三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りのうちに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどった。知らず知らず高まりつつある朝陽の斜行が缶を磨けば、膠粒よりしつこく居着いた汚れの鋲は点々と白銀の色を燃やして放ち、酸化もくぼみも分かたずざらざらと染みついた砂埃のいちいちもひかりに通られてうつくしい痣の風合いにうねり、

 散歩。三時三五分に外出。もはやジャケットを着る必要はない。この時刻でもまだまだあかるく、通りに日陰はあってもそこかしこにひかりもただよい、空も澄んでいる。アパートを出て路地を右に抜けると向かいへ。目のまえは駐車場、ここに駐車場があることをはじめて意識したが、数えてみれば七台分のスペースがあって、しかしいちばん左の一台分は中途半端で、路地に接して斜めに細くなっている。その駐車場は一軒のまえに面しており、じっさいには敷地の境となっている垣根が赤く染まって陽にかがやいているのが真っ先に目にはいったのだった。カナメモチというやつだとおもう。よく生け垣にされているこの植物の葉っぱが大量で真っ赤に照っているのをみるのは好きだ。かなり好きだといってもいい。のちほど、駅方面の裏路地をあるいていたあいだにも一軒、そこそこながい垣根をこれでつくっている家があって壮観で、右のほうは緑もみえて赤がまだ比較的あかるいいっぽう、左のほうはほとんど染まりつくし、赤味も右より熟したような重さをはらんだのが集まっていると色の合間に翳の質感がちょっと出ており、そこにひかりがかかって貼りつき真白くかがやいているのがもはや何色なのかよくわからないようなありさまだった。アパート近くのことにもどると、陽の射すなかを西に行き、T字の横断歩道を渡るとまた裏へ。風はあまりない。あっても微風。細道の左右は側溝の上をコンクリートがぴったり閉ざしており、それはそのまま端からちいさな段差をつくって家々の土地との境になっているが、その段差のもとに桜の花びらがたくさん片寄せられて散らばっており、門のうちにはいりこんでいるものもいくらかある。段差部分に生えている苔は辛子のような色に古く乾いて、コンクリートもこまかく削れてざらざらしている。抜けると前は車道。H通り。右にすこしずれて横断歩道。信号を待つ。正面の西空に太陽がまだ高くまぶしい。対岸は寺で、その住居部分の屋根の斜面、横線をいくつも引いて区切られた三角形がひかりを乗せてひたむきに白い。通りを渡るとそこからまた路地へ。さいしょの分かれ目を左に行けば寺の脇をとおって駅前につづく道で、駅前マンションの横に立っている桜木が、全貌はみえないが見通す視線にひっかかるほど道のほうまでひろげた枝に花をまとって揺れていた。折れず、直進。右にならぶ家々をあるきながら見上げてみれば、無地の壁というのは意外とすくなく、けっこうどこも模様がはいっている。模様といってもおおかた四角形のたぐいで、チェックだったり、レンガ積みを模したものだったり、単に横線を何本もかさねたものだったりするけれど、その上に電線の影がななめに走って映っているのはけっこういい風景だ。場所によっては電柱や街灯の先端までうつりこんで複雑さを添えており、実物の物体感より、宙に立ち上がった日なたのうえにそうして投影されている影の交錯のほうがなんとなくおもしろい。じきに踏切り。ちょうど電車が来ていたので待って渡り、カナメモチの一軒があったのはそれからまもなく。シャツだけでも暑いくらいの陽気で裏路地でもひかりはたくさんあってあかるいし、見るもの見るもの色彩があざやかで、そとをあるくのに気持ちのいい、目とこころと思念が勝手に浮き足立って幸福感に疲れてしまうような、すばらしい季節になってきたなとおもった。とちゅうで左折。二ブロック分すすむと、Rの裏手あたりに出る。渡らずにそのまま左折。この北側のほうが日なたになっているので。食事屋のたぐいがいくつかある横を行く。そのうち病院の駐車場が来る。脇の歩道には桜が立ち並んで遠目にも宙も地も白い。そのしたに車椅子を押す年かさの男性がおり、駐車場から出てくる車やこちらの横を過ぎて車道を行く車にたいしてことわりのように手をあげながら段差を越えて歩道に入る。