2019/1/25, Fri.

 のうのうと眠って、九時二五分起床。何度も覚めているのだが起床にまで至らない。とは言え、睡眠時間は八時間なのでそこまで眠りすぎているわけでもなかろう。部屋を出て廊下を行くと、母親がちょうど下りて来て、真っ赤な手袋をつけてどうやら大根を取りに畑に行く格好らしい。こちらは階段を上り居間に出て、前日の牛肉の残りを電子レンジに突っ込んで加熱しているあいだ、洗面所で顔を洗う。頭頂部の髪が角のように突き出て寝癖になっていたが、ここではまだ直さず、残り少ない米をよそった。ほか、やはり前日の残りの生野菜のサラダ。新聞記事をチェックしながらものを食べる。読んだのは国際面のインド関連の記事。モディ首相という人は、ヒンズー至上主義団体の出身らしく、何と言ったか忘れてしまったが件の団体がモディ政権下で勢いづいているようで、イスラーム教徒に暴力を振るって死に至らしめるような事件も起きているらしい。原理主義とか至上主義とかの危険性はあらゆる宗教(政治的宗教も含めて)に付き纏うものなのだなと思う。以前、南アフリカ付近でアルビノの人が迫害を受けているという記事を読んだ時にも思ったが、まるでどんな社会状況下であっても少数派というものを弾圧するように人間のなかにプログラミングされた心性が存在しているかのようだ。母親がよそってくれた野菜スープも飲み、林檎を食い、食後、薬を飲み、皿を洗い、使い切ったドレッシングの容器に水を注いでおき、それからジャージに着替えながら視線を送りだした窓の外、近所の瓦屋根が甲虫の背のように艶やかに光を受けていた。そうして自室に帰り、前日の日記を仕上げてここまで記して一一時直前。
 いつものごとく、日記の読み返しに入った。まず一年前。相変わらず明け方に覚醒し、緊張に襲われており、まだまだ回復は遠い。それから二〇一六年八月一三日の記事も読み、ブログに投稿。この頃は多分まだガルシア=マルケスのような具体性のある記述を日記でもしたいという気持ちが少しは残っていて頑張っていた時期だと思うが、結構苦戦して書いていたと思うのだけれど、読み返してみると今の記述とほとんど感じとしては変わらない。進歩があまりないわけだが、しかしこの毎日書く習慣的な日記という形式で、どのように進歩や発展や変化を取り入れていけるのだろう? そうして次にMさんのブログを読むのだが、FISHMANS『1991-1994~singles&more~』を流しており、そうするとどうしても歌いたくなって読みながら折に触れて口ずさんでしまい、その時は当然文を読み進めることはできないので時間が掛かって、二記事読み終える頃にはもう正午を回っていた。腹はそれほど減っていなかったので、散歩に出ることにした。鍵を持って上階に上がり、玄関を抜ける(母親は一一時半頃から歯医者に出かけていた)。外に出て道の上にひらかれてある日向を見た途端、陽が薄いなと思った。歩き出せば風も結構厚く吹き、空には雲が多く蟠っており、快晴とは行かないようだ。市営住宅前の工事現場にはこの日も警備員がたった一人で立ち尽くしており、遠くから見て手もとを何やら動かしているのに、スマートフォンを弄っているのだ、さすがにそうでもしないと暇だろうと思ったところが、近づいてみると自分の服のボタンか何かを触っているだけで、時間潰しの手段も持たぬ真面目な人間のようだった。白さを帯びた緑葉を見やりながら小橋を渡り、坂を上って行きつつ三宅誰男『囀りとつまずき』のことを考える。話者は己の「自意識」をも、刻々と動き変化するその流動性すらをも客体化し、観察―分析―記述の対象にしている、ここに何かしら考えるべきことがあるような気がしたのだ。彼が自分自身を観察する時、その存在は見て、書く主体と、見られ、書かれる主体とに分裂しているわけだが、この「分裂」という語はこの場合、何かそぐわないような感覚があって、むしろ「二重化」とでも言ったほうが良いのかもしれないと考えた。そのうち、書き、見る主体としての話者はどのような様態にあるのか? 著者であるMさんが東京に来た時だからもう二年と数か月前、二〇一六年のことになるけれど、初めてこの作品を読んだ時には、話者はほとんど視線だけの存在と化している、ものを見る機械、あるいは機能となっているとMさんと話したものだが、テクストに即して本当にそうした整理の仕方で良いのか。話者の「自意識」あるいは「内面」(ありきたりで、かつ様々なニュアンスが付き纏う不正確な語だ)は、話者自身に属しているというよりも、この作品ではほとんど世界に属している、世界の一部となっているような気がする。その点でこの書物は、おそらく明確に「私小説」的でありながら、いわゆる伝統的な、「普通」の「私小説」とは一線を画しているのではないかという気もするのだが、こちらは伝統的な「私小説」をほとんど読んだことがないからそれもよくわからない。文体についてはどうだろう? 濃密な形容と長い修飾を伴うあの文体それ自体が、世界の微細なニュアンスを搔き分けて/書き分けて蒐集する装置となっているようにも思われる。そうして蒐集された差異=ニュアンスの欠片が、各々の断章ごとに統合されてまた一つの差異=ニュアンスを形成し、それらの集合が全体として差異の百科事典のようになっている。とすると、この話者の身分というか肩書として適しているのは、「蒐集家」という呼称ではないかという気もするのだがどうだろうか。歩いているあいだはそんなようなことを考えていた。人の姿も見えず、閑静な裏通りを行っていると、一軒の垣根から鳥が飛び立ち、その上の裸木の枝に止まるのを見れば、薄抹茶色の鮮やかな色彩を持ったメジロである。立ち止まってそちらを見つめていると、きょろきょろと頭を動かしていた鳥はふたたび飛び立って、少し先の家の木に移ったので、歩を進めて近づき、また見やれば、メジロは枝の上に乗るのではなく、枝の下側に逆さになって、しかし不安定な素振りも見せずにぴたりと貼りついたようになっているので、そんなことが出来るのかと思った。それから街道に出て、前日と同じように渡ってふたたび裏に入る。短い草の生えた斜面の脇を行くあいだ、風が正面から吹きつけてきて、昨日もここで風が吹いていたなと思い返した。卒塔婆の揺れる音は今日は耳に入らなかった。保育園に掛かると、前方から鵯が二羽、宙を波打ちながら渡ってきて骨張ったような銀杏の裸枝にそれぞれ止まる。こちらも立ち止まってしばらくその二匹の、各々離れた枝に静止して鳴きもせず無干渉にしているのを見上げてからふたたび歩き出し、鳥という存在も多様で多彩で面白いものだなと思った。バード・ウォッチングなんかもやはり結構、人が嵌まるだけの魅力があるのだろう。それからしばらく風は流れず、背に温もりを受けながら進み、駅を過ぎて街道に出て、しばらく行ったところで肉屋の脇から(揚げ物の良い香りが漂っていた)木の間の坂に折れた。乾いた葉を踏みつけてぱりぱりという小気味良い響きを立てながら下りて行き、帰宅。
 食事を取ることに。カップ蕎麦を食おうかとも思ったのだが、連日ジャンク・フードばかりではと自戒して、どちらにせよ芸はないが卵を焼くことにした。フライパンにオリーブオイルを引き、卵を二つ割って落とす。蓋を閉じて熱しているあいだに炊飯器に残り僅かだった米をよそり、小さな豆腐を冷蔵庫から取り出して電子レンジに突っ込んだ。豆腐は小さく破裂した。その後、汁物も同じようにレンジで二分温める頃には卵も黄身が固まって焼けていたので、皿に取り、卓に移って食べはじめた。新聞は二面。「辺野古県民投票3択に 条例改正へ 全県実施の見通し」、「韓国が写真公開 「近接威嚇飛行の証拠」 日本をけん制か」、「「脅威与える理由ない」 岩屋防衛相 韓国側に反論」の三つの記事を読む。そうして食器を洗って片付けると自室に下りて、前夜に歯を磨かなかったのでここで歯磨きをしていると母親が帰ってきた。歯ブラシを口に突っ込んだまま上階に行けば、ソファに就いた母親は疲れたような顔で、荷物を冷蔵庫に入れてくれと言う。マロンケーキを買ってきたと言った――と言うのは、翌日、TやTらと会って誕生日を祝ってもらうのだと知らせたところ、それでは何か持っていったほうが良いのではないかと言っていたのだ。こちらは別に良かろうと払っていたところが、その品をわざわざ買ってきてくれたというわけだった。それで、ヨーグルトや納豆や卵などを冷蔵庫に収め、下階に戻って口を濯ぐと日記を記しはじめた。およそ一時間、書き足して現在二時半である。日記を書いているあいだには、三つの短歌を次々と適当に拵えた。

地球をば丸く束ねて一掴み銀河も星も永劫回帰
犬蓼の赤くはためく園村に太陽落ちて輝き死せり
道という道は傾け海原へ越えて戻って背中を刺せよ

 FISHMANS "なんてったの"を流し、歌ってから、書抜きの読み返しを始めた。一二月三一日から二九日まで。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』からの記述。一部を除けばもうだいぶ覚えてきており、一度も読み返さなくても箇所の冒頭を見るだけで記憶を蘇らせることができるものもある。このタイミングだったか、日記を書き終えてすぐだったか忘れたが、ふたたび三つ、短歌を作った。

愚劣さを凍らせておくれ東雲よ曙光淡青宙の彼方に
欲望を耕し育て刈り取って種を蒔く人歩き続けよ
時の瀬に睡蓮目白夾竹桃露を結んで天に煌めき

 読み返しには五〇分ほど時間を使って、それからErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読み出した。物語は老人が魚を引っ掛けてから三度目の日の出を迎え、まっすぐ泳ぐばかりだった魚も円を描きはじめて、いよいよ両者の格闘が始まろうとしている頃合いである。英単語のメモを以下に。

  • ●65: It is better to be light-headed than to lose your strength from nausea.――light-headed: 目眩がする、頭がくらくらする
  • ●66: He just felt a faint slackening of the pressure of the line(……)――slacken: 緩める、弛ませる
  • ●66: His old legs and shoulders pivoted with the swinging of the pulling.――pivot: 旋回する
  • ●66: Then it started out and the old man knelt down and let it go grudgingly back into the dark water.――grudging: 渋々ながらの
  • ●69: It raked back and as the fish swam just below the surface the old man could see his huge bulk and the purple stripes that banded him.――rake: 後方に傾く / bulk: 巨体
  • ●69: His dorsal fin was down and his huge pectorals were spread wide.――dorsal: 背の
  • ●69: They were each over three feet long and when they swam fast they lashed their whole bodies like eels.――lash: 激しく身を振る
  • ●69: On each calm placid turn the fish made he was gaining line(……)――placid: 穏やかな

 それで五時前、食事を作りに上階に行った。台所に入り、まずは前日と同じように卵を焼くのに使ったフライパンで湯を沸かし、掃除する。それから同じように水を沸騰させて小松菜をさっと茹でた。笊に収めて流水で冷やしておき、それからさらに自家製の小さなほうれん草も茹でる。そうして、スパゲッティをおかずとして作ることになった。トマトソースを使ってナポリタン風に仕上げれば良いと言う。それで母親がピーマン・玉ねぎ、椎茸を切って、こちらがそれをフライパンで炒めて行く。茹でてあったパスタも入れて、振って混ぜる横から母親が、ケチャップ、トマトソース、塩胡椒、粉チーズ、などなどと投入していく。BGMはFISHMANS『ORANGE』を流しており、歌を口ずさみながらさらに搔き混ぜて、あとは茹でている途中のウインナーを入れれば完成となったところで、残りは頼むと母親に委ねた。ふたたび散歩に出て、ついでにコンビニに行ってポテトチップスでも買ってくるつもりだったのだ。それで下階に行き、ぼさぼさの頭を隠すために(そう言えば帰ってきた母親と会った際、頭がぼさぼさだよ、そのままで歩いてきたのと問われ、いかにも無職らしいだろうと歯磨きをしながらもごもご肯定した一幕もあった)帽子を被って上がって行ったのだが、それだと変だと言われ、ニット帽を被っていったらと提案がある。それで茶色とオレンジのチェック柄のニット帽のことを思い出し、出してもらって頭に嵌め、ストーブの前に放置されていたタオル類を畳んでから道に出た。ストールを巻いたのでさして寒くはない。空には雲がこびりついて宵の前の、夕刻と夜のあいだに見られるあの清冽な水色を汚しており、南の山際のほうなどは灰色が塗られて埋め尽くされている。市営住宅前の工事現場の、道脇の溝に沿っていくつも並んだカラー・コーンの上で多数の保安灯が、緑と赤を交互に点滅させており、それぞれ不揃いのタイミングで発光するために次々と光が移って行くように見えるのだった。昼にも歩いた坂と裏道を行き、街道に出ると今度は向きを変えず、そのまま西に進む。車の入っていないガソリンスタンドで店員が手持ち無沙汰そうに立ち尽くしているのを見やれば、何もやることがない様子でうろうろとし始める。そこを過ぎて皓々と光の灯ったコンビニに入店する。籠を取ってレジの前を過ぎ、まずおにぎり(ツナマヨネーズ)を入手した。それから冷凍食品の入ったケースのなかからたこ焼きを取り出す。ほか、ポテトチップス二種や飲むヨーグルトにアイスを持って会計へ、中年の女性店員が値段を読み込む横で、彼女よりもよほど若いが歴は長いらしい男性店員が次々と品物を袋に入れて行く。礼を言って退店し、もと来た道をそのまま反対に辿ったが、道中特別に印象深い記憶はない。帰宅して冷蔵庫に入れるものは入れ、自室に置くものは持って下階に下り、Twitterを覗くとダイレクト・メッセージの返信が来ていた。先ほど、Dさんという方から、Fさんですか?とこちらの本名を名指したメッセージが届いており、失礼ですかどなたですかと返事をしながら誰だろうと不思議に思っていたところ、何とUくんだった。Hさんも交えて以前早稲田で読書会を何度か催したことのある仲間である。それで彼だったかと驚き、お久しぶりです、Twitter上とはいえまた会えて嬉しいですと挨拶をして、お元気でしたかと問うておいた。それからJunko Onishi Trio『Glamorous Life』を背景に日記を書き出して、現在七時前に至っている。
 三宅誰男『囀りとつまずき』をちょっと読んでから、食事を取りに行った。台所に入り、米をよそるとともに、赤っぽいオレンジ色に染まったスパゲッティを電子レンジに突っ込む。ほか、野菜スープと大根やトマトのサラダを皿に盛って卓へ。電子レンジで簡単に調理された鮭が出来ると、それをおかずにして餅米入りの白米を頬張る。新聞は四面を読む。「立民、社民と統一会派 参院 「国民・自由」と同数に」、「与野党 糾弾合戦 不適切統計 閉会中審査 野党「アベノミクス偽装だ」」。ほか、衆参の勢力分布が載っていたので、それはここに写しておく。
 【衆院自民党282▽立憲民主党・無所属フォーラム68▽国民民主党・無所属クラブ38▽公明党29▽共産党12▽日本維新の会11▽社会保障を立て直す国民会議7▽希望の党2▽社民党市民連合2▽未来日本2▽無所属10▽欠員2
 【参院自民党・国民の声125▽立憲民主党・民友会・希望の会27▽国民民主党・新緑風会27▽公明党25▽日本維新の会希望の党15▽共産党14▽無所属クラブ2▽沖縄の風2▽無所属4▽欠員1
 テレビは引退した芸能人の今を追うというような番組を流していて、それに高橋なんとかと言っただろうか、元アイドル・女優の女性が出演しており、彼女は義理の両親のダブル介護に追われていると言う。それを見ながら、まったく他人事ではないなと思った。画面に映る義父が転倒して怪我をしたと知らされている際にも、他人事ではないぞと向かいの母親に告げる。まあまだ先のことではあるけれど、しかし人間、いつ階段から落ちて死ぬかわからないものだ。それで食事を終えるといつもどおり、すぐに風呂に入った。この日はあまり長い時間浸からず、さっさと頭を洗って上がると、やはり早々と自室に帰った。そうしてコンビニで買ってきたおにぎりとポテトチップスを食いながら、他人のブログを読む。Sさんのブログの、「遠く」という記事が良かった、三宅誰男『亜人』のなかの、病床にいる大佐の視点がいつの間にかシシトのそれに切り替わっている箇所を思い起こされた。ほかにも他人のブログを読んで九時過ぎ、そして九時半からベッドの上で『囀りとつまずき』を読みはじめた。BGMはFly『Year Of The Snake』。冒頭、"Festival Tune"の七拍子のベース(Larry Grenadier)が実に緊密に張って骨太で素晴らしい。素晴らしかったのでyoutubeで音源を探してTwitterに投稿しておいた。その後、BGMは中島みゆき『LOVE OR NOTHING』に。"てんびん秤"のどろどろとした、タールのように粘っこい黒っぽさは結構凄いのではないか。歌詞も曲も歌唱も三位一体という感じで互いに嵌まり合っているように思う。『囀りとつまずき』は、やはり「自意識」のテーマが結構目につく。ほか、「たまさか」という古井由吉も使い古めかしいような語彙がわりと用いられていて、今のところ三回か四回出てきたと思う。また、話者は他人と正面から目を合わせていないと昨日は書いたが、今日読んだなかには彼が他人と視線を交わし合っていると思しき箇所が確か二つあったと思う。それで二時間読んで、――そう言えば一〇時半頃にはLINEでTともやりとりをした。明日、Kくんとともに誕生日を祝ってもらうことになっているのだが、そこで靴下をプレゼントしてくれると言う。サイズを訊かれたので靴のサイズは二六.五から二七くらいだと答えると、二五~二七のものと二七~二九のものとどちらが良いかと来たので、前者を選んだ。読書中そんなこともあり、二時間を費やすと日記を書き足して、現在もう日付替わりも済んでいる。そう言えばブログを読んだり読書をしたりしているあいだにまた短歌を作ったので下に掲げる。

靴を履く踵を亡くして宙返り夢物語語れ小鳥よ
身投げして割れた仮面をまた集めカンポ・サントに埋めて悼めよ
主語を崩し述語を失してまた明日神が不在の神話を紡ぐ
緑色の空と君とのあいだにはたましい泣いて身はほどけゆく

 それからTwitter上で、Uくんとダイレクトメッセージを使って会話した。こちらが鬱病でダウンして一時日記も書けなかった事情も述べる。Uくんはこちらが未だに日記を綴っていることにびっくりしたと言い、「グルーヴ感」が以前よりも増しているようだと言ってくれた。彼は今大学院生で、ピエール・ルジャンドルの研究をしつつ、しかし詩をよく読んでいるらしい。詩的なものだけを摂取していたいのだが、それだと研究にならないところで少々困っているようだったけれど、最近ではラテン語の勉強も始めたと言うので、素晴らしいですねと称賛した。間歇的に、一時半頃まで話して、また実際に会ってお話ししましょう、今度予定を聞かせてください、というところで会話を締めた。メッセージのやりとりをしている傍ら、出鱈目な短歌をいくつも、三分に一首くらいのペースで作っていたので下に載せる。

聖人の雪が降る日に罪を撒く救いは忘れ骨は地中へ
形のない風が吹く夜に天邪鬼椎の枝葉の川波揺れる
天の川振りさけ見れば葬列の百鬼夜行の星は去来す
白光の眠り儚き宮城に辛い言葉を甘く満たして
擦り切れた時の着物を脱ぎ捨てて我は笑おう緋色の空
スイッチを押して流れる鎮魂歌夢の仔犬の皮膚の痣まで
海辺とはあらゆる比喩の終わる場所油を撒いて詩集を燃やせ
大虐殺血の火達磨の通せんぼ潰れた声で叫べ慈愛を
朝と昼と宵と真夜中溶け合って時の抜け殻砂丘に落ちて
罠に掛かり恋を丸めて捨ててなおあなたの頬の暗く艶めく
愉しみはブラスバンドの残酷さトランペットの泣き声醒めて
軍艦を積んで崩して儲け物苔生す弾[たま]に小鳥は囀る
朝ぼらけ原始時代の戦いの苦しみ招く雲の色かな
苦しみは煙草金塊肌の色奴隷の論理かざして月に
切なさを殺して溶かすその刹那蜥蜴の尻尾ついに戻らず
主人にも奴隷にもならぬ矜持持て尻の黄色い猿の小山で
目くるめく白銀灯の血の涙無色無臭の宝石になれ
神の前で白紙委任の嫌らしさ銅鏡銅貨刀で割って
音楽に踊る雨夜の傘の群れ黒声白声撃てよ左脳を
独裁よ貴様の胸は尖ったガラス歌はいけない身を焦がすから
労働を越えて言葉は手に変われ足は権利に瞼は星に
逆転の世界で鳴らす音楽は血か蜜の味義務など棄てて
白い夜は戦争よりも長いから朝が来るまで痛みと握手
絶望を品良く保つ憂愁は希望も届かぬ空に散らして
くだらない夜に滲んで吐く熱をサディストどもが吸えば泣くだろう
美しく死ねば遺体も未知の星言葉のなかに生まれ変わるさ

 そうして一時四五分、床に就いた。眠気がなく、眠れるか定かでなく、実際三〇分くらいは寝付けずにいて、起きてしまって本を読もうかとも思っていたのだが、そう考えているうちに何とか入眠できたらしい。


・作文
 10:12 - 10:57 = 45分
 13:36 - 14:29 = 53分
 18:17 - 18:47 = 30分
 23:38 - 24:08 = 30分
 計: 2時間38分

・読書
 11:02 - 12:11 = 1時間9分
 14:41 - 15:29 = 48分
 15:41 - 16:50 = 1時間9分
 18:48 - 19:14 = 26分
 20:05 - 21:17 = 1時間12分
 21:31 - 23:30 = 1時間59分
 計: 6時間43分

  • 2018/1/25, Thu.
  • 2016/8/13, Sat.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-22「柏手は局所の地鳴り自壊せよ遺跡の柱も園児の積み木も」; 2019-01-23「自転する星に振り落とされぬよう地上の民はうつ伏せになり」; 2019-01-24「長針が落ちる短針が錆びる秒針だけがあなたに寄り添う」
  • 2018/12/31, Mon.
  • 2018/12/30, Sun.
  • 2018/12/29, Sat.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 64 - 71
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 79 - 150
  • 「at-oyr」: 「機種変」; 「遠く」; 「五人」; 「四人」; 「猫は鳥は野菜は皇帝、素麺」; 「寒い」; 「物」; 「国道」
  • 「悪い慰め」: 「日記(2019-01-25)」
  • 「ワニ狩り連絡帳2」: 「2019-01-15(Tue)」; 「「地球星人」村田沙耶香:著」; 「2019-01-16(Wed)」; 「2019-01-17(Thu)」; 「2019-01-18(Fri)」; 「2019-01-19(Sat)」; 「2019-01-20(Sun)」; 「「雲をつかむ話」多和田葉子:著」

・睡眠
 1:25 - 9:25 = 8時間

・音楽

  • FISHMANS『1991-1994~singles&more~』
  • FISHMANS, "なんてったの"
  • Junko Onishi『Musical Moments』
  • Junko Onishi Trio『Glamorous Life』
  • Fly『Year Of The Snake』
  • 中島みゆき『LOVE OR NOTHING』
  • 類家心平『UNDA』

2019/1/24, Thu.

 まだ暗いうちに一度目覚め、その後七時台にも覚めたと思うが、意識がはっきりしてきたのは八時台後半で、結局起床は九時一〇分。睡眠時間は六時間三〇分なのでまあ順当だろう。ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親は何やら外に出ていたが、そのうちに誰かから貰ったらしい林檎と回覧板を持って入ってきた。こちらは洗面所に入り、冷たい水で顔を洗い、また髪を濡らして櫛付きのドライヤーで寝癖を直す。そうして食事は前日のおじやの残りと豆腐とゆで卵。品を電子レンジで温めているあいだに新聞記事をチェックする。一面の、日韓関係の記事、スイスはダボスで日韓の外相会談が行われたという記事を食事の合間に読んだ。母親は、インターネットのサイトを印刷したものらしいクラシックコンサートのチラシを差し出してくる。先日聞いた、父親が社長の代わりに行くとかいうやつだろう。色々なところで開催されているらしいが、東京会場はサントリー・ホールで、値段はJAF会員(JAFというのは何なのか知らない)の特典らしく、S席でも四〇〇〇円だから随分と安いなと口にした。Blue Note東京でも八〇〇〇円くらいはするのだが、クラシックのコンサートなど相場は知らないけれどおそらく一万円くらいはするものだろう。日付は二月二五日とかあったか? こちらは行くかどうするか迷っているのだが、まあまだ先の話だ。そうして食後、抗鬱剤ほかを飲み、皿を洗い、ジャージに着替えてから風呂も洗って自室へ。余計な時間を使わず、一〇時から早々と日記に取り掛かった。前日の分を二〇分ほどで仕上げ、それからこの日のことも書いて一〇時四五分。母親は腰が痛いので医者に行くとか言っていた。
 小沢健二 "今夜はブギー・バック"を流して歌った。それから日記の読み返し。一年前。窓外の晴れの美しさに感傷的な気分になり、無常感を覚えて浸っているが、今はこうしたことはもうなくなった。当時の日記にもそう書きつけているように、こうしたセンチメンタリズムもやはり自分の精神の不安定さを証すものだったのだろう。「道を行くあいだ、やはり少々不安があって、最後のほうではまた頭がぐるぐる回って離人感めいた症状が出てきていたようである。職場に着いてからもそれはしばらく続き、最初のうちは働きながら、自分の行動や言動が自分のものでないようだというか、本当に自動的に適したように動いてくれる感じで、しかしそれで特段の誤りもないのでこれはこれで、自分自身が勝手にやってくれるのだから楽ではないかというような分離の感覚があった」とも。このような離人感も、時折り何となく自分の動作が自動的であるような感じはしないでもないが、少なくとも気になる程度に甚だしいものは今はもうなくなったようだ。それから二〇一六年八月一四日の日記も読んでブログに投稿。そうして一一時半前から三宅誰男『囀りとつまずき』。読み返しとメモ。
 一二時を越えて食事へ。どのタイミングだったか、これ以前に上階に上がって米を三合磨ぎ、炊いておいた。それでさらに卵を二つ、四枚のハムと一緒に焼き、丼の白米の上に乗せる。卓に移り、黄身を崩して醤油を垂らしてぐちゃぐちゃに搔き混ぜたものを頬張る。食べ終えるとさらにカップヌードルを食べることにした。湯を注ぎ、三分待つあいだは目を閉ざして『囀りとつまずき』のことを考えた。そうして醤油味のラーメンも啜って平らげると、脂っぽいものばかりでなく野菜も食べるかということでふたたび品目を追加することにして、台所に立ち、キャベツを細切りにして皿に乗せたその上から大根をスライスした。シーザー・サラダ・ドレッシングを掛けてそれを食すと食器を洗い、鍵を取ってきて散歩に出た。道に出た途端に眩しさが視界の半ば以上を埋める。風は少々冷たく、右方の林の高みで薄緑色の竹の葉がさらさらと音を流している。市営住宅の前まで来るとカラーコーンがいくつも繋がれて仕切りが作られており、道の端のアスファルトが掘られて溝が設けられていた。その前に警備員が一人きりで突っ立っているのを過ぎながら、物凄く暇そうだな、音楽など聞いていてはいけないのだろうかと思った。工事中だが人足はおらず、あたりに車もなく、本当にただ一人で手持ち無沙汰そうに場を守っているだけだったのだ。風に揺らされる葉の音はからからに乾いており、光を受けて白く染まっているものの指で摘めば即座に崩れてしまいそうな質感である。坂を上って行き、裏路地を行くあいだ、眩しさが視界にずっと貼りついてくる。曲がり角に生えている椿だか山茶花だかの紅色の花をつけた低木が、葉のことごとくに光を反映しており、まるで艶めく純白の蝶が無数に宿り休んでいるかのようだった。街道に出て横断歩道で止まると、西の空にただ一つ、菌糸のような小さな雲が擦りつけられている。通りを渡って緩い坂になった裏路地にふたたび入り、正面から吹きつける風のなかを行く。斜面に広がる墓場で卒塔婆がかたかたと揺れて音を立てている。空は澄み切って爽やかな青さに満ち満ちている。前には白く少々もこもことした毛の犬を連れた老人が散歩をしていた。その横を抜かし、保育園を過ぎ、裏道の隅までひらいた日向のなかを行きながらふたたび空を見上げて、目に染み通るような、水晶体の表面の汚れまで見えそうな澄明な水色だと思った。最寄り駅を過ぎて街道の、陽の当たっている北側を行き、遠回りをして道を渡ると裏に入って下りて行く。木の間の坂を下って行けば家はすぐそこである。帰宅すると一時半、自室に戻って、何だか疲れていたのでベッドに寝転がり、『囀りとつまずき』をちょっと読み進めた。二時からコンピューター前の椅子に移って、新たな頁を読み進めるのではなく以前の部分を読み返してノートにメモを取って行く。およそ一時間、それを行って三時に至ると、洗濯物を取り込みに上階に行った。タオルや肌着や足拭きマットを室内に入れ、畳むものを畳んで行く。それからシャツを二枚、エプロンを一枚、アイロンで処理したあと、自分のシャツを自室に持って行こうというところで母親が帰宅した。シャツを置いてきてからふたたび上がると、不二家レストランで食事を取ったのでケーキを買ってきたと言う。彼女が買ってきた品々を冷蔵庫にこちらが収めているあいだ母親は、レストランで食事を取っていると(確かパスタか何かだったか?)最後のほうに至ってビニールの小片が入っているのに気づいた、でももう平らげるところだったから気にせずに食べてしまったのだけれど、その旨店員に伝えると、本当に申し訳ございませんと大層恐縮された、今日はちょうど店長がいない日だったらしく、住所を伺って後日謝罪に向かわせますと言われたのだが、そこまでしてもらわなくて良いと断ったと、そんなようなことをつらつらと話していた。そうしてこちらは下階に下り、FISHMANSの曲を歌ってから(声があまりうまく出なかった)ここまで日記を書き足して、現在四時一五分である。
 三宅誰男『囀りとつまずき』は今のところ六一頁まで読み直してメモを取った。まず、この作品にはそれぞれの断章の冒頭あるいは結びにおいて、文末に「~である」「~がある」の形が使われることが多い。冒頭の「である」が今のところ六回、結びの「である」も六回、冒頭の「がある」が三回、結びの「がある」が四回、それぞれ出てきている。また、『亜人』でも多かった「まなざし」の語はこの作でも多く、今のところ二〇箇所。『亜人』と違うのは、話者が他人の「まなざし」にも自分の「まなざし」を差し向けているところだろう。しかし、あくまで現在のところではあるが、話者が誰かと正面から「まなざし」を交わし合うことはないようで、彼が他者の「まなざし」を見る時は、いつも横から追うような形になっていると思う。固有名詞は現在、「アジア」、「ガーナのファンティ族」、「英国」、「日本」の四つ。話者は日本人ではあるらしいが、日本のどこに住んでいる人間なのかは断定できない(どこであっても良いような記述になっている――と言うことはつまり、読者がこの作品の記述と自らの生活とを重ね合わせられるようにひらかれている?)。時系列は不明。断章群が総体としてどれくらいの時間の幅に収められているかもわからないが、三七頁に、「大震災二年後の夏」と書きつけられているから、少なくともここでは二〇一三年が明示されている。テーマとしては文化批評・社会批評のような側面があるのも特徴で、また、「自意識」に関する観察、考察も結構出てくると思う。文末はほとんど現在形で終わっており、体言止めも時折り使われるが、過去形で終わることは極端に少ない。今のところ目についたのは、二二頁の、「見出される顔に死者と生者のべつがない、すでに常世ともつかぬ地を踏む足どりだった」の一節。また、直接話法の括弧が今のところまったく見当たらないのも特徴である。鉤括弧自体は使われているのだが、それは一つの命題を提示するものだったり、展覧会の名前を示すものだったり、ある種の映像媒体のジャンルの分類だったりするのみで、「声」を括って際立たせるものではない。おそらくこの作品では、「声」は直接話法の括弧を伴わず、すべて地の文のなかに溶け込まされているのではないか。
 良かった箇所をいくつか引用し、紹介しておこう。最初のものは、鋭い社会批評。

 いよいよ期日のさしせまった世界滅亡の日の到来をかれこれずっと首を長くして待ちのぞんでいたのだと語る不気味なほどにほがらかな微笑の、黒い冗談を口にするもの特有のおもねるような露悪とはことなり、凍てついた諦観をごまかすべくとりつくろわれたうわべだけのよそおいであるかのようなあらわれかたであるのにたまらずぞっとする。たとえば巨大隕石の衝突などによりいっしゅんにして灰燼に帰するならまだしも燃えさかる炎のなかで苦しみながら息絶えるのは本望ではないでしょうとたずねるこちらの誘導じみた問いかけにも、それでみんないちどきに死ぬのであればかまうまいと応じるその心理のいびつさがうらうちしてみせる、ほかと一緒なら死ねる論理がほかを道連れにして死んでやる論理と表裏一体をなしているさまを見るにつけ、四六時中の気弱な微笑でおおわれたその顔の薄皮いちまいめくった先でかたくこわばってあるいまさらほぐしようのないひとつの表情、全体主義の狂熱へとたちどころにうらがえりかねぬ危険な意欲にのみおそらくはその雪解けをまねきよせることができる国民的な絶望の表情があることを知る。
 (29~30)

 次は「老い」のテーマの一つ。

 大味の哀愁をただよわせながらわずかに湾曲した背中が一歩また一歩とくりだしていく歩み。ちいさくひきずるとまではいかずとも、高々ともちあげられることもやはりなく、靴裏が地上すれすれをあやうげに滑空するようにして運ばれていく足つきの、はじめの一歩ははやくとも続く一歩の出遅れるところにごまかしようのない老いがたしかにのぞいてみえる。動作から動作へとつらなるその余白で息をつくものの正体が老いであるならば、一歩から次の一歩へといたる継ぎ目で口をひらくものがしだいに拡張されていくにつれておのずとすくわれることになる足どりの、あるとき不意に呆然自失とその場にたちつくしてしまう姿こそ痴呆である。踏みだした一歩のそれからむかうべきところを、次の一歩の支度をようやく終えたころにはすでに忘れさってしまう見通しのたたなさ、惰性のきかなさ、そのつど意志の更新を必要とする記憶の機能不全の魔に、過去をかさねにかさねた老人ばかりが見初められてしまうのはいかにも皮肉な話である。蓄積されたものの膨大さから強要される辻褄合わせに耐えかねて、みずからそのはたらきを放棄してみせる晩年もなかにはあるかもしれない。まぎわにはさぞかし喜悦がつきまとうことだろう。
 (39~40)

 全体として、「歩み」の足もとへの着目と言い、「老い」や「痴呆」に向ける視線と言い、鋭く彫琢されて骨張った具体的な記述と言い、古井由吉を連想させる。

 女と雌犬がまぐわういかがわしい映像を好む得意客。その手の新作がリリースされたときにはかならず在庫を確保しておくようにというくだされてひさしい命令が、あるとき不意に撤回される。事情を問えば、近頃は出演している顔ぶれがおなじでつまらない、もうすっかり飽きてしまったという不機嫌な返答がある。売り場にならべずにおいたものを面前にさしだしてみせれば、こちらのまなざしを誘導するかのようにパッケージの一点を指さし、ほらまたいつもとおなじ黒のラブラドールレトリーバーではないかとしかめ面で指摘してみせる。
 (49~50)

 読む者の見通しを綺麗に裏切ってみせる、ほとんど模範的な形のユーモア。
 上記まで記すと五時過ぎ、食事の支度をするために上階に行った。明かりの点いておらず薄暗い居間で、母親は炬燵に入ってタブレットを弄っていた。こちらは台所に入り、牛肉を炒めることに。ほか、鯖を焼けば良いだろうということになった。それでまず最初にほうれん草を茹でるため、昼に卵を焼くのに使ったフライパンを綺麗にする。湯を沸騰させて汚れを落としやすくした上からキッチンペーパーで拭うのだ。そうしてからもう一度湯を沸かして、ほうれん草をさっと茹でた。母親は水に触るのがもう無条件で嫌らしいのでこちらが冷たさにも怖じずに素手で洗い桶のなかのほうれん草を洗って冷ました。それから玉ねぎとピーマンを切り分け、フライパンに油とチューブのニンニクを落として炒めはじめる。BGMはFISHMANS『ORANGE』を流していた。牛肉の小間切れも入れて赤味がなくなると、もう残り少なかった焼き肉のたれをすべて使ってしまい、味付けをして完成である。それから母親が鯖の一枚を三つに切り分け、ほか、舞茸や葱なども切ったのを、オリーブオイルを垂らして焼く。蓋を閉じながら熱していると、少々焦げついてしまったが、多少焦げるくらいのほうがちょうど良いだろうというわけで仕上げ、ほかには母親がサラダも拵えていたので、もうそれで良いだろうというわけで仕事は終いとなった。自室に戻ると時刻は五時五〇分、多分ここでMさんのブログを読んだのではないか。それからまた『囀りとつまずき』のメモを取って七時、この作品の話者は結構自意識過剰であるというか、他人の「まなざし」に敏感だということに気づいた(それは、自身に向けられる視線に過敏だということでもあるし、他者が何かに向けている「まなざし」に敏感だということでもある)。実際、「自意識」をテーマとした断章は結構多く、今のところこの語は四回、作中に現れてきている(そのうちの一つは、話者自身の「自意識」ではなく、他人のものである)。また、直接話法の括弧にくくられた「声」が見当たらないと上には書いたが、七一頁に至って、《ブレス・ユー[おだいじに]》という形で、二重山括弧を用いた「声」が現れた(話者が「声」の主を目の前にしているわけではなくて、蘇る記憶のなかのそれだが)。今のところ、ここが作中唯一の「声」の現れだと思う。
 食事へ。牛肉やら母親が昼に食ったメンチの残りやらをおかずに白米を貪る。テレビは何だったか――ニュースだったか。特に印象深く覚えていることはないようだ。即席の味噌汁も飲んで、食事を終えて薬を服用するとすぐに風呂に行った。湯のなかで静止し、目を閉じて休んでいるうちに、二〇分かそこら、結構な時間が経ったと思う。それで出てくるともう八時半も過ぎていたのではなかったか。自室に帰って――そう言えばそうだ、食事の最後に母親の買ってきたショート・ケーキを食べて、これが美味だった。何しろ一つ五五〇円もするというからそれは美味いに違いないのだが、上に記したような経緯があったのでケーキ二つは無料になったのだと言う。得をしたものだが、母親は、かえって悪かったと恐縮していた。それで自室に帰ると、書抜きの読み返しを行った。一月一三日、八日、五日の三日分。米国で二〇一二会計年の予算を策定する際に、議会は沖縄とグアムの双方に軍事拠点を設けるのは現実的に不可能だと主張して、普天間基地を沖縄に返還するとともに人員や装備などを嘉手納基地に統合する案を提案していたのだが、これは結局実現されなかったとかそういったことを頭に入れるよう試みる。それで九時半前、そこからErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読んだ。

  • ●61: It looked now as though he were moving into a great canyon of clouds and the wind had dropped.――drop: 風が凪ぐ
  • ●63: he tried to keep the cutting across the calloused parts and not let the line slip into the palm or cut the fingers.――calloused: 胼胝のできた
  • ●63: There was plenty of line still and now the fish had to pull the friction of all that new line through the water.――friction: 摩擦

 また、この作品では動物にwhoの関係代名詞が用いられたり、海がsheという代名詞で名指されたり、動物や事物が人と同じような扱いを受けているというのは前々から言っているところだが、この日読んだ箇所では、老人が自分の「手」をもheで指し示しているのが観察された。ほか、六四頁にまた一つ"strange"の語が出現している。この作品では"strange"な現象や事物がそこここに散りばめられている。
 その後、『囀りとつまずき』を読み進めようとしたのだが、ベッドに転がるとその最初から瞼が落ちているような有様で、いくらも読まないうちに力尽きて意識を失っていた。気づくと、一時二五分である。歯磨きもしないでそのまま眠ることにして消灯し、まもなく安穏とした眠りのなかに吸い込まれていった。


・作文
 10:01 - 10:45 = 44分
 15:49 - 16:38 = 49分
 16:51 - 17:11 = 20分
 計: 1時間53分

・読書
 11:03 - 11:22 = 19分
 11:27 - 12:17 = 50分
 13:29 - 13:50 = 21分
 14:03 - 15:00 = 57分
 17:51 - 18:17 = 26分
 18:18 - 18:53 = 35分
 20:50 - 21:22 = 32分
 21:23 - 22:10 = 47分
 22:11 - ?
 計: 4時間47分+α

  • 2018/1/24, Wed.
  • 2016/8/14, Sun.
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 71 - 80
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-20「芍薬と化石と地図と積雲と灰と指輪と給水塔と」; 2019-01-21「未来から不意打ちされる昏倒は資本が見る夢病は気から」
  • 2019/1/13, Sun.
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 60 - 64

・睡眠
 2:40 - 9:10 = 6時間30分

・音楽

2019/1/23, Wed.

 六時頃から薄く覚醒しており、六時半起床。学校を舞台にした夢をいくつか見たが(高校の同級生らが出てきたはず)、詳細はもうあまり覚えていない。体育館で、後輩だか誰だかがバンド演奏を披露するはずだったところに、こちらが勝手にDeep Purple "Smoke On The Water"を弾きはじめてしまい、顰蹙を買う、というような場面があったことは覚えている。太陽が昇りはじめたばかりでまだ薄暗い部屋のなかでダウンジャケットを羽織り、上階に行くと両親はまだ起きていない。野菜スープの鍋を火に掛け、白米をよそり、前日の残り物(エリンギや人参や牛肉の炒め物)を電子レンジに突っ込んで温めているあいだ、新聞を取りに行った。東から南に掛けての山際に雲が低く垂れているが、それは低みにしかなくて頭上を見上げればすっきりとした淡い水色が広がっており、今日も快晴になりそうだなと思われた。実際あとで天気予報を聞くと、最高気温は一二度、三月上旬並みの気候だということだ。室内に戻り、食事を卓に運んで食べていると母親が上って来てその挨拶を低く受ける。新聞からは一面の「日露首脳 平和条約協議 3か月連続で会談」、ほか四面から「国民・自由 合流へ 両代表一致 合併や統一会派」を読み、さらに「公明、衆参同日選警戒 投票煩雑化懸念 選挙疲れで負担大」の記事も途中まで読んだ。そうして薬を飲み、食器を洗うと、父親が飲んだ炭酸水のペットボトルからラベルを取って潰し、外に持って行く。ビニール袋に入っていた缶類を籠に移しておき、室内に戻るとアイロン掛けをした。それから母親に誘われてチョコレートのベーグルを食べたあと、仏壇に供えられている花の水を取り替え、父親が流し台に放置した食器類を洗う。洗っているあいだ卓に就いて食事を取っている母親は、冷たい水で台所仕事をやるのが嫌だ、ほうれん草を絞るのですら嫌だと文句を吐く。そんなことを言っていたら生きては行けないではないか。こちらはその冷たい水で皿の洗剤を流しているのだが。Sが生きるのが嫌になったその気持ちがわかると言うので、生きるのが嫌になってなどいないと反論した。確かに自分は鬱病のピーク時には希死念慮に苛まれて、死にたい死にたいとそればかり思っていたけれど、それは「生きるのが嫌になった」ということとは何か違うような気がするのだ。このようなことを吐いている母親も、そのうちにノイローゼにでもなったりしないかと少々危惧されるのだが、しかし幸いなことに、彼女は実存的な悩みを深めて精神疾患に至るほどの頭をおそらくは持っていないので、多分大丈夫ではないかと思う。その後こちらは洗面所に入って髪に水をつけて寝癖を直し、さらに整髪料もちょっとつけて整えておき、そうして自室に戻ってきて早速日記を記した。ここまで書いて九時前である。いつの間にか一時間も打鍵していたことになる。書き忘れていたが今日は山梨の祖母の誕生日を祝いに行く予定があって、八時頃には出るかもしれないとちょっと聞いていたので早く起きたのだったが、実のところ一〇時頃に出れば良いらしくて、それで日記を綴る余裕があって安堵したのだった。
 その後、九時二〇分に日記の読み返しを始めるまでに間があるが、何をしていたのかわからない。覚えていないところを見ると大方Twitterでも覗いていたのだろう。それから一年前の日記を読む。明け方の緊張と不眠に悩まされる自分の病状を測って、「これは思ったよりも長丁場になるかもしれない」と見通しを立てている。続けて、「とは言え、今まで何年も薬を飲みつつゆっくりやって来たわけで、今次の件も長い目で捉え、一年後には多少良くなっているだろう、というくらいの気持ちで考えるのが良いのだろう」と述べているが、まさしくちょうど一年で復活したわけで、この気の持ち方は正しい姿勢だった。ほか、群馬県草津白根山が噴火したと記されていたが、これはちょうど朝のニュースでも噴火から一年ということで取り上げられていた話題だ。気象庁がまったく注目していなかった、噴火する可能性のほとんどなかった火口が噴火したということだった。
 それから、一〇時に出るまでのあいだに三宅誰男『囀りとつまずき』を読む。読むとは言っても冒頭から大雑把に見直して、読書ノートに気になった部分をメモしていくことをやったのだ。

  • ●9: 「踏んぎりのつかぬまなざし」――「まなざし」の一回目。
  • ●9: 「地上からそそがれる二対の視線」――「視線」のテーマ。一回目。
  • ●9: 「二対の視線をもてあましたマネキンがとつぜん不動をやぶり、窓越しの風景にひとり目をやすませている残業者の疲れた手を力なくふりはじめる」――冒頭から、意味の変容の目撃。「マネキン」から「残業者」へ。
  • ●10: 「とつぜん飛びだした影のちらにゆかずこちらにむかってくるのが(……)慢心にゆるんだ追跡者の視線をそのまま見事にふりきってみせる」――「とつぜん」が平仮名にひらいている。後藤明生もこの語は平仮名で書いていたらしい(ちなみに彼はまた、「実際」は「実さい」と書いたらしい)。また、「視線」のテーマの二回目。ここでは「視線」は不動の何かを見つめ続けるのではなくて、素早く動く動物に「ふりき」られている。
  • ●11: 「まなざしの照準からのがれてすでに行方をくらましているらしい(……)」――「まなざし」の二回目。ここでも「まなざし」の行く手の蚊(ある種の虫をはっきりと指し示すこの語は使われていないが)は既におらず、視線の行く末は空白である。
  • ●11: 「標的の不在をねらう手にやどるのは懲罰の意志である」――「懲罰の意志」。概念の抽出あるいは意味の付与。
  • ●12: 「足を踏みいれたとたんにバケツを手にさげた若い女性清掃員の姿が目につく商業施設の手洗いである」――「目につく」。話者はものを見ている。
  • ●12: 「おのれのふるまいにかつてはなかったはずの抵抗がともなうのをいぶかしくおもえば、(……)これは一種の罪の意識のためらしい」――「罪の意識」。自己の心中の観察。
  • ●12: 「小便にたつ」「あやしいひげ面」――話者は通常の一人称を用いず、非性的な「こちら」で通しているが、この箇所から男としての性を持っているとわかる。
  • ●12: 「すでに三十路を目前にひかえたあやしいひげ面がみがかれたばかりの鏡のなかにたちつくして」――ここから年齢もわかる。また、鏡を通して話者は自分自身を見つめている。
  • ●13: 「汗ばんでなまぬるいシャツと素肌のべとつき」「肩だの肘だの腿だの接していかにも暑苦しい」――触覚のテーマ。
  • ●13: 「不快を回避せんとするたしかな意図の、(……)こちらから姿勢をくずしてたまるかという片意地に挫かれて不動にとどまったのが、しだいに密着のぬくもりへと変じていくようである(……)」――「不動にとどま」るのは話者の姿勢ではなくて「意図」である。換喩的な技法。また、「密着のぬくもりへと変じていく」の部分は、意味の変容のテーマ。
  • ●14: 「独居の一日[いちじつ]のすでにとっぷりと暮れたよる夜中」――「よる夜中」。「昼日中」の逆だが、こちらは使わない語彙だった。
  • ●14: 「景色に内在したまなざしを経めぐらせることによってはじめて達せられる、それこそが地形の感受というものらしい」――「まなざし」の三回目。また、「地形の感受」についての抽象法則(?)の発見。一種のアフォリズムと捉えても良いか?
  • ●15: 「市ではたらくものの一日の足どりを介して、見知らぬ土地の暮らしがおのずと身近で具体的な手触りをおびた確たるものとしてとらえなおされる、街場のささやかな啓示である」――「啓示」のテーマ。一つのささやかな「気づき」。
  • ●16: 「あるかなしかの微風にすらいちいちがたぴし鳴ってたえまないガラス戸」――「がたぴし」。擬音。長大で古めかしいような文体のなかで、ある種の軽みのようなものを導入しているのではないか。
  • ●16: 「しらじらとしたものだけを光源としてうす暗く浮かびあがっているのにまなざしをこらしてみれば」――「まなざし」の四回目。
  • ●17~18: 「(……)医療関係者らのことばの数々というものがある」――冒頭の一文に置かれた「がある」。一回目。
  • ●18: 「傍観者の無力をせめていくらかなりとやわらげてくれるすべはないものかと藁にもすがるおもいで送りだされているまなざし」――「まなざし」の五回目。しかしここのそれは話者のものではなく、「病人」の「娘ふたり」のものである。今のところ七〇頁まで読んでいるが、話者が他人の「まなざし」を追いかけ、観察するという場面はこのあとも何回か出てきたと思う。
  • ●18: 「まなざしが(……)救いをこいねがう信者の無垢に透きとおっている」――「信者の無垢」。「まなざし」の性質の発見。
  • ●19: 「秘密とは、破格を母胎としてはぐくまれるものである」――容易になっていく「異国語」での「意思疎通」の体験から抽出されたアフォリズム
  • ●20: 「深夜にまでおよぶ降雪の長丁場である」――冒頭の一文に据えられた「である」の一回目。こうした形で状況や対象を明示することが結構ある気がする。
  • ●20: 「足をとめてまなざしを頭上に送りだしてみれば」――「まなざし」の六回目。電線から雪が崩れ落ちて「身投げ」するのを目撃している。
  • ●20: 「一週間ほど留守にしていた自室の戸をひらけば、なじみのないにおいが鼻腔いっぱいに通りぬけてどこまでもよそよそしい」――「なじみのないにおい」。嗅覚のテーマ。

