きょうは二時ごろ実家を発って、ふたたび母親の車で送ってもらった。T駅南の通りのとちゅう、S予備校のまえで降りる。図書館に行くつもりだった。通りをちょっと西へもどる。右折する。快晴。ひとも多い。リュックサックはやや重い。てくてく行って階段から高架歩廊へ。駅舎内コンコースの人混みに気後れしたのでそちらは避けて、左のほうにある南北連絡通路へ。その左側はガラスの壁で、果てはひかりの降下の向こうでうっすらしている西の山までのぞき、ちかくは周辺の線路やその合間に生えた緑や茶色の草たちや、ひとびとが電車を待っているホームを見下ろすことができる。ゴムっぽい薄緑色の上着を制服としてまとった掃除の女性がガラス壁に寄り、手に持ったトング的用具で道の端に落ちていた何かを取ろうとしたが、くりかえし挟んでもうまくつかめず、じきにトングを手すりにかけてしゃがみこんでいた。北に抜けると駅前広場にはひとのながれがいっぱいで、そうするとからだに緊張が生まれて、いままさにじぶんの心身が明確にストレスを感じているということがわかる。太陽は電気屋のはいっていてたぶん上層は住居になっている高層ビルにかくれており、その縦線に接した空は真っ白で、あるくうちに太陽も出てきて一気につやめき、みれば右手の路上はひろい日なたのなかでカップルなどがベンチに座っており、足もとは頭上の屋根の影がいくらか伸び出ている。モノレール駅を過ぎて道沿いに進み、右に折れてまっすぐ。さらに左折。そうすればその先が図書館のビル。火曜ってどこかの週は休みじゃなかったっけとおもっていたが、みえてきたビルの入り口にひとの出入りがあるのでやっているらしいと判断する。すれ違うのは近間の高校の生徒が多い。図書館にはいると新着図書を瞥見し、フランス文学の棚へ。ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を来月の読書会で読むことになっていて、いまそんなにガンガン読めないし、そろそろ読みはじめてちびちびやっておかないと間に合わないというわけで、図書館にあるか見に来たのだ。ここでユルスナールに目を留めた記憶がなかったのだが、ふつうにあった。ハドリアヌス帝と、白水uブックス版の『東方綺譚』もあったので、それも借りることに。両方とも多田智満子訳。ほか、ユルスナールコレクションのたぶん最後の三冊だろうか、なんかAくんに前聞いたところでは自伝みたいなやつだとおもうのだけれど、その三冊と、岩崎力訳の『アレクシス とどめの一撃』があった。二冊を手に持ち、ついでに「Black Is The Color of My True Love's Hair」のために砂漠関連の本見ておこうと地理のほうに行き、アフリカの紀行のコーナーとかみる。サハラについての本を確認。ただ、漠然とサハラ砂漠をおもっていたけれど、べつにそこに限る必要はない。ゴビ砂漠でもタクラマカンでもコロラドでも中東あたりでもオーストラリアでもいい。サハラあたりのものでなんかちゃんと具体的な記述がありそうな本はやはり少ない。いっそ地理総記みたいなくくりで、砂漠という土地についての本とかあればよかったのだけれどそれもない。ただそのへんに世界探検全集みたいな、シリーズ名はわからないが、スヴェン・ヘディンのゴビ砂漠探検記とか、砂漠は措いてその他いろいろ充実しているのが何冊も揃っていて、ヘディンのそれは読んでみてもいいのかもしれないし、ほかのもけっこう読みたい。ついで文化人類学と民俗学の棚も見ておいたがここもあんまりという印象。ただ、民話伝説のところでアフリカのやつがあったのは読んでおいてもいいかもしれない。あとはやはり砂漠が出てくる小説を参考にするかだが、砂漠を書いている作家を知らない。エジプトのナギーブ・マフフーズとか書いてんだろうか?
 二冊を借りて退去。帰路、駅から北へまっすぐ伸びる通りの脇から横道にはいっていき、そうするとその目抜き通りの交差点から東の地点に至る。その北側で横断歩道に止まる。右をみやれば大通りに満ちた車のことごとくが真白い光の球をボディのどこかしらに、主にあたまの先端に乗せていて、走っているとある地点を境にそれが一挙にふくらんで勢力をつよめ、その後ちょっと落ち着いて、横にすべったあと、車は立体交差のほうへ曲がっていく。渡ってその立体交差を通っても良かったのだが、車の音がうるせえし、東にながれて線路の下を南へ抜けることに。道沿いにある小さいバーみたいな飯屋のカウンター席にたぶんスタッフらしい男性がかけて暇そうにしている。周辺には白と赤の建材が組み合わされた電波塔がふたつそびえており、ちかくで見上げると子どものおもちゃをそのまま巨大化したようなあの威容はなかなか独特なものだ。なぜ赤と白の二色で、部分部分できっちり色を分けてつくられているのか? 単にデザインの問題なのか? 背後の西空は雲がおおきくて満々とひかりを受けていたが、行く手の東はほそく淡い、ほとんど空に同化してうす青いものが低みにちからなく引かれているだけで、空の色ももはや役割は果たしたといわんばかりに落ち着いた水色に休まっている。

