2017/1/18, Wed.

 ベランダに続くガラス戸の前に立った時点から、既に眩しい陽が窓を抜けてきて、目を細めさせる。ひらいて吊るされたハンガーを手に取りながら太陽のほうに視線を向けると、林の上で周囲に棘を伸ばしながら膨張しているそれと、樹冠とのあいだに幾許かの空間があるように見えて、以前は洗濯物を取りこむ際には既に球体がほとんど木々に接していたように思いだされ、冬至も過ぎて日が長くなったようだとの思いが浮かぶ。

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 ソファに座って、何をするでもなくただ窓外の空や木々や近所の屋根を眺めるまったくの無為の時間を持った。メロンの果肉めいて淡い甘やかさの空は視線を吸いこませ、ただ青さの広がる空中の何もない一点に投錨点を作って眼差しの行き先を固めてみると、視界に一片の動きもなくいかにも静止しているとの印象が持たれる。雲はあるのだが、それもかすかで、パフではたいてちょっと白粉を付したようなものに過ぎず、空の上を滑っているとも見えない。ぼんやりと眺めていると、焦点の付近ではなく、瞳により近い室内の宙に、窓の淡青を背景にしてちらちらと、入れ替わり立ち替わり微光を帯びて現れ消える群れがある。普段は視認もされないほど細かな塵が、明るい一色の前に舞うのが、浮遊の角度に応じて光に照射されて、一瞬姿を浮かびあがらせるのだろう。視線を手近に巻き戻すと、それぞれ短い距離を滑っては失せ、また出現することを果てなく繰り返すそれらの蠢きはいかにも虫の動きで、あるいは顕微鏡を覗いて見える微生物の集まりにも似ているようだった。

2017/1/17, Tue.

 晴天。道路に放り撒かれた打ち水のようにして、炬燵テーブルの天板上に、液体じみた光が撒き散らされており、びしゃり、という音すら聞こえてくるような輝かしさで、食事を取る合間に目を向けるとひどく眩しい。窓の外でも、そこここが光っている――川向こうの町並みの前を縁取るようにして並んだ木々の、茂みのなかに宝石めいて煌めきがいくつか埋まり、光の溜まるあまりに水面と化したような屋根が見られ、電線の頂点にも小さく白明かりが点って、町の姿が全体として揺らぎを帯びている。

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 前日と同じような青い黄昏時、街道に出て振り向くとやはり山際から和紙のようなあえかな乳白の残光が洩れて、青味の浸食に抗している。寒さは一日前よりは収まったようで、耳が痛くなることはなかった。

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 前日とは違って、帰路のほうが寒く感じられた。月はもうだいぶ移動したらしく、午後一〇時前では、見える範囲にはなく、裏通りから表に出るところで見上げると、黒々と闇が籠りながらもしかし透き通って表面的な空の正面に、オリオン座が斜めに掛かっている。坂道まで来てひらいた空間に臨めば、市街の上に雲が湧いて、端々を持ちあがる炎のそれと同じく不定形に崩しながら広がっているが、下端は水平線には達せず、その手前でまっすぐ横に切れて、明かりの散らばった建築群とのあいだに群青を溜めていた。

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 読書をして、丑三つの頃合いに到り、眠ろうと明かりを落として布団に潜り、しばらく眼裏の闇に沈んでからふと瞼をひらくと、暗がりに慣れた瞳の捉えたカーテンが薄明るんでいて、幕を透かして朝顔の萎びた蔓の影が映りこんでさえいるのに驚きめくれば、帰路には見えなかった月が遅れて登って、夜空に掘られた穴に半ば埋まったような相貌で、白々とした顔を出していた。

2017/1/16, Mon.

 往路、ひどく寒い。コートを羽織って肩のあたりは動じないが、腹や脇腹を攻められて初めのうちは身体が震えがちである。進むにつれて耳が冷えて痛みだすのにも難儀した。熱を持たせようと揉みほぐしながら街道を行くが、大した効果はないようだった。青い暮れ方で、西の際には残照が僅か浮かんで精妙である。裏通りを行くうちに身体のほうは落着いたが、耳の刺激が増して、冷気が穴に流れてくるのが擦られるように痛く、そこから顔の内のほうにも波及するようで、耳の痛みなのか頭痛なのかが判然とわからないような有り様だった。

2017/1/15, Sun.

