2021/1/1, Fri.

 ポウからエリオットへ、そしてアメリカ新批評へと続く批評的伝統の根源へ遡行するなら、カントの『判断力批判』(一七九〇年)に行きあたる。一九世紀中葉、アメリカ・ロマンティシズムの時代がエマソン率いる超絶主義思想の時代でもあったことはよく知られているが、その背景において、すでに当時輸入されつつあったカントの三批判(純粋理性・判断力・実践理性の三機能に関する批判)が影響を及ぼしていたことは、先に引いたポウ的な三区分からさえ如実に判明するだろう。カントは人間を自律的存在と捉え、新批評は詩作品を自律的存在と考えた。これはのちのポスト構造主義の文脈において、「作者の死」転じては「人間の死」という命題が言語自体の、その自律性の検討をより一層深めることになるプロセスに等しい。そして、ここで大切なのが、いずれの場合にも、批評はある種の「暴力」からの解放である点で、まぎれもなく「倫理的」たりえていたという事実である。新批評は詩作品を作者という暴力から解放し、新解釈主義は作者の権利を守るために芸術至上主義という暴力に抵抗した。だが同時に、暴力とは、前作『メデューサの鏡』(一九八三年)で人類学的方法論への造詣を隠さず、本書でもルネ・ジラールを援用しているシーバースにとって[註2: Siebers, The Mirror of Medusa (Berkeley: U of California P, 1983). 本書の翌年、やはりシーバースコーネル大学からも一冊、The Romantic Fantastic を出している。当時、ミシガン大学助教授(英文学・比較文学)。]、自然から文化への移行が文字を媒介に成される時、必然的に浮上する形態である。第四章では、まさにそのようなパースペクティヴが、ルソーからレヴィ・ストロースデリダへ至る系譜の中に看破される。彼によれば「倫理体系が外部の暴力を根絶しようとする時、その根絶行為自体がひとつの暴力を発生させてしまう」(九二頁)。
 暴力を批判する暴力、それが倫理なるものの正体なのだ。倫理は暴力を防ぐその同じ力で、秩序という名の暴力をふるう。ここに、倫理の根拠とはそもそも限りなく非倫理的であるという根拠がある。ところが、シーバースによれば、そのような人間的倫理のないところに批評は成り立たない。というのも、批評とはけっきょく「判断」に尽きるためである。ポウは寓喩を批判することで最も寓喩的な判断を下したし、エリオットは個性を批判することで最も個性的な判断を下した。そもそも判断とは暴力という名の倫理であると同時に、任意という名の批評なのである。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、149~150; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第五章「善悪の長い午後 トビン・シーバース『批評の倫理学』を読む」)



  • 九時半過ぎに一度覚醒。六時間。しかしいつものごとく寝ついてしまい、一〇時半過ぎでなんとか正式な目覚めに至った。滞在はちょうど七時間だから悪くない。とりあえず七時間を保てれば悪くはない。しかしできればやはり、九時半時点で起きたかった。
  • 天気は今日もまた無雲の、新鮮な果肉めいた青さがどこまでもひらき、そそぎこまれている晴天である。水場に行ってきてから瞑想をおこなった。一〇時五三分から一一時一七分まで二四分間。今日はだいぶ感覚が深向した感があった。しかしどうでも良い。ただじっと座っているだけで良い。とはいえ、身体感覚のまとまり方はけっこうなものだった。本当にからだの各部分の切れ目がなくなり、肌が隅までひとつながりの布地になって、なめらかに均された統一体と化す、という感じ。余計なことをせず、座ってじっとしていれば勝手にそうなる。
  • 上階へ。挨拶し、食事。髪をそろそろ切りたい。食事は正月的なお節の物々など。あと天麩羅の衣の余りでつくったお好み焼きと、澄まし汁みたいなスープ。元日だが新聞があったので読んだ。新聞社というのは勤勉だ。一面および社会面に、中国のいわゆる「千人計画」に日本の研究者もすくなくとも四四人関与していることがわかった、という記事があったので読む。いわゆる科学技術系の人々で、かなり著名な学者もいるよう。だいたい高齢になって定年を終えたけれど研究を続けたいというような人が、高待遇に惹かれて中国でのポストに就く、というケースのようだ。即座に軍事転用されるような分野ばかりでなく、基礎的な学術知識を教えていた人もいる。新聞が取材をしたなかで実名を明かしていたのはひとりだけだったと思うが、取材を受けた人々はみな、日本の科学技術研究環境に対して不満を漏らしていたと言う。すくない助成金を奪い合うような競争社会になっており、したがっていわゆるポスドクみたいな問題も出てきて、非常に不安定でリスクのある道になっていると。ひるがえって中国では研究職というのは若者にとって夢のある分野になっているし、またこの教授たちが実際に受けた待遇としても、研究資金はめちゃくちゃもらえるらしいし、手伝い付きの住居が提供され、職場までの送迎も無料でしてもらえたとか。それはまあそちらのほうが良い、となるわな、という感じ。とはいえ米国は「千人計画」を警戒しており、海外で赴任する研究者には情報を開示するよう義務付けているというし、日本もその路線を踏襲する方針らしい。ただ、教授のひとりが言っていたことによれば、研究論文自体は全世界に公開されているので、べつに「千人計画」に参加していなくとも軍事転用につながる可能性は否定できないとのことだ。
  • 国際面では、香港でいったん保釈されていた黎智英がまた収監されたという記事を見た。
  • 皿洗いは父親に任せ、風呂を洗う。天気があまりにも良くて、窓の細い隙間から覗く外には陽が満ち満ちているし、空も青く澄み渡っているので散歩に行きたい気持ちが湧く。ただ、行くとしたら、もういますぐだろう。陽がどんどん傾いてしまうので。また、歩くからにはなんとなく、仮でも良いので到達地を定めないとあまり歩く気にならないのだが、それが見つからない。近所を回るだけでも良いとは思うが。いずれにせよのちの気分次第としてひとまず帰室。
  • コンピューターを用意し、前日の記事を仕上げて投稿。それから今日のこともここまで綴って一時半を過ぎたところである。打鍵をゆっくり、しずかにしたい。
  • 日記作成および投稿のあいだは小沢健二『球体の奏でる音楽』を聞いており、そのまま『犬は吠えるがキャラバンは進む』に入っていて、書き物を切りとして調身をはじめたあともスピーカーから流しつづけていたのだけれど、柔軟をしながら耳を傾けてみると、#7 "天使たちのシーン"が、前から良い曲だとは思っていたがちょっとびっくりするくらい、ビビるくらい良い曲で、デビューアルバムでこれをやってしまったの? とおののいた。とてもすばらしい。この曲もそうだしアルバム全体を通してもそうなのだけれど、この最初の一枚において充溢し醸されている感覚というのはその後の小沢健二からはなくなってしまい、それはこちらからすると非常に残念なことだ。"天使たちのシーン"は冒頭、「海岸を歩くひとたちが砂に 遠く長く足跡をつけてゆく/過ぎていく夏を洗い流す雨が 降るまでの短すぎる瞬間」という一節からはじまるのだが、ここからしてすでにすばらしく、風格めいたものが漂っている。詞としては古典的と言って良いようなもので、要するに季節と風景の提示から導入されるわけだけれど、この正統性は近年の大衆歌からはほぼ完全に失われてしまった要素だと思う。かなり古典的で保守的な感性なのかもしれないが、こちらはこういうものがとても好きだし、歌にもやはりほしい。詞だけでなく、それと結合したメロディの流れ方、およびワンコーラスの構成が、非常に綺麗に、まるく真円を描くようにしてまとまっており、手本みたいなおさまり方をしている。あとは基本的にはそれをループして、ときどきパートを加えながら発展していく形で、合間に入るソロも良く、特に二回目のソプラノサックスのソロが鮮やかである。これは誰なのか? ちょっと検索した限りではわからなかった。全体を通してボレロ的な漸進的盛り上がりもうまく行っており、詞には端々で光るフレーズがあるし、主題もこちら好みで、最後が「賑やかな場所でかかり続ける音楽に 僕はずっと耳を傾けている」で(さらに「耳を傾けている」が二度反復されながら)終わるのも良い。タイトルが"天使たちのシーン"となっていながら、「天使」につらなりそれを連想させる語彙が「神様」くらいしか出てこないのも良い。びっくりした。名曲と言って良い。それまでの活動はあったにせよ、デビューアルバムで最初からこういうことをやろうと思い、実際できてしまったのがなぜなのか、それ以後の作品を聞くとよくわからなくなる。
  • 上の感想を書き足すと「英語」を音読。今日はあまり興が乗らなかったというか、四〇分ほどで疲れたような感じになった。現在八時半で、もうそろそろ夜も本格になるので音楽を流して文を読むことができなくなるのだけれど、「記憶」のほうを読んでおこうという気にもならない。飽きてきたのかもしれない。腕も連日ダンベルを持っているから多少疲れていたようで、それも影響したかもしれない。本当に飽きたらやめても良いが、一応いまのところは、毎日「英語」にも「記憶」にも、触れるだけは触れたいと思っている。
  • 久しぶりにギターを弾きたい気持ちがあったが、先に脚をほぐそうということでベッドへ。今日はメルヴィルを読むのではなく、禁忌を破ってコンピューターを持ちこみ、しかしネットの海に遊ぶのではなく(……)さんのブログにアクセスし、二六日以降の記事を一気に読んだ。二七日冒頭には以下の書抜き引用。

 人工知能に対するもう一つの疑問として、しばしば提出されてきたのが、いわゆる「フレーム問題」と呼ばれる難問です。もともとは、人工知能研究者のマッカーシーとヘイズが発表した論文に由来しています。この問題を、アメリカの哲学者ダニエル・デネットが1984年の論文であらためて提起し、今ではデネットの卓抜な思考実験が、たいてい使われるようになりました。そこで、やや長くなりますが、問題を確認するためにも、デネットの描いた思考実験を見ておきたいと思います。

 ①むかしR1というロボットがいた。ある日、R1の設計者たちは、エネルギー源となる予備バッテリーを、ある部屋に置き、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようにセットした。R1は、その部屋からバッテリーを回収する作戦を立てた。部屋の中には、ワゴンがあり、バッテリーはそのワゴンの上に載っている。R1は「引き出す(ワゴン、部屋)」という行動を実行すればよいと考え、ワゴンを部屋の外に持ち出すことに成功したが、不幸なことに、時限爆弾もワゴンに載っていたので、部屋の外に出たところで、R1は爆破されてしまった。
 ②設計者らは第2のロボットの開発に取りかかった。ロボットは自分の行動の意図した結果だけでなく、意図しなかった結果をも判断できなくてはならない。そのためには、行動の計画を立て、周囲の状況の記述からその結果を演繹させればよい。そこで、新たにつくられたロボットはR1D1(D=Deduce(演繹))と名づけられた。そこで、R1D1は、R1の場合と同じ状況に置かれ、バッテリーの回収に取りかかった。「引き出す(ワゴン、部屋)」という行動の実行に先だって、R1D1は結果を次々と考え始めた。ワゴンを引き出しても部屋の壁の色は変わらないだろう、ワゴンを引き出せば車輪が回転するだろう(中略)。こうした結果の証明に取りかかったときに、時限爆弾がさく裂した。
 ③問題は、目的にかんして、関係のある結果と関係のない結果を、ロボットが見分けられなかったことにある。そこで、開発者たちは、目的に関係のない結果を見分けられるロボットR2D1をつくった。ところが、R2D1は部屋に入らず、その前でうずくまったのである。部屋の前で、R2D1が無関係な結果を見分けて、それらを一つずつ無視しつづけている間に、時限爆弾が爆発したのである。(①~③は筆者による)

 ここでお分かりのように、「フレーム問題」というのは、人工知能が具体的な場面で行動を起こすときに陥る難問に他なりません。自分の目的を遂行するためには、それに関連する無数の結果をも考慮しなくてはなりません。ところが、②のように、そうした結果をすべて考慮していては、何も行動を起こすことができなくなるのです。そのために、③のように、あらかじめ「目的に関連する重要な結果だけを考慮せよ、それ以外は無視せよ!」と命じたとしても、そもそもどれを考慮し、どれを無視してよいのか、無限に判断しなくてはなりません。こうして、結局は、何も行動できなくなってしまうわけです。
 とすれば、こうした「フレーム問題」を解決しないかぎり、人工知能は不可能だと言うべきでしょうか。注意しておきたいのは、「フレーム問題」が人工知能だけでなく、私たち人間にとっても、状況は同じだという点です。人間は「フレーム問題」を解決しているから、行動できるわけではありません。
 人間にしても、結果をすべて考えようとすれば、まったく行動できなくなるでしょうし、どれが目的に関連のある重要な結果かも、必ずしも明らかではありません。ただ、人間の場合には、そうした「フレーム問題」に拘泥せずに行動するにすぎませんが、そのため①のように爆破されることも少なくないのです。
 ところが、現在、ビッグデータを背景にして、人工知能の分野でも、人間と同じように「フレーム問題」に陥らず(解決ではなく)に、働くようになりつつあります。だからこそ、車の自動運転も実用化が目ざされているのではないでしょうか。
(岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』 p.108-111)

  • これはジョルジュ・カンギレムがたしか晩年、デカルトを読み直しながら考えていた問題そのものだなと思った。グザヴィエ・ロートという研究者の、『カンギレムと経験の統一性』だったか、そんなようなタイトルの本に書かれていたおぼえがある。人間は理性的にあらゆる考えを巡らせてから行動しているのでは決してなく、もしそうしていたらまったく行動ができなくなる、そうではなくてともかくも何かしらの要因で先にやってしまうのであり、行為のその先行性こそが人間の文明や科学技術などを発展させてきた、みたいな話だったと思う。法政大学出版局叢書・ウニベルシタスの本で、あれももう一度読みたい。
  • 同日には中国の学生に課した「定義集」の回答も。なかなか面白かった。(……)さんがやはりほかと毛色が違って、ひとつ頭抜けているように思う。いくつか硬すぎる回答もあったけれど、「幸せ」に対する「月曜日を蹴っ飛ばすこと。」「野良猫と見つめ合う時。」はこちらとしてはどちらも好きだし、「恋愛」を「底知れない学問。」などと言っているのもなかなかで、何より「大人」を「賞味期限が切れた牛乳のようなもの。」とたとえているのは、これはすごいじゃないかと思った。
  • ほか、こちらとして気になったものは、「恋愛」だと、(……)という生徒の「以前一人でしたことを二人ですること。」。簡潔で凝っていないが、明快な説得力があって悪くない。(……)さんは「二つの世界がぶつかり合う過程。」というこたえを出しており、「過程」でおさめたのは良い。(……)さんが「スマホ」を「没落の始まり。」としているのは笑う。(……)さんの、「夜更かしの主犯。」の「主犯」もなかなか良い。「お金」は一番最初の(……)という人の、「良い僕であり、悪い主人でもあるもの。」が良いじゃんと思った。(……)さんはここでは「使えば一時的な幸せをくれる消耗魔法。」としており、この女子はたしか一見あかるくて快活そうなのだけれど、その実ひとりでいるのがけっこう好きなタイプで、加えて人間関係とか実存方面の事柄にわりと悩むことがあるという人種だったと思うが、この「定義集」の回答を見ると、なんか妙に達観していないか? という印象が持たれた。(……)さんの、「それを持っているだけでは何もできないもの。」「それがなければ何もできないもの。」のセットはわかりやすい。「言葉」という題では、(……)という生徒が「すべてのものの間のロマンス。」とこたえていて、良いではないかと思った。一九世紀のボードレール的な(あるいはマラルメ的な?)「照応」概念を思い出す。全体を通して一番良かったのは、やはり「大人」=「賞味期限が切れた牛乳のようなもの。」か。
  • 二九日には、福原泰平『ラカン 鏡像段階』からの引用の一部に、「また、これとは逆に、鏡像段階自体の成立がこの第三の人称に支えられているという点も確認しておかねばならない重要な点である。鏡にみとれ、そこに映る統一的な全体像に魅せられる幼児の後ろには、必ず主体と鏡像ともう一つ、第三人称の他者のまなざしというものが存在していることを押さえておかねばならない。つまり、幼児は自己の鏡像をやはり微笑をもって迎えてくれる大人のまなざしの中に確認することで、はじめてそれとして受け取ることができるようになるとラカンは考える」という説明があって、なるほどそうだったのか、と思った。それで、ロラン・バルトが『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の最初のほうに載せた写真のなかで鏡像段階について触れているときも、赤ん坊のバルトを後ろから抱いた母親がほほえみながら一緒に映っている写真になっていたわけだ。
  • 全然知らない作家だが、銭鐘書/荒井健・中島長文・中島みどり訳『結婚狂詩曲(囲城)』というのがやたら面白いらしい。『囲城』って、おなじタイトルがやはり中国の作家で、たしか日本軍占領下の上海を舞台にして書いた作品があって、光文社古典新訳文庫に入っているというのをすこし前に新聞で読まなかったか? と思ったのだが、これは張愛玲『傾城の恋/封鎖』だった。
  • ひとのブログを読んだあと、自分のブログもなんとなくここ数日分を読み返してしまい、というかゴルフボールで背中をほぐしている最中で動きたくなくて、それを続けるがために片手間に何か読むものをもとめた結果アクセスが一番楽だった日記が選ばれたのだが、それで五時まで臥位に留まった。切って上階に行くと、母親がすでに食事の支度をやってくれていた。父親は炬燵で寝ている。やることがないようだったが、せめてもと食器乾燥機のなかを片づけ、台所の床に散らばっていた野菜の微細な屑を拾って捨て、生ゴミを始末し、そうして帰室した。久しぶりにギターを爪弾くことに。しかしあまりうまく流れず。やはり指の動き、もしくは指板上のポジションを脳内にイメージ化してしっかりとらえ、それを見放さないようにするというか、その像が明確でない場合は弾かないようにするというのが重要ではないかと思うのだけれど、実際には指のほうが先行して、像がはっきりしないままに動いてしまうことがままある。そのあいだの距離をなるべく小さくしていけたほうがたぶん良いだろう。とはいえ、いずれにしても適当な似非ブルースなんかいくらやっていても何の話にもならないわけで、文を書けるようになるのに他人の文の書抜きが必要だったように、本当はもっと他人の演奏や音楽をたくさんコピーしていかなければならないのだが。
  • 大して良い演奏もできないのに、いつものことで切り時が見出せず、七時前までだらだら遊んでしまった。上階へ。父親は、先ほどは一応上体を起こして眠っていたのが、もう完全に横に寝転がっていた。麻婆豆腐丼や、天麩羅や澄まし汁の余りなどで食事。新聞から、ロシアで反体制的な活動やSNSへの投稿を取り締まる法が可決されたという記事や、イギリスのEU離脱が正式に完了したという記事を読んだ。最中、タブレットが着信を鳴らし、ロシアの兄夫婦から電話がかかってきたのだなと知れた。眠っていた父親が起き上がり、意識の曖昧そうな様子で出ると、(……)ちゃんの声が響き出してきた。こちらもいったん椅子を離れてソファに腰掛け、新年の挨拶だけしておいたが、食事の途中だったからすぐにもどり、また食後も特に話す気分でなくさっさとひとりになりたかったので、(……)くんが危なげなく堂々とした足取りで歩く様子だけちょっと眺めると、茶を用意して下階に下がった。(……)くんは今度の一月二九日で丸一歳だが、ずいぶんとしっかりした足腰を持っている。
  • 九月一〇日は(……)と通話しており、そこで彼が二〇一八年くらいまで付き合っていた恋人との性関係及び破局が語られていて、それがけっこう面白かったので引いておく。

 そんな話をしているうちに、(……)が去年まで付き合っていた恋人との性関係の話題になった。その女性というのはモンゴル出身の人だったのだが、いざ行為に及ぶという段になると、前戯などすっ飛ばしてとにかく早く入れろ入れろとそういう欲求の持ち主だったらしく、その情緒のなさに(……)は辟易していたと言う。ベッドに入ると必ず一度はやりたがる、しかし(……)としては今日は何もせずに穏やかに眠ろうよという日も当然ある、ところが恋人はそれにはお構いなしなので、相手の欲求を解消してあげないといけないというわけで、無心になってひたすら手を動かす、そんな時は自分は一体何をやっているんだろうという虚しさ、惨めさ、情けなさのような感情に打たれたものだと(……)は話す。その彼女とのあいだに一度トラブルが持ち上がったことがあった。――相手がやっている最中に、もっと強く、と求めるわけだ。しかもあいつ、それを言うのに副詞じゃなくて形容詞を使うんだよな。more strongって、stronglyじゃないかと思うんだけど……と言うか、そもそもstrongを比較級にするんだったらmore strongじゃなくてstrongerだろうと思うんだが、まあ行為中にそんなことを指摘したら白けるから、勿論言わない。で、ともかく、もっと強くと言うものだから、まあ、強くしたわけだよね。そうしたら、その後、痛い、と言うわけだよ。聞けばどうも、膣のなかが傷ついたと言う。それで手術をしなければならないと。それが一〇万掛かると言うので、まあすぐに振り込んだ。それで手術は済んだんだけど、その後もしばらくのあいだは痒かったり痛かったりするらしくて、たびたびそれを訴えてくる。俺もまあ、強くと言われはしたけれど、実際に身体を動かして傷つけたのはこっちだから、自分にも責任があるのは確かなんで、ああ辛いんだなと思って不平を言われても言い返さずに我慢してきた。……でもそれがあまりにも続くんだな、半年とか一年経ってもその時のことを蒸し返される。そうするとさすがにムカつくし、いや、お前が強くって言ったんじゃん、とも言いたくなるわけだよ……向こうにも責任があると思うんだよね。割合としてはこっちと向こうで五分五分くらい。それとも、いや、お前が悪いだろうと、(……)に九割くらい責任があるだろうと思う? ――いや、まあ、わからんな(とこちらは日和見的に、曖昧に受ける)。――まあ五分五分くらいとしておいてほしいんだけど、それで随分経ってもまだその時のことを言われるもんだから、それもこっちが全面的に悪いっていう言い方をしてくるのよ。お前が女性の扱いに慣れていないからだとか、経験が少ないからだとか、言ってくる。それでさすがにうんざりしちゃって、あれはもう別れようと思ってた頃だと思うけど、ついにぶちぎれて、ぶち撒けたことがあった。お前が強くって言って俺はそれに応じたのに、俺が全面的に悪いみたいな言い方をされるのは非常に気に入らない、と。そうするとでも相手は、そんなことは言ってないって言うんだな。……まあ本当に都合の悪いことを忘れてしまっていたのか、それともしらばっくれていたのかわからないけど、どちらにせよ、この人とはもう付き合えないと。――それでも、どれくらい付き合った? ――二年半くらいは続いたかな。――よくそれだけ続いたな。――これもね、良くないと思うんだけど、プライド。――プライド? ――何かその、付き合ってすぐに別れるっていうのは自分として許せないようなところがあるのね。それにまあ、長く付き合ってみないと見えてこないところもあるでしょう、それはある程度真実だと思ってるから。……まあなあなあの、成り行き任せと言われればそうかもしれないけれど。……ともかく、そういう件を通じて学んだのは、信頼って本当に大事だなってことだね。信頼を作るのは大変で、壊すのは簡単だとかよく言うけれど、本当だなと思うね。だから、恋人関係に限らず、友人関係でも、大学の方の関係でも、信頼関係を裏切るようなことはするまいとね、思ってるよ。

  • それから今日のことを、立位でここまで書き足して、九時半前。これから風呂に行く。
  • 入浴。最近眼窩の周りや頬骨をよく揉んでいたからだと思うが、顔面の感触がわりと柔らかくなっている。首も、過去の日記を読み返すあいだに両側とも指圧していたので悪くない状態。湯に浸かったり頭を洗ったりしながら色々ものを考えたが、特に記述できるほどのまとまりをなしてはいない。ただ、出勤や外出時に、最寄り駅に行くのではなくてやはり一駅先まで歩いていったほうが良いのではないかというのは思った。特に明確な根拠はないのだが、やはり歩いたほうが、からだにも頭にも良いような気がする。あと、歩行の時間というのは、一応目的地=目的性に紐付けられてそこに基本的にはまっすぐ向かっていく動きではあるけれど、そのあいだには無数の脱線の契機があり、装飾的な差異の脇道がほとんどモザイクみたいに散りばめられているし、何よりなんらかの活動に拘束されておらず、そこから離れた自由で解放的な時間なので。平たく言えばいわゆる隙間の時間ということだ。その隙間の時間を多く取っていったほうがむしろ良いのでは? という気がするのだ。ついその一日のパフォーマンスを最大化するような方向にがんばってしまいがちで、電車に乗ればあと一〇分か二〇分はあれができる、という風に考えてしまうのだが。そうではなくて、最大の効率を目指そうとしないで、余裕を持って歩いて移動することを前提にしたほうが、普通に心身にとっても、また方法論的に、戦略的にもむしろ良いのでは? という気がする。以前はそんなことを考えることもなく、ただいつも歩いて出勤していたのだが。それはたしか、わずかではあるけれどそれだけ電車代が浮くからそうしていたはずだ。もう一度、そういう習慣にもどしたい気がする。
  • こちらの興味関心の大きな部分というのは、基本的に具体的な個人が媒介になっている。その具体的な個人は多くの場合、作家であるわけだが。パレスチナ問題に興味を持ったのはエドワード・サイードを介してだったし、シベリア抑留について知りたいと思うのは石原吉郎を読んだからだ。ナチスドイツがのっぴきならない主題になったのはショアーへの関心からだし、ショアーが、それ以前からすでに興味の対象ではあったけれど、本格的に学ばなければならない事柄となったのはプリーモ・レーヴィを読んだためである。
  • 昼間、もうそろそろTwitterを閉じようと思って、この場で多少なりとも親交を得た人にその旨伝えてgmailのアドレスを教えておいたのだが、そちらに送られてきたメッセージに返信。それから、長いこと放置してブログに投稿もしていなかった過去の日記をいい加減片づけることに。ブログを見てみると、七月の序盤から穴が生まれていた。これだけ時間が空けばもう書くもクソもなく、メモとして記されていたものをそのまま検閲して投稿すれば良いだろうというわけで、そのようにして、七月七日から一〇日まで投稿。
  • 二〇二〇年七月九日に以下。(……)さんのブログの感想。

 続く四月四日、「私」の冒頭には、「買い物がてら、近所を散歩しながら、ぼーっと道行く人々を眺めていて、若い人も、子供も、老人も、男も女も、歩く人も自転車も自動車も、すれちがった様々な人々が、それを含めた何もかもが、もしかして全部自分だとしたらどうだろうか、と思った。自分と彼らは、ぜんぶ自分。今この私はそう考えているけど、すれ違ったあの人はそう考えていないだろう、しかし、それも含めてぜんぶ自分なのだ。そう考えた自分とそう考えていない自分、というだけなのだ」とあって、これはすごい。こういう小説を書いてみたい。三段目にも、「それは誰かに対する私の共感とか感情移入ではない。そうではなくて、はじめからどうしようもなく自分で、この世界全体がもともと自分で、それが状態に応じて分割され、自分とそれ以外になってるだけみたいな感じだ。(……)もっと極端に言えば、私は誰かを殺さないけど、誰かは私を殺すかもしれなくて、しかしそれはそう思わなかった私とそう思った私がたまたま出会ったことの結果にすぎない。だから殺された私は死ぬが、殺した私は生きている。私は死んでしまったり、生きていたりする」という説明があり、これをもし表現できたら、そのテクストは狂っている。これはすごい。やってみたい。全然わからんけれど、グレッグ・イーガンとかがもしかしたら、「文学」としてではなくてテクノロジカルなSFの領域から、そういう表現を追求しているのではないか。

  • 七月一〇日の冒頭。「先立つ知はすべて大いなる美に回収される」とはなかなか格好良いし、たしかにめちゃくちゃラテン語の格言っぽい。

 一〇時台に覚醒。夢見があったが、覚めるとともに大方消えてしまった。何か男と殺し合うという、物騒なと言うよりは漫画的な趣向があったはず。そのなかで、「先立つ知はすべて大いなる美に回収される」みたいな、古代ローマの格言にありそうな言葉が出てきた。しかもラテン語風の読み方がついていたような気がする。ほか、上の夢と繋がっていたと思うが、何かレースみたいなものに参加していて、沼沢地帯みたいなところを走っていく途中、豊かな草に覆われた斜面を登ろうとすると、上にいた人間から水をぶっかけられるような場面があった。しかもその人物は「ラカン」と名指されていたような気もする。

  • からだがやや疲労し、とりわけ背がこごったので寝台へ。ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読む。捕鯨という営みの起源を神話の英雄や聖人などにもとめて、かなり強引に彼らを原初の捕鯨者として位置づけ称揚し、我々はその一族の末裔であるとか主張する章の劈頭だった気がするが、「できる限り注意をこらしながら無秩序に進めていくのが最良の方法だという仕事が世にはある」みたいな一文があって、慎重に注意しながら無秩序にやるという定式は良いなと思って印象に残った。
  • 一時直前まで。それからすこしだけ、つまり六分だけ柔軟。合蹠とコブラコブラに慣れて背がわりとほぐれてきたら、今度は反った状態でからだを左右にわずかひねる動きを加えると良さそうだ。そうするとおそらく、脇腹あるいは腰の側面あたりを伸ばすこともできる。
  • 夜食をもとめに行った。上階には母親がまだ起きてテレビを見ている。母親は最近夜更かし気味になっている。父親が家にいるとひとりの時間が確保できないし、テレビもしずかに落ち着いて見ることができないから、ここでカバーしているわけなのだろう。豆腐を食おうと思っていたのだが、一二月二六日が期限だった古いものしかなかったので、即席の味噌汁とおにぎりを用意。味噌が入った細長い袋を開けて椀に中身を押し出しているあいだ、ただひたすらに、めちゃくちゃ歩くだけみたいな小説を書きたいなと思った。というか、徒歩で世界を開拓していく小説というか。だから実際にはそれはただ歩くだけ、ということにはならず、要するに旅もしくは冒険としての小説になるだろうが。漫画やライトノベルの方面で数年前から異世界転生物が流行っているけれど、その枠組みで、未開世界というか、世界の全容がまだまだ知られていないが多少の文化文明は各地に散在している世界に転移させられた人間が、ひたすら歩くことによってその世界を解き明かしていく、みたいな。というのも、現代を舞台にやっても成立しないし、たとえば紀元前くらいを舞台にするとしても、歴史的考証とかをする力がとてもないので、異世界設定にすればそのあたりはどうとでもなる。開拓の途中、各所の町などで遭遇する人間たちとの関わりも物語に組みこんでいく。さらに加えて、「神殺し」あるいは「神への叛逆」をテーマとして盛り込めると、なんとなく盛り上がりそうな気がする。つまり、主人公を異世界に転移させた神みたいなやつがいるとして、物語の冒頭でそいつを早速殺してしまって単なる放浪者になるか、あるいは彼の旅すなわち開拓行が神に対する抵抗になる、みたいな理屈をつくれればなんとなく面白くなりそうな気がする。異世界でなくとも、ありがちな設定ではあるが、人体冷凍保存技術でずっと眠っていて何千年後かあとに目覚めると旧人類は滅亡して新しい文明の黎明になっていた、みたいなやり方でもいけなくはなさそうな気がする。
  • 食物を持ってもどると、食べるあいだに「【じんぶんや第78講】 熊野純彦選「困難な時代に、哲学するということ」」(2012/3/5)(https://www.kinokuniya.co.jp/c/20120305163325.html(https://www.kinokuniya.co.jp/c/20120305163325.html))を見た。選書の軸を四つ立てているのだが、そのひとつとして、「(3)研究書という宇宙。すぐれた研究書はそれ自体ひとつの「世界」をかたちづくっています。あるいはそれ自身として一箇の「小宇宙」といってよいものです。古典ともなった研究書は、そこに盛られた知見そのものがたとえ古びていったとしても、なお生きのこります。テクストとしての固有の魅力によって生きのこってゆくのです。今回は選に入れませんでしたが、たとえば丸山真男の『日本政治思想史研究』にふれて、わたくしはかつておなじ趣旨の発言をしたことがあります」とのこと。気になったものをメモしておくと、「(2)倫理学的な思考へ」のカテゴリでは、熊野本人の訳だが岩波文庫レーヴィット『共同存在の現象学』がある。カール・レーヴィットという人にはわりと最近興味を持ちはじめたので、この本の存在は認識していなかった。上に引いた三番からは、すでに読んだ熊野の『レヴィナス』以外をすべてメモしておくが、谷隆一郎『アウグスティヌスと東方教父 キリスト教思想の源流に学ぶ』(九州大学出版会、二〇一一年)、宇都宮芳明『カントと神 理性信仰・道徳・宗教』(岩波書店、一九九八年)、加藤尚武『ヘ-ゲル哲学の形成と原理 理念的なものと経験的なものの交差』(未来社、一九八〇年)、廣松渉資本論の哲学』(平凡社ライブラリー、二〇一〇年)である。四番は「詩と思想の交錯へ」という軸。田村隆一吉本隆明高橋睦郎のほか、坂部恵『仮面の解釈学』(東京大学出版会、二〇〇九年)と、菅野覚明『詩と国家 「かたち」としての言葉論』(勁草書房、二〇〇五年)。最後のやつがクソ面白そうで、こんな本があったのかとビビる。
  • それからまた今日のことを書き足すと、ちょっと遊び、二時半過ぎから、もう残り時間もすくないので何をやるともならず、短歌を考えた。しかし形成には至らず。二時五五分で消灯。ついに消灯を二時台にまではやめることに成功した。と言って、そこからまだしばらくは眠らず調身するのだが。そういうわけで柔軟をやって脚をよく伸ばし和らげたあと、枕に座って瞑想に入ったものの、全然耐えられず、五分で切り上げた。三時一五分に就寝。

2020/12/31, Thu.