 日曜日の昼間に出かけて実家へ。だいぶ暑かった。アパートを出て左方向に行ってすぐの公園では道に面した桜木が花をおおかた散らして白さをとぼしくし、地面からすこし斜めに生えだしたあとでまっすぐのぼる幹のとちゅうにあかるい緑の葉だけがついた付け足しのような枝もあった。遊んでいる子どものひとりが、男と女で分かれてたたかおう、と提案していた。駅方面へ。駅前にあるカフェスペースつきのパン屋でもろもろ買う。先週もそうした。片手に袋を提げて病院のほうへ。踏切りを渡り、裏を行ってまもなくの分かれ道を左折。車の来ない隙に渡る。病院敷地の東側を南下するかたちになる。前庭には植物が充実しており、あれもカナメモチなのか、さえぎられることのない太陽に直上からさらされて赤々と、ふだん垣根で見るそれよりも臙脂の渋味や暗さを排しためざましい赤さでいっそう赤々と、透けるようになっている葉の木があって、青空のもとでほとんど吸えそうなくらいにみずみずしく揺れていた。右折してすすむと道沿いに桜がならんでおり、ここも花が多く去ってしかし葉はまだまだで、粒立ちのつよい半端なすがたをさらしている。そのへんで母親の車と合流。
 月曜は労働日。この日も暑かった。起きて居間で食事を取るあいだ、ベランダにつづく西窓のすりガラスのむこうで洗濯物がゆれている。じぶんはテーブルの東側についているのでほぼ正面にあたる。南窓にはレースのカーテンがかかっており、それもすきまからはいってくる微風を受けてゆるく浮かびあがったり、受けるのをやめて身じろぎ程度に落ち着いたり、反対に窓のほうにちょっと吸われたりしている。下端のほうに、あれはなんの影なのか、花や植物の柄があしらわれた布の丸い襞に合わせて波打ちながら横に走っている細帯があり、カーテンの浮かび上がりによってそれがわずかに上昇してみえるようになったり、また下端に沈んでしまったり、一部だけ突出して高くのぼったりする。戸外に満ちているひかりの白さがレースの白さのうしろにせまって貼りついている。すばらしい。すばらしくないわけがあるだろうか?
 労働後は夜道をあるいて帰る。裏通りのとちゅうで、車が一台うしろから来て去っていったあと、それまで耳の行っていなかったしずけさが途端に意識されて、やっぱりあった音が消えると静寂に気づくんだなとおもった。表通りに出たあとも、まだ九時だというのにひと気はまったくなく、車の通りが一台もなくて道路のまんなかのマンホールから響く音がちょっと距離のある時点からさらさら聞こえてくるようなしずけさがあたりにひろく行き渡っている。むかしよくこれを、車の来ないあいだだけおとずれる束の間の聖なる静寂の時間、みたいな風に書いていた。ひさしぶりにそれを聞く。だんだん身内に自由と解放の感覚が生じてくる。やはり夜、帰り道、ひとり、しずけさ、ゆっくり歩くこと、風、これらがじぶんにとって最大の自由の条件なのだ。実家で家族と一つ屋根のしたにいるあいだはそういう感覚になることはないし、アパートでひとりでいるときもない。街路というだれにもひらかれた公共の空間であるにもかかわらず、いまそこにいるのがほぼじぶんひとりで、あたりがとてもしずかだ、というときに自由の肌触りがやってくる。大気とものたちが親しくなる。

 きょうもEvans Trioのディスク2にあたる部分を("Milestones"以外)聞いたし、ムージルもウルフも読んだし、小説もすこしすすんでそのほかにもいろいろ書き、かなりいい日だった感じがある。肉も食ったし。そのときちょっと気持ち悪かったので食いづらかったは食いづらかったのだが、ふつうにうまくはあった。あしたから実家行き、そして労働。月曜の夜に勤務後そのまま帰ってもいいのだが、せっかくなので火曜日までいて家事をやり、その夜に電車でもどってこようかなとおもっている。
 六一年Village VanguardのEvans Trioのディスク2は、"Alice In Wonderland (take 2)"がすばらしい。冒頭、ピアノだけの提示が終わって、ちょっとだけ溜めながらベースとドラムがはいってきた瞬間から、これはなんか、なにかだぞ、という気配があった。このテイク2はだいぶもったりしていて重めな印象で、たぶんテイク1よりテンポは遅いとおもう。また、LaFaroがそんなに暴れておらず、低音のほうでずっしりボンボンやっている時間が多い。それでいて鈍重に沈まず優美に盛り上がっている感じがあるのは、Motianが(ブラシで)シズルシンバルをけっこうバシャバシャやっているからで、テイク1のほうはたしかシズルはなかったんじゃないか? つかってたかな。テイク1のほうが拡散性がつよい気がして、そちらはそちらでなにかあるのだけれど、このテイク2はそれより密にまとめた感があり、比較的わかりやすくすごいという演奏になっている印象だ。ベースソロもテイク1よりわかりやすい。序盤と最後にいかにも見せ場的な速弾きの下降もある。ベースソロ後しばらくしてからEvansがアルペジオ的なコードワークを推移させるやはり見せ場の一連があるのだけれど、そこでもLaFaroはおとなしくしていて邪魔をしないようにしており、これはなんかここでEvansがそういうことをやるというのを、事前にわざわざ取り決めがあったとはおもえないので、いままでこの曲を演奏してきたなかでパターンのひとつとして知っており、即座にそれを察して合わせたんじゃないか? あるいは逆に、LaFaroが比較的動き回らないでいたので、Evansが行けるわという感じになってながい推移に踏み切ったのか?

