡り、進んでいると、自転車を押して歩く外国人が対岸に現れ、部品が錆びてでもいるのかその自転車は、ただ押されているだけなのに周期的に鳥の鳴き声のような甲高い音を立てるのだった。小公園の入口にある藤棚では、屋根の上に黄色い葉っぱが茂っており、公園のなかには子連れの家族の姿があった。老人ホームの角まで来ると、そこに立った一本の樹が、あれは何の樹だったかわからないがワインレッドに浸されて、色を吸って重ったように広めの葉っぱが垂れ下がっていた。
 裏通りでは一軒の塀の内に、背の高くて、上から光を降らすライトのように下向きにひらいたピンクっぽい薄紫色の花が見られ、あれは何の花なのかと毎年この時期に目に留めては、仔細を知ることのないままに忘れるのだった。鵯の鳴きが遠く、林の方から小さく渡ってくる。青梅坂前まで来て、車が過ぎてしまえば人がいなくて随分静かだなと思っていると、しかし坂道に車が下りてきて、静寂のなかに車音の響きが波打って差しこまれていくその広がりに、音楽を聞いているのと同じような感覚を得た。芸術作品のみならず、この世界そのものにおいても当然事物の生成の流れ、動きが豊富に含まれているわけで、その波動をより緻密に捉えたいものだ。
 坂を渡ると自転車が一台後ろからこちらを追い抜かしていき、乗り手は煙草を持っていて、その香りがあとに残って鼻腔をくすぐる。一軒の、品の良い高価そうな家の庭では猫がだらしなく、ごろりと寝そべって悠々自適の風情だった。もっと進んで文化センター裏も過ぎると、踏切り前の路地で子供らが何をするでもなく、遊んでいる。ボールすらも持っておらず、ただしゃがみこんで、路面に付された「止まれ」の文字の白線をぺたぺたと触っているようだった。駅前へ続く裏道に入るところには母親と一緒の男児があって、補助輪をつけたこじんまりとした自転車に乗っており、それが側溝の蓋の上をゆっくり行くと、がらがらと音が鳴り響くのだった。前方からは子犬を連れた高年男性がやって来て、こちらとすれ違ったあと、背後で犬が自転車の男児にじゃれついていたようだ。
 駅に入ってホームに上がると電車はまもなく発車だったので先頭の方に移らず手近な口からすぐに乗り、席に就いて瞑目して、往路の初めのことを思い返していると河辺に着いた。降りると、右足の裏が酷く痛んだ。歩いているあいだから確かに突っ張るような感覚はあったのだが、この時には骨が変形したかのような痛み方をして、歩こうと体重を掛けると、足裏の後ろの方が固く痛むのだった。それでも何とかエスカレーターを上がってゆっくり行き、改札を抜けて駅舎の出口に向かう。何らかの痛みを感じる時ほどに、自分の身体というものが骨と肉でできた物質の集合なのだと実感することはない。
 歩廊を渡って図書館に入るとカウンターでCDや本を返却し、礼を言って場を離れるとCDの新着をまず見に行った。細野晴臣の新作らしきものがあったのだが、あれは『HOSONO HOUSE』のリメイク盤みたいな感じだったのだろうか。それからジャズの棚へ行き、井上陽介の新作『New Stories』か、過去作『LIFE』を借りようかと思っていたが、あまり気が向かなかった。今まであまり興味の範疇に入ってこなかったが、穐吉敏子の作品に何があるか確認し、ほかにも棚を眺めていって、まず、Clifford Brown And Max Roach『Study In Brown』を借りることに決めた。随分昔にはデータを持っていたのだが、既になくなっているので、改めて借りて聞いてみることにしたのだった。次の一枚は、Joe PassとNiels Pedersenがサポートとあってはやはり惹かれるので、Oscar Peterson『The Trio』に決め、最後の一枚はジャズではなくてロック/ポップスの作品にすることに決めて、そちらの棚を久しぶりに見分した。Aretha Franklinなど惹かれたものの、最終的にThe Jimi Hendrix Experience『Are You Experienced』に決定した。これも確か中学生の時分に買って所有していたのだが、随分昔に売り払ってしまったので、ふたたび聞いてみなくてはなるまいとの判断だった。それで貸出機に向かって手続きを済ますと上階に上がり、新着図書を眺めた。シェーンベルクの音楽評論選が気になっている。ほか、この時には確か、メイ・サートンの『七四歳の日記』というのがあったはずで、メイ・サートンという人も前々から読んでみたいと思っている作家だ。それからフロアを渡って海外文学を見に行くと、宇野邦一が新訳したベケットは『マロウン死す』だけでなくて『モロイ』も棚に入っていて有り難い。それらのどちらかを借りても良かったのだが、何となくロラン・バルトが読みたい気がしたので壁際の全集の棚に寄り、『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を選び取った。やはり図書館の本は一冊に留めなければ駄目だ。いくつも借りたところで、結局読めないままに終わることになるのは必定である。
 貸出手続きをして退館し、駅へ渡って、二〇日の記事もまだ仕上げられていないし、どこにも寄らずに早々と帰ることにした。駅に入ってエスカレーターを下りるとちょうど電車がやって来たので席に就き、今日はメモを取る気分でなかったので瞑目の内に到着を待ち、青梅に着いて降りれば乗換えの奥多摩行きまで三〇分以上あったのだが、やはりメモを取る気持ちでなかったので、コーラを買ってベンチに就き、借りたばかりのバルトを読みはじめた。ホーム上には外国人女性が二人、一人はリュックサックを背負い、もう一人はキャリーバッグを引いてうろついており、奥多摩の方へ行くらしい。奥多摩行きが来ると山帰りの人々が吐き出されてきて、酒と香水と汗が混ざったような何とも言えない臭いが漂った。彼らが降りてしまってから三人掛けの席に入り、バルトを読み続けた。
 最寄りに着くと四時半過ぎ、空から地上まで空気は一面青さに包まれはじめており、階段通路を上れば光を灯しながら街道を流れていく車たちが見えて、ライトを浴びせられた路面は幽かに紫色を帯びるように映った。通りを渡って坂道に入ると濡れた路面に葉っぱがべたべたくっついていて、坂を下りていくあいだじゅう、葉っぱを踏まない歩はほとんど一歩もないくらいであり、濡れたものの上には新しく落ちたものがまだ乾いて形を保ちながら伏している。それから平らな道に出て自宅まで辿るとちょうど父親も帰ってきたところで、戸口でおかえりと言うので挨拶を返し、彼のあとに続いて家のなかに入った。母親はどこに行ったのか知らないが、出掛けていた。冷蔵庫のなかを確認しておいてから下階に帰ると、コンピューターを点けてジャージ姿に着替え、借りてきたCDを早速インポートし、データもEvernoteに打ちこんで記録しておいた。そうすると五時一五分、腹が減って仕方がなかったので、もう飯を食うことにして上階に上がると、父親は寝間着姿になって相撲を見ている。台所へ入って冷蔵庫を開ければ厚い豚肉があったので、これを簡便に玉ねぎと共に焼くことにして野菜を切り、豚肉は解凍して三枚あったのを三等分し、それでフライパンに肉を敷いて焼きはじめたその上から、生姜をこれでもかというほどに摩り下ろした。そうして蓋をしながら両面焼いたあと玉ねぎを投入し、まもなくにんにく醤油も掛けて完成、まだ五時半だったが空腹が極まっていたのでもうエネルギーを摂取することにして、米を大盛りによそった。汁物は母親が作っていってくれた野菜スープがあったのでそれを椀によそり、焼いたばかりの肉と玉ねぎを小皿に取ると、冷凍の焼鳥炭火焼も電子レンジに突っこんだ。そうして卓に就いて食事を始めたが、腹が完全に空っぽだったおかげで糞美味かった。バルトを読みつつもりもりと食っていき、父親が風呂に向かうとテレビを消して、レンジから焼鳥を取ってきておかわりした米とともに貪った。最後にスープを飲んで完食すると、食器を洗い、抗鬱薬を飲んで下階に帰った。
 時刻は六時前、書き物を始めて一時間一〇分を費やした。六時半頃にLINEを通じて、今日の夜に時間があるかとTに連絡したのは、先日会った際に思いの外に最近のことを話さなかったような気がしたので、改めて近況を聞こうと思ったのだった。八時四二分現在になっても連絡が返ってきていなかったが、その後、返信があり、今夜は仕事をすると言うので、水曜の夜に時間を貰うことに決まった。七時を越えるとこちらは風呂に向かった。その頃には母親が帰ってきており、福生市中央図書館で松下紀久雄という画家の展示がやっていたのを観に行ったと言う。拝島のI.Y子さんが好きな画家であるらしい。そうして入浴、七時一〇分から浸かり、首元にぽろぽろと汗の玉を流しながら今日の記憶を思い返していき、二〇分がそこら浸かると出て、ヨーグルトゼリーみたいな品を母親と分けて食った。母親はテレビを見ており、父親もイヤフォンをつけてスマートフォンでテレビを視聴していた。こちらは下階へ戻るとふたたび書き物に取り掛かって、二〇日の分はまもなく完成させ、投稿したあとこの日のことも簡易的に綴っていき、そうして八時四五分に至った。一応これで三時間は作文に費やしたので、一日のノルマは達成したことになるが、二一日以降の記事が出来上がっておらず、負債は溜まっている。
 その後、Feisal G. Mohamed, "Arendt, Schmitt and Trump’s Politics of ‘Nation’"(https://www.nytimes.com/2016/07/23/opinion/trumps-perilous-nation.html)を読んだ。

・stock in trade: 常用手段
・peripheral: 周辺的な
・crucible: 坩堝
・heap: 積み上げる
・misgiving: 懸念、不安
・streak: 性質
・poise: 振舞い、物腰

 さらに、何時から聞いたのかよく覚えていないが音楽鑑賞にも入って、いつも通り最初はBill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)を聞いた。ピアノソロの序盤における左右にうろつくような動き方からして、Scott LaFaroはやはり相対的な洗練のせせこましい枠のなかに収まっておらず、それを超越していることは確かだ。フォービートの連なりにおいても音使いが独特で、特に高音方面に浮上してくるとそれが露わになるような気がする。ピアノについては、このテイクでは好きな場面が二つあって、一つはソロ序盤の、滑らかな山型を描くように上下運動を三度繰り返す箇所、もう一つはフォービートに入る直前の解決の仕方、滑らかに上ってきたあとに最後の音をふっと置くように優しく鳴らし、一瞬空白のような感覚が差し挟まってからフォービートに突入する、その移行の仕方である。
 続けて、"Jade Visons (take 1)"を聞いた。Scott LaFaro作曲の清冽に澄み渡ったバラードであり、『Portrait In Jazz』における"Blue In Green"のあの沈潜的な静謐さをさらに抑制させたような冷たい美しさが湛えられている。LaFaroを擁したBill Evans Trioの方向性として、一つにはこのような、一面凍りつくような冷美を孕んだ音数少なめのミニマリズム的な可能性があったのだと思う。曲構成は九拍子で、テーマ前半は三拍子が三つ続くわかりやすい区分けになっているが、後半はそのままの感覚で演じられているのか、四+五という区分の認識になっているのかよくわからない。Evansのソロは控えめなものだが、この九拍子を自家薬籠中のものとして、事もなくその上に乗って静かに歌っている。
 さらに、Bill Evans Trio "Autumn Leaves"(『The 1960 Birdland Sessions』)を流した。このテイクは一九六〇年の三月一二日録音である。まずLaFaroのソロから始まっていて、録音が非常に悪くて聞き取りづらいものの、お得意の三連符を連ねて大きく動く速弾きが聞かれて、その闊達ぶりは『Portrait In Jazz』でのプレイよりも発展していると思われる。Motianのプレイも聞き取りづらいが、ハイハットを無意味に素早く三連で刻むところなど、彼特有の気まぐれさが段々と発揮されてきているような気がする。Evansのソロは、前半は六一年のあのライブに比べるとちょっとゆったりしていると言うか、休符の間隔=感覚などに僅かな弛緩が感じられないでもないが、後半のブロックコードの連打はさすがの盛り上がりで、これはきちんとした明瞭な音質で聞けていたら実に迫力があっただろうと思わされた。
 それから二回目を聞いていると父親が戸口にやってきて、ゴミを持ってきてくれとのことだったので音楽鑑賞を中断し、ゴミ箱二つを持って上階に行った。台所でゴミをまとめ、母親は大根の葉を茹でていてそれを切るのが面倒臭いと漏らすので、こちらがやってやろうと洗い桶のなかに浸かったものを取り上げて絞り、切ってプラスチックパックに入れた。また父親と小さな悶着があったのだろうか、母親がそれらしいことを愚痴愚痴文句に言うのを聞き流しながら作業を進め、母親が茹でていたもう一本分も切断して整理すると下階に帰った。そうして、夏目漱石草枕』を読みはじめたのが零時頃である。振り返って細かくメモを取ろうと思っていたのだが、読み返して文言をいちいち読書ノートに引くのが面倒になったのでそれは止めることにして、書抜き箇所をいくつかメモするのみでこの本にかかずらうのはそこまでとした。やはり読書の進行は遅くなっても、気になる箇所に遭遇したその時にその場でメモを取っておかなければならないと読み方の原則を新たにした。
 零時過ぎにはISさんとTwitterでダイレクトメッセージを交わしてもいた。読書会の課題書をどうしようかと尋ねるので、プリーモ・レーヴィが良いかもしれませんねという雰囲気になっていた先日の流れを継いで、彼の『天使の蝶』という短篇集ではどうかと提案し、合意が得られた。その後、『草枕』を仕舞えたあとに当該作品を早速読み出して、一時半前に切りとして就床した。


・作文
 12:45 - 12:53 = 8分(24日)
 12:53 - 13:12 = 19分(23日)
 13:13 - 13:41 = 28分(20日
 14:06 - 14:19 = 13分(20日
 17:54 - 19:04 = 1時間10分(20日
 19:41 - 19:51 = 10分(20日
 20:03 - 20:45 = 42分(24日)
 23:07 - 24:02 = 55分(21日)
 計: 4時間5分

・読書
 13:44 - 14:04 = 20分
 20:47 - 21:14 = 27分
 24:03 - 25:28 = 1時間25分
 計: 2時間12分

・睡眠
 3:05 - 12:05 = 9時間

・音楽

2019/11/23, Sat.

 (……)ヘスが自伝の中でしばしば語っている彼の繊細な「内面生活」は、常にただ現実を埋め合わせる働き、いわば非人間的な手仕事の疲れを「知的・芸術愛好的」に癒す働きを果たしているにすぎないように思われる。そこには外に向けての作用や関連づけはない。つまり、それは内向的な感傷にとどまるのであり、ある精神的な役割を持った自分自身とのゲームなのである。このような「魂」とその繊細さがはっきりと現れるのは、人間を大量にガスで殺害した際の神経の緊張を、馬小屋の自分の馬たちの傍らで鎮静させなければならなかったとヘスが報告するときであり、彼が心を込め感傷的に、アウシュヴィッツにおけるジプシーの子供たち(彼らはとても人なつっこくヘスに信頼を寄せてくれるので、ヘスにとって「最愛の抑留者たち」であった)の生活について民間伝承風の牧歌を作るときであり、また彼が、ほとんど比類のないほど無慈悲に、最初の大量ガス虐殺の体験の描写を次のような「叙情的な」印象で終えるときである。「何百人という花盛りの人間たちが、農場の花咲く果樹の下で(そこにはガス室があるのだ)、たいていは何も知らないで、死んでいった。この生成と消滅の光景は、今もなお私の眼前にはっきりと残っている」、と。ヘスには、アウシュヴィッツの司令官のそのような「心情の吐露」がきわめていかがわしい神への冒瀆であることが、まったく理解できていない。大量ガス虐殺に関する彼の描写はすべて、それにまったく加担していない観察者のそれである。後になってもなおヘスは、彼の指揮の下でほとんど毎日のように遂行されていたことが、まぎれもなく何千もの殺人であったという事実を、具体的なものとして思い浮かべようとはしなかった。しかしそれだけに、そこで起こったショッキングな場面が彼にたいへんな「心痛を与えた」と、あとで自慢することもできたのである。大量虐殺という事実に対するかたくななまでの無感覚さ、および想像力のなさと、殺人を犯している間の感傷的な光景のいわくありげな記述が並存しているのを見ると、ヘスがいつも正直で誠実な人間のタイプであったことが分かる。もっともそれは、ある精神分裂的な意識から、途方もなく恐ろしい民族虐殺に関与しているときでさえ、自分を思いやりある、感情豊かな人間であると考えることができたという意味においてである。(……)
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、38~40; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 例によって一二時まで寝過ごす。出掛けていたらしい両親が帰ってきた気配が上階に生まれて、それでようやく瞼をひらいたままに留めることができ、窓外で全面に満ち渡っている空白に瞳を慣らした。正午ちょうどにベッドを抜け出し、コンピューターのスリープ状態を解除しておいてから、ダウンベストと燃えるゴミの箱を持って上階に行けば、母親は台所で食事の支度を始めている。こちらは寝間着からジャージに着替え、持ってきた燃えるゴミを台所のゴミ箱に合流させておき、主食としては五目御飯があると言うので炊飯器に寄り、炊けたまままっさらな状態の褐色の米に杓文字を差しこんで、栗やら茸やらの入った御飯を搔き混ぜた。そうして自分の分を一杯よそって卓へ行き、新聞の一面から、韓国がGSOMIAの破棄を条件付きで撤回したとの報を読みつつ米を食べ、それから母親が焼いてくれた餃子も四つ頂いた。その他辛い大根のサラダや春菊のお浸しなどを食べて、食器を洗うと次に風呂掃除、the pillows "Midnight Down"のメロディを口笛で吹きながら済ますと室を出てきて、下階に帰った。自室に入ってコンピューターの前に立つと、前日の日課記録を完成させるとともに、この日の記事も作成、そうしてから緑茶を用意しに行ってきて、一服しながら(……)。その後、この日の活動に入る前に身体をほぐしておこうというわけで、the pillowsの曲を流しながらいつものように下半身をほぐしたり、肩を回したり、腰をひねったりした。それからsyrup16g "I.N.M"やSuchmos "YMM"も歌ったあとに、便所で腹を軽くしてきてこの日の日記を書きはじめ、ここまで綴ると一時四五分に至っている。
 それから一九日の記事に取り組み、四五分間で最後まで仕上げることができた。インターネット上に記事を投稿したのち、音楽鑑賞の時間に入った。
 Bill Evans Trio, "All Of You (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3)。Bill Evansの整然とまとまった不動の統一性と、それに寄り添うPaul Motianの刻みが両脇を支えるなかで、Scott LaFaroが縄張りを広げるようにうねり、動き回るさまを聞いていると、このトリオの主役は彼なのではないかとも思えてくる。Evansは不動性を担当し、LaFaroは遊動性を引き受ける。これはおそらく確かなことだろうが、それではMotianは? EvansとLaFaroのスタイル、その関係は比較的わかりやすく、今まで色々な言い方をしてきたけれど、ある種対比的なものとして捉えられるはずだ。しかし、そこに加わる第三者であるMotianの位置づけをどう考えるのか、それがどうも難しい。二者の衝突あるいは調和を媒介し、繋いでいると言えばその通りなのだろうが、果たしてそれだけで収めてしまって良いものなのか。
 Bill Evansは左手のバッキングが正確で、右手で音列を滑らかにひらきながら、一筋縄では行かないリズムも難なくこなしている。ピアノソロの後半はブロックコード三昧だが、彼のコードプレイは右手と左手でリズムを一致させて強調する種類のものなので、むしろここではリズムは取りやすいのかもしれない。このテイク二ではMotianのドラムソロのあいだは、LaFaroがガイド的に音を添えてコード進行を示しているのだが、和音の展開が明示されていることによってかえって、テイク一のようにドラムプレイの裏から幻影的にメロディが浮上してくるような感じはなくなっている。Motian自身も、歌い上げると言うよりは、シンバルもバシャバシャとたくさん鳴らして、テイク一よりも勢いを強めているのではないか。
 次に、"Waltz For Debby (take 2)"。冒頭、イントロではLaFaroの音程がより正確になっているように聞こえ、ピアノとベースの息はテイク一よりも合っているような気がする。この曲のテイク一の演奏は、EvansもLaFaroもあまり走らないで穏和に徹し、落着いたものとして提示されていたが、それと比べるとテイク二では全体にややテンションが上がっているように思われ、Evansのソロのなかにも滑らかに転がるような音使いが散見されるし、一六分音符の速弾きも聞かれる。ベースも同様に、テイク一よりも動き回って折々にうねりながら浮上してくる印象で、ソロにおいても速めのフレーズを織り混ぜてよく歌っているのではないか。テイク一よりも全体的に明朗で、活力があり、この曲の演奏として金字塔とも言うべきバージョンになっているだろう。
 それから井上陽介『GOOD TIME』に移り、改めて"Feel Like Making Love"を聞いた。先日も記したように、全然悪くない演奏ではあるものの、くつろぎ以上の新鮮な驚きのようなものをもたらしてくれるものではなく、そしてそうしたメロウでソウルフルな方向性で勝負をするならば、Marlena Shawに優るのはやはり至難の業だろう。ギターソロはやや粘りのあって伸びる音色で、特に序盤において結構歌心が感じられてなかなか良い。ただ中盤以降は、流れが淀むと言っては言い過ぎなのだが、ほんの微かにではあるものの失速するような感じ、呼吸が細かく途切れるような印象がないでもない。ドラムとベースのバースチェンジは尋常のもので、全体として聞いているこちらを脅かしてくるような音楽ではない。
 三曲目、"Tell Me A Bedtime Story"。『GOOD TIME』とのタイトルにも表されているように、このアルバムはくつろぎや心地良さ、comfortableな雰囲気が主要なテーマに据えられていると思われ、爽やかに澄んだサウンドのこの曲でもそういった側面が強く感じられる。ベースソロは速弾きとメロディ性を双方調和させてさすがの実力といった感じなのだが、ベースの録音が弱めで、細かいフレーズになるとやはり幾分引っこんで粒立ちが弱くなり、細部まで明瞭に聞き取れないのが惜しい。この三曲目ではピアノは丈青という人が客演している。無闇に走らず穏和に歌うようなスタイルかと思っていると、後半からちょっと動きが大きくなって、両手で同じ音型を用いながら左右に行き来する速弾きのテクニックも披露された。しかしあまり横にガンガンとひらいていく感じではなくて、広い範囲を移動する際には二拍三連めいたフレーズを使ってちょっとリズム感をずらしながら展開し、小節を跨いで呼吸を長く取っていたと思う。全体的な流れはまとまっていて充分な統一感があるが、同じようなアプローチの仕方が繰り返されるのでそこがちょっと瑕疵と言えば瑕疵になるか。
 次に、"Black Orpheus"。この曲はあまり聞き所がないように思った。このスタンダード曲にありがちなことで緩やかなボサノヴァ風のアレンジで、ギターとドラムは尋常のサポートに徹しており、その上でベースがテーマメロディとソロを演じて、リーダーである井上のプレイがたっぷり聞けると言えばその通りなのだが、再三述べてきたように細密なフレーズでの音像がはっきりしないので、速弾きをされてもなあ、という印象を受けるものだ。ピアノはバッキングの添え方も甘やかな感じだし、ソロもカクテルピアノめいていると言うか、幾分微温的に過ぎるように思う。このアルバムは、おそらくジャズにあまり親しみのない一般リスナーも取り入れようとの狙いで、聞き心地良いものにすることを目指したのではないかと推測するが、全体的にイージーリスニング的な方向に寄りすぎている気がする。
 五曲目はThe Beatlesの"Here, There And Everywhere"。前曲までと同様の印象で、可もなく不可もなく、正直に言っていくらか温いといった印象を禁じ得ない。ギターも二曲目のようにもっと歌ってくれるかと思ったところが、何だか引っこみ思案な感じに陥っていると言うか、朴訥めいているようだ。
 音楽鑑賞に切りを付けると、四時を回った頃合いだった。腹が減ったのでものを食べることにして上階に向かった。ずっと椅子に座ってじっと静止していたからだろうか、先ほど体操をしたにもかかわらず、肉体がふたたびこごって重るような感覚があった。階段を上がると母親は早くも台所で食事の支度を行っていた。こちらは五目釜飯を食うことにして椀に一杯よそり、卓に就くと新聞の国際面をひらいて栗や茸の混ざった薄褐色の米を貪った。イスラエルでネタニヤフ首相が起訴される見通しであり、「青と白」のベニー・ガンツ党首が組閣を断念した今、三回目の総選挙が行われる目算も高く、国政の混乱は続くだろうとの記事を読んだ。また、香港では先日覆面禁止条例が基本法に反するとの高等法院の判決が下されたばかりだが、二四日の区議選に配慮したものだろうか、二九日まで一週間、条例の効力の継続が認められたという報もあった。五目御飯が美味かったので、もう一杯おかわりして食べていると、母親が作ったばかりの味噌汁を椀によそって出してくれた。カウンターの上に乗せられたそれを受け取り、入っていた白菜を一切れ取り上げて齧ってみると、これがやたらと甘く、味の濃い白菜だったのでちょっと驚いた。ほかの具は舞茸や葱だった。その汁物も飲み、台所に行くと食器乾燥機のなかに入っていた皿を取り出し、それから使った椀二つと箸を洗い、流しの前に立ったままバナナも食った。そうして一旦下階に下り、急須と湯呑みを持って戻ってくると、緑茶を用意しつつ、テーブルの端に母親の好きな林檎入りチョコレート、「Pomme D'amour」があったので、二粒を貰ってダウンベストのポケットに入れ、用意した茶を持って自室に帰ると、茶を啜りながら読み物に入った。二〇一四年三月一日の日記をまず読み返したが、糞みたいにつまらない、紛うことなき駄文で、よくもまあこんな、あまりにもバランスの悪い文章を褒めてくれる人がいたものだと思う。それで調子に乗って悦に入っていたのだから救いようがない。愚かな過去の自分だ。その頃よりは多少は身の程を知り、成長したものだと信じたい。次にfuzkueの「読書日記」を一日分読み、それからMさんのブログを三日分読んだ。以下は一八日の記事の冒頭に引かれていた佐々木中『夜戦と永遠』からの記述。