 (……)シーバースが展開するのはレトリックを使用してもレトリカルに終わることもなければ政治的[ポリティカル]に走ることもない、あくまで倫理的批評を再考しようとするスタンスと呼べるだろう。
 その姿勢は、古代から倫理的批評の歴史を説きおこす第一章から典型的にみられる。なるほど、プラトンは文学を悪と判定し、続くアリストテレスプラトン的倫理観から逃れようとするあまりに批評と倫理を分割しようと試みながら、けっきょくはふたりとも文学をその暴力性によって判断しようとしていた。対するに、カントは文学をあくまでその自由度によって判断しようと目論んだ。ところが、ここに重大なパラドックスが潜む、と著者はいう。カントによれば、美が美として認識される根拠は人間の美的基準が普遍的であるためである。ここには、徹底して個人的な偏見を排斥し、美学における人間的平等を「自由」の名のもとに理想化する視点がみられる。けれども、個人個人で美的尺度の偏らない[﹅9]世界を指向することそれ自体が、きわめて倫理的に偏った[﹅7]ヴィジョンなのではないか。
 なるほど、文学が自由を目的とする限り、それはあらゆる倫理的要請から逃れなければならないが、その倫理的要請の最たるもの、それは自由以外のものではない。美学と倫理学がほとんど淫らにからみあうスキャンダル。文学が文学であるための倫理的純潔性を保つためには、文学批評はほかならぬ倫理性を駆逐しなければならないという皮肉きわまるパラドックス。倫理は倫理自身と食い違う。かくて、シーバースニーチェに則りつつ、こう断定する。「文学が最終的に倫理から逃れるためには、まさに倫理こそが文学[フィクション]でしかないものと割り引く手段しか残されていない」(三一頁)。(……)
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、147~148; 「第二部「現在批評のカリキュラム」; 第五章「善悪の長い午後 トビン・シーバース『批評の倫理学』を読む」)



  • 一〇時半頃一度覚めて、よし、七時間だと計算してカーテンをひらき、まだ窓ガラスの真ん中あたりに浮かんで輝いている太陽の熱を受けたのだったが、そうしているうちにまた眠ってしまい、結局は正午前にいたるいつもの体たらくである。なかなかうまく行かない。やはり就床前は一時間くらい寝床で脚をほぐしたほうが良いのかなあ、と思う。昨日は寝る前にストレッチをやったので、脚の状態は良かった。柔軟をやってから眠ると起きたときの脚の肉のこごり具合が格段に違う。これはかならずやるべきである。
  • ベッド縁に腰掛けティッシュを鼻に突っこんで滓を掃除したあと、洗面所とトイレに行ってきてから瞑想。とにかくすこしでも時を減速させたい。その一心である。数的分割を施されたあとの静態的時間を離れた充実純粋時への接近もしくは接触を試みること、そしてこの世の絶対的原理である時間の流れと忘却に対する反動的かつ倒錯的で無謀な抵抗、それが瞑想であり日記である。一六分座った。からだの感覚はわりとなめらかになった。深い領域に入ろうなどというのは余計な欲だ。ただ座ってじっとしているだけで良い。能動性はなるべくないほうが良い。
  • 上階へ。ジャージに着替えてうがいをしたあと食事。昨日の炒め物の余りと鮭をおかずにして米を食う。豚汁の残りも。一日経つとコクが出ておいしいと母親は言っていたし、父親も食べ終えたあと、うまい、と力強く漏らしていた。新聞は国際面を読む。弾圧を逃れて台湾に渡ろうとした香港の民主派活動家一二人のうち、一〇人に判決が下されたと。法廷の場所は深圳市にあるなんとか法院みたいなところで、地裁に相当すると書かれてあったと思う。量刑は数か月から最長三年の禁錮刑。罪の内容は国家安全維持法を破ったということではなく、不法越境みたいなこととして記されていた。ほか、ドイツのクランプカレンバウアーみたいな名前の国防相が読売新聞のインタビューにこたえて述べた内容をすこしだけ見た。いわゆるインド太平洋地域への関与と日本との関係の緊密化を目指しているみたいなことだったと思う。左下のほうには韓国で法相が交代させられたという記事があったが、それはまだ読まなかった。
  • 両親の分も合わせて皿洗い。水がめちゃくちゃ冷たく、骨が痺れる。しかしレバーを左に動かして湯を使うほどの気は起こらない。それにしても昔の人間はみんな冬にはこういう切断的な冷水で洗い物をしていたのだからすごいと思った。『おしん』とかちょっと思い出すわ。くまなく雪の積もったなか、川の水で肌着か何かを洗うというシーンがあったはず。『おしん』なんて生まれる前のドラマだし、いつ見たのかわからないが。
  • 風呂も洗ったのち、緑茶を持って帰室。いま茶壺に入っている茶は全然うまくない。あと、茶をそんなに頻々と飲むのではなく、一日一回、質の良い茶葉ときちんとした淹れ方で本当にうまい茶をつくって味わうほうが良いのではないかという気も最近ではしている。いまは淹れ方もクソもないような飲み方をしているので。あまり量を飲みすぎてもやたらトイレに行きたくなったり、緊張したりするので、少量をじっくり楽しむほうが良いのではないかということだ。静岡県の人々とか、平均して一日に五杯くらいは飲むみたいなデータを聞いたことがあるような気がするけれど、彼らにはそういう支障は起こらないのだろうか。
  • コンピューターとNotionを用意すると昨日の記事を二〇分書き足して仕上げた。そのまま投稿。BGMはNina SimoneNina Simone Sings The Blues』の昨日の続き。最後の"Blues For Mama"が良かったが、Wikipedia記事によればこの曲にはSimoneのほかにAbbey Lincolnがクレジットされている。Lincolnもそうだし、Max Roachもそうだし、それで言ったらおそらくCharles Mingusが筆頭なのかもしれないけれど、このあたりの人々は公民権運動とのかかわりも深いはずで、そちらの方面からも学ばなければならない。
  • それからThe John Butler Trio『Sunrise Over Sea』を流しつつ今日のことをここまで記した。二時一九分。眠る前に柔軟をしておくとマジで脚の感じが違う。John Butlerは久しぶりに流したのだけれど、格好良い。アコギでこういう感じのことができればもうこちらは満足。それにはこれから長いあいだ地道に頑張らなければならないが。以前聞いたときよりもかなり良く感じられ、普通にめっちゃ格好良いじゃんと思う。#2 "Peaches & Cream"とかとても良い。この人は実際相当ギターがうまくて、最後のほうに収録されている独奏もすごかったおぼえがある。
  • 書き物に切りがつくと音読をやるべきところだが、先に柔軟。今日は脚が軽いので、臥位で脹脛マッサージをしなくとも活動できる。合蹠・前屈・コブラのセットを二度回し、二〇分でからだを整えた。BGMは音読用にもうThelonious Monk『Solo Monk』にしてしまったのだが、この音源の冒頭、"Dinah (take 2)"はまごうことなき名演だと思う。最初から最後まで、流れが一瞬たりとも動揺せず、よどみを生まず、内在的独立性を高度に維持している。余計な要素が何もない。それでいて取っつきにくい深刻さはまったくない。Bill Evansのそれとは違うが、これはこれで完璧な演奏だと思う。
  • 下半身を和らげると音読へ。英文を読む。脚を引っ張り上げたり腰をひねったりダンベルを持ったりしながら一時間。最後のほうになるとやはりちょっと乱れがちになった。たぶん頭と口が疲れてくるのだろう。語をとらえようとしてもとらえにくくなるし、発音もしづらく、なめらかに読むのが難しくなる。それで四時前で切り、ふたたび一セットだけ調身した。一セットだいたい一〇分で終わる。一〇分で下半身がめちゃくちゃ楽になるのだからやらない手はない。
  • それからThe John Butler TrioにBGMをもどしてここまで記し、さて、何をやろうかな? というところ。
  • 脚を温めても、足先と、膝から下の脛の領域はやはりけっこう冷たさが残る。この部位をもっと温かくする方法を知りたい。単純にやはりマッサージするほかないか?
  • そうなるとやはり脚をほぐしておいたほうが良いかと思って、ベッドで書見。引き続き、ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)。スタッブとかフラスクとかあのあたりの連中の粗野な言葉遣いの訳し方はけっこう好きだ。イシュメールは捕鯨船共同体でフィールドワークしている民俗学者であり、よそ者として自分の姿を消しながら観察している、みたいなことを先日書いたが、そういう風に言うよりも、そもそもが語り手としての特権を得ているというか、つまり話者としてのイシュメールと、船で働いている船員すなわち物語内登場人物としてのイシュメールがおり、この作品ではすくなくとも海に出たあとは後者はほぼ消え、前者の比重が圧倒的に高いのだけれど、船内にいながら言及しないことで自分の姿を消しているだけでなく、もともと特権的な視点位置を彼は持っていると考えたほうがたぶん良い。考えてみれば、己で見たはずもないエイハブの独白とか、その場に立ち会ってはいないはずの色々なシーンを語れることからしてそれはあきらかだったのだ。彼がなぜそれを知っており語れるのかという点が理屈として設定上どうなっているのかわからないが、たぶん何も説明はされていないのではないか。つまり、それはそういうものとして、小説の約束事として疑問なく受け入れられているということだ。で、今日読んだなかにイシュメールのそういう立場(視点の位置づけ)を示す端的な描写があった。165ページに、船の横に吊るされていた鯨の巨大な頭が落下して、その衝撃で船がぐらぐら揺れる場面があるのだが、その段落の冒頭から引くと次のようになっている。「その声が上がるのと巨大な鯨の頭が海中に墜落するのは、ほぼ同時だった。雷鳴が響きわたるような轟音があたりを圧した。ナイアガラの滝壺の張り出し岩が崩落して行く様を彷彿させる光景だった。突然重荷から切り離された船体は、反動で真逆へと揺り返し、銅板を張った船底全体が大気に曝され一瞬きらめいた。続いて高々と水しぶきが上がり、水蒸気が濃霧のように船体を包む」。この部分の後ろから二番目の文で、船底があらわになっているのだが、船に乗っている船員たちの位置からは船底など見えないはずである。この文の描写は、海上に浮かんで船を外から眺めているときのものであるはずだ(したがって、このとき船外で滑車につかまりながら浮遊していたダグーにはこの様子は見えたかもしれない)。この事件が起こった場面やこの章全体を通してイシュメールがどこにいたのかはわからないし、そもそも作中ずっと、船内でのイシュメールの具体的な位置はほぼ明示されないのだけれど、タシュテゴが鯨油を汲んでいる様子や、それに続く彼の落下や鯨の頭の墜落など、この章で語られている事件の目撃者として普通に甲板上のどこかにいたと考えれば、彼に船底は見えない。したがって上の文を語るとき、イシュメールは語り手として完全に船の外部に位置している。そしてここだけが例外ではなく、むしろ全篇に渡ってそうで、内部の一員としてではなく、船を外在的に、そこから(みずから積極的に?)分離された状態でとらえているのがイシュメールの基本的な姿勢だと考えたほうが良いのだろう。そして、外部から俯瞰的にとらえるだけでなく、彼の視点は船内の細部にも入りこんでいく。つまり、イシュメールは偏在者である。ついでに言えば、イシュメールがピークオッド号のまったき仲間として溶けこみ、船員たちから受け入れられ認められているような描写はいまのところない。同僚船員との具体的なかかわりを示す記述はほぼない。たしかスタッブに対して呼びかけるような瞬間がどこかわりとはやい時点であった気がするのと(しかしそれも台詞ではなく地の文だったような気もするから、本当に声に出して呼びかけたかどうかはわからない)、下巻では「72 モンキー・ロープ」の章で鯨の上で作業するクイークェグを索を介して支えているくらいだ。あと上巻では、クイークェグとマットを織る場面があったか。たぶんそれくらいではないか。
  • この小説にはシャンポリオンへの言及がここまでで二度か三度あったはずだ。イシュメールにはなぜかエジプト関連の事柄に対する言及が多く、「ピラミッド」は色々な場面で比喩として登場し、現在のところ七回出てきている。シャンポリオンというのはいわゆるロゼッタ・ストーンヒエログリフを解読した学者だけれど、考えてみればそれはめちゃくちゃすごいというか、普通に頭がおかしいので、そのあたりのことをもっと具体的に知りたい。もうひとり、174にはシャンポリオンとともにウィリアム・ジョーンズ卿という人の名前が出てきており、このイギリスの東洋学者は三〇か国語に通じていたらしいとイシュメールは言っているのだが、こういう連中の頭はいったいどうなっているのか?
  • 五時半前まで読んで上へ。母親が天麩羅を揚げはじめるところだったので担当する。蕎麦にすると言う。隣の(……)さんの息子さんからもらったらしい((……)さんは蕎麦屋をやっている)。それで色々揚げていき、一方で鶏肉もソテーし、また蕎麦も茹でて、と忙しい。母親と二人で台所をうろつき回る。用意できると六時過ぎだったはず。もう食事に。新聞から韓国のチュ・ミエ法相(秋と美まではおぼえているが、「エ」にあたる最後の一文字の漢字が思い出せない)が交替させられた記事とか、アレクセイ・ナワリヌイが詐欺容疑で指名手配されたとかいう記事を読む。ナワリヌイはいまドイツで療養中らしいが、ロシア政府は彼を帰国させないつもりだろうとの観測。
  • 食後、さっさと下階に下りたかったのだけれど、刺し身を切り分けた父親がついでに流し台を片づけはじめたようでゴシゴシ洗い物をやっていたので、眼窩の回りを揉んだりしながらそれが終わるのを待った。その最中に、母親に頼まれて鏡餅のキットを組み立てた。それで帰室するともう七時を回っていた。とりあえず音読。今度は「記憶」。「英語」と「記憶」とそれぞれ一時間ずつでだいたい一日に二時間くらい音読できれば良いかな、という気になってきた。新たなカテゴリとして「詩」を設けて詩を毎日読もうとも思っていたのだけれど、それもなんだか面倒臭くなってきたので、やはり「英語」と「記憶」の二つのみで運用していき、詩だろうが小説だろうがなんだろうが、全部「記憶」にぶちこんでしまえば良いやと定めた。今日読んだなかでは、W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』があったのだけれど、読み返してみると以下の部分の終末感みたいなものはやはりかなり良い。

 ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった。マイケルが運んできてくれたポットのお茶から、玩具の蒸気機関よろしくときどきぽうっと湯気が立ち昇る。動くものはそれだけだった。庭のむこうの草原に立っている柳すら、灰色の葉一枚揺れていない。私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻[イラクサ]の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう。その一方でわれわれは、測りがたさという、じつは生のゆくえを本当にさだめているものをけっして摑めないことを、ぼんやりと承知してはいるのだ。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)

  • 音読は八時まで四七分。その後、日本語及び英語のウェブ記事を読んだ。BBCを久しぶりに見たけれどレイアウトがだいぶ変わっていて、以前Magazineとされていた長めの記事はどうなったのかなと見てみると、それはなくなったようだが、Futureというカテゴリができていて、そのなかにDEEP CIVILISATIONとかいう下位区分があり、宗教とか脳科学とか思想とかそういう系統の記事があってわりと面白そうだったのでいくつかメモした。しかしそのメモと調査に時間がかかる。読んでみたい記事をメモしているとそれだけでめちゃくちゃ時間を使ってしまうので、本当はあまり深入りしないほうが良い。
  • Yasuo Murao「Interview with Lee Lang. イ・ランの、型破りな音楽の作り方。」(https://www.houyhnhnm.jp/feature/83689/(https://www.houyhnhnm.jp/feature/83689/))を読んだ。これはWoolf会でイ・ランの話がちょっと出たときに(……)さんが貼ってくれた記事。ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んだとき、Twitter上で訳者の齋藤真理子が、この作品について書いたイ・ランの感想みたいな文章を紹介していてそこで名前を知ったのだが、もともと音楽をやっていたとは知らなかった。(……)

―前作でも新作でも、アメリカのSF作家、カート・ボネガット・ジュニアの小説の一節を歌詞に引用してますね。ボネガットのシニカルなユーモア・センスは、イ・ランさんの文章とは通じるものあると思います。

イ・ラン:ボネガットの考え方はすごく好き。ボネガットがなぜ、『スローターハウス5』を書いたか、という話がおもしろくて。彼は第二次世界大戦で体験したドレスデンの空襲を小説に書こうと思ったけど、あまりに辛過ぎてなかなか書けなかった。でも、地球の外から見たら、戦争は子供達の遊びに見えるかもしれないということに気付いて、ボネガットはSFコメディとして小説を書きました。戦争とか政治家の争いとか、醜いことや恐いことも、外から見たら子供が遊んでるみたい。いまの韓国も同じです。これまで韓国の人は、とてもしんどい思いをしてきました。生活が苦しいのは自分のせいだと思って、みんな韓国のことを“ヘル朝鮮”と呼んでたんです。でも、大統領のスキャンダルが明らかになって、辛かったのは自分のせいじゃなく、国家のせいだってことがようやくわかった。全部、大統領がバカなことをしてたから。だから、いまみんな笑ってます。バカすぎて。デモに行ってもフェスみたいに盛り上がってた。

―確かにユーモアは、ひとつの武器ですよね。どうにもならない不幸な人生や権力者を笑い飛ばす。

イ・ラン:そうです。私は学校が嫌いで高校もすぐやめました。なんで学校が嫌いだったかというと、自分の意志とは関係なく集められて、そこに何時間もいないといけないから。それって収容所と同じ。だから、そこにいると辛くなる。そんな場所で必要になるのが笑いです。だから、学校は嫌いだけどコメディをやるのは好きで、私は娯楽部長になりました。

―娯楽部長?

イ・ラン:日本にはない? 韓国の学校には必ずあります。先生が疲れた時、「娯楽部長出てきて」って言うと、娯楽部長が出てきて何かおもしろいことをやる。みんなとゲームをしたり、お芝居をしたり、アイドルのダンスを踊ったり。だから、私はすごく忙しかった。

―なるほど。いまも娯楽部長をやってるみたいなものですね。ヘル朝鮮で。

イ・ラン:そうそう(笑)。第二次世界大戦のとき、ナチスユダヤの人をたくさん殺してたでしょ? その収容所のなかで、どんなジョークがウケてたか知りたいんです。いちばん辛い場所で、いちばん強いユーモアが生まれると思うから。

President Donald Trump has revoked a policy set by his predecessor requiring US intelligence officials to publish the number of civilians killed in drone strikes outside of war zones.

The 2016 executive order was brought in by then-President Barack Obama, who was under pressure to be more transparent.

Since the 9/11 terror attack, drone strikes have been increasingly used against terror and military targets.

The Trump administration said the rule was "superfluous" and distracting.

The order applied to the CIA, which has carried out drone strikes in countries such as Afghanistan, Pakistan, and Somalia.

     *

What was the rule?

It required the head of the CIA to release annual summaries of US drone strikes and assess how many died as a result.

Mr Trump's executive order does not overturn reporting requirements on civilian deaths set for the military by Congress.

There have been 2,243 drone strikes in the first two years of the Trump presidency, compared with 1,878 in Mr Obama's eight years in office, according to the Bureau of Investigative Journalism, a UK-based think tank.

2017 was the deadliest year for civilian casualties in Iraq and Syria, with as many as 6,000 people killed in strikes conducted by the U.S.-led coalition, according to the watchdog group Airwars.

That is an increase of more than 200 percent over the previous year.

     *

Eviatar [Daphne Eviatar, a director of Amnesty International USA], and others who monitor these issues, deplore not only the deaths of innocent people but also the government secrecy that has worsened significantly over the past year.

The Pentagon no longer reveals, she said, “even the legal and policy framework the U.S. uses to guide these lethal strikes.”

That makes the role of dogged reporting even more important.

A recent New York Times article revealed that the United States launched eight airstrikes against the Islamic State in Libya, but disclosed only four.

The story noted that military commanders have decided to reveal strikes only if a reporter specifically asked about them — the Pentagon even has a name for this policy: “responses to questions.”

     *

Although aggressive reporting on drone strikes and civilian deaths is relatively rare these days, it can yield impressive results.

A BuzzFeed investigation, for example, led to the U.S. government reversing course and admitting responsibility for the deaths of 36 civilians in Mosul. The follow-up story reported that no condolence payments to the families of the victims had been approved — and, given current policy, probably never will.

And a New York Times Magazine investigation in November — “The Uncounted” — revealed that the vaunted precision of U.S.-led airstrikes is both overestimated and underexplained.

  • 九時半で入浴へ。出ると、紅白歌合戦はちょうど東京事変が演奏しはじめたところだったのでちょっと見た。途中、母親に仏間に花を設置するよう頼まれて目を離したが。べつにそんなに大きな印象を受けはしなかったが、B部だかどこだかのコードワークと、そこでのギターのカッティングのちょっと毒をふくんで強いような感じはわりと良かった。仏間にいたときに耳にしたソロも悪くなかったように思う。ギターの人は、たぶん星野源と仲の良いほうの人だろうか? 眼鏡をかけており、(……)さんに風貌がちょっと似ている。刄田綴色は思いのほかにあまりバカスカやっていなかった気がするが、オープンハイハット(だと思うのだが)を裏拍でやたら鳴らしつづけるのは、たしかわりといつもそういう感じだったはずだ。亀田誠治のベースはあまり聞こえなかったのでわからないし、キーボードも同様。それにしても椎名林檎って、歌い方も声も全然変わらないなあと思った。
  • 一方で昨日の豚汁の残りを温め、持ち帰った。
  • ズッコケ三人組』は、タイトル通り男子の友人三人組が主人公で、なかに「ハカセ」というインテリ役の少年がおり(あとの二人は「ハチベエ」と「モーちゃん」だった気がするが、特に「ハチベエ」のほうは記憶に自信がない)、彼がトイレに入って用を足さないのにわざわざズボンを下ろして便器に座りながら本を読んだり考え事をしたりする、という習慣を持っていたのをおぼえている。そのネタに、当時の同級生だった(……)がよく言及していた記憶もある。彼は兄二人が東京大学に行ったなかひとりだけ筑波大学にすすんで、いま何をやっているのかは知らない。数年前に小説みたいなものを書いているとかいう噂を聞いたおぼえもあるが、書いているとしても普通に正職のかたわらでやっているのだと思う。

乗代:『かいけつゾロリ』のシリーズはたくさん読んでいました。おかべりかさんの『よい子への道』も好きでした。よい子を目指すためにしちゃいけない悪いことが漫画で説明されていて、今だとヨシタケシンスケさんが近いことをやってるのかな。奔放なのにクールで、楽しんで読みましたね。その中の「なす」っていう漫画を「生き方の問題」という小説に出したら、金井美恵子さんから「おかべりかさんがお好きなんですか?」とお手紙をいただきました。金井さんが、ご自身が特集の「早稲田文学」で、おかべさんのことを「追悼にかえて」という副題のエッセイで書いていて、それで亡くなったのを知ったところだったので、驚きましたね。それをきっかけに金井さんとも何度か手紙のやり取りをさせてもらったりして。

     *

5、6年生の頃にたぶん一番読んでいたのは灰谷健次郎さん。その頃まだ完結してなかった『島物語』が好きでした。最初は『兎の眼』から入ったと思うんですけれど。家族で島に引っ越して、自然薯掘ったり、魚採ったりするのに憧れて。それはそれで小学生らしいチョイスで楽しんでたんですが、その一方で、漫画は小学生が読むもんじゃないだろう、みたいなものを...。

――何ですか。

乗代:父親の影響で、家に全巻揃っていた『ナニワ金融道』とか。あと、いがらしみきおさんの『ぼのぼの』が当時アニメでやっていて、それが好きで漫画も揃えていたんです。古本屋が地元に4、5軒あったので、塾の行き帰りにダーッと回って家には「自習してきた」と言ったりする生活だったんですが、いがらしみきおさんの他の作品も読みたいと思って、片っ端から読んでいました。古本屋だとカバーもないので立ち読みでしたが、後で確認したら、この時に出てるものは全部読んでたみたいです。『のぼるくんたち』と『さばおり劇場』が好きでしたね。あと、この古本屋通いでよく読んでたのは山本直樹さん。

――ませてる(笑)。

乗代:『ありがとう』とか、上下の分冊で出てたのを1日で立ち読みして帰った記憶があります。中高生になってから、自分で買いました。事あるごとに読んでると、小学生の時にこれをどう捉えていたのかわからなくなってくるんですけどね。今挙げた3人はずっと読んでいますし、かなり影響を受けました。

――ん、『ナニワ金融道』から受けた影響といいますと。

乗代:これは影響というか、『本物の読書家』の関西弁の男は、完全に『ナニワ金融道』の都沢というエリートの喋り方で書いています。ほぼそのままですね。いちばん読み返している漫画だと思います。

――読み返すのは、どういうところに惹かれてですか。

乗代:人間の強さ弱さと、その模様と。あと、描き込みがすごくて。スーツの柄なんかも手書きで「$」がいっぱい描いてあったりする。そんな柄にしなきゃ描かなくていいのに。一回原画展に行って、生で見たのが忘れられないです。自分も、例えばこの部屋のことを書くんだったら全部書きこむのが理想なので、「やっぱりそういうことだよな」と励まされます。余白なんてないこの世をしっかり見てるぞ、という。

     *

乗代:(……)『元禄御畳奉行の日記』という新書がすごく面白かったので、ずっと読み返しています。役所仕事しかしてない当時の武士の「鸚鵡籠中記」って名前の日記なんですけど、死体斬る訓練で吐いたとか、刀なくしたとかの話が書いてあって。

     *

――リストに戻りますが、このジョン・アーヴィングの『ウォーターメソッドマン』は。

乗代:『ガープの世界』とか他も読んでいるんですが、今でもこれが一番好きです。高校の一時期、帰りのホームルームさぼって誰も乗れない時間のスクールバスで帰ってたんですが、そこで読んで感情移入した思い出があります。でも、絶版なんですよ。

――サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』。乗代さんの小説の中にもサリンジャーは出てきますよね。

乗代:サリンジャーは模範です。書き手としての態度に一番共感するというか、憧れを持っています。最初は文体が好きで読んでいた気がするんですけれど、作家としてどうあるべきか、自分のためにどうすべきか、というのを突き詰めていったところに惹かれていきました。

――『フラニーとゾーイー』とか『大工よ、屋根の梁を高く上げよ―シーモア序章』には線を引いてますが、『ライ麦畑でつかまえて』には線を引いてないですね。

乗代:あ、ライ麦はそんなには...。

――グラース家のサーガのほうが好きだったという。

乗代:サリンジャーが、ライ麦を書いて、それに対する世間の反応を経て、入れ込んでいったという流れを思うと、自分を納得させるための周到な配慮が際立ってきて、すごく考えさせられます。『ナイン・ストーリーズ』だと「対エスキモー戦争の前夜」が好きです。

     *

――あ、「十七八より」の主人公の阿佐美景子を主人公にしたものを、その頃からシリーズ化するつもりだったんですか。先日芥川賞の候補になった「最高の任務」や、『本物の読書家』に収録されている「未熟な同感者」も阿佐美景子の話ですよね。一人の人の人生の長い時間のある時期を切り取る、という書き方をしていきたかったのですか。

乗代:そうですね。あとは、その「ある時期」を著者の現在にするというのが一番、自分としては納得のいく描写ができますから。それはブログのタイトルにも関係するキンクスというバンドの影響かもしれません。レイ・デイヴィスというフロントマンのことが中学生の時からすごく好きで。全部聴いてきて、創作の姿勢とか、世間の見方みたいなものはこの人に学んだと思っています。『エックス・レイ』という自伝は、近未来の老いたレイ・デイヴィスに対して記者がインタビューしながら書いているという形式なんです。未来の人物が過去のことを思い出したことを著者として今書くというのは誠実だと思います。それを読んだのは中高生の頃で、自分が「十七八より」を書き始めた時に「あ、ここに戻ってきたな」と思ったのを憶えています。

     *

――そういえば、デビュー作の「十七八より」では世阿弥に言及されていますが、この膨大な読書リストのどこかにあるんでしょうか。

乗代:どこかにあるはずです。「十七八より」でいうと、浄土真宗の「妙好人」の概念も意識していました。お坊さんでもないし自分で布教したりはしないけれど、麗しい信仰を持っていて後世に残る在野の念仏者ですね。それを紹介している鈴木大拙の『妙好人』という本を大学の頃に読んで。禅に興味のあったサリンジャーからの繋がりですかね。結局、マジでやるというのは、発信して反応を見て、みたいなものじゃないよね、自然にそうならない人が一番偉いよね、と。阿佐美景子の話で、叔母を一番上に置くのは、たぶん、こういう本を読んできたからです。

――ああ、景子の叔母さんはものすごい知識人ですが、自分で何か残すことなく亡くなってしまっている。

乗代:自分で考えた何か確固としたものがあって、でもそれを人に何か言ったり見せたりする時間も考えもない、みたいな人に惹かれるようになったんです。それもあって、小説を書いていても「これを誰かに見せたがってるのか?」って気持ちになっちゃうんですよね。作中の主人公が何か目的をもって書いていないと、僕自身、誰か、不特定多数の読者のために書いているような感覚がついて回ってきて不安になる。

――なるほど。そう考えると、叔母さんというブッキッシュで知的で、でも世の中に何か発信することなく亡くなった存在が先にあり、身近なところでその人を見ていた存在として阿佐美景子が生まれたわけですか。

乗代:そうですね。叔母さんのような、いわば妙好人は何も残さないけれど、何を考えていたのかを自分は知りたいし、それを書きたい。阿佐美景子という近しい第三者の一人称を設定しないと、その不明を知りたい、書きたいという思い自体は描けないような気がします。自分でもまだ分からないことに、読んだり考えたりするなかで近づいていくんだというのは、最初にものを書き始めた時から固まっていました。

――真の主人公は叔母さんなんですね。

乗代:サリンジャーでいうとシーモアですね。書き手の自分よりも上の存在を書きたいけれど、上だということを定めると、下の自分には永久に書けないことになる。そうなった時にどうするのか、という手をあれこれ講じているのかな。

――その時に、阿佐美景子という女性にしたのはどうしてですか。

乗代:男だと自由が効かないというか。自分とのズレ、どうにもならないしわからない部分を設けないと、身動きがとれなくなる気がするんですよね。性別というのはどうでもいいけれど、どうにもならない。文体ではそれを意識したくないけれど、作中の人物としては意識しないわけにはいかない。ということで、書き手である自分は男性で語り手である主人公は女性という形に軟着陸するのかもしれません。山本直樹さんのようなシーンも書きたいし。

――あ、そうか。阿佐美景子って、どの話でも男性から性的な目で見られるというか、ちょっとセクハラに遭いますよね。え、あれは山本直樹さんの影響?

乗代:そういう場面を書きたいという欲は、完全にその影響だと思います。

――青木雄二さんの影響は関西弁のおじさんと先ほど聞きましたが、じゃあ、いがらしみきおさんは?

乗代:ああ、実は全部の話に通底するだろうと思って、今は手に入りづらい本を持ってきたんです。(と、本を取り出す)

――『IMON(イモン)を創る』。いがらしみきお著。アスキーから出ていたんですね。

乗代:当時のことは知りませんけど、「EYE-COM(アイコン)」というパソコン雑誌に連載していたものです。この頃、いがらしさんがパソコン通信にすごくハマっていて。「IMON」は「イモン」と読みますが、日本発のOSであるTRONのパロディですね。人間の生き方を、パソコンやネットワークと関連付けさせながら書いたものです。「IMON」が何かというと、「いつでも」「もっと」「面白く」「ないとな」。そういうふうに生きるにはどうしたらいいか、という内容で、ものすごく影響を受けました。ほとんどの部分を書き写しました。

――(手に取りぱらぱらとめくりながら)1992年11月3日発行なんですね。って、これめちゃくちゃ鉛筆で線を引いてますね。上の角を折っている箇所も多いですが、ちゃんと同じ角度でピシッと折られていますね。

乗代:2冊持っていて、もう1冊は更の状態です。線を引いたり折ったりするのはよくします。最後まで読んでひとつも折った箇所や写すところがなかった本は売ります。

――四コマ漫画も盛り込まれていて、面白そう。ちょっと読みますね。「いや、私はどうでもいいじゃないと批判をしているのではない。大概のことは本当にどうでもいいのだから、それは正しいことなのである。問題は、このままでは世の中はどうでもいいことばかりになってしまうのではないかという、3歳児的な恐怖感である」。なるほど。

乗代:「我々は、作品に対する芸術家のように、熱く、そして醒めながら人間関係に接さねばならないだろう」と書かれたのが約三十年前で。ちょっとすごい本なので、ずっと読み返しています。

     *

――ご自身の小説にもたくさん、先行作品の引用をしますよね。実在の本の名前もたくさん出てくる。影響を受けたものは全部書きたい、という気持ちがあるのですか。

乗代:そうですね。特に自分が書き写している時に、作者が書いている時の感覚みたいなものを、まあ勘違いだと思うんですが、それを味わった時は使いたくなります。自分のものとして、と言ったら傲慢ですが、あんまり区別がつかなくなるんですよね。

――それと、自然描写もよく書きこまれますよね。今日もこの取材の前に人のいない利根川沿いを歩いて、景色を描写してきたそうですが。

乗代:実際にその場所に行って描写を書き込みます。(と、モレスキンのノートを取り出す)月日と時間と場所を書いて、目に見えているものを描写する。ひとつの公園に何度も行って書いたりもしています。季節によって植物も鳥も光も温度も変わるので...。

――あ、「3月〇日11時10分~11時22分」とか書きこまれていますね。「12時27分~13時42分」とあるのは、1時間以上ずっと同じ場所にいて描写していたということですか。

乗代:そのぐらいは全然やります。目につくことを書いている途中で、新しいことも起こるんです。野良猫が来たから野良猫のことを書き始めて、そしたら川面に風が吹いて輝いて「次はそれを書くか」と思っていたら、水鳥が降り立ったり......。それを延々と書いている感じですね。

     *

――今、一日のサイクルはどんな感じですか。

乗代:6時から8時の間に起きて、書き写しをして。書き写しは夜やることもありますが、基本は朝やるんです。最近だと午前中の明るい時間のほうが人もいないので、公園とかに行って、描写して、戻ってきて風呂入って小説を書いたり本を読んだりして。

――その感じだと、生身の人間との接点が希薄になりそうな...。

乗代;もともと人間関係は仕事を除いてほぼ無いので。同級生とかも誰一人、連絡先知らないですし。家族とたまに連絡を取るくらい。

――飲みに行ったりもしないのですか。

乗代:ネットで知り合った、たかたけしっていう、今「週刊ヤングマガジン」で連載をしている人と年に1回だけ会うというのがここ数年ですね。

――たかたけしさんとは気が合うところがあるのですか。

乗代:そうですね。あと、作家デビューする前、ネットでブログを書いている時から何かと気にかけてくれました。ネットで大喜利しているような界隈があるんですけれど、その界隈からも外れているような良くわからない人たちが集まって、「けつのあなカラーボーイ」っていう......

