2017/12/20, Wed.

 正午起床。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を一〇分読んでから便所に行ってきて、瞑想に入る。二〇分間。食事は前夜の残りのカレーを食べた。新聞、「「首都エルサレム」米孤立 安保理 無効決議案に拒否権」(二面)、「日韓合意の履行迫る 日韓外相会談 韓国側 確約はせず」(二面)、「アッバス氏 米の拒否権批判 パレスチナ議長 「無効」決議案否決」(一一面)、「欧州の選択 カタルーニャ問題: 州議会選 勢力伯仲で最終日 中央政府、独立派に圧力」(一一面)、「フーシがサウジに弾道ミサイル発射 有志連合軍は迎撃」(一一面)を読む。カタルーニャ問題の記事に紹介されていた「(……)バルセロナ市内では、黄色の光を使うことが禁止されている。国家反逆罪などで拘束下にある独立派のジュンケラス前州副首相ら4人の釈放要求を象徴する色だからだ。選挙を取り仕切る国の中央選管が独立反対派政党の訴えを認めたもので、噴水や建物を黄色でライトアップすることも認められていない」という小さな挿話はちょっと面白く感じられた。
 室に下りると一時半頃でないか。四〇分から書き物。一九日の記事を進め、三〇分やったところで一旦中断。洗濯物を仕舞いに行ったのだと思う。タオルや肌着類を畳み、アイロン掛けもして、帰ってくるとふたたび書き物。三時まで。
 その後、運動である。瞑想もそうだが、体操や柔軟運動をして身体を全体的に柔らかくしておくということも、精神の安定や意識の明晰さ、知覚の鋭さに関して非常に重要だと実感する最近である(この二つの事柄は相補的である)。tofubeatsの音楽を流しながら身体を動かし、その後音楽を聞いてから外出の支度に移ろうと思っていたところが、歌を少々歌ってしまった。それで四時直前から音楽を聞くので、時間がやや遅くなる。音楽はここでは、Bill Evans Trio, "All of You (take 2)", "Waltz For Debby (take 2)"にTHE BLANKEY JET CITY, "僕の心を取り戻すために", "胸がこわれそう"(『Red Guitar and the Truth』: #2-#3)。THE BLANKEY JET CITYの二曲は、『LIVE!!!』を聞くなかで気に入られて、スタジオ盤のほうを聞いてみたのだったが、こちらとしてはライブ音源のほうが断然格好良いと思われた。スタジオ音源のほうは、浅井健一の声質が妙にざらついており、フレーズの終わりなどで音価がやや長くなる時に、叫びが間延びするというか、暑苦しく、野暮ったいように感じられたのだ("僕の心を取り戻すために"について言えば、いわゆるサビ部分の背後に敷かれているギター(だと思うのだが)とキーボードの音色も、何だか釈然としない感じを受けた)。その後服を着替える際に、ライブ音源のほうを掛けてみたが、こちらとしては、ライブのほうが明らかに声が拡散せずに密に詰まっており、艶のようなものも微かに感じられないでもなく、歌い方も短く切れてクールだと思われた。
 ゆで卵一つを摂取し、歯磨きや着替えや排便を済ませて家を発つ。往路の覚えはもはやない。労働中は、前日と比べると少々浮足立ったと言うか、急いたところがあったようである。帰り際に、戸口のところで(……)と少々話を交わした。(……)
 帰路も覚えはない。と思ったが、職場を出ると(……)(中学時代の同級生)から久しぶりにメールが届いていたのだった。一月三日に飲み会をやるけれどお前も来るかという用件だった。正直なところ、全然話は合わないと思うのだが、(……)との間柄はわりと昔からそのような感じではある。誘いの一通には(……)(下の名前は確か「(……)」だったと思うが、漢字がわからない)の名前が出してあって、彼は中学時代、「勉強ができる」ほうの階層に属していた人間であり、大学も筑波大学かどこかに行って、確か院まで進んだのではなかったか? (……)とならば多少はこちらの興味を惹く類の話もできるかもしれないとこの時思ったのは事実であり、(……)もおそらくこちらの気持ちを惹くように敢えて彼の名を選んだのだろう。せっかくの誘いであるし何はともあれ行ってみるかと決めて、返信をしながらほかに誰が来るのかと訊いてみると、(……)(漢字がわからない)、(……)、(……)の名が返ってきた。(……)は何年か前の年末に同じような飲み会があった際に顔を合わせている(その時の会は大層退屈だった覚えがある)。(……)と(……)は中学校卒業以来、きちんと顔を合わせるということはなかったのではないか。果たしてこのような面子のなかで自分が場違いにならないか疑問なのだが、まあ別に黙って飯を食いながらその場にいるだけでも良いだろうと思う(黙っているのは得意なほうである)。何だかんだ言っても誘いを貰えたというのはありがたいことだと思うものだし、何かに誘われたからには気持ちが引けない限りはともかくも顔を出してみようかというスタンスで今のところはいる。一人で本を読んだり音楽を聞いたりするのも良いが、具体的な生身の人間と会って話を交わし、いくらかの時間と空間を共にするということはやはり、非常に多くの意味/情報/知覚を生むのだ。したがって、どのような方向であれ何らかの形で思考を駆動せしめるだろうし、たとえ退屈だったとしても日記に記すことの一つくらいは見つかるだろう。また、こうした世のいわゆる「本流/本線」に大方うまく乗って生きてきたであろう人々(本当にうまく乗っているのかどうか、それは彼ら自身にしかわからないが)と比較して、自分はそこから結構逸れた道行きを辿ってきたし、これからも辿っていくだろうという自覚があるものだから、こちらにとっては一種の明確な「他者」であると思われる彼らのものの見方や考え方を垣間見ることで、この世の中の大勢を知ったり、自分の位置づけを確認したいという気持ちもある(つまりは文化人類学的な興味ということだ)。
 帰ると他人のブログを読んで、食事を取る。カレーの残滓がこびりついた鍋を利用して作ったカレーうどんである。(……)一人きりの静かな居間で安息しながらものを食べた。その後入浴を済ませ、零時を回ってまた他人のブログを読んだあとは、油断して長くだらだらとしてしまった。書き物は諦めて、三時前から音楽を聞く。Bill Evans Trio, "All of You (take 2)"、Art Tatum, "Tiger Rag", "How High The Moon", "I Know That You Know", "Tatum Pole Boogie", "The Kerry Dance", "The Man I Love"(『Piano Starts Here / Gene Norman Presents An Art Tatum Concert』: #3,#5,#9,#11-#13)、Miles Davis, "The Man I Love (take 2)"(『Miles Davis And The Modern Jazz Giants』: #1)である。そこから一時間弱読書をして、瞑想もこなし、四時四五分に就床した。

2017/12/19, Tue.

 九時になるころに一度覚めて、ふたたび寝付いてしまったが、この朝は一〇時五分には瞼をひらいたままにすることができた。前晩に、とにかく睡眠というものを無理なく短くしたいと強く願っておいたのが頭に働いて、目をひらこうとする意志を強くしたのかもしれない。睡眠時間としては相当に久しぶりのことだと思うが、六時間台に留まった。ダウンジャケットを羽織り、窓をひらいて瞑想を行う。犬の吠える声が遠くから聞こえ、それに重なるようにして幼児の声もどこかで立っていた。二五分を座ると上階に行く。前夜の残り物(ベーコンとエリンギとピーマンの炒め物など)を温めて卓に並べる。ものを腹に入れながら新聞を読む(「パレスチナ イランと会談 検討 米と関係悪化 不可避」(九面)、「「首都」認定 独で抗議 政府「反ユダヤ主義」警戒」(九面)、「在パレスチナ大使館 東エルサレムに開設 トルコ大統領意向」(九面)、「欧州の選択 カタルーニャ問題: 独立への賛否 拮抗 州議会選 過半数へ「中立派」カギ」(九面)、「駆逐 「イスラム国」5: ネット 組織拡大の要 戦闘映像 「劇的」に編集」(八面)、「立民、独自路線に固執 民進・希望の統一会派 警戒」(四面)、「憲法考5: 与野党合意 模索の自民」(四面))。窓の外に見える山の姿は、まだ正午前で陽が高く光線が傾かないのだろう、朗らかな色に霞まされることなく、むしろやや青く沈んだようになっていて、そうした様子を目にしたのも考えてみれば久しぶりのことである。食事を終えると風呂を洗い、自室に帰った。
 正午前から早々と日記を書きはじめたのだが、しばらくすると人が帰ってきた物音がする。この日、母親は(……)(母親の妹=叔母)と一緒に墓参りに行っており、それを済ませて戻ってきたのだ。挨拶に出向かずに打鍵を続けていると、そのうちに呼ぶ声がするので中断し、机上に溜まっていた新聞を一気に抱えて上階に行った。階段を上って居間に出ると、すぐ前、卓の脇に(……)がいたので、相手が振り向くのを待ってお世話様ですと挨拶をして、室の隅に新聞を片付けておく。卓上にはオリジン弁当で買ってきた幕の内弁当や食器類が並んでいて、団欒の気配だが、こちらは先ほど食べたばかりなので弁当は食わないと明言した。しかしそれで室に去ってしまうというのも味気がなかろう、汁物を熱して二人分よそり、卓に並べたり、サラダの皿を運んだりして、こちらも食卓に就いた。母親と(……)は小さなグラスにビールを注いでいたが、こちらのそれはジュースを飲む気にもならなかったので空の状態、しかしそのまま乾杯が始まってしまったので、空のものを打ち合わせるという妙なことになった。腹はほとんど減っていなかったので、漬け物などをちまちまとつまむ。
 例によって会話にはほとんど参加せず、向かいで母親と(……)が話しているのを散漫に聞いたり、テレビが映し出しているNHK連続テレビ小説を見やったり、窓の外をぼんやりと眺めたりしつつ、白菜の漬け物を一枚一枚薄く剝いで口に運ぶ。(……)それで、例えば一〇代から二〇代に掛けての数年間というのは、外形的にも非常に変化の激しい時期として良く言われると思うが、五〇代から六〇代の、老いに差し掛かる頃の数年というのもことによっては、劣らず変化の甚だしい時間なのではないかなどとちょっと思いもした。ほか、朝晩歩いているという生活習慣の話があったり、のちにエネルギーを補給しに来た時に聞いたものもここにまとめてしまうと、(……)が(……)やはり一緒に歩いているという話があったり、(……)の会社の人間関係のことが聞かれたりして、最後のトピックは少々細かく書き付けておきたいような気もするが、今はそうするだけの意志が湧かない。あとは、テレビの話になった時に(……)が、具体的な番組名は忘れたが二つくらい名前を挙げて、それが週末の楽しみ、と口にしたのを聞き、自分には「週末の楽しみ」というような発想がまったくなかったなと気づき、ちょっと驚いたというか、新鮮さのようなものを感じた瞬間があった。こちらとて、日曜日は労働がないから気持ちが楽になるというくらいのことはあるけれど、基本的に平日だろうと休日だろうと、一年中どの日であろうと、自分の生活の中核は書くこと・読むこと(場合によってはさらに聞くこと)であり、毎日の中心が変わらないので、平日/週末という区別がそこまで截然としていないのではないか。(……)などの場合は、平日は家事やパートなどの義務的な事柄に大方占領されてしまい、言わば「オン」の日が続くので、「オフ」である週末の土日が気の休まる、趣味的・娯楽的な時間として際立ってくるのだろう(「普通に」働いている世の大抵の人々の生活意識は、多分大方そのようなものなのだろう)。
 一時になったところで区切りとして、食器を片付けて自室に戻った。そうしてふたたび、一二月一八日の記事を綴る。二時前で止め、そこから運動を始めるまでのあいだに二〇分ほどあるのだが、このあいだに何をしていたのか定かでない。その後、Robert Glasper『Black Radio』を流しながら運動を行い、身体がほぐれると上階に行った。二時半過ぎだった。ゆで卵と即席の味噌汁を摂取しながら、上に記した話などを聞いた。ものを食べ終えると、母親と(……)が茶かコーヒーを飲みながら談笑し続けている傍ら、炬燵テーブルの上に台を出してアイロン掛けを行った。済ませて下階に戻ると歯磨きをして、その後便所に入って糞を排泄していると、上階から(……)がこちらの名前を呼び、またね、と言ってくるのが聞こえる。ひとまず返事をしながら急いで尻を拭き、水を流して室を出ると手を洗って階段を上った。そうして玄関に出て行き、帰途に就こうとする(……)を見送る。また遊びに来な、と言っても皆いる日があんまりなくて誘ってやれていないけれど、と言うのに、誘ってくれれば(……)の相手をするよ、と返して一緒に笑ってから、別れた。そして下階に戻り、Oasis "Wonderwall"を流しながら着替えて、出勤に向かう。
 三時半である。陽はまだ山の前にいくらか残っている。街道を越えて裏通りに入ると、森にも暖かい色が掛けられており、空は見た限り雲の残骸も見えず晴れ晴れとしている。視線を上げて、色づいている森のほうを眺めながら進む。家並みの合間に、先日一軒の崩されて空になった敷地が現れ、前に見た時には塀に囲まれたその奥の角に柚子の樹だけが残っていたが、この日にはそれももうなくなっており、その一角の土の上に樹や葉の残滓だろうか、粉を振りかけられたようにちょっと色の変わった部分が見られた。首を横に曲げてそちらのほうを見るままに過ぎると、線路の上の電線のあいだを上下に繋ぐ金具が光を溜めて輝く。顔の向きを前に戻すと、今度は反対側の広い空き地に接してある一軒のガラスに陽が移って膨らみ、進む歩に応じてそれもすぐに見えなくなったと思えば次には右手の背後のほう、家々に隠されていた太陽の本体が西空に出てきて視界の端から眩しさを送り、左手に続く白い塀が投射された明かりで仄かに色づいていた。
 労働中については特にない。この日は長丁場だったが、前日と同じくほとんど心を揺らすことなく、落着きを保って過ごせたと思う。しかし疲労のほうはこごって、終わる頃には頭痛が始まっていた。それで帰路は長く歩かずに電車に乗ってさっさと帰ってしまいたかったのだが、間に合わなかったので結局冷え冷えとした夜の路地を行く。「実践的芸術家/芸術的実践者」、ヴィパッサナー瞑想―言語化・対象化・相対化・メタ認知―精神の平静―観念の解体―ある場/瞬間における意味・力・作用の網目を把握してそこに介入すること、などといった一連のテーマについて、歩きながら思いが巡ったが、それらに理路を付けて記述するのは面倒臭い。
 帰宅する。日記の読み返しをしている。二〇一六年一二月八日の記事なのだが、この日の夜には「マツコ・デラックスナインティナインの矢部が、ゲストを招いて話を聞く番組」を目にしており、そこで「桑島智輝」という、安達祐実の夫であるカメラマンの「プロジェクト」を知って、多少の感銘を受けている。それは妻たる安達祐実の写真を生活の折節に撮り続け、彼女が死んで棺桶に入ったさまを写真に収めるところまで行って、安達祐実「全記録」のようなものを拵える、というようなものなのだが、言うまでもなくこうした試みは、死ぬまでのすべての一日を余さず記録に残したいというこちらの欲望と響き交わすところがあるわけである。桑島氏の試みは、この一年前の番組収録の時点で写真にして二万三〇〇〇枚を数え、アルバムで七五冊目が進行中だということだった。写真によって他者の断片を切り取り続ける彼の試みは順当にうまく行くと「完結」してしまうのだけれど、日記というものは自分の死を記録することができないがゆえに決して完結せず、どうあがいても中途半端なところで未完になることを運命づけられている、それが日記の良いところだなどと書いているが、現在から見るとこうした考えはやや単純過ぎるようにも思われる。その周辺の記述をこの日の日記にも引いておき、食事を取りに行った。晩餐は昼に食べなかった弁当で、一つ一つの具材を口に運びながら、何か妙に美味いな、という感じがした。
 その後多分入浴して、室に帰ると瞑想をする。昨日(一二月二〇日)は怠けてしまったが、風呂を浴びたあとの身体が温まっている状態で瞑想をするという習慣を取り入れるとより良いのではないか。そうして零時を越え、少々本を読んだあと、それぞれ三〇分くらいの単位で遊び、文を書き、その後音楽を聞く。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "Gloria's Step (take 3)"、THE BLANKEY JET CITY, "僕の心を取り戻すために", "胸がこわれそう"(『LIVE!!!』: #3,#12)、Art Tatum, "Yesterdays", "I Know That You Know", "Willow Weep For Me"(『Piano Starts Here / Gene Norman Presents An Art Tatum Concert』: #8-#10)、Wes Montgomery, "Four On Six"(『Smokin' At The Half Note』: #4)で四五分ほどである。三テイクある"Gloria's Step"はこのテイク三が一番面白いような気がする。冒頭の無闇な三連符の連打からして明らかだが、Scott LaFaroの演奏のテンションが何だか高いようで、「蛮勇」とも言いたくなるような振舞いを見せているからである。Wes Montgomeryは、その前に"Willow Weep For Me"を耳にして、Wesのこのアルバムでも演じていたなと連想が働いたのだが、しかしその曲ではなくて"Four On Six"を聞いた。久しぶりに流したものだが、改めて聞いてみると例のオクターブ奏法がこんなに滑らかだったかと少々驚かされる。ソロの途中に半音ずつ推移して行く場面や、終盤ではスライドを繰り返す場面があったと思うが、乱れや途切れ目がまったくなく良く滑る質感だった。
 音楽を聞いたあとは(……)四時前から本を三〇分ほど読み、瞑想をしてから床に就いた。

2017/12/18, Mon.

