2021/5/11, Tue.

 フーリエは、のちに刊行する「完全な本」(完全に明晰で、完全に説得的で、完全に複合的な本)の予告のためにしか、けっして著作を出していない。「本の告知」(〈刊行物案内〉)は、わたしたちの内なるユートピアを抑制する、あの時間かせぎの操作のひとつなのである。自分には書けない大著をわたしも思い描き、幻想をいだいて、色づけし、輝かせる。それは、完全な体系でありながら、あらゆる体系の嘲弄でもあるような知識とエクリチュールの本であり、知性と快楽の大全であり、懲罰的でありながらも心優しく、辛辣だが平和である本、などといったものである(ここで、形容詞が押し寄せてきて、想像界がふくれあがってくる)。ようするに、小説の主人公のもつあらゆる長所を有しているのだ。やがて来るもの(冒険)である。わたしはみずから洗礼者ヨハネになって、その本を予告するのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、263; 「もっとあとで(Plus tard)」)



  • 上の引用に「やがて来るもの(冒険)」とあるが、ここを読んで英語のadvent、すなわち到来やキリストの降臨を意味する語をおもいだし、なおかつ冒険はadventureだから、このふたつの語は関連語だったのだなとはじめてきづいた。それにしても、あちらからやがてやって来るもの、が冒険(すなわち危険を冒すこと)でもあるというのはどういう含意なのだろう。
  • 一〇時一九分に離床。滞在はちょうど七時間ほどなのでよろしいが、からだがかたまっているかんじがあった。脚がこごっていたので今日は労働なしで余裕もあるし、すぐに活動をはじめず脚をもみながらだらだらすることに。それで水場にいってきてもどるとコンピューターをベッドにもちこんで、ウェブをみながら脹脛などをほぐした。一一時半をこえてから階をあがったはず。母親はテーブルに台をのせてアイロンかけをしていたようだが、(……)くんが旅行先でころんだか階段からおちたかしてあたまを怪我したといい、それをかんがえると泣けてきちゃってといって涙ぐんでいた。あたまがぱっくりわれて血がだらだらでたとかいっていたので、こちらも多少神妙なようになってきいて生きてただけよかったといったが、あとで写真をみたかぎりでは割れたのは額で、おおきなガーゼみたいなものははられていたが、めちゃくちゃひどい怪我というわけでもなさそうだったのでよかった。頭頂のほうがわれてあたまをぐるぐる巻きにしているようなようすを想像していたので。兄夫婦はカザンというところにいっていたはずだが、帰りの飛行機では(……)ちゃんが気圧の変化にたえられなくて泣き叫び、失神しながら小便を漏らしたらしいから、(……)くんとあわせて子どもたちも親も難儀なことだっただろう。
  • 食事はカレードリア的なものなど。新聞をみるに、一面にはスポーツ選手の画像をアダルトサイトに載せて猥褻なコメントを付した運営者が逮捕されたとの報。このひとだけで一〇くらいのアダルトサイトを運営しているとかあったから、エロサイトってマジでやればけっこうもうかるのだろう。ほか、国際面にはエルサレムの神殿の丘での衝突の続報。騒ぎはつづいており、負傷者は六〇〇人規模へ拡大。パレスチナのひとびとの側は投石で、イスラエル治安部隊の側は催涙弾などである。今回の件はもともとパレスチナ人がユダヤ教徒を平手打ちした動画がネット上にでまわったことが発端だとかいい、あと五月一〇日だかが一九六七年の中東戦争、すなわちイスラエルが東エルサレムを占領した戦争の記念日にあたるのだけれど今年はそれがラマダンとかぶってしまって、警戒したイスラエル側がパレスチナ人の神殿の丘への立ち入りを禁止したかなにかだったか、ともかく治安維持員をおおく設置してものものしくやっていたようで、それへの反発もあったようす。あとでテレビでもすこしだけ目にしたが、ガザでもハマスイスラエル側にロケット弾をうちこんだようで、その報復でイスラエル空爆をおこない、死者がでたと。
  • そのあとはベッド上でまた脚をほぐしながら英文記事をよみつづける。上のもの、David Robson, "The four keys that could unlock procrastination"(2021/1/5)(https://www.bbc.com/worklife/article/20201222-the-four-keys-that-could-unlock-procrastination(https://www.bbc.com/worklife/article/20201222-the-four-keys-that-could-unlock-procrastination))、そしてLu-Hai Liang, "The psychology behind 'revenge bedtime procrastination'"(2020/11/26)(https://www.bbc.com/worklife/article/20201123-the-psychology-behind-revenge-bedtime-procrastination(https://www.bbc.com/worklife/article/20201123-the-psychology-behind-revenge-bedtime-procrastination))を途中までと、なぜかワークライフバランス的なものばかりよんでしまったのだが、いざよんでみればけっこうおもしろい。procrastinationというのは先延ばしという意味で、やらなければならない仕事をあとまわしにしてしまったりとか、寝る時間をおくらせてしまったりとか、そういったことで、'revenge bedtime procrastination'もしくはretaliatory staying up lateというのは日中いそがしかったりして自分のやりたいことができなかったり自由な時間がもてなかったりしたひとが、それをカバーするというかとりもどすために眠る時間をおくらせて夜ふかししてしまう、ということで、こちらはわりとそういう傾向にあるのではないか。いつも夜ふかししているし。まあかなりだらだら生きているほうだし、自由な時間は世の大勢にくらべればそうとうおおいはずだが、自由な時間があろうがなかろうが夜ふかししてしまうが。この話題は昨年にも目にしてそのときも俺これかなあとおもったことがあったが、この記事によれば、Daphne K Leeというひとのツイートからひろまったらしい。“people who don’t have much control over their daytime life refuse to sleep early in order to regain some sense of freedom during late-night hours”というわけで、それによせられたリプライのなかでおおくの共感をえたのが、“Typical 8 to 8 in office, [by the time I] arrive home after dinner and shower it’s 10 p.m., probably won’t just go to sleep and repeat the same routine. A few hours of ‘own time’ is necessary to survive.”というもの。このことばの起源はあきらかではないが、確認されるかぎりではこのブログの記事(https://zhuanlan.zhihu.com/p/50163285?utm_source=wechat_session&utm_medium=social&s_r=0(https://zhuanlan.zhihu.com/p/50163285?utm_source=wechat_session&utm_medium=social&s_r=0))が初出だという。中国語なのでこちらはよめないが。中国のとりわけ都市部にはこういう生活習慣のひとがおおいようで、どこの国でもおなじだろうが、中国だと、‘996 schedule’とよばれている労働慣行というか一般的な働き方があるようで、つまり朝の九時から夜の九時までの労働を週に六日間こなす、ということだ。この記事は自由のために就寝時間を遅らせてしまうという意味でのprocrastinationの話題だが、そのまえのやつはやらなければならない仕事になかなかとりかかれず先延ばしにしてしまうという意味のprocrastinationに対処する方法ということで、記事によれば、以下の四つの問いを定期的にみずからにさしむけて反省というかreflectionするのが効果があるという。課題をかせられている大学生を対象にした実験で効力がみとめられたと。
  • How would someone successful complete the goal?
  • How would you feel if you don’t do the required task?
  • What is the next immediate step you need to do?
  • If you could do one thing to achieve the goal on time, what would it be?
  • 結論的な言としては、"The important thing, he says, is to regularly question what goals you actually value, and to check whether you’re prioritising them enough. You should then work out ways to chunk your task into smaller parts, before taking action on the first possible step."ということで、結局はやはり反省の時間を頻繁にとるということだろう。さいきんこちらが一日ごとにその日のよかったこととかわるかったこととかやりたいこととかもっとできたこととかを手帳にかきつけているのもおなじようなことだろう。なかでも、よかったことを毎日ふりかえって記し、明確化して印象づけるのはわりとよい気がする。
  • 四時ごろまで。トイレにいってきてからふたたび音読。今度は「記憶」を少々。音読のまえにすこしだがスクワットや腹筋もしたのだった。音読中はダンベルをもっている。音読はひとまずみじかくとどめておき、今日のことを書いておくことに。それでここまでつづると四時四〇分。
  • 夕食後、茶を飲みつつ、David Robson, "The mindset you need to succeed at every goal"(2020/7/22)(https://www.bbc.com/worklife/article/20200722-the-mindset-you-need-to-succeed-at-every-goal(https://www.bbc.com/worklife/article/20200722-the-mindset-you-need-to-succeed-at-every-goal))を読了。そのあとdiskunionのMale Jazz Vocalのカテゴリをみてみたところ、いろいろきになる情報がある。なかでもJose Jamesがキャリア初となるライブアルバムをだしたというのがきになって、日記をかくうしろにながしてみることに。Amazon Musicにアクセスすればふつうにあったので、ありがたいことだ。BIGYUKIが鍵盤で、ベースはBen Williams。ギターのマーカス・マチャドとドラムのジャリス・ヨークリーというひとはぜんぜん知らないが。ロックダウン下の二〇二〇年八月と一〇月に配信した無観客ライブの演奏をアルバム化したらしい。diskunionのページによれば場所は、「ウッドストック、リヴォン・ヘルム・スタジオ(DISC1)、ニューヨーク、ル・ポワソン・ルージュ(DISC2)」とある。Jose JamesとThe Bandがつながるのか、とおもった。べつにLevon Helmの名前でえらんだわけではないかもしれないが。

2021/5/10, Mon.

 彼の仕事の動きは戦術的である。重要なのは、移動することや、陣取り遊びのように敵を食い止めることであって、征服することではない。いくつかの例をあげよう。間テクストの概念はどうだろうか。これは、実際にはまったく建設的なものではないが、コンテクストの規則に抵抗することに役立っている(インタビュー「返答」より)。また、〈事実確認〉はときには価値であるように提示されるが、それは客観性を称賛しているからではまったくなくて、ブルジョワ芸術の表現性を妨げるためである。そして作品の曖昧さ(『批評と真実』)とは、ニュー・クリティシズムから来ているわけではまったくなくて、それ自体が彼の関心をひいているわけでもない。文献学的な基準や、正しい意味という大学の横暴と闘うためのささやかな兵器にすぎないのだ。したがって、こうした仕事はつぎのように定義されるだろう。〈戦略なき戦術〉である、と。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、261; 「戦術/戦略(Tactique/stratégie)」)



  • 一〇時台に覚醒し、しばらくすごしてから起床すると一〇時四七分だった。わるくない。今日も晴れの日で、空気は暑い。水場に行ってうがいや洗顔や用足しをしてからもどり瞑想。二〇分すわった。風がときおり窓外の草をカサカサ鳴らし、川向こうからかなにかの機械の駆動音めいたひびきがつたわってくるが、鳥の声がおもいのほかにすくなく、あまりきこえない。上階へ。ビーフシチューがつくられてあった。ジャージにきがえ、洗面所で髪をとかしてから食事。前夜のサバのあまりをひときれあたため、白米とビーフシチュー。ビーフではなくて冷凍庫にずっとはいっていた鹿肉をつかったものだが。鹿肉はそれ単体でそんなにうまいものではないが、やわらかくよく煮えていてよい。新聞をよむ。スコットランド自治議会選が開票され、与党スコットランド民族党(SNP)が六四議席を獲得。定数は一二九なのでほぼ過半数緑の党も独立を志向しているらしく、その八議席とあわせて独立派が過半数をこえたわけで、ニコラ・スタージョンはもちろん国民投票をやるつもりで、二三年末までにとのみとおしらしいが、英国側はボリス・ジョンソンが無謀で無責任な選択だ、みたいなことをいっており、じっさいにおこなわれたとしても司法判断によって無効化される可能性がたかいようだ。ほか、アフガニスタンで子ども六一人が死亡するテロ。カブールの女学校付近で車による自爆テロがおこり、ついで門のそばに設置された爆弾がふたつ爆発したと。タリバンは関与を否定、政府側は関与したとして非難。ただ、現場はシーア派住民がおおく、ISISによるテロが頻発しているという。パレスチナでも神殿の丘でパレスチナ住民とイスラエル治安部隊が衝突しているらしい。西岸でもいくらかおこっているとか。あとは北岡伸一の一面から二面にかけての寄稿を途中までよんだ。中国は軍事的には慎重な国だからすぐ台湾を攻撃するということはないだろうが、日本のそばに親日的な民主主義国(中国からすると国ではないわけだが)があることは日本にとっても非常におおきな国益なので、米国と連携して抑止力をたかめていかなければならない、いままでは攻撃は米国にまかせるというかんがえかたが主流だったが、万が一攻撃された場合に反撃することができるという力を確保して、抑止をはたらかせなければならない、とはいえ中国と日本は地理的にもちかいし経済的なむすびつきがかなりおおきいので、米国とおなじような切り離しの政策はとれない、そのあたり米国に完全にあわせるのではなくて日本独自のバランスでやっていかなければならない、みたいな話だった。
  • 食器をあらい、風呂も。でると茶を用意し、そのあいだに洗濯物をとりこむ。まだあかるく晴れていたが、仕事にでる母親がもう入れてというので。とりこんだあとベランダにでてくまなくおおっているひなたのなかで屈伸したが、陽射しは厚く、熱が身をつつみこみ、背中にもぴったり乗って、すぐに汗がでる。なかにもどるとタオルなどたたんではこび、茶をもって帰室。Notionを準備。それからLINEをのぞくと(……)くんが、「【サバの話だったの?】WEEKLY OCHIAIというコント、あるいは地獄について。」という記事を紹介というか貼っていて、なんかお笑いの話かなとおもってみてみると、落合陽一をくさしたものだった。よんでみるとけっこうおもしろく、わりとわらってしまう。NewsPicksで毎週落合陽一が番組を配信しているらしいのだが、そのようすが、「誰も分からないのに分かったフリ」にみちあふれていておもしろいらしい。落合陽一は「「分かってる風コント」の起点」であり、宇野常寛は「「すごそうなインテリ」感が強い」、「2018年度何やってるのかイマイチ分からない人大賞ノミネートだと思う」、「すごいのかすごくないのか僕はよく分からないけど、少なくとも「すごそうなインテリ」感を出すことに関して言えば一級品である」といわれ、会場観覧の観客についても、「NewsPicksファンの皆様が見に来ているようなのだけど、さすがNewsPicksだけあって「オレの知的好奇心を満足させることができるかな?」みたいなインテリぶった人がたくさんいる」などとかたられて、なんかちょっとわらってしまう。この記事自体をよむとわりとわらってしまうのだが、ここでじっさいにおこっていることとか、それがこうしてネタになることとか、もろもろかんがえると、たしかにわりと地獄かもしれないなとおもった。
  • それから今日のことをかきだし、ここまでしるせば一時。
  • ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよみすすめる。最初の「アイアス」。訳者は風間喜代三というひとで、ぜんぜんしらないが、Wikipediaをみると高津春繁門下の言語学者らしく、一九二八年生まれで存命らしい。訳は古い時代の格調高いかんじがあってけっこう良い気がする。劇中には、万物流転、いわゆるパンタ・レイというのか、物事はうつりかわっていくもので人間の幸福もいつまでもつづく絶対的なものではないし、この世はいつなにがおこってもおかしくない、というような認識がたびたび表明されており、仏教的にいえば諸行無常ということになるのだろうが、じっさいパンタ・レイと諸行無常と、このふたつのかんがえかたはほぼおなじものなのではないか。ギリシアの場合はそこにたぶん、人間のそうした運命をつかさどっているのは神々であるという前提的認識がくわわってくるのだとおもうが。その神々はしかし、超越的ではあるのだろうけれど、絶対的に超越していて人間の手のとどかない存在かというとそうでもなさそうで、そもそも人格神で会話ができる。すがたはみえず、声だけで認知されているようだが、女神アテナはアイアスともオデュッセウスともことばをかわしている(アイアスの奴隷兼妻であるテクメッサは認識できないようで、「何か亡霊のようなもの」(26)といっているが)。アイアスにいたってはアテナの禁止にさからってさえいる(16)。とはいえ、そのような人間の分をわきまえない不遜さによって彼は罰せられることになるわけだが。16ページ時点でアイアスはすでにアテナの力によって錯誤の幻術にかけられており、家畜を自分のかたきであるオデュッセウスだとおもいこんでアテナの命令に抵抗するわけだが、そのアイアスのすがたをみてオデュッセウスは、「わたしはこの男が不憫でなりませぬ。たとえわたしを快からず思うとはいえ、この不幸な禍いにしっかりとくくりつけられているのを見、これもいつかはわが身のことと思うにつけても。しょせんわれらはこの世にては、空蟬のはかない影にすぎぬものでしょうから」としみじみもらしている。それをうけるアテナは、「この有様をとくと見て、いつの日にも神々に向かい、傲慢な言葉を口にしてはならない。たとえ人一倍力にめぐまれ、巨万の富にあふれようとも、けっして思い上ってはならない。一日のうちに人間万事浮きも沈みもする。慎みをわきまえた者こそ神々の愛を受け、思い卑しい者を神々は憎むのです」といましめをあたえているので、この部分はたぶん古代ギリシアの観客にとって、おごりを抑制する道徳的教訓として機能しただろう。
  • 読書の先かあとかわすれたが、「英語」の音読もしている。235から263。それで四時ごろに上階にあがったはず。母親は出勤している。こちらはアイロンかけをする。労働前にもやはりいくらかなりとも家事をこなして母親の仕事をへらしたい。アイロンかけの最中に電話が鳴って、取れば「(……)」であり、あたらしいテレビをもっていこうとおもうがいまからではどうかときくので、外にでて家の脇にいた父親にかわった。それでくることに。こちらはアイロンかけをかたづけるとちいさめのおにぎりをつくり、魚肉ソーセージとともに部屋にもちかえってエネルギーを補給。それから歯をみがいたり服をきがえたりして身支度をととのえた。出発までにややあまって、日記をしるそうかともまよったが、瞑想をしておくことに。それで枕の上にあぐらで腰掛けて静止。昼前のときよりも鳥の声がおおく、ウグイスもきいた。ヒヨドリがなきかわしていたはず。きいていると、ピヨピヨ鳴いているばかりではなく、口調みたいなもの、リズムがあるのがわかる。ピヨピヨ鳴いているときはほかの鳥もおなじようにあかるくおおきな声でおうじてきてにぎやかだが、ほかに、ちょっと曲折したような、よわいカーブでみじかくフラットしていくような鳴き方とか、いくつかの種類がある。それをきいていると、近年鳥にも言語体系とか文法があるということがあきらかになってきているとかきくが、マジでなんらかの意味をやりとりしているようにきこえる。
  • 五時過ぎまですわって上階へ。電気屋の主人にあいさつ。あたらしいテレビをつけていろいろ説明しているところ。それで靴下をはいたりしてからまたあいさつして出発へ。道に出てあるく。どこの家でひとを入れたのかしらないが、林縁の段の上の草がかられていて、石壁のあしもとや石たちの合間にかわいた茶葉のような、針めいてほそい草の屑がたくさん散乱している。空はさほどはっきり晴れてはいなかったはず。雲まじりの淡い色で、明確な陽射しもなかった。坂道の両端には黄色く変じた竹の葉が無数にあつまっていて、竹秋の季である。積もっていくらか層をなしたそのなかに普通の広葉樹の葉や、茶色くそまったスギの葉などがまざっている。
  • 駅にはいり、ホームの先へ。かなりゆるい、苦労なしというかんじのぶらぶらしたような足取り。とまってまっていると、白と青のあいまいにないまぜにされた合いの子的な空を背景に鳥の影がいくつもみられて、あのかたちと飛び方はツバメだなと判じられた。曲線をえがいてもいるが、ときに線路の上空をまっすぐ滑空してこちらのいるあたりをすーっととおりすぎてもいく。
  • 電車にのって席でやすみ、つくとおりて職場へ。勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)退勤は結局一〇時半ごろになったか。徒歩をとった。道中の印象はさしてない。街道途中で工事をしていたくらい。道路をはがして水道管だかなんだか、地中のことがらをなにかやっていたよう。横にながいかたちの巨大な提灯というか膨らみのある貝殻というか、そんなような見た目の白い照明がふたつほど設置されてあたりに光をひろげており、そのなかで人足たちがよりあつまって、なかにはアスファルトをのぞいてできた穴にはいっているものもいたようで、なにやら話していた。その横を、じろじろながめながらこちらはとおりすぎる。警備員というか交通整理員はすこしはなれたところにいて、工事の内容自体には関係ないのだろうから、暇そうにしていた。道路にでて車をとめたり通したりしているひともむろんいるわけだが、それもこの時間だからそんなに通るわけでもないし、わりと楽な仕事だろう。
  • 帰宅後はたいしたことをしなかったとおもう。夕刊でなにかよんだ気がするが。あれだ、市川房枝の一九歳のときの日記が発見されたという記事だったはず。女学校にかよっていたころの夏休みのもので、市川は学校の良妻賢母教育に反発して同級生をひきいて反抗したらしいのだが、効果むなしくおわったらしく、それについての感情的な記述がおおくて、市川房枝がこのように感情をむきだしにしている書き物はいままでみられなかったものだ、という研究者の言があった。しかもこの日記は学校に提出されたといい、「生徒は生徒らしく、女は女らしく」とかいう教師のコメントが記されているらしい。「~~らしさ」というものを例外なく拒否したい。他者からもそれをさしむけられたくないし、自分でも自分に「~~らしい」などという言明を、それがなんであれあたえたくない。
  • ほんとうは日記をかくなりなにかよむなりしたかったのだが、ちょっと休もうとおもってベッドにいるうちに力尽きてしまい、三時一六分に消灯した。やはり労働後に書き物をするのはなかなか難しいところがある。勤務のあった夜は脚をほぐしながらひたすらものを読む時間にしたほうがよいのではないか。

2021/5/9, Sun.

 どこにいても、彼が耳を傾けていたもの、耳を傾けずにはいられなかったもの、それは自分自身の言葉にたいする他の人たちの難聴ぶりであった。彼らが自分の声を聞いていないことを彼は聞いていたのだ。だが彼自身はどうなのか。自分の難聴ぶりを聞いたことがなかったというのか。自分の声を聞くために格闘したが、そのように努力しても、べつの音の場面や、べつの虚構が生み出されるだけであった。そういうわけで、エクリチュールを信じて頼っているのである。エクリチュールとは、〈最終的な返答〉をすることをあきらめた言語活動ではないだろうか。他人があなたの言葉を聞けるようにと他人を信頼することを糧にして生き、呼吸をしている言語活動ではないだろうか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、259; 「自分自身の言葉にたいする難聴(La surdité à son propre langage)」)



  • 一一時前に起床。暑い。おきあがるまえ、布団を横にどかし、熱からのがれて多少脹脛をもんでいた。きのうはながくはたらいたわりに、疲労感はのこらず、からだもやわらかい。日に日にからだがしなやかになっているのを実感する。水場にいってくると瞑想。一一時五分から二四分まで。窓をあけた。すわっていてもあきらかに安定感がいぜんと別物。切りにすると上階へ行き、母親に挨拶してジャージにきがえる。といって履くのは下だけで、上は黒の肌着一枚。食事はたけのこご飯。その他冷凍してあった天麩羅など。(……)さんからケーキがおくられてきたという。配送の袋をみれば、たしか静岡県は三島の店だったとおもう。苺ロール。兄夫婦はいま、カザンという都市に旅行にいっているらしい。そこで兄の友人である(……)に会ったと。このひとは大学時代に日本にきていたか、あるいは兄がロシアに留学していたあいだに知り合ったかのどちらかだろうが、結婚式にもきてくれて、きれいな禿頭だったのでこちらもおぼえている。最初母親がカザンカザンというのを火山だとおもって、どこの火山かときいていたのだが、カザンという都市名だとわかった。ぜんぜんしらないが、タタール文化の中心地とかで、モスクワから東に八〇〇キロの位置にあるよう。もっと極東にちかいほうかとおもっていたが、そうでもなかった。
  • 食事。父親も途中ではいってきてまえにすわる。テレビはいまだなおっておらず、タブレットが炬燵テーブルのうえに設置されて代役をつとめている。国分太一となんとかいう料理人がやっている、『男子メシ』だったか、料理番組がながれていて、この番組のBGMはどれもセンスがよいなとおもった。The Beatlesの"Day Tripper"なんかもながれるし、往年の、六〇年代から七〇年代くらいの英米のポップスとかソウルとかそちらの系統の音楽がつぎつぎにながされているもよう。同定はできないが、たぶん有名な、ヒットソングのたぐいがおおいのだとおもう。新聞は書評欄。中島隆博が渡邉義浩という研究者の、講談社選書メチエから出た『論語』を紹介している。論語はテクスト原文だけでなくそれにたいして後世の人間たちがふした註釈もふくめてテクスト体系をかたちづくっており、聖書にせよタルムードにせよ世俗的な文書にせよ古典ってどれもそうだろうが、いまわれわれが読む論語は基本的には朱熹の註釈にもとづいたものだと。つまり朱子学的な論語理解ということだろう。で、それを「新注釈」というらしいのだが、それいぜんの古注のたぐいもむろんたくさんあって、渡邉義浩のこの本はそれを紹介して論語にあらたなひかりをあてているとのこと。苅部直岩波新書の『尊厳』というのをとりあげていてこれもおもしろそう。加藤聖文は老川洋一とかいったか、政治記者だったひとの、『政治家の責任』というやつを紹介していた。著者は長年政治の現場を取材してきたひとらしいのだが、彼からするといまの政治はあきらかに劣化しているようにみえ、それはジャーナリストにせよほかの分野の人間にせよおおくのひとが立場をとわずひとまず一致する判断だとおもうが、昭和時代の、政権交代もおこらず金のにおいがつよい古臭いような権力政治が、それでもいまとくらべるとまだしも健全であるようにおもえてしまうのは、その時代の政治家がすくなくとも皆共通して「公」の意識をもっていたからであり、また権力闘争のなかでつよい緊張感をひきうけていたからだと。小手先の「改革」は焼け石に水なので、抜本的な革新がもとめられている、ともかくも内部的に緊張感がなくなってしまった政治の場に、外からそれをそそぎこまなければならない、そのために活用されるべきは公文書で、実証的な情報にもとづいた言論でもってジャーナリズムなどが政治に緊張をかけなければならない、というような話をしているようだが、くわしい内容はむろん書評だけではわからない。
  • 食器をあらい、風呂もあらう。台所にたっているとき、外がくもっており、雨が降るのかなと母親はつぶやいていたが、じっさい南窓の先で(……)さんの家の鯉のぼりが七匹全部そろって横にきれいにながれながら身をはたはた波打たせているし、トイレにいくために玄関にでても林が風をゆたかにはらんで樹響をふくらませふらせているのがすぐ耳にはいり、にわかに雨がとおってもおかしくなさそうな雰囲気ではある。ただ、気温は高く、もうほぼ夏の空気感にちかい。風呂をあらっているときには陽の色がまたでてきていたので、本降りにはならないだろうが、夕方くらいにちょっと生じても変ではない気がする。
  • 今日は茶もつくらず帰室。Notionを用意し、今日のことをとりあえずかきだした。ここまでつづって一時前。
  • この日のこともおおかたわすれた。(……)さんのブログをひさしぶりによめたのはよい。五月七日と八日。音読もそこそこやった。書見だとヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)を読了。浅井健二郎というひとは四五年うまれだからわりと古いひとで、ちくま学芸のベンヤミン・コレクション全七巻はこのひとが総責任者として編集されているしたぶん界隈だとかなりの権威なのだとおもうが、翻訳文にはごくたまにうまれのふるさがうかがわれたようにおもう。手袋のことをなにか耳慣れない言い方をしていた記憶があるのだが、なんという語だったかわすれてしまった。それでいま「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をみかえしてみたが、「手ぬくめ」だ。「マフ」にたいして「婦人用の手ぬくめ」という註が付されているのだ(536)。まあそれはどうでもよいのだが、解説をよんだところでは一部けっこうわるくない文章が書かれてあった。ブランショというか、フランス方面の思想をちょっとおもわせるような、というか。まあブランショよんだことないのでわからないが。優美と気取りの色がややつよくはあったが、からまわってはいないようでよかった印象。そのなかに「忘却を免れた夢の破片」というフレーズがでてきて、べつになんということのない語のつらなりだとおもうのだが、なぜかこのフレーズがあたまにひっかかってしまい、これをかきだしとして詩をつくれないかなとちょっとおもってとりあえずメモしておいた。あと本篇にもどると、ベルリン幼年時代のなかの、最終稿には収録されなかった断章のなかにある「夜会」というのは、これはもう主題としてだいたいプルーストである。『失われた時を求めて』の冒頭、ベッドにはいっても寝られなくてママンがおやすみをいいにきてキスしてくれるのが恋しくて恋しくてしょうがないのだけれど夜会というか訪問客(の代表がスワン)がある日はママンがきてくれなくてかなしみに絶望する、みたいな話が迂回しながらながくつづいたとおもうのだが、そことわりとにたようなかんじ。
  • ベンヤミンを読了したので、『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよみはじめた。五月三〇日の読書会の課題書。これをよみおえたら、なにか歴史とか社会とか政治方面の、文学作品や文芸批評や思想ではないほうの本をよみたい気がする。しかし詩もよみたい。いずれにせよ、まだすこしもよみおわっていないのによみおわったあとのことをはやくもかんがえるとは、書物にたいして非礼ではないか?
  • 書抜き。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)。レヴィナスの言: 「享受であるような「生とは、世界の糧を口いっぱいに囓りとり、豊穣さとしての世界に同意し、その始原的な本質を奔出させることである」」(28)。同ページに、「享受するとは、享受する私と、享受されるものとのさかいめ [﹅4] を解消しつづけ、両者のへだて [﹅3] を不断に抹消してゆくことである」という説明もあるが、「さかいめ」をひらがなにひらくのはなかなかおもいきっているとかんじられた。こちらも最近はもうだいたいひらがなでかくようにしていて、そうするとひんぱんに変換しなくてよいので楽だ。ただそれでもやはり、名詞はひらくとわかりづらくなるからそこまでおもいきれないところはおおい。黒田夏子とかは名詞でもけっこうこともなげにひらいていたとおもうが。すくなくとも『abさんご』のときは。『感受体のおどり』はもうすこし漢字がおおくなっていたはず。『組曲 わすれこうじ』はよんでいないのでしらない。このながれをつづってきたためによまなくては、とおもいだした。
  • 八時前。2020/5/8, Fri.を読む。冒頭から風景描写。「一一時頃に覚醒した。窓の外はこれ以上ないほどの快晴であり、ほんのひとひらも塩一粒ほども雲のない完璧な無雲領域いっぱいにまろやかな水色が満ちていて、それを背景にガラス表面の汚れが、本当は黒点のはずだがその黒さを吸い取られて漂白されたように銀髪めいて白く輝き、掃除などまったくしていないので汚れはひどく溜まって無数に付着しており、光の作用でそれが一面砂子を敷かれたように見え、その上でところどころ、やや大きめの粒が浮かんで銀光し、全体はさながら地上に移植された天の川、まさしく宇宙の縮図めいて映る。その絵を描かれたガラスの先では蜘蛛の糸が風に震え、白く固まって姿を現したり背景の空に没したりを素早く行き来し、様相間の往復運動を繰り返していた」。ややかたいものの、わりとよい。黒点に銀髪の比喩をもちいたり、「銀光する」なんていう動詞的言い方にしているあたりなど。たぶんこれは一般的にはない言い方だろう。微光とか赤光とか、光関連のほかの熟語でもつかえそう。あまり一般的にそういう言い方がない名詞に「する」をつけて動詞化するテクニックは、宮沢賢治もどこかでつかっていたようなおぼえがあるが、不詳。漢文の素養がのこっていた時代の連中はわりとふつうにやっていたのではないか。こちらだとあと、「さざなみする」という言い方をむかしつかったおぼえがあるし、いつかの短歌で、「雨だれの音が銀河色して」みたいなフレーズをつくったおぼえもある。語によってはけっこうつかえる気がする。

ではなぜフランス思想なのか、フランス思想など、一部のオタクのジャルゴン的思想の最たるものじゃないのか、こういわれそうです。もちろんそれにはさまざまな個人的来歴はあるのですが、そんなことはいっさい省くと、やっぱりここ百年くらいのフランスの哲学というのは、軽薄だとか流行にすぎないとかいわれながらも、思考のかたちとしては大したものではないのかと想うのです。たとえば私が、<私>ということのリアリティー、<生きている>ことのリアリティーを何とか語ろうとしたときに、フランス思想は、時間・身体・経験・制度からはじめて、ことば(記号)・こころ(精神)・いのち(生命)に結びついていくさまざまな位相の襞や連関を丹念に明らかにしていくという傾向が強いとおもうのです。それはよくフランス思想の弱点だともいわれますが、これらの主題が切りはなされることなく結び突いているありかた、たとえばメルロ=ポンティの<両義性>でもいいですしベルクソンの<直観>でもいいですが、それは、さまざまなものが錯綜したことがらの原理をそのままに提示する強力な手段であるとおもうのです。明確なシステムをなしているとみえながらも、システムそのものが自身を裏切るような虚点をはらみ、そこでシステムそのものが流動する・・・それで、われわれにできることは、この錯綜を錯綜のままエクリチュール化せずに(それだと中途半端に流れに身をゆだねるエッセイの思想にすぎないですから)、彼らが何をいっているのか、その錯綜した原理性をできるだけモデル化してとりだすことだとおもうのです。(……)いい方をかえれば、たとえば私のあり方だとか、リアリティーだとかを語るときに、私の特異な・一回限りのこの生、私にしかえられなかっためくるめき体験・他者(たいていは神)との事件のような(実は選民的な)出会い、他者に毀損されないかまたは焼き付けるように毀損されるがままの内面性、これらを不意に、不用意にいってしまう傾向は結構根強くあると想うのです。

ところが20世紀のモダニスムは、この内面への捉えられから、どのように外にでるか、それをどうして対象化するのか、要するに酔いながら醒めるのか、これを描くことに本質があるように見えるのです。フランス思想は、実に他面的な結びつきで(科学・精神分析・言語・政治・制度)、この<内面>の<特異さ>の感覚を大事にしながらも、そこに拘泥して不毛な自己反復言語にとどまるのではなく、何かをやろうという実験に見えるのです。特異性・個別性を廃棄して普遍性・一般性に、というのではありません。特異なものがあって、あるいは<いま・ここ>でしかないことがあって、そのリアルさの切っ先のようなものが確かにあるのですが、それを<内>にも<無底>にも<曖昧さ>にもからめ取られるのではなく、<普遍>との包摂関係でどうにかいえないか、というのがともあれ重要なことです。無数に増殖していく蟻の大群のようなものがあって、それを押し流していく風のつよさ、季節の転換、環境の変化、大時代的な変動があって、一匹一匹の蟻は、それにはかなくものみこまれてしまう存在の一項にすぎないのだけれど、おそらくは蟻という<私>である動いている視点のみをとるのではなく、一面では風や季節の中に全面解体されながらしかも生きているその状態を描ききることが必要だとおもうのです(……)

浅田 ついでに、予備知識として歴史的な文脈をざっと復習しておくと、室町幕府3代将軍の足利義満がいまの金閣寺鹿苑寺)を含む華麗な北山第をつくり、8代将軍の足利義政が、政治的には応仁の乱(1467-1477)に突入するなか、いまの銀閣寺(慈照寺)を含む東山殿をつくる。そこで、人類史上最も洗練されていたと言いたくなる宋の白磁青磁や窯変天目のような陶磁器、書画、禅や朱子学、その他さまざまな文化を摂取して、北山文化・東山文化が成立し、そこから能や茶の湯などが生まれて来る。要するに、宋の洗練をさらに日本で洗練した時代です。
 荒っぽく言うと、それを1回ひねったのが15世紀の一休で、さらにもう1回ひねったのが16世紀の利休と言ってもいいんじゃないか。そのあげく、たとえば中国で高温焼成された最高級の窯変天目のようなものに対し、手で土をひねって焚火で焼いただけのような楽焼の茶碗のほうがいいんだということになる。つまり、茶道のわびさびの文化を最初から素晴らしいものと考えてはいけないので、あれは技術的にも美的にも最高に洗練された北山文化・東山文化を前提とし、それをあえてひっくり返したものなんです。その無茶苦茶な価値転倒をやってのけたのが一休であり利休であると思えばいいんじゃないでしょうか。

     *

浅田 むろん、一方的に威張るのではなくて、逆説に次ぐ逆説で相手を翻弄するタイプの人でしょう。仏教の修行だけではなく、若いころから漢詩で認められ、和歌も詠んだ。「有漏路[うろじ]より無漏路[むろじ]へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」(煩悩に満ちた現世から、死んでなのか、悟ってなのか、煩悩のない来世に至る一休み、雨が降るなら降れ、風が吹くなら吹け)という歌を詠み、それを認めた師の華叟宗曇[かそうそうどん]が道号にしてくれたんだけれど…。

島袋 そう、そのときの「一休み」が一休という名前の由来と言われています。

浅田 修行のあと悟ったと認める印可状を師から渡されると、そんなもの要らないよと言って勝手に出ていく。あとは、放浪ですよね。

島袋 当時、そういう印可状を左券 [さけん] といったらしいんですけど、そういう肩書で生きている禅の坊さんも多い時代だったらしいんですよ。

浅田 特に兄弟子がそうで、大徳寺の住持になって威張っているが、禅の精神などまったくわかっていないと、ぼろくそに言うわけね。

島袋 そうですね。兄弟子は、18歳ぐらい年上の養叟宗頤[ようそうそうい]という人ですね。

浅田 朱太刀像といわれる一休像があるけれど、朱塗りの鞘に入った木刀を持ち歩いていた、それは「悟ったようなふりをして威張っている禅僧は実は使いものにならない木刀である」という嫌味だ、と。

島袋 見かけ倒しだ、と。

浅田 他方、自分は漢詩を書くときの号も狂雲子。

島袋 自分のことを、狂った雲だ、と。

浅田 で、どんな内容かと思ったら、美少年にも飽きたからいまはもっぱら女三昧だ、俺に会いたかったら色街に来い、みたいなことが書いてある。で、77歳にもなって、森[しん]という鼓を打って歌を歌う盲目の女性と出会い…

島袋 50歳ぐらい年下の盲目の恋人が最後に出来るんですよね。

浅田 88歳で死ぬまで同棲する。ふたりの愛の営みも流麗な漢詩に書いちゃうわけですよ。

島袋 書いているんですよね。枯れ木にも花が咲くみたいなことを。

浅田 円相の中の一休像の下に森の描かれた肖像画もあって…。

島袋 泉北にあるやつですね。

浅田 そう、堺より南にある忠岡町の、町工場や畑の点在する一画に、相国寺あたりにあってもおかしくない室町の書画の名品を集めた正木美術館というのがある、そこのコレクションだけれど、円相が盲目の女性の夢のようにも見えて、魅力的な絵です。

島袋 これは墨斎という、もしかしたら一休さんの息子じゃないかとも言われている一番弟子みたいな人が描いたやつなので、本人にいちばん近いんじゃないかと言われている肖像なんですけど、これが87歳。88歳で亡くなる前年ですね。このとき、やっぱり墨斎に、生きている自分の木像をつくらせ、自分の毛やひげを抜いたのを移植させているんですね。それが一休寺にあるものです。

浅田 真珠庵にもひとつあるけれど、いずれにせよ異様な迫力がありますね。そもそも、昔は絵でも彫刻でもリアリズムからは遠く様式化されたものが多いけれど、仏教で師から弟子に渡される頂相 [ちんぞう] という肖像だけは、昔から一貫してリアリスティックなんです。仏教は単に本を読めばすむ学問じゃなく、師と弟子の一対一の間身体的関係の中で伝えられるものだからでしょう。昔はリアリスティックに描けなかったのではない、意識して様式的に描いていたのだけれど、頂相だけはほかならぬその人のリアルな分身でないといけなかったんですね。(……)

  • 上の記事からの引用がたくさんあって、一気によむのが面倒臭かったので、いったんここまで。
  • そのあとしばらく「英語」を音読してから、ベッドにねころがりつつ最後まで読んだ。いくつかのぞいてあらためて引いておく。

浅田 ともあれ、はっきりした確証はないけれども、わび茶の創始者とされる村田珠光(真珠庵や虎丘庵の庭も彼の作とされる)も、一休に学んだと言われるし…。

島袋 そうそう。村田珠光は面白い人で、一休さんの弟子なんですけれども、居眠り癖のある人で、座禅をしたら悪気はないんだけど寝てしまう人だったので、「僕は修行したいのにどうしたらいいか」と聞いたら「濃いお茶を飲んだら起きていられるんじゃないか」と言われて、そこからお茶に入ったらしい。それが千利休まで続いていく。

浅田 もともと栄西が中国からお茶を持ってくるわけだけれども、明らかに眠気覚ましだったんだと思いますよ。そういう意味で実用的なものだったお茶を、「茶の湯」というアートに転換していく。一休のかけたスピンがそこで効いてくるとすれば面白いですね。

島袋 そうですね。とにかく一休さんは当時の芸術家にすごい慕われているんですよね。

浅田 足利義満に寵愛された世阿弥能楽を大成するんだけれど、その女婿の金春禅竹[こんぱるぜんちく]は一休に学んだと言われ、酬恩庵でも能をやったらしい。あるいは連歌師の柴屋軒宗長[さいおくけんそうちょう]も一休に学び、一休の死後は酬恩庵に住んで菩提を弔った。

島袋 どうしてなんだろうと少し調べてみたんですけど、能楽師とか連歌師というのは要するにフィクションに関わる人たち、言ってしまえば嘘をつく人たちじゃないですか。それは仏道に外れるんじゃないかという悩みが当時の芸術家にはあったらしいんですよね。それに対して一休さんは、いやいや、そんなことはない。フィクション、つまり嘘の中にも仏道はあるんだということをはっきり言った。それで当時の芸術家が一休さんの周りに集まったというふうなことを知りました。

浅田 さっきの大雑把な話に戻ると、15世紀の一休の後、16世紀に利休が出てきて、一休と同じ堺や大徳寺を舞台としながら、茶道具のみならず、書画や花、建築や作庭に至るすべてを含んだ茶の湯の文化をアート・ディレクターとしてつくりあげていく。またそれが現代美術にもつながっていくわけですよ。

島袋 僕もそう思います。だから、今日なんでこんな話をしているかというと、ヨーロッパとかで美術をやっていると、すぐ「始まりはデュシャン」みたいなことになるんだけど、僕は「始まりは一休さん」と言いたい。自分のコンセプチュアル・アートの始まりは一休さんだ、と。

     *

浅田 いまちょうど京都国立博物館雪舟の「慧可断臂図[えかだんぴず]」が出ていて、コレクション展示は空いているのでゆっくり眺められます。達磨が壁に向かって座禅しており、手前で慧可が弟子入りを願い出ている…。

島袋 達磨の後ろに立っているやつですね。

浅田 そう。だけど、慧可が手を出しているように見える、よく見るとそこに赤い線が入っていて、それは切断した腕を差し出しているのだとわかるんですよ。何度願い出ても、達磨は壁を向いたまま振り返ってもくれない。それで、自ら腕を切断して命がけの覚悟を示し、それでやっと入門を許される。そこで達磨が振り向く直前の場面が、太い輪郭線である種ブラック・ユーモアをたたえたマンガのように大胆に描かれているわけです。言ってみれば、作者の雪舟も、描かれたふたりと同じくらい過激にやろうとしている。そこには一休の激越さに通ずるものがあるんじゃないか。墨斎の達磨像も悪くないけれど、それと比べても雪舟のこの達磨像は破格ですよ。

     *

島袋 暑いときどうしていたんでしょうね、一休さん。そしてこれが「華叟の子孫、禅を知らず」。

浅田 華叟というのが師の華叟宗曇。

島袋 そして華叟の子孫というのは、18歳年上の兄弟子、養叟宗頤のことを言っている。あいつは禅なんかわかってない、「狂雲面前」、つまり狂った雲である自分の前で誰が禅のことを語れるんだ、30年間俺は肩の身が重いぞ、自分ひとりで松源以来の禅の伝統を背負っているんだぞ、と。松源というのは、華叟さんよりずっと前の代の師匠にあたる中国の僧です。一休さんはすごい自信満々の人なんですよね、俺にしか禅はわかっていないというようなことを言って。

浅田 宋に渡って臨済宗松源派の虚堂智愚 [きどうちぐ] から禅を伝えられた南浦紹明 [なんぽしょうみょう] (大応国師)が大徳寺なんかの禅の祖だ、その流れを汲む自分は虚堂の直系だ、ほかのやつらは形だけで本当の禅を継承しているとは言えない、と言い続ける。嫌なやつだよね。

     *

島袋 [一休宗純「七仏通戒偈」中、「諸悪莫作・衆善奉行」部分について]ここのかすれても気にしないところとか、いちばん最初の「諸」という字の伸びている感じとか。吉増剛造さんの書く「ノ」にちょっと共通しているところがありますね。

浅田 ただ、吉増剛造には一休の書の男性的な切断力はあまり感じないな。だいたい、吉増剛造はイタコみたいな詩のだだ漏れ状態になっていて、イタコを見ていると面白いという意味で若い人たち吉増剛造をキャラクターとして面白がるのはわからないでもないけれど、詩人としてはどうなのか…。

島袋 そうですか。僕にとっては尊敬する芸術家のひとりですが。(浅田さんの言葉で言うだだ漏れになるほどの日々の積み重ねみたいなものは僕にはやはりすごいと思えるのです。)

浅田 僕がマラルメ的な詩のパラダイムに縛られすぎているのかもしれないけれど、だだ漏れで溢れ出る生きた言葉の洪水を死の冷気によって凍結し数学的に構造化するからこそ詩が成立するんだと思うんですよ。詩でもアート作品でも、作者のキャラクターを超えたところで非人称の構造として成り立っていないとダメじゃないか、と。いずれにせよ、一休は全身で禅を生きた人だとして、だだ漏れではない、むしろ切断力の人だと思うな。

島袋 切断力。どういうことですか。切るということですか。

浅田 うん、切るということ。修行をしたこともするつもりもないからよくはわからないけれど、禅というのは一言で言えば切断でしょう。例えば、無心で庭を掃き続けていて、石がこつんと竹に当たったときに、ふと悟るとか。

     *

島袋 黄永砅[ホワン・ヨンピン]は1980年代半ばに、厦門(アモイ)だったかな、中国の地方で中国のダダイズムみたいなことをやっていました。彼も最初意識していたのはまずやっぱりマルセル・デュシャンジョン・ケージなんですよね。彼らに対してどう落とし前を付けるかみたいなことをやっていて、1989年にフランスのポンピドゥー・センターで開催されたジャン=ユベール・マルタンの『大地の魔術師』展に選ばれたことが中国国外に出るきっかけになった。で、そのまま亡命しちゃったんです。『大地の魔術師』展というのはすごく大切な展覧会で、僕がいまヨーロッパのいろんなところで活動しているのも、その展覧会があったからとも言えると思います。

浅田 まあ、そうでしょうね。

島袋 西洋人の現代美術と非西洋人の美術を初めて一緒に展示したと言われている展覧会で、すごく重要だと思うので皆さんもノートにメモして家に帰ってから調べてみてもいいものだと思います。
 当時天安門事件とかあったころですから黄永砅はもう帰りたくないと言って亡命した。いまもフランスにいて、ヴェニスビエンナーレのフランス館の代表にも選ばれました。

     *

島袋 あと、もうひとり、一休さんで思い出すのはデイヴィッド・ハモンズです。ハモンズは1990年前後に一気に有名になった、アメリカで最初の非白人アーティストのひとりだと思います。『大地の魔術師』展より少し後ですけれども。そのころ、片一方で黒人のアーティストにはジャン=ミシェル・バスキアがいた。バスキアというのはさっきの話でいう桃山文化みたいな人ですよね、どっちかといったらデコラティヴな。社交界とかああいうところで、いまでもたくさんお金出して買う人がいる。

浅田 グラフィティをうまくアートに持ち込んだ。しかし、他のグラフィティ・アーティストと違って、最初からアート・ワールドで通用する作品を目指したし、良かれ悪しかれ作品がうまく仕上がっている…。

島袋 いまでもバスキアはみんな知っているでしょう。その反対側にハモンズがいて、アメリカの黒人のアーティストからはいまでもものすごい尊敬を得ている人で、これ何しているかといったら、冬のニューヨークで、雪でつくった雪玉を路上で売っている。もちろん買ったところで、家に持って帰ったら溶けてなくなるし。でも、これって逆に言うと、いま僕たちは形がなくならないと思っていろんなものを買うけれど、何年か後には潰れてしまったりするだろうし、そういうのをニューヨークというすごい資本主義の場所であざ笑っているみたいなところがあると思うんです。この作品を僕が20歳ぐらいのときに知ったときは衝撃でしたね。
 デイヴィッド・ハモンズは90年代後半に日本にレジデンスで来ていたことがあるんですね。東京の青山にあったギャラリーシマダが招待して、山口県にしばらくいたことがあって、そのとき僕は偶然会う機会があって、少し話したりしたんですけど、そのとき名刺をもらったんですよ。今回思い出して、探したら見つかって、写真撮ってきました。

浅田 これは傑作だね。

島袋 神妙な顔して名刺を出されたんですけど、これ、僕だけじゃなくて、当時いろんな人に渡したのだと思います。日本に来ると、名刺交換ってすごいするじゃないですか。あれが彼にはすごい不思議で、ばかげたものに見えたんでしょうね。だから、「名刺」と書いた名刺をつくって、それを名刺交換のときに出している。これも彼のひとつの作品だなと思います。20年ぐらい前にもらったんですけど、きのうたまたま見つかって。裏返すと、「CARD」と書いてある。一応英訳もしているんです。

  • どこかのタイミングにHigh Five『Split Kick』をながしたのだけれど、ここの"Split Kick"、よいかもしれないなとおもった。ちゃんときいていないが、ドラムのLorenzo Tucciがなんかよかった気がする。そもそも"Split Kick"はArt Blakey Quintetが『A Night At Birdland』でやっているオリジナルの演奏以外、このアルバム以外でやっているのをまるでしらないのだが。この曲名をほかの作品で目にしたことがちっともない。ほかにだれかやってんの? とおもっていま検索したところ、おどろくべきことにStan Getzがやっているようで、『West Coast Jazz』というアルバムの音源らしきものがYouTubeにある(https://www.youtube.com/watch?v=RjlcI9kkPHY(https://www.youtube.com/watch?v=RjlcI9kkPHY))。Stan GetzShelly Manne、Leroy Vinnegar、Conte Candoli、Lou Levyというメンツらしい。ちょっと笑ってしまうというか、『A Night At Birdland』のイメージをもってきくと、これがおなじ曲かい、というかんじで、西海岸のクール派連中にかかれば"Split Kick"もこうなるのだな、と。これはクール方面とニューヨークのちがいが典型的にわかりやすい例になっているのではないか。Blakeyのやつはこれ(https://www.youtube.com/watch?v=ii57FytBQ74(https://www.youtube.com/watch?v=ii57FytBQ74))。

2021/5/8, Sat.

 美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をすることをやめられなかった。彼が賛同する政治的行動においても、その行動がとっている形式で、彼がときには醜悪または滑稽だと思う形式(粘りけのある形式)を〈見る〉ことなしにはいられなかった。そういうわけで、彼は脅しにはとりわけ不寛容であるから(その深層の理由は何だろうか)、国家の政治に見ていたのは、とくに脅しなのであった。脅しの人質がつねにおなじ形式のもとで増加してゆ(end256 / 257は図版)くと、彼はいっそう場違いな美学的感情によって、人質をとるという操作の機械的な性質にうんざりしてしまうのだった。人質操作は、いかなる反復もが被る不評に陥った。〈またか、もううんざりだ〉と。それは、良い歌のなかに現れるしつこいリフレーンのようであり、美しい人の顔に現れる痙攣のようであった。こういうわけで彼は、形式や言葉づかいや反復を〈見る〉という倒錯的な傾向のせいで、すこしずつ〈悪しき政治的主体〉になっていったのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、256~258; 「悪しき政治的主体(Un mauvais sujet politique)」)



  • 八時のアラームでつつがなく覚醒し、二度寝におちいることもなし。よろしい。しばらく脹脛をもんでからおきあがる。瞑想もおこなうことができた。この日は一一時から職場で他教室とのオンライン会議があり、あいだに生徒面談をはさんで夜は夜でまた会議。そのため、休憩がわりとあったとはいえ一日中職場にいてはたらくことになり、こんなに勤務先に滞在していたのははじめてだとおもう。出発前に「英語」の音読をいくらかこなしたが、帰宅後はやはりつかれてたいしたことはできず。David Robson, "Why arrogance is dangerously contagious"(2020/9/29)(https://www.bbc.com/worklife/article/20200923-why-arrogance-is-dangerously-contagious(https://www.bbc.com/worklife/article/20200923-why-arrogance-is-dangerously-contagious))をよんだくらい。めずらしく文をかくこともしなかったが、この日にかぎっては致し方あるまい。毎日かならず読み書きしなければならないという強迫観念はもはやすてた。
  • 往路はそれなりに暑かったはず。陽射しも多少あったか? 日中は曇り気味だったとおもうが。それでも気温は高かったが。最寄り駅にひとがおおかったはず。土曜日なので。
  • 職場にむかい、一一時から(……)会議。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)退勤したのは一〇時四〇分ごろだったはず。徒歩をとった。道中はだいたい会議のことをおもいかえしたり、(……)先生の印象をかんがえたりしていたとおもう。帰宅後はたいしたことをしなかったはず。とくにおぼえていない。

2021/5/7, Fri.

 (……)このように分析することは、「意味する」という動詞の語源を説明しているにすぎないのだろう。すなわち、ひとつの記号を作りだすこと、(だれかに)合図をすること、想像のなかで自分を自分自身の記号に還元すること、自分を記号に昇華することである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、252; 「意味作用には三つのものが(Dans la signification, trois choses)」)



  • 一一時前の離床に成功する。昨晩はやたら夜ふかししてしまったのだが、なぜかかえってややはやめの離床となった。瞑想はせず、水場にいってそのまま上階へ。母親は医者にいってくると。寝床のなかで事前に電話をかけているのをきいていた。(……)。こちらの食事は前夜のチキンのトマトソース煮のあまりと米。食事中に母親は出発。新聞一面から、緊急事態宣言が今月末まで延長されるみとおしで今夜正式決定とか、国民投票法改正案が今国会で成立するよう合意されたとかの記事をみた。CM規制などの問題は付則で成立後三年以内に検討し必要な処置をとる、と明記する条件で立憲民主党が今国会での成立に承諾したと。あと、社会面に、東京都の発熱相談センターへの電話がふえているとの情報も。一月ごろに第三波として感染が拡大したときにちかい水準まであがってきているとのこと。ゴールデンウィークで検査数が減っていることもあって感染者数はかならずしもそれにともなってはいないものの、これからまた拡大するおそれもあると。
  • 食器や風呂をあらうと帰室。もともと労働のつもりでいたところにとつぜん休みが降ってきたので気が抜けたのか、五時半ごろまでほぼベッド上でひたすらにだらだらしてしまった。コンピューターをもちこんでいろいろウェブをみていただけ。天気は起きた時点でよどんだ灰青色にくもっていたし、いつか雨も降ってきた。
  • 母親はでかけてからわりとすぐにかえってきて、話をききにいくと、発熱もないしその他嗅覚や味覚などのめだった症状もないし、たぶん通常の風邪だろうから、いまの時点ではPCR検査をする必要はないとおもう、もちろん不安なら受けることはできるが――仕事にかんしては、土日休んで様子をみてみて、それで体調が問題なさそうだったら来週からはたらきはじめてよいとおもう、という診断をくだされたらしい。まあ、大方そうなるだろうとはおもっていた。(……)
  • 五時半ごろ、上階へ。天麩羅を昼間にやったらしく、父親は今日も山梨に泊まってくるらしいので、あとはうどんでもあとでゆでればよかろうということだった。それでアイロンかけ。雨が降っている。窓外の色は淡い青さをはらみながらもひかりなくいろどりもなく、比較的こまかいようでしずかな雨がしとしとと宙をうめて地や草をぬらしている。シャツや母親のカットソーなどを処理しておき、食事はやることがすくないから母親にまかせることにして、うどんをゆでるとしてもあとでよかろうというわけで、室にかえった。六時。からだの感覚がぶれていたので、音楽をききつつやすむことに。Aretha Franklin『Aretha Live At Fillmore West』をなんとなくえらんだ。ヘッドフォンをつけて、ベッドであおむけに。Aretha Franklinをきちんときいたことは実はない。冒頭、"Respect"からして、ベースのいきおいがすごい。この一六ビートのはやさというか、ながれ方はすごいなとおもった。バックをやっているのはKing Curtisのバンドで、Chuck Raineyかとおもうようなベースのプレイだが、そうではなく、Jerry Jemmott。ドラムはBernard Purdie。オルガンBilly PrestonでギターCornell Dupreeとすごい連中だが、"Respect"をちょっときいたのみではやくも意識があやうくなって、そのあとしばらくおぼえていない。頭がはっきりしたのは、#7 "Dr. Feelgood"あたりだったはず。そのつぎの"Spirit In The Dark"はたぶん有名なはずで、ききおぼえがある気がする。Aretha Franklinってとにかく声がめちゃくちゃでているなという印象。もう単純にでまくっている。"Spirit In The Dark"の後半ではやいテンポになったところの演奏もすごかった。そのあとRay CharlesがくわわってReprise版というのもやっており、その途中で切りとした。おわりのほうはおきあがって柔軟も少々やっていた。
  • すでに七時ごろだったはずだが、だらだらしているあいだに昨日コンビニでかったドーナツを食っていたため腹が減っていなかったので、トイレにいってきてから音読をすることに。最近音読をそんなにやっていないのだが、やはり多少なりとも声をださないとなんだかすっきりしないというか、そんなかんじがある。昨日の労働もあまりうまくしゃべれなかったり、しゃべり以外でもうまくまわせなかったりしたし。それで音楽をバックに「英語」記事をよむ。Aretha FranklinのつぎはRichie Kotzen『Break It All Down』をながした。よみながら、手首をまげてのばしたり、ダンベルをもったりする。137から176までよんで、八時にたっしたので夕食へ。
  • うどんを鍋のスープにいれて煮込み、ほかはサラダや天麩羅を少々。夕刊には松岡和子訳のシェイクスピアが完結したとあった。ちくま文庫のやつだろう。一九九六年から二五年間、とりくんでいたらしい。もともとシェイクスピアなどむずかしいから翻訳するつもりはなかったが、舞台用に『夏の夜の夢』を訳す仕事をやったところ、蜷川幸雄がそれに目をつけて『ハムレット』を依頼し、以来、彼が一連のシェイクスピアシリーズを上演していたので、それにあわせて訳すことになったと。先行訳とちがってたとえばジュリエットがロミオに敬語をつかわず対等によびかけていたり、女優の口からはっせられたことばを女性がきいて腑に落ちるようにめざしたとのこと。ほか、朝刊の国際面を少々。香港で黄之鋒など三人か四人が実刑判決。昨年六月に無許可の天安門事件追悼集会に参加した廉。公安条例違反との由。黄之鋒は一〇か月の禁錮で、ほか二人だか三人は区議会議員だというが、四~六か月の禁錮で議員は失職することになる。黄之鋒はすでにふたつの事件で実刑をくだされて服役中で、これで刑期がさらにながくなると。イスラエルではネタニヤフが組閣を断念し、大統領が野党第一党になったなんとかいう中道政党のリーダーに組閣を要請したと。ネタニヤフ派でも反ネタニヤフ派でもない、ネがついて三文字だったとおもうが、なんとかいう右派政党の選択が焦点になりそうだとのこと。ほか、フェイスブックは一月の米連邦議会議事堂襲撃事件をうけてドナルド・トランプのアカウントを無期限停止していたらしいのだが、その判断を審理する独立審査委員会みたいな組織があるらしく、停止を支持したと。ただし、無期限というのはあいまいで根拠のないものだから、はやいところ改善する必要があると。この委員会は世界中の有識者から構成されているというのだが、設置主体はふつうに米国政府なのだろうか。ドナルド・トランプTwitter社によってもアカウントを停止されているわけだけれど、自身のホームページに「ドナルド・トランプのデスクから」とかいうコーナーをつくってそこで情報発信しているらしく、SNS企業が大統領の言論の自由をうばったのは真実をおそれているからであり、連中の会社は極左によって腐敗している、みたいなことをいっているもようで、あいかわらずである。言論の自由を楯としてクソ馬鹿がクソ馬鹿なことをおおっぴらにおおやけにいってもなんの責任もとらずにすんでしまう世になってしまったというのは、実になやましい。大統領が発信をふうじられて、その大統領自身で「言論の自由」をもちだし、大統領職にある人間の「言論の自由」が問題化されるなんていう状況も、相当に異常ではあるのだろうが。
  • 食事をおえると、ドーナツのせいであまり腹が減っていなかったために満腹だったので、風呂にはいるまでちょっと時間をおくことにした。それで母親のぶんもまとめて食器をあらうといったん室にかえる。そこで今日のことを途中まで書き、九時一五分かそのくらいで入浴へ。風呂はやはり暑く、湯のなかで静止しようとしてもなかなかながくできない。窓をもっとあければよかったかもしれない。すこしだけあけていたのだが、するとほんのりとしたすずしさが、鼻のあたまとか額のあたりに、まれにゆらいではきた。浸かりながら、単純な話、もっと心身を成熟させるというか、毅然と立つ力をもちたいなとおもった。柔軟な強靭さを。
  • 風呂を出たあと、部屋にもどると、歯をみがきながら2020/5/7, Thu.を読む。夕刊の音楽情報に、Shohei Takagi Parallela Botanica『Triptych』があったらしい。口をゆすいでくると、「記憶」もいくらかでもよんでおきたかったので、『Solo Monk』をうすくながしてまた音読。Newsweekの記事からの引用で、太平天国の乱について。449から452まで読み、たぶん二度の音読のあいだにダンベルをもっていたからだとおもうのだが、なんだか疲労感があったのでいったんベッドへ。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をよみはじめたのだけれどどうもねむいのですぐにやめて、また音楽につつまれながらやすもうとおもった。Kendrick Scott Oracle『Conviction』。きちんときいてみると、よくこんなアンサンブルできるなとおもう。サックスとベースとギターでそれぞれリズム感というか、単位とか開始位置がずらされていて、パズルをはめあわせるみたいになっており、いちおうドラムがいちばんベースとなって統括してはいるのだとおもうが、これでふつうにこともなげにつづけていけるのだなあと。とりわけベースが、冒頭の"Between Yesterday And Tomorrow"もそうだし、ほかの曲でもおりおりよい仕事をしていた印象。といってもまただいたい意識をあいまいにしてしまっていたのだが。このベースはJoe Sandersだったはず。#6 "Cycling Through Reality"あたりで復活し、#7 "Conviction"の途中まで。
  • その後おきあがり、今日のことをここまで加筆。いまは零時四〇分。ついさきほど(……)さんからメールがきて、職場からのメールではZOOM参加とおくってしまったが、検査不要の判断がでているなら出勤して問題ないので、職場まできてくれとあった。こちらとしてはもう完全に、明日はオンライン参加で、ふたつの会議のあいだの面談同席もなくなったものとおもっていたので、油断をつかれた感じだが、まあ仕方がない。朝から晩までがんばろう。
  • そういうわけでこのあとは、六日のことを断片的にメモしたり、だらだらしたりしたあと二時すぎに就寝。八時にはおきるつもりだったので、さすがにこのくらいに寝ないときつい。

2021/5/6, Thu.

 (……)想像してみる(ひとつの想像にすぎないのだが)。〈わたしたちが語っているような、わたしたちが語っているものとしての〉性欲とは、社会的な抑圧、人間の悪しき歴史の産物、つまり文明のひとつの結果なのである、と。そうすると、性欲、〈わたしたちの〉性欲は、社会的な解放によって、免除され、失効し、破棄され、〈抑圧のない〉ものになるかもしれない。「男根」は消えうせた、と。わたしたちは、昔の異教(end249)徒のように、男根を小さな神にすることになるだろう。物質主義は、ある程度の性的〈距離〉をおくことによって、性欲を言述の外へ、学問の外へと、〈にぶい〉失墜をさせるのではないだろうか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、249~250; 「性欲の幸福な結末か(Fin heureuse de la sexualité?)」)



  • 一一時一八分の離床。いちど九時前くらいにはっきりとさめたのだが、チャンスをつかめず。滞在は七時間弱。今日は晴天で、空気もなかなか熱をもっているようす。おきあがって水場に行き、もろもろすませてもどってくると瞑想。からだの感覚がおきた瞬間からかなりすっきりしていて、すわるのも楽だった。労せずしてとまることができる。窓をあけたが、外では鳥の声がたくさんあつまっていて、ピヨピヨと、川の浅瀬をぱしゃぱしゃはねさせるみたいな鳴きがかさなっている。しばらくすわってからまたきいたときにはしかし、ピヨピヨいう連中はどこかにいって、べつのリズムの鳥にかわっていた。風がいちどおおきく生まれて、あたりの草木を鳴らし家にあたってきたときがあったが、それでもなぜか部屋内にまではほぼはいってこず、肌に触れず、かんじられるのは肌からすこしだけはなれたところの空気がわずかにすずしくされたことだけ。
  • 一一時二八分からだいたい二〇分。上階へ。テレビはまだつかないらしく、タブレットで番組がながされていた。ジャージにきがえ、髪をとかし、食事。麻婆豆腐ののこりなど。今日は新聞が休みで、昨日の朝刊をまたよんでもよかったのだが、たまにはなにもよまずに食事するかとおもってよまず。タブレットのちいさな画面のニュースをみたり、外のあかるい空気に目をやったりしながらものを食べる。(……)さんのおばあちゃんに会った、と母親はいったが、(……)さんの家におばあちゃんなる存在がいたのは知らなかった。奥さんしかわからないのだが、その母親ということだろう。実母か義母かしらないが。もうけっこうな歳ではないか。ほか、あんな材木なんかもってきてどうするんだろうっておもうよ、余計なことしなければいいのに、畑をいろいろ加工して、将来うごけなくなったらどうするんだろう、と、いつもながらの、父親がものをふやしたりなんだりすることにたいしての懸念と文句。
  • 食器をかたづけ、風呂もあらう。今日からまた労働。三時には出る。連休がおわるのは不幸だが、連休といってめっちゃ休んだな、とか、遊んだな、とかいうかんじはない。労働があろうがなかろうが生活がだいたいかわらないので。精神的な余裕はやはり多少は弱まるが。とはいっても、わりあいおちついてはいる。部屋にかえってくるとさっさとNotionを準備し、昨日のことを記述して投稿。それから便所に行って腸をかるくし、もどって今日のこともここまで記録。一時二〇分にたっするところ。
  • 出発まではだいたいヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をよんでいたはず。三時すぎに道へ。今日は徒歩をとる。家をでてちょっといくとみちばたにカエデが一本たっていて、いまはむろんわかい緑の、さわやかないろを梢全体に、みなぎらせるというほどの力感はなくしかしたたえているのだが、そのおくから鳥の声がきこえてたちどまってみてみるものの、すがたはみえず、だがまもなくとびあがってべつの枝にうつりながら声をよりおおきく散らすのがあらわれて、ヒヨドリだった。坂道にはいってのぼっていくと、ここでも、最寄り駅につうじるほうの坂に散っているのをみたあの青紫の花びらがあしもとに散らばっているのを発見し、それをみているうちに、単純にこれはフジなのでは? とおもった。ライラックかとおもっていたが、時期がちょうどフジの咲いておちるころだし、最寄り駅のむこうの丘にもたくさん生えているようだし、そのへんにもふつうに自生しているのではないか。気候は暑い。むろん暑いだろうとおもってはいて、ジャケットは不要だともわかっていたが、いちおうかえりが肌寒いかなとおもってきてきたそれを脱いで片手にもってすすむ。街道をいきながら、ツバメのすがたが、チャクラムみたいなかんじで曲線をえがきながら宙をまるく切っていくあの鳥がまだみられないなとおもった。毎年五月になれば車道の上をとびかっているのがみられるのだが。
  • 裏通りにはいってすすむ。途中で小学生のまだまだちいさな男児があらわれた。どこかの家からでてきたのだったはず。ジャージというかジャンパーというか、運動着的なすがたでリュックサックをせおっているのだがそれが彼のからだからすればおおきなもので、背はおおいつくして腰の下までひろがっており、しかし男児はそれを負いながら、やはりおもいようでまたすわりがきになるのかおりおり首をかたむけたりせおいなおしたりしつつも、まっすぐまえを向いて毅然としたようなすがたでてくてくと、しっかりした足取りであるいていく。こちらよりよほどはやくて、こちらはマジでたらたらあるいているので、距離はどんどんはなれていく。そのうしろすがたをみながら、もう立派に人間だなとおもった。当然のことだが。彼はマスクはつけておらず、右の手首かどこかにとめるかなにかしていたようだ。しかしあれではあの子もかなり暑かっただろう。
  • 駅前のコンビニの横までくるとツバメがあらわれた。ロータリーでもすばやく宙をわたってビルのせまい階段口にとびこんでいったり、(……)の店舗の軒下にやどってピーピー鳴いたりしているのがみられる。職場にいって勤務へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路もあるいた。勤務がうまくいかなかったこともあってか、むなしさや疲労感や、もやもやするようなこころもちがきざしており、生きるの面倒臭えなとおもっていたのだが、あるいているうちに去った。それなりにながくあるいていればそれだけでやはり多少気分は晴れる。わすれていたが、今日が母親の誕生日なので、かえりにコンビニに寄って甘味のたぐいなどを買ったのだった。今日が母親の誕生日だということをいわれるまで完全にわすれていたが、それならまあいちおう買っていってやるかということで。ほかにコーラや即席の味噌汁なども購入。それで袋を提げた夜道だった。
  • 父親は今日も泊まってくると。帰宅後はやすんで食事。夕食時に母親と議論でもないが、こちらが彼女の言動や考え方などを批判もしくは非難する展開になった。主題は目新しいことではなく、毎日毎日父親がはたらくようにと愚痴をもらしていることとか、彼の自由とか心情をまったくかんがえていないこととか、「終わったひと」とか言っていることなどについてだ。こちらが母親の愚痴傾向とか世間依存的メンタリティとか自己相対化能力の欠如とかにいらだって文句をいうということはおりにふれてあるのだが、そうしても結局母親のそうした性質が変わることはなく、一日くらいは多少気をつけるのかもしれないが二日後にはもとにもどっているので、そういうやりとりをしたときには毎回徒労感が立ち、いらだちを他人にさしむけることの大人気なさにもみずから嫌になって、不毛だからもうやめようとまえはおもっていたのだけれど、この日はもう、不毛でもまあいいかなという気になった。母親は結局そういう人間で、そこから変わっていく力もないし、こちらがそれを変えようというほどの意欲も気概もこちらにはないし、たぶんこの先同居をつづけるかぎりはいらだちの種がつづき、ときには我慢しきれなくなって文句をつけるということがあり、そこでまた不毛さが生まれるのだろうが、まあそれでもういいかなというかんじになった。もうそのときの自分の気分にまかせようと。それほどのことではないと鷹揚にながせればそれでもよいし、そのときものをもうしたくなればそうすればよいし、不毛だからやめようとおもえばそれでよいし、言った結果不毛であってもそれでよい。自分の考えとかかんじたこととかを、言語化するにせよ言語化しないにせよ、自分自身であまり明確にとらえられない人間はいくらでもいるし、ことばをつなげることでかんがえを確認したり構築したりする能力にとぼしい人間もいくらでもいるし、母親はそのうちのひとりで、なにをいってもしかたがないなということはある。それはそれで強圧にもなるわけだし。ことばや理屈でもっていくら丁寧に説得しようとしてもしょうがない。そういう相手をもし変えようとするならば、なにかべつのアプローチをとらなければならない。それに、これがなんか人命にかかわるとか、自分がゆずれない大義に抵触するとかならべつだろうが、多少こちらが不快になるだけのことなので、ほうっておいても特に問題はないだろう。
  • 母親と不毛なやりとりをしたことでまたもやもやした気分がちょっと生まれていたが、風呂に浸かっているうちに去った。不快事があってもまえとくらべてその残滓がすぐに去るようになっている。これはたぶん瞑想を習慣化したためだろうとおもう。あとは、瞑想もふくめて以前よりも心身の調子がととのっていて余裕があるので。
  • 二時すぎ。過去の日記のよみかえし。昨年の五月六日ぶんをよんだあと、一月九日も。冒頭の引用はマダガスカル計画について。ドイツではなくて、ポーランドとフランスから話がはじまっているというのが重要とおもわれる。「移住させる」とか「送る」の内実がどんなものだったのかも気になるが。

 ルブリン居留地計画の挫折のあとクローズアップされてくるのがマダガスカル計画である。当時フランスの植民地だったマダガスカル島ユダヤ人を移住させるという計画は、すでに一九三七年にポーランド政府によって検討されており、一九三八年一二月にはフランス外相ボネがドイツ外相リッベントロップに、フランス政府は一万人のユダヤ人をこの島に送る考えをもっていることをつたえている。この計画はドイツ政府部内でも多大の関心を呼び、ヒトラーも一九三八年秋にポーランドハンガリールーマニアとの協力によるユダヤ人移住計画に同意した。ゲーリングは一九三八年一一月一二日の会議で、ヒトラーマダガスカル島計画に興味をもっていることを明らかにした。
 しかしながら、ドイツにおいてこの計画が具体性を帯びてくるのは、一九四〇年六月、ドイツが対仏戦に勝利してからのことであった。ヒムラーはすでに一九四〇年五月二八日、ヒトラーポーランド支配に関する覚書を提出して、「すべてのユダヤ人をアフリカかその他の植民地に移住させる」ことを提案していたが、ヒトラーはこの覚書を「非常に素晴らしく、適切である」と評して、これを承認した。ドイツ外務省参事官ラーデマッハーは六月三日、マダガスカル計画の覚書を作成して提出した。この計画はただちにヒムラーの熱心な支持をうるところとなった。ラーデマッハーはハイドリヒのすすめにしたがって、アイヒマンの助手のダンネッカーの協力をえて、八月一五日に第二次案を作成した。
 この計画によれば、ドイツはフランスとの講和条約においてマダガスカル島を割譲させ、ここに四百万人のユダヤ人を移住させることになっていた。同島は、ヒムラーに従属する「警察総督」の支配下に、ユダヤ人の自治が行なわれる保護領になるはずであった。ただ、大戦下にこのような大計画を実行することは不可能だったから、これは一九四二年半ばと予想された大戦の終結を待って実行されることとされた。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、40)

  • 2019/1/9, Wed. から引いている記述を、二年越しでまた引いておく。「新聞を取ってきて、記事を読む。上にも記しておいた、「黒人社会 白い肌に生まれ 根強い差別 正しい理解訴え」である。南アフリカで生まれたアルビノの女性の苦境が語られたものだが、いい加減に人類は肌の色で他人を差別することをやめるべきだと思う。しかし、アメリカで黒人が差別されるのと同様に、黒人が多数派のところでは肌の白い人が抑圧されるわけで、どこであれ人間はマイノリティを自ずと迫害する心性、傾きを持ってでもいるのだろうか? 「国連によると、アフリカの28か国では過去10年間、アルビノに対する襲撃事件は600件を超えた。タンザニアマラウイなどでは、アルビノの骨や臓器に魔術的な力があるとの迷信があり、臓器を抜き取られる事件が相次ぐ」と言う。この世界はガルシア=マルケスの小説ではないんだぞ、と言いたくなる」。一年前の2020/1/9, Thu.ではこれにつづけて、「「どこであれ人間はマイノリティを自ずと迫害する心性、傾きを持ってでもいるのだろうか?」という疑念は、一年後の現在も変わらない」といっているが、二年後のいまはそれが「疑念」ではなくて、ほぼ確信にかわっている。
  • 「道を進みながら脳内で、僕は毎日文を読んで文を書かなければ生きていかれない、そういう病気なんですよ、と誰に向けるわけでもなく言い訳をした」とあるが、こんな言い方はきどっていてあまりよろしくない。毎日読み書きをしなくたってべつにじぶんはふつうに、あるいはふつうにとはいかなくともそれなりには生きていけると、いまではおもっている。そのあとにあるつぎの風景描写は、大したものではないがわるくない。「道中、満月が常に東の途上に漂っていた。裏路地を行くうちに空の青さは幾分濃くなって、月の光も清かに際立ってくる。自動車整備工の向かいの空き地には水溜まりが小さくひらき、それは端的な、透き通った鏡で、暮れ方の空を薄墨色に染めながらひどく明晰に映しこんでいた。ゆったりと鷹揚に歩いていき、(……)裏の辺りまで来ると空の色はさらに深まって、月の表面は白々と艶を帯び、その周囲の青は丘の際まで乱れなく空間を埋めており、気体と言うよりは固体を隙間なく詰めこんで空を密閉したかのようである」
  • 完全にわすれていて、六日の記事をもう投稿して七日の記事も投稿しようとおもって冒頭をよんだところでおもいだしたのだが、この夜、帰宅して玄関をはいるとともにトイレからでてきた母親が、検査受けたほうがいいって、みたいなことをつぶやき要領のえないことをいったのだが、つまり、この夜にロシアの兄夫婦と通話したところ、(……)さんがコロナウイルスにかかったときも熱がなかったから、検査してもらったほうがよいという助言をもらったのだと。母親はここ数日、喉の調子がわるくて声が嗄れたりしていたのだ。こちらもコロナウイルスではないかと口にはだしておきながら、ふつうに風邪だろうとおもっていたので検査を受けるようにとか口出しはしていなかったのだが、それならばとスーツ姿のままソファについてタブレットで、PCR検査はこのへんだとどこで受けられるのかと検索した。役所のホームページをみるに、まずはかかりつけ医にいってそこで必要ならば検査できる施設を紹介してもらってくれ、あるいはかかりつけ医がなければ東京都発熱相談センターまで電話を、とあったのでその旨つたえて帰室したのだった。で、母親がコロナウイルスをうたがって仕事をやすんで医者にいくとなれば、こちらも職場につたえておかないわけにはいかない。それなので職場に電話すると、こんな時間なのに(……)さんがまだのこっており、電話も転送設定していないままだったようで、なんとなくそうではないかとおもってこちらも携帯ではなくて職場にかけたのだったが、それで事情を説明し、ひとまず翌日は休みとすることになった。

2021/5/5, Wed.

 列車で、わたしのコンパートメントに、若い二人づれが席をとる。女性はブロンドで、化粧をしている。大きな黒いサングラスをかけ、『パリ・マッチ』誌を読んでいる。ぜんぶの指に指輪をはめ、両手のそれぞれの爪に隣の指とは違う色のマニキュアをつけている。中指の爪はほかの指よりも短く、濃い赤色で、マスターベーションの指であることを下品に示している。そうしたことから、その二人づれがわたしの心をとらえて目を離せなくしている〈魅惑〉について、わたしは一冊の本を書こう(end247)(ひとつの映画を作ろう)と思いつく。そのように二次的な性欲の特徴しか見られないような(ポルノ的なものは何もない)本である。そこでは、それぞれの身体の性的な「個性」がとらえられることになるだろう(とらえることが試みられるだろう)。その個性とは、美しさではなく、「セクシーな」雰囲気ですらなく、それぞれの性欲がただちに読みとられるようにしているその方法である。というのは、爪に下品なマニキュアを塗った若いブロンド女性と若い夫(ぴっちりしたズボンをはき、優しい目をした)は、自分たち二人の性欲を、レジオン・ドヌール勲章のように、ボタン穴にかざっていたのである(〈性欲〉と〈威厳〉は、おなじように誇示される)。その〈読みうる〉(ミシュレならかならず読みとったであろうような)性欲は、抗しがたい換喩の力によって、媚をふりまくよりもずっと確実に、コンパートメントに満ちていたのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、247~248; 「性欲についての本の計画(Projet d'un livre sur la sexualité)」)



  • 一一時まえに覚めることができた。二度寝にもおちいらず、こめかみをもんだり頭を左右にころがして首をのばしたりしてから一一時一四分に離床。滞在も七時間未満となったのでよろしい。肩をぐるぐるたくさんまわしながらコンピューターをつけておき、水場へ。洗顔とうがいと小用。もどって今日は瞑想もおこなった。すわってすぐ、雨の気配というか、雨がくるのではないかという予感をおぼえた。窓の外にきこえるウグイスの音の響き方にそうおもったようだが、そもそも窓ガラスが閉じていてそんなに明瞭にきこえたわけでもないのだが。響き方で天気を読めるほどの感覚がこちらにあるともおもえないのだが。しかしそれからちょっと窓をあけてみると、たしかに鳥たちの声はけむいような、こもったような響き方をしているようにきこえて、大気がやや水っぽいような気がしないでもない。天気はむろん曇りだった。ウグイスはたびたび声を放ち、ときおりヒュルヒュルと錐揉み状に狂い鳴く。ほか、ヒヨドリの声が、木枝にたくさんついた果物の房のようにきわだって響くときがある。
  • 一一時二一分から四七分まで。上階へ。ジャージにきがえる。母親は、片づけの途中でいまつかれたから中断してやすんでいたところだという。たしかに卓上がふだんとかわっていた。食事は前日のあまりもの。炒めたものや味噌汁など。おたまがないとおもったら台所も配置をかえて、調理器具のたぐいをいぜんは台上というかコンロの脇においていたのを、足もとの戸棚のなかにしたという。取るためにしゃがまなければならないので、それはちょっと面倒臭いが。それで食事。新聞は国際面、エチオピアの内戦が悪化しており、残虐行為が横行しているとの報。アビー・アハメドという首相が、北部ティグレ州の勢力、ティグレ人民解放戦線みたいな名前の組織を相手に掃討をはじめてから半年だと。エチオピアはいろいろな民族が各地にいてその勢力と中央政府とのあいだでけっこう対立があるようだ。ティグレ人は前政権で支配力をもっていたのだが、アビー・アハメドが中央集権的な政府をつくったことで排除されて敵対しているもよう。アハメドは隣国のエリトリアとの水問題を解決しただかなんだかでノーベル平和賞をうけたのだが、そのエリトリアの軍もエチオピア中央政府を支援してティグレ州を攻めており、政権としては最初はティグレ人民解放戦線の幹部連中だけをたおして平定したかったところが、そしてじっさい州都も占拠したらしいのだが、その後もゲリラ的な闘争がつづき、くわえてエリトリア軍の連中が一般民衆の虐殺とかをやるようになって、いまや状況は完全に地獄のような泥沼におちいっているという。エチオピアは人口一億二〇〇〇万人ほどでアフリカ第二の規模と記事中にあったとおもうが、日本とおなじくらいの人口で二位なんだなとおもい、アフリカってもっと人口のおおいイメージがあったんだが、とおもったが、それはたぶん二次大戦後に人口爆発したという教科書的な知識でそうおもっていただけのことだろう。よくかんがえたら、世界の人口のおおい国でアフリカの国の名をみた記憶はたしかにない。一位がどこなのかしらないが。
  • もうひとつ、スコットランドで議会選がちかくあるらしく、独立をめざす与党が過半数をにぎるかが焦点だと。党首はニコラ・スタージョン。定数は一二九だったか一三〇ほどで、予想では六五議席から六八議席くらいを与党がとるといわれているらしいので、ちょうど過半数くらい。単独過半数をとれば与党は独立を問う国民投票をおこなう見込みだが、英国のボリス・ジョンソンは独立も国民投票もみとめない方針。前回の国民投票では独立反対が上回ったらしいのだが、イギリスのEU離脱を経たいまだし、もし国民投票がおこなわれたらふつうに賛成派が勝利するのでは、という気もする。あとはアメリカのニュースで、バイデンが難民認定上限を増やす方針と。ドナルド・トランプが一万五〇〇〇人だかに設定していたのをもともと一二万五〇〇〇人だかに引き上げると二月の演説で述べていたらしいのだが、共和党の反対にあって四月中旬に据え置きを表明していたのを、それからあまり経っていないがここで六万人規模まであげることを発表したもよう。民主党左派が批判してせっついたらしい。
  • 食事を終え、食器を洗って処理し、風呂洗いへ。浴室にはいるまえ、洗面所で屈伸をゆっくりくりかえして脚をほぐす。それから風呂場にはいって、ブラシで各所をこする。出ると部屋から急須をとってきて茶を用意。母親にきいたかぎりでは午前中には雨は降っていないようだが、南窓のむこうの空気は平坦に灰色がかっているし、あかるさがなく、すでに大気が濡れたような質感にもみえ、雨がちかい気がする。緑茶をもって帰室し、コンピューターを用意して、茶を飲みながらウェブを閲覧。さっさと日記を書くつもりでいたのが、けっこうながくネットサーフィンをしてしまった。連休が今日までで、明日からまた労働なので、目をさました瞬間から焦りが精神のうちに忍び込んでいるのを感じていたが。ベッドで脚をほぐしたりもしつつ二時くらいまでだったか。その後歯を磨き、今日のことを記述。ここまで書くと三時をまわっている。やたらながくなったが二日の記事はきのう終えて、あとは三日と四日を書けば今日に追いつくので、たぶん今日中にしまえるのではないか。
  • じっさいその後、前々日、前日とつづって完成した。投稿。それでもうほぼ五時だったのではないか。上階に行くまえに、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をバックにスクワットとダンベルをかるくやる。結局からだをうごかして筋肉をあたため、血のながれをよくするのがいちばんだ。肉体がととのえばおのずとやる気も出る。そうして上階に行くと、いつもどおりまずアイロンかけ。父親はもう一晩、山梨に泊まってくるらしい。その父親のズボンやエプロンなどを処理し、台所へ。麻婆豆腐にしようとのこと。それに汁物やサラダののこりもあるし、母親が買ってきたサーモンの刺し身などもあるのでそれで充分。こちらがトイレに行っているあいだに母親が肉やエリンギをこまかく切っていたので、それをフライパンで炒める。しばらく炒めて素をパウチからしぼりだし、豆腐もくわえてふたたび加熱。汁気がすくない気がしたので、酒と味醂を入れることに。足して、ちょっと煮込めばそれで完成なので、今日の仕事は楽だった。はやばやと下階にもどると、六時前だったはずだが、今日もまたギターを弾く気になった。隣室にはいって、今日はAブルースはたいしてやらず、すぐに昨日とおなじく"いかれたBABY"の進行で裏打ちのバッキングを反復する機械と化した。三〇分はやっていたとおもう。ふだんそんなに習慣的に弾いていないので、右手の薬指がたびかさなる弦との接触で痛くなった。きのうから集中的にやっているし、このバッキングはそこそこなじんできた感はあるが、とはいえまだまだ。ほか、アルペジオもやり、Eブルースであそびもし、あとOasisの"Married With Children"もちょっと弾いたが、これも練習したいのだけれどあまりジャカジャカおおっぴらにやっているとけっこう音がおおきいのでやや気がひける。この先気が向くようだったら、週末などに街に出てスタジオにひとりではいって三時間くらい弾く機会をつくる生活にしてもよいだろうが、そこまでの余裕はない気がする。
  • 終盤、またバッキングをくりかえし弾いているうちに部屋が真っ暗になっていた。自室にもどって携帯をみると、六時五九分。夕食へ。品々をよそって卓へ。テレビはアニメ制作のじっさいの現場を紹介して、どういうふうにアニメがつくられるのか話をきく、みたいなことをやっていた。けっこうおもしろくてたびたび目をむけていたのだが、母親はしかしなんかつまらないねといって、番組をかえようとしたところ、なぜかテレビが消えてつかなくなってしまった。こちらはべつにテレビがつかなくてもこまらないので、電池がなくなったんじゃない、とか、ケーブルがとれてんじゃない、とか適当にいい、母親にまかせようとしたのだが、いっこうに回復しない。それでこちらもちょっとケーブルをみたりいじったりしてみたのだけれど、やはりつかないので、俺の知ったことではないとほうって椅子にもどり、新聞を読んだ。中露が宇宙開発で協力して米国に対抗するうごきをみせているとの記事。国際宇宙ステーションというやつがあり、日米欧露などの宇宙飛行士がおとずれて実験をしたりしている施設で、それは二〇二五年以降どのように運用されるのかが決まっていないらしいのだが、ロシアは二五年以降の撤退を表明しているらしい。つまり、米国への協力をしなくなるということで、一方で中国は独自の衛星をうちあげたり、また独自の宇宙ステーションを着々とつくりあげているらしく、それは「天宮」という名前のもので、その中核施設である「天和」というやつが四月二九日だかにうちあげ成功して、それをいわう会見のなかで習近平が宇宙強国への意欲をあらわに表明したらしいのだけれど、ロシアは中国を支援する見返りとして資金提供をしてもらえるようもくろんでいるようなうごきがあるとか。母親は、テレビがないとつまんないね、しずかすぎて、といい、タブレットYouTubeでもみるかといって、昭和の名曲みたいな動画をながしていたようだ。この曲知ってる、ときかれたのが竹内まりやで、竹内まりや自体はしっているものの、その曲は知らなかったのだが、それが"駅"というやつらしい。たしかに昭和、というかんじの、歌謡曲的な哀愁みたいなトーンなのだが、あの昭和風哀愁みたいな雰囲気はいったいなんのコードとなんのスケールでかもしだされるものなのか? どうもキーからみて三度のセブンスとかがつかわれているような気がしたのだが。つまり、マイナー調のルートに収束するドミナントというか、ようするにハーモニックマイナー的な、半音下からルートに解決するうごきがおりにはらまれているようにきこえたが、それだけでああいう雰囲気が充分にでるわけではないだろう。そのあと母親は、玉置浩二のベスト音源みたいなものに動画をうつしていたもよう。こちらは食事をおえて皿を洗い、入浴へ。湯のなかで静止。しかし、最近は気温も高めだし湯にはいっていても暑くて、なかなかうまくながくとまれない。窓外には虫の声が、薄い網のように空間に敷かれて宙をおおっており、ときおり風が走るらしく林の樹々が持続音でひびくのもきこえるが、なぜか浴室内にまでは風ははいってこない。
  • 出ると九時前。カフェオレをつくって帰室。最近はカフェオレをちょっと飲んでいる。LINEで、今日のWoolf会はふつうにやりますかときいておいたのだが、けっこうみんないそがしいらしく、休みにすることになっていた。了承し、ベッド縁にうつってコンピューターを前に一服したのち、今日のことをここまで記述。一〇時。
  • ベッドにねころんで脚をほぐしながら書見。あいまに腹筋とかブリッジもちょっとはさむ。本はヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をひきつづき。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をすすめる。ベルリンの各所の地名や施設や通りの名などがでてくる。ベンヤミンの記憶のなかからベルリンという都市のイメージが、むろん断片的にではありながらも、たしかにかもしだされてくるような気がする。だれも、みずからの都市についてはみずからの地図をもっているもののはずで、その地図にしるされている固有名詞のうえには、それぞれの人間にとって、おおくの場合他人とはかならずしも共有可能でない固有のいろどりが置き塗られているがゆえに、その固有名詞は二重の意味において固有の名前となるのだろうし、そのようにしてひとのもつ都市の地図は総体として無二の色彩にかざられた絵画となるのだろうが、そういうことはわりとよくあるテーマではあるものの、やはりおもしろいし、ベンヤミンのなかにもこの無二の地図がたしかにあるんだなあというかんじはつたわってくる。主題としては、家の外の、まちなかの通りや施設や外空間のことと、家のなかのことと、あとはエピソードふうのもの、というくらいにだいたいわけられるか? ベッドのなかにいるときの記述がけっこうおおいような印象で、それだけが要因ではないが、プルーストをおもいおこさせるようなかんじもときにないではない。ベンヤミンはまさしくプルーストを訳していたらしいのだが。出自としても、ベンヤミンブルジョアのうちでもたぶんかなり金持ちのほうの生まれだったようで、ベルリンのなかの高級住宅地を何度かうつって住んでいたようだし、叔母とか祖母とかの話とか、クリスマスのパーティーの話とか(もっともこれにかんしては、直接連想されたのはプルーストではなく、ジョイスの『ダブリナーズ』の最後にある「死者たち」のほうだったが)、生育環境や所属していた社会環境としてもかなり共通的なのではないか。
  • 書見を切りとしたのは一一時台後半だったようす。それから歯磨きをして、上の一段落を加筆。2020/5/5, Tue.をよみかえすことに。「陽の光と雨と風とは、この世でもっとも完全な平等主義者である」とのこと。シェイクスピア福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)を読了していて、中村保男というひとの解説文を、けっこうこまかく部分ごとにとりあげながらけなし、けちをつけている。具体的な分析にもとづかずあいまいで漠然とした言辞でとにかく褒めちぎるような、ようするにあまり質のよいとはいえない印象批評みたいなかんじだったようだが、いちいち解説中の文を引いてはとおまわしに文句をつけているので、よくこんなどうでもよいというか、面倒臭いことに時間をつかおうとおもったな、とおもった。中村保男も、「特にシェイクスピア劇には、作品を分析し比較すればそこはかとなく消えてしまう何かが多分にある」(284)といっているし、訳者の福田恆存も解題で、「翻訳不能の原文の美しさを別にしても、『あらし』の様な作品について、吾々はどうしてその感動を語り得ようか。何かを語れば、作品そのものの、そしてそれから受けた感動そのものの純粋と清澄とを穢[けが]さずには済まされまい」(280)とのべているらしいのだが、この、すばらしいものについてことばをついやせば、それだけそのものをよごし、そこない、おとしめてしまう、というような発想・観念・かんがえかたは、まったくわからないではないのだけれど、こちらにはやはりいまだによくわかりきらない。「吾々はどうしてその感動を語り得ようか」までは容易にわかって、ことばにできないようなすばらしさ、というものは、ありふれたクリシェではあるけれどふつうにあるわけで、とにかくマジでやばい、のひとことでおわらざるをえないような強烈な体験だってときにあるけれど、そこでことばをついやすと作品中のなにかが「消えてしまう」とか、その「純粋と清澄とを穢」すことになるというのが、こちらにはよくわからない。たぶん、どんなことばをもちいても作品のすばらしさや感動を充分に、もしくは正確に、適切にいいあらわすことができないので、ことばがどれもまるでまとはずれというか、いいたいこと表現したいことをあらわすのにちっとも機能せず、作品そのものとどうあがいてもかけはなれてしまうので、その格差が一種の傷とかそこないとかけがれのようなものとして感得される、ということではないかとおもうのだが。これはようするにいわゆる否定神学の論理のはずで、去年の自分もいっているように作品の神秘化であり、神についてことばでかたろうとすることはそれだけですでに神への冒瀆である、というような発想と類同的なものだろう。そうかんがえてくると、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』のうちに引かれていた、なんだったか、神の名状不可能性について、みたいな、神のいいあらわしがたさについて、だったか、そんなタイトルの、クリュシストモスみたいな名前の中世の神学者の文章をおもいだすものだが。下の部分だ。

 数年前、フランスの新聞にわたしが強制収容所についての評論を発表したとき、ある人が新聞の編集長に手紙をよこして、わたしの分析は「アウシュヴィッツの、類例のない、言語を絶する性格をだいなしにする(ruiner le caractére unique et indicible de Auschwitz)」ものだと非難した。その手紙の主がいったいなにを考えたのか、わたしは何度も自問したものである。アウシュヴィッツが類例のないできごとであったというのは、(将来についてはそうであることを希望できるにすぎないが、すくなくとも過去については)きわめてありそうなことである(「広島と長崎の恐怖、グラーグの恥さらし、ベトナムでの無益で血なまぐさい戦闘、カンボジアでの自国民大量虐殺、アルゼンチンでの行方不明者たちなど、その後わたしたちが目にすることになった残忍で愚かしいたくさんの戦争があったが、ナチスの強制収容の方式は、わたしが書いているこの時点まで、量についても質についても類例のないもの[﹅7](unicum)である」 Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991, p.11f)。しかし、なぜ言語を絶しているのだろう。なぜ大量虐殺に神秘主義の栄誉を与えなければならないのだろう。
 西暦三八六年にヨアンネス・クリュソストモスはアンティオケイアで『神の把握しがたさ〔理解不可能性〕について』という論文を書いた。「神が自分自身について知っていることのすべてをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだす」から神の本質は理解されうると主張する論敵たちをかれは相手にしていた。「言語を絶し(arrhetos)」、「名状しがたく(anekdiēgētos)」、(end38)「書きあらわしえない(anepigraptos)」神の絶対的な理解不可能性をかれらの抗して雄弁に主張するとき、ヨアンネスは、まさにこれが神を讃える(doxan didonai)ための、また神を崇める(proskyein)ための最良の言い方であることをよく理解している。しかも、神は、天使たちにとっても理解不可能である。しかし、このためにますます天使たちは神を讃え、崇め、休みなく自分たちの神秘的な歌を捧げることができる。天使の勢力にヨアンネスが対置するのは、いたずらに理解しようとする者たちである。「前者(天使たち)は讃え、後者はなんとしても知ろうとする。前者は沈黙のうちに崇め、後者は躍起になる。前者は目をそらし、後者は、恥じることもなく、名状しがたい栄光を凝視する」(Chrysostome, J., Sur l'Incompréhensibilité de Dieu, Cerf, Paris 1970.(神崎繁訳「神の把握しがたさについて」(『中世思想原典集成』第2巻「盛期ギリシア教父」所収)平凡社、1992年), p.129)。「沈黙のうちに崇める」と訳した動詞は、ギリシア語原文では euphēmein である。もともと「敬虔な沈黙を守る」を意味するこの語から「婉曲語法(eufemismo)」という近代語が派生する。この近代語は、羞恥もしくは礼儀のために口にすることのできない言葉を代用する言葉を指す。アウシュヴィッツは「言語を絶する」とか「理解不可能である」と言うことは、euphēmein、すなわち沈黙のうちにそれを崇めることに等しい。神にたいしてそうするがごとくにである。すなわち、そのように言うことは、その人の意図がどうであれ、アウシュヴィッツを讃えることを意味する。これにたいして、わたしたちは「恥じることもなく、名状しがたいものを凝視する」。たとえ、その結果、悪が自分自身について知っていることをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだすということに気づかせられることになろうともである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、二〇〇一年)、38~39)

  • ただ、上の記述のなかでは、言語化不可能であるということが讃嘆と崇拝の方法であるとはのべられているものの、言語化をこころみようとすることが冒瀆にあたる、ということは明言されてはいなかった。ただ、その対義的関係の距離は非常にちかいし、あきらかにヨアンネス・クリュソストモスはそうおもっているのだろう。「恥じることもなく、名状しがたい栄光を凝視する」ということばをみるかぎり、そこには、神を「いたずらに理解しようとする者たち」は、ほんとうだったら、「恥じる」はずである、「恥じる」べきである、という意味がふくまれているはずだから。また、クリュソストモス自身でなくとも、それと同種の発想者としてアガンベンがあげている手紙の主にしても、アガンベンの分析は、「アウシュヴィッツの、類例のない、言語を絶する性格をだいなしにする(ruiner le caractére unique et indicible de Auschwitz)」といっているわけで、この「だいなしにする」ということばは、こちらが上でつかった「よごし、そこない、おとしめてしまう」などのことばとだいぶちかいところにあるだろう。で、アガンベンによれば、この手紙の主は、アガンベンの「分析」がそういうはたらきをもつといっているわけで、「分析」、すなわちものごとを個々の部分にわけてそのひとつひとつについて考察をしたり調べたりわかることを述べたりすることは、ものごとの総体性、統一性をずたずたに切り裂いてそのかたちをうしなわせてしまう、という発想がわりと一般的にあるのではないかということをうかがわせるもので、中村保男もやはり「特にシェイクスピア劇には、作品を分析し比較すればそこはかとなく消えてしまう何かが多分にある」といって、「分析」と「破壊」を直結させている。あまり細部にこだわって微に入りすぎて断片化をしすぎることで統一像がみえなくなる、ということはじっさいあるのだろうけれど、しかしこちらとしてはやはりこういう観念は、半分弱くらいはわかるけどもう半分強はわからないな、という感じだ。たぶんそれは性分的なものなのだろうが。つまり要約 - 統一 - 物語化をそもそもあまり信用していないというか、信用はともかくとしても、あまり志向しないというか。いつもながらの結論になってしまうが。でも、分析=破壊の問題と、言表不可能性(言表=冒瀆)の問題は、厳密にかんがえるとちょっとちがっているのではないか? そこをいっしょにしてかんがえていたようだが。
  • わりとどうでもよい話にかかずらって時間をつかってしまった。
  • それにしても、断片/体系、分析/総合、細部/統一などのこういう枠組みってほんとうにめちゃくちゃ強力だなというか、人類の思考のなかでもっとも通用的な二元論ではないかとおもうし、哲学であれなんであれ人間がかんがえることって全部この二極のスペクトルのなかに包含されてしまうのでは? という気がする。それをもっとも一般的な概念であらわすと、たぶん、「個」と「全」の対立、ということになるのだとおもうが。
  • 上のことを書いて日記よみかえしをおえると、音楽をききながら休もうとおもった。それでヘッドフォンをつけて、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながしてベッドにあおむく。Oasisなんて正直、ヘッドフォンできちんとじっくりきいたことなくて、ながした回数はけっこうおおいがながしてうたうだけで、鑑賞、というかんじの対象ではなかったのだけれど、なんであれあらためてきけばだいたい気持ちはよい。ドラムの音だけでも、とくにキックとかライドのひびきだけでもわりと気持ちはよい。リアム・ギャラガーってあらためてきくとそんなに歌はうまくないというか、音程とかわりと前後にぶれているけれど、Oasisとかリアムにおいてはそれでなにも問題ないだろう。それにしても"Wonderwall"ってよくヒットしたなとおもった。こちらもべつに好きではあるけれど、サビとか、正直ぜんぜん冴えないというか、ひくめの音域で基本的にながくのびるメロディになっているし、なんかのんべんだらりとしているというか、のらくら者みたいな旋律で、これをライブでやってもふつうもりあがるとはおもえないのだが。リアムの声がここでめっちゃいいわけでもないし。せめて最後の一回くらいは、三度上のコーラスかさねたほうがよかったのでは? という気がする。あと歌詞もよくわからないし。なんでヒットしてすごく人気になったのか不思議だ。"Don't Look Back In Anger"のほうはふつうにわかるが。進行も"Let It Be"だし。しかしこちらが今回きいて印象にのこったのはそのあとで、だからまずは五曲目の"Hey Now"で、この曲は地味で、実にもったりとしていて、とくにドラムがそうなのだけれど、ボーカルメロディもそうで、しかしここではリアムの声がそれに合ってよくひびいているようにきこえて、ゆったりとしたながれ方がなんだかよかった。つぎの"Some Might Say"も同様で、ドラムが実に大味でよい。こっちはサビのメロディは"Hey Now"よりキャッチーでややいろどりがあるのだけれど、この時期のOasisの魅力って、こういうめちゃくちゃもったりしたエイトビートの曲にむしろあったのでは? という気すらした。Oasisのメンバーなどギャラガー兄弟しかおぼえていないが、二枚目のドラムはAlan Whiteで、"Some Might Say"だけは一枚目の、つまり結成時のメンバーだったTony McCarrollというひとがたたいたらしい。ふたりともOasis以外での評判はぜんぜんないだろうし、テクニカルでもないとおもうが、このもったり感は正直かなりよいとおもう。"She's Electric"まできいた。
  • そののち、To The Lighthouseをちょっとやることに。ノートをひらくと冒頭からよみかえしてしまうのだが、よみかえせばこちらのほうがよいのでは? という言い方がおのずとおもいつかれて、改稿してしまう。これではいつまでたってもおわらないので、前線をすすめるほうが本当はよいのだが。といって改稿はささいなことばづかいや、読点をたしたくらいである。ただ、never altered a disagreeable word to suit the pleasure or convenience of any mortal beingの部分はきちんとかえないといけないとおもった。ここはRamsayの独白的な部分で、彼が、じぶんは真実の徒であり嘘はつけない、とかなんとかいっているながれで上の一節が出てくるのだが、まえによんだときはなんでわざわざここで人間のことを、any mortal beingなんていう仰々しい言い方をしているのか、というのがよくわからず、いろいろかんがえて「この憂き世に生きるどんな人間を前にしても、その喜びや都合におもねって不愉快な [disagreeable] 言葉を言い換えてはならない」として、「憂き世」でmortalの意味をあらわしたつもりだったのだが、いまよんでみるとあまりうまくはまっていない。ここはおそらく単純に、人間の有限性にあわせてそれよりも高次の、たとえば真理とかそういったことがらをないがしろにしてはならない、というような対比なのだろう。それなので、「誰であれ限りある人間の儚い喜びや都合におもねって不愉快な [disagreeable] 言葉を言い換えたことはないし」とひとまずしておいたが、これでもまだだめである。「命」の語をいれて、命に限りある、とか、限りある命の、とかにしたいのだけれど、そうするとうまくながれない。「儚い」は意訳気味にたしたが、これはよいのではないかとおもう。「儚い」を「人間」のほうにかける案もある。下が改稿後。

 (……)

  • そのあとはだらだらして、四時半直前に消灯。

2021/5/4, Tue.

 それは、知的な「移動」(「スポーツ」)のようなものだ。言語の凝固や、ねばり気、ステレオタイプ症状のあるところへ彼は徹底的に向かってゆく。注意ぶかい料理女のように忙しく立ち働き、言語活動にねばりが出ていないか、〈焦げついて〉いないか、と気をくばる。こうした動きはまったく形式的なものであるが、作品の進展と後退とを説明している。それは言語についての純然たる短期戦術であって、〈空に向けて〉、いっさいの長期戦略的な領域の外で展開される。ただ危険なのは、ステレオタイプは歴史的、政治的に移動するので、それがどこへ向かおうと、付いて行かなければならないことである。だがもし、ステレオタイプが〈左翼へ移った〉ら、どうすればよいのか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、246; 「ダガ反対ニ(Sed contra)」)



  • 一〇時すぎにいちど覚めたのだが、それは携帯がふるえたからである。ふだん、携帯はサイレントマナーにしていて、つまりメールなどがきてもバイブレーションも起こらないようにしてあるのだけれど、先日(……)と会ったときにふつうのマナーモードにしたのがそのままだったのだ。メールは(……)さんで、先日もうしでた生徒面談の手伝いの件であり、手伝ってほしい生徒と日時が記されてあったが、それにしたがうと八日の土曜日がふたつの会議もあわせて朝から晩までマジで一日中はたらく予定になってしまって、なかなか容赦がない。しかし翌日は日曜日だし、一日くらいは受け入れてがんばろう。
  • そこで起きられればよかったのだが、窓にちかいほうの枕もとにおりている陽射しをもとめて顔をうごかし、じっとしていると、またねむってしまって結局正午前の離床となった。部屋を出て、洗面所で顔をあらったりうがいをしたり。上階へ行くと母親が開口一番、なんか洟がでるよね、という。たしかに昨晩くらいからそんな感じがしないでもなかったので曖昧な肯定をかえす。喉も、というが、こちらは喉には問題がない。母親は数日前、声が嗄れて、まだ喉がちょっとおかしいようなのだが、時勢柄当然コロナウイルスではないかとうたがわれるわけで、食事中にコロナウイルスにかかったんじゃないの、とむけると、医者にいったほうがいいかなというが、このちかくだとPCR検査をどこでうけられるのかがわからない。コロナウイルスの初期症状としてはいぜんしらべた際には咳がおおくて鼻水などはあまりないという話だった気がするが、ひとによって多様でもあるのでじっさいわからない。あと発熱だが、母親はいまのところ熱はないようす。
  • 食事はカップ蕎麦を煮込んだものや、きのうのスンドゥブのあまりなど。新聞に基礎からわかるウイグルという面があってそれをよもうとしたのだが、母親が、ものをどんどん片づけたいけどぜんぜん片づけられないといういつもながらの話をしてくるのでよめない。父親がずっとまえに買ってそのまま放置している焼酎などうるかすてるかしたいというので、勝手に売っちゃだめでしょ、とうける。ひとが大切にしてるもんなんだから、というが、大切にしてないよ、わすれてるよ、とかえる。それでもむろん、本人と話して許可をとってからでないとだめである。母親は生前整理をしなければならないという強迫観念にとりつかれており、ものが増えることをきらい、ものを捨てたいとばかりおもっているようなのだが、こちらはとくだんそうではないし、父親もべつにそうではないだろう。俺の本がしらないうちに捨てられてたら、マジでぶっ殺すから、といちおう釘を差しておいた。冗談じゃなくてマジでぶっ殺すから、とつづけて強調しておいたが、まあじっさいには殺害にまではいたらないだろうとおもう。ただ殺意と強烈な怒りはもちろんかんじるだろうし、そのようなことが万が一起こったらすぐさま絶縁して、その後一生涯、顔も見ないし言葉もかわさないしなにもかかわらなくなることはまちがいないだろうが。片づけにかんしては、毎日すこしずつ、ひとつだけゴミ袋にいれる習慣にすればいいじゃん、ひとつがすくなければ一箇所だけ、とか、そうすれば一年後はそこそこきれいになってるでしょ、とありきたりなことをいっておくが、だれもなかなかそれができないものだ。
  • 食事をおえるころ、電話がかかってきて、これは(……)さんだった。母親がさきほどかけておいたそのおりかえし。こちらは立ってふたりぶんの食器を洗い、それからベランダに出て日なたのなかで体操。布団カバーが柵にとりつけられ竿にも干されてあって、そうすると三方がそれにかこまれるから、そのなかで屈伸してしゃがむと外からこちらの姿が見えなくなるし当然こちらからもそのときは外の様子が見えなくなるわけで、そうするとなにか子どもがかくれんぼをしているようなイメージが立つ。空はまったき青さではなくて雲が全体にほんの淡いものの混ざりこんでいる色合いで、光も純粋透明にいたらずいくらか弱められてはいるようなのだが、それでも初夏の暑さで背にのってくると重みがあるし、たぶんこれも三方を布でかこまれていたから余計に熱がたまったのではないか。
  • なかにはいると電話はまだつづいていた。こちらは風呂をあらう。あらうあいだも、母親が(……)さんを相手に、父親の愚痴をいったり、毎日神さまにおいのりしてるのよと、さっさとまたはたらきにでてくれるようねがっていると話しているのがきこえてくる。今日は山梨に行って泊まってくるっていうから、多少のびのびできる、と。母親はまた、「終わったひと」にはなってほしくない、ということも日々のなかでたびたび口にしていて、この「終わったひと」というのはたしか内館牧子の小説の名前で、テレビドラマか映画になって舘ひろしが主演していたおぼえがあるのだが、それがやはり定年でしごとをひけてのちの男性が家にいて周囲からうとまれるみたいな話だったはず。まあそういうことはじっさいおおいだろう。いまはとくにコロナウイルスの事情もあるし。それにしても、母親からすると、父親が畑をやったり(……)のしごとをやったりなんだりしているのは、あまりたいしたこととはうつらず、なにもやっていないのとあまり変わらず、父親はもうほぼ「終わったひと」だということになるらしい。しかしそれをいったらこちらなどいつまでたっても定職に従事していないし金もぜんぜんかせいでいないわけだから、最初からすでに終わっているし、終わるどころかまだはじまってすらいないことになるではないか。もちろん、こちらとしては、はじまりたくも終わりたくもないが。肩書きなんぞくそくらえだ。一生もちたくない。生活のための職が便宜的な肩書きになるのはよいし、むしろそれは妙に軽快なこのましさすらあるが、それ以外の、いわば真正な肩書きをもつとかんがえただけで嫌悪感が立つ。むかしは、作品をつくることでも文で金をえることでも世評をえていることでもなく、日々ことばと文を書きつづけるということだけが作家というものの存在規定だとかんがえて、自分はそういう意味での作家であるといっていたこともあったが、いまはまったくそうはおもわない。どのような意味であれ、「作家」になりたいとも、「作家」ということばをおくられたいともおもわない。その他どのような名詞であれおなじ。
  • 風呂をあらって、茶を用意して帰室。コンピューターを寄せると、バッテリーの機能が低下しているみたいな表示が出ていて、ひんぱんに一〇〇パーセントまで充電すると損耗しますみたいなことが書かれてあり、これはデスクからベッド縁にうつるときにいつも電源ケーブルをはずしてスツール椅子の上にのせているのでそうなるのだろうが、このスツール椅子は縁がややもりあがっているかたちのもので、そのなかにコンピューターがすっぽりはまるようなかんじだから電源ケーブルを側面の穴にさしこむ隙間すらない。それで、隣室の椅子とかえるかとおもっていちど両方の椅子をはこんで交換したのだが、そうするとこの椅子は背もたれがあって座部はただの楕円だからケーブルをさすことはできるものの、どうも高さが足りず、それ以上高くすることもできず、ちょっとそれでがんばってみようとおもってしばらくやっていたのだが、結局姿勢が前傾的になってやりづらいので、あきらめてもとのスツールにもどすことにした。バッテリーには犠牲になってもらおう。どうもほかにちょうどよい高さの台とか椅子とかがない。それで椅子をまたかかえてはこんで交換し、それから以下の読み返し。
  • 2020/5/4, Mon.の読み返し。この日は父親が母親のことをたびたびクソババアだとかなんとか呼んで幼稚かつ不快な言辞をはたらいていたことにたいしてこちらがキレて、つかみあいの悶着が起こった日なのだが、家庭内の醜態をさらすようでみっともないので、そのあたりは全篇にわたって検閲することに。「この主張は、こちらが考えるところでは糞尿以下の代物であり、正しく反吐を吐きつけてやるべき悪質な論法、一年間に腹のなかで分泌生産される胃液のすべてを吐きかけて溶かしてやるか、さもなければ端的に小便を頭からぶっかけてやりたいような肥溜め未満の言い訳で、下劣拙劣卑劣低劣陋劣愚劣といった具合に、この世のあらゆる劣悪性を一列に編み合わせてこしらえたどす黒い経帷子くらいに烈々と劣等な汚穢の類であって、それが父親のお好みなのならばその衣装を身につけたままどこへなりとさっさと旅立ってもらってもこちらは一向に構いはしないのだが、大体において「愛」などというこの世界で最も抽象的な観念の一つを恥ずかしげもなく実に堂々と、まるで牛の涎みたいに口からでろでろ垂れ流しただけでなく、その美名でもって自身の醜悪極まりない行いを包み隠して上っ面だけ綺麗に飾り立てようとしているわけだから、そんなに粉飾が好きなら会社の経理でも担当して粉飾決算を活用しながら金の横領でもしていれば良いんじゃないだろうかと思う」などと、ながながと力をこめてレトリカルに罵倒していて、それはちょっとおもしろい。「大体において「愛」などというこの世界で最も抽象的な観念の一つを恥ずかしげもなく実に堂々と、まるで牛の涎みたいに口からでろでろ垂れ流」す、という比喩はちょっと良い。これほど修辞的にことばをこらして罵倒しているのは、この時期シェイクスピアを読んでいて、すぐれた文学者はみなそうだがシェイクスピアも罵倒がうまくておもしろかったので、それに多少影響されたところもたぶんあるだろう。ほか、「このような、とても簡単で至極順当な他者の心情に気づく程度の基本的な自己相対化の能力も持ち合わせずに、いままでよく他人の怒りを買って殺されることもなくこの世を生き延びてこられたものだなあ、とほとんど呆れるまでに驚愕せざるを得ないところだ」とか。あきらかなことだが、このときのこちらは、めずらしくマジでめちゃくちゃ怒っている。「もしそれがどうしても理解できないのだとすれば、父親の顔表面に二つ空いているのは瞳の置き場所ではなく、残念ながら障子の破れ目と同程度の機能しか持たない空っぽの隙間、蛆虫の住処にでもしてやったほうが役に立つ単なる穴ぼこだということになるだろう」とか。「ところが現実に生きているこちらの父親は、当人の言うところでは紛れもなく自分の「愛」の対象であるはずの母親に対して、あられもなく「ババア」「クソババア」と口にしてやまず、相手の言うことをたいして聞こうともせずに荒っぽい口調で大きな声を出して黙らせるというような、小学生の餓鬼大将も顔負けの幼稚極まりない振舞いに耽っているわけなので、それに対してごく控えめに苦言を呈するならば、まるで打ち上げ花火みたいに愉快にふざけ散らかすのはおやめになったほうがよろしいのでは? ということになるだろうし、もう少し率直に言うならば、いますぐこの世界から消えろという一言に尽きるだろう」ともあるが、そのとおり、こんなにことばをついやさなくとも、死ねクソ馬鹿が、とひとこと言えばそれですむ話なのだが。ほか、「以上述べてきたことはこちらにとってはとてもわかりやすく、理解するためにさほどの思弁的努力は必要としない種類の明白な意見だと思われるのだが、もし父親がそのような物事の道理も理解できず、また極めて残念なことに行為においてそれをわきまえることができないのだとしたら、とっとと頭をかち割って、そのなかの腐った脳味噌を海に流して魚の餌にしてやる代わりにウニの身でもたらふく突っこんでおくのが良いんじゃないだろうか」とか、「だから、「理性」的思考能力を有効に具えているはずの近代的主体としてはまだおしめも外していないようなよちよち歩きの赤ん坊ほどの段階にいるにもかかわらず、悪しき通俗ポストモダン風にクールな似非相対主義を気取って言い逃れを試みるのはやめてほしいし、そういう態度は少なくとも、まずはおむつを外して自らトイレで用を足せるようになってから取るべきではないだろうか」とか、「もう少し平たく言い直せば、父親が心のなかで母親のことを例えば「クソババア」とか、あるいは萎びて衰えたしわくちゃのババア(というような意味のことを父親は実際に口にしたことがあるのだが)とか思う瞬間があるとして、それ自体は別に構わないし、心中で両親が互いのことをどう思っていようがそんなことはこちらにとってはどうでも良い。ただ、それを具体的な行動に反映させて目に見える形で表出し、相手を蔑み見下して馬鹿にするような振舞いはやめるべきだ、仮にも人族の一個体として理性の能力をひとしずくでも具えて生まれてきたつもりなら、その程度の恥じらいは持ち、その程度の自制は働かせたほうが良いだろうと言っているに過ぎない」とか。比喩をふんだんにつかった技巧的な罵倒を読むのはなぜかわからないけれどやたらおもしろい。マジで怒っているので筆致にも冷静さを欠いており、むやみに芝居がかっていて妙にかたく、わざとらしい文調にはなっているものの(つまり父親のおこないに非があるということを徹底的に「論証」しようとするような文章になっているものの)、それだけ緊迫感というか切実さというか、こいつめちゃくちゃ怒り狂ってるなという感じはある。上に引いた種々の罵言のなかに「理性」とか「理解」とか「道理」といって「理」のついたことばがよく出てくるように、こちらがこのときいっている内容は人間的理性をもった存在にふさわしい振舞いをしろという一点に要約され、みずからそのひとを「愛」していると自信をもって断言する相手にたいして高圧的に馬鹿にするような傲慢な言動はあきらかにそのような振舞いではないからやめるべきだということなのだが、そのあたり実にヒューマニズム的な、欧州啓蒙思想以来の近代的主体観念を正統に受け継いでいるな、という感じがする。べつに普通にそれで良いとおもうのだが。ただそういうふうに振る舞えないひともいるし、ひとはいつでもそういうふうに振る舞えるわけではないし、こちら自身完全に一貫してそういうふうに振る舞えるわけではないし、理性、理性、とかまびすしく称揚してきたその声が圧力となって反動的にドナルド・トランプ大統領が誕生してしまったというここ数年の歴史的現実もあるわけだ。
  • 二月二四日の(……)さんのブログから一節引かれている。

オープンダイアローグにおいては、うまく語ることのできない出来事をどうにか語るということの重要性が強調されていた。語りがたい出来事、語り損ねてしまう出来事、とどのつまりはいまだ象徴化されていない現実界の出来事=外傷を、どうにかして語る(象徴化する)こと。これもまた小説に関する言説としてアナロジカルに読み替えることができるが、そのときラカン派とは正反対のアプローチを仕掛けているようにみえる。物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとするラカン派的小説家と、出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとするオープンダイアローグ派的小説家——と書いていて気づいたのだ、オープンダイアローグ理論をアナロジーとして採用するのであれば、ダイアローグに参入する他者の存在に触れないわけにはいかない。この対比はいくらなんでも雑にすぎる。とはいえ、小説家のいとなみというものを考えるにあたって、「物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとする」と態度と、「出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとする」態度は、一見すると正反対のようにみえるが、実際はさほど遠くないのではないか? というかこの両者のせめぎあう運動——それがゆえにそのどちらもが十全に達成されることは決してなく、挫折を余儀なくされ、中途半端な癒着としての失敗に帰結せざるをえない——こそがほかでもない、「物語(全体性-象徴化)とそれにあらがう出来事(断片性-未象徴化)が同居するメディアとしての小説」——その価値はいかにあらたな失敗のフォルムを生み出したかで測られることになる——なのではないか。

  • 2020/1/8, Wed.も読む。このころは頻繁に腰が痛んだようで、ヘルニアではないかといううたがいをもっているが、脹脛と足裏のマッサージやストレッチを習慣化したいま、からだは別物であり、腰が痛むことももはやない。
  • あと、職場からの帰路を(……)くんとともにしている。

 ホロコーストっていうと、レヴィナスも関連してくるでしょう、確か彼は、本人は入っていないけど、家族が殺されていたよね。奥さんと娘だか、一部を除いては全員殺されていたとの答えが返る。横断歩道を渡りながら、本当にとんでもないことですよ、と。先日も、ホロコーストについての本を読んでいたんだけど、ワルシャワ・ゲットーっていうのがあるでしょう、で、そこのユダヤ人を送りこんで殺害する絶滅収容所があるわけだよね、そうしたら、読んでいたら、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人の九割が殺害された、とか書いてあってさ、はあ? と思って、九割って何だよと思ったよ、多分四〇万人くらいはいたと思うんだけど、だからそれが五万人とかになってしまったわけでしょう。そんなことを話しながら、街道沿いを行く。まあでも日本でホロコーストっていうのが一般的に知られるようになったのは、どうやら九〇年代以降らしいね、もっと前から知られていたものかと思っていたけど。まあ、言ってしまえば遠い外国のことですからねえ。そうなんだよな、夏にさ、(……)くんに社会を教えてて、そもそもまず「ホロコースト」っていう言葉自体が出てこないんだよねあのテキストは、まあでもユダヤ人が殺されたみたいなことは書いてあるわけよ、そこでまあこういうことがあって……っていうことをちょっと話したんだけど、そうしたらそれ覚えた方が良いですか、って言われて、そういうことじゃねえんだけどなあ、と思ったよ、お前、六〇〇万人だぞ、と。そういうことではないですね、と(……)くんも同意をする。まあでもどうしても、そういうことになっちゃうんだよね……。下手すると教科書で一行くらいしか書いてなくて、さらっと流して終わりみたいな感じですもんね。俺からすると、俺はかなり関心がある方だから、むしろあれを覚えないでほかに何を覚えるんだっていう感じだけどな。

  • ふつかぶんよみかえすと二時過ぎだったか? そこから今日のことを記述。いま三時半前。
  • そのあとたしか書見したはず。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をすすめる。記憶とイメージが曖昧かつ精妙におりまざった幼年期の、靄がかった空気のむこうにとおくただよう特有のにおやかさ、みたいなものがあるような気がする。そういう意味で、実に正統に文学的と、言いたくなるような仕事、というか。断章のはじまりが格好良いものがある。「願いごとをひとつ、そのまま叶えてくれる妖精が、誰にも存在している。だが、自分の願ったことを思い出せるひとは、ごくわずかしかいない。それで、後年になって自分の人生を振り返ったときに、あの願いごとは叶えられたのだ、と分かるひともごくわずかしかいないのだ」(505; 「冬の朝」)とか、「ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、習練を要する」(492; 「ティーガルテン」)とか。やっぱり、ややアフォリズム的な、一般的な命題みたいなものを定言的にうちだしておいてから話にはいっていくのが格好良いのだろう。
  • 五時をまわってから上階に行ったが、書見後、それまでのあいだになにをしていたのかおもいだせない。上がるまでずっと書見をしていたのだろうか。わすれたが、あがってからはとりあえずアイロン掛け。母親のシャツなど。それから台所にはいって料理。焼豚があるのでそれをタマネギや小松菜などと炒めることに。材料を切るこちらの隣で母親も、豚汁をつくるといってゴボウなどを切るが、調理台の上はせまいのでやりづらい。準備がととのうとフライパンで調理。母親は、仕事ってほんとうに大切なものだってわかるね、やっぱりやりがいがないっていうか、ああー、やったー、っていう感じがないし、もったいないよ、もっと歳がいってたらわかるけどさ、あれだけ能力もあるのに、といつもながらの、父親にはやく再就職してまたはたらきに出てほしいという願望をかたっていた。外に出るのがなんかいやで、誰かに会って、どう? とかお父さんのことをきかれたくない、仕事見つかった? って、そんなに見つからないよねえ、とか、ともいっていた。
  • 汁物は母親にまかせることにしてさがろうとすると、ゴミ袋をはこんでおいてくれというので、サンダル履きで外に出て、先日破壊してかたづけた植木鉢などがはいった袋を、家の脇から取ってきて、玄関の外の水場の横に置いておく。それからちょっと林のほうにいって、沢をながめおろしたり、鳥の声がいくつも響きでてくる木立のまえに立ってみあげながら鳴き声をきいたりした。だいたいヒヨドリとか、そんなに特徴的なものではないが、一匹、特有のリズムをもったものがある。なんの鳥なのかしらないのだが。そうして屋内へ。母親が鍋の火をつけっぱなしのままで外に出ていたので、いちおう彼女がかえってくるまで火の番をして、それから下階へ。なぜかギターを弾く気になっていた。それで兄の部屋にはいってアコギをとりだし、いつもどおりまず適当にAブルースをはじめる。そのあと昨日と同様、"いかれたBABY"の進行でアルペジオをくりかえしたり。それもけっこうながくやったのだが、合間、横道にながれつつも、最終的に、"いかれたBABY"の進行でバッキングをひたすらループする機械となった。アルペジオのときはきづかなかったのだが、それをはじめるとどうもコードの響きがわるかったので、チューニングがちょっとずれているなとおもって調律しなおす。バッキングというのは、拍頭で親指でルートを弾いて、裏でほかの三本をつかって和音をはじくというシンプルなもので、レゲエとかでよくやられてFISHMANSもやっているあのン・チャ、ン・チャ、という裏拍のカッティングを、カッティングではなくてはじくかたちでやるようなものなのだが、これをひたすらずっとくりかえしていた。たぶん三〇分か四〇分くらいやっていたはずで、目を閉じながらやっていたので、そろそろやめようとおもってひらいたときには部屋が真っ暗になっていた。七時二三分くらいにたっしていたはず。おもったのだけれど、まずこういうシンプルきわまりないかたちですばらしい演奏ができなければ、複雑なフレーズをひいたところですばらしい演奏ができるわけがない。まずは単純でなんの変哲もないコードストロークとか、アルペジオとか、最低限の雛型だけでさまになるような実力をみにつけなければならない。このあいだ、(……)と通話したときにも話したのだけれど、耳コピが面倒臭くて、またアコギ一本でやるとなるとアレンジをかんがえるのも面倒臭くて、それで曲を弾き語りたいとおもっていながらいつも似非ブルースにあそぶだけでおわってしまう、でもかんがえてみれば最初からそんなにきちんとかたちをかんがえる必要はなくて、まずはコードだけとってそれをジャカジャカやりながらうたうだけ、くらいのシンプルさでやればよいのだ、と。それでさまにならなければもっとむずかしいことをやってもだいたい無駄なわけだし、そうしてかたちができた上で、さらによいアレンジをおのずからかんがえていけばよいのだ、と。そういうわけで、まずはかんたんなバッキングで気持ちの良いリズムをうみだせなければ話にならないとおもってひたすらにひきつづけた。歌も、最初からのせようとしてもあまりうまくはいかない。ねむりながらでも弾けるくらいに楽器のほうになじんだ結果、おのずから声があたまのなかに浮かんでくる、くらいのかんじでないと。このときのコードはルートは五弦か六弦で、和音部は二弦から四弦でまかなうかたちにして、そうするとたぶんじっさいには高音がたりなくてひろがりがすくなく、本当は一弦をつかうほうがよいのだろうけれど、それもいまはおき、まずはこのもっとも単純なかたちでもって腕を磨こうとおもい、雛型フレーズをさだめるとそれをまったくかえずに反復した。自分としてはけっこう気持ちの良いリズムになる時間があるにはあるのだが。終盤などは、じっさい弾いているのはエイトビートなのだけれど、一六ビートシャッフルの感覚がちょっとでてきたし。"いかれたBABY"は原曲はシャッフルしていなかったとおもうし、していたとしてもほんのすこしだけだとおもうのだが、こちらの感じではわりとスローでシャッフル気味になってしまう。コードの消え方、手が弦上をうごくタイミングとか、あと親指がミュートした弦にあたるときのタイミングとかが、わりと一六ビートシャッフルに適合してきた気がした。ゴーストノートを入れているわけではないのだが。ただながく弾いていると、いつのまにかはやくなってしまう。そもそもメトロノームをつかっていない時点で話にならないといえばそうなのだけれど、メトロノームを置いてきちんとやると練習の感がつよくなりすぎるので、ひとまずはなしでやる気分。この似非レゲエみたいなバッキングでは、こまかなニュアンスとか統一性はともかくとしても、明白にミスみたいなものはあまりうまれないのだが、アルペジオをやるとなると、単純に八分であがっておりるだけのことなのに、右手の指が隣の弦にあたってしまったりしてけっこうミスがあって、じっさいこういうシンプルな基本的なことをずっとやりつづけるというのはかなりむずかしい。ファンクの連中とかはそういう練習をよくやるらしいのだが。コード一発でひたすらカッティングを何時間もつづけて、そういう人間たちだから、なんかスタジオで演奏中に停電になったかなにかで、クリックが一時きこえなくなってもそのまま演奏をつづけていて、電気が復帰してリズムがまたきこえるようになっても寸分違わずもとのビートと一致していた、みたいなエピソードはよくきく。
  • 食事へ。新聞のウイグルの面を、途中までだが読んだ。「新疆」というのは、あたらしい領域、という意味らしい。むかしから中国王朝はトルコ系民族が住まうこの西域を西方面との交易の窓口としてきたわけだが、一八八四年だかに清朝が新疆区的なものを正式に設置したとかあったか? いまの新疆ウイグル自治区がもうけられたのはたしか中華人民共和国ができてからすぐ、戦後まもなくのこととあったはずで、当時は漢人の割合が、三割だか四割だかわすれたけれどそのくらいだったところが、近年では七割くらいになっていると。例の労働教育施設、強制収容所みたいなものに入れられたひとの証言がのっていた。このひとはトルコかカザフスタンだか外国にすんでいたのだが、一時実家にかえったさいに理由不明のまま拘束され、収容所に入れられて、そこではイスラームの信仰やウイグル語の使用は禁止されており、標準中国語をまなびつかうように強制され、違反すれば当然虐待的な仕打ちがあたえられ、このひとと同室だった二〇代の男性ふたりは施設内で亡くなったという。このひとはカザフスタンにいた妻が同国の外務省や国連にはたらきかけてくれて、施設について口外しないことを条件に釈放されたと。その後、アメリカメディアの取材を受けたところ、故郷の実家にいる親や家族も収容されて、父親は施設内で亡くなったとあったとおもう。このひとにオンラインで話をきいた記者もウイグル自治区をおとずれた際の自身の体験を記しており、空港でおりると四人の警察官がまちうけていて、身分証を確認するとそのあとずっと尾行してきて、写真をとればカメラを奪われてデータを消されるし、住民に話をきこうとしても、みんな警察官がそばにいることがわかると口をつぐんでしまう、とのことだった。
  • 食後、帰室すると、音読をしたのだったか。九時すぎで入浴へ。出ると一〇時。風呂のなかで、そういえばOasisのスコアを持っていたはずだから、まずそれでコードをみてジャカジャカ弾き語りしようかなとおもった。『(What's The Story) Morning Glory?』はけっこう好きだし。それで出てくると、ひさしぶりにこのアルバムをながしながら熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書抜きをしたのだけれど、冒頭の"Hello"とか好きである。いちばん好きなのは最後の"Champagne Supernova"なのだが。Oasisってべつに複雑だったり小難しいようなことは特段やっていないとおもうのだけれど、なぜかよい。格好良い、というかんじではないが、気持ちの良い音楽になっている。
  • そのあと、日記をはじめた。五月二日分をひたすらすすめて、下記したとおり四時間くらい書いていたもよう。
  • いま二時半すぎで、五月二日のながい記事がしあがったのだが、たぶん一〇時半くらいからはじめたとおもうので、四時間くらいぶっつづけでずっと書いていたのではないか。ずいぶん書いたものだ。あまりそんなかんじもしないが。めちゃくちゃがんばった、という感じも。
  • 名前をいちいち検閲して手間をかけながら投稿したのち、大雑把に読み返すと一箇所だけ名前がもれていたところがあって、あぶないあぶないと検閲しなおしたが、これもなかなか面倒でリスキーなやり方ではある。投稿後にもれがないか、人名だけは検索して確認するようにしたほうがよいかもしれない。そのあとはなぜか最近の記事を読み返してしまい、それで結局四時にいたって、コンピューターをおとしたあと手帳にメモ書き。最近、その日の反省とか、よかったこととか、印象にのこったこととか、やりたいことやリマインドなどを手帳に日ごとに書きつける習慣になぜかなって、いぜんも多少はやっていたのだが、これはけっこうよいかもしれない。コンピューターでキーボードでうつより、やはり手で紙にかいたほうが時間がかかるから印象にのこるし、すぐみかえすこともできる。手帳をひらいたときにほかの日の記述がおのずと目にはいって、そうだったとおもいだすこともある。メモ書きしたのち、四時二二分だったかに消灯。いまの時期だともうこのころにはうす青いあかるさがさしはじめているので、もうすこし就床をはやめたい。

2021/5/3, Mon.

 いつもニーチェのことを思う。わたしたちは繊細さの欠如によって学問的となるのだ。――それとは反対に、わたしは劇的で繊細な学問をユートピア的に想像している。アリストテレス哲学の命題 [訳注271: ここでは、アリストテレスが、学問を「理論」「実践」「制作」の三つに分類したことをさしているのであろう。] をカーニバル的に転覆させることを目ざし、せめて一瞬でも、〈差異の学問しかないのだ〉とあえて言うような学問を。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、243; 「劇的になった学問(La science dramatisée)」)



  • 一一時四四分の離床。昨晩は夜ふかしして就床が五時だったので、あまりよろしくないが、滞在としては七時間以下になっている。瞑想はいったんサボり、水場に行って顔を洗い、うがいをしたりトイレに入って放尿したり。それから上階へ。天気は曇り気味だが、薄陽が漏れるときもあってよくわからない、移り変わりの頻繁な空。ジャージに着替え、洗面所で髪をとかし、フライパンで卵を焼いて米にのせた。大根の味噌汁も持ち手つきの小さな鍋にのこっていたのでそれもあたためて椀に入れる。そうして居間にうつり、卓について食事。例によって黄身をくずして醤油をかけ、米と混ぜて食べる。新聞はいったん各ページをさらってから一面を読む。「奔流デジタル」がつづいており、SNSが社会的言論にたいしておおきな影響力をふるっているとの話がなされていた。つまりTwitterなどが基準や原則や具体的な仕組みをあまり明確にしないまま投稿を削除できるようになっているので、民間の一企業が言論空間をある程度統制してにぎっていることになると。ドナルド・トランプの発言を削除したり、あとアカウントを凍結したのだったかどうだったかわすれたが、そのような対処をとれたということ自体、Twitterが大統領の発言の生殺与奪をにぎっていることの証左にほかならないと。このような状況はあまりよろしくないものだということは当のSNS運営企業側からもいわれており、三月に米下院公聴会で、FacebookのMark Zuckerbergは、こうした状態は健全なものとはいえない、みたいなことを述べて、政府がなんらかの法整備をすることをもとめたという。だから、規制される側がみずから規制をもとめるという異例の事態となったわけだ。
  • 一面にはあと憲法改正等についての世論調査の結果がのっていた。改正に賛成するひとは五六パーセントで、反対が四〇パーセント。前回は賛成がほぼ半数くらいで、差がひらいたと。コロナウイルス騒動で政府がより強力に対処できるようにしたほうがよいというかんがえがひろまってきたとか、あと、中国が尖閣付近にたびたびあらわれていることによる危機感が憲法改正への支持と機運をたかめている、みたいなことが書かれてあったが、そんなもんかな、という感じ。中国の尖閣進出にかんしては、脅威に感じているというひとと、多少は、という回答とあわせて九五パーセントが一定以上の脅威をおぼえている、ということだったが。安全保障関連法を評価するという声も以前よりおおくなったらしいのだが、この点はあまりよくわからない。成立以来それがじっさいに運用されためだった例なんてあまりなかった気がするし。たしか一度、なにかのときに適用例としてつたえられたおぼえがあるのだが、わすれてしまった。とおもっていま検索してみるとしかし、佐賀新聞の批判的な記事が出てきて(https://www.saga-s.co.jp/articles/-/652858(https://www.saga-s.co.jp/articles/-/652858))、「この間、集団的自衛権の行使につながる活動はなかったが、平時から自衛隊が米軍の艦艇などを守る「武器等防護」の活動は増え続けており、自衛隊と米軍の運用の一体化が常態化している」、「安保関連法はこのほかの分野でも自衛隊の活動を広げた。国連平和維持活動(PKO)で、襲われた他国の要員を助ける「駆け付け警護」なども新たな任務になり、実際の活動はなかったが、南スーダンPKOに派遣された陸上自衛隊部隊に発令された」、「特に増えているのが米軍の艦艇や航空機を守る活動だ。19年は14件、20年は25件に上った」とのことだ。南スーダンのことを完全に失念していた。たしか自衛隊のひとが書いたジュバ日誌みたいなものが出ていたはずで、それはちょっと読んでみたい。
  • 食器を洗い(このときには窓外がかなり灰色になってきていて、雨が来るのではないかとおもわれたのでもう(洗濯物を)入れるかと母親にきいたのだが、まだ出しておくという)、風呂場へ。浴室にはいる前、洗面所で屈伸をくりかえす。それから風呂洗い。すませるとポットに湯を足しておいていったん帰室。コンピューターに触れてNotionを用意し、急須と湯呑をもって上階へ。便所に行って排便してから茶をつくる。そのあいだに母親がスマートフォンでおくられてきた(……)ちゃんの動画をみており、みせてもらうと、スケートリンクにいるところで、補助員的な男性に手をつながれながら、髪を左右にふたつ分けで結った(……)ちゃんはよちよち歩きのペンギンみたいな感じでややふらついたりかたむいたりしながら小幅にあるいていてかわいらしく、そのまわりをロシア人の子どもらがスイスイすべってなかには身をしずめながらくるくる回転してみせる達者な女子もいる。茶を用意すると自室にかえり、昨日買ってきた東京會舘のクッキー詰め合わせ(「プティガトー TK-6」)をつまみながら一服しつつ過去の日記を読んだ。
  • 日記の読み返し。二〇二〇年五月三日。この日は六時間弱、文を綴ったとあって、こいつすげえなとおもった。夜歩きに出ている。「進む裏通りには散り伏した落葉の量が増えていたような気がする。歩きながら一瞬、ホトトギスの音[ね]が耳に触れたようにも思ったが、これは多分空耳で、一軒のなかから漏れてきた何かの音がそんな風に響いたようだった。それをきっかけにしかし、そう言えばそろそろホトトギスが鳴き出す頃合いではないか、初音の時候でないか、去年だか一昨年だか、と言うか毎年のことかもしれないが、夜も深まった午前三時くらいに声を張っているのをよく聞いたものだ、と思い出す」とあるが、今年もまだホトトギスを耳にしていない。ほか、安西徹雄について。

一一時頃まで日記に働いたあと、さすがに身体が凝[こご]ったので臥所に移ってシェイクスピアを読む。福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)から「あらし」をいくらか読み進めたのち、安西徹雄訳『十二夜』(光文社古典新訳文庫、二〇〇七年)のメモを最後まで取り、同じ訳者の『ヴェニスの商人』も速めに読み返しておおかた記録を終わらせる。それであらためて感じたのだけれど、安西徹雄の訳はやはりかなり素晴らしいのではないか。隅々まで気が配られてうまく整っているように感じ受けられ、言葉が充実して生気のようなものに満たされている感触を得る。通り一遍でなくてよく考え抜かれているように思われるわけだ。例えば大抵の小説作品のように、単にその作家としての、あるいはその作品としての一つの文体が確立され成型されているというのではなくて、戯曲であるからには人物の台詞でもってことが進むわけだから、それら多様な登場人物ごとの語り口をそれぞれ巧みに訳し分け、いかにも典型的な言い方をすれば彼らにおのおの魂を吹きこまなければならないはずだけれど、そうした困難であるに違いない目標に手が届いていて見事に成功しているような印象である。つまり、いくつもの文体もしくは文調がそれぞれのスタイルにおいてどれも高度な水準に仕上げられ、それらがまさしく作品世界を構成する〈声〉のネットワークとして共存し、協調し合い、共鳴している、そんな手触りがあるということだ。少なくとも文としての日本語の組み立てにおいて、優れた翻訳家だとこちらは思う。『十二夜』の「訳者あとがき」には、次のような彼の持論が記されている。

 戯曲の翻訳は、ただ単に、字義的な意味[﹅2]を伝えるのが目的ではない。生きたせりふのいき[﹅2]、その躍動感を、できる限り直に、役者や観客、あるいは読者の方々に追体験していただくことにある。
 大体せりふというものは、あくまでもある特定の人物が、ある特定の情況のもとで、誰か特定の相手にむかって、何か特定の情念や思念を、具体的に訴えかけ、働きかけるものである。つまり、何かの行動にともなって発せられる言葉というよりも、むしろ端的に、言葉そのものが行動であり、身振りなのだ。
 したがって、せりふを訳すということは、ただ単に意味[﹅2]を伝えることではなくて、この身振りとしての言葉の生動――全人格的な運動の言語的な発動、その息遣い、弾み、ほとんど筋肉的な律動を、できる限り生き生きと喚起・再現するものでなくてはならない。
 (……二段落省略……)
 つまり、例えばオーシーノとフェステ、あるいはマルヴォリオやサー・トービー、サー・アンドルーでは、そのせりふはそれぞれ独得の、固有のスタイルを持っていなければならないし、他方また、同じ一人の人物であっても、個々の情況に応じて、ある時は重々しく、ある時には軽々しく、またある時は皮肉に、ないしはまたトゲトゲしく挑戦的になるかと思えば、まったくストレートに、感情を吐露する叫びの形を取ることもあるだろう。
 (241~242)

ここで語られていることが『ヴェニスの商人』及び『十二夜』で、とりわけ後者においては、かなりの水準で実現されているように思われる。『十二夜』は「九本の喜劇を連作した時代」(226)の締めくくりとなる一作で、「まさしくこれら喜劇群の総決算」(同)として位置づけられているらしいのだが、多分シェイクスピア自身の台詞を作る筆致も言わば脂が豊かに乗って冴えていた、そういうときの作品なのではないか。それに加えて安西徹雄の綿密な翻訳能力がすばらしい調和を見せたと、そういうことではないかと想像するのだけれど、この優れた翻訳者もしかし、二〇〇八年に既に亡くなっている。もっと多くの作品を訳してもらいたかったと切に思うが、とは言えシェイクスピアではほかに、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『マクベス』、『ハムレットQ1』が光文社古典新訳文庫に入っているようなので、これらはいずれ読んでみるつもりだ。

浅田 この作品の中に出てくる京都学派について、予備知識を持たない聴衆の方々のためにきわめて基本的なことを言うと、ふたつ大きな問題があると思います。ひとつは、特に西田幾多郎に言えることですが、ロジカルというよりはレトリカルだということ。もうひとつは総じて非常に図式的だということです。
 前者に関しては、鈴木大拙と比較してみればいい。彼は西田と同世代で親しい関係にありましたが、禅をはじめとする仏教について英語で書き、ジョン・ケージや抽象表現主義者といったモダニストたちにも大きな影響を与えた。大拙がかなりロジカルに書いていて、わかりやすかったからでしょう。しかし西田は、それより真面目だったというか、座禅などの体験において体で感じ取るべきこと、言葉で言えないことを言葉で言おうとしているので、非常に無理のあるレトリックを反復していくことになるんですね。だからロジカルに理解することがとても難しい。西田に比べて田邊元はロジカルだとは思いますが。
 後者は京都学派一般に関して言えることで、特に西洋に対する東洋という形で非常に図式的な議論を組み立てるきらいがあるということです。例えば西洋思想では全体論と要素論、全体主義個人主義が対立しているが、東洋思想は全体でも要素でもない「関係のネットワーク」に重点を置くものであって、その東洋的関係主義によって西洋の二項対立は超えられる、というわけですね。「人の間」と書いて「人間」というように、人間は全体の一部でもなくバラバラの主体でもなく、関係のひとつの結節点である、と。西洋では全体主義個人主義の二項対立がある。全体主義の中でもスターリン共産主義ムッソリーニヒトラーファシズムが対立しており、それらに対して英米の自由資本主義が対立している。そうした対立を、関係主義、あるいは京都学派左派だった三木清の言う協同主義で乗り越えられる、と。要するに、東洋の知恵によって西洋の二項対立を全部乗り越えられる、それこそが西洋近代の超克だ、というわけです。しかし、それは図式的な言語ゲームの上での超克であって、現実的に関係主義とはいかなるものか、協同主義はどういう制度なのかというと、よくわからないんですね。
 ついでに言うと、西田も1938年から京都大学で行った講義『日本文化の問題』でそういうことを言っているんですが、41年のはじめごろ、真珠湾攻撃より前に、天皇を前にした「御講書始」において、いま言ったようなことを生物学のメタファーで話しています。生物学者でいらっしゃる陛下はよくご存じのことと思いますが、森というのは全体でひとつというのでもないし、バラバラの動植物の総和でもない、エコロジカルな関係のネットワークなのであります、といった感じですね。だから社会もそうでなくてはいけない。アジアに関しても、西洋に代わって日本が全体を帝国主義的に支配するのではなく、トランスナショナルかつエコロジカルなネットワークとしての大東亜共栄圏を築くべきだ。日本はその先導役を務めるべきだけれども、西洋の植民地主義帝国主義に取って代わる新しいヘゲモンになってはいけない、と。京都学派の主張は総じてこうしたもので、耳障りはいいのですが、それが日本の植民地主義帝国主義を美化するイデオロギーでしかなかったのは明らかでしょう。京都学派は海軍に近く、陸軍のあからさまな全体主義帝国主義に対して最低限のリベラリズムを守ろうとしたのだ――そういう見方はある程度は正しいものの、大きく見れば海軍も陸軍と同罪であり、京都学派も同様だと言わざるを得ません。
 ひとことだけ付け加えると、西田が禅の体験などについて言っていることは、東洋武術の人がよく言うことに似ています。西洋では、筋肉の鎧をまとい、さらに鉄の鎧をまとった剛直な主体がぶつかり合って闘争が起こり、その結果、次のものが出てくる。これが西洋の弁証法だ。東洋は違う。水のように自在な存在として、相手の攻撃を柔らかく受け止め、相手の力をひゅっとひねることで相手が勝手に倒れるように仕向ける、と。西田の好んだ表現で言えば「己を空しうして他を包む」というわけです。ブルース・リーと同じことで、「水のようであれ(Be formless, shapeless, like water)」という彼の言葉を香港の民主化運動家たちが運動の指針としているのは面白いことではあります。ただ、西田は『日本文化の問題』の中で、それを天皇制と結びつけるんですね。西洋には「私は在りて在るもの(存在の中の存在)だ」という神がおり、神から王権を与えられて「朕は国家なり(国家、それは私だ)」という絶対君主がいる。それが近代では大統領などになり、そういうものを頂く国家が、上から植民地主義帝国主義で世界を支配しようとするわけです。しかし、東洋は違う。そもそも、日本の天皇は「朕は国家なり」とは絶対に言わない。むしろ、皇室とは究極の「無の場所」であって、だからこそすべてを柔らかく包摂し、トランスナショナルかつエコロジカルな大東亜共栄圏の中心ならざる中心になりうる、というわけです。美しいレトリックではある。しかし、「無の場所」としての皇室がアジア全体を柔らかく包むと言われて、アジア人が納得するとは僕には思えませんが。

     *

ホー 田邊は天皇が「絶対無」の象徴になるべきだと言っています。この考えはレトリカルにも美学的にも興味深い。でも、浅田さんが最初に言及された鈴木大拙に少し戻りたいと思います。私が鈴木のことを知ったのは、ジョン・ケージについていろいろと読んでいたときです。「カリフォルニア的禅」とでも言いますか、そういうものに対する鈴木の影響について知りました。でもそれより前の鈴木の著作を読んで、強い違和感を持ったと言わざるを得ません。戦後、鈴木は西洋で平和主義者として知られていたと思いますが、たしか1896年、日清戦争直後に、彼は中国との戦争は宗教的行為であると言っているんです。ですから、それ以降に大きな変化があったものと思われます。
 他の京都学派の人々が言っていること、例えば『中央公論』に掲載された座談会などを読むと、彼らは戦争に反対していたと言えることは言えます。ただ、彼らが反対していたのはアメリカとの戦争だけであって、アジア諸国との戦争に反対していたわけではないようです。まるで、アジア諸国との間で起こっていたことは戦争と見なすことさえできないかのようで、浅田さんがおっしゃった大東亜共栄圏の理念の下に、日本がアジアに対して発揮するべき道徳的リーダーシップとして、ほとんど正当とされているのです。
 浅田さんが指摘された非一貫性は西田の思考システムにも散見されます。でも私は、これらの非一貫性は西田の思考さえ超えて、もっと深く広く蔓延していると思っています。西田そのものを時代の徴候のひとつと見ているんです。例えば禅と武士文化の緊密な関係ですが、浅田さんが語られた禅の柔らかさや液体的な性質の中にも、武士の刀のような硬さが同時にあると思う。私が京都学派に興味を持ったのも、まさにそうした非一貫性や矛盾においてでした。そしてこれは、日本の汎アジア主義における矛盾とどこか通じていると思います。ユートピア的な次元で起こったこの動きが、私には非常に間違ったものに見えてきたし、アジア諸国の多くの人々にもそう見えたでしょう。私にとって、こうした矛盾こそがアポリアであり、先ほど話に出た「深淵」なのです。
 もう少し続けると、こうした非一貫性は汎アジア主義の概念それ自体にも見られると思います。真に汎アジア的であるためには、アジア諸国間の国境を何らかの形で解消しなければならない。しかし、20世紀初頭の日本における汎アジア主義的言説は、それが同時にきわめてナショナリスティックな運動だったことを示しています。そういう意味で、20世紀初頭の日本には、歴史に関する非常に興味深く豊かな鉱脈が見られます。当時、アジア各地のナショナリスティックで反植民地主義的な多くの指導者たちが、日本の右翼的で汎アジア的な組織とつながりを持っていたのです。それにはヴェトナムのナショナリスト、インドのナショナリスト、あるいは中国の孫文のような人も含まれます。人が同時に汎アジア主義者かつナショナリストであることができるという、興味深い矛盾がそこにはあります。
 やがて私はこの矛盾を、先ほど浅田さんが言及された、「空」や「虚無」の概念に内在する非一貫性、そしてそれを明確に述べることの難しさに結びつけて考えるようになりました。こうして「虚無」はとても柔軟な概念となり、容易に形を変えながら、さまざまな政治的目的に利用することができるようになる。例えばこのようなことを西田と彼の遺産について考えているんです。でも同時に、こういう批判的なことを一通り言った上でですが、私は西田の最初の著作『善の研究』を読んでずいぶんエモーショナルに感動してもいるんです。この本の難解さは悪名高いですけれども、それでも、簡単に言ってしまえば、西洋とどう向き合うか、東洋・西洋とは何を意味するのかという苦悩、そして歴史のこの段階における思考の新しい基礎をつくろうという野心を読み取ることができます。この野心そのものは感動的で、このようなものは現在そう簡単には見つけられないと思います。

     *

浅田 あともうひとり、《旅館アポリア》にいたら面白いと思うのは、谷崎潤一郎です。『中央公論』の1943年1月号には京都学派の3回の座談会の最後である「總力戰の哲學」が掲載されており、3月号には「總力戰と思想戰」という高山岩男のエッセイが載っています。この1月号はなかなかのもので、新連載として島崎藤村の『東方の門』と谷崎潤一郎の『細雪』も載っている。表紙の左に「總力戰の哲學」、右に『東方の門』『細雪』のタイトルが並んでいるんですが、いま見れば圧倒的に『細雪』の勝利でしょう。藤村は8月に亡くなるので、『東方の門』は連載が始まってすぐに中断され、未完の作品となります。他方、谷崎の『細雪』は、哲学者や歴史家が「總力戰の哲學」を熱く論じている傍らで、大阪の商家の4人の姉妹が、「新しい帯がきゅきゅっと鳴るのは嫌だ」とか言って騒ぐとか、どうでもいいような日常生活のディテールを延々と書いている。すごいですよ。これがすごいということは権力もよくわかっていて圧力をかけたらしく、早くも6月号には連載中断の「お斷り」というのが出る。「引きつづき本誌に連載豫定でありました谷崎潤一郎氏の長篇小説『細雪』は、決戦段階たる現下の諸要請よりみて、或ひは好ましからざる影響あるやを省み、この點遺憾に堪へず、ここに自肅的立場から今後の掲載を中止いたしました」と。現在の表現の自由の問題と絡めてみると面白くて、ここから進歩しているのかどうかわかりませんけど(笑)、谷崎は戦争中もひそかに『細雪』を書き続け、「總力戰の哲學」が忘れ去られたいまも読み継がれる大作を完成させるわけです。そういう意味で、《旅館アポリア》のどこかの部屋で谷崎がひとり机に向かっていてもいいのではないかと思いますね。

ホー 実際、私がこの旅館に招待したいと最初に思った「お客様」のひとりが谷崎でした。最終的に、彼はゲスト出演のような形で作品中に存在することになりました。《旅館アポリア》の大きな送風機がある部屋で、谷崎の『陰翳礼讃』に言及しています。彼は伝統的な日本家屋における床の間について書いていて、電灯は床の間の闇を損なってしまうと言っています。谷崎にとって、床の間は常に薄暗くなくてはならない。「虚無」や「空」は直視してはいけないものだからです。電灯を使うと、床の間の空無があまりに明らかになってしまう。私たちは「無」をあまりに明らかに見てしまってはいけないのだと。私はこれが、「絶対無」という概念を基盤に思考を組み立てた京都学派に対する、ありうる最も賢明な注釈のひとつだと思っていました。絶対無は、それをちょっと薄暗がりや影で覆ってあげたほうが良いものになると言えるのかもしれません。

  • そのあとコンピューターをデスクにうつし、『Solo Monk』をながして「英語」を音読。71から100ちょうどまで。読みながら手首や指を伸ばしたり、ダンベルをもって腕をあたためたりする。それで二時くらいだったか? 二時八分から瞑想をはじめたのだ。ヘッドフォンをつけてBrad Mehldau『Live In Tokyo』をながしながらすわった。"Intro"、"50 Ways To Leave Your Lover"、"My Heart Stood Still"が終わるまで。Mehldauはよくいわれることだが左手でも旋律をおりおりつくるスタイルの人間で、やはりこういう音のながれはほかではそんなにきかないような気がする。Mehldau以降の人間はけっこうとりいれているひともおおいのだろうが。Fabian Almazanとかもやっていたような気がするし。右手でながれていたとおもったらいきなりふっとそのつらなりが消えるというか、けっこう下に落ちていて、その飛躍、そこに生まれる段差というのはあまりきかないような気がされて、ここでこううつるんだなあとはっとさせられる。単純な話、旋律感覚の音域がやたらひろいようにおもうのだが、ピアニストはわりとみんなそうなのだろうか? 前にもかいたけれどMehldauのそういうスタイルは右手と左手を対話させているような感じで、ひとりなのだけれどひとりのなかに仮想的にふたつの主体が発生してそのあいだがわりと平等な様子で、平等といっても全篇そうやっているわけではないから曲中の一部なのだけれど、そうやっているときはたがいがたがいのいうことをきいてはまたかえしている。どちらの曲だったかわすれたけれど、右手がバッキングとしてコードを打って左手が低音で強調的にややリフっぽいというか硬めの蛇みたいな動きでメロディをやるところもあったし。そのときはもちろん、通常の階層関係が逆転しているということになる。ところで"My Heart Stood Still"ははじめから終わりまでだいたいずっと、小節の頭がどこなのかあまり自信をもってとらえられないのだが。わかるような気もするのだが、それにもとづいてきいているとうまくはまらないところが出てきたりもして、よくわからなくなる。終始かなりこまかくシンコペーションをふんだんにもりこみながら、いってみればモザイク状に弾いているので。
  • そのあと、書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。「ドイツの人びと」を終えて、「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」に入った。「ドイツの人びと」の最後のほうではゴットフリート・ケラーの手紙が出てきて、ケラーは手紙魔だったというからやや気になる。ヴァルザーが好きな作家でもあったし。ゼーバルトがヴァルザーについてのエッセイもふくんだ『鄙の宿』でたしかケラーもとりあげていて、そのなかでケラーは恋慕した女性の名前を無数にかきつらねることで絵を描いていた、という情報があったおぼえがある。あとニーチェの友人だったフランツ・オーヴァーベックというひとが『ツァラトゥストラ』を書いているころの、すなわち一八八三年の精神を病んでいるニーチェにおくった手紙もあって、ニーチェは一八四四年生まれで一九〇〇年に死んでいるのだけれど、一八七〇年からバーゼル大学の古典文献学の教授をつとめており、だから二六歳で教授になっているわけでたいがい意味がわからないのだけれど、このオーヴァーベックというひともおなじ一八七〇年に三三歳でやはりバーゼル大学の教授になっていて、こちらもこちらで意味がわからない。このころの連中はどうなっているんだ? オーヴァーベックのほうはキリスト教神学の学者だった様子。
  • 「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」というのは一八九二年生まれのベンヤミンがその幼少期の記憶をもとにベルリンという大都市の像をえがくみたいな文章で、これはなかなかすばらしいような気がする。まだ最初のすこししか読んでいないのだが。タイトルのついた断章形式で、文体とか断章のながさとかそこで提示される情報の種類とかはだいぶことなるものの、『ロラン・バルト自身によるロラン・バルト』をおもいおこさせるような感じがないでもない。「序」に記されている、「(……)経験の深みのなかよりも、むしろ経験の連続性のなかにくっきりと姿を現わすものである伝記的な相貌は、以下の想起の試みにおいては、著しく後退することになった。(……)これに対して私は、大都市の経験が市民 [ブルジョワ] 階級のあるひとりの子供の姿をとりつつ沈殿している、そのようなイメージ [﹅4] こそを捉えようと努めた」(470)という言葉は、バルトの本の、「ここにあるいっさいは、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである」という文言とてらしあわせてかんがえることもできるだろう。ベンヤミンも、ヴァルター・ベンヤミンという実存的個人ではなく、それをはなれてそれよりもひろがりをもつ「あるひとりの子供の姿」を、ある種フィクショナルにえがきだそうとしたのだろうから。だからそれを、バルト的に言えば、小説ではなくて「小説的(ロマネスク)」なこころみとみなしてもたぶんそこまでまちがいではないとおもうし、どちらの作品もそのように、屈折した、間接的なみちゆきをとった自伝的企図ととらえられるはず。ただ、ベンヤミンの場合はあくまでそこで書きたい対象とされているのは、「あるひとりの子供の姿」自体ではなく、つまり人物ではなく、都市であり、ベルリンという「大都市の経験」が匿名的な一個体を通過することで構成され照射されてたちあらわれるものとしての、都市の「イメージ」である。
  • 四時前まで読んで今日のことをここまで記述するといまは四時四七分。
  • この日はあとめだったことはおぼえていないのだが、日記はそこそこ書いたよう。風呂でたわし健康法をひさしぶりにきちんとやった。要するにたわしでからだをこするだけで、やっぱりとにかく下半身をととのえるのがからだには大事だからとおもって、脚をこすって肉をやわらかくしようとひさしぶりにやったのだが、はじめると脚だけでなくてほかの場所にも手がのびて、結局背なかとかもだいぶ念入りにこすった。そうするとやはりからだはすっきりして、とどこおりがあまりなくなる。またなるべく、脚だけでもこする習慣にしたほうがよいだろう。ほか、ギターも弾いたはず。いつもの似非ブルース以外に、"いかれたBABY"の進行でひたすらアルペジオをくりかえした。二〇分くらいずっとやっていたのではないか。この翌日も似たようなことをやったが、それは四日の記事に。深夜、下の記事以外に、HumanRightsNow「【お知らせ】国連人権理事会の特別報告者から日本政府に向けて発出された入管法改正案に関する懸念表明と対話を求める共同声明の和訳を発表いたしました。」(2021/4/6)(https://hrn.or.jp/activity/19726/(https://hrn.or.jp/activity/19726/))を途中まで読んだ。下のyahooニュースの記事に、OHCHRのホームページにこの特別報告者らによる日本政府への共同書簡が公開されたとあったので、それを読んでおこうとおもってOHCHRのページをいろいろ検索したのだが、該当の文書にぜんぜんたどりつけず、あきらめて日本語でネット検索すると上のページが出てきたのだった。仮訳以外に原文のPDFもあったので目的を達成できたが、ただ、国連の文書だからなのか、コピペができないようになっている。本当は気になったところを写しておきたかったのだが、それをするには手作業でカタカタ打つしかなく、時間がかかるのでこの日は断念。

 (……)一昨年、長期収容中であったナイジェリア人男性がハンガーストライキ中に餓死した事件を受け、法務省/入管は、入管法の「改正」案をまとめ今国会に提出。だが、その法案が、

フェリペ・ゴンサレス・モラレス氏(移住者の人権に関する特別報告者)
アフメド・シャヒード氏(宗教または信条の自由に関する特別報告者)
ニルス・メルツァー氏(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する特別報告者)

の3人と国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会から、「国際法違反」であると厳しく批判されたのだ。(……)

     *

 今回、国連特別報告者らと国連WGから指摘された入管法「改正」案の問題点は要約すると、主に以下のようなものだ。

・そもそも出入国管理における収容は「最後の手段」としてのみ行われるべきで、在留資格を得られていない外国人の収容を原則として行う入管法「改正」案は、個人の身体の自由について定めた国際人権規約自由権規約)9条4項に反する。入管法「改正」案で新設する、収容施設外での生活を許可する「監理措置」も例外的なものであり、条件が厳しくその利用が事実上難しい。

・収容の際に入管のみが権限を持っており、国際的な人権基準を満たしていない。収容の合法性について遅滞なく裁判所が判断し、被収容者が救済措置を受けられることが保証されてないことは、自由権規約9条4項に反する。

入管法「改正」案では収容期間の上限が定められておらず、無期限収容は拷問及び虐待にも当たりうる。

入管法「改正」で、難民認定申請者の強制送還を一部可能とする例外規定を設けることは、送還後にその個人の生命や自由に重大リスクを生じさせ得る。難民条約33条で禁止されていること。自由権規約7条(何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない)、拷問禁止条約3条(その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない)等にも違反の恐れ。

 また、国連特別報告者らと国連WGの共同書簡は、出入国管理において「子どもの最善の利益」から、子どもとその家族の収容を行わないことを法律で明記すべきだとしている。

     *

 

 日本の入管行政に対しては、昨年9月にも恣意的拘禁作業部会が「国際人権規約に反する」「難民認定申請者に対する差別が常態化している」等、極めて厳しい意見書をまとめ、改善を要請している。(……)

2021/5/2, Sun.

 彼は暴力には寛容になれなかった。この気持ちはたえず明らかになったが、自分でも不可解なままだった。とはいえ、この不寛容の理由は、つぎの側面に見出せるにちがいないと感じていた。すなわち、暴力はつねに〈舞台〉でおこなわれる、ということである。さまざまな行為のなかでもっとも他動詞的なもの(排除する、殺す、傷つける、打ち負かす、など)は、もっとも演劇的なものでもあったのだ。ようするに、彼がずっと抵抗している、意味にかんする醜聞のようなものだったのである(意味とはもともと行為に対立しているのではないだろうか)。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、241; 「けんか(La scène)」)



  • 一一時二二分に離床。この日は二時から(……)と会うことになっていたので、本当はもうすこしはやく起きたかったのだが。二時に(……)だと具合のよい電車がなかったので、のちほどメールをおくって二時半集合にしてもらった。出発までのことはとくにおぼえていない。いつもどおりのルーティンをこなせばそれでもう一二時半ごろにはいたっていたはずで、だからあまりなにをやる時間もなかっただろうし、なにをやったかもおぼえていない。外出にむけて多少、体操とかストレッチとかをやった気がする。服装は薄手で色の淡いストライプのシャツに、いつものブルーグレーのズボン、そして濃紺のジャケット。気温がけっこう高いようだったのでジャケットを着ると暑いかなという気もしたが、モノレール下をあるくような話だったし、かえりはすずしいだろうとおもって。ブルーグレーのズボンがたぶんいまあるなかで一番体型にちかいボトムスで、以前はぴったりという感じだったのだが、ここ一年かそこらでなぜか痩せたので、いまはこれでも腹回りにかなり余裕が生まれてしまっている。あたらしい服もほしいが、入手しても着ていく機会がない。
  • 一時二五分ごろに余裕をもって出発。最初はリュックサックをもっていこうとおもったのだが、自室の外の廊下の鏡にうつしてみるとジャケットにリュックサックだとやはりなんかなあとおもわれたので、手持ちの鞄に変更。天気は不安定で、くもっていたかとおもいきや陽が射してきたり、一時は雨がすばやく散ったり、という感じだったが、面倒なので傘はもたなかった。道を西へ行き、公営住宅前に出ると陽射しがひろがって、正面からやってくるまぶしさのなかにつつまれ、当然だが身に触れる空気も暑くて汗ばむ。家を出てすぐのところから前方を老人がひとりあるいていたが、そのひとは十字路の先の小橋の途中でとまって路肩に寄って沢を見下ろすかなにかしていたようだ。こちらは折れて坂道へ。余裕があるのでゆっくりのぼっていく。また青紫色の小花が無数に散り伏していて、前に見たときよりも花片のかたちがあきらかに残っていたが、一定範囲にわたって本当に歩をすすめればかならず踏むほどたくさん散らばっているのにそのみなもとがわからないのは以前とおなじである。きょろきょろみあげるのだが、頭上のあかるい緑の木枝の先に紫の色がどこもまったくみとめられない。あれはなんの花なのか。それで例によっていま初夏に木に咲く紫色の花を検索してみたのだが、見たなかではライラックが一番ちかいような気がする。落ちた花びらはどれもしぼんだり丸まったり汚れたりしていたのでよくわからないが。あれがライラックすなわちリラだったのか? プルーストが『失われた時を求めて』のなかにリラについてもなんとか書いていなかったか? あの小説ではサンザシがいちばん特権的にあつかわれていたとおもうが。
  • のぼりきって最寄り駅へ。ホームにはけっこうひとがおおかった。階段を行くとこちらのうしろから、ハイキングに行ってきたらしい若いカップルもついてきて、降らなかったね、よかったね、などと話していた。ベンチもあいていないのでホームの先のほうへ。線路を越えて向かいの段の上に生えている梅の木をながめたり、線路に視線をおとしたり、なにをするでもなく待つ。電車がやってくると、なかはわりと混んでいた。緊急事態宣言下とはいえ、連休に入ったから山のほうに行ってきたひとがやはりおおいようだ。座れないし扉際もあいていないので、吊り革をつかんで目を閉じ揺られる。(……)につくと降りて乗り換え。一番前の車両へ。電車が来るとなかに、車椅子だったかベビーカーだったかよくみなかったが、降りるのがたいへんそうな乗り物をともなったひとがすわっているのが見えたので、邪魔にならないようにひとつ横の口にずれて乗る。乗るとすわって瞑目する。じきに発車。しばらく目をつぶっていたのだが、読書するかという気になり、もってきたベンヤミンをとりだしてひらく。しかしそうしてみると意外と眠い感覚があってあくびも出たので、やはりやすもうとおもってすぐにしまい、その後はまた瞑目のうちにやすらう。乗客はすくなかった。日曜日だったら普段はもっとおおいとおもうのだが、(……)で乗ってくるひとも三人くらいしかいなかったとおもうし、かなりスカスカだった。やはりみんなまじめに「自粛」しているのかもしれない。
  • (……)について降車。ちょっと背伸びをしてからあるきだし、階段をのぼって改札を出る。コンコースの人波もやはりすくなめで、余裕があるなという印象。壁画前の端のほうに行って、立ちつくして待つ。じきにそれらしい細長い人影を見分け、それがちかづいてくると(……)だと確認されたので待ち受け、ゆるいあいさつをかわす。さっそくあるきだしながら痩せた? ときくと、会ったひとだいたいみんなにいわれるという返答があったが、じっさい痩せたとおもう。ただでさえ相当に細かったのに、顔もからだもますます肉が減ったような印象。こちらよりも背が高いので、余計にそれが際立つ。体重はたぶん五〇キロないのではないか。脚などめちゃくちゃ細く見える。(……)の格好は、どんな模様だったかきちんと見なかったが、ドットだかストライプだか、ドットがあつまってストライプ風になっていたのか、こまかい模様の入った白っぽいシャツで、派手ではないが地味すぎるわけでもなく、チャラいところまではいかないがネアカな感じの人間が着ていそうな印象のもの。下はかなり色が褪せて古めかしいようになっている水色のジーンズで、靴は以前よく見たHysteric Glamourの真っ赤なやつではなく、大きめの、やや無骨といってもよいかもしれないくらいの白いスニーカーで、下端のほうに赤い色が小片としてアクセント的に入っていた。あとは片手に、たしか左手のほうだったとおもうが、ふたつくらい指輪をつけていた。中指と人差し指か、中指と薬指かのどちらかだったはず。
  • LUMINEは休業していた。地階の成城石井はやっているようだったが。モノレール下に行こうという話になっていたが、(……)はまだ飯を全然食っていないというので、ひとまずどこかで食べることに。天気はここでは雲がちで、電車に乗っているあいだ、(……)にとまったときなど、雨が降っていた時間もあった。(……)か(……)でも、扉がひらいたときに、陽に照らされて熱をもったアスファルトが雨に濡れたときに発するあの特有のにおいがつたわってきたので、目をひらかなくてもまだ降っているなとわかったのだ。ともかくどこか喫茶店でも行くかといいながらあるきだし、あっちか、あっちか、あっちのほうがすいてるんじゃないかと言って歩廊途中のエクセルシオールのほうに向かいはじめたところ、伊勢丹はどうもあいている様子で、レストランはこちら、というような掲示を(……)がみとめてかたむいたので、じゃあ伊勢丹に入るか、となった。レストランフロアなど一部だけ営業していたようだ。入り口をはいると店員がレストランに行きたい方はこちらへ、とエレベーターのほうにひとを誘導しており、エレベーター前にも客の動きを統御したり誘導したりする人員が二、三人いて、全員女性だったとおもうのだが、客の行きたい階を聞き取った彼女らのみちびきにしたがってひとびとはエレベーターに乗るのだ。もっともこのときは我々とあとひとりしかおらず、三人まとめて乗って高層階のレストランフロアへ。出たところにもひとり、ここは男性だったとおもうが誘導員がいた。伊勢丹はどこもだいたいわりと高いのだが、(……)は金をかせいでいるし問題ないだろうとおもってお前が食いたいもので良いというと、なんか軽いものがあるところがいいだろと、家で飯を食ってきたのでデザートか飲み物だけですますつもりだったこちらを慮った返答があり、とはいえどこでもデザートくらいはあるだろう。それでちょっとあるいた結果、あそこがひろめのレストランみたいなところだとこちらが指した「(……)」に入ることに。以前一度だけ、(……)くんと来たときに入ったのでおぼえているのだが。それで入店し、わりと恰幅のよい感じの男性にみちびかれて席へ。マスクを入れるための紙の小さな袋が提供され、(……)はすぐに外して入れていたが、こちらは一応まだつけておき、まあつけておいたって食べるときには外すわけだからどちらかが感染していたら普通におしまいだが、メニューを見るとデザートはけっこう売り切れていて、パフェが品切れだったのはたぶんフルーツの発注のあんばいがむずかしいということなのだろうか。コーヒーゼリーにアイスクリームがのった品にした。(……)は天麩羅つきの蕎麦。
  • コーヒーをちっとも飲みつけない人種だし味覚もとくにすぐれていないのでコーヒーの味もコーヒーゼリーのよしあしもわかるわけがないが、ほどよいほろ苦さでわりと品がよくてつつましい味だったような気がしないでもない。普通にうまかった。コーヒーゼリーめちゃくちゃひさしぶりに食ったわ、子どものときはよく食べてたけど、と口にしたが、じっさいコンビニとかスーパーで売っているだいたい三個セットの廉価なコーヒーゼリーを母親がよく買ってきていて、それは好きでよく食べていた。なつかしい。(……)は蕎麦を、ちょっと妙な食い方をしていたというか、すするのではなくて、たしか麺を口にふくむと箸を上下にこまかくいちいち運んですこしずつ口内にのぼらせていくような食い方をしていた記憶があり、たぶん汁が飛んでシャツが汚れるのをおそれたのではないか。あと、やつは天麩羅を残した。ナスとシシトウを残したのだが、たしか(……)は野菜をあまり食わない人種で、それで残したのだろう。この日だったか先日の電話のときだったかに、なにかの拍子に野菜食わないし、みたいな話になったときがあり、いや食えよ、野菜は食えよと笑った記憶がある。もったいないのでこちらがいただこうかなとおもったのだが、そのためには(……)がつかった汁をもちいねばならず、べつに他人が口をつけていようがこちらは気にしないのだが、現今の状況だとやはりちょっと気が引けるなというわけで、もったいないが残したままにすることに。まあ、くりかえしになるが、どちらかが感染していたらおなじ汁に口をつけなくとも、向かい合って話をしている時点でたぶんもう終わりなのだが。
  • 話のはじめに、なにはともあれ、おめでとうございますとあいさつをおくった。店長就任の件である。店は五月二〇日にオープンだという。(……)は(……)から一駅なので、電動自転車でも買ってチャリで通勤しようかなともちょっとかんがえているらしい。スタッフの顔ぶれなどはまだ全然知らないとのこと。電動自転車とか運動関連でいえば、年々やはりからだのおとろえを感じるようになってきている、という言があった。こちらはむしろ逆で、鬱状態に入っていた一年間をのぞけばここ数年は人生でもっとも体調の良い状態がつづいているし、いまはストレッチやマッサージや瞑想も習慣化されたからいままでになく安定している。(……)はいそがしいので、運動をする時間はやはりないと。せいぜい風呂上がりにストレッチをちょっとやるくらいだというので、これは話したひとみんなに言ってるんだけど、と笑いながら、例によって脹脛をとにかく揉めということをすすめておいた。仰向けになって片方の膝で片方の脹脛をぐりぐりやるのが楽で良い、俺は本を読むからそのあいだはずっとそうしていて、やっているとからだがとても楽になる、と。家でゴロゴロする時間はあるかときくと、めちゃくちゃあるし、なんだったら休日はだいたいベッドにいる、午後四時くらいまでいることすらある、いまはスマホがあればなんでも見られるからな、というので、そのついでにからだのメンテナンスをすればよいのだといっておいた。
  • こちらの仕事についても多少話したが、自分にとって目新しい情報ではないので、それをあらためて日記に記しておく気はおきない。この店にはあまり長居せず、(……)が飯を食い終わると喫茶店に行こうというのではやばやと席を立った。会計。こちらは一〇〇〇円を出す。(……)が二〇〇〇円を出して、釣りが四一〇円くらい、コーヒーゼリーはちょうど六〇〇円くらいだったのでその釣りをこちらがもらって精算はOK、それで店を去り、エレベーターまで行って下階にもどってビルを抜けた。喫茶店に行こうとはいったものの、ひとまず歩廊をとおってモノレール下の広場のほうへ。歩道橋に出たあたりでは陽射しが宙にとおっていてまぶしかった記憶がある。そう、歩道橋をわたって左に折れたところで光が正面になって、視界がまばゆく染まったはずだ。ところがそこからすこし行ってモノレール線路下広場におりかけたところで、なぜかとつぜん雨が散りはじめ、そこそこのいきおいだったのでひとまず階段をもどり歩廊にもうけられた屋根の下に避難した。モノレール線路に沿った広場は青々と濃い緑の葉をゆたかにかかえた樹々をならべながら視界のはるか奥までまっすぐつづいており、彼方にはむろん空がひかえていて、そこは青いし周囲の空気も暗くはないのだが、頭上はひろくかたちもあまりはっきりしない雲が大艦船のようにあらわれており、どうもその雲が雨を撒いているらしい。どうするか、喫茶店にいくか、それか傘を買ってくるか、と話しているあいだに雨は多少弱まったので、まあ降られたらしかたない、ちかくにコンビニもあるし、とりあえず行くかとまとまって、ふたたび地上におりたった。広場はそぞろあるきしているひとびとがけっこういる。昔と多少、景観の感じが変わったような気がしないでもないが、整備更新されたのだろうか? たしか卒業後になにかのときにあつまって、クソどうでもいいゲームをやったような記憶がある、と笑いながら話し、あと、卒業式のあとに(……)のキャンプ場に行ったが、そのときやった曲をここで練習したんだ、とも話したが、これはしかしこの序盤のことではなく、のちほどふたたび広場に出てあるきはじめたときのことだった。だがついでなのでここにもう記してしまうが、なんの曲かと問われたので、なんかたしかスピッツとかをやって、俺がギターで(……)とか(……)が歌い、あと(……)がもう一本弾いたんだよね、と言う。(……)は卒業式のあとのこのもよおしには参加していなかったらしく、俺はたしか(……)とどっか行ってたんだといった。(……)はたしかにいなかった気がするが、(……)はなんとなくいたような感じがないでもないのだが、たぶん気のせいなのだろう。ついでにおもいだして、そのとき(……)さんとなんかちょっといい雰囲気になったんだよね、と述べた。もうよくおぼえていないが、小屋から出て外気のなかで、ふたりでならんで柵だか石だかなんだったかに腰掛けて話した時間がたしかあって、そのとき空気がやや甘酸っぱいようなふうに色づいたおぼえがあるのだが。向こうは酔ってたから、と(……)にいう。こちらは優等生らしく法律を遵守して酒を飲まなかったのでむろん酔っていなかった。たしか好きな女子のタイプみたいなものをきかれて、なんとかこたえたら、じゃあわたしは? みたいなちいさなつぶやきがかえって、そのときちょうどだれかひとがきてうやむやになった、みたいな一幕だったような気がするのだが、あまりにもライトノベルとか青春漫画の一場面みたいな感じなので、本当にそんなことがあったのかあやしいようでもある。じっさいにあったとしても、(……)さん当人もそのことはおぼえていないだろう。話をあるきはじめてすぐのころにもどすと、広場の途中に「(……)」という店があるのは昔のままだが、その左隣にある店は認知していなかったし、はじめて見たような気がする。そしてその先に(……)なるものがあらわれて、こんなとこにこんなもんできてたのかよとおもい、そう口にもした。そこは美術館のみならず複合施設的なエリアになっているようで、そういえば(……)にあたらしいスペースができたときいていたがこれがそうかと言い合い、はいってみようとなった。階段そばにあるフロアマップ的細長い看板を見たところしかし、飯を食う店がおおいようで、服屋とかはなさそうだった。それでもエスカレーターをのぼってはいってみると、上は六本木とか恵比寿とかにあるようななんというのか、ビルにかこまれて都市的なひろいスペースの脇に店がいろいろあるみたいな感じで、べつに六本木とか恵比寿にかぎらずいまはどこでもモールとかこういうふうだろうし、そもそも六本木も恵比寿もほぼ行ったことがないのだけれど、この施設の回廊は植物が非常にふんだんに設置されととのえられており、まさしくあしらわれている、という感じでそこここに草木があつまっていて、だから都市的な平面の上に小庭園めいたレイヤーが一部かぶせられているような感じで、たしかこの施設全体の名前がグリーンなんとかだったはずなのでその名のとおり緑のおおさを売りにしているのだろう。(……)はしきりに、めっちゃいいじゃん、とつぶやいていた。おりおりに座れる屋根つきのスペースがあったり、屋根はついていないがやはりならんで座れる細長い座所があったり、あとちいさな池ももうけられていた。店は喫茶店的なもの、飯屋のたぐい、植物を売っているものといったところだが、なかに、「(……)」があるのを発見し、あ、あるじゃんといって店名を読み上げて、(……)に知らせた。吉祥寺にもある店でなかなかうまいと。そこから先はイベントスペースになっているらしく先ほどから女性ボーカルのキャッチーな音楽が聞こえてきており、ライブをやっているらしいなというわけで見にいってみようとすすむ。芝生のスペースを越えた先にホール風の建物があって、いくらか下り斜面になった客席の奥、建物の前で演奏がおこなわれており、コロナウイルス対策らしく柵がもうけられて客席から先には入れないようになっていて、その柵に沿ってひとびとがいくらかあつまって薄い横列をなしていた。そばの柵にはパフォーマーを知らせる紙が貼られてあって、(……)というひとが三時までで、そのあと(……)というひとが四時からやる予定になっていたが、現在三時半だったのでどちらなのかわからず、とはいえはやまるということもなさそうだからたぶん前者だろうと言い合い、あとで(……)が調べたところではやはりこのときやっていたのは(……)のほうだったようだ。編成がめずらしく、鍵盤にヴァイオリンにドラムの三人だった。ステージの両脇にはスタッフ控え場所みたいなスペースがあったのだけれど、そこはガラス張りでその向こうにいる人間の動きが見える。というか、よくかんがえたら、演奏の途中にスタッフが色々出入りしてなにか調整みたいなことをしていたので、このときやっていたのは(……)ではなく、四時からはじまる(……)の準備もしくはリハーサル的なやつだったのではないか? 不明。音楽はわりとキャッチーであかるいポップスという感じで、鍵盤のひとが弾きながら歌っていたはず。いくらも見ないうちにまた雨が降ってきたのでひとびとが続々と場をはなれていったし、我々も、避難しようといってもときたほうにもどり、屋根の下にはいった。
  • それでまあなんか喫茶店のたぐいにはいるかとなり、きた道をショップに沿ってひきかえすと、「(……)」という店が喫茶らしくやたら人気で、往路の際など何組かならんでいたくらいだったのだが、その隣の「(……)」という店に我々は入ることに。夜は飯屋らしいが、いまはカフェの時間だった。入ってアルコールを手にスプレーし、入り口そばに設置されている機械でもって体温をはかる。みずからの顔が映し出される四角い画面に顔の位置を合わせると自動で体温を知らせてくれる装置で、こちらは36.7度だった。あとで(……)が寒い寒いとしきりにいっていたので、シャツ一枚の軽装だからそれは普通に肌寒かっただろうが、さっきの体温何度だったときいてみたところ、35.9とかいっていたのでひくいな、と笑う。こちらも昔はそのくらいだったのだが、最近は36.5を越える平熱になっている。やはり昔はからだがととのっていなかったということなのだろう。こちらはその機械について、あんなのはじめて見たわともらすと、(……)は笑ったから普通によくあるもののようだが、最近はもう街に出ないからとこちらは山住まいの仙人みたいな言をつづけてほほえむ。
  • 入り口からすぐ右方の席にはいった。ジンジャーエール辛口一択。(……)は紅茶。こちらは入り口側のガラス壁を背にした位置取り。(……)はこちらの真向かいでなく、ひとつ横にずれてななめにあたる位置についた。こちらから見てすぐ右の壁にはマーク・ロスコの抽象画のパネルがかかっており、たしかNo. 6 - Violet, Green, Redみたいなタイトルだったはず。そのとおり、上からそれらの色の矩形平面を順番に、多少ひろさを変えながら塗っただけみたいな作品だった。検索してみるとまさしくそういうタイトルの絵で、英語版Wikipediaに記事もある。一九五一年作。〈In 2014, it became one of the most expensive paintings sold at auction.〉と書かれてあり、よりくわしくは、〈No.6 (Violet, Green and Red) is one of the works implicated in the infamous Bouvier Affair. It was privately bought for €140 million by Dmitry Rybolovlev in 2014.[2][3][4] Rybolovlev is thought to have bought the painting via the Swiss dealer, Bouvier. Rybolovlev learnt that Bouvier had actually bought the painting (rather than simply acting as a dealer) from Paiker H.B. for ~€80,000,000 before selling it on to Rybolovlev for €140,000,000.[5]〉とのこと。Bouvier Affairというのは、Yves Bouvierというスイスのアートディーラーが、客をだましてじっさいに入手したときの金額以上の金を請求していた、というような一連の事件らしい。一億四〇〇〇万ユーロとあるから、いまユーロは131円らしいので、日本円だと一八〇億円くらいということか。まあそういう感じのアート画像を装飾にもちいている店で、奥の壁にもいくらかあるようだったが遠くてよく見えず。雰囲気はわりとおちついた感じではあり、BGMもまあ洒落た感じのジャジーポップスみたいなものがながれていたとおもうが、一度、これ広瀬香美の"ロマンスの神様"をアレンジしたインストじゃね? とおもう旋律および進行の曲があって、あれはたぶんローズの音色だったとおもうのだが鍵盤が主になっていたけれど、本当に広瀬香美曲だったかはわからないしたぶんちがうだろう。ついでに時をもどって記しておくと、「(……)」のほうではChet Bakerの『Sings』にはいっている一曲がながれた時間があった。『Sings』にはいっている音源であったことはまちがいないが、たぶん話のほうに意識をとられたのだろう、なんの曲だったか確定的に認知できず。"I Fall In Love Too Easily"ではなかったかというおぼろげな感触がのこっているのだが、"I Fall In Love Too Easily"だったらまちがいなく同定できるだろうから、たぶんべつの曲だったのではないか。
  • あと、マーク・ロスコがかかっていたその壁の脇、(……)の真横にはわりと背の高い観葉植物があって、(……)はこれオジギソウかなとかいっていたがこちらにはわからない。それで飲み物をちびちび飲みつつ会話。最初のころではなくしばらく話してからだったが、連れ合いはどう、と漠然ときいたときがあった。どうとはとかえったので、前は家事をあまりやらないみたいなこといってたじゃん、と向けると、ああ、とあって、料理はめちゃくちゃうまくなった、という。いぜんは料理もレシピにしたがわず、調味料など目分量でてきとうにいれるかんじなので大雑把な味だったのだが、なにをきっかけとしたのだったかわすれたがあるときからレシピにきちんとそってやるようになり、味は格段によくなったと。ただ部屋の掃除はあいかわらずで、だせばだしっぱなし、ぬげばぬぎっぱなしが基本だと。向き不向きはあるのできちんとした掃除は俺がやろうとおもうが、ただ、できることは改善してもらいたい、ちょっとしたことだとおもうんだよね、そっちにいくならとおるついでに閉めとけばいいじゃん、それちょっとひろっておけばいいじゃん、っていう、と(……)は苦笑気味にもらした。気づいたときにすぐやっちゃうのがいちばんいいんだよね、とこちらは受ける。俺も最近はトイレで用を足したついでにちょっとだけ掃除するよ、俺はいまだに小便を立ってする人種だから((……)はもう完全に便器に座ってするスタイルになったらしい)、まあ本当は座ってやったほうがいいんだろうけど、なんか飛び散ってるっていうじゃん、見えないけど壁にさ、だから本当は座ってやったほうがいいんだけどまあ立ってるんだけど、そうすると便器がよごれるからそれはかならず拭くんだけど、そのときにほかの場所もちょっと拭いとくね、そうやってその都度すこしだけ余計にやっておけば、自然にきれいになるじゃん、っておもって、と話す。(……)としてはここで店長になるから、そろそろ結婚をかんがえているのだが、あいては結婚したあとは仕事をやめたいといっているらしい。連れ合いもおなじく不動産会社ではたらいており、企業はちがうものの店舗は(……)と(……)でまぢかだし、主な対象エリアもとうぜんかぶっていて、先日など客がかぶってすらいたという。家でも物件の話をよくするらしいが、そのあいての彼女は仕事をやめ、ペットを飼いたいといっていると。ペットとは犬のことらしい。それは(……)としてはあまり大手を振って賛同できないようだが、まあ、俺の仕事が軌道にのれば、やめてもらってもかまわない、ただそれであんまりなにもやらずにゴロゴロしてて、かえってきたら部屋が散らかったまま、みたいなのは最悪だから、そのあたりきちんと話さないといけないな、といっていた。(……)はどうも部屋内のことにかんしてはけっこう潔癖なほうのようだ。きちんときれいに片づいていないと落ち着かないのだろう。子どもはほしいといっているのかときくと、ほしいと明言されたことはないが、テレビ番組などをみて子どもができたら、というような話をすることがあるので、結婚すればつくるつもりでいるのだろうという。趣味はあるんだっけ? とたずねれば、それがないんだよなあ、とかえり、おそらくそのことも、仕事をやめたら無為にすごすのではないかという(……)の懸念をあとおししているのだろう。ただ、性格はおだやかなほうらしい。それでいて気の強い一面があるともいったが(そうでないと不動産の仕事などつとまらない、とのこと)、明確な趣味というほどのことはないものの、散歩がわりと好きなようで、(……)とともにぶらぶらあるくこともあるというので、それはいいなと受けて、それなら子どもの世話などは大丈夫じゃないかと述べる。そのとき性格はどうなのか、せっかちだったりすると、子どもにつきあえないじゃん、と話していたので。だから犬を飼えばその散歩が趣味になるのかな、と(……)はつぶやいていた。ただ動物をそだてるとか世話をするとかができるのかという点に一抹疑問もあるようで、というのは、いぜん鉢植えの植物を部屋に導入したことがあって、かんたんなものでふつうに種を植えて水をやっていればほぼ勝手にそだつようなもののはずだったのだが、ついぞ花が咲くまでにいたらなかったと。サボテンみたいな、もう最初からかたちをなしてるやつがいいんじゃないかとむけると、いまじっさいサボテンが部屋にあるが、それは世話をしてるのかどうかわからない、俺がたまに水をやっている、とのこと。(……)としては結婚の意志をかためながらもたぶん多少のためらいがのこっている雰囲気で、その点つくと、(……)はにやにやしながら、いやまあこないだちょっと火遊びっていうか、ともらすので、(……)はいぜんはわりとあそんでいてバレないように一日にふたりの女性といそいで会うようなこともあったので、まただれかと関係をもったということかとこちらは早合点して、おまえまだやってたの? と問うたのだが、そうではなく、同僚だか後輩だか、ひとりみのひとにつきあって「高級相席居酒屋」みたいな店にいって初対面の女性とたのしく話しただけだという。だからまあ、「火遊び」というほどのことではないのではないか。連れ合いには話していないらしいが。はじめて会う女の子と話すのはでもやっぱたのしいわ、という。まあそのくらいはいいんじゃない、そのあとべつの場所にいってないんなら、と述べると、やや食い気味に、いってないいってない、もういけないわ、というような返答があったので笑う。
  • 店内にはほかに若い男性ふたりの組とか、のちには複数のカップルとかがおり、われわれの左隣にはあとで高校生のカップルがあらわれて、剣道部らしかったのだが、男子のほうが去年の塾生だった(……)くんににていた気がしたものの、本人かどうか不明だしどちらでもよい。女子のほうはこちらの真横の席だったが顔を一度も見なかった。どうも女子のほうが先輩だったのではないかという印象がのこっているが、なにを根拠にそうおもったのかその情報はのこっていない。こちらは高校生のときはこんなそこそこ洒落たところでデートなどしたことはなかったし、デートのみならずそもそもこのような店に入ったこともなかった。彼らが去っていったあと、(……)は、いいなあ青春だなあみたいなことをもらしていた。ほか、一度、まだ入店して序盤のころに、スーツ姿の三人か四人の一団があらわれたのだが、それをつれてきたのが声のおおきくて威勢のよい感じの、恰幅もわりとよいほうの男性で、このひとがどうもこの店の店長だったような雰囲気で、だからたぶん「(……)」という名前なのだろうが、一団は店長の知り合いなのかなにかの顧客なのか、ともかくやや甲斐甲斐しいような調子で遇されていた。また一方、こちらからみてまっすぐ左の先、入り口をはいって左に折れたところにあるカウンター席にもひとり男性がいて、ずっとコンピューターを前にしてなにかカタカタ作業をしていたのだが、このひとも店長や店員の知り合いだったらしく、たびたび声をかけられており、なにかのサービスをするといわれたのだろうか、いや、いいですよ、悪いですよ、払いますよ、とか恐縮しているときがあった。われわれはそのなかでおりおり飲み物を口にはこびながらずっと雑談をつづけていただけなのだが、ほかには、高校の同級生についての話題があった。そこで(……)と最近通話することがあり、つい先日も話した、と明かすと、いぜんもきいたが、(……)が(彼は(……)なので)(……)への投票をたのむために電話をかけたとき、(……)は、すごく他人行儀なようすで、え、(……)さん? あ、はい……ええ、はい……そうですね……みたいな調子だったという。じっさい、先日(……)と電話したときにも、彼は(……)のことを「(……)さん」とさんづけで呼んでいたので、その点告げてこちらはけっこう笑ったのだが、たしか高校時代は(……)は彼に、「(……)」と下の名前でよばれていたはずである。え、(……)? だよね? 俺らもうちょい仲良かったとおもうんだけど、みたいな感想をいだかざるをえず、困惑した、というので、なんだろう、あれかな、やっぱ宗派上の問題かな、(……)勢力とは仲良くできないみたいな、とこちらは冗談をはいて笑いつつ、いやそんなことはねえだろうけど、とみずから否定してとりなしておいた。(……)は(……)さんとは呼ばれてない、ふつう? とくるので、俺はまあふつうだな、めっちゃ敬語ってわけでもないし(とはいえ、高校時代よりも(……)の口調は全体的に丁寧になった印象だが)、とかえす。たぶん「(……)さん」と呼ばれているとおもうが、これはさんづけとはいえ同級生らの一部がこちらを呼んでいた言い方であり、(……)もたしか当時からそう呼んでいたおぼえがあるから不思議ではない。どんなようすだった? と(……)は問うので、これこれこんなふうであると(……)のようすや生活を話すと、まあ元気ならいいや、みたいな言があって、(……)もおなじこといってたわ、元気にやってるならいいや、って、おまえも距離感がおなじになってんじゃん、他人じゃん、とこちらはまた笑う。
  • 高校時代の連中はいがいとFacebookで情報を発信している者がいるようで、誰が結婚した誰も結婚したと(……)は情報をよこしてくる。結婚した人間として名が挙がったのは、女子だと(……)と(……)と(……)さんと、あと(……)も結婚したといっていたか? 男子だと(……)。(……)が結婚したとは、という感じがないでもない。なぜかわからないが。べつに結婚しても不思議ではないのだが。Facebookに連れ合いとならんだ画像がのっており、「しかもあいてのひとがふつうに美人」、と(……)は評していたが、(……)自身はいくらか痩せたように見え、その点言及すると、まあやせるだろ、とかえるのは彼が役所((……))にいるからで、コロナウイルスの対応で心労はおおいだろう。(……)もすでに子があり、その子の写真もFacebookにあがっていて、それを(……)はめっちゃかわいい、といいつつ、いや元カノの子どもを俺がほめるのもなんか意味わからんけど、と自身つっこみながら見せてくれたが、たしかに目鼻立ちがしっかりしていて凛々しいような、きれいな子どもだった。ところで、(……)はたしかいぜん一度結婚したところがあまり幸福にはいかず離婚していたはずで、その点こちらが、(……)もよかったね、一度……といいかけたときが二回あったのだが、その二度とも(……)は、Facebookを見ながら、こちらの言にかぶせてほかのひとの情報にながれたのだけれど、べつにわざわざ(……)が意図的に(……)の話をガードしたとはおもえずただの偶然だとおもうのだが、元恋人(といっても高校時代とその後しばらくのことだが)ということもあってなにか無意識がはたらいているのか? とおもうようなタイミングだった。(……)は結婚したのだったかどうだかわすれたが、キャリアがすごくて優秀だと(……)は言及した。たしか中国に行っていたのではないかとおもったが、(……)がFacebookを見ていったところでは、大学卒業後は(……)にはいり、そのあと(……)にうつったとかで、そこで中国のほうにいっていていまは現地の、なんという役職だかわすれたがけっこう大したポジションについているらしい。彼女はこちらとおなじ大学だったが、在学中に会ったことはほぼない。学部がちがったからね、と(……)に告げる。たしか二度か三度、駅などでたまたま出くわしたことがあったはずだが、とくにながいやりとりをしたわけではない。(……)とはたしか入試当日も一緒に大学に行ったはずで、もうひとり、なぜだかわからないが「(……)」というあだ名で呼ばれていた(……)というクラスメイトの男子もともにいたはず。こちらはオープンキャンパスというものに興味がなかったので、入試当日まで大学には一度も足を踏み入れておらず、だから彼らにつれていってもらったようなものだ。たしかそのふたりがともにいて、午前の科目を終えて外に出てきたときに、どこかしらのベンチかなにかで昼飯も一緒に食ったような気がするのだが、詳細はなにもおぼえていない。(……)こと(……)くんは受かったのだったか落ちたのだったかわすれてしまった。落ちたのだったか? ところで大学入試のとき、こちらは最初の科目を受けている途中に気持ち悪くなって、なんとかやりすごして終えたあとつぎの科目では、気が入りすぎたんだなとおもって前かがみにしていた姿勢をやめて、ややあさく椅子に腰掛けつつ背を背もたれにつけて、ちょっとふんぞりかえるような偉そうな感じの体勢をとり、気持ちとしても、まあ受けてやるよ、というような不遜で偉そうな余裕綽々の心持ちをめざしたのだが、そうすると気持ち悪くならずにうまくいった。いまからかんがえるとしかし、あの時点ですでにパニック障害的な前兆があったのだなとおもう。あとからふりかえると、高校時代にも一度か二度、あったのだが。
  • あとの話でおぼえているのは(……)の職場の同僚のことくらいだが、これはなんだか面倒臭いのではぶく。ただ、もともと夜の街でやたらかせいでいたり、おもしろい経歴をもったひとがわりといるらしい。われわれが話していたのはけっこう思い出話とかがおおかったし、あいつも結婚したこいつも結婚した、マジか、みたいな調子で、(……)は俺らももう三一だ、ってかそろそろ三二だし、やべえな、あっというまに四〇になっちゃうな、などとおりおりもらしていたので、隣の高校生たちからすると、いかにもおっさん臭いようなことばかりを話しているときこえたのではないか。かといって完全におっさんになって結婚がめずらしくなくなっているわけでもない年代の、中途半端な歳上感というか。その高校生らがどんなことを話していたか、こちらは全然おぼえていないのだが。たぶんふつうに学校とか部活のことだったのだろうが。五時前、(……)がトイレに立ったあいだ、こちらはなにもせずぼけっと待っていたのだが、男性店員がちかづいてきて、五時でカフェタイムは終了になるので、飲み物を飲み終わってからでかまいませんので((……)の二杯目の紅茶がまだのこっていたのだ)会計をおねがいしますといってきたので了承し、五五〇円をもう出しておいて、(……)がもどってくるとそのことばをそのまま伝達して、金をわたして会計してくれとたのんだ。それで退店。雨はなくなっており、夕陽も多少ながれていたし、この先降りそうな気配もない。(……)は美容院に行くため五時半すぎの電車に乗るとのことだった。複合施設をあとにして、モノレール下の広場を端までそぞろあるく。そのときに卒業式後のキャンプ場の件などを話したのだ。風はたびたび走り、髪をかき乱すくらいけっこうつよく吹くこともあって軽装の(……)は寒かっただろうが、ジャケットをまとっているこちらにはすずしくて心地よい。広場端につくと車道をはさんで先にIKEAがある。そのあたりの日なたのなかで立ち止まって、しばらく立ちつくした。空はまだ雲があったとおもうが水色が増えており、彼方に陽の色もうつっていて、ちかくになんだかわからない白い骨組みだけのドームみたいな小オブジェがあって、そのあたりで幼子たちがわいわいたわむれており、IKEAのほうからかえってくるひとびともぞろぞろとつづき、われわれの目の前ではスケボーを練習している男がふたりいて、ひとりは若く、もうひとりはいくらか年嵩で、おそらく若いほうがおしえを受けているような雰囲気だったが、彼らがスケボーをガラガラ走らせているその前にはスケートボードは禁止との立ち看板があったのだけれど、ふたりはそれをまったく意に介さず堂々と行き来していたしそもそも監視の目があるわけでもない。そばの公衆トイレだけほかとくらべてやたら古めかしく映るのは、壁の大部分をツタのたぐいがめちゃくちゃに覆って占領しているためだ。(……)は、彼女がスケボーやりたいっていってんだよね、ともらした。できんのかな? 無理じゃね? というような調子だったが。打たれ強くなる、って友だちがいってたよ、と受けたが、これは(……)くんの言である。何度も何度も技をミスってときにはけがをするので、それでも負けねえぞという反骨精神がつくと。失敗したらふつうに骨折ったりするよね、と(……)。でもオリンピックの競技に、なるんだったかもうなったんだったか、なんかそんな話だよね、とこちら。
  • しばらく大気を浴びていたあと、そろそろもどるか、となって駅のほうにむけてあるきだした。広場の左側、つまりさきほどの複合施設とは反対側にも居酒屋とか飯屋とかがけっこう色々あって、このあたりはほぼ来たことがなかったので目新しい。風がおどるなかをあるいていき、俺は高島屋の本屋にいくからというわけで、歩廊にあがるまえ、ビルの一階側面口のところで礼を言い合いながらもあっさりとわかれた。去っていく後ろ姿をちょっと見送ってからビル内へ。この口からはいったのははじめてである。エスカレーターで六階へ。アルコールを手にスプレー。とりあえず目的のちくま文庫ギリシア悲劇集をもっておこうとおもって文庫のほうへ。書架にはいり、新着をざっとみると、講談社学術でたしかフィヒテについての本があったはず。たしかフィヒテだったとおもうのだが。ベンヤミンの本の註を読んだ記憶によれば、フィヒテベルリン大学ヘーゲルの前任だったとかで、学長もつとめていたとあったはず。そこをすぎて選書の棚のまえをとおりながらちょっと目をむける。選書にもなんかおもしろそうな思想のやつがあったはずだが、わすれた。たしか哲学史系のものというか、自然という観念が哲学の歴史のなかでどのようにあつかわれてきたかをたどる、みたいな本だった気がするのだが。けっこう厚かったような記憶。厚い選書でいうとカタリ派のやつがあって、あれもまえからちょっと気になっていてこのときも目を留めた。そのまま角までいって平凡社ライブラリー岩波現代文庫岩波文庫とチェックし、壁際をはなれて棚のあいだにはいって講談社文芸をみて(古井由吉の本がいくつか表紙をみせてピックアップされているほか、多和田葉子とか、三浦雅士が編纂したという石坂洋次郎とかいうひとの小説集があったが、これはいぜんから見かけている)、光文社古典新訳も瞥見したあとまた壁際のならびにもどって講談社学術。伊藤亜紗ヴァレリーのやつはちょっとほしい気はした。このひとは去年だかおととしくらいから名前をよくみかけるようになってきた印象だが、こちらがはじめて知ったのは平倉圭と対談していたどこかの記事だったはず。それから河出文庫の『フィネガンズ・ウェイク』をこのさいだからもう買っておこうとおもったのだが、Ⅰしかなかったので駄目だ。しかたがない。そうしてちくま学芸、ちくま文庫と推移。ギリシア悲劇集は、ソフォクレスの巻がなかった。ほかのものはいくつかあったのだが。しょうがねえとおもってとりあえず区画を出て、そのまま詩のほうへ。あまり目新しい印象はない。目にとまるのはだいたいいつもおなじ。堀江敏幸が編纂した宇佐見英治のやつとか。それでいえば絓秀実の、なんだったか『詩的舞台のモダニティ』みたいなタイトルの評論本をいつか読みたいとおもっていたのだが、なくなっていたようす。松浦寿輝の批評本もなにかあったはずだが、これも見当たらなかったとおもう。詩論のくくりのところに、たしか野沢協だか野崎協とかいうひとの全詩集があってちょっと気になりはした。実作のほうでは、いつも認知するのは、西脇順三郎とか松本圭二あたり。松本圭二著作集みたいなやつはとりあえず全部買っておこうとおもっているのだが、いつもすでにもっているのがなんだったかをわすれてしまって、購入にまでいたらない。いぜんもそれについて書いて、日記にいまもっているのはこの三冊だ、と記録しておいたおぼえがあるのだが、そうしておいてもわすれた。それから奥にむかっていき、壁際にずらりとならんでいる海外文学の棚。詩のところをまずみる。それから文学論のたぐい。ここに菅野昭正の本があり、まさか新著なのか? とおもったらそうで、出たばかりのもので、しかも過去の文章をあつめたものではなさそうだったので、もう九〇歳を越えているのにこれだけの新著出すとかやばいな、とおもった。小説作品とそれがもとになった映画を章ごとにとりあげて論じる、みたいなやつだったが、いま検索してみると、これは『すばる』に連載されていたシリーズの単行本化らしく、しかしこの連載がなされていたのが二〇一八年とかのようなので、その時点でも八八歳くらいなわけだからやはりすごい。その後、新着本を中心に見ていく。そんなに印象にのこるものはなかったはず。ただひとつ、『歌え、葬られぬものたちよ、歌え』みたいなタイトルのアメリカの小説があって、やたら格好良いタイトルだなとおもった。Sing, Unburied, Singという原題だったはず。黒人とか南部のことを題材にしたもののようだった。例によって検索するとジェスミン・ウォード/石川由美子訳で、作品社から出ている。いや、作品社という会社もおもしろそうな本をいろいろ出しているんだよな。装幀もどれもきれいだし。ここ一年くらいだと、たしかハイチかどこかの作家のものをふたつくらい出していたはず。このジェスミン・ウォードの小説はAmazonによれば全米図書賞を受賞したらしく、マーガレット・アトウッドが「胸が締めつけられる。ジェスミン・ウォードの最新作は、いまなお葬り去ることのできないアメリカの悪夢の心臓部を深くえぐる」といっており、ほか、「トニ・モリスンの『ビラヴド』を想起させる」とか、「まさしくフォークナーの領域だ」とかいう評言があるので、ある意味ではおそらく非常に正統的なアメリカ南部文学の後継者なのだろう。
  • それから思想のほうへ。書架の口の脇、棚の側面部には、『現代思想』とか、あとカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』などが置かれてあった。入るとあいかわらず一番最初にみすず書房の本がたくさんならんでいて、みてみるとラスキンのなんとかいうやつがあって読みたいなとおもったのだが、七〇〇〇円くらいしたのでとてもではないが買えない。ラスキンを読みたいのはプルーストの影響源だから。その横には、感情の哲学特集、みたいな区画がもうけられていた。なんとかいうそちらの方面の著作が発売された記念だという。ふりむいて新着も見ておき(フーコーの『性の歴史』の四巻目など)、なかのほうにすすんで主に各所の新着の、目の高さに表紙をみせておかれている本たちを中心に確認。フランツ・ファノンあたりの、まあいわゆるポストコロニアリズムということになるのだろうが、いわゆるポストコロニアリズムとかカルチュラル・スタディーズなるものは文学思想界隈だと評判がそんなによくなかったりもする印象があるのだが、それがなぜなのかはあまりよくは理解していないのだが、しかしそのあたりの、やはりできれば自伝的だったり伝記的だったり、要するに体験的なやつを読んでみたいなとおもっていて、だからフランツ・ファノンとかほしい気もしたのだけれどひとまず見送る。ただあと、この付近で、なんという題なのかわすれたのだが、たしか春陽堂ライブラリーとかいうシリーズの一冊があり、これが人種差別を広範にあつかったもので重要そうだったので買おうかなとおもっていたのだが結局わすれてしまった。ネットにたよるとこれは中村隆之『野蛮の言説』というやつだ。「3 植民地主義からホロコーストへ」という章があって、これは読まなければならないなとおもったのだった。この中村隆之というひとはカリブ海界隈をやっているらしく、エドゥアール・グリッサンについて書いているひとだ。『エドゥアール・グリッサン 〈全-世界〉のヴィジョン』というのは目に留めていた。あと、グリッサンの『フォークナー、ミシシッピ』と、『痕跡』も訳していて、どちらも当然目に留めていたし、『痕跡』は装幀がクールで格好良かったおぼえがある。あと、フランソワーズ・ヴェルジェス『ニグロとして生きる エメ・セゼールとの対話』というのも、このとき書架に見かけて買おうかなとちょっとおもったやつだ。
  • ほか、あまり哲学関連で印象にのこっているものはない。そんなにきちんと見なかったし。目的の品がなかったので、(……)のほうにも行ってみるかとおもって退出へ。一方で、(……)の(……)にひさしぶりにいって散財しようかなという意欲も湧いていたのだが、ひとまず(……)に向かうことにした。で、のちほど、(……)はいま何時までやっているのかわからないが緊急事態宣言を受けていればたぶん八時くらいだろうし、そうするといまから行っても時間がもうあまりないし、やはり余裕をもってじっくりみたいからべつの日にしようとかんがえてこの日はかえることに決断した。エスカレーターをおりていき、二階から出口へ。通路の途中が封鎖されていて奥にはいれないようになっており、衝立みたいなものが出入り口のほうまで通路にそってもうけられていた。それで歩廊に出て右折し、またビルにはいる。ここも(……)はやっていていつもどおりモダンジャズをながしていたが、(……)は閉鎖されており、(……)も七時までとあったはず。この時点で六時半前くらいだったはず。あがって踏み入ってさっさと文庫へ。ちくまを探していると、書架にかくれて姿は見えないが、おそらく大学生らしき女性ふたりの、新書どこ新書、あ、ここだ、みたいな声がきこえてきた。ちくま学芸、ちくま文庫、河出のならびを発見し、とりあえずちくま学芸を見て、ニーチェ全集の『このひとを見よ/自伝集』の巻をとってめくってみると、「なぜわたしはこれほどまでに利口なのか」みたいな題の章があって自尊ぶりに笑った。ジグムント・バウマンの『近代とホロコースト』が「完全版」という文字つきで出ており、これは地元の図書館に単行本があったはずだがまあ完全版となっているし手もとに置いておいてさっさと読むべきだろうとおもったので購入することに。ギリシア悲劇集のソフォクレスの巻もこちらにはあったので、その二冊を手にもって文学のほうにいき、詩をひやかし、壁際の海外文学へ。ここでなにかおもしろそうなものを見たような気もするのだがおもいだせない。(……)にくらべると(……)は全体にもはや規模がちいさくなってしまったものの、それもあってカテゴリ分けが厳密でなくいろいろ混ざっており、ロジェ・カイヨワの自伝みたいなものが、(……)だと哲学のほうにあったのだがここでは文学の棚にみられておもしろい。そののち、こちらでも思想のほうへ。エルンスト・ブロッホの『この時代の遺産』とかいうやつが棚の最上の端にあり、これはいぜんからみかけていたがこの日なぜか気になって、とってみてもおもしろそうなのだがやたら巨大な本で値段も張ったのでどうしようもない。エルンスト・ブロッホは『希望の原理』というやつも白水社のシリーズで何巻にもなっていたはずだし、いったいどうなっているんだ。でかい本でいえば、そういえば、小泉義之ともうひとり誰かが中心編者になったフーコーについての日本の研究者の文をあつめた論集みたいなものも平積みされていたのだが、これが一六〇〇〇円もしたので買えるわけがない。ざっと見分をおえると会計へ。店員は丁寧なかんじの男性。所作が特徴的。釣りを出すときなど、顔をちょっとしずめるようにして、手もとをよく注視しながら金をとっていたとおもう。仕事をきちんと気をつけてやろうという性分のひとなのではないか。
  • 金をはらって品をうけとり、エスカレーター前でバッグにおさめ、退出へ。このあたりで(……)行きを断念した。外に出て、駅方面へ。モノレール駅の下をくぐっていきながら右方に目をむけると、近間の建物の合間、彼方の空に去り際の夕陽の色が焼けついていて、雲もちかくて精妙な紫に付近が染まりながらひかりはあかく、極致的高温にまでたっしたマグマのようにして空に接着されている。抜けて駅前へ。家にかえってきちんと食卓について飯食うの面倒臭えし、どっかで食べていくか、それかコンビニで買ってどこか外で食うかもちかえるか、とおもったが、とりあえず駅舎内へ。LUMINEのなかの店はやっていないわけだが、入り口の前にはパンなどを売っているスタンドが出ている。母親になんか菓子のたぐいを買ってきてといわれていたのをおもいだしたので、GRANDUOのほうへ。GRANDUOもやってんのかなとおもったが、はいって掲示をみてみると「(……)」はやっているようだったので、フロアに踏み入り、手を消毒して奥へ。つくと見てまわり、東京會舘というメーカーのクッキーつめあわせを二袋と、抹茶チョコレートの八ツ橋を買う。ここにくるとだいたいいつも買っているのはこの二種だが。それで小さめの紙袋をバッグにくわえて提げながらもどり、途中で折れて改札内へ。ちょうど(……)行きが出そうなところだったので急ぎ、乗る。座れた。瞑目して休息。
  • 電車内と帰路でかんがえていたのは金をかせぐ方法というか、また例によって、(……)くんみたいに、オンラインでなんか小難しいような本を一緒に読むとか英語の小説を読むとかで金もらえねえかなとおもっていたのだが、それをこちらがやるとするとブログであいてもしくは顧客を募集をすることになるわけで、それに応募してきてくれるひとはこういう文章を読むわけだからかなり特殊な趣味の人間で、それはいいのだけれどこちらの文章やいとなみに好意的でなければ応募してこないだろうから、それって結局、要するにファン商売じゃん、とおもい、それはなんかいやだなとおもったのだった。あまりよろしくないこだわりなのだろうが、夜道をあるきながらかんがえたところ、やはりこの日記はなににもつながらないものでなければならない、というおもいをあらたにした。まえに何度かいっていた無償性ということで、金にもならないし知り合いもできないし名声もなにもえられないが、毎日これだけの文をかきつづけるという、そういう欲望といとなみと生のあり方があり、それはもちろん多数派ではないものの、人間がそうすることになんの不思議もなく、そういう人間は数からするとすくないとはいえいままでいくらでもいたしいまも現にいるし、これから先もつねにいつづけるだろうということを、こちらがそのひとりとして例証しなければならないだろう、ということ。ひとは、あまり知らないので。そういうことが現に、ふつうにあるのだということを。べつにこちらは、無意味であることが逆説的に意味や価値をもつ、みたいな、道教みたいな、芸術至上主義といわれそうなありがちな論理にそんなにつよく賛同するわけではないし、なににもならないけれどそれがゆえにやるのだという自己目的的純粋欲望みたいなロマン主義的なことを称揚したいわけでもないし、なにかになるならなるでよいし、自分のやることがなにになるかという可能性や判断はふつうにみきわめるべきだとおもうし、なにか目的をめざすいとなみはそれはそれでぜんぜんよいというか、そういういとなみと行動はもちろんなければならないとおもうのだけれど、ただ、ことこの日記にかぎっては、なるべくなににもつながらないものでなければならない、というおもいを捨てきれない。こちらがそれで外部的な利益をえてはならない、という。それを目的とはしていないとはいえ、やはりそうなると無償性がくずれるので。上の「芸術至上主義」的論理のあり方にぴったりそのままあてはまってしまうが。まあそれだったらそもそも公開しないほうがよいのかもしれないが、そこはそこでまたいわゆる投壜通信的なもくろみを捨てきれないところもある。あと単純に、この先いつまで書けるかわからないが、理想的には何十年にもわたる分量のこれだけの生の記述がインターネット上にころがっていたらそれはやっぱりおもしろいんじゃないか? ともおもうので。だからなににもつながらない、というのは、自分自身がそれによって直接的にむくわれてはならない、ということだろう。じっさいにはなにかをやればどうせなにかしらにはつながってしまうのだけれど、しかしすくなくとも直接的に金になったり自分が外部からなにかをえたりするのは、この文章のあり方ではない。したがって、PayPalとかを設置して投げ銭的にカンパをつのろうかなともちょっとかんがえたのだが、それもむろんやらない。この先、じっさいそんなこといってらんねえ、とにかく金をえなければ、ということになって気をかえるかもしれないが、いまのところはそのつもりでいる。
  • あと、金をかせぐのもそうなのだけれど、やはりおのれがやるべきだとおもいさだめた仕事にもとりくまなければならないな、というわけで、つまりさしあたっては、To The Lighthouseの翻訳を着実にすすめていかなければならないということだ。ぜんぜんとりくめないのだが。そもそもこの日記にかかずらってばかりなので。これをつづける一方で、そういう、日記以外の、みずからにとってただしく仕事というべきおこないにも時間を割いていかないと。日記は仕事ではない。第一の仕事、といったほうがよいのかもしれないが、作品とか、正式な文章を書く、という位置づけでやっているものではないので。To The Lighthouseももし翻訳を完成できたとして、金にする気は正直あまり起こらない。べつのブログをつくってそこにあげて終わりだろう。そもそも著作権の問題があるから、金にできるのかわからないし。著作権をいったら勝手に訳して公開した時点で終わりなのかもしれないが、Woolfの文章の著作権が、もうむかしの作家なので切れているのか、それともWoolf財団みたいなものがあってそこが権利を所有して管理しているのかなにもしらないのだが、個人的に訳して無料で公開して勝手に読んでもらうくらいはたぶんゆるされるだろう。岩波文庫御輿哲也訳もかなりよいので、正直あと三〇年か五〇年くらいはあれでべつによいとおもうし、文庫であれが読めるというのはすでにかなりすばらしいことだとおもうのだが、ただ、To The Lighthouseはこちらの感覚では非常にすばらしい小説で、やはりこの先も読まれつづけなければならない小説だとおもうので、日本語も無料でだれでも読めたほうがよい。一〇〇〇円ほどとはいえ、To The Lighthouseを日本語で読むのに金をはらわなければならないというこの世の状況は馬鹿げているとおもうので。こちらの翻訳がだれでも読む価値があるほどのものになるかどうかわからないが。自分でも訳したいという欲望はあるし、ともかくはやらなければならない。
  • (……)についたあと、この日は気力があったのであるこうとおもい、乗り換えをまたずに駅を出て夜道へ。あるいているあいだは上に書いたようなことを主にかんがえていた。夜の裏通りには風がたびたび走り、肌寒い瞬間もおりおりあり、線路の向こうの樹々がざわざわ騒いでいたりもして、どうも日中の雨の気がまだなごっているのか、これからまた降り出すか、とおもわれたものの、根拠はないがなんとなく、降るとしても今日はもうなくて明日以降ではないかともおもった。空はこのときはもう晴れていたよう。夜空の深い青みが見て取られ、月は見なかったとおもうが天球内はあかるく、雲が貼りついている箇所もみたおぼえがない。白猫はおらず。あゆみはなかなか鷹揚なものだった。やはり連休中で精神に余裕があるか。
  • かえったあとのことはあまりおぼえていない。日記をそこそこ書いてこの前日のぶんまで仕上げたのと、入管法改正についてしらべておこうとおもって、とりあえず行政側の言い分をまず読んでおこうと下のふたつのページを読んだことくらい。

〇 日本は,1981年に「難民の地位に関する条約」(難民条約),1982年に「難民の地位に関する議定書」に順次加入し,難民認定手続に必要な体制を整え,その後も必要な制度の見直しを行っているところです。

〇 当庁においては,日本にいる外国人から難民認定の申請があった場合には,難民であるか否かの審査を行い,難民と認定した場合,原則として定住者(※)の在留資格を許可するなど,難民条約に従った保護を与えています。
 (※)定住者は,いわゆる就労目的の在留資格と異なり,就労先や就労内容に制約はありません。

〇 また,難民と認定しなかった場合であっても,人道上の配慮を理由に日本への在留を特別に認めることもあります。

〇 なお,ここでいう「難民」とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見という難民条約で定められている5つの理由によって,迫害を受けるおそれがある外国人のことです。

 (1 日本の出入国在留管理制度の概略; (2)難民の認定)

     *

〇 日本に在留する外国人の中には,ごく一部ですが,他人名義の旅券を用いるなどして不法に日本に入国した人,就労許可がないのに就労(不法就労)している人,許可された在留期間を超えて不法に日本国内に滞在している人(※),日本の刑法等で定める様々な犯罪を行い,相当期間の実刑判決を受けて服役する人たちがいます。
 (※)これらの行為は,不法入国,不法残留,資格外活動などの入管法上の退去を強制する理由となるだけでなく,犯罪として処罰の対象にもなります。

〇 当庁においては,そのようなルールに違反した外国人を法令に基づいた手続によって強制的に国外に退去させることにより,外国人に日本のルールを守っていただくように努めています。

〇 強制的に国外に退去させるかどうかの判断に際しては,ルール違反の事実のほか,個々の外国人の様々な事情を慎重に考慮しており,例外的にではありますが,日本での定着性,家族状況等も考慮して,日本への在留を特別に許可する場合があります(在留特別許可)。

〇 その許可がされなかった外国人については,強制的に国外に退去させることになります。

 (1 日本の出入国在留管理制度の概略; (3)外国人の退去強制)

     *

〇 近年,日本に入国・在留する外国人の数の増加に伴い,許可された在留期間を超えて不法に日本国内に滞在している外国人(不法残留者)の数も増加に転じています。

〇 そのような外国人は,令和2年7月1日時点で,8万人余りいます。

(……)

〇 摘発された外国人の多くは,国外に退去していますが,中には,国外への退去が確定したにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)もいます。

〇 そのような外国人は,令和2年12月末時点(速報値)で,3,000人余り存在しています。

 (2 改正の背景)

     *

〇 現在の出入国管理及び難民認定法入管法)の下では,国外への退去が確定したにもかかわらず退去を拒む外国人を強制的に国外に退去させる妨げとなっている事情があります。

〇 その結果,そのような外国人が後を絶たず,それが退去させるべき外国人の収容の長期化にもつながっています(送還忌避・長期収容問題)。

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性))

     *

〇 次のような事情が,退去を拒む外国人を強制的に国外に退去させる妨げとなっています。

(1) 難民認定手続中の者は送還が一律停止
   現在の入管法では,難民認定手続中の外国人は,申請の回数や理由等を問わず,また,重大犯罪を犯した者やテロリスト等であっても,日本から退去させることができません(送還停止効)。
   外国人のごく一部ですが,そのことに着目し,難民認定申請を繰り返すことによって,日本からの退去を回避しようとする外国人が存在します。

(2) 退去を拒む自国民の受取を拒否する国の存在
   退去を拒む外国人を強制的に退去させるときは,入国警備官が航空機に同乗して本国に連れて行き,その外国人を本国の政府に受け取ってもらう必要があります。
   しかし,ごく一部ですが,そのように退去を拒む自国民の受取を拒否する国があります。

(3) 送還妨害行為による航空機への搭乗拒否
   退去を拒む外国人のごく一部には,本国に送還するための航空機の中で暴れたり,大声を上げたりする人もいます。
   そのような外国人については,機長の指示により搭乗拒否されるため,退去させることが物理的に不可能になります。

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性); (1)問題点➀(送還忌避者への対応が困難))

     *

〇 現在の入管法では,国外に退去すべきことが確定した外国人については,原則として,退去までの間,当庁の収容施設に収容することになっています。

〇 そのような外国人が退去を拒み続け,かつ,強制的に国外に退去させる妨げとなっている事情((1)参照)が存在すると,収容が長期化する場合があります。

〇 この点に関し,現在の入管法では,収容されている外国人の収容を一定期間解く仮放免が許可される場合もあります。

〇 しかし,現在の入管法では,仮放免を許可するかどうかは,仮放免の請求の理由のほか,逃亡のおそれ,日本での犯罪歴の有無・内容等の様々な事情を考慮して判断されますので,収容された全ての外国人に仮放免を許可することができるわけではありません。

〇 収容に関しては,収容された外国人の一部が,自らの健康状態の悪化を理由とする仮放免の許可を受けることを目的として,食事をとることを拒むハンガーストライキに及ぶという問題が生じています。

〇 また,仮放免された外国人が逃亡する事案も相当数に上っています。
  令和2年12月末時点(速報値)で,日本からの退去が確定した後,仮放免中に逃亡して手配されている外国人は,400人余りいます。

(参考)
退去強制令書が発付されたにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)
(令和2年12月末(速報値))
(1) 送還忌避者:約3,100人
(収容中:約250人,仮放免中:約2,440人,手配中:約420人)

(……)

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性); (2)問題点➁(収容の長期化の問題が発生))

     *

〇 今回の改正法案では,3つの基本的な考え方(4参照)を実行に移すために,次のような様々な方策を講じることにしています。
 (1) 在留が認められない外国人を速やかに退去させる前提として,在留を認めるべき外国人かどうかを適切かつ速やかに見極めます。
  ● 在留特別許可の手続を一層適切なものにします。
   ・ 在留特別許可の申請手続を創設します。
   ・ 在留特別許可の判断に当たって考慮すべき事情等を法律に明記します。
   ・ 在留特別許可がされなかった場合は,その理由を通知します。
  ● 難民に準じて保護すべき外国人を保護する手続を設けます。
   ・ 難民条約上の難民ではないものの,難民に準じて保護すべき外国人を 「補完的保護対象者」として,難民と同様に日本での在留を認める手続を設けます。

(2) 在留が認められない外国人を速やかに退去させます。 
  ● 難民認定手続中の送還停止効に例外を設けます。 
   ・ 難民認定申請の回数や理由を問わず,また,重大犯罪を犯した者やテロリスト等であっても,一律に送還が停止される現在の入管法の規定を改め,一定の要件に当てはまる外国人については,難民認定手続中であっても日本から退去させることを可能にします。
  ● 退去を拒む外国人に退去等の行為を命令する制度を設けます。
   ・ 退去を拒む外国人のうち,送還が困難な一定の要件に当てはまる者に限って,定めた期限までに日本から退去することや,旅券の発給の申請等送還のために必要な行為をすることを命令し,その命令に違反した場合には処罰されることにします。
  ● 退去すべき外国人に自発的な出国を促すための措置を講じます。
   ・ 退去すべき外国人のうち一定の要件に当てはまる者については,日本からの退去後,再び日本に入国できるようになるまでの期間(上陸拒否期間)を短縮します。

(3) 収容の長期化を防ぎ,一層適切な処遇を実施します。 
  ● 収容に代わる監理措置の制度を設けます。
   ・ 原則として当庁の収容施設に収容することとしている現在の入管法の規定を改め,「監理人」による監理に付することで逃亡等を防止し,相当の期間にわたって収容しないで社会内で生活することを認める「監理措置」を設けます。
  ● 現在の仮放免の要件を見直します。
   ・ 監理措置の創設に伴い,現在の仮放免については,健康上,人道上等の理由により収容を一時的に解除する必要が生じた場合に許可することにします。
  ● 収容施設での一層適切な処遇を実施するための措置を講じます。
   ・ 収容されている外国人の権利・義務に関わるものなど,法律で定めることが適切と考えられる事項を法律で規定します。

 (5 入管法改正案の概要等; (1)入管法改正案の概要)

(1) 収容するか否かを裁判所が判断する仕組み
 ●  今回の入管法改正法案では,日本から退去すべき外国人を当庁の収容施設に収容するか,監理措置により収容しないで社会内で生活させるかは,その外国人の収容等を行う入国警備官とは別の官職である上級の入国審査官(主任審査官(※))が慎重に判断することとしています。
   (※)入国審査官である地方出入国在留管理局の局長,次長,支局長などです。
  ●  また,退去すべき外国人は,収容されることに不服があれば,行政訴訟を提起して,裁判所の判断を仰ぐことができます。

 (Q1 長期収容の問題を解決するには,収容するか否かを裁判所が判断する仕組みや収容期間の上限を設ければよいのではありませんか?)

     *

〇 「本国に帰ると生命の危険が生じる」などの事情を主張して,難民認定申請を行う人もいますが,日本の難民認定手続においては,難民認定申請をした外国人ごとに,個別の事情を考慮しながらその申請内容を審査し,難民条約の定義に基づき,難民に該当すると認められれば,難民と認定しています。
〇 また,難民認定手続においては,当庁による二段階の審査を経て難民かどうかを慎重に判断しています。
〇 具体的には,まず,難民に当たるかどうかに関する当庁職員(難民調査官)による調査を経た上で,難民の認定・不認定が判断されます。
  その判断に不服があれば,不服申立て(審査請求)を行い,改めて判断を受けることができます。
〇 難民認定手続において,難民の認定をしない処分がされ,これに対する不服申立てを行った場合,その不服申立て(審査請求)に対する判断は,必ず3名の「難民審査参与員」の意見を聴いて行うこととされています。
〇 難民審査参与員は,人格が高潔であって,公正な判断をすることができ,かつ,法律又は国際情勢に関する学識経験を有する者(※)の中から任命されています。
  また,難民審査参与員は,3人1組で審理を行って,意見を提出し,その意見は,不服申立てに対する法務大臣の裁決の際に尊重されています。
  (※)具体的には,(1)事実認定の経験豊富な法曹実務家,(2)地域情勢や国際問題に明るい元外交官・商社等海外勤務経験者・海外特派員経験者・国際政治学者・国連機関勤務経験者,(3)国際法・外国法・行政法等の分野の法律専門家などです。
〇 さらに,難民には当たらないとの判断に不服があれば,裁判所に訴えを提起した上でそのような事情を主張して,裁判所の判断を求めることもできます。
〇 これらの重層的な行政手続や司法審査手続があるにもかかわらず,これらの手続を経た結果,難民と判断されなかった外国人については,難民であると認めることが困難です。

〇 もっとも,現行法上,難民認定申請した者について条約上の難民とは認定できない場合であっても,本国情勢などを踏まえ,人道上の配慮が必要と認められる場合には,日本への在留を認めています。
〇 また,難民認定申請をしていない者についても,従来から個々の事案ごとに,在留を希望する理由,人道的な配慮の必要性などの諸般の事情(本国事情も含みます。),これらを総合的に勘案して在留を認めるべきものについては,在留特別許可をするなどしています。
〇 令和元年に,退去強制手続における違反審判において法務大臣に異議を申し出た者のうち,在留特別許可されたものは6割超,1,448件です。
〇 加えて,今回の法改正により,難民条約上の難民ではないものの,難民に準じて保護すべき外国人を「補完的保護対象者」として,難民と同様に日本での在留を認める手続を設けることとしています。

 (Q4 日本からの退去を拒む外国人は,本国に帰れない事情や日本にとどまらなければならない事情があるから,退去を拒んでいるのではありませんか?)

     *

〇 (1) [「難民認定手続中の者は送還が一律停止」] については,難民と認定されなかったにもかかわらず,同じような事情を主張し続けて難民認定申請を3回以上繰り返す外国人は,通常,難民として保護されるべき人には当たらない(申請時に難民と認定することが相当であることを示す資料が提出された場合を除きます。)と考えられます。
そこで,このような外国人については,今回の入管法改正法案により,送還停止効の例外として,難民認定手続中であっても日本からの強制的な退去を可能とすることとしました。

〇 (2) [「退去を拒む自国民の受取を拒否する国の存在」] 及び(3) [「送還妨害行為による航空機への搭乗拒否」] については,このような事情により,日本からの退去を拒み続ければ在留資格がないまま日本に滞在し続けられるという事態は見過ごせません。
  そこで,その外国人を翻意させて退去等を決意させるため,最終的な手段として,一定の期限までに日本から退去することを命令し,その命令に違反した場合は処罰されるという仕組みを設けることとしました。
   なお,当庁で把握している範囲では,例えば,アメリカ,フランス及びドイツについては,対象者にその国からの退去の義務を負わせ,その義務に違反した場合の罰則を設けているとのことです。

 (Q5 なぜ,日本からの退去を拒む外国人を退去させられないのですか?)

     *

〇 確かに,日本の難民認定率が欧米よりも低いと指摘されることがあります。
  しかし,大量の難民や避難民を生じさせる国との地理的要因などは,日本と欧米とでは大きく異なりますので,難民認定率のみを単純に比較するのは相当ではないと考えます。
  なお,韓国は,日本と同様,年間約1万件以上の難民認定申請を受けていますが,難民認定数は数十件~百数十件程度です。

〇 難民認定申請者数は,平成17年には約400人でしたが,平成22年に申請から6か月後に一律に就労を認める運用を始めたところ,申請者数は,平成22年(約1,200人)から平成29年(約2万人弱)の7年間で,約16倍に増加しました。

〇 そこで,平成30年に,こうした難民としての保護を求める本来の制度趣旨にそぐわない申請(濫用・誤用的な申請)の場合には在留や就労を認めないとする在留資格上の措置について,より厳格な運用を始めたところ,平成30年の申請者数(約1万人)は,平成29年から半減しました。

 (Q8 今回の入管法改正より先に,難民認定手続を出入国在留管理庁とは別の組織に行わせるなどして難民の保護を十分に行い,日本の低い難民認定率を諸外国並みに上げるべきではないのですか?)

  • 一一時五〇分。風呂をあがって洗面所から出ると居間では父親がソファについて脚を前になげだし炬燵テーブルの上に置きながら歯をみがいていたのだが、スマートフォンで音楽をかけているらしく太いサックスの回転がながれだしてきて、わりと色気のただよう感じのジャズバラードがはじまったのだけれど、これ聞いたことあるなとおもってすぐに、たしかCannonball Adderleyが御大Milesを後援にしてやった『Somethin' Else』の、四曲目か最後の曲ではなかったかとおもった。それでいま確認してみたところあたりで、五曲目の"Dancing In The Dark"だった。
  • 入管法関連の記事を検索してURLをいくつもメモしておいたが、こういう問題は、けっこう地方の新聞が社説で触れていたりするのだよな。

2021/5/1, Sat.

 彼はつねづね、(家庭内の)「けんか」は暴力の純粋な経験であると思ってきたので、けんかの声を耳にすると、両親の口論におびえる子どものように、いつも〈恐怖〉を感じるほどである(いつも恥ずかしげもなく逃げ出してしまう)。けんかの場面がそれほど深刻な影響をあたえるのは、言語活動の癌とでもいうものを露骨に見せるからである。言葉は口を閉じさせるには無力であり、それこそがけんかの場面が示していることなのだ。なんど言い返しても、けんかの終結はありえない。殺人とい(end240)う結末しかないのだ。けんかはひたすらこの最終的な暴力に向かってゆくが、しかし実際にそうなることはけっしてない(すくなくとも「文明人」のあいだでは)。けんかとは本質的な暴力であり、ずっと続けられることを楽しんでいる暴力なのだ。空想科学のホメオスタットのように、恐ろしくて、滑稽なのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、240~241; 「けんか(La scène)」)



  • 一一時四〇分の起床となってしまった。昨晩は三時半に床に就いたのに、なぜかそれに応じてはやく起きられない。滞在は八時間強。上階へ行くと母親はまた天ぷらを揚げている。ジャージに着替えてちょっと屈伸したり、顔を洗ったりうがいをしたりして、食事。天ぷらをおかずに白米を食う。新聞はまた一面と国際面の「奔流デジタル」を読む。SNSやネットメディアが、社会の分断を過激化する方向に働いている、との話で、だから目新しいものではない。昨年の八月だったかに、米国はウィスコンシン州のケノーシャという町で黒人が警官に銃撃されて、それに対する抗議と衝突が起こったことがあったのだが、それもまずBlack Lives Matter運動の活動者がSNS上でデモを呼びかけ、怒りに燃えたひとびとが各地から集まってきて、一部が暴徒化して商店を破壊したり放火したりしたものだから、危機感をおぼえた市議が銃を取って町や家族を守ろうとこれもSNSで発言し、応じたひとびとが即席の自警団を組み、そして衝突が起こって一七歳の少年が抗議者のうち二人を殺害することになった、と。この少年というのはKyle Rittenhouseという名の人間で、Arwa Mahdawi, "Enough with militias. Let’s call them what they really are: domestic terrorists"(2020/10/10, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/oct/10/militias-domestic-terrorists-gretchen-whitmer(https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/oct/10/militias-domestic-terrorists-gretchen-whitmer))でちょっとだけ触れられていたのを前に読んだ。〈It’s not just the White House that’s complicit, it’s the media. Kyle Rittenhouse, for example, the 17-year-old accused of killing two protesters in Wisconsin last month, was celebrated as a vigilante by rightwing outlets. “How shocked are we that 17-year-olds with rifles decided they had to maintain order when no one else would?” Tucker Carlson asked on Fox News. Far-right pundit Ann Coulter tweeted that she wanted the teenager “as my president”. The New York Post, meanwhile, published photos of Rittenhouse cleaning up graffiti; he was framed as a concerned citizen rather than a cold-blooded killer.〉とのこと。ケノーシャというのはけっこう小さめの町のようで、SNSがなければ、この田舎町が大規模な衝突の場になることはありえなかっただろう、との言が紹介されていた。あと、『ザ・ソーシャル・ジレンマ』とかいう、SNS運営会社の幹部などが内情を証言したみたいなドキュメンタリー映画があるらしく、そのなかで、SNSの力もあってこのままの社会が続いていったらどうなるか、という質問に対し、ある会社のひとは、civil war、内戦だ、とこたえているらしい。
  • 国際面のほうはQアノンにはまったけれどその後そこから抜け出したひとの例が出ていた。このひとはたしかオハイオ州の四〇歳の男性とあったと思うが、もともと政治に強い関心を持っていたわけではなく、ただFacebookで出てきたQアノン動画をちょっと見てみたところからのめりこんでいったと。最初はクレイジーだと思ったが、次第にこれが真実だと確信するようになった、と言っていた。それで友人とかにも熱弁するようになったのだが、当然敬遠され、友人は離れていき、妻とも離婚することになったと。「目が覚めた」のはある種コロナウイルス騒動のおかげで、Qアノン勢力はコロナウイルスは何の問題もなく、マスクをつける必要もないと主張していたらしいのだが、それに触れてなにかおかしいなと感じるようになったと。そして決定的だったのはドナルド・トランプが大統領選で負けたときの振舞い方だったという。現職の大統領が選挙不正がおこなわれたとか、勝利が盗まれたとか、「負け惜しみ」をいうのを見て、完全に「目が覚めた」とのことだった。イプソスとかいう名前の調査会社によると、米国では四割ほどがQアノンの「ディープ・ステート」説を信じているという。信じているというか、「ディープ・ステート」は存在すると思うかという質問に、同意するとこたえたひとの割合が全体では四〇パーセントほどになったと。共和党支持層では七割。民主党支持層でも一四パーセントいたはず。無党派は半分くらいだったか。「ディープ・ステート」というのはQアノンがその存在を主張している「闇の政府」らしく、『STAR WARS』かよ、という感じだが、要するに一部のエリート層が結託して国を裏からあやつり、自分たちの既得権益をまもるためにドナルド・トランプをおとしめている、というような発想らしく、これに同意する人間が回答者の四割をも占めているとなるとどうしても米国はもう終わったな、とつぶやきたくもなってしまうが、発想としては要するにマニ教善悪二元論の世俗化されたかたちということになるのではないか。諸悪の根源が、みずからや社会がおちいっているさまざまな苦境や問題を最終的に支配している人間や勢力がどこかにあるに違いないというわけで、宗教がもっと優勢だった時代はそれが邪神というか悪の神だったわけだろうが、いまはもうみんなそのような超越的な観念的存在を思考・志向しないので、それが現世領域に措定されなければならず、だから見えないけれどどこかで国を支配している悪の親玉がいる、ということになるわけだろう。残念ながら世界はそんなに都合よく単純にはできていない。こういうかたちでの善悪二元論は、それを信じる者にとっては非常に楽である。なぜなら、問題をすべてその諸悪の根源に帰してしまえば良く、また、具体的な個々人を判断するときにも、「真実」に気づいているこちら側なのか、それとも「ディープ・ステート」側なのか、というひとつの判断軸を参照するだけで済んでしまうからだ。だから、「ディープ・ステート」なるものは、Qアノンを信奉するひとびとの、そういうものがあってほしいという、願望でもあるのだろう。それがあれば、楽だから。この世の複雑怪奇さに直面せずにすむし、自分たちを言わば「光の戦士」として英雄化もできるから。
  • 食事を終えて皿洗いと風呂洗いをすませ、カルピスをつくって帰室。Notionを準備して今日のことをここまで書くと、いまは一時。今日は暑い。天気はあからさまに良いわけではなく、空は雲が多く覆って、明白な陽射しが射すわけでもないのだが、窓は開けているし、ジャージの上も脱いで黒の肌着姿になっている。
  • この日は昨日にあたるのだが、今日、五月二日はひさしぶりに街に出てひとと会い、体験した情報がおおかったためかこのついたちのことはもうけっこうわすれてしまっており、家にとどまっていてあまり変哲がなければ一日経っただけでわりとわすれてしまうのだが、ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)は三〇ページ強読んだ。書簡アンソロジーである「ドイツの人びと」をすすめており、そう、ヘーゲルが死んだときのことをつたえた手紙があって、それはなかなかおもしろかった。ヘーゲルにまなびたくてベルリン大学に行ったなんとかいう神学方面のひとが、ヘーゲルの講義をすこしのあいだ受けて一度面会したのみでもう彼が死んでしまった、ということなのだが、ヘーゲルは当時流行していたコレラにかかって死んだらしい。一八三一年。ゲーテが死んだのは一八三二年である。いままでまったくかんがえたことがなかったのだが、このふたりは同時代人なのだ。じっさい交流もあったようで、べつの、たしかツェルターの手紙で、ゲーテヘーゲルがツェルターもまじえて三人で会合をもった、という註もついていたはずだし。ヘーゲルがこの神学生に接したときの様子とか、その葬儀のときになんとかいうヘボ詩人がまったくふさわしくない下手くそな詩を読んだとか、もちろんヘーゲルの死にたいする周囲の反応とか、そういったことがつたえられている。それを読むかぎりどうも、ヘーゲルはマジで当時のドイツ思想界であきらかにもっとも重要な人物として文句なく位置づけられていたらしい。ただすくなくともこの神学生と面会したときの模様には偉ぶったところがなさそうで、ひとの好い老教授、という風情だったようだ。
  • 夕食には幅広のうどんを茹でた。こちらはそれを煮込んで食う。あと天麩羅ののこりなどがあったのでそれで食事。アイロン掛けもした。夕食時に新聞記事をなにか読んだとおもうのだが、おもいだせない。あれだ、韓国にある脱北者団体が北朝鮮に向かってビラを風船につけて大量に飛ばした、という報道があった。ビラにはむろん金正恩を批判する内容が記されており、ビラと同時に冊子類を一〇〇冊だったかと、あともう一種類なんだったかわすれたがなにかしらのものが飛ばされたらしい。で、文在寅政権は、金与正が以前脱北者たちのビラ撒布に抗議してやめさせろともとめてきたのにおうじて(たしかそのときにまた、南北連絡事務所みたいな施設を爆破したということではなかったか)、ビラ配布禁止法みたいなものを成立させていたらしく、今回のこの件はあきらかにそれに違反するとおもうのだけれど、禁止法を根拠にして文在寅政権がこの団体に処罰をくわえたりすると、北寄りで弱腰だという批判が国内から高まるだろう、ということだった。あと当然、日本の右派とかも俄然いきおいづくだろうし、米国としても韓国があまり北朝鮮に接近するとおおいにこまるだろう。
  • あともうひとつ、中国がジブチに空母施設を建造したという記事を読んだのもこの夜だったはず。ジブチというのはアフリカの東側、アデン湾に面したところにあってエチオピアソマリアに接している地理的領域としてはめちゃくちゃ小さな国らしいのだが、中国はそこに進出して、いまのところ唯一の海外基地をつくっており、それが空母も寄港できるようなかたちにバージョンアップされた、ということだった。たしか米軍のアフリカ方面司令官みたいなひとがそういう報告をしたということではなかったか? ちがったか? 中国のシーレーンとしてはもちろん東南アジアを通ってインド洋を越え、アデン湾から紅海に入って地中海へ抜ける、というものがあるようで、ジブチをおさえれば中国としてはインド洋周辺におおきな軍事力を展開する足がかりになるわけで、ということは中東に関与する能力が強化されるのかもしれないし、たぶん例の一帯一路という計画にもおおいにかかわってくるのではないか。
  • あとこの日は音読もわりとやった。わりと、というほどでもないか。「英語」は31番から70番で、「記憶」は三項目だけだし。「記憶」のほうはやたらながいのがふくまれていてあまりすすまなかったのだが。なんの本からの引用だったかおもいだせないのだが。とおもっていま見たら、ムージルだった。まだムージルは終わっていなかったのだ。なぜかもう通過したつもりでいたのだが。
  • 風呂のなかでは湯に浸かって瞑想じみて止まっていたのだが、汗か髪のなかに溜まっていた湯の断片か、ともかく額にしずくの感触が一点ともったときがあって、その刺激とともに一角獣すなわちユニコーンのイメージが湧き、つまり額を点じられたことでそこから生えている角のイメージが連想されたのだろうが、そこからなぜか頭がちょっと詩的な感じになって、まもなく「一角獣はどれもおしなべて月をつらぬくことを夢見ている」という一行のフレーズが思いつかれた。その後もなんとなく詩の一部みたいなフレーズがいくつか浮かんだので、それを下にメモしておくとともに、「詩: メモ」というノートをつくってそこにも写しておいた。

 一角獣はどれもおしなべて月をつらぬくことを夢見ている

 鯨は月の光にはぐくまれ、死ぬときは太陽に背を向けない

 厳粛さを知らぬものどもが夜になるたび涙をながす

 空に進出した機械仕掛けの魚は墜落を知らず
 蛇の抜け殻でできたバスは地上
 共通するのは鱗があるということだけ

 わたしの目とわたしの目のあいだ
 眉間の突端に風がかすかにすずしく触れるとき
 
 AではじまりZで終わるあの地獄は
 べつの言語ではOからはじまりMで終わるのだから
 はじまりとおわりなどいつだって恣意的なもので

  • 入浴後の夜はたしかなぜかほぼだらだらしてしまい、書抜きと日記の読み返しができなかったのがこの日の反省点である。やりたいことはいくらでもあるが、とりわけその二つが念頭にあがる。日記記述自体はこの日はそこそこやって、午後一時にこの日のことを書いたあと、そのまま前日のことを、(……)との通話の内容をのぞいて書いたのだったとおもうし、そののちも二八日と二九日を完成させている。活動のうちのはやい時点で日記にとりくめたのはよい。あとそうだ、この日の起床時は瞑想をサボったのだが、午後四時くらいだったか座った時間があって、そのときはめずらしく音楽を流したまま座ったのだけれど、BGMはThelonious Monk『Thelonious Alone In San Francisco』で、Monkの独奏ってマジですばらしいなとあらためておもった。このアルバムだとどれも好いのだけれど二曲目の"Ruby, My Dear"がなんといっても絶品で、Monkのソロピアノ、とりわけそのなかのバラードというのは、形容でいうと芳醇というほかなく、非常に香り高いもので、内部にうまみが凝縮されまくっている食べ物か飲み物みたいな感じなのだけれど、また以前は「滋味」という言葉をもちいたこともあったが、そのように味覚の比喩で語るのがもっとも適合するのがMonkだという感覚がある。Monkはジャズピアノの歴史上最高の独奏者のひとりだとこちらは確信しているのだが。それはおおげさにすぎるかもしれないが。Monkっていうと曲としても独特のスタイルがあって、Monkがつくった曲というのはリズムにせよコードにせよメロディのながれにせよ、これMonkだなという感じがおおくの場合明確にあって、それはジャズに興味をもってきけばだいたいだれでもわかるとおもうのだけれど、そこでMonkはユーモラスというか奇矯というか、ある種道化的かもしれない、しかし同時におそらくは非常に知的でもある、野生の知とでもいうような側面を、作曲としてもそうだし演奏としてもあらわにしていることがおおいとおもうのだが、その一方でバラードをやると、甘ったるさにはいたらない絶妙な甘やかさでもって、文句のつけようがなくひたすらに美しくストレートにやるというのが最高に胸を打つ。

2021/4/30, Fri.

 自分の書いたものを読みかえしていると、それぞれの作品の構成そのもののなかに、〈成功した/失敗した〉という奇妙な分裂が見てとれるように思う。ときおり、幸福な表現すなわち幸せな海岸があって、それから沼地や岩滓もあるので、彼はそれらの分類整理をはじめたほどである。それにしても、始めから終わりまで成功している本はまったくないというのか。――いや、おそらく日本についての本はそうだろう。切れ目なくほとばしる、喜びにみちたエクリチュールの幸福が、ごく自然に、幸せな性欲に結びついたのだった。〈彼が書くもののなかで、それぞれが自分の性欲を擁護している〉のである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、235; 「成功した/失敗した(Réussi/raté)」)



  • 一一時半の離床。前夜は三時四五分に就床したのに、そのわりにやや遅くなった。瞑想もサボる。コンピューターを点けておいて上階へ。母親は不在。父親は家の外で何かやっている気配があった。炊飯器を覗くと米もないし、前日の汁物の残りやサラダがあったのでそれを食べても良かったのだが、なんとなく面倒臭くてカップ麺にしようと横着し、先に風呂を洗う。漂白剤が出ており、そのそばでマットが扉に立てかけられてあった。もう乾いており、近づいたり触れたりしても漂白剤のにおいがしなかったので、たぶんもう流したあとだと思われたが、一応さらにシャワーをかけておく。そうして浴槽を擦り洗い、出ると「緑のたぬき」を用意して帰室。コンピューターを準備したりウェブを見たりしながら食べる。「英語」を読みはじめたのは一時過ぎだったはず。昨日の続きでSachal Vasandani『Hi-Fly』を流した。「英語」はいま645番まであるのだが、そこまで達し、最初にもどって30番まで読んだ。それからベッドに移って書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。書簡アンソロジーである「ドイツの人びと」をすすめる。日本では文学や哲学好きのあいだでもまったく知られていないような名前が色々出てきて、本当にたくさんのひとがいるものだなあと思う。当たり前だが。書簡は面白い。ゲーテの書簡とかマジでいつかすべて読んでみたいのだが。たしか五〇巻分くらいあるという話だったと思うが。
  • 今日は四時から(……)と通話する予定だった。その前、三時過ぎくらいからまた立って、今度は「記憶」を音読。ムージルの「愛の完成」、また「静かなヴェロニカの誘惑」からの引用。四時直前まで読む。便所に行ってもどってくると、四時ぴったりに(……)からZOOMの情報を記したメールが届いたので、隣室に移動。ZOOMをひらいてIDとパスコードを入力し、通話をはじめる。通話のことはあとで。話したことは、『浮雲』について、Cloudworksについて、曲、ギター、コード進行、宗教について、人生もしくは実存について、(……)について、など。
  • もともと五時から用事があって一時間だけという話だったのだけれど、その用事は昨日にまわってなくなったということで、六時半頃まで話は続いた。終えるとコンピューターを自室にもどし、上階へ。母親はタブレットで、以前送られてきた(……)くんがエヘヘエヘヘと笑っている動画を見てにこにこしていた。夕食の支度をサボってしまったが、アイロン掛けはおこなう。そうして食事。モヤシや肉の炒め物に筑前煮めいた煮物、サラダなど。新聞の国際面を見るとミャンマーの報があり、国軍とカレン族武装組織が衝突して、国軍側に四〇人の死者が出たと。それで報復で空爆がなされたと言い、今後も戦いが苛烈化するおそれがある。少数民族勢力の多くはクーデターを起こした国軍に対立し、抗議デモに賛同しており、だから各地で国軍側と衝突が起こっている模様。
  • はやばやと飯を終えて、食器を洗い、茶を用意して帰室。「記憶」をまた読んだ。ディスクユニオンのサイトのMale Jazz Vocalのカテゴリを見ると、Mel Tormeの名前があったので、久しぶりに流すかと思って、Mel Torme『At The Crescendo』をAmazon Musicで流した。このライブ盤は昔持っていてけっこう流したのだが、いつか売ってしまった。それで音読し、そのあとふたたびベッドに転がって書見。音楽はTaylor Eigsti『Lucky To Be Me』につなげる。Eigstiのピアノはすばやくて、畳み掛ける感じがあって気持ちが良い。こまかいフレージングなどよく聞いていないが。あとコード表現も良くて、このアルバムも『Let It Come To You』も、あとKendrick Scott Oracleの『Conviction』も、どれもたしか最後の曲はソロピアノだったと思うのだけれど、そのどの独奏も良かったおぼえがある。あと、Christian McBrideがやはりすごくて、こいつマジでなんなんだろうな? という感じ。ソロのことだが。正確無比なところはとことん正確無比なのだけれど、かといって機械的でもなく、リズムの流れ方が多少揺れるところもあるのだけれど、それはむろん瑕疵ではなく、音楽の一部として完全に統一性を保持しており、リズム的に曖昧なゆらぎをはらみながらあきらかに内的に一貫した流れを持続している、というわけで、ジャズのすごい連中ってみんなそうなのだが、どうしたらああいう感じのことができるようになるのかちっともわからない。
  • 九時をまわったら散歩がてらコンビニに年金を払いに行くつもりだった。それで九時前に書見を中断し、便所で腹を軽くしてから今日のことをここまで記述。いま九時二二分。
  • 服を着替えて出発へ。白いシャツとブルーグレーみたいな色のズボンというシンプルな格好。クラッチバッグをたいへんひさしぶりに持つ。九時半ごろに出たはず。予想よりも夜気が冷たく、けっこう肌寒かったので、すぐにシャツの第一ボタンをしめた。それであとは歩いているうちにからだがあたたまってくるだろうとまかせることに。夜歩きはとても良い。やはり人間、なんらかのやり方でともかくもからだを動かす時間をとらなくてはならないのだ。小橋をわたって坂を上っていくと、それがちょっとカーブするあたりで左にひらいた下り坂の先にある家にひとの気配があり、同時に煙のにおいもあたりにただよっていたので、外でバーベキューでもやっていたのかなと思ったが不明。裏道を西にゆっくりとすすむ。夜なので色彩もあきらかならないが、と思って見上げると、そういえば星は見えるからわりと晴れてはいるようだが月がなく、しかし数日前でちょうど満月くらいではなかったかとおもうのだけれど出がまだなのかそれとももうすんだのか、いずれ月の暦をいつまで経っても理解しないからわからず、ともかく空は暗くて月光がないから地上の色もその分あまり立たないようで、電灯が近間の頭上にひろがればそれだけでその向こうの宙や天は見えなくなってしまうから、あたりから黒い闇が寄って空間がせまくなり、そのなかに追いこまれたようでもあるが、その暗させまさは悪くない。街道に出てさらに西へ。コンビニはそこそこひろめの駐車場をもうけているが停まっているのは端の二、三台のみ、店舗の脇にたたずんでいる人影があり、駐車場の彼方には川をはさんで対岸のとぼしい灯火たちが黒の領域と化した山を背後にぽつぽつ見える。入店し、ATMで金をおろし、レジで支払い。すむとなにも買わずにさっさと出て、道をもどる。散歩がてら遠回りしていくことに。それで街道を東へ直進。ちょうど昨年のいまごろも授業がオンラインになり、オンラインで授業をやりたくないこちらはながく休みをもらってしばしば夜歩きに出ていたが、そのとき見たのと同様に、(……)の敷地を画す垣根の、たしかあれはベニカナメモチというやつだったはずだが、その葉がことごとく、ひとつの漏れもなく真っ赤に染まりきっていた。黙々と歩いて、「(……)」の前の自販機でキリンレモンを購入。本当はコーラが飲みたかったのだが、なぜかペットボトルのコーラはなくなってしまい、缶しかないので。さらに東へすすみ、裏に入って坂を下っていく。空はどうもやはり雲がないようで、青黒いように磨かれた銅板の質であり、そこに星がいくつか穿たれているもののしかしその星もあまり冴えず、雲がないわりにすっきりとせずに暗い夜だ。家のそばにつづく最後の坂に入りかけたあたりで、道にいるのも部屋にいるのもあんまり変わらないな、という感じが立って、ついで、まあ結局、こうして自分ひとりでゆっくり歩いていれば、人間というより、タンポポの綿毛が大気にただよっているのとおなじようなものだし、と思った。ひとりで歩いていると、まさしく諸縁を放下する、という感じがする。事物とか自然とかがすばらしいのは、それがこちらを完全にひとりに、ひとりどころかひとつにしてくれることだ。人間同士でいるとどうしたって、どれほど調和する相手であったとしてもそれは二人になってしまうし、どんな相手であれ相手が人間であるというだけで、当然だがやはり相対的に意味が重いから疲れてしまう。楽しいこと面白いことも色々あるし、面倒なことも嫌なこともむろんあるが、どういうかかわりが生まれるにせよ、人間とのかかわりのなかには、本源的に疲労がふくまれている。事物に対してそういう意味での疲労はない。あるいは完全にないわけではないにせよ、はるかに薄い。
  • 坂の出口にいたると樹々が途切れて空間がひらき、近所の家並みと川向こうの景色が望まれ、景色といったっていまは夜だから真っ黒に塗りつぶされた生地の上に対岸の明かりがいくらか、あいだに距離をひろくあけながら黄色く浮かぶそのなかに、あれは信号なのか車のライトなのか踏切りなのか赤い点灯がひとつあってとどいてくるのみの、夜景としては貧相というほかないその程度のものなのだけれど、川の流れの響きが夜気の静寂のなかごうごう昇ってくるのを感じながらそれをながめていると、それだけでなにかの感動が、叙情に近いが叙情にはなりきらないしずかな感動のようなものがきざして生じる。
  • 帰宅。部屋にもどって着替え、母親と入れ替わりにすぐに入浴。風呂のなかではわりと止まる。やはり瞑想的な、止まる時間をつくらないと駄目だなと思った。我々はつねに行動に支配されており、支配されすぎている。夜歩きは九時半から行って、帰ってきたのはたぶん一〇時二〇分くらいだったと思う。一時間に満たないくらいの間だったはず。そこから風呂に入って、一一時二〇分くらいには部屋にもどっていたか? 音楽を聞きながら書抜きをしようと思っていