2020/5/5, Tue.

 食糧券だけではない。印章を盗んだり偽造文書の作成、承認書や証明書の不正入手をするなどは、日常的な事柄になっていた。もともと救援活動は非合法の地下活動であるとはいっても、こうした行動を彼ら[ユダヤ人救援グループ《エミールおじさん》のメンバー]はどのように考えていたのか。中心メンバーたちの会話を引こう。

 私たちが仕事を終えてほっと息をつきながら部屋で座っているとき、ファービアン(フレッド・デンガー)がいう、「犯罪者だという意識なしに犯罪者であることができるなんて、奇妙なものだ。ぼくの良心は一点の曇りもないよ」―「ぼくもさ」とフランク(ヴァルター・ザイツ)が応じる。「ナチの連中を騙すのは騙すことのうちに入らないよ。ただね、守るべき一線は守らなくちゃいけない」―「一線だって?」―「そう、道徳にかなうか反するかの境にあるきわどい稜線だ。もしそこで足をすべらせてしまうと……」(中略)「ほんのわずかでも利己的なことを考えたら――ほんのわずかでも自分自身の利益を得ようものなら――、われわれはもはや反ナチのパイオニアではなくヤミ屋だよ」「ただ純粋な目的だけが、純粋でないやり方を気高いものにするのだ」
 (ルート・アンドレアス=フリードリヒ『影の男――一九三八年から一九四五年までの日記』(邦訳『ベルリン地下組織――反ナチ地下抵抗運動の記録』))

 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、64)



  • 八時を過ぎたあたりで覚醒した。雲が散ってはいるものの、総体的には晴れの日である。膝で脛を揉みほぐしながら床に留まったのち、二度寝に陥ることもなく九時前に起床した。睡眠という名の悪魔に対する貴重な勝利だ。
  • 階を上がっていくと母親が昨日はごめんねと言ってきたが、何がごめんねなのかよくわからないし、仮にこちらに謝る必要性を課せられた者がいるとしたら、それは明らかに母親ではなくて父親のほうである。煮込みうどんで食事を取った。煮込みうどんは美味い。おそらくこの世の料理のなかで最も美味いものだ。
  • 暑い。最高気温は二五度だとか言った。夏のものに近い空気感があり、大気に熱が織りこまれていて立っているだけでも肌が薄く湿ってくる。しかし、午後からは雨になるという話だ。
  • 自室に掃除機を掛けた。ついこのあいだ埃のやつを駆除してやったと思ったところが、もう床の上にわだかまり蔓延っているのだ。この世の物理法則は一体どうなっているのか?
  • 昨日の悶着についてメモを取るのが面倒臭いと言わざるを得ない。書くことがかなり多いのがわかりきっているからである。
  • 陽の光と雨と風とは、この世でもっとも完全な平等主義者である。
  • 臥所に仰向けに転がって書見し、シェイクスピア福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)を読了した。解説は中村保男という人が担当している。この人はここに収められた解説文を読む限りでは、正直に言って、特に鋭い読み手ではないなという印象を受ける。例えば「特にシェイクスピア劇には、作品を分析し比較すればそこはかとなく消えてしまう何かが多分にある」(284)という一節などは、こちらとしては、単なる「偉大な天才」(284)及びその「作品」の曖昧な神秘化としか思えないし、このようなことを言うのだったらそもそも「解説」など書かず、何だかわからないけれどとにかくめちゃくちゃ素晴らしいので全人類が読んだ方が良い、という一言で終わらせれば済む話ではないか。第一、この人自身も一つ前の文で、「私たちはただその世界にひたりきればよいのである」(284)と明言している。ただ読み、ただ浸ればそれで良い、というわけなのだが、それならばやはり「解説」など大した必要性を持たないだろうし、あるいはそれを有効に機能させたいのなら、読者が「ただその世界にひたりき」るための手助けとなるようなものでなければならないはずだ。と言うか人間、文章を「ただ」読み、「ただその世界にひたりき」ることなど大方できないはずだから、どのように浸れば良いのかということを、例えば自分はこんな感じで浸りました、とか、こんな風に浸ってみたらどうでしょうか、という具合に例示して読者を導くようなことをした方が、この場合、「解説」として役立つものになるのではないか。ところがこの人は、上のようなことを言いながらも何故なのか、「両者の特質を浮彫りにするため」(284)に「これらの二つの「夢幻」劇の傑作を比較しようとする試み」(284)を企図しているのだ。そのくせこちらの見るところでは、実際には大して具体的な「比較」はしていない。
  • 最初に引いた一文、「特にシェイクスピア劇には、作品を分析し比較すればそこはかとなく消えてしまう何かが多分にある」(284)については、「分析」や「比較」によって「作品」のなかにある「何か」が「消えてしまう」という事態も、それがどのような出来事なのかこちらにはうまく理解できず、色々と考えてはみたのだが結局よくわからなかった。この文に直接続けて中村は、「それは単なる人工的なフィクションの世界ではなく、まさに真の想像力が生みだした有機的な創造世界なのである」(284)とも言っているので、そこから推測する限りでは多分、シェイクスピア作品は各部分が「有機的」に――つまり、緊密かつ複雑な相互関係を形成しながら――繋がってできているものなので、「分析」によって多数の部分に分割すると、その「有機的な創造世界」が破壊されてしまう、というようなことを考えているのではないかと思うのだが。ただ、このように理解したとしても、それがさらにどういう内実を表しているのかはこちらにはやはりよくわからない。こちら自身の体験からすると、「分析」が正しい形で成功すれば、「創造世界」の「有機」性が破壊されると言うよりも、むしろその仕組みや各部分の結びつきなどがより明瞭に見えてきて、つまり作品の「有機」性がより精密に理解できるように思うのだが。その点は疑問だ。さらについでに言っておけば、上の一節に含まれている「真の想像力」という言葉にも、こちらとしてはいかにも胡散臭い印象を受ける。「真の」想像力とは一体どのようなものなのだろうか?
  • 『夏の夜の夢』に関してはまず、この作品の「特長は、何と言っても、その素朴で大らかな幸福さ」(284)にあると中村は断言しており、父親に対する娘ハーミアの「反抗」(284)は、「世間によくある親と子の仲たがい、恋心と親心のふとした行き違いにすぎない」(285)と認定されているのだが、老イジアスが絶対的な家父長権に基づいて、例えば「娘は私のもの」(13)だとか、「わしのものは、わしの気に入った男にやる。で、娘はわしのもの、したがって、娘に関するわしの権利は、ことごとくデメトリアスに譲渡するのだ」(15)などと口にして娘を自分の所有物として扱っている以上、「素朴で大らかな幸福さ」に満たされた世界のなかに、少なくとも一点忍びこんでいる苛烈な政治権力的関係の臭いを嗅ぎ取っても良いような気はする。
  • 次に、「ここで注目すべきは、『夏の夜の夢』という一編の「お伽話」が超自然界と人間界とを一つの舞台の上でほとんど渾然と融合させていることである」(285)と言われているのにも、本当なのかな? という疑念を感じる。続く記述を追うと、それによって「超自然の世界が一時的にもせよ人間にとって身近なもの、親しみのもてるものとして描かれる」(285)ことになるので、「オーベロンとその妃との不和がいかにも人間くさく、ホームリーであるのも偶然ではない」(285)と判断されるのだが、「ホームリー」などという片仮名の言葉が使われるのは初めて目にしたものだ。それはともかくその次の文では、「そして、そこには宇宙的な調和の雰囲気が――ほとんど家庭的な調和の感じ――が全体としてかもしだされるのだ」(285~286)と述べられてこの段落の結語に至るわけだが、正直に言って、この人は何を言っているのかな? という印象を受ける。「宇宙的な調和」とは一体何なのだろう。「全体としてかもしだされる」とも言われているけれど、例えばどの部分のどの言葉がその「全体」的な「雰囲気」を「かもしだ」すのに貢献しているのだろうか。それともそれは、あくまで作品「全体」を受け止めることによってしか感じ取れないもので、分節によって部分的に捉えることはできないということなのだろうか。それにしたってこの人が作品を読んでいるあいだの具体的な時間のなかで、「宇宙的な調和の雰囲気」を強く感じ取った一瞬や、あるいはそれが段々と醸成されていった時の連なりというものがあったはずではないだろうか。
  • 『夏の夜の夢』の劇中で職人たちによって演じられる「ピラマスとシスビーの物語」(286)は中村によれば、「「間違いの悲劇」「偶然の悲劇」であり、人物の性格そのものや悪にその根源があるのではない」(286)らしく、「シェイクスピアが『夏の夜の夢』において見ていた現実世界の悲劇はそういうものであり、それを彼は、想像力という魔法の杖で妖精たちを呼び起すことによって、一挙に豊かで大らかで陽気な夏の夜の夢のようなたわむれに変えたのである」(286~287)と言うのだが、「想像力という魔法の杖」などという比喩を何の恥じらいや韜晦もなく堂々と用いているのにも、思わず倦怠のような感を得ずにはいられない。
  • 『あらし』については、「この劇には、たしかにそれまでのシェイクスピアのすべてが投げこまれて」(287)おり、「芸術的にもシェイクスピアはその全能力を傾注している」と絶賛されているのだが、この評価が正確な観察なのかどうか、こちらには実際よくわからない。正直、『あらし』に関しては全然大した印象を受けなかったし、福田恆存訳で読む限りでは言葉が何だか野暮ったいような感じすらしたのだが、その福田恆存自身も「解題」で、「『リア王』について、たとえ聊[いささ]かなりとも自分の感動を語り得た舌は、『あらし』に対しては殆ど用をなさない。一つにはその原文の詩の美しさが、他国語に翻訳し得る限界を遥かに越えているという事もある」(280)と言ってまさしく脱帽、お手上げの姿勢を示している。「原文の詩の美しさ」を出されてはこちらには到底わかり得ない領域のことだ。とは言え福田は続けて、「翻訳不能の原文の美しさを別にしても、『あらし』の様な作品について、吾々はどうしてその感動を語り得ようか。何かを語れば、作品そのものの、そしてそれから受けた感動そのものの純粋と清澄とを穢[けが]さずには済まされまい」(280)と最大級の讃嘆を送ってもいる。これは中村保男とも共通する「作品そのもの」の神秘化とも呼ぶべき身振りであり、言わば福田はここで表象不可能性神話の前に唯々諾々と膝を屈し、批評家としての無力ぶりを堂々と認めているのだが、そこまで大仰に感嘆するほどの「感動」を、こちらは『あらし』に対して味わうことはできなかった。だが、それは中村や福田の評価が的外れなのか、こちらの鑑賞眼や感性が至らないためなのか、それとも福田の訳文が「感動」を生ぜしめるほどの質に達していなかったということなのか、解は不明だ。
  • 「解説」に戻ると、『あらし』についての評言の途中で中村は『夏の夜の夢』に一時戻り、それは「文字どおり一場の夢」(287)だったと言いながらも、「むろん、それが何の意味もないたわむれであったと言うのではない」(287~288)と補足したあと、作品中に書きこまれているヒポリタの言葉の引用――「ゆうべの話……たんに夢幻とのみは言えない、何か大きな必然の力が、そこに支配しているようにも感ぜられるのですけれど」(107)――を通過して、「それは、早くも劇詩人として世に認められ、屈託なく自分の才能と人生とを折り合せつつあった若き幸福なシェイクスピアの見た「正夢」であったのだ」(288)とこの段落を締めくくっているのだが、ここでふたたびこちらは、この人は何を言っているのかな? と首をかしげなくてはならない。「正夢」とは一体何なのだろう? この最後の文はどういうことを述べているのか、全然よくわからない。
  • シェイクスピアの作風の推移については「解説」の終盤で、「四大悲劇で世界の暗黒面、否定面を見てしまったシェイクスピアは、もう二度と『夏の夜の夢』のあの幸福な調和の世界を描くことはできなかった。しかし、彼にはそのまま絶望のテーマに安住することもできなかった」(289)と整理されており、これはとてもわかりやすい道筋で、それに沿って考えると、「彼は再び安定した境地に戻らねばならぬ。それにはまず、自分と和解することが必要だ。こうして、かつて無垢の健康の時代に手を染めたあのロマン劇の形式が新しい光のもとに甦り、やがてその最大の傑作『あらし』が生れたのである」(289)ということになるらしい。そして、劇中でプロスペローがアロンゾーたちを「恨んでいた自分と和解」(289)したように、「劇作家シェイクスピア」(289)も、プロスペローを「魔術師=劇作家という形で舞台に押し出すことによって、人間シェイクスピアと和解した」(289~290)と言うのだが、こうした自分自身との「和解」という言葉が、具体的にどのような事態を意味するのかについては何の説明もない。
  • 面倒臭くなってきたのでもはやあげつらうことはやめにするが、最終部で結論のようにして、「シェイクスピアの無私の想像力」(290)は『あらし』において、「おそらく人類が到達しえた最も高いヴィジョンの一つをそこに実現することができたのである。シェイクスピアは最後において宇宙的世界と劇的世界との合一に成功したと言っても過言ではあるまい」(290)とまとめられているのは、さすがに、マジで? という感じだ。正直、風呂敷広げすぎじゃね? と思う。何しろ、「人類が到達しえた最も高いヴィジョンの一つ」である。それをこれよりも前に書き記されている言葉で言い換えれば、「遥かな理想と原始的自然との全体感覚、この世が、良いとか悪いとかいうようなものではなく、ただ在るように在るのだという大きな神秘感」(290)ということになるようなのだが、それが本当に、「人類が到達しえた最も高いヴィジョンの一つ」なのだろうか。
  • 早起きのために意識が濁らずにはいなかったので、昼寝をした。一時から三時二〇分まで。そうして上階へ行った頃には予報通り、空は薄白く平板に、なだらかに曇ってきており、まもなく雨も降り出した。腕を回して体操をしていると、仏間で書類の整理か何かしていた父親が、(……)、昨日はごめんねと声を掛けてきたが、その顔と身体をこちらに向けてはいなかった。こちらは一応殊勝ぶって、いやまあその……まあ偉そうなことを……言わせていただいて、と受け、まあでも、いい機会だったのかな、とか何とか適当なことを言っておいたが、その発言に対しても反応は何もなく、父親はずっと無言であちらを向いて胡座を搔き、顔を伏せながら作業を続けていた。人に対して謝罪をするならば、顔を合わせろとか目を合わせろとかいうことは言わないから、せめて身体くらいは相手に向けて、まっすぐ正面から向かい合って多少はそれらしい姿勢を見せるべきではないだろうか?
  • 椅子を運んできてその上に乗りつつ玄関上のダミーカメラの電池を替えたり、その周辺を雑巾で拭いたりしたのち、新聞の一面を読んだ。緊急事態期間を今月末まで延長するとのこと。安倍晋三首相は、本人の発言によれば、「断腸の思い」だと言う。
  • 帰室して今日のメモを取りつつ一服。外は雨降りだが激しくはなく、緩やかな、穏やかな感じ。窓を開けて網戸にしていたところ、風も吹くというほどでなく、涼気が弱くひそやかに入りこんできて結構快適である。
  • 夜、雨中の散歩。昨日の悶着のことを考えていて、周囲の事物は大して見聞きしなかった。雨はこの時間にはなかなか強く、傘の表面をばつばつと打ちつけて音を鳴らす。歩きはじめは涼しくてちょうど良いくらいの空気の感触だったが、歩いているうちにやはり暑くなって背中に汗の気も湧いてきた。
  • 帰宅すると兄夫婦から通話が掛かってきていた。(……)ちゃんが幼稚園の課題か何かで描いた絵について(……)さんに伝える。青い花の絵で、手本のものは色鉛筆で描かれた普通のイラストみたいな感じだったところ、(……)ちゃんはなぜか色鉛筆をどうしても使おうとせず、絵の具を持たせたらようやく描いてくれたらしいのだが、その絵がうまい具合に輪郭が柔らかく溶けて形が崩れた様相になっていて、偶然にもそれが結構悪くなかったのだ。(……)さんも、ね、ちょっと抽象画みたいなね、と言ったので、そうそうそう、と笑い返した。その後、とにかくお互いにウイルスに掛からずに乗り切れるように注意しましょうと言い残して風呂へ。
  • (……)
  • ベッドで休みつつ、シェイクスピア/大場建治訳『じゃじゃ馬馴らし』(岩波文庫、二〇〇八年)を読みだした。註が細かく、補注もふんだんに活用して冒頭の登場人物表の来歴からして解説しているし、その後も幕割り・場割り・ト書きなどについても懇切丁寧に説明を加えていて、これは煩雑と言えばその通りだけれど、明らかに目に見えて観察される形式面に対しても、なおざりにせずに心を砕いている姿勢自体はわりと好感が持てる。
  • 三時からふたたび日記。四月一五日分を一時間進める。また二段落程度で終わってしまう。
  • 四時から音楽。Bill Evans Trio, "Alice In Wonderland (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#3)。開幕一聴して、やはりベースの存在感がやたらと大きいように感じられた。フレーズや動きのみならずサウンドバランスそのものとして、音空間内での割合をもっとも占めていると言うか、膨張的で侵食的に聞こえたのだが、これはこちらの音響環境の設定によるものだろうか? ベースソロは、Evansがバッキングを停めてMotianとLaFaroのみになってから以降とりわけ流麗で、滑らかに生き生きと歌っており、生命感に満たされていて素晴らしい。先日に"All of You (take 2)"を聞いたとき、クラシックの室内楽めいたニュアンスを得た瞬間があったわけだが、一九六一年のBill Evans Trioにはもしかするとそのような色合い、あるいは側面がはらまれているのかもしれず、もしそうだとすればこの曲などはその色が一番よく表れているのではないだろうか。音の流線同士が均衡的に入れ替わりまた立ち替わり、触れ合い、接し、時には互いに絡みつきながら浮かび上がっては去っていく、と言うか。
  • 次に、Horace Silver, "Break City"(『Blowin' The Blues Away』: #3)。テンポが速く、テーマもスピーディーで、テーマ裏におけるリズム隊のキメの緊密さ、特にベースとドラムの固く締まった合致ぶりが素晴らしい。この曲のテンポはかなり速いほうだと思うのだが、それにもかかわらずベースとドラムは最初から最後までぴったり乱れず一致して見事な動感を刻みだしており、プロとしてはそれが当たり前なのかもしれないけれど、これは大したものだと思う。Junior Cook(ts)はこの曲では、息の長いフレーズも含みつつするするとよく回転するソロを披露していて、なかなか充実した演奏ぶりだ。Silverのバッキングは一曲目と同様に他人のソロの裏でもお構いなしと言うか、跳ね回り打ちこみまくっていて存在感はかなり強く、ピアノソロも言うまでもなく活力に満ち溢れている。そのなかで何箇所か、Silverの尋常の語法とはちょっと違うような、流れを少し変えるような音使いがあったように聞こえて、それがちょっと気になった。

2020/5/4, Mon.

 (……)ナチ政権発足時のドイツ総人口約六五〇〇万人に占めるドイツ・ユダヤ人(ユダヤ教徒ユダヤ人)は五〇万人、これに混血のユダヤ系ドイツ人七五万人を加えても二%に満たないマイノリティである。(……)
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、13)



  • 正午の覚醒。空はこの日も真っ白だが、薄光をはらんでいる感触が少しはあって、瞳を弱く刺激する。昨晩から雨が現れ午前のうちは続いていたようだが、このときには止んでいた。
  • 茶を支度していると外から入ってきた父親に、(……)、お前、お母さんと買い物行ってきてくれよ、と要請される。荷物持ちで、と続くのに、買い物すか、今日すか、とぞんざいな口を利きながらも、まあいいすけど、とこだわらずに了承する。しかし母親は、明日が火曜日で安い日だから明日行こうかどうしようか、と迷っている様子だった。どっちゃでもええすよと適当に言い置いて、こちらは室に下がる。
  • Chet Baker Sings』を流しつつ、四月一四日の日記に取り組んだ。二時半頃、上梓。
  • 四時前に上がっていくと、やはり出かけると母親が言う。何だか知らないがメルカリで売れたものを送る用がある次第。それで寝癖を整えて部屋で着替え、抽象画風のイラストが入った白いTシャツにチェックのスラックス及びブルゾンという馴染みの格好に。ベッドでシェイクスピアを少々読みつつ脛をほぐしてから上へ。母親の支度が整うまでのあいだも、ソファに仰向いて脛を揉みながら本を見る。
  • 先に外へ。向かいの宅の垣根に寄るとピンク色の花の蕾が見つかって、触れれば粘着テープのようにちょっとべたべたしている。近くにひらいたものもあり、躑躅らしい。それから自宅の正面、階段の脇で腰をひねったりして筋を和らげながら待っていると、足もとを這う黒い点に気がついた。目近くしゃがみこめば、昨日と同様に蟻が一匹で、自身の全長よりもよほど大きい蝿の死骸を引きずったり押したりして運んでいるのだった。それを眺めているうちに母親が来る。
  • 母親の車が新しくなってから乗るのは初めてである。暑いのでブルゾンを脱いで助手席に入り、FISHMANS『ORANGE』のCDを掛けた。まず(……)の「(……)」に行って給油。車替えたんですかと店員が訊いてくるのに母親は、私はいいって言ったんだけどお父さんが、と言い訳する。レギュラーを三〇〇〇円分。いつも三〇〇〇円だけしか入れないと笑う母親。
  • 東へ。躑躅がいたるところで咲いている。目的地はコンビニ、スーパー、寿司屋、(……)といくつかあって、どこから行くかと順番をああだこうだ言いながら走る。(……)の途中で信号に停まった際、そばに「(……)」という住宅があったのだが、その前に立っていた四本ほどの樹が、何の種なのか知らないけれどピンク色をこまかく灯したもので、明らかに柚子ではなかったので、あれ、「(……)」のくせに柚子じゃないぜと隣の母親に教えた。成り行きで、つまり道中にあったので、ひとまずコンビニに寄ることに。クソ腹が減ったと漏らすと、何か買ってこようかと言ってくれるので、じゃあオールドファッションドーナツを頼むと応じ、チョコレートが塗られたやつと補足した。待っているあいだ、結構色々な風貌の人が前を通り過ぎてコンビニに入っていく。全体にラフな格好ながら足もとはヒールのある靴をかつかつ鳴らす女性だとか、主婦なのか一人暮らしなのかよくわからない生活感の、自転車に颯爽とまたがって去っていく女性とか。
  • 母親が買ってきてくれたドーナツをもしゃもしゃ頂いたあと、スーパーへ。「(……)」(……)店である。マスクを持参していた。マスクの能力など大して信用してはいないが、つけないよりはつけたほうが一応ましなのだろうし、他人がマスクをつけていないだけで途端に気色ばんで絡んでくるような類の、社会同調的親切心に満ち溢れまくったお節介好きの人間に遭遇する可能性がないとも言い切れないので用意してきたのだった。ところがそもそも、いまはマスクをつけていないとスーパーには入店できない決まりになっているらしく、入口のところにご協力をお願いしますという紙が貼られてあった。
  • 入店すると単独行動でポケットに両手を突っこみながら店内を悠々と巡り、茶葉やジュースやポテトチップスやレトルトカレーやらをおりおり母親の籠に入れていく。そうして会計。レジカウンターでは店員とのあいだにビニールの仕切りが掛けられており、代金や釣り銭の受け渡しも手から手へ直接ではなく、受け皿を介した形だった。
  • 荷物を整理して車へ帰り、それから「(……)」(……)店へ。途中の公園でやはり躑躅が満開だった。寿司屋では母親が一〇貫入りの握りを見てこれでいいと言うので、それを二パック取り、こちらは一二貫入りの品を頂くことにした。ほか、手巻き四本。さらに母親が煎餅か何かをいくつか加えて会計。ここでも仕切りと金銭の受け渡しは先ほど同様。
  • (……)に行きたいと言うので、車のなかで本を読んで待っていると言って了承する。それで建物側面の通路を上っていき、上層の駐車場に入ると、いくらか明るさが差し入ってくる端のほうの位置に停めてもらった。そうしてシェイクスピア福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)。二〇分ほどで母親は戻ってきて、帰路へ就く。
  • (……)の踏切りのあたりで白髪の老婆が路傍を歩いていたのだが、それを見た母親は、歳をとったらやっぱりどうしても地味になっちゃうから、なるべく派手な服を着たいな、みたいなことを口にする。これは母親が前々から折に触れて表明している強固な持論である。好きにすれば良いと思うのだが、やっぱりああいう人を見ると、もっとお化粧すればいいのにとか、赤みたいな明るい色を着ればいいのにとか、思うでしょ? とか言って何故か同意を求めてくるので、そんなもんその人の好きにさせてやれよと思った。あなたはそういうの着ればいいじゃんと向けると、でも、何かやっぱり気が引けて、周りの目が気になって、というようなことを漏らすので、じゃあやめればいいじゃんと単純明快極まりない二分法に沿って答えると、でもやっぱり明るくしたいとも言う。矛盾してるじゃんと突っこむと、そうなの、と返る。いずれにせよ好きにしてもらって構わないのだけれど、自分自身に対してそう思うってことは、他人を見ても、それが地味な人だったら、もっと派手に、若々しくすればいいのにって思うわけでしょ? そのくせ、その人が実際に派手な格好をしてたら今度はきっと、あの人もう歳なのにあんな派手にして、年甲斐もない、とか思うわけでしょ? という具合に軽く詰めてみたところ、母親は困ったように笑いつつ、そう、そうと同意したので、偉そうな話、傲慢な話ですよと冗談めかしてなだめるように落とした。
  • (……)
  • 帰宅すると荷物を運んで冷蔵庫や戸棚に収め、それから着替えてきて料理。買ってきた豚肉で筍を巻いて焼く。それで七時前になったのでもう食事にした。寿司は美味。
  • この日は散歩はしなかった。大して歩いてはいないけれど一応外出したので、それで良しとしたのだ。食後は階を下がってギターに遊び、そのあと「英語」と「記憶」の復読を久しぶりに行うことができた。(……)
  • (……)
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  • (……)さんのブログ、二月二四日。

オープンダイアローグにおいては、うまく語ることのできない出来事をどうにか語るということの重要性が強調されていた。語りがたい出来事、語り損ねてしまう出来事、とどのつまりはいまだ象徴化されていない現実界の出来事=外傷を、どうにかして語る(象徴化する)こと。これもまた小説に関する言説としてアナロジカルに読み替えることができるが、そのときラカン派とは正反対のアプローチを仕掛けているようにみえる。物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとするラカン派的小説家と、出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとするオープンダイアローグ派的小説家——と書いていて気づいたのだ、オープンダイアローグ理論をアナロジーとして採用するのであれば、ダイアローグに参入する他者の存在に触れないわけにはいかない。この対比はいくらなんでも雑にすぎる。とはいえ、小説家のいとなみというものを考えるにあたって、「物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとする」と態度と、「出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとする」態度は、一見すると正反対のようにみえるが、実際はさほど遠くないのではないか? というかこの両者のせめぎあう運動——それがゆえにそのどちらもが十全に達成されることは決してなく、挫折を余儀なくされ、中途半端な癒着としての失敗に帰結せざるをえない——こそがほかでもない、「物語(全体性-象徴化)とそれにあらがう出来事(断片性-未象徴化)が同居するメディアとしての小説」——その価値はいかにあらたな失敗のフォルムを生み出したかで測られることになる——なのではないか。

  • 一時過ぎから日記。四月一五日分。なぜだかわからないが、書きぶりが結構軽くなってきたような気がする。それほど堅苦しく頑張って固めずに緩くやるような雰囲気。それに応じたのか口調も何だか軽いようになったが、このくらいの緩さでも別に良いだろうし、一応、軽いなりに文の流れ方はそこそこ注意しているつもりではある。
  • Bill Evans Trio, "Gloria's Step (take 1, interrupted)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#2)を聞く。白銀的に静かで冷たい質感の曲で、LaFaroが作る曲には、"Jade Visions"もそうだけれど特有の冷たさがあるように思う。と言って、そもそもこの二曲しか彼の作曲を知らないわけだけれど。"Gloria's Step"は小節の区分がちょっと独特なのだが、EvansにしてもLaFaroにしてもまったく自然にその上に乗って泳いでいくので、どういう風に数えているのか、どこかで分割して考えているのか、それとも感覚的に身に染みついているのかよくわからない。
  • Horace Silver, "The St. Vitus Dance"(『Blowin' The Blues Away』: #2)を続けて聞く。管抜きのピアノトリオ。曲にせよ演奏にせよ小粒だと言うべきなのだろうが、このアルバムを入手した当初から、こちらは結構この二曲目が好きだ。ちょっと複雑な感じの陰影と言うか、ファンキー一辺倒ではない特殊な色合いや香りが漂っているように感じられ、Horace Silverの作曲にはこのような、明朗明快だけではなくすっと一筋縄では行かないような色味が織りこまれていることが結構多い気がする。とは言え、ソロ自体はファンキー・ジャズを代表するピアニストらしい、弾力的に転がり跳ねるような球体感覚が随所にはらまれている。

2020/5/3, Sun.