 前夜の就床時に三〇分の長きに渡って瞑想を行って(背や脚に汗が湧いてぷつぷつとした刺激を感じるくらいだった)心身を静めてから眠ったはずなのだが、起床は例によって正午を過ぎてしまった。一応、瞑想のために目覚めが軽くなるということはあって、八時頃か早い時間から何度か覚醒があったのだが、やはり身体を起こすことができない。ここを何とか解決しないと、睡眠時間の削減はいつまで経っても望めはしない。起きるとダウンジャケットを羽織って、一二時半前から枕に座った。二〇分を掛けて心身の調子を整えると、上階に行く。
 洗面所で顔を洗い、髪に水をつけて寝癖を押さえておくとともに、嗽をした。(……)新聞からは、「車いす男性射殺に怒り ガザ衝突 イスラエル軍が発砲」と「駆逐「イスラム国」4 過激派 アフリカ侵食 貧困・政情不安 つけ込む」という二つの記事を読んだ。食後、息をついて窓のほうをぼんやりと見やれば、光の豊かな晴れ空の昼であり、山の姿が薄いようになっている。なかに少々、明るめの丹色が疎らに差し込まれている。
 風呂を洗(……)。そのまま洗濯物を取りこんで畳んだあと、下階に帰る。ほとんど間を置くことなく、二時直前から日記を書きはじめた。いい加減、一六日の分を仕上げなくてはという気持ちがあったのだ。一時間半を費やして完成させ、ブログに投稿した(……)運動を行った。tofubeatsの曲が流れるなか、息を長く吐きつつ、自分としては結構念入りに柔軟運動を行ったつもりである。ベッドの上で身体を前に折り曲げながら深呼吸をしていると、いわゆる「インナーマッスル」と呼ばれている深層の筋肉(これが一体どのようなものなのかまったく知らないが)が動くのだと思うが、おそらくそれに連動して上半身の表面に近いほうの肉もそれぞれに蠢くのが良く感じられる。
 そうして上階に上る。ゆで卵と即席の味噌汁を食べていると、インターフォンが鳴る。(……)
 それにしても、(……)の例を見るにつけても、きっと多くの人間の場合、「実存の危機」と呼ばれるような類の事柄が人生のうちで一度は到来してくるのだろうなと思われるものだ。自分の場合は比較的早い時期にそれに遭遇し、一応乗り越えて来たつもりだが、これはおそらく年齢にはあまり関係なく、人によってどんな年代にあっても生じる可能性があるのだろう。これはまた、いわゆる「承認」の問題とも密接に関連しているはずだ。(……)の場合、以前は非常に活発な人で、声も大きく、ともすればがはは、という笑い声の擬音が似合いそうなイメージすら残っており、そのように外向的な性分だったのでやはり多くの人と付き合うあいだにあって居場所を得ていたのだろう。あちらの事情を詳しく知らないのでこれは根拠のない推測でしかないものの、こちらが考えるにおそらく、年寄るにつれて身体の調子も奮わなくなってくる、周りでは死ぬ人も出始める、それまでの仲間との付き合いも薄くなっていく、さらに家庭内ではあまり重んじられている実感が持てず、冷ややかに当たられて孤独を抱える、とそのような要因が重なってどんどん気持ちが暗くなっていったのではないだろうか。それまで多くの人々との付き合いのなかに安住して、そうしたあり方しか知らなかった人間にとって、孤独と疎外のなかに放り込まれれば、それは鬱病(あるいは本人が言うところの「ノイローゼ」)に陥ることだってあっておかしくはない。自分で自分を大部分「承認」できれば話は早いはずだが、多分そうしたことは多くの人間にとっては難事なのだろう。
 そうした話は措いて、(……)を送って帰ってきたあとは、外出の支度を始めた。歯磨きをして服を着替えると、四時五〇分頃に出発した。当然だが、寒い。坂を上って辻まで来ると、ちょうど行商の八百屋のトラックが入ってきたところで、車を停めて降りてきたそちらに挨拶を投げて、ほんの少し言葉を交わしてから過ぎた。街道を行き、裏に入る。道中、特段意識に留まった事柄はないようだ。前日にも考えた「瞬間の芸術作品化」とか、「目撃者の生産」というテーマ周辺の思考を反復して思い巡らせていた。
 (……)
 帰路も特段のことはない。勤務の終わりに、ボランティアとして(……)をちょっと手伝った。こちらとしては(……)の助けになればと思ったのだが、これは時間外勤務(残業)を自ら進んでやったことになり、電通の問題などがあって「働き方改革」とやらがかまびすしい昨今、会社のほうでもそのあたりには敏感になっているだろうから、(……)の立場からすると、かえってありがた迷惑だったかもしれないなと、そのようなことを考えながら帰った。
 着くと着替えてすぐに食事を取る。夕刊から、「「エルサレム首都無効」決議案 エジプト提出 安保理 米の拒否権必至」という記事を読む。そのまま風呂に入る。出ると一〇時前、部屋に戻って瞑想をする。(……)を読み、インターネットを少々回ってから音楽を聞き出す。Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "Detour Ahead (take 2)"、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5)、THE BLANKEY JET CITY, "僕の心を取り戻すために", "胸がこわれそう", "RAIN DOG"(『LIVE!!!』: #3,#12,#13)、Art Tatum, "Tea For Two", "St. Louis Blues", "Tiger Rag", "Sophisticated Lady", "How High The Moon", "Humoresque", "Someone To Watch Over Me"(『Piano Starts Here / Gene Norman Presents an Art Tatum Concert』: #1-#7)、Bill Evans Trio, "All of You (take 3)"で一時間強。入手したものの耳にできていない音源をがつがつと貪欲に聞いていきたいと思うものだが、まずは最近図書館で借りたものから触れてみようということで、半端に聞いていたArt Tatumのアルバムをもう一度聞きはじめた。冒頭の四曲は一九三三年の音源で、『Piano Starts Here』などというタイトルになっているが、むしろこの時点で既に、ある一つのピアノ演奏の形というものが終わってしまっているのではないかと思われるほどである。音を詰め込みすぎているとか、膨張的に過ぎるとか、きらびやかな駆けくだり/駆けあがりの反復が多すぎて「くどい」とか、そうした感想も諸々生じるのではないかとは思うが、それを含めてもこちらとしてはやはり凄いと言わざるを得ず、この路線ではもうこれ以上先には進めないな、ここから引き返して方向転換を図らなければならないなという地点に多分至っているのではないか(ピアノという楽器に触れた経験がほとんどないので、至極曖昧な印象に過ぎないが)。"Tiger Rag"を聞いているあいだには、ほとんどテーマパーク的な演奏だとの形容/比喩が浮かんだ。音楽を聞きはじめた時には意識に眠気が薄く混ざっていたようだったが、Bill Evans Trioを通過すると頭が晴れてきて、目を閉じて集中しているあいだ、次第に身体も軽くなってきたようで、終わりにもう一度"All of You (take 3)"を聞くと、最初とは格段に違った鮮明さで楽しむことができた。
 音楽を聞くとちょうど零時である。日記を書きはじめる。一二月一七日の分を完成させ、この日の記事も少々記す。そうして一時四五分、読書に入った。三時一五分まで一時間半を過ごして、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』はこの日、二一八頁から二五一頁まで読んだ。瞑想を一七分間行って就寝である。

2017/12/17, Sun.

 一二時四〇分起床。瞑想をして上階へ。(……)飯は何を食ったものか覚えていない。新聞からは、「平成時代 両陛下の道 中: 日本への視線 和らいだ」、「エルサレム首都 「命に代えても抵抗」 パレスチナ衝突 死者8人に」、「極右政党 連立政権入り オーストリア 第1党と合意」という三つの記事を読んだ(三つともすべてこの時に読んだわけではなかったかもしれないが)。食事を終えて皿を洗っている最中だったと思うが、電話が鳴ったので出ると、花屋だと言う。(……)(母方の祖父の姉妹のうちの末っ子。/こちらからすると大叔母に当たる。七一歳か二歳かそのくらいだと思う)からお届け物があって午前に訪問したが出なかったので、良ければこれから伺いたいが、とのことだった。こちらも父親もまだ寝ている時間だったのだろう。確かに、寝床にいるあいだにインターフォンが鳴るのを聞いた覚えがあった。記憶ではインターフォンは二回鳴ったものであり、そのうちのあとのほうの際には父親が起きていて、別の宅配便を受け取ったようである。その贈り物が卓上にあって、電話を終えたあとだったかそれともその前だったか、確認するとこれも(……)からのものだった。父親の誕生日ということで、いくつも贈ってきてくれたものらしい。花屋の申し出については了承し、どうもお手間を取らせてしまってすみませんと告げ、相手が失礼しますと引いていくのに合わせて、こちらも失礼しますと言って通話を終えた。
 その後風呂を洗い、一度自室に戻って日記の読み返しをした。二〇一六年一二月七日の分を一〇分で読むと二時に至ったので、洗濯物を取りこみに行った。ベランダのものをすべて室内にいれ、吊るすものは吊るし、タオルや肌着など畳むものは畳み、アイロンを掛けるものには掛けて始末を付ける。確かその途中で母親が帰ってきたのだと思う。花屋から電話があったということを伝えておき、洗濯物の処理を終えると室に帰った。三時直前だった。休日の気楽さに心が緩んだようで、ここから五時前まで遊んでいる。(……)
 五時近くになると夕食の支度をするために上階に行った。作るのは、巻繊汁の類である。台所に入り、里芋の皮を向いて切り分け、そのほか玉ねぎ、人参、牛蒡、椎茸なども細かくして揃えた。野菜を炒めはじめる冒頭、油を熱した鍋のなかに生のニンニクを刻んで放り込むと、途端に香り高い空気が立って鼻を快く刺激する。弱火でしばらく炒めて良いところで水を注ぐと、鍋つかみで両手を覆い、露芯式のストーブの上に運んでおいた。下から寄せられる熱によってじっくりと温められて、そのうちに勝手に煮えているというわけである。
 そうして下階に戻ると、五時半から前日の日記を記しはじめた。外出してコンサートを観覧したので当然書くことがたくさんあり、間を挟まず三時間を費やしたものの終わらない。身体がこごったのでベッドに寝転がって三〇分間読書をして(パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』)、そののち軽く運動もすると食事を取りに行った。(……)その後、入浴したと思う。食事のあいだから入浴中に掛けて、一連の思念が展開された。哲学という営みは概念(の形/組成)を更新/アップデート/改良/創造するものであり、小説(あるいは文学/もしくは芸術と言っても良いのかもしれない)はそれを具体的な形でこの世に存在させる(つまりは具現化する)ものなのではないかという思いつきが最初に(テレビに映し出されている韓国ドラマを見ているあいだに)あった(これ自体は特に目新しい考えではないと思うが、こちらは今までこのような「言い方」をしたことがなかった)。そこから、「具現化」のテーマを(「現実」の領域へと)敷衍させて、「生/瞬間の芸術作品化」という主題に接続し(二、三年前だろうか、New York Timesのインタビュー記事でコーネル・ウェストが(確かJohn Coltraneを引き合いに出して)述べていたものだが、人間存在自身が「希望になる[﹅3]」という考え方(「体現」のテーマ)を想起した)、さらには(芸術家が)「目撃者」(であること)、及び「目撃者の生産」という類のことにまで繋げて思い巡らせたが、その詳細をいま再構成することは面倒臭いので行わない。
 室に戻ると、一服しながらインターネットを覗いていたのだが、ここからまた凄まじく怠けることになった。(……)二時半に至ったので書き物はもう遅いなと翌日に回すことにして、寝床に仰向けになって読書をした。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を、この日は一八三頁から読みはじめて二一八頁まで進めた。四〇頁近くも読んだのは久しぶりのことで、最近は書き物もそうだが、怠惰のために読書の時間も全然取れていないというのが問題である。決して読み急ぐ心はないが、この本はさほどこちらの頭と心身を刺激するものではないので、黙々と通過してしまい、さっさとミシェル・フーコーあたりの文献を読まなければならないはずなのだ。
 三時四〇分で読書を切り上げ、三〇分間瞑想をして就床した。寝床での記憶は特にないので、すぐに寝付いたのだと思う。

2017/12/16, Sat.

 三時から武蔵境で、Fabian Almazan & Linda Ohのライブを控えていた。と言うことは大方一時過ぎくらいには家を発つ必要があるから、余裕を持って一一時には起きたいと目覚ましをセットしておいたはずが、鳴るのを聞いた記憶がない。それでも一応一一時には一度目覚めたのだが、起き上がる力は湧かず、布団のなかで深呼吸をして身体の調子を調えているうちに、正午に至った。さすがにそろそろ起きなければまずいなと時間の認識とともに微睡みが破れて、身体を起こすとダウンジャケットを羽織り、そのまま瞑想に入った。一八分間を座って、洗面所で顔を洗ったり嗽をしたりしたあと、上階に行く。
 母親がカレーを作っておいてくれた。時間にあまり余裕がないので少なめに皿によそって、新聞もさほど見入らずに食べる。(……)ものを食べ終えると食器を片付けて、下階に帰ると歯磨きをしながら電車の時間を調べた。やはり一時過ぎには出ることになる。この時点で一二時四五分かそこらだったのではないか。歯磨きも短く済ませて口を濯いでくると、Oasisの楽曲を流し、服を着替えた。ベージュ色の地に黒く小さな模様が点々と散らされてあるジーンズを久しぶりに履きたくなったので、それを身に着ける。上は淡青が基調のチェック柄のシャツに、カーディガンを挟んだ上からモスグリーンの(もうだいぶ色褪せている)モッズコートを羽織る。そうして上階に行く(……)。風呂を洗うと、一時一〇分頃に出発した。
 まだ陽が十分に照っており、寒さはない。街道へと向かう。足もとに映るガードレールの影が、輪郭をくっきりと締めているような気がする。青みはない(夏にはあっただろうか?)。街道から一度裏に入ったが、しばらくすると陽射しを求めてまた表へ戻る。空は南や西に雲も見えるものの、晴れ晴れとした明るさに浸っている。横断歩道で止まって南の空に視線を向けると、光の感触が瞳に眩しかった。電車に遅れないように、歩調はやや速めだった。前日にも感じたものだが、左胸の鎖骨の下のあたりが周期的に痛む。前日には肺かと思ったが、呼吸に連動しているわけでなさそうなので、違うのではないか。血管が詰まっているのだろうかなどと考え、また、自分はこれでふとした瞬間に死ぬのではないかなどと、大方それはないだろうとはわかっていながらもそう思ってしまうのがこちらの性分なのだが、しかしそうと言ってどうすることもできない。痛みが生じるそのたびに目を向けながら、駅へと向かって行く。
 駅に入って電車に乗り、座席に就くとまず持ってきた手帳にメモを取った。前夜の入眠時の不安のこと、また朝起きて以降の流れのなかで記憶に引っ掛かっている事柄を断片的に記していく。そうしてから、本を読む気にならなかったので、ライブに備えて気力を温存しておくかと目を閉ざした。夜更かしをしたから眠りが足りなければここで眠ってもと思ったが、道中、意識を落とすことはなかった。明確な不安とも緊張ともつかないが、何か身体(肌)を覆うものの感覚があり、呼吸をしながらそれが高まっていかないか見張るような感じがあった。ここ最近、認識が明晰さを増していると感じられるのだが、そのために以前は見逃していたような情報(意味)の薄片を多く感知してしまい、それでかえって精神が浮き足立つようになっているような気がしないでもない(定かでないが)。九月か一〇月以来、緊急的な一、二回を除いては精神安定剤ももう服用していないのだが、それ以前に何年間も摂取し続けていたわけで、あるいはいまちょうど心身に溜まった薬の残滓が抜けて行くところなのか、心身が薬効のない状態と折り合いを付けつつあるところなのかもしれない、などともちょっと思った。胸の痛みは相変わらず続いていた。周期的に巡るように生じてくるそれに目を向けながら、ここでは何となく、やはり神経的なものなのではないかと感じられた(それから一日経った今日、一二月一七日には、寝起きの微睡みのなか以外ではこの痛みが意識に引っ掛かった覚えがないので、やはり心臓神経症のバリエーションのように思われる)。
 武蔵境に着くと目を開けて降車し、階段を下りて便所に寄った。用を足すとそのまま近くの、西側に当たる改札から外に出る。そうしてすぐそこの武蔵野スイングホールへ向かう(……)。エスカレーターを上がって施設に入ると、手持ち鞄からチケットを取り出し、こんにちはと挨拶をしながら職員に差し出して、資料を受け取る。Fabian Almazan及びLinda Ohのプロフィールが記されたものと、今後の公演予定をいくつか知らせる広告で、なかではやはり来年の四月六日に行われるというKris DavisとEric Levisのデュオが気になる(Kris Davisという人は最近その名を結構見かける気がするところ、ここに載せられた写真を見て初めて女性なのだと知った。迂闊である)。そうして席に就き、開演を待つ。(……)
 午後三時に至って公演が始まる。Fabian Almazanがピアノ、Linda Ohがベースのデュオである。冒頭、ピアノが鳴らされはじめ、しばらくすると聞き覚えのある旋律が判別され、『Rhizome』に入っていた曲だなと思い当たった。五曲目ではなかったかと思ったがこれは勘違いで、実際には最終曲である"Sol der Mar"だった。この冒頭曲ではベースの音量が小さくてあまり聞こえず、演奏としてもそれほど動かずに静かに底を固めることに徹していたと思う。曲に区切りが付くとそのままピアノの独奏に入る。最初はある程度形を保っていたようだったのだが、中途で柔らかく融解しはじめて、少々フリーな感じになってくるのを聞くと、ソロピアノで一枚作品を作ってほしいものだなと思われる。そのまま二曲目に移行するのだが、これも冒頭に聞き覚えのあるフレーズが奏でられる。少々機械的なと言おうか、細かなテーマの曲で、一枚目の『Personalities』の四曲目でやっていた曲だなとすぐに同定される("The Vicarious Life"という曲だった)。これはテーマのキメが難しく、そのあたりの譜割りがどうなっているのかこちらには全然良くわからない。ここではベースが良く聞こえるようになっていた。二曲目に移る前、Almazanがソロを弾いているあいだにOhがアンプのほうに寄っていたので、そこで調整していたのだろう。
 二曲目まで途切れることなく一気に演じられたあと、Almazanがマイクを持ち、次の曲はOhの作曲したものだと告げる。タイトルはSpeech of 何とか、と言っていたような気がするが、良く聞き取れなかった。ここではOhがエレキベースに持ち替えて、Almazanのほうもエレクトロニクスを活用する。導入部のピアノから、基準音の周囲に倍音の泡がいくつも生まれて無造作に浮遊しながら空間を囲むというか、そんなようなイメージを思い起こさせるリバーブの類が掛けられており、じきにベースも音を刻みはじめる。(多分親指で)ルートを刻みながら、時折りコードバッキングを差し挟む。そうしながらOhがボーカルを取りはじめ、英語力の貧困のために聞き取れないものの詞もついていたのだが、歌ものを演じるというのはこちらには意想外だった。この最初の歌のパートは、こちらとしてはあまり乗れないもので、一つには、ベースが複音を弾[はじ]く時のその和音の音色に釈然としないものを覚えたということがある。そのベースの付け方も含めて、曲想としても全体にあまりこなれていないような感を得たのだが、ただ、Ohの歌の合間に差し入れられるAlmazanの装飾はさすがだと思われた。Almazanの座っている椅子のすぐ右手にはもう一つ椅子が用意されており、その上にエフェクター類が置かれ活用されているのだが、ここではある一定以上の高音部のみがディレイとして残響/反復されるという効果が見られ、どのような仕組みでそうなっているのかこちらには全然わからないものの、それをうまく使ったバッキングが折々に施されていた。そのうちにパートが移って(Almazanがエフェクターのスイッチを親指で押す音がかち、かち、と響く)、リズミカルなユニゾンとなり、ボーカルも言語を乗せず、ハミングというか単純な声となって、この箇所のほうがこちらとしては好みだったようである。しばらくその部が続いたあと、初めの雰囲気に戻ってまた歌が始まるかと思いきや、第三部へと突入した(あるいは別の曲に移ったのかもしれないが、ここでは便宜上、一曲として考える)。このパートがこの曲のなかでは最も良く感じられた。と言って、音そのものの記憶としては残っていないのだが、ベースも結構動いて枠内を八分音符で隙間なく埋めながらピアノとユニゾンで歌唱を重ねる、というような構成で、拍子はメモによると、4/4+4/4+1/16と、繰り返しの最終部分にちょっと遊びを加えたものになっていたようである。Ohのベースプレイをたっぷりと聞けたらしい。
 四曲目は、キューバの古いダンス音楽だ、というような紹介をされていた。これも『Personalities』に収録されている、"Tres Lindas Cubanas"である。アルバムでは冒頭がラジオ音源のような加工をされていたあれだな、とすぐに思い当たる。これはやはり非常に楽しく快い音楽で、席に就きながら自ずと身体を左右に揺らしたり、脚を細かく動かしたりしてしまう。ここでは、Linda Ohがウッドベースでのソロを披露していた。ソロに入って初めの頃は、音からはちょっと離れて視覚のほうが一時優位になった。橙色がかった照明にOhの肌が褐色気味に染まって良く映え、指板の脇を動く腕の筋肉の収縮に応じて、細い影が一つの筋となって生まれては消えるのを眺めてしまったのだ。ソロ中、Ohは顔をちょっとしかめるようにしながら瞑目を続けており、そのさまを見ながら、ああ、自分の奏でる音の形を見ているな、と思った。ソロは全体として、あまり速いフレーズに走らず、どっしりとした調子で堂々と、鷹揚に歩き回るという風情だったと思う。Almazanのほうは曲中、ここでは特にパーカッシヴな振舞いが目立って、そうした様子にはCecil Taylorなどを連想しないでもない。
 そこまでで前半は終了、場内が明るくなって休憩を挟む。こちらはトイレなどに立つことなく、席に就いたまま手帳に汚い字でメモを取った。十分に書ききることのできないままに後半が始まる。こちらの冒頭は、『Alcanza』でも"Alcanza Suite"の最初に据えられていた"Vida Absurda y Bella"というもので、これも二回しか聞いていないと思うが、旋律の流れ方が独特なのですぐに判別できた。アルバムではCamila Mezaが歌っているのだが、ここではOhがベースを奏でながらメロディも担当していた。Ohは曲中で一度、弓を持った瞬間があり、ほんの少しだけ弦に触れさせたのだが、まだ曲調が賑やかでピアノの音も厚かったので音がまったく聞こえず、Oh自身もすぐに置いてしまったので、そこでは思わず心のなかで、何やねん、と似非関西弁で突っ込んでしまった。その後、穏やかで静かなパートに掛かるとここでは正式にアルコを披露していた。Almazanのソロ中では、佳境に掛かった頃合いに、破片的/破砕的な(尖った礫[つぶて]を散らばすような)最高音部の強調及びそこからの駆けくだりがあって、これは耳に少々刺激的で印象に残された。
 後半二曲目は、"Blame It On My Youth"である。ピアノのイントロをちょっと聞いたところで、Evans的な叙情曲だなと判断し(「Evans的」などというくくり方はあまりに雑駁に過ぎるのだが)、どうもスタンダードらしいぞと続く進行から聞き分けられ、タイトルの歌詞が出てくる部分で自ずと旋律に言葉が嵌め込まれて、曲を同定するとともに、そう言えばBrad Mehldauもやっていたなと余計な(?)記憶がついてきた。演奏としてはオーソドックスで安定的なもので、こちらの感じ方としては、特段に際立った箇所はなかったように思う。
 三曲目はAlmazanがMCで、今日この場で皆さんに対して披露するのが最初です、というようなことを言っていた(例によって曲名は聞き取れなかった)。前半と同じく、この三曲目ではOhがエレベを持ち、全体的な曲調としても似た雰囲気だったように思う。確かピアノが三拍子単位(あるいは六拍子単位)のフレーズを奏でるところから始まったのではなかったか。それにベースが五拍子で一単位のフレーズを当ててポリリズム的にやっていたように思うのだが、一方で、テンポをハーフと倍とのあいだで行き来しながらOhの声とピアノでユニゾンを乗せる、というパートもあったはずで、こちらが先だったような気もして良くわからない。その後、Fabian Almazanは、テンションが複雑に織り交ぜられた時特有の、色合いが希薄と言うか、淡色にあたる質感のソロを繰り広げていた。希薄ではありながら、全体的な調子としてはダークではなく、柔らかく明るめの、朗らかなもので、昼過ぎの陽に霞んでいる山の姿のあの感じを思い起こすようでもあったが、しかしこれは非常に「文学的な」(具体的で即物的な分析を欠いた内容空疎な)イメージに過ぎない。このような感覚=イメージを音楽から引き出すことはできるのだが、楽理的な知識及び楽器に触れた経験が不足しているために、それを理論/論理に結びつけることができないのだ。
 あまり覚えていないのだが、後半部は五+五+三というような譜割りで、ふたたびユニゾン的な歌唱が聞かれたと思う。そのままベースソロに入ったのだが、テーマでは把握できていたはずの譜割りがソロに入ると途端に掴めなくなり、小節の区分けを見失うことになった。Almazanがつけるバッキングに頼って取り戻そうとするものの果たせず、じきにそのような構成などどうでも良い、外側から与えられる数理的分節など捨て置いて音楽内に内在している動きや時間の流れを捉え、それに沿って秩序を回復するのだと決断し、ベースの音に集中した。そうは言ってもしかし、結局また構成を考えてしまうもので、その後のパートは五拍子だと最初は聞こえたのだが、終盤になって、どうも4/4+5/16ではないかと認識を新たにした。要するに、四分の五拍子に一六分音符が一つだけ付加されている形で、先ほど五・五・三の区分けだと思った部分の「五」の箇所も、本当はそうだったのかもしれない。
 後半四曲目は、初め、『Personalities』の二曲目に収録されている"H.U.Gs (Historically Underrepresented Groups)"だと思っていたのだが、そのうちにどうも違うなと気づかれた。それでも聞き覚えがあるようだったが、帰ってきてからちょっと調べてみても同じ曲と聞こえるものが見当たらなかったので、良くわからない。この曲も譜割りがわからず、ひたすら滑らかに、縦横無尽に駆け巡るピアノに終始圧倒されるばかりだった。
 アンコールでは、Ohがマイクを持って、we would like to play "My Shining Hour", と曲目を紹介したあと、"dedicated to Kohei Kawakami"と言っていたように聞こえたのだが、イベントのプロデューサーか誰かだろうか。このスタンダードはわりと速めのテンポで演奏されて、Almazanのピアノの付け方が細かい。初めはベースが二分で余裕を持っていたが、フォービートに入って当初はAlmazanが走り気味だったようにこちらには聞こえた(ピアノに合わせてテンポを掴んでいたため、ベースとずれてビートからはぐれそうになったのだ)。Ohがやや遅れているのを、じきに二人で調整して合わせていた。ベースソロは、前曲もそうだったのだが、このコンサート終盤に来てOhの演奏に細かいパッセージが混ざりはじめていた。前半を聞く限り、Linda Ohのソロのスタイルというのは、一音一音に骨太に力を込めつつ(弦を弾く時のばちばちという響きはライブのあいだ、至る所で明瞭に聞こえた)、リズム構成を変じて工夫を凝らしながらどっしりと周回する、というのが基本だと思ったのだが、後半ではいわゆる「速弾き」も時折りやっていたようである。ベースソロの後半では、二人で顔を見合わせながらいわゆる「インタープレイ」と呼ばれるようなやりとりも行っていた。
 それで終演である。五時前になっていた。人々が捌けていくのを待ったあと、こちらもホールから出て、トイレに行く。用を足して戻るあいだ、角のところで高年の女性が一人、きょろきょろとしていたので、トイレですかと声を掛け、トイレはあちらに、と来たほうに右手を振りひらいて案内しておいた。そうして通路を戻り、建物を出たところでストールを巻き、エスカレーターを下りる。忘れないうちに、手帳に記憶を記しておきたいと思っていた。施設の地階に入っている喫茶店(ドトールコーヒー)に入っても良かったのだが、外から覗きこんで客入りの様子を窺ってみても入店する気が起こらないので、駅前のベンチに座るかと決めた。それで通りを渡る(小さな女の子が、姉だか妹だかときちんと手を繋ぐようにと母親から(ややきつめに)注意されていた)。右手を向くと西空に、もう消え入る間近の夕焼けの霞んでいるのが目に入る。前回か前々回にここにほとんど同じ時間に来た時には、青さの露わな空の際から紅色の残照がプランクトンの群生めいた薄さと流動性で湧いているのを目にして、大方そんな風に日記にも書き付けた覚えがあるが、この日は空は曇り気味で、季節も進んだから混ざった赤の色素も朧で、全体として澱んだような風合いになっていた。おそらく本来はバスを待つ人々の利用するものなのだろうが、駅舎前のベンチに就く。背もたれがないので前に少々屈んで手帳を抱くようになりながら、記憶を書き付けて行く。終えて立った頃には、五時半くらいになっていただろうか? わからないが、駅に入ってホームに上り、電車に乗った。腹が大変に減っていて、ホームの上の空気が冷たかった。
 電車内では特段印象に残ったことはない。立川で降りる。まっすぐ帰っても良かったが、翌日一二月一七日が父親の誕生日なので、たまには何かしらのプレゼントでも用意するかという気になっていた(と言うか、少々前からこの日の外出に付随してそうしたことを考えてはいた)。途中下車して街に出るのが面倒臭くも思われ、さっさと帰ってこの日のことを書き付けたいという気持ちもあったのだが(日記が長くなるのは必定だった)、世話になっている身であるしその程度の手間は掛けるものだろう、それで父親がささやかにでも喜んでくれるならば、それは決して悪いことではない(むしろ良いことと言っても良いのではないか?)というわけで、階段を上ると改札を抜けた。土曜日の帰宅時、あるいは人によってはこれから街に繰り出そうという頃合いだろうか、人波は厚い。そのなかをすり抜けて広場に出て、通路に入ってエスカレーターで地上に降りると、まず空腹を埋めなくてはというわけでラーメン屋に行った。いつもながらの、「(……)」である(ここ以外にラーメン屋というものに馴染みがなく、新たな店を一人で開拓しようと思うほどにラーメンを愛してもいない)。入店すると食券を買い(醤油ラーメンに葱をトッピングする)、女性店員に差し出すと(サービス券では餃子を頼んだ)、カウンター席のうち、入口から見て目の前の位置に就いた。そうして時折り水を口にしながら、何をするでもなく品が来るのを待つ(こうした合間に携帯電話を弄るということを、もはやまったくしなくなった。と言うか、いわゆる「ガラケー」に電話を戻してからというもの、携帯でウェブを回るということが一瞬もない)。料理が届くと黙々と食べる。この店ではいつも、九〇年代かそれ以前くらいに流行っていたような雰囲気のJ-POP(と言って良いのだろうか?)の類が掛かっているのだが、なかに一つ、昔のアニメソングのような、ヘヴィメタルの風味をちょっと取り入れて(一六分音符で刻まれるギターのリフである)、「コテコテ」という形容が実に良く似合うと思われる女性ボーカルの楽曲が流れて、そのあまりの典型ぶりでかえって耳を惹いた。聞いたことのある曲ではなかったものの、何か音楽の作り方に耳に覚えがあるなと思っていると、Every Little Thingの初期のそれにそっくりなのだなと思い当たった。Europeの真似をしていた頃("Dear My Friend"のイントロに顕著である)の、あの曲想である。
 ものを食べ終えると、ごちそうさまでしたと残して退店し、書店に向かった。路地から通りに出ると横断歩道が青になっていたが、急ぐのが面倒臭いので点滅する信号を前にしながら足を止める。しばらく待って渡ると、高島屋の前を左に折れ、電飾に溢れたクリスマスツリーの横を通って階段を上る。階段の途中に、ツリーのほうに携帯を向けて写真を撮っている男性がいた。ツリーの傍には何のキャラクターなのか知らないが、白い兎の像も形作られている。パーク・アベニューというらしい建物に入る。ここの入口脇にあるSUIT SELECTという店は、こちらは一度も入ったことがないが、いつも本線のモダンジャズがBGMとして流されている。この時耳にしたものは、初めはアルトサックスのように思われたのだが、続いて何故か、Joshua Redmanの名前が脳内に浮かび上がってきた。
 エスカレーターを上って、オリオン書房に踏み入る。父親も、たまには文学作品として呼び慣わされているものの一つくらい、読んでみても良いのではないかというわけで、ヘミングウェイの『老人と海』を一つにはプレゼントするつもりだった。先日英語で読んだところでは、物語としてきちんとした具体性を伴っていて悪くない感触を持ったし、小説作品を読みつけない者にもそれなりに楽しめるのではないかと考えたのだ。それで光文社古典新訳文庫の区画に行って、ほかに並んだものと比べてもひときわ薄いその本を見つける。これを買ってさっさと店をあとにすれば良いわけだが、どうせ来たのだからというわけで、一冊くらい自分のものも何か買っても良いのではないかという欲望が湧いていた。それで岩波文庫の周辺を眺めたり、海外文学の棚を見たりする。書架を眺めていると外国人の女性が二人、何やら話しながら区画に入ってくる。多分フランス語ではなかったかと思うのだが、確かなことは言えない。彼女らは、平積みにされている本のうちから、最近発刊されたポーランド文学古典叢書の一冊、ボレスワフ・プルス『人形』を取り上げて賑やかに話していた。辞典めいて実に分厚く、帯に沼野充義の称賛が記されているあれである。こちらはその後、海外文学を見ていても購買意欲を搔き立てられるものに遭遇しないので、やはり手軽なところで文庫だろうかとそちらのコーナーに戻り、ちくま学芸文庫などの並びを見やった。ここではシュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』という、比較的最近に文庫化された覚えのある著作は欲しいと思ったし、どうせいずれ読むのだからニーチェ全集の一冊でも買っておいても良いかとも思ったが、決断に踏み切れない。哲学の区画に行って『ミシェル・フーコー思考集成』を目にしてみるかと移動する途中、パレスチナ関連の文献を調べておこうと国際政治的な分野の一画に入ると、イラン・パペ『パレスチナ民族浄化』という見たことのない本がある。法政大学出版局からのもので、奥付を見るとこの一一月に出たばかりである。値段も四〇〇〇円ほどで、ぎりぎり許容範囲なので、これではないか、と思った。それでも一応、『ミシェル・フーコー思考集成』のほうも見てみようと棚を移り、手にしてみたものの、やはり六五〇〇円(税抜)には怯む。そういうわけで先の本を買うことにして確保すると会計に向かった。(……)二冊を差し出して文庫のほうを示しながら、プレゼント用と言いますか、と伝える(……)。その後、包装用紙の柄を決めたり、会計を済ませたりしたのち、貰った番号札(一六番)を持ちながらレジカウンターの近くで漫画の区画のほうをぼんやり眺めながらしばらく待った。さほどの時間も掛からずに呼ばれる。品を受け取ると、きちんと頭を下げて礼を言い、店をあとにした。
 SUIT SELECTの前を通ると今度はトランペットの音が聞こえて、Lee MorganFreddie Hubbardだろうかなどと当てずっぽうで見当を付けた。一六分音符で四音単位のフレーズの反復(一音目の四度(あるいは増四度)から二音目で五度に上がって、残りの二音も同じ音を繰り返す)をやっているところで、聞き覚えがあるようにも思われたのだが、もしFreddie Hubbardだったとすれば『Open Sesame』を結構良く聞いていた時期があったから、そのなかに入っている音源だったのかもしれない。建物を出ると、駅に向かう。プレゼントは文庫本だけでなく、ほかに酒を何か買うつもりでいた。こちらは酒をまったく飲まず、世間知というものを持っていないので、酒屋がどこにあるのかわからない。百貨店のなかにはあるのかもしれないが、馴染みのない場所を巡る気もせず、ルミネの地階にでも一軒くらい区画があるのではと当たりを付けて、駅ビルに入った。クリスマスが近いこともあってか、フロアは人々のうねりで実に賑やかである。案内表示を見つつ回ってみたものの、やはりあるのは食べ物屋か洋菓子和菓子の店ばかりである。それでもスーパー成城石井が入っていたので、ここで一本、そこそこの値のものを買っていけば良かろうと定めて入店した。それで日本酒の区画を眺める。先述の通り酒の良し悪しなどまったくわからないから、値段と見た目で決めるほかはないと目を凝らすと、並びに一つ、目に留まるものがある。「夢花火・恋花火」というもので、黒塗りの瓶とラベルに描かれたデザインがなかなか良いように思われたのだ。そのデザインというのは、墨色の円が上下に三つ並んでいるもので、そのうちの真ん中のものは色が薄く、おそらく花火がひらいたさまを模したのだろうか、均一に塗り潰されずに細かな綾が施されていた。銘柄もやや感傷が滲むが悪くはあるまいというわけで、周囲を見てもそれ以上にぴんと来るものもほかになさそうだったので、この一品を掴んでレジに持って行った。
 そうして駅舎内に戻り、改札を抜けてホームに降りる。電車内はまだ人が少なく、座席の端に就くことができた。ビニール袋に入った酒瓶を初めは足もとに置こうとしたのだが、座席の下から出ている暖風に当たると良くないのではと考えて、鞄と一緒に横の仕切りと身体の隙間に挟んでおいた。それでパク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読みながら到着を待つ。電車は(……)だったので、そこまで行くと一度降りて、寒風のなかで本を読み続けながら後続を待つ。(……)に着くとちょうど乗り換えに当たって、速やかに最寄りまで至った。
 帰宅すると買ってきたものを卓上に置く。(……)下階に帰り、着替えると、インターネットを覗いたりこの日の支出や前日の記録を付けたりしてから、日記を書きはじめている。長らく未完だった一二月四日の分である。もう当日からよほど時間も経ってしまったので、書店にいるあいだのことのみを主に記しておき、それで完成として、一四日までの記事をブログに続々と投稿して行った。そうすると一〇時頃だっただろう。入浴に行き、出るとカレーの残りを食って、その後、一一時台後半から日記の読み返しをしている。二〇一六年一二月六日火曜日の分をさっさと読むと、インターネットに遊んで、すると身体がこごっていたのだろう、読書を始めている。『カステラ』を五〇分読み進めて一時半に至ると、瞑想をして二時、そこからまた一時間、書き物を行った。一五日の記事を完成させ、一六日の分もいくらか記しておく(……)。そうして四時に至り、一七分から半過ぎまで瞑想をすると床に就いた。
 夜半過ぎ、室内で煙の臭いを嗅いで、もしや火事でないかと慌てて外を確認するという諸々の流れがあったのを思い出したが、もはや面倒なので詳細は省く。

2017/12/15, Fri.

 覚醒は正午ちょうどである。結構長く眠ってしまったなという感触があった。布団のなかでもぞもぞと動きながら気力が調うのを待ち、一五分になると起き上がって、ダウンジャケットを羽織ると便所に行く前に瞑想を始めた。息を長く吐いて二四分を座ると、上階に行く。(……)洗面所に入って顔を洗い、嗽をしてからフライパンの炒飯を温める。ほか、キャベツを細切りにしたサラダと即席のポタージュも用意して、卓に就いた。新聞からは「米事故機を沖縄県警調査 ヘリ事故 回収の窓は返却」、「憲法考3 国民投票「否決リスク」」、「蓮舫氏、立民入り検討 民新執行部の再建案に反発」の記事を読み、ほか、座間市の殺人事件関連の記事なども、あまりきちんとではないが目を通した。そうして食器を片付けると風呂を洗い、靴下を履いてからストーブのタンクを二つ持ち、外に出た。勝手口のほうに回って、石油を補充する。ポンプが燃料を汲み込んで行くのを、遠くの空や樹々のほうを見やって手を擦り合わせながら待つ。室内に戻るとタンクを元の場所に戻し、手を洗って石油臭さを落としてから下階に下りた。
 いつも通りコンピューターを立ち上げて、前日の日課の記録を付けたり、インターネット各所を覗いたりするわけだが、そのあとにこの日はすぐさま日記を書きはじめた。二〇分ほど記すと二時を越えたので一旦止めて、上階のベランダの洗濯物を取りこみに行った。曇っていた空に隙間がひらいて、やや淡いが確かに色を帯びた陽射しが通りはじめている。そんななかで勿体ないようではあるが干されたものを屋内に入れ、ひとまずタオルのみを畳んでおいてから早々と室に帰った。ふたたびキーボードに指を走らせ、前日の記事を仕上げてこの日の分も書くと、現在三時ちょうどである。
 身体をほぐしに入る。youtubetofubeatsの音楽を流して体操や柔軟運動を行い、この日は大変久しぶりに腕立て伏せもほんの少しだが行った。脚を左右に大きく広げて腰を落とした姿勢のまま、じっと静止して息を深く回すということに時間を取った。こうすると肉体が全体として大層柔らかくほぐれていく感じがするのだ。運動中、呼吸を深くすると左の胸が痛むことがあった。心臓神経症の名残りかとも思ったものの、位置がそれと違うようで、鎖骨の少々下のあたりである。肺にでも何か支障があるのだろうかと目星を付けたが、真相は知れない。それで三時四〇分まで時間を使い、歌をいくつか歌ってから上階に行った。
 (……)勤務から戻ってきた夜に食事を拵えるのも億劫なので、出かける前に何かしら作っておきたかったのだが、歌に遊んでもうその時間もなくなっていた。台所に入り、食器乾燥機に入ったものを戸棚に整理しておくと、ゆで卵を一つ腹に入れた。炊飯器には米がもうなくなっており、これはさすがに炊いておかないと面倒だろうというわけで、笊に米を用意し、釜を水受けにして研ぎはじめた。流水の冷たさに手が凍え、実に鈍く痛む。一度水を捨てると右手を宙に取り出し、芯まで襲う激烈さに耐えてから、ふたたび流水に晒した。帰りよりも随分と早いが、いつも通り六時半に炊けるように設定しておき、下階に戻る。歯を磨く。歯ブラシを動かしながら、僅か一〇分ではあるが本を読む。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を一四二頁から一四五頁まで、そうして口を濯ぎ、Oasisの曲を掛けながら服を着替えた。(……)"Wonderwall"を口ずさんで区切りが付くと上階に行き、靴下を長いものに取り替えて出発である。
 玄関を出ると手を擦り合わせながら階段を下り、ポストを覗いて来ていた夕刊や郵便を屋内に入れておく。そうして道を歩きだす。いつもながらの寒気であり、路程の初めは身体が震えるようでもあった。坂の入口に掛かると下の道の銀杏の樹が自ずと目に入る。枝を晒けた姿のその足もとに、落ちた葉だろうか黄色の地帯が丸く生まれて、樹を囲むようにそこだけ地面の色を変えていた。
 鼻から息をゆっくり出し入れしながら行く。裏路地の途中で、ランニング走者に追い抜かされる。先には警備員が立っており、例の空き地付近の工事が佳境に入っているのか、表へ迂回してくれるようにと走者を誘導していた。警備員の足もとには矢印を記した小さな誘導表示が置かれており、彼の身につけているベストが薄赤く発光している(明滅していたと思う)。こちらの先を歩調定かに行く男性が何も言わずに表示の横を通り抜けて行ったので、入って良いのだろうかと疑問に思って、警備員の前まで来たところで通っても大丈夫なんですかと、片手を前方に差し向けながら尋ねると、出来れば迂回していただきたいと腰の低い声音の返答があったので、わかりましたと快く笑みで受けて道を折れた。
 そうして表の通りを行く。行く手を見通すと、車のライトや信号灯、空間の奥へと連なる街灯の明かりの、無数と言うほどでないが何だかんだで沢山なもので視界が賑やかである。緑に黄色、赤に白と、信号が変わったり車が進んだり横道から折れてきたりするたびにそれらの色が交錯して、(流動的に? 液体的に? 川の表面の水の襞のように?)光の組織/秩序を変容させるそのさまを見ているだけで面白いようだった。人々は(しかし人々とは一体誰なのか?)、ここにこんなにも書き記すべきものがあるということに、何故気付かないのだろうなと思った。見えた色のなかでは信号の青緑が特に気に入られた(厚い印象を与えた/目に(むしろ脳に? 心に?)際立った)ようで、その色に清涼感のような意味素を感じて、何か匂ってくるようだとも思いながら過ぎたのだが、視覚(色)から嗅覚まで刺激が流れ及んで行くこの知覚は一種の共感覚の類なのだろうか。その場で分析したところでは、信号灯の色から何か西瓜やメロンとか、あるいはかき氷(正確にはむしろその上に乗ったシロップのほうだろう)のような夏の風物詩めいたものを連想し、そのイメージが鼻に香りの幻影をもたらしたというところだったように思われる。意味=イメージを仲立ちにした感覚の混線、というわけだろうが、共感覚と呼ばれている現象がこれに類する連想の産物なのかどうか、こちらには知れない。音(聴覚)に色を感じるという感覚は、こちらもある程度まではわからないでもないが(こちらの感覚では、例えばAメジャーのキーは夕焼けのような赤/朱の色を思わせることが多い)、音階の秩序にこのような意味=イメージ(ここでは夕焼け)が付与されるというのは一体いつの間にそうなったのか、そして何によるものなのか?
 そのようなことは余談である(しかしこの日記においては、余談/本題の区別は存在せず、言わばすべてが余談である。/ブログのタイトルは「余談」か「駄弁」でもう良いのではないか?)。表通りをそのまま進んでいると、途中で行商の八百屋のトラックが見える。(……)だなと思った。(……)というのはこちらの宅の周辺にもたまに巡回に来る人で(以前は結構良く来ていたのだが、最近はもうあまり買う人もなくなったようで、自宅の前で姿を見た覚えは長くない)、(……)。こちらが歩んで行くと、集まっていた客ら(大概高年らしく見えた)に対して(……)が、人が通るよと声を掛けてくれる。すみません、とこちらも人々に断りを入れながら踏み出し、(……)にどうもこんにちは、と挨拶をして、これから仕事で、とか少々交わして過ぎた。(……)最近は何だか、人の顔というものを良く見るようになった気がする(と言うか、自ずと良く、鮮明に見えるようになったのだろうか。すなわち、これも世界の肌理が細かくなったことの一環ではないか)。駅前に至ると、尿意が溜まっていたので前日にも入った公衆便所にまた入った。放尿する。隣に来た男性(よく見なかったが、中年以上で、あまり身なりの確かとは言えないような雰囲気だった)が尿を放っているこちらの股間のほうにちらちらと視線を送ってきていたような気がする(気のせいかもしれないが)。出て、ハンカチで手を拭くと職場に向かった。
 上に記した人の顔の見え方もその一つなのだが、労働中の感覚だったり(と言うか全般的に、人間関係、他人とコミュニケーションを取る時の感覚)、自意識のあり方だったり、あるいは時間の感覚であったり、こちらの精神/心理/認識/知覚/感覚、要するに自己自身を含めた世界の見え方/感じられ方が微妙に、しかし明らかに変わったように思われる。自己の生成を、その変容をそんなに微細に感知することができるのか? 疑わしいようでもあるが、しかし実際、体感としては確かなものがあるのだ(確実に思われるのは、これがカフェインを摂らなくなり、瞑想をヨガ式(深呼吸式)に変えて以来の変化だということである)。この点は、感情やら道徳観やら観念の認識やら、諸々の文脈に関わって/繋がってくるのだろうが、これが一体何なのか、それらを総合した一つの考察/分析はまだ自分のなかでまとまっていない。実に微妙なので掴みようがないのだ(しかし大まかには多分、分節の能力が向上し、自分の認識/頭の働きのなかで、言語/論理=ロゴス的領域(?)がさらに優勢になってきたということだろうか。/しかし、「理性」が強くなったとは感じない(「理性」とは一体何なのか、知る由もないが))。
 帰路以降のことは、背中が疲れたので明日のこちらに任せることにする(現在は、一二月一六日の午前二時四七分である)。
 勤務後はこの日も寒いから、本当は電車に乗って早々と帰りたかったのだが、電車の時間に間に合わなかった。しかしいざ夜道を歩いてみると、そこまでの冷気でもないと言うか、身体が震えるほどではなかったように覚えている。辻で左に折れて表に出た。道中、自販機を見やるが、特に買いたくなるものもない。あまり印象のない帰路で、空が曇っていたか晴れていたかも記憶が定かでない。
 帰宅して居間に入る(……)。ストーブを灯してちょっと温まると室で着替えて、この日は足をほぐすことはせずに、先に早めに食事を済ませてしまうことにした。(……)カップ麺の類でも別に構いはしないが、しかしそれではやはり味気ないと、簡便なところで玉ねぎと豚肉を炒めることにした。野菜を切り分けて肉も細かくすると、フライパンに油を熱し、チューブのニンニクをちょっと炒ったあとから投入する。しばらく炒めてから醤油を垂らして、絡めながらまた少々熱し、茶色く染まって出来上がったものを丼に盛った米の上に乗せた。ほかに温かい汁物が何か欲しかったところ、即席のポタージュがあったのでそれを用意して食事を取る。
 食後は多分すぐに入浴したのではないか。(……)
 室に戻ると零時前だったようで、(……)を読んでいる。それからインターネットに遊び、瞑想をしてやや英気を養うと、一時半から日記を書きはじめている。この日の記事を一時間強綴って、その後はまた長々と遊んで過ごした。五時直前に明かりを落とし、瞑想もせずに布団に潜り込む。寝床で呼吸を深くして腹を膨らませたりへこませたりする。夜更かしのために心身の感覚が少々不安定になっていたようだ。深呼吸のために意識が溶けかかっていたところに、外から車のドアをばたんと閉める音がして、それに心臓が驚いたのをきっかけに、胸のほうに意識が寄せられて、心臓神経症の兆候が見られたので、姿勢を横に変えてやり過ごした。その後もまだしばらく、不安が滲んでいた覚えがあるが、じきに眠ったらしい。

2017/12/14, Thu.

 ほとんど掴みどころのないうっすらとした記憶だが、一〇時台、一一時台にそれぞれ一度覚めたのではないだろうか。正式な覚醒は一二時二五分になったが、五時五分からの睡眠として七時間二〇分だからこちらとしてはそう悪くはないと思う。このまま深い呼吸の瞑想を毎日重ねていれば、睡眠もある程度は自ずと短くなっていくのではないかと、そのような予感/見通しはそこそこの確かさで感じられる。心身を平静かつしなやかに保つとともに、できるだけ広範な物事に関心を持ってそれらを自己の内に取り入れ、義務的な事柄もそれなりにきちんとこなし、自らの生活/生を締まりを持った定かなものとして形作って行きたいと望むものである。
 ここ二、三年のあいだは、現在が人生のうちで一番健康であると明確に言える心身の状態を更新し続けている体感があるのだが、こうなってみて初めて健康というもの、また若さと呼ばれるものが実感としてわかったような気がする。パニック障害になって以降は勿論のことだが、それ以前も自分の体調というのは、多分ほかの人々と比べて全般的に低調なほうだったのではないかと今となっては推測される。そもそも、高校生の時分だってあとから考えればパニック障害の前兆だったと思われるような体験はあったのだ。そうした体調の低空飛行ぶりには、やはりナイーヴさ、「傷つきやすさ」、自意識過剰などの心的傾向から来る精神的負荷が寄与していたのではないかと考えるものだが、その点について突っ込んだ分析は今はしない。ここのところこちらが理解できたように思うのは、世の健全なと言うか、元気に溢れているほうの一〇代二〇代の若者というのは、多分こうした/これ以上の心身の(あるいは精神はともかくとしても肉体的)充実を持っていたのだなということで、そうだとすればそれは徹夜もできようし、遊び歩くこともしようし、恋愛にも耽ろうしセックスだって愉しむだろうなと得心される気がするものだ。
 起床時の瞑想は二〇分間行った。目を閉じて長い呼吸を続けながら自分の身体の感覚を注視し、内のほうがほぐれて軽くなってきたなというところで目を開けたのだが、体感としては二〇分以上、三〇分くらいは行っていたように覚えて、時計の進みが短く感じられた。そうして上階へ。(……)前夜の鍋を熱し、そのほか酢と葱を混ぜた納豆を用意する。新聞からは一面の、「伊方原発 差し止め命令 広島高裁 南西130キロ 「阿蘇火砕流 恐れ」」の記事のみを読んだ。そうして例によって食器を洗い、風呂の浴槽も洗ってから下階に帰る。それで一時半だろうか、Twitterを覗いたり(Twitterにはもう大方用はないが、情報収集ツールとしては使えなくもない)、Evernoteに記事を作ったりしてのち、日記の読み返しに入った。二〇一六年一二月五日月曜日を読む。それで二時を越える(……)。読み返しは一日分のみにして上階に行く(……)。まもなく洗濯物を取りこみはじめ(……)、タオルを畳んだ。そうして下階に帰る。一年前の日記に浅田彰の書誌情報をまとめたページがリンクされており、そのうちの映像の欄を見れば、磯崎新を交えてジャック・デリダと鼎談した番組などというものがあったらしく(確かNHKと書いてあったと思うが、凄い時代ではないか?)、youtubeのURLが付されていたのだけれど、もはやその映像は視聴できなくなっていた。そこから触発されて、こちらの見ていない浅田彰の映像はインターネット上に転がっていないかと検索したところ、目新しいものは何もなかったのだが、シンポジウム「ネットワーク社会の文化と創造」というニコニコ動画に上がっているものをまだ視聴したことがなかったので、この機会にちょっと覗いてみることにした。当初はほんの少しだけ目にして書き物なり何なりに移るつもりでいたのだが、結構面白くて止め時を見出せず、玄関前の掃き掃除も怠けて結局そのまま一時間半以上視聴し続けてしまうことになった。浅田のほかには宮台真司斎藤環、それにこちらには初見の名だったが藤橋何とかと言ってアーティストだという人が参加していた(今しがた確認したところ、藤橋ではなくて藤幡正樹という人だった。/現在は一二月一五日の午前二時である)。浅田は例によって司会進行役、そしてほかの三者がそれぞれプレゼンテーションをしてから話を回すというような流れだったが、四分割された動画の三つ目、藤幡がこれから発表を行おうというところまで見て切り上げた。既に四時直前で、出かける支度をしなければならなかったからである。
 上階に行き、(……)ソファに腰を掛ける。(……)ゆで卵を一つ食べて僅かばかりの栄養素を補給すると下階に帰って、歯磨きや着替えをした。着替えたのちに歌を歌っていると、また予定の時間を過ぎてしまう。
 四時四五分過ぎに出発である。(……)萎えきった楓の向こうに、薄青く暮れた空を見る。確か雲が溶け混ざっていたのではないか。(……)辻ではちょうど行商の八百屋のトラックが到着したところで、通り掛かると八百屋の旦那は周囲の家々に到着を知らせて呼びかけているところで(インターフォンを鳴らすわけでもなく、外から「まいどーっ」と声を上げるのみだった)ちょっと距離があったので、挨拶はせずに通り過ぎた。そろそろコートを着ても良い寒気なのだろうが、どうももう一枚羽織って身の周りを厚くする気にならない。裏路地の中途の空き地には例によって保安灯が並べられており、明滅して静かに騒ぐその明かりを手前から見据えると、光の形がものによっては蝶の姿にも映るようだった。
 路程の中ほどから、何となく排便の欲求が滲まないでもなかった。実のところ、家を発つ前にもトイレに行っておこうかと思っていたのだが、時間が遅くなってしまったので室に入らずに出てきたのだった。さほどのものではなくて、別に解消せずとも勤務中、容易に耐えられるだろうとも思われたが、一応万全の状態にしておくかということで、駅前に出る手前で図書館分館へと曲がった。そうしてトイレに入ったところが一つしかない洋式の個室が埋まっている。とりあえず小便器に向かいあって放尿しつつ背後の気配を窺ってみたのだが、携帯電話を操作しているらしき音が微かに聞こえてくるので、これはすぐには出ないなと判断して手を洗い、館をあとにした。ここが駄目だとなると、寒いだろうからなるべくならその手は取りたくなかったが、駅前の公衆便所に行くかと決まった。そうして薄汚れたような暗い建物に踏み入り、個室のなかで便座に腰を掛ける。尻が大層冷たいだろうと思っていたが、予想したよりも全然弱い冷たさだった。足もとは清掃時の水がまだ乾いていないのだろう、濡れてじめじめしており、目の前のくすんだ壁には落書きが見える。こういうところにお定まりで卑猥語の類が連ねられているのだが、それが横にまっすぐ並ぶ文字の二列になったもので、几帳面な落書き者だと思われた。いざ座ってみると糞は腸のなかからほとんど出てこなかったのだが、ともかくも始末を付けたところで、職場に向かった。
 帰路は寒いなかを歩くのが嫌がられたので電車を取った。駅に入って車両に乗り込むと、席の一つに横になっている男性がいる。初老というほどの年頃である。そこから向かいの扉際に陣取り、ガラスに映る男性の姿を窺いつつ、大方酒を飲んだあとだろうが体調が悪くなってはいないだろうなと思っていると、乗り換えの客がやってきた時の物音で目を覚まし、呆けたような顔ではあったが身体を起こしたので、大丈夫そうだと判断した。最寄りで降りて、急がず帰途を歩く。空は曇って淀み、星がない。
 帰り着くと、(……)前日と同じようにストーブの前で深呼吸をして温まり、そうして手を洗ってから室に帰った。服を着替え、コンピューターを立ち上げて他人のブログを読むと、そのまま日記を記しはじめた。ともかくも、なるべく記憶と現在時刻の距離が離れないうちに記録をしてしまうのがやはり肝要であり、書いていて面白くもあるだろうと考えたのだ。その日のことはなるべくその日のうちに記し、記述をそのたび現在時に追いつけることができるのが良い(ずっと以前はそのようにやっていたはずである)。と言ってこの時綴っていたのはまだ前日の一三日のことで、三〇分ほど書いて仕上げると食事を取りに行った。
 (……)食事を終えたあとにこちらは何となく眠たくて頬杖を突きながら目を閉じている(……)食器を洗い、(……)白湯と菓子を持って自室に帰った。(……)風呂を待つあいだにここでは岡崎乾二郎「抽象の力」を久しぶりに読み、ようやく最後まで辿り着くことができた。そうして零時を回ってから入浴に行き、出てくると零時半過ぎ、室でふたたびコンピューターに向かい合い、新聞記事の書抜きを始めた。随分と遅れ馳せだが、一二月六日と七日の版から中東関連の情報を写しておき、すると一時、一二月一四日の記録に移った。一時間行ったところで区切りとして、歯磨きをしてから読書である。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読むのだが、寝転がっているとやはり眠気が湧いてくる。身体を起こしてベッドの縁に座りながら頑張っていたけれど、三時四五分に至ったところでもう眠ろうと決まって、瞑想もせずに明かりを落とした。緑茶を飲まなくなって心身が落着いたのは良いが、眠気のために活動を切り上げなくてはならないのは如何ともしがたい(おかげで入眠に苦慮することもなくなったわけだが)。

2017/12/13, Wed.

 一〇時頃かそれ以前から非常にたびたび眠りの浅瀬に浮かび上がってきたものの、例によって完全な覚醒は正午となる。四時一五分から一二時五分までの睡眠と考えて、七時間五〇分である。布団を抜け出して伸びをし、ベッドに腰掛けて身体を落着かせると用を足しに行った。洗面所で顔を洗うとともに嗽をしておき、放尿してから戻ってくると、瞑想に入った。呼吸を繰り返していると肉体が奥から温まり、体内の流れのようなものが滑らかになって行くのが良く感じられる。唯物的に考えると多分これは血圧や血流の問題であったり、筋肉がほぐれたという証だったり、あるいは脳から分泌される何らかの物質の作用なのだろうが、古人が「気」という概念を考えたのも納得の行くような感覚である。
 上階に行く。(……)食べながら新聞を読む。エルサレムの入植地が拡大と言う。(……)
 食事を終えると食器を片付け、風呂場の束子をベランダの日なたに運んでおいてから、浴槽を擦って洗う。済ませると下階に行き、(……)ベランダに出て干されてあった布団を取りこんだ。そうして白湯を一杯用意して自室に戻る。それを啜りながらインターネットを少々覗いたり、前日の記録を付けたりした。この日も労働が長めの日で出かける時間が比較的早いわけだが、それまでの短いあいだに何をしようかと立ち迷うようなところがありつつも、やはり早々と日記を書いてしまうのが良いかという気になって、ひとまずこの日のことを先に綴った。一時半からここまで記して一時四四分である。前日、一二日の記事はまだ空白のままになっている。
 その前日分を二時過ぎまで綴ったあと、体操をして音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "Detour Ahead (take 2)"、THE BLANKEY JET CITY, "RAIN DOG"(『LIVE!!!』: #13)である。そうして二時四五分、上階に行き、ゆで卵を一つ食べる。食べるその向かいでは母親が、前日にあった着物リメイクの仕事(と言うかほとんどボランティア的な手伝いのようだが)の「宿題」だろうか、ミシンを出して針仕事をしており、針穴に糸を通してくれとこちらにも求めてきたので、二本分、セットを作ってやった。その後、アイロン掛けをしてから支度をして出発である。家を発つ前に、居間のソファに腰を掛けて窓の外をしばらく眺めた。この日は空に雲がいくらか掛かっており、西陽も抑えられているようで、南の樹々に薄い光の感触が少しもないわけではないが明るむというほどでもない。見ているあいだ、その僅かばかりの光のなかに、落葉がいくつか微かな姿でちらちら揺れながら宙を舞った。
 往路、労働、帰路のあいだについては特段に目立って浮かび上がってくる記憶がないので省略する。と思ったが、氷を身の周りに四方に置かれたかのような冷気の帰路に、瞑想の時のような深い呼吸を始めると寒さが結構和らいで、耐えるのが容易になったということはあった。呼吸というものが人体に及ぼす効力を実感する最近の日々である。実際、二〇分かそこら瞑想(と言うか、目を閉じて深呼吸を繰り返すだけなのだが)をするだけで、身体は相当にほぐれて軽くなる。この前の日に見たテレビの内容では、ヨガの呼吸と言っても様々に種類があるらしいところ、一応自分はその一番の基礎という認識でとにかく呼気を吐ききるということを心掛けているのだが、こちらの感じでは吐ききった状態のまま呼吸を停止させるというのが一つのポイントではないかという気がするものである。
 帰ってきたあと、居間のストーブの前に座りこんで、熱風を浴びながらそこでもしばらく深呼吸をしてから下階に行ったのだが、そうすると熱が体内に残っていて着替えで肌を晒してもあまり寒くなかった。他人のブログと自分の過去の日記を読むと、食事に行く。(……)どうやら流星群が見られるという夜だったらしい。こちらとて星見の風情を解する心がないではないが、冷たい空気のなかに長時間滞在するほどの気力もなかったので、食後はまっすぐ風呂に行った。
 出てくると一一時半を回ったくらいだったろうか。記録を見ると、日付の変わる直前から書き物を始めている。前日、一二日の記事を一時間半綴って完成させ、その後この夜は凄まじい勢いで怠惰に走った。三時間のあいだウェブをうろついて、五時を過ぎたところでさすがにそろそろ眠ろうと明かりを落とした。瞑想はしなかったそのかわりに、寝床で仰向けになって深呼吸を繰り返した。そのうちにうまく寝付いたのか、姿勢を横に変えた記憶がない。

2017/12/12, Tue.

 起床、一一時四〇分。この日も四時五〇分の遅きに至って床に就いたが、そのわりに早く起床できて、睡眠は七時間未満に収まった。瞑想中のことは覚えていない。上階に行くと、この日が休みの父親はちょうどストーブのタンクに石油を補給するために外に出たところらしい。台所に入ると、鍋におじやが拵えられていたのでそれをよそって、レンジで熱して食事を取った。「「首都認定」 EUが懸念 エルサレム 外相「2国家共存」強調 ネタニヤフ氏と会談、平行線か」と、「ガザ 報復の傷痕 イスラエル軍 空爆で市民に被害」の二記事を読んだのが多分この時だったと思う。(……)こちらは食後、例日通り風呂を洗い、下階に帰る。
 コンピューターを立ち上げてすぐに、一時過ぎから書き物に入っている。前日、一二月一一日の記事である。(……)一時四五分までで一旦切り上げて、その後まず運動を行った。肉体がほぐれると、そのまま椅子に就いて音楽を聞き出す。Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "Milestones"、THE BLANKEY JET CITY, "胸がこわれそう", "RAIN DOG", "BABY BABY"(『LIVE!!!』: #12-#14)である。"胸がこわれそう"は前日に気に入られたのでもう一度聞いたのだったが、そのあとの"RAIN DOG"も素晴らしいものだった。演奏が非常に密に、強靭に引き締まっていたように感じられた。ベースとドラムの一体性もさることながら、その上に乗る浅井健一の歌唱もぴったりと嵌まっていたように思う。音楽というものは面白すぎる、気持ちが良すぎるなと思った。この世に退屈な音楽、退屈な音など存在しないのではないかと大袈裟に考えてしまいたくなるくらいである。
 二時四〇分まで音楽を聞くと、上階に行った。ゆで卵を食べたはずだ。そのほか確か、肌着を畳むこともしてから下階に戻り、歯磨きに着替えをする。ベッドに就いて歯磨きをする一〇分のあいだに、一二月一〇日の新聞の記事に目を通した。「イラク全土解放 首相宣言 「イスラム国」一掃」と、「国際支援「文明」守る 「イスラム国」一掃 イラク再建 宗派対立課題」の二つである。そうして出るまでにちょっと時間が余ったので歌を歌っていたところが、それが気持ち良くて思いのほかに出発が遅くなってしまったのだった。前日よりも一時間半ほど早く家を出ており、まだ暮れ方までいくらかあるわけだが、空気は既に前の夕刻よりも冷たくなっていた。空に雲が湧いている。街道まで行きながら見上げると、少々鱗めいて粒立った白さが端切れのように付されている。振り向いて見晴らすと西から厚い雲が渡っており、南の空は大方それに占められて青さを隠していた。
 勤務を終えての帰路、前夜は背に風を寄せられた横断歩道を渡りながら、今日は風はないなと確認する。しかし、空気はやはり前日よりも冷たいものになっている。空の東側に雲が残っていて、星の映りがいくらか阻害されていたようだ。その他、特段にいま思い出せることはない。帰り着くと、室で(……)を読んでいる。一〇時半に至って食事を取りに行く。ものを食べているあいだ、テレビは最初、何という番組だったのかわからないが、外国人労働者の使い捨て問題を取り上げたものが流れていたが、そのうちに(……)番組が『グッと!スポーツ』に移った。この日のこのプログラムの内容はヨガスペシャルという趣向で、既に番組も終盤に掛かったところに、インストラクターの女性が出演する。この人は何年か前のヨガの世界大会か何かでチャンピオンになった人物らしく、その時のパフォーマンスが流れるのを見るに、凄まじいものだった。その後にはスタジオでも(相葉雅紀がMCのため)嵐の楽曲に合わせて演技を披露していたのだが、これも同様にとても人間業とは思えないようなもので、その複雑な肉体の動き方を描写するにはこちらの能力が足りないが、例えば、脚を首に掛けたり、股のあいだから顔を出しながら指の力だけで身体を浮かせてみたり、片脚を天に向けて突き上げ、もう片脚と合わせて完全に一八〇度の角度を作ってまっすぐな一本の線のようにひらいてみたり、というものだった。そのように演技をしているあいだ、筋肉が強張って身体が震えるということが一瞬もなく、あくまで滑らかかつしなやかに、重力を感じていないかのような様相を見せるわけである。人間というよりは何か別種の軟体生物のような趣であり、また人体が普段見慣れている人体としての秩序や役割を解体して、その物質性が強調されて目に映ったような気がする。
 この人は、世界大会でのパフォーマンスの時の体験を語って、演技をしているあいだは本当に何も見えなくなるし聞こえなくなる、まさに「無」というような感覚になると言っていた。これは「悟り」と呼ばれる体験/境地について通念的に言われる類の事柄だと思うが、一応こちらも今までヴィパッサナー瞑想を実践して来ていながらも、こうしたことはいつまで経っても良くわからない。と言うか、こちらとしては反対に、何もないという状態がこの世界にはまったく存在しない、ということのほうに驚きを覚えさせられる。意識がどこを向いていようと、人間の脳は常に必ず何かを知覚し、認識しており、意識が失われずに動作している限り、そこには必ず何かしらのものがある(ということはすなわち、何らかの意味があるということであり、言語の生まれる契機が(実際に成功するか失敗するかは別としても少なくともその契機が)あるということになる)という状況がほんの一瞬の断絶もなく[﹅8]常に続くということ、瞑想をしていてもそれを強く実感するものであり、こちらとしてはこれこそがこの世界の神秘とも言うべき事柄のように感じられる(これはおそらく哲学の分野では古典的な問題なのだろう)。つまり、純粋な「無」というものはこの世には存在せず(「何もない」という状況が仮にあったとして、そこには「何もない」という意味が発生している)、それは完全に我々の外部にあるもので、我々は本来、それを思考することも名指すこともできないということではないのだろうか。「神」とか「(自分の)死」とか呼ばれているものも、そうしたものとしてあるのではないかと思うが、しかしこうした思考は単に概念を遊ばせているだけのような気もする。
 番組中ではほかにもヨガの指導者のような人が出てきて、ヨガというのは元々は「くびき」を意味する言葉だと語源を説明していた。軛というとこちらとしてはどちらかと言うとネガティヴな語の印象があるのだが、動物を繋げる道具を指したのが元来の意であり、そこからヨガというのは「結ぶもの」というような意味合いとして捉えられるようになったのだと、ポジティヴな方向の解説をしていた。人と人とを結ぶもの、などといくつか具体的な例を挙げて説明を敷衍する際に、最終的には自分自身と宇宙そのものを結ぶ、と例によってスピリチュアルとも言われるような類の事柄が理想として挙げられていたのだが、こうした主客合一の境地というのはまったく理解できないでもない。主客合一とは少々違うのかもしれないが、最近のこちらの感覚としては、いわゆる自らの「内面」の事柄(及びある程度自らの統御化にある身体の動き/行動)も、こちらから独立してある外界の事柄も、意識の志向性の対象として(というのは自分の場合、書く対象としてと言うのと概ね重なるのだが)ほとんど差がないというか、同一平面上にあるというような感じが(ますます)支配的になってきているのだ。図式的に(イメージを使って)考えてみると、主体が「見る」それと「見られる」それとに分裂し、そのうちの「見る」機能、つまり認識/対象化/相対化/メタ認知の精神機構が優勢になった場合、「見られる」ほうの主体と客体は同じ領域に送りこまれるということになる。自分としては、「主体」と呼ばれているものは本質的には、単に認識する機能ただそれだけの存在というような感じがするのだが、このあたりは哲学的には様々な議論があるのだろう。こうした「主体」の分裂あるいは縮約は、感情の抑制/自己統御/現実感の稀薄さ/主体を「演じる」こと/自分自身で自分を操ること/分身感覚/「フィクショナル」な世界感覚、などといった(長短両面をはらむ)諸々のテーマと繋がりがあるのだろうが、今日のところはこの話はここまでにしておこう。
 食後、入浴し、室へ。インターネットをしばらく覗いたあとに、書き物の前に足裏をほぐしながら読書をする。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を一〇四から一一四頁まで。この時、文章が妙に明晰に読み取れるように感じられ、折々に時計に目を向けてみても時間が過ぎるのが遅いように感覚された。ここのところ全般的に意識/精神が明晰化を増しており、それで音楽なども聞くのが大層面白くなっていて、また、二週間ほど前には煩わされていた不安も感じなくなった。カフェインを摂らなくなったということが、やはり良かったのだろうと思う。
 その後書き物に入り、二時間掛けて一二月一一日の記事を仕上げると、三時半である。ふたたび『カステラ』を読んだが、終盤は眠気に巻かれた書見だった。それで就寝前の瞑想も七分しか耐えられない。四時一五分に就床。

2017/12/11, Mon.

 一二時三五分に起床。二三分間座り、上階へ。冷蔵庫のなかに前夜のカレーの鉢に取り分けられたものが残っていたので、それを取り出し、電子レンジに入れて温める。二分半をレンジの前で歌を口ずさみながら待ち、大皿に盛った米の上に取り出したカレーを流すと、もう一度レンジに入れて熱する。それから卓に就いて、そのカレーライスのみの食事を黙々と取る。新聞は、この日は朝刊を休んでいたようだ。食べ終えると食器を片付け、いつものごとく風呂を洗う。
 室に戻ると、一時半過ぎだったようだ。何かしら日課の類に取り掛かる前に気晴らしに入る(……)。
 二時半を目前にしたところで、洗濯物を取りこみに行ったのだと思う。タオルを畳んで整理し、洗面所に運んでおくと、自室に戻ってくる。勤務の前に音楽を聞かなければまた一日聞けず終いになってしまうという考えがあったので、コンピューターをテーブルの上に戻し、アンプからケーブルを繋いで椅子に腰を据えた。四〇分ほどで、Bill Evans Trio, "All of You (take 2)", "My Romance (take 2)"に、THE BLANKEY JET CITY, "MOTHER", "ディズニーランドへ", "小麦色の斜面", "胸がこわれそう"(『LIVE!!!』: #9-#12)を聞く。この日の聴取も先日と同じように、音がわりあいに鮮明に見えていたような気がする。ここ最近は以前に比べて、全般的な認識の精度が一段階上がったような感じがしないでもない(世界の肌理がより細かくなった)。良く覚えているのは"My Romance (take 2)"の途中の、Scott LaFaroの動きを感知した瞬間のことである。ベースがフォービートを明確に刻みはじめて演奏が弾力を帯びる段に入るその少し前だったと思うが、それまで比較的大人しくしていたLaFaroが突如として三連符を連続で繰り出して拍を埋めだし、Evansがソロを奏でているその向かいで低音部から迫り上がるようにして侵食していく箇所があったのだ。それを耳にした途端に思わず、馬鹿ではないのか、と考えてしまった。一体このベーシストは何をどう考えてここでこのような動きが許されると判断したのだろう、通常はこんな風に振舞ったら安々と均衡が壊れるものではないかと心に浮かんだのだが、それで実際崩れるどころか嵌まっているのだから、不思議な話である。ただその「嵌まり方」(すなわち構築の仕方)は、大抵のピアノトリオのそれとは相当に異なったものではないかと感じられる。何と言うか、Bill Evans Trioのこの音源が発表された当時、人々に与えたに違いない衝撃のようなものが、朧気ではありながらも、多少実感に迫って理解されたような気がする。確かに、一九五〇年代まではこのようなピアノトリオの在り方というのは、この世にほとんどまったく存在していなかったのだろう。
 THE BLANKEY JET CITYのほうでは、"胸がこわれそう"がとりわけ格好良く思われた。ブルース進行のロックをここまで毒々しく鳴らせるバンドというのは、やはりほかになかったのではないか(そうして多分、現在もそうそうないのではないか)。音楽を聞いたあとは、そろそろ軽くエネルギーを補給して外出の支度を始めなければならない頃合いだが(四時半頃には発つつもりだった)、その前にまず肉体を全体的に柔らかくしたかったので、運動を行った。例によってOasisを流しながら体操をしたり、ベッドの上で下半身の筋肉を伸ばしたりするのだが、スクワット風に脚を大きく左右に開き腰を深めに落とした体勢を維持しながら歌を歌っていると、身体が内からほぐれるようになって少々汗ばむくらいに温かくもなった。声を出したことで呼吸が大きくなったのが多分良かったのだろうと思われ、これは要するにヨガみたいなものなのではないか。そういうわけでかなり肉体が軽くなった手応えを感じながら上階に行くと、多分ゆで卵を食ったのだと思う。その後の歯磨きや着替えのあいだのことは細かく思い出せないので省略する。
 出発する。肌に触れる空気の質を見て、さほどの寒さでないと感じられた。前日、前々日のほうがよほど冷たい大気だったと思う。坂を上って行く。平たい道に入ると、辻のところで、あれは測量というものなのだろうか、折々に目にするが、何か黄色い三脚用のものを立てている人がいる。男性二人である。あれを使って何をどうしているのかまったく知らないのだが、一人が何か数値を呟き、もう一人が記録するようなことをしていたらしい。街道まで来ると、光の感触を失った空の色が目に入り、暮れて水色、と思う。本当に、何も視線に引っ掛かるものがないまったくの空漠である。振り仰ぐと西空には、下方は赤みを少々帯びつつ山際からちょっと離れると純白に染まった残照が洩れて、青さのほうへと浸潤しているのだが、そちらもやはり何の乱れも妨害物もない推移の有様で、眼球表面の汚れが見えそうなほどの澄み渡り方だと思った。
 裏路地の道中で、特に記憶に引っ掛かっていることはない。思念を遊ばせていたと思うのだが、何を考えていたのかも覚えていない。労働についても書きたいことは特にない。帰途に就くと、随分と風が生まれていた。駅前の横断歩道を渡っていると後ろから風が寄せてきて、それがちょっと身体を押されるくらいの勢いである。しかし、それほどに迫ってきても服の布地を鋭く貫く感触はなく、ここでも気温がさほど低くないことが実感された。裏路に入って進む。(……)駐車場の向こうでも林が搔き鳴らされており、その音が夜道に泳ぐ。月の見当たらない暗夜であり(既に新月だろうか?)、林も樹々の仔細な形がほとんど窺えない闇色の内に収まって、夜空との境も露わでない。進むと、猫がいる。みゃあみゃあと鳴き声を洩らす。最近新しく出来た焼肉屋の建物の隙間から顔を出しているのを、たびたび見かける一匹で、人懐こい性格のように思われる。この時は、焼肉屋の向かい、もう姿形は完成した新築の家を仕上げている敷地のなかにおり、地面の端に何やら穴を掘っていた。その前にちょっと立ち止まって窺う。構ってやりたい気持ちがあったのだが、道の先を見ると向かってくる人影があったので、気恥ずかしく思われてその場をあとにする。こちらが去ったあとから猫は道路に出て、やはり鳴き声を立てていた。
 裏路のあいだの印象はほかにない。表に出てふとしたところで見上げると、空が青い。夕刻に見た透明度のまま雲は湧かず、群青色の沁みきったなかにオリオン座の七星が斜めに傾いて明らかである。また裏に入って以降は、空がますます青く、深くなる。その鮮やかさのためでもあろう、坂上から見晴らす町並みの果て、地上の灯がうっすらと溶け出して地と空の境界線に朱色を細く重ねているのが、常になく明瞭に見えた。何だかんだでやはり叙情的と言うべき光景だろうなと思って坂を下りて行く。風があれほど吹いていたので当然のことだが、坂の出口付近には葉がふんだんに落ちていて、道の端に寄って嵩むばかりでなく中央にも隙間を小さく散らばっているそれらを、踏んだり蹴飛ばすようにしたりして音を立てながら歩いた。
 帰って手を洗ったり服を着替えたりすると、日記の読み返しをしたらしい。二〇一六年一一月二九日と三〇日の二日間である。三〇日のほうは、「認識の解像度」(これは(……)由来の語法である)が常になく高まっていたらしく、この日に電車内及び立川の街で体験した感覚はわりあいに良く覚えている。読み返してみて結構面白いように思われたので、この日記本文のなかにも引いておく。

 「道を行くと自然と目に入る小さな楓の木は、斜めに射しかかる薄陽のなかで和らいでいる。もう大方唐紅に染まって、内側に淡黄色を残しているが、そうしてみると紅色のほうが常態で、これから黄の色へと移り変わるところのようにも見えてくる。足もとまで近づくと、黄のさらに奥には、新鮮な野菜のような、食べられそうなほどに清涼な薄緑も潜んでいるのが見えて、周囲の葉叢がすべて衣替えしてしまうとかえってその、過ぎた季節の色が貴重に感じられて、こちらのほうこそ特別な装いではないかとの、逆転の感覚がさらに強まる。葉を透かして枝や幹に掛かった陽の色も、かすかに緑に色付いていた。少々立ち止まって眺めてから、離れ際に流れたあるかなしかの風に、ことごとく手のひら型にひらいて振れる葉の連なりの、内から外へ掛けてと言うより、外から内へ掛けて、秘められた淡緑へ向かってのように描かれた色の階調が、目に残った」

 「(……)本をしまって目を閉じたところが、休むというより瞑想のようになって、聴覚が忙しく駆動して周囲の音を追っては拾う。左の奥に一つ、近くに一つ、右の遠くに一つと、あたりでは三つのグループが会話を交わしており、電車の振動音に紛れてそれらの言葉は、意味が切れ切れに分断されてほとんど外国語、あるいは声というよりは音として響くかのようなのだが、それでもそれぞれの声音の色合いによって発する者らの判別が自動的になされる。一つのグループの声の応酬に耳を傾けていると、ほかの者らの声がそこに割り入って来て、それでいてまったく混ざらず絡まずにそれぞれの流れを保っているのに、なぜかひどく驚いた瞬間があった。視覚情報を断った暗闇のなかに生起する音声は、内外で騒がしく揺れる電車の稼働音も含めて、聴覚によって、三次元空間に配置されると言うよりは、むしろ同一平面上に均されて、半ば一つの音楽のようなものとして響いたらしい。またこの驚きには、うまく言葉にすることはできないが、もう一つの意味合いがあって、取得される情報が音声のみに限定された分、周囲の人々の個々としての存在がくっきりと際立つかのようで、ばらばらな声の重なり合いに、自分以外の他者が確かに、それぞれの時間と意識と生活とを持ってばらばらに、自律した時空をくぐっているのだということが、実感されたかのような感じがあった。立川に近づいて、女子高生らしい一団の賑やかな声が乗ってくると、眼裏はただ音に埋め尽くされるばかりでもうそこに分節を設けることもできず、混沌である。立川に着き、降りて改札を抜けるあいだにも、車内の気分が残っていたらしく、そこここから湧き出るかのようにあたりに群れている人々の、その一人一人に目を向け留めるようで、そのどの身体の裏にも積まれた生の厚みがあるのだと、思考がそちらに向くと、時間というものの途方もなさが思われて、その膨大さに気持ちが悪くなりはしないかと、過るくらいだった。駅を出て道を歩いても、近く遠くを行く人々の輪郭が、何か立って映る。その感覚を強めるのは彼らの歩みの調子、正確には脚の動きで、遠くに見れば特に、積極的な人間の意思の働きというよりはむしろ自動的な物質の動きのような、ほとんど個々の差異など見受けられずどれもまったく同じような調子で動いているその脚の上下の揺動が、しかしそれでもばらばらの拍子を持って重なり合うことがないというさまが、彼らの存在を証しているかのように思われるのだった」

 一〇時半前まで読むと、食事。(……)新聞を読もうと食器の横にひらく。夕刊である。「アラブ連盟 米に撤回要求 「エルサレム首都」 外相級会議で」という記事を読もうとする(この記事名を写すためにいま(一二月一三日の午前二時台)新聞をひらいたところ、下方に「ユダヤ人を救った動物園」という映画の広告が入っている。これはダイアン・アッカーマンという作家の本が原作で、この人の本はほかにも立川図書館に通っていた時分に棚で(英米文学のエッセイの類の欄)見かけて面白そうだと感じ、いつか読みたいと思っていた。確か、ソローやエマソンあたりの流れを引く「ナチュラリスト」というような紹介のされ方をしていたような気がする)。しかし、テレビを見やると、『プロフェッショナル 仕事の流儀』が映っている。白っぽい髭の男性が裸木の林のなかに佇んでいる。猟師らしい。新聞のほうに気が行きながらも、どうもこれは面白いのではないかという気がして、テレビのほうに意識の志向性を差し変える。(……)それで、飯を食いながら視聴し、食べ終わったあともその場に留まって番組を最後まで(一一時一五分まで)見たのだが、これがやはり面白いものだった。まず最初に展開されたのは、久保という七〇歳のその猟師が実際に鹿を撃って獲得するまでの映像である。森のなかを探索したあと、平地に鹿がいるのを発見し(場所は北海道である)、森の縁の樹々に隠れながら機会を見て射殺するのだが、そこで銃を構えたまま、鹿が充分に近づいてくるのを五分か一〇分か、あるいはそれ以上待ったということだった。一発で確実に生命を奪うという点に、こだわりを持っているらしい。それは獲物をなるべく苦しませずに殺すという意味も勿論あって、それが猟師としての責任だとこの人は考えているらしかったが、もう一つ実際的なものとして、一発で弾丸を急所に通過させて絶命に至らしめると、そのほうが肉が美味いという話だった。それで実際、この時も一発で仕留めたのだったが、弾丸を撃ちこまれた時の鹿の肉体のその動きが、こちらとしてはやはり強く印象に残っている。まさしくのたうち回るという言葉の意味を体現したもので、地に倒れ伏しながら脚を何度も反復的にバネのように跳ね動かすその撓るような動き、そしてそれによってやはり繰り返し生まれる土の飛散である。凄まじい、圧倒的な[﹅4]具体性、ここにはやはり何かしらの強いものがあると感じ、いつもながらの思考だが、これが小説の領域だろうと思った。実際、番組の終盤に放映された熊を追い求める段もそうだったが、この人が猟(複数人でやるいわゆる「狩り」と、「猟」とは全然違うものだと猟師は語っていた)をするために山に入って獲物を仕留めるまでのあいだに見聞きし感じることを十全に記述することができれば、それでもう一篇小説が出来るのではないかと思われた。
 もう一つ、大きく印象に残っているのは熊猟について語っていた最中の一言で、初めは人間が熊に「挑む」という言い方をしていたのが、直後に付け加えて、挑むというよりは「呼ばれている」という感じだと言っていたのだ。ああ、やはりそういう風な感覚になっていくのだなと、どういうことなのか良くわからないものの得心された。
 いまはちょっとほかの細部が滑らかに頭のなかで繋がらないが、様々な点で、先日読んだErnest Hemingway, The Old Man And The Seaの老人を地で行くような人ではないかと思った(最初に連想が働いたのは、仕留めた鹿に向かって、多分解体する段ではなかったかと思うが、「お前はうまい鹿だ」と(二人称で)呼びかけて[﹅5]いるのを見た瞬間である)。このような人間がこの現代にも存在しており、また昔はもっとたくさん存在していたのだという点、また、番組の途中で映し出された自然環境(降雪もそうだが、岸のすぐ下の川の流れのなかに大きな鮭がうようよと[﹅5]ひしめき合ったりしているのだ)の様子などを見るにつけ、北海道という地は一応日本国と呼ばれる国家のなかの一領域として、何の不思議もないかのような顔をして位置づけられているが、例えば自分が生まれて育ったこの東京などとは本当に、相当に異なった土地なのだということがわりあいに真に迫って感じられたような気がする。そして、ここから先は今日(一二月一二日)に思い巡らせたことなのだが、そのように随分と異なった土地のあいだの歴史的/文化的/地理的差異を均して、一つの国家という抽象観念の下に同じ日本として統合しようなどということを考え、そしてそれを実際に敢行してのけたいわゆる「近代」という時代の凄まじさ、ナショナリズムという思想=物語を心の底から本気で信じ込んでしまった時代のとてつもなさというようなものの、その一端を垣間見ることができたような気がする。
 食後、入浴である。そうして室に下りる。ちょっとインターネットを覗いたのち、作文に入っている。そうして四時前まで三時間を打鍵に費やし、一二月一〇日の記事は仕上げて四日のものもいくらか綴った。終わったあとに思い返すと、この日の作文は文を書いているというよりは、「喋っている」というような感じがしたようだ。自分で自分の口述筆記をしているような感覚で、話すことと書くこととの境が良くわからなくなるような調子だった。これを受けるに、自分は多分寡黙なほうの人間として周囲からは認知されていると思うのだけれど、本当は凄くお喋りな人間なのではないか、とも思われる。実際、起きているあいだはおそらくほとんど常に頭のなかで独り言を言っているような状態で、日記を書くというのも最近ではそれを大方そのまま言語に変換するだけ、というようなことになってきているようだ。これは文を書くということをより自然な営みとして「ただ書くこと」に近づいていくという観点からは望ましいことである。この日の書き物のあとには、何か友人と長時間話したあとのような満足感、楽しさの感覚が残った。(……)が、日記の文章などというのはまったく大したものではない、糞みたいなものであるということをたびたび表明していたと思うが、その言い分が良くわかったような気がする。確かにこれは、「作品」などと位置づけるような代物ではない(「About」の欄に掲げたバルトの言葉もなくしてしまって良いのではないか?)。まさしく「駄弁っている」という感覚とほとんど相違ないものである(ブログのタイトルもシンプルに「駄弁」で良いのでは、という気もしてくる)。
 その後、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を九七頁から一〇四頁まで読んで、瞑想をしてから床に就いた。もう五時も近かったから、瞑想中に外から新聞屋のバイクの音や(夏頃には三時半過ぎに配達していたような覚えがあるが)犬の鳴き声が聞こえてくるのが、眠りを急かされているようで嫌なものだった。

2017/12/10, Sun.

 長々と一二時半まで寝過ごす。夜更かしのため、起床後数時間は身体が固く、久しぶりに頭痛もあった(風呂洗いをしている最中、浴槽をブラシで擦るために屈むと、頭の内にこごるものの存在感が良く感じられた)。起床してすぐの瞑想は、二三分になった(窓を少々ひらいたはずだが、寒さの感覚がまったくなかったので、前日よりも気温が高い日だったのではないか)。非能動/不動方式から深呼吸方式に変えてしばらく経つが、長い時間を掛けて呼気を吐ききる今のやり方(一度の呼吸に、おそらく二〇秒から二五秒くらいは費やしているのではないか)はうまく行っているようで、座っているうちに肉体が全体としてほぐれて温まってくるのが明らかに感じ取られて、心地が良いので苦労を感じずに二〇分以上をじっと座れるようになってきたらしい。
 上階に行くと台所で卵を焼く。炊飯器には米がもう乏しく、固まって貼り付くようになったなかからまだ食べられそうな部分をこそげ取るようにして丼に取り、その上に焼いた卵を乗せる。そうして卓に運ぶと、固めずに液体を保った黄身を崩して、醤油と混ぜながら食べる。この時は何故だか新聞をうまく読めず、あとで自室でゆっくり読もうと考えた。ものを食って風呂を洗うともう二時も間近である。洗濯物を取りこんでタオルを畳んでおき、白湯を持って室に帰った。
 インターネットを回ってのち、三時から日記の読み返しをする。二〇一六年一一月二五日から二八日まで、久しぶりに一日分だけでなく数日分をまとめて読む(それでもちょうど一年前からだいぶ遅れているわけだが)。二八日の日記になかなか良いと思われる描写があったので、三箇所をTwitterに投稿した。ブログに以前と同じく長々とした日記を投稿するように戻して以来、Twitterに発信することなど何一つとしてなくなってしまい、過去のツイートもすべて削除して他人の発言をちょっと覗くのみになっていたところ、やはり日記の一部を抜粋して発信し、多少なりとも人々に読んでもらうかと思ったのだったが、しかし投稿して直後には、こんなことをしても面白くもないなともう気持ちが萎えていた。Twitterという場は結局のところ、こちらの性に合わない。言いたいこと/伝えたいこと/主張したいことの類など何もないし、あったところで、一四〇字を一単位とするシステムの場にこちらのそれが適さないことはこの日記を見れば明らかだろう。Twitterを再開したのも一応、「雨のよく降るこの星で」に多少の人々を呼び込みたいという目論見があってのことだったが、そうしたことも今となってはもはやどうでも良いとしか思われない。毎日黙々と日記を書いて投稿し、それが何年ものあいだに積もり積もって、膨大な集積を成してインターネット上に存在すればそれでもう良いと思う。自分の文章が金に変わる必要はなく、「人脈」に繋がる必要もない。そうしたことはすべて面倒臭く、退屈で、こちらの興味を惹かないことである。「雨のよく降るこの星で」にはそぐわない主題の事柄をいくらかまとまった文章に拵えた際に投稿する場として、「(……)」というブログを作り、ライブの感想だったり過去のパニック障害の体験談だったりを投稿したりもしたが、あれも別段作る必要がなかったものだと思う。そもそも自分は、批評や感想の類を一つのものとしてまとまったそれだけの形で拵えたいとは思わない。「論」の類を作りたいわけでもない。そうしたものを書きたければ、この日記のなかにすべて書き入れればそれで良いのだ。何か一つの主題のもとに整理された文章に一つの明確な題名を付して、太字のタイトルを掲げた一つの記事として発表するというのは、自分としては端的に気恥ずかしいことである。その点、日記というのは日付をそのまま記事の題にすることができるわけで、日付とは実に素っ気なく、意味が薄くて落着くものだ。自分の文筆的欲望としては、この日記を毎日書き続けるということと、いずれ小説作品を作るということ、大方その二種類しか存在しない(ほかには一応、翻訳したいと思うものがいくらかあるくらいである)。そして、何かしらの小説作品を拵えた暁には、それもいま日記を投稿しているのと同じブログに発表すればそれで良いと考える。文学賞だとか出版だとか、そのようなことには興味を惹かれない。(……)
 このような世迷い言を記している場合ではない。この日、日記の読み返しをしたあとは(……)を読んだ。それから隣室に入ってギターを弄り、四時半から少々日記を記した。一二月九日の分である。五時に至る直前で一旦止まり、上階に行ってカレーを作りはじめた。音楽を掛けることもせず、黙々と野菜を切り分け、肉も裂き、鍋で炒める。炒めあがって水を注いでおくと、流し台に溜まった洗い物を始末する。するとちょうど鍋に灰汁が湧いているところなので、それを取っておくと、台所を離れてアイロン掛けをした。シャツを何枚か処理し、下階に運ぶとそのまま室に戻り、身体がこごっていたようで、ベッドに寝転んで読書を始めている。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を七三頁から九七頁まで読む。この小説はこちらの感触としては今のところ、特段に悪くはないが明確に際立って良くもない。読書は、「そうですか? キリンです」という三つ目の篇に入っていた。この篇のうち、七〇頁の満員電車が乗客を出し入れするところの描写と、その次の頁の、ピラミッドを建造した奴隷たちの「算数」も「悔しさ」だったかもしれないという想像は少々良く思われた。またこの日は、八〇頁から、「おやじ」の瞳の色の描写として、「電池が切れた電卓の液晶のような、そんな灰色」という表現がやはりほんの少々良く思われて、ノートにメモをしたのだが、直後に、「もう、計算が立たない」と続くのを読むと、この比喩のニュアンスが一挙に失われるように感じた。ここは、「おふくろ」が倒れて病院に運ばれたあと、病室に入った話者が母親の手を握る父親の「ぼんやりとした暗い表情」を見て、「おやじの瞳がこんな灰色だったこと」に「初めて気づいた」ところである。収入の少ない一家の先行きの不透明さと言うか、それを思って途方に暮れるような話者の「心情」(この文脈においては何とも使いたくない言葉だ)が「計算が立たない」の一言に表されているという風に読まれるところだと思うが、先の比喩は、それ単体で具体的な「灰色」のニュアンスをイメージさせる喚起力を多少なりとも持ち合わせているとこちらには感じられたところ、次の文で「電卓」と類同的である「計算」の主題が付け足されることによって、先の比喩が一気に一般性の圏域、ある既存の主題的体系のなかに回収される感じがするのだ。もう少し平たく言い換えれば、(書き手の「意図」がどうであれ)「もう、計算が立たない」という表現を導き出したいがために、「電卓」の比喩を使ったようにも感じられてしまうということで、色合いのニュアンスとの関係で(電池が切れた電卓の液晶の色というのは、なるほど良くわかる灰色の言い方だなあ、というような素朴さでもって)この比喩に注目していたこちらとしては、「計算不能」→「先行き不明」→「(大袈裟に言えば)絶望」というような意味の連環/連想をここに接続/導入されることで、イメージされた「灰色」のニュアンスのうちに夾雑的な情報が差し込まれたように感じられたというようなことだろうと思う(うまく明晰に説明できたかどうか自信がないし、そもそもこのような考察をわざわざ展開してみるほどに大した表現でもないのだが)。
 本は七時まで読む。瞑想をしてから、食事に行く。先ほど作ったカレーを食べる。食べながら、エルサレム関連の新聞記事を読んだと思う(「エルサレム 首都認定 米と民意 アラブ板挟み」というものだった)。食後、入浴する。その後は長く、だらだらとしたようだ。零時過ぎから日記を書きはじめる。前日の分を仕上げ、この日の分もちょっと書き、Twitterについてうだうだと記すのが面倒臭く思われたのでその前で一旦切って、放置していた一二月一日の記事を片付けた。これで、一二月三日までブログに投稿することができたわけである。その後はまただらだらとして、瞑想をせず、五時直前に床に就いた。

2017/12/9, Sat.

 六時前に仕掛けられた目覚ましの音で一度覚醒し、布団の下から抜け出して時計のスイッチを切ったのだが、また即座に寝床に戻ることになった。この時にはまだ夜明けの明るさはカーテンに差していなかったはずだ。決定的な眠りに陥らないよう注意しながらしばらく微睡んで、六時四〇分を迎えたところで意識を定かなものにした。洗面所や便所に行くより先に、瞑想をしたのだと思う。八時過ぎには出なければならず、とすればもはや大した時間も残っていないから一〇分少々で短く済ませ(枕の上に座って目を閉ざしているあいだに、ちょうど太陽が山の稜線を越えてきたようで、瞼の外の空間が数秒のあいだに明るさを増していくその推移が感じられた)、七時を回ったところで食事を取りに上階に行った。前夜にも食ったが、豚肉の角煮と卵やら玉ねぎやら諸々混ぜたものがフライパンに残っていた。それを丼の米の上に掛けて、ほかにも何かしらの副菜があったと思うが覚えてはいない。
 新聞を読む間もなく食事を終えると諸々身支度して、八時を過ぎたところで宅を出発した。快晴である。前の日の僅かな雨による水気が、路上に微かに残っていたかもしれない。道に散った落葉の上を煌めきが次々と渡って行き、多く敷かれた場所まで来ると東南の空を背景に、足もとがそのまま一面白く発光するようになって、太陽の光が実に白いな、と思った。大気は冷たかったに決まっているが、その寒気はあまり具体的な瞬間における肌の感知としては記憶されていない。まだしも日なたが差し込まれていようと、この日は裏ではなく表の道を取って行く。太陽はまだ向かいの道の小公園に立った樹の梢にすっぽりと嵌まるほどの高さでしかない。家並みの合間から切れこんで折々に掛かっている光のなかに踏み入ると、口から洩れる呼気が石灰色に濁っていかにもするすると、滑らかな動きで細く容易に空中を流れて行くのが良く目に見える。家を出るのが少々遅くなったので、職場に着く頃には八時四〇分を過ぎるだろうことはわかっていた。それでも構うまいと払っていたが、坂下の横断歩道を渡ったあたりで時計を見て、二、三分程度稼いでやるかという気になり、歩幅を広げ、歩調も速めてその後の道を行った。普段はまだ眠っている時刻に清冽な朝の道を辿っているからと言って特段の感慨もなかったが、駅の近間の八百屋の前に輸送車が停まって、あれは積み込んでいるところだったか荷下ろしをしているものだったか知れないが、林檎が入っているものらしい大量の箱が車の内に置かれているその前で、八百屋の女性と配達員とがやり取りを交わしているのに、何となく朝らしいなと目を留めはした。
 ここまで、短い眠りのわりに肉体の重さや眠気を覚えることもなかったが、労働のあいだ立ち尽くしていると、平衡感覚が微かに乱れてふらりと来そうな気配が生じる時間があった。正午を越えた頃合いからだろうか、さすがに欠伸も洩れるようになる。そうした意識の濁りと関係があるのかどうか不明だが、ある種の現実感覚の薄さをも覚えたというか、世界の感じられ方が普段と違っていたようでもあるものの、これについてはうまく説明できないのでそうと記すのみにする。
 勤務を終えると二時前、快晴は続いている。排泄の欲求が近づいていた。図書館に行く予定だったので駅に入り、ホームに上がると発車まで五分ほどあったので、ひとまず先に排尿だけしておくことにしてホームの端にあるトイレまで歩いて行った。先に二人便所に入って行くのを見ており、小さな室内が埋まっているのを知っていたので、人が出てくるまで外で待つ。日なたのなかに立っていても大気の肌に冷たい冬の晴れである。一人出てきたあとに室に入って尿を放つと、出てすぐのところの車両に乗った。まもなく発車し、目を閉じながら到着を待って、(……)で降りる。ホームの上には、駅舎の周囲の建物に切り取られた陽射しがところどころ敷かれており、屋根の下に入っても穏和に明るい。そこから覗く南の空に浮かんだ雲は、光をふんだんにはらんでいるのだろう、透き通ったような質感で、青く彩られた内側の色の、背後の空が透けて見えているかのようだった。
 階段を上り、改札を抜けて駅舎を出ると、通路を渡って図書館に入る。(……)フロアに入ると、『思想』の新しい号が出ているのではないかと雑誌の区画をちょっと覗いた。すると新号は、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロの特集で、この人類学者については書店で『食人の形而上学』という本を目にしており((……))、檜垣立哉も寄稿していて(いましがた検索してわかったが、彼は『食人の形而上学』の訳者だったのだ)何だか面白そうなのだが、借りる気にはならず、雑誌を棚に戻してCDのほうへ行った。その横に取り揃えられた文芸誌も新号が出ているだろうからと一応目を向け、『群像』の表紙に蓮實重彦の名前があったので、まあ見てみるかと手に取ってページを繰った。「パンダと憲法」と題された短い随筆を立ったまま流し読みすると、背後のCD棚のあいだに入り、Suchmos『THE KIDS』がまだ返却されていないことを確認してから上階に上った。新着図書の棚には最下段の列が新たに生まれており、靴の目の前、ほとんど床に接せんばかりのその並びのなかには、黒沢清の対談などをまとめた本があって、取ってみればここにもやはり蓮實重彦の名が見える。彼と黒沢との対談は二つ収録されていて、しゃがみこんでその場で少々、つまみ食いならぬつまみ読みをした。その後、席を求めて窓際のほうに出たのだが、何となく予想していた通り空きがない。フロアを辿って行き、テラスのほうも見たけれど、こちらも結構埋まっていて窮屈そうである。図書館に来たのは、書き物をしたいということもあったが、返却期限を過ぎたCDを返したいというのが理由の一つで、しかし返却する前に曲目や録音年月などのデータをコンピューターに写しておきたいので、そのためにどこかしら作業のできる机を確保する必要があった。行き場に困ったものの、ひとまず排便して何かものを食おうということでトイレに行くと、個室が塞がっていたので下階の便所に移った。こちらには空きがあって便器に座ることができ、糞を体外に排出すると石鹸を使って手を良く洗い、館を抜けた。
 図書館のすぐ下に(……)があるので、久しぶりにそこに入ってハンバーガーでも食おうかと思ったものの、何か忌避されるところがあり、実際に店舗の前まで行ってみても入る気にならない(この時、街路の途中に付けた軽自動車から旗を取り出して何やら準備している人がおり、見れば核兵器廃絶を訴える団体のようだった)。結局のところ、コンビニでおにぎりでも買って外で食うのがこちらの性には合うのだろうと落とし、道を渡るとコンビニに入って、おにぎりを二つ(鶏肉の入ったものと、もう一つは忘れた)、それにチョコレートクロワッサンを購入して、外のベンチに就いた。太陽は先ほどよりも高度を下げたためか雲に引っ掛かったらしく、あたりに確かな日なたが生まれない。手の先端はやや冷えるが、それでも風が寄せるでもなく、さほどの寒さではなかった。すぐ近間の喫煙スペースから、煙草の香りが幽かに漂ってくる。ものを食いながら、周囲を通り過ぎて行く人々や、タクシーの運転手がにこやかに同僚に声を掛けている様子などに目をやる(親に連れられた幼子が二度、こちらの傍を通ったが、二人ともこちらのほうをじろじろと見つめながら引かれて行った)。ロータリーのなかに立った樹は、あれはヤマボウシではなかったかと思うが、キャラメルチョコレートを絡めたような色合いの葉を吊り下げていた。腹にものを補給すると、袋をまとめてコンビニのダストボックスに捨て、階段を上がって(……)ビルに入った。喫茶店が空いていないかと思ったのだが、どうも随分と盛況で、席は埋まっている。結局、やはり自室で作業するのが一番なのだと納得して外に出て、そのまま帰途に就こうかとも考えたが、せっかくここまで来ているのにCDを返せずに翌日また出向いてくるのが億劫に思われた。それで通路の途中に立ち止まってしばらく考え、ともかくも(……)に入るだけは入ってみるかと心を決めた。それで長く滞在する気持ちが起こればそれで良し、そうでなくとも音源の情報の記録だけは済ませて、CDを図書館に返してから帰宅しようというわけである。そうしてまたもや下の道に下りて入店し、ココアのみを注文して、四人くらいは座れるだろうソファ席に一人で陣取った。コンピューターを立ち上げて作業を進めるのだが、横を通る人々の動きだったり、カウンターのほうから聞こえてくる店員と客のやり取りだったり(耳にしていると、日本のファストフード店の店員とは本当に大変なものだと思う)を知覚するに、やはり居心地が良いという感じが湧いて来ず(おそらく、店内の至る所に漂い、ほとんど空間全体に充満している「忙しなさ」の意味素が性に合わないのだろう)、長い滞在はせずに用を済ませたらさっさと帰ることにした(打鍵をするあいだ、外では核兵器反対団体が、道を縁取る柵の支柱にくくりつけられた旗の横で署名運動を始めていた)。そうして記録を終えると退店し、ふたたび図書館に入ってCDを返却すると、音源を借りても借りるだけであまりがつがつと聞けないのだが、棚のほうに心が向いた。それでジャズの欄を眺めると、Robert GlasperがMiles Davisの音源を活用して作ったらしい『Everything's Beautiful』がある。『Black Radio』あたりからのGlasperの仕事というのは、「ジャズ好き」の人々のあいだでは多分毀誉褒貶が様々あるのではないかと思うが、何だかんだでやはり聞いてみたくはあるので、これを借りることにした。一枚借りることに決めると、三枚まで借りられるのだからどうせならあと二枚もと欲が出て、類家心平『UNDA』を二枚目に選んだ。最後の一枚は、順当に行くならば大西順子『Tea Time』か、Bill Frisell『When You Wish Upon A Star』かというところだったが(FrisellはThomas Morganとのデュオである『Small Town』を買ってあるところ、まだ一曲も聞けていない)、ここは敢えて、非常に古典的な形のジャズを守ってこの現代と呼ばれる時代にも演じ続けている音楽家の演奏を聞いてみようではないかと考えて、Harry Allen Quartet『For The King of Swing』に決めた。それで貸出手続きを済ませると退館し、駅へと渡った。
 ちょうど四時頃の時刻だった。宙から陽の色は退いて、ホームのベンチに座って電車を待っていると、寄せてくる空気が大層冷たく、僅かでも動きが生まれれば肌がそれを如実に感じ取って震える。乗ってしばらくのちに降りると、ここでも乗り換えを待ってホームに立ちながら、冷気に耐える(横に立った男性も、電車の入線をまだかまだかと待ち望んでいるのが容易に見て取れる動きでうずうずと身体を揺らしていた)。来た電車に乗って運ばれ、最寄りで降りるともうだいぶあたりは暗んでいたと思う。
 帰宅すると、(……)居間の明かりを灯してカーテンを閉ざしておくと、自室に帰る。夕食を支度しなければならないところだが、面倒臭く思われたので、(……)カップ蕎麦(「緑のたぬき」)で済ませ(……)。この日のその後の時間は、実にだらだらと怠けて過ごし(辛うじて夜半に八日の日記を仕上げはしたものの、読書をまったくしなかった)、特段記録しておきたい瞬間も思い当たらないので、割愛する。就床は四時四〇分と遅くなった。

2017/12/8, Fri.

 まったくもっていつも通りの覚醒から起床の流れである。九時頃に一度覚めたものの、結局はだらだらと寝過ごして、正午前に至ったところでようやく意識を確かなものとした。洗面所に行き顔を洗って、用を足してくると、窓をちょっとひらいて瞑想を行う。この正午にも、長閑なような烏の声が聞こえてくる。深呼吸を繰り返しているうちに、瞑想は何だか心地の良い状態に入りこんで、呼吸そのものの動きがほぐれたような感じになり、自ずと三〇分間続いた。目をひらくと、湯を浴びて肉体を流した時にも似たような、さっぱりとした心持ちになっていたようである。そうして上階に行くと、炒飯や前晩の残り物などで食事を取る。この日は寒々とした曇天であり、雨が来るような雰囲気もないではなく、新聞の天気予報を見れば長野などでは雪となるらしい。記事のなかからはやはりエルサレムの話題を追い、一時を回ったあたりで席を立って食器を片付けた。風呂洗いをして室に帰ると、ここのところ日記を読み返していなかったからとまずはそれを行うことにした。二〇一六年一一月二四日の分である。この日は東京では五四年ぶりとかで一一月に雪が降ったという珍しい日であり、そうした希少な自然の様相に交感させられたのか、読み返していてもなかなかに良いと思われる描写がいくつもあったので、下に引いておく。

 「ものを食べながら見やる窓は、結露が周縁から黴のように侵蝕して、外部の明確な像を保っているのは真ん中あたりの小さな範囲のみである。ぼやけた部分の向こうには白さが、形を成すことなく曖昧に広がって、そうして窓のほとんど一面が白さで繋がれると、いかにも降雪のなかに閉じこめられているような感じがした」

 「緩く角度を作ってゆっくりとした降りの雪片が、あとからあとからやって来て去ったもののあとを継ぎ、宙を埋め続けて流れの途切れる隙もない。そのうちの一つに目を寄せてみれば、無害な虫のようにも見えて、すると途端に、目の前を落ちていく大群が、降っているあいだだけきらめく生命の粒の様相をかすかに帯びる。その網の向こうで、林の木々は黄褐色やら臙脂やらに色付いているが、その上にもまた白さが乗って彩りを差し挟んでいた」

 「一段ずつ下って行き、また上がって行くあいだ、フードで区切られた狭い視界の外から、それこそ力尽きた羽虫のような雪の欠片が零れ落ちてきて、地に到ればその小さなもののなかにも厚みがあってそれぞれ特有の形の歪みを持っているようで、一挙にではなくじわじわと、寄り集まったものが少しずつ剝がれていくように、白さが諸所から失われて行き、苔の長く棲みついて同化し、濁ってしまったかのような段に染みこんで、無色になる」

 「まだ二時半そこらとあって、室は明るい。磨りガラスの窓には勿論白さが宿っているが、そこから入ってくる明るみも、タイルの壁に掛かればくっきりと平坦に白く、そこからさらに湯気の合間に広がって、これほど明るい時間に風呂に入ったことは長くないから、何とはなしに気分が良かった」

 「路上にはそれでも、氷の欠片がまだいくらか、薄く貼り付いて広がっている。目を凝らして、その罠のもっとも薄いところを見極めて通って行くのだが、見通すと先のほうのアスファルトは、濡れた表面に雲の逃げはじめた空の色を映し返して、薄青く発光している。そのなかにぽつぽつひらいている水溜まりは、そのまま鏡で、淡青の合間に降り残しのような雲がうろつく空を、くっきりと取りこんでいる。その発光も鮮やかな像も、近づいて足もとになれば色味を失って暗く沈むのだが、先に視線を転ずれば、また新たな反映が生まれているのだった」

 「最寄りに降りて、階段を下りると、通路を抜けたほとんどその一歩目から触れんばかりに、あたりには楓が落ちて足もとを埋め尽くしており、和紙の小片を貼り合わせて、視線を滑らせればその行き先が赤と黄と茶の色が不断に移り変わるなかに囚われてしまうような、調和的な抽象画を作ったようになっている」

 過去の日記を読むと間髪入れずに書き物に移って、前日の記事を仕上げ(正確には一事項、長くなりそうなものを後回しにしてまだ記していないが)、この日のこともここまで記録すると現在は二時四三分に至っている。一時間ほどで記述を生活に追いつける、手早い仕事ぶりである。しかし現状、一二月一日と四日の記事がまだ仕上がっていない。前日の記事は随分とすらすらと綴ることができたのだが、これは昨日のうちに折に触れて生活の端々を思い返しておいたためだろう。特に風呂に入っているあいだや、瞑想の時などに記憶に触れてその形と流れを再構成しておくのだが、そのようにして頭のなかで先に「書いてしまう」ことができれば、いざコンピューターに向かい合った際の仕事も楽になるに違いない。
 書き物に切りをつけたあと、一旦室を出て上階に上がった。洗濯物を畳もうかと思って居間の隅に吊るされたものに近づいたが、触れてみるとこの冷たい曇天で(また、ことによると気付かないうちに雨も降っていたのかもしれない)大して乾いてもいないのでひとまず捨て置き、アイロン掛けを行った。手早く済ませると、まだエネルギーを補給することはせずに、ふたたび下階に戻った。とにかく、音楽を聞きたかったのだ。ここのところ音楽というものに耳を傾ける時間が取れていなかったので、久しぶりにそれを享受したかったのだが、労働を終えたあとの夜だと大概疲労感のために、眠気にやられて音を仔細に聞き取ることができないので、意識が明晰なうちに僅かであっても時間を取っておかねばならないと思っていた。一日のうちで音楽というものに集中して意識を寄せる時間をまったく取れないというのは、こちらとしてはやはり勿体ないことだと思う。自室に戻ると三時直前、出かけるまでに残り時間もあまりないが、まず身体をほぐすことにして、Oasis『(What's The Story)Morning Glory?』を流して軽い運動を行った。脚を前後にひらいて伸ばしたり、また左右にひらいて腰を落としたまま身体を停止させたりと、肉体を柔らかくして温めると椅子に腰を据えて、音楽を聞きはじめた。と言って、時間は少なく、Bill Evans Trioの"All of You (take 1)"と"Waltz For Debby (take 1)"の二曲を聞けたのみである。しかし、身体をほぐしたためだろうか、それとも朝に瞑想を重点的に行ったので心身が良く調律されていたのだろうか、聴覚的視界のなかに展開される音群がいつもよりも鮮明に見え(という風に、「聞こえる」と言うよりはどうしても視覚の比喩を使いたくなってしまうのだが)、"All of You (take 1)"のあいだには右方に次々と連なって繰り出されるBill Evansのフレーズの、その一つ一つの音の粒が実に際立って浮かんでくる。それを追っていると、やはりここでのBill Evansの演奏はとんでもないものではないかと思われた。一九六一年のBill Evans Trioの"All of You"はtake 1からtake 3までどれもそれぞれ異なった表情を持ちながら甲乙つけがたい名演の一揃いで、ここにはどうも得体の知れない複雑さが現前しているのではないかという直感を以前から抱いてはいる。その直感にしたがって、音楽を聞くという時には基本的には必ず最初にこれらの"All of You"のうちの一つを聞くという原則を設け、何度も繰り返し耳に通しているのだが(以前は毎回take 1ばかりを聞いていたので、プレイヤーの履歴を見るとこれは今までに六三回再生されている)、聞いている最中に何ら観察や分析というものが浮かんでこず、得体の知れなさの正体をまったく掴めないままである。と言って別に批評をやりたいわけではないので殊更に何らかの知見を得たいとは思わず(しかし六一年のBill Evans Trioの達成したものを(インタープレイがどうのこうのなどと手垢にまみれきった用語を使って安易な納得に安住するのではなく)具体的に[﹅4]かつ徹底的に[﹅4]分析し、明晰に論述(言語化)するという仕事は、おそらくまだ誰も成し遂げていないはずであり、誰かがやらなければならない仕事でもあるはずだとは思う)、ただそこにある音のすべてを記憶したいと思って何度も聞いているのだが、これが全然覚えられないというのがこの"All of You"の不思議なところだと今日改めて実感した。(……)
 その後ふたたび瞑想を行って二五分間座り、上階に行った。ゆで卵か何かを食べて僅かばかりの栄養素を補給し、歯磨きをしたり服を着替えたりしたのち、出発したのが四時三五分頃だった。玄関を抜けて軒下から手を出せば微かではあるが落ちるものがあるので、傘を取って差して行く。路傍の楓がもうその葉を小さく縮めて萎えさせて、燃え尽きたあとの花火の風情であり、薄暗んだ青さの空を向こうにいかにも乏しい。道中は勿論、明確に寒かったはずだ。服の内で肌の表面が毛羽立つようになっているのがまざまざと感じ取られる冬の気だった。
 その寒さのなか夜道を長く歩くのも気後れするようだったし、翌日は朝が早いということもあったので、帰りは電車に乗った。最寄り駅からの道に特段覚えていることはない。帰るとまだ一〇時前、気楽な室内着に服を替えるとコンピューターを立ち上げて、(……)を読んだ。それから、自然と気が向いてこの日の日記を綴りはじめた。ボールを踏んで足の裏を柔らかくしながら四五分間進めて、疲労が多少軽くなったところで、瞑想を行った。帰宅後の瞑想は以前には習慣に組み込んでいたのだが、腹が空になっていることに加えて疲労も高じているので、やっていると眠気が寄ってきたりして座っているのが苦しいようなのでいつか途絶えさせていた。しかし、ボールを踏みながらちょっと休んでからやればそうした障害も多少緩和されるので、また習慣化できればそうしたほうが良いだろう。食事のあいだのことについては覚えていないけれど、夕刊には例のエルサレムの話題が出ていたはずで、それを追うことはしただろう。一一時から始まったものだったかと思うが、テレビのニュースはスウェーデンにいるらしいカズオ・イシグロにインタビューをしたと伝えて、女性アナウンサーがのちに報じるその談話に触れて、彼が作品を通して訴えたかったメッセージとは、という風な紹介の文句をあまりに安々と口にするのには、やはりげんなりさせられる。この世界がそういうものであり、これからもそういうものであり続けるということは重々承知しているし、「訴えたいメッセージ」というものが作家のほうに[﹅6]ある(とその作家当人が自認する)ならばそれはそれで悪いことではまったくないとも思うが、しかし同時に、このような言葉が何の疑問も伴わず滑らかに発せられて清々しいような顔で堂々と闊歩しているのを目にする時には、そのたびにどうしても、多少なりともうんざりとするような気分が滲むのを禁じ得ないというのが、こちらの体質/生理である。
 入浴するともう日付が変わるのも間近だったと思う。翌朝は六時には起きるつもりで目覚ましを仕掛けたので、さっさと眠るべきなのだが、床に就く気が湧いて来ず、と言って日記を記したり本を読んだりするでもなく、だらだらとウェブに遊んで二時半に至った。そうして二〇分間瞑想をすると就寝である。

2017/12/7, Thu.

 眠ってから四、五時間の時点で一度覚める。ここで起きてしまえば自由な時間が相当に生まれるのだがと思いながらも、やはり容易に寝付いてしまう。そうするとかえって意識の鈍化が甚だしくなり、正午直前まで床に張り付くことになった。この日も朗らかな調子の晴天である。一一時五五分に意識を定かなものとしたが、そこから起き上がるまでに一〇分くらい掛かって、ベッドに腰掛けて肉体の調子を落着けてから洗面所に行った。顔を洗い、嗽をするとともにトイレに入って用を足し、戻ってくると瞑想を行った。カーテンの向こうから、烏の声が時折り、薄く聞こえる。自らの心身の感覚を探って、そろそろ良いかなというところで静止を解き、両手で顔を擦ったり肩をぐるぐる回したりしてから目をひらくと、ちょうど二〇分が経っていた。
 (……)新聞は前日に引き続き、米国の首都エルサレム認定の話題を取り上げている。ものを食べながらそれに目を向ける一方、NHK連続テレビ小説の再放送が終わり一時に至って始まったニュースでは、沖縄は宜野湾市の保育園に米軍機からの落下物があったという出来事が伝えられていた。普天間飛行場から三〇〇メートルほどの位置にある施設で、ちょうど滑走路の延長線上に当たると言っていたと思う。新聞からは、「米大使館 エルサレムに トランプ氏指示へ パレスチナ反発」と、「「首都エルサレム」 トランプ氏 保守層に配慮 移転 時期・場所は未定」の二つの記事を読んだ。ほかにも読んでおきたいと思われるものはあったが、ひとまずそこまでとして、食器を片付け(……)、風呂を洗った。
 白湯を持って自室に帰ってくると一時半前の頃合いだったはずだ。コンピューターを立ち上げ、Evernoteで前日の記録を付けたり、この日の記事を作成したり、またインターネットを少々覗いたりしたあとに、手の爪が伸びていたのでまずそれを切ることにした。tofubeatsの音楽を部屋に流しながら、ベッドの上にティッシュを一枚敷いて、爪を処理して行く。正面の西向きの窓には陽が射しかかっており、白いレースのカーテンの表面、編み合わされた糸で作られた縦の筋の整然と並ぶさまが露わになって、手前の布団の上に落ちた明るみのなかにもストライプ状のその影が投射されている。縦線の隙間には、繊維のそこここに光が引っかかるのだろう、全体として真白く眩しい白の地帯のまたそのなかに、明るさを凝縮された無数の微細片が見られて、光の屑が集合したかのようになっていた。爪を整えてしまうとそのまま少々体操を行って、身体がほぐれたところでちょうど二時である。余計な時間を作らず早々と日記を記しはじめた。前日の後半部のことを記述してしまい、それからこの日のことも綴ってここまで至ると、現在は三時一四分になっている。先ほどまで部屋を囲むようだった明るさは、もはや窓まで届かず既に乏しい。
 そうして上階に行く。冷蔵庫を覗けば前日のケンタッキーフライドチキンが残っているので、箱から一つ出して温め、椀に盛った白米とともに席に就いた。新聞は自室に持ちこんでいたので、食事を取りながら読むものもなく、時折り窓外を眺めやりながら黙々と咀嚼を進める。ものを食べ終え、脂ぎった食器を洗って始末を付けておくと、そのままアイロン掛けを始めた。(……)やはり黙々と服の皺を伸ばしていく。窓の遠くに見える山には橙色が天辺から雪崩れるようになって差し込まれた地帯があるが、それが目に入るタイミングによっては赤々と、朱色に近いほどに色濃く映るようだった。アイロン掛けを終えると下階に向かい、洗面所で歯ブラシを取って室に帰る。歯磨きを済ませると、Oasis "Wonderwall"を流しながら服を着替えた。その後、"Hello"を掛けて一曲歌うと四時半前、ストールを持って上階に行き、靴下を足に付けるとソファに腰掛けて、少しのあいだ瞑目のうちに落着いた。そうして四時三五分になる頃合いで出発する。
 空気はこの日も実に冷たい。坂を上って行く(……)街道に出るともう空に灯がなくなって黄昏に包まれるのも間近、西の山の先から残照が淡く洩れてはいるが、東の果てでは青さももはや澄まず、何やら濁ったような感じを覚えさせる。雲が混ざっているようにも見えないが、明るさを失って仄かな色に変じた青みの、緑の要素が幽かにはらまれているようでもあり、水中にあって先を見やるかのような見通しの悪さだった。裏路地を行っているうちにあたりは暗み、空き地に掛かったところで何とはなしに敷地を見渡していると、視界の端に引っ掛かった残照の、見やれば西の山際で赤の色味を強めていた。
 労働中のことでは、精神疾患の類に対する世間一般の無理解について実感することがあり、(……)。
 帰路は上のことについて考えを巡らせていたので、印象に残っている事柄はほとんどない。裏路の途中で振り向くと月が出ており、それが右上を少々欠いたもので、二、三日前に満月も間近の、などと書き記した覚えがあるところ、いつの間にそれを過ぎていたのかと困惑するようになった。空は澄ました群青色に明るく凍てて、街灯の少ない区画に入れば星もよく映る。
 帰って室に戻り着替えると、コンピューターを点けて、足の裏をほぐして疲労を抜きながら(……)を読んだ。そのあと瞑想をしてから食事に行こうと思っていたのだが、思いのほかに時間が掛かって一一時に至っていたので、瞑想はのちにとして上階に行った。ケンタッキーフライドチキンほかを卓に並べて食べていると、ニュースは例のエルサレム首都問題を報じていたと思う。夕刊からもその話題の記事を追ったはずだが、あまり意識を寄せることができなかったようで、その時のことや文の内容が印象に残っていない。食器を片付けて風呂に入ったのが、もう一一時四五分になる頃だった。ゆったりと浸かっているうちに零時を越える。出てくると、(……)白湯を持って自室に帰り、インターネットに繰り出してしばらく遊び、気を緩めた。一時二五分に至ったところで後回しにしていた瞑想を始める。この夜は眠気は大してなかったものの、腰が疲れていて、枕の上で深呼吸をしているあいだにも肉の膨らんでは縮むその動きで疲労が助長される。それで瞑想を終えるとベッドに横になり、少々腰を休めてほぐしてから、コンピューターに向かい合った。新聞からの書抜きをいくらか進めることに決めていた。それで始めたのだが、文を打っている途中でEvernoteがフリーズ状態に陥り、しばらく待ってもそれが解除されない。ここのところ頻繁に「応答なし」の状態が発生していたので、そのうちこうなると思っていたが、過去にも経験はある。こうなったら強制終了しても甲斐はなく、新たに起動させて作業を再開してもまたすぐに停まるので、停止が自ずと融けるまで待つしかないのだ。それで寝転がって、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読みながらソフトが直るのを待った。二〇分くらいは掛かったと思う。二時半前にモニターを見やると問題は解決していたが、また停まっても困るので、ほとんど作業を進められないままに新聞の書抜きは切り上げることにした。
 (……)四時直前である。本をめくりながら歯磨きをして、口をゆすいでくると、Evernoteに「データベースの最適化」ということを行わせるように指令した。細かいことはまったくわからないが、これを行うとあまりフリーズしなくなり、動作速度が向上されると言う。過去の経験からしても結構時間が掛かるはずなので、コンピューターは停止させないでそのまま放置して、瞑想に入った。二四分間座って、四時三五分に就床した。

2017/12/6, Wed.

 一一時頃から意識を取り戻してはいたのだが、起き上がれないままに一一時四〇分を迎えることになった。この日もまた寝床に光の射し込む晴れの日和だった。ベッドを抜け出して携帯電話を見ると、知らない番号からの着信が残っている。(……)というもので、怪しいなと思って検索に掛けてみると、「(……)」という会社の名前が出てきた。所在は大阪らしい。当然、用件としてこちらから思い当たる節などあるはずもないので、間違い電話だろうかと考えて放置することにした。
 一九分間の瞑想を行ってから、上階に上る。台所には幅広の麺のうどんがパックのなかに用意されている。それを前夜のすき焼きに加えて食べる(……)。汁が少なかったので少し水増しして、煮込んで丼に盛り、卓に就いた。食事を取るかたわら、新聞からは羽生善治が永世七冠とやらを達成したという記事を斜め読みし、ほか、「イエメン反政府勢力 分裂 サレハ前大統領殺害 内戦 更に激化」と、「カタルーニャ前首相の欧州逮捕状取り下げ」の二記事を追った。食後、食器を片付けるといつも通り風呂を洗いに行く。(……)
 そうして、一時頃になったのではないか。自室に帰って二時まで怠けると、洗濯物を取りこみに行った。タオルなどを畳んでしまうと、先の食事から二時間ほどしか経っていないけれど、そのままエネルギーを身体に追加することにして、温めた豆腐に即席の味噌汁、ゆで卵を食べた。新聞を読むこともせず、黙々と食物を摂取すると、食器を洗ってから米を新しく研ぐ。玄関の戸棚の内に保管してある米が一袋終わるところだったので、新たに口を開けて四合を笊に用意した。それから炊飯器の釜を水受けにして洗米するのだが、さすがに水が冷たく、右手が芯まで痛めつけられる。夕刻に炊けるように設定しておくと、下階に戻って歯磨きをした。ベッドに腰掛けて口内を掃除しながら、自分の心中の感触を探ってみたところ、概ね落着いてはいるけれど、前日と比べると地に足の付かないような感覚が僅かに感じられる。焦るような心が微かにあったらしい。口をゆすいできたあとは、出かけるまでに前日の日記を記しておきたいとコンピューターに向かって、三五分で一二月五日の記事を仕舞えた。そうすると三時を回ったところ、服を着替えて、Suchmos "STAY TUNE"を流してから上階に向かった。靴下を履き、ソファに座って目を閉じながら一息ついていると、出発の時間がやってきた。
 玄関を抜けたところでちょうど新聞配達のバイクがやって来たので、初老も近く見える配達員の男性に礼を言いながら夕刊を受け取った。米国がエルサレムイスラエルの首都として認定するという記事の見出しが目を惹いた。新聞を屋内に入れておき、道を歩きだす。木の間の坂に入って右方の眼下を見やると、銀杏の樹がいつの間にやら葉を落としきって、骨組みだけの姿を晒していた。雲が湧きながらも空は概ね晴れているが、空気は明確に冷たい。鼻先が冷え、顔の表面に冷気がひりついて、膝頭も寒々とする。頭上はまだ明るいのに、ともすると震えが走りかねない大気の様子だった。
 街道を渡って北側の裏路地を行く。西に発生している雲に太陽はやや遮られているらしく、森の樹々や家屋の側面に乗る暖色が前日よりも薄くなっている。道を進むうちに、南の空の雲が勢力を増したように見える。光線の具合によるものだろう、鼠色を奥に籠めた上に薄紫を施した風合いで、下端は輪郭線に沿って細く白み、全体としては僅かに粘るような質感が見えて、午後四時前に目にすることのあまりないように思われる類の雲だった。
 帰路は行きに輪をかけて冷え、路上の空気が少しでも動くとまざまざとそれが感じ取られる。自販機に気が行くようだったが、カフェインを摂らないと定めているので、見かけた一台には飲めるものがなかった。道の中途で脇から立った何かの物音に振り向き、それと同時に月はと思い出して背後の東空を見上げたが、姿はなかった。満月も間近に厚く白々と映えたさまを前日に目にした際の時間と高さから推して、この午後八時にはそろそろ出ている頃でないかと思ったが、東の低みに雲が無造作に乱れて残っており、昇りはじめていたとしてもその向こうに隠されてあったのかもしれない。
 帰宅する頃には服の表面が大層冷たくなっていた。洗面所で手を洗って自室に下りて行くが、寒さのためにすぐに服を脱ぐ気にならず、ベッドに腰掛け、電気ストーブを足もとに点けて身体を少々温めてから着替えはじめた。しばらく休んでから九時頃になると食事を取りに行った。ケンタッキーフライドチキンが主なおかずである。食べながら夕刊を繰って、「米「首都エルサレム」認定 トランプ氏 大使館移転の方針」、「「首都エルサレム」 周辺国「中東和平を阻害」 サウジなど、米に警告」の二記事を読み、ついでに一面に並んでいた「もんじゅ廃炉を申請 原子力機構 47年度完了計画」にも目を通しておいた。
 (……)食後は一旦室に戻って白湯を飲みながら時間を過ごした。一〇時を回ったあたりで入浴に行く。ゆっくり浸かって出ると、おにぎりを一つ作って室に帰り、それを食べながらだらだらと過ごした。疲労感のために書き物などに取り組む力が湧かなかったのだ。零時を回ったところで、情報を抜き出して記録していない新聞が溜まりに溜まっているので、少し片付けなければならないだろうと記事を部分的に写しはじめた。一二月一日の分まで済ませると、そのまま続けて日記を記しはじめる。この日のことを外出の前の時点まで記録しておき、それから一一月三〇日の記事を手早く処理すると一時半を間近にしていた。五〇分程度しかキーボードを叩いていないのだが、どうも疲れが高じてこれ以上続ける気にならなかった。特に身体の背面が随分とこごっていたので、ベッドに寝転がり、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読みながら心身を休めた。そうして二時二〇分を迎えると瞑想を行ったのだが、これもやはり眠気のために身体が左右にぶれる。久しぶりの感覚である。食後に緑茶を飲んでいた先般には、やはり覚醒効果が作用していたのだろう、深夜まで更かしていても大して眠くなるということがなかったのだ。この時はそれで一二分を座るのがやっとであり、本当は音楽を聞くなりもう少し本を読むなりしたいと考えていたのだが、これではどうしようもないなと判断して、就寝することにした。インターネットをちょっと覗きながら歯磨きをして、三時からふたたび瞑想に入った。この際には先の混濁はいくらか散って、意識を概ね保ったまま座れるようだった。二〇分を座ってから消灯して布団のなかに入ると、寝付くのにはまったく苦労をしなかったと思う。