 隣家の庭の、柚子の木の足もと、枯れてほとんど脱色された黄の葉が散って敷かれているそのなかを、鳩が一羽、鷹揚とした調子で歩き回っている。ところどころで地をつつきながら、いかにも邪気のない無害な様子でうろつくのを視線で追っているあいだ、雲が大きく動きも速いようで、陽が陰ってはまた出るごとに、近くの家の屋根瓦が濡れたり乾いたりを繰り返す。鳩の近くの敷地の端に、名も知らないが橙に染まったかそけき風情の草が一本生えており、あたりを見回してもほかに確固として鮮やかな色味も見当たらなくて、そこだけ秋の名残りのように映った。

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 外出。陽はあるものの、前日に引き続いての最寒の様子で、街道に行くまでのあいだにも流れる空気が顔に触れて覆うのに、肌がひりひりとしてかすかに痛いような有り様である。風の先端が鋭く瞼のうちに忍びこんでくるのに、自然と瞳が湿る。小型鞄を抱える手も大層冷えて半ばかじかむので、途中からはポケットに両方とも入れて、コートの内側に鞄を入れて二の腕で挟むように支えて行った。

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 裏通りに入って歩きながら林のほうを見ると、その上端の裏からのし上がる雲が厚く膨らんで、白さも詰まったようで、接する空の青さがまた濃いのが、そこだけ切り取ると夏の空のようである。南のほうに視線を振っても、大きな雲が広がっているのが同じ印象を与える。その後また視線を地に落とし気味に進んでいると、前方から突然、ばたばたと風を切る音が立って驚き目を向けてみれば、短い草の生えた地面から雀が数匹、一斉に飛び立ったところで、それぞれに曲線を描きながら塀の上に止まった。装飾のようにして並んだその隊列を眺めようと足を止めたが、こちらの近くに止まったその存在の重みを嫌ってか、小鳥たちは足の止まったのとほとんど同時にまた飛んで、視界を外れて過ぎてきた家のベランダの、崩れそうなほどに錆びた柵の上に移った。太陽がその方向で、柵も雀も黒っぽく塗られて繋がり、鳥たちの仔細な様子が見分けられないので、前を向いてまた進みだした。

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 背後の線路を渡った先の小学校の校庭で、まだ声変わりを済ませていない少年たちの甲高い掛け声が、一つに合わさりながらも重なりの余白を覗かせながら立つ。何と叫んだのかはわからなかったが、それを皮切りの合図としてサッカーが始まり、白と青のユニフォーム姿が入り乱れはじめた。こちらから正面の位置にある体育館のほうでも何かやっているらしく、人の姿がちらほら見える。その脇の校庭の端には親子連れがいて、歩きはじめて間もないような小ささの幼子が、こちらの後ろに入線してくる電車に向けて、殊更に小さな手を顔の横に掲げて振っているのが愛らしかった。

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 帰路、月はだいぶ東寄りの低い位置に。坂を下って出たところにある自動販売機の薄白い光が、木々の下からだと随分と明るく旺盛に、十字路の真ん中を充満させているように見える。通りを歩いても、雨の気配もなくむしろ空気は乾いているはずだが、湿気のある時のように街灯の光の膨らみが大きいような気がした。

2017/1/14, Sat.

 この冬一番の冷えこみと前日から言われていただけあって、寒い日だった。居間に上がって行くと、母親が、雪がちょっと降ってきたと言うので窓に目を向ければ、確かに細かなものが散っている。食事中にも消えたかと思いきやまた軽く舞うのに、母親が風花、と洩らしたのが耳に残った。

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 出た頃には雪も消えて、弱く陽が射す瞬間もあったが、息を切らしながら林中の急坂を上って街道に出ると、正面から顔に当たる空気の感触が、さすがに冷たく、硬質である。ここ一週間ほどのそれよりも一段階以上深く冬に踏みこんだ感覚で、今冬一の冷えこみとの言が証される。

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 通りを渡って林中の坂へ。下って行くと、沢の上に茂った枝葉の網のなかに、色濃いピンク色が点じられているのに気付いて、初めは孤立して一つ、慎ましく映ったのが、近づくにつれて葉陰から新たにいくつか現れて、常緑の葉色の厚みと良い対照となる紅の山茶花である。

2017/1/13, Fri.