 公共土木事業の目玉はアウトバーン建設である。高速道路網の整備はワイマル期から着手されていたが、ヒトラーのそれはモータリゼーションを発展させ、軍事への転用も展望した重点施策であった。しかもこれには彼の強い思い入れと、大衆の歓心を買うねらいがある。一九三四年六月に始まる「国民車[フォルクスワーゲン]計画」がそうである。
 ヒトラーは無類のカーマニアであった。当然、知識も豊富である。富裕者のシンボルであった自動車を「一家に一台」のスローガンで大衆に普及させるために、自ら基本デザインを描き、同国人の自動車設計技師ポルシェに、破格の安値で堅牢な空冷式高性能低燃費の、夫婦と子ども三人想定した大衆車の製作を依頼した。それに応えてポルシェは最終試作車を完成させ、フォード社に学んで大量生産に道筋をつけている。この計画に沿って、積み立て方式による予約購入の募集が大々的におこなわれた。毎週五ライヒスマルク(以下マルクと略記)の無理のない払い込みで、一般労働者でも四年後には憧れの自動車を入手できるはずであった。この計画を差配したのはナチ党国家組織「ドイツ労働戦線」の下部機構「歓喜力行団」(KdF)、車名も「KdF車」である(開戦のために三三万六〇〇〇人の応募者のうちごく一部にしか届かなかったが、戦後になって応募者に行き渡ったという)。
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、10~11)



  • 今日も今日とて一時半まで鈍い寝坊を喫した。空は一面、真白く均一に染まった曇天。ただし、色調としては明るめである。
  • 食事を取りつつ『開運!なんでも鑑定団』を眺め、小島與一という博多人形師を知った。「三人舞妓」という作品が鑑定に出されていたのだが、それは一九二五年のパリ万国博覧会に出品されて銀牌を得たものだと言う。もともと四〇〇万円で買ったところが、倍になって八〇〇万の値がついた。小島という人は若い頃には無頼派的と言うかいくらか破天荒な生活を送っていたらしく、芸妓と駆け落ちなんかもしたところ、その出来事が火野葦平の「馬賊芸者」という小説のモデルになったとかいう話だ。美術というものの世界もまったく面白そうである。
  • 風呂洗いの間、外からは鳥鳴の訪れがひっきりなしにある。鶯である。何らかのゲームにでも出てきそうな、近未来的なレーザー銃の発射音を思わせるような、〈放出的な〉声。
  • 茶を支度して帰室するとさっそく昨日今日のメモを取り出したが、すると母親が来て、隣の(……)さん((……))が筍を採りたいと言っているから見てやってくれと言う。何故こちらが? 母親が見てやれば良いではないかと思ったのだが、無理だよねえ、危ないじゃん、とか何とか言いながら母親は二人で一緒に見ようと求めるので、まあ良いかと柔和に折れて了承し、いま茶を飲んでいるから先に行っててくれと伝えた。それでメモを取りつつ茶を飲み干してから階を上がったところが、もう採ったみたいだ、と言われる。どうも息子さん、(……)さん(漢字不明)が来ていて採ってくれたらしい。それでも一応外に出てみたのだが、(……)さんの姿はもうなく、林の縁に寄ってみると中途で断たれた筍が一本あり、その真新しく白い断面に蝿が、おおまかに一見して一五匹から二〇匹くらいはむらがっている。凄え、蝿が集まってるよと口にすると母親は、そう、すぐにたかるんだよねと困ったかのように受けた。あの蝿たちは、栄養素を吸い取っていたのだろうか? (……)さんが去ってしまったのでこちらはもはや用済みなのだが、どうせ外に出てきたからとしばらく林縁にたたずんだ。樹々に埋められた視界が青々と艶明で、植物の緑がかなり充実してきたように見受けられ、風が大きく吹き流れては葉鳴りがそそぎ、肌が涼しさに包まれてとても気持ちが良い。頭上の樹冠のなかには鳥の声が遊んでいて、鶯がまたレーザーを放つとともに、ほかにも線香花火がはじき散らす火花めいて小片的な響きも聞こえてくる。母親が隣家の勝手口で息子さんに、遠慮せずまた採ってくださいとか何とか、よそ行きの高い声で伝えているのも路上を渡ってくる。それから沢と言うか貧相な水路の脇にしゃがんでみれば、蟻が一匹で頑張って、自分の体の何倍か大きい蝿の死骸を引きずっており、傍には小さなピンク色の花があって、四つの花びらが隙間なく合わさり受け口の広いコップのような形を成していた。例によって部屋に戻ってから検索してみたところ、赤花夕化粧[アカバナユウゲショウ]という種ではないかと見えたのだが、それと似ているものとして昼咲月見草[ヒルザキツキミソウ]というのも出てきて、どちらだったのかわからない。
  • 昼間のうちから日記に邁進して今日はかなりよく書くことができた。現在(と言うのはこの日の事柄をメモに取った現在のこと)、四日の三時半前だが、この時点で六時間弱、文を綴っている。そのくせしかし、仕上げられたのは四月一三日分のみである。とは言え一四日も、もう大方書けてはいるが。ところで文を作る肩から多少、力が抜けてきたような気がする。精度を突き詰めすぎずに書けているような、そんな感じだ。
  • 午後四時二〇分頃、上階でロシアから電話が掛かってきたらしき声が聞こえた。暑いからと部屋の扉を開けはなち、窓も網戸にしていたので明確に伝わってきたのだ。それで作文中だったが一旦中断して上がっていけば、タブレットの画面には兄と(……)ちゃんが映っており、女児の名前を呼びかけてやると、音楽、かける、と返しがあって、これは昨年の八月にロシアを訪れた際にこちらがたびたびコンピューターで音楽(ceroとか)を流してあげて、それでこの物体からは音楽が出てこの人間がそれを操っているのだなと理解したらしい(……)ちゃんは、滞在中にもたびたび、音楽かける? と聞いてきたのだが、それをまだ覚えているのだ。つまり、こちらは彼女にとってどうやら、第一には音楽を掛ける人間として認知されているらしい。それから話を聞くと、モスクワは外出禁止で、散歩やジョギングも不可だと言うので、新聞には自宅の周辺一〇〇メートルだか二〇〇メートルだかの範囲ならペットの散歩はできるみたいなことが書いてあったけど、と向ければ、ペットは大丈夫みたいだなと返る。人間は駄目でペットは良いとはよくわからんが、犬など飼っている家は結構多いらしい。マンション敷地内の公園で遊ぶことも禁止であり、公園はいまはすべてテープが張り渡されて閉鎖されていると言う。だから(……)ちゃんも家のなかをうろつきまわるほかはないわけだが、見た限りではストレスはさほど溜まっていなさそうと言うか、元気に屈託なく、快活に動き回っており、おもちゃの類をいじくって遊んでいた。それでも、見えないストレスは溜まってるかもしれないなあと兄は漏らし、それはそうだろうとこちらも思う。お母さんはまだ出勤しているのかと訊かれるので肯定すると、そのあたりがわからんという言が返った。こっちだとプーチンなんかが毎日出てきて、かなり厳しくやってるからさ、ということだ。まったくである。電車通勤が続いてる時点でもう終わりだわとこちらは考えなしに適当なことを言い散らかしたのだが、ところで兄は髭がめちゃくちゃ伸びていた。伸びていたと言うか長さはさほどでないのだが、顎からもみあげのほうまで豊かな茂みに覆われていたので、ロシア人みたいじゃんと笑いを向けてからかった。
  • 四時四〇分あたりでこちらは帰室することにして、まあお互いとにかく、コロナウイルスに掛からず、無事に乗り切れるように気をつけましょうと言い残すと、兄は(……)ちゃんに、(……)くんにバイバイして、と繰り返し呼びかけ、こちらもバイバーイと手を振ったのだけれど、(……)坊は聞く耳持たずに夢中で遊んでいたようだ。自室に帰ると日記を書き続ける。
  • そうして六時前、上へ。夕食にはスライスしたジャガイモとトランプのカードみたいに薄切りになったベーコンを、ローズマリーを添えつつ炒めた。ほか、山梨の祖母からもらったと言う白菜らしき漬物を母親が塩抜き処理したものも炒める。父親は今日は仕事なのだと言う。道理で姿が見えなかったわけだ。良かったじゃん、久しぶりにいなくて、と憎まれ口を叩いてから馬鹿笑いすると、母親も本当だよ、と苦笑し、定年で仕事を辞めて家にずっといるようになったら、ホント、どうしようかって感じだよ、と以前から頻繁に表明している懸念をまた繰り返す。(……)さんという人――(……)くんの家のすぐそばに住まっており、上の「(……)」のおじさんの弟だとか――が朝によく散歩で通りかかるのだが、今日、家の外に出て父親の出勤を見送っているところに行き逢って、仲が良いじゃんかと言われたので、仮面夫婦ですよ、そう見えるだけですよ、行ってくれなきゃ困るから追い出してるのよと、そう返したのだと母親は話した。
  • 支度ができればすぐに食事。新聞の一、二面には御厨貴の小文。「戦後」から「災後」への転換、というようなテーマについて述べていて、コロナウイルス禍によっていわゆる「戦後」の体制、あるいは時代秩序のようなものがいよいよ崩壊し、生活様式や人々の価値観が「災後」のものへと移行していくだろう、みたいなことを言っていたと思うのだが、あまり鋭く具体的なことは書かれていなかった印象。
  • ふたたび日記に取り組んだのち、八時過ぎに夜歩きへ。道に風が流れており、夜気はジャージの上着を身につけてちょうど良い涼しさ。林の外縁と言うか道に沿った石段上の領域がどうも刈られているらしいのに気がついた。自然にあんな風にはならないだろうから、多分誰かが業者でも入れて頑張ったのだと思うが、随分骨折りだったのではないか? 今日は曇天なので月は映らず、ぽつりとささやかな空気孔のような薄白さが灰色のなかに一点沈みつつ辛うじて見えたものの、気づかなくとも不思議ではないほどのかそけさだ。その位置は先般と比べれば随分高くなっており、だいたい直上のあたりだった。
  • 十字路の傍まで来ると、煙じみた香気、線香のような匂いが鼻に触れてきて、(……)さんの宅から漏れてきたのかなと思ったのだけど、家は石段上に建っていて戸口や窓まで結構距離もあるので不明。十字路に達すると自販機で例によって「Welch's まる搾りGRAPE50」を購入。一三〇円で二八〇ミリリットルである。それから坂を上っていくと、途中で左手のガードレールの向こうに草で覆われた斜面がひらけているのだが、その真ん中に突き立った電柱に虫がとまっており、姿は視認できなかったもののじりじりと騒々しいノイズをまき散らしている。その音がかなり強力な、強烈とすら言うべきもので、傍に寄ると、おそらく耳たぶ、と言うか耳を構成する複雑な段差平面全体に反響するらしく、本当に耳の穴のすぐ隣で鳴いているかのように振動が顔の横まで瞬間移動的に飛んできて、これはあっぱれな威力だった。
  • 進む裏通りには散り伏した落葉の量が増えていたような気がする。歩きながら一瞬、ホトトギスの音[ね]が耳に触れたようにも思ったが、これは多分空耳で、一軒のなかから漏れてきた何かの音がそんな風に響いたようだった。それをきっかけにしかし、そう言えばそろそろホトトギスが鳴き出す頃合いではないか、初音の時候でないか、去年だか一昨年だか、と言うか毎年のことかもしれないが、夜も深まった午前三時くらいに声を張っているのをよく聞いたものだ、と思い出す。直線路を通りつつ一軒の塀に掛かった白い花の連なりに、これは何かと寄って見たところ、コデマリだった。このように縦にぶら下がって雪崩れていると遠目には、いまや旬を過ぎて緑の衣と化してしまったユキヤナギとも見えなくもない。
  • それから前方に猫が現れた。おおかた黒い体で足のほうだけ白いように見え、時折りこちらを振り向きながらちょこちょこ歩いていったあと、横に折れて民家の合間の敷地に入っていった。そこまで来るとなかを覗いたが、まったくの暗闇でとても姿は見分けられず、いるのかいないのかすらわからない。諦めて先を進み、街道に出ると東に曲がって、車道沿いを行く途中で道脇の柵の向こうに、もうほとんど枯れて色を失ってはいたものの、藤らしき植物を見つけて、それで藤の花も頃合いだったかと思い出した。今年はまったく見ていない。もちろん仕事が休みで出勤しないからだが、たしかにこの初夏の時期には街道途中の公園の入口に設けられたごく小さな藤棚、と言うか藤屋根みたいなつつましい造作に通り過ぎざま目を向けたり、裏通りから望む丘の緑のなかに散発的に差しこまれた突然の紫色をまなざしたりした覚えがあるし、そのようなことをあれはまだ結婚前だったか否か、(……)さんに送ったメールのなかに書いた覚えもある。それはたしか彼女が(……)に遊びに来る直前のことだったはずだから、やはりこの時期だろう。(……)
  • 街道をさらに東へ推移していく中途、足もとに何か落ちていて、その淡い青緑色を梅の実だなと視認する。まだよほど小さい。たしかにここの樹は梅だったとそれで思い出し、見ればあたりにいくつも転がっていて、ただしどれもことごとくささやかな、いたいけな赤子のような小粒ばかりだ。それで枝葉を見上げたところが何故か、樹についた実は、全然見つけられない。小暗さに目が利かないためだが、多分まだいくらも結んでいなかったのでもあるだろう。しばらく首を曲げていたけれど、じきに諦めて立ち去った。
  • 最寄り駅前まで来ると、車道を挟んだ先、駅横の小さな広場には、バドミントンに興じている二人があった。多分若い男女だったと思う。夫婦か恋仲かきょうだいか、いずれにせよこんな時勢だから、気晴らしだろうが、しかしこの時間ではシャトルもあまり見えないのでは? 目を向けつつそこを過ぎると、今日は駅正面から下り坂に折れた。靴音が樹の下の空間に明々と定かに響く。途中で林のあいだに建っている家の間近に来れば、先日もやはりここで嗅いだものだが、風呂のような石鹸のようなにおいが香り、その宅のそばのガードレールの向こうでは、草なかに大きな花が咲き盛っている。以前から真っ赤なものが咲いているのに目を留めていたのだけれど、今日はそれに加えてピンク色のものも増えていた。目を寄せれば広い花弁の縁がしわしわと波打っているそれが何の花なのか、もちろん知らない。例によって帰ってから正体を求めてGoogleに頼ったけれど、結局よくわからない。アザレアというのが感じとして一番近かったような気もするが、画像のように群れなしてはいなかったし、これは林に自生するようなものなのかどうかそれもわからないので、答えを掴めずに終わってしまった。
  • 坂を抜けると自販機のある十字路に戻り、そこを左折した先が自宅である。先ほども来た道を、ポケットに両手を突っこみながらぶらぶら歩き、頭のなかには"I Love Being Here With You"や"But Not For Me"や、"That Old Feeling"が去来する。いかにも苦労なしといった感じの、ふらふらとした歩みぶりで帰宅した。
  • Elizabeth Shepherd『Rewind』。Elizabeth Shepherd(vo / ep(rhodes) / org(wurlitzer))、Ross MacIntyre(b)、Scott Kemp(b)、Colin Kingsmore(ds / perc)など。二〇一二年リリース。なかなか良い。#1 "Love For Sale"、#6 "Feeling Good"、#7 "Midnight Sun"(Lionel Hampton作のこの曲は、Dee Dee Bridgewaterも『Live At Yoshi's』で歌っている)、#11 "Born To Be Blue"、#14 "(They Long To Be) Close To You"などを主にしてまた聞いてみたい。
  • 一一時頃まで日記に働いたあと、さすがに身体が凝[こご]ったので臥所に移ってシェイクスピアを読む。福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)から「あらし」をいくらか読み進めたのち、安西徹雄訳『十二夜』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)のメモを最後まで取り、同じ訳者の『ヴェニスの商人』も速めに読み返しておおかた記録を終わらせる。それであらためて感じたのだけれど、安西徹雄の訳はやはりかなり素晴らしいのではないか。隅々まで気が配られてうまく整っているように感じ受けられ、言葉が充実して生気のようなものに満たされている感触を得る。通り一遍でなくてよく考え抜かれているように思われるわけだ。例えば大抵の小説作品のように、単にその作家としての、あるいはその作品としての一つの文体が確立され成型されているというのではなくて、戯曲であるからには人物の台詞でもってことが進むわけだから、それら多様な登場人物ごとの語り口をそれぞれ巧みに訳し分け、いかにも典型的な言い方をすれば彼らにおのおの魂を吹きこまなければならないはずだけれど、そうした困難であるに違いない目標に手が届いていて見事に成功しているような印象である。つまり、いくつもの文体もしくは文調がそれぞれのスタイルにおいてどれも高度な水準に仕上げられ、それらがまさしく作品世界を構成する〈声〉のネットワークとして共存し、協調し合い、共鳴している、そんな手触りがあるということだ。少なくとも文としての日本語の組み立てにおいて、優れた翻訳家だとこちらは思う。『十二夜』の「訳者あとがき」には、次のような彼の持論が記されている。

 戯曲の翻訳は、ただ単に、字義的な意味[﹅2]を伝えるのが目的ではない。生きたせりふのいき[﹅2]、その躍動感を、できる限り直に、役者や観客、あるいは読者の方々に追体験していただくことにある。
 大体せりふというものは、あくまでもある特定の人物が、ある特定の情況のもとで、誰か特定の相手にむかって、何か特定の情念や思念を、具体的に訴えかけ、働きかけるものである。つまり、何かの行動にともなって発せられる言葉というよりも、むしろ端的に、言葉そのものが行動であり、身振りなのだ。
 したがって、せりふを訳すということは、ただ単に意味[﹅2]を伝えることではなくて、この身振りとしての言葉の生動――全人格的な運動の言語的な発動、その息遣い、弾み、ほとんど筋肉的な律動を、できる限り生き生きと喚起・再現するものでなくてはならない。
 (……二段落省略……)
 つまり、例えばオーシーノとフェステ、あるいはマルヴォリオやサー・トービー、サー・アンドルーでは、そのせりふはそれぞれ独得の、固有のスタイルを持っていなければならないし、他方また、同じ一人の人物であっても、個々の情況に応じて、ある時は重々しく、ある時には軽々しく、またある時は皮肉に、ないしはまたトゲトゲしく挑戦的になるかと思えば、まったくストレートに、感情を吐露する叫びの形を取ることもあるだろう。
 (241~242)

  • ここで語られていることが『ヴェニスの商人』及び『十二夜』で、とりわけ後者においては、かなりの水準で実現されているように思われる。『十二夜』は「九本の喜劇を連作した時代」(226)の締めくくりとなる一作で、「まさしくこれら喜劇群の総決算」(同)として位置づけられているらしいのだが、多分シェイクスピア自身の台詞を作る筆致も言わば脂が豊かに乗って冴えていた、そういうときの作品なのではないか。それに加えて安西徹雄の綿密な翻訳能力がすばらしい調和を見せたと、そういうことではないかと想像するのだけれど、この優れた翻訳者もしかし、二〇〇八年に既に亡くなっている。もっと多くの作品を訳してもらいたかったと切に思うが、とは言えシェイクスピアではほかに、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『マクベス』、『ハムレットQ1』が光文社古典新訳文庫に入っているようなので、これらはいずれ読んでみるつもりだ。
  • 「対談:ホー・ツーニェン×浅田彰 《旅館アポリア》をめぐって」(2020/1/5公開)(http://realkyoto.jp/article/ho-tzu-nyen_asada/)を読んだが、浅田彰という人は相も変わらず、まったくもって明晰極まりない、見通しが良すぎるほどにクリアでわかりやすい整理図を提示してくれる。脱帽せずにはいられない鋭利さを具えた道筋整理家、あるいは舗装業者。ところで下記に出てくるブルース・リーの「水のようであれ(Be formless, shapeless, like water)」という言葉は、Kendrick Scott Oracleの"Be Water"(『Conviction』)冒頭に出てくる語りの元ネタだと思う。

浅田 この作品の中に出てくる京都学派について、予備知識を持たない聴衆の方々のためにきわめて基本的なことを言うと、ふたつ大きな問題があると思います。ひとつは、特に西田幾多郎に言えることですが、ロジカルというよりはレトリカルだということ。もうひとつは総じて非常に図式的だということです。
 前者に関しては、鈴木大拙と比較してみればいい。彼は西田と同世代で親しい関係にありましたが、禅をはじめとする仏教について英語で書き、ジョン・ケージや抽象表現主義者といったモダニストたちにも大きな影響を与えた。大拙がかなりロジカルに書いていて、わかりやすかったからでしょう。しかし西田は、それより真面目だったというか、座禅などの体験において体で感じ取るべきこと、言葉で言えないことを言葉で言おうとしているので、非常に無理のあるレトリックを反復していくことになるんですね。だからロジカルに理解することがとても難しい。西田に比べて田邊元はロジカルだとは思いますが。
 後者は京都学派一般に関して言えることで、特に西洋に対する東洋という形で非常に図式的な議論を組み立てるきらいがあるということです。例えば西洋思想では全体論と要素論、全体主義個人主義が対立しているが、東洋思想は全体でも要素でもない「関係のネットワーク」に重点を置くものであって、その東洋的関係主義によって西洋の二項対立は超えられる、というわけですね。「人の間」と書いて「人間」というように、人間は全体の一部でもなくバラバラの主体でもなく、関係のひとつの結節点である、と。西洋では全体主義個人主義の二項対立がある。全体主義の中でもスターリン共産主義ムッソリーニヒトラーファシズムが対立しており、それらに対して英米の自由資本主義が対立している。そうした対立を、関係主義、あるいは京都学派左派だった三木清の言う協同主義で乗り越えられる、と。要するに、東洋の知恵によって西洋の二項対立を全部乗り越えられる、それこそが西洋近代の超克だ、というわけです。しかし、それは図式的な言語ゲームの上での超克であって、現実的に関係主義とはいかなるものか、協同主義はどういう制度なのかというと、よくわからないんですね。
 ついでに言うと、西田も1938年から京都大学で行った講義『日本文化の問題』でそういうことを言っているんですが、41年のはじめごろ、真珠湾攻撃より前に、天皇を前にした「御講書始」において、いま言ったようなことを生物学のメタファーで話しています。生物学者でいらっしゃる陛下はよくご存じのことと思いますが、森というのは全体でひとつというのでもないし、バラバラの動植物の総和でもない、エコロジカルな関係のネットワークなのであります、といった感じですね。だから社会もそうでなくてはいけない。アジアに関しても、西洋に代わって日本が全体を帝国主義的に支配するのではなく、トランスナショナルかつエコロジカルなネットワークとしての大東亜共栄圏を築くべきだ。日本はその先導役を務めるべきだけれども、西洋の植民地主義帝国主義に取って代わる新しいヘゲモンになってはいけない、と。京都学派の主張は総じてこうしたもので、耳障りはいいのですが、それが日本の植民地主義帝国主義を美化するイデオロギーでしかなかったのは明らかでしょう。京都学派は海軍に近く、陸軍のあからさまな全体主義帝国主義に対して最低限のリベラリズムを守ろうとしたのだ――そういう見方はある程度は正しいものの、大きく見れば海軍も陸軍と同罪であり、京都学派も同様だと言わざるを得ません。
 ひとことだけ付け加えると、西田が禅の体験などについて言っていることは、東洋武術の人がよく言うことに似ています。西洋では、筋肉の鎧をまとい、さらに鉄の鎧をまとった剛直な主体がぶつかり合って闘争が起こり、その結果、次のものが出てくる。これが西洋の弁証法だ。東洋は違う。水のように自在な存在として、相手の攻撃を柔らかく受け止め、相手の力をひゅっとひねることで相手が勝手に倒れるように仕向ける、と。西田の好んだ表現で言えば「己を空しうして他を包む」というわけです。ブルース・リーと同じことで、「水のようであれ(Be formless, shapeless, like water)」という彼の言葉を香港の民主化運動家たちが運動の指針としているのは面白いことではあります。ただ、西田は『日本文化の問題』の中で、それを天皇制と結びつけるんですね。西洋には「私は在りて在るもの(存在の中の存在)だ」という神がおり、神から王権を与えられて「朕は国家なり(国家、それは私だ)」という絶対君主がいる。それが近代では大統領などになり、そういうものを頂く国家が、上から植民地主義帝国主義で世界を支配しようとするわけです。しかし、東洋は違う。そもそも、日本の天皇は「朕は国家なり」とは絶対に言わない。むしろ、皇室とは究極の「無の場所」であって、だからこそすべてを柔らかく包摂し、トランスナショナルかつエコロジカルな大東亜共栄圏の中心ならざる中心になりうる、というわけです。美しいレトリックではある。しかし、「無の場所」としての皇室がアジア全体を柔らかく包むと言われて、アジア人が納得するとは僕には思えませんが。

  • 浅田彰の上の発言に続けてホー・ツーニェンは以下のように応じているけれど、この人も鋭い見地を持っていてなかなか興味深い人物のように思われる。

ホー 田邊は天皇が「絶対無」の象徴になるべきだと言っています。この考えはレトリカルにも美学的にも興味深い。でも、浅田さんが最初に言及された鈴木大拙に少し戻りたいと思います。私が鈴木のことを知ったのは、ジョン・ケージについていろいろと読んでいたときです。「カリフォルニア的禅」とでも言いますか、そういうものに対する鈴木の影響について知りました。でもそれより前の鈴木の著作を読んで、強い違和感を持ったと言わざるを得ません。戦後、鈴木は西洋で平和主義者として知られていたと思いますが、たしか1896年、日清戦争直後に、彼は中国との戦争は宗教的行為であると言っているんです。ですから、それ以降に大きな変化があったものと思われます。
 他の京都学派の人々が言っていること、例えば『中央公論』に掲載された座談会などを読むと、彼らは戦争に反対していたと言えることは言えます。ただ、彼らが反対していたのはアメリカとの戦争だけであって、アジア諸国との戦争に反対していたわけではないようです。まるで、アジア諸国との間で起こっていたことは戦争と見なすことさえできないかのようで、浅田さんがおっしゃった大東亜共栄圏の理念の下に、日本がアジアに対して発揮するべき道徳的リーダーシップとして、ほとんど正当とされているのです。
 浅田さんが指摘された非一貫性は西田の思考システムにも散見されます。でも私は、これらの非一貫性は西田の思考さえ超えて、もっと深く広く蔓延していると思っています。西田そのものを時代の徴候のひとつと見ているんです。例えば禅と武士文化の緊密な関係ですが、浅田さんが語られた禅の柔らかさや液体的な性質の中にも、武士の刀のような硬さが同時にあると思う。私が京都学派に興味を持ったのも、まさにそうした非一貫性や矛盾においてでした。そしてこれは、日本の汎アジア主義における矛盾とどこか通じていると思います。ユートピア的な次元で起こったこの動きが、私には非常に間違ったものに見えてきたし、アジア諸国の多くの人々にもそう見えたでしょう。私にとって、こうした矛盾こそがアポリアであり、先ほど話に出た「深淵」なのです。
 もう少し続けると、こうした非一貫性は汎アジア主義の概念それ自体にも見られると思います。真に汎アジア的であるためには、アジア諸国間の国境を何らかの形で解消しなければならない。しかし、20世紀初頭の日本における汎アジア主義的言説は、それが同時にきわめてナショナリスティックな運動だったことを示しています。そういう意味で、20世紀初頭の日本には、歴史に関する非常に興味深く豊かな鉱脈が見られます。当時、アジア各地のナショナリスティックで反植民地主義的な多くの指導者たちが、日本の右翼的で汎アジア的な組織とつながりを持っていたのです。それにはヴェトナムのナショナリスト、インドのナショナリスト、あるいは中国の孫文のような人も含まれます。人が同時に汎アジア主義者かつナショナリストであることができるという、興味深い矛盾がそこにはあります。
 やがて私はこの矛盾を、先ほど浅田さんが言及された、「空」や「虚無」の概念に内在する非一貫性、そしてそれを明確に述べることの難しさに結びつけて考えるようになりました。こうして「虚無」はとても柔軟な概念となり、容易に形を変えながら、さまざまな政治的目的に利用することができるようになる。例えばこのようなことを西田と彼の遺産について考えているんです。でも同時に、こういう批判的なことを一通り言った上でですが、私は西田の最初の著作『善の研究』を読んでずいぶんエモーショナルに感動してもいるんです。この本の難解さは悪名高いですけれども、それでも、簡単に言ってしまえば、西洋とどう向き合うか、東洋・西洋とは何を意味するのかという苦悩、そして歴史のこの段階における思考の新しい基礎をつくろうという野心を読み取ることができます。この野心そのものは感動的で、このようなものは現在そう簡単には見つけられないと思います。

  • ほか、気になった箇所をいくつか。

浅田 あともうひとり、《旅館アポリア》にいたら面白いと思うのは、谷崎潤一郎です。『中央公論』の1943年1月号には京都学派の3回の座談会の最後である「總力戰の哲學」が掲載されており、3月号には「總力戰と思想戰」という高山岩男のエッセイが載っています。この1月号はなかなかのもので、新連載として島崎藤村の『東方の門』と谷崎潤一郎の『細雪』も載っている。表紙の左に「總力戰の哲學」、右に『東方の門』『細雪』のタイトルが並んでいるんですが、いま見れば圧倒的に『細雪』の勝利でしょう。藤村は8月に亡くなるので、『東方の門』は連載が始まってすぐに中断され、未完の作品となります。他方、谷崎の『細雪』は、哲学者や歴史家が「總力戰の哲學」を熱く論じている傍らで、大阪の商家の4人の姉妹が、「新しい帯がきゅきゅっと鳴るのは嫌だ」とか言って騒ぐとか、どうでもいいような日常生活のディテールを延々と書いている。すごいですよ。これがすごいということは権力もよくわかっていて圧力をかけたらしく、早くも6月号には連載中断の「お斷り」というのが出る。「引きつづき本誌に連載豫定でありました谷崎潤一郎氏の長篇小説『細雪』は、決戦段階たる現下の諸要請よりみて、或ひは好ましからざる影響あるやを省み、この點遺憾に堪へず、ここに自肅的立場から今後の掲載を中止いたしました」と。現在の表現の自由の問題と絡めてみると面白くて、ここから進歩しているのかどうかわかりませんけど(笑)、谷崎は戦争中もひそかに『細雪』を書き続け、「總力戰の哲學」が忘れ去られたいまも読み継がれる大作を完成させるわけです。そういう意味で、《旅館アポリア》のどこかの部屋で谷崎がひとり机に向かっていてもいいのではないかと思いますね。

ホー 実際、私がこの旅館に招待したいと最初に思った「お客様」のひとりが谷崎でした。最終的に、彼はゲスト出演のような形で作品中に存在することになりました。《旅館アポリア》の大きな送風機がある部屋で、谷崎の『陰翳礼讃』に言及しています。彼は伝統的な日本家屋における床の間について書いていて、電灯は床の間の闇を損なってしまうと言っています。谷崎にとって、床の間は常に薄暗くなくてはならない。「虚無」や「空」は直視してはいけないものだからです。電灯を使うと、床の間の空無があまりに明らかになってしまう。私たちは「無」をあまりに明らかに見てしまってはいけないのだと。私はこれが、「絶対無」という概念を基盤に思考を組み立てた京都学派に対する、ありうる最も賢明な注釈のひとつだと思っていました。絶対無は、それをちょっと薄暗がりや影で覆ってあげたほうが良いものになると言えるのかもしれません。

     *

浅田 (……)ちなみに、谷崎に関するありがちな偏見は、彼が西洋の明るい外延的な空間を否定し日本の暗い内包的な空間にこもった、という見方です。しかし、谷崎は基本的に快適な生活が好きな快楽主義者で、実は電化生活をしながら電気のケーブルは隠している。陰翳を愛しているのも、ゴージャスな着物が、上から電気照明を当てられたときより、下からゆらめく灯明に照らされたときのほうが、美しく見えるからである。つまり、座禅堂のように質素で暗い空間で自己と向かい合うというより、陰影の中にゴージャスなものがひそかにきらめくのを見たいだけなんです。実際、谷崎は早くから映画に興味を持ち、映画の原作小説も書いているし、映画化されると女優たちと付き合ったりもしていた。だから、確かに谷崎の趣味と小津の美学は随分違うとしても、案外似たところも多いのではないか、小津がシンガポールに派遣されながら肝心の大東亜共栄圏のための映画を撮らず、安楽な生活をしながら日本で観られなかったアメリカ映画ばかり観ていたというのは、谷崎的な態度と言えるのではないか、とも思いました。

ホー 小津は非常にモダンな人だという印象を私は持っています。それは写真で彼の生活ぶりや服装を見ても感じることです。谷崎や小津のような人の作品では、伝統と現代という問題が非常に複雑に展開し、ある種の曖昧さに到達します。私の好きな、《旅館アポリア》でも引用している『晩春』のショットでは、笠智衆が本を鞄にしまっているんですが、その本がニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』であることが一瞬見えます。一見ファミリードラマである小津のこの映画に、このドイツの哲学者が登場するというだけでも面白いのですが、私はこれは確実に意図的な選択だと思います。
 実際、『晩春』の別のシーンでは、笠智衆が電車で雑誌を読んでいるんですが、その雑誌がかつて京都学派の座談会が掲載された『中央公論』であることが見てとれます。そういったさまざまな参照項が、彼の映画のテクスチュアに非常に繊細に織り込まれている。明快な、簡単に分類できるような立場表明の不在が、彼らの作品をどこまでも豊かにしていると思います。彼らはすでにアポリアなんです。なので、彼らは《旅館アポリア》のお客様として完璧でした。

     *

浅田 僕は先生と呼ばれるのは嫌です(笑)。肩書きとして「思想家」と書かれているけれども、思想家や哲学者を自称したことは一度もなくて、単なる一介の批評家です。その上で言うと、成功裏に終わったという楽天的なことを言ったつもりはなく、大きなトラブルになって、これからが大変だろうとも言ったつもりです。会期の終わりが近づいて、愛知県が「表現の不自由展・その後」の再開に向けて動くと報じられたとたん、文化庁が採択済みだった補助金の交付をやめるという無茶苦茶なことを言い出しました。だから、これからどんどん闘争が続くんですよ。だけど、そういう国にいま我々は生きているんだということがわかっただけでも、「トリエンナーレでいろんなものが見られてよかった」で終わるよりよかったんじゃないか。というか、アートを含む文化一般はつねにイデオロギー闘争の場なんです。それにアクティヴィストとして関わっていく人もいれば、アクティヴィズムから距離を置く人もいるでしょう。最初に言ったように、僕は、実行委員長の知事とアーティスティック・ディレクターが最後まで粘り腰で頑張ったのは大したものだと思うけれど、彼らが一時的にせよ検閲を行ったと批判するアーティストがいてもいいでしょう。そうした矛盾を孕みつつ、キュレーターもアーティストもそれぞれの立場から忍耐強く創意工夫をもって闘争を続け、限定された形ではあるけれども、最後の段階になって、公開中止になっていた展示が再開されるところまで漕ぎつけた。これはひとつの成果であり、今後の闘争にとっても大きなヒントになるだろうと評価しています。

  • 上に言及したKendrick Scott Oracle『Conviction』のベーシスト、Joe Sandersの参加作を探っていたら、Raul Midonの『Bad Ass And Blind』で弾いているのを発見した。彼とともにGerald Clayton、Gregory Hutchinson、Nicholas Paytonといった人々が数曲で客演している。なかなか面白そうだ。

2020/5/2, Sat.