 スーパーから帰ってきたあと布団で休んでいたとき、外から、げえー! うわ、鳥のうんこついてるう! という、声変わり間近の少年のようにざらついた、あるいはガラガラした叫びが聞こえてきて、ちょっと笑ってしまった。向かいの保育園は土曜日でも少ないながらあずかっている子どもがいるようで、もうひとり、女児だか男児だかわからないあどけない声と、迎えに来たその母親がはなしていて、おさない子はフンに顔をちかづけたようで、くっさ! ともらし、母親のほうは、ぜったいあそこの駐輪場だよ、だってカラスいたもん、と推測しながらはなしをつづけて、鳥のうんこだようんこ、とか、うんち、とか子どもに向けて何度も言ったり、洗わないと落ちないよ、と嘆いたり、ぜったいカラスだよ、あのカラスかわかんないけど、ととにかくカラスに責任を帰したりしていた。三人でいるとおもっていたところが、最初の少年の声がその後いちどしか聞こえず、会話がもっぱらふたりでなされているようなので、とちゅうから存在にうたがいが生じ、あれこれちがうな、最初のあのざらざらした叫びもお母さんの声だったんだなとおもった。ずいぶんと少年らしい声色だった。鳥でいう、地鳴きみたいなものか。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしていた布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊っているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、時に後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。

 きのうはほんのすこしだけれど小説もすすんだし、ひさしぶりに六一年のBill Evans Trioも聞いたし、おなじくひさしぶりにウルフの英文も音読し、またムージルの「ポルトガルの女」も読んで、けっこういい日だった感がある。「ポルトガルの女」は序盤をすすんでいたのだけれど、せっかくなのでまたはじめから読むことにした。冒頭二段落ですでにおもしろくてさすがだ。ただ本を読むとやはり腹に来るので、ちびちびやりたい。
 六一年のVillage VanguardのBill Evans Trioのコンプリート盤、白いデザインのCDだと三枚組のやつは、Amazon Musicだと"All of You (take 1)"の音源がいつなのかべつのときのものになっていて、きのう確認したらそれがなおっていなかった。ほかの、ディスク一枚分ずつ分かれている音源とかも、なんかやはり"All of You"が『You Must Believe In Spring』に紐づいていたりしてどうなってんねんと、三枚分すべてを正しく一気に聞けるデータはないのかとおもっていたら、『Jade Visions』というのをみつけて、曲目がコンプリート盤とおなじなので行けるんじゃないかとながしてみたら、"All of You (take 1)"も無事正しい音源になっている。まだディスク1の分しか聞いていないけれど、たぶんこれは大丈夫そう。リリース年は二〇一二年となっていて、レーベルはCompulsionとあり、飾り気のないシンプルなジャケで、なんかうさんくさい編集盤とか出してるところじゃないのか? という気がしたのだけれど、ジャケ画像のまんなかに「MASTERS」という文字が強調されている。冒頭の"Gloria's Step (take 1)"の演奏後、"Alice In Wonderland (take 1)"にうつるまえに会話が収録されていて、こんな部分はコンプリート盤にもなかった気がするので、マスターテープをそのまま収録しましたということなんだろうか? だとしたらむしろちょっとありがたいのだが、ぜんぶ正しく聞ければなんでもいい。"Alice In Wonderland (take 1)"はすばらしい。"All of You (take 1)"もとてもすばらしい。
 そのあときのうはMarian Andersonの『Spirituals』をとちゅうまで聞いていて、きょうスワイショウやるときはそのつづきからのつもりだったのが、便所に行ってクソを垂れているときになぜかスピッツの"運命の人"をおもいだして聞きたくなったので、『フェイクファー』をながしてさいごまで聞いた。このアルバムでいちばんいいのは九曲目の"謝々!"だとおもう。これだけブラス入りで、ゴスペル風の女声コーラスも入っており、毛色がちがうのだけれど、歌詞、ことばとメロディの結合、曲、アレンジを総合的にみてこれがいちばん好きだ。2Aの、「生まれるためにあるのです じかにさわれるような/あたらしいひとつひとつへと なにもかもかなしいほどに」とかいいじゃんとおもうし、その後、2Cというか一番にはなかった2B'みたいな部分の、「鳥よりも自由に/かなりありのまま/君をみている」で、「ありのまま」のまえに「かなり」を置いたのはすばらしい。ここの三音を埋めるのに「かなり」をえらんだのが、このアルバムのことばのなかでいちばんすぐれている。

