2021/5/19, Wed.

 たとえば、春につぼみが芽吹き、夏には葉のみどりが盛りを迎えて、秋とともに年老い、冬が訪れるうちに、みどりは死に絶えて、まためぐりくる新たな春に、いのちはふたたび甦る。植物ばかりではない。動物もまた生まれ、成長して、やがては死を迎える。すべては移ろい、変わってゆく。とどまるものはなにもない、かにみえる。
 とはいえ、誕生し、成長して、老いて死を迎えることの繰りかえしそのもの、動物や植物の成長や繁茂であれ、衰退や枯死であれ、そのようにことがらが反復してゆく、循環それ自身、ひいては、季節の移りかわりや太陽の経年変化、天体の運動それ自体は移ろうものではない。繰りかえしは繰りかえされ、反復は反復し、循環自身は、いつまでも循環する。今年のみのりの季節が過ぎ去っても、一年ののちに麦畑はまた一面に収穫の時節を迎える。母山羊が年老いて、もはや仔をはらむことがなく、乳を出すこともなくなったときには、そのむすめが新たないのちを宿すことだろう。成長と繁殖は繰りかえされる。自然の生成と変化をつらぬき、ひとの世の移ろいを無限に[﹅3]超えて繰りかえされ、反復し、あるいは循環する。
 植物や動物の誕生と成長、死滅に目を向けるなら、このような反復と循環はそれ自身、水の存在と深くかかわっているように思われる。植物は水によって育てられ、水を失うことで動物(end7)は老い、植物は死んでゆく。老いた人間の男女は、体内の水分を喪失することで、ひとまわりちいさくなり、荒廃した森の木々は、水気を亡くして枯死している。水は、たしかに、それら「いっさいの存在者の構成要素(ストイケイア)」である。――そればかりではない。水が、繰りかえし循環することが、おそらくは、反復と循環のいわば「範型」(パラデイグマ)である。
 ミレトスの港町は地中海に開けていた。来る日も来る日も、昼も夜も、海は波をつくり、波をよせる。ひとがつくり上げたものなど、まだほんのささやかであった時代にも、海は無限に[﹅3]波浪をあげて、際限もなく[﹅5]波頭をつくりつづける。一瞬一瞬の波のかたちは、海が生みだす、刹那の様相であると同時に、それが海そのものでもある。青い海はまた、白い雲をつくり上げ、雨となって陸地をうるおす。海は、ときにまた風とともに荒れくるい、高い波がひとのつくり出したものを呑みつくす。街並みをつくる白壁が崩れおち、街そのものが廃墟となったとしても、海は月から引かれ、陸に惹かれる。反復は、ちいさな反復を無限にうちにふくんで、それ自身として循環し、おわることがない。世の移ろいと、自然の生成変化は、すべて海のなかに写しだされているのである。「水」という一語のなかには、なにかそうした悠久の存在感覚がある。滅びてゆくものを超えて、滅びてはゆかないもの、死すべき者のかなたに在りつづけるものへの感覚がある。そこには、果てのないもの、無限なものへの視線がつらぬかれ、世界のとらえがたさに、思わず息を呑む感覚が脈うっている。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、7~8)



  • 一一時一五分の離床。そのまえにあたまを左右にごろごろやって、首をよくのばした。天気は雨。さほどおおきな降りではないようだが。おきあがって携帯をみると(……)さんから今日は不在なのでよろしくおねがいしますというメールがはいっていたので返信。そうして部屋を出て、階段下の父親にあいさつし、洗面所で洗顔やうがい。用を足して上へ。母親にあいさつしてジャージにきがえ、ちょっと体操というか背をのばしたりしてから洗面所で髪をとかすと食事へ。前日ののこりものに素麺の煮込み。新聞は入管法改正案が今国会での成立を断念されて廃案になるという件や、イスラエルパレスチナ情勢など。国際面でそれに関連して米国が指導力を発揮できていないという記事をよむ。バイデンはもともとネタニヤフとは明確に距離を置いていたらしく、パレスチナ情勢も優先順位はひくくてあまりコミットしてこなかったので影響力を発揮できない、というようなことが書いてあった。イランとの関係にも暗雲がたちこめる。つまりドナルド・トランプが離脱したイランとの核合意へ米国が復帰をするにあたっても、今回の件でイランのハマスへの支援があらためて焦点化されるので。野党共和党の議員はバイデンへの書簡でイランの支援をうけたパレスチナのテロリストたちがイスラエルの市民をねらってロケット弾攻撃をしかけている、と非難したらしいし。中東地域はイラン、イスラエルパレスチナ、それにアフガニスタンと米国にとっては重要なファクターがあって、そこが不安定化すれば中国への対抗を念頭にアジアを重視するというバイデン政権の方針も阻害されかねないとのこと。アフガニスタンはやばいんじゃないかという気がするのだが。この記事とおなじならびで安全保障理事会が中国主導でプレス声明を出そうとしたが米国が拒否してだせず、四回目の非公式会合がひらかれるとの報もあった。ユダヤ系とのつながりをかんがえてアメリカはどうしてもイスラエルを擁護しないといけないので。とうぜん中国は、一国の反対で安保理が一致した姿勢をうちだせず、機能できていない、という批判をするわけだ。
  • 食後、食器をあらって風呂場へ。浴槽ほかをこすってながし、でると下階。寝間着やジャージをとりかえたのできのうまで着ていたやつは上階洗面所にはこんでおき、もどるとコンピューターをつけて準備。今日のことをここまでしるした。一二時半をすぎている。今日は三時ごろには労働にむかう必要がある。授業の予習をしておかなければならない。水曜日なのでふだんは帰宅後Woolf会だが、きのう、今週来週と二週連続で休みになるということがきまったので、その点いつもよりかえったあとの余裕はある。
  • 出発までの時間はわりとなまけたはず。「英語」の音読だけはやった。出発は三時一五分。雨はやんでいたので傘をもたず、徒歩をとる。往路のことをぜんぜんおもいだせない。路面がまだぬれていたので、街道では横をいきすぎる車のタイヤの擦過音がけっこう増幅されていたはず。というかちがった、傘はもったのだった。やんではいたがいちおう片手にもちながらあるいたのだった。けっきょく降ることはなかったのだが。そのほかの記憶や印象がちっともよみがえってこない。ぼけっとしながらだらだらあるいていたようす。そしてそれでよい。
  • いやちがう、雨はまだ降っていたのだ。記憶のふたしかさにおどろいてしまうが、行きはふつうに差していたのをおもいだした。手にさげてなどいなかった。それで裏通りの途中、頭上の傘にうちつける雨粒の音が身のまわりの至近をシールドのようにしてかこむのと、そのむこうで林のほうからなにかしらの音を聞いたのをおもいだした。なにかしらの音がなんだったのかはおもいだせないが。鳥の声だったか、葉擦れだったか、それとも線路のむこうの家のあたりでこどもがあそぶような声だったか。風はなかった気がするが。
  • 職場につくと裏口からはいって準備し、勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • そういうわけで九時四〇分だかそのくらいに退勤し、ふたたび徒歩でかえる。帰路は雨がやんでいた。裏道にはいるとすぐマスクを顎のほうにずらして、雨上がりのしめった空気を吸いながらあるく。空は雲。ただほそい月がときどき正面すなわち西にほのみえる時間もあった。この日は白猫とひさしぶりに遭遇。みちをあるいていると当該の家で、かすかな鳴き声をひとつたてながら道にでてこちらのほうにちかづいてきたので、しゃがんでむかえる。この猫はなぜか出くわすときのいちどしか鳴かず、それもかなりちいさな声で、そのあと接しているあいだに鳴き声をはっすることはまずない。たぶんいままでいちどもなかったはず。ちかづいてきてくれたのだけれどだからといってストレートにこちらに接してくるわけでなく、しゃがむこちらの横をすぎて道の先をみつめるのがいつものこと。いぜんはころがって腹をみせたり、こちらの膝のうえに乗ってきたりもしたのだが。ただそれは何年もまえのことで、しかも場所もちょっとだけずれるので、あの白猫がこの白猫と同一だったのかがわからない。たぶんおなじ猫だったとおもうのだが。このときもしゃがんでいるこちらのまわりを左右にあるいてすぎ、すぎるときに脚やら手やらにからだや顔をこすりつけていくばかりで、こちらもからだにふれてなでてやるのだが、とうぜん毛がたくさんスーツに付着して、かえってからみてみるとスラックスの下のほうはかなり白くなっていたが、まだそれはとっていない。いちどこちらの脚のあいだにまではいりこんできたことがあったので、ジャケットのあわせのところにもすこしだけ毛がついていた。まったくもってかわいらしくいたいけな生き物だ。しばらくそうしてたわむれていたが、じきにたちあがっていこうとすると、猫もついてくる。ゆっくりあるいているとあとからついてきたり、すばやくあるいてこちらをぬかしたりして、家の塀の角のあたりとか段があるところとかにさしかかるとその都度からだをそこにこすりつけている。今日は飼われている家からかなりはなれたところまでついてきたが、じきにこちらがふりむいてもよってこなくなったので、わかれた。
  • 最後の坂をくだって家のそばまでくると視界がひらけ、空はとうぜんくもっているのだけれど、しかしそれが一面のくもりではないというか、靄がかった白濁の領域と沈んだ黒のうねりとが織りあわされたようになっており、空のみならず山影は山影で靄の浸蝕をうけてやはり白黒の交接体となっているから天から地の先まですべてそうで、それをみるに空間の果てがぜんぶ巨大な冬のガラスになったような、この星がまるごと人工的な建物のうちにある世界だったことが判明したかのようなかんじで、右手で林の上端をほんのすこしこえたところに月の明かりがあらわれて射しひろがったのだけれど、それもしょせんは雲の褥にたゆたうだけの茫洋としたあかるみにすぎず、ガラスをきりさくほどの強さはもたないし、そもそもすぐにかくれてしまった。
  • 帰宅して部屋にもどり、猫の毛が多数付着したスーツをぬいで休息。一時間ほどベッドで休み、一一時四〇分くらいになって食事にいったはず。夕刊で愛知県知事リコール運動で大量の署名偽造が発覚した件についてよんだが、この事件の情報は今日(二〇日)の記事にもうかいたのでそちらにゆずる。あとは風呂にせよその後にせよとくだんの印象はない。とくになにも活動せずにサボってしまった。勤務のある日、帰宅後の時間をどのようにつかうかがやはり大事になってくる。往復ともにあるけば一時間以上はあるいているわけで、そうするとからだも相応につかれるし。あとそうだ、風呂をでるともう一時だったのだが、母親がソファで死んでいたので、洗濯機から洗濯物をとってこちらが干した。母親は飯のときからすでにひどくねむそうにしており、寝ちゃうかなといいながらソファにころがってすぐに寝息をたてていたのだが、こちらが干しているあいだは明晰でなさそうな意識でありがとうとかすみませんねえ、とかもごもご言っていた。洗濯物は彼女の職場の服とか、ジーンズとか、非常に薄手のジャンパー的なやつなど。

2021/5/18, Tue.

 世界のはじまりを問うことは、それ自体としては神話的な問いでありうる。大地は、大河は、大海は、星々と天空はいったい、いつどのように生じたのか。鳥獣が、人間がどのように生成したのか。たとえば、ヘシオドス『神統記』が語りだすところによれば、はじめに生じたのは「カオス」である。ヘシオドスの語るカオスは「混沌」のことではない。カオスとは「裂け目」のことであった。そうであるとすれば、ヘシオドスの宇宙創成論(cosmogony)がまず語るのは、「大地」(ガイア)と「天空」(ウーラノス)との分離であったといってよいだろう。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、5)



  • きのうで毎日の日記の冒頭にふしている書き抜きストックのうち、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)の分がつきたので、つぎはなにになるのかと過去の手帳をみかえして読書の順番をふりかえったのだが、そうすると去年の二月ごろとかのじぶんは手帳にずいぶんとおおく文章をかいていて、それが書き留めのレベルではなく几帳面に行の左右端をそろえたきれいな字でかかれているので、俺こんなに手書きしていたのかとおもった。いちど(……)に手帳をみせたときにめちゃくちゃきれいで感動したみたいなことをいわれたことがあったが(秋葉原にいったときだったはずで、ということはこちらと(……)くんの誕生日プレゼントにヘッドフォンを買いにいったときだから昨年の一月ごろだろうか? しかしハマスホイの展覧会をみにいったときだったような気もするが)、たしかにずいぶんきちんと書いている。ところで記事冒頭引用の順番は読書そのものの順序ではなく、とうぜんかきぬいてあるものからしか付せないので読書の順序を確認してもしかたがなかったのだけれど、あの本はもう付したのだったかと確認するためにここ数か月の日記をいくつか瞥見したところ、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の引用をはじめたのが一月後半のようだったので、それから三か月以上にわたって日記冒頭はずっとこの本からの書き抜きだったわけで、これには笑う。おまえはどれだけこの本を写しているんだ、と。ほぼ四か月だから、一〇〇箇所以上写しているわけだろう。これだけあるとそれを読みつげばけっこう本の内容が追えるわけで、ブログが著作権法違反で注意されないだろうか? 日記という形式上、この引用に内容との連関面からみた必然性などないわけだし。今日からの引用は熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)。新書のやつ。
  • この日のことはもうだいたいわすれた。いま二〇日の午後一時だが、休日で家にとどまった日にかんしては、一日もたてばだいたいわすれる。やはり外に出ないと、やることもみることもなじみのものばかりで知覚と身体がうごかないから、印象があまりのこらない。読みものは下の英文記事をよんだのと、ひさしぶりに『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をけっこうよみすすめた。二番目の「トラキスの女たち」を通過し、高名な「アンティゴネー」にさしかかったところで切り。いまのところすごくおもしろいというかんじでもないし、現代的リアリズムからすると筋立てもしくは人物の行動に、釈然としないというか、そこはもっと警戒しろよみたいなつっこみをいれたくなるところなどがないでもないが、それは問うことではないだろう。「トラキスの女たち」の前半の主人公というべきデイアネイラ、すなわちヘラクレスの妻は、「よく物事を考える人には、立派に栄えている者もいつかはやはり衰えるのだ、という怖れがあります」(97)と口にしているけれど、これは完全に『平家物語』の観念ではないか。もっともここでそれは一個人の「怖れ」や不安として提示されているけれど、『平家物語』のほうでそれに「怖れ」の情がつきまとっていたのかはしらない。よくあるイメージとしては、栄枯盛衰は人間ののがれられない宿命で、だからそれをそれとして淡々と受け入れていく、みたいなかんじだが。ここで提示されたデイアネイラの感慨は、16ページ、「アイアス」で、女神によって錯覚をおこされたアイアスのさまをみるオデュッセウスの台詞につうじているだろう。いわく、「それにしても、わたしはこの男が不憫でなりませぬ。たとえわたしを快からず思うとはいえ、この不幸な禍いにしっかりとくくりつけられているのを見、これもいつかはわが身のことと思うにつけても。しょせんわれらはこの世にては、空蟬のはかない影にすぎぬものでしょうから」ということで、まず衰退や不幸がいつかじぶんの身にもやってくるのではないかという恐れや不安が共通している(正確には、オデュッセウスのほうはその予測にたいして恐れや不安を表明してはいないが、すくなくとも不幸がいつかくるという、なかば確信的とも見える予測はしている)。もうひとつには、そこに「不憫」やあわれみの情がともなっていることが共通している。というのも、ヘラクレスが攻撃した町から戦利品としてぶんどってきた女性たちをまえにした97のデイアネイラは先の台詞にそのままつづけてこのようにいっているから。「親しい方々、このわたしには、強い憐れみの気持が浸み込んできてならないのです、この哀れな女たちが、異国の地にあって、家もなく父もなくて、さまよっているのを見ていますと。この女 [ひと] たちは、もとは自由な人たちの子であったでしょうに、今は奴隷の生活を送っています」と。だからこのふたつの箇所は、実際に栄枯盛衰の運命にのまれた人間をめのまえにして、我が身をかえりみるというか、自分もいつかはああなるのではないかと不安をおぼえたり、すくなくともそれをわりと蓋然性の高いこととしてかんがえたりしている。そこでは、いまのみずからのある程度の幸福とか良い状態とかがこのままこの先もつづく、という発想は信用されておらず、単純なはなし、この世においてはいつなにがおこってもおかしくはなく、ひとの生と世界のみちゆきははかりしれないもので、明日どうなるかもわからない、というかんがえが優勢である。一寸先は闇、というのにちかいのではないか。だからいってみれば、有頂天とか万能感みたいなある種のおごりめいた人間の情が、あらかじめいましめられ、罰せられている。
  • あと「トラキスの女たち」での死にかけたヘラクレスの苦悶の台詞とかはけっこうよかった気がする。劇的というか芝居の約束事にむろんそった調子ではあるのだろうが、なんかそれが、退屈な平板さにも堕さず、かといって大仰すぎてからまわりもせずにかんじがでていたような気がする。

Ukrainian officials have opened a synagogue at Babyn Yar near Kyiv - a place where the Nazis murdered nearly 34,000 Jews in World War Two.

Babyn Yar was a ravine where Jews from Kyiv were lined up and shot dead by the invading Germans over two days in 1941.

The death toll rose above 100,000 over the next two years as Hitler's Nazi SS murdered more Jews there, along with Roma (Gypsies) and Soviet prisoners.

     *

The synagogue's ceiling has a painted map of the night sky, with stars positioned as they were on 29-30 September 1941, when more than half of Kyiv's remaining Jews were massacred.

     *

The synagogue's Swiss architect, Manuel Herz, designed it to open and close like a book, with a manual mechanism that worshippers will operate. It was inspired by pop-up books, but also reflects the holy text of synagogue services.

"From a flat object of a book, when we open it, new worlds unfold," the [manuelherz.com](http://manuelherz.com/) website says.

The 11m-high (36ft) building has a metal frame and is made of Ukrainian oak more than a century old, to reconnect with the old Jewish traditions of the area. The painted constellations on the ceiling also echo the artwork of synagogues destroyed by the Nazis.

  • ほか、この日は日記もすすめてこの前日、一七日までしあげられてよかった。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書き抜きも二箇所。非常にかるいものだがスクワットとストレッチもやった。めちゃくちゃかるく、ぜんぜんがんばらなくてよいので、ともかくもいくらか室内でもからだをうごかすようにはしたい。音読のかたわらにThe Carpenters『Their Greatest Hits』をながしたときがあったが、Carpentersってやっぱりすごいなとおもった。アレンジもそうだが、進行もところどころで工夫がこらされているような気がするし、その進行とメロディの結合のしかたがなんかすごい気がする。ちゃんときかないとわからないが。芸術的、というにあたいするポップスだとおもう。そりゃあこれをやったら売れないわけがないだろうというかんじ。これが売れない世は、隅から隅まで殺伐としきった地獄みたいなところだろう。

2021/5/17, Mon.

 「果てしなく続く衣服を身にまとっている女性を(もし可能なら)想像してみてほしい。その衣服はまさにモード雑誌に書かれていることすべてで織りなされているのである……」(『モードの体系』より)。このような想像は、意味分析のひとつの操作概念(「果てしなく続くテクスト」)を用いているだけであるから、見かけは理路整然としている。だがこの想像は、「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしているのだ。「全体性」は、笑わせながらも恐怖をあたえる。暴力とおなじように、つねに〈グロテスク〉なのではないだろうか(それゆえ、カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができるのではないか)。

 べつの言述。今日、八月六日、田舎で。光り輝く一日の朝だ。太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き。何もつきまとってこない。欲望も攻撃も。仕事だけがそこにある。わたしの前に。一種の普遍的な存在のように。すべてが充実している。つまり「自然」とはこういうことなのだろうか。ほかのものが……ない、ということか。〈全体性〉ということなのか。
  一九七三年八月六日―一九七四年九月三日

 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、273; 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」)



  • 九時半ごろに覚醒。六時間ほど。よろしい。ただすぐにはおきあがらず、例によってこめかみや背中などをもんですごす。そのあと『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)もすこしだけよんで、一〇時半に起床した。洗面所にいって用を足すとともに洗顔やうがいをすると、もどって瞑想。一〇時四二分からはじめて、今日は良いかんじですわれ、おのずとながくなって三〇分。ずいぶん力がぬけて、楽な調子だった。からだ全体がうっすらあたたかくなって、繭につつまれたようなここちよさ。とにかくあまりうごかずただすわりつづけていればよいのだ。窓外では鳥がたくさん鳴きをちらしており、かわるがわるどころかかさなりあっていて、やはりウグイスがめだつが、なかに一匹、ホトトギスもきいた。今年はじめてのこと。今日の天気は曇りで、雨ももしかしたらあるかもしれない。今週はずっとそんなかんじで、晴れ晴れとしない、はっきりとしない天気になるらしい。
  • 上階へ。洗面所で髪をとかす。カレーののこりでドリアをつくったというのでそれをいただく。母親は、きのう、においがわからなくなっちゃって、コロナウイルスだったらどうしようというが、ちょうど今日、職場でPCR検査をやるのだという。それでもう明日には結果がわかるらしいから、もしかかっていたらそこではっきりするはず。今朝はにおいは問題なくわかるというので、たぶん平気ではないかとおもうが。新聞をよみながら食事。そういえばこの日のことではなくてきのうかおとといだったが、カーティス・フラーが死んだという訃報があったのをおもいだしたのでここにしるしておく。今日の新聞はいつものように国際面をみる。イスラエルガザ地区にある米AP通信の建物を空爆したらしい。事前に攻撃をつたえていて記者たちは避難していたので被害者はなかったようだが、批判はでているし、バイデンは一五日のネタニヤフとの電話会談で懸念というか抗議めいたことをつたえたと。イスラエルは例によってハマスの拠点があるので、という言い分のようだが、よくわからない。また、イスラエルの報道官がTwitterで「地上攻撃」がはじまったと発言し、それをうけてNew York TimesやWashington Postが速報したのだけれど「地上侵攻」はしておらず、誤報だった、という一幕もあったと。ハーレツ紙は、意図的に誤報をながしてハマスの人間をトンネル付近にあつめる目論見だったのではないか、と推測しているという。その下にはミャンマーの記事が出ていて、チン州というところで地元市民の武装組織と国軍の戦闘が起こっているらしいのだが、そこで国軍が拘束した市民を前線に配置していわゆる「人間の楯」をつくることで武装組織を撤退させたという。完全に悪党のやりくちではないか。ミンダットという都市で戦闘がおこっていたのだが、武装組織側は市民を攻撃することはできないというわけで、そのミンダット自体からも撤退したもよう。あと二面にアフガンでタリバンと政府軍の戦闘が再燃しているという報も。一三日から一五日にかけてラマダンの停戦があったようなのだが、それがおわったためと。政府側はいままで二四二人だかが犠牲になっている。
  • テレビはさいたま彩の国劇場の新芸術監督に、近藤なんとかいうダンスのひとが就任したとつたえていて、そのひとのインタビューなどをながしていた。彩の国劇場というのはこのひとのまえには蜷川幸雄が芸術監督をつとめていたところ。食事をおえると席を立って食器をあらい、そのまま風呂も。こすってながし、でると下階へ。部屋にもどってきてコンピューターにふれる。(……)
  • この日のことをここまでつづると一二時四四分。
  • ベッドでふくらはぎほかをほぐしながらだらだらとなまける。三時ごろまで。おかげで脚はだいぶなめらかになったが。それから「英語」を音読。401から413まで。『Solo Monk』をBGMに。四時まえになって上階にいき、一品つくっておくことに。母親がかえってきてから料理をなにかやるのはたいへんだし、父親も腰を痛めたためにたいしてうごけないだろうから。といって手軽に肉を炒めるだけ。まず流しに放置されてあった父親の食器をかたづけ、タマネギとキャベツを用意して切る。肉は冷凍に豚肉が二パックあったのでそのうちのひとつ。フライパンに油を垂らしてチューブのニンニクとショウガをおとすとともにしばらく熱し、肉をまとめて投入して箸でほぐしながら炒める。野菜もまもなくくわえて適当にかきまぜながら加熱。味付けは塩、コショウ、味の素に味醂と料理酒をほんのすこしだけと適当にいれる。そうしてしあがるとおにぎりをひとつつくって帰室し、食ったあと、先日の会議で記入したシートを今日提出しないといけないので、まあこまかくかんがえを書いておくかとおもい、あいていたメモスペースをいっぱい埋めるくらいに思考を大雑把にしるしておいた。あんまり読んだり書いたりになれていない人間にこういうものをださないほうがよいのかもしれないが。ひとはだいたいのところ、文をよむのを面倒臭がるので。だが(……)さんならたぶん多少はよんでくれるだろう。それから歯磨きし、スーツにきがえてここまでさっと書き足せば五時すぎ。もう出発する。
  • 上階にあがり、髪をもういちどとかしておいて、マスクを顔につけて出発。玄関をぬけると道の東方からあるいてくる男女。高年。扉の鍵をしめて道に出て、西にむかってゆるゆるあるきはじめる。雨は降っていないが、蒸し暑いくもり。林のなかでたかく伸び上がって巨壁をなしている竹の群れがあせたような、老いさらばえたような黄色もしくは黄緑に染まっていた。こちらのあゆみはおそいので、背後からきた先の男女が横をおいぬかしていく。そのあとすすみながらうしろすがたをちょっとながめたが、夫婦らしく、男性のほうは左右外側に白いラインのはいった真っ赤なジャージをはいているのが目につく。みかけたことのある顔でないし、ふたりともおおきくはないもののリュックサックをせおっていて、あるきぶりにしても近所にちょっと散歩に出たという雰囲気でもないので、たぶん夫婦でやや遠出をしてハイキング的にあるいているというところではないか。彼らは西にまっすぐすすんでいったが、こちらは折れて坂へ。やはり暑い。あきらかに湿度がたかい。髪がのびてきているのでもさもさして鬱陶しい。しかし坂をのぼっていきながら、どうもからだの動きの感触がかるいなとおもった。ベッドでだらだらして脚を太ももまでふくめてよくほぐしたのでそれはそうなのだが、肉と筋の稼働ぶりというよりは、スーツをきていることの窮屈さが薄くて、からだをうごかしても服のほうから抵抗されるかんじがなくてなめらかにながれる。痩せたのか? とおもったものの、じっさい腹回りなどいぜんにくらべればかなり痩せているわけだけれど、ここ最近で急に痩せたというわけでないし(ちなみにきのう体重をはかったところではほぼ五八キロだった)、腹はともかく脚まわりはなおさらそうだろう。それで、これは体型ではなくて肌の問題なのではないかとおもった。肌触り、皮膚の感覚がととのっているのではないかと。というのも、きのうおとといあたりでひさしぶりに風呂のなかで束子で全身をこすったので。乾布摩擦の一方法でじっさいこれはかなり肌がすっきりする。皮膚を刺激すると副腎皮質ホルモンとかいうものがでていわゆる自律神経がととのうとかいう胡散臭いはなしもある。あとは瞑想を今日はながめにやったことももしかしたら影響しているかもしれない。あとは単純に、空気のなかに水気がおおいためか。
  • そうして最寄り駅につき、ベンチにこしかけて、少々メモ。電車がくるので乗り、席で瞑目。むかいに女性ふたり。はいったときに視界の端でみたかぎりでは若い女性の山帰りとみえていたのだが、瞑目のうちにきこえてきた会話の一方の声音にもうすこし年嵩の、中年にかかるくらいのトーンをききとって、そのくらいの歳だったのかとおもったところが、もうひとりの声色や口調にあるあっけらかんとしたかんじというか、屈託やこだわりのなさそうな、ことばをぽんとなげだすようなかわいた調子がこれはわかいひとのもので、しかも漫画のはなしをしているので(最近なんかおもしろい漫画ある? 読む? みたいなはなしで、『チェンソーマン』と、『これはミステリーではない』みたいな名前があがっていて、後者は検索してみたところ漫画ではなくて小説であるらしかったのだが、これはたぶんこちらの記憶ちがいで、『ミステリと言う勿れ』という漫画を言っていたのだとおもう)、これどうも中年じゃないなとおもって、ついたときにみてみるとやはりわかい女性らだった。
  • おりてすすみ、駅を出て職場へ。ホーム上で階段にはいるまえに空をみあげたが、天は全面雲におおわれていて、ありがちなイメージだがまさしくビロードの絨毯みたいにややうねりをおびた白・灰・青の三色混合雲で、そうおもいながらしかし俺はビロードの絨毯というものをじっさいにみたことはたぶん人生でないし、そもそもビロードってなんなのかよく知らんぞとおもった。ベロア生地みたいなイメージなのだが。それでいま検索したが、ビロードとはベルベットのポルトガル語で、そうだったのかとはじめて知ったけれど、ベルベットならそういうたぐいの生地をみたりふれたりしたことはまったくないことはないだろう。Wikipediaいわくベロアというのもベルベットのフランス語らしいので、こちらのイメージはまちがってはいなかった。厳密にはわけることもあるようだが。「和名で天鵞絨(てんがじゅう)とも呼ばれる」とあるが、この漢字表記はたしかに日本近代文学の作品中でみかけたおぼえがある。
  • 勤務。勤務中のことは面倒臭いのでこの日は省略気味に行くか。(……)
  • 九時前に退勤。駅前の自販機でチョコレートブラウニーのスティックとコーラを購入。ロータリーにはタクシーがとまって運転手が車のそとでたぶん同業者とはなしている。ひとりのすがたしかみえなかったが。今日は徒歩をとる。やはり人間、あるかなくては。ふくらはぎを中心に脚をほぐしまくることで血流が促進されてからだ全体が楽になるのは事実なのだけれど、といってそれはやはりからだをおおきく動かしているわけでないから運動ではなく休息のたぐいで、それだけでなくやはり運動をし、単純にからだをうごかさなければならない。と来ればあるくに如くはない。歩行は自由の行為である。歩行中の肉体は振動によって円環をなす。駅前から裏通りにはいると、あちいし、ひとどおりもさしてないからいいだろうとマスクをずらして顎はおおったまま口と鼻は露出し、そうするとすずしいしとうぜん空気のにおいもわかるからもちろんこちらのほうがよい。空は日中とおなじく隈なくくもっているようで道の先や建物の合間にのぞいている空間全体の背景スクリーンは全面黒いのだけれど、そのなかの一箇所に、うっすらとした不定形の、熱い湯のなかに溶き卵をおとしたときにできるダンスのその一片みたいなほのめきがうかがわれて、それであそこに月があるなとわかる。すすむうちに少々あらわれた月はかなりほそい、ひとびとの視線が多数あつまればその重みでぱきりと折れそうなくらいにほそい湾曲性のものだった。しかしひとびとなどわが町の夜の裏路地にはいない。あるくときの肌のかるさというか拘束の弱さみたいなものは往路とおなじで、空気も暑くもなくすずしくもなく、そのなかをすすむからだにたいしてなんの摩擦も抵抗もあたえてこない無色透明のなめらかさで、今日は少々湿気はおおいが良い季節になったものだ。その他帰路にとりたてて見聞きの印象はなく、とりたててものを見聞きしようともせず、思考もせずにただあるいていて、それはわるくなかったが、もうすこしぷらぷらあるきたかった気はする。尋常のひとにくらべればすでによほどぷらぷらしているとおもうが。瞑想をするとき、つまりなにもせずにただすわっているときみたいにあるきたいし、そのほかのすべてもそういうふうになれば楽なのだが。そういえば(……)をわたったあたりで上に書いた空気の無抵抗さの印象をおぼえたのだが、それと同時に大気中になにかの食べ物もしくは料理のにおいが、素朴な煮物のような、それも昆布かなにかはいっているようなにおいがまざってきて、ちかくの家のどれかからでてきたのだろうが、それでちょっと快感をおぼえた。そういえば今日は風もぜんぜんなかった気がする。風の感触を肌に明確にうけた記憶がない。
  • 勤務から帰宅して、いま一〇時。ごろごろしてやすみながら過去の日記をよんだ。去年の五月一七日と一月一〇日。後者には二〇一六年中の記述がひかれていて、「一読して現在の自分の文章よりも精度の高い描写」、「ある観点から見ると、今の自分はこの頃の自分に明確に負けているだろう」といっているのだが、いまよめばべつにそうはおもわない。下にひいておくけれど、わるい描写ではないがとりたててよいとおもう部分があるわけでもなく、なんか全体に調子がかたいし、リズムも一定で単調にかんじられて、たいしておもしろくはない。かいてあることも目新しくないし。二〇一六年一七年あたりはたぶんこういう風景描写をととのえることをおりおりがんばっていたはずで、だからそういう意味でこのがんばりが基礎体力的な文章の力をつくったとはおもうが。そういう基礎練習的な、筋トレ的な文調のようにかんじられる。色気はあまりない。「この路線、つまり緻密な風景描写の路線を改めて推し進める必要は必ずしもないが、現在においても過去の自らに負けないような文章を書かなければならない」と一年前のじぶんはいっているが、文章の「緻密」さにせよ過去のおのれとの勝負にせよそんなことはどうでもよろしい。

 既に暮れて地上は暗んでいながらも空はまだ青さの残滓を保持していたが、それもまもなく灰色の宵のなかに落ちて吸収されてしまうはずだった。雨は降り続けており、坂に入ると、暗がりのなかを街灯の光が斜めに差して、路面が白く磨かれたようになっている。前方から車がやってくると黄色掛かったライトのおかげでその時だけ雨粒の動きが宙に浮かびあがり、路上に落ちたものが割れてそれぞれの方向に跳ね、矢のような形を描いているのが見えた。街道に出ると同じように、行き過ぎる車のライトが空中に浮かんでいるあいだだけ、無数の雨の線が空間に刻まれているのが如実に視覚化されるのだが、それらの雨はライトの上端において生じ、そこから突然現れたかのように見えるため、頭上の傘にも同じものが打ちつけているにもかかわらず、光の切り取る領域にしか降っていないように錯覚されるようで、テレビドラマの撮影などでスタジオのなか、カメラの視界のみに降らされる人工の雨のような紛い物めいた感じがするのだった。道を見通すと、彼方の車の列は本体が目に映らず、単なる光の球の連なりと化しており、それが近づいてくると段々、黒々とした実体が裏から球を支えていることがわかる。濡れた路面が鏡の性質を持っているために光は普段の倍になり、二つの分身のほうは路上の水溜まりを伝ってすぐ目の前のあたりまで身を長く伸ばしてくるのだが、その軌跡は水平面上に引かれているというよりは、目の錯覚で、アスファルトを貫いて地中に垂直に垂れながら移動してくるように見えるのだ。横断歩道が近づくと、信号灯の青緑色が、箔のようにして歩道に貼られる。踏みだすたびにそのいささか化学的なエメラルド色は足を逃れて消えてしまい、自分もその照射のなかに入っているはずなのに、我が身を見下ろしても服の色にはほとんど変化がないのだった。
 (2016/8/27, Sat.)

  • ほか、(……)さんが当時やっていたブログをよんでいたり。彼もどうしているのかなとおもう。またはなしたいものだ。メールをおくって近況をうかがってみようかともおもうのだが、どうかけばよいのかというのがあまりおもいつかない。アメリカもいろいろたいへんな状況だろうし。
  • 夕食時のことはわすれた。いや、わすれていなかった。『しゃぺくり007』がながされていて、この番組もなんだかひさしぶりに目にしたが、ジャニーズWESTとかいうグループがでていた。ぜんぜんしらない。恋人からのメールにどういうふうにかえすかでセンスを問うという企画や、クラブでグラスを片手に音楽にのってゆらゆら揺れるその揺れ方のセンスを問うみたいな企画。なんだかんだでわりと目を向けてしまい、目を向ければ多少笑いもして、新聞をあまり読めず。その後入浴だが、風呂のなかでは瞑目に静止し、そうしていると心臓の鼓動がからだにあらわにひびいてくる時間があって、からだが熱を持っているためかじっとしているわりにけっこうはやいようにかんじられたのだが、この脈動がとまってきえればそれで死んでこの世とおさらばなのだから人間というのもいかにももろくてあっけないもんだなあ、というような、わりとありがちな感慨をえた。逆にかんがえれば、このとくに堅固ともおもわれない、単調で勤勉ではあるもののまるで疑いなく安心できるような確かさをもっているともおもわれない、ちいさく無個性な律動が、生まれていらいずっと基本的には故障することなくほぼ逸脱することなく保たれて、この程度のものによって根本のところで生命が維持されているというのはおどろきでもある。それはそれでわりとありがちな感慨だが。
  • いま二時前。入浴後にもどってくると買ったコーラを飲み、またブラウニースティックをもぐもぐやりながら今日のことをかいていたのだが、じきにどうも肩から背の上部あたりがこごってきたので、ベッドにころがった。それでだらだら。どうもなぜか書見をする気があまりおこらない。かといってウェブをてきとうにまわるのもなんかなあというかんじで、しばらくそうしていたのだが、過去の日記をよみたしておくかとおもって、いまおきあがって去年の一月一一日をよみはじめた。冒頭の引用は栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』(ミネルヴァ書房、一九九七年)から。第三帝国時代、一九四一年六月六日にドイツ国防軍にたいして発せられたいわゆる「政治委員射殺命令」についての部分で、軍部隊へのこの指示もしくは命令のなかには、「野蛮なアジア的闘争方法の首謀者は政治委員である」という文言があって、アジアと野蛮さが等号でむすばれていたことがわかる。「ボリシェヴィズムとの戦いにおいては、敵が人間性国際法の原則に基づいた態度をとるものとは考えられない。とくに、抵抗の本来の担い手としてのすべての種類の政治委員からは、我々の捕虜に対する憎悪に満ちた、残酷にして非人間的な取り扱いが予想される」ともあって、アジア=野蛮=非人間という語彙的・意味的連関だ。あいて側、つまりソ連の連中が「人間性国際法の原則」を無視した残虐なたたかいかたをしてくる(と予想される)ので、われわれもそれにおうじなければならず、「寛大な態度や国際法上の顧慮は誤り」であり、「政治委員は、戦闘あるいは抵抗の最中に捕らえられれば、基本的にただちに武器によって始末しなければならない」という理屈になる。
  • 本文中だとこの日は朝から出勤しているのだが、その往路中の記述に「(……)家の脇の斜面に生えた蠟梅の、もうだいぶ花が膨らんで色勢が強いのに目をやっていると」とあり、「色勢」なんていうことばはめずらしく、一般的な語彙としてもないだろう。たぶんこれいらいいちどもつかっていないとおもうがなかなかよいのでまたつかいたい。
  • ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』をよんでいる。ほんのすこし感想をしるしている。「断片的に〈娼婦〉であること」という表現はちょっと印象的。「娼婦」ということばはよくないかもしれないが、要はわずかばかりの営業性というか、難解とか前衛的とかいわれるようなテクストでも、ひろく受け入れられる、流通的な部分、ある意味では読者に媚びたりおもねったりするようなところをすこしはふくんでいなければそもそも読まれないよということだろう。狂気にみちていながらも、その狂気のなかのどこかにしかし誘惑と魅了の要素をはらんでいなければならない。「放蕩者が大胆な謀略の果てに、歓びを味わいつつ、綱を切らせて自分の首を吊る瞬間に」という後段の比喩も、たしかにいまよんでも「鮮烈」だとおもう。

 「バタイユや――他の作家――のテクストは、神経症に逆らって、狂気のただなかで書かれ、そのテクストのうちに、もしそれが読まれることを欲するなら、読者を誘惑するのに必要な、ほんの少量の神経症を有する。こういう恐るべきテクストは、それでもなおコケティッシュなテクストなのである」(11)。これはちょっと魅力的な洞察である。〈狂気〉のなかに一抹の〈誘惑〉を(〈狂気〉の〈裂け目〉を?)孕ませること、断片的に〈娼婦〉であること。ただ、ここで使われている「神経症」の意味は、おそらく主にラカン精神分析理論を下敷きにしていると思われるが、当該理論を学んだことのないこちらにはその意味の射程がよくわからない。
 また、「文化やその破壊がエロティックなのではない。エロティックになるのは、その双方の裂け目なのだ」(13~14)とのこと。それに続けてさらに、「テクストの楽しみは、こうした把捉しがたい、不可能な、純粋にロマネスクな瞬間に似ている。――放蕩者が大胆な謀略の果てに、歓びを味わいつつ、綱を切らせて自分の首を吊る瞬間に」(14)とある。最後の一文は、鮮烈で印象的な、〈頭に残る〉隠喩/イメージである。

2021/5/16, Sun.

 この本には、格言的なアフォリズムの口調(われわれは、人は、つねに、など)がつきまとっている。ところで格言とは、人間の本性についての本質主義的考えかたに取りこまれており、古典的なイデオロギーに結びついている。すなわち、言語の表現形式のなかでもっとも傲慢な(しばしばもっとも愚かな)ものなのだ。では、なぜそれを捨てないのか。その理由は、あいかわらず情緒的である。わたしは〈自分を安心させるために〉格言を書く(または、格言的な動きをちょっと見せる)のである。急に不安が生じたときに、自分をしのぐ不動のものに身をまかせて、その不安をやわらげるのである。「結局は、いつもこうなのだ」と思い、そして格言が生まれるというわけだ。格言とは〈名称 - 文〉のようなものであり、名づけることは緩和することである。そもそも、これもまた格言になっているのではないか。格言を書いたら場違いのように見えはしないかというわたしの恐れを格言は和らげてくれる、というわけである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、272; 「格言(La maxime)」)



  • きのうしかけてあった八時のアラームを解除していなかったので、八時にいちどおこされた。それからまた寝て、一一時一五分ごろ正式な覚醒。天気は曇りで空は真っ白。陽の感触はない。こめかみやら背中やら腰やらをもんだのち、一一時四〇分に離床。背中がやはりちょっと油断してほうっておくといつの間にかかたまっている。今日は瞑想をサボった。洗面所にいって用を足し、うがいをくりかえす。そうして上階へ。カレーのにおいが居間にただよっている。ジャージにきがえて洗面所で髪をとかし、屈伸をしてからカレーを皿に盛って食事。父親は腰を痛めたためにずいぶん難儀そうで、ちょっと移動するのにも骨が折れるようすでたびたび嘆息をもらしており、上体をややかがめながらゆっくりうごくからそのさまはもういかにも老人である。医者でもらったらしき薬を食前にのんでいた。こちらも年をとってから足腰をそこなってあるけなくならないよう、いまのうちからよくメンテナンスをしたりきたえたりしておかなければ。ニュースはイスラエルパレスチナのたたかいをつたえ、パレスチナ側の死者は一四五人ほどをかぞえるにいたったのにたいし、イスラエルは一〇人。新聞も一面、三面、国際面とこの件をおおくつたえている。先にページをめくって全体をさっとチェックしたが、社会面の訃報で河合雅雄というひとがつたえられていた。河合隼雄の親族か? とおもったらやはりそう。全然知らなかったが、実兄らしく、霊長類学の権威だったらしい。九七歳。今西錦司門下で、宮崎県幸島のサルの研究でイモを洗うという文化的行為がサルの集団において伝達されるということを解き明かし、六五年に論文を出して注目されたとか。幸島という名にはみおぼえがあって、塾であつかっている国語のテキストのなかにたしかそこのサルのはなしがでてきて、カミナリという群れのリーダーがむかしながらの掟をまもって絶対に水のなかにはいろうとしないのにたいして若いサルたちはそんなことには頓着せずどんどん水にとびこんでにぎやかにあそんでいる、みたいな観察がしるされてあったとおもうのだが、あれがもしかするとこの河合雅雄の文章だったのかもしれない。このひとは別名で児童文学もものしていたとのこと。
  • それから一面のイスラエル - パレスチナ関連。といってそんなに目新しい情報はなく、紛争がつづいており、イスラエル空爆や攻撃もハマス側のロケット弾もとまっておらず、死者が増えているということ。たたかいの余波は周辺にも波及しており、西岸地域では全域にわたって抗議活動が発生し、二〇〇の都市でおこなわれてイスラエル側との衝突もとうぜんおこっているとのこと。周辺国だとレバノンで国境の柵だかなんだかをこえようとしたヒズボッラーの人間がイスラエル側にうたれて死んだとかいうし、シリアからもロケット弾が三発発射されたらしい。
  • テレビは『のど自慢』の派生版というか、みながやったパフォーマンス動画を投稿してきて紹介みたいなやつ。なかに七二歳ながら厚い筋肉をもった老人があって、傘で枡をまわしたり皿をまわしたりするなつかしの芸を披露したり、棒につかまって逆さになった状態でとまるなどしていたが、七二歳でわりとムキムキなのをみると、あそこまでやろうとはおもわんが俺ももうすこし筋肉つけたいなあとおもう。とにかくいまは筋肉がないにひとしいので。肉体の安定性と堅固さをわずかばかりそなえたい。ものを食べ終えると立って三人分まとめて食器をあらい、それから風呂。すますと出て、緑茶をつくって帰室。茶をのみながらNotionを用意し、ここまで記述した。かいている途中、少々雨がもれだした音がきこえたものの、いま、一時一三分時点ではもうきえている。今日は三時から「(……)」のひとびとと通話することが昨晩きめられた。(……)
  • 音読。「英語」を384から400ちょうどまで。BGMはCannonball Adderley『Somethin' Else』。"Autumn Leaves"でのMilesのソロは、よくこんなに音数すくなく、寡黙にできるなというかんじ。ミュートでの静謐なバラード的ソロは五〇年代以降の彼の十八番ではあるが、ここはそれにしてもしずかなんではないか。きちんときかないとわからないが、間延びはしていないとおもう。こんなに空間をあけて一歩一歩じっくりやろうというのは、やはりAhmad Jamalのやり方をまだきにいっていたということなのだろうか。この作品は五八年録音だが。
  • 音読後、トイレにいって排便してきてからベッドでふくらはぎをほぐす。一方で(……)さんのブログ。五月一四日分。過去から世界の豊穣さの実感についての記述がひかれている。いまさらいうまでもないしこちらが最近それを如実につよく感得したわけでもないけれど、こちらなど、読み書きをはじめてしばらくして以来、いままでずっとこれだけでやってきたようなものだ。

学生らの家庭事情などについて最近聞かされることが多いわけだが、彼女らの訴えてみせるある種の悲痛さとはまた別の次元で(「家族」というのは端的に「呪い」だろう)、この世界というのはやはりどうしても豊かなものであるのだなとの感をいちいち得てしまう。じぶんひとりの人生だけでもとんでもない情報量で構成されているというのに、それと同じ密度と解像度をそなえたまったく別様の人生が、信じられないことに人間の数だけ存在しているというその事実を想像すると、本当にあたまがくらくらするし、そのたびになにかに取り憑かれたように、うわごとのように、「どうすればいい?」と独り言を漏らしてしまうじぶんがいる。それにしてもなぜ「どうすればいい?」なのか。どうするもこうするもない、ただその事実をその事実のままに受け入れればいいだけだと思うのだが、このような感を得るたびにじぶんはほとんど必ずといってもいいほど「どうすればいい?」と口に出して自問してしまうのだ。あるいはこれはこの世の真理に気づいてしまったものの惑い、この真理さえ共有することができれば万事がうまくおさまるべきところにおさまるというほとんど妄想じみた狂おしさにとり憑かれている宗教家の焦慮みたいなものなのだろうか。どうすればいい? この真理を人類にどう伝えればいい? みたいな。

  • そのあと一年前の五月一六日の日記をよみかえした。「先日のヒメウツギらしき白の小花が、坂道の左側、林の一番外側の茂みにも生えている」とあるが、たしかに今年も白い小花は生えている。ただヒメウツギという名は完全にわすれていた。たしか卯の花といわれるのがこの花だというはなしだったとおもうのだが、先日なにかの拍子に母親の口から卯の花の語がでたときにも、まったくおもいださなかった。
  • ほか、塾でコロナウイルスを機にオンライン授業が導入されたり、今後AIが導入されたりするとかいうはなしがでているのだが、それをうけての以下の記述が、べつに目新しいはなしではないがけっこうおもしろかった。「生徒たちがそれまで考えたことがなかった物事の接続/切断の仕方を示し、つまりは彼らの脳内にある世界の組織図を解体/再構築して新たなネットワークの姿を描いてあげるということが必要になってくるはずだ。これが批評であり、思想であり、教育である」とか、「結局のところ、教育だの何だの言ってもそれはやはり人間と人間とのコミュニケーションだといういささか反動的な地点に回帰してしまうわけだが、そのコミュニケーションはもちろん多くの場合で対称的とは言えず、またおそらくは根本的に抑圧をはらまざるを得ない性質のものでもある。そして、だからこそ面白いわけだろう」とか、「具体的な人間がいて、さらにもう一人具体的な人間がいれば、そこに何らかの意味で齟齬や摩擦や誤解やノイズが生じないなどということがあるはずもないだろう。それをなるべく排除していこうというのがたぶん一方では現代の趨勢なのだと思うが、しかしもう一方では、例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである。手垢にまみれた術語を敢えて用いるならば、その双方ともいわゆる「他者」への望ましい志向を欠いていることは明白だろう。こちらからすればどちらの趨勢にしてもクソつまんねえとしか言いようがないし、どちらの方向性が今後優勢になっていくのか、あるいはむしろそれらは共謀的に結び合わさっているものなのか、そうだとしてこれら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていくのか、それは知ったこっちゃないが、少なくとも前者の、「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」なるものがこの世を全面的に覆う未来がもしあるとしたら、そのとき「人間」と「世界」の定義は現在のそれから遠く離れたものになっているだろうとは思う」のあたりなど。「例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである」などというところの皮肉ぶりは偉そうで、なかなかのふてぶてしさだし、「これら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていく」というのは、一年後のいま、よりたしかに実感されるきがする。

(……)そこに室長が、(塾の授業で)数学はやらなくて済むようになるよという情報をもたらした。AIが導入されると言うのでマジすかと笑い、ちょうど出勤してきた(……)先生にも、いま聞いたんですけど、何かAIが導入されるらしいっすよと伝えると、彼女は既に知っていたようだった。私とか、いらなくなっちゃいますと言うのでこちらも、やばいっすね、仕事奪われちゃいますねと口にしながらも危機感ゼロでへらへら笑い、何だかんだ言って塾業界は残ると思ってました、やっぱり教えるのは人間じゃないと駄目だよね、みたいな風潮が残ると思ってましたと言うと、室長曰く、代々木だったか河合塾だったか城南だったか忘れたがそのあたりはもうとっくに導入しているし、講義動画を提供したりもしているらしい。そう考えると、やる気のある生徒ならばわざわざ塾に通わなくともそういう動画やAIなどを自ら活用して勉強に励むことができるわけで、学習塾というものの必然性は今後どんどんなくなってくる。また、塾に所属して講師に教えてもらうとしても、オンライン通信技術も今後さらに発展していくはずだから、やはり教室という場にわざわざやって来て直接対面する必要もなくなってくるわけだ。だからおそらく塾というものも今後衰退していくのではないかという気もするし、少なくとも対面授業という形式は、完全になくなりはしないかもしれないが、たぶんメインのものではなくなっていくのではないか。そうするとわりとアナログなほうの人間であるこちらにとっては、何だか退屈で面白くもなさそうな世になりそうだ。

とは言え勉強なんてそもそもAIだの動画だのがまだない時代でも、知識を頭に取り入れるという点に限れば、やる気や能力のある人間なら教科書などを読んでいくらでも自主的にできたわけで、わざわざ講師が喋るのにただ知識を伝達するだけで、つまり教科書の不完全な代用に留まるのだったらそんな授業はクソつまんねえに決まっているわけで、これは大学の一方的な講義形式とかを考えれば多くの人にとって体験的によくわかることだろう。登壇者が一方向的に話すだけの講義なんていうものは、その登壇者に優れた語りの能力がない限りは基本的にクソつまんねえわけで、集団にせよ個別にせよそんな授業をやっても大した意味はない。ではそこで講師にできることは何なのかと言うと、一つにはこの数日後に通話した(……)さんも言っていたように、知に対する欲望を相手に注入し一種の転移関係を形成するということで、平たく言えば、あの先生の話面白い、あの先生ともっと話したい、あの人の話をもっと理解できるようになりたいというような「憧れ」を生徒のうちに涵養させるということだろう。じゃあ次に具体的にどうすればそれが達成できるかと言うと、それはやはり一つには面白い話をするということになるのだけれど、面白い話というのは要するに一つには、それまで生徒たちの頭になかった物事の組成を示してあげるということになるのではないか。つまり、教科書が語る物語を踏まえつつも、それとは別のより魅力的な物語を語ってあげるということだ。教科書の提示する物語なんてだいたいクソつまんねえということは生徒たちももう大方わかっているわけで、だから教科書=マニュアルにただ沿っているだけでは授業なんてどうあがいたって面白くなるわけがない。そこで、教科書にはこう書いてありますけど、これは実はこういうことと繋がっているんですよ、こことここを組み合わせるとこういうことが見えてきますよね? とか、あるいは逆に、教科書だとこれとこれが繋がっていますけど、こんなものは実際は切り離すことができるんですよ、とかいう形で、生徒たちがそれまで考えたことがなかった物事の接続/切断の仕方を示し、つまりは彼らの脳内にある世界の組織図を解体/再構築して新たなネットワークの姿を描いてあげるということが必要になってくるはずだ。これが批評であり、思想であり、教育である。具体的な例を挙げるならば、以前(……)くんの英語を担当していたときに、Many people speak Spanish in America. みたいな文が出てきて、アメリカなのに何でスペイン語なの? と(……)くんが訊いてきたので、アメリカの南にはメキシコという国があってそこからの移民にスペイン語を話す人が多いこと、そもそも南アメリカという土地はかつてヨーロッパから海を渡りスペイン人が進出(という語を一応使っておいたのだが)してきて植民地とされていた歴史があること、そのあとでスペイン本国から独立して南米の国々ができたのだということをかいつまんで話すと、(……)くんは、じゃあそれって、日本のなかで沖縄とか北海道が、俺たち日本じゃなくて沖縄だから! って言って独立するのと同じじゃん! と言ったわけだ。これはまさしくその通りであり、そこに思いが至ったというのは、とても素晴らしいと言わざるを得ない。この話が(……)くんにとって果たして面白いものとして受け取られたかどうか、それはわからないが、少なくとも、アメリカ→メキシコ→南米→スペイン→日本に翻って沖縄、というこうした一連の接続図を提示してくれる人間は、彼の人生においていままでいなかったはずだし、おそらく中学校にもいないと思うし、つまり正規の学校教育のなかで子供たちがこのような物語を聞く機会というのは、たぶんそれほど多くはないと思われる。だから(……)くんも、この話に多少なりとも新鮮味のようなものを感じてくれていたら良いと思うのだが、このようにマニュアルからいっとき浮遊して、何らかの意味でその外の世界を垣間見せるような話がたぶん一つには「面白い話」と言えるのではないか。おそらく多くの人が体験的に納得できるはずだと推測するのだけれど、学校の授業を受けていても後年記憶に残るのは、授業本篇から外れたそういう脱線的な話のほうが多いはずだ。つまり記憶に値するほどの印象を人に与えうるのは物語の反復ではなく、日常的に反復される物語からひととき逸れた細部なのだ。これがすなわち、余白であり、差異である。それを活用しながら、学校なんていうところはクソみたいに狭くてつまんねえ限定的時空に過ぎず、その外にはろばろと存在しているこの世界はまさしく無限とも思えるほどに広く深く豊かで汲み尽くしがたいものなんですよ、ということを一抹理解させ、ひとかけらでも実感させるということが、おそらく一つには意味のある教育というものだろう。

生徒に「憧れ」を喚起させて知への欲望を注入するという話に戻ると、だから教師というものも、それが有効に機能するためには一種のアイドルみたいなものでなければならないということにもしかしたらなるのかもしれないが、そういうときに重要なものとしては、話の内容は当然としても、そのほかに言葉遣い、身振り、表情、声色、相手に対する応じ方、など諸々の装飾的諸要素があるわけで、時と場合と相手によってはむしろ、記号内容よりもこれらの記号表現のほうが重要ですらあるのかもしれない。つまるところ、最終的にはやはりどうしても、講師が総合的・全人的様態として放つ人間的ニュアンスが試されるということで、AIだの何だのが勢力を振るうであろう今後の世の中でそれでも古典的な直接対面形式に何がしかの力を見出そうとするならば、いま目の前に一人の人間が現前しているというそのまざまざとした具体性に、それが反動的だとしても、ひとまず立ち戻る必要はあるはずだ。そして言うまでもないことだが、教育の場で現前しているのは講師だけでなく生徒もまたそうなのであって、少なくとも個別指導においては生徒の寄与と貢献がなければ授業という時空が正しく優れた意味で成り立たないことはあまりにも自明である。彼ら彼女らがこちらの話や言うことを聞いてくれなければ、授業などというものは即座に崩壊するのだから。したがって、教育という営みが退屈極まりない教科書の代用以上のものであるべきだと考えるのならば、不安定ながらもそこに成立しうる相互性に依拠して、それをどのように組み立てていくか、どのように組み変えていくか、どのように操作していくかという具体的な技術の検討が必須である。結局のところ、教育だの何だの言ってもそれはやはり人間と人間とのコミュニケーションだといういささか反動的な地点に回帰してしまうわけだが、そのコミュニケーションはもちろん多くの場合で対称的とは言えず、またおそらくは根本的に抑圧をはらまざるを得ない性質のものでもある。そして、だからこそ面白いわけだろう。AIだの動画だの何だの言って、AIなどというものは少なくとも学習塾に導入される程度の技術レベルとしては、人間の都合に合わせて機能するだけの便利な機械に過ぎないだろうし、動画だって言うまでもなく一方向的な提供物でしかない以上、そこに偶然的な余白のようなものは大方生じ得ない。したがって、そこには明らかに、生徒の思い通りに動かない教師も存在せず、教師の思い通りに動かない生徒も存在しない。そこにあるのは単なる滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達に過ぎず、だからその基盤には資本主義の論理と相同的な原理が明瞭に観察されうると思うが、そうした「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」などというものはきわめて抽象的な仮構空間でしかなく、こちらに言わせれば観念的の一言に尽きる。具体的な人間がいて、さらにもう一人具体的な人間がいれば、そこに何らかの意味で齟齬や摩擦や誤解やノイズが生じないなどということがあるはずもないだろう。それをなるべく排除していこうというのがたぶん一方では現代の趨勢なのだと思うが、しかしもう一方では、例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである。手垢にまみれた術語を敢えて用いるならば、その双方ともいわゆる「他者」への望ましい志向を欠いていることは明白だろう。こちらからすればどちらの趨勢にしてもクソつまんねえとしか言いようがないし、どちらの方向性が今後優勢になっていくのか、あるいはむしろそれらは共謀的に結び合わさっているものなのか、そうだとしてこれら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていくのか、それは知ったこっちゃないが、少なくとも前者の、「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」なるものがこの世を全面的に覆う未来がもしあるとしたら、そのとき「人間」と「世界」の定義は現在のそれから遠く離れたものになっているだろうとは思う。そのような世界はこちらにとってはやはり退屈なものとしか思えないのだけれど、第一、オンライン授業とか何とか言って、そのときこちらが目にするのは、所詮は長方形の小さな画面じゃねえか。

  • 2014/7/3, Thu.もこの日よみかえしているのだが、そこからひかれている以下の場面も言及されているとおり、たしかにちょっとよかった。「何だか素朴で、他愛なくどうでも良い雰囲気がわりと出ている」と評されているが。庄野潤三をすこしおもわせないでもない。このころは柴崎友香『ビリジアン』をよんだ影響で、「~した」でみじかくつらねていく軽くて淡い文体を志向していたのでこうなっているのだが。括弧で発言をくくって改行するふつうの小説のようなやり方は、こちらの日記においてはめずらしく、たぶんこのころの一時期しかやっていない。

 帰ってリビングに入った。
 「ぶどうあるよ」
 「ぶどう……え、なんかめっちゃでかいハチいるじゃん」
 南の窓の右半分が網戸になっていて内側にハチがとまっていた。網戸をすこしあけて窓は閉めてガードした。
 「でっかいなあこいつ」
 もぞもぞ歩いているのを見ているとなんとなくかわいらしくも思えてきた。ガラスの向こうとはいえ顔の近くで飛ぶとびっくりした。たぶんスズメバチだった。琥珀色のうすい羽がぶるぶる震えた。尾の先に針らしいものは見えなかった。使うときに出すのかもしれない。
 「でっかいなあこいつ」
 「カウナスって知ってる?」
 「なにそれ」
 「カウナスに行ってるんだって」
 兄のことだった。母は寝転がって携帯を見ていた。
 「ああなんかロシアのまわりの国じゃない」
 「杉原記念館だって」
 思いだした。国ではなかった。
 「杉原千畝? リトアニアじゃない?」
 ぶどうを用意して食べるあいだ、母はたぶん兄のブログの記事を読みあげた。杉原千畝がどうの、ユダヤ人脱出がどうの、松岡洋右外相の外交資料が残されているどうのといった。母は杉原千畝松岡洋右が読めなかったから教えた。
 「有名なの?」
 「名前くらいは。昔ドラマになってた気もする」
 「へえ」
 部屋におりた。(……)

蓮實 現在、わたくしが濱口竜介監督とともにもっとも高く評価しているのは、『きみの鳥はうたえる』(And Your Bird Can Sing, 2018)の三宅唱監督です。また、『嵐電』(Randen, 2019)の鈴木卓爾監督も、きわめて個性的かつ優秀な監督だと思っています。さらには、『月夜釜合戦』(The Kamagasaki Cauldron War, 2017)の佐藤零郎監督など、16ミリのフィルムで撮ることにこだわるという点において興味深い若手監督もでてきています。また、近く公開される『カゾクデッサン』(Fragments, 2020)の今井文寛監督も、これからの活動が期待できる新人監督の一人です。
 ドキュメンタリーに目を移せば、この分野での若い女性陣の活躍はめざましいものがあります。『空に聞く』(Listening to the Air, 2018)の小森はるか監督、『セノーテ』(Cenote, 2019)の小田香監督など、寡作ながらも素晴らしい仕事をしており、大いに期待できます。また、近年はあまり長編を撮れずにいましたが、つい最近、中編『だれかが歌ってる』(Someone to sing over me, 2019)を撮った井口奈己監督も、驚くべき才能の持ち主です。

  • それで三時から通話。隣室で。(……)も参加予定だったのだが、急遽不参加に。もっとも、あとで夜にまた通話したときは参加できたが。ZOOMにつないで顔を見せるなり、(……)に、痩せた? ときかれたので、とくに痩せてはいないはず、と否定する。きのうかおととい体重をはかったら五八キロだったと報告すると、かるすぎじゃない? といわれるが、むかしからのことだ。(……)が白湯をついでくるとかいってはなれたところで(……)くんが、さいきんは日記がコンスタントにすすんでるじゃんみたいなことをいうので、でもいま最新は一一日だけどね、とうけて、さいきんはもうぜんぶ書くという強迫観念を捨てたから、とのべた。(……)がもどってきながらどういうことかときくので、まあ基本は毎日書くわけだけど、気分が向いたら書くかんじで、書かないあいだにその日のことをわすれてしまったらそれはしかたないともうわりきっていて、おもいだせることだけ書けばいいやというかんじ、俺の場合はまあなるべくながくつづけたいわけだから、そうするとやっぱり楽に、負担なくやれるのがいちばんだからね、それに日記以外の仕事もやりたいわけだし、と説明するうちに(……)もあらわれて、仕事がどうのというのをききとめてきくので、仕事っつっても金をもらうとかそういうことじゃないけど、日記以外にちゃんとした、作品としての文章ってことで、翻訳したいものとかもあるしね、日記は日記でやっていきながらそっちのほうもやりたいわけだから、そうすると毎日の文章はなるべく楽にして、時間とか労力を正式な仕事のほうにあてていかないと、とのべた。
  • (……)
  • 五時になったらこちらは飯をつくりにいくとあらかじめいってあったので、それで通話をおえると上階へ。しかし飯といってカレーがのこっていたし、米ものこっていたし、あまりやることはなかったのだ。小松菜を茹でて切り、からしとマヨネーズと醤油であえたのと、あとタマネギとゴボウの味噌汁をつくっただけ。そのあとアイロンかけ。この日は日曜日だから『笑点』がテレビでやっていた。シャツやらズボンやらなにやらにアイロンをかけながら画面を多少ながめる。五〇周年だか五五周年だかわすれたがそれを記念して、なぜか松井秀喜が出演しており、出演しているといっても事前に撮影した映像をながすかたちなのだが、ただ問題にあわせてみぶりをまじえながらお題をいったり各回答者によびかけたりするもので、ひとつは「こんな野球選手は嫌だ」と発するものなのだけれど、それにともなうみぶりのパターンがけっこうたくさんあったので、これこのために何回も撮ったのか、とおもった。よびかけをまじえたものも同様で、とうぜんながら回答者全員分を撮らなければならない。松井秀喜はひさしぶりにみかけたが、グレーのスーツをたしかネクタイなしで着た格好でソファだかなんだかにすわっており、声色にせよ雰囲気にせよ柔和で、にこやかな表情でおだやかにしているのだが、からだも大きめだしそれでもわりと貫禄というか堂々と安定したかんじがあって、うーん、なるほどなあとおもった。
  • そのあとすぐに夕食をとったのだったか。九時からふたたび通話といわれていたが、八時半の時点でこれから風呂にはいって九時をすぎるので先にはじめていてくれとLINEに投稿すると、じゃあ九時半からにしようとなったので了承し、入浴へ。あがってきてまた隣室に移動して通話。(……)
  • (……)
  • それで一一時まえにZOOMの時間制限がつきて終了。そのあとはとくに目立った記憶も記録もなく、岡和田晃×倉数茂「新自由主義社会下における 〈文学〉の役割とは」(https://shimirubon.jp/series/641(https://shimirubon.jp/series/641))を読んだくらいだとおもう。倉数茂というひとはこちらは山尾悠子の『飛ぶ孔雀』を読んだときに、noteだかどこだかわすれたが当該作についての彼の感想というか批評文みたいなものがあって、それではじめて名前を知ったのだけれど、SF作家だとおもっていたしじっさいそのようにいわれているようだけれど、もともと『早稲田文学』上で書いていたひとで、最初のうちは批評をやっていたようで、ベケット論など載せていたらしい。当人はじぶんは批評家としては挫折したみたいなことを言っていて、それで実作にいったわけだが、いわゆる純文学にもいわゆるエンターテインメントにもどうもなじめないでいる、みたいなことものべていた。SFとかミステリーとかファンタジーやら幻想・ゴシック界隈やらもおもしろいものはたくさんあるのだろう。ぜんぜんふれたことがないのだが。江戸川乱歩短編集みたいなものは家にあって、それはさいきんちょっとよんでみたいが。乱歩はむかし、つまりこどものころか高校生くらいのころにすこしだけよんだようなおぼえもあるが。高校生のころは島田荘司とかのミステリー方面を多少よんでいたので。御手洗潔シリーズとかけっこうよんだはず。あと内田康夫
  • どこかのタイミングでベッドにころがりながらCannonball Adderley『Somethin' Else』をきいた。冒頭の有名な"Autumn Leaves"をきくに、Milesの音数のすくなさ、寡黙さはきのうだかもふれたとおもうが、Adderleyのソロをあらためてきくとこのひとはおもったよりもトーンがまろやかだなとおもわれ、Adderleyというとファンキー方面のイメージのひとだし、フレーズとしても躍動的に、はねまわるように飛翔することがおおいから、なんかもっと汗臭い泥臭いイメージをもっていたのだけれど、きちんときいてみれば、"Autumn Leaves"にかんしてはバラードまではいかないにしてもしずかなアレンジになっているからなおさらそういう音出しにしたのかもしれないが、ずいぶんやわらかく、まるくふくよかな響かせ方になっていた。それでいてMilesとはまったくちがってやはり音列はこまかくはねることがおりおりあり、活発で、とりわけすばやく回転しながら紐がしゅるしゅる吸い込まれてたたまれるみたいに下降することがおおい。その回転の感覚とか全般的なスタイル感はJohnny Griffinを連想させるものがあって、テナーとアルトだからちょっとちがうが、汗をそんなにかいていない、ややすずやかなJohnny Griffinという印象。ほかの曲ではもうすこしトーンもかたくなっていた気がするが。吹きぶりはもう堂に入ったもので、Miles御大が見ているなかで、しかも御大はあんなにしずかにクールにやったあとでAdderleyがソロをやるわけだけれど、ぜんぜん緊張とか萎縮とかをかんじさせず生き生きとしている。

2021/5/15, Sat.

 あらゆる仕事の交わるところに、おそらくは「演劇性」があるのだろう。実際に、ある種の演劇性を扱っていない彼のテクストはひとつもない。見せ物とは何にでも適用しうるカテゴリーであり、その形のもとで世界はながめられるのである。演劇性は、彼が書くもののなかに行きつ戻りつする、一見すると特殊なあらゆるテーマにかかわっている。コノテーション、ヒステリー、虚構、イマジネール、けんか、優雅さ、絵画、東洋、暴力、イデオロギー(ベーコンが「劇場のイドラ」と呼んだもの)などである。彼を魅きつけたのは、記号というよりは信号や誇示なのである。彼が望んだ学問は、記号学ではなく、〈信号論〉であった。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、269; 「演劇性(Le théâtre)」)



  • 今日は一一時から(……)で会議だったので、八時にアラームをしかけてあった。なぜかそれが鳴るまえ、七時半ごろにすでにさめる。しかしねむりがみじかいので、まだおきず、目を閉じたままアラームが鳴るのをまつ。鳴るとおきあがってとめ、しばらくこめかみや腰をもんだり、膝でふくらはぎをほぐしたり。八時二五分に離床。水場にいってきてから瞑想、一五分ほどすわったはず。鳥の声をきいていた。ちかくから、ヒヨドリの声と、もう一羽なんだかわからないリズムの鳥声がたっていて、ほぼおなじ場所にいるようだったので、たぶんそろって梅の木あたりにきていたのではないか。
  • 上階にいくと母親はすでに出勤して不在だった。でるときにタオルを入れてくれとある。洗面所で髪をとかし、食事は前夜の炒めものや味噌汁など。新聞でなにをよんだかというと、二面にパレスチナイスラエルの件があったのでそれをよんだはず。ただ情報としてはきのうBBCでよんだいがいのあたらしいことはほぼなかったはず。イスラエルはまだ侵攻してはいないが、境界付近にあつめた地上部隊からの砲撃を強化しているということだった。のちの夕食時に夕刊でよんだほうもここにかいてしまうが、ガザだけでなく西岸とヨルダンでも抗議運動がおこって警官隊だか治安部隊との衝突があると。朝刊か夕刊かわすれたが、たぶん朝刊だったとおもうが、ガザの病院の医者の言として、コロナウイルス医療崩壊していたところにたたかいがはじまって、治療がとてもでないがおいつかない、という憤りの声があった。きのうのBBCの記事にもふくまれていてちょっときになったが、レバノンからもロケット弾が三発うたれているらしい。BBCいわく海におちたようだが。ヒズボッラーか、といわれているもよう。ほか、国内だと入管法改正の件で与野党の協議が決裂したとあったはず。立憲民主党が一〇項目くらいの修正案をだして、与党は大筋でそれにおうじる方向で検討したらしいが、ただ立民がもとめている、名古屋入管で亡くなったスリランカ出身の女性の映像を公開するということには与党もしくは政府が同意せず、そこでおりあえなかったと。野党は当該委員会の義家弘介委員長の解任要求みたいなものをだして抵抗する方針。上川陽子法相への不信任決議案もだす方針とあったか。
  • 食器をあらい、風呂もあらって帰室。三時まえに床に就いて八時なのでやはりねむりがたりないかんじはあった。あたまがあつぼったいというか、額の奥にわだかまりがあるようなかんじというか。時刻はすでに九時半ごろだったはず。一〇時二〇分にはでる必要。会議で他教室のひとびととディスカッションをするのでマイクつきイヤフォンがあったほうがよいとか前回にいわれていて、まったく準備せずにきたのだが、なんか家のどっかでみかけたなという記憶があったのですくない残り時間を押してさがしてみたものの、みつからない。みつからなきゃしょうがねえというわけで歯磨きをし、すこしだけでも音読をやっておこうというわけで「英語」を一〇分少々よむ。そうして身支度。スーツにきがえてバッグをもち、上階へ。マスクを顔につけて出発したのが一〇時二〇分の直前くらい。
  • 雲がおおめで天気はあいまいではあるが、公営住宅前などひなたもあり、気温はたかくてなかなか暑い。風も厚くながれつづけており、道をいくあいだ、林からおおきな葉擦れのひびきがたえまなく発生している。坂道にはいっても同様。足もとには落ち葉があるが、緑の葉のなかにおりおり季節外れなように生命力にみちみちたリンゴのごとく真っ赤に染まったものがあって、あれはなんの葉なのか。最寄り駅につくと階段をいき、ホームへ。先のほうへ進行。ひとはほぼない。線路のレールのうえにカラスが一羽おりたって、ざらついた、しわがれたような声音をはなっており、そのあいだも風は吹きつづけていてカラスのそばでは下草が、ほそくてかるそうな浅緑の、カラスからみれば自分の体長よりも二、三倍たかいがわれわれからするとみおろすくらいの長さの草が海藻のようにゆれている。
  • 来た電車に乗り、席について瞑目。やすんで降り、乗り換え。また席について(……)までのあいだは休息。やはりそこそこねむりのたりない感。五時間程度では致し方ない。どうしたってやはり、七時間くらいは意識をうしなわないと心身がまとまらないようだ。生活習慣をもろもろの点でかえればまたちがうかもしれないが。(……)について降り、エスカレーターをのぼり、改札をぬける。改札の外、券売機の周辺では清掃がされており、よくみなかったがなにかしら機械めいたものが置かれているそばに老人がひとりなにをするでもなく待機しており、床は濡れていて、扇風機かなにかがあって風がかけられていたはず。掃除して乾かしているところ、ということだったのだろうか。その区画をよけつつあるき、改札をでて右、(……)のほうにいって右に折れて出て、目的地たる(……)はすぐそこである。ここでも陽射しが、そう厚くはないが降っていてそれなりに大気に熱がこもっていた。ロータリーの端をわたると(……)から若い女性がふたりでてきて、わりとスタイリッシュなかんじのひとびと。すれちがってこちらはビルのなかへ。(……)
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  • ビルを下りて駅へ。会議の途中で暑くなってジャケットを脱ぎ、ベストすがたになってワイシャツの袖もまくっていたのだが、そのまま上にジャケットをはおった格好で、まだ空気はけっこう暑かった。トイレに寄ってから駅内へ。ホームにおりて、あまりこない駅なのでどちらが東でどちらが西かぱっと把握しづらかったのだが、みきわめて東のほうにむかう。頭上に蛍光灯をその下に設置するような梁的な渡しがはしっているのだが、その上にハトがやたらたくさんいてちょっとビビった。そこなの? そこにいるの? みたいな。ホーム上をうろつくすがたはどこでもよく目にするが、この(……)駅では頭上にいて、その狭い空間でときおりバタバタやっている。糞をおとされてはかなわないのでさけながらいき、暑くて喉が乾いていたのでコーラでものもうかなと自販機のまえに立ったが、若い女性ふたりが来たのを機にはらってベンチへ。手帳にメモをとってもよかったのだが、目の前の空気があかるすぎて、といって空は雲なく晴れ渡っているわけでなくときおり日なたが消えることもあるのだけれど、風がとぎれることなくながれつづけて濃緑の木が色を吐くようにして身をゆらし、下草もたえまなくちいさく震えているその風景をつつむ大気の穏和さあかるさのために、こんな時間になにかをしてはもったいないなとおもってなにもしなかった。線路をこえたすぐむかいにはほそい通路があるのだが、その途中に中年女性がひとりとまっていて、携帯を片手にだれかをまっているようなそぶりで通路の先をながめていたが、じきにあるきはじめた。そばにはアパートがあって、煉瓦風の外壁は基本的には赤みがかっていくらか錆びた焦茶色というような色だがタイルによって多少差異があり、色の推移がうみだされているのだがその屋上の角にいま、ひくく置かれた竿に洗濯物を干しているらしきひとがあって、なんかめっちゃいいなとおもった。あそこにいると陽射しをさえぎるものがまったくなく、屋上はたぶん全面にわたってひかりに占領されているとおもうのだが、この土曜日の昼下がりにそこであかるさにつつまれていること、そういう場所があるということを。風はほんとうにとぎれる瞬間がなく、ざわめきとふるえはつねにあり、一度ベンチの背後からちかくの足もとになにかとんできて、みれば紙の時刻表で、こちらと母娘づれのあいだにおちて、こちらはそれをゴミというかだれの所有物でもなくただとんできたものだとおもいこんでぼんやりみていたのだが、そうではなく、おくれて初老の男性がゆっくりあらわれてきてひろっており、それ以上風にとばされないうちでよかった。電車がくると乗車して休息。
  • (……)着。おりる。飯を食っていくか帰ってから食うかまよっていたのだが、電車内でアナウンスされたつぎの乗り換えの時間がかなりあとだったので、それじゃあ帰ってから食うんではずいぶんおそくなるしその合間にいったん駅を出て飯を食っていったほうがよかろうとおもい、おりると駅をぬけた。といってしかしくうとして店は駅前の(……)くらいしかないわけで、店の前の看板のまえにたち、メニューをみつつ店内のようすにも目をむけるが、そこまで混んでいるわけではなくてふつうに空席はあるもののそこそこひとははいっていて、なんだかきがむかない。それで電車を待つにもながいし今日はあるいて帰って家でなんか食うかとおもったのだが、駅の前を再度とおりかかった際になかの電光掲示板をのぞいてみると、つぎの(……)行きはアナウンスされた時間よりけっこうはやくてあと二〇分くらいしかなかったので、乗務員がまちがえてふたつ先の時間を言ってしまったのだろうが、それなら待つわとなってふたたび駅内にはいった。ベンチでメモでもしていればよいとおもったのだがいってみればベンチはあまり空いていないので、しょうがねえとおもい、ともかく暑いし喉は渇いていたのでとりあえずなんか飲もうと自販機に寄って、コーラを飲もうかとおもっていたがコーラの二八〇ミリリットルのちいさなペットボトルがないので、三ツ矢サイダーのレモンとライムの風味が混ざったものらしく「レモナ」という実に安直な命名の品をひとつ買い、ベンチもあいていないし待合室も気が向かなかったから花壇縁にすわるかとおもってホームの先のほう、屋根のない範囲へとむかい、花壇などといえるほどおおきなものでないがひくい段で囲われたなかにパンジーなんかが生えている区画の縁に腰をおろした。それで飲み物をすこしずつ口にふくみ、胃におとす。空気はあいかわらずあかるい。とても晴れているというわけでもないのだが。やってきた電車からおりてきた親子があって、父親とまだおさない息子なのだけれど、ややハイキング的なかっこうで、息子はけっこう疲労しているようなようすで、花壇の角に寄っていたふたりのうち父親はちょっとまってなといいのこして場をはなれ、息子はそのあいだ花壇に腰掛けるのではなくて地べたに直接すわりながらぼんやり待っており、そのちかくでこちらもなにをするでもなくぼんやり水分をからだにとりこんでおり、しばらくしてかえってきた父親は自販機で買ったはずだがせんべいをもっていて、それを息子とわけあってくっていた。いちおう手帳をとりだしてメモしようとしたのだが、ここまでのこの日の記憶をおもいかえしてみてわざわざメモしておきたいとおもったことがらが、会議でまあそこそこうまくしゃべれたということと(……)駅での空気のあかるさのふたつしかなかったので、それいがいにも記憶をさぐってみたのだがメモっておきたいことがでてこなかったので、それだけメモしてあとは飲み物をのみ、それが空になるとなにもせずにいた。そうしてじきに(……)行きがくると移動して乗車。まもなく発車し、瞑目のうちに待つ。
  • 最寄り駅をでて坂道へ。風はあいかわらずつづいている。竹秋をむかえて黄色くなった竹の葉が、道の両側だけでなくそのあいだにも多数散ってすきまをすくなくしており、おりていくあいだも風のためにさらに降ってくるものがあるのだが、みれば頭上に一枚、蜘蛛の糸にひっかかっているようで空中にとどまったまますばやく回転しているものがあり、こまかくうねるそのようすが魚がおよいでいるようでもあるし、むしろ魚が食うゴカイ的なああいう餌が水のなかでうねうねしているそのさまにもにている。
  • 下の道にでてあるき、帰宅。父親が山梨からかえってきていた。ソファでねむっていたようで、ずいぶん疲労したようなようす。そのあとみかけても、ソファにこしかけたまま上体をかがめて顔を両手でおおっていてまるで生に絶望しきったような、鬱症状にさいなまれている人間のようなすがただったので、そんなにつかれているのか、気分がすぐれないのかなとおもっていたのだが、これはあとで母親がいうには山梨で洗面所のかたづけをしているときに腰を痛めたらしい。こちらは帰室して三〇分くらいやすんでからともあれ飯をくおうというわけであがり、冷凍のこまぎれになった手軽な豚肉をフライパンで焼いて丼の米のうえに乗せただけの手抜きなものをつくってもちかえって食ったのだが、その後すごしているうちにやはり眠りが足りなかったようで眠気が重くなってきて、しかたないから三〇分くらいやすんで家事にいこうとおもって臥位になったところがけっきょく七時半くらいまでベッドにとどまってしまい、飯の支度もアイロンかけもできなくて、母親も仕事をながくやってきてつかれていただろうに申し訳なかった。
  • そののちの時間もだいたいなまけたようで、読み物なんてこの日は「英語」しか記録されていない。一五日、この日当日の記述をいくらかしたようだが。

2021/5/14, Fri.

 しかしながら、〈身体のレベルでは〉、彼の頭がこんがらがることはけっしてない。それは不幸なことだ。ぼんやりして、頭が混乱し、いつもとは違った状態になったことがまったくない。いつも意識(end267)があるのだ。麻薬を用いることはありえないけれど、しかし麻薬の状態を夢見たりする。酩酊状態になりうること(すぐに気分が悪くなるのではなく)を夢見ているのである。昔、外科手術のときに、人生ですくなくとも一度、〈意識喪失〉になるのだと期待したことがあったが、全身麻酔ではなかったので、そうはならなかった。毎朝、目覚めたとき、すこし頭がくらくらするが、頭の中はしっかりしている(ときおり、心配ごとをかかえたまま眠ってしまうと、目覚めたばかりのときはそれが消えていることがあった。奇跡的に意味が失われた、真っ白な時間だ。だが、すぐに心配ごとが猛禽のようにわたしに襲いかかってくる。そして、〈昨日そうであった自分〉とまったくおなじ自分をふたたび見出すのである)。

 ときおり彼は、自分の頭のなかや、仕事のなか、他人のなかにある、この言語活動全体を休ませたいものだと思う。言語自体が、人間の身体における疲れた手足であるかのように思われるのだ。もし、言語活動の疲れをいやすために休息できていたなら、危機や、影響、高揚、心の傷、理性などといったものに休暇をあたえて、全身で休むことができるのに、と思う。彼には、言語活動が、疲れきった老婦人のすがた(荒れた手をした昔の家政婦のような)に見える。いわゆる〈引退〉をしたあとに、ほっとため息をついている老婦人である…。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、267~268; 「頭がこんがらがって(Ma tête s'embrouille)」)



  • 一〇時四〇分ごろに覚醒。なかなか気温のたかいようなはだざわり。布団の下で汗ばむほどではなかったが。こめかみや眼窩、腹などをもんだり、あたまを左右にごろごろやったりしてから、一一時一八分に離床。おきたばかりのときは、翌日にある午前中からの会議のことをおもって面倒くさいきもち、きがひけるような、倦怠感のような、生そのものから逃げたいようなかんじがあったが、その後じきになくなった。だいいち、午前中から(……)にでむかなければならないとはいえ、一一時から一四時くらいまででおわるようだし、たいした労でもない。水場にいってきてから瞑想。一一時二六分から四四分まで。よろしい。風はあまりなさそう。曇りによった天気でひかりもつやなく淡いのが大気にいくらかまざっているだけだったようだが、空気の感触はわりとさわやか。そとでは(……)ちゃんのこどもがたびたび変声前の甲高さでおおきな声をあげているのだが、今日は金曜なのに学校は休みなのだろうか。緊急事態宣言をうけて分散登校みたいなかたちがとられているのだろうか。輪郭にごくうすい余白をともなったその声が空間のなかにひびき、そのまわりでは鳥の声もいくつもたえまなくはじけつづけている。
  • ゴミ箱と、財布からとりだした一万円をもって上階へ。母親にあいさつして札一枚をわたしておき、ゴミを台所のものとあわせる。一万円はいちおう食費なりなんなりにつかってほしいということで、毎月一五日が給料日なので一四日まできて収支に余裕があったらおさめればよいだろう。余裕のおおきさによってはもっとおさめてもよい。もともとあまりでかけない人間だし、最近はコロナウイルスもあって勤務以外にでかけることはほぼないから、収支はまず黒字にはなる。食事は前日の炒めものや汁物ののこり。新聞をみると、イスラエルパレスチナの件があるのでよむ。イスラエルはガザに侵攻して地上戦をおこなうことも視野にいれているようで、境界付近に地上部隊を派遣していると。のちによんだBBCの記事では七〇〇〇人の兵力とあった。マジで侵攻されたらパレスチナ側にはどうにもならないはずで、ハマスはどこかでひかなければならないはずだが。この記事にはいまのところパレスチナ側の死者は八〇人ほどとかいてあったきがするが、BBCのほうでは一〇〇人以上とあり、読売の記事には第二次インティファーダ以来最大の対立との言もあった。空爆はつづいており、バイデンがネタニヤフにたいして、イスラエルの自国および自国民をまもる安全保障上の権利をゆるぎなく支持する(一方で可能なかぎり早急に平穏を回復するようもとめる)みたいなことをいったので、イスラエルとしてはそれで米国から攻撃のお墨付きをえたということになるわけだ。
  • あと、きのうの夕刊でもよんだが、ウイグルをめぐって開催されたオンラインのイベントの件。米国が主導したようで、米欧はとうぜん中国を非難し、中国はもちろん米国が中国の影響力をそぐためにふたしかな情報を政治的に利用している、みたいなことをいう。夕刊によれば中国はこのイベントに参加しないよう各国にもとめたらしく、脅迫的なかんじのメッセージすらあったとか。また、「奔流デジタル」の、「動揺する民主主義」の番外編として、三人の識者の言が載っていた。ひとりは前エストニア大統領のトーマスなんとかというひと。もうひとりはハーバード大学社会心理学名誉教授のショシャナなんとかいうひとで、三人目はデューク大学社会学教授のなんとかいう男性。エストニアソ連崩壊後デジタル整備を積極的にすすめてきたらしく、サイバー戦争というか情報空間を舞台にした国家間の安全保障的葛藤というのも、二〇〇七年にエストニアとロシアのあいだでおこったのが本格的な端緒だとこの前大統領は認識しているようだった。彼いわく、個々人は自分のデータにたいする所有権をもたなければならない、したがって、だれが自分のデータを閲覧したのかを知ることができなければならないし、データの種類によって閲覧できるひとできないひとをさだめなければならない、と。医者は健康データをみられるが、警察官は健康データはみられない、というふうに。エストニアはたぶんじっさいにそういう制度をつくっているということだとおもうのだが。またデューク大学のひとによれば、いわゆる「エコーチェンバー効果」がよくかたられるところだけれど、Twitter上で被験者に政治的に対立する意見を閲覧させてそのなかにさらすという実験がおこなわれたことがあるらしく、その結果、被験者は対立する意見を受容するどころか、反対に、それを自分にとって有害なものとかんじてアイデンティティをまもるためにむしろ自分の立場に固執した、という事態になったらしい。わりと、まあそりゃそうだよね、というかんじがあるが。SNS上で積極的に意見やかんがえを発信するのは極端な立場のひとたちがおおく、穏健なひとびとは対立陣営からだけでなく自分といちおうおなじ側にいるはずのひとからも批判をうけるのをきらって沈黙するから、なおさら分断が先鋭化する、ともこのひとはのべていた。ほか、クラレンス・トーマスという米最高裁の保守派判事が大手SNS企業への規制のあり方を検討するよう、最近意見書をだしたらしい。SNS上での情報発信によってさまざまな不都合がおこっているのはまぎれもない現実で、それを規制する裁量が事実上完全に民間企業にゆだねられているというのが目下ひとつのおおきな問題で、ここをどうするのかというのが一方の問いとしてあり、ただ他方、そもそも規制は言論の自由の観点からするとのぞましくないのではないかという意見もむろんあって、規制をするのかしないのか、するとしてもどのくらいするのか、どのようなかたちでするのか、という問いもある。どうすればよいのか、こちらなどには解はまったくわからない。
  • 食器をあらってかたづけ、それから風呂もあらう。今日はわりと心身がおちついており、一刻一刻が比較的明晰にみえるようなかんじがある。でると茶をつくって下階にかえり、Notionを準備して、茶をのみながらひととき。これも茶をのむ時間をはさまずに、部屋にもどったらさっさと活動しはじめたほうがよいのかもしれないというきもするが。ともあれそのあと、きのうのつづきで岡和田晃「北海道文学集中ゼミ~知られざる「北海道文学」を読んでみよう!~: 「北海道文学」の誕生とタコ部屋労働(4)~羽志主水「監獄部屋」」(2018/9/30)(https://shimirubon.jp/columns/1691800(https://shimirubon.jp/columns/1691800))をよんだ。

岡和田 『常紋トンネル』 [小池喜孝『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』] の恐ろしいところは実話だったというところがすごいわけですよ。北見はやはり苛烈なところだったというのが伺えますね。『常紋トンネル』の112ページ113ページにタコ部屋の歴史区分というのがあります。1890年から1946年には消滅しています。これはGHQの命令で解散させられたということになっているわけです。

長岡 GHQの影響だったんですね。

岡和田 1925年から28年というのはだいたい再編成期と沈静期という、タコ部屋が社会問題になって命令が出ていた時期ということなんですよね。こういうふうな歴史区分というのがあります。ちょっと戻っていただいて32、33ページでは常紋トンネルの生き埋めを目撃した人というのがいたわけですね。
 タコ部屋っていうのは使えなくなったら生きているのも死んでいるのもトロッコに入れて、トロッコごと投げて捨てるというのが書いてあります。生きているタコでも弱いものはトロッコに積まれた、反抗もできないというようなことが書いているわけです。