 (……)統計的には一九三三年から三六年までの「第一次四カ年計画」によって失業者が六〇一万人から一五五万人に四分の一近くまで減少したこと、一九三二年に最低水準であった国民総生産が三六年までに約五〇%上昇したこと、国民所得も四六%増大したことなど、彼が経済回復・景気回復に成果をあげたのは事実である。
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、10)



  • 一時四〇分まで鈍漫な寝坊に耽る。快晴で、暑い。昨日の夕刊には、今日の最高気温は二八度だとか書かれてあった。茶を注ぐ際に肌を張ってみたところ、空気に含まれている熱の感覚が既に夏を思わせるもので、五月になったその途端にいかにも初夏らしい。外では風が流れているようで、レースの白いカーテンの向こうで樹々の緑が黄色い光と混ざって明るく揺らいでいる。と見る間に、室内にもいくらか風は入りこみ、慎ましやかに身に触れてきながら肌をさらさら快く撫でてくれる。
  • 夕刊。一面に「コロナ最前線@北京」、【住宅地に「防疫隣組」/検温 出入り厳格管理】。「北京では4月15日を最後に新規感染者は確認されていない」ものの、例えば「北京中心部に位置する居住人口約1万人の集合住宅地「三源里社区」では、今も人の出入りが規制されて」おり、「通行証を持ち、体温検査をクリアした人だけが立ち入りを許される」。この出入検査を行うのは、「集合住宅地の一つ一つを単位とする「社区」ごとに住民の管理を担う共産党末端組織の居民委員会が組織した"ボランティア"だ」と言い、習近平国家主席も二月、北京市内を初めて視察した際に、「社区は防疫の最前線」だと述べたらしい。彼らはほかにも共用スペースの消毒や各家庭への宅配などの仕事もこなすということで、ボランティアの一人が「社区の安全と健康は、私たちにかかっている」と語るように、「組織の統制力」のみならず「個人の熱意」も一面では感染症対策に寄与しているようだが、「あまりに厳格な管理体制」に不満を抱く住民も当然いるわけで、「3月には市内の別の社区で、マスクをせずに門前まで宅配物を受け取りに来た住民が委員会のメンバーから注意されたことに立腹し、相手を押し倒して身柄を拘束された」などというトラブルも起こっている。
  • 日中から日記に邁進して四月一二日分を綴り、夜には一三日分にも入った。
  • 「bookbang」や「週刊読書人」のサイトから、気になった書き手や面白そうな本の書評記事を次々と「あとで読む」ノートにメモしておいた。
  • 夕食はまたしても筍の天麩羅。例によって父親が採ったらしい。そのほか蕎麦を茹でたのだが、これは隣のTさんの息子さんから貰ったと言う。息子さんと言っても親が遠からず一〇〇歳になろうとしているところだから、多分もう七〇代ではないかと思うが、彼は蕎麦屋をやっているのだ。悪くない味で、わりと美味い蕎麦だった。
  • 夜歩き。西方面へ進む。草木の吐いたものらしき匂いが大気のうちに、気温が上がったためにやはり多少濃く混ざっているようで鼻に触れてくる。月は先日と比べてだいぶ高くなり、形も厚みも半月ほどにまで膨らんでいて、道端からは虫の音が湧き、夏蟬の先触れ先達者、そんな感じでざらざらとしたノイズを撒いて騒いでいる。
  • 十字路の自販機で「Welch's まる搾りGRAPE50」の空ボトルを捨て、同じ品を買ってから先に進みつつ、まったく時間が過ぎるのがやたらに速いなあと思った。いつの間にかまた夜を迎えてもう散歩に出ているとは、まるで時間というものが繋がっているなどとはとても信じられないようであり、ラッセルが唱えたと言ういわゆる世界五分前創造説がにわかに信憑性を帯びてくるような感じだ。と言うかむしろ、五分前どころか、この世は一瞬ごと刹那ごとにその都度創造し直されているのではないか、というような感覚で、「時間が過ぎる」という捉え方そのもの、時間を持続として考えるものの見方そのものが、人間の認識によって生み出された途方もない錯誤なのではないかという気もしてこないではない。全然知らんので適当だけれど、ことによるとニーチェあたりは、(あるいは狂気を引き換えにして?)その外にある世界を垣間見ていたものかもしれない。
  • 坂を上ったあとで裏通りをまっすぐ進まず、今日は早めに街道に向けて細い急坂に折れたのだけれど、その入口傍で横の石段上から低木が大きく茂って張り出しており、しかし先日ここを通ったときにはこんなにはみ出していた覚えはない。何の樹だか知らないが、この数日で一気に育ち、膨らんだとでも言うのだろうか? 街道に至るそのすぐ手前の一軒にも随分大きな樹があって、梢が頭上を覆っており、その幹の太さにこの日初めて意識が行って、めちゃくちゃ太いやんと思った。ギリシア神話に出てくるような巨人の腕か太腿でも想像させそうな感じだ。何の樹だったかよくも見なかったが、樹皮のひび割れた模様からすると多分松の類だったろうか? 小学生の時分にこのあたりで松ぼっくりを拾った覚えもあるから、おそらくそうだろう。
  • 街道を行けば、向かいから流れてきた車が急にスピードを上げて大きく甲高い嘶きを立て、それが六台連続した。外観上の新しい古いには多少差があったものの、いわゆる「シャコタン」というものか、この言葉ももはや死語かもしれないが、いずれもことごとく車体の下端が低くて地面に近く、餅を上から押し潰して伸ばし広げたような、一様に平べったい姿を取っていた。多分、車で走るのが好きな、おそらくちょっとやんちゃな人種の仲間たちだろう。ほかに車通りがないのを良いことに、思う存分走り回って愛機を鳴かせることができるというわけだ。
  • 最寄り駅前まで来ると通りの向かいの道端に赤い花の茂みがあって、あの紅紫は、あれも躑躅らしいなと車道を挟んで目を送った。葉の緑と花の赤味でもって、粗い市松模様みたいな像を成している。それから今日も街道沿いを東へ歩き、習慣に拠って肉屋の脇から下り坂へ折れると、入ってすぐ横の草むらには黄色い花が増えており、顔を寄せてみれば、四弁が十字を描いているだけの実にシンプルな、飾り気のない花だった。帰ってから検索してみた限りだと、多分クサノオウという花だと思う。Wikipediaの記述によれば、「植物体を傷つけると多種にわたる有毒アルカロイド成分を含む黄色い乳液を流し、これが皮膚に触れると炎症を起す。皮膚の弱い人は植物体そのものも触れるとかぶれる危険がある」と言い、「全草に約21種のアルカロイド成分を含み、その多くが人間にとって有毒である」一方で、「古くから主に民間療法において薬草として使用されてきた歴史がある。漢方ではつぼみの頃に刈り取った地上部を乾燥させたものを白屈菜と称し、特にいぼ取りや、水虫、いんきんたむしといった皮膚疾患、外傷の手当てに対して使用された。また煎じて服用すると消炎性鎮痛剤として作用し胃病など内臓疾患に対して効果がある、ともされている。しかし胃などの痛み止めとして用いる際には嘔吐や神経麻痺といった副作用も現れる」らしい。「西洋ではケリドニンの中枢神経抑制作用を利用してアヘンの代替品として用いられたり、がんの痛み止めにも使用された。日本では晩年に胃がんを患った尾崎紅葉がこの目的で使用したことで特に有名である(……)」とのことだ。命名の由来については、黄色の乳液から取って「草の黄」となったのではという説のほか、「皮膚疾患に有効な薬草という意味で瘡(くさ)の王」、あるいは「皮膚疾患以外にも鎮痛剤として内臓病に用いられたことから、薬草の王様という意味で草の王」と呼んだなどと、諸説あるようだが、それにしてもあのような小さくささやかで慎ましげな花に対して「王」とは、また随分大仰な名づけである。「属の学名 Chelidonium は、ギリシャ語のツバメに由来する。これは母ツバメが本種の乳液でヒナの眼を洗って視力を強めるという伝承に基づいている」というのも面白い。そのほか、タンポポが何個か綿毛のドームを、カプセルを、バリアーを、ATフィールドを、あるいは魂を、惑星を、この地球の最小の縮図をと、どんな比喩で言っても良いのだけれど、ともかく冠毛を無数に結合することで構築された綿球をふっくら丸々と拵えていた。
  • 坂を出て自宅へ向かうあいだに、一瞬だったが和笛の音が家並みのあいだの宙に響いて、祭囃子のメロディを作った。おそらくSさんの宅で吹いていたのだろう。今日は本来ならば、青梅大祭の一日目だったのだ。
  • Ibrahim Maalouf『Diasporas』。Ibrahim Maalouf(tp)、Alex McMahon(electronics)、Francois Lalonde(ds / perc)などの演者。ほか、ウードやブズーキ、またカーヌーン(Kanun)とかいう楽器や、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器が曲によって入っている。Maaloufという人は何と、『アラブが見た十字軍』とか『アイデンティティが人を殺す』(小野正嗣訳)などの著書がちくま学芸文庫に入っているアミン・マアルーフの甥なのだと言う。まさかここが繋がるとはまったく思っていなかった。
  • Sさんのブログ、二〇二〇年一月一五日。マーク・ファリーナなる名前は初見である。テクノとかハウスとかドラムンベースとかそういう、クラブ系の音楽と言ってしまって良いのかわからないけれど、そういった方面についてはいままで全然触れてこなかったのでまるで知らない。

ハウス・ミュージックにおけるマーク・ファリーナのサウンドは、他のDJとは一味も二味も違っているように思われる。ふつうに聴いていると単に陽気で能天気な、いかにもな四つ打ちのパーティー音楽に聴こえるのだが、なにしろ元曲の分解度が半端じゃないというか、とにかく一曲がずたずたに、粉々に粉砕されて、細かい切り身になった要素が再び強引に結びつけられて、ズレをはらみながらも危うく元の一曲としての均衡を保ちながら無理やりビートに乗せられている感じで、テイストとしてはぜんぜん違うけど、それこそJ Dilla的な世界と通じ合うところもある気がする。なまじ明るくて陽気な雰囲気なので、まるでげらげらと笑いながら、深い部分で手の施しようもなく狂ってしまっている感じがして、そういうとこが好き。

  • 青空文庫」を何となく閲覧して、気になった作家や文章の記事を大量に「あとで読む」ノートに追加した。樋口一葉などやはり読んでおきたい。
  • Bill Evans Trio, "All of You (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3)を聞く。開幕すぐに、思ったよりもベースが膨張的と言うか存在感が強いと言うか、低音部が思いのほかに膨らんでいるという印象を受けた。テイク一と比べてのことだろうか? 先日聞いたときの記憶が定かでないのだが、予想していたよりも意外と、という感を得たのは事実だ。そのテイク一はとにかくドライブ感が凄まじかったのだけれど、それに比べるとテイク二はおとなしいと言うか落ち着いているような感じがあって、緊張感みたいなもの、あるいは音楽的結合の統一性は、ことによるとテイク一よりも緩いかもしれない。まだしも隙間があるような印象だけれど、そういう感じ方がもし当たっているのだとすれば、それは一つにはおそらく、Paul Motianがスティックに持ち替えないまま最初から最後までずっとブラシで通しており、なおかつ基本的に二拍四拍のハイハットをきちんと保ち、一貫して崩していないからだろう。また、もしかしたら全体のテンポもテイク一よりいくらか遅いのかもしれない。そうした諸要素が作用したものか、ピアノソロの終盤でEvansがまっすぐ駆け上がった瞬間など、クラシック音楽的なニュアンスと言うか、慎ましやかな怜悧さに貫かれている室内楽みたいな均整の感覚が一瞬生じた。そのような印象に引きずられたのかもしれない、ベースソロも何となくやはりちょっと落着き気味で、知性を用いてやや抑えながら構築しているような感触を得た。終盤、テーマに戻ってからはMotianが、あれはハイハットのオープンなのか何なのかわからないけれど、ツッ、ツーッ、という短音と長音を組み合わせた二音単位の、目立って装飾的なシンバルの響きを四回くらい、いかにも彼らしく根拠の見えない気ままなタイミングで差しこんでいて――最初の三回は大体同じくらいの間隔を置いて連続していたはずだが、最後の一回だけそこからちょっと間が空いたと思う――それが毎回、聞くたびに印象的である。
  • Horace Silver, "Blowin' The Blues Away"(『Blowin' The Blues Away』: #1)も聞く。ソロはまずJunior Cookのテナーサックスだが、ソロよりもHorace Silverのバッキングの方が思いのほかに元気いっぱいで、細かくリズミカルに打ちこんでおり、こんなに活発だったのかと気づかされた。いかにもファンキーな、弾むような伴奏のつけ方である。一周ごとに結構アプローチを変えているのも聞き取れて、手札も意外と多彩なのだなという印象を持った。サックスソロの中程ではドラムもピアノの強調的なリズムにシンバルを合わせに行っており、Cookはソロ全体も短いし、そうしたバックの活気に負けてしまっているような感じを受けないでもない。この曲ではまあ、トランペットのBlue Mitchellの方に軍配が上がるのではないか。Silverのピアノソロは、主役なので管楽器よりもだいぶ長めで、同じフレーズ形式、同種の音形を活用しながら巧みに展開していく場面が多くてわかりやすいし、なおかつ嵌まっている。全体に渡って弛緩しておらず、余計な音もなく気持ち良く跳ねていて、充実したソロだと思う。ピアノソロのあとは管楽器の細かなチェンジが交錯し、その後サブメロディと言うか、テーマに回帰する前のキメとなるユニゾンがあって、リズムのブレイクとともにテーマメロディが戻ってくるのだが、このユニゾン・ブレイク・テーマの流れは見事に格好良く決まっていた。
  • 四時二〇分に床入りしたものの、眠りは全然やって来ない。まったくもって退屈だ。夜の、夜と言うかもはや明け方だが、一日を終わらせるための眠りというものは、この上もなく面倒臭い。眠りの訪れをただ待つだけの瞑目の寝床では、今日の出来事を思い返したり、詩句をちょっと考えたりするくらいしかやることがない。外では鳥がもうことさら熱心に、ひっきりなしに、絶えることなく鳴いている。ウグイス、カラス、ヒヨドリ、そのほか知識不足で名前と結びついていないものたち。彼らはこの夜明けから、昼日中を通過して、夜中までではないにしても少なくとも暮れ方まではずっと、とどまることなく鳴き続けるわけだ。それが鳥の労働であり、まあ言ってみればおそらく本能でもあり、もしかしたら思考ですらあるのかもしれない。この地球上に、鳥という種族が生息していない土地はあるのだろうか? 彼らの鳴き声が響かない大地が。
  • 今日は書抜きや「英語」及び「記憶」記事の復読をできずに終わったが、とは言え久しぶりに音楽をきちんと聞けたのはとても良かった。音楽に耳を傾けるという時間は、やはりとてつもなく面白い。一日に二曲だろうと一曲だろうと良いので、確実に時間を取っていくべきだろう。疑う必要のない完璧な真理だが、音楽を鑑賞するという行為は、この現世においてもっとも豊かな時間の一つである。


・作文
 14:51 - 16:24 = 1時間33分(12日)
 19:08 - 20:02 = 54分(12日)
 21:17 - 21:35 = 18分(12日)
 23:29 - 24:24 = 55分(13日)
 26:40 - 27:13 = 33分(詩 / 2日 / 13日)
 計: 4時間13分

・読書
 16:24 - 17:40 = 1時間16分(シェイクスピア『夏の夜の夢・あらし』: 74 - 159)
 24:24 - 25:36 = 1時間12分(シェイクスピア『夏の夜の夢・あらし』: 159 - 181)
 25:38 - 26:07 = 29分(日記 /ブログ)
 27:37 - 27:46 = 9分(蓮實)
 計: 3時間6分

・音楽
 27:46 - 28:18 = 32分

  • dbClifford『Recyclable』
  • Ibrahim Maalouf『Diasporas』
  • James Levine『James Levine Plays Scott Joplin
  • Bill Evans Trio, "All of You (take 2)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#3)
  • Horace Silver, "Blowin' The Blues Away"(『Blowin' The Blues Away』: #1)

2020/5/1, Fri.

 もっとも、ヒトラー政権が雇用の拡大と経済回復に取り組んだのは、政権の安定させることが目的であり、それによってナチ思想を実現しようとしたためである。ナチ思想とは、要するに反ユダヤの人種論を根底に、国内的にはすべての社会集団が「公益」のための〈民族共同体〉に一体化し、一人の指導者に無条件にしたがう体制(「総統国家」)をつくることである。ここではドイツ人は身分の違いが平準化されて〈国民同胞[フォルクスゲノッセ]〉となる。また対外的にはドイツ民族は優秀な「アーリア人」として劣等の他民族を支配する存在である。これにたいしてスラヴ民族は「従属の民」でありながら、本来ドイツ民族の「生存圏」である土地に生きている。ドイツが「相応の領土」を確保するのも、この優勝劣敗の人種思想の見地から正当化できる。
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、2)



  • 夢見。NKとともにいる。知り合いでない女性もいて、彼女は眼鏡を掛けていたかもしれない。その人が身体を寄せて、こちらの上に乗りながら寝るようにしてくる。それとは多分別だったと思うが、淫夢の類も見たような覚えがかすかにある。
  • 七時台だったか八時過ぎだったかに一度眠りを出た。何やら虫の翅音が耳に入ってきたためである。見ればどこから忍びこんできたのか、カーテンの表面に蜂が寄り、浮遊しながら盛んにぶんぶんいっている。どうしようかなと思った。キンチョールを吹きかけて殺してしまおうかとも思ったのだが、部屋の逆側の棚の上に置かれたそれを取るために起き上がるのがまず面倒臭い。それでぐずぐず伏したままでいると、蜂はカーテンの上部を越えて布と窓ガラスのあいだに入っていったので、とりあえず幕を開けた。今日も澄みやかな水色の好天である。蜂はガラスの上にとまったので都合が良いと窓をひらき、少々苦戦しながらも最終的に広大な自然界の大気中に逃がしてやることに成功した。そうしてふたたび寝に入る。
  • 上の記事のなかにはまた【ロヒンギャ 再び受難/コロナ対策で接岸拒否】という見出しを付された小さな囲みもあり、「マレーシアの地元英字紙スター(電子版)などによると、北西部ランカウイ島沖で4月16日、マレーシア空軍機がロヒンギャ約200人を乗せた船を発見し、「ウイルスが持ち込まれる可能性がある」として、周辺海域から立ち退かせた」という出来事が伝えられている。同様に、「4月15日には、バングラデシュ沿岸警備隊ロヒンギャを乗せた船を保護し、約400人を救助したが、AFP通信によると、約60人が死亡したという。船はマレーシアとタイで接岸を拒否されていた。バングラ沖ではさらに2隻が漂流中だが、バングラ政府は受け入れを拒否している」。
  • 同じ国際面には、【コロナ対応 米医師自殺/心のケア 求める声】なる記事も載っていた。「米ニューヨーク市で、感染者の治療の最前線に立ってきた女性医師が自殺した」。「この女性医師は、マンハッタンの病院で救急部門の責任者として働いていたローナ・ブリーンさん(49)」で、父親の証言によれば、「同僚は1日18時間の勤務を続け、廊下で睡眠を取っている」と労働環境の実態を明かしていたらしく、彼女自身、「ウイルスに感染しても、1週間程度職場を離れただけで、復帰していた」と言う。
  • 食後、風呂を洗う。父親はその間、台所で丸盆に食事の支度をしていたが、浴室から出てくるとその姿がなかった。外で食っているらしい。それでこちらも倣い、天気も良いし肌に光を吸わせるかというわけで、 シェイクスピア安西徹雄訳『ヴェニスの商人』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)を部屋から取ってきてベランダに出た。床がほとんど全面日向で占められ明るみを敷かれているそのなかに胡座を取って座りこみ、ジャージのズボンの裾をまくって脛を露出させつつ書見した。あたりからは鳥の鳴き声がかわるがわる立ち、水飛沫のように跳ね回って、空間そのものが賑やかな動感を帯びている。鵯が叫び、鶯ももちろん歌い、近間のどこかでは犬も繰り返し吠えており、鳴き声が並んだ屋根を越えて浮かんで大気に響き白煙めいた淡い気体の様態をもって流れてくるその先には、川の音[ね]もささめいている。陽射しは旺盛、肉体のすべてがまさに包みこまれて浸りきり、肌の上に膜をぴったり貼られたように、密閉的なカプセルのうちに取りこまれたかのように、まばゆい光のバリアーに保護されたかのごとくに温[ぬく]い。ピーク時にはかなり肌が火照って熱を帯びた感覚があったが、皮膚が汗を分泌して温度を下げてくれたのだろう、その後いくらか涼しくなって、膜は消えて温気が籠る感じはなくなった。風はあまり吹かなかったような印象が残っている。
  • 一時前まで五〇分ほど読んだあと、洗濯物を取りこみタオルを畳んで自室へ。四月三〇日、つまり昨日のことをメモしたのだが、途中でインターネットをうろついたりもしているので、やたら時間が掛かってしまう。三時過ぎまで費やしてようやく区切り。それからベッドに倒れて書見、『ヴェニスの商人』を通過して、シェイクスピア福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)を読みだした。相変わらずシェイクスピアの流れを踏みつつ、一応喜劇の路線にも沿ってみたのだが、福田恆存の翻訳は特に問題はないものの、彼は一九一二年生まれだしこの本は七一年発刊なので、時に古めかしさを、臭気めいたものを感じることは否みがたい。安西徹雄の訳の方が一つの作品の文体としてより高度に、稠密に有機的に統合されていたような、こちらとしてはそんな印象を受ける。平たく言えば、細かな点まで隅々入念に目が配られて、言葉がうまく流れるように心を砕いてきちんと嵌めこまれているように感じたということだ。
  • 五時に至って夕食の支度へ。母親が既にサラダをこしらえて餃子を焼いていたので、焼き手を替わってフライパンの前に立った。Ajinomotoの餃子で、この製品は油を引かなくても良い仕様になっているところが、オリーブオイルをちょっと垂らしたらしく、フライパンの一隅が毒々しいような黄緑色と言うか、料理において目にするにはあまり好ましくはない色に泡立っていた。火勢を調節しながらしばらく焼き、フライ返しでひっくり返しておくと、冷凍庫に保存されてあったお好み焼きを食べることに。先日、筍などを揚げた際に衣が余ったのでそれを利用して焼いたものだ。電子レンジで温めたあと、卓に移って食事。
  • 「(……)」に最近入ってきた子供はことごとく「クソガキ」や「悪ガキ」揃いでとても疲れる、と母親。人のことをすぐ叩くし、と言う。ある子は、昼食が「赤いきつね」の小さなやつ一つのみなのだとか。弁当あげれば良いじゃんと言うと、職員と子供では昼食を取る時間が違うのだということだった。それに、今はやめたほうが良いでしょと続けるので、弁当分けてあげるくらいで掛かってたら、同じ場所にいる時点でもうアウトだわと返した。
  • J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』(法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年)を書抜き。(……)

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  • インターネットをぶらぶらとうろついていたその最中、難波和彦という建築家の日記を発見した(「神宮前日記」と題されている)。建築方面の知識はまったくないのでこの人の名前もいままで知らなかったけれど、悪くなさそうだ。しかももう相当に長く、二〇〇二年の九月一日から、あいだはどうだったのか知らないが、ちょっと覗いた限りでは毎日欠かさず書かれている。やばくない? とても素晴らしいと思う。
  • 夕食とともに夕刊。二面に、佐藤勝彦という理論物理学者の人が取り上げられていた。一九四五年生まれ、東京大学名誉教授。三〇代半ば、「コペンハーゲンの研究所に客員教授として招かれた時期に、「宇宙は誕生直後に急激に膨張した」とする理論を発表した」。それは、「空っぽで何もないと思われる真空にも、実はエネルギーが潜んでいる。このエネルギーによって斥力が働き、宇宙誕生後わずか10のマイナス36乗秒後に加速的な急膨張が起こった。すぐに膨張が終わると、そのエネルギーが熱に変わって火の玉宇宙(ビッグバン)ができたというもの」で、「80年代初めの発表当初は冷ややかに見られた」ものの、のちに「インフレーション理論」として認められるようになったと言う。若き大学生時代、一般相対性理論があまりにも「単純で美しい」ことに打たれたという氏は、「美は真 真は美」なるジョン・キーツの言葉を引きつつ、「美しいものの中に飛び込まないと、真理を探究できないのではないか」と述べている。
  • 同じ二面の左方には土屋賢二という人――確か、わりと易しめの本を書いている哲学者ではなかったかと思うが――が、「もったいない語辞典」というコラムに登場しており、「豪傑」の語について短く語っている。そのなかに、「豪傑」なるあり方は、「戦後しばらくは、男の理想だった」と証言されていて、具体的な例としては、「留年を限度いっぱいまで繰り返す大学生は豪傑として称賛された。大学生は、オシャレを排して弊衣破帽を貫き、清潔を嫌って1か月間風呂に入らず、安定も幸福も拒否して、貯金を軽蔑した」という往時の若者の態度が記されている。「どんな事態にもたくましく生き抜く男の理想」を目指すにしても、よりによってわざわざ入浴を嫌わなくても良いだろうと笑わざるを得ないのだけれど、ここで思い出したのが、森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』のなかに、「パンツ番長」みたいな異名を持ったまさしく豪の者が出てきたことだ。よくも覚えていないけれど、確か一目惚れした女性にもう一度会うまでは決してパンツを脱がないと神仏に願を掛け、性器の病気になりかけながらも誓いを守り通してついに想い人と再会することができた、みたいなサブエピソードがあったのだと思う(ちなみに、「パンツ番長」の懸想した相手というのは、大学祭で「象の尻」なるよくわからない展示を公開していた女性だったはずだ)。あの「番長」も、古き時代の「豪傑」をパロディ化したキャラクターとして描かれていたのだろうか。
  • Mさんのブログ、二〇二〇年二月二一日を読んだ。片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』の要約。

(……)「人はどのようにして精神分析家になるのか」と銘打たれた章で、「ラカン派には分析家の資格を認可する精度など」なく、「極端に言えば、自分自身が分析家だと認めれば分析家」ということになるという事実をはじめて知って、これにはけっこう驚いた。パスがあるのではないか? と思ったが、「さまざまな事情により、パスはあらゆるラカン派の組織が共有する精度にはなってい」ないのだという。では、分析家になる条件とは何かという問題が当然出てくるわけだが、その答えは「特異的なものを目指す欲望を手にしていることで」あるという。ラカン派における「分析家」という概念は、「単なる職業や資格の謂いではなく」、「特異性を目指す欲望(分析家の欲望)を備えた人々」を指し、その「分析家の欲望」を身につけるためには、「自分自身が分析主体となり、自らの分析を行っていくことが必要で」ある。そして「分析をある程度の年数以上行っていると、ある時に「自分にも分析ができる」と思えるようになる」が、その時こそほかでもない「分析家の欲望がその人に宿った」ということなのだ、と。また、ラカン派においては、「分析を終えた主体はみな特異性を手にして」いると考えられており、「つまりは精神分析家であるということにな」る。これは別の言い方をすれば、「精神分析が特異性を目指すということ、それは精神分析が新たな分析家の誕生を目指すということと同義」であるということだ。

     *

(……)『疾風怒濤精神分析入門』では、「時や場所が変わっても私たちの言うこと(パロール)」が変わらないのは——「自分はダメな人間だ」と思い込み続けたり、もう幸せなんてないと絶望し続けたり、(…)もう嫌だと思っても気づけばまた同じ悩みに陥ってい」たりするのは——、「私たちがいつだって同じような正確で、同じような考え方をしているからであ」り、「そうした〈同じこと〉の反復から抜け出すためには(…)決して共感しないような他者がいることが肝要」であり、それこそが分析家にほかならないとしている。分析家は「普通に共感できそうなことにも共感しないような態度を取」り、それによって患者は、自由連想中のみずからの発言(パロール)が宙吊りにされるのを感じる。分析家はこのように「意味を切ることによって、分析主体の発言(パロール)に切れ目を入れ」、「その切れ目から新たな発言(パロール)が出て来られるように」する。つまり、「分析の解釈とは〈思いもよらなかった新しいこと〉を言うよう、患者を促すためのもので」あり、それによって分析主体は「普段なら口にしないような〈もっと他のこと〉を言えるようになる」のだ。(……)

  • discogsを逍遥していて興味を惹かれた作品を五つメモしておく。
  • 「(……)」の詩における勘所、つまり締めくくりの部分で空白だった箇所の語を思いついた。「(……)」といういかにも凡庸な語になってしまったが、これまでに考えたなかではまあ一応、多分最も嵌まっているとは思う。


・作文
 13:24 - 15:13 = 1時間49分(30日)
 26:05 - 27:41 = 1時間36分(12日)
 計: 3時間25分

・読書
 12:08 - 12:56 = 48分(シェイクスピアヴェニスの商人』: 123 - 174)
 13:01 - 13:07 = 6分(シェイクスピアヴェニスの商人』: 174 - 179)
 15:13 - 17:02 = 1時間49分(シェイクスピアヴェニスの商人』: 179 - 241 / シェイクスピア『夏の夜の夢・あらし』: 11 - 55)
 18:17 - 19:44 = 1時間27分(ヒリス・ミラー、書抜き)
 20:52 - 21:14 = 22分(シェイクスピア『夏の夜の夢・あらし』: 55 - 74)
 21:53 - 22:16 = 23分(英語 / 記憶)
 24:25 - 24:41 = 16分(日記 / ブログ)
 25:57 - 26:04 = 7分(ブログ)
 27:41 - 28:16 = 35分(シェイクスピア十二夜』: 73 - 113)
 計: 5時間53分

・音楽

  • Jack's Mannequin『Everything In Transit』
  • Maroon 5『Songs About Jane』
  • Mike Stern, Ron Carter, George Coleman, Jimmy Cobb『4 Generations of Miles』
  • Gil Evans Orchestra『Blues In Orbit』
  • Guns N' Roses『Live Era: 87-93』

2020/4/30, Thu.

 しかしあなたは(というか人は誰も)、固有の自我というものを持たずして、固有の物語を作り出すことはできない。エンジンなしに車を作ることができないのと同じことだ。物理的実体のないところに影がないのと同じことだ。ところがあなたは今、誰か別の人間に自我を譲り渡してしまっている。あなたはそこで、いったいどうすればいいのだろう?
 あなたはその場合、他者から、自我を譲渡したその誰か[﹅2]から、新しい物語を受領することになる。実体を譲り渡したのだから、その代償として、影を与えられる――考えてみればまあ当然の成りゆきであるかもしれない。あなたの自我が他者の自我にいったん同化してしまえば、あなたの物語も、他者の自我の生み出す物語の文脈に同化せざるを得ないというわけだ。
 いったいどんな物語なのだろう?
 それはなにも洗練された複雑で上等な物語である必要はない。文学の香りも必要ない。いや、むしろ粗雑で単純である方が好ましい。更に言えば、できるだけジャンク(がらくた、まがいもの)である方がいいかもしれない。人々の多くは複雑な、「ああでありながら、同時にこうでもありうる」という総合的、重層的な――そして裏切りを含んだ――物語を受け入れることに、もはや疲れ果てているからだ。そういう表現の多重化の中に自分の身を置く場所を見出すことができなくなったからこそ、人々はすすんで自我を投げ出そうとしているのである。
 だから与えられる物語は、ひとつの「記号」としての単純な物語で十分なのだ。戦争で兵士たちの受け取る勲章が純金製でなくてもいいのと同じことだ。勲章はそれが〈勲章である〉という共同認識に支えられてさえいれば十分なのであり、安物のブリキでできていたってちっともかまわないのだ。
 (村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫、一九九九年、750~751; 「目じるしのない悪夢」)



  • 電話着信を知らせる携帯の振動のおかげで一一時半頃に目が覚めた。誰かと思えばNKである。出て、しばらく話を交わす。あちらも緊急事態宣言以降は仕事が五時までに減っていて、ゴールデンウィークもいくらか長くなったと言う。昨日は(……)の実家に帰って祖父母と並んで散歩をしたが、その辺りではやはり危機感はほとんどなくて、わりあい安全だと思っている雰囲気らしい。(……)市自体はしかし大きな病院が結構あるので感染者の情報は折に出ており、店に来る人から聞いても医療従事者は大変そうだと。とにかくお互い無事に乗り切って、まあまた元気に会いましょうと締めて通話を終えた。
  • 両親は蕎麦を食うとか言って筍をまた天麩羅に仕立てていた。二切れほどいただく。
  • UFOという文字を目にして、United Future Organizationのことを出し抜けに思い出す。このグループのCDは、本当にはるか昔のことだが一枚だけ持っていたことがあって、と言うのはまだハードロックに触れはじめてまもなかった中学の頃だが、ロックバンドのUFOと間違えてブックオフでこのグループの作品を買ってしまったのだった。当時はインターネット回線も今からすれば馬鹿げた遅さだったし、情報収集の能力もなくて何も知りゃあしなかったので、そうした錯誤が起こったわけだ。その時に買ったCDはすぐにおさらばしたと思うが、聞いたとしても中学生の自分では全然理解できなかったはずである。あれは何だったかなと思ってUnited Future Organizationの作品をAmazonで探ってみたところ、『No Sound Is Too Taboo』というアルバムのジャケットに見覚えがあったので、これだなと同定された。それでYouTubeを使って流す(https://www.youtube.com/watch?v=jqPZsX4atMU&list=PLoKPG_5WwqmArUBYN4hVrn1PAcIlzVCEE)。いわゆるクラブジャズとかアシッドジャズと言われる方面の音で、まあ悪くはない。
  • 昨日の散歩のあいだのことをメモする際に「弓月」という語を検索したのだが、そこで秦氏が「ユダヤ王族」を由来に持つ一族だと主張するページに遭遇した。さらにちょっと調べてみたところ、これはいわゆる「日ユ同祖論」と呼ばれる胡乱気な言説の一環らしく、この種の論説は以前にもどこかで目にしたことがあるような気もする。と言うか、ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』のなかに何かその方面のことが一瞬だけ触れられていたような記憶の手触りがあったので、いま書抜きを検索してみたところ、以下のような情報が記録されていた。

 (……)『国体の本義』が述べたように「国民性」は「清明心」であったかも知れないが、実際には国民全体が逸脱していた理念であった。このため『国体の本義』は、日本人のすぐれた特質を部分的に確認する自己満足の論文にすぎず、また日本国民に「我が国独自の立場に還」ることを勧めた望ましい行動の問答集でもあった。戦争は、皇国の道を世界中に拡げる神聖な使命と評されてきたかも知れないが、同時に日本の指導者層は、消え失せたままの道徳的な卓越を日本人が取り戻すよう期待する、生死をかけた誓約であると認識していた。
 その最も過激な声明は、一九四二年二月に大政翼賛会が発行した小冊子であったかも知れない。同会は一九四〇年、日本の合法的な全政党を併合した寄り合い世帯の準政府機関であった。大政翼賛会の調査委員会幹事で京都帝国大学教授の藤沢親雄が著わした同書は、『偉大なる神道の清めの儀式および日本の神聖なる使命』という堂々たるタイトルを付して英訳された。藤沢はまず、日本の天皇(皇尊[すめらみこと]という尊称を繰り返し用いた)が、宇宙の生命力を体現していると説き、日本(皇御国[すめらみくに])が古代の真の文明の発祥地であった、と印象的な冷静さをもって述べた。最近の言語学および考古学の証拠物件によれば、有史前に「世界家族的体制」が存在したことが明らかになり、そこでは日本が「祖国」とあがめられ、他の諸国(バビロニア、エジプト、中国を含む)は、「子供の国々」または「分岐国」として知られていた。証拠に基づくこじつけの中で藤沢は、古代メソポタミアのシュメール文明が、その名称や文化を皇尊からとったと述べていた。
 (……)
 藤沢および大政翼賛会の後援者が構想した世界体系は、「完全一致、大調和」という家族の型に沿った「基本的垂直秩序」であったのであろう。日本ならびに天皇は当然、この世界的コミュニティの家長として崇拝される一方、他の諸国は「しかるべき地位」を引き受けることになる。さらに日本の古代の役割を祖国であり世界文明の源であると仮定すれば、日本が地球の隅々まで拡げていた「大義」を、他の民族や文化が高く評価することを期待するのは無理もなかった。新世界秩序の建設を目指す日本の聖戦は、他の文化における古くからの日本に対する恩義という眠れる記憶を呼びさますかも知れなかった。つまるところ藤沢は、注目すべき仮説を論理的な結論に導き、次の通り述べた。「中国人、インド人、ユダヤ人に見られる似たような儀式は、全人類の神聖な母国である皇御国の大祓に由来することは大いにありうる」。キリスト教徒も彼らの宗教上の教えの中に、特に新約聖書使徒ヨハネの書に、大祓を暗示するものを見出すであろう。
 (ジョン・W・ダワー/猿谷要監修/斎藤元一訳『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別』平凡社ライブラリー、二〇〇一年(TBSブリタニカ、一九八七年)、381~384)

  • もっとも上に示された藤沢親雄の主張は「日ユ同祖論」どころか、輝かしき我らが日本国こそが「古代の真の文明の発祥地」であり、全世界の民の「祖国であり世界文明の源であると仮定」するものなので、さらに一段と「過激な」考えだと言うべきだろう。そこまで突き抜けず「日ユ同祖論」の段階であっても、インターネット上にはこの説を支持するらしいブログが結構見つかる。「日ユ同祖論」そのものの学術的正当性如何は知らないし、さしあたっては大した興味もない。ただそうしたページの大方は、例えば一つのサイトに「調和と繊細な美を大切にする日本文化のルーツが秦氏にあるということは、神の選民の血が日本人のうちに息吹いていることを意味し、それは日本人の誇りなのです」と堂々と記述されているように、①「ユダヤ人」は「神」に選ばれたのだから、彼らは「神の選民」として特権的に優れた民族である ②「日本人」のルーツを遡っていくと「ユダヤ人」に到達する、すなわち「日本人」と「ユダヤ人」は血族的に同祖である ③従って、「日本人」もまた「ユダヤ人」と同様に(特権的に?)優れた民族であり、「ユダヤ文化」を起源に持っている「日本文明」も、まさしく大きな「誇り」を抱くべき偉大な文明である――という見事に単純明快な論理形式を具えており、結論部分をどうしても言いたいがために、涙ぐましく躍起になって証明を頑張っているという姿勢が明白である。つまり、証明過程が結論に、すなわちイデオロギーにあらかじめ従属しているということだ。このような「日ユ同祖論」に関しては、学問的に確固としたやり方で精密な研究と検討に努めるならばいくらかは面白いことになるという可能性が、まったく、完全に、塵の一粒ほどもないとは断言できないかもしれないが、上のような論述形式に奉仕する限りでは、それはもちろん、自らの民族的・文化的アイデンティティに特権的な「誇り」を持ちたい人々の「選民」化欲求を表すだけの、抽象的かつ退屈なナショナリズムの一形態に過ぎないだろう。
  • 日記を綴ったのち、三時頃から書見に移った。シェイクスピア安西徹雄訳『ヴェニスの商人』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)である。そうして三時半を過ぎたところでベランダに干してあった布団を、両親の部屋と自室と双方に取りこんで、それからいくらか風と光に当たるかというわけで、玄関からサンダルを突っかけて外に行った。すぐ近間にある駐車場の区画に温和な陽射しが残っていたので、そこの日向に入ろうと、ジャージのポケットに両手を突っこんでぶらぶら歩き、それで西陽のなかに入れば肌は途端に、意外なほどに温まる。上半身は褪せたような黒の肌着一枚のみの軽装である。空っぽにひらいた駐車場の一つの角に寄っていくと、すぐ手もと、柵の上に蝿が二匹連れ立ってきて、揃って止まったその一組を眺めれば、二匹ともまったく同じ種である。ことによると、つがいだろうか(と言って蝿という昆虫種の生態に、そもそもつがいという概念は適合するのか?)。その場でしばらく見下ろしていたけれど、二匹揃ってちっとも動かずじっと停まっているのでじきに離れ、駐車場内をうろつきながら腕を振ったり背を伸ばしたりする。蝿はその後も何匹か周囲を飛び回り、ほかにも微細な羽虫がたくさん、淡い明るみのなかで紙吹雪のごとく宙を行き交うそのあいだに、風は絶えず流れめぐって林のうちにはざわめきが籠る。
  • 駐車場の脇を一段下ったところに公有地だとか言う花壇があって、そこにピンク色の躑躅が満開を誇って敷地を埋めていたので、浅い下草を踏み越えつつ柑橘の樹の下をくぐって見に行った。その樹の黄色い果実も足もとにいくつも落ちて転がっている。躑躅に惹かれて行ったはずがその印象は正直さほど残っておらず、艶消しの苺みたいな赤さで鮮やかに明るくはあった、とそのくらいで、それよりむしろパンジーの方が記憶に強く留まっている。躑躅のほかにこの花も何色か植えられてあったその脇にしゃがみこんで、白の内部が濃い紫に染まった一種をしばらく眺めたのだった。蝶々が一匹、真っ白な花にとまったまま息を絶やして静かに溶けていき、その姿がまるごと染みつき宿ったかのような色彩の濃さ鮮明さ、そして模様の形だった。と、このような比喩をいま(と言うのはこの文章を拵えている五月二二日現在ではなく、この場面のメモを取ったその時点のことだが)書き記しつつ、聖骸布のことを想起するとともに、ガルシア=マルケスの『族長の秋』のなかで大統領の母親――「腋の下がタマネギ臭いといって大統領を叱ることのできる、この世でたった一人の人間」(158)にほかならないベンディシオン・アルバラド――の姿が、その臨終の際にベッドのシーツに転写されたというエピソードを思い出した。

 (……)その日の夜明け、あたりがあんまり静かなので彼は目を覚ました。愛する母親のベンディシオン・アルバラドがついに息を引き取ったのだ。胸が悪くなるような異臭を放つ遺体のシーツを剝いだ彼は、一番鶏の鳴きはじめる淡い光のなかで、心臓に手をあてる格好で横向きになった、べつの体がシーツの上にあるのを見た。シーツに残った体には、病気でやつれた痕も年で崩れた痕もなかった。経帷子の裏表から油絵具で描いたように堅くて滑らかだった。病院めいた寝室の空気も清められる、若い花のような馥郁たる香りを放っていた。いくら硝石でこすったり灰汁で煮たりしても、その痕跡を消すことはできなかった。表も裏も素材の麻とひとつになっていたからだ。麻そのものになっていたからだ。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』(新潮社、二〇〇七年)、277~278)

  • この箇所だけ取り上げて読んでみても、具体的でしっかりとした感触と落ち着いた歩みを具えて無駄のない、さすがの筆致だと思う。しかし上の記述を書き写してみて新鮮に感じられたのは、読点のつけ方が意外とこまかかったのだなということで、「心臓に手をあてる格好で横向きになった、べつの体」と、「病院めいた寝室の空気も清められる、若い花のような馥郁たる香り」と、これら二箇所をもしこちらが作るとしたら、少なくとも現在の作文上のリズム感では、読点をつけずに前後を繋げて書いてしまうなと思ったのだった。後者に関しては前半の修飾部が直接的には「馥郁たる香り」に係るものなので、第二修飾部としてあいだに入る「若い花のような」との分離を明確にすると考えればまだつける余地があるけれど、前者のような箇所ではこちらだったら点を挟むことはまずないだろう。しかしマルケス及び鼓直の本文を読めば、それで違和感なくうまく流れているわけなので、このくらい細かく区切ってしまっても良いのだな、とちょっと新鮮に思ったのだった。
  • 四月三〇日の昼間、花壇でパンジーの紫色を見ていたときのことに話を戻すと、実際にその時点で抱いたのは先ほど記したような蝶の転写のイメージではなく、ほかの草花でもって染色したかのごとくにとにかく濃い、ほとんど粘りを帯びた液体のように強い色だなという印象で、触れれば指先に色がうつって濡れそうだとすら思われたくらいだ。ところで、シェイクスピア/野島秀勝訳『ハムレット』(岩波文庫、二〇〇二年)の註(二四三頁)に書いてあったのだが、パンジーという花の名の由来はフランス語の"pensée"で、したがって花言葉として「物思い」を、特に「恋の思い」を象徴するのだと言う。
  • しばらく花壇に佇んでから戻った上の道では、柑橘類のそばに生えた楓の樹が明るい淡緑にまとまって爽やかに統一されていた。それから家の方に歩いていくと、林の近くで母親が何か採っていたのでそちらの敷地に向かい、馬酔木が咲いたとか先日聞いていたので、何本か伸びた山茶花の手前に一つだけで立っているその低木を見上げて眺めた。確かに、白く小さく細かくて先を絞った袋のような、鈴蘭をやや思わせもする姿の花が群れていて、それを見ていると母親が、蒟蒻の花が咲いてるよと呼ぶ。本当にあれが蒟蒻の花なのか知らないし、もしそうだとして何故あんなところに蒟蒻などが生えているのかまったく理解できないが、地面から顔を出した葉っぱたちに囲まれたそのなかに一つ、セロリのような極々淡い白緑色の、花と言うか何と言うか縦に伸び上がった草が確かにある。蓋のついた筒みたいな見た目で、蝿などを誘って捕らえる食虫植物を連想させた。そこからさらに林のほうに入ったところ、頭上を完全に樹々に覆われたあたりには、昨日も目にしたシャガの花が群生していた。
  • 付近には沢と言うか、沢とも言えないくらいの浅くて小さな水の流れが通っているのだが、その周辺で母親は蕗を採っていたのだった。こちらも水流の脇にしゃがみこんで眺めると、ゆるく撓んだ水面に無雲の空の淡青が、青さと明度をいくらか落としてまろやかに変じながら宿りこんでおり、それが微小な水の襞によって精緻を極めたうねりを作り、この複雑な現象世界そのもののほとんど縮図であるかのような、秩序とも無秩序ともつかない生成転変の形象じみたモザイクを、あるいはまだら模様を形成していて、それは人間の限られた認識能力にあってはまったく区別をつけられず毎秒同じ形態の反復としか見えないけれど、現実には一瞬ごとに微妙に異なっているはずの無限の夢幻の系列を、差異の演戯を明け暮れ飽かず永続させている。
  • それからさらに、水路に沿って表の道路の方に少しだけ移動した。この水流は道路の下をくぐって道の反対側に抜けており、多分最終的には川に至るのだと思うが、道路の付近に来ると溝がいくらか深くなり、流れの幅もわずかに広くひらいている。その縁にまたしゃがみこんで、眼下をしばらく眺めて過ごした。水の上には蜘蛛の巣がいくつも張りわたされて斜めにかたむきながら層状の大きな幕を成しており、それらの中心にはそれぞれの製作者である主が悠然とたたずんで、落ちつき払って動かずに殿様然と構えている。水路を囲む石壁の一か所からは、どこから来ているのか知らないけれど支流があるようで管が突き出しており、そこからまさしく永久に排泄されつづける自然世界の小便のように、ゆるやかかつ一定の調子をもって細い水が流れ出て、下の水路に合流しながらじょぼじょぼという水音を絶えることなく立てている。と、蜘蛛の巣の一つに動きが生まれ、一匹の主が糸を伝いはじめたのだが、それを見れば体は小さく色も薄くていかにも未熟気な、子供ということはさすがにないのだろうけれど、人間で言えばまだあどけなさも抜けきれていない頃と見えて、どうも年若らしい蜘蛛であり、やはり若輩者はほかの年食った城主たちのようには行かず、貫禄とともにどんと構えて待ってはおれずにちょろちょろうろついてしまうものなのか。
  • 室内へ帰ると四時過ぎだった。昼の残りの蕎麦を食うことにして、葱・大根・人参をおろして混ぜるとともに冷凍された生姜のかけらをばら撒き、天麩羅も少々加えて煮込んだ。そうして食べれば、あまりにも美味である。温かく煮込んだ麺類というジャンルの料理が、多分この世の食べ物のなかで一番美味い。
  • その後、衣服にアイロンを掛け、またベランダに出て屋根の縁の掃除をした。屋根を外から見たときに斜めの線に当たる側面の領域と言うか、何と言い表せば良いのかよくわからないけれどともかく縁の部分に、いつからか鳥の糞が付着して固まっていたらしく白い汚れがあったので、それを拭い取ったのだった。輪ゴムを用いて棒の先に雑巾をくくりつけただけの原始的な道具を伸ばして擦り落とし、ついでに周辺も多少擦って綺麗にしておいたあと、自室に帰って日記を書く。あるいはアイロン掛けや掃除の方が食事よりも先だったかもしれないが、よく覚えていないしどちらでも良い。
  • 日記作成中、外で父親が何か動物に声を掛けまた舌を鳴らしている気配が聞こえてくる。猫かなと思った。隣のT家の庭から我が家の南側にある畑のあたりにかけて、結構頻繁にうろついている猫がいるのだ。発情するのか深夜に切なげな声をあげているのも多分その猫ではないか。それで網戸にしていた窓に寄って顔を出し、何、猫、と父親に訊いたのだが、動物はもう去ってしまったあとで姿は見られなかった。
  • 今日は午後八時の時点で既に、合わせてぴったり五時間も文を書いているのでなかなか勤勉だと言って良いだろう。とは言え書いたのは今日と昨日のメモが一つ、それに加えて一〇日及び一一日の二日分をまだ仕上げたに過ぎないのだが。ただまあこれだけの時間、わりと熱心に文章を作っていれば、おおかた文を生産するだけの機械と言うか、そういう種類の存在あるいは主体となっているような感じがあって、結構悪い気分ではない。
  • Maroon 5の『Songs About Jane』を掛けて、"This Love"とか"She Will Be Loved"とか、"Sunday Morning"とかの定番所を歌う。悪くない。低劣ではなく、質は確保されており、あまりに品のないポップスではないし、毒にも薬にもならないような音でもない。
  • 八時四〇分前まで文を書いて部屋を抜け、夕食前に散歩に出向いた。今日も北側に月が出ているが、一瞥して前日よりも黄味が薄れて白っぽくなったような印象を受けた。もうそこそこ厚みをそなえて櫛型ほどには膨らんでおり、空は今夜も無雲なので星もちらほら明瞭に穿たれている。公営住宅前を縁取るガードレールの下にまったく味気のない草が植えこまれて道沿いにずっと続いているのだが、そのなかに花が咲きはじめているのを見た。よほど小さい種類だが、赤で、どうも躑躅らしい。とすると、この全然色気を感じさせずこじんまりと生えている背の低い草たち、スポーツ刈りにした中学生の頭のようにつんつん並ぶだけでちっとも目立たずにいた散文的な草たちは、まさか全部躑躅だったと言うのか? そういう疑問を抱いたので、一か所、ちょっとだけ密に咲き集まっているところに顔を寄せてみた。形はペットにでもできそうな小型のヒトデといった風情で、周辺の草と見比べてみても、一見の限りでは葉の様子や姿形などに違いはないように見える。じきに満開を迎えて、この道を全篇にわたって明るい赤で縁取ることになるとでも言うのか? しかしそんな風に明らかに目につくはずの風景など、少なくとも日記を書きはじめて以降のこの数年間、一度も目撃して記述した覚えがない。
  • 十字路の自販機で昨日のコーラの缶を捨て、「Welch's まる搾りGRAPE50」と「濃いめのカルピス 青森県産 ふじりんご」の二つを買った。どちらも二八〇ミリリットルのペットボトルである。自販機の表面にはいくらかグロテスクな見た目の蛾がとまっていたり、蜘蛛がのろのろ這っていたり、そのほかこまかな虫たちが光に呼び寄せられて夥しく集まっている。買ったものをジャージの上着のポケットに、左右に一つずつ分けて収めて道を進み、坂を上ると上りきったあたりで対向者が二人あって、男女である。手を繋いでいたのか腕を組んでいたのかよく見なかったが身を近く寄せ合っていて、また女性のほうが、あれは何だったのかタオルか何かで頭のまわりを覆っているような、よくわからないけれどそんな風な格好だった。単純に、洋服のフードを被っていただけだろうか? イスラームヒジャブの類ではなかったと思う。最初は若いカップルと見たのだけれど、じきに、特に女性のほうがどうもそこそこ歳を重ねているように見えはじめて、それでもしかして親子かと、母親と息子のような印象もかすかに抱いた記憶が残っている。肉体的距離からして多分違うと思うが。
  • 裏道を抜けていって街道。Maroon 5の"She Will Be Loved"には"I wanna make you feel beautiful"という一節があって、この"feel beautiful"という言い方は結構悪くないなと思って詩のネタにするかと考えていたのだが、帰ってきてから検索してみたところ、これはこちらが理解していたように「素晴らしい気分になる」という意味ではなくて、どうも「自分を美しく感じる」という意味で取られることの方が多いらしい。そうだったのか! それじゃあ駄目だ。詩にはできない。
  • 街道を進んでいくわけだけれど、このようにして夜にひとりただ黙々と歩いていると、いずれ自分も年老いて歩けなくなる日がやって来て、それどころかやがては避けようもなくこの世界から消去されてしまうわけだ、という想念が自ずと頭のうちに現れてくる。それはただそれだけの思惟断片に過ぎず、だからどうだということは特にないのだが。つまり二念は継がれない。それから最寄り駅付近まで来たところであたりを見回しながら、それにしても植物という連中はまったくどこにでも存在してやがるなあと思った。まあ人間の種族などが地球上に出現するよりもはるかな以前、銀河的な時の彼方からずっと途切れることなく連綿とこの星に住みついているのだから別に不思議ではないけれど。ところでロラン・バルトは例えばインタビューなどにおいて、この世のすべては言語活動なのだということをはっきり述べていて(*1)、その言葉の正確な内実はこちらにはまだよくもわからないのだけれど、少なくとも一つにはおそらくそれは、この世には意味しないものなど何一つとして存在しない、すべては何かを意味してしまうということなのではないかと一応理解しており(*2)、それを言い換えればこの世界に純然たる無意味は存在せず、無意味でさえも即座に意味に回収されてしまう、意味の一種と化してしまうのだということで(*3)、これをさらにもう一つ換言すると、いわゆる「文化」による「汚染」を免れた(いわゆる)「自然」領域なるものはこの世には存在しない、という言明に多分なるのではないかと思う(*4)。こうした認識は、全然知らんけどおそらくマルクスとかニーチェあたりから段々一般的になってきたんじゃね? と漠然と想定しているのだけれど(*5)、ところで上の定式はむしろ逆転させて、「自然」による「汚染」を免れた「文化」領域こそこの世にまったく存在しないという風に考えるべきなのでは? などということを歩きながら思い巡らせていた。
  • *1: 「わたしの本質的な確信は(それは二〇年来のわたしのすべての仕事に結びついています)すべては言語活動であり、何物も言語活動を逃れることはできず、社会全体は言語活動により横断され、貫通されているということです」(ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』みすず書房、二〇一八年、213)
  • *2: 「すべては意味を持っています、ナンセンスさえも(少なくともナンセンスであるという二次的意味を)。意味は人間にとって自由のように宿命なのです(……)」(同上、26)
  • *3: 「少なくともこの〈充満した〉世界において、私たちからもっともうまく記号を削除してくれるのは、記号の〈反意語〉、非記号、ノンセンス(通常の意味での〈読解不可能〉)ではありません、なぜなら無意味はただちに意味に回収されるからです(ノンセンスにおける意味のように)」(同上、165)
  • *4: 「ある意味で、すべてが文化的であることから出発すれば、非文化を実践することは不可能です。文化は私たちに強いられた宿命なのです」(同上、213)
  • *5: 「だがいったい、神話というのはいつも非政治化された言葉なのだろうか。言い換えれば、現実的なものはいつも政治的なのだろうか。事物について自然な調子で語るだけで、その事物が神話的になるには充分なのだろうか。マルクスとともに、こう答えることができよう、最も自然な対象でさえ、政治的痕跡を、いかに微弱でいかに拡散しているにせよ含んでいるのだ、すなわち、その対象を生産し、整備し、使用し、従わせたり捨てたりした人間の行為の、多少なりとも記憶に残るものを含んでいるのだと」(下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、362)
  • 夕食は、「東京X」(というのは豚肉の銘柄である)と葉玉ねぎを炒めた料理などをおかずに米を貪った。かたわら夕刊を覗く。講談社が「Day to Day」なるウェブ連載企画を始めると言う。浅田次郎重松清恩田陸辻村深月などの「人気作家」たちが「今年4月1日以降の日本を描く」とのこと。
  • ほか、音楽欄。LOVE PSYCHEDELICOがデビュー二〇周年記念のシングル集を発表したことを知らせる記事のなかに、「近年、日本人の洋楽離れと言われるが」という文言があったのだけれど、それを読んで、そもそも「日本人」一般が「洋楽」にそんなに近づいたことなど、少なくともここ三〇年ほどのあいだにあったのだろうか、という疑問が生じた。
  • BREIMENなるバンドの『TITY』という新作(P-VINE)も紹介されている。高木祥太という名前の中心的なメンバーが、「ジャパニーズ・ファンクの更新を目指し」たなどと豪語しているから、かなり野心的なグループのようだ。彼は二五歳、「2、3年前はKing Gnuのメンバーらとセッションで切磋琢磨」していたと言う。ちょっと興味を惹かれはする。
  • ほか、エルフリーデというガールズバンドの新作(「rebirth」)やJeff Beck『Blow By Blow』の紹介。「ぴっくあっぷ」の欄には志磨遼平という人のベスト盤の情報。この人は「毛皮のマリーズ」というバンドを組んでいたらしいのだが、この名前は、凄まじいほどの昔にブックオフかどこかで買った『アコースティック・ギター・マガジン』のなかでスコアが取り上げられていたような記憶がほんのかすかに感じられる。「裸のラリーズ」を真似てそういう名前にしたのだろうとほとんど確信していたのだが、Wikipediaには寺山修司の「毛皮のマリー」なる戯曲がバンド名の由来だと書かれてあった。同じ「ぴっくあっぷ」には、The Rolling Stonesの新曲、"Living In A Ghost Town"も紹介されている。八年ぶり。よォやるわ、といくらかの呆れをこめた驚きとともに言わざるを得ない。
  • その他、キング・クルール『マン・アライヴ!』、パール・ジャム『ギガトン』、KERENMI『1』、伊舎堂百花[ゆか]『琉球ノスタルジア』といった新譜の短評が下端に。それぞれそれなりの興味は生まれる。キング・クルールというのは「英国の期待株」であり、新作は「魂の赴くままに作ったような、自由で混沌とした一枚」だが、「しゃれたジャズっぽい雰囲気もあって卓越したセンスを感じさせる」と言う。KERENMIとは、蔦谷好位置という人が様々なボーカリストを招いたプロジェクトのことらしい。大比良瑞希の「からまる」が「刺激的」だと好評を得ているが、この名前はYouTubeかどこかで見かけたことがある気がする。確か、FISHMANSか何かのカバーをしていたのではなかったか? 伊舎堂百花という人は「ニュー沖縄ポップ」を標榜しているらしく、「プロデュースはYMO周辺の才人、ゴンドウトモヒコ」で、「電子音と多彩な楽器が方々から芽吹くような響き」とのこと。
  • 風呂で湯に入る前に、背伸びとか腰ひねりとか左右開脚とか立位前屈とかを一〇分から一五分ほど行って身をほぐした。湯のなかでは"Moanin'"を口笛で吹く。また、今日は髭を剃った。T字剃刀を用いて顔全体をまとめてあたったのだが、結局このやり方が一番良い。ただ、もし毎日やるとなると少々面倒臭いけれど。
  • Benny Green Trio『Blue Notes』。Benny Green(p)、Christian McBride(b)、Carl Allen(ds)。一九九三年リリース。タイトルの通り、"The Sidewinder"から"Blues March"まで合わせて一〇曲、Blue Note Recordsに録音されたファンキー・ジャズの人気曲を取り上げてカバーしたもの。文句なしに楽しく、単純に気持ちが良い。
  • トロンボーン奏者Jimmy ClevelandのWikipedia記事を閲覧して参加作を探る。James Brownの『Soul On Top』(一九七〇年)という作がまず目についた。これはビッグバンド形式でジャズ・スタンダードなどを歌ったアルバムらしく、例えば"Every Day I Have The Blues"なんかやっている。アレンジはOliver Nelson。Ernie Watts(キャリアの最初期ではないか?)、Maceo Parker(ts)、Chuck Findley、Ray Brown(!)、Louis Bellsonなどのメンバー。
  • Kenny Burrellのアルバムでは『Blues - The Common Ground』という六八年のやつに参加している。こんなアルバムあったの知らんわ。ここでも"Every Day (I Have The Blues)"が取り上げられており、そのほかHorace Silverの"The Preacher"とか、"See See Rider"とかが扱われている。最後のこの曲は、個人的にはJimmy Witherspoonが『Olympia Concert』で歌っているのがわりと印象に残っている。Clevelandはブラスの一員として演奏しているようだ。ピアノは何とHerbie Hancockで、ベースもRon Carter。六八年とは言え、この二人がKenny Burrellのサポートでブルースをやっているという事実にはちょっと驚かされる。
  • Miles Davisの『Miles Ahead』及び『Porgy And Bess』にも参加。大体ブラス隊の一人として色々な作品に顔を出しているようだ。前者の作はまだ持っておらず聞いたこともなく、名作の誉れ高い後者はかつて父親が古いCDを持っていて、相当な昔、ジャズに初めて触れはじめた時期に多少は耳にしたと思うが、多分全然わからなかっただろうし何も覚えていない。『Miles Ahead』はGil EvansがアレンジしたオーケストラをバックにMilesがひとり(フリューゲルホーンで)ひたすらソロを取っているらしいのだが、曲目を見ると例えばDave Brubeckの"The Duke"などがあって、これはちょっと意外である。と言うのも、一体どこで読んだ情報かわからないけれど、確かMiles DavisはDave Brubeckについて、あの野郎は俺たち黒人がやりはじめたことをただあとから真似してるだけさ、そのくせ偉そうに自分で作ったような顔してやがる、白人って奴らはいつもそうだ、盗っ人なのさ、みたいな否定的なことを言っていた覚えがあるからだ。もしかすると『マイルス・デイビス自叙伝』に書いてあったのかなと思って二〇一三年の書抜きを読み返してみたのだけれど、少なくとも写しておいた範囲にはそのような発言は見つからなかった。記憶の出典が不明。いやわからん、Dave Brubeckについての言葉ではなかったかもしれないし、そもそもそんなこと自体言っていなかったかもしれない。それによく考えたら、Miles Davisが仮にそうした非難の言葉を吐いていたとしても、彼はこれ以前にも既に『Workin'』で"In Your Own Sweet Way"を取り上げているわけなので、『Miles Ahead』でBrubeckの楽曲を演じていても特に不思議なことではないのだ。ところで、『自叙伝』の書抜きをさっと読み返してみたら結構面白かったので、印象的だった箇所をついでにいくつか引いておく。

 (……)しばらくしてわかったもう一つのことは、ほとんどの黒人ミュージシャンが音楽理論を知らないことだった。バド・パウエルは、すばらしいピアノが弾けて、楽譜も読めて作曲もできる、オレの知っている限りでは数少ない一人だった。年取った多くのミュージシャンは、学校に行くと白人みたいな演奏になってしまうとか、理論を知ったりするとフィーリングがなくなってしまうと信じていた。バードやレスター・ヤングコールマン・ホーキンスといった連中も、博物館や図書館に行って楽譜を借りようとさえしないし、他のところで何が起こっているのか知ろうともしないんだ。オレには信じられなかった。オレは図書館に行って、ストラビンスキーやベルグプロコフィエフら、クラシックの偉大な作曲家の楽譜を借りていたが、それは、ジャズ以外の音楽で何が起こっているのか知りたかったからだ。知識は自由の産物で、無知は奴隷制度のものだが、自由と隣合わせの人間がそれに手を出さないというのが、不思議だった。手に入れられるのに、黒人ということだけで手を出さずにいることが、オレにはわからない。そんなことはすべきじゃないとか、白人だけのものだなんて考えるのは、ゲットーのクソ精神だ。(……)
 (マイルス・デイビス/クインシー・トループ/中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝①』JICC出版局、1990年、78~79)

     *

 オレは、ディズとルイ・アームストロングは大好きだが、彼らが客に向ける微笑みだけは大嫌いだ。なぜそうしたかは、わかっている。金を稼ぐためだし、彼らはトランペッターであり、エンターテイナーでもあったからだ。食わさなきゃならない家族だっていたろうし、性分からして、道化が嫌いじゃなかったんだろう。二人が望んでやったんなら知ったことじゃないが、オレは嫌いだったし、好きになる必要もなかった。社会的にも階級的にも、オレは二人とは生まれが違う。しかもオレは中西部出身、二人は南部出身で、白人に対する見方がかなり違っていた。それにオレのほうが若かったから、彼らがみんなに受け入れられるために我慢しなければならなかった苦労のすべてを、繰り返さないでよかったこともある。彼らのおかげで、オレみたいな人間が受け入れられる状況が整っていたから、オレは本当にやりたい音楽だけをやればいいという態度が取れたんだろう。
 オレは、自分が彼らみたいなエンターテイナーだと考えたことはない。楽器もろくにできない、人種偏見だらけの馬鹿な批評家にゴマをすろうとも思わない。あいつらのために態度を変えるなんて、馬鹿げたことだ。立派なミュージシャンとしての評価には、愛想笑いなんかいらない、演奏がすべてだ、そうだろう? 昔も今も、それがオレのやり方だ。批評家にできるのは、受け入れるか、諦めるか、どっちかさ。今だってそうかもしれないが、ほとんどの批評家は、オレを傲慢なチビの黒んぼだと嫌っていた。一つ一つの演奏を解説する気なんて、オレにはまったくないし、連中にそれができないか、それともやらないんだったら、気にする必要なんかない。マックスもモンクも、J.J.もバドも、同じように思っていた。自分自身に対する態度が、オレ達の結束を固くしていたんだ。
 (112~113)

     *

 あの頃のオレは、ギル・エバンスのアパートにしょっちゅう行って、ギルの音楽の話を聞いていた。オレ達は、初めから気が合った。彼の音楽的アイデアは、すぐにピンときたし、彼にしてもそうだった。オレ達の間では、人種の違いは問題じゃなかった。いつも、音楽がすべてだった。ギルは、オレが初めて知り合った、肌の色を気にしない白人だった。ギルがカナダ人だったせいもあるかもしれない。ギルは、他の奴には絶対できない見方ができる、いつも一緒にいるだけで嬉しくなるような奴だった。絵画も好きで、オレが知らなかったヤツを、いろいろ見せてくれた。
 オーケストレーションを一緒に聴いていると、「マイルス、ここのチェロを聴いてごらん。他にどんな弾き方ができると思うかい?」などと言って、音楽について常に考えさせられた。音楽のなかに入り込んで、普通ならだれにも聴き取れないようなことを引き出してくるんだ。ずっと後のことだが、明け方の三時に電話してきて、「もし落ち込んだらね、マイルス、〈スプリングスビル〉を聴けばいいんだ」と、それだけ言って、電話を切ってしまったこともあった。ギルは思索家で、そこがオレがすぐに好きになったところだ。
 初めて会った頃には、オレがまだいたバードのバンドをよく聴きにきていた。いつもカバンいっぱいのホースラディッシュを持っていて、塩をふって食べていた。瘦せっぽちの背の高いカナダ出身の白人が、誰よりもヒップだったんだから、まいった。彼のような白人がいるなんて、考えもしなかったからな。カバンいっぱいの豚の鼻のバーベキューを持ち込んで、映画館だろうがクラブだろうが、所構わず食っていた東セントルイスの黒人連中には慣れていたが、ホースラディッシュをナイト・クラブに持ってきて、カバンからそいつを出して塩をつけながら食っている、しかも白人がだ。裾の細いズート・スーツに身を固めた、めちゃヒップな黒人ミュージシャンで賑わう五二丁目なのに、ギルときたら野球帽だ。まったく、たいした白人野郎だった。
 (174~175)

     *

 オレはミュージシャンとして、芸術家として、いつもできる限り多くの人々に、音楽を通して話しかけたいと考えてきたし、それを恥じたことだって一度もない。"ジャズ"と呼ばれる音楽が、少数の人々だけのものだと考えたことはない。かつて芸術的と考えられた多くの歴史的遺物と並んで、博物館のガラスの中に陳列されるものだと思ったことはない。ジャズだって、ポピュラー・ミュージックみたいに、常にたくさんの連中に聴かれるべきだと考えてきた。そうだろ? ジャズは多くの人には難しすぎる音楽だから、聴く人が少ないほどすばらしいなどと、ヘソ曲りな考えを持ったことも、一度もない。ほとんどのジャズ・ミュージシャンが、表面じゃそんなことを言って、多くの人に聴いてもらうためには自分の芸術性と妥協しなければならないと言う。だが本当は、彼らだって多くの人々に聴かれたがってるんだ。今ここで、そいつらの名前を挙げるつもりはないし、そんなことは重要じゃない。だがオレは、音楽には境界なんかない、どう発展するかの制限もない、創造性になんの規則もないと考えてきた。どんな種類であれ、良い音楽は良いんだ。ジャンルというヤツも嫌いだ、音楽には関係ないだろ。だから、オレのやっていることが多くの人々に気に入られるようになったからと言って、うしろめたい気持になったことなんか決してない。
 (314~315)

     *

 オレ達が時々"モー"(Moe)と呼んでいたビル・エバンスがバンドに入ってきた時は、あまりに静かなんで驚いた。ある日、どれだけできる奴か試してみようと、言ってみた。
 「ビル、このバンドにいるためには、どうしたらいいか、わかってるんだろうな?」
 奴は困ったような顔をして、頭を振りながら言った。
 「いいや、マイルス。どうしたらいいんだろう?」
 「ビル、オレ達は兄弟みたいなもんで、一緒にこうしているんだ。だから、オレが言いたいのは、つまり、みんなとうまくヤラなくちゃということさ。わかるか? バンドとうまくヤラなくちゃ」
 もちろん、オレは冗談のつもりで言ったんだが、ビルはコルトレーンのように真剣そのものだった。で、一五分ぐらい考えた後、戻ってきて言った。
 「マイルス、言われたことを考えてみたけど、ボクにはできないよ。どうしても、それだけはできないよ。みんなに喜ばれたいし、みんなをハッピーにしたいけど、それだけはダメだよ」
 「おい、お前なあ!」。オレは笑って言った。で、奴にも、やっとからかわれていることがわかったんだ。ビル・エバンス、良い奴じゃないか。
 (348~349)

  • で、ほかにはAhmad Jamalの"New Rhumba"なる曲なども『Miles Ahead』には含まれているのだけれど、ところでJon Hendricksがこのアルバムの演奏をすべてボーカライズしようなどといくらか頭のおかしいことを考えて、五〇年以上もこつこつ取り組んでいたのだと言う。やばくない? それが二〇一七年についに完成して、こともあろうにLondon Vocal Projectというグループによって現実に演じられてしまったというのだから、この世界というのは端的に糞で色々と腐ったことも多いけれど、それでもまだまだとても計り知れず、少量の救いは残されている。その同じ年の一一月に、Jon Hendricksは九六歳で亡くなった。
  • Benny Green Trio『Testifyin'!: Live At The Village Vanguard』。Benny Green(p)、Christian McBride(b)、Carl Allen(ds)。九二年作。上と同じメンバーでのライブ。言うまでもなく快適でとても気持ちが良い。いわゆるスウィンギーという語で形容される種類のピアノトリオのなかでは、多分屈指のもの。
  • 日記の読み返し、二〇一九年三月一五日金曜日から。一六日分にニュージーランドで起こったヘイトクライムの報が記録されている。「新聞を見ると一面に、ニュージーランドクライストチャーチでモスクが二箇所襲撃されて四九人が死亡とセンセーショナルな事件が伝えられている。犯人はFacebookで一七分のあいだ、襲撃の様子を実況中継したというのも強い印象を与える情報だ」。同日の夕刊にも「ニュージーランドのテロ事件の続報があって、主犯者が法廷に出頭したが(随分と早くないか?)その様子は不遜で、にやにやと笑っており、白人至上主義をアピールするような素振りも見られた、というようなことが書いてあった」。
  • 同じ一六日には美容院で岩下尚史について雑談している。この作家は物好きなことに、都下の鄙たる我が青梅市のなかでもさらに僻地方面にある軍畑地域に引っ越してきて――いつかの『ぴったんこカン・カン』でそれが取り上げられて、安住紳一郎がその古めかしい邸宅を訪問するのを目にした記憶がある――それで西多摩新聞か何かに話題が載っていたのだと思うが、この日記を読み返した今までずっと、青梅に越してきたのは鴻上尚史だと完璧に勘違いしていた。もちろん、名前が同じ二文字であるためだ(ところが、岩下のほうは「ひさふみ」であり、対して鴻上のほうは「しょうじ」なのだと言う)。その間違った記憶に基づき、鴻上尚史の『不死身の特攻兵』を書店で見かけた際にも、このひと青梅に越してきたんだぜとAくんに話してしまった覚えがある。
  • Mさんのブログ、二〇二〇年二月二〇日。おかしくて笑いを漏らすことになった部分がいくつか。まず、「Kは例によってそんな父のあとをテンション高くついてまわっていた。父のことを羊か何かだと思っているのだろうか?」 また、「弟のスタンスはだいたいいつもこんな感じ。中国が覇権国家を目指している現在の世界情勢についても、もともと中国がアジアの盟主として君臨していた時代のほうがはるかに長く、日本がアジアでトップに君臨していたここ百年ほどがむしろイレギュラーであったのだから、かつてのようにまた中国のコバンザメとして甘い汁だけ吸ってうまくたちまわればいいと、いつか食卓で語ってみせたこともあって、そのときは「コバンザメ」というふるくさい表現でクソ笑ったし、いかにも穀潰しらしい発想であるなと、彼の私生活と首尾一貫したその国際政治論を可笑しく思ったものだった」。そして、「ところでスマホのメモ帳に「屁こき虫が! 腸詰まりで死にさらせ!」という罵倒が残されていたのだが、使い道をどうしても思い出すことができないので、ここに記録しておくことにする」にはさすがに耐えられず爆笑してしまい、腹筋を激しく震わせてちょっと汗をかくことになった。最近読んでいるシェイクスピアもやはりさすがの技量で素晴らしい罵詈雑言を色々と書きつけているが、上のMさんの言葉はシェイクスピアも顔負けの最低最悪レベルの罵倒だ。そのほか、新型コロナウイルス騒動についての洞察を以下に引いて記録する。

新型コロナウイルス騒動ではもうひとつ気になることがある。福島の原発問題のときもそうであったが――と過去形で語るのは誤りだろう――、いつからひとは為政者ないしは経営者の視点をこれほどまでに内面化してしまったのだろうか? つまり、どうしてすぐに「経済が停滞する」「経済を回せ」というような言葉を、怒りや抗議よりも先に口にするのだろうか? プロレタリアートでありながらそのような目線を内面化してしまっているものとみれば、実際、これほど畜群的なふるまいもほかにないだろう。パニックや恐慌がそれ自体一種の力であることをおそれた権力による調教が、権力の目線を宿すことでみずからが弱者であり持たざるものであることを意識せずにすむものらの欺瞞と組み合わさった結果、このようにグロテスクな主体が生まれたのだろうか? 国民の総畜群化は社会におけるS親和者の消滅をも意味する。行き着けば、この社会全体は正常性バイアスと傍観者効果によって覆い尽くされてしまい、いかなる有事の前触れにも気づくことができず、先取りして対応することもできなくなるだろう。

 

  • 次に、Sさんのブログ。新たに投稿されていた記事のなかに、ヴァージニア・ウルフ/片山亜紀訳「病気になるということ」を公開したページが紹介されていたので、Evernoteの「あとで読む」欄に即座にメモしておいた。この片山亜紀という訳者は、『幕間』を新訳した人だ。素晴らしい仕事である。「病気になるということ」は「新訳」と書かれていたから多分過去にも訳されていたのだと思うけれど、その全容がまだまだ日本語には移されていないウルフのエッセイ群を、この人がきっと続々と翻訳してくれるに違いないと勝手な期待を寄せている。それで改めてWoolfのWikipediaを瞥見してみたところ、"Virginia Woolf wrote a body of autobiographical work and more than five hundred essays and reviews"とあって、そんなに書いてたの? やばくない? 『灯台へ』だの『波』だの、あのような作品を書いてしまった作家の文章が、エッセイはその一部しか紹介されておらず、日記も抄訳で、書簡に至ってはまったく訳されていないなどと、この国はいつまでもこのような由々しき文化的後進性に甘んじていて良いはずがないだろう。


・作文
 12:37 - 13:58 = 1時間21分(30日; 29日)
 13:59 - 15:05 = 1時間6分(10日)
 16:54 - 18:34 = 1時間40分(10日)
 18:48 - 19:41 = 53分(11日)
 19:52 - 20:36 = 44分(30日)
 27:10 - 28:01 = 51分(30日)
 計: 6時間35分

・読書
 15:07 - 15:37 = 30分(シェイクスピアヴェニスの商人』: 106 - 123)
 22:56 - 24:11 = 1時間15分(Wikipedia
 24:32 - 25:42 = 1時間10分(日記 / ブログ)
 計: 2時間55分

・音楽

2020/4/29, Wed.

 オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する「自律的パワープロセス」を獲得するために、自我という貴重な個人遺産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。忠実な信者たちは進んで自由を捨て、財産を捨て、家族を捨て、世俗的価値判断基準(常識)を捨てる。まともな市民なら「何を馬鹿なことを」とあきれるだろう。でも逆に、それは彼らにとってある意味ではきわめて心地の良いことなのだ。何故なら一度誰かに預けてさえしまえば、そのあとは自分でいちいち苦労して考えて、自我をコントロールする必要がないからだ。
 麻原彰晃の所有する「より巨大により深くバランスが損なわれた」個人的な自我に、自分の自我をそっくり同化させ連動させることによって、彼らは疑似自律的な[﹅6]パワープロセスを受け取ることができる。つまり「自律的パワープロセス対社会システム」という対立図式を、個人の力と戦略とで実行するのではなく、代理執行人としての麻原にそっくり全権委任するわけだ。おまかせ定食的に、「どうぞお願いします」と。
 彼らはキャジンスキーが定義するように、「自律的パワープロセスを獲得するために社会システムと果敢に戦っていた」わけではない。実際に戦っていたのは麻原彰晃ただ一人であり、多くの信者たちは闘いを欲する麻原彰晃の自我の中に呑み込まれ、それに同化していたのだ。そしてまた信者たちは一方的に麻原にマインド・コントロールされていたわけではない。純粋の受け身の被害者であったわけではない。彼ら自身、積極的に[﹅4]麻原にコントロールされることを求めていたのだ。マインド・コントロールとは求められるだけのものではないし、与えられるだけのものではない。それは「求められて、与えられる」相互的なものなのだ。
 (村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫、一九九九年、748~749; 「目じるしのない悪夢」)



  • 六時間二〇分の布団滞在で一一時に起床したので、まあそう悪くはない。
  • 食事とともに朝刊をめくると春の叙勲の報があって、宮本輝旭日小綬章を受けたと取り上げられていた。名簿を見てみるとそのほかに、外国人の欄においてAbdullah Ibrahim、すなわちDollar Brandの名があった。旭日双光章というものを与えられたらしい。あとで部屋に戻ってからIbrahimのWikipedia記事を覗いてみたところ、ジーン・グレイ(Jean Grae)という子がいると書かれてあり、何でもニューヨークのアンダーグラウンド・ヒップホップなるシーンで活躍していると言う。それで記憶が刺激されて思い出したのだけれど、この人はRobert Glasperが『Black Radio 2』に収めた"I Don't Even Care"において、Macy Grayとともにフィーチャリングしていた人ではないか。Abdullah Ibrahimの娘だとは思わなかった。

 (……)クーンズの彫刻作品「ラビット」(1986年)が去る5月、ニューヨークのオークション、クリスティーズで存命の美術家として史上最高額となる9107万5000ドルで落札されたことが伝えられた(……)日本円に換算して、だいたい100億円で落札された(……)。

 この「ラビット」について初めて知ったのは、1987年くらいのことだったように思う。その頃、僕は毎月、ニューヨークの最新動向を撮影した35ミリのポジ・フィルムに、いの一番に触れることができる機会を得ていた。その時、初めて耳にしたのが「ネオ・ジオ」という言葉だった。これは「ネオ・ジオメトリック・コンセプチュアリズム」の略称で、強いて言えば新幾何学概念主義とでも訳したらよいのだろうか、しかしちょうどその頃、音楽家坂本龍一が『ネオ・ジオ』と題する新作を発表していて、そちらは「ネオ・ジオグラフィ」の略称で、世界中の音楽地図を混在させ、書き換えるという意味合いであったはずだが、ニューヨークを活動拠点に据える坂本が美術界の最新動向にも敏感であったであろうことは容易に想像できる。(……)
 (……)ジャーナリスティックな話題性ということで言えば、このネオ・ジオという命名は、あきらかにその直前までニューヨークの話題を席巻していた「ネオ・エクスプレッショニズム」と対比させたもので、ちょうどこの頃から、ニューヨークのアート・シーンは美術をめぐる主義主張を競うイズムの時代を終え、ファッションを参照し、アートの変遷を一種の流行現象のように捉えるモードの時代に様変わりしつつあった。まだ現在のように莫大なお金の取引は行われていなかったものの、そのような対象として、アートの意味が高尚な精神の結晶としての芸術から、相場によって一喜一憂する経済的な投資の対象へと抜本的に変化していく兆しは、すでに十分に伺うことができた。(……)
 このネオイズムについて言えば、ネオ(新)であること自体が目指されている点において、すでにかつてのアブストラクト・エクスプレッショニズム(抽象表現主義)やミニマリズムとは根本的に違っている。ネオイズムには「抽象・表現」や「ミニマル」のような内実、ないしは主張にあたるものがない。ただ単に先行するモードを「刷新(ネオ)」することだけが目指されている。「現代美術」から「現代」という時制を示す頭字さえ消えて、ただ単に投機の対象としての「アート」に変身するためには、このモード化という手続きがどうしても必要だった。先行するものを否定するイズムはヘーゲル以来の歴史的弁証法の産物だが、モードは先行者を刷新こそすれ否定はしない。イズムは精神の産物ゆえ一度倒れたら容易には復活できないが、モードではリバイバルは当たり前のように(むしろ進んで)起こる。そこには精神の刻印はなく、実体もなく記号化した「モノ」だけが現れたり消えたりを繰り返す。作り手本人さえ、この「モノ」の行方を予測することは不可能だ。ようは、すべてがその時々に応じての操作と選択の対象になったのだ。簡単に言えば、それが市場に委ねるということだ。いろいろ言われることだが、根本的には批評の衰退もここから始まっている。

 美術作品の近代化とはなにかについて考えるうえでおおいに参考になるのは、お金をめぐる近代の取り決め方である。言うまでもなくお金は大事なものだ。なくてはならない。なくてはならないものだけれども、無限にあっても困る。無限にあるなら誰もがお金持ちになってしまう。貧富の差があるからこそ、お金持ちでいることもできるのだ。そのためにもお金は無限であってはならない。有限なお金がどう配分されるかでお金持ちかそうでないかが決まってくる。商品は誰にでも作ることができても、それと交換し、欲しいものを手に入れる媒介となるお金は、誰もが作れるものであってはならない。だからこそ、お金は古くは貴金属(典型的に金貨)で作られたのだ。もしくは巨石で作られた時代もある。いずれにしても希少なものだ。しかし貴金属や巨石には、そのままお金とするには決定的な難点があった。それは、貴金属や巨石が希少であるがゆえに、人工的に再生産することができず、最大量として有限にしか流通できないことだ。いや、お金が有限なのはよいことのはずだった。けれども、他方では人類の人口は増え続け、それに伴って商品の生産量も増え、人々の移動も頻繁となる。金貨やましてや巨石なんていちいち運んでいられない。そこで出てきたのが信用経済だ。今ここに金貨は持ってきていないけれども、確実に私はそれを持っているし、後日それを渡すことができるから、今はその手形だけ発行するので、ひとまず欲しい商品と交換してはくれないか、というものだ。その人を信用するか、しないか。こうなってくると賭けのようなものだ。
 ところが、信用というものには肝心のかたちがない。だから手形を発行するのだが、当初はこの手形は貴金属に紐付けされていた。金兌換制度というのがそれだ。その人が保有する金の量に応じてしか手形は発行できません、ということだ。けれども、もともと信用にはかたちがないのだから、金に紐付けするといっても、本当にその人が該当する金塊を保持しているかどうかまでは本当のところ定かではない。ということは、肝心なのは、すでにこの時点で金塊よりも信用の方が重要になっている、ということだ。言い換えれば、信用さえ揺るがなければ、人はその人にいくらでも商品を渡す(まさしく「クレジット=信用」カードという通りだ)。言い換えれば、信用され担保されていれば、お金が貴金属や巨石である必要はとうになく、ただの紙(手形)で代行できるということだ。実は、これこそが近代的な紙幣制度の大原則であって、その紙に信用を与えているのは国家が発行している、という保証である。強い国家が発行する紙幣には為替上でも大きな価値があり、不安定な国家が発行する紙幣には国際市場での交換価値がない。その強い弱いを決めているのは政治力、経済力、軍事力などいわゆる「国力」と呼ばれるもので、実はそれ自体不安定なものだ。けれども、信用自体が本来不安定なものなのだから、当面は強い国家へと紙幣価値は傾かざるをえない。重要なのは、ここでは貴金属的な実体的価値ではなく、無形の信用取り引きこそが経済的価値を主導しているということだ。
 長々と経済の話をしてきたが、美術作品の近代化も、ほぼこれに沿って考えることができる。財宝などと呼ばれる「お宝」は、近代化以前の代物である。それらの価値が、モノ自体を構成する原材料の稀少性(通俗的、かつ典型的なものとしてダイヤモンド)に多くを負っているからだ。ところが、どれだけ山と積まれても、札束そのものには原材料としての価値がない。原価だけで考えれば紙にインクを擦り付けただけの代物だ。それに総額と見合う経済的な交換価値が生じるのは、国家による信用(1万円札を例にとれば、この紙幣を持ってきた者には1万円相当の買い物をさせても損はしないことを国が保証する)のためである。
 近代絵画も、実際にはこれとまったく同様なのだ。モネやセザンヌピカソマチスの絵に莫大な経済的(交換)価値があるのはなぜだろう。それ自体はキャンバスに絵具を擦りつけただけのものではないか。かつての財宝のように金箔が貼られているわけでもない。宝石が埋め込まれているわけでもない(原材料の稀少性とその物量で価格が決まる日本画はその意味ではいまだ絵画の近代化以前の名残を留めている)。キャンバスに絵具だけでできた布に数億、数十億、数百億円の価値を与えているのは、信用なのだ。これこれの絵画を持っている者は、次に市場に出す際にはそれ相応の交換価値を行使してよい、ということだ(実際には投機的価値ゆえさらに増えている可能性がある)。
 しかしそこで疑問もわく。紙幣に価値を与えているのは国家による信用だった。では、ピカソマチスの絵に対し相応の経済的価値を保守しているのは、いったいなんだろう。それが美術史的価値という信用なのだ。人類の英知の歩みのひとつである美術史において、その絵画が行使する力が権威ある研究や調査、評論によって確定しているから、その稀少性が事後的に経済的な信用として付与されているのだ。
 このことにいち早く気付いたのが、マルセル・デュシャンだった。もしも美術作品の価値が実体ではなく信用にあるのだとしたら、信用さえ得られれば実体はなんでもよいことになる。事実、近代絵画は信用を得ているからその価値を疑われないけれども、元来はキャンバスに絵具を擦り付けただけの安価なものだ。安価なものが信用によって高価になる——この錬金術が近代美術の核心であるのなら、そのメカニズムをはっきりさせるためには、できうるだけ価値のなさそうなものが信用へと転化されるのがよい。立派な額縁に入れられた絵画や重厚な彫刻はそのことを忘れさせてしまう。それなら、いっそ便器のほうがいい。誰からも尊敬されず、むしろ汚がられる。しかも、街の店で気軽に誰でも手に入れられる。そんな「くだらない」便器に署名だけして、もしも美術館に飾ることができたら、それこそ安価なものが高価へと転化する近代美術のメカニズムそのものを透視することではないか、と。デュシャンによるこの企ては美術館への展示を拒まれることで失敗に終わったけれども、それから100年が経過した現在、その美術史的な信用は天井知らずのものとなっている。

 (……)クーンズが選んだのは、この風船ウサギを型取りし、ステンレス・スチールで鋳造し、さらにその表面を徹底的な鏡面仕上げにすることだった。ここで重要なのは、以下の2点だろう。
 1. ステンレス・スチールで鋳造したとはいえ、イメージの上ではもとの風船ウサギと根本的に異なるものではない。その証拠にビニールで膨らませた皺までもが克明に再現されている。風船ウサギの原材料はビニールだが、中身は空気にすぎない。鋳造された「ラビット」にどの程度、中身が詰まっているかどうかとは無関係なところで、モチーフが空気であることに変わりはない。つまり両者ともに問題とされているのは空気である。ところで空気には経済的価値がない。特別な空気なら値段もつくかもしれないが、クーンズがモチーフにしたのは口でも膨らませることができる空気である。そんなものに価値はない。便器でさえ価格はあっただろうが、誰もが息をして生活している(時に風船ウサギを膨らませることができるような)空気はまったくの無価値である。無価値なものが美術作品であることで経済的価値を得ることに成功すれば、それこそデュシャンの試みをより高い精度で達成することになる(ちなみにクーンズにはバスケット・ボールやアクアラング、ボートのように空気を原材料とするものが多い)。それこそアートのように純粋(=ファイン)なバブル=泡ではないか。とんでもない高価で売られるにもかかわらず、泡の原材料はしょせん空気なのだから。
 2. 鏡面に仕上げられたウサギの顔には、それを見る者の顔が映りこむ。つまり「ラビット」はその時々の当の作品への人々の反応(表情)そのものを映している。ゆえに「ラビット」の撮影は困難だ。作品を撮影するにはその前にカメラを置かなければならないが、そのカメラがどうしても作品の表面に映ってしまう。しかしこれは避けがたいことなのだ(上掲写真群でも確認できるが、ソナベントでの最初期の展示でも、よく見ると「ラビット」の顔に、台座の上にカメラを載せ、黒い幕をかぶって台座のうしろに身を潜める撮影者の姿を見てとることができた)。まだ若手の無名な美術家による作品として飾られた時、そこに映し出された顔と、時価100億円を記録したいま、(仮にこの「ラビット」を実際に見る機会があったとしての話だが)そこに映し出される人々との顔には決定的な開きがあるだろう。つまり、この鏡像そのものも「ラビット」の一部なのだ。「ラビット」はこれからも、無価値が価値へと転ずる近代以降の美術の錬金術の飛躍が大きければ大きいほど、そこに映し出される人々の顔の様子を変貌させていくだろう。この意味で「ラビット」は、時代を超えて持続する信用のあり方と不安、そして、それをめぐる時の経過そのものを「人間=ウサギの顔」を入れ子に彫刻しているのだ。

  • 部屋の床に掃除機を掛け、猛威を振るっていた埃の堆積をぶち殺した。
  • 四時過ぎ、臥位のまま読書を続けていると、窓外から母親の驚いた声が聞こえてきて、気持ち悪い、とか何とか言っている。ムカデでも見つけたのだろうかと思って窓をひらいて顔を出したところ、イヤフォンをつけた母親はこちらの呼びかけに気づかないまま、何やら携帯を地面に向かって構えており、どうも写真を撮っているらしい。何がいるのかよくも見えなかったのだが、まもなく地の上に動きが生まれ、草の方に滑り逃げていく生き物が視認され、トカゲだと判別できた。写真を終えた母親もこちらに気づいて、何か、共食いみたいな、などと言う。一匹のトカゲが別のトカゲを食っていたらしい。地に伏していたもう一匹も、多分食われていた方だと思うのだが、大した痛手ではなかったようで、そのうちに動きを取り戻してどこかに消えていった。
  • たまにはまだ明るいうちから外に出て風でも浴びるかというわけで、そのあと読書を切り上げてサンダル履きで戸口を抜けた。母親のいる南側の敷地に回ると、以前は所狭しとたくさん並べられていた植木鉢が大方片づけられて消えており、あたりは随分すっきりしていた。母親に、先ほどのトカゲの写真を見せてもらうと、確かに一匹が大口広げてもう一匹の頭を丸呑みにするような形で繋がっている。喧嘩でもしていたのだろうか?
  • しばらくその周辺で伸びをしたり、立位前屈をしたり屈伸をしたりと、身体の筋をほぐしながら風に当たった。空は無雲の淡白な一平面であり、風はひとときも消えることなく流れつづけ、すぐ南で(……)家の屋根の上に取りつけられた色とりどりの、柱を支えに縦に並んだ七、八匹の鯉のぼりたちも、体を宙に伸ばし浮かべて、軽くうねりながら絶えず泳いでいる。その家はまだ弱い陽射しのなかにあるので、鯉たちの鱗は遊泳のうちに時折り濡れて、つやめいている。
  • 畑にもちょっと下りてみた。今はジャガイモや水菜などを育てているらしい。最奥の区画には玉ねぎが、太くまっすぐな濃緑の葉を直立させつつずらりと列を成している。ジャガイモの皺ばんだ葉っぱにテントウムシが一匹いたので、しゃがみこんで間近に目を寄せ、しばらく眺めて様子を追った。オレンジ色のくすんだ脚は糸屑の細さなのだがそれでも葉っぱと体のあいだにわずかながらきちんと隙間があるので、しっかりと立って身を支えているわけだ。テントウムシは一向に動かなかった。何度か息を吹きかけてみても無反応だったが、それでも見ているうちに緩慢に、ほんの少しずつ脚を動かし、ようやくのろのろ移動を始め、その動きを見ていると、いかにも自然が組み立てた精巧極まりない極小の機械じかけの感が立って、つまりカジュアルな言葉を使えばすごく「メカメカしい」ありさまだった。テントウムシはじきに葉の端までたどり着いたので、飛び立つだろうかと期待を寄せて注視を向ければ、しかし翅は広がらず、虫はそのまま葉っぱの裏にのそのそ曲がって隠れてしまった。
  • 隣家、(……)さんの庭では薄ピンク色の、可憐なみずみずしさのハナミズキが盛りを迎えている。
  • 屋内に戻ってからアイロン掛けの用を片づけていると、外で鶯がよく鳴いて、泡を食ったような狂い鳴きもまま聞こえてくる。終えると夕食の支度。と言って母親が昼にカレーを作ってくれていたし、昨晩の汁物も余っていたので、あとは適当にサラダでも用意すればよかろうということで、キャベツや胡瓜や人参をスライスし、そのほか何なのかよくわからない、レタスみたいだがレタスそのものではなさそうな葉野菜をちぎって混ぜた。桶に水を注ぎこんで野菜をかき回し、一旦笊に上げたあと、さらにもう一度水に浸して置いておく。
  • 下階に帰るとギターで遊んだ。いつまでも、一弦が切れた不完全なギターなどで弾いていても話になりはしないのだけれど、ブルースを適当に散らかす遊びに没してしまい、一時間ほど費やす。

 「ディポーティズ」(https://www.woodyguthrie.org/Lyrics/Deportee.htm)は、第二次大戦後期から戦後にかけてのひどい労働力不足で、カリフォルニアの農園はメキシコからの出稼ぎ労働者を大量に導入していたが、一九四七年の収穫の頃、法律が変更されメキシコ移民は強制送還されることになり(強制送還される不法移民は収穫まで働いたにも拘らず賃金を支払われることもなかった)、翌一九四八年一月二十八日に多くの強制送還者をのせたメキシコ行飛行機がロス・ガトス峡谷に墜落する。新聞記事には死亡した乗客三十二人中四人のアメリカ国籍の白人の名が記されただけで、残り二十八人の犠牲者はただdepotees(追放者)二十八名と記されていただけだった、ウディ・ガスリーはこの新聞記事に衝撃を受け、この曲をつくったのである(https://www.youtube.com/watch?v=qu-duTWccyI)。

     *

 [一九七五年から七六年に掛けて行われた「ローリング・サンダー・レヴュー」ツアー中の一公演(一九七六年五月二三日、ヒューズスタジアム、フォート・コリンズ)について] ディランは現世的な都合(権益)で決められたにも拘らず、あたかも歴史的起源をもつかのように騙る国家秩序(その具体的現れとしての国境)に振り回され、移動を強いられ、利用される移民たちを、メキシコ国境でいまだ続くアメリカ国内問題と重ねて、歌っているのである。が、ゆえに移民は所詮、歴史的アリバイを騙っても目先だけの区切りにすぎない政治的秩序には結局は束縛されない。続いて歌われる“ I’m one too many mornings/And a thousand miles behind"(https://www.youtube.com/watch?v=3s_KYywhd_8&feature=youtu.be&t=1m23s)がこの流れをさらにひとひねりして、高みにあげる。一夜の和解(恋愛)を終えれば、再び、われわれは標識と境界線に縛られた現世に戻らなければならない、この束縛がつくりだす、さまざまな交差点、を生き延びていくことこそ、われわれの背負う十字架である。この(歴史を騙った)拘束の中で結局、君はこちら側で俺はあちら側であるということは逃れられない。けれど、われわれは、たくさんすぎるくらいの朝を迎え、千マイルも歩いてきたそういう人間である。だからこそ、きっと、またもうひとつ余分な朝を迎えることができるのだ。“ I’m one too many mornings/And a thousand miles behind"、いまだ訪れない、このもうひとつ余分な朝(それを持つのが人間である証だ)までも分類され、支配されることはない。われわれ移民は、このいまだ訪れない、もうひとつ余分の朝の中にこそ棲んでいるのだ。

 *よく知られているようにローリング・サンダー・レヴューは、まだレコードを出す前だったパティ・スミスとそのグループのクラブでの演奏にディランが衝撃を受けたことがきっかけになっている。ディランはパティとの共演を望んだが、パティは断った(http://alldylan.com/wp-content/uploads/2012/03/Dylan-adoring-Patti.jpg)。がディランはパティ・スミスの毅然とした姿に大きく影響され、長い間中断していたコンサートツアーを再び始めたのである。ノーベル賞授賞式でパティが(今度は断らず)、途中で言葉を失って中断しながらもローリング・サンダー・レヴューのテーマ曲でもあった「はげしい雨が降る」を歌った(https://www.youtube.com/watch?v=941PHEJHCwU)とき、われわれも感銘のあまり、言葉を失ってしまったのは当然である。われわれは何千マイルも歩いて何を見てきたのか?

I was out on the road when I received this surprising news, and it took me more than a few minutes to properly process it. I began to think about William Shakespeare, the great literary figure. I would reckon he thought of himself as a dramatist. The thought that he was writing literature couldn’t have entered his head. His words were written for the stage. Meant to be spoken not read. When he was writing Hamlet, I’m sure he was thinking about a lot of different things: “Who’re the right actors for these roles?” “How should this be staged?” “Do I really want to set this in Denmark?” His creative vision and ambitions were no doubt at the forefront of his mind, but there were also more mundane matters to consider and deal with. “Is the financing in place?” “Are there enough good seats for my patrons?” “Where am I going to get a human skull?” I would bet that the farthest thing from Shakespeare’s mind was the question “Is this literature?”