押されているほうはよく見えなかったが真っ赤なカーディガンらしきものを羽織っており、白髪の女性のようだった。妻を手伝って散歩している連れ合いの図と見えた。こちらも歩道にさしかかって行けば足もとは桜花の破片が無数で、ピンクというよりはそれをふくみながらも紫にちかく見える色が白さのそこここに隣り合ったなかに黄色っぽく腐った濁りもままある。駐車場の縁の土の上もほとんど埋まっている。つづいてもうひとつ駐車場スペースがある。病院の管理棟の対岸にあたるが、そこの入り口に職員用とあるのをきょうはじめてみとめた。ここは職員用だったのか、とおもってあらためて見れば敷地もけっこう広く、車の台数がずいぶん多い。病院の規模をかんがえれば納得だけれど、これだけのひとが勤めているのか、とおもった。駅前マンションのまえを過ぎたあたりで道路を渡って向かいの歩道にうつると、そこは空き地の横で、菜の花が湧きかえるように群れており、いちばん高いところはこちらの背丈とちょうどならぶくらいに育っている。踏切り。なかにいるときにちょうど警報が鳴り出して、心臓に悪い。抜けて右手の道沿いに行き、ふたたびH通りに来て渡るとそのまままた裏へ。まっすぐ行く。抜けるとコンビニあたりに出る。高校生やら中学生が店から出てきて停めておいたチャリのところまで来る。その横を過ぎて曲がったところで目をあげ首を曲げて四囲の空を確認すると、西側がやはりつよくまばゆい無雲の水色だった。行きながらもう少し見てみると、東南方向にほんのすこしだけ、煙の残滓くらいの薄さの雲が浮かんでいたが、よく見なければ気づかないくらいだ。裏にはいって行き、アパートのある路地に来ると左折。公園前を行くことになる。のぞくと対岸の桜木を背景に子どもたちが一〇人弱、遊んでいて、空の青さと桜の白さとかれらかのじょらの服の色とがどれもあかるく、とりどりの衣服をとても一挙に把握できないが上にしろ下のジーンズにしろ青さが主に目にのこり、それぞれのからだが左右にゆっくり、砂を蹴る音を立てながら微妙な間合いで推移していく動きばかりに意識がいって、一〇人が色と動きになってしまったその数秒は、かれらかのじょらがなにをしていたのかも認知していなかったし、そうと気づいたときにはグループが分かれて滑り台に群がるものあり、上着のまえを両手につかんで左右にひろげながらうわーっと駆けていくものありで、さきほどなにをしていたのかはけっきょくよくわからなかった。子どもたちのいなくなった空間に桜の花弁がはらはら散ってながれていた。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は半球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をぎりぎりと鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、ミルクを売りに行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのうちに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどった。

 あと明確な変化としてはあれだ、今回、実家で新聞を読むことができた。いままではどうも、やはり文字を追うのがすこしつらくて、読む気にならなかったのだ。たいへんひさしぶりにパレスチナまわりの情報を見たり。実家の新聞は読売である。これはちょうどきょうの車中で父親が言っていたことには、こちらの一個下にH.Kというやつがいて、家はM駅の前の坂を下ってすぐの右側なのだけれど、そのKの父親のHさんがSにある読売の販売店の店長だかやっているらしく、そのつきあいでずっと読売で、さいきんも更新したらしい。それで土曜日に実家に来たとき、玄関に衣料用液体洗剤の化学的な緑色の袋がいくつも置かれてあった。これは契約更新のお礼みたいなものらしく、たぶんほんとうはもうこういうのは駄目なんだとおもうが、田舎だからまあいいだろう。ちなみにむかしは一時朝日をとっていた時期もあり、あれはなんだったのかよくわからない。ついでにふれておくとTのA家の新聞はむかしからずっと東京新聞だ。