 往路、街道に出て、日向に入って陽を背にすると大層暖かく、肩口から膝の裏のあたりまで撫でられてほぐれる。その温みを愛しんで久しぶりに裏に入らず、表の歩道を進む。日向はそう多くもなくたびたび蔭が差し挟まれるが、そこを通るあいだも背に点って溜まった温もりが消えず、護りとなる。対岸、南側ではほとんど切れ目のない家蔭のなかを、脚を晒して寒々しく女子高生たちが駅に向かう。進んで道幅が狭くなると、向かいから湧く蔭がこちらのほうにも容易に届くようになり、背に宿った恩恵も次第に薄まる。屋根の切れた合間から覗く南の遠くの山は、その前に積まれた空気層が光を絡められてむしろ濁っているはずなのだが不思議と同時に、透過度を高められたようにも見えて、その奥で日光浴に磨かれて得々としているかのようである。

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 帰路、月が前日よりも東寄りになっているのが如実にわかる。翌日からはこの冬一番の冷えこみで、既に北陸や東北などでは雪も降っていたようで、さすがに空気が冷たく、身じろぎを僅かしても震えに転じかねないような様子だった。気温の低さと夜空の冴えと、関係があるのかないのか知らないが、藍色が凍てたように渡って星の映りが、ここ三日で一番良いように思った。

2017/1/12, Thu.

 居間に上がると、窓に寄る。数日前には朝陽のなかで汚れも曇りもなく透明に見えた窓ガラスに、塵の付着なのか、一面細かな、整然としたような水玉模様が張り巡らされているのが顔を近づけると視認される。その眼前の窓と、外の、密度の高い青さの瓦屋根とのあいだに繰り返し、焦点を行き来させる。

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 出発。坂道に入ると道の上は青蔭が乱雑に交錯しているが、ガードレールを拡大して象った太い帯がない。左隅に寄ったのと、道の真中を堂々と行くのと、過去にそれぞれを見たのは朝と、正午頃だったかと思い出し、後ろを向くと、ちょっと曲がった坂の入口あたりに生えた木の影が二、三本、実物よりも細身になってひょろ長く、頼りなげに伸びている。その梢の先の真正面に太陽が浮かんでおり、三時だともうこれほど西のほうに寄っているのかと、意外の感を受ける。

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 街道を越えて裏へ。ある家の庭で老人が輪投げをしている。歩むにつれて、行く手の家々の高みにある窓に、飴のようなオレンジ色が映りこみ、過ぎ去って行く。線路の向こうの森は、老人の皮膚のように水気なく褪せた緑やらそれの黄ばんだような色やら、褐色めいた鈍色やら複雑に差しこまれて組み合わさった上に、陽を受けて和んだような色合いになっている。進むうちに線路の向こう側に人家がなくなって、森の縁が一段こちら側に張り出てくる。最前の木々の、緑と褐色の混合が、風を受けて左右にゆたりと揺れている。遠くに浮かんでいる雲はひとまとまりのうちに色味の差異はあるが、貼りつけられたシールのような立体感のなさである。空はほとんど一面青く、正面に視線を放るとそれが当たる拠り所がなく、遥か先に立った壁のようだが、視線を上げるにつれてその平面が起伏も見せずにこちらの頭上までひと繋がりに通ってくるのが不思議なようでもあった。果てなく、視線の通り抜けることができない、深いが明るい青さである。

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 帰路は寒いには寒いが、このくらいの寒さには慣れたもので、芯まで通ってもこない。月は高く、空は前日よりも青が深く暗みが強いように見える。裏に入って坂を下りかけたあたりで見上げると、高みに、まさしく宙に掛かった電灯のように丸く満月が嵌めこまれており、距離のためか白い照りのためか、表面が滑らかに、起伏や模様が殺されている。夜空は市街の屋根屋根を越えて届く限りの果てまで藍に浸って、その最遠の際では、街明かりが滲み洩れて浮遊するようで、仄かに赤さが漂って青味に接しているのが、心憎いようである。振り向き振り向きそれを見やりながら、木々のあいだに入って、坂を抜けた。

2017/1/11, Wed.