     *

But there’s one thing I must say. As a performer I’ve played for 50,000 people and I’ve played for 50 people and I can tell you that it is harder to play for 50 people. 50,000 people have a singular persona, not so with 50. Each person has an individual, separate identity, a world unto themselves. They can perceive things more clearly. Your honesty and how it relates to the depth of your talent is tried.(……)

 

  • 夜歩き。暗い大気は涼しく、ちょうど良いくらいの肌触り。右手北側に見上げた林の樹影の隙間に明かりがあって、初めは電灯かと思ったがまもなく、どうも月だなと見分けられた。随分と強くはっきりした明るさで、じっさい樹々が途切れると全貌をあらわし、空は日中からずっと変わらず雲を排して澄みきっているので、頼みの綱をなくした月はどうあがいても身を隠せない。昨日とおなじくまだ孤月、曲り月だが、前夜に比べて結構太くなった風に見えた。左を向けば公営住宅の棟の口で、煙草に憩うているらしい人の影があり、あたりからは虫のノイズが、電気機械のノイズと区別がつかないごとく無個性無色に乾いて詰まった翅の音[ね]が、道の途中にぴんと張られたテープのように差してくる。気温はだいぶ上がったらしい。
  • 十字路角の自販機にボトルを捨てつつ先を行き、坂を上ればひらいた空は鋼の青さとでも呼ぶか、雲がないから一面染みて、さながら青味をはらんで固まった鋼鉄板である。対向者が一人あり、男性で、おそらくは若く、コンビニに行ってきた風。進めば一軒の塀上に白い紫陽花が、果物めいてみずみずと咲き膨らんでいた。まっすぐ伸びた通りを抜けて表に向かって緩く曲がる角の垣根に躑躅が咲いていて、躑躅という花の質感には何となくぷるぷるとした弾力があり、水っぽいゼリーみたいにつっと吸いこんで食べられそうなと想像が立つ。特に白いやつなどそうだ。
  • 街道で、東から風が来る。歩いてきたので肉が温もって背は汗の気を帯びている。消防署まで来ると向かいの歩道でジョギングに励む姿があった。もう一人、対向者に年嵩と見える女性があって、その人はまだだいぶの距離があるうちに車の切れた通りを越えて向こうに渡ったのだが、こちらがマスクをしていなかったので、ことによるとこの時勢、何となく敬遠したのかもしれないなと思った。もちろん、単に渡ったほうが家に近かったとか、ただ渡りたかっただけということも充分考えられるが。
  • 街道を東へ進んでいくと、最寄り駅にはちょうど電車が停まっているところで、けれどその扉が残らずすべて開いている。(……)線では通常、電車の扉は閉まっておりボタンを押して開閉するのだが、コロナウイルス対策で停止のあいだは換気をしているということだろう。ただこの時勢でこの時間なので、乗客は多分、一人もいなかったように見えたが。その後、タクシー会社の前の自販機でコーラの缶を買う。もう一品何か買おうかとすぐそばの別の自販機も見たが、特に欲しくなるようなものがなかったので何も買わずにそこを離れ、道を横切り肉屋の脇から木の間の坂へ。入ってまもないあたりには緑の草むらのなかで薄紫やら黄色やら、あるいは白の細かな花が咲いていて、そのうち白いやつに対して身を屈めてちょっと目を寄せた。花弁の内部のほうに青と黄色の、アヤメの紋様を思わせる筋が入っていたようだけれど、何の花かはむろん知れない。それでのちほど検索してみたところ、これは多分シャガという花だったと思う。まさしくアヤメ科アヤメ属とあったので、連想の印象は間違っていなかったわけだ。坂道は昨日よりは乾いていたが、端の方に集まった葉っぱのあたりなど、まだいくらかじわじわと湿っている。コーラの缶が意外と冷えていて右手の指先を冷たく刺すので、持ち方をたびたび変えながら下りていくと、足もと左脇の草むらは以前よりも随分と厚くなった印象で道にはみ出してきており、野草や雑草と言うよりもほとんど畑で育った野菜のようなしっかりとした茎と葉の草が生えていて、採ればあるいは食べられそうである。
  • 「(……)」から始まる例の詩に多少の文言、あるいはアイディアを加えておいた。昨晩の寝床で、また今日の入浴中に考えた案。もっとも、まだ意味とイメージをおおまかにメモしておいただけで、言葉をきちんと成型したわけではない。
  • またしても怠けてしまって、一時半前からようやく日記を書きはじめ、四月九日分を仕上げた。分量としては全然少なかったのだが、途中でForeign Affairsについてなど調べだして、余計な時間を使ってしまった。一〇日の半ばまで書いたところで今日の一日が尽きる。やはりもっと早い時刻、昼間のうちから取り組まねばならない。

2020/4/28, Tue.

 雑誌『世界』九六年六月号に越智道雄氏が、アメリカの連続小包爆弾犯人、ユナボマーについて文章を書いておられて、その中にユナボマーが『ニューヨーク・タイムズ』に掲載させた長い論文の一部が引用されていた。それをそのままここに引用してみる。

 「システム(高度管理社会)は、適合しない人間は苦痛を感じるように改造する。システムに適合しないことは『病気』であり、適合させることは『治療』になる。こうして個人は、自律的に目標を達成できるパワープロセスを破壊され、システムが押しつける他律的ワープロセスに組み込まれた。自律的パワープロセスを求めることは、『病気』とみなされるのだ」

 ユナボマーの郵送爆弾という手段は、オウムが実行した都庁の小包爆弾事件の手口とも呼応しており、そういう点でも興味深いのだが、それはそれとして、この連続爆破犯人セオドア・キャジンスキーの語っていることは、オウム真理教団事件の本質ときわめて密接にリンクしているように思える。
 ここでキャジンスキーが述べていること自体は、基本的には正論であると思う。私たちを含んで機能している社会システムは多くの部分で、個人の自律的パワープロセス獲得を圧迫しようとする。私も多かれ少なかれそれを感じているし、おそらくあなたも多かれ少なかれそれを感じておられるに違いない。もっとざっくばらんに言えば、要するに「自分自身の価値を掲げて、自由な生き方をしたいと思っても、世間がなかなかそれを許してくれない」ということになる。
 そしてたとえばオウム真理教に帰依している信者たちの目から見れば、自分たちが自律的パワープロセスを獲得、確立しようとしているときに、社会や国家がそれを「反社会的行為」であると決めつけ、「病気」であると言ってそこから引きはがそうとするのは、間違ったことであり、まったく容認できないことである。だから彼らはますます反社会的傾向を深めることになる。
 しかしキャジンスキーが――意識的にか無意識的にか――見逃していることがひとつある。それは「個人の自律的パワープロセス」というものは本来的には「他律的ワープロセス」の合わせ鏡として生まれてきたものだということだ。極端に言い換えれば、前者は後者のひとつのリファレンスに過ぎないのだ。つまり孤島で生まれ、親に置き去りにされてひとりぼっちで育ちでもしない限り、発生的に純粋な「自律的パワープロセス」などというものはどこにも存在しない。だとすれば、その二つの力はしかるべきネゴシエーション(歩み寄り)を内包する関係にあるはずだ。それらは陰と陽のように自発的な引力で引かれ合って、しかるべき所定の位置を――おそらくは試行錯誤の末に――個人個人の世界認識の中に見出すはずのものなのだ。それを「自我の客体化」と呼ぶこともできる。それこそがつまりは、人生にとっての真のイニシエーションなのだ。その作業が達成できないのは、バランスのとれた自我のソフトな発達が、どこかの段階で、何かの理由で阻害されているからである。その阻害を棚上げして、「自律的パワープロセス」というハードな論理だけで乗り越えようとするときに、社会的論理と個人とのあいだに物理的(法律的)軋轢が生じることになる。
 (村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫、一九九九年、745~747; 「目じるしのない悪夢」)



  • 二時二〇分まで腐り果てた堕眠。だが、そのわりに身体は軽い。軽いのに何故起きられなかったのか?
  • 夢の記憶が多少残っている。山梨にある父親の実家が旅館の一部になっている――と言うかむしろ、のちにはショッピングモールの一部となっていた。家族の生活スペースと泊まり客の区画が分かれており、一応仕切りと言うかそのあいだを閉ざして往来を制限する柵のようなものが設けられていたのだが、これは素手で簡単にどかせるもので、こちらもたびたびそこを出入りしていた。この夢はいわゆる明晰夢と言うのか、夢中にいながらこれは夢だと気づいていたようで、ショッピングモールを歩いて店舗に並べられている物品に目をやりながら、夢のわりにずいぶんなまなましくてリアルだな、目が覚める気配も一向にない、このまま覚めなかったらどうしよう、などとちょっと不吉な考えを抱いたことを覚えている。小中の同級生だったYM.K(という名前だったと思うのだが、漢字までは覚えていない)や、Tなどが登場人物として顔を見せていた。
  • 上階に起きていくと、母親は掃除と言うか、棚の上の物の整理などに立ち働いている。父親はソファにぐったりともたれかかって欠伸を漏らし、疲労にやられて眠たい様子。空は白い曇天だがそこまで暗くなく、寒くもない。大気から動きの気配は伝わってこず、鶯の鳴き声が立って広がり溶けていくのが唯一の揺らぎだ。
  • 朝日新聞社主催による手塚治虫文化賞の結果が発表されたと言う。漫画大賞は高浜寛『ニュクスの角灯』で、新生賞は田島列島『水は海に向かって流れる』及び『田島列島短編集 ごあいさつ』。最終候補作品中には、巷で大人気らしい吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』や、三島芳治『児玉まりあ文学集成』、伊図透『銃座のウルナ』といったこちらでも見聞きしたことのあるような名が見られる。
  • 昨年の日記の読み返し。二〇一九年三月八日金曜日に二〇一六年七月七日木曜日から風景描写の引用がある。音調も含めてそれほど悪くない。馴染みのテーマではあるけれど、ひとまず違和感は免れている。

 窓外をちょっと眺めると、空は水彩画の淡く滑らかな水色のなかに、かすかな皺が寄っている箇所の一つもない。折れ曲がった手のひらのような棕櫚の葉に陽が宿って白さを塗り、その輝きのなかで葉脈の筋が隠されるどころかかえって明らかになって、その棕櫚の向こうから横に広がる梅の葉は、太陽の快活さに喜ぶというよりは辟易するかのように浅緑に乾いてくしゃりと身を曲げていた。視線を手近に巻き戻すと、よほど小さな虫でなければ通れぬ網戸の目に光の微細片が極小のビーズとなって引っ掛かり、青空を背景にして上から下へと星屑のように雪崩れているのだが、塩粒のようなその星々はこちらの頭が僅かに動くに応じて一瞬で宿りを移していくので、白昼の窓に生まれた天の川はまさしく現実の川のように、一刻ごとにうねってその流れを変化させるのだった。

  • また、男子高校生の声色を、「輪郭の曖昧で連結の緩いような、いかにも、まあ言ってしまえば馬鹿っぽい雰囲気の声」などと評している。二〇一九年三月一〇日日曜日の記事には、二〇一六年七月五日火曜日からやはり風景の引用。これも悪くはない。当時の実力の範疇で力を尽くしているとは思う。

 それからまた文字を追って、何かの拍子に顔を上げて窓外に目をやった。視線の貫き抜けていくその軌跡の中途に立ちふさがって視認できないほどの雨粒が何層にも重なっているのだろう、空気には石灰水のような濁った白さが染み渡っており、電線の姿は消え、川岸に広がる木々の葉のあいだの襞にもその白濁した粒子は浸透して、そのために横に連なる木々の姿はまるで二枚の透明な板によって前後から押しつぶされたかのように、あるいはそれ自体が窓ガラスの表面に描かれた単なる絵であるかのように平面的に感じられた。空は普段よりも遥かに下方まで垂れ下がって、山は表面の模様を完全に失ってただの薄影と堕し、そのせいで並ぶ丘のいくつかの盛りあがりは植物と土の集積だとは思えず、むしろ巨大な生き物が霧のなかでじっと動かず寝そべっているかのように見えるのだが、しかも眺めているあいだにも雨が強まったのだろうか、白い空の断片が宙から剝がれ落ちて山の周りに次々と堆積していくようで、霧の幕は深み、稜線の半分以上は没して途切れてしまうのだった。

  • 夕食の支度。茹でられた小松菜を切り分け、滑茸とエノキダケを合わせて和え物に。ほか、葱と筍と豚肉を炒めて麻婆豆腐の素で味つけ。豆腐も最後に加えて混ぜる。汁物は母親が作ってくれた。
  • シェイクスピア安西徹雄訳『十二夜』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)を読み進める。飲んだくれと愉快な仲間たちによる執事マルヴォリオへの悪戯がえげつないもので、率直に言ってひどくたちが悪い。どういうものかと言うと、まず、女主人オリヴィアとの結婚及びそれに付随する伯爵の地位を妄想する執事に、オリヴィアの筆跡を装った宛先曖昧な偽の恋文を掴ませるところからそれは始まる。この手紙を拵えた小間使いマライアの思惑通り、マルヴォリオはすぐさま恋文が自分に向けられたものだと思いこむわけだが、そのなかにはまた、格好を「世人のアッと目を見張るがごとき独得、異形の態[てい]」(97)に装ってください、というお願いの言葉が記されている。具体的には、「黄色のストッキング」(同)を履き、「十文字の靴下留め」(98)を身につけるという服装が指示されているのだけれど、それはオリヴィアが「大っ嫌いな色」(101)であり、「忌み嫌ってらっしゃるスタイル」(同)なのだ。さらには、「私とお会いになる時は、いとしい方、いつでもニッコリ、ほほえんでいてくださいますよう」(99)というまた別のお願いの文句で手紙は結ばれており、これらの要望に忠実に従ったマルヴォリオは、「異様ないでたち[﹅4]に身を包み、顔は満面ニタニタ笑いをたたえながら、オリヴィアの前にしゃしゃり出る」(218; 「解題」)ことになる。そんな様子に加えて、オリヴィアにとってはまったくわけのわからないことばかりを口にするものだから、事前に伝えられていたマライアの証言も寄与して、マルヴォリオは頭がおかしくなったと判断されてしまうのだ(「もう間違いない。この夏の暑さで、まるきり狂ったんだわ、この人!」(130))。そういう次第でこの哀れな執事は悪魔憑きの狂人と見なされて、「牢獄」(161)としての密室に、あるいは本人の言によれば「身の毛もよだつ真っ暗闇」(162)のなかに軟禁された挙句、物語も最終盤に至ってようやく解放されながらも、恋文がまったくの偽物だったという事実、自分は小間使いたちのおふざけに嵌められていただけだったという真実を知ることになり、かくして彼の高慢な夢想は身の程知らずの馬鹿げた妄念として消滅せざるを得ない。こうした経緯は物語本線の脇に展開される単なるサブ・エピソードではあるけれど、この喜劇を読んできたこちらはまったく単純に、え、これ、普通にかなりひどくね? という感想を持ってしまったのだった。実際、マルヴォリオの視点からすればこの戯曲の説話は、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂どころではない、それより遥かに不幸な最悪の成り行きだろう。しかし悪戯犯たちの言い分を拾ってみると、口調からしていくらか軽薄そうな印象を受ける召使いフェビアンは、「かねてから、マルヴォリオさんの強情、傲慢な振舞いに対して、私ども、いささかふくむ[﹅3]ところがございまして、つい」(198~199)と大して悪びれる風でもないし、卓越した詭弁の使い手であるとても愉快な道化のフェステも、自分を「下らぬロクでなし」(38)呼ばわりしたマルヴォリオの過去の発言を引きながら――ちなみに、フェステの再現では、「ロクでなし」の語は「ゴロツキ」(199)に変わっている――「因果の車はひとめぐり、人を呪ったその報いが、おのが頭に降りかかってきたというわけだ」(199~200)と言って、彼には珍しくいくらかの酷薄さを滲ませつつ、あまり鋭いとも思われない一般論で落ちをつけて弁明としている。つまりこの物語は、傲慢な執事の居丈高な「自惚れ病」(38)が、因果応報によって手ひどく裁かれた、という世間知風の教訓じみた図式に収まって終わっているのだ。しかし、それにしても随分とひどくはないか? とこちらなんかは思ってしまったのだけれど、悪戯の被害者マルヴォリオ自身も無論それで納得するはずもなく、「一人残らず、復讐してやるからな、お前ら、みんな!」(200)という強烈な呪いの言葉を吐き捨てながら退場することになる。幸福感に満たされた大団円の幕切れに突如として鋭く闖入するこの「禍々しい」(225)、「耳障りの強すぎる雑音」(224)には、訳者安西徹雄も「解題」の最後で注目を向けており、この劇を書いたシェイクスピア自身もさすがに、「マルヴォリオが身に沁みて味わったはずの痛々しい屈辱感」(226)をまるでなかったこととして消し去ってしまうのが憚られたのではないか、と作者の心持ちを推測している。
  • 夕刊。McCoy Tynerが三月に亡くなっていたようだ。確かに、Sさんのブログでもその事実に言及されていたような記憶がある。死因は書かれていなかった。ほか、高橋源一郎のインタビューが載っていて、何でも『論語』を二〇年掛けて完全訳したとか言う。その下には岩手県胆沢地方及び阿弖流爲の紹介。高橋克彦が阿弖流爲や東北地方についての小説を書いているらしいのだが、この直木賞作家は『写楽殺人事件』の人だ。
  • 食後に散歩。自宅の向かいの家を四分の一ほど囲う垣根の葉っぱがほとんど全体に渡って真っ赤に、あるいは深紅に、てらてらと粘るがごとく染まっている。これも多分ベニカナメモチだろうか。道を西へ歩き出すとちょうど飛行機が二機、結構低い位置に現れて、無骨な音波を降りそそぎながら空をまっすぐ切っていき、その音壁に飲まれて紛れつつも、周囲からもかすかな音の気配が兆して、林の樹々の身じろぎだけでなく固めの響きが家屋の方からも立つので風に押されて家が鳴っているのかと思ったところが、しばらく行けば雨が降り出したのだと判じられた。しかも路上に印される淡黒点、消炭色の水玉を見れば、粒がわりあい大きそうだ。傘を取りに戻ろうかとも思ったが、面倒なので濡れるならそれも良いと払って先を目指す。空はもちろん雲が一面畝を成しているわけだが、北西寄りの一角、一軒の屋根のすぐ上に、光とも何ともつかず目にもほとんど映らず捉えがたい無意味な端切れがそっと漂って、あんなところに月があるのかと見た。
  • 十字路の自販機に寄り、ボックスがその脇のちょっと引っこんだところにあったので、手を伸ばしてコーラのボトルを捨てさせてもらい、それから品目を見てたまにはカルピスソーダでも飲むかと一四〇円を支払った。雨も降りはじめたしもう引き返して帰っても良かったが、まあもう少し行ってみるかと木の間の坂に入って上ると、沢の音が意外に厚くざわめいて立ち昇ってくる。途中にある家の傍を通ったときに風呂の香りらしいものが匂い、その辺りではもう沢も遠いので周囲は静かそのものだけれど雨が葉を打つ響きが生まれないので、早くも止んだようだなと知れた。実際、樹の下から出ても、肌に当たってくるものはない。街道に至って東に折れて、右手にペットボトルを掴み左手はポケットに収めながらぶらぶら行けば、月が先ほどよりも露わになっていて、ほとんど輪郭の一部を半端に映しただけのごく細い弧を描いたそれを、線月と言うか糸月とでも言おうか、まあそんな風情で橙に、または赤黄色に染まった月である。肉屋の脇から林中の坂に曲がって帰った。階段の一段一段の上に濡れそぼった落葉の群れが泥のように崩れて蟠っており、下りていくと電灯の白さが降りそそいで視界の上部からさらさら染み入ってくる。
  • Aaron BellやIdrees Suliemanなど、往年のジャズメンについてのWikipedia記事を読む。Aaron Bellは六〇年代にDuke Ellingtonのバンドにいたベースで、EllingtonがJohn Coltraneと一緒に作ったアルバムなどでも弾いているが、五六年にはBillie Holidayの『Lady Sings The Blues』に参加している。Billie Holidayもまだきちんと聞いたことがないので、早く手を出したいと思う。
  • Idrees Suliemanはマイナー極まりない知名度のトランペットだと思うけれど、Thelonious MonkによるBlue Noteへの初録音、『Genious Of Modern Music』に加わっている。四七年のことである。そのほかMary Lou WilliamsやCab Callowayといった古めの人々とも仕事をしたことがあるようで、Mary Lou Williamsという人は個人的に何となく気になる名前で、と言うかQueenなどがカバーしている――彼らは『Live At Wembley '86』で披露している――古き良きロックンロールの"Hello Mary Lou"はこの人を題材にしたものなのかなと思い当たったのだが、検索してみた限りではそういうわけではなさそうだ。Suliemanに話を戻すと、六〇年代から七三年まで彼は欧州でKenny Clarke/Francy Boland Big Bandのソロイストを務めていたらしい。そして八五年には、Miles Davisの最晩年の一作である『Aura』に参加している(ちなみにこのアルバムのベースはNiels-Henning Ørsted Pedersen、ギターはJohn McLaughlinである)。
  • 試みに『Clarke Boland Big Band en Concert avec Europe 1』というライブ盤の情報など見てみると、SuliemanのほかにはArt FarmerJohnny Griffin、Ronnie Scott、Sahib Shihab、Jimmy Woodeなどのよく知られた名があって、結構充実した顔ぶれである。またSuliemanは、Eric Dolphyの『Stockholm Sessions』なる音源にも参加している! これはちょっと気になるところだ。ほかにライブ盤を拾うとThad Jonesの『Live At The Montmartre: A Good Time Was Had By All』があり、これは七八年三月の録音で、地元デンマークの人たちが集まったようで全然知らない名前ばかりだが、唯一わかる人としてNiels-Henning Ørsted Pedersenがいる。あとはMal Waldronの『Mal-1』及び『Mal-2』にもSuliemanは入っていて、後者にはJohn ColtraneJackie McLeanも加わっている。
  • 次に、Seldon Powell。テナー、あるいはフルートの奏者。気になる作品を適当に拾っていくと、まず一つにはDuke EllingtonのドラマーだったLouis Bellsonの『The Driving Louis Bellson』なるアルバムに参加しており、Jimmy Witherspoonの『Goin' To Kansas City Blues』でも吹いている。後者は五七年の一二月録音で、ギターはKenny Burrellである。Jimmy Forrest『Soul Street』という名前も見られるが、この人はMiles Davisと同じくSt. Louisの出身で、Miles Davisは五二年に彼のバンドでいっとき仕事をしたようで、『Live At The Barrel』という音源が残っているところ、何故か知らないけれどこちらはそれを持っていて、しかしほとんど聞いてはいない。『Soul Street』の方は六〇年から六二年に掛けての録音を集めた作であり、Art Farmer、Idrees Sulieman、Jimmy Cleveland、King Curtis、Pepper AdamsRay Bryant、Mundell Lowe、Richard Davis、George Duvivier、Wendell Marshall、Roy Haynes、Osie Johnson、Oliver Nelsonといった具合に面子は結構なもので、なおかつVan Gelder Studioで録られてもいる。
  • Seldon Powellは六〇年あたりからはソウルやR&Bの方面をメインの仕事にしていったらしく、Cal TjaderとかBernard Purdieなどの名前がディスコグラフィーに見て取れる。Cal Tjaderの『Soul Burst』は六六年の作品だが、これには何とChick Coreaなんかも加わっていて、そんな仕事してたの? という感じだ。Bernard Purdieの『Soul Drums』はだいぶ昔に持っていたような記憶があるけれど、多分売ってしまったと思う。さらにはAlbert Aylerの『New Grass』というアルバムにもPowellは参加していて、これはもちろんフリーではなくてAylerがソウル方面に手を出した、と言うか回帰した作品らしく、何と歌まで歌っているとのことだ。当時のファンや批評家からは、売れ線に走りやがって糞が、みたいな感じで概ね酷評されたようだが、まあそりゃそうだろうとは思う。
  • あと目を引くのはAnthony Braxtonの名前があることで、彼の『Creative Orchestra Music 1976』というものにPowellは入っているけれど、これはどういう音楽なのか特に情報がない。まあタイトルとかメンバー――Roscoe Mitchell、Wadada Leo Smith、Kenny Wheeler、Jon Faddis、Dave Hollandなどがいる――を見る限り、多分普通にアヴァンギャルド方面のことをやっているのだと思うが。
  • それにしても、こうやって情報を集めることも興味深くて面白いには面白いのだが、そればかりでなくて実際に音楽を聞かなければ何も始まりはしないのだけれど。
  • Sさんのブログ。二〇二〇年一月四日、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が素晴らしい記述。「(……)この映画は、なにしろ音だ。クラブサウンドを聴くくらいの心構えが必要だ。人を死に至らしめる際の音とは、まさにこれだ。中盤からの空襲における爆撃音は、観る者のこころの中を根こそぎさらい、そしてただ茫然とさせるようなもので、それはあたかも自分の傍らでふいに起こった死を、なすすべもなく見届けたかのような錯覚を起こさせるに十分なほどの衝撃である。可聴域全部に爆音が鳴り響き、遠くの山に濛々と火柱と煙幕が上がり、目の前の地面が生き物のように掘り返され、それが自分に命中しなかったことが偶然にすぎないことを明確に意識しながら頭を上げつつ、ああ死ぬのはなんて大変なことかと、こんな思いをしても、まだ死は依然として遠いのかと、さっきと今がまだ繋がっているのかと、あとどのくらい凄絶な思いをしなければ死のラインに手が触れないとかと、ほとんど途方に暮れる思いがする」。
  • 「偽日記」も凄まじく久しぶりできちんと読む。二〇一九年一〇月二八日、江川隆男『超人の倫理』から。

 「(…)意志とは何でしょうか。それは、何よりも〈肯定する能力〉あるいは〈否定する能力〉です」
 「意志を結びつけて自由を考えることは、道徳的思考のもっとも典型的な表象だと言えます。逆に言うと、道徳的思考や感情は、自由を意志と関係づけることでしか考えられないのだとも言えるでしょう。端的に言うと、道徳とは、知性や感性から意志を区別することそのもののうちにあると言えます」
 「これに対して、これまで述べてきたような倫理作用の発揮にこそ自由があると考えること、これは、それ自体がまさに非人間的な様態の産出であり、超人の感性の産出につながっているのです。(…)自由とは、個人が、たとえ人間の道徳のうちにあっても、部分的に個人化して超人の倫理へと移行することなのです」
 「人々が一般的に意志と知性とを区別しようとする理由は、何とか愚鈍(=判断力の欠如)に陥らないようにと努力し続ける道徳的な〈人間=動物〉の産出のためだったわけです」
 「意志が認識の欠如や知覚の非十全性から発生したとすれば、意志はまさに虚偽の観念の一つになります。あるいは、知性と意志を区別するのは、虚偽の観念において成立する思想だということです。(……)」
 「改めて自由意志とは何かと問いましょう。それは、認識や知覚が非十全であればあるほど、つまりそれらが虚偽の観念から成立していればいるほど、そうした認識や知覚に対して或る決定の形相を与えていると強く実感すること以外の何ものでもありません。すなわち、意志とは自らの出自である欠如性を埋めようとする意識なのです」
 「ニヒリズムとは何でしょうか」
 「第一にそれは、自分たちより高い存在---すなわち、個々の人間の生を超越した価値、例えば〈善〉あるいは〈真〉---を想定して、自分たちの現実の状態、つまり実存の価値を低く見積もるという人間に本質的な傾向性のことです」
 「第二にそれは、そうした諸価値がまやかしだと気づいて、自分たちの実存を遅ればせながら肯定しようとするが、実際にはすべてが手遅れで静かに死に行くことしか残されていないことに人間が気づいていく仮定でもあります」
 「私たちがいる地点は、実はこの第二の過程のほんの入り口にあります。しかしながら、それでも重要な問題が、この地点ではじめて提起可能になります。つまり、こうした受動的消滅に対して、別の仕方での消滅を考えることができるということです。それは、まさに積極的な消滅の仕方、すなわち「能動的破壊」です」
 「(……)問題は、既に述べたように、否定的で反動的なニヒリズムからいかにしてこうした受動的ニヒリズムへと移行するのかということです」
 「それは〈無への意志〉に囚われた反動的な精神をそこから解放して、少しでも意志そのものが無であることを知ること、もはや意志しないことです。(……)」

  • 零時過ぎから日記に取り組み、四月七日分を何とか仕上げ、その後八日の分も仕舞えることができた。この調子である。一日のうちで二日分片づけることができれば、計算上はいつか現在に追いつくわけだ。日記作成のバックには『Corinne Bailey Rae』を流した。わりと気持ちの良い音楽で、なかなかよろしいのではないか。#3 "Put Your Records On"がわかりやすく快適でいかにも売れそうな音だけれど、と言って低劣でない。「売れ線」ど真ん中のポップスでさえこれだけ良質なのだから、アメリカという国の音楽文化的蓄積はやはり大したものだと思う。
  • Wikipediaで「吸血鬼を題材にした作品の一覧」という記事を見る。七日の日記に「吸血鬼」という語を書きつけたときに、何故か検索してしまったのだ。ゲーテに『コリントの花嫁』という吸血鬼譚があるらしい。また、リチャード・マシスンという作家も知った。スピルバーグ作品の脚本を書いたりしているようで、この人の『吸血鬼』という長篇が、二〇〇七年の映画『アイ・アム・レジェンド』の原作なのだと言う。この小説はそれ以外にも過去に二度、従って全部で三回も映画化されているらしい。
  • Corinne Bailey RaeLed Zeppelinが大好きで"Since I've Been Loving You"をライブでカバーしていると言うので、検索して出てきたものを視聴した(https://www.youtube.com/watch?v=DznSalRqVBU)。序盤はピアノとウッドベースのみを伴って大人しく歌っていることもあり、彼女の声質と歌い方はこの曲にあってはどうもまろやかに過ぎるのではと、そう思いながらも聞き続けるうちだんだん声を張るようになり、熱が籠ってきてからはそうでもないかな、意外と行けるかなと傾いたのだが、終盤にブレイク及び短い独唱を経た直後、ドラムや歪んだギターなどバンド全体でいきなり入ってくるのにはちょっと驚いたと言うか、こうなってみるとベースとピアノだけで最後までしっとり収めた方がむしろ良かったのではという気もされて、と言うのはバンドでやるとこの人の声ではやはり角がなさすぎるように感じたのだ。よくも悪くも随分と優しい声をしている。この曲を普通にやるにはその優しさが仇となってある種平板に過ぎると言うか、粘りとか、どろどろしたような情念的なニュアンスがあまり乗らない声なのではないか。
  • その後、本家の演奏も聞く。もちろん素晴らしく、ぞくぞくさせられる音楽で、こういう雰囲気のマイナーブルースとしてはやはり、これ以上のものはちょっとできないのではないか。ギターソロなんかも、まあやっぱりJimmy Pageでないと多分できないでしょうこれは。それにしても、こういうのって、ブルースって言っていいんですかね? いわゆるブルースとはだいぶ違うと言うか、ブルースブルースしている感じはむしろ全然ないような気がするのだけれど。ただ、「ブルース」と呼ばれる音楽の形態様相は別として、「ブルースの精神」みたいなものを漠然とイメージしたときに、こういうサウンドがそれをわかりやすく、かつ高度に表象しているものとして広く受け入れられるというのはわかる気がする。源泉にあった「ブルース」そのものよりもかえって余計に「ブルースらしい」と言うか、本物よりも本物らしく精巧によく作られた紛い物、みたいな。


・作文
 15:12 - 15:25 = 13分(28日)
 24:01 - 24:48 = 47分(28日)
 24:49 - 26:00 = 1時間11分(7日)
 26:34 - 27:12 = 38分(8日)
 計: 2時間49分

・読書
 15:29 - 16:07 = 38分(日記 / ブログ)
 16:09 - 17:00 = 51分(シェイクスピア十二夜』: 78 - 132)
 17:32 - 19:27 = 1時間55分(シェイクスピア十二夜』: 132 - 171 / シェイクスピアハムレット』: 219 - 305)
 20:33 - 21:41 = 1時間8分(Wikipedia
 22:30 - 23:26 = 56分(Wikipedia / ブログ)
 26:13 - 26:34 = 21分(ウィキペディア
 28:08 - 28:35 = 27分(シェイクスピア十二夜』: 171 - 204)

・音楽
 27:34 - 27:55 = 21分

2020/4/27, Mon.