 肉を食いたいなとおもった。きのう米も炊いてたくさんあるし、夕食に惣菜のカツでも食おうということで買いに行くことに。すでに四時だった。きょうもシャツとズボンだけで充分というか、その軽装でもむしろ暑い。アパートを出るとまず金をおろすために近間の郵便局へ。路地を抜けるといつもとちがって右に曲がる。背後から射す陽に日なたがまだひろい。路地の入り口前を通りすぎざまに右を向くと、まっすぐながく奥までつづいているその道のひらきがなにとはなしにうつくしい。いちばん手前のアパートの脇で窓のそとに洗濯物の黒シャツとかがいくつか吊るされているくらいしか、ものをたしかに認知しなかったが、路上にひともおらずなにがありもせず視線がずっと飛んでいくことのできるながい見通し自体がなにかうつくしい。そう感じてつぎの路地の入り口を過ぎるあいだはずっと右を向いていたが、そうすると道の左右の直線を崩すまいとでもいうように家にくっつくように立っている植込みの緑なんかが視界をすべり、数歩すすむあいだに徐々に空間のかたちが変じて、これはこれでなにかいい。郵便局にはいり、ATMで金をおろすと、陽射しのなかで通帳に記された情報を確認し、しまって道をもどった。西向きになるのでさきほどよりも視界がまぶしく、左端を行けばかたわらの建物の高さによって太陽は見え隠れするけれど、あらわれるときは上方からセロファンめいた薄陽がかかって、目のまえに水玉が二、三、生まれる。じきに向かいに渡ったが、日なたはだいぶ暑い。ぬくもりにちょっと重みすらある。もはや冬のシャツを着ている場合ではない。きのうはT字の右にある細道から行ったから、きょうは反対に行こうと交差点の前で渡りなおし、角にあるいまは無人の交番を折れて歩道をすすむ。まもなく渡り、裏にはいる。とちゅうの小公園で、よくみなかったが、まだおさない女の子が三輪車だか補助輪つきのチャリだかに乗ってうろついていて、母親がそれを見守りながら、できたじゃんー、とかいっている。過ぎると背後から男の声も聞こえたので、両親揃っていたようだ。きょうは土曜日だからスーパーにもひとが多めだろうなとおもってすこし気が引けていた。そもそも道中にすでにひとのすがたがやや多い。H通りに来て横断歩道に止まっても、駅のほうから来る細道など、あたりにひと気が多いし車もけっこうあるし、空気がいつもよりにぎわっており、向かいのスーパー前にならんでいるチャリの数をみてもあらためてちょっと気後れする。渡って入れば予想通りだからいくらか緊張して、腹や左胸のあたりがもやもやするし、けっこういやな感じだったが、やばいことにはならないだろうと気楽にかまえた。やばいことになったらさっさと逃げればいい。きのう食い物は買ったからそんなに目当てもないのだけれど、掃除につかう除菌スプレーが切れていたのでそれとか、あとトイレのマジックリンも切れていたのでそれとか、ラップとか。レトルトカレーなんかも買っておく。レジはやはりひとが多いから三列稼働している。きのうは一列だった。会計にならぶのもちょっと気後れするといえばするのだけれど、緊張しながら籠を台に置き、店員のSさんが品物を読み込むのを待つ。金を払うと整理台が空いていなかったので、籠を足もとに置いて財布をしまいながら待ち、空いたところにはいってものをリュックや袋に入れた。退店。道路を渡る。左に折れる。ここの並びにいくらか前から爬虫類のペットショップができている。ちょっと入っていろいろ見てみたい気持ちはあるが飼うつもりはないので実行しない。きょうはそこの扉が開いていたので通りすぎざまにのぞいてみたが、ケージだけで動物のすがたはみえなかった。きのう行きに通った細道を逆から入る。きょうはちょうどきのうとは反対のルートをたどったことになる。犬の散歩をしている婦人がいる。犬はやや鈍重そう。つながれながら道端に止まっている。過ぎると、もう帰るよ! とかいう声が聞こえる。あたりの家々の花をみやったり、頭上の木についているやはり花の色かたちを見上げたりしながら行く。そういえば朝だったか休んでいるあいだだったか、布団にいたときに、そとを通った高齢らしい女性の会話として、この時期はひとの家の庭をのぞいてなにが咲いてるかとかみながらあるいてる、みたいな笑い声が聞こえてきて、わかるなとおもったのだった。空気は暑い。日陰にいて風が吹いて、それでちょうどいい涼しさというくらいだ。空は無雲ではなくひろい範囲にうっすらと雲が乗っていた。太陽にあまり影響はない。