 往路。晴れだが空気はなかなかに冷たく、街道で、横を大型トラックが凶暴な音を響かせながら過ぎて行く時などは、巻かれた風が吹き付けてきて、思わず身を竦めるようになる。裏道へ。寺の周りの丘に陽が浸透しており、その朱色に木々の老色がややほぐれている。丘を伝って空に目が行くと、雲なく、青の階調の境が見分けられないが、際のあたりは何とも言えず淡く、擦り取られたような淡色である。

2017/1/10, Tue.

 それで新聞からは目を上げて視線を巡らせると、炬燵テーブルの上がひどく眩しい。日向と日蔭の境が生まれており、その境界線の縁が、白さが一線走って固まったように、殊更に輝いている。陽の来たるもとの窓は全面明るく、汚れも曇りもほとんど見当たらず視線を妨げずに通過させる。川向こうの屋根がいくつも真っ白に、それ自体発光体と化しており、山の、箒を何本も集めて逆立てたような裸の枝々の斜面の一区画に、霜なのだろうか、白さが付着して混じりこんでいる。

2017/1/9, Mon.

 夕刻の空気は冷たく、湿地のような薄青さのなかに月が浮かんでいた。満月までは行かず、下方が欠けているが、わりあい大きい。街道を抜けて考え事をしながら裏通りを進み、途中で目を上げると、黄昏が進んで、正面の空の藍が濃く、深んでいるなかに雲の染みが固着して、歩きながら視線を固定すると、その雲が奥に引いていくように見えた。そのなかを月が行って光暈を広げると、源に近いところは淡緑めいたかすかな色味が滲み、周縁部は鈍い赤を帯びて、神妙なような色彩の円が生まれる。月の表面は滑らかで曇りなく、雲のこちら側にあるようにしか見えなかった。鈍重にその場に貼り付く雲を尻目に、月だけがすいすいと空の上を動き渡って行くのが、いかにも自由な感じがした。

2017/1/5, Thu.

 坂道に入ると、右側の斜面からがさがさと音が立つ。木の間から見下ろすと、丸みを帯びた鳥が、下草のなかに佇んでいる。首を各方向に振るのをちょっと眺めたが、瞳と対象とのあいだに陽射しの明るみが立ち入って、そのせいで鳥の体色がうまく捉えられず、言語化されないうちに、相手は飛び立って行った。その後道を進むあいだも、午前八時の清涼に締まった静寂のなかで、ガードレールの向こうから草を震わせる音がよく立った。

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 裏通りは冷え冷えとしており、市民会館の裏を通ると背の高めの建物の蔭が路上を覆って、足もだけとは二、三時間後を先取りしたかのように青く沈む。日向を恋しがって表に出ると、望み通り諸所の日蔭の合間に暖色が差し挟まれていて、そこに入ると膝頭に温もりが点って行きやすかった。太陽は水面に映って液体の起伏に巻きこまれた時とちょうど同じように、空の表面に浮かんで自ずと伸縮を繰り返している。

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 坂を下りて抜けると、太陽が針のように身のあちこちを鋭く伸ばしているが、林の葉々に宿ったそれは穴を開けずに表面に溜まるのみである。

2017/1/4, Wed.

 電車に乗って、座って行き過ぎる外の光景を眺めながら到着を待った。光の満ちた日で、役所の周りに停まったものなど、車の屋根の線上を輝きが次々と滑って行くなかで、人家やアパートの奥に覗いた黄土色のマンションの、手すりがついているのだろうか正面の壁に部屋部屋の並ぶ通路がひらいたその縁をも同じように光がまっすぐ横に走るのが、物珍しく映った。

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 退館すると目の前がひどく眩しいのは、空から光が眼前に降りつけて幕のようになっているとともに、歩廊の路面にもそれが反射して、下からもやってくるからで、目の前がほとんど真っ白に染まるようでその圧力に目を細めて半ば視界を閉ざさずにはいられなかった。

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 駅からエスカレーターで下の道に下りて行くと、陽に包まれたコンビニ前の広場には老人たちがベンチに座って日向ぼっこをしたり酒を飲んだりしており、正面の図書館のビルのガラスの上では、太陽の分身が鏡写しに嵌めこまれて輝きを伸縮させるのがまた目に強い。