     *

 在日朝鮮人の人が実際に強制連行で朝鮮人狩りに北海道であって、そして寝込みを襲われてタコ部屋に入れられるっていうのがあったわけですね。
朝鮮人のタコには精錬はやらせず、監視の目の届く露天掘りと坑内の仕事をやらせた。そして坑内から出た水銀の猛毒を含んだ蒸気で歯をやられ、内臓を蝕まれて廃人になるため、坑内作業には朝鮮人中国人を添えさせたわけですね。こういう記憶がやっぱり朝鮮人墓地が心霊スポットとなるような、なんというか悪いことをしたという集合的無意識に繋がっているんじゃないかと思われます。
 去年出た、石純姫『朝鮮人アイヌ民族の歴史的つながり』というとてもいい本があります。ここではタコ部屋のような強制労働から逃げ出してきた在日朝鮮人アイヌ民族がかくまったという実例が各地で報告されていて、これはサハリンでもあります。樺太にもいっぱいタコ部屋があったので。ここでは、人間と思えぬ虐待や酷使、国による強制連行、強制労働をした朝鮮人アイヌコミュニティが受け入れたという事例がいろいろ語られます。
 一方『常紋トンネル』では、けっこう地元の人達が隠れているタコを見つけて突き出すという例がかなり語られるんですね。要は見た目が汚らしいし、突き出すと報酬ももらえたんでしょう。ただアイヌ民族の人が突き出したという例はひとつも見たことがないですね。
 あったらひとつくらい聞かれてると思うんですけど、語られるのゼロなんで、実際マイノリティとして共感するところは多分にあったんじゃないかと思われます。
 それでもう少し話を戻すと、タコ部屋の棒頭というのは沼田流人の小説では平気で人を殺すサイコホラーの怪人のように描かれていて、『常紋トンネル』では棒頭に勇気をつけさせるために、わざと人の肉が混じったやつを食わせたということも語られていて、実際にあったみたいですけど、そういうこともしていたということです。
 タコ部屋暮らしで管理側、棒頭の側の生き残りというのが当時いたわけですね。山口さん、1907年。ネットでは名前は伏せられていますが、ここで実際に郷土を掘る会の人がタコ部屋の生き証人として呼んだら、「タコは金で買った奴隷ですよ、奴隷に人権なんてないですよ。そんな甘い時代じゃないんだ」ということで、タコ部屋の棒頭を正当化し始めたというすごい例なんです。
 逃走者が出ると人夫を飯場に閉じ込めて、幹部が一斉に捕まえて出勤する。「何しろタコほどいいものはない。女を抱いて酒飲んで三百円の前借りでタコ部屋に入る。そこのタコ部屋が悪ければ逃げると。逃げてるんだからね、そしてまた中島遊郭に行くんだろう」と。
 それは前借りだから、まぁあほだから自業自得だって話ですよ。捕まえて逃げて帰ってくれば優秀な幹部になるので、積極的に捕まえに行くわけです。タコが死んだ場合は逃走届を一枚警察に出せば良い。だから逃走率というのは死んだ率が多分かなり入っているんですね。

     *

渡邊 夏目漱石の「坑夫」っていう話があって、あれもインテリの子が地下に潜っていって坑夫と出会ってっていう話なんですよね。

岡和田 あれも一種のサバルタン(従属的被支配階級)でしょ。私も実際に三年くらい建築現場で肉体労働をしていて、六本木ヒルズが現場だったこともあります。よく労働者の間で、一ヶ月くらい前に足場から二人くらい落ちて死んだみたいな話とか聞きましたね。

渡邊 よくありますね。実際工事現場に入ると上から屋根がバンと落ちてきて、歩いてる奴が怒られるっていうね。僕もそういうのよくやってたので。

岡和田 だから、語られないだけであるんじゃないかと。渡邊さん、プロですからね。

渡邊 西成に行って、立ちんぼして、トラックに乗せられて現場に行って。お弁当は出る。それを楽しみにしてて。まぁトンネル掘ってたんですけど、お弁当が来たっていってばって開けたらご飯があって、コンニャクの炊いたやつだけが入ってる。完全に冷えてるから、それを食べるわけです。朝は電通みたいな人たちが来てですね、「ここの計画はこうなっていて」っていうのを僕らも聞かなきゃならないわけですよ(笑)。

一同 (笑)

岡和田 昔の漫画とか読んでると、そういう日雇いっぽいおっちゃんが日の丸弁当食べてるっていうのは本当にけっこうありました。

渡邊 コンニャクかぁ~……って思いましたね(笑)。

マーク 塩気もない。

渡邊 しょうゆで味付けするんですよ。
 前の晩に泊まった人は朝ごはんを食べていいわけですけど、僕らも平気で朝そこに乗り込んで食べて。見つかったら袋叩きにあうわけですけど、全然平気で食べて。密入国してきた外国語しか喋れない人たちがいて、そこに入り込むんですよね。そうすると誰も話しかけてこないから。で、来いって後ろから棒とかで突かれて、行くんです。その方が楽だったっていうのもあります。

A 95-year-old woman who worked for the commandant of a Nazi concentration camp has been charged in north Germany with aiding and abetting mass murder.

The woman, named in media as Irmgard F and who lives in a care home in Pinneberg near Hamburg, is charged in relation to "more than 10,000 cases".

She was secretary to the SS commandant of Stutthof, a brutal camp near modern-day Gdansk, where about 65,000 prisoners died during World War Two.

     *

Stutthof was established in 1939 and guards began using gas chambers there in June 1944. Soviet troops liberated it in May 1945, as the war was ending.

About 100,000 inmates were kept at Stutthof in atrocious conditions - many died of disease and starvation, some were gassed and others were given lethal injections.

Many of the victims were Jews; there were also non-Jewish Poles and captured Soviet soldiers.

More than 100 people have been killed in Gaza and seven in Israel since fighting began on Monday.

Meanwhile, Jewish and Israeli-Arab mobs have been fighting within Israel, prompting its president to warn of civil war.

Defence Minister Benny Gantz ordered a "massive reinforcement" of security forces to suppress the internal unrest that has seen more than 400 people arrested.

Police say Israeli Arabs have been responsible for most of the trouble and reject the accusation that they are standing by while gangs of Jewish youths target Arab homes.

     *

Meanwhile Hamas fired three more volleys amounting to about 55 rockets in total into Israel on Thursday evening. An 87-year-old woman died after falling on her way to a bomb shelter near Ashdod in southern Israel. Other areas including Ashkelon, Beersheba and Yavne were also targeted.

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On Thursday, Israel's military called up 7,000 army reservists and deployed troops and tanks near its border with Gaza. It said a ground offensive into Gaza was one option being considered but a decision had yet to be made.

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Three rockets were fired from Lebanon into the sea off the coast of northern Israel, the Israel Defense Forces (IDF) said. No group claimed the attack but several militant groups operate in Lebanon, including Hezbollah, which fought a month-long war with Israel in 2006

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At least 103 Palestinians have been killed since Monday, including 27 children, and more than 580 wounded, the health ministry in Gaza said. Officials in the territory said many civilians had died.

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The fighting between Israel and Hamas was triggered by days of escalating clashes between Palestinians and Israeli police at a holy hilltop compound in East Jerusalem.

The site is revered by both Muslims, who call it the Haram al-Sharif (Noble Sanctuary), and Jews, for whom it is known as the Temple Mount. Hamas demanded Israel remove police from there and the nearby predominantly Arab district of Sheikh Jarrah, where Palestinian families face eviction by Jewish settlers. Hamas launched rockets when its ultimatum went unheeded.

Palestinian anger had already been stoked by weeks of rising tension in East Jerusalem, inflamed by a series of confrontations with police since the start of Ramadan in mid-April.

  • ごろごろしていると母親が部屋にやってきて、一〇〇〇円札五枚あるかという。(……)さんがきて、一万円を両替したいといっているらしい。それでおきあがり、財布をとってはいっている札をすべてだし、一〇〇〇円札をかぞえてみると四枚しかなかったがそれでなんとかなりそうだったので母親にわたす。そのあと寝床にもどって(……)さんのブログの最新一三日分をよむと、休身はしまいにして今日のことをここまで記述した。四時半すぎ。今日は一一日以降の記事をしあげたいところだが。水曜日がWoolf会でながいのでいけるかどうか。まあ適当に、きのむくようにやる。
  • その結果、この日はけっきょく日記はサボってしまい、この日の分、うえまでの部分だけでほかにぜんぜん書かなかったのだが、まあしかたがない。そのかわりというわけでもないが、ウェブ記事はやたらたくさんよんだ。やたらたくさんといってうえにしるしたものと、あと山城むつみ×岡和田晃「歴史の声に動かされ、テクストを掘り下げる」(https://shimirubon.jp/series/410(https://shimirubon.jp/series/410))を全六回分一気によんだというだけだが。このシリーズできになった部分は以下。日記をサボってしまったのもよくはないが、それはまあよいとはらうにしても、本線の書見をできていないのと、あと書抜きをできていないのはなんかいただけない。書き抜きは一日一箇所でもいいのでやっていかないとマジでやばいのだが。音読はけっこうたくさんできていてよいのだが。

山城 どこから喋ればいいかわかりませんが、 [向井豊昭の] 「御料牧場」はその一八七〇年問題と関係があると思う。
 なぜ「御料牧場」に目が止まったかって言うと、日本の土地所有の歴史について調べたことがあったからです。去年幻戯書房から『連続する問題』という本を出したんですが、それは「新潮」にやってたコラムを集めたものなんですけど、集めただけだとまとまりがないかなと思って、そこに書き下ろした補論にも土地のことを書いたんです。

(……)

山城 深い所まで追えなかったんですが、日本林業調査会から出ている『御料林経営の研究』という本を読んだんです。
 御料地っていうのは皇室所有の土地です。それが歴史的にどのようにできて、どのような経緯を辿って現在の国有地国有林に至ったのかが詳しく書かれている。御料地の確保は一八七〇年代後半から動き始めていたらしく一八九〇年、帝国憲法が施行され第一回帝国議会が開かれる前に、つまり議会の承認を受けなくてもいい段階で、宮内省の御料局が「内地」で一五七万町、北海道で二〇〇万町歩の官林、官有山林、官有原野、および鉱山の皇室財産への引き渡しをさっさと済ませたんですね。(……)

(……)

山城 (……)その本に書いてあるのは御料林のことなので、北海道の [新冠(にいかっぷ)] 御料牧場のことは書いてないんですが、御料地の事が詳しく書いてあったのが記憶に残っていたので「御料牧場」にピンと来たわけです。
 もともと一八七〇年問題の事を調べなければいけないなと思ったのは、ドストエフスキーをやっていた時です。『悪霊』、『未成年』、それから『カラマーゾフの兄弟』っていうのはこれは一八七〇年代に書かれていて、ドストエフスキーというと、明治と関係ないように思うかもしれないけど、同時代なんですね。
 僕もロシアはロシア、日本は日本と考えていたけれども、一八七〇年代の『悪霊』以後のドストエフスキーは、日本の問題とけっこうシンクロしてい動いているんじゃないかなっていう気がして、それで『連続する問題』の補論で一八七〇年代以降の日本の土地所有の問題をやった。
 近代的な意味で土地を所有するというのは、土地を買うということですが、日本では、土地が売買の対象になるのは一八七二年以降です。それ以前にも、領主が土地を「専有」するといったことは当然あるんですけれど、売買の対象になる事はなかった。土地を購入して私的に所有するということがなかったんです。
 それで一八七〇年代以降の事をちょっと調べる必要があるんじゃないかなと思った。
 最初に「辺境の想像力」というシンポジウムの話がありましたが、日本は、ちょうど御料地の確保や経営とほぼ並行するように、一八七〇年代にまず琉球を領有し、次いで一八九五年に台湾を領有しますね。そして、一九一〇年に朝鮮半島を領有する。
 北海道は植民地でないかのように思われているけど、一八七〇年代以降の北海道の開拓も同じ動きの中にある。
 岡和田さんがやられた〈アイヌ〉をめぐってそれは顕著ですね。
 一九一〇年頃に「帝国」としての日本が出来上がった。僕がこの『小林秀雄とその戦争の時』を書いた際、「ここ」という言葉で念頭にあったのは「内地」です。今は「内地」なんて言わない。言わないけれども「ここ」という言葉で言いたいのは「内地」です。「内地」の対になるのは何なのかと言うと、沖縄と、台湾と、それから朝鮮半島と、そして暗黙のうちに北海道です。これらが「内地」でないものとして「ここ」の周縁にあって、それが「そこ」です。「ここ」と「そこ」っていう関係が出来上がってきたのは一九一〇年頃じゃないかな。
 その動きが一八七〇年代くらいからできてきて、一九一〇年くらいにその体制はほぼできあがった。

     *

岡和田 御料牧場に関しては、地元の文芸誌で今でも研究を続けている人がいらっしゃいますが、開拓使黒田清隆が、もともと深く関わっていたことは忘れてはなりません。
 開発の過程で見逃せないのは、もともと住んでいた〈アイヌ〉を強制移住させたことです。姉去(あねさる)から上貫気別(かみぬきべつ)という所に移住させたわけで、これはネイティヴ・アメリカンにとっての「涙の道」のようなものとして記憶されているほど、過酷なものだったようです。
 だから御料牧場というのは、そういう過程を経てですね、つまりアイヌを北海道旧土人保護法で与えられた山の中の荒れ地に、強制移住させた後、もとの住処だったところの跡地に建てられたものです。
御料牧場の責任者で、〈アイヌ〉と和人の間に立って仕事をした人が浅川義一という方です。浅川義一は地元の名士として知られますが、毀誉褒貶ある人で、浅川は自分で言うように〈アイヌ〉に終生同情的だったと言う人もいれば、彼が〈アイヌ〉を移住させ、その跡地で暮らしたのは信じられないと、悪名を轟かせてもいます。

     *

岡和田 で、自分がその生の状態で歴史に立ち向かうっていうのは、歴史の渦中の中にいるっていう状態では実は幻想で、先行者がどう見たかっていうのも、ある程度の時間をもたなければ捉える事ができないと。
 山城さんの『連続する問題』では、北朝鮮チュチェ思想であるとかですね、あるいはドストエフスキー民族主義的な部分であったり、そういったものについて、そういう知識人として批判しやすい部分をやっつけて満足するのではなく、そのナショナリズムとしての暴力性みたいなものを、「歴史認識」の是非ではなく「歴史に対する生々しい驚き」として理解しなければ先に進めないのだっていうような事をおっしゃっていて。「朝鮮人虐殺八十年」という、衝撃的なタイトルの批評でですが。

2021/5/13, Thu.

 今朝、パン屋の女主人がわたしに言う。〈今日もいい天気ですこと。でも暑さが長すぎますね〉(ここの人たちはいつも、天気がよすぎる、暑すぎる、と思うのだ)。わたしが付けくわえて言う。〈そして、光がとてもきれいですね〉。だが女主人は答えない。またしても、わたしは言語のあのショート事故に気づく。もっともささいな会話こそが、その確実なきっかけになるというショート事故だ。わたしは、〈光を見る〉ことが高尚な感受性に属しているのだと理解する。いやむしろ、たしかに女主人があじわう「絵のような」光があるのだから、社会的に指標となっているのは、「はっきりしない」眺め、輪郭も対象もなくて〈具体的な形象のない〉眺め、透明感のある眺め、見えないものの眺めである(この非形象的な価値は、良い絵画のなかにはあるが、悪い絵画にはないものだ)。ようするに、大気ほど文化的なものはなく、今日の天気ほどイデオロギー的なものはないのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、266; 「今日の天気(Le temps qu'il fait)」)



  • 今日は起床が遅く、一二時二〇分だった。睡眠というか滞在はひさしぶりに九時間ほどで、やたらながくなった。九時台くらいからさめていた記憶があって、たびたび浮上してはいたのだが、意識がなぜかかなりにごっていてまともにうごけず、ながきにわたったしだいだ。昨晩、モニターをながくみつめたためか? 会がおわったあと、就寝前もコンピューターで英文記事をよんでいたし。
  • おそくなったので瞑想はサボった。上階にいって母親にあいさつ。食事は餃子。ほか、ブナシメジの汁物など。新聞には入管法改正の件が載っていた。読売でこの話題をみるのはここ数か月でようやくこれが最初だが。だが、国内の政治面をいつもあまりきちんとみないので、みおとしていた可能性もおおいにある。昨晩(……)さんがはなしていたとおり、もともと七日に採決の予定だったのがのびていて、与党は一四日に採決できるよう、いちおう野党側と交渉しているもよう。そこをすぎれば期日がたりないとかで今国会での通過はなくなるはず、というはなしだった。
  • 食器洗いと風呂洗いをいつもどおり。今日は最初、昨晩につづいてMatthew Hill, David Campanale and Joel Gunter, "'Their goal is to destroy everyone': Uighur camp detainees allege systematic rape"(2021/2/2)(https://www.bbc.com/news/world-asia-china-55794071(https://www.bbc.com/news/world-asia-china-55794071))をよむ。その後、音読などをはさんでまたふれ、四時ごろによみおえた。マジで第三帝国のような、あまりにむごく、残虐なはなし。人類はいつまでたっても二〇世紀をおえることができない。

The men always wore masks, Tursunay Ziawudun said, even though there was no pandemic then.

They wore suits, she said, not police uniforms.

Sometime after midnight, they came to the cells to select the women they wanted and took them down the corridor to a "black room", where there were no surveillance cameras.

     *

First-hand accounts from inside the internment camps are rare, but several former detainees and a guard have told the BBC they experienced or saw evidence of an organised system of mass rape, sexual abuse and torture.

Tursunay Ziawudun, who fled Xinjiang after her release and is now in the US, said women were removed from the cells "every night" and raped by one or more masked Chinese men. She said she was tortured and later gang-raped on three occasions, each time by two or three men.

     *

Internal documents from the Kunes county justice system from 2017 and 2018, provided to the BBC by Adrian Zenz, a leading expert on China's policies in Xinjiang, detail planning and spending for "transformation through education" of "key groups" - a common euphemism in China for the indoctrination of the Uighurs. In one Kunes document, the "education" process is described as "washing brains, cleansing hearts, strengthening righteousness and eliminating evil".

The BBC also interviewed a Kazakh woman from Xinjiang who was detained for 18 months in the camp system, who said she was forced to strip Uighur women naked and handcuff them, before leaving them alone with Chinese men. Afterwards, she cleaned the rooms, she said.

"My job was to remove their clothes above the waist and handcuff them so they cannot move," said Gulzira Auelkhan, crossing her wrists behind her head to demonstrate. "Then I would leave the women in the room and a man would enter - some Chinese man from outside or policeman. I sat silently next to the door, and when the man left the room I took the woman for a shower."

The Chinese men "would pay money to have their pick of the prettiest young inmates", she said.

     *

The Uighurs are a mostly Muslim Turkic minority group that number about 11 million in Xinjiang in north-western China. The region borders Kazakhstan and is also home to ethnic Kazakhs. Ziawudun, who is 42, is Uighur. Her husband is a Kazakh.

The couple returned to Xinjiang in late 2016 after a five-year stay in Kazakhstan, and were interrogated on arrival and had their passports confiscated, Ziawudun said. A few months later, she was told by police to attend a meeting alongside other Uighurs and Kazakhs and the group was rounded up and detained.

Her first stint in detention was comparatively easy, she said, with decent food and access to her phone. After a month she developed stomach ulcers and was released. Her husband's passport was returned and he went back to Kazakhstan to work, but authorities kept Ziawudun's, trapping her in Xinjiang. Reports suggest China has purposefully kept behind and interned relatives to discourage those who leave from speaking out. On 9 March 2018, with her husband still in Kazakhstan, Ziawudun was instructed to report to a local police station, she said. She was told she needed "more education".

According to her account, Ziawudun was transported back to the same facility as her previous detention, in Kunes county, but the site had been significantly developed, she said. Buses were lined up outside offloading new detainees "non-stop".

     *

Then sometime in May 2018 - "I don't remember the exact date, because you don't remember the dates inside there" - Ziawudun and a cellmate, a woman in her twenties, were taken out at night and presented to a Chinese man in a mask, she said. Her cellmate was taken into a separate room.

"As soon as she went inside she started screaming," Ziawudun said. "I don't know how to explain to you, I thought they were torturing her. I never thought about them raping."

The woman who had brought them from the cells told the men about Ziawudun's recent bleeding.

"After the woman spoke about my condition, the Chinese man swore at her. The man with the mask said 'Take her to the dark room'.

"The woman took me to the room next to where the other girl had been taken in. They had an electric stick, I didn't know what it was, and it was pushed inside my genital tract, torturing me with an electric shock."

     *

Alongside cells, another central feature of the camps is classrooms. Teachers have been drafted in to "re-educate" the detainees - a process activists say is designed to strip the Uighurs and other minorities of their culture, language and religion, and indoctrinate them into mainstream Chinese culture.

Qelbinur Sedik, an Uzbek woman from Xinjiang, was among the Chinese language teachers brought into the camps and coerced into giving lessons to the detainees. Sedik has since fled China and spoken publicly about her experience.

The women's camp was "tightly controlled", Sedik told the BBC. But she heard stories, she said - signs and rumours of rape. One day, Sedik cautiously approached a Chinese camp policewoman she knew.

"I asked her, 'I have been hearing some terrible stories about rape, do you know about it?' She said we should talk in the courtyard during lunch.

"So I went to the courtyard, where there were not many cameras. She said, 'Yes, the rape has become a culture. It is gang rape and the Chinese police not only rape them but also electrocute them. They are subject to horrific torture.'"

That night Sedik didn't sleep at all, she said. "I was thinking about my daughter who was studying abroad and I cried all night."

In separate testimony to the Uyghur Human Rights Project, Sedik said she heard about an electrified stick being inserted into women to torture them - echoing the experience Ziawudun described.

There were "four kinds of electric shock", Sedik said - "the chair, the glove, the helmet, and anal rape with a stick".

"The screams echoed throughout the building," she said. "I could hear them during lunch and sometimes when I was in class."

     *

Another teacher forced to work in the camps, Sayragul Sauytbay, told the BBC that "rape was common" and the guards "picked the girls and young women they wanted and took them away".

She described witnessing a harrowing public gang rape of a woman of just 20 or 21, who was brought before about 100 other detainees to make a forced confession.

"After that, in front of everyone, the police took turns to rape her," Sauytbay said.

"While carrying out this test, they watched people closely and picked out anyone who resisted, clenched their fists, closed their eyes, or looked away, and took them for punishment."

     *

Detainees had food withheld for infractions such as failing to accurately memorise passages from books about Xi Jinping, according to a former camp guard who spoke to the BBC via video link from a country outside China.

"Once we were taking the people arrested into the concentration camp, and I saw everyone being forced to memorise those books. They sit for hours trying to memorise the text, everyone had a book in their hands," he said.

Those who failed tests were forced to wear three different colours of clothing based on whether they had failed one, two, or three times, he said, and subjected to different levels of punishment accordingly, including food deprivation and beatings.

"I entered those camps. I took detainees into those camps," he said. "I saw those sick, miserable people. They definitely experienced various types of torture. I am sure about that."

It was not possible to independently verify the guard's testimony but he provided documents that appeared to corroborate a period of employment at a known camp. He agreed to speak on condition of anonymity.

The guard said he did not know anything about rape in the cell areas. Asked if the camp guards used electrocution, he said: "Yes. They do. They use those electrocuting instruments." After being tortured, detainees were forced to make confessions to a variety of perceived offences, according to the guard. "I have those confessions in my heart," he said.

     *

President Xi looms large over the camps. His image and slogans adorn the walls; he is a focus of the programme of "re-education". Xi is the overall architect of the policy against the Uighurs, said Charles Parton, a former British diplomat in China and now senior associate fellow at the Royal United Services Institute.

"It is very centralised and it goes to the very top," Parton said. "There is absolutely no doubt whatsoever that this is Xi Jinping's policy."

It was unlikely that Xi or other top party officials would have directed or authorised rape or torture, Parton said, but they would "certainly be aware of it".

     *

For a while after her release, before she could flee, Ziawudun waited in Xinjiang. She saw others who had been churned through the system and released. She saw the effect the policy was having on her people. The birth rate in Xinjiang has plummeted in the past few years, according to independent research - an effect analysts have described as "demographic genocide".

Many in the community had turned to alcohol, Ziawudun said. Several times, she saw her former cellmate collapsed on the street - the young woman who was removed from the cell with her that first night, who she heard screaming in an adjacent room. The woman had been consumed by addiction, Ziawudun said. She was "like someone who simply existed, otherwise she was dead, completely finished by the rapes".

"They say people are released, but in my opinion everyone who leaves the camps is finished."

And that, she said, was the plan. The surveillance, the internment, the indoctrination, the dehumanisation, the sterilisation, the torture, the rape.

"Their goal is to destroy everyone," she said. "And everybody knows it."

  • 「英語」の音読をした。音読中は手首と手指をのばすのと、ダンベルをもつ。音読はやはりたくさんしたほうがよい。よりおおくのことばをよみ、声にだし、体内か脳内にとりこんでいきたい。英語ももっとよみたいところ。ことばをみにつけるには、やはり声にだしてよみまくるに如くはないとおもう。たぶん。書くとなるとまたべつだろうが。とにかく英語でふつうに本をガンガンよめるようになりたい。いまでもある程度はもうよめるだろうが。WoolfはTo The Lighthouseだけでなく、ほかの文章もよみたいのだが。いちおう昨晩のうちにKindle PCに五〇円でComplete Collectionみたいなのをダウンロードして、これはけっこうよさそうで書簡とかもふくめてぜんぶはいっているようなのだが、ただKindle PCの表示があまりきにいらないというか、一画面にうつる文の量がすくないし、なんかほんとうはやっぱり紙でよみたいなあというきはする。いずれにしてもまだWoolfの文はよみはじめないが。もうべつに書物で英語をよみだしてもよいのだろうが、なんかあまり手をだすきにならない。ひとつには、書物をよんでいるときにも音読用に不明語彙の周辺をぬきだすとなると、ネット記事のようにコピペできないから面倒臭えなというあたまがある。べつにそれはやらなくてもよいのかもしれないが。書物の場合はきにせずしらべながらどんどんよんでいけば。ただこちらはあまり併読をこのまないタイプなので、読書の本線は基本的にひとつにしぼりたい。なにか本をよみ、一方でネット記事やらブログやらその他のものをよむ、という方針。そこに英語の本をくわえて毎日よもうといってもなんかけっきょくよまなくなりそうなきがするので、よむなら本線の読書としてやるべきだろう。日本語の本と英語の本を両方とも日々よもうとするのではなくて、本線の読書の候補に英語の本もふくめるということ。
  • 三時くらいに上階にいくと、母親が、図書館にいくみたいなことをいっていたのにまだ炬燵テーブルでタブレットかなにかみながらとどまっており、こちらがなにもいわないうちから、いこうとおもったけどここにはいるとなかなかいけないという。それでもでかけるらしかった。なにか郵便局から再配達の荷物がくるとかで、四時から六時のあいだだというので、四時になったら上にいるといっておき、用をすませて帰室すると、Art Blakey Quintet『A Night At Birdland』をながし、ヘッドフォンをつけてベッドにころがりながらきく。数日前にもいちどちょっときいたが、今日はVol. 1の最後まで。名声が確立しているアルバムで、こちらもその評判に異議をもうしたてる意図はまるでなく、五〇年代のジャズにおける最良の夜のひとつを確実にきりとっているとおもう。Lou Donaldsonは絶好調できれいな音取りをしているし、Clifford Brownも同様。Blakeyのドラムは冒頭の"Split Kick"などきくとソロの裏でもけっこうバタバタやっていて、区切りではたびたびキックとクラッシュをいっしょにうってバシンバシンならしているし、トランペットのうしろでもズドドドズドドドやっていて、いかんせん五四年の録音なのでそんなに耳についてはこないが、これじっさいにその場できいていたらたぶんかなりうるさかったんではないか、とおもう。Elvin JonesのまえにArt Blakeyがいたのだな、という実感。"Quicksilver"にせよ"Mayreh"にせよ、はやめの曲での疾走感とか熱とかは五人全員さすがとしかいいようがない。Horace Silverが、五七年あたりから完全にファンキー方面にいったあととは弾き方とか音使いとかがちょっとちがうようなきもして、どこがどうちがうのかわからないのできのせいかもしれないが、ファンキー後だとやはりもっといなたいというか、そんなにガシガシ弾くというかんじではないきがするのだけれど、ここでは(『族長の秋』のなかのことばをかりれば)羽根に熱がこもっている人間のやりくち。
  • 五時にいたって上階にあがるまでのあいだ、(……)さんのブログをよんだ。最新の五月一二日分と、もどって今年の一月一三日、一四日。いったん一四日の途中まで。最近は毎日きちんとよめてもいないし、わりと意味のわからん読み方をしているが、日記とかブログというものは順番によむ必要などそもそもないのだから、むしろまっとうな読み方といってもよい。五月一二日には過去の日記から中井久夫『新版 分裂病と人類』(67~68)の引用。中井久夫というひとは文章家として評判がよいし、(……)くんもおりおりエッセイの文章がすばらしいと称賛していたが、こちらはまだ一冊もふれていない。(……)さんのブログの引用をあらためてよんでみると、たしかにやたら端正で、隙なく無理なくきれいにととのった明晰な文調という印象。「ある文化がある歴史上の時点において解決を迫られている問題は、平等にすべての〝気質〟の問題設定や問題解決の指向性に適合したものではないと考えられる。社会が直面している困難が、まず個人的平面で解決をもとめられるとき、その問題解決に適合した指向性をもつ気質者がいわば〝歴史に選ばれて〟前景に出てくる」というふうに、ダブルクオーテーションをもちいているが(しかし上の表記とおなじ記号をどう出すのかわからないが――こちらのPCだと、"か”か“しかぱっとでてこないし、下部でくくるほうの記号はどうやって変換するのかわからない)、これはいいかもしれないなとおもった。文章をかくときに、他人のつかっていることばの引用としての「」と強調の「」を区別しづらいのがひとつの問題としてあるが、二重引用符をつかおうとおもったことはいままでなかった。〈〉なんかをつかっても、いかにも思想系の文章っぽくて臭くなるし。中井久夫はあと、「不如意の時期」とか、「そしてこのような成功者が、まず小集団における問題解決の衝にあたる率が高まる」とかかいているが、「不如意」とか「衝にあたる」とかいう語がふつうにでてくるあたり、やっぱり古い時代の人間だなという感がある。そんなに古い言葉遣いというわけでもないとはおもうが、こちらの世代あたりになると、文章を書く人間でもたぶんつかうひとはほぼいないだろう。
  • 一月一三日には長谷川白紙『夢の骨が襲いかかる!』、in the blue shirt『Recollect the Feeling』という音楽の名があるのでメモ。一月一四日にはやはり過去記事から、管啓次郎『狼が連れだって走る月』の引用。以下の一節は、あまりにもこちらの性根に適合しすぎている。むかしからずっと風景風景いいつづけているし、ブログの記述をよんでいるひとには明白だとおもうが、風景さえありゃだいたいもういいというタイプの人間なので。

 するとジョルジがぼそぼそといった。もちろんさ、人間の生涯でいったい何が最後に残るとおもう、風景の記憶、それだけさ、物の所有なんてぜんぜん問題にならない、それに人間が他人と何を共有できるとおもう、あるひとつの風景をあるときいっしょに見たという記憶、それ以外には何もない、何も残らない。
 (管啓次郎『狼が連れだって走る月』)

  • 『クイズ☆正解は一年後』というテレビ番組の名もあったが、そんな番組はじめて知った。おもしろいバラエティらしいので、きがむいたらだらだらしたいときにそのうちみる。
  • 夜、風呂をあびてかえってきたのち、手巻き寿司を食いながら過去の日記のよみかえし。一年前の五月一三日を。(……)さんのブログの二〇二〇年三月七日から、立木康介の引用がある。

(……)フロイトは、大雑把にいって、次のような主張を行ないました。「死の欲動」は、それ自体は生命体の中で沈黙していて、「生の欲動」と結びつかなければ、私たちには感知されません。けれども、「生の欲動」が生命体を守るために「死の欲動」を外部へ押し出してしまうと、「死の欲動」はたちまち誰の目にも明らかに見えるようになります。それは、他者への攻撃性(暴力)という形をとるのです。ところが、他者への攻撃には、当然危険も伴います。他者が仕返しをしてくるかもしれないし、別の仕方で罰が与えられるかもしれません。それゆえ、これはとりわけ人間の場合ですが、自我は他者への攻撃を断念して、「死の欲動」を自分のうちに引っ込めるということも覚えねばなりません。しかし、自我の内部には、この自分のうちに引っ込められた「死の欲動」のエネルギーを蓄積する部分ができ、それがやがて自我から独立して、このエネルギーを使って今度は自我を攻撃するようになります。この部分のことを、フロイトは「超自我」と名づけました。「超自我」は、フロイトによって、もともと両親(とりわけ父親)をモデルとして心の中に作られる道徳的な存在として概念化されていましたが、フロイトはここに至って、超自我のエネルギーが、実は「死の欲動」に由来するという考え方を示したのです。
 (立木康介『面白いほどよくわかるフロイト精神分析』p.241-242)

  • 翌三月八日の柄谷行人『探究Ⅰ』の記述もそのとおりだなとおもう。「(……)哲学は、いつも「我」(内省)から出発し、且つその「我」を暗黙に「我々」(一般者)とみなす思考の装置なのである。デカルトがわれわれに記憶されるのは、自己意識の明証性から出発したことによってではなく、「私」が「一般者」であるという暗黙の前提を疑い、それを証明すべき事柄とみなしたことによってである。(……)」。柄谷の『探究』はⅠもⅡも文庫でもっていてよく目にはいるところにつんであるし、『トランスクリティーク』がたしか探究Ⅲみたいな位置づけだったきがするのだがそれもおなじ塔にあるので、さっさとよんでみてもよい。
  • (……)さんのブログの二〇二〇年二月一一日の、木場公園をつれあいで散歩しているところの一節もひかれていてよいといわれているのだが、あらためてみてみても字面の感触からしてよく、なんか引用部を全体としてやや俯瞰的にみたときの視覚像が、はてなブログの投稿画面のフォントなのだけれど、なんかきれいでバランスがよい。視覚像だけでなく、もちろん断片的に意味も認識されるわけだが、なんか模様としてよい配置とリズムをしているかんじがある。あと、なかに「黒黒」という表記がでてきて、これはちょっと意外というか新鮮なきがした。わからん、(……)さんはふつうに「々」をつかわないでおなじ漢字をかさねる書き方をしているのかもしれないが、こちらとしては新鮮で、黒田夏子とおなじだとおもった。彼女の場合はたしか「淡淡」だったか? 『abさんご』でそれがつかわれているのを、蓮實重彦が彼女との対談で、「たんたん」をいま「淡淡」とかける作家は黒田夏子以外、日本にいないとおもう、みたいなことをいってべた褒めしていた記憶がある。
  • 土居義岳『建築の聖なるもの 宗教と近代建築の精神史』(東京大学出版会、二〇二〇年)、およびリチャード・ローズ/秋山勝訳『エネルギー400年史: 薪から石炭、石油、原子力再生可能エネルギーまで』(草思社、二〇一九年)という書をメモ。
  • バートリ・エルジェーベトというハンガリー貴族のWikipedia記事をよんでいて、わかい女性をさらって惨殺していた人間らしいが、「エルジェーベトの寝台の回りには、流れ落ちた血を吸い込ませるために灰が撒かれていた」という情報の具体性はなかなかで、小説の場面描写にでももりこめそうだ。

2021/5/12, Wed.

 『テル・ケル』誌の友人たち。彼らの(知的エネルギーやエクリチュールの才能のほかに)独創性や〈真実〉は、彼らが、共通の、一般的で、非身体的な言葉づかいを、すなわち政治的な言語を受け入れていることから来ている。〈とはいえ、彼らのそれぞれが自分自身の身体でその言語を語っているのだが〉。――それなら、なぜ、あなたも同じようにしないのか。――まさしく、わたしがたぶん彼らとおなじ身体を持っていないからであろう。わたしの身体は〈一般性〉に、つまり言語のなかにある一般性の力に、慣れることができないのだ。――それこそ個人主義的な考えかたではないのか。キェルケゴール――有名な反ヘーゲル派――のようなキリスト教徒に見られるものではないのか。

 身体とは、還元できない差異であり、そして同時に、あらゆる構造化の原理でもある(なぜなら構造化とは、構造の「唯一者」だからである。「絵画は言語活動か」を参照 [訳注311: バルトは、ジャン=ルイ・シェフェール『絵画の舞台装置』の書評において、「シェフェールは、有名な本のタイトルをもじって、自分の本を『唯一者とその構造』と題することもできただろう。そして、その構造とは、構造化そのものなのである」と述べている(「絵画は言語活動か」、『美術論集』、七三ページ)。なお「有名な本」とは、マックス・シュティルナー『唯一者とその所有』(一八四四)をさし、「唯一者」とは「このわたし」「自我」である。])。もし、わたしが〈わたし(end265)自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう。だが問題は、生きて欲動的で悦楽的なわたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとするこの方法を、政治的装置が長いあいだ認めるかどうかということである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、265~266; 「「テル・ケル」(Tel Quel)」)



  • 九時台にいちどめざめ。すごして、一〇時すぎで正式な覚醒。こめかみや喉をもみ、脹脛もすこし刺激して、一〇時半前に離床した。滞在は六時間強だからみじかめ。天気は曇りで空は白いが、淡い陽の感触がときにないではない。水場にいってきて、洗顔やうがいなどすませるともどって瞑想をした。ともかくもただじっとすわりつづけるということが大事だ。それいがいのなにかは不要。時間の質だの適した精神状態だのをもとめず、たんにじっとしているだけ。窓外ではウグイスがさかんに声をはなっている。
  • 一〇時四二分から二〇分。上階へ。ジャージにきがえて屈伸して洗面所にいき、髪をとかす。あらためて鏡のなかの自分のあたまをみてみると、白い糸がけっこう諸所にまじっていて、老いのかんじをおぼえないでもない。べつに白髪がおおくて髪がのびると目につくのはまえからそうなのだが。食事は昨日の炒めものののこりや味噌汁など。米がなくなったのであとで磨いでおかなければならない。新聞をめくりながら食す。国際面にエルサレムの件。あまり目新しい情報はなかったとおもうが。パレスチナ側にせよイスラエル側にせよ指導者の求心力が低下しているからあらそいの激化に歯止めをかけられないでいる、という言があった。マフムード・アッバスは最近、議会選を直前で中止して批判をまねいているようだし、ネタニヤフのほうも汚職問題などで支持が低迷しており、組閣もできなかったし、強硬姿勢をとることで宗教右派の支持をつなぎとめたいのだろう、とのこと。ガザには空爆がおこなわれており、死傷者がでている。イスラエル側にもロケット弾によって死傷者がでている。ロケット弾やミサイルのたぐいは三〇〇発以上うちこまれたらしい。アラブ諸国イスラエルと国交正常化したUAEもふくめてパレスチナ擁護を鮮明にしているようだが、欧米はハマスの攻撃のほうも非難している。イスラエルの軍だかの人間によれば、攻撃に期限はもうけないとのことで、だからパレスチナ側の出方によってはまだながくつづくことになる。
  • 食器を洗って風呂も。居間のほうで母親が、あんなことやってないではたらきにいってほしいと、父親についてまたつぶやいているのがきこえた。風呂を洗うと帰室し、Notionを準備して、手帳に昨日のふりかえりをしるしてから今日のことをここまで記述。今日は労働で、三時にはでなければならず、帰宅後はWoolf会。
  • この日からもう四日たって一六日の日曜日にいたっており、だいたいのことはわすれたのであとすこしだけ。一方では怠惰のために生を忘却の淵においやってしまうのがもったいなくもあるが、なるべくすべてを書くのだという強迫観念から解放されてなまけることができているのはよいことでもある。この日は出勤前に授業の予習(高校生の英語でやる長文などを職場からコピーしてもってきていたのでよんだのだが、これはほんとうは労務規定違反である)もできたし、わりと余裕をもったこころもちでいられたよう。往路はあるいたのだったとおもうが、とりたてておぼえていることはない。(……)
  • (……)
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  • 帰路も省略し、あとはWoolf会について。この日の担当は(……)さんで、Lilyが果樹園まできて梨の木のそばでRamsayとBankesのふたりの男性の印象の奔流にまきこまれて立ちつくしている段落の後半。参加者は(……)くん、(……)さん、(……)さん、(……)さん、(……)さん、(……)さん。(……)それをきくとマジで愛弟子だなというかんじでそう口にもしたのだが、そういう師弟関係はいいなあとおもった。おもったものの、自分がそういう師弟関係をじゃあつくりたいかというとぜんぜんそういう気持ちはなく、だれかの師匠になどなりたくないのはとうぜんのことだが、弟子として師匠をつくりたいともおもわない。いちおうこちらが師といえる人間がもしいるとしたら、それは(……)さんになってしまうわけだけれど、彼との関係は師弟関係などというものではまったくなく、単なる友人だとおもっているし、しいていうにしても先輩だろう。ただ(……)さんのブログがなければこちらがいまのような読み書きをしていなかったのはまちがいのないところで、読み書きをやっていたとしてもこういう毎日生を記録するタイプのそれではなくてべつのかたちになっていただろうこともほぼ確定的で、そういう意味で恩人であり、同時に、いまのじぶんをいまのじぶんたらしめたという意味で、一種の父にもなってしまうのだろうし、(……)さん本人もいぜんブログに書いていたけれど、(……)さんに一種憧れをもってちかづいてきて仲良くなったはいいがその後はなれていった人間、つまり転位 - 幻滅 - 反感の道をたどって父殺し的に離反していった人間は過去にけっこういたので、こちらにせよ(……)さんにせよきっとそうなるだろうと当初はみこんでいたというのだが、なぜかこちらの場合はそういうふうになっておらず、わりとよい距離感や関係のあり方を保てている気がする。なぜそうなのかわからんが。
  • (……)
  • (……)
  • その後の雑談は映画のはなしなど。こちらはだいたい聞いているのみで、合間、(……)くんがイギリス詩にかえてWoolfのエッセイをよむのはどうかとPDFファイルをしめしたのだけれど、そのなかにWoolfの伝記の情報とか参考文献が載っていたので、Amazonにアクセスしてこの伝記たちはKindleにあるのかなと検索したりしていた。著名な二、三冊はあったとおもうが。それでついでに、まえまえから目をつけていたVirginia WoolfのThe Complete Collectionというのをもう購入してしまうことに。これ(https://www.amazon.co.jp/Virginia-Woolf-Complete-Collection-English-ebook/dp/B01HTRS0JY/(https://www.amazon.co.jp/Virginia-Woolf-Complete-Collection-English-ebook/dp/B01HTRS0JY/))。五〇円。これマジでたぶん全部はいっていて、全六巻分の書簡もあるし、五巻分の日記もある。Complete Collectionみたいな電子書籍はほかにもいくつもあって、なかには無料のものもあったとおもうのだが、ただものによっては目次から各部へのリンクがなくて、該当箇所をみるのにひたすらめくっていかなければならずクソ面倒臭いみたいなものもあるようで、その点この版はちゃんとリンクされているので問題ない。ただ正直、Kindleでものを読む気がちっともおこらないのだが。映画は、(……)さんや(……)さんがこちらのぜんぜんしらない監督らのはなしなどしていたのと、(……)くんが『メッセージ』がすきだということで、その監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴは(……)くん好みだとおもうとすすめられていたことなど。『メッセージ』というのはテッド・チャンの『あなたの人生の物語』が原作だったはずで、この作品はハヤカワ文庫ででているのをこちらもなぜかずっとむかしに買って積んである。同作はいろいろ言語学などの知見をもりこみながらも中心的なテーマやメッセージとして「愛」をあつかい物語としてドラマティックなものになっているらしく、その点(……)くんはぐっときたということで、そこから、また名前がおなじなのもつながりとして彼はドニ・ド・ルージュモンという作家の名をだし、このひとは恋愛についての本を書いており、まあ要は恋愛という文化とか恋愛感情とかは近代西欧にいたってうみだされたもので一種のフィクションだ、みたいな内容らしいのだが、(……)くんはむかし恋人との関係になやんでいたときに(……)にすすめられてそれを読んだらしい。ところでこちらがドニ・ド・ルージュモンという名前をきいたとき、それってフランスの詩人じゃなかったか? と記憶を刺激されたのだけれどこのひとはスイスの思想家もしくは批評家で、それできづいたのだがこちらがおもっていたのはレミ・ド・グールモンで、それをおもいだした瞬間に、こいつら名前のアクセントというか音律まったくおなじじゃんとおもってひとりでかなり笑ってしまったのだけれど、それに笑っていたのはこちらだけである。
  • この日はいつもとくらべると比較的はやく、一時四〇分くらいでこちらは退出した。全体で終わるものだとおもって(……)くんがそのときZOOM通話自体を閉じてしまったようだったのだが、たぶんそのあと何人か再集結してまた暁ちかき夜の深みまではいりこみ、吸血鬼のともがらと化していたのだとおもう。

2021/5/11, Tue.

 フーリエは、のちに刊行する「完全な本」(完全に明晰で、完全に説得的で、完全に複合的な本)の予告のためにしか、けっして著作を出していない。「本の告知」(〈刊行物案内〉)は、わたしたちの内なるユートピアを抑制する、あの時間かせぎの操作のひとつなのである。自分には書けない大著をわたしも思い描き、幻想をいだいて、色づけし、輝かせる。それは、完全な体系でありながら、あらゆる体系の嘲弄でもあるような知識とエクリチュールの本であり、知性と快楽の大全であり、懲罰的でありながらも心優しく、辛辣だが平和である本、などといったものである(ここで、形容詞が押し寄せてきて、想像界がふくれあがってくる)。ようするに、小説の主人公のもつあらゆる長所を有しているのだ。やがて来るもの(冒険)である。わたしはみずから洗礼者ヨハネになって、その本を予告するのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、263; 「もっとあとで(Plus tard)」)



  • 上の引用に「やがて来るもの(冒険)」とあるが、ここを読んで英語のadvent、すなわち到来やキリストの降臨を意味する語をおもいだし、なおかつ冒険はadventureだから、このふたつの語は関連語だったのだなとはじめてきづいた。それにしても、あちらからやがてやって来るもの、が冒険(すなわち危険を冒すこと)でもあるというのはどういう含意なのだろう。
  • 一〇時一九分に離床。滞在はちょうど七時間ほどなのでよろしいが、からだがかたまっているかんじがあった。脚がこごっていたので今日は労働なしで余裕もあるし、すぐに活動をはじめず脚をもみながらだらだらすることに。それで水場にいってきてもどるとコンピューターをベッドにもちこんで、ウェブをみながら脹脛などをほぐした。一一時半をこえてから階をあがったはず。母親はテーブルに台をのせてアイロンかけをしていたようだが、(……)くんが旅行先でころんだか階段からおちたかしてあたまを怪我したといい、それをかんがえると泣けてきちゃってといって涙ぐんでいた。あたまがぱっくりわれて血がだらだらでたとかいっていたので、こちらも多少神妙なようになってきいて生きてただけよかったといったが、あとで写真をみたかぎりでは割れたのは額で、おおきなガーゼみたいなものははられていたが、めちゃくちゃひどい怪我というわけでもなさそうだったのでよかった。頭頂のほうがわれてあたまをぐるぐる巻きにしているようなようすを想像していたので。兄夫婦はカザンというところにいっていたはずだが、帰りの飛行機では(……)ちゃんが気圧の変化にたえられなくて泣き叫び、失神しながら小便を漏らしたらしいから、(……)くんとあわせて子どもたちも親も難儀なことだっただろう。
  • 食事はカレードリア的なものなど。新聞をみるに、一面にはスポーツ選手の画像をアダルトサイトに載せて猥褻なコメントを付した運営者が逮捕されたとの報。このひとだけで一〇くらいのアダルトサイトを運営しているとかあったから、エロサイトってマジでやればけっこうもうかるのだろう。ほか、国際面にはエルサレムの神殿の丘での衝突の続報。騒ぎはつづいており、負傷者は六〇〇人規模へ拡大。パレスチナのひとびとの側は投石で、イスラエル治安部隊の側は催涙弾などである。今回の件はもともとパレスチナ人がユダヤ教徒を平手打ちした動画がネット上にでまわったことが発端だとかいい、あと五月一〇日だかが一九六七年の中東戦争、すなわちイスラエルが東エルサレムを占領した戦争の記念日にあたるのだけれど今年はそれがラマダンとかぶってしまって、警戒したイスラエル側がパレスチナ人の神殿の丘への立ち入りを禁止したかなにかだったか、ともかく治安維持員をおおく設置してものものしくやっていたようで、それへの反発もあったようす。あとでテレビでもすこしだけ目にしたが、ガザでもハマスイスラエル側にロケット弾をうちこんだようで、その報復でイスラエル空爆をおこない、死者がでたと。
  • そのあとはベッド上でまた脚をほぐしながら英文記事をよみつづける。上のもの、David Robson, "The four keys that could unlock procrastination"(2021/1/5)(https://www.bbc.com/worklife/article/20201222-the-four-keys-that-could-unlock-procrastination(https://www.bbc.com/worklife/article/20201222-the-four-keys-that-could-unlock-procrastination))、そしてLu-Hai Liang, "The psychology behind 'revenge bedtime procrastination'"(2020/11/26)(https://www.bbc.com/worklife/article/20201123-the-psychology-behind-revenge-bedtime-procrastination(https://www.bbc.com/worklife/article/20201123-the-psychology-behind-revenge-bedtime-procrastination))を途中までと、なぜかワークライフバランス的なものばかりよんでしまったのだが、いざよんでみればけっこうおもしろい。procrastinationというのは先延ばしという意味で、やらなければならない仕事をあとまわしにしてしまったりとか、寝る時間をおくらせてしまったりとか、そういったことで、'revenge bedtime procrastination'もしくはretaliatory staying up lateというのは日中いそがしかったりして自分のやりたいことができなかったり自由な時間がもてなかったりしたひとが、それをカバーするというかとりもどすために眠る時間をおくらせて夜ふかししてしまう、ということで、こちらはわりとそういう傾向にあるのではないか。いつも夜ふかししているし。まあかなりだらだら生きているほうだし、自由な時間は世の大勢にくらべればそうとうおおいはずだが、自由な時間があろうがなかろうが夜ふかししてしまうが。この話題は昨年にも目にしてそのときも俺これかなあとおもったことがあったが、この記事によれば、Daphne K Leeというひとのツイートからひろまったらしい。“people who don’t have much control over their daytime life refuse to sleep early in order to regain some sense of freedom during late-night hours”というわけで、それによせられたリプライのなかでおおくの共感をえたのが、“Typical 8 to 8 in office, [by the time I] arrive home after dinner and shower it’s 10 p.m., probably won’t just go to sleep and repeat the same routine. A few hours of ‘own time’ is necessary to survive.”というもの。このことばの起源はあきらかではないが、確認されるかぎりではこのブログの記事(https://zhuanlan.zhihu.com/p/50163285?utm_source=wechat_session&utm_medium=social&s_r=0(https://zhuanlan.zhihu.com/p/50163285?utm_source=wechat_session&utm_medium=social&s_r=0))が初出だという。中国語なのでこちらはよめないが。中国のとりわけ都市部にはこういう生活習慣のひとがおおいようで、どこの国でもおなじだろうが、中国だと、‘996 schedule’とよばれている労働慣行というか一般的な働き方があるようで、つまり朝の九時から夜の九時までの労働を週に六日間こなす、ということだ。この記事は自由のために就寝時間を遅らせてしまうという意味でのprocrastinationの話題だが、そのまえのやつはやらなければならない仕事になかなかとりかかれず先延ばしにしてしまうという意味のprocrastinationに対処する方法ということで、記事によれば、以下の四つの問いを定期的にみずからにさしむけて反省というかreflectionするのが効果があるという。課題をかせられている大学生を対象にした実験で効力がみとめられたと。
  • How would someone successful complete the goal?
  • How would you feel if you don’t do the required task?
  • What is the next immediate step you need to do?
  • If you could do one thing to achieve the goal on time, what would it be?
  • 結論的な言としては、"The important thing, he says, is to regularly question what goals you actually value, and to check whether you’re prioritising them enough. You should then work out ways to chunk your task into smaller parts, before taking action on the first possible step."ということで、結局はやはり反省の時間を頻繁にとるということだろう。さいきんこちらが一日ごとにその日のよかったこととかわるかったこととかやりたいこととかもっとできたこととかを手帳にかきつけているのもおなじようなことだろう。なかでも、よかったことを毎日ふりかえって記し、明確化して印象づけるのはわりとよい気がする。
  • 四時ごろまで。トイレにいってきてからふたたび音読。今度は「記憶」を少々。音読のまえにすこしだがスクワットや腹筋もしたのだった。音読中はダンベルをもっている。音読はひとまずみじかくとどめておき、今日のことを書いておくことに。それでここまでつづると四時四〇分。
  • 夕食後、茶を飲みつつ、David Robson, "The mindset you need to succeed at every goal"(2020/7/22)(https://www.bbc.com/worklife/article/20200722-the-mindset-you-need-to-succeed-at-every-goal(https://www.bbc.com/worklife/article/20200722-the-mindset-you-need-to-succeed-at-every-goal))を読了。そのあとdiskunionのMale Jazz Vocalのカテゴリをみてみたところ、いろいろきになる情報がある。なかでもJose Jamesがキャリア初となるライブアルバムをだしたというのがきになって、日記をかくうしろにながしてみることに。Amazon Musicにアクセスすればふつうにあったので、ありがたいことだ。BIGYUKIが鍵盤で、ベースはBen Williams。ギターのマーカス・マチャドとドラムのジャリス・ヨークリーというひとはぜんぜん知らないが。ロックダウン下の二〇二〇年八月と一〇月に配信した無観客ライブの演奏をアルバム化したらしい。diskunionのページによれば場所は、「ウッドストック、リヴォン・ヘルム・スタジオ(DISC1)、ニューヨーク、ル・ポワソン・ルージュ(DISC2)」とある。Jose JamesとThe Bandがつながるのか、とおもった。べつにLevon Helmの名前でえらんだわけではないかもしれないが。

2021/5/10, Mon.

 彼の仕事の動きは戦術的である。重要なのは、移動することや、陣取り遊びのように敵を食い止めることであって、征服することではない。いくつかの例をあげよう。間テクストの概念はどうだろうか。これは、実際にはまったく建設的なものではないが、コンテクストの規則に抵抗することに役立っている(インタビュー「返答」より)。また、〈事実確認〉はときには価値であるように提示されるが、それは客観性を称賛しているからではまったくなくて、ブルジョワ芸術の表現性を妨げるためである。そして作品の曖昧さ(『批評と真実』)とは、ニュー・クリティシズムから来ているわけではまったくなくて、それ自体が彼の関心をひいているわけでもない。文献学的な基準や、正しい意味という大学の横暴と闘うためのささやかな兵器にすぎないのだ。したがって、こうした仕事はつぎのように定義されるだろう。〈戦略なき戦術〉である、と。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、261; 「戦術/戦略(Tactique/stratégie)」)



  • 一〇時台に覚醒し、しばらくすごしてから起床すると一〇時四七分だった。わるくない。今日も晴れの日で、空気は暑い。水場に行ってうがいや洗顔や用足しをしてからもどり瞑想。二〇分すわった。風がときおり窓外の草をカサカサ鳴らし、川向こうからかなにかの機械の駆動音めいたひびきがつたわってくるが、鳥の声がおもいのほかにすくなく、あまりきこえない。上階へ。ビーフシチューがつくられてあった。ジャージにきがえ、洗面所で髪をとかしてから食事。前夜のサバのあまりをひときれあたため、白米とビーフシチュー。ビーフではなくて冷凍庫にずっとはいっていた鹿肉をつかったものだが。鹿肉はそれ単体でそんなにうまいものではないが、やわらかくよく煮えていてよい。新聞をよむ。スコットランド自治議会選が開票され、与党スコットランド民族党(SNP)が六四議席を獲得。定数は一二九なのでほぼ過半数緑の党も独立を志向しているらしく、その八議席とあわせて独立派が過半数をこえたわけで、ニコラ・スタージョンはもちろん国民投票をやるつもりで、二三年末までにとのみとおしらしいが、英国側はボリス・ジョンソンが無謀で無責任な選択だ、みたいなことをいっており、じっさいにおこなわれたとしても司法判断によって無効化される可能性がたかいようだ。ほか、アフガニスタンで子ども六一人が死亡するテロ。カブールの女学校付近で車による自爆テロがおこり、ついで門のそばに設置された爆弾がふたつ爆発したと。タリバンは関与を否定、政府側は関与したとして非難。ただ、現場はシーア派住民がおおく、ISISによるテロが頻発しているという。パレスチナでも神殿の丘でパレスチナ住民とイスラエル治安部隊が衝突しているらしい。西岸でもいくらかおこっているとか。あとは北岡伸一の一面から二面にかけての寄稿を途中までよんだ。中国は軍事的には慎重な国だからすぐ台湾を攻撃するということはないだろうが、日本のそばに親日的な民主主義国(中国からすると国ではないわけだが)があることは日本にとっても非常におおきな国益なので、米国と連携して抑止力をたかめていかなければならない、いままでは攻撃は米国にまかせるというかんがえかたが主流だったが、万が一攻撃された場合に反撃することができるという力を確保して、抑止をはたらかせなければならない、とはいえ中国と日本は地理的にもちかいし経済的なむすびつきがかなりおおきいので、米国とおなじような切り離しの政策はとれない、そのあたり米国に完全にあわせるのではなくて日本独自のバランスでやっていかなければならない、みたいな話だった。
  • 食器をあらい、風呂も。でると茶を用意し、そのあいだに洗濯物をとりこむ。まだあかるく晴れていたが、仕事にでる母親がもう入れてというので。とりこんだあとベランダにでてくまなくおおっているひなたのなかで屈伸したが、陽射しは厚く、熱が身をつつみこみ、背中にもぴったり乗って、すぐに汗がでる。なかにもどるとタオルなどたたんではこび、茶をもって帰室。Notionを準備。それからLINEをのぞくと(……)くんが、「【サバの話だったの?】WEEKLY OCHIAIというコント、あるいは地獄について。」という記事を紹介というか貼っていて、なんかお笑いの話かなとおもってみてみると、落合陽一をくさしたものだった。よんでみるとけっこうおもしろく、わりとわらってしまう。NewsPicksで毎週落合陽一が番組を配信しているらしいのだが、そのようすが、「誰も分からないのに分かったフリ」にみちあふれていておもしろいらしい。落合陽一は「「分かってる風コント」の起点」であり、宇野常寛は「「すごそうなインテリ」感が強い」、「2018年度何やってるのかイマイチ分からない人大賞ノミネートだと思う」、「すごいのかすごくないのか僕はよく分からないけど、少なくとも「すごそうなインテリ」感を出すことに関して言えば一級品である」といわれ、会場観覧の観客についても、「NewsPicksファンの皆様が見に来ているようなのだけど、さすがNewsPicksだけあって「オレの知的好奇心を満足させることができるかな?」みたいなインテリぶった人がたくさんいる」などとかたられて、なんかちょっとわらってしまう。この記事自体をよむとわりとわらってしまうのだが、ここでじっさいにおこっていることとか、それがこうしてネタになることとか、もろもろかんがえると、たしかにわりと地獄かもしれないなとおもった。
  • それから今日のことをかきだし、ここまでしるせば一時。
  • ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよみすすめる。最初の「アイアス」。訳者は風間喜代三というひとで、ぜんぜんしらないが、Wikipediaをみると高津春繁門下の言語学者らしく、一九二八年生まれで存命らしい。訳は古い時代の格調高いかんじがあってけっこう良い気がする。劇中には、万物流転、いわゆるパンタ・レイというのか、物事はうつりかわっていくもので人間の幸福もいつまでもつづく絶対的なものではないし、この世はいつなにがおこってもおかしくない、というような認識がたびたび表明されており、仏教的にいえば諸行無常ということになるのだろうが、じっさいパンタ・レイと諸行無常と、このふたつのかんがえかたはほぼおなじものなのではないか。ギリシアの場合はそこにたぶん、人間のそうした運命をつかさどっているのは神々であるという前提的認識がくわわってくるのだとおもうが。その神々はしかし、超越的ではあるのだろうけれど、絶対的に超越していて人間の手のとどかない存在かというとそうでもなさそうで、そもそも人格神で会話ができる。すがたはみえず、声だけで認知されているようだが、女神アテナはアイアスともオデュッセウスともことばをかわしている(アイアスの奴隷兼妻であるテクメッサは認識できないようで、「何か亡霊のようなもの」(26)といっているが)。アイアスにいたってはアテナの禁止にさからってさえいる(16)。とはいえ、そのような人間の分をわきまえない不遜さによって彼は罰せられることになるわけだが。16ページ時点でアイアスはすでにアテナの力によって錯誤の幻術にかけられており、家畜を自分のかたきであるオデュッセウスだとおもいこんでアテナの命令に抵抗するわけだが、そのアイアスのすがたをみてオデュッセウスは、「わたしはこの男が不憫でなりませぬ。たとえわたしを快からず思うとはいえ、この不幸な禍いにしっかりとくくりつけられているのを見、これもいつかはわが身のことと思うにつけても。しょせんわれらはこの世にては、空蟬のはかない影にすぎぬものでしょうから」としみじみもらしている。それをうけるアテナは、「この有様をとくと見て、いつの日にも神々に向かい、傲慢な言葉を口にしてはならない。たとえ人一倍力にめぐまれ、巨万の富にあふれようとも、けっして思い上ってはならない。一日のうちに人間万事浮きも沈みもする。慎みをわきまえた者こそ神々の愛を受け、思い卑しい者を神々は憎むのです」といましめをあたえているので、この部分はたぶん古代ギリシアの観客にとって、おごりを抑制する道徳的教訓として機能しただろう。
  • 読書の先かあとかわすれたが、「英語」の音読もしている。235から263。それで四時ごろに上階にあがったはず。母親は出勤している。こちらはアイロンかけをする。労働前にもやはりいくらかなりとも家事をこなして母親の仕事をへらしたい。アイロンかけの最中に電話が鳴って、取れば「(……)」であり、あたらしいテレビをもっていこうとおもうがいまからではどうかときくので、外にでて家の脇にいた父親にかわった。それでくることに。こちらはアイロンかけをかたづけるとちいさめのおにぎりをつくり、魚肉ソーセージとともに部屋にもちかえってエネルギーを補給。それから歯をみがいたり服をきがえたりして身支度をととのえた。出発までにややあまって、日記をしるそうかともまよったが、瞑想をしておくことに。それで枕の上にあぐらで腰掛けて静止。昼前のときよりも鳥の声がおおく、ウグイスもきいた。ヒヨドリがなきかわしていたはず。きいていると、ピヨピヨ鳴いているばかりではなく、口調みたいなもの、リズムがあるのがわかる。ピヨピヨ鳴いているときはほかの鳥もおなじようにあかるくおおきな声でおうじてきてにぎやかだが、ほかに、ちょっと曲折したような、よわいカーブでみじかくフラットしていくような鳴き方とか、いくつかの種類がある。それをきいていると、近年鳥にも言語体系とか文法があるということがあきらかになってきているとかきくが、マジでなんらかの意味をやりとりしているようにきこえる。
  • 五時過ぎまですわって上階へ。電気屋の主人にあいさつ。あたらしいテレビをつけていろいろ説明しているところ。それで靴下をはいたりしてからまたあいさつして出発へ。道に出てあるく。どこの家でひとを入れたのかしらないが、林縁の段の上の草がかられていて、石壁のあしもとや石たちの合間にかわいた茶葉のような、針めいてほそい草の屑がたくさん散乱している。空はさほどはっきり晴れてはいなかったはず。雲まじりの淡い色で、明確な陽射しもなかった。坂道の両端には黄色く変じた竹の葉が無数にあつまっていて、竹秋の季である。積もっていくらか層をなしたそのなかに普通の広葉樹の葉や、茶色くそまったスギの葉などがまざっている。
  • 駅にはいり、ホームの先へ。かなりゆるい、苦労なしというかんじのぶらぶらしたような足取り。とまってまっていると、白と青のあいまいにないまぜにされた合いの子的な空を背景に鳥の影がいくつもみられて、あのかたちと飛び方はツバメだなと判じられた。曲線をえがいてもいるが、ときに線路の上空をまっすぐ滑空してこちらのいるあたりをすーっととおりすぎてもいく。
  • 電車にのって席でやすみ、つくとおりて職場へ。勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)退勤は結局一〇時半ごろになったか。徒歩をとった。道中の印象はさしてない。街道途中で工事をしていたくらい。道路をはがして水道管だかなんだか、地中のことがらをなにかやっていたよう。横にながいかたちの巨大な提灯というか膨らみのある貝殻というか、そんなような見た目の白い照明がふたつほど設置されてあたりに光をひろげており、そのなかで人足たちがよりあつまって、なかにはアスファルトをのぞいてできた穴にはいっているものもいたようで、なにやら話していた。その横を、じろじろながめながらこちらはとおりすぎる。警備員というか交通整理員はすこしはなれたところにいて、工事の内容自体には関係ないのだろうから、暇そうにしていた。道路にでて車をとめたり通したりしているひともむろんいるわけだが、それもこの時間だからそんなに通るわけでもないし、わりと楽な仕事だろう。
  • 帰宅後はたいしたことをしなかったとおもう。夕刊でなにかよんだ気がするが。あれだ、市川房枝の一九歳のときの日記が発見されたという記事だったはず。女学校にかよっていたころの夏休みのもので、市川は学校の良妻賢母教育に反発して同級生をひきいて反抗したらしいのだが、効果むなしくおわったらしく、それについての感情的な記述がおおくて、市川房枝がこのように感情をむきだしにしている書き物はいままでみられなかったものだ、という研究者の言があった。しかもこの日記は学校に提出されたといい、「生徒は生徒らしく、女は女らしく」とかいう教師のコメントが記されているらしい。「~~らしさ」というものを例外なく拒否したい。他者からもそれをさしむけられたくないし、自分でも自分に「~~らしい」などという言明を、それがなんであれあたえたくない。
  • ほんとうは日記をかくなりなにかよむなりしたかったのだが、ちょっと休もうとおもってベッドにいるうちに力尽きてしまい、三時一六分に消灯した。やはり労働後に書き物をするのはなかなか難しいところがある。勤務のあった夜は脚をほぐしながらひたすらものを読む時間にしたほうがよいのではないか。

2021/5/9, Sun.

 どこにいても、彼が耳を傾けていたもの、耳を傾けずにはいられなかったもの、それは自分自身の言葉にたいする他の人たちの難聴ぶりであった。彼らが自分の声を聞いていないことを彼は聞いていたのだ。だが彼自身はどうなのか。自分の難聴ぶりを聞いたことがなかったというのか。自分の声を聞くために格闘したが、そのように努力しても、べつの音の場面や、べつの虚構が生み出されるだけであった。そういうわけで、エクリチュールを信じて頼っているのである。エクリチュールとは、〈最終的な返答〉をすることをあきらめた言語活動ではないだろうか。他人があなたの言葉を聞けるようにと他人を信頼することを糧にして生き、呼吸をしている言語活動ではないだろうか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、259; 「自分自身の言葉にたいする難聴(La surdité à son propre langage)」)



  • 一一時前に起床。暑い。おきあがるまえ、布団を横にどかし、熱からのがれて多少脹脛をもんでいた。きのうはながくはたらいたわりに、疲労感はのこらず、からだもやわらかい。日に日にからだがしなやかになっているのを実感する。水場にいってくると瞑想。一一時五分から二四分まで。窓をあけた。すわっていてもあきらかに安定感がいぜんと別物。切りにすると上階へ行き、母親に挨拶してジャージにきがえる。といって履くのは下だけで、上は黒の肌着一枚。食事はたけのこご飯。その他冷凍してあった天麩羅など。(……)さんからケーキがおくられてきたという。配送の袋をみれば、たしか静岡県は三島の店だったとおもう。苺ロール。兄夫婦はいま、カザンという都市に旅行にいっているらしい。そこで兄の友人である(……)に会ったと。このひとは大学時代に日本にきていたか、あるいは兄がロシアに留学していたあいだに知り合ったかのどちらかだろうが、結婚式にもきてくれて、きれいな禿頭だったのでこちらもおぼえている。最初母親がカザンカザンというのを火山だとおもって、どこの火山かときいていたのだが、カザンという都市名だとわかった。ぜんぜんしらないが、タタール文化の中心地とかで、モスクワから東に八〇〇キロの位置にあるよう。もっと極東にちかいほうかとおもっていたが、そうでもなかった。
  • 食事。父親も途中ではいってきてまえにすわる。テレビはいまだなおっておらず、タブレットが炬燵テーブルのうえに設置されて代役をつとめている。国分太一となんとかいう料理人がやっている、『男子メシ』だったか、料理番組がながれていて、この番組のBGMはどれもセンスがよいなとおもった。The Beatlesの"Day Tripper"なんかもながれるし、往年の、六〇年代から七〇年代くらいの英米のポップスとかソウルとかそちらの系統の音楽がつぎつぎにながされているもよう。同定はできないが、たぶん有名な、ヒットソングのたぐいがおおいのだとおもう。新聞は書評欄。中島隆博が渡邉義浩という研究者の、講談社選書メチエから出た『論語』を紹介している。論語はテクスト原文だけでなくそれにたいして後世の人間たちがふした註釈もふくめてテクスト体系をかたちづくっており、聖書にせよタルムードにせよ世俗的な文書にせよ古典ってどれもそうだろうが、いまわれわれが読む論語は基本的には朱熹の註釈にもとづいたものだと。つまり朱子学的な論語理解ということだろう。で、それを「新注釈」というらしいのだが、それいぜんの古注のたぐいもむろんたくさんあって、渡邉義浩のこの本はそれを紹介して論語にあらたなひかりをあてているとのこと。苅部直岩波新書の『尊厳』というのをとりあげていてこれもおもしろそう。加藤聖文は老川洋一とかいったか、政治記者だったひとの、『政治家の責任』というやつを紹介していた。著者は長年政治の現場を取材してきたひとらしいのだが、彼からするといまの政治はあきらかに劣化しているようにみえ、それはジャーナリストにせよほかの分野の人間にせよおおくのひとが立場をとわずひとまず一致する判断だとおもうが、昭和時代の、政権交代もおこらず金のにおいがつよい古臭いような権力政治が、それでもいまとくらべるとまだしも健全であるようにおもえてしまうのは、その時代の政治家がすくなくとも皆共通して「公」の意識をもっていたからであり、また権力闘争のなかでつよい緊張感をひきうけていたからだと。小手先の「改革」は焼け石に水なので、抜本的な革新がもとめられている、ともかくも内部的に緊張感がなくなってしまった政治の場に、外からそれをそそぎこまなければならない、そのために活用されるべきは公文書で、実証的な情報にもとづいた言論でもってジャーナリズムなどが政治に緊張をかけなければならない、というような話をしているようだが、くわしい内容はむろん書評だけではわからない。
  • 食器をあらい、風呂もあらう。台所にたっているとき、外がくもっており、雨が降るのかなと母親はつぶやいていたが、じっさい南窓の先で(……)さんの家の鯉のぼりが七匹全部そろって横にきれいにながれながら身をはたはた波打たせているし、トイレにいくために玄関にでても林が風をゆたかにはらんで樹響をふくらませふらせているのがすぐ耳にはいり、にわかに雨がとおってもおかしくなさそうな雰囲気ではある。ただ、気温は高く、もうほぼ夏の空気感にちかい。風呂をあらっているときには陽の色がまたでてきていたので、本降りにはならないだろうが、夕方くらいにちょっと生じても変ではない気がする。
  • 今日は茶もつくらず帰室。Notionを用意し、今日のことをとりあえずかきだした。ここまでつづって一時前。
  • この日のこともおおかたわすれた。(……)さんのブログをひさしぶりによめたのはよい。五月七日と八日。音読もそこそこやった。書見だとヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)を読了。浅井健二郎というひとは四五年うまれだからわりと古いひとで、ちくま学芸のベンヤミン・コレクション全七巻はこのひとが総責任者として編集されているしたぶん界隈だとかなりの権威なのだとおもうが、翻訳文にはごくたまにうまれのふるさがうかがわれたようにおもう。手袋のことをなにか耳慣れない言い方をしていた記憶があるのだが、なんという語だったかわすれてしまった。それでいま「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をみかえしてみたが、「手ぬくめ」だ。「マフ」にたいして「婦人用の手ぬくめ」という註が付されているのだ(536)。まあそれはどうでもよいのだが、解説をよんだところでは一部けっこうわるくない文章が書かれてあった。ブランショというか、フランス方面の思想をちょっとおもわせるような、というか。まあブランショよんだことないのでわからないが。優美と気取りの色がややつよくはあったが、からまわってはいないようでよかった印象。そのなかに「忘却を免れた夢の破片」というフレーズがでてきて、べつになんということのない語のつらなりだとおもうのだが、なぜかこのフレーズがあたまにひっかかってしまい、これをかきだしとして詩をつくれないかなとちょっとおもってとりあえずメモしておいた。あと本篇にもどると、ベルリン幼年時代のなかの、最終稿には収録されなかった断章のなかにある「夜会」というのは、これはもう主題としてだいたいプルーストである。『失われた時を求めて』の冒頭、ベッドにはいっても寝られなくてママンがおやすみをいいにきてキスしてくれるのが恋しくて恋しくてしょうがないのだけれど夜会というか訪問客(の代表がスワン)がある日はママンがきてくれなくてかなしみに絶望する、みたいな話が迂回しながらながくつづいたとおもうのだが、そことわりとにたようなかんじ。
  • ベンヤミンを読了したので、『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよみはじめた。五月三〇日の読書会の課題書。これをよみおえたら、なにか歴史とか社会とか政治方面の、文学作品や文芸批評や思想ではないほうの本をよみたい気がする。しかし詩もよみたい。いずれにせよ、まだすこしもよみおわっていないのによみおわったあとのことをはやくもかんがえるとは、書物にたいして非礼ではないか?
  • 書抜き。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)。レヴィナスの言: 「享受であるような「生とは、世界の糧を口いっぱいに囓りとり、豊穣さとしての世界に同意し、その始原的な本質を奔出させることである」」(28)。同ページに、「享受するとは、享受する私と、享受されるものとのさかいめ [﹅4] を解消しつづけ、両者のへだて [﹅3] を不断に抹消してゆくことである」という説明もあるが、「さかいめ」をひらがなにひらくのはなかなかおもいきっているとかんじられた。こちらも最近はもうだいたいひらがなでかくようにしていて、そうするとひんぱんに変換しなくてよいので楽だ。ただそれでもやはり、名詞はひらくとわかりづらくなるからそこまでおもいきれないところはおおい。黒田夏子とかは名詞でもけっこうこともなげにひらいていたとおもうが。すくなくとも『abさんご』のときは。『感受体のおどり』はもうすこし漢字がおおくなっていたはず。『組曲 わすれこうじ』はよんでいないのでしらない。このながれをつづってきたためによまなくては、とおもいだした。
  • 八時前。2020/5/8, Fri.を読む。冒頭から風景描写。「一一時頃に覚醒した。窓の外はこれ以上ないほどの快晴であり、ほんのひとひらも塩一粒ほども雲のない完璧な無雲領域いっぱいにまろやかな水色が満ちていて、それを背景にガラス表面の汚れが、本当は黒点のはずだがその黒さを吸い取られて漂白されたように銀髪めいて白く輝き、掃除などまったくしていないので汚れはひどく溜まって無数に付着しており、光の作用でそれが一面砂子を敷かれたように見え、その上でところどころ、やや大きめの粒が浮かんで銀光し、全体はさながら地上に移植された天の川、まさしく宇宙の縮図めいて映る。その絵を描かれたガラスの先では蜘蛛の糸が風に震え、白く固まって姿を現したり背景の空に没したりを素早く行き来し、様相間の往復運動を繰り返していた」。ややかたいものの、わりとよい。黒点に銀髪の比喩をもちいたり、「銀光する」なんていう動詞的言い方にしているあたりなど。たぶんこれは一般的にはない言い方だろう。微光とか赤光とか、光関連のほかの熟語でもつかえそう。あまり一般的にそういう言い方がない名詞に「する」をつけて動詞化するテクニックは、宮沢賢治もどこかでつかっていたようなおぼえがあるが、不詳。漢文の素養がのこっていた時代の連中はわりとふつうにやっていたのではないか。こちらだとあと、「さざなみする」という言い方をむかしつかったおぼえがあるし、いつかの短歌で、「雨だれの音が銀河色して」みたいなフレーズをつくったおぼえもある。語によってはけっこうつかえる気がする。

ではなぜフランス思想なのか、フランス思想など、一部のオタクのジャルゴン的思想の最たるものじゃないのか、こういわれそうです。もちろんそれにはさまざまな個人的来歴はあるのですが、そんなことはいっさい省くと、やっぱりここ百年くらいのフランスの哲学というのは、軽薄だとか流行にすぎないとかいわれながらも、思考のかたちとしては大したものではないのかと想うのです。たとえば私が、<私>ということのリアリティー、<生きている>ことのリアリティーを何とか語ろうとしたときに、フランス思想は、時間・身体・経験・制度からはじめて、ことば(記号)・こころ(精神)・いのち(生命)に結びついていくさまざまな位相の襞や連関を丹念に明らかにしていくという傾向が強いとおもうのです。それはよくフランス思想の弱点だともいわれますが、これらの主題が切りはなされることなく結び突いているありかた、たとえばメルロ=ポンティの<両義性>でもいいですしベルクソンの<直観>でもいいですが、それは、さまざまなものが錯綜したことがらの原理をそのままに提示する強力な手段であるとおもうのです。明確なシステムをなしているとみえながらも、システムそのものが自身を裏切るような虚点をはらみ、そこでシステムそのものが流動する・・・それで、われわれにできることは、この錯綜を錯綜のままエクリチュール化せずに(それだと中途半端に流れに身をゆだねるエッセイの思想にすぎないですから)、彼らが何をいっているのか、その錯綜した原理性をできるだけモデル化してとりだすことだとおもうのです。(……)いい方をかえれば、たとえば私のあり方だとか、リアリティーだとかを語るときに、私の特異な・一回限りのこの生、私にしかえられなかっためくるめき体験・他者(たいていは神)との事件のような(実は選民的な)出会い、他者に毀損されないかまたは焼き付けるように毀損されるがままの内面性、これらを不意に、不用意にいってしまう傾向は結構根強くあると想うのです。

ところが20世紀のモダニスムは、この内面への捉えられから、どのように外にでるか、それをどうして対象化するのか、要するに酔いながら醒めるのか、これを描くことに本質があるように見えるのです。フランス思想は、実に他面的な結びつきで(科学・精神分析・言語・政治・制度)、この<内面>の<特異さ>の感覚を大事にしながらも、そこに拘泥して不毛な自己反復言語にとどまるのではなく、何かをやろうという実験に見えるのです。特異性・個別性を廃棄して普遍性・一般性に、というのではありません。特異なものがあって、あるいは<いま・ここ>でしかないことがあって、そのリアルさの切っ先のようなものが確かにあるのですが、それを<内>にも<無底>にも<曖昧さ>にもからめ取られるのではなく、<普遍>との包摂関係でどうにかいえないか、というのがともあれ重要なことです。無数に増殖していく蟻の大群のようなものがあって、それを押し流していく風のつよさ、季節の転換、環境の変化、大時代的な変動があって、一匹一匹の蟻は、それにはかなくものみこまれてしまう存在の一項にすぎないのだけれど、おそらくは蟻という<私>である動いている視点のみをとるのではなく、一面では風や季節の中に全面解体されながらしかも生きているその状態を描ききることが必要だとおもうのです(……)

浅田 ついでに、予備知識として歴史的な文脈をざっと復習しておくと、室町幕府3代将軍の足利義満がいまの金閣寺鹿苑寺)を含む華麗な北山第をつくり、8代将軍の足利義政が、政治的には応仁の乱(1467-1477)に突入するなか、いまの銀閣寺(慈照寺)を含む東山殿をつくる。そこで、人類史上最も洗練されていたと言いたくなる宋の白磁青磁や窯変天目のような陶磁器、書画、禅や朱子学、その他さまざまな文化を摂取して、北山文化・東山文化が成立し、そこから能や茶の湯などが生まれて来る。要するに、宋の洗練をさらに日本で洗練した時代です。
 荒っぽく言うと、それを1回ひねったのが15世紀の一休で、さらにもう1回ひねったのが16世紀の利休と言ってもいいんじゃないか。そのあげく、たとえば中国で高温焼成された最高級の窯変天目のようなものに対し、手で土をひねって焚火で焼いただけのような楽焼の茶碗のほうがいいんだということになる。つまり、茶道のわびさびの文化を最初から素晴らしいものと考えてはいけないので、あれは技術的にも美的にも最高に洗練された北山文化・東山文化を前提とし、それをあえてひっくり返したものなんです。その無茶苦茶な価値転倒をやってのけたのが一休であり利休であると思えばいいんじゃないでしょうか。

     *

浅田 むろん、一方的に威張るのではなくて、逆説に次ぐ逆説で相手を翻弄するタイプの人でしょう。仏教の修行だけではなく、若いころから漢詩で認められ、和歌も詠んだ。「有漏路[うろじ]より無漏路[むろじ]へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」(煩悩に満ちた現世から、死んでなのか、悟ってなのか、煩悩のない来世に至る一休み、雨が降るなら降れ、風が吹くなら吹け)という歌を詠み、それを認めた師の華叟宗曇[かそうそうどん]が道号にしてくれたんだけれど…。

島袋 そう、そのときの「一休み」が一休という名前の由来と言われています。

浅田 修行のあと悟ったと認める印可状を師から渡されると、そんなもの要らないよと言って勝手に出ていく。あとは、放浪ですよね。

島袋 当時、そういう印可状を左券 [さけん] といったらしいんですけど、そういう肩書で生きている禅の坊さんも多い時代だったらしいんですよ。

浅田 特に兄弟子がそうで、大徳寺の住持になって威張っているが、禅の精神などまったくわかっていないと、ぼろくそに言うわけね。

島袋 そうですね。兄弟子は、18歳ぐらい年上の養叟宗頤[ようそうそうい]という人ですね。

浅田 朱太刀像といわれる一休像があるけれど、朱塗りの鞘に入った木刀を持ち歩いていた、それは「悟ったようなふりをして威張っている禅僧は実は使いものにならない木刀である」という嫌味だ、と。

島袋 見かけ倒しだ、と。

浅田 他方、自分は漢詩を書くときの号も狂雲子。

島袋 自分のことを、狂った雲だ、と。

浅田 で、どんな内容かと思ったら、美少年にも飽きたからいまはもっぱら女三昧だ、俺に会いたかったら色街に来い、みたいなことが書いてある。で、77歳にもなって、森[しん]という鼓を打って歌を歌う盲目の女性と出会い…

島袋 50歳ぐらい年下の盲目の恋人が最後に出来るんですよね。

浅田 88歳で死ぬまで同棲する。ふたりの愛の営みも流麗な漢詩に書いちゃうわけですよ。

島袋 書いているんですよね。枯れ木にも花が咲くみたいなことを。

浅田 円相の中の一休像の下に森の描かれた肖像画もあって…。

島袋 泉北にあるやつですね。

浅田 そう、堺より南にある忠岡町の、町工場や畑の点在する一画に、相国寺あたりにあってもおかしくない室町の書画の名品を集めた正木美術館というのがある、そこのコレクションだけれど、円相が盲目の女性の夢のようにも見えて、魅力的な絵です。

島袋 これは墨斎という、もしかしたら一休さんの息子じゃないかとも言われている一番弟子みたいな人が描いたやつなので、本人にいちばん近いんじゃないかと言われている肖像なんですけど、これが87歳。88歳で亡くなる前年ですね。このとき、やっぱり墨斎に、生きている自分の木像をつくらせ、自分の毛やひげを抜いたのを移植させているんですね。それが一休寺にあるものです。

浅田 真珠庵にもひとつあるけれど、いずれにせよ異様な迫力がありますね。そもそも、昔は絵でも彫刻でもリアリズムからは遠く様式化されたものが多いけれど、仏教で師から弟子に渡される頂相 [ちんぞう] という肖像だけは、昔から一貫してリアリスティックなんです。仏教は単に本を読めばすむ学問じゃなく、師と弟子の一対一の間身体的関係の中で伝えられるものだからでしょう。昔はリアリスティックに描けなかったのではない、意識して様式的に描いていたのだけれど、頂相だけはほかならぬその人のリアルな分身でないといけなかったんですね。(……)

  • 上の記事からの引用がたくさんあって、一気によむのが面倒臭かったので、いったんここまで。
  • そのあとしばらく「英語」を音読してから、ベッドにねころがりつつ最後まで読んだ。いくつかのぞいてあらためて引いておく。

浅田 ともあれ、はっきりした確証はないけれども、わび茶の創始者とされる村田珠光(真珠庵や虎丘庵の庭も彼の作とされる)も、一休に学んだと言われるし…。

島袋 そうそう。村田珠光は面白い人で、一休さんの弟子なんですけれども、居眠り癖のある人で、座禅をしたら悪気はないんだけど寝てしまう人だったので、「僕は修行したいのにどうしたらいいか」と聞いたら「濃いお茶を飲んだら起きていられるんじゃないか」と言われて、そこからお茶に入ったらしい。それが千利休まで続いていく。

浅田 もともと栄西が中国からお茶を持ってくるわけだけれども、明らかに眠気覚ましだったんだと思いますよ。そういう意味で実用的なものだったお茶を、「茶の湯」というアートに転換していく。一休のかけたスピンがそこで効いてくるとすれば面白いですね。

島袋 そうですね。とにかく一休さんは当時の芸術家にすごい慕われているんですよね。

浅田 足利義満に寵愛された世阿弥能楽を大成するんだけれど、その女婿の金春禅竹[こんぱるぜんちく]は一休に学んだと言われ、酬恩庵でも能をやったらしい。あるいは連歌師の柴屋軒宗長[さいおくけんそうちょう]も一休に学び、一休の死後は酬恩庵に住んで菩提を弔った。

島袋 どうしてなんだろうと少し調べてみたんですけど、能楽師とか連歌師というのは要するにフィクションに関わる人たち、言ってしまえば嘘をつく人たちじゃないですか。それは仏道に外れるんじゃないかという悩みが当時の芸術家にはあったらしいんですよね。それに対して一休さんは、いやいや、そんなことはない。フィクション、つまり嘘の中にも仏道はあるんだということをはっきり言った。それで当時の芸術家が一休さんの周りに集まったというふうなことを知りました。

浅田 さっきの大雑把な話に戻ると、15世紀の一休の後、16世紀に利休が出てきて、一休と同じ堺や大徳寺を舞台としながら、茶道具のみならず、書画や花、建築や作庭に至るすべてを含んだ茶の湯の文化をアート・ディレクターとしてつくりあげていく。またそれが現代美術にもつながっていくわけですよ。

島袋 僕もそう思います。だから、今日なんでこんな話をしているかというと、ヨーロッパとかで美術をやっていると、すぐ「始まりはデュシャン」みたいなことになるんだけど、僕は「始まりは一休さん」と言いたい。自分のコンセプチュアル・アートの始まりは一休さんだ、と。

     *

浅田 いまちょうど京都国立博物館雪舟の「慧可断臂図[えかだんぴず]」が出ていて、コレクション展示は空いているのでゆっくり眺められます。達磨が壁に向かって座禅しており、手前で慧可が弟子入りを願い出ている…。

島袋 達磨の後ろに立っているやつですね。

浅田 そう。だけど、慧可が手を出しているように見える、よく見るとそこに赤い線が入っていて、それは切断した腕を差し出しているのだとわかるんですよ。何度願い出ても、達磨は壁を向いたまま振り返ってもくれない。それで、自ら腕を切断して命がけの覚悟を示し、それでやっと入門を許される。そこで達磨が振り向く直前の場面が、太い輪郭線である種ブラック・ユーモアをたたえたマンガのように大胆に描かれているわけです。言ってみれば、作者の雪舟も、描かれたふたりと同じくらい過激にやろうとしている。そこには一休の激越さに通ずるものがあるんじゃないか。墨斎の達磨像も悪くないけれど、それと比べても雪舟のこの達磨像は破格ですよ。

     *

島袋 暑いときどうしていたんでしょうね、一休さん。そしてこれが「華叟の子孫、禅を知らず」。

浅田 華叟というのが師の華叟宗曇。

島袋 そして華叟の子孫というのは、18歳年上の兄弟子、養叟宗頤のことを言っている。あいつは禅なんかわかってない、「狂雲面前」、つまり狂った雲である自分の前で誰が禅のことを語れるんだ、30年間俺は肩の身が重いぞ、自分ひとりで松源以来の禅の伝統を背負っているんだぞ、と。松源というのは、華叟さんよりずっと前の代の師匠にあたる中国の僧です。一休さんはすごい自信満々の人なんですよね、俺にしか禅はわかっていないというようなことを言って。

浅田 宋に渡って臨済宗松源派の虚堂智愚 [きどうちぐ] から禅を伝えられた南浦紹明 [なんぽしょうみょう] (大応国師)が大徳寺なんかの禅の祖だ、その流れを汲む自分は虚堂の直系だ、ほかのやつらは形だけで本当の禅を継承しているとは言えない、と言い続ける。嫌なやつだよね。

     *

島袋 [一休宗純「七仏通戒偈」中、「諸悪莫作・衆善奉行」部分について]ここのかすれても気にしないところとか、いちばん最初の「諸」という字の伸びている感じとか。吉増剛造さんの書く「ノ」にちょっと共通しているところがありますね。

浅田 ただ、吉増剛造には一休の書の男性的な切断力はあまり感じないな。だいたい、吉増剛造はイタコみたいな詩のだだ漏れ状態になっていて、イタコを見ていると面白いという意味で若い人たち吉増剛造をキャラクターとして面白がるのはわからないでもないけれど、詩人としてはどうなのか…。

島袋 そうですか。僕にとっては尊敬する芸術家のひとりですが。(浅田さんの言葉で言うだだ漏れになるほどの日々の積み重ねみたいなものは僕にはやはりすごいと思えるのです。)

浅田 僕がマラルメ的な詩のパラダイムに縛られすぎているのかもしれないけれど、だだ漏れで溢れ出る生きた言葉の洪水を死の冷気によって凍結し数学的に構造化するからこそ詩が成立するんだと思うんですよ。詩でもアート作品でも、作者のキャラクターを超えたところで非人称の構造として成り立っていないとダメじゃないか、と。いずれにせよ、一休は全身で禅を生きた人だとして、だだ漏れではない、むしろ切断力の人だと思うな。

島袋 切断力。どういうことですか。切るということですか。

浅田 うん、切るということ。修行をしたこともするつもりもないからよくはわからないけれど、禅というのは一言で言えば切断でしょう。例えば、無心で庭を掃き続けていて、石がこつんと竹に当たったときに、ふと悟るとか。

     *

島袋 黄永砅[ホワン・ヨンピン]は1980年代半ばに、厦門(アモイ)だったかな、中国の地方で中国のダダイズムみたいなことをやっていました。彼も最初意識していたのはまずやっぱりマルセル・デュシャンジョン・ケージなんですよね。彼らに対してどう落とし前を付けるかみたいなことをやっていて、1989年にフランスのポンピドゥー・センターで開催されたジャン=ユベール・マルタンの『大地の魔術師』展に選ばれたことが中国国外に出るきっかけになった。で、そのまま亡命しちゃったんです。『大地の魔術師』展というのはすごく大切な展覧会で、僕がいまヨーロッパのいろんなところで活動しているのも、その展覧会があったからとも言えると思います。

浅田 まあ、そうでしょうね。

島袋 西洋人の現代美術と非西洋人の美術を初めて一緒に展示したと言われている展覧会で、すごく重要だと思うので皆さんもノートにメモして家に帰ってから調べてみてもいいものだと思います。
 当時天安門事件とかあったころですから黄永砅はもう帰りたくないと言って亡命した。いまもフランスにいて、ヴェニスビエンナーレのフランス館の代表にも選ばれました。

     *

島袋 あと、もうひとり、一休さんで思い出すのはデイヴィッド・ハモンズです。ハモンズは1990年前後に一気に有名になった、アメリカで最初の非白人アーティストのひとりだと思います。『大地の魔術師』展より少し後ですけれども。そのころ、片一方で黒人のアーティストにはジャン=ミシェル・バスキアがいた。バスキアというのはさっきの話でいう桃山文化みたいな人ですよね、どっちかといったらデコラティヴな。社交界とかああいうところで、いまでもたくさんお金出して買う人がいる。

浅田 グラフィティをうまくアートに持ち込んだ。しかし、他のグラフィティ・アーティストと違って、最初からアート・ワールドで通用する作品を目指したし、良かれ悪しかれ作品がうまく仕上がっている…。

島袋 いまでもバスキアはみんな知っているでしょう。その反対側にハモンズがいて、アメリカの黒人のアーティストからはいまでもものすごい尊敬を得ている人で、これ何しているかといったら、冬のニューヨークで、雪でつくった雪玉を路上で売っている。もちろん買ったところで、家に持って帰ったら溶けてなくなるし。でも、これって逆に言うと、いま僕たちは形がなくならないと思っていろんなものを買うけれど、何年か後には潰れてしまったりするだろうし、そういうのをニューヨークというすごい資本主義の場所であざ笑っているみたいなところがあると思うんです。この作品を僕が20歳ぐらいのときに知ったときは衝撃でしたね。
 デイヴィッド・ハモンズは90年代後半に日本にレジデンスで来ていたことがあるんですね。東京の青山にあったギャラリーシマダが招待して、山口県にしばらくいたことがあって、そのとき僕は偶然会う機会があって、少し話したりしたんですけど、そのとき名刺をもらったんですよ。今回思い出して、探したら見つかって、写真撮ってきました。

浅田 これは傑作だね。

島袋 神妙な顔して名刺を出されたんですけど、これ、僕だけじゃなくて、当時いろんな人に渡したのだと思います。日本に来ると、名刺交換ってすごいするじゃないですか。あれが彼にはすごい不思議で、ばかげたものに見えたんでしょうね。だから、「名刺」と書いた名刺をつくって、それを名刺交換のときに出している。これも彼のひとつの作品だなと思います。20年ぐらい前にもらったんですけど、きのうたまたま見つかって。裏返すと、「CARD」と書いてある。一応英訳もしているんです。

  • どこかのタイミングにHigh Five『Split Kick』をながしたのだけれど、ここの"Split Kick"、よいかもしれないなとおもった。ちゃんときいていないが、ドラムのLorenzo Tucciがなんかよかった気がする。そもそも"Split Kick"はArt Blakey Quintetが『A Night At Birdland』でやっているオリジナルの演奏以外、このアルバム以外でやっているのをまるでしらないのだが。この曲名をほかの作品で目にしたことがちっともない。ほかにだれかやってんの? とおもっていま検索したところ、おどろくべきことにStan Getzがやっているようで、『West Coast Jazz』というアルバムの音源らしきものがYouTubeにある(https://www.youtube.com/watch?v=RjlcI9kkPHY(https://www.youtube.com/watch?v=RjlcI9kkPHY))。Stan GetzShelly Manne、Leroy Vinnegar、Conte Candoli、Lou Levyというメンツらしい。ちょっと笑ってしまうというか、『A Night At Birdland』のイメージをもってきくと、これがおなじ曲かい、というかんじで、西海岸のクール派連中にかかれば"Split Kick"もこうなるのだな、と。これはクール方面とニューヨークのちがいが典型的にわかりやすい例になっているのではないか。Blakeyのやつはこれ(https://www.youtube.com/watch?v=ii57FytBQ74(https://www.youtube.com/watch?v=ii57FytBQ74))。

2021/5/8, Sat.

 美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をすることをやめられなかった。彼が賛同する政治的行動においても、その行動がとっている形式で、彼がときには醜悪または滑稽だと思う形式(粘りけのある形式)を〈見る〉ことなしにはいられなかった。そういうわけで、彼は脅しにはとりわけ不寛容であるから(その深層の理由は何だろうか)、国家の政治に見ていたのは、とくに脅しなのであった。脅しの人質がつねにおなじ形式のもとで増加してゆ(end256 / 257は図版)くと、彼はいっそう場違いな美学的感情によって、人質をとるという操作の機械的な性質にうんざりしてしまうのだった。人質操作は、いかなる反復もが被る不評に陥った。〈またか、もううんざりだ〉と。それは、良い歌のなかに現れるしつこいリフレーンのようであり、美しい人の顔に現れる痙攣のようであった。こういうわけで彼は、形式や言葉づかいや反復を〈見る〉という倒錯的な傾向のせいで、すこしずつ〈悪しき政治的主体〉になっていったのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、256~258; 「悪しき政治的主体(Un mauvais sujet politique)」)



  • 八時のアラームでつつがなく覚醒し、二度寝におちいることもなし。よろしい。しばらく脹脛をもんでからおきあがる。瞑想もおこなうことができた。この日は一一時から職場で他教室とのオンライン会議があり、あいだに生徒面談をはさんで夜は夜でまた会議。そのため、休憩がわりとあったとはいえ一日中職場にいてはたらくことになり、こんなに勤務先に滞在していたのははじめてだとおもう。出発前に「英語」の音読をいくらかこなしたが、帰宅後はやはりつかれてたいしたことはできず。David Robson, "Why arrogance is dangerously contagious"(2020/9/29)(https://www.bbc.com/worklife/article/20200923-why-arrogance-is-dangerously-contagious(https://www.bbc.com/worklife/article/20200923-why-arrogance-is-dangerously-contagious))をよんだくらい。めずらしく文をかくこともしなかったが、この日にかぎっては致し方あるまい。毎日かならず読み書きしなければならないという強迫観念はもはやすてた。
  • 往路はそれなりに暑かったはず。陽射しも多少あったか? 日中は曇り気味だったとおもうが。それでも気温は高かったが。最寄り駅にひとがおおかったはず。土曜日なので。
  • 職場にむかい、一一時から(……)会議。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)退勤したのは一〇時四〇分ごろだったはず。徒歩をとった。道中はだいたい会議のことをおもいかえしたり、(……)先生の印象をかんがえたりしていたとおもう。帰宅後はたいしたことをしなかったはず。とくにおぼえていない。

2021/5/7, Fri.

 (……)このように分析することは、「意味する」という動詞の語源を説明しているにすぎないのだろう。すなわち、ひとつの記号を作りだすこと、(だれかに)合図をすること、想像のなかで自分を自分自身の記号に還元すること、自分を記号に昇華することである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、252; 「意味作用には三つのものが(Dans la signification, trois choses)」)



  • 一一時前の離床に成功する。昨晩はやたら夜ふかししてしまったのだが、なぜかかえってややはやめの離床となった。瞑想はせず、水場にいってそのまま上階へ。母親は医者にいってくると。寝床のなかで事前に電話をかけているのをきいていた。(……)。こちらの食事は前夜のチキンのトマトソース煮のあまりと米。食事中に母親は出発。新聞一面から、緊急事態宣言が今月末まで延長されるみとおしで今夜正式決定とか、国民投票法改正案が今国会で成立するよう合意されたとかの記事をみた。CM規制などの問題は付則で成立後三年以内に検討し必要な処置をとる、と明記する条件で立憲民主党が今国会での成立に承諾したと。あと、社会面に、東京都の発熱相談センターへの電話がふえているとの情報も。一月ごろに第三波として感染が拡大したときにちかい水準まであがってきているとのこと。ゴールデンウィークで検査数が減っていることもあって感染者数はかならずしもそれにともなってはいないものの、これからまた拡大するおそれもあると。
  • 食器や風呂をあらうと帰室。もともと労働のつもりでいたところにとつぜん休みが降ってきたので気が抜けたのか、五時半ごろまでほぼベッド上でひたすらにだらだらしてしまった。コンピューターをもちこんでいろいろウェブをみていただけ。天気は起きた時点でよどんだ灰青色にくもっていたし、いつか雨も降ってきた。
  • 母親はでかけてからわりとすぐにかえってきて、話をききにいくと、発熱もないしその他嗅覚や味覚などのめだった症状もないし、たぶん通常の風邪だろうから、いまの時点ではPCR検査をする必要はないとおもう、もちろん不安なら受けることはできるが――仕事にかんしては、土日休んで様子をみてみて、それで体調が問題なさそうだったら来週からはたらきはじめてよいとおもう、という診断をくだされたらしい。まあ、大方そうなるだろうとはおもっていた。(……)
  • 五時半ごろ、上階へ。天麩羅を昼間にやったらしく、父親は今日も山梨に泊まってくるらしいので、あとはうどんでもあとでゆでればよかろうということだった。それでアイロンかけ。雨が降っている。窓外の色は淡い青さをはらみながらもひかりなくいろどりもなく、比較的こまかいようでしずかな雨がしとしとと宙をうめて地や草をぬらしている。シャツや母親のカットソーなどを処理しておき、食事はやることがすくないから母親にまかせることにして、うどんをゆでるとしてもあとでよかろうというわけで、室にかえった。六時。からだの感覚がぶれていたので、音楽をききつつやすむことに。Aretha Franklin『Aretha Live At Fillmore West』をなんとなくえらんだ。ヘッドフォンをつけて、ベッドであおむけに。Aretha Franklinをきちんときいたことは実はない。冒頭、"Respect"からして、ベースのいきおいがすごい。この一六ビートのはやさというか、ながれ方はすごいなとおもった。バックをやっているのはKing Curtisのバンドで、Chuck Raineyかとおもうようなベースのプレイだが、そうではなく、Jerry Jemmott。ドラムはBernard Purdie。オルガンBilly PrestonでギターCornell Dupreeとすごい連中だが、"Respect"をちょっときいたのみではやくも意識があやうくなって、そのあとしばらくおぼえていない。頭がはっきりしたのは、#7 "Dr. Feelgood"あたりだったはず。そのつぎの"Spirit In The Dark"はたぶん有名なはずで、ききおぼえがある気がする。Aretha Franklinってとにかく声がめちゃくちゃでているなという印象。もう単純にでまくっている。"Spirit In The Dark"の後半ではやいテンポになったところの演奏もすごかった。そのあとRay CharlesがくわわってReprise版というのもやっており、その途中で切りとした。おわりのほうはおきあがって柔軟も少々やっていた。
  • すでに七時ごろだったはずだが、だらだらしているあいだに昨日コンビニでかったドーナツを食っていたため腹が減っていなかったので、トイレにいってきてから音読をすることに。最近音読をそんなにやっていないのだが、やはり多少なりとも声をださないとなんだかすっきりしないというか、そんなかんじがある。昨日の労働もあまりうまくしゃべれなかったり、しゃべり以外でもうまくまわせなかったりしたし。それで音楽をバックに「英語」記事をよむ。Aretha FranklinのつぎはRichie Kotzen『Break It All Down』をながした。よみながら、手首をまげてのばしたり、ダンベルをもったりする。137から176までよんで、八時にたっしたので夕食へ。
  • うどんを鍋のスープにいれて煮込み、ほかはサラダや天麩羅を少々。夕刊には松岡和子訳のシェイクスピアが完結したとあった。ちくま文庫のやつだろう。一九九六年から二五年間、とりくんでいたらしい。もともとシェイクスピアなどむずかしいから翻訳するつもりはなかったが、舞台用に『夏の夜の夢』を訳す仕事をやったところ、蜷川幸雄がそれに目をつけて『ハムレット』を依頼し、以来、彼が一連のシェイクスピアシリーズを上演していたので、それにあわせて訳すことになったと。先行訳とちがってたとえばジュリエットがロミオに敬語をつかわず対等によびかけていたり、女優の口からはっせられたことばを女性がきいて腑に落ちるようにめざしたとのこと。ほか、朝刊の国際面を少々。香港で黄之鋒など三人か四人が実刑判決。昨年六月に無許可の天安門事件追悼集会に参加した廉。公安条例違反との由。黄之鋒は一〇か月の禁錮で、ほか二人だか三人は区議会議員だというが、四~六か月の禁錮で議員は失職することになる。黄之鋒はすでにふたつの事件で実刑をくだされて服役中で、これで刑期がさらにながくなると。イスラエルではネタニヤフが組閣を断念し、大統領が野党第一党になったなんとかいう中道政党のリーダーに組閣を要請したと。ネタニヤフ派でも反ネタニヤフ派でもない、ネがついて三文字だったとおもうが、なんとかいう右派政党の選択が焦点になりそうだとのこと。ほか、フェイスブックは一月の米連邦議会議事堂襲撃事件をうけてドナルド・トランプのアカウントを無期限停止していたらしいのだが、その判断を審理する独立審査委員会みたいな組織があるらしく、停止を支持したと。ただし、無期限というのはあいまいで根拠のないものだから、はやいところ改善する必要があると。この委員会は世界中の有識者から構成されているというのだが、設置主体はふつうに米国政府なのだろうか。ドナルド・トランプTwitter社によってもアカウントを停止されているわけだけれど、自身のホームページに「ドナルド・トランプのデスクから」とかいうコーナーをつくってそこで情報発信しているらしく、SNS企業が大統領の言論の自由をうばったのは真実をおそれているからであり、連中の会社は極左によって腐敗している、みたいなことをいっているもようで、あいかわらずである。言論の自由を楯としてクソ馬鹿がクソ馬鹿なことをおおっぴらにおおやけにいってもなんの責任もとらずにすんでしまう世になってしまったというのは、実になやましい。大統領が発信をふうじられて、その大統領自身で「言論の自由」をもちだし、大統領職にある人間の「言論の自由」が問題化されるなんていう状況も、相当に異常ではあるのだろうが。
  • 食事をおえると、ドーナツのせいであまり腹が減っていなかったために満腹だったので、風呂にはいるまでちょっと時間をおくことにした。それで母親のぶんもまとめて食器をあらうといったん室にかえる。そこで今日のことを途中まで書き、九時一五分かそのくらいで入浴へ。風呂はやはり暑く、湯のなかで静止しようとしてもなかなかながくできない。窓をもっとあければよかったかもしれない。すこしだけあけていたのだが、するとほんのりとしたすずしさが、鼻のあたまとか額のあたりに、まれにゆらいではきた。浸かりながら、単純な話、もっと心身を成熟させるというか、毅然と立つ力をもちたいなとおもった。柔軟な強靭さを。
  • 風呂を出たあと、部屋にもどると、歯をみがきながら2020/5/7, Thu.を読む。夕刊の音楽情報に、Shohei Takagi Parallela Botanica『Triptych』があったらしい。口をゆすいでくると、「記憶」もいくらかでもよんでおきたかったので、『Solo Monk』をうすくながしてまた音読。Newsweekの記事からの引用で、太平天国の乱について。449から452まで読み、たぶん二度の音読のあいだにダンベルをもっていたからだとおもうのだが、なんだか疲労感があったのでいったんベッドへ。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をよみはじめたのだけれどどうもねむいのですぐにやめて、また音楽につつまれながらやすもうとおもった。Kendrick Scott Oracle『Conviction』。きちんときいてみると、よくこんなアンサンブルできるなとおもう。サックスとベースとギターでそれぞれリズム感というか、単位とか開始位置がずらされていて、パズルをはめあわせるみたいになっており、いちおうドラムがいちばんベースとなって統括してはいるのだとおもうが、これでふつうにこともなげにつづけていけるのだなあと。とりわけベースが、冒頭の"Between Yesterday And Tomorrow"もそうだし、ほかの曲でもおりおりよい仕事をしていた印象。といってもまただいたい意識をあいまいにしてしまっていたのだが。このベースはJoe Sandersだったはず。#6 "Cycling Through Reality"あたりで復活し、#7 "Conviction"の途中まで。
  • その後おきあがり、今日のことをここまで加筆。いまは零時四〇分。ついさきほど(……)さんからメールがきて、職場からのメールではZOOM参加とおくってしまったが、検査不要の判断がでているなら出勤して問題ないので、職場まできてくれとあった。こちらとしてはもう完全に、明日はオンライン参加で、ふたつの会議のあいだの面談同席もなくなったものとおもっていたので、油断をつかれた感じだが、まあ仕方がない。朝から晩までがんばろう。
  • そういうわけでこのあとは、六日のことを断片的にメモしたり、だらだらしたりしたあと二時すぎに就寝。八時にはおきるつもりだったので、さすがにこのくらいに寝ないときつい。

2021/5/6, Thu.

 (……)想像してみる(ひとつの想像にすぎないのだが)。〈わたしたちが語っているような、わたしたちが語っているものとしての〉性欲とは、社会的な抑圧、人間の悪しき歴史の産物、つまり文明のひとつの結果なのである、と。そうすると、性欲、〈わたしたちの〉性欲は、社会的な解放によって、免除され、失効し、破棄され、〈抑圧のない〉ものになるかもしれない。「男根」は消えうせた、と。わたしたちは、昔の異教(end249)徒のように、男根を小さな神にすることになるだろう。物質主義は、ある程度の性的〈距離〉をおくことによって、性欲を言述の外へ、学問の外へと、〈にぶい〉失墜をさせるのではないだろうか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、249~250; 「性欲の幸福な結末か(Fin heureuse de la sexualité?)」)



  • 一一時一八分の離床。いちど九時前くらいにはっきりとさめたのだが、チャンスをつかめず。滞在は七時間弱。今日は晴天で、空気もなかなか熱をもっているようす。おきあがって水場に行き、もろもろすませてもどってくると瞑想。からだの感覚がおきた瞬間からかなりすっきりしていて、すわるのも楽だった。労せずしてとまることができる。窓をあけたが、外では鳥の声がたくさんあつまっていて、ピヨピヨと、川の浅瀬をぱしゃぱしゃはねさせるみたいな鳴きがかさなっている。しばらくすわってからまたきいたときにはしかし、ピヨピヨいう連中はどこかにいって、べつのリズムの鳥にかわっていた。風がいちどおおきく生まれて、あたりの草木を鳴らし家にあたってきたときがあったが、それでもなぜか部屋内にまではほぼはいってこず、肌に触れず、かんじられるのは肌からすこしだけはなれたところの空気がわずかにすずしくされたことだけ。
  • 一一時二八分からだいたい二〇分。上階へ。テレビはまだつかないらしく、タブレットで番組がながされていた。ジャージにきがえ、髪をとかし、食事。麻婆豆腐ののこりなど。今日は新聞が休みで、昨日の朝刊をまたよんでもよかったのだが、たまにはなにもよまずに食事するかとおもってよまず。タブレットのちいさな画面のニュースをみたり、外のあかるい空気に目をやったりしながらものを食べる。(……)さんのおばあちゃんに会った、と母親はいったが、(……)さんの家におばあちゃんなる存在がいたのは知らなかった。奥さんしかわからないのだが、その母親ということだろう。実母か義母かしらないが。もうけっこうな歳ではないか。ほか、あんな材木なんかもってきてどうするんだろうっておもうよ、余計なことしなければいいのに、畑をいろいろ加工して、将来うごけなくなったらどうするんだろう、と、いつもながらの、父親がものをふやしたりなんだりすることにたいしての懸念と文句。
  • 食器をかたづけ、風呂もあらう。今日からまた労働。三時には出る。連休がおわるのは不幸だが、連休といってめっちゃ休んだな、とか、遊んだな、とかいうかんじはない。労働があろうがなかろうが生活がだいたいかわらないので。精神的な余裕はやはり多少は弱まるが。とはいっても、わりあいおちついてはいる。部屋にかえってくるとさっさとNotionを準備し、昨日のことを記述して投稿。それから便所に行って腸をかるくし、もどって今日のこともここまで記録。一時二〇分にたっするところ。
  • 出発まではだいたいヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をよんでいたはず。三時すぎに道へ。今日は徒歩をとる。家をでてちょっといくとみちばたにカエデが一本たっていて、いまはむろんわかい緑の、さわやかないろを梢全体に、みなぎらせるというほどの力感はなくしかしたたえているのだが、そのおくから鳥の声がきこえてたちどまってみてみるものの、すがたはみえず、だがまもなくとびあがってべつの枝にうつりながら声をよりおおきく散らすのがあらわれて、ヒヨドリだった。坂道にはいってのぼっていくと、ここでも、最寄り駅につうじるほうの坂に散っているのをみたあの青紫の花びらがあしもとに散らばっているのを発見し、それをみているうちに、単純にこれはフジなのでは? とおもった。ライラックかとおもっていたが、時期がちょうどフジの咲いておちるころだし、最寄り駅のむこうの丘にもたくさん生えているようだし、そのへんにもふつうに自生しているのではないか。気候は暑い。むろん暑いだろうとおもってはいて、ジャケットは不要だともわかっていたが、いちおうかえりが肌寒いかなとおもってきてきたそれを脱いで片手にもってすすむ。街道をいきながら、ツバメのすがたが、チャクラムみたいなかんじで曲線をえがきながら宙をまるく切っていくあの鳥がまだみられないなとおもった。毎年五月になれば車道の上をとびかっているのがみられるのだが。
  • 裏通りにはいってすすむ。途中で小学生のまだまだちいさな男児があらわれた。どこかの家からでてきたのだったはず。ジャージというかジャンパーというか、運動着的なすがたでリュックサックをせおっているのだがそれが彼のからだからすればおおきなもので、背はおおいつくして腰の下までひろがっており、しかし男児はそれを負いながら、やはりおもいようでまたすわりがきになるのかおりおり首をかたむけたりせおいなおしたりしつつも、まっすぐまえを向いて毅然としたようなすがたでてくてくと、しっかりした足取りであるいていく。こちらよりよほどはやくて、こちらはマジでたらたらあるいているので、距離はどんどんはなれていく。そのうしろすがたをみながら、もう立派に人間だなとおもった。当然のことだが。彼はマスクはつけておらず、右の手首かどこかにとめるかなにかしていたようだ。しかしあれではあの子もかなり暑かっただろう。
  • 駅前のコンビニの横までくるとツバメがあらわれた。ロータリーでもすばやく宙をわたってビルのせまい階段口にとびこんでいったり、(……)の店舗の軒下にやどってピーピー鳴いたりしているのがみられる。職場にいって勤務へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路もあるいた。勤務がうまくいかなかったこともあってか、むなしさや疲労感や、もやもやするようなこころもちがきざしており、生きるの面倒臭えなとおもっていたのだが、あるいているうちに去った。それなりにながくあるいていればそれだけでやはり多少気分は晴れる。わすれていたが、今日が母親の誕生日なので、かえりにコンビニに寄って甘味のたぐいなどを買ったのだった。今日が母親の誕生日だということをいわれるまで完全にわすれていたが、それならまあいちおう買っていってやるかということで。ほかにコーラや即席の味噌汁なども購入。それで袋を提げた夜道だった。
  • 父親は今日も泊まってくると。帰宅後はやすんで食事。夕食時に母親と議論でもないが、こちらが彼女の言動や考え方などを批判もしくは非難する展開になった。主題は目新しいことではなく、毎日毎日父親がはたらくようにと愚痴をもらしていることとか、彼の自由とか心情をまったくかんがえていないこととか、「終わったひと」とか言っていることなどについてだ。こちらが母親の愚痴傾向とか世間依存的メンタリティとか自己相対化能力の欠如とかにいらだって文句をいうということはおりにふれてあるのだが、そうしても結局母親のそうした性質が変わることはなく、一日くらいは多少気をつけるのかもしれないが二日後にはもとにもどっているので、そういうやりとりをしたときには毎回徒労感が立ち、いらだちを他人にさしむけることの大人気なさにもみずから嫌になって、不毛だからもうやめようとまえはおもっていたのだけれど、この日はもう、不毛でもまあいいかなという気になった。母親は結局そういう人間で、そこから変わっていく力もないし、こちらがそれを変えようというほどの意欲も気概もこちらにはないし、たぶんこの先同居をつづけるかぎりはいらだちの種がつづき、ときには我慢しきれなくなって文句をつけるということがあり、そこでまた不毛さが生まれるのだろうが、まあそれでもういいかなというかんじになった。もうそのときの自分の気分にまかせようと。それほどのことではないと鷹揚にながせればそれでもよいし、そのときものをもうしたくなればそうすればよいし、不毛だからやめようとおもえばそれでよいし、言った結果不毛であってもそれでよい。自分の考えとかかんじたこととかを、言語化するにせよ言語化しないにせよ、自分自身であまり明確にとらえられない人間はいくらでもいるし、ことばをつなげることでかんがえを確認したり構築したりする能力にとぼしい人間もいくらでもいるし、母親はそのうちのひとりで、なにをいってもしかたがないなということはある。それはそれで強圧にもなるわけだし。ことばや理屈でもっていくら丁寧に説得しようとしてもしょうがない。そういう相手をもし変えようとするならば、なにかべつのアプローチをとらなければならない。それに、これがなんか人命にかかわるとか、自分がゆずれない大義に抵触するとかならべつだろうが、多少こちらが不快になるだけのことなので、ほうっておいても特に問題はないだろう。
  • 母親と不毛なやりとりをしたことでまたもやもやした気分がちょっと生まれていたが、風呂に浸かっているうちに去った。不快事があってもまえとくらべてその残滓がすぐに去るようになっている。これはたぶん瞑想を習慣化したためだろうとおもう。あとは、瞑想もふくめて以前よりも心身の調子がととのっていて余裕があるので。
  • 二時すぎ。過去の日記のよみかえし。昨年の五月六日ぶんをよんだあと、一月九日も。冒頭の引用はマダガスカル計画について。ドイツではなくて、ポーランドとフランスから話がはじまっているというのが重要とおもわれる。「移住させる」とか「送る」の内実がどんなものだったのかも気になるが。

 ルブリン居留地計画の挫折のあとクローズアップされてくるのがマダガスカル計画である。当時フランスの植民地だったマダガスカル島ユダヤ人を移住させるという計画は、すでに一九三七年にポーランド政府によって検討されており、一九三八年一二月にはフランス外相ボネがドイツ外相リッベントロップに、フランス政府は一万人のユダヤ人をこの島に送る考えをもっていることをつたえている。この計画はドイツ政府部内でも多大の関心を呼び、ヒトラーも一九三八年秋にポーランドハンガリールーマニアとの協力によるユダヤ人移住計画に同意した。ゲーリングは一九三八年一一月一二日の会議で、ヒトラーマダガスカル島計画に興味をもっていることを明らかにした。
 しかしながら、ドイツにおいてこの計画が具体性を帯びてくるのは、一九四〇年六月、ドイツが対仏戦に勝利してからのことであった。ヒムラーはすでに一九四〇年五月二八日、ヒトラーポーランド支配に関する覚書を提出して、「すべてのユダヤ人をアフリカかその他の植民地に移住させる」ことを提案していたが、ヒトラーはこの覚書を「非常に素晴らしく、適切である」と評して、これを承認した。ドイツ外務省参事官ラーデマッハーは六月三日、マダガスカル計画の覚書を作成して提出した。この計画はただちにヒムラーの熱心な支持をうるところとなった。ラーデマッハーはハイドリヒのすすめにしたがって、アイヒマンの助手のダンネッカーの協力をえて、八月一五日に第二次案を作成した。
 この計画によれば、ドイツはフランスとの講和条約においてマダガスカル島を割譲させ、ここに四百万人のユダヤ人を移住させることになっていた。同島は、ヒムラーに従属する「警察総督」の支配下に、ユダヤ人の自治が行なわれる保護領になるはずであった。ただ、大戦下にこのような大計画を実行することは不可能だったから、これは一九四二年半ばと予想された大戦の終結を待って実行されることとされた。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、40)

  • 2019/1/9, Wed. から引いている記述を、二年越しでまた引いておく。「新聞を取ってきて、記事を読む。上にも記しておいた、「黒人社会 白い肌に生まれ 根強い差別 正しい理解訴え」である。南アフリカで生まれたアルビノの女性の苦境が語られたものだが、いい加減に人類は肌の色で他人を差別することをやめるべきだと思う。しかし、アメリカで黒人が差別されるのと同様に、黒人が多数派のところでは肌の白い人が抑圧されるわけで、どこであれ人間はマイノリティを自ずと迫害する心性、傾きを持ってでもいるのだろうか? 「国連によると、アフリカの28か国では過去10年間、アルビノに対する襲撃事件は600件を超えた。タンザニアマラウイなどでは、アルビノの骨や臓器に魔術的な力があるとの迷信があり、臓器を抜き取られる事件が相次ぐ」と言う。この世界はガルシア=マルケスの小説ではないんだぞ、と言いたくなる」。一年前の2020/1/9, Thu.ではこれにつづけて、「「どこであれ人間はマイノリティを自ずと迫害する心性、傾きを持ってでもいるのだろうか?」という疑念は、一年後の現在も変わらない」といっているが、二年後のいまはそれが「疑念」ではなくて、ほぼ確信にかわっている。
  • 「道を進みながら脳内で、僕は毎日文を読んで文を書かなければ生きていかれない、そういう病気なんですよ、と誰に向けるわけでもなく言い訳をした」とあるが、こんな言い方はきどっていてあまりよろしくない。毎日読み書きをしなくたってべつにじぶんはふつうに、あるいはふつうにとはいかなくともそれなりには生きていけると、いまではおもっている。そのあとにあるつぎの風景描写は、大したものではないがわるくない。「道中、満月が常に東の途上に漂っていた。裏路地を行くうちに空の青さは幾分濃くなって、月の光も清かに際立ってくる。自動車整備工の向かいの空き地には水溜まりが小さくひらき、それは端的な、透き通った鏡で、暮れ方の空を薄墨色に染めながらひどく明晰に映しこんでいた。ゆったりと鷹揚に歩いていき、(……)裏の辺りまで来ると空の色はさらに深まって、月の表面は白々と艶を帯び、その周囲の青は丘の際まで乱れなく空間を埋めており、気体と言うよりは固体を隙間なく詰めこんで空を密閉したかのようである」
  • 完全にわすれていて、六日の記事をもう投稿して七日の記事も投稿しようとおもって冒頭をよんだところでおもいだしたのだが、この夜、帰宅して玄関をはいるとともにトイレからでてきた母親が、検査受けたほうがいいって、みたいなことをつぶやき要領のえないことをいったのだが、つまり、この夜にロシアの兄夫婦と通話したところ、(……)さんがコロナウイルスにかかったときも熱がなかったから、検査してもらったほうがよいという助言をもらったのだと。母親はここ数日、喉の調子がわるくて声が嗄れたりしていたのだ。こちらもコロナウイルスではないかと口にはだしておきながら、ふつうに風邪だろうとおもっていたので検査を受けるようにとか口出しはしていなかったのだが、それならばとスーツ姿のままソファについてタブレットで、PCR検査はこのへんだとどこで受けられるのかと検索した。役所のホームページをみるに、まずはかかりつけ医にいってそこで必要ならば検査できる施設を紹介してもらってくれ、あるいはかかりつけ医がなければ東京都発熱相談センターまで電話を、とあったのでその旨つたえて帰室したのだった。で、母親がコロナウイルスをうたがって仕事をやすんで医者にいくとなれば、こちらも職場につたえておかないわけにはいかない。それなので職場に電話すると、こんな時間なのに(……)さんがまだのこっており、電話も転送設定していないままだったようで、なんとなくそうではないかとおもってこちらも携帯ではなくて職場にかけたのだったが、それで事情を説明し、ひとまず翌日は休みとすることになった。

2021/5/5, Wed.