 それで一〇時ぴったりになると読書を止め、クラッチバッグを持って上階に行った。中身は三宅誰男『囀りとつまずき』にFISHMANS『ORANGE』のCD、ほか財布に携帯。便所に寄ってから外に出て、父親の車の助手席に乗りこむ。母親も見送りに外に出てきて、日向のなかでこちらを向いて何やら言っていたが、距離があったため聞き取れず、こちらは視線を周辺に送ったり、母親と目を合わせながらも黙って父親が来るのを待った。そうして出発。FISHMANS『ORANGE』を流しはじめる。街道に出てしばらく行くと父親がFISHMANSについて、何やら昭和っぽいバンドだと言うので笑って、平成のバンドだけれどと返す。昔流行ったグループサウンズがどうとか言っていたが、似ていないと思うのだが。そんなことを話しながら西分まで行き、洋菓子店「ヘーゼル」の前に止まる。祖母のための誕生日ケーキをここで受け取る予定だったのだ。父親が降りて行き、こちらは待つあいだにぼんやりと視線を車外に送り、生命保険のビルから黒いジャケットにスカート姿の女性が出てくるのを何となく見たりする。しばらくすると父親が戻ってきてふたたび出発。日の出インターまでの道中はさしたる出来事もなかった。小作の坂から下り、あきる野市を通って日の出へ。多摩川を渡る際に太陽を反映させる水面を垣間見て、何らかの印象を得たはずなのだが忘れてしまった――白糸を連ねたような、というような比喩を思いつきつつもこれはありきたりだなと払って、その次にまた何か言葉を脳内に構成したはずだったのだが。川の傍を行くあいだは、左方、東側から太陽が車内に射し込んで顔が暖かい。そうして高速道路に乗る直前に父親が、お前もスマートフォンに変えたら、と言ってくる(こちらの携帯は未だにいわゆる「ガラケー」である――と言うか、以前はスマートフォンを持っていたのだが、金が掛かるし、メールと電話さえできれば良いというわけで古い機種に戻したのだ)。先々ガラケーも使えなくなると言うのだが、そうなったら変えるよとこちらはにべもない。結構するだろうと訊けば、五万か六万、iPhoneなどは一〇万くらいするとか言うので、とてもでないが手が出ない。スマートフォンを持っても機能を使いこなせないと述懐し、そうして高速に乗ってから、自分には便利さというものがどこか信用できないと述べる。父親はまあ個人情報がいつの間にか取られているとかなと受けてきたが、それも問題ではあるものの、必ずしもそういう意味で言ったのではなかった。それで、便利になるということは元々あった具体性を捨象するということなのだ、例えばキャッシュレスが今段々と普及しつつあるけれど、そうした決済の仕方では釣りを貰う際に発生していた最小のコミュニケーションが失われることになる――非常にささやかな例だが。ほかにも例えば、自分たちは今車に乗っていて車というものは勿論便利なものだけれど、それによって風景がよく見られなかったり、外の空気の質感を感じ取れなかったりする、そうした具体的な事柄が切り捨てられてしまう、そして小説というのは具体性の芸術であり、車で移動できるところを敢えて歩くことから小説が生まれたりするのだ、だから便利さというのは小説的思考の言わば対極にあるもので、自分はどこかそれが信用できないところがある、便利なのは勿論良いのだが、画一的にそうした趨勢に飲まれてしまうことに対する違和感がある、というようなことを説明した。父親は、しかし車に乗ったことでまた見えてくるものもあるだろうと言うので、その通り、そこにもまた別の形の具体性があるわけだとこちらは受ける。しかし自分はそうした点、結構アナログな人間で、だから便利で新しいガジェットとかを取り入れている友人もいるけれど、自分はあまり興味が持てないと。そしてしばらくしてから、しかしまあ、店側からすればキャッシュレスにしたほうが手間が掛からなくて助かるだろうけれど。すると父親は、自分の会社でも――父親は車を販売する会社で働いているのだが――車を売る時などは勿論カードが使われるけれど、ちょっとした整備の際などはまだ現金が通用していて、それはやはり面倒臭いのだと。しかし中国などはもうキャッシュレスが相当普及しているらしいなとこちらが言って、そこからしばらく中国の話を交わした。こちらは例の、北京市で導入されるという市民点数制のことを説明して、やばいよ、監視社会が、と言うと、父親も、先日、アイドルだかロックバンドだか何だかともかく有名人のライブ会場で、顔認証システムによって犯罪者が一〇人ほど捕まったらしいと話す。もう登録してあってわかるのだと。捕まったほうも、やばいかなとは思ったのだけれどしかしどうしても見に行きたかったとか供述したらしくて、それには笑った。ほか、先日Aくんたちと話したことの繰り返しだが、古来から大帝国だった中国の長い歴史からすると欧米の食い物にされた近代以降、今の時代のほうがむしろ例外的なのかもしれない、これから先、また中国の天下みたいなものが来るのかもしれない、習近平などはそれを目指しているわけだろうと述べる。そんな話をしているうちに藤野のパーキングも過ぎて、しばらくして上野原に降り立った。市内を走り、四方津駅近くまで来て、コモアしおつのほうに上って行く。そうして公正屋に駐車。父親はそこでYさんに電話を掛けたのだが出なかったので、今度は祖母のほうに掛けて、するとこちらは出てYさんに替わる。Mさんも遅れるものの昼飯を食べにやって来るということだったので、面子はこちら・父親・祖母・Yさん・Mさんの五人となった。降車してスーパーへ。父親が押すカートの上に籠を載せて入店すると、パンの良い香りが鼻をくすぐる。寿司と揚げ物とサラダを買おうということだった。それでまずサラダを見分して、マカロニのものとポテトサラダと、ドレッシングがついていたほうが良かろうというわけで(今祖母はYさんの家に居候しており、祖母宅にはドレッシングがないだろうとのことだった)、蒸し鶏と胡瓜などの混ざったものを籠に。揚げ物はヒレカツとソースの絡んだチキン。それで一〇貫ほど入っている寿司を五パック入れて、あとは飲み物というわけでフロアを渡った。こちらはジンジャーエールのペットボトルを一つ取り、ほか、父親は炭酸水を二本と茶を二本保持する。それで会計。父親が払っているあいだこちらは荷物整理台の傍をうろうろしながら待ち、会計が終わると籠を受け持って袋にサラダや飲み物を入れた。寿司などのほうはレジで店員が整理してくれて、そうして荷物を提げて退店、車に戻る。それで出発、一旦向かった道が、薄々そうではないかと父親は気づいていたらしいが、道が凍ってしまうとかで通行止めになっていたので、もと来たほうに戻り、丘を下り、四方津駅前から貯水池のほうへと上って行く。貯水池に差し掛かると正午前の太陽が水面に宿り、無数のガラス片をぶち撒けたような細かな輝きが水の微小な襞のあいだに入りこんで発光し、車が過ぎるあいだその後ろを併走してついてくる。そんな光景を見つつ車に乗って、じきに到着。降りてビニール袋をすべて受け取り、庭を抜けて玄関に入った。靴を脱いで上がり、居間の障子を開けてこんにちはと挨拶する。炬燵に入っていたのは祖母とYさんである。寿司が来ましたと言って荷物を卓上に置き、仏壇に線香を早速上げておいてからこちらも炬燵に入る。じきに父親もやって来ると、ケーキを受け取って冷蔵庫に仕舞う。時刻はちょうど正午になる頃合いだった。そうして食事。小皿に醤油を注ぎ、山葵を混ぜて、寿司をがつがつと食う。チキンやヒレカツも頂き、腹がいっぱいになったが、祖母が余した寿司も薦められたのでそれも頂く。テレビはニュース――ではなくて、昼のワイドショーを写していたのだ。坂上忍が出演しているやつだ。そこで小室圭氏の母親の借金騒動を扱っていた。こうした問題になっていることをこちらはこの時初めて知ったのだが、小室氏の母親が元婚約者の男性から金を貰っていたらしく、それが贈与だったか貸付だったかで揉めているらしい。こうした番組に特段の興味はないし、小室氏の問題にも特段の興味はないし、ワイドショーというものは暇な芸能人が大して興味もない事柄に対して雑駁にくっちゃべったり我が物顔に意見を述べたりするだけの場であり、さしたる問題ではないことをあたかも大問題であるかのように騒ぎ立てるのが得意な人々の場だろうから警戒感が先立つのだが、父親やYさんなどは、皇室の一員と結婚するのだから、真実がどうであったとしても、四〇〇万くらい払ってしまえば良いのにと言って、こちらもまあそれはそうだろうなとは思った。スタジオも概ねそのように、小室氏側が世話になったのは事実なのだから、恩に対する礼として経緯はどうあれ返すべきだろうと、大体そのあたりで固まっているようだった。コメンテーターのなかでは、ホラン千秋という人が若い女性だけれどまだしもましなことを述べていたような気がする。まあそんなことはどうでも良いのだが、それを見ているとMさんがやって来て一座に加わり、もっと楽しいような番組はないのかと言ってチャンネルを変え、それでNHK朝の連続テレビ小説まんぷく』の再放送が映った。ラーメンを作ろうとしているらしいのに、父親が初見の反応を示すので、チキンラーメンの人なんでしょうとこちらは口を突っ込む。それで、そうなのか、となっていた。まもなくドラマも終わって、『ごごナマ』が始まり、この日のゲストは中村梅雀だった。二五歳下の女性と結婚したらしい。この人は俳優活動のみならずベースも弾く人で、結構豪華な面子を揃えてフュージョンをやっているアルバムを、昔立川図書館で借りた覚えがある(あれはもしかすると、まだ高校生の時分だっただろうか?)。まあそんなことはどうでも良いのだが、じきにこちらは炬燵に半身を突っ込んだまま寝転がり、ものを食ったばかりで食道に良くないというのに臥位で休みはじめた。別に寒くはなかったのだが、すると父親が布団を持ってきてくれたので有り難く身体の上に掛ける。それで目を閉じ、時折り開けてテレビのほうを見やったりしていたのだが、そのうちに、多分眠ったわけではなかったと思うのだが結構長い時間目を瞑っていたのが続いて、気づくともう三時になっていた。父親も居間の片隅に置いてあるマッサージチェアに移って目を閉じ、身体をほぐしていた。そう言えば書き忘れていたが、Mさんが何故かこちらに対して、「チョコボール」のキャラメル味を買ってきてくれたので、笑って、ありがとうございますと受け取った。彼女は同時に「メルティ・キッス」のチョコレートも買ってきていたので、皆でそれも頂いた。三時からはニュースを見たと思う。覚えているのは、インフルエンザに掛かった児童がマンションの三階から転落したという事件で、映し出されたマンションが随分瀟洒そうなもので、何だか良いマンションに住んでいるなと口にした。インフルエンザになってタミフルを摂取した若者が飛び降り自殺をするなどとひと頃話題になっていたと思うが、薬剤を摂らなくともインフルエンザに掛かっただけでそうなることもあるのだと父親など話す。それで三時半に至ったところで、ケーキを食べようということになった。お披露目されたケーキは生クリームがふんだんに塗られ苺が載せられた純白のホールケーキで、父親の手によってそれが切り分けられた。ケーキの上には何らかの鳥を象った小さな像が作られており、鳩だろうか燕だろうかなどと言い合ったのだが、何故誕生日ケーキに鳥の像が載せられていたのかはわからない。ケーキは美味だった。そう言えば、先日(一月二日)に集まった時に体調が悪いということで欠席していたSさんは、Mさんによるとまだ相変わらず調子があまり良くないらしいのだが(具体的にどう悪いのかは判然としない)、この日はそれでも調布だかどこかに勝ち歩き大会のようなイベントに参加しに行ったと言う。それで四時頃になったところでそろそろお暇しようということになった。ゴミを片づけ、炬燵のスイッチを切り、こちらはビニール袋を持って(空のペットボトルにチョコボールと、父親が持ってきたものを分けたのだが、青梅煎餅が入っていた)玄関へ。出ると、鮮烈な赤さのピラカンサが相変わらず咲き誇っている。玄関の外でこちらは傍らに立ったMさんに、何か読んでますか本をと尋ねると、有川浩(『図書館戦争』シリーズの著者だったはずだ)の『植物図鑑』というのを今は読んでいて、ほか、友人から貰ったか借りたかした東野圭吾とか言っていた。以前我が家に送られてきた手紙に、金子兜太の死が触れられており、また同時に澤地久枝の本を読んだなどと書いてあったので、結構インテリなのだなと思い、文学方面などいける人なのかと思ったのだったが、特にそういうわけでもないらしい。それで門を抜けて駐車スペースに出て、Mさんが先頭で去って行くのに手を振り、我々も発車して後ろの祖母とYさんにも手を振った。電車で帰ると伝えてあった。理由を問われたが、車は狭苦しいし、電車で帰れば本を読めると言うと父親は納得したようだった。それで祖母の宅から一度上の道に上り、ちょっと行ってから下って行く。大野貯水池のあたりに差し掛かったところで、ラジオが東洋大学の、竹中平蔵を批判した学生が退学処分を勧告されたというニュースを伝える。これはこちらも、Twitterかどこかでちらりと目にした覚えがある。父親はそれを聞いてええ、と呟き、何とか言ってみせたのでこちらは、いや行き過ぎでしょう、と。批判しただけで退学は明らかに行き過ぎでしょう。すると父親も、そうだよなと意を得る。と言うかそもそも大学などという場所は、最も自由に批判ができる場でなければならないはずなのだがとこちら。その後、情報を聞き続けていると、件の学生が配ったビラの内容などが伝えられるのだが、こちらが思うところではわりあい正当な懸念を示しているように思われたし、退学を通告されるほどの内容ではなかったと思う。しかし、もう四方津駅に着く頃合いに伝えられたところでは、大学側は、禁止されている立て看板を設けたことで注意をしたのは事実だが、退学勧告などはしていないと主張しているようで、双方の言い分が食い違っていてよくわからない。それで駅に到着したので父親に礼を言って降り、改札を通った。するとちょうど、中央特快東京行きが入線してくるところで、果たして乗れるかと思いながらも足は急ぐ気にならない。それで普通の歩調で階段を上っているとしかし電車はここでいくらか停車するようで、しばらく発車しなかったので無事乗ることができた。席に就いて三宅誰男『囀りとつまずき』を読みはじめたのがちょうど四時半。三六分に電車は発車。前屈みになって本の頁に目を落とす。高尾を過ぎ、しばらく行って立川着。本を片手に持ったまま降りてホームを替える。青梅行きは扉際に就き、引き続き書見。『囀りとつまずき』は明確に面白い。以前読んだ時にはテーマとして「意味の変容」を中心的に扱っているという印象を受けたのだが、実際のところこの作品の主題はそうした狭い範囲に限られず、非常に多様である。話者は世界に対して自らの五感を押し広げ、日常的な生活のなかから、ささやかではありながらも確実に何らかの質感を伴った「気づき」の瞬間を蒐集してみせる芸術家の瑞々しい感性を披露している。透徹した鋭い視線の光る断章から少々鈍く威力の薄いと思われる断章――ささやかさをささやかさのままに忠実に提示する――まで雑多に取り揃えられているが、鈍さの存在が瑕疵となるのではなくて、むしろ生を総体として表現するために必要な部品となっている。隙なく磨き込まれた息の長い文体による、いかにも「小説」だと感じられるような具体的な事物の描写から、意味の圏域の広い抽象的なアフォリズムまで含まれている一方、少々文化人類学的と言うか、異文化の体験から来るちょっとした考察のような断章も存在している。頁を読み進めるごとに新たな側面が顔を現し、この多彩な断章群にどうにか整理を付けて整合的な見通しを得ようとするこちらの意図をすり抜けて行き、またはぐらかす雑駁性を備えている。生半可な要約を試みようとする小賢しさを拒否するような向きがあるのだ。そうした間口の広さ、射程の広角度こそが、まさしく「小説」といういかがわしい作物の豊かさを体現しているのではないか。書きつけられた「まなざし」の語の多さからしても、「視覚」による「目撃」が一つの特権的な主題として現れているというのはおそらく正しいだろう。その点で、「視ること、それはもうなにかなのだ」という文言がエピグラフとして引かれている梶井基次郎の、あの世界との繊細な交感を受け継ぐ貴重な書物ではあるが、しかしそう口にした途端に、この豊かな作品のほかの側面、聴覚や嗅覚、触覚や概念的思考の領域を切り捨て、無視することになってしまうのだ。そうは言いながらも、やはりこの作品を短く表す整理された言葉を探ってしまうのだが――「生のなかに散りばめられた差異の百科事典」というのはどうだろうか?(その点自分はやはり、『囀りとつまずき』を、ロラン・バルトの言う「差異学(ニュアンス学)」の視点から考えてみたい――と言ってしかし、バルトはその内実をさほど具体的には述べていなかったと思うのだが)。そう、この書物は事典なのだ。辿るべき正当な順路はなく、どこから読んでも良いし、どこをどれだけ読んでも良い。柄谷行人との対話における蓮實重彦の発言を引こう――「小説が、何にいちばん似ているかというと、僕は百科事典に似ていると思う。どこのページから読みはじめてもかまわないのが小説だという意味で似ているのであり、それは物語に対する逆らい方でもあるわけだけれども、実際に面白い小説ってそうでしょう。どこを読んだっていいわけです」(『柄谷行人蓮實重彦全対話』、三一一頁)。『囀りとつまずき』は、ここで言われていることがそのままぴたりと当て嵌まる、まさに「小説」なのではないか。またもう一つ、この書物が何に似ているかと言えば、それは句集だと考える。実際、ほとんど自由律俳句にも似た短い記述もあるのだが、この作品が散文でありながらも同時に句集の平面を実現しているとするならば、それは、バルトが自分なりの「俳句」を試みたと思われる「偶景」を、文体や装飾の濃密さの面である種裏切る形ではありながら、しかしやはり着実に継受しているという意味でもあるのだ。
 小作あたりから座って読み続け、青梅着。空気が冷たいのでモッズコートのファスナーを閉めて防備する。奥多摩行きは六時九分で、一〇分かそこら待てば乗れる時間だったが、何となく歩いて帰る気になった。それで駅を抜け、コンビニの前を過ぎて角を折れると、後ろから来る車の気配があって振り向けば、深い藍色で滑るように入ってくるその自動車の、こちらの父親のものだった。随分と甚だしい偶然である。ちょうど良かったと互いに笑い合い、後部座席に乗りこむと、父親はコンビニに用があるようで一旦出て行き、戻ってくると発車。ちょうど入線してきたあの電車に乗れたのかと訊くので、ああ、乗れたと返す。そうして帰宅。鍵を開けてなかに入ると、母親は帰ってきており、台所仕事をしているところだった。こちらも台所に入り、エノキダケと牛肉が炒められているフライパンの前に立って、茸をほぐし、箸を動かすのだが、火力の弱いほうの焜炉でなかなか肉の赤味が取れないので、じきに母親に任せて下階に下りた。時刻は六時過ぎ、腹は減っていなかった。インターネットを覗いたあと、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』から冒頭の三曲を歌い、続けてFISHMANSの曲も流して歌う("忘れちゃうひととき"が素晴らしい)。それで七時半を迎え、ここでようやく日記に取り掛かった。やはり書くことが多いとわかっていると、書かなければならないのにかえって遠ざけてしまうようなところがある。読書ノートを見ながら八時過ぎまで三〇分間記述して、入浴に行った。風呂に浸かっているあいだは、多分『囀りとつまずき』のことを考えていたと思う。出てくると食事。おじやと炒め物。テレビは何を流していたか定かに覚えていないが、二人揃って炬燵に入り、番組に応じて何だかんだと言っている両親を見て、やはりくだらぬテレビ番組ばかり見ていないで、本でも、できれば文学でも読んでほしいものだなとは思ったものの、父親はともかく母親には無理な相談だろう。そうして食事を終えると緑茶を持って自室へ、日記を書かなければならないはずが、幸村誠ヴィンランド・サガ』を読みはじめてしまった。二巻の途中で停止していたのだ。それで、二巻だけ読もうと思っていたつもりが三巻、四巻と読んでしまい、いつの間にか日付替わりも間近になっていた。そしてようやく日記に取り掛かり、Junko Onishi Trio『Glamorous Life』を聞きながら書き進めて二時間三〇分、『囀りとつまずき』の感想を仕上げたところで眠ることにした。二時四〇分就床である。ほか、この夜は短歌を二首作った。「曖昧が乾いて香る現し世に病んで眩んでさてさようなら」と、「語彙を撓め意味を歪めて手慰み歌を憧れ無様に呻く」。眠気がまったくなかったので眠れるのだろうかと危惧したと言うか、眠ること自体が面倒臭えなあという気持ちがあって、眠らなくて済むものならもっと本を読んだり何だり出来るのだがと思い、実際仰向けで静止していても眠りがやって来ずに、一時間経ったら起きてしまおうなどと思っていたのだが、姿勢を横向きに変えるとそのうちに寝付いていたらしい。三〇分くらい掛かったのではないか。


・作文
 7:55 - 8:56 = 1時間1分
 19:39 - 20:12 = 33分
 23:59 - 26:26 = 2時間27分
 計: 4時間1分

・読書
 9:21 - 9:26 = 5分
 9:28 - 10:00 = 32分
 16:30 - 17:56 = 1時間26分
 計: 2時間3分

  • 2018/1/23, Tue.
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 43 - 71

・睡眠
 1:00? - 6:35 = 5時間35分

・音楽

  • SIRUP, "SWIM"(『SIRUP EP』)
  • Sinne Eeg『Dreams』
  • Oasis, "Hello", "Roll With It", "Wonderwall"(『(What's The Story) Morning Glory?』)
  • FISHMANS, "気分", "忘れちゃうひととき", "MELODY"
  • Junko Onishi Trio『Glamorous Life』
  • Junko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard

2019/1/22, Tue.

 まだ夜も明けず真っ暗な四時二〇分頃に一度覚めた。その後、だんだんと薄明るくなってきた六時半頃、もう陽が山から出てきて充分明るい七時半頃と覚め、最終的に八時半の起床を見た。インターネットをちょっと覗いてから上階へ。母親がおはようと挨拶してくるのに、ああ、と簡潔に受ける。前日のフライの残りがあると言う。それで、海老フライと手羽先を一つずつ皿に載せて電子レンジに突っ込み、白米をよそり、大根の味噌汁を温めた。そうして食事。新聞からは芥川賞の選評と、一面の韓国レーダー照射事件関連の記事を読む。母親は今日、着物リメイクで一日仕事らしい。図書館に行くと言うと、洗濯物を入れて行ってとかいややっぱり入れなくていいとか言っていたが、良く聞いていなかった。食事を終えて抗鬱剤ほかを飲み、食器も洗うと自室へ。日記に取り掛かる気力があまりなく、しばらくTwitterを覗いてフォローを増やしたりしていたが、九時五〇分から気を入れて記しはじめた。そうして前日の記事を仕上げ、ここまで書いて一〇時四〇分。図書館に行くとは言ったものの、実のところどうしようか迷っている。
 日記の読み返しを行った。まず一年前。まだまだ神経症状が抜けきれておらず、この明け方も相変わらず不安と緊張に苛まれている。またこの日は雪が降っていて(初雪だろうか?)、白いものが降り積もったなかを足を濡らしながら職場に出向き、しかし結局仕事は休みとなっていてただの散歩をすることになったという一幕があった。その道中の描写。

 道は静かだった。足音や道端の家の雪かきの音、時折り裏路に入ってくる車の音など、さまざまな音が、雪が降っているというその響きがあることによって、それぞれくっきりと輪郭を立たせるようであり、その合間の時間も実に静かに感じられるというのは、どういう効果なのだろう。さらに進んで空き地に掛かると、一面白く埋められたそのなかに男児が二人遊んでおり、目を振れば女児の姿も二つあって、水色とピンクの傘をそれぞれ指した彼女らが白さのなかをゆっくりと、少しずつ横切っていくそのさまを真横から眺める視線になって、ここでも、これだけでもう映画ではないかとの感を得た。その場を離れながら、やはりこの世界そのものこそがこの世で最も豊かな映画、音楽、小説、そしてテクストなのだと前々からの考えを繰り返したのだが、これらの極々日常的でささやかなシーン/偶発事に、そんな風に殊更に感じ入ってしまって良いものだろうか?

 また、職場から電車に乗って最寄り駅に戻ってきての観察――「足もとの雪は至る所からちらちらと煌めきを放っており、その上に降り続く雪片の影が舞い乱れるのだが、実のところ、それらのうちのどれが電灯に照らされた影なのか、どれが地に落ちる直前に揺動する実物なのかまったく見分けがつかなかった」がそこそこ良いのではないか。
 続いて、二〇一六年八月一五日。両親が立ち働いているなかで自分だけのうのうと本を読んで好きなことをやっているのに、軽い罪悪感のようなものを覚えており、「両親の気配が知覚に届くとそのかすかな物音などが棘と化したかのようにちくちくと自分を責めるのだった」と言う。また、「実際に自分が図書館を訪れて、周りに他人がうろつくなかで文を綴ることを考えると、何か忌避感のようなものを覚えたのだ」とか、「レジで店員とやりとりをするのが、たかが二、三の言葉を交わすだけのことにもかかわらず、億劫に思われて仕方がなかった」とか書いてあり、色々な面で今よりも「繊細」であると言うか、やはり不安障害の圏域にまだあるのだろう、他人とのコミュニケーションにあって交わされる意味=権力に無駄に敏感であるらしい。今は不安障害も消えて、家にいても両親の言動などに煩わされることもなく、家事も大したことではないが以前よりは率先して取り組んでいて、病気を通過してよほど図太くなったようである。しかしもう消え去ったパニック障害がまた復活するということだって、まったくないとは言い切れないだろう。自分としてはおそらくもう不安に苛まれることはないだろうと思ってはいるが、一年前に変調を招いた時だって自分はもう治ったと思っていたわけだから、自身の体感など完全には当てになるものではない。何が起こるのかわからない不確定性のなかに否応なしに飲まれているのが人生であり、これから先、ふたたびパニック障害に悩まされたり、また鬱病に陥ったりすることだって可能性としてはあり得るだろう。
 その後、書抜きの読み返し――一二月二七日から二五日まで。一度読むだけで大方内容を復唱できる。一九六〇年六月四日の安保改定阻止第一次実力行使には全国で七六単組四六〇万人が参加したと言うのだが、今からはまったく考えられない、想像もつかないとんでもない規模の抗議運動ではないか。まさしく政治の時代というわけだろうか――読み返しを終えるとちょうど一時間が経って正午前だった。ものを食べることにして上階に上がった。母親が弁当を作っておいてくれたと思っていたのだが、台所や冷蔵庫のなかなど見てみてもどうも見当たらず、それであれはこちらに対してのものではなく、自分用のものだったのかなと判断した。仕方なくこちらは日清のカップヌードルを食べることにして、シーフード味を戸棚から取り出す。そのほか、大根の味噌汁を温め、あとはバナナとゆで卵である。新聞を読みながら食べる――国際面。読んだのはフィリピンのミンダナオ島におけるイスラム自治政府への参加を決める住民投票の記事、イスラエルがシリア国内のイラン関連施設に空爆を仕掛けたという記事、英国のEU離脱関連の記事の三つ。そうしてものを食べ終えると食器を洗う。出かけようかどうしようか迷う心があった。『「ボヴァリー夫人」論』を返しに行きたいは行きたかったが、せっかく自宅に一人でいられる機会だから、思う存分本に読み耽るのも良いのではないかとも思われた。とりあえず、差し当たりどちらにしても髭を剃ることにした。それで洗面所に入って電動髭剃りで口の周りや顎をあたる。それから風呂も洗った。ブラシを使って浴槽全体を泡で覆わせ、特に内側の下辺は念入りに擦っておく。それで下階に戻る頃には、ひとまず出かけるだけは出かけようと心が固まっていた。インターネットをちょっと覗いてから、FISHMANS "チャンス"を流して服を着替える。白いコットン・シャツにグレーのイージー・スリム・パンツ、それにモスグリーンのモッズ・コートである。引き続き、"ひこうき"、"BABY BLUE"も流して歌ったあと、荷物をまとめて――コンピューター・蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』・三宅誰男『囀りとつまずき』・読書ノート――上階へ。靴下を履き、出かける前にアイロン掛けをすることにして、アイロンをコンセントに繋ぎ、器具が温まるのを待つあいだにベランダの洗濯物をなかに入れる。そうして自分のシャツと母親のシャツと二枚を処理すると、便所で用を足してから出発した。風がよく吹く日なのか、駐車場や階段を下りたあたりに薄褐色の落葉が散っている。掃除をしなくてはならないだろうがひとまず放って歩き出し、連想から"Autumn Leaves"の旋律を頭に流しながら坂に入る。正面から冷気が流れてきて、髭を剃ったばかりの口の周りにやや冷たい刺激をもたらす。空は水色、最近の快晴とは違って雲が少々黴のように蔓延っているが、それも少なく、西空にまだ高い午後一時の太陽を侵すほどの量はなく、当分のあいだは陽射しが遮られずに続くだろうと思われた。街道を進むと小公園の入り口で、人足が数人、屋根の上に乗ってそこに乱雑に生えた枝を切り落としていた。あれは確か藤棚だったはずである。日向が広くひらいているので、裏には入らずそのまま表を進むことにした。陽射しは透き通っており、空気には洗われたような匂いが一瞬香ることがある。青梅坂下のT字路では道路工事を行っており、アスファルトを突き崩すものだろう、ドリルのような器具でもってがががががが、と地面を打ち、大きな音が発生していた。さらに進んでいき、商店街に掛かり、眼鏡屋兼時計屋のなかを覗き込みながら過ぎ、駅前で八百屋に掛かると、また風が出てきたねという声がなかから聞こえた。確かに、日蔭のなかに風が走って、少々冷たかった。そうして駅に入り、ホームに上がって――ホームの向かいの小学校の校庭では、ちょうど昼休みなのだろう、また黄色い帽子を被った一年生から高学年の生徒まで子供たちが出ていて敷地全体を覆っており、わいわいと賑やかに遊んでいるなかに時折り、花火の上がる際のしゅるしゅるという音を思わせる響きで、きゃーきゃーという女児の叫びが上がるのだった――一時半発の電車に乗る。リュックサックを下ろすのが面倒だったので座席には座らず、人っ子一人いない先頭車両のなかで扉際に立ち尽くし、手帳にメモを取るのだが、電車が発車するとがたがた揺れてペンの照準が定まらず、書きにくく、文字が震えて乱れる。それで河辺に着くまでのあいだ、いくらも記録できずに降車した。ポケットに手を突っ込んで仁王立ちをしながらエスカレーターを上り、改札を抜けて駅舎を出る。通路が円形歩廊に繋がる角のところで、道を左右から挟むようにして二人、白人が立って何かを配っているようだった。何かと思いながら差し出されたものを受け取ってみると、二つ折りになっており四頁ある小さなパンフレットで、裏には英会話教室の広告が載せられ、一番最初の頁には「わたしはモルモンです」と書かれている。それで、モルモン教徒なのか、と思った。詳しいことは何も知らないが、名前だけは聞いたことがある。折り込まれた内側の二頁に記されている文言を、ここに写しておく。

 (左上に大きな文字で)
 わたしはモルモンです
     (末日聖徒イエス・キリスト教会

 (上記の右側、右頁の上部に)
 わたしたちは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。イエス・キリストの教えを中心として生活するクリスチャンです。
 聖書と共に、モルモン書と呼ばれるイエス・キリストのもう一つの証を学ぶことからモルモンと呼ばれています。
 わたしたちは家族が最も大切であり、家族の絆は永遠に続くと信じています。

 (左頁に)
 Q
 ・どのように伴侶と子供にいつも愛を示すことができますか?
 ・子供に正しい価値観と道徳観を教えるにはどうすればよいですか?
 ・幸せな家庭を築くために神様はどのような助言をくれますか?
 ・私の家族も幸せになれますか?

 Q
 ・宗教にはどのような意義があるのでしょうか?
 ・イエス・キリストを信じることが、どのような人生の助けになるのでしょうか?
 ・真の人生の目的とは何なのでしょうか?
 ・死後の世界は存在するのでしょうか?
 ・聖書にはどんなことが書かれているのでしょうか?

 (右頁に)
 Q
 ・天国はどんなところですか?
 ・どうすれば将来に希望をもてますか?
 ・死ぬのはとても怖くないですか?
 ・神様はいますか?
 ・亡くなった両親や家族にまた会うことができますか?

 →質問を通して感じた感想を
 宣教師に聞かせていただけませんか?
 (また宣教師と共に、教会の見学や聖書の勉強をすることができます)

 その他右下に、メールアドレスや電話番号、ウェブサイトのURLが載せられている。それで受け取ったものを眺めてからポケットに入れると、図書館に入り、カウンターに『「ボヴァリー夫人」論』を返却した。そうしてジャズの棚を見に行く。Junko Onishi Trio『Glamorous Life』があることを知っていた。それで一枚目はそれを借りることにして、ほかに何かあるかと棚を見分すれば、Wynton Marsalis『Live At Blues Alley』がある。それで二枚組のこれも借りることに。最後は棚の上に目を滑らせていると、Sinne Eeg『Dreams』を見つけて、これもScott ColleyとJoey Baronがリズム隊を務めているので聞いてみたかったのだというわけで三枚決まり、貸出機で手続きをした。それから上階へ。新着図書にはアラン・ロブ=グリエの、『もどってきた鏡』だったか、何かそんな風な、「鏡」という言葉が入っているのは確実の、水声社から新しく出たらしい翻訳本があった。それを確認してから日本文学の棚に入り、滝口悠生の作品をチェックする。それから、先日Twitterでその存在を知ったばかりの、鴻池留衣という人の作品も見に行くと一冊あった(この時あったものとは違うが、『ジャップ・ン・ロール』何とか、みたいな題の作が、確か今回、芥川賞の候補になったのではなかったか?)。いや違った、彼らの作品を見る前に文庫の棚に行って、山本健吉『俳句鑑賞歳時記』がないかどうか確認したのだった。これは先日Twitterでフォロワー各位に、俳句か短歌でお薦めの作家があったら教えてくださいと呼びかけたところ、Sさんという方が知らせてくれたものである。それで今日は、特に目的もなく図書館のあとに立川の本屋に出向くつもりだったところ、これを買えば良いではないかと歩いている途中に思い出したのだった。図書館には件の本は所蔵されていなかった。それで立川に向かうことにして退館し、眩しい光の反映する歩廊を渡って駅へ、ホームに下りるとふたたびメモを取った。それでやって来た電車に乗り、席に就くと『囀りとつまずき』を読み出す。やはり「まなざし」とか「視線」のテーマが目立つ。この話者は何かを良く見ている、何かの瞬間を目撃している「目撃者」である。それでは何を目撃しているのか? それは「意味の変容」の瞬間ではないかというのが差し当たりの仮説だが、そのあたりもう少し細かく読んでみないといけないだろう。この作品はまた、「ぴしゃり」とか「がたぴし」とか意外と擬音語・擬態語が使われていて、それが長い装飾を付した古めかしいような文体のなかで一抹の軽さを生み、良いアクセントになっているのではないか。さらにはまた、各断章の最初の文に、「~である」あるいは「~がある」と「ある」で終わる形が結構多いのも気づいた。その点もどのくらいの断章がそうなっているのか測ってみたいところである。
 二時半前に立川着。ホームから階段を上り、改札を抜ける。群衆のざわめきのなかでも、駅舎の出入り口に立つ托鉢僧の鳴らす鈴の音が、煙のなかを一閃走って切り裂く光のように伝わってくる。その前を通って広場に出ると、角のところで何やら、これもキリスト教を布教しようと試みているらしいが、台の上にスピーカーを取りつけてそこから声を出させている、キリスト教を奉じているにしてはいかにも胡散臭い雰囲気の男が一人立っている。今までにも何度か目にしたことのある姿で、先日新宿で見かけたのもこの仲間ではないだろうか。スピーカーからは、我々は罪深い存在だけれどキリストを信じれば救われるのだ、的な単純な文言が流れ出ているようだった。怪しい風体なので通行人もあまり近づきたがらないのか、パンフレットらしきものを差し出している男の周りにはちょっと空隙が生まれていた。そこを過ぎると今度は、アムネスティ・インターナショナル日本の黄色い旗が通路の柵に掛けられていて、ここでもやはりものを配っている人が二人いたが、こちらの近くにいた男性が何故か差し出してくれなかったので、ここではパンフレットを受け取らなかった。そうして歩廊を進み、三階からLOFTのビルに入る。フロアを渡って階段を上り、四階に出たのは、そろそろ手帳の頁が尽きるので新しいものを買おうと思ってのことだった。それでノート類やメモ帳類を見分するのだが、今使っているモレスキンの小型ノートが見当たらなかった。以前この店で買ったもので、買う時には値段を良く見ずにレジに持って行って、そこで初めて二千円だかいくらだか高額なのに気づき、しかし自意識の病から今更止めるとも言い出せずに購入に至ったのだったが、やはり高いだけあって使ってみるとこれが結構使いやすく、もう一度同じものを買おうかと漠然と考えていたのだったけれどしかし同じ品はなかった。それでほかに、KUNI何とかいうメーカーのものが結構良さそうだったのだが、これも一〇〇〇円だか二五〇〇円だかして結構値が張る。そのくせサンプルが置かれておらず、なかの様子が確認できなかったので、躊躇された。それで次善の案として、MDノートというやつが良さそうに思われた。これはもう結構くたびれたようなものだがサンプルがきちんと置かれてあって、見る限りサイズもちょうど良いし、特に書きにくいこともなさそうだろうというわけで、これを買うことにした。一冊がそれほど厚くはないが、三冊組で五四〇円とリーズナブルである。それで会計し、階を下ってふたたびフロアを通り、外に出る。それから歩廊を辿ってオリオン書房ノルテ店に向かった。ビルのなかに入ると、Lester Youngめいたまろやかなサックスの流れ出しているSUIT SELECTの前を通り、星野源の音楽が鳴っているHMVの前も通り過ぎ、エスカレーターに乗って入店。まず、角川ソフィア文庫を見に行ったのは、例の『俳句鑑賞歳時記』を買うためである。所蔵されていた。それでそれを持って海外文学のほうに向かう途中で、後藤明生の存在を思い出して、日本文学の書架のあいだで止まり、蓮實重彦と後藤が交わした座談や対談を立ち読みする。これが含まれた本や、あと『壁の中』というのも面白そうで欲しいのだが、ひょいひょい購入に踏み切れるほど潤沢な財政ではない。読んでいるあいだ、平積みにされた書籍の上には何やらいくつも本が積み上げられた塔が三棟ほどあって、女性店員がそれを運びに来るたびに近くにいるこちらを慮って、失礼しますと声を掛けてくれるのだった。それから海外文学を見た。『ヴァルザー・クレー詩画集』がないかと思ったのだが見当たらず、それどころか以前はあったはずの『ヴァルザー作品集』全五巻すらない。ほか、気になったものが何かあったような気もするのだが、忘れてしまった。それでそれから思想の棚を見に行こうかなというところで、そう言えば『ヘミングウェイ全短編』がほしいのだったと思い出した。新潮文庫のものである。しかし一九九五年くらいに出たものだからもう新刊書店には置いていないかなと思いながら文庫のほうに行ったところが、これが三分冊の三つとも所蔵されていたので有り難く購入することに。そうして哲学の書架へ。並んだなかではやはり『ミシェル・フーコー思考集成』だったか、あの全一〇巻のものが欲しくて、このオリオン書房には何と最初の一巻を覗いてすべて揃っているので素晴らしいと同時に、いかに世の人間がミシェル・フーコーなど読まないのか、彼の集成が買われないのかと証してもいるわけだが、ともかくこのシリーズは一冊が六五〇〇円くらいしてさすがにおいそれと手を出せるものではない。荻窪ささま書店に売っていないかと期待するのだが果たしてどうか。ほかにも色々と気になるものはあったが(ロラン・バルトのインタビュー集、『声のきめ』が特に欲しいが、これも六〇〇〇円くらいする。図書館に入ってくれないだろうか)やはり今購入するものではないなと決めて(ここにはなかったがカンギレムの著作など少々欲しい)、会計に行った。四冊で三四七四円。それで店をあとにしてビルを抜け、『囀りとつまずき』のことを考えながら歩廊を辿り、歩道橋を渡ったところの階段から下の道に下りる。道の左岸、シネマシティやその隣のビルの半ばあたりまで、道の向かいのビルの影が山影のように掛かって、時刻は三時半、そろそろ陽も低くなってきているようだ。それでPRONTOに行った。入店し、先に二階に上って席を確認すると、結構空いていた。壁に接した一席に入る。荷物を置き、ストールを首から取って下階へ、アイスココアのMサイズを注文(三三〇円)。眼鏡を掛けた女性店員から品物を受け取って戻り、喉が渇いていたので上に乗っていたクリームを食べるとココアを一気に吸いこんだ。そうしてコンピューターを取り出し、ソウル風の音楽が色々と流れるなかで日記を書きはじめたのが三時四〇分、現在は五時をちょうど回ったところで、ここまでで今日の記事はおそらく八〇〇〇字くらいにはなっているだろう。ラーメンを食って帰ろうかどうしようか迷っている。それにしても文章を書いているあいだのことというのは多くの文章にはならず、「日記を書いた」くらいのことしか言えないものだ。
 それから図書館で借りてきた三枚のCDの曲目や録音情報などをEvernoteに記録した。テーブルが一つでは狭かったので、隣のテーブルをこちらのほうに寄せて繋げ(それができるほどに店内は空いていた)、広くなった卓上にコンピューターを跨がらせながら打鍵した。

Junko Onishi Trio『Glamorous Life』

1. Essential
2. Golden Boys
3. A Love Song (a.k.a Kutoubia)
4. Arabesque
5. Tiger Rag [Nick LaRocca / Eddie]
6. Almost Like Me
7. Hot Ginger Apple Pie
8. Fast City [Joe Zawinul]
9. 7/29/04 The Day Of [David Holmes]

Junko Onishi 大西順子: p
Yosuke Inoue 井上陽介: b
Shinnosuke Takahashi 高橋信之介: ds

Recorded at Sound City A-Studio on September 4 & 5,, 2017,
and Sound City Setagaya on September 6.
Recorded & Mixed by Shinya Matsushita (STUDIO Dede)
Assisted by Taiyo Nakayama (Sound City)
Mastered by Akihito Yoshikawa (STUDIO Dede)

Produced by Junko Onishi
Co-Produced by Hitoshi Namekata(Names Inc.) & Ryoko Sakamoto(diskunion)

(P)(C)2017 SOMETHIN'COOL
SCOL-1025


The Wynton Marsalis Quartet『Live At Blues Alley』


1. Knozz-Moe-King [W. Marsalis]
2. Just Friends [J. Klenner / S. Lewis]
3. Knozz-Moe-King (Interlude)
4. Juan [J. Watts / M. Roberts]
5. Cherokee [R. Noble]
6. Delfeayo's Dilemma [Marsalis]
7. Chambers Of Tain [K. Kirkland]
8. Juan (E. Mustaad)

1. Au Privave [C. Parker]
2. Knozz-Moe-King (Interlude)
3. Do You Know What It Means To Miss New Orleans [L. Alter / E. Delange]
4. Juan (Skip Mustaad)
5. Autumn Leaves [J. Kosma / J. Mercer / J. Prevert]
6. Knozz-Moe-King (Interlude)
7. Skain's Domain [Marsalis]
8. Much Later [Marsalis]

Wynton Marsalis: tp
Marcus Roberts: p
Robert Leslie Hurst Ⅲ: b
Jeff "Tain" Watts: ds

Produced by Steve Epstein
Executive Producer: George Butler

Recording: Friday, 19 and Saturday, 20 December 1986,
live at "Blues Alley", Washington, D.C.
Engineer: Tim Geelan
Assistant Engineer: Phil Gitomer
Mixing Engineer: Tim Green

(P)(C)1988 Sony Music Entertainment
SICJ 45~6


Sinne Eeg『Dreams』

1. The Bitter End [Sinne Eeg / Soren Sko]
2. Head Over High Heels [Eeg / Mads Mathias]
3. Love Song [Eeg]
4. What Is This Thing Called Love [Cole Porter]
5. Falling In Love With Love [Richard Rodgers / Lorenz Hart]
6. Dreams [Eeg]
7. Aleppo [Eeg]
8. Time To Go [Eeg]
9. I'll Remember April [Gene De Paul / Patricia Johnston / Don Raye]
10. Anything Goes [Porter]
11. On A Clear Day [Burton Lane / Alan Jay Lerner]

Sinne Eeg: vo
Jacob Christoffersen : p
Larry Koonse: g
Scott Colley: b
Joey Baron: ds
Sinne Eeg, Warny Mandrup, Lasse Nilsson, Jenny Nilsson: add vo

Recorded on January 12th and 13th, 2017
by Mike Marciano at Systems Two, Brooklyn, NY

Produced by Sinne Eeg

Vocals Produced by Boe Larsen
at Millfactory Studios, Copenhagen
Mixed and Mastered by Lasse Nilsson
at Nilento Studio, Goteborg

(P)(C)Sinnemusic
VICJ-61764

 そうして五時半、少々早いがラーメンを食いに行くことにした。母親に食べてくるとメールを送り、繋いでいたテーブルを元に戻し、ストールは巻かずにリュックサックのなかに仕舞って席を立つ。手近にいた女性店員にトレイを渡して、ありがとうございましたと礼を言って退店した。通りを歩く。片隅で居酒屋の客引きたちが、同じ店の仲間ではなくてそれぞれ違う店の人員だと思うのだが、仲良さそうに、大袈裟な身振りで何やらジャンケンをしている。そこを横に折れ、裏に入ってさらに左に折れて、階段を上り、「味源」立川北口店に入った。味噌チャーシュー麺(一一五〇円)を選んで食券を買い、席に就くとともに女性店員に食券とサービス券を渡す。サービス券は一〇〇円のキャッシュバックか餃子の小皿かを選べるのだが、いつも餃子にしている。それで三宅誰男『囀りとつまずき』を読みながら待っているといくらも読まないうちに品がやって来た。割り箸を取り、スープをちょっと飲んでからモヤシや葱を搔き混ぜて麺をその下から引っ張り出すと、灰白色の湯気がけたたましく湧き上がる。麺を持ち上げるたびに息を何度も吹きかけて、ゆっくりと食べて行った。具を大方食べ終えると、丼を傾け、蓮華を使ってスープを飲んで行き、最後は丼に直接口をつけて(帽子のつばが丼のなかに入る)すべて飲み干した。汲んでいた水も二口飲んで空にして、余計な時間を使わずにすぐに席を立ち、ご馳走様ですと言って退店した。ビルの外に出、写実的なハンバーガーの写真がプリントされているマクドナルドのバイクの横を過ぎ、表に出ると階段を上って駅前広場へ。駅舎に入り、群衆のなかを通って改札を抜け、五・六番線のホームに下りた。そうしてふたたび『囀りとつまずき』を読み出す。やって来た電車に乗ると二人に挟まれて南側の扉際に寄り掛かる。じきに目の前の人が下りたのでそこに入って角を取った。そうして書見を続け、青梅に着くと乗り換えはすぐ、ホームを歩いているあいだに口を大きく開けて息を吐き出してみるが二酸化炭素はほとんど染まらない。奥多摩行きに乗り、書見をしながら到着を待って、最寄りに着くとここでは息が薄白く色づくようになっていたが、寒さは身体を震わせるほどではない。たまには違う道を取るかというわけで駅正面の坂は下らず、ちょっと東に――そう言えば、駅の階段を上り下りしている最中、東の空の、山際の低みに満月が出ていて、随分と大きいなと、表面はつるつるとして模様がなく幽かに赤味を含んだバター色のそれを見つめた時間があった。それを見ながらちょっと東に歩いて、家の前に続く林のなかに入ったのだが、ここの階段は薄々そうではないかと気づいていた通り、もう使われていないものだから街灯がなくなっていて、途中からまったくの純然たる暗闇で足もとなど少しも見えやしない。それで転ばないように慎重に、靴をほとんど地を撫でさせるようにしてゆっくりと下りて行き(重なり合った落葉のなかに足を突っ込む感触)、道の灯りも届くようになったところで安堵して家の前に出た。帰宅。すぐに自室に帰って服を着替え、インターネットをちょっと覗いてから入浴に行った。身体の痒み、発疹はもうほとんどなくなっている。出てくると八時頃だったようだ。おにぎりを作って部屋に持って行き、コンピューターの前でそれを食べたあと、この日の記事に引用を四箇所分、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』と、大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』から引いておき、繰り返し読んで覚えるようにした。『日本にとって沖縄とは何か』の引用は今日の分で終わり、書抜きの読み返しということを、遅いペースではあるが折に触れてやっているわけだが、こうしたほうがただ一度本を読んで終わりでなく、知識が頭に入るのでやはり良いだろう。沖縄の歴史については、簡単な程度ではあるが多少の年代記的な知識は得ることができている(例えば一九九五年の九月に少女暴行事件があったとか、それを受けて一〇月二一日には宜野湾市海浜公園で八万五〇〇〇人が集まった県民大会がひらかれたとか、さらにそれを受けてSACO=沖縄に関する日米特別委員会というものが組織されて基地返還計画が示されたとかそういったことだ)。その後、fuzkueの「読書日記(119」を最後まで読み終える。この時だったかどうか定かではないが、また一つ、「退屈な映画みたいな人生さオレンジ潰して燃えてさよなら」という短歌を作った。そうして時刻は九時半頃、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読みはじめたが、街に外出したためだろうか、ベッドに転がっていると一〇時にもならないのに早くも眠気が湧くようだった。それで三〇分ほど読んだところで切り上げ、それから本を読む気が湧かなかったので漫画でも読むかというわけで、幸村誠『ヴィンランド・サガ』の一巻を取った。そこそこだが、今のところは『プラテネス』のほうが良い気がする。続けて二巻も持って読んでいたのだが、半ばあたりに達したところで力尽き、ちょっと休もうと本を逆さにしておいて目を瞑っていると、いつの間にか眠っていたようだ。気づくと三時になっていたので、歯も磨かずにそのままこの一日を終わらせることにした。
 書き忘れていた。立川から帰る電車のなかで、気持ち悪くなると言うか、通常の気持ち悪さではないのだが、喉元が迫り上がるようになった瞬間があった。要するに、不安障害の症状の軽いものが一瞬回帰してきたということだ。そうしたことは久しぶりで、緊張とともに、ちょうど昭島に着いたところだったので、ひらいた扉のほうを見てこの場から逃げ出したいという気持ちが生じるのを感じたが、いや、落ち着けと自分に言い聞かせて自己の身体感覚を観察すると、以前王子から帰ってきた際に吐いた時のような、車に酔ったような気持ち悪さは感じられないなと確信を持ち、だからこの吐き気(?)というのは幻影的な、あくまで緊張から来るものだと理解され、その緊張だってそれほどのものではないから大丈夫だろうと本に目を戻したのだった。それからしばらくのあいだも、喉元がやや苦しいような感じが続いて、時折り緊張の芽が伸びかける時があったが、こうした感覚の時に吐いたことは実際一度もないので大丈夫だろうと確信があり、大したことにはならなかった。


・作文
 9:49 - 10:39 = 50分
 15:41 - 17:04 = 1時間23分
 計: 2時間13分

・読書
 10:43 - 11:44 = 1時間1分
 13:59 - 14:23 = 24分
 18:04 - 18:46 = 42分
 20:13 - 21:21 = 1時間8分
 21:35 - 22:01 = 26分
 計: 3時間41分

  • 2018/1/22, Mon.
  • 2016/8/15, Mon.
  • 2018/12/27, Thu.
  • 2018/12/26, Wed.
  • 2018/12/25, Tue.
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 16 - 42
  • 2019/1/22, Tue.
  • fuzkue「読書日記(119)」

・睡眠
 1:00 - 8:30 = 7時間30分

・音楽

2019/1/21, Mon.

