2021/5/26, Wed.

 ロゴスとはつまり、相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない。「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、おなじひとつのものとして私たちのうちに宿っている。このものが転じて、かのものとなり、かのものが転じて、このものとなるからである」(B八八)。生きている者が死に、眠っている者だけがやがて目ざめ、かつて若かった者のみが老年になる。「上り道と下り道は、ひとつのおなじものである」(B六〇)。見る方向がことなるだけだ。海は育み、殺す。それは魚にいのちをもたらし、人間を殺傷する。だから、「海はもっとも清浄で、(end26)かつもっとも汚されたものである」(B六一)。――「戦いが共通なものであり、常道は戦いであって、いっさいは争いと負い目にしたがって生じることを知らなければならない」とする、有名な箴言(B八〇)もまたおなじ発想の延長上にあるものであろう。ここでも、ある調和と、それに相反するものが語りだされている。ちょうど燃えあがる火が消えさろうとする炎と同一であるような、ことの消息が語られている。せめぎあいこそがロゴスである。「戦いは万物の父であり、王である」(B五三)。まさに、そう語られるとおりなのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、26~27)



  • 一一時半すぎの離床。天気はそこそこのあかるさ。いちど一〇時にさめたのだが、うまくおきられず。からだをおこして上階へ。母親にあいさつしてジャージにきがえ、洗面所でもろもろみづくろい。食事は鮭やきのうの豚汁のあまりなど。父親はタマネギを収穫したらしい。そのうちに屋内にはいってきて、母親は仕事にいく。こちらはものを食べつつ新聞。一面にはイスラエル空爆によって破壊されて瓦礫の積層となったガザ地区のビルの写真。国際面にも関連記事があって、それをよむに、やはり現状をかえることができなかったファタハより強硬手段をとる武闘派ハマスのほうにひとびとの支持がかたむいていると。そうはいってもマジで戦争になればふつうにパレスチナ側に勝ち目はないはず。二七歳の弁護士だというひとは、戦闘だけで平和はおとずれない、抵抗と交渉をバランスよくつづけることが大事だといっていたが、しかしそういう正論がひとびとのこころをつかみ説得できるかというと実にこころもとない。現にひとは殺され、建物は破壊され、その瓦礫のしたにこどもたちが埋められて救出できなかったわけだし。
  • ほか、ベラルーシの件。きのうの夕刊にもあったが、EUは追加制裁をきめて、ベラルーシの飛行機をEU加盟国の領空では飛行させず空港にも立ち入れないようにすること、またEU加盟国の飛行機もベラルーシの領空を飛行しないこと、などをとりきめたもようで、ドイツとかオランダの航空会社はすでにそれにおうじてベラルーシ領空をとうめんのあいだ避けると表明しているらしい。きのうの夕刊にはまた、拘束された反体制派メディア創設者の「自白」動画が国営メディアで放送されて、暴力を煽動したみたいなことを「自白」しているらしいのだけれど、やたらみじかいようだし、顔に傷もみえるとかで、拷問などうけて無理やり「自白」させられているのではないかとうたがわれているらしい。この日の朝刊ではあと、蔡英文の支持がおちているとか、米国でワクチン普及がすすんで感染者数が減っているのは(いま一日三万人とかで、ピーク時の一〇分の一くらいになっているらしい)ドナルド・トランプがワクチン開発を強力にあとおししたからだという言説が共和党からでてきておりドナルド・トランプ自身ももちろんそれにおうじてself-boastingしている、などの記事があったが、まだそんなにちゃんとよんでいない。
  • 食後はテーブル上を拭き、食器をあらってかたづけ、風呂。排水溝のカバーもこすっておいた。でると帰室してコンピューターを準備し、ここまで記述。一時すぎ。きょうは三時すぎにはでる必要。
  • でるまでの時間のことはとくにおぼえていないのだけれど、たぶん書見したはず。あと、出発前、歯をみがくあいだに(……)さんのブログをよんだが、ついに『(……)』が脱稿されたとのことでめでたい。おくってくれるようなのでたのしみ。
  • 出発は三時すぎ。往路はあるいた。暑い。このころにはふつうに陽射しがあって、日なたがひろくひらいており、ベストすがたでも汗をかく。家のすぐそばに生えた一本のカエデのしたにベンチがあって、こちらが玄関をでたときそこに年かさの夫婦がこしかけていたのだが、まもなく立ってあるきだした。坂道にはいったそのふたりは右手、川のほうをみやりながら足を止め気味にしてなんとかはなしており、こちらもそのあとから坂道にはいっておなじように川のほうをみやる。景観のかんじがいぜんとすこしちがうようにおもわれるのは、川のてまえの道で家がこわされたところに草の緑色がひろがっているからで、なかに一本なにかの木もたっており、それもいかにも青々とよそおっている。夫婦の横をぬかしていった。こちらが他人をおいぬかすことができるのはだいぶめずらしい。あるくのがかなりおそいので。こちらにいわせればひとびとみんななぜあんなにはやくあるくのかわからないのだが。坂をぬけるあたりで頭上や周囲に樹々がなくなるからまた陽射しがさえぎられようもなく降ってきて、そうするとかなり暑く、これだとそろそろ熱中症が発生してもおかしくないなという陽気。街道へ。北側にわたってあるいていくと、途中で今日も工事をおこなっていた。たぶん水道管工事のつづきだろう。場所はすこし東にうつっていたが。整理員の仕事をへらしてやろうとおもって、そのてまえで裏におれる。この地点でおれるのはそうとうにひさしぶりというか、ほとんどはじめてではないかとおもうほどにひさしぶりで、かんがえてみればなぜだかわからないがいつもひとつおぼえに老人ホームのある角で裏におれているのだが、べつにいつもそうしなければならない理由などなにひとつない。どこでおれたってよいのだ。この細道をまえにとおったのがいつなのかまったくわからないのだけれど、あたりのかんじが記憶とやはりちがっていて、とくに、裏道にはいったあと、西方向に、つまりそちらから街道をあるいてきた方角にもどるような細道があったはずなのだが、なくなっていた。たしかこどものころに、(……)といっしょになんどかその道をあるいたおぼえがあるのだが。というのは彼の祖父母の家がそちらのほうにあったので。記憶との照合ができるわけもないが、あたらしくできたような家もいくつかあって、だから区画が整理されたというか、多少土地のつかいかたが変わったのだろう。(……)公園ではこどもらがあそびまわるにぎやかな声がたっており、道のほうにも男子も女子もなんにんか飛び出してきて、鬼ごっこだろうか、小学校五、六年くらいのこどもたちが威勢よく走りまわっており、そのうごきはすばやい。とおりすぎるときにのぞいてみると、けっこうな人数があつまっていた。
  • 空はいまはわりと晴れており、水色のほうがおおくなってあらわにうつり、雲もそこそこのこっているが、それは乗ったり貼られたり浮かんだりしているというよりは、空を泉としてそのなかからにじみでた乳といったかんじの淡い付加にすぎない。暑いが、風もけっこうあったのではなかったか。そう、あったのだ。というのは、裏道をいっていると、前方の路上になにやら白いものがころがっているのがみえたのだ。猫か? とおもった。いつもの白猫か? と。しかしうごきがないし、目がわるいのであまりよくもみえず、つぎに、これはものがあるのではなくて、道路にかかれた標識かなにかの白線がもりあがってみえているのではないか、とおもった。しかしそれにしても、おなじみちをなんどもとおっているのに、なぜ今日にかぎってそんなふうにみえたのか? といぶかりながらすすんでいると、だいぶちかくならないとわからなかったが、やはりなにか白いものが道のまんなかにころがっていて、じきに、ケースというか、バケツではなくてどちらかといえば四角いかたちだけれど、バケツ的な用途の道具だとわかった。みればそこの家の脇にもうひとつおなじようなものがあるので、おそらくゴミをいれたりするのにつかうのがつよい風によって飛ばされて道にころがりでたものらしいと判じられた(今日は水曜日で不燃ゴミなどの日なので、あたりの家のまえにはゴミをだすのにつかったらしい容器がだいたいどこにも置かれてあった)。うしろからきた車が器用に路肩に寄って、道の中央にあるそれをよけてとおっていくので、こちらがとおりすぎざまにひろいあげて当該の家のところにもどしておいた。そのころには雲がさきほどよりもおおくなって、陽がかげっており、そうするとそこそこすずしいというか、わりとすごしやすい空気の体感ではある。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 九時前退勤。この日はつかれたかんじもあったのであるかず、電車に乗って帰った。帰路の印象はとくだんにない。
  • 帰宅後、ベッドでやすみつつ(……)さんのブログ。最新。(……)さんのはなしがでてきたのでひさしぶりに(……)さんのブログを検索してみてみたのだが、さかのぼっていくらかよんでみると、いまの日本語作家でぜったいよむひとはいるかとひとにきかれたとき、その場ではいないとこたえたけれどかんがえてみれば(……)さんと友方=Hさんと間瀬さんの作品はあたらしいものがでればかならずよむ、とあったので、この友方=Hさんというひとは何者なのかと検索するとふつうにそのひとのホームページがでてきたのでメモしておいた。なんというかむかしながらのホームページというかんじで、BBSなんかも設置されてあって、こちらが中学生とかそのくらいのころのインターネットにはこういうホームページをつくって一次であれ二次であれ創作文を載せているひとがたくさんいたなあとなつかしくなってしまった。つまりWEB小説サイトだ。こちらがいますぐおもいだすのは『冷笑主義』という小説で、尊大不遜なキャラクターの吸血鬼が主人公の中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジーもので、この吸血鬼はもともと法王庁の戦士であり、だから吸血鬼など闇の勢力をたおす側でしかもそのなかでもトップクラスにつよいひとだったのだが、どういう経緯でかはわすれたがみずからが吸血鬼になってしまい、とうぜんバチカンと敵対してあちらからは刺客とかがくるのだけれど、やたらつよいから意に介さず、吸血鬼化したからおいそれと死ぬこともなくたぶん老化もせず、おもしろいこともあまりないからたわむれのようにしてたたかったり各地にでむいたりして無為な日々をすごしている、みたいな趣向だったはず。作中、インノケンティウス何世だかわからないがたぶんいちばん有名なインノケンティウスがでてきたりして、おそらくこちらはこの小説ではじめてインノケンティウスという法王の名をしった。この作品はいま検索すると、「小説家になろう」に載っているのがでてくる。さきの友方=Hというひとのホームページにはこれもむかしなつかしきリンク欄があり、中学生とうじのこちらはこういうリンクページをたどっていろいろWEB小説をのぞいていたわけだけれど(リンクバナーなんていうものもひとつの文化としてあった)、ここに間瀬純子というひとのホームページ(閉鎖済)も載っているので、たぶんこのひとがうえで名のでていた間瀬さんだろう。このひとは怪奇方面の作家らしい。
  • (……)さんのブログ記事には(……)さんの近況も載っており、なんでも銀座の懐石屋にうつってけっこうな地位についたというからすごい。やはり手に職がある人間はつよいというか、料理の腕一本あればどこでもやっていけるというのはすごいなとおもった。飯をつくる仕事の需要がない場所などまずないだろうし。その腕をみにつけるにはたいへんな習練が必要だっただろうし、(……)さんのばあい、わりとパワハラ的な職場環境だったらしいからそちらの点でもたいへんだっただろうが。
  • その後のことで印象深いこともとくにのこっていない。いくらか日記をかいて本を読んだくらいか。あと、出勤前だったかにBill Evans Trioをきいたのだけれど、"All of You (take 1)"のドラムソロをきくに、Motianってやっぱりずいぶん変だなあとおもった。このドラムソロなんて完全にヘタウマのたぐいで、リズム的にかなりファジーで前後にずれているところもおおいのだけれど、ところがそれでいてMotian自身のなかでながれがきちんと通っているのはあきらかときこえ、内的統一性もしくは一貫性が確保されている。ファジーであっても、それがミスにきこえたり、みちゆきがよどんだりはしていないということだ。そして、ソロがおわってバッキングにもどればファジーさはなくなって、きちんと刻まれる。バッキング時の装飾もけっこうほかにはないようなかたちがみられるのだけれど、リズム的にあいまいだったりということはとりたててないはず。まあバッキングでリズムがファジーだったらなかなか演奏なりたたないだろうが。しかし晩年のMotianはそれでやってしまっているようなところもある。六四年のTony Williamsなんかはけっこう流動的に加速減速していたとおもうが、そういうはなしともすこしちがう気がする。ともあれ、Paul Motianは六一年ですでにPaul Motianだというのがやはりおもしろい。

2021/5/25, Tue.

 たしかに、「きみはおなじ川に二度と足を踏みいれることはできないだろう」(同箇所 [『クラテュロス』四〇二 a] )。水は絶えず流れさるからだ。それだけではない。ひとは「一度も」おなじ川に足を踏みいれることができないはずである。いっさいは、ひたすら生成 [﹅2] のただなかにあるとするなら、「おなじ」川がそもそも存在 [﹅2] しようもないからである。流れはただちに変化するかぎり、ある [﹅2] ものはすぐ(end23)さまあらぬ [﹅3] ものになってしまう(アリストテレス形而上学』第四巻第五章)。これは、みずからの論理学的思考の端緒をなす(「存在」から「無」へ、「存在と無」の同一性から「生成」へという)ことがらとまったくおなじ洞察を述べたものである、と哲学史講義でヘーゲルはいう。
 けれどもヘラクレイトスが展開した思考の基本線は、べつのところにあったと今日では考えられている。世界のいっさいが絶えず移ろい、変化し、生成消滅するものであるというかぎりでは、その件は、ミレトス学派にあってもむしろ思考の前提であった。いわゆる「パンタ・レイ」は、ヘラクレイトスに固有の思考では、とうていありえないように思われる。
 ヘラクレイトスそのひとは、むしろピタゴラスとその学派とならぶ、秩序と調和の哲学者であった。ただし、ピタゴラス派とおなじ用語を使いながら、相反する思考が紡ぎだされている。「不和であるものがどうして相和してもいるのかを、かれらは理解しない。逆向きにはたらきあう調和がある。たとえば、弓や竪琴がそうであるように」(断片B五一)。ピタゴラスの徒が、そこに調和(ハルモニア)を見いだした音階をかなでるリュラ(竪琴)の弦は、上下から強く引きしぼられ弦がそれを引きもどしていることで、つまり相反する力をはらんでいることによってはじめて美しい音色を響かせる。「目にあらわでないハルモニアは、あらわなそれよりも強力である」(B五四)。ヘラクレイトスが語るのはむしろ、一なるもの [﹅5] の調和なのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、23~24)



  • 一〇時半ごろにさめた。したがって睡眠は七時間未満。よろしい。今日はひさかたぶりに晴れ空の日和で、気温もたかそうである。布団をからだのうえから乱雑にどかし、こめかみをもんだり首をのばしたりふくらはぎを刺激したり。そうして一〇時五五分におきあがった。洗面所とトイレにいってきてからもどって今日は瞑想をサボらずおこなう。窓外では鳥がたくさん鳴きしきっていてちょっととおいところからもほんのすこしひびきに暈をともなった声がいくつも空間をぬけてわたってくるが、やはり熱されて乾いた空気のときと、雨に濡れて水気をたくさんはらんだ空気のときとでは、そのひびきかたもちがうのだろうか、とおもった。そのニュアンスをききわけるほどの耳のよさがこちらにはいまないが。一一時二〇分か二五分くらいまですわったはず。わるくない。
  • 上階へ。母親は銀行にいってきてかえってまもなかったようで、パンをついでに買ってきたと。食事はそのパン類や素麺など。つゆをつくってワサビとネギを足し、パックいっぱいに詰めこまれていくらかくっついた素麺をトングで剝がすようにしてとりあげて食う。新聞を瞥見。きのうの夕刊にも載っていたが、ウクライナ当局がルカシェンコの指令をうけて飛行中の飛行機を停めて反体制派メディアの人間を拘束したという事件や、イスラエルパレスチナの続報や、ミャンマーアウン・サン・スー・チーが初出廷という報などがきになるが、文芸月評に千葉雅也の名があったのでさきにそれをよんだ。「オーバーヒート」という新作を「新潮」に発表したらしく、千葉雅也はべつのなんとかいう篇で四月に川端康成文学賞をとったところらしいのだが、それで評判のようで、この新篇が載った「新潮」はおおくの本屋でうりきれており、新潮社の在庫もつきたくらいらしく、新潮の編集部は千葉雅也の小説がそれだけ注目されているということだ、みたいなことをのべているらしい。この「オーバーヒート」という作は「デッドライン」の続編ともみなせるようなはなしらしく、青年時代を東京ですごしていまは関西で大学教授だかなんだかやっていて年下の同性の恋人がいる男性が、表面上順風満帆とみえながらもそのじつもろもろ懊悩とかがある心中を述懐しているみたいなものらしく、たんなる独白におわらない普遍性をもっていると文芸担当の記者は評していた。リベラルとか進歩的とみなされるためには(だったか、みなされたいならば、だったか)、LGBTの権利拡大とかにただ賛同してさえいればよい、というような世の風潮には断固としてあらがう、みたいな文言が作中にかきつけられているらしく、これはたぶん書き手の千葉雅也自身のスタンスとかさなっているのではないか。千葉雅也の文章を一冊もよんだことがないしツイートもほぼみたことがないのでふたしかだが、ききかじった印象だと。その他ミヤギフトシというひとの作や、あと三人くらいが要約的・列挙的に紹介・説明されていた。
  • 食後、食器を流しにはこび、台布巾でテーブル上を拭き(母親はこちらがごちそうさんをいうのといれかわりのようにしていただきますをいって食事をはじめていた)、乾燥機のなかをかたづけておいてから食器をあらう。そうして風呂洗いも。でると急須および湯呑みを部屋からもってきて緑茶を用意。一杯目の湯をそそいで待つあいだ、ベランダにでてすこしだけ陽をあびる。暑い。白いひかりが洗濯物に埋まったベランダの全領域をつつみこんでいる。屈伸をしたり横方向の開脚をしたりするが、暑くてむろん汗がわく。あぐらをかいて日なたのなかにすわりこんでみるとむしろ多少暑さがマシになる。が、もっとながくすわっていればそれもまた暑くなるだろう。
  • 室内にもどり、やや眩まされ、その余波でまた暗まされた視界をかかえて茶をもって自室へ。一服しながらウェブをまわったのち、音読。「英語」を496から517まで。Nicky CraneについてのBBCの記事など。BGMはLee Ritenourの『Gentle Thoughts』。なぜかわからんがひさしぶりにおもいだし、具体的にはこのアルバムの一曲目でメドレーのかたちでEarth, Wind & Fireの"Getaway"がやられていたなということをおもいだし、それはたぶんiTunesのライブラリをながしみているときにEarth, Wind & Fireのなまえが目にはいったのとどうじにおもいだしたのだろうが、それでいまはこのアルバムをもっていないので、Amazon Musicでながした。このアルバムは父親がむかしCDをもっていて、こちらは高校生になったくらいで父親がわずかばかりもっていたフュージョンやジャズのCDをいくらかもらってすこしだけききはじめたのだけれど、そのなかの一枚としてあったもので、だからはじめてふれたフュージョン方面の音楽のひとつで、そこそこきいたはず。一曲目のギターソロとかコピーしようとしたのだけれど、とうぜん能力がそんなにないからまず音をとることすらできなかったはず。フュージョン方面に進出したのは音楽じたいというよりギターにたいする関心からで、ロックギターばかりでなくほかのジャンルのギタリストもきいてみたいという感心なこころがけで手をだしたのだ。で、Lee RitenourとLarry Carltonというフュージョン方面のギタリストでもっとも高名なふたりの作品をいくつかきき、けっこうたのしみ、Ritenourはとうじ発売したばかりだったはずの『Overtime』というスタジオライブ盤を地元のCD屋でかいもとめ、これもけっこうきいたというかいままでフュージョンの作品でいちばんきいたのはもしかしたらこれではないかとおもうし、フュージョンについての知見はけっきょくRitenourとCarltonの二者の範囲をおおきくこえることはその後現在までなく、大学にはいったあとにはアコースティックジャズのほうがすきになってしまったのでそちらにながれた。『Gentle Thoughts』はあらためてながしてみてもまあわるくはない。"Captin Caribe"のメロディなんかには多少のダサさをかんじないでもないが。『Overtime』はけっこうよいアルバムだし、演奏としても曲としてもよいトラックがあるが、あのなかにはいっている"Papa Was A Rollin' Stone"なんかけっこうすきだ。あそこでうたっている、なんといったか、Gradyなんとかいうひとだったか、ボーカルの男性はなかなかよいとおもうのだけれど、あれいがいになんの活動も音源もしらない。あとObed Calvaireというわりとさいきんの、若手といってよいのかもう中堅なのか、そういうジャズドラマーがいてKurt Ronsenwinkelなんかとどこかで顔をあわせていたり、現代ジャズの方面でいろいろ参加しているひとがいるのだけれど、このひとがたしかこの『Overtime』の"Night Rhythms"とかに参加していて、たぶんキャリアのけっこう最初のほうの仕事ではないかとおもうのだけれど、"Night Rhythms"でややあぶなげのあるソロをやっていたはず。あぶなげがあるというか、細部がつっこむかなにかしてちょっとあらくずれたみたいなかんじだったとおもうのだが、映像でみるとおおっとあぶねえ、みたいなかんじでたのしそうにやっていて周囲もにこやかにそれをうけていてほがらかな雰囲気だったはず。
  • とおもっていたのだが、のちほど検索してたしかめると、このドラマーはObed Calvaireではなく、Oscar Seatonだった。いったいどこで混同したのか? Oしかあっていないではないか。このひとはWikipediaをみればLionel RichieとかDianne ReevesとかBrian Culbertsonとかとやってきたらしいので、やはりどちらかといえばフュージョンとかの方面だろう。Ramsey Lewisともながくやってきたとかいてある。なかにTerence Blanchardのなまえがあるのがひとつだけ毛色がちょっとちがうきがするが。
  • 音読後、ベッドへ。(……)さんのブログを一日分。今年の一月一七日。John Sullivanという人物が逮捕され、それがBLM運動の幹部だかリーダーだったという偽情報がネット上にでまわったという事件をうけてのはなしが以下。

話が大脱線した。ここで言いたいのはつまり陰謀論にハマらないためには去勢の経験が大切なんではないかということだ。千葉雅也は中学生か高校生のころ、いまほどまだ一般的ではなかったインターネットに毎晩接続して匿名のチャットをしていたらしいのだが、齧った程度の現代思想の知識をそのチャット上でひけらかしていたところ、チャット相手であった専門の大学教授に鼻っ柱をバキバキに折られたとずっと以前Twitterでつぶやいていたことがあったが、そういう去勢の経験、もっとカジュアルにいえば面子を潰されたという経験が、(情報そのものではなく)情報に触れる自分自身の知性を常に疑うという構えを一種の症候として作り出すのではないかと思ったのだ。つまり、陰謀論にハマらないためには(ワクチンとしての)黒歴史が必要だということだ。黒歴史の持ち主はじぶんがまたやらかしてしまうのではないかという不安に常につきまとわれている。それは別の言い方をすれば、自分自身の感じ方、考え方、認知に対する不信感のようなものだ。そういう不信感を適度に持ち合わせている主体は、よくもわるくも慎重になるし、その慎重さが「答え」に飛びつく安易さを牽制してくれる。

  • あと「温暖化で2050年には森林がCO2放出源に、研究」(https://www.afpbb.com/articles/-/3326472(https://www.afpbb.com/articles/-/3326472))というニュースも貼られており、これはあとでいちおう原記事をよんでおこうというわけでメモ。本文中に趣旨は引用されていて、気温がたかくなると植物が光合成によって酸素を大気中に排出するはたらきがよわくなって呼吸によって二酸化炭素を排出するうごきのほうがそれにまさってしまう、みたいなはなしなのだけれど、ということは現在でも、熱帯や、環境によっては、局地的に、酸素よりも二酸化炭素を放出するわりあいのほうがたかい植物というのがすでにあるのだろうか?
  • (……)さんのブログを一記事よむとおきあがり、ここまで今日のことを記述するとぴったり三時。
  • うえの記事をのぞくと、趣旨もなにも、(……)さんが引用していた文章で内容はすべてだった。
  • このあとなにをしたのだったか。たぶん書見か? この日は『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)中、「エレクトラ」をすすめた。286まで。234にはきのうにつづき、また「程らい」がでてきている。「どうか不幸に不幸を重ねるようなことはなさらないでね」と、エレクトラが父アガメムノンを殺されて不遇の身におとしめられていることをいつまでもなげいているのをいさめるコロス(この作では、土地の若い女たち)にたいして、「だって、不幸には程らいも何もないでしょう」とエレクトラがこたえているのだが、なんかちょっとよい。それにつづく台詞のなかで、「ねえ、亡くなった人に知らぬ顔をしていてどうしていいの」、「かりにわたしが何か仕合せな目にあうとしても、/親にそむき、声をしぼる悲泣の歎きをやめてまで、/その仕合せに安住したいとは思わない」(235)とエレクトラはいっているが、このあたり、死者となった身内にたいしてふさわしくふるまおうというのは、アンティゴネの態度と多少つうずるようでもある。236は夫アガメムノンを殺してその下手人アイギストスとよろしくやっている母親クリュタイメストラにたいする厭悪が表明されるページだが、「父の下手人が父の臥床 [ふしど] で情けない母と――こんな男と共寝をする女を母と呼ばなければならないのなら――一緒に寝 [やす] んでいるのを見ているわたしの日々がどんなかわかってくださるかしら。祟りの神 [エリニュス] もはばからず穢れた男と一緒になって平気でいられるほど成り下った母」という台詞には、『ハムレット』をおもいだした。ハムレットもやはり、父王を殺した叔父(なんというなまえかわすれてしまったが。クローディアス?)と、父の死後いくらも経たないうちに再婚した母親(こちらもなまえをわすれたが。ガートルードだったか?)を、淫乱、とかあばずれ、とか売女、みたいなつよいことばでののしっていたはず(面と向かっては言っていなかったかもしれないが)。「エレクトラ」のこの箇所では、直接そういう性的ふしだらさみたいなものを指すことばはつかわれていないが、「臥床」とか「共寝」とか「寝んでいる」とかいっているので性関係もしくは肉体関係をとりあげているのはあきらかだし、そこに母を不道徳な淫乱女と糾弾する意がふくまれているとみてもわるくはないだろう。240では「お腹がくちくなる」ということばがでてくるが、こんないいかたひさしぶりにきいたわ。いまはもうあまりつかわない、古いことばではないか。こちらのまわりでは祖母がよくこれをつかっていた。243のおわりから244には、クリュタイメストラにたのまれてアガメムノンの墓に供えものをしにいくという妹クリュソテミスにたいして、「あなたがお父様の仇である女のために、お父様にお供物を捧げたり、お神酒をあげたりするのは許されないことだし、神様にも申訳ないことなのだから」というエレクトラの台詞があって、死者にたいしてどうふるまうかというのが、神にたいする敬虔さにも直結するというのは、やはりアンティゴネの言動とおなじである。それはアンティゴネにかぎったことではないだろうし、また死者との関係にかぎったことでもなく、古代ギリシア人はおそらく生のさまざまな面でみずからの行為のありかたと神への態度をむすびつけていたのだろうが、死者にかんすることではとりわけそれが顕著にあらわれるのではないか。まあそれも古代ギリシアにかぎったことではなく、それ以後のキリスト教にせよなんにせよ、宗教っておおかたそういうものだろうけれど。ただ、キリスト教などにおける神への敬虔さと、ギリシアにおける神への敬虔さとでは、この本の劇をよむかぎりではやはりなんとなく感触がちがっているようなきがする。どうちがうのかよくわからんのだけれど。
  • いま五時まえ。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)のかきぬきをしているさいちゅうに『Overtime』をさきほど書見のBGMでながしていたつづきでそのままヘッドフォンできいていて、アルバムがおわるとそのしたの『Stolen Moments』に自動的に移行し、冒頭の"Uptown"がはじまって、このアルバムはリトナーが純ジャズをやっている一作で、とはいえ録音のかんじとかその他のはしばしにやはりフュージョン方面のひとの作だなという漠然とした印象をえないでもないのだが、それはおいて冒頭曲のテーマでベースがすばやいランニングをはじめた瞬間に、これすごいな、かなりよいベースなんじゃないだろうかとおもった。むかしもそこそこきいていて、わるくなくおもっていたのだが、おもっていたよりよいのではないかと。それでこのベースはだれだったかと検索したところ、John Pattitucciだったので、ああそうかPattitucciか、それならこれできても不思議ではないわと納得した。
  • 夕食には豚汁をこしらえた。アイロンかけもおこなう。そのあいだテレビはニュースをうつしていて、視聴者からよせられたなやみ相談にこたえるコーナーがあり、武井壮と、鈴木なんとかいう八九歳の、シスターで大学教授かなにかやっていたひとと、釈徹宗が回答していた。職場でにおいに過敏なひとがいて化粧とかハンドクリームのにおいが鼻について嫌だと横柄に言ってくるのだけれど、じぶんでは煙草を吸ったりもしていて、注意もいくらか度がすぎていて納得いかない、みたいなはなしだったのだが、あとのふたりがやはり宗教者らしくこころのもちようをかえてあまり気にせず、みたいなアドバイスだったのにたいし、武井壮は、まずそのひとがほんとうににおいに敏感なひとなのか、それともそれを口実にあなたに嫌がらせをしているのかをしらべたい、なので、そのひとのちかくにいてうまくやっているひとにじぶんとおなじハンドクリームをプレゼントしてつかってもらうのはどうですか、それでもしそのひとが、仲の良いあいてにもそれはちょっとやめてほしいと言っているようだったらほんとうだし、逆に気にせずふつうにしているようだったらあなただけを嫌っていることになる、もしそうだったら、あの方もおなじクリームをつかっていますけど、それは大丈夫なんですかね? みたいなことを言ってみればいいんじゃないですか、と助言していて、わりと具体的で戦略的な指南だなとおもった。ニュースはつづけて、いま日記アプリが人気だみたいな話題を展開し、ふつうのひとというか、とくに文章の仕事をしていたりするわけでないいわば素人がかいた日記を書籍化して出版している店もある、とものべられていたが、これ俺やんとおもった。この店にもっていけば金かせげるやん、と。だがそういう金策をしないというのはおとといくらいにかいたとおりだ。アプリはふつうに短文で日記を書き、くわえておなじアプリを利用しているひとの日記もよんで多少の反応をおくることもできるというもので、まあべつにTwitterなんかとかわらない印象だし、いま流行っているもなにも、こういったものがうまれるまえからインターネット上ではむかしからずっと似たようなことがおこなわれてきたではないか、とおもう。黎明期の個人サイトしかり、ブログしかり、mixiしかり。
  • あとおぼえているのは日記をかなりかいたことと、深夜にBrandon Ambrosino, "Do humans have a ‘religion instinct’?"(2019/5/30)(https://www.bbc.com/future/article/20190529-do-humans-have-a-religion-instinct(https://www.bbc.com/future/article/20190529-do-humans-have-a-religion-instinct))を途中までよんだことくらい。この前日の日記は、「アンティゴネ」についてあんなにながながとかくつもりはなくて、気になったことをちょっとだけふれておくつもりだったのだけれど、それをしるしておくのにその背景というか前段みたいなものも多少かいておこうとおもったところ、なぜかああいうながれがうまれてしまい、やたらながくなってしまった。それで、なんか今日はけっこうかいたな、という感覚がのこった。BBC Futureの記事は、先日よんだおなじ筆者の記事のつづきだが、これもなかなかおもしろい。今日よんだ範囲までで気になったぶぶんをひいておくが、最初の箇所でいわれていることをみるに、宗教方面のひとびととか瞑想実践者がよくいうことは、脳科学的にみてもいちおう多少の根拠があるようだ。つまり、主客合一とか、じぶんがきえたようなかんじとか、そこまでいかなくとも主体としての重さがうすくなるとか、世界と一体化したような感覚とか、そういったことだが。ある種の儀礼的行動、瞑想とか祈りとかをしているあいだの脳をしらべてみると、the parietal lobe、すなわち頭頂葉の活動が低下していることがみてとられ、この頭頂葉というのはa sense of selfすなわち自己感をうみだす機能をもっているらしく、だから瞑想中は自己感覚が希薄になり、自分と他者(神をふくむ)や世界とのあいだの境界がきえる、というはなしをしている。もうひとつ、the frontal lobeだから前頭葉の活動もどうも低下するらしいのだが、そうすると理論的には、主体感がうすくなって、willful activityがなくなるといわれている。すなわちじぶんがじぶんの意志で能動的なはたらきかけをしているという感覚がなくなるわけだろう。世界との一体化はおくとしても、こちらのほうはたしかにじぶんじしんの瞑想中のかんじや、瞑想を習慣化したあとの心身の変化をかんがえるとうなずけるところではある。そもそもこちらは瞑想というのは能動性をなるべく完全に廃棄して、端的になにもしないという状態を実現する訓練だとおもっているし。

Newberg [a neuroscientist Andrew Newberg] and his team take brain scans of people participating in religious experiences, such as prayer or meditation. Though he says there isn’t just one part of the brain that facilitates these experiences – “If there’s a spiritual part, it’s the whole brain” – he concentrates on two of them.

The first, the parietal lobe, located in the upper back part of the cortex, is the area that processes sensory information, helps us create a sense of self, and helps to establish spatial relationships between that self and the rest of the world, says Newberg. Interestingly, he’s observed a deactivation of the parietal lobe during certain ritual activities.

“When you begin to do some kind of practice like ritual, over time that area of brain appears to shut down,” he said. “As it starts to quiet down, since it normally helps to create sense of self, that sense of self starts blur, and the boundaries between self and other – another person, another group, God, the universe, whatever it is you feel connected to – the boundary between those begins to dissipate and you feel one with it.”

The other part of the brain heavily involved in religious experience is the frontal lobe, which normally help us to focus our attention and concentrate on things, says Newberg. “When that area shuts down, it could theoretically be experienced as a kind of loss of willful activity – that we’re no longer making something happen but it’s happening to us.”

     *

“The explanation for religious beliefs and behaviours is to be found in the way all human minds work,” writes Pascal Boyer in his book Religion Explained. And he really means all of them, he says, because what matters to this discussion “are properties of minds that are found in all members of our species with normal brains”.

Let’s take a look at some of these properties, beginning with one known as Hypersensitive Agency Detection Device (HADD).

Say you’re out in the savannah and you hear a bush rustle. What do you think? “Oh, it’s just the wind. I’m perfectly fine to stay right where I am.” Or, “It’s a predator, time to run!”

Well, from an evolutionary perspective, the second option makes the most sense. If you take the precaution of fleeing and the rustling ends up being nothing more than the wind, then you haven’t really lost anything. But if you decide to ignore the sound and a predator really is about to pounce, then you’re going to get eaten.

     *

The cognitive scientist Justin Barrett has spent his career studying the cognitive architecture that seems to lend itself quite naturally to religious belief. One of our cognitive capacities Barrett is interested in is HADD. It’s this property, he writes in The Believing Primate, that causes us to attribute agency to the objects and noises we encounter. It’s the reason we’ve all held our breath upon hearing the floor creak in the next room, which we assumed was empty.

Barrett says this detection device causes us to attribute agency to events with no clear physical cause (my headache was gone after I prayed) and puzzling patterns that defy an easy explanation (someone must’ve constructed that crop circle). This is particularly the case when urgency is involved. “A hungry subsistence hunter will find HADD registering more positives than a well-sated recreational hunter,” he writes.

HADD is what Barrett calls a non-reflective belief, which are always operating in our brains even without our awareness of them. Reflective beliefs, on the other hand, are ones we actively think about. Non-reflective beliefs come from various mental tools, which he terms “intuitive inference systems”. In addition to agency detection, these mental tools include naive biology, naive physics, and intuitive morality. Naive physics, for example, is the reason children intuitively know that solid objects can’t pass through other solid objects, and that objects fall if they’re not held up. As for intuitive morality, recent research suggests that three-month old “infants’ evaluations of others’ prosocial and antisocial behaviours are consistent with adults’ moral judgments”.

Barrett claims that non-reflective beliefs are crucial in forming reflective beliefs. “The more non-reflective beliefs that converge the more likely a belief becomes reflectively held.” If we want to evaluate humans’ reflective beliefs about God, then we need to start with figuring out whether and how those beliefs are anchored in non-reflective beliefs.

2021/5/24, Mon.