 いちおうオーケーとするが、べつにこんなイメージの記述いらんのでは? という疑問はぬぐえない。しかしとりあえず、来たものを書き、ちからを尽くす。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りのうちに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のように半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置でおのれのところを埋め、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついていた砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを帯びて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶はこまやかに星雲をあざむいた。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りのうちに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、と繰りかえした。いつのこととも判じられない、あたかも他人の記憶のごとく半透明の清涼さだった朝のひかりは徐々に濃くなり、森の木の葉を活性化させる爽やぎの熱にふれられて、知らず知らずと頬は色づき、うなじはうっすら汗をまとった。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどった。おなじひかりが荷台にそそいで缶を磨けば、膠の粒より固く貼りついた虫の死骸のような汚れは白銀の色できららかに燃え、見境なしに染みついた砂埃のざらつきも酸化やくぼみと一緒になってうつくしい痣の風合いと変じ、地にありながら束の間、缶のおもては星雲をあざむいて、輝きながらこまやかにうねった。注ぎ口のもとからふくらみだした肩のあたりのそれぞれ微妙に異なった位置に、太陽のうつし身

 三時半ごろ外出。スーパー行き。きょうもやはりジャケットは必要ない。無印良品の茶色いシャツと、ブルーグレーのいつものズボン。午前中は曇っていたが、このころには陽射しが出ており、雲なしのじつに晴れ晴れとした青空とはいかないものの、ひかりの色はそれなりにあって空気もあたたかい。アパートを出ると右手へ向かい、すぐに抜ける口から対岸へ。左を向けば西空の太陽が視界にまぶしく、上方は白光で埋められて、前方、T字の突き当たりの一軒にある車はあたまの角に太陽をちいさくうつして放射しており、もっと手前、こちらの間近で道路を渡った年かさの男女ふたりのうち、眼鏡をかけた男性の禿げ頭にも車のボディほどではないが白さが乗ってつやめいている。ふくまれた骨材のおかげでアスファルト上がいたるところきらきらと粒でひかる。T字の横断歩道を渡ると豆腐屋の横から細道へ。おとといよりも風があり、近間の庭木がふるえるが、肌寒いというものではない。路地のとちゅうで白髪の婦人と年若の婦人が立ち話をしており、高齢のほうが、ずいぶん仲が良い、仕事のことでお互いわかる、似たようなこともあるみたいで、弟も兄に相談するし、兄のほうも弟に相談するし、などと穏和な口調でしゃべっていた。若いほうがこちらの接近をみとめてはなしあいてにちかづき道をあけたそのうしろを通っていき、手の指を伸ばしたりしながらしばらくすすんでH通りに出る。左折。歩道を行き、横断歩道まで来ると信号待ちで立ち止まった。対岸の右のほうには寺の敷地に立っている木が二本みえて、こずえの葉叢がじつにあきらかにみどりしており、薄青い空を背景に風にさわさわかたまりで揺らいでいるのをながめているうち、信号が変わっていたので渡って店に入った。耳におぼえのある、たぶんJackson 5かなんかのゆうめいな曲がながれていたが、ヴィブラフォンなんかもふくんでちょっとジャズっぽいアレンジになっていた。豆腐とか小松菜とかキノコとかヨーグルトとかもろもろ購入。荷物を整理して退店すると横断歩道が青だったので渡ろうと踏み出せばもう点滅してしまうので大股でちょっと急ぎ、そこの口から裏へ。まえに小学生の子どもふたり、男子と女子を連れた母親らしきひと。じきに右手の一軒の前から声がかかって、同級生の子の親で知り合いらしく、歩きながらあいさつを交わしている。家のほう、玄関前のスペースとして車なんかを置けるよう固められたそこに女児といっしょに立っている女性が、Yちゃんは児童館に行きました、とか言っていた。道に日なたはあり、その一軒もふくめた右手の家々が三角形の陰を降ろして、ところによっては対岸まで日なたを切りこみ食っているけれど、四時前でまだこんなもんかと、あかるい部分をおおく感じた。公園の縁に立った楕円形の植込みから目にとめられないちいさな鳥が飛び出して一気に上昇し、向かいの家の木にうつった、とおもえばおなじ軌跡をもどって植込みのなかにまた入りこむ。抹茶っぽい緑がみえた気がしたので、たぶんメジロじゃないか。鳥の声がよく聞こえる時季になった。細まった路地を行くあいだもカラスが一匹鳴きながら頭上をバサバサ飛んでいき、見上げれば屋根の向こうで合流したらしく五羽くらいが一気にあらわれて、編隊をつくって鳴き交わしながらべつの方向に飛び去っていく。きのうきょう、布団のなかにいるあいだにもカラスの声がよくしているなと聞きとめていた。出て車道を渡り、また家々のあいだへ。足は無為を知るものの鷹揚さになっていながら同時に軽く、後ろの一本が地を蹴る感触とか、足首の曲がり方とかがスムーズだ。この路地には、正面に抜けたところの公園から飛んでくるのだろう、桜の花びらがまだたくさん散りばめられてあり、といってすきまがおおきいので道路が感染した疱瘡めいている。公園ではきょうも子どもたちが遊んでいた。入り口では一輪車にまたがった女児がひとり、スロープの脇にある銀色の細い手すりにしがみつきながら一輪の扱いを練習していた。アパートは間近である。太陽はいま雲にかさなっており、左手からながれてくるあかるみにふれてさほどの熱さも横顔になく、日陰にはいって風が通っても涼しいくらいで寒くなく、体感にあまり違いがない。アパートにもどって簡易ポストをあければ市議会議員のチラシがはいっていたので、片手に持って瞥見しながら階段をあがり、部屋に帰った。