 読売の日曜版は作家が書いた一文にまつわって各地をとりあげる連載を載せており、これはけっこうおもしろい。今回はドナルド・キーンだった。日本細見(一九八〇年)から。香川県高松市の栗林公園というのがとりあげられていた。「りつりん」と読む。園内に一三〇〇本だか松があって、そのうちの一〇〇〇本いじょうだかを職人が手ずから世話して調えているということで、この園を評して「一歩一景」ということばがあるという。おお、とおもった。こちらが道をあるいているときの実感にもいくぶんか即す。ちかくの屋島山上は観光地で、たしかそこになんとかいう、明治大正あたりの農村生活を家とか道具とか、たとえば楮づくりのそれとか、あと「かずら橋」という橋とかを再現した一帯が七〇年代にできたらしく、ドナルド・キーンはこれを魅力的だと評価していたという。「やしまーる」という展望施設みたいなものも二年前だかにできたとのこと。

ギター40(
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42(https://note.com/diary20210704/n/n2ec7c485c694?magazine_key=m1a3ae8f71705
43(https://note.com/diary20210704/n/nf5fa7b712c0f?magazine_key=m1a3ae8f71705
44(https://note.com/diary20210704/n/ncb7642f69112?magazine_key=m1a3ae8f71705
45(https://note.com/diary20210704/n/n8383fe2d788d?magazine_key=m1a3ae8f71705
46(https://note.com/diary20210704/n/nfd472c89a07c?magazine_key=m1a3ae8f71705
47(https://note.com/diary20210704/n/nead114982703?magazine_key=m1a3ae8f71705
48(https://note.com/diary20210704/n/n81bfce1d0201?magazine_key=m1a3ae8f71705
49(https://note.com/diary20210704/n/n1e194c983c95?magazine_key=m1a3ae8f71705

 実家では家事をするか、約束された安息の地であるベッドにあおむいて休むか、ギターを弾くかくらいしかしなかった。家事といっても衣服にアイロンをかけるのと、食事の支度をすこしするくらい。土曜の夜はカレーを食いたかったので野菜を切って炒めるところまでやって、煮込みと味付けはまかせてしまい、日曜日は畑でとれた春菊を辛子和えにしたり、うどんをゆでたり。父親が育てた春菊がたいそう茂っているようで、それをとったり洗ったり調理したりするのがいやなものだから母親は、(まんじゅうこわいの落語を踏まえつつ)春菊こわいだよ、ほんとうに、とか、口にいれるまでがたいへんだよ、とくりかえし言っていた。母親が言っていたことから推すに、どうも父親は今度はシイタケも育てはじめたようなのだけれど、そんなに手広くやらないでほしい(からだが動かなくなったらどうするんだろう)、という前々からの文句および不安をこのたびも漏らしていた。ちなみに母親が先般会ったMのKさんなんかもおなじことを言っていたらしいし、あとだれだったか、父親のH仲間の奥さんだったかも、まえに会ったときに似たようなことを言っていたらしい。やめてほしいんだけど、と。春菊はマヨネーズも混ぜた辛子和えにするのがいちばん好きだ。きのう、月曜日は出勤前に余裕をもって麻婆豆腐をつくるとともに、春菊もたくさんあるし味噌汁にしようとおもって、タマネギと、冷凍庫にパックのまま半端に凍っていた雪国まいたけと合わせて小鍋に入れたところが、味噌がもうなかったので、しかたなく麺つゆとか醤油とかかつおぶしとかで味をつけた。かつおぶしと書いておもいだしたが、ひとつ前の記事に書いた路面の花びらのうち、土っぽく汚れた部分はまさしく濡れたり汁にひたされたかつおぶしの色合いだった。その場でそういうふうにおもっていながら、さきほどはその比喩を忘れていたのだった。