 でも退院したあと、僕はほとんど眠れなくなってしまったんだ。三週間のあいだ、僕は夜眠ることをやめてしまった。というのは、眠りにつくのがすごく怖かったからだ。眠ると、必ず夢を見た。必ず見る。それもいつも同じ夢だ。誰かがやってきて、大きなハンマーで僕の頭をがつんと叩く。そんな夢だ。
 でもその夢はとても不思議なんだ。最初そのハンマーはすごく硬くて、痛かった。しかし毎日毎日それがだんだん柔らかくなっていくんだね。少しずつその衝撃は弱くなっていく。そして最後の頃には、叩かれても、まるで枕で打たれたような感じしかしなくなっていた。
 (村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫、一九九九年、329; マイケル・ケネディー; 当時六三歳; アイルランド人の元騎手)



  • 一時過ぎまで寝過ごしたため、肉体が重く固い。鈍重に凝[こご]っている。
  • 大雨である。午後の早い段階で室内は既にかなり暗く、そう遠くもなさそうな空間で巨大な雷も頻々と落ちる。英語では雷に対してrollという語を合わせるわけだが、聞けばなるほど確かに、オリュンポスの神々でも乗っていそうな伝説上の車輪じみた甚大な衝撃が、例えば山の樹々などを巻きこんで進路を遮るものどもすべてを薙ぎ倒しながら転がってくる、そんな風な響きだ。
  • Sさんのブログを、大変久しぶりのことで正式に読む。一応たびたび覗いて瞥見はしているわけだが、正式な読書の時間として触れたということだ。信じがたいことに、昨年の一二月二九日の記事までしか読んでいなかった。四か月も放置してしまったのだ。
  • 肉体がひどく凝り軋んで難儀に苦しんだので、ベッドに転がり脹脛をひたすら揉みほぐしながら長く書見する。そのおかげで、夜には身体はだいぶ軽くなった。シェイクスピア/野島秀勝訳『ハムレット』(岩波文庫、二〇〇二年)は読了。しかしメモはまだ取り切れていない。取り切れていないうちにシェイクスピア安西徹雄訳『十二夜』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)を続けて読みだしたところ、この喜劇がとても面白い。飲んだくれと小間使いのやりとりとか道化の台詞とか軽妙なことこの上なく、とても小気味良くて笑ってしまう。シェイクスピアの筆さばき、跳ね回り躍動するその言葉の軽やかなひょうきんぶりは、かなり冴えているように感じられる。構造と言うか、言語の意味論的推移の仕方としては今でも充分通用するコントになっていて、おそらく現代の漫才師などにとっても学べることは多々あるのではないか。翻訳文もその軽快さを活かし尊重したものと思われて巧みに簡易であり、片仮名の擬態語が多く使われている点や、小文字の片仮名が用いられている点など、軽すぎると難じる向きがあっても不思議ではないが、こちらとしては上手く嵌まっているように思う。「覚悟ってほどじゃねェけど、二道かけてりゃ、ま、いずれ、何とかなるさ」(34)に見られる「じゃねェけど」とか、こちらはこういう書き方を一度もしたことがないと思うので、新鮮に響き、何となく羨ましいと言うか自分でも使ってみたくなる。
  • Christian McBride『Conversations With Christian』。二〇一一年一一月八日リリース、Mack Avenueから。McBrideが一曲ごとに違うゲストを招いて共演したデュオアルバム。大変充実していて良い。McBrideが弾いていながら充実していないことってあまりない気がするが。聞きやすく馴染みやすい音楽でもある。
  • ようやっと書抜きをすることができた。 J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』(法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年)である。しかし途中ですぐに億劫になってしまい、やめようかとも思ったのだが、代わりにひとまず別の本をやるかというわけで、三島由紀夫『中世・剣』(講談社文芸文庫、一九九八年)の書抜きもした。
  • 「常徳院殿足利義尚は長享三年三月廿六日享年廿五歳にして近江国鈎里[まがりのさと]の陣中に薨じた」(8)――「薨[こう]ずる」の読みがわからなかった。

 文正元年(1466年)9月、[伊勢]貞親は義視に謀反の疑いありと義政に讒言し義視の排除を図った。しかし義視が細川勝元の邸宅に駆け込み救援を求めると、勝元は山名宗全と結託して義政に抗議し、これにより貞親は失脚し京を去った(文正の政変)。これにより義視の将軍就任も間近と思われたが、やがて宗全は幕政を牛耳ることを目論み、畠山氏の家督をめぐって畠山政長と争っていた畠山義就を味方に引き入れ義就に上洛を促した。義就と宗全は御霊合戦で政長を破ったが、政長に肩入れしていた勝元が反撃を開始し応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発した。陣を構えた場所から細川方を「東軍」、山名方を「西軍」と呼ぶ。勝元の要請に応じ義政は東軍に将軍旗を与え、西軍を賊軍とした。これにより東軍は正当性の面で優位に立ったが、大内政弘が入京すると西軍は形勢を盛り返し戦局は膠着状態となった。

  • 長享・延徳の乱の発生及び各地で起こった一揆への対応について。

 応仁の乱後、下克上の風潮によって幕府の権威は大きく衰退してしまった。義尚は将軍権力の確立に努め、長享元年(1487年)9月12日、公家や寺社などの所領を押領した近江守護の六角高頼を討伐するため、諸大名や奉公衆約2万もの軍勢を率いて近江へ出陣した(長享・延徳の乱)。高頼は観音寺城を捨てて甲賀郡へ逃走したが、各所でゲリラ戦を展開して抵抗したため、義尚は死去するまでの1年5ヶ月もの間、近江鈎(まがり・滋賀県栗東市)への長期在陣を余儀なくされた(鈎の陣)。そのため、鈎の陣所は実質的に将軍御所として機能し、京都から公家や武家らが訪問するなど、華やかな儀礼も行われた。(……)
 長享2年(1488年)[3]、改名して義煕と称する。同年には、加賀一向一揆によって加賀国守護の富樫政親が討ち取られた。政親は長享・延徳の乱では、幕府軍に従軍していたこともあり、義尚は蓮如一揆に加わった者を破門するよう命じるが、細川政元にいさめられ、蓮如一揆を叱責することで思いとどまった。文明17年(1485年)に京がある山城国で起きた山城国一揆についても、ただちに武力鎮圧しようとはせず、むしろ一定の権限を認めた。

  • 「人物・逸話」の項目には、「美しい顔立ちから「緑髪将軍」と称された」とある。「緑髪[りょくはつ]」という語をそこで初めて知ったのだが、Weblio辞書のページに載っている「実用日本語表現辞典」によれば、「艶々としたうつくしい黒髪を指す語。「りょくはつ」と読まれる。「みどり」の語には「みずみずしさ」や「つややかさ」などの意味合いが込められることも多い」とのこと。
  • 「義尚の訃に接して廿日の後、義政の前へ出た霊海はこの人の悲しみがより遥かな場所から来ているのを知った。臆せずに禅師は云う。「恐れながら義政公には未だ度脱召されぬそうな」」(8)――「度脱」がわからなかった。コトバンク・「精選版 日本国語大辞典」曰く、「仏語。煩悩の迷いを脱して、悟りの彼岸に到ること」。霊海に応じる義政の返し、「其許は月に向って星の言葉を使うておる。月には月の言葉で話すものではあるまいか」の「其許」も初見だったが、「そこもと」と読むようだ。武士が使う二人称だと言い、「そなた」と大体同じニュアンスらしい。
  • 「当時の京師[けいし]にただようたきらびやかな頽唐の薫について、語り得る人がどこにあろう。美のいかなる片鱗も予兆以外のものではなく、(洵[まこと]に予兆が美の凡てであった、)西空に立つ夕栄えの美しさが少しでも甚だしいと、人々はこれを仰ぐや畏怖悚懼[しょうく]して祈るのだった」(8~9)――「京師」が初見。「《「京」は大、「師」は衆で、多くの人たちの集まる所の意》みやこ。帝都」(https://kotobank.jp/word/京師-488591)とのこと。Wikipediaには「東アジアなど漢字文化圏で帝王の都のこと」とあり、朝鮮やベトナムに対しても使われたようだ。「頽唐」は「頽廃」と同じような意味だろうとはわかるものの、これも初見ではある。「唐」の字には、むなしいとか、空っぽ、中身がない、無内容、というような意味が含まれているらしい。「悚懼」も初見。おそれおののくこと。「悚」なんていう字は普通にものを読んでいても目にしたことがない。「懼」の方はまだ見かける。と言うか、森鴎外の『高瀬舟』に「疑懼」という語が出てきたのを覚えているのだが、この小説は中学校の二年生だか三年生だかで扱う話で、塾で読んで教えたので記憶に残っているのだ。
  • 「雨降る日は屋根漏る雨滴をながめて禅師はすごした。おそらく霊海は大閻浮提[だいえんぶだい]が一滴一滴融落してゆく物音をきいたのだ」(9)――「閻浮提」に初めて触れる。勿論仏語。「Jambu-dvīpa」なるサンスクリット語の音写と言う。「古代インドの宇宙説において世界の中心とされている須弥山 (しゅみせん) の南方に位する大陸で,四大洲の一つ。(……)インドの地形に基づいて考えられたが,のちにはこの人間界全体をさすようになった」(https://kotobank.jp/word/閻浮提-38362)旨で、「ジャンブ樹jambuすなわちフトモモの木rose-apple treeの繁茂する島(ドゥビーパdvpa)の意」ともある。
  • 「――そこには蒼ざめた美しい少人がすわっていた。そして禅師を一ㇳ目みると嗚咽して顔を得あげなかった。「御身は死ぬ覚悟とみゆる」 菊若をいたく駭[おどろ]かせつつ、莞爾として霊海は云った」――「少人」は衆道・男色における弟分のことで、「若衆」とおおよそ同義のようだ。「得あげなかった」も、普通はと言うか、いま使うとしたら「上げ得なかった」と言うだろう。この位置に置かれる「え」はおそらく古文由来の用法である。昔の文学ではそこそこ使われたようで、「得上げず」で検索すると徳田秋声とか国木田独歩とかの文が出てくる。「莞爾」は石原莞爾の名前でお馴染みだが、意味をあまり正確に知らなかったので調べてみると、にっこりと微笑む様子とのこと。
  • 手の爪が伸びていて、指先に引っかかる固い感触がとても鬱陶しかったので処理をした。かたわらBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を流したのだが、"Alice In Wonderland (take 1)"はまったく最高である。この世界の歴史における最高の音楽の一つだ。死ぬまで聞ける。それから日記を書いている最中にも"All of You (take 1)"が流れ出して、意識をそちらに持っていかれたので目をつぶって耳を傾けたところ、この演奏の推進性と言うのか、平たく言って音楽の流れ方、その堅固さ定かさ、あるいはドライブ感、そういったものはやはりとてつもない。これ以上なく、〈前に進んでいる〉という感覚。三者が一所に集中し一つの塊となって前進するのではなく、てんでばらばら勝手にやりつつある種不統合なままにと言うか、「混沌」という語をやはり使うべきなのか、とは言え融合的に混ざりきることはなく、一つの形一つの模様を形成しないまま、ひどく強力な勢いで一瞬ごとに眼前の時空を呑みこむようにして推し進んでいく、そんな印象がある。


・作文
 14:22 - 14:28 = 6分(27日; 詩)
 26:23 - 26:46 = 23分(27日)
 26:59 - 28:09 = 1時間10分(27日; 7日)
 計: 1時間39分

・読書
 14:36 - 14:57 = 21分(日記; ブログ)
 14:59 - 15:18 = 19分(ブログ)
 15:56 - 17:26 = 1時間30分(シェイクスピア: 310 - 388)
 17:41 - 20:08 = 2時間27分(シェイクスピアハムレット』: 388 - 414, 131 - 204 / シェイクスピア十二夜』: 9 - 56)
 24:44 - 26:21 = 1時間37分(ヒリス・ミラー、書抜き; 三島、書抜き)
 28:14 - 28:47 = 33分(シェイクスピア十二夜』: 56 - 78 / シェイクスピアハムレット』: 204 - 219)
 計: 6時間47分

・音楽

2020/4/26, Sun.

 というのは、たまたま地下鉄に乗っていたというだけで、不幸にして命を落とされたり被害を受けられた一般のお客様だっていらっしゃるんですよ。まだ苦しみの中に心を痛めている方もおられる。そんな方のことを思うと、いつまでも自分は被害者なんだというものの見方をしてはいられない。だから私は、「自分はサリンの被害者[﹅3]ではなくて、体験者[﹅3]なんだ」と思うようにしているんです。正直に言って、後遺症はある程度あります。しかしそれについてはできるだけ考えないようにしています。それに寝込むようなこともないわけですからね。後遺症だと言われるから、ますます落ち込んでしまうんです。それよりはプラスにものを考えて克服していこう。少なくとも自分はこうして生き残ったんだから、そのことに感謝をしていこうと。
 (……)
 私はオウムが憎いとも思わないようにしているんです。それはもう当局の人に任せちゃっています。私の場合、憎いとかそういう次元はとっくに通り過ぎてしまっているんです。彼らを憎んだところで、そんなもの何の役にも立ちはしません。オウムの報道もまず見ません。そんなもの見たってしかたないんです。それくらい見なくてもわかります[﹅15]。そこにある状況を見ても、何も解決しません。裁判や刑にも興味はありません。それは裁判官が決めることです。

 ――見なくてもわかるというのは、具体的にどういうことなんですか?

 オウムみたいな人間たちが出てこざるを得なかった社会風土というものを、私は既に知っていたんです。日々の勤務でお客様と接しているうちに、それくらいは自然にわかります。それはモラルの問題です。駅にいると、人間の負の面、マイナスの面がほんとうによく見えるんです。たとえば私たちがちりとりとほうきを持って駅の掃除をしていると、今掃き終えたところにひょいとタバコやごみを捨てる人がいるんです。自分に与えられた責任を果たすことより、他人の悪いところを見て自己主張する人が多すぎます。
 (村上春樹アンダーグラウンド講談社文庫、一九九九年、87~88; 豊田利明; 当時五二歳; 営団地下鉄職員)



  • 一一時に覚め、しばらく転がったまま膝で脹脛を揉んでから上へ行くと、自治会の用事で出かけていたらしい父親が帰ってきたところで、その声が何故かやたらと嗄れていたので、コロナウイルスにでも掛かったのか? とちょっと思った。
  • 天麩羅と豚汁の残りを食いながら新聞。ジョセフ・スティグリッツのインタビューがあったが、これはまだ読まずに書評欄を覗く。各書評子のゴールデンウィークに勧める本、みたいな特集で、ところどころ適当に目を向けながら、形容詞というのは確かに制度性が如実に表れる場だなあと思った。書き手が使う形容詞や比喩を見れば、その人のステレオタイプに対する姿勢、つまりは批評性がある程度わかる。新聞の書評はごく短い紹介文に過ぎないが、それでも読めば大体、各々の作文者が言語制度とのあいだに結んでいる関係が見えてくるものだ。言わば、形容修飾を通じて、人は大勢あるいは体制に、イデオロギーに取りこまれる。だがその一方でロラン・バルトは、形容詞は「欲望」への回路であるとも言っていた。

 ことごとく形容詞なしで話し、書くというのはウリポ〔グループ「潜在的文学工房」〕の文学者たちが企てている遊戯――しばしばたいへん面白いものですが――と同様の遊戯にすぎないでしょう。実際には(大発見です!)、良い形容詞と悪い形容詞があります。形容詞がもっぱらステレオタイプな仕方で言語活動にやって来る時、それはイデオロギーへの扉を大きく開いているのです、なぜならイデオロギーステレオタイプの間には同一性があるからです。しかしながら、他の場合、それが繰り返しをまぬがれる時、主要な属詞として、形容詞は欲望の王道でもあるのです。それは欲望の「言葉」なのです、わたしの悦楽への意志を肯定する、わたしの対象との関係をわたし自身の喪失という常軌を逸した冒険へと導き入れる方法なのです。
 (ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』みすず書房、二〇一八年、247; 「形容詞は欲望の「言葉」である」; 『ガリバー』誌、五号、一九七三年三月)

  • 一時から「(……)」の人々と通話。"(……)"と合わせる動画の展開と言うか、物語的構成について多少口を出して考えを述べた。「居場所」への到達で終わるのはどうか、と。初めは少女が世界とのあいだに感じていた齟齬の解消を表現するのに、主客合一と言うか、少女が世界のなかに同一化して消えてしまうというイメージが思い浮かんでそのように話したのだが、それはちょっとこちらの好みに寄せすぎだった。やや宗教的な、あるいは神秘主義的なヴィジョンになってしまう。そういう表現を採用したとして上手く解釈されるかどうかはこちらにも定かでなかったわけだが、MUさんが、それだと死んでしまったように取られてしまうかもしれないと指摘して、それで彼女の意見も聞いたあと、確かに世界内で存在の根拠、要するに「居場所」を見つけるという筋書き、言い換えれば堅固な主体性を獲得して自己肯定ができるようになる、という捉え方のほうが現世的で良さそうだなと修正した。典型的な「探索 - 発見」の物語、すなわち自己確立の構図にはなるわけだけれど、先のこちらのヴィジョンは「神秘主義的」と言い表したように、一種の神としての世界そのものとの合一であり、つまりは超越であって、その場合、少女が行き着く先は天国か楽園のような領域になってしまう。彼女はこの世界から別の場所、その外に出ていってしまうわけで、しかしそれよりはこの世界の内で確固たる地盤、足の踏み場を得るという構図の方がわかりやすいし、この場合の趣旨に合っているだろう。少女はどこか別の場所に行くわけではなく、認識あるいは主体としてのあり方の変容によって世界とのあいだに調和を感じるようになり、どこに行くわけでもないが現にいまいるこの場所そのものの見方が変わることでその一部として承認され、位置づけられる、そういうストーリーの方が良さそうだ。とすると、宇宙を通過したあとに地球に戻ってきても良いのかもしれない、と加えて述べた。技術面でどういった手段があるのかこちらにはわからないが、冒頭に登場するのと同じ映像を最後にまた用いつつ、それに何かうまい効果を施すことで、世界の見え方が変わったということを示せるのではないかということだ。
  • 夕食には茄子と豚肉を炒めた。
  • 先の会話の途中で、五時から打ち合わせがあると言ってTTが離脱したので、九時からふたたび通話するという話だったが、こちらは日記を書いたりしたいので、と伝えて欠席を取った。
  • Chris Potter Quartet『International Jazz Festival Bern 2017』。Chris Potter(ts / ss)、David Virelles(p)、Joe Martin(b)、Nasheet Waits(ds)。二〇一七年四月二六日のライブ。流し聞きした限りでは全篇凄いが、特に最終曲、一九分に渡る"Strikt"はやはり凄い。ブルースというのはジャズになっていようがブルースロックだろうが何だろうが、まったくもって面白い、素晴らしい音楽だ。
  • 夜半、ふたたび書見を始めたが、またしてもその途中で眠ってしまう。(……)
  • 書抜きをしたり一年前の日記を読み返したり、人のブログを読んだりもしないといけないなあと思ってはいるのだけれど、どうにもだらだらする時間が多くなってしまい、勤勉さというものを己が身に引き寄せて確かに宿らせるのはなかなか難しいものでござる。あとはやはり、一日に一曲だけでも良いので、できれば毎日、音楽を集中して身体に取りこむ時間を作りたいものだ。いつも一日の終わりに近づくとそういったことを思い出すのだが、日中は気散じに遊んでしまって忘れている。


・作文
 12:03 - 12:33 = 30分(26日; 24日)
 26:39 - 27:36 = 57分(26日; 25日; 6日)
 計: 1時間27分

・読書
 18:09 - 18:30 = 21分(シェイクスピア; 287 - )
 24:31 - 26:18 = 1時間47分(シェイクスピア; - 310)
 27:57 - 28:13 = 16分(日記; ブログ)
 計: 2時間24分

  • シェイクスピア/野島秀勝訳『ハムレット』(岩波文庫、二〇〇二年): 287 - 310
  • 2019/3/3, Sun.
  • 2019/3/4, Mon.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-02-16「恋人が首を吊ったと想像し涙に暮れる彼は童貞」

・音楽

2020/4/25, Sat.

 (……)両眼に繃帯した人に向って、繃帯を通して眼をじっとこらすようにといくら元気づけたところで、その人はけっして何かを見ることはできませんからね。(……)
 (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ筑摩書房、一九六〇年、253; 『城』)



  • 八時頃に一度、現実世界に浮上したのだけれど、昨夜から始まった頭痛が左のこめかみの辺りに痼[しこ]りつづけていたので、ふたたび寝入った。そうして一〇時に再度覚醒。この時頭痛はほとんど消え去っていたが、正午直前の今は復活しつつある。天気は晴れ晴れしく、乾いて摩擦の強い陽光をしばらく顔に浴びて肌に染みこませる。
  • 筍をまた採ったと言うので、先日同様天麩羅を揚げた。
  • 読売新聞では芥川喜好という美術担当編集委員の人が「時の余白に」という小文を月に一回連載していたのだが、それがここで終了するとのことだった。四〇年続いたと言う。三二歳の時に始めて、現在七二歳に至っている。凄いものだ。最後の記事では秋山祐徳太子という美術家の名が取り上げられていた。つい先頃、四月三日に亡くなった人で、七〇年代に石原慎太郎美濃部亮吉保革両陣営に挟まれて都知事選に出馬したことがあるらしい。
  • その右側には永田和宏のインタビューが載っていたが、この人が歌人であるだけでなく細胞生物学者でもあることをそこで初めて知った。
  • シェイクスピア/野島秀勝訳『ハムレット』(岩波文庫、二〇〇二年)を読み進め、その後、相変わらず頭が痛かったので眠ることにした。三時半から一時間休んだところ、頭痛は一応解消された。目がひらいたあと、臥位のまま窓を見上げて眺めた空は無垢で無差異な一面の淡蒼穹で、例えば永劫などという概念の充分な形象化じみている。その茫洋との間に挟まった窓ガラスには昆虫の糞みたいな黒い点状の汚れや、そうでなければ黴か粘菌のような鈍い曇りが上から下までびっしりと顕在化して目に際立って、窓外の宙を截って駆ける鳥の影や、ぱらぱら浮かび漂う虫の姿もくっきり明晰に現れる。
  • Jan Erik Kongshaugが昨年の一一月五日に亡くなっていたことを知る。と言うか当時ももしかしたら訃報を目にしていたかもしれないが、どうもよく覚えていない。
  • John Scofieldが初めてECMから作品を出すらしい。『Swallow Tales』というタイトルが表しているようにSteve Swallowの音楽を主に取り上げたようで、編成も彼とBill Stewartとの馴染みのトリオである。
  • Norah Jonesも『Pick Me Up Off The Floor』という新譜を発表する。WilcoのJeff Tweedyとの共作が二曲あるとか。細かいメンバーは不明だが、John PatitucciとNate Smithが参加しているようなのでちょっと気にはなる。歌詞対訳は川上未映子が手掛けたらしい。
  • Norah Jonesは熱心に聞いてきたわけでなく、せいぜい『Come Away With Me』を多少耳に入れたくらいでその動向もまったく追っていなかったけれど、二〇一六年の『Day Breaks』の情報を見るとVicente ArcherとかBrian BladeとかChris Thomasとか、Jon CowherdとかJohn Patitucciとか、Karriem RigginsとかDaniel Sadownickとか、さらにはさすがにビビるのだけれどWayne ShorterとかLonnie Smithとか、錚々たるつわものたちが勢揃いしていて、ちょっとやばくない?
  • Kandace Springs『Women Who Raised Me』には、Christian McBride、Avishai Cohen(トランペットの方)、Chris Potterなどが客演。
  • Pat Methenyも二月に『From This Place』という新譜を出していたのだ。Linda Oh、Antonio Sanchez、Gregoire Maret、Luis Conte、Me'Shell NdegeOcello参加。紐入りでアレンジはGil GoldsteinやAlan Broadbent。Gwilym Simcockという人がピアノを弾いており、多分Methenyが新しく見つけてきた人と思われて、こちらは全然知らなかったのだが、どうもイギリスでは名の通った若手らしい。Bill Brufordのバンドにいたことがあるとか。
  • Kurt Rosenwinkelもトリオで『Angels Around』というやつを今月リリースしていた。Dario Deidda(d)という人とGregory Hutchinsonが相手。
  • 日本人だと北川潔が片倉真由子と石若駿を集めたトリオの作品を出している。
  • 上記の新譜情報は大方、disk unionのサイトに載っていたニュースを閲覧して集めたわけだが、そのなかに一つ、『ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術』という書籍の発売告知があって、知らない名だがタイトルからして面白そうだなと思った。検索してみるとHarry Everett Smithという人で、Everettというミドルネームに何となく覚えがあるので、前にもどこかで目にしたことはあるのかもしれない。映像作家であり、ボヘミアンであり、神秘主義者であり、独学の文化人類学者であるという具合に、多彩で独特な人物のようだ。音楽の方面ではAnthology of American Folk Musicという音源を編集したことで有名らしく、いわゆるビート・ジェネレーションの一員ともされており、アレン・ギンズバーグと仲が良かった様子。
  • ほか、トランペットのJason Palmerがライブ盤を出すとのこと(『Concert, 12 Musings For Isabella』)。Mark Turner(ts)、Joel Ross(vib)、Edward Perez(b)、Kendrick Scott(ds)という顔ぶれ。Chase Bairdというサックスの『Life Between』には、Brad MehldauとNir FelderとAntonio Sanchezが参加。そして、Enrico Pieranunziの新録『Common View』では、何とJorge Rossyが叩いている。マジか!
  • Clementine『Continent Bleu』を流す。Jimmy Woode(b)、Niels-Henning Ørsted Pedersen(b)、Ben Riley(ds)、Bobby Durham(ds)、Patrice Galas(p / key)、Johnny Griffin(ts)。冒頭からPedersen以外の何者でもないサウンドと動き。三曲目の"Line For Lyons"――この曲をボーカルで取り上げるのも珍しい気がするが――でPedersenは短めのソロを弾いているが、いつもながらやたらと速いし、高速で細密なフレージングでも音程が本当に正確なので、やはり凄いなと思った。
  • 最近は文章をけっこう頑張って精査しながら書いているつもりなのだが、そうすると助詞の「の」など、かなり鬱陶しいと言うか、いかにも邪魔臭く感じるようになってきた。例えば、「居間の南窓の横の壁にゴキブリが這っていて……」みたいな感じで連続したときなど勿論そうだし、重ならずに一つだけで出てきても何だか野暮ったいような気がして煩わしく思うことが多い。


・作文
 11:50 - 12:41 = 51分(25日; 24日)
 19:32 - 20:06 = 34分(25日; 5日)
 24:15 - 24:41 = 26分(5日)
 26:42 - 27:59 = 1時間17分(6日)
 計: 3時間8分

・読書
 11:28 - 11:41 = 13分(シェイクスピア; 144 - 150)
 12:42 - 13:45 = 1時間3分(シェイクスピア; 132 - 182)
 14:33 - 15:30 = 57分(シェイクスピア; 182 - 216)
 21:25 - 21:48 = 23分(英語)
 21:48 - 22:28 = 40分(記憶)
 24:46 - 26:26 = 1時間40分(シェイクスピア; 216 - 287)
 計: 4時間56分

・音楽

2020/4/24, Fri.

 (……)ところでまた田舎から来た男に対しても彼は思いちがいをしていたのだとされるのです。それというのも、彼は自分がこの男に対して従属的な立場にいながら、そのことを知らないでいるからです。彼がその男を自分に従属する者としてとり扱ったことは、多くの点から読みとれることだが、これはあなたもまだ覚えているでしょう。ところが、じつは門番のほうが、従属的な地位にあるのだということが、この意見によれば同じようにはっきりあらわれているというのです。何よりまず、自由な人間というものは拘束されている人間よりも上位にあるものだ。ところでその男は事実自由であり、どこへなりと意のままに行けるわけなのです。ただ掟への入口だけが禁じられているのであり、それもたったひとりの門番によって禁じられているにすぎないのです。ドアの脇の床几[しょうぎ]にすわって、生涯そこにとどまっていたのも、自分の自由意志からやったことであり、この話に語られているかぎり、そこには何らの強制も見出せません。これに反して門番は、その職務上自分の位置にしばりつけられており、他の場所へと離れて行くことも許されず、さりとてまた、彼が望んだところで、掟の内へも入って行けないらしいのです。それに彼は掟に仕えているとはいっても、実際にはただこの入口に仕えているのであり、したがってこの入口からだけ中へ入ってゆけることになっているその男のために、仕えていることになるのです。この理由からもまた、門番は男に従属していることになります。彼は長い年月にわたり、自分の男盛りの全期間を通じて、いわばただ無意味なつとめだけを果たしてきたと考えられるのです。なぜなら本には一人の男がやって来たと書かれているのですから、だれか男盛りの人間が来たのであり、そうなると門番は、自分の目的が満たされるまで、長いあいだ待っていなければならなかったわけで、しかも自分の自由意志でやって来た男の気持いかんによって、長かろうと短かろうと、そのあいだは待たねばならなかったのです。そしてまた彼のつとめが終るのは男の生涯の終りなのですから、門番は最後の最後まで男に従属していることになるわけです。しかも、くりかえし強調されているのは、門番自身はこうした事実について全然何も知らないらしいということです。しかしこの点には、別に目に立つことは見られません。というのも、この見解によれば、門番はもっとはるかに重大な思いちがいをしていたからで、これは彼のつとめに関したものです。つまり話の最後の個所で、門番は入口のことを口にし、『さあわしも行って、門をしめるとしよう』と言っているのだが、実際にこの話の発端の個所には、掟への門はいつものように開かれている、と書かれています。しかしもしいつもあいているのだとすれば、いつも[﹅3]というのは何もこの門にきめられている男の生涯とはかかわりないことになりますから、門番もその門をしめることはできないでしょう。門番が、門をしめに行こうと言ったのは、ただたんに男に対して何らかの返事をしておこうというだけのことだったのか、あるいは男をその臨終の瞬間においてもまだ後悔と悲しみとのうちにつき入れようとしたのか、この点については注釈者たちの見解もまちまちです。けれどもそうした彼らの見解も、門番は門をしめることができないだろう、という点では完全に一致しているのです。また彼らは、男が掟の入口から射してくる光を認めたときにも、門番は門番としておそらくその入口に背を向けて立っていたろうし、またなんらかの変化を認めたというそぶりは全然見せていないのだから、少なくとも最後のところでは、知恵という点においても、門番は男より劣っていたのだ、とさえも信じられているのです」
 (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ筑摩書房、一九六〇年、128; 『審判』)