 月曜日に勤務を終えて実家に帰り、安息のベッドで三〇分ほど休んでから食事を取りに居間に行くと、母親が『月曜から夜ふかし』という番組をみている。マツコ・デラックスと、村上信五がやっているやつ。まえにも二、三回、みたことがある。ものを食べながらこちらもながめる。ふつうにわらえる。母親は、くだらないけど、わらっちゃう、という。似たようなバラエティをみるとき、よく口にしている。いいことだ。くだらないことでわらって生きられたほうが、精神衛生にいい。それに、くだらないけどわらっちゃうのではなく、くだらないからわらえるんじゃないか。番組内に「中国から夜ふかし」というコーナーがあって、もう何回かやっているらしいが、こんかいは広東省の広州市がとりあげられていた。広東省のにんげんはなんでも食べるということでゆうめいらしい。蛇でもカエルでも蟻でもなんでもと。中国人は足のあるものなら机以外はなんでも食う、だったか、そんなことばがあったとおもうが、それも広東省のことなのかもしれない。あと猿の脳みそとか。若い中国人男性のコメントとして、広東省のとなりは福建省だが、そのうち福建省のにんげんも食べるいきおいだ、とあったのはわらった。その広東省のあれも広州市内だったんだとおもうけれど、ひなびた飯屋のおばちゃんが、きょうはちんこ客がすくないからちんこ暇だよ! みたいなことばづかいをしていて、テロップではち◯ことなっていたが、要はその地方では程度のはなはだしさをあらわす強調語としてちんこにあたることばがもちいられるらしい。若い世代はつかわないようで、客の若者がツボにはいって笑っていた。英語でいうところのfuckin'にあたるとおもわれる。ロックバンドのやつらみたいな感じだ。OasisのGallagher兄弟なんかもfuckin' fuckin'言いまくっていたイメージがある。日本語でいうと「クソ」がそれにちかいだろう。もうすこしやわらげれば、「めっちゃ」というところか。fuckはいうまでもなく性行為で、ちんこは性器だ。クソはうんこで、排泄物だ。趣味によってはうんこも性的になるだろうが、まえのふたつにくらべると性的度合いはまだすくない。いずれシモの領分なので、ちかいところにはあるが。こういう卑語を強調にもちいるのはだいたいどういう言語にもある用法なんじゃないかという気がするが、日本語にあからさまに性的な語による強意があるか、おもいつかない。ちんこもまんこも強調にはつかわないだろうし、罵倒をかんがえても、クソ野郎、は一般的だが、ちんこ野郎、とはあまりいわないだろう。野郎にちんこがついているのはふつうなので、罵倒にならない。野郎の対義語としてはいちおう女郎 [めろう] というのがあるとおもうが、女郎 [じょろう] とまぎらわしいし、女性をののしるばあいもクソ女郎とはまずいわない。クソ女、とか、クソアマ、となる。野郎にしても、女性を軽蔑的にいうアマにしても、語源がなんなのか、かんがえてみると不思議だ。いまとりあえず「野郎」のウィキペディア記事をみてみたら、「江戸時代では前髪を落として月代を剃った男性を指した。のちにこの言葉は男性を侮蔑する場合に使用されるようになる(対語は「女郎(めろう)」)」「月代を剃った頭を「野郎頭」と言い、その「野郎頭」の役者のみで興業される歌舞伎は「野郎歌舞伎[4][5]」と呼ばれた」とあった。「郎」がおとこを指す語だから、たぶん、野卑な男、粗野な男、みたいなことなんだろう。アマは尼なのかなとおもっていたらやっぱりそうみたいで、おなじくウィキペディアには、「女性が髪を肩のあたりで切ることやその髪型を尼削ぎ(あまそぎ)というが、そのような髪形の童女を尼という場合がある。また近世以降少女または女性を卑しめて呼ぶときにも尼という語を用いた」とあった。どうもどちらも髪型に関係している。ちなみにウィクショナリーのほうでは、「阿魔」という表記も紹介されていて、例文として、「このアマめ。キサマ、死ぬと見せて、男だけ殺したな。はじめから、死ぬる気持がなかったのだな、悪党めが!」(坂口安吾『行雲流水』)と、「おい、しっかりしろ、あの娘はとんでもない阿魔だぞ。」(吉行エイスケ『大阪万華鏡』)のふたつが載っていた。罵倒のクソにはなしをもどすと、まず「くそったれ」といういいかたがある。たれは垂れだろう。だからこれはうんこっ垂れということで、そこそこひどいが、意味合いとして、うんこを垂らしているような見下げ果てたやつ、ということなのか、うんこを垂らしていろ、という命令なのかが判然としない。それにたいして「くそくらえ」は明確だ。うんこ食ってろ、ということで、丁寧ないいかたにするとおグソをお召し上がりください、ということだ。冷静にかんがえるとこれは相当ひどいことを言っている。日本語が誇るべきすばらしい悪態だとおもう。果たして英語にeat the shit!という罵倒があるのか? とおもっていま手もとのランダムハウス英和辞典を引いてみたら、英語にもeat [or take] shitといういいかたがあるらしい。「((米))(1)屈辱 [苦しみ] に耐える, 嫌な [腹立たしい] 事を甘受する. (2)((軽蔑を表して))くそったれ, くそくらえ.」とのこと。だから、とくべつ日本語のみが誇るべき悪態ではなかった。これらの悪態や、あるいは強調用法としてクソの語を口にするときあるいは文に書くとき、それがもともとうんこを指していることはそれほど意識されないとおもう。あるいはまた、悔しさとか怒りとかをあらわす間投詞として、くそっ、とか、くっそー、といういいかたはより日常的にもちいられるが、おもわずこれが口をついて出てしまったさい、やはりうんこと言っているという自覚はないだろう。大便への参照はかなり薄くなっている。同様の間投詞としてはちくしょう、があって、まあいまあんまりちくしょう、なんていうひといない印象だけれど、これももとは畜生で、仏語ではないか? やはりそう。コトバンクに、「改訂新版 世界大百科事典」の解説として、以下のように詳しく載っている。「サンスクリットのtiryag-yoniの訳語。原語のtiryac(本来はtiryañc)は〈横の〉を,yoniは〈生れ〉を意味している。それゆえ,〈横に動く生き物〉で,獣・動物を指す語である。畜生と訳したのは,前半部のtiryacのなまった形に畜の音を当て,後半のyoniは意味をとって生としたものかと思う。〈傍生(ぼうしよう)〉とも訳されている。古来,人が食用や力役(りきやく)のために畜養するけものであるから,畜生と名づけられたと誤って解釈され,また傍生の傍は傍行(ぼうこう)(横ざまに動く)の意味ともされている。仏教では,仏や人間やすべての動物の状態やあり方を順位をつけて分類して十界(じつかい)とするが,畜生趣(ちくしようしゆ)(畜生の状態)はそれらの下から3番目で,地獄,餓鬼(がき)と合わせて三悪趣(さんあくしゆ)と呼ばれ,悪い行いの結果生まれるところとされている。また,この語は本来仏教用語であったが,その意味から広く他人をののしったり,人生の悪行や苦しみをあらわす場合にも用いられている。」 ところで犬畜生ということばもある。畜はそのほかにもたくさんいるのに、猫畜生とも牛畜生とも馬畜生ともいわない。なぜ犬だけがまるで畜生どもの代表であるかのように、我が物顔で畜生のあたまに居座っているのか?