 勤務のパフォーマンスはわりといい。いぜんの感じにほとんどもどったとすら言ってもいい。ただ、職場に出向くまでに、覚醒後、一食目のあと、二食目のあととそれぞれベッドで休んで身をやしなっているので、パフォーマンスがよくなければむしろおかしい。それに一コマのみだし。ただそれだけ休んでからだをだいぶリラックスさせていっても、わずかばかり緊張するには緊張して、腹のあたりにそれが感じ取れたし、今回授業前の号令をやったけれど、さいごのほうでやや息苦しくなって顔が熱くなってしまった。しかしまあそれくらいではある。授業本篇、生徒三人のあいだをつぎつぎ移って回るその感覚とかは、まえのものに近い。さいきん縦に三人ならんだ区画に割り当てられることが多いのだけれど、先頭の、ここでは個人情報をよりおもんぱかって三人の生徒を性別も不問でそれぞれAさん、Bさん、Cさんとしておくが、先頭のAさんにあたっているあいだに、Cさんがそろそろ終わっているな、答え合わせに入っているな、あるいはそれをもう終えたなというのを感知する。視界の端にみえるからだのちょっとした動きとか、解くのをやめて答えの冊子を取り出したときの音とかでわかるわけである。そういう感じで回るのはあまり遅滞なくバランスよくできた。ただしゃべりのペースがちょっとだけまだはやいような気がじぶんではした。なんかちょっと急いてるような感じが。Aさんはとりわけテンポの遅い生徒だ。あいての発言を待つときはいくらでも待てるのだけれど、こちらがしゃべったり説明したりつぎの箇所に移ったりするときに、その呼吸がちょっとだけはやいのではないかという気がする。Cさんはたぶんこちらのしゃべりがはやいとは感じていないのではないかとおもうが、それでもやはり、あとすこしだけ落ち着いて遅くなったほうが、受け答えのリズムがより合致するんじゃないかという気がする。終わりは余裕をもっていいタイミングで入れたし、全体的なできとしてはけっこうよかったとおもうが。
 むかしやっていたように、個々の生徒についてや授業の詳しい内容、流れ、良かった点や反省点、やりとりの感触、はなしたことなどについてもまた記録したいとはおもうものの、まだまだそれができるからだではない。今後の進展を待つ。

 さきほど、実家から帰還。きょうは母親がMさんとMに行っており、父親が代わりに送ってくれた。こちらとしては医者に行ったあといちど実家にもどり、ひとのすくない夜の時間に電車に乗って帰るつもりでいたのだが、昼時、スワイショウしながらさくばん弾いたギター音源を聞いたあと(三〇分いじょうあったのでじぶんで聞き返すのも面倒くさい)、白湯をおかわりしようと湯呑みをもって室を出ると、階段下の部屋にいた父親が声をかけてきて、お前を送るついでにお母さんを迎えに行こうとおもって、というので、そのながれに乗ることにした。それでその後休み、二時半ごろに出発して医者に行き、ロラゼパムをゲットするとTへ。車中で父親がじぶんからはなしだしたところでは、右上の奥歯が縦に割れてしまい、きょうの午前中ということだったのだとおもうが、それの処理に行ってきたという。こちらからはアパート付近の家はだいたいどこも草木や花をきれいに調えてあって、小さなスペースでもうまくあしらっており、一戸建ての暮らしというのはこういうもんなのかなとおもった、と、先日書いたことをはなしたりする。
 Rのまえで降ろしてもらったのが四時半ごろ。ここ数日雨降りだが、このときはほぼやんでちらほら散るくらいだったので傘はもたず。病院前の道に沿って桜が何本かあり、盛りの極みだったのを雨で一気にこぼされたようすで、路面に散ったものが濡れながらおびただしく付着しており、行くあいだにもやや肌寒い空気にふよふよただよいだすものがある。梢は甘ったるさをちょっと混ぜこんだ柔和な白の雲めきがくずされて、葉の軽い緑もすこしずつあらわれだしている。毎年この時期に書いているけれど、桜は満開の豊満よりも、それがくずれて、花びらの白、萼なのかなんなのかわからないが花弁の土台となっていた部分の紅色、それに葉のあかるい緑が同居する時期の混淆態がいちばん好きだ。先日の金曜日に髪を切りに行ったときにも、Y駅に続く南北の道の中学校の付近では、通りの左右に桜木がならんで、道路を見通せば車道の頭上をメレンゲめいたかたまりが、ほんのわずかにピンクをひそめた白さでふくれあがって埋め尽くしているありさまで、車もひともみなそのしたをくぐっていくような具合なのだが、それはそれでべつに悪くはないけれど、そんなあからさまに単色と物量で来られても、みたいな、そんなむやみに浮遊性の幻想感を演出されても、みたいな感じもちょっとおぼえた。病院前の路上に貼られた無数の花弁は点描めいて、かさなって色を混ぜてちょっとだけ厚くなっているところなどじっさい絵の具の質感とみえて、白さを保っているものもありピンクの濃くなった部分もあり、ひとに踏まれて土気を混ぜたらしくすこし汚く沈んでいるところもありがアスファルトをところせましと彩っており、これはこれで興だった。なんだったら木のほうよりも興だった。

 きょう、Aくんに頼んだ、いっしょに本読んで金もらう件の初回だった。バルトの『記号の国』の旧訳である『表徴の帝国』を読むのだが、二時間で扉ページの断り書きと、「かなた」という最初の章(11〜14の三段落)までというスローペースで、それじたいはぜんぜんいいのだけれど、いろいろしゃべっているとちゅうで声が嗄れてきて、こりゃなかなか大変な仕事だわとおもった。実家と職場に行く日いがいはふだんぜんぜんしゃべらないし、きょうは通話のまえに髪を切りにも行ってきて、そこでもけっこうしゃべったので、そのせいもあったとおもうが。きょうは初回なのでお試し扱いで、こんな感じでやっていくよというのを体験・確認してもらい、次回からは一時間、隔週とすることにしたので、声が嗄れるほどのことはないだろう。二時間ののちに近況をちょっと聞くと、Aくんは『寿町のひとびと』という本をいま読んでいるといい、横浜にあるドヤ街のひとびとに取材したルポルタージュだというが、はなしてくれたエピソードや人生がいろいろおもしろかった。著者はいま検索したら、山田清機というひと。こちらからは村上靖彦の『客観性の落とし穴』を紹介し、哲学方面のひとだが近年は西成に出入りしていて、そこでヤングケアラーのひととかに取材した本をつくっているようだと言っておいた。村上靖彦の聞き書き本は読みたい。
 『表徴の帝国』の訳はたしかにあまりよくない。「表徴」も、いまだったら表徴なんてもういわないし。sign、シーニュのことなので、ふつうに「記号」というだろう。
 これでいっしょに本読んで金もらうほうの顧客はふたりになった。体調の向上に応じて塾の勤務も増やし、こっちの顧客も増やして、なんとか自活したい。月一〇万だ。一〇万でなんとかギリギリやっていき、大病をわずらったらもうしょうがねえ、という感じで行きたい。いま小説も書けているし、あとは健康体を取り戻すのと、自活できれば、こちらの人生はだいたいOK。もうすこし元気になったらブログでも顧客を募集しようとおもっているが、ひとまず今月は現状維持かな。来月か再来月くらいにはもうひとり増やせるようになっているかもしれない。このまま行けば一年後にはそこそこ心身のレベルは上がっているだろう。それまでに金がもつのかが問題だが。

 さいきんマジで目をつかうのがそこそこ辛い。それで本も読む気にならないのだ。目やまぶたのあたりの状態が胃腸とつながっているというのは何度か書いている通りだが、さきほど「三人の子ども」を書き進めようとおもってブログの投稿欄に前回の稿をコピーペーストし、前線のまえにさいしょから読み直そうとぼそぼそ音読をはじめたところ、目がかすんで文字がよく見えない。このパソコンはChromebookである。パソコンというか、タブレットに毛が生えたみたいなやつだ。そのディスプレイ設定で表示の大きさを変えられて、いままでもすでに130パーセントにしていたのだけれど、今回最大の150パーセントにしてしまった。しかしこのほうが、すくなくともじぶんのブログは、左右の余白がちょうど本くらいの感じになってなんかいい。