  • 二時半までずっとだらだらと、まさしく堕落堕落と、甚だしく寝過ごす。詩句を考えながら微睡んでいた。沸騰的な怒りに駆られて風呂場で喚き散らしつつ、洗面器を壁に投げつけるなどして暴れる夢を見たことを覚えている。覚えていると言うか、風呂を洗うために浴室に踏み入った時に思い出した。夢中の自分が何故あんなにも怒り狂っていたのか不可解だ。
  • シェイクスピア/野島秀勝訳『ハムレット』(岩波文庫、二〇〇二年)を読み進める。弟のクローディアスに暗殺されたことを王子ハムレットに明かす父王の亡霊はその証言のなかで、簒奪者の用いた「劇薬ヘボナ」(69)なる「毒液」(同)が「五体の動脈静脈、血管のことごとくを/水銀のように素早く経巡り」(同)、血流を凝固させて死をもたらしたのだと語っているのだが、この水銀という物質が具えている活動的迅速性に拠った直喩を見て、プリーモ・レーヴィも何か似た風なことを書いていたような、と思い浮かんだ。それで、まだ読んでまもない『プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に』(竹山博英訳、岩波書店、二〇一九年)をさらってみると、「作品」という篇の冒頭に、「さて、これで終わった。もう手を付けるところはない。/手の中で何とペンが重いことか! /少し前まではとても軽くて、/水銀のように生き生きと動いていた」(96)という一節が見つかった。多分、この「生き生きと」した動きの持つ生命性が、「素早く経巡」る液体運動の滑らかさに通じて記憶が刺激されたのだと思う。ついでに言及しておくと、三月後半に読んだ『周期律――元素追想』(竹山博英訳、工作舎、一九九二年)にも「水銀」という題の章が含まれており、そこではこの元素は「冷たく、活発な物質」(160)と形容され、「本当に奇妙」(165)で「捕え難く、常に動いて」(同)おり、「スープ皿に入れて回すと、三〇分間は回り続けた」(同)と報告されている。また語り手の「逆上」(163)を表現するに当たっては、「おそらく私の血管にも水銀がめぐっていたに違いない」(同)と『ハムレット』における亡霊の口ぶりに似た比喩的想像力が導入され、さらに、「砂丘の砂を金に変える」(162)実験に失敗してオランダを逃げ出してきた「錬金術師」(163)の胡散臭い理論によれば、「それは飛翔する霊を固定したもの、あるいは女性原理」(同)なのだと言う。
  • 五時半に階を上がって、夕食の準備。豚汁的なスープを作ることにまとまって野菜を切り分ける。母親の職場に新しく入った子供がとにかく「クソガキ」で、人を簡単に叩いたり蹴ったりしてとても手がつけられないと言う。公園への行き帰りにも、手を繋いでも歩こうとしない、それですごく疲れたという嘆きを聞いて、犬みたいではないかとちょっと思った。話を聞きながら料理をしていると父親が帰ってきてケンタッキー・フライドチキンを買ってきたと言うので、助かると礼を述べ、魚を焼くのは取りやめにした。
  • コロナウイルスによって自宅にいる時間が増え夫婦仲が危うくなるという世間的事情を報告した新聞の一頁が炬燵テーブルの上に置かれていたのは起きてきた時から気づいていたのだが、ソファに座った父親に向けて母親が笑いながら注意を促し、「コロナ離婚」があるんだってね、と言う。わざわざそんな話題を振らなくても良さそうなものだが、父親の方はと言えば、DVとかな、と穏当に受けていた。それからこちらは豚汁の野菜を炒めて水を注ぎ、沸騰するのを待ったあと、まるで長期間蓄積された精液のように黄濁した――というこの比喩は、さすがに食べ物に対して使うのはどうかと思うが――灰汁を取り除いて、残りのことは母親に任せた。
  • Chet Baker Sings』から、"That Old Feeling"や"But Not For Me"や、"There Will Never Be Another You"、"I Fall In Love Too Easily"など久しぶりに流して歌う。Chet Bakerの声と歌唱というのはかなり物憂げな感じで甘い方なので、柔弱と評する向きがあっても不思議ではないと思うが、こちらも一〇年くらい前には無益に陰鬱ぶった虚無的な青年だったので、うじうじしたような雰囲気の感傷曲は結構好きでよく聞いていた。わりと繰り返し聞いては歌っていたので、曲によってはトランペットとピアノのソロも大体歌える。このアルバムのパーソネルはリズム勢が曲によって色々で、Chet Baker(tp / vo)とRuss Freeman(p / celesta)が固定で、あとはCarson Smith(b)、Jimmy Bond(b)、Joe Mondragon(b)、Bob Neal(ds)、Larance Marable(ds)(のちにCharlie HadenのQuartet Westに参加していたドラマーだ)、Peter Littman(ds)、Shelly Manne(ds)といった感じなのだが、ソロイストの二人はBakerもFreemanも、それこそ口でも歌えるわけだから、それくらい無駄なく綺麗にまとまった音取りで素敵な演奏をしている。
  • 試みに"But Not For Me"の歌詞を一部取り上げてみると、"They're writing songs of love, but not for me. A lucky star's above, but not for me"、"Although I can't dismiss the memory of her kiss, I guess she's not for me"と、こういった調子である。上に名を挙げた四曲とも単なるセンチメンタルなラブソングと言えばそうなのだが、いわゆる古典的なジャズ・スタンダードになったようなポピュラー音楽というのは、大体ミュージカルの劇伴とか映画音楽として書かれたもので作詞家も実力者揃いなので、大衆歌のわりに言語表現がさほど空疎でなく、わりとこなれていて素敵なものが多い気がする。"But Not For Me"は、GeorgeとIraのGershwin兄弟が作ったものだ。"That Old Feeling"はSammy Fain作曲、Lew Brown作詞だが、"There'll be no new romance for me, it's foolish to start"の一節など結構好きである。
  • (……)
  • 夜、散歩。東へ。坂道に入ると眼下にひらいた闇の底、まさに純然たる暗黒の奥から、川水の響きが昇ってくる。例によって「(……)」の詩句案を頭に巡らせながら歩いていると、坂を出たところに行商の八百屋が来て停まっていた。こんな時間だから客は二人のみ、中年から高年に掛かる頃合いの女性と、比較的若い年頃の息子らしき男性。男性は何となく、鬱屈したような顔つきの人だった。こんばんはと挨拶を掛けたところに振り向いた顔を見れば、八百屋の旦那は、隙間を作らず肌をぴったり覆うタイプの灰色マスクをつけている。どこ行くのと軽く問うので、散歩ですよ、やっぱり歩かないと、と応じ、降られるんじゃねえのと続くのに、どうですかね、降りますかねと視線を上向けていると、降るんじゃねえの、俺気象庁に勤めてたことねえからわかんねえけど、とあちらも空を見上げながら冗談を飛ばすので、笑い声を合わせた。
  • 詩句を考えていたので知覚印象の記憶はほとんどない。「(……)」の前の自販機でコカコーラ・ゼロのペットボトルを買ったその頃には、もう既に軽い雨が落ちだしていたと思う。最寄り駅前で木の間の坂に折れ入って、濡らされながら住みかに戻った。
  • Gary Mooreなどというひどく暑苦しくて汗臭いようなハードロックを凄まじく久しぶりに流した。『Wild Frontier』である。これは一九八七年の作品で、Wikipediaを見るとGary Mooreは二〇一一年に亡くなっているのだが、五二年生まれの彼はその時まだ五八歳だったので、随分と若い逝去だなという印象を受ける。
  • Gary MooreのWikipedia記事のなかにGary Husbandというドラマーの名前が現れて、この人は確か阿呆みたいにハードなフュージョンやってる人じゃあなかったっけと思ったところ、果たしてそうで、例えばJohn McLaughlinのバンドなんかに参加している。John McLaughlinと一緒に音楽をやろうなんていう人間は、まあ大概頭がおかしい方面の人類だろう。Husbandという人は元々八〇年代からAllan Holdsworthのバンドで叩いていたらしく、Level 42のメンバーでもあったようだ。このバンドもこちらは一度も聞いたことがないのだが、ベースの人がやはり頭のおかしいタイプのプレイヤーだった覚えがある。
  • Gary Mooreと同様、凄まじく久々でJohn Sykesの『Bad Boy Live!』を流す。Gary Mooreから飛んでThin LizzyWikipedia記事を読んでいたら聞きたくなったのだ。John Sykes(g / vo)、Marco Mendoza(b)、Tommy Aldridge(ds)、Derek Sherinian(key)によるライブ盤。John Sykesというギタリストはこちらがハードロック小僧だった時代から全然新作を出していなかったし、こいつ実力は文句なしに凄いのに何やってんの? と当時のこちらも思っていたのだが、どうも結局、二〇〇四年の(こちらはまだ一四歳の中学生だぞ!)このライブ盤以降、トリビュートアルバムにちょっと参加するくらいできちんとした作品は仕上げられていないようだ。勿体ない。仕事しろよ!
  • Marco Mendozaは二〇一八年にソロアルバムを発表しているし、再結成後のThin Lizzyにも参加しているし――Thin Lizzy自体は二〇一二年以降、オリジナルメンバーのScott Gorhamを中心として、Black Star Ridersという名前で活動しているようだ――、二〇一五年からはThe Dead Daisiesというプロジェクトにも加わっている。これはDavid Lowyなる人がハードロック界隈の有名なミュージシャンを様々集めて活動しているものらしい。現状のメンバーとしてはDoug AldrichにGlenn Hughesや、Deen Castronovoの名が見られる。
  • Tommy Aldridgeはと言えば、最近ではWhitesnakeの最新作に参加しているらしい。Whitesnakeも随分と息の長いバンドだ。David Coverdaleは今や六八歳である。さすがにもう声も満足には出ないのではないか?
  • John SykesとBlue Murderで一緒だったTony Franklinという人もフレットレスのやたら上手いベースで、この人もいま何やってんの? と思って例によってWikipediaを見てみると、二〇一四年にはKenny Wayne Shepherdのアルバムなどに参加している。そのKenny Wayne Shepherdの『Live! In Chicago』という音源のデータを見てみれば、ゲストとしてWillie "Big Eyes" Smithの名があるので驚く。Muddy Watersのバンドで叩いていたレジェンドである。メインのドラマーはChris Laytonで、この人だってStevie Ray Vaughanと組んでいたプレイヤーだから凄いものだ。Wayne Shepherdというギターを聞いたことはないけれど、遥か昔にヤングギター誌か何かで、Ray Vaughan直系、みたいな評を見た覚えがないでもない。
  • Tony Franklinに話を戻すと、彼のディスコグラフィーのなかにはRoy Harperという名が多く見られて、Franklinは八〇年代からその作品に関わっているのだが、この人はイギリスのフォークシンガーであるらしく、Jimmy PageRobert Plant、それにPete TownshendやPink FloydKate Bushなどに影響を与えているということだ。やばくない? Led Zeppelinのサード・アルバムの音楽的源泉というわけだ(実際、これまでその名前を意識的に見留めたことがなかったが、『Ⅲ』の最後には"Hats off to (Roy) Harper"という曲が収録されている)。HarperのWikipediaを見ると彼はジャズも好きでキーツを愛しているとあり、初期の影響源としてはLeadbelly、Big Bill Broonzy、Woody Guthrieの名がある上に、文学方面ではジャック・ケルアックなんかも挙がっているので、大変に面白そうな音楽家だ。Jimmy PageのThe FirmにTony Franklinが参加したのはこの方面の繋がりというわけか。
  • Tony Franklinの参加作に戻るとWillie Waldmanという名前があって、これは知らんなとリンクを飛んでみると、Banyanなるバンドの記事に繋がった。このグループも初めて聞く名だったが、Los Angelesを基盤にしたアート・ロックのバンドだと言う。Willie Waldmanという人はトランペッターとしてその中心に関わっていたらしいのだけれど、それと並んで、何とNels Clineの名前が見られた。Wilcoのギターである彼は、二〇一四年にはJulian Lageとデュオアルバムを出しているし、Banyanの作品にはFleaやJohn Frusciante、さらにはBucketheadなどという珍しい人も参加していて、このようにして世界というものは繋がっているわけだ。
  • Led Zeppelinの『Ⅲ』を流しながら探索していたのだけれど、"Since I've Been Loving You"はやはりどう足搔いても素晴らしいと称賛せざるを得ない。多くの人が愛聴している曲だと思うが、こちらも好きだ。Zeppelinではこの曲か、"The Rain Song"か、"Babe I'm Gonna Leave You"あたりが一番好きな気がする。
  • あと、全然関係ないけれど、UFOの名ライブ音源として広く知られている『Strangers In The Night』をそのうち聞いてみようと思っている。UFOというバンドをきちんと耳にしたことがないのだ。
  • 就寝前、久々に音楽を聞く。まず、Led Zeppelin, "The Rain Song"(『The Song Remains The Same』: D1#9)。ライブの演奏である。とにかくコードワークとアルペジオが素晴らしく、Jimmy Pageの才が冴え渡り煌めいている。この和声の流れを作れたらそりゃもう勝ちでしょ、という感じ。
  • 次に、Bill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)。これを耳に入れるのも久しぶりのことだが、音楽を鑑賞するとなったらやはり聞いておかなければならない。そして、今回また聞いてみても相変わらず物凄く、緊密さが尋常でないわけだ。と言って本当は、その「緊密さ」の具体的な内実こそが問題であるはずだけれど。このトリオに関しては多くの人々が、緊密とか、調和とか、一体感とか、対話とか、丁々発止とか、インタープレイとか、内省的とか、示し合わせたかのようにそういった言葉を進んで口にし、嬉々とした表情で語ってやまないわけだが、それらの神話的な語彙が、このトリオの特異性を言い当てることも描出することも決してない単なる贅言だということは勿論言うまでもない。この音楽がこの世界に出現して以来、ここに表出されているものを充分に捉えて十全に言語化した人間は、多分まだ存在していないと思う。誰かがやらなければならない仕事であることは間違いないはずなのだけれど……。
  • 三位一体、という西洋神学由来の用語を借りてくるのも常套手段ではあるのだろうけれど、その語を用いたとしてこちらが言いたいのは、弁証法的ではない一体性と独立性との共立、みたいなものを感じるということだ。この上なく一体的でありながら同時にまたこれ以上なく独立自存している自律性の印象、というようなことで、もう少し言い換えれば、部分あるいは個々が組み合わされることで全体を構成しているというのではなく、個別性と全体性とが同一の位相において二重化されているみたいな、いくらか矛盾的とも思える図式イメージだろうか。で、これは言ってみれば自由及び平等という観念の音楽的形象化であり、ほとんど理想的な体現としての「民主主義」的音楽……? とかいう形容も一応思いつきはしたけれど、あまり確かなものではない。


・作文
 15:43 - 15:52 = 9分(詩; ほか)
 18:30 - 19:12 = 42分(24日; 23日)
 19:38 - 20:03 = 25分(4日)
 21:25 - 22:06 = 41分(詩)
 22:09 - 23:52 = 1時間43分(4日)
 計: 3時間40分

・読書
 15:05 - 15:39 = 34分(シェイクスピア; 71 - 107)
 16:10 - 17:27 = 1時間17分(シェイクスピア; 60 - 120)
 24:13 - 25:29 = 1時間16分(シェイクスピア; 103 - 144)
 計: 3時間7分

・音楽
 28:12 - 28:30 = 18分

2020/4/23, Thu.

 (……)本それ自体は不変であり、一方人々の意見は、往々にしてそれに対する絶望の表現でしかない(……)
 (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ筑摩書房、一九六〇年、127; 『審判』)



  • 一〇時五〇分に覚醒。六時間ほどで目覚めることができた。まばゆい陽光が快いので、仰向けのまま顔にしばらく熱を浴びる。しかしのちほど天気は曇りがちになってしまった。
  • 相当久しぶりにLINEを覗いた。昨日、Tからメールが来たためである。最近はまったくログインせずにずっと放置していたのだ。
  • 「(……)」から始まる四行を一連とし、加えてもう一連の計八行を一セットとしたわかりやすいラブソング的な詩を作りはじめている。
  • 夕食はジャガイモと鶏肉のソテー。ジャガイモは母親が茹でておいてくれたので、一つずつ皮を剝いていって大まかに切り分けた。まず鶏肉からフライパンに投入し、弱火に蓋を被せて蒸すように加熱したあとジャガイモを加え、にんにく醤油で味つけ。まだ六時前だったが、今日も早々と食事を取る。
  • 夕刊に音楽情報。稲葉浩志Stevie Salasが組んだアルバムがヒットチャートの一位を飾っているとか。あと、コトリンゴがベスト盤を出したという記事があった。コトリンゴという人はこちらはまったく聞いたことがないのだけれど、それによるとバークリー音大で作曲を学んだのだと言う。その後、坂本龍一がやっていたラジオ番組のオーディションで認められてデビューしたらしい。Ella Fitzgeraldの後ろでOscar Petersonが歌を気にせずまったくお構いなしに弾いているみたいな、若い頃はそういう感じの曲をできたら面白いかなと思っていた、というようなことを述べていた。ほか、東京事変が正月に再結成を発表していたということを今更知った。新作を出したらしい。
  • 今日は歩きに行くつもりで、母親にもそのように宣言しておいた。やはり人間、なるべく毎日、外空間のなかを歩いて大気と触れ合わなければならない。
  • そういうわけで夕食後、散歩に出る。主には「(……)」の詩句を考えながら歩いていたので、周囲の事物や知覚刺激などにあまり注意を向けられなかった。空気は結構冷えた感触で、歩き出してまもなくダウンジャケットの袷を閉ざした。西の坂を上ったところで今日はそのまま裏を進まず、右に折れて表道に出る。牛乳屋の前に置かれた自販機のゴミ箱に三ツ矢サイダーの缶を捨てさせてもらった。そうして街道を東へ移行し、裏路地の下り坂に入ると、そこは家が建てこんでいて直方体の細長い箱のような通り(*1)になっているので、靴音が周囲の壁に反響し、歩みに瞬間遅れてその分身が、空洞的な亡霊として跳ね返ってくる。坂を下りきった地点、TRさんの宅の向かいには、何と言う人の家か知らないこじんまりとした住みかがあるのだが、その側面についた窓の上部が見通せて、洗い物でもしていたか台所に立った人の姿が覗いていた。あちらからもこちらが見えていたはずだ。
  • *1: 「それにしても、家路についたこの男に、夜は、なんとインド風に美しく感じられたことでしょう。銀色の木々は黙したまま歓喜の歌をうたい始めました。通りは細長い箱のようでした。家々はおもちゃのように軒を連ねていました」(ローベルト・ヴァルザー/新本史斉、フランツ・ヒンターエーダー=エムデ、若林恵訳『ローベルト・ヴァルザー作品集5』鳥影社、二〇一五年、39~40; 『盗賊』)
  • 四日の日記を書く最中に表現を調べていたら、「降り明かす」という古語に遭遇した。雨などが「明け方まで降り続く、一晩中降る」の意で、別に大した表現ではないと言うか、降ると明かすと組み合わせただけのものであり、類語は「飲み明かす」とか「語り明かす」とか現代日本語のうちにも見つかるけれど、「降り明かす」を見た時にはこんな言葉があるのかと何故かやたらと新鮮に思われた。「雨」という自然現象が夜を「明かす」という生物的な態度の主体となっているからだろうか。実際、この語は現在においては多分全然使われていないと思う。ついでに似たような言葉で「降り暮らす」というのも見つかって、これは「一日中降り通す」の意。「明かす」と「暮らす」を色々な語に繋げて、あまり見ない言い方を開発することもできそうだ。
  • さらに、色彩表現についても検索したのだが、そこで「退紅[あらぞめ]」という色の名を知った。「桜色と一斤染の中間の赤みのごく薄い赤紫色で、色名は褪めた紅の意味」だと言う。似たような色として「聴色[ゆるしいろ]」というものもあり、これは「紅花で染められた淡い紅色のこと」。「古代、紅花は大変高価な染料であり、それを用いた紅染[べにぞめ]も色が濃くなるほど高額でした。そのため、濃染[こぞめ]の紅色は皇族や高い身分の人にしか使用を許されない『禁色[きんじき]』とされ、逆にだれでも着用が許された色が『聴色』だったのです」との説明。素晴らしく面白い。
  • Diana Krall『Love Scenes』を流す。Diana Krall(vo / p)、Russell Malone(g)、Christian McBride(b)でのトリオ。Tommy LiPumaプロデュース、Avatar Studiosで録音され、九七年八月にImpulse!からリリース。Al Schmittがミックスと録音を担当し、マスタリングはDoug Sax。伴奏の演者が見ての通りなので非常に堅固でしっかりしており、快く聞ける。McBrideがいればまず温い音楽にはならないだろう。
  • Dianne Reeves『I Remember』も流す。Dianne Reeves(vo)、Charles Mims(p)、Billy Childs(p)、Donald Brown(p)、Mulgrew Miller(p)、Kevin Eubanks(ag)、Chris Severin(b)、Charnett Moffett(b)、Billy Kilson(ds)、Marvin Smitty Smith(ds)、Terri Lyne Carrington(ds)、Ron Powell(perc / wind chimes)、Justo Almario(sax)、Greg Osby(as)、Bobby Hutcherson(vib)という結構な顔ぶれ。#1 - 4まではLos AngelesのMadhatter Studiosで録音だが(一九九〇年九月一〇日及び一一日)、これはChick Coreaが作ったスタジオだったはずだ。#5 - 9までは何とVan Gelder Studioで録られている(一九八八年四月二七日・二八日に、五月九日)。これは知らなかった。メンバーからして当然の理だが、とても良質で強力な、堂々とした貫禄のある骨太のジャズボーカル作品。#4 "Love For Sale"とか#7 "How High The Moon"とか聞き物だろう。
  • 四日の日記を書き進めているものの、ごく短い一段落を仕上げるのに一時間とか、馬鹿げた生の使い方をしている。めっきり遅筆になった。ほとんど一語ごとに止まっているような調子で、もっと気楽に書かなければ立ち行かないとわかってはいるのだが、どうしても引っかかってしまう。Mさんの苦労が何となくわかってきたような気がしないでもない。ただ、そうやって文を固めているせいで、風通しの悪い重たるい文章になっているようにも感じられる。
  • 四時過ぎまで作文したのち、四時四〇分に就床。カーテンは既に薄青く明るんでいた。夜明けと入れ替わりに眠るのが習いとなってしまったが、本当はやはりもう少し早く、明るさが訪れずまだ暗いうちに、せめて鳥が鳴き出すより前には意識を失くしたい。


・作文
 11:36 - 11:58 = 22分(詩)
 16:58 - 17:12 = 14分(23日; 22日)
 18:10 - 18:27 = 17分(23日)
 18:27 - 20:02 = 1時間35分(4日)
 20:07 - 20:13 = 6分(4日)
 21:13 - 21:40 = 27分(詩)
 25:01 - 25:26 = 25分(4日)
 25:31 - 28:13 = 2時間42分(4日)
 計: 6時間8分

・読書
 12:37 - 13:21 = 44分(レーヴィ; 214 - 262)
 13:26 - 13:40 = 14分(シェイクスピア; 11 - )
 15:05 - 16:43 = 1時間38分(シェイクスピア; - 64)
 28:14 - 28:38 = 26分(シェイクスピア; 64 - 71)

・音楽

2020/4/22, Wed.

 「もう待ってやらないぞ」と笞刑吏は言い、笞を両手につかむと、それをフランツに打ちおろした。一方ヴィレムのほうは、隅っこにうずくまって、頭をそちらに向ける勇気もなく、こっそりと様子をうかがっていた。と、そのとき、フランツの発した悲鳴があがった。切れ目もなく、まったくののっぺらぼうで、とても人間から出たものとは思えず、拷問にかけられた機械が発するような悲鳴であった。(……)
 (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ筑摩書房、一九六〇年、53; 『審判』)



  • DiscogsでMatt Clohesyの参加作を探る。Marshall Gilkes Quartet『Edenderry』(二〇〇四年)というのがまず気になった。Gilkesというトロンボーンの名は聞いたことがなかったが、Clohesyのほか、Jon Cowherd(p)とJohnathan Blake(ds)が共演している。Jon CowherdはBrian Blade Fellowshipで弾いていた人である。
  • 二〇〇五年にはGeoffrey Keezerが『Wildcrafted - Live At The Dakota』という音源をMaxJazzから出していて、Clohesyがベースを担っている。ピアノトリオで、ドラムはTerreon Gully。KeezerとGullyという組み合わせは、Christian McBrideの『Live At Tonic』でも見られた。
  • 二〇〇八年になるとDavid Weissというトランペッターが、『Snuck In』『Snuck Out』という対のライブ盤をSunnysideから出している。場所はJazz Standard。このライブの面子がClohesyのほか、J. D. Allen(ts)、Nir Felder(g)、Jamire Williams(ds)という具合で強力そうだ。Nir Felderに関しても、これはキャリア中かなり初期の演奏なのでは?
  • The Respect Sextet『Play The Music Of Sun Ra & Stockhausen - Sirius Respect』が二〇〇九年。Clohesyは一曲のみ参加でほかのメンバーはまったく知らないけれど、Sun RaとStockhausenとか、やばくない?
  • Eric Reed『The Baddest Monk』は二〇一二年。Eric Reed(p)、Etienne Charles(tp)、Seamus Blake(ts)、Matt Clohesy(b)、Henry Cole(ds)。わりと良さそう。期待が持てる名前たち。Jose Jamesも一部で歌っているようだ。
  • 二〇一四年にはBjørn Solli『Agrow: The Lyngør Project Volume 1』がある。ノルウェーのギタリストらしい。Ingrid Jensen(tp)、Seamus Blake(ts)、Aaron Parks(p)、Matt Clohesy(b)に、そして何とBill Stewart(ds)。
  • Jonathan Kreisbergの最近のライブ盤、『Capturing Spiritis - JKQ Live!』(二〇一九年)にもClohesyの名がある。Jonathan Kreisberg(g)、Martin Bejerano(p)、Matt Clohesy(b)、Colin Stranahan(ds)というメンバー。これは欲しい。Martin Bejeranoって全然知らないけれどどこかで見た名前だなと思っていたら、Roy Haynesの『Fountain Of Youth』で弾いていたピアノだった。
  • John Hebertの参加作品も調べる。いくら時間があっても足りない。正しく底なし沼だ。
  • 餃子を焼いて玉ねぎ及び卵の味噌汁を拵える。それで、まだ五時半だったが空腹が極まっていたので早々に食事を取った。
  • 運動の時間を正式には取れていないが、風呂場で湯に入る前にちょっと体操をすると言うか身体をほぐしたり、ベッドで書見しているあいだ、折に「舟のポーズ」を取ったりはしている。今日は散歩もサボってしまった。
  • 職場に連絡。五月一六日まではオンラインでの授業実施が確定したとのことだったので、しばらく休みを貰って読み書きに傾注したいと申し出た。コロナウイルスの騒動が収まるまでは自宅で大人しくしていたいというのが本音だと率直に明かしつつ、ひとまず緊急事態期間が終わる予定の六日まで休ませてもらえないかと頼み、その後はまた様子次第で、と提案した。勿論そのあとも休みたいわけだけれどそこはまだ措いておき、厚かましい要望で申し訳ありませんがよろしくお願い致します、と恐縮ぶった言葉もきちんと付しておく。その結果、室長が内心でどう思っているかは知れないが、問題なく了承されたので安心して喜び、礼の言葉を送っておいた。
  • この日もまた夜明けとともに床に就く仕儀となってしまった。四時四〇分くらいになって明けてくると鳥が鳴き出すのだが、真っ先に声を上げるのはいつも鶯だ。あるいは窓ガラスを突き通ってはっきり耳に届くほどの勢いと音量を具えた声が、さしあたり鶯のものだけだということか? 詩句を考えながら眠る。


・作文
 28:20 - 28:30 = 10分(詩)

・読書
 14:02 - 16:04 = 2時間2分(宮沢; 700 - 744)
 16:08 - 17:00 = 52分(レーヴィ; 3 - 78)
 20:33 - 21:04 = 31分(レーヴィ; 78 - 106)
 22:55 - 24:46 = 1時間51分(レーヴィ; 106 - 191)
 28:30 - 28:45 = 15分(レーヴィ; 191 - 214)
 計: 5時間31分

・音楽

  • Seamus Blake『Live At Smalls』
  • Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』
  • Friedrich Gulda『Live At Birdland』

2020/4/21, Tue.

 「検事のハステラーとは昵懇なんだが、電話してもよろしいでしょうね?」と彼は言った。
 「いいですとも」と監督は言い、「ただそれにどんな意味があるのか、私にはわかりませんな。何か個人的な用件で彼と話をしなくちゃあならない、ということでしょうな」
 「どんな意味があるのかだって?」とKは叫んだが、腹を立てたというより狼狽していた。
 「いったいあなたは何者なんです? 意味があるかなどと言いながら、この世に存在する限りの、もっとも無意味なことを演じているというわけですか? これはどうもあわれなほどじゃあありませんかね?(……)」
 (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ筑摩書房、一九六〇年、11; 『審判』)



  • 性懲りもなく、二時半まで仮死様態。天気は蠟のような曇り空。
  • 食後、ストーブの石油を補充する。ジャージのみでダウンジャケットを着ていなかったが、寒くはない。緑を満たした林の上空、梢の先端をかするようにして、鳥が二羽、跳ねるがごとく飛ぶ姿が、真っ白い空にひかれて葉叢を剝がれたちっぽけな黒葉である。頭上は一面白く、雲が緩く弱く漣を果てまで繋げてあまりにも広い。眺めていると、すぐ傍から立ち昇り辺りに拡散的に漂っては絶えず鳴っていた沢の音[ね]が、ようやく耳に入ってきた。
  • その後母親に請われて柑橘類を採りに行く。家のすぐ間近に、多分市だか町だかの所有地で自治会が管理しているとかいう花壇のような一角があって、その縁に何の種だか知らないけれど柚子みたいな黄色の果実が生っているのだ。それを採りたいと言うので移動し、高枝鋏を動かして実を枝から切り取って、母親が持った紙袋――古新聞を溜めておく用のもの――に収めていく。駐車場の脇から花壇へ下りる細い入り口の周りには、これも名が知れないが、青紫色のささやかな花がいくらか群れていた。菫の類か? 柑橘類を採り終えたあたりでほのかな光の気配が雲をくぐって現れて、左のこめかみのあたりに点る。帰り道、近所の家並みの隙間に濃烈なピンク色の樹が見えたのであれは何かと訊いてみると、桃じゃないかと言う。TKさんの辺りに生えているようだ。
  • 夕刊に島本理生のインタビューが載っていた。一七歳だったか一九歳だったか忘れたが、そのくらいの歳でデビューしたらしい。凄い。
  • 物凄く久しぶりにMさんのブログを読む。二月一三日分からである。最新記事に追いつくまでにどれだけ掛かるか知れない。二月一四日の記事で、姪の幼稚園で催されるお遊戯会を見に行くよう求められたMさんが、拒絶しつつ「おまえいってこいよと弟に水をむけると、ぼくいま寝んの朝7時やでというので、ほんならちょうどええやねえか、徹夜でそのまま行ってこいといった」という一節に笑った。Mさんの弟さんもよほどの梟族だ。
  • また、過去の日記からの引用。

(…)マクドで本を読んでいて、途中からとなりの席に着いた大学生男子二人組の、その片割れが興奮すると声が大きくなるタチだったらしく、十分に一度くらいの割合でぎゃーぎゃーとわめかれ、率直にいって少々うざかったのだけれど、ホットコーヒーのおかわりが無料だということを知らなかった相方にむけて発した、「これ永遠の飲み物だぜ!」という発言には不意をつかれたというか、もうすこしで吹き出すところであぶねーという感じだった。語の組み合わせが斬新すぎる。

  • これにも当然笑う。二〇〇九年二月一〇日付の文章だと言う。それにしてもその頃と言えばこちらは一九歳、大学一年時の終わり間際だ。一体何をしていたのだろうか。勿論文学などまだまったく触れていないし、西洋史コースに進んだのは確か二年次からだったはずだから、Aくんなどとも知り合っていないと思う。大学に友人は、多分まったくいなかった。誰とも会話せずに一応授業だけは受けて、どこにも寄らずにまっすぐ帰っていた頃ではないか? ほとんど音楽を聞くことくらいしかやっていなかったと思う。
  • 二月一五日、柄谷行人『探求Ⅰ』からの引用の一部。「実際はこうだ。われわれは、一語または一行書くとき、それが思いもよらぬ方向にわれわれを運ぶのを感じ、事実運ばれながら、たえずそれをわれわれ自身の「意図」として回収するのである」。

即ち、何らかの語で何らかの事を意味している、といった事はあり得ないのである。語について我々が行う新しい状況での適用は、すべて、正当化とか根拠があっての事ではなく、暗黒の中における跳躍なのである。如何なる現在の意図も、我々がしようとする如何なる事とも適合するように、解釈され得るのであり、したがってここには、適合も不適合も存在しえない。(「ウィトゲンシュタインパラドックス」黒崎宏訳)

  • 入浴後に洗濯物を干すあいだ、父親がニュースを見ながら感動し、感じ入った呻きまたは唸りを漏らしている。新型コロナウイルスの苦境下にある人々を元気づけるために、著名人も含んだ有志が "上を向いて歩こう" を歌って動画にし、それがインターネット上で話題を呼んでいるとか何とか。よく目を向けなかったが、「光の射さない夜はありません」とか、「夜明けは必ず来ます」とかいう類の言葉が聞かれる。考えられる限りもっとも世俗的なレトリックに、最高度に抽象的な希望のイメージ。(……)その時は一方で、母親がこちらにタブレットを渡してMちゃんの動画を見せているところだった。TMさんが大きなケーキ、桜色のソースが掛かっており熊の人形細工が乗っている、精巧にできていそうなバースデイ・ケーキをテーブルに運んでくると、Mちゃんは真面目腐ったような表情で三本のキャンドルに息を吹くのだが、その火がなかなか消えてくれず、何度も繰り返し吹きかけなくてはならないのだった。(……)
  • Sarah Vaughan』を流す。Sarah Vaughan(vo)、Clifford Brown(tp)、Paul Quinichette(ts)、Herbie Mann(fl)、Jimmy Jones(p)、Joe Benjamin(b)、Roy Haynes(ds)、Ernie Wilkins(conductor)。一九五四年一二月一八日録音、EmArcy Recordsから発売。Clifford Brownはこの日のおよそ一週間後、五四年の一二月二二日から二四日までの三日間にはHelen Merrillとも録音している。
  • Seamus Blake『Live At Smalls』を流す。Seamus Blake(ts)、David Kikoski(p)、Lage Lund(g)、Matt Clohesy(b)、Bill Stewart(ds)で二〇〇九年八月三一日及び九月一日に録音。ニューヨークGreenwich VillageのSmalls Jazz Clubにて。
  • 『Live At Smalls』のシリーズもこのところまったく情報を追っていなかったが、引き続きたくさん出ているようだ。disk unionのサイトでラインナップを確認。トランペットのDuane EubanksというのはRobin Eubanksの弟らしい。トロンボーンの彼とGerald Claytonが参加している。このEubanks兄弟にはもう一人、Kevin Eubanksというギタリストがいて、この人のアルバムは『Live At Bradley's』というのを持っている。
  • Charles OwensというテナーのアルバムにはAri Hoenigが入っていてちょっと気になる。Tardo HammerとPeter Washingtonのデュオ音源もあるが、これは『Live At Mezzrow』というタイトルになっていて、Mezzrow Jazz ClubというのはSmallsの姉妹店らしい。晩期Bill Evans TrioのドラマーだったEliot Zigmundのライブも出ているが、ほかのメンバーは全然知らない名前。
  • Tim RiesはThe Rolling Stonesのサポートをしていたことがあるサックスで二〇一一年に『Live At Smalls』を出しており、このライブにはChris Potterがいるので――ベースもJohn Patitucciだし――結構気になるのだが、そのあとでさらにもう一枚出したらしく、こちらにはNicholas PaytonとHans GlawischnigとTerreon Gullyがいる。Kalmah Olahというピアノは全然知らない。
  • Rodney Greenの音源は二〇一四年に出ていて既知だが、これはSeamus Blake、Luis Perdomo、Joe Sandersというメンバーでかなり強力だと言って良いだろう。Tyler Mitchellというベースの名は初見だけれど、この人の音源にはAbraham BurtonとEric McPhersonが入っている。McPhersonはFred Hersch Trioの現ドラマーで、『Alive At The Vanguard』での演奏など結構好きである。それは二〇一二年の音源だが、Fred Herschは当時と同じJohn Hebert及びEric McPhersonとのトリオで、その後二枚のライブ音源――『Sunday Night At The Vanguard』と『Live In Europe』――を出しており、これらも勿論欲しい。
  • Matt Clohesyの参加作をDiscogで調査。Torben Waldorff Quartet『Brilliance - Live At 55 Bar NYC』という一枚がある。リーダーのギターはまったく知らないが、Donny McCaslinの名前が見える。ほか、Darcy James Argue's Secret Societyの『Infernal Machines』(二〇〇九年)にも参加していたらしい。このビッグバンドにはRyan Keberleもおり、Ingrid Jensenというトランペットもどこかで名前を見た覚えがあるが、Darcy James Argueの音源は『Brooklyn Babylon』と『Real Enemie's』という二枚を持っているので、早いところ聞かねばならないだろう。


・作文
 22:34 - 23:04 = 30分(21日)
 23:04 - 23:45 = 41分(20日
 27:45 - 28:10 = 25分(20日
 計: 1時間36分

・読書
 15:27 - 18:00 = 2時間33分(宮沢)
 18:47 - 19:28 = 41分(宮沢)
 20:34 - 21:01 = 27分(ブログ)
 21:02 - 21:08 = 6分(英語)
 21:44 - 22:04 = 20分(英語)
 22:05 - 22:19 = 14分(記憶)
 23:45 - 24:55 = 1時間10分(宮沢; 645 - 690)
 28:45 - 28:57 = 12分(宮沢; 690 - 700)
 計: 5時間43分

  • 天沢退二郎入沢康夫・宮沢清六編『宮沢賢治全集Ⅰ』(ちくま文庫、一九八六年): 556 - 700
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-02-13「キリストの爪を切るまた髪を梳くつもりで世話をするクリスマス」; 2020-02-14「罪のない形容詞だけ折りたたむあと何回で月まで届く」; 2020-02-15「棺には琥珀をそそぐその中に身を横たえて臨終を待つ」
  • 「英語」: 22 - 60
  • 「記憶」: 36 - 40

・音楽

  • Room Eleven『Six White Russians & A Pink Pussycat』
  • Sade『Lovers Live』
  • Sarah Vaughan
  • Seamus Blake『Live At Smalls』