 七時半に一度覚めて、さっさと起きて活動しはじめたかったが起床できず、八時五〇分を迎えた。Twitterを確認してから上階へ。母親に挨拶。ジャージは洗ったと言うので仏間の箪笥から新しいものを取り出し、着替えて、米がないと言うから珍しく食パンを食べることにした。オーブントースターに一枚突っ込み、傍ら野菜スープを温め、ゆで卵とともに卓に運ぶ。パンがこんがりと焼けたところでバターを切って載せ、もう少し加熱して脂が溶けたところで取り出した。そうして卓に就いてものを食べる。新聞は一面、辺野古に軟弱地盤が見つかったため(と言うかもうずっと以前からその存在は知られていたらしいが)工事計画が変更になるところ、県はそれを認めないためふたたび県と政府との法廷闘争が始まるかもしれないと。三面の記事のほうも読み、食器を洗って薬を飲む。
 そうして風呂も洗わぬまま、緑茶を持って自室へ。九時半過ぎから日記。小沢健二を掛けながら前日の分を仕上げ、ブログに投稿し(この際に引用部分を囲ったり箇条書きを作るのが結構面倒臭い)、この日の分も書いていると、現在時に追いつかないうちに天井が鳴る。墓参りに行くことになっていたのだ。もう以前と違って苛立ちというものを覚えることもほとんど皆無になったのだが、それでもやはりこの時はあと少しで終わるのにと多少うるさく思った。時刻は一〇時半前だった。作文時間を記録しておき、呼ばれたからと言って急ぐこともあるまい、一つ一つ動作をこなしていくしかないと決めて鷹揚に服を着替えた。そうしてモスグリーンのモッズコートを羽織り、FISHMANS『ORANGE』のCDを持って上へ。便所で用を足し、風呂を洗い、荷物を持って外に出る。道の向かいの家の垣根の傍、日向のなかに入って母親が来るのを待つ。O.S(多分漢字はこれで合っていると思う)さんが赤いジャージ姿で、おそらく化粧もしないでいるのを垣間見たが、顔を合わせなかったので挨拶はしなかった。落葉を片付けるか何かしているらしいところに母親が出てきて、こちらは挨拶をして、何のことだかこのあいだはすみませんと言い合っていた。空はこの日も、雲の存在を許されていない澄み切った晴れである。そうして車の助手席に乗り込み、FISHMANSのCDを挿入、流しはじめる。(……)のセブンイレブンで花を買うとのことだったので、ついでにポテトチップスを買ってくれと頼んだ。(……)から坂を下る途中で、曲は"忘れちゃうひととき"に移り、こちらは偉そうに足を組んで靴の先でダッシュボードを少々汚す。セブンイレブンの駐車場に入る際、鮮やかな赤い花をつけた立木の並んでいるのが目に入って、あれは椿、と訊くと、椿かな、山茶花じゃない、椿と山茶花と違いがわからない、ということだった。それで母親が買い物に行っているあいだ、こちらは車に残って、その椿だか山茶花だかが風に身じろぎしているのを眺めて待つ。近くにはこじんまりとした、黄土色の壁の小綺麗な家が建っており、二階のベランダから垂れ下がった白いシーツが風をはらんで膨らみ、はたはたと蠢いていた。左方を見やっても立木の向こうに同じような、こちらは赤っぽい壁色の小家がある。空は建物の輪郭線に接するところまで偏差なく青さが染み渡っている。戻ってきた母親は、チキンも買ったと言った。それで(……)へ。玉砂利の上に停車し、荷物を持って降りると母親と連れ立って母屋に近づいてインターフォンを鳴らす。足音がしてはい、どうぞ、と声が掛かったので、母親が横滑りの扉を開け、あとからこちらも入って挨拶をした。出てきたのは、母親が言うには一番下の息子さんだったようだ。それで彼女は品物(あとで訊くとチョコレートとのことだった)を渡して、今年も宜しくお願いしますと挨拶をする。こちらも、帽子を被ったままで不遜ではあるが何度も頭を下げて、相手も跪いて禿頭の裏がすべて見えるほどに深く頭を下げた。そうして辞去し、墓場へ。墓場の入り口にあって薄緑色の蕾をつけている木を、これは海棠だったかと訊くと、何とか言う別の木じゃないかという返答があった(「鼠」という語が含まれていたような気がするが、そんな名前の木があるだろうか?)。水場に行くとあたりのいくつもの桶のなかに何故か既に水が汲まれてあったが、これはどうも井戸が凍っていたためだったようだ。そのなかの一つを持ち、随分と満杯だったのでちょっと零してから運び、我が家の墓所に行く。箒と塵取りを持ってきた母親が早速あたりを掃きはじめ、こちらはからからに乾いて枯れた供花を取って塵取りに捨てた。それから箒を受け継ぎ、ゴミを一旦捨ててきたあとに周辺を掃き掃除する。合間に母親が墓石を拭き、大体終わると花をビニールから取り出して、茎を少々折って花受けに挿して供えた。それから線香を包んでいた紙にライターで火を点け、母親がさらに持った線香の束に炎を移す。そうして分け合い、供えようとすると、墓所の上に片足を踏み出したところで目の前の花の付近に蜜蜂が現れて、この冬時に蜜蜂とは、と思われた。それだけ快晴が暖かいわけだ。そうして線香を供えて手を合わせ、体調が良くなりふたたび読み書きが出来るようになったことへの感謝をまず述べ、これからもずっと書き続けることができるようにと願った。そして米を供え(一旦供えて母親に返したのだが、墓場に持ってきたものは持ち帰らずに使ってしまったほうが良いと言うので、袋を逆さにして不遜にも墓石の頭から零して掛けた)、やることは終わりだが、母親のほうは線香や米を供えたあとも何やらまごまごと細かく動き回っていて、落ち着いて手を合わせるような素振りがなかった。それからぼんやりとした時間を過ごしていると、先ほどの蜜蜂がふたたび現れて、今度は我が家の墓所の隣の墓石に止まる。それに近づき目を寄せると、こちらの気配があっても逃げずにじっと停まっている蜂の、虎のような模様の微細な体の上に、その領域の狭さにもかかわらず極小の光点が宿って艶めいていた(ところで、蓮實重彦が読んでいた山岡ミヤという作家のすばる文学賞だかの受賞作が『光点』というタイトルではなかったか?)。ほか、青空を見上げると、汚れの一滴もなく無限に広がる水色のなかに飛行機の――ここで何らかの印象がもたらされてその場で言葉に形作ったはずだったのだが、どんな文章だったか忘れてしまった。それなので、飛行機の微小な白い姿が嘘のようにしてゆっくりと流れていくのが見つめられた一幕もあった、とだけ言っておく。そうしてじきに帰ることになり、墓所をあとにして(母親は墓に向かってじゃあね、と声を掛けていた)、ゴミを捨てて桶や箒や塵取りを戻し、墓場を抜けるとこちらは便所に行った。用を足して手を洗い、ハンカチを持っていなかったのでコートのポケットに両手を突っ込んで出てくると、母親は池に寄って鯉に食パンの切れ端を放っていた。その横にこちらも行き、母親の投げるパンの小片が鯉の口に吸い込まれていくのをぼんやりと眺める。すべて投げ終わると帰ろうということで車に戻った。昼飯は、「かつや」で買って帰ろうということになっていた。それでしばらく移動し、駐車場に停めて、母親がサービス券の存在を確認したところで降りて入店する。母親は普通のカツ丼、こちらはチキンカツとカレーが混ざった弁当を選び、ほか、手羽先が二本と海老フライ三本が購入された。待っているあいだにカウンターの向こうの仕事場を眺めていると、客への声の掛け方も堂に入っていてベテランらしい男性が、手際良くカツを取っては大きな包丁でさくさくと切り分けている。じきに壁際のソファ席に就き、しばらく待つと声が掛かったので会計して(この時母親は、二〇〇円の豚カツソースを追加で買っていた)退店。車に戻り、帰路に就く途中、母親がどうせなので銀行にも寄ろうかなと言う。了承して駐車場に入ると、こちらは母親に携帯電話(スマートフォン)を貸してもらい、三宅さんのブログにアクセスした。そうして読むのだが、外で母親が何やら高年の男性と話をしていたのは、あとで訊くと、その人が駐車場の精算方法がわからなかったらしく、一緒について銀行まで行ったらしかった。読んでいるうちに母親と老人が戻ってきて、車の番号は一〇番ですよねとか彼女は老人に訊き、その番号を入れて機械で精算する(と言っても三〇分以内だったら無料のようだったが)のだと教えて、無事に老人は外に出ることができた。我々も退去し、西分の踏切りを越えた付近で今度は郵便局に寄る。今しがた下ろした金を、郵便局の口座のほうに入金するらしかった。ここではそう時間も掛かるまいとこちらは携帯を借りず、左手の指で窓際を叩き、右足を踏みながらビートを刻んでいるうちにすぐに母親は戻ってきた。そうしてふたたび走り、帰宅。荷物を持って玄関の鍵を開け、袋を居間の卓上に置くと、こちらは部屋に戻ってジャージに着替えた。そうして食事。チキンカツカレー丼と野菜スープにサラダの残り。前日の疲労感が続いていたというか、頭痛の小さな芽が生えていたのだが、なかなか美味だった。そうして買ってもらったポテトチップスをつまみ、袋を持って自室に帰り、引き続きスナック菓子を食いながら自分の日記を読み返した。一年前、起き抜けの緊張は相変わらず続いている。またこの日は自生思考に煩わされており、気を逸らされて本を読むのにも集中できないような有様だったらしい。それから二〇一六年八月一六日の記事も読んでブログに投稿したあと、鵜飼さんのブログを読む。「単にテクストを読んでその九官鳥となるのは、比喩的に言えば、時空が歪まない。私は、すでに成り立った時空で計算がしたいのではない。私が欲しいのは、思索の時空に歪みが生じ、下から崩れることで、二度と同じように考えられなくなることである」「私が始原的思索と呼ぶ試みは、前へ前へと急いていく時間に抗し、無限の豊かさへと遡り、それを成り立たせている土壌へと立ち戻っていき、そこから新たな直観・予感を育てる。今現在気づいていない事柄を無視すれば、完全なる自由が得られるが、無自覚を無視するというのは、宗教性が死に絶えることである。思索は、自らはその状況に限定されている、という自覚において宗教性が萌芽する」「あらゆる種類の表現において表現者が行うのは、技巧が無意識に稼働するくらいに意識的に練習をしながら、稼働する技巧が、意識的に仕向けなくとも、元あったところではなく、未踏の一瞬に着地することを期待することである」「思索はその人を幸せにしない。思索(や哲学や宗教)に勤しめば幸せが得られるというのは、思索が未だ始まっていない証そのものである」。長い文章を読み終えると二時を過ぎていた。それから日記を書かなくてはというところなのだが、やはり何となく疲労があって少々休みたいと思われて、ベッドにごろりと寝転がって阿部完市『句集 軽のやまめ』を取った。そうして三〇分ほどで早々と読了。「昼顔のか揺れかく揺れわれは昼顔」(六音目の「か」とは一体何なのか?)と、「鶺鴒短命空はながれていますから」という句がなかなか良かった。読みながらふたたび作歌したので、下に載せる。

導きを待って刃の冬時雨霧の彼方に山茶花泣けり
蛮勇も憂鬱怯懦も金次第地獄の果てに眠り咲くかも
漣は鏡小島は赤暗闇水煙灯火仄めき夕べ
眼差しを壊して運ぶ日暮れ時涙じゃ何も片づかないさ

 そうして二時四五分、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』を流して日記に入った。書き忘れていたが、日記やブログを読んでいるあいだは小沢健二『Eclectic』を流しており、このアルバムはその甘やかさとか囁くような歌い方とかが気に入らず、ずっと聞いていなかったのだが、今回聞いてみると以前よりも結構良いように思われた。悪くないメロウさ。しかし"麝香"に含まれている「動く 動く」という部分は、「うーこ・こ、うーこ・こ」とどうしても聞こえてしまって、それが「うほほ、うほほ」というようなゴリラの唸り声のような擬音を連想させてしまうのでどうしてもださく感じられる。ここまで記すとちょうど一時間が経っており、もう四時直前である。
 FISHMANS『Neo Yankee's Holiday』を流して娯楽に触れる。五時頃になったところで上階に行くと、家中に気配がないことに気づいていたが、母親は出かけていた。父親が昭島で年頭大会があるらしく、そのついでに昭島まで出てきて買い物でもしないかと彼に誘われたらしい。それでこちらは食卓灯を灯してカーテンを閉め、まず米を三合磨いだ。それから、台所には鍋があって大根の味噌汁を作るように既になかに細切りの大根が入っていたので、それを加熱する。合間に新聞を読もうかと思って夕刊を取りに行ったところが、米を磨いでいるあいだに湯が沸き、じきにもう結構野菜が柔らかくなったので、「まつや」の「とり野菜みそ」をチューブから無造作に押し出して味付けし、簡単だがそれで食事の支度は終いとした。両親は食べてくるし、こちらの分は昼に母親が食べたカツ丼の残りや、買ってきた海老フライなどがあった。そうして自室に戻って、六時前からTやT田の作った曲の感想を文章にまとめた。大した内容のものではないが、何だかんだでやはり文章というものを拵えるとなるとそれなりにしっかり書くと言うか、読点の位置とか同じ語の重なりとか細かい表現が気になって、何度か音読しながら推敲したため、一時間半以上も掛かってしまった。

(……)

 それでTにメールを送っておき、LINEのほうにも知らせておいて上階へ。入浴した。出てくると食事、カツ丼の残り・海老フライにコンビニで買ったチキンを一つずつ・大根の味噌汁。コンピューターを持ってきて、Mさんのブログを読みながらものを食べる。松本卓也『享楽社会論』からの抜書きが引かれているが、ラカン派の精神分析理論は難しくてまったくよくもわからない。シニフィアンとか大文字の他者とか、父の名とか、どういうことを言っているのかこちらはまだ全然理解できていない――と言うか、精神分析理論の本など一冊も読んだことがないので当然だが。品々を食べ終えてもまだ少し何か腹に入れたいような気がしたので、豆腐を食べることに。三つで一セットのものの一つを冷蔵庫から取り出して、電子レンジで一分半、加熱する。仕上がると鰹節と醤油を掛けて食し、食器を片づけ薬を飲んで下階に帰った。Mさんのブログを一九日の記事まで読むと、阿部完市『句集 軽のやまめ』から書抜きをした。BGMはくるり『WORLD'S END SUPERNOVA』。下にも書抜き一覧は載せるが、良いと思ったものをいくつかここにも引いておく。

 木の下にいる人抱けばまるでせせらぎ
 (10)

 雨はいすらむ寺院のように言われる
 (14)

 私買つてこのスプーン初夏と名づける
 (20)

 白木蓮に酒をのませてぴーよぴーよ
 (30)

 記憶とはわれ陸であることである
 (38)

 このなかでどれが一番良いのかと言うと、何でもないような句なのだが、「雨はいすらむ寺院のように言われる」が何故か一番印象に残って、これはロラン・バルト『偶景』のなかの、人々が断食の終わりにモスクの上の赤い灯火を眺めているという一節を連想させるのでここに引いておく――「バルコニーに坐って、彼らはモスクの尖塔の頂きに断食の終わりを告げる赤い小さなランプがともるのを待っている」。しかし引いてみると、「ランプがともるのを待っている」わけだから赤色灯はまだ見えておらず、「赤い灯火を眺めている」というのは不正確な言い換えだった。この一節は、『偶景』のなかでもやはり何故か一番印象に残っているもので、ロラン・バルト版の「俳句」、彼が『偶景』で一応試みた「意味の零度」のようなものを最も体現しているのではないか。上の阿部完市の句に戻ると、白木蓮の句の突然の「ぴーよぴーよ」という間延びした暢気な擬音はふざけており、思わず笑ってしまうような響きだ。
 それから自分の日記をブログ経由で読み返した。理由はわからない、何となく読みたくなったのだ。一月一四日と一二月三一日、前者はAくんらとの読書会後、立川の宅で夕飯を頂いた日、後者はやはり立川でWと会った日である。まあそこそこ頑張って書いているのではないか。Enrico Pieranunzi『Live At The Village Vanguard』を流しながら日記を読んで、それから今日の日記をここまで綴って一〇時四〇分。打鍵を始めた頃合いに両親が帰ってきた音がした。
 それから音楽を聞いた。先ほど流したEnrico Pieranunzi『Live At The Village Vanguard』から"I Mean You"、"Tales From The Unexpected"、そしてJunko Onishi『Musical Moments』の最後に収録された一六分に及ぶライブ音源、"So Long Eric - Mood Indigo - Do Nothin' Till Your Hear From Me"。『Live At The Village Vanguard』におけるPaul Motianの流体性。この音源は二〇一〇年七月の録音であり、二〇一一年一一月二二日に亡くなったPaul Motianの最晩年の演奏の一つと言って良いだろうが、八〇歳にも至らんとするその高齢にある種似つかわしく、ドラムソロなどは相当にファジーで、一歩間違えれば半ば耄碌していると捉えられかねない散漫さに満ちている。しかしそれこそが、Paul Motianなのだ。伝統的なジャズのフォー・ビートを叩くドラマーは通常、直線的なシンバルレガートで四拍をすべて埋めるものだが、Motiranは実にあっけらかんとしたこだわりのなさでそのなかに空白を作り出して演奏を「減速」させるかと思えば、時に唐突に連打を繰り広げ、また諸所に強力なシンバルアタックを放ってみせる。そうした融通無碍な流動性、それがPaul Motianの本分である。気まぐれがそのまま魅力であり、散漫さがそのまま力となっているという意味で、Motianは散文で言うところのローベルト・ヴァルザーに比すべき存在である。聖なる駄弁を機嫌良く繰り広げ続けるヴァルザーの「自由さ」と共通するところを彼は持ち合わせている。弛緩が一つのスタイルにまで昇華されているのだ。
 Junko Onishiのライブ音源もまた名演だと言わざるを得ないだろう。アウトフレーズにあっても決して失われない品の良さ。そうして音楽を聞き終えると、それからErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読んだ。零時前までだが、書見の終盤は眠気にやられて乱れた読書になったようだ。

  • ●54: Just before it was dark, as they passed a great island of Sargasso weed that heaved and swung in the light sea(……)――heave: うねる
  • ●55: Its jaws were working convulsively in quick bites against the hook(……)――convulsive: 発作的な、痙攣性の
  • ●54: Just before it was dark, as they passed a great island of Sargasso weed that heaved and swung in the light sea as though the ocean were making love with something under a yellow blanket, his small line was taken by a dolphin.――「あたかも海それ自体が黄色い毛布の下で何ものかと愛を交わしてでもいるかのように」。なかなか良い表現。

 それから歯磨きをしながら娯楽に少々触れたあと、三宅誰男『囀りとつまずき』を読みはじめた。『亜人』には「まなざし」の語が計二七回も出てきたわけだが、『囀りとつまずき』にも、その冒頭から早速書きこまれている。ほか、「視線」だとか「目につく」だとか、「見ること」のテーマが頻出するのだが、「視ること、それはもうなにかなのだ」という梶井基次郎の言葉がエピグラフとして引かれているところから見ても、それは順当なことだろう。しかし勿論、だからと言ってそれに留まるわけではなく、聴覚や触覚に焦点を当てたテーマもまたこの作品のなかには含まれており、「見ること」が一つの特権的な領域を形作っていることは確かだろうが、それに沿って整理しようとしても作品全体を統合的に見渡すことはできず、零れ落ちる部分が必ず出てきてしまう、そうした雑駁性が小説というものの為せる業ではないだろうか。一時直前まで読み進めて眠りに就いた。

2019/1/20, Sun.

 明け方から何度か覚めていたと思うのだが、詳しい記憶は残っていない。最終的な起床は八時になった。睡眠時間は五時間二五分、まあまあというところだろう。ダウンジャケットを着込んで上階に行き、母親に挨拶してストーブの前に座り込む。たまにはパンを食べたら、ピザトーストを作ったらと母親が言うのを面倒臭く思っていると作ってあげようかと申し出るので有り難く依頼した。そうして茸やソーセージの炒め物と一緒に食す。新聞からリチャード・アーミテージの寄稿を読んでいると、父親が上がってきたので低く挨拶をする。その後、何やらクラシックのコンサートに行ってみたらという話があった。父親が会社の社長の代理か何かで出席するらしいのだが、母親はあまり行きたくないようで、代わりにこちらにどうかということのようだ。ジャズだったらともかくそこまで関心はないが、クラシックを生で聞く機会というのもあまりないだろうから行っても悪いことではないだろう。ほか、二三日の水曜日に祖母の誕生日を祝に山梨に行くらしいのだが、それも母親は行けないのでこちらが行ったらどうかという話もあった。これもこちらには異存ないが、まだ詳細な打ち合わせはしていないようだった。それから薬を飲み、流し台に溜まっていた食器を片づけ(テーブルの縁に反射する白光が台所まで飛んできて眩しく目を射る)、寝間着からジャージに着替えると洗濯機のなかで脱水された衣服やタオルを抱えて居間の片隅へ。母親と手分けして、下着を裏返してハンガーに留めたり、洗濯物を干していく。そうして緑茶を持って自室に帰ると、茶がなくなるまでのあいだ早速自分の日記を読み返した。一年前の日記では、「この日目覚めても目立った神経症状がなかった点で、自分はもう大丈夫そうだな、これから順調に回復していくだろうなという見通しが立った気がする」、今次の変調は結局統合失調症などではなくパニック障害自律神経失調症であり、「つまりは今までに経験してきたことの反復なのであって(発狂に対する恐怖、というのは新しい要素だったが)、しかも過去よりも遥かに小規模な反復に過ぎず、その点大して恐るるに足らない」などと強がりを吐いているが、その後の経過を見る限りこうした見通しは甘かったと言わざるを得ないだろう。それから二〇一六年八月一七日の日記も読んでブログに投稿し、そこで茶を飲み干したので日記の作成に入った。ここまで綴って九時半過ぎ。
 以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaからの抜書き。

  • ●52: There was much betting and people went in and out of the room under the kerosene lights(……)――kerosene: 灯油
  • ●50: Once in the afternoon the line started to rise again.――時間の指定。二日目の午後。
  • ●50: The sun was on the old man's left arm and shoulder and on his back. So he knew the fish had turned east of north.――方角の変更。北東へ。
  • ●51: But I must have confidence and I must be worthy of the great DiMaggio(……)
  • → ●51: Do you believe the great DiMaggio would stay with a fish as long as I will stay with this one?――ディマジオと自分を重ね合わせている?
  • ●51: Man is not much beside the great birds and beasts. Still I would rather be that beast down there in the darkness of the sea.
  • ●49: 'I told the boy I was a strange old man,' he said.――"strange"のテーマ。この小説には"strange"の語が頻出する。
  • → ●7: 'Are his eyes that bad?'/'He is almost blind.'/'It is strange,' the old man said. 'He never went turtling. That is what kills the eyes.'/'But you went turtling for years off the Mosquito Coast and your eyes are good.'/'I am a strange old man.'
  • → ●24: As he looked down into it he saw the red sifting of the plankton in the dark water and the strange light the sun made now.
  • → ●45: But he could see the prisms in the deep dark water and the line stretching ahead and the strange undulation of the calm.
  • → ●50: 'If you're not tired, fish,' he said aloud, 'you must be very strange.'――ことによるとここで老人は、同じ"strange"な存在ということで、自分を魚と重ね合わせている、魚に対して共感を覚えているのかもしれない。
  • → ●54: It must be very strange in an aeroplane, he thought.

 続いて、[https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480838139/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=diary20161111-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480838139&linkId=21451361d7b08fc7a0489030f926f87c:title=https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480838139/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=diary20161111-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480838139&linkId=21451361d7b08fc7a0489030f926f87c:title=『「ボヴァリー夫人」論』]より。

  • ●511~512: 「つまり、エンマはみずからの内面すら充分に語りえないほど知性を欠いた――つまり、みずからの「意識」なり「思考」なりを確信しえない――女性なので、それを語るには作者という「偉大な組織者」が不可欠だというのがアウエルバッハの立場だからである。/いうまでもなく、その視点は、およそ聡明とはいいかねる作中人物に代わってその内面を的確に語ってみせるという言語の「表象」機能を作者がになうのだという、思いきり反動的な視点にほかならない
  • ●516: 「問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている」――正統的な「文学史」を書き変える重要な視点だろう。二〇一八年一月三日にこちらがMさんと話した時に話題に出てきた見解も以下に引いておこう。

 これはあくまで当てずっぽうの思いつきに過ぎないのだが、まず、小説作品に「描写」的な細部がはっきりと取り入れられるようになったのが、概ねフローベールあたりからだという正統派文学史的な整理があると思う(これが確かなものなのか、それすらこちらは知らないのだが、ここではひとまずそういうことにしておいてほしい)。そうした理解では、「描写」とは現実世界の様相を緻密に、克明に写し取るための技術として認識されており、多分その後のゾラなどは実際にそういうつもりでやっていたと推測され、フローベールもゾラの先行者的な位置に置かれている気がするのだが(つまり、「リアリズム」の作家として位置づけられていると思うのだが)、しかし同時に、「描写」とはまた、物語的構造に対して過剰な細部として働くものでもあり、大きな構造に対する抵抗点として機能させることができるものでもある(絵画を遠くから一度見たあとに、近寄って様々な細部に目を凝らし、諸要素の配置を把握してのちふたたび距離を置いて眺めると、まったく違う様相として映る、そのようなイメージである)。ここで思い出されるのが、フローベールが書簡に記した(のだったと思うが)有名な言葉(と言いながら、引用を正確なものにできないのだが)、自分は何一つ言わない小説、何一つ書いていない小説を書きたいという宣言で(確か、「言語そのものの力によってのみ支えられている(だったか、「浮遊している」だったか)」というようなことも言っていたはずだ)、ここから推測するに、フローベールは現実世界のある側面を「そのまま」克明に写し取ろうなどとは考えていなかったのではないか? つまり、彼は「リアリズム」の作家などではなかったのではないか。こうした路線でフローベールを読み、正統派文学史の神話を解体しようとしているのが、蓮實重彦の試みなのではないかと思ったのだが、例の『「ボヴァリー夫人」論』も読んでいないので、確かなことは良くわからない。

  • ●517: 「では、「描写」は「表象」とどのように違うのか。「描写」と「表象」の差異をひとことでいうなら、前者はあくまで「言語」の問題であり後者もまた「言語」の問題であるかにみえながら、本質的には「イメージ」の問題だといえるかと思う」
  • ●574: 「だが、そうした異なる分節化の論理を統合しているのが「年代記」的な時間の秩序ではないという点に『ボヴァリー夫人』の小説的な持続の特殊性が存している。この作品の物語は、スタンダール的な「年代記」とはおよそ異なる時間の配置によって語られているのであり、ある意味では、主要な作中人物たちの生の持続は背後に流れているはずの歳月とはほとんど無縁に刻まれ、「年代記」的にはおよそ計測しがたい持続がテクストを組織しているといえるかもしれない」
  • ●612: 「いうまでもなかろうが、エンマは「芸術家」ではないし、ましては「芸術家」たろうとしてなどいない。ただ、ここで「芸術家」の「素質」という言葉で話者がいわんとしているのは、みずからの五感を思いきりおし拡げて世界と触れあおうとすることより、みずからの好みにふさわしいごくかぎられた世界の表情――「特別あつらえの土壌と特殊な気候」、等々――を自分向けに選別し、もっぱらそのイメージと戯れているのがエンマだという事態につきている」
  • ●614: 「雨はいつしかやんで、夜が明けそめ、葉の落ちたりんごの木の枝には、小鳥が小さな羽を冷たい朝風にそそけ立てて、じっと止まっていた。平らな畑地が見渡すかぎり拡がり、地平線上で曇り空にまじらうこの広大な灰色の野づらには、農場を囲む木立ちが間遠に点々と、黒っぽい紫の斑を散らしていた」――「そそけ立つ」に「まじらう」。どちらもこちらの使う語彙のなかにはない言葉だ。

 それから蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読み進めた。ベッドの上に乗って薄布団を身体の上に掛け、枕とクッションに凭れるようにして読んでいたのだが、じきに散発的に眠気が湧きだして時折り瞼を閉ざすことになった。そうした睡眠欲からも逃れた正午前、天井が鳴ったので切りの良い段落まで読み、読書時間を手帳に記録して上階に行くと、昼飯にうどんを茹でて天麩羅を揚げようと言う。それで手を洗い、台所で支度を始めた。うどんは讃岐うどんで、二〇分かそこら、随分と茹で上がりに時間の掛かるものだった。それを茹でる傍らエノキダケ・椎茸・人参が用意され、さらにこちらが玉ねぎも輪切りにする。そうしてボウルに天麩羅粉と水を混ぜてエノキダケから揚げに掛かったのだが、母親が投入した最初の二つはいつまで経ってもかりかりと乾くことなく、箸で触れると柔らかく形を歪ませる。どうやら火が弱かったようだ。二投目からこちらが担当し、待つ合間に新聞を読みながら揚げていると、無事狐色に香ばしく仕上がった。新聞から読んだのは三面の、「米朝再会談 思惑優先 2月開催へ トランプ氏 外交成果急ぐ」の記事である。金英哲[キム・ヨンチョル]朝鮮労働党副委員長、スティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表、崔善姫[チェ・ソンヒ]外務次官という三人の名前と役職を頭に入れようと脳内で反芻しながら読んだ。椎茸を一つつまみ食いして、新聞を前に焜炉に背を向けてもぐもぐとやっているうちにうどんの湯が吹きこぼれてしまい、焜炉台の上に薄く拡がり溜まるということもあったのだが、一応問題なく作業を進め、うどんも茹で上がって天麩羅も取り分けられたので、玉ねぎの一投目を入れたところで卓に移動して食べはじめた。うどんのみならず米を椀によそって、醤油を掛けた天麩羅とともに貪り食う。新聞はさらに国際面から「米、教職員3万人スト 予算不足・移民増 教室満杯」と、「ワールドビュー: 習思想一色の裏で」の記事を読んだ。前者は米国はカリフォルニア州で賃金上昇や、子どもがクラスに入りきらないこともある教育環境の改善を求めて三万人の職員たちがストライキを起こしたと言うのだが、日本ではこれだけの規模のストライキなど絶対に起こらないだろうなと思った。後者は、分裂していた当中枢を強権的に掌握した習政権の裏で、対抗勢力が姿を隠しながら不満をくすぶらせているという内容だ。各地の仕事現場で「習思想」を学ぶ勉強会がひらかれており、そこでは「証拠写真」として会の様子を撮影するのだが、実のところ写真だけ取ってあとは雑談、そして流れ解散という展開になる場所もままあるのだと言う。そんな話題を読みながらものを食べていると、市役所に出かけていたらしい父親が帰宅して、食卓に加わった。こちらはそれとほとんど同時に席を立って食器を片づけ、緑茶を注いで自室に戻る。時刻はちょうど一時。そうして茶を飲むあいだ、fuzkueの「読書日記(119)」を読む。一月一一日の記事まで読むと、ふたたび『「ボヴァリー夫人」論』の書見に入った。散歩に出るのもあとにして読み終えてしまうつもりだった。それで実際、一時間ほど過ごして二時半には読了し、散歩に出ることにした。上階に行き、短い黒の靴下を履き、母親に散歩、と告げて玄関を抜ける。もう二時半も越えたので家の前の道には林の影が伸びて日蔭になっているが、しばらく行けば日向がひらく。Tから送られてきた音楽について、あるいはより一般的に音楽と歌詞の関係などについて散漫に思考を巡らせながら裏路地を行く。日向にあれば太陽はまだ眩しく、空は前日に続き快晴だが、この日は雲の存在が許されていた。しかしそれとて西の山際に生気なく横たわっているのみで、上空に浮遊して太陽を遮る力はない。街道に出て渡ってからふたたび裏に入り、くっきりとした青さの空を見上げ、鳶がゆっくり旋回しているのを見つめていると、そのすぐ傍、しかしもっと高所に飛行機の、人形のような白く小さな機影が、あとに軌跡を引くでもなく静かに泳いでいた。ちょっと行くと鳶も飛行機も二体に増えて、水のなかを伝わってくるようなくぐもった響きが落ちてくる。骨のような裸の枝を天に突き上げた銀杏の木を眺めながら保育園の脇を過ぎ、背に暖かな陽光を浴びながらポケットから右手を出して指を伸ばして垂れ下げると、斜めに伸びるその影の、指の部分が妙に長くてグロテスクなようで、蛙の手指を連想させる像だった。最寄り駅を過ぎて街道に出ると途中で渡り、木の間の坂に折れて下って行き、西空にその身を押し広げる太陽のまばゆさに目を細めながら帰宅した。そうして自室に戻り、日記をここまで綴って三時半過ぎである。
 読み終えた蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』の書抜きに入った。三時台だが早くも窓から遠いテーブル上は薄暗いので電灯を点けた。Ornette Coleman『The Art Of The Improvisers』を流しながら打鍵。途中、多分便所かどこかに行って戻ってきた時だったと思うが、一度席を離れたのを機にFISHMANSの曲を流して口ずさむ。それからJunko Onishi『Musical Moments』に音楽を変えて打鍵を続ける。五時を回るまで。そうして食事の支度をしに上階に行ったが、階段を上がると母親が器具を使って野菜をスライスしている音が聞こえており、台所に入るともう野菜スープを煮込んでいるところだった。それであまりやることはなかったのだが、簡便に茄子を豚肉と炒めることに。茄子があまりもう良くないもので、半分に切るとなかの種が黒々として身のなかに点々と散らばっており、一部茶色くなっている部分もあったのだが致し方ない。三本を細切りにしてボウルの水に晒し、それから豚肉も切ってフライパンに油を引く。チューブのニンニクを落として箸で搔き混ぜると茄子を投入した。じきに父親が外から入ってきた。こちらは蓋を閉ざして加熱しているあいだに部屋に下り、ゴミ箱を持って戻ってきて燃えるゴミを上階のものと合流させた。そうして豚肉も投入し、うまい具合に炒まると焼肉のたれを振りかけて味付けをし、短いがそれでこちらの仕事は終いだった。スープをまだ煮込んでいたのであとは頼むと母親に告げて室に帰り、ふたたび『「ボヴァリー夫人」論』の書抜きに入った。妙に疲労感があったが七時前まで打鍵して終了。重要と思われた部分を以下に引いておく。

 (……)とはいえ、「何も書かれていない本」として構想された『ボヴァリー夫人』が、あからさまに「反=表象」的な作品だと主張したいわけではない。「表象」に背を向けた文学作品など、少なくとも十九世紀においては、想像しがたいものだからである。実際、それが誰にも読める文章からなっているかぎり、表象はいたるところで有効に機能している。問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている。(……)
 (516)

 (……)『ボヴァリー夫人』を読むかぎり、それがフィクションであろうとなかろうと、現実の「世界」が言語的に表象さるべき対象として成立しているとは素直に信じられない瞬間にしばしば立ちあうことになる(……)
 (534)

 (……)「現実世界」と「フィクション的世界」といった対立を想像することじたいが、どこかしらすでにフィクションめいた振る舞いだと指摘したい誘惑にかられもする。ある言語記号なりその指示対象なりの一定の集合を「世界」と呼ぶことは、そのことじたいが語彙の本質的な不備への自覚の欠如と、その不備を隠喩へと逃がれることで忘却せんとする思考の安易さを露呈させている。それ故、「フィクション」を「世界」と呼ぶことは、「フィクション」と「世界」をともに「現実」から遠ざける身振りにほかならない。(……)
 (535)

 それがフィクションであるか否かを問う以前に、人は「テクスト的な現実」にふさわしく作品に書かれた文字や文章を読む。それは「神話」とも「信仰」とも「遊戯」とも異なることのない、あくまで「現実」の体験である。その体験を思考し、ときにはそれを言葉にしてみることもまた「現実」の体験にほかならず、「非=現実」の世界を想像してみることではいささかもない。人は、ボヴァリー夫人と呼ばれる女性が「非=現実」の女性であることは充分に承知しているが、「エンマ・ボヴァリー」という言語記号が『ボヴァリー夫人』に一度も書きつけられていないという「テクスト的な現実」にもまた自覚的でなければならない。テクストには書きこまれていない「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞を含んだ言表を書いたり口にしたりすることは、それが批評的な言説であれ、理論的な言説であれ、『ボヴァリー夫人』を読むという「現実」の体験にとってはまことに「非=現実」的な、ほとんどフィクションめいた振る舞いだといわざるをえない。(……)
 (536)

 あと、何故かわからないのだが書抜きをしているあいだに短歌を作る回路が作動して、いくつか作歌したのでそれも下に載せておく。しかし作ったとは言っても、特に意味も音調も厳選して考えたわけではなく、何となく思いついた言葉をただ適当に並べただけのものなのだが、しかし短歌や短詩というものも奥が深いと思われ、意味がまったくないものを作るのは無理だろうが、定型のみならずフリージャズのように前衛的な、ほとんど音楽に近いような作風のものを読んでみたいという興味も湧いてくる。

羽ばたきを重ねて暮らす壺のなか種は汀に葉は岩陰に
歩きつめ氷河に到りすすり泣く炎と秋と火と目と神と
暗い部屋砂漠に絶えて口ずさむ犬は東に驢馬は南に
偽善の日仮面を纏い哄笑す儚き道に揺れるともしび
苦しみを包んで殺す丑三つに書物を燃やせ距たりの語彙
浜に骸[むくろ]沖に紗霧の里暮らし暮れて迷って明けて墓場へ
形而上の塵と埃と非在の輪鐘を打つ手に脈の賑わい

 そうしてちょっと娯楽に触れてから上階に行く。昼に天麩羅をたくさん食べたためだろう、まったく腹が減っていなかったので、先に風呂に入ることにした。書抜きを頑張った故か久しぶりに疲労感が強く、頭痛の小さな種も生まれていた。それで湯に浸かって身体を休めながら何となくまた短歌を考え(上の最後の歌は入浴中に完成したものである)、出てくるとやはり腹は減っていなかったが食事に移った。釜に僅かに残った米・薄味の野菜スープ・茄子と豚肉の炒め物である。卓に就いてゆっくり食べ、三品を平らげると意外と食べられそうだったので、前日の残りだろうか、大根・人参・パプリカ・蟹蒲鉾などの入ったサラダも少々よそって食べた。時刻はちょうど八時頃、テレビでは大河ドラマ『いだてん』が始まり、父親など興味深そうに見つめている。こちらは大河ドラマというものに特段の関心がないので食器を洗うと自室に帰り、頭痛を持て余して娯楽的な時間を過ごしてからようやく日記を書きはじめ、ここまで記して九時を回っている。さて、今日の残りの時間はどうするか。
 (……)それからこちらは阿部完市『句集 軽のやまめ』を読みはじめた。元々三宅誰男『囀りとつまずき』を読むつもりだったのだが、にわかに短詩に興味が出てきたところで、二日もあれば読み終えることでもあるしとこの前衛俳人を読み返すことにしたのだ(『囀りとつまずき』もある意味では句集のような平面が繰り広げられている作だろう)。それでベッドに乗ってちょうど一時間を読書に充てた。この日は眠気が差すことがなく、頭痛と疲労感もあって目が冴えている感じで、果たして眠れるのだろうかとちょっと危惧したが、明かりを消して床に就くとさほど苦労もなく寝付けたようだ。句集を読んでいるあいだにまたいくつか作歌したので、それを下に載せておく。

記号の手雨に塗られて回転す無色の意味の空の器の
木苺に一語一語の青い稚児夜目の余命を嫁の読めるや
混沌を刺して溶けだす白鏡光くまなき夜の静脈に
言葉とは涙眼球空の網膜瞳は口に口は瞼に
導きを待って刃の冬時雨

 一つ目と三つ目は自分でも意味がよくわからない。二つ目は阿部完市の句のなかに、「鮒は一語のごとし手にふれゆきにけり」というものがあって、そこから「一語」の音を借りて作った完全にふざけたものである。四つ目は第一句が最初に出て来て、そこからサミュエル・ベケットの、「わたしは言葉と涙を混同する、わたしの言葉はわたしの涙、わたしの目はわたしの口なのだ」(「反故草紙」)という一節を連想したもの。最後のものは俳句として作ったのではなく、まだ下の句が思いつかない。
 作ったものはTwitterにも投稿したが、今のところ「偽善の日仮面を纏い哄笑す儚き道に揺れるともしび」がリツイートもされてこのなかでは一番人気があるようだ。別にそれを狙って作ったわけではないが、意味のよくわからないほかに比べて意味の濃度がやや高く、解釈の余地があるからだろう。ほか、「形而上の塵と埃と非在の輪鐘を打つ手に脈の賑わい」、「歩きつめ氷河に到りすすり泣く炎と秋と火と目と神と」の二つも「いいね」をいくつか貰っている。「鐘を打つ手に脈の賑わい」というフレーズは我ながらそこそこ良いのではないかと思う。

2019/1/19, Sat.

 七時三五分、出し抜けに目覚める。夢を見ていたがその詳細はもはや失われた。二度寝に入らずベッドを抜けて、寝間着の上にダウンジャケットを羽織って部屋を出る。上階に行き、ストーブの前に座りこんで身体を暖めたのち、洗面所で顔を洗ってから台所。ほうれん草の小片がフライパンに乗っていたのでそれに卵とハムを足して焼く。ほか、前夜の残りの薩摩芋に鮭や、即席の味噌汁である。卓に就いて新聞をめくりながらものを食べる。新聞からは一三面の「補助線: 見えない戦争が始まった」を読んだ。「ロシアのサイバー部隊は1000人規模に上る」。また、「北朝鮮はサイバー部隊を7000人抱え」ており、「中国はさらにその先を行く。諸外国へのサイバー攻撃を担当する部隊は13万人に達するという」。さらには、昨年の秋の日中首脳会談での習近平国家主席の発言が紹介されていた――「中国にサイバー部隊はある。攻撃をしてはいけないと言い聞かせているが、中国は発展途上国だから、民間のハッカーが攻撃することがあるかもしれない」。「中国は発展途上国だから」などと、そんなことは本当はまったく思っていないだろう。そうして食事を終えると食器を洗ってポットに湯を足し、一旦自室に帰った。Twitterを覗いたり、メールで届いたfuzkueの読書日記を瞥見したりしたのち緑茶をつぎに上がって行く。茶を用意する前に、台所で鏡餅を細かく切断した。干して霰[あられ]にして食べるのだと言う。既に一つ分切ってあって、三つ分あったもののうちこちらも力を込めて一つを切ったが、最後の一つに関してはこのような面倒なことはやっていられないというわけで頬かむりし、緑茶を湯呑みに注いで自室に逃げた。そうして日記。前日の分を僅かに書き足して投稿し、この日の分もここまで綴って九時半。BGMはJunko Onishi『Musical Moments』だが、このアルバムは相当な充実作だと思う。名盤と言ってしまっても良いのかもしれない。
 一年前の日記を読んだ。O.Mさんが尋ねてきている日で、この人は祖母と仲の良かった近所の老婦人で、元々快活だったのに鬱病だかノイローゼだかに掛かってしまい、この日の少し前にも尋ねてきてその時は自殺をしようと思って橋まで行きたかったが行く気力すらもなかったなどと口にして、大丈夫かと思っていたところの再訪であり、この日は先般よりも元気なように見え、チーズケーキなど出すと喜んで食べていたのだったが、結局昨年の三月に自殺をしてしまった。自ら言っていた通り、橋から飛んだらしい。こちらも鬱症状のピーク時にベッドのなかで飛び降りることを想像してばかりいたその橋だろう。死にたい死にたいと思いながらもとてもでないが飛び降りる勇気のなかったこちらからすれば、よく飛んだものだなと思われるが、それはやはり勇気とか気概の問題ではなく、そこまでもう追い詰められていたということなのだろうか。
 それからさらに二〇一六年八月一八日の日記も読んでブログに投稿し、続いてMさんのブログを読んだ。冒頭に引かれていた松本卓也『享楽社会論』からの引用が面白かったので、一部ここに引かせてもらう。

 さらに遡るなら、このような関係は、西洋思想がデカルト以来維持してきたひとつのオブセッションでもあった。実際、ジャック・デリダ(1967)が指摘しているように、デカルトの「コギト」は、非理性(悪霊)を排除することによって近代的で理性的な主体を確実なものとして立ち上げるものであったというよりも、非理性につきまとわれている可能性に絶えず苛まれているものであった。言い換えれば、「コギト」とは、亡霊のような非理性の取り憑きを自覚し、むしろそのこと(「われ疑う」)を〈私〉の確実性の根拠に据えようとするものであった。つまり、〈私〉は非理性(悪霊)を排除することができないがゆえに――実際、彼は『省察』のなかでメランコリー性の狂気の事例を参照している——存在しうるのであり、「コギト」は人間の理性を狂気から切り離して純化することを可能にするどころか、理性が狂気なくては存在しえないことを示すものですらあったのである。
 カントもまた、『純粋理性批判』のなかで感性を統合する超越論的な「統覚 Apperzeption」の機能について検討する際に、精神医学者ならば統合失調症の幻覚や自我障害と呼びたくなるような狂気の現象を次のように参照している。
 「私は考える Ich denke」が、私の表象のすべてにともなうことが可能でなければならない。そうでなければ、まったく思考されることのできないものが私に表象されることになるからである。(…)ある直観において与えられている多様な表象は、それが総じてひとつの自己意識にぞくするのでなければ、総体として私の表象であることにはならないだろうからである。(…)そうでなければ、じぶんに意識されている表象を有するのと、おなじだけさまざまに色づけられて、あいことなった自己を私はもつことになるだろう(…)。(カント 2012, pp.144-8)
 パラフレーズしておこう。人間の「正常」な認識は、頭のなかに湧き上がるあらゆる表象に「私のもの」というラベルを貼ることによって成立している。たとえば、〈私〉が頭のなかで考えた言葉あるいは〈私〉に生じた感情や空想は、すべて〈私〉が考えたもの(=私のもの)である。では、もし、「私のもの」というラベルが貼られていない表象があったとすれば、どうなるだろうか。そのとき、私の頭のなかでは、誰か別の人が考え、話す——つまりは、幻聴や考想吹入のような自我障害が生じる——ということになり、さらには〈私〉そのものの精神が分裂することになってしまうにちがいない。そうカントは主張しているのである。だとすれば、狂気ではない私たち人間の「正常」な認識には、狂気を抑え込む「統覚」というメカニズムが備わっているはずである。このように論証を進めるカントもまた、狂気の可能性から出発して人間の真理を獲得しようとする弁証法的な運動に依拠していたと言えるだろう。この意味で、カントが「脳病試論」や『実用的見地における人間学』のなかで狂気に興味をもち、その分類を試みたことは一種の理論的必然でもあった。カントが見いだしたものが近代的自己の構造であったとするならば、その構造の発見は、近代的自己を確固たるものとすることを可能にするとともに、その自己なるものが故障しうること、狂いうることをその構造的必然として抱え込んでいることを同時に抉りだしてしまったのである。
 (松本卓也『享楽社会論 現代ラカン派の展開』より「第一章 現代ラカン派の見取り図」)

 そうしてものを読んでいるうちにあっという間に一一時、時の階[きざはし]が絶え間なく、砂のようにぼろぼろと零れていって時間が過ぎるのが早くて仕方がないが、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読みはじめた。こちらの乗ったベッドの上には正午前の光が射し込んで暖かかったはずだ。The Old Man and the Seaには"strange"という単語がよく出てくるかもしれない、今のところ、まだ意識していなかった序盤を除けば三回出てきている。そうして一一時四五分で切りとして、食事を取りに上階に行った。母親は不在で、メモを見るとクリーニング及び宅配事務所に行くということだった。カップラーメンのシーフード味を戸棚から取り出して湯を注ぐ。一方で小さな豆腐を電子レンジで加熱し、持ってきた蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』に目を落としながら出来上がりを待つ。一分半加熱した豆腐を持ってきて、シーザーサラダドレッシングを掛けて食べながらラーメンの三分を待ち、麺がほぐれると分厚い本をティッシュ箱に立てかけて目を向けながらジャンクフードを啜る。その後ゆで卵も食べ、さらには何か野菜が食べたかったというかシーザーサラダドレッシングが思いのほかに美味くて、生野菜にそれを掛けて食べたかったので台所に行って大根を細かくスライスした。それを食べているところで母親が帰ってきて、カップラーメンばかり食べていると身体に悪いというようなことを言われたが意に介さない。そうして食器を片付けると散歩に出た。西へ向かう。陽の射すなかを歩き十字路まで来ると前方に人があって、どうやらHさんらしい。道の角に設けられた立て看板をしばらく見てからこちらに向かって来たが、この人は無愛想な人でこちらが挨拶をしても不機嫌そうな調子で低く返すだけなのでこの時は声を掛けなかった。看板は選挙の候補者を告示するそれと似ていたが、工事の知らせだったようだ。坂を上り、裏路地を行きながら、上に引いた『享楽社会論』のなかの「統覚」や狂気について散漫にものを思っていた。自分も一年前にはいわゆる自生思考に襲われて狂気に近づいたように思われたのだったが、いわゆる統合失調症の患者と自分の症状とで決定的に違っていたのは、頭のなかの独り言がこちらにあっては終始一貫して自分に属するものとして感じられていたということだろう。他人の考えを吹き込まれているだとか、頭のなかでほかの存在が喋っているとかいう風に感じたことは一度もなかった、ただ思考=脳内言語のスピードが半端ではなく、無秩序な奔流として疾走していくのに発狂するのではないかという恐怖を覚えるのだった。また、こちらが呼ぶところの「殺人妄想」、自分の意志によらず脳内に独りでに「殺す」とか「殺したい」とかいう語句が浮かび上がる、ということもあったが、これにしても事情は同じで、それは自分の意志には反する思念だったものの、しかしだからと言って決して他人の考えでもない、あくまでやはり自分の思考として認識されていた。もう一つ、いわゆる精神病の患者と自分で違っていたのは、これは第一の点と同じことなのかもしれないが、自生思考は自分の頭のなかに留まるもので、それが外界に響く声として聞こえるわけでもなかったし、他人にも聞こえるものとして認識されていたわけでもなかった。その点こちらは、異常な現象に襲われながらもあくまで理性を保っていた、決定的な狂気の領域へと境を越えることはなかったというわけだろう。歩きながら、しかしこの頭のなかの声が他人には聞こえていないというのも、何だか考えてみると不思議なようだなと思われたのだったが、これは自分の場合、自らの思考(の少なくとも一部)をも常に客体として対象化している(脳内にほとんど常に独り言が発生している)から、それが外界の事物などと等し並に、ほとんど同一平面上にあるように感じられるからだろう。そんなようなことを考えながら街道を歩いているうちに、コンビニの前を通り過ぎるくらいまで来ていたはずだ。この日も空は絹雲のひと刷毛すらも見られぬ快晴だが、しかし前日よりも広がる水色は軽い質感のように思われた。街道をさらに先まで行き、通りを渡る際に、西の彼方の山が目に入る。くすんだ色合いの常緑樹の表面を覆って動物の毛皮のようになっているその姿の、しかし全体としては遠く煙るようで地平の果てに貼りつけられたような平板さだった。それを見やりながら方向転換し、今しがた歩いてきた街道に沿う細道に入って東に向かう。陽射しのなかに塵のような細かな虫が無数に漂って途切れることがない。じきに路傍に現れた櫛形の細い葉の集合の、光をはらんで凍りついたように、あるいは滝の流れのように白く輝いているのを見て、やはり凄いなと思われた。道が尽きると街道に合流し、車の流れ過ぎていく横をちょっと歩いたのち、家へと続く裏道に復帰した。坂を下って行き、小橋に掛かるとそこの宙に垂れ下がった枝葉が絨毯のように広がっており、やはり光を帯びて硬質になっているその平面的な広がりの、鱗のようなざらつきも凄いなと目を惹いた。さらに行くと洗濯物を取り込んでいたKさんの奥さんが上から挨拶を降らせてくるので、こんにちはとこちらも声を放って残りの帰路を辿った。
 帰宅後、一時過ぎから読書。『「ボヴァリー夫人」論』である。夕食の支度も怠けて七時直前まで六時間弱、読み耽ったが、途中ベッドにいるあいだに眠気にやられた時間があったから実質五時間くらいだろうか。この分厚い批評書も残り一〇〇頁強のところまでやって来た。そうして食事を取りに上階へ。白米・煮込み素麺・大根やモヤシやベビーリーフやパプリカやカニかまぼこのサラダ・豚肉の上にチーズや何やらを乗せてオーブントースターで焼いた料理。食べながら夕刊の一面から、「米朝会談2月末 トランプ氏 北高官と面会」を読む。テレビは『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』。大山と言うから鳥取らしい。確か志賀直哉が『暗夜行路』の終盤で舞台にしていたのがこの山だろう。そちらにも目を時折りやりながらものを食べ終えると、すぐに入浴した。一五分ほどで早々と上がる。そうして緑茶を用意して自室に帰り、飲みながらfuzkue「読書日記(119)」を読んだ――一月八日の記事まで。それから自分の日記を綴る。音楽はJunko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard』と同じく『Ⅱ』。ここ最近大西順子のアルバムをよく聞いているが、彼女の演奏には外れがない。
 それからふたたび『「ボヴァリー夫人」論』を読む。ヘッドフォンをつけて、Martha Argerich『Schumann: Fantasie In C, Fantasiestucke, Op.12』Pablo Casals『Schumann: Cello Concerto & Showpieces』を聞きながら読書をした。ジャズに比べてクラシックというジャンルは聞き慣れておらず門外漢で、その評価基準も固まっていないのだが、前者は正直なところあまりピンとこなかった。Casalsが時折り唸り声を漏らしながら音程のやや不安定な演奏を披露している後者のほうが気に入られたようだ。そうして二時半まで書見を続けたのだが、零時を過ぎたあたりから時計を見た記憶がなく、二時半に至った時はベッドの上で眠気にやられてはっと気づいたのだった。それで歯磨きもせずにそのまま就床した。『「ボヴァリー夫人」論』はこの日だけで一五〇頁ほど読んだのでなかなか頑張っているものだが、しかし少々急いた読書になってしまったような気がしないでもない。


・作文
 9:03 - 9:30 = 27分
 20:25 - 21:42 = 1時間17分
 計: 1時間44分

・読書
 9:30 - 10:59 = 1時間29分
 11:09 - 11:45 = 36分
 13:12 - 18:54 = 5時間42分
 20:07 - 20:25 = 18分
 21:46 - 26:32 = 4時間46分
 計: 12時間51分

  • 2018/1/19, Fri.
  • 2016/8/18, Thu.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」; 2019-01-15「透明なものが透明でなくなる夜はまぼろしいまここで死ね」; 2019-01-16「胃薬を奥歯で砕く魂は樹木のごとく血は葉のごとく」; 2019-01-17「偽物の狂気をまとって海に行く余震にはじまり余震に終わる」
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 49 - 54
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 532 - 673, 778 - 788
  • fuzukue「読書日記(119)」; 1月8日(火)まで。

・睡眠
 1:40 - 7:35 = 5時間55分

・音楽

  • Junko Onishi『Musical Moments』
  • Junko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard
  • Junko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard Ⅱ』
  • Martha Argerich『Schumann: Fantasie In C, Fantasiestucke, Op.12』
  • Pablo Casals『Schumann: Cello Concerto & Showpieces』

2019/1/18, Fri.