――んん?

乗代:すみません(笑)、そういう団体があったんですね。初めてたかさんに会った時に、それに誘ってもらったんです。よく分からないまま「じゃあやります」って入って、共同のブログにちょこちょこ書いたりもして。僕はあんまり出ていないんですけれど、イベントもやったりしてました。僕の方でも、ずっとコンビニ店員やってるたかさんを心配してたんですが、今は連載して単行本も出しているので安心しています。そういう縁で、年に1回会っていますね、唯一。

  • 上を読んだあと今日のことをここまで書き足せばもう年が変わっていた。どうでも良い。興味がない。歳を取ると暦の感覚が摩耗してなくなっていく。新年になったということは、こちらもあと二週間で三一歳になるということだ。それもどうでも良い。興味がない。
  • 刺し身を今日中に食べるよう言われていたのを思い出して、持ってきて賞味しつつウェブを閲覧し、一時前から書抜きをした。熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)。二五分で三箇所。下半身がほぐれている状態だったら、日記や書抜きなどの打鍵作業は椅子に座らず立ってやったほうが良いかもしれない。座っていると、おそらく知らずして前かがみになりがちだからだと思うが、背中が凝ってくる。
  • その後、Virginia Woolf, To The Lighthouseを翻訳した。冒頭を改稿。今日は三時過ぎには消灯するつもりで、就眠前に一時間ほどはやはり書見しながら脚をほぐしたほうが良いかなと思って、したがって二時頃までで切る予定だったのが、興が乗ったというか深入りしてしまって結局二時四五分まで一時間続けてしまった。原文は以下。

 To her son these words conveyed an extraordinary joy, as if it were settled, the expedition were bound to take place, and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed, was, after a night's darkness and a day's sail, within touch. Since he belonged, even at the age of six, to that great clan which cannot keep this feeling separate from that, but must let future prospects, with their joys and sorrows, cloud what is actually at hand, since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystallise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests, James Ramsay, sitting on the floor cutting out pictures from the illustrated catalogue of the Army and Navy stores, endowed the picture of a refrigerator, as his mother spoke, with heavenly bliss. It was fringed with joy. The wheelbarrow, the lawnmower, the sound of poplar trees, leaves whitening before rain, rooks cawing, brooms knocking, dresses rustling—all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity, with his high forehead and his fierce blue eyes, impeccably candid and pure, frowning slightly at the sight of human frailty, so that his mother, watching him guide his scissors neatly round the refrigerator, imagined him all red and ermine on the Bench or directing a stern and momentous enterprise in some crisis of public affairs.

  • 改稿前と改稿後は以下。最後まではまだ定められていない。

 たったこれだけの言葉が、息子にとってははかりしれない喜びをもたらすことになったのだ。まるで、遠足に行けるということはもう間違いなく決まり、幾星霜もと思われるほど楽しみに待ち焦がれていた魅惑の世界が、あとたった一夜の闇と一日の航海とをくぐり抜けたその先で、手に触れられるのを待っているかのようだった。彼はわずか六歳でありながら、ある気持ちを別の気持ちと切り離しておくことができずに、未来のことを見通してはそこに生まれる喜びや悲しみの影を現にいま手もとに収まっているものにまで投げかけてしまう、あの偉大なる一族に属していたのだが、そういう種類の人々にあっては幼年期のもっともはやいうちから、すこしでも感覚が変転すればただそれだけで、陰影や光輝を宿した瞬間が結晶化して刺しとめられてしまうものなので、床に座りこんで「陸海軍百貨店 [Army and Navy Stores]」のイラスト入りカタログから絵を切り取って遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母親の言葉を耳にしたとき手にしていた冷蔵庫の絵に、まるで天にも昇るかのような無上の喜びを恵み与えたのだった。その絵は、歓喜の縁飾りを授けられたわけである。手押し車や芝刈り機、ポプラの樹々の葉擦れの響きや雨を待つ葉の白っぽい色、それにまたミヤマガラスの鳴き声や、窓をこつこつ叩くエニシダのノック、ドレスが漏らす衣擦れの音――こういったすべてのものたちが彼の心のなかでは鮮やかに彩られ、はっきりと識別されていたので、それはもはや自分だけのひそやかな暗号を、秘密の言語を持っているようなものだった。とはいえ、その秀でた額と激しさを帯びた青い目には妥協をまったく許さぬ厳格さがうかがわれ、人間の弱さを目にすればちょっと眉をひそめてみせるほどに申し分のない率直さと純粋さがこめられてもいたので、鋏をきちんと丁寧に操って冷蔵庫の絵を切り抜いている息子の様子を見まもりながら、母親は思わず、白貂をあしらった真紅の法服をまとって法廷に座ったり、国家的危機のさなかで容赦なく重大な計画を指揮したりする彼の姿を想像してしまうのだった。


(……)それはもはや自分だけのひそやかな暗号を、秘密の言語を持っているようなものだった。しかしまた彼の姿には、純一 [じゅんいつ] で、妥協をまったく許さぬ厳格さがそなわってもいた。その額は高く秀で、荒々しさを帯びた青い目は申し分のないほどに率直、かつ純粋で、人間の持つ弱さを目にするとかすかに眉をひそめてみせるくらいだったので、母親であるラムジー夫人は、鋏をきちんと操って冷蔵庫の絵をきれいに切り抜いている息子の様子を見まもりながら、白貂をあしらった真紅の法服で法廷に座る彼の姿や、国政の危機に際して過酷で重大な事業を指揮する

  • thoughの使い方がよくわからない。辞書的には後ろを取って「~だけれど」だが、ここの部分はthough以下が長すぎるのでそれではうまく行かない。それに、会話などでは、「でもまあ」みたいな感じで前を取った逆接としても使うようだ。いずれにしても、順序はどうであれ前後を逆接で対立的につないでいるはずなので、「しかしまた」という接続にした。そして、今回基本的にまとまりごとに前から訳出するような感じになっているのだが、そうすると"though he appeared the image of stark and uncompromising severity"までで一回切ったほうが良いような気がしたので、そこで一文終えている。それ以下の修飾関係が以前はよくつかめなかったのだが、普通に行くならば、というかこちらの感覚では、impeccably candid and pureもfrowning slightly at the sight of human frailtyも、直接的にはhis fierce blue eyesにつらなっているように思う。その点は以前、frownはもっぱら人を主語にするのではないか? という話が会でも出たけれど、frowning eyesという言い方は普通にあるようだし、日本語にすればそのあたりの主述関係(ジェイムズ自身が主語なのか、それともジェイムズの目が主語なのか)は曖昧になるので問題はないだろう。starkを「純一」としたのは我ながら悪くない気がする。fierceも、「激しさ」よりは「荒々しさ」のほうがニュアンスが出るのではないか。このあとで、ジェイムズは意地悪いことを言ってくる父親をぶち殺すことができればぶち殺しただろうとも書かれているし。
  • それで寝床に移り、メルヴィルを少々読み進めたあと、三時九分で消灯。黒々とした暗闇をストーブの遠赤外線が切り乱すなかで柔軟を二セット。とにかく柔軟は一日中、きちんとやったほうが良い。姿勢を取って停まり、呼吸と肉の収縮に目を寄せているわけなので、これもなかば瞑想みたいなものだ。三時二五分から三八分まで瞑想して就眠。

2020/12/30, Wed.

 たとえば、詩人が詩論を書く。詩論の形式を採って、美学的尺度について書く。これは、めずらしいことではない。前世紀にはポウの「詩の原理」(一八五〇年、死後発表)が人間の認識能力を「純粋知性」「審美眼」「倫理意識」の三つに区分し、詩は何よりも美を扱うがゆえに、審美眼[テイスト]によってのみ創作されるべきジャンルであることを明言したし、今世紀に入るとT・S・エリオットが「伝統と個人の才能」(一九一九年)の中で、文学的伝統を通時的に歴史を成すものではなく共時的に同時併存する秩序と見なし、加うるに作家は自己の個性を主張するより個性を滅却すべき存在と定めている。そして、ポウは名詩「大鴉」で、エリオットは名詩『荒地』で、それぞれの美学を実現してみせている。そこに、何ら倫理的解釈の介在する余地はないように見える。
 ただし、この美学には死角が潜む。というのも、ポウが詩作に審美眼を「義務」づけたり、エリオットが詩人に個性滅却を「要求」したりするそれぞれの判断自体は、審美眼どころかまちがいなく一定の倫理観によって構成されているのだから。端的にして皮肉な事実というべきだろうか。振り返ってみれば、なるほど一九世紀前半、アメリカが物心両面におけるヨーロッパからの独立を完遂しようと躍起になっていた当時、ポウほどにその批評の中で文学的独立を「強要した」作家もいなかったし、二〇世紀前半、現代文学が物心両面における前世紀からの独立を達成しようと尽力していた当時、エリオットほどにその批評の中で芸術的進歩を「理念化した」作家もいなかった。作品の美学を主張すればするほど、その主張行為そのものが、美学的どころか倫理的になっていくのを回避することはできない。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、146; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第五章「善悪の長い午後 トビン・シーバース『批評の倫理学』を読む」)



  • 正午の起床。睡眠は八時間強。連休に入ったからまあこれでも良いが、より勤勉な状態を目指したい。洗面所に行って顔を洗うとともにうがいをして、トイレで用も足すともどって瞑想。一二時三分から二七分まで座る。からだの感覚をもっとよく見たい。
  • 上階へ。着替えていると買い物に行っていた両親がちょうど帰宅した。キムチ鍋が残っていたが無視して、やはり余り物の大根の味噌汁と豆腐を食べることに。米はもうほとんどなかったので母親が鍋に入れておじやにしていた。新聞を読みながら食事。国家安全維持法施行後の香港の状況をまとめたみたいな記事や、那覇軍港跡地が空港と一体的に運用される方針との記事、またいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる日韓関係の要約および現況みたいな記事を読んだ。那覇軍港というのは現在ある那覇空港の近くから北、浦添沖という場所に移される予定らしく、その跡地は活用価値が高そうということでたぶん商業的にも目をつけられているのだと思うし、アジア人材育成センターというものもつくられる方針だという。
  • 食器乾燥機のなかを片づけて皿を洗うと風呂洗いも。排水溝カバーを綺麗にしておいた。出ると帰室してNotionを用意。まずここまで記述。脚が冷たいのでさっさとほぐしたい。
  • Kan Sanoという人がソロピアノアルバムを選んですすめる記事(https://focussound.jp/select/2013/06/kan-sano.html(https://focussound.jp/select/2013/06/kan-sano.html))を先日検索で見つけていたのだが、馴染みのない作はここにメモしておく。Glenn Gouldではバッハのほかに、『Brahms: Ballades, Rhapsodies & Intermezzi』が挙げられている。武満徹『ピアノ作品集』も。ここで紹介されているのは、ピーター・ゼルキンという人が演奏したアルバムのようだ。ほかに福間洸太朗という人も武満徹曲の独奏作品をつくっているようだし、高橋アキもやっているようだ。Frederic Mompouという人はまったく知らなかった。『Mompou plays Mompou』という自作自演が紹介されている。
  • 今日はなんとなく先に音楽を聞いた。というか、Monkのソロピアノをきちんと聞きたかったのだ。それで『Thelonious Alone In San Francisco』から五曲目の"You Took The Words Right Out Of My Heart"を聞いたのだけれど、これはとても良い。曲の情報があまり出てこなかったのだが、Ralph Raingerが作曲、Leo Robinが作詞らしく、この二人の名前は見たことがある。Wikipediaを見る限りでは"Easy Living"や"If I Should Lose You"が彼らの仕事らしいので、たぶんこの二曲にまつわって見たのだろう。"Easy Living"は色々な人がやっているし、後者はKeith Jarrett Trioがたしか『Standards, Vol. 1』が『Vol. 2』のどちらかでやっていた気がする。"You Took The Words Right Out Of My Heart"はBenny Goodmanも取り上げていたようなので、けっこう古い曲だろう。『Thelonious Alone In San Francisco』は一九五九年の一〇月二一日二二日で録音されている。Fugazi Hallという施設で、観衆は入れずにライブ録音されたようだ。
  • この独演がかなり良くて、昨日Monkの独奏にはぎこちなさみたいなものが感じられてそこが好きだと書いたのだけれど、聞きながら、それは要するに、雄弁さが一瞬もないということなのだろうと思った。朴訥、とまで言ってしまって良いのかはわからないが、語り口はわりと訥々としたものだと思うし、絶対に饒舌にならない柔弱さ、正しい印象かどうか自信がないが、ほとんど〈弱々しさ〉とまで言ってしまいたくなるその慎みがおそらくこちらの琴線を揺らすポイントである。見世物性が、まったくないというのはもちろん不可能としても、かなり希薄だと感じられ、そのあたりは昨日も書いた日常的なピアノの相という印象に通ずるだろう。ピアノでもって呼吸をしている感がある。すばらしいと言うほかない。
  • Monkにかんしては、ライブハウスで演奏をするときにいつも妻に電話をかけて独奏を聞かせ、聞こえたか? どうだった? みたいなことを話すというエピソードが印象に残っていて、Wikipediaあたりで読んだのだろうかと思ってこのとき検索しているうちに、そうか、ジェフ・ダイヤー/村上春樹訳『バット・ビューティフル』に書かれてあったのだとわかった。それでEvernoteに保存してある書抜き記録を探り、見つけたのが以下の文章である。あまりにロマンティックではあるが、正直に言って、このエピソードはめちゃくちゃ好きである。

 「無の歳月(un-years)」とネリーは呼んだ。しかしその歳月は、モンクが「ファイブ・スポット」のハウス・ピアニストとして迎えられたときに終わりを告げた。人々が聴きに来てくれる限り、また自分でそうしたいと望む限り、好きなだけそこで演奏してもかまわない、と彼は言われた。ネリーはほとんど毎晩、店にやってきた。彼女がいないと、彼は落ち着きをなくし、緊張し、曲と曲とのあいだにとんでもなく長い間を置いた。ときどき演奏を中断して家に電話をかけ、ネリーに「変わりはないか」と尋ねた。電話口に向かってもぞもぞと、愛の優しいメロディーであると彼女の耳には聴き取れる声音をもらした。受話器を外しっぱなしにしてピアノの前に戻り、彼女のために演奏し、それがそのまま聞こえるようにした。曲が終わるとまた席を立ち、電話に硬貨を追加した。
 ――聴いてるか、ネリー?
 ――とても美しいわ、セロニアス。
 ――うん、うん、そして彼は受話器を、ごく当たり前のものを手にしているみたいにまじまじと見つめていた。
 (ジェフ・ダイヤー/村上春樹訳『バット・ビューティフル』(新潮社、二〇一一年)、53)

  • Monkのソロ演奏を聞いていると、ときどき、打音のはじめの本当に短い一瞬のみ音がかすかに濁っているみたいなところがあるのだけれど、あれはどういうことなのか? 半音で衝突させているところもあるとは思うのだが、そこまで大きな濁りでなくて、本当に一瞬だけ、みたいな箇所が聞かれると思うのだ。あれがタッチのなせる業なのか? つまり、打鍵の強さによって一瞬だけ弦が通常以上にたわんで音程がほんのわずか揺らぐとか、そういうことなのか?
  • 続いてトラック九の、"There's Danger In Your Eyes, Cherie (take 2)"も聞いた。この曲はタイトルが好きだが、このアルバム以外で取り上げている例を知らない。Wikipediaを見る限り、作者のクレジットは、Meskillという人と、Harry Richmanという人と、Pete Wendlingという人になっている。このHarry Richmanというエンターテイナーが一九三〇年に歌ったのがどうも初出のようだ。
  • "You Took The Words Right Out Of Your Heart"をほかにどこかで見たことがあった気がしたのだが、Paul Motianがトリオで、『At The Village Vanguard』でやっていることが判明したのでそれも聞いた。Joe LovanoとBill Frisellとのトリオ。サックス・ギター・ドラムで、ドラムがこういう感じで空間を区切るというより下布を敷くみたいな感じで基部をつくる演奏というのも珍しいのではないか。いまは色々あるだろうが、昔はMotianくらいしかやっていなかったのではないか。Joe Lovanoというサックスの良さがいまだにわかっていないのだけれど、John ColtraneもしくはMichael Brecker風にブロウしたり最高音方面でシャウトしたりしても激しさが出ない、強くならず圧を生まないというのはすごいのかもしれない。
  • 最後にBill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)。ここでのBill Evansはとにかくとてつもない。隙がない。完璧。ひとつの恒星になっている。即興でこんな風に弾けるというのが理解できない。LaFaroもあらためてソロを聞くとずいぶん綺麗だ。乱れなくうまく整ってよく歌っている。彼の場合はソロよりもバッキングのほうが奔放に聞こえる。
  • 音楽を聞いて満足したあとはベッドで書見。一時間四〇分ほど。一〇〇分読んで五〇ページすすんだから、だいたい時間の半分くらいだ。今日読んだところはわりと書き抜こうと思う部分が多かった。最近ではそこまで大したことのない箇所でもとりあえず書き抜こうという気持ちなので、いきおい数は多くなる。読書ノートにメモしておきながらいままで写しておくのを忘れていた言葉遣いなどをここで記録しておく。
  • まず上巻。157に「残酷なる豺狼の世間」という言い方が出てくる。「豺狼」というのが初見なのだが、これは山犬と狼だといい、象徴的には残酷で欲深く、むごたらしいさまを言うらしい。「豺狼路に当たれりいずくんぞ狐狸を問わん」という成句表現があるようだ。典拠は「後漢書」張綱伝という。「やまいぬとおおかみが行く手にいるときに、どうして狐や狸を問題にしていられようか。大悪人が重要な地位にいて権力を振るっている場合、その下の小悪人より、大悪人をこそ除かなければならないことのたとえ」とのこと。
  • 461には、美しい白馬について「光彩陸離」という形容がある。「陸離」というのはちょっと良い。「光がきらきらと入り乱れて輝くさま」らしい。そのまま読めば、光の輝きが陸を離れて燦然と宙にきらめく様子がイメージされる。陸、すなわち大地を、平常の世界とか俗界とか浮世とかと取れば、尋常の領分から浮かび上がり離れるほどすばらしいということになり、天上に向かう超越的な志向のニュアンスが出てくる。
  • 471には「そくそくと」。銀河を見ていると、「宇宙の芯が抜けたような空しさと、虚 [うつろ] なる無限の広がりがそくそくと伝わってきて」とある。漢字だと「惻惻」。「悲しみいたむさま。身にしみていたましく感じるさま」らしい。この字を使った言葉としては、「惻隠」が思い出される。
  • 618では鯨の巨大さに「雄渾」が用いられている。初見。「雄大で勢いのよいこと。書画・詩文などがよどみなく堂々としていること」と。「渾」の字は「渾然」や「渾沌」で馴染んでいるから、混じり合う的な意味なのかと思ったが、ほかに、「水がわき出て盛んに流れるさま」を指すらしい。水の湧出によく使う「こんこんと」という表現が、ひとつにはこの漢字であらわされるようだ。
  • 下巻。68に「魂 [こころ] して」という表記が出てきて、これはなかなか珍しい。意外と思いつかない。
  • 99には太陽の比喩として「睡蓮という宇宙花」とあるのだが、なぜ太陽がとりわけ睡蓮にたとえられているのか、それはちょっと疑問だった。何か文化的背景があるのか? と思ったところ、古代エジプトでは太陽の象徴とされていたらしい。Wikipediaいわく、「The ancient Egyptians revered the Nile water lilies, which were known as lotuses. The lotus motif is a frequent feature of temple column architecture. In Egypt, the lotus, rising from the bottom mud to unfold its petals to the sun, suggested the glory of the sun's own emergence from the primaeval slime. It was a metaphor of creation. It was a symbol of the fertility gods and goddesses as well as a symbol of the upper Nile as the giver of life. [15: Tresidder, jack (1997). The Hutchinson Dictionary of Symbols. London: Duncan Baird Publishers. p. 126. ISBN 1-85986-059-1.]」とのこと。そもそもスイレンが英語でNymphaeaといわれることもはじめて知ったのだが、これはあきらかにファンタジー的ゲームなどによく出てくる小妖精、ニンフとの関連がある。おなじくWikipediaによれば、「The genus name is from the Greek νυμφαία, nymphaia and the Latin nymphaea, which mean "water lily" and were inspired by the nymphs of Greek and Latin mythology.」ということらしい。ちなみにエジプト神話だと、ネフェルトゥムという神の一体が睡蓮を象徴的に担っており、「睡蓮はヘルモポリスの創世神話では、エジプト神話での原初の水ヌンから立ち上がって花びらを開いたが、その花の中にタマオシコガネを収めていた。タマオシコガネが姿を変えたのがネフェルトゥムだとされている[3: ヴェロニカ・イオンズ『エジプト神話』酒井傳六訳、青土社、1991年(新装版)、62頁]。睡蓮はまた、その花の中に太陽を生み出したといわれている[3]」ということだ。
  • これは余談で、上の箇所で良かったのは「宇宙花」という言い方のほうだ。いずれ自分でも使いたい気はする。
  • 表現としてメモしておきたいのはいまのところそのくらい。あとは柱上で修行した隠修士みたいな人間として、聖スティリテースという名前が出てきて気になっていたのだが、これをそのまま検索にかけても結果が一件もない。それでとりあえず「柱上行者」で調べてみると、正確には「柱頭行者」という訳が一般的に定着しているようだが、そのなかで一番著名なシメオンという人がこのスティリテースのことらしい(Simeon Stylitesという表記がある)。そもそもstyliteという語自体が、英語だと「登塔者」を指すようだ。ギリシア語由来で、pillar dwellerの意らしい。だからシメオンのStylitesはいわば称号ということだろうが、面白いのが、最初の聖シメオンはSimeon Stylites the Elderと呼ばれ、そのほかの後継者や同種の人間として、Simeon Stylites the Younger、Simeon Stylites III、Symeon Stylites of Lesbosなどがいるらしい。ビビるわ。
  • 四時過ぎまでメルヴィルを読んで、はやばやと食事の支度へ。父親が勝手口の扉を外して付近を拭き掃除していた。それなので台所には外気が入りこんできて冷たいが、意に介さずに汁物の調理をすすめる。なんとなく豚汁みたいなものでもつくれば良かろうという気になっていた。米はちょうど母親が磨いでくれたところだった。大根・ニンジン・ゴボウ・タマネギなどなどを切り分け、白鍋でさっさと炒めはじめる。火が通ると注水。それで煮はじめ、合間にアイロン掛け。母親に、いま煮ているから灰汁が出たら取ってくれと言っておいた。今日は調理にしてもアイロン掛けにしてもかなりゆっくりと落ち着いてからだを動かすことができた感があった。道元が食事も修行だみたいなことを言っているらしく、臨済はどうか知らないがすくなくとも曹洞宗の行者はなるべく音を出さずにしずかにものを食べなければならないと聞いたことがあるのだけれど、そういう言い分もわからないではない。生活のすべての瞬間が一種の修行であり鍛錬であるというのは。それがいわゆる悟りを目指す行程なのか、それともそこからは離れた副次的なものなのかは知らないが、己の身体を意識し、その動きを感覚・観察・統御し洗練させるというのは、こちらの理解では要するに自己と一致するための訓練なのだ。いわゆる「あくがれ」の状態を多少なりとも抑えるということ。いま流通している言葉でいえば、マインドフルネスにほかならない。なぜ自己と一致することがかくも重要視されるのかといえば、自己自身と分離され、みずからとのあいだに齟齬や対立や葛藤を生み(こちらの考えではそれが人間存在の常態である)、和解的に調和を保てない状態とは端的な苦しみだからである。多かれ少なかれ自己から離れていることが人の常なのだとすれば、釈迦が言った一切皆苦とはそういう意味でもあるのかもしれない。
  • アイロン掛けのあとは豚肉のこま切れとピーマンとネギを炒め、塩胡椒で味をつけて、するとちょうど米が炊けたのでもう食事にすることにした。五時半過ぎだったと思う。新聞を読みつつエネルギーを補給。ジョー・バイデンが、国防総省の高官が政権以降を妨害していると非難したらしい。あと、韓国では軍事境界線を越えて北朝鮮側に反北のビラを撒くことを禁じる法律が成立したとか。北を挑発して攻撃などを招いてはならないということらしいが、六月だかに金与正が談話を出しておなじことをもとめていたと言い、だから韓国内ではあまりにも北におもねっているという批判があるようだ。
  • 食後、ねぐらに帰ると昨日の記事を記述。一時間で仕上がった。いまだいたい通常の記事は一時間半から二時間くらい、長いものでも三時間くらいで仕上がるようになってきているので、わりと良いペースだ。そのまま投稿し、音読をしようと思っていたのだが、先に今日聞いたMonkのことを書いておきたいと思って綴りだし、八時前まで時間を使ってしまった。したがって音読は一時間しかできず。本当はもっとやるべきである。音読中は今日も五キロのダンベルを持った。あきらかに、持ち上げた状態で腕を保つのが楽になってきている。音読中にできるトレーニングやストレッチの類をもっと開発したい。
  • 九時にいたると入浴へ。風呂の前に便所に入ったところ、小窓の向こうから激しい風の音が響いている。なかに水音めいたものも聞こえるのだけれど、それがすでに降り出した雨粒の叩きつけられる音なのか、それとも落葉が地を擦る音なのか判別がつかない。風呂に行ったあとも窓外から暴力的な風の音が間歇的に寄せ、静寂のなかから遠く響きがはじまり、加速度的に吹きせまってくるときは本当に、外が水で覆われていて波がすばやく駆けてくるような音響。しかしおさまるとしずかなので、おそらくまだ雨ははじまっていないようだ。
  • 出ると一〇時頃。母親からもらったポテトチップスの少量をつまみながら、Evernoteに保存されてある書抜きのうち、日本の詩のものを一番古いものから読み返していった。音読用の「詩」という記事をつくるためである。最初は大岡昇平編の、岩波文庫の『中原中也詩集』。二〇一三年三月終わりの日付になっている。もう八年近く前になる。そう考えるとちょっとビビる。文学に惹かれて以来、詩というものを自覚的に読んだのがこれがはじめてだったはずで、それなので全然大したことのないような箇所ばかり書き写している。審美眼がまだ話になっていない。しかしそれに続く四月に読んでいる長田宏『世界はうつくしいと』、茨木のり子『対話』、現代詩文庫の『征矢泰子詩集』からはそれぞれ音読ノートに入れておくかという言葉が見つかった。征矢泰子など大層久しぶりに読み返したもので、この人の作風はセンチメンタリズムが過ぎると言えばそのとおりなのだが、透明で綺麗でけがれなく傷心的なセンチメンタリズムとして、これはこれで良いのではないか、なかなか結構なものなのではないかと思う。
  • 歯を磨きながら『征矢泰子詩集』の途中まで読むと、今日の日記の続きを記述。ここまで記せばちょうど日付が変わって大晦日となった。
  • そういえば、Woolf会は年末ということもあってか今回は休みとなった。来週こちらが翻訳担当だったのだが、当日一月六日は朝から晩まで勤務で帰りが遅くなるし、そもそも参加する気力が残されているかあやしく、誰かに担当を替わってもらわなければならないと思っていたところなのでちょうど良かった。
  • からだがこごっており、また目の周辺もよどんで重くなっていたのでベッドで書見。メルヴィルを読みすすめる。このあいだの会で(……)くんも言っていたが、『白鯨』の話者イシュメールはなんでもかんでもやたらと一般化したがる性質で、鯨や捕鯨の営みにまつわることを人間社会や人生一般に差し向け当てはめて格言じみたことをおりおり吐いている。その一般化の理路が独特なことが多く、詭弁めいているのだが、人を煙に巻いて困惑させるタイプの詭弁というよりは力技で強引に跳躍して穴を越えてしまうような種類の道のつくり方で、本気で言っているのか冗談なのかよくわからないような滑稽味が感じられる。一方で、けっこう鋭いことを洞察している箇所もままあるが、今日読んだ部分のなかにも鯨と照らし合わせて、そのありようを適用・応用して人間を考えるみたいなところがあり、この小説では基本的に、鯨や海といった自然領域は人間社会の方向に転用され、つまりは人間的意味へと回収されてとらえられていると思う。だからおそらくこの作品では、もしくはイシュメールにとっては、自然が自然として、なまの他者としてごろりと立ちあらわれてくるというよりは、無数の豊饒な意味がはち切れんばかりに詰まった宝物世界として現前しているはずで、その意味群をもっとも総合的に要約する言葉はたぶん「学び」ではないか。イシュメールにとって、海と鯨と捕鯨とは知と学びの源泉である。実際、どこだったか忘れたけれどどこかの章の末尾で、海あるいは捕鯨船は俺にとってハーバード大学であり、イェール大学だったのだという断言を彼は書きつけていた。
  • そのように考える一方で、自然が「なまの他者としてごろりと立ちあらわれてくる」ような側面もまたふくまれているのではないかという気もする。それは普通に行くなら鯨の威容とかその激しさとか、海で起こる尋常でない事柄の恐怖とか人知を超えたような甚だしさとか、そういった方向からとらえることになるのだろうけれど、そういう、人間が己の手前勝手な都合に合わせて見る「自然」を超脱した、もっとおどろおどろしく不気味で馴致不可能な過剰としての〈自然〉、みたいな流れで行くと、あまり面白くなるようには思えない。他者的自然を「悲劇」とのかかわりで考えたほうが良いような気がするのだけれど、しかしそれも結局上のような論法に収束していくのだろうか?
  • 一時過ぎまで読んだあと、夜食を用意しにいく。母親はテレビを点けたままソファで寝ていた。コンビニの冷凍の手羽中を温め、米と一緒に持ち帰って食う。合間、(……)さんのブログの一二月二五日の記事を読んだ。全然知らないのだが、『鬼滅の刃』のなんとかいう一キャラと自身の顔を置き換えたクソコラを作成しており、それが、(……)さんのハゲ面がとち狂ったような変顔をしている阿呆なものだったので、声を出さないようにしながらクソ笑った。(……)さんが頭髪を消滅させて以来、彼の容貌をしっかり目にするのはこれがはじめてではないか? 以前東京に来たとき、すなわち二〇一九年の二月もたぶんもう毛はなくなっていたはずだが、あのときはずっと帽子をかぶっていてハゲ面を目にしたおぼえはない。本当に綺麗なスキンヘッドになっている。
  • 今日は明確に遊んだ時間はほぼないし、家事もそこそここなしたし、読み書きは現時点でも七時間を越えているし、かなり勤勉にやったと言って良いだろう。ただいかんせん起床が遅かった。もっと良くできる。それにやれていないことも色々ある。瞑想は一日に二回時間を取るべきだし、書抜きもすすめないとまずい。日記の読み返しも他人のブログもそう。音楽を聞けたのはとても良かった。
  • 二時半から熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)の書抜き。Nina SimoneNina Simone Sings The Blues』がBGM。書抜きも本当に日々やっていかないとまずい。これなど、三月に詠み終わった本だぞ。机の上に読了本がうず高く塔をなしている。
  • Nina SimoneNina Simone Sings The Blues』はなかなか良い。#3 "In The Dark"、#6 "Backlash Blues"、#9 "Since I Fell For You"あたりが良い。#7 "I Want A Little Sugar In My Bowl"はとても良い曲だが、聞き流した感じでは、一九七四年のライブに入っている音源のほうがはるかに良いような気がする。きちんと聞いてみなければわからないが。Wikipedia記事を参照したところ、"In The Dark"はLil Greenという人の曲で、彼女は四〇年代に活躍したリズム&ブルースの歌手らしい。"Backlash Blues"はLangston Hughesが詞を書いたと言う。Simoneと友人だったらしい。"Since I Fell For You"はBrad Mehldauが『Blues & Ballads』で取り上げていた。
  • 書抜きを二箇所済ませると、寝る前にまた音楽を聞くことに。Jesse van Ruller & Bert van den Brink, "Amsterdam", "Good Bait"(『In Pursuit』: #6, #7)。しかしやはり遅い時間だと意識が濁る。"Amsterdam"は五拍子の曲で、印象がタイトルに引きずられている感はあるが、都市的な優美さみたいなものをおぼえたというか、冒頭付近のコードワークが凛としていて、異国の街路のような風景や空気感が喚起されるところはあった。Jesse van Rullerという人はずいぶん端正なギターだなと思う。音を埋めて流麗につらねるとき、リズムがきわめて正確できちんと区切られている感じがあるし、流れ方もよどみない。"Good Bait"のほうはよくおぼえていないが、Bert van den Brinkがソロの途中で、ロックギターでいうところのラン奏法みたいな反復をやっていて、そこが目覚ましかった。"Love For Sale"のソロの最初でやっているのもその類と言って良いだろうが、彼はたまにこういう感じで鮮烈な、はっとさせるような弾き方をはさんできて、その使い所とバランスが非常にうまい。それにしてもこのときのフレージングには聞き覚えがあったのだが、何かの引用だったのだろうか?
  • 音楽を聞くと三時一一分で消灯。はやくできており、なかなかよろしい。すぐには床に就かず、まず柔軟をして、それから瞑想もした。しかしやはり長くは座っていられず、一〇分のみで三時三三分に就床。

2020/12/29, Tue.

 我々はテクストの修辞法を読んでいるのか、それとも我々の読みの性格自体がテクストに修辞的な顔を与えているにすぎないのか? それとも、それらはまったく同時に起こっているのか?
 修辞的読解をめぐるこのようにパラドクシカルな問いは、もちろんド・マンのいう「読むことのアレゴリー」に、あるいはバーバラ・ジョンソンのいう「読むことのレトリック」に端を発している。たしかに新批評の伝統は、アメリカの英文科全般にいわゆる「テクスト精読[クロース・リーディング]」の義務を定着させた。しかし、テクストだけに密着するといっても、その「読みかた」自体が時代の甚大なる影響を受けていないとはいいきれない。脱構築以後の場合は、なおさらである。修辞的読解は、なるほど過去の作品テクストの死角=無意識を突く。けれども、それと同時に、ポスト構造主義以後の展開があって初めて可能になった同時代的コンテクストの意識をも露呈せざるを得ない。けっきょく我々に読むことができるのは、そのような時代的推移に限られるのだろうか。批評ファッションの変転にほかならないのだろうか。(……)
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、142; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第四章「ディスフィギュレーション宣言 シンシア・チェイス『比喩の解体』を読む」)



  • 一一時前に覚醒。二度寝も回避された。(……)にメールの返信をしなければと思い出したので、寝床に入ったまま携帯をかちかちやる。ガラケーで文を打つのは面倒臭い。しかし二〇二二年の三月末だかまではサービスがかろうじて続くらしいので、それまではスマートフォンを持つ気はない。携帯会社からはたびたび機種変更のすすめが届いているが。心情としてはもはや携帯電話などべつに持ちたくないというか、内面的には必要性を感じていないのだけれど、まあそういうわけにもいかないだろう。
  • 飯に誘われていたが、今年は世相に迎合して家に籠もると伝えておいた。水場に行って黄色い尿を長々放出してきてから瞑想。一七分間。からだはもともとあまり凝り固まっていないような感じ。特に背に重さがない。ゴルフボールでほぐしているのが功を奏している。一七分座れば身体感覚はだいぶなめらかになるが、もうすこし時間を増やしていきたい気はする。
  • 上階へ。うがいをして髪を梳かし、カニチャーハンとサラダで食事。新聞は国際面。インドで二一歳の女子大学生が市長になったと。インド共産党マルクス主義派の候補らしい。バングラデシュのコックスバザールでは、ロヒンギャ難民のキャンプ内で「アラカンロヒンギャ救世軍」の活動が活発化しており、金をゆすりとったり、人員をリクルートしたりして、断った人間には暴行を加えたり殺したりしていると言う。コロナウイルスの感染拡大を防ぐために人の出入りを禁じ、治安維持の人員を減らしたところにARSAが目をつけたらしい。中国ではコロナウイルス発生時に武漢の現地状況をSNSに発信した弁護士が懲役四年を課されたと。たしか張展という名前の人だったはず。もともと弁護士で、武漢入りして、遺族が情報発信しないように当局から圧力を受けたという証言や、病院の混乱などをインターネットで伝えたために共産党から目をつけられたようだ。六月につかまっていらいハンガーストライキを敢行しており、いまは鼻から管を通して流動食を摂取させられている状態だと言う。そのほか米国ではチベット政策支援法案が成立して、中国政府がダライラマの後継者決定に介入するのを妨害し、ドイツではメルケルのあとのCDU党首として三人の候補が挙がっていると。
  • 忘れていたが、昨日の夕刊で、長江での漁業が一〇年間禁止されるという記事も読んだ。流域で漁業をしていた漁師ら三〇万人が失職するとの見込み。当局は乱獲による生態系の破壊を理由としており、実際長江に棲む魚の種類はめちゃくちゃ減っているらしいのだが、専門家らは乱獲よりもむしろダム建設が大きな原因なのではないかと見ていると言う。三峡ダムとかいうのがもうできたかこれからできるかするらしく、共産党政府がすすめる再生可能エネルギー増進の一環として、それを使って水力発電をおこなうとか。再生可能エネルギーの推進というのは一般的に、一面では「環境にやさしい」、「持続可能な」方針と言えると思うが、ここではその導入がべつの面で環境の破壊ならびに人間生活の強制的な転換を招いている。
  • あと米国でコロナウイルス対策の追加経済法案が署名されたという記事も、夕刊だったか朝刊だったか忘れたが読んだ。先のチベット支援法案はこのなかに含まれていたらしい。ひとり最大六〇〇ドルの支援を盛り込んでいると言い、ドナルド・トランプはこれに反対してひとり二〇〇〇ドルにしろと主張していたものの、最終的には署名に応じた。野党民主党がここではドナルド・トランプに同調して支援額の増加をとなえていたのだが、与党共和党が財政規律を重視して応じず、下院での交渉は物別れに終わっていたとのこと。
  • 食事を終えると皿を洗って下階へ。風呂は今日は父親が洗うらしい。年末なので大掃除をするということだろう。それでこちらはさっさとねぐらに帰り、コンピューターを準備してまず昨日の記事を書いた。それからここまで綴って一時半。音読をしたいが、やはりからだがなまっているので先にベッドで肉を和らげたい。
  • 久しぶりにコンピューターをベッドに持ちこんでだらだらしながらからだをほぐした。
  • それからハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を書見。途中ちょっとまどろんだ。第二航海士スタッブが殺した鯨の肉をステーキにして食う章があり、焼き方がなっていないと言って料理人の老黒人を呼んで文句を言うのだが、そこからはじまる一連の流れが面白かった。スタッブが食事を取っている一方、ピークオッド号の船腹に取りつけられている鯨の巨大な死骸には鮫が何匹もやってきてその肉を食い荒らしているのだけれど、それがうるさいからちょっと言いつけて黙らせろとスタッブは黒人に命ずる。黒人はカンテラを持って船縁に寄り、鮫たちを見下ろしながら独特の言葉遣いで「説教」をするのだが、罵言を交えるたびにスタッブに制止され、もっとやさしく言い聞かせろともとめられる。最終的にはスタッブの満足行く「説教」をするのに成功するのだが、鮫たちはむろん言うことを聞かず、暴れて互いに衝突しながら鯨をかじり続ける。最後にせめて祈ってやれと命じられた黒人は、欲深ども、お前らは所詮どうあがいても鮫だ、鮫だから仕方がない、そうやって食い散らかして、腹いっぱいになって、そして死ねや、みたいな一言を残す、という一幕で、漫才みたいな感じで面白かったし、黒人の口調が、いわゆる方言的な訳になってはいるのだけれど、どこの地域のとも決められないような複雑で独特な俚言の感で翻訳も骨折っているような気がする。
  • 五時前で上階へ。鍋をやると言うのでその具を切った。煮るのは母親にまかせて、ほとんどなかったがアイロン掛けをするとはやばやと食事を取った。セブンイレブンの冷凍の炭火焼き鳥をおかずに白米を貪る。ほかには大根の味噌汁と生サラダがあったはず。新聞はこの日か前日から夕刊が休みとなっていたので、朝刊を読む。大和ハウス社長の、たしか芳野だったか芳井という名前の人のインタビューを見た。芳の字が入っていたのは確実なはずだ。神戸支店の営業部長、支店長、東京本店の店長、社長というキャリアの流れだったと思う。もともとは管理職など何が面白いんだと思っていたところが、神戸時代の上司に、それが支店長職だったか上のポストに推薦されて、あまり気は乗らないが世話になった人の顔を立てようと試験を受けたら受かってしまったという。店長時代には部下に本を贈り、面白いから読んでみてとすすめ、ただし二週間後に五行でいいから感想を提出してくれと課題めいたことを課していたとのこと。個々人と対話することで人となりを知り、より良い仕事につなげたいとの試みだが、電話の横に日付と相手の番号を貼っておき、二週間経たないうちに電話をかけて様子はどうかと訊いていたらしい。そういう風にして、あなたのことを忘れずに気にかけているというメッセージを送ろうとしていたという。東京本店の長になったあとは年始の三が日を休みとし、社長就任後はそれを全社にひろげたとのこと。建設業界全体でも来年度中に四週八休というペースを確立しようという目標になっているらしい。ただ、警備員など日給で働いている人は休みが収入低下に直結してしまうので、そこはまたべつの方策を考えていく必要があるとのことだ。
  • あとは珍しく経済面から、もろもろの企業の脱炭素への取り組みを紹介した記事を読んだが、そこでセブン&アイ・ホールディングスが店舗の屋上にソーラーパネルを取りつける試みをすすめていることを知った。たしか全体の四割くらいはもう設置済みとあったか? まったく知らなかったが、そこらへんのセブンイレブンの屋根にもついているのだろうか。
  • ねぐらに帰ると中田考・飯山陽「イスラームの論理と倫理」: 「第一書簡 あるべきイスラーム理解のために」(2019/10/20)(http://s-scrap.com/3393(http://s-scrap.com/3393))を読んだ。この連載は以前は全部公開されていてそれをメモしていたのだが、今回たずねたところ最初の記事と最後の記事だけの公開になっていた。しまった。読むあいだは額とか側頭部とか首とか手の爪とかをめちゃくちゃ揉みまくる。

 1979年にはイラン・イスラーム革命に続き、3月にはソ連アフガニスタンに侵入しムジャーヒディーンによる反ソ連ジハードが始まり、11月にはサウジアラビア王国を打倒しイスラーム国家を樹立しようとする武装勢力によりマッカの聖モスクが占領され、1981年10月にはイスラエルとの単独和平を強行しノーベル平和賞を授与されたエジプトのサダト大統領がスンナ派原理主義」組織ジハード団によって暗殺され、ムスリム世界ではイスラームが現在も大きな影響力を持っていることが外部の人間の目にも疑いの余地なく明らかになりました。

 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

     *

 イスラームについて理解してもらうためには、先ずイスラームが知るに値すると思わせねばならず、ついでイスラームを理解するためにはそれまでの自分たちの西欧中心主義を見直さなければならないと気付かせる必要がある、と考えるのは、大学の教養課程での教育、一般向けの講演会や啓蒙書のレベルでは現在においてもなお妥当であると私は思っています。そして20世紀終盤から今日にいたるムスリム世界の歴史は、近代化の西欧モデルがムスリム世界では通用しないことを裏書きしてきた、と言うことも出来そうです。
 しかしその結果として、マルクス主義の退潮のせいもあり、かつてのイスラーム軽視の反動として社会経済的要因が蔑ろにされ、ムスリムの行動をすべてイスラームに還元するような説明が横行するという反動が生まれました。西欧近代化モデルがそのままではムスリム社会に通用しないこと、ムスリムに固有の行動パターンがありそうなことが正しいことと、それをイスラームで説明することとは全く別のことです。これは実は複雑な問題なので後で詳しく論ずるとして、もう一つの問題があります。それはイスラーム学者よりむしろイスラーム地域研究者に関わります。
 それは、ムスリム社会を動かしており西欧的偏見を排して客観的に観察すれば合理的に理解できるとされるイスラーム研究者が言うイスラームが、自分が知る現実のムスリムたちの実態と全く違う、という単純素朴な事実です。「穏健」で「寛容」で「平等」で「民主的」な「平和の宗教」など一体どこにあるのか、とは、中東研究者、特にアラブ研究者であれば誰でも思うことでしょう。私自身アラブ、特に私が留学したエジプトは大嫌いで、今思い出しても頭の血管が切れそうになるような体験ばかりの日々だったように思います。あくまでも印象論ですが、総じてアラブ研究者はアラブが嫌い(か大嫌い)、イラン研究者はアンビバレント、トルコ研究者はトルコ大好き(か好き)です。ちなみにムスリムでない中東研究者は例外がいないわけではありませんが概ねイスラームが嫌いです。まぁ、それが自然なわけですが。
 ムスリムでも区別できない者も多いですが、ムスリムでないイスラーム学者、イスラーム地域研究者はイスラームムスリムの言動を区別できないので、彼らにとっては自分たちが見たムスリム社会、ムスリムの言動こそが本当のイスラームであり、イスラーム研究者がこれまで語ってきた「穏健」、「寛容」、「平等」、「民主的」、「平和の宗教」なイスラームは現実と懸け離れた護教論に過ぎないということになります。
 イスラームについての知識がないばかりでなく、そもそも知る価値がない、と思われていた時代に、読者の世界観の枠組を揺さぶりつつ基本的にその枠組の中でポジティブにイスラームを描くというスタイルには時代的必然性があったと思います。しかしある程度そうした共感的理解が広まった段階では、それに対する反動として「イスラームの現実はそんなものではない」という「異議申し立て」が現れるは当然と言えば当然です。
 そしてこうした「異議申し立て」の新潮流の代表が、飯山さんと同じく東大イスラム学科出身の池内恵さんと言えると思います。私も古典イスラーム学者として、イスラームを「穏健」、「寛容」、「平等」、「民主的」、「平和の宗教」のような西欧の植民地支配を蒙る以前には存在しなかった概念に切り詰め歪曲することには違和感を抱いており、またエジプトで学生としてムスリム社会の内部で5年にわたって生活し、2年間のサウジアラビア日本大使館勤務でムスリム国家の外交の一端を垣間見ましたので、ムスリム世界の現実を粉飾することは心情的にとてもできませんでした。
 私はエジプト留学、そして日本大使館勤務当時に発表した「エジプトのジハード団」(1992年)、「ジハード(聖戦)論再考」(1992年)以来、『イスラーム国訪問記』(2019年)まで一貫して、サラフィー・ジハード主義の内在論理と行動を共感的に明らかにする研究を発信し続けており、日本のイスラーム地域研究者の中では例外的にこの「異議申し立て」に与する立場を取っています。
 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

     *

 (……)ハーバード大学イスラーム研究者W.C.スミスは、「イスラーム」という言葉には(1)個人的なアッラーとの関係、(2)ムスリムの制度化された宗教思想の、(3)歴史的な現実、文化、の三つの意味があると言います。クルアーンハディースの用法は(1)の人間と神との個人的な関係を指していましたが、13世紀頃からムスリムの間でも(2)の制度化された教義の体系の意味で使われ始めます。(3)の歴史的な現実、文化を「イスラーム」と呼ぶのは、最近のことで、非ムスリムイスラーム研究者、いわゆる「オリエンタリスト」が始めたことです。イスラームに(1)個人的なアッラーとの関係、(2)ムスリムの制度化された宗教思想、の二つの意味があることに私も異議はありません。ムスリムによって制度化された宗教思想としての第二の意味の「イスラーム」が、ムスリムにとって規範的な「あるべきイスラーム」であるのは当然でしょう。しかしムスリムにとって本当に重要なのはクルアーンの用法(1)の個々のムスリムアッラーとの個人的関係です。
 このアッラーと個人との関係としての「イスラーム」も言うまでもなく規範的な「あるべきイスラーム」です。アッラーと個人との関係における「あるべきイスラーム」とは、アッラーによって「イスラームと認められたもの」、つまり「それによって来世での楽園の救済に値するムスリムと認められた存在様態」ということです。とはいえ、キリスト教のように、人が神の子になったり、神の子の代理人がいたり、人に神(聖霊)が憑く、といった概念を持たないイスラームにおいては、誰がムスリムかを判断できるのは、神だけであり、神が人間にいちいち「今のあなたはムスリムと認められた」と語りかけるわけではないので、誰にも知ることはできません。それゆえ当の本人は自分の信仰を常に自問し続けるしかありまんが、他人の信仰については関知するところではありません。
 しかしイスラームの教えはアッラーとその使徒ムハンマドを信ずる者にしか課されませんから、共同生活を送るには、ムスリムとそうでない者を区別する必要が生じます。ジハードやイスラーム刑法を持ち出さなくとも、食物規定やドレスコードが違えば共同生活が困難なのは、イスラームに限った話ではありません。そのため本来は判断する必要がない他人の信仰についても、神の御許で誰が本当にムスリムであるかはさておき、この世で暫定的に誰かをムスリムとして扱うかどうか、という問題が生じます。
 ですからある人間の様態がイスラームであるか否か、との問いは、不可知ではあっても、一瞬毎にどう生きるかの決断を迫られるムスリムにとっては、わからないなりに判断を下さざるをえないために、正当化されます。それは日本のサラリーマンが食事をしなければいけない以上、自分で弁当を手作りするか、コンビニ弁当で済ますか、経済的、健康的、時間的に最適解を見出せなくとも、不完全な情報と限られた時間の中で何らかの選択をする決定を下すことを余儀なくされるのと同じです。
 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

     *

 イスラーム法では、人間の行為を(1)「行わなければ来世での罰に値するもの」、即ち「義務(ファルド、ワージブ)」、(2)「行わなくても来世での罰はないが行われば来世での報奨に値するもの」、即ち「推奨(ムスタハッブ、マンドゥーブ)、(3)「行っても行わなくとも来世での罰も報償もないもの」、即ち合法(ムバーフ)、(4)「行っても来世での罰はないが、行えば来世の報奨に値するもの」、即ち「忌避(マクルーフ)」、(5)「行えば来世での罰に値するもの」、即ち「禁止(ハラーム)」の5つの範疇に分類することは、日本でもイスラーム関係書の読者の間で知られてきたかと思います。しかしイスラーム法はムスリムを対象としているので通常は論じられませんが、実は第6の範疇があります。それは「多神崇拝(シルク)」であり、それを伴えばあらゆる善行が無効になり無条件に来世での永劫の罰を蒙ることになります。言い添えると、ここでいう「多神崇拝(シルク)」は専門用語で「ムスリムでなくなる大多神崇拝(シルク・アクバル・ムフリジュ・ミッラ)」と言われるもので、そこまで重大でなく重罪ではあってもムスリムではあり続ける「小多神崇拝(シルク・アスガル」とは区別されます。またイスラーム法上の来世での罰に値する行為も、未成年や狂人などの責任能力を欠く者の場合や、正当防衛など違法性阻却事由がある場合には免責されることは、日本の法律と同じです。話を第6の範疇、「(ムスリムでなくなる大)多神崇拝」に戻すと、ムスリムの様態を判断するには外面的な行為を見るだけではなく、そもそもその人間が「多神崇拝」を犯していないか、を考慮する必要があります。外面的にいかに熱心に礼拝や斎戒断食に励み、大巡礼(ハッジ)に行き、ジハードを行っても、同時に例えばシバ神や、大日如来や、お稲荷様を拝み、十字架、神社の交通安全のお守り、曼荼羅、贖宥状(免罪符)などを後生大事に身につけていたなら、善行のすべては無効になり、大多神教の罪でムスリムでなくなり、来世での永劫の罰に晒されます。またダールルイスラームを侵略するためにムスリムを装っていたスパイの場合も同じです。
 ですから、イスラームの教義に照らしてムスリムの行動を分析するには、個別の動作の一つ一つをイスラーム法の範疇に当てはめてカズイスティック(決疑論的)に判断するより前に、まずそもそもその人間がムスリムであるかどうか、多神崇拝を犯していないか、を総合的に判断する必要があるのです。
 (中田考イスラーム理解はなぜ困難であるか」)

  • 中田考と飯山陽の記事を読んだあと、音読もしたかったが、もう少しものを読みながら爪を揉みほぐそうと思い、(……)さんのブログにアクセス。一二月二四日の記事を読む。"The Grapes of Wrath"が絶賛されていた。ジョン・スタインベックという作家について、その名前と『怒りの葡萄』および『エデンの東』という作品名以外何も知らないし、良い悪いという評価以前にそもそも読んだという話を聞いたことがないのだが、俄然気になる。やはり英語というか外国語でどんどん文学を読みたいなあと思う。日本語も良いけれど。言語というものは本当に面白いというか、冗談でなくこちらはできる限り何か国語も理解できるようになりたい。何語でも良い。この世に存在している言語を、こちらの力の及ぶ限りすべて読めるようになりたい。
  • 七時台後半から九時直前まで「英語」を音読。同時にダンベルを持つ。五キロだが、だんだん楽に持てるようになってきた気がする。音読もわりと明晰にできた。やはり大切なのはゆっくり読むこと、そこに書かれてある言葉のすべてに、そんなに傾注する必要はないがとりあえずは急がずひとつひとつ触れていくことだ。それは音読でも黙読でも変わらない。
  • 入浴へ。湯のなかにからだを落とし脚を伸ばすと、目の前の様子に意識の焦点が合うような感じになった。風呂に入っているあいだの時空など普段たいしてよく見も聞きも感じもしていないが、たまになぜか観察の心になるときがある。湯は入浴剤など入っていないはずだし、浴槽の色もクリームっぽい白なのだが、なぜか液体はかすかな緑色を帯びている。自分の脚がそのなかにゆるく交差しながら伸びているわけだけれど、まったく動かずじっと停まってそれを見つめていると、自分の意思もしくは脳が普段この物体をあやつり動かしているという事態が不思議なものと思われ、肉体がやはり客体めいてきて、水底の流木のイメージも湧く。太腿および脛の地帯には、たぶんそんなに濃くはないだろうがことさらに薄くもなく、そこそこの量の毛が生えて立ち並んでおり、いまは湯に流れがほぼないから揺らぐこともなく、動くとしてもちょっと息を吐くくらいのかそけさだ。肌はあらためて見るといかにも生白く、筋肉もないから皮膚表面のなだらかな平板さが余計にその白さを弱々しく見せているような気がする。
  • 出て、一一時頃から二七日のことを綴りはじめたのだが、手の爪がやや伸びていて打鍵をするのに鬱陶しかったので先にそれを切ることに。ヘッドフォンをつけてThelonious Monk『Thelonious Alone In San Francisco』を聞きながらベッドで処理。Monkのソロピアノは大変に良い。Monkの独奏ってなんというか、どこかつたなさがあるというか、いわゆる「ヘタウマ」とまで言ってしまって良いのかはわからないし、下手くそだとは思わないのだけれど、なんとなくぎこちなさみたいなものが全体に香っていて、全然なめらかに整った演奏ではないと思う。なぜかそれがとても良い。我流感が強く、やっぱりなんというか普通に技術的にうまいピアニストでは、たぶんこういう風には弾けないのだと思う。コードを強く叩くときのアクセントのつけ方、そのタイミングとか独特で、ダイナミクスやフレーズのつなげ方や緩急のつけ方ふくめて音の推移の仕方がかなりごつごつしているというか、いびつとすら言っても良いのかもしれない。喋り方がほかのピアニストとはあきらかに違っている。緊張感をみなぎらせながら演奏を削り整え構築していくという感じではなく、もっと日常的な相としてのピアノがあらわれているような印象で、要するに食事や呼吸とおなじ水準でピアノを弾いているかのような自然さを感じる。自分の生を維持し保つための習慣としてのピアノというか。だから、聞かせるという志向よりはひとりで弾いているような色を感じるのだけれど、だからと言って自分の内面に沈潜してそこから何かを探り出そうというような気配もおぼえず、ただ煙草を吸っているのとおなじ、みたいな印象。そしてそれが、とても良い。特にちょっと甘い味をふくんだバラードの類など絶品というほかはない。
  • この日のことをちょっと記したあと、二七日のことを記述。一時前で完成。たしか二八日分と合わせてすぐに投稿したはず。それからキムチ鍋を夜食にいただくことにして上がると、母親がまだ起きており、テレビには薬師丸ひろ子のコンサートが映っていた。わりと綺麗で伸びやかな声だったように思う。薬師丸ひろ子という人について何も知らないのだけれど、いま検索して画像を見たところでこの人だったのかと同定した。顔はよく見かけたことがある。『セーラー服と機関銃』で主演した人でもあり、この映画の同名主題歌はUAが『KABA』の五曲目でカバーしていて、なぜかけっこう好きなのだ。『セーラー服と機関銃』が相米慎二作品だということをいまさら知った。といって相米慎二という監督も名前を知っているだけだが。
  • キムチ鍋を食ったあとは、翌日がWoolf会なのでTo The Lighthouseの該当箇所を読んでおいた。第一部第四章の"The jacmanna was bright violet;"からはじまる段落。これに続く"the wall staring white"のstaring whiteがまずよくわからない。starringならわかるような気もして、誤植なのか? とも思ったが、二度出てきているし、オーストラリア版Project Gutenbergに載っている原文を見てもstaringである。見つめ、眺めてしまうような、目を奪うような白、ということなのか? 一応、fan-staringといって、ファンの注目を浴びる、みたいな複合表現はあるようだ。岩波文庫だと、「家の壁は陽を受けて白く輝いている」と軽く処理されており、どこにstaringを反映したのかわからない。「輝いている」とあるので、starとしてとらえたのだろうか。ただ、インターネット上の辞典を見ても、starの自動詞には「主演する」の意があるのみで、物理現象としての「輝く」はないのだが。他動詞にも輝き系の意味はなく、星を散りばめるとか、星印をつけるとか、主演させるとかのみ。

Here in Michigan, Whitmer, a Democrat, has issued 192 executive orders, many of which were struck down recently by the state Supreme Court.

The governor got spanked unanimously by the court for flouting a 1976 law, the Emergency Management Act. She extended the state of emergency without the Legislature’s permission. Lawmakers must renew their consent every 28 days. They did that once, through April 30. Whitmer has been in violation of the law ever since.

  • ウェブを見たのち、三時半に消灯。ベッドに移ってからもすこしのあいだは眠らず脚をマッサージし、布団に入ったのは三時四八分だった。目標よりもちょっと遅くなってしまった。またすこしずつ消灯をはやくずらしていきたい。

2020/12/28, Mon.

 ポスト記号論及びポスト物語学としての脱修辞学が、精神分析と密接な関わりを持つことには、多言を要すまい。記号の無意識を探り、語りの効果を探る批評――それはまさに、フロイトが臨床医として実践した言説の形であった。分析医は患者を読む。症例というテクストにおける死角=無意識を読み、驚くべき明察を示すことで患者を納得させ、治療を完遂する。ところが、実際に行なわれているのは、むしろ患者の告白する記号断片群を巧みに隠喩化し、物語の効果を踏まえて翻訳=秩序化する作業なのである。それは、患者というテクストの中に医師が自分自身というテクストを読み込む転移の結果にほかならない。この転移がいかに首尾よく運ぶか、患者に与えられる真実の効果=虚構がいかに強力であるか、説得力を持つかによって、治療の程度は決まる。
 ド・マンは精神分析にはほとんど関心を示さなかったが、チェイスはド・マンにおける「事実を引き起こす言語(パフォーマティヴ)」への興味を、転移が発揮する「説得力」と関連させて考えた。これは「目前の事実を説明する言語(コンスタティヴ)」とは逆で、それまで何もなかったところに言語自体の力が事件を引き起こしてしまう効果 "positing" を指す。チェイスが『比喩の解体』以後に発表した論文「パフォーマティヴとしての転移」(一九八七年)では、かくして転移さえひとつの修辞形式[トロープ]として位置づけられる[註3: Cynthia Chase, "Transferance as Trope and Persuasion," Discourse in Psychoanalysis and Literature, ed. Shlomith Rimmon-Kenan (London: Methuen, 1987) 211-32. 転移 "Übertragung" を翻訳 "Übersetzung" としてずらそうとするこの論文構成自体が脱修辞化のレトリックを駆使した好例。]。分析医が患者を治療すること――それは決して患者の医学的真実が解明されるからではなく、むしろ医師が症例の断片を翻訳するその時の物語学的効果が患者を言語的に納得させるためだとすれば、たしかに転移はひとつのレトリックだ。この見解は、同時に翻訳というものの本質さえ再発見させてくれる。翻訳としての転移は、一言語の意味を単に愚直に他言語へ移行させるどころか、逆に他言語によって原語を物語化してしまうような、それによって記号効果を稼働させてしまうような修辞学であり、脱修辞学なのだから[註4: Ibid. 214. ここでチェイスは既にジャック・ラカンが転移、すなわち隠喩であり、一種の言語効果[スピーチアクト]でもあるものと見た事実に着目し、そのような認識こそ「修辞言語の本質としての脱修辞性へ到達するもの」と評価する。]。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、140~141; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第四章「ディスフィギュレーション宣言 シンシア・チェイス『比喩の解体』を読む」)



  • 六時半前に起き上がることができた。水場に行かずそのまま瞑想。腹が空っぽなので内臓がよく蠢いた気がする。
  • 何で米を食ったか思い出せない。何かおかずがあったので卵を焼くのをやめたおぼえがあるのだが。そもそも米を食ったかどうかすら思い出せない。
  • 帰室すると「英語」を音読。一六分間。それから調身も少々。そうして着替えると五分間のみ短く瞑想をして出発。
  • 玄関を出るとちょうど歩きに行っていた父親が帰宅して階段を上ってくるところだった。行ってくると言って道へ。朝のうちはまだ曇っていた。灰色をかすかにはらんで不健康な白さの雲海に太陽が溶けてかろうじて姿を映している。
  • 電車内では座席に座って瞑目。(……)で降りるとゆっくり行って職場へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 一時頃退勤。電車に乗って最寄りへ。この頃には晴れていた。ホームにひらいた温もりのなかをたどっていき、今日も街道を東へ曲がる。通りの向かいの奥に伸びた木々から鳥の声がいくつも立ち、左手ではフェンスの向こうを満たしている枯れ草の茂みのなかでスズメか何かの小鳥の群れがガサガサガサガサいっている。一昨日もおなじ現象に行き当たった。こちらが横を通るのに感じて草の迷宮のなかを動き回るのだが、厚みのなかにうまく隠れて姿は見えない。
  • 空に雲はなかったのではないか? 一昨日と同様、(……)さんの家の横を下りる。通路の外を埋め尽くす草から鳥が飛び立って木に移っていく。ちょっと視線を上げれば梢の隙間に青空が覗き、果てに浅くつつましい白さが塗られているのが渚めき、その絵図を切り取った穴を縁取る枝葉は褐色まじりの橙を残しているが、あと幾許もない命だろう。足もとは落葉が溜まって靴をすすめるたびに音が立ち、それを聞きつけてまだだいぶ距離のあるうちから前方で鳥が道を去って林に昇っていった。下の道に出て眺める川向こうの山や木々は煙るような淡い光に覆われて、色と量感をゆるめて精霊体じみている。
  • 帰宅して室に帰ると着替えてベッドに。ともかくもからだを休めて肉をほぐし、疲れを散らさなければ話にならない。ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 上』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)の解説を読んでいたが、眠気に抗えず沈下。復活すると最後まで読んで上階へ行き、「どん兵衛」の鴨蕎麦を用意してもどった。それを食ったあとは社会の授業の予習。「(……)」の五章、公民分野。そんなに困難な問題はない。わりとはやく終わったのでまた「英語」を音読し、仕事着に着替えると五時頃。
  • 出る前に米だけは磨いでおいたほうが良かろうと思っていた。それで上階に行くと、母親がすでに帰宅している。もう行くかと訊くので肯定すると、メルカリで何かが売れたのでコンビニに行くけれど乗っていかないかと言う。コンビニで手続きをしているあいだ、車に乗っていてほしいということだろう。それで今日も乗せていってもらうことにして、これで音読の時間が多少確保できた。ベスト姿のワイシャツを腕まくりして米を磨ぐと、もどってまた英文を音読。
  • それで五時半頃出発。夜空は青味がまだ弱いものの晴れ渡っており、今日は月ももうだいぶ満月に近くて形が整っているので、はみ出したという感じはなく、あるべき風におさまっている印象。助手席に乗って発車。道中、こめかみを指圧しまくる。母親は職場で今日出たらしいお汁粉がまずかったと漏らしていた。業務用スーパーのものは品質が悪い、と言う。白玉がまったくもちもちしていないし、そのほかも全体的に味が悪く、それを飲んでなんだか胃が変になったようだとのこと。
  • 駅前のコンビニを折れた裏路地に駐車。母親がコンビニに行っているあいだこちらは車に残り、ひたすらこめかみを揉む。母親がもどってくると降りて職場へ。
  • ふたたび勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)一〇時で退勤。(……)駅へ。(……)行きに乗ると電車は五分程度遅れていた。意に介さず、席に就いて目を閉じじっと停まって体力の回復を図る。そこそこ長く、たぶん一五分くらい時間を取れたので、からだの感覚はいくらか軽くなった。疲れていると身体の輪郭がぶれるというか、皮膚が微振動して落ち着かないような感覚が見受けられるのだが、停まっているとその振動が収まって肌がしずかになる。眠気に惑わされることもなかった。
  • とはいえ疲れてはいる。最寄りで降りて、高く月が輝くなかを帰宅。自室で休息。『白鯨』の下巻を読みはじめた。一時間休み、もう零時も近くなってから食事へ。コンビニのメンチをおかずにして米を食う。夕刊から今年の漫画界の回顧を見る。このページだけ切り取って自室に持ってきてある。「ポスト『鬼滅』」として『呪術廻戦』というのが挙がっているが、これはたしかにこの日職場でも子どもたちがタイトルを口にするのを聞いた。それよりもこちらとしては、同時に紹介されている『風太郎不戦日記』の漫画版(勝田文)と、ダヴィッド・プリュドム『レベティコ―雑草の歌』というやつが気になるが。『レベティコ』は、「第2次大戦前の政情不安を背景に、ギリシャのブルースといわれる「レベティコ」を奏でるならず者の音楽家たちを活写する」とのこと。ギリシャナチスドイツの侵攻を受けた。アウシュヴィッツには、テッサロニキユダヤ人たちが連行されて一団をつくっていた。この漫画の訳者である原正人という名前はどこかで見たことがある気がする。それでいま検索してみたが、原正人という人にはいくつもの作品を手掛けている映画プロデューサーもいるらしいが、おそらくこちらではなくてバンド・デシネ研究者とされているほうの人だろう。となれば容易に予想がつくが、やはり翻訳書のなかに、フランソワ・スクイテン/ブノワ・ペータースの『闇の国々』が入っていた。おそらくこの作品にかんして名前を見たのだろう。ほかにアレハンドロ・ホドロフスキーの名があって、ホドロフスキーって聞いたことがあるなと思ったが、チリの映画監督らしい。バンド・デシネの原作もいくつも書いているよう。
  • 新聞記事に話をもどすと、今年は少女漫画史にかかわる貴重な証言も色々あり、とりわけアシスタント経験をもとにした笹生那実『薔薇はシュラバで生まれる』や、『「少女マンガを語る会」記録集』という文献が紹介されていて、後者にかんしては以前も新聞で見かけたおぼえがある。ほか、三宅乱丈の『イムリ』が全二六巻で完結したと。異民族の共生をテーマにしていると聞くとちょっと気にはなる。『憂国のモリアーティ』も以前から多少の興味を得てはいる。
  • 食後、入浴。首から上を揉む。出ると一時。緑茶を用意してプリンを食う。その後、この日の日記。一時間すすめて三時が近くなると切り、ウェブを閲覧してから三時一八分に消灯。今日はさすがに疲労が濃かったので瞑想せずに寝た。

2020/12/27, Sun.

