2021/5/4, Tue.

 それは、知的な「移動」(「スポーツ」)のようなものだ。言語の凝固や、ねばり気、ステレオタイプ症状のあるところへ彼は徹底的に向かってゆく。注意ぶかい料理女のように忙しく立ち働き、言語活動にねばりが出ていないか、〈焦げついて〉いないか、と気をくばる。こうした動きはまったく形式的なものであるが、作品の進展と後退とを説明している。それは言語についての純然たる短期戦術であって、〈空に向けて〉、いっさいの長期戦略的な領域の外で展開される。ただ危険なのは、ステレオタイプは歴史的、政治的に移動するので、それがどこへ向かおうと、付いて行かなければならないことである。だがもし、ステレオタイプが〈左翼へ移った〉ら、どうすればよいのか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、246; 「ダガ反対ニ(Sed contra)」)



  • 一〇時すぎにいちど覚めたのだが、それは携帯がふるえたからである。ふだん、携帯はサイレントマナーにしていて、つまりメールなどがきてもバイブレーションも起こらないようにしてあるのだけれど、先日(……)と会ったときにふつうのマナーモードにしたのがそのままだったのだ。メールは(……)さんで、先日もうしでた生徒面談の手伝いの件であり、手伝ってほしい生徒と日時が記されてあったが、それにしたがうと八日の土曜日がふたつの会議もあわせて朝から晩までマジで一日中はたらく予定になってしまって、なかなか容赦がない。しかし翌日は日曜日だし、一日くらいは受け入れてがんばろう。
  • そこで起きられればよかったのだが、窓にちかいほうの枕もとにおりている陽射しをもとめて顔をうごかし、じっとしていると、またねむってしまって結局正午前の離床となった。部屋を出て、洗面所で顔をあらったりうがいをしたり。上階へ行くと母親が開口一番、なんか洟がでるよね、という。たしかに昨晩くらいからそんな感じがしないでもなかったので曖昧な肯定をかえす。喉も、というが、こちらは喉には問題がない。母親は数日前、声が嗄れて、まだ喉がちょっとおかしいようなのだが、時勢柄当然コロナウイルスではないかとうたがわれるわけで、食事中にコロナウイルスにかかったんじゃないの、とむけると、医者にいったほうがいいかなというが、このちかくだとPCR検査をどこでうけられるのかがわからない。コロナウイルスの初期症状としてはいぜんしらべた際には咳がおおくて鼻水などはあまりないという話だった気がするが、ひとによって多様でもあるのでじっさいわからない。あと発熱だが、母親はいまのところ熱はないようす。
  • 食事はカップ蕎麦を煮込んだものや、きのうのスンドゥブのあまりなど。新聞に基礎からわかるウイグルという面があってそれをよもうとしたのだが、母親が、ものをどんどん片づけたいけどぜんぜん片づけられないといういつもながらの話をしてくるのでよめない。父親がずっとまえに買ってそのまま放置している焼酎などうるかすてるかしたいというので、勝手に売っちゃだめでしょ、とうける。ひとが大切にしてるもんなんだから、というが、大切にしてないよ、わすれてるよ、とかえる。それでもむろん、本人と話して許可をとってからでないとだめである。母親は生前整理をしなければならないという強迫観念にとりつかれており、ものが増えることをきらい、ものを捨てたいとばかりおもっているようなのだが、こちらはとくだんそうではないし、父親もべつにそうではないだろう。俺の本がしらないうちに捨てられてたら、マジでぶっ殺すから、といちおう釘を差しておいた。冗談じゃなくてマジでぶっ殺すから、とつづけて強調しておいたが、まあじっさいには殺害にまではいたらないだろうとおもう。ただ殺意と強烈な怒りはもちろんかんじるだろうし、そのようなことが万が一起こったらすぐさま絶縁して、その後一生涯、顔も見ないし言葉もかわさないしなにもかかわらなくなることはまちがいないだろうが。片づけにかんしては、毎日すこしずつ、ひとつだけゴミ袋にいれる習慣にすればいいじゃん、ひとつがすくなければ一箇所だけ、とか、そうすれば一年後はそこそこきれいになってるでしょ、とありきたりなことをいっておくが、だれもなかなかそれができないものだ。
  • 食事をおえるころ、電話がかかってきて、これは(……)さんだった。母親がさきほどかけておいたそのおりかえし。こちらは立ってふたりぶんの食器を洗い、それからベランダに出て日なたのなかで体操。布団カバーが柵にとりつけられ竿にも干されてあって、そうすると三方がそれにかこまれるから、そのなかで屈伸してしゃがむと外からこちらの姿が見えなくなるし当然こちらからもそのときは外の様子が見えなくなるわけで、そうするとなにか子どもがかくれんぼをしているようなイメージが立つ。空はまったき青さではなくて雲が全体にほんの淡いものの混ざりこんでいる色合いで、光も純粋透明にいたらずいくらか弱められてはいるようなのだが、それでも初夏の暑さで背にのってくると重みがあるし、たぶんこれも三方を布でかこまれていたから余計に熱がたまったのではないか。
  • なかにはいると電話はまだつづいていた。こちらは風呂をあらう。あらうあいだも、母親が(……)さんを相手に、父親の愚痴をいったり、毎日神さまにおいのりしてるのよと、さっさとまたはたらきにでてくれるようねがっていると話しているのがきこえてくる。今日は山梨に行って泊まってくるっていうから、多少のびのびできる、と。母親はまた、「終わったひと」にはなってほしくない、ということも日々のなかでたびたび口にしていて、この「終わったひと」というのはたしか内館牧子の小説の名前で、テレビドラマか映画になって舘ひろしが主演していたおぼえがあるのだが、それがやはり定年でしごとをひけてのちの男性が家にいて周囲からうとまれるみたいな話だったはず。まあそういうことはじっさいおおいだろう。いまはとくにコロナウイルスの事情もあるし。それにしても、母親からすると、父親が畑をやったり(……)のしごとをやったりなんだりしているのは、あまりたいしたこととはうつらず、なにもやっていないのとあまり変わらず、父親はもうほぼ「終わったひと」だということになるらしい。しかしそれをいったらこちらなどいつまでたっても定職に従事していないし金もぜんぜんかせいでいないわけだから、最初からすでに終わっているし、終わるどころかまだはじまってすらいないことになるではないか。もちろん、こちらとしては、はじまりたくも終わりたくもないが。肩書きなんぞくそくらえだ。一生もちたくない。生活のための職が便宜的な肩書きになるのはよいし、むしろそれは妙に軽快なこのましさすらあるが、それ以外の、いわば真正な肩書きをもつとかんがえただけで嫌悪感が立つ。むかしは、作品をつくることでも文で金をえることでも世評をえていることでもなく、日々ことばと文を書きつづけるということだけが作家というものの存在規定だとかんがえて、自分はそういう意味での作家であるといっていたこともあったが、いまはまったくそうはおもわない。どのような意味であれ、「作家」になりたいとも、「作家」ということばをおくられたいともおもわない。その他どのような名詞であれおなじ。
  • 風呂をあらって、茶を用意して帰室。コンピューターを寄せると、バッテリーの機能が低下しているみたいな表示が出ていて、ひんぱんに一〇〇パーセントまで充電すると損耗しますみたいなことが書かれてあり、これはデスクからベッド縁にうつるときにいつも電源ケーブルをはずしてスツール椅子の上にのせているのでそうなるのだろうが、このスツール椅子は縁がややもりあがっているかたちのもので、そのなかにコンピューターがすっぽりはまるようなかんじだから電源ケーブルを側面の穴にさしこむ隙間すらない。それで、隣室の椅子とかえるかとおもっていちど両方の椅子をはこんで交換したのだが、そうするとこの椅子は背もたれがあって座部はただの楕円だからケーブルをさすことはできるものの、どうも高さが足りず、それ以上高くすることもできず、ちょっとそれでがんばってみようとおもってしばらくやっていたのだが、結局姿勢が前傾的になってやりづらいので、あきらめてもとのスツールにもどすことにした。バッテリーには犠牲になってもらおう。どうもほかにちょうどよい高さの台とか椅子とかがない。それで椅子をまたかかえてはこんで交換し、それから以下の読み返し。
  • 2020/5/4, Mon.の読み返し。この日は父親が母親のことをたびたびクソババアだとかなんとか呼んで幼稚かつ不快な言辞をはたらいていたことにたいしてこちらがキレて、つかみあいの悶着が起こった日なのだが、家庭内の醜態をさらすようでみっともないので、そのあたりは全篇にわたって検閲することに。「この主張は、こちらが考えるところでは糞尿以下の代物であり、正しく反吐を吐きつけてやるべき悪質な論法、一年間に腹のなかで分泌生産される胃液のすべてを吐きかけて溶かしてやるか、さもなければ端的に小便を頭からぶっかけてやりたいような肥溜め未満の言い訳で、下劣拙劣卑劣低劣陋劣愚劣といった具合に、この世のあらゆる劣悪性を一列に編み合わせてこしらえたどす黒い経帷子くらいに烈々と劣等な汚穢の類であって、それが父親のお好みなのならばその衣装を身につけたままどこへなりとさっさと旅立ってもらってもこちらは一向に構いはしないのだが、大体において「愛」などというこの世界で最も抽象的な観念の一つを恥ずかしげもなく実に堂々と、まるで牛の涎みたいに口からでろでろ垂れ流しただけでなく、その美名でもって自身の醜悪極まりない行いを包み隠して上っ面だけ綺麗に飾り立てようとしているわけだから、そんなに粉飾が好きなら会社の経理でも担当して粉飾決算を活用しながら金の横領でもしていれば良いんじゃないだろうかと思う」などと、ながながと力をこめてレトリカルに罵倒していて、それはちょっとおもしろい。「大体において「愛」などというこの世界で最も抽象的な観念の一つを恥ずかしげもなく実に堂々と、まるで牛の涎みたいに口からでろでろ垂れ流」す、という比喩はちょっと良い。これほど修辞的にことばをこらして罵倒しているのは、この時期シェイクスピアを読んでいて、すぐれた文学者はみなそうだがシェイクスピアも罵倒がうまくておもしろかったので、それに多少影響されたところもたぶんあるだろう。ほか、「このような、とても簡単で至極順当な他者の心情に気づく程度の基本的な自己相対化の能力も持ち合わせずに、いままでよく他人の怒りを買って殺されることもなくこの世を生き延びてこられたものだなあ、とほとんど呆れるまでに驚愕せざるを得ないところだ」とか。あきらかなことだが、このときのこちらは、めずらしくマジでめちゃくちゃ怒っている。「もしそれがどうしても理解できないのだとすれば、父親の顔表面に二つ空いているのは瞳の置き場所ではなく、残念ながら障子の破れ目と同程度の機能しか持たない空っぽの隙間、蛆虫の住処にでもしてやったほうが役に立つ単なる穴ぼこだということになるだろう」とか。「ところが現実に生きているこちらの父親は、当人の言うところでは紛れもなく自分の「愛」の対象であるはずの母親に対して、あられもなく「ババア」「クソババア」と口にしてやまず、相手の言うことをたいして聞こうともせずに荒っぽい口調で大きな声を出して黙らせるというような、小学生の餓鬼大将も顔負けの幼稚極まりない振舞いに耽っているわけなので、それに対してごく控えめに苦言を呈するならば、まるで打ち上げ花火みたいに愉快にふざけ散らかすのはおやめになったほうがよろしいのでは? ということになるだろうし、もう少し率直に言うならば、いますぐこの世界から消えろという一言に尽きるだろう」ともあるが、そのとおり、こんなにことばをついやさなくとも、死ねクソ馬鹿が、とひとこと言えばそれですむ話なのだが。ほか、「以上述べてきたことはこちらにとってはとてもわかりやすく、理解するためにさほどの思弁的努力は必要としない種類の明白な意見だと思われるのだが、もし父親がそのような物事の道理も理解できず、また極めて残念なことに行為においてそれをわきまえることができないのだとしたら、とっとと頭をかち割って、そのなかの腐った脳味噌を海に流して魚の餌にしてやる代わりにウニの身でもたらふく突っこんでおくのが良いんじゃないだろうか」とか、「だから、「理性」的思考能力を有効に具えているはずの近代的主体としてはまだおしめも外していないようなよちよち歩きの赤ん坊ほどの段階にいるにもかかわらず、悪しき通俗ポストモダン風にクールな似非相対主義を気取って言い逃れを試みるのはやめてほしいし、そういう態度は少なくとも、まずはおむつを外して自らトイレで用を足せるようになってから取るべきではないだろうか」とか、「もう少し平たく言い直せば、父親が心のなかで母親のことを例えば「クソババア」とか、あるいは萎びて衰えたしわくちゃのババア(というような意味のことを父親は実際に口にしたことがあるのだが)とか思う瞬間があるとして、それ自体は別に構わないし、心中で両親が互いのことをどう思っていようがそんなことはこちらにとってはどうでも良い。ただ、それを具体的な行動に反映させて目に見える形で表出し、相手を蔑み見下して馬鹿にするような振舞いはやめるべきだ、仮にも人族の一個体として理性の能力をひとしずくでも具えて生まれてきたつもりなら、その程度の恥じらいは持ち、その程度の自制は働かせたほうが良いだろうと言っているに過ぎない」とか。比喩をふんだんにつかった技巧的な罵倒を読むのはなぜかわからないけれどやたらおもしろい。マジで怒っているので筆致にも冷静さを欠いており、むやみに芝居がかっていて妙にかたく、わざとらしい文調にはなっているものの(つまり父親のおこないに非があるということを徹底的に「論証」しようとするような文章になっているものの)、それだけ緊迫感というか切実さというか、こいつめちゃくちゃ怒り狂ってるなという感じはある。上に引いた種々の罵言のなかに「理性」とか「理解」とか「道理」といって「理」のついたことばがよく出てくるように、こちらがこのときいっている内容は人間的理性をもった存在にふさわしい振舞いをしろという一点に要約され、みずからそのひとを「愛」していると自信をもって断言する相手にたいして高圧的に馬鹿にするような傲慢な言動はあきらかにそのような振舞いではないからやめるべきだということなのだが、そのあたり実にヒューマニズム的な、欧州啓蒙思想以来の近代的主体観念を正統に受け継いでいるな、という感じがする。べつに普通にそれで良いとおもうのだが。ただそういうふうに振る舞えないひともいるし、ひとはいつでもそういうふうに振る舞えるわけではないし、こちら自身完全に一貫してそういうふうに振る舞えるわけではないし、理性、理性、とかまびすしく称揚してきたその声が圧力となって反動的にドナルド・トランプ大統領が誕生してしまったというここ数年の歴史的現実もあるわけだ。
  • 二月二四日の(……)さんのブログから一節引かれている。

オープンダイアローグにおいては、うまく語ることのできない出来事をどうにか語るということの重要性が強調されていた。語りがたい出来事、語り損ねてしまう出来事、とどのつまりはいまだ象徴化されていない現実界の出来事=外傷を、どうにかして語る(象徴化する)こと。これもまた小説に関する言説としてアナロジカルに読み替えることができるが、そのときラカン派とは正反対のアプローチを仕掛けているようにみえる。物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとするラカン派的小説家と、出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとするオープンダイアローグ派的小説家——と書いていて気づいたのだ、オープンダイアローグ理論をアナロジーとして採用するのであれば、ダイアローグに参入する他者の存在に触れないわけにはいかない。この対比はいくらなんでも雑にすぎる。とはいえ、小説家のいとなみというものを考えるにあたって、「物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとする」と態度と、「出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとする」態度は、一見すると正反対のようにみえるが、実際はさほど遠くないのではないか? というかこの両者のせめぎあう運動——それがゆえにそのどちらもが十全に達成されることは決してなく、挫折を余儀なくされ、中途半端な癒着としての失敗に帰結せざるをえない——こそがほかでもない、「物語(全体性-象徴化)とそれにあらがう出来事(断片性-未象徴化)が同居するメディアとしての小説」——その価値はいかにあらたな失敗のフォルムを生み出したかで測られることになる——なのではないか。

  • 2020/1/8, Wed.も読む。このころは頻繁に腰が痛んだようで、ヘルニアではないかといううたがいをもっているが、脹脛と足裏のマッサージやストレッチを習慣化したいま、からだは別物であり、腰が痛むことももはやない。
  • あと、職場からの帰路を(……)くんとともにしている。

 ホロコーストっていうと、レヴィナスも関連してくるでしょう、確か彼は、本人は入っていないけど、家族が殺されていたよね。奥さんと娘だか、一部を除いては全員殺されていたとの答えが返る。横断歩道を渡りながら、本当にとんでもないことですよ、と。先日も、ホロコーストについての本を読んでいたんだけど、ワルシャワ・ゲットーっていうのがあるでしょう、で、そこのユダヤ人を送りこんで殺害する絶滅収容所があるわけだよね、そうしたら、読んでいたら、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人の九割が殺害された、とか書いてあってさ、はあ? と思って、九割って何だよと思ったよ、多分四〇万人くらいはいたと思うんだけど、だからそれが五万人とかになってしまったわけでしょう。そんなことを話しながら、街道沿いを行く。まあでも日本でホロコーストっていうのが一般的に知られるようになったのは、どうやら九〇年代以降らしいね、もっと前から知られていたものかと思っていたけど。まあ、言ってしまえば遠い外国のことですからねえ。そうなんだよな、夏にさ、(……)くんに社会を教えてて、そもそもまず「ホロコースト」っていう言葉自体が出てこないんだよねあのテキストは、まあでもユダヤ人が殺されたみたいなことは書いてあるわけよ、そこでまあこういうことがあって……っていうことをちょっと話したんだけど、そうしたらそれ覚えた方が良いですか、って言われて、そういうことじゃねえんだけどなあ、と思ったよ、お前、六〇〇万人だぞ、と。そういうことではないですね、と(……)くんも同意をする。まあでもどうしても、そういうことになっちゃうんだよね……。下手すると教科書で一行くらいしか書いてなくて、さらっと流して終わりみたいな感じですもんね。俺からすると、俺はかなり関心がある方だから、むしろあれを覚えないでほかに何を覚えるんだっていう感じだけどな。

  • ふつかぶんよみかえすと二時過ぎだったか? そこから今日のことを記述。いま三時半前。
  • そのあとたしか書見したはず。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をすすめる。記憶とイメージが曖昧かつ精妙におりまざった幼年期の、靄がかった空気のむこうにとおくただよう特有のにおやかさ、みたいなものがあるような気がする。そういう意味で、実に正統に文学的と、言いたくなるような仕事、というか。断章のはじまりが格好良いものがある。「願いごとをひとつ、そのまま叶えてくれる妖精が、誰にも存在している。だが、自分の願ったことを思い出せるひとは、ごくわずかしかいない。それで、後年になって自分の人生を振り返ったときに、あの願いごとは叶えられたのだ、と分かるひともごくわずかしかいないのだ」(505; 「冬の朝」)とか、「ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、習練を要する」(492; 「ティーガルテン」)とか。やっぱり、ややアフォリズム的な、一般的な命題みたいなものを定言的にうちだしておいてから話にはいっていくのが格好良いのだろう。
  • 五時をまわってから上階に行ったが、書見後、それまでのあいだになにをしていたのかおもいだせない。上がるまでずっと書見をしていたのだろうか。わすれたが、あがってからはとりあえずアイロン掛け。母親のシャツなど。それから台所にはいって料理。焼豚があるのでそれをタマネギや小松菜などと炒めることに。材料を切るこちらの隣で母親も、豚汁をつくるといってゴボウなどを切るが、調理台の上はせまいのでやりづらい。準備がととのうとフライパンで調理。母親は、仕事ってほんとうに大切なものだってわかるね、やっぱりやりがいがないっていうか、ああー、やったー、っていう感じがないし、もったいないよ、もっと歳がいってたらわかるけどさ、あれだけ能力もあるのに、といつもながらの、父親にはやく再就職してまたはたらきに出てほしいという願望をかたっていた。外に出るのがなんかいやで、誰かに会って、どう? とかお父さんのことをきかれたくない、仕事見つかった? って、そんなに見つからないよねえ、とか、ともいっていた。
  • 汁物は母親にまかせることにしてさがろうとすると、ゴミ袋をはこんでおいてくれというので、サンダル履きで外に出て、先日破壊してかたづけた植木鉢などがはいった袋を、家の脇から取ってきて、玄関の外の水場の横に置いておく。それからちょっと林のほうにいって、沢をながめおろしたり、鳥の声がいくつも響きでてくる木立のまえに立ってみあげながら鳴き声をきいたりした。だいたいヒヨドリとか、そんなに特徴的なものではないが、一匹、特有のリズムをもったものがある。なんの鳥なのかしらないのだが。そうして屋内へ。母親が鍋の火をつけっぱなしのままで外に出ていたので、いちおう彼女がかえってくるまで火の番をして、それから下階へ。なぜかギターを弾く気になっていた。それで兄の部屋にはいってアコギをとりだし、いつもどおりまず適当にAブルースをはじめる。そのあと昨日と同様、"いかれたBABY"の進行でアルペジオをくりかえしたり。それもけっこうながくやったのだが、合間、横道にながれつつも、最終的に、"いかれたBABY"の進行でバッキングをひたすらループする機械となった。アルペジオのときはきづかなかったのだが、それをはじめるとどうもコードの響きがわるかったので、チューニングがちょっとずれているなとおもって調律しなおす。バッキングというのは、拍頭で親指でルートを弾いて、裏でほかの三本をつかって和音をはじくというシンプルなもので、レゲエとかでよくやられてFISHMANSもやっているあのン・チャ、ン・チャ、という裏拍のカッティングを、カッティングではなくてはじくかたちでやるようなものなのだが、これをひたすらずっとくりかえしていた。たぶん三〇分か四〇分くらいやっていたはずで、目を閉じながらやっていたので、そろそろやめようとおもってひらいたときには部屋が真っ暗になっていた。七時二三分くらいにたっしていたはず。おもったのだけれど、まずこういうシンプルきわまりないかたちですばらしい演奏ができなければ、複雑なフレーズをひいたところですばらしい演奏ができるわけがない。まずは単純でなんの変哲もないコードストロークとか、アルペジオとか、最低限の雛型だけでさまになるような実力をみにつけなければならない。このあいだ、(……)と通話したときにも話したのだけれど、耳コピが面倒臭くて、またアコギ一本でやるとなるとアレンジをかんがえるのも面倒臭くて、それで曲を弾き語りたいとおもっていながらいつも似非ブルースにあそぶだけでおわってしまう、でもかんがえてみれば最初からそんなにきちんとかたちをかんがえる必要はなくて、まずはコードだけとってそれをジャカジャカやりながらうたうだけ、くらいのシンプルさでやればよいのだ、と。それでさまにならなければもっとむずかしいことをやってもだいたい無駄なわけだし、そうしてかたちができた上で、さらによいアレンジをおのずからかんがえていけばよいのだ、と。そういうわけで、まずはかんたんなバッキングで気持ちの良いリズムをうみだせなければ話にならないとおもってひたすらにひきつづけた。歌も、最初からのせようとしてもあまりうまくはいかない。ねむりながらでも弾けるくらいに楽器のほうになじんだ結果、おのずから声があたまのなかに浮かんでくる、くらいのかんじでないと。このときのコードはルートは五弦か六弦で、和音部は二弦から四弦でまかなうかたちにして、そうするとたぶんじっさいには高音がたりなくてひろがりがすくなく、本当は一弦をつかうほうがよいのだろうけれど、それもいまはおき、まずはこのもっとも単純なかたちでもって腕を磨こうとおもい、雛型フレーズをさだめるとそれをまったくかえずに反復した。自分としてはけっこう気持ちの良いリズムになる時間があるにはあるのだが。終盤などは、じっさい弾いているのはエイトビートなのだけれど、一六ビートシャッフルの感覚がちょっとでてきたし。"いかれたBABY"は原曲はシャッフルしていなかったとおもうし、していたとしてもほんのすこしだけだとおもうのだが、こちらの感じではわりとスローでシャッフル気味になってしまう。コードの消え方、手が弦上をうごくタイミングとか、あと親指がミュートした弦にあたるときのタイミングとかが、わりと一六ビートシャッフルに適合してきた気がした。ゴーストノートを入れているわけではないのだが。ただながく弾いていると、いつのまにかはやくなってしまう。そもそもメトロノームをつかっていない時点で話にならないといえばそうなのだけれど、メトロノームを置いてきちんとやると練習の感がつよくなりすぎるので、ひとまずはなしでやる気分。この似非レゲエみたいなバッキングでは、こまかなニュアンスとか統一性はともかくとしても、明白にミスみたいなものはあまりうまれないのだが、アルペジオをやるとなると、単純に八分であがっておりるだけのことなのに、右手の指が隣の弦にあたってしまったりしてけっこうミスがあって、じっさいこういうシンプルな基本的なことをずっとやりつづけるというのはかなりむずかしい。ファンクの連中とかはそういう練習をよくやるらしいのだが。コード一発でひたすらカッティングを何時間もつづけて、そういう人間たちだから、なんかスタジオで演奏中に停電になったかなにかで、クリックが一時きこえなくなってもそのまま演奏をつづけていて、電気が復帰してリズムがまたきこえるようになっても寸分違わずもとのビートと一致していた、みたいなエピソードはよくきく。
  • 食事へ。新聞のウイグルの面を、途中までだが読んだ。「新疆」というのは、あたらしい領域、という意味らしい。むかしから中国王朝はトルコ系民族が住まうこの西域を西方面との交易の窓口としてきたわけだが、一八八四年だかに清朝が新疆区的なものを正式に設置したとかあったか? いまの新疆ウイグル自治区がもうけられたのはたしか中華人民共和国ができてからすぐ、戦後まもなくのこととあったはずで、当時は漢人の割合が、三割だか四割だかわすれたけれどそのくらいだったところが、近年では七割くらいになっていると。例の労働教育施設、強制収容所みたいなものに入れられたひとの証言がのっていた。このひとはトルコかカザフスタンだか外国にすんでいたのだが、一時実家にかえったさいに理由不明のまま拘束され、収容所に入れられて、そこではイスラームの信仰やウイグル語の使用は禁止されており、標準中国語をまなびつかうように強制され、違反すれば当然虐待的な仕打ちがあたえられ、このひとと同室だった二〇代の男性ふたりは施設内で亡くなったという。このひとはカザフスタンにいた妻が同国の外務省や国連にはたらきかけてくれて、施設について口外しないことを条件に釈放されたと。その後、アメリカメディアの取材を受けたところ、故郷の実家にいる親や家族も収容されて、父親は施設内で亡くなったとあったとおもう。このひとにオンラインで話をきいた記者もウイグル自治区をおとずれた際の自身の体験を記しており、空港でおりると四人の警察官がまちうけていて、身分証を確認するとそのあとずっと尾行してきて、写真をとればカメラを奪われてデータを消されるし、住民に話をきこうとしても、みんな警察官がそばにいることがわかると口をつぐんでしまう、とのことだった。
  • 食後、帰室すると、音読をしたのだったか。九時すぎで入浴へ。出ると一〇時。風呂のなかで、そういえばOasisのスコアを持っていたはずだから、まずそれでコードをみてジャカジャカ弾き語りしようかなとおもった。『(What's The Story) Morning Glory?』はけっこう好きだし。それで出てくると、ひさしぶりにこのアルバムをながしながら熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書抜きをしたのだけれど、冒頭の"Hello"とか好きである。いちばん好きなのは最後の"Champagne Supernova"なのだが。Oasisってべつに複雑だったり小難しいようなことは特段やっていないとおもうのだけれど、なぜかよい。格好良い、というかんじではないが、気持ちの良い音楽になっている。
  • そのあと、日記をはじめた。五月二日分をひたすらすすめて、下記したとおり四時間くらい書いていたもよう。
  • いま二時半すぎで、五月二日のながい記事がしあがったのだが、たぶん一〇時半くらいからはじめたとおもうので、四時間くらいぶっつづけでずっと書いていたのではないか。ずいぶん書いたものだ。あまりそんなかんじもしないが。めちゃくちゃがんばった、という感じも。
  • 名前をいちいち検閲して手間をかけながら投稿したのち、大雑把に読み返すと一箇所だけ名前がもれていたところがあって、あぶないあぶないと検閲しなおしたが、これもなかなか面倒でリスキーなやり方ではある。投稿後にもれがないか、人名だけは検索して確認するようにしたほうがよいかもしれない。そのあとはなぜか最近の記事を読み返してしまい、それで結局四時にいたって、コンピューターをおとしたあと手帳にメモ書き。最近、その日の反省とか、よかったこととか、印象にのこったこととか、やりたいことやリマインドなどを手帳に日ごとに書きつける習慣になぜかなって、いぜんも多少はやっていたのだが、これはけっこうよいかもしれない。コンピューターでキーボードでうつより、やはり手で紙にかいたほうが時間がかかるから印象にのこるし、すぐみかえすこともできる。手帳をひらいたときにほかの日の記述がおのずと目にはいって、そうだったとおもいだすこともある。メモ書きしたのち、四時二二分だったかに消灯。いまの時期だともうこのころにはうす青いあかるさがさしはじめているので、もうすこし就床をはやめたい。

2021/5/3, Mon.

 いつもニーチェのことを思う。わたしたちは繊細さの欠如によって学問的となるのだ。――それとは反対に、わたしは劇的で繊細な学問をユートピア的に想像している。アリストテレス哲学の命題 [訳注271: ここでは、アリストテレスが、学問を「理論」「実践」「制作」の三つに分類したことをさしているのであろう。] をカーニバル的に転覆させることを目ざし、せめて一瞬でも、〈差異の学問しかないのだ〉とあえて言うような学問を。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、243; 「劇的になった学問(La science dramatisée)」)



  • 一一時四四分の離床。昨晩は夜ふかしして就床が五時だったので、あまりよろしくないが、滞在としては七時間以下になっている。瞑想はいったんサボり、水場に行って顔を洗い、うがいをしたりトイレに入って放尿したり。それから上階へ。天気は曇り気味だが、薄陽が漏れるときもあってよくわからない、移り変わりの頻繁な空。ジャージに着替え、洗面所で髪をとかし、フライパンで卵を焼いて米にのせた。大根の味噌汁も持ち手つきの小さな鍋にのこっていたのでそれもあたためて椀に入れる。そうして居間にうつり、卓について食事。例によって黄身をくずして醤油をかけ、米と混ぜて食べる。新聞はいったん各ページをさらってから一面を読む。「奔流デジタル」がつづいており、SNSが社会的言論にたいしておおきな影響力をふるっているとの話がなされていた。つまりTwitterなどが基準や原則や具体的な仕組みをあまり明確にしないまま投稿を削除できるようになっているので、民間の一企業が言論空間をある程度統制してにぎっていることになると。ドナルド・トランプの発言を削除したり、あとアカウントを凍結したのだったかどうだったかわすれたが、そのような対処をとれたということ自体、Twitterが大統領の発言の生殺与奪をにぎっていることの証左にほかならないと。このような状況はあまりよろしくないものだということは当のSNS運営企業側からもいわれており、三月に米下院公聴会で、FacebookのMark Zuckerbergは、こうした状態は健全なものとはいえない、みたいなことを述べて、政府がなんらかの法整備をすることをもとめたという。だから、規制される側がみずから規制をもとめるという異例の事態となったわけだ。
  • 一面にはあと憲法改正等についての世論調査の結果がのっていた。改正に賛成するひとは五六パーセントで、反対が四〇パーセント。前回は賛成がほぼ半数くらいで、差がひらいたと。コロナウイルス騒動で政府がより強力に対処できるようにしたほうがよいというかんがえがひろまってきたとか、あと、中国が尖閣付近にたびたびあらわれていることによる危機感が憲法改正への支持と機運をたかめている、みたいなことが書かれてあったが、そんなもんかな、という感じ。中国の尖閣進出にかんしては、脅威に感じているというひとと、多少は、という回答とあわせて九五パーセントが一定以上の脅威をおぼえている、ということだったが。安全保障関連法を評価するという声も以前よりおおくなったらしいのだが、この点はあまりよくわからない。成立以来それがじっさいに運用されためだった例なんてあまりなかった気がするし。たしか一度、なにかのときに適用例としてつたえられたおぼえがあるのだが、わすれてしまった。とおもっていま検索してみるとしかし、佐賀新聞の批判的な記事が出てきて(https://www.saga-s.co.jp/articles/-/652858(https://www.saga-s.co.jp/articles/-/652858))、「この間、集団的自衛権の行使につながる活動はなかったが、平時から自衛隊が米軍の艦艇などを守る「武器等防護」の活動は増え続けており、自衛隊と米軍の運用の一体化が常態化している」、「安保関連法はこのほかの分野でも自衛隊の活動を広げた。国連平和維持活動(PKO)で、襲われた他国の要員を助ける「駆け付け警護」なども新たな任務になり、実際の活動はなかったが、南スーダンPKOに派遣された陸上自衛隊部隊に発令された」、「特に増えているのが米軍の艦艇や航空機を守る活動だ。19年は14件、20年は25件に上った」とのことだ。南スーダンのことを完全に失念していた。たしか自衛隊のひとが書いたジュバ日誌みたいなものが出ていたはずで、それはちょっと読んでみたい。
  • 食器を洗い(このときには窓外がかなり灰色になってきていて、雨が来るのではないかとおもわれたのでもう(洗濯物を)入れるかと母親にきいたのだが、まだ出しておくという)、風呂場へ。浴室にはいる前、洗面所で屈伸をくりかえす。それから風呂洗い。すませるとポットに湯を足しておいていったん帰室。コンピューターに触れてNotionを用意し、急須と湯呑をもって上階へ。便所に行って排便してから茶をつくる。そのあいだに母親がスマートフォンでおくられてきた(……)ちゃんの動画をみており、みせてもらうと、スケートリンクにいるところで、補助員的な男性に手をつながれながら、髪を左右にふたつ分けで結った(……)ちゃんはよちよち歩きのペンギンみたいな感じでややふらついたりかたむいたりしながら小幅にあるいていてかわいらしく、そのまわりをロシア人の子どもらがスイスイすべってなかには身をしずめながらくるくる回転してみせる達者な女子もいる。茶を用意すると自室にかえり、昨日買ってきた東京會舘のクッキー詰め合わせ(「プティガトー TK-6」)をつまみながら一服しつつ過去の日記を読んだ。
  • 日記の読み返し。二〇二〇年五月三日。この日は六時間弱、文を綴ったとあって、こいつすげえなとおもった。夜歩きに出ている。「進む裏通りには散り伏した落葉の量が増えていたような気がする。歩きながら一瞬、ホトトギスの音[ね]が耳に触れたようにも思ったが、これは多分空耳で、一軒のなかから漏れてきた何かの音がそんな風に響いたようだった。それをきっかけにしかし、そう言えばそろそろホトトギスが鳴き出す頃合いではないか、初音の時候でないか、去年だか一昨年だか、と言うか毎年のことかもしれないが、夜も深まった午前三時くらいに声を張っているのをよく聞いたものだ、と思い出す」とあるが、今年もまだホトトギスを耳にしていない。ほか、安西徹雄について。

一一時頃まで日記に働いたあと、さすがに身体が凝[こご]ったので臥所に移ってシェイクスピアを読む。福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)から「あらし」をいくらか読み進めたのち、安西徹雄訳『十二夜』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)のメモを最後まで取り、同じ訳者の『ヴェニスの商人』も速めに読み返しておおかた記録を終わらせる。それであらためて感じたのだけれど、安西徹雄の訳はやはりかなり素晴らしいのではないか。隅々まで気が配られてうまく整っているように感じ受けられ、言葉が充実して生気のようなものに満たされている感触を得る。通り一遍でなくてよく考え抜かれているように思われるわけだ。例えば大抵の小説作品のように、単にその作家としての、あるいはその作品としての一つの文体が確立され成型されているというのではなくて、戯曲であるからには人物の台詞でもってことが進むわけだから、それら多様な登場人物ごとの語り口をそれぞれ巧みに訳し分け、いかにも典型的な言い方をすれば彼らにおのおの魂を吹きこまなければならないはずだけれど、そうした困難であるに違いない目標に手が届いていて見事に成功しているような印象である。つまり、いくつもの文体もしくは文調がそれぞれのスタイルにおいてどれも高度な水準に仕上げられ、それらがまさしく作品世界を構成する〈声〉のネットワークとして共存し、協調し合い、共鳴している、そんな手触りがあるということだ。少なくとも文としての日本語の組み立てにおいて、優れた翻訳家だとこちらは思う。『十二夜』の「訳者あとがき」には、次のような彼の持論が記されている。

 戯曲の翻訳は、ただ単に、字義的な意味[﹅2]を伝えるのが目的ではない。生きたせりふのいき[﹅2]、その躍動感を、できる限り直に、役者や観客、あるいは読者の方々に追体験していただくことにある。
 大体せりふというものは、あくまでもある特定の人物が、ある特定の情況のもとで、誰か特定の相手にむかって、何か特定の情念や思念を、具体的に訴えかけ、働きかけるものである。つまり、何かの行動にともなって発せられる言葉というよりも、むしろ端的に、言葉そのものが行動であり、身振りなのだ。
 したがって、せりふを訳すということは、ただ単に意味[﹅2]を伝えることではなくて、この身振りとしての言葉の生動――全人格的な運動の言語的な発動、その息遣い、弾み、ほとんど筋肉的な律動を、できる限り生き生きと喚起・再現するものでなくてはならない。
 (……二段落省略……)
 つまり、例えばオーシーノとフェステ、あるいはマルヴォリオやサー・トービー、サー・アンドルーでは、そのせりふはそれぞれ独得の、固有のスタイルを持っていなければならないし、他方また、同じ一人の人物であっても、個々の情況に応じて、ある時は重々しく、ある時には軽々しく、またある時は皮肉に、ないしはまたトゲトゲしく挑戦的になるかと思えば、まったくストレートに、感情を吐露する叫びの形を取ることもあるだろう。
 (241~242)

ここで語られていることが『ヴェニスの商人』及び『十二夜』で、とりわけ後者においては、かなりの水準で実現されているように思われる。『十二夜』は「九本の喜劇を連作した時代」(226)の締めくくりとなる一作で、「まさしくこれら喜劇群の総決算」(同)として位置づけられているらしいのだが、多分シェイクスピア自身の台詞を作る筆致も言わば脂が豊かに乗って冴えていた、そういうときの作品なのではないか。それに加えて安西徹雄の綿密な翻訳能力がすばらしい調和を見せたと、そういうことではないかと想像するのだけれど、この優れた翻訳者もしかし、二〇〇八年に既に亡くなっている。もっと多くの作品を訳してもらいたかったと切に思うが、とは言えシェイクスピアではほかに、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『マクベス』、『ハムレットQ1』が光文社古典新訳文庫に入っているようなので、これらはいずれ読んでみるつもりだ。

浅田 この作品の中に出てくる京都学派について、予備知識を持たない聴衆の方々のためにきわめて基本的なことを言うと、ふたつ大きな問題があると思います。ひとつは、特に西田幾多郎に言えることですが、ロジカルというよりはレトリカルだということ。もうひとつは総じて非常に図式的だということです。
 前者に関しては、鈴木大拙と比較してみればいい。彼は西田と同世代で親しい関係にありましたが、禅をはじめとする仏教について英語で書き、ジョン・ケージや抽象表現主義者といったモダニストたちにも大きな影響を与えた。大拙がかなりロジカルに書いていて、わかりやすかったからでしょう。しかし西田は、それより真面目だったというか、座禅などの体験において体で感じ取るべきこと、言葉で言えないことを言葉で言おうとしているので、非常に無理のあるレトリックを反復していくことになるんですね。だからロジカルに理解することがとても難しい。西田に比べて田邊元はロジカルだとは思いますが。
 後者は京都学派一般に関して言えることで、特に西洋に対する東洋という形で非常に図式的な議論を組み立てるきらいがあるということです。例えば西洋思想では全体論と要素論、全体主義個人主義が対立しているが、東洋思想は全体でも要素でもない「関係のネットワーク」に重点を置くものであって、その東洋的関係主義によって西洋の二項対立は超えられる、というわけですね。「人の間」と書いて「人間」というように、人間は全体の一部でもなくバラバラの主体でもなく、関係のひとつの結節点である、と。西洋では全体主義個人主義の二項対立がある。全体主義の中でもスターリン共産主義ムッソリーニヒトラーファシズムが対立しており、それらに対して英米の自由資本主義が対立している。そうした対立を、関係主義、あるいは京都学派左派だった三木清の言う協同主義で乗り越えられる、と。要するに、東洋の知恵によって西洋の二項対立を全部乗り越えられる、それこそが西洋近代の超克だ、というわけです。しかし、それは図式的な言語ゲームの上での超克であって、現実的に関係主義とはいかなるものか、協同主義はどういう制度なのかというと、よくわからないんですね。
 ついでに言うと、西田も1938年から京都大学で行った講義『日本文化の問題』でそういうことを言っているんですが、41年のはじめごろ、真珠湾攻撃より前に、天皇を前にした「御講書始」において、いま言ったようなことを生物学のメタファーで話しています。生物学者でいらっしゃる陛下はよくご存じのことと思いますが、森というのは全体でひとつというのでもないし、バラバラの動植物の総和でもない、エコロジカルな関係のネットワークなのであります、といった感じですね。だから社会もそうでなくてはいけない。アジアに関しても、西洋に代わって日本が全体を帝国主義的に支配するのではなく、トランスナショナルかつエコロジカルなネットワークとしての大東亜共栄圏を築くべきだ。日本はその先導役を務めるべきだけれども、西洋の植民地主義帝国主義に取って代わる新しいヘゲモンになってはいけない、と。京都学派の主張は総じてこうしたもので、耳障りはいいのですが、それが日本の植民地主義帝国主義を美化するイデオロギーでしかなかったのは明らかでしょう。京都学派は海軍に近く、陸軍のあからさまな全体主義帝国主義に対して最低限のリベラリズムを守ろうとしたのだ――そういう見方はある程度は正しいものの、大きく見れば海軍も陸軍と同罪であり、京都学派も同様だと言わざるを得ません。
 ひとことだけ付け加えると、西田が禅の体験などについて言っていることは、東洋武術の人がよく言うことに似ています。西洋では、筋肉の鎧をまとい、さらに鉄の鎧をまとった剛直な主体がぶつかり合って闘争が起こり、その結果、次のものが出てくる。これが西洋の弁証法だ。東洋は違う。水のように自在な存在として、相手の攻撃を柔らかく受け止め、相手の力をひゅっとひねることで相手が勝手に倒れるように仕向ける、と。西田の好んだ表現で言えば「己を空しうして他を包む」というわけです。ブルース・リーと同じことで、「水のようであれ(Be formless, shapeless, like water)」という彼の言葉を香港の民主化運動家たちが運動の指針としているのは面白いことではあります。ただ、西田は『日本文化の問題』の中で、それを天皇制と結びつけるんですね。西洋には「私は在りて在るもの(存在の中の存在)だ」という神がおり、神から王権を与えられて「朕は国家なり(国家、それは私だ)」という絶対君主がいる。それが近代では大統領などになり、そういうものを頂く国家が、上から植民地主義帝国主義で世界を支配しようとするわけです。しかし、東洋は違う。そもそも、日本の天皇は「朕は国家なり」とは絶対に言わない。むしろ、皇室とは究極の「無の場所」であって、だからこそすべてを柔らかく包摂し、トランスナショナルかつエコロジカルな大東亜共栄圏の中心ならざる中心になりうる、というわけです。美しいレトリックではある。しかし、「無の場所」としての皇室がアジア全体を柔らかく包むと言われて、アジア人が納得するとは僕には思えませんが。

     *

ホー 田邊は天皇が「絶対無」の象徴になるべきだと言っています。この考えはレトリカルにも美学的にも興味深い。でも、浅田さんが最初に言及された鈴木大拙に少し戻りたいと思います。私が鈴木のことを知ったのは、ジョン・ケージについていろいろと読んでいたときです。「カリフォルニア的禅」とでも言いますか、そういうものに対する鈴木の影響について知りました。でもそれより前の鈴木の著作を読んで、強い違和感を持ったと言わざるを得ません。戦後、鈴木は西洋で平和主義者として知られていたと思いますが、たしか1896年、日清戦争直後に、彼は中国との戦争は宗教的行為であると言っているんです。ですから、それ以降に大きな変化があったものと思われます。
 他の京都学派の人々が言っていること、例えば『中央公論』に掲載された座談会などを読むと、彼らは戦争に反対していたと言えることは言えます。ただ、彼らが反対していたのはアメリカとの戦争だけであって、アジア諸国との戦争に反対していたわけではないようです。まるで、アジア諸国との間で起こっていたことは戦争と見なすことさえできないかのようで、浅田さんがおっしゃった大東亜共栄圏の理念の下に、日本がアジアに対して発揮するべき道徳的リーダーシップとして、ほとんど正当とされているのです。
 浅田さんが指摘された非一貫性は西田の思考システムにも散見されます。でも私は、これらの非一貫性は西田の思考さえ超えて、もっと深く広く蔓延していると思っています。西田そのものを時代の徴候のひとつと見ているんです。例えば禅と武士文化の緊密な関係ですが、浅田さんが語られた禅の柔らかさや液体的な性質の中にも、武士の刀のような硬さが同時にあると思う。私が京都学派に興味を持ったのも、まさにそうした非一貫性や矛盾においてでした。そしてこれは、日本の汎アジア主義における矛盾とどこか通じていると思います。ユートピア的な次元で起こったこの動きが、私には非常に間違ったものに見えてきたし、アジア諸国の多くの人々にもそう見えたでしょう。私にとって、こうした矛盾こそがアポリアであり、先ほど話に出た「深淵」なのです。
 もう少し続けると、こうした非一貫性は汎アジア主義の概念それ自体にも見られると思います。真に汎アジア的であるためには、アジア諸国間の国境を何らかの形で解消しなければならない。しかし、20世紀初頭の日本における汎アジア主義的言説は、それが同時にきわめてナショナリスティックな運動だったことを示しています。そういう意味で、20世紀初頭の日本には、歴史に関する非常に興味深く豊かな鉱脈が見られます。当時、アジア各地のナショナリスティックで反植民地主義的な多くの指導者たちが、日本の右翼的で汎アジア的な組織とつながりを持っていたのです。それにはヴェトナムのナショナリスト、インドのナショナリスト、あるいは中国の孫文のような人も含まれます。人が同時に汎アジア主義者かつナショナリストであることができるという、興味深い矛盾がそこにはあります。
 やがて私はこの矛盾を、先ほど浅田さんが言及された、「空」や「虚無」の概念に内在する非一貫性、そしてそれを明確に述べることの難しさに結びつけて考えるようになりました。こうして「虚無」はとても柔軟な概念となり、容易に形を変えながら、さまざまな政治的目的に利用することができるようになる。例えばこのようなことを西田と彼の遺産について考えているんです。でも同時に、こういう批判的なことを一通り言った上でですが、私は西田の最初の著作『善の研究』を読んでずいぶんエモーショナルに感動してもいるんです。この本の難解さは悪名高いですけれども、それでも、簡単に言ってしまえば、西洋とどう向き合うか、東洋・西洋とは何を意味するのかという苦悩、そして歴史のこの段階における思考の新しい基礎をつくろうという野心を読み取ることができます。この野心そのものは感動的で、このようなものは現在そう簡単には見つけられないと思います。

     *

浅田 あともうひとり、《旅館アポリア》にいたら面白いと思うのは、谷崎潤一郎です。『中央公論』の1943年1月号には京都学派の3回の座談会の最後である「總力戰の哲學」が掲載されており、3月号には「總力戰と思想戰」という高山岩男のエッセイが載っています。この1月号はなかなかのもので、新連載として島崎藤村の『東方の門』と谷崎潤一郎の『細雪』も載っている。表紙の左に「總力戰の哲學」、右に『東方の門』『細雪』のタイトルが並んでいるんですが、いま見れば圧倒的に『細雪』の勝利でしょう。藤村は8月に亡くなるので、『東方の門』は連載が始まってすぐに中断され、未完の作品となります。他方、谷崎の『細雪』は、哲学者や歴史家が「總力戰の哲學」を熱く論じている傍らで、大阪の商家の4人の姉妹が、「新しい帯がきゅきゅっと鳴るのは嫌だ」とか言って騒ぐとか、どうでもいいような日常生活のディテールを延々と書いている。すごいですよ。これがすごいということは権力もよくわかっていて圧力をかけたらしく、早くも6月号には連載中断の「お斷り」というのが出る。「引きつづき本誌に連載豫定でありました谷崎潤一郎氏の長篇小説『細雪』は、決戦段階たる現下の諸要請よりみて、或ひは好ましからざる影響あるやを省み、この點遺憾に堪へず、ここに自肅的立場から今後の掲載を中止いたしました」と。現在の表現の自由の問題と絡めてみると面白くて、ここから進歩しているのかどうかわかりませんけど(笑)、谷崎は戦争中もひそかに『細雪』を書き続け、「總力戰の哲學」が忘れ去られたいまも読み継がれる大作を完成させるわけです。そういう意味で、《旅館アポリア》のどこかの部屋で谷崎がひとり机に向かっていてもいいのではないかと思いますね。

ホー 実際、私がこの旅館に招待したいと最初に思った「お客様」のひとりが谷崎でした。最終的に、彼はゲスト出演のような形で作品中に存在することになりました。《旅館アポリア》の大きな送風機がある部屋で、谷崎の『陰翳礼讃』に言及しています。彼は伝統的な日本家屋における床の間について書いていて、電灯は床の間の闇を損なってしまうと言っています。谷崎にとって、床の間は常に薄暗くなくてはならない。「虚無」や「空」は直視してはいけないものだからです。電灯を使うと、床の間の空無があまりに明らかになってしまう。私たちは「無」をあまりに明らかに見てしまってはいけないのだと。私はこれが、「絶対無」という概念を基盤に思考を組み立てた京都学派に対する、ありうる最も賢明な注釈のひとつだと思っていました。絶対無は、それをちょっと薄暗がりや影で覆ってあげたほうが良いものになると言えるのかもしれません。

  • そのあとコンピューターをデスクにうつし、『Solo Monk』をながして「英語」を音読。71から100ちょうどまで。読みながら手首や指を伸ばしたり、ダンベルをもって腕をあたためたりする。それで二時くらいだったか? 二時八分から瞑想をはじめたのだ。ヘッドフォンをつけてBrad Mehldau『Live In Tokyo』をながしながらすわった。"Intro"、"50 Ways To Leave Your Lover"、"My Heart Stood Still"が終わるまで。Mehldauはよくいわれることだが左手でも旋律をおりおりつくるスタイルの人間で、やはりこういう音のながれはほかではそんなにきかないような気がする。Mehldau以降の人間はけっこうとりいれているひともおおいのだろうが。Fabian Almazanとかもやっていたような気がするし。右手でながれていたとおもったらいきなりふっとそのつらなりが消えるというか、けっこう下に落ちていて、その飛躍、そこに生まれる段差というのはあまりきかないような気がされて、ここでこううつるんだなあとはっとさせられる。単純な話、旋律感覚の音域がやたらひろいようにおもうのだが、ピアニストはわりとみんなそうなのだろうか? 前にもかいたけれどMehldauのそういうスタイルは右手と左手を対話させているような感じで、ひとりなのだけれどひとりのなかに仮想的にふたつの主体が発生してそのあいだがわりと平等な様子で、平等といっても全篇そうやっているわけではないから曲中の一部なのだけれど、そうやっているときはたがいがたがいのいうことをきいてはまたかえしている。どちらの曲だったかわすれたけれど、右手がバッキングとしてコードを打って左手が低音で強調的にややリフっぽいというか硬めの蛇みたいな動きでメロディをやるところもあったし。そのときはもちろん、通常の階層関係が逆転しているということになる。ところで"My Heart Stood Still"ははじめから終わりまでだいたいずっと、小節の頭がどこなのかあまり自信をもってとらえられないのだが。わかるような気もするのだが、それにもとづいてきいているとうまくはまらないところが出てきたりもして、よくわからなくなる。終始かなりこまかくシンコペーションをふんだんにもりこみながら、いってみればモザイク状に弾いているので。
  • そのあと、書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。「ドイツの人びと」を終えて、「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」に入った。「ドイツの人びと」の最後のほうではゴットフリート・ケラーの手紙が出てきて、ケラーは手紙魔だったというからやや気になる。ヴァルザーが好きな作家でもあったし。ゼーバルトがヴァルザーについてのエッセイもふくんだ『鄙の宿』でたしかケラーもとりあげていて、そのなかでケラーは恋慕した女性の名前を無数にかきつらねることで絵を描いていた、という情報があったおぼえがある。あとニーチェの友人だったフランツ・オーヴァーベックというひとが『ツァラトゥストラ』を書いているころの、すなわち一八八三年の精神を病んでいるニーチェにおくった手紙もあって、ニーチェは一八四四年生まれで一九〇〇年に死んでいるのだけれど、一八七〇年からバーゼル大学の古典文献学の教授をつとめており、だから二六歳で教授になっているわけでたいがい意味がわからないのだけれど、このオーヴァーベックというひともおなじ一八七〇年に三三歳でやはりバーゼル大学の教授になっていて、こちらもこちらで意味がわからない。このころの連中はどうなっているんだ? オーヴァーベックのほうはキリスト教神学の学者だった様子。
  • 「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」というのは一八九二年生まれのベンヤミンがその幼少期の記憶をもとにベルリンという大都市の像をえがくみたいな文章で、これはなかなかすばらしいような気がする。まだ最初のすこししか読んでいないのだが。タイトルのついた断章形式で、文体とか断章のながさとかそこで提示される情報の種類とかはだいぶことなるものの、『ロラン・バルト自身によるロラン・バルト』をおもいおこさせるような感じがないでもない。「序」に記されている、「(……)経験の深みのなかよりも、むしろ経験の連続性のなかにくっきりと姿を現わすものである伝記的な相貌は、以下の想起の試みにおいては、著しく後退することになった。(……)これに対して私は、大都市の経験が市民 [ブルジョワ] 階級のあるひとりの子供の姿をとりつつ沈殿している、そのようなイメージ [﹅4] こそを捉えようと努めた」(470)という言葉は、バルトの本の、「ここにあるいっさいは、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである」という文言とてらしあわせてかんがえることもできるだろう。ベンヤミンも、ヴァルター・ベンヤミンという実存的個人ではなく、それをはなれてそれよりもひろがりをもつ「あるひとりの子供の姿」を、ある種フィクショナルにえがきだそうとしたのだろうから。だからそれを、バルト的に言えば、小説ではなくて「小説的(ロマネスク)」なこころみとみなしてもたぶんそこまでまちがいではないとおもうし、どちらの作品もそのように、屈折した、間接的なみちゆきをとった自伝的企図ととらえられるはず。ただ、ベンヤミンの場合はあくまでそこで書きたい対象とされているのは、「あるひとりの子供の姿」自体ではなく、つまり人物ではなく、都市であり、ベルリンという「大都市の経験」が匿名的な一個体を通過することで構成され照射されてたちあらわれるものとしての、都市の「イメージ」である。
  • 四時前まで読んで今日のことをここまで記述するといまは四時四七分。
  • この日はあとめだったことはおぼえていないのだが、日記はそこそこ書いたよう。風呂でたわし健康法をひさしぶりにきちんとやった。要するにたわしでからだをこするだけで、やっぱりとにかく下半身をととのえるのがからだには大事だからとおもって、脚をこすって肉をやわらかくしようとひさしぶりにやったのだが、はじめると脚だけでなくてほかの場所にも手がのびて、結局背なかとかもだいぶ念入りにこすった。そうするとやはりからだはすっきりして、とどこおりがあまりなくなる。またなるべく、脚だけでもこする習慣にしたほうがよいだろう。ほか、ギターも弾いたはず。いつもの似非ブルース以外に、"いかれたBABY"の進行でひたすらアルペジオをくりかえした。二〇分くらいずっとやっていたのではないか。この翌日も似たようなことをやったが、それは四日の記事に。深夜、下の記事以外に、HumanRightsNow「【お知らせ】国連人権理事会の特別報告者から日本政府に向けて発出された入管法改正案に関する懸念表明と対話を求める共同声明の和訳を発表いたしました。」(2021/4/6)(https://hrn.or.jp/activity/19726/(https://hrn.or.jp/activity/19726/))を途中まで読んだ。下のyahooニュースの記事に、OHCHRのホームページにこの特別報告者らによる日本政府への共同書簡が公開されたとあったので、それを読んでおこうとおもってOHCHRのページをいろいろ検索したのだが、該当の文書にぜんぜんたどりつけず、あきらめて日本語でネット検索すると上のページが出てきたのだった。仮訳以外に原文のPDFもあったので目的を達成できたが、ただ、国連の文書だからなのか、コピペができないようになっている。本当は気になったところを写しておきたかったのだが、それをするには手作業でカタカタ打つしかなく、時間がかかるのでこの日は断念。

 (……)一昨年、長期収容中であったナイジェリア人男性がハンガーストライキ中に餓死した事件を受け、法務省/入管は、入管法の「改正」案をまとめ今国会に提出。だが、その法案が、

フェリペ・ゴンサレス・モラレス氏(移住者の人権に関する特別報告者)
アフメド・シャヒード氏(宗教または信条の自由に関する特別報告者)
ニルス・メルツァー氏(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する特別報告者)

の3人と国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会から、「国際法違反」であると厳しく批判されたのだ。(……)

     *

 今回、国連特別報告者らと国連WGから指摘された入管法「改正」案の問題点は要約すると、主に以下のようなものだ。

・そもそも出入国管理における収容は「最後の手段」としてのみ行われるべきで、在留資格を得られていない外国人の収容を原則として行う入管法「改正」案は、個人の身体の自由について定めた国際人権規約自由権規約)9条4項に反する。入管法「改正」案で新設する、収容施設外での生活を許可する「監理措置」も例外的なものであり、条件が厳しくその利用が事実上難しい。

・収容の際に入管のみが権限を持っており、国際的な人権基準を満たしていない。収容の合法性について遅滞なく裁判所が判断し、被収容者が救済措置を受けられることが保証されてないことは、自由権規約9条4項に反する。

入管法「改正」案では収容期間の上限が定められておらず、無期限収容は拷問及び虐待にも当たりうる。

入管法「改正」で、難民認定申請者の強制送還を一部可能とする例外規定を設けることは、送還後にその個人の生命や自由に重大リスクを生じさせ得る。難民条約33条で禁止されていること。自由権規約7条(何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない)、拷問禁止条約3条(その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない)等にも違反の恐れ。

 また、国連特別報告者らと国連WGの共同書簡は、出入国管理において「子どもの最善の利益」から、子どもとその家族の収容を行わないことを法律で明記すべきだとしている。

     *

 

 日本の入管行政に対しては、昨年9月にも恣意的拘禁作業部会が「国際人権規約に反する」「難民認定申請者に対する差別が常態化している」等、極めて厳しい意見書をまとめ、改善を要請している。(……)

2021/5/2, Sun.

 彼は暴力には寛容になれなかった。この気持ちはたえず明らかになったが、自分でも不可解なままだった。とはいえ、この不寛容の理由は、つぎの側面に見出せるにちがいないと感じていた。すなわち、暴力はつねに〈舞台〉でおこなわれる、ということである。さまざまな行為のなかでもっとも他動詞的なもの(排除する、殺す、傷つける、打ち負かす、など)は、もっとも演劇的なものでもあったのだ。ようするに、彼がずっと抵抗している、意味にかんする醜聞のようなものだったのである(意味とはもともと行為に対立しているのではないだろうか)。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、241; 「けんか(La scène)」)