 数や図形には、独特なふしぎさがある。数えられるものは感覚によってもとらえられるが、数える数そのものを見ることはできない。じっさいに描かれた直角三角形は、つねに一定の辺と角の大きさを有する特定の三角形でしかないけれども、たとえばピタゴラスの定理がそれについて証明される直角三角形そのもの[﹅4]は、そのどれでもなく、同時にどれでもあるといわれる。三角形それ自体は、あるとくべつな意味でおなじ[﹅3]、ひとつの[﹅4]ものでありつづけるのである。
 べつのしかたでも「おなじ」ものでありつづけることがらがあり、しかもとりあえずは感覚に対して与えられている現象もあるように思われる。火、あるいは炎がそうである。火が燃えつづけ、炎が揺らめきつづけているとき、そこには相反するふたつの傾向がはたらいている。一定の圏内、範囲のうちで、燃えさかっている火は、ただ燃焼しているだけではない。そうであるなら、火はひたすら炎上し、燃えひろがってゆくだけで、炎が一定のかたちをとることがない。積みあげられた薪のうえで炎が燃えさかっているとき、火は同時に不断にみずから鎮火(end21)している。火が消滅することこそが、炎が生成することなのであり、炎が絶えず消えさることが、火炎が燃えさかることを可能にしている。それは、不可思議な秩序である。多様性のなかで秩序をたもっている世界(コスモス)と同様にふしぎな、生成する秩序である。ハイデガーが註していうように、火(ピュール)は自然(ピュシス)とおなじひとつのものなのである。

この世界、万人に対しておなじものとして存在するこの世界は、神々がつくったものでも、だれか人間がつくり上げたものでもない。それは永遠に生きる火として、つねにあったし、現にあり、またありつづけるであろう。一定量だけ燃え、一定量のみ消えさりながら。(ヘラクレイトスの断片B三〇)

 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、21~22)



  • 離床は正午直前になってしまった。ひさしぶりに八時間以上の滞在。やはりZOOMで通話をするとそうなるのだろうか? ブルーライトがどうこう、ということなのか? 通話をしていなくともいつもわりとモニターはみているのだが。一一時ごろからいちおうめざめていたが、あまりまぶたがひらかず、こめかみをもんだりだましだましすごしてようやく起床。天気はくもりだが、暗くはない。気温はたかい。
  • 洗面所にいって洗顔やうがいをして、上階にいくとトイレで用を足し、そのあとまた洗面所でうがいなどをした。食事は紫タマネギを輪切りにしてソテーしたものなど。用意して卓につき、たべる。母親はまもなく仕事へ、父親はソファについている。新聞に興味をひく記事はそんなになく、とりあえず国際面の、イスラエルハマスの停戦が順当に履行されており、エジプトがガザにはいって協議したり、物資支援などをもうはじめているのかこれからだったかわすれたが、うごきはじめているという記事をよんだ。ただイスラエルは「神殿の丘」へのユダヤ教徒の立ち入りを解禁したということで、これでまたパレスチナ側の反発がつよまって停戦履行のさまたげになるのではないか、という可能性もしるされてあった。それから一面にもどって、菅義偉がワクチン接種をわりと強引に先導して突っ走っている、という報告をよむ。四面のつづきも。もともと高齢者へのワクチン接種の完了目標はおおくの自治体が八月末までとしていたところ、菅が七月末にこだわってゆずらず、河野太郎がいさめるのもきかずに表明し、また一日一〇〇万回接種目標についても同様で、河野太郎はそれは無理筋じゃないか、おおきな目標をかかげておいて達成できなかったらとうぜん非難されるとして、七〇万回でもいいんじゃないですかといったらしいのだが(この数字は新型インフルエンザのときの一日六〇万回というデータをもとに、それに一〇万回上積みしてかんがえたらしい)、菅はやはりゆずらず、とにかくワクチンが普及すれば空気が変わるはずだと信じてつきすすんでいると。厚労省の官僚からは、こっちが根拠をおしえてほしいというぼやきというか呆れのような声がきかれるらしく、また、普段は河野太郎がわりと暴走しがちでまわりのみんなでそれをとめる、みたいなかんじらしいのだけれど、今回はその河野が首相の暴走をとめようとしている、というはなしだ。河野太郎菅義偉はもともと距離がちかいらしく、選挙区がおなじだかちかいのだったか? 二〇〇九年だかに河野が総裁選に出馬したときも菅は推薦人あつめに奔走したらしい。だからいわば「弟分」とみなされているようだ。七月末目標、一日一〇〇万回にくわえて、自衛隊の協力をあおいで大規模会場での接種というのが菅がうちだした「三本の矢」とかいわれており、この、いつでもなんにでもつかわれる紋切型の標語とそれに嬉々として追随するメディアの言語使用はどうにかならんのかとおもうが、自衛隊にかんしても菅が積極的に主導して防衛次官にあたまをさげたということだ。ゴールデンウィークの連休後にはいちおう一日四〇万回の接種が、官邸のデータによればおこなわれたらしく、菅はそれをみて本格的にはじまっているわけでないのにはやくもこれだけの回数をかぞえていると満悦だったらしく、そういうわけでいま自信に満ちており、六月末までたえれば世間の雰囲気は変わると信じているらしい。東京と大阪の大規模会場での接種はちょうど今日からはじまったはずだ。
  • 食器をかたづけ、風呂場へ。あらい、でて、茶を用意。テレビは料理番組。ビワに鶏肉を詰めて肉詰めにして蒸し焼きにする、みたいなもの。茶をつくると帰室し、コンピューターを準備。今日のことをここまでしるして一時半。
  • 音読。「英語」の488から495まで。Robert Glasper Experiment『Black Radio 2』を背景に。肩まわりを指圧してほぐしながら二時まで。二時にたっするときりあげ、上階にいってベランダの洗濯物をおさめた。このころになると、空模様と大気の色がやや薄暗いようになってきており、天気の気配がいくらかあやしい。父親は眼下、畑の周囲の斜面にはいり、ユスラウメの実を収穫しているようだった。母親にたのまれていたのだ。洗濯物をとりこむとタオルなどたたみ、また足拭きのたぐいを各所に配置しておいて下階へ。あたまのなかがややかたいようなかんじがあったので、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をききながらやすむ。"Alice In Wonderland (take 1)"から"All of You (take 1)"まで三曲。しかしさいごのほうでは尿意がにわかにわいてきていたので気が散ってぜんぜんきけず。それにしてもどの曲をきいても、すばらしいということとマジですごいという感想しかだいたいでてこない。"My Foolish Heart"などなんでこんなによくなるのかなあ、というのがわからず、すごい。一見すればふつうにバラードやっているだけで、ピアノトリオでこういうバラードをこういうふうにやっても、毒にも薬にもならないようなどうでもよい演奏になることもけっこうおおいとおもうのだけれど。三者とも、さして工夫をしているようにもきこえないのだ。Paul Motianがわりと装飾をくわえて単調さをふせごうとしているのはあきらかだが、そういうはなしでもないきがする。Evansは速弾きというほどのフレーズもまったくつかっていないし、LaFaroも大方はボーン、ボーン、とロングトーンを這わせているだけなのだが。録音によるところもおおきいかもしれない。とくにLaFaroの音がよくこれだけ太くおおきく録れたな、ということで、"My Foolish Heart"でもそれだけでもわりと気持ちがよいし、ほかの曲でLaFaroがもっとガンガン泳ぎまわるとその量感はすごい。
  • トイレにいって放尿してもどってくると三時直前。ここまでまた書き足し、どうすっかなあというところ。きのうの日記をかきたいがあまりやる気がわかないし、そんなになにをするという気分でもない。
  • とりあえずからだをやわらげておくかというわけで、ベッド上でストレッチのたぐいを少々。そのあと、やはり書見だとおもって『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)を。呉茂一はこちらの感覚でははまりきっていないようにおもわれる細部がややあって、みたいなことを数日前に書いたが、なれてくればべつにそうでもなく、むしろ各人物がそれぞれ固有のひとつの統一性をもった語調をそなえているし、訳しわけがうまく、台詞のながれの一貫性をつくりだすことに成功している卓越したすばらしい訳者とおもう。コロスの合唱の部分などはたしかに格調高いというか、耳慣れない古いことばがいろいろあって、言語採集家としてはそれだけでもおもしろい。206には「雷」に「はたた」という読みがふられている。「霹靂神」とかいて「はたたがみ」という語があるらしく、「はたたく神」の意だという。208は「禍」に「まがつみ」のルビ。あと「エレクトラ」にはいってこちらは松平千秋の訳だが、229には「程らい」という語がでてきて、程度ということだろうがこれはなんかいいなとおもった。「あなたはやがて悲しみの程らいを超えて救いのない苦しみに向かって身を亡ぼしてしまうのよ」という一行なのだが。「アンティゴネ」の内容にかんしては、さまざまな対立項がわかりやすいし、いろいろなテーマで読み解きやすい作品なのだろうけれど、こちらにはとくにおもしろい知見を提出するようなちからはない。対立関係としてあからさまに目につくのは、国家や公の領域と身内すなわち私的領域、現世(人為)とあの世(神の領域)、それに男と女、というあたりか。これはオイディプスの娘であるアンティゴネが叔父クレオンと対立するはなしで、オイディプスがテーバイを去ったあと、彼のふたりの息子であるポリュネイケスとエテオクレスという兄弟らが王位をあらそってたたかい、ふたりとも死んでクレオンが即位するのだけれど、テーバイにいて国をまもったエテオクレスはねんごろにほうむられるのにたいして、テーバイを攻めていわば祖国の敵になったポリュネイケスをとむらうことは禁止される、そういう布令にアンティゴネはさからってつかまりクレオンの命で岩屋みたいなところに閉じこめられ、首を吊って自殺し、そのかたわらでアンティゴネの許嫁であったハイモン(クレオンの息子)もみずからに剣をつきたてて自害し、そのしらせをきいたクレオンの妻エウリュディケもやはり自殺し、とまるで感染症のように自殺の連鎖がつづき、けっきょくクレオンは自身のおごりと高圧のために息子も妻もうしなって不幸な身の上となる、といういくらか教訓譚めいた趣向になっている。で、アンティゴネは劇中冒頭の妹イスメネの対話からしてすでに、クレオンの出した禁令はちゃんちゃらおかしいものだみたいなかんがえで、おなじ母から生まれて血をわけた兄であるポリュネイケスを葬っては駄目だなんていうのは筋がとおらない、とわたしは禁令をやぶって死ぬとしてもお兄様をきちんと手厚くほうむってさしあげよう、というかんじなのだけれど、そのとき口にされることばが、「あの人たちに、私の身内を私から隔てる権利はありませんわ」(153)である。だからアンティゴネは私的領域の論理でかんがえていて、親しい家族である「身内」をそれにふさわしくほうむらないのはむしろそのほうが罪だというこころで、そこになおかつ、ある種の自然法思想というか、国家によってさだめられた人為の法が禁じていようと、それよりも神さまがお定めになった古来からの永遠的な決まりのほうが大事だ、というかんがえがむすびつくとどうじに、死んであの世にいけば敵も味方も善も悪もない、みたいなかんがえかたもあわさってくる。そのあたりは172から173の台詞にあらわれている。いわく、「だってもべつに、お布令を出したお方がゼウスさまではなし、あの世をおさめる神々といっしょにおいでの、正義 [ディケ] の女神が、そうした掟を、人間の世にお建てになったわけでもありません。またあなたのお布令に、そんな力があるとも思えませんでしたもの、書き記されてはいなくても揺ぎない神さま方がお定 [き] めの掟を、人間の身で破りすてができようなどと。/だってもそれは今日や昨日のことではけしてないのです、この定 [きま] りはいつでも、いつまでも、生きてるもので、いつできたのか知ってる人さえありません。(……)」というわけで、だからここにはあきらかに、神の法と人の法を対立させて前者を優先するかんがえかたと、またもうひとつ、神の法の起源遡行不可能性という、よくしらんがデリダとかがかんがえて論じたとおもわれるテーマがかきこまれている。神の法はいつどこでつくられたのか歴史的起源がわからないし、それがゆえに、なのかどうかわからないが、普遍的で、「いつでも、いつまでも、生きて」おり妥当する永遠の法である。ちなみにこの箇所ではその神の法の具体的内容が直接的に言及されておらずあきらかでないが、物語のながれとかほかの箇所をあわせるにそれはむろん、死んだ兄ポリュネイケスを敬虔に葬るということ、ひいてはちかしい家族の死をふさわしい敬意をもって遇するということのはずで、175では、「何が恥でしょう、本当の兄を大切 [だいじ] にしたって」と明言されている。だからアンティゴネが禁令に納得できないのは、ポリュネイケスが「身内」であるからで、この点で彼女は公の立場とか国家的共同体の都合とかよりも、私的な関係を優先していることになる。いっぽうのクレオンは統治者なのでまあ国家的利益の観点からかんがえるのだけれど、彼からすれば、エテオクレスはテーバイをまもって死んだ勇者なので英雄として葬るにあたいするが、ポリュネイケスのほうは外から攻めてきてテーバイを破壊しようとした裏切りの徒であり国家の敵であるから、その死を礼節をもって遇するなどけしからんことでもってのほか、ということになる。いちおう彼からしてもポリュネイケスは甥にあたるから「身内」ではあるのだろうけれど、「身内」の論理は優先されず、その点ははっきりと明言されている。161で、クレオンが登場して最初の演説風の長台詞の途中で彼は、「また自分の祖国に替えて、身内をそれより大切にするのも、まったく取るに足りない人間だ」と口にしているからだ。したがってクレオンからするとアンティゴネは「まったく取るに足りない人間」となるはず。クレオンにとってはとうぜんながら私的論理よりも国家の都合、すなわち国益が優先されるから、国家の敵対者であった奸賊ポリュネイケスをエテオクレスと同様に弔うのは、あきらかに「自分の祖国に替えて、身内をそれより大切にする」おこないだろうし、国益に反する。だからここで公/私の対立があり、二者のあいだで優先する項はわかれているわけだが、公のほうはとうぜんながら共同体的人為および集団性とむすびついている。たいしてアンティゴネは、国家もしくは人為を超越する神の秩序と論理が、直接一個人のふるまいとしての私に一気に接続しているというのが意味論的にかんがえたときの多少の見どころだろうか。クレオンがポリュネイケスを逆賊と規定するにかんしてはもちろん、敵/味方の二分法があって、ポリュネイケスはまったき敵でありエテオクレスは味方の英雄である。で、古代ギリシア人の観念としては、プラトンなどでもたびたび表明されていた記憶があるが、基本的に敵にわざわいをあたえることは良いことであり、逆に敵を利することは悪である。だからポリュネイケスを利することはもちろん悪であり、それを実行しているアンティゴネのおこないも悪である。クレオンは175のアンティゴネとの問答のなかで、「それなら、どうして、その兄にとっては非道を見える勤めをするのか」と問うている。「その兄」というのはエテオクレスのほうのことで、たいしてアンティゴネは「死んでしまった方は、そんなことをけして認めはしないでしょう」とうけ、そのすこしあとでもふたりは、「だが、良い者が、悪人と同じもてなしを受けてはすまされない」「誰が知ってましょう、それがあの世でまだ、さしつかえるか」という応酬をしているので、クレオンは人の世の善悪の領域に身と思考をおいており、ひるがえってアンティゴネは、人の世をはなれてあの世にいけば現世における善悪は問題ではなくなる、という論理に拠っている。だからアンティゴネにとってあの世は、人間的浮世を超越した領分であり、したがってそれはおそらく純粋に神の領域だということになるのだろう。ここまでつらつらとかいてきた構図をキーワード的にまとめると、クレオン: 公/国家/現世(人為)/敵・味方――アンティゴネ: 私/身内/あの世(神)/死における平等、というくらいのかんじになるか。あととうぜんそこに、男女の二分法もくわわってくるのだけれど、これにかんしてはクレオンの女性蔑視がきわだつだけで、アンティゴネはそれにたいして女性を男性よりも優位におくというかんがえかたは表明していなかったとおもう。うえの四つの対立にかんしては、それぞれがじぶんの立場をあいてのものよりも明確に優先するというふるまいをとっていたとおもうのだが。じっさいクレオンの男尊女卑ぶりはひどく、こいつただのクソ野郎じゃん、というかんじで、「こいつはどうやら、女の味方をするつもりだな」(186)とか、「ええ、なんという穢 [けがら] わしい奴、女にも劣ろうとは」(同)、「いよいよお前の言い分はみな、女の弁護なのだな」(同)、「なにを女の奴隷のくせに、口先だけでまるめにかかるな」(187)という調子で、186から187にかけての息子ハイモンとの口論のなかにはたてつづけに、女性をおとしめる発言がでてくる。クレオンにとっては女性は男性よりも本質的に劣った存在であるらしく、だから女性にしたがったり負けたりするのは「穢わしい」ことになるわけだろうが、女性がなぜ男性よりも本質的に劣った存在であるのかその根拠はなにもしめされず、それは彼においてまったくうたがわれることのない前提としての地位を確立している。だからハイモンとの問答では、ハイモンが女性であるアンティゴネの擁護をしているというその一点だけで、こいつは見下げ果てたやつでそのいいぶんをきく価値などない、ということになってしまい、ハイモンの主張の内容がまるで吟味されないので、こいつただのアホやんという印象だ。また同時にそこに、息子は基本的に父親にさからってはいけないという観念も強烈にからんでくるので、この劇中のクレオンは完璧なまでに家父長制の権化みたいな人物となっている。
  • そのクレオンがじぶんの意見をひるがえすにいたるのは、予言者テイレシアスがあらわれてことばをもたらしたあとなのだが、この予言者は『オイディプス王』のなかでオイディプスにも予言をもたらしたまさしくそのひとであり、註によれば「竜族の子孫」なのだという。『ダイの大冒険』の主人公かな? というかんじだが、もともとテーバイのなりたちが、開祖カドモスが巨竜を退治してその歯を地に撒いたところ戦士たちが生え出てきて部下になり、彼らがテーバイ市民の祖先だという伝説になっているらしい。それはともかく、テイレシアスは、占いに不吉な兆しがあらわれて、この都が病におかされているということ、またクレオンはその増上慢のためにみずからの「身内」を失うことになるだろうというふたつのことがらをつげるのだけれど、こちらがちょっときになったのは、クレオンの翻意を決定づけるのが、前者ではなくて後者のことばだという点である。まず前者にかんしていえば、テイレシアスは、「この都は御身の心柄ゆえ、患いを受けている次第」(201)と指摘しており、「御身の心柄」というのはむろん、クレオンがポリュネイケスの死骸をさらしものにして葬らなかったということだ。それによって、「この国の祭壇も、火処 [ひどころ] も、一つ残らずそっくり皆、鳥どもや野犬らによって、あの不運に斃れたオイディプスの子の腐肉のために穢れ」、「それゆえ神々とても、われわれの犠牲 [にえ] をささげる祈禱さえはや、聞こし召されず、腿肉の供物の焔も享けさせないのだ」(201~202)ということになる。だからテイレシアうのいうところによれば、神々はあきらかにアンティゴネのかんがえを擁護していることになるはず。予言者はつづけて、「ともかく死人には容赦を用いて、没 [みまか] った者を攻め立てなどはしないがよい。死人をさらに殺してそれが、何の誉れか」(202)とクレオンをいさめているが、これはアンティゴネの主張と軌を一にしているはず。死人は死人であるだけで、「容赦」をもって遇するにあたいするということで、ただテイレシアスにとってはもちろんポリュネイケスは「身内」ではないから「身内」の論理はそこにはいってこない。彼の主張は、死人にはそれにふさわしい扱い方がある(そしてそれをまもるのが神を尊ぶことである)、ということだろう。たいしてアンティゴネにとってポリュネイケスはまず「身内」であり、彼女がポリュネイケスを手厚くほうむりたいとおもうにあたってはその要素が先行しており、しかしポリュネイケスは敵となった悪い身内ではないか、という反駁にたいして、死んであの世にいけば敵も味方もない、という再反論として死者の平等性がでてくるはず。テイレシアスのうえのような忠言にたいしてしかしクレオンはまだ納得しておらず、「いや、けして、その穢れを畏れ憚り、あいつの葬儀を許そうなどとは思いもよらん」(202)とみずからの立場に固執し、テイレシアスを金銭的利益のために虚言を吐いているいかさま野郎だと非難するのだけれど、そうした侮辱にたいして予言者は、「これから、もういくたびも、太陽の速い車駕 [くるま] が廻って来ぬうち、御身の血をわけた者の一人を、死んだ屍 [むくろ] の対償に、自分から屍となして、代りに差し出すことになろう」(204)と、予言というか不吉な呪いのようなことをいうのだけれど、その根拠は、まずひとつには、「それも御身が、地上の世界に属する者を地下に投じて、無慚にも生命を墓に封じ込めたその償いだ」というわけで、これはアンティゴネを岩屋みたいな場所におくって幽閉したことをいっている。さらにくわえて、「そのうえにもまた、地下の諸神へ当然属すべき死者を、この世に、不当にも葬いもせず聖めもせずに停 [とど] めておいた」こと、葬儀によってあの世におくられるはずのポリュネイケスを「御身がむりやりに押しとめた」ことが「咎」だといわれるわけだが、このあたりをよむと、クレオンが罰せられるのは、敵味方善悪うんぬんをこえて、生と死のあるべき秩序をみだし、死に属すべきものを死にむかわせずそのみちゆきをさまたげ、また本来生に属すべきものを身勝手に死の領分へとおくりこんで、いわば生と死の二領域を適切に分節せず、それらを混淆・交雑させてしまったからだ、といわれているようにもおもえる。生と死のさかいをただしく区分してその純粋状態をたもつことをおこたり、生のなかに死を、死のなかに生をまぜこんでしまったことが罪である、と。そのばあいアンティゴネは、生の領域のなかに一片まざってしまった死の色をただしく死者の領分へとおくりこみ、生死のあるべき秩序を回復させようとした、いわば世界の補修者とでもいうことになるだろうか。しかしおそらく神々の視点からすると誉れをうけるべきだった彼女のそうしたおこないは、クレオンのさだめた人為の法からは逸脱し、アンティゴネはみずからが死へとおくりこんだ死者のあとを追うようにして、「地下」の「墓」にあたる洞穴におくりこまれ(さらに、象徴的にのみならずそこで現実に死者と化すことになり)、せっかくアンティゴネが補修した世界の破れ目はふたたびひらいて、生死はまじりあってしまうわけだ(といっても、アンティゴネはたぶんじっさいは、「世界の補修」をこころみるところまでにとどまったはずで、つまり彼女が成功したのは死骸にいちど土をかけることだけで、そのあと亡骸を埋めようとしているところでつかまったのだから正式な弔いはできていなかったとおもうので、このよみはおそらく成立しない)。
  • はなしをもどすと、うえのような予言者の不吉な宣言をうけて、クレオンはようやく動揺し、臣下であるコロスの進言もあって、「やれやれ、辛いことだが、前の気組みを変改して、そうするほかはあるまい。天命と、かなわぬ戦さをしてもむだだ」(206)と口にし、かんがえをひるがえすにいたる。クレオンが意見をかえるにあたってはまずテイレシアスがこれまでいちどたりとも「国に対し」、「うそを予言」(205)したことがないということ、つまりテイレシアスの予言能力のたしかさにたいする信頼が前提としてあるのだが、くわえてこちらがちょっとだけ気になったのは、国家的災いについて忠告された時点ではまだ反発していたクレオンが、みずからの家族が死ぬといわれたとたんにかんがえを反省していることで、ここでたしかテイレシアスが「身内」ということばをつかっているとおもって上述(「クレオンはその増上慢のためにみずからの「身内」を失うことになるだろう」)では「身内」と括弧にくくってこの語をかきつけたのだけれど、よみかえしてみると予言者の台詞のなかに「身内」という語はつかわれておらず、「御身の血をわけた者の一人」(204)といわれていたのだが、これを「身内」といいかえてもひとまず問題はないだろう。気になったというのは、ここではなしが「身内」のレベルに収斂しているということで、いままで議論は基本的には公と私の対立にもとづいていて、クレオンは私的ないいぶんよりも国益を優先していて、その観点からしてじぶんの判断をうたがっておらず、テイレシアスが、「都」(201)という国家共同体からみてもあなたのおこないは「患い」をもたらしていますよと、すなわちほかならぬ統治者であるあなたの行為が国益をそこなっていますよと忠告してもききいれなかったのだけれど、あなたに家族をうしなうという個人的な不幸がおとずれますといわれたところでようやく翻意しているわけだ。だからここでクレオンは、統治者から私人になっている。クレオンが統治者であることを徹底し、またじぶんの判断は国家的観点からしてやはりただしいと確信し、ポリュネイケスを葬るのはやはりゆるせない、とその点を是が非でもゆずらなかったなら、彼は家族がどうなろうが国家のためにその不幸をたえしのぶべきだったのだ(ちなみに、国家的観点からみた彼の決断と禁令も、ハイモンの証言によれば、民衆には不支持だったらしい。彼は、184で、「この町のもの」がアンティゴネのために「悼み嘆いて」おり、「このうえなく立派な仕事をしたというのに、そのためとりわけ惨めな死様をとげようとは、ありとある女の中で、彼女 [あれ] はいちばん不当な目にあう者ではないか」と同情して、兄の亡骸を獣らに荒らされることをゆるさず葬ろうとした彼女は、「黄金 [こがね] に輝く栄誉を授けらるべきではなかろうか」と噂しあっている、と父親にむけてしらせているからだ。だから、クレオンの決断は、政治的にかんがえたとしても、すくなくとも世論の面からみるかぎりではあやまりだったことになるだろう)。しかしじっさいには、クレオンはそこまで確固として政治家にとどまることはできなかった。自分の判断のあやまりをみとめたわけだけれど、しかしそれをみとめるにいたったとき、彼はみずからの従前の主張が国家にどういう影響をもたらしたかということをかんがえておらず、政治的観点での反省をしておらず、個人的な不幸の可能性を危惧しているだけだからである。したがって、テイレシアスの予言が終わった時点で、クレオンは統治者であることをやめ、それは劇の終幕までつづいているはず。そして「身内」の不幸にうちのめされて政治的思考をうしない、ただただ私人として身の不幸をなげき世の終わりを念願するだけとなった彼は、161でみずから非難していたような人間、「自分の祖国に替えて、身内をそれより大切にする」「まったく取るに足りない人間」へと変貌してしまっている、ということになるだろう。
  • 書見を切りとしたあとは出勤の準備へ。おにぎりをひとつつくってきて食い、歯磨きなどするあいだは(……)さんのブログをよんだのだったか? 出発前に「記憶」記事をすこしだけ音読。したのふたつの引用がよかった。ひとつめは岡崎乾二郎「愚かな風」(2017/6/6; 初出: 『現代詩手帖 2017年2月号 【特集】ボブ・ディランからアメリカ現代詩へ』)(https://note.com/poststudiumpost/n/n679f81bffbb4)からのもので、ふたつめはBob Dylanノーベル文学賞受賞をうけて発表した、"Bob Dylan – Banquet speech"(https://www.nobelprize.org/prizes/literature/2016/dylan/25424-bob-dylan-banquet-speech-2016/)からのもの。「一夜の和解(恋愛)を終えれば、再び、われわれは標識と境界線に縛られた現世に戻らなければならない、この束縛がつくりだす、さまざまな交差点、を生き延びていくことこそ、われわれの背負う十字架である。この(歴史を騙った)拘束の中で結局、君はこちら側で俺はあちら側であるということは逃れられない。けれど、われわれは、たくさんすぎるくらいの朝を迎え、千マイルも歩いてきたそういう人間である。だからこそ、きっと、またもうひとつ余分な朝を迎えることができるのだ」ということばのつらなりには感動してしまう。「またもうひとつ余分な朝」。Dylanの声明も、ずいぶん気の利いたことをいうなあ、というかんじ。

 [一九七五年から七六年に掛けて行われた「ローリング・サンダー・レヴュー」ツアー中の一公演(一九七六年五月二三日、ヒューズスタジアム、フォート・コリンズ)について] ディランは現世的な都合(権益)で決められたにも拘らず、あたかも歴史的起源をもつかのように騙る国家秩序(その具体的現れとしての国境)に振り回され、移動を強いられ、利用される移民たちを、メキシコ国境でいまだ続くアメリカ国内問題と重ねて、歌っているのである。が、ゆえに移民は所詮、歴史的アリバイを騙っても目先だけの区切りにすぎない政治的秩序には結局は束縛されない。続いて歌われる“ I’m one too many mornings/And a thousand miles behind"(https://www.youtube.com/watch?v=3s_KYywhd_8&feature=youtu.be&t=1m23s)がこの流れをさらにひとひねりして、高みにあげる。一夜の和解(恋愛)を終えれば、再び、われわれは標識と境界線に縛られた現世に戻らなければならない、この束縛がつくりだす、さまざまな交差点、を生き延びていくことこそ、われわれの背負う十字架である。この(歴史を騙った)拘束の中で結局、君はこちら側で俺はあちら側であるということは逃れられない。けれど、われわれは、たくさんすぎるくらいの朝を迎え、千マイルも歩いてきたそういう人間である。だからこそ、きっと、またもうひとつ余分な朝を迎えることができるのだ。“ I’m one too many mornings/And a thousand miles behind"、いまだ訪れない、このもうひとつ余分な朝(それを持つのが人間である証だ)までも分類され、支配されることはない。われわれ移民は、このいまだ訪れない、もうひとつ余分の朝の中にこそ棲んでいるのだ。

 *よく知られているようにローリング・サンダー・レヴューは、まだレコードを出す前だったパティ・スミスとそのグループのクラブでの演奏にディランが衝撃を受けたことがきっかけになっている。ディランはパティとの共演を望んだが、パティは断った(http://alldylan.com/wp-content/uploads/2012/03/Dylan-adoring-Patti.jpg)。がディランはパティ・スミスの毅然とした姿に大きく影響され、長い間中断していたコンサートツアーを再び始めたのである。ノーベル賞授賞式でパティが(今度は断らず)、途中で言葉を失って中断しながらもローリング・サンダー・レヴューのテーマ曲でもあった「はげしい雨が降る」を歌った(https://www.youtube.com/watch?v=941PHEJHCwU)とき、われわれも感銘のあまり、言葉を失ってしまったのは当然である。われわれは何千マイルも歩いて何を見てきたのか?

     *

I was out on the road when I received this surprising news, and it took me more than a few minutes to properly process it. I began to think about William Shakespeare, the great literary figure. I would reckon he thought of himself as a dramatist. The thought that he was writing literature couldn’t have entered his head. His words were written for the stage. Meant to be spoken not read. When he was writing Hamlet, I’m sure he was thinking about a lot of different things: “Who’re the right actors for these roles?” “How should this be staged?” “Do I really want to set this in Denmark?” His creative vision and ambitions were no doubt at the forefront of his mind, but there were also more mundane matters to consider and deal with. “Is the financing in place?” “Are there enough good seats for my patrons?” “Where am I going to get a human skull?” I would bet that the farthest thing from Shakespeare’s mind was the question “Is this literature?”

  • 五時すぎに上階にあがって出発。ポストから夕刊などの郵便物をとっておく。雨がぽつぽつ降っていたので傘をもった。勢いはさほどではなく、このくらいならば意に介さずともよいといえばそうだったのだが、ひとつひとつの粒がわりと大きめで肌への感触もはっきりしていたので、まあ差すかとひろげて道をいく。ただ、すぐに弱まった。それでいちじ閉じて、道沿いの庭にでてしゃがみこんで草取りをしていた(……)さんとあいさつをかわして坂にはいると、今度はまたすぐに復活したので再度ひらく。木の間の坂道をのぼっていき、最寄り駅がまぢかになるころにはそこそこ盛っていた。横断歩道で車をとめてゆっくり通りをわたり、屋根つきの通路にはいって傘を閉じ、sの子音の雨音がひろがるなかをホームにうつり、ベンチに寄ってすこしまつときたものに乗車。席について瞑目し、待っておりてホームをいく。駅をでるとここではもう降りはない。職場にいって勤務。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 九時まえに退勤。徒歩。「ココナラ」のような場で金をかせぐことについてなどおもいめぐらしながらあるく。そういえばこの日は、ジャケットをはおらずにベストすがたで出勤したが、これは今年はじめてのことだ。空は全面雲におおわれているのだが、それでもあまり黒く暗くなく、道の先で建物とのさかいもあきらかだし、むしろ青みすらわずかにみてとられるようなので、痕跡も気配も発見できないがたぶん月がもうだいぶあかるいのではないか、とおもった。そしてじっさい、家につづくさいごの裏道からみあげれば雲海のなかにうかびあがるわずかなひかりの靄がつかまえられて、ひともいないし車もこないので首をまげてそれをみつめながら坂をくだっていると、だんだんと月のすがたが、雲の幕のむこうで白い影絵のようにして形成されあらわれはじめ、やはりもうだいぶ満月にちかいようなかたちだった。おおきさとしてはちいさめでとおくあるようにみえたが、かたちはまるい。月の暦とか満ち欠けのしくみとか周期というものをいつまでたってもきちんとしらべないし、したがってちっとも理解できないでいるのだが。坂道をくだっていって下端までくるころには月はまた雲の支配にのまれて所在がわからなくなり、空は偏差も畝もさほどもたずまとめてすべて薄鼠色のなだらかなひろがりをかけられて、それは際までぬかりなくおりてつづき天をきっちりと閉塞しているのだけれど、そんななかに月の居場所がわからずそのなごりすらうかがえず姿がきえてしまっていても、ひかりだけはみえない裏でおおいなる天の全体にあまねく浸透しているらしく、灰色の幕と地上のさかいは明瞭で、空の端と山影があきらかに分離されているのですげえなとおもった。
  • それから時間としてはすこしまえにあたるが、街道の途中で今夜も道路を掘って工事をしていた。先日みたのとおなじ、おおきな提灯を横に寝かせたようなかたちの真白い照明のもとで人足たちがうごめいており、今日はなにやら機械の駆動音も発生していてショベルカーも二台でばっており、ただ一台はクレーンをひきあげて停止中でもう一台はいくらかうごいていたようだが、しかしそれでいま道を掘っているというわけではないようで、もう掘られた穴にたいしてなにかしらやっているらしく、穴のなかや周囲にはいろいろものが置かれていたようで、モーター音を発してなにかの機械をあやつっているらしいひとりのところからは蒸気も湧いているのだが(機械のすがたは穴のなかにあってみえなかったのだが)、なにをやっているのかはむろんまったくわからない。水道管の工事をしてはいるのだとおもうが。そちらから見てむかいの歩道をだらだらいきながらじろじろみていたあいだ、工事員たち数人がなにやらおおきな笑いをはじけさせる瞬間があった。
  • 帰宅すると休息。(……)さんのブログをよんだのだったか。五月二二日。卒業する生徒たちにむけてけっこう長文の手紙的メッセージをおくっているのだが、それがよい文章でわりと感動してしまう。「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」というアントワーヌ・サン=テグジュペリのことばが冒頭にいきなりひかれており、これをよみながらBill Evans Trioのことをおもいだした。たしか(……)さんが前回東京にきたときだから二〇一九年の二月のこと、そのうち(……)で(……)公園を散歩したあといまは亡き(……)にいってはなした日だから、あの年は一年つづいた鬱状態からなぜか回復し日記を再開したばかりで、二月四日に(……)くんとひさしぶりに再会して新宿で会い、(……)さんと会ったのはそのつぎの日から三日間だったはずだから七日のことではないかとおもうが、喫茶店で音楽のはなしをしたときに一九六一年のBill Evans Trioはやたらすごいといったとき、(……)さんもこのことばを言及していたような気がするのだが、あるいはそのときはサン=テグジュペリは言及されず、そのすこしまえに(……)さんのブログに引かれてあった木村敏のことばにふれられただけだったかもしれないが、そこでいったBill Evans Trioの様相というのは、いままでおりにふれて書いているとおもうけれど、ようするに三者がたがいのほうをまったくみておらず目も顔もすこしもあわせずにじぶんの方向をむいてひとりだけで勝手にやっているのだけれど、それがなぜか偶然一致してしまっている、みたいな印象、ということだ。これは主観的な印象でしかないし、じっさいにはちがうとおもうのだけれど、こちらにはあの音楽はそういう感触だとしかおもえない。ただ、うえの「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」というアフォリズムにそってかんがえるに、Evans Trioは「お互いを見つめ合うこと」をしていないのはたしかだが、たぶん「同じ方向を見つめ」ているわけでもないな、とおもった。イメージとしては、まったくばらばらの方向を見つめているようにおもえる。ただこれは具体的に音楽に即していないいまの印象なので、尚早な臆見にすぎない。あるいは、「方向」としてはおなじでも、そこでじっさいにみつめているものはちがっているはず。
  • Evans Trioがはてしなくすごいのはやはりその点で、つまり三者三者とも、たがいをうかがったりあわせにいったりあいての出方をみたりしているとかんじさせる瞬間がほんとうに一瞬もないということで、彼らは六一年のVillage Vanguardでの演奏を全部とおして、最初から最後まで迷いがまったくない。息があっている、などというはなしではなく、そもそも「あう」ものとしての「息」があそこには存在していないかのよう。そのなかでもこちらがおもうにはやはりEvansがどうしてもすごく、この前日に"Alice In Wonderland (take 1)"をきいたときにもほれぼれしてしまったのだけれど、ソロの途中に、ただあがってさがっているだけなのにすさまじく明晰な音列があって、一音の際立ち方にせよリズムにせよフレーズのながれにせよ、完璧だとしかおもえない音のつらなりを彼はたしかに発生させている。全篇にわたってではないとしても、六一年六月二五日のBill Evansの演奏のなかに完璧さはまちがいなく存在している。それをもちろんアドリブとしてこともなげにやっているのがきわめて異常で、あたまがおかしいとしかおもえない。とにかく明晰にすぎていて、明晰さがきわまって異貌のものになっているようにかんじられる。狂気にちかい。そういう明晰さと統一性はLaFaroとMotianにはやはりない。LaFaroには多少あるにしてもEvansほどではないし、彼はどちらかといえばやはりかきまぜるタイプだろう。Motianは明晰さなど最初からめざしていないし、彼の演奏は「明晰さ」などという概念を知ってはいない。
  • そのあとの食事時のことはあまりおぼえていないが、夕刊に、ベラルーシの反体制派メディアのひとが拘束されたという事件の報があった。ルカシェンコの指令でベラルーシ領空内で彼が乗っていた飛行機が強制的に着陸させられ、なんでも爆発物だったかなんだかわすれたがそういうものがあるとかいう名目でとめられたらしいのだが、それは発見されず、そのメディアのひとが拘束されたと。NEXTAとかいうメディアをつくったひとらしいが。たしかアイルランドの航空会社とか書かれていたような気がするのだが、記憶がふたしか。EUはとうぜんルカシェンコおよびベラルーシ政府を非難。
  • ほかになにかよんだような気もしないでもないが不明。食事はサバなどだった。食後、すぐに風呂へ。風呂でも日記を金につなげることについてかんがえ、やはりやめようとおちついたのはきのうの記事にしるしたとおりだ。でると以下。
  • いま零時半。入浴後、茶を用意してBrandon Ambrosino, "How and why did religion evolve?"(2019/4/19)(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve))をよみだし、読了。そこそこながくて、三回にわけてよみおえることになった。引用は今日読んだ部分のなかからのみ。Frans de Waal(フランス・ドゥ・ヴァール)というひとはあきらかにききおぼえがあるなまえなのだけれど、いったいどこでみたのかおぼえていない。たぶん本屋でみかけたのだけれど、どの著作をみたのかがわからん。おそらくいちばんあたらしい邦訳の、『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』というやつか。

In archival footage(https://www.youtube.com/watch?v=jjQCZClpaaY(https://www.youtube.com/watch?v=jjQCZClpaaY)), primatologist and anthropologist Jane Goodall describes the well-known waterfall dance which has been widely observed in chimpanzees. Her comments are worth quoting at length:

When the chimpanzees approach, they hear this roaring sound, and you see their hair stands a little on end and then they move a bit quicker. When they get here, they’ll rhythmically sway, often upright, picking up big rocks and throwing them for maybe 10 minutes. Sometimes climbing up the vines at the side and swinging out into the spray, and they’re right down in the water which normally they avoid. Afterwards you’ll see them sitting on a rock, actually in the stream, looking up, watching the water with their eyes as it falls down, and then watching it going away. I can’t help feeling that this waterfall display or dance is perhaps triggered by feelings awe, wonder that we feel.

The chimpanzee’s brain is so like ours: they have emotions that are clearly similar to or the same as those that we call happiness, sad, fear, despair, and so forth – the incredible intellectual abilities that we used to think unique to us. So why wouldn’t they also have feelings of some kind of spirituality, which is really being amazed at things outside yourself?

Goodall has observed a similar phenomenon happen during a heavy rain. These observations have led her to conclude that chimpanzees are as spiritual as we are. “They can’t analyse it, they don’t talk about it, they can’t describe what they feel. But you get the feeling that it’s all locked up inside them and the only way they can express it is through this fantastic rhythmic dance.” In addition to the displays that Goodall describes, others have observed various carnivalesque displays, drumming sessions, and various hooting rituals.

     *

The roots of ritual are in what Bellah calls “serious play” – activities done for their own sake, which may not serve an immediate survival capacity, but which have “a very large potentiality of developing more capacities”. This view fits with various theories in developmental science, showing that playful activities are often crucial for developing important abilities like theory of mind and counterfactual thinking.

Play, in this evolutionary sense, has many unique characteristics: it must be performed “in a relaxed field” – when the animal is fed and healthy and stress-free (which is why it is most common in species with extended parental care). Play also occurs in bouts: it has a clear beginning and ending. In dogs, for example, play is initiated with a “bow”. Play involves a sense of justice, or at least equanimity: big animals need to self-handicap in order to not hurt smaller animals. And it might go without saying, but play is embodied.

Now compare that to ritual, which is enacted, which is embodied. Rituals begin and end. They require both shared intention and shared attention. There are norms involved. They take place in a time within time – beyond the time of the everyday. (Think, for example, of a football game in which balls can be caught “out of bounds” and time can be paused. We regularly participate in modes of reality in which we willingly bracket out “the real world”. Play allows us to do this.) Most important of all, says Bellah, play is a practice in itself, and “not something with an external end”.

Bellah calls ritual “the primordial form of serious play in human evolutionary history”, which means that ritual is an enhancement of the capacities that make play first possible in the mammalian line. There is a continuity between the two. And while Turner acknowledges it might be pushing it to refer to a chimpanzee waterfall dance or carnival as Ritual with a capital R, it is possible to affirm that “these ritual-like behavioural propensities suggest that some of what is needed for religious behaviour is part of the genome of chimpanzees, and hence, hominins”.

     *

De Waal has been criticised over the years for offering a rose-coloured interpretation of animal behaviour. Rather than view animal behaviour as altruistic, and therefore springing from a sense of empathy, we should, these wise scientists tell us, see this behaviour for what it is: selfishness. Animals want to survive. Period. Any action they take needs to be interpreted within that matrix.

But this is a misguided way of talking about altruism, de Waal says.

“We see animals want to share food even though it costs them. We do experiments on them and the general conclusion is that many animals’ first tendency is to be altruistic and cooperative. Altruistic tendencies come very naturally to many mammals.”

But isn’t this just self-preservation? Aren’t the animals just acting in their own best interests? If they behave in a way that appears altruistic, aren’t they just preparing (so to speak) for a time when they will need help? “To call that selfish,” says an incredulous de Waal, “because in the end of course these pro-social tendencies have benefits?” To do that, he says, is to define words into meaninglessness.

     *

Such a hard and fast line between altruism and selfishness, then, is naive at best and deceptive at worst. And we can see the same with discussions of social norms. Philosophers such as David Hume have made the distinction between what a behaviour “is” and what it “ought” to be, which is a staple of ethical deliberation. An animal may perform the behaviour X, but does it do so because it feels it should do so – thanks to an appreciation of a norm?

This distinction is one that de Waal has run into from philosophers who say that any of his observations of empathy or morality in animals can’t possibly tell him about whether or not they have norms. De Waal disagrees, pointing out that animals do recognise norms:

The simplest example is a spider web or nest. If you disturb it, the animal’s going to repair that right away because they have a norm for how it should look and function. They either abandon it, or start over and repair it. Animals are capable of having goals and striving towards them. In the social world, if they have a fight, they come together and try to repair damage. They try to get back to an ought state. They have norm of how this distribution should be. The idea that normativity is [restricted to] humans is not correct.

In the Bonobo and the Atheist, de Waal argues that animals seem to possess a mechanism for social repair. “About 30 different primate species reconcile after fights, and that reconciliation is not limited to the primates. There is evidence for this mechanism in hyenas, dolphins, wolves, domestic goats.”

He also finds evidence that animals “actively try to preserve harmony within their social network … by reconciling after conflict, protesting against unequal divisions, and breaking up fights among others. They behave normatively in the sense of correcting, or trying to correct, deviations from an ideal state. They also show emotional self-control and anticipatory conflict resolution in order to prevent such deviations. This makes moving from primate behaviour to human moral norms less of a leap than commonly thought.”

  • そのあとは金井美恵子「切りぬき美術館 新スクラップ・ギャラリー: 第1回 猫の浮世絵とおもちゃ絵1」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2015/11/post-1.html(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2015/11/post-1.html))と同「第2回 猫の浮世絵とおもちゃ絵2」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2015/12/2.html)をよんだり、きのうの日記をしるしたりなど。この金井美恵子の記事をよんださいに、ウェブ平凡じたいにもアクセスしてちょっとみてみると、川上弘美の「東京日記」というやつと、こちらはもう更新停止しているが中原昌也の「書かなければよかったのに日記」というシリーズもあって、これらはいつかよもうとおもってメモしておいた。それぞれほんのすこしだけのぞいてみたのだが、いかにも日記らしく簡潔なもので、そうなんだよな、ほんとうは日記というものはこういうふうにそっけなくみじかい文でやるもので、じぶんのやつみたいに、だらだらうだうだとあれだけの長文でだべりまくるかたりまくるというのは、ほんとうはやはり恥ずかしいこと、品のないことなのだよな、とおもった。太宰治ではないが、人間などただでさえ、生きているだけである面では恥をさらしているようなものなのに、それにかさねてわざわざその恥を、いい気になって積極的に能動的にさらしていこうというのだから、まったくもって恥ずかしい、あさましいことをやっているとおもう。前世の宿縁か?
  • 二〇二〇年五月二四日の記事もよみかえした。むかしの記事から、エンリーケ・ビラ=マタス木村榮一訳『バートルビーと仲間たち』(新潮社、二〇〇八年、21~24)がひかれている。ヴァルザーについてしるした箇所。カール・ゼーリッヒの証言としてつぎのもの。「以前ヴァルザーとわたしは深い霧に包まれたトイフェンからシュパイヒェンまでの道を散歩したことがあるが、秋のあの午後のことはいつまでも忘れることができないだろう。あの日わたしは彼に、あなたの作品はゴットフリート・ケラーのそれと同じようにいつまでも残るでしょうと言った。すると、彼は地面に根が生えたように急に立ち止まり、ひどく重々しい顔でわたしをじっと見つめてこういった。わたしたちの友情を大切にしたいのなら、二度とそういうお世辞を言わないでくれ。彼、ローベルト・ヴァルザーは無用の人間であり、人から忘れられたいと願っていたのだ」。ビラ=マタス当人の文および説明としては、以下のもの。「猟奇」はおそらく「領域」をミスタイプしたものとおもわれる。

 ローベルト・ヴァルザーは虚栄を、夏の日を、女性用のスパッツ、日差しを浴びている家、風になびいている旗を愛していた。しかし、彼が愛した虚栄は自分だけが成功すればいいといった野心とはまったく無縁なものであり、微小なもの、はかないものをやさしく提示するといったたぐいの虚栄心だった。地位の高い人が住む世界を支配しているのは力と名声だが、ヴァルザーはそういう世界にはまったく縁がなかった。「何かのはずみで波がわたしを押し上げ、力と名声の支配する高みへと運ばれるようなことがあれば、わたしは自分に有利に働いた状況をすべてぶちこわして、下の方、最下層にある無意味な闇の中へ飛び降りて行くつもりだ。わたしにとって息のしやすい世界は下の方の猟奇なのだ」

     *

 ヴァルザーは無用の人間になりたいと願っていた。彼の愛した虚栄とはフェルナンド・ペソアのそれを思わせる。ペソアはあるとき、板チョコを包んでいた銀紙を床に投げ捨てると、自分はこんな風に、つまりこうして人生を捨てたのだといった。

  • 「無用の人間になりたい」にかんしてはかなりの同意をおぼえる。「忘れられたい」は微妙なところだが、なかばくらいはそうかもしれない。「無用の人間になりたい」というよりは、なんらかの意味で有用でないと生きていかれない世にうんざりしている、ということか。有用なひとになどなりたくないし、世にとって用の無い人間になりたいと。いくらかこどもっぽい反発心もしくは反抗心なのかもしれないが。

2021/5/23, Sun.

 輪廻を繰りかえすたましいは、身体という存在のしかたを超えたものでなければならない。身体には感覚が帰属するのだから、身体を超えて永続するたましいをみとめるかぎり、一般に感覚を超えたものが存在し、感覚を超えたものは、感覚以外のなにものかによってとらえられるものでなければならない。見えるものの背後に、あるいはそのただなかに、見えない秩序が見とおされる必要がある。たとえば、煌めく星辰の運行の背後に、それをつかさどる数の秩序が見てとられ、耳にここちよい音階(ハルモニア)のなかに、音程(オクターブ)が聴きとられなければならない。秩序(コスモス)と調和(ハルモニア)は、「数」によって成立する、そのかぎりにおいて「万物は数である」とする、ピタゴラス学派の基本的な洞察はじっさい、基礎的な音程がそれぞれ、一対二、二対三、三対四の比であらわされることの発見に根ざしていた。
 ギリシア語で比とはロゴスであり、ロゴスであるアルケーをとらえるのは、アリストテレス形而上学』(第一巻第五章)に残されている証言によるなら、「たましい」(プシュケー)、あるいはそれ自身ロゴスをそなえた「知性」(ヌース」であることになるだろう。(……)
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、18)



  • 一一時四〇分に離床。いちど一〇時にさめた。きのうかけてあったアラームがそのままになっていたので。それからまた寝つき、一一時に覚醒して、首をのばしたり背中をもんだりしてからおきあがった。背骨の際のあたりがやはりしらないうちにかたくなっていて、そこをもみほぐしておくのはよい。おきあがると洗面所へ。顔をあらい、念入りにうがいをして、用をたすと部屋にもどり、ジャージのうえを身につけて上階へ。多少すずしい気がしてうえを着たのだが、午後一時まえ現在そんなことはまったくない。うすいけれどひさしぶりにひかりもあるし。母親いわく、(……)くんがきたとかいった。父親の友人でときどき会っている威勢のよいひと。くるというからあわてて「(……)」までいってきて団子や饅頭を買ってきたとのこと。冷蔵庫をのぞきながらそれをきいていたこちらは、小皿にはいっていた天かすをあやまってこぼしてしまい、洗面所にある箒をもってきて床のうえを掃き掃除した。それから食事。きのうの天麩羅ののこりなど。新聞はめくっていきながら、連合が立民にたいして共産党との距離がちかくなりすぎることについていらだちをしめし、国民民主党との協力をもとめているという記事をまず瞥見し、それから書評面など。書評面のてまえには君塚直隆のインタビューがあって天皇制についてのべられているようだったが、このなまえはきいたことがある。しかしどこで見聞きしたのかわからない。主にイギリス史をやっている国際政治学者のよう。それはいったんおいて書評面にはいると、尾崎真理子が松家仁之の本をとりあげていて、このひともまえからわりと気になってはいる。マルコム・ラウリーの作品と同名の『火山のふもとで』というやつでデビューしたひとで、たしか記者だか編集者だかをながくやっていてもうそれなりの歳だったはず。マルコム・ラウリーのほうの作品もこちらはよんだことがないし、マルコム・ラウリーという作家については同作のなまえいがいなにもしらない。右ページは苅部直芳賀徹の『文明の庫 [くら] 』という文庫本二巻をとりあげていて、これはおもしろそう。芳賀徹というひとは昨年亡くなった比較文化の大家だといい、たしかにいつか新聞で名をみたきもするが、たぶん主に江戸から明治あたりの文明としての日本をあつかっていたのだとおもう。この本は彼のほかの名著にくらべて、福沢諭吉とか渡邊崋山とか個人によりフォーカスしているので、彼らの精神のうごきがいきいきときわだって記述されている、とのこと。中公文庫から出たらしい。中公文庫という文庫もほかの文庫とはちょっと毛色がちがってなかなかよさそうな本をいろいろだしている。ミシュレとか、歴史系もいろいろあるし、デュルケームもあったはずだし、セリーヌがでているのもたしか中公ではなかったか。ほか、柴崎友香田中純のデイヴィッド・ボウイについての本をとりあげていてこのなまえのくみあわせはおもしろい。たしかに何か月かまえの新聞で、あるいはべつのメディアだったかもしれないが、田中純がインタビューをうけて本棚の写真を載せているみたいな記事があって、そのときボウイ論をすすめています、といっていた。
  • 食事をおえたあたりでインターフォンの呼び出し音がなったのでたってでると、しかし反応がない。それで(……)さんかな、きこえないのかなとおもって玄関にでていくとはたしてそうで、母親が饅頭かなにかあげたらしく、お礼として魚のパックをわたしてきたので礼を言ってうけとり、いま下で食べてんだわ、とこたえる。両親は家の南側の野外にある木のテーブルで食事をとっているのだった。それでこちらも食事前に、盆をもってはこんでいったのだった。かくのをわすれていたが。それで外気にふれたのだけれど、外気はやわらかくあたたかで、雲もおおく空にしみついて青さは申し訳程度のものではあるものの、ここさいきんではずいぶんひさしぶりとおもえるひかりの感触があわく肌に降って乗り、あたりの緑はいかにも青々としていて梅の木は葉と地続きの色の実をたくさんぶらさげてユスラウメも赤い実を鈴なりにしている。(……)さんは階段をかこむ柵の棒をしっかりつかみ、横向きになって一段ずつゆっくりとおりていった。おりるところまでいっしょにいき、礼を言ってわかれる。パックをみると右下に値札が貼ってあって消費期限が五月四日とあるからもうだいぶすぎていてやばいのだが、(……)さんがくれる品にこういうことはわりとある。そのたび母親は文句をいう。(……)さんはたぶんこのちいさな札を見ていないか、それかみていても気にしていないのだろう。しかしさすがに消費期限がこれだけすぎている品をふだんから食っているとしたら、三桁の大台に達した老婆にはやばいんじゃないかとおもうのだが。それだけで死んでもおかしくない気がするのだが。保存してあったものなのだろうか。とっておいて知らぬうちに期限がすぎてしまったものを、あわててだしてきてくれたということなのだろうか。
  • ひとまず冷凍庫にいれておき、食器をかたづけ、風呂洗い。洗いながら、昨晩は日記もそのほかのこともやらずになまけてしまったわけだが、なんか日記とか仕事とかいっているから自分は駄目なんだとおもった。日記以外のことばをつくるきちんとした仕事をやらねばならない、とか。どうでもよろしい。この日記にせよそれいがいの文章にせよ、どうせたいした価値もないものだし、仕事などというものではない。しいていうとしたら、ぜんぶ趣味か、道楽のたぐいだ。こちらが作品をつくろうとひとの作品を訳そうと、たいしたことにはならない。こちらに名作などのたぐいをつくるような器はないだろうし、文章の書き手としてこちらはすごくすぐれているわけでもないし、じぶんは作家ではないがもし作家という位置づけをえたとしても凡百の作家だろう。それはべつによいのだが、ただ、なにかを達成しようとかいう観念とか幻想がやはり人間あるもので、だからじぶんはいつまでたっても駄目なんだとおもった。日記を死ぬまでつづけようとか、To The Lighthouseを翻訳しようとか。それはいちおうやるつもりではいるのだが、それらを達成目標としてのおおきなこととして無意識に想定し前提しているから駄目なのだ。じぶんはじぶんにたいしておごっている。こちらのことばと文章にそんなにがんばって労力をついやすような価値はない。
  • 風呂洗いをすますと緑茶を支度して帰室。コンピューターを準備。LINEをのぞくと今夜の通話にそなえて(……)が資料というか文書をあげているようだったので、あとで余裕があればみておく。今日は「(……)」のひとびととまた通話をすることになっている。八時半か九時から。団子を食い、茶をのみながら今日のことをここまで最初につづって、するといまは一時半をまわったところ。
  • そのあとの生活はよくおぼえていないので、とりあえず通話のことを。九時から開始。(……)
  • ほか、(……)が洒落っ気を獲得してファッションに興味がでてきているという(……)の報告があり、それでこちらはわりと洒落た服も着る印象だけど、どういうふうにえらんでいるの、という質問があったので、べつにこれといった基準はなく、ふつうに店にいってピンときたのを買う、とこたえた。ただ、いわゆるきれいめというか、前がひらいてボタンがついてるシャツとか、わりとそういうのになっちゃいがちだよね((……)は、この「なっちゃいがち」といういいかたがおもしろかったようでわらいながら復唱していた)、ほんとうはもっといろいろな服も着てみたいんだけど、アメカジとか、まあそういうほうもためしてみたい気持ちはある、というと、アメカジとはなにかとかえったので、こちらもよくはしらないが、アメリカンカジュアルの略で、なんかジージャンとかだろう、といっておいた。イメージがあっているのかしらないが。べつにアメカジでなくてもよいのだけれど、わりとフォーマルふうな、紳士ぶって気取ったような格好をしがちな人間で、たぶんまわりからみられたときの雰囲気としてもそういう方向がにあうといわれがちなタイプだとおもうのだが、もっとラフだったりカジュアルだったり、まあいろいろ着てみたい気持ちはないではない。金があれば。そして金はない。それにいまはコロナウイルスでほとんど出かけることもないし、だからもう一年以上服買ってないよ、とおとす。
  • (……)
  • ところでこの「ココナラ」というサイトをあらためてみてみたところ、なんかクリエイター系のSNSみたいなものだとおもっていたのだが、さにあらず、もっといろいろな仕事募集があって、みれば翻訳とか、小説をよんで感想をかいてほしいとか、アコギをおしえてほしいとかそういうものもあり、ここで俺金かせげるじゃんとおもってそう口にもした。ただ小説をよんで感想を書くやつはもう募集が終了していたのだが。それで通話中や、また通話がおわって自室にかえったあともちょっとしらべてみたのだけれど、しかし結論からいうとやっぱり俺みたいなのはお呼びでないんじゃないか、というかんじではある。ただこの夜と、今日二四日のあいだはわりとこういう場所で金かせげねえかなあというのをかんがえてはいた。ネット上で仕事案件を斡旋しているサイトというのはクラウドソーシングというらしく、それは案件内容に重点をおくかんじで、いっぽうで「ココナラ」みたいなやつはスキルマーケットとか呼ばれているらしく、個々人がもっているスキルをアピールして需給関係をうまくむすびつけよう、というこころみらしい。だから検索すれば、いちおう、文学研究者が文章の添削をしますとか、オンライン読書会をやってカフカについておしえますとか、旧帝大の院生だったかあるいは卒業者だったかが翻訳をします、みたいなわりとニッチな方面のアピールがでてきて、まったく見向きもされていないもの、けっこう仕事をもらえているものとおのおのあるようで、ちなみになかには文学賞も受賞しまた選考委員だかなんだかもやっている現役の作家が小説を読んで添削したり電話でアドバイスをつたえたりしますというサービスもあってそれはそこそこ好評をえているようすだったが、なんか正直俺の居場所じゃねえなという印象。そもそもじぶんのもっている「スキルをアピール」みたいなところからしてぜんぜんやりたくないし、そもそもスキルらしいスキルなどもっていない。おたかくとまっているといえばそうなのかもしれないが、そういう、高踏的なプライドというよりは、なんといえばいいのかわからないが、なんかとにかく性に合わないというか、べつの世界だなというのにちかいかんじ。とはいえ金をかせがなければならないとなったらかせがなければならないので、ここでうまくして(……)くん路線で、つまりオンライン読書会というか小難しい本をいっしょに読んで多少のかんがえをのべたり可能ならレクチャーをするので金をくれないか、というアピールをしようかなとちょっとかんがえてもいたのだけれど、けっきょくそうするとしてこちらには資格も権威もなにもないわけだし、アピールのしようがあまりない。毎日よみかきをしてきたということと、こういう本をよんできました、ということくらいしかいえないだろう。こちらがそういう金稼ぎをするとして、そのためにてっとりばやいのはむろんブログを提示してこういうことをやっている人間です、と標榜することなわけで、こちらの実績といってこの毎日の文章しかないわけである。それからはなれたところでうえみたいな金稼ぎをしようとしても、それはうまくいかないだろうしあまり意味がないんではないかとおもった。だからやるなら、ブログと接続して毎日こういうよみかきをしている人間として金を稼ぐか、それか文章を金につなげることは土台あきらめてそれとは関係のないべつの仕事でどうにか金をかせぐか、そのどちらかで、半端にやってもしょうがねえなというこころにいたった。そして、やはり日々の日記でいくばくかの金をえられるような方向にすすんでいったほうがよいのだろうか? というまよいを今日(二四日)はわりところがしていたのだけれど、風呂にはいったあたりでやっぱりやめようとおちつき、いまのところはうえの二択の後者にかたむいている。先日、無償性の例証みたいなことをのべたばかりだが、そういうある種のプライドみたいなこだわりもほんとうはすてたほうがよいのだろうな、ともおもうし、じっさいどうでもよいといえばどうでもよいのだけれど、やっぱりどうも文章を金にかえようという気持ちがおこらない。日記はそうだし、日記以外のもっとちゃんとした文章をもしこのさき書いたとしても、それもあまり金にしようという気持ちがないし、そもそも金になるようなものがかけるともおもえない。ただこの日記を金につなげることをかんがえるとしたら、現状たぶんはてなブログをある程度コンスタントによんでいる人間というのはほぼいないとおもうので、もうすこし人の目にふれる場所にでていったほうがよいだろうとおもう。ようするにいぜんもやっていたことだが、noteにまた毎日投稿して投げ銭やカンパをつのったり、あるいはそこでいっしょに本をよむだけで金をくれるひとをさがしたりする、ということで、いぜんnoteに日記をあげていたのは数か月くらいだったはずだが、そのときはひとりけっこう熱心というか金をくれたひとがいて、たしか総計で三〇〇〇円くらいにはなったはずだけれどそれはてつづきしたりふりこみをまったりするのが面倒だったので、けっきょくもらわないままアカウントをけしてしまった。まあそういう利益感なのでnoteにまた日記をあげたとしていくらも金になるはずがないが、五年一〇年とつづければ多少はちがうのではないか。くわえて、日記じたいを金にするだけでなく、うえのオンライン読書会みたいな、じぶんが満たせそうななにかしらの需要をつのることも可能なわけである。まあそうしたとしてもいくらも稼げる気はしないが、もしやるとしたらそういった方向だろうか。あとははてなブログのほうにもPayPalかなにか設置してカンパをつのるかたち。いいかえれば覚悟をきめてファン商売をやるか、塾講師なりなんなり文筆とは関係のないところでもっとはたらいて生活の資をえるかのどちらかで、そのあいだはたぶんうまくいかないだろうということなのだけれど、いまのところのこころとしてはどうしてもやはり後者にかたむく。そうするととうぜん労働をふやさなければいけないので、もちろんよみかきほかの時間はへるわけだが、まあ致し方ないかなあ、という諦観。やっぱり毎日はたらくしかねえかなあ、と。このあたりこちらもだいぶまるくなったとおもうが。その場合、いまの塾の仕事をもっとふやすのがてっとりばやくはあるのだけれど、なんかもうひとつべつのバイトやりたいな、という気持ちのほうがつよい。いずれにしてもアルバイトでかつがつ食っていくわけで、それがいつまでもつづくともおもえないのだが、そのあたりは未来の状況にまかせ、思考停止して不問に付しておきたい。
  • この二三日でかいておきたいのはあと、Bill Evans Trioをきいたことくらいか。ただそれはいまは面倒臭いので、明日(二五日)にゆずる。『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)もよんだ。この本も読書会当日が三〇日で、もうまぢかなのでけっこうやばいが。まだあと三〇〇ページくらいのこっているし。

2021/5/22, Sat.

 たましいは神的で不死のものであり、罪のために身体に封じこまれている。身体(ソーマ)はたましいの墓場(セーマ)なのであって、たましいは、いまは「牡蠣のように」身体に縛りつけられ、輪廻のくびきのもとにある(プラトンパイドロス』二五〇 c)。人間として生まれてきたこの時間に、鍛錬をつみ、浄化(カタルシス)をとげたたましいは、輪廻というたましいの牢獄を脱し、不死なる神的なありようを取りもどすことだろう。(end16)
 ピタゴラスとその教団が展開したといわれる、輪廻をめぐる思考は、オルフェウスの教えのうちにすでにふくまれている。それはおそらく、トラキアの山々を越えて、東方に起源をもつものであった。輪廻という発想は、浄化と鍛錬(アスケーシス)という実践をもみちびく動機となったように思われる。(……)
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、16~17)



  • 一〇時のアラームで正式な覚醒。今日は二時から勤務なので、いちおうしかけておいたのだった。そのまえからたぶん二度ほどさめてはいたのだけれど、なんだかねむくておきあがれなかったし、一〇時のアラームをうけたあとも同様ですぐにはおきあがれず、しばらく首をのばしたりふくらはぎをほぐしたりした。あと、(……)への返信をつくって送信。一〇時半に離床して部屋をでると、父親は階段下の室でコンピューターをまえに机上に突っ伏すようになっていた。洗面所でうがいをよくする。用を足すともどって瞑想。やはりなんとなくねむけがなごっている。窓外ではヒヨドリが、鳴きかわすあいてもおらずただひとりときこえたがしきりに、ほとんどたえまなく切実なように声をはじきちらしている。おなじ種でなくウグイスなどならまわりに多くいるが。一五分ほどすわり、ゴミをもって上階へ。ジャージにきがえて屈伸。カレーののこりをまぜてスープをつくったので、うどんを茹でるようだという。それでフライパンに水を張って火にかけておき、洗面所で髪をとかすとともにさきに風呂洗い。髪ももう鬱陶しいので切りにいかねばならないのだが。風呂をあらっている最中に台所で湯が少々こぼれる音がきこえたのでいったん浴室をぬけ、火を弱めるとともにソファの母親にしらせておいてもどる。浴槽をすみずみまでこすり、すますとでてうどんをゆでる。洗い桶をあらっておき、麺を投入してタイマーを設定。しかし底のあさいフライパンなどでゆでるものではない。きちんとおおきな鍋でやらなければ、麺がちっともおどらないし、対流がうまれる余地がないし、湯もすぐにこぼれる。ゆであがると洗い桶にあけて洗い、煮込むのだが、いまキノコを足したばかりでもうすこし煮込まなければと母親がいうのでまかせて、さきに食卓へ。米のあまりでつくったちいさなおにぎりをくいながら新聞を瞥見し、母親がよそってくれたうどんをうけとってたべながら記事をよむ。きのうの夕刊ですでにでていたが、イスラエルハマスが停戦合意と。イスラエルとしてはハマスの拠点やトンネルを破壊したり幹部を何人か殺したりできて成果があったといえるだろう。ハマスとしては影響力および軍事力を誇示できたので停戦にうごいた、とかかれてあったが、そういうもんなのかなあとおもう。エルサレムの守護者としての姿勢をしめせたのでたたかいがはじまった当初から停戦にはまえむきだった、ともあったが、うーん、というかんじ。じっさい、パレスチナ人が神殿の丘から排除されたという事態をうけてなにもしないでいたら、おそらく支持をうしなってしまうだろうから、なにかしらしないわけにはいかなかっただろうが、それでロケット弾をうちこんで反撃されて町や住居は壊されひとびとは殺されているわけで。それでもやはり、ファタハよりもハマスを支持するひとのほうがいまはおおいのだろうか。攻撃をすればしたでてひどく反撃されて殺されるし、攻撃をせずにデモなどの抗議にとどまるとしてもイスラエルの治安部隊によって殺されるし、なにもせずにいれば入植やら迫害やらによって追いやられる。
  • 腹をみたすと食器をあらい、下階へ。飲み物はもたず。コンピューターを準備して、さっそく今日のことをここまで書けば一二時一五分。あるいていくなら一時すぎにはでたいから、もうあまり猶予はない。今日の天気はくもり。あいかわらず。五月晴れをみないうちに梅雨がきちゃったみたいだ、と母親は言っていた。電車でいくなら一時半まえにでるかんじなので、一〇分程度だが猶予はおおきくなる。行きは電車でいってかえりだけあるくのでもよいが。
  • ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)を少々よみ、一時前にいたって準備。スーツにきがえる。きがえるまえに多少屈伸などしたはず。Carole KingTapestry』をながしていた。屈伸だけでなく、前後に開脚して筋をのばしたり、ベッドに脚先をおいておなじく筋をのばしたりもした。そうして出発へ。道に出る。天気はくもり。このときはまだ雨の気配は顕著ではなかったとおもう。林縁の脇をいくとしめった土のにおいがマスクをつけていてもあらわにつたわってくるが。(……)さんの家の横に生えている柑橘類の木の実がひとつ路上におちており車に轢かれたかなにかでぐしゃりとつぶれていて、それが漉くまえの、つまりあの木枠みたいなものにはいっていてまだ液体にちかいときの和紙のよう。視界はどこをみてもあざやかな緑色が目にはいる。公営住宅前のガードレールの下の植え込みにはピンク色のツツジがたくさん咲いている。坂に折れてのぼっていくと、くもりで木蓋もあるのでここは昼間でも比較的くらく、地面も濡れているから空気の質感はじめじめしていて、また木の葉の勢力もたかまっていて微細な虫も顔のまわりにただよっているから、なんとなくいままでよりも圧迫感というか、せまくなったようなかんじがある。出口がちかくなると竹秋をむかえて黄色くなった竹の葉が道の両脇やすぐ足もとにたくさん落ちている一帯があるが、竹の葉も濡れているから黄色というよりは褐色がまじってやや赤みがかった山吹色みたいな、場合によってはメイプルみたいな色合いになっているが、そこの道の左端に積もってもうだいぶ汚れもしている葉の帯のうえに白い小花がたくさん散りかかっていて、これはヒメウツギだろうか。卯の花散らしの雨、みたいないいかたをきいたことがあるが、これがそういうことだろうか。
  • 最寄り駅へ到着。だらだら階段をのぼっておりる。ホーム上、ベンチには数人あって、なかにひとり、例のいつもみえないものと対話している老婆がいたのだが、このときは声をはっしておらず、眼鏡をとってちょっとふいており、その表情のかけらを横から瞥見するかぎりでは奇矯なようすはみられず、しらなければいつも大声で独語をまいているひとだとはわからない。ホーム先へ。やってきた電車にのってすわり、瞑目。つくとおりて階段通路をゆるくいき(おりるまえに手帳にほんのすこしだけメモをとったのだった)、駅をでて職場へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)退勤は四時半まえくらいになったか。徒歩でかえる。駅前をぬけて裏にはいり、しばらくいって文化施設のちかくに家がこわされたあとで草花の生えた空き地があるのだけれど、そのなかで鳥が二匹うろついており、全体に黒か焦茶めいた印象だが脚とくちばしが黄色い鳥で、鴨をちいさくしたような印象をえたのだがあれはなんの鳥なのかしらない。それでいましらべてみたが、たぶんこれはムクドリだったとおもう。そうか、あれがムクドリだったのか。一年のうち一定の一時期に駅前で街路樹にむらがってギャーギャー鳴きまくって電子音めいたかたい声をまきちらしているのがたぶんそれだとおもうのだけれど、いつも頭上か影となって空にいるので地上におりているところをみるのははじめてだった。この帰路は時刻のわりに薄暗く、空気に灰色の気味が濃く、道の果てにのぞく丘などあわくなっていたとおもうし、風のながれもざわざわあって、これは雨の気配、降ってきてもおかしくないなとおもったし、じっさい帰宅後にけっこう降ってきたからあとすこし退勤がおそければ濡れていたところだ。というか終盤ですでにいくらかはじまっていたので多少濡れたのだが。雨もよい、という語をおもって、よく「雨模様」と混同されるとおもうが、とおもっていましらべたら「雨模様」も雨が降りそうなさまをさすらしくじっさいに雨が降っている天気につかうのは誤用という情報がでてきたが、「雨もよい」ということばは古井由吉が小説のなかでよくかきつけていて、こういう空気がそうだろうかとおもった。家につづく裏路地にはいったあたりで雨がはじまっており、まえから小学生の女児たち四人が前後に一列をなして自転車でかけてきて、ひとりが雨降ってきた、いそがなきゃ、みたいなことをいっていたが、彼女らとすれちがってこちらはいそがずのろい歩調のままいき、雨の強さはそこまでかさんではいないものの、宙をみれば粒ははっきりみわけられるし、そうして視線をあげるとまぶたや目もとのあたりに、すこしだけ軌道のかたむいた雨粒がぷちぷちあたってきて風景がややみにくい。
  • 帰宅すると手をあらったりうがいをしたりして下階におり、服をきがえた。
  • いま六時まえ。帰宅後、ベッドにころがって身をやすめながら他人のブログをよんだ。(……)さんのものを一日と、(……)さんのさいきんの記事をいくつか。(……)さんのほうのかきぬきはクソ重要そう。

(…)綾屋さんの研究に話を戻しますが、彼女の「アフォーダンスの配置によって支えられる自己」は、タイトルからもわかるように、彼女が当事者研究のなかで、アフォーダンス理論を使って自分の経験を記述したものです。そのなかで綾屋さんはこう書いています。「私は他の人より意志が立ち上がりにくい」。つまり、「内発的な意志が立ち上がりにくいのだ」と。どうしてかといえば、彼女の身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスがやって来るからなのだ、と。前回にも空腹感についての綾屋さんのお話を少し紹介しましたが、もう少しご説明しましょう。
 例えば、胃袋が、今から何かすぐに食べろとアフォーダンスを与えてくる。そして、目の前にあるたくさんの食べ物は、私を食べろとそれぞれがアフォーダンスを与えてくる。つまり、身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスが彼女のなかに流入してくるけれども、それをいわば民主的に合意形成して、一つの自分の意志としてまとめるまでにすごく時間がかかる、とおっしゃる。
 綾屋さんは、多数派が意志と呼ぶものが立ち上がるプロセスを、先行する原因群を切断せずにハイレゾリューション(高解像度)に捉えていると言えるでしょう。また綾屋さんは同書において、「内臓からのアフォーダンス」という新しい表現でアフォーダンス概念を拡張しようとしています。外側からばかりではなく、胃袋をはじめとする内臓からもアフォーダンスが絶えず届けられているのだと。そしてそんな大量のアフォーダンスを擦り合わせる過程を多くの人々は無意識のうちに行っていて、そこではいわば中動態的なプロセスによって意志、あるいは行為が立ち上げられているのだとおっしゃいます。
 綾屋さんにとって、このプロセスは無意識どころではありません。彼女はまさに選択や行為を自分に帰属するのではなく、身体内外から非自発的同意を強いられた結果として捉えており、その意味で中動態を生き続けているのだと言えると思います。アフォーダンスが氾濫するなかで、なかなか意志も行為も立ち上がらない。だからこそ、「ゆめゆめ、中動態は生きやすいなどと思うなよ」とおっしゃる。それは当然のことだろうと思います。もしかしたら、中動態が希望か救いのように語られることもあるのかもしれない。しかし、そのように語られる「中動態の世界」の実際とは、アフォーダンスの洪水のなかに身を置くことを意味しているのです。
 ここには、人がなぜ、「傷だらけになる」にもかかわらず、能動/受動の世界を求めるのかを考えるヒントがあるのではないか。つまり、「犯人は誰なのだ?」のような、近代的な責任の所在を問うという理由だけで、能動/受動という言語体制が維持されるわけではないのではないだろうか。つまり、ひとりの人間が中動態を生き続けるというのはかなりしんどいことなので、多くの人は無意識にそれを避けるようにできているのではないか。彼女の研究からは、そういうことも示唆されます。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.144-147 熊谷発言)

  • (……)さんのほうは、一六日の、大江健三郎についてしるした「大江健三郎の作品を読んでいると、その文体をとても独特で奇妙なものだと思うが、それでもすでに刊行から数十年を経た今読んでも、風化した感はまったくない。書かれている出来事が、まず出来事の大まかなイメージから掘り起こして書かれているのではなく、一行一句が最初から書かれているという感じがする。大まかなイメージとしての「書きたいこと」を、手持ちの言葉で埋めていくような方法ではなくて、単純で即物的に「書きたいこと」があるのを次々とつらねていくから、いつまでも言葉の効能が有効に保たれるのだろう。イメージというのは時間に風化しやすく、たぶん予想以上にすぐダメになってしまう、そういった大まかで脆弱な枠組みを支える役割ではない、単なる物質的な言葉で構築されている」というのがなるほどとおもった。大江健三郎はまだ一冊もよんだことがない。はやいところふれたいが。その一日まえの記事の、「それでも植物は、暑いときにことさら暑がったりしないだけ、まだわきまえがあるというか、暑い季節でもきちんと寒い季節のことをおぼえているようなところがある。おぼえているというよりも、はじめから、暑さにも寒さにも身を晒していないようなところがある」というのもよい。
  • よみながら脚をいたわるのにきりをつけてたちあがり、ひとまずトイレにいったのだけれど、はいるまえに洗面所で水をのみながら、喉がかわいたらともかくいつでもこうしてすぐに水道から水をだしてきれいな水をのめるというのはやっぱりすげえなとおもった。そういうことができない国で暮らしたことがないからあまり身にしみた実感ではないが、ロシアにいった数日はあちらは水道水をのまないほうがよいから、タンクにためてあるのをそそいでのんでいた。シャワーをあびたあとも髪がなんだかきしきしするというか、かたくなるようだったし。しかしむかしの、つまり高度な文明がうまれるまえというか、原人とか狩猟採集時代のひとたちとかはたぶんそのへんの川の水をふつうにのんだりつかったりしていたはずで、いまだと川の水は寄生虫がいるからそのままのまないほうがよいとかきくけれど、当時の人間ってやはりそういうものにたいする対抗力があったのだろうか、現在の人間は内臓生理的にそのころのひとよりよわいのだろうか、しかしいまでもたとえばインドのガンジスとかは、ほかの土地のひとがはいったりなめたりするとてきめんに腹をこわすというが地元のひとはふつうに洗い物とか沐浴とかにつかっているらしい、なにしろ聖なる川だし、ところでこちらは小学生のときにそろばん塾にかよっていたのだけれどそこの先生が(……)先生という髪のひろがりの先のほうをややもじゃもじゃさせたおばさんで、そのひとがインドにいってガンジスにはいったのかなめたのかわすれたが、ともかく偉大なるガンジス川になんらかのかたちでふれて「おなかがピーピーになって」(という言い方をしていたとおもうのだが)激しい下痢に数日おそわれて旅行どころではなかった、とかいうはなしをしてくれたことがあったのをうっすらと記憶している。(……)塾はこちらの家をちょっとあがったすぐそばにあり、ただ本部でもないけれどもうひとつ、(……)のほうにも(……)先生の塾があって、もともとこのひとの家は接骨院でたしかその建物の一部をつかっていたかそれか離れでもないけれど医院とつづきになった場所だったきがするが、そちらではそろばんもやっていたのだろうが中学生の勉強をみたりもしていて、こちらは中一の一学期くらいまでここにいて、たぶん元塾生だった大学生とかが手伝いをしていたようでおそらくとうじ大学生だったとおもうのだけれど、たしか「(……)」とかもしくは「(……)」みたいに呼ばれていた気がする女性がいてなにかしら勉強をみてもらったのをおぼえているのだが、おぼえているのはとうじこちらは母親のものだった薄革つくりみたいなかんじのハート型の財布をもたされていて、それをその女性がみつけて、かわいいね、とかいったので、いかにもこどもあつかいされている気持ちになったのだろう、恥ずかしくて沈黙のうちに怒ったのをおぼえているからだ。べつにそれが原因だったわけではないが、こちらはまもなくこの塾をやめた。単純に面倒臭くなったのと、必要性をかんじていなかったからだとおもう。そろばんもせいぜい二級くらいまでいったところでやめてしまったし。(……)先生はたしか一学期の中間テストを待たずにやめようという、あるいは中間はやって期末のまえだったかもしれないが、ともかくまだ中学校にはいったばかりだったこちらにむけて、中学校は勉強がむずかしいからいままでみたいに甘くない、通知表で五とか七とかとるのも大変だみたいなことをいっていたのだが(たしか当時はまだ中学校が一〇段階評価だったのではないかというきがするのだが、これはまちがいかもしれない。七という数字をなにかいわれたのをおぼえているようなきがするのだが)、こちらの頭脳はそこそこ学校の勉強に適応していてなおかつこちらはそこそこまじめな優等生だったので、塾をやめてもとくに問題なく一学期の最初のテストではたしか五教科四五〇点をとったはずだしその後も卒業までだいたい五教科は四二〇点くらいだったはず。そういったことをぜんぶおもいだしながらトイレからかえってきたのだが、おもいだしたときはたぶん一五秒くらいだったのに、それをいざ文にすると二〇分くらいかかっているわけである。
  • 食事時のことはわすれたし、おもいだすのが面倒なのではぶくか。いや、新聞のことだけおもいだした。夕刊をよんだのだが、一九三九年だかに満州国ソ連の国境でおこったたたかいについてロシア側の新資料がでてくわしいことがわかったとかいうはなしがあった。アムール川の支流にうかぶ島に日本軍が上陸したところ、ソ連とのあいだで国境にかんする認識の相違があったようで攻撃をうけ、いったんひいてまた上陸してふたたびたたかいになって、日本側は一〇〇人の部隊のうち九〇人ほどが死んだということなのだが、島のなまえがおもいだせないのでインターネットにたよったところ、これは東安鎮事件というものだ。付近の地域のなまえをとってこのようによばれているが、いままで事件の詳細はほとんどわかっていなかった、というはなしだった。ほか、社会面でなんらかの記事をよんだおぼえがあるのだが、それがなんだったのかおもいだせない。愛知県知事リコールの署名偽造の件だったか? なにかべつのことだったような気がするのだが。
  • いま七時半をすぎたところ。コーラをのみながら一年前の日記をよんだ。かくのをわすれていたが、帰路の途中、街道沿いにあるローカル商店みたいな店の脇の自販機でペットボトルのコーラを買っていたのだった。それを片手につかんでぶらぶらかえってきたしだい。一年前の五月二二日は『ONE PIECE』のはじめのほうをすこしだけよんでいろいろ観察をかきつけているのだが、これはたしかこのころ「ジャンプ+」で、コロナウイルスによっていわゆるステイホームするひとがふえたのをうけて無料公開されていたからだったはずで、せっかくだからこまかくよみかえしてみて表現や物語の作法をさぐろうとしたのだが、しかしけっきょくバギーとのたたかいの途中あたりまでしかよまなかったはず。日記にしるされた観察をよみかえしてみてかろうじておもしろかったのは過程の描写をはぶくことによって暴力の勃発がきわだつという、それじたいはとくにめあたらしいともおもえない印象と、ひとみの分析くらい。