 九時二〇分頃まで床に留まってしまう。窓枠を離れた太陽の光を顔に受け、起き上がってベッドを抜け出すと、コンピューターにちょっと触れて前日の記録をつけてから上階に行った。母親に挨拶。台所に入るとフライパンにはハムやキャベツや菜っ葉を混ぜた目玉焼きが作られており、前日のスープの残りも僅かにあった。目玉焼きをすべて食べてしまって良いのかと訊くと良いと言うので、それらを皿に移し、卓に就いて食べだす。新聞からは二面の、「退位式 憲法に配慮 「剣璽の儀」 明確に分離 儀式概要 夕刻実施「国民のため」」を読んだ。そうして食器を洗い、風呂を洗いに行く。浴槽の下辺をゆっくりと、しかし何度もブラシを往復させて念入りに擦って仕上げると、緑茶を用意して自室に戻った。時刻はちょうど一〇時頃。母親が打ち直しを頼んだ布団屋が玄関に来ているようだった。こちらはダッシュボードにアクセスするとUさんのブログが更新されていたので、それを早速読みはじめる。こちらは叙事や引用ばかりを綴っていて、論理的な「思索」「思考」を彼ほど長く繋げて綴ることができないので、その点羨ましい部分だ(もっとも、叙事的な箇所も含めてこの日記全体が一つの「思考」だと言えばそれもそうかもしれないが)。引用――「知識とは、過去の信条や慣習を解きほぐし、より方向付けられた態度で世界に参加できるように導く活動である」。「哲学史を読む者は、卓越した言葉の使い手であり、弁が立つことが多いので、哲学者様に世の中の動向を尋ねる、という様子をよく見る。しかし、100人、1000人と人がいる中で、どうして、たった1人の意見だけを参照し、それに従おうとするのか。それこそが最も首を傾げるべき事態である」。「経験の方へと無限に開く運動と、思索によって閉じて結晶化する運動が、断続的に矛盾するとしたら、その矛盾の渦中において、緊張関係が生じるまさにその衝突を通じて思考可能となる、入れ物になりきらない入れ物、という第三の方向へと思索があり得る」。また、最終盤にデリダの名前を出しながら、「デカルトの一般的理解は、テクストの豊かさに沈潜することで揺り動かすことができる」と記されているが、これはこちらの言葉を使って言い換えれば、テクストの具体的な部分部分に当たることによってテクスト外に要約的に流通している一般的なイメージ――それを「神話」とか「物語」という言葉で表すこともできる――を解体せしめることができるということだろう。その場合、そうしたテクストに「沈潜」したことの成果物は、「流通」に抗する「翻訳」のようなものに、あるいは場合によっては「反復」になるのかもしれない。
 それから自分の日記の読み返し。まず一年前。「頭がまたぐるぐると回って落着かなくなっており、そのまま思念がコントロールできなくなり、発狂するのではないかという恐怖を覚える時間があった」、「覚醒時の不安や緊張、恐怖感についてはここのところ毎朝のようにあるわけだが、日中は比較的落着いており、目立った症状は起き抜けのそれのみとなっている」とある。今の目から見てみると、病状は一進一退という印象である。続いて二〇一六年八月一九日の記事は大したものではないが、「その頃には雨は消えて、夏らしく厚くもこもこと寄り集まった雲の周りに瑠璃色の空が覗いていた」という一節を見て、「瑠璃色」という色の表現は最近はとんと使っていないなと珍しく思われた。そうして時刻は一一時過ぎ、Junko Onishi『Musical Moments』を流しながら日記を記しはじめた。このアルバムの最後に据えられている一六分にも及ぶライブ音源、"So Long Eric - Mood Indigo - Do Nothin' Till Your Hear From Me"は名演だと言って良いだろう。
 日記を書き終えると上階に上がり、サンダルを突っかけて玄関を抜ける。家の南側へと小坂を下って行くと、正面から風が流れて身体に当たる。畑に下りて土に埋もれている大根を素手のまま二本取り、玄関外の水場に移ってブラシで擦り洗った。大根の表面にブラシを走らせるたびに水の飛沫が飛び散ってジャージの表面に付着する。洗った二本を勝手口の外に置いておいて室内に入ったのだが、聞けば母親が既に二本、取っていたのだと言う。それでTさんにあげてきたら、ということになった。ちょうど散歩に出るつもりだったので丁度良い。今度は自分の靴をしっかり履いてふたたび外に出て、水場に残っていた泥を流してから濡れた大根を持って道に出た。ちょっと歩いて左、細い階段に折れてTさん宅の敷地に入り、チャイムを鳴らした。はい、と聞こえるのにこんにちは、と呼びかけ、どうぞと続いて言われたので失礼しますと言いながら戸を開ける。なかの障子も開けるとおばさんが立っていたので大根を差し出し、今しがた取ったので、洗ったばかりで濡れているんですけれどと贈呈した。続けて調子はどうかと尋ねると、まあまあだと言う。これを書いている今、そう言えばお大事にとかお身体に気をつけてとか、そうした類の言葉を言い忘れたなと気づいた。Tさんが繰り返し礼を言うのを受けて、失礼しますと退去し、道に戻ってそのまま散歩に入った。Tさんのおばさんは、何だか顔が小さくなったかのようで、少し人相が違ったような印象を受けた。その印象を思い返しながら行く道に空気の動きはほんの僅かで、道端の細い草を微かに揺らがせるほどしかなく、太陽の厚い光線が前髪の裾あたりに寄ってきて暖かい。坂を上りながら、テクストにより「沈潜」する能力を涵養しなくてはなるまいなと考えていた。テクストを読むというのは、道を歩きながら色々なものに目を留め、そこから感覚や思考を伸ばして行くのと同じことである。むしろこの世界のほうがテクストと同じで言わば「無字の書」なのであり、散歩をするということは(と言うか生存して時間を送るということ全般が)それを読むことなのだと言ったほうが良いのかもしれない。従って、ものを読む時にせよ、道を歩く時にせよ、何らかの意味=差異=ニュアンスを自分が感得したということをその都度確かに自覚することが大事なのであって、そうした瞬間が訪れたならばそこから自分が何を感じ考えたのか、何を引き出すことができるのかということを、その時々に最大限求めることが肝要だろう。つまりは何かに遭遇したならば、その遭遇の周りを少々うろつく[﹅4]時間を取るということだ。歩く時はともかく本を読む時にはそこにおいてメモ書きが重要な手段となるだろうが、頭のなかで事柄の周囲をうろつき、事柄を反芻すれば仮にメモを取らなくとも自ずと記憶にも残りやすいだろう(自分の頭自体がメモになるということだ)。言い換えれば、書物=世界を読むとともに、その読書から生起するこちらの内的世界の経過をも合わせて読まなければならないだろうということだ。そんなようなことを考えながら坂を上り、裏路地を行くあいだ、空を見やれば雲はひとひらもなく清々しい青さに満たされている。最近はほとんど連日雲のない快晴が続いていて、この冬は特別に雨が降っていないようだが、それにしても冬というものはここまで雲の存在を許さないものだっただろうか? 路地の角を曲がると、道の外れに生えた竹が風に触れられてさらさらと、葉音のせせらぎを生み出しているが、こちらの立っているアスファルトの上には吹き掛かるものとてない。街道に上がって横断歩道で立ち止まると、ダウンジャケットとジャージを着ている下の身体の、腋の下のあたりなど温みが籠って少々湿りを帯びるようにも感じられた。道を渡ってふたたび裏に入り、斜面に広がる墓地の前を行くあいだ、ここでは風が正面から吹きつけるが、やはり寒いと感じることはない。保育園を過ぎてあたりを見回せば、本当にどの方向を向いても澄み切った青さが視界に入り、空は一つの皺もむらもない水色で際まで塗りこめられている。駅前を通り抜け、車の来ない隙に街道を渡り、ちょっと行って林のあいだの坂に折れた。そこを抜け、道に落ちている枯葉を踏んでぐしゃぐしゃと繊維の砕ける音を立てさせながら自宅に戻った。
 食事。茸の入った暖かな汁にうどんをつけて食う。ほか、牛肉の佃煮ともう一品何かがあったはずだが忘れてしまった。ものを食べて食器を洗うと自室に戻り、一二時半過ぎから蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読みはじめた。時々インターネットに触れながらも、五時過ぎまで四時間以上通して書見。BGMはJunko Onishi『Musical Moments』をもう一度流し、さらに『Live At The Village Vanguard Ⅱ』、Aaron Parks Trio『Live In Japan』。初めのうちはベッドの上に乗っていたが、じきに縁に腰掛けて椅子の上に書籍を乗せた。足もとは電気ストーブで温風を横から送るのだが、これが裸足に熱くて下肢が落ち着かず、たびたび位置をずらすがぴったり嵌まる距離が見つからない。そんなわけでもぞもぞ動きながらも読書を続け、部屋も薄暗んだ五時を回って夕食を拵えに行った。階段を上り、電灯を点けてカーテンを閉める。そうして台所に入るとまず米を磨いだ。それから大根の葉を茹でる用意がなされていたので、緑色の葉っぱを半分に切断して鍋に入れ、加熱しているあいだに茄子を切る。二本切って小鍋の水に晒したところで大根の葉を笊に取り、水を掛けて冷ますと一本残った茄子も切り、そのあとから葉っぱも細かく刻んだ。ほか、冷凍されていた豚肉を解凍して切り分け、フライパンで野菜を炒めはじめる。蓋を乗せて蒸し焼きにし、時折り開けてフライパンを振って搔き混ぜながら加熱し、肉も入れて赤味がなくなると醤油を加えて完成、合間に大根もスライスしてあった。汁物は昼の残りがあったので簡易だがこちらの仕事はそれで終いとし、室に帰るとふたたび読書を始めた。BGMはJoe Lovano『Tenor Time』を流す。スタンダードばかりで少々気の抜けたような、あまり締まりきらないアルバムだが、大西順子が頑張っている。『「ボヴァリー夫人」論』は七時半過ぎまで読み進めて、そうして夕食に行った。メニューは白米・煮た大根を加えられた汁物・鮭・昼の残りの細麺うどんを和えたサラダ・生の大根のスライスサラダ・大根の葉と茄子と豚肉の炒め物。新聞を読むでもなく、テレビに殊更見入るでもなく、ぼんやりと頭のなかで思考を回しながらものを食べ、食後すぐに風呂に入った。入浴など面倒臭い、さっさと出て本を読むなりものを書くなりしようと思っても、浸かって散漫な物思いを広げていればいつの間にか一〇分二〇分と過ぎている。出てくると緑茶を用意して下階に帰り、久しぶりに少々娯楽に遊んでから日記を記しはじめた。Joe Lovano Ensemble『Streams Of Expression』を背景にここまで進めて一〇時一〇分を迎えている。
 それでは以下に、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaの昨日読んだ部分からメモを取っておこう。

  • ●45: But he could see the prisms in the deep dark water and the line stretching ahead and the strange undulation of the calm.――undulation: うねり、波立ち
  • ●45: He looked at the sky and saw the white cumulus built like friendly piles of ice cream and high above were the thin feathers of the cirrus against the high September sky.――cumulus: 積雲 / cirrus: 絹雲
  • ●46: It is humiliating before others to have a diarrhoea from ptomaine poisoning or to vomit from it.――ptomaine poisoning: 食中毒
  • ●44: I wish I could feed the fish, he thought. He is my brother. But I must kill him and keep strong to do it.――魚は"my brother"なのに、それを殺さなければならないという矛盾(?)。
  • ●48: There was a small sea rising with the wind coming up from the east and at noon the old man's left hand was uncramped.――時間の指定、二日目の正午。

 続いて、『「ボヴァリー夫人」論』から。

  • ●362: 「エンマの髪は、シャルルにとって、何よりもまず距離をおいて視線で感じとるべき対象であり、触覚を刺激するものとしては描かれておらず、あたかもその黒髪に手をそえるのを怖れているかのように、彼は「妻の櫛や指輪やスカーフ」(Ⅰ-5: 55)に触るだけで満足している」
  • ●397~398:

 今日まで生きてきたこの一生のうち、楽しかったことといえばなんだったか? (……)さて学校を出てからの一年と二ヵ月というものは、ベッドにはいっても足が氷のように冷たい後家といっしょに暮らした。ところがどうだ、今こそは最愛のあの美女を永久にわがものとしてしまったのだ。(Ⅰ-5: 55)

  • 「(……)「結婚によって、よりよき生活状態の到来を予想」していた彼にとって、「ベッドにはいっても足が氷のように冷たい後家」とのトストでの結婚生活のみじめさが強調されているのは当然だろう。とりわけ我慢ならないのは、「人さまの前ではこう言いなさい、ああ言ってはいけません。(……)細君は彼に宛てた手紙を開封し、彼の行動をひそかにうかがい、女の患者が来て診察室で話していれば、壁越しに聞き耳を立てた」(Ⅰ-1: 22)と書かれているように、妻のたえざる介入である。つい読み落としがちなこうした細部によって、第一部の二章の冒頭で語られていた深夜の骨折治療の依頼が、書簡として二人の寝室にもたらされていたことの意味が改めて明らかなものとなる。年上の妻とベッドをともにするのをシャルルが快く思ってはいなかったその寝室に手紙がもたらされ、しかも、いつもならまず妻が目を通していたはずの封書をかたわらの彼女にさきがけて自分の手で開封し、みずからその内容に目を通すことが第三者の視線の前で初めて可能になったのであり、その例外的な振る舞いが、彼に新しい土地での新たな出会いをもたらすことになるのである」――『ボヴァリー夫人』からの引用文中で、「楽しかったことといえばなんだったか?」と反語的に疑問を投げかけ、エンマと結婚した現在との対比で語られているのだから、第一の夫人エロイーズとの結婚生活がシャルルにとって決して楽しいとは言えなかったことは確かだろう。その点、その生活が「みじめ」と形容されるところまではわかる。しかし、もう少しシャルルの心のなかに突っ込んで、「我慢ならない」という言葉を使うのは果たして適切なことかどうか。と言うのも、以前にも記したことだが、彼と最初の妻エロイーズとの夫婦関係を語る『ボヴァリー夫人』の該当箇所(二二~二三頁及び三一~三四頁)には、シャルルが結婚生活についてどのように感じていたかを示す直接的な表現は何一つ書き込まれていないように見えるからである。勿論、これも以前に記したように、細君の指図や嘆きや小言に対してシャルルが「うんざり」して「不満や失望」を抱えていたであろうことは容易に想像がつく[﹅5]のではあるが、しかしテクスト上にはそうした彼の外面的・内面的反応は明示されていないという「テクスト的な現実」を尊重するべきではないのだろうか。――もっとも、この点に関してこちらの疑念が受け入れられるとしても、この章におけるシャルルとエンマの類似、彼女による彼の反復という主要な論旨はほとんど傷つかないわけで、こちらはまさしくどうでも良いような枝葉末節にこだわっているわけなのだけれど。また、それはそれとして、後半のシャルルの「例外的な振る舞い」に関する観察は慧眼だと思う。
  • ●402: 「実際、「後家あがりの細君はやせがれて、前歯がいやに長くて、春夏問わず小さい黒のショールをかけて、その先が肩胛骨のあいだにたれてい」(Ⅰ-2: 33)たり、「そのドレスが短すぎて、足首がのぞき、平べったい靴につけた飾りリボンが鼠色の靴下の上で蝶結びになっている」(同前)といった描写には、その存在に対するシャルルの嘔吐に近い拒否反応がにじみでており、いったん抱いてしまったその否定的な感慨を意識から遠ざけることは、ほとんど不可能というに近い」――上と同趣旨。上記の描写に果たして「シャルルの嘔吐に近い拒否反応」までをも読み込めるかどうかこちらには疑問である。原作の該当箇所を読んでみると、この描写が、話者がシャルルの視点を借りてその目を通して語っているものなのか、それとも話者自身の認識を述べているのかを決定することは、きわめて微妙な問題のように思われる。
  • ●403: 「もちろん、シャルルが年上の未亡人と暮らしたのは「学校を出てからの一年と二ヵ月」(Ⅰ-5: 55)ほどのことでしかないのだから、配偶者ではない異性を愛する「権利」への自己肯定的な確信や心の底での配偶者の「否認」は、エンマのそれにくらべてみれば素描されたという程度の簡素なものでしかない」――上と同趣旨。果たして、シャルルの「心の底」などというものが読み取れるように書かれているのかどうか。
  • ●411: 「(……)自分自身の意志で選択したとはとても思えない窮屈そうな衣装をまとった少年が、もどかしげに「シャルボヴァリ」と口にするのみで、彼はみずからを他からきわだたせる勝義の特性のようなものを何ひとつ印象づけてはいない」――「勝義」。初見。意味は「その言葉の本質的な意味」。
  • ●414: 「ところが、シャルルやエンマの場合は、個性や性格として受けとめるにふさわしい独特な振る舞い方や言葉遣い、あるいは二人をとりまく室内や戸外の表情が物語の進展につれて豊かさをますということはほとんどなく、「読みやすさ」の保証としてははなはだ心もとない。それは、この二人が、あたかも作中人物としてはいわば「素人」にほかならず、作中人物の「玄人」――ほかの作家の作品においても、充分にその役割を演じうるという意味で――として振る舞うオメー氏やルールー氏のように、誰もが見誤ることのない個性的な人物像としては描かれていないからであり、その点でもシャルルとエンマはよく似ている」――作中人物の「素人/玄人」。面白い表現。
  • ●414: 「いうまでもなく、ある意味では兄妹のようによく似ているシャルルとエンマもまた、しかるべき点ではまったく異なる存在である。だが、その違いが二人の個性や性格などには還元されがたいところに、『ボヴァリー夫人』という長編小説のフィクションとしての意義深さが認められる
  • ●416: 「では、普通の人間とは何か。それは、その「個人的な世界」が読むものを多少とも惹きつける「特性」をそなえてはいない存在だとひとまずいえる」
  • ●422: 「あるいは、未知の存在にみたされた空間と初めて接した外部の人間の、不意の存在感の低下といったものに読者が立ちあっているといえばよいのかもしれない。それが、「特性」のない男シャルルの特性なのだといってもよい」――ムージルを想起しない者はいないだろう。
  • ●430: 「しばしば「描写魔」と呼ばれたりするフローベールにとっての建築は、その全貌も細部の骨格も描写の対象とはなりがたいものばかりだ。実際、導入部におけるシャルルやエンマにとっての主要な舞台装置となる中学校も尼僧院も、その建築学的な構造はいささかも描かれてはおらず、そこにたちこめている空気(……)の漠たる記述ですまされている」
  • ●462: 一八八〇年、フローベール死去。
  • ●482: 「したがって、「論理実証主義」によるなら、シャルルやエンマというフィクションの作中人物を含む『ボヴァリー夫人』のテクストは、「偽」の命題の連鎖にほかならないと結論される。その理論にしたがうなら、「ご自分をボヴァリー夫人に比較なさってはいけない。まったく似てはおられないのです」というルロワイエ・ド・シャントピー嬢に向けたフローベールの言葉もまた「偽」ということになろう。だとするなら、論理実証主義」なるものは、そうした「偽」の言葉なしにこの矛盾にみちた世界が成立しているとでも主張しているのかと真摯に問わざるをえない。いったい、彼らは、「真」と判断される命題だけで、この世界の曖昧さや複雑さが記述しうると本気で信じているのだろうか」
  • ●494: 「ところで、「ファイヒンガーのいう『美的フィクション』、芸術の形成体も『かのように』の構造によって規定されうるか」(ハンブルガー、ケーテ、『文学の論理』、植和田光晴訳、松籟社、1986年、48)という疑問を呈するハンブルガーは、語源的に見て「かのように」の構造は、ラテン語の《fingere》系の動詞に連なるものには妥当するが、同じラテン語の《fictio》系の動詞につらなる文学のフィクションには妥当しないと述べている。フリードリッヒ・シラー Friedrich von Shiller の戯曲『マリー・ステュワート』を挙げながら、「シラーはその作中人物マリー・ステュワートを、あたかも現実のマリーであるかのように造形したのではない」(同書 49)からというのがその理由であり、「装われたもの」と「創造的に形成」されたものとの差異を識別しそびれたが故に、ファイヒンガーは「『美的フィクション』の記述に失敗した」(同前)というのが彼女の結論である」
  • ●498: 「(……)「ドラマール事件」や「ルルセル事件」とはまったく事情が異なり、ヨンヴィルを舞台とした「ボヴァリー事件」などまったく起こりはしなかったのである。それが、『ボヴァリー夫人』のエンマの自死の試みのアイロニカルな効果にほかならない。アイロニカルというのは、彼女がみずからの意志で毒物を嚥下したにもかかわらず、「地方風俗」の維持のためにそれが事故死として処理されたのだから、宗教的にも社会的にもその意志は無視されてしまったというほかはないからである。にもかかわらず、フィクションをめぐって理論的な言説を展開しようとする者たちは、誰ひとりとして、そうした「テクスト的な現実」に目を向けようとせず、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」と書くことでフィクションを読み誤っている
  • ●765; Ⅶ章註(1): 「「芸術と文学への愛が私の唯一の慰めです」(Corr. Ⅱ 695)というシャントピー嬢は、フランス西部のアンジェ Anger 在住の女性である。「地方の不愉快な環境に暮らしている私は、いまなお誹謗中傷や不正に苦しまねばなりませんでした」(同前)と書く彼女は、「私の悲哀と倦怠と渇望とは、あなたが『ボヴァリー夫人』でみごとに描かれたものそのものです」(同前)と続けている」――この部分を読んだ時に、一五〇年以上前のフランスにもこのような、文学への熱愛だけを拠り所とした孤独とも思える生を送る女性がいたのだな、と少々しみじみとしたような気持ちになった。
  • ●775: Ⅷ章註(18): 「脱構築」とは、「ある「理論的な言説」が、そのいわんとするものとは異なる別の意味を指し示していることを見わけ、その意味を明らかにする振る舞い」である。

 上記まで記すと既に零時だった。そこからふたたび『「ボヴァリー夫人」論』の書見に入った。深更、腹が減ってきてカップラーメンでも食おうかと思ったのだが、上階の様子を窺いがてら便所に行ってみると階上はまだ明かりが点いており父親が起きているようで、テレビを前にして一人で騒いでいる声や気配すらないものの、何かの音楽が流れ出していた。それでものを食べるのは止めにして用を足すと自室に戻り、それでも今夜は出来る限り本を読み進めよう、二時三時まで、何だったら場合によっては徹夜をしても良いと、そんな気分でいたところが、しかし一時半過ぎには瞼が落ちるようになったので、大人しく諦めて床に就いた。布団のなかでの記憶は残っていないので、早々と寝付いたのではないか。


・作文
 11:12 - 11:46 = 34分
 21:23 - 23:59 = 2時間36分
 計: 3時間10分

・読書
 10:01 - 10:31 = 30分
 10:42 - 11:11 = 29分
 12:35 - 17:12 = 4時間37分
 18:13 - 19:35 = 1時間22分
 24:02 - 25:40 = 1時間38分
 計: 8時間36分

・睡眠
 2:00 - 9:20 = 7時間20分

・音楽

  • Junko Onishi, "So Long Eric - Mood Indigo - Do Nothin' Till Your Hear From Me"
  • Junko Onishi『Musical Moments』
  • Junko Onishi『Live At The Village Vanguard Ⅱ』
  • Aaron Parks Trio『Alive In Japan』
  • Joe Lovano『Tenor Time』
  • Joe Lovano Ensemble『Streams Of Experssion』
  • Junko Onishi『Tea Times』

2019/1/17, Thu.

 目を覚ましていても布団から抜け出すことができず、八時四五分頃起床。快晴。寝間着の上にダウンジャケットを羽織って上階へ。母親は台所で洗い物をしていた――彼女に向けて低くおはようと呟き、便所に行って糞を垂れる。それから前日の残り物であるスープにマカロニソテーを加熱する。電子レンジに入れたマカロニがじきにぽん、ぽんという音を立てて跳ねたので、加熱を中止し、散ったものを皿に集めて卓へ運ぶ。新聞からはイギリスのEU離脱案が大差で否決されたという話がやや興味を引くが、まだ本格に読んではいない。食後、薬を飲み、食器を洗うと服をジャージに着替えて風呂を洗いに行く。栓を抜くと蓋を取ってその表面から、あるいは裏から滴が落ちるのを待ち、汲み上げポンプも持ち上げて静止させ、切れの悪い小便のようにじょろじょろと細い水流が降下するのをぼんやりと眺める。それからブラシを使って浴槽のなかを擦り出すのだが、前夜に入浴した際に左右の下辺が少々ぬるぬるとしており、洗いが甘いようだったので、この日は念入りに擦った。それで出てくると緑茶を用意して自室へ、早速日記を記しはじめた。前日の記事を仕上げて投稿し、この日の分をここまで綴って一〇時半を迎えようとしている。昨日に引き続き図書館に行こうかどうしようか迷っている――ヘミングウェイの『老人と海』を借りたい気はするのだが。
 日記の読み返し。まずは一年前。そのさらに一年前の日記から埃にまみれた居間の南窓の描写が引かれていた。「ガラスを埋め尽くす汚れは陽に浮き彫りとなって、その一つ一つが白く締まって満ちるように艶めいて、例によって馴染みのイメージの反復だが、星屑の集合のように目に映り、宇宙の一画を切り取って縮小したかのようで、現実の夜空の表面は、どんな澄んだ藍色の時にもこれほど無数の輝きに満たされることなどあり得ないだけに、白昼の太陽のなかでのみ目に映る紛い物のこの星空は、それが紛い物であるがゆえに星天の理想的な像をいっとき受け持って具現化してみせるのだろう、本物よりもかえって、星屑という言葉を付すのに似つかわしいような感じがするのだった」。「白く締まって満ちるように艶めいて」いるのがなかなか良い。また、「言語の慈悲深さ」について考えた次の記述も引いておく。

 勤務中、読んだ資料にベケットの言葉が引かれており、正確に覚えていないのだが、「どのようなことでも、言語に移すとその瞬間にまったく違ったものになってしまう」というような言で、どちらかと言えば嘆きのニュアンスを含んでいたように思う。これは言語を操ることを己の本意と定めたものならば誰でも実感的に理解しているはずのことで、言わば言語の無慈悲さとでも言えるのかもしれないが、こちらがこの時思ったのは、しかしそれは同時に、大袈裟な言葉を使うならば言語の救い、言語の慈悲深さでもあるのではないかということだ。大きさも違う、性質も異なる、体験者に与える影響も様々であるこの世のあらゆる物事が、ひとたび言葉になってしまえば、言語という資格において等し並に並べられてしまう。その言語の平等主義を自分は好ましく思うことがある。つまりは、言語などというものは最終的には単なる言語に過ぎず、所詮は言語でしかない[﹅10]、そして物事を単なる言語でしかないものにしてしまえる、というのが一種の慈悲深さのように感じられることがあるのだ。自分でも何を言っているのか(と言うか、何をどう感じているのか)よくわからず、理屈として的の外れたものになっているのではないかという気もするが、そのように思うことはある。そのような、所詮は言語でしかないようなものにまさしく耽溺し、深くかかずらって生きることを選んだ作家という人種は、だからひどく倒錯的な人間たちなのだろう。

 それから、二〇一六年八月二〇日の分。以下の描写がなかなか珍しい現象を写し取っている。

 それで窓を眺めていると、外の電灯が流れて行く時に、白であれ黄色っぽいものであれ赤みがかった暖色灯であれみなおしなべて例外なく、その光の周囲に電磁波を纏っているような風に、放電現象の如く細かく振動する嵩を膨らませながら通過していく。それは初めて目にするもので、なぜそんな事象が起こっているのかしばらくわからなかったのだが、途中の駅で少々停車している際に、ガラスに目をやると先の雨の名残りが――と言ってこの頃にはまた降りはじめていたのだが――無数に付着していて、その粒の一つ一つが、いまは静止している白い街灯の光を吸収して分け持っているのを発見し、これだなと気付いた。灯火が水粒の敷き詰められた地帯を踏み越えて行く際に、無数の粒のそれぞれに刹那飛び移り、それによって分散させられ、広げられ、また起伏を付与されて乱されながら滑り抜けて行くので、あたかも乱反射めいた揺動が光に生じ、実際にそうした効果が演じられているのは目と鼻の先のガラスの表面においてなのだが、街灯のほうに瞳の焦点を合わせているとまるで、電車の外の空中に現実に電気の衣が生まれているかのように見えるのだった。

 それで一一時四〇分、腹が減っていたので上階に行き、戸棚からカップラーメンのカレー味を取り出して湯を注いだ。新聞を読みながら三分間待ち、麺とカレールーの混ざったスープを搔き混ぜて食べはじめる。新聞からは英国のEU離脱案関連の記事を三つ読んだが、今図書館にいて手もとに新聞がないので、あとで帰ってから情報を記しておこう。カップラーメンを食べ終えると三個一セットの小さな豆腐を一つ温め、また母親がどこからか貰ってきた銀杏ご飯も頂いたが、これは銀杏の実が少々苦いようだった。皿を洗って下階に戻り、UさんのブログやSさんのブログを読むとFISHMANS "チャンス"の流れるなかで服を着替える。(書き忘れていたが、日記を読み返しているあいだはJunko Onishi『Tea Times』を流していて、このアルバムはもしかしたら名盤なのかもしれないという直感があった) 歯磨きはせずにバルカラー・コートと荷物を持って上階に上がり、靴下を履いてから、そう急ぐものでもないし出かける前にアイロン掛けをすることにした。シャツを二枚、自分の白いものと母親のサーモンピンクのものとを処理する。そのあいだテレビでは『サラメシ』が流れており、新潟県五泉市という場所が取り上げられていて、この町はニット製品の生産が日本一で市内の企業の三割もがニット関連の会社なのだと言う。番組に目を向けながらアイロン掛けを仕舞えるとBrooks Brothersのハンカチを引き出しから取り、便所に行ったあとコートを着込んで出発した。日向の広く敷かれたなかを歩き出す。前方では柚子の木が陽のなかで黄色の実をいくつもぶら下げており、その手前には楓の木が、もう葉はとうに消滅して幹も枝も薄白く裸になって晒されている。坂を上って行くと途中の家ではこの日も布団が干してあり、出口付近から見えるもう一軒も同じで、ベランダに掛けられた布団の表面が僅かに膨らみ、漣を作っている。風は時折り流れてくるものの大した威力もなく、マフラーを巻いていると少々暑く思われるくらいの陽気だった。空には雲がひとひらもなく隅から隅まで完全に青さが浸透して、木々の木叢の小さな隙間にも水色が注ぎ込まれてくっきりと満ちている。梅の木のフラミンゴ色の装飾の織りなされているのを見やりながら街道に出て、ちょっと行くと灰色のマフラーは外してリュックサックに仕舞った。裏路地に入り、白線に沿ってかつかつと歩いて行く。時折り風が踊るもののその感触は鋭さに転ずることはなく冷涼さがかえって爽やかなようで、道には人もほとんどなくて幼気[いたいけ]な鳥の声が忍び入り、空気の結合が緩くなったかのように穏和な昼下がりの静けさだった。
 駅に着くとホームに出て、先頭近くまで歩き、ちょうどやって来た電車に乗ると蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を取り出した。二駅分、僅かに読んで河辺で降車し、エスカレーターを上がって改札を抜ける。駅舎を出て高架歩廊を歩いていると、背後、首のあたりに暖気が漂い触れてくる。図書館に入り、昨日借りたばかりのCD三枚をカウンターに返却した。それから文芸誌の区画を見に行ったのは、文芸誌というものにさしたる興味はないものの、「新潮」だか「群像」だかで蓮實重彦ポスト・トゥルースの時代について一文書いていると聞いていたのをちょっと見てみようと思ったのだったが、どちらも誰かが読んでいるらしく場にはなく、それならば良かろうと払って階段を上った。新着図書を確認してから窓際の通路に出ると、一番端の席が空いていたのでそこに荷物を下ろし、コートも脱いで椅子の背に掛ける。それから海外文学の書架に入ってヘミングウェイ/中山善之訳『老人と海』を手に取り、フロアを渡って機械で貸出手続きをした。それから席に戻って早速この本をちょっと覗いてみたところ、こちらの感覚では会話や老人の独り言の部分など、言葉が少々硬すぎるところがあるように思われたが、しかし参考になる部分もまたあるだろう。それでコンピューターを取り出し準備して、この日の日記をここまで書き足して現在は二時を越えている。以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaから英単語のメモ。

  • ●40: A small bird came toward the skiff from the north. He was a warbler and flying very low over the water.――warbler: ムシクイ
  • ●40: He was too tired even to examine the line and he teetered on it as his delicate feet gripped it fast.――teeter: よろよろと歩く、ふらふら揺れる
  • ●40~41: Just then the fish gave a sudden lurch that pulled the old man down on to the bow and would have pulled him overboard if he had not braced himself and given some line.――brace oneself: 心の準備をする
  • ●42: He put one knee on the fish and cut strips of dark red meat longitudinally from the back of the head to the tail.――longitudinally: 縦方向に
  • ●43: 'How do you feel, hand?' he asked the cramped hand that was almost as stiff as rigor mortis.――rigor mortis: 死後硬直

 次に、気になった箇所。

  • ●40: But he said nothing of this to the bird who could not understand him anyway(……)――鳥に対して"who"が用いられている。つまり、鳥は人と同じような扱い方をされている。
  • ●41~42: (……)he washed his hand in the ocean and held it there, submerged, for more than a minute watching the blood trail away and the steady movement of the water against his hand as the boat moved.――細かな観察。大した細部ではないが、何故か少々気になった。
  • ●43: 'What kind of a hand is that,' he said. 'Cramp then if you want.(……)'How do you feel, hand?' he asked the cramped hand(……)――自分の「手」に対する呼びかけ。この老人は魚に対してにせよ、鳥にせよ、手にせよ、たびたび「呼びかけ」を発する。

 続いて、『「ボヴァリー夫人」論』から。

  • ●296: 「実際、エンマは、自分の「華奢な足」の素肌を、夫とは異なる男たちにしか見せようとはしていない」
  • ●297: 「このときならぬ変容を誇示してみせる妻を、シャルルが「新婚当時のようにうっとりと眺めては、ただただ得も言われぬ美しさにうたれた」(Ⅱ-12: 311)というのはいかにもありそうなことだ。すでに見たように、彼は、あたりに拡がりだす目には見えない存在の気配にはことのほか敏感な存在だからである」
  • ●301~302: 「実際、『ボヴァリー夫人』のテクストが読むものにしいる苛酷さは、彼が寡夫となるのを待っていたかのように、その行動の意図や目的がにわかには読みとりえない存在へと変質させていることにある。ロドルフやレオンはいうにおよばず、オメーやルールの場合でさえ、彼らが何を考え、何を目ざし、何を目的として振る舞っていたのかはきわめて見きわめやすい作中人物として描かれており、その振る舞いを前にして「話者」が戸惑うことはない。だが、エンマの死後、その夫だった免許医は、いったい何を考え、何を目ざして行動しているのか誰にも読めない人物へと変貌しつくしており、「話者」による語りもそれに追いつけずにいるかにみえる
  • ●312~313: 「(……)異性のしかるべき肉体の一部がシャルルに所有への欲望を煽りたてることはごく稀であり、それは彼の視線が集中化を好むものではないからだったといえる。あるいは、たとえば、女性の足首なり踝なりがちらりと人目に触れるとき、それが彼女の肉体そのものを象徴しているといういわば換喩的な想像力が、彼にはそなわっていないからだといえるかもしれない。この田舎医者が覚える快楽の予感は、一点への集中とは異なる周縁への拡がりに対する敏感さに支配されているからだ。(……)」
  • ●313: 「(……)視覚によって対象を背景から浮きあがらせ、視界の中心にすえることはいたって苦手でありながら、聴覚に視覚と同じ資格を与えながら、対象そのものを構図の中心にではなく、あたりに散在する無数の表情のうちにその気配ともいうべきものとしてさぐりあてているシャルルは、ひたすら拡散するものに敏感な文字通り「偏心」する存在なのだといえる」
  • ●315: 「(……)二つの中心ともいうべきものが共進会という儀式的な空間を二つに分割している(……)。あるいは、分割というより、潜在的な中心と顕在的な中心とが二重の時空をかたちづくっているというべきかもしれない」
  • ●339~341: 「そこには、フローベールの作中人物がしばしば示す「超=顕微鏡」的ともいえそうな事象へのたぐい稀な感性が語られていると見ることもできる」
  • ●342~343: 「あるいは、そのとき、世界がその塵埃のかすかな流れに還元され、見ている主体までがそれに同化していることに反応しうる知覚が不可欠だといえるかもしれない。その点において、これからエンマの夫になろうとしている医師と、たえずその家に入りびたることになる薬剤師の見習いとは、ほとんど同じ姿勢を共有しているといえる。それは、主体の溶解という現象のうちに、フローベール的な愛の一形式をきわだたせていると見ることもできる」

 上記まで記したあと、さらに『「ボヴァリー夫人」論』から書抜きを二箇所。それから同書を読み進める。テクスト空間を縦横無尽に駆け巡って、そのあいだに無数の文を差し挟んでいるはずの遠く離れた部分同士を繋げてみせるその手つきにはやはり驚嘆せざるを得ない。言うまでもないことだが、『ボヴァリー夫人』のテクストをこれ以上ないほどに高度に読み込んでいることが如実にわかる。ものを読んでいるあいだ、この主題は前にも出てきたなとか、この語が現れるのは三度目だなとかいう気づきならこちらにもあるが、それを実際に結び合わせてそこから整然とした脈絡に収まる意味を導き出してみせることなど、大抵の人間には出来ようはずもない。蓮實重彦という人は「主題論」的な類似や同一性、はたまた対比性などに対する感覚がずば抜けているのだろう。テクストを読んでいるあいだの彼の頭のなかには、そうした様々な細部の「意義深い」饗応と差異の構図が奔流のようにして渦巻いているのではないかと想像される。筆致はあくまで正確で厳密であり、テクストからして断言できないことは「~だろうか」と疑問の形で可能性を列挙したり、「~と想像される」などの表現を用いて記述が上滑りすることを周到に回避している。
 途中、エッセイの区画に蓮實重彦『随想』があったはずだと書棚に立つ。ついでに中井久夫のエッセイもないかと探してみたが見当たらず、『随想』のほうももう書庫に入れられてしまったようで棚には見られなかった。読んでみたいものとしては堀江敏幸のエッセイと、辺見庸のもの。それで便所に行ってきてから席に戻り、五時半前まで読み進める。その少し前に携帯電話を見ると母親からのメールが入っており、まだ帰らないかと訊くのでもう少し本を読んでいくと答えた。そうして五時半ごろになって帰路に就くことにして、席を立ち、既に羽織っていたコートのボタンを留めてマフラーもつける。そうして退館へ。階段に差し掛かると大窓の彼方に、山際から微粒子のような赤い残光が僅か漏れているのが見られる。退館して歩廊の上に出ると、西南の山際に同じ茜色が、窓を通して見た先ほどよりも強く厚く、しかしもうあと十数分もすれば消えてしまうだろうかそけさで漏れ出していた。河辺TOKYUへ渡り、スーパーに入って籠を取る。椎茸に茄子をまず入れて、それから豆腐を取りに行き、続いて「すりおろしオニオンドレッシング」を入手して、最後にポテトチップスの大袋を二種類保持した。そうして会計へ。研修中らしい若い女性がチーフとともに立っているレジを選ぶ。品物を読み込むのは新人が、その後の会計はチーフのほうが担当していた。一六一〇円を払い、礼を言って釣りを受け取り、整理台に移って荷物をリュックサックとビニール袋に取り分けた。

1681 カルビー BIGBAG ウスシオ  \238
1681 カルビー BIGBAG コンソメ  \238
130 生しいたけ  \196
150 なす  3本パック  \176
3201 一丁寄せきぬとうふ  \69
1511 スリオロシオニオンドレ380  \448
 自動割引4  20%  -90
3201 絹美人
 2コ × 単108  \216
小計  \1491
外税  \119
合計  \1610

 そうして退館。館内にいるあいだに暮れが進んで、山際に見えていた赤さは暗い青に追いやられてもはや潰え去っていた。歩廊を渡っていると顔に吹き付けてくる風がさすがに少々冷たい。駅に入り、エスカレーターをゆっくりと歩いて下り、ホームに入って掲示板を見やれば前日と同じく青梅で奥多摩行きを待つようだった。『「ボヴァリー夫人」論』を取り出して読みはじめ、まもなくやって来た電車に乗ると座席の上に袋を載せて、自分はその前に立って手すりを掴みながら八〇〇頁超の重たい本を片手で支える。持ち手を変えつつ揺られて青梅着、ホームを辿って待合室に入った。先客が二人いたものの席にはまだスペースがあったが、ここでも座らずに入り口近くの角に立ち尽くしたまま書見を続ける。じきに男女の高校生カップルが入ってきて、それからも二人、入客があって席は埋まる。待合室内には天井の角に二箇所、スピーカーが設けられているのだが、そこから漏れ出すアナウンスが思いのほかに大きな音で少々うるさかった。この日読み返した二〇一六年の日記にも書かれていたことだが、中島義道がこうした類の「騒音」を嫌ってそれについての本まで一冊著したのが頷けるようだ。いくらもしないうちに奥多摩行きが入線してきたので室を抜けて乗車し、リュックサックを背負ったまま優先席に就いた。荷物をいちいち下ろしてはまた背負うのが面倒だったためだが、本を読んでいると背中で携帯が振動するのが感知され、結局背から下ろすことになった。メールはまたもや母親で、今西友にいるが乗っていくかと問うものに、今もう奥多摩行きに乗っていると返して仕舞い、リュックサックをふたたび背に負った。そうして発車、最寄りに着くと時計を見やって読書時間の終了、一八時一一分を記憶し、降車して本を右手にビニール袋をその下の指に掛けてホームを歩く。階段をゆっくりと上り下りし、横断歩道でスイッチを押し滔々と流れる車の列を停止させて坂に入った。見上げれば晴れた宵空に半月を越えた月が白々と明るい。電灯に照らされた緑葉の艶めきを見やりながら木の間の坂を下りて行き、平ら道に出ても殊更急がず進んでいると、踏み出して足を地につくたびに右足の土踏まずが電気の走るようにぴりぴりと痛む。筋が傷んでいるのだろうか、ともかくそれでさらに歩調を緩めて帰宅した。母親はまだ帰っていなかった。真っ暗な居間に電灯を灯し、買ってきたものを冷蔵庫に入れてからカーテンを閉めて下階に下りた。コンピューターを立ち上げながら服を着替え、Twitterを覗いたりしているうちに母親が帰宅して台所で作業を始めたらしかったのでこちらも階を上がった。食事は炒飯にしようということになった。その前に野良坊菜をさっと茹で、次にピーマンと椎茸を切り、ストーブを点けてその上に置かれたスープの鍋が加熱されるようにしてから、フライパンで野菜を炒めた。冷凍の炒飯と同じく冷凍保管されていた古い米を合わせて炒めて行き、塩胡椒を振って仕上げると早々と食事を取ることにした。ほか、照焼きチキンのピザを温め、キャベツは母親がスライスして簡易なサラダにする。夕刊を寄せると、EU離脱案を巡って割れていた英国議会だが、メイ政権への不信任案はひとまず否決されたとあった。朝に読んだ朝刊からの記事をここに引いてしまおう。目を通したのは、「英下院 EU離脱案 大差で否決 首相、代案提示の意向」(一面)、「英政権 見えぬ出口 追い込まれたメイ首相 EUと再協議 国民投票 合意なき離脱」(三面)、「英議会分断 鮮明に EU離脱案否決 「強硬」「穏健」「残留」歩み寄れず」(九面)の三記事。最初のものから――「英下院(定数650)は15日夜(日本時間16日未明)、欧州連合EU)から抜ける条件などを定めた離脱協定案を採決し、賛成202、反対432の230票の大差で否決した」「英政治の混迷で、3月29日に迫るEU離脱の先行きは不透明さを増している」「採決では、野党の反対に加え、与党・保守党の4割弱にあたる118人が造反した」「英国は2016年6月の国民投票EU離脱を決め、双方は昨年11月に離脱協定案に合意した。協定案では20年末まで事実上、現在の英EU関係を続ける「移行期間」の設定や、20年までの英国のEU予算分担などを定めている」。また、夕刊から読んだのは次の記事たち――「英不信任案を否決 EU離脱 代替案 与野党協議へ」、「シリアテロ 米兵ら19人死亡 「イスラム国」犯行声明」、「米、ファーウェイ捜査 米紙報道 ロボ技術盗んだ疑い」、「米に韓国照射問題説明 岩屋防衛相 国防長官代行と会談」。テレビはニュース。阪神淡路大震災から二四年と。各地での追悼、黙祷の様子を眺めながら皿を洗い、そのまま入浴した。湯のなかでは前日と同様、書抜きの読み返しで得た知識を頭に想起させ、それにも飽きると頭を浴槽の縁に凭せ掛け、右膝のみ立てて左足は寝かせてゆったりと浸かる。聞こえるのは勤勉な時計の刻みと、こちらの薄い呼吸音のみである。そうして頭を洗って上がり、緑茶を用意して即座に自室に帰った。買ってきたポテトチップスを食いながら、Uさんのブログを読む。以下引用。

 思索が成り立つ事実そのものが、考えようとしているものを拒否してしまうのは、戦争映画を鑑賞し、知人と一緒に「戦争はダメだ」と納得した途端、戦争で生じた無限の暴力を覆い隠す様相と似ている。善、悪、真、聖、美など、全ての領域で同じことが言える。特定の真理や美学を持つこと、悪を弾劾すること、善を追求して倫理的に生きることなどは、その限りにおいて、追求する原理とまさに逆行する。

 仮に宗教が、世界の起源を明らかにしつつ、現代をいかに生きるかを明らかにする営みだとしたら、特定の典拠だけを信頼し、その外の学びを拒否するのは、宗教的な生き方と逆行する。仮に政治が、共同体共通の運命を方向性を判断するための結束と対話だとしたら、特定の党派に入信してそれだけを推進するというのは、政治的ではない。最後に、仮に哲学、問い直してはならないことは何もない思索と言論だとしたら、その学派に入信し、異なる視点を排除することは、哲学的ではない。

 それから「「辺野古」県民投票3割投票できず、“憲法違反”の指摘も」の記事をインターネットで読み、「ワニ狩り連絡帳2」も読んだあとに日記を書きはじめた。BGMはJunko Onishi『Musical Moments』。そうしてここまで記して九時半前。
 その後、「ウォール伝」の大層長い記事を三〇分間掛けて読んだあと、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaのリーディングに入った。図書館で借りてきた中山善之訳をたびたび参照しながら読むのだが、この人の翻訳は妙に固いと言うか、日本語としてあまりこなれていないように思われて、あまり良くない意味での「翻訳小説らしさ」というものが出てしまっているように感じる。それでも意味の良くわからないところなど参考にしつつ一時間ほど読み進め、そうして今度は『「ボヴァリー夫人」論』を読み出した。しかし、あまり記憶が確かではないのだが、いくらもしないうちに意識を失ってしまったようで、気づけば二時前を迎えており、手帳に時間をメモしてからそのまま眠りに就いた。歯を磨き忘れたのではないか。


・作文
 9:47 - 10:28 = 41分
 13:39 - 14:49 = 1時間10分
 20:17 - 21:24 = 1時間7分
 計: 2時間58分

・読書
 11:01 - 11:38 = 37分
 12:08 - 12:13 = 5分
 13:13 - 13:22 = 9分
 14:49 - 15:21 = 32分
 15:24 - 17:23 = 1時間59分
 17:39 - 18:11 = 32分
 19:39 - 20:02 = 23分
 20:05 - 20:17 = 12分
 21:29 - 22:00 = 31分
 22:03 - 22:59 = 56分
 23:14 - 25:57 = ?
 計: 5時間56分+α

  • 2018/1/17, Wed.
  • 2016/8/20, Sat.
  • 「思索」: 「1月16日2019年」; 「1月16日2019年2」
  • 「at-oyr」: 「台北暮色」; 「アンコウ」
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 350 - 406, 761 - 764
  • 「「辺野古」県民投票3割投票できず、“憲法違反”の指摘も」
  • 「ワニ狩り連絡帳2」: 「「カタストロフと美術のちから」@六本木・森美術館」; 「2019-01-14(Mon)」; 「「言葉と歩く日記」多和田葉子:著」
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「キリスト教に目覚めていく私。」
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 43 - 49

・睡眠
 1:15 - 8:45 = 7時間30分

・音楽

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2019/1/16, Wed.

 五時台に覚め、しかし起きられず、次に七時台に覚め、さらに寝付いて最終的には九時四〇分。その頃になると太陽も山際を離れ、窓枠に隠れず姿を現して、光線が枕に乗った顔にまで届いている。ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親が、CDを掛けたいのだが音楽が鳴り出さないと困っている。スピーカーに繋ぐ配線を取り替えるのだと教示して顔を洗い、シチューを火に掛け、そうしているあいだに便所に行って用を足すが戻って来るとまだ鳴らないと言うので見てみると、スピーカーの電源が刺さっていなかった。それでコンセントを差し込み、リモコンを操作して流れ出したのは松任谷由実の音楽である。"You don't have to worry, worry, 守ってあげたい"というあの有名なやつだ。それを聞きながらシチューを食べるのだが、松任谷由実の音楽はなかなか良質だなと今更ながら思った。サビは少し定型に絡められていると言うか――しかしそれはむしろサビになって一挙に花開くキャッチーさとして肯定的に評価すべき部分なのだろうとは思う。それにまた、Bメロの移行の仕方など見事ではないかと思われた。次曲は"恋人はサンタクロース"。そうして、半分残ったモンブランも食べて食事を終え、そのあとに薬を飲んだ記憶がないがまあ良い。食器を洗って浴室に行き、風呂の蓋を取ると滴がぽたぽたと落ちる。栓を抜いて水が流れて行くのを待つあいだに、洗濯機に繋がった汲み上げ式のポンプを持ち上げて静止させ、管のなかに溜まった水が落ちるのを待つ。そうして、ブラシを上下左右、また前後に動かして浴槽を洗い、出てくると今度はストーブの石油を補充しに勝手口のほうへ行った。空は無限に連なる淡い水色に満たされており、雲はほとんど見られず、今にも消えてしまいそうなものが二、三、擦りつけられているのみである。戻ってストーブにタンクを入れると、緑茶を用意してねぐらに帰った。そうして日記、前日の分を仕上げて投稿し、この日の分もここまで綴って一一時前。BGMは『The Jimmy Giuffre 3』。この作品はベースが肝となっているような気がする。
 他人のブログを読む、Mさんのブログ、Uさんのブログに、「ワニ狩り連絡帳」。そうして自分の日記も一年前の分を読み返して時刻は一二時前、上階に行った。戸棚から「札幌濃厚味噌ラーメン」を取り出して湯を注ぐのだが、外で水やりをしていた母親がこちらを呼ぶ声が聞こえていた。南窓を開けて顔を出すと、水道の水を調整しに行っていた母親が家の角から現れて、ちょっと来てくれと言う。カップラーメンの待ち時間四分を越えてはと急いで玄関を抜け、小走りで家の南側に下って行き、水を止める。そうして畑にいる母親のもとに駆けつけると、ホースに繋がった水の噴射部が外れたようだったが、既に元通りセットしたあとだった。それで水道のところに戻り、水を調整してちょうど良い塩梅に流れ出させると室内に戻ってラーメンを食った。その傍ら新聞は日本がアメリカのGPSに依存しない、「準天頂衛星」と書いてあったか、そうしたものを開発しているという話題を一面から読む。テレビのニュースは稀勢の里引退を伝えている。新聞やテレビに目を向けながらラーメンを食べ、結構美味だったのでスープもすべて飲み干してしまい、それから前日から残っている生野菜のサラダにシーザー・サラダ・ドレッシングを掛けて食した。そうして食器やプラスチック容器を片づけ下階に戻ると時刻は一二時半頃だったと思う。FISHMANS "MELODY"を流して歌いながら服を着替える。上は背面と腕の部位に水色のストライプが入った白いコットンのシャツ、下は水色混じりのグレーのイージー・スリム・パンツ、それにモッズコートを羽織って歯ブラシを取りに行く。口に突っ込んで部屋に戻ろうとすると上階から母親が呼んだので行ってみれば、ソファを動かしてほしいと言う。歯ブラシを口に加えたまま前屈みになり、ソファを持ち上げてずらし、位置を微調整して自室に帰った。歯磨きを終えるとFISHMANSの音楽を、"チャンス"、"ひこうき"、"100ミリちょっとの"と流し、そうして荷物を整理してストールも巻き、上階に上がった。便所で用を足してから母親に行ってくると告げて出発。"100ミリちょっとの"を脳内に流して坂を上りながら、ひとまず翻訳としては、最初からウルフなどに挑戦しても無理に決まっているから、ヘミングウェイの短篇あたりを訳してみようかなと思った。Men Without Womenを持っているのだが、それを見てみると僅か数頁の短いものも結構あるのだ――それだったらさほどの労力にはならないだろう。今読んでいる『老人と海』も、訳すかどうかは別としても日本語訳を参照して、わかりにくい表現の部分などプロフェッショナルがどう訳しているのか学んでみても良いかもしれない(二〇一七年の父親の誕生日に光文社古典新訳文庫小川高義訳を贈ったから、それを借りても良いし、もう一冊買ったって良いだろう。福田恆存の古い翻訳も家にあったが、これは良い日本語文ではなかった)。The Old Man and the Seaを読んで気づいたのは、ヘミングウェイと言うと短めの文を連ねてあまり人物の内面に立ち入ることなく、乾いた文体を旨としている作家として知られていると思うが、カンマで繋ぐ長めの文がそこそこ見られるということだ。そのあたり、カンマを句点に置き換えてぶつ切りに訳すのか(これだと長い原文のリズムと異なり、場合によってはそれが損なわれてしまう難点があると思う)、それともピリオドで区切られていないことを尊重して和文も長く取るのか(これだと和英の構文の違いから語順=意味の順序をどのように構築するかという問題がある)、プロフェッショナルがどのように処理しているのか見てみたいものだ。また、短篇を訳すとしたらこれも既訳を参照できるように『全短篇』を入手せねばならない――確か新潮文庫に入っていたと思うが、多分もう新刊書店には売っていないだろう。となるとやはりAmazonを使うようか? まあひとまずはThe Old Man and the Seaを読み終わってからの話だ――そんなことを考えながら坂を上って行き、平らな道に出ると、この日は風が結構あって日向の温みよりもそちらのほうがやや勝る。ピンク色に飾られた梅の木を見やりながら街道に出て、北側に渡って歩いて行くあいだも、正面から吹きつけるものがある。空は、これから向かう途上、東側は大方青いが、西を振り向けば結構雲が出ているようだった。裏通りに入る間際にふたたび西に目を送ると、丘陵の上に積まれた雲の夏のそれのようだったが、夏よりは質感がいくらか稀薄なようだ。コートのポケットに手を突っ込んだまま裏路地を行き、途中でふたたび表に出た。歩いていると、首も守られているから身体が温みを帯びて、風が吹いても寒くはなく、服の裏など暖気が溜まっているのが感じられる。青梅坂下では工事を行っており、あれはアスファルトを均していたのだろうか、一つ良くもわからない機械が地面の上をゆっくりと移動し、そのすぐ脇には掃除機のような機械が出張って振動音をあたりに響かせていた。街道を行き、青梅図書館前の細道から裏に入り、駅前に出て駅舎に入る。ホームに出ると日向のなかで立ったまま蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読みはじめた。すぐにやって来た電車に乗ってからも文字を追っていると、線路の曲線に差し掛かると電車と太陽のあいだの角度が少しずつ変化していき、床の矩形がじりじりと移動して頁の上にも光が掛かり、右下から左上へと斜めに舐めて行く。河辺で降り、返却本である大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』を小脇に抱えながら改札を抜け、図書館に渡って返却。それからジャズの棚を見に行った。そうしてWynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』、Hiromi & Edmar Castaneda『Live In Montreal』、Junko Onishi『Tea Times』を持って上階へ。新着図書を確認したあとCD三枚を貸出手続きし、それからフロアの端、中公新書の区画を見に行った。『中国の論理』と『中国ナショナリズム』がそれぞれ所在されているのを確認し、窓際に出ると一席空いたものが見つかったのでそこに荷物を置く。ストールも取って机上に置いておき、まだ座らずにフロアを渡って、『天皇の歴史』シリーズを見分する。明治天皇の巻、昭和天皇の巻の目次をそれぞれ確認してから今度はその書架の裏側に回ってヘミングウェイの著作を確認したが、小川高義訳の『老人と海』は見当たらなかった。短篇では西崎憲の訳したちくま文庫のものが見られた。それらを確認してから席に戻ってコンピューターを取り出し、日記をここまで記して三時前を迎えている。
 以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaからメモ。

  • ●37: He heard the stick break and the line begin to rush out over the gunwale of the skiff.――gunwale: 船べり
  • ●37: In the darkness he loosened his sheath knife and taking all strain of the fish on his left shoulder he leaned back and cut the line against the wood of the gunwale.――sheath: 鞘
  • ●38: The blood ran down his cheek a little way. But it coagulated and dried before it reached his chin(……)――coagulate: 凝固する
  • ●38: I wonder what he made that lurch for, he thought.――lurch: 急な傾き
  • ●39: He tried to increase the tension, but the line had been taut up to the very edge of the breaking point since he had hooked the fish(……)――to the edge of: ~する寸前で、今にも~しそうで

 また、気に掛かった箇所も抜書き。

  • ●37: (……)he(……)cut the line against the wood of gunwale. Then he cut the other line closest to him and in the dark made the loose ends of the reserve coils fast.(……)Now he had six reserve coils of line.
  • → ●21: The boy had given him two fresh small tunas, or albacores, which hung on the two deepest lines like plummets and, on the others, he had a big blue runner and a yellow jack that had been used before;(……)each line had two forty-fathom coils which could be made fast to the other spare coils so that, if it were necessary, a fish could take out over three hundred fathoms of line.――"line"は四本あって、そのそれぞれに"two forty-fathom coils"が付属しているので、それらを全部繋ぎ合わせれば八〇×四で三二〇尋の長さになるわけだ。
  • ●32: 'It was noon when I hooked him,' he said.――時間の指定。
  • → ●33: The fish never changed his course nor his direction all that night(……)――一日目の夜。
  • → ●38: And in the first light the line extended out and down into the water.――二日目の夜明け。
  • ●39: 'He's headed north,' the old man said. The current will have set us far to the eastward, he thought.――方角の指定。

 続いて、『「ボヴァリー夫人」論』からも。

  • ●182: 「ここで着目すべきは、『ボヴァリー夫人』のヒロインの不倫が、複数の男性の誘惑に同時に身をさらすという葛藤関係には陥ることなく、そのつど口にされる夫の健康を気遣う言葉にうながされ、一人が姿を消すとそれに代わって登場する男に身をまかせるといった按配に、なだらかな継起性に支配される女性だということだ」
  • ●205~206: 「散文のフィクションが、そのテクストの長さによって「長編小説」《roman》、「中編小説」《nouvelle》、「短編小説」《conte》、あるいは「物語」《récit》、等々、と分類されているフランスの文学的な伝統(……)。このジャンルによる分類は、理論的なものというより、パリのある名高い書肆[ガリマール社]によって勘案されたひとつの販売戦略だといってもよかろうが、それが他社にもとり入れられ、文学的な出版物の一般的な慣習として定着するのは二十世紀もかなり時間がたってからのことにすぎない
  • ●208: 「事実、アリストテレースの『詩学』(……)からヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel の『美学講義』(……)にいたるまで、西欧の伝統的な美学、詩学、修辞学における言語芸術のジャンルは、古代ギリシャに起源を持つ「叙事詩」と「抒情詩」と「劇詩」の三つにかぎられており、そこに「長編小説」の占めるべき位置はまったくもって見いだしがたい」
  • ●239: 「ここに描かれているのは、多彩なるものと地味な寒色との相互肯定からなる華やぎといったもので、それは、どれひとつとして特権的な中心におさまることのない多彩な色調がいっせいにおのれを主張しつつも混じり合うという積極的な多彩性ともいうべきものにほかならない」――フローベールの「描写」を、蓮實自身が一般的な概念を用いて「描写」し直している。
  • ●244~245: 「その匿名の主体を、ひとまず「話者」と名づけることにする。(……)それをあえて「語り手」と呼ばないのは、この匿名の主体の機能が必ずしも「語る」ことにつきてはいないからである」
  • ●247: 「リューヴァン氏が読みあげる演説の草稿を「書く」のはまぎれもなく「作者」にほかならないが、それを同時に進行しているロドルフによるエンマへの誘惑の言葉とテクスト上に交互に配置し、その継起性をあたかも同時的であるかのように見せかけるという技法的な処置は、あくまで「話者」による「語り」の機能に属する
  • ●270: 「(……)ジュネットのいう「語り手」と「聴き手」という関係は、散文におけるフィクションにあってはにわかには成立しがたい。「文学的テクストと指示対象」(HAMON Philippe, 《Texte littéraire et référence》, Tangence, n 44,, juin 1994, Département des lettres et humanités, Rimouski, Université du Québec, p. 7-18.)のフィリップ・アモン Philippe Hamon もいうように、「文学的なテクストは書かれたテクストであり、発話の文脈からは切り離された遅延した[﹅4]テクストにほかならぬ」(同書 8)からである。

 その後、『「ボヴァリー夫人」論』を書抜きした(自分が「抜書き」と言う時は上記のような、日記本文内に組み込むメモ的な短い抜き出しを指しており、「書抜き」という時はもっと長いまとまりを写す時のことを指している)。特に印象に残ったのは次の部分――「いま読みつつある「文」そのものを忘れないかぎり、「テクスト」を最後まで読み続けることはおよそ不可能であり、そのかぎりにおいて、「テクスト」は一瞬ごとの忘却を惹起する言語的な装置だというべきかもしれない。もちろん、以前に読んだ「文」を読み返すことならいつでもできるし、誰もがしていることだ。しかし、それはあくまで読んでいながらもそれを忘れているという記憶喪失を前提としており、その意味で、「テクスト」を読むことは、どこかしら「生」を「生きること」に似ているといえる」。一時間余りをそれに充て、それから二〇一六年八月二一日の記事を読んだ。特段に引用しておきたい箇所はなし。そうして四時五〇分。それから『「ボヴァリー夫人」論』を読み進める。外はなだらかな曇り空。大気は段々と暮れて行き、光を剝ぎ取られた薄色から深い宵闇へと移行して行く。途中、席を立ってフローベールの著作が文庫の棚にあるかどうか見に行ったのだが、これがなんと一冊もなかった――光文社古典新訳文庫の『感情教育』があればと期待していたのだが。『ボヴァリー夫人』にしても、わりと近年、新潮文庫から新訳が出ていなかったか? ともかくそれで席に戻って、六時半過ぎまで書見を続け、「Ⅴ 華奢と頑丈」まで読み終えたところで帰路に就くことにした。荷物を片づけて立ち上がり、リュックサックを背負った上からストールを首に巻く。そうして歩き出し、政治学の棚をちょっと見分してから退館へ。TOKYUで買い物をして行こうかとも思っていたが、母親がペーパーバッグ作成講座の帰りに寄ると言っていたし、面倒な気持ちが先に立ったのでまっすぐ帰ることにした。眼下にはGEOの店舗が皓々と白い光を際立たせており、こちらが渡る円形歩廊の上では柵の下部に埋め込まれた四角い電灯が、左右から薄ぼんやりとした明かりを寄せてくる。駅へ入り、エスカレーターを歩き下ってホームへ。電車の発車時間を記してある掲示板を見れば、奥多摩行きへの接続は少々あと、青梅駅で待たなくてはならなかった。リュックサックから『「ボヴァリー夫人」論』を取り出すとともに電車がやって来る。乗ったところの扉際に立ち、顔を俯かせて頁に目を落としながら到着を待ち、青梅に着くと本を仕舞わず分厚い八〇〇頁のそれを小脇に抱えてホームを歩いた。線路を挟んで向かいの小学校では体育館の窓がオレンジ色の明かりに染まっており、ホームの一角に申し訳程度に設けられた小さな花壇では、パンジーが乏しく咲いている。スナック菓子を売っている自販機の前まで行き、細長いパックのポテトチップスを二種類買うと(一八〇円)、木製壁の待合室のなかに入った。室内には女子高生が二人と女性が一人、先客としていた。入り口近くの角に立ち尽くしたまま本を読み、奥多摩行きがやって来ると乗って、やはり扉際で立ったまま文字を追った。最寄りに着くと降車し、電灯の薄明かりのなかで手帳に時間を記録して、階段を上る。階段通路の上から視線を遠くに放れば、表通りを行く、あるいは裏道へと入っていく人々の、黒い影となっているのが目に入る。横断歩道を渡って下り坂を行けば、道の脇からはみ出す葉叢のなかに突き出た街路灯に照らされた緑葉が、硬質な白さを帯びて鱗のように空間に浮かんでいる。平らな道に出て見上げた空は一面曇っており、煉瓦のようにくすんで星の一片も見えないわりに、晴れた夜空の深い藍色よりもかえって軽妙に明るいような風だった。
 帰宅して、抱えていた『「ボヴァリー夫人」論』を卓上に置くと、その音に視線を向けた母親が、なあにそれ、随分厚いねと言った。八〇〇頁あるよ。何が書かれているの。文学……作品について、とそう答えて階段を下り、自室に帰ってコンピューターをセッティングしながら服を着替えてジャージ姿になった。Twitterを覗くと、こちらが訳したウルフの「キュー植物園」について「素晴らしい」とメッセージを送ってきてくれた方がいて、有り難いことである。そうして食事へ。アジフライ・マカロニソテー(シチューの残りを使って作ったと言う)・白米・大根のサラダ・白菜や豚肉などの入ったスープである。テレビは前日に録ったものらしく、『マツコの知らない世界』を流していて、世界に二人しかいないという観覧車研究者のうちの一人、七〇歳ほどの老婦人が出演していた。しかしこちらは観覧車に特段の興味はない。ソースの掛かった肉厚のアジフライをおかずに米を食い、ほかの品も平らげたあと、マカロニソテーをおかわりし、さらにゆで卵も食べた。そうして食器を台所に運び、水道の水と網状の布でもって一度汚れを拭ったあと、洗剤をつけて本式に洗う。それから濯いで食器乾燥機に入れておき、風呂はまもなく帰ってくるという父親に譲ることにして、自室から急須と湯呑みを持ってきた。そこで薬を飲んでいなかったことに気づき、一杯目の湯を急須についで待っているあいだに薬剤を摂取し、二杯か三杯分の茶を用意するとねぐらに帰る。買ってきたポテトチップス(うすしお味)を食いながら借りてきたCDのインポートを始め、菓子を平らげてしまうと茶を飲みながら日記を書き出した。BGMに流したのはJunko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard』。そうしてここまで記して九時直前に至っている。
 そう言えばTwitterを覗いた時に芥川賞直木賞の結果が発表されていて、芥川賞を受賞した二人のうちの一人が町屋良平という人だったのだが、この人は自分がCRUNCH MAGAZINEというインターネット上の投稿サイトに日記を上げていた頃――もう四、五年前になるが――知り合って、何度か読書会も行ったことのある相手である。文藝賞を受賞した時に『文藝』上に写真が載っているのを見て驚いたものだが、その頃にはもう付き合いはなくなっていたものの、元々顔を知っていた人が芥川賞を受賞するとはこれもなかなか驚きである(ちなみに当時、『青が破れる』だったか、件の文藝賞受賞作をMさんがちらりと目にして、こんなものはクソゲロ以下の代物であると激しく罵倒していたのも覚えている)。しかしまあ、芥川賞であれノーベル文学賞であれ、およそ賞などというものは受賞者の作が良く売れるようになる、つまりは金になるという程度のことしかおおよそ意味しないものだ。
 父親はもう風呂を出たかと思って上階に行ってみると、ちょうど今しがた入ったところだと言う。入っちゃえば良かったねと母親は言うが、そんなに急いでいるわけでもない。自室に戻って、借りてきたCD三枚の情報を写すことにした。打鍵を続け、三枚目、Junko Onishi『Tea Times』のパーソネルを写している途中で天井が鳴り、風呂が空いたらしかったので入浴に行った。風呂のなかでは湯船のなかで身体を楽に伸ばしながら、書抜きの読み返しで学んだ沖縄関連の知識を想起し、再確認する。それにも飽きると"Moment's Notice"のメロディを口笛でぴいぴい吹いて、二〇分かそこらで上がったと思う。翌日、木曜日は燃えるゴミの日なので自室のゴミを上階のものと合流させておき、そうして我が穴蔵に帰ってふたたび打鍵を始めた。

Wynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』

1. There Is No Greater Love [I. Jones / M. Symes]
2. Not A Tear [R. Stevenson]
3. Jingles [W. Montgomery]
4. What's New? [J. Burke / R. Haggart]
5. Blues In F [Montgomery]
6. Sir John [R. Mitchell]
7. If You Could See Me Now [T. Dameron / C. Sigman]
8. West Coast Blues [Montgomery]
9. O Morro Não Tem Vez [A.C. Jobim / V. De Moraes]
10. Oleo [S. Rollins]

Wes Montgomery: g on 3,4,5,8,9,10
Wynton Kelly: p
Ron McClure: b
Jimmy Cobb: ds

Produced for release by ZEV FELDMAN and GEORGE KLABIN
Executive Producer: GEORGE KLABIN
Associate Producers: ROBERT MONTGOMERY, JIM WILKE and CHARLIE PUZZO, JR.

Sound restoration by GEORGE KLABIN and FRAN GALA
Mastering by FRAN GALA at Resonance Records Studios
Original recording engineer: JIM WILKE

Recorded At The Penthouse In Seattle, Washington
On April 14 and 21, 1966

(P)(C)2017 Rising Jazz Stars, Inc.
KKJ1022 (HCD2029)

Hiromi & Edmar Castaneda『Live In Montreal』

1. A Harp In New York [Edmar Castaneda]
2. For Jaco [Castaneda]
3. Moonlight Sunshine [Hiromi]
4. Cantina Band [John Williams]

The Elements [Hiromi]

5. Air
6. Earth
7. Water
8. Fire

9. Libertango [Astor Piazzolla]

Hiromi: p
Edmar Castaneda: harp

Produced by Hiromi and Edmar Castaneda

Recorded at the Festival International de Jazz de Montreal, on June 30th 2017,
in Ludger-Duvernay concert hall (Monument National)
Recorded by Michael Bishop, Five/Four Productions Ltd.
Assistant Recording Engineer: Padraig Buttner-Schnirer
Front o House Engineer: Tyler Soifer
Mixed and Mastered by Michael Bishop at Five/Four Productions Ltd., Cleveland, Ohio

(P)(C)2017 Concord Music Group, Inc.

Junko Onishi『Tea Times』

1. Tea Time 2
2. Blackberry
3. Tea Time 1
4. Chromatic Universe [George Russell]
5. GL/JM
6. The Intersection [Miho Hazama]
7. Caroline Champtier
8. Malcom Vibraphone X feat. N/K, OMSB
9. U Know feat. OMSB, JUMA, 矢幅歩, 吉田沙良
10. Fetish

All Compose & Edit by Naruyoshi Kukuchi except #4,6

Junko Onishi: p
Terreon Gully: ds
Yunior Terry: b

Horns:
Tokuhiro Doi: as / cl
Kazuhiko Kondo: as
Ryoji Ihara: ts / fl
Masakuni Takeno: ts
Kei Suzuki: bs
Eijiro Nakagawa: tb
Nobuhide Handa: tb
Ryota Sasaguri: tb
Koichi Nonoshita: bass tb
Eric Miyashiro: tp
Koji Nishimura: tp
Masahiko Sugasaka: tp
Atsushi Osawa: tp

Yosuke Miyajima: g

N/K from JAZZ DOMMUNISTERS: rap on 8
OMSB from SHIMI LAB: rap on 8,9
JUMA from SHUMI LAB: rap on 9
Sara Yoshida: chorus on 9
Ayumu Yahaba: chorus on 9

#5
Horn section arrange by Miho Hazama

#4
Transcription by Ryoji Ihara

Produced by Naruyoshi Kukuchi

Recording Directed & Coordinated by Tomohiro Oya(mimi-tab.)

Mixed & Recorded by Takashi Akaku(mimi-tab.)
Mixed at Studio FAVRE
Recorded at Sony Music Studios Tokyo, Studio FAVRE
Assistant Engineer: Takemasa Kosaka, Yuta Yoneyama (Sony Music Studios Tokyo)
Mastered by Koji Suzuki (Sony Music Studios Tokyo)
Mastering at Sony Music Studios Tokyo

(P)(C)2016 ony Music Artists Inc. / TABOO
VRCL 18853

 それで一〇時二〇分というところだっただろう。読書の項目に一〇時半から記録が成されているが、これは書抜きの読み返しを行ったものだ。一二月二九日、二八日の分だが、一二月の分はもう大方、一回読むだけで記憶を蘇らせることができるようになってきている。そうして一一時、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読みはじめたが、同時にLINEにログインすると新しいグループが設けられ、そこで会話が成されていた。一月二六日の会合に関しての相談である。元々三鷹天文台で天望会に参加するとの予定だったが、Tによるとこれは随分と人気で、予約開始時間から一〇分ほどで売り切れてしまったらしく、気づいた時には満員になっていて席を取れなかったと。それで天望会は取りやめ、しかし三鷹にKくんの家があるので、そこで彼とこちらの誕生日を祝う会を行おうということになった(Kくんとこちらはどちらも一月一四日生まれである)。会には新たに、M.Sさん(漢字不明)という方も参加することになっており、この人はTが学童の仕事をやっていた時に同僚として知り合った人であるらしい。確か美大出だか何かで、"(……)"という、TとTが作った曲のイメージを絵に描いてくれたというのをTは見せてくれた(この曲はTのアレンジが生き生きとしていて、素人が作ったにしては良質で上出来のものだと思う)。それでそのMさんに、初めまして、Fと申します、よろしくどうぞと挨拶し、その後適当な雑談を交わしながらHemingwayを読んだ。そうして零時を回る。LINEでの会話は終了し、こちらは歯磨きをしながら、Hさんがブログに上げていた新しい小説の冒頭部分を読んだあと、零時半前からまた『「ボヴァリー夫人」論』に触れはじめた。「Ⅵ 塵埃と頭髪」の章。「主体の溶解という現象のうちに、フローベール的な愛の一形式をきわだたせている」という観察がちょっと印象的だった。時間が前後するが、Hemingwayを読んでいる時はWynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』をヘッドフォンで聞いていたのだけれど、冒頭、"The Cat In The Hat Is Back"でのMarcus Robertsのソロが抜群に良い仕事で、この盲目のピアニストの演奏をもっと聞いてみたくなった。そうして読書は一時一〇分まで続けて、その頃になると眠気が差していたので就床した。

2019/1/15, Tue.

 一一時まで床に留まる。起きて上階へ。鮭のホイル焼きをオーブントースターに突っ込み、米をよそったり大根の煮物を温めたりしていると母親が外から入ってくる。今日は仕事は休んだのだと言うのは、首を寝違えたらしい。それでしかし、午後からクリーニング屋に行ってくると。食事を取る。新聞は、中国のインターネット規制についての記事を読む――これはあとで写しておこう(「中国 「短編動画」規制へ ティックトックなど人気 運営側が審査」――「中国最大のインターネット業界団体が今月、若者に人気の短時間の動画「短編動画」の投稿について、新たな規制に乗り出した。不適切な映像や国歌を侮辱する内容が相次いでいるためで、サイト運営側が投稿内容を事前に確認し、違反者の投稿を禁止する措置も取る。中国でのネット規制は、さらに厳しくなる可能性が出ている」「また、1週間に3回以上「不適切な内容」の動画を投稿した者は、ブラックリストに登録されるという。さらに、この団体[「中国インターネット視聴番組サービス協会」]が同時に発表した「100の禁止条項」には、「台湾独立」「チベット独立」などを支持する内容、国家指導者の私生活や家族に関する情報、報道機関以外が伝える重大事故の結果などが含まれた」)。傍ら、向かいの母親と会話。昨日は色々と話せたかと訊くので、「獺祭」の由来についてなど話したと答え、それを改めて繰り返す。ほか、昨日は日記を三時過ぎまで書いていた、しかしまだ終わらないと言うと、そんなに無理して書こうとしなくても良いじゃない、と来る。確かにその通りだ――自分は何故そんなに、夜中まで頑張って生活を綴ろうとするのだろうか。しかし、答えはないことはわかっている。とにかくなるべくすべてを綴りたいという気持ちだけがある。ホイル焼きは熱したはずなのにまだ冷たかったので、母親が改めて皿に取り分け、電子レンジで温めてくれた。ほか、ピザがあると言うのでそれも熱して食し、食後に薬を飲む。皿を洗って風呂も洗い、緑茶を用意して、ポテトチップスを持って自室に帰った。そうしてスナック菓子をつまみながら他人のブログを読む。それから自分の日記も。まず一年前。
 

 車道の果てから黄みがかった白の光を皓々と灯して連なる車の列の、ほとんど隙間なく密着していた明かりが次第に分解しながら近づいてくるさまの、これももう何度も見ては書いたものだから特段の印象も与えられないなと見ながら、しかしその「何度も見ては書いた」という印象のためにまた書くような気になって、反復の事実そのものが一つの新たな差異になるというこの事態はどうもややこしい、よくもわけがわからない(……)

 宙に目をやると、電灯を掛けられた葉が硬いように光っており、ほかにも道の脇から出てきている枝の、葉を落として姿態を露わにしたのが、これも馴染みの比喩だが毛細血管のような、あるいは骨のようなと思われた。そのように物々から即座にイメージを引き出して、そのもの自体から距離を取ってしまうこちらの認識性向も、どうにかならないものかなあと退屈さを覚えた。自分はそもそも、物々の「具体性」をより豊かに捉えたくて、身の周りのものをよく見るように心がけてきたのだが、その結果、その物自体に迫るというよりは、それを即座にイメージに横滑りさせてしまう性向が身についてしまった気がする。しかし、あるものやある瞬間の「具体性」というものも、結局は、そこに生じる「意味」の組み合わせのその形とか、豊かさとかで決まるのだろうか、という気もし、要は、ある一つのものにいくつものイメージが重ね合わせられて感知されるというのも、そのものの「具体性」の一つになるのだろうか、などと、そのようなことをまた考えながら道を行ったのだが、このような抽象的な思弁にはもはや飽き飽きである。自分はもっと、自分の身ぶり、動作、行動とか、そこにただ何かがあった、何かが動いていた、というような単純さを書きたい。要は、自分はもっと「叙事」をやりたいと思うのだが、個人的な性質としてどうしても思弁のほうに流れてしまうのかもしれない。

 自分の性質としてやはりどちらかと言うと、思弁的なことを書いてあるところが目に留まるものだから、そういう性分なのかもしれないが同時に、この頃よりは今のほうが「叙事」も出来ているようには思う。続いて、二〇一六年八月二二日。「車内では例のごとく母親が勝手に取り留めのないことを次々と口にして、こちらはそれにほとんど返事もせずに聞き流しているのだが、しばらくした頃に突然母親が、今日お葬式をやっているところもあるんだろうね、とぽつりと落として、何の脈絡もなく葬式の語が口から洩れたその唐突さが引っ掛かった。あたりには特に葬儀を連想させるようなものもなかったはずである。そのつぶやきからちょっと無言が続いて何か寂しげなような匂いが漂うなかで、何の根拠もないが、祖母のことを思いだしたのだろうかと思った。と言うか、こちらが思いだしたので母親ももしやと思ったというのが正しいのだが、それは、祖母の葬儀の日も、雨ではないが、雪が大層良く降ったその天候の乱れと足もとの悪さからの連想だった」という記述があったのだが、この台風の日に突然「葬式」の語が母親の口から発されたあたりは、何だかちょっと小説のようだなと独特の匂いを感じた。
 そうして日記。前日のもの。しばらく書き足して投稿。それから自分のブログを読み返していたが、クリーニング屋に出かけている母親からメールが入ったので一旦洗濯物を取り込みに行く。そうして戻ってここまで綴って二時。
 読書を始める。蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』。初めのうちはベッドに乗ってクッションに凭れていたのだが、眠くなってしまってあまり読めない。じきにコンピューター前の椅子に移る。三時頃だろうか、母親が帰ってきて、昨日がこちらの誕生日だったのでケーキを買ってきたと。今は良いと言ったが、時間が経って四時台になると上がって行ってショートケーキをいただいた。甘みの控えめでしつこくないケーキだった。それでふたたび自室に戻って五時まで読書。BGMはFreddie Hubbard『Goin' Up』。冒頭の"Asiatic Raes"――Freddie Hubbardは例によって華やか、きらびやかである。また、Hank Mobleyが思いのほか流麗で、モタることもなく足が重くなることもなく気持ちの良いプレイをしていた。そうして食事を作りに上がって行くが、炬燵に入ってしまったのが運の尽き、ごろりと寝転んで目を閉じ、六時前までその場で動けなかった。さすがにそろそろ支度をしなくてはと母親が炬燵から抜けたのを機にこちらも立って、台所で玉ねぎ・人参・ジャガイモ・椎茸を切る。そうして鶏肉も切って(冷えた肉を押さえる左手の指が冷たさでぱちぱちと痛んだ)炒めはじめる。どうしても鍋が焦げついてしまうのだが、どうすれば良いかと母親に訊いても判然たる解決策はない。もう良いやと言って彼女がすぐに水を注いでしまい、そうして鍋をストーブの上に運んで行き、点火した。これで放っておけば自然と煮えるわけだ。その他、大根・玉ねぎ・人参をスライスしたサラダを拵えてこちらの仕事は終了、自室に帰る。Uさんが前日、メールを送ってきてくれていたので、それに対する返信を作成した。一通り書いたあと何度かゆっくり音読しながら句読点や細かな文言を調整し、仕上げて送る。

 こんにちは、Uさん。メールをありがとうございます。また、こちらの翻訳を読んでいただき、かつお褒めいただき光栄です。

 翻訳のプロジェクトを今すぐにでも始めたほうが良いでしょうとのお薦めで、有り難いお言葉ですが、こちらとしてはやはり、もっと英文に触れて基礎的・発展的な英語力のようなものを涵養する期間を取りたいのが実のところです。と言うのも、文学作品の翻訳に乗り出すには、こちらは語彙にしろ英文を読む経験にしろ、まだまだ貧困で明らかに不足していると考えるからです。既に一作、「キュー植物園」を訳しているではないかと言われそうですね? 確かに、あれは二〇一四年の時点で翻訳したもので、当時と言えば日記の文章はまだまだこなれておらず、未熟だった頃ですが、そのわりには今の目で見ても大きな瑕疵の見つからないような整然とまとまった訳文を作り上げています。しかし、それは当時の自分が今よりも確かに若かったということ、若さ故の無鉄砲さを持ち合わせていたということを示しているに過ぎません。つまりはあの頃のこちらは今よりも熱情的であり、自分の実力以上の仕事を行ってしまえる「勢い」があったのです。現在の自分は良くも悪くも、当時よりも成熟しており、もう少し慎重になっています。

 また、それなりに質の良い訳文を作ることができたのは、プロフェッショナルの既訳を二作、参照できたことも大きかったでしょう。自分の力と言うよりは彼らの力を借りた部分が多々あったと思われます。そういうわけで、自分はまだまだ翻訳のプロジェクトを始めるには力不足だと考えています。とは言え、鵜飼さんのお言葉は有り難い提案であり、なるべく早くそれに取り組めるように、ひとまず今は毎日の英語のリーディングを頑張りたいと思います。一〇年後というのはちょっと長く見積もり過ぎかもしれませんね。そのくらい期間が開くと、こちらが生きているかどうかもわからないわけですから。

 ウルフの文章をすべて翻訳して、「F.S版」を作ってしまうという構想についてですが、これは困難だが魅力的な想像であり、本当の理想、まさしく「夢」ですね。仮に実現するとしたら、それこそ一〇年では足りないでしょう。生涯のプロジェクトになると思います。しかし、そのくらいのことがもしできるとしたら、自分もこの国の文化に何がしかの貢献を果たせたということになるのかもしれません。究極的には、その「夢」を追求しながら生きていきたいとは思います。

 Uさんのほうも、ご興味がおありかわかりませんが、翻訳というプロジェクトを試みてみてはいかがでしょうか。Uさんが訳すとしたらやはりデューイでしょうか、それともエマソンやソローあたりでしょうか? デューイなど、翻訳されていない文献が多数あるだろうと想像しますし、エマソンも古いものばかりだったように思います。また、そうしたビッグネームでなくとも、マイナーだが重要な思想家の文章を訳し紹介するというのも一つ、大切な仕事だと考えます。こちらの翻訳を読んでみたいと仰っていただき光栄ですが、こちらも、鵜飼さんの訳したものを読むことができたら面白いと思います。是非考えてみてください。

 それに四〇分ほど掛けて時刻は七時、まだ食事には行かず、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読み出した。釣り糸に結ぶ予備の綱が何本あるのかとか、時系列の展開とかが気になり、頁を戻って調べていたのであまり読み進まなかった。釣り糸が全部で何本あるのか、さらにそれに結びつける予備の綱が何本あるのか、老人の装備が全部でどの程度なのかわからない。日本語ならばまだしも調べやすいが、英語だとやはり目当ての箇所を見つけるのが難しい。そうして八時近くになって食事へ。米に納豆、シチュー、サラダ二種、人参とエリンギの和え物。テレビは世界の各地に住む日本人を訪ねる番組。南海キャンディーズしずちゃんがトルコを訪れて、チャナッカレという町を探していたが、この町はトロイヤ戦争の「トロイの木馬」伝説の場所なのだと言う。だから多分、シュリーマンが発掘調査したところだろう(シュリーマンのトロイヤ発見にも捏造説などあるようだが)。時間が前後するが、食事を卓に運んでいる時に父親が帰ってきた。ものを食べ終わっても彼が風呂に入っていたのでこちらは一旦室に戻り、一〇分弱日記を書き足したあと、入浴に行った。湯に浸かり目を閉じて身体の力を抜き、腕や脚をだらりと静止させて休息する。一五分で出ようと思っていたところが、そうしているうちにいつの間にか二〇分が経って九時を過ぎている。その後上がると、緑茶と半分分けてもらった「いちごメロンパン」を持って自室に帰った。そうしてここまで綴って九時四七分、音楽は『Mississippi John Hurt Today (Plus)』。穏和で暖かみのある弾き語りで、いかにもアメリカといった感じ。
 それから「ウォール伝」を読み、また書抜きの読み返しをする。一月八日、五日、一二月三一日、三〇日の四日分。一二月の日記に引いてある情報は、大概一度読み返せば大体は思い起こせるようになってきているようだ。それで一一時を迎えて、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』へと移行。BGMは『Sonny Stitt/Bud Powell/J.J. Johnson』。随分と古典的な形式のジャズだが、ヘッドフォンをつけて時折り耳を傾けてみると、StittにしろBud Powellにしろ軽快、快調で闊達で、やはり売り払ってしまおうとは思えない。蓮實重彦のほうは、「余白」までをも読解の対象とする厳密さ。顕在的には三部構成になっている『ボヴァリー夫人』が、一行開けの「余白」によって実は潜在的には五部構成に分かれているのではないかと言うのだが、こちらが読んでいる時には「余白」の存在になどまったく注意を払わなかった。確かにそこにあるのに見えないでいるもの、人が気づかないでいるものを指摘し、確かにそこにあると納得せしめること、これが批評の真骨頂かと思う。一時一〇分まで読んだと思うのだが、相当に眠気にやられていたらしく時間を記したメモの文字が、死にかけの人間が書いたかのように覚束ないものになっていて読み取りにくく、実際そのあたりの記憶も残っていない。そういうわけで入眠は容易だったと思う。


・作文
 12:39 - 14:01 = 1時間22分
 18:24 - 19:01 = 37分
 20:25 - 20:33 = 8分
 21:32 - 21:47 = 15分
 計: 2時間22分

・読書
 11:56 - 12:39 = 43分
 14:05 - 16:58 = 2時間53分
 19:04 - 19:48 = 44分
 21:51 - 23:01 = 1時間10分
 23:09 - 25:10 = 2時間1分
 計: 7時間31分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-13「瘡蓋をはがして舐める舌がいまロンギヌスとなる主に口づけを」
  • 「at-oyr」: 「Still Ill」; 「DOVETAIL」; 「未熟な感想」
  • 2018/1/15, Mon.
  • 2016/8/22, Mon.
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 200 - 272, 749 - 755
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 37 - 40
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「読書三昧過ぎてそれしか考えられぬという幸せな日々。」
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • 2018/12/31, Mon.
  • 2018/12/30, Sun.
  • 「ワニ狩り連絡帳」: 2019-01-11; 「「建築×写真 ここのみに在る光」@恵比寿・東京都写真美術館」; 2019-01-12

・睡眠
 3:45 - 11:05 = 7時間20分

・音楽

2019/1/14, Mon.

 六時一〇分頃起床。ダウンジャケットを羽織り、寝間着のままコンピューターの前に。インターネットを覗いてから、朝も早くから日記を書き出す。と言っても前日の記事は僅かに書き足すのみ。投稿して読み返している頃にはカーテンにオレンジ色が溜まっていたので開けると、壁の上にも陽だまりが生まれてこちらの影が映し出される。その後早々と一年前の日記の読み返しをして七時過ぎ。Uさんに綴ったメールを、長いけれど以下に再掲しておく。

 Uさん、返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。二〇一八年を迎えたということで、遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。

 返信を綴れなかったのは、この年末年始に不安障害の症状が高じて、いくらか統合失調症的な様相を来たすまでに至ってしまい、ゆっくりと落着いてお返事を考えるどころではなかったからです。本当に、頭のなかを言語が常に高速で渦巻いて止まらず、先のメールに記したものですが、「ほとんど瞬間ごと」の「解体/破壊と建設/構築」を往来する精神の運動をまさにそのまま実現したかのようであり、それによって発狂するのではないか、自己の統合が失われるのではないかという恐怖を体験しました。一時はどうなることかと思いましたが、今は薬剤をまた飲みはじめて、不安のほとんどない状態に回復していますので、ご心配なさらず。この間の経緯や、今次の自己解体騒ぎについての分析・考察も漏れなく日記=ブログに記しており、なかなか大変な経験ではありましたが(しかしパニック障害が本当に酷かった頃に比べれば、何ほどのことでもないのです)、そこからまた生み出された思考もあり、我ながら結構面白い体験をしたのではないかと思うので、関心が向いたら是非読んでいただきたいと思います。

 丁寧で充実した返信をいただき、ありがとうございます。今しがた読ませていただき、色々と思うところや共感する部分もあるのですが、それらについて細かく述べているとまた無闇に長くなってしまうでしょうから、ここではそれは差し控えます。ただ一つ、取り立てて印象に残ったことに言及させていただくならば、Uさんの返信のなかに現れている主題とこちらの最近の関心事に共通するものとして、「抽象概念の具現化」というものがあるのではないかと思いました。

 言うまでもなく、意味や概念とは、所詮は意味や概念に過ぎず、この世界に実体として存在しているものではありません(この世界の物質的な様相だって実体的なものではなく、我々の認識機構が作り出した仮象に過ぎない、という議論もあるのだと思いますが、話がややこしくなるのでこれについては今は措きましょう)。本来は我々の頭のなかにしか存在しない概念というものにどのようなものであれ現実的な力を持たせたいならば、それを具体的な、目に見える形に具現化するというプロセスが不可欠です。こちらとしては、これが「芸術」と呼ばれる営みの役割の一つではないかと考えています。つまりは、この世には何か素晴らしいもの、「希望」なら希望が、あるいは「愛」なら愛が、実際に存在するのだということを説得的な形で示す、ということです(あるいは素晴らしくないものが、それでもやはり存在してしまうのだ、ということを示す、という方向での試みもあるはずで、それはそれでやはりこの世にあるべきなのだと思います)。

 一方、Uさんの返信のなかにも、例えば、「研鑽された系譜は、具体的な他者に宿り、魅力的な一人の人間の生き方として表出するのです」とか、「深い精神は身体に宿り、本人の自覚はともかく、一人の魅力的な教師として、他者を教える存在になるのです」といった文言が見られます。ここには明らかに、「体現」のテーマが観察されると思います。先のメールにおいて、最近こちらは、ミシェル・フーコーが晩年に考えていた「生の芸術作品化」のテーマに惹かれていると触れました。ある個人の生が芸術作品のようなものとなるということは、その人の生が洗練され、卓越したものとして形作られ、それによって何らかの概念を「体現」するということではないでしょうか? ここにおいて想起されるのは、もう二年と半年も前のことになりますが、New York Timesの記事で述べられていたCornel Westの言葉です。彼は明らかにこうしたテーマと同じことを語っていると思われるので、下に引用します。

(……)Yet, at the same time, we’re trying to sustain hope by being a hope. Hope is not simply something that you have; hope is something that you are. So, when Curtis Mayfield says “keep on pushing,” that’s not an abstract conception about optimism in the world. That is an imperative to be a hope for others in the way Christians in the past used to be a blessing — not the idea of praying for a blessings, but being a blessing.

John Coltrane says be a force for good. Don’t just talk about forces for good, be a force. So it’s an ontological state. So, in the end, all we have is who we are. If you end up being cowardly, then you end up losing the best of your world, or your society, or your community, or yourself. If you’re courageous, you protect, try and preserve the best of it.(……)
 (Cornel West: The Fire of a New Generation, By GEORGE YANCY and CORNEL WEST, http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/08/19/cornel-west-the-fire-of-a-new-generation/

 希望について語るのではなく、希望そのものに「なる」ということ。Uさんの文脈で言えば、Uさんが関心を持っていらっしゃるのはきっと、生存の様式そのものとして「哲学」をするということであり、「哲学」を体現し、ほとんど「哲学」そのものに「なる」ということなのではないでしょうか。それは別の言い方で言えばおそらく、「考えること」がほとんどそのまま「生きること」になるような生のあり方であり(こちらにおいてはそれは、「書くことと生きることの一致」として言い換えられます)、おそらくこの関心こそが、単なる「思想の歴史家と、そうした知性に群がる官僚」とUさんとを根本的に分かつ点であり、そして我々を結びつける接続点なのではないでしょうか。

 そして、「生きること」の総体とは、一日ごとの「生活」の積み重ねとしてあるのですから、ここからは、毎日の生活をどのように形作っていくか、という問題が必然的に出来します。そうして、一日の生活をさらに細かく捉え、その日のうちの瞬間ごとの選択の集積、という水準にまで微分化して考えることもできるでしょう。ここにおいて、瞬間瞬間の自己を絶えず観察し続けることを目指すヴィパッサナー瞑想の方法論は、自己を高度に統御して洗練させることで、自分自身を最終的に「芸術作品化」していくための手法としての意義を露わに示すものではないでしょうか。

 こちらとしては、(主に後期の)ミシェル・フーコーの文献に当たることで、こうしたテーマについての思索をさらに深めたいと思っています(そう思っていながらも、怠惰やら勤務やら色々なことにかかずらわって、読書が一向に進まない現実があるわけですが)。また、この主題体系のなかに、「差異」や「ニュアンス」というテーマをも、おそらく何かしらの形で接続できるとこちらは見込んでいるのですが、まだそのあたりは明瞭に見えておらず、今後の思考の発展を待ちたいところです。自分のなかで明確な形を成した思考は、その都度日記に書くつもりでいるので、気の向いた時にブログを覗いていただければと思います。

 ほか、返信をいただいて一番強く感じたことは、仲間たちと対面し、あるいは横に並んで具体的な時空を共有しながら、日常的に思索と対話を交わす環境にいらっしゃることがとても羨ましい、ということです。勿論、妬んでいるわけではないのですが、しかしそうした環境は大変に楽しそうだなと想像し、自分もいつかそのような場に身を置けたらと夢想することをやはり留めることはできません。とは言え、今の自分の生活だって、読み書きを続けていられるのだから、そこそこ悪くないものです(と言うか、読み書きを続けることさえできれば、自分は概ねどのような環境でも、わりあいに満足すると思います)。こちらはこちらの場所で、目に見えたものや頭のなかに生まれた事柄を書き続け、自己の変容を続けて行こうと思います。

 そうして上階へ。母親に挨拶。南の山際に押し広がる太陽の光を浴びながらジャージに着替える。洗面所に入って顔を洗い、寝癖を整え、今日は街に外出するので久しぶりに整髪料などちょっと髪につけて束を作る。手を洗い、一旦自室に戻って燃えるゴミを持って行き、上階のゴミと合流させる。そうして食事、米・納豆・野菜スープ・里芋の煮物・大根と人参のサラダ。おかずはすべて前日の残り物である。卓にものを運んで就く前に、新聞を取りに行くと、冷気のなかで吐く息が、口をさほど開けていないのに自ずと白く染まって唇のあいだから漏れて行く。戻って食事を取りながら新聞は、梅原猛死去の報。九三歳。また、「辺野古 新区画埋め立てへ 3月にも、南西側33ヘクタール」――「沖縄県の米軍普天間飛行場宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画を巡り、政府は3月にも、第2の埋め立て区画となる南西側の区画(約33ヘクタール)で土砂投入を始める方針を固めた。今月中にも県に工事着手時期を通知する方向だ。現在の第1埋め立て区画の約5倍の面積があり、辺野古移設が一層、具体化する」。それを読みながら食べ、残っていたサラダもすべて食べてしまう頃には父親が上って来ていた。ストーブの前に寝間着姿のまま立ち尽くしているその横を通り、水を汲んできて、薬を飲む。そうして皿洗いののち、洗濯物干し。ぱん、ぱん、ぱんと三回ずつ振ってタオルを干していく。その他のものも吊るしてベランダに出しておき、そうして緑茶を用意して自室に帰った。「三幸」の柿の種を食い、茶を飲みながら日記をここまで記して八時半過ぎ。
 書き忘れていたがタオルを物干しにつけている時、背後から母親が、誕生日おめでとうと言ってくる。それで金をくれた。二九歳にもなって親から金を貰うのも決まりが悪く、こちらは、いいのに、と言ってみせたのだが、あちらはこれでケーキを買いな(今日の夜、立川の家に行く予定があるのだが、そこで彼らの分も含めて自らケーキを買って行くつもりだったのだ)とか、本でも買いなと言ってくれるのでありがたく受け取った(ちょうど講談社文芸文庫に入った蓮實重彦の『物語批判序説』が欲しいところだった。磯崎憲一郎が解説を書いていたはずだ)。また、洗濯物を干す前だったか、母親がストーブの前で衣服を弄っているその上の宙空、朝陽のなかに塵の粒子が舞い上がって、方向の逆転した霧雨を見ているような感じになった、ということもあった。
 以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaから英単語のメモ。

  • ●21: The boy had given him two fresh small tunas, or albacores, which hung on the two deepest lines like plummets(……)――plummet: 重り
  • ●23: He let it go over the side and then made it fast to a ring bolt in the stem.――stem: 船首
  • ●24: As he looked down into it he saw the red sifting of the plankton in the dark water and the strange light the sun made now.――sift: 篩にかける、細かく降り注ぐ
  • ●24: (……)gelatinous bladder of a Portuguese man-of-war floating close beside the boat.――bladder: 袋状組織、囊
  • ●25: (……)when some of the filaments would catch on a line and rest there slimy and purple while the old man was working a fish, he would have welts and sores on his arms and hands of the sort that poison ivy or poison oak can give.――welt: ミミズ腫れ
  • ●25: He loved green turtles and hawks-bills with their elegance and speed and their great value and he had a friendly contempt for the huge, stupid logger-heads(……)――hawks-bill: タイマイ / logger-head: アカウミガメ
  • ●26: But it was no worse than getting up at the hours that they rose and it was very good against all colds and grippes and it was good for the eyes.――grippe: インフルエンザ
  • ●26: Just then the stern line came taut under his foot(……)――taut: ぴんと張った

 上のメモを取ったよりも前のことだが、九時ちょうどのあたりで風呂を洗いに行った。浴槽をブラシで擦ってから出てくると、トイレリフォームの業者が来たらしい気配があった。台所を抜けて、玄関にいる母親に、来た、と訊くと肯定される。それで入ってきた人足に、どうもこんにちは、お願いしますと挨拶をして、階段を下りて行くその後ろから三人でついていく。この時、人足の吸ったらしい煙草の香りがぷんぷんしていたので、煙草の嫌いな母親は内心嫌だと思っているだろうなと推測した。トイレのなかに入った業者にもう一度お願いしますと伝えて、こちらは部屋に戻る。それで上のメモを取ったというわけだ。それから、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読み進めた。ベッドに乗り、左の南窓から射してくる温みのなかで英文を追う。一〇時半頃まで。それからは蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読もうかとも思ったのだが、出かけるまでの時間が中途半端だったので決めきれず、Twitterを覗いたり自分のブログを読み返したりしているうちに、一一時一〇分がやって来た。電車は一一時三二分、そろそろ身支度をしないと間に合わないというわけで、衣服を着替えた――上は赤と黒に近い濃紺と白のチェック模様のシャツ、下は灰色のイージー・スリム・パンツにカーディガンを羽織る。それでリュックサックのなかにコンピューターと、最近読んだ本も友人らに紹介するつもりで色々と入れ、重くなったそれを持って部屋を出た。階段下の部屋でコンピューターを扱っている父親に、じゃあ、出かけてくるんでと伝え、トイレの人足にもそれじゃ、失礼します、ご苦労さまですと言って階段を上った。便所に行っているあいだに、手帳を忘れたことに気がついた。それで取りに戻り、ふたたび階段を往復すると、Brooks Brothersのハンカチを取り、コートを着込んで出発した。
 家の向かい、林の縁の畑でHさんが水やりをしており、こちらをちらりと向いたが誰だかわからなかったのだろうか、挨拶がなかったのでこちらも声を掛けずに過ぎた。視界を眩しくする陽射しのなかを行くと、市営住宅前で、工事の下見にでも来ているのだろうか、人足らしき風体の男性が二人いて、彼らの白いヘルメットの頂点に光が溜まっていた。正面、坂に入るその脇の木も水に濡れたように光点を孕んで艶めいている。左のほうから鳥の、短い連鎖で連なった間断のない声が立って聞こえる。坂に入って息をつきながら上っていると、出口近くになって後ろに、小走りの気配、はあはあという息遣いが聞こえはじめた。Mさん(漢字がわからない――祖父の妹の息子だからこちらからすると何に当たるのだろう?)だろうかと思っていると、果たして横を追い抜かしていった姿のそうらしい。挨拶をしようかと迷ううちに相手は先に行ってしまい、横断歩道で追いつくかと思いきや微妙に離れていて声を掛けづらく、まあいいかと成り行きに任せていたところが渡ったあとであちらが振り向いたので、こんにちはと挨拶をした。仕事、と訊かれるので、いえ、今日は休みでと返す。それで、まだ話すかそれとも別れるかと決めきれないような微妙な雰囲気を醸しつつ、こちらが先に行こうとしたところが、後ろから、教えてんの、と来る。塾の仕事をしているのかということである。実際は鬱病で現在休職中なのだが、はいと虚言を吐き、そろそろ大変でしょう、入試も近いからと来たのにそうですね、と無難に返す。中学受験とかもやるのとさらに来るので立ち止まり、やることもありますねと答える。でも中学受験は難しいですよ。そうそう……開成とか灘とかは難しい。笑って、うちはそんな高いところの子はいないですけど、(一昨年の記憶を思い返し)せいぜい桐朋とかそのくらいですね。桐朋もいい問題を出すんだよなあ。歴史とか、高校日本史の知識が出たりして(実際に病気で休みはじめる直前、桐朋中学を目指す子を担当していたが、さすがに志賀潔が出てきた時には知らなくても当然だろう、これは過去問を見て初めて学ぶものだろうと思った)。そうそう、うちの子たちも、山川の教科書とか見せたりしてた(この時、「うちの子」というのは彼の子供かと思い、しかし独身で子供はいなかったはずだがと混乱したのだが、あとで気づいたところでは、これは以前教師をやっていた頃の生徒ということだったのだろう)。そこで腕を振って時計を見やり、あと二分、と呟いて、それじゃあどうも、と簡単に挨拶をして会話を終わらせ、ホームへと階段を上がった。ホームの先頭まで歩き、電車を待っているあいだ、そう言えば『亜人』を忘れたなと気がついた。最近読んだ本を紹介しようといくつもリュックサックに入れてきたのだが、よりによって近頃読んだなかで一番の傑作を忘れてしまうとは! 電車に乗って扉際に立ち、コートのポケットに触れると、さらにはそこに手帳がない。自室から持ってきた時、ハンカチを取る際に手近に置いて、そのまま置き忘れたものらしい。それでメモを取ろうとしたところが取れないのでどうするかと思い、携帯に取るかと代替案を思いついた。外は光が、次々と過ぎ去って行く瓦屋根の上を高速で、電車に併走して滑る。青梅に着くと乗り換え、二号車の三人掛けに入り、携帯電話を取り出してこれまでのことを断片的にメモに取った。やはり手帳とペンのほうがやりやすいようだ。そうして、一一時四四分から蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読みはじめた。道中、特に印象深いことはない。立川に着くとほかの乗客が降りていくなかで一人動かず、もうしばらく本に目を落として、階段周りの群衆がまったくいなくなったあとから降りて上った。改札を抜け、Yさんと待ち合わせをしているグランデュオのほうに歩く。すぐに発見し、近づくと、明けましておめでとうございますと礼をしてくるので、こちらも頭を下げた。今年もよろしくお願いします。こちらこそ。それで母親から託された紙袋――葬式で貰ってきた缶詰や大根、それに蜂蜜などが入っていた――を渡し、またのちほどと別れる。それで煙いような群衆のざわめきのなかを北口方面に歩き、駅から出て、銀座ルノアールに入った。二時から待ち合わせをしておりましてと言おうと思い、三本の指を立てようとしたところが、煙草はお吸いになられますかと来たのでいえ、と短く答え、相手の言葉を待つと、それではお好きなところにどうぞとあったので、待ち合わせの件は特に伝えず、フロア中央付近の四人掛けに入った。リュックサックを置き、灰色のPaul Smithのマフラーを外して、コートを脱いでいると先の女性店員(挙措や言動の固さから、どうもまだ新人らしく思われる)がやって来たので、ホットココアをと注文した。そうしてコンピューターを出し、Aくんに先に入ったとメールを送っておき、やってきたココアを飲みながらここまで綴って一時である。BGMはEnrico Rava『New York Days』。これはやはりなかなかのアルバムである。どうでも良いことを書き忘れていたが、家にいるあいだ、自分の日記をEvernoteで読み返していると何だか文章が野暮ったいような気がして、と言ってもう文体やら整然性やらは求めないのでそれでも良いのだが、字体を変えてみるかとフォントに問題を転嫁して、MSP明朝だったのをMS明朝に変更した。新鮮なのでしばらくこのままで行くつもりである。ブログのほうも合わせて変えようかとも思ったのだが、こちらはMSP明朝の左右からちょっと詰まったような凝縮性を優先して、そのままとした。
 それでは先に読んだThe Old Man and the Seaから英単語を写しておく。

  • ●27: (……)he had sung at night sometimes when he was alone steering on his watch in the smacks or in the turtle boats.――smack: 小型漁船
  • ●28: I picked up only a straggler from the albacore that were feeding.――straggle: はぐれる
  • ●28: The myriad flecks of the plankton were annulled now by the high sun(……)――annul: 取り消す
  • ●28: I could just drift, he thought, and sleep and put a bight of line around my toe to wake me.――bight: 綱の輪、たるみ
  • ●32: 'I'm being towed by a fish and I'm the towing bitt.――tow: 綱で引く
  • ●32: What I'll do if he sounds and dies I don't know.――sound: 急に潜る
  • ●36: When once, through my treachery, it had been necessary to him to make a choice, the old man thought.――treachery: 裏切り

 さらに、気になった箇所。

  • ●32: This will kill him, the old man thought. He can't do this for ever. But four hours later the fish was still swimming steadily out to sea(……)――突然の大きな時間の飛躍。ヘミングウェイがこういうことをするイメージはあまりなかった。
  • ●35: I wonder if he has any plans or if he is just as desperate as I am?――魚が、"plans"を持っているように語られている。つまりは魚類が人間のように扱われている。
  • ●35~36: 次の引用も上と同趣旨。

 He remembered the time he had hooked one of a pair of marlin. The male fish always let the female fish feed first and the hooked fish, the female, made a wild, panic-stricken, despairing fight that soon exhausted her, and all the time the male had stayed with her, crossing the line and circling with her on the surface. He had stayed so close that the old man was afraid he would cut the line with his tail which was sharp as a scythe and almost of that size and shape. When the old man had gaffed her and clubbed her, holding the rapier bill with its sandpaper edge and clubbing her across the top of her head until her colour turned to a colour almost like the backing of mirrors, and then, with the boy's aid, hoisted her aboard, the male fish had stayed by the side of the boat. Then, while the old man was clearing the lines and preparing the harpoon, the male fish jumped high into the air beside the boat to see where the female was and then went down deep, his lavender wings, that were his pectoral fins, spread wide and all his wide lavender stripes showing. He was beautiful, the old man remembered, and he had stayed.