  ふうけいしゅう



 くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。



 こうえんのはじにうめのきがある ちいさな あめのひだった わさんぼんのほのかなあまみをはらんだしろが、つつつ、とならんでえだをうめている ゆらぎなく あめにおされず、つちにひかれず、しずかにとまっている かさなるように、かたわらに、もっとちいさないっぽんがあでやかなあかをよせている。



 としょかん、となりあうたいいくかんから、けんどうのひびき たけのかたなでたたきあうおとやながくのびやかなこえ、こえたちが、ざわめきのくもでかべからもれる かん、というよりは、としょしつとみえる、ちいさなとしょかん ぜんごからはさむたなははいいろ、むきしつに かうんたーのほうから、ほんをよみとるきかいおん、つづくぱそこんのしすてむおんがきこえてきた きおくをよぶおと ちゅうおうとしょかんには、もはやないおと。



 うすぐもり ひざしというほどのものもなし にしのそらにばくぜんとくも、はいいろとあおをまぜあってひろく、ふちだけしらんであかるみをさす でんしゃないはやまからかえるひとでいっぱい おおくはこうねん こうすいとあせとよるとしなみの、なんともいえないふくざつなにおい すないろのはだのいこくのだんじょ、かたいめをしたおとこのひょうじょう、するどいまでにりりしいしせんがまわりにむけられさまよっている。