 精神分析に慣れ親しんでいない人にとっても、ここで何やら快楽=快感(plaisir)と区別されたものがあることは見て取れるだろう。現実界にあるもの、イメージにもシニフィアンにもならない、見えもしなければ言葉にもできない現実界に属し、他の輪と交差するところにあらわれるものらしいから、それはもう「えも言われぬ」快楽ということだろうか。そうではない。七一年のセミネール『……あるいはもっと悪く』の最初の会合で、ラカンはこのことについて実に明快に説き起こしている。彼はこう語る。まず、前提として享楽は身体の享楽であり、身体がなければ享楽はない。「そこには身体が必要です」。ところが、身体とは「死へと沈静していく次元」でもある。フロイトが言った「快感(快楽)原則」の「快楽」とは、要するにこのことに関わる。つまり「快楽とは、緊張(テンション)を下げるということなのです」。では、享楽が快感原則に従うものではないとしたら、「緊張(テンション)を産み出すこと以外に、何を享楽したらいいというのでしょうか」。だから享楽は「快感原則の彼岸」にあるものなのです、と。基本的なことだが、フロイトの言った快感原則とはある平穏さを、欲望の沈静を目指すものである。欲望に苛まれるという震えるような緊張から解放されて、「沈静」していくことであり、それは何か「小さな死」であるような脱力を伴う。身体はほぐれ、脱力し、まるで死体であるかのようにぐったりと倒れ込む。これが誰にでも経験がある「快楽」だ。それと比較して、快感原則の彼岸、すなわち「死の欲動」の側にある享楽は「緊張」を再び作り出し、それを持続しようとすることによって享受される何かだ。つまり、享楽も快楽も最終的には「死」に関わるものであることは同じだが、その性質が全く違うということだ。ラカンは「主体は欲望に満足しません。人間は欲望することを享楽するのであって、それが人間の享楽の本質的な次元をなしています」と言っているが、また「欲望は大他者からやってきて、享楽は物の側にあるからである」と区別もしている。だが、これは要するに大他者とのシニフィアン連鎖の関係だけには回収されない、現実界に属する「もの」そのものの次元に深く参与するのが享楽であって、その言葉にもイメージにもならない何かに向かって「欲望し続けること、欲望することをやめないこと」というよりはむしろ「欲望の緊張を持ちつづけることをやめられないこと」が享楽であると言ったほうが妥当だろう。身体の緊張の持続、果てしのないその持続を反復すること、それが享楽することである。しかも「もの」という現実界を、シニフィアンにもイメージにもならない何かをめぐって、それは何の役にも立たない不毛さのままに繰り返されるしかない。そう、快楽が「何かの役に立つ」ものであるのに対して、享楽は「何の役にも立たない」「有効性の内部にはない」「利用することができない」「盲目の」ものであると言うことができるだろう。
佐々木中『定本 夜戦と永遠(上)』p.150-151)

 そうして五時六分からこの日の日記を書き足しはじめて、音楽の感想は飛ばしながらここまで書くと五時二〇分。長くなることが確定している二〇日の日記を書くのが面倒臭いで御座る。
 そういうわけでふたたび音楽を聞きはじめた。先ほどから引き続き、井上陽介『GOOD TIME』から、六曲目の"What Are You Doing The Rest Of Your Life"である。ピアノとベースのデュオでの深秋めいた哀愁漂うバラード。井上がアルコを披露しているものの、正直なところそれほど巧みとは感じられず、トーンの安定性が高度に整っていないような肌触りを感じるし、フレーズとしても淡々とメロディを弾いているだけである。しかし、ピアノソロの裏のベースの、太く沈みこむサウンドはちょっと良い。何か大したことをやっているわけではないが、この曲はピアノとベースしか奏者がいないために、ベースの音がよく聞こえるのだろう。
 続いて、"Come Together"。ギターが悪くないように思う。ソロの入りの速弾きはちょっと鮮烈だったし、スタイルとして尖っているわけでないものの、ここでもやや粘りながらよく歌っている。ピアノは際立った印象を受ける場面がなく、率直な感想を述べさせてもらえば、少なくともこのアルバムでのプレイを聞く限りでは、このくらいのピアニストはいくらでもいるのではないかと感じられる。ベースソロは長尺の速弾きをやっているのだが、ドラムが同時にフィルインでばたばた動いていることもあって、如何せん聞こえないのだよなあ、と嘆息してしまう。
 八曲目は井上のオリジナルである"Come On"。ようやくいくらかハードで面白味のある演奏が出てきた。冒頭のリフを聞いて、Red Hot Chili Peppersという名前が脳裏に浮かんできたのは、"Around The World"冒頭のベースのリフとほんの少しだけ共通する部分があるからだろう。この曲ではふたたび丈青が客演しているのだが、正直なところ、レギュラーメンバーの秋田慎治よりもこの人のピアノの方が聴き応えがあると感じる。ブルース進行のソロでは連打的でパーカッシヴな、活気のあるアプローチを見せているし、三コーラス目の最初で見せるアウトの感触も悪くなく、演奏を盛り上げる際のドラムとの息もわりあいに合っていてなかなか華がある。ギターも、細かなところでぎこちなさのような感覚を僅かに覚えさせないでもないものの、トーンの粘り方はやはり結構好ましいものだし、色々なリズムやフレーズのアプローチをしようと試みているように聞こえる。ギターソロから倍テンポのフォービートになる曲構成も、単純なものだが効果的ではある。
 九曲目、"Wonderful Tonight"はアコギとベースの温和なデュオで、Eric Claptonの曲なので、ポップで温かみが強すぎる気もするが、悪くはない。取り立てて強い印象を与える場面もないものの、可もなく不可もなくの水準は越えたそこそこ染みるような演奏になっているかと思う。ベースソロは短いので、個人的にはもう少し長く取って速弾きなどを披露しても良かったのではとも思われる。しかしまあ、こうした曲やアルバム全体を聞いてみても思うものだが、Scott LaFaroを思い起こしてみればほかのベーシストは実に行儀良く聞こえるものだ。
 一〇曲目、"Last Cookie To The Sky"は井上オリジナルのバラード。ギターで奏でられるテーマメロディは、一瞬"It's Easy To Remember"を思い起こさせる箇所があり、それほど安直でなくてなかなか良い。ベースソロもこの曲では発音明瞭にメロディ重視で上手く整っていると思う。しかし、ピアノはやはりどうしてもカクテルピアノっぽい甘ったるさに陥っていて、残念ながら聞き所を見つけられなかった。手を抜いているはずもないだろうが、何だか通り一遍の、月並みなプレイという印象から脱することができないのだ。
 最終曲は"All Of You"。"All Of You"と言えばこちらにとっては言うまでもなく、毎日聞いている六一年のBill Evans Trioの演奏が最高で、金字塔だと思っているが、同じ曲でもここまで違うかと思われるほどに違って、それもまあジャズという音楽の醍醐味ではあるだろう。井上たちの演奏には温かみがあるのだが、Bill Evansのバージョンには温和さなど微塵も感じられず、物凄まじい強度で冷たく澄み渡っている。"All Of You"はMiles Davisも六四年のライブで取り上げているけれど、彼だってあんなに冷たくはやっていないだろう。井上たちの演奏は無論、洗練されてはいるのだが、しかしこのアルバムを通して聞く限り、それはともすれば破綻に向かうようなスリルを一瞬も感じさせない行儀の良さに留まっている。Scott LaFaroにせよPaul Motianにせよ、六一年のBill Evans Trioの演奏は、こじんまりとまとまった相対的な洗練とは無縁のところにあり、特にLaFaroはやはり、高度に洗練されていると同時に、明らかに野蛮さを孕んでいるのだということがよくわかった。
 井上陽介『GOOD TIME』を最後まで聞くと時刻は六時半過ぎ、そこから二〇日の日記の作成に取り掛かって、あっという間に一時間強が飛んで、八時を目前にして上階に行った。今日は夕食の先に、入浴である。寝間着を洗面所に持っていき、服を脱いで浴室に入り、湯に浸かりはじめたのが八時五分かそのくらいだったのではないか。最初のうちはいくらかものを思っていたようだが、身を低くして頭を浴槽の縁に預けているうちにうとうととしたようだった。それで三〇分かそこら湯のなかで過ごしたあと、洗い場に出て、頭と身体を洗って上がり、食事である。一杯分だけ残った五目釜飯をすべて払ってしまい、汁物は白菜や舞茸の味噌汁、おかずには輪切りにした大根のソテーと春菊のお浸し、あと何かしらのサラダがあったと思う。卓に就くと、父親はまた酒を飲んだらしくご機嫌な様子で、どうでも良いテレビ番組に応じていちいち声を出してみせるのがやかましく、鬱陶しい。よくもまあ、あのような至極どうでも良い番組をそこまで楽しめるものだ。番組自体も低俗なものではあるが、低俗なコンテンツだって見ようによってはいくらか楽しめたり、多少興味深い部分が見つかったりすることもあるだろう。ところが父親の場合、番組自体の問題のみならず、その受容の仕方、彼自身の態度の方も救いようがなく低俗だという印象をもたらすものだった――どうしてそのような感触を覚えるのか、上手くは説明できないのだが。ともかく、テレビを楽しむのは別に良いけれど、もっと黙って静かに見れないのかとは思うものである。まあおよそどうでも良いことではあるのだが、とは言えこの空間に長く留まりたくはないなというのが正直なところだったので、新聞に目を向けながらものを食ってしまうと、食器を洗って下階に帰った。急須と湯呑みを持って上がってきたところで米がなくなったことを思い出したので、磨いでおくかということで、洗い桶を占めていた洗い物を始末し、母親が笊に用意してくれた三合半を受け取り、流水のなかで擦って洗い、炊飯器に移して水も注いで、一五穀の粉を振り入れて混ぜておき、翌朝六時に炊けるように設定した。そうして茶を用意して自室に帰り、多分いくらかだらだらしたと思う。その後、九時半過ぎからふたたび二〇日の日記を進めた。やはり最低でも一日に三時間は書き物に取り組みたいというわけで、この時はまた一時間ほど文章を作り続け、そうすると総計でこの日の作文は三時間半ほどになったからノルマは一応達成である。しかし二〇日の日記自体はまだまだ書くことがたくさん残っている。それでもまあ急がず焦らず地道にやっていこうというわけで今日はここまでと定め、歯磨きをしながら英文を読みはじめた。Omri Boehm, "Liberal Zionism in the Age of Trump"(https://www.nytimes.com/2016/12/20/opinion/liberal-zionism-in-the-age-of-trump.html)である。

・trope: 言葉の比喩的用法、言葉の綾
・zero tolerance: いかなる違反も許さない
・gala dinner: 祝賀会
・outspoken: 遠慮のない、率直な; 辛口の
・avow: 率直に認める、明言する
・sanctification: 神聖化

 同記事を読み終えるとさらに、志葉玲「「死の商人」化の防衛省、700万人飢餓のイエメン内戦加担のサイコパス自衛隊機売り込み、中東ドバイで」(https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20171116-00078220/)も読んだ。

 イエメンでは、2015年に政権が崩壊し、ハディ暫定大統領派とイスラムシーア派武装組織フーシ派が対立。暫定政権側を支援するイスラムスンニ派主導のサウジアラビアと、フーシ派側を支援するイスラムシーア派の総本山イランによる代理戦争となり、情勢は混迷する一方だ。

 内戦の影響の中でも、とりわけ深刻なのが食糧危機。紅海沿いの港湾都市ホデイダ周辺での戦闘の影響から食料の輸入が止まり、今年4月の時点で、国連世界食糧計画(WFP)は「前例のない大規模な食糧危機を招く」と警告していた。既にイエメン人口のおよそ3分の1である約700万人が飢餓に直面し、支援を必要としているが、サウジアラビアは、フーシ派を支援するイランからの武器流入を防ぐ名目で、今月6日にイエメン国境を封鎖、国連の支援物資も届けられない状況だ。(……)

 同じく勉強会で発言した池内了・名古屋大名誉教授(宇宙物理学)は安倍政権が研究費をエサに大学に軍事研究を求めている状況を「研究者版の経済的徴兵制だ」と批判。「大学における軍事研究差し止めの要請を強めること」「学術機関から、民生分野の期限のつかない研究資金充実を求めること」などが重要であると強調した。(……)

 それで時刻は一一時半前、Seiji Ozawa - Wiener Philharmonike『Dvorak: Symphony No. 9 』をヘッドフォンから耳穴へ流しこみながら、手帳の情報を記憶ノートに移していくことを始めた。三〇分ほどペンを動かして紙の上に文字を認めていき、その後読書を始めたはずなのだが、その開始時刻が零時二一分と記録されていて、二〇分ほどの空白があるのは何をしていたのか不明である。夏目漱石草枕』は一応最後まで読み終え、重松泰雄という人の解説も読み通したが、気に掛かったところを読書ノートに写し取らずに読了してしまったので、戻って再読をしなければならない。そういうわけで七五頁まで引き返して、興味を惹いた箇所をノートに引き写し、コメントも少々付しながら読んでいると三時を越えたので、眠ることにして床に就いた。


・作文
 13:36 - 13:45 = 9分(23日)
 13:46 - 14:31 = 45分(19日)
 17:06 - 17:20 = 14分(23日)
 18:34 - 19:50 = 1時間16分(20日
 21:35 - 22:43 = 1時間8分(20日
 計: 3時間32分

・読書
 16:29 - 17:06 = 37分
 22:45 - 23:12 = 27分
 23:15 - 23:23 = 8分
 24:21 - 27:02 = 2時間41分
 計: 3時間53分

・睡眠
 3:30 - 12:00 = 8時間30分

・音楽

  • the pillows, "Private Kingdom", "Skinny Blues", "New Animal"
  • syrup16g, "I.N.M"
  • Suchmos, "YMM"
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 2)", "Waltz For Debby (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3, D3#3)
  • 井上陽介, "Feel Like Making Love", "Tell Me A Bedtime Story", "Black Orpheus", "Here, There And Everywhere", "What Are You Doing The Rest Of Your Life", "Come Together", "Come On"(×2), "Wonderful Tonight", "Last Cookie To The Sky", "All Of You"(『GOOD TIME』: #2, #3, #4, #5, #6, #7, #8, #9, #10, #11)
  • The Style Council『Cafe Bleu』
  • Suchmos『THE ASHTRAY』
  • Seiji Ozawa - Wiener Philharmonike『Dvorak: Symphony No. 9

2019/11/22, Fri.