 一三時二四分、地震。この場はさほどではない。震度三くらいか? その後、この日の会合の課題書である大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』からの書抜きを読み返した。そうして読んでいるあいだに二時が目前となり、そこでAくんが現れたのでイヤフォンを外して挨拶をした。『天皇の歴史』はAくんも神話の記述が面白く、こまごまとした体制の仕組み、祭儀についてなどは一読はしたけれど本当に一読しただけで容易に覚えられなかったと言う。こちらと同じ調子である。そのような話をしているとKくんもやって来て、彼らはホットココア(Aくん)とビターブレンド(Kくん)をそれぞれ注文する。『天皇の歴史』の話に入る前に、こちらはリュックサックから持ってきた本を取り出して、今日は最近読んだ本を色々持ってきたと紹介する。『後藤明生コレクション4 後期』、鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』、Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』である。ムージルについてはこれは傑作であると端的に告げる。Aくんは古井由吉の名を知っているのでそれに目を留めており、こちらは彼の訳した二篇が観念的過ぎてまったく訳のわからない、頭のおかしいものとなっていると伝え、それよりも『三人の女』のほうが小説としては読めるし傑作である、これは岩波文庫にも入っているから(もう絶版なのかもしれないが)興味を持ったら読んでみると良いと教えると、二人は携帯電話にメモを取っていた。後藤明生に関しては、ユーモラスな文学であるとお決まりの言を伝え、結構面白かったと言うと、帯に書かれたあらすじを読んだ二人は確かに面白そうだと返すので、「蜂アカデミーへの報告」はやはり面白かった、長野は追分に山荘を持っていて、そこに雀蜂が巣を作る、そこでの虫との格闘が語られているなかに、ファーブルの『昆虫記』からの引用があったり、後藤明生が集めた雀蜂関連の死亡記事などが列挙されていたりすると説明をする。じゃあ実際にあったことなのかと訊かれるので、架空のアカデミーへの報告という体裁を、辛うじて保っているけれど、おそらく大部分は実際に体験したことのはずだ、と。それらよりも前に、確か八〇〇頁の分厚い『「ボヴァリー夫人」論』のほうが話題になったのだったかもしれない。蓮實重彦という名前は以前、Aくんに紹介したことがあるのだけれど、彼はそれを覚えていた。それで改めて、『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールという作家がいて、蓮實重彦という人は六〇年代くらいからずっとその研究をやっている第一人者なのだけれど、映画やほかの文学についての評論も書いており、言わば途中で迂回していた、それが二〇一四年だったかになってこの大著を仕上げたのだと説明する。さらに、『伯爵夫人』という小説も書いて三島由紀夫賞を取ったのだと言うと、Aくんがその時の会見で記者がとんちんかんな質問をしたんだよねと記憶を呼び起こすのでそれも改めて説明する。蓮實重彦という人はテクストを厳密に読む人である、作者がどのように考えていたかとか、ある作品の影響元となった作品は何かとかいうことではなく、とにかくそこにあるテクストを正確に読もうとする人である、ところがそこに件の記者会見では、確か読売新聞の記者だったと思うが、どのような目的を持って書いたんですかだの、卑猥な表現は社会に衝撃を与えたかったんですかだのと馬鹿げた質問を繰り出したのだ。それで蓮實は仰っていることの意味が良くわかりませんという風に一蹴していた、Youtubeに動画が上がっているのでもし良かったら見てみても良いのではと勧める。そこにAくんが、そういう態度を批判した人もいると思うけれど、記者の質問がとんちんかんだったんだよねと確認するので、蓮實重彦を知っている人からすれば、彼にそんな質問をするなよという感じだった、天下の大新聞、読売新聞の文化部の記者がそんなレベルで良いのかとは思ったと述べるとAくんは緩く笑って、いやあそんなもんでしょうと落とす。Hemingwayに関してはさほど話はしなかったと思う。その後、大津透『天皇の歴史1』について話し出すが、Kくんも細かいところは難しかったと意見を合わせ、しかも彼は実を言うとまだ読み終わっていないのだと明かしてみせた。それでも色々と話は出て、四時頃まで続いたと思う。まず覚えていることとしては、本の構成が先人たちの説を色々と要約しまとめ、そのあとに自分の立場を表明して落とし所として提示するという形だったので、話題が長かったりすると色々な説がごっちゃになって、結局どうだったんだっけと混乱してしまうということがあったと。ほか、こちらが覚えているのはやはり神話について交わした話で、例の人が石と結婚せずに花と結婚したので死すべき存在になったというのは原始的な(?)論理が面白いと適当なことを言ったり、記紀神話の「こおろこおろ」という擬音に関連して、高尾長良『影媛』のことを話したりした。Aくんは岩波文庫の『古事記』を、随分と前にブックオフかどこかで買ったようで持っていて、それを持参しており、「こおろこおろ」という擬音表現が話題になったあと、文庫を繰って該当箇所を探していた。『天皇の歴史1』では記紀神話の冒頭が、「最初は天地が混沌としている中、まずイザナキとイザナミという男女の神が「この漂える土地を固めなせ」という命令を受け、矛で海水を「こをろこをろ」と攪き鳴らし、矛からしたたり落ちた塩の積もったのがオノゴロ島である。そこに立てた天[あめ]の御柱[みはしら]のまわりを回り、ミトノマグワイ(性交渉)をして国(大地)を生む。最初は女のイザナミが先に声をかけたので失敗し、つぎには男のイザナキが先に声をかけたので成功する。こうして日本列島の島々が生みだされ、八つの島からなるので大八島という(以上、国生み神話)」と要約されている。そこでイザナキとイザナミが「命令を受け」たというのは一体誰からなのかという疑問がこちらから提出されたのだが、『古事記』を参照すると、イザナキのイザナミの前に一〇人くらい神がいて、そのことごとくがどこかに身を隠してしまったのだと言う。それでも当初から神が複数体いたとされているのは確かなところで、イザナキ・イザナミが「命令を受け」たのもそれらの神一同の意志からだったと言い、その点キリスト教などの一神教とはやはり違っているなという感想が出た。そもそもローマ帝国だってキリスト教以前には多神教だったわけだし、土着的な民衆信仰や神話のレベルでは大方多神教なのかもしれない、むしろユダヤ・キリスト・イスラームなどの一神教のほうがマイナーなのではないか、とするとそれらの宗教の異質性がかえって際立ってくるなどと話す。さらには、女性のイザナミがまぐわいのために声を掛けるのは良くないとされ、男性のイザナキが声を掛けて成功するというのは、言わば男尊女卑的な考え方が『古事記』が成立した古代にも既に根付いていたことを表すのではないかと述べ、根深い問題だなと言を共有した。ほか、雄略天皇についてだとか、三種の神器について、草薙剣の逸話についてなど話したが、それぞれさほど突っ込んで発展し、まとまりのある話にはならなかったのではなかったか。また『天皇の歴史』について語ったことを思い出したら書こうと思うが、どこから逸れたのだったか、中国のことが話題になった時間が結構長くあった。こちらは先日Mさんから聞いた抗日ドラマの本末転倒ぶりを話し伝える。そうだ、『天皇の歴史』を読むと半島や中国との関係が良くわかった、当時は中国も大帝国だから、白村江の戦いなどは一種「やっちまった」感があり、日本側も戦のあとに急いで城砦を作ったりしているから、危機感、緊張感のほどが窺える、などとAくんが話したのだった。そこから、日本という国は昔(中国)も近代以降(アメリカ)も「帝国」との関係で抑制を強いられてきた小国だったのだとか、むしろ中国が西洋に食い物にされた近代以降から現代までのほうが、後世から見ると例外的な時代になるのかもしれない、などと話したのだった(こちらはAくんが前に言っていたことだが、尾崎行雄=尾崎咢堂の本で、自分が青年の頃は西洋の文化など吸収している者はむしろ少数派だった、大概は中国の文化を摂取していたと書いていたというのを思い出して改めてそれを口にした)。それは習近平も大きな中国を目指そうとするだろう、などと言い、そこから話題が中国のことにずれていったのだと思う。ほか、Aくんが中国を訪れた時に体験した話――友人と電車に乗っていると、前の席の男性から、君たちは日本人か、韓国人かと訊かれた。その時Aくんは思い切り日本語で日記を綴っていたのだが、中国語の少々できる友人が、自分たちは韓国人だと答えた、すると相手はそれならば仲良くできると手を差し出し、それから日本人は、馬鹿だ! ともの凄く大きな声で吐いたのだと言う。相手の風体はビジネスマン風だったらしいが、それでAくんは、新幹線?だったかその列車に乗れるような、そこそこ金を持っているような階層のビジネスマンでもそういう人はいるのだな、あるいは経済が発展してあまり学のない人でも新幹線を利用できるようになっているのだろうか、と思ったと。そのあたりに関連して、これも先日Mさんと話した中国人は日本を好きになって来ているのではないかという漠然とした話をここでも交わした。さらに先日読んだ新聞記事を思い出し、北京市では近々点数制が導入されるらしくて、市民の素行を監視・点数化し、成績の良い者には行政サービスを良質にする、悪いものはブラックリストに載せて「市内を歩けなくなるような」罰則を加えるのだと語る。中国に関してはそのくらいだっただろうか。そこから確か、中国共産党の歴史というものも気になるという話題も出て、これはのちのち次回の課題書に繋がることになる。
 次回の日程は三月三日に決まった。それで四時半くらいだっただろうか、いやもう少し早かったか、ともかくいつも通り書店に行こうということになった。席を立ち、一人ずつ個別会計する。こちらは六五〇円。そうして店を出ると、二人はトイレに行く。こちらはしばらくそこに立ち尽くし、鏡を見たり、何をするでもなく待ち、彼らが戻ってくると歩き出す。階段を下りながら、どうする、共産党プロパガンダみたいな本があったらなどと笑い合う。退出。道を歩き、交通整理員の立つ細い通りを渡り、駅前のエスカレーターに乗って高架歩廊へ。広場から伊勢丹のほうに抜ける。空は雲の一つもない水色、月が早くも天頂に達して細く薄く刻まれている。歩道橋を渡って高島屋へと折れ、西を正面にすると、暮れていく太陽の明かりを受けた雲が空に固まっていた。高島屋に入店。エスカレーターを辿って六階、淳久堂書店へ。まず中国史の区画を見に行ったが、あまり共産党にフォーカスした本は見当たらない。それで思想のほうにあるかと思いきやこちらは儒教とか古代思想とかが大半である。それなので新書や文庫を見に行こうとなった。フロアを渡り、岩波新書などを見るが、特に目を引くものはない。毛沢東の伝記などあれば良いと話していたのだが、中公新書がその類を多く出しているからあるかもしれないと見に行ったが、ずばりのものはなかった。それでも、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』、小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』、大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判 中国共産党の思惑と1526名の日本人』という書籍たちが見つかった(毛沢東東京裁判とは別に戦犯裁判を独自に行っていたとは知らなかった)。このなかでは二つ目の『中国ナショナリズム』が良さそうだと言い合い、しかし講談社学術文庫にでも伝記や歴史書の類は入っているだろうと言って見に行ったが、しかし良さそうなものはここにもなかった。ちくま学芸文庫も同様(天安門事件の指導者だった人が書いた中国史講義というのはあったが)。それで、先の新書に、次回まで日にちもあることだからもう一冊足してそれで良いのではないかと言って、新書のほうに戻る。こちらは二人が中公新書を見ているあいだ、選書の棚を隅から隅まで追ったのだが、関心にぴったり来るものはやはりなかった。それで結局、小野寺史郎『中国ナショナリズム』と、岡本隆司『中国の論理』の二冊に課題書を決定した。書き忘れていたが、こちらはフロアを回る過程で蓮實重彦『表象の奈落』と講談社文芸文庫から近頃発刊された『物語批判序説』を手もとに確保していた。それを会計に行く(四八六〇円)。ビニール袋を受け取って二人のところに戻り、ともにエスカレーターへ。途中、飯はどうするかとの質問があったが、今日は立川の叔母宅に用事があると答える。それで階を下り、二階から歩廊へ。店内にいるあいだに夕暮れが進んで、街のネオンが際立ちはじめている。駅へ。駅舎に入ったところで、自分はルミネに行くから、と言い、ありがとうございましたと礼をして二人と別れる。そうして入館、United Arrowsの店舗内を、靴などに目をやりながら通って向こう側に出、エスカレーターを下る。この日はこちらの誕生日なので、ケーキを買っていくつもりだったのだ。それでエスカレーターを下ってすぐ目の前に、「マロニエ」の店舗がある。声を掛けてきた店員に会釈をし、そのガラスケースのなかのケーキを見やりながらしかしひとまず素通りして、周辺を巡ったのだが、細かく吟味するのも面倒だし先の店で良いのではないかと思った。それで戻り、結局「マロニエ」で買うことに決断し、良いですかと女性店員に声を掛け、モンブランを二つ、苺のタルトを二つ、「アルハンブラ」(四角いチョコレートケーキ)を二つと計六つを注文した。それで会計、二七六四円。運搬時間を尋ねられたのには二〇分ほどであると答え、わざわざケースの裏から出てきてくれた店員から紙袋を受け取り、場をあとにする。エスカレーターで上って、駅通路へ。Yさんに今から伺いますとメールを送っておき、南口へ。ゆっくりと歩いて街を渡る。道の端々に立つ電柱に電飾が取り付けられて、一瞬ごとに緑や赤や白と色を変えながら点滅していた。横断歩道で立ち止まると、背後の空にはまだ光の感触が僅かばかり残っているが、向かいの空の建物の際は醒めた青色が漏れていて、ちょうど夜と夕べの境界線に立っているようだなと思った。細道に入り、A家へ。インターフォンを押すとしばらくしてYさんが来て、扉の鍵を開けてくれる。どうぞと言われるので靴を脱ぎ、お邪魔しますと上がる。うっす、と言いながら居間に入るとYちゃんが開口一番、小洒落た格好をしているじゃんかと言う。バルカラーコートを脱いで吊るし、炬燵に入る。この時点で時刻は五時半頃だったはずだ。それから一〇時近くまで滞在したので四時間半、そう思うと結構いたものだ。食事について先に書いておくと、最初にベーコンの乗った大根のサラダ(イタリアン・ドレッシング)、ほうれん草だろうか菜っ葉や茸の入った甘いスープ、ブロッコリーと烏賊をチーズを混ぜて焼いた簡易グラタンのような料理、それに今日は、前回の訪問時に話に出ていたのだが、ミートソースのスパゲッティだった。一杯一〇〇グラムのものをおかわりして二杯食べた。デザートは林檎とこちらの買ってきたケーキで、自分はモンブランを選んで食べた。会話――どんなことを話しただろうか。まず最初のほうで、Yちゃんが、調子はどうかと訊いてきたので、テレビのほうに向けていた首を振り向かせ、良いねと呟く。すると彼は、そうだと思った、入ってきた瞬間からわかった、顔色が良いと言い、前よりも頬の筋肉が使われていると観察を述べるので笑った。本も読めるようになり、文章も書けるようになったと告げる。小説を書いているのかと訊くので、自分が書いている文章とは日記であると。日記で物語をやりたいのか。いや、日記で物語は難しい、しかし日記が小説のようになってくれれば良いなとは思っている。ちなみに最初のうちは、場にいたのはこちら、Yちゃん、Yさん、Yの四人だった。ほかに何を話しただろうか――全然思い出せない――テレビの話から行こう。テレビは最初のうちは相撲。横綱稀勢の里が連敗中で振るわないというのはこちらも知っていたが、立ち合いが合わないのを何度か繰り返したあと、結局この日も負けてしまって、Yちゃんは、もう引退だなと呟く。そのほかニュースで、小学生中学生の子どもにスマートフォンを持たせるのは良いか否かみたいな話題。Yちゃんはスマートフォンどころか、携帯電話そのものを持っていない。しかしそれでまったく困っていない、不便していないというので、それで良いんだよと告げる。Yもスマートフォンを持っているが、連絡と検索とYoutubeくらいにしか使わないと。こちらは、視野狭窄になってしまうよねと言うと、何か言葉が難しい、良くわからんぞとYちゃん。視界が狭くなっちゃうよねと手振りつきで言い直し、歩きながらやっている人とかいるじゃん、それよりももっと外の風景とかを見たら良いのに、とは思うねと。ほかにニュースで印象に残っているのは、この時放送されたのかは定かでないが、インドネシア付近で航空機が墜落して、乗客一八九人が全員死亡したとのもの。のちのちザッピングの途中に、沖縄県辺野古基地建設に関しての県民投票についての各自治体の動向が一瞬映ったが、すぐにチャンネルを変えられてしまった。
 面白かった話題としては、「獺祭」のことに触れなくてはならないだろう。その前にまず、これは八時一五分頃、Kが帰って来て卓に就いて以降のことだが、こちらが持ってきた本を取り出してKに渡す。当然相手はムージルなど知らないわけだが、そこは強引にと言うか無理矢理にと言うか、これは面白かった、『三人の女』というやつが傑作だから読んだほうが良い、などと相手の興味もわきまえずに勧める(以前聞いたのだが、V・E・フランクルの『夜と霧』を読んだというKに、難しいものを読んでいるなと思ったよと伝える。また彼は、夏目漱石草枕』も読んだことがあるようだ)。Yちゃんは本を見て、それ、漢字が書いてあるじゃんと冗談を言った(本というものをからきし読まない彼は、常々自分は「字が読めない」と卑下しているのだ)。それでこちらも、漢字がたくさん書いてある、と応じ、こういうのを読んでいるんだわ、面白いんだわと告げる。ほか、分厚い『「ボヴァリー夫人」論』はYが持ち上げてダンベルのように腕を動かし、Yさんにお前はそっちだなと笑われていた。そうしてHemingwayのThe Old Man and the Sea、これは洋書だが、これに関しては本を読まないYちゃんが読んだことのある三冊くらいのなかの一冊に入っていて、お爺さんが魚と格闘するけれど、鮫に全部喰われちゃうんだよなとか、子どもが出てきてお爺さんを尊敬しているんだよなとか、意外と物語の内容を覚えているので、こちらは彼がそれを口にするたびにそうそうそう、と同意を放つ。Yちゃんがこの作を読んだのは小学生だか、とにかく随分昔だったらしいが、良く覚えていたものだ。それでそうした話をしている時にYちゃんが、獺祭の由来について語りはじめる。「獺祭」という酒を知っているかと。確か、イタチみたいな字のやつでしょうとこちら。しかしイタチではなくて、カワウソだった。それで彼曰く、獺が魚を獲った際にそれらをずらりと並べる、その様子が祭儀のようだから「獺祭」という言葉が出来たと、しかしこれはYちゃんがそこまではっきりと説明できたわけではなく、途中で携帯電話でKが調べて補足した内容である。これは面白い由来だった。ただ動物が魚を並べているだけなのに、それを先祖に対して祀っている、供えているのだと意味を読み込む=作り出してしまう人間の想像力。元々これは、唐時代の何とか言う政治家が作り出したらしく、類似からこの政治家は、書物を周りにずらりと並べる自分の様子を喩えて獺祭何とかと号したのだと。これを真似たのだろう、正岡子規も同じように、獺祭何とか主人みたいな名を己に冠していたらしい。そうなるとしかし、獺が何故そのような習性を持っているのか、何のために魚を並べるのか気になるが、それに関してはKが調べても出てこなかった。ああ、それで言い落としていたが、日本酒の一種が「獺祭」という名前になったのは、これは『坂の上の雲』のなかでそういう名づけの場面が載っているらしい。
 さて、次に何を語るべきか――吉田類から行こう。上のような話をしているあいだ、テレビでは吉田類の『酒場放浪記』が掛かっていた。吉田類というのは、「酒場詩人」と称されていて、エッセイやら小説やらも書いているようだが、彼がただ酒を飲み飯を食いながら美味い美味いと言っているだけの番組で、最初のうちは勿論素面で出てきて真面目なことを言っているのだが、段々と酔っ払いになって行き、呂律も上手く回らないようになる、その変化が面白いとのYちゃんの言だった。しかし彼は、面白いが、吉田類の詠む川柳だけは良くわからないと言う。それで見てみると、この時確認されたのは二つ、一つは「銀盤呑む寒月光の調べかな」というものであり、もう一つは「鴨鍋やふつふつみつる無我の境」というものだった。どちらも何ら面白味のない全然普通の句だと思うが、これらが良くわからないとYちゃんが言って、皆で解釈を述べたり、こちらが解説したりするといった展開になった。前者に関しては、まず「銀盤」というのは酒の銘柄である。酒を飲んで良い気分になって出てくると月が皓々と照っている、酒の余韻に浸っているなか、寒い冬の空に見上げれば月が白々と光を降らせている、それを音楽の調べに喩えたものだろうと。後者に関しては、出てきたのが「みつる」という店だったので、この語はその名と掛かっている。「ふつふつ」というのは鍋が沸いている様だろう。要は鴨鍋を食い、美味い酒を飲んで無我に至っている、つまりは我を忘れている、そのくらい良い気分になっているとそんなところだろうとこちらは解釈を述べる。結局のところ最終的には、酒が美味い、飯が美味いという意味に還元される類の作句であり、酔っ払いの戯言みたいなもんだとKも言っていた。
 ほか、改元の話題(これは喫茶店で友人らと話している時にも話題に出た)。次は何という元号になるのだろうと。Yちゃんは、何か新しい日本、新しい皇室、それに明るい国、あるいは豊かな国を作っていく、そのような言葉になるだろうと。Yちゃん曰く、昔は中国の史書などから取っていたが、これもナショナリズムの表れなのだろうか、それはやめて日本の史書、『古事記』などから取ると言っている(誰が?)らしい。それで、今日ちょうど、ちょっと『古事記』を読んだよ、結構面白かったと言うと、こいつ、『古事記』を読んで面白いってさ、などとYちゃんは信じられないように顔を歪ませる。神話だから、要は物語だからとこちら。そして、草薙剣の由来を説明する。ヤマタノオロチが斬られた時にその腹から出てきたのが天叢雲剣であるわけだが、それはのちに倭健命(ヤマトタケルノミコト)に与えられる、彼はそれで東征するのだがある場所で火攻めにあってしまう、その時周囲の草を薙ぎ払って助かったところから草薙剣の名が生まれた、そしてその火攻めをされた地というのは焼津なのだと、大津透『天皇の歴史1』から得た雑学を披露する。
 とりあえずそんなところだろうか。テレビ番組と言えば、『YOUは何しに日本へ?』も見たが、これについては大して印象に残っていないので良いだろう。しかしテレビに関しては、こちらがあまり見ないと言うと、Yさんが、最近は面白くないよねと応じる。そこでこちらは、結局、スタジオで芸能人ががやがややっているより、素人を写したほうが面白いんだ、『鶴瓶の家族に乾杯』とか。『YOUは何しに日本へ』もそうだねとあちら。あと、『笑ってコラえて』も、とYちゃん。ひとまずそんなところだろう。現在もう、一月一五日の午前三時半前なので、一旦ここまでで今日は眠ることにする。
 一月一五日の一二時四〇分からふたたび記している。日記を書いていると言うと、今日のこのことも書くわけかとYちゃんが言った。当然書くわけだが、Yちゃんはそれを嫌がるでもなく笑みを浮かべて、どんどん書いてくれて構わない、ネタにしてくれて良いと告げるので有り難いことだ。一二日だか一一日だかは二万字書いたと言うと、Yは二万字、と驚きを露わにしていたが(凄いだろう、卒論みたいだろうとこちら)、文章を書かないYちゃんはその量の多さがピンとこないようだった。それでも、それが正しいかどうかはわからないけれど、それだけ書けるようになったということが良かったと言ってくれる。
 K子。七時台かまだそこに入る前だったか、こちらがトイレに行くとちょうど帰ってきたK子と廊下で鉢合わせした(ピザか何かを友人と食べに行っていたらしい)。何か格好良いような衣服を身に着けていた。やっほーと言ってくるので、お邪魔しておりますと礼をする。そうして便所に入って用を足して戻ったのだが、上階に上がったK子はその後なかなか下りて来ず、随分経ってから居間にやって来たけれどすぐに風呂に入ってしまい、それがまた長かった。そのあと出てきた彼女は、この時はもう九時半頃になっていたと思うが、一つ残ったモンブランのケーキを美味いと言って食べていた。ケーキは皆に好評で、こんなに高いケーキ、良い品はうちでは買わないし食べない、今まで食べたケーキのなかで一番美味いんじゃないか、などとYちゃんは口にしていた。それぞれが食べたケーキを記しておくと、こちらはモンブラン、Yが苺のタルト、Yさんが「アルハンブラ」(チョコレートケーキ)、Yちゃんも「アルハンブラ」、Kが苺のタルト、そうして最後のK子がモンブランである(こうして食べた順に並べてみるとその順番がシンメトリーになっている)。
 また、一番最初のほうに話されたことだが、Yちゃんが骨を折ったらしい。Yさんの葬儀で彼とあった母親からこちらもちょっと耳にしていたが、酒に酔って自転車で転び、胸とその反対側の背中をやったと。それで年末年始はあまり動けなかったのだが、今ようやく治ってきたところだ。
 ほか、これは喫茶店でAくんが言っていたことだが、中国の官憲は物凄く厳しいというか物々しくて、とてもじゃないが例えば道を訊けるような雰囲気ではないという話題もあったが、これに関しては詳しくは良いだろう。
 今のところ思い出せるのはそのくらいである。一〇時が近づくとYさんが、さあ、そろそろ、と口にして、撤収の語を続けて言うので、そうだねとこちらも同意して帰り支度を始めた。Yちゃんの褒めてくれるバルカラーコートをふたたび着込み、その場に膝を突いて、ありがとうございましたと礼をする。二九歳にもなったし、また日々精進していきたいと思っておりますと畏まって、帰路に就いた。皆が玄関まで出てきて見送ってくれた。Yさんが一人、道に出たこちらのあとについてきて、また来なと言ってくれるのでふたたび礼を言って別れた。夜の街を横断する。成人式に行ってきたらしい若者の姿が時折り見られる。駅の近くまで来ると、カラオケボックスか何かの前で、まるで祭の夜のように(彼らにとってはまさしくそうなのか――ちなみに、どうでも良い連想だが、パヴェーゼに『祭の夜』という短篇集がある)大声を出して騒ぎ立てていたので、そこを通るのは避けて手前でエスカレーターに乗り、高架歩廊に上った。Yさんの働いている居酒屋の前を過ぎ、若い女性連れの傍を通り過ぎ、駅舎に入って、群衆のなか改札をくぐる。電車は一〇時二一分発だった。腕時計を見れば時刻はもうそのくらい、しかしまったく急がずホームに下りて行くと、ちょうどこちらが下り立った頃合いに発車した。頑張れば乗れたのではないかとも思ったがまあ良いと払って、柱の近くに立って『「ボヴァリー夫人」論』を読み出す。次の電車がまもなくやってきて、席に座ってからも読書を続ける。向かいの席にはまさしく熊のような大男がついており、イヤフォンを両耳につけ、脚を左右にひらいて後ろに凭れ掛かりながら眠っていた。疲労感があった。青梅に着くと乗り換えはすぐの発車、八〇〇頁の分厚い大著を、Yさんに貰った紙袋(年賀と、Yの就職祝いのお返しが入っているという話だった)小脇に抱えてちょっと走り、奥多摩行きに乗る。かつかつと音をさせながら車両の端まで歩き、扉際で文を追いながら到着を待った。最寄りについて駅を出ると、月は既に山の向こうに入ったらしく、晴れて星の見えはするものの暗夜である。精霊の息吹のように、下り坂の木々の梢がさらさらと薄く鳴っていた。
 急がず帰宅。母親はテーブルに就いてポテトチップスを食っていた。こちらも手も洗わないうちにそれを二、三枚いただき、貰ってきた紙袋を示して卓上に置く。そうして下階に戻り、Twitterを覗くと、「二九歳になってしまいました」というだけの発言に随分と「いいね」がついていたので、「帰宅。皆さん、「いいね」をありがとうございます。二九にもなって経済的自立性をとんと身につけることなく、読み書きばかりやっている人間ですが、これからも日々読み、書き続け、精進していけたらと思っております」と殊勝な言を改めて呟いておいた。そうして入浴へ。一一時四五分から零時ちょうどまで。戻ってきてインターネットを回ったあと、零時五〇分前から書き物に入った。TwitterでAさんとやり取りを交わしながら三時半前まで。二時間強で九〇〇〇字ほど綴ったが、まだ終わらない。BGMはEric Clapton『From The Cradle』に、Eric Dolphy『At The Five Spot, Vol.2』。そうして歯を磨き、三時四五分に就床した。


・作文
 6:23 - 6:45 = 22分
 8:20 - 8:39 = 19分
 9:02 - 9:12 = 10分
 12:28 - 13:19 = 51分
 24:46 - 27:22 = 2時間36分
 計: 4時間18分

・読書
 6:55 - 7:14 = 19分
 8:39 - 8:53 = 14分
 11:44 - 12:08 = 24分
 13:19 - 13:57 = 38分
 22:23 - 23:13 = 50分
 計: 2時間25分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-12「白昼の動物がいまあくびする愛でよ讃えよこの世の退屈」
  • 2018/1/14, Sun.
  • 2016/8/23, Tue.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 27 - 37
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 178 - 200, 749 - 749

・睡眠
 2:30 - 6:10 = 3時間40分

・音楽

2019/1/13, Sun.

 九時半頃まで寝てしまう。それ以前に覚めた時に、前日と同じく暴力的な気配の夢を見たような記憶がないでもないが、忘れてしまった。ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親は掃除機を掛けているところだった(ロシアに旅立った兄夫婦から貰った、メタリックな赤色のやつだ)。レコードプレイヤーからはThe Beatlesのベスト盤が流れており、この時は"Please Please Me"が掛かっていたので合わせてちょっと口ずさんだ。洗面所に入って顔を洗い、台所に出ると野菜スープがある。ほかにおかずはないと言うので例によってハムエッグを作ることにして、ベーコンの残りを冷蔵庫から取り出し、細かく切った。そうしてフライパンに油を引いて投入、卵も二つ割って熱しているあいだにスープをよそり、卓に運ぶ。この時には曲は"I Want To Hold Your Hand"に移っていた。それで焼けたものを丼の米の上に載せて卓へ、そう言えばこの朝は新聞を見なかった。ものを食べはじめると、南の窓の向こう、近所の瓦屋根の角に光が溜まって丸い光球が生まれている。音楽は"All My Loving"に移行して、正面、それが流れ出してくるステレオセットのほうを見ながら、醤油と黄身をぐちゃぐちゃに混ぜた米を食っていると、次に目を窓の外に向けた時、太陽の位置がこの短いあいだにも変わったのか、それとも薄雲が流れてきたのか、光球は消えて瓦の上に僅かな明るみが残るのみだった。曲目はその後、"Can't Buy Me Love"。そうしてものを食べ終えると抗鬱剤ほかを飲み、食器を洗い、そのまま風呂も洗った。部屋から急須と湯呑みを持ってくる。一杯目を急須に注ぎ、待つあいだに母親の使った掃除機を洗面所に運んでおき、一杯目をつぐと二杯目以降の分も急須に注いで、そうして自室に帰った。前夜に応援メッセージを送ったfuzkueの店主さんから返信が届いていたので再返信し、そうして日記に取り掛かった。前日の記事は一行足したのみ。人名を検閲したり、はてな記法に合わせて箇条書きを作ったりして投稿し、この日の日記もここまで書いて一一時。空は淡い雲が混ざっているようで白いが、時折り暖かな色の光が射す時間もある。BGMはFISHMANS『ORANGE』だが、このアルバムは名盤と言って良いのではないか。
 その後隣室に入って、何となくギターを弄る。「楽曲未然の定かならぬ旋律」(三宅誰男『亜人』を弄び、適当なアドリブに合わせてハミングをしながらしばらく弾いたあと、自室に戻ってきてFISHMANS『空中キャンプ』を流しはじめた。それでは、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaから、前日に読んだ箇所の英単語を抜書きしておこう。

  • ●16: (……)he dreamed of the different harbours and roadsteads of the Canary Islands.――roadstead: 停泊地
  • ●18: He fitted the rope lashings of the oars onto the thole pins(……)――lash: 縛る / thole pin: 櫓杭
  • ●19: (……)as he rowed he heard the trembling sound as flying fish left the water and the hissing that their stiff set wings made as they soared away in the darkness.――stiff: 固い
  • ●19: He was sorry for the birds, especially the small delicate dark terns that were always flying and looking and almost never finding(……)――tern: アジサシ
  • ●20: Today I'll work out where the schools of bonita and albacore are and maybe there will be a big one with them.――bonito: カツオ / albacore: ビンナガ
  • ●20: Each bait hung head down with the shank of the hook inside the bait fish(……)――shank: 軸

 そうして次に、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』からも。

  • ●72: 「フローベールが、のちに詳しく触れる「散文は生れたばかりのもの」という認識から、近代の散文形式が古典的な表象体系の秩序にさからうかたちで認識論的な切断を惹起せしめるはずだとの確信に達していたことを、「フィクション世界」を提起する理論家たちはいささかも考慮しえずにいるからだ」
  • ●73: 「フローベールもまた、その言葉で、「散文」を書くことの不可能性、あるいはその根拠のなさを指摘しているからであり、その当然の帰結として、『ボヴァリー夫人』が「何も書かれていない書物」 《un livre sur rien》 ――無についての書物、すなわち「指示対象」を持たぬ作品――への夢として構想されたことも、「フィクション」論の理論家たちによって無視されるしかないだろう」
  • ●76: 「マラルメもいっているように、「物語ったり、指示したり、更に、描写することさえも、これらは何の造作もなく事が運ぶ」(マラルメ、ステファーヌ、「詩の危機」、松室三郎訳、『マラルメ全集Ⅱ』、筑摩書房、1989年、241)かに見え始めた時代、つまり誰もが書けば書けてしまう時代における作家と言葉との不可能な関係が、詩においても散文においても「書く」ことの苛酷さをきわだたせているのであり、そのことに、この小説家と詩人は敏感に反応しているのだといえる」
  • ●77: 「あるいは、フーコーのいう「文学の出現」(フーコー、ミシェル、『言葉と物――人文科学の考古学』、渡辺一民佐々木明訳、新潮社、1974年、321)なるものは、「もはや自己以外の何ものをも指示しない書くという行為のうちに、自分自身のために姿をあらわす」(同書 323)という「言語の再出現」(同書 322)そのものとして、詩学」という概念を葬りさろうとする言葉の「反乱」でもあるような「氾濫」だといえるかもしれない」
  • ●82: 「ジャック・ネーフは、すでに引かれた一八五二年四月二十四日付けのルイーズ・コレ宛の書簡で述べられている「散文は生れたばかりのもの」をめぐって、それを敷衍しながら、「『優れた散文の文章』とは、その限定が当の文章以外の何ものをも参照させることのないもの、その均衡が当の文章の内部から必然化されるようなもの、当の文章の充足ぶりと同調するような文章である」(ILLOUZ Jean-Nicolas et NEEFS Jacques (sous la direction de), Crise de prose, Saint-Denis, Presses Universitaires de Vincennes, 2002, 140)と書いている」
  • ●90: 「つまり、題材となった物語――存在や事物やできごとが、それぞれの置かれた時間的かつ空間的な背景とともに言語的に表象されることで一定の秩序におさまり、かつ一定の状況から他の状況への変化をこうむることを示す複数の文章の集合――にとどまらず、それを語る形式そのものにかかわるものがこれから問われることになるのだが、それをとりあえず「説話論」的な構造と呼ぶことにする」
  • ●91: 「退役軍人が「法」の体現者であるのは、「家父長」的な秩序の中で、その臣下たる妻が、どうすればその許しを得られるかという規則を読みとりえない脈絡のなさで振る舞うことによってなのである。妻は、いわば「命令」の不在によって「法」にからめとられており、彼女がその夢を実現するのは、もっぱら理由の推測しがたいときならぬ「報酬」としてでしかない」

 ここまで綴って正午直前、日記の読み返しを行った。まず一年前――「駅舎内に設けられた店舗の合間を通ると、アコーディオンのBGMが聞かれる。ヨーロッパの瀟洒な街路風アコーディオン、とありがちなイメージではあるが言葉を当て嵌めながら便所に向かうのだが、そうしつつ、何だかシニフィアンシニフィエが逆転しているようだな、と思った。通常の図式で言うと言語がシニフィアン=記号表現であり、それに包まれて伝達される意味=内実がシニフィエ=記号内容とされるはずだが、何か自分の関心を惹くものを感知するなり、ほとんど自動的にそれが言語に変換される自分にあっては、この世界の様相そのものがシニフィアン=記号表現であり、そこにおいて自分は、湧き上がってくる言語表現そのものをシニフィエ=意味として受け取っているかのようだと感じられたのだ」。そうして二〇一六年八月二四日水曜日の分も読んでブログに投稿し、投稿通知をTwitterのほうにも流しておき、さらに書抜きの読み返しを行うことにした。一二月二五日と二四日、二四日が一応遡行の上限ということに定めているので、そこまで行って今度は最新の、一月一三日本日の記事に、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』から二箇所引用し、それも読んで記憶に収めようと試みた。それで三日分になったのでOK、時刻は一二時四〇分で、散歩に出ることにした。上階に行き、母親に散歩に行ってくると告げて、短い灰色の靴下を履いて外に出る。道を歩きはじめると、太陽の光が視界を霞ませて眩しい。正面から乾いた風が流れてくるがさほどの寒さはなく、近所の家の庭木に光が落ちててらてらと白く発光し艶めいている。桜の木の生えた小公園を過ぎて坂を上がりはじめながら、日記についての散漫な思考が頭のなかに遊泳した。連日引用も含めて二万字に及ぶほどの長さになっていて、これほど長いと読むほうも大変なのだが、断片的にでも読んでいただけると嬉しいというのが一つ。また、欲を言えば自分がMさんの日記をすべて読んだように自分の日記にも嵌まり込む人が出てきて、過去記事の最初から(現在、過去記事を一日一つずつ読んで投稿しているので、その「最初」は日々古くなっている)すべて読んでくれたら余計に嬉しい。さらに欲を言えば、それで読んだ人が自分でも日記を書きはじめ、書き続けてくれれば、これは「感染」が成功したということになって、それを目的にしているわけではないがもしそうなれば自分の営みは成功だと言って良いのではないか。そうした「感染」を起こすにはやはりこの日記の価値を高度なものに高めて行かなければならないわけで、要は生きることと書くことの一致を体現しなければいけないのではないかと思うのだが、しかしそれはどういうことなのか、ただ記録的熱情に従っているだけで良いのか。ミシェル・フーコー『真理とディスクール パレーシア講義』プラトンの文献を分析して、ソクラテスは言葉と行動が調和している、自分の生についての考えが行動としてすぐに、直接的に見えるように[﹅6]なっていると述べていたと思うが、自分のこの「日記」において、比喩的にであれそのような状態は実現しうるのか、あるいは既に実現しているのか。よくわからないが、ともかくも『真理とディスクール』はいずれまた読み直さなければならないなと簡単な結論を出した。ともかくも、「生きることと書くことの一致」を体現するには一つだけ確かなことがあって、それは書き続けなければならないということだ。なぜなら、生きることが続くのならば、その限りにおいて、それに応じて書くことも続かなければならないからである。そんなようなことを考えながら、温みを浴びつつ陽射しのなかを行く。街道に出て横断歩道で止まると、冷たさが横から走って身体の側面に当たって薄く溜まる。道を渡り、ふたたび裏道に入って視線を正面上に上げれば、空はメロンのような甘やかさ、柔らかな青さで広がっており、そのなかに電柱が長く突き出しているその先端を見やりながら先に進んだ。保育園を過ぎて駅も通り、街道をちょっと行ってから車の隙をついて渡り、木の間の坂に入った。落葉を踏んで音を出しながらゆっくり下りて行くと、左の石壁の上には蔦がいくつも垂れ下がっており、くすんだような緑葉のついているその上に薄褐色の枯葉が大量に引っ掛かって、蔦が見えないほどになっている。そうして下の道出て帰宅した。
 自室に帰って日記を綴り――いや違う、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読み進めたのだ。英単語の抜書きはあとにして今は先を進もうと思うが、四〇分ほど読んで二時を迎えると、食事を取りに行った。野菜スープがあったが、夕食に取っておいたほうが良かろうということでカップラーメンを食べることにした。豚骨醤油味の横浜家系ラーメンである。湯を注いで、新聞の書評欄など眺めながら五分待ち、蓋の上で温めた液体スープを入れて食べはじめる。既に食事を取った母親も、米と汁物だけでは足りなかったようで、まだ何か食べたいと言って餅を用意していた。一月二日の日記にも書いたが、こちらは餅は一生食わないことを決意している、喉につまらせて死ぬのが怖いからだ。そうしてスープも半分ほど飲んで食事を終えると容器を片づけ、母親が使った食器も洗って下階に戻ると日記を記しはじめたのだが、一〇分ほど経ったところで母親が、大根を取りに行こうと言う。それで了承して書き物を中断し、軍手をつけて下の物置から外に出た。陽射しはまだ地面の上にある。畑に下りて大根を抜き、三本を持って家の前へ、水場でブラシでこすり洗い、野菜に白さを取り戻させたのだが、やってきた母親が葉っぱも洗わなければと言う。面倒臭いのでそれは家の中で(風のある外で水を使うのは寒かったのだ)母親にやってもらうことにして、勝手口の外に三本を置いておき、下階から室内に戻った。そうして階段を上がり、茶を用意していると台所に入った母親が、もう泥のついたもの触るのは嫌だよ、何でこんなことやらなきゃならないんだろう、とお決まりの繰り言を漏らす。最近、二〇一六年八月の日記を読み返していて判明したのだが、彼女のこうした愚痴というのはその頃からまったく内容が変わっていない。完全な進歩の不在、純然たる停滞である。むしろかえってエスカレートしているというか、不満が二年半まえよりも鬱積しているような気がしないでもない。しかし、こちらに一体どうしろと言うのか? 家事をすべて肩代わりしてやれとでも言うのか? わからないが、ともかくそれで茶をついで自室に戻り、ふたたびキーボードに触れてここまで記してちょうど三時となっている。
 上階に上がって、アイロン掛けをした。シャツを二枚、ハンカチを一枚処理して下階に戻ると、三時半から読書を始めた。蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』である。ベッドの上に乗って胡座を搔き、その足の上に毛布を載せて読んだり、あるいはベッドの縁に腰掛けてストーブで温風を送りながら読んだりした。そうして五時に到ると今度は食事を作りに行く。夕闇の忍び込むなかで母親が炬燵に入り、タブレットを操作していたので、電灯を点けた。そうして台所に入り、まずフライパンを掃除するために湯を沸かす。待つあいだは新聞に目をやって湯が沸騰するとそれを零し、キッチンペーパーでフライパンの汚れを拭き取った。それから同じように湯を沸かして、半分に切った大根の葉を茹でる。合間に目を通したのは、「米政府閉鎖 解消見えず 過去最長22日 生活・経済 影響広がる」(二面)、「「スパイ 日本関与」 中国 3邦人判決で認定 日本側否定」(二面)、「中国 新兵器開発急ぐ 「闘争に備えよ」 米をけん制」の三つである。最後の記事から情報を引いておくと――「(……)中国中央テレビは3日、巨大な艦載砲の写真を報じ、米軍が実用化できていない「レールガン」(電磁砲)の開発に海軍工程大学の研究者が成功し、「まもなく大型艦艇に装備される」と予告した。/電磁砲は砲身内部のレールに電気を流し、電磁誘導で弾丸を超音速で発射することで、破壊力を高める最新兵器だ。射程は200キロ・メートルに達するとされ、火力を使う通常の艦載砲の10倍ほどに伸びる」とのこと。茹で上がった葉っぱを水に晒すと、両手で掴み絞ってから細かく切った。そうして玉ねぎも切り、炒めはじめる。ある程度炒められたらシーチキンを投入し、それで一品完成、次に自家製のほうれん草を鍋で茹でた。それを取り分けておき、今度は鯖である。元々煮付けにすると母親は言っていたのだが、面倒なので焼けば良かろうというわけで、二尾を三つに切り分けて六枚をもう一つのフライパンで焼く。焼いているあいだに大根を、綺麗な水を張った洗い桶のなかに細かくスライスして、それで仕事は終いとして、母親にあとは頼むと言って早々下階に戻った。そうしてふたたび読書。

  • ●120: 「この九月四日の月曜日(……)がついに晴れの日となることなく、ロドルフの不意の遁走によってあえなく潰えさり、エンマの無為が確立したことを知っている読者は、シャルルの中学入りやオメーの受勲とはまったく逆のことが彼女の身に訪れているというかもしれない。夢は挫折し、「計画」は「失敗」に終わり、その衝撃でエンマが重篤な病気で床に伏し、みずからの死さえかいまみることになるという点でなら、物語は確かに正反対の結末を迎えたことになる。だが、重要なのはその事実ではない。結末が対照的だということは、物語の諸要素が同じ原理で分節化されていることを示唆してもいるからだ」
  • ●130: 「『物語のディスクール』(ジュネット、ジェラール、『物語のディスクール――方法論の試み』、花輪光、和泉涼一訳、書肆風の薔薇、1985年)のジェラール・ジュネット Gérard Genette もいうように、「語り手はいつでも語り手として[﹅6]物語言説に介入できるのだから、どんな語りも、定義上、潜在的には一人称で行われている」(同書 287)のである。あるいは、あらゆる物語は、みずからそう名乗るか否かにかかわりなく、「僕」あるいは「私」にあたる一人称の《Je》を潜在的な主体として言表されるのだといってもよい」
  • ●136: 「テクストのある細部が物語をにわかに活気づけ、しかるべく「反復」されることで物語に否定しがたい変化を導入するとき、そうした細部の意義深い配置を「主題論」的な体系と呼ぶことにする」――「「主題論」的な体系」の定義。

 七時直前まで。それからTwitterをちょっと覗いたり、自分のブログを読み返したりしたあと、食事を取りに行く。白米・野菜スープ・鯖・大根の葉の炒め物・大根と人参のサラダ。テレビは『ナニコレ珍百景』だが、この番組に特段の興味はない。どこかの山の上に暮らしている自給自足一家の生活を放映していた。炬燵に入った母親が携帯電話を弄りながら話した話のなかで覚えているのは二つあって、一つは新聞のことである。朝日新聞の局員(?)が洗剤やら何やらを持ってきて、読売のあと(我が家はこの一月から、それまで朝日新聞だったのが読売新聞に替わった――家族全員、特段のイデオロギー的立場を自認しているわけではないので、付き合いで新聞を時期ごとに変えるのだ)半年間、朝日を取ってくれるように頼んできたのだと言う。しかし母親は、こちらにはその差異がよくもわからないのだが、朝日よりも読売のほうがぱっと見た感じでも読みやすいと断言する(母親はそんなに新聞記事など読んでいないと思うのだが)。それで相手が重そうな荷物を持ったままでいるところにしかし申し訳ありませんと平謝りして断ったのだと。こちらとしては新聞はどちらでも良い――どちらかと言えば自分は「リベラル」に寄っているほうだと思うし、その点朝日のほうを取ったほうが良いのかもしれないが、先にも記したように政治的な立場について特段のこだわりがあるわけではない(つまり、そうした「立場」が構成されるほどに勉強していない)。もう一つの話というのは先日亡くなったYさんの息子のことで、この人はTちゃんと言うのだが(本名を先日聞いたけれど忘れてしまった)、そのTちゃんが葬式で、母親の棺桶に最後花を入れる場面で、遺体の額に自分の額をくっつけて泣きに泣いていたのを見て、母親は印象を受けたという話だった。この人は自分でも、俺は駄目なんだ、昔からマザコンなんだなどと言っているらしいのだが、それほどの悲しみ、あるいは愛を示しているのに対して、母親は、普通そんなことやらないよねと漏らし、偉いなあと思ったと述べていた。そんな話を聞いたあと、薬を飲んでから入浴する。身体の痒みは着実に弱くなっている――まだいくらか腕には発疹が残っているが、それでもじきに快癒するだろう。風呂を上がると寝間着の上にダウンジャケットを羽織り、緑茶を用意してねぐらに帰って、ここまで記して八時四〇分である。BGMはEnrico Rava『New York Days』。なかなかのアルバムのように思われる。三曲目、"Outsider"でのベースが何となくLarry Grenadierを思わせる雰囲気があってEvernoteに記録されているパーソネルを見てみると果たしてそうだった。サックスはMark Turnerで、Fly TrioのJeff Ballardを除いた二人が参加していることになり(ちなみに『New York Days』のドラムはPaul Motian)、雰囲気としてもちょっと似ているところがあるかもしれない。
 九時からふたたび読書。一〇時半前まで。それからはしばらく娯楽に遊び、歯磨きをして零時過ぎからまた書見に入ったところが、眠気に刺されていつの間にか意識を失っていた。目覚めると二時半だかそのくらいで、そのまま就眠した。

  • ●154: 「『ボヴァリー夫人』におけるフィクション的な言説の新しさは、とりわけその冒頭部分におけるエンマとシャルルとが、ことによったらバルザックの小説で描かれても不思議ではないと思われる父親や母親の鮮明な人物像より、心理的にも、行動の面でも、その意図のいかにもとらえがたい曖昧な輪郭におさまっていることに存している。その曖昧さをきわだたせている細部のひとつは、彼らの直接話法による台詞の再現の異例なまでの少なさにほかならない」
  • ●157: 「不機嫌な妻に向かって「おまえはほんとうにあれにひまを出したのかい」(Ⅰ-8: 88)と切り出すシャルルに、「そうですとも、いけませんの?」(同前)と彼女は切り口上にいうばかりだ」――「切り口上」。自分の語彙にはなかった言葉。意味は、「一語ずつ区切ってはっきりという言い方。堅苦しく改まった言い方。また、形式的で無愛想な言い方」。
  • フランス復古王政: 1814~1830 - ルイ18世: 1814~1824 / シャルル10世: 1824~1830
  • 七月王政: 1830~1848 - オルレアン家ルイ・フィリップ
  • 第二共和政: 1848二月革命~1852ナポレオン3世皇帝即位
  • 第二帝政: 1852~1870普仏戦争


・作文
 10:28 - 11:03 = 25分
 11:25 - 11:55 = 30分
 14:20 - 14:29 = 9分
 14:39 - 15:00 = 21分
 20:05 - 20:43 = 38分
 計: 2時間3分

・読書
 11:55 - 12:41 = 46分
 13:13 - 13:55 = 42分
 15:30 - 17:04 = 1時間34分
 17:45 - 18:57 = 1時間12分
 21:05 - 22:22 = 1時間17分
 24:10 - ?
 計: 5時間31分+α

  • 2018/1/13, Sat.
  • 2016/8/24, Wed.
  • 2018/12/25, Tue.
  • 2018/12/24, Mon.
  • 2018/1/13, Sun.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 21 - 27
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 120 - 178, 743 - 749

・睡眠
 2:05 - 9:40 = 7時間35分

・音楽

2019/1/12, Sat.