 列車で、わたしのコンパートメントに、若い二人づれが席をとる。女性はブロンドで、化粧をしている。大きな黒いサングラスをかけ、『パリ・マッチ』誌を読んでいる。ぜんぶの指に指輪をはめ、両手のそれぞれの爪に隣の指とは違う色のマニキュアをつけている。中指の爪はほかの指よりも短く、濃い赤色で、マスターベーションの指であることを下品に示している。そうしたことから、その二人づれがわたしの心をとらえて目を離せなくしている〈魅惑〉について、わたしは一冊の本を書こう(end247)(ひとつの映画を作ろう)と思いつく。そのように二次的な性欲の特徴しか見られないような(ポルノ的なものは何もない)本である。そこでは、それぞれの身体の性的な「個性」がとらえられることになるだろう(とらえることが試みられるだろう)。その個性とは、美しさではなく、「セクシーな」雰囲気ですらなく、それぞれの性欲がただちに読みとられるようにしているその方法である。というのは、爪に下品なマニキュアを塗った若いブロンド女性と若い夫(ぴっちりしたズボンをはき、優しい目をした)は、自分たち二人の性欲を、レジオン・ドヌール勲章のように、ボタン穴にかざっていたのである(〈性欲〉と〈威厳〉は、おなじように誇示される)。その〈読みうる〉(ミシュレならかならず読みとったであろうような)性欲は、抗しがたい換喩の力によって、媚をふりまくよりもずっと確実に、コンパートメントに満ちていたのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、247~248; 「性欲についての本の計画(Projet d'un livre sur la sexualité)」)



  • 一一時まえに覚めることができた。二度寝にもおちいらず、こめかみをもんだり頭を左右にころがして首をのばしたりしてから一一時一四分に離床。滞在も七時間未満となったのでよろしい。肩をぐるぐるたくさんまわしながらコンピューターをつけておき、水場へ。洗顔とうがいと小用。もどって今日は瞑想もおこなった。すわってすぐ、雨の気配というか、雨がくるのではないかという予感をおぼえた。窓の外にきこえるウグイスの音の響き方にそうおもったようだが、そもそも窓ガラスが閉じていてそんなに明瞭にきこえたわけでもないのだが。響き方で天気を読めるほどの感覚がこちらにあるともおもえないのだが。しかしそれからちょっと窓をあけてみると、たしかに鳥たちの声はけむいような、こもったような響き方をしているようにきこえて、大気がやや水っぽいような気がしないでもない。天気はむろん曇りだった。ウグイスはたびたび声を放ち、ときおりヒュルヒュルと錐揉み状に狂い鳴く。ほか、ヒヨドリの声が、木枝にたくさんついた果物の房のようにきわだって響くときがある。
  • 一一時二一分から四七分まで。上階へ。ジャージにきがえる。母親は、片づけの途中でいまつかれたから中断してやすんでいたところだという。たしかに卓上がふだんとかわっていた。食事は前日のあまりもの。炒めたものや味噌汁など。おたまがないとおもったら台所も配置をかえて、調理器具のたぐいをいぜんは台上というかコンロの脇においていたのを、足もとの戸棚のなかにしたという。取るためにしゃがまなければならないので、それはちょっと面倒臭いが。それで食事。新聞は国際面、エチオピアの内戦が悪化しており、残虐行為が横行しているとの報。アビー・アハメドという首相が、北部ティグレ州の勢力、ティグレ人民解放戦線みたいな名前の組織を相手に掃討をはじめてから半年だと。エチオピアはいろいろな民族が各地にいてその勢力と中央政府とのあいだでけっこう対立があるようだ。ティグレ人は前政権で支配力をもっていたのだが、アビー・アハメドが中央集権的な政府をつくったことで排除されて敵対しているもよう。アハメドは隣国のエリトリアとの水問題を解決しただかなんだかでノーベル平和賞をうけたのだが、そのエリトリアの軍もエチオピア中央政府を支援してティグレ州を攻めており、政権としては最初はティグレ人民解放戦線の幹部連中だけをたおして平定したかったところが、そしてじっさい州都も占拠したらしいのだが、その後もゲリラ的な闘争がつづき、くわえてエリトリア軍の連中が一般民衆の虐殺とかをやるようになって、いまや状況は完全に地獄のような泥沼におちいっているという。エチオピアは人口一億二〇〇〇万人ほどでアフリカ第二の規模と記事中にあったとおもうが、日本とおなじくらいの人口で二位なんだなとおもい、アフリカってもっと人口のおおいイメージがあったんだが、とおもったが、それはたぶん二次大戦後に人口爆発したという教科書的な知識でそうおもっていただけのことだろう。よくかんがえたら、世界の人口のおおい国でアフリカの国の名をみた記憶はたしかにない。一位がどこなのかしらないが。
  • もうひとつ、スコットランドで議会選がちかくあるらしく、独立をめざす与党が過半数をにぎるかが焦点だと。党首はニコラ・スタージョン。定数は一二九だったか一三〇ほどで、予想では六五議席から六八議席くらいを与党がとるといわれているらしいので、ちょうど過半数くらい。単独過半数をとれば与党は独立を問う国民投票をおこなう見込みだが、英国のボリス・ジョンソンは独立も国民投票もみとめない方針。前回の国民投票では独立反対が上回ったらしいのだが、イギリスのEU離脱を経たいまだし、もし国民投票がおこなわれたらふつうに賛成派が勝利するのでは、という気もする。あとはアメリカのニュースで、バイデンが難民認定上限を増やす方針と。ドナルド・トランプが一万五〇〇〇人だかに設定していたのをもともと一二万五〇〇〇人だかに引き上げると二月の演説で述べていたらしいのだが、共和党の反対にあって四月中旬に据え置きを表明していたのを、それからあまり経っていないがここで六万人規模まであげることを発表したもよう。民主党左派が批判してせっついたらしい。
  • 食事を終え、食器を洗って処理し、風呂洗いへ。浴室にはいるまえ、洗面所で屈伸をゆっくりくりかえして脚をほぐす。それから風呂場にはいって、ブラシで各所をこする。出ると部屋から急須をとってきて茶を用意。母親にきいたかぎりでは午前中には雨は降っていないようだが、南窓のむこうの空気は平坦に灰色がかっているし、あかるさがなく、すでに大気が濡れたような質感にもみえ、雨がちかい気がする。緑茶をもって帰室し、コンピューターを用意して、茶を飲みながらウェブを閲覧。さっさと日記を書くつもりでいたのが、けっこうながくネットサーフィンをしてしまった。連休が今日までで、明日からまた労働なので、目をさました瞬間から焦りが精神のうちに忍び込んでいるのを感じていたが。ベッドで脚をほぐしたりもしつつ二時くらいまでだったか。その後歯を磨き、今日のことを記述。ここまで書くと三時をまわっている。やたらながくなったが二日の記事はきのう終えて、あとは三日と四日を書けば今日に追いつくので、たぶん今日中にしまえるのではないか。
  • じっさいその後、前々日、前日とつづって完成した。投稿。それでもうほぼ五時だったのではないか。上階に行くまえに、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をバックにスクワットとダンベルをかるくやる。結局からだをうごかして筋肉をあたため、血のながれをよくするのがいちばんだ。肉体がととのえばおのずとやる気も出る。そうして上階に行くと、いつもどおりまずアイロンかけ。父親はもう一晩、山梨に泊まってくるらしい。その父親のズボンやエプロンなどを処理し、台所へ。麻婆豆腐にしようとのこと。それに汁物やサラダののこりもあるし、母親が買ってきたサーモンの刺し身などもあるのでそれで充分。こちらがトイレに行っているあいだに母親が肉やエリンギをこまかく切っていたので、それをフライパンで炒める。しばらく炒めて素をパウチからしぼりだし、豆腐もくわえてふたたび加熱。汁気がすくない気がしたので、酒と味醂を入れることに。足して、ちょっと煮込めばそれで完成なので、今日の仕事は楽だった。はやばやと下階にもどると、六時前だったはずだが、今日もまたギターを弾く気になった。隣室にはいって、今日はAブルースはたいしてやらず、すぐに昨日とおなじく"いかれたBABY"の進行で裏打ちのバッキングを反復する機械と化した。三〇分はやっていたとおもう。ふだんそんなに習慣的に弾いていないので、右手の薬指がたびかさなる弦との接触で痛くなった。きのうから集中的にやっているし、このバッキングはそこそこなじんできた感はあるが、とはいえまだまだ。ほか、アルペジオもやり、Eブルースであそびもし、あとOasisの"Married With Children"もちょっと弾いたが、これも練習したいのだけれどあまりジャカジャカおおっぴらにやっているとけっこう音がおおきいのでやや気がひける。この先気が向くようだったら、週末などに街に出てスタジオにひとりではいって三時間くらい弾く機会をつくる生活にしてもよいだろうが、そこまでの余裕はない気がする。
  • 終盤、またバッキングをくりかえし弾いているうちに部屋が真っ暗になっていた。自室にもどって携帯をみると、六時五九分。夕食へ。品々をよそって卓へ。テレビはアニメ制作のじっさいの現場を紹介して、どういうふうにアニメがつくられるのか話をきく、みたいなことをやっていた。けっこうおもしろくてたびたび目をむけていたのだが、母親はしかしなんかつまらないねといって、番組をかえようとしたところ、なぜかテレビが消えてつかなくなってしまった。こちらはべつにテレビがつかなくてもこまらないので、電池がなくなったんじゃない、とか、ケーブルがとれてんじゃない、とか適当にいい、母親にまかせようとしたのだが、いっこうに回復しない。それでこちらもちょっとケーブルをみたりいじったりしてみたのだけれど、やはりつかないので、俺の知ったことではないとほうって椅子にもどり、新聞を読んだ。中露が宇宙開発で協力して米国に対抗するうごきをみせているとの記事。国際宇宙ステーションというやつがあり、日米欧露などの宇宙飛行士がおとずれて実験をしたりしている施設で、それは二〇二五年以降どのように運用されるのかが決まっていないらしいのだが、ロシアは二五年以降の撤退を表明しているらしい。つまり、米国への協力をしなくなるということで、一方で中国は独自の衛星をうちあげたり、また独自の宇宙ステーションを着々とつくりあげているらしく、それは「天宮」という名前のもので、その中核施設である「天和」というやつが四月二九日だかにうちあげ成功して、それをいわう会見のなかで習近平が宇宙強国への意欲をあらわに表明したらしいのだけれど、ロシアは中国を支援する見返りとして資金提供をしてもらえるようもくろんでいるようなうごきがあるとか。母親は、テレビがないとつまんないね、しずかすぎて、といい、タブレットYouTubeでもみるかといって、昭和の名曲みたいな動画をながしていたようだ。この曲知ってる、ときかれたのが竹内まりやで、竹内まりや自体はしっているものの、その曲は知らなかったのだが、それが"駅"というやつらしい。たしかに昭和、というかんじの、歌謡曲的な哀愁みたいなトーンなのだが、あの昭和風哀愁みたいな雰囲気はいったいなんのコードとなんのスケールでかもしだされるものなのか? どうもキーからみて三度のセブンスとかがつかわれているような気がしたのだが。つまり、マイナー調のルートに収束するドミナントというか、ようするにハーモニックマイナー的な、半音下からルートに解決するうごきがおりにはらまれているようにきこえたが、それだけでああいう雰囲気が充分にでるわけではないだろう。そのあと母親は、玉置浩二のベスト音源みたいなものに動画をうつしていたもよう。こちらは食事をおえて皿を洗い、入浴へ。湯のなかで静止。しかし、最近は気温も高めだし湯にはいっていても暑くて、なかなかうまくながくとまれない。窓外には虫の声が、薄い網のように空間に敷かれて宙をおおっており、ときおり風が走るらしく林の樹々が持続音でひびくのもきこえるが、なぜか浴室内にまでは風ははいってこない。
  • 出ると九時前。カフェオレをつくって帰室。最近はカフェオレをちょっと飲んでいる。LINEで、今日のWoolf会はふつうにやりますかときいておいたのだが、けっこうみんないそがしいらしく、休みにすることになっていた。了承し、ベッド縁にうつってコンピューターを前に一服したのち、今日のことをここまで記述。一〇時。
  • ベッドにねころんで脚をほぐしながら書見。あいまに腹筋とかブリッジもちょっとはさむ。本はヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をひきつづき。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をすすめる。ベルリンの各所の地名や施設や通りの名などがでてくる。ベンヤミンの記憶のなかからベルリンという都市のイメージが、むろん断片的にではありながらも、たしかにかもしだされてくるような気がする。だれも、みずからの都市についてはみずからの地図をもっているもののはずで、その地図にしるされている固有名詞のうえには、それぞれの人間にとって、おおくの場合他人とはかならずしも共有可能でない固有のいろどりが置き塗られているがゆえに、その固有名詞は二重の意味において固有の名前となるのだろうし、そのようにしてひとのもつ都市の地図は総体として無二の色彩にかざられた絵画となるのだろうが、そういうことはわりとよくあるテーマではあるものの、やはりおもしろいし、ベンヤミンのなかにもこの無二の地図がたしかにあるんだなあというかんじはつたわってくる。主題としては、家の外の、まちなかの通りや施設や外空間のことと、家のなかのことと、あとはエピソードふうのもの、というくらいにだいたいわけられるか? ベッドのなかにいるときの記述がけっこうおおいような印象で、それだけが要因ではないが、プルーストをおもいおこさせるようなかんじもときにないではない。ベンヤミンはまさしくプルーストを訳していたらしいのだが。出自としても、ベンヤミンブルジョアのうちでもたぶんかなり金持ちのほうの生まれだったようで、ベルリンのなかの高級住宅地を何度かうつって住んでいたようだし、叔母とか祖母とかの話とか、クリスマスのパーティーの話とか(もっともこれにかんしては、直接連想されたのはプルーストではなく、ジョイスの『ダブリナーズ』の最後にある「死者たち」のほうだったが)、生育環境や所属していた社会環境としてもかなり共通的なのではないか。
  • 書見を切りとしたのは一一時台後半だったようす。それから歯磨きをして、上の一段落を加筆。2020/5/5, Tue.をよみかえすことに。「陽の光と雨と風とは、この世でもっとも完全な平等主義者である」とのこと。シェイクスピア福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)を読了していて、中村保男というひとの解説文を、けっこうこまかく部分ごとにとりあげながらけなし、けちをつけている。具体的な分析にもとづかずあいまいで漠然とした言辞でとにかく褒めちぎるような、ようするにあまり質のよいとはいえない印象批評みたいなかんじだったようだが、いちいち解説中の文を引いてはとおまわしに文句をつけているので、よくこんなどうでもよいというか、面倒臭いことに時間をつかおうとおもったな、とおもった。中村保男も、「特にシェイクスピア劇には、作品を分析し比較すればそこはかとなく消えてしまう何かが多分にある」(284)といっているし、訳者の福田恆存も解題で、「翻訳不能の原文の美しさを別にしても、『あらし』の様な作品について、吾々はどうしてその感動を語り得ようか。何かを語れば、作品そのものの、そしてそれから受けた感動そのものの純粋と清澄とを穢[けが]さずには済まされまい」(280)とのべているらしいのだが、この、すばらしいものについてことばをついやせば、それだけそのものをよごし、そこない、おとしめてしまう、というような発想・観念・かんがえかたは、まったくわからないではないのだけれど、こちらにはやはりいまだによくわかりきらない。「吾々はどうしてその感動を語り得ようか」までは容易にわかって、ことばにできないようなすばらしさ、というものは、ありふれたクリシェではあるけれどふつうにあるわけで、とにかくマジでやばい、のひとことでおわらざるをえないような強烈な体験だってときにあるけれど、そこでことばをついやすと作品中のなにかが「消えてしまう」とか、その「純粋と清澄とを穢」すことになるというのが、こちらにはよくわからない。たぶん、どんなことばをもちいても作品のすばらしさや感動を充分に、もしくは正確に、適切にいいあらわすことができないので、ことばがどれもまるでまとはずれというか、いいたいこと表現したいことをあらわすのにちっとも機能せず、作品そのものとどうあがいてもかけはなれてしまうので、その格差が一種の傷とかそこないとかけがれのようなものとして感得される、ということではないかとおもうのだが。これはようするにいわゆる否定神学の論理のはずで、去年の自分もいっているように作品の神秘化であり、神についてことばでかたろうとすることはそれだけですでに神への冒瀆である、というような発想と類同的なものだろう。そうかんがえてくると、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』のうちに引かれていた、なんだったか、神の名状不可能性について、みたいな、神のいいあらわしがたさについて、だったか、そんなタイトルの、クリュシストモスみたいな名前の中世の神学者の文章をおもいだすものだが。下の部分だ。

 数年前、フランスの新聞にわたしが強制収容所についての評論を発表したとき、ある人が新聞の編集長に手紙をよこして、わたしの分析は「アウシュヴィッツの、類例のない、言語を絶する性格をだいなしにする(ruiner le caractére unique et indicible de Auschwitz)」ものだと非難した。その手紙の主がいったいなにを考えたのか、わたしは何度も自問したものである。アウシュヴィッツが類例のないできごとであったというのは、(将来についてはそうであることを希望できるにすぎないが、すくなくとも過去については)きわめてありそうなことである(「広島と長崎の恐怖、グラーグの恥さらし、ベトナムでの無益で血なまぐさい戦闘、カンボジアでの自国民大量虐殺、アルゼンチンでの行方不明者たちなど、その後わたしたちが目にすることになった残忍で愚かしいたくさんの戦争があったが、ナチスの強制収容の方式は、わたしが書いているこの時点まで、量についても質についても類例のないもの[﹅7](unicum)である」 Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991, p.11f)。しかし、なぜ言語を絶しているのだろう。なぜ大量虐殺に神秘主義の栄誉を与えなければならないのだろう。
 西暦三八六年にヨアンネス・クリュソストモスはアンティオケイアで『神の把握しがたさ〔理解不可能性〕について』という論文を書いた。「神が自分自身について知っていることのすべてをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだす」から神の本質は理解されうると主張する論敵たちをかれは相手にしていた。「言語を絶し(arrhetos)」、「名状しがたく(anekdiēgētos)」、(end38)「書きあらわしえない(anepigraptos)」神の絶対的な理解不可能性をかれらの抗して雄弁に主張するとき、ヨアンネスは、まさにこれが神を讃える(doxan didonai)ための、また神を崇める(proskyein)ための最良の言い方であることをよく理解している。しかも、神は、天使たちにとっても理解不可能である。しかし、このためにますます天使たちは神を讃え、崇め、休みなく自分たちの神秘的な歌を捧げることができる。天使の勢力にヨアンネスが対置するのは、いたずらに理解しようとする者たちである。「前者(天使たち)は讃え、後者はなんとしても知ろうとする。前者は沈黙のうちに崇め、後者は躍起になる。前者は目をそらし、後者は、恥じることもなく、名状しがたい栄光を凝視する」(Chrysostome, J., Sur l'Incompréhensibilité de Dieu, Cerf, Paris 1970.(神崎繁訳「神の把握しがたさについて」(『中世思想原典集成』第2巻「盛期ギリシア教父」所収)平凡社、1992年), p.129)。「沈黙のうちに崇める」と訳した動詞は、ギリシア語原文では euphēmein である。もともと「敬虔な沈黙を守る」を意味するこの語から「婉曲語法(eufemismo)」という近代語が派生する。この近代語は、羞恥もしくは礼儀のために口にすることのできない言葉を代用する言葉を指す。アウシュヴィッツは「言語を絶する」とか「理解不可能である」と言うことは、euphēmein、すなわち沈黙のうちにそれを崇めることに等しい。神にたいしてそうするがごとくにである。すなわち、そのように言うことは、その人の意図がどうであれ、アウシュヴィッツを讃えることを意味する。これにたいして、わたしたちは「恥じることもなく、名状しがたいものを凝視する」。たとえ、その結果、悪が自分自身について知っていることをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだすということに気づかせられることになろうともである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、二〇〇一年)、38~39)

  • ただ、上の記述のなかでは、言語化不可能であるということが讃嘆と崇拝の方法であるとはのべられているものの、言語化をこころみようとすることが冒瀆にあたる、ということは明言されてはいなかった。ただ、その対義的関係の距離は非常にちかいし、あきらかにヨアンネス・クリュソストモスはそうおもっているのだろう。「恥じることもなく、名状しがたい栄光を凝視する」ということばをみるかぎり、そこには、神を「いたずらに理解しようとする者たち」は、ほんとうだったら、「恥じる」はずである、「恥じる」べきである、という意味がふくまれているはずだから。また、クリュソストモス自身でなくとも、それと同種の発想者としてアガンベンがあげている手紙の主にしても、アガンベンの分析は、「アウシュヴィッツの、類例のない、言語を絶する性格をだいなしにする(ruiner le caractére unique et indicible de Auschwitz)」といっているわけで、この「だいなしにする」ということばは、こちらが上でつかった「よごし、そこない、おとしめてしまう」などのことばとだいぶちかいところにあるだろう。で、アガンベンによれば、この手紙の主は、アガンベンの「分析」がそういうはたらきをもつといっているわけで、「分析」、すなわちものごとを個々の部分にわけてそのひとつひとつについて考察をしたり調べたりわかることを述べたりすることは、ものごとの総体性、統一性をずたずたに切り裂いてそのかたちをうしなわせてしまう、という発想がわりと一般的にあるのではないかということをうかがわせるもので、中村保男もやはり「特にシェイクスピア劇には、作品を分析し比較すればそこはかとなく消えてしまう何かが多分にある」といって、「分析」と「破壊」を直結させている。あまり細部にこだわって微に入りすぎて断片化をしすぎることで統一像がみえなくなる、ということはじっさいあるのだろうけれど、しかしこちらとしてはやはりこういう観念は、半分弱くらいはわかるけどもう半分強はわからないな、という感じだ。たぶんそれは性分的なものなのだろうが。つまり要約 - 統一 - 物語化をそもそもあまり信用していないというか、信用はともかくとしても、あまり志向しないというか。いつもながらの結論になってしまうが。でも、分析=破壊の問題と、言表不可能性(言表=冒瀆)の問題は、厳密にかんがえるとちょっとちがっているのではないか? そこをいっしょにしてかんがえていたようだが。
  • わりとどうでもよい話にかかずらって時間をつかってしまった。
  • それにしても、断片/体系、分析/総合、細部/統一などのこういう枠組みってほんとうにめちゃくちゃ強力だなというか、人類の思考のなかでもっとも通用的な二元論ではないかとおもうし、哲学であれなんであれ人間がかんがえることって全部この二極のスペクトルのなかに包含されてしまうのでは? という気がする。それをもっとも一般的な概念であらわすと、たぶん、「個」と「全」の対立、ということになるのだとおもうが。
  • 上のことを書いて日記よみかえしをおえると、音楽をききながら休もうとおもった。それでヘッドフォンをつけて、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながしてベッドにあおむく。Oasisなんて正直、ヘッドフォンできちんとじっくりきいたことなくて、ながした回数はけっこうおおいがながしてうたうだけで、鑑賞、というかんじの対象ではなかったのだけれど、なんであれあらためてきけばだいたい気持ちはよい。ドラムの音だけでも、とくにキックとかライドのひびきだけでもわりと気持ちはよい。リアム・ギャラガーってあらためてきくとそんなに歌はうまくないというか、音程とかわりと前後にぶれているけれど、Oasisとかリアムにおいてはそれでなにも問題ないだろう。それにしても"Wonderwall"ってよくヒットしたなとおもった。こちらもべつに好きではあるけれど、サビとか、正直ぜんぜん冴えないというか、ひくめの音域で基本的にながくのびるメロディになっているし、なんかのんべんだらりとしているというか、のらくら者みたいな旋律で、これをライブでやってもふつうもりあがるとはおもえないのだが。リアムの声がここでめっちゃいいわけでもないし。せめて最後の一回くらいは、三度上のコーラスかさねたほうがよかったのでは? という気がする。あと歌詞もよくわからないし。なんでヒットしてすごく人気になったのか不思議だ。"Don't Look Back In Anger"のほうはふつうにわかるが。進行も"Let It Be"だし。しかしこちらが今回きいて印象にのこったのはそのあとで、だからまずは五曲目の"Hey Now"で、この曲は地味で、実にもったりとしていて、とくにドラムがそうなのだけれど、ボーカルメロディもそうで、しかしここではリアムの声がそれに合ってよくひびいているようにきこえて、ゆったりとしたながれ方がなんだかよかった。つぎの"Some Might Say"も同様で、ドラムが実に大味でよい。こっちはサビのメロディは"Hey Now"よりキャッチーでややいろどりがあるのだけれど、この時期のOasisの魅力って、こういうめちゃくちゃもったりしたエイトビートの曲にむしろあったのでは? という気すらした。Oasisのメンバーなどギャラガー兄弟しかおぼえていないが、二枚目のドラムはAlan Whiteで、"Some Might Say"だけは一枚目の、つまり結成時のメンバーだったTony McCarrollというひとがたたいたらしい。ふたりともOasis以外での評判はぜんぜんないだろうし、テクニカルでもないとおもうが、このもったり感は正直かなりよいとおもう。"She's Electric"まできいた。
  • そののち、To The Lighthouseをちょっとやることに。ノートをひらくと冒頭からよみかえしてしまうのだが、よみかえせばこちらのほうがよいのでは? という言い方がおのずとおもいつかれて、改稿してしまう。これではいつまでたってもおわらないので、前線をすすめるほうが本当はよいのだが。といって改稿はささいなことばづかいや、読点をたしたくらいである。ただ、never altered a disagreeable word to suit the pleasure or convenience of any mortal beingの部分はきちんとかえないといけないとおもった。ここはRamsayの独白的な部分で、彼が、じぶんは真実の徒であり嘘はつけない、とかなんとかいっているながれで上の一節が出てくるのだが、まえによんだときはなんでわざわざここで人間のことを、any mortal beingなんていう仰々しい言い方をしているのか、というのがよくわからず、いろいろかんがえて「この憂き世に生きるどんな人間を前にしても、その喜びや都合におもねって不愉快な [disagreeable] 言葉を言い換えてはならない」として、「憂き世」でmortalの意味をあらわしたつもりだったのだが、いまよんでみるとあまりうまくはまっていない。ここはおそらく単純に、人間の有限性にあわせてそれよりも高次の、たとえば真理とかそういったことがらをないがしろにしてはならない、というような対比なのだろう。それなので、「誰であれ限りある人間の儚い喜びや都合におもねって不愉快な [disagreeable] 言葉を言い換えたことはないし」とひとまずしておいたが、これでもまだだめである。「命」の語をいれて、命に限りある、とか、限りある命の、とかにしたいのだけれど、そうするとうまくながれない。「儚い」は意訳気味にたしたが、これはよいのではないかとおもう。「儚い」を「人間」のほうにかける案もある。下が改稿後。

 (……)

  • そのあとはだらだらして、四時半直前に消灯。