 (……)ヘスの自伝が明らかにしているのは、大量虐殺の技術を発明し遂行したのは、荒廃し堕落した何らかの人間のくずなのではなく、野心的で、責任感が強く、権威を盲信する、すまし顔の小市民的な俗物たちだったということである。彼らは、無批判に服従するよう教育を受け、批判精神も想像力もなく、何十万という人間の「抹殺・粛正」こそが民族と祖国のための職務だと、誠心誠意自らそう信じ、あるいは信じ込まされたのである。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、37; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 九時頃から覚めて、昨夜は三時に床に就いたから睡眠は六時間、なかなか良い具合ではないかと思っていたところが、例によって身体を起こすに至らず、一〇時にも至って七時間だからここで起きれば悪くはないなと収めたものの、目はひらいていてもやはり起きられないままに時間が順次流れていって、結局一一時半に起床したから睡眠時間は八時間三〇分、いつもと同じ調子である。ベッドを抜けるとコンピューターを起動させ、各種ソフトを立ち上げて、TwitterやLINEなどを覗いておいたあと、ダウンベストを羽織って上階に行き、炬燵に入りながら食事を取っている母親に挨拶をした。彼女は今日は仕事で、もうそろそろ出なければならないと言う。こちらは便所に行って腹のなかを軽くし、寝間着からジャージに着替えたあと、それから台所で大鍋のうどんを丼に盛り、昨晩の餃子が二つ残っていると言うので、それも冷蔵庫から出して電子レンジで加熱した。そうして卓に就き、新聞から台湾総統選の情勢を確認しつつものを食って、母親の使った分もまとめて皿を洗うと、風呂場に行った。磨りガラスの向こうの色は、雨降りなのでいくらか鈍く、くすんでいる。浴槽をブラシで擦って汚れや水垢を落とし、流して出てくると自室に帰って、前日の日課記録を付けたりこの日の記事を作成したあとに急須と湯呑みを持って居間に上がれば、母親は既に発ったあとだった。緑茶を仕立てて下階の自室に戻り、一服飲みながら(……)。その後、cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌い、この日の日記を書きはじめて、一〇分でここまで記せば一時六分を迎えている。
 だらだらしたあと、一時四七分からふたたび日記に取り掛かり、一八日の分を進めて、一時間一五分で仕上げて投稿した。それから、座ったままの姿勢で打鍵を続けていたためだろう、身体がこごっていたので肉体をほぐすことにして、the pillows『Once upon a time in the pillows』を流し、歌を歌いながらゆっくりと屈伸を繰り返した。それから前後に開脚し、次いで左右に移して、また背伸びをして腰をひねり、後ろに両腕を伸ばして肩甲骨周りを柔らかくしたあと、また左右の開脚に立ち戻った。腰を沈めると自然と肩も上がって、そうすると首から喉の周りがほぐれるようで声も出やすくなる。四曲目、"Thank you, my twilight"の途中で運動を止めて歌に傾注し、"その未来は今"、"I know you"と歌ったあとに、最後に"Funny Bunny"を口ずさんだ。
 それで四時前に至っていただろうか。食事を取るために上階に行き、残っていたうどんを温めるとともに、他方で卵とハムを焼いた。うどんを丼に注ぎこみ、さらにもう一つ丼を用意して米を盛り、ハムエッグをその上に取り出すと卓へ移動して、ものを食べながら新聞を読んだ。米国の香港関連法案についての記事があった。ドナルド・トランプが署名するかどうかが分かれ目であり、署名がなされて成立したら、中国は米国に何か対抗措置を取るだろうとのことだった。食事を終えると下階に戻り、四時半前から一九日の日記に取り掛かって、五時まで作成を続けた。その後、緑茶を用意してきて一服したあと、五時半から歯磨きを行い、同時に読み物に触れた。いつもの通り、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログという順番である。それに三〇分ほど費やし、それから仕事着に着替えた。淡い青のシャツにスーツは紺色のものを合わせ、ネクタイも濃い目の水色のものを選んで青系統の色で装いを統一した。着替えのあいだ、音楽はまたthe pillowsの、"Ladybird girl"などを流しており、歌いながら格好を整えたあと、上階へ行って靴下を履き、便所で排便してきてから戻って音楽鑑賞に入った。と言って時刻は既に六時半、電車は五九分だったのでメモを取る時間も合わせれば聞けて一曲である。そういうわけで常のごとく、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 1)"を聞いた。何度聞いても凄い音楽である。今更言うまでもないことだがリズム隊が凡百のものでなく、融合して一体となり分厚く堅固なビートを構築するというよりは、拡散的に絡み合って空間に網の目を掛けるような感覚があるようで、この時の聴取ではその質感がいつになく迫ってくるような気がした。ドラムがスティックに持ち替えてまだまもない段階では、LaFaroの得意技、頭を八分音符一つ分抜いて引っ掛けるような感覚をもたらすシンコペーションが多く観察されるが、この技を見せる時に彼が生み出すグルーヴ感のようなものは本当に凄まじい。非常に重々しく這っていながらも、なおかつ機動的に、前へ前へぐいぐいと進んでいくような、牽引していくようなドライブ感がある。また、このテイクでのMotianのドラムソロには、これを感じるのはあるいは自分だけかもしれないが、その裏にコード進行やメロディが不思議と幻影的に聞こえてくるような、歌の感覚が織り混ぜられているように思う。もっとこの素晴らしい演奏の内部に入りこみ、主体を溶解させて音楽と同一化し、主客が完全に溶け合った一致感に至りたいのだが、そのためには呼吸の動き、それに応じて生まれる肉体の僅かな膨らみと萎みの感覚がいかにも邪魔臭い。
 その後、出発した。玄関を出ると雨が結構な降りである。黒傘をひらきポストへ向かうと、何か荷物が入っている。濡れたのを引っ張り出して玄関内へ運んで確認すると、両親宛ての荷物が一つずつ届いており、父親のものはAmazonの包みで、母親のものはおそらくメルカリで何か買ったものだろうか。台の上に置いておき、出勤に出て道に入ると、空気はさすがになかなか冷たい。歩き出してまもなく横に車が来たので何かと思えば母親のものだった。助手席を開けて声を通そうとすると送ってくよと言うので、いいよと断り、何でと追及されるのには、まだ早いからと答えたが、本当は、寒くとも外気に触れて歩きたいというのが理由だった。それで母親と別れて歩を進めると、路面には黒々と深淵じみた水溜まりが広くひらいていて、その上に雨粒が落ちるさまが浮かび上がって見える。さらにもう少し進めば、一面濡れて沈みこむようになったアスファルトの上に街灯の光が朧月めいて、形を崩しながら映りこんでいた。一軒の車庫の前に来ると、屋根を叩く雨のサー……という響きが内部の空間に反響し、それが背後から車が濡れた路面を滑ってくる音と紛らわしく、一瞬警戒の頭が働くのだが、しかしライトが渡ってこないので雨の響きだとわかるのだった。木の間の坂に入って上るあいだ、脇の林から突き出した葉っぱの影が傘の表面に映りこみ、黒い布の上をさらに一層黒い姿が歩みに応じてするすると流れていくその影絵が、何だか定かな意味や形象を成さない舞台劇のように見える。道はところによっては足の踏み場もないほどに落葉で埋まっていた。
 駅前にも赤褐色の楓の葉が結構散らばっている。傘をばたばた開閉させたり、振ったりしながら階段通路を行き、ホームに入ったが、傘で手が塞がっているので手帳を持ってメモを取ることができず諦め、まもなくやって来た電車に乗ってからも、扉際で目を瞑って到着を待った。青梅に着くと降りてホームを、次いで壁の配線と蛍光灯のあいだに埃が溜まった階段通路を行く。すれ違う人々はコートを着込んでいたり、手袋やマフラーをつけていたりともう冬の様相だが、こちらの感覚としてはまだベストとジャケットを着ていれば充分だ。駅を出ると職場に向かい、傘をばたばたとやってからなかに入った。
 今日は授業ではなくて、新人の(……)さんの研修相手をするために呼ばれたのだった。必要な教材などを用意したあと、奥のスペースに行って手帳にメモを取っていると(……)さんがやって来たので、お疲れさまですと笑いながら挨拶をし、彼女の身支度が整ったのを見計らって立ち上がり、今日はよろしくお願いしますと言った。ちょうど授業開始のチャイムが鳴ったので、とりあえず授業前の流れを確認しましょうかということで入口の方に行き、挨拶をしながら入ってきたらカードを押して、座席表で今日当たる生徒を確認する、それから棚のボードを確認して単元管理表などを取らなければならない、室長が配ってほしいプリントがあればそれもここに挟まっている、などと説明した。その後、今度は授業本篇の流れである。室長からは生徒役と講師役を入れ替えてやるようにと言われていたが、彼女は元々この教室の生徒だったので、生徒役の方は今さらやってもらうこともなかろうと判断し、こちらが生徒の立場に就きながら適宜指示をして、授業の流れを追っていく形にした。例として取り上げたのは中三生の英語の授業である。一応マニュアルを記したプリントも配布して、ただ説明するだけでなく、まず最初にどうします、じゃあ次はどうします、などと、場面場面でどう行動すれば良いのか訊き、相手が示した答えに応じて時折りアドバイスも加えながら、模擬授業を進めていった。こうして説明してみると、講師の仕事と一口で言っても結構やることがあるもので、(……)さんは、こんなに色々やるとは思わなかった、一人相手でもこれなのに、三人相手なんてできる気がしないと漏らしてみせたので、一か月やれば慣れるよと励ました。その他授業中の具体的な事柄についてもいくらか助言して、それで結構ちょうどよく確認の終わりと授業の終わりが同期したので、じゃあ生徒の見送りをしましょうかと言って一緒に入口の方に行き、帰っていく子供たちにさよならと声を掛けた。それから(……)先生も交えて、色々やることがあって意外と忙しいですね、などとちょっと話したあとに、授業後の流れを確認することになったが、その前に挨拶しておくかと言って、(……)先生と(……)先生に彼女を引き会わせた。挨拶が済むと奥のスペースに戻り、片づけの仕方などを確認し、その途中でコピー機を使って実際に必要なプリントを複製してもらったりもした。教材も棚に戻してもらってこれで仕事は完了なのだが、室長が面談中だったところ、次の出勤を聞いていない(……)さんは終わるまで待つと言うので、こちらも付き合うことにした。その際、彼女のメールが教室のアドレスに届かないという事態が発覚したので、こちらがコンピューターの前に就きながら諸々試してもらった結果、最終的に一応経路を繋げることができた。その頃になっても室長の面談は終わっていなかったので、デスクを離れて教室のちょっと奥に行き、雑談をしながら待った。(……)さんは(……)大学の二年、学部は法学部だと言う。何故法学部を選んだのかと訊けば、中三の時からもうずっと法学部に行こうと考えていたのだと言い、それは当時の社会の先生の授業が面白く、公民が好きだったからだということだった。彼女の学校は中高一貫で、その先生は高校の現代社会の担当でもあったので、高校時代の授業もやはり面白くて、ずっとそうした興味は消えなかったらしい。それで法学部に行って今は憲法を読んだりしていると言うのだが、珍しいかもしれないねと向けると、珍しいです、歴史好きは結構いるんですけど、憲法好きとかっていう人は全然いなくて、周りからも頭おかしいって言われますと笑ってみせるので、いや、素晴らしいことですよ、深い興味の対象があるっていうことは、とこちらは称賛した。とは言え、実際に法学部に入って憲法学を勉強してみると、思ったよりも難しくて、こんなに深く掘り下げなくても良かったかもなとちょっと後悔しているようなことも言っていた。
 そんな話をしているうちに室長が一時面談室から出てきて、また連絡するので今日は帰ってもらって大丈夫ですと言うので、受信トレイの一番上にメールが来ている、そのアドレスに送れば多分連絡できると思うと伝えておき、(……)さんと揃って出口に向かった。今日はありがとうございました、お疲れさまでしたと挨拶をして、先に出ていった彼女が、最後にもう一度礼を向けてくるのにも会釈で答えて、こちらも職場をあとにした。雨は相変わらず降り続けていた。駅に入る前にコンビニに行き、冷凍食品などを買って帰ることにした。入店すると籠を持ち、ポテトチップスや冷凍食品やカップ麺を入れてレジに向かうと、若い男の店員と頭のだいぶ禿げた年嵩の男性店員が談笑していた。若い男性店員の方に品を持っていき、箸は何膳つけるかと訊かれたのには、いや、大丈夫ですと断り、温めますかとの問いにもいや、いいですと、同じような言葉を続けて返すのにちょっと躊躇いながら否定して、一五五三円を支払い、礼を言って店を出た。
 駅へ入ると、電車を降りてきた人々の波とすれ違い、手に提げたものを身体の後ろにやりながら通路の端を通っていく。上がってベンチに就くと、電車は遅れているらしかった。何だかんだで喉が渇いていたので、例によってコーラを飲むことにして、荷物をベンチに置いたまま立ち上がり、自販機で二八〇ミリリットルだかのペットボトルを買って戻った。座って脚を組んだ姿勢で飲んでいると、空の胃に炭酸が入ったためだろう、圧迫感が上ってくるような感じがあってちょっと苦しくなったものの、それでも飲み干して、するとちょうど奥多摩行きが来るというアナウンスが入ったので立ち上がり、乗り場で待って来た電車に乗りこんだ。三人掛けに座ろうとすると、誰かが放置していったカフェオレか何かのペットボトルが座席の上に転がっていたので、手に取ってボタンを押して扉をひらき、外に出ながら閉じる方のボタンを押してすぐに閉めておき、わざわざダストボックスに捨てに行ったあと、戻ってふたたびボタンを押して乗り、周りの人に配慮してすぐにまた閉じるボタンを押して、そうして席に就いた。荷物は隣の席の上に置かせてもらい、それでメモを取った。電車は二〇分ほど遅れていた。向かいの女性は電話を掛けて、近くを通るようだったら拾ってもらおうかと思ったんだけど、などと話していた。こちらは遅れが発生しても一向に構わない。それだけ日記のためにメモを綴る時間が増えるからだ。
 書き物をしているうちに、遅れてきた電車からの乗換え客が多数移ってきて発車した。最寄りに着くと降り、傘をひらく。バッグとコンビニのビニール袋を手に低く提げ、もう片方の手で傘を持って駅舎を出ると、足もとには褐色の紅葉がたくさん散っているのだが、見上げても暗闇のなかに赤の色味は見られない。通りを渡って坂道に入ると、この雨でまた葉が散らされたようで、赤味がかった茶色の葉が夥しく転がっているなかに、微かな黄緑の色が滲む地帯があったのは、黄色っぽい葉が街灯の光を受けてそんな色味を洩らしたようだった。葉っぱの群れを踏み越えていき平ら道に出ると、今度は路面はほとんど一面滑らかな黒に塗り尽くされていて、そのなかを割って街灯の光が一本、輪郭を曖昧に撓め波打たせながら通っている。行きと同じ水溜まりで同じ波紋の重なり合いに出会い、同じ雨線の毛羽立ちを見た。
 帰宅して居間に入ると父親がいた。母親は風呂に入っているらしい。買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に収めたあと、ポテトチップスだけ持って下階へ行き、自室に入るとコンピューターのスイッチを押して、ハンカチで押さえるようにしてスーツの水気を拭った。スラックスの裾も拭いたあと、ジャージ姿になって食事へ、メインのメニューは菜っ葉や鮭の混ざったおじやである。それを温めているあいだ、胡瓜の挿入された竹輪を立ったまま食べてしまい、そのほか何なのかわからなかったが薄緑色の、胡麻の挟まった細い棒状の小品もあったのでつまんでみると、ぴりりと辛味が香った。あとで訊けば、山葵のつまみだと言う。おじやのほか、温野菜と魚肉ソーセージを炒めたものを運んで席に就くと、テレビは『ドキュメント72時間』を放映しており、この日取り上げられていたのはウェディングフォトを撮るスタジオのようなところだった。父親はまたいちいち独り言を呟いてテレビの内容に反応しており、この番組自体は悪くないものだと思うのだが、そうした父親の楽しみ方が端から見ていると鬱陶しくて仕方がなく、何故副音声のように彼のコメントを終始聞かなければならないのか、黙って見れば良いのにと思う。それで夕刊に目を向け、イスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相が起訴される見通しであるとの記事を読みながらものを食っていると名を呼ばれ、見れば父親が何やらやたらとにこにこしている。何かと思えば、お前もああいう、「小さなウェディングストーリー」を持ってこい、と言ってきた。「小さなウェディングストーリー」というのは、テレビ画面の右上にテロップとして付されていた紹介文のなかに使われていた文言なのだが、まったくもって、やれやれ、一体何を言っているんだこいつは、と呆れざるを得ない。無理だなと端的にこちらは受けて、そういうのは天の配剤だから、とはぐらかした。最近では数年前よりも孤独志向もなくなったし、相性の良い人があれば生活を共有し人生を共に過ごすというのも悪くはなかろうと思わないでもないが、自ら積極的にそういう相手を見つけようというほどの気概はなく、すべて受動的に、成り行きに任せることにしている。そうしたこちらの方針はともかくとしても、いかにも結婚というものを小市民的幸福として称揚するかのような父親の雰囲気、要するに出来合いの物語の臭いと、それへの無抵抗ぶりをこちらにまで波及させようとする気配に辟易するものだった。その後皿を洗って風呂に向かったが、実際父親は、挙式を上げて家族に手紙を読むカップルが映るのを目にして、感極まったようなうなりを漏らしており、そのような空気の空間からは勿論さっさと離脱したかったので、こちらは速やかに洗面所の扉を閉めて鼻につく臭いをシャットアウトし、入浴した。物語への免疫のなさ、とMさんがよく言うものだが、免疫がないどころか、まったく無抵抗に、至極ありきたりの物語とむしろ積極的に進んで同一化し、それを自らの快楽のなかに巻きこもうとする、この少しも締まりのない消費の態度は、一体何なのだろうと思った。まったくもって、品のないものだ。別にありふれた物語を楽しむなら楽しむで良いのだけれど、もう少し楽しみ方があるだろうと思うもので、物凄く安易な感情の波にほとんど自殺的に呑まれにいく、批評精神の微塵もないこうした態度には危うさを覚えざるを得ない。俗情の全体主義だ。
 湯のなかで目を瞑っているうちにそうしたことも忘れ、色々なことを散漫に思い巡らせ、最後の方では短歌もちょっと考えた。風呂に浸かりはじめたのは一一時一〇分だった。出たのは四〇分かそこらである。緑茶を用意して塒に帰り、買ってきたポテトチップスを食いながら、また茶を胃の腑に染み渡らせながら夏目漱石草枕』を読んだ。短歌は、昼間に作ったものも含めてこの日は三つ、拵えた。

 忘れっぽい天使はさみしげ霧雨に守られた先で君を待ってる
 深夜二時バックビートに乗っかって君と交わる白痴のごとく
 気狂いと酒杯を交わし契る夜これで私も民衆の敵

 三〇分間読書をして零時二〇分に至るとこの日のことをメモ書きしはじめ、現在時まで追いつくともう一時前に達していた。毎日、読み書きを最低でもそれぞれ三時間ずつ、合わせて六時間くらいは行いたいが、なかなかそう上手く行かないものだ。
 それから音楽を聞きはじめた。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から、"Gloria's Step (take 3)"である。このテイクではとにかくLaFaroの威勢が甚だしくて、溢れ出る活力を制御できないでいるような、まるで自棄糞になっているかのような多動ぶりである。冒頭のテーマの裏からして、演奏が始まって即座に四音単位のフレーズを三連符で繰り返してぐいぐいと攻めているし、バッキングのあいだには一箇所――ちなみにソロのあいだにも一箇所あったが――三連符を越えて一六分音符を連打しているところもあって、そうしたほとんど痙攣的と言いたいような執拗な振舞いは、いくらか気狂いじみている。Scott LaFaro個人のプレイを見れば、このテイクが多分このライブのなかで一番過激なのではないか。整然とした統一を作る気持ちが端からないような尖り方で、おそらくあと少し踏みこめば音楽的調和は破壊されてしまうだろうと思わせるほど、ベースの存在感が畸形的に膨張しているのだが、ピアノを中心として聞いてみると、アンサンブル全体としてはむしろ締まっている感じもあって不思議である。
 次に、井上陽介『GOOD TIME』から二曲目の、"Feel Like Making Love"。ベースがリーダーの作品だけれど、俺が俺がという感じでなく、録音やサウンドバランスの点から見てもちょっとベースが控えめすぎるかと思えるほどである。この曲を聞くのは二回目で、先日一度目を聞いた際には、くつろいだrelaxableなジャズ以上のものにはならないのではないかと記したが、今回聞いてみると、ギターソロがなかなかよく歌っているように思われた。たださすがに睡気のために折々に聴取が乱れて正確に聞き取ることができなかったので、正式な鑑賞は翌日以降ということになる。
 音楽を聞いたあとは二時前から書見をして、三時半に至って就床した。


・作文
 12:56 - 13:06 = 10分(22日)
 13:47 - 15:02 = 1時間15分(18日)
 16:28 - 17:00 = 32分(19日)
 24:22 - 24:52 = 30分(22日)
 計: 2時間27分

・読書
 17:32 - 18:03 = 31分
 23:49 - 24:20 = 31分
 25:56 - 26:13 = 17分
 26:33 - 27:29 = 56分
 計: 2時間15分

  • 2014/2/28, Fri.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 10月28日(月)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-16「値のついた象牙のような虚しさを霊安室で抱きしめる春」
  • 夏目漱石草枕』: 88 - 122

・睡眠
 3:00 - 11:30 = 8時間30分

・音楽

2019/11/21, Thu.

 (……)強制収容所の監督官であるヒムラー、ハイドリヒ、あるいはアイケは、個々の指揮官や警備兵の収容者に対する横暴や虐待を、しばしば黙認し隠蔽した。時には意識的にそれを計算に入れ、テロをエスカレートさせた。しかし低劣な心情と衝動を伴ったそのような残忍な計算は、たとえそれが時に(尊大なマキァヴェリストの態度をとっていた)ヒムラーの心にかなっていたにせよ、システムの類型性を形作るものではなく、また実際ヒムラーの望んでいたイメージにふさわしいものでもなかった。ヒムラーは、個々のSS幹部が収容者に対し恣意的な虐待を行うことや、囚人の運命を個人的快楽や私利私欲からもてあそぶことを、あらゆる同情の気持ちと同様、「弱さ」と見なしていた。彼の理想は、ヘスのようなタイプの、つまり情け容赦なく自己を貫徹し、いかなる命令にもしり込みすることはないが、しかし個人としては「礼儀正しく、りっぱで、毅然とした」ままでいられるような、規律正しい収容所指揮官だった。アウシュヴィッツ-ビルケナウ絶滅収容所の所長として、ヘスはヒムラーの抱いていたイメージをこの上なく満足させた。(……)
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、34; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 例によって正午前まで長々と、堕落した寝坊に耽った。睡眠時間は九時間五〇分、今日は休日だからまだ良いが、これではいくら何でも長過ぎる。ベッドから脱出してコンピューターに寄るとスイッチを押し、スリープ状態を解除してTwitterやLINEを覗いたりした。それから部屋を出て便所に行き、糞を垂れて腹のなかを軽くしてくると、自室で寝間着からジャージに着替え、ダウンベストを羽織って上階に行った。母親は料理教室で出掛けている。おじやと牛肉炒めがあると書置きにはあった。台所に入って冷蔵庫から炒め物のフライパンを取り出し、小鍋のおじやはすべて丼に払って電子レンジに突っこんだ。二分三〇秒を待つあいだに卓の方に行き、新聞の一面を瞥見してからレンジの前に戻って、肩をぐるぐる回して肉をほぐしながら加熱を待った。それから交替で牛肉炒めを機械のなかに入れて、おじやを持って卓に就き、食事を始めた。新聞からはまず二面の、香港情勢の記事を読んだ。読みはじめてまもなく電子レンジが停まったので、牛肉炒めを持ってきてそれもつまみながら記事を読み進める。香港理工大学に籠城していた抗議者たちのうち、一〇〇〇人ほどが既に退去したと言う。中高生などの未成年三〇〇人は名前などを登録した上で帰宅し、そのほかの人々は拘束されたとのことで、大学内にはあと数十人が残っているらしい。ものを食べ進めながら次に、国際面からイランのデモ情勢の記事を読んだ。ガソリン値上げに反対して始まったイランの抗議活動だが、こちらでは治安部隊との衝突で一〇〇人以上が死亡したと言う。そこからさらにめくって、張倫という名前だったと思うが、天安門事件に参加した民主派の幹部活動家の一人で、事件後はフランスに亡命して今は大学教授を務めている人へのインタビューを読んだ。そこまで読むと食事も終わったので席を立って台所に行き、食器を洗ったあと風呂場に行って浴槽を擦った。出てくると階段を下り、自室から急須と湯呑みを持ってきて、居間のテーブルの隅で緑茶を用意した。外は陽の澄み通った晴れの日で、太陽が低くなって陽射しが陰らないうちに外の大気と光に触れたいような気もしたが、しかし日記作成の仕事がかなり溜まっているので、そのような余裕はあまりない。緑茶を仕立て、醤油味の煎餅を二袋ポケットに入れて自室に戻ると、一服したあと、一時一一分に達してからこの日の日記をまず書きはじめた。中村佳穂『AINOU』を背景にここまで綴れば一時半。日記は一八日の分から仕上げられずに溜まっている。しかしそれに取り掛かる前に、まずは前日二〇日のことをメモに取っておかなければならないと思うのだが、それだけでかなりの時間が掛かることが予想されるので、全然やる気が起きない。
 やる気が起きない、と書きつけておきながらも、前日のことを大まかに綴りだしたのだが、メモよりは詳細だけれど、正式に書いたと言えるほどには文章が整っていない、といった調子である。そんな具合で記憶を画面上に落として文言を書きつけていると、あっという間に二時間が経ち、三時半を過ぎた。正式な作成ではないものの、二時間も日記にかかずらったのでひとまずこのくらいで良いだろうと中断して、音楽を聞くことにした。
 最初に、Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)。Paul Motianのスネアの刻みは整然一辺倒の単調さでなく、起伏があるのだが、その波の作り方がほかのドラマーと比べるとやはり違うのではないかと思われた。スネアの波の上にハイハットがいくらかランダムな風にして散らされて、また時折り、星屑の集合をイメージさせるような音響のシズルシンバルが乗せられて棚引いていく。適した箇所に適した音を詰めてリズムの線をまっすぐ堅固に充実させるのではなく、一方では気体めいて拡散的であること、また他方では曲線的な波動性がPaul Motianの特徴なのかもしれない。道具がスティックに替わってからは、折々に差しこまれるシンバルアタックの音が、綺麗に澄んでいて耳に残る。Scott LaFaroは、これは彼の得意なフレーズのようだが、フォービートになってからの、頭抜きの引っ掛けるようなシンコペーションに強いドライブ感があって素晴らしい。その後の四つ刻みのラインの作り方も、具体的で細かな点は音を一つ一つ取ってみないと勿論分析できないわけだが、少なくとも聞いている限りでは、音の連ね方、歌い方が特殊であるような感じがする。それからBill Evansのピアノに話を移すと、このライブで演じられる"All Of You"における彼のコードワークはとても独特ではないかという印象を昔から抱いており、僅かな浮遊感を孕んで冷たい白銀色めいたこの精妙な色合いは、ほかの曲やほかのピアニストの作品ではほとんど聞いたことがないような気がするのだが、その内実を調べる能力も、とてもでないがこちらにはないので、誰かハーモニーの分析をしていただきたい。プレイとしては、リズムがフォービートに移行する直前の最後のフレーズ、優しく転がるように階梯を昇っていったあと最高音を柔らかく、ふっと置くその振舞い方が好きである。ピアノソロの後半では、コードの押印が始まってダイナミクスが高まってくるとベースとドラムも即座に合わせに行っているのが聞き取られ、ベースソロ裏のピアノのバッキングも、実に端正で通り一遍でなく、綺麗にまとまっている。
 "Detour Ahead (take 2)"。テーマのあいだはEvansは大人しく振舞っており、それに比して折々に浮上してくるLaFaroの副旋律が耳をくすぐる。ピアノソロに入ればLaFaroは落着くかと思いきやまったくそんなことはなく、ようやくテーマの軛から解放されたと言わんばかりにさらに大胆な上下運動を始め、横に細かく連ねてひらくフレーズアプローチを多く披露し、バラードでもお構いなしといった感じである。ベースソロは短めで、溜めを作ってよく歌っていると思うが、この曲でもやはりバッキングとソロのあいだがそのまま地続きで、ほとんど境がないような印象を受けるものだ。Evansのピアノは、このような愛らしいバラード曲にあってもコードプレイが鮮烈で、一部火花を散らすかのような強靭な叩きぶりの箇所も観察される。Evansは巷間よく「女性的」という形容をもって語られるらしいのだが、こちらが聞く限りではそのような印象は少しも得られない。と言うかそもそも、音楽における「男性的/女性的」というカテゴリ分けの内実自体がこちらにはあまりよくわからず、そうした評価基準を採用するつもりもないのだが、ひとまずそこを措き、「女性的」という言葉が、優しげとか繊細とかいう意味で使われていると捉えるとしても、それはまったく一面的な評価に過ぎない。Bill Evansには確かに一面として、優しく人間的な温かみに溢れる繊細さがある。しかしそれは決して彼の総体的な特徴ではなく、もう一面においてEvansは、先ほども述べたように、場合によっては火花散るさまを思わせるほどに強靭で鮮やかなコードプレイを提示するし、全体的なタッチも、控えめに軽めに弾いている時でさえ個々の発音が明快に粒立っているところを見ても、かなり堅固なものを持っているはずだ。だから、Bill Evansに対する「女性的」という形容は少なくとも確実に一面的な、片手落ちのものだし、仮に「軟弱」というような否定的な意味でその語が使われるのだとしたら、そうした評価はまったく当たらないと思う。また、Evansによく付される形容詞としてもう一つ、「内省的」というものもあると思うのだが、これも自分にはあまりよくわからない言葉だ。知的で怜悧な美しさ、というような意味だと仮に捉えるとして、しかしBill Evansの音楽や演奏が「知的」なのか、こちらにはそれもよくわからない。むしろ、「知的」な反省のようなものは演奏中にほとんど介在していないような印象も受ける。具体的な分析を省いたまったく主観的な感想を許してもらえれば、頭よりも手が先行していると言うか、それは手癖で弾いているという意味ではなく、思考を挟むことなしに手が自ずと導かれ、鳴らすべき音を鳴らすために自動的に動いているかのような、そんな感覚を覚えるのだ。あるいは、「内省的」という言葉を、自分の奏でる音のなかに没入しているさまを表すのだと考えるにしても、確かにEvansの演奏にはそのような没入感はあるものの、プレイヤーの誰もが多かれ少なかれ、自分の奏でる音楽のなかに没入して、言わばゾーンに入るような心境や感覚を持っていなければ、素晴らしい演奏はできないのではないだろうか。それに加えてEvansの場合に特殊なこととして、深く内在的であると同時に、自分の演奏を遥か高みから常に俯瞰しているかのような外在性、超越性のようなものも強く感じられるということがある。そうした内在性と外在性の同居、あるいはそれらがほとんど等しく、同じ様態として融合しているさまこそが、Bill Evansの特異性なのではないかと考えるものである。
 五時を過ぎて、上階へ。食事の支度をするためである。支度と言って、手間の掛かるものを作るのは面倒臭かったし、コンビニで買った冷凍の手羽中があるのを覚えていたので、おかずは一品それを食うことにして、あとは確かやはり冷凍食品の餃子があったはずだから、それを焼けば良いかと独り合点していた。上階に上がってみると、居間に明かりは点いておらず、台所には電気が灯っているものの、母親の姿はない。どうやら外で掃き掃除か何かしているのではないか。焜炉の上には、おそらく前夜に作ったものか、野菜スープが残っていた。冷凍庫から餃子を取り出して開封し、一二個ある餃子を一つずつつまみ上げ、大鍋の隣の焜炉に乗せたフライパンに並べていく。そうして火を点け、蓋をして中火で炙りはじめ、夕刊を取るためにサンダル履きで玄関を抜けると、やはり母親は水場の周りにいて、階段の柵の上に郵便物が置かれてあったのでそれを取って室内に戻る。そうして台所で立ったまま夕刊を広げ、米国のイスラエルの入植容認に対して、国連安保理で各国から非難が出たところが米国はどこ吹く風であるという記事を読み、糞だなと思ったあと、母親が茹でてあった青菜を切っておいてと言うので、絞ってざくざく切断し、プラスチックパックに入れておいた。それから台所を抜けてアイロン掛けを始めた。と言って掛けるのは一枚、自分が前日に着たGLOBAL WORKのカラフルなチェックシャツのみである。小瓶の水を吹きかけながらその皺を処理すると、シャツを持って下階の自室に帰り、収納に掛けておいたあと、コンピューター前に就いてふたたび音楽を聞きはじめた。
 最初に、Bill Evans Trio, "Autumn Leaves (take 1)"(『Portrait In Jazz』: #2)である。Paul Motianの独自性は、ここではやはりまだほとんど感じられない。テーマのあいだのブラシでのサポートにおいてはハイハットはきちんとキープされているし、スネアの刻み方にも波打つような感覚はなく、整然と揃えられている。インタープレイのあとのピアノソロの裏では、スティックでのシンバルレガートのあいだにところどころ、六一年のMotianらしいようなアクセントの付け方、「間」の感覚が見られないでもないが、それもごく一瞬の、僅かなものである。それはそれとしてしかし、彼のシンバルの響きは締まりながら清く澄んでいて透明度が高く、美しいものだ。Bill Evansのピアノは、これはやはり名演と言ってしまって良いのだろう。かなり気力や体力が充実していないとこういう演奏はできないのではないかと思われ、名演と呼ぶに値する音楽に共通して見られるあの必然性、最初から最後まで流れがまったく途切れない緊密な持続の感覚があり、澄み渡った集中力が全篇に満ち渡っているように感じられる。この強靭なビートと、豊かに霊妙に湧き上がる流麗なフレーズの連なりのなかにいつまでも囚われていたいような思いを禁じ得ないものだ。
 次に三曲目、"Autumn Leaves (take 2)"である。Evansのピアノソロは一聴した限りでは、テイク一と甲乙つけがたい出来だが、テイク二のモノラル録音よりもステレオ録音のテイク一の方が、細部のニュアンスまで綿密に聞き取れたような気がする。テイク二の方はダイナミクスがちょっと聞き分けづらいような感じがあり、そのせいで、単音のフレーズを連ねている段階ではテイク一の方がより明快に、自信に満ちて歌い上げていたような印象を覚えるが、コードプレイの部分ではテイク二の方が盛り上がっているようにも感じられる。とは言え、このテイクでは、Scott LaFaroのベースが主要な聞き物なのだろう。テーマの裏からして、かなり細かく音を詰めながら我が物顔で動き回っており、インタープレイもリズムがかっちりと嵌まりきっていない部分があるようだが、それがかえってスリリングである。フォービートは全体的にわりとコードに合わせたプレイをしているように思われるものの、高音部に浮上してくると、やはりちょっと独特な旋律感が出てくるような感じがする――きちんと音を取って分析してみなければ、確かな印象かどうかわからないが。
 次は順当に四曲目、"Witchcraft"である。LaFaroが乗りに乗っている演奏で、テーマ部分だけでも、滑らかな上昇、ほとんどソロのような副旋律的フレーズ、二拍三連の繰り返し、フォービートと手数が多く、幅広く多彩なアプローチを取っている。ベースソロもかなり速いフレーズを多く織り混ぜて活気づいており、このアルバムにおいてはこの一曲が、LaFaroの力が最も存分に発揮されているテイクなのではないか。Bill Evansもいつものことながらとても流麗で、ピアノソロの後半ではLaFaroも彼に譲ったということなのか、基本的なフォービートに移行して落着いている。ただ、滔々と溢れ出るフレーズの潤沢さと持続の緊密さという点では、やはり"Autumn Leaves"の方が幾分優るか。ベースソロの終盤からEvansが少々絡みはじめて、そのままいつの間にかといった感じでピアノソロに戻るのだが、そのような展開や、LaFaroがリズム的に遊んでいる部分でのやりとりを聞いてみても、息がぴったり合っているという協調感を強く感じるものだ。
 そうして、五曲目、"When I Fall In Love"。これもEvansの独壇場と言うか、彼の美的センスが十全に発揮されて相当な高みに位置しているバラード演奏だろう。テーマ部のピアノは音数少なめに間を大きく空けて抑制的な音使いをしていながら、しかし一音一音の発音はとても明晰で密度高く、力強い。ソロに入るといくらか動きが大きくなって、途中、流線型を思わせるような緩くうねる形の、息を長めに取った速弾きの連なりが聞かれるが、これがとても効果的で、嫌味なく演奏を締めて聴者の意識をぐっと惹きつけてくれる。全体的にとても美しく、芳醇な演奏になっている。
 それで六時半を過ぎると、もう腹が減っていたので食事を取りに行くことにした。階を上がり、冷凍の手羽中を温めたあと、母親が料理教室で作ってきた焼きうどん風の料理や餃子も電子レンジで熱し、そのほか大盛りの米や野菜スープや、昆布と野菜を混ぜたサラダや青菜を卓に運んだ。それで新聞から、英国の総選挙で保守党が優勢の見通しとの報を読みながらものを食べ、平らげると食器を洗って風呂に行った。湯に浸かりはじめたのは七時一〇分だった。安穏とした温かさの湯に入っていても、空気のなかに露出した肩から上に、少々涼しさの強い季節になってきた。瞑目して瞑想めいた時間を過ごしているうちに、意識を落とすほどではないが、ちょっと眠りのような感覚が眼裏に混ざりはじめて、思考は散漫に解体していったようだった。湯に入ってから三〇分経って、七時四〇分になったあたりで身体を起こし、洗い場に出て頭と身体を洗うと、風呂を上がった。
 緑茶を用意して部屋に戻ってくると、入浴の終盤で思いついた短歌一首、「夜明け前悲観と楽観止揚して欠伸混じりの諦観に至る」というものをTwitterに投稿しておき、それから一服しながらだらだらと過ごして、(……)八時四九分から読み物に入った。一年前の日記は見てみると何の記述も引用もなかったので飛ばし、二〇一四年二月二七日の何ということもない記事を読んだあと、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログとそれぞれ通過し、さらに英語のリーディングに取り掛かってBrad Evans and Richard J. Bernstein, "The Intellectual Life of Violence"(https://www.nytimes.com/2017/01/26/opinion/the-intellectual-life-of-violence.html)を読んだ。この記事は、冒頭に付されているパウル・クレーの"Twittering Machine"に見覚えがあり、内容にちょっと触れてみても少し前に一度読んだ覚えがあったのだが、同じ文を二度読んでも勉強になろうということで気にせずふたたび読み通した。