 六時一〇分起床。夢をいくつか見て、そのどれもあるいはどれかが、自分が暴力を振るっていたという意味で暴力的なものだった記憶がかすかにあるが、詳細は失われてしまった。カーテンを開けると空には煤煙のような雲が広く浮かんでいて、どうやらこの日は快晴とはいかないようである。ベッドを抜けてダウンジャケットを羽織り、コンピューターを点けてTwitterを確認すると(昨晩メッセージを送ったHさんからの返信が届いていた。「門外漢」だなんて、とんでもない!)早速前日の日記を書きはじめた。と言っても書き足すのはごく僅か、それよりもブログに投稿する際に、たくさん出てくる人名のそれぞれを検閲してアルファベットに変える作業のほうが時間が掛かった(もっともMさんに関しては、『亜人』の作者であるという点から、「三宅誰男」という筆名はもうばれてしまっているわけだが)。投稿すると時刻は七時、空になっている腹が鳴って、空腹時特有の胃の臭いが口のなかに漂い上がってくる。
 上階へ。母親ももう起きている。おはようと挨拶。ストーブの前に立っていると、テレビでは写真家ユージン・スミスの名前が挙がっている。名前くらいは聞いたことがあるのだが、彼が水俣病患者の写真を撮ってその被害を世界に伝えるという活動をしていたことが紹介されていた。それに目を向けていると便所から出た父親が居間に入ってきたので、こちらにもおはようと挨拶を掛ける。それでこちらは台所に入り、ベーコンハムを切り、卵と一緒にして卵焼きを作る。父親が入った背後の洗面所からは彼の携えているラジオの音声が流れ出ており、沖縄は辺野古の土砂投入反対署名について語られていて、ブライアン・メイが署名を呼びかけたという話題が取り上げられているようだった。この署名に関しては憚りながらこちらも一筆を担っている。今そろそろ二〇万人に達しようとしているはずだ。辺野古基地建設問題に関しては、普天間を残留させるのでもなく、辺野古に新基地を造るのでもなく、県外移設の選択肢を提示して、本土のどこかが基地を引き取る可能性を真剣に考えるべきではないかとこちらは素人心で漠然と思っているが、しかし沖縄関連の文献などまだ一冊しか読んだことがないので、もっとよく考えていくべきだろう。沖縄に関してはやはりその歴史を知り、学んでいきたいという気持ちがこちらにはある(Hさんという知り合いもいることだし)。辺野古基地関連の記事では、津田大介の「ポリタス」のなかの、「辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀沖縄県知事インタビュー」(http://politas.jp/features/7/article/400)というのがなかなか啓発的かもしれない。辺野古に基地が建設されるという計画は、元々六〇年代くらいに米側が考えていたことなのだと。しかし当時はベトナム戦争で疲弊していたアメリカはその計画を遂行できなかったところ、それが半世紀ぶりに蘇っている。日米が辺野古にこだわるのはそういう背景もあるのだと言う。また、普天間の副司令官、トーマス・キングの言によると、辺野古には軍事力を二〇パーセント分増強した基地を造る予定で、そうすると年間の維持費が二八〇万ドルから一気に二億ドルにまで跳ね上がるらしい。米側はそれを日本政府の負担で賄おうとしているわけだ。
 ハムエッグを作り、前日の野菜スープもよそって席につく。食べはじめる前にすぐにまた席を立って玄関を抜け、新聞を取りに行く。口から漏れる息が煙草の煙のように(何という凡庸な比喩!)白く染まって漂い出し、空中に消えて行く。新聞を取って戻り(紙面が大層冷えていた)、それを読みながらものを食べる。記事は橋本五郎の「五郎ワールド」、陸奥宗光の獄中での読書について触れたもので、冒頭に陸奥が投獄されているあいだに取り寄せた本の一覧(すべてかどうかは不明)が挙げられていたのだが、『泰西史論』という著作だったか、それが二四冊とか、法律関係の一作が二〇冊とかその他諸々とともに書かれていて、四年四か月獄中にいたとは言え凄い読書量だなと思った。朝八時から夜の一二時くらいまでずっと本を読むという獄中生活を毎日欠かさず続けていたらしい。あまり熱さず液状を保った黄身を醤油と混ぜて、黄色に染まった米を搔き込みながらそれを読み、食べ終えると薬を飲んで台所へ。母親が、杏仁豆腐か缶入りのフルーツ・ミックスかどちらか食べようと言うので後者を選んだ。彼女が皿にそれを取り分けているあいだに食器乾燥機を片づけ、自分の使ったものを洗う。そうしてフルーツ・ミックスを食すと七時半過ぎ、緑茶を用意して下階に戻り、また早速日記を書いた。一日のなかで折に触れて、記憶がまだ確かなうちに書いてしまうのがこつである。
 それから一年前の日記、それに二〇一六年八月二五日の日記を読み返したが、特に気になることはなかった。そうして先ほど投稿したばかりの前日の日記も、ブログにアクセスして何故だか読み返してしまう。そうしながら合間に歯磨きをして、その後FISHMANS "チャンス"を流して歌いながら着替える。曇りの日で結構寒々しいようだったので(天気予報では関東は夕方からことによると雪が降るかもしれないと言っていた)、白いシャツの上に、滋味豊かな海のような深い青のカーディガンを羽織った。そうしてモッズコートを着用し、荷物をまとめて上階に上がった。医者に行くつもりだった。ついでに薬局でハンドクリームを買ってきてほしいとの母親の要望だった。どういうものかと訊けば、どこにやったかわからないと言いながらも洗面所から発見してきたそれの、小さなチューブに入ったもので、匂いがほとんどまったくないのが良いのだと言う。「水分補充うるおいクリーム」という、用途そのままの簡素な名前のものだった。それでもう残り少ないチューブを押し出して中身を出すのをこちらも受け取って両手に塗りつける。そうしてから薬局で判別できるようにとそのクリームを借りて、ポケットに入れて出発した。Sさんのことを考えながら坂を上って行く(別に「坂」に入ったから彼のことを思い出したというわけではない)。彼のブログの文章を、柔らかい、とか穏和な、とかどういった言葉であの文体と感性を表すことが出来るかと形容を探したのだが、ぴったり来るのは思いつかなかった。家から出てすぐのあたりでは顔に当たる冷気が少々冷たいようだったが、街道まで歩けば、首にもストールを巻いてあって暖かく、さしたる寒さではない。途中の小公園にクレーン車が出張って、その上に乗った人足が桜の木の枝を剪定し、幹のそこここには枝を斬られたその断面が薄色で現れていた。青梅マラソンに出場するのだろうか、熱心なランナーらとすれ違いながら歩き、裏道に入ったところの一軒に蠟梅が咲いている。鈍い黄色の花を見やりながら微小な野菜のようだと思うその木の向こうに、鵯の鳴き交わしがぴちゃぴちゃと、空間を小さく搔き回すように響いていた。自分の足音を聞きながら裏路地を行くと、途中で線路の向こうの林のほうからゴムを摩擦させるような鳥の声が響き、その上にヘリコプターの動作音が重なり落ちてくる。見上げると、白い空を背景にしてヘリコプターが渡って行くところで、空は灰色の強くなく、白に寄ってなだらかに広がっていた。さらに進むと空き地の横で子供が二人、何やらしゃがみこんでいるのが先に見える。その前に何か小さな影があるのが見えて、鳥か小動物の類でも見ているのだろうか、それにしては影が動かないなと歩いて行ったところが、何か小型の液晶を眺めているだけだった。「冷凍ビーム」がどうとか言っていたから、多分ポケモンか何かのゲームだろう。裏路地をもっと行って、市民会館跡地の手前の家にも蠟梅が咲いている。下向きに傘状にひらいた花々の、ここでは和菓子のようだという新たな比喩をもたらした。それから天気から連想が繋がって、差異=ニュアンスについて考える。例えば毎日の天気のような微細な差異=ニュアンスの動向が人間の生を見えないところで支えている、生に生命感を与えて活気づけているのではないかというのがこちらの仮説なのだが、そうした差異がもしまったく存在しないとしたら、人は狂うか、あるいは生きていられないのではないか――というところで、古井由吉の記述を連想するところがあった。

 この愚直で可憐なほどの、日々の改まりというものが、井斐にはもうないのだ、死者には無用なのだ、と驚いた。十一年前の大病の後から私は時折、人はなぜたいてい飽きもせず絶望もせず日々を迎えられるのか、と前後もない訝りに寄り付かれ、同様に飽きず絶望せずの我身に照らし(end57)て、眠る間には、疲労が取れるだけでなく、人の心身の、時間もわずかながら改まるのではないかと考えて、ずいぶん怪しげな推論だが、しかしそのようなことでもなければ、日々は索漠荒涼たる反復となって露呈して、三日も続けば、朝方が危い、と思った。しかしまた、この日々の改まりを愚直で可憐だと感じて、かすかな感動のようなものさえ覚える折には、自分は一体何者だ、呑気に暮らしながら、じつは死者の領域にいささか足が入っているのではないか、と疑った。
 (古井由吉『野川』講談社、二〇〇四年、56~58; 「野川」)

 あるいはこの世界に「動き」がある限り差異=ニュアンスは絶えず生成されているはずだから(つまり世界が「無常」であるが故に差異が生まれる。そしてもしその差異が生命を支えているのだとしたら、「無常」こそが否定的に捉えられる性質なのではなく、生命の根底にあるものだということではないのか?)、差異がなくなるということは定義上/理論上、世界の生成が停まるということであり、そうなると時間の流れもなくなってすべてが固化することになるのだろうか(わかりやすいイメージに過ぎないようにも思われるが)。そのようなことを考えながら駅前まで行き、コンビニのすぐ脇に逃げずに歩いている白鶺鴒を見下ろしながらそこを過ぎ、駅舎前まで来ると自転車乗りが何人か集まっていてスポーツタイプの自転車が数台停まっている。それを見ながら、ここに普段は見かけない自転車が停まっている、これも微小ではあるが一つの差異なのだよなと考え、翻って自分の身もそうなのだと思い至った。この世界そのものが差異の織物として構成されている、そして人間もまたその世界の一片であり、他人から見ればこの主体たる自分も客体的な「世界」の一部として捉えられている、つまりはすべての我々自身が差異なのだ[﹅14]と定式化を思いつき、そんなことを頭のなかで回しながら改札をくぐった。ホームに出て、手帳を取り出してメモしているうちに電車はやってきた。座席に就いてからもメモを続け、発車してからちょっと経つと書き終わり、それからは前屈みに腰掛けて手を組み合わせながら到着を待つ。河辺で降車。駅を抜けて道を歩きながら、差異を敏感に感知すること、差異につく[﹅5]ということは「テクスト」につくということと軌を一にしているのではないかと考えていた。何故なら、「物語」あるいは散文による「フィクション世界」は、その世界を構成する基盤となっている言語=文のうち、「重要性に欠ける」ものを一つや二つ削除したところで傷つかないであろうから、その世界の安定性は動揺しないだろうからであり――『「ボヴァリー夫人」論』からトマス・パヴェルの言葉を孫引けば、「それぞれの章から重要さにおいて劣る文章を一つか二つ削除しても、そうしたテクストの短縮は、それが投影する世界のそれにはつながらない」(五七頁)となる――、それに対して文を削除したり付け足したりすることは、「テクスト」のレベルでは明らかに差異を生み出すことになるからだ。だから差異につくとは、読書の領域においてはまさしく「テクスト的な現実」を読むことにほかならないのではないかと、そんなことを考えながら医者に向かった。
 Nクリニックは混んでいた。六番目か七番目くらいだったのではないか。席に就いて蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を取り出し、分厚いその本を読みながら順番を待つ。興味深い箇所はいくつもあったが、人目を憚ってノートにメモはせず、手帳に該当ページを記しておくのみに留めた。順番が来るまでには一時間掛かったが、退屈や苦労はしなかった。呼ばれるとはいと返事をして本を置いて立ち上がり、診察室の扉に近付いてノックをしてからなかに入る。こんにちは、と挨拶をして、鷹揚な調子で革張りの椅子に腰掛ける。どうですか調子はと問われたので、良くなってきたと答えた。また日記を書きはじめました。ほう、そうですか(と言って先生はノートパソコンのキーボードを叩く)。集中できるようになりましたか。こちらはちょっと考えながら、集中力と言うと病前のほうがあったような気がしますが――しかし、その頃はむしろ集中しすぎて変調を招いたのではないか、という気もしますね(と笑う)。今はほどほどにやっていますか。そうですね、前はどちらかと言うと……文を……練る、ほうに傾注していたんですが、今はもう文体などはどうでも良いんだと。書けさえすれば良いんだと、そんな感じです。そうすると分量を結構書きますか。書きますね、昨日は二万字書きました。先生は、静かで冷静な調子ながら、二万字、と低く呟いて驚き、それは凄い、と続けた。昨日は友人と二時間話したので書くことがたくさんありまして。そんなに記しておきたい話がありましたか。ここでこちらはまたちょっと考えて、一般的な人がどう思うかはわかりませんけれど、僕は一日のうちのすべてを、なるべくすべてを(と言い直す)、記録したいという気持ちがあるので、あまり大したことがないような話でも記述するから、そのくらいにはなりますね。しかし、文学が好きな間柄なので、そういう話を主にして、充実していたと思います。そうですか……二万字と言うと、四〇〇字詰め原稿用紙で……――五〇枚ですね(とこちら)。手書きですか。いや、パソコンで。そうするとA4だと大体一〇〇〇字くらいですかね、それで換算すると二〇枚。凄いですね、と先生はふたたび口にしたので、こちらはそんなに書いてしまってすみません、というような照れ隠しのような笑いで受けた。順調に回復してきていますね、その他のことは、生活は変わりないですか。はい、散歩には大体毎日行っていて、家事もまあ洗濯物を畳んだり、料理を作ったりしています。そうですか、活動的ですね。かなり回復してきていますねと先生はもう一度繰り返し、薬はどうするかと訊いた。前回は年末年始の休みが挟まれていたので三週間分を出したところ、二週間分に戻すか否かという点で、こちらが、三週間でも大丈夫そうですがと言うと医師も同意してそのようになった。ありがとうございますと礼を言い、椅子を立ち、扉に寄って医師のほうを振り返り、失礼しますと頭を下げてから室を出る。そうして荷物をまとめ、ストールを巻き、会計(一四三〇円)を済ませてビルを出た。隣の薬局へ。処方箋とお薬手帳を渡すと棚に寄り、母親に頼まれた保湿クリームを見つける。それを一つ(最後のものだった)取って席に就き、ふたたび本を読みながら順番を待つ。薬局も混んでいて、二〇分くらいは読んでいたと思う。当たった職員はK.Sさんという人だった。調子はいかがですかと問われたので、良くなってきましたと受けて、会計(クリームと合わせて二一〇二円)。そうして退局。
 時刻はちょうど正午あたり、線路沿いに出て駅へ。階段を上り、通路を歩いて駅の反対側に出て、コンビニに入った。チキンカツサンド(二八九円)、おにぎりのツナマヨネーズ(一一五円)に、炙りサーモン(一八〇円)を取り、列に並ぶ。ケースのなかに入った冷凍食品を見分しながら番を待ち、会計(合わせて五八四円)すると外に出た。ベンチは埋まっていたので、図書館に向かい、入り口の飲食スペースに入る。先客(高齢の女性)があったので、テーブルに近寄って会釈をし、彼女の向かいに鷹揚な素振りで腰を下ろした。そうしてビニール袋を下敷きにしてゆっくりものを食べる。食べ終えるとまた外に出て階段を下り、コンビニ前のダストボックスにゴミを捨て、そうして図書館に入館した。ジャズの棚を見に行く。目新しいものは特にはないだろうと思っていたところが、まずWes Montgomery & Wynton Kelly TrioのLive At Penthouseという音源があって、これはちょっと気になる。と言うのは同じ面子の(ベースだけは違っていたようだが)『Smokin' At The Half Note』が名盤だからだ。こんな音源があったのかと印象に残してほかにも見れば、その隣には上原ひろみと何とかいうハープ奏者のデュオでのライブ音源があって、これもちょっと聞いてみたい。ほか、大西順子のおそらく最新作も以前からあったのだろうが初めて見つけた。それらを見分し、しかしカードを忘れたのでひとまず借りるかどうかはあとに決めることにして、上階に上がる。新着図書を確認してのち(中山元訳の『存在と時間』第五巻などがあった)、書架のあいだを抜けて大窓のほうへ。席は空いていないかと思いきや、一席空のがあったのでそこに入り、荷物を下ろしてストールを取った。コンピューターを取り出し、Eric Dolphy『At The Five Spot, Vol.1』を流しながら日記を書きはじめる。冒頭の"Fire Waltz"は結構な演奏で、Dolphyが闊達に跳ね回り、時にそのサックスの音は人間が喋っているようにも、泣いているようにも、あるいは怨嗟の声を上げているようにも聞こえる。そうしてここまで綴ってちょうど一時間ほどを費やし、現在は一時半を迎えている。
 以下、三宅誰男『亜人』で気になった箇所を抜書き。

  • ●61: 「波は死の飛礫でもなければ生の甘露でもなく、生命の観念よりもはやくからこの地に存在してその営みを絶やさぬ、ただの――それゆえほとんど近寄りがたいまでの聖性をおびた――水滴にすぎなかった。ただのそれ自身に終始すること、発端にも起点にもならぬまるく閉ざされたものとしてあること、神秘とは事物のそうしたありようにほかならなかった。それは館をさまよう歩く亜人の姿だった」――「ただのそれ自身に終始すること、発端にも起点にもならぬまるく閉ざされたものとしてあること」。「亜人」の性質として重要な箇所だと思われる。
  • ●61: 「亜人は、二重に定義された聖者だった。聖なる化身であると同時に、まったきそれ自身の神秘として、重ね書きされた聖性は大佐の両目それぞれにふりわけられて像を結んだ。そしてそのたしかな誤差こそが――なんということだろう!――ありふれた奇蹟にまつわる目隠しされた秘密、すなわち、まごうことなき人間そのものにほかならなかった。亜人、それは人間だった」――同上。
  • ●63: 「錯覚を無効にしたのは、逆光に黒く垂れこめる人影だった。顔なき顔が大佐の視界を覆いつくし、日蝕のように太陽をさえぎると、星もなければ月もない底無しの闇夜、天涯孤独の盲人の夜が不意におとずれた」 → ●64: 「性分をとりもどすにいたった頭上の大鏡がそこに映ずる人影のたしかにおのれの似姿であることを告げる磨きぬかれた曇りなさとともに十全にひらかれてあるさまを、大佐は永遠の夜に没したはずのあの死者の目でもってひるむこおとなくのぞきこみかえした」――「人影」「おのれの似姿」。分裂、分身? 何が起こっているのか、わかりにくい部分の記述だ。
  • ●63~64: 「大佐はとつぜんおのれが戦で命を落とした一個の死者であることを悟った。なんということか! なんということだろう! 身の毛のよだつような歓喜が燃える水のように地の底からほとばしり、認識の爆発にわなわなとふるえてやまぬ大佐の肉体を内側から激しく刺しつらぬいた。(……)合わせ鏡の迷宮でおなじふたつのまなざしがかちあった。ほかでもありうることの可能性が、結びあわされたその焦点を発端としてまぎわに拡大した。歓びが大佐を急かした。ゆけるところまでゆかなければ!」――先と同じ段落中。「とつぜん」。いわゆる「啓示」、「気づき」の場面。何故大佐がここで「歓喜」、「歓び」を覚えているのか、論理がよくわからない。何らかの直観のような認識があったのだろう。
  • ●81: 「シシトは指先を苔の地面に押し当てた。すると深々と吸いこむだけで喉のうるおうような、土のにおいのする涼気がそこからたちのぼった」――連想、「トンカ」。 → ●鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』319: 「トンカは足もとの苔を指で強くおさえつけた。しかし、しばらくたつと、小さな茎はつぎつぎにおきあがり、またしばらくすると、そこに残っていた手のあとはぬぐうように消え去ってしまった」
  • ●109: 「亜人の瞳は干上がった魚の鱗のように透明度をなくしてべったりと色づき、乾き、風化し、つい先ほどまで濡れた炎をその内側に宿していたとは到底思えぬほどいっさいと無関係であった。もはや鏡でもなければ容器でもなかった。ほんのかすかな余地さえもたぬあたらしい充溢に黒々と塗りこめられたうえで固く封をされている、ひとつの打ち捨てられた秘密がそこにあった」――「ひとつの打ち捨てられた秘密」。「亜人」の「謎」性。
  • ●111: 「(……)暗がりの奥深く地下の深部へとひとをいざなう釣りあいのとれた石段がその先にむけて螺旋状に続いているさまはもはやひとの気を不確かにし、足下をすくい、生涯をかけて積みあげてきたものから無理な中抜きをしとげてみせる、芸術のように荒々しく野蛮なひとつの徹底された怪奇、既知の急所に産みつけられた純粋無垢な害意以外のなにものでもなかった」――「既知の急所に産みつけられた純粋無垢な害意」。良い表現。
  • ●115: 「すべてが唯一の可能な方向にむけての撤退であり、そしてその撤退とはほの暗い謎にむけてのますます奥深い潜入、見当もつかぬ未踏を舞台にした命がけの冒険を意味していた」――「ほの暗い謎」。「迷宮」の「謎」性。
  • ●117: 「シシト自身、前方に投げかけられた松明の炎が不安定な呼気をともなう正体不明の影の無気味にうごめくその片鱗をかすめた瞬間を幾度となく目にしていたし、より奥深い領域では身の毛のよだつような獰猛な金切り声を耳にしたことさえあった」――「正体不明の影」「金切り声」。「迷宮の奥深くにひそむ化けものや怪物」の痕跡。ここまではまだ許せる範囲だろう。
  • ●122: 「体躯の退化してほとんど頭部と翼だけになった巨大な蝙蝠(……)」 また、→ ●123~124: 「(……)しかしながらいったい襤褸をまとった骸骨どもの襲撃やうめき声をあげる腐乱死体の突進に、あるいは汚水のにおいを発散させながら通りかかるものにむけて天井から飛びつく軟体生物の奇襲やおぼろげに浮遊する正体不明のガスがいざなう催眠や幻覚に、ひとを斬るためだけに磨かれた技術がなんの役にたつというのだろう?」――「蝙蝠」「骸骨」「腐乱死体」「軟体生物」。『ドラゴンクエスト』ほか、RPGゲームを連想させる「モンスター」の登場だが、これが作品全体の調和をかすかに乱し、迷宮の性質を一面で薄めていること、しかし著者がそれを自覚しながら敢えてこうした記述を書き入れたことについては、一月一一日の記事に記したのでここでは繰り返さない。
  • ●124~125: 「(……)シシトの迷宮探索にかける執念はなにごとにむけられたものであったというのか? そもそも、その執念は本当にシシトのものであったのだろうか? シシトのかたわらには大佐の太刀が、斬りはらいなぎ倒した魔物どもの怨念を吸って黒々と錆びた刀身をさらして横たわっていた」
  • → ●92: 「(……)籐椅子からゆっくりとたちあがったシシトの目の前には、すでに腕を組むことも仁王立ちすることもままならぬ父大佐の姿があった。シシトには信じられなかった。ここに横たわっているのは本当に父なのだろうか? むしろいまだ熱病の癒えぬ我が身なのでは?」
  • → ●102~103: 「すると、呆然としてたちつくす自身の姿が寝台をとりかこむ色のうすい更紗のカーテンに影絵となって映りこんでいるのが目についた。それは(……)熱病によって妻と子をたてつづけに奪われようとしている危機にあってただただおのれの無力に気骨が折れぬよう硬く腕組みし、仁王立ちの構えをとることしかできぬ若き日の父大佐のシルエットそのものであった。歴史はくりかえされるというのか? 一族の血がそれを強いるとでも? そうではなかった。むしろいまのこのじぶんの姿をこそあのときの父は後追いしたのだという不可能な確信がシシトをつらぬいた」――シシトと父大佐の分身性? 相互置換性? シシトが同時に大佐であり、大佐が同時にシシトであるような? 「反復」と言っても良いのかもしれないが、その場合、その「反復」はあとのものが先のものを追うという一方向的な関係ではなく、相互的なものでなければならないというのが、ここの記述からわかるだろう。

 それでは次に、ムージル『テルレスの惑乱』で「沈黙」一覧を作ったり、「静かなヴェロニカの誘惑」で「獣」一覧を作ったりしたように、『亜人』のなかに頻出したテーマを並べてみようと思う。まずは「むき身」。六回。

  • ●11: (大佐に)「いざ真正面から相対するとなるとその刀身からほとばしる輝く湯気のような凄みに四肢をからめとられ、気づけばむき身の命をあられもなくさしだしてしまうのだった」
  • ●31: 「亜人の一挙手一投足は見るものすべてを強いて黙らせるだけの様式美に力強くかたどられていたが、馬上の一同に言葉を追いつかせなかったのはむしろ咲きみだれては散ることを待たぬ花のような、流れおちては涸れることを知らぬ滝のような、美の類型におさまりきらぬむき身の印象、なまなましく滴りおちる営為の凄みのほうであった」
  • ●34~35: 「耽溺しすぎると狂いをもたらすたぐいの緊張、名づけた途端に口をふさぎ、首を絞め、息をせきとめにやってくるにちがいない親殺しの張りつめた感情が胸骨のあたりでたちさわぎ、つぼみのおおきく開花するそのむき身を外気にさらそうとつくづく強いた」
  • ●107~108: 「シシトはひどい羞恥心に駆りたてられた。その反動が、亜人にたいする臆面もない接近を可能にした。むき身の肩にむけてことさら無造作にかけられた手は特権を認めじとする意気地がなしとげた最後の強がりであった」
  • ●112: 「(……)そしてその両者を声部とするいまだかつて記譜されたことのない未開の和声のごときものが、内なる動物の姿をとり、あらゆる意味をはねつけてただむき身の一心さで吠えるのだった」
  • ●132~133: 「鋳型にむき身をさらし、境界にうがたれた穴を潜りぬけることのできる輪郭にみずからを変形してみせたそのあとになってはじめて姿を見せる、きざしとも予言とも無縁の、たんなる偶然の産物にしかし一方的な正解を告知するところの事後的なお告げとでもいうべきもの、出口とはほかならぬそうしたものであった」

 続いて、「滴りおちる」。五回。

  • ●25: 「磨きあげられた大理石に滴りおちる黄金色の光彩がなめらかにはねかえり、風のある日の木漏れ日のようにたえまなくゆれては輝かしくせめぎあう(……)」
  • ●31: 「亜人の一挙手一投足は見るものすべてを強いて黙らせるだけの様式美に力強くかたどられていたが、馬上の一同に言葉を追いつかせなかったのはむしろ咲きみだれては散ることを待たぬ花のような、流れおちては涸れることを知らぬ滝のような、美の類型におさまりきらぬむき身の印象、なまなましく滴りおちる営為の凄みのほうであった」――ここは「むき身」のテーマと重なっている。
  • ●67: 「言葉は舌足らずに切りつめられ、玉のような汗をかくそのたびごとに一語一語と語彙が滴りおちて失われた」
  • ●84: 「持続的に吹きながれる風の音ではなく、間歇的に滴りおちる水の音として表象されるべき時の営みにみずからもまたそのひとしずくとして同化しつつあったシシトの胸のうちで極まるものがあった」
  • ●149: 「たちさらねば! 決然としてたちあがったシシトの出足を挫くように、おお、おお、と背後で滴りおちる悲嘆があった」

 次に、「極まる」。六回。

  • ●16: 「痛みは三日目の夜に峠を迎え、その翌朝にはナイフでうすく削りとった貝殻の切片のようなものが瞳からはがれ落ちた。風に含まれた潮が結晶化したのだと船医は言った。するどさがするどさとして極まりかけたその代償としての隻眼であった」
  • ●61~62: 「曇りが極まれば、黒いひとすじの境界線が海と空をわけへだてて走るように見えることもあるだろう」
  • ●74~75: 「不気味さにたちまさる滑稽さ、凄みにたちまさる妙味の踊る絵姿だった。極まれば、主人に先立って動きはじめることすら厭わぬようにも思われた」
  • ●84: 「持続的に吹きながれる風の音ではなく、間歇的に滴りおちる水の音として表象されるべき時の営みにみずからもまたそのひとしずくとして同化しつつあったシシトの胸のうちで極まるものがあった」――「滴りおちる」のテーマと重なっている。
  • ●94: 「五本の成果はそれゆえ文句なしの偶然であるといえたが、偶然性も極まれば往々にして聖性にふりきれるものである」
  • ●100: 「それ以上は一歩たりとも進むことのままならぬ逆風の極まる地点に達するころには、シシトの手はすでに奏でることをやめ、それ自身が奏でられるべき楽器の一部と化していた」

 最後に、「まなざし」。これは全部で二七回出てきている。

  • ●15: 「(……)ただ大佐だけが例のごとく、巨鯨が迂回し海獣どもが祈りをささげる未踏の海域へとしずかに沈みさっていく神々の姿にむけて不動のまなざしを送りつづけていた」――大佐。
  • ●22: 「亜人は声を発することもなければ身ぶりでなにかを訴えることもなかった。言いつけや命令にもおとなしく従い、呼びかけには直視でもって応えた。(……)どこまでも鉱物的なそのまなざしは相対するひとびとにいやおうなく針のひとつきにも似たうしろめたさをおぼえさせた」――亜人
  • ●24: 「亜人」は「館の外には見向きもしなかったが、それでも逃走の意欲や害意の在処を探ろうとするまなざしの傾注が絶えることはなかった」――亜人の周囲の人々。誰のものともつかぬ匿名的かつ集団的なまなざし。
  • ●30: 「円舞はすでに停止し、一同は強い力によって黙視を強いられていた。馬までもが足踏みひとつすることなく、(……)茂みの奥にひそむ未知の気配の正体を見極めんとする顔つきで、硬く強ばったまなざしをひとところに送りだしていた」――馬。
  • ●32: 「二度目の含羞が直視を耐えがたくさせた。我知らず逸らしたまなざしが、潮風に重くなった砂浜にそれでもかすかにきざみこまれてある亜人の足跡を、彼方の密林から手前にむけて点々と追った」――大佐。
  • ●35: 「大佐は亜人を見た。おのれ自身を含む含むなにものに急かされたわけでもなければうながされたわけでもない、意図や欲望から遠く離れた神話の摂理がかくあるべきと舞台をととのえた、そんなふうなまなざしの送りだしだった」――大佐。 
  • ●35: 「(……)亜人のその顔がいつ、みずからの影に沈んだ死に顔から晴天を後光に背負う馬上のこわばりへとむけられるのか、助けを請うまなざしが日暮れを知らぬこの光線に相対してどのように細められさしむけられるのか(……)」――亜人
  • ●36~37: 「沸きかえる一同にむけて亜人はちらりとまなざしをめぐらした。大佐の硬くひきしまったくちびるから軽薄な発言をひきだすにたるだけの言外の迫力や凄みなどとはまったくもって無縁の、虐げられたものの卑しい鈍光が宿った、まずしい一瞥だった」――亜人
  • ●40: 「沈没する敵船の背骨の折れる音が雷鳴のようにとどろくと、亜人は大佐と同じく、海の彼方にむけてまなざしを投げかけた」――亜人。 
  • ●50: 「野次や笑声をたたえた無数のまなざしが大佐へとそそがれたが、それらのどれひとつとして焦点のはずされていないものはなかった」――同盟国の兵士たち。 
  • ●57: 「死屍累々たる一面にむけて大佐は、朦朧と濁った、それでいて芯のまだ鈍りきってはいないかぎ爪型のまなざしをめぐらせた」――大佐。
  • ●64: 「合わせ鏡の迷宮でおなじふたつのまなざしがかちあった」――大佐とその分身(?)。大佐のものとして数える。
  • ●74: 「シシトのまなざしはむしろ壁面を彩るそれら無数の、なかば重なりあい、なかば独立した、ゆらめきながら徒党を組む濃淡さまざまな影絵の動向にむけられた」――シシト。
  • ●81: 「木々は細く、間隔はまばらであったが、しなやかな幹に秘められた力は自粛した枝わかれの分だけ天高く屹立し、おそれをしらぬほどまっすぐ、まなざしの矢尻のとどかぬ果てにまでのびていた」――非人称のもの。
  • ●85: 「木々の一本一本(……)をわけへだてなく名指しつづけるその指先は、やがて泉のおもてに映りこんだ幼子自身の姿にむけられ、次いで、その時点ですでにはっきりと発見のきざしに皮膚をあわだてていたシシトのまなざしを真正面から射ぬいた」――シシト。
  • ●93: 「自問、それは常に他者のまなざしを経由して運びこまれる責め苦であった」――非人称。
  • ●107: 「破りとられた長衣の布地がひらりと石畳の上に落ち、窪みにたまった水気をじわじわと吸いとるうちに重く濡れて潰えるその一部始終が、まなざしはまるで別方向にむけてあるにもかかわらず手にとるようにはっきりと見えた」――シシト。
  • ●114: 「ひとの顔の高さの壁ぎわに等間隔にそなえつけられた炎の、無風になおゆらめく赤い舌先さえとどかぬほど天井は高く、まなざしをはばむ暗がりの層は未知の奥行きをもって物音を遠くうつろに響かせた」――非人称。
  • ●120: 「両手を頭の後ろに組んで枕とし、あらわになったまなざしを隠すように鳥の羽根のあしらわれたつばのひろい帽子をおもてにかぶせていた(……)」――狩人。
  • ●126: 「ひらかれたばかりのまなざしをその手にむけると、探索の過程で負った無数の傷痕のきざみこまれているのがたしかに目についた」――シシト。
  • ●127: 「呆然としてたちつくすシシトを、予言者が訝しげなまなざしで見上げた」――予言者。
  • ●136: 「その目はじきにシシトの右手にさげられた太刀へと行き当たった。途端にまなざしがふたたび見開かれシシトの顔をしかととらえなおした(……)」――「義足の男」。
  • ●137: 「シシトはただ見た。頭上からそそがれるそのひたむきなまなざしを察した義足の男は、悲壮な目つきをかすかにゆるめると、ふっと息をもらし、もっとこちらへ、とかぼそくささやいた」――「義足の男」。
  • ●141: 「(……)その表面に映しだされたおのれの姿ではなく映しだす鏡自身にむけて焦点のあやしいまなざしを凝らしてみせる、一個の立ち姿であった」――シシト。
  • ●147: 「本館の外壁に沿ってまなざしを上昇させれば、高い位置にずらりとならんだ客室のどれもこれも割れて跡形もなくなった窓のひとつからすさまじい勢いで黒煙が噴きだし、その間隙をかすめて踊る炎の赤がわずかにのぞいた」――シシトと予言者。
  • ●153: 「告げるがはやいか、真意をはかりかねて濁る予言者のまなざしになど見向きもせず、シシトは浜辺に建てられた漁師小屋のひとつにむけて毅然とした様子で歩きだした」――予言者。
  • ●155: 「(……)みずからの両肩を抱きしめるようにして背を折りまるくなった予言者の老いたまなざしがとどくぎりぎりの果て、シシトは両手をおおきくひろげて頭上をあおぎ、ぎらぎらとまぶしい光線に全身をさらしてみせた」――予言者。

 以上である。「まなざし」の主を多いほうから順に数えてみると、シシトが六回で一番多く、その次が大佐で五回。亜人が四回で、予言者も並んで四回。誰とも知れない非人称のものが三回、「義足の男」が二回である。シシト、大佐、亜人の「まなざし」が多いのは説話のなかで置かれている主要な位置づけからして当然だろうが、脇役と言うべき予言者の「まなざし」が亜人と並んでいるのは少々意外な感を受けるかもしれない。
 上記の「まなざし」一覧を記している途中、もうあと少しで写し終わろうというタイミングでバッテリー残量が尽きかけているとの表示が出た。残り五パーセントだか何だか。音楽を聞きながら作業をしていたので、予想以上に終焉が早かった。以前はこれほどではなかったような気がするのだが、このコンピューターももう四、五年は使っているはずだから、劣化してきているのかもしれない。それでコンピューターをシャットダウンし、帰ることにした。しかし退館前に、日本文学の書棚を少々見て回った。まず青木淳悟の著作が何冊かあることを確認し、後藤明生はあるだろうかと見に行ったが、予想通り一冊も置かれていなかった。うろついているうちに古川真人の名前も思い出して(「偽日記」の古谷利裕が好評価していたので印象に残っていたのだ)、は行の区画に足を向ける。古井由吉を見ると、『自撰作品』が何故か二巻目だけ置かれている。古川より先に辺見庸に目を向けたが、置かれてあった『青い花』とあともう一つ何とかいう作品が、どちらもぱっと見たところやや前衛的な雰囲気で、まったくのあてずっぽうだが何となくベケットを思い出させるような匂いがあって、これは面白そうだなと思った。エッセイも含めて彼の作はいずれ読んでみたい。それから古川真人作を確認。『縫わんばならん』と『四時過ぎの船』があって、前者を古谷利裕がかなり高く評価していた覚えがある。著者紹介を見ると一九八八年生まれとあってこちらと二歳しか変わらないのに活躍していて大したものだ。そうして退館した。空に目を向けると、あるかなしかのうねりを帯びながら白雲が全面を覆い尽くしており、それがもう雪が降り積もったあとの雪原を思わせる質感で、これは確かに降りそうだ、ことによるとあれがそのまま落ちてきてもおかしくはない、と思った。河辺TOKYUに入る。スーパー。籠を持って、まず椎茸を取る。次に茄子を二パック。そうして、何となく寿司が食いたかったので(また、夕食の調理をするのが面倒だという気持ちもあった)、壁際の区画に行って見分し、一〇巻入りのなかで一番安そうなものを取った。自分の分だけでは薄情だろうというわけで、両親にはネギトロの中巻きを買うことにした。そうして豆腐を取りに行き、最後にカップラーメンを数種類。それで会計(二七六六円)。

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外税  \204
合計  \2766

 こうして写してみるとTOKYUの物価は結構高い。袋は二つ貰ったが一つに収めたかったので、リュックサックに椎茸や茄子、豆腐を入れてぱんぱんにし、一つの袋に寿司とカップラーメンを整理した。そうして退館。駅に渡り、ホームに入って手帳にメモを取りはじめるとすぐに電車はやって来た。乗ってからも扉際に立ち、顔を俯けて手帳にメモを取る。メモを取っていると一駅一駅があっという間である。青梅で降車、奥多摩行きには二〇分ほど時間があった。ホームを歩き、待合室の横に就き、リュックサックを下ろして品物を一旦取り出して地面に置き、分厚い『「ボヴァリー夫人」論』を救出した。そうしてふたたび荷物を背負い、壁に凭れて書見。乗ってからも立ったまま読書。そうして最寄りで下りると時刻は四時前。階段に掛かるところで前にいる老婦人が達磨を提げていた。今日からだろうか、始まった「だるま市」で買ったものだろう。駅を出て、この日はすぐに坂を下りず、東に向けて街道沿いを行った。空中に陽の色はまったく見えず、西の山際ですら雲に閉ざされていてその痕跡はない。しばらく歩いて右に折れ、木の間の坂を抜けて帰宅。勝手口から鍵を開けて入る。
 荷物を下ろし、買ってきた品物をそれぞれ冷蔵庫や戸棚に収めると下階に行った。自室でコンピューターをセッティングし、起動をさせながら服をジャージに着替える。そうしてTwitterやMさんのブログを覗いたあと(自分のブログのアクセスを確認すると、一四九と今までになく訪問されていたので、「今見たらブログのアクセスが一四九をも数えていて、こんなに訪問されたのは初めてだ。ありがとうございます」と礼の言葉を呟いておいた)、この日の支出を日記に記録してから文を書きはじめた。その途中で出かけていた母親が帰ってきた。一旦書物を中断して茶をつぎに行き、母親と顔を合わせる。パソコン教室に行っていてその後買い物もしてきたと言い、台所にはこちらも買ってきたのにカップヌードルの類がいくつか置かれていた。茶を注ぎながら、料理をするのが面倒だったので寿司を買ってきたのだ、今日はもう夕食は作らんと自分勝手に宣言すると、本に没頭するのと言われたので没頭する、と返した。そうして「メントス」のミント味を口に入れながら下階に帰り、茶を飲みつつ日記を書き足して五時一〇分。その後さらに書き足して、五時半過ぎ。BGMはEric Dolphy『In Europe, Vol.2』。二曲目の"The Way You Look Tonight"がなかなか凄いのではないか。
 Mさんのブログ記事を読む。それで六時を迎えるところ。時間が早いがもう腹が減ったので、寿司を食うことにして上階へ。買ってきた寿司と昼に作ったという炒飯の残り、それに温めた豆腐。夕刊の一面は、森鴎外の未公開だった演劇論が発表されたとの報。それを読みながらものを食べ(寿司は非常に美味だった)、ストーブの上で加熱されていた野菜や茸の雑多なスープに粉の出汁を味付けとして加え、それもよそって食べる。テレビは平成時代のヒット曲を復習して流すような番組。郷ひろみだとか浜崎あゆみだとかが出てくるなかで、九八年のものだったが、美空ひばりが"川の流れのように"を歌っていて、先のような面子のなかではさすがにこれは別格だなと思われた。そうして食器を洗い、緑茶を用意して自室へ戻ると、ブックマーク登録してあるブログを読む。Sさんのブログ――「愚にもつかない言葉、しかしThe Smithにおいて音楽と言葉は不可分というより、音楽も文体であり言葉を構成する部品という感じがする。言葉の愚にもつかぬ諸々がぼろぼろと剥がれて落ちてあちこちに散らばる。それによってたしかな言葉や意味に変わるわけではない、こわれて言葉以前に戻ると言ったほうがよい、しかしそれは常に現在進行形、動作の過程、その様子そのものだ」。それから「悪い慰め」。さらに、gmailに送られてきていたfuzkueの読書日記――「日本人でいることは簡単なことだなあというか、カントリーもブルースもヒップホップも、簡単にそれぞれをそれぞれにかっこいい、と思っていられるから、簡単だな、と思った」。そうしてまた、「うつ病の聖杯」(http://kokoro.squares.net/?p=3085)という記事も読む。これはTwitter鬱病関連について思ったことをちょっと呟いたら、Bさんという方がその存在を教えてくれた記事である。

23 ではうつ病(真のうつ病=内因性うつ病)の決定的な特徴とは何か。それを表す精神医学の専門用語として、「生気的悲哀」や「無反応性」などがある。だがこれらは将来的にも客観的に証明できる見込みはほとんどない。

24 「無反応性」とは、たとえ嬉しいことがあっても嬉しいと感じない。逆に悲しいことがあっても悲しいと感じない。このような精神状態を指す。つまり、良いことがあったら気分が良くなるのは、うつ病(真のうつ病=内因性うつ病)ではないというのが、精神医学の伝統的な考え方である。

 上のように記事中にあるが、この「無反応性」というのはこちらが経験した症状そのままではないかと思った。実感は薄いのだが、やはり自分は鬱病、それも内因性の鬱病の軽いものだったのかもしれない(しかし「内因性うつ病」に軽いものなどあるのだろうか?)。自分の場合は自生思考などの統合失調症的な様態もあったのでややこしいと言うか、そう一筋縄では行かない感じがするのだが、四月以降の状態は、特にストレスがあったわけでもなく――三月まで続いていた発狂するのではないかという不安が一番ストレスと言えばストレスだったのかもしれないが――自ずと感情を失っていったような感じがあって、自分の場合、外的な要因で発症したと言うよりは、とにかく脳が誤作動を起こした、何故だかわからないが頭がおかしくなったと、そういう風に考えていたので、内因性だと言われるとわりとしっくり来るようなところがある。つまり原因(自分の「うつ病」を引き起こした病気の「本質」)などというものはなかった、あるいはあったとしてもそれはまだ発見されていない。
 それからUさんのブログも読んだ。英文で綴られていたので、いくつか単語の意味を調べながら追った。以下にメモしておく。

  • ●I've never been seduced by analytic philosophy's pretensions toward absolute clarity of definitions――pretension: 自負、うぬぼれ
  • ● [Feminist philosophy] addressed questions of bodily experience, sexuality, and oppression in breathtakingly original ways, (……)exploring domains mostly ignored in the mainstream――domain: 領域
  • ●(……)Martha Nussbaum, who was similar to Linda Bell in exemplifying a kind of feminie philosophical form.――exemplify: 好例となる

 文中に出てきているマーサ・ヌスバウムという名には聞き覚えがあって、今おそらくこのあたりだろうと思って、もう随分昔にどこかの古本屋で一五〇〇円で買ったものだが、ブライアン・マギー/高頭直樹ほか訳『西洋哲学の系譜 ――第一線の哲学者が語る西欧思想の伝統――』という著作を棚の上から取ってみると、やはりアリストテレスについて話す章でヌスバウムの名が出てきていた。この本もまだ読んでいない。
 そうして時刻は八時、風呂に入りに行った。上階に行くと、父親が帰ってきていたのでおかえりと挨拶する。そして入浴。翻訳や英語についてなどぼんやり考えながら湯浴みをする。出てきてダウンジャケットを羽織っていると父親が、お前今日はどこかに出かけたのかと訊くので、医者、と答える。それで何だってと言うので、調子が良くなってきた、また日記も書きはじめたと伝えた、すると順調だろうとのことだと。薬はと言うので変わらず、ただ二週間か三週間にするかの選択があって、三週間分にしたと伝える。良かったと両親は安堵した様子だった。それで部屋に戻ってきて、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』を背景に日記を綴って九時。
 読書を始める。まず、Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea。読んでいると途中で天井がどん、どんと鳴ったので、流していたFISHMANS『ORANGE』の音量が大きすぎたかと思って下げたのだが、部屋を出て上階に行ってみると苺を食べたらということだった。それで母親が寒天と一緒に小鉢に取り分けてくれたものをさっと食べ、五分ほどですぐに自室に戻って読書の続き。意味を調べた英単語をメモするのは明日以降で良いだろう。それよりも今は、読んでいて書抜きたいと思った箇所――前回読んだ時も同じように思ったが――を下に引いておく。

 He always thought of the sea as la mar which is what people call her in Spanish when they love her. Sometimes those who love her say bad things of her but they are always said as though she were a woman. Some of the younger fishermen, those who used buoys as floats for their lines and had motor-boats, bought when the shark livers had brought much money, spoke of her as el mar which is masculine. They spoke of her as a contestant or a place or even an enemy. But the old man always thought of her as feminine and as something that gave or withheld great favours, and if she did wild or wicked things it was because she could not help them. The moon affects her as it does a woman, he thought.
 (Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea, Arrows Books, 2004, 19~20)

 特に二文目の、"Sometimes those who love her say bad things of her but they are always said as though she were a woman"というのが良く感じられる。Hemingwayを一〇時過ぎまで読んだその後、今度は蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読み出す。こちらの抜書きも明日以降で良いだろう。そうしてあっという間に日付の改まる時刻を迎え、歯磨きをしてインターネットをちょっと回り、それからVirginia Woolf, Kew Gardensのことを思い出して私訳を読み返した。二〇一四年に訳したもので、五年前ではまだ日記の文章も全然整っていなかった頃だし、公開するのなら訳し直すようだろうと思っていたところが、これが意外にも今の目で見てもさほどの瑕疵もなくまとまっているもので、当時の自分もなかなか頑張っていたものだが、これはしかし既訳を二冊参照したことが大きいのだろう。それでほとんど句読点の位置のみ直すだけでブログに投稿し、Twitterに通知をしておいた。さらに、自分が作ったローベルト・ヴァルザー風の小品――こちらは二〇一五年のものだ――のことも思い出したので、それも同じように公開した。これが今のところ唯一、こちらの「作品」だと呼べる類の文章である。投稿したものを読み返してみると、こちらもやはり直すところがないように思われたし、文章としてうまくドライブしているようだと自負されて、なかなかヴァルザーを上手く真似ているのではないかと自画自賛した。
 そうして一時半頃からふたたび読書。二時五分で切りとして就床。入眠に苦労はなかった。


・作文
 6:36 - 7:07 = 29分
 7:38 - 7:59 = 21分
 12:33 - 14:58 = 2時間25分
 16:38 - 16:50 = 12分
 16:57 - 17:38 = 41分
 20:42 - 21:02 = 20分
 25:07 - 25:21 = 14分
 計: 4時間42分

・読書
 8:09 - 9:06 = 57分
 10:13 - 11:20 = 1時間7分
 11:30 - 11:50 = 20分
 15:30 - 15:50 = 20分
 17:39 - 17:55 = 16分
 18:41 - 20:05 = 1時間24分
 21:13 - 23:50 = 2時間37分
 25:27 - 26:05 = 38分
 計: 7時間39分

  • 2018/1/12, Fri.
  • 2016/8/25, Thu.
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 71 - 120, 736 - 743
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-11「祝福は髪指寝言翌朝の不機嫌がいま日差しを浴びる」
  • 「at-oyr」: 「Sakamoto」; 「ヤスオ」; 「You've Got Everything Now」; 「帆船」
  • 「悪い慰め」: 「日記01/06~01/08」
  • fuzkue「読書日記(118)」
  • うつ病の聖杯」(http://kokoro.squares.net/?p=3085
  • 「思索」: 「1月10日2019年」
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 15 - 21

・睡眠
 1:50 - 6:10 = 4時間20分

・音楽

2019/1/11, Fri.