 『säje』の二曲目は"(You Are) The Oracle"という題で、Michael Mayoという男性ボーカリストがフィーチャリングされてスキャットソロを取っている。派手なことはやっていないけれど、音程がずいぶん正確だし、気持ちがいい。このひとのアルバムは聞いてみたい。
 Sara Gazarekも聞いたことがなかったとおもうのでそのうち聞こうとおもうが、そのほかのボーカル三人のアルバムも聞いてみようとTower Recordsの商品ページでなまえをクリックしたところ、Amanda Taylorはこの『säje』しかオフィシャルなリリースはないようだし、Johnaye KendrickとErin Bentlageもそれぞれ客演が一枚のみ。前者はサックスのJohn Ellisの『Mobro』という二〇一四年作で、Becca Stevensなんかも客演している。後者は『säje』のドラマーでもあるChristian Eumanの『Allemong』という作品で、Michale Mayoはここにもおり、「本作はスキャット、ヴォーカリーズを全面に押し出したスリリングなアドリブの楽しめる内容になっている」とあるからこれもちょっと気になる。
 とはいえむかしからそうだけれど、あまり手広く新しいものをどんどん聞いていくタイプではなく、気に入ったものとか、めちゃくちゃ好きなわけでなくても知ったものをなぜかくりかえしながしてしまう固着的な性分で、さいきんはますますそうなのでたぶんそうすぐには聞かないだろう。音楽はスワイショウをやるときにワイヤレスイヤフォンで聞くのだが、さいきんは『säje』をリピートしているし、そのまえはStone Rosesのファースト、そのまえはセカンドだった。Stone Rosesはセカンドをむかし多少聞いていただけで、ファーストはどんなものなのか知らなかったが、二枚目とは毛色が違って、こんな感じだったんだとおもった。二枚目の『Second Coming』は、九〇年代のイギリスのインテリが七〇年代のブルースロックを消化してやったらこうなるわな、みたいな印象で、とにかくギターとベースですわという感じだが、ボーカルの決して熱をもたない気だるい歌も悪くない。Led Zeppelinをあからさまにオマージュした曲もあって、"Stairway To Heaven"の後半を真似したりもしているけれど、その曲にかんしては、そんなに寄せなくてもいいじゃんとおもう。インテリというのはこっちの勝手な印象だけれど、Second Comingというのはイェイツの有名な詩の題でもあって、たぶんそこから取ったんじゃないかとおもっている。しかしいま検索してもそれらしいはなしは出てこないので、そんなことはないのかもしれない。ふつうにキリストの再臨という意味で膾炙しているのか。一曲目が"Breaking Into Heaven"というタイトルで、断片的に聞こえた歌詞からしてキリスト教的な主題を扱っているっぽいし、ファーストのジャケットもジャクソン・ポロックみたいな感じだったから、そういう方面をちょっとかじったやつらなのかなとおもっていた。ファーストは八九年。音を聞くと、なるほど八九年か……たしかに……と、謎の納得感がある。セカンドは九四年。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空はドームをえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をカチカチ噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙に違えてかがやき交わし、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転の兆しは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にきちんとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがたふるえる雨の白昼、薄鈍色のほの暗い空に青い山列は溶けて消え、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、ミルクを売りに行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。荷台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめいて、道中、風や振動に感じてふるふる跳ねては板を叩いた。