  • 一一時二二分に離床。この日は二時から(……)と会うことになっていたので、本当はもうすこしはやく起きたかったのだが。二時に(……)だと具合のよい電車がなかったので、のちほどメールをおくって二時半集合にしてもらった。出発までのことはとくにおぼえていない。いつもどおりのルーティンをこなせばそれでもう一二時半ごろにはいたっていたはずで、だからあまりなにをやる時間もなかっただろうし、なにをやったかもおぼえていない。外出にむけて多少、体操とかストレッチとかをやった気がする。服装は薄手で色の淡いストライプのシャツに、いつものブルーグレーのズボン、そして濃紺のジャケット。気温がけっこう高いようだったのでジャケットを着ると暑いかなという気もしたが、モノレール下をあるくような話だったし、かえりはすずしいだろうとおもって。ブルーグレーのズボンがたぶんいまあるなかで一番体型にちかいボトムスで、以前はぴったりという感じだったのだが、ここ一年かそこらでなぜか痩せたので、いまはこれでも腹回りにかなり余裕が生まれてしまっている。あたらしい服もほしいが、入手しても着ていく機会がない。
  • 一時二五分ごろに余裕をもって出発。最初はリュックサックをもっていこうとおもったのだが、自室の外の廊下の鏡にうつしてみるとジャケットにリュックサックだとやはりなんかなあとおもわれたので、手持ちの鞄に変更。天気は不安定で、くもっていたかとおもいきや陽が射してきたり、一時は雨がすばやく散ったり、という感じだったが、面倒なので傘はもたなかった。道を西へ行き、公営住宅前に出ると陽射しがひろがって、正面からやってくるまぶしさのなかにつつまれ、当然だが身に触れる空気も暑くて汗ばむ。家を出てすぐのところから前方を老人がひとりあるいていたが、そのひとは十字路の先の小橋の途中でとまって路肩に寄って沢を見下ろすかなにかしていたようだ。こちらは折れて坂道へ。余裕があるのでゆっくりのぼっていく。また青紫色の小花が無数に散り伏していて、前に見たときよりも花片のかたちがあきらかに残っていたが、一定範囲にわたって本当に歩をすすめればかならず踏むほどたくさん散らばっているのにそのみなもとがわからないのは以前とおなじである。きょろきょろみあげるのだが、頭上のあかるい緑の木枝の先に紫の色がどこもまったくみとめられない。あれはなんの花なのか。それで例によっていま初夏に木に咲く紫色の花を検索してみたのだが、見たなかではライラックが一番ちかいような気がする。落ちた花びらはどれもしぼんだり丸まったり汚れたりしていたのでよくわからないが。あれがライラックすなわちリラだったのか? プルーストが『失われた時を求めて』のなかにリラについてもなんとか書いていなかったか? あの小説ではサンザシがいちばん特権的にあつかわれていたとおもうが。
  • のぼりきって最寄り駅へ。ホームにはけっこうひとがおおかった。階段を行くとこちらのうしろから、ハイキングに行ってきたらしい若いカップルもついてきて、降らなかったね、よかったね、などと話していた。ベンチもあいていないのでホームの先のほうへ。線路を越えて向かいの段の上に生えている梅の木をながめたり、線路に視線をおとしたり、なにをするでもなく待つ。電車がやってくると、なかはわりと混んでいた。緊急事態宣言下とはいえ、連休に入ったから山のほうに行ってきたひとがやはりおおいようだ。座れないし扉際もあいていないので、吊り革をつかんで目を閉じ揺られる。(……)につくと降りて乗り換え。一番前の車両へ。電車が来るとなかに、車椅子だったかベビーカーだったかよくみなかったが、降りるのがたいへんそうな乗り物をともなったひとがすわっているのが見えたので、邪魔にならないようにひとつ横の口にずれて乗る。乗るとすわって瞑目する。じきに発車。しばらく目をつぶっていたのだが、読書するかという気になり、もってきたベンヤミンをとりだしてひらく。しかしそうしてみると意外と眠い感覚があってあくびも出たので、やはりやすもうとおもってすぐにしまい、その後はまた瞑目のうちにやすらう。乗客はすくなかった。日曜日だったら普段はもっとおおいとおもうのだが、(……)で乗ってくるひとも三人くらいしかいなかったとおもうし、かなりスカスカだった。やはりみんなまじめに「自粛」しているのかもしれない。
  • (……)について降車。ちょっと背伸びをしてからあるきだし、階段をのぼって改札を出る。コンコースの人波もやはりすくなめで、余裕があるなという印象。壁画前の端のほうに行って、立ちつくして待つ。じきにそれらしい細長い人影を見分け、それがちかづいてくると(……)だと確認されたので待ち受け、ゆるいあいさつをかわす。さっそくあるきだしながら痩せた? ときくと、会ったひとだいたいみんなにいわれるという返答があったが、じっさい痩せたとおもう。ただでさえ相当に細かったのに、顔もからだもますます肉が減ったような印象。こちらよりも背が高いので、余計にそれが際立つ。体重はたぶん五〇キロないのではないか。脚などめちゃくちゃ細く見える。(……)の格好は、どんな模様だったかきちんと見なかったが、ドットだかストライプだか、ドットがあつまってストライプ風になっていたのか、こまかい模様の入った白っぽいシャツで、派手ではないが地味すぎるわけでもなく、チャラいところまではいかないがネアカな感じの人間が着ていそうな印象のもの。下はかなり色が褪せて古めかしいようになっている水色のジーンズで、靴は以前よく見たHysteric Glamourの真っ赤なやつではなく、大きめの、やや無骨といってもよいかもしれないくらいの白いスニーカーで、下端のほうに赤い色が小片としてアクセント的に入っていた。あとは片手に、たしか左手のほうだったとおもうが、ふたつくらい指輪をつけていた。中指と人差し指か、中指と薬指かのどちらかだったはず。
  • LUMINEは休業していた。地階の成城石井はやっているようだったが。モノレール下に行こうという話になっていたが、(……)はまだ飯を全然食っていないというので、ひとまずどこかで食べることに。天気はここでは雲がちで、電車に乗っているあいだ、(……)にとまったときなど、雨が降っていた時間もあった。(……)か(……)でも、扉がひらいたときに、陽に照らされて熱をもったアスファルトが雨に濡れたときに発するあの特有のにおいがつたわってきたので、目をひらかなくてもまだ降っているなとわかったのだ。ともかくどこか喫茶店でも行くかといいながらあるきだし、あっちか、あっちか、あっちのほうがすいてるんじゃないかと言って歩廊途中のエクセルシオールのほうに向かいはじめたところ、伊勢丹はどうもあいている様子で、レストランはこちら、というような掲示を(……)がみとめてかたむいたので、じゃあ伊勢丹に入るか、となった。レストランフロアなど一部だけ営業していたようだ。入り口をはいると店員がレストランに行きたい方はこちらへ、とエレベーターのほうにひとを誘導しており、エレベーター前にも客の動きを統御したり誘導したりする人員が二、三人いて、全員女性だったとおもうのだが、客の行きたい階を聞き取った彼女らのみちびきにしたがってひとびとはエレベーターに乗るのだ。もっともこのときは我々とあとひとりしかおらず、三人まとめて乗って高層階のレストランフロアへ。出たところにもひとり、ここは男性だったとおもうが誘導員がいた。伊勢丹はどこもだいたいわりと高いのだが、(……)は金をかせいでいるし問題ないだろうとおもってお前が食いたいもので良いというと、なんか軽いものがあるところがいいだろと、家で飯を食ってきたのでデザートか飲み物だけですますつもりだったこちらを慮った返答があり、とはいえどこでもデザートくらいはあるだろう。それでちょっとあるいた結果、あそこがひろめのレストランみたいなところだとこちらが指した「(……)」に入ることに。以前一度だけ、(……)くんと来たときに入ったのでおぼえているのだが。それで入店し、わりと恰幅のよい感じの男性にみちびかれて席へ。マスクを入れるための紙の小さな袋が提供され、(……)はすぐに外して入れていたが、こちらは一応まだつけておき、まあつけておいたって食べるときには外すわけだからどちらかが感染していたら普通におしまいだが、メニューを見るとデザートはけっこう売り切れていて、パフェが品切れだったのはたぶんフルーツの発注のあんばいがむずかしいということなのだろうか。コーヒーゼリーにアイスクリームがのった品にした。(……)は天麩羅つきの蕎麦。
  • コーヒーをちっとも飲みつけない人種だし味覚もとくにすぐれていないのでコーヒーの味もコーヒーゼリーのよしあしもわかるわけがないが、ほどよいほろ苦さでわりと品がよくてつつましい味だったような気がしないでもない。普通にうまかった。コーヒーゼリーめちゃくちゃひさしぶりに食ったわ、子どものときはよく食べてたけど、と口にしたが、じっさいコンビニとかスーパーで売っているだいたい三個セットの廉価なコーヒーゼリーを母親がよく買ってきていて、それは好きでよく食べていた。なつかしい。(……)は蕎麦を、ちょっと妙な食い方をしていたというか、すするのではなくて、たしか麺を口にふくむと箸を上下にこまかくいちいち運んですこしずつ口内にのぼらせていくような食い方をしていた記憶があり、たぶん汁が飛んでシャツが汚れるのをおそれたのではないか。あと、やつは天麩羅を残した。ナスとシシトウを残したのだが、たしか(……)は野菜をあまり食わない人種で、それで残したのだろう。この日だったか先日の電話のときだったかに、なにかの拍子に野菜食わないし、みたいな話になったときがあり、いや食えよ、野菜は食えよと笑った記憶がある。もったいないのでこちらがいただこうかなとおもったのだが、そのためには(……)がつかった汁をもちいねばならず、べつに他人が口をつけていようがこちらは気にしないのだが、現今の状況だとやはりちょっと気が引けるなというわけで、もったいないが残したままにすることに。まあ、くりかえしになるが、どちらかが感染していたらおなじ汁に口をつけなくとも、向かい合って話をしている時点でたぶんもう終わりなのだが。
  • 話のはじめに、なにはともあれ、おめでとうございますとあいさつをおくった。店長就任の件である。店は五月二〇日にオープンだという。(……)は(……)から一駅なので、電動自転車でも買ってチャリで通勤しようかなともちょっとかんがえているらしい。スタッフの顔ぶれなどはまだ全然知らないとのこと。電動自転車とか運動関連でいえば、年々やはりからだのおとろえを感じるようになってきている、という言があった。こちらはむしろ逆で、鬱状態に入っていた一年間をのぞけばここ数年は人生でもっとも体調の良い状態がつづいているし、いまはストレッチやマッサージや瞑想も習慣化されたからいままでになく安定している。(……)はいそがしいので、運動をする時間はやはりないと。せいぜい風呂上がりにストレッチをちょっとやるくらいだというので、これは話したひとみんなに言ってるんだけど、と笑いながら、例によって脹脛をとにかく揉めということをすすめておいた。仰向けになって片方の膝で片方の脹脛をぐりぐりやるのが楽で良い、俺は本を読むからそのあいだはずっとそうしていて、やっているとからだがとても楽になる、と。家でゴロゴロする時間はあるかときくと、めちゃくちゃあるし、なんだったら休日はだいたいベッドにいる、午後四時くらいまでいることすらある、いまはスマホがあればなんでも見られるからな、というので、そのついでにからだのメンテナンスをすればよいのだといっておいた。
  • こちらの仕事についても多少話したが、自分にとって目新しい情報ではないので、それをあらためて日記に記しておく気はおきない。この店にはあまり長居せず、(……)が飯を食い終わると喫茶店に行こうというのではやばやと席を立った。会計。こちらは一〇〇〇円を出す。(……)が二〇〇〇円を出して、釣りが四一〇円くらい、コーヒーゼリーはちょうど六〇〇円くらいだったのでその釣りをこちらがもらって精算はOK、それで店を去り、エレベーターまで行って下階にもどってビルを抜けた。喫茶店に行こうとはいったものの、ひとまず歩廊をとおってモノレール下の広場のほうへ。歩道橋に出たあたりでは陽射しが宙にとおっていてまぶしかった記憶がある。そう、歩道橋をわたって左に折れたところで光が正面になって、視界がまばゆく染まったはずだ。ところがそこからすこし行ってモノレール線路下広場におりかけたところで、なぜかとつぜん雨が散りはじめ、そこそこのいきおいだったのでひとまず階段をもどり歩廊にもうけられた屋根の下に避難した。モノレール線路に沿った広場は青々と濃い緑の葉をゆたかにかかえた樹々をならべながら視界のはるか奥までまっすぐつづいており、彼方にはむろん空がひかえていて、そこは青いし周囲の空気も暗くはないのだが、頭上はひろくかたちもあまりはっきりしない雲が大艦船のようにあらわれており、どうもその雲が雨を撒いているらしい。どうするか、喫茶店にいくか、それか傘を買ってくるか、と話しているあいだに雨は多少弱まったので、まあ降られたらしかたない、ちかくにコンビニもあるし、とりあえず行くかとまとまって、ふたたび地上におりたった。広場はそぞろあるきしているひとびとがけっこういる。昔と多少、景観の感じが変わったような気がしないでもないが、整備更新されたのだろうか? たしか卒業後になにかのときにあつまって、クソどうでもいいゲームをやったような記憶がある、と笑いながら話し、あと、卒業式のあとに(……)のキャンプ場に行ったが、そのときやった曲をここで練習したんだ、とも話したが、これはしかしこの序盤のことではなく、のちほどふたたび広場に出てあるきはじめたときのことだった。だがついでなのでここにもう記してしまうが、なんの曲かと問われたので、なんかたしかスピッツとかをやって、俺がギターで(……)とか(……)が歌い、あと(……)がもう一本弾いたんだよね、と言う。(……)は卒業式のあとのこのもよおしには参加していなかったらしく、俺はたしか(……)とどっか行ってたんだといった。(……)はたしかにいなかった気がするが、(……)はなんとなくいたような感じがないでもないのだが、たぶん気のせいなのだろう。ついでにおもいだして、そのとき(……)さんとなんかちょっといい雰囲気になったんだよね、と述べた。もうよくおぼえていないが、小屋から出て外気のなかで、ふたりでならんで柵だか石だかなんだったかに腰掛けて話した時間がたしかあって、そのとき空気がやや甘酸っぱいようなふうに色づいたおぼえがあるのだが。向こうは酔ってたから、と(……)にいう。こちらは優等生らしく法律を遵守して酒を飲まなかったのでむろん酔っていなかった。たしか好きな女子のタイプみたいなものをきかれて、なんとかこたえたら、じゃあわたしは? みたいなちいさなつぶやきがかえって、そのときちょうどだれかひとがきてうやむやになった、みたいな一幕だったような気がするのだが、あまりにもライトノベルとか青春漫画の一場面みたいな感じなので、本当にそんなことがあったのかあやしいようでもある。じっさいにあったとしても、(……)さん当人もそのことはおぼえていないだろう。話をあるきはじめてすぐのころにもどすと、広場の途中に「(……)」という店があるのは昔のままだが、その左隣にある店は認知していなかったし、はじめて見たような気がする。そしてその先に(……)なるものがあらわれて、こんなとこにこんなもんできてたのかよとおもい、そう口にもした。そこは美術館のみならず複合施設的なエリアになっているようで、そういえば(……)にあたらしいスペースができたときいていたがこれがそうかと言い合い、はいってみようとなった。階段そばにあるフロアマップ的細長い看板を見たところしかし、飯を食う店がおおいようで、服屋とかはなさそうだった。それでもエスカレーターをのぼってはいってみると、上は六本木とか恵比寿とかにあるようななんというのか、ビルにかこまれて都市的なひろいスペースの脇に店がいろいろあるみたいな感じで、べつに六本木とか恵比寿にかぎらずいまはどこでもモールとかこういうふうだろうし、そもそも六本木も恵比寿もほぼ行ったことがないのだけれど、この施設の回廊は植物が非常にふんだんに設置されととのえられており、まさしくあしらわれている、という感じでそこここに草木があつまっていて、だから都市的な平面の上に小庭園めいたレイヤーが一部かぶせられているような感じで、たしかこの施設全体の名前がグリーンなんとかだったはずなのでその名のとおり緑のおおさを売りにしているのだろう。(……)はしきりに、めっちゃいいじゃん、とつぶやいていた。おりおりに座れる屋根つきのスペースがあったり、屋根はついていないがやはりならんで座れる細長い座所があったり、あとちいさな池ももうけられていた。店は喫茶店的なもの、飯屋のたぐい、植物を売っているものといったところだが、なかに、「(……)」があるのを発見し、あ、あるじゃんといって店名を読み上げて、(……)に知らせた。吉祥寺にもある店でなかなかうまいと。そこから先はイベントスペースになっているらしく先ほどから女性ボーカルのキャッチーな音楽が聞こえてきており、ライブをやっているらしいなというわけで見にいってみようとすすむ。芝生のスペースを越えた先にホール風の建物があって、いくらか下り斜面になった客席の奥、建物の前で演奏がおこなわれており、コロナウイルス対策らしく柵がもうけられて客席から先には入れないようになっていて、その柵に沿ってひとびとがいくらかあつまって薄い横列をなしていた。そばの柵にはパフォーマーを知らせる紙が貼られてあって、(……)というひとが三時までで、そのあと(……)というひとが四時からやる予定になっていたが、現在三時半だったのでどちらなのかわからず、とはいえはやまるということもなさそうだからたぶん前者だろうと言い合い、あとで(……)が調べたところではやはりこのときやっていたのは(……)のほうだったようだ。編成がめずらしく、鍵盤にヴァイオリンにドラムの三人だった。ステージの両脇にはスタッフ控え場所みたいなスペースがあったのだけれど、そこはガラス張りでその向こうにいる人間の動きが見える。というか、よくかんがえたら、演奏の途中にスタッフが色々出入りしてなにか調整みたいなことをしていたので、このときやっていたのは(……)ではなく、四時からはじまる(……)の準備もしくはリハーサル的なやつだったのではないか? 不明。音楽はわりとキャッチーであかるいポップスという感じで、鍵盤のひとが弾きながら歌っていたはず。いくらも見ないうちにまた雨が降ってきたのでひとびとが続々と場をはなれていったし、我々も、避難しようといってもときたほうにもどり、屋根の下にはいった。
  • それでまあなんか喫茶店のたぐいにはいるかとなり、きた道をショップに沿ってひきかえすと、「(……)」という店が喫茶らしくやたら人気で、往路の際など何組かならんでいたくらいだったのだが、その隣の「(……)」という店に我々は入ることに。夜は飯屋らしいが、いまはカフェの時間だった。入ってアルコールを手にスプレーし、入り口そばに設置されている機械でもって体温をはかる。みずからの顔が映し出される四角い画面に顔の位置を合わせると自動で体温を知らせてくれる装置で、こちらは36.7度だった。あとで(……)が寒い寒いとしきりにいっていたので、シャツ一枚の軽装だからそれは普通に肌寒かっただろうが、さっきの体温何度だったときいてみたところ、35.9とかいっていたのでひくいな、と笑う。こちらも昔はそのくらいだったのだが、最近は36.5を越える平熱になっている。やはり昔はからだがととのっていなかったということなのだろう。こちらはその機械について、あんなのはじめて見たわともらすと、(……)は笑ったから普通によくあるもののようだが、最近はもう街に出ないからとこちらは山住まいの仙人みたいな言をつづけてほほえむ。
  • 入り口からすぐ右方の席にはいった。ジンジャーエール辛口一択。(……)は紅茶。こちらは入り口側のガラス壁を背にした位置取り。(……)はこちらの真向かいでなく、ひとつ横にずれてななめにあたる位置についた。こちらから見てすぐ右の壁にはマーク・ロスコの抽象画のパネルがかかっており、たしかNo. 6 - Violet, Green, Redみたいなタイトルだったはず。そのとおり、上からそれらの色の矩形平面を順番に、多少ひろさを変えながら塗っただけみたいな作品だった。検索してみるとまさしくそういうタイトルの絵で、英語版Wikipediaに記事もある。一九五一年作。〈In 2014, it became one of the most expensive paintings sold at auction.〉と書かれてあり、よりくわしくは、〈No.6 (Violet, Green and Red) is one of the works implicated in the infamous Bouvier Affair. It was privately bought for €140 million by Dmitry Rybolovlev in 2014.[2][3][4] Rybolovlev is thought to have bought the painting via the Swiss dealer, Bouvier. Rybolovlev learnt that Bouvier had actually bought the painting (rather than simply acting as a dealer) from Paiker H.B. for ~€80,000,000 before selling it on to Rybolovlev for €140,000,000.[5]〉とのこと。Bouvier Affairというのは、Yves Bouvierというスイスのアートディーラーが、客をだましてじっさいに入手したときの金額以上の金を請求していた、というような一連の事件らしい。一億四〇〇〇万ユーロとあるから、いまユーロは131円らしいので、日本円だと一八〇億円くらいということか。まあそういう感じのアート画像を装飾にもちいている店で、奥の壁にもいくらかあるようだったが遠くてよく見えず。雰囲気はわりとおちついた感じではあり、BGMもまあ洒落た感じのジャジーポップスみたいなものがながれていたとおもうが、一度、これ広瀬香美の"ロマンスの神様"をアレンジしたインストじゃね? とおもう旋律および進行の曲があって、あれはたぶんローズの音色だったとおもうのだが鍵盤が主になっていたけれど、本当に広瀬香美曲だったかはわからないしたぶんちがうだろう。ついでに時をもどって記しておくと、「(……)」のほうではChet Bakerの『Sings』にはいっている一曲がながれた時間があった。『Sings』にはいっている音源であったことはまちがいないが、たぶん話のほうに意識をとられたのだろう、なんの曲だったか確定的に認知できず。"I Fall In Love Too Easily"ではなかったかというおぼろげな感触がのこっているのだが、"I Fall In Love Too Easily"だったらまちがいなく同定できるだろうから、たぶんべつの曲だったのではないか。
  • あと、マーク・ロスコがかかっていたその壁の脇、(……)の真横にはわりと背の高い観葉植物があって、(……)はこれオジギソウかなとかいっていたがこちらにはわからない。それで飲み物をちびちび飲みつつ会話。最初のころではなくしばらく話してからだったが、連れ合いはどう、と漠然ときいたときがあった。どうとはとかえったので、前は家事をあまりやらないみたいなこといってたじゃん、と向けると、ああ、とあって、料理はめちゃくちゃうまくなった、という。いぜんは料理もレシピにしたがわず、調味料など目分量でてきとうにいれるかんじなので大雑把な味だったのだが、なにをきっかけとしたのだったかわすれたがあるときからレシピにきちんとそってやるようになり、味は格段によくなったと。ただ部屋の掃除はあいかわらずで、だせばだしっぱなし、ぬげばぬぎっぱなしが基本だと。向き不向きはあるのできちんとした掃除は俺がやろうとおもうが、ただ、できることは改善してもらいたい、ちょっとしたことだとおもうんだよね、そっちにいくならとおるついでに閉めとけばいいじゃん、それちょっとひろっておけばいいじゃん、っていう、と(……)は苦笑気味にもらした。気づいたときにすぐやっちゃうのがいちばんいいんだよね、とこちらは受ける。俺も最近はトイレで用を足したついでにちょっとだけ掃除するよ、俺はいまだに小便を立ってする人種だから((……)はもう完全に便器に座ってするスタイルになったらしい)、まあ本当は座ってやったほうがいいんだろうけど、なんか飛び散ってるっていうじゃん、見えないけど壁にさ、だから本当は座ってやったほうがいいんだけどまあ立ってるんだけど、そうすると便器がよごれるからそれはかならず拭くんだけど、そのときにほかの場所もちょっと拭いとくね、そうやってその都度すこしだけ余計にやっておけば、自然にきれいになるじゃん、っておもって、と話す。(……)としてはここで店長になるから、そろそろ結婚をかんがえているのだが、あいては結婚したあとは仕事をやめたいといっているらしい。連れ合いもおなじく不動産会社ではたらいており、企業はちがうものの店舗は(……)と(……)でまぢかだし、主な対象エリアもとうぜんかぶっていて、先日など客がかぶってすらいたという。家でも物件の話をよくするらしいが、そのあいての彼女は仕事をやめ、ペットを飼いたいといっていると。ペットとは犬のことらしい。それは(……)としてはあまり大手を振って賛同できないようだが、まあ、俺の仕事が軌道にのれば、やめてもらってもかまわない、ただそれであんまりなにもやらずにゴロゴロしてて、かえってきたら部屋が散らかったまま、みたいなのは最悪だから、そのあたりきちんと話さないといけないな、といっていた。(……)はどうも部屋内のことにかんしてはけっこう潔癖なほうのようだ。きちんときれいに片づいていないと落ち着かないのだろう。子どもはほしいといっているのかときくと、ほしいと明言されたことはないが、テレビ番組などをみて子どもができたら、というような話をすることがあるので、結婚すればつくるつもりでいるのだろうという。趣味はあるんだっけ? とたずねれば、それがないんだよなあ、とかえり、おそらくそのことも、仕事をやめたら無為にすごすのではないかという(……)の懸念をあとおししているのだろう。ただ、性格はおだやかなほうらしい。それでいて気の強い一面があるともいったが(そうでないと不動産の仕事などつとまらない、とのこと)、明確な趣味というほどのことはないものの、散歩がわりと好きなようで、(……)とともにぶらぶらあるくこともあるというので、それはいいなと受けて、それなら子どもの世話などは大丈夫じゃないかと述べる。そのとき性格はどうなのか、せっかちだったりすると、子どもにつきあえないじゃん、と話していたので。だから犬を飼えばその散歩が趣味になるのかな、と(……)はつぶやいていた。ただ動物をそだてるとか世話をするとかができるのかという点に一抹疑問もあるようで、というのは、いぜん鉢植えの植物を部屋に導入したことがあって、かんたんなものでふつうに種を植えて水をやっていればほぼ勝手にそだつようなもののはずだったのだが、ついぞ花が咲くまでにいたらなかったと。サボテンみたいな、もう最初からかたちをなしてるやつがいいんじゃないかとむけると、いまじっさいサボテンが部屋にあるが、それは世話をしてるのかどうかわからない、俺がたまに水をやっている、とのこと。(……)としては結婚の意志をかためながらもたぶん多少のためらいがのこっている雰囲気で、その点つくと、(……)はにやにやしながら、いやまあこないだちょっと火遊びっていうか、ともらすので、(……)はいぜんはわりとあそんでいてバレないように一日にふたりの女性といそいで会うようなこともあったので、まただれかと関係をもったということかとこちらは早合点して、おまえまだやってたの? と問うたのだが、そうではなく、同僚だか後輩だか、ひとりみのひとにつきあって「高級相席居酒屋」みたいな店にいって初対面の女性とたのしく話しただけだという。だからまあ、「火遊び」というほどのことではないのではないか。連れ合いには話していないらしいが。はじめて会う女の子と話すのはでもやっぱたのしいわ、という。まあそのくらいはいいんじゃない、そのあとべつの場所にいってないんなら、と述べると、やや食い気味に、いってないいってない、もういけないわ、というような返答があったので笑う。
  • 店内にはほかに若い男性ふたりの組とか、のちには複数のカップルとかがおり、われわれの左隣にはあとで高校生のカップルがあらわれて、剣道部らしかったのだが、男子のほうが去年の塾生だった(……)くんににていた気がしたものの、本人かどうか不明だしどちらでもよい。女子のほうはこちらの真横の席だったが顔を一度も見なかった。どうも女子のほうが先輩だったのではないかという印象がのこっているが、なにを根拠にそうおもったのかその情報はのこっていない。こちらは高校生のときはこんなそこそこ洒落たところでデートなどしたことはなかったし、デートのみならずそもそもこのような店に入ったこともなかった。彼らが去っていったあと、(……)は、いいなあ青春だなあみたいなことをもらしていた。ほか、一度、まだ入店して序盤のころに、スーツ姿の三人か四人の一団があらわれたのだが、それをつれてきたのが声のおおきくて威勢のよい感じの、恰幅もわりとよいほうの男性で、このひとがどうもこの店の店長だったような雰囲気で、だからたぶん「(……)」という名前なのだろうが、一団は店長の知り合いなのかなにかの顧客なのか、ともかくやや甲斐甲斐しいような調子で遇されていた。また一方、こちらからみてまっすぐ左の先、入り口をはいって左に折れたところにあるカウンター席にもひとり男性がいて、ずっとコンピューターを前にしてなにかカタカタ作業をしていたのだが、このひとも店長や店員の知り合いだったらしく、たびたび声をかけられており、なにかのサービスをするといわれたのだろうか、いや、いいですよ、悪いですよ、払いますよ、とか恐縮しているときがあった。われわれはそのなかでおりおり飲み物を口にはこびながらずっと雑談をつづけていただけなのだが、ほかには、高校の同級生についての話題があった。そこで(……)と最近通話することがあり、つい先日も話した、と明かすと、いぜんもきいたが、(……)が(彼は(……)なので)(……)への投票をたのむために電話をかけたとき、(……)は、すごく他人行儀なようすで、え、(……)さん? あ、はい……ええ、はい……そうですね……みたいな調子だったという。じっさい、先日(……)と電話したときにも、彼は(……)のことを「(……)さん」とさんづけで呼んでいたので、その点告げてこちらはけっこう笑ったのだが、たしか高校時代は(……)は彼に、「(……)」と下の名前でよばれていたはずである。え、(……)? だよね? 俺らもうちょい仲良かったとおもうんだけど、みたいな感想をいだかざるをえず、困惑した、というので、なんだろう、あれかな、やっぱ宗派上の問題かな、(……)勢力とは仲良くできないみたいな、とこちらは冗談をはいて笑いつつ、いやそんなことはねえだろうけど、とみずから否定してとりなしておいた。(……)は(……)さんとは呼ばれてない、ふつう? とくるので、俺はまあふつうだな、めっちゃ敬語ってわけでもないし(とはいえ、高校時代よりも(……)の口調は全体的に丁寧になった印象だが)、とかえす。たぶん「(……)さん」と呼ばれているとおもうが、これはさんづけとはいえ同級生らの一部がこちらを呼んでいた言い方であり、(……)もたしか当時からそう呼んでいたおぼえがあるから不思議ではない。どんなようすだった? と(……)は問うので、これこれこんなふうであると(……)のようすや生活を話すと、まあ元気ならいいや、みたいな言があって、(……)もおなじこといってたわ、元気にやってるならいいや、って、おまえも距離感がおなじになってんじゃん、他人じゃん、とこちらはまた笑う。
  • 高校時代の連中はいがいとFacebookで情報を発信している者がいるようで、誰が結婚した誰も結婚したと(……)は情報をよこしてくる。結婚した人間として名が挙がったのは、女子だと(……)と(……)と(……)さんと、あと(……)も結婚したといっていたか? 男子だと(……)。(……)が結婚したとは、という感じがないでもない。なぜかわからないが。べつに結婚しても不思議ではないのだが。Facebookに連れ合いとならんだ画像がのっており、「しかもあいてのひとがふつうに美人」、と(……)は評していたが、(……)自身はいくらか痩せたように見え、その点言及すると、まあやせるだろ、とかえるのは彼が役所((……))にいるからで、コロナウイルスの対応で心労はおおいだろう。(……)もすでに子があり、その子の写真もFacebookにあがっていて、それを(……)はめっちゃかわいい、といいつつ、いや元カノの子どもを俺がほめるのもなんか意味わからんけど、と自身つっこみながら見せてくれたが、たしかに目鼻立ちがしっかりしていて凛々しいような、きれいな子どもだった。ところで、(……)はたしかいぜん一度結婚したところがあまり幸福にはいかず離婚していたはずで、その点こちらが、(……)もよかったね、一度……といいかけたときが二回あったのだが、その二度とも(……)は、Facebookを見ながら、こちらの言にかぶせてほかのひとの情報にながれたのだけれど、べつにわざわざ(……)が意図的に(……)の話をガードしたとはおもえずただの偶然だとおもうのだが、元恋人(といっても高校時代とその後しばらくのことだが)ということもあってなにか無意識がはたらいているのか? とおもうようなタイミングだった。(……)は結婚したのだったかどうだかわすれたが、キャリアがすごくて優秀だと(……)は言及した。たしか中国に行っていたのではないかとおもったが、(……)がFacebookを見ていったところでは、大学卒業後は(……)にはいり、そのあと(……)にうつったとかで、そこで中国のほうにいっていていまは現地の、なんという役職だかわすれたがけっこう大したポジションについているらしい。彼女はこちらとおなじ大学だったが、在学中に会ったことはほぼない。学部がちがったからね、と(……)に告げる。たしか二度か三度、駅などでたまたま出くわしたことがあったはずだが、とくにながいやりとりをしたわけではない。(……)とはたしか入試当日も一緒に大学に行ったはずで、もうひとり、なぜだかわからないが「(……)」というあだ名で呼ばれていた(……)というクラスメイトの男子もともにいたはず。こちらはオープンキャンパスというものに興味がなかったので、入試当日まで大学には一度も足を踏み入れておらず、だから彼らにつれていってもらったようなものだ。たしかそのふたりがともにいて、午前の科目を終えて外に出てきたときに、どこかしらのベンチかなにかで昼飯も一緒に食ったような気がするのだが、詳細はなにもおぼえていない。(……)こと(……)くんは受かったのだったか落ちたのだったかわすれてしまった。落ちたのだったか? ところで大学入試のとき、こちらは最初の科目を受けている途中に気持ち悪くなって、なんとかやりすごして終えたあとつぎの科目では、気が入りすぎたんだなとおもって前かがみにしていた姿勢をやめて、ややあさく椅子に腰掛けつつ背を背もたれにつけて、ちょっとふんぞりかえるような偉そうな感じの体勢をとり、気持ちとしても、まあ受けてやるよ、というような不遜で偉そうな余裕綽々の心持ちをめざしたのだが、そうすると気持ち悪くならずにうまくいった。いまからかんがえるとしかし、あの時点ですでにパニック障害的な前兆があったのだなとおもう。あとからふりかえると、高校時代にも一度か二度、あったのだが。
  • あとの話でおぼえているのは(……)の職場の同僚のことくらいだが、これはなんだか面倒臭いのではぶく。ただ、もともと夜の街でやたらかせいでいたり、おもしろい経歴をもったひとがわりといるらしい。われわれが話していたのはけっこう思い出話とかがおおかったし、あいつも結婚したこいつも結婚した、マジか、みたいな調子で、(……)は俺らももう三一だ、ってかそろそろ三二だし、やべえな、あっというまに四〇になっちゃうな、などとおりおりもらしていたので、隣の高校生たちからすると、いかにもおっさん臭いようなことばかりを話しているときこえたのではないか。かといって完全におっさんになって結婚がめずらしくなくなっているわけでもない年代の、中途半端な歳上感というか。その高校生らがどんなことを話していたか、こちらは全然おぼえていないのだが。たぶんふつうに学校とか部活のことだったのだろうが。五時前、(……)がトイレに立ったあいだ、こちらはなにもせずぼけっと待っていたのだが、男性店員がちかづいてきて、五時でカフェタイムは終了になるので、飲み物を飲み終わってからでかまいませんので((……)の二杯目の紅茶がまだのこっていたのだ)会計をおねがいしますといってきたので了承し、五五〇円をもう出しておいて、(……)がもどってくるとそのことばをそのまま伝達して、金をわたして会計してくれとたのんだ。それで退店。雨はなくなっており、夕陽も多少ながれていたし、この先降りそうな気配もない。(……)は美容院に行くため五時半すぎの電車に乗るとのことだった。複合施設をあとにして、モノレール下の広場を端までそぞろあるく。そのときに卒業式後のキャンプ場の件などを話したのだ。風はたびたび走り、髪をかき乱すくらいけっこうつよく吹くこともあって軽装の(……)は寒かっただろうが、ジャケットをまとっているこちらにはすずしくて心地よい。広場端につくと車道をはさんで先にIKEAがある。そのあたりの日なたのなかで立ち止まって、しばらく立ちつくした。空はまだ雲があったとおもうが水色が増えており、彼方に陽の色もうつっていて、ちかくになんだかわからない白い骨組みだけのドームみたいな小オブジェがあって、そのあたりで幼子たちがわいわいたわむれており、IKEAのほうからかえってくるひとびともぞろぞろとつづき、われわれの目の前ではスケボーを練習している男がふたりいて、ひとりは若く、もうひとりはいくらか年嵩で、おそらく若いほうがおしえを受けているような雰囲気だったが、彼らがスケボーをガラガラ走らせているその前にはスケートボードは禁止との立ち看板があったのだけれど、ふたりはそれをまったく意に介さず堂々と行き来していたしそもそも監視の目があるわけでもない。そばの公衆トイレだけほかとくらべてやたら古めかしく映るのは、壁の大部分をツタのたぐいがめちゃくちゃに覆って占領しているためだ。(……)は、彼女がスケボーやりたいっていってんだよね、ともらした。できんのかな? 無理じゃね? というような調子だったが。打たれ強くなる、って友だちがいってたよ、と受けたが、これは(……)くんの言である。何度も何度も技をミスってときにはけがをするので、それでも負けねえぞという反骨精神がつくと。失敗したらふつうに骨折ったりするよね、と(……)。でもオリンピックの競技に、なるんだったかもうなったんだったか、なんかそんな話だよね、とこちら。
  • しばらく大気を浴びていたあと、そろそろもどるか、となって駅のほうにむけてあるきだした。広場の左側、つまりさきほどの複合施設とは反対側にも居酒屋とか飯屋とかがけっこう色々あって、このあたりはほぼ来たことがなかったので目新しい。風がおどるなかをあるいていき、俺は高島屋の本屋にいくからというわけで、歩廊にあがるまえ、ビルの一階側面口のところで礼を言い合いながらもあっさりとわかれた。去っていく後ろ姿をちょっと見送ってからビル内へ。この口からはいったのははじめてである。エスカレーターで六階へ。アルコールを手にスプレー。とりあえず目的のちくま文庫ギリシア悲劇集をもっておこうとおもって文庫のほうへ。書架にはいり、新着をざっとみると、講談社学術でたしかフィヒテについての本があったはず。たしかフィヒテだったとおもうのだが。ベンヤミンの本の註を読んだ記憶によれば、フィヒテベルリン大学ヘーゲルの前任だったとかで、学長もつとめていたとあったはず。そこをすぎて選書の棚のまえをとおりながらちょっと目をむける。選書にもなんかおもしろそうな思想のやつがあったはずだが、わすれた。たしか哲学史系のものというか、自然という観念が哲学の歴史のなかでどのようにあつかわれてきたかをたどる、みたいな本だった気がするのだが。けっこう厚かったような記憶。厚い選書でいうとカタリ派のやつがあって、あれもまえからちょっと気になっていてこのときも目を留めた。そのまま角までいって平凡社ライブラリー岩波現代文庫岩波文庫とチェックし、壁際をはなれて棚のあいだにはいって講談社文芸をみて(古井由吉の本がいくつか表紙をみせてピックアップされているほか、多和田葉子とか、三浦雅士が編纂したという石坂洋次郎とかいうひとの小説集があったが、これはいぜんから見かけている)、光文社古典新訳も瞥見したあとまた壁際のならびにもどって講談社学術。伊藤亜紗ヴァレリーのやつはちょっとほしい気はした。このひとは去年だかおととしくらいから名前をよくみかけるようになってきた印象だが、こちらがはじめて知ったのは平倉圭と対談していたどこかの記事だったはず。それから河出文庫の『フィネガンズ・ウェイク』をこのさいだからもう買っておこうとおもったのだが、Ⅰしかなかったので駄目だ。しかたがない。そうしてちくま学芸、ちくま文庫と推移。ギリシア悲劇集は、ソフォクレスの巻がなかった。ほかのものはいくつかあったのだが。しょうがねえとおもってとりあえず区画を出て、そのまま詩のほうへ。あまり目新しい印象はない。目にとまるのはだいたいいつもおなじ。堀江敏幸が編纂した宇佐見英治のやつとか。それでいえば絓秀実の、なんだったか『詩的舞台のモダニティ』みたいなタイトルの評論本をいつか読みたいとおもっていたのだが、なくなっていたようす。松浦寿輝の批評本もなにかあったはずだが、これも見当たらなかったとおもう。詩論のくくりのところに、たしか野沢協だか野崎協とかいうひとの全詩集があってちょっと気になりはした。実作のほうでは、いつも認知するのは、西脇順三郎とか松本圭二あたり。松本圭二著作集みたいなやつはとりあえず全部買っておこうとおもっているのだが、いつもすでにもっているのがなんだったかをわすれてしまって、購入にまでいたらない。いぜんもそれについて書いて、日記にいまもっているのはこの三冊だ、と記録しておいたおぼえがあるのだが、そうしておいてもわすれた。それから奥にむかっていき、壁際にずらりとならんでいる海外文学の棚。詩のところをまずみる。それから文学論のたぐい。ここに菅野昭正の本があり、まさか新著なのか? とおもったらそうで、出たばかりのもので、しかも過去の文章をあつめたものではなさそうだったので、もう九〇歳を越えているのにこれだけの新著出すとかやばいな、とおもった。小説作品とそれがもとになった映画を章ごとにとりあげて論じる、みたいなやつだったが、いま検索してみると、これは『すばる』に連載されていたシリーズの単行本化らしく、しかしこの連載がなされていたのが二〇一八年とかのようなので、その時点でも八八歳くらいなわけだからやはりすごい。その後、新着本を中心に見ていく。そんなに印象にのこるものはなかったはず。ただひとつ、『歌え、葬られぬものたちよ、歌え』みたいなタイトルのアメリカの小説があって、やたら格好良いタイトルだなとおもった。Sing, Unburied, Singという原題だったはず。黒人とか南部のことを題材にしたもののようだった。例によって検索するとジェスミン・ウォード/石川由美子訳で、作品社から出ている。いや、作品社という会社もおもしろそうな本をいろいろ出しているんだよな。装幀もどれもきれいだし。ここ一年くらいだと、たしかハイチかどこかの作家のものをふたつくらい出していたはず。このジェスミン・ウォードの小説はAmazonによれば全米図書賞を受賞したらしく、マーガレット・アトウッドが「胸が締めつけられる。ジェスミン・ウォードの最新作は、いまなお葬り去ることのできないアメリカの悪夢の心臓部を深くえぐる」といっており、ほか、「トニ・モリスンの『ビラヴド』を想起させる」とか、「まさしくフォークナーの領域だ」とかいう評言があるので、ある意味ではおそらく非常に正統的なアメリカ南部文学の後継者なのだろう。
  • それから思想のほうへ。書架の口の脇、棚の側面部には、『現代思想』とか、あとカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』などが置かれてあった。入るとあいかわらず一番最初にみすず書房の本がたくさんならんでいて、みてみるとラスキンのなんとかいうやつがあって読みたいなとおもったのだが、七〇〇〇円くらいしたのでとてもではないが買えない。ラスキンを読みたいのはプルーストの影響源だから。その横には、感情の哲学特集、みたいな区画がもうけられていた。なんとかいうそちらの方面の著作が発売された記念だという。ふりむいて新着も見ておき(フーコーの『性の歴史』の四巻目など)、なかのほうにすすんで主に各所の新着の、目の高さに表紙をみせておかれている本たちを中心に確認。フランツ・ファノンあたりの、まあいわゆるポストコロニアリズムということになるのだろうが、いわゆるポストコロニアリズムとかカルチュラル・スタディーズなるものは文学思想界隈だと評判がそんなによくなかったりもする印象があるのだが、それがなぜなのかはあまりよくは理解していないのだが、しかしそのあたりの、やはりできれば自伝的だったり伝記的だったり、要するに体験的なやつを読んでみたいなとおもっていて、だからフランツ・ファノンとかほしい気もしたのだけれどひとまず見送る。ただあと、この付近で、なんという題なのかわすれたのだが、たしか春陽堂ライブラリーとかいうシリーズの一冊があり、これが人種差別を広範にあつかったもので重要そうだったので買おうかなとおもっていたのだが結局わすれてしまった。ネットにたよるとこれは中村隆之『野蛮の言説』というやつだ。「3 植民地主義からホロコーストへ」という章があって、これは読まなければならないなとおもったのだった。この中村隆之というひとはカリブ海界隈をやっているらしく、エドゥアール・グリッサンについて書いているひとだ。『エドゥアール・グリッサン 〈全-世界〉のヴィジョン』というのは目に留めていた。あと、グリッサンの『フォークナー、ミシシッピ』と、『痕跡』も訳していて、どちらも当然目に留めていたし、『痕跡』は装幀がクールで格好良かったおぼえがある。あと、フランソワーズ・ヴェルジェス『ニグロとして生きる エメ・セゼールとの対話』というのも、このとき書架に見かけて買おうかなとちょっとおもったやつだ。
  • ほか、あまり哲学関連で印象にのこっているものはない。そんなにきちんと見なかったし。目的の品がなかったので、(……)のほうにも行ってみるかとおもって退出へ。一方で、(……)の(……)にひさしぶりにいって散財しようかなという意欲も湧いていたのだが、ひとまず(……)に向かうことにした。で、のちほど、(……)はいま何時までやっているのかわからないが緊急事態宣言を受けていればたぶん八時くらいだろうし、そうするといまから行っても時間がもうあまりないし、やはり余裕をもってじっくりみたいからべつの日にしようとかんがえてこの日はかえることに決断した。エスカレーターをおりていき、二階から出口へ。通路の途中が封鎖されていて奥にはいれないようになっており、衝立みたいなものが出入り口のほうまで通路にそってもうけられていた。それで歩廊に出て右折し、またビルにはいる。ここも(……)はやっていていつもどおりモダンジャズをながしていたが、(……)は閉鎖されており、(……)も七時までとあったはず。この時点で六時半前くらいだったはず。あがって踏み入ってさっさと文庫へ。ちくまを探していると、書架にかくれて姿は見えないが、おそらく大学生らしき女性ふたりの、新書どこ新書、あ、ここだ、みたいな声がきこえてきた。ちくま学芸、ちくま文庫、河出のならびを発見し、とりあえずちくま学芸を見て、ニーチェ全集の『このひとを見よ/自伝集』の巻をとってめくってみると、「なぜわたしはこれほどまでに利口なのか」みたいな題の章があって自尊ぶりに笑った。ジグムント・バウマンの『近代とホロコースト』が「完全版」という文字つきで出ており、これは地元の図書館に単行本があったはずだがまあ完全版となっているし手もとに置いておいてさっさと読むべきだろうとおもったので購入することに。ギリシア悲劇集のソフォクレスの巻もこちらにはあったので、その二冊を手にもって文学のほうにいき、詩をひやかし、壁際の海外文学へ。ここでなにかおもしろそうなものを見たような気もするのだがおもいだせない。(……)にくらべると(……)は全体にもはや規模がちいさくなってしまったものの、それもあってカテゴリ分けが厳密でなくいろいろ混ざっており、ロジェ・カイヨワの自伝みたいなものが、(……)だと哲学のほうにあったのだがここでは文学の棚にみられておもしろい。そののち、こちらでも思想のほうへ。エルンスト・ブロッホの『この時代の遺産』とかいうやつが棚の最上の端にあり、これはいぜんからみかけていたがこの日なぜか気になって、とってみてもおもしろそうなのだがやたら巨大な本で値段も張ったのでどうしようもない。エルンスト・ブロッホは『希望の原理』というやつも白水社のシリーズで何巻にもなっていたはずだし、いったいどうなっているんだ。でかい本でいえば、そういえば、小泉義之ともうひとり誰かが中心編者になったフーコーについての日本の研究者の文をあつめた論集みたいなものも平積みされていたのだが、これが一六〇〇〇円もしたので買えるわけがない。ざっと見分をおえると会計へ。店員は丁寧なかんじの男性。所作が特徴的。釣りを出すときなど、顔をちょっとしずめるようにして、手もとをよく注視しながら金をとっていたとおもう。仕事をきちんと気をつけてやろうという性分のひとなのではないか。
  • 金をはらって品をうけとり、エスカレーター前でバッグにおさめ、退出へ。このあたりで(……)行きを断念した。外に出て、駅方面へ。モノレール駅の下をくぐっていきながら右方に目をむけると、近間の建物の合間、彼方の空に去り際の夕陽の色が焼けついていて、雲もちかくて精妙な紫に付近が染まりながらひかりはあかく、極致的高温にまでたっしたマグマのようにして空に接着されている。抜けて駅前へ。家にかえってきちんと食卓について飯食うの面倒臭えし、どっかで食べていくか、それかコンビニで買ってどこか外で食うかもちかえるか、とおもったが、とりあえず駅舎内へ。LUMINEのなかの店はやっていないわけだが、入り口の前にはパンなどを売っているスタンドが出ている。母親になんか菓子のたぐいを買ってきてといわれていたのをおもいだしたので、GRANDUOのほうへ。GRANDUOもやってんのかなとおもったが、はいって掲示をみてみると「(……)」はやっているようだったので、フロアに踏み入り、手を消毒して奥へ。つくと見てまわり、東京會舘というメーカーのクッキーつめあわせを二袋と、抹茶チョコレートの八ツ橋を買う。ここにくるとだいたいいつも買っているのはこの二種だが。それで小さめの紙袋をバッグにくわえて提げながらもどり、途中で折れて改札内へ。ちょうど(……)行きが出そうなところだったので急ぎ、乗る。座れた。瞑目して休息。
  • 電車内と帰路でかんがえていたのは金をかせぐ方法というか、また例によって、(……)くんみたいに、オンラインでなんか小難しいような本を一緒に読むとか英語の小説を読むとかで金もらえねえかなとおもっていたのだが、それをこちらがやるとするとブログであいてもしくは顧客を募集をすることになるわけで、それに応募してきてくれるひとはこういう文章を読むわけだからかなり特殊な趣味の人間で、それはいいのだけれどこちらの文章やいとなみに好意的でなければ応募してこないだろうから、それって結局、要するにファン商売じゃん、とおもい、それはなんかいやだなとおもったのだった。あまりよろしくないこだわりなのだろうが、夜道をあるきながらかんがえたところ、やはりこの日記はなににもつながらないものでなければならない、というおもいをあらたにした。まえに何度かいっていた無償性ということで、金にもならないし知り合いもできないし名声もなにもえられないが、毎日これだけの文をかきつづけるという、そういう欲望といとなみと生のあり方があり、それはもちろん多数派ではないものの、人間がそうすることになんの不思議もなく、そういう人間は数からするとすくないとはいえいままでいくらでもいたしいまも現にいるし、これから先もつねにいつづけるだろうということを、こちらがそのひとりとして例証しなければならないだろう、ということ。ひとは、あまり知らないので。そういうことが現に、ふつうにあるのだということを。べつにこちらは、無意味であることが逆説的に意味や価値をもつ、みたいな、道教みたいな、芸術至上主義といわれそうなありがちな論理にそんなにつよく賛同するわけではないし、なににもならないけれどそれがゆえにやるのだという自己目的的純粋欲望みたいなロマン主義的なことを称揚したいわけでもないし、なにかになるならなるでよいし、自分のやることがなにになるかという可能性や判断はふつうにみきわめるべきだとおもうし、なにか目的をめざすいとなみはそれはそれでぜんぜんよいというか、そういういとなみと行動はもちろんなければならないとおもうのだけれど、ただ、ことこの日記にかぎっては、なるべくなににもつながらないものでなければならない、というおもいを捨てきれない。こちらがそれで外部的な利益をえてはならない、という。それを目的とはしていないとはいえ、やはりそうなると無償性がくずれるので。上の「芸術至上主義」的論理のあり方にぴったりそのままあてはまってしまうが。まあそれだったらそもそも公開しないほうがよいのかもしれないが、そこはそこでまたいわゆる投壜通信的なもくろみを捨てきれないところもある。あと単純に、この先いつまで書けるかわからないが、理想的には何十年にもわたる分量のこれだけの生の記述がインターネット上にころがっていたらそれはやっぱりおもしろいんじゃないか? ともおもうので。だからなににもつながらない、というのは、自分自身がそれによって直接的にむくわれてはならない、ということだろう。じっさいにはなにかをやればどうせなにかしらにはつながってしまうのだけれど、しかしすくなくとも直接的に金になったり自分が外部からなにかをえたりするのは、この文章のあり方ではない。したがって、PayPalとかを設置して投げ銭的にカンパをつのろうかなともちょっとかんがえたのだが、それもむろんやらない。この先、じっさいそんなこといってらんねえ、とにかく金をえなければ、ということになって気をかえるかもしれないが、いまのところはそのつもりでいる。
  • あと、金をかせぐのもそうなのだけれど、やはりおのれがやるべきだとおもいさだめた仕事にもとりくまなければならないな、というわけで、つまりさしあたっては、To The Lighthouseの翻訳を着実にすすめていかなければならないということだ。ぜんぜんとりくめないのだが。そもそもこの日記にかかずらってばかりなので。これをつづける一方で、そういう、日記以外の、みずからにとってただしく仕事というべきおこないにも時間を割いていかないと。日記は仕事ではない。第一の仕事、といったほうがよいのかもしれないが、作品とか、正式な文章を書く、という位置づけでやっているものではないので。To The Lighthouseももし翻訳を完成できたとして、金にする気は正直あまり起こらない。べつのブログをつくってそこにあげて終わりだろう。そもそも著作権の問題があるから、金にできるのかわからないし。著作権をいったら勝手に訳して公開した時点で終わりなのかもしれないが、Woolfの文章の著作権が、もうむかしの作家なので切れているのか、それともWoolf財団みたいなものがあってそこが権利を所有して管理しているのかなにもしらないのだが、個人的に訳して無料で公開して勝手に読んでもらうくらいはたぶんゆるされるだろう。岩波文庫御輿哲也訳もかなりよいので、正直あと三〇年か五〇年くらいはあれでべつによいとおもうし、文庫であれが読めるというのはすでにかなりすばらしいことだとおもうのだが、ただ、To The Lighthouseはこちらの感覚では非常にすばらしい小説で、やはりこの先も読まれつづけなければならない小説だとおもうので、日本語も無料でだれでも読めたほうがよい。一〇〇〇円ほどとはいえ、To The Lighthouseを日本語で読むのに金をはらわなければならないというこの世の状況は馬鹿げているとおもうので。こちらの翻訳がだれでも読む価値があるほどのものになるかどうかわからないが。自分でも訳したいという欲望はあるし、ともかくはやらなければならない。
  • (……)についたあと、この日は気力があったのであるこうとおもい、乗り換えをまたずに駅を出て夜道へ。あるいているあいだは上に書いたようなことを主にかんがえていた。夜の裏通りには風がたびたび走り、肌寒い瞬間もおりおりあり、線路の向こうの樹々がざわざわ騒いでいたりもして、どうも日中の雨の気がまだなごっているのか、これからまた降り出すか、とおもわれたものの、根拠はないがなんとなく、降るとしても今日はもうなくて明日以降ではないかともおもった。空はこのときはもう晴れていたよう。夜空の深い青みが見て取られ、月は見なかったとおもうが天球内はあかるく、雲が貼りついている箇所もみたおぼえがない。白猫はおらず。あゆみはなかなか鷹揚なものだった。やはり連休中で精神に余裕があるか。
  • かえったあとのことはあまりおぼえていない。日記をそこそこ書いてこの前日のぶんまで仕上げたのと、入管法改正についてしらべておこうとおもって、とりあえず行政側の言い分をまず読んでおこうと下のふたつのページを読んだことくらい。

〇 日本は,1981年に「難民の地位に関する条約」(難民条約),1982年に「難民の地位に関する議定書」に順次加入し,難民認定手続に必要な体制を整え,その後も必要な制度の見直しを行っているところです。

〇 当庁においては,日本にいる外国人から難民認定の申請があった場合には,難民であるか否かの審査を行い,難民と認定した場合,原則として定住者(※)の在留資格を許可するなど,難民条約に従った保護を与えています。
 (※)定住者は,いわゆる就労目的の在留資格と異なり,就労先や就労内容に制約はありません。

〇 また,難民と認定しなかった場合であっても,人道上の配慮を理由に日本への在留を特別に認めることもあります。

〇 なお,ここでいう「難民」とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見という難民条約で定められている5つの理由によって,迫害を受けるおそれがある外国人のことです。

 (1 日本の出入国在留管理制度の概略; (2)難民の認定)

     *

〇 日本に在留する外国人の中には,ごく一部ですが,他人名義の旅券を用いるなどして不法に日本に入国した人,就労許可がないのに就労(不法就労)している人,許可された在留期間を超えて不法に日本国内に滞在している人(※),日本の刑法等で定める様々な犯罪を行い,相当期間の実刑判決を受けて服役する人たちがいます。
 (※)これらの行為は,不法入国,不法残留,資格外活動などの入管法上の退去を強制する理由となるだけでなく,犯罪として処罰の対象にもなります。

〇 当庁においては,そのようなルールに違反した外国人を法令に基づいた手続によって強制的に国外に退去させることにより,外国人に日本のルールを守っていただくように努めています。

〇 強制的に国外に退去させるかどうかの判断に際しては,ルール違反の事実のほか,個々の外国人の様々な事情を慎重に考慮しており,例外的にではありますが,日本での定着性,家族状況等も考慮して,日本への在留を特別に許可する場合があります(在留特別許可)。

〇 その許可がされなかった外国人については,強制的に国外に退去させることになります。

 (1 日本の出入国在留管理制度の概略; (3)外国人の退去強制)

     *

〇 近年,日本に入国・在留する外国人の数の増加に伴い,許可された在留期間を超えて不法に日本国内に滞在している外国人(不法残留者)の数も増加に転じています。

〇 そのような外国人は,令和2年7月1日時点で,8万人余りいます。

(……)

〇 摘発された外国人の多くは,国外に退去していますが,中には,国外への退去が確定したにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)もいます。

〇 そのような外国人は,令和2年12月末時点(速報値)で,3,000人余り存在しています。

 (2 改正の背景)

     *

〇 現在の出入国管理及び難民認定法入管法)の下では,国外への退去が確定したにもかかわらず退去を拒む外国人を強制的に国外に退去させる妨げとなっている事情があります。

〇 その結果,そのような外国人が後を絶たず,それが退去させるべき外国人の収容の長期化にもつながっています(送還忌避・長期収容問題)。

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性))

     *

〇 次のような事情が,退去を拒む外国人を強制的に国外に退去させる妨げとなっています。

(1) 難民認定手続中の者は送還が一律停止
   現在の入管法では,難民認定手続中の外国人は,申請の回数や理由等を問わず,また,重大犯罪を犯した者やテロリスト等であっても,日本から退去させることができません(送還停止効)。
   外国人のごく一部ですが,そのことに着目し,難民認定申請を繰り返すことによって,日本からの退去を回避しようとする外国人が存在します。

(2) 退去を拒む自国民の受取を拒否する国の存在
   退去を拒む外国人を強制的に退去させるときは,入国警備官が航空機に同乗して本国に連れて行き,その外国人を本国の政府に受け取ってもらう必要があります。
   しかし,ごく一部ですが,そのように退去を拒む自国民の受取を拒否する国があります。

(3) 送還妨害行為による航空機への搭乗拒否
   退去を拒む外国人のごく一部には,本国に送還するための航空機の中で暴れたり,大声を上げたりする人もいます。
   そのような外国人については,機長の指示により搭乗拒否されるため,退去させることが物理的に不可能になります。

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性); (1)問題点➀(送還忌避者への対応が困難))

     *

〇 現在の入管法では,国外に退去すべきことが確定した外国人については,原則として,退去までの間,当庁の収容施設に収容することになっています。

〇 そのような外国人が退去を拒み続け,かつ,強制的に国外に退去させる妨げとなっている事情((1)参照)が存在すると,収容が長期化する場合があります。

〇 この点に関し,現在の入管法では,収容されている外国人の収容を一定期間解く仮放免が許可される場合もあります。

〇 しかし,現在の入管法では,仮放免を許可するかどうかは,仮放免の請求の理由のほか,逃亡のおそれ,日本での犯罪歴の有無・内容等の様々な事情を考慮して判断されますので,収容された全ての外国人に仮放免を許可することができるわけではありません。

〇 収容に関しては,収容された外国人の一部が,自らの健康状態の悪化を理由とする仮放免の許可を受けることを目的として,食事をとることを拒むハンガーストライキに及ぶという問題が生じています。

〇 また,仮放免された外国人が逃亡する事案も相当数に上っています。
  令和2年12月末時点(速報値)で,日本からの退去が確定した後,仮放免中に逃亡して手配されている外国人は,400人余りいます。

(参考)
退去強制令書が発付されたにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)
(令和2年12月末(速報値))
(1) 送還忌避者:約3,100人
(収容中:約250人,仮放免中:約2,440人,手配中:約420人)

(……)

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性); (2)問題点➁(収容の長期化の問題が発生))

     *

〇 今回の改正法案では,3つの基本的な考え方(4参照)を実行に移すために,次のような様々な方策を講じることにしています。
 (1) 在留が認められない外国人を速やかに退去させる前提として,在留を認めるべき外国人かどうかを適切かつ速やかに見極めます。
  ● 在留特別許可の手続を一層適切なものにします。
   ・ 在留特別許可の申請手続を創設します。
   ・ 在留特別許可の判断に当たって考慮すべき事情等を法律に明記します。
   ・ 在留特別許可がされなかった場合は,その理由を通知します。
  ● 難民に準じて保護すべき外国人を保護する手続を設けます。
   ・ 難民条約上の難民ではないものの,難民に準じて保護すべき外国人を 「補完的保護対象者」として,難民と同様に日本での在留を認める手続を設けます。

(2) 在留が認められない外国人を速やかに退去させます。 
  ● 難民認定手続中の送還停止効に例外を設けます。 
   ・ 難民認定申請の回数や理由を問わず,また,重大犯罪を犯した者やテロリスト等であっても,一律に送還が停止される現在の入管法の規定を改め,一定の要件に当てはまる外国人については,難民認定手続中であっても日本から退去させることを可能にします。
  ● 退去を拒む外国人に退去等の行為を命令する制度を設けます。
   ・ 退去を拒む外国人のうち,送還が困難な一定の要件に当てはまる者に限って,定めた期限までに日本から退去することや,旅券の発給の申請等送還のために必要な行為をすることを命令し,その命令に違反した場合には処罰されることにします。
  ● 退去すべき外国人に自発的な出国を促すための措置を講じます。
   ・ 退去すべき外国人のうち一定の要件に当てはまる者については,日本からの退去後,再び日本に入国できるようになるまでの期間(上陸拒否期間)を短縮します。

(3) 収容の長期化を防ぎ,一層適切な処遇を実施します。 
  ● 収容に代わる監理措置の制度を設けます。
   ・ 原則として当庁の収容施設に収容することとしている現在の入管法の規定を改め,「監理人」による監理に付することで逃亡等を防止し,相当の期間にわたって収容しないで社会内で生活することを認める「監理措置」を設けます。
  ● 現在の仮放免の要件を見直します。
   ・ 監理措置の創設に伴い,現在の仮放免については,健康上,人道上等の理由により収容を一時的に解除する必要が生じた場合に許可することにします。
  ● 収容施設での一層適切な処遇を実施するための措置を講じます。
   ・ 収容されている外国人の権利・義務に関わるものなど,法律で定めることが適切と考えられる事項を法律で規定します。

 (5 入管法改正案の概要等; (1)入管法改正案の概要)

(1) 収容するか否かを裁判所が判断する仕組み
 ●  今回の入管法改正法案では,日本から退去すべき外国人を当庁の収容施設に収容するか,監理措置により収容しないで社会内で生活させるかは,その外国人の収容等を行う入国警備官とは別の官職である上級の入国審査官(主任審査官(※))が慎重に判断することとしています。
   (※)入国審査官である地方出入国在留管理局の局長,次長,支局長などです。
  ●  また,退去すべき外国人は,収容されることに不服があれば,行政訴訟を提起して,裁判所の判断を仰ぐことができます。

 (Q1 長期収容の問題を解決するには,収容するか否かを裁判所が判断する仕組みや収容期間の上限を設ければよいのではありませんか?)

     *

〇 「本国に帰ると生命の危険が生じる」などの事情を主張して,難民認定申請を行う人もいますが,日本の難民認定手続においては,難民認定申請をした外国人ごとに,個別の事情を考慮しながらその申請内容を審査し,難民条約の定義に基づき,難民に該当すると認められれば,難民と認定しています。
〇 また,難民認定手続においては,当庁による二段階の審査を経て難民かどうかを慎重に判断しています。
〇 具体的には,まず,難民に当たるかどうかに関する当庁職員(難民調査官)による調査を経た上で,難民の認定・不認定が判断されます。
  その判断に不服があれば,不服申立て(審査請求)を行い,改めて判断を受けることができます。
〇 難民認定手続において,難民の認定をしない処分がされ,これに対する不服申立てを行った場合,その不服申立て(審査請求)に対する判断は,必ず3名の「難民審査参与員」の意見を聴いて行うこととされています。
〇 難民審査参与員は,人格が高潔であって,公正な判断をすることができ,かつ,法律又は国際情勢に関する学識経験を有する者(※)の中から任命されています。
  また,難民審査参与員は,3人1組で審理を行って,意見を提出し,その意見は,不服申立てに対する法務大臣の裁決の際に尊重されています。
  (※)具体的には,(1)事実認定の経験豊富な法曹実務家,(2)地域情勢や国際問題に明るい元外交官・商社等海外勤務経験者・海外特派員経験者・国際政治学者・国連機関勤務経験者,(3)国際法・外国法・行政法等の分野の法律専門家などです。
〇 さらに,難民には当たらないとの判断に不服があれば,裁判所に訴えを提起した上でそのような事情を主張して,裁判所の判断を求めることもできます。
〇 これらの重層的な行政手続や司法審査手続があるにもかかわらず,これらの手続を経た結果,難民と判断されなかった外国人については,難民であると認めることが困難です。

〇 もっとも,現行法上,難民認定申請した者について条約上の難民とは認定できない場合であっても,本国情勢などを踏まえ,人道上の配慮が必要と認められる場合には,日本への在留を認めています。
〇 また,難民認定申請をしていない者についても,従来から個々の事案ごとに,在留を希望する理由,人道的な配慮の必要性などの諸般の事情(本国事情も含みます。),これらを総合的に勘案して在留を認めるべきものについては,在留特別許可をするなどしています。
〇 令和元年に,退去強制手続における違反審判において法務大臣に異議を申し出た者のうち,在留特別許可されたものは6割超,1,448件です。
〇 加えて,今回の法改正により,難民条約上の難民ではないものの,難民に準じて保護すべき外国人を「補完的保護対象者」として,難民と同様に日本での在留を認める手続を設けることとしています。

 (Q4 日本からの退去を拒む外国人は,本国に帰れない事情や日本にとどまらなければならない事情があるから,退去を拒んでいるのではありませんか?)

     *

〇 (1) [「難民認定手続中の者は送還が一律停止」] については,難民と認定されなかったにもかかわらず,同じような事情を主張し続けて難民認定申請を3回以上繰り返す外国人は,通常,難民として保護されるべき人には当たらない(申請時に難民と認定することが相当であることを示す資料が提出された場合を除きます。)と考えられます。
そこで,このような外国人については,今回の入管法改正法案により,送還停止効の例外として,難民認定手続中であっても日本からの強制的な退去を可能とすることとしました。

〇 (2) [「退去を拒む自国民の受取を拒否する国の存在」] 及び(3) [「送還妨害行為による航空機への搭乗拒否」] については,このような事情により,日本からの退去を拒み続ければ在留資格がないまま日本に滞在し続けられるという事態は見過ごせません。
  そこで,その外国人を翻意させて退去等を決意させるため,最終的な手段として,一定の期限までに日本から退去することを命令し,その命令に違反した場合は処罰されるという仕組みを設けることとしました。
   なお,当庁で把握している範囲では,例えば,アメリカ,フランス及びドイツについては,対象者にその国からの退去の義務を負わせ,その義務に違反した場合の罰則を設けているとのことです。

 (Q5 なぜ,日本からの退去を拒む外国人を退去させられないのですか?)

     *

〇 確かに,日本の難民認定率が欧米よりも低いと指摘されることがあります。
  しかし,大量の難民や避難民を生じさせる国との地理的要因などは,日本と欧米とでは大きく異なりますので,難民認定率のみを単純に比較するのは相当ではないと考えます。
  なお,韓国は,日本と同様,年間約1万件以上の難民認定申請を受けていますが,難民認定数は数十件~百数十件程度です。

〇 難民認定申請者数は,平成17年には約400人でしたが,平成22年に申請から6か月後に一律に就労を認める運用を始めたところ,申請者数は,平成22年(約1,200人)から平成29年(約2万人弱)の7年間で,約16倍に増加しました。

〇 そこで,平成30年に,こうした難民としての保護を求める本来の制度趣旨にそぐわない申請(濫用・誤用的な申請)の場合には在留や就労を認めないとする在留資格上の措置について,より厳格な運用を始めたところ,平成30年の申請者数(約1万人)は,平成29年から半減しました。

 (Q8 今回の入管法改正より先に,難民認定手続を出入国在留管理庁とは別の組織に行わせるなどして難民の保護を十分に行い,日本の低い難民認定率を諸外国並みに上げるべきではないのですか?)

  • 一一時五〇分。風呂をあがって洗面所から出ると居間では父親がソファについて脚を前になげだし炬燵テーブルの上に置きながら歯をみがいていたのだが、スマートフォンで音楽をかけているらしく太いサックスの回転がながれだしてきて、わりと色気のただよう感じのジャズバラードがはじまったのだけれど、これ聞いたことあるなとおもってすぐに、たしかCannonball Adderleyが御大Milesを後援にしてやった『Somethin' Else』の、四曲目か最後の曲ではなかったかとおもった。それでいま確認してみたところあたりで、五曲目の"Dancing In The Dark"だった。
  • 入管法関連の記事を検索してURLをいくつもメモしておいたが、こういう問題は、けっこう地方の新聞が社説で触れていたりするのだよな。

2021/5/1, Sat.

 彼はつねづね、(家庭内の)「けんか」は暴力の純粋な経験であると思ってきたので、けんかの声を耳にすると、両親の口論におびえる子どものように、いつも〈恐怖〉を感じるほどである(いつも恥ずかしげもなく逃げ出してしまう)。けんかの場面がそれほど深刻な影響をあたえるのは、言語活動の癌とでもいうものを露骨に見せるからである。言葉は口を閉じさせるには無力であり、それこそがけんかの場面が示していることなのだ。なんど言い返しても、けんかの終結はありえない。殺人とい(end240)う結末しかないのだ。けんかはひたすらこの最終的な暴力に向かってゆくが、しかし実際にそうなることはけっしてない(すくなくとも「文明人」のあいだでは)。けんかとは本質的な暴力であり、ずっと続けられることを楽しんでいる暴力なのだ。空想科学のホメオスタットのように、恐ろしくて、滑稽なのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、240~241; 「けんか(La scène)」)



  • 一一時四〇分の起床となってしまった。昨晩は三時半に床に就いたのに、なぜかそれに応じてはやく起きられない。滞在は八時間強。上階へ行くと母親はまた天ぷらを揚げている。ジャージに着替えてちょっと屈伸したり、顔を洗ったりうがいをしたりして、食事。天ぷらをおかずに白米を食う。新聞はまた一面と国際面の「奔流デジタル」を読む。SNSやネットメディアが、社会の分断を過激化する方向に働いている、との話で、だから目新しいものではない。昨年の八月だったかに、米国はウィスコンシン州のケノーシャという町で黒人が警官に銃撃されて、それに対する抗議と衝突が起こったことがあったのだが、それもまずBlack Lives Matter運動の活動者がSNS上でデモを呼びかけ、怒りに燃えたひとびとが各地から集まってきて、一部が暴徒化して商店を破壊したり放火したりしたものだから、危機感をおぼえた市議が銃を取って町や家族を守ろうとこれもSNSで発言し、応じたひとびとが即席の自警団を組み、そして衝突が起こって一七歳の少年が抗議者のうち二人を殺害することになった、と。この少年というのはKyle Rittenhouseという名の人間で、Arwa Mahdawi, "Enough with militias. Let’s call them what they really are: domestic terrorists"(2020/10/10, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/oct/10/militias-domestic-terrorists-gretchen-whitmer(https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/oct/10/militias-domestic-terrorists-gretchen-whitmer))でちょっとだけ触れられていたのを前に読んだ。〈It’s not just the White House that’s complicit, it’s the media. Kyle Rittenhouse, for example, the 17-year-old accused of killing two protesters in Wisconsin last month, was celebrated as a vigilante by rightwing outlets. “How shocked are we that 17-year-olds with rifles decided they had to maintain order when no one else would?” Tucker Carlson asked on Fox News. Far-right pundit Ann Coulter tweeted that she wanted the teenager “as my president”. The New York Post, meanwhile, published photos of Rittenhouse cleaning up graffiti; he was framed as a concerned citizen rather than a cold-blooded killer.〉とのこと。ケノーシャというのはけっこう小さめの町のようで、SNSがなければ、この田舎町が大規模な衝突の場になることはありえなかっただろう、との言が紹介されていた。あと、『ザ・ソーシャル・ジレンマ』とかいう、SNS運営会社の幹部などが内情を証言したみたいなドキュメンタリー映画があるらしく、そのなかで、SNSの力もあってこのままの社会が続いていったらどうなるか、という質問に対し、ある会社のひとは、civil war、内戦だ、とこたえているらしい。
  • 国際面のほうはQアノンにはまったけれどその後そこから抜け出したひとの例が出ていた。このひとはたしかオハイオ州の四〇歳の男性とあったと思うが、もともと政治に強い関心を持っていたわけではなく、ただFacebookで出てきたQアノン動画をちょっと見てみたところからのめりこんでいったと。最初はクレイジーだと思ったが、次第にこれが真実だと確信するようになった、と言っていた。それで友人とかにも熱弁するようになったのだが、当然敬遠され、友人は離れていき、妻とも離婚することになったと。「目が覚めた」のはある種コロナウイルス騒動のおかげで、Qアノン勢力はコロナウイルスは何の問題もなく、マスクをつける必要もないと主張していたらしいのだが、それに触れてなにかおかしいなと感じるようになったと。そして決定的だったのはドナルド・トランプが大統領選で負けたときの振舞い方だったという。現職の大統領が選挙不正がおこなわれたとか、勝利が盗まれたとか、「負け惜しみ」をいうのを見て、完全に「目が覚めた」とのことだった。イプソスとかいう名前の調査会社によると、米国では四割ほどがQアノンの「ディープ・ステート」説を信じているという。信じているというか、「ディープ・ステート」は存在すると思うかという質問に、同意するとこたえたひとの割合が全体では四〇パーセントほどになったと。共和党支持層では七割。民主党支持層でも一四パーセントいたはず。無党派は半分くらいだったか。「ディープ・ステート」というのはQアノンがその存在を主張している「闇の政府」らしく、『STAR WARS』かよ、という感じだが、要するに一部のエリート層が結託して国を裏からあやつり、自分たちの既得権益をまもるためにドナルド・トランプをおとしめている、というような発想らしく、これに同意する人間が回答者の四割をも占めているとなるとどうしても米国はもう終わったな、とつぶやきたくもなってしまうが、発想としては要するにマニ教善悪二元論の世俗化されたかたちということになるのではないか。諸悪の根源が、みずからや社会がおちいっているさまざまな苦境や問題を最終的に支配している人間や勢力がどこかにあるに違いないというわけで、宗教がもっと優勢だった時代はそれが邪神というか悪の神だったわけだろうが、いまはもうみんなそのような超越的な観念的存在を思考・志向しないので、それが現世領域に措定されなければならず、だから見えないけれどどこかで国を支配している悪の親玉がいる、ということになるわけだろう。残念ながら世界はそんなに都合よく単純にはできていない。こういうかたちでの善悪二元論は、それを信じる者にとっては非常に楽である。なぜなら、問題をすべてその諸悪の根源に帰してしまえば良く、また、具体的な個々人を判断するときにも、「真実」に気づいているこちら側なのか、それとも「ディープ・ステート」側なのか、というひとつの判断軸を参照するだけで済んでしまうからだ。だから、「ディープ・ステート」なるものは、Qアノンを信奉するひとびとの、そういうものがあってほしいという、願望でもあるのだろう。それがあれば、楽だから。この世の複雑怪奇さに直面せずにすむし、自分たちを言わば「光の戦士」として英雄化もできるから。
  • 食事を終えて皿洗いと風呂洗いをすませ、カルピスをつくって帰室。Notionを準備して今日のことをここまで書くと、いまは一時。今日は暑い。天気はあからさまに良いわけではなく、空は雲が多く覆って、明白な陽射しが射すわけでもないのだが、窓は開けているし、ジャージの上も脱いで黒の肌着姿になっている。
  • この日は昨日にあたるのだが、今日、五月二日はひさしぶりに街に出てひとと会い、体験した情報がおおかったためかこのついたちのことはもうけっこうわすれてしまっており、家にとどまっていてあまり変哲がなければ一日経っただけでわりとわすれてしまうのだが、ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)は三〇ページ強読んだ。書簡アンソロジーである「ドイツの人びと」をすすめており、そう、ヘーゲルが死んだときのことをつたえた手紙があって、それはなかなかおもしろかった。ヘーゲルにまなびたくてベルリン大学に行ったなんとかいう神学方面のひとが、ヘーゲルの講義をすこしのあいだ受けて一度面会したのみでもう彼が死んでしまった、ということなのだが、ヘーゲルは当時流行していたコレラにかかって死んだらしい。一八三一年。ゲーテが死んだのは一八三二年である。いままでまったくかんがえたことがなかったのだが、このふたりは同時代人なのだ。じっさい交流もあったようで、べつの、たしかツェルターの手紙で、ゲーテヘーゲルがツェルターもまじえて三人で会合をもった、という註もついていたはずだし。ヘーゲルがこの神学生に接したときの様子とか、その葬儀のときになんとかいうヘボ詩人がまったくふさわしくない下手くそな詩を読んだとか、もちろんヘーゲルの死にたいする周囲の反応とか、そういったことがつたえられている。それを読むかぎりどうも、ヘーゲルはマジで当時のドイツ思想界であきらかにもっとも重要な人物として文句なく位置づけられていたらしい。ただすくなくともこの神学生と面会したときの模様には偉ぶったところがなさそうで、ひとの好い老教授、という風情だったようだ。
  • 夕食には幅広のうどんを茹でた。こちらはそれを煮込んで食う。あと天麩羅ののこりなどがあったのでそれで食事。アイロン掛けもした。夕食時に新聞記事をなにか読んだとおもうのだが、おもいだせない。あれだ、韓国にある脱北者団体が北朝鮮に向かってビラを風船につけて大量に飛ばした、という報道があった。ビラにはむろん金正恩を批判する内容が記されており、ビラと同時に冊子類を一〇〇冊だったかと、あともう一種類なんだったかわすれたがなにかしらのものが飛ばされたらしい。で、文在寅政権は、金与正が以前脱北者たちのビラ撒布に抗議してやめさせろともとめてきたのにおうじて(たしかそのときにまた、南北連絡事務所みたいな施設を爆破したということではなかったか)、ビラ配布禁止法みたいなものを成立させていたらしく、今回のこの件はあきらかにそれに違反するとおもうのだけれど、禁止法を根拠にして文在寅政権がこの団体に処罰をくわえたりすると、北寄りで弱腰だという批判が国内から高まるだろう、ということだった。あと当然、日本の右派とかも俄然いきおいづくだろうし、米国としても韓国があまり北朝鮮に接近するとおおいにこまるだろう。
  • あともうひとつ、中国がジブチに空母施設を建造したという記事を読んだのもこの夜だったはず。ジブチというのはアフリカの東側、アデン湾に面したところにあってエチオピアソマリアに接している地理的領域としてはめちゃくちゃ小さな国らしいのだが、中国はそこに進出して、いまのところ唯一の海外基地をつくっており、それが空母も寄港できるようなかたちにバージョンアップされた、ということだった。たしか米軍のアフリカ方面司令官みたいなひとがそういう報告をしたということではなかったか? ちがったか? 中国のシーレーンとしてはもちろん東南アジアを通ってインド洋を越え、アデン湾から紅海に入って地中海へ抜ける、というものがあるようで、ジブチをおさえれば中国としてはインド洋周辺におおきな軍事力を展開する足がかりになるわけで、ということは中東に関与する能力が強化されるのかもしれないし、たぶん例の一帯一路という計画にもおおいにかかわってくるのではないか。
  • あとこの日は音読もわりとやった。わりと、というほどでもないか。「英語」は31番から70番で、「記憶」は三項目だけだし。「記憶」のほうはやたらながいのがふくまれていてあまりすすまなかったのだが。なんの本からの引用だったかおもいだせないのだが。とおもっていま見たら、ムージルだった。まだムージルは終わっていなかったのだ。なぜかもう通過したつもりでいたのだが。
  • 風呂のなかでは湯に浸かって瞑想じみて止まっていたのだが、汗か髪のなかに溜まっていた湯の断片か、ともかく額にしずくの感触が一点ともったときがあって、その刺激とともに一角獣すなわちユニコーンのイメージが湧き、つまり額を点じられたことでそこから生えている角のイメージが連想されたのだろうが、そこからなぜか頭がちょっと詩的な感じになって、まもなく「一角獣はどれもおしなべて月をつらぬくことを夢見ている」という一行のフレーズが思いつかれた。その後もなんとなく詩の一部みたいなフレーズがいくつか浮かんだので、それを下にメモしておくとともに、「詩: メモ」というノートをつくってそこにも写しておいた。

 一角獣はどれもおしなべて月をつらぬくことを夢見ている

 鯨は月の光にはぐくまれ、死ぬときは太陽に背を向けない

 厳粛さを知らぬものどもが夜になるたび涙をながす

 空に進出した機械仕掛けの魚は墜落を知らず
 蛇の抜け殻でできたバスは地上
 共通するのは鱗があるということだけ

 わたしの目とわたしの目のあいだ
 眉間の突端に風がかすかにすずしく触れるとき
 
 AではじまりZで終わるあの地獄は
 べつの言語ではOからはじまりMで終わるのだから
 はじまりとおわりなどいつだって恣意的なもので

  • 入浴後の夜はたしかなぜかほぼだらだらしてしまい、書抜きと日記の読み返しができなかったのがこの日の反省点である。やりたいことはいくらでもあるが、とりわけその二つが念頭にあがる。日記記述自体はこの日はそこそこやって、午後一時にこの日のことを書いたあと、そのまま前日のことを、(……)との通話の内容をのぞいて書いたのだったとおもうし、そののちも二八日と二九日を完成させている。活動のうちのはやい時点で日記にとりくめたのはよい。あとそうだ、この日の起床時は瞑想をサボったのだが、午後四時くらいだったか座った時間があって、そのときはめずらしく音楽を流したまま座ったのだけれど、BGMはThelonious Monk『Thelonious Alone In San Francisco』で、Monkの独奏ってマジですばらしいなとあらためておもった。このアルバムだとどれも好いのだけれど二曲目の"Ruby, My Dear"がなんといっても絶品で、Monkのソロピアノ、とりわけそのなかのバラードというのは、形容でいうと芳醇というほかなく、非常に香り高いもので、内部にうまみが凝縮されまくっている食べ物か飲み物みたいな感じなのだけれど、また以前は「滋味」という言葉をもちいたこともあったが、そのように味覚の比喩で語るのがもっとも適合するのがMonkだという感覚がある。Monkはジャズピアノの歴史上最高の独奏者のひとりだとこちらは確信しているのだが。それはおおげさにすぎるかもしれないが。Monkっていうと曲としても独特のスタイルがあって、Monkがつくった曲というのはリズムにせよコードにせよメロディのながれにせよ、これMonkだなという感じがおおくの場合明確にあって、それはジャズに興味をもってきけばだいたいだれでもわかるとおもうのだけれど、そこでMonkはユーモラスというか奇矯というか、ある種道化的かもしれない、しかし同時におそらくは非常に知的でもある、野生の知とでもいうような側面を、作曲としてもそうだし演奏としてもあらわにしていることがおおいとおもうのだが、その一方でバラードをやると、甘ったるさにはいたらない絶妙な甘やかさでもって、文句のつけようがなくひたすらに美しくストレートにやるというのが最高に胸を打つ。

2021/4/30, Fri.

 自分の書いたものを読みかえしていると、それぞれの作品の構成そのもののなかに、〈成功した/失敗した〉という奇妙な分裂が見てとれるように思う。ときおり、幸福な表現すなわち幸せな海岸があって、それから沼地や岩滓もあるので、彼はそれらの分類整理をはじめたほどである。それにしても、始めから終わりまで成功している本はまったくないというのか。――いや、おそらく日本についての本はそうだろう。切れ目なくほとばしる、喜びにみちたエクリチュールの幸福が、ごく自然に、幸せな性欲に結びついたのだった。〈彼が書くもののなかで、それぞれが自分の性欲を擁護している〉のである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、235; 「成功した/失敗した(Réussi/raté)」)



  • 一一時半の離床。前夜は三時四五分に就床したのに、そのわりにやや遅くなった。瞑想もサボる。コンピューターを点けておいて上階へ。母親は不在。父親は家の外で何かやっている気配があった。炊飯器を覗くと米もないし、前日の汁物の残りやサラダがあったのでそれを食べても良かったのだが、なんとなく面倒臭くてカップ麺にしようと横着し、先に風呂を洗う。漂白剤が出ており、そのそばでマットが扉に立てかけられてあった。もう乾いており、近づいたり触れたりしても漂白剤のにおいがしなかったので、たぶんもう流したあとだと思われたが、一応さらにシャワーをかけておく。そうして浴槽を擦り洗い、出ると「緑のたぬき」を用意して帰室。コンピューターを準備したりウェブを見たりしながら食べる。「英語」を読みはじめたのは一時過ぎだったはず。昨日の続きでSachal Vasandani『Hi-Fly』を流した。「英語」はいま645番まであるのだが、そこまで達し、最初にもどって30番まで読んだ。それからベッドに移って書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。書簡アンソロジーである「ドイツの人びと」をすすめる。日本では文学や哲学好きのあいだでもまったく知られていないような名前が色々出てきて、本当にたくさんのひとがいるものだなあと思う。当たり前だが。書簡は面白い。ゲーテの書簡とかマジでいつかすべて読んでみたいのだが。たしか五〇巻分くらいあるという話だったと思うが。
  • 今日は四時から(……)と通話する予定だった。その前、三時過ぎくらいからまた立って、今度は「記憶」を音読。ムージルの「愛の完成」、また「静かなヴェロニカの誘惑」からの引用。四時直前まで読む。便所に行ってもどってくると、四時ぴったりに(……)からZOOMの情報を記したメールが届いたので、隣室に移動。ZOOMをひらいてIDとパスコードを入力し、通話をはじめる。通話のことはあとで。話したことは、『浮雲』について、Cloudworksについて、曲、ギター、コード進行、宗教について、人生もしくは実存について、(……)について、など。
  • もともと五時から用事があって一時間だけという話だったのだけれど、その用事は昨日にまわってなくなったということで、六時半頃まで話は続いた。終えるとコンピューターを自室にもどし、上階へ。母親はタブレットで、以前送られてきた(……)くんがエヘヘエヘヘと笑っている動画を見てにこにこしていた。夕食の支度をサボってしまったが、アイロン掛けはおこなう。そうして食事。モヤシや肉の炒め物に筑前煮めいた煮物、サラダなど。新聞の国際面を見るとミャンマーの報があり、国軍とカレン族武装組織が衝突して、国軍側に四〇人の死者が出たと。それで報復で空爆がなされたと言い、今後も戦いが苛烈化するおそれがある。少数民族勢力の多くはクーデターを起こした国軍に対立し、抗議デモに賛同しており、だから各地で国軍側と衝突が起こっている模様。
  • はやばやと飯を終えて、食器を洗い、茶を用意して帰室。「記憶」をまた読んだ。ディスクユニオンのサイトのMale Jazz Vocalのカテゴリを見ると、Mel Tormeの名前があったので、久しぶりに流すかと思って、Mel Torme『At The Crescendo』をAmazon Musicで流した。このライブ盤は昔持っていてけっこう流したのだが、いつか売ってしまった。それで音読し、そのあとふたたびベッドに転がって書見。音楽はTaylor Eigsti『Lucky To Be Me』につなげる。Eigstiのピアノはすばやくて、畳み掛ける感じがあって気持ちが良い。こまかいフレージングなどよく聞いていないが。あとコード表現も良くて、このアルバムも『Let It Come To You』も、あとKendrick Scott Oracleの『Conviction』も、どれもたしか最後の曲はソロピアノだったと思うのだけれど、そのどの独奏も良かったおぼえがある。あと、Christian McBrideがやはりすごくて、こいつマジでなんなんだろうな? という感じ。ソロのことだが。正確無比なところはとことん正確無比なのだけれど、かといって機械的でもなく、リズムの流れ方が多少揺れるところもあるのだけれど、それはむろん瑕疵ではなく、音楽の一部として完全に統一性を保持しており、リズム的に曖昧なゆらぎをはらみながらあきらかに内的に一貫した流れを持続している、というわけで、ジャズのすごい連中ってみんなそうなのだが、どうしたらああいう感じのことができるようになるのかちっともわからない。
  • 九時をまわったら散歩がてらコンビニに年金を払いに行くつもりだった。それで九時前に書見を中断し、便所で腹を軽くしてから今日のことをここまで記述。いま九時二二分。
  • 服を着替えて出発へ。白いシャツとブルーグレーみたいな色のズボンというシンプルな格好。クラッチバッグをたいへんひさしぶりに持つ。九時半ごろに出たはず。予想よりも夜気が冷たく、けっこう肌寒かったので、すぐにシャツの第一ボタンをしめた。それであとは歩いているうちにからだがあたたまってくるだろうとまかせることに。夜歩きはとても良い。やはり人間、なんらかのやり方でともかくもからだを動かす時間をとらなくてはならないのだ。小橋をわたって坂を上っていくと、それがちょっとカーブするあたりで左にひらいた下り坂の先にある家にひとの気配があり、同時に煙のにおいもあたりにただよっていたので、外でバーベキューでもやっていたのかなと思ったが不明。裏道を西にゆっくりとすすむ。夜なので色彩もあきらかならないが、と思って見上げると、そういえば星は見えるからわりと晴れてはいるようだが月がなく、しかし数日前でちょうど満月くらいではなかったかとおもうのだけれど出がまだなのかそれとももうすんだのか、いずれ月の暦をいつまで経っても理解しないからわからず、ともかく空は暗くて月光がないから地上の色もその分あまり立たないようで、電灯が近間の頭上にひろがればそれだけでその向こうの宙や天は見えなくなってしまうから、あたりから黒い闇が寄って空間がせまくなり、そのなかに追いこまれたようでもあるが、その暗させまさは悪くない。街道に出てさらに西へ。コンビニはそこそこひろめの駐車場をもうけているが停まっているのは端の二、三台のみ、店舗の脇にたたずんでいる人影があり、駐車場の彼方には川をはさんで対岸のとぼしい灯火たちが黒の領域と化した山を背後にぽつぽつ見える。入店し、ATMで金をおろし、レジで支払い。すむとなにも買わずにさっさと出て、道をもどる。散歩がてら遠回りしていくことに。それで街道を東へ直進。ちょうど昨年のいまごろも授業がオンラインになり、オンラインで授業をやりたくないこちらはながく休みをもらってしばしば夜歩きに出ていたが、そのとき見たのと同様に、(……)の敷地を画す垣根の、たしかあれはベニカナメモチというやつだったはずだが、その葉がことごとく、ひとつの漏れもなく真っ赤に染まりきっていた。黙々と歩いて、「(……)」の前の自販機でキリンレモンを購入。本当はコーラが飲みたかったのだが、なぜかペットボトルのコーラはなくなってしまい、缶しかないので。さらに東へすすみ、裏に入って坂を下っていく。空はどうもやはり雲がないようで、青黒いように磨かれた銅板の質であり、そこに星がいくつか穿たれているもののしかしその星もあまり冴えず、雲がないわりにすっきりとせずに暗い夜だ。家のそばにつづく最後の坂に入りかけたあたりで、道にいるのも部屋にいるのもあんまり変わらないな、という感じが立って、ついで、まあ結局、こうして自分ひとりでゆっくり歩いていれば、人間というより、タンポポの綿毛が大気にただよっているのとおなじようなものだし、と思った。ひとりで歩いていると、まさしく諸縁を放下する、という感じがする。事物とか自然とかがすばらしいのは、それがこちらを完全にひとりに、ひとりどころかひとつにしてくれることだ。人間同士でいるとどうしたって、どれほど調和する相手であったとしてもそれは二人になってしまうし、どんな相手であれ相手が人間であるというだけで、当然だがやはり相対的に意味が重いから疲れてしまう。楽しいこと面白いことも色々あるし、面倒なことも嫌なこともむろんあるが、どういうかかわりが生まれるにせよ、人間とのかかわりのなかには、本源的に疲労がふくまれている。事物に対してそういう意味での疲労はない。あるいは完全にないわけではないにせよ、はるかに薄い。
  • 坂の出口にいたると樹々が途切れて空間がひらき、近所の家並みと川向こうの景色が望まれ、景色といったっていまは夜だから真っ黒に塗りつぶされた生地の上に対岸の明かりがいくらか、あいだに距離をひろくあけながら黄色く浮かぶそのなかに、あれは信号なのか車のライトなのか踏切りなのか赤い点灯がひとつあってとどいてくるのみの、夜景としては貧相というほかないその程度のものなのだけれど、川の流れの響きが夜気の静寂のなかごうごう昇ってくるのを感じながらそれをながめていると、それだけでなにかの感動が、叙情に近いが叙情にはなりきらないしずかな感動のようなものがきざして生じる。
  • 帰宅。部屋にもどって着替え、母親と入れ替わりにすぐに入浴。風呂のなかではわりと止まる。やはり瞑想的な、止まる時間をつくらないと駄目だなと思った。我々はつねに行動に支配されており、支配されすぎている。夜歩きは九時半から行って、帰ってきたのはたぶん一〇時二〇分くらいだったと思う。一時間に満たないくらいの間だったはず。そこから風呂に入って、一一時二〇分くらいには部屋にもどっていたか? 音楽を聞きながら書抜きをしようと思っていたのだけれど、水の気がやや残っている頭にヘッドフォンをつけるのに気が引けて、それでもうすこし乾くまで待とうと思ってベッド縁でウェブを見て、それから書抜き。書抜きは熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)に入っている。これも去年の三月に読んだ本なのだが。BGMはAmazonでSteinar Raknes『Chasing The Real Things』というのを流してみた。悪くはないが、すごく惹かれるわけでもない。基本、ウッドベースを弾きながらこのRaknesというひとが歌う趣向で、そこにコーラスとかブルースハープとかがくわわる。音楽性はブルージーだけれど、基本ベースがコードを担当していて、ほかにコード楽器もなかったような気がするし、ドラムなどもないからかなりものしずかな感じ。
  • 書抜き後は二八日の日記を書いたりだらだらしたりして、三時半に就床。あとこの日のこととしては、(……)との通話の内容を書いておかなければならない。
  • (……)との通話の序盤は、『浮雲』の話とCrowdworksの話だった。どちらが先だったかおぼえていないのだが。『浮雲』にかんしては、最近はなにを読んでいるのときかれたので、ベンヤミンなんていってもしかたがないしなとおもいつつ、まああいかわらずなんか小難しいやつを読んでるけど、と受けて、日本のものだと明治時代の小説を読んだといって内容を語ったのだった。言文一致をだいたい最初にやったものだといわれていて、言文一致っていうのは、明治ごろってまだ書き言葉は文語なんだよね、古文とか漢文みたいな文章で、じっさいに話してる言葉とはちがうわけだけど、それを話し言葉とおなじように書こうっていう話で、と説明。まあ、『浮雲』に載っていた桶谷秀昭の解説によれば、二葉亭四迷はべつに言文一致を野心をいだいてやったわけではなく、当時人気だった幸田露伴とかみたいにうまくてきらびやかな文章が書けなかったので、じぶんでもできる苦肉の策としてえらんだ、みたいなことが書いてあったとおもうが。それが十年か二十年くらいあとになって、国木田独歩とかをひきつけて先駆者として位置づけられるわけだから、わからないものだ。それでじっさい落語家が目の前でしゃべってるみたいな感じがあって、それは面白かったな、ただなんかストーリーが……なんかかわいそうっていうか、なんかなあ、みたいな感じだったね、ともらしておおきく苦笑をうかべ、文三の境遇や物語の展開を話した。めちゃくちゃ暴力的に要約すれば、役所をクビになって無職におちいったのを機に、両思いだとおもっていた女性と疎遠になって、彼女がチャラ男になびいていくのをとめられない、みたいな話なわけだ。それはたしかにかわいそうだね、そうするとけっこう共感できそうな感じ、と(……)は問うたが、それにこちらは首をかしげて、まあまったく共感しないではないけど、この主人公がまたはっきりしないやつでさ、実直で誠実なひととしてえがかれているんだけど、頭のなかでいろいろかんがえてはいるんだけど右か左かえらべなくて身動きがとれなくなっちゃうんだよね、だから全然行動力がなくて、おまえ、もうちょいなんか……やれよ! みたいな、といって笑う。そのあと、ほんとうに平凡な人間しかでてこないっていう感じだった、主人公が苦難にあいながらもがんばってのりこえるとか、成長するとか、そういうわかりやすい筋立てじゃないから、物語的にはそんなにおもしろくないというか、まあなんかなあみたいな感じだったけど、でもそういう意味でのリアリティはあったかもしれない、と述べた。
  • Crowdworksにかんしては、(……)がなにかのときに、水道の検針の仕事はいま全然募集してるみたいだから、といったのを機に(前に通話したときに、彼がやっているそれについて話をきき、そういう仕事もいいかもなともらしていたのだ)、ききたいことがあった、翻訳の仕事ってなにでやってんの、とたずねたのだ。Crowdworksというものの存在は知っていたし、たぶんそれではないかとおもってもいた。というか以前の通話でも、その名が出ていたかもしれない。Crowdworks自体もこちらはたしか昔に一度登録したことがあるような気もするのだが、それは気のせいかもしれない、登録までは行っていなかったかもしれない。(……)がやっているのは主に中国語を日本語に訳す案件だという。文書の種類としては、契約書やなにかの製品の説明書などが多い様子。あまりおもしろくはなさそうだが、そういった仕事でもやってなにかしら書き物で金をえなければ、いつまでたっても金をかせぐことができないだろう。ただ、割りはよくなさそうではある。容易に予想されることだが。時給に換算すると、五〇〇円とか六〇〇円くらいになっちゃうときもあるかな、というのが(……)の言だ。それにたぶん相当がんばらなければそこそこの金にすら達さないのではないか。だがまあ、そういうのも勉強にはなりそうだしな、とつぶやいておく。仕事を発注しているのはむろんだいたい企業だが、たまに個人での依頼もあるらしい。また、なかにはYouTubeの動画に字幕をつけてほしいみたいな仕事もあるとのこと。こちらから募集に応募することもできるし、あちらから依頼が来ることもあると。で、仕事が終わったあとの評価制度がもうけられているので、まじめに良い仕事をかさねていけば評判をたかめることもできると。やはりまじめに良い仕事をかさねていくことこそがこの世でもっとも重要な一事である。こちらは資格もなにもないわけだし、有効な手段になるのかわからないが、とりあえずそのうち登録して多少ためしてみてもよいだろう。
  • (……)は最近曲をひとつつくったといってギターをとりだしてきたので、それをきかせてもらった。素朴な感じだったが、思いのほかに悪くない。よくあるJ-POP的な感じとはちがっていてよいと評しておく。あまりあからさまにA・B・サビと構成をくっきりさせて物語的にもりあげていくという感じではなかったので。一応そういう構成にわかれてはいるわけだが。これを歌った音源に自作の絵もつけて動画に仕立てたというのでそれも見せてもらうと、鉛筆画なのだが、普通に絵がうまいなとおもわれたし、その数もかなり多かったので、これだけ描くのはたいへんだっただろうとねぎらう。記憶が刺激されて、たしか高校時代も絵を描いていたんではないかとおもったのでそうきいてみると、たしかに描いていたがそんなにやってはいなかった、それに(……)とか絵のうまいひとがいたしね、とのこと。(……)というのは(……)という名前の、バスケ部だったわりとイケイケな方面の男子で、彼は絵がやたらうまく、というのは自宅で母親が絵画教室をひらいていて、それで彼自身もおさないころからよく絵を描いてきたという事情だったとおもうのだが、数年前に会ったときの状況から変わっていなければ、いまは広告代理店的なよくわからん会社でデザインの仕事かなにかしているはずだ。高校二年生のときに我がクラスは合唱祭で"Soon Ah Will Be Done"という黒人霊歌をやったのだが、そのときに(……)が描いた、黒人がギターをかかえてつまびいているような感じの絵がやたらうまかった。(……)の家にはたしか一度だけ行ったことがある。なぜ行ったのかおぼえていないが。たぶん卒業後、大学時代のことで、同窓会的なあつまりに顔を出したときに、帰りにおくってもらうついでになぜか寄った、みたいな感じだったような気がする。彼の宅のアトリエというか、絵画教室がおこなわれているところを見た記憶もある。あまり詳細におぼえてはいないが。おそらく(……)も一緒にいたとおもう。(……)もバスケ部の一員だったやつだ。(……)は高校一年のときからなのか知らないが(……)さんとずっとつきあっていて、(……)さんはよく我々のクラスにやってきて(……)と仲睦まじく交流していたダンス部の女子であり、こちらは卒業式のあとに第二体育館みたいなところで卒業祭みたいな小規模のもよおしがひらかれた際にバンドでVan Halenの"Jump"をやったのだけれど、それがダンス部とコラボするという企画で女子ダンス部のひとびとが演奏の途中からあらわれてまわりで踊るという趣向になっており、それでわずかばかりのかかわりを(……)さんとえて以来なぜかすこしだけ仲良くなった。なぜなのかよくわからないのだが、こちらは高校時代、女子の一部から好意まではいかない幾ばくかの信頼感みたいなものをえていたようで、(……)さんもそのようなものをおそらく多少はこちらにたいしていだいていたようで、卒業後に何度か顔を合わせる機会があり、一度はデートでもないが二人でカラオケにいったことがある。なぜいくことになったのかわからないが。(……)さんはやたら歌がうまいひとで、このときもなにかしらのR&Bをやたらうまくうたっていたおぼえがある。こちらがなにをうたったのかはおぼえていない。(……)あとおぼえているのは、なにかの機会に数人であつまったときに、たしかそこには(……)さんもいたとおもうのだが、あともしかしたら(……)もいたかもしれないが、(……)さんが、他人と一緒に布団にはいって寝るのが好きじゃないみたいなことを口にしてこちらが同意したという一場面で、というかじっさいにはこちらが先にそういって(……)さんが同意をかえしてきたのだったかもしれない。当時は他人と同衾した経験も性交渉をもった経験もなかったしいまもないのだけれど、当時はあまりセックスをしたいという欲望も感じていなかったので、ひとと一緒にひとつの布団で寝るのはたぶん自分には無理じゃないか、ぜんぜんおちつかなくて心地よく寝られないとおもう、みたいなことを言ったのだったような気がする。いずれにしても(……)さんとこちらのかんがえが一致したことを記憶しているのだが、たぶんそのおなじ席で彼女は、当時は(……)とわかれていたのかあるいはまだつきあいがつづいていながらも恋情もしくは愛情がさめていたのかわからないが、たしか彼についてなんとか文句か愚痴をこぼしていたおぼえがあって、(……)さんがそれをきいていたわけだけれど、なぜかその場に同席していたこちらがだまって傍観者になっていると、二人のどちらかが、女性同士のいやな話をきかせてしまって、みたいなことを言ってとりなしたおぼえがある。さらに、どうでもよい連想なのだけれど、何年か前の四月にやはり高校時代の同窓会的なあつまりで花見に行こうとなったときがあり、当日はあいにく天気がわるくて急遽カラオケボックスのひろい一室に入ったのだけれど、そのとき参加していた男性はなぜかこちらだけで、あとからたしか(……)が来てそれで二人になったのだったとおもうが、女性はけっこうたくさんいてこちらはいつものことで言葉すくなにだいたい聞き役にまわっていたのだけれど、そこで(……)が元彼だったかそのとき好きだったひとだったかの話をして、たしか女子高生にとられたみたいなことだったとおもうのだけれど、そういう話をしているときにも(……)さんか(……)さんだか誰だかが女性同士のときにしか出ない嫌な部分を見せてしまっているね、みたいなことを口にして、こちらはそれに対していや大丈夫、おもしろいよ、だったか、それか勉強になりますとかなんとかかえしたおぼえがある。
  • この日の(……)の話にもどると、こちらもなにか弾いてくれともとめられたのでアコギを出してAブルースをみじかく適当にやり、そのあとコード進行の話など。(……)は曲をつくるといつも定番の、決まりきった進行になってしまうともらした。だいたい4→5→3→6もしくは1とかになるらしく、これはまさしく定番中の定番だ。こちらはサブドミナントマイナーをおしえた。先ほどの曲をきいたときにも、マイナーの色合いがどうもすくないから、どこかでちょっとはさんだほうが刺激があるのではないかとおもっていたこともあって。あとBメロだとたいてい2度のコードからはじめたりするね、Bメロはちょっと雰囲気を変えたいことが多いだろうから、というと、(……)はいままではCのキーでいうとAm、すなわち6度のコードを使うことが多かったらしい。まあでも結局、枠はある程度かたまってるから、あとはそのなかでどうやるかでしょ、どういう装飾を入れるかとか、それこそブルースもスリーコードだけでもできちゃうわけだし、とこちらは言い、ポピュラー音楽のいままでの歴史のなかで名曲っていわれたり、ヒットしたりした曲を調べてみれば、だいたいコード進行はおなじだろうからね、とも言っておく。まあもちろん進行を、つまりは物語的な展開を試行する挑戦もあって良いわけだし、それはそれで大切だが。ほか、余計ながらアドバイスとして、コードもスケールもリズムもまったくかんがえずに、本当に指のおもむくまま適当に弾くみたいなのもけっこうおもしろいよ、なんか音楽にたいする感覚がやしなわれるような気がする、といって例の似非フリーみたいなやつを適当に実践し、こういうふうに指を動かすとこういう響きになるんだな、っていう感覚がつくような気がする、といっておいた。
  • 終盤は宗教関連の話。(……)は「(……)」に属していて布教活動に精を出しており、それをみずからの生きがいとさだめているのだが、日々のメインはそれじゃん、あとほかになにかやってる? とこちらがきいたところ、まあたまにこうやってギター弾いたり、曲つくったり、とかえり、自分はまあ、聖書のなかに人生のこたえっていうか、人間にとっての一番大切なことのこたえがあるって確信しちゃったから、だからそのおしえをひろめるっていうのは一生、死ぬまでやっていくとおもう、というような言があったたしかそののち、不思議におもう? という問いがあったので、いやべつに、俺も似たようなもんだろうし、とこたえながらも、神への宗教的熱情と一緒にしちゃまずいかなと、つまり相手が自分の熱意や使命感を低く見くびられたと感じるかなという配慮が立ったので、いやまあおなじなのかわからんけど、と笑みで濁しておいたが、(……)はおそらく布教活動のなかで宗教にたいする反感とか無理解とかをいろいろ経験してきたのだろうとおもわれ、だからこのときの話もゆっくりとした口ぶりで、すなわち、こういうことを話して大丈夫かなと探りながら、ややおそるおそる語るような調子だった。とりわけ日本だと宗教というものはすぐさまカルトにむすびつけられて胡散臭がられたり敬遠されたりする気味が強いだろうから。まあじっさいにそういう側面もいくらかはあるのだろうが。その後いくらか話したあとに、(……)さんとこういう話ができるとはおもってなかった、高校のときにちょっとはなしたときに、たしか宗教は嫌いだみたいなことを言ってた記憶があったから、とあったので、まあ俺は伝統的なというか、それこそ神を信仰するみたいなタイプじゃないけど、べつにいまは嫌いってことはないよ、高校のときはたぶんよく知らなかったんでしょ、単純に、とこたえた。こちらがおぼえているのは(……)の(……)の上にあったサイゼリアでミラノ風ドリアかなにか食いながらそのあたりの事柄について話したことで、たしかにそのときはちょっと議論めいた感じになったおぼえがある。というのも(……)が進化論をみとめないと言って、進化論も最終的には証拠がないというか、本当なのかどうかうたがわしい、神が生物を創造したというほうが信じられる、みたいなことを話したので、それに多少反論した記憶がある。当時のこちらは進化論を常識として普通に受け入れていたし、いまもべつにそうで、よく知らないものの特にその科学的世界観をうたがう動向は自分のなかにないのだが、こうしておもいかえすと当時の(……)の言い分は、アメリカ社会でおそらくいまもそこそこの勢力を占めているだろう聖書絶対主義の宗教者と大方おなじだったのだろう。いまもそうなのかどうかは知らないが、上で記したように聖書というテクストの価値を信じ高らかに称揚しているわけなので、たぶんいまもそうなのではないか。どちらでも良いが、(……)がこの日の通話でいっていた、こちらが宗教が嫌い、ということを表明したという情報は、いまおもいかえすと、十字軍とかを例にあげて宗教の力によって多数の人間が死に、殺されてきた、だから嫌いだ、というようなことをもしかしたら言ったのかもしれない。あまり明確にその記憶がないのだが、いかにも中途半端にものを知ってひねくれた小賢しい高校生が口にしそうなことではあるし、当時の自分がそういうことを言っていてもおかしくはない。宗教といういとなみのそういう残虐さはむろん一面の真実ではあるのだが、この日こちらが言ったのは、宗教っていうものは俺の理解だと、人間を謙虚にさせるものだとおもうのね、つまり宗教ってどれも、人間を超えたものを志向するわけじゃん、自分よりも大きなもの、自分を超えた領域があるっていうことをおしえる、そうすると人間なんてまったくちっぽけなものだということになるし、万能感がなくなって謙虚になるとおもうんだよね、たぶんどの宗教もそうだとおもう、で、神、っていうといかにも宗教、っていう感じになるけど、べつに自分よりも大きなものがあるっていうのは神でなくてもいいわけで、まあそれがたとえば俺だったら文学、とか、それか芸術とか学問とか、まあなんでもいいんだけど、なにかそういうものがあると人間は謙虚になるんじゃない、というようなことで、これは精神分析的にかんがえるとひとは超越によって去勢される、ということだろう。(……)は興味深く感じたような様子を見せながらいくらか熱をにじませつつそれに同意し、そう、宗教ってたしかに、テロとかやっちゃうひともいるけど、やっぱりひとをただしくみちびくもので、そうでなきゃいけないとおもう、というようなことをかえしたのでこちらは、テロリズムはまあ経済的な要因とかも大いにあるだろうからあまり一概には言えないけど、ただテロに走るひとはさ、あれは謙虚になれなかったってことなんじゃない、つまり神と自分を接続しちゃうわけだよ、で、自分こそが神の意志を体現しているってなるわけだよね、それは一種の思い上がりで、だって自分や人間を完璧に超えた存在を、自分ひとりが代表するなんておかしいじゃん、そんなことはできるわけがないでしょ? そこで同一化が起こっちゃうんだよね、みたいなかんがえを述べた。(……)はこれにたいしても同意をかえした。宗教というものが一方ではおそらく人間を去勢して有限性のなかの中庸やつつましさをおしえるものでありながら、他方では超越との同一化によってまさしく神的万能感をあたえて極端に走らせる危険があるというのは、不思議なようでもあり、またなやましい事柄でもあるのだが、問題はどうしたってやはり主体形成の観点になるわけで、結局は超越に吸収されるのではなく、超越の前にとどまりながら永続的に超越に対峙しつづけることに耐えられる主体をつくらなければならない、ということになるのだろうか? カフカの『掟の門前』をおもいださせるような言い分だが、やはりおのれが個であることを個としてみとめてそれに耐えることのできる主体、というか。ひとまずはそういう方向になるのでは? どうやったらそういうあり方を涵養できるのかは全然わからんが。それにはどうしたってニヒリズムの契機を一度通過することが必要とおもえるのだが。つまり超越を知るということは自分の矮小さを知るということで、それはすなわち去勢されるということだが、おのれの無価値を実感しながらしかしそれを単純にみとめて、そこを前提として立ってあらたな価値秩序を構成していく、という。たぶんだいたいそういうルートをたどるだろう。そこでおのれの無価値をそれとしてみとめられるかどうか、というのが分かれ目になるのではないか。そこでそれに耐えられないものは超越にすがってそちらに吸収してもらうわけだろう。ただ一方でニヒリズムというと、ニーチェの有名な定式句によれば、超越がもはやない、という状況でもあったはずで、そういう場合どうなるのかわからんが。しかしむしろ科学優勢の現代社会においては、そういう頼れるもののない遊動的な人間性のほうが多数なのだろうか? だからそこで不安をおぼえて、エーリッヒ・フロム的にいえば自由の無拘束性に耐えられないのかもしれないし、したがってなにかしらの超越を見つけるとそれに心酔して一気にそちらに殺到し、同一化を目指す、ということなのだろうか。オウム真理教とか、そういうことだった、というかんがえがわりと一般的というか、すくなくとも村上春樹が『アンダーグラウンド』のあとがき的文章で考察していた内容を考慮するとそういう話になるとおもうが。たしかなのは、構造主義だのポストモダニズムだのがかまびすしく語られ、AIだのポストヒューマンだのがうんぬんされる西洋暦二十一世紀ではあるけれど、主体論と承認論はまだまったく終わってなどいないし、今後も当分のあいだは終わりようがないだろうということだ。
  • だいぶ話がそれたが、そういった宗教および実存の話題を語り、それでだいたい話は尽きた。あとどこかのタイミングで昨日(……)と電話した、といったところ、おどろきめいた反応があり、そこで(……)の呼び方が「(……)さん」になっていたのだが、この件は今日すなわち五月二日、(……)と会った際に笑い話として彼にも話しておいた。そのことはおぼえていたら五月二日の記事にのちほど記す。

2021/4/29, Thu.

 社会的言説やひどい社会的方言が集まる伏魔殿においては、二種類の傲慢さを、すなわちレトリック支配の恐るべき二形態を区別することにしよう。〈支配〉と〈勝利〉である。「ドクサ」は、勝ち誇(end231)ってはいない。支配することで満足しているのだ。ドクサはじわじわと広がって、ねばついてくる。合法的で自然な支配であり、「権力」の同意をうけて広がった、広範囲におよぶ覆いである。「普遍的な言説」であり、(何かについて)弁舌を「ふるう」というだけの事実のなかにすでに潜んでいる高慢さの形態である。だから、ドクサ的な言説とラジオ放送とのあいだには、本質的な類似性がある。たとえば、ポンピドゥーの死のとき、三日のあいだ〈それが流れ出て、拡散した〉のだった。逆に、戦闘的、革命的、あるいは(宗教が闘っていた時代における)宗教的な言葉づかいは、勝ち誇った言語である。それぞれの言述行為が、古代ふうの凱旋式になっているのだ。勝利者と敗れた敵とがつぎつぎと行進させられるのである。いろいろな政治体制について、それが(まだ)「勝利」したばかりの状況にあるのか、(すでに)「支配」している状況にあるのかによって、その体制を安定させる方法を判断し、その変化を明らかにすることができるだろう。たとえば、一七九三年の革命期の勝ち誇った態度が、どのようにして、どんなテンポで、どのような人物たちによって、すこしずつ落ち着き、広がったのか、そしてどのように「固まり」、(ブルジョワの言葉が)「支配」する状態に移行したのか、それを研究する必要があるだろう。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、231~232; 「支配と勝利(Le règne et le triomphe)」)



  • 一二時半過ぎまでとどまる。久しぶりに正午を越える寝坊となった。滞在も八時間半に渡る。今日から連休なのでまあ良い。大阪行きは結局断念されたので連休中はたぶんほぼ家にとどまってだらだら過ごすだろう。せいぜいちょっと(……)に出て書店に行くくらいか。読書会の次回の課題書であるちくま文庫ギリシア悲劇集も買っておきたいし。旅行の飛行機代金の払い戻しも無事なされた。緊急事態宣言を受けて航空会社が対応してくれたのだ。
  • 天気は曇りもしくは雨。上階へ行き、卵を焼いて米に乗せて食事。新聞の一面と国際面は昨日から「奔流デジタル」とかいう特集を組んでいて、「動揺する民主主義」という連載がなされている。今日の一面はイランでクラブハウスなるSNSが人気で、それを使って女性にスカーフの着用を義務付けるのは法的に正当か否か、みたいな議論がなされたと。テーマごとに仮想の「部屋」がつくられ、登録者に招待されることで参加できるらしい。これを政府が黙認しているのは政府自身もこのクラブハウスを使って政治的宣伝をおこなっているからで、ただほかの権威的諸国と同様、広告の効果と体制の安定性への影響を考量した上で、後者のほうがまさると判断されればTwitterFacebookのようにこれも禁止されるだろうという話で、それはそうなるだろう。ほか、春の叙勲で森進一が旭日章のたぐいをもらったとかあり、せっかくなので受賞者一覧をちょっとながめてみたところ、馬場あき子という歌人と、建築家の伊東豊雄と、あとアン・マクレランという作家の名があった。このアン・マクレランというひとはAmazonを見る限り、"Cherry Blossoms: The Official Book of the National Cherry Blossom Festival"とかいう著作をものしている模様。
  • 食事を終えて母親が放置していった皿と一緒に食器を洗い、風呂洗いも。茶を持って帰室。昨日(……)さんがくれたクッキーを食べつつ一服。それと同時に、今日は"Robert Walser Turned Small Lives Into Incredible Fiction: An excerpt from 'Walks with Walser,' a revealing new book about the legendary Swiss writer."(2017/4/1)(https://www.vice.com/en/article/yp9kjm/robert-walser-turned-small-lives-into-incredible-fiction(https://www.vice.com/en/article/yp9kjm/robert-walser-turned-small-lives-into-incredible-fiction))をまず読んだ。最近英文記事を読んでいなかったので。この記事も三回にわけてしまったが、ここで読了する。このあたりで雨がやや通る時間があり、パラパラ音が響いていたはず。そのあとKendrick Scott Oracle『Conviction』を流して「英語」を音読、そしてベッドでヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。今日は「都市の肖像」シリーズのマルセイユからはじまったが、この文章は良かった。モスクワのそれとは違って文学的な具体性がおりおりある。そのあとのやつもなかなか良く、「ドイツのひとびと」という書簡アンソロジーに入ってすこしのところまで。一七八三年から一八八三年までの作家などの書簡をベンヤミンが選んで註釈や解説をつけたもので、こんな仕事していたのかと思った。なかなか面白い。作家などの手紙というのはそれだけでわりと面白いが。最初に載っているのはツェルターといってゲーテの晩年の友人だった作曲家がゲーテの死(一八三二年の三月一五日)を知らされてヴァイマルの大臣に送ったもの。次のやつはリヒテンベルクという物理学者でアフォリズムの名手だというひとが、二〇歳くらい年下の、当時一三歳かそこらの少女を家に住まわせるようになり、何年か経ってついには正式な式は受けていないものの妻とみなすようになって周囲にもそのように公にしようと思っていたところでその女性が突然死んでしまった、という内容の報告。リヒテンベルクというひとはたしか『リヒテンベルクの雑記帳』とかいうものが邦訳で出ているはずで、以前書店で見かけてちょっと気になっていた。いま検索するとたしかに、作品社から出ている。Amazonの紹介によれば、「ニーチェが「ドイツ散文の宝」と賞賛し、ホーフマンスタール、ウィトゲンシュタインフロイトベンヤミンブルトンら、二十世紀の思想や文学に巨大な足跡を残した人びとに多くの刺激を与え、エリアス・カネッティが「世界文学におけるもっとも豊かな書物」と呼んだドイツ・アフォリズム文学の嚆矢!」とある。やばくない?
  • 四時で中断。トイレに行ってきてから瞑想。窓を開けると雨で水気の豊かになった大気のなかに、煙のような余白的な暈をともなったヒヨドリの声が響いているのが即座に聞こえる。心地が良い。肌が気持ち良い。ある程度やって姿勢を解くと、そのまま臥位になって、深呼吸をくり返しながらまたしばらく止まっていた。四時五〇分頃になって起き上がり、今日のことをここまで記述すると五時一五分。
  • 上階へ。帰宅した母親は炬燵に入ってくつろいでいる。おかえりとかけて、麻婆豆腐をつくることに。また、冷凍の餃子が数個だけ残っていたことも思い出したので、それも焼くことにした。腹がたいそう減っていたのだが、あと前日の残りのサラダの小鉢やカボチャが少々冷蔵庫にあったので、麻婆豆腐をこしらえればこちらの食事はもうそれで良い。そういうわけで手を洗って、野菜室を覗けばキャベツがすこしだけ余っていたのでそれを芯の至近まで切り、小さな紫タマネギも半分余っていたのでさらにその半分をいただき、フライパンで炒める。炒めているあいだに豆腐二個を切り分けて皿に乗せ、電子レンジで加熱しておいた。そうして素をパウチから押し出し、豆腐もそこに加えて、多少味醂も足しておくとあとはしばらく沸騰させればOK。もうひとつのフライパンで餃子を焼く。合間に食器乾燥機の片づけなど。できると五時半過ぎだった。あとは汁物など、やるならやってくれと母親にまかせることにして、アイロン掛け。エプロンやハンカチ、ワイシャツを処理して、六時に達する前にもう食事に入った。ちょうどそのあたりで山梨に行っていた父親が帰宅。まもなく風呂に行った。食べながら新聞を読む。国際面の、「奔流デジタル」の続き。ベリングキャットについてなど。ベリングキャットというのは民間の調査会社なのだが、英国人の元ブロガーのひとがつくったらしく、このひとはリビア内戦で現地のひとがSNSなどに投稿した画像を調査し、当地の状況を分析するということをブログ上でやっていたようで、それが人権団体の目に留まったと。それでオランダ法人としてベリングキャットが創設され、いまスタッフは一八人だと言う。ずいぶんすくないんだなと思った。アレクセイ・ナワリヌイが毒殺されかかった件の調査もこの団体がしていて、ナワリヌイ自身も協力して政府の安全保障委員会書記の側近とかいうポジションの人間だと装って電話で計画に関連した人間と話し、相手は見事に騙されて計画の詳細を長々と語ったらしいのだが、その音声がベリングキャットによってインターネット上に公開されたのだという。すごい。ベリングキャットは各国のジャーナリストらに調査手法を教えるレクチャーなどもひらいており、資金はだいたいそれとか寄付でまかなっているらしい。
  • 食事を終えて皿を洗い、ポットの湯がとぼしくなっていたので薬缶で水をそそいでおき、帰室。(……)から昨日着信があって、夜にメールを送っておいたのだが、この日その返信が来ていてあとで電話して良いかというので一〇時半くらいで頼むと返しておいた。室に帰ってきてこのときはLINEをひらいて(……)に返信したりしたはず。それから茶をつくりに行って、もどってくると書抜き。Keith Jarrett Trio『Standards, Vol. 2』を最初流す。次に、男性ジャズボーカルを掘りたいと以前から思っているので、ディスクユニオンのそのカテゴリにアクセスして、適当にAmazon Musicで聞いてみることに。一番上にAl Smithという名があって全然知らないしなんの情報も記されていなかったのだが、このひとはEddie "Lockjaw" DavisやShirley Scottの参加を得て『Hear My Blues』というデビューアルバムを出したひとらしく、しかしもう一枚、『Midnight Special』というのを出しただけでどうもキャリアは終わってしまったようだ。Amazonにその二枚がひとつになったデータがあったのでそれを流す。いかにもソウルフルという感じの、熱のこもった歌手で、シャウトもたびたびあってわりと暑苦しい。路線としてはJimmy Witherspoonみたいな感じだが、Witherspoonはここまで暑くはないのではないか。シャウトとかしない印象だし。Eddie Lockjaw Davisってきちんと聞いたことがないのだけれど、ソロを聞くとトーンがざらついていて、楽器でありながらしわがれ声の人間が歌っているみたいなニュアンスがあって、さすがに大御所というか、なかなか良いなと思った。Miles Davisも自伝のなかで褒めていたようなおぼえがあるし。『Hear My Blues』はベースがWendell Marshallで、このひとはDuke Ellingtonのバンドに一時いたらしい。『Midnight Special』のほうはサックスはKing Curtisで、ギターがJimmy Leeとかいう知らないひとだったのだが、このギターはうまい。
  • その後、一〇時半から(……)と電話。変わりなくやっていると伝える。(……)のほうは知らないうちに(……)の店舗に移っており、くわえて来月から(……)に新しくオープンする店の店長に任命されていると。すごいものだ。まだ入社して三年かそこらしか経っていないはずなので、出世のペースとしては相当はやいほうのはず。ただ、(……)の店というのは営業成績トップの社員がいるところで、そいつをぶっ倒してやると意気込んで行ったものの、やはりどうしてもかなわないと、できるやつはちがうと思い知らされたらしい。どこがすごいのかと訊いてみると、特にすごく突出したところがあるわけではないのだが、皆がだんだんおろそかにしてしまうような基本的なことをしっかりやっているし、人柄も良く、仕事の効率も良いと。(……)はそのひとよりもはやく出勤し、また遅く帰っていたらしいのだが、それでも抜くことができなかったと。単純な話、たぶんこまかなところがとても丁寧なひとなのだろう。こまかくやるとその分手間と時間がかかるのが順当なはずだが、そのあたりはやはり優秀さ、要領の良さということなのだろうか。とはいえ(……)も店長をまかされるわけだから有望視されていることはまちがいないだろう。店ではコロナウイルス関連はどうなっているかとたずねてみると、むろん仕切りをもうけたりしているが、やはり対面で話したいという客が意外と多いから、普通に対面でやりとりをしていると。オンラインでの手続きというのも可能ではあるらしいが。客もどちらかといえば増えており、一番いそがしいくらいだという。コロナウイルスで収入が減って安い家に移るにせよ、あるいはテレワークに対応した住まいに変えるにせよ、やはり社会環境がだいぶ変わってしまったからそれにともなって引っ越すというひとが多いようだ。
  • 家は(……)のままだが、駅前のマンションにいたのがべつの駅前のマンションに移ったという。結婚した? と訊いてみると、まだだと。そろそろ言おうかな、とおもっていて、店長にもなるわけだから良いタイミングだとも感じているらしいが、ただ、本当に結婚して良いのかなというためらいも一抹あるような口ぶりだった。いやまあ、いいんだけどね、ととりなしてはいたが。(……)はもともとそれなりにあそんでいて、複数の女性と関係をもっていた時期もあったが、結局いまの相手ひとりにしぼり、しかしそのひとが家事などあまりやらず、俺が部屋の掃除をしたりもろもろやっていると不満を口にしていたのを聞いたおぼえがある。その後、変わっているかもしれないが。
  • あちらは休みが五月二日までだと言い、その二日に(……)で会うことに。モノレール下の広場に行きたいというので、良いではないかと同意する。飲み物でも買って野外で話せば、感染のリスクもそう高くはないだろう。歩くのも良い。こちらとしては本屋でちくま文庫ギリシア悲劇集を買いたかったので、街に出るのはちょうどよい。できれば図書館にも行って、リサイクル資料を見たいが。とおもっていまホームページを見てみたが、しかし緊急事態宣言の発出を受けて書架への立ち入りや貸出ができないとなっているので、そうするとリサイクル資料もたぶん出ていないだろうから、今回は見送ろう。
  • 一年前の記事を読み返し。椹木野衣が書いたジェフ・クーンズについての文章とか、岡崎乾二郎ボブ・ディランについて述べた記事とか、Dylan自身のノーベル賞受賞を受けての声明とか読んでいるので、「記憶」記事にいちいち引いておく。自分の文では、以下の一節が悪くない。

夜歩き。暗い大気は涼しく、ちょうど良いくらいの肌触り。右手北側に見上げた林の樹影の隙間に明かりがあって、初めは電灯かと思ったがまもなく、どうも月だなと見分けられた。随分と強くはっきりした明るさで、じっさい樹々が途切れると全貌をあらわし、空は日中からずっと変わらず雲を排して澄みきっているので、頼みの綱をなくした月はどうあがいても身を隠せない。昨日とおなじくまだ孤月、曲り月だが、前夜に比べて結構太くなった風に見えた。左を向けば公営住宅の棟の口で、煙草に憩うているらしい人の影があり、あたりからは虫のノイズが、電気機械のノイズと区別がつかないごとく無個性無色に乾いて詰まった翅の音[ね]が、道の途中にぴんと張られたテープのように差してくる。気温はだいぶ上がったらしい。

  • 二時半頃から、2020/1/7, Tue.を読み返し兼検閲。(……)二〇二〇年一月七日のこのあたりの記述は感情的で恥ずかしいので、検閲する。

2021/4/28, Wed.

 言葉が観念をみちびいてゆくような言述はどれも、(価値的な判断からではなく)「詩的である」と言うことができる。もし、あなたが言葉の誘惑に屈するほど言葉を好きになれば、シニフィエを示すことや著述をおこなうことという掟から身を引くことになるだろう。そうなれば、文字どおり〈夢の〉言述となるのだ(わたしたちの夢は、目の前を通りすぎる言葉をつかまえて、そこから物語を作ることなのだから)。(わたしの考えだけでなく)わたしの身体そのものが、言葉に〈なじんで〉おり、いわば言葉によって作られているのかもしれない。今日、わたしは舌の上に、表皮剝離のように見える赤い斑点を見つける――しかも痛くないので、癌の症状ではないかと思う。だが、近くから見てみると、舌を覆っている白っぽい皮膜がすこしはがれた症状にすぎないとわかる。〈表皮剝離〉という、厳密ゆえに味わいのあるこの珍しい言葉を用いるために、このささやかな強迫観念的シナリオが作られたわけではない、とはわたしには断言できない。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、229; 「いかなる論理か(Quel raisonnement?)」)



  • 起床時のことは忘れた。新聞でこの日から「奔流デジタル」とかいう特集がはじまっていて、一面と国際面に載せられており、「動揺する民主主義」というテーマの記事なのだけれど、一面のほうで語られていたのはジンバブエの状況で、デジタル技術で益を得たのはもちろん反体制運動をする側だけでなく、政府の側もそれを活用して抗議者をピンポイントで摘発に来るようになったと。以前は集団でつかまえられて、牢屋で何日か過ごせばそれで終わりで釈放される、という大雑把な感じだったらしいのだが、もっと個で取り締まるやり方に変わってきているとのこと。ジンバブエはもともとムガベ大統領というひとがたしかずっと独裁的にやっていて、たしかけっこう前にめちゃくちゃなインフレを招いたのもジンバブエだったような気がするのだが、ムガベが死んでべつの指導者に変わったあともしかし本質は変わっておらず、抑圧的な体制が続いているようだ。国民のかなりの割合が貧困と言って良い生活水準らしく、しかし農村部など、電気も水道も引かれていないようなところでもスマートフォンはわりと皆持っているらしい。国際面のほうは中国について書かれてあり、武漢など都市では網格員という立場のひとが住民を受け持って管理していたと。要するに隣組的なもので、その網格員なる役職のひとが六〇〇人とか一〇〇〇人とかを担当して、相談にこたえたり、情報を提供したり、逆に情報をもらって上に報告したり、コロナウイルスで都市封鎖されていたときにはひとによってはかわりに買い出しをおこなったり、と働いていたらしい。それが専用のアプリのたぐいで連絡交換されていて、怪しい人間などがいたらすぐに党のほうに報告できるわけだ。マジで監視国家というか、市民たち自身の密告、チクりが横行して体制維持に大いに貢献するようになっているのだろう。人権派弁護士の家に訪問者があった、という情報も上がってくる、ともあったし。上がった情報はたしか警察のほうのビッグデータに集約される、ともあった気がする。それにしても、ひとりで六〇〇人とか一〇〇〇人とか担当するのはめちゃくちゃ大変ではないかと思うのだが。いくらアプリを使うと言っても。次々に相談が来たらとても回らないだろう。
  • 出勤までのあいだに特段のことはなし。家を発ったのは三時半過ぎ。あたりに鳥の声が散っているなかを急がず行く。眠たいというか、なぜか頭が重いような感じが多少あった。いますぐベッドに横になって何もせず呆けていたいような。しかしそうも行かないのでゆるく歩をすすめる。(……)さんの宅の前には、夜にここを通るとよく停まっているのだが、何者か不明の軽自動車。前方、小橋では、すぐそばの家に住んでいる外国人だったと思うが、板状の台車に乗せたものを沢のほうに次々投げ捨てているひとがいたのだけれど、何を捨てていたのか見えず。動きからしてそんなに重いものではなさそうだったので、掃除で集めた草とかか? 坂に折れると前から虫取り網みたいなものを持った子どもが来て、たぶん五歳から七歳のあいだくらいの歳だったと思うが、白人系の外貌をしている少年だったので、先ほどの異国のひとの息子だろう。すれ違って上っていき、余裕綽々で駅へ。ホームに入るとベンチに就いて脚を組み、瞑目して休む。寒くない。たしか陽はほぼなかった気がするが。わずかなあいだだけでも、目をつぶって止まっていればけっこう回復する。来た電車に乗っておなじように座席で休んで待ち、降りると駅を抜けて職場へ。頭の重さはわりと溶けていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • もろもろやって退勤は八時四五分頃だったか? (……)
  • (……)それで挨拶して退勤。今日は徒歩ではなく電車で帰ることに。Woolf会もあるし、体力を温存しておきたかった。駅に入って電車に乗り、瞑目して休息。最寄りで降り、誰からも離れて一番うしろをゆるく行く。たしか例の、気温が高くなってくるとあらわれる、ジージーいって無個性な持続ノイズ風の虫の音が発生しはじめていたはず。ホームから線路を越えて表通りのほう、どこかの草から聞こえていたおぼえがある。その他の帰路の印象は特にない。やや肌寒かったか? 体内が空だったし。
  • 帰宅し、着替えてベッドで休息。一〇時頃に食事へ。寿司だった。小僧寿しの海鮮丼。もう品があまりなくて、あんまりいいのじゃなかったけど、と母親は言うが、全然かまわない。実際食っても、小僧寿しなど本当に良い寿司からすればパチモンみたいなものなのだろうが、かなりうまかった。感謝の念が湧くくらいのうまさだった。やはり胃が空だったし、からだから水もけっこう抜けていただろうから、そういう状態で食えばたいていのものはうまい。手巻きも食い、あと小僧寿しは近年唐揚げも売っていて、そのけっこう大きめの鶏肉も一切れ食べて、たいへん満足。食器を片づけて下階にもどり、隣室に移ってZOOMにつなげたのがちょうど一〇時半頃。この時点での出席者はまだ(……)くん、(……)さん、(……)さんだけで、のちに(……)さんが来て、さらにのちに(……)さんもあらわれた。あと、(……)さんもいっとき滞在。一時頃におもいきり良く去っていった。(……)さんと(……)さんは聴講だったから、実質(……)くんと二人でやるみたいなもので、もうすこし待ったほうが良いかとも思ったが、ともかくはじめることに。それでこの日はこちらが担当なので、英文を読み、訳文も読む。前回と前々回は前から逐語的に訳すフェイズを入れたが、今回それを挟むのは中ほどのやたら長くてわかりづらいところだけにして、あとは英文を読んでそのまま訳文に行った。訳した文章は二五日日曜日の記事に載せたので割愛。(……)くんからはわりと好評価をもらった。「あれこれ考え合わせて、私はこのひとが好きなんだ、嫌いなんだ、って、そんなの、どうやって決められるっていうんだろう?」の、「って、」という部分が良かった模様。
  • 本篇が終了すると、『イギリス名詩選』。(……)くんはこのイギリス詩を読むのにも飽きてきたようだが。かわりにWoolfのエッセイを読むのも良いのでは、と言っている。こちらはどちらでも良い。ともあれ、94番の、Ralph Hodgson, "Time, you old gipsy man"というやつを選んだ。前に大雑把に確認したときに、なかなか良い詩だと思っていたので。平易な言葉で、一行をどれもみじかく書いているが、内容としてもなんか良い感じだし、まさしく馬車でゴトゴト、安定的にすすむかのごとき、いわばエイトビートのリズム感がある気がする。インターネット上で拾った原文を以下に掲示

TIME, you old gipsy man,
Will you not stay,
Put up your caravan
Just for one day?

All things I'll give you
Will you be my guest,
Bells for your jennet
Of silver the best,
Goldsmiths shall beat you
A great golden ring,
Peacocks shall bow to you,
Little boys sing,
Oh, and sweet girls will
Festoon you with may.
Time, you old gipsy,
Why hasten away?

Last week in Babylon,
Last night in Rome,
Morning, and in the crush
Under Paul's dome;
Under Paul's dial
You tighten your rein—
Only a moment,
And off once again;
Off to some city
Now blind in the womb,
Off to another
Ere that's in the tomb.

Time, you old gipsy man,
Will you not stay,
Put up your caravan
Just for one day?

  • 三連目でぐっと時間の範囲が広大になって、古代バビロニアまで歴史をさかのぼり、そこからローマ帝国を経由しながら一気にぐあっと現在のロンドンにまで来るというダイナミズムが良いみたいなことを(……)くんが言い、その点はこちらも同感である。しかも一週間でそれがなされるわけだから。人間にとってははるか遠い時空の距離でも、時そのものにとってはたかだか一週間のことにすぎない、という風なたとえになっているわけだ。あと面白いのは、Off to some city/Now blind in the wombの言い方か。いまだ目も見えず子宮のなかにあって誕生を待っている未来の都市へ、ということで、cityにwombをあてるのが面白い。blindは註によればhiddenの意だといわれているのだが、普通に、胎児が生まれる前は目が見えない、もしくは目がないというイメージの重ね合わせとしてとらえても良いのではないか。
  • イギリス詩も読むと、そのあとは例によって雑談。こちらは(……)さんが来ていたので、聞きたいことがあって、と言い、生涯独身だったような女性の自伝とか伝記があったら知りたくて、と話した。このあいだ二葉亭四迷の『浮雲』を読んだらなかの台詞で、まさか尼さんじゃあるまいし、女が一生旦那ももたずに生きていけるもんかね、みたいな言葉があったのだが、しかし現実には江戸にも明治にもそういう女性は圧倒的少数派ではあれいたはずで、そういうひとの生とか考え方とかが語られている本があったら読みたい、と説明し、情報を乞うたが、やはりそんなにぱっと出てくるものではないようだ。(……)さんが一番に思いついたのは森茉莉だといい、森茉莉がどういう生涯だったかちっとも知らないのだが、そうかんがえるとたしかに、こちらは文学者のたぐいをなぜか排除してかんがえていたけれど、女性作家のエッセイとかを読むのが良いかもしれない、とおもった。まあできれば『浮雲』を読んで得た発端に合わせて、男性中心父権制社会のなかで独力で生きたようなひとのものが読めたほうが良いが、そこにめちゃくちゃこだわるつもりもないので、とりあえず女性作家の文章をいままでよりも意識してみたほうが良いかもしれない。実際、女性作家のものって全然読んでこなかったと思うし。あと(……)さんは『明治女性文学論』という本を画面越しに見せてくれ、また、彼女がいま書いている文章がそういう方面のものらしいので、(……)くんにうながされて、じゃあそれを今度おくります、と言ってくれた。
  • ほか、入管法の件やその抗議についてなど。(……)さんはこの日もデモに行っており、それで参加が一時過ぎくらいからになったのだった。当事者をまもるという意識が、メディアにも社会にもうすいのではないか、というような話がなされた。入管関連であれなんであれ、不条理な目にあわされている人間自身が声をあげてみずからの境遇や心情について語り、批判や告発をすることがあるわけだが、それはやはり非常なリスクをともなう行動でもあって、色々なところでバッシングを受けたり、ときには身の危険につながったりもするのだけれど、メディアの側はわりと言うだけ言わせておいてその後のフォローとかをせず、声を上げた人間をまもったりたすけたりするような環境構築もせず、それでいながらやはり当事者が語ることが大切だといってときにきわめて軽々しく「声」をもとめてくる、と。(……)そこから日本のジャーナリズム批判みたいな話が展開された。疑似中立というか、客観をよそおった事なかれ主義みたいな姿勢についてだったり、あと単純に記事や文章が面白くないということだったり。一応客観的とみなされる事実を伝えるのがマスメディアの役割であるという理解は一般的に共有されているとおもうのだけれど、それがかえって問題に踏みこめなかったり、価値判断をあまりにもしなさすぎるという姿勢につうじているのでは、と。New York Timesの名が挙がったが、海外の主要メディアは意見欄が充実していて、そのメディアとしての意見や態度や立場を明確に表明していると。New York Timesで言えばOp-Ed欄はたしかに充実しており寄稿者もいくらでもいるし、GuardianのComment is Freeを見てもそれは明白である。まずもってああいう場所で書いている人間の数が日本よりはるかに多い。Comment is Freeなんかは内容としても面白いものが多い。あと、記事に署名がないことと、出典をあまりこまかくあきらかにしないことが日本のメディアの問題点として挙げられた。紙の新聞を読んでいてもたしかに国際面の記事には特派員の名が記されているものの、政治など国内のニュースは基本的に無署名になっている。また、インターネットの記事を見るかぎりでは、海外メディアは文中にたくさんリンクを貼って、情報のソースとか、参考になるような情報とかをいくつも示している。だから、このひとめちゃくちゃ読んでるなというのがすぐにわかる、とこちらは応じた。あと日本の電子版の主要メディアでこちらが解せないのは、過去記事の検索が貧弱だというか、検索しても消えていることがよくあるし、いままでの記事をすべて集積したデータベースもない。New York Timesなどはマジで一〇〇年以上前の記事でも全部検索できたはず、とそういうと、日本の新聞もデータベースはあると言われたから実際にはあるらしいのだが、ただ有料だという。New York TimesはじめWashington Postであれなんであれ海外のメディアももうほぼ軒並み購読料が必要になっているのだが、それをかんがえるとBBCとGuardianはマジで偉大である。特にGuardianはマジでやばい。カテゴリ分けがめちゃくちゃこまかいし。あと(……)くんが言ったのだけれど、日本のメディアはいま直近で起こっていることを一応客観的に伝えはするけれど、その問題がどういう経緯を経てそこにいたっているのかということは充分には説明せず、情報をそういう広範囲の視野につなげるのが下手くそだと。それでいえばBBCは、たとえばいまだったらミャンマーがああいうことになっているけれど、ミャンマーがどうしてこういう状況になっているのか、という記事をかならず出しますね、まあわりと要約的ではあるけれど、それでも基本的な点を押さえたそういう記事を絶対につくって、それをミャンマー関連の記事には全部リンクするようにしていると思う、とこちらは受けた。
  • (……)
  • (……)
  • 結局終わったのはまた三時過ぎだったはず。(……)さんは(……)くんなどにいわせれば「できる人間」なので、早々に見切りをつけて去っていったのだけれど、我々はいつまで経っても話をやめることのできないさびしがりやというわけだ。こちらは(……)さんに申し訳なかったなと思い、ずっと発言せずにいたけれど、去りたいタイミングがあったのではないかと思って、終える前にその点言及したところ、いやいや、すごく勉強になりました、というような返答があった。それで通話を終え、それから入浴に行き、もどってくるとすぐに消灯して床に就いた。ちょうど四時だったはず。
  • あと、(……)くんはマンスフィールドを研究している、もしくはしていたひととやりとりをしているのだけれど、そのひとから紹介されて上田敏の訳詩をちょっと読んだらとても良かったと。上田敏といえば例のカール・ブッセの、山のあなたにうんぬんかんぬんというやつが有名なあれかとおもってそう口にすると、(……)くんが知ったのはロバート・ブラウニングという詩人のやつで、上田敏が訳した当該詩は『イギリス名詩選』のなかにも入っているのだけれど、簡潔な詩で、春の風景をうたって最後が「すべて世はこともなし」で終わるものであり、磯崎憲一郎が書くところの「世界の盤石さ」をおもわせるものだが、(……)くんはこれを読んだときに格好良いなとおもいつつどこかで聞いたことがあるぞともおもったところ、RHYMESTERがなんとかいう曲でこれをほぼそのまま引用していたもので、その曲を画面共有でちょっと聞かせてもらったが、ここで出てくるのかよとおもって笑ってしまった。ライムスターは(……)くんいわく全員早稲田大学出身らしく、やはりさすがだなとのこと。
  • 上田敏が訳した該当の詩文をWikipediaから引いておくと、「春の朝 [あした] 」というやつで、

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

  • 音調がほぼ全部五音でととのえられている。原文は下だが、The lark's on the wingを「揚雲雀なのりいで」と訳せるのは、たしかにこれはちょっと真似できないなという感じ。

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn:
God's in his heaven—
All's right with the world!

  • このころの日本の詩の連中って中原中也にせよ上田にせよ堀口大學にせよやっぱりみんな外国の詩を訳しているよなとおもって、まあべつにみんなではないのだろうけれどそうおもってそのように口にした。中原は世代的にはもうすこしあとか。日本のいわゆる近代詩がどこからはじまったのか全然知らないのだけれど、おそらく小説とも似たようなかたちで、たぶん西洋の詩を訳すところからはじまったのだろうし、最初に誰がやったのかとかそのあたりの歴史も知りたいのだが。それまではたぶん日本で詩といえば、漢詩か和歌のことだったのだろうし。そうかんがえると、小説はともかくとしても、日本のいわゆる近代詩って、そのほぼ全体が、西洋のエクリチュールの影響のもとに包括されてしまうというか、ジャンル全体としてもうほぼ西洋由来ということになるのか。いまさらだが。まあ一応、小説で江戸以来の読本とか古典文学の要素とかが多少入ってはいるだろうように、和歌漢詩の要素がいくらか入ってもいるだろうが。しかし明治以前、それに先立って江戸期の蘭学とかの連中がすでにやっていたりしなかったのだろうか? やっていないはずがないとおもうのだが。普通に医学とか実学とか学術ばかりでなく、文学や物語のたぐいも入ってきて読んでいたのではないかとおもうし、読んだら訳して似たようなことをやってみようとおもう人間がいないわけがないだろう。

2021/4/27, Tue.

 きわめてささいなものであろうと、いかなる事実にたいしても質問をくわえたくなる、という常に変わらぬ(むなしい)情熱がある。〈どうして〉という子どもの質問ではなく、意味をたずねる古代(end226)ギリシア人の質問である。いかなる事物も意味に身をふるわせているかのように、〈それはどういう意味か〉とたずねるのだ。どうしても、事実を観念に、描写に、解釈に変えねばならないのである。ようするに、事実にたいして、〈それとは違う別の名称〉を見つける必要があるのだ。この癖は、つまらない事実にたいしても特別扱いすることはない。たとえば、わたしは田舎にいるときは庭で小便をするのが好きだが、田舎以外ではそうではないと認める――あわててそう認める――とする。すると、すぐに〈それが何を意味しているか〉を知りたくなる。もっとも単純な事実でも何かを意味しているのだとするこの執着は、社会的には悪癖をもった人間であることを示している。〈名称の連鎖を切り離してはならない、言語の鎖を解いてはならない〉のである。過剰に名称をあたえることは、つねに嘲笑されるのだ(ジュルダン氏や、ブヴァールとペキュシェなど)。
 (無意味であることが価値となっている〈アナムネーズ〉以外は、本書においてさえも、何も意味をもたせることなく報告されているものはまったくない。事実を非 - 意味生成の状態にしておくことはできないのだ。いかなる現実の断章からも、ひとつの教訓や意味を引き出すのが、寓話の動きというものである。だが、それとは反対の本を着想することもできる。たくさんの「小さなできごと」を報告するが、そこから一行たりとも意味を引き出すことはぜったいに自分に禁じるという本だ。それはまさしく〈俳句〉の本であろう。)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、226~227; 「「それはどういう意味か」(《Qu'est-ce que ça veut dire?》)」)



  • 「ハンカチに孤独を秘めてたたかいをうたう聖女の祝福に死ね」という一首を作成。
  • なぜかわからないがけっこうはやく覚めて、一〇時半過ぎには離床できた。今日は休みなので瞑想も充分おこなう。
  • 食事を取りながら新聞。ロシアでナワリヌイ派の団体が暫定活動禁止を課せられたとあった。検察が裁判所に要請して審査をするとか。ほか、イスラエルではワクチン接種がすすんでマスク着用義務化が解除されて、国民のなかにはコロナウイルスはもはや過去のことであり我々は解放されたなどという楽観論も聞かれると。そんなに簡単に行かないだろうと思うが。ただワクチンはもうそろそろ国民の半数くらいが二度目の接種を終えるとかあったか。七割が接種すれば集団免疫を獲得できるのではないかと言われているらしい。ただしファイザー製は効力が半年くらいらしいし、インドで新たな変異ウイルスが見つかってもいるようなので、予断はできないだろう。そのインドでは件の変異型が流行していて、いまは一日で三五万人が新たに感染しているらしい。日本はいまたしか一日三〇〇〇人くらいだと思うから、人数だけで見るとまあ一〇〇倍くらいか。総人口のほうはだいたい一〇倍くらいだと思うので、日本と比べると感染割合はかなり高そう。あと、『ノマドランド』という映画がアカデミー賞を取るか何かしたらしいのだが、その三九歳の女性監督が中国出身のひとで、過去に中国政府は嘘ばかり言っているみたいな発言をしていたようで、おそらくそれで中国ではこの受賞が無視され、全然報じられていない、という話があった。
  • 部屋にもどってLINEを確認。(……)
  • それでようやく二時くらいから横になって書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。二時半過ぎくらいで、この日は曇天気味であまり陽がなかったので、干されていた布団を取りこんだ。自分のものと、両親のものもそちらの寝室に入れておく。そうして自身の寝床を整えて、そこに転がって書見を続ける。「都市の肖像」シリーズからモスクワについての文章を読みすすめるのだが、つまらなくはないがとりたてて印象に残る部分が多いわけでもない。なんというか、モスクワを外から俯瞰的に見て考察し、述べているような文章で、ベンヤミン自身もしくは話者がそのなかで過ごした具体的な時間のことがほぼ出てこない。体験的エピソードなどがなく、それ自体は書かず、そこから得られたらしい知見とか分析とか都市の特徴とかを記すだけ、という感じ。したがって、作者ベンヤミンもしくは語り手がその都市とどのように交流したのかがわからず、都市のなかにおける彼の姿が見えず、遊歩者の感じがあまりないので、そのあたりがいまいち味気なく感じられるのかもしれない。風景的なものもないではないのだが、それを見て感得している主体の姿がなく、具体的な時空ではなくて、モスクワとはこういうものである、というような一般的な紹介や考察や報告の記述になっているので、身体的なニュアンスや彩りがないというか。あまり「身体的」とか「肉体的」とか、文章にかんして使いたくないのだが。
  • dbClifford『Recyclable』を久しぶりに流して歌をうたったのがこの日だったような気がする。かなり好きなアルバムで、洒落たポップスとして相当質が高いと思うのだが、もはや誰も話題にしない。発売当時にシングルカットされた"Simple Things"と"Don't Wanna"がちょっと知られたくらいだろう。この二曲も良いが、やはりシングルだけあってわかりやすくキャッチー。ほかの曲にはもっとジャズ風味だったりするものもあって、そちらのほうも面白いし良い。
  • 四時頃に母親が部屋に来て笑いながらやろう、とか言うだけで去っていくので何かと思ったが、先ほど、植木鉢などを片づけたいと言われていたのだ。それでサンダル履きで外へ。父親が帰ってきており、家の前に車が停まっていた。南側に行って、母親とともにゴミを整理。古くなって汚れている植木鉢を、そのあたりにあったシャベルを打ちつけて破壊し、ゴミ袋に入れていく。面倒臭かったので軍手をつけてこなかったのだが、するとシャベルを鉢に上から突き下ろすときの衝撃が素手に伝わって、けっこう痛い。豆ができるのではないかと思ったが、大丈夫だった。手のひらをよく揉んでおいて良かった。母親のほうはいらないホースを切ったりなど。こちらはひたすら鉢を破壊し、ゴミ袋のスペースがなくなってきたのでさらにこまかい破片にするのだが、意外となかなか割れなくて骨が折れる。なかにひとつ、弾力のある素材でできているものもあって、それは大変だった。
  • 終えてなかへ。もう五時くらいだったのではないか。何をしたのかおぼえていない。
  • 六時前。ブログに記事を投稿する。BGMとしてLINEのグループで紹介されている音楽を聞いてみようと思って、(……)さんが直近に投稿していたURLからアクセスしたのだが、それはBlacksmoke "What Goes Around Comes Around"というやつで、これ自体も全然悪くなくて、ああこういうのだよなあと思ったのだけれど、そのあとタブを閉じようというところで自動的にはじまった次の音源が一聴あまりにもメロウで良く、なんやねんこれと思って見てみると「[1981] Fuse One – Silk [Full Album]」(https://www.youtube.com/watch?v=9y63MnA7pMQ(https://www.youtube.com/watch?v=9y63MnA7pMQ))だったのだけれど、動画情報として記されてあるパーソネルを見れば、Stanley Clarke、Eric Gale、Ronnie Fosterの名があって、こんな音源あったのかと思った。全然知らなかった。まあフュージョンというかスムースジャズというか、そのあいだくらいな感じだろうが、プロデューサーはCTICreed TaylorでエンジニアがRudy Van Gelder。スムースジャズってべつにそんなに好きではないというか、むしろ昔はぬるいと思って敬遠していた口だし、フュージョンも、色々あるけれどそんなに好んではおらず、どちらかと言うとやはりアコースティックジャズのほうが好きな身なのだけれど、しかしこれはわりと良いのではないか。
  • Dee Dee Bridgewater『Live At Yoshi's』を流した。良いライブ。バックが良い。"What A Little Moonlight"をLINEのグループに貼っておく。また、のち、上でフュージョン的なやつを聞いてGeorge Bensonのことを思い出し、久しぶりに聞いてみるかと思ってAmazonで検索し、『Breezin'』を念頭に置いてはいたのだが一方で『Cookbook』のことが思い出されて、これはたしかこちらがこのアルバムの存在を知った頃、というのはたしか高校から大学に上がるくらいの時期だった気がするのだけれど、小沼ようすけ教則本を買ったところそのなかに小沼が選ぶ名盤みたいなコーナーがあって、たしかそこで紹介されていて知ったようなおぼえがあるのだけれど、その頃は廃盤で再発もされていないしレアだけれどすごい名盤で、みたいな評判だったような気がするのだけれど、いまやそんなことは関係ない時代となった。聞いてみればたしかにいかにもファンキーで、正統派だった頃のBensonが弾きまくっていて、冒頭曲などたしかにすごかった。小沼の教則本はいまだに部屋にあるので、いま見てみたところ、たしかに『Cookbook』が左ページの一番最初に取り上げられている。そちら側に紹介されているギタリスト四人は、BensonにGrant GreenWes MontgomeryにRobben Ford。Robben Fordだけ年代としても音楽としてもやや毛色が違うか。ただ紹介されている作品はRobben Ford自身のリーダー作ではなく、Rickie Lee Jonesの『Pop Pop』というやつで、ここでFordはガットギターで歌伴をしているらしいのだがそれがうまいと。右ページは一六枚のアルバムが紹介されており、だいたいもう知っているが、珍しいのを記しておくと、O'Donel Levy『Simba』というのがまずちっとも知らない。レアグルーヴ系のものらしい。P-VINEから出ている。あと、Emily Remler『Firefly』というのも知らない。三二歳で夭折してしまったらしい。あとはBeckの『Loser』があって、Beck自体は多少聞いたことがあるが、このアルバムは知らない。Jill Scottの『Who Is Jill Scott?』というのも知らない。Jill Scott自体も、名前だけで聞いたことはないはず。
  • この日はあと日記をすすめて、前日分まで完成、投稿。

2021/4/26, Mon.

 主観的に言って、「政治的なこと」とは、倦怠そして/または悦楽をたえず生じさせる源だと思う。しかも、それは〈実際には〉(つまり政治にかかわる人の傲慢さにもかかわらず、という意味であるが)、どこまでも多義的な空間であり、終わりのない解釈にめぐまれた場所なのである(もし解釈が(end219 / 220は図版)じゅうぶんに体系的であるなら、いつまでもけっして否定されることはないであろう)。この二点を確認すると、「政治的なこと」とは、純粋な〈テクスト的なもの〉に属すると結論づけられるだろう。すなわち、それは「テクスト」が常軌を逸して激化した形式であり、その氾濫ぶりと見せかけとによって、わたしたちの現在の「テクスト」理解をおそらくは超えているであろう驚くべき形式なのである。そしてサドがもっとも純粋なテクストを生みだしたことを考えると、わたしは次のように理解できると思う。「政治的なこと」は、サド文学的なテクストだと思うと好ましいが、サディズムのテクストだと思うと好ましくない、と。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、219~221; 「政治的なテクスト(Le texte politique)」)



  • またも一一時半。いつもどおりではあるが、昨日は四時前に床についたからやや長い。はやくに覚めてはいるのだが、例によって寝起きの感じが悪くて起きられない。鼻水が出るような感じもあるし。寝間着を脱いで肌着だけで寝ているからだろうか。気温が高くなってきたのでそうしているのだが。瞑想は今日もサボって上階に行き、炒飯や豆腐の味噌汁で食事。実に朗らかに晴れてはいるものの、上体が肌着だけだと室内はやや寒い感じもあるので、ジャージの上着を自室から持ってきた。新聞は国際面。昨日の夜にBBCでも見かけたが、バイデンがアルメニア人虐殺をジェノサイドと明言したと。トルコは当然反発する。ただ一応、バイデンは事前にエルドアンと電話会談か何かしたときに、ジェノサイドという文言を用いる意向を伝えていたらしい。アルメニアはむろん歓迎しているが、ナゴルノ・カラバフを争うアゼルバイジャンはトルコ系のひとが多いらしく、エルドアンとの電話で「歴史的な誤り」だとか言ったとのこと。ついでにその下に、バイデンの発言を歓迎したアルメニアの首相が辞任したという小さな報があったのでそれも読んだ。二四日にバイデンの発言を歓迎し、翌二五日に辞任した模様。というのは、二〇二三年だかに予定されていた議会選を六月に前倒しして実施するにあたって、憲法がそういう規定になっているのだという。それだけでなく、ナゴルノ・カラバフ関連で辞任をもとめる声が高まっていたようだが。あとは欧州で環境政党が支持を増やしているという記事。ドイツでは九月にメルケルの後継が決まるようだが、緑の党のアンネなんとかなんとかみたいなひとが出馬して与党候補と争うことになっており、その緑の党はドイツでは支持率がいま二三パーセントくらいで、与党キリスト教民主・社会同盟と一ポイントしか違わないところまで来ていると。主に都市部のひとびとの環境意識が高いということもあるだろうが、また、コロナウイルスでの政権への不満の受け皿になっているようだ。周辺各国でも緑の党もしくは環境系政党はだいたい一〇パーセントくらいの支持率だか議席だかを得ており、とりわけベルギーが高かったはず。
  • 食後、天気があまりにも良かったので先に陽を浴びながら体操しようと思ってベランダに。空気があかるすぎてあたりの風景のかたちと色彩があまりに明晰で、明視感がめちゃくちゃすごかった。初夏ってこんなにあかるかったかと。物々がどれもくっきりと空間に、ほとんど刻印されたような鮮やかさ。日なたに浸かりきって屈伸や開脚をくり返す。屈伸を丁寧にじっくりやるのがやはり良いなと思った。すぐに動くのではなく、脚を折ったらそのままじっと止まって、伸ばしてもそこでまたじっと止まる、というのをくり返してやっているとこごりがかなりなくなる。母親が、風がすごいからもう入れちゃうと言って洗濯物を取りこみ、足拭きだけは出したままにしていった。風はたしかにときおり盛って吹き荒れるが、だからといって重さも冷たさもない。
  • 室内にもどって風呂洗い。漂白されてあったバケツや洗面器をジャージャー流す。浴槽もこすると出て、茶を用意して帰室。LINEを確認し、Notionを準備し、茶を飲んだあと、一時半くらいから久しぶりに「英語」を音読した。「英語」および「記憶」記事の音読も日々やりたい。最近はベッドで本を読むことばかりでやっていなかったが、なんとなくやはり一日の活動の最初に英語を音読したほうが良いような気がする。頭が冴えるような気がする。今日はゆっくり力を抜いて読めたのも良い。とにかく疲れないように、楽に何でもやりたい。そのあとベッドで二時くらいからヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)を読みはじめたが、これもゆっくりと落ち着いて読めた。昨日読んだときはどうも急ぎすぎて、雑になってしまったような気がする。いま「都市の肖像」のパートに入っていて、冒頭はナポリなのだが、街路と家のなかの相互浸透が見られる、みたいなことが書かれてあって、これはサルトルが日記で書いていたこととだいたいおなじではないか。サルトルが触れていたのもたしかナポリだった気がするのだが。もしかするとべつのイタリアの都市だったかもしれないが。サルトルはそこで、この街は外の通りと家の内の区別がはっきりしておらず、それはヒトデが胃をからだのなかから吐き出しているさまを思わせる、みたいな、そういう比喩を使っていたはずだ。あとでEvernoteを検索して該当箇所の書抜きを引いておくつもり。
  • 三時過ぎまで。足拭きを入れるのを忘れていたので急いで取りこみに行き、便所で小用してから室に帰ると、昨日のこと、そしてまた今日のことをここまで記述。四時八分。日記の前か読書後かに多少からだを温めた。ダンベルを久々に持って、腕もすこしだけほぐした。
  • サルトルのやつは、日記ではなくて書簡だった。

 (……)ただ、それらの部屋が生あたたかく、薄暗く、強く匂うので、そして街路が眼の前にじつに涼しく、しかも同一平面上にあるので、街路が人々を引き寄せる。で、彼らは屋外[そと]に出る、節約心から電灯をつけないですますために、涼をとるために、そしてまたぼくの考えではおそらく人間中心主義から、他の人々と一緒にひしめき合うのを感じたいために。彼らは椅子やテーブルを路地に持ち出す、でなければ彼らの部屋の戸口と路地に跨った位置に置く。半ば屋内、半ば屋外のこの中間地帯で、彼らはその生活の主要な行為を行なうのだ。そういうわけで、もう屋内[なか]も屋外[そと]もなく、街路は彼らの部屋の延長となり、彼らは彼らの肉体の匂いと彼らの家具とで街路を満たす(end83)のだ。また彼らの身に起こる私的な事柄でも満たす。したがって想像してもらいたいが、ナポリの街路では、われわれは通りすがりに、無数の人々が屋外に坐って、フランス人なら人目を避けて行なうようなすべてのことをせっせと行なっているのを見るわけだ。そして彼らの背後の暗い奥まった処に彼らの調度品全部、彼らの箪笥、彼らのテーブル、彼らのベッド、それから彼らの好む小装飾品や家族の写真などをぼんやりと見分けることができる。屋外は屋内と有機的につながっているので、それはいつもぼくに、少し血のしみ出た粘膜が体外に出て無数のこまごました懐胎作用を行なっているかのような印象をあたえる。親愛なるヤロスラウ、ぼくは自然科学課目[P・C・N]修了試験の受験勉強をしていたとき、次のことを読んだ。ひとで[﹅3]は或る場合には《その胃を裏返し[デヴァジネ]にして露出する》、つまり胃を外に出し、体外で消化をはじめる、と。これを読んでぼくはひどい嫌悪感をもよおした。ところが、いまその記憶が甦ってきて、何千という家族が彼らの胃を(そして腸さえも)裏返しにして露出するナポリの路地の内臓器官的猥雑さと大らかさを強烈にぼくに感じさせたのだった。理解してもらえるだろうか、すべては屋外にあるが、それでいてすべては屋内と隣接し、接合し、有機的につながっているのだ。屋内、つまり貝殻の内部と。言い換れば、屋外で起こることに意味をあたえるのは、背後にある薄暗い洞窟――獣が夕方になると厚い木の鎧戸の背後に眠りに戻る洞窟――なのだ。(……)
 (朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』(人文書院、一九八五年)、83~84; オルガ・コサキエヴィッツ宛; 1936年夏)

     *

 (……)ナポリにはぼくたちがイタリアのどこでも見なかったものがある、トリノでも、ミラノでも、ヴェネツィアでも、フィレンツェでも、ローマでも見なかったもの、つまり露台[バルコニー]だ。ここでは二階以上の階の扉窓にはどれも専用の露台が附属していて、それらはまるで劇場の小さなボックス席のように街路の上に張り出し、明るい緑色のペンキで塗られた鉄格子の柵がついている。そしてこれらの露台はパリやルワンのとは非常に異なっている、つまりそれらは飾りでもなければ贅沢品でもなく、呼吸のための器官なのだ。それらは室内の生あたたかさから逃がれ、少し屋外[そと]で生きることを可能にしてくれる。いってみれば、それらは二階あるいは三階に引き上げられた街路の小断片のようなものだ。そして事実、それらはほとんど一日中そこの居住者によって占められ、彼らは街頭のナポリ人が行なうことを二階あるいは三階で行なうわけだ。ある者は食べ、ある者は眠り、ある者は街頭の情景をぼんやり眺めている。そして交流[コミュニケーション]はバルコニーから街路へと直接に行なわれ、部屋に一度入り、階段を通るという必要がない。居住者は紐でむすばれた小さな籠を街路におろす。すると街頭の人々は場合に応じて籠を空にするか、満たすかし、バルコニーの男はそれをゆっくりと引(end89)き上げる。バルコニーはただ単に宙に浮いた街路なのだ。
 (89~90; オルガ・コサキエヴィッツ宛; 1936年夏)

  • その後、炒飯の残りを食った。そうして出勤の支度。紺色のスーツ。出る前に「記憶」を二項目だけ読んだはず。五時過ぎに上がっていくと父親は台所で菜っ葉を処理していた。そういえば、炒飯に使った食器を片づけにいったときか、あるいは炒飯を用意したそのときだったかもしれないが、米を新たに磨いでおき、タオルもたたんでおいたはず。五時過ぎに上がったこのときも肌着類など追加でたたんでおき、そうして余裕を持って出発。
  • 悠々とした感じで行く。今日はたぶん帰路はコートがなければそこそこ寒いだろうなと思っていたのだが、着る気にはならずベストとジャケットの姿で、この往路はしかしさほどの冷たさはない。電線の途中に何かの鳥が一匹とまっていて、あかるい空を背景に動物性を失って影と化した姿が取りつけられた部品のようでもあるし木の葉が一枚、なぜかそこに、端のほうから線に貼りついてしまったようでもあった。青々と茂っている斜面の草木とその向こうの空を見上げながら行く。(……)さんが家の前で車に乗りこんでいたので挨拶を放ったが、相手はガラスのなかで気づかなかったのでさらに視線を送り、気づいたところで会釈をした。北側の空は落日を混ぜてほぼ白くつやめいている。坂道に入って上昇。風があったはず。それがおさまってからしばらく、葉か実か何かこまかなものが木の間で落ちてまわりと触れ合う小さな音が散発的に生まれる。左の斜面の下に覗く沢の一部が純白のつるつるした金属のように固くなっていて、先日もおなじ風景を見たのだが、そこだけややひらいてうまく樹冠から逃れるような場所になっているのだろう、西陽を抱いた空を写し取って燃焼している。坂を出るとその西陽が駅の階段通路の果てに浮いているのだが、先日までよりもあきらかに位置が高く、まぶしく、色味も濃いなと思われた。数日でそんなに変わるかと思うが、確かに日が長くなっているらしい。そのまぶしさを顔に浴びて目を細めながら階段を行き、ホームに入るとベンチには若い男女がいて、なんかすこし大事なことでも話しているような雰囲気で、その横に入るのに気が引けたので先のほうに行った。このあいだから丘の一番手前側の林の緑のなかに青いような色がかなりたくさん見えるのだが、あれはたぶんフジなのだろう。目が悪いのでよくわからないが、街道沿いの家で咲いているのもこのあいだ見たし。
  • 乗車。扉際で瞑目して待つ。降りて職場へ。駅を出ると裏通りの向こうの東の空が青一色、手前のマンションとかそのさらに前の空間とかは薄陽に包まれて、そのなかを鳥が舞うのがマンションの壁に映る影と一緒に見えるが、遠目には小さいし、動きも通り一遍でないし、鳥なのか虫なのか迷うような様子。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)一〇時頃退勤。徒歩で帰った。やはり徒歩だ。夕方に、夜は寒いだろうと思っていたとおりけっこう肌寒く、何か温かいものを飲んで助けにしようかなと思って自販機の前に何度か止まってはみるのだが、しかし買う気にならず、まあ良いと払って空の腹を抱えて夜道を行った。道中はだいたい(……)くんと話したことを反芻していたり、仕事のことを考えたりしていたので、あまり五感の印象が残っていない。もうだいぶ大きい月が出ており、夜空は青かった。白猫はおらず。該当の家の前で止まってちょっとかがみ、車の下をのぞくようなそぶりを取ってみたのだが。だいたいそこの車の下にいることが多いのだが、今日は気温も低めだったし家のなかにいたのかもしれない。
  • 帰宅すると休息。食事に行ったのは一一時半を越えていたはず。焼いた豚肉などをおかずに米を食った。あと豆腐とエンドウ豆の味噌汁。テレビは『珈琲をいかがですか』だったか、『珈琲いかがでしょう』だったか忘れたが、先日も一度目にしたドラマで、中村倫也といったはずだが主演のあのひとの雰囲気はわりと好みだ。新聞は朝刊から、読売新聞社主催のICTなんとかみたいなシンポジウム的イベントの報告を見た。シンポジウムと言っても今回はむろん、大方オンラインで参加されたようだが。落合陽一が基調講演をやり、そのあとパネルディスカッションがネットを通じてなされた模様。吉藤オリィというひとが参加していて、本名は吉藤健太朗というらしいが、このひとは早稲田大学在学中に「Orihime」という分身型ロボットなるものを開発したと書かれてあって、どういうものなのかと思ったところ、寝たきりの状態とかで家から出られないようなひとが自分の分身として遠隔操作で動かせるロボットらしく、どういう外観とかどういう仕組なのかとかこまかいことはわからんのだが、これを使って働いているひともすでに何人かいるらしい。すごい。まわりから見て操作者の顔が映るモニターなどがロボットに設けられているのかわからんが、操作者はもちろんロボットの周囲の様子を見られるはずで、自宅のモニターとかにたぶん映るわけだろう。操作も、操作者がからだを動かすとそれが反映されるのか、それとももうすこし間接的なやり方なのかわからないが、これがさらにめちゃくちゃ応用されて、脳波とか視線とかで動かせるようになれば、難病でからだが全然動かせないようなひとでもより社会参加できる可能性がひろがるのではないか。
  • 入浴後は日記を書いたり書抜きをしたり。風呂のなかでなぜかStevie Wonderの"Love's In Need of Love Today"がめちゃくちゃ頭のなかに流れていたので、Stevie Wonder『Songs In The Key of Life』を流した。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をすこしだけすすめて四時一五分に就床。

2021/4/25, Sun.

 〈プチブルジョワ〉。この述語は、いかなる主語にも張り付いてしまう可能性がある。この災難をだれも逃れられない(当然だ。本だけでなくフランス文化全体がそれを経由しているのだから)。労働者にも、管理職、教師、反体制学生、活動家、友人のXやYにも、そしてわたしにも、もちろん〈ある程度のプチブルジョワ的なところがある〉のだ。これは質量 - 部分冠詞である。ところで、可動性があって、突然に心をかき乱すという同じ性格をみせる別の対象語があり、理論的な言説のなかでは、たんなる部分冠詞のように存在している。それは「テクスト」である。しかじかの作品は「テクスト」であるとは言えないが、作品のなかには〈ある程度の「テクスト」がある〉ということだけ(end216)は言える。このように〈テクスト〉と〈プチブルジョワ〉は、後者は有害で、前者は胸躍るものであるものの、どちらもおなじひとつの汎用的実質のかたちをとっている。両者とも、おなじ言説機能をもっているのだ。何にでも汎用できる価値操作子という機能を。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、216~217; 「部分冠詞(Partitif)」)



  • 一一時四四分に離床した。九時頃から覚醒があったおぼえがあるが、どうもいつもと比べて寝起きが悪かった。頭が重く、なかなか目がひらかず、意識やからだに対して全方位的な圧迫感があるというか。それで熱でも出たのか、コロナウイルスにかかったのか、と思ったが、起床する頃には特に問題もなくなっていた。瞑想はサボって上階へ。両親は山梨に行っているらしく不在。午後、雨が降るかもとあったが、たしかに新聞の天気予報でも午後に一部雨のマークがあった。天気も晴れ晴れしくなく、どちらかと言えば淀みの感触がある。卵を焼いて米の最後の余りに乗せて簡易な食事。新聞からは、上野景文というひとへのインタビュー。元バチカン駐在大使だったらしく、「文明論考家」などという大層な肩書きを名乗っていた。アメリカの分断といま呼ばれているものは、啓蒙思想以来の新思想・新文明とそれ以前の旧文明との対立で、前者は主に沿岸部、後者は内陸部で勢力を占めているわけだが、これはアメリカにおいては昔からずっとあり、そのときによって共和党民主党に大まかには代表されるそれぞれの思潮のどちらかが優勢になってきたものであり、だから米国はもともとひとつにまとまっていたわけではないからあらためて「分断」というのは間違っている、みたいなことを言っていた。で、啓蒙思想以来の新思想というのも言ってみれば一種宗教化しており、だから「啓蒙思想教」のようなもので、そのバリエーションとしては「自由教」とか「民主主義教」とか「ライシテ教」とかがあると。政治思想を政治的宗教としてとらえる見方は多くあるだろうし、それにある程度の根拠も有効性も確かさもあるには違いないと思うが、ただなんかなあ、みたいな感じもある。たとえば「ライシテ教」にかんして言えば、ライシテというのはフランスにおいて金科玉条になっている政教分離原則、公の領域から宗教的要素を排斥しようという原理なわけだけれど、これを「教」として措定すると、宗教性を徹底して排除しようとする宗教、というややこしい規定になる。まあ実際そういうところはあると思うのだけれど、世俗主義もひとつの宗教もしくは宗教性であると言って、なんか概念規定として有効なのかな? という疑問をおぼえないでもない。「宗教」とはべつの言葉で考えたほうが良いのでは? と。だからたとえばルジャンドルなんかは「ドグマ」とか言っているわけだろうし。あと、このひとは、日本は万物に霊が宿るというアニミズムの国で、だから言わば超多神教です、とも言っていたのだけれど、これも一般的に受け入れられている見方だが、なんか本当に確かなのかなあというか、古来の宗教観念として確かだとしても、そんなに断言的にくくれるかなあというか、現代社会を考える視座としていまだに有効なのかなあ、というか、現代日本人の心性を考える上でどこまでそういう要素が残っているのかなあ、という漠然とした疑念が生じる。このひとは一九九四年にレヴィ=ストロースと一時間ほど話したらしく、そのとき彼は、欧州人は色眼鏡でものを見るから困る、日本人はmatter of fact approachにすぐれている、と言っていたと言い、欧州キリスト教文化が唯一神を第一 - 最終原理に措いた演繹優勢 - イデオロギー先行文明だというのはたぶんそうなのではないかと思うが、ひるがえって日本とか東洋とか呼ばれる地域のひとびとが、matter of fact approach、すなわち帰納的な物事のとらえ方や処理の仕方にすぐれているかというと、そうか? という気もする。こちらは小説だとか文学だとかが好きな人間として、基本的に帰納支持者なので、そうであったら良いなとは思うのだが、実際にそうかというとどうもそうは思えないのだが。あとは、フランスのライシテ的な「宗教たたき」は中国がウイグルのひとびとにやっていることとどこかで似ているように感じられて気がかりだ、みたいなことも言われていたが、この点はちょっとなるほどと思った。フランス人にそう言ったらたぶんめちゃくちゃ怒り狂うと思うし、拙速な類比はできないだろうが。このひとに言わせれば、中国は啓蒙思想をおいしいところだけつまみ食いする、そもそも共産主義啓蒙思想から生まれた鬼子というか、異質な傍流みたいなものだ、ということ。ただそれも、「共産主義」と現在の中国の体制がどこまでおなじものとして見なされるか、というのも疑問だが。
  • あとこれを読んでいるあいだに金井美恵子のエッセイ・コレクション3を読んで知った「『風流夢譚』事件」のことを思い出したのだけれど、つまりこの件って、シャルリー・エブドの事件とだいたいおなじことなのではないかと思ったのだ。いまさらだが。金井の本を読んでいるあいだは、全然そのことに思い至らなかった。シャルリー・エブド、という単語を思い出しすらしなかった。で、こちらはシャルリー・エブドの件にかんしては、ムハンマド風刺画の再掲載について、表現の自由金科玉条にしてなされた愚行だと思っていたというか、あのタイミングでおなじ風刺画をもう一度掲載すればそれへの反発でふたたびテロが起こることは誰の目にもあきらかなのだし実際そうなったのだから、再掲載はするべきではなかったし、すくなくとも、表現の自由を主張したりそれについて問うにしても、おなじ絵をそのまま載せるのではなくてべつのかたちを取るべきだったと思っていたのだけれど、これは金井美恵子がボロクソに言っていた島田雅彦の立場とだいたいおなじ意見ではないかと思ったのだ。しかもこちらは金井美恵子の文を読んでいるときは、どちらかといえば金井の言い分のほうにかたむきをおぼえていた。島田雅彦の意見というのは、「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが、出版によって起こり得る事態を想定しなかったことは責められる」と、島田雅彦は書いた」という金井のエッセイの長いタイトルに集約されているわけで、こういう立場で彼は彼自身の『美しい魂』という小説の出版をひかえたということらしいのだが、これは上に書いたシャルリー・エブドの件でこちらが思ったこととだいたいおなじだろう。だいたいおなじというか、路線としてはおなじくくりだろう。金井はそれに対して、「真面目な話、書かれた小説によってひきおこされる「テロ」が、まさしくそれが「出版」されたことによっておこったことを責めるのは本末転倒で、『風流夢譚』とは、どういう小説なのか、なぜそれが「不敬」とされたのかについて、島田は書いてみたほうがいいと思うのだけれども」(474)と書いていて、ここを読んだときこちらはたしかにそうだなと思ったのだった。だからこの二つのおそらく類同的な問題にかんしてこちらの考えもしくは意見は、矛盾している。それはひとつには、こちらが一応シャルリー・エブド事件について、むろんメディアを通してではあるが同時代的に接していること、現代の世相のなかにいてその雰囲気を感じていること、それに対して「『風流夢譚』事件」にかんしては文字でしか知らず、その当時の社会や世界の雰囲気を当然だが体感していない、という事情がおそらくある。あとは、小説なり風刺画なりが「出版」や公表されたことと、テロの発生とが因果関係的に直接的に密なのか、ということが論点になるだろう。シャルリー・エブドの再掲載の件にかんしては、ここがもう実にスムーズに直結しているようにこちらには思われたわけだ。何しろ一度、もう起こっているわけだし、もう一度掲載すればそれはあからさまな挑発として機能して、もう一度おなじ反応を呼び起こしてもう一度おなじような事件が起こることは誰にでも想像がつくと思われた。ただ金井の先の474の言い分は、たぶん、「出版」自体が問題なのではなくて、「『風流夢譚』事件」が起こったのは、その小説の内容がそれだけの影響力を持っていたからだ、ということなのではないか。それに対して島田雅彦の小説にはそれほどの力はないだろうと。だから、いや、お前の作品に、(この現代日本で)テロを誘発するほどの力なんかあるわけねえだろ、過剰な自粛だろ、と言っている、ということではないのだろうか。もっとも金井は『美しい魂』もその前作の『彗星の住人』も読んでいないと明言しているのだが、「右翼だか圧力団体だかについての知識も、ジャーナリズムに書かれたものをわずかに知るばかりなのだから、〈皇太子妃をモデルにしたとの噂がありますが(噂というよりも、〈これ読めば不二子が誰かぐらい一発でわかるだろう〉と思って書いていた、と、島田自身が言っているわけだが)、私は改稿に当たって、不二子という名のヒロインが雅子妃と同定されないよう万全の注意を払いました〉という小説が、あらゆる予測をした場合とはいえ、「テロ」の対象になるのかどうか、何しろ『彗星の住人』も読んでいないのだし、ふうーん、そんなもんかねえ、としか言いようがないのだが」(475)と言っているのはそういうことだろう。こう考えてくると、べつにこちらの二種類の反応は矛盾していないのかもしれない。
  • ともかくその一記事を読むと食器を片づけ、風呂へ。マットが漂白されてあったのでシャワーで水をたくさんかけて薬剤を流す。そうして浴槽も洗い、済むと茶を持って帰室。コンピューターを前にしてLINEを覗き、投稿を確認。今日は本当は「(……)」の連中と通話することになっていたのだが、日記もあまりすすんでいないし、あと水曜日のためにTo The Lighthouseの翻訳をやっておかないとやばそうだというわけで、欠席させてもらうことに。(……)
  • それでベッドに身投げして、ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)を読みはじめたのが二時頃だったはず。その前、一時半頃に、天気があまり良くなくて空気と空が灰色に濁っていたし、雨が降らないとしても出していても乾かないように思われたので、洗濯物を仕舞いに行った。書見は「一方通行路」をすすめる。アフォリズム的断章集で、こういうのってやっぱり特有のリズムがあるなと思った。退屈と言えばそう思えるような部分もあるが、そのすぐ次にちょっと気の利いた一言がそれだけの断章として出てきたりもする。内容としてはだいたい夢のイメージと、旅をして見た各地の都市の様子などと、現代社会もしくは現代文明批判みたいな感じか。文の性質上論考、という感じのものでなく、たぶん日本語の随想、という言葉で言うのが似つかわしいのでは? という感触もしくは雰囲気のものだと思われ、ベンヤミンの文章のなかではわりとゆるいほうのものにあたるのではないか。ほかに『ベンヤミン・コレクション1』しか読んだことがないし、それもずいぶん前だからわからんが。
  • 三時過ぎくらいまで読んだか。そう、三時一〇分から、起き抜けに瞑想をサボったので、ここでおこなったのだった。実に良い。自足的な停止感。窓をあけて外空間を流れる風の音を聞いているだけでわりと気持ちが良い。二八分くらい座った。これほど長く座るのは珍しいが、本当はやはり三〇分くらい座りたい。べつにそのときどきの気分で良いわけだけれど。
  • それから今日のことを書きはじめたが、新聞記事についてとそのあとの「『風流夢譚』事件」やシャルリー・エブド関連にかかずらって時間がかかってしまい、そこまで書いただけでもう五時を越えてしまったので上階へ。帰ってきた母親が台所で煮物をやっている。こちらは米を磨いでアイロン掛け。シャツやエプロンや母親のジーンズなど。自分のワイシャツをようやく処理できた。テレビは『笑点』。大喜利の前の前半のコーナーにオール阪神・巨人が出ていた。久しぶりに目にしたが、巨人のほうが髪が全部白くなっていた。ただ、顔つきは特に変わったようには見えず、白髪になったからといって老いぼれたという印象はない。漫才はもう大御所だから芸としての型が完全にできあがって整っていて、二者のリズムが実になめらかにスムーズに安定しており、まったく淀みなく流れている。わざとらしさもない。漫才について評せるほどに漫才とかお笑いを見てきていないが、ここ数年ごくたまにテレビでそのたぐいを見かけると、だいたいどれもわざとらしい気がする。
  • 大喜利コーナーも多少見た。林家木久扇とか、失礼だがもうだいぶ老いさらばえたような印象で、特に目もととかその気味が強い。アイロン掛けを終えるとワイシャツを下に運んだり、ゴミを持ってきたり、屈伸をしたり。米があと七分くらいで炊けるようだったが、いったん自室に帰って今日のことを加筆。そうして六時半にいたると夕食に行った。天麩羅の余りや、筍や鶏肉を入れた筑前煮や、サラダ。新聞を読む。書評欄を見た。昼間にもちょっと見たが、橋本五郎山崎正和のたぶん最後の本だと思うがそれを取り上げていたり、また尾崎真理子が篠田桃紅のこれも最後らしく『これでおしまい』というのを紹介していたり。この「これでおしまい」というのはなぜか良いタイトル、良い文言だなと思った。篠田桃紅というひとは書家もしくは美術家らしく、このあいだ一〇七歳で亡くなったという報を見てこちらははじめて知ったのだが、尾崎真理子は小島信夫の連載小説の画を頼むときに当時八〇代の相手とはじめて知り合ったらしく、「極上の文章家」で大正から昭和初期あたりの生活について綴ったエッセイなどすばらしいとあったので気になる。白洲正子幸田文みたいな、なんかこういう品のあるような女性の生活に根ざしたこまやかなエッセイの系譜みたいなものがあるのではないかという気が勝手にしていて、それこそ『枕草子』からはじまる日本女性の随筆的伝統という史観に毒された大雑把すぎる考えかもしれないが、ともかくそういう方面の文も気になる。ほか、中島隆博はジェフリー・S・ローゼンタールとかいうひとの『それは単なる偶然です』みたいな、正確な文言を忘れたが、Knock on Woodという原題の統計学についての本を紹介しており、苅部直は山本剛だったか山口剛みたいな名前のひとの、『権力分立論の系譜』だったか、これも正確なタイトルを忘れたがそういう感じの本を取り上げて褒めていた。面白そうだったのだが、この著者のひとは一九八八年生まれとあったからこちらと二つしか変わらないわけですごいものだ。三権分立の考えを最初に公にしたのはモンテスキューだというのが教科書的知識として流通しているが、実際に『法の精神』をひもといてみると権力分散はともかく立法・行政・司法の三権分立を明確に提示してはいないらしく、それはその後の議論のなかで定着していったのだと言う。いわく、英国で政府の方針に反対した議員を罷免するという議論のなかで立法府からの司法権の独立という考えが出てきて、さらにインド植民地にかんする話のなかで司法はそのほかの権力からの命令を拒否できる、という議論があらわれ、そして合衆国憲法によってそれらが制度化されて根づいたという経緯になっているらしい。だからフランス、イギリス、インド、アメリカ、とまさしく海をまたいで国際的に資料を博捜し、現代世界の基盤をなしている思想の成立と定着を周到に跡づけた力作、というような評価だった。
  • そのあと一面にもどってASEAN首脳会議の件。ミン・アウン・フライン・ミャンマー国軍司令官が参加して、ASEANから派遣される特使を受け入れる方針だとか、国軍はASEANに調和的に関与していくみたいなことを述べたらしい。そうは言っても弾圧と殺害はやめないだろう。あと、昨年一一月の選挙に「不正」があったという主張をくり返してクーデターの正当化を図ったと。とにかく不正不正と言い続ければ勝てるという世界になってしまった。おなじく一面から二面にかけてあった白石隆の寄稿もASEAN周辺を扱っており、まず日米豪印四か国(クアッド)の会議が三月一二日だかにはじめてあったという話題からはじまり、中国はこれを対中包囲網だと言っているがそれは誤りで、中国中心の秩序をつくりたいなら内陸方面はひらかれている、この四か国の目的は、インド太平洋地域を自由でひらかれたものに維持し、南太平洋での中国の強引な現状変更の試みに対処することであると述べ、そもそもインド太平洋という用語は二〇一〇年に当時のインドネシアの、なんといったか、ユドヨノ、みたいな名前だったと思うのだけれど、その大統領がはじめて口にした言葉で、当時はASEANに中国も含めてほかの国々を巻きこみ関与させようとしていて、そういうときに「インド太平洋」という枠組みを提示すれば東南アジアの地理的中心性は誰の目にもあきらかになるからそういう目論見があったらしいのだけれど、しかしその後ASEAN内部で断絶が生まれた、それは中国と領域問題を抱えている国とそうでない国があるからで、くわえて経済発展によって国民たちがさらなる生活向上を期待したことと経済面での中国依存が原因でASEANはうまく機能しなくなった、とそのあたりまで読んだところで飯を食い終えたので終了した。
  • 食後はたしか下の記事を読んだはず。

2020年11月8日にミャンマーで実施された総選挙は、アウンサンスーチー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)が全体の8割を超える議席を獲得して圧勝した。これにより国軍最高司令官が選挙を経ずに任命する軍人議員を含めても、NLDが連邦議会において単独過半数を占めることになった。順調にいけば、2021年3月に第2次スーチー政権が誕生する。

     *

NLD勝利の最大の要因が、スーチー氏の国民人気にあることは間違いない。選挙監視を実施しているNGO「信頼できる選挙のための人民同盟」(PACE)が2020年8月上旬に行った調査によると、国家顧問(スーチー氏)を信頼すると回答した人の割合はビルマ族が多い7管区において84%、少数民族が多い7州においても60%であり、この数字は他のいずれの政治制度(連邦議会、管区・州議会、国軍、裁判所など)に対するものよりも高い。もちろん、管区と州ではスーチー氏への信頼度に差はある。しかし、例えば、政党に対する信頼度は管区で41%、州では31%、少数民族武装勢力に対する信頼度は管区で19%、州でも29%にとどまっている。州においても政党や少数民族武装勢力は、スーチー氏や大統領に比べてそもそも信頼されていなかったのである。

しかし、スーチー氏の人気だけで前回を上回る議席を獲得することはできない。半世紀ぶりの民主政権の誕生を賭けた前回総選挙におけるスーチー支持の熱気は、今回を上回るものであったからである。筆者は今回NLD政権が根強い支持を受けたのは、経済成長を背景にした地元住民の生活水準の向上があったためと考えている。

一般に、スーチー政権下でミャンマー経済は減速したといわれる。しかし、別稿でも論じたように(※1: 「アウンサンスーチー政権下の経済成果と総選挙への影響」(IDEスクエア)2020年11月、available at https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2020/ISQ202020_034.html?media=pc(https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2020/ISQ202020_034.html?media=pc%E3%80%82))、土地バブルがはじけたヤンゴンマンダレーでの景況感の悪化に比べて、地方都市や農村部での景気の悪化はそれほど大きなものではなかった。例えば、スーチー政権下での経済減速の証拠としてしばしば外国投資の認可額の減少が指摘されるが、そもそも地方に外国投資は来ていなかった。

われわれは国内総生産GDP)成長率やヤンゴンの実業家・外資企業へのインタビューをみて経済動向を判断するが、多くの国民は身の回りの生活環境・水準を軍政時代と比較して判断する。軍政時代、電気は電線で来るものではなく、バッテリーを持って市場へ買いに行くものであった。

したがって、バッテリーで動く電化製品しか利用できなかった。今では農村でも電化率は55%になっているし、オフ・グリッドの電源もある。当時、携帯電話やオートバイは村人の手の届くものではなかったが、今やそうしたものも頑張ればローンで買える。少数民族村では軍政当局に農地の存在を知られるのを嫌がったが、今は農業銀行から営農資金を借りるために、政府に農地を登記してもらいたがっている。

先のPACEの調査によれば「郡(タウンシップ)の状況は良くなっている」と回答した人の割合は、19 年の44%から20 年には56%に上昇している。管区の方が州に比べて、良くなっていると回答した人の割合は高いが、その差は数%に過ぎない。良くなっていると答えた理由は、政府サービスの改善が58%、経済と所得の向上が40%、インフラ整備が26%であった。しばしば話題になる連邦制の実現を理由に挙げる人は6%しかいなかった。

一般の人々にとっては、連邦制の実現のような政治課題よりも、身近な生活水準の向上の方が重要であった。スーチー政権下において、少数民族州は徐々にではあるが発展していたと考えられる。成長をもたらすのがNLDであれば、政権を担わない少数民族政党に投票するよりも、勝ち馬に乗ったほうが得策であると考える有権者がでてくるのは当然であろう。

     *

しかし、大敗した国軍系の野党・連邦団結発展党(USDP)は選挙に不正があったとして、国軍の協力の下で選挙をやり直すべきであると訴えた。ここで注目すべきはUSDPがわざわざ「国軍の協力の下で」と付け加えている点である。米国の大統領選挙でも明らかになったように、民主主義においては選挙結果に基づいた新政府の樹立を誰が保障するのかが問題となる。ミャンマーにおいてそれを保障するのは、事実上国軍である。国軍が選挙結果を認めることではじめて、それに基づいた政府が樹立される。実際、国軍はNLDが最初に大勝した1990年総選挙を認めなかったという前歴がある。

2020年総選挙の当日、ミンアウンフライン国軍最高司令官は選挙結果を尊重すると発言した。しかし、NLDの大勝が明らかになるにつれ、選挙不正があった可能性があるとして、NLDや選挙管理委員会をけん制する発言をするようになった。これはUSDPの2回の大敗を受け、国軍がUSDPを頼りにできないことがはっきりしたことが背景にある。実際、1990年総選挙を通じて国軍はビルマ社会主義計画党の後継政党である国民統一党(NUP)に政権移譲を試みたが、NUPが総選挙で大敗したことにより挫折した経験がある。USDPもNUPと同じ運命をたどるであろうことが、今回はっきりした。

こうなると、国軍が頼りにできるのは、国軍の自律と国政関与を規定する2008年憲法しかない。国軍の国政関与のロジックは政党政治(party politics)が混乱したとき、国軍が国民全体の利益を代表する国民政治(national politics)を行うというものである。

In the days before the coup, the military declared that more than eight million cases of potential voting fraud had been uncovered relating to the 8 November election.