 最終的には九時起床。その前にも何度か覚めたが、寝起きがあまり良くなくて床を離れることができなかった。ダウンジャケットを羽織り、上階へ。母親はベランダに出ているところだった。おかずは特にないと言う。卵も切らしているらしい。それで白米でおにぎりを一つ拵え、辛うじて残っていた前日の味噌汁とともに食す。新聞の一面を見やりつつ食べて、薬を飲み、食器を洗って風呂も洗った。そうして下階から急須と湯呑みを持ってきて緑茶を用意していると、注いだところで掃除機を取り出した母親が掛けてくれないかと言ってくる。良いだろうと受けて機械を受け取り、居間のみならず台所から洗面所、玄関からトイレのなかまで埃や塵を吸った。そうして元祖父母の部屋に掃除機を置いておくと緑茶を持って自室に帰った。時刻は一〇時である。早速日記を書きはじめ、ではなかった、掃除機を掛けているあいだに電話があったのだった。音を止めてすぐに出ると日本通運で、北区から荷物が届くと言う。前日にロシアに旅立った兄夫婦からのものだろう。一〇時一五分頃になるけれど都合は大丈夫かと言うので了承し、連絡が遅くなってしまってすみませんと謝られるのにはとんでもないと受けて電話を切った。そうして母親に知らせると、布団が来るのだと言う。それから日記を綴っていたが、前日の記事を仕上げてブログに投稿したところで天井が鳴ったので上がって行ってみると、荷物が来たので開けてくれと言う。それで玄関に向かうと大きな段ボール箱が山と積まれてあった。そのうちの「ヒーター」と記されたものを居間に運び、母親と協力してガムテープを剝がして開封する。ヒーターを包んでいたビニールも取り払って機械を外に出すと、こちらは残りの段ボール――布団の入ったものが二つ、マットレスが一つ、それにゴミ箱が一つ――を苦労して元祖父母の部屋に運び込んだ。そうして自室に戻ってブログに記事を投稿し、ミスがないか読み返していたところでふたたび呼ばれて、何かと上がっていけばヒーターの使い方がわからないと言う。こちらだってそんなことは知ったことではないが、電源らしいマークの書かれたスイッチを押すと問題なく動作した。タイマーなど、それ以上の使い方はわからなかったがまあ良かろうというわけで戻ろうとすると、階段に足を掛けたところでちょっと、ちょっとと呼び止められる。何だよ、俺だってやることがあるんだよと笑いながら戻ると、ヒーターの入っていた段ボール箱をやはり運んでほしいということだったので、それも元祖父母の部屋に入れて重ねておいた。部屋のスペースはかなり占領されている。そうして自室に戻り、ここまで綴るともう一一時一一分。BGMはEric Dolphyの"God Bless The Child"をリピート(『The Illinois Concert』)。
 それからMさんのブログを読み、さらに一年前の日記も読み返した。そうしてまた二〇一六年八月二六日の日記を読んでいる途中で、ふたたび母親に呼ばれる。両親の寝室に行くと、押し入れのなかにある木製の棚を取り出して欲しいと言う。それでこまごまとしたものが雑多に置かれているその奥に横倒しになっている棚を掴んで取ろうとしたところが、持ち上がらない。あまりに重いのではなくて、その右側にももう一つ別の黒い棚があり、それと噛み合ってがっちりと嵌まり込んでしまっているためになかなか動かないのだ。母親と協力しながらがたがたと揺すぶって、摩擦によって引き絞った鳥の声のような音を立てさせながら何とか取り出すことができた。それを上階に運ぶのは、南窓の前に棚を二つ置き、その上に板を渡して簡易なテーブルのようにして、景色を眺めながらものを食べたり茶を飲んだりできるようにしたいという目論見らしい。それでもう一つの棚は兄の部屋にあるものを取りに行くのだが、母親がその棚に入っていたCDを取り除けているあいだにこちらはそこに置かれていたギターを取って適当に弾きはじめる。「楽曲未然の定かならぬ旋律」(三宅誰男『亜人』、九四頁)を、自分の口でも口ずさんで合わせながら適当な、乱雑な、拙いアドリブをしばらく行い、それから棚を上階に運んだ。あとは板であるが、これは工具などが雑多に保管されている家の横のスペースにあった。下の物置を通って外に出て、立て掛けられていた長方形の長い板を取り出し、母親が汚れを拭っているあいだにこちらはかつてはKさんの家があった隣家の敷地に踏みこんで、今は申し訳程度にシートの敷かれた空き地になっているそこに生えた草を踏み潰したりしていた。天気はひどく良く、思わず美しいという言葉で形容してしまいそうな空の澄明さと光の明るさである。そうしてから板を居間に運び込み、棚の上に載せてみたところが、それだと高さが高すぎることに今更気がついて、母親は大笑いしていた。徒労である。代替案として、プラスチック製の別のボックスを棚の代わりに置くことになった。そろそろ正午、蕎麦を茹でる用意をしながら件の物を運び、板を渡してみると今度はちょうどよい高さである。それでオーケーとなって蕎麦を茹で、一〇分ほど待っているあいだにこちらはもう、暖められたスティック状のチキンを三つ、つまみ食いする。蕎麦は鍋の底にいくらかくっついてしまった。横着して底の浅い平鍋で茹でたのがまずく、麺が踊らなかったのだろう。母親に麺を洗ってもらい、同じくおろしてあった大根と人参のサラダも皿に取り分けて、卓に就いた。蕎麦は池上製麺所というメーカーのものだったが、付属のつゆが結構塩っぱいものだった。しかしなかなか美味ではあった。テレビには里見浩太朗が出演していたが、そちらはほとんど見なかった。食べ終えて皿を洗うと外に出て、玄関前の掃き掃除を始める。北向きの家の正面にもまだ陽の通っている明るい昼日中である。穏和な明かりを受けながら細かい落葉を集め、林に捨てた。掃いていると隣家の勝手口の戸が閉まる大きな音が立ち、Tさんが出てきて同じように葉っぱを掃いていたが、顔を合わせなかったので挨拶はしなかった。屋内に戻り、二〇一六年八月二六日の日記を最後まで読んだあと、緑茶を用意してきてここまで綴って現在は一時過ぎとなっている。
 ベッドの上に乗って、爪を切った。BGMはEric Dolphy "God Bless The Child"。じきにフリージャズという単語からDerek Baileyのことが思い出されたので、彼の『Ballads』に音楽を変えた。Derek Baileyが多分ほとんど唯一スタンダード曲を演奏しているアルバムではないか。最初のうちはメロディを保っているものの段々と解体していく夢幻的なギターを背景に手の爪を切り、足の爪も切ってから今度は読書、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』。母親がベランダに現れた時点で干していた布団を入れ、しばらくすると枕のカバーとシーツを持ってきてくれたのでそれぞれ整える。そうして、読書の続き。最初のうち、何となく外気に触れたいような感じがしたので、Baileyを止めて窓を開けていた。風はほとんどないようで時折り棕櫚の木の葉がばたばたと、溜まった雨粒が一気に落ちて地を打つような連打を立てるのみである。そろそろちょっと陽も陰って肌寒くなってきたかなというところでじきに閉ざして、ベッドの縁に腰掛け、椅子の上に分厚い本を置きながら書見を進める。そのうちに約束の三時半が来るのだが――Mさんと久しぶりに通話をすることになっていた――三時半とは言ったけれど時差の問題があるよなと気づいていた。それでTwitterで、時差があるけれど今そちらは何時かと送り、返信を待つあいだふたたび読書をする。確か時差は一時間だったはずだから、四時半頃になれば連絡があるだろうと思って『「ボヴァリー夫人」論』を読み進めていたら、果たして四時二〇分頃になってメッセージが届いていた。時差のことはすっかり忘れていた、今は大丈夫かと問うので、オーケーだと受け、Skypeにログインした。そうして二時間ほどに渡る通話が始まるわけだが、その前に、『「ボヴァリー夫人」論』で気になった箇所を抜書きしておこうと思う。

  • ●50: 「ここでは、シャルルが、結婚によって多くの自由が享受できるはずだと思っていたにもかかわらず、「細君の天下になった」(Ⅰ-1: 22)と書かれているように、その新婚の日々にうんざりし始めていたことを指摘しておけば充分だろう」――とあるのだが、蓮實重彦の依っている山田𣝣訳の該当箇所を確認してみたところ、シャルルが「新婚の日々にうんざり」していたことを示すような心理的な描写は自分には見当たらない。「細君の天下になった」という一節からは「うんざり」というシャルルの気持ちは読み取れないのではないか? 勿論、シャルルが結婚した「デュビュック夫人」は、シャルルの話し方や衣服を指図したり、「孤独に堪えかね」ている彼女の傍につけば「わたしが死にでもすればいいと思って見に来たんでしょう」などという言葉を吐くような性分なので、シャルルがそうした結婚生活に「うんざり」しているだろうということは容易に想像がつく[﹅5]のだが、しかしテクストにそうはっきりと書き込まれてはいないし、そうしたシャルルの「心理」を類推できる記述も自分には見当たらないように思われる。
  • ●51: 「「ボヴァリー若夫人」は、(……)ルオー老人の家に若い娘のいることを知り(……)その経済状態にいたるまで克明に調べ上げて夫をうんざりさせ(……)」――同上。
  • ●53: 「だが、ここで見逃しえないのは、彼女が第一の「ボヴァリー夫人」の息子に、期待していた結婚生活への漠たる不満と失望を味わわせていることだ」――「漠たる不満と失望」。同上。
  • ●57: 「だが、無知からにせよ、忘却によるものにせよ、『ボヴァリー夫人』における「ボヴァリー夫人」という「言表」の「指示対象」の例外的な複数性に無自覚なまま、もっぱら規則性――さまざまな異なる表現が、意味や客観的な機能の違いにもかかわらず、同じ個体を指示するものとみなされねばならない、等々――に言及してしまう不注意な理論家の存在は、「フィクション」論的な言説に対する一般的な疑惑を深めさせるに充分である。あるいは、「テクスト的な現実」に無自覚な者には、フィクションを論じる資格などないとさえいうべきだろう」――「「テクスト的な現実」に無自覚な者には、フィクションを論じる資格などない」。手厳しい。
  • ●57: 「その疑惑は、作品の「テクスト」の意味作用を、想像力という不在のスクリーンに「フィクション世界」として投影することで役割を終える表象作用に還元し、その基盤としての語の存在、文の存在――それが「テクスト的な現実」にほかならない――をあからさまに無視する姿勢に触れたとき、さらに深まる」――「その基盤としての語の存在、文の存在――それが「テクスト的な現実」にほかならない」。簡潔な定義。

 そうして通話。久しぶりである。前回話したのは確か昨年の四月、こちらの頭がおかしくなって、三月の終わりに発作を起こしたそのしばらくあとだったように思う。実際に会ったのは二〇一六年の一一月が最後である。そう言うとMさんは、そんなに前だったかと驚きながら、トランプが当選した時だと口にした。最初のうちはこちらの病気のこと、それが治癒してきて良かったねという話をした。結局、鬱病だったのかと訊かれたので、自分としてはあまり実感はなくて結局のところはわからないと言いつつ、一月から三月まで自生思考が甚だしくて、そのあたりまではパニック障害が残っていた、しかし三月の終わり頃から何も感じないな、感情がなくなったなと気づき、四月以降、鬱病の様態に変異していったと経緯を要約した。こちらの自生思考について三宅さんは、一年前に話した時にはパニック障害のせいで通常人間が普通に行う物思いが「恐怖の対象」になってしまって、それで過敏になっているのではないかとちょっと思ったと話したが、あれはそうしたものとは明確に違っていたのだとこちらは答える。とにかく言語が高速で[﹅3]頭のなかを流れて行く、沸き返る、奔流を生起させる、そういった類の症状だった。この時は話題にするのを忘れたが、それで言えば二月頃には「殺人妄想」とこちらが呼んでいるような現象も起こっていた。朝目覚めた時など、頭のなかに「殺す」とか「殺したい」とかいう言葉が勝手に湧いていて、しかもその対象として想定されているのが一緒に住んでいる両親だったものだから、当時は自分は本当に無意識のうちに人を殺したいという願望を抱えているのではないか、両親を憎んでいるのではないか、本当に人を殺してしまうのではないかなどと考えて恐怖したものだ(料理のために包丁を握るたびに、「これを使えば人間を殺せるのだよな」という不健康な独語のような思考が頭のなかに浮かび上がるものだった)。それでもそうした「妄想」に飲み込まれなかったのは、そうした現象に襲われている自分を対象化し、切り離して観察することができていたからで、これはそれまでヴィパッサナー瞑想や書くことを訓練してきた習慣の賜物だったと言えるだろう。
 薬について。薬を変えてそれで具合が良くなったとか、きっかけみたいなものがあったのか問うので、それについて話す。薬は、三月頃にはアリピプラゾール(エビリファイ)という、いわゆる統合失調症に使われるもので自生思考を抑えるというものを飲んでいたのだが、その当時はあまり効かなかった(これは今も飲んでいるが、果たして効果があるのかやはり不明)。夏頃にそれまで色々飲んでいたものからクエチアピンというのに変えて、それで本当にそれが効いたのかそれとも自然治癒だったのかわからないけれど、ちょっと具合が良くなった、それで日記も一時書けるようになった。しかし今と違って楽しいと感じられず、また止めてしまったのだ。その後一二月の頭あたりから、セルトラリンジェイゾロフト)という、いわゆるSSRIセロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれているタイプの抗鬱薬を飲みはじめた。これも最初のうち、あまり効果がないように感じられたのだが(今年に入ってから飲んだ精神科の薬は全体的に効果の実感が稀薄である――パニック障害で長く薬剤を飲んでいたので、あまり効かないような身体になってしまったのだろうか)、Mさんはそれに対して、SSRIというのは二週間だか飲まないと効果がないというやつだろうと言うので、さすがによく知っているなと思った。それで確かに飲みはじめてから数週間経った一二月の後半から、また日記を書き出すことができたのだから、もしかするとこの抗鬱薬が効いたのかもしれない。
 日記について。日記を再開するにあたっては小さなきっかけとなった出来事があって、図書館で西村賢太の日記を読んだのがそれだと話す。Mさんもインターネットかどこかでちょっと読んだことがあると言った。いかにも日記って感じのだよねと言うので、簡潔な、簡易な、と受けて、しかしそれを読んで、自分もこのくらいで良いではないかと思ったのだ、それでも毎日続けられれば大したものではないかと思ったのだと述べた。それで初めのうちはあまり書けなかったのだけれど、段々と記憶を思い起こせるようになって、頭が働くようになってきて今に至るというわけだ。
 Mさんの『亜人』について。大傑作である、素晴らしい才能の産物であると伝える。今回読んでみて感じたのは、この作品が非常に「物語」しているということで、以前読んだ時は文体の稠密さについていくので手一杯で気づかなかったのだけれど、物語としてもかなりのリーダビリティを備えているということだ。そこから派生したのだったか忘れたが、保坂和志蓮實重彦についての話があった。保坂和志あたりはかなり無造作に、「物語」なんていらないと言っているが、蓮實重彦は「物語」を批判しながらも、抽象的な言葉遣いではあるがもっと繊細なことを言っていると。そもそも、小説に物語がいらないなどと言ったところで、「物語」のない小説を書くことなど不可能なのだ。意味のまったくない詩を書くことが不可能なのと同じで、どうあがいても、事後的に「物語」=「意味」は生産されてしまう。蓮實重彦が語っていたのは、そうした「物語」から人間が逃れることは不可能だけれど、そのなかでそれが一瞬揺らぐ瞬間がある、一瞬「物語」の安定的な支配が破れる刹那があるということだろうと。こちらの感じでは蓮實重彦という人はむしろ物語が好きな人間だと思う。ただ、それを杜撰に扱うというか、それに対して適した読み方をしないということに対しては非常に手厳しいのだろう。つまりは小説=物語が言語からできているということを忘却している者に対しては批判の手を緩めない。上に引いた言葉をもう一度引けば、「「テクスト的な現実」に無自覚な者には、フィクションを論じる資格などない」ということだ。
 さらに『亜人』について。読んでいてEric Dolphyを連想したと伝えたところ、実際、Mさんが『亜人』を書いていた二〇一一年頃、彼はDolphyをよく聞いていたと思う、と言うので、マジですかと興奮して笑った。Ornette Colemanとか、Dolphyとか、Cecil TaylorAlbert Ayler、後期John Coltraneあたりのフリージャズをよく流していたらしい。そのなかでもDolphyという人はちょっと特殊で、フリージャズに成りきらない、完全にフリーの方向に行ってしまうのではない、かと言ってモダンのハードバップに流れるわけでは勿論なく、そこからは完璧に外れた演奏をする人である、そのようにして二つの形式のあいだを潜って行く、あるいは境を越えて一刻ごとに両界を行き来する、そうしたところが『亜人』やムージルに似ていると話す(MさんはFive Spot Cafeでの音源が好きだったらしい)。と言うのは、彼らの作品というのは明らかに通常の物語の枠に収まるものではない、つまり普通の物語的な論理を越えており、因果関係が見えないように[﹅7]なっている(「啓示」の「強度」によって出来事が連なるようになっている)、しかしだからと言って、例えばヴァージニア・ウルフの『波』のように、ほとんど散文詩のような方向に振り切れてしまうのでもない、因果の連なりの見通せなさを脇に置くならば、きちんと物語としての脈絡を備えている、そうした独特の、境界線上を行く点がDolphyに似ているのだと、そういうことだ。
 また、『亜人』。Mさんの知り合いでWさんという人がいて、この人は平倉圭のセッションに参加していた人だと思うが、彼も『亜人』や『囀りとつまずき』を評価してくれている方だけれど、彼の評言として、『亜人』は絵画みたいな小説だというのがあったと。つまり順序がない、しかしこことここが対応しているということは言える、と言うかそう言うことしか出来ない、それは絵画に順序というものがなく、しかしこの線とこの線が対応している、この色とこの色が共鳴している、そのように鑑賞できるのと同じだと。この評言にはこちらも頷いた。
 さらに、『亜人』。こちらがTwitterやブログに載せた『亜人』の読み(音楽の比喩の部分が作品自体の読み方を示唆しているのではないかということが一つ、館の大広間を行く亜人の描写が、その性質と調和的に書かれているのではないかという点が一つ)は合っているのかと問うと、Mさんが考えていたことをほぼ忠実に代弁していると。それで良かったと安心し、自分の読みもそこそこ大したものだなと思ったのだが、ただ、書いている時にどこまでMさん自身が意図していたかは曖昧だと言うか、『亜人』はほとんど奇蹟(ムージル的な語彙!)のようにして「書けてしまった」作品なのだと言う。勿論書いている時に、細部としても物語としても隙のないものを作ろうとは思っていたけれど、書きはじめた当初は大枠しか決まっていなかった。そもそも初めは、あれはムージルの「ポルトガルの女」に最もインスパイアされている小説だが、それを日本の中世を舞台に翻案しようと思っていたのだと言う。しかし、そうなると歴史の知識が必要で面倒くさいから(ちなみにこの点はあとで、磯崎憲一郎が『往古今来』のなかで、「ポルトガルの女」のケッテンの描写を明らかにもとにして武士の描写をしているという話があった。「ポルトガルの女」を読んだ者だったら、「一〇〇パーセントわかる」とMさんは強調していた)却下し、好きだったゲーム、『クロノ・クロス』の世界観を借りようと。「亜人」も一番最初のうちは出てくる予定がなくて、『クロノ・クロス』のなかに亜人(Mさんの生み出した「亜人」とは違って、普通に喋ったりするらしいが)が登場するのに影響されたりしたのだと言う。だから自分が配置した比喩や意味の要素を完全に自分で統御しきっていたわけではない(そもそもそんな作家は存在しないのだけれど)、『亜人』は書いていくうちに、自ずと諸要素が照応していって、言わば「書けてしまった」ものなのだと。
 こちらの指摘で言うと、Mさんが最も驚いたのは「まなざし」の出現頻度の高さだったと言った(数えてみたが、全篇で二七回出てきている)。今書いている『双生』にも「まなざし」は頻出して、それは自覚的に狙いを持ってやっているのだが、『亜人』の時に自分がそんなに「まなざし」という語を書きこんでいるというのは意識していなかったと言う。作家が自分で気づいていないこと、把握していなかったことを指摘することに批評の生命があるのだとしたら、こちらもそこそこの批評眼を持っているのかもしれないが、しかし実際のところ、そこから別の大きな考察に繋がるような大した指摘ではない。こちらがやったのはただ数を数えただけのことである。
 『亜人』の話はまだ続く。三一頁から三七頁の完璧な記述を除いて、こちらが良いと思った記述は三つあるのだが、それを順番に話した。一つは二四頁の、「鈴の音ひとつ許さぬ白々とした静寂が昼もなく夜もなく降りしきる大広間」。これは音調(意味のリズムも含む)がほとんど完璧である。もう一つはその次の頁の、「さしずめ逃げ場のどこにも見当たらぬ不気味にはなやかな閉塞感」。ここは体言止めで読点を置いているのが巧みなリズムを作っており、非常に上手いなと思ったのだが、Mさんは一時期、体言止めが嫌になったことがあったのだと言う。それは名詞で停めると停滞感が出るとか、とこちらは受けたが、何だか良くわからないけれどとにかく体言止めを使いたくなくなった、それが解除されたのが『囀りとつまずき』の時期で、あの作品では何度かこの技術を用いているのだが、『亜人』にもそれが出てきていたということにMさんはちょっと強い印象を受けている様子だった。最後の一つは一一一頁の、「既知の急所に産みつけられた純粋無垢な害意」という表現で、グロテスクな虫の卵を思わせるような言い方が「害意」という語と結合しており上手いなと思ったのだったが、Mさんはこの箇所を覚えていなかった。なかなか彼の記憶が蘇らないので、こちらは電話越しに、その少し前から音読した。すると箇所はわかったようだが、やはり先の一節を自分が書いたということは言われるまでまったく記憶になかったようだった。むしろ覚えていたのはその直前に出てくる、「生涯をかけて積みあげてきたものから無理な中抜きをしとげてみせる」という部分の「中抜き」の語で、これは金子光晴の、講談社文芸文庫から出ている『詩人』という自伝(だったと思うが)のなかで似たような表現があって、そこが非常に嵌まっていたので自分も使ったのだということだった(この著作をMさんは、今まで読んだ散文のなかでベスト五に入るかもしれないと絶賛していた)。こちらの音読を聞いた彼は、俺、描写くどいなと笑ってみせた。確かに結構長々しく読点で繋いで、執念くと言いたいような、執拗な感じがあるかもしれない。
 『亜人』についてはそのくらいだろうか? また思い出したら書こう。『亜人』の次は多分、ムージル『三人の女』について話したのではないか。まずは「ポルトガルの女」。Mさんが大好きな作品である。彼は最後の、ケッテンが「気ちがいじみた、自殺にひとしい考え」に取り憑かれて、「城の下にある登攀不能の岩壁」を、よじ登ることが不可能なはずのその断崖を上ってしまうあの場面がとても好きで、印象的だと言った。あそこは印象的ですね、とこちらも同意しながら、こちらには気に掛かっていることがあった。と言うのは、「猫」のことで、終盤、ケッテンが「ポルトガルの男」を殺しに行こうと崖をよじ登る前、それまで城で飼われていた猫が従者の手によって殺される。そこには、「三人の誰もが、(……)この小さな猫にやどっているのは、自分自身の運命なのだ、と思わずにはおられなかった」と書かれており、さらには、「どうしようもないでしょう」と「ポルトガルの男」が口にするのに続けて、「このことばは、いった当人にも、われとわが身にくだされた死刑の判決を承認したようにきこえた」と書き込まれている。ここを読むと猫が殺されるということが「ポルトガルの男」の殺害をも暗示しており、それを予感した彼は月が出るとともに出立して殺されるのを回避した、という風に読みとれてしまうように思えたのだ。Mさんはこの部分には注目していなかったようだった。それでこちらのブログにアクセスしてもらい、該当の箇所を読んでもらうと(一月八日の記事の後半の、三〇七頁について言及している箇所を参照してほしい)、Mさんの考えでも確かに、そのように読み取れるとのお墨付きが下った。だがそうすると、合理的な論理を越えているはずのケッテンの行動の非合理性(と言うよりは、超 - 合理性か)が薄まってしまうように感じられて、こちらはその点がちょっと勿体無いなと思ったのだった。ちなみに今、改めて三〇七頁の該当箇所を見てみると、段落の最後に「ポルトガルの女は従士にいった、猫をつれておゆき」とある。これを「ポルトガルの女」が猫の殺害を指示したと取るならば、そして猫の運命が「ポルトガルの男」の運命をも暗示しているならば、「ポルトガルの女」がケッテンに男を殺すことを命令したとも読み込めるのではないだろうか?――と思うがいなや、しかしその前の文を見てみると、「彼[ケッテン]は壁のように蒼白な顔をしていたが、つと立ちあがって、出ていった」とあるので、おそらくケッテンは「ポルトガルの女」の指示を聞いていない。そうすると先の読み込みは成り立たないか? いやしかし、物語内容のレベルではケッテンはその声を聞いていなくても、テクストのレベルではそうした論理が成立するのではないか? わからない。
 Mさんは「ポルトガルの女」のなかでは序盤の、城やその周辺の環境が描写される部分も好きだと言った。あの精霊の国とか、とこちらが受けると、そうそうと応じて、魔神とかと言い、さらにそのあと、巨大な岩に覆われた荒涼とした風景が広がる(「これはそもそも世界の名に価しない世界だった」と書かれている部分だ)、その執拗さが印象的だったのだと。普通の書き手だったら、「精霊の国」とか「魔神」を書きこんだところで、人間の住む世界の限界ということで終わらせてしまう、しかしムージルはさらに描写を加えてその先にまで行くのだということだった。
 「グリージャ」について。「グリージャ」は「奇妙な」篇、ムージルは『三人の女』のなかではどの篇にも「奇妙な」という形容詞を必ず使っているが、そのなかでも「グリージャ」はまさしく「奇妙な」と言うに値する篇だとこちらは話した。こちらが最も変だなと思ったのは、六つのエピソードが一つの段落に詰め込まれているところで、しかもそのあいだの文量の配分がまるで不均等なのだ(例の山の上の牧場で寝そべっている「牛」の風景が書かれる段落だが、そのあとの挿話など、たった一行で、まるでそっけなく終わらせられている)。そうした時間的な秩序に応じて段落を変えずに、書けるところまで書き継いでしまうというのは、磯崎憲一郎ムージルから受け継いでいる部分である。この時だったか忘れたが、Mさんが語るには、「グリージャ」や「トンカ」は作りが粗い、しかし粗いなかに色々な技術の発明が含まれている、それをデフォルメして使っているのが磯崎憲一郎だったり、古井由吉だったりするわけだけれど、やはりそうした「発明家」としての開拓者の役割は凄いということで、それに続けて、洗練させることは誰でもできるが、発明することは難しいと言われたのが印象的だった。「洗練させることは誰でもできる」には、なるほど、と頷いたものだ。
 「グリージャ」でもう一つ、こちらが変だと思ったのは、干し草を運ぶ娘の姿が描かれたあと、段落の最後に至って「それともこれは、グリージャではなかったか?」と付け足される箇所で、ここもMさんにはこちらのブログを参照してもらい(一月八日の記事の前半、二八一頁から二八二頁の箇所である)、読んでもらった。こういう疑問の投げかけを読むと、語り手が物語の全域を把握しているわけではない、物語に語り手の見通せない部分が含まれていると感じられるとこちらが言うと、Mさんはそれを受けて、こうした疑問の効果には二つある、一つは記述の流れをそれまでとは変え、意味の広がりを作り、記述の風通しを良くすること、もう一つはこちらが言ったように、語り手の信頼性を動揺させることだと言った。それで言うと、ムージル磯崎憲一郎はこうした疑問の投げかけのみならず、エクスクラメーション・マークを用いた感嘆も結構使う。そうした疑問符や感嘆符を用いた技法の役割はしかし個々の箇所において様々で、時には感嘆だったり、時には反語だったり、時には語り手にも答えのわからない疑問だったり、時には自分の語る物語に対して自己自身で「突っ込み」を入れるかのような声だったりするのだが、そのようにして非人称的な「語り」と、人称的である意味では「感情」、そして「自意識」といったようなものを時には持ち合わせているように見える「語り手」とをスイッチするのがムージルは非常に上手いという説明があった。これにはなるほど、と頷かれた。
 その他、「合一」についてなど。「合一」の二篇はまるで訳がわからない文章で書かれているわけだが、あれは人間の心情の機微、心理の襞、そういった本来は分解できないものの作用をまさしく微に入り細を穿つ形で解剖し、微分し、その果ての言語化できない、それ以上微分できない領域を追究したものだろうと。そしてここからはこちらの理解になるが(と言うか今まで書いてきた部分も勿論、こちらの理解した限りでの不正確な要約に過ぎないわけだが)、そうしたそれ以上微分できない果てで、しかしその先を書き継ぐ、そこにさらなる変化を呼び招くために導入される語が、「いきなり」とか「不意に」などの「突然」の意味素なのではないか。そんな話をした。「合一」の二篇では「愛の完成」は、無論難解だけれどそれでもまだしも読めるもので、しかし「静かなヴェロニカの誘惑」のほうはまるで歯が立たなかった。あれはしかし、小説としてはどうなんでしょうね、とこちらが呟くとMさんは、いや、小説としては駄目でしょ、と笑う。やはり『三人の女』のほうが「小説」としては、優れていると言ってしまって良いかわからないが、しかし古井由吉も凄まじい仕事をしたものだ。彼があれを訳したのはまだ三〇くらいだった頃、本人もどこかで、あれは若さの勢いに任せたからできた仕事だと語っていたとそんな話題もあった。この時話したのかどうかわからないが(と言うか、会話の流れを逐語的に、本来あったがままに再構成するなど勿論不可能なので、必然的に思い出した順での記述にならざるを得ない)、Mさんが『ムージル伝記』を読んで得られた彼の伝記的な情報についても語られた。それによるとムージルは理系から文学方面に移るなどして結構長く大学に籍を置いていたのだが、そのなかで金を得るために書かれたのが『テルレスの惑乱』である。金のために書いてあれだけの作品が作れるのも凄いと思うが、この『テルレス』が当時結構好評を受けて、それで味を占めたムージルは文学のほうで身を立てることを決意し、次に言わばまあ自分の本気を見せてやるかというわけで書かれたのが「合一」の二篇だったのだと言う。確かにあれは本気も本気、本気すぎてほとんど狂気に近いまでの、気違いじみた本領発揮だが、ムージルはしかしあれで世の中に受け入れられると思っていたらしい。そんな訳がない。あんなものが受け入れられる世の中はないですよとこちらが笑うとMさんも、俺も『伝記』を読みながら何度も突っ込んだもんな、阿呆ちゃうかって、と。それでもこの日本に古井由吉という人間がいたのだ。あの気違いじみた作品を翻訳しようという人間がこの現代日本に存在していたのだ。これはほとんど奇跡的なことではないだろうか?
 こちらが最近読んだ後藤明生について。『後藤明生コレクション4 後期』を読んだわけだが、後半のほうの、大阪の街を歩き回る篇が、地味だけれど何だか良かったとこちらは言う(勿論、「蜂アカデミーへの報告」も良かった)。(後藤明生小島信夫を目指していたのではないか、という話も出た。小島信夫が天然でやっていたところを、後藤明生は理性的にやろうとしたのではないかと。そういう見立てを話したあと、Mさんは、天然には勝てんわな、と言って笑ってみせた) 力の抜けた感じ、と訊くので、そうかもしれませんと答えると、力の抜けたで言えば庄野潤三をおいてほかにはないとMさん。まだ正式に読んだことは『早春』しかないが、図書館で立ち読みなどした限りではこちらにもそれはわかる、晩年の庄野潤三はほとんど日記のような、まったく何の文学的修飾や野心もないような、そのような文章を綴っているのだ。あれはほとんどヴァルザーだとMさんは笑った。そのあたりの、晩年の彼の作品も読んでみたい、こちらは、「ただ書く」ことに最も近付いた作家があるいは彼ではないかともちょっと思っているのだ。また、庄野潤三の娘として今村夏子の名が上がったが、この情報はデマであるらしかった。デマと言うか、庄野潤三の娘は確かに今村夏子という名前らしいのだが、それは同姓同名の別人で、作家今村夏子は別にいるということのようだ。Mさんは彼女の作品では『こちらあみ子』と『あひる』を読んだと言って、どちらも結構良かったらしい。
 さらにはMさんがムージルと同じくらい敬愛しているフラナリー・オコナーや、キャサリンマンスフィールドについてもちょっと話した。オコナーはMさんは今、The Violent Bear It Awayを読んでいるのだが、これは翻訳の『烈しく攻むる者はこれを奪う』でこちらも読んだことがあるものの、佐伯彰一の翻訳はとても素晴らしいとは言えない日本語だった。ほか、昨年に復刊されたちくま文庫『フラナリー・オコナー全短篇』上下巻があるが(これもこちらは昨年の三月に読んだが、当時は頭のおかしくなっている時期だったので、あまりぴんとこなかった。今読めば違うだろう)、Mさんの評価ではこちらの翻訳もさほど良くはない。一番良いのは、長篇作品『賢い血』などを訳した須山静夫の訳であると。この名前にはこちらもMさんがオコナーを読んで以来注目していて、それで行きつけの古本屋でフォークナー全集の『八月の光』を見つけた時に、訳がこの人だったので買い求めて今手もとに置いてあるのだ。そんな話もした。
 『亜人』について思い出したので書き加えておきたいが、完璧と思わず言ってしまいたいほどに隅から隅まで磨き抜かれているこの作品のなかで、唯一苦言を呈する部分があるとするならば、それは「迷宮」のなかに出現する「魔物」たちである。シシトが迷宮探索をする時に、「正体不明の影」が見えたり、「金切り声」が聞こえたりするところまではまだぎりぎり大丈夫かもしれない、しかし、「骸骨」とか、「腐乱死体」とか、「軟体生物」とか、具体的に形を持った姿で「魔物」たちが描かれてしまうとこれは話が変わってくる。この点は刊行当時にMさんの知り合いのAさんも指摘していた部分で、そのような「モンスター」が存在している世界だということが描かれてしまうと、まさしく半ば「モンスター」、「亜人」と化してしまうシシトの「変身」の強烈さが薄れてしまうのではないかと。慧眼だと思う。今回こちらが読んで感じたのは、モンスターたちの存在によって迷宮の「謎」性が薄れてしまうという点だった。「亜人」の幽閉されていた牢屋から見つかった「迷宮」は、「亜人」と同じくほとんど純粋無垢な「謎」でなくてはならないはずなのだ。しかしその点はMさんも書きながら気づいていたことで、作品の調和を乱すことになるとわかりながら敢えてそれを書きこんだのは、言わば『亜人』の元ネタとなった『クロノ・クロス』への、引いてはRPGゲーム全体へのオマージュなのだということだった(こちらは読んでいて、明確に『ドラゴンクエスト』を連想した)。もう一つオマージュ先となっているのはカフカで、「迷宮」探索の一行として出現する「詩人」――「バベルの竪穴」という言葉を口にする――はカフカをその参照先としている。これらの二点に関しては、繰り返しになるがMさんも作品の完成度の瑕疵になり得ると自覚していながらそれを承知で書きこんだのだということである。
 こちらが最近読んだものの話に戻ると、ローベルト・ヴァルザー『助手』があるのだが、これはまだ日記を再開してもいないし、調子が完全には戻っていない頃だったので読んでいてあまりピンとこなかったのだ。Mさんは、ヴァルザーはまるで中身のないスカスカな文章を書くが、そのわりに自然の描写は豪華だったり(「幻想的」とこちらは言い添えた)、ちょっと格好の良いアフォリズムが書かれたりしていて、そのアンバランスさが独特で、あんな風に書ける人間は彼以外にいないと言った。ローベルト・ヴァルザーはこちらが最も敬愛している作家と言っても良くて、そのわりに『族長の秋』『灯台へ』に比べて彼の作品は何度も読んでいないがまあこれから読むだろう。作品もそうだがこちらは彼自身の、散歩が好きだったところとか、精神病院に入ってまでも書くことを止めなかったところとか(もっとも、いわゆる「ミクログラム」の時期を終えてからは確か二〇年間かそこら、死ぬまでヴァルザーは筆を断っていたようだが)そういうところが好きで、今よりもナイーヴだった二〇一四年、二〇一五年の頃には彼のことを考えて一人で涙することもあったものだ。そういうわけでこちらのTwitterのアイコンもヴァルザーの写真にしてしまった、とそんなことも話した。ヴァルザーで言うと昨年の一一月頃だかに、『ヴァルザー - クレー詩画集』というのが出て、結構気になるものであり、これまでに訳されていないヴァルザーの詩が含まれているのだとしたら是非とも欲しいが、クレー自身がヴァルザーを好きだったのだろうかという話になった。しかし、Mさんがその場でインターネット検索したところでは、どうもそういうわけではなく、編集者の独断でこの二人の作品を引き合わせたということらしい。
 翻訳について。ヴァージニア・ウルフの翻訳をしたいというこちらの野心を話す。まあ実際に出来るとしても英語を読んで能力を身につけるのにあと一〇年、実際に翻訳するのにさらに一〇年というところだろうが。ウルフの作品は、一応全集(『著作集』だったか?)も出てはいるけれど、エッセイなど有名なものしか訳されておらず、書簡も訳されておらず、日記は一部のみである。そうした文化的後進性とも言うべき状況を何とか改善したいと、一人で(と自嘲の笑いを漏らし)、一人で思っていると。そこから中国語の話にもなった。Mさんも中国に渡って中国語を勉強しているわけだが、日常会話のレベルで止めておくか、それとも文学作品を読めるまでに能力を涵養するのか迷うところがあると。後者のほうを取る場合、残雪や莫言など読めるのは良いが、中国四〇〇〇年の歴史はとても深いはずで、古代の漢詩などに興味を持って読むようになってしまったら戻れなくなりそうで怖いと。それでちょっと迷うと言うのだが、まだ見ぬ作家を発掘するべきですよとこちらは言っておいた。
 中国の話。学生たちとはブログを読む限り非常に良好にやっているようである。大学は鉄の柵で囲まれており、近くの商店街まで出るには正門を通って大回りしないといけないのだが、誰かがその鉄柵を壊して近道を作るのだと(Mさんはそれを「VPN」と呼んでいる)。そのあたり学校側と学生との、あるいは近隣住民とのいたちごっこで、学校当局は勿論その破壊箇所を修復するのだが、しかし修復されてもまたすぐに誰かが新しい穴を開ける。学校側も一度直しておけば一応面子が保たれるというか、我々は対応策を取ったという体裁を装うことができるので、長期休暇中など一度直しはするのだが、学期中は大概黙認されているらしい。この小さな挿話が、まさしく中国全体の政治的・文化的環境の構図をなぞっている、その象徴的な縮図となっているとMさんは笑っていた。
 中国人が最近日本を好きになってきているのではないかという漠然とした話もした。人民日報などで最近、日本人のマナーは素晴らしいとかそういう趣旨の記事が多くなっているという情報を聞いたことがあったので、こちらがそのように話を振ったのだが、それで言えばMさんの勤めるKB学院でも、日本語学科の新一年生の数が増えているのだと言う。尖閣諸島付近で海上保安庁の船と中国船が衝突だか何だかして、「sengoku」何とかいう関係者によってその映像がyoutubeに流出したという事件があったと思う。確か二〇一一年か二〇一二年かそのくらいだったと思うのだが(あの事件のあとに尖閣諸島国有化の話が出たのだとすると、尖閣を国有化したのは確か野田政権だったはずで、野田政権は二〇一一年の九月に成立したからそのあたりだろう)、それで中国で反日抗議運動が起こった時期などは、と言うかそれ以来、それまで二クラスあった日本語学科のクラスが、一つに減ったということである。それが今年には復活して、あるいはまた二クラスに戻すかもしれないということなので、バロメーターとしては、少なくとも常徳の学校においては中国人の皆さんの親日度が上がっていることが観察されるのではないか。
 中国の学生たちは、日本語学科にいるということもあるのだろうが、皆アニメやゲームや声優が大好きだと言う。それには共産党の文化的検閲政策が関係していて、例えば中国のテレビで放送されているドラマというのはほとんど「抗日ドラマ」、日本側の言葉を使えば「反日ドラマ」で、その内容がおよそくだらないもので、日本人があり得ないほどの悪役になっており、中国人はあり得ないほどの善人として描かれているのだと。当然若い学生たちも、その質の悪さに気づいており、先生テレビ見たことないの、くだらなくて仕方ないよ、などとMさんに言うくらいで、まったく興味を持たないのだと言う。それで若者たちは代わりに日本のアニメーションに嵌まっているわけだが、中国当局も、テレビ局の制作するそうした「抗日ドラマ」が最近行き過ぎているということには自覚的で、もともと自分たちがそうしたドラマを作るよう指導しているにもかかわらず、近年ではあのようなくだらないドラマは作るなと新たな命令を下しているくらいらしく、この本末転倒ぶりにはMさんと声を合わせて面白い話だと大笑いした。アニメで言えば日本のアニメーターが中国に流れているという話もあった。日本で例えば月一一万くらいの薄給でやっているのだったら、中国に行けば日本円で月五〇万円くらい貰えるほどの仕事があるわけで、優秀な日本人のアニメーターは当然そちらに流出する。しかしだからと言って日本のアニメ業界は文句を言える筋合いではない、結局薄給で奴隷労働をさせてアニメーターをこき使ってきた結果として招いた事態なのだから。日本はもう駄目でしょう、とこちらが短絡的に口にするとしかしMさんも同意して、中国はとにかく人口が多いし経済的にも豊かになってきているから、党がもう少し検閲を緩めて文化的資本を投入すれば面白いもの、やばいものが出てくるに違いない、日本などそのうちに追い抜かれてしまうかもしれないと。三〇年くらい経つとそうなっているかもしれませんねとこちら。検閲で言うと、党の検閲があるにもかかわらずムージルマルケスなど訳されていて、やはりそういう人がいるんですねえとこちらもそれを聞くとしんみりと、感じ入るような声が出るものだった。『三人の女』も訳されているし、驚いたのは『特性のない男』も訳されていると言う(「合一」はさすがに翻訳されていないようだったが)。あれも確か近親相姦的な話だったはずだから、党の方針としてはアウトのはずなのだが、しかしそもそも検閲官がムージルなど読めはしないだろう、『特性のない男』を全部読む検閲官などいないだろうと笑い、そういう点では検閲はあるけれど抜け道もまた多くあるのかもしれない(この点に関連して、ナチス統治下のフランスで難解なレトリックや文体を用いる現代思想が発展したのは、やはり検閲という抑圧のなかでも文学や哲学というものを辛うじて伝えていくためだったという話も出た)。中国という国の文化的環境のなかで『特性のない男』を翻訳するとは、本当に並々ならぬ努力が必要だったことだろう。これもまた、奇跡的な話ではないか?
 交わした会話として今思い出せるのはそのあたりで尽きているようである。また思い出したら書こうと思うが、六時半(あちらの時間では五時半)が近づくとMさんが、学生らと夕食に行く予定があると言うので(五時四五分に待ち合わせだと言った)通話を終了させることになった。Mさんの予定では二月七日(祖母の命日だ)の夜行バスで東京に来て、三日間くらいは滞在するようなので、そこでまた会って色々と話を交わしたいものだ。それでありがとうございますと礼を言って通話を終えると六時半過ぎだった。Twitterを覗いたりしてちょっと経ってから、早速日記を記しはじめた。覚えているうちに書いてしまうのが肝要である。八時直前まで一時間半綴ったのだが、この時本当に時間が飛ぶように、一挙に零れ落ちるように過ぎた。それだけ書くことに追われたのだろう。八時を迎えて上階に行き、食事を取る。米、ベーコンハムや大根の葉の炒め物、蟹が入った薄味の野菜スープ、里芋の煮物、大根を酢などで和えたサラダである。席に就いて白米をちょっと頬張りながらあたりを見回すと新聞がないので、夕刊はと尋ねたところ、まだ取っていなかったと言う。それで席を立ってダウンジャケットのファスナーを上まで閉めて、外に取りに行ったが、戻って見てみても特に興味を惹かれる記事はなかった。食事を終えると抗鬱剤ほかを飲んで皿を洗い、父親が帰ってくるまでにと風呂に行く。湯浴みの前に洗面所で、電動の髭剃りを使って髭を剃った。そうして入浴、Mさんと交わした会話を思い返しながら湯に浸かり、出ると緑茶と、Butter Butlerのガレットを一つ持って自室に帰り、日記に取り組む。BGMは小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』(二度続けて流した)にFISHMANS『Chappie, Don't Cry』。二時間半を費やしてここまで綴り、現在は一一時半前である。
 Mさんのブログをふたたび読む。冒頭に引かれていた管啓次郎の言葉が良かったので、ここに再録させていただく。

 安定した秩序に巣くい、世界に居心地がよく、自分たちのことに充足し、翻訳をしなくても困らないものたちは、けっして翻訳なんかしない。翻訳をしなければ生きのびる道がひらかれないものだけが、執拗な翻訳を試みる。そしてただ後者、つまり絶えざる翻訳を生き方にくみこむ人々だけが、すべての人間をつらぬくある単純な事実に気づくことができる。それは「私とは、それ自体、無限の層をなしている」ということだ。
 あらゆるひとつのIの周囲にはいくつものiが、彼が、彼女が、きみが、あなたたちが、われわれが、かれらが、彼女たちが、そのすべての記憶を沈黙につつみながら立ち会っている。いいかえれば、私の位置をよく見つめれば見つめるだけ、そこには「歴史」が、そのすべての小さな物語群とともに露呈する。
 差異の場所としての私のからだ。
管啓次郎『狼が連れだって走る月』)

 この日記自体が世界の生成の動向の翻訳だという意味で、こちらの性質とは「翻訳家」なのではないかと昨日か一昨日あたりから考えているのだが、そうした自分の実感としても「私とは、それ自体、無限の層をなしている」という言には頷かざるを得ない。「無限」というものが単なる抽象概念でなくこの世界に実体的に存在するとするならば、それは世界そのものである(つまり自分にとってはこの世界自体が「神」のようなものだということだ)。そして、世界の極々一部、ごく微小な一薄片に過ぎないこの自分(そしてすべての人間)の内にもまた、無限の深みが存在しているに違いない。
 それからMさんのブログを読んでいるあいだ(もう夜なのに、FISHMANS "チャンス"に合わせて声を出した)に思い出した事柄をまた記しておく。まず日記について。Mさんの日記の営みをこちらも受け継いでいるわけだが、彼の日記は京都のラブホテルで働きはじめて以来、明確にその質が変化したという話があった。それは、同僚とのあいだで交わされた「会話」を克明に、忠実に記すようになったことだと。それはそれまでの言わば芸術的な自己閉鎖状態から脱して、他人と関わることの面白さを知ったからだ。それは今中国で日本語教師として働いていても同じことで、学生たちの交わしているアニメやゲーム、声優についての話には興味が持てないが、しかしそれを聞いて克明に記す、その営みには面白さがあると。それを聞いてこちらは、ジョイスみたいですねと言った。彼もまた、自分とは階層の違う労働者階級の人々との付き合いを終生止めず、「私にとって面白いと思わない人間はいない」だったか、不正確だが、確かそのようなことを言ったのだと聞いたことがある(これもまた、Mさんのブログに引かれていた、確か佐々木中のものだったのではないかと思うが、その文章から得た情報だ)。そして、Mさんがやっていた会話を克明に綴るというのは、岸政彦が『断片的なものの社会学』(というタイトルだったと思うが)でやっている「聞き取り」と言わば同じことなのだなと、あの著作を読んだ時に思った、という話もあった(自分はまだこの本を読めていない!)。
 書きながらどんどん別のことを思い出していくのだが、最初の方で、ブログを読む限り、Mさんは教師に向いていると思いますよと告げた時があった。授業準備など綿密にやっており、授業自体も通り一遍のものではなく工夫を凝らしてあるようなのでそう言ったわけだが、中国に行く前にも向いているとは言われていたけれど、やはりいざ実際に授業をしてみると勝手が違う、特に自分はそれまで人にものを教えるという経験がまったくなかったから、最初のうちはうまく行かないことが多くあったと。しかし、結局、やる気のない生徒はどれだけ教師側が頑張ってもやる気のないままであって、そういう生徒の反応を気にするのをやめよう、それよりもこちらの話を真剣に聞いてくれる生徒のほうを向こうと、そうしたことに気づいてからは少し心が楽になったという話であった。自分が今まで人間関係を築くにあたって確かな武器として通用してきたのがユーモアだが、日本語が通じないとその効力も発揮できない、それで自分は言語が通じないとこんなに無力なものかと実感したということも言っていた。
 『亜人』についてさらに。初期の『亜人』は今よりも文体がもっと息の長いものだったということだ。しかしムージルの『三人の女』を読み返してみて、意外と一文一文が短いということに気づき、削ったのだと。それでも『亜人』刊行当時のインターネット上の評価では、「息が長い」という言が多かったのを見て、これでも長いのだとMさんは思った。確かに今でもかなり長い部分はあると言うか、こちらが以前使った形容で言えば「迷宮的」なその文体的特徴は大いに保たれていると思うし、多分文学を読み慣れている人間にとっても、決して読みやすいものとは言えない文体になっているのだろう。そこにある言語を読む=食べるはずの読者が逆に喰われてしまうような、とそんな凡庸な比喩を使ってみても良いかもしれない。しかし、そうした一般的な動向との「ずれ」を自覚するのが遅れるあたり、Mさんは、自己客観の能力を通常以上に充分備えているはずのところ、妙なところで自己に疎い部分がないだろうか? このあたりについては多分Hさんなども賛同してくれると思う。
 Sさんについて。会話の終盤に至って唐突にこちらが、Sさんは『亜人』を読んだんですかねと尋ねた。読んだと思うが、当時はSさんとも繋がりがなく、彼がこちらのブログを読んでいるとも、こちらが彼のブログを読んでいるとも互いに知らなかっただろうから、感想は書いていないだろうと。それで、Sさんが『亜人』を読んでみてどう感じるのか、考えるのか、その感想を聞いてみたい、読んでみたいとそう告げた。Mさんは、彼はあまり「物語」は好まないのではないかとそのあたり懐疑的だったが、そして「物語」 - 「小説」の対立項、これはそのまま「語る」 - 「書く」のそれとして換言できると思うが、それを仮にここに導入するのだとしたら、Sさんのブログの記述を読む限り彼は確かに「小説」の人ではないかとこちらも思うのだが、しかしそれはそれとしてやはり彼が『亜人』に何を見出すのか、それを読んでみたいとこちらは強く思う。
 ここまで書いて零時過ぎ。FISHMANS『KING MASTER GEORGE』から"なんてったの"と"頼りない天使"を選んでリピートさせていた。前者のメロウさと来たら!
 自分のブログを読み返したり、今しがた書いたこの日の日記を頭からまた読み返したりして、一時を過ぎる。そうしてふたたび『「ボヴァリー夫人」論』。二時近くまで読んでいると、目が乾いてくると言うか、ややひりひりとしたような刺激が訪れるようになったので、一時五〇分に至って就床した。入眠に苦労はなかったようだ。

  • ●64: 「そこで、『ボヴァリー夫人』における「テクスト的な現実」にほかならぬ「エンマ・ボヴァリー」という記号の物質的な不在が、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という不注意な要約にくらべてあまりよく知られていないのはなぜかと問わざるをえない。端的に言って、人類は「テクスト」を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもないから、というのがその理由となろうかと思う」――「人類は「テクスト」を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもない」。笑ってしまった。「人類」という巨大で、いくらか大仰でもあるかもしれない主語の突然の登場。しかし確かにその通りだ。「人類」は、おそらく「物語」のほうは大好きだろうに。


・作文
 10:03 - 10:21 = 18分
 10:34 - 10:48 = 14分
 10:53 - 11:11 = 18分
 12:57 - 13:13 = 16分
 18:29 - 19:58 = 1時間29分
 20:54 - 23:23 = 2時間29分
 23:46 - 24:13 = 27分
 計: 5時間31分

・読書
 11:12 - 11:43 = 31分
 12:44 - 12:52 = 8分
 13:42 - 15:33 = 1時間51分
 15:40 - 16:20 = 40分
 23:23 - 23:45 = 22分
 25:14 - 25:47 = 33分
 計: 4時間5分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-1-09「耐えがたい比喩の悪臭だと言ったあなたが言ったわたしも言った」; 2019-01-10「異国語に神の残響聞きあてる晴れのち雨も雨のち晴れも」
  • 2018/1/11, Thu.
  • 2016/8/26, Fri.
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 30 - 71, 727 - 736

・睡眠
 2:00 - 9:00 = 7時間

・音楽