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 駅に戻って、ホームに立ち尽くした。ちょうど正面に太陽が浮かんでおり、見下ろせば線路のレール上に金属質な白さが固まって、温もりが上から降るだけでなく下からも湧くようで顔がどんどんと温まる。部屋内に浮かんでいる塵と見分けのつかないような虫が、明るさのなかを漂うのが浮かびあがっていた。

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 新年も迎えて冬が深まり、木々の葉は落ちて林に隙間が生まれて見通しが良くなり、遠くの青空が覗いて、以前この坂を通った時の記憶よりも、空間が開放的になっていた。反対側の、沢を斜面下に流しているほうでは、常緑樹が茂って、しかしそれも老いて密度が薄くなっているようであり、葉々の網目の向こうに浮かんでいる太陽が、細かく分節されて緑葉の一枚一枚にいちいち宿っては艶の弱く鈍く光っているのが、何か抽象的な存在物の止まっているようでもあった。

2017/1/2, Mon.

 居間に立ち尽くしていると、南窓の外の、太陽の光が染み通った空気のなかを、極々小さな、粉のような虫が群れて飛び回っているのが視界に浮かぶ。何匹か入り乱れながら、柔らかい軌跡で緩く斜めに落ちて行くのが、淡雪の降るのを見ているようでもあるがこの雪は、窓枠の裏に隠れて見えなくなったと思うと、すぐにまた方向を変えて巻き戻って、宙にいつまでも漂っている。遠くでは、家屋根をいくつか越えた先に立つ木の、緑に浸されきった葉に光が灯って微風とともにゆらゆら揺れているのが、一面蝶が止まって翅を震わせているようにも映る。空には雲がいくらかあって、しばらく陽が陰るとそのざわめきもなくなってしまうのだが、そうすると今度は、青空の山際に嵌まっている雲だけに光の感覚が残って白さを純化しているのが、随分と明るく際立つのだった。陽がまた現れて大気が仄かに色づけば、ふたたび輝きによって象られた蝶々たちが騒ぎはじめる。

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 ぼんやりと視線を上げて林のほうを眺めた。竹の葉が薄緑を保っていくつも垂れ下がって背景を成しているその前に、完全に葉を失ったほかの木の冬に晒されて薄色に褪せた細枝の、縦横無尽に走って広がりながら手当たり次第に繋がりをつけているその網目状の無秩序が、地中の根をそのまま空中に持ってきたようでもあり、電磁波か何かの騒ぎの軌跡が宙に刻印されたかのようでもあって、これはなかなか凄いなとしばらく目を瞠った。

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 そのうちに三時が過ぎて、陽が落ちて行って外の空気の風合いが淡くなりはじめているのに、まだこの山がちな地域の景色を眺めていなかったのが惜しく思われて、席を立ってサンダル履きで玄関を出た。庭には、雑多な植物や植木の類がてんでに場を占めているが、祖母が世話をしきれないからこれでも減ったはずである。あいだの細道を通って敷地の端まで行き、あたりを一望した。すぐ足もとからは地面がかなり低く落ちこんでおり、怪我をしかねない高さである。眼前にはやや斜面になった広い畑地が、結構先で木立に奥行きを画されながら左右に伸びひらいており、もう冬で野菜の緑もほとんど見えず――キャベツらしい丸い塊が僅かに並んでいた――、あたりは大方枯れ草の淡くくすんだ芥子色に満たされたその上に去りかけの陽が残って明るみを帯びながらも、背後から伸びて蔭も差しこまれている。振り向けば、亡き祖父が随分と昔に己が手で建築した古木造りの二階建ての家屋の、側面から湧いて流れるその影である。右方には山並みが密度を弱めて稀薄化しながら果てまで織り成されており、左を向けばそちらはそちらでまた山丘が聳えているが、その足下に上の道の家々が並んで、斜面の縁でこちらの視界に晒された一軒の裏では、何かものを叩く大工仕事めいたことをしている人がいた。

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 時刻は六時頃だったはずである。墨汁色の空には大層細い三日月が切れ目を入れて、弓なりになったその両端の二点を結んで斜めに引いた線上のあたり、月のすぐ隣に、同じ金色の光を放って殊更明るい星が点じられていたのを、帰ったあとで金星だと知った。

2016/12/30, Fri.