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Independent observers agree there may have been significant errors in the voter rolls, but no evidence that people actually committed electoral fraud has been presented.

The commission has also pushed back, saying there is no evidence to support the army's claims.

The US-based Carter Center, which had more than 40 observers visiting polling stations on election day itself, said voting had taken place "without major irregularities being reported by mission observers".

     *

The army claims these lists reveal instances where it is possible the same person could have voted more than once - by being registered in different places.

However, the national election commission says this would not have been possible because there were effective safeguards in place.

"These persons could not cast their votes many times in a single day," it said in a statement, pointing to the indelible ink administered to voters' fingers, which lasts at least a week.

Indelible ink is used in many elections around the world, and in Myanmar was provided by the United Nations and Japan.

The dye contains silver nitrate which stains the skin on exposure to sunlight and is described as "resistant to attempts to remove it using water, soap, liquids, home-cleansing, detergents, bleaching product, alcohol, acetone or other organic solvents".

The election commission also pointed to strict Covid-19 travel restrictions, which would have made it particularly hard to vote in multiple locations.

These restrictions may also have distorted the lists in some areas, with voters registering outside their usual locality, unable to return home.

Myanmar begin implementing restrictions on travel as Covid cases began to increase in the second half of 2020.

This, says one local election monitoring group, Phan Tee Eain, may have resulted in "inflated" lists in some areas because "they couldn't go back due to Covid".

It could have meant names appearing more than once on the overall voter lists. But there is no evidence that this led to deliberate acts of multiple voting.

  • ストレッチを多少したのち、九時半頃に風呂に行った。入浴のあとはほぼTo The Lighthouseの翻訳しかしなかったはず。これにずいぶん手間がかかって、一〇時半くらいからはじめたと思うのだが、結局夜食を取りながら二時半かそのくらいまで費やされたはず。今回のところは難しかった。まあいつも難しいのだけれど。良い日本語がなかなか出てこなかった。

How then did it work out, all this? How did one judge people, think of them? How did one add up this and that and conclude that it was liking one felt, or disliking? And to those words, what meaning attached, after all? Standing now, apparently transfixed, by the pear tree, impressions poured in upon her of those two men, and to follow her thought was like following a voice which speaks too quickly to be taken down by one's pencil, and the voice was her own voice saying without prompting undeniable, everlasting, contradictory things, so that even the fissures and humps on the bark of the pear tree were irrevocably fixed there for eternity. You have greatness, she continued, but Mr. Ramsay has none of it. He is petty, selfish, vain, egotistical; he is spoilt; he is a tyrant; he wears Mrs. Ramsay to death; but he has what you (she addressed Mr. Bankes) have not; a fiery unworldliness; he knows nothing about trifles; he loves dogs and his children. He has eight. You have none.(……)


 それじゃあ、何が正解なんだろう、こういうことって? どうやってひとはひとを判断し、評価するのか? あれこれ考え合わせて、私はこのひとが好きなんだ、嫌いなんだ、って、そんなの、どうやって決められるっていうんだろう? それに、好きとか嫌いとかっていう言葉には、結局どんな意味があるのか? はたから見てもわかるくらい、思いにつらぬかれて梨の木のそばに立ちつくしている彼女に向かって、二人の男性の印象がどっと降り注いできた。そうすると、自分の思考を追いかけるのは、喋るのが速すぎて鉛筆でも書き留められないひとつの声を追うような感じになってきて、その声は確かに彼女自身の声なのだけれど、それが勝手に、否定しがたい、いつ終わるとも知れない、しかも矛盾ばかりのことを色々言い立てるので、梨の木の表面にできた割れ目やこぶですら、変えようがなく固く永遠にそこに定着してしまったもののように思えるのだった。あなたには偉大なものがあります、と彼女は続けた、でも、ラムジーさんにはちっとも。あの方は心が狭くてわがままだし、うぬぼれも強くて自己中心的です。甘やかされた子ども、暴君で、夫人を死にそうなくらいくたくたにしてしまう。だけど、あのひとにはあなたにないものもありますね(と彼女はバンクス氏に語りかけた)。燃え盛る炎みたいに、激しく超然としたところが。俗世間のつまらないことは何一つ知らず、犬と子どもたちを可愛がっているばかり。何しろ八人もいますからね。でもあなたにはひとりもいない。

  • あらためて自由間接話法というのがよくわからんというか、冒頭のHow then did it work out, all this?は岩波文庫を参考にする限りLilyの独白だから現在時制の言い方で訳さなければならないのだけれど、普通に逐語訳するなら、「それではそれはどのように解けたのだろうか、このすべては?」という感じになるわけだ。自由間接話法というのは、She thought thatとかが省略されてその中身だけが残っているかたち、という風に一般に説明されると思うのだけれど、ここではもろに疑問文になっているわけで、その理解に当てはまらない。How then does it work out, all this?とはじめから現在時制で書かれていればこれは話が簡単で、Lilyの心中の声をそのまま地の文に借りるようにして記している、ということになる。そのときは語り手がLilyと完全に一致することになるわけだ。ただ、ここではdidを使って過去形になっているから、話者がLilyと完全には一致せず、語りと人物とのあいだで距離が保たれながら、しかし同時に完全に分離しているわけでもなく、語りとLilyの心中独白がなかば混ざるような感じになっている、ということではないのか。だから訳文も、完全にLilyの台詞みたいにはせず、かといって地の文の口調にもせず、その中間あたりを狙うのが良いかなというわけで上のようになった。
  • 三時五三分に消灯就寝。

2021/4/24, Sat.

 このような矛盾をあなたはどのように説明するのか、どのように黙認できるのか。哲学的には、あなたは唯物論者のように見える(この言葉があまりにも古めかしく聞こえなければ、であるが)。倫理的には、あなたは分裂している。すなわち、身体にかんしては快楽主義者であるが、暴力にかんしてはむしろ仏教徒であろう。あなたは信仰を好まないが、儀式のことは少しなつかしく思っている、など。あなたは、さまざまな反応でできた寄せ木細工だ。あなたには〈自分が最初にした〉という何かがあるのだろうか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、215; 「分割された人間か(La personne divisée?)」)



  • 一一時二二分の離床。いつもどおり。覚醒自体はもっとはやい時刻からあるのだが。今日はホラー的な夢を見た。よくおぼえていないのだが、なかなか怖かったはず。殺されるような、そこまで行かなくとも亡霊かゾンビみたいなもののたぐいに攻撃されるような場面もあったはず。
  • 水場に行って、うがいなどしてきてから瞑想。一五分くらいは座ったか? 一一時三二分くらいからはじめて、五〇分くらいに解いた気がする。感触は普通によろしい。それから上階へ行くと、いま米を炊いていてあと一〇分くらいだと言う。ジャージに着替えて屈伸をくり返し、脚の筋をいくらか和らげたあと、髪を梳かしたり、先に風呂を洗ってしまったり。米が炊けるとケンタッキーフライドチキンを加熱して、味噌汁などとともに食事。かとうかず子という女優らしきひとが各地をぶらつく番組がテレビには映っていて、新聞の国際面でロシアがウクライナ国境から兵を撤収させたという記事を見つけながらも、なぜかそのテレビのほうをながめてしまった。番組のあいだのCMでAppleのAirpadなんとかみたいな製品(それがどういったものなのかこちらはまったく知らないのだが)の広告が流れて、これは最近何度か見聞きしているが、なんだかんだ言ってもApple社のCMの音楽っていつもわりと格好良いなと思った。かとうかず子秋葉原を訪れて、WORKAHOLICという完全予約制のワークチェア専門店を覗いていた。完全予約制で、このときは休日で入り口の扉も鍵がかかっていたのだが、頼んですこし見せてもらうことに。しかしこういう番組って、事前に根回しというか、了承を得ておくものではないのだろうか? この番組にかんしては全部ぶっつけ本番なのだろうか。どちらでも良いが、店は海外のメーカーから取り寄せたさまざまなワークチェアが七〇かそこらずらりと取り揃えられており、「チェアコンシェルジュ」なる肩書きで呼ばれる椅子の専門家的な人間が個々人に合わせて最適な椅子を選んでくれると言う。かとうかず子は女優だから、なんかちょっとリラックスしながら台本とか本が読めるような椅子は、と聞いて、それに応じて紹介されたのが、足置きが出てくるとともに、書見台がついているものだった。書見台はもちろんきちんと押さえもついていて、本だけでなくノートパソコンくらいならぴったり取りつけることができる。高いのだろうと思っていたところが一〇万そこそこだったから、まあ高いは高いがたまげるほどではない。べつにこちらはいまのところ作業用の椅子を必要としていないが。もう読むのも書くのも大方ベッドで済ませるし。
  • 食器を洗って、風呂は先ほど洗っておいたので、茶を仕立てて帰室。Notionを準備。Thelonious Monk『Solo Monk』を流して『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)を読む。読了。一九日に読みはじめて今日二四日に終えたから、そして今日読んだのは二〇ページほどだから、実質ほぼ五日で五〇〇ページほどの単行本を読んでいるわけで、なかなか読んでいる。まあべつにはやさとか量とかもうどうでも良いわけだが。ただ最近は、どんどんガツガツ読む感じにはなっている。それで金井美恵子を読了したあともすぐに次の本を読みだそうと思い、何にしようかなと思って自室だけでなく隣の兄の部屋に置いてある本も見に行って、文学関連が続いているからそろそろ歴史とかパレスチナについての本とか読もうかなとも思ったのだけれど、また、ファーブル昆虫記とかシュナックの『蝶の生活』とかもちょっと気になりはしたのだけれど、結局自室にもどったあと、ベンヤミンを読むかという気になった。ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』全七巻を数年前にもう全部入手済みで、一巻だけ昔、(……)さんと二人で読書会というか、本を読んできて会って駄弁ることをやっていた頃に読んだのだけれど、この一巻は何を言っているのかだいたいわからなかった。こちらがこのとき読もうかなと思ったのはベンヤミンの批評とか思想的な文というよりは、エッセイというか、それも作家とかについて論を書いてあるものではなく、紀行とか体験を綴るようなたぐいのもので、すなわち「記憶への旅」と題された三巻で、この巻には「都市の肖像」と題されたシリーズなどが入っていて、哲学的論述文というよりはたぶん文学的エッセイの色合いが強いらしいと前々から見てあった。一応ほかの巻も見てみると、六巻目の、「断片の力」という副題だったか、ともかく六巻目が物語とか創作的な方面の文を集めており、七巻目も「〈私〉記から超〈私〉記へ」とかいうサブタイトルだったからそれにふさわしく日記など入っていたはずで、日記はかなり気になるのだけれどまあ当初の方針通り三巻を読むかというわけで読みはじめた。ところで金井美恵子のほうはといえば、この巻はあまり毒舌ぶりがあらわれた文章がなかったなと昨日だか一昨日に書いたが、それは普通に、尊敬していたり交流があったり偏愛していたりする作家や本について書いた文を集めた巻だったからで、だから考えてみれば当然のことで、最後のほうの、深沢七郎『風流夢譚』を紹介しつつ短歌界隈の一部の言語使用を批判するやつとか、島田雅彦が二〇〇〇年だか二〇〇二年あたりによくわからんが当時は皇太子妃だった雅子妃を連想させるような皇室女性と恋愛するみたいな、だから言ってみればおそらく「不敬文学」と呼ばれるようなたぐいの小説を書いて発表しようとしたときに、右翼団体とかからの圧力というか脅しか何かあったのか出版を差し止めたらしいのだけれど、そのときに出された彼の声明的な文章をさんざ腐すみたいなやつとかは普通に生き生きと毒舌を吐いていた。深沢七郎『風流夢譚』にかんしては「『風流夢譚』事件」とか呼ばれている事件がこの小説が出された当時の六〇年および六一年にあったらしく、中央公論社社長の邸宅に右翼的一少年(たしか一八歳とあったか?)が襲撃をかけて、社長は不在だったのだがお手伝いの女性と婦人が殺傷されたということがあったらしく、また大江健三郎の『セブンティーン』もしくは『政治少年死す』もだいたいその頃で、これは全然知らなかったのだけれどどうも当時社会党浅沼稲次郎を殺した少年だか青年だかをモデルにしたというか、その事件を取り入れて書いたものらしく、それもまた右翼の脅迫を受けたのだろうが、そういうこともあってその六〇年付近以来文学界では皇室批判とか天皇風刺とかがタブーになっているという事情があるようだ。『風流夢譚』も夢の話らしいのだが、それは革命の夢で、天皇とか皇后、皇太子らが首を切られてその頭がスッテンコロコロと転がるみたいな描写があるらしく(擬音が正確にどんなものだったか忘れてしまったが)、くわえてそのなかの皇族もしくは天皇の詠む和歌がまるで無内容なものとして風刺されているらしく、だからまあ右派の憤激を買うのは当然と言えば当然だったのだろう。で、ベンヤミンのほうはといえばこれはなかなかなんとも言えないというか、ほかにあまり読んだことがないような感触をおぼえる種類のエッセイで、と言っても一応、イメージも混ざったアフォリズムの気味がそこそこ濃い文学的断章、というような感じか? いま36まで読んでいて、最初の「アゲシラウス・サンタンデル」を通過し、二つ目の「一方通行路」に入っているが。この「一方通行路」はみすず書房からも出ていたはず。「大人の本棚」という名前のシリーズだったか忘れたが、それとはべつだったような気もするが(と書いて思い出したのだが、たしか「始まりの本」ではなかったか? 「大人の本棚」は岩田宏の「アネコルイク村へ」みたいな、あるいは「アネクルイコ村」だったかわからんのだが、なんかよくわからん名前の村についてのエッセイだか紀行文だかとか、あとバーネットの小説とか、あとJ・M・シングの『アラン島』だかを含んだシリーズだったと思う)、あの石原吉郎の『望郷と海』とかカルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』とかアーレントアウグスティヌス論だったかが入っている、色合いにしても本の手触りにしても柔らかい感じのシリーズの一冊でたしか出ていたのではなかったか?
  • 三時にいたったところで、今日も労働だからそんなに余裕綽々という感じではないのだけれど、まあ出勤前にアイロン掛けくらいはしておこうと思って上階へ行き、アイロン掛けをおこなう。アイロンをかけるべきものがやたらたくさんあって大変なのだけれど、自分のワイシャツも溜まっていたのだけれど、自分のワイシャツはまあ明日の休日に片付ければ良いだろうと思って両親の服を先に処理していく。そのあいだ母親は仏間のほうで洗濯物をたたむか何かしているらしく、音楽を聞いているようで音痴で下手くそな歌声とも言い難いような歌声がケツメイシの"さくら"を口ずさむのがときおり聞かれる。天気は、めちゃくちゃ晴れているわけでないがまあまあ良く、窓外に雲もあるがあかるさはあって、気温も高くてアイロンを操っていると暑くなるのでジャージの上を脱いで半袖の真っ黒な肌着の格好になった。今日の日記も書きたかったので三時半で切り、今日の勤務に着ていく用のワイシャツ一枚だけは処理したのだが、それを持って下階にもどってきて、ここまで今日のことを記せばいまは四時一八分になっている。
  • 上階に行って豆腐と魚肉ソーセージを持ってきて出勤前の簡素な食事。食べながら(……)さんのブログを読む。二〇〇万ある貯金のうち一〇〇万を暗号通貨にぶちこんで一種の博打をするとあり、この一〇〇万はもう捨てたものとみなして、〇円か一億円くらいかになるまで放置しておくというので、なるほどなあ、そういうのもあるのだなあと思った。暗号通貨とか、株とか、そういう投資とか資産運用とか、まったく興味が湧かないのだが、たしかに神の配剤で万が一一億円得られたら、こちらや(……)さんのような人種はたぶんそれでもう一生どうにかなるんではないか。そう思うとそういう博打をするのも悪くなさそう。まあこちらはいまのところはそもそも博打できるほどの元手すらないが。
  • 食後、二〇日のビデオレターのことを短く書き足し、食器を上階へ。母親はテーブルに就き、アイロン台を前にしつつ、音楽を聞きつつメルカリか何か見ている様子。六時前の電車で行くと言っても聞こえない模様。久しぶりに見た、ここのところ見られなかったと言っていたが、そうか? 靴下を持ってもどると着替え。しかしその前に、『Thelonious Alone In San Francisco』をバックにちょっと柔軟というか、腕を後ろに伸ばして背をやわらげたり、直上にかかげて背伸びしたり、開脚して前かがみになったまま止まる、ということなどをやってからだをすこしだけ温めて、そのあと着替え。五時半直前。
  • 出発へ。上階へ行って便所。排便。そうしてマスクをつけ、やや余裕を持って出た。もう六時前なのだがずいぶんあかるい。南の山はもうさすがに光の色というほどのものを受けてもいないが、それでもしかし黄色味がかったような色合いではあり、けっこうあかるい。あたりもまだ暮れておらず、空は淡い雲が蛇の蠕動のようにゆるく波打ちながら幾筋も引かれて混ざっているものの、その青さはすっきりとしていてまだ昼間のものに近い。十字路から坂道へ。鳥がしきりにさえずっている。音の泡立ちからしてツバメだろう。昨日だか一昨日だか、職場のそばでも電線にとまって鳴いているのを見かけた。坂の入り口に入るとすぐ頭上が(……)さんの宅の段上の縁にあたるのだが、そこにツツジが綺麗に咲いていた。淡いピンク色というか、ピンクというには淡すぎるような、ある種の貝殻の色というか。坂道を黙々とひとりでゆっくり上っていると、前方から下りてきた女性があり、一度見てすこし歩き、もう一度顔を上げると(……)だった。あちらも気づいていてとまっていたので見交わし、挨拶を交わす。(……)それで別れ。実際けっこう時間がやばそうだったので急ぎ、最寄り駅の階段通路に入る頃にはもう電車の入線がはじまっていたのでここでもがんばり、電車が停まって車掌が出てきて発車ベルを押そうというくらいでホームに入れたのですぐ手近の一番端の口に余儀なく乗ったが、乗ってこちらの身が入り切らないくらいですでにドアが閉まったのであやうく背中が挟まれるかという調子で、あぶねえなと思った。土曜日なので山に行ってきた者らが多く、座席は空いていないし扉際も空いていないので仕方なく吊り革につかまり、息を整える。整えるというか、目を閉じて自然にからだの熱がおさまるのを待つ。
  • 降りる。ホーム上もいま乗ってきた電車から吐き出されたひとびとで混み合っており、端の隙間をすすんでいく。階段通路を行くあいだ、あとホームでもそうだったが、高校生の姿を多く見た。駅を出て職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • この日もあと、特段のことはなかったはず。特段でないことはその日のうちに書かないとどうしたって忘れてしまう。

2021/4/23, Fri.

 自分に注釈をつけるとは。なんと退屈なことだろう。だからわたしには――遠くから、とても遠くから――現在の時点から、自分を〈ふたたび - 書く〉以外に方法がなかったのだ。つまり、本や、主題や、回想や、テクストに、べつの言表行為をつけくわえることである。わたしが語っているのが、自分の過去についてなのか、現在についてなのかも、まったくわからないというのに。そのようにして、わたしは、書かれた作品のうえに、過去の身体と資料体のうえに、ほとんどふれることなく、一種の〈パッチ - ワーク〉を投げかける。四角い布を縫い合わせて作ったラプソディーふうのカバーを投げかけるのだ。内容を深めるどころか、わたしは表面にとどまっている。なぜなら、今回は「わた(end213)し」(「自己」)にかかわるからであり、深さとは他者に属しているからである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、213~214; 「パッチ - ワーク(Patch-work)」)



  • 今日はわりとはやいうちから覚めていたのだが、結局はしかし一一時に起床。それでも睡眠というか滞在としては六時間四〇分ほどだからわりと良い。いつものごとく、こめかみを揉んだり首筋をほぐしたりした。そうして水場に行ってきてから瞑想。一一時七分くらいにはじめて、ちょうど半くらいまでだったはず。感覚は良い。マジで完全に停まったみたいな短い瞬間があるにはある。何もしていない、という状態と感じられるような。窓外からはウグイスの声がおりおり立ち、風もそれなりにあって、駆け回っている音が聞こえる。上階へ上がっていき、母親に挨拶して、もろもろやって食事。新聞でロシア関連の報。二一日にナワリヌイ釈放をもとめるデモが全国の一〇〇都市だったか、そのくらいでおこなわれたが、規模は一月と比べると格段に小さかったと。事前に参加もしくは抗議の意志をインターネット上で表明した最大四六万人ほどが参加すると見られていてモスクワは一〇万人規模を超えるだろうと推定されていたらしいのだが、当局の発表では六〇〇〇人で、ナワリヌイ側はその一〇倍はいたと言っているものの、それでも事前の想定の半数ほどになる。拘束されたひとの数も、一月のときには全国で一万人以上だったが、今回は全国で一八二〇人、モスクワでは三〇人程度で、政権が弾圧を強めているから抗議側にも手詰まりの感が漂っている模様。写真には、画面右で仕切りというか柵みたいなものを前にして気勢を上げている様子のひとびとと、画面左で柵の向こうにずらりと横にならんでいる治安部隊員もしくは警察みたいな、フルフェイス装備だったと思うのだけれど当局人員が向かい合っている様子が写されてあったが、すこしでも激しい動きを見せたらたぶん即座に取り押さえにかかるだろうなという感じで、ひとびとの側もなんとなく萎縮気味というか、ともあれ叫ぶ以外にやりようはない、みたいな表情のように見える気がした。
  • 母親の分も皿を洗う。布団を干してくれるというので頼む。それから風呂洗い。出て、茶をつくるあいだ、ベランダに出てちょっと屈伸など。今日も快晴で気温は高く、ベランダはいまいっぱいに日なたに覆われており、そのなかで前かがみになって屈伸をくり返していると当然だが常に背中の上に光の重みと熱が乗ってきて、まもなく汗ばんでくる。完全に初夏。茶を持って自室にもどると、ベッドはシーツや下敷きも合わせて剝ぎ取って干しておいてくれたのだけれど、ただ、枕元に置いてある辞書とか古新聞とかメモ用ノートとかがやや散らばっているのは良いとしても、カバーを外してあってやわらかな水色の地の装幀があらわになっている『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)がベッドの下の床に落ちたまま放置されているのには、マジでぶっ殺すぞと思ったもののまあ仕方がない。それにしても、わざわざ布団を干してくれたこと自体はありがたいが、そのときに他人が毎日読んでいて部屋中に積んでもいる書籍というものを床の上に落としたのを拾いもせずにそのまま去っていくというのは、いったいどういう了見なのか? 想像力のなさと言うべきなのか、そもそもの発想のなさなのか、それとも出勤前の余裕のなさなのか。べつにこちらは紙の書物という事物形態にそこまで愛着があるわけでもないし、愛書家などという人間ではまったくないので、本を多少粗末に扱おうとかまいはしないが、部屋の様子からしてこちらが書物というものを一応それなりに大切に思っているということを、考えてみようとしたり思い至ったりしないのだろうか? だがどうでもよろしい。ものたちを枕元にもどし、茶を飲みながらウェブを見て、その後、書見。金井美恵子。途中、二時前に布団を取りこんだ。屋外は大層あかるく、緑もなめらかに際立ち、あたりには蝶が絶え間なくあらわれては去って、緑の合間を白く揺動している。布団をおのおのちょっと持ち上げては揺すったり、あまりバンバン叩くのはむしろ良くないと聞くので手で撫でるように表面を払ったりして、部屋に持ちこんで寝床を整えた。そのあとさらに書見を続ける。金井美恵子は「偏愛」する作家として、マーク・トウェインを上げていた。フォークナーはその重要性は理解しつつもあまり読み返す気にはならないが、トウェインのほうはなにしろおかしいから二、三年に一度は読み返す気になると。なかでも、『ミシシッピ河上の生活』というのが「集大成とも言うべき一冊」(419)として挙げられていて、これはいかにも雑多な内容を取り集めた、「自伝的要素を含めた回想的な紀行文」(418)なのだという。面白そうである。昨日書いたとおり、こちらも性分としてそうなのだけれど、金井美恵子中上健次についても、本人は怒るに違いないと言いながらも、「中上健次の最高傑作は『紀州 木の国・根の国物語』ではないかと思います」(398)と言っているし、昨日触れたように武田百合子東海林さだおの日記やエッセイを称賛しているから、いわゆるフィクション的な、まあ言ってみればおおよそ壮大なタイプの物語より、エッセイ的なもののほうがもしかしたら個人的性分として好みなのではないか。ドストエフスキーよりゴーゴリ、フォークナーよりトウェイン、とも言っているし。あと、金井美恵子というとよくその毒舌ぶりというか皮肉ぶりが言われることが多いように思うし、こちらも数少なくほかに触れてきた彼女の文章でそういうものを多少見ても来たのだけれど、このエッセイ・コレクションにおさめられた文章はあまりそういう要素が強いわけでもなかった気がすると、批判はむろんしているけれどそれはまだ多少それ用の構えがあるというか、つまりきちんと毒づいていると、思い返してみるとそういう感触があったのだが、ただ最後の「Ⅳ 単行本未収録批評、その他」のパートにある「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」というやつは、いきなり一気に毒舌の気味が濃くなって、そのときの皮肉ぶりけなしぶりがやはりかなり面白くて笑える。これは新聞の歌壇俳壇や広告に見られる文章や評言などを引いて、まあまだ最初のほうまでしか読んでいないのだけれど予測するにそれらの俗流ぶりというか閉鎖型小規模共同体的感情性へのもたれかかりをひたすら批判するタイプのものではないかと思うのだけれど、たとえば、逝去した河野裕子という歌人永田和宏の連れ合いだったらしい)について称賛する大辻隆弘というひとの「熱狂的な」(426)文章を引いたあとに、「歌人というのは、とりあえず言語感覚が秀れている(たとえば、共同体の底辺を支えている、居住する市名の後に名前が載っている投稿歌の作者たちに比較すれば?)はずでもあろうが、このわずか八百字ほどの月評には、本のタイトルと特集に使用されている「河野裕子」の二回を含めてフルネームで六回、「河野」が三回使われていて、名前だけで三十字も使っているのである。一字プラスすれば三十一文字で短歌だが、散文としてこの文字づかいは拙い」(428)とけなしているところなど面白かった。「一字プラスすれば三十一文字で短歌だが」の出現に笑ってしまった。この文章はもともと「KAWADE 道の手帖 深沢七郎」二〇一二年五月に収録されたものを「大幅加筆」したものらしく、この巻のなかでこれほど最近の、最近と言ってももう一〇年ほど前だが、しかし二〇一〇年代に書かれた金井美恵子の文章はたぶんほかになかった気がするのだが(二〇〇〇年代のものはいくつかあった)、この頃になってくると金井美恵子の書きぶりというのは、なんと言えばよいのかその毒舌皮肉もかなりこなれてくるというか、文体としてもしかするとわりと適当にさらさら書いているのかな? みたいな感触になってくるから、毒舌ぶりも余計にそれに調和して輝き、言ってみれば「放談」みたいな感じが強くなっているように感じる。文体はやたら息の長いことが多くて、これ以前にもすでにそうだったのだけれどそれがさらに顕著になり、修飾がやたら厚いのだがしかしそれはきちんと綺麗に、凝縮され格好良く整えられた修飾というものでなく、なんというか、文をわざわざ切ってひとつずつ順を追ってちゃんと書くの面倒臭えし、ここに情報を一気に乗せて圧縮しちまおうみたいな、思いついたことや思い出した情報をそのまま全部修飾として乗せるみたいな雰囲気が感じられる。本人がどういう感じで書いたのかはもちろんわからないが、そんな調子で修飾情報は長いし一文も長いしで、また、あきらかに破格というか部分の対応がきちんとしていないみたいなこともあるし、だからわりと適当に、こんな文章はそんなに頑張って力を入れて書く価値もない、みたいな感じで書いているのかなという印象も受けるし、けっこう読みづらいからある種悪文と言っても良いのかもしれないが、それはそれで面白くはある。小説作品でも、金井美恵子で読んだ小説はいままで『カストロの尻』だけなのだけれど、やたら長いし括弧も使って頻繁に挿入を設ける文体だったからだいぶ読みづらかった記憶がある。ただあの文体の感触はもちろんエッセイのそれとはまた別物だし、エッセイよりはるかに力が入っていたと思うが。
  • 三時過ぎあたりまで読んで、それから今日のことをここまで記述。今日は昨日と同様、五時過ぎに出勤。明日もそう。二日に一日は休日がほしい。
  • 上階に行き、昨日と同様、冷凍のこま切れ肉を焼いて米に乗せ醤油と味醂をかけただけの簡易なものをこしらえて持ち帰り、(……)さんのブログを見ながら食す。最新の四月二二日分には、一年前の日記から仲正昌樹ドゥルーズガタリ<アンチ・オイディプス>入門講義』の記述が引かれているが、そこにある「死への欲動」についての説明――「「死への欲動」というのは、文字通り、死へと向かっていく欲動ですが、そういう「欲動」を生命体である人間がどうして抱くのか、生命は快楽を求めているのではないか、という疑問がすぐに生じてきますね。フロイトによると、生命を持つということは生命を維持するための緊張を常に強いられることです。現代思想的に言い換えると、生命は常に何かを欠如している状態にあります。だから、有機体はその緊張・興奮を限りなくゼロに近づけ、楽になることを目指します。これは、最終的には無に戻ること、すなわち死です。それが「死への欲動」です」――を読むと、瞑想ってやっぱりこういう意味での、死への欲動のある種の宗教化された代理的実践技術じゃないかという感じがするなと思った。「フロイトによると、生命を持つということは生命を維持するための緊張を常に強いられることです」、「だから、有機体はその緊張・興奮を限りなくゼロに近づけ、楽になることを目指します」というあたりは実感的にかなりよくわかる。「楽になること」、これがまさしくこちらの根本的な望みだし、瞑想もしくは坐禅も、悟りうんぬんは措いておいて、すくなくとも道元によれば「安楽」の法としてたしか言われていたはずだし。そのあとで(……)さんが註しているように、象徴秩序や意味論と関係づけて考えると話はまた多少違ってくるのかもしれないが。
  • ただ、「死」によって「楽になること」ができるという発想もなんかなあ、という気もするが。死んだら「楽」もクソもないのだろうし。だから、「死」によって「楽になること」ができるという発想でいう「楽」というのは、生の「緊張・興奮」とか苦のたぐいがない、なくなるということ、それらの不在であって、なんらかの積極的な「楽」を得るということではないだろう。
  • 食器を片づけにいくと四時半くらいだったと思うのだが、出勤前に麻婆豆腐くらいはつくっておこうというわけでフライパンを洗い、CookDoの麻婆豆腐をこしらえる。ひき肉を炒めてやるタイプのものだったが、ひき肉はないし、かわりというわけでもないがタマネギでも入れるかと思ってそれを小さめに切り、炒めて、豆腐も湯通しすると味が染みこみやすくなって良いとか書かれていたので、湯通しは鍋に水を沸かさなければならないしもう時間がなくて面倒臭いのでやらないがかわりに電子レンジで加熱して、そうしてソースとともにフライパンで熱して絡めて、小ネギを刻んで完成。室に帰って歯磨きや着替えなど。支度が済むと出発へ。
  • コートいらず。今日も南の山や川付近に薄陽の色が乗せられている。空は雲もいくらか淡く混ざっていたと思うが、水色が基調で、直上あたりに月も見えたはず。公営住宅脇の整備されていない、放置されて遊ぶ子どももいない寂れた公園に木が何本かあって、桜のそれではなくその手前に低めの木がいくらかあるのだけれど、その木の葉っぱが、一週間くらい前からそう思っていたけれどずいぶん大きくなって見るからに豊かに茂っていて、緑の装いを厚くしており、ものによっては手のひらの大きさを悠々超えるくらいの面積になっており、それを見るとすげえなというか、このあいだまで裸木だったのにあっという間にこんなに盛るかと思って、いよいよ初夏だなという感がわりと立つ。
  • 坂を上って最寄り駅。ホームでベンチ。昨日と同様、目を閉じて待っていると、視界は西陽の光に浸食されて埋め尽くされ、顔の左側には温もりが、そして右側には風の涼しさが寄せてくる。電車に乗り、ここでも昨日と同様に扉際に立って目を閉じながら待って、着いて降りると今日は当たる相手もわかっているし余裕があるから、ここで(……)くんへのメール返信を済ませてしまおうというわけで、乗客らが出ていったあとから座席につき、ガラケーでポチポチ文字を打った。発車が近くなると出てホームのベンチに移り、完成して送ると歩きだして職場へ。
  • この日のことであとおぼえているのは、帰りの電車内で(……)と会い、例によって帰路をともにして、公営住宅横の寂れきった貧しい公園で一一時まで雑談していたことなのだが、やつの仕事のことを色々聞いてそれなりに興味深かったものの、詳述するのが面倒臭いので省く。(……)が勤めているのは「(……)」という会社だということだけは書いておく。めちゃくちゃ昭和的な体質で年功序列主義というか、(……)が当該事業所に入った時点で歳の近い人間がまったくおらずまわりは全部けっこう歳上の上司で、頻繁に理不尽なことを言われていびられているらしい。

2021/4/22, Thu.

 (……)主体の〈裏をかく〉ことが重要なのだとすれば、〈戯れる〉ことはむなしい方法であり、その方法によって追求していることとは逆の効果さえもたらすということだ。戯れの主体は、このうえなく堅くしっかりしている。ほんとうの戯れとは、主体を隠すことではなく、戯れそのものを隠すことである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、213; 「戯れ、模作(Le jeu, le pastiche)」)



  • 今日はけっこう起床が遅くなった。ほぼ正午である。昨晩はわりと疲労を感じるところまで起きてしまったので。一度、一〇時頃だったかに覚めたときには晴れていたようなおぼえがあるのだが、そこから一一時台にワープしたあとはもう曇っていた。空に青さはない。ただ気温は高く、昨日の夕刊で東京の最高気温は二七度と書かれてあったと思うが、たしかに夏に近いような、すくなくとも初夏と言ってまちがいない空気だし、いまこの文章を書いている午後三時の身もジャージの上を脱いで真っ黒な肌着の姿になっている。
  • こめかみなどを揉んだり頭を左右に転がして首をやわらげたりしてから起床。たぶんここ二か月くらいでからだの感覚はマジで楽になり、改善されてきた。一年前とは本当に別物のからだ。やはり脚の肉をほぐすに如くことはない。問題は結局のところ血のめぐりなのだ。下半身を脚をほぐして肉体のベースを向上させつつおりにストレッチをやっていればからだはだいぶ調う。からだが調えば精神に余裕が生まれるから生きるのがそこそこ楽になる。
  • 上階に行って前日のカレーの残りで食事。新聞の社会面をひらくと、渡邊守章が死んだという報があった。八八歳だったか? 忘れた。国際面にもどって、プーチンが一般教書演説か何かをして対米姿勢を明確に打ち出したという記事を読む。プーチンの演説がはじまるのとほぼ同時刻に、極東のほうではナワリヌイ釈放をもとめる抗議がおこなわれたと言う。プーチンおよびロシアにかんしては昨晩テレビでもやっていて、その記憶をもうここに書いてしまうが、なんという番組だったかわからないもののたぶんNHKではないか。プーチン体制の強権性について語るもので、反政権的な学校教師が証言していた。そのひとは学校の、「愛国的」な教育方針に反対して辞めさせられたらしいのだが、短く映った学校の授業の様子はたしかに、中年くらいの女性教師がナワリヌイの本当の目的はなんですか? とか生徒たちに問い、日本の教室のように教師と相対するかたちではなくもうすこし円になるような、あるいは四角いラインで机が配置されていたかもしれないが、ともかくそうして席に就いた生徒たちはみんな声を合わせて、権力を奪うことです、みたいなことをこたえ、教師はそれを受けてさらに、ナワリヌイのような考えをひろめてはなりません、その目論見を阻止しなければなりません、とかなんとか、ちょっと記憶がさだかでないのでたぶん文言はけっこう違うと思うがそんなようなことを追加で発する、という感じの様子だった。生徒たちの声は低くて、あまり熱心そうではなく、退屈な既定路線にしたがわされているという感じがないでもなかったが。あとは辞めさせられた教師が学校側と話したやりとりの音声も流されたが、教師が、かならず国を愛さなければならないというのは誤っていると言うと、プーチン大統領のおかげで仕事がもらえているということをあなたは理解していますか? とかいう回答がよこされるのだが、単純な話、プーチン大統領を愛することと国を愛することとはイコールではないだろうと思う。ただ若い世代の一部はべつとしても、ロシア国民はまだまだプーチンを、熱烈にかそれなりにかは個々あるにせよだいたいのところ愛してはいるようで、ソ連時代を知っているひとの証言も出ていたのだが、そのひといわく、ソ連崩壊あたりの混乱と比べるといまはともあれ安定している、若い世代が言う民主的でより自由な体制よりも、経済や治安の安定性と生活の安心のほうが大事だ、ということらしい。ソ連の頃から生きているひとはやはりそう考える者がきっと多いだろう。ひとまず今日と変わらぬ明日が来ることが確実で飯も食える、そういう現状維持を望むわけだ。そのひとはまた、ロシアは皇帝時代にせよソ連時代にせよ指導者が短い期間で変わるということを経験してこなかった、そういう民主的な、頻繁な政権交代の体制はロシア国民の資質に合わない、とも言っていた。あとはヨーロッパから離反したロシア意識というものもやや高まっているようで、以前はロシアはヨーロッパだと思うかというアンケートに半分ほどのひとが肯定していたのだが、いまは六割くらいがヨーロッパではないとこたえていると。かといってアジアというわけでもないだろうから、やはりロシアはロシアだという一国的、国民国家ナショナリズムが盛り上がっているのだろう。クリミア併合もウクライナを攻めるのもその範疇だろう。中国にせよロシアにせよ、アメリカの人種差別や陰謀論の蔓延にせよ、米国も含めて西欧諸国での極右の伸長にせよ、ミャンマー、タイ、香港、台湾とアジアの国々の状況にせよ、中東地域の引き続く政情不安にせよ、まるで第三次世界大戦前夜、という印象はやはり生じる。
  • 食器を洗い、カレーの鍋も洗剤を泡立てて漬けておき、風呂洗い。出ると茶を用意。一杯目の湯を急須に入れて待つあいだ、南窓の向こうをぼけっとながめる。風はそこそこ流れて若緑のあかるい樹々は揺らいでおり、(……)さんの家の鯉のぼりも、絶えずすこしずつ動いており、風の向きや吹き方に合わせて一団で踊るようにまわるように動き、ときに大きく浮かび上がってまっすぐ横向きに泳ぐがそれは長くは続かずまた落ちて、全体としてそれらがしずかに音のない演舞として展開される。茶を持って下階の自室に帰り、Notionを準備。そういえば起きたときに(……)さんからメールが届いていて、急で申し訳ないが明後日の会議が中止になったとあったがこちらとしてはむしろ願ったりのことだ。ただそのかわり、五月は二回会議があるようなので、あまり喜べないが。今日は本当は休みだったのだが、昨日出勤を頼まれてしまった。仕方がない。やはり二日に一日はまったく用事のない休日がほしい。
  • 茶を飲みながら(……)さんのブログを最新だけ読み、それから『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)。高村智恵子についてけっこう長い文章があった。あとは「猫好き」に対する反感もしくは嫌悪と似たようなものを「ロシア文学好き」にいだいていて、まれな例外を除いてドストエフスキーが好きだという人間とは付き合いたくないと思っていたのだが、それは小林秀雄黒澤明と新劇によってそういう偏見を醸成されてしまったのかもしれず、しかしナボコフの『ロシア文学講義』を読んでそこから解放された、というような話があった。とりわけチェーホフの『犬を連れた奥さん』(もしくは『犬を連れた貴婦人』)についてのナボコフの分析は、このすばらしい短篇を読むのとおなじくらいのすばらしさを感じさせてくれる、とあったので、チェーホフも読みたくなったし、ナボコフの『ロシア文学講義』も、これは小笠原豊樹すなわち岩田宏が訳しているようなのだが、モスクワに行ったときに兄の書棚に見つけてもらっていいかと聞いて持ち帰ってきたからいま河出文庫の上下巻が手もとにあるので、さっさと読んでみたい。ほか、武田百合子東海林さだおをならべて同種のものを感知している紹介文があるのだが、そこにある、夏の夕方に冷えたビールを飲むときの感覚を描写する東海林さだおについての「実に繊細なしかも歓びに充ちた詩的で触覚的な文章」(317)という評言とか、「なまなましい知性、それとも、決して大袈裟になることのない細やかな好奇心」(319)とか、「五官のモラル [﹅6] としか呼びようのない「美」に、潔癖なまでに忠実な文章家」(同)とかいう文言を見るかぎり、これはあきらかにこちらの路線なので興味をいだく。武田百合子の日記がすばらしいというのはおりおり聞くが、東海林さだおというのはほぼ初耳。毎日新聞に『アサッテ君』を連載していた漫画家なのだ。ところでその話のなかに、東海林さだおのそういう描写について若いインテリの友人に話したらロラン・バルトみたいだねと言われた、とあって、それは『彼自身によるロラン・バルト』のなかでバルトが「キリキリに冷えたビールを好む」と書いていることを踏まえた発言らしいのだが、これについてはこちらの記憶になかった。そんなことが書かれている部分があっただろうか。好きなものと好きでないものを列挙している断章のなかだろうか? と思っていま手もとの『彼自身によるロラン・バルト』、すなわち佐藤信夫の古いほうの訳をひらいてみたところ、たしかに、「私は好きだ、好きではない」と題されたその断章のなかに、「冷やしすぎのビール」(178)と書きつけられてあった。こちらはどちらかと言うとバルトの好きでないもののほうに注目していて、石川美子訳のほうでそこを一部書抜きもして、何日か前の日記の冒頭に引いたところだったと思うが、好きなもののほうはあまりよく見ず印象に残っていなかったようだ。
  • 二時にいったん洗濯物をしまいに行き、タオルなどたたんでおいて、もどって書見を三時頃まで続けて、それからこの日のことをここまで記述。いまは四時になるところ。五時過ぎには出なければならない。日記をさっさと書かないとほかの仕事ができやしないので、ほかの仕事と言ってもべつに仕事と呼べるほどのものを持っているわけでもなく、強いて言えばTo The Lighthouseを訳すとか詩作を試みるとかいうくらいなのだが、ともかくそっちに取りかかる気持ちにならないので、さっさと書き流してしまいたいのだが、働いてくるとそれなりに疲れてあまり文を吐くという気にならない。
  • 腹が減ったので上階へ。たぶん業務用スーパーで買っただろうと思われる冷凍の豚肉こま切れをフライパンで適当に焼き、米に乗せて醤油をかけて食うという、阿呆みたいに単純なものをこしらえて自室に帰り、(……)さんのブログの今度は四月二〇日の分を読みながら食した。すぐに食べ終えて上階に行き、食器を洗って片づけておくと先ほどは放置した肌着やパジャマ類などもたたみ、また帰室。母親は今日は職場の会議で昼食を食べてくるかもとか言っていたがまだ帰っておらず、父親もどこかに行ったようで不在。出勤までに昨日のことをいくらかでも書き足したいが、瞑想もしたい。
  • 昨日の往路のことを記述。職場に着いたところまでで切りとすると四時五〇分くらいだったか。それか四〇分過ぎくらい。瞑想をやる時間がもうなかったので、せめてもストレッチをしながら目を閉じようと思い、合蹠などを多少やる。合蹠しながら瞑目して五分くらいとまっているとマジですっきりする。左の膝は相変わらず最初のうちは軋むが。その後歯磨きし、スーツに着替えて出発。父親が帰宅しており、何の用だったか知らないがワイシャツにスラックスの姿だった。居間の椅子に就いているところに行ってくると告げて、出発。玄関を出て道に入り、西へ。道の上にはもう太陽の照射はないものの、左側の、近所の家々を越えた先、南の川向こうの樹々や山にはまだあかるさがかかって若緑がやわらいでおり、それで気づいたがいまは曇天の武装が融けて雲はそこそこ残ってもいるがすっきりとした青さが覗いている。公営住宅前まで来ると、ガードレールの下を埋めている草のなかに、数日前からもうそうだったがツツジがあらわれはじめている。ピンクのものが一種でこれはだいぶ小さな花姿、それよりはすこし大きめの白い種もあった。(……)さんの宅の庭や段上にもツツジが色を乗せている。坂に折れて上っていくと、からだの感じが、わりと面倒臭いな、という、ちょっと気だるいような感じだった。脚の、太ももとか臑のあたりも、歩を踏むにあまりかろやかにこたえてこない。坂道の路上には落ち葉などに混ざって薄紫色を帯びた極小の花弁がたくさん散っており、小さい上にさらに縮んだように丸く巻かれたようになっていてずいぶんまずしいような姿だが一定範囲のあいだずっと点じられており、桜を思わせないでもないが薄紫色だから桜ではないはずで何の花なのか知れない。みなもとを探してきょろきょろしてみたけれどどこから来たのかもわからない。出口まで来て表通りに当たるとここでは西陽があってあたりの緑が黄色い風味をかさねられてなおさらあかるくやわらかい。渡って駅に入れば階段も陽射しがまぶしく、上がると前方から男子小学生二人がやってきて、帰宅後に連れ立ってどこかに行くのだろうが二人は兄弟ではないはずだけれど揃いの色違いのリュックサックを背負っていた。その子らのあとにホームに入り、ベンチに就いて、そこでもうアナウンスが入ったのだが電車が入線してくるまで目を閉じて休む。瞑目の視界は鮮やかなまぶしさに浸され、顔の左側からは光の温もりが寄せるとともに、右側、すなわち東のほうからは風が当たってきて涼しい。
  • 乗車。席があまり空いていなかったので扉際に立って待つ。目を閉じて、すこしでも休もうとする。
  • (……)
  • 帰宅後、『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)。324から350まで。今日は260から読みはじめたので、もう九〇ページ読んでいるわけで、最近はよく本を読んでいてよろしい。武田百合子はどうもやはり面白い、もしくはすばらしい模様。先ほど読んだページでは武田百合子とならべられていた東海林さだおは、〈繊細なせこさ [﹅3] 〉という形容をあたえられていて、それは「ロラン・バルトから東海林さだおにいたる系列である」(325)と言われている。このひとのエッセイとか日記とかも面白そう。武田百合子についてはたとえば、「日々の雑記にすぎない [﹅10] ものが、みずみずしく優しい眼のなかで、いくつもの偶景的なしぐさ [﹅3] や言葉が、やわらかでなめらかな素早い猫の動きのように書きとめられる」(329)とか、「圧倒的であると同時に、実に何でもない日常的なあれこれの細部と事実をこまやかに丹念に書きつづった文章」(333)とか言われており、大江健三郎島尾敏雄埴谷雄高もおのおの「賞讃」(332)したり「感嘆」(同)したりしているらしい。もっともそこで用いられた言葉には、金井美恵子自身は不満だったようだが。ともあれ金井美恵子が言う武田百合子の文章の魅力を読むに、これはあきらかにこちらの関心の領分で、想像だけれどたぶん(……)さんの文章のような路線なのではないか。ありがちな言い方だが、やわらかく、やさしく、かろやかなエクリチュールというか。そうだとして、それはなんか羨ましいというか、こちらもそういうこまやかでみずみずしい文章を書きたいなあという欲望がないではないのだけれど、こちらの場合どうしてもなんか偉そうになるというか、堅苦しいような、形式張ったような、なんと言えば良いのかわからないのだけれどともかくこまやかとか、やわらかいとか、かろやか、という感覚の文章にはどうもならない気がする。まあしょうがないし、この日記の文をどうこうしていこうという気ももうないのだけれど。そういう文が書けると良いなあと漠然と憧憬はするものの、べつにことさらそうしようと努力する気はなく、ただそう思うというだけで、そう思いながら書き継いでいくうちにおのずと多少そうなったら良いなあと夢想するというだけなのだけれど。ところで夕食後、風呂のなかで考えたのだけれど、夕食時に読んだ夕刊の、ロンドンとディケンズについて書いた記事で、『オリバー・ツイスト』について紹介されている部分にかんしては特に興味を惹かれなかったのに対し、"Night Walks"という、ディケンズが夜歩きに出てロンドンの事物や人間をスケッチ的に書いたらしい小篇があるというのには、それは読んでみたいなと思ったのだったが、しかしこの篇は邦訳されていないようなのだが、そういう興味の動きを考えるに、自分の関心というかほとんど生理的な、身体的な欲望の向く先って、やはり物語ではなくてエッセイ的なものというか日記的なものというか、世界のささやかな細部を観察してやわらかく拾い上げるようなタイプの文章なのだろうなと思った。読み書きをはじめて一年くらい経てばたぶんそういう方向に関心がもう大方水路づけられていたと思うし、そこから本質的にたぶん何も変わっていないのだと思うが、しかしいままでエッセイというジャンルの文章にそんなに積極的に惹かれ触れてこなかったのだけれど、こちらの性分としてはむしろそっちのほうが合っているのかもしれないとちょっと思った。まあこんな日々の記をつけていていまさらといえばいまさらだが。それに、エッセイと言っても色々あって、読んだことがないが武田百合子とかそういう方面のものを考えると、それって結局は『枕草子』の路線でないの? という気もされ、つまり平安朝古典に端を発する日本の文学のひとつの大きな系譜の範疇ではないかというわけで、そうすると俺のこの関心とか性分とかってずいぶん伝統的な、古めかしいようなものでないの? という感じもしてきて、そうなるとなんかなんだかなあという思いも生じてこないでもないのだけれど、ただ一方でエッセイと言ってたとえばムージルみたいなやつもあるわけだし、小説についてよく何でも書くことができるとか、まあ実際に何でも書くことなどできはしないのだけれど、すくなくとも原理的には小説は何でも書いて良いとか言われることがよくあると思うが、小説だけでなくむしろエッセイも何でも書いて良いたぐいの文章形式なのでは? ということもちょっと思った。エッセイと呼ばれるジャンルも曖昧でひろくてよくわからんが。だから、エッセイと言い小説と言い物語と言い詩と言って、それは明確に截然と分けられるジャンルであるわけがなくてあくまで便宜的で不完全な概念に過ぎず、これから先もずっとそうであり続けると思うのだけれど、現代においてはなおさら、ジャンルというよりもどんな文章のなかにもそれぞれ含まれている要素として考えたほうが良いのかも知れない。エッセイ的なもの、小説的なもの、物語的なもの、詩的なものが、文学と呼ばれる種類の文章のなかにはどれにもおのおのの配分で含まれていて、もしかしたら文学と呼ばれる種類の文章を越えてもっと広い範囲の文章でも同様なのかもしれず、それらの混合の仕方や度合いがその文章独自の特徴とかにおいとか色彩とかをある程度まで決定づけている、と。べつに目新しい考えではないし、その混合の度合いを分析したところでその文章独自の香りを解明しきれるはずのものでもないだろうが。
  • あと、今日読んだ金井美恵子の、「読んだから書く」という短い文章のなかに、「それならば、いっそ、本を列挙して次々と読むこと、本と本の間の差異と反復を、退屈も含めて読みとったり [﹅6] などしないで、ただひたすら読むことを続ける夢想にでもひたって、ベッドに横たわり身体を伸して、いつの間にか、それとも気づかずに眠ってしまう、という一種アモルフな楽しみのほうが、まだ、ましなのではないだろうか」(307)とあるのだが、この、「本と本の間の差異と反復を、退屈も含めて読みとったり [﹅6] などしないで、ただひたすら読むことを続ける」というのがやはり良いというか、なんか本当はそういう感じが良いというかそれで良いのではないか、とも風呂のなかで思った。本当にもう、ただ読むだけというか。むろん、ここでも金井が「夢想」と言い、実際にはその「ただひたすら読むこと」は実現されずに気づかぬうちに眠ってしまうというかたちで書かれているように、「ただひたすら読む」ことなどできるはずもないのだけれど、方向性としてはそういうものが良いなというか、本を読みながら、まあ知識を仕入れたり歴史を学んだり世のことを理解したり知見に刺激を受けたりというのも良いしそれはそれで必要不可欠なのだけれど、何も難しいようなことをそこから発して考えず、批評などということもやろうともせず、読んだことが自分の文章を書くことにもつながらない、なんかそういうほうが良いな、と。実際にはどうしたってつながってしまうのだけれど。最近はとにかくもう楽に生きたいと、読むにせよ書くにせよ働くにせよ何をするにせよなるべく疲れないようにやりたいとそれがこちらの欲求のだいたい尽きるところになってきており、だからより負担のない、気楽で気軽で力を入れずにできる、過ごせるということが魅力的になっておりそういう精神性を涵養しようともしているので、そういう風に思うのだろうが。要するに自然さということで、ありがちな言い分だが、毎日の単なる習慣としてやるような、こだわりのなさ。だから例によって多く使われる比喩だが、食事とか呼吸とかとおなじ、みたいなことで、食事というよりむしろ排泄か? と思ったところで思ったのだけれど、排泄って洗練しようがないな、と。これらは能動性があまりいらないというか、ことさらに意識せずに毎日やるたぐいの習慣的な行為で、腹が減れば食うし、食えば出すし、そもそも息をしなければ死ぬというそういうものなのだが、食事はそれはそれでひとつの快楽をもたらすものだし、非常に文化的な歴史と蓄積が莫大なジャンルでもあるから、そういう快楽を最大化したり繊細美妙にしたりする技術とか環境づくりとかも整備されており、だから洗練と卑賤とが一応あるわけだし、呼吸も、呼吸法なんていう知見が色々あることや、また自分自身の身体的な感覚経験を考えるに、微妙なところではあるが一応洗練がありうる。ところが排泄って、洗練のしようがほぼないのではないかと。小便を出すにせよ糞を垂れるにせよ、格好良い排泄とか、よりすばらしい排泄とか、意義深い排泄とか、奇妙奇天烈な排泄とか、そんなものまずありはしないだろう。排泄行為そのものではなくてその周辺の、トイレの整備とか、そういったことには洗練はありうるだろうが、排泄すること自体はからだと腹のなかで自動的に調節されたものを出す以上のことではなく、そこに技術もクソもほぼない。あったとして、なかなか出てこないものを出しやすくする程度のことでしかないだろう。その洗練のなさ、技術の不在が、ただする、ということにより近いような気がして、だから読書というと他人の文章を我が身に取りこむという意味から類推的に栄養を体内に取りこむ食事の比喩が用いられることが非常に多いのだけれど、ただ読むというのはむしろ排泄のようなこととして考えたほうが良いのでは? と思ったのだった。本を読むとたしかに、何かすっきりするようなところもないではないし。
  • 深夜にアイロン掛け。

2021/4/21, Wed.

 「ある夜、バーの長いすでうつらうつらしていると……」。つまりこれは、タンジールのその「ナイトクラブ」で、わたしがしていたことである。わたしはそこですこし眠っていたのだ。さて、つまらない都市社会学によると、ナイトクラブとは覚醒と行動の場だということになっている(話すこと、コミュニケーションすること、出会うことなどが重要だというわけだ)。だが、ここでは反対に、ナイトクラブとは半 - 不在の場なのである。その空間に身体が不在だということではなく、それどころか客たちの身体はきわめて近いし、そのことが重要にもなっている。だがそれらの身体は無名で、かすかに動くだけであり、わたしを無為で無責任で流動的な状態のままにしておいてくれる。みんなが(end211)そこにいるが、誰もわたしに何も求めたりしないという、二つの利点をわたしは手にしているのだ。すなわち、ナイトクラブでは、他者の身体はけっして(市民の、心理的な、社会的な、などの)個人に変わることはない。その身体は、近くを歩いてみせるが、話しかけることはしない。したがってナイトクラブは、わたしの器官のために特別に処方された薬のように、わたしが文の仕事をする場になることができるのだ。わたしは夢想はしない。文章を作るのだ。会話によって耳を傾けられる身体ではなく、ただ見つめられる身体こそが、〈話しかけ〉(接触)の機能をになっており、自分の言葉の産出と、その産出が糧とする流動的な欲望とのあいだで、メッセージではなく覚醒の関係をたもっている。結局、ナイトクラブとは〈中性の〉場である。第三項というユートピアであり、〈語ること/黙っていること〉という純粋すぎる対関係からは遠いところへ漂流することなのである。

 列車のなかでは、さまざまな考えが浮かぶ。人がわたしのまわりを行き来して、通り過ぎる身体が促進剤のように作用するのである。飛行機のなかでは、まったく逆だ。わたしは動かず、席に押しこめられており、何も見えない。わたしの身体は、したがって知性は、死んでしまっている。わたしにあたえられているのは、託児所のゆりかごのあいだを冷淡な母親のように歩き回るスチュワーデスの外見はよいけれど不在である身体だけだ。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、211~212; 「通り過ぎてゆく身体(Les corps qui passent)」)



  • 一一時頃覚醒。快晴。気温も高く、もう五月以降、初夏の陽気で、布団の下のからだが多少汗ばんでいた。いつものようにしばらく寝床で過ごしてから、一一時三五分に離床した。水場やトイレに行き、もどって瞑想。死を思う。現在の自分の存在を見ると、それにともなって反転的にと言うか、現在の持続の終わりとしての死を思うことが多い。ある程度の時間、道を歩いているときもだいたいそうなる。格好良く言えば、死を観照する。観照したからどうということもそれ以上ないが。ただそのうち死ぬんだなあということを思うだけ。老いも多少思う。まだそんなに顕在化してはいないものの、日々着実に老いているわけだ、と。死よりも老いのほうが怖いとか嫌だということが、ひとによってはあるのではないか。
  • 正午ちょうどまで座って上階へ。大根の葉の軸など入れたカレーだと言う。よそって食事。新聞の社会面に、大学入試共通テストで記述式や英語の民間試験導入は見送る見込み、という報があった。ちゃんと読んではいないが。この件のもろもろはいったいなんだったのか? こちらとしては、塾で高校生を教えるときに記述式対策をしなくて良くなるだろうからべつに良いが。ただ実際のところ、高校生の段階までで教育の場で文を書く時間はすくなすぎるとは思う。それで大学に行けば急に毎学期レポートを書かされるということになるわけだから、そりゃあクソみたいなレポートしか書けないに決まっている。ほか、昨晩の夕刊でも見たが、ジョージ・フロイドを死に至らしめたデレク・ショービンの公判が終わって判決が出るとの報があり、それを読んでいると、ちょうどテレビのニュースで判決が出たと伝えられた。有罪にはなったらしいが、量刑は不明。第二級殺人と第三級殺人と過失致死の三つで起訴されたらしいが、そのそれぞれについての詳しい判断も不明。ただ一応これで、激しい抗議運動の勃発は回避された、だろうか? バイデンは判決を受けて急遽演説したとのこと。ほか、ドイツで与党の首相候補が決まって緑の党女性候補と一騎打ちとか、EUが安保方面で対中姿勢を強めているとかの記事があったが、それらはまだ読んでいない。
  • 食器を片づけ、風呂洗い。(……)さんが来ていた。出勤する母親に缶コーヒーをもらったらしく、何か機械を使って作業中の父親を呼び止めて礼を言っているのが窓の外に聞こえる。出るとカルピスをつくって帰室。今日はWoolf会。昨日、(……)くんが新しいひとを三人招いていたので、たぶん今日から参加するはず。皆聴講と言っているが。Notionを準備して、ウェブをちょっと見ると今日のことを記述。一時一一分。労働のために三時には出なければならない。面倒臭い。
  • 金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)を読む。大岡昇平の『成城だより』という日記が面白いらしい。「七十歳を越えた年齢の、日本の、というより世界の、と言ってもいいかもしれませんが、小説家として、まったく例外的と言っていいのではないかと思われる、知的好奇心と読書欲と創作欲にあふれた日記」だと言う。ドゥルーズも読んでいたらしいし、なんでも少女漫画すら読んでいたようだ。大岡昇平は一九〇九年生まれで、中原中也小林秀雄と友人だったわけだが、その世代の人間が少女漫画を、少女漫画と言っても色々あるだろうしいまのそれとも違うかもしれないが、しかし読んでいたというのはたしかにすごい。大江健三郎ノーベル文学賞を取ったときにも、大岡昇平井伏鱒二安部公房が生きていたら彼らが取っていたでしょう、と言ったらしいから、すごい作家なのだろうが、まだ一冊も読んだことがない。
  • 二時四〇分くらいまで読んで上階へ。絹の豆腐を一パックだけ食べる。そうしてすぐもどり、歯磨きをして着替え。するともう三時くらいだったので出発へ。今日はかなりあたたかいのでコートは不要。上に行き、トイレで排便してから外に出た。父親が家の横で何か作業しているが、こちらを向かないし声を飛ばすのも面倒臭いので黙って道を歩いていく。日なたがとてもあたたかい。あれは柚子ではないのか、柑橘類の木にヒヨドリが来てまたすぐに飛び去っていく。坂に入って右手、川のほうを見ると、川の手前に生えた低めの樹々の茂みが、黄緑やら臙脂っぽい赤やらどれもあかるい色なのだが、それらがいま風を受けて縦横無尽に、しかしそこまで激しさの印象は与えずに、風音もなかったと思うのでしずかにうごめいており、それは肉のうごめきを思わせるようである種エロティックにすら見えるその一方でまたグロテスクとも思える感覚もふくんでいるようでもあり、いずれにせよその動きと色彩の具体性はすごかった。坂を上っていく。合間、鳥の音やら周囲の草木が風に触れられる音やらがこまかく、絶えず、まあ言ってみれば鈴の音のきらめきのように立つ。出口付近になると日なたがまたあらわになるが、そのなかに入ると普通にかなり暑い。しかもそこで(……)くんから来たメールのことを思い出して、返信を忘れないように手帳にメモしておこうと立ち止まって書きつけたので、熱が身に溜まって余計に暑かった。
  • 西空から来たる陽射しはまだまだまぶしい。ツツジがいたるところで咲いている。街道沿いの家も色々花を咲かせているものが多く、色彩あざやかで、いまそこから渡ってきた対岸の庭木の、丸っこいように整えられた梢の枝葉の隙間には空の色がくまなく染みこみ、まさしく水色と言うほかない色で喉をうるおす清涼な感覚を思わせもするのだが、あまり濃くはなく、雲はないけれどやさしげにやわらいでいる青が頭上どこまでも続いているなかに、月ももう下側をすっぱり切り取られた半分だけの姿でかすかにあらわれている。陽射しはやはり暑いほどで、風が吹いてもやわらかいばかりで、言ってみれば薄布団につつまれているような感じになるので、それもあって眠くなるような温もりと穏和さであり、光のなかでただ何もせずにいたいな、労働行くの面倒臭え、こんな日に働くというのは人間として生理学的に誤っているのだが、と思った。街道の途中で水道管の工事か何かしていた。歩行者用通路を、そのときは一応多少は歩をはやめながら歩きつつ、仕切りで囲まれているなかを見れば、道路の途中に四角い穴、坑と呼ぶべき感じの綺麗に切り取られたような穴がひらいており、ひとつは放置されていたがもうひとつのまわりにひとが集まって何か線のようなものを入れて計測作業をしているようで、一方進むとトラックが二台連続で停まっているのだがその荷台に山盛りに載った土砂のたぐいは色が違って、ひとつがたぶんアスファルトの部分で、もうひとつはその下の砂、ということだったのではないか。
  • 公園ではその現場の作業員のひとりなのかわからないが、作業着を身につけた男性がひとりだけでベンチに座って携帯を見ており、公園内にある遊具のうち、格子状に棒を組み合わせて球体をかたちづくっているあれ、ぐるぐるまわしたのにつかまって自分もまわりながら遊ぶやつがあると思うが、あれの赤やら黄色やらのペンキの強い色彩が、光を浴びてさらにつやめき際立っていた。老人ホームの角にある桜はもう完全に終わり、頭上は大きめの葉ばかりになって、地にも花びらは掃除されたようでひとつも見られない。裏通りに折れながら、春爛漫というほかない陽気だなと思った。一軒の庭にあるサルスベリの、伐られた太枝の先端に盛り上がっている瘤から、茶と緑の混ざったような色の新芽がいくつも伸びはじめている。
  • あたりを見ればどこもかしこも視線があかるい緑にぶつかり、あるいはほかの花々も鮮明な色をたたえて、空間と世界全体があざやかさに支配されてしまった気味で、言ってみれば死後の楽園を思わせかねないような、熱を帯びた明快さであり、通るひともあまりおらずあたりはしずかだから、そのなかをただひとりでゆっくり歩くのは最高だなと思った。精神安定剤をキメたときの落ち着きを思い出させる心地よさ。歩調は相当遅かったはず。全然急ぐというか、力を入れて歩く気にならなかったので。(……)を渡ったあたりで老いた男女に抜かされた。横にならぶのではなく、女性が三歩分くらい先行してそのあとを男性がついていくのだが、このひとたちは一見すると格好もどちらもキャップ様の帽子をかぶっていて似ているし、夫婦に見えるが、言葉を交わすそぶりもないし関係のないひとなのだろうか、どちらなのだろうかと思った。それで彼らに遅れてのろのろ行きながらときおり見やっていたのだが、距離はずっとおなじままで近づきも離れもしなかったものの、文化センター前まで来て女性が話しかける様子が見られたので、やはり夫婦だったのだとわかった。女性は折れてどこか表通りのほうに行き、男性は文化センター前に立っていたが、まもなく植込みの段に腰掛けて座って待ちはじめた。その前を過ぎてすすむと前方から女児がひとり歩いてきて、黄色い帽子をかぶっていて幼稚園児かともあとで思えたがたぶん小学一年生だったのではないか。よく見なかったのでランドセルを背負っていたかわからないが。その子の歩き方がそんなにはやいわけでないがまっすぐきちんと、ちょっとせかせかした感じで踏まれるもので、歩き方というのもやはり社会とか環境によって規制され形成されているのがよくわかるなと思った。子どもがはじめて立ち上がって歩き出したときはともかくとしても、その後はやはり親に手を引かれるときの感じとか、まわりのペースに合わせなければならなかったりとか、大人たちの歩き方に巻きこまれておのずとそういう風に削られ、つくりととのえられていくのだろう。子どもが自分で、こういう歩き方をしようと主体的に選ぶわけもないし。本当はあんな風に歩く必要などどこにもないはずなのだが。
  • 駅前に出てロータリーを行くに向かいのマンションの上方側壁に太陽の白さが水をびしゃっとぶっかけられたように固まっていた。裏口から職場に入るので路地に入ると、前方に停まった車の横に家族連れ三人がおり、子どもが、たぶん女児だったと思うのだけれど、しばらく父親の股間に顔を近づけてまさぐるようにしたあと、パンツひらいた、とか言いながら車に乗っていって、母親がパンツをひらいたらまずいとかなんとか笑っていたが、ズボンの前のチャックを開けようとしてふざけていたものらしい。職場の裏の扉の前に来るとそこは建物の細い隙間で、ビルに絞られて勢いを増した風が通路に沿って吹き、こちらのからだを過ぎていく。
  • 勤務中のこと、またその他もろもろは忘れたので、Woolf会に飛ぶ。その本篇のことも割愛し、この日目新しかったこととしては上にも記したとおり、新たな参加者が二人あったこと。(……)
  • おのおの自己紹介をしたわけだが、紹介したい自己など特に持ち合わせていない。こちらは、いま三一歳で、大学を出てから文学などというものにかぶれてしまい、毎日文を読み文を書きたいがために実家に置いてもらいながらいまだにフリーターをやっている身分だと述べた。(……)さんは自己紹介のあいだに、今日のご飯はセブンイレブンのペペロンチーノでしたと言って、それについて(……)くんがあとで、うまいな、すごいな、と漏らしていた。自己紹介で何を言えば良いのかいつもわからなくて、自分のことを語りすぎてもなんだし、そこで何について言うかがそもそもそのひとを表すことになると思うのだけれど、そこで今日のご飯は、と言うのはなかなかできない、(……)さんならではだ、というような評価だった。(……)さんは、自分は自己紹介の途中で話がどんどん逸れていって気づくと語りまくっていて、はっとしていけないいけないと思うことが多い、と言った。このときも実際、(……)さんとは先日デモの場で会って、というところから、入管法改正の件について話がなされたのだが、これはしかし有益な脱線だったように思う。彼女の話によれば入管法改正案が衆院を通過したかするからしいのだが、この情報はこちらは全然知らなかった。すくなくとも我が家が取っている読売新聞ではまったく報じられていなかったと思う。政治面をいつもあまりきちんと見ず、国際面ばかり見ているので見落としているかもしれないが。それで、改正案(抗議者たちは「改正」ではなくて「改悪」だと訴えているのだが)が成立すると強制送還がいままでよりも容易になるらしく、(……)さんによればそこで少年法のほうともかかわりが生まれてくるらしい。時あたかもミャンマーがあんな状況だし、難民希望の人間はこれからたくさん増えるだろうし、すでにかなりたくさん申請はなされているだろう。東日本入国管理センター、すなわち牛久入管をはじめとして、各地の入管施設における収容者に対する劣悪な振舞いや扱いにかんしてはつとに語られているところである。
  • あとおぼえているのは就活の話。この会にいるこちらと(……)くんと(……)さんの三人の男性は皆就活をまったくしたことがないというつわものどもなのだが、女性たちは経験しており、彼女らが口を揃えて言及したのが、就活用メイクセミナーみたいなやつの存在だった。就活の時期になるとまずそれがあるのだと言う。強制参加ではないというか、一応フケることは可能なのだろうが、基本的には全員参加みたいな名目らしい。それで面接のときなど、相手にとって印象の良いような化粧の仕方を学ぶ、ということなのだと思うが、実に面倒臭そうだしそんなの勝手にさせろやという話で、(……)さんはたしか結局院に進むことに決めたと言っていたと思うが、一時就活もやったらしく、そのとき女性用のスーツを着て、なんかぴっちりしていてからだの線も出るしなんでこんなの着ないといけないんだろうという不満もしくは疑問を抱いたと言っていた。こちらもあの、女性はヒールを履かないといけないみたいなクソどうでも良い服装観念はさっさと撲滅するべきだと思う。
  • ほかのことは忘却。

2021/4/20, Tue.

 彼の仕事は反歴史的ではない(すくなくともそう願っている)が、いつも頑固に反生成的である。なぜなら「起源」とは、「自然」(「ピュシス」)の危険なかたちだからである。「ドクサ」は、打算的(end207)な悪用によって「起源」と「真実」とをいっしょに「押しつぶし」て、どちらも便利な回転ドアから出たり入ったりさせながら、ただひとつのことを証明しようとする。人文科学とは、あらゆることがらの〈エティモン〉(起源と真実)を研究する〈起源的な〉ものではないのか、と。
 「起源」の裏をかくために、彼はまず「自然」の文化水準を徹底的に上げてゆく。自然のものなど何もなく、どこにもなく、歴史的なものしかないようにするのだ。つぎに、(いかなる文化も言語活動にすぎないと、バンヴェニストとともに確信しているので)、熱い手遊びのように次から次へと重ねられた(生み出されたのではない)言述の無限の動きのなかに、その文化をもどしてやるのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、207~208; 「起源からの離脱(La défection des origines)」)



  • 上の引用について。反生成的であることと、「起源」とが関係するのは、生成を認めるとその端緒としての「起源」をまた認めなくてはならなくなるからではないか。パルメニデス的汎存在論においては、世界にあるのは「ある」という存在の全一性のみで、「ある」はいまもあるし過去にもあったしこれから先もあり続けるので、物事が終わるということはない、したがって生成変化もない、なぜなら生成があるということはある状態が終わるということだからだ、という話になっていたはず。だから生成変化を認めるということは、物事にはじまりと終わりがあるということを前提するのとおなじことだろう。バルトは上で世間的な通念たる「ドクサ」によって「起源」が「真実」と一緒くたにされて「自然」化されてしまう、と書いているが、すくなくとも第一段階においては忘却されている「起源」を突き止めることこそが「自然」とされていた事柄を歴史化して、言わば神話を解体する行為だったはずである。現在の社会や世界で当たり前のこととしてまかり通っている問題含みの常識が、いつどこではじまりどのように形成されたのかを探究することで、それがまったく当たり前のことではなかったということを、すなわちどのような時代どのような場所でも通用する普遍的な「自然=真実」などではなく、歴史的にかたちづくられた物事の特殊な一様態であることをあきらかにする、ということ。たとえばフーコーがやったのはたぶんそういう仕事だったはずだし、バルト自身もそういうことはたくさんやっているだろう(上で彼自身が、「「起源」の裏をかくために、彼はまず「自然」の文化水準を徹底的に上げてゆく。自然のものなど何もなく、どこにもなく、歴史的なものしかないようにするのだ」と言っているのがその段階にあたるだろう)。ただこの時期のバルトは、「起源」を突き止めることこそが「真実」を発見することだという発想そのものに、まあ我慢ならなくなってきていたのか、飽きてきたのかわからんが、ともかく今度はそれが「ドクサ」として固まっているのを感じていたということだろう。べつにこの時期に至らずとも、最初からそういうことは感じていて、それを承知でいわゆる神話解体的なことをやっていたのではないかという気もするが。フーコーはバルトとあまり仲が良くなかったということをどこかで聞いたようなおぼえがあって、バルトがコレージュ・ド・フランスの教授になるときにもフーコーは反対していたとか、正確な記憶ではないのであやしいが、なんかそんなようなことを聞いた気がするのだが、もしかすると「起源」に対するスタンスの違いがそのあたりの一要因だったりするのだろうか。と言って、フーコーが単純に「起源」と「真実」を同一視していたとも思えないが。
  • 目覚めたのは一一時一〇分くらいだったか。今日も快晴。そこそこ疲労感と濁りがあった。労働はさほど大変でもなかったのだが。各所を揉んで時を過ごし、一一時四〇分だか五〇分だったかに起床。瞑想は今日はサボった。上階へ行くと米がもうほぼないからうどんか蕎麦か、とか言う。それかパンか、と言うので珍しく食パンを焼いて食うことに。トイレに行ったり水を飲んだりうがいをしたり髪を梳かしたりしてから食事。新聞の国際面にはタクシン政権発足から二〇年ということで、タクシン後に首相を経験した二人が短く知見を述べていた。タイの歴史をちっとも知らないのだが、タクシンは二〇〇一年に政権に就き、生活が苦しい農民層向けに低額医療保険制度などを打ち出してポピュリズム的人気を得たと言う。それまでタイではわりと富裕でなければなかなか病院で治療を受けられないみたいな状況があったようで、そこをたしか日本円で一〇〇円かそこらで診療を受けられるような制度を整えたらしく、それは良いのではないか。ただ人気を得たあと汚職や不正蓄財に走った結果、不正に目をつぶってタクシンを支持する勢力と反対する勢力とで国が分裂し、そこに軍が介入してクーデターで政権を握った、というところからの流れが結局いまも続いているということのようだ。だからタクシン政権期に現在の混乱のみなもとがある、と片方のひとは述べていた。いまは学生などの若い層と比較的年嵩だと思われる既得権益層との対立がたぶん主なのだと思うが、そしてそれはタクシン期への評価という以上に軍および王室に対するスタンスで分かれているのではないかと思うのだが、だから現在の分裂とタクシン政権への評価がより正確にどのように結びついているのか、そのあたりはまだ知らない。つまりおのおのの勢力がタクシンをどう思っているのかというのは。
  • 食後、食器と風呂を洗う。いつもどおり。茶をつくって帰室。そういえば、今日は(……)ちゃんの四歳の誕生日なので、ビデオレターを送ってほしいと(……)さんが言ってきたという話があった。六時間ほど違うはずだから、夕方くらいでいいんではないかと思っていたところが、夜にやると言う。ビデオレターと母親が言うから動画を撮って喋る様子を送るものだと思っていたのだが、たぶん普通にビデオ通話をして祝うということだろう。
  • 書見。昨日に続き、『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)。ボールを踏んだり、ベッドに転がって脚をほぐしたりしつつ。吉田健一岡本かの子に興味をいだいた。吉田健一については、彼の文章はただ文章と呼ぶほかなく、評論とか随筆とか小説とか色々な一般的なカテゴリーに沿って分けてみても仕方がない、と言われていたので。岡本かの子にかんしては、修飾過剰で形容が豊かな絢爛な文体、みたいなことが書かれてあったので。なんだかんだ言ってそういう膨張的というか、ゴテゴテしていたり、むやみに装飾した豪華な文章みたいなものにはわりと惹かれる性分だ。岡本かの子の場合、それが当時は直感的な、即座の反発を招いたことが多かったらしいのだが。反発や嫌悪を示すにせよ、賛同したり称賛したりするにせよ、そういう即時的な感情的反応を引き起こすその度合の激しさは、ほかの作家にはなかなかないのではないか、みたいなことが記されてあった。ただ金井美恵子としてはどちらの側も半端な文体論にとどまっていて、それはあまり益のあるものではないと思っていたようで、例によってわりとテーマ的な、モチーフ的な読み方をしている模様。やはり詩から出発したひとということだろうか、そういう論のやり方が多いような印象。天沢退二郎について書いたやつだったか、おなじテーマの認められる部分の引用を列挙しつつ、ほとんど目立ったパラフレーズもせずに本文の言葉をくり返しながらわずかに解説や自分の印象をつけくわえる、ほぼそれだけ、みたいな感じのものもあったと思う。
  • 82からはじまって143まで。中断したのは三時過ぎくらいだったか? BGMとしてRobert Glasper Experiment『Black Radio』を流していたのだが、なんだかんだ言っても良いアルバムである。サウンドの質感が良い。ドラムのやり口なんかもおりおり面白い。Lalah Hathawayが歌った"Cherish The Day"のはじまりなんかも良い。そのあと、ストレッチ。ストレッチというかなんか頭が堅くてなかがこごっているような、内側にしこりか虫が埋まっているような感じだったので、休もうと思ったのだが、瞑想をする気にはならなかったのでかわりにストレッチ的にからだを伸ばしつつ静止した。それであらためて立ち返ったのだが、やはりあまり肉を伸ばそうとせず、負荷をそこまでかけない状態でじっと静止するのが良い。だからストレッチが主というよりも、止まるほうが主というか。ポーズを取った瞑想という感じで、からだが伸びてやわらぐのは副産物みたいな。合蹠して前についた手に頭を乗せて支えて目をつぶっているとマジですっきりする。まずはこのやり方で肉体のベースをつくってかつ向上させていきたい。
  • その後、四時くらいから書抜き。小林康夫編『UTCP叢書1 いま、哲学とはなにか』(未來社、二〇〇六年)。Robert Glasper Experiment『Black Radio 2』を流しながらやり、四時四〇分くらいで切ってベッド縁に移ってここまで記述。するといま五時一七分。
  • ほかのことは忘れた。ビデオレターを夜に撮ったことくらい。仏間で撮ったのだが、撮ったものを見てみると、こちらの声がなんだか、なんと言えばよいのか、声だけでなく全体的な雰囲気として未熟さがにじみ出ているような様子で、この日は外に出ていなかったので、すなわちひとと話す時間もなかったので、そうすると声も低くなるしテンションも低くなりがちなのだが、そういう調子で全然朗らかでなく、もうすこしハキハキ喋れば良かったなと思った。如才なさが全然なかった。堂々としていない。声色が、映像とかで外部録音されるとやはり自分が普段聞いている自分の声と全然違うから、俺こんな声なのかよと思ってちょっと気持ち悪く感じたのだが、声色としてはどうも(……)の(……)に似ているように思われた。(……)は大方あっけらかんとしている(……)家のなかで唯一翳のあるような雰囲気を含み持っている人間で、と言っても野球部だったし基礎的には騒ぐことが好きなほうの人種でもあるだろうが、ただ一方で妙に理屈っぽかったり表情などに陰影があったりして、彼が高校生だか大学生になったあたりからこちらはちょっとこちらに似ているなと思っていたのだけれど、今回逆に、撮影された自分の姿を見てあちらに似ているという印象を持った。