 三時すぎに外出。雨降りの日。それほどつよくはない。アパートを出てビニール傘をひらき、右手へ。路地を抜けてちょっと左へ推移し、渡ろうと振り向いたらパトカーが来ていたので見送って、そのあとから対岸へ。そこでたまには違う道を行くかという気になり、そのまま目の前の裏路地にはいった。路面は比較的あたらしい、色濃いアスファルトが舗装されてまだまだしっかりしているなかに、ほんの少しだけ高さのちがう古い地帯が混ざったつぎはぎ状態で、ざらつきの多い古い部分は梅雨時の林にいるカエルの肌のようなよどんだ色をしている。まっすぐ行って突き当たりを左折。そのまま道沿いに細いのをたどっていけば、小学校の脇に出る。いつも通るH通りの一本東を南北に伸びる道路で、北上すればT駅前からずっと東西に長い車道に当たり、向かいはセブンイレブンになっている。そっちに出ていっても良かったが、せっかくなのでその手前で左の路地に折れた。ここはちょうど小学校の北側で、間近でみるとこの学校の校舎はけっこう高くそびえるような感じがあり、横にもながくてなかなか大きい。校舎の裏側にあたるこの道沿いには敷地内に桜の木がいくらかあって、白い花がたくさん群れて清楚ぶっているのに、あれ桜じゃん、もう咲いてるじゃんと見た。ちかくでみると花びらがけっこう大きく、桜の品種など知ったことではないけれど、ソメイヨシノではないんじゃないか。遠くからみるとソメイヨシノはたぶん薄紅にくゆるとおもうのだが、これらの木はぜんぶ真っ白だったので。ところが間近をとおりつつ見上げれば、おなじ木どころかおなじ枝から出ているらしき至近の花でも、花弁のなかが緑っぽいのと紅色のと両方あって、後者のほうが少なかったがあれはどういうことなのか。雑種みたいなことなのか? 花の感じや白さはむかし新宿御苑でみたオオシマザクラに似ていた気がするが、たしかなことはわからない。そこを過ぎるとちいさな口でHA通りに合流する。左折。小学校脇につらなる垣根の葉っぱが何割か真っ赤に色づいている。空は手がかりのなにもない、偏差のみつけられないまったくの白。そのまままっすぐ歩道を行って、横断歩道をわたってスーパー。食い物を買う。会計を済ませて品物を整理しているところでBGMに耳が行ったが、きょうもさいきんのジャズボーカルっぽい、それもポップス寄りとかではなく正統派のそれだった。Cecile McLorin Salvantかとちょっとおもったが、出口に向かいながら声色のこまかいところを聞き取れず、たぶんちがう。サックスソロも入った、甘ったるくなりすぎないバラードで、けっこう悪くなかった。出ると老婆といっしょに信号を待ち、向かいに渡ってそこの裏へ。右手で傘を差し、左手に提げたビニール袋ははじめのうちちょっと高めにからだに寄せていたが、じきにいいやと腕を伸ばした。道はじきに細くなる。アパートがあり、別のアパートの駐車場があり、ちいさくて小洒落た感じの数軒が左につらなる。右側には奥にはいっていく通路があって、その左右に浅緑のあかるい葉の木がいくつも立って、そのあいだを鳥たちが鳴き立てながら行き交っていた。葉とおなじ色の苔がたくさんついている木を梅かとさいしょみたけれど、幹と木肌の感じが違うのでたぶん違う。桜だろうか? 左側の家々をみると、庭ともいえない玄関前の車も停まる小さなスペースに、濃淡さまざまなピンクの花をともした小木を植えてあったり、短いけれどわりと鮮やかな生垣をつくったり、低いけれどやはりけっこう見事な緑樹を調えたりしてあって、狭い土地をフルに活用して植物をうまくあしらい彩っている。なかなかけっこう、たいしたもんだなとおもった。すこし前に、このへんは二、三年ほどの新しい家はあまりなさそうと書いたけれど、この細道脇のあかるい家々はもしかしたらそのくらい新しいのかもしれない。アパートのそばになるとデザインが平成以降とおもえる家でも、だいたい一〇年以上は経っているんじゃないかという壁の質感になっている。