 ハンナ・アレント/ジェローム・コーン編/中山元訳『責任と判断』を読みはじめた。読み進めているうちに太陽が窓のなかを泳いで、顔の前に光を差し挟ませるようになり、そうするとページの上の文字を見つめていても、その黒い線のなかに瞬間、赤いような光の色が混ぜこまれて映る時がある。顔の前に文庫本を掲げたこちらの姿が、ベッドの脇のスピーカーの、焦茶色の木でできた側面に影絵として写し取られていた。

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 外に出ると、午後二時の静けさが渡りきった空気のなかで、乾いた落葉が風に押されて、身の回りの色々な方角から、かさこそと路面に擦れる音が立って不規則に耳に入ってくる。陽は照って道路の上に日向の面積も広いが、しかし空気は思いのほか冷たく、木蔭の掛かった坂道を抜けて行くあいだ、前方から吹いてくる風に身体が震えそうになるところを、マフラーの防御で辛うじて凌ぐくらいである。

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 駅に着くとホームに上がった。屋根のないところまで出て日向に入ると、自動販売機の、取り出し口の上に掛かったプラスチックのカバーの、無数に刻まれて雨の軌跡のようになっている微細な引っ掻き傷のあちらこちらに、渡る陽射しが分裂し、込められて、虹色のうちのどれかをそれぞれ受け持って装飾しているのが目に入った。

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 歩廊を渡り、東急の入口の脇にある階段から通りに下りた。ここでも風は冷たく、前のひらいたモッズコートのあいだに斜めに切りこんできて、薄手のシャツを安々と通過して肌に当たる――しかも、高く聳えるビルの脇を通っており、周囲は全面薄青い蔭に覆われているからなおさらの冷気である。

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 そうして来た道を戻って行くあいだ、午後四時も近くなって、空は変わらず淡く晴れ渡ってはいるが、陽は着々と低くなって、通りを挟んだ向かいの、それほど背も高くなく寂れたような佇まいのパチンコ屋の建物にすら隠れてしまう。冷たい風が吹くのに呼応するようにして、道路の上には車が行き交い、タイヤがアスファルトを強力に擦り付ける音が風切り音と混じって浮遊し、満ちている。横断歩道に引っ掛かって、温もりを求めて日向のなかで待っていると、西空で弱まった太陽がそれでも降りつけて、交差点の真ん中で地面の細かな起伏にちらちらと溜まってざらつかせて見せる。目の前を右から左へと行き過ぎる車たちの影が、丸く湧いてこちらの身体を包みこむようにして、足もとを次々流れて行った。車体のほうに目を向ければ、車がこちらの正面を抜ける瞬間、白さが屋根の一辺のその角に凝縮されて小さく膨らむやいなや、無摩擦でもう一方の端までまっすぐに滑り、そこでもう一度膨らみを輝かせて刹那ふっと離れて消えるその一、二秒足らずの線分の出現が、ほとんど目で追いきれないうちに何度も繰り返される。

               *

 駅前でまた、左右から挟む大きなビルのあいだの窪地に入れば、視界の先のその出口の中空に円形歩廊の一部が左右を繋ぐ橋のようになって、逆光のなかでその上を行く人間たちが、黒く塗り潰されて内実を失いながら渡っていくのが、人形劇めいた。ふたたび東急の脇から上に上がって、その歩廊の上を駅に渡って行くと、輝きを降らしていた太陽の圧迫が近くなった駅舎に隠れて視界から消えたと思うやいなや、またすぐに右方から白さの感触が瞳に差し掛かって来て、見れば図書館の入ったビルの大窓に嵌まりこんで復活しており、鏡写しになったそれはあくまで分身だが、それでも本物と同じく直視を憚らせる厚みと強度である。

2016/12/29, Thu.

 ベランダに出ると例によって、林の上で大きく膨らむ太陽が、真正面から顔に向けて熱を送りつけて来て、額や頬のあたりが温かい。端に寄って、右手で額に庇を設けて降る純白を遮り、遠くを眺めた。空気中に満ちる無色で不可視の膜が視線の透過を妨害しては、山は薄紙を貼りつけて描いた絵のようなものである。