 みちのうえ ときのとまったようにあおいそらからひざしはそそぐ かぜとれいきをちゅうわする はてにまちなみ うえにもりあがりしたはまっすぐたなびいたくもひとひら、ぼうしめく、まちのずじょうに ゆきからひとつきがたった しらさごはみちをさった じゃりのまじったかたまりはいえいえのかげにしつこくなごる それをかきだしてみちばたへ、ひなたのなかへ、おとすひと。



 しょうぼうしゃが、いくつもいならんで、ざつみなしのあかにかがやいている、たてもののよこ、にんげんたちは、すばやくうごき、うごきをからだにおしえこんでいる、いそしんでいる、ちゅうがっこうのまえからめをやる、とおくのそらははればれと、ふしぎなほどにひろくわたっている、ひこうきぐもがうまれない、はずがない、としょかんはほんをかりてでる、おちてきたたいよう、はじっこにまぶしくて、めをふせている、かえりのでんしゃ、ひかりがさしこんで、ゆかにかげがけいせいしている、せんろはゆったりまがっている、しへんけいがかたむきをかえ、かげはゆっくりじわじわうつる、いえやきのかげがかさなってすべる、とき、かたちはかたちでなくなっている いちじかんまえにあるいたみちででんしゃをながめたそのみちを、こんどはでんしゃからながめている。



 へやのべっどからたちあがる かおをしたにむけたとき、こげちゃのいろこいふろーりんぐのゆかが、すこしだけちかくなる みぎてに、つるつるしたしろさのほそながいてーぶるがある そのしたにせんがおちていた たけぐしがある、とおもった かーてんのすきまをぬけてきた、ひかりのきれはしだった。



 こうえんのかどにあたるじゅうじをみぎにおれる あさのあめがきえたそらに、りんかくせんをおとしたくもが、そこらじゅうなじんではれがあわい うすびかりがある みぎにならぶいっけんのまえ、みちとのさかいにあかいきをみる ひくいあたまがこまかくあかい ぴんくもわずかあり、うめとみる くうかんのなかのまちがいのように、ひとつぶふたつぶ、そのいろがふよりとながれる ちかくにみると、もうほとんどちりきって、はなびらにかこまれていたまんなかだけがのこっている はなびのもえがらめきしわしわとかわいた、おいらくの、あざやかなべに すぎてから、いちどかえりみる。



 としょかんをでて、しょうがっこうへ ぐらうんどのすみ、こどもたちが、あかやきいろのごむのばっとでぼーるをたたく さっかーぼーるも、あしでたたかれる おおよそにじゅう、さんじゅうのあいだ すがたさわがしく、こえはかんだかくひろさにまぎれ、きえていく いしだんのうえにしろかべはひかりをまとい、おくじょうのさき、もりのきたちが、てんでにのぞく もんをまがってせんろにそった みぎてにでんしゃ、うごきだしたりとまったり きかいのおと、あなうんすのこえ、ひるさがりのしろいしずけさ はんたいがわのもんのそと、なのないくさのとちのはじ、うめのきいっぽん、ともしとなって、ももいろ、くれない、どちらをもはらむ はなをみあげたひとみのせんがえだのあいだをすりぬけて、うらやまへむかうにんげんのかげをきときのすきまにのぞきみる せんろをわたればまたほそいみち むかいからいぬ、ちゃいろのふさふさとした せんろわきのくさをかぐ かいぬしがひきはなしてもまたすぐにかぐ ふみきりが、ふたついっぺんになりだした よっつのおとがびみょうにずれあうふおんなわおんのひびきゆらゆら、でんしゃごとごとそのなかをいく ひとはとぼしい まどのうちにはひかりをみたしたすいそうのみどり、おもてにはかがみにうかぶ、あたりのいえいえ。



 うらからおもてへ あかしんごうにとめられる かどにめをふれば、ぱんじーのかだん きいろやむらさきのはな、もうしおれて、ひらかずちからなくうなだれ、そのうしろにたってなまえふめいのしらないうえこみ、あかやももいろをさかせてまだらにあざやかである おおがらのとらっくがめのまえをまがってぎりぎりいうとき、たいようをわけられたにびいろがぎんいろのまぶしさとなる やきとりやのとなりのとちにしょべるかー がれきをみると、なにがあったか、もうわからない。



 としょかんの、そと あおくそまっている、そらが、いちめん はだかのはれではない、もやになったあいまいなあお たいようはぼやけながら、いばしょをおしえる たよりなくとけたひかり そのした、やまのちかくで、もやはとぎれる やまはそらのあおよりあおい ひらいたすきまにくもがあかるく、そこだけしろく、うずをえがきだす。



 (2024/3/7, Thu. - )