 不完全な言語がたまたま存在するのではなく、言語とは当初より不可避的に不完全であり、その欠損をおおい隠す衣装として修辞形式が存在すること。ただし、そのような修辞形式があまりにも所与のものとなっているため、我々は日常、たとえば「椅子の脚」という表現に顕著なように、本来ならば隠喩であったものをいまではすっかり字義と思い込んでいること。ただしマグリット的なシュールレアリスムの過剰性においては、逆にまさしく「脚の生えた椅子」を隠喩でなく字義として誤読するよう要請されていること。
 右を脱修辞学の根本とするならば、ことは第二部第七章に収められたデビュー論文「象たちの解体――『ダニエル・デロンダ』の二重読み」(初出一九七八年)にもそっくりあてはまる。チェイスはこのジョージ・エリオットの長編のうちに、いわばソフォクレスの『オイディプス王』がすでに内包していたような、物語学的逆説の典型を見るのだが、ワーズワス論で彼女がこだわった言語の字義性/隠喩性の循環は、ここにおける物語の原因/結果の循環をも照らし出すだろう。たとえば『オイディプス王』の場合、オイディプスが父王を知らぬ間に殺していて、これも知らずのうちに母と結婚するというのが通常の「事件の連鎖[ストーリィ]だが、これを文字どおりそのまま並べたのでは、何の盛り上がりもなければ発見の驚きもない。したがって、物語作者は少なくとも主人公オイディプスだけには真相を隠し、最後になって最も効果的にすべてが発覚するような順序に、いわばひとつのドラマティック・アイロニーのかたちに「語りの構成[ディスコース]」を仕組む。一方チェイスは、同様なストーリイとディスコースのからみが『ダニエル・デロンダ』に顕著だという。デロンダはユダヤ人として生まれたが、この小説の妙味は、そのような主人公の出生の秘密が、物語の展開とともに明かされていくところにある。冒頭から出生が明かされては何の興味もわくことはない、むしろ物語の効果から逆算する形で出生という起源が設定されたのだ。作中メイリックの書簡の言葉を借りれば、デロンダの出生はもちろん彼の現在を保証してはいるものの、同時の彼の出生は物語全体から逆産出された結果、要するに「効果の結果」である。「事件の連鎖[ストーリィ]」を言語の字義性にたとえるならば、「語りの構成[ディスコース]」は字義が隠喩化を受け入れる過程に相当する。だが、我々が往々にして字義を隠喩と、隠喩を字義と誤読してしまうように、物語においてどこからどこまでがストーリイを成し、どこからどこまでがディスコースの仕業であるのか、にわかに読み分けるのは難しい。オイディプスの父殺しや近親相姦さえ、単に物語学的要請だったふしがみられる。我々は、ストーリイを軸とする読みとディスコースを軸とする読みをからみあわせ「二重の読み[ダブル・リーディング]」に徹底するしか道はない。そして、そのような作業こそ、いうまでもなく物語の脱修辞学[ディコンポジション]なのである。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、139~140; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第四章「ディスフィギュレーション宣言 シンシア・チェイス『比喩の解体』を読む」)



  • またしても離床が正午を越えてしまった。滞在は八時間半。よろしくはない。意識をとりもどしたあと、確実にからだを起こすにはどうすれば良いのか、良い方法がないだろうか。洗面所でうがいをしたり、トイレで尿を放ったりしてきてから瞑想。ともかくも起床後の瞑想はかならずやるようにはしたい。
  • 身体感覚をなめらかにして目をひらくと、一八分が経っていた。体感的にはもっと座っていると思ったのだが。最近はそういうことが多い。実際の数的時間の経過よりも長く瞑想したように感じられる。
  • 上階へ。煮込んだ蕎麦などで食事。新聞は書評面を見る。各書評委員が今年の三冊を上げていて、けっこう興味を惹かれる本も見られる。ページを切り取っておいたので、あとでメモしておくつもり(いまは切り取ったものを自室に持って帰ってくるのを忘れてしまった)。
  • 食後、風呂洗い。蓋がちょっと汚れていたので(おそらく髪染めではないか?)、また縁のほうがすこしぬるぬるしていたので擦っていると母親が来て礼を言いながら、マットの縁もぬるぬるするから擦ってくれと言うので断った。そんなにいっぺんにやる必要もあるまい。今日は蓋と排水溝カバーと鏡の前のものを置く台みたいなスペースだけで充分。
  • 父親は台所で母親に頼まれてずっと冷凍してあった鹿の肉を捌いていた。帰室。今日のことを五分だけ書いたあと、便意があったので上階へ。用を足すとともに茶を支度。もどるときに書評ページも持ってきたので興味を惹かれるタイトルを順不同でメモしておく。
  • 加藤聖文という人が石井妙子『女帝 小池百合子』を挙げて、「単なる暴露本ではな」く、「歴史資料としても耐えうる時代の証言」だと言っている。苅部直は一冊目に田島列島『水は海に向かって流れる』を挙げている。松沢弘陽の書は、「日本思想史分野での今年最大の収穫」だという。アーノルド・ゼイブル『カフェ・シェヘラザード』は三中信宏という人の選で、「メルボルンのカフェに集まるユダヤホロコースト生存者たちのモノローグ本」とあっては読まないわけにいかない。くどうれいんから東慎一郎までは山内志朗の三冊で、『ルネサンスの数学思想』は「本年度の思想史関連書の白眉と思う。圧倒的力量を示す本だ。この本は紛うことなく世界一流である。本が輝いている」と絶賛している。マシュー・スタンレーを挙げているのは仲野徹という人。尾崎真理子は古井由吉『われもまた天に』を一冊目に持ってきている。三冊目のエリック・ヴュイヤールは、「ヒトラーによるオーストリア併合までの経緯を、極限まで断片化した事実だけを精緻に積み上げ、文学作品とした。初めて出会った真の歴史小説」とのこと。
  • 書評欄の入り口ページ下部には岩波書店の広告があって、『ショパン全書簡』が載っているが、パリ時代の上下巻でそれぞれ二万円もする。
  • ここまで記述すると二時半。今日は「(……)」の会。しかし課題書のメルヴィル『白鯨』上巻をまだ読み終えていない。
  • 二四日から二六日の記事をもうブログに投稿してしまった。前から順番に投稿するつもりでいたのだけれど、もう面倒臭いので、完成した日からさっさと公開してしまえば良いだろう。日課記録をブログに載せるのもやめた。検閲をほどこして投稿するあいだのBGMは小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』。そしてそのまま柔軟へ。"天使たちのシーン"はやはりすばらしいのではないか。こういう感じのループしながらだんだん進行していく曲をつくって弾き語りたい。
  • わずかばかりの調身を終えると音読。四五分で「英語」の一五七番から二〇〇番まで。太腿や腰がこごっていて椅子に座っていると煩わしかったので、途中で立って足先を掴み、それを背のほうに引っ張り上げる形の柔軟をやりながら読んだ。これをうまく活用してからだの角度をちょっと変えれば、太腿や脚だけでなく、脇腹や背中のほうも伸ばすことができる。あとはいつもどおりダンベル。BGMはThelonious Monk『Solo Monk』に変えた。
  • ベッドに仰向いて書見。ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 上』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)。五時まで一時間ほど。六一五ページまで読み進めたので、解説を除けばあと二〇ページ。会合は九時からとなったのでなんとか読了できるのではないか。この小説の話者イシュメールは、大きな物事を「運命」として言及することがかなり多いような気がする。
  • 五時で上へ。アイロン掛け。自分のワイシャツを、べつにかけなくても皺のつかないタイプなのでほぼ必要ないのだが、一応ちょっと均しておく。あとハンカチ一枚。それから台所へ。鹿肉を焼くらしいが、こちらはこちらで勝手に卵でも焼いて食おうと思っていた。食器乾燥機のなかの皿などをいちいち運んで戸棚などに整理しておき、流し台に放置されていたものを洗って片づけると、洗い桶も綺麗にしてキャベツをスライスした。大根も同様に。それを水に浸けておくと、鹿と合わせるべく切られたタマネギを炒める。母親はそれを切っただけで台所から出て、(……)さんに電話をかけたり(何か届け物をしてくれたよう)、黙りこくって妙に熱心にスマートフォンを見つめたりしていた。加熱したタマネギを皿に取っておくと、冷蔵庫の卵をパックから出して置き場に設置しておき、パックを潰してひらかないようにセロテープで留めて捨てておくと、べつのフライパンで二つ焼いた。それを米に乗せ、生野菜や昨日買ってきた即席の味噌汁とともに食事。新聞からコロナウイルス関連の報を読む。医療体制はけっこうやばいというか、ここから感染者重症者が増えるとマジでやばいくらいのところまで来ているよう。東京都の病床使用率は五〇パーセントを超えていた。大阪が一番高いようで、六三パーセントくらいだったと思う。また、イギリスで発見された例の変異種とやらが国内でも発見されたと。二五日にすでに五人出ていたらしいのだが、昨日の二六日には航空機のパイロットとその配偶者の人が感染しているのがわかったと言う。パイロットの人は飛行機運行上の都合で空港での検査を免除されていたらしい。
  • テレビは『笑点』を映していて、上がってきた父親がソファに就きながら前かがみになって妙に熱心に見ていた。食事を終えると洗い物を片づけて帰室し、ここまで書き足して六時半前。
  • ふたたび音読。今度は「記憶」。ナチス第三帝国関連の記述など。七時過ぎまで。それからベッドに投げ身してメルヴィル。解説を除いて一応上巻の最後まで読み終えることができた。終盤で五回目の「ピラミッド」の語が観察された。読んでいるあいだはゴルフボールで背をほぐしていたが、これはマジで良い。すごい。めちゃくちゃ柔らかくなる。
  • 八時過ぎに入浴に行くつもりだった。すこしだけ間があったのでまた音読。今度は「英語」のほう。ダンベルの持ち方も色々変えれば腕の各方面を温めることができる。そのほか音読しながらできるヨガ的柔軟の形を今度調べてみよう。八時を回って風呂へ。風呂のなかではこめかみや前頭部を揉みほぐした。頭蓋という場所は気づかぬうちに凝り固まっている。頭を洗う際、シャンプーをつけて擦るときにも、かなり念入りにがしがしやるようになった。そうするとだいぶすっきりする。
  • 出るともう九時頃。帰室し、コンピューターを持って隣室へ。LINEにアクセスすると(……)くんがちょっと待ってくださいと言っていてまだはじまっておらず、猶予があったので日記をわずかに書き足した。そうしてZOOMのURLが投稿されるとアクセスして参加。前回はおのおの全体的な感想を言っていってそれから個々の論点に入る、という感じだったと思うが、今回は最初からおのずと、それぞれここが良かったというのをどんどん言っていく進み方になった。翻訳がすごいというのはみんな言っていた。リズムにせよ言葉選びにせよ、かなり特殊な訳になっているのはまちがいないと思う。突然戯曲形式になって水夫たちが順繰りに喋っていくような章があるのだけれど、そのなかでひとりが、女ってのは天国だ楽園だみたいなことを語る際、「~しちゃってよう、~しちゃってよう」という口調で興奮するところがあって、(……)くんはそこが良かったと言った。たしかにその箇所は言葉が生き生きとしていて、「蒸かしたてみたいなおっぱい」とかいう表現も出てきて、乳房に「蒸かしたて」なんていう言い方をつなげるのはなかなか思いつけないと思うし、台詞の最後が、「おれは、もう、だめ!」みたいな感じで「だめ!」という強い言い切りで裁ち落とされるのも良い。(……)くんもこの断言が気に入りだったようで、みずから音読し、良い感じの調子を出していた。
  • あと、語り手イシュメールがクイークェグと仲良くなってナンタケットに行く途中の船上だったと思うが、蛮人であるクイークェグと白人イシュメールが仲良くしているのを奇妙に思ってやや嘲笑的に絡んでくる若者連中がおり、それに対してイシュメールは「お粗末な都市のお粗末な公園のお粗末な便所から来た餓鬼共」みたいに、「お粗末な」をしつこく繰り返した罵倒を地の文で述べているのだけれど、(……)さんがURLを貼ってくれた原文でこの部分を確認したところ、「お粗末な」の反復にあたるような語は見つからなかった。だからこの繰りかえしはたぶん訳者の独創であるはずで、ほかの箇所もきっと色々、かなり意訳的な工夫が凝らされているのではないか。千石英世という人は日本の小説の批評本とかも出しているようだが主にはメルヴィルの研究者として著名なようだし、翻訳はこの『白鯨』しか手掛けていないので、おそらくこの作品が本当に好きで、自分の思うがままにやってみたという感じなのではないか。
  • それで思い出したけれど、丸山健二もたしか『白鯨』を翻案したような本を出していたはずだ。
  • こちらが気になったこととしては、ありがちだがキリスト教的文明と未開の野蛮の対立構図がどのようになっていくかという点がひとつ。イシュメールはいわゆる文化相対主義的な立場の典型みたいなものをすくなくとも部分的には表明しているのだけれど、ただそれが貫徹できているのかというと疑問だし、キリスト教的文明や「白人」を相対化しているのはまちがいないが、それでも「蛮人」に対する(自覚的か無自覚かはともあれ)蔑視的な感覚が残っているのではないかという感じも、いま根拠を明確に挙げられない印象だがないではない。そのあたりの副筋としてのプロットが、下巻でどうなっていくのか。それにはおそらくクイークェグとの友情関係が絡み合ってくるのではないかと思うのだが。
  • ただそれはこの作品の本旨ではあまりないような気もするというか、「鯨学」などというものをぶち上げていることからも知れるように、語り手もしくはメルヴィルの目指すひとつの主眼としては、鯨についてのあらゆる事実やそれにまつわる物語や捕鯨の実態を伝えるこまごまとした知見などを集積し、いままできちんと世に知らされてこなかったそれらを正確に記述する、というあたりがあるように思われる。蓮實重彦柄谷行人の全対談本のどこかで、たしか柄谷行人のほうが、この作品のことを百科事典的な小説の例として挙げていた気がするのだけれど、そう言われるとたしかにそうかもしれないとは思う。そこで柄谷行人はまた、いわゆる近代小説、という言葉を使っていたかどうかは怪しいが、現在の人間がイメージする「小説」の典型的な形態が確立される前の小説、そのあとのさまざまな試みをすでに先取りしている作品として『白鯨』を提示していたような気もする。しかしこの記憶に自信はない。英文学で言ったらそういう作品としてはあと、たぶん『トリストラム・シャンディ』などが挙がってくるのだろう。あれも読みたい。
  • 百科事典と言えばたしかに民俗学的というか文化人類学的な趣はあるというか、要するに捕鯨船という小共同体を舞台としたフィールド・ワークという感はある。提示されるイシュメールの立場もそれをいくらか裏付けるというか、つまりすくなくとも上巻の範囲では、ピークオッド号に乗ったあと、イシュメールと周囲の人間の関わり方や、彼と同僚たちとの具体的なやりとりなどは、ほぼ語られないのだ。序盤ではあれほど仲良くしていたクイークェグとのエピソードも、海に出てからはひとつもなかったような気がする。語られるのはエイハブの目的や、彼と船員たちとの力関係や、捕鯨の様子の実地的観察や、船上での仕事の細部や、鯨という生き物にかんしての煩瑣な知識などなどのみで、イシュメールが船内でどのように過ごしているか、どんな仕事をしているか、ほかの船員とどんな言葉を交わしたかなどは、いまのところほとんど出てきていないと思う。そういうところからして、イシュメールは外部からやってきたよそ者として、自分の姿を消しながら、船内共同体を観察・記述している民俗学者、というような感じはわりと受ける。
  • あとこの作品の本筋としてはもちろんMoby Dickとの戦いがあるわけで、ほかの皆が言っていたことによれば、どうもMoby Dickとの戦いでエイハブは死に、船もほかの船員も滅び、おそらくイシュメールひとりだけが生き残ってその物語を伝えている、というような趣向になっているらしい。とすれば、イシュメールには「証言者」としての側面が濃厚に出てくるわけだ。この点はちょっと気になる。
  • エイハブが破滅的な最後をむかえるということは上巻の時点でも何度かほのめかされているのだが、この作品の大きな主題としては、絶望的だが避けられない「運命」に敢然と立ち向かう人間の姿を描く、というところがあるのだと思う。千石英世の解説はそのあたりをメルヴィルの「悲劇意識」という言葉に要約していたし、おなじく解説によれば、『白鯨』は『嵐が丘』『リア王』と合わせて英文学の「三大悲劇」などと呼ばれている、ともあったと思う。イシュメールは何か事件に言及する際、おりにふれて「運命」という言葉を口にしているし、そもそも最初に、なぜそれまで慣れ親しんでいた商船ではなくて捕鯨船に乗ったのか、という理由を説明するときにも、自分は「運命」に「謀られたのだ」と言っていた。(……)くんは全体的にニーチェ的な感じを強く受けたと言っていたが(まあ、(……)くんはニーチェが大好きなので何にでもニーチェ的なところを発見してしまうのだが)、それはたぶん、超越的な「運命」(というのは当然、「神」とほぼ同義であるはずだ)に翻弄され、不可避的に破滅に追いやられていきながらも、それに対抗し、抵抗し、立ち向かっていく、という要素が主な印象源なのではないか。そういう意味で、ギリシア悲劇以来の「悲劇」の系譜として、わりと正統的な作品なのだろうか? ギリシア悲劇について知識がないのでわからないが。ギリシアだと超越的かつ絶対的な神に対抗する人間、などという発想はまだないのだろうか? オイディプスも、自分が「運命」に操られているということは、すくなくとも真相があきらかになっていくその中途では自覚していなかったと思うし。
  • 形式としては色々ごった煮というか、やりたいことを詰めこんだみたいな感じで、これが当時のアメリカ文学の流れのなかでどのように位置づけられるのかというのは気になる。(……)さんが、すでにある形をもとにして試みているというよりは、いわゆる近代小説が成立する前の実験、というような印象を述べていたが、だいたいそういう理解にはなるのだと思う。ソローとかエマソンアメリカには独自の思想がないからそれを生み出さなければ、とか言い出したのが一八七〇年代くらいでなかったっけ? と思っていて、だから文学としてもたぶん、正統的とされる「アメリカの文学」のイメージや史観がまだ成立していない頃なのではないかと述べたのだけれど、下巻の年譜を参照した皆が言うには、『ウォールデン』が一八五四年らしいからソローやエマソンは思ったよりもはやかった。しかし『白鯨』は一八五一年、ホイットマンの『草の葉』が一八五五年らしいので、実際、いま我々が耳にする「アメリカ文学」がまさしく形成されているさなかの作品ではやはりあったのだろう。ただ、そのなかでも、『白鯨』みたいなものはあまりスタンダードな文学作品としては受容されなかったのではないか? 実際、解説を読んだ記憶によれば、メルヴィル捕鯨船を脱走してなんとかいう島のいわゆる未開人共同体にむかえられた体験をもとにした第一作は人気を得て、第二作だったかタヒチを描いた作品も売れたらしいが、三作目は本人としては重要な試みをやったつもりが人気にはならず、四、五作目は金のために書き飛ばした駄作とみずから認めており、六作目の『白鯨』を経て、その後は不遇だったという話だった。途中で専業作家を続けられなくなって税関の職員をやりながら詩を書いていたらしいし、再評価されたのは死後三〇年か四〇年か経ったあとの一九二〇年代、イギリスでのことだったともいう。
  • あとこちらとしては自然の風景描写がどうしても好きで、広大な海の気のなかで自己を忘れて恍惚をおぼえながら世界に溶けていく、みたいな記述は古典的だけれどやはり好きで書き抜く気になってしまう。海を舞台としたいわゆる海洋小説というものにも興味が出てくるものだ。コンラッドメルヴィルと同様船員をやっていたはずで、その体験からそういう作を書いていてたしか平凡社ライブラリーに入っていたような気がするし、あと、海洋小説を専門に書いている人が誰かいた気がするのだけれど、あまり有名ではなかったと思うし名前がまったく思い出せない。小説ではないがレイチェル・カーソンなんかも読んでみたい。
  • ほかの人が言っていたことをあまり思い出せず自分のことばかり書いてしまったが、とりあえずそんな感じ。次回は二月七日に決まった。『白鯨』の下巻と、ついでにインターネットに転がっている「バートルビー」の柴田元幸訳もできれば読んでくるという話になった。こちらが以前これを助けにして原文で「バートルビー」を読んだと言って、有名な作品だしそれではせっかくなので、となったのだ。『白鯨』のあとは(……)さんが課題書を決める番で、彼はフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を読みたいと言う。そのあとは(……)くん。彼は新旧の聖書か、ギリシア悲劇と言った。ギリシア悲劇だと誰かと訊けば、やはりソフォクレスかと返り、ちくま文庫ギリシア悲劇全集の二巻目にソフォクレスがまとまっているので、それが良いのではとのこと。

2020/12/26, Sat.

 たとえば、本書全体の祖型として第一部第一章に置かれた「脱修辞化の事故――ワーズワス『序曲』第五部『書物』にみる字義的/修辞的読解の限界」(初出一九七九年)を一読してみよう。ワーズワスの「書物」のセクションは、なるほどチェイスが述べるとおり、「事故に満ちたもの」だ[註1: 初出。Studies in Romanticism 18 (Winter, 1979) 冒頭の表現に拠る。]。ワイナンダーの少年が死ぬエピソードがそうであるし、エスウェイトの水死人のエピソードがそうである。ワーズワス自身の伝記的背景に準じれば、水死人のモデルは実在した学校教師である可能性が強いともいう。とすれば詩人は作中自らの教師を殺害したのだろうか。だが、詩人の人生と自伝という表象=再表現[レプリゼンテーション]の間の亀裂こそ、どのような虚構よりもラディカルかもしれないというのが、ド・マンがチェイスに教えたことだ。人生の出来事が自伝中のエピソードへと反復されるとき、ふつう我々はそのプロセスを一種メタフォリカルな翻訳と見なす。たしかに「翻訳する(translate)」という動詞をドイツ語でいえば"übersetzen"であり、この語はそれ自体ギリシャ語でいう"meta phorein"を翻訳したものである。これは、翻訳がそもそもメタフォリカルな出発点を持つ作業であることを裏づける。翻訳すること、それはなるほど言語を別の言語で反復する点において、字義的意味を隠喩的意味で反復する作業を類推させるだろう。反復=隠喩化への意志――これが翻訳の可能性を保証したとするなら、一方チェイスの脱修辞学[ディスフィギュレーション]は「言語が反復されればされるほど、比喩的意味も逐語的意味もともども脱臼・崩壊させられてしまう」(二〇頁)という観点を選ぶ。反復を運命とする限り、言語の形象[フィギュア]は死ぬ。「書物」の部は、したがって人間の死を言語で表象したものというより、逆に言語があらかじめ孕んでいる死の可能性を――ド・マン流にいうならば「言語=事物照応関係の瓦解」を――自伝的エピソードの方が反復したものと読まれることになる。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、136~137; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第四章「ディスフィギュレーション宣言 シンシア・チェイス『比喩の解体』を読む」)



  • この日は朝から労働。加えて暮れ方からも。早起きするために六時にアラームを仕掛けており、無事それで起床。瞑想をした。起床後の瞑想はとにかくやるべきだ。
  • 前日のチキンの残りで食事。
  • もどれば七時。八時には出るのでもう時間はない。昨日の日記をちょっと書き、わずかばかり柔軟して、七分のみ音読。それでもう準備して出発しなければならない。
  • 天気はこれ以上ないほどの晴天。(……)さん宅の庭の植木の、一部あざやかに赤化しているやつが陽に照らされると同時に空気の流れを受けて、緑と橙の色素を撒き散らすようにして揺れている。朝の空気はひりつくほどに冷たい。微風もあったと思う。こんな時間に外に出たのは大層久しぶりだが、鳥の囀りが賑やかだった。
  • 坂道はやや大股。しかし途中で息が切れる。早朝に起きてまもないから肉もほぐれていないし、血も巡りきっていないよう。
  • 電車に乗って(……)へ。陽の斜めに射しこんで端に明るみがひらいているホームを行く。人々の顔やからだもあかるさを乗せられて彫像めいたニュアンスが増している。右手、線路をはさんで向こう、改札があって駅員のいる棟の脇の細い隙間を、プロパンガスの大きな灰色のボンベを運んでいる業者がいた。
  • 駅を出るといつもと時間が違うので、裏通りの先に見えるマンションへの陽の当たり方も異なり、色合いや装飾に新鮮味をおぼえる。なんとなく地中海岸的な、乾いた南欧風の白壁の色。空はあまりにもあからさまに澄みきっていて、青さが響き渡るような感じ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • さっさと帰りたかったのだが、退勤はなんだかんだで一時近くになったはず。昼飯を買うためにコンビニへ。ロータリーの角にある植込みの段に、どこの国の人ともわからないがアジア系の若い男性がしゃがみこんでいた。電話をしていたらしい。声を多少耳にしたが、言語は判別できず。
  • カボチャクリームのグラタンみたいなものと、チーズバーガーを選ぶ。そのほか冷凍の焼き鳥やブナシメジなど合わせて購入。
  • 駅へ。メルヴィルを読んで待つが、クソ眠い。うまく文字を追えない。
  • 最寄りに着いて駅を抜けると、いつもとは違うルート。街道を行く。日向にいればそこそこ温かくて安堵するような感じだが、青さをはらんだ日陰に入ると途端に冷え冷えと攻められる。(……)さんの家の横、林のなかの坂を下りていく。頭上では竹の葉の房がさらさら揺らされていて、しゃらしゃら泳ぐ鈴の音めいた薄緑が青空に際立ってかなり典型的な鮮やかさ。下の道はまだ全面陽に包まれていて、精神安定薬を常用していた頃だったらわりと恍惚となっていただろうと思われる温み。
  • 帰宅。父親は洗濯物を頼むと言って出かけていった。からだは普通に疲れているが、とりあえず飯を食う。グラタンとバーガーを温めて部屋へ。ウェブを見ながら食う。美容院かどこかに行った母親がうどんと天麩羅を用意してくれていたので、天麩羅は夜に残してうどんも食った。で、そうするともう三時頃で、五時にはまた出なければならないからもう二時間も猶予がない。馬鹿げている。
  • とにかくからだを和らげなければ駄目だというわけでベッドに仰向いて書見。しかしやはりクソ眠いので意識は乱れがちで、途中ちょっと空白も挟まった。帰ってきた母親が、こちらがまた出勤するということを知って送っていこうかと言うので今日は甘えることに。そうすれば音読をするための時間をいくらか確保できるからである。
  • 四時半頃で書見を切り上げて身支度。五時半前に出ようと母親に伝えておき、「英語」を音読。ここでダンベルも持った。もう着替えてベスト姿で腕を温めたのだが、ワイシャツをきちんと着たままだと生地が突っ張ってやりづらいので、袖のボタンを外してまくり上げた。三〇分読めたので良かった。
  • 出発。五時半なのでもちろんもう宵。この時期は黄昏と宵の区別がない。黒い空に月が出ており、そろそろ満月も近い大きさまで膨らんでいて、夾雑物のないガラス帯めいた夜空のなかに白い歪円が無理やり埋めこまれたような、期せずして生え出てきてしまったような様子であらわれ照っており、文字通りはみ出しもの、といった感じ。
  • 乗車。Air Supplyがかかっている。"Lost In Love"と"Every Woman In The World"。ちょっと口ずさむ。また、こめかみなどを揉んで到着を待つ。
  • 駅前で降りる。職場へ。八百屋から出てきた老婆、おそらくその店の経営者のひとり、すなわち女将らしき人が、道に出るなり、寒さを訴える独り言をつぶやいていた。
  • ふたたび勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)鍵閉めをまかされたので多少遅くなり、八時半頃退勤。駅へ。やはり何人かわからないがアジア系と見える人々の、今度は男女の四人連れが前を行く。英語を喋ってはいた。ベンチ及び電車内でまたメルヴィルを読むが、やはりクソ眠いのでまるで様にならない。
  • 最寄り駅に降りると冷えた風が東西にけっこうすばやく流れており、続くので、この風はなんだ? と思った。からだはかなり疲労している。特に脚の、太腿の芯のほう。それでのろのろと階段を踏む。なんだかんだで働くとやはりだいぶ疲れる。
  • 月は頭の直上あたりに高度を増して小さくなりながら白々と君臨している。このときは普段通りのルートで木の間の坂に入った。基本的にどこかしら木の間の坂を通らないと家に帰れない。坂道でも風が盛り、周囲の木々がみるみる騒ぎ出して、身の回りの空間がすべて葉擦れの響きと化したような時間もあった。この風はなんなのか? 低気圧や雨や、ことによると降雪の予兆なのか? 空は変わらず晴れきっているのだが。とはいえ気温がかなり下がってきた感じはある。平らな道を行っても、前方からでなくて背のほうから冷気が寄って、モッズコートを越えて染みこんできた。
  • 帰宅すると部屋で休息。ベッドでまたメルヴィルを読むのだが、クソ眠いのでまたしても途中で精神活動が消え去った。一〇時を越えて食事へ。天麩羅など。
  • 母親はいつも沸かした湯をペットボトルに入れて寝床に仕込み、湯たんぽにしている。それを用意した母親に父親が、もう歯磨きすれば寝室に下がるから持っていくと告げたのに、母親がでもまだ時間あるでしょとかなんとか言って自分で階段を下りていったのだが、すると台所に残った父親は洗い物か何かしながら、ババアとかなんとかぶつぶつつぶやいていた。酒を飲むと父親はなぜかわからないが気に入らないことが増えるらしく、何かといえばぶつぶつぐちぐち独り言で文句を漏らしている。寝室に下がったあとも、何を見てそうなっているのか知らないが、ひとりでなんとか不平を言っているのがよく聞こえてくる。
  • (……)
  • ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』(青土社) / 高山宏『近代文化史入門』(講談社) / マーシリエナ・モーガン『ザ・リアル・ヒップホップ』 / リロイ・ジョーンズ(Everett LeRoi Jones or Amiri Baraka) / The Native Tongues / KRS-One / Souls of Mischief / Del the Funky Homosapien / 益子務『ゴスペルの暗号――秘密組織「地下鉄道」と逃亡奴隷の謎』(祥伝社) / Afrika Bambaataa / Jeff Wall(写真家) / Emmett Till / ヒューストン・A・ベイカー・ジュニア『ブルースの文学――奴隷の経済学とヴァナキュラー』(法政大学出版局
  • 最後に載せられているEmmett Till(「白人娘に口笛を吹いただけで惨殺された黒人少年」)の写真はすさまじい。
  • 零時頃、入浴へ。湯のなかでは頭蓋などを揉む。かなり久々に髭を剃った。髭剃りフォームがあまり効果のないものでやりづらいが、これを使い切らないわけにもいかない。出て帰室すると今日のことを頭から記述。ここまで書くと三時前。一時間四五分ほど。だいたいこのくらいで一日分仕上げることができれば、無理なく営みを維持していけるのではないか。

2020/12/25, Fri.