同じことは一〇二頁から一〇三頁への移行にも言えて、ここでは町なかに現れたモーガン海軍大佐の息子ヘルメッポが、「三日後」にはロロノア・ゾロの「公開処刑」を行うと町民に宣言して触れ回っており、それに対してルフィが、一か月耐えれば解放するという約束はどうなったんだと口を挟むと、ヘルメッポは「そんな約束ギャグに決まってんだろっ!!」と一蹴する。その様子を受けたルフィは、この男は「クズ」だと怒って思わずヘルメッポを殴ってしまうのだが、一〇二頁の終わりのコマで「約束」の正当性を信じるゾロの様子が回想的イメージとして挟まれた次の瞬間、一〇三頁の上半分ではルフィが既にヘルメッポの胸ぐらを掴みながら腕を振り終えており、大佐の息子は口と鼻からいくらか血を吹き出しながら白目を剝いているのだ。ここでもやはりルフィがヘルメッポのそばに移動したり、その服を掴むために手を伸ばしたり、あるいは拳を振ったりする過程の描写が省略されており、いきなり打撃が完了しているという印象を与えるのだが、しかしここでは暴力という物事の性質上、その省略はむしろ、ルフィの激昂及び抑えられなかった殴打の実行を際立たせるように働いていると判断するべきなのかもしれない(ちなみにこのヘルメッポを殴ったコマで振り抜かれたルフィの左腕は、「ゴムゴムの銃[ピストル]」を放つときのように完全になめらかな様相には収まっておらず、肘のあたりにわずかに線が付されるとともに輪郭も完全にまっすぐではなくかすかに波打っていて、要するに筋肉の描写が加えられている)。

     *

第四話も読む。『ONE PIECE』の主要な女性キャラクターは基本的に皆、一様に黒く丸々と塗りつぶされたオニキスみたいな眼球を持っており、そのなかに白い点が小さく差しこまれることで目の描写となっている。第一話で登場した酒場の店主マキノが既にそうだったし、第三話から現れる町の少女リカ(この名前自体は第四話で明らかになる)やその母親、また名もないモブキャラクターの女性もそうである。つまりはこの第四話までに登場した『ONE PIECE』の女性キャラクターは概ね、いわゆる「つぶらな瞳」を具えているということで、大きくて丸みを帯びた目というのは『ONE PIECE』に限らず漫画において女性を描く際のわりと一般的な作法としてあると思うし、フィクション世界を離れてこちらが生きている現実の領域においても、望ましい女性性を表す外見的特徴、すなわち「可愛らしさ」の記号として捉えられることが多い気がする。それに対して『ONE PIECE』の男性キャラクターの目は、ほとんどの場合、広い空白のなかに小さな黒点が一つ打たれるという形で描かれており、ということはこの作品では男女の瞳の様相が対照的で、その黒白の割合配分がちょうど正反対になっているということになる。とは言え男性キャラクターの黒目もいつでも必ず一点のみに還元されるわけではなく、第一話の一一頁でシャンクスがはじめて登場するときの真正面からのカットでは、彼の小さな黒目のなかにさらに白い点の領域があることが見て取られるし、三四頁、三五頁、三七頁などでも同様に描かれている。ちなみにシャンクスが「友達を傷つける奴は許さない」と宣言する三七頁のコマではさらに、黒目の領域のうちにもいくらか黒さの幅が導入され、つまり眼球にあるかなしか立体感が付与されており、さらにシャンクスのその言葉を受けてルフィの顔が拡大的に映される次頁においても目はそれと同じ様相を持っている。

こうした観点で見てきたときに明らかに例外的なのは、第一話四六頁でルフィを襲おうとした海の怪物に向けてシャンクスが「失せろ」と殺気を放ちながら「ギロッ」という鋭い眼差しを差し向けるところで、ここでは瞳の中心部分は、黒い円周線のなかにさらに中央点として黒点が一つ置かれるという描写をされている。つまり目の外縁からその色の移行を追うと、白・黒・白・黒という四層パターンがこのコマではじめて観察されるということで、ここまで基本的に男性キャラクターの目は白・黒の二層のみで構成されており、せいぜい白・黒・白の三層構造がシャンクス(と三八頁ほかのルフィ)に見られたくらいだったので、この頁に至って瞳はそれまでにない複層性を明確に提示している。

  • あと、「読みながら、『ONE PIECE』っていま何話まで至ったのか知らないけれど、こちらが小学生の頃から、すなわち二〇年以上はやっているわけだし、よくこれだけ長く続いているなあと思ったのだが、物語というのはそれを作れる人にとっては継ぎ足すことはむしろ容易で、場合によってはほとんど永遠に作り継ぐことができるのかもしれず、それよりも終わらせることの方が遥かに難しいのかもなあとかも思った」とあって、これはきっとそうなんだろうなあとあらためておもった。
  • 題名のない音楽会』という番組でX JAPAN(といういいかたはたぶんもうしないのだとおもうが)のToshiがオーケストラをバックにうたっているのもみている。"Bohemian Rhapsody"をうけての印象。

三曲目はQueenの"Bohemian Rhapsody"。男女二人ずつのコーラス入り。Aパートのあのピアノのアルペジオはハープによって演じられていた。Toshiの歌唱は悪くない。ただ、聞いているとかえって、やっぱりFreddie Mercuryのボイスコントロールって抜群なんだなということが実感されてしまうところがあって、と言うのはこの曲のAメロに、"But now I've gone and thrown it all away"という詞の箇所があり、オリジナル音源でMercuryはそこの"it"あたりまではファルセットで歌い、"all"あたりから急激に転換して声に芯を通してざらつかせるということをやっており、そのときの移行ぶりがやはりすごいということは高校時代から(……)などもよく言っていたし、ひらいた穴に向かって過たず正確にすとんと落ちるみたいな感じがあるのだけれど、Toshiもさすがにその部分はMercuryほどうまくは歌えておらず、あれはたぶんほかの人には真似できないんではないか。あとAパートと言うのか、ギターソロに入る前の静かなパート全体を通しては、ここは大変に叙情的な領域なので、Toshiも緩急をつけて情感豊かに歌おうとしており、それは決して間違いではないしおおむね成功していたとも思うのだけれど、ただやはりいくらかの粘り気が感じられはした。それはおそらく英語の発音も関係しているのではないかと推測され、日本人による"Bohemian Rhapsody"のカバーはほかにはデーモン小暮閣下のものしか聞いたことがないのだが、小暮閣下など個々の語の発音からして相当に粘っこく歌っていたような記憶があって、特に根拠はないけれど何となく、日本人はとりわけそうなりやすいのかなあという気がする。きちんと聞き返してみないと正当な印象かどうかわからないものの、原曲はそんなに粘っていなかったような気がするもので、その記憶がもし正しいとすれば、Freddie Mercuryという歌い手の凄さというのは一つには、このパートを過度に粘らせることなく比較的さらさらとした質感で歌えてしまったという点なのではないか。カバーする人はたぶんMercuryのオリジナルを意識して多少なりとも力むだろうから、どうしても彼よりも感情的で粘ついた表現になってしまう傾向があるのではないだろうか。

  • その後夜歩きにでており、途中、Grand Funk Railroadなんていうなつかしい名前がかきつけられている。このときも「ほとんど一五年ぶりに思い出した」といっているが。たしか"We're an American Band"のひとたちだよな? かろうじてこのフレーズだけはメロディがよみがえるが。あと"Locomotion"をやっていたおぼえもある。こちらは直接このバンドの音源はもっていなかったはずで、中学校の同級生である(……)が入手したのをやつの家できいたのではなかったか。あるいはやつはじきにハードロックに飽きてOasisとかUKの九〇年代あたりにいって、のちに、たぶん当時はまだAmazonもぜんぜん普及していなかったはずだが、中学生当時にインターネットで購入したとおもわれる輸入盤のScorpionsのCDとかをゆずってくれたので、そのときにいっしょにもらったかもしれない。
  • ほか、「路地内の坂に入って下りると、黒塗りの高級そうな車が道のど真ん中に停まっていて、なんでこんなところに停まってんだよ、ほかに車が来たら通れないぞと思った。窓まで全部真っ黒な車で、ちょうどそのとき右手に持っていたボトルのなかのコーラと同じような色であり、練ったように黒々と深く、なおかつ艶もあった」とあるが、この「練ったような黒」というのはそこの坂をおりていきながらおもいついたもので、なかなか的確だとおもったのでよくおぼえている。この比喩はたぶんそれいらいつかっていないはず。
  • 「降る雪をゆびの器で受けましょう溶けるまぎわの刹那のために」という一首はそこそこわるくはない。(……)さんのブログからは柄谷行人『探究Ⅱ』を孫引きしている。

 (……)独我論とは、私しかないという意味なのではなくて、「私」がどの私にも妥当するという考えなのである。そして、それを支えているのは、まさに「私」が言語であり、共同的なものだということなのだ。
 主体からはじめる考えを、言語をもってくることによって否定することはできない。それらは、いずれも独我論のなかにある。したがって、独我論の批判は、たんに狭義の認識論の問題ではなくて、「形式化」一般の根本的批判にかかわるのだ。なぜなら、指示対象をカッコにいれる形式化は、かならず各「主体」によってなされるほかないからである。
 この「主体」(主観)は、「誰」でもない。たとえば、「この私」は、結局「これは私である」ということになる。「これ」は存在するが、「私」は述語(概念)にすぎない。「この私」は指示対象として在るのではない。「これ」が在るだけだ。ラッセルは、この意味で主体を認めなかった。それは、しかし、これを「これ」とうけとる主体が「誰」でもないような主体、したがってヘーゲルのいう「精神」のようなものであるということを意味するのである。「誰」とは、固有名である。固有名をもたぬ主体は、「誰」でもないがゆえに「誰」にも妥当する。近代哲学の主観は、このように見いだされたのである。(古典哲学が主観を持たなかったのは、個体がいつも「誰か」〈固有名〉として実在したからである。逆にいえば、それは固有名にもとづく存在論だということになる)。
 (……)
 ところで、ラッセルは「これ」において、言語とその外部・指示対象との繋がりを確保したつもりだったのだろうか。しかし、ラッセルの「これ」は、もし指示が他者に対してなされるものだとしたら、指示ではない。かりに、私が黒板を指して、「これが黒だ」といっても、相手は「黒」を「黒板」と受け取るかもしれないし、黒板に書かれた文字と理解するかもしれない。つまり、「これ」の個体領域がはっきりしないのである。
 したがって、ラッセルのいう指示は、彼自身がいうようにprivateである。厳密な意味での指示は、他者に指示することでなければならない。つまり、それはコミュニケーションのレベルでしか考えられない。しかし、「これ」という指示がけっして個体を指示しえないのに対して、固有名は個体を個体として一挙に指示する。したがって、固有名は、言語の外部があるという日常的な常識を支える根拠であり、またそれをくつがえそうとする者にとって、解消すべきものだったのである。
 (……)固有名は、言語の一部であり、言語の内部にある。しかし、それは言語にとって外部的である。あとでのべるように、固有名は外国語のみならず自国語においても翻訳されない。つまり、それは一つの差異体系(ラング)のなかに吸収されないのである。その意味で、固有名は言語のなかでの外部性としてある。
 ラッセルが固有名を記述に還元することによって論理学を形式化したように、ソシュールは固有名をまったく無視することによって、言語学を形式化した。その結果、言語学フレドリック・ジェイムソンのいう「言語の牢獄」に閉じこめられる。しかし、その出口をいきなり指示対象に求めてはならない。その出口は、ラッセルやソシュールによって還元されてしまった固有名にこそある。のちにのべるように、言語における固有名の外部性は、言語がある閉じられた規則体系(共同体)に還元しえないこと、すなわち言語の「社会性」を意味するのである。

  • この夜はあとだいたいはなまけて、前日の記事をしあげて投稿したことと、書抜きを一箇所だけしたことくらいしか活動的なことはしなかったはず。あとはうえで日記をよみかえしたあとトイレにいって、もどってくるとギターを多少いじった。今日はバッキング練習はせず、ほぼれいによって似非ブルースをてきとうにやっていただけ。弾くのと同時にだす音をハミングするというのをやるとなんかよいかんじがある。ジャズのひとがよくやっているやつだが。ギターだとKurt Rosenwinkelがいちばんにおもいつくが。Keith Jarrettのあれはハミングというより唸り声か喘ぎか叫びで、弾いている音とぜんぜんメロディあっていないのにリズムだけあわせていて音痴な歌みたいになっていることはよくある。こちらの場合、これをやるとよいかんじがするときと、邪魔臭くてうまく弾けないときとあるのだけれど、この日はわりとうまくいったよう。

2021/5/21, Fri.

 アナクシマンドロスはまた、このアペイロンを「神的なもの」と呼んでいたとつたえられる。その間の消息に触れた、アリストテレスの説明には、哲学的にすこし興味ぶかいところがある。そのことばをふくむ前後を引用しておく。

だがまた、かれらのすべてがこのようにアペイロンをアルケーとして立てたのは、相当の理由あってのことである。というのは、アペイロンがまったく無駄であることはありえず、またそのはたらきはアルケーとして以外にはありえないからである。すべてのものはそれ自身がアルケーであるか、あるいはアルケーから生じたものであるかのいずれかであるが、アペイロンにはアルケー〔はじまり〕はないからだ。〔もしあるとすれば〕アペイロンに限界があるということになる。
 けれどもさらにまた、アペイロンは、ある種のアルケーであるがゆえに不生にして不滅であるからである。というのは、生成したものは必然的におわりをもち、また消滅には、すべてその終局があるからだ。それゆえに、私たちの言うように、アペイロンにはそれの(end12)アルケー〔はじまり〕はなく、むしろそれ自身が他のものたちのアルケー〔原理〕なのであり、これが「すべてを包括して、すべてを統御する」とも思われたのである。〔中略〕そして、このアペイロンが神的なものである。というのも、あたかも、アナクシマンドロスがそう言い、またそのように自然について語る者の多くも言っているように、それが不死であり不滅である〔ように思われる〕からである。(『自然学』第三巻第四章)

 かぎりがなく、不死であり不滅であるものについては、のちにべつのかたちで、エレア学派が語りはじめることになるだろう。アナクシマンドロスの直接の後継者であるアナクシメネスは、師が「無限なもの」と呼んだものを、もう一度あらためて「アエール」(空気)あるいは「プネウマ」というかたちでとらえかえすことになる。アナクシメネスにとってアルケー(principium; causa)となるものは、「無限な空気」である。ことのなりゆきをキリスト教徒の立場から見ると、こうなるだろう。「かれは神々を否定もしなければ黙殺もしなかった。が、かれの考えでは、神々によって空気がつくられたのではなく、神々が、空気から生じたのである」(アウグスティヌス神の国』第八巻第二章)。(……)
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、12~13)



  • 一〇時五七分の起床。一〇時半かそのくらいにはさめており、例によってあたまをころがして首をよくのばした。こめかみまわりももんでおく。天気は白い曇天。水場に行ってきてから今日は瞑想もおこなう。窓外で鳥が無数に鳴き声をあつめてちらしている。一一時六分から二一分くらいまですわり、上階へ。カレーのにおいがただよっている。米をいま炊いている途中だと母親。あとでチンゲンサイを茹でておいてくれというので了承。父親は山梨に行ったらしく、母親がカレーをつくっておいてくれたので、あとはチンゲンサイを茹でてなにかサラダでもこしらえればよいだろう。サラダといって、大根をスライスして生のまま食べる程度のじつに簡易なものだが。
  • 米が炊きあがるまで待たなければならないので、いちど下階にもどっててきとうにウェブをみる。(……)さんからメールが、このときはいっていたのだったかあとだったかわすれたがはいっており、直前ですまないが面談同席のお願いをわすれていたとあって日程もしるされていたので了承。最初は明日の午後二時から。
  • 正午ごろになって食事をとりにいく。カレー。母親は仕事にむかった。新聞を読みつつ食べる。米国がイスラエルにたいして停戦への圧力をつよくしているとのこと。バイデンが一九日にネタニヤフと電話したらしいが、これが今回の件がはじまっていらい四回目で、停戦の要求もしくはうながしをさらに強い言い方にしたらしい。ネタニヤフはそれをうけても作戦を継続すると電話後に表明したらしいが、イスラエルとしてはハマスの戦闘力をなるべく削いで終わりたいというあたまがあるのだろうとのこと。ただ軍内部からはあと数日で作戦は終了するだろうとのみこみが出ているようだし、ハマス側も幹部のひとりがエジプトの停戦案をうけいれて数日内に終わるだろうと言っているようなので、たぶんそろそろひとくぎりにはなる。たたかいと爆弾の応酬が停まるのはひとまずよいことだが、ガザ地区と西岸の苦境はなにもかわらず、どころかもしかするとさらにひどくなってつづくわけで、それはちっともよくはない。今回の件でパレスチナ側がえられたものといって、なにもないのではないか。多数の建物が破壊され、そのなかにはことによると医療施設もふくまれていたかもしれず、また人間が死んだだけではないか。死者はイスラエル側が一三人、パレスチナ側で二三〇人とでていた。
  • 洗い物と風呂洗いをすませて帰室。茶をのんでから下。

 そういった過酷さに、ツイッターではなく、奴隷だった黒人たちは現在でも各地の街頭で「黒人の命を軽くみるな」(*: 音楽批評家のピーター・バラカンはBlack Lives Matterを、黒人の命も [﹅] (あるいはは [﹅] )大切、ではなくこのように訳した。)という抗議を示威するのだが、その一方私たちの国の芸能界では、新アルバム『存在理由』をリリースしたばかりのさだまさしが新聞のインタヴューに答えて、スピーチ・ライターの原稿を読みあげる安倍首相の発言だと言われても不思議ではない、美しく正しい日本を語る。
 「日本という国は、緊急事態宣言を出しても、欧米や中国のような強制力がないですよね。これ、人権が守られているってこと、自由の証しだと思うんです。自粛で感染拡大を抑えられるんだという、日本人の秩序を世界に見せたいですよね。これは自由を守るための闘いなんです [「自粛で」以下﹅] 。」(東京新聞5月10日)自分の発言や歌が世間への影響力を持っていると信じきっている者特有の自信にあふれた厚顔な無感覚である。

  • いったんきって、dbClifford『Recyclable』をながして手と足の爪を切った。すこしばかりやすってなめらかにしておくと、その後ベッドにころがってこの「重箱の隅から」の記事をまたよみつづける。

 「昭和史再訪」 [朝日新聞ʼ13〔平成25〕年12月14日] の記事を書いている記者は、もっと若いのかもしれないが、それでも当時の資料に多少目を通し、インタビューもして、ルポライター五島勉祥伝社編集者の企画で、雑多な資料を集めて2カ月で「ペラペラっと書いた」ということを記事にしている。もちろん、『ノストラダムスの大予言』 [1973年] を読んでみればというより読まなくても、それがトンデモ本であることは自明のことだったはずだ、と当時を知る者としては思うのだが、しかし、当時、終末ブームというか、終末論ブームがあったことは確かで、折からの地震予知ブームと重なった小松左京の『日本沈没』の映画化が「空前の大ヒット」だったと記者は書いているし、そうしたエンタメ系とは趣を異にする左翼・インテリ系とも称すべき作家たちが同人だった季刊雑誌『終末から』(筑摩書房)も刊行されたのだが、70年の終末論ブーム [﹅6] は、田中角栄の『日本列島改造論』(72年)に水をさされつつ、二度のオイル・ショックを経て80年代のバブルの中に消えていったと言うべきだろう。野坂昭如井上ひさし小田実埴谷雄高らが常連執筆者だった『終末から』は、82年に岩波書店から『岩波ブックレットNo.1 反核』として上梓された署名宣言「核戦争の危機を訴える文学者の声明」を境に、当時流行した文化人類学的知的文化人を再集合させた『へるめす』に姿を変え、筑摩書房の路線は『逃走論』(浅田彰、84年)や映画雑誌『リュミエール』(85年創刊)へと一時変更されるのだが、それはそれとして、朝日の記者が書いているように「70年代前半は東西冷戦のまっただ中」と言えるだろうか。72年の宗教的対立と植民地問題がからみあった北アイルランドの「血の日曜日」事件や、ミュンヘン五輪の「黒い九月」事件は後々まで続くが、72年にはニクソンの訪中、75年はベトナム戦争サイゴン政権の無条件降伏で終わり、80年にはポーランドで労組の「連帯」が結成され、やがて東西ドイツの統一、91年のソ連崩壊へとつながる兆候が色濃くなる時代と言うべきだろう。

 つい何カ月か前、テレビの天気予報(生活情報とも疑似科学的教養とも、無難なエンターテインメントとも言える)で、積乱雲のかたまりがいくつも重なってできる鉄床(かなとこ)雲の現象を視聴者の投稿写真で紹介していて、それは核爆発で生じるキノコ雲の形に似ているのだが、それで思い出したのが半世紀以上前、60年代前半の『美術手帖』に、アメリカの現代美術の紹介者であった前衛美術批評家が、芸術家の幻視者的能力について触れ、ヴィクトル・ユゴーの、今にして思えば鉄床雲に違いないデッサンを(多分、オディロン・ルドンの版画やポーの『大ガラス』やフローベールの『聖アントワーヌの誘惑』について触れ書いた文章だったろう)、ユゴーが核爆発を幻視的に予言していたのではないかと書いていたのを思い出した。ノストラダムス研究室主宰者によれば「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代」だったのだが、それはそれとしてこの場合、前衛美術批評家は雲の種類など知らない無知を根拠に、幻視者の見た予言的映像と思い込んで、大小説家の予言能力に魅惑されたのだったが、アートに「予言の力」があると上擦(うわず)って考えるのは今日の「現代アート」の状況においても変わってはいない。略して「ヨコトリ」と呼ばれる美術展「ヨコハマトリエンナーレ」について朝日新聞編集委員(大西若人)は「現代美術展で、企画内容や出品作品がコロナ禍や人種差別問題といった世界の「今」を、事前に見通していたのではないかと話題になっている」ことを踏まえて「現代アートには、「予言力」があるのだろうか」と書く(9月8日朝日新聞)のだが、これには五島勉の死によって思いおこされたノストラダムスが影を落としているかもしれないと、つい考え込んでしまう。「未来を察知したかのような言葉や表現。アートには予言力があると考えてよいのだろうか」と編集委員は思い、「ヨコトリの組織委員会副委員長を務める蔵屋美香横浜美術館長」が「ある討論の場」で「指摘した」言葉を引用する。「アーティストは、日常に埋もれた『しるし』を見つけて形を生み出すことで、現在を解釈し未来を占う、シャーマンのような存在かもしれない」。アーティストたちの、あまり深いとは思えない発言と作品の説明の後に編集委員は教訓を読み取った [﹅8] とでもいった調子で結論を書く。「アーティストたちは注意深く、日常の中で埋もれたものや見過ごされたものを見つめたり、角度を変えて見たり、過去に学んだりすることを通じて表現するため、結果的に未来の予言に映ること」があり「逆にいえば、私たち自身がこうした態度を身につけたとき、彼らの表現は予言には見えなくなるはずだ」。
 こうした態度 [﹅6] というのは、態度 [﹅2] というのもやけに雑な言い方だが何もアーティスト特有のものでも、ましてシャーマン [﹅5] のものでもなく、いわば歴史感覚と日常感覚をもって思考する常識的な人間の生き方ではと言うべきだろう。とは言え、たとえば2016年、アメリカを中心とした国際チームが初めて重力波を直接観測して「アインシュタインの残した宿題に決着をつけた」ことを報じる記事(毎日新聞2016年2月13日)に付された子ども向け(?)の解説コラム(「質問なるほドリ」)は、「重力波があることを100年前から予言していたアインシュタインって、どんな人?」「他にはどんな予言をしたの?」という素朴な質問に科学環境部の記者が「彼の予言」を説明するスタイルになっているのだが、アインシュタインの仮説だった理論が、なぜ予言と呼ばれるのか。私たちとしては、2013年のノストラダムス研究室主宰者の「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代でした」というのはもっと後年までだという気にさせられるというものである。

     *

 小説のような観念的物語にとらわれた作家(に必ずしもかぎらないのだが、私見によれば物語 [﹅2] を製造するアーチストたちであろうか)ではない人々の語る率直で冷静な言葉に、私は共感する。
 去年、設計事務所を解体した建築家の鈴木了二のインタビュー(「ローカル/ソシアル/異端」『GA JAPAN165』’20年7-8月)である。「無理矢理アゲている感じが露骨」な東京から久しぶりにいなくなる予定だったのに「コロナが来て」、「自分が籠もるつもりだったのに、世界が籠もってしまったわけ(笑)」で「人がいなくなった東京を、夕方、散歩する範囲で歩き回った」と鈴木の話すことは、予言とか河童とは関係なくあくまで具体的である。夢想する小説家とくらべる必要などないのだが、鈴木了二は人気(ひとけ)のない渋谷を散歩してカメラのシャッターを切り、「今が福島の時と違うのは、起きている事態がどの程度のことか、参照項がないから世界中で誰もわからないこと。みんな自分で考えて、ものを言わないといけないし、間違いもあるから翌日には修正する必要も出てくる」と語るのだが、無人の都市と福島を結びつけて語る言葉に、ここでようやく出会ったと言ってよいだろう。おびえと自足から発せられた非常時の予言の言葉 [﹅9] ではなく――。

  • そのあとちょっとだけ覗いた「予言について③」の冒頭には、「日本語では、と言うより辞書上の解釈では「予言」と「預言」は区別されていることを、恥ずかしいことに [﹅8] (と、本気で思っているわけではないが)つい先日はじめて知ったのだ」とあって、「恥ずかしいことに」といちおう韜晦して謙遜をよそおっておきながらわざわざ「と、本気で思っているわけではないが」とすぐさまつけたしてしまうそのふてぶてしさにわらってしまった。
  • 三時すぎくらいで尿意が満ちてトイレにいき、それを機に立って音読。なぜかJeff Beck『Blow By Blow』をながした。よみながら耳にしただけなのできちんとしていないが、"Cause We've Ended As Lovers"の名高いプレイはたしかに格好良いというか、流れ方とかチョーキングのニュアンスとか大したものだなとおもった。むかしコピーして多少弾けるようになったおぼえがある。半音でハンマリングとプリングをやりながらクロマチックでずっとおりていくところが有名だが、そういういくらかトリッキーなところより、単純にチョーキングをからめたロック的基礎フレーズがやはりよく弾けている。音読のかたわら、今日はダンベルをもたずに背面に手をのばして背骨のまわりをもんだりしていた。肩の付近も。もむ動作は手がうごくから読むほうにあまり意識がむかなくなるのだが。
  • そのあとここまで今日のことをしるして四時二〇分。

 さて、人のいなくなった都市空間というか、「緊急事態宣言下のまち」は、いわば新世代のジャーナリズムの好奇心をきわめて自然に刺激するのかもしれず、私の狭い知見のスペースには、同じような発想で『東京人』(8月号)の特集「緊急事態宣言下のまち」で何人かの書き手たちが東京の町を散歩する報告 [﹅6] を書く。写真集『新型コロナ――見えない恐怖が世界を変えた』(クレヴィス)はコロナ下における「世界50カ国の街と、人々の暮らしの変貌を、210点余の写真で一望する」のだが、それらの写真はテレビのワイド・ショーやニュース番組で一時期は毎日のように紹介されていた世界の映像と重なる既視感をにじませたおなじみの報道写真にすぎないのだが、ウィルスを見えない恐怖 [﹅6] と言うのであれば、津波に押し流されて瓦礫となった廃墟と、はるかに上回る恐怖であろう放射能汚染にさらされてまったく人気のなくなった町――牛や駝鳥は取り残され、たとえば生協の雑誌に「放射能のせいで耳のないウサギが生まれた」というような記事が載ったりした恐怖 [﹅2] ――の映像 [﹅3] を、新聞やテレビの画像として何度も眼にした時から、まだ十年にもなっていないのだ。多分、予言的世界観に未来の展望を見る人々は、確かに見た(もちろん、映像 [﹅2] にすぎないのだが)はずのことさえ、奇妙なことに忘れて未来の映像の予感 [﹅8] にうつつを抜かしてしまうらしい。

     *

 コロナのパンデミックによってヨーロッパで最初に都市封鎖がおこなわれたのがイタリアの都市だったせいで、ロッセリーニを含めて何本かのイタリア映画を思い出すことになったのだが、それについて書く前に、テレビの画面に何度も映し出されたイタリアの都市部の広場を囲むようにして建てられた新旧の石造りを含めた高層住宅に住む人々が、同じ時間にテラスや窓辺で医療従事者に感謝と尊敬の気持ちを伝える拍手を送るという出来事に触れておきたい。拍手や歌声が広場を囲む建物の壁に反響して大きな重層的な音となり、よく言われることだが、西洋の都市における広場の持つ意味を改めて考えた者も少なくなかったはずである。
 しかるに、というオヤジっぽい言葉が思わず出てしまうのだが、医療従事者に感謝の意を表すためと言うより、それを名目に、日本の防衛大臣は何をしたか?
 首都の上空に爆音をたてて自衛隊の五機のブルー・インパルスを飛ばし、都下の市民たちは、無料(ただ)の航空ショー(オリンピックの開会式には飛んだであろう)を見せてもらった気になって、医療従事者ではなく、自衛隊ジェット機に拍手を送ったのだった。

 「今回のコロナは、全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ、そのリスクに全体でどう向き合っていくかという問題」としての「平等」なのだと語る中島岳志のインタビュー記事 [ʼ20年5月20日朝日新聞] と同じ日の紙面に、パリ郊外の移民の多い地区 [セーヌ・サン・ドニ県] での、コロナ死者数が「不平等が感染拡大を助長したと指摘されている」という記事が載っていることを、前回引用したのだが、言うまでもないことではあるけれど、ウイルス自身には平等も不平等もありはしないが、ウイルスの引きおこす結果としての病気には不平等と差別がつきまとう。
 中島のインタビューでの発言の載った前後の新聞報道では、アテネ郊外のシリア難民キャンプの劣悪な衛生状態から感染拡大の危機が伝えられ(もっとも、その後を伝える記事は載っていないが)、20年4月12日の朝日新聞には、アメリカの様々な州で、黒人やヒスパニックといったマイノリティーの死亡率の高さが明らかになっているという記事が載っている。ワシントン・ポストの分析によると「黒人が多数を占める郡は白人が多数の郡に比べ、感染率が3倍、死亡率は約6倍」で、「背景にあるのは、社会的格差と言われてい」て、「普段から医療が十分ではなく、貧富が原因となる糖尿病や心臓病、ぜんそくなどの基礎疾患を持っている割合が多」く、ブルッキングス研究所のレイ研究員は「彼らが不摂生というわけではない。身の回りに健康でいるための資源が不十分なのだ」とコメントし、在ニューヨークと在ワシントンの記者は、そうした状況には「職業も関係する」と続け「米国はマイノリティーがバス運転手や食料品店の店員、ビルの管理人など、社会を支える「必要不可欠な職業」に就いている割合が高い」という。
 5月5日の記事では、いつの頃からか訳語を作らず「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれるようになった職業に就く黒人たちは「「休めない」黒人たち」と呼ばれて「首都死者の8割」であることが見出しで示されていたし、にせ札を使用した容疑で警察に拘束され首を押さえつけられて窒息死した黒人の事件から端を発したブラック・ライブズ・マター運動には、警官による圧殺だけではなく、当然、コロナの感染死に黒人の割合が突出していることが含まれてもいたはずだし、同じ頃、ワールド・カップの元コートジボワール代表でチェルシーで活躍していた頃は好きになれなかったタイプの選手だったドログバと、元カメルーン代表でバルサの選手だったエトーは、フランスの医師のコロナワクチンの治験はアフリカでやるべきではないか、という発言に対して「アフリカの人々をモルモットのように扱うな」「ふざけるな。アフリカはおまえらの遊び場じゃない」と猛烈に抗議している。フランスのテレビ番組でパリの病院の医師が、挑発的な発言が許されるなら、とことわりつきで「一部のエイズ研究における売春婦を例に挙げ、新型コロナウイルス対策が進んでいない地域でワクチンの治験を進めるべきだ」と発言し、別の医師も同調したという小さな記事の切り抜き(東京新聞なのだが、日付が書いていない。おそらく20年4月だろう。記事には、’14年のブラジルW杯で、日本代表選手にドリブルを邪魔されているドログバのカラー写真が載っている。W杯などではなく、もっとちゃんとしたプロ同士の競りあいの写真を選べよ!と、言いたい)を読んでも、コロナが「全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ」る病気とは思えないではないか。

  • 金井美恵子のコラムをまたよみ、五時過ぎで上階へ。母親にいわれたとおりチンゲンサイをゆでる。一枚ずつ葉をはがしていき、洗い桶にいれて水にさらす。はがした葉の内側にあたるほうの下端のほうに土らしき黒いものがほんのすこしだけ付着しているものがおおかったので、一枚ずつ指でこすってあらいおとしておく。そうしてフライパンに沸かした湯に投入。あと大根とニンジンとキュウリを洗い桶にスライスするだけの簡易なサラダ。途中でチンゲンサイをザルにあげ、水洗いしておき、スライスがおわったのち、ちいさめに切り分けてパックにいれ、醤油とマヨネーズとからしであえた。それでもうやることは終了。外のポストから夕刊をとってきて、そのまま食事にはいったはず。カレーがあったので。あと前日にこしらえた肉の炒めものものこっていたのでそれもいただいた。夕刊はイスラエルハマスの停戦をつたえていたのと、あと少年法改正案が可決される見込みというのと、米国でアジア系へのヘイトクライムを防止するための法案がバイデンの署名によって成立したという報があったはず。少年法改正案というのは、じきに成人が一八歳になるらしいのだが、一八歳と一九歳は特殊少年みたいなくくりで少年とおなじあつかいにはせず、かといって成人とおなじあつかいにもしない、みたいなかたちになるよう。たしか家裁から検察へおくる犯罪の範囲が拡大されていままではひとを殺したものだけだったのが禁錮一年以上とかになって、強盗とか放火とかもおくれるようになり、かつ、起訴されたあとは実名での報道も許可される、というはなしだったとおもう。
  • 食事をおえてかたづけたあとは下の記事をよんだらしい。

Harry Spiro was eight years old when World War Two began in 1939. He was the only member of his family to survive the Holocaust.

(……)

Harry spoke with his grandson Stephen Moses about what life was like during the holocaust and how he feels more than 70 years on.

     *

Harry is from the Polish town of Piotrkow, which in October 1939 became the first ghetto set up by the Nazis in Poland.

(……)

Harry recalls: "I remember the first announcement they made saying every Jew had to wear an armband with a yellow star of David and in it was written 'Jew'. It didn't mean much to me.

"Next they put out notices saying any Jew who would step outside will be shot."

     *

"The soldiers were patrolling the streets with their dogs. The dogs were trained to get the Jew. You didn't have to do anything - if you were two or three people standing or talking the orders would be given - get the Jew.

"Very often they would do it for their own enjoyment and I would think it was very strange the Germans were laughing and terrorising us kids.

"They did it to put fear in the community and they certainly succeeded," Harry tells his grandson, Stephen.

"Within a few weeks they rounded up some lawyers, doctors and community leaders. In total about 25 people and the Germans shot them.

"There was no reason or explanation. Very few people saw [it happening] but you saw the dead bodies.

"They didn't bury the dead right away, that was very disturbing. People were asking, 'Why?' but nobody had the answer.

"We accepted it. The people accepted it. You couldn't do nothing about it, but you kept on."

     *

Harry believes his survival was down to luck. He was brought to a number of concentration camps including Rehmsdorf and Theresienstadt.

"On a daily basis, whenever I'd go in the wash room you always had bodies on the floor. Very often, I saw a body laying on the floor who didn't finish their ration of bread. I felt it was my lucky day - I got hold of [the bread] and ate it.

"I never felt ashamed of it or sorry for the guy that was dead. This was on a daily basis and it was really bad."

     *

Towards the end of the war Harry went on what is known as a 'death march' from Rehmsdorf camp to Theresienstadt.

"They got hold of us all and we had to start walking," he says.

The German soldiers, with their Jewish prisoners, were trying to outrun the Russians, who were trying to free the Jewish captives.

"Sometimes you got a potato and a coffee or something hot and you'd start marching. People on that march died purely and simply from starvation or being shot."

German soldiers killed people who were too slow to keep up with the march.

"We arrived with 270 of us out of 3,000, the rest were killed or had died. It must have been just outside the camp, I remember my head going around and I fainted and I don't remember at all what happened to me."

     *

"I know we were liberated and I was in a hospital and a friend of mine came looking for me. he said, 'Come on let's go out and play in a square, the Russians have liberated us.'

"The first thing I did with my friend, we went to the gate of the concentration camp and we said to the Russians outside that we'd like to go into town.

"He said we'd notice a lot of captured Germans that were being marched to wherever and he [gave us] permission to do whatever to the Germans for 24 hours."

Harry didn't want revenge on the people who had made his life, as he calls it "hell on earth".

Instead he says: "The only thing I was interested in, and so was my friend, was to stop the Germans, open their rucksack and take out whatever was edible.

"I took out only the chocolate."

  • そういえば、朝刊に、『ベルセルク』の作者(たしか三浦建太郎といったか)の訃報が載っていたのをおもいだした。
  • ほかにこの日のことで印象にのこっていることといってさしてないのだけれど、書抜きをできたのがよかったのと、Brandon Ambrosino, "How and why did religion evolve?"(2019/4/19)(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve))をすこしだけよんだのと、深夜にFISHMANS『98.12.28 男達の別れ』をきいたことくらいか。FISHMANSはひさしぶりにきいたがやはりすごく、佐藤伸治があの声とうたいかたで成立してしまったというのはやはりすごいなとおもった。ほとんど奇跡的ではないかとすらおもうのだが。あの声と歌でもって成立する音楽を発見したというのと、なおかつそれがこのうえないものになっているというのが。柏原譲のベースもすばらしく、茂木欣一はそんなに派手ではないけれど、このひとたちはたぶんだいたいなにやってもくずれないんだろうなとおもった。ベースがはいってくるタイミングとかにそれをかんじる。ここからはじまるの? という。あと微妙にノリをずらすというか、譜割りには表出されないだろうこまかな前後の揺動みたいなことを柏原譲はよくやっているので。
  • FISHMANSをきいた時点でたしか二時すぎくらいだったとおもうのだが、そこから歯をみがいたのち、短歌をひさしぶりにかんがえた。日記いがいになにかしらのことばを生産する時間をやはりとらねばというわけで、翻訳か詩作かなのだが、なんかどっちも面倒くさかったので、ちいさな形式にするかと。しかし時間をつくったわりにできたのは「炎とは生誕未満の比喩だからあなたも溶ける意味の輪廻へ」というものだけで、そんなによいものでもない。とはいえじっと集中してことばをさぐる時間をとれたことじたいはよいことだ。三時ちょうどに消灯して、いぜんメモしておいた詩案をひとつあたまのなかにいじりながら就寝。

2021/5/20, Thu.

 アペイロン(無限なもの)ということばを使用した、はじめての哲学者であるかもしれない、アナクシマンドロスは、タレスが見てとったものを、べつのことばで語りなおそうとしていたと考えることもできる。タレスが見ようとしていたのは、自然の移りゆきのすべてを、無限に超えたものであり、アナクシマンドロスアルケーとしたものは「アペイロン」つまり際限のないもの、無限なものであったからである。いわゆる自然学者たちの著作が、おしなべてその名をもっていたとつたえられるように、『自然について(ペリ・ピュセオース)』と通称される、その著書については、数行の断片が現存している。
 なかでも、シンプリキオスのアリストテレス註解に由来する、ニーチェハイデガーが注目した有名な断片がある。ディールス/クランツにしたがって引用しておく(断片B一)。

 存在するさまざまなもののアルケーはト・アペイロンである。〔省略〕存在するさまざまなものにとって、それから生成がなされるみなもと、その当のものへの消滅もまた、必然に(end10)したがってなされる。なぜなら存在するそれらのものは、交互に時のさだめにしたがって、不正に対する罰を受け、つぐないをするからである。

 ひとまず読みとられることは、断片の著者は、タレスが水であると考えたアルケーを、水とは考えず、また土とも火とも、風とも表現せず、無限定的なもの、無限なもの、つまりはト・アペイロンとした、ということである。特定の質をともなうアルケーであるなら、たとえば水であるならば、それは冷たく、またときに暖かい。暖かいものは、「時のさだめにしたがって」冷たいものへと移ってゆく。アナクシマンドロスが語っているものは、寒さと暑さ、昼と夜、雨季と乾季のように、あるいは火と水のように交替して、一方が他方に置き換わってゆく自然のなりゆきであったように思われる。そうであるがゆえに、アルケーそのものは、相互に対立する性質のどちらかに限定されてはならない(アリストテレス『自然学』第三巻第五章)。それは、無限定的なもの(indefinitum)でなければならないはずである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、10~11)



  • 起床はおそく、ほぼ正午ちょうどになってしまった。さくばん一時ごろに(……)から携帯にメールがきていて、風呂からかえってきたあとにそれを発見し、その場で返信をつくりながらおくらずにいたのだが、それをここで起きてすぐにおくっておいた。(……)はChatPadでしりあったあいてと結婚していまは群馬にいるらしい。ChatPadでであった人間と結婚までいくのは笑うが、そういいながらも祝福し、俺はあいかわらずの穀潰しぶりだとのべておいた。返信はすでにきているが、五時前現在、まだ再返信はしていない。離床がおそくなったので瞑想はサボって部屋を出、階段下の父親にあいさつして上階へ。母親は仕事で不在だが、今日は一二時までとかいっていた。洗面所でうがいなどして、ハムエッグをやいて米にのせて食事。新聞は、きのうもみたが、愛知県知事へのリコール活動で署名が大量に偽造されていた件。先に、これもきのうの夕刊でみたが、エジプトがイスラエルハマスを仲介して停戦案を提案し、ハマスはだいたいのところ受け入れているもよう、という記事をよんだ。一部受け入れを否定する幹部もいるようで、また、時期については合意していないという言もあるようだが、それでもいちおう終息の方向にむかうか? というかんじの文調。イスラエルの軍部からも、作戦はあと数日以内に終了するだろう、という声があるようだし。それにしても、この記事には数がのっていなかったので現時点での被害数が不明だが、きのうおとといあたりではガザ側が死者二〇〇人をこえたのにたいしてイスラエルは一〇人少々だったわけで、軍事力や戦略性のおそらく明白な格差とか、四八年以来の歴史とか、この数の非対称性についてはうーん、といろいろおもってしまう。
  • 愛知県知事へのリコール署名偽造にかんしては、きのうの昼のテレビのニュースですでにつたえられており、夕刊をよんだが、そこからさほどあたらしい情報はたされていなかった。田中孝博という元県議が事務局長をつとめ、高須克弥が会長をやっている愛知県知事一〇〇万人リコールの会みたいな団体が広告関連会社に依頼して署名をあつめていたが、そうしてあつまったとされた四二万だか四三万五〇〇〇筆だかのうち三六万二〇〇〇だったか、八割以上、八三パーセントくらいが不正とみなされ無効になるものだったというはなし。ただの阿呆だろう、とおもうが。バレないわけがないし。この件は何か月かまえにも佐賀県でアルバイトをやとって、署名の期限が切れたあとに名簿の書き写しをさせた、と報じられていて、そのときじっさいにそこではたらいたひとの証言もつたえられていた。田中孝博とその妻と息子と、団体幹部の四人が地方自治法違反で逮捕されたらしいが、佐賀県の現場には妻と息子がたちあっていたらしく、また、労働者は、この現場内でやったことを外部にもらさないという誓約書も提出させられたという。大村秀章知事は民主主義を破壊する暴挙であるといきどおりを表明しており、そのようすはきのうの昼のテレビでみかけた。高須克弥と組んでこの団体活動の発端となり、その後も応援をしていた河村たかし名古屋市長は、じぶんも長年政治家をやっているのに、署名偽造に気づけなかったことはなさけなく、きちんと正当に署名してくれたひとたちに申し訳ない、といっている。田中孝博は河村たかし名古屋市内の焼肉店でよく会って、そこで活動の報告を受けていたらしい。田中孝博自身はむろん、広告関連会社に依頼をしたのは事実だが(という点にかんしても最初は否定していたらしいが)、偽造を指示したことはまったくない、といっているらしいのだけれど、団体内部のひとの証言として、署名を水増しする策がみつかった、知り合いの広告会社がやってくれる、といっていた、というはなしがでているようなので、まあふつうに責任者としてしらなかったわけがないしたぶんふつうに指示もしているだろう。きのうの夕刊には、この件は団体内部の人間から不正のうたがいがあると選管のほうにうったえがあってそれで調査がはじまったとかいてあったが、それは、あ、そうなんだ、というかんじ。
  • 今日の天気はくもり。ほぼ雨みたいな色合いの空気だが、食卓から南窓をみとおすかぎりではいまは雨は降っていないもよう。ガラスのむこうのしろい大気に振動がみうけられなかったので。カラスなりなんなり、鳥たちがしずかな空間のなかで鳴いているのが散発的にはっきりときこえる。食器をあらうと風呂場にいって浴槽ほかをこすり、でるといったん帰室。コンピューターを準備してから茶をつぎにいった。寝間着姿の父親はカップ麺で飯をすませるところで、何食ったのときくのでハムエッグとこたえる。テレビはなにやら、雅楽でもないが、舞台上で笛が吹かれたあときちんとした、肩のあたりが左右につきでたような袴姿の男性たちがひくい声音でなんとか唱和する場面のドラマがやっており、これあたらしいNHK連続テレビ小説なのかなとおもったが、たぶんそうだったようだ。その笛というのが、西洋的音楽理論になれた耳からするとなんともはっきりしない、そちらの意味での旋律、というものがまるでないような、平均律の海にうかぶ島々のあわいをくぐってどこにも到着しないままほどけていく軟風のような、吹き奏でるのではなくてただ鳴らしているだけみたいな吹きぶりで、いややっぱり雅楽とかの方面ってぜんぜん原理がちがうなとおもった。
  • 帰室すると一八日のことをみじかく書いて完成。そのあと、『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよみつつベッドでだらだら。「アンティゴネ」にはいっている。訳者は呉茂一。このひとは『イリアス』とたしか『オデュッセイア』の訳も平凡社ライブラリーからだしていたはずで、ふるめかしくて格調高いとかいう評判をきいたことがあるが、たしかにややそんなかんじはないではない。口調というか、はしばしのことばづかいなど、こちらからするとはまりきっていないようにかんじられる部分もないではないが、ただ一方で、ここはうまくいっているきがする、という部分もみられて、独特のニュアンスがあるのはたしかなので、はまりきっていないようにおもわれる部分は問題ではないのではないか、とおもう。167までいってきったのだが、ここでコロスが、「不思議なものは数あるうちに、/人間以上の不思議はない、」とかたりだしており、これはたしかハイデガーがとりあげた有名な部分だったはず。「不思議」と訳されている語をハイデガーはたしか「不気味」みたいな語としてとらえて論述したのではなかったか? 主題としてはあきらかに国家と個人もしくは「身内」、国家の法や権限と個人としての権利、という対立があるのだが、アンティゴネが拠るのも、クレオンが国家より下位としておとしめているのも、「身内」という語なのがやや気になる。
  • あと、156のコロスの歌のなかに「金色 [こんじき] の昼の眉輪が、ディルケの流れにかかって」という一行があり、この「眉輪」がめずらしい語だなと目にとまった。流れからして太陽の比喩だとはわかるのだが、なぜ眉輪なのか。そもそも「びりん」なのか「まゆわ」なのかよみかたすらわからないのだが、いま検索したところ、おどろくことに一般的な語ではないようで、用例や意味がでてこない。でてくるのは眉輪王 [まよわのおおきみ] という記紀上の人物と、それを題材にした野溝七生子『眉輪』という小説のみ。この作家ははじめてしったが、なかなかおもしろそう。眉輪の比喩の内実はわからないが、ここでは単純に川面にうつるひかりが眉のように弓状にしなったかたちにみえるということなのだろうか?
  • そののち、「英語」を音読。ではなかった、先に音楽をきいたのだった。ヘッドフォンをつけてころがり、The Carpenters『Their Greatest Hits』。あらためてきいてみるとやはりアレンジがすごく、どの曲をとっても非常にカラフルで細部までくまなく行き届いている。このうえなくポップで流通的なのだが、甘いとしても甘ったるさに堕していないのがすごい。基本的にはストリングスと分厚いコーラスで攻める曲がおおいし、"Superstar"とか"This Masquerade"とかはかなり甘ったるいほうの、濃厚なタイプの曲だし、もっとどろどろなってしまってもおかしくない気がするのだが。George Bensonではやはりこうはいかないのでは。ポップスだからもちろんたぶんに情緒的・情念的ではあるのだけれど、だからといって聴者をあおりたてるような、きく者におもねるようなかんじがないのがすごい。下品さがふくまれていない。それはやはりとにかく多彩な装飾によって音楽がすみずみまでつくりこまれているのと、ミックス・録音による各部のトーンのバランスと、あととりわけたぶん、カレン・カーペンターの声と歌い方によるところがおおきいのではないか。声色自体もやたらきめがこまかくてなめらかだし、うたえばずいぶんのびやかにながれるのでわりとビビる。ポップスの楽曲としては洗練の極みみたいなもので、この音楽をつくった主体たちはなによりもまず徹底して音楽のほうをむいているという印象で、奉仕心とまでいうとおおげさにすぎるかもしれないが、個々の楽曲のもっているポテンシャルを最大限にはぐくんで花開かせようというこころづくしというか、音楽自体にたいするいつくしみといたわりの念みたいなものを音の様相自体がしめしているようにおもわれて、そこが感動的である。こちらはいつも好きなものにたいしてそういう評価ばかりするというか、そういう印象をあたえるものばかり好きになってしまうのだが。つまり、音楽であれ小説であれ言語であれ、提示されている対象をつくり手である主体よりもおおきな概念として措定して、じぶんよりもそちらのほうを信用しているというか、それにくらべればつくり手やひとりの人間など矮小なものだと確信しているタイプのものというか。それはけっきょく、神たる超越につかえる宗教者のもつ宗教性と敬虔な奉仕心へのロマンティックな憧憬のようなものなのだろう。ただそれだけでもないというか、そちらに全面的にかたむききっているわけでもなく、たとえば磯崎憲一郎なんかは典型的に作者よりも小説のほうがはるかにおおきなもので、小説言語自体のもっている論理とか原理とかに最大限したがうことをめざしている、みたいなことを、いまはどうかしらないがむかしはよく表明していたとおもうのだけれど、そういういいぶんはむろんわかるにしてもなんかそっちに乗り切れるというわけでもこちらはない。かといって作品を実存の表出のための道具にするというのもこのまないし、とくにやりたいわけではない。べつになにがやりたいといってそれもないのだが、ただそこでやっぱり古井由吉はすごかったのだなあという気はしてくるもので、彼のばあいは彫琢しまくってできるところまでは統御しようとするのだけれど、小説作品など最終的にはつくり手のどうにかなるものではないということを明確に前提として理解しているから、詰めて詰めてつくりこんでいった先ではじめてふと招来されてくるものをたまさかつかむというか受け止める、というかんじだったわけだろうおそらく。それはたぶん、ムージルからまなんだことを古井由吉として咀嚼し実行したということではないかという気がするのだが。
  • 音楽をきいたあと、音読。「英語」を443から457。例によってダンベルももつ。四時ごろまでよみ、そのあと書き抜き。とにかく書き抜きをすこしずつでもやらないとやばいし、先にやらないと一日のあとのほうになるとやる気がでなくなるので。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)を二箇所。Carpenters『Horizon』とともに。四時半ごろからこの日の記述にはいって、五時二〇分くらいまで書いて切り、上階へ。母親はソファで意識をうしなっていた。めざめながらわたしてくるのをみれば本で、世界の絶景みたいなやつとか、世界のかわいい本の町、みたいなタイトルのもの。図書館に行ってきたのだろうか。ベランダの軒下にすこしだけ吊るしてあるものをいれてくれといわれて戸口に寄ったが、ガラス戸をひらけばこのときは雨がけっこう降っていて、こまかいという以上の粒の明確な雨だった。それでアイロンかけ。そのあと料理。例によってタマネギとブナシメジをあわせて豚肉を炒める。母親はもうひとつのコンロで煮物。コンロが不定期にピーピーアラームを鳴らすようになっており、これはおとといくらいの深夜に夜食をとりにいったときにこちらははじめて遭遇し、なんの法則性もなく気まぐれにピーピー鳴るので、心霊現象のたぐいか、低級なしょぼい霊によるささやかなポルターガイストかともおもったが、なぜなるのかいまだによくわからない。こちらが見たとき、いちばん最初は電池切れをしめすごくちいさなランプが赤く点灯していたのだけれど、それがすぐにきえて、そうして無規則なタイミングで鳴るようになったのだ。いまもランプはついていないのだが、電池をはずせば音はでなくなるもよう。なにかしら接触がわるくなったのか。火がついているあいだに鳴ることもあった。ともかくそういうコンロで料理し、完成するとそのまま食事。夕刊でまた署名偽造の件をよむ。田中孝博が不正を認識していたらしい証言が複数でてきているようだが、いわく、リコールを問う住民投票要求の署名は、必要数にたっしていなければ精査されずに返却されるから偽造されてあっても大丈夫だ、といっていたらしい。愛知県知事リコールに必要な署名数は八六万だったかそのくらいだったようで、田中孝博としては、必要数にたっしなくともある程度の数があつまらないと実績がつくれないということを漏らしていたようで、また逮捕前の読売新聞の取材には、広告会社に依頼をしたのは、署名が一定数あつまらないと高須会長に恥をかかせることになってしまうとおもったから、ということをいっていたらしい。あと朝刊から枝野幸男が文春新書で政策プランや国家構想をしめした新著を出したというはなしをよんだ。ただ実現可能性に疑問符がつくものがおおく、日米同盟を基軸とするという部分は共闘相手の共産党が受け入れられないところで、志位委員長がそのあたり一致しないとといっているというが。記事の最後が、枝野幸男はこれは党としての政策表明ではなく、自分個人の理想やかんがえを提示したものだと言い、「はやくも予防線を張った」という言い方でおわっていて、そういう段落とそういう文でしめるあたりちょっと意地悪なかんじがして、わずかばかり印象を誘導している気配がないでもなくて笑ったが。やはり読売新聞なので野党には厳しくということなのか?
  • 食事をおえたときにテレビでは料理番組がやっており、実山椒をつかった牛肉の炒めものみたいなレシピで、実山椒ってどこで売ってんの、とか、山椒ってどこに生えてんの、山にふつうに生えてんの? サンショウウオのいるところに生えてんのかな、サンショウウオってなんでサンショウウオっていうの? とかおもいつくままに問いを投げたのだけれど、明確な解はとくにない。ただ山椒自体はそのへんにも生えてるよ、ということで、我が家のすぐそばにあっていぜんとったという。しかしそれはふつうの山椒というか葉山椒というやつで、その種にも実はつくがすくなく、実山椒というのはべつの種類の木で、もっと実がたくさんついて香りや風味も特有のものなのだという。ぜんぜんしらなかった。サンショウウオといえば井伏鱒二をおもいださずにはいられないが、井伏鱒二はまったくよんだことがない。大江健三郎がたしかノーベル文学賞を受賞したときに、井伏鱒二大岡昇平安部公房が生きていたらじぶんではなくて彼らが受賞したでしょう、みたいなことをいったと記憶しているが。
  • 食後、洗い物をかたづけて帰室。今日のことをここまで書くと八時。今日はあときのうの日記をしあげたいのと、書見をすすめたいのと、からだをすこしだけでもうごかしたいのと、英語をなにかしらよみたいくらいか。
  • たしかそのあとは、「記憶」の音読をして、ストレッチのたぐいを少々おこなったのだったか。風呂のまえにHenryk SzeryngJohann Sebastian Bach: 3 Partitas for Solo Violin』をきいたおぼえがある。ヴァイオリンの独奏。ヴァイオリンにせよクラシックにせよききつけないから、この演奏がすばらしいものなのか、すごいものなのか、判断基準がこちらのなかにない。まったくミスなくかろやかにとびまわって音をつなげていくさまはすごいし、高音部までたっしたときのニュアンスなどは印象的だが、クラシック音楽の演奏者のなかでどれくらいの、どういう位置づけになるのかがまるでわからん。このひと個人についてもなにもしらないし。くわえてやや意識があいまいになってもいた。半分くらいきいて入浴へ。(……)
  • 風呂をあがったあとはたしか日記をかいたりだらだらしたり。そんなにおおきなことはやっていないはず。日記はきのう、一九日のぶんまでしあがってよろしい。深夜、Niamh Hughes, "The daring nun who hid and saved 83 Jewish children"(2020/9/6)(https://www.bbc.com/news/stories-54033792(https://www.bbc.com/news/stories-54033792))をよんだ。Jules-Geraud Saliègeという、ナチに抵抗したフランスの数少ない聖職者たちのうちのひとりの名を知る。

The "free zone" in the south of France did not live up to its name. The government of Marshal Philippe Pétain, based in Vichy, passed anti-Jewish laws, allowed Jews rounded up in Baden and Alsace Lorraine to be interned on its territory, and seized Jewish assets.

On 23 August 1942 the archbishop of Toulouse, Jules-Geraud Saliège, wrote a letter to his clergymen, asking them to recite a letter to their congregations.

"In our diocese, moving scenes have occurred," it went. "Children, women, men, fathers and mothers are treated like a lowly herd. Members of a single family are separated from each other and carted away to an unknown destination. The Jews are men, the Jewesses are women. They are part of the human race; they are our brothers like so many others. A Christian cannot forget this."

He protested to the Vichy authorities about their Jewish policy, while most of the French Catholic hierarchy remained silent. Out of 100 French bishops, he was one of only six who spoke out against the Nazi regime.

     *

The convent [the Convent of Notre Dame de Massip in Capdenac] ran a boarding school and Sister Denise [Bergon] knew it would be possible to hide Jewish children among her Catholic pupils. But she worried about endangering her fellow nuns, and about the dishonesty that this would entail.

Her own bishop supported Pétain so she wrote to Archbishop Saliège for advice. She records his response in her journal: "Let's lie, let's lie, my daughter, as long as we are saving human lives."

By the winter of 1942, Sister Denise Bergon was collecting Jewish children who had been hiding in the wooded valleys and gorges of the region around Capdenac, known as L'Aveyron.

As round-ups of Jews intensified - carried out by German troops and, from 1943, by a fascist militia, the Milice - the number of Jewish children taking refuge in the convent would eventually swell to 83.

     *

The children's lack of familiarity with Catholic rituals threatened to expose them, but an explanation was found.

"We came from the east of France, a place with many industrial cities and a lot of workers who were communists," says Annie. "So we posed as communist children who knew nothing of religion!"

  • 寝るまえにHigh Five『Split Kick』を少々。Fabrizio Bossoがやはり圧倒的なうまさだなとおもう。安定感とよどみのなさがすごい。それを受けて立つとなるとテナーのDaniele Scannapiecoがどうしてもすこしばかりみおとりしてしまうような気がするのだが、そういう印象をえたのは"Split Kick"のソロだけで、ほかの曲ではそうでもなかったようだ。ただフレージングの明朗さは、テナーとピアノのLuca Mannutzaとくらべても、Bossoが随一だろう。トランペットという楽器の性質や音域もあるだろうが。

2021/5/19, Wed.

 たとえば、春につぼみが芽吹き、夏には葉のみどりが盛りを迎えて、秋とともに年老い、冬が訪れるうちに、みどりは死に絶えて、まためぐりくる新たな春に、いのちはふたたび甦る。植物ばかりではない。動物もまた生まれ、成長して、やがては死を迎える。すべては移ろい、変わってゆく。とどまるものはなにもない、かにみえる。
 とはいえ、誕生し、成長して、老いて死を迎えることの繰りかえしそのもの、動物や植物の成長や繁茂であれ、衰退や枯死であれ、そのようにことがらが反復してゆく、循環それ自身、ひいては、季節の移りかわりや太陽の経年変化、天体の運動それ自体は移ろうものではない。繰りかえしは繰りかえされ、反復は反復し、循環自身は、いつまでも循環する。今年のみのりの季節が過ぎ去っても、一年ののちに麦畑はまた一面に収穫の時節を迎える。母山羊が年老いて、もはや仔をはらむことがなく、乳を出すこともなくなったときには、そのむすめが新たないのちを宿すことだろう。成長と繁殖は繰りかえされる。自然の生成と変化をつらぬき、ひとの世の移ろいを無限に[﹅3]超えて繰りかえされ、反復し、あるいは循環する。
 植物や動物の誕生と成長、死滅に目を向けるなら、このような反復と循環はそれ自身、水の存在と深くかかわっているように思われる。植物は水によって育てられ、水を失うことで動物(end7)は老い、植物は死んでゆく。老いた人間の男女は、体内の水分を喪失することで、ひとまわりちいさくなり、荒廃した森の木々は、水気を亡くして枯死している。水は、たしかに、それら「いっさいの存在者の構成要素(ストイケイア)」である。――そればかりではない。水が、繰りかえし循環することが、おそらくは、反復と循環のいわば「範型」(パラデイグマ)である。
 ミレトスの港町は地中海に開けていた。来る日も来る日も、昼も夜も、海は波をつくり、波をよせる。ひとがつくり上げたものなど、まだほんのささやかであった時代にも、海は無限に[﹅3]波浪をあげて、際限もなく[﹅5]波頭をつくりつづける。一瞬一瞬の波のかたちは、海が生みだす、刹那の様相であると同時に、それが海そのものでもある。青い海はまた、白い雲をつくり上げ、雨となって陸地をうるおす。海は、ときにまた風とともに荒れくるい、高い波がひとのつくり出したものを呑みつくす。街並みをつくる白壁が崩れおち、街そのものが廃墟となったとしても、海は月から引かれ、陸に惹かれる。反復は、ちいさな反復を無限にうちにふくんで、それ自身として循環し、おわることがない。世の移ろいと、自然の生成変化は、すべて海のなかに写しだされているのである。「水」という一語のなかには、なにかそうした悠久の存在感覚がある。滅びてゆくものを超えて、滅びてはゆかないもの、死すべき者のかなたに在りつづけるものへの感覚がある。そこには、果てのないもの、無限なものへの視線がつらぬかれ、世界のとらえがたさに、思わず息を呑む感覚が脈うっている。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、7~8)



  • 一一時一五分の離床。そのまえにあたまを左右にごろごろやって、首をよくのばした。天気は雨。さほどおおきな降りではないようだが。おきあがって携帯をみると(……)さんから今日は不在なのでよろしくおねがいしますというメールがはいっていたので返信。そうして部屋を出て、階段下の父親にあいさつし、洗面所で洗顔やうがい。用を足して上へ。母親にあいさつしてジャージにきがえ、ちょっと体操というか背をのばしたりしてから洗面所で髪をとかすと食事へ。前日ののこりものに素麺の煮込み。新聞は入管法改正案が今国会での成立を断念されて廃案になるという件や、イスラエルパレスチナ情勢など。国際面でそれに関連して米国が指導力を発揮できていないという記事をよむ。バイデンはもともとネタニヤフとは明確に距離を置いていたらしく、パレスチナ情勢も優先順位はひくくてあまりコミットしてこなかったので影響力を発揮できない、というようなことが書いてあった。イランとの関係にも暗雲がたちこめる。つまりドナルド・トランプが離脱したイランとの核合意へ米国が復帰をするにあたっても、今回の件でイランのハマスへの支援があらためて焦点化されるので。野党共和党の議員はバイデンへの書簡でイランの支援をうけたパレスチナのテロリストたちがイスラエルの市民をねらってロケット弾攻撃をしかけている、と非難したらしいし。中東地域はイラン、イスラエルパレスチナ、それにアフガニスタンと米国にとっては重要なファクターがあって、そこが不安定化すれば中国への対抗を念頭にアジアを重視するというバイデン政権の方針も阻害されかねないとのこと。アフガニスタンはやばいんじゃないかという気がするのだが。この記事とおなじならびで安全保障理事会が中国主導でプレス声明を出そうとしたが米国が拒否してだせず、四回目の非公式会合がひらかれるとの報もあった。ユダヤ系とのつながりをかんがえてアメリカはどうしてもイスラエルを擁護しないといけないので。とうぜん中国は、一国の反対で安保理が一致した姿勢をうちだせず、機能できていない、という批判をするわけだ。
  • 食後、食器をあらって風呂場へ。浴槽ほかをこすってながし、でると下階。寝間着やジャージをとりかえたのできのうまで着ていたやつは上階洗面所にはこんでおき、もどるとコンピューターをつけて準備。今日のことをここまでしるした。一二時半をすぎている。今日は三時ごろには労働にむかう必要がある。授業の予習をしておかなければならない。水曜日なのでふだんは帰宅後Woolf会だが、きのう、今週来週と二週連続で休みになるということがきまったので、その点いつもよりかえったあとの余裕はある。
  • 出発までの時間はわりとなまけたはず。「英語」の音読だけはやった。出発は三時一五分。雨はやんでいたので傘をもたず、徒歩をとる。往路のことをぜんぜんおもいだせない。路面がまだぬれていたので、街道では横をいきすぎる車のタイヤの擦過音がけっこう増幅されていたはず。というかちがった、傘はもったのだった。やんではいたがいちおう片手にもちながらあるいたのだった。けっきょく降ることはなかったのだが。そのほかの記憶や印象がちっともよみがえってこない。ぼけっとしながらだらだらあるいていたようす。そしてそれでよい。
  • いやちがう、雨はまだ降っていたのだ。記憶のふたしかさにおどろいてしまうが、行きはふつうに差していたのをおもいだした。手にさげてなどいなかった。それで裏通りの途中、頭上の傘にうちつける雨粒の音が身のまわりの至近をシールドのようにしてかこむのと、そのむこうで林のほうからなにかしらの音を聞いたのをおもいだした。なにかしらの音がなんだったのかはおもいだせないが。鳥の声だったか、葉擦れだったか、それとも線路のむこうの家のあたりでこどもがあそぶような声だったか。風はなかった気がするが。
  • 職場につくと裏口からはいって準備し、勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • そういうわけで九時四〇分だかそのくらいに退勤し、ふたたび徒歩でかえる。帰路は雨がやんでいた。裏道にはいるとすぐマスクを顎のほうにずらして、雨上がりのしめった空気を吸いながらあるく。空は雲。ただほそい月がときどき正面すなわち西にほのみえる時間もあった。この日は白猫とひさしぶりに遭遇。みちをあるいていると当該の家で、かすかな鳴き声をひとつたてながら道にでてこちらのほうにちかづいてきたので、しゃがんでむかえる。この猫はなぜか出くわすときのいちどしか鳴かず、それもかなりちいさな声で、そのあと接しているあいだに鳴き声をはっすることはまずない。たぶんいままでいちどもなかったはず。ちかづいてきてくれたのだけれどだからといってストレートにこちらに接してくるわけでなく、しゃがむこちらの横をすぎて道の先をみつめるのがいつものこと。いぜんはころがって腹をみせたり、こちらの膝のうえに乗ってきたりもしたのだが。ただそれは何年もまえのことで、しかも場所もちょっとだけずれるので、あの白猫がこの白猫と同一だったのかがわからない。たぶんおなじ猫だったとおもうのだが。このときもしゃがんでいるこちらのまわりを左右にあるいてすぎ、すぎるときに脚やら手やらにからだや顔をこすりつけていくばかりで、こちらもからだにふれてなでてやるのだが、とうぜん毛がたくさんスーツに付着して、かえってからみてみるとスラックスの下のほうはかなり白くなっていたが、まだそれはとっていない。いちどこちらの脚のあいだにまではいりこんできたことがあったので、ジャケットのあわせのところにもすこしだけ毛がついていた。まったくもってかわいらしくいたいけな生き物だ。しばらくそうしてたわむれていたが、じきにたちあがっていこうとすると、猫もついてくる。ゆっくりあるいているとあとからついてきたり、すばやくあるいてこちらをぬかしたりして、家の塀の角のあたりとか段があるところとかにさしかかるとその都度からだをそこにこすりつけている。今日は飼われている家からかなりはなれたところまでついてきたが、じきにこちらがふりむいてもよってこなくなったので、わかれた。
  • 最後の坂をくだって家のそばまでくると視界がひらけ、空はとうぜんくもっているのだけれど、しかしそれが一面のくもりではないというか、靄がかった白濁の領域と沈んだ黒のうねりとが織りあわされたようになっており、空のみならず山影は山影で靄の浸蝕をうけてやはり白黒の交接体となっているから天から地の先まですべてそうで、それをみるに空間の果てがぜんぶ巨大な冬のガラスになったような、この星がまるごと人工的な建物のうちにある世界だったことが判明したかのようなかんじで、右手で林の上端をほんのすこしこえたところに月の明かりがあらわれて射しひろがったのだけれど、それもしょせんは雲の褥にたゆたうだけの茫洋としたあかるみにすぎず、ガラスをきりさくほどの強さはもたないし、そもそもすぐにかくれてしまった。
  • 帰宅して部屋にもどり、猫の毛が多数付着したスーツをぬいで休息。一時間ほどベッドで休み、一一時四〇分くらいになって食事にいったはず。夕刊で愛知県知事リコール運動で大量の署名偽造が発覚した件についてよんだが、この事件の情報は今日(二〇日)の記事にもうかいたのでそちらにゆずる。あとは風呂にせよその後にせよとくだんの印象はない。とくになにも活動せずにサボってしまった。勤務のある日、帰宅後の時間をどのようにつかうかがやはり大事になってくる。往復ともにあるけば一時間以上はあるいているわけで、そうするとからだも相応につかれるし。あとそうだ、風呂をでるともう一時だったのだが、母親がソファで死んでいたので、洗濯機から洗濯物をとってこちらが干した。母親は飯のときからすでにひどくねむそうにしており、寝ちゃうかなといいながらソファにころがってすぐに寝息をたてていたのだが、こちらが干しているあいだは明晰でなさそうな意識でありがとうとかすみませんねえ、とかもごもご言っていた。洗濯物は彼女の職場の服とか、ジーンズとか、非常に薄手のジャンパー的なやつなど。

2021/5/18, Tue.

 世界のはじまりを問うことは、それ自体としては神話的な問いでありうる。大地は、大河は、大海は、星々と天空はいったい、いつどのように生じたのか。鳥獣が、人間がどのように生成したのか。たとえば、ヘシオドス『神統記』が語りだすところによれば、はじめに生じたのは「カオス」である。ヘシオドスの語るカオスは「混沌」のことではない。カオスとは「裂け目」のことであった。そうであるとすれば、ヘシオドスの宇宙創成論(cosmogony)がまず語るのは、「大地」(ガイア)と「天空」(ウーラノス)との分離であったといってよいだろう。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、5)



  • きのうで毎日の日記の冒頭にふしている書き抜きストックのうち、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)の分がつきたので、つぎはなにになるのかと過去の手帳をみかえして読書の順番をふりかえったのだが、そうすると去年の二月ごろとかのじぶんは手帳にずいぶんとおおく文章をかいていて、それが書き留めのレベルではなく几帳面に行の左右端をそろえたきれいな字でかかれているので、俺こんなに手書きしていたのかとおもった。いちど(……)に手帳をみせたときにめちゃくちゃきれいで感動したみたいなことをいわれたことがあったが(秋葉原にいったときだったはずで、ということはこちらと(……)くんの誕生日プレゼントにヘッドフォンを買いにいったときだから昨年の一月ごろだろうか? しかしハマスホイの展覧会をみにいったときだったような気もするが)、たしかにずいぶんきちんと書いている。ところで記事冒頭引用の順番は読書そのものの順序ではなく、とうぜんかきぬいてあるものからしか付せないので読書の順序を確認してもしかたがなかったのだけれど、あの本はもう付したのだったかと確認するためにここ数か月の日記をいくつか瞥見したところ、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の引用をはじめたのが一月後半のようだったので、それから三か月以上にわたって日記冒頭はずっとこの本からの書き抜きだったわけで、これには笑う。おまえはどれだけこの本を写しているんだ、と。ほぼ四か月だから、一〇〇箇所以上写しているわけだろう。これだけあるとそれを読みつげばけっこう本の内容が追えるわけで、ブログが著作権法違反で注意されないだろうか? 日記という形式上、この引用に内容との連関面からみた必然性などないわけだし。今日からの引用は熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)。新書のやつ。
  • この日のことはもうだいたいわすれた。いま二〇日の午後一時だが、休日で家にとどまった日にかんしては、一日もたてばだいたいわすれる。やはり外に出ないと、やることもみることもなじみのものばかりで知覚と身体がうごかないから、印象があまりのこらない。読みものは下の英文記事をよんだのと、ひさしぶりに『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をけっこうよみすすめた。二番目の「トラキスの女たち」を通過し、高名な「アンティゴネー」にさしかかったところで切り。いまのところすごくおもしろいというかんじでもないし、現代的リアリズムからすると筋立てもしくは人物の行動に、釈然としないというか、そこはもっと警戒しろよみたいなつっこみをいれたくなるところなどがないでもないが、それは問うことではないだろう。「トラキスの女たち」の前半の主人公というべきデイアネイラ、すなわちヘラクレスの妻は、「よく物事を考える人には、立派に栄えている者もいつかはやはり衰えるのだ、という怖れがあります」(97)と口にしているけれど、これは完全に『平家物語』の観念ではないか。もっともここでそれは一個人の「怖れ」や不安として提示されているけれど、『平家物語』のほうでそれに「怖れ」の情がつきまとっていたのかはしらない。よくあるイメージとしては、栄枯盛衰は人間ののがれられない宿命で、だからそれをそれとして淡々と受け入れていく、みたいなかんじだが。ここで提示されたデイアネイラの感慨は、16ページ、「アイアス」で、女神によって錯覚をおこされたアイアスのさまをみるオデュッセウスの台詞につうじているだろう。いわく、「それにしても、わたしはこの男が不憫でなりませぬ。たとえわたしを快からず思うとはいえ、この不幸な禍いにしっかりとくくりつけられているのを見、これもいつかはわが身のことと思うにつけても。しょせんわれらはこの世にては、空蟬のはかない影にすぎぬものでしょうから」ということで、まず衰退や不幸がいつかじぶんの身にもやってくるのではないかという恐れや不安が共通している(正確には、オデュッセウスのほうはその予測にたいして恐れや不安を表明してはいないが、すくなくとも不幸がいつかくるという、なかば確信的とも見える予測はしている)。もうひとつには、そこに「不憫」やあわれみの情がともなっていることが共通している。というのも、ヘラクレスが攻撃した町から戦利品としてぶんどってきた女性たちをまえにした97のデイアネイラは先の台詞にそのままつづけてこのようにいっているから。「親しい方々、このわたしには、強い憐れみの気持が浸み込んできてならないのです、この哀れな女たちが、異国の地にあって、家もなく父もなくて、さまよっているのを見ていますと。この女 [ひと] たちは、もとは自由な人たちの子であったでしょうに、今は奴隷の生活を送っています」と。だからこのふたつの箇所は、実際に栄枯盛衰の運命にのまれた人間をめのまえにして、我が身をかえりみるというか、自分もいつかはああなるのではないかと不安をおぼえたり、すくなくともそれをわりと蓋然性の高いこととしてかんがえたりしている。そこでは、いまのみずからのある程度の幸福とか良い状態とかがこのままこの先もつづく、という発想は信用されておらず、単純なはなし、この世においてはいつなにがおこってもおかしくはなく、ひとの生と世界のみちゆきははかりしれないもので、明日どうなるかもわからない、というかんがえが優勢である。一寸先は闇、というのにちかいのではないか。だからいってみれば、有頂天とか万能感みたいなある種のおごりめいた人間の情が、あらかじめいましめられ、罰せられている。
  • あと「トラキスの女たち」での死にかけたヘラクレスの苦悶の台詞とかはけっこうよかった気がする。劇的というか芝居の約束事にむろんそった調子ではあるのだろうが、なんかそれが、退屈な平板さにも堕さず、かといって大仰すぎてからまわりもせずにかんじがでていたような気がする。

Ukrainian officials have opened a synagogue at Babyn Yar near Kyiv - a place where the Nazis murdered nearly 34,000 Jews in World War Two.

Babyn Yar was a ravine where Jews from Kyiv were lined up and shot dead by the invading Germans over two days in 1941.

The death toll rose above 100,000 over the next two years as Hitler's Nazi SS murdered more Jews there, along with Roma (Gypsies) and Soviet prisoners.

     *

The synagogue's ceiling has a painted map of the night sky, with stars positioned as they were on 29-30 September 1941, when more than half of Kyiv's remaining Jews were massacred.

     *

The synagogue's Swiss architect, Manuel Herz, designed it to open and close like a book, with a manual mechanism that worshippers will operate. It was inspired by pop-up books, but also reflects the holy text of synagogue services.

"From a flat object of a book, when we open it, new worlds unfold," the [manuelherz.com](http://manuelherz.com/) website says.

The 11m-high (36ft) building has a metal frame and is made of Ukrainian oak more than a century old, to reconnect with the old Jewish traditions of the area. The painted constellations on the ceiling also echo the artwork of synagogues destroyed by the Nazis.

  • ほか、この日は日記もすすめてこの前日、一七日までしあげられてよかった。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書き抜きも二箇所。非常にかるいものだがスクワットとストレッチもやった。めちゃくちゃかるく、ぜんぜんがんばらなくてよいので、ともかくもいくらか室内でもからだをうごかすようにはしたい。音読のかたわらにThe Carpenters『Their Greatest Hits』をながしたときがあったが、Carpentersってやっぱりすごいなとおもった。アレンジもそうだが、進行もところどころで工夫がこらされているような気がするし、その進行とメロディの結合のしかたがなんかすごい気がする。ちゃんときかないとわからないが。芸術的、というにあたいするポップスだとおもう。そりゃあこれをやったら売れないわけがないだろうというかんじ。これが売れない世は、隅から隅まで殺伐としきった地獄みたいなところだろう。

2021/5/17, Mon.

 「果てしなく続く衣服を身にまとっている女性を(もし可能なら)想像してみてほしい。その衣服はまさにモード雑誌に書かれていることすべてで織りなされているのである……」(『モードの体系』より)。このような想像は、意味分析のひとつの操作概念(「果てしなく続くテクスト」)を用いているだけであるから、見かけは理路整然としている。だがこの想像は、「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしているのだ。「全体性」は、笑わせながらも恐怖をあたえる。暴力とおなじように、つねに〈グロテスク〉なのではないだろうか(それゆえ、カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができるのではないか)。

 べつの言述。今日、八月六日、田舎で。光り輝く一日の朝だ。太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き。何もつきまとってこない。欲望も攻撃も。仕事だけがそこにある。わたしの前に。一種の普遍的な存在のように。すべてが充実している。つまり「自然」とはこういうことなのだろうか。ほかのものが……ない、ということか。〈全体性〉ということなのか。
  一九七三年八月六日―一九七四年九月三日

 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、273; 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」)



  • 九時半ごろに覚醒。六時間ほど。よろしい。ただすぐにはおきあがらず、例によってこめかみや背中などをもんですごす。そのあと『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)もすこしだけよんで、一〇時半に起床した。洗面所にいって用を足すとともに洗顔やうがいをすると、もどって瞑想。一〇時四二分からはじめて、今日は良いかんじですわれ、おのずとながくなって三〇分。ずいぶん力がぬけて、楽な調子だった。からだ全体がうっすらあたたかくなって、繭につつまれたようなここちよさ。とにかくあまりうごかずただすわりつづけていればよいのだ。窓外では鳥がたくさん鳴きをちらしており、かわるがわるどころかかさなりあっていて、やはりウグイスがめだつが、なかに一匹、ホトトギスもきいた。今年はじめてのこと。今日の天気は曇りで、雨ももしかしたらあるかもしれない。今週はずっとそんなかんじで、晴れ晴れとしない、はっきりとしない天気になるらしい。
  • 上階へ。洗面所で髪をとかす。カレーののこりでドリアをつくったというのでそれをいただく。母親は、きのう、においがわからなくなっちゃって、コロナウイルスだったらどうしようというが、ちょうど今日、職場でPCR検査をやるのだという。それでもう明日には結果がわかるらしいから、もしかかっていたらそこではっきりするはず。今朝はにおいは問題なくわかるというので、たぶん平気ではないかとおもうが。新聞をよみながら食事。そういえばこの日のことではなくてきのうかおとといだったが、カーティス・フラーが死んだという訃報があったのをおもいだしたのでここにしるしておく。今日の新聞はいつものように国際面をみる。イスラエルガザ地区にある米AP通信の建物を空爆したらしい。事前に攻撃をつたえていて記者たちは避難していたので被害者はなかったようだが、批判はでているし、バイデンは一五日のネタニヤフとの電話会談で懸念というか抗議めいたことをつたえたと。イスラエルは例によってハマスの拠点があるので、という言い分のようだが、よくわからない。また、イスラエルの報道官がTwitterで「地上攻撃」がはじまったと発言し、それをうけてNew York TimesやWashington Postが速報したのだけれど「地上侵攻」はしておらず、誤報だった、という一幕もあったと。ハーレツ紙は、意図的に誤報をながしてハマスの人間をトンネル付近にあつめる目論見だったのではないか、と推測しているという。その下にはミャンマーの記事が出ていて、チン州というところで地元市民の武装組織と国軍の戦闘が起こっているらしいのだが、そこで国軍が拘束した市民を前線に配置していわゆる「人間の楯」をつくることで武装組織を撤退させたという。完全に悪党のやりくちではないか。ミンダットという都市で戦闘がおこっていたのだが、武装組織側は市民を攻撃することはできないというわけで、そのミンダット自体からも撤退したもよう。あと二面にアフガンでタリバンと政府軍の戦闘が再燃しているという報も。一三日から一五日にかけてラマダンの停戦があったようなのだが、それがおわったためと。政府側はいままで二四二人だかが犠牲になっている。
  • テレビはさいたま彩の国劇場の新芸術監督に、近藤なんとかいうダンスのひとが就任したとつたえていて、そのひとのインタビューなどをながしていた。彩の国劇場というのはこのひとのまえには蜷川幸雄が芸術監督をつとめていたところ。食事をおえると席を立って食器をあらい、そのまま風呂も。こすってながし、でると下階へ。部屋にもどってきてコンピューターにふれる。(……)
  • この日のことをここまでつづると一二時四四分。
  • ベッドでふくらはぎほかをほぐしながらだらだらとなまける。三時ごろまで。おかげで脚はだいぶなめらかになったが。それから「英語」を音読。401から413まで。『Solo Monk』をBGMに。四時まえになって上階にいき、一品つくっておくことに。母親がかえってきてから料理をなにかやるのはたいへんだし、父親も腰を痛めたためにたいしてうごけないだろうから。といって手軽に肉を炒めるだけ。まず流しに放置されてあった父親の食器をかたづけ、タマネギとキャベツを用意して切る。肉は冷凍に豚肉が二パックあったのでそのうちのひとつ。フライパンに油を垂らしてチューブのニンニクとショウガをおとすとともにしばらく熱し、肉をまとめて投入して箸でほぐしながら炒める。野菜もまもなくくわえて適当にかきまぜながら加熱。味付けは塩、コショウ、味の素に味醂と料理酒をほんのすこしだけと適当にいれる。そうしてしあがるとおにぎりをひとつつくって帰室し、食ったあと、先日の会議で記入したシートを今日提出しないといけないので、まあこまかくかんがえを書いておくかとおもい、あいていたメモスペースをいっぱい埋めるくらいに思考を大雑把にしるしておいた。あんまり読んだり書いたりになれていない人間にこういうものをださないほうがよいのかもしれないが。ひとはだいたいのところ、文をよむのを面倒臭がるので。だが(……)さんならたぶん多少はよんでくれるだろう。それから歯磨きし、スーツにきがえてここまでさっと書き足せば五時すぎ。もう出発する。
  • 上階にあがり、髪をもういちどとかしておいて、マスクを顔につけて出発。玄関をぬけると道の東方からあるいてくる男女。高年。扉の鍵をしめて道に出て、西にむかってゆるゆるあるきはじめる。雨は降っていないが、蒸し暑いくもり。林のなかでたかく伸び上がって巨壁をなしている竹の群れがあせたような、老いさらばえたような黄色もしくは黄緑に染まっていた。こちらのあゆみはおそいので、背後からきた先の男女が横をおいぬかしていく。そのあとすすみながらうしろすがたをちょっとながめたが、夫婦らしく、男性のほうは左右外側に白いラインのはいった真っ赤なジャージをはいているのが目につく。みかけたことのある顔でないし、ふたりともおおきくはないもののリュックサックをせおっていて、あるきぶりにしても近所にちょっと散歩に出たという雰囲気でもないので、たぶん夫婦でやや遠出をしてハイキング的にあるいているというところではないか。彼らは西にまっすぐすすんでいったが、こちらは折れて坂へ。やはり暑い。あきらかに湿度がたかい。髪がのびてきているのでもさもさして鬱陶しい。しかし坂をのぼっていきながら、どうもからだの動きの感触がかるいなとおもった。ベッドでだらだらして脚を太ももまでふくめてよくほぐしたのでそれはそうなのだが、肉と筋の稼働ぶりというよりは、スーツをきていることの窮屈さが薄くて、からだをうごかしても服のほうから抵抗されるかんじがなくてなめらかにながれる。痩せたのか? とおもったものの、じっさい腹回りなどいぜんにくらべればかなり痩せているわけだけれど、ここ最近で急に痩せたというわけでないし(ちなみにきのう体重をはかったところではほぼ五八キロだった)、腹はともかく脚まわりはなおさらそうだろう。それで、これは体型ではなくて肌の問題なのではないかとおもった。肌触り、皮膚の感覚がととのっているのではないかと。というのも、きのうおとといあたりでひさしぶりに風呂のなかで束子で全身をこすったので。乾布摩擦の一方法でじっさいこれはかなり肌がすっきりする。皮膚を刺激すると副腎皮質ホルモンとかいうものがでていわゆる自律神経がととのうとかいう胡散臭いはなしもある。あとは瞑想を今日はながめにやったことももしかしたら影響しているかもしれない。あとは単純に、空気のなかに水気がおおいためか。
  • そうして最寄り駅につき、ベンチにこしかけて、少々メモ。電車がくるので乗り、席で瞑目。むかいに女性ふたり。はいったときに視界の端でみたかぎりでは若い女性の山帰りとみえていたのだが、瞑目のうちにきこえてきた会話の一方の声音にもうすこし年嵩の、中年にかかるくらいのトーンをききとって、そのくらいの歳だったのかとおもったところが、もうひとりの声色や口調にあるあっけらかんとしたかんじというか、屈託やこだわりのなさそうな、ことばをぽんとなげだすようなかわいた調子がこれはわかいひとのもので、しかも漫画のはなしをしているので(最近なんかおもしろい漫画ある? 読む? みたいなはなしで、『チェンソーマン』と、『これはミステリーではない』みたいな名前があがっていて、後者は検索してみたところ漫画ではなくて小説であるらしかったのだが、これはたぶんこちらの記憶ちがいで、『ミステリと言う勿れ』という漫画を言っていたのだとおもう)、これどうも中年じゃないなとおもって、ついたときにみてみるとやはりわかい女性らだった。
  • おりてすすみ、駅を出て職場へ。ホーム上で階段にはいるまえに空をみあげたが、天は全面雲におおわれていて、ありがちなイメージだがまさしくビロードの絨毯みたいにややうねりをおびた白・灰・青の三色混合雲で、そうおもいながらしかし俺はビロードの絨毯というものをじっさいにみたことはたぶん人生でないし、そもそもビロードってなんなのかよく知らんぞとおもった。ベロア生地みたいなイメージなのだが。それでいま検索したが、ビロードとはベルベットのポルトガル語で、そうだったのかとはじめて知ったけれど、ベルベットならそういうたぐいの生地をみたりふれたりしたことはまったくないことはないだろう。Wikipediaいわくベロアというのもベルベットのフランス語らしいので、こちらのイメージはまちがってはいなかった。厳密にはわけることもあるようだが。「和名で天鵞絨(てんがじゅう)とも呼ばれる」とあるが、この漢字表記はたしかに日本近代文学の作品中でみかけたおぼえがある。
  • 勤務。勤務中のことは面倒臭いのでこの日は省略気味に行くか。(……)
  • 九時前に退勤。駅前の自販機でチョコレートブラウニーのスティックとコーラを購入。ロータリーにはタクシーがとまって運転手が車のそとでたぶん同業者とはなしている。ひとりのすがたしかみえなかったが。今日は徒歩をとる。やはり人間、あるかなくては。ふくらはぎを中心に脚をほぐしまくることで血流が促進されてからだ全体が楽になるのは事実なのだけれど、といってそれはやはりからだをおおきく動かしているわけでないから運動ではなく休息のたぐいで、それだけでなくやはり運動をし、単純にからだをうごかさなければならない。と来ればあるくに如くはない。歩行は自由の行為である。歩行中の肉体は振動によって円環をなす。駅前から裏通りにはいると、あちいし、ひとどおりもさしてないからいいだろうとマスクをずらして顎はおおったまま口と鼻は露出し、そうするとすずしいしとうぜん空気のにおいもわかるからもちろんこちらのほうがよい。空は日中とおなじく隈なくくもっているようで道の先や建物の合間にのぞいている空間全体の背景スクリーンは全面黒いのだけれど、そのなかの一箇所に、うっすらとした不定形の、熱い湯のなかに溶き卵をおとしたときにできるダンスのその一片みたいなほのめきがうかがわれて、それであそこに月があるなとわかる。すすむうちに少々あらわれた月はかなりほそい、ひとびとの視線が多数あつまればその重みでぱきりと折れそうなくらいにほそい湾曲性のものだった。しかしひとびとなどわが町の夜の裏路地にはいない。あるくときの肌のかるさというか拘束の弱さみたいなものは往路とおなじで、空気も暑くもなくすずしくもなく、そのなかをすすむからだにたいしてなんの摩擦も抵抗もあたえてこない無色透明のなめらかさで、今日は少々湿気はおおいが良い季節になったものだ。その他帰路にとりたてて見聞きの印象はなく、とりたててものを見聞きしようともせず、思考もせずにただあるいていて、それはわるくなかったが、もうすこしぷらぷらあるきたかった気はする。尋常のひとにくらべればすでによほどぷらぷらしているとおもうが。瞑想をするとき、つまりなにもせずにただすわっているときみたいにあるきたいし、そのほかのすべてもそういうふうになれば楽なのだが。そういえば(……)をわたったあたりで上に書いた空気の無抵抗さの印象をおぼえたのだが、それと同時に大気中になにかの食べ物もしくは料理のにおいが、素朴な煮物のような、それも昆布かなにかはいっているようなにおいがまざってきて、ちかくの家のどれかからでてきたのだろうが、それでちょっと快感をおぼえた。そういえば今日は風もぜんぜんなかった気がする。風の感触を肌に明確にうけた記憶がない。
  • 勤務から帰宅して、いま一〇時。ごろごろしてやすみながら過去の日記をよんだ。去年の五月一七日と一月一〇日。後者には二〇一六年中の記述がひかれていて、「一読して現在の自分の文章よりも精度の高い描写」、「ある観点から見ると、今の自分はこの頃の自分に明確に負けているだろう」といっているのだが、いまよめばべつにそうはおもわない。下にひいておくけれど、わるい描写ではないがとりたててよいとおもう部分があるわけでもなく、なんか全体に調子がかたいし、リズムも一定で単調にかんじられて、たいしておもしろくはない。かいてあることも目新しくないし。二〇一六年一七年あたりはたぶんこういう風景描写をととのえることをおりおりがんばっていたはずで、だからそういう意味でこのがんばりが基礎体力的な文章の力をつくったとはおもうが。そういう基礎練習的な、筋トレ的な文調のようにかんじられる。色気はあまりない。「この路線、つまり緻密な風景描写の路線を改めて推し進める必要は必ずしもないが、現在においても過去の自らに負けないような文章を書かなければならない」と一年前のじぶんはいっているが、文章の「緻密」さにせよ過去のおのれとの勝負にせよそんなことはどうでもよろしい。

 既に暮れて地上は暗んでいながらも空はまだ青さの残滓を保持していたが、それもまもなく灰色の宵のなかに落ちて吸収されてしまうはずだった。雨は降り続けており、坂に入ると、暗がりのなかを街灯の光が斜めに差して、路面が白く磨かれたようになっている。前方から車がやってくると黄色掛かったライトのおかげでその時だけ雨粒の動きが宙に浮かびあがり、路上に落ちたものが割れてそれぞれの方向に跳ね、矢のような形を描いているのが見えた。街道に出ると同じように、行き過ぎる車のライトが空中に浮かんでいるあいだだけ、無数の雨の線が空間に刻まれているのが如実に視覚化されるのだが、それらの雨はライトの上端において生じ、そこから突然現れたかのように見えるため、頭上の傘にも同じものが打ちつけているにもかかわらず、光の切り取る領域にしか降っていないように錯覚されるようで、テレビドラマの撮影などでスタジオのなか、カメラの視界のみに降らされる人工の雨のような紛い物めいた感じがするのだった。道を見通すと、彼方の車の列は本体が目に映らず、単なる光の球の連なりと化しており、それが近づいてくると段々、黒々とした実体が裏から球を支えていることがわかる。濡れた路面が鏡の性質を持っているために光は普段の倍になり、二つの分身のほうは路上の水溜まりを伝ってすぐ目の前のあたりまで身を長く伸ばしてくるのだが、その軌跡は水平面上に引かれているというよりは、目の錯覚で、アスファルトを貫いて地中に垂直に垂れながら移動してくるように見えるのだ。横断歩道が近づくと、信号灯の青緑色が、箔のようにして歩道に貼られる。踏みだすたびにそのいささか化学的なエメラルド色は足を逃れて消えてしまい、自分もその照射のなかに入っているはずなのに、我が身を見下ろしても服の色にはほとんど変化がないのだった。
 (2016/8/27, Sat.)

  • ほか、(……)さんが当時やっていたブログをよんでいたり。彼もどうしているのかなとおもう。またはなしたいものだ。メールをおくって近況をうかがってみようかともおもうのだが、どうかけばよいのかというのがあまりおもいつかない。アメリカもいろいろたいへんな状況だろうし。
  • 夕食時のことはわすれた。いや、わすれていなかった。『しゃぺくり007』がながされていて、この番組もなんだかひさしぶりに目にしたが、ジャニーズWESTとかいうグループがでていた。ぜんぜんしらない。恋人からのメールにどういうふうにかえすかでセンスを問うという企画や、クラブでグラスを片手に音楽にのってゆらゆら揺れるその揺れ方のセンスを問うみたいな企画。なんだかんだでわりと目を向けてしまい、目を向ければ多少笑いもして、新聞をあまり読めず。その後入浴だが、風呂のなかでは瞑目に静止し、そうしていると心臓の鼓動がからだにあらわにひびいてくる時間があって、からだが熱を持っているためかじっとしているわりにけっこうはやいようにかんじられたのだが、この脈動がとまってきえればそれで死んでこの世とおさらばなのだから人間というのもいかにももろくてあっけないもんだなあ、というような、わりとありがちな感慨をえた。逆にかんがえれば、このとくに堅固ともおもわれない、単調で勤勉ではあるもののまるで疑いなく安心できるような確かさをもっているともおもわれない、ちいさく無個性な律動が、生まれていらいずっと基本的には故障することなくほぼ逸脱することなく保たれて、この程度のものによって根本のところで生命が維持されているというのはおどろきでもある。それはそれでわりとありがちな感慨だが。
  • いま二時前。入浴後にもどってくると買ったコーラを飲み、またブラウニースティックをもぐもぐやりながら今日のことをかいていたのだが、じきにどうも肩から背の上部あたりがこごってきたので、ベッドにころがった。それでだらだら。どうもなぜか書見をする気があまりおこらない。かといってウェブをてきとうにまわるのもなんかなあというかんじで、しばらくそうしていたのだが、過去の日記をよみたしておくかとおもって、いまおきあがって去年の一月一一日をよみはじめた。冒頭の引用は栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』(ミネルヴァ書房、一九九七年)から。第三帝国時代、一九四一年六月六日にドイツ国防軍にたいして発せられたいわゆる「政治委員射殺命令」についての部分で、軍部隊へのこの指示もしくは命令のなかには、「野蛮なアジア的闘争方法の首謀者は政治委員である」という文言があって、アジアと野蛮さが等号でむすばれていたことがわかる。「ボリシェヴィズムとの戦いにおいては、敵が人間性国際法の原則に基づいた態度をとるものとは考えられない。とくに、抵抗の本来の担い手としてのすべての種類の政治委員からは、我々の捕虜に対する憎悪に満ちた、残酷にして非人間的な取り扱いが予想される」ともあって、アジア=野蛮=非人間という語彙的・意味的連関だ。あいて側、つまりソ連の連中が「人間性国際法の原則」を無視した残虐なたたかいかたをしてくる(と予想される)ので、われわれもそれにおうじなければならず、「寛大な態度や国際法上の顧慮は誤り」であり、「政治委員は、戦闘あるいは抵抗の最中に捕らえられれば、基本的にただちに武器によって始末しなければならない」という理屈になる。
  • 本文中だとこの日は朝から出勤しているのだが、その往路中の記述に「(……)家の脇の斜面に生えた蠟梅の、もうだいぶ花が膨らんで色勢が強いのに目をやっていると」とあり、「色勢」なんていうことばはめずらしく、一般的な語彙としてもないだろう。たぶんこれいらいいちどもつかっていないとおもうがなかなかよいのでまたつかいたい。
  • ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』をよんでいる。ほんのすこし感想をしるしている。「断片的に〈娼婦〉であること」という表現はちょっと印象的。「娼婦」ということばはよくないかもしれないが、要はわずかばかりの営業性というか、難解とか前衛的とかいわれるようなテクストでも、ひろく受け入れられる、流通的な部分、ある意味では読者に媚びたりおもねったりするようなところをすこしはふくんでいなければそもそも読まれないよということだろう。狂気にみちていながらも、その狂気のなかのどこかにしかし誘惑と魅了の要素をはらんでいなければならない。「放蕩者が大胆な謀略の果てに、歓びを味わいつつ、綱を切らせて自分の首を吊る瞬間に」という後段の比喩も、たしかにいまよんでも「鮮烈」だとおもう。

 「バタイユや――他の作家――のテクストは、神経症に逆らって、狂気のただなかで書かれ、そのテクストのうちに、もしそれが読まれることを欲するなら、読者を誘惑するのに必要な、ほんの少量の神経症を有する。こういう恐るべきテクストは、それでもなおコケティッシュなテクストなのである」(11)。これはちょっと魅力的な洞察である。〈狂気〉のなかに一抹の〈誘惑〉を(〈狂気〉の〈裂け目〉を?)孕ませること、断片的に〈娼婦〉であること。ただ、ここで使われている「神経症」の意味は、おそらく主にラカン精神分析理論を下敷きにしていると思われるが、当該理論を学んだことのないこちらにはその意味の射程がよくわからない。
 また、「文化やその破壊がエロティックなのではない。エロティックになるのは、その双方の裂け目なのだ」(13~14)とのこと。それに続けてさらに、「テクストの楽しみは、こうした把捉しがたい、不可能な、純粋にロマネスクな瞬間に似ている。――放蕩者が大胆な謀略の果てに、歓びを味わいつつ、綱を切らせて自分の首を吊る瞬間に」(14)とある。最後の一文は、鮮烈で印象的な、〈頭に残る〉隠喩/イメージである。

2021/5/16, Sun.

 この本には、格言的なアフォリズムの口調(われわれは、人は、つねに、など)がつきまとっている。ところで格言とは、人間の本性についての本質主義的考えかたに取りこまれており、古典的なイデオロギーに結びついている。すなわち、言語の表現形式のなかでもっとも傲慢な(しばしばもっとも愚かな)ものなのだ。では、なぜそれを捨てないのか。その理由は、あいかわらず情緒的である。わたしは〈自分を安心させるために〉格言を書く(または、格言的な動きをちょっと見せる)のである。急に不安が生じたときに、自分をしのぐ不動のものに身をまかせて、その不安をやわらげるのである。「結局は、いつもこうなのだ」と思い、そして格言が生まれるというわけだ。格言とは〈名称 - 文〉のようなものであり、名づけることは緩和することである。そもそも、これもまた格言になっているのではないか。格言を書いたら場違いのように見えはしないかというわたしの恐れを格言は和らげてくれる、というわけである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、272; 「格言(La maxime)」)



  • きのうしかけてあった八時のアラームを解除していなかったので、八時にいちどおこされた。それからまた寝て、一一時一五分ごろ正式な覚醒。天気は曇りで空は真っ白。陽の感触はない。こめかみやら背中やら腰やらをもんだのち、一一時四〇分に離床。背中がやはりちょっと油断してほうっておくといつの間にかかたまっている。今日は瞑想をサボった。洗面所にいって用を足し、うがいをくりかえす。そうして上階へ。カレーのにおいが居間にただよっている。ジャージにきがえて洗面所で髪をとかし、屈伸をしてからカレーを皿に盛って食事。父親は腰を痛めたためにずいぶん難儀そうで、ちょっと移動するのにも骨が折れるようすでたびたび嘆息をもらしており、上体をややかがめながらゆっくりうごくからそのさまはもういかにも老人である。医者でもらったらしき薬を食前にのんでいた。こちらも年をとってから足腰をそこなってあるけなくならないよう、いまのうちからよくメンテナンスをしたりきたえたりしておかなければ。ニュースはイスラエルパレスチナのたたかいをつたえ、パレスチナ側の死者は一四五人ほどをかぞえるにいたったのにたいし、イスラエルは一〇人。新聞も一面、三面、国際面とこの件をおおくつたえている。先にページをめくって全体をさっとチェックしたが、社会面の訃報で河合雅雄というひとがつたえられていた。河合隼雄の親族か? とおもったらやはりそう。全然知らなかったが、実兄らしく、霊長類学の権威だったらしい。九七歳。今西錦司門下で、宮崎県幸島のサルの研究でイモを洗うという文化的行為がサルの集団において伝達されるということを解き明かし、六五年に論文を出して注目されたとか。幸島という名にはみおぼえがあって、塾であつかっている国語のテキストのなかにたしかそこのサルのはなしがでてきて、カミナリという群れのリーダーがむかしながらの掟をまもって絶対に水のなかにはいろうとしないのにたいして若いサルたちはそんなことには頓着せずどんどん水にとびこんでにぎやかにあそんでいる、みたいな観察がしるされてあったとおもうのだが、あれがもしかするとこの河合雅雄の文章だったのかもしれない。このひとは別名で児童文学もものしていたとのこと。
  • それから一面のイスラエル - パレスチナ関連。といってそんなに目新しい情報はなく、紛争がつづいており、イスラエル空爆や攻撃もハマス側のロケット弾もとまっておらず、死者が増えているということ。たたかいの余波は周辺にも波及しており、西岸地域では全域にわたって抗議活動が発生し、二〇〇の都市でおこなわれてイスラエル側との衝突もとうぜんおこっているとのこと。周辺国だとレバノンで国境の柵だかなんだかをこえようとしたヒズボッラーの人間がイスラエル側にうたれて死んだとかいうし、シリアからもロケット弾が三発発射されたらしい。
  • テレビは『のど自慢』の派生版というか、みながやったパフォーマンス動画を投稿してきて紹介みたいなやつ。なかに七二歳ながら厚い筋肉をもった老人があって、傘で枡をまわしたり皿をまわしたりするなつかしの芸を披露したり、棒につかまって逆さになった状態でとまるなどしていたが、七二歳でわりとムキムキなのをみると、あそこまでやろうとはおもわんが俺ももうすこし筋肉つけたいなあとおもう。とにかくいまは筋肉がないにひとしいので。肉体の安定性と堅固さをわずかばかりそなえたい。ものを食べ終えると立って三人分まとめて食器をあらい、それから風呂。すますと出て、緑茶をつくって帰室。茶をのみながらNotionを用意し、ここまで記述した。かいている途中、少々雨がもれだした音がきこえたものの、いま、一時一三分時点ではもうきえている。今日は三時から「(……)」のひとびとと通話することが昨晩きめられた。(……)
  • 音読。「英語」を384から400ちょうどまで。BGMはCannonball Adderley『Somethin' Else』。"Autumn Leaves"でのMilesのソロは、よくこんなに音数すくなく、寡黙にできるなというかんじ。ミュートでの静謐なバラード的ソロは五〇年代以降の彼の十八番ではあるが、ここはそれにしてもしずかなんではないか。きちんときかないとわからないが、間延びはしていないとおもう。こんなに空間をあけて一歩一歩じっくりやろうというのは、やはりAhmad Jamalのやり方をまだきにいっていたということなのだろうか。この作品は五八年録音だが。
  • 音読後、トイレにいって排便してきてからベッドでふくらはぎをほぐす。一方で(……)さんのブログ。五月一四日分。過去から世界の豊穣さの実感についての記述がひかれている。いまさらいうまでもないしこちらが最近それを如実につよく感得したわけでもないけれど、こちらなど、読み書きをはじめてしばらくして以来、いままでずっとこれだけでやってきたようなものだ。

学生らの家庭事情などについて最近聞かされることが多いわけだが、彼女らの訴えてみせるある種の悲痛さとはまた別の次元で(「家族」というのは端的に「呪い」だろう)、この世界というのはやはりどうしても豊かなものであるのだなとの感をいちいち得てしまう。じぶんひとりの人生だけでもとんでもない情報量で構成されているというのに、それと同じ密度と解像度をそなえたまったく別様の人生が、信じられないことに人間の数だけ存在しているというその事実を想像すると、本当にあたまがくらくらするし、そのたびになにかに取り憑かれたように、うわごとのように、「どうすればいい?」と独り言を漏らしてしまうじぶんがいる。それにしてもなぜ「どうすればいい?」なのか。どうするもこうするもない、ただその事実をその事実のままに受け入れればいいだけだと思うのだが、このような感を得るたびにじぶんはほとんど必ずといってもいいほど「どうすればいい?」と口に出して自問してしまうのだ。あるいはこれはこの世の真理に気づいてしまったものの惑い、この真理さえ共有することができれば万事がうまくおさまるべきところにおさまるというほとんど妄想じみた狂おしさにとり憑かれている宗教家の焦慮みたいなものなのだろうか。どうすればいい? この真理を人類にどう伝えればいい? みたいな。

  • そのあと一年前の五月一六日の日記をよみかえした。「先日のヒメウツギらしき白の小花が、坂道の左側、林の一番外側の茂みにも生えている」とあるが、たしかに今年も白い小花は生えている。ただヒメウツギという名は完全にわすれていた。たしか卯の花といわれるのがこの花だというはなしだったとおもうのだが、先日なにかの拍子に母親の口から卯の花の語がでたときにも、まったくおもいださなかった。
  • ほか、塾でコロナウイルスを機にオンライン授業が導入されたり、今後AIが導入されたりするとかいうはなしがでているのだが、それをうけての以下の記述が、べつに目新しいはなしではないがけっこうおもしろかった。「生徒たちがそれまで考えたことがなかった物事の接続/切断の仕方を示し、つまりは彼らの脳内にある世界の組織図を解体/再構築して新たなネットワークの姿を描いてあげるということが必要になってくるはずだ。これが批評であり、思想であり、教育である」とか、「結局のところ、教育だの何だの言ってもそれはやはり人間と人間とのコミュニケーションだといういささか反動的な地点に回帰してしまうわけだが、そのコミュニケーションはもちろん多くの場合で対称的とは言えず、またおそらくは根本的に抑圧をはらまざるを得ない性質のものでもある。そして、だからこそ面白いわけだろう」とか、「具体的な人間がいて、さらにもう一人具体的な人間がいれば、そこに何らかの意味で齟齬や摩擦や誤解やノイズが生じないなどということがあるはずもないだろう。それをなるべく排除していこうというのがたぶん一方では現代の趨勢なのだと思うが、しかしもう一方では、例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである。手垢にまみれた術語を敢えて用いるならば、その双方ともいわゆる「他者」への望ましい志向を欠いていることは明白だろう。こちらからすればどちらの趨勢にしてもクソつまんねえとしか言いようがないし、どちらの方向性が今後優勢になっていくのか、あるいはむしろそれらは共謀的に結び合わさっているものなのか、そうだとしてこれら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていくのか、それは知ったこっちゃないが、少なくとも前者の、「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」なるものがこの世を全面的に覆う未来がもしあるとしたら、そのとき「人間」と「世界」の定義は現在のそれから遠く離れたものになっているだろうとは思う」のあたりなど。「例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである」などというところの皮肉ぶりは偉そうで、なかなかのふてぶてしさだし、「これら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていく」というのは、一年後のいま、よりたしかに実感されるきがする。

(……)そこに室長が、(塾の授業で)数学はやらなくて済むようになるよという情報をもたらした。AIが導入されると言うのでマジすかと笑い、ちょうど出勤してきた(……)先生にも、いま聞いたんですけど、何かAIが導入されるらしいっすよと伝えると、彼女は既に知っていたようだった。私とか、いらなくなっちゃいますと言うのでこちらも、やばいっすね、仕事奪われちゃいますねと口にしながらも危機感ゼロでへらへら笑い、何だかんだ言って塾業界は残ると思ってました、やっぱり教えるのは人間じゃないと駄目だよね、みたいな風潮が残ると思ってましたと言うと、室長曰く、代々木だったか河合塾だったか城南だったか忘れたがそのあたりはもうとっくに導入しているし、講義動画を提供したりもしているらしい。そう考えると、やる気のある生徒ならばわざわざ塾に通わなくともそういう動画やAIなどを自ら活用して勉強に励むことができるわけで、学習塾というものの必然性は今後どんどんなくなってくる。また、塾に所属して講師に教えてもらうとしても、オンライン通信技術も今後さらに発展していくはずだから、やはり教室という場にわざわざやって来て直接対面する必要もなくなってくるわけだ。だからおそらく塾というものも今後衰退していくのではないかという気もするし、少なくとも対面授業という形式は、完全になくなりはしないかもしれないが、たぶんメインのものではなくなっていくのではないか。そうするとわりとアナログなほうの人間であるこちらにとっては、何だか退屈で面白くもなさそうな世になりそうだ。

とは言え勉強なんてそもそもAIだの動画だのがまだない時代でも、知識を頭に取り入れるという点に限れば、やる気や能力のある人間なら教科書などを読んでいくらでも自主的にできたわけで、わざわざ講師が喋るのにただ知識を伝達するだけで、つまり教科書の不完全な代用に留まるのだったらそんな授業はクソつまんねえに決まっているわけで、これは大学の一方的な講義形式とかを考えれば多くの人にとって体験的によくわかることだろう。登壇者が一方向的に話すだけの講義なんていうものは、その登壇者に優れた語りの能力がない限りは基本的にクソつまんねえわけで、集団にせよ個別にせよそんな授業をやっても大した意味はない。ではそこで講師にできることは何なのかと言うと、一つにはこの数日後に通話した(……)さんも言っていたように、知に対する欲望を相手に注入し一種の転移関係を形成するということで、平たく言えば、あの先生の話面白い、あの先生ともっと話したい、あの人の話をもっと理解できるようになりたいというような「憧れ」を生徒のうちに涵養させるということだろう。じゃあ次に具体的にどうすればそれが達成できるかと言うと、それはやはり一つには面白い話をするということになるのだけれど、面白い話というのは要するに一つには、それまで生徒たちの頭になかった物事の組成を示してあげるということになるのではないか。つまり、教科書が語る物語を踏まえつつも、それとは別のより魅力的な物語を語ってあげるということだ。教科書の提示する物語なんてだいたいクソつまんねえということは生徒たちももう大方わかっているわけで、だから教科書=マニュアルにただ沿っているだけでは授業なんてどうあがいたって面白くなるわけがない。そこで、教科書にはこう書いてありますけど、これは実はこういうことと繋がっているんですよ、こことここを組み合わせるとこういうことが見えてきますよね? とか、あるいは逆に、教科書だとこれとこれが繋がっていますけど、こんなものは実際は切り離すことができるんですよ、とかいう形で、生徒たちがそれまで考えたことがなかった物事の接続/切断の仕方を示し、つまりは彼らの脳内にある世界の組織図を解体/再構築して新たなネットワークの姿を描いてあげるということが必要になってくるはずだ。これが批評であり、思想であり、教育である。具体的な例を挙げるならば、以前(……)くんの英語を担当していたときに、Many people speak Spanish in America. みたいな文が出てきて、アメリカなのに何でスペイン語なの? と(……)くんが訊いてきたので、アメリカの南にはメキシコという国があってそこからの移民にスペイン語を話す人が多いこと、そもそも南アメリカという土地はかつてヨーロッパから海を渡りスペイン人が進出(という語を一応使っておいたのだが)してきて植民地とされていた歴史があること、そのあとでスペイン本国から独立して南米の国々ができたのだということをかいつまんで話すと、(……)くんは、じゃあそれって、日本のなかで沖縄とか北海道が、俺たち日本じゃなくて沖縄だから! って言って独立するのと同じじゃん! と言ったわけだ。これはまさしくその通りであり、そこに思いが至ったというのは、とても素晴らしいと言わざるを得ない。この話が(……)くんにとって果たして面白いものとして受け取られたかどうか、それはわからないが、少なくとも、アメリカ→メキシコ→南米→スペイン→日本に翻って沖縄、というこうした一連の接続図を提示してくれる人間は、彼の人生においていままでいなかったはずだし、おそらく中学校にもいないと思うし、つまり正規の学校教育のなかで子供たちがこのような物語を聞く機会というのは、たぶんそれほど多くはないと思われる。だから(……)くんも、この話に多少なりとも新鮮味のようなものを感じてくれていたら良いと思うのだが、このようにマニュアルからいっとき浮遊して、何らかの意味でその外の世界を垣間見せるような話がたぶん一つには「面白い話」と言えるのではないか。おそらく多くの人が体験的に納得できるはずだと推測するのだけれど、学校の授業を受けていても後年記憶に残るのは、授業本篇から外れたそういう脱線的な話のほうが多いはずだ。つまり記憶に値するほどの印象を人に与えうるのは物語の反復ではなく、日常的に反復される物語からひととき逸れた細部なのだ。これがすなわち、余白であり、差異である。それを活用しながら、学校なんていうところはクソみたいに狭くてつまんねえ限定的時空に過ぎず、その外にはろばろと存在しているこの世界はまさしく無限とも思えるほどに広く深く豊かで汲み尽くしがたいものなんですよ、ということを一抹理解させ、ひとかけらでも実感させるということが、おそらく一つには意味のある教育というものだろう。

生徒に「憧れ」を喚起させて知への欲望を注入するという話に戻ると、だから教師というものも、それが有効に機能するためには一種のアイドルみたいなものでなければならないということにもしかしたらなるのかもしれないが、そういうときに重要なものとしては、話の内容は当然としても、そのほかに言葉遣い、身振り、表情、声色、相手に対する応じ方、など諸々の装飾的諸要素があるわけで、時と場合と相手によってはむしろ、記号内容よりもこれらの記号表現のほうが重要ですらあるのかもしれない。つまるところ、最終的にはやはりどうしても、講師が総合的・全人的様態として放つ人間的ニュアンスが試されるということで、AIだの何だのが勢力を振るうであろう今後の世の中でそれでも古典的な直接対面形式に何がしかの力を見出そうとするならば、いま目の前に一人の人間が現前しているというそのまざまざとした具体性に、それが反動的だとしても、ひとまず立ち戻る必要はあるはずだ。そして言うまでもないことだが、教育の場で現前しているのは講師だけでなく生徒もまたそうなのであって、少なくとも個別指導においては生徒の寄与と貢献がなければ授業という時空が正しく優れた意味で成り立たないことはあまりにも自明である。彼ら彼女らがこちらの話や言うことを聞いてくれなければ、授業などというものは即座に崩壊するのだから。したがって、教育という営みが退屈極まりない教科書の代用以上のものであるべきだと考えるのならば、不安定ながらもそこに成立しうる相互性に依拠して、それをどのように組み立てていくか、どのように組み変えていくか、どのように操作していくかという具体的な技術の検討が必須である。結局のところ、教育だの何だの言ってもそれはやはり人間と人間とのコミュニケーションだといういささか反動的な地点に回帰してしまうわけだが、そのコミュニケーションはもちろん多くの場合で対称的とは言えず、またおそらくは根本的に抑圧をはらまざるを得ない性質のものでもある。そして、だからこそ面白いわけだろう。AIだの動画だの何だの言って、AIなどというものは少なくとも学習塾に導入される程度の技術レベルとしては、人間の都合に合わせて機能するだけの便利な機械に過ぎないだろうし、動画だって言うまでもなく一方向的な提供物でしかない以上、そこに偶然的な余白のようなものは大方生じ得ない。したがって、そこには明らかに、生徒の思い通りに動かない教師も存在せず、教師の思い通りに動かない生徒も存在しない。そこにあるのは単なる滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達に過ぎず、だからその基盤には資本主義の論理と相同的な原理が明瞭に観察されうると思うが、そうした「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」などというものはきわめて抽象的な仮構空間でしかなく、こちらに言わせれば観念的の一言に尽きる。具体的な人間がいて、さらにもう一人具体的な人間がいれば、そこに何らかの意味で齟齬や摩擦や誤解やノイズが生じないなどということがあるはずもないだろう。それをなるべく排除していこうというのがたぶん一方では現代の趨勢なのだと思うが、しかしもう一方では、例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである。手垢にまみれた術語を敢えて用いるならば、その双方ともいわゆる「他者」への望ましい志向を欠いていることは明白だろう。こちらからすればどちらの趨勢にしてもクソつまんねえとしか言いようがないし、どちらの方向性が今後優勢になっていくのか、あるいはむしろそれらは共謀的に結び合わさっているものなのか、そうだとしてこれら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていくのか、それは知ったこっちゃないが、少なくとも前者の、「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」なるものがこの世を全面的に覆う未来がもしあるとしたら、そのとき「人間」と「世界」の定義は現在のそれから遠く離れたものになっているだろうとは思う。そのような世界はこちらにとってはやはり退屈なものとしか思えないのだけれど、第一、オンライン授業とか何とか言って、そのときこちらが目にするのは、所詮は長方形の小さな画面じゃねえか。

  • 2014/7/3, Thu.もこの日よみかえしているのだが、そこからひかれている以下の場面も言及されているとおり、たしかにちょっとよかった。「何だか素朴で、他愛なくどうでも良い雰囲気がわりと出ている」と評されているが。庄野潤三をすこしおもわせないでもない。このころは柴崎友香『ビリジアン』をよんだ影響で、「~した」でみじかくつらねていく軽くて淡い文体を志向していたのでこうなっているのだが。括弧で発言をくくって改行するふつうの小説のようなやり方は、こちらの日記においてはめずらしく、たぶんこのころの一時期しかやっていない。

 帰ってリビングに入った。
 「ぶどうあるよ」
 「ぶどう……え、なんかめっちゃでかいハチいるじゃん」
 南の窓の右半分が網戸になっていて内側にハチがとまっていた。網戸をすこしあけて窓は閉めてガードした。
 「でっかいなあこいつ」
 もぞもぞ歩いているのを見ているとなんとなくかわいらしくも思えてきた。ガラスの向こうとはいえ顔の近くで飛ぶとびっくりした。たぶんスズメバチだった。琥珀色のうすい羽がぶるぶる震えた。尾の先に針らしいものは見えなかった。使うときに出すのかもしれない。
 「でっかいなあこいつ」
 「カウナスって知ってる?」
 「なにそれ」
 「カウナスに行ってるんだって」
 兄のことだった。母は寝転がって携帯を見ていた。
 「ああなんかロシアのまわりの国じゃない」
 「杉原記念館だって」
 思いだした。国ではなかった。
 「杉原千畝? リトアニアじゃない?」
 ぶどうを用意して食べるあいだ、母はたぶん兄のブログの記事を読みあげた。杉原千畝がどうの、ユダヤ人脱出がどうの、松岡洋右外相の外交資料が残されているどうのといった。母は杉原千畝松岡洋右が読めなかったから教えた。
 「有名なの?」
 「名前くらいは。昔ドラマになってた気もする」
 「へえ」
 部屋におりた。(……)

蓮實 現在、わたくしが濱口竜介監督とともにもっとも高く評価しているのは、『きみの鳥はうたえる』(And Your Bird Can Sing, 2018)の三宅唱監督です。また、『嵐電』(Randen, 2019)の鈴木卓爾監督も、きわめて個性的かつ優秀な監督だと思っています。さらには、『月夜釜合戦』(The Kamagasaki Cauldron War, 2017)の佐藤零郎監督など、16ミリのフィルムで撮ることにこだわるという点において興味深い若手監督もでてきています。また、近く公開される『カゾクデッサン』(Fragments, 2020)の今井文寛監督も、これからの活動が期待できる新人監督の一人です。
 ドキュメンタリーに目を移せば、この分野での若い女性陣の活躍はめざましいものがあります。『空に聞く』(Listening to the Air, 2018)の小森はるか監督、『セノーテ』(Cenote, 2019)の小田香監督など、寡作ながらも素晴らしい仕事をしており、大いに期待できます。また、近年はあまり長編を撮れずにいましたが、つい最近、中編『だれかが歌ってる』(Someone to sing over me, 2019)を撮った井口奈己監督も、驚くべき才能の持ち主です。

  • それで三時から通話。隣室で。(……)も参加予定だったのだが、急遽不参加に。もっとも、あとで夜にまた通話したときは参加できたが。ZOOMにつないで顔を見せるなり、(……)に、痩せた? ときかれたので、とくに痩せてはいないはず、と否定する。きのうかおととい体重をはかったら五八キロだったと報告すると、かるすぎじゃない? といわれるが、むかしからのことだ。(……)が白湯をついでくるとかいってはなれたところで(……)くんが、さいきんは日記がコンスタントにすすんでるじゃんみたいなことをいうので、でもいま最新は一一日だけどね、とうけて、さいきんはもうぜんぶ書くという強迫観念を捨てたから、とのべた。(……)がもどってきながらどういうことかときくので、まあ基本は毎日書くわけだけど、気分が向いたら書くかんじで、書かないあいだにその日のことをわすれてしまったらそれはしかたないともうわりきっていて、おもいだせることだけ書けばいいやというかんじ、俺の場合はまあなるべくながくつづけたいわけだから、そうするとやっぱり楽に、負担なくやれるのがいちばんだからね、それに日記以外の仕事もやりたいわけだし、と説明するうちに(……)もあらわれて、仕事がどうのというのをききとめてきくので、仕事っつっても金をもらうとかそういうことじゃないけど、日記以外にちゃんとした、作品としての文章ってことで、翻訳したいものとかもあるしね、日記は日記でやっていきながらそっちのほうもやりたいわけだから、そうすると毎日の文章はなるべく楽にして、時間とか労力を正式な仕事のほうにあてていかないと、とのべた。
  • (……)
  • 五時になったらこちらは飯をつくりにいくとあらかじめいってあったので、それで通話をおえると上階へ。しかし飯といってカレーがのこっていたし、米ものこっていたし、あまりやることはなかったのだ。小松菜を茹でて切り、からしとマヨネーズと醤油であえたのと、あとタマネギとゴボウの味噌汁をつくっただけ。そのあとアイロンかけ。この日は日曜日だから『笑点』がテレビでやっていた。シャツやらズボンやらなにやらにアイロンをかけながら画面を多少ながめる。五〇周年だか五五周年だかわすれたがそれを記念して、なぜか松井秀喜が出演しており、出演しているといっても事前に撮影した映像をながすかたちなのだが、ただ問題にあわせてみぶりをまじえながらお題をいったり各回答者によびかけたりするもので、ひとつは「こんな野球選手は嫌だ」と発するものなのだけれど、それにともなうみぶりのパターンがけっこうたくさんあったので、これこのために何回も撮ったのか、とおもった。よびかけをまじえたものも同様で、とうぜんながら回答者全員分を撮らなければならない。松井秀喜はひさしぶりにみかけたが、グレーのスーツをたしかネクタイなしで着た格好でソファだかなんだかにすわっており、声色にせよ雰囲気にせよ柔和で、にこやかな表情でおだやかにしているのだが、からだも大きめだしそれでもわりと貫禄というか堂々と安定したかんじがあって、うーん、なるほどなあとおもった。
  • そのあとすぐに夕食をとったのだったか。九時からふたたび通話といわれていたが、八時半の時点でこれから風呂にはいって九時をすぎるので先にはじめていてくれとLINEに投稿すると、じゃあ九時半からにしようとなったので了承し、入浴へ。あがってきてまた隣室に移動して通話。(……)
  • (……)
  • それで一一時まえにZOOMの時間制限がつきて終了。そのあとはとくに目立った記憶も記録もなく、岡和田晃×倉数茂「新自由主義社会下における 〈文学〉の役割とは」(https://shimirubon.jp/series/641(https://shimirubon.jp/series/641))を読んだくらいだとおもう。倉数茂というひとはこちらは山尾悠子の『飛ぶ孔雀』を読んだときに、noteだかどこだかわすれたが当該作についての彼の感想というか批評文みたいなものがあって、それではじめて名前を知ったのだけれど、SF作家だとおもっていたしじっさいそのようにいわれているようだけれど、もともと『早稲田文学』上で書いていたひとで、最初のうちは批評をやっていたようで、ベケット論など載せていたらしい。当人はじぶんは批評家としては挫折したみたいなことを言っていて、それで実作にいったわけだが、いわゆる純文学にもいわゆるエンターテインメントにもどうもなじめないでいる、みたいなことものべていた。SFとかミステリーとかファンタジーやら幻想・ゴシック界隈やらもおもしろいものはたくさんあるのだろう。ぜんぜんふれたことがないのだが。江戸川乱歩短編集みたいなものは家にあって、それはさいきんちょっとよんでみたいが。乱歩はむかし、つまりこどものころか高校生くらいのころにすこしだけよんだようなおぼえもあるが。高校生のころは島田荘司とかのミステリー方面を多少よんでいたので。御手洗潔シリーズとかけっこうよんだはず。あと内田康夫
  • どこかのタイミングでベッドにころがりながらCannonball Adderley『Somethin' Else』をきいた。冒頭の有名な"Autumn Leaves"をきくに、Milesの音数のすくなさ、寡黙さはきのうだかもふれたとおもうが、Adderleyのソロをあらためてきくとこのひとはおもったよりもトーンがまろやかだなとおもわれ、Adderleyというとファンキー方面のイメージのひとだし、フレーズとしても躍動的に、はねまわるように飛翔することがおおいから、なんかもっと汗臭い泥臭いイメージをもっていたのだけれど、きちんときいてみれば、"Autumn Leaves"にかんしてはバラードまではいかないにしてもしずかなアレンジになっているからなおさらそういう音出しにしたのかもしれないが、ずいぶんやわらかく、まるくふくよかな響かせ方になっていた。それでいてMilesとはまったくちがってやはり音列はこまかくはねることがおりおりあり、活発で、とりわけすばやく回転しながら紐がしゅるしゅる吸い込まれてたたまれるみたいに下降することがおおい。その回転の感覚とか全般的なスタイル感はJohnny Griffinを連想させるものがあって、テナーとアルトだからちょっとちがうが、汗をそんなにかいていない、ややすずやかなJohnny Griffinという印象。ほかの曲ではもうすこしトーンもかたくなっていた気がするが。吹きぶりはもう堂に入ったもので、Miles御大が見ているなかで、しかも御大はあんなにしずかにクールにやったあとでAdderleyがソロをやるわけだけれど、ぜんぜん緊張とか萎縮とかをかんじさせず生き生きとしている。

2021/5/15, Sat.

 あらゆる仕事の交わるところに、おそらくは「演劇性」があるのだろう。実際に、ある種の演劇性を扱っていない彼のテクストはひとつもない。見せ物とは何にでも適用しうるカテゴリーであり、その形のもとで世界はながめられるのである。演劇性は、彼が書くもののなかに行きつ戻りつする、一見すると特殊なあらゆるテーマにかかわっている。コノテーション、ヒステリー、虚構、イマジネール、けんか、優雅さ、絵画、東洋、暴力、イデオロギー(ベーコンが「劇場のイドラ」と呼んだもの)などである。彼を魅きつけたのは、記号というよりは信号や誇示なのである。彼が望んだ学問は、記号学ではなく、〈信号論〉であった。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、269; 「演劇性(Le théâtre)」)



  • 今日は一一時から(……)で会議だったので、八時にアラームをしかけてあった。なぜかそれが鳴るまえ、七時半ごろにすでにさめる。しかしねむりがみじかいので、まだおきず、目を閉じたままアラームが鳴るのをまつ。鳴るとおきあがってとめ、しばらくこめかみや腰をもんだり、膝でふくらはぎをほぐしたり。八時二五分に離床。水場にいってきてから瞑想、一五分ほどすわったはず。鳥の声をきいていた。ちかくから、ヒヨドリの声と、もう一羽なんだかわからないリズムの鳥声がたっていて、ほぼおなじ場所にいるようだったので、たぶんそろって梅の木あたりにきていたのではないか。
  • 上階にいくと母親はすでに出勤して不在だった。でるときにタオルを入れてくれとある。洗面所で髪をとかし、食事は前夜の炒めものや味噌汁など。新聞でなにをよんだかというと、二面にパレスチナイスラエルの件があったのでそれをよんだはず。ただ情報としてはきのうBBCでよんだいがいのあたらしいことはほぼなかったはず。イスラエルはまだ侵攻してはいないが、境界付近にあつめた地上部隊からの砲撃を強化しているということだった。のちの夕食時に夕刊でよんだほうもここにかいてしまうが、ガザだけでなく西岸とヨルダンでも抗議運動がおこって警官隊だか治安部隊との衝突があると。朝刊か夕刊かわすれたが、たぶん朝刊だったとおもうが、ガザの病院の医者の言として、コロナウイルス医療崩壊していたところにたたかいがはじまって、治療がとてもでないがおいつかない、という憤りの声があった。きのうのBBCの記事にもふくまれていてちょっときになったが、レバノンからもロケット弾が三発うたれているらしい。BBCいわく海におちたようだが。ヒズボッラーか、といわれているもよう。ほか、国内だと入管法改正の件で与野党の協議が決裂したとあったはず。立憲民主党が一〇項目くらいの修正案をだして、与党は大筋でそれにおうじる方向で検討したらしいが、ただ立民がもとめている、名古屋入管で亡くなったスリランカ出身の女性の映像を公開するということには与党もしくは政府が同意せず、そこでおりあえなかったと。野党は当該委員会の義家弘介委員長の解任要求みたいなものをだして抵抗する方針。上川陽子法相への不信任決議案もだす方針とあったか。
  • 食器をあらい、風呂もあらって帰室。三時まえに床に就いて八時なのでやはりねむりがたりないかんじはあった。あたまがあつぼったいというか、額の奥にわだかまりがあるようなかんじというか。時刻はすでに九時半ごろだったはず。一〇時二〇分にはでる必要。会議で他教室のひとびととディスカッションをするのでマイクつきイヤフォンがあったほうがよいとか前回にいわれていて、まったく準備せずにきたのだが、なんか家のどっかでみかけたなという記憶があったのですくない残り時間を押してさがしてみたものの、みつからない。みつからなきゃしょうがねえというわけで歯磨きをし、すこしだけでも音読をやっておこうというわけで「英語」を一〇分少々よむ。そうして身支度。スーツにきがえてバッグをもち、上階へ。マスクを顔につけて出発したのが一〇時二〇分の直前くらい。
  • 雲がおおめで天気はあいまいではあるが、公営住宅前などひなたもあり、気温はたかくてなかなか暑い。風も厚くながれつづけており、道をいくあいだ、林からおおきな葉擦れのひびきがたえまなく発生している。坂道にはいっても同様。足もとには落ち葉があるが、緑の葉のなかにおりおり季節外れなように生命力にみちみちたリンゴのごとく真っ赤に染まったものがあって、あれはなんの葉なのか。最寄り駅につくと階段をいき、ホームへ。先のほうへ進行。ひとはほぼない。線路のレールのうえにカラスが一羽おりたって、ざらついた、しわがれたような声音をはなっており、そのあいだも風は吹きつづけていてカラスのそばでは下草が、ほそくてかるそうな浅緑の、カラスからみれば自分の体長よりも二、三倍たかいがわれわれからするとみおろすくらいの長さの草が海藻のようにゆれている。
  • 来た電車に乗り、席について瞑目。やすんで降り、乗り換え。また席について(……)までのあいだは休息。やはりそこそこねむりのたりない感。五時間程度では致し方ない。どうしたってやはり、七時間くらいは意識をうしなわないと心身がまとまらないようだ。生活習慣をもろもろの点でかえればまたちがうかもしれないが。(……)について降り、エスカレーターをのぼり、改札をぬける。改札の外、券売機の周辺では清掃がされており、よくみなかったがなにかしら機械めいたものが置かれているそばに老人がひとりなにをするでもなく待機しており、床は濡れていて、扇風機かなにかがあって風がかけられていたはず。掃除して乾かしているところ、ということだったのだろうか。その区画をよけつつあるき、改札をでて右、(……)のほうにいって右に折れて出て、目的地たる(……)はすぐそこである。ここでも陽射しが、そう厚くはないが降っていてそれなりに大気に熱がこもっていた。ロータリーの端をわたると(……)から若い女性がふたりでてきて、わりとスタイリッシュなかんじのひとびと。すれちがってこちらはビルのなかへ。(……)
  • (……)
  • (……)
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  • (……)
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  • (……)
  • ビルを下りて駅へ。会議の途中で暑くなってジャケットを脱ぎ、ベストすがたになってワイシャツの袖もまくっていたのだが、そのまま上にジャケットをはおった格好で、まだ空気はけっこう暑かった。トイレに寄ってから駅内へ。ホームにおりて、あまりこない駅なのでどちらが東でどちらが西かぱっと把握しづらかったのだが、みきわめて東のほうにむかう。頭上に蛍光灯をその下に設置するような梁的な渡しがはしっているのだが、その上にハトがやたらたくさんいてちょっとビビった。そこなの? そこにいるの? みたいな。ホーム上をうろつくすがたはどこでもよく目にするが、この(……)駅では頭上にいて、その狭い空間でときおりバタバタやっている。糞をおとされてはかなわないのでさけながらいき、暑くて喉が乾いていたのでコーラでものもうかなと自販機のまえに立ったが、若い女性ふたりが来たのを機にはらってベンチへ。手帳にメモをとってもよかったのだが、目の前の空気があかるすぎて、といって空は雲なく晴れ渡っているわけでなくときおり日なたが消えることもあるのだけれど、風がとぎれることなくながれつづけて濃緑の木が色を吐くようにして身をゆらし、下草もたえまなくちいさく震えているその風景をつつむ大気の穏和さあかるさのために、こんな時間になにかをしてはもったいないなとおもってなにもしなかった。線路をこえたすぐむかいにはほそい通路があるのだが、その途中に中年女性がひとりとまっていて、携帯を片手にだれかをまっているようなそぶりで通路の先をながめていたが、じきにあるきはじめた。そばにはアパートがあって、煉瓦風の外壁は基本的には赤みがかっていくらか錆びた焦茶色というような色だがタイルによって多少差異があり、色の推移がうみだされているのだがその屋上の角にいま、ひくく置かれた竿に洗濯物を干しているらしきひとがあって、なんかめっちゃいいなとおもった。あそこにいると陽射しをさえぎるものがまったくなく、屋上はたぶん全面にわたってひかりに占領されているとおもうのだが、この土曜日の昼下がりにそこであかるさにつつまれていること、そういう場所があるということを。風はほんとうにとぎれる瞬間がなく、ざわめきとふるえはつねにあり、一度ベンチの背後からちかくの足もとになにかとんできて、みれば紙の時刻表で、こちらと母娘づれのあいだにおちて、こちらはそれをゴミというかだれの所有物でもなくただとんできたものだとおもいこんでぼんやりみていたのだが、そうではなく、おくれて初老の男性がゆっくりあらわれてきてひろっており、それ以上風にとばされないうちでよかった。電車がくると乗車して休息。
  • (……)着。おりる。飯を食っていくか帰ってから食うかまよっていたのだが、電車内でアナウンスされたつぎの乗り換えの時間がかなりあとだったので、それじゃあ帰ってから食うんではずいぶんおそくなるしその合間にいったん駅を出て飯を食っていったほうがよかろうとおもい、おりると駅をぬけた。といってしかしくうとして店は駅前の(……)くらいしかないわけで、店の前の看板のまえにたち、メニューをみつつ店内のようすにも目をむけるが、そこまで混んでいるわけではなくてふつうに空席はあるもののそこそこひとははいっていて、なんだかきがむかない。それで電車を待つにもながいし今日はあるいて帰って家でなんか食うかとおもったのだが、駅の前を再度とおりかかった際になかの電光掲示板をのぞいてみると、つぎの(……)行きはアナウンスされた時間よりけっこうはやくてあと二〇分くらいしかなかったので、乗務員がまちがえてふたつ先の時間を言ってしまったのだろうが、それなら待つわとなってふたたび駅内にはいった。ベンチでメモでもしていればよいとおもったのだがいってみればベンチはあまり空いていないので、しょうがねえとおもい、ともかく暑いし喉は渇いていたのでとりあえずなんか飲もうと自販機に寄って、コーラを飲もうかとおもっていたがコーラの二八〇ミリリットルのちいさなペットボトルがないので、三ツ矢サイダーのレモンとライムの風味が混ざったものらしく「レモナ」という実に安直な命名の品をひとつ買い、ベンチもあいていないし待合室も気が向かなかったから花壇縁にすわるかとおもってホームの先のほう、屋根のない範囲へとむかい、花壇などといえるほどおおきなものでないがひくい段で囲われたなかにパンジーなんかが生えている区画の縁に腰をおろした。それで飲み物をすこしずつ口にふくみ、胃におとす。空気はあいかわらずあかるい。とても晴れているというわけでもないのだが。やってきた電車からおりてきた親子があって、父親とまだおさない息子なのだけれど、ややハイキング的なかっこうで、息子はけっこう疲労しているようなようすで、花壇の角に寄っていたふたりのうち父親はちょっとまってなといいのこして場をはなれ、息子はそのあいだ花壇に腰掛けるのではなくて地べたに直接すわりながらぼんやり待っており、そのちかくでこちらもなにをするでもなくぼんやり水分をからだにとりこんでおり、しばらくしてかえってきた父親は自販機で買ったはずだがせんべいをもっていて、それを息子とわけあってくっていた。いちおう手帳をとりだしてメモしようとしたのだが、ここまでのこの日の記憶をおもいかえしてみてわざわざメモしておきたいとおもったことがらが、会議でまあそこそこうまくしゃべれたということと(……)駅での空気のあかるさのふたつしかなかったので、それいがいにも記憶をさぐってみたのだがメモっておきたいことがでてこなかったので、それだけメモしてあとは飲み物をのみ、それが空になるとなにもせずにいた。そうしてじきに(……)行きがくると移動して乗車。まもなく発車し、瞑目のうちに待つ。
  • 最寄り駅をでて坂道へ。風はあいかわらずつづいている。竹秋をむかえて黄色くなった竹の葉が、道の両側だけでなくそのあいだにも多数散ってすきまをすくなくしており、おりていくあいだも風のためにさらに降ってくるものがあるのだが、みれば頭上に一枚、蜘蛛の糸にひっかかっているようで空中にとどまったまますばやく回転しているものがあり、こまかくうねるそのようすが魚がおよいでいるようでもあるし、むしろ魚が食うゴカイ的なああいう餌が水のなかでうねうねしているそのさまにもにている。
  • 下の道にでてあるき、帰宅。父親が山梨からかえってきていた。ソファでねむっていたようで、ずいぶん疲労したようなようす。そのあとみかけても、ソファにこしかけたまま上体をかがめて顔を両手でおおっていてまるで生に絶望しきったような、鬱症状にさいなまれている人間のようなすがただったので、そんなにつかれているのか、気分がすぐれないのかなとおもっていたのだが、これはあとで母親がいうには山梨で洗面所のかたづけをしているときに腰を痛めたらしい。こちらは帰室して三〇分くらいやすんでからともあれ飯をくおうというわけであがり、冷凍のこまぎれになった手軽な豚肉をフライパンで焼いて丼の米のうえに乗せただけの手抜きなものをつくってもちかえって食ったのだが、その後すごしているうちにやはり眠りが足りなかったようで眠気が重くなってきて、しかたないから三〇分くらいやすんで家事にいこうとおもって臥位になったところがけっきょく七時半くらいまでベッドにとどまってしまい、飯の支度もアイロンかけもできなくて、母親も仕事をながくやってきてつかれていただろうに申し訳なかった。
  • そののちの時間もだいたいなまけたようで、読み物なんてこの日は「英語」しか記録されていない。一五日、この日当日の記述をいくらかしたようだが。

2021/5/14, Fri.

 しかしながら、〈身体のレベルでは〉、彼の頭がこんがらがることはけっしてない。それは不幸なことだ。ぼんやりして、頭が混乱し、いつもとは違った状態になったことがまったくない。いつも意識(end267)があるのだ。麻薬を用いることはありえないけれど、しかし麻薬の状態を夢見たりする。酩酊状態になりうること(すぐに気分が悪くなるのではなく)を夢見ているのである。昔、外科手術のときに、人生ですくなくとも一度、〈意識喪失〉になるのだと期待したことがあったが、全身麻酔ではなかったので、そうはならなかった。毎朝、目覚めたとき、すこし頭がくらくらするが、頭の中はしっかりしている(ときおり、心配ごとをかかえたまま眠ってしまうと、目覚めたばかりのときはそれが消えていることがあった。奇跡的に意味が失われた、真っ白な時間だ。だが、すぐに心配ごとが猛禽のようにわたしに襲いかかってくる。そして、〈昨日そうであった自分〉とまったくおなじ自分をふたたび見出すのである)。

 ときおり彼は、自分の頭のなかや、仕事のなか、他人のなかにある、この言語活動全体を休ませたいものだと思う。言語自体が、人間の身体における疲れた手足であるかのように思われるのだ。もし、言語活動の疲れをいやすために休息できていたなら、危機や、影響、高揚、心の傷、理性などといったものに休暇をあたえて、全身で休むことができるのに、と思う。彼には、言語活動が、疲れきった老婦人のすがた(荒れた手をした昔の家政婦のような)に見える。いわゆる〈引退〉をしたあとに、ほっとため息をついている老婦人である…。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、267~268; 「頭がこんがらがって(Ma tête s'embrouille)」)



  • 一〇時四〇分ごろに覚醒。なかなか気温のたかいようなはだざわり。布団の下で汗ばむほどではなかったが。こめかみや眼窩、腹などをもんだり、あたまを左右にごろごろやったりしてから、一一時一八分に離床。おきたばかりのときは、翌日にある午前中からの会議のことをおもって面倒くさいきもち、きがひけるような、倦怠感のような、生そのものから逃げたいようなかんじがあったが、その後じきになくなった。だいいち、午前中から(……)にでむかなければならないとはいえ、一一時から一四時くらいまででおわるようだし、たいした労でもない。水場にいってきてから瞑想。一一時二六分から四四分まで。よろしい。風はあまりなさそう。曇りによった天気でひかりもつやなく淡いのが大気にいくらかまざっているだけだったようだが、空気の感触はわりとさわやか。そとでは(……)ちゃんのこどもがたびたび変声前の甲高さでおおきな声をあげているのだが、今日は金曜なのに学校は休みなのだろうか。緊急事態宣言をうけて分散登校みたいなかたちがとられているのだろうか。輪郭にごくうすい余白をともなったその声が空間のなかにひびき、そのまわりでは鳥の声もいくつもたえまなくはじけつづけている。
  • ゴミ箱と、財布からとりだした一万円をもって上階へ。母親にあいさつして札一枚をわたしておき、ゴミを台所のものとあわせる。一万円はいちおう食費なりなんなりにつかってほしいということで、毎月一五日が給料日なので一四日まできて収支に余裕があったらおさめればよいだろう。余裕のおおきさによってはもっとおさめてもよい。もともとあまりでかけない人間だし、最近はコロナウイルスもあって勤務以外にでかけることはほぼないから、収支はまず黒字にはなる。食事は前日の炒めものや汁物ののこり。新聞をみると、イスラエルパレスチナの件があるのでよむ。イスラエルはガザに侵攻して地上戦をおこなうことも視野にいれているようで、境界付近に地上部隊を派遣していると。のちによんだBBCの記事では七〇〇〇人の兵力とあった。マジで侵攻されたらパレスチナ側にはどうにもならないはずで、ハマスはどこかでひかなければならないはずだが。この記事にはいまのところパレスチナ側の死者は八〇人ほどとかいてあったきがするが、BBCのほうでは一〇〇人以上とあり、読売の記事には第二次インティファーダ以来最大の対立との言もあった。空爆はつづいており、バイデンがネタニヤフにたいして、イスラエルの自国および自国民をまもる安全保障上の権利をゆるぎなく支持する(一方で可能なかぎり早急に平穏を回復するようもとめる)みたいなことをいったので、イスラエルとしてはそれで米国から攻撃のお墨付きをえたということになるわけだ。
  • あと、きのうの夕刊でもよんだが、ウイグルをめぐって開催されたオンラインのイベントの件。米国が主導したようで、米欧はとうぜん中国を非難し、中国はもちろん米国が中国の影響力をそぐためにふたしかな情報を政治的に利用している、みたいなことをいう。夕刊によれば中国はこのイベントに参加しないよう各国にもとめたらしく、脅迫的なかんじのメッセージすらあったとか。また、「奔流デジタル」の、「動揺する民主主義」の番外編として、三人の識者の言が載っていた。ひとりは前エストニア大統領のトーマスなんとかというひと。もうひとりはハーバード大学社会心理学名誉教授のショシャナなんとかいうひとで、三人目はデューク大学社会学教授のなんとかいう男性。エストニアソ連崩壊後デジタル整備を積極的にすすめてきたらしく、サイバー戦争というか情報空間を舞台にした国家間の安全保障的葛藤というのも、二〇〇七年にエストニアとロシアのあいだでおこったのが本格的な端緒だとこの前大統領は認識しているようだった。彼いわく、個々人は自分のデータにたいする所有権をもたなければならない、したがって、だれが自分のデータを閲覧したのかを知ることができなければならないし、データの種類によって閲覧できるひとできないひとをさだめなければならない、と。医者は健康データをみられるが、警察官は健康データはみられない、というふうに。エストニアはたぶんじっさいにそういう制度をつくっているということだとおもうのだが。またデューク大学のひとによれば、いわゆる「エコーチェンバー効果」がよくかたられるところだけれど、Twitter上で被験者に政治的に対立する意見を閲覧させてそのなかにさらすという実験がおこなわれたことがあるらしく、その結果、被験者は対立する意見を受容するどころか、反対に、それを自分にとって有害なものとかんじてアイデンティティをまもるためにむしろ自分の立場に固執した、という事態になったらしい。わりと、まあそりゃそうだよね、というかんじがあるが。SNS上で積極的に意見やかんがえを発信するのは極端な立場のひとたちがおおく、穏健なひとびとは対立陣営からだけでなく自分といちおうおなじ側にいるはずのひとからも批判をうけるのをきらって沈黙するから、なおさら分断が先鋭化する、ともこのひとはのべていた。ほか、クラレンス・トーマスという米最高裁の保守派判事が大手SNS企業への規制のあり方を検討するよう、最近意見書をだしたらしい。SNS上での情報発信によってさまざまな不都合がおこっているのはまぎれもない現実で、それを規制する裁量が事実上完全に民間企業にゆだねられているというのが目下ひとつのおおきな問題で、ここをどうするのかというのが一方の問いとしてあり、ただ他方、そもそも規制は言論の自由の観点からするとのぞましくないのではないかという意見もむろんあって、規制をするのかしないのか、するとしてもどのくらいするのか、どのようなかたちでするのか、という問いもある。どうすればよいのか、こちらなどには解はまったくわからない。
  • 食器をあらってかたづけ、それから風呂もあらう。今日はわりと心身がおちついており、一刻一刻が比較的明晰にみえるようなかんじがある。でると茶をつくって下階にかえり、Notionを準備して、茶をのみながらひととき。これも茶をのむ時間をはさまずに、部屋にもどったらさっさと活動しはじめたほうがよいのかもしれないというきもするが。ともあれそのあと、きのうのつづきで岡和田晃「北海道文学集中ゼミ~知られざる「北海道文学」を読んでみよう!~: 「北海道文学」の誕生とタコ部屋労働(4)~羽志主水「監獄部屋」」(2018/9/30)(https://shimirubon.jp/columns/1691800(https://shimirubon.jp/columns/1691800))をよんだ。

岡和田 『常紋トンネル』 [小池喜孝『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』] の恐ろしいところは実話だったというところがすごいわけですよ。北見はやはり苛烈なところだったというのが伺えますね。『常紋トンネル』の112ページ113ページにタコ部屋の歴史区分というのがあります。1890年から1946年には消滅しています。これはGHQの命令で解散させられたということになっているわけです。

長岡 GHQの影響だったんですね。

岡和田 1925年から28年というのはだいたい再編成期と沈静期という、タコ部屋が社会問題になって命令が出ていた時期ということなんですよね。こういうふうな歴史区分というのがあります。ちょっと戻っていただいて32、33ページでは常紋トンネルの生き埋めを目撃した人というのがいたわけですね。
 タコ部屋っていうのは使えなくなったら生きているのも死んでいるのもトロッコに入れて、トロッコごと投げて捨てるというのが書いてあります。生きているタコでも弱いものはトロッコに積まれた、反抗もできないというようなことが書いているわけです。

     *

 在日朝鮮人の人が実際に強制連行で朝鮮人狩りに北海道であって、そして寝込みを襲われてタコ部屋に入れられるっていうのがあったわけですね。
朝鮮人のタコには精錬はやらせず、監視の目の届く露天掘りと坑内の仕事をやらせた。そして坑内から出た水銀の猛毒を含んだ蒸気で歯をやられ、内臓を蝕まれて廃人になるため、坑内作業には朝鮮人中国人を添えさせたわけですね。こういう記憶がやっぱり朝鮮人墓地が心霊スポットとなるような、なんというか悪いことをしたという集合的無意識に繋がっているんじゃないかと思われます。
 去年出た、石純姫『朝鮮人アイヌ民族の歴史的つながり』というとてもいい本があります。ここではタコ部屋のような強制労働から逃げ出してきた在日朝鮮人アイヌ民族がかくまったという実例が各地で報告されていて、これはサハリンでもあります。樺太にもいっぱいタコ部屋があったので。ここでは、人間と思えぬ虐待や酷使、国による強制連行、強制労働をした朝鮮人アイヌコミュニティが受け入れたという事例がいろいろ語られます。
 一方『常紋トンネル』では、けっこう地元の人達が隠れているタコを見つけて突き出すという例がかなり語られるんですね。要は見た目が汚らしいし、突き出すと報酬ももらえたんでしょう。ただアイヌ民族の人が突き出したという例はひとつも見たことがないですね。
 あったらひとつくらい聞かれてると思うんですけど、語られるのゼロなんで、実際マイノリティとして共感するところは多分にあったんじゃないかと思われます。
 それでもう少し話を戻すと、タコ部屋の棒頭というのは沼田流人の小説では平気で人を殺すサイコホラーの怪人のように描かれていて、『常紋トンネル』では棒頭に勇気をつけさせるために、わざと人の肉が混じったやつを食わせたということも語られていて、実際にあったみたいですけど、そういうこともしていたということです。
 タコ部屋暮らしで管理側、棒頭の側の生き残りというのが当時いたわけですね。山口さん、1907年。ネットでは名前は伏せられていますが、ここで実際に郷土を掘る会の人がタコ部屋の生き証人として呼んだら、「タコは金で買った奴隷ですよ、奴隷に人権なんてないですよ。そんな甘い時代じゃないんだ」ということで、タコ部屋の棒頭を正当化し始めたというすごい例なんです。
 逃走者が出ると人夫を飯場に閉じ込めて、幹部が一斉に捕まえて出勤する。「何しろタコほどいいものはない。女を抱いて酒飲んで三百円の前借りでタコ部屋に入る。そこのタコ部屋が悪ければ逃げると。逃げてるんだからね、そしてまた中島遊郭に行くんだろう」と。
 それは前借りだから、まぁあほだから自業自得だって話ですよ。捕まえて逃げて帰ってくれば優秀な幹部になるので、積極的に捕まえに行くわけです。タコが死んだ場合は逃走届を一枚警察に出せば良い。だから逃走率というのは死んだ率が多分かなり入っているんですね。

     *

渡邊 夏目漱石の「坑夫」っていう話があって、あれもインテリの子が地下に潜っていって坑夫と出会ってっていう話なんですよね。

岡和田 あれも一種のサバルタン(従属的被支配階級)でしょ。私も実際に三年くらい建築現場で肉体労働をしていて、六本木ヒルズが現場だったこともあります。よく労働者の間で、一ヶ月くらい前に足場から二人くらい落ちて死んだみたいな話とか聞きましたね。

渡邊 よくありますね。実際工事現場に入ると上から屋根がバンと落ちてきて、歩いてる奴が怒られるっていうね。僕もそういうのよくやってたので。

岡和田 だから、語られないだけであるんじゃないかと。渡邊さん、プロですからね。

渡邊 西成に行って、立ちんぼして、トラックに乗せられて現場に行って。お弁当は出る。それを楽しみにしてて。まぁトンネル掘ってたんですけど、お弁当が来たっていってばって開けたらご飯があって、コンニャクの炊いたやつだけが入ってる。完全に冷えてるから、それを食べるわけです。朝は電通みたいな人たちが来てですね、「ここの計画はこうなっていて」っていうのを僕らも聞かなきゃならないわけですよ(笑)。

一同 (笑)

岡和田 昔の漫画とか読んでると、そういう日雇いっぽいおっちゃんが日の丸弁当食べてるっていうのは本当にけっこうありました。

渡邊 コンニャクかぁ~……って思いましたね(笑)。

マーク 塩気もない。

渡邊 しょうゆで味付けするんですよ。
 前の晩に泊まった人は朝ごはんを食べていいわけですけど、僕らも平気で朝そこに乗り込んで食べて。見つかったら袋叩きにあうわけですけど、全然平気で食べて。密入国してきた外国語しか喋れない人たちがいて、そこに入り込むんですよね。そうすると誰も話しかけてこないから。で、来いって後ろから棒とかで突かれて、行くんです。その方が楽だったっていうのもあります。

A 95-year-old woman who worked for the commandant of a Nazi concentration camp has been charged in north Germany with aiding and abetting mass murder.

The woman, named in media as Irmgard F and who lives in a care home in Pinneberg near Hamburg, is charged in relation to "more than 10,000 cases".

She was secretary to the SS commandant of Stutthof, a brutal camp near modern-day Gdansk, where about 65,000 prisoners died during World War Two.

     *

Stutthof was established in 1939 and guards began using gas chambers there in June 1944. Soviet troops liberated it in May 1945, as the war was ending.

About 100,000 inmates were kept at Stutthof in atrocious conditions - many died of disease and starvation, some were gassed and others were given lethal injections.

Many of the victims were Jews; there were also non-Jewish Poles and captured Soviet soldiers.

More than 100 people have been killed in Gaza and seven in Israel since fighting began on Monday.

Meanwhile, Jewish and Israeli-Arab mobs have been fighting within Israel, prompting its president to warn of civil war.

Defence Minister Benny Gantz ordered a "massive reinforcement" of security forces to suppress the internal unrest that has seen more than 400 people arrested.

Police say Israeli Arabs have been responsible for most of the trouble and reject the accusation that they are standing by while gangs of Jewish youths target Arab homes.

     *

Meanwhile Hamas fired three more volleys amounting to about 55 rockets in total into Israel on Thursday evening. An 87-year-old woman died after falling on her way to a bomb shelter near Ashdod in southern Israel. Other areas including Ashkelon, Beersheba and Yavne were also targeted.

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On Thursday, Israel's military called up 7,000 army reservists and deployed troops and tanks near its border with Gaza. It said a ground offensive into Gaza was one option being considered but a decision had yet to be made.

     *

Three rockets were fired from Lebanon into the sea off the coast of northern Israel, the Israel Defense Forces (IDF) said. No group claimed the attack but several militant groups operate in Lebanon, including Hezbollah, which fought a month-long war with Israel in 2006

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At least 103 Palestinians have been killed since Monday, including 27 children, and more than 580 wounded, the health ministry in Gaza said. Officials in the territory said many civilians had died.

     *

The fighting between Israel and Hamas was triggered by days of escalating clashes between Palestinians and Israeli police at a holy hilltop compound in East Jerusalem.

The site is revered by both Muslims, who call it the Haram al-Sharif (Noble Sanctuary), and Jews, for whom it is known as the Temple Mount. Hamas demanded Israel remove police from there and the nearby predominantly Arab district of Sheikh Jarrah, where Palestinian families face eviction by Jewish settlers. Hamas launched rockets when its ultimatum went unheeded.

Palestinian anger had already been stoked by weeks of rising tension in East Jerusalem, inflamed by a series of confrontations with police since the start of Ramadan in mid-April.

  • ごろごろしていると母親が部屋にやってきて、一〇〇〇円札五枚あるかという。(……)さんがきて、一万円を両替したいといっているらしい。それでおきあがり、財布をとってはいっている札をすべてだし、一〇〇〇円札をかぞえてみると四枚しかなかったがそれでなんとかなりそうだったので母親にわたす。そのあと寝床にもどって(……)さんのブログの最新一三日分をよむと、休身はしまいにして今日のことをここまで記述した。四時半すぎ。今日は一一日以降の記事をしあげたいところだが。水曜日がWoolf会でながいのでいけるかどうか。まあ適当に、きのむくようにやる。
  • その結果、この日はけっきょく日記はサボってしまい、この日の分、うえまでの部分だけでほかにぜんぜん書かなかったのだが、まあしかたがない。そのかわりというわけでもないが、ウェブ記事はやたらたくさんよんだ。やたらたくさんといってうえにしるしたものと、あと山城むつみ×岡和田晃「歴史の声に動かされ、テクストを掘り下げる」(https://shimirubon.jp/series/410(https://shimirubon.jp/series/410))を全六回分一気によんだというだけだが。このシリーズできになった部分は以下。日記をサボってしまったのもよくはないが、それはまあよいとはらうにしても、本線の書見をできていないのと、あと書抜きをできていないのはなんかいただけない。書き抜きは一日一箇所でもいいのでやっていかないとマジでやばいのだが。音読はけっこうたくさんできていてよいのだが。

山城 どこから喋ればいいかわかりませんが、 [向井豊昭の] 「御料牧場」はその一八七〇年問題と関係があると思う。
 なぜ「御料牧場」に目が止まったかって言うと、日本の土地所有の歴史について調べたことがあったからです。去年幻戯書房から『連続する問題』という本を出したんですが、それは「新潮」にやってたコラムを集めたものなんですけど、集めただけだとまとまりがないかなと思って、そこに書き下ろした補論にも土地のことを書いたんです。

(……)

山城 深い所まで追えなかったんですが、日本林業調査会から出ている『御料林経営の研究』という本を読んだんです。
 御料地っていうのは皇室所有の土地です。それが歴史的にどのようにできて、どのような経緯を辿って現在の国有地国有林に至ったのかが詳しく書かれている。御料地の確保は一八七〇年代後半から動き始めていたらしく一八九〇年、帝国憲法が施行され第一回帝国議会が開かれる前に、つまり議会の承認を受けなくてもいい段階で、宮内省の御料局が「内地」で一五七万町、北海道で二〇〇万町歩の官林、官有山林、官有原野、および鉱山の皇室財産への引き渡しをさっさと済ませたんですね。(……)

(……)

山城 (……)その本に書いてあるのは御料林のことなので、北海道の [新冠(にいかっぷ)] 御料牧場のことは書いてないんですが、御料地の事が詳しく書いてあったのが記憶に残っていたので「御料牧場」にピンと来たわけです。
 もともと一八七〇年問題の事を調べなければいけないなと思ったのは、ドストエフスキーをやっていた時です。『悪霊』、『未成年』、それから『カラマーゾフの兄弟』っていうのはこれは一八七〇年代に書かれていて、ドストエフスキーというと、明治と関係ないように思うかもしれないけど、同時代なんですね。
 僕もロシアはロシア、日本は日本と考えていたけれども、一八七〇年代の『悪霊』以後のドストエフスキーは、日本の問題とけっこうシンクロしてい動いているんじゃないかなっていう気がして、それで『連続する問題』の補論で一八七〇年代以降の日本の土地所有の問題をやった。
 近代的な意味で土地を所有するというのは、土地を買うということですが、日本では、土地が売買の対象になるのは一八七二年以降です。それ以前にも、領主が土地を「専有」するといったことは当然あるんですけれど、売買の対象になる事はなかった。土地を購入して私的に所有するということがなかったんです。
 それで一八七〇年代以降の事をちょっと調べる必要があるんじゃないかなと思った。
 最初に「辺境の想像力」というシンポジウムの話がありましたが、日本は、ちょうど御料地の確保や経営とほぼ並行するように、一八七〇年代にまず琉球を領有し、次いで一八九五年に台湾を領有しますね。そして、一九一〇年に朝鮮半島を領有する。
 北海道は植民地でないかのように思われているけど、一八七〇年代以降の北海道の開拓も同じ動きの中にある。
 岡和田さんがやられた〈アイヌ〉をめぐってそれは顕著ですね。
 一九一〇年頃に「帝国」としての日本が出来上がった。僕がこの『小林秀雄とその戦争の時』を書いた際、「ここ」という言葉で念頭にあったのは「内地」です。今は「内地」なんて言わない。言わないけれども「ここ」という言葉で言いたいのは「内地」です。「内地」の対になるのは何なのかと言うと、沖縄と、台湾と、それから朝鮮半島と、そして暗黙のうちに北海道です。これらが「内地」でないものとして「ここ」の周縁にあって、それが「そこ」です。「ここ」と「そこ」っていう関係が出来上がってきたのは一九一〇年頃じゃないかな。
 その動きが一八七〇年代くらいからできてきて、一九一〇年くらいにその体制はほぼできあがった。

     *

岡和田 御料牧場に関しては、地元の文芸誌で今でも研究を続けている人がいらっしゃいますが、開拓使黒田清隆が、もともと深く関わっていたことは忘れてはなりません。
 開発の過程で見逃せないのは、もともと住んでいた〈アイヌ〉を強制移住させたことです。姉去(あねさる)から上貫気別(かみぬきべつ)という所に移住させたわけで、これはネイティヴ・アメリカンにとっての「涙の道」のようなものとして記憶されているほど、過酷なものだったようです。
 だから御料牧場というのは、そういう過程を経てですね、つまりアイヌを北海道旧土人保護法で与えられた山の中の荒れ地に、強制移住させた後、もとの住処だったところの跡地に建てられたものです。
御料牧場の責任者で、〈アイヌ〉と和人の間に立って仕事をした人が浅川義一という方です。浅川義一は地元の名士として知られますが、毀誉褒貶ある人で、浅川は自分で言うように〈アイヌ〉に終生同情的だったと言う人もいれば、彼が〈アイヌ〉を移住させ、その跡地で暮らしたのは信じられないと、悪名を轟かせてもいます。

     *

岡和田 で、自分がその生の状態で歴史に立ち向かうっていうのは、歴史の渦中の中にいるっていう状態では実は幻想で、先行者がどう見たかっていうのも、ある程度の時間をもたなければ捉える事ができないと。
 山城さんの『連続する問題』では、北朝鮮チュチェ思想であるとかですね、あるいはドストエフスキー民族主義的な部分であったり、そういったものについて、そういう知識人として批判しやすい部分をやっつけて満足するのではなく、そのナショナリズムとしての暴力性みたいなものを、「歴史認識」の是非ではなく「歴史に対する生々しい驚き」として理解しなければ先に進めないのだっていうような事をおっしゃっていて。「朝鮮人虐殺八十年」という、衝撃的なタイトルの批評でですが。

2021/5/13, Thu.

 今朝、パン屋の女主人がわたしに言う。〈今日もいい天気ですこと。でも暑さが長すぎますね〉(ここの人たちはいつも、天気がよすぎる、暑すぎる、と思うのだ)。わたしが付けくわえて言う。〈そして、光がとてもきれいですね〉。だが女主人は答えない。またしても、わたしは言語のあのショート事故に気づく。もっともささいな会話こそが、その確実なきっかけになるというショート事故だ。わたしは、〈光を見る〉ことが高尚な感受性に属しているのだと理解する。いやむしろ、たしかに女主人があじわう「絵のような」光があるのだから、社会的に指標となっているのは、「はっきりしない」眺め、輪郭も対象もなくて〈具体的な形象のない〉眺め、透明感のある眺め、見えないものの眺めである(この非形象的な価値は、良い絵画のなかにはあるが、悪い絵画にはないものだ)。ようするに、大気ほど文化的なものはなく、今日の天気ほどイデオロギー的なものはないのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、266; 「今日の天気(Le temps qu'il fait)」)



  • 今日は起床が遅く、一二時二〇分だった。睡眠というか滞在はひさしぶりに九時間ほどで、やたらながくなった。九時台くらいからさめていた記憶があって、たびたび浮上してはいたのだが、意識がなぜかかなりにごっていてまともにうごけず、ながきにわたったしだいだ。昨晩、モニターをながくみつめたためか? 会がおわったあと、就寝前もコンピューターで英文記事をよんでいたし。
  • おそくなったので瞑想はサボった。上階にいって母親にあいさつ。食事は餃子。ほか、ブナシメジの汁物など。新聞には入管法改正の件が載っていた。読売でこの話題をみるのはここ数か月でようやくこれが最初だが。だが、国内の政治面をいつもあまりきちんとみないので、みおとしていた可能性もおおいにある。昨晩(……)さんがはなしていたとおり、もともと七日に採決の予定だったのがのびていて、与党は一四日に採決できるよう、いちおう野党側と交渉しているもよう。そこをすぎれば期日がたりないとかで今国会での通過はなくなるはず、というはなしだった。
  • 食器洗いと風呂洗いをいつもどおり。今日は最初、昨晩につづいてMatthew Hill, David Campanale and Joel Gunter, "'Their goal is to destroy everyone': Uighur camp detainees allege systematic rape"(2021/2/2)(https://www.bbc.com/news/world-asia-china-55794071(https://www.bbc.com/news/world-asia-china-55794071))をよむ。その後、音読などをはさんでまたふれ、四時ごろによみおえた。マジで第三帝国のような、あまりにむごく、残虐なはなし。人類はいつまでたっても二〇世紀をおえることができない。

The men always wore masks, Tursunay Ziawudun said, even though there was no pandemic then.

They wore suits, she said, not police uniforms.

Sometime after midnight, they came to the cells to select the women they wanted and took them down the corridor to a "black room", where there were no surveillance cameras.

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First-hand accounts from inside the internment camps are rare, but several former detainees and a guard have told the BBC they experienced or saw evidence of an organised system of mass rape, sexual abuse and torture.

Tursunay Ziawudun, who fled Xinjiang after her release and is now in the US, said women were removed from the cells "every night" and raped by one or more masked Chinese men. She said she was tortured and later gang-raped on three occasions, each time by two or three men.

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Internal documents from the Kunes county justice system from 2017 and 2018, provided to the BBC by Adrian Zenz, a leading expert on China's policies in Xinjiang, detail planning and spending for "transformation through education" of "key groups" - a common euphemism in China for the indoctrination of the Uighurs. In one Kunes document, the "education" process is described as "washing brains, cleansing hearts, strengthening righteousness and eliminating evil".

The BBC also interviewed a Kazakh woman from Xinjiang who was detained for 18 months in the camp system, who said she was forced to strip Uighur women naked and handcuff them, before leaving them alone with Chinese men. Afterwards, she cleaned the rooms, she said.

"My job was to remove their clothes above the waist and handcuff them so they cannot move," said Gulzira Auelkhan, crossing her wrists behind her head to demonstrate. "Then I would leave the women in the room and a man would enter - some Chinese man from outside or policeman. I sat silently next to the door, and when the man left the room I took the woman for a shower."

The Chinese men "would pay money to have their pick of the prettiest young inmates", she said.

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The Uighurs are a mostly Muslim Turkic minority group that number about 11 million in Xinjiang in north-western China. The region borders Kazakhstan and is also home to ethnic Kazakhs. Ziawudun, who is 42, is Uighur. Her husband is a Kazakh.

The couple returned to Xinjiang in late 2016 after a five-year stay in Kazakhstan, and were interrogated on arrival and had their passports confiscated, Ziawudun said. A few months later, she was told by police to attend a meeting alongside other Uighurs and Kazakhs and the group was rounded up and detained.

Her first stint in detention was comparatively easy, she said, with decent food and access to her phone. After a month she developed stomach ulcers and was released. Her husband's passport was returned and he went back to Kazakhstan to work, but authorities kept Ziawudun's, trapping her in Xinjiang. Reports suggest China has purposefully kept behind and interned relatives to discourage those who leave from speaking out. On 9 March 2018, with her husband still in Kazakhstan, Ziawudun was instructed to report to a local police station, she said. She was told she needed "more education".

According to her account, Ziawudun was transported back to the same facility as her previous detention, in Kunes county, but the site had been significantly developed, she said. Buses were lined up outside offloading new detainees "non-stop".

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Then sometime in May 2018 - "I don't remember the exact date, because you don't remember the dates inside there" - Ziawudun and a cellmate, a woman in her twenties, were taken out at night and presented to a Chinese man in a mask, she said. Her cellmate was taken into a separate room.

"As soon as she went inside she started screaming," Ziawudun said. "I don't know how to explain to you, I thought they were torturing her. I never thought about them raping."

The woman who had brought them from the cells told the men about Ziawudun's recent bleeding.

"After the woman spoke about my condition, the Chinese man swore at her. The man with the mask said 'Take her to the dark room'.

"The woman took me to the room next to where the other girl had been taken in. They had an electric stick, I didn't know what it was, and it was pushed inside my genital tract, torturing me with an electric shock."

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Alongside cells, another central feature of the camps is classrooms. Teachers have been drafted in to "re-educate" the detainees - a process activists say is designed to strip the Uighurs and other minorities of their culture, language and religion, and indoctrinate them into mainstream Chinese culture.

Qelbinur Sedik, an Uzbek woman from Xinjiang, was among the Chinese language teachers brought into the camps and coerced into giving lessons to the detainees. Sedik has since fled China and spoken publicly about her experience.

The women's camp was "tightly controlled", Sedik told the BBC. But she heard stories, she said - signs and rumours of rape. One day, Sedik cautiously approached a Chinese camp policewoman she knew.

"I asked her, 'I have been hearing some terrible stories about rape, do you know about it?' She said we should talk in the courtyard during lunch.

"So I went to the courtyard, where there were not many cameras. She said, 'Yes, the rape has become a culture. It is gang rape and the Chinese police not only rape them but also electrocute them. They are subject to horrific torture.'"

That night Sedik didn't sleep at all, she said. "I was thinking about my daughter who was studying abroad and I cried all night."

In separate testimony to the Uyghur Human Rights Project, Sedik said she heard about an electrified stick being inserted into women to torture them - echoing the experience Ziawudun described.

There were "four kinds of electric shock", Sedik said - "the chair, the glove, the helmet, and anal rape with a stick".

"The screams echoed throughout the building," she said. "I could hear them during lunch and sometimes when I was in class."

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Another teacher forced to work in the camps, Sayragul Sauytbay, told the BBC that "rape was common" and the guards "picked the girls and young women they wanted and took them away".

She described witnessing a harrowing public gang rape of a woman of just 20 or 21, who was brought before about 100 other detainees to make a forced confession.

"After that, in front of everyone, the police took turns to rape her," Sauytbay said.

"While carrying out this test, they watched people closely and picked out anyone who resisted, clenched their fists, closed their eyes, or looked away, and took them for punishment."

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Detainees had food withheld for infractions such as failing to accurately memorise passages from books about Xi Jinping, according to a former camp guard who spoke to the BBC via video link from a country outside China.

"Once we were taking the people arrested into the concentration camp, and I saw everyone being forced to memorise those books. They sit for hours trying to memorise the text, everyone had a book in their hands," he said.

Those who failed tests were forced to wear three different colours of clothing based on whether they had failed one, two, or three times, he said, and subjected to different levels of punishment accordingly, including food deprivation and beatings.

"I entered those camps. I took detainees into those camps," he said. "I saw those sick, miserable people. They definitely experienced various types of torture. I am sure about that."

It was not possible to independently verify the guard's testimony but he provided documents that appeared to corroborate a period of employment at a known camp. He agreed to speak on condition of anonymity.

The guard said he did not know anything about rape in the cell areas. Asked if the camp guards used electrocution, he said: "Yes. They do. They use those electrocuting instruments." After being tortured, detainees were forced to make confessions to a variety of perceived offences, according to the guard. "I have those confessions in my heart," he said.

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President Xi looms large over the camps. His image and slogans adorn the walls; he is a focus of the programme of "re-education". Xi is the overall architect of the policy against the Uighurs, said Charles Parton, a former British diplomat in China and now senior associate fellow at the Royal United Services Institute.

"It is very centralised and it goes to the very top," Parton said. "There is absolutely no doubt whatsoever that this is Xi Jinping's policy."

It was unlikely that Xi or other top party officials would have directed or authorised rape or torture, Parton said, but they would "certainly be aware of it".

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For a while after her release, before she could flee, Ziawudun waited in Xinjiang. She saw others who had been churned through the system and released. She saw the effect the policy was having on her people. The birth rate in Xinjiang has plummeted in the past few years, according to independent research - an effect analysts have described as "demographic genocide".

Many in the community had turned to alcohol, Ziawudun said. Several times, she saw her former cellmate collapsed on the street - the young woman who was removed from the cell with her that first night, who she heard screaming in an adjacent room. The woman had been consumed by addiction, Ziawudun said. She was "like someone who simply existed, otherwise she was dead, completely finished by the rapes".

"They say people are released, but in my opinion everyone who leaves the camps is finished."

And that, she said, was the plan. The surveillance, the internment, the indoctrination, the dehumanisation, the sterilisation, the torture, the rape.

"Their goal is to destroy everyone," she said. "And everybody knows it."

  • 「英語」の音読をした。音読中は手首と手指をのばすのと、ダンベルをもつ。音読はやはりたくさんしたほうがよい。よりおおくのことばをよみ、声にだし、体内か脳内にとりこんでいきたい。英語ももっとよみたいところ。ことばをみにつけるには、やはり声にだしてよみまくるに如くはないとおもう。たぶん。書くとなるとまたべつだろうが。とにかく英語でふつうに本をガンガンよめるようになりたい。いまでもある程度はもうよめるだろうが。WoolfはTo The Lighthouseだけでなく、ほかの文章もよみたいのだが。いちおう昨晩のうちにKindle PCに五〇円でComplete Collectionみたいなのをダウンロードして、これはけっこうよさそうで書簡とかもふくめてぜんぶはいっているようなのだが、ただKindle PCの表示があまりきにいらないというか、一画面にうつる文の量がすくないし、なんかほんとうはやっぱり紙でよみたいなあというきはする。いずれにしてもまだWoolfの文はよみはじめないが。もうべつに書物で英語をよみだしてもよいのだろうが、なんかあまり手をだすきにならない。ひとつには、書物をよんでいるときにも音読用に不明語彙の周辺をぬきだすとなると、ネット記事のようにコピペできないから面倒臭えなというあたまがある。べつにそれはやらなくてもよいのかもしれないが。書物の場合はきにせずしらべながらどんどんよんでいけば。ただこちらはあまり併読をこのまないタイプなので、読書の本線は基本的にひとつにしぼりたい。なにか本をよみ、一方でネット記事やらブログやらその他のものをよむ、という方針。そこに英語の本をくわえて毎日よもうといってもなんかけっきょくよまなくなりそうなきがするので、よむなら本線の読書としてやるべきだろう。日本語の本と英語の本を両方とも日々よもうとするのではなくて、本線の読書の候補に英語の本もふくめるということ。
  • 三時くらいに上階にいくと、母親が、図書館にいくみたいなことをいっていたのにまだ炬燵テーブルでタブレットかなにかみながらとどまっており、こちらがなにもいわないうちから、いこうとおもったけどここにはいるとなかなかいけないという。それでもでかけるらしかった。なにか郵便局から再配達の荷物がくるとかで、四時から六時のあいだだというので、四時になったら上にいるといっておき、用をすませて帰室すると、Art Blakey Quintet『A Night At Birdland』をながし、ヘッドフォンをつけてベッドにころがりながらきく。数日前にもいちどちょっときいたが、今日はVol. 1の最後まで。名声が確立しているアルバムで、こちらもその評判に異議をもうしたてる意図はまるでなく、五〇年代のジャズにおける最良の夜のひとつを確実にきりとっているとおもう。Lou Donaldsonは絶好調できれいな音取りをしているし、Clifford Brownも同様。Blakeyのドラムは冒頭の"Split Kick"などきくとソロの裏でもけっこうバタバタやっていて、区切りではたびたびキックとクラッシュをいっしょにうってバシンバシンならしているし、トランペットのうしろでもズドドドズドドドやっていて、いかんせん五四年の録音なのでそんなに耳についてはこないが、これじっさいにその場できいていたらたぶんかなりうるさかったんではないか、とおもう。Elvin JonesのまえにArt Blakeyがいたのだな、という実感。"Quicksilver"にせよ"Mayreh"にせよ、はやめの曲での疾走感とか熱とかは五人全員さすがとしかいいようがない。Horace Silverが、五七年あたりから完全にファンキー方面にいったあととは弾き方とか音使いとかがちょっとちがうようなきもして、どこがどうちがうのかわからないのできのせいかもしれないが、ファンキー後だとやはりもっといなたいというか、そんなにガシガシ弾くというかんじではないきがするのだけれど、ここでは(『族長の秋』のなかのことばをかりれば)羽根に熱がこもっている人間のやりくち。
  • 五時にいたって上階にあがるまでのあいだ、(……)さんのブログをよんだ。最新の五月一二日分と、もどって今年の一月一三日、一四日。いったん一四日の途中まで。最近は毎日きちんとよめてもいないし、わりと意味のわからん読み方をしているが、日記とかブログというものは順番によむ必要などそもそもないのだから、むしろまっとうな読み方といってもよい。五月一二日には過去の日記から中井久夫『新版 分裂病と人類』(67~68)の引用。中井久夫というひとは文章家として評判がよいし、(……)くんもおりおりエッセイの文章がすばらしいと称賛していたが、こちらはまだ一冊もふれていない。(……)さんのブログの引用をあらためてよんでみると、たしかにやたら端正で、隙なく無理なくきれいにととのった明晰な文調という印象。「ある文化がある歴史上の時点において解決を迫られている問題は、平等にすべての〝気質〟の問題設定や問題解決の指向性に適合したものではないと考えられる。社会が直面している困難が、まず個人的平面で解決をもとめられるとき、その問題解決に適合した指向性をもつ気質者がいわば〝歴史に選ばれて〟前景に出てくる」というふうに、ダブルクオーテーションをもちいているが(しかし上の表記とおなじ記号をどう出すのかわからないが――こちらのPCだと、"か”か“しかぱっとでてこないし、下部でくくるほうの記号はどうやって変換するのかわからない)、これはいいかもしれないなとおもった。文章をかくときに、他人のつかっていることばの引用としての「」と強調の「」を区別しづらいのがひとつの問題としてあるが、二重引用符をつかおうとおもったことはいままでなかった。〈〉なんかをつかっても、いかにも思想系の文章っぽくて臭くなるし。中井久夫はあと、「不如意の時期」とか、「そしてこのような成功者が、まず小集団における問題解決の衝にあたる率が高まる」とかかいているが、「不如意」とか「衝にあたる」とかいう語がふつうにでてくるあたり、やっぱり古い時代の人間だなという感がある。そんなに古い言葉遣いというわけでもないとはおもうが、こちらの世代あたりになると、文章を書く人間でもたぶんつかうひとはほぼいないだろう。
  • 一月一三日には長谷川白紙『夢の骨が襲いかかる!』、in the blue shirt『Recollect the Feeling』という音楽の名があるのでメモ。一月一四日にはやはり過去記事から、管啓次郎『狼が連れだって走る月』の引用。以下の一節は、あまりにもこちらの性根に適合しすぎている。むかしからずっと風景風景いいつづけているし、ブログの記述をよんでいるひとには明白だとおもうが、風景さえありゃだいたいもういいというタイプの人間なので。

 するとジョルジがぼそぼそといった。もちろんさ、人間の生涯でいったい何が最後に残るとおもう、風景の記憶、それだけさ、物の所有なんてぜんぜん問題にならない、それに人間が他人と何を共有できるとおもう、あるひとつの風景をあるときいっしょに見たという記憶、それ以外には何もない、何も残らない。
 (管啓次郎『狼が連れだって走る月』)

  • 『クイズ☆正解は一年後』というテレビ番組の名もあったが、そんな番組はじめて知った。おもしろいバラエティらしいので、きがむいたらだらだらしたいときにそのうちみる。
  • 夜、風呂をあびてかえってきたのち、手巻き寿司を食いながら過去の日記のよみかえし。一年前の五月一三日を。(……)さんのブログの二〇二〇年三月七日から、立木康介の引用がある。

(……)フロイトは、大雑把にいって、次のような主張を行ないました。「死の欲動」は、それ自体は生命体の中で沈黙していて、「生の欲動」と結びつかなければ、私たちには感知されません。けれども、「生の欲動」が生命体を守るために「死の欲動」を外部へ押し出してしまうと、「死の欲動」はたちまち誰の目にも明らかに見えるようになります。それは、他者への攻撃性(暴力)という形をとるのです。ところが、他者への攻撃には、当然危険も伴います。他者が仕返しをしてくるかもしれないし、別の仕方で罰が与えられるかもしれません。それゆえ、これはとりわけ人間の場合ですが、自我は他者への攻撃を断念して、「死の欲動」を自分のうちに引っ込めるということも覚えねばなりません。しかし、自我の内部には、この自分のうちに引っ込められた「死の欲動」のエネルギーを蓄積する部分ができ、それがやがて自我から独立して、このエネルギーを使って今度は自我を攻撃するようになります。この部分のことを、フロイトは「超自我」と名づけました。「超自我」は、フロイトによって、もともと両親(とりわけ父親)をモデルとして心の中に作られる道徳的な存在として概念化されていましたが、フロイトはここに至って、超自我のエネルギーが、実は「死の欲動」に由来するという考え方を示したのです。
 (立木康介『面白いほどよくわかるフロイト精神分析』p.241-242)

  • 翌三月八日の柄谷行人『探究Ⅰ』の記述もそのとおりだなとおもう。「(……)哲学は、いつも「我」(内省)から出発し、且つその「我」を暗黙に「我々」(一般者)とみなす思考の装置なのである。デカルトがわれわれに記憶されるのは、自己意識の明証性から出発したことによってではなく、「私」が「一般者」であるという暗黙の前提を疑い、それを証明すべき事柄とみなしたことによってである。(……)」。柄谷の『探究』はⅠもⅡも文庫でもっていてよく目にはいるところにつんであるし、『トランスクリティーク』がたしか探究Ⅲみたいな位置づけだったきがするのだがそれもおなじ塔にあるので、さっさとよんでみてもよい。
  • (……)さんのブログの二〇二〇年二月一一日の、木場公園をつれあいで散歩しているところの一節もひかれていてよいといわれているのだが、あらためてみてみても字面の感触からしてよく、なんか引用部を全体としてやや俯瞰的にみたときの視覚像が、はてなブログの投稿画面のフォントなのだけれど、なんかきれいでバランスがよい。視覚像だけでなく、もちろん断片的に意味も認識されるわけだが、なんか模様としてよい配置とリズムをしているかんじがある。あと、なかに「黒黒」という表記がでてきて、これはちょっと意外というか新鮮なきがした。わからん、(……)さんはふつうに「々」をつかわないでおなじ漢字をかさねる書き方をしているのかもしれないが、こちらとしては新鮮で、黒田夏子とおなじだとおもった。彼女の場合はたしか「淡淡」だったか? 『abさんご』でそれがつかわれているのを、蓮實重彦が彼女との対談で、「たんたん」をいま「淡淡」とかける作家は黒田夏子以外、日本にいないとおもう、みたいなことをいってべた褒めしていた記憶がある。
  • 土居義岳『建築の聖なるもの 宗教と近代建築の精神史』(東京大学出版会、二〇二〇年)、およびリチャード・ローズ/秋山勝訳『エネルギー400年史: 薪から石炭、石油、原子力再生可能エネルギーまで』(草思社、二〇一九年)という書をメモ。
  • バートリ・エルジェーベトというハンガリー貴族のWikipedia記事をよんでいて、わかい女性をさらって惨殺していた人間らしいが、「エルジェーベトの寝台の回りには、流れ落ちた血を吸い込ませるために灰が撒かれていた」という情報の具体性はなかなかで、小説の場面描写にでももりこめそうだ。

2021/5/12, Wed.

 『テル・ケル』誌の友人たち。彼らの(知的エネルギーやエクリチュールの才能のほかに)独創性や〈真実〉は、彼らが、共通の、一般的で、非身体的な言葉づかいを、すなわち政治的な言語を受け入れていることから来ている。〈とはいえ、彼らのそれぞれが自分自身の身体でその言語を語っているのだが〉。――それなら、なぜ、あなたも同じようにしないのか。――まさしく、わたしがたぶん彼らとおなじ身体を持っていないからであろう。わたしの身体は〈一般性〉に、つまり言語のなかにある一般性の力に、慣れることができないのだ。――それこそ個人主義的な考えかたではないのか。キェルケゴール――有名な反ヘーゲル派――のようなキリスト教徒に見られるものではないのか。

 身体とは、還元できない差異であり、そして同時に、あらゆる構造化の原理でもある(なぜなら構造化とは、構造の「唯一者」だからである。「絵画は言語活動か」を参照 [訳注311: バルトは、ジャン=ルイ・シェフェール『絵画の舞台装置』の書評において、「シェフェールは、有名な本のタイトルをもじって、自分の本を『唯一者とその構造』と題することもできただろう。そして、その構造とは、構造化そのものなのである」と述べている(「絵画は言語活動か」、『美術論集』、七三ページ)。なお「有名な本」とは、マックス・シュティルナー『唯一者とその所有』(一八四四)をさし、「唯一者」とは「このわたし」「自我」である。])。もし、わたしが〈わたし(end265)自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう。だが問題は、生きて欲動的で悦楽的なわたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとするこの方法を、政治的装置が長いあいだ認めるかどうかということである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、265~266; 「「テル・ケル」(Tel Quel)」)



  • 九時台にいちどめざめ。すごして、一〇時すぎで正式な覚醒。こめかみや喉をもみ、脹脛もすこし刺激して、一〇時半前に離床した。滞在は六時間強だからみじかめ。天気は曇りで空は白いが、淡い陽の感触がときにないではない。水場にいってきて、洗顔やうがいなどすませるともどって瞑想をした。ともかくもただじっとすわりつづけるということが大事だ。それいがいのなにかは不要。時間の質だの適した精神状態だのをもとめず、たんにじっとしているだけ。窓外ではウグイスがさかんに声をはなっている。
  • 一〇時四二分から二〇分。上階へ。ジャージにきがえて屈伸して洗面所にいき、髪をとかす。あらためて鏡のなかの自分のあたまをみてみると、白い糸がけっこう諸所にまじっていて、老いのかんじをおぼえないでもない。べつに白髪がおおくて髪がのびると目につくのはまえからそうなのだが。食事は昨日の炒めものののこりや味噌汁など。米がなくなったのであとで磨いでおかなければならない。新聞をめくりながら食す。国際面にエルサレムの件。あまり目新しい情報はなかったとおもうが。パレスチナ側にせよイスラエル側にせよ指導者の求心力が低下しているからあらそいの激化に歯止めをかけられないでいる、という言があった。マフムード・アッバスは最近、議会選を直前で中止して批判をまねいているようだし、ネタニヤフのほうも汚職問題などで支持が低迷しており、組閣もできなかったし、強硬姿勢をとることで宗教右派の支持をつなぎとめたいのだろう、とのこと。ガザには空爆がおこなわれており、死傷者がでている。イスラエル側にもロケット弾によって死傷者がでている。ロケット弾やミサイルのたぐいは三〇〇発以上うちこまれたらしい。アラブ諸国イスラエルと国交正常化したUAEもふくめてパレスチナ擁護を鮮明にしているようだが、欧米はハマスの攻撃のほうも非難している。イスラエルの軍だかの人間によれば、攻撃に期限はもうけないとのことで、だからパレスチナ側の出方によってはまだながくつづくことになる。
  • 食器を洗って風呂も。居間のほうで母親が、あんなことやってないではたらきにいってほしいと、父親についてまたつぶやいているのがきこえた。風呂を洗うと帰室し、Notionを準備して、手帳に昨日のふりかえりをしるしてから今日のことをここまで記述。今日は労働で、三時にはでなければならず、帰宅後はWoolf会。
  • この日からもう四日たって一六日の日曜日にいたっており、だいたいのことはわすれたのであとすこしだけ。一方では怠惰のために生を忘却の淵においやってしまうのがもったいなくもあるが、なるべくすべてを書くのだという強迫観念から解放されてなまけることができているのはよいことでもある。この日は出勤前に授業の予習(高校生の英語でやる長文などを職場からコピーしてもってきていたのでよんだのだが、これはほんとうは労務規定違反である)もできたし、わりと余裕をもったこころもちでいられたよう。往路はあるいたのだったとおもうが、とりたてておぼえていることはない。(……)
  • (……)
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  • 帰路も省略し、あとはWoolf会について。この日の担当は(……)さんで、Lilyが果樹園まできて梨の木のそばでRamsayとBankesのふたりの男性の印象の奔流にまきこまれて立ちつくしている段落の後半。参加者は(……)くん、(……)さん、(……)さん、(……)さん、(……)さん、(……)さん。(……)それをきくとマジで愛弟子だなというかんじでそう口にもしたのだが、そういう師弟関係はいいなあとおもった。おもったものの、自分がそういう師弟関係をじゃあつくりたいかというとぜんぜんそういう気持ちはなく、だれかの師匠になどなりたくないのはとうぜんのことだが、弟子として師匠をつくりたいともおもわない。いちおうこちらが師といえる人間がもしいるとしたら、それは(……)さんになってしまうわけだけれど、彼との関係は師弟関係などというものではまったくなく、単なる友人だとおもっているし、しいていうにしても先輩だろう。ただ(……)さんのブログがなければこちらがいまのような読み書きをしていなかったのはまちがいのないところで、読み書きをやっていたとしてもこういう毎日生を記録するタイプのそれではなくてべつのかたちになっていただろうこともほぼ確定的で、そういう意味で恩人であり、同時に、いまのじぶんをいまのじぶんたらしめたという意味で、一種の父にもなってしまうのだろうし、(……)さん本人もいぜんブログに書いていたけれど、(……)さんに一種憧れをもってちかづいてきて仲良くなったはいいがその後はなれていった人間、つまり転位 - 幻滅 - 反感の道をたどって父殺し的に離反していった人間は過去にけっこういたので、こちらにせよ(……)さんにせよきっとそうなるだろうと当初はみこんでいたというのだが、なぜかこちらの場合はそういうふうになっておらず、わりとよい距離感や関係のあり方を保てている気がする。なぜそうなのかわからんが。
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  • その後の雑談は映画のはなしなど。こちらはだいたい聞いているのみで、合間、(……)くんがイギリス詩にかえてWoolfのエッセイをよむのはどうかとPDFファイルをしめしたのだけれど、そのなかにWoolfの伝記の情報とか参考文献が載っていたので、Amazonにアクセスしてこの伝記たちはKindleにあるのかなと検索したりしていた。著名な二、三冊はあったとおもうが。それでついでに、まえまえから目をつけていたVirginia WoolfのThe Complete Collectionというのをもう購入してしまうことに。これ(https://www.amazon.co.jp/Virginia-Woolf-Complete-Collection-English-ebook/dp/B01HTRS0JY/(https://www.amazon.co.jp/Virginia-Woolf-Complete-Collection-English-ebook/dp/B01HTRS0JY/))。五〇円。これマジでたぶん全部はいっていて、全六巻分の書簡もあるし、五巻分の日記もある。Complete Collectionみたいな電子書籍はほかにもいくつもあって、なかには無料のものもあったとおもうのだが、ただものによっては目次から各部へのリンクがなくて、該当箇所をみるのにひたすらめくっていかなければならずクソ面倒臭いみたいなものもあるようで、その点この版はちゃんとリンクされているので問題ない。ただ正直、Kindleでものを読む気がちっともおこらないのだが。映画は、(……)さんや(……)さんがこちらのぜんぜんしらない監督らのはなしなどしていたのと、(……)くんが『メッセージ』がすきだということで、その監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴは(……)くん好みだとおもうとすすめられていたことなど。『メッセージ』というのはテッド・チャンの『あなたの人生の物語』が原作だったはずで、この作品はハヤカワ文庫ででているのをこちらもなぜかずっとむかしに買って積んである。同作はいろいろ言語学などの知見をもりこみながらも中心的なテーマやメッセージとして「愛」をあつかい物語としてドラマティックなものになっているらしく、その点(……)くんはぐっときたということで、そこから、また名前がおなじなのもつながりとして彼はドニ・ド・ルージュモンという作家の名をだし、このひとは恋愛についての本を書いており、まあ要は恋愛という文化とか恋愛感情とかは近代西欧にいたってうみだされたもので一種のフィクションだ、みたいな内容らしいのだが、(……)くんはむかし恋人との関係になやんでいたときに(……)にすすめられてそれを読んだらしい。ところでこちらがドニ・ド・ルージュモンという名前をきいたとき、それってフランスの詩人じゃなかったか? と記憶を刺激されたのだけれどこのひとはスイスの思想家もしくは批評家で、それできづいたのだがこちらがおもっていたのはレミ・ド・グールモンで、それをおもいだした瞬間に、こいつら名前のアクセントというか音律まったくおなじじゃんとおもってひとりでかなり笑ってしまったのだけれど、それに笑っていたのはこちらだけである。
  • この日はいつもとくらべると比較的はやく、一時四〇分くらいでこちらは退出した。全体で終わるものだとおもって(……)くんがそのときZOOM通話自体を閉じてしまったようだったのだが、たぶんそのあと何人か再集結してまた暁ちかき夜の深みまではいりこみ、吸血鬼のともがらと化していたのだとおもう。