・wretched: 哀れな、不幸な; 悲惨な
・poignantly: 痛烈に、身を切るように
・invidious: 不愉快な
・improvidence: 将来を見通さないこと; 性急、軽率

 その次に、「福祉政治史から考える、行き詰まった日本に残された選択肢 『福祉政治史』 田中拓道教授インタビュー」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/11073)、ビヨン・アンダーソン「高齢化問題解決のカギを握るジェンダー平等の視点」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019101100007.html)とそれぞれ短い記事をさっと読んで時刻は一〇時前、前日の日記をふたたび書きはじめた。書くと言ってやはり正式なものでなく、詳しめのメモといった調子だが、三〇分ほどでこの日のことは大方浚い終わって、あとはファミレスで過ごした時間のことを思い出せば良い。それで二〇日の分はこれくらいで良いだろうと判断し、この日の記述に移って、音楽の感想は飛ばして生活を綴ると、これで一一時を目前としている。
 ふたたび音楽鑑賞に入った。井上陽介『GOOD TIME』を聞いてみることにして、冒頭のタイトル曲、"Good Time"をまず流した。ギターが主旋律を奏でるテーマメロディがKenny Burrellを思わせるブルージーな曲で、『Midnight Blue』を思い起こさせる雰囲気がないでもない。ギターは荻原亮という人だが、トラッドでブルージーな風味を基調としながらも、それだけに終わらず、速弾きもしつつ、リズム的にも遊びを入れて、それほど長くないソロに上手く仕掛けを織り混ぜている印象である。秋田慎治のピアノソロに移るとブルース風の泥臭さはやや薄れて、都会的な色合いが出てきたようだ。井上陽介のベースソロは途中でHorace Silverの"Sister Sadie"の引用も盛りこみながらかなりの速弾きを含んでいて、これほど速く正確に弾けるのは端的に見事で、日本のジャズの第一線で活躍しているプレイヤーの面目躍如といったところだが、フレーズが細かくなるとどうしても音量が減じてしまい、聞き取りにくくはなるものだ。やはりChristian McBrideのようには行かない。ドラムの江藤良人は、Herlin RileyとかWinard Harperとか、Carl Allenとかあのあたりの、伝統的でスウィンギーなスタイルを基本的に引き継ぎながら発展させて現代に伝えている人々と同じような系統なのではないだろうか。スネアのフィルインが細かく粒立って小気味良い感じの、あのスタイルである。
 二曲目は"Feel Like Making Love"。気持ちは良い演奏だ。しかしこの、幾分キャッチーな色のあるソウルフルさ、というようなサウンドの路線で行くのなら、この曲に関してはMarlena Shawの金字塔的なバージョンがあるわけで、それと比べるとやや分が悪いのではないかとも思われる。もっと大胆なアレンジをしなければ、穏和に快適にくつろいだ、relaxableな演奏以上のものにはならないのではないかということだ。実際、ピアノソロは無闇に走らず落着いたくつろぎを表現することに注力している――後半の高音部での歌い方はなかなか良くて、単なる快適さから一歩出たような感覚があったが。ギターも悪くなく、一定以上のパフォーマンスは聞かせてくれるものの、少なくとも一聴の限りでは、際立って印象深く惹きつけられる場面はなかったようだ。バースチェンジによるベースとドラムのソロも、可もなく不可もなくといったところだろう。
 そういうわけで次に、Marlena Shaw『Who Is This Bitch, Anyway?』から、同じく"Feel Like Makin' Love"を聞いた。このメロウさはやはり凄い。中盤まではドラム(Harvey Mason)もベース(Chuck Raney)も取り立てて難しいことはやっていないと思うのだが、リズムがとにかく気持ち良い。また、誰もが触れていることなので今更言うまでもないのだけれど、これは美味なギターフレーズの宝庫のような曲であり、左側でやや旋律めいたフレーズを奏でている方が多分David T. Walkerだと思うのだが、艷やかで肌触り滑らかなその歌いぶりはやはり特筆物だと言わざるを得ないだろう。
 音楽を聞いたのち、一時から夏目漱石草枕』を読み出して、三時直前に就床した。


・作文
 13:11 - 13:30 = 19分(21日)
 13:30 - 15:39 = 2時間9分(20日
 21:48 - 22:23 = 35分(20日
 22:24 - 22:54 = 30分(21日)
 計: 3時間33分

・読書
 20:49 - 21:09 = 20分
 21:11 - 21:34 = 23分
 21:35 - 21:48 = 13分
 22:58 - 23:58 = 1時間
 25:01 - 26:54 = 1時間53分
 計: 3時間49分

・睡眠
 2:00 - 11:50 = 9時間50分

・音楽

  • 中村佳穂『AINOU』
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(×3), "Detour Ahead (take 2)"(×2)(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4, #1)
  • Bill Evans Trio, "Autumn Leaves (take 1)"(×2), "Autumn Leaves (take 2)"(×2), "Witchcraft"(×2), "When I Fall In Love"(『Portrait In Jazz』: #2, #3, #4, #5)
  • syrup16g, "I.N.M"
  • 井上陽介, "Good Time"(×2), "Feel Like Makin' Love"(『GOOD TIME』: #1, #2)
  • Marlena Shaw, "Feel Like Makin' Love"(『Who Is This Bitch, Anyway?』: #5)

2019/11/20, Wed.

 しかし強制収容所のシステムおよび虐殺の狂気にまで上りつめたアウシュヴィッツの実践についての具体的かつ詳細な事実の描写という点に、ヘスの自伝の歴史的資料としての唯一の価値があるわけではない。少なくとも同じように重要だと思われるのは、ヘスの自伝が、アウシュヴィッツ収容所を構築し指揮した人間の自己証明として、死の機構を操作したのはどのような種類の人間たちであったのか、その目的の遂行のために、彼らはどのような魂および精神の状態から収容所にいたのか、その場合どのような衝動・感情・思考のカテゴリーが形作られたのか、といったことについての説明を与えてくれることである。ヘスが自ら書き留めた文書によって、それと意識せずに、こういった問題の理解に寄与している点が、こういった問題に関し、おそらく知的に最も刺激的なところである。ヘスのケースできわめてはっきりしてくるのは、大量虐殺を、単純に殺人者の特性として思いつくような、個人的な残酷さや悪魔のようなサディズム、野蛮な粗暴性、あるいはいわゆる「野獣のような残忍性」と組み合わせて考えるべきではないということである。ヘスの文書は、そういったきわめて単純なイメージに徹底的に逆らうものである。それは日々のユダヤ人虐殺を演出していた男のポートレートというよりは、とにかくすべてに平均的で、まったく悪意はなく、反対に秩序を好み、責任感があり、動物を愛し、自然に愛着を持ち、それなりに「内面的な」天分があり、それどころか「道徳的にまったく非難の余地のない」一人の人間の姿を明らかにするものなのである。ヘスという人間は、一言でいえば、私的な場面での「穏やかさ・人柄のよさ」といった人間の質が、非人道的なものを阻むのではなく、異常に倒錯し、政治的犯罪という職務に就かせてしまいうるということの、まさに極端な例なのである。ヘスの文書は、まったく小市民的で普通の人間の書いたものであるために、人を驚かせ狼狽させる。というのも彼の文書は、ただ理想主義や責任感から熱心にことにあたった人間と、(そう考えるのは誤りであるのだが)生来残忍で、他の人の善意をその悪魔のような手仕事で損なった人間を、カテゴリー的に区別することをもはや許さないからである。(……)
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、32~33; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 六時台か七時台から覚醒していたが、なかなか起き上がれないままに時間が過ぎていき、八時のアラームが鳴り響くとそこでようやく布団を抜け出すことができた。昨晩は普段よりは早めに、一時半に床に就いたおかげか、寝床に舞い戻るほどの肉体の重さはなく、コンピューターのスイッチを点けてその前に立ったまま留まることができた。ログインしてTwitterのみ眺めておくと室を抜けて階段を上がり、母親に挨拶をしてジャージに着替えた。それからトイレに行って黄色く染まった尿を放って、台所に戻ってくるとメンチが一切れ乗ったナポリタンがあったのでそれを電子レンジに突っこみ、そのほか胡瓜やトマトやゆで卵を合わせた生サラダを卓に運んだ。ナポリタンも取ってくると席に座って食事を始め、新聞をひらいてみると二面に早速、パレスチナ関連の情報と香港情勢の報が並んでいた。米国のポンペオ国務長官が、ヨルダン川西岸への入植は国際法違反ではないという新たな立場を表明したと言い、端的に言って糞である。ドナルド・トランプイスラエルへの傾斜は甚だしい。香港の方は理工大学にまだ一〇〇人ほどの抗議者が立て籠っているとのことだった。覆面禁止条例を香港基本法に反すると決定した先の高等法院の判断にも、全人代の法制委員会とか書いてあったか、本土中国の組織が解釈権を働かせて介入するような動きをちらつかせているようである。新聞を読みながらものを食べると台所の流しの前に移ったが、すると南窓からくっきりと射しこむ陽射しがテーブルの上に激しく反射して、白い池のような陽だまりを拵えて、それが視界を占領して強く瞳を射る。そのなかで皿洗いを済ませると、一旦下階に下りて日課の記録をつけたりしてから、急須と湯呑みを持って階を上がった。緑茶を用意し、母親が友人に貰ったというクッキー三枚を頂いて自室に帰り、オレンジの風味が混ざっているらしいクッキーを齧り、茶を飲みながらインターネット各所を回って、その後八時半過ぎから過去の日記を読みはじめた。一年前の記事にはほとんど言葉が記されていない。二〇一四年二月二六日を読んでブログに投稿し、それからfuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと、それぞれ一日分を読み通した。そうしてここまでこの日の日記を記せば、九時二五分に至っている。今日は「G」のメンバーと奥多摩に紅葉見物に行き、昼食後は立川に出てスタジオ入りである。
 スタジオでは"D"という曲のアレンジを進めるとの話だったので、こちらがギターを弾く出番があるのかわからなかったものの、一応多少は弾けるようにしておくかというわけで、隣室からギターを持ってきて、Google Driveにアクセスしてコード進行を確認し、カッティングを練習して、音源に合わせていくらか弾いてみた。そうこうしているうちに時刻は一〇時半を過ぎたので、出る前に音楽を聞きたいことでもあったしそろそろ準備をしようというわけで、洗面所に行って歯ブラシを取ってきた。歯磨きしながら読んだのは、「Appleタックスヘイブンをジャージーに変更――南ドイツ新聞とICIJがリーク」(https://jp.techcrunch.com/2017/11/07/20171106apple-has-reportedly-relocated-its-international-tax-residency-to-jersey/amp/)の記事である。

 Appleの海外での利益はまずApple Sales Internationalというアイルランド子会社に移される。ICIJの調査によれば、同社は2009年から2014年までの間に1200億ドル以上を受け取っていた。
 2つめの子会社はApple Operations Internationalと呼ばれ、この1200億ドルの大部分を配当収入として得る。2社得る利益の大部分は本社に属するものがだが、子会社は企業に課税する地域に登記されていない。両社への課税はまったく行われず、Appleの課税基準収入を著しく下げていた。

 それから音楽を聞く前に多分服を着替えたと思う。GLOBAL WORKのカラフルなチェック模様をあしらった暖色のシャツ、下は濃い褐色のズボンで、その上にBANANA REPUBLICの薄青いジャケットを羽織るつもりだった。そうして、音楽鑑賞に入った。まず、今日はいつもと趣向を変えて中村佳穂『AINOU』の曲を聞くことにして、五曲目の"永い言い訳"を流した。彼女は、ピアノでの弾き語りのバラードに映える声をしている。息を豊富に孕んだファルセットの表現が、適度に抑制されながらも同時に感情的で、最高音付近でも、水がすっと穴に吸いこまれていくように声が正確な位置に昇っていき、澄んだ音質で広がるのがちょっとぞくりとさせられる。具体的に言うと、「丁寧に見てても/見落として」の、「と」の音、次でキーのルート音に至る直前の、七度の音の澄み渡ったふくよかさである。一分の隙もない正確無比なシンガー、という感じではないものの、それは勿論瑕疵ではなく、エモーショナルな歌唱表現がとても上手い歌い手で、サビの三回目ではメロディをややフェイクして、「丁寧に」の頭の「て」の音を一回目二回目よりも高く取り、そこから下がっていくのだが、その際のため息をつくかのような下降の仕方も良い。長三度と短三度の半音程の行き来を利用しているサビの旋律そのものも素晴らしい。
 次に一〇曲目、"忘れっぽい天使"。これはまあ、ちょっと名曲だと言ってしまって良いのではないか。全体に風格とか貫禄みたいなものが感じられ、冒頭の、「みんなおんなじ辛いのよ」の突然の音の上昇からして、耳を惹く。中村佳穂の歌唱は歌と言うよりは語りに近いニュアンスが折々に散見されて、そのあたり、勿論ジャンルもタイプもまったく違うのだけれど、Robert Plantとか浅井健一とかあのあたりの、本人以外の人にはほとんど真似することが不可能な類のボーカルに近いものを感じるような気もする。この曲において彼女のそうした性質が一番よく表れているのは、厚いコーラスが重なる大サビに移る直前の、「どうかして/どうにかしてほしいよ」の呟きの部分ではないかと思う。また、大サビの途中の、「街の上に正論が渦を巻いてる」というフレーズはちょっと素晴らしい。
 続いて、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』から、"Autumn Leaves (take 1)"。今更言うまでもなく、とても素晴らしい演奏である。Bill Evansのピアノソロは、この曲のこのテンポでの演奏としては、これ以上ないくらいの整い方をしているのではないか。発音が実に明快で、フレーズとしても一瞬の淀みもなく流れていて気持ちが良く、ちょうど良いタイミングでリズム構成も変えて楽しませてくれる。六一年のライブで全篇に充溢している迷いや躊躇のまったく感じられない明晰さが、ここで既にほとんど完成されているようにも思われる。ピアノソロにおける流動的なインタープレイの度合いはまだ低く、Evansを主役として提示する趣向になってはいるものの、それとは別にベースソロの場面が三者の絡み合いに宛てられており、それもピアノソロの前と終盤とで二回あって、Scott LaFaroのプレイもたっぷり堪能できるようになっている。
 音楽を聞くと、既に一一時半を過ぎて電車の時間が迫っていたので、クラッチバッグに荷物をまとめて出発である。入れたのは財布に携帯、T田に貸す『ローベルト・ヴァルザー作品集 4』と、Tにプレゼントするべくフラミンゴめいた色の袋に包まれた中村佳穂『AINOU』のCDである。それでジャケットを羽織って上階に行き、赤地にアーガイル柄の靴下を履いて、家を出た。玄関の扉をくぐった瞬間から林の上方に、水の流れが生まれたかのような風音が響き広がっていて、家の前の地面には落葉がいくつも散らばっているその空間で、色の薄く黄色っぽくなった葉が風に触れられて枝から手を離し、林から飛び出して宙を一気に埋め尽くすのに、空気の冷たさも相まって、一挙に冬めいたな、という感を得た。それから、やや急ぎ気味に道を歩いていったが、道中の陽射しの質感の記憶がない。坂に入ったところ、落葉が道を左右の端から縁取るように浸食するように積もっていて、こちらが通っていく中央部分にも多数転がるものがあった。頭上には蜘蛛の糸が膜のように広がってその上に葉が乗っており、足もとを斑に染める木洩れ陽のなかにはこちらの影がすっと立って、もう少し進んだところで地に映った樹々の影は、空気の冷涼さが溶けこんだように青の色を帯びていた。大股で坂を上っていって駅に着き、時刻表を見て電車の時間を確認すると、記憶通り一一時四二分発、あと二分ほど猶予があった。ホームに入り、下り立ってすぐの端で立ったまま電車を待った。皆が何両目に乗っているのか知らないので、端から渡っていけばじきに見つかるだろうという算段だった。それで到着した電車の端から乗り、車両を移っていくと、三両目で仲間が見つかった。寄っていき挨拶をすると、Tに早速ジャケット姿を突っこまれ、山、舐めてるでしょ、と言われた。それを受けて、こいつだって大して変わらないだろ、とすぐそこに座っていたT谷を示したが、しかし彼は薄手の黒いコートめいた上着を着ているのだった。
 席に就くと、T田だけ向かい、北側の席に座っていて、何でもそちらの席から南側の車窓の景色を見ておきたいと言う。小説の参考のためである。それで一度はこちらの隣に来たT田が、北側にまた移る時、こちらの名を読んで誘うので、ほかの四人と離れた座席に二人で移った。ヴァルザーを持ってきたかとT田は問うたので肯定し、バッグから取り出して渡すと、同時に貸していた梶井基次郎を返却された。その本の貸借りの様子を、どうやらTは向こうの席から見て笑っていたようで、そんなような声と気配がちょっと伝わってきた。ヴァルザーは「神経過敏」という掌篇が面白いぞと伝えたその後、今日は何時に起きたかと訊かれたので、八時のアラームで起床に成功したと答えた。前日は一時半に眠った、最近は眠くなればもう眠るようにしている。そう言うと、まさか一二時までに寝ているのかと訊くので、さすがにそれは早い、基本的に日付が変わってから読書が始まるから、と笑った。
 窓に切り取られた正午の陽射しが足もとの床に宿って日向をひらき、窓外に連なる樹々の影がその上を風のように高速で通り過ぎていく際、明るさと暗さが交互に細密に、目にも留まらぬほどに素早く入れ替わってぱちぱちと明滅する。線路が結構うねっているので、日向の矩形もそれに応じて床の上を、単細胞生物のように緩慢に流れ、のろのろと液体めいて位置と形を変えていく。窓外の樹々には橙や赤や黄色に鮮やかに変わったものも見られるが、常緑の針葉樹も山や川沿いを豊富に埋めている。御嶽で停まった時だったと思うが、向かいの窓のすぐ先に、楓らしく赤く染まった草葉が見えており、それにまた別の蔓草のようなものが絡みついているようで、楓よりも広いその葉の上に、露が零れんばかりに溜まったかのような白い光がいっぱいに乗っていた。川井に着く手前で線路がまたうねり、谷下で露わになった川の姿がちょうど太陽を背に戴く方向になって、川面が一面、純白とも銀白とも言える色でもって凍りついたように埋め尽くされて輝いたそれを見て、あれだ、あの川だ、とT田に言うと、吹奏楽部での集まりの時のことだろうか、T谷とあそこで話した記憶があるなと返ったのに、川が一面輝いていた、あの風景を書かなくてはな、とこちらは続けた。
 川井はだいぶ終点の奥多摩に近い地だという印象があったのだが、思ったよりも手前の駅だった。降りる際、ホームと電車とのあいだにかなり隙間がひらいていてその上を跨ぎ越さなければならず、これじゃあ車椅子は降りられないじゃないか、と突っこんだ。川井駅には券売機もSUICAのチャージをするための機械もない。Kくんが毎度のことで残高不足に陥っており、無人改札だから通ることはできるのだが、精算ができない。オレンジ色の機械から証明書を発行し、それを持って有人駅で精算しなければならないのだ。駅舎には案内通話の機械があって、そのスイッチを押して職員と電話を繋ぎ、出た女性に話を聞いてみてもそのような説明が返ったので、Kくんは証明書を発行してなくさないように財布に入れていた。
 それで駅を抜けて階段を下り、さらに坂を下って表の道に出た。街道を挟んで向かいに大きな橋が掛かって多摩川の上を渡っていたが、向かう目的地、釜飯屋「なかい」はそちらの方面ではなく、右に折れた上り坂の方面にあるらしかった。坂に入ってすぐ、高い石段の上に早速、強い赤に隈なく染まり尽くした紅葉が現れて、それを見つけたTはいい色だなあと言って、多分写真を撮っていたと思う。道を進んでいくと、道脇の高い石段の上に畑があるらしく、そのあたりまで掛かると突然、ピュイー! ピュイー! というような聞き慣れない鳥の声が響き渡り、あの鳥は何だろう、とT田やMUさんと興味深く話し合った。帰り道でも同じところで同じ声が聞こえたので、また鳴いているよと言ったところ、するとT谷が、あれは本物ではないのではないかと言う。スピーカーから出ているような感じの音質だと、そう言われてみれば確かにそうで、鳴き方の抑揚も行きに聞いた時と帰りに耳にした時とで全然変わらなかったような気がするので、人とか動物とかが畑に近づくとそのような音声が鳴るような仕組みになっていたのかもしれない。
 話しながら歩いている途中、何かの際にT田が、今ここまでで今日は日記が何字くらいになるかと訊いてきた。もう一万字くらいかと言うが、いやそこまでは行かないなと考えて、六〇〇〇字くらいかなと概算した。その後、外出するとそれだけで書くことがやたらと増えて大変だという話になって、そうすると、これ以上動き回るとまた書くことが増えるからもう帰ろうみたいな、そういうこともあるわけかとT田は冗談めかして言ったが、実際にそのような頭は勿論あって、休日などはわざわざ出掛けてしまうと書くことが多くなって大変だから今日は一日家に留まろうと、そう考えて生活の情報量を減らすことは往々にしてあると話した。実際、河辺の図書館に出掛けて帰ってくるだけでも、当然のことだが家に滞在しているよりも書くことは格段に増える。
 道の脇、ガードレールの先には鬱蒼とした林が広がり、その下の谷間に川が流れていて、空間がかなり深く高低差があって不安になるのであまり目を向けないようにした。T田は、川まで何メートルくらいあるかと皆に尋ねていた。五〇メートルは確実に超えていただろう。T谷は七八メートルくらいではないかとやたら細かい推測を立て、そのくらいだとビルの何階建ての高さになるのかよくわからないが、一階分を五メートルとして計算しても、七〇メートルで一四階分くらいにはなるわけだとこちらは計算した。それほどの高さがあるだろうかとちょっと疑問だったが、T田は、まあ建物で言うとそのくらいの、実にスケールの大きな高低差があるわけだなと落としていた。
 道は途中で背の高い樹々が無数に連なった林の脇に入って、そうすると陽が地面に届かず、広がった日蔭に我々小さな人間たちは包みこまれて、さすがにその地帯では気温が下がって涼しさが強く、結構寒々しい空気の質感だった。そこを通っているあいだに、MUさんが林のなかにマットレスが不法投棄されているのを見つけて、野生のマットレスだよ、と言ったのでちょっと笑った。歩いている途中、後ろから走ってきたライトバンめいた車が停まって、禿頭の高年男性が、大丈夫ですか、と声を掛けてきた。どこまで行くのと訊くのに釜飯屋に向かっていると返すと、男性はそこの者だと言う。思わぬ偶然だった。三人だったら後ろに乗せて送ってあげられると彼は言ったが、我々は皆で揃って行きたかったので、大丈夫ですと断って、礼を言って別れた。
 林に接した領域を抜けると日向が回復されて、人家も増えてきて、さらにもう少し行くと駐車場を示す釜飯屋「なかい」の看板が見えてきた。先頭を行っていたTは何故か出し抜けにぱたぱた走り出して、先に店に向かい、そのあとからKくんもついていき、ほかの四人はあとから遅れて店に到着した。入口の前でちょっと立ち止まり、庭内に紅葉などが取り揃えられて趣深い風情の外観を眺め、撮る者は写真も撮った。左方、緩い上り坂の上の方には、こちらにはよく見えなかったが石垣か何かがあったようで、あれも面白そうだとT谷は言って、実際あとで見物に行っていた。暖簾を分けて庭に入ると、店のなかにも、足もとに紅葉が散らばっている庭内にも結構人がいて、店舗入口前に立って我々が来るのを待っていたTによると、一一組も待っているということだった。相当な人気である。我々は三時半から立川のスタジオを予約してあったのだが、三時半開始にはどうしても間に合わなさそうなので、キャンセル料を覚悟して時間を一時間分、後ろにずらしてもらおうということで一致し、Tが電話を掛けたところ、時間をずらすことはできないと言うか、単に延長するという扱いになってしまうということらしいので、それなら開始には遅れてしまうけれど三時半から六時半の三時間で取っておき、行ける時間に行けば良いだろうとまとまった。川井発二時五四分の電車に乗れば、四時前にはスタジオに着くことができる。駅まで歩いて戻る時間を考えると、店を二時半頃には出なければならないなと見当をつけた。
 それでT谷、T田、MUさんの三人は庭の外に出て先ほどの石垣などを見物に行き、こちらとTとKくんは敷地内に留まった。木造りの長テーブルを設えた待合席があったのでそちらに移り、今日のスタジオでアレンジを進めようという予定の"D"について確認した。Tがコード進行表を人数分持ってきてくれていたので受け取って再確認していると、頭上、まさしく燃え盛るがごとく赤々と染まりきった楓の樹冠の彼方に太陽が膨らんで照り輝き、テーブルに置いた用紙の上に光に照らし抜かれた葉叢の薄影が投影されるのだが、それが淡くまろやかな紫の色を帯びていて目に珍しく、風に梢が揺らされるのに合わせて手もとに映ったその分身の方もふるふると細かく幽かに振動するのだった。Kくんはこちらの隣でコード進行表を見つめ、向かいのTはスマートフォンで音源を聞きながら、テーブルの上で両手指を動かし、ピアノのフレーズを確認していた。
 一一組も待っているからかなり時間が掛かるのではないかと思っていたところが、結構進みは速くて、思いの外すぐに番が回ってきそうだったので、半分ほど進んだ時点でTは外の三人に連絡した。彼らが戻ってきてまもなく、呼ばれたと思う。入口をくぐり、靴を脱いで鍵付きの靴箱に入れ、板状の鍵を抜き取ってジャケットのポケットに入れたが、この時、一同のなかに三人くらいブーツを履いてきた者があって、彼らは結構脱ぐのに手間取っていた。それから店のなかに上がり、入って左側の室の一番端の、長テーブルの席に通された。温かな緑茶が用意された。メニューを見れば釜飯以外にも定食とかうどんとか蕎麦とか色々と取り揃えられていたが、やはりここはメインである釜飯を食うべきだろうと、当然皆一致した。季節限定や数量限定のメニューを除けば品は茸の釜飯と山菜おこわの釜飯の二種類があり、こちらとKくんが茸のもの、ほかの四人は山菜おこわのものに決定した。それに加えてKくんは味噌田楽を頼み、さらに、注文を受けてくれた丁重で穏やかな態度の男性店員が、柱に貼られた原木椎茸八〇〇円の表示を示して、もう最後ですので良かったら是非、と勧めるのを受けてT田が、じゃあ頂きますと何の躊躇もなく推薦に従って、それも注文されることと相成った。
 まず味噌田楽がやって来た。Kくんは品物を皆に分けていたが、こちらは彼の食べる量が少なくなってしまうだろうというわけで遠慮し、甘味のある味噌だけをちょっと舐めさせてもらった。次に椎茸。到着した途端にバターの香りが凄いとTが漏らしたその品は、醤油をさっと掛け、檸檬を絞って召し上がってくださいとのことだった。一切れ取皿に取って醤油を垂らして頂くと、肉厚で風味も強く、とても美味かった。二つ目は檸檬の掛かったものを頂いたが、これも柑橘系の酸味が風味のなかに上手く混ざりこんで美味だった。
 そしてメインの釜飯である。膳のメニューは主役の釜飯に汁物として水炊き、漬物が胡瓜と沢庵とあと何か一つ、三種類添えられ、あとは刺身蒟蒻とデザートの饅頭だった。茸の風味と味わいが染みた釜飯は言うまでもなく美味である。ただ、隣のMUさんが――書き忘れていたが、席順を明示しておくと、こちらの位置は六席の手前側の右端、左方に向けてMUさん、Kくんと並び、こちらの正面にはT谷が就いて、そこから左にT、T田という順番だった――山菜おこわの釜飯を分けてくれると言うので、こちらの分も渡して交換し、ちょっと頂いたところ、おこわのもちもちとした食感が実に美味く、これはおこわを選んだ方が好みに合っていたかもしれないなと思われた。刺身蒟蒻は、我が家でもたまに母親が買ってきて食卓に供されるが、それが時々、品によってはちょっと生臭さのような風味が鼻につくことがあるところ、この店の刺身蒟蒻は、当然のことだが品の良い味だった。水炊きも、野菜の味がよく染み出ていて美味い。T谷は水炊きは苦手らしく、と言うのは、茸の風味で無理矢理誤魔化そうとしているような品が結構あるからだと言うのだが、この水炊きは美味いと評価していた。水炊きには、これもまた檸檬を絞って食べて下さいと黄色い柑橘の小片が添えられていて、後半でそれを垂らしてみたところ、酸味が結構上手く混ざって、まろやかで優しげな味になった。饅頭は、こちらは餡子があまり得意でないのでどうかと危ぶんだが、この饅頭の餡子は甘味が弱く、全然くどくなく、甘ったるさがまったくなくて非常にさっぱりとした上品な甘さだったので、問題なかった。外の生地も、TとT田が小籠包みたいだとか言っていたが、確かに肉厚で弾力のあるものだった。
 店員のなかには一人、やたらフランクな態度の中年女性があって、巨大な急須に入った茶のおかわりを持ってきた際なども、ここに置いとくね、と砕けた口調で話しかけ、注文が一人分遅れてきたことについても、片づけの際に触れて、一つ遅れちゃってごめんね、ごめんね、と親しみ溢れる口調で謝っていた。注文は、山菜おこわを四つと言ったはずが上手く伝わっていなかったらしく、膳が一つ遅れて、T田がそのあいだ空腹の憂き目を受けたのだった。店内BGMとしては琴の演奏が流れており、テーブル上にはピラカンサの、まだ赤く染まりきっておらず、薄いオレンジ色に留まった段階の小鉢が置かれてあった。食事を堪能しながら会話を交わしたのだが、例によって内容はあまり覚えていない。料理に対する品評を皆で下しながら、合間に別の話題が差しこまれるという感じではなかったか。まるで不十分な一言ばかりのメモに頼ると、『エルフェンリート』の話が一つにはあった。どういう流れでその名前が出たのか全然覚えていないが、T谷がこの作品名を口にしたのだ。鬱系と言うか、グロテスクな描写のある作品として、こちらも名前を聞いたことはあった。それで、お前の隙な脚本家の人の作品ではなかったかと訊くと、いや、虚淵さんではないとのことだった。何故その作品名が話頭に上がり、どんな話題と繋がっていたのか、全然思い出せない。T谷が最近見たということだったのだろうか? ほか、色の知覚の話があって、西洋人は日本人と比べて色が薄く見えるのだという知識をT谷が披露した時間もあった。だから外国のアニメは色がやたらとどぎついのだと言う。そして、日本人は西洋人に比べて色には敏感だけれど明度の判別が弱いと、そんな話をしている最中にT谷が、「外人様は」という奇妙な言い方を漏らして、言った傍から突っこまれ、いや、「外人」という言い方は好きじゃないんだけど思わず出てしまったので、「様」をつけてカバーしようとしたんだ、と弁明していた。中和しようとしたわけだなとこちらが差しこむと、T谷は、そう、中和、と受け、隣のTが中和できてたよと言うのには、いや、できてなかったと思うと笑っていた。
 我々から見て正面の席にはスーツ姿の男女たちが集まっていたのだが、隣のMUさんがこちらに囁いてきたところによると、彼らは先ほどから、一言も会話を交わさないで黙りこくっているとのことだった。その重々しい雰囲気に飲まれてしまったのか、その隣の席の夫婦二人連れも黙ってしまっている、奇妙だと彼女は言った。しかしそれからちょっとすると、サラリーマンたちのテーブルに笑いが灯っていたので、ああ良かった、喋らないわけではなかったのだと二人で確認して安堵した。
 そうして二時一五分頃になったところで、退去することにした。俺が一旦全部払うからと伝票を持って、会計に向かった。会計場は何故か、天井から仕切りのようなものが下がってカウンターの向こうにいる店員の顔がまったく見えないような奇妙な形になっており、こちらは身を屈めて向こうを覗きこむようにして、例の丁重で穏和な物腰の男性店員と顔を合わせなければならなかった。会計は合わせて一一四八〇円だったか? 金を支払い、礼を言って場を離れると、靴を箱から取り出し、T谷がブーツを履いている横でさっと足を入れて、店の入口をくぐった。
 道に出ると、TとT田は何故か競争するように走り出して先頭を行き、ほかの四人はあとからついていく。電車の時間まで三〇分ほどの猶予があったが、遅れてしまうとまた長く待たなければならないからといくらか速めに歩くことになった。Kくんが涼しい顔をしながら結構歩くのが速く、我々のグループよりも先に突出してやがて前の二人と合流し、MUさんとT谷とこちらの三人はあとからそこそこの速度で進んでいった。道中T谷と、"D"のアレンジをどうするか、といったような話をちょっと交わした。また、Tにボーカルメロディの楽譜を作ってもらわないとな、ということも話した。前々からT谷は楽譜が欲しいと要求しているのだが、T自身は脳内の記憶に頼って事を進めるタイプで、あまり楽譜の必要性を感じていないらしい。とは言え、T谷が楽譜が欲しい、楽譜を作れと「無限回」言ってきたので、そろそろ彼女も要求に応じてくれるだろうとのことだった。本当は、作曲の段階から楽譜作成ソフトを使って作れば、一番手っ取り早いのだよなとこちらは受けた。Tは今は、単純な記憶と、歌とかちょっとしたピアノ演奏をスマートフォンなどに録音しておいたその音源を頼りにやっていると思うのだが、そうしたものも楽譜として視覚化されていた方が共有もしやすいだろう。
 それでやがて川井駅に到着して、先の三人と合流した。釜飯屋で茶を飲んだためだろう、こちらは尿意がやたらと嵩んでおり、トイレに行きたくて仕方がなかった。駅には木造の駅舎めいた建物があって、ここはトイレではないかと思ったのだが、それらしき入口がなかったので諦めた。それで尿意を紛らわすために、というわけでもないが、西の方角を見て、高校の卒業打ち上げのあとの朝の記憶を話した。高校の卒業打ち上げもここ川井にあるキャンプ場で行われ、川井という地を訪れたのはそれ以来だからおそらく一一年ぶりくらいになるわけだが、一晩過ごして帰路に就いた際の早朝に、西の方面からやって来る電車の前面に、背後、東でまだ昇りはじめたばかりの太陽の光が反射して輝いていた、それを覚えていると話した。そうした場面を含んだ高校時代の記憶を元にして小説を一本作ろうと昔は考えていたのだが、今はもうその気はない。そんな話をしていると、遠くの眼下、川の上空に落葉が虫のように群れ、光を弾きながら浮遊しているのを誰かが発見して皆で目を向けた。すると今度は、近く、線路のすぐ向こうの斜面に建った家の屋根に猫が現れて、暢気そうにのそのそ歩いて物陰に隠れていった。そうこうしているうちに青梅行きの電車がやって来て、曲線を描く線路に応じて車体が弧を描くと、横から太陽が降り注ぐ位置関係になって、背の上に白光が反射する。電車が迫る様子を見てTは、格好いいなと漏らしていた。
 乗車する頃には、尿意がかなり切迫していた。店で済ませてくれば良かったのだが、時既に遅しである。男子三人が、何故かサンダーバードの話などをして盛り上がっているなかで、Tに声を掛けて、青梅駅で乗換え時間はどれくらいあるかと尋ねると、スマートフォンを使って即座に調べてくれた彼女は、二分だと言う。二分か、と苦笑して、それじゃあ、トイレに滅茶苦茶行きたいから、俺は便所に寄って一本あとで行くわと告げた。その後も尿意は当然減じることはなく絶えず差し迫っており、ことによるとこれは漏らしてしまうのではないかとも思ったが、不安障害時代のようにそれで不安が高まって尿意を相乗させるという現象は生じなかった。股間が冷たくなってくるような感覚を気にしつつ、皆の話を聞いたり、こちらから多少話をしたりした。口をひらいて喋っているとやはり気が紛れるところがあったので、Tがこちらに、この一か月はどうでした、と何かの拍子に尋ねてくれたのは有り難かった。と言って、特に変わったことがあったわけでないので、どうだったかと訊かれてもすぐには特段の回答を思いつかず、どうだったかなあ、まあ普通かな、と凡庸に落としたあと、最近はしかし、音楽をよく聞いているなと口にした。ジャズを、特にBill Evansをやたらと聞いていて、やはりとてつもなく素晴らしいのだと言った。ただ、インターネット上を検索してみても、ジャズの優れた感想や批評文を綴っているようなサイトは、ほとんど見当たらず、大抵の文章が実にふわっとした曖昧なものに留まっている。それなので自分がもう少し具体的で、読み応えのあるような文章を書けたら、という野望を抱いていると明かした。事情は古典的なモダンジャズのみならず、現代ジャズにおいても同じである。と言うかむしろ、現在進行形のジャズについてこそ、優れた感想や批評を書き綴り、リスナーの方もプレイヤーたちの努力に応え、シーンを盛り上げていかなければならないはずなのだが、現代のジャズというジャンル自体がそこまでメジャーなものでなく、ジャズが好きだという人でも聞くのは大概モダンジャズに留まっているだろう。なかにはいくつか、現在進行形のものを色々と聞いて感想を書いているサイトはあるものの、やはりもっと面白い文章で記されていなければならないとは思う。Kくんもそれに応じて、ジャズの感想ってなると、コード進行やフレーズのアナライズとか、理論に通暁していないといけないから、難しいよね、と言う。自分は勿論素人なのでそこまではできないが、聞いた立場からの印象を具体的に綴ってみたい、とこちらはそう答えた。
 そうして青梅に到着すると、皆と離れて急いで便所に行った。狭い室内に清掃員の女性がいたので無言で会釈をしたのだったが、何か声を掛けた方が良かったかもしれない。それから小便器の前に立ち、勢い良く放尿したあと、手を洗ってハンカチで拭きながら室を出ると、間に合わないと思っていた乗換え先の電車がまだ停まっていたので、一番近くの口から乗りこんだ。それで身体を揺らされながら車両を移り、間に合ったわと言いながら皆のところに合流するとTが、凄い、と言って、ヒーロー感ある、ただトイレに行ってきただけなのに、と妙な褒め方をするので、ねえよと笑って否定した。ヒーローは遅れてくるからね、とKくんもTに応じていた。
 さて、嵩んでいた尿意も解消されて、安心して電車に揺られることができたが、立川までの道中にはどんな話を誰としたのか全然覚えていない。いや、思い出した。高校の合唱祭の話をしたのだ。Tに、三年E組は合唱祭の自由曲は何だったかと尋ねたのだが、彼女はどうしてもそれが思い出せなかった。合唱祭実行委員として働いており、あまり練習に参加しなかったためだと言う。その隣に立っていたT田が何と当時の合唱祭実行委員長だったのだが、しかし彼は、自分が何の仕事をしていたのか全然覚えていないと言う。Tら実行委員の方が実際には働いていて、T田は主に許可を出すだけみたいな立場だったようだ。こちらが属していた三年B組の自由曲は、黒人霊歌から取った"ジェリコの戦い"である。それで三年の時には全体で三位を記録した。二位はG組、何とかの巌みたいなタイトルの曲だったはずだが、何も印象に残っていない。一位はしかし忘れもしない三年A組、"四四羽の紅雀"というだいぶプログレッシヴな合唱曲で、これが高校生にしては高度な、非常に良くまとまった合唱として成立しており、聞いた瞬間にこれは負けたなと、彼らが優勝に違いないと確信されたのだったが、俺はあれを聞けただけでも合唱祭に参加した価値があったと、当時のこちらが言っていたのをよく覚えているとTは言って、そういう気持ちを抱いたことはこちら自身もよく覚えている。とても面白い曲なので、読者諸兄も聞いてみてほしい(「44わのべにすずめ」 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団 https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=109Kr3kBiNQ)。よくもまあ、高校生の、しかも部活動でなくクラスの合唱でこの曲をやろうと考えたものだ。それは多分、合唱部にも属していて練習を主導していたであろうKJ.Gくんのイニシアティヴによるものだったのだと思う。彼とこちらは一年時に同じクラスだったこともあって多少交友もあり、相手は男子であるにも関わらず、こちらは何故か彼のことを「KJさん」とさんづけで呼んでいた。クラスの音楽的なリーダーだった彼はバスを担当していて、本番では実にふくよかげ堅固な低音を披露して良い仕事をしていたのだったが、優勝が決まったあとのアンコール、再度の合唱披露では、気が抜けたのだろうか本番のテイクと比べるとA組のバスは腑抜けたように、腰が軽く不安定なものになってしまって、そのことをその後しばらく馬鹿にしていたのを覚えている。
 そうこうしているうちに立川に着いた。MUさんは預けていた荷物を取りに行き、Tはトイレに向かった。階段を上がって男子四人で待機していると、MUさんが階段を上がってきた。ロッカーはホーム上にあったらしい。T谷は飲み物を買いたくて仕方がないようだった。じきにTも合流したので改札を抜け、SUICAが残高不足になっていたKくんは窓口で処理手続きを行った。改札を出た場所でそれを待っているあいだ、皆に釜飯屋の代金を頂いた。いや、ホームから階段を上がったところの通路で待機しているあいだだったかもしれないが、それはどちらでも良い。皆から一九〇〇円ずつ貰い、Tからも頂いたのだが、T田がMUさんへの誕生日プレゼントの代金もと指摘してTがそのことを思い出し、二〇〇〇円を払ったので、貰った金をほとんどそのまま返すような形になった。
 そうして、南口へ向けて歩き出した。先頭はTとKくんの夫婦が行き、彼らがエスカレーターを下りていく脇でこちらは階段を小走りに下り、駅を出てロータリーを回ってマクドナルドの前を右方に折れた。日高屋の前を通り過ぎてもう少し行けば、GATEWAY STUDIOである。高校時代だったか大学時代だったか忘れたが、昔にも利用したことがある。小さな戸口から入って階段を上がり、カウンターでTが電源ケーブルなどの入った籠を受け取って、もう一階分螺旋階段を上がった。部屋は七番である。ストラトキャスターが二本と、フェンダージャズベースが用意されてあった。こちらは室の奥、鏡が張られた壁際の角に置かれてあったフェンダーのアンプを使うことにした。T谷がマーシャルである。室内に吊るされてあったチューナーでチューニングを済ませ、アンプに繋ぎ、トーンを適当に設定してリバーブをほんの僅か、薄く掛けると準備はOK、適当に弾いているうちに今日やる"D"のバッキングが出てきて、自然発生的に皆でちょっと合わせる感じになり、それを機に本格的な作業に入っていったと思う。
 室に入ったのは多分四時頃だったのではないか。それから六時半まで、アレンジを続けた。最初はエレキギターを二本用いて、こちらがカッティングを担当し、T谷がトーンを少々歪ませてもう一種類のバッキングを色々と試していたのだが、最終的に歪みはいらないのではないかとまとまり、カッティングもアコギでやった方が爽やかで良いのではないかと案が出た。それでTがエレアコを借りてきてくれたのをこちらが受け取って試してみたところ、わりあいに良い感じだったので、アコギとエレキで概ね同じ種類のバッキングを合わせたその上に、もう一本を加えるかどうか、加えるとしたらどのように加えるか、というような段になった。Kくんがベースからギターに持ち替えて、ちょっとしたメロディを絡めたコードプレイというようなオブリガート的なフレーズを披露してくれ、それで大方形は固まって、あとは一番から二番に移る前の間奏のキメをどうするかという点を探ったものの、決めきれずにタイムアップとなった。
 昔はよほど引っこみ思案な人間だったから、スタジオ練習の時などは自分の意見を言わずに黙り、リーダーシップを取りがちなT谷に任せていたものだが、こちらも歳を取ってだいぶ図太く偉そうになったということか、この日は考えをいくらか述べたようだった。キーボードを弾きながらボーカルを取るTの声が詰まって窮屈そうな感じで、どうも柔らかくないなと聞かれたので、途中でちょっと身体をほぐしたらと提案して、こちらもギターを置いて立ち上がり、背を伸ばしたり開脚して身体をひねったりしていたのだが、そうして背伸びをしているところをMUさんに撮られていたようで、あとでLINEに写真が上がっていた。
 それで六時半前になると片づけをした。Tがケーブルの八の字巻のやり方がわからないと言うので、一緒にやってみようと言って教えようとしていたところが、スタジオの職員に次があるのでとりあえず退出を、と促されてしまったので、すみませんと言って室をあとにした。そうしてロビーに戻り、カウンターテーブルに寄って曲についていくらか話し合いをした。BGMになかなか格好良い音楽が掛かっていて、ベースがよく動くファンキーでスタイリッシュな歌物だった。
 その後、ガストがすぐ向かいにあるということで、ファミレスに行くことになった。カウンターの店員に礼を言って退出し、ビルを出て、道路を渡って向かいのビルの横から階段を上り、ガストに入店した。出てきた女性店員の顔立ちが、高校の同級生であるO田さんにちょっと似ているとT谷は言ったが、こちらにはそうは思われなかった。ちょっと待っているうちに六人掛けの席を片づけてくれたようで、すぐに通された。昼の釜飯が結構多かったのでそれほど腹は減っておらず、サラダとサイドメニューの唐揚げでも食おうと思っていたところが、ナスやら何やらの入ったトマトソースのチーズ焼きみたいな品にも食指が動き、結局こちらは三品も頼むことになった。手前の右端に座ったこちらから見て反時計回りの順でメンバーたちの注文を記録しておくと、正面のKくんはマヨコーンピザ、その隣のT田は肉がごろごろ入ったパスタ、Tは何も頼まず、MUさんはサンデーとドリンクバー、こちらの左隣のT谷はパフェめいた品と、あともう一品何か頼んでいたのだがそれが何だったかは忘れてしまった。Kくんの頼んだマヨコーンピザは、全然美味くないらしかった。変な風味があって、充分に温まってすらいない代物だったようなのだが、その後、KくんとT田は二人で、フォンダンショコラだったか、何かそんなような名前のチョコレートケーキを頼んでおり、こちらの味には満足したようで、Kくんなどはピザと比して、このケーキ、ガストのメニューで一番美味いかも、などと言っていた。
 会話はT谷が先に帰る前とそのあととで大きく分かれるのだが、前半の時間で一体何を話していたのか、全然記憶が蘇ってこない。皆はそれぞれ適当に何かしら話していたと思うのだが、こちらは多分、比較的黙りがちで黙々とものを食っていたのではないか。全員ではないが、それぞれの近況報告みたいな時間が多少あったような気がする。こちらはまた音楽をよく聞いているというような話をしたのではなかったか。T谷は、よく覚えていないが、情報セキュリティについて政府が今後進めていく政策の下敷きとなるような文書を作ることになりそうだ、みたいなことを話していて、凄いではないかと皆で受けた。
 その後、Tにプレゼントをする段になった。プレゼントと言っても用意していたのはこちらとMUさんの二人だけだったようだが、MUさんからは小さな加湿器が贈呈された。梟の姿を象ったもので、セラミック素材だと言い、なかを覗いてみても何もなかったのだが、水を注ぐだけで空間を加湿してくれるらしい。こちらからは中村佳穂の『AINOU』のCDを贈り、一〇曲目、一〇曲目が名曲だから聞くんだと強く勧め、正面のKくんにも、一緒に聞いてあげてねと言っておいた。
 そのほか、音楽活動の計画を話し合った。順当に行けば二月八日あたりにスタジオで"C"をレコーディングすることになりそうなのだが、そこから逆算して、その二週間前くらいにはギターアレンジもボーカルやコーラスも確定し、皆で確認するために音源を用意しておかなければならない。それで修正するべき部分があれば修正し、Tは本番までにメインメロディだけではなくて確定させたコーラスも歌えるようにしておかなければならないというわけだ。T谷の要望としては、先ほども記した通り、ボーカル及びコーラスの楽譜も作ってほしいということだった。
 T谷は翌日も仕事だし、立川からだと家も遠いし、疲労もしていたのだろう、今日は早めに帰るということで、九時半前に一人先に去った。その後、Tが作ってきた"C"の仮MVを一人ずつ見せてもらった。こちらよりも前に見たKくんやT田が、多動的、とか評していたから何かと思えば、確かにそれぞれの映像の表示される長さがちぐはぐで、長く映る箇所と短く過ぎていく箇所とのバランスが悪く、後者の次々に映像が変転していく場面を指して、彼らは多動的と言ったのだとわかった。そうしたことを指摘し、主題面でも、宇宙の映像が主軸となってそこに地球上の事物とか風景とかが差し挟まれるような趣向になっているのだが、画像の配列をどのように組み立てるか、といったようなことをちょっと話し合った。
 その後、何故だったのかわからないが、こちら、T田、MUさんと、T、Kくんのグループに分かれて話を続けていると、MUさんが、最近のハイライトを聞いてと言い出した。好きなコスプレイヤーの人の写真を元にして絵を描き、それをTwitterに上げたら、その人本人から好意的な反応があって非常に嬉しかったと話しながら、彼女は当の画像を見せてくれた。絵というものをまったく描くことのできない人種なので、絵の形になったものを作れるというそれだけで凄いと評価してしまう。嬉々として話すMUさんの様子を受けて、いいなあ、俺の最近のハイライト何だろう、と言って考えてみたものの、特に思い当たることはなかった。変化のない生活である!
 T田には小説の進捗はどうかと尋ねてみると、結構進んでいるらしいが、記述はまだ夕方までしかできておらず、星が出る時間には至っていないとのことだった。骨が折れる、と漏らすので、それはそうだ、何でもそうだと受ける。上手く書けたと思えることもあり、そういう時はやはり気持ちが良いと言うので、風景描写などかと訊くと、職業柄、風景よりも身体の動きなどの方が上手く書ける気がすると言っていた。ただ、書いている最中に上手く書けたと思った箇所でも、あとでまた読み返してみるとその時には全然書けていないように見えると、これはT田本人が話したことだったか? 彼自身はそうは言っていなかったかもしれない。最近一番嬉しかったこと、MUさんの語で言えばハイライト的な瞬間というのは、やはり小説を書いていて力を尽くして上手く書けたと実感できる時だと、これは確かに言っていたはずだ。
 そんな感じで話をして、一一時二〇分頃になって退店した。連れ立って歩き駅に戻って、改札の前でKくんがSUICAにチャージをするのを待った。Kくんは妙に時間を掛けていたのだが、そのあいだに何を話したのだったかは例によって覚えていない。改札をくぐると、南武線に乗るT田が離脱するので、ありがとうと手を振って別れ、MUさんもトイレに行くということで離脱し、こちらとKくんとTの三人で通路を進んだ。一一時三六分だったか、最終の奥多摩行きの発車が迫っていた。Tも一緒に乗るものだと思っていたところが、遅れちゃうから先に行きなと言うので、行かないのかと尋ねると、その次の電車で帰るとのことだった。それで青梅線に下りる口の前で二人と向かい合い、例によってKくんと握手をして、じゃあなS、じゃあなJ、といつもながらの挨拶を交わした。それから礼を言い、また連絡してくれと残してエスカレーターを下り、奥多摩行きに乗りこんで扉際に立った。ちょっとぼんやりしてから、手帳を取り出してメモ書きを始めようとしたところでしかし、Tが現れた。MUさんがトイレから戻ってきて間に合ったので、やはり乗ることにしたと言う。MUさんとKくんの二人もホームに見送りに下りてきてくれたので、電車が発車すると、手を挙げて別れを交わした。
 その後、Tと話しながら拝島まで帰路を共にした。MV難しいねと彼女は漏らしたので、難しいね、かなり難しいね、と応じた。それから、レコーディングをしないのはどうして、と訊かれた。今日のようにスタジオで軽く合わせるくらいのことだったらやっても良いのだが、こちらは正式なレコーディングには参加しないと明言している。質問の答えとしては、きちんとしたレコーディングをできるほどの実力が自分にはない、という点をまず挙げた。次に、練習をしてそれを埋めようにも、そこまでの余裕は正直なところないと言い、さらに自分の感じを適切に表す言葉を探しながらも見つけられず、ほかに思いつかなかったので仕方なく、そういう状態でやっても無責任になってしまうから、と落とした。責任とか無責任とか、通りが良く、便利で嫌な言葉だ――その聞こえの良さによって単に、面倒臭さや労力を避けたい気持ちや、そこまでの興味はないということを糊塗したのではないかとも自分で思われる。
 そのあと、今日のことに話題が移ったと思うのだが、その時に、伝えたかったことを一つ言うなら、と話し出した。昼間も話したように、最近は音楽をよく聞いている。当然のことだけれど、例えば歩きながら聞いているよりも、目を閉じてじっと耳を傾けて聴取した方が、受け取れる情報量が全然違ってくる。そのように、真剣にその音楽だけに集中して聞く時間をやはり取らなければならない。Tにもそういう時間を、一日に一曲分だけで良いので是非取ってほしい。とにかく毎日、一曲だけで良いので集中して聞くということが大事だ、とそう伝え、それを一年間続けると、色々なことが変わってくると思うよ、と最後は曖昧に落としたのだが、実際、耳は肥えるだろうし、音楽に対する感受力はかなり高まるだろうとも思う。そうしたこちらの言葉を受けて、Tは携帯にメモを取っていた。それから彼女は黙って、頭をちょっと傾けて考えこむような表情になり、こちらも話題が思いつかないので黙りこくっていたところ、しばらくしてTは、楽譜のことを話しはじめた。T谷からは楽譜を作れ作れとせっつかれるものの、彼女自身は、あまり作譜の必要性を感じていないのだと言う。昔はむしろ何でも楽譜にしようと思って取り組んでいた時期があり、それは譜読みが拙かったのでその練習という目的も兼ねていて、それで実際いくらか楽譜の読み取りは改善されたらしいのだが、結果として自分の場合、楽譜作成よりもほかのことに時間と労力を向けるべきなのではという結論に至ったのだと言う。それで作らなくなったらしいのだが、ほかの人にとっては楽譜が結構大事なんだなとわかったと、結構意外な風に受け取っていたようだ。とは言え、何か良いソフト、手軽に作譜できるようなソフトがあればやってみるというつもりでいるようだったので、今は色々あると思うよと受け、それからもう一つ、楽譜というのは自分の頭のなかにある音楽情報を他者と共有するためのツールでもあるわけだから、自分にとっての意味だけでなく、他人にとっての意味合いも考えてみてほしいというようなことを伝えようとしたところ、それを口に出す前にTが、こちらが替わりに持ってあげていた荷物を受け取る素振りを見せて、扉上の表示に目を振ればもう拝島に着いているのだった。あれ、もう拝島か、と口にして荷物を渡し、するとTは、黒い手袋を片方外して握手を求めてきたので、手を握ると、二十代最後の一日を一緒に過ごしてくれてありがとう、みたいなことを言われたと思う。それで彼女は降りていった。発車までほんの少し時間があって、彼女はホームから見送るために待っていたので、戸口に寄って、最後の一つ言っておくなら、と口にして、先ほどの他人のための意味合い、というようなことを伝えようとしたものの、完全には伝達できなかった。しかし彼女はこちらの言わんとすることがわかったようで、絵替えで見送ってくれたので、手を振って別れた。
 その後、青梅までの道中はメモを取り、この電車は奥多摩行きだったので乗り換える必要もなく座ったまま最寄り駅に着き、降りて駅を抜けると、個人商店の前の自販機に寄って、一五〇円のコカコーラゼロのペットボトルを買った。それをバッグに入れて帰路を辿ったが、この日からもう四日も経ってしまっているので、さすがに帰り道の記憶はない。帰宅後も風呂に入って本を読んだくらいのことしかしていないと思われ、特段に印象に残っていることもないので、この日の日記はここで終了する。


・作文
 9:12 - 9:25 = 13分(20日

・読書
 8:38 - 9:12 = 34分
 10:39 - 10:45 = 6分
 25:27 - 25:51 = 24分
 計: 1時間4分

・睡眠
 1:30 - 8:00 = 6時間30分

・音楽

  • 中村佳穂, "永い言い訳"(×2), "忘れっぽい天使"(×2)(『AINOU』: #5, #10)
  • Bill Evans Trio, "Autumn Leaves (take 1)"(『Portrait In Jazz』: #2)

2019/11/19, Tue.

 クラカウでの取り調べの間に書かれた個々の文書と同様、ヘスの自伝もまた、取調官たちに自分のことを打ち明けたいという衝動に駆られて書かれたものである。この完璧なまでに職務に忠実なアウシュヴィッツの指揮官は、取り調べを受けるにあたっても、同様に模範的な囚人であることを示した。彼は強制収容所ユダヤ人虐殺について知っていることを細かく披露しただけでなく、自分自身や自らの人生、自らの「魂」について、あるいは自分がそれらをどう理解しているかについて詳しく弁明することによって、監獄の精神科医の仕事が楽になるように努めたのだ。このような事実の中にすでに、自伝の中にも現れているヘスの奇異な、しかしその人柄をよく表しているような特徴が暗示されている。その特徴とはつまり、職務においてはただひたすら何らかの権威に忠実で、死刑執行人として、また罪を認めた被告人としていつも自らの義務を果たし、絶えず他のものの意志に従って生き、いつも自分自身をあきらめ、したがって進んで自我を、恐ろしく空虚な自我を、事実の解明に役立つように、自伝を書くという形で裁判に委ねた一人の男の、性急なまでの熱意を伴った誠実さとでもいうべきものである。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、24; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 正午を越える時刻まで寝過ごしてしまった。今日は最近続いていた晴れ晴れとした天気とは異なって、空には雲が多く掛かって陽射しも薄く、あまりはっきりとしない天候だった。ベッドを抜け出し、コンピューターを点けようとテーブルに近寄ったが、閉ざされたコンピューターが既に稼働しているのに気づいて、そう言えば昨夜はコンピューターを停止させないままに眠ってしまったのだったと思い出した。Twitterを覗いたりしてから部屋を抜けて上階に行き、まず便所に行って大便を排出し、腹のなかを幾分軽くした。それから寝間着をジャージに着替えて、台所に入れば、フライパンには目玉焼きにソーセージやベーコンなどを合わせてトマトソースで和えた料理が作られてあった。母親は昼まで半日着物リメイクの仕事に出ており、夕方からは父親と名古屋フィルのコンサートを観に行く。こちらは労働である。卵焼きを大皿にすべて払って電子レンジに突っこみ、米や昨晩のスープの余りもよそって卓に運ぶと、席に就いて新聞を引き寄せ、ものを食べはじめた。香港の高等法院が、覆面禁止規則は基本法に反するという判断を下したとの報があった。目玉焼きをおかずにしつつ米を食いながらそれを読み、国際面からも香港情勢の記事を読んでおくと、ほぼ同時に食事も平らげた。食器を台所に運んで置いておいてからポットを開けて見ると水位はさほど低くなかったので、そのまま沸かしておき、網状の布で皿を洗ってから風呂場に行き、ブラシで浴槽を擦った。出てくると今度はアイロン掛け、炬燵テーブルの端に台を乗せて、シャツやハンカチの皺を伸ばし、終えたところでちょうど母親が帰ってきた。こちらは一旦下階に戻って急須と湯呑みを取ってきて、なかに入ってきた母親と顔を合わせると、三時だかそのくらいにはまた出ると言う。どこでやるのかと訊けば、新宿だと言う。コンサートが七時から、終えて帰ってくればそれだけでもう一一時くらいにはなってしまうだろうというわけで、じゃあ外で――と言って青梅駅前のモスバーガーくらいしか選択肢はないわけだが――食べてくるわとこちらは言った。それで緑茶を用意して塒に引き返し、一服しながらここまでこの日の記事を書いて、一時一八分である。
 書き物に取り掛かる前に、キーボードを打つのにいくらか邪魔なので、伸びてきた手の爪を切って始末することにした。BGMとしてMr. Big『Get Over It』を流しだし、ベッドの上に乗って胡座を搔いて、ティッシュを一枚目の前に広げて置いて爪を切っていく。冒頭の"Electrified"からして、このアルバムは渋くて格好良く、昔は地味だとしか思えなかったがこの歳になってみるとこの渋さが心地良い。爪を切り終えるとさらに一本ずつ指先を鑢掛けしていき、終える頃には四曲目の"Superfantastic"に差し掛かっていたと思う。そうして、二時前から一六日の日記を書きはじめた。
 一時間強を費やし、三時直前に至って完成させ、インターネットに投稿して次に一七日の記事を仕上げようと思ったところ、この日曜日の夜のことはメモを取っておらず、普段の生活から外れたことも特にしていなかったようで印象に残ったこともなかったので、書いてあるところまででそのまま完成とした。そうして一七日の分も電脳の海に放流しておくと前日一八日のことを少々メモ書きし、それで時刻は三時半である。
 音楽を聞くことにした。睡気と混ざりあった頭や肉体の重さがあって、ベッドに横たわってしまいたいような調子だったので、音楽に包まれることによって心身のチューニングを図り、活力を取り戻そうと考えたのだ。そういうわけで、まずいつものようにBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 2)"を聞いた。Paul Motianは序盤、八小節単位で、遊びのあるアプローチを見せる場面と、整然としたリズムを作る場面とを交互に繰り返している。前者の地帯では、ハイハットを一拍目三拍目に踏んだり、スネアの差し入れ方も統一されていなかったりと自由だが、後者においてはハイハットは二拍目四拍目に固められるし、スネアも均等に刻まれて空間を埋める。ワンコーラス分それが演じられたあとはずっと、後者のような堅実な刻み方でビートが持続され、あまり変化はないものの、演奏の盛り上がりに応じてダイナミクスが徐々に上昇していくのは聞き分けられる。ベースソロ裏のプレイでは、シンバルの揺動の様態、波の作り方がやはり肝だと思われ、そのあたりをもう少し緻密に分析してみたいのだが、この時はちょっと睡気に意識を乱されて、あまり没入して聞くことができなかった。それでも、LaFaroのソロでの速いパッセージなど、やはり鮮烈ではある。
 それからもう一度聞いた。LaFaroの動き回り方が凄まじく、八小節単位でアプローチを変化させるMotianの試みを理解しているのかいないのか、勿論演じながら正確に認識しているはずなのだが、それに合わせてフレーズを組み立てているという感じでもないようだ。むしろ、Motianの方がLaFaroの提示する音型に合わせに行っている場面すらあった。このテイクではMotianが基本的には土台に徹しているそのおかげで、LaFaroはかなり傍若無人的に、独立性強く動けるようになっているという印象で、一聴すると彼は自分のプレイをほかの二人と調和させる気がないような感じも受けるのだけれど、それで実際には複雑な協調感が生み出されているのだから凄いもので、どうしてそうなるのかちょっとよくわからない。
 音楽を聞いた時間のことをメモに取ると時刻は四時前、そろそろ腹を埋めようと思っていると、母親の声がした。もう出かけるらしい。部屋を出て共に階段を上がり、母親は父親と共に出発し、こちらは玄関の戸棚から先日コンビニで買ったバターチキンのレトルトカレーを取り出して台所へ行くと、「赤いきつね」か「どん兵衛」か、即席麺を煮込んだらしく、揚げ入りのうどんが鍋に拵えてあった。それを火に掛けるとともに、カレーのパウチを水を汲んだフライパンに入れて加熱しはじめ、うどんは丼によそって卓へ行き、そうして啜りながら夕刊から香港情勢の記事を読んだはずだが、内容を覚えていない。うどんを食い終わると台所へ行き、米を大皿に盛って、沸騰した湯のなかからパウチを取り出し切りひらき、米の上にカレーを掛けた。それから卓へ戻って新聞は読まずに、一口ごとにぶつかるほどにたくさん入っている鶏肉の小片を味わいながら、オレンジ色のカレーソースを米と一緒に賞味した。平らげると食器を洗い、仏間で黒の靴下を履いて下階に行き、歯磨きをする傍ら、過去の日記を読み返し、三宅さんのブログも一日分を読んだ。その後、着替えである。ワイシャツは淡い水色のものを選び、今日は黒の装いを取ることに決めて、ベスト姿を整えると四時四〇分、コンピューター前に就いて日記を書き足しはじめたが、すぐに中断した。出勤に出る前にあと一回だけでも音楽を聞いて鋭気を養っておきたかったのだ。そういうわけで、"All Of You (take 2)"の三回目を聞いた。特にどこを傾聴しようという意識もなかったが、やはりScott LaFaroの奏でる音に自ずと耳が行った。非常に主張が強いからで、どこにいても、どの音を弾いていても、恐竜や巨獣のような存在感、迫力が充溢しており、ちょっと自由にやりすぎではないかと諌めたくなるような場面があるくらいである。このトリオの特異性というのは、何だかんだ言っても彼に大きく担われていることは、決して誰にも否定できないだろう。それにしても、聴覚野というものの狭さが恨めしかった。聴覚は意識と同じように線状の志向性を持っており、集中して音を聞こうと思ったらほとんど一点か、せいぜいその周りの小さな一定の範囲しか聞き取れないのだ。もっと複数の場所を同時に、平等に深く強く聴取できるような知覚の仕組みにしてもらいたかったものだ。
 それで五時が過ぎたので、音楽鑑賞で得た印象をメモに取っておいてからコンピューターを停止させた。上着を羽織り、バッグを持って階を上がると、居間のカーテンを閉めて出発、玄関で靴を履くと、少し前からだが靴のなかの生地がほつれてしまっているのがわかる。まだ一応履けるけれど、そのうちに買い換えなくてはならない。しかし余分なものに使うほどの金がないので、まだしばらくはこのボロい靴を無理矢理使い続けることになるだろう。玄関を抜けて扉に鍵を掛け、道に出ると前方から人が来て、こんばんはと声を掛けてきたので見れば、Kさんの奥さんらしかった。こんばんはと返し、ポケットに片手を突っこんで行けば、空には灰雲がほとんど全面に掛かって、均一に伸べられて埋め尽くすほどでなく端の方に隙間もあるものの、その下で道は既にかなり暗く、夜の装いで、満たされた暗闇を街灯の白い光が割って中和している。坂に折れて木下闇のなかを上っていくと、夜更かしと寝坊のためだろうがやはり疲労感があって、身体の重みを引きずりながらのろのろ歩いていると、昨日と同じところで微風が前から流れてきて、昨日と同じ足もとの下草から虫の音が立った。
 駅のホームに入り、ベンチに就いてメモ書きをしていると、しばらくして電車がやって来たので、乗りこんで北側の扉際に就き、頭上の棚にバッグを置いて立ったまま紙の上にペンを動かした。青梅に着くと今日は早めにすぐに出て、ホームを歩き改札へ、出るとSUICAの残金が少なかったので、明日遠出をするから足しておくかと券売機へ寄り、五〇〇〇円をチャージした。すると財布の中身も軽くなったのでコンビニで金を下ろすことにして、駅舎を出ると、クリスマスに向けてということだろう、ロータリーの真ん中に申し訳程度の電飾が設置されていて、ムードを盛り上げ風景を飾り立てると言うよりは、その乏しさがかえって田舎町の侘しさを助長するようでもある。コンビニに入るとATMで金を下ろして職場に行った。
 今日は二時限の労働である。一コマ目は、(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中三・国語)、(……)くん(中一・英語)。(……)くんはテストはもう終了していたので、予習をしようと思ったのだが、その前にまずはテスト範囲の最後の単元の復習をしてみることにしたところ、その一頁だけで終わってしまった。want + A + toの構文だったのだが、すべてwant + to + Aの順番に誤答していて、答え合わせの段階でそれに気づいたので時間が勿体なかった。もっと早く、彼が解いている段階からきちんと解答文を見ておいて、ミスを指摘して直させておけば良かったと思う。(……)くんはそんなに理解力が悪いわけではないと思うのだが、どうもあまり奮わない感じがあると言うか、伸びていきそうな気配が感じられない。もう少しやり方を上手く考える必要があるかもしれない。
 (……)くんはテスト範囲の問題をすべて扱い終えていたので、どうしようかと思っていたのだが、選択肢を提示して希望を訊いてみると、教科書を使って和歌の意味を覚える方を選んだので、そのように進めた。現代語訳を覚える時間を少々取り、折々に口頭で確認するというやり方を取り、すべて確認し終えると、最後に魯迅『故郷』の問題を少々復習した。
 (……)くんはこの日、授業があることを忘れていたようで現れなかったので、連絡をして途中から来てもらった。しかし何をやったのだったか思い出せない。現在進行形だったか? 多分そうだったと思う。出来は悪くなかった、と言うかほとんど問題はなかったはずだ。ただ、塾のワークが解けていても、果たして学校のテストで点数が取れるかと言うと、ちょっと心許ない感じもある。単に問題を解かせて確認してお終いではなくて、より理解と記憶を増進していくような方策を取らなければならないだろう。例えば口頭で日本語を言い、それを聞きながら英作文を作ってもらうとか、そういったことをやっていかなければならないのではないか。一年生の段階からそうしたことに慣れさせておくのは、結構有効なやり方ではないかと思う。
 二コマ目は(……)さん(中三・社会)と、(……)さん(高三・英語)。(……)さんは選挙の仕組みや司法制度などについて確認。二対一で余裕があったので、わりと丁寧に確認することができたとは思う。元々の知識も多少はあったようだ。(……)さんは英語構文のテキストを進めた。取り立てて問題があったような記憶はない。
 そうして退勤。今日は両親がコンサートを観に行っていて帰りが遅いので、モスバーガーに寄って夕食を済ませて帰ろうと思っていたのだが、店舗のなかを覗いてみると、生徒らしき姿がある。それで何となく気後れして帰ることに決め、カップ麺でも適当に食うかと考えながら一度は駅舎に入ったのだが、まだ発車まで間があったので、コンビニで食料を買っていくことにした。ロータリーの周りを辿って入店し、店の奥の棚に向かって、「うま塩ペッパーチキンバーガー」という品に目をつけて買ってみることにした。それに加えて海老のグラタンも食べることにして品を取り、レジカウンターに向かって七三〇円を支払い、礼を言って退店して駅に入った。階段通路を行っていると、実にけたたましい、鳥類のような笑い声が前方から響いてきて、何かと思いつつ上り階段に差し掛かると、ギャルめいた若い女性二人が笑いこけていたのだったが、こちらが現れたことで彼女らは少し落着いたようだった。それでも何となく目を合わせないようにしながらその横を通り抜け、奥多摩行きに乗りこむと、席に就いてメモ書きを始め、発車すればまもなく最寄りに着いた。
 駅を抜けて通りを渡り、坂道に入って、葉っぱの散らばったなかを下りていく。誰も掃除する者がいないので、道の真ん中まで散ってきたものが放置されたまま、路面を彩る斑点のようになっている。樹の下から出ると、空には雲が掛かっているものの、結構明るいように感じられた。裏に月が遊泳していたのかもしれない。
 帰宅した家はまだ無人である。コンビニ袋をクラッチバッグから取り出し、卓に置いておき、そうして下階へ下った。コンピューターを点けながら着替えを済ませ、ジャージ姿になると夏目漱石の『草枕』を持って上階へ、まずバーガーをレンジに突っこんで温める一方、冷蔵庫から大根の和え物を取り出して卓に運び、次にピザパンを熱してそれも食膳に加えた。そうしてグラタンをレンジに入れ、四分強の加熱時間を設定して、品が回っているあいだに席に就いて食事を取りはじめた。チキンバーガーは、挟まっている鶏肉が肉厚でなかなか美味く、二五〇円かそのくらいの値段だったと思うが、バーガーショップのバーガーに比べても不足がないのではと思われた。それから温まったグラタンも持ってきて、『草枕』を読みながらスプーンで掬って摂取を進め、平らげると片づけをして入浴に行った。湯に浸かりはじめたのは一〇時二〇分だった。目を閉じながら寛いで、二〇分間浸かってから出てくると、緑茶を用意して下階に下り、一一時から英文を読みはじめた。Gary Gutting, "Rethinking Our Patriotism"(https://www.nytimes.com/2017/02/06/opinion/rethinking-our-patriotism.html)である。

・platitude: 決まり文句
・acrimony: 刺々しさ、峻烈性
・trepidation: 恐怖感; 震え
・trumpery: たわ言、ナンセンス; 見掛け倒しのもの
・solace: 慰め、安堵、癒やし
・usurp: 奪う、侵害する
・bent on: 決意している; 夢中になっている
・roughhouse: 馬鹿騒ぎ
・anemic: 無気力な; 元気のない、沈滞した

 
 同時に、TwitterのダイレクトメッセージでISさんとやりとりをしていた。KWさんは転職活動で忙しいとのことだったので、一二月の読書会はISさんと二人で会うことになった。日にちを一五日に決定し、場所は立川北口のルノアール、時刻は二時からと設定し、課題書は未定だがプリーモ・レーヴィが良いかもしれないと話し合ったところまでで、今日は一旦やりとりを終えた。英文を読み終えると、Ozzy Osbourne『Diary Of A Madman』を聞きながら、手帳から記憶ノートへ情報を写していくが、すぐに面倒臭くなって作業を取りやめ、そうしてこの日のことをメモに取った。すると、零時二一分になった。
 この夜はあとは音楽をちょっと聞いて、翌日は午前から出掛ける予定があったし、睡気もだいぶ重っていたのだろう、一時半には床に就いた記憶がある。聞いた音楽は、一九六一年六月二五日のBill Evans Trioが演じる"Milestones"である。この曲は、リズム隊の強靭さを聞くものだろう。二人とも獅子奮迅の活躍といった感じで、そのプレイは激しいスピード感に溢れている。Evansの方はコード中心で、ソロにおいて一部流麗な横開きフレーズも聞かせはするものの、ほとんど派手なことはやらず控えめに振舞っており、それに比してリズム隊がピアノを食ってしまおうとしているかのような主張ぶりである。LaFaroはコーダルな曲でのプレイも勿論凄いが、コードの制約のないモード曲の方がやはりその真価を発揮できたのではないかという気がして、この曲での演奏はまさしく泳いでいるという感じであり、フリースタイルへの志向が強く感じられるように思う。LaFaroがもう少し長く生きていたら、もっとモードやフリーをやっているのを聞くことができたのだろうが、彼がそのような音楽を演じたものとして現実に残っている記録は、Ornette Colemanのバンドに参加した際の音源くらいだろうか? そちらもじっくり聞いてみなければならないだろう。この"Milestones"での彼のソロは、バッキングと地続きになっている感じがすると言うか、勿論音数はソロになって格段に増えるのだけれど、その勢いや活力、迫力のようなものはバッキングであれソロであれ遜色ない気がして、バッキングがソロと対等の機能を果たすというのは、やはりちょっと凄いことである。Paul Motianも例によってシンバルの叩き方が特殊で、単純に一拍に一音を置いたり、あるいは伝統的なスタイルに即して二拍目四拍目で裏拍を挟んだりする形ではなく、もっとリズミカルに、自由気ままに叩いているようだ。


・作文
 13:08 - 13:18 = 10分(19日)
 13:52 - 14:58 = 1時間6分(16日)
 15:10 - 15:14 = 4分(18日; メモ)
 15:22 - 15:27 = 5分(18日; メモ)
 16:43 - 16:49 = 6分(19日)
 23:56 - 24:21 = 25分(19日; メモ)
 計: 1時間56分

・読書
 16:20 - 16:34 = 14分
 23:02 - 23:39 = 37分
 計: 51分

・睡眠
 ? - 12:10 = ?

・音楽

2019/11/18, Mon.

 ルドルフ・ヘスは、すでに歴史的な名前となったかの感がある。あのアウシュヴィッツ強制収容所の建設から、ガスによる大量虐殺の方法の開発、そしてその執行の任にあたった当の責任者であった(ナチスで総統代理を務め、戦後、ニュルンベルク裁判で終身刑に処せられたルドルフ・ヘス〔Rudolf Hess〕とは、まったく別人である)。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、3; 「人間への不吉な証言(訳者まえがき)」)

     *

 一九四六年五月二十五日、ヘスはポーランドへ引き渡され、そこで戦争犯罪者断罪のために設けられたポーランド最高人民裁判所の国家弁護団が彼を起訴した。しかしワルシャワでの審判までには十ヵ月の月日が過ぎた。ようやく一九四七年四月二日に、ポーランド最高人民裁判所は彼に対する死刑判決を下す。そして十四日後アウシュヴィッツで絞首刑が執行された(一九四七年四月十六日)。ポーランドに引き渡されてから死刑が宣告されるまでの間の時期をヘスは、ほとんどクラカウにある未決拘置所で過ごした。そこでは一九四六年九月から一九四七年一月にかけて、彼に対する綿密な予審が行われた。
 (19; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 陽を浴びて、一一時二〇分に起床した。ベッドから起き上がってコンピューターに近寄り、スイッチを押してログインし、三種類のソフトを立ち上げておくと、そのあいだに洗面所に行った。顔を洗ってからトイレに入って膀胱の中身を排出し、出てくると水を一杯飲んでから室に戻り、インターネットを少々回って、上階に行った。母親は今日、仕事だと言う。こちらも同様、割当ては最後の一コマだが、薬がもうないので医者にも行かなければならず、四時台後半には家を発たなければならないだろう。台所に入ると炒飯があったので電子レンジに突っこみ、白菜の味噌汁は火に掛けて、冷蔵庫から昨晩の豚肉が少量残ったのを取り出して、炒飯の次にレンジに収めた。そうして卓に品物を運び、席に就いて食事を始めた。新聞からは香港情勢の報道や、イランでガソリンの値上げに抗議する大規模なデモが広がっているとの報や、スリランカ親中派の野党候補が大統領選で当選したとの記事を読んだ。食事を終えると皿を洗い、そのまま風呂場に行って浴槽も擦り洗った。シャワーでもって洗剤とともに浴槽に残った髪の毛を流してしまい、出てくると電気ポットに水を足しておいて下階の自室に帰った。前日の記事を埋めるとともにこの日の記事も作成し、(……)緑茶を用意しに階を上がった。戻ってくると一服しながらここまで綴って、一時手前である。一五日の記事をまずは仕上げなければならないだろう。
 それから一時間一〇分のあいだ打鍵を進めて、二時五分に至るまで一五日の記事を綴ったが、終わらなかった。Nさん及びYさんとの通話の内容を書くのに、思いの外に時間が掛かるのだった。通話後に不十分に取っておいたメモの少なさからすると、それほど書くこともあるまいと思われたのだったが、いざそれを正式な文章にしてみればメモの何倍にも膨らんで、意外と綴ることが出てくるのだった。それで二時を越えたところで一旦中断して、洗濯物を取りこみに行くことにした。そういうわけで階を上がり、ベランダに続くガラス戸を開ければ、撃たれるような陽射しの目映さに視界がほとんど占領される。そのなかで目を細めながら吊るされたものを室内に入れ、ソファの背の上にタオルを重ね、開けっ放しの戸口から足もとに寄り添ってくる光の温もりを感じつつ、タオルを一枚ずつ取り上げて畳み、積んでいった。畳んだものを洗面所に運んでおくと次に肌着を整理し、それから玄関に出てトイレに行き、用を足すと食物も摂取することにして、戸棚から前日にコンビニで買ったカップヌードルのカレー味のものを取った。湯を注いで蓋をシールで留めて下階に持って帰り、コンピューターの前に就きながら、跳ねる汁でジャージを汚さないように注意して麺を啜った。
 食事を終えてしばらくだらけると、三時ぴったりからふたたび作文である。二〇分ほどで一五日の記事は完成させ、キリンジ『3』を流しはじめながらインターネットに日記を投稿した。それからまたしばらく歌を歌いながらだらだらとしたあと、四時に至って外出の準備を始めることにした。まず洗面所から歯ブラシを咥えてきて、過去の日記を読み返しながらしゃこしゃこと口内を隅々まで掃除した。一年前の日記は相変わらずほとんど本文を書いておらず、特筆するべきことはない。続いて読んだ二〇一四年二月二四日の日記のなかでは、風呂に入りながら、この先、世間一般的な人間関係というものからどんどん縁遠くなってしまうのではないかという不安を漏らしており、「彼らが仮に日記の存在を知って自分のことは書かないでほしいと言ったときに、じゃあいいや、と躊躇なく関係を絶ってしまいそうな予感があって、少なくとも確実にそれ以前より疎遠にはなるはずで、結局それは他人を書くための材料としてしか見ていないということではないのか、と考えた」と書きつけている。このような種類の葛藤や煩悶は、今となってはまったくと言って良いほどにない。他人を書くための材料としてしか見ないという姿勢が仮に自分のなかにあるのだとして、それで一体何が悪いのかよくわからない、とひらき直るような気持ちすらあるかもしれない。
 その後、Mさんのブログも一日分読んで歯磨きを終え、口を濯いでくると、流れていたキリンジ "サイレンの歌"に声を合わせながら仕事着に着替えた。今日選んだのは紺色の装い、ネクタイは水色地にドット模様が散らされたものである。ベストまで羽織るとコンピューターの前に立ってキーボードに触れ、手指を動かしてこの日のことをここまで記録すれば、もう四時四七分に至っている。途中、the pillowsの"Private Kingdom"と"Bran-new Lovesong"を流して口ずさんでいたために、いくらか余計な時間を掛けてしまったのだ。
 出発までに、少しでも音楽を聞くことにして、Bill Evans Trio "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』)を流した。Paul Motianのプレイ、そのなかでも特にスネアの音に耳を寄せようとしたが、細かな全貌まで隈なく聞き取ることはできなかった。Motianによるブラシでのスネアの扱い方はよく言われるように、繊細という形容を付すべきものだとは感じられるものの、今のところ、全体としてそれほど際立った特徴があるようには思われない。技術に通暁したドラマーが聞けばまた違って、その特質が見えてくるのかもしれないが、自分はドラムなどほとんど触れたこともない素人である。こちらとして気になるのはスネアの鳴らし方よりも、シズルシンバルを打つ際の間の取り方、ほかの楽器の音を一瞬消してシンバルのみを響かせる単独性のあり方だ。ほかにはまた、ビートの持続を一瞬止めて、両足を揃えて着地するかのような素振りも聞かれ、そういうビートの減速感覚、間隙の差し挟み方にPaul Motian独自のものがあるのではないかということは、今までも指摘してきた通りだ。
 音楽を聞いて五時五分までメモを取ったのち、コンピューターをシャットダウンさせ、上着を羽織り、バッグとカップヌードルの容器を持って上階に向かった。階段はほぼ真っ暗だったので、明かりを点けて上り、カップ麺の容器を潰してゴミ箱に突っこんでおくと、居間の三方のカーテンを閉めたあと、トイレに行って排便した。出てくると居間に置いておいたバッグを持って玄関に出て、明かりを灯して外のポストに向かえば、父親の知人の喪中を知らせる葉書などがあったので持って戻り、夕刊を広げて一面を見やると、香港の情勢を知らせるものらしく、火炎瓶を使ったところだろうか一面炎のオレンジ色に満ちた写真が載っていて、もはやほとんど戦争のようではないかと思った。それを見てから出発し、道に出れば、空に青味はまだ残っているものの、大気の模様はもう夜である。金曜日に予定されているロールプレイ研修のことを考えながら行き、坂道に折れたところで女子高生と出くわした。眼鏡を掛けていたその顔を見て、もしかして(……)ではないかと思ったものの、大層暗くて容貌が定かに見えなかったし、向こうも特に反応を示さなかったのでわからない。風もないのに葉が落ちて、地に擦れて静かな音を立てるそのなかを、電灯に照らし抜かれた影を伸ばしながら上っていると、鳥か栗鼠でも動いたものか、頭上の樹冠でも何か音がして、ぱらぱらと落ちるものがあった。足もとからはまだ虫の、縦に螺旋を描くような音が死滅せずに立ち昇り、出口付近で人家が近くなれば煮物のような良い匂いが漂った。
 駅に着いてベンチに座ってメモを取っているとまもなく電車がやって来た。乗って、扉際で揺れに字を乱されながら書きつけを続け、青梅に着くとほかの客の後ろから降りて、すぐ向かいの車両に乗り換えて席に着いた。そうしてまたしばらく手帳の頁に文字を記し、河辺で降り、香港情勢のことを考えながらホームを行った。風が通らないためだろうか、空気にはまったく冷たさがなく、ちょうど良く肌に馴染んで浸透する。階段を上がり、改札を抜けて折れ、駅舎を出ると、ふたたび香港のことを考えながら道を行った。事がここまで至れば、中共が本気で出張ってきて今以上の暴力も辞さずに抗議運動を徹底的に弾圧するか、香港政府が抗議者の要求を飲んで大幅な譲歩を示すかしなければ、状況は落着かないのではないかと予想した。しかし、前者の方策を取って、第二の天安門事件のような情勢にでも至れば、間違いなく多大なる禍根を残すことになるだろうし、場合によっては独立を求める声が激しく高まるかもしれない。いずれにしても、香港という地域はもはやこれまでと同様の状態ではいられないだろうと言うか、今回の騒動が落着いたからと言ってそれで事が終わりになることはおそらくなく、きっと今後長期に渡って続く変化の渦のなかに巻きこまれてしまったのではないかと思った。そんなことを考えながら道を歩き、食堂と焼肉屋の前まで来ると良い香りが漂って鼻に触れてくる。空気はやはり冷たくはなく、昼間の温みが残っているような滑らかさがあった。
 ビルに入り、足音をあまり響かせないように階段を上っていき、待合室に入ればほかの患者は一人のみで空いていた。受付に保険証と診察券を差し出し、保険証はすぐに返却されるのでそれを受け取って、席に就いた。メモを取っていると、受付の人の一方が、青梅市長選ってもう終わったのと訊き、もう一人は肯定して、私は行きましたよと受けた。でも結果は見ていないんですよねという声を聞いて、こちらも、浜中氏が勝ったらしき開票速報は目にしたものの、正式な票数などの結果は確認していないなと思い出した。尋ねた方の職員が、コンピューターを使ってサイトを見たらしく、浜中さんだって、と勝者を知らせ、もう一人も、でしょうね、と受けていた。
 いくらも時間が掛からず呼ばれたので、低く返事をして手帳を置いて立ち、診察室の扉に寄って弱いノックを二回すると、扉を開けて、こんにちはと挨拶をした。革張りの椅子を引いてゆっくり座ると、腰を下ろしきらないうちに、どうですか、と医師が調子を尋ねてきた。前回、と口にすると、調子が良すぎるみたいなことを言っていましたけれど、と続くので、まあ落着いた感じですねと答えれば、医師はノートパソコンに文言を打ちこんだ。日記を書いていますかと訊いてくるので、量はあまり変わっていないかもしれないが、一気にがーっと書くような感じではなくなったと答え、ゆっくり、落着いて書いていますと笑った。まずまず、ですかねと評価が下されるのに、そうですねと肯定したあと、ただ、と思い出し、前回薬を減らしてからすぐの頃には、頭が痺れるような感じがあったと報告した。――頭なので、脳が悪くなっているんじゃないかなどと考えたんですが(と笑う)、また例によって、インターネットで調べてみると、そういう症状があると。それで脳の問題ではなく離脱症状だとわかって、まあ安心しました。
 薬は今回は同じ量のまま、様子を見ることになった。それで礼を言い、立ち上がって、戸口でもう一度失礼しますと挨拶をして退出した。すぐに会計である。一四三〇円をぴったり支払い、ここでも礼を言って室を抜け、階段を下りていってビルを出て、隣の薬局に入った。客はこちらのみだった。六五番の紙を受け取って席に就き、メモ書きしているとまもなく呼ばれた。いつものU.T子さんである。挨拶し、薬の量と服用の仕方を確認し、使っていて困ったことはないですかとの問いには、前回減らして当初は頭の痺れがあったとここでも報告し、でも今はもう大丈夫ですと落として、気持ち悪くなったりとかそういうことはないですかとの質問には、それはないですねと否定した。そうして九九〇円を支払い、礼を言って薬局をあとにすれば、時刻は六時過ぎ、周りを人家で囲まれた道を行くあいだ、街灯が遠いところだと深い闇に身体が溶けていくようで、その無名性、匿名性に心地良さを感じた。駅に入って階段を上がると、上りきったところで、市長選に破れた宮﨑太朗氏の支援者が挨拶をしており、本人もいたかもしれないがよくも見なかった。労働の時間まで図書館に行ってメモ書きをしようかと思っていたところが、休館日らしく、駅舎の出口の先に明かりが点いていないのが見えたので、ならば青梅駅でメモを取れば良いかと決めて改札を抜け、ホームに下りればすぐに電車がやって来た。乗りこんでペンを動かしながら待ち、青梅に着いてちょっとしてから降りると六時半、ホームを歩き、喉が渇いたのでコーラを買って、ベンチに就いて脚を組み、ペンも持たずにゆっくり飲んで、飲み干してから手帳の上にペン先を滑らせた。七時頃までそこに留まろうと思っていたのだが、思いの外に空気が冷たくなっていたので、気を変えて早々と職場に向かった。
 それで奥のスペースでメモを取っていると、(……)くんがやって来たので、日本史の学習の進め方などについて少々話したあとに、準備をして授業である。相手は(……)くん(高三・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中三・社会)。(……)くんの英語については、自主的に進めてくれるので楽ではあるのだが、あまり突っこんで見ることができず、有益な学習ポイントを提供することができなかったのでちょっと申し訳なかった。途中で彼は長文を読む意欲がなくなってしまい、終盤ではNext Stageの方に移っていた。文法や語法の知識の方を固めて完全にしたいとのこと。(……)くんは例によって強力な睡気にやられていたのだが、それでも一応、英作文をいくらか書かせることはでき、mustやhave toなどについて確認した。(……)くんは社会はテスト前にこの一コマしかなく、テスト範囲すべてを触れることは時間的に不可能だったが、それでも一応範囲の半分ほどを扱うことはできて、社会権、労働基本権、環境権、選挙制度などについて確認した。彼は社会は、多分わりと得意な方なのではないか。前回も九〇点台だったか、高得点を獲得していたはずだ。
 授業を終えたあと、入口傍で生徒の見送りをしている時に、(……)くんに、疲れてますね、と言われた。まあまあ、とか何とか答えたはずだ。ぼーっとしている、と言うので、してないよと否定したところが、いや、してますよと再否定されるので笑ったが、このように声を掛けてきてくれるというのは、わりと懐いてくれているということなのだろうか。彼にはそんなに何回も授業に当たったことはないはずなのだが。
 退勤すると、雨が少々降っていた。駅に入り、ホームに上がって奥多摩行きの最後尾に乗って、しばらく待って最寄りで降りると、ここでは雨はほとんど止んでいたので安堵した。駅舎を抜けて坂道に入れば前方には中年のサラリーマンが歩いていて、この人はいつもこの時間にいる人だ。電車を降りると同時に誰かと電話を始めるらしくて、いつも薄笑いを漏らしたり何かぶつぶつ呟いたりしながら歩いていて、コンビニのものだろうか、ビニール袋を提げているのも常と同じである。坂道では煙草を吸っていて、右手に持ったその棒の先端が暗がりのなかに赤く浮かんでいた。その人を横から追い抜かしていき、坂を抜けて平らな道に出れば雨は既に止んだようで、濡れたアスファルトがじらじらと、滑らかに光を跳ね返し、道脇の林からは雨粒が葉叢のなかで落下していくのだろう、かさこそ音が聞こえてきた。
 帰宅すると下階へ行って、コンピューターを点けてソフトを準備しながらゆっくりと着替えた。衣服を一つずつ脱いで廊下に吊るしておき、そして腹が凄く減っていたので、すぐに上階に上がった。台所で食膳を用意しつつ、里芋の煮物を立ったまま食べてしまい、その他シーフードや玉ねぎや若布の入ったスープに、豆苗を巻いてトマトソースを絡めた豚肉のソテー、薩摩芋などを和えたサラダに米をそれぞれ支度した。夕刊から香港情勢の記事を読みながら飯を食う。そのほかには中国関連の記事で、ニューヨークタイムズウイグル族弾圧の実態を示した内部文書を、中共政府高官から手に入れて報道したというものがあった。習近平ウイグル族弾圧について、テロリストや分離主義者との戦いである、一切の容赦をするなと演説したと言う。皿のものを大方平らげても、まだちょっとものを食べたい感じがあったので、先日コンビニで買ってきた冷凍の焼鳥炭火焼を食すことにした。電子レンジで三分三〇秒温めるあいだはスープを飲み、その後米をおかわりして、母親にも一切れ分けながら鶏肉をおかずにして白米を貪った。充分に美味かった。コンビニで売っている簡便な冷凍食品でこの質なのだから、凄いものだ。
 食器を洗って入浴に行き、短歌や詩句を考えながら、二〇分ほど瞑目のうちに湯に浸かり、出てくると緑茶を用意して自室に帰った。LINEにアクセスするとTからメッセージが届いており、Slackの方で返信が欲しいとのことだったので見れば、二一日の件について連絡が入っていた。奥多摩に紅葉見物に行ったあと、吉祥寺か立川でスタジオ入りをするとの予定で、スタジオはどちらが良いかとのことだったので、どちらでも良いと返信しておき、そうして一服しながらだらだら過ごしたあと、この日のことをメモに取った。
 その後、日付が替わるまで三〇分ほど一六日の記事を進めたあと、音楽に触れることにして、Bill Evans Trio, "My Romance (take 2)"を聞いた。二回連続で聞いたが、睡気と疲労感が結構嵩んでいたので、それらに妨害されてあまり明晰に聞くことはできなかったようだ。穏和で明るい曲ではあるものの、底抜けに陽気という感じではなく、先日、斜陽の明るさをこの曲になぞらえたが、多少そういう、懐かしさを覚えさせるような濃い金色の印象が感じられないでもない。冒頭でベースが入ってきた途端に、何か大したことをしているわけでもないのに、そのサウンドの太さ、響きの豊かさ、確固たる存在感の迫力にちょっとびっくりさせられた。Evansは序盤では休符をわりあいに多く挟んでいる印象で、そうして生まれた空白にLaFaroが上手く入りこんできて、アンサンブルががっちりと組み合う瞬間も耳にされる。ベースがフォービートを刻みはじめるその前では、ピアノはブロックコードを奏でており、Evansのブロックコードというのは、表層の旋律のリズムに合わせて左手でも厚めのコードを細かいリズムで添えて叩き、リズム感を強調して勢いをつけるような弾き方なのだが、そこでは堅固で歯切れ良い和音が鳴っていながらも同時に、トップメロディは歌心に溢れたものとなっている。LaFaroは折々に上昇を見せて、一箇所、Evansの盛り上がりに合わせたのだろうが、ちょっと行き過ぎではないかと思うほどに高音部に長く留まり、血迷ったかのように同じ音を連打する場面もあった。ドラムについて触れれば、この曲ではシンバルの響きが結構大きく空間に広がり浸透していて、あるいは浸食していると言っても良いような拡散ぶりを見せており、それによってピアノのソロが少々追いやられているような感じもないではなかった。
 一時前から夏目漱石草枕』を読みはじめた。(……)二時から書見を再開したものの、疲労感のためにベッドに乗ってしまい、そうなれば当然のことながら、いつか意識を失っていた。書見をするならば寝床には入らず、ベッドに移るならばそこで正式に眠る、この原則を徹底しなければならない。何時頃から意識を落としていたのかは不明である。


・作文
 12:45 - 12:54 = 9分(18日)
 12:55 - 14:05 = 1時間10分(15日)
 15:00 - 15:19 = 19分(15日)
 16:20 - 16:47 = 27分(18日)
 23:20 - 23:37 = 17分(18日; メモ)
 23:38 - 24:04 = 26分(16日)
 計: 2時間48分

・読書
 16:02 - 16:14 = 12分
 24:53 - 25:30 = 37分
 26:02 - 27:00? = 58分
 計: 1時間47分

  • 2018/11/18, Sun.
  • 2014/2/24, Mon.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-12「浄罪はしずくを結び透明な瞳となってわたしを見るな」
  • 夏目漱石草枕』: 19 - 36

・睡眠
 4:00 - 11:20 = 7時間20分

・音楽

2019/11/17, Sun.

 つまりアウシュヴィッツという殺人工場を管理運営していたのは普通の人々だったのだ。ここに考えるべき最大の問題がある。要するにひとたびナチの時代と同じ条件がそろえば、我々も同じ罪に加担する可能性があるということだ。人間を善人と悪人という二分法で見た時、こうした考えは生まれず、自分だけはアウシュヴィッツ的犯罪に加担しないという思い込みだけを持ってしまう。この思い込みはアウシュヴィッツ的現象を理解するのに決定的な妨げになる。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、251~252; 「訳者あとがき」)


 一一時四〇分起床。のそのそと身体を起こしてベッドを抜け出し、コンピューターを点けた。パスワードを打ちこんでログインして、各種ソフトのアイコンをクリックしておくと、尿意が高まっていたので起動を待つあいだにトイレに行った。長々と放尿し、洗面所で顔も洗ってから帰ってくるとEvernoteで前日の記事の日課記録を付け、今日の記事も作成し、そうして部屋を出て階を上がった。母親に挨拶をして寝間着からジャージに着替える。食事は前夜のおでんにうどんを加えて煮込んだものだと言う。台所に行って大鍋を火に掛け、前夜の鶏肉のソテーの余りも電子レンジで温め、二切れしかなかったのでその場で立ったまま食ってしまい、うどんを丼によそって卓に行った。そのほか母親が、隼人瓜やら魚肉ソーセージやらを和えたサラダを用意してくれた。新聞から香港情勢を伝える記事を読みながらものを食べ、うどんがまだ余っていると言うのでおかわりをして、汁は塩っぱいから全部飲まなくて良いと母親は言ったが意に介さずにすべて飲み干し、フランシス・フクヤマが米国の弾劾調査やら大統領選の情勢やらについて述べた寄稿を散漫に、途中まで読んでから食器を洗った。それから母親の求めに応じて、父親が山梨で貰ってきたと言う巨大な白菜を包丁でざくりと切断し、陽の掛かっている南の窓際に置いておく。そうして風呂を洗って一旦下階に下り、急須と湯呑みを持って階上に戻って、緑茶を用意すると自室に引き返し、一服しながら(……)。一五日の記事も前日一六日の記事も書かなければならないのだが、あまりやる気が湧かない。そのために音楽を聞いて鋭気を養おうと思ったが、その前に起床以来のこの日のことだけは書いてしまうことにして、ここまで手短に綴れば一時一九分である。
 それからすぐに音楽を聞こうと思っていたところが、結局だらだらと過ごしてしまい、二時を回ったところでようやく、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 3)"を聞きはじめた。今日もScott LaFaroの動き方に耳を傾けた。このテイクにおいて彼は、序盤、ドラムがブラシを持っているパートから、頻繁に高音域に浮上している。ただ、あまり旋律めいた細かい節を奏でるのではなくて、長音中心に空間を緩やかに埋めている印象だ。同時に演奏を下支えすることへの目配りも忘れず、表層部で泳ぎながらも低層にも降りていって這うような響きを差し挟み、腰があまり軽く浮きすぎないように気をつけているのが観察される。そうしたLaFaroの、上下に広く飛び回る挙動は、音楽の枠組みを拵えると言うよりは、Bill EvansPaul Motianが作り上げる枠組みのなかで邪気のない子供のように自由に遊ばせてもらっている、といった感じだ。リズムの提示の仕方からしても、かなり柔軟な、強い伸縮性を持ったベースである。ドラムがスティックに持ち替えてからはベースも基本的にはフォービートを刻んでいるが、そのラインの作り方も、仔細にはわからないものの、何かほかのベーシストとは違っているような感触を覚える。おそらく、コードに合わせて音を選ぶと言うよりも、経過音も多く取り入れたもっと旋律的な連なり方になっているのではないだろうか。ベースソロにおいては三連符の密な連続が聞かれ、時にはうまく拍頭を聞き分けられないようなフレーズの素早さ、アクセントの付け方である。ところで、このライブ音源に収録されている"All Of You"の三つのバージョンは、三テイクそれぞれでリズムの推移の仕方が微妙に異なっている。テイク一は三段階に分かれ、第一部のブラシでの演奏が終わるとスティックでの刻みに入るが、そのパートも二部に分かれており、ベースは前半では二分音符中心で伸びやかなバッキングをしたあと、後半から正式に、ドラムに合わせてフォービートで弾みはじめる。テイク二はドラムが全篇ブラシで通しており、ベースとドラムで一体となってフォービートを刻む場面は多分なかったのではないか。そしてこのテイク三は、ドラムがブラシからスティックに移ると最初から活力的なフォービートが披露され、ほかの二テイクとは違ってドラムソロはないままに終わる、というわけだ。
 続いて、ディスク二の八曲目、"Porgy (I Loves You, Porgy)"。まだきちんとテンポインしていないテーマ序盤では、Evansは幾分溜めを孕んだ弾き方をしており、LaFaroは大人しく長音でサポートしている。そこにMotianは、シズルシンバルを優しく連打するロール奏法を基本として合わせているが、まだ定かな刻みに入っていないにもかかわらず、ピアノの溜めにつられずにドラムとベースの頭がぴったりと合っているのは、当たり前のことではあるが流石である。テーマが終わってピアノソロに入ると、途端にLaFaroは動きはじめて、和音を用いてみたり、三連符のアルペジオを繰り返してみたりと、縫うような舞いを披露してくれる。そのうねるような振舞いはEvansの揺動を排した堅固なピアノと完全に拮抗しており、さらにMotianが彼らの外側から包みこんで舞台を整えるように響きを添えてくれる。
 時間が前後するが、"All Of You (take 3)"を聞いてメモを取っている最中に、母親がこちらを呼ぶ声が聞こえたので室を出て上階に行った。炬燵布団をセットするのを手伝ってほしいと言う。それで母親がベランダから取りこむ布団を受け取ってソファの上に乗せておき、炬燵テーブルの天板の上に乗っていた色々なものをほかの場所にどかして、天板を持ち上げ居間の隅に立て掛けた。それから古い布団を外して、炬燵テーブルを立ててずらしてその下に敷かれていた布も取り除き、母親が掃除機を掛けるのを待ってから新しいマットを敷いて、テーブルを元に戻すと天板とのあいだに新たな炬燵布団を掛けた。それで温かな環境を整えることができると、自室に帰ってメモの続きを取り、もう一曲を聞いたのだった。
 音楽を聞くと三時が近くなったので、市長選の投票に出向く準備をそろそろ始めることにした。着替えと歯磨きのどちらを先に済ませたか覚えていないのだが、歯磨きをしているあいだには過去の日記を読み返した。一年前の日記は、記事上部の引用が『多田智満子詩集』に移っており、「ルフラン」の日本語として「折返句」という表記が使われているのが目に留まり、短歌にでも使いたいような言葉だなと思った。と言うか、その語を含む一節、「祝婚の歌の折返句[ルフラン]さながらに」が既に五・七・五を構成しているので、これを取り入れた歌でも作れば良いのではないか。一年前の記事のあとは二〇一四年二月二三日の記事を読んで、そうすると一〇分が経過して三時を回ったところだった。服は青灰色のズボンに秋冬用の白いシャツ、それに紺色のジャケットを羽織ることにした。バッグを持たず、財布を尻のポケットに入れ、あとは玄関の鍵だけ持って階を上がると、母親がコンビニに行くかと訊いてくる。確かに投票のあとにコンビニまで赴いて菓子やら冷凍食品やらカップヌードルやらを買ってくるつもりだったので、行くと肯定すれば、コンビニで使える商品券があると言うので、二〇〇〇円分のそれを出してもらって受け取り、ジャケットの内ポケットに差しこんだ。そうしてトイレに寄ってから、出発である。
 道に出ると路上に大きな葉っぱが転がっていて、靴を乗せれば繊維の砕ける小気味良い音が大きく響く。こんなに大きな葉っぱは何の植物のものかと目を振れば、林の外縁のスペースに細い低木が二本植わっていて、ちょっと蓮を思わせるような葉を萎びさせていたが、何の木なのかはわからない。午後三時も過ぎているから低くなった太陽から光は届かず、家の近くの道には日向がほとんどなくて、清涼な空気のなか、ポケットに手を突っこみ背筋を伸ばして歩いていると、公営住宅の前に差し掛かったところでようやく道端の草に光が掛かった。坂を上っていくと近間の樹々から鴉のざらついた鳴き声が立ち、その下から子供の声も昇って聞こえてくる。曲がり角を越えると一面の目映さが視界を埋め尽くし、その隙間に細かな虫が、割れないシャボン玉のように光のなかに群れて浮遊しているのが露わになっていた。折れて急坂に入れば道端には、昔はよくくっつき虫と呼んだものだが尖った組織で服に容易に付着するあの草が生えており、その次には猫じゃらしの類も並び、陽光を透かして色づいている。
 街道に出て横断歩道を渡り、消防署に停まった消防車の、真っ赤な車体の上に白い輝きが乗っているのを横目に坂を上って、社の横の細い隙間を抜けていき、保育園の前に来れば園庭では小学生か中学生か、女児が四人くらい賑やかにしていたが、こちらの視線は黄色く色を変えた樹々と、そこから落ちて地面を埋め彩っている葉っぱの方に捕らえられた。
 自治会館に入って、下駄箱に手を掛けながらゆっくり靴を脱ぎ、後ろ向きに上がって、こんにちはと言いながら広間への敷居を踏み越えると、背後で笑みの吐息を漏らすような声が聞こえて、父親だなと思った。自治会長だからなのか何だか知らないが、選挙の立会人として朝から出張っていると母親から聞いていた。そちらは見ずに、事務員に名前を言われたのに肯定し、投票用紙を受け取って礼を言うと室の奥に設置された記入台に寄った。先の尖った鉛筆で、宮﨑太郎の名前を一画ずつゆっくりと用紙に記入したが、この時、彼の名前の「﨑」の字が、右上に「大」を据えた通常の「崎」ではなくて、「立」の形になった「﨑」であることに気づき、これは間違える人も出るだろうな、間違えたらその投票は無効になってしまうのだろうかと疑問を抱いた。まあどうせ当選するのは現職市長の浜中啓一氏だろうが、若い世代に希望を掛けるということで宮﨑太郎氏にこちらは投票することにして、名前を書き終わると振り返って投票箱に近づき、その際に室の端の長テーブルに就いた父親の方に目を向けて会釈すると、お疲れさま、と相手は掛けてきて、左右の二人にうちの息子でございますと言ったので、どうもお世話になっておりますと挨拶をした。父親の右側は年嵩の男性で、左側はまだ若い女性が座っていた。そうして用紙を箱に挿入したあと、立会人の方にご苦労さまですと再度挨拶を向けておいて、投票所をあとにした。
 コンビニに行くつもりだったので元来た方には戻らず、保育園庭の脇を通って裏道を行き、墓場の前まで来ると敷地の端から鴉が一匹、近くの電柱の上に飛び立って、見れば墓の方にももう一匹が残っており、鳴くか飛ぶかしないかと注視したが特に動きはない。それから電柱の先に止まった方の一匹に視線を上げると、顔をちょっと動かしながら辺りを睥睨しているその体の黒さが、鈍い光沢を帯びているようでまるでヴェルヴェットめいた質感だなと思った。細道には西空からまっすぐ照射されてくる黄金色の光が流れて、道脇の下草が小さな輝きを孕み、マンホールの蓋は焼けつくような純白を押しつけられて表面に溜め、街道を行く車の屋根にも無垢な白さが膨らんで、そのような金と白とに染まった穏和な風景を見ていると、さすがにこれは、思わず美しいと漏らしてしまいたいような鮮やかな明るさだなと独語が浮かんだ。横断歩道を渡って車道の横を行きながら、空気の明るさからBill Evansが連想されて、この美しい明朗さを彼の演奏になぞらえるならば何の曲だろうと戯れに考えた。Bill Evans Trioの演奏のなかでも明快さの観点から見れば、"Alice In Wonderland"、"Waltz For Debby"、"Someday My Prince Will Come"などの曲が特筆するべきものとして挙がるだろう。"Alice In Wonderland"は美麗さで勝り、"Waltz For Debby"は優しげな温かみを孕んでおり、"Someday My Prince Will Come"はまっすぐに陽気だが、この午後四時前の、傾きゆく陽の切なさをも幾分感じさせるような色濃い明るみは、強いて言えば"My Romance"のそれに近いかな、と思った。それから続けて、しかしBill Evans Trioの演奏は、感傷性のような要素とはあまり縁がないようにも感じられるなと思い至った。いや、"My Foolish Heart"とか、"Porgy (I Loves You, Porgy)"などのバラード演奏は、充分感傷的と言っても良いのかもしれない。それでもあまり切なさといった色合いが濃くないように思えるのは、美しさが極まってかえって安易な感傷の甘さを許さず、そこから離れていってしまうような、そんなこともあるものかと、そう考えているうちにコンビニに到着した。
 籠を取って棚のあいだを巡り、スナック菓子や冷凍食品やカップヌードルを入れ、最後に、母親に甘味の類も買っていってやるかとカスタードプリンとモンブランも加えて、会計に行った。相手が商品の読みこみを終えるとジャケットの内ポケットから商品券二枚を取り出し、こちらでお願いしますと差し出して、レジに命令が入力されたあとに釣り銭を受け取り財布に入れて、脇にどいて腰の前で手を組みながら、若い男性店員が品物を一つ一つ、ゆっくりと丁寧な手つきで袋に入れてくれるのを待った。そうして整理された品物を受け取って礼を言って店をあとにして、道に出れば先ほどの思考が戻ってきて、そもそも我々人間が斜陽の光に切なさとか感傷性を覚えるのは何故なのだろうと疑問が湧いて、答えが得られないままに進んでいると車道を挟んで向かいの、営業しているのかどうかもわからないような酒屋らしき商店の前に立った自販機に、その家の子らしく男女の幼児が二人、祖母らしき人と一緒に寄っていた。さらにその先、家屋を越えた向こうの裏道からは犬の吠え声が立って宙に響いている。
 街道から裏通りに入り、道端で草取りをしている女性らの横を通り過ぎ、目を上げれば空は青さを注ぎこまれて漣すらない池のように静まっており、左右に視線を振ってみても雲は少しも乗っていない。ビニール袋を右手に提げて道を行き、林に接した坂に掛かれば、往路に鴉の声を聞いたあたりだが、今度は何の鳥なのか、口笛の達人めいたユーモラスで闊達な鳴きぶりに出逢って、梢を見上げて葉叢の裏を見通したが姿は見えなかった。
 家に帰り着くと玄関の戸棚に買ってきたものを入れ、甘味も冷蔵庫に収めておき、モンブランを買ってきたから食べればと母親に声を掛けておいて自室に帰った。時刻は四時頃だったはずだ。買ってきたポテトチップスを早速ぱりぱり食いながらだらだらと過ごし、四時台後半からfuzkueの「読書日記」を読みだした。それからMさんのブログも一日分読み、さらに英文のリーディングとしてJohn Kaag and Clancy Martin, "At Walden, Thoreau Wasn’t Really Alone With Nature"(https://www.nytimes.com/2017/07/10/opinion/thoreaus-invisible-neighbors-at-walden.html)も読んだ。ウォールデン湖畔で自然に囲まれて孤独な観想生活を送ったとして有名なヘンリー・デイヴィッド・ソローだが、実は完全に孤独だったわけではなく、ウォールデン湖周辺というのは解放奴隷とかアイルランド移民のような社会的はみ出し者がほかにも住んでいた場所で、ソロー自身も彼らのうちの一部とは付き合いがあった、というような話で、なかなか面白かった。ソローの『ウォールデン 森の生活』も、昔に講談社学術文庫版で読んだ際には訳があまり合わなかったのだが、ほかにも色々と翻訳が出ているのでまた読んでみなければならないだろう。

・paradisiacal: 天国のような、楽園のような
・circumscribe: 制限する、束縛する
・pristine: 原始の; 汚されていない、純粋なままの
・tree-hugging: 環境保護主義の
・eke out: 辛うじてやりくりしている
・meager: わずかばかりの、ちっぽけな、なけなしの
・broom: 箒; エニシダ
・arsonist: 放火犯
・ailing: 病気で苦しんでいる
・ditchdigger: 溝掘り人
・abject: 絶望的な、悲惨な、惨めな
・squatter: 無断居住者
・disassemble: 分解する、ばらばらにする
・lien: 抵当権
・myopia: 近視眼
・spinster: オールドミス; 未婚女性; 糸紡ぎ女
・entreat: 懇願する
・forsake: 見捨てる、見放す
・birch: 樺の木

 さらに読み物を続けて、「「パラダイス文書」 明らかになった超富裕層の租税回避の秘密」(https://www.bbc.com/japanese/41881881)、「香港警察が大学に突入、林鄭月娥の賭けと誤算」(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191114-00010000-newsweek-int)、「香港デモ隊と警察がもう暴力を止められない理由」(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191112-00010006-newsweek-int)と読んだあと、また音楽を聞きはじめた。まず、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』の終盤、"Blue In Green (take 3)"である。まさしく緑のなかに青が混ざった複雑で精妙な色彩の抽象画を想像させるような、静謐な美しさに満たされた曲で、Bill Evansというピアニストの一般的なイメージと言うと、このあたりの曲に代表されているのではないか。彼についてはよく「知性的」というような形容が付されると思うけれど、内面に沈潜していくような空気感、ありがちなイメージではあるが、海や川の水底の、美しい青緑色の沈黙のなかに沈みこんでいくような雰囲気が感じられないでもない。そう言えば、今思い出したけれど、ヴァージニア・ウルフにも青と緑の色彩をタイトルに据えた、そのままずばり"Blue And Green"というちょっと散文詩的な掌篇があったはずだ。演奏に関しては、スローテンポの序盤はMotianとLaFaroがほんの少しだけ溜めているような感覚があり、テーマが終わって倍テンポに移るとジャストのノリになったようだった。そこからはLaFaroはそこそこ動き出して、副旋律的なアプローチも聞かれる。Evansのコードプレイはバラードでも相変わらず非常に切れが良く、冷えた冬の夜空に散らされた星のように、きりりと凛々しく鮮やかである。
 続いて今度は、"Blue In Green (take 2)"。序盤からLaFaroがテイク三よりも高めの音を使って分散和音的なサポートを披露し、和音も用いていて、テーマ後の動きも先のテイクよりも大胆なように思われた。Evansのソロはちょっと聞いた限りでは、どちらのテイクも甲乙つけがたい質を持っているように感じられるが、このテイク二はモノラル録音になっているためだろうか、コードを鳴らす時の勢いや躊躇のない歯切れ良さはステレオ録音のテイク三の方が上回るような気がして、こちらのテイクでは何か控えめに配慮しているような印象を得た。この曲は二度続けて聞いてみたけれど、やはり録音の仕方が関係しているものか、二度目に聞いた際にも、Evansの演奏はテイク三の方が鮮やかな気がしないでもなかった。ただこちらのテイクでは終幕の際に、ポロン、ポロン、と音を弱く優しく置いて散らす締め方をしていて、それはテイク三の終わり方よりも好みに合っているかもしれない。
 これで『Portrait In Jazz』は一通り聞き終わったわけだが、四曲目の"Witchcraft"が印象に残っていたので、もう一度聞いてみることにした。この曲は、LaFaroが思う存分遊び回るための曲として用意されたのではないか。そう思われるほどに彼は終始自由に歌いまくっていて、冒頭からして滑らかに上昇していくし、一部三連符も挟んで素早いプレイも見せ、二拍三連のリズムの付け方だったり、八分音符三つ分を一単位として四拍子を分割するようなアプローチも聞かれる。そのようにLaFaroが、水を得た魚といった調子でとても輝いているので、単純な評価の下し方ではあるが『Portrait In Jazz』のなかでは、この曲のアンサンブルの構造が最も興味深いような気がするのだ――楽曲やテーマメロディとしては、そんなに魅力溢れるタイプのものではないと思うのだが、それであまり評判を聞かないのかもしれない。
 この日のあとの生活についてはメモも取られていないし、記憶を探ってみても特段に印象深いことは蘇ってこないので、ここまでで終いとする。やはり記憶がまだ鮮やかに残っているうちに少なくともメモ書きをしておかなければならないだろう。


・作文
 13:09 - 13:19 = 10分(17日)
 19:19 - 20:02 = 43分(17日)
 22:34 - 24:07 = 1時間33分(17日)
 計: 2時間26分

・読書
 14:51 - 15:01 = 10分
 16:43 - 17:01 = 18分
 17:03 - 17:31 = 28分
 17:32 - 17:51 = 19分
 25:39 - 26:38 = 59分
 27:17 - 27:56 = 39分
 計: 2時間53分

・睡眠
 3:20 - 11:40 = 8時間20分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)"
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)", "Porgy (I Loves You, Porgy)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4, D2#8)
  • Bill Evans Trio, "Blue In Green (take 3)", "Blue In Green (take 2)", "Witchcraft"(『Portrait In Jazz』: #10, #11, #4)
  • Marc Ribot The Young Philadelphians『Live In Tokyo』