 比喩操作、それが政治であるとするならば、マザーの時代を支配した最高のメタファーは「父」であった。父権制は、神権政治でいう敬虔をいちばん巧みに表象する比喩体系だ。これが、出発点である。しかし、一七世紀から一八世紀へ、中世的時代から啓蒙主義時代へ推移する転機にあって、マザーが感じていたのがこのような比喩そのものの危機であったとしても、おかしくはない。『キリスト教徒とその職業』(一七〇一年)において、彼は自分が父の計画した職業(calling)=神のお召し(calling)を受け容れてしまったことを告白しつつ、にも関わらず、親が子に職業を無理強いせぬこと、子には少なくとも「妥当な職業」を探してやることを望んでいる。この見解は、力点さえ変えればすぐにもフランクリンの見解と一致する、とブライトヴァイザーはいう。というのも、フランクリン自身〈ニュー・イングランド新報〉その他で主張したように、子はあくまで自分を意識して一人前に成長すべきものであり、親はその歩みを助長してやるべき存在であるからだ(一八七頁)。その意味で、植民地時代というそれ自体「父の時代」の代表者マザーが、アメリカ独立時代というそれ自体「子の時代」の代表者であるフランクリンによって修正されることになるのは、ほぼ運命的であった。
 マザー的な敬虔への従属からフランクリン的な自我への独立へ。この転換は、アメリカ史そのものの転換である。宗教者たることをアルファでありオメガとしたマザーは聖書こそ絶対と信じたが、印刷屋として出発しながら多様な職業を経ていくフランクリンにとって、むしろ世俗的な新聞こそ、大衆の声が多様に反映されると信ずるに足るテクストだった。アメリカの中世が一七世紀とするなら、アメリカにおける真のグーテンベルク革命は一八世紀といえる。自我を活字で表象するのではなく、活字が自我を形成するというメディア革命――それは、フランクリンの活字フェティシズムを待って初めて可能となる。グーテンベルクの活字発明は近代的自我の均質性が確保されていく過程を示唆したけれども、フランクリンはさらに紙幣の効用と個人の才能が交換価値となる社会を看破していた。のちに彼がマルクスウェーバーから引用されるゆえんであろう。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、129~130; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第三章「ポストモダンの倫理と新歴史主義の精神 ミッチェル・ブライトヴァイザー『コットン・マザーとベンジャミン・フランクリン』を読む」)



  • 窓ガラスがどんどん叩かれる音で夢から追放された。何か父親が呼んでいるらしいと思って上体を起こし、左手のカーテンをあけたが、そちらではなく、音の発生源は足もとのほう、ベランダに続く西側のガラス戸だった。そちらのカーテンをあけると父親が笑みでベランダに立っていて、玄関の鍵を開けてくれと言うのでうなずいて寝床を抜け出した。時刻はちょうど九時頃。鍵を持たずに歩きに行ったら母親がそれを知らずに玄関を閉めて出勤してしまったらしい。
  • 玄関を開けてもどってくるとまた寝床にもぐりこみ、最終的な起床はまたも正午直前。滞在はちょうど八時間ほど。よろしくはない。九時の時点で起きていれば良かったのだが、それだと睡眠も五時間だし心もとない。からだは以前に比べれば相当軽くなっているはずなのだがそれでも起きられないというのは、単純な意志もしくは意識の問題な気がしてきた。
  • 水場に行ってきてから瞑想。瞑想はやはり毎日起床直後にやるべきだ。からだの感覚がまとまり、さらさらとなめらかに液体質になって、ひとつながりに調う。ロラン・バルトが『ミシュレ』のなかで、ミシュレの偏愛的テーマとしてなめらかにつながった均質の世界というものを取り上げていて、布地のように、ある一点をつまみ上げれば世界のそのほかのすべてがそれに引かれて持ち上がってくる、みたいな比喩表現を書きつけていたおぼえがあるけれど、わりとそういう感じの円滑さ。これは毎日やるべきだ。起床後と就床前の習慣にしたいし昔はそうしていたのだけれど、就床前だとどうしても眠気がまさって形にならないので、それよりもいくらかはやい時刻か、日中にもう一回か二回できるよう目指すべきだろう。
  • 今日は風がある。瞑想中、ベランダの洗濯物が揺れる音か、あるいは家鳴りめいたものが何度か発生したし、窓外の遠くでうなるものの気配も感じられた。上階に行っても、東側の小窓から覗く旗がこまかくうねりまくっているのが見える。
  • 冷蔵庫に余っていた餃子をおかずに食事。新聞には、昨日(……)さんのブログでも読んだ中国南東部の電力供給停止の件が取り上げられていた。湖南省長沙ではビルのエレベーターが停まり、三〇階まで階段を上って出勤する人々が見られたらしい。オーストラリアとの関係悪化で豪州産石炭が入ってこなくなったからだとの観測があるようで、昨日の記事にもそれは触れられていた。ただ、(……)さんのブログに載っていた記事では、しかし二〇一九年の豪州産石炭の輸入量は全体のわずか三パーセントに過ぎない、と懐疑的なデータが紹介されていたのに対して、ここで読んだ読売新聞の記事では、石炭発電に用いる石炭のうち、六割だったか何割だったか忘れたけれどけっこうな割合が豪州産だと補強的なデータが載せられていた。
  • ほか、米国で黒人の人々がワクチンの摂取をためらっているとの報。人種差別と絡んだ医療不信が要因だと。Pew Reserch Centerの調査では、ワクチンを進んで摂取するという姿勢を示した黒人の人々は半数以下で、アジア系とかほかのエスニシティの人々に比べると圧倒的に低い。しかし全体でも、ワクチン接種に積極的な回答をしたのは六割に留まっているらしい。黒人と医療の歴史としては、アラバマ州で一九三二年から四〇年間、梅毒の研究がなされたときに、黒人の人々をわざと治療せずに「実験」したということがあったらしく、ある女性牧師によればその歴史は、集団的に「倫理的トラウマ」となっているとのこと。
  • 音読が三〇分もできなくてよろしくない。もっと睡眠を短くし、起床をはやめなければ。何しろ音読は夜中にはできないので。
  • ベッドでからだの各所をマッサージしながら授業の予習。「(……)」(社会)の入試実践編みたいな章を途中まで。あと、(……)の授業のために英語の「(……)」の最後のほう。しかしこれもすべては確認できず。
  • やはり脹脛を中心に脚を隅々までほぐすのが基本ではある。
  • 準備して三時四五分頃出発。道を行くと、南の山や川周辺の木々にはまだ温かみが触れて残っている。電線や、公営住宅の棟の上に立つ銀色のアンテナも、わずかばかり暖色に濡れている。空はけっこう濃い青さで、雲がいくつも湧いて混雑しており、ごちゃごちゃと汚れたような感じだが、あかるいはあかるい。公営住宅を越えた果て、山の天辺にならぶ木立を後ろから支えるようないだくような風にひろがっている一塊など見つめていると、わりとのどかな感が立つ。鳥の声も多く散っていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 九時半で退勤。電車内では瞑目・静止。最寄り駅からの帰路、今夜は多少空気の流れがあり、坂道でも葉の落ちる音が聞かれた。月はだいぶ太ってきていて夜空はあかるく、青さが染み渡っている上に動物の群像めいた、原始時代の壁画に描かれた獣たちを思わせるような雲の散らばりがはっきり見え、その白も濃い。昨日一昨日と比べてより冷え冷えとしていた。マスクの裏にも冷たさが伝わってくる。
  • 帰宅すると翌日扱う(……)の過去問を見たりメルヴィルを読んだりしながら休身。一一時一五分くらいまで。働いてくると最低でも一時間は休んでからだをほぐさないといけない。
  • 母親がセブンイレブンで予約していたチキンなどで食事。ホールケーキも。「かまくら」と言う。最初鎌倉と変換していてなぜ鎌倉なのかと疑問に思っていたが、雪でつくるドームのほうのかまくらということだったのだ。苺のムースというかゼリーみたいなものが挟まっていて、普通に美味い。しかし際立った快楽とか多幸感とかをもたらすほどではない。べつに欲してもいないが。物語とポルノと甘味の三つは、主体の意志に関係なく欲動を煽って強引に快楽を生じさせるという点で同類ではないか。
  • 母親が、訊いてもいないのに職場のことを多少話してきた。今日はどうやらクリスマスパーティめいたことをやったらしい。それで重いテーブルをみんなして運んだのだが、若い男性の、けっこう太っていてからだが大きいらしい人がそれを全然手伝ってくれないと母親は文句を漏らしていた。女性陣(「おばちゃんたち」)が重そうに運んで目の前を過ぎていくのにまったく手を貸そうとしない、自分は子どもたちの相手をしているから、という感じなのだと。母親の言うことももっともだとは思うが、しかしそういう人はごく普通にいるわけである。手伝ってほしいなら手伝ってほしいと口に出して伝えなければ、相手だっていままでそういう習慣が(肉体的力の比較的すくない人が重いものを苦労して運ぶのをすすんで手伝うという習慣が)ないのだからみずから行動に移すことはない。すみませんが手伝ってくださいとその都度頼めば良いと、それだけの話としか思えないのだけれど、どうも母親はそういう風に頼むことにすら気後れを感じるらしい。その程度のことすら他人に言えないっていったいどういうことなのか? とこちらなどは思ってしまうのだけれど、たぶん相手の気持ちを損ねるのが嫌なのだろう。それはしかも、相手を不快にしたくないという他人に対する考慮のゆえなどではなく、とにかく他者との齟齬や対立や衝突を生みたくないという心性が、無自覚領域まで貫いて存在性をひたしきっているように見えるのだ。そこにあるのが恐怖なのか、主体を冒しつくして底まで拘束した不可視の集団的規律の根づきなのかよくわからないのだけれど、とにかく他者との対立を避けるということが自己目的化しているようにこちらには観察される。この自己去勢はなんなのか、こちらにはかなり不思議に感じられる。とはいえ数年か十数年前まではこちらも似たようなものだったのだろうとも思う。それに、たとえばこの日、職場で(……)さんがやや圧迫的ともこちらには思われる言動を取るのを見たわけだけれど、仮に彼女がもっとあからさまに、それはまずいだろうというような振舞いを取っていたとして、それは良くないんじゃないすか、と苦言を呈することがこちらにできるかというと、一応できるとは思うがたしかに多少の気後れは感じる。母親は上司に限らず、だいたいどんな他人に対してもそういう感じ方をしているのではないか。苦言を呈するとか文句を言う、ということがそれ自体としてほぼ常に回避されるべきことと規定されているのではないか。テーブルを運ぶのを手伝ってくださいというのは苦言の類ではまったくないと思うが、その程度の依頼でさえ母親には文句を言っているように思えるのではないだろうか。というか正確には、文句を言っているように相手から捉えられる、ということが回避したい対象なのかもしれない。男性同僚が子どもの世話をしているところに、テーブルを運んでほしいと伝えると、なんでからだが大きくて力があるのに運搬を私たち女性にまかせて自分は楽をしているの? という具合に暗黙裡に非難しているように受け取られるのを恐れているのではないか。そういう風に、すこしでも相手を批判するようなメッセージが含まれかねない発言を、みずから先んじて抑制してしまうのではないか。
  • 入浴するともう一時。この日の日記を書いて、一時四〇分で切り。翌日は朝からの労働のために六時には起きなければならなかったので。FISHMANS, "感謝(驚)"を聞いた。一応意識を落とさず聞けたが、言葉になるほどの際立った印象は残っていない。それからベッドにうつって柔軟をしたあと瞑想。やはりどうしても寝る前の瞑想は長くできない。二時七分で就寝。

2020/12/24, Thu.

 アメリカの父祖、ピルグリム・ファーザーズ。だが、一七世紀以後アメリカを実際に築いてきたのは、ピューリタンそのひとというよりもピューリタンの修辞法だった。ペリー・ミラーやアーシュラ・ブラムによる伝統的なピューリタン研究が聖書予型論[タイポロジー]への注目によって成立したゆえんはそこにある。キリストの予型[タイプ]はアダム、アメリカ植民の予型[タイプ]は出エジプト記――このような予型論的比喩体系を完成へ導いたのは、今日最大のピューリタン学者サクヴァン・バーコヴィッチだが、彼の出発点もまた、当時最大の宗教家コットン・マザーにおける歴史意識と修辞技術が主題の地道な博士論文であった[註1: 予型論的発想は、当然アメリカ救済史の構築を導く。Sacvan Bercovitch, The Puritan Origins of the American Self (New Haven: Yale UP, 1975).]。ただしそのような形でのアメリカ研究は、批評がフランス系哲学の摂取にかまけている間は、ほとんど死角に没していた。
 しかし八〇年代後半、脱構築を継ぐ形で勃興した新歴史主義批評は、そんなバーコヴィッチ自身の研究にひとつの派手派手しい転機を与えてしまう。ポール・ド・マン脱構築に鑑みて「文学批評はいつもすでに修辞学[レトリック]だった」事実を指摘したが、同時にミシェル・フーコー流にいう「我々が知ることができるのは歴史そのものではなく、常に歴史に関する言説にすぎない」という言説が息を吹き返す。歴史とは、つまるところ歴史を描くための修辞法と同義であること。文学作品の言語分析には、そのような作品を可能ならしめた歴史自体の修辞分析が要求されること。だとしたら、ピューリタニズムをピューリタンに関する修辞法の歴史と捉えて長いバーコヴィッチの立脚点も、完璧に保証される。ピューリタニズム、それはとりもなおさず予型論の歴史だったのではないか。(……)
 (125~126; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第三章「ポストモダンの倫理と新歴史主義の精神 ミッチェル・ブライトヴァイザー『コットン・マザーとベンジャミン・フランクリン』を読む」)



  • また日記を現在に追いつかせることができないまま、けっこうな期間が経ってしまっている。やはり書くことをもうすこし取捨選択するというか、ルーティン的な事柄は省くようにして、これは書いておきたいというくらいの印象を得たことのみ書くようにしたほうが良いだろう。こまごまとした事柄を詳しく長く書いてこそだとは思うのだが、いったんは簡単な記述方式にして、無理のない習慣を定着させることのほうが先決である。この営みを続けるにあたっては、なるべく自分の負担にならないように、楽に自然に続けられる形を選ばなければならない。あとはやはり基本的には前から順番に書くというのを原則にしないと、今日のことを書くだけでその日が尽きて過去の記事に触れられず、一向に進まないという事態が起こってしまう。
  • 今日は一二時過ぎの起床になってしまった。瞑想もせず。あまりよろしくはない。
  • 食事はちゃんぽん麺。新聞で、大統領選を終えたペンシルヴァニア州に取材した記事。ポッツポルみたいな名前の、全米最古のビール醸造所があるとかいう町で共和党郡委員長と記者が話していたところ、途中で熱烈なトランプ支持者が入ってきたと言う。彼らが言うところの不正な選挙にかんして共和党としてなんらかの対応を取るように求めにきたのだが、郡委員長がことわると、選挙が盗まれているというのに何もしないのが理解できない、「やはり内戦が必要だな」などと言って去っていったと。ピッツバーグではジャシリXという「ヒップホップアーティスト」(要するにラッパーだろう?)に取材しており、彼は、俺たちはバイデンに賛成したんじゃない、トランプに反対したんだ、やつの敗北を祝っているんだ、と言っていた。これはたしかにそのとおりというか、今回の選挙で民主党は本質的には決して勝利してはいないのだろうと思う。
  • 国際面ではロシアのプーチン大統領が、大統領経験者は生涯に渡って免責されるという法案に署名したとかあった。そんなことしていいのか? なんでもしたい放題じゃん、と思ったのだが、この「免責」というのは政治にかかわる事柄に限るのか? 個人的な犯罪とかも「免責」されるとなったら、マジでやりたい放題だと思うのだけれど。
  • ベッドで書見、メルヴィル。仰向けで読みながら、文庫本を片手に保持し、もうひとつの手で眼窩周辺や顔や頭を指圧する。首から下のコンディションはわりと整ってきたので、次は頭蓋だ。今日はとりわけ、なぜか頭痛があるので。大したものではないが、数年前、長寝をしすぎたときによく発生していたのと同種の感覚のものだ。
  • それで頭のなかが澱んでいるような感じだったので、書見後は瞑想。意外と眠気が湧く。眠りの質が悪かったのだろうか。そこそこ意識はまとまったが、頭痛はいま(五時前)もなごっている。
  • (……)さんのブログの最新記事を久しぶりに読んだ。覗いてはいるが、全然読めてはいない。本当はやはり毎日一記事ずつ読むみたいな習慣にしたいのだが。『(……)』がそろそろ完成し発刊されるようなので、楽しみである。
  • 最近、あきらかに胴回りが細くなっている。スーツのスラックスに着替えるとそれがよくわかる。腹と布とのあいだにめちゃくちゃ余裕があるのだ。このスラックスはもともと五五キロくらいのときのからだに合わせて買ったもので、その後鬱症状におちいったあいだにオランザピンの効果もあって一〇キロくらい太り、職場に復帰すると信じがたいことに腹がきつくてホックを無理やり留めるようなありさまになっていたので多少ゆるめてもらったのだが、それでもかなり細身のものだと思う。それを履きながら相当な余裕が生まれているのだから、こちらのウエストはかなり細いほうだろう。ストレッチを習慣化したおかげだと思うが、体重も減っているのかどうか、はかっていないのでわからない。
  • 五時で出発。玄関を出ると、ちょうど郵便配達が来たところで、バイクが停まって男性が降りてきたので、近づきながらご苦労さまですとかけ、父親宛の健康診断か何かの封筒を受け取り、礼を言った。髪がややモジャモジャしたような感じの、眼鏡をかけた男性だった。
  • 今日は曇りなので月ははっきりとは見えない。一応所在はわかる。全面にひろがっている雲の幕の向こうで白さが、大きくなり小さくなり、面積と色を雲に吸われながら不定形に変容し、あらわれては消えながら泳いでいる。十字路の先の、異国の人が入っているとかいう家にイルミネーションが少々施されていた。緑色の光で、模様が回転しているように見えた。
  • 最寄り駅の階段を行くに、今日も全然寒さを感じなかったのだが、やはり筋肉が温まっているのだろうか。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • 一月の勤務日程をもらったので、駅で確認。年始に一日中働く日があることを知ってほとんど怒りすらおぼえかねないような絶望のなかにいたが、見てみると朝晩なのは四日と六日で、あいだの五日は朝だけにしてくれているし、そこを過ぎればあとはおおむねこちらの望みどおりになっているので、配慮してくれているのを感じ、これならどうにかなるぞと安心した。四日から六日の三日間を、覚悟を決めて乗り切るしかない。その日にあたえられた条件のなかで、できることをやるしかない。
  • (……)に移動して、「(……)」のフードコートでちゃんぽんを食う。僻地なので営業は九時まで。すでに八時で、人はほとんどない。最初、やたら大きな声で電話している、浅黒い肌の色のいかにもチンピラめいた二〇代くらいの男性がいたが、すぐに去った。ほかにはこちらを除けば、老人と言うには若いが充分老年とは言えるくらいの男性がひとり。彼はこちらから見て前方のカウンター席で、背中を丸めながら食っていた。その後、二、三人来たくらい。途中で清掃員の女性が来て、口をひろげた青いビニールを張った大きなカートもしくはワゴンを伴いながら移動し、ゴミを回収していくとともにカウンター席の椅子の位置をひとつずつ整え、揃えていた。
  • メルヴィルを読みながら電車に乗って最寄りへ。余計な動きを殺し、じっと止まって紙面に視線を向けていると、なぜか眠気が湧いてくる。
  • 最寄り駅からの帰路。今日も大気はしずまりかえっている。疲労感がそこそこ嵩んでおり、からだが重たるくてけっこう眠かった。林のなかの坂を下りていきながら周囲に耳を放っても、乾いた葉や枝先がすれあう響きの一粒もないし、街灯をかけられた裸の細枝を見上げてもすこしも動きがない。右手のガードレールの向こう、立ち込んだ木々のなかからかろうじて、かすかに聞こえるものがあってちょっと立ち止まり耳を集中させてみたが、あれはたぶん葉っぱが枝を離れて落ちていく音ではなくて、なんらかの小動物が息づいている気配だったのではないか。空は乳灰色とでもいう風に澱んでいるものの思いのほかにあかるく、左の段上、木立の合間によく見える。坂の出口に近づきながら正面を見上げてみても、向かいの木々の影と明瞭に分離している。その木々の黒く塗りつぶされた様子が、坂が尽きていくにつれて距離が縮まるから当然だんだんと高くなっていくのだけれど、あらためて見るとひどく大きいなというか、上方に伸長しながら迫りのしかかってくるような感じで、しかも中身が分かれず葉の質感ももちろん消えて均一な黒の塊となっているものだから余計にそびえるようで、いままでにもこうした印象はおりにふれて何度も感じてきたけれど、今日ふたたびすごいなと思った。枝と梢の交錯によって輪郭線がギザギザと、いくらか虫に食われた葉っぱのようになっているのが、空も煙っているがこの影も気体めいた印象をあたえる要素となっており、しかしこの気体は黒く充実して固化し、乱れることがない。
  • それからさらに道をたどりながら南のほうの雲っぽい白天を眺めていたのだけれど、その途中でなんともいいづらい感覚が瞬間訪れた。というか、感覚自体は要するにたぶん現在時に意識のピントが合ったというような感じで、まあありがちな主題ではあるのかもしれないけれど、それに対して自分が何を思ったのか、どう解釈したのかということのほうがうまく形にならなかったということかもしれない。ひとつには、そのとき覚めた、というような感じがあった。覚めたと言って、その前に「夢から」とか「眠りから」とかいう言葉を付け足してしまうと何か違う感じがしてくるのだが、ともかくそこに至って、突然覚めた、というような感覚があった。もうひとつには、いまこのときは夜、午後九時前で、勤務からの帰り道だったわけだけれど、何かそういう条件的情報から一瞬逃れた、というような感じがあった。つまり、いまはたしかに夜なのだけれどなんか夜っぽくないな、とか、九時という感じがしない、仕事から帰っている時間という感じがしない、ということだ。ということはたぶん、通常の構造化された生活的時間の流れから一瞬浮かび上がったというか、もろもろの生的条件を剝奪された、大げさに言えば純粋時間とでもいうようなものが一瞬だけ立ち上がったということではないか。たぶん道元とか禅宗の人々はこういうことをもっとたくさん体験しているだろうし、それについての知見も深いのではないか。それで、いわゆる「いまここ」というありがちな言葉に集約してしまうのはいかにも退屈ではあるのだけれど、しかし結局これなのだろうなと、世界のどこにありいつにあろうとも、自分がここに存在しているということそれ自体が、自分自身のいわば聖域になるというか、アジールになるというか、まあそういうことなのだろうというようなことは思った。そういう感覚をより養っていけば、おそらくどのような場所でもどのような状況でも通っていくことができる。
  • 大気は昨日よりはすこしだけ寒いように感じられた。太腿のあたりが多少冷え冷えとしたのだ。
  • ねぐらに帰るとベッドで休みながら書見。からだはここ最近のなかではだいぶ疲れていた。正式な勤務でなかったし、時間も長くなかったのに不思議だ。読みながら頭蓋を揉む。いざ揉みほぐしてみるとよくわかるが、頭蓋はめちゃくちゃに凝り固まっている。顔も同様。とにかくからだのどこであれ、揉むか伸ばすかすればそれだけ楽になる。
  • 入浴中もやはり首から上を揉んだ。
  • 刺し身を買ってきたので食べるようにと母親が言うので、風呂のあといただいた。
  • 二四時半。(……)さんのブログも久々に読むことができた。二〇二〇年七月二五日から。

末松 [正樹] やオノサトの作品を観ていて、近代日本の歴史というストーリーがあったとしてもそれを画家の作品が説明するようなことは無いと至極当然のことを思う。それはむしろ、近代日本の歴史といったお題目とはまるで無縁の、絵画という形式と内容をめぐる問題意識だ。それは人間にあたえられた時間内いっぱい執拗に反復・再起してくる強迫的と言っても良いようなものだ。それは外的な出来事や社会や歴史とは無縁に、ほとんど金属ワイヤーのごとき強靭さで、変わらぬテンションをもって作家たちの生きた時間を貫いているように感じられる。

オノサトトシノブ [小野里利信] が二十代の頃に描いた大浦天主堂を観ると、そこには既に強靭な格子状の構造がみとめられて、もう生まれたときから、きっとはじめから「これ」なのかと、半ば呆れるような思いにとらわれる。二十代で描いた大浦天主堂と、晩年の同画家の諸作品との間には、ほとんど同じ問題意識が響き合っている。おそらく描くべきこととは、画家が見つけ出したものではなくはじめから画家にとりついていたもので、払いのけようとしても取り払えないものだ。だから青年期だろうがシベリア帰国後だろうが、そんな条件いっさいに関係なく、画家の身体を通して何度でもよみがえってくるし、何度でも考えを求め、より適切な正解を求めて再起しようとする。画家はあやつり人形のごとく生涯その働きに奉仕するだけだ。

とはいえ50年代からじょじょに洗練の度を高めていくオノサト様式ともいえるあの「円」構造の絵画としての強さと豊かさは、この画家が長年の執拗な取り組みによって勝ち取っていった成果にほかならないというのもたしかだ。今回、作品をみて予想外の良さに打たれたのもそこだ。画面内に細かく縦横格子線が引かれて方眼状の空間に、円が置かれる。円は単体のこともあれば、複数の場合もある。そのように構成された画面は、幾何的な正確性、厳密性と、手描きの雑駁さ、緩さ、震えるような幅と隙間、その双方をあわせもつ。円というオブジェクトの本来もつ象徴性が絵画的仕事によって脱色され、ずらされて、ミニマルでありながら光と空気が活発に循環する絵画的運動が、観る者の眼の奥にゆたかに生成する。作品一点一点の凝縮感、サイズ感、色彩、手仕事的温か味、のようなものに惹かれ続けて、なかなか作品の前をはなれられなくなる。

  • 七月二七日付。

猫に「猫」と名前を付けて、おまえにその「猫」でいてほしいと思っている。それ以外のとくべつなおまえではなくて、おまえは猫だ。名前を付けないまま、おまえを呼びたいと思ったのだ。名前ではなく、おまえを呼びたい。名前を付けて、その名前の中に、もう一つのおまえができることに、抵抗を感じるのだ。(……)

  • (……)の「読書日記」も、上の二人のブログ以上に久しぶりだが、一日分読んだ。他人のブログの類を読むのはこの三つだけで良いという気持ちになっている。なるべく毎日読みたいのだが、なかなか難しいかもしれない。
  • 一時前から日記。とりあえず今日のことを書いた。良い感じで簡潔にできている。この調子でいけばだんだん追いつき、営みを無理なく再確立できるはず。とはいえここまで記すのに一時間かかってはいるのだが。確立したあとにまたこまかく書きたくなれば、そのときはそうすれば良い。
  • BGMにGregory Porter『Liquid Spirit』を流した。以前はこちらは、熱の入った演奏というか、わかりやすくハードな演奏がわりと好きで、とりわけジャズボーカル作品だとバックが骨太で熱くないとぬるいと断じて切り捨てるような愚物だったのだけれど(いまもわりとそうかもしれないが)、したがってこの作品もぬるいと言って切り捨てていたのではないかと思うのだけれど、いま聞いてみればそんなに悪くない。熱いだのなんだのは本質ではない。まずはそこにあるものを選り好みせずに受け取り受け止めようとする姿勢が大事だ。
  • 日記に切りをつけたあと、合蹠をしつつGretchen Parlatoが『Live In NYC』の七曲目でやっている"Weak"を聞いたのだけれど、やはり格好良い。この曲のドラムはたしかMark GuilianaではなくてKendrick Scottのほうだったのではないか。何をやっているのかよくわからないが、格好良く、すごい。特にピアノソロのあいだのピアノ、ベース、ドラム三者の感じなど、なんだかよくわからんがすげえなというか、ソロではあるけれど普通ジャズボーカルのバックでこんな風にやらなくない? という気がした。
  • 三時二〇分より前に消灯するつもりが、油断して過ぎてしまった。不覚。

2020/12/11, Fri.

 南北戦争を契機に、女性作家ばかりか女性読者も増大しはじめたアメリカ。識字力転じて知的能力の増進に関しては、もちろん一八二〇年代から勃興した市場経済と、一八五〇年代を境にテクノロジーが桁外れの進展を遂げ、印刷技術によって書物の大量生産が、鉄道拡張によって出版物の流通拡大が図られたことも大きく影響しているだろう。それはさらに、白人女性にとどまらず、フレデリック・ダグラスやハリエット・アン・ジェイコブスといったアメリカ黒人系の自伝が示すとおり、黒人奴隷が識字力を増進させつつ、白人側を出し抜く術さえ覚えはじめた時期にあたる。南北戦争以前の黒人は自分自身の労働力こそいわゆる奴隷資本であり、貨幣と交換すべき単位であったが、一方南北戦争以後になると、奴隷資本たる黒人自身が自らの読み書き能力を文化資本として貨幣と交換するチャンスを獲得していく。
 奴隷資本の時代から文化資本の時代へ。ヴィクトリア朝アメリカの「文学」を彩る「文字」へのオブセッションは、南北戦争以前と以後とではその「字義的現実」を形成するに大きく寄与した資本形態がことごとく転換してしまうことの徴候にほかならない。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、26)



  • まず最初、七時半頃にいったん目覚めた。意識もはっきりとした覚醒だったが、三時間程度の睡眠ではさすがに保たないだろうと判断してふたたび寝つくことに。しかしその入眠にもけっこう手間がかかったおぼえがある。あるいはそのあとも何回か覚めたのだったか。最終的に一一時ちょうどに正式な目覚めを得て、カーテンをあけて陽射しを顔に取りこみながらすこしずつまぶたをひらいていった。こめかみや後頭部などをちょっと揉んでから一一時一五分に離床。滞在は七時間ほどなので悪くない。また着々とすこしずつ消灯をはやめていきたい。
  • 今日は労働が長くて時間的猶予があまりないので起床時の瞑想は省いた。部屋を出ると父親は前日前々日に引き続き、階段下の室を掃除している。階段を上がり、母親に挨拶してジャージに着替え、うがいをしたり顔を洗ったり。食事は煮込み素麺と昨晩の天麩羅の残りなど。用意して卓に就き、新聞に目を落としながらものを摂取する。ノーベル賞の授賞式が各地でおこなわれたとのことで、平和賞を受けた国連食糧計画(WFP)の活動や資金難が伝えられていた。サヘル地域とかパレスチナとかがかなり危機的な状況にあるようなのだが、しかし活動資金が足りず、何万人かは一月一日で支援を打ち切られることになっているし、資金事情が改善されなければ三月くらいでもっと多くの人が援助を受けられなくなる。サヘル地域もしくは南スーダン(紛争やテロなどが頻発している不安定な領域である)で活動している日本人スタッフの言葉として、「飢えている人々に平和を説いても響かない」とあったが、これは本当にそのとおりなのだろう、明快な真理なのだろうと思った。
  • 食後は皿洗いおよび風呂洗い、そして緑茶を支度して帰室、といつものパターンである。Notionで今日の記事を作成。さっそくここまで記述すれば一二時半を越えている。三時半頃には出なければならないので、そう猶予はない。
  • 前日の記事を完成。音読もしたらしい。そして二時頃からベッドに移り、今日も塾で扱う教材の予習をした。中学受験用の算数と、高校受験用の国語である。前者は「(……)」、後者は「(……)」。算数のほうは面積図を活用して解く文章題なのだけれど、かなりややこしくて面倒臭く、よほど賢い小学生でないとこれを理解して独力で解けるようにはならないのではないか。どうしたって文字式を使いたくはなる。おなじことを図でもってやっているのだと思うけれど。国語のほうは最相葉月河合隼雄最相葉月というのは名前自体は見たことがあるようでなんとなくおぼえがあったが、名字の読み方がわからなかった。「さいしょう」というらしい。その人の文章は例のジョン・ケージの無音室のエピソードや映画や聾者との関わりなどを取り上げて音声や沈黙について綴ったもの。触れられていた映画というのは『大いなる沈黙』というやつで、フランスのなんとかいう監督がなんとかいう修道院で一年だか数か月だか暮らしてそこの生活に密着したドキュメンタリーらしく、ちょっと見てみたい。撮影許可を得るまでに一〇年だか二〇年だかめちゃくちゃ長い時間がかかったとあった。いま検索したところ、『大いなる沈黙』ではなくて、『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』という邦題だった。原題は"Die große Stille"。「映画.com」の紹介文を引いておくと、「カトリック教会の中でも特に戒律が厳しいカルトジオ会に属するフランスの男子修道院、グランド・シャルトルーズの内部を、初めて詳細にとらえたドキュメンタリー。ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申請、それから16年の歳月を経て許可がおり、音楽・ナレーション・照明なしという条件のもと、監督ひとりだけが中に入ることを許された。監督はカメラを手に6カ月間を修道院で過ごし、俗世間から隔絶された孤独な世界で決められた生活を送りつづける修道士たちの姿を、四季の移ろいとともに映しだしていく。2006年サンダンス映画祭で審査員特別賞を受賞した」。
  • 現代の人間は、宗教の失墜とともに宗教そのものを失ったのではなくて、宗教性を失ったのだと思う。宗教と宗教性は必ずしも両立するとは限らない。教会や聖界に属している人間が宗教性をかけらも持っていないということも普通にありうると思うし、世俗に身を置く人間がすぐれた宗教性をその存在に帯びていることだってまったく珍しくはないだろう。
  • 河合隼雄のほうは民話と精神医学のかかわりについて、みたいな感じで、河合隼雄の本など一冊も読んだことがないが、評判や聞きかじりから形成されているイメージのとおりの内容。最相葉月の問題のなかで、一問、これは釈然としない、こっちのほうが正解として良いんじゃないの? という選択肢がふくまれている問いがあった。受験勉強用教材の国語の問題は、もっとシステマティックに、論理的に確実に道をたどれるようにつくるべきだと思う。つまり、選択肢のここの部分は本文のこの言葉の言い換え=パラフレーズだよね、ここの部分はここがもとだよね、というのを正確に対応させられるような問いにするべきだと思う。まずはそういう、目の前の文章そのものにもとづいた観察・発見・変換の読解能力を養成することを目指すべきではないか。自分の考えとか、行間を読むとか、そういったことはそれが充分できてからの話だろう。ところが現実には、この部分からこの言葉に言い換えられるか? 該当箇所の意味の射程を越えていないか? あるいはちょっとずれていないか? 飛躍していないか? という文になっている問題がけっこう多い。問題作成者のほうが意味の範囲を正確にとらえられておらず、その範疇で言語を操作できていないわけだ。
  • あとのことは忘れた。夜、下の英語記事を読んでいる。

(……)Nikolaos Michaloliakos, like other senior members of Golden Dawn, was absent from court in Athens yesterday as a judge read out a series of damning verdicts on the neo-Nazi party he leads. Golden Dawn, which shot to prominence amid Europe’s economic crisis a decade ago, and is responsible for a years-long campaign of violence and intimidation against immigrants, LGBTQ communities and political opponents, was found to be a criminal organisation.

Seven of the party’s former MPs, including Michaloliakos, have been found guilty of directing the organisation, while a range of members are guilty of crimes including murder, attempted murder and possession of weapons. Some now face sentences of up to 15 years in prison. It is the culmination of a lengthy court process that some campaigners have called the largest trial of Nazis since Nuremberg, triggered by the murder of Pavlos Fyssas, an anti-fascist Greek rapper, in 2013 – at a time when the party was Greece’s third-largest political force.

The trial, which lasted more than five years, has already effectively stopped Golden Dawn from operating. The verdict now offers Greece the chance to close a painful chapter in its recent history. Born of the fascist milieu surrounding the far-right military dictatorship that ruled Greece between 1967 and 1974, Golden Dawn was given its greatest opportunity by the global financial crash of 2008. As Greece struggled from a profound economic slump, and public anger grew at the remedy insisted on by the European Union – austerity – the party attracted unprecedented support.

     *

(……)It would be easy to write Golden Dawn off as an aberration, a throwback to the darkest moments of the 20th century which is best regarded merely as a matter of criminal justice. But far-right violence is in many ways a symptom of a problem, not its cause – and the conditions that gave birth to it are found elsewhere in the world today. Not all far-right nationalists secretly worship Hitler, and not all of them orchestrate street violence in the way that Golden Dawn did. But the far-right worldview is inherently violent: it offers a single explanation for social discontent, which is that the nation has become polluted by the wrong kind of people, and the solution lies in their removal. Some seek to use this violence as a route to power; others talk their way into power so they can make their violence legal.


・読み書き
 12:20 - 12:37 = 17分(2020/12/11, Fri.)
 12:38 - 12:54 = 16分(2020/12/10, Thu.; 完成)
 13:02 - 13:38 = 36分(英語)
 13:39 - 13:58 = 19分(記憶)
 22:36 - 23:02 = 26分(メルヴィル: 101 - 111)
 25:47 - 26:26 = 39分(Trilling)
 26:36 - 27:28 = 52分(メルヴィル: 111 - 129)
 計: 3時間25分


・BGM


・音楽
 15:30 - 15:37 = 7分

2020/12/10, Thu.

 ポール・ド・マンやシンシア・チェイスによるなら、ひとつの言語表現(たとえば「椅子の脚」や「山の顔」)が、まさにナチュラルな現実として受け入れられるのは、そのメタファーが「濫喩[キャタクレシス]」「死んだ隠喩[デッド・メタファー]」に基づきながらもまんまと偽装しおおせている――あるいはその真相を周囲に忘却されている――効果にすぎない。メタファーはあらかじめ殺されている。にも関わらず、隠喩を字義と見誤り、言葉の綾を現実そのものと見て疑わない誤読の類は、枚挙にいとまがない。書物と世界の照応という神話は、その最も基本的な範例だった。そう、わたしたちはこれまでいかに、単なる白人的概念操作の物語学的効果でしかないものを「人種一般」として、単なる父権制支配政略の言説的産物でしかないものを「性差一般」として、単なる支配階級側戦略の修辞学的結実でしかないものを「階級一般」として読み誤ってきたことか。わたしたちが文字どおりの現実と信じるもの自体が、すでに言語の修辞法の成果なのである。
 かくして、脱構築批評を経由した新歴史主義批評は、それまでほとんど知的能力を期待されることのなかった労働者がたまたま圧倒的な知的能力を備えていたという些細な条件が、当時の現実を構成していたキリスト教的修辞学の網の目を突き崩し、やがては異端審問という巨大な歴史の曲がり角へ大きく作用していくという、あまりにもドラマティックな構図をあぶり出す。書物の書き手と読み手との間の素朴なフィードバックは、すなわち前述した「ミイラ捕りがミイラになる」という論理は、すでにここでは通用しない。微細なる書物がめぐりめぐって、しかもまったく予期せぬ知性を媒介することで壮大なる宇宙へ革命的影響を及ぼすというこの道筋にふさわしいのは、日本の古いことわざでは「風が吹けば桶屋が儲かる」と表現される事態であり――メノッキオの場合、さしずめ「風が吹けば粉屋が殺される」とでもいった図式になるだろうか――昨今のカオス理論に拠るなら「北京で今日蝶がはばたけば、来月ニューヨークで生じる嵐に影響する」と表現される論理である。
 このように、テクストに秘められた盲点やコンテクスト内部の予期せぬ因果関係を探究する批評は、一見したところ精密なる自然科学的メカニズムに立脚しているように映るかもしれないが、しかし、まったく同時に、遠いもの同士の連結をしきりに企まずにはいられぬ精神病理学パラノイアにも起因しよう。そして、一定のパラノイアを欠落させたら、いかなる文学も文学批評も成り立たない。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、21~23)



  • なぜかまたしても午後一時まで寝過ごしてしまった。よろしくない。まただんだんと消灯をはやめていこう。天気は晴れである。ベッドを抜け出すとコンピューターを点けておき、上階へ。両親は買い物に行っているらしく、家内は無人でしずかだ。顔を洗い髪を梳かしうがいをしたあと、昨晩のスンドゥブらしき鍋に米を混ぜてつくったおじやを温めた。ほか、ブロッコリーとシュウマイの一皿に、蕪の漬け物。新聞からはベルリンのミッテ区にいわゆる慰安婦像が設置された経緯を記した記事を読む。同様のものは世界中で一三箇所とか、あるいはもっとだったか、そのくらい設置されているらしい。場所を示した地図が載っていたのだけれど、アメリカには西海岸・東海岸、それに五大湖周辺ふくめて七箇所くらいあったのではないか? ほかの国では中国と韓国、そして欧州ではドイツのみが設置している。ドイツ内でもベルリン以外にあと二箇所くらいあったような気がするが、これは記憶違いかもしれない。ボンとかフライブルクとかでの設置の動きが頓挫したという情報と混同しているかもしれない。一覧表を見ると、私有地との表示もいくつかあったが、だいたい自治体所有の土地とか施設内とかだったと思う。
  • 国際面からは周庭の保釈請求が却下されたとの報。地域面で東京都内の地区別感染状況を確認すると、我が(……)は前日からプラス一名となっている。だいたい一名から三名くらいの微妙なペースだが、しかしここのところは基本的に毎日、すこしずつ増え続けていると思う。
  • 食後は風呂を洗い、緑茶を用意して部屋に帰還。Notionで昨日今日の記事を調え、FISHMANS『Oh! Mountain』とともにウェブを閲覧したのち、今日のことをここまで書けば三時前である。
  • 便所に行って腹を軽くしてきたあと、脚がこごっていたのではやくベッドに避難して脹脛をぐりぐりやらねばと思いながらしかし音読もしたかったので、三〇分程度だけ声を出すかと「英語」記事を読みはじめた。そうして三時半から寝床で書見。ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 上』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)である。ニューベドフォードの「潮噴き荘」という宿屋に入り、部屋が空いていないので銛打ちと同衾してくれと言われながらもその銛打ちがいつまで経っても帰ってこず、先にベッドにもぐりこんで眠りかけたところにようやくやってきたその男が邪教崇拝の野蛮人らしき風体だったので布団の下で恐れをなしている、というあたりまで。この小説は、その冒頭から明らかだが、キリスト教への言及や聖書への参照などが多い。聖なるキリスト教邪教・野蛮人・偶像崇拝という典型的な二元性が観察されるものの、いまのところその図式は実に静的な典型におさまっていて、たぶん何のノイズも歪みも見られていないと思う。これがこの先どのように動揺するのかもしくはしないのかという点がひとつのプロットにはなるだろう。仰向けで脚を膝頭でぐりぐりやりながらの書見中、父親が戸口に来て、ビデオにつなぐような赤白黄のあのケーブルはないかと言ったがそんなものをこちらが持っているはずもない。
  • 五時前で切りとして食事の支度をしにいく頃合いだが、その前にやはり音読をしたかったので、今度は「記憶」記事を三〇分ほど読んだ。そうして階を上がると、テレビには何やら古そうな映像が映っており、訊かないうちに母親が結婚式の映像だと説明してきた。父親が階段下のスペースを掃除していて発掘されたのだろう。画面には良い調子でからだを揺らしながら喋ったり歌ったりしている礼服の男性が見えていたが、これは両親が「(……)」(アクセントは、(……)までがおなじ高さで、(……)で下がる)と言っていたところからすると、昔隣家に住んでいた(……)さんだったのだろう。全然見覚えがないと言うか、こちらの知っている(……)さんとは相当風貌が違っていたが、それだけ若い時代の映像だということだろう。
  • 台所に入り、煮込みうどんをこしらえて食うことに。母親はおでんをつくっていた。こちらは勝手に椎茸やタマネギを切って鍋に汁を用意し、うどんを一束持ってきて茹ではじめる。仏間に平うどん・丸うどん・蕎麦と三種類入った箱があって、麺の束は島手と表示されたシールで綴じられていたが、これは引出物か何かなのかそれともメルカリで買ったのか知らない。それをあまり底のないフライパンで茹で、鍋に合流させて溶き卵も流しこむと完成、丼にそそぎこんで食事をはじめた。煮込みうどんは美味かった。時々によってやはりうまく行くときそうでないときがあるけれど、今回のものはかなりうまく行ったほうだと言って良いだろう。かたわら朝刊一面から脱炭素化への政府方針について読む。洋上風力発電を二〇四〇年までに四五〇〇万キロワットへとかいったか、かなり増やす計画らしい。また、いまだ世界のどこでも実用化されていない「浮体型」という洋上発電方式の実現にも取り組むとか。
  • うどんを平らげると皿を片づける。そのすこし前に電話があって、母親が出て話しているのを聞いた限り(……)さんだったようだが、話は(……)ちゃん(本名を知らないのだが、おそらくこちらの祖母とおなじ「(……)」だろうか?)の葬儀の件である。昨日だか一昨日だかに死んだという連絡があったのだ。コロナウイルスが蔓延している情勢なので母親は不安らしく、式だけやってさっと帰ってくれば良いじゃんと向けたところ、そういうわけにも行かなくて、やはり焼いているあいだに時間がかかるからそこで食事をやるとかいう話になっているらしい。しかしその後上階にちょっと行った際に両親の会話を垣間聞いたところでは、これもどうなるかわからなさそうだし、仮にあちらが食事会をひらいても両親は出席せずに帰ってくるという選択を取るかもしれない。
  • 食後は茶を持って帰室し、急須から継ぎ足してそれを飲むあいだ、バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)の書抜きを読み返して、目ぼしい記述を「記憶」記事に追加していった。溜まっている読了本の書抜きもすこしずつ進めなければならない。三月末に読んだ分あたりからずっと溜まっているので、よくわからんが二〇冊か三〇冊くらいはあるのではないか。音読用記事としてはあと、「詩」というカテゴリを新たにつくろうかなと思っている。いまは「英語」と「記憶」の二カテゴリがあって、前者は基本的に英語の語彙を身につけるためのもの、後者はなるべくきちんと記憶しあるいは身体化したい知識や知見、表現などを読み返すためのものである。それに加えてしかし、昨日Woolf会でTo The Lighthouseを読んだり、あるいはこのところ音読をやったりしているなかで、やはり詩というものを毎日声に出して読む、これはすばらしいことではないか、やるべきことではないかという思いを強くしたのだ。実のところ以前から「表現」というカテゴリをつくり、文学作品から吸収したい比喩や言葉の使い方などをそちらにまとめようかなとも思っていたのだが(現在はそれも「記憶」カテゴリのなかにふくまれている)、そのあたり文学として小説の描写などもひとまとめにするか、それとも詩だけで独立させるか迷うところだ。しかしさしあたりはやはり詩だけを集めた記事を設けようかなという気持ちに傾いている。ただそうすると、Evernoteに記録保存してあったいままで読んだ詩集からの書抜きをNotionにさっさと移さねばならないことになる。まあEvernoteのほうで読み返してそこからコピーペーストしていっても良いが。
  • 茶を飲み終えるとまたしても音読。なぜかわからないが音読をしたいという欲がとても高まっている。言語を声に出してゆっくり丁寧に読むというおこないは楽しく面白い。歌を歌うのとたぶんだいたいおなじようなものだ。それで「英語」記事を読み続ける。BGMはJohn Legend『Once Again』。John Legendのファーストとセカンドと『Live From Philadelphia』は大学生のときによく聞いていたが、いま流しても普通に良い。#5 "Each Day Gets Better"とか、歌詞を見ると全然大したことは言っていないけれど、めちゃくちゃ天気の良い晴れの日みたいなこの多幸的なサウンドには誘われるもので、思わず音読を止めて歌ってしまった。あまりにメジャーと言えばそうだろうが、とりあえずこのJohn Legendの周辺からヒップホップを掘っていこうかなと思っている。あとはThe Roots
  • 七時半過ぎまで「英語」を音読。それからすでに仕上げてあった一二月二日の日記をブログに投稿。NotionがMarkdown記法にしたがっているのではてなブログの記法もMarkdownにして投稿したほうが手間がないのではないかと思って試してみたのだが、改行の反映とかが意外と面倒臭い。それで時間がかかってしまい、今日の記事を書き足しはじめたのは八時前だった。Christian McBride『Live At Tonic』を共連れながらここまで記述すると、ちょうど一時間ほどが経って九時が近づいている。
  • 歌を歌いながらストレッチ。合蹠・座位前屈・コブラのポーズの三つは最低でも毎日やったほうが良いだろう。というかこの三種をやってあとは脹脛をほぐせば下半身はだいたいどうにかなる。(……)
  • 入浴。今日も温冷浴をおこなう。温冷浴をおこなうと肉はマジで柔らかくなる。たぶん冷やされて収縮する動きと温まって拡張する動きが繰りかえされるからだろう。しかも水および湯という液体によってそれが引き起こされるので、マッサージやストレッチではとどかないような隙間にまで作用が浸透する。本当は全身やりたいのだが(特に背中や首の固さをどうにかしたい)、いまの時期に冷水を頭からかぶるのはきついし、心臓や血圧への影響も怖い。パニック障害の時代にも温冷浴はやっていたが、当時よりいまのほうが肉体に対する効果を感じている気がする。それはマッサージにせよストレッチにせよそうだ。身体の感覚が昔よりも鋭敏になっているのだと思う。
  • 出ると帰室して、LINEに数日後に返信すると投稿しておいた。ついでに(……)くんからのメッセージにも返答。先日の通話で、休みをたくさん取ったのでその期間中に会おうと誘われていたのだ。今日から九連休に入ったが都合の良い日はあるかとのことなので、一二日は(……)と通話することになっているがそのあとならいつでも良いと言いつつ、一八日から労働なのでその前日一七日は家にいたいと伝えておいた。
  • うどんを食ったのがまだ六時前だったと思うので当然だが、クソ腹が減っていた。背もややこごってきていて、ベッドで休みたい。しかし我慢をして、もうすこし活動に取り組むかというわけで書抜きをすることに。熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)である。
  • 書抜きをしながらChristian McBride『Live At Tonic』のディスク二を流していた。この二枚目ではだいたいジャムセッションをやっていて、"See Jam, Hear Jam, Feel Jam"と名づけられているトラック一はほぼ三〇分に及んでいるのだけれど、そこで知らないヴァイオリニストが弾いていた。パーソネルを調べると、Jenny Scheinmanという女性である。Wikipediaを見るかぎりLou ReedとかAretha Franklinとかとも仕事をしているらしく、業界ではたぶん高く評価されているのではないか。ディスコグラフィーを見たところでは二〇〇〇年に出ているYoshi'sでのライブ盤がまず気になる。あとはBill Frisellとやたらたくさん組んでいるのだけれど、Frisell周辺にこのようなヴァイオリニストがいるとは全然知らなかった。そもそもジャズヴァイオリンの人なんてStephane Grappelliしかほぼ知らない。あともうひとり、わりと最近の人で、Paul Motianのライブ盤でChris Potterとか菊地雅章とかと一緒にやっていた人がいたと思うが名前を忘れてしまった。Jenny Scheinmanの参加作にある初見の名前としては、Ani DiFranco、Allison Millerというふたりが気になる。前者はシンガーソングライターらしい。後者はドラマー。二〇〇八年にDr. Lonnie Smithのアルバムに参加しているよう。
  • 一一時半まで書抜きしたあと、上の新しく知った名前をメモしておこうと思って一段落書いたのだが、そうするとついでにほかのことも書き足しておくかという気になり、ここまで記して日付が変わるところとなった。
  • 背中が固くなっていたのでコンピューターを持って臥位に。ウェブを閲覧しながら脹脛を揉んだり背を指圧したりした。肩甲骨のあいだ、背骨の際のあたりの肉がけっこう凝るもので、しかも普通に寝たりストレッチしたりしてもなかなか刺激がとどかずほぐれないところで、ここを簡単に柔らかくするやり方は何かないものかと思う。やはり普通に手指で揉むしかないのか。あるいはゴルフボールを背とベッドのあいだに挟んで圧迫しても良いかもしれないが、刺激が強くなりすぎて傷めやしないかという懸念もちょっとある。
  • 一時半で起き上がり、腹がクソ減っていたので夜食を確保しにいった。炊いたばかりで米が多く残っていたので卵を焼いて乗せることに。ハムがなかったので冷凍の手頃なこま切れ肉を代わりに使い、黄身を固めないまま米の上に取り出して醤油を掛け、そのほかおでんも温めて持ち帰った。食いながらまたインターネットに遊び、食器を片づけたり茶を用意したりしてきてからもだらだら過ごした。合間に前日の記事をちょっと書き足したくらいだ。四時八分に消灯して暗いなかで瞑想。今日はわりと意識がはっきり保たれていた。頭のなかもしずかというか、独り言が激しくないというか、音量が小さいもしくは距離が遠いような感じで、このあいだ久しぶりにロラゼパムをキメたときと似ていなくもない。ただ、精神安定剤による心地良い肉体の重みみたいなダウナーな感覚はない。頭のなかや意識が比較的明晰だというのは、わからないが音読をたくさんしたからではないかという気がする。そのまま一時間くらい余裕で座っていられそうだったが、まあでももう寝るかと切ってみると二六分が経っていた。横になって布団の下に入ると脚がちょっと痺れはじめて、瞑想で一番困難なのは脚が痺れたり痛くなったりするということではないだろうか。禅宗の人たちとかはこの問題にどう対応しているのか気になる。結跏趺坐をきちんと習得すれば痛くならないのだろうか。南直哉の『日常生活としての禅』みたいな本を昔読んだ記憶では、やはり血行が悪くなったりして肉体的に影響があるので、禅宗の修行でも座禅は一時間までで、一時間経つと立ち上がって堂のなかを歩き回ってからまた座る、というようなことが書いてあった気がする。


・読み書き
 14:36 - 14:50 = 14分(2020/12/10, Thu.)
 14:56 - 15:27 = 31分(英語)
 15:31 - 16:46 = 1時間15分(メルヴィル: 81 - 101)
 16:49 - 17:18 = 29分(記憶)
 18:39 - 19:12 = 33分(英語)
 19:17 - 19:33 = 16分(英語)
 19:55 - 20:49 = 54分(2020/12/10, Thu.)
 23:08 - 23:32 = 24分(熊野)
 23:32 - 23:59 = 27分(2020/12/10, Thu.)
 26:41 - 27:01 = 20分(2020/12/9, Wed.)
 計: 5時間23分


・BGM

2020/12/9, Wed.

 さらに[キャシー・]デイヴィッドソンは、こうした書物の循環構造に注目し、書物の生産と同時に読書もまた生産されるのだというパースペクティヴを明かす。たとえば文学教育用にはいかにも素っ気ないデザインの作品テキストが配布されるが、同じ作品でも、たとえば文学部学生を超えてもっと広い読者層を狙った場合、表紙や装丁、編集の仕方などに変化が現われてくる。書物の外観とその読者層というのは一種の共犯関係にあるのであって、一定の書物が生産されると同時に、我々はすでに一定の意味が生産される現場に立ち会うのだ。書物研究は、したがって、物理的にして美学的、かつイデオロギー的な諸領域に渡る、と彼女は説く。
 これにならうなら、著者は読者に向けて語るも、一方で読者はその反応によってもう一度著者へ影響を与えうる条件であるのが判明しよう。著者は書物出版という仮想空間上に構築された「仮想読者」に向けて語るとともに、実体的な書評者にも語らなければならない。しかも一冊の書物が流通し、多くの人々の手に渡るかどうかは、著者以上に、出版社や取次業者の政治的・人種的・性差的イデオロギーの介在によって決まるだろう。かくして、著者は自らを読む読者をさらに読みながら次の作品を書くことになり、彼ないし彼女本人もまたもうひとりの読者として主体再形成される。ラーマン・セルデンの図表1では読み手が書き手を読み直し、作り直す道筋が示唆されたが、ロバート・ダーントンの図表2では書き手もまた読み手を読み直し、自らを含む読み手の可能性を再探究する方途が露呈する。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、18~19)



  • 一一時前には覚めたはずなのだが、それから一時までずっと起きられず。かと言って二度寝というほど深く眠りに入ったわけでもない。ただ布団の下で丸まってぬくぬくと時を過ごしていた。やはり気温が低くなってきたから、温もりのうちから抜け出すのが大変になってきているのだろうか。枕元に置いてあった携帯を見ると珍しいことに着信および留守メモが入っており、母親か(……)さんか? と思ったところが知らない番号で、留守メモを聞くとなぜか中国語の音声が流れ出した。当然ながらニーハオの一語以外はまったく意味がわからない。雰囲気としては何かしらの業者らしく思われたが、先ほど検索してみても特に情報は出てこなかった。
  • 離床して洗面所でうがいをし、トイレで小便を放ってくると瞑想をした。枕の上に尻を載せた状態で胡座をかき、二〇分。じっとしていると次第に肌の感覚もしくは肉体の輪郭線の状態がなめらかになってきて、からだ全体としてもひっかかりなくやや軽い感触にまとまる。瞑想中は基本的にはやはり呼吸に意識を向けているのが良いかなという気がした。まああまり何を意識するでもなく、じっと動かずただ目を閉じて座っていればそれで良いのだけれど。
  • 上階へ。父親に挨拶。父親は今日は家中の掃除をしているらしい。テレビがちょっとずらされていたし、寝床にいるあいだ掃除機をかける音も聞こえていたし、階段下のスペースにも本やCDなどが袋にまとめられてあった。食事はあれはラーメンなのかちゃんぽんなのかわからないが、ともかく煮込んだ麺料理。卓に就いて食べながら新聞をひらく。日本学術会議に関して自民党の検討グループが、政府から独立した形の法人として再出発するべきではないか、というような提言を出す予定と言う。移管は二〇二三年頃を目安としており、改組後も当面は国から補助をおこなうものの、欧米の学術団体のようにみずから寄付金などを確保する方策にも取り組んでほしいとのこと。国際面からは中国と新型コロナウイルス関連の記事を読んだ。武漢中心部にある病院だかなんだか、ともかく騒動のピーク時には治療対応の最前線となった施設はいま展示の場になっているらしく、中国共産党がいかにウイルスに対処し危機を乗り切ったかを大々的に称揚しているようだ。習近平同志の指導のもと、党と人民は一体となってすばらしい働きを実現したみたいな文句が見られるらしい。訪れた人の声は二つ紹介されていて、ひとつは五歳の娘を連れた四〇歳代の男性で、党と市井の英雄たちが一致団結してこの危機を乗り越えたことを武漢の住民として誇りに思う、みたいなことを述べており、感動の涙を見せていたと言う。典型的な英雄礼賛もしくは物語的(同化吸収的)ヒロイズムだ。もうひとつの声は三〇歳代の女性のもので、どれだけ大きな不幸があっても最後にはかならずそれが党を称賛するための道具になる、いつものやり口だ、と冷ややかなことを言っていたらしい。こちらとしては、他人の所業を「誇りに思う」という心理の働きはどういう構造になっているんだろうなあと疑問に思った。他者がおこなったことに自分が誇りをいだくためには、おそらくなんらかの要素がその他者と自分とのあいだで共有されていなければならないと思う。まったく共通点のない他人とのあいだに「誇り」なる感情を生じさせるのは難しいのではないか。この男性の場合の共通点は、「武漢の住民として」と本人が言っているとおり、たぶんおなじ都市に住んでいること、ならびに世界で最初にコロナウイルスの災禍に見舞われた場所の人間としておなじ苦難を耐えてきたこと、というあたりになるのではないか。「英雄」とおなじ地域の住民であるとか、またおなじ人種である、おなじ国の民であるということがそれだけで「誇り」の源泉になるという心理の働き(抽象化による同一性への還元という操作)はわりと興味深いものだというか、そこで心理的・論理的・言語的にどういうことが起こっているのかをもっと詳細に考えてみたい気はする。
  • コロナウイルスに関してはまだ不明点が多いけれど、中国雲南省のコウモリから検出されたウイルスと遺伝子情報が九六%くらい一致したらしく、それなのでコウモリが起源となったのではないかという説が有力らしい。ただ今回の騒動の直前にウイルスが変異してひろまったという単純な話でもなさそうで、コウモリが持っているもともとのウイルスと新型コロナウイルスとは三〇~七〇年前にはもう分離していたのではないかという研究もあるようだ。「初期型」のコロナウイルスはRaなんとかみたいなコードというか塩基構造というのかよくわからないが、そういう記号で呼ばれているところ、いま全世界にひろまっているのはほとんどがそこから変化した「欧州型」というやつだと言う。実験環境においては変化によって感染力が強まったことがわかるとか、しかし実際のデータを見るとそうとも言い切れないとか、このあたりも研究結果は色々で定見はまだ固まっていないようである。
  • 食後は風呂を洗って緑茶とともに帰還。FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしてウェブを見たあと、ここまで記述すればもう三時半前である。今日は労働、五時過ぎには出なければならない。外出前に音読をしておきたい。あとはベッドで脚をほぐしながら書見すれば時は尽きるだろう。今夜はWoolf会だが、翻訳は昨晩のうちに済ませておいたので良かった。
  • 三時半から四〇分、「記憶」記事を音読。それから書見をしようと思ったのだが、今日の授業の予習をするために職場から教材をコピーしてきていたのを思い出したので、本を読むのではなくそのプリントを手にベッドに転がった。「(……)」の社会、第二章「(……)」の部である。このくらいの問題を教えるとなると、やはり事前にきちんと目を通して答えへのたどり着き方や必要な知識を確認しておかないとやりづらい。そもそもよほど単純な問題演習でない限り、しっかりと準備をして内容や形式、注意点や派生要素を確認しておかなければ、ものを教えるなどということが満足にできるわけがないと思う。単に知識を伝達しひとまず記憶させるという一事に限ったとしても、教えるというおこないはそんなに簡単なものではない。こちらとしてはむしろ、会社側がきちんと給料を払っておのおのの講師に綿密な準備を職務として課すべきだとすら思う。一応いまは授業とは別枠で準備時間にも給与は出るようになったけれど、以前はそうでなかったわけだし、いまだってさすがに一時間とかそんなにかけるというわけにはいかないだろう。だからこうしてわざわざ教材を勝手にコピーしてきて自宅で寝そべりながら読んでいるわけだ。本当に丁寧にやって効果を上げようとするのだったら、それくらいの手間は必要である。会社としてはもちろん人件費がかさんでしまうからそこまで金は払えないということになるだろうが、曲がりなりにも教育や人材育成を謳っている企業それ自体が、講師の仕事を軽く見ているという印象は拭えない。受験勉強などという極めて表面的な段階に限ったとしても、知と学びと教えることの営みはそんなに楽なものではない。
  • 寝そべってプリントを見ているあいだに掃除をしていた父親が部屋に来て、これ返品してもいいかと言った。見れば漆原友紀蟲師』全一〇巻である。以前父親が足の手術で入院していたとき、退屈しのぎにと貸していたのだ。それで受け取って、受け取ったところでなかなか置く場所がないのだけれど、ひとまず適当に、ベッド脇の小棚の上に積まれた本のさらにその最上に置いておいた。何かの拍子に倒してしまいそうな気がする。
  • 教材の確認にけっこう時間がかかって五時を回ってしまったので、急いで上階へ。煮込み麺のあまりでエネルギーと熱を補給する。食べる合間は新聞の国際面。マレーシアの首相が窮地に立たされているとのこと。しかしなんだったか? 詳しい内容を忘れてしまった。たしか与野党であまり勢力に差がなく、与党側も第一党と首相の属する第二党で齟齬があるみたいな情勢だったはず。少数でも与党側から造反が出れば予算案の成立が危ぶまれるという話だったか。首相としては国王の後ろ盾を当てにしていて、緊急事態宣言みたいなものを出して一時的に首相に権限を集中するように働きかけたところが、王はそれに応じず野党もふくめて議会全体で協力するように、みたいな呼びかけをおこなったので首相としては手詰まりになったという流れだったと思う。ほか、北方領土関連。米国でグリーンカードが希望者のなかから抽選であたえられる、みたいな制度があるらしいのだが、その書類の記入欄で、北方領土出身の人は日本と記すように決められているのにロシアが反発したという話。
  • その後のこと、また勤務中のことは忘れたが、この日は一時限で楽だったはず。帰宅後はWoolf会。こちらの担当箇所と、もう一段落、(……)さんが訳してきた箇所を扱った。こちらの訳文は前日の記事に載せたので割愛。(……)さんの部分も面倒臭いので原文も岩波文庫の訳も引かないが、第一部第三章の終わりの一段落である。(……)さんは英語がとにかく苦手で全然読めないし文法なども理解していないと言っていたのだが、できあがってきた訳文に大きな問題はなかったように思う。文法はあまり把握せずに単語を調べていって出てきた意味を、こういう感じかなとつなぎ合わせるようなやり方だったらしいが、そのわりにうまく行っていた。終わったあとに、今回訳してみてどうでしたと訊いたときにも、大変だけれど、ここはこの言葉のほうがいいかな、とか自分の思うニュアンスを一番あらわせる表現を探るのは面白いですね、みたいなことを言っていたので良かった。大きく話題になったのはセミコロンの用途くらいだったと思う。(……)くんの理解では、To The Lighthouseの場合はセミコロンがついているとそこがいわゆる自由間接話法というか内言になっているという合図として働いているのだと思う、とのこと。だいたいの場合はそうなのだと思う。今回の箇所では、こちらとしてはなんとなく、セミコロンのあとを台詞調に訳すとうまく嵌まるのではないかという気がした。夫がテラスを歩き回りながらテニスンだかの詩を大声で朗じているのを耳にしたMrs Ramsayは、誰かが聞いていなかったかとあたりを窺うのだが、そのあとから次のような記述がなされている。"Only Lily Briscoe, she was glad to find; and that did not matter. But the sight of the girl standing on the edge of the lawn painting reminded her; she was supposed to be keeping her head as much in the same position as possible for Lily's picture." で、ここの場合、"and that did not matter"を台詞にし、"But the sight"からはいったん地の文にもどって、"she was supposed"以下をまた内言にするとうまく流れるのでは? という気がしたのだ。もちろん最初の文もOnly Lily Briscoeが先に来ているあたりパロール的感覚はあるし、セミコロンで終えている文もまとめて全部台詞調にすることも可能だと思うが。ところで、この会のときには述べ忘れたと思うが、"the sight of the girl"といってLilyの姿に"girl"が使われているのがちょっと気にはなる。Lily Briscoeはこの時点でもたしかもう三〇歳くらいの設定だったような記憶があるのだが、三十路の女性に対して"girl"は普通はたぶん使わないものだろう。そうでもないのか? あるいはもうすこし若かったかもしれないが、それにしても"girl"はあまり彼女にはそぐわない語のように思われる。これはやはり、夫人がLily Briscoeをまだまだ青臭い若輩者だと見ている、彼女にとってはLilyは未熟な"girl"にすぎない、というような認識が含意されているのだろうか。
  • いま一二月一六日の午前一時半に至っており、けっこう疲れたので、(……)さんのアニメに関してはまた明日以降としよう。
  • (……)さんは海外のアニメーションに日本語の字幕をつける仕事をしているのだが、(……)くんがいままで手掛けたものをどれか見てみたいと言い出して、それで短いものをひとつ、画面共有をして皆で視聴することになった。これがけっこう面白いというか不思議な感じのあるもので、アニメというより昔のRPGゲーム、ファミコン時代のそれとか古いRPGツクールでこしらえたゲームみたいな雰囲気の作品だった。趣向としては自分の生や存在に馴染めないというか、いわゆる実存的な虚無感もしくは不安や違和感のようなものを抱えた男性が、ある夜に外出し、なんだったかべつのキャラクターに導かれて異世界めいたところに旅をして、サイクロプスを模した巨大な猫と戦ったり、なんとかのライオンというキャラクターのもとにいったりした挙句、しかしあまり明確な答えや決断も得ずに、もとの世界あるいは自宅にももどらないまま終わる、という感じだったと思う。全体的にもうよくおぼえておらず、特に最後のほうは記憶に自信がないが。いずれにしても典型的な旅立ち・試練・成長・帰還の物語構造をベースにしていながら、しかしかたちとしてはあまりうまくまとまって閉じるものではなかったはずだ。(……)くんは音がかなり良いと褒めていたが、おりおりに配置された古めかしいゲームめいた電子音は印象的だった。あと、最後になんとかのライオンのところに行くとそのライオンは床に伏してもう死にかけており、従者が命じられてベッドと一体になったピアノ(つまり、ライオンの足が向いているほうのベッド側面外側がピアノの鍵盤になっている)を演奏するのだけれど、その曲が綺麗なもので、おぼえがあるようでありながら同定できなかった。聞いているあいだは、メロディは違うようだったがコード進行からして"カントリー・ロード"(『耳をすませば』で月島雫が歌っているあれである)ではないかと推測し、幕引きということで帰郷的な意味合いをこめたのか? と思っていたのだが、視聴後にたずねてみると、あれは"蛍の光"だということだった。そうだったのか。"蛍の光"という歌の名は聞いたことがあるが、その曲自体に触れ親しんだことがたぶんいままで一度もない。たいてい小学校とかで習うものなのだろうか? 中国の故事で蛍雪の話があり、貧しくて家に灯りもともせなかったので、窓辺の雪に反射する月光とかつかまえた蛍の光とかを頼りに書を読み勉強したという人物のエピソードだったと思うが、あれを取り上げた歌なのか? などなど疑問が浮かんでいたのだけれど、いま検索するとやはりそのようだ。原曲は"Auld Lang Syne"なるスコットランドの民謡だと言う。
  • 古い時代のゲームみたいな印象から連想されたようだが、コンピューターがはじめてこちらの身の回りにあらわれてまもない頃、おそらく小学五年生あたりの時分だったのではないかと思うが、たぶんWINDOWS95ではなかったかと思われる当時のパソコンで、ものすさまじく原始的なコンピューターゲームをやっていたのを思いがけず思い出した。いまのいままで忘れていたというか、あまりにも遠い記憶なので事実かどうかちょっと疑われるくらいだ(古井由吉の言う「偽記憶」めいた感触がある)。しかし、当時我が家の向かいに住んでいた同級生、(……)とともにそれをめちゃくちゃ楽しんでいたおぼえがある。どういうゲームだったかもはやおぼえていないが、たぶんほぼマウスをクリックするだけの本当に単純かつ原始的なゲームで、おそらく連打するというわけですらなく、クリックするとなんか攻撃をしてダメージが入って、今度は敵から攻撃を受けて、みたいな感じのものだったのではないか。グラフィックがあったかどうかすら怪しい。フラッシュゲームという段階ですらない、本当にパソコンを利用したゲームの最初期、ほぼプログラムだけの白骨みたいなゲームだったのではないかと思うのだけれど、当時のこちらと向かい家の友人はそれを心底楽しんでいた記憶がある。しかしその時点ですでにスーパーファミコンにもゲームボーイにも触れていたはずだから、もっと複雑なゲームの喜びを知っていたはずなのだが。ともあれ、その記憶が蘇ってきたにあたって、スマートフォンのゲームとか画面をなぞったり押したりするだけで何が面白いのかまったくわからんと思っていたけれど、あのときのこちらと似たようなものなのかなという気がしたのだった。


・読み書き
 14:39 - 15:27 = 48分(2020/12/9, Wed.)
 15:30 - 16:11 = 41分(記憶)
 計: 1時間29分

  • 2020/12/9, Wed.
  • 「記憶」: 236 - 246


・BGM

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • R+R=Now『Collagically Speaking』

2020/12/8, Tue.

 一九九〇年代末の教科書的な記述に沿うなら、少なくとも新批評から読者反応論批評へ至る理論的な発展において、書き手がおり、彼ないし彼女の生み出す文学作品があり、それを受容し精読/誤読/脱構築する読み手がいるという基本的な構図だけは、いささかもゆらいでいない。それは、かつてラーマン・セルデンが構築した批評理論の基本図式(図表1/一七ページ)を一瞥すれば明らかだ。この簡便なる合理的図式は、文学におけるどの条件に興味を抱くかによって、各人の適性検査まで施してくれる。それに従えば、たとえば「書き手」の精神や人生を重視する者は感情移入型ゆえにロマン主義的批評に、「文脈」を重視する者は言葉が社会や歴史の何を指しているかという前後関係を優先させるゆえにマルクス主義的批評、「文学作品」そのものを重視する者は書くことの詩的可能性のみを独立させて考えるゆえに形式主義的批評、「伝統」を重視する者は文学作品がいかに過去の文学的伝統すなわち約束事を応用・消費してきたかを意識するがゆえに構造主義批評(これはさらに脱構築批評へ至る)、そして「読み手」を重視する者はほかならぬ読者本人の経験や来歴に照らし合わせて逆に「書き手」すらも再構築してしまうがゆえに読者反応論批評(これは現象学批評からフェミニズム批評、そして昨今ではクイア・リーディングへ至る)に、それぞれの批評的適性を持つことが、つまびらかになるだろう。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、15~16)



  • 一二時半まで寝過ごしてしまった。最近また消灯・離床が遅くなってきているので、立て直していかなければなるまい。天気は暖かで落ち着いた晴れ空である。上階へ行き、顔を洗ったりうがいをしたりする。喉の奥のひっかかりが日に日にするどく固くなっている気がして何やら嫌な感じだ。口内炎とおなじような普通の炎症だったらそろそろ回復の方向に転換しても良さそうなものだが。
  • 食事は煮込みうどんや五目ご飯など。新聞を読む。文化面には文芸評。エンターテインメント方面の評文は、今年はコロナウイルス騒動下で物語の力を再認識させられた、みたいなこれ以上なく紋切型の総括でまとめられていた。いわゆる純文学方面には色々と名前が挙げられていたが、どうしてもあまり興味は惹かれない。現在活動している人々がやっていることを同時代に読んでこそ、だとも思うのだが。国際面からはサウジアラビアのなんとかいう王子がイスラエルパレスチナ人の家を破壊している、だったか、ともかく入植などについて批判したという報を見た。なんとかいう皇太子がイスラエルとの関係構築に積極的らしく、たぶんいま大方実権を握っているのもその人なのだと思うけれど、それに対して父親のサルマンなんとかいう国王のほうはイスラエルに批判的で、王子の発言はその意向を受けたものではないかということだ。ほか、米戦略国際問題研究所CSIS)が日米同盟についての提言みたいな文書を発表した由。リチャード・アーミテージジョセフ・ナイが起草者の中心らしい。おなじCSISの上級副所長だったか、マシュー・グッドマンみたいな名前の人へのインタビューもその左側に載っていたが、これは途中までしか読まなかった。
  • 食事を終える頃までは窓外は晴れており、ベランダに続く窓ガラスにも光があかるく寄って宿っていたのだが、風呂を洗ったあとにはもうにわかに曇っていたと思う。自室に帰ってコンピューターを準備。LINEを見ると(……)から返信が入っていた。昨日、久しぶりに二人で駄弁ろうと誘いを送っておいたのに、水曜日の夜ではどうかと言う。だがあいにく水曜夜はWoolf会があるので、土曜の適当な時間ではどうかと提案を返しておいた。あちらもこちらも全日休みなので余裕があるだろう。
  • それからFISHMANS『Oh! Mountain』を流してウェブをちょっと覗き、ここまで日記を綴ると二時一九分。Evernoteの記事をどうやってインポートするかが面倒な懸案である。デスクトップアプリのほうではなくてウェブ上でインポートすればEvernoteから直接失敗せずに移せることがわかったのだが、ただこのあいだそれをやったところ、二〇一五年の日記すべてを設定したはずが一か月分くらいしか移せていなかった。それでいまもう一度、今度は二〇一六年分を移すよう作業させているのだが、その結果次第でやはり直接のインポートは無理だとなったらHTMLファイルを読みこませなければならない。しかしこのHTMLファイルも一気にやろうとすると必ず失敗になるので、ある程度小分けにしながら移していかなければならない。そうするとしかしEvernote側からエクスポートしてひとつのフォルダにまとめてあるHTMLファイルはもともとのカテゴリに整理されておらず、記事タイトルの順にならんでいるのでそれを再整理するのが面倒臭い。加えて、HTMLファイルで移すともともとの書式というか、区切り線などが反映されないので見にくくなる。と思ったが、この点に関してはいま確認してみるとEvernoteから移そうがHTMLファイルを読みこもうがあまり違いはなかったので、本質的に厄介なのは記事の再整理の問題のほうだ。この段落を書いているあいだにウェブのほうでインポートをさせていたのだけれど、Importing 1 notebook from Evernoteの表示がずっと出ているだけで見たところ作業が進んではいないようだし、やはり直接のインポートは駄目そうだから、HTMLファイルを地道にすこしずつ読みこませるしかなさそうである。
  • そういえば今日は太平洋戦争の開戦日だった。七九年前のことになる。隣の(……)さんが昨日(……)歳になったのだが、彼女からすれば(……)歳の誕生日をむかえたついその翌日に日本軍が真珠湾を爆撃して戦争がはじまったという流れになるわけで、当時それがどんな風に受け止められたのか気にはなる。東京とはいえ(……)などというこの辺境の地では開戦の報など大した緊張感切迫感もなく漫然と受容されたのか、それともそれなりにものものしい雰囲気がこの地域にも行き渡っていたのか?
  • 日記を書いたあとはコンピューターをベッドに持ちこんで寝転がり、ウェブを見ながら、かたわら脚の肉をほぐしつつも長くだらだらと過ごしてしまった。五時四四分でようやく切って上階へ。食事の支度はすでに済んでいたので、茹でられてあったほうれん草だけ切り分けた。二つずつそろえて形を整えながら絞ると手がいくらかべたつくので、いちいち洗い流して拭いてから包丁を持って切断する。切ったものをパックのなかにおさめておくと、次にアイロン掛けをした。テレビは録画してあったものだと思うが、死刑囚役の渡辺謙豊川悦司率いる警察隊と逃走劇をくりひろげるようなドラマを流していた。しかし母親は同時にタブレットに目を落としてもいて(いつものようにメルカリを見ていたのだろう)、視聴は散漫であり、豊川悦司が喋っているのに、ずいぶん皺が増えたね、トヨエツも、という程度のことしか言わない。物語として普通にそこそこ面白そうな感じではあったが、いま検索してみるとこれは『逃亡者』というあまりにもそのままなタイトルの作品らしく、六〇年代にアメリカで放送された同名作のリメイクだと言う。監督が『相棒』の和泉聖治だとあるが、そう言われてみるとなるほどと納得するような雰囲気がたしかにあった。死刑囚を護送していた車が山道で囚人のひとりであるテロリストの仲間に襲われ、渡辺謙もその機を利用して逃亡し森に入るのだが、真剣な顔で周囲をうかがいながら木の間の草地を踏み分けていく渡辺の背景には何かそれらしい、多少の緊張感をかもし出すような、ややいかめしいような音楽がかかっている。テレビドラマというのはそういうもので、多くのシーンの後ろにはBGMが付されているし、それで特に問題もないのだけれど、ただ実際にこういう状況に置かれたときのことを想像するに、森のなかというのはもっと静かなはずだし、季節にもよるが虫とか鳥の声や動物の気配が無数に立ちこめているはずで、そういう音声のなかにあったほうがよほど緊張感は出るだろうと思う。もちろんドラマの作法のなかにあってはここだけそういう演出にしたら変なことになるし(第一ここはごく短い場面で、説話上大した役割もない)、これはこれで良いのだけれど、音楽があからさまにものものしさや逃亡する主人公の雄々しさを代弁していくものだから、渡辺謙の表情や身振りもそれに回収され、かえって演技と音楽的演出のあいだに齟齬がはさまり(音楽のせいで演技が大げさに空回りするようなものになり)、その齟齬がドラマのつくりもの性を強調するように働いているような気がしたもので、だからむしろ物語に対する視聴者の没入を妨げてしまうのでは? と思ったのだけれど、べつにそういうわけでもないのだろうか。むしろああいう常套的な下地が敷かれていることで心置きなく没入できる人が多いのだろうか。実際の音響に近づければそれで良いということはむろんないが、ドラマというジャンルもしくは枠組みを離れれば、映像と音声の結合としてもっと違ったやり方があるのだろうなとは思う。
  • この日は休日だったが、日課記録を見る限りかなりなまけてだらだらしている。あまりよろしくはない。ただ翌日のWoolf会に向けて翻訳はきちんとやっており、この次の日にはあまり余裕がなかったので、やっておいて良かったと思った記憶がある。担当箇所は以下。

 One moment more, with her head raised, she listened, as if she waited for some habitual sound, some regular mechanical sound; and then, hearing something rhythmical, half said, half chanted, beginning in the garden, as her husband beat up and down the terrace, something between a croak and a song, she was soothed once more, assured again that all was well, and looking down at the book on her knee found the picture of a pocket knife with six blades which could only be cut out if James was very careful.


 それからまたすこし彼女は顔を上げたまま耳をすましていたが、その様子はまるで、何かいつも耳にしている馴染み深い音声を、規則正しく動く機械のような音声を待ち受けているかのようだった。するとまもなく、なかば喋るようななかば歌うようなリズミカルな響きが庭のほうではじまり、夫がテラスをずんずん闊歩しながら発するしわがれたうなり声とも歌声ともつかないものが聞こえてきたので、彼女はふたたびほっとなだめられ、ああ、何も心配ないわと安心して、膝の上に載せていた本に目をもどすと、ジェイムズがとても慎重にやらなければうまく切り取れないような、刃が六枚ついたポケットナイフの絵を見つけてやった。

  • わりと些細なところではあるのだが、まず最初のOne moment moreをどういう言い方にして段落をはじめるかにけっこう迷った。岩波文庫は「さらにしばらくの間」としている。これは完全に個人的な感覚だが、「しばらく」みたいな言い方がここではあまりピンとこないような感じがあり、また、なんとなく「それから」という接続詞的なつなぎ方にするのが良いのでは? という気がしたので、上記のはじまり方になった。で、さらに、岩波は「夫人は顔を上げたまま、また聞き慣れた声、機械的なまでに規則正しい声の響きが聞こえてこないかと耳をすました」という風に、as if以下を先に置く訳出をしていて、それが順当な定石だろうとは思うのだけれど、これに関してもなんとなくうまく流れる訳文にならない感じがあったので、「耳をすましていたが、その様子は」と英文とおなじ構成的順序でつくり上げてみた。ここで記されていることの意味、またそこから表象されるイメージとしての夫人の姿を想像するに、listenedを「耳をすました」ではなく「すましていた」として、音声の発生を待ち受ける時間的幅の感覚をわずかばかり導入したほうが良いのではないかと思ったのだけれど、「すましていた」で最後をまとめようとするとどうも座りが悪かったので、それを先に持ってきた次第だ。まず夫人が顔を上げて、ことによるとあたりをちょっと見回したりもしながら聴覚を外空間にひらき投射するその姿を先に提示し、そののちにさらなる描写説明をくわえるという順序である。こちらが英文を読んだ感じでは、こういう推移がうまく嵌まるような気がしたのだ。あと岩波ではas ifの仮定の意味を盛りこまずに、「聞こえてこないかと耳をすました」といって夫人が夫の声をもとめていることを事実として確定させているが、こちらは一応定則に沿って「~かのよう」を訳出しておいた。
  • beat up and downはこれで「うろつき回る」みたいな意味をあらわす成句のようだ。beatだけで調べると歩くような意味は見当たらないし、なぜこの語がうろうろすることをあらわすのかよくわからないものの、まあたぶん、ビートを刻むように歩を踏むということなのではないかと推測し、するとまず「闊歩する」という言い方がスムーズに思い浮かんできた。それにくわえてよりビート感を出しておくかというわけで、「ずんずん」という補足強調を添えた次第だ。
  • assured again that all was wellは、直訳で行くなら、全部良い、うまく行っているということになるが、ここでは恐怖から立ち直るという文脈を勘案し、逆の言い方を取って「心配ない」という安堵を提示した。それにもとづいてベストな言い方を探ったところ、「ああ、何も心配ないわ」と、「ああ」などという嘆息をくわえた台詞調のつぶやきが出てきたのだった。
  • 担当箇所を訳したあと、ついでに冒頭もいくらか改稿しておいた。以前読み直したときに、やはりリズムが全然なっていないというか、やや強引な固さがあってうまく流れていないなと感じられて、いずれ直さなければと思っていたのだ。いままで訳した部分はまた読み返して推敲するつもりでいる。ただそんなことをしているといつまで経っても進まないので、本当はいったん放っておいて新たな部分をどんどん訳出していくべきなのだろうが。しかしべつに仕事でもないし、良いだろう。七月四日にはじめたときの最初の訳は以下。この日変えた文章はたぶんここからいくらか調整してあったのではないかと思うが。

 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんと同じくらい早起きしなくちゃね」と付け加えた。
 息子にとってはたったこれだけの言葉でもはかり知れない喜びをもたらすことになり、まるで遠足に行けるということはもう確かに定まって、幾星霜ものあいだと思えるほど長く待ち焦がれていた魅惑の世界が、一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたその先で手に触れられるのを待っているかのようだったのだ。

  • 改稿後は以下の形になった。

 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんとおなじくらい早起きしなくちゃだめよ」と付け加えた。
 たったこれだけの言葉が、息子にとってははかりしれない喜びをもたらすことになったのだ。まるで遠足に行けるということはもう間違いなく決まり、幾星霜もと感じられるくらい楽しみに待ち焦がれていた魅惑の世界が、あとたった一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたその先で手に触れられるのを待っているかのようだった。

  • 「ヒバリさんとおなじくらい早起きしなくちゃだめよ」の言い方は、岩波文庫とほぼおなじ文言になるので(「ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」)最初の訳出のときにはそれだとなんかなあと思って「しなくちゃね」という言い方に変えたのだと思う。だがそんなことはどうでも良い。他人とおなじだろうがなんだろうが、よりしっくりくる言葉を選ぶべきである。
  • 最初の訳では英文が長く続いているのに合わせようとして、「喜びをもたらすことになり」と次につなげているが、ここは無理せずに一文で切ったほうがよりはじまりらしく響くのではないかと思った。「なったのだ」の終わり方にしたのは、こちらの感覚ではこの二文のどちらかは「のだ」という断定にするのが良いような気がしたからで、「もたらすことになった」「待っているかのようだったのだ」でも行けるとは思うのだけれど、なんとなく、前の段落から続けて読んだときに、「もたらすことになった」で切るとリズム的にちょっと物足りないような感じがしたので、ここで「のだ」と大仰に置いてみることにした。
  • 難しいのは「幾星霜も」うんぬんの部分、原文で言うと、"and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed,"のところで、意味は問題なくわかるがうまく流れる言い方をかたちづくるのがなかなか難事だ。楽しみにしすぎて実際よりもはるかに長く待ったかのように、まるで何年も何年も待ったかのように感じられるという趣旨を思うに、いっそのこと、どれだけ待ったかわからない、という言い方の方向でまとめるのもありではないかと考えたものの、"years and years"=「幾星霜」はやはりなんとなく使いたくて、しかしこの語を使うとそういう方向ではおさめづらい。「幾星霜ともわからないくらい楽しみに」というような訳も考案したということだが、ただ例文など検索してみるに、「幾星霜」は字面そのままに「どれくらいの年」という意味で使われることはどうもなさそうで、出てきた文はどれもこれも長年月、長いあいだ、の意で用いている。要するに、「幾星霜ともつかない」みたいな言い方は見当たらなかったということだ。そう言ったとて通じないことはないと思うが、やはりなんとなく強引な感じもするので、「幾星霜もと感じられるくらい」でひとまず落とした。こまかいところだが、ここを「幾星霜ものあいだ」とするか、また「くらい」にするか「ほど」にするか、といった点も悩みどころではある。
  • あと、どこかのタイミングでTim Ries『The Rolling Stones Project』(https://music.amazon.co.jp/albums/B00BJR7NH6(https://music.amazon.co.jp/albums/B00BJR7NH6))を流したところ、一曲目のギターがトーンにせよフレージングにせよ特徴的というかおぼえのあるようなもので、これJohn Scofieldじゃないかと思って情報を検索してみるとそのとおりだった。やはりJohn Scofieldってわかりやすいんだなと思ったし、こんなところに参加しているのかとも思ったものだ。discogsを見ると、一曲目すなわち"(I Can't Get No) Satisfaction"はJohn Patitucciが弾いてClarence Pennが叩いているし、オルガンがLarry Goldings、ピアノはBill CharlapとEdward Simon、パーカッションにJeff Ballardを起用しているので、どれだけ豪華なんだとも思った。ほかの曲ではCharlie Wattsが叩いていることもあったのだが、これが意外とと言っては失礼だけれど普通に嵌っていてけっこう良かった。もともとジャズをやっていたのだったか?


・読み書き
 13:55 - 14:33 = 38分(2020/12/8, Tue.)
 18:20 - 19:12 = 52分(記憶)
 20:20 - 20:39 = 19分(英語)
 22:31 - 23:53 = 1時間22分(Woolf翻訳)
 27:23 - 28:09 = 46分(2020/12/8, Tue.)
 計: 3時間57分

  • 2020/12/8, Tue.
  • 「記憶」: 227 - 235
  • 「英語」: 46 - 72
  • Virginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994): 12(One moment more ~ if James was very careful), 3(最初~ within touch)


・BGM

2020/12/7, Mon.

 しかし、(精神)分析の行為が、みずからが分析を行おう(結び目を解きほぐそう)とする構造を反復するものという形でしか、アイデンティティを有しないのであれば、精神分析は常に――すでにみずからが検討するテクストの中に入れ子構造化されていて[﹅11]〔mise en abyme〕、それ自体[﹅4]しか発見できないというデリダの反論は、精神分析に対する異議申し立てではなく、まさにその本質を突く深い洞察と言えるだろう。精神分析とは実際、それ自体がみずから追い求める原光景である。つまり、原光景とは、患者の中で決して生じることなく反復されてきたものの最初の出現である。精神分析は反復を解釈するのではない。それは、「去勢」、「両親の性交」、「エディプス・コンプレックス」、さらには「セクシュアリティ」と呼ばれる解釈のトラウマ[﹅7]、つまり、決してそのような形では生じなかった出来事の[﹅]、ではなく、出来事としての[﹅4]、引き延ばされたトラウマ的解釈を反復するのだ。「原光景」とは一つの光景ではなく、解釈者を耐え難い立場に置くという結果を招来した、解釈的な不運である。したがって、精神分析とは、この解釈的な不運をその解釈としてではなく、その最初で最後の行為〔幕〕として再構築することである。精神分析は、決して生じなかったものへの不満〔dis-content〕を反復することによってしか、内容〔content〕を確保できないのだ。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)249~250; 「7 参照の枠組み ポー、ラカンデリダ」)



  • わりと久しぶりのことだと思うが離床は正午を越えた。滞在は八時間強。からだがけっこう固くこごっていたし、鈍い頭痛の芽もあったのだが、これはやはり昨晩通話で長くモニターの前にいたためなのだろうか? いずれにしても昔よりはよほどましで、特に問題ではないが。
  • 天気は晴れていて、気温は比較的高そうな印象。起き上がると枕に座って窓を開け、瞑想をした。窓外でカラスが一匹しばしば鳴き声を響かせているが、そのほかに目立った音は聞かれない。からだの感覚はそれほど深まりはしなかったものの、普通にスムーズなまとまりにはなった。一二時四〇分まで座ってから上へ。
  • 母親は仕事か何かに出かけたらしく不在で、いるのは父親のみ。洗面所で髪を梳かしたりうがいをしたりする。喉のひっかかりは相変わらずあり、と言って声を出すにもものを食うにも支障はないのだが、ただ熱い液体を飲むときは最初の一口だけ鋭く痛む。三口目くらいになるともう感じなくなるが。なんらかの炎症ができていることはまちがいないが、原因は不明。コロナウイルスか? そのわりに咳も熱もないが。
  • 昨晩のけんちん汁にうどんを入れたものがあったのでそれを温め、五目ご飯とともに卓へ。新聞を読みながら食べる。紙面からはまず文化面というか学術系のページの記事を読んだ。「翻訳語事情」は「反省」という語について。齋藤希史 [まれし] という文字通り珍しい名前の人。「省」の字自体は中国の古典にもたびたび登場し、『論語』も自省の大切さを説いているが、「反省」という語の用例はまずないとのこと。それが登場したのは近世以降で、日本では当時の漢学者たちが使いはじめたのを明治政府やその後の学者らがreflectionの訳語として採用したためにひろまったのだろうと言う。「反」の字が用いられたのは、投げ返す、もどる、というreflectionの意義(「返照」という訳語もある)を盛り込み、その都度みずからに立ち返るという点を強調したかったからだろうと。あと左側には廣部泉という人がいわゆる黄禍論(いままで「おうか」と読んでいたのだが、ここでは「こうか」というルビがふられていた)についての本を出したという紹介。米国で日本人ピアニストが襲われたり(これは海野雅威のことだ)SNS上でアジア人に対する襲撃が呼びかけられたり、コロナウイルスによる政情不安のただなかで東洋人への排斥意識が一部で高まっているように見えるところ、米国人の無意識にはいまだに不気味な東洋人に対する人種差別的な観念が残っている、というようなことを述べていたが、ホンマかいなという気もする。過去にいわゆる黄禍論を唱えたのは主に白人の人々だったのではないかと推測するのだけれど、現在の米国は過去にもまして人種的な混淆状況が強まっているはずで、「米国人」と一口に言ったときにいわゆる白色人種以外の人々をそこにふくむことができるのかどうか疑問である(しかし海野雅威を襲ったのはたしか黒人ではなかったか?)。いずれにせよ新聞記事程度の紙幅の範囲では当然こまかな行論などないわけで、確かな論述かどうか判断するには実際に本を読んでみるほかはない。社会は常にスケープゴートを欲している、みたいな一言は印象的で、まあそれはそうなのだろうと思った。
  • 国際面には、Washington Postの調査によれば米両院の共和党議員二四九名だったかそのくらいのうち、バイデンが大統領選挙に勝ったと認めているのは二七名、すなわち一割のみだったとの報があった。二名はトランプが勝ったと言っており、あとの二二〇名は不明とか回答保留とかどっちつかずな感じらしい。この結果を受けてWashington Postは、共和党議員たちは恐怖に萎縮しており、もはや退任しゆく大統領ドナルド・トランプが党を支配していることがあきらかになったと述べているようだ。そうなると当然、この二七名と二名が誰だったのかが気になるが、いまちょっと検索してみた限りでは個人名は出てこなかった。
  • 食後は皿と風呂を洗い、帰室。今日は緑茶を用意しなかった。やはり茶を飲むとなんとなくカフェインが作用するのではないかという気がして、ここ最近、号令の際に緊張して喉が詰まるようになるのはそのせいもあるのではないかと思ったのだ。それでしばらく労働の前には茶を飲まない習慣にして様子を見てみようというわけである。今日の記事をつくってここまで記せば二時二〇分。三時過ぎには出なければならないからもう一時間もない。今日は三時限の長さに加えて、室長がいないから代わりをつとめなければならない。最悪だ。帰りたい。
  • 現在一二月一四日の夜半前。それ以降のことで日課記録を見て思い出すのは、深夜に作業のかたわらHalford『Live Insurrection』を流したことくらい。なぜかコテコテのヘヴィメタルなどというものを聞いてしまった。こちらはJudas Priestに嵌った身でないし(『Screaming For Vengeance』を図書館で借りてちょっと聞いたことがあるだけ)、そもそもヘヴィメタル全般にもほとんど手を出さず、ハードロックまでで止まっていた人間なので(そのふたつの境もときには曖昧ではあるが)、特別良いとは感じない。ただRob Halfordのめちゃくちゃ甲高いシャウトとか、ツーバスと合わせたギターの高速の刻みとか、すさまじく典型的なヘヴィメタルのイメージにぴったり一致していて、確かにこの人間がこういう音楽のスタイルをつくりあげたんだなあと思った。
  • 労働は室長の代わりに教室をまとめなければならなかったのだが、今日はなぜか電話もなくてわりと平穏で楽ではあった。ただ終わりの報告共有とかを主導しなければならないのは面倒臭い。と言ってべつに、何か伝えたいことがあればとゆるく落として、二、三訊いただけだが。しかしそれを連絡帳に記録しておかなければならず、本当はさっさと帰りたかったのだが、どうしたって必然的にこちらが職場を閉めることになるわけで、帰宅はけっこう遅くなってしまった。


・読み書き
 13:32 - 14:22 = 50分(2020/12/7, Mon.)
 14:23 - 15:02 = 39分(メルヴィル: 60 - 71)
 15:26 - 15:40 = 14分(記憶)
 26:10 - 27:24 = 1時間14分(2020/12/2, Wed.; 完成)
 27:41 - 28:14 = 33分(メルヴィル: 71 - 81)
 計: 3時間30分


・BGM

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Halford『Live Insurrection』

2020/12/6, Sun.

 だが、ラカンは、ファルスにそれよりもはるかに複雑な定義を与えている。というのも、女性の定義が「愛の関係において、自身がもたないものを与える〔もの〕」であるなら、女性がもたないものの定義はペニスだけに限定されないからである。ラカンはこの議論の別の箇所で、「愛」を「もたないものを与えること」(Jacques Lacan, Écrits (Paris: Seuil, 1966), p. 691/『エクリ』第Ⅲ巻、佐々木孝次・海老原英彦・蘆原眷訳、弘文堂、一九八一年、一五四頁)と表現している。ここで言う「愛」とは、ファルスの単なる同義語だろうか。おそらく。だが、そのためには、ファルスの定義をいくぶん修正しなければならない。ラカンの用語では、愛は「無条件的」な「愛の要求〔demande d'amour〕」、「現前ないしは不在の要求」(E, p. 691/Ⅲ、一五四頁)という文脈で問題にされるものである。とはいえ、この「要求」は「〈他者〉がもたないもの」だけに及ぶのではない。それは言語にも及ぶのだ。そして、言語とは、「主体のメッセージが、〈他者〉の場所から発せられる」(E, p. 690/三、一五三頁)という形で、人間の欲望を疎外するものである。「要求」とはつまり、ある器官の、ではなく、〈他者〉――主体が〈他者〉の場所から発する問いに応じる〈他者〉――の無条件的な現前ないしは不在の要求なのだ。しかしながら、この「要求」はまだ「欲望」の定義には至っていない。欲望とは、「要求」から可能性のあるあらゆる「現実的な」欲求が取り去られた時、そこに取り残されるものである。「欲望とは、満足への貪欲さでも、愛の要求でもなく、後者から前者を差し引くことで生じる差異、両者の分割[﹅2]〔Spaltung〕現象そのものなのです」(E, p. 691/Ⅲ、一五五頁)。ラカンが言うように、シニフィアンとしてのファルスが「欲望の比率[﹅2]〔ratio〕を与える」とすれば、このファルスの定義は、身体とも言語とも、もはや単純な関係をもてなくなる。こうした定義は、身体、言語の双方が単純であることを妨げるからだ。「ファルスは、この、ロゴスの部分が欲望の到来と結ばれるしるしの、特権的なシニフィアンなのです」(E, p. 692/Ⅲ、一五六頁)。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、247~248; 「7 参照の枠組み ポー、ラカンデリダ」)



  • 正午近くになって覚醒。晴天である。陽射しを顔に受けながらまぶたを薄くひらき、すこしでも目に光を取りこもうとする。一一時五九分に離床して、洗面所に行って顔を洗った。三日前あたりから喉が痛いというか、声が嗄れるとか出ないということはないのだが、喉の奥に何かひっかかりが感じられて、唾を飲みこむときなどにちょっとだけ痛む。声帯というよりも咽喉か食道のどこかに炎症ができているのではないか。
  • 用を足してもどってくると瞑想をした。ダウンジャケットを着こみ、窓をすこしだけひらいて枕の上に胡座で座る。じっとしているうちに身体感覚はわりとなめらかにまとまった。それにしても頭というものは本当にせわしない。思念やらイメージやら記憶やら、つぎつぎととめどなくあらわれてはきえていって、点滅をつづけている。起きたばかりで腹が空だったので、たびたび内臓がうめきを立てた。
  • やはり起床直後の瞑想は習慣にしたほうが良い。意識をとりもどしてすぐ、からだの調律をすませておいたほうがたぶん一日のパフォーマンスや落ち着きが違うのではないか。一二時一四分から座りはじめて、そろそろいいかと目を開けると三一分になっていたから一七分間の静止だったが、体感的にはもうすこし行っていると思っていた。それから上階へ。燃えるゴミを台所のゴミ箱に合流させているときに、小さなゴキブリが姿をあらわしてさほど素早くもなく床を逃げていったが、面倒臭いのでほうっておいた。ずいぶんと茶の色が濃い、煮つけた栗みたいな光沢を帯びた虫だった。その後、うがいをしたり髪を梳かしたりしてから食事。プレートを出して似非たこ焼きみたいなものを焼いていたのでそれをいただく。新聞からは書評面をちょっとながめたあと(入り口ではマルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』が紹介されており、なかでは苅部直が『民主主義の壊れ方』という外国の人の本と、宇野重規講談社現代新書から出した民主主義論をとりあげていた)、馬部なんとかという大阪の大学の史学者のインタビューを読んだ。「椿井文書」という偽史料を精査検討した本を出している人で、そのあたりについて語っていた。いわく、椿井政隆というのは江戸時代の国学者で、近畿周辺の村同士の土地争いなどに介入し、おそらく有力者からの依頼を受けて主張の正当性を根拠づけるような文書を偽造したとのこと。ただよく見てみるとけっこう杜撰なつくりになっているというか、ちょっとふざけてつくったような部分もあり、椿井本人は偽造が発覚しても戯れとして言い逃れができるようにしていたのではないかと言う。ところがそれがきちんとした史料批判を通過せず、さまざまな文章の論拠になってきたし、地域の市区町村でも公式な歴史として採用され承認されているという現状を慮って偽文書検討の本を出したとのことだった。嘘の歴史でも子供らが興味を持つきっかけになれば良いという声もあるが、偽の歴史記述は決して学びの対象にはなりえないと思うとか、地域行政が正式に認めている歴史をつついてその正当性を疑う仕事には当然反発もあるだろうが、行政側のお墨付きに対して誰も異論を差し挟めないという状況こそ憂慮するべきであるとか(正確な文言をおぼえていないのでだいぶ意訳になっていると思うが)、だいたい正論しか言っていないという感じだった。
  • 食後は皿を洗ったのち風呂洗い。栓を抜いて浴槽に残っている水が流れ出していくあいだ風呂桶の底を見つめていたのだが、水には戸外のあかるさをはらんだ窓と付近の壁が映りこんでおり、その鏡像が、水位を減らして薄い平面になった溜り水に宿っているものとはとても思えず、底を抜けたその先に向かって縦の奥行きを持っているようにしか見えないので、「鏡の向こうの別世界」という想像的モチーフが生まれたのも道理だなと思った。『ドラえもん』か何かの話で、水溜まりからもぐることで反転世界に行けるみたいなエピソードがあった気がするのだけれど、ああいう感じだ。
  • 緑茶をつくって帰室。FISHMANS『Oh! Mountain』を流し、ウェブをちょっと見てからNotionで今日の記事を用意すると日記を書きだした。ここまで記すともう二時半に至っている。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)たしか一時頃になっていたのではないかと思う。通話のあとはいつもどおりの深夜生活だったと思うし、特におぼえていることもないのでこの日のことはここまで。


・読み書き
 13:47 - 14:30 = 43分(2020/12/6, Sun.)
 14:35 - 16:07 = 1時間32分(徳永: 379 - 426; 読了)
 16:17 - 17:06 = 49分(記憶)
 20:22 - 20:43 = 21分(英語)
 25:25 - 26:16 = 51分(2020/12/2, Wed.)
 26:26 - 27:55 = 1時間29分(メルヴィル: 1 - 60)
 計: 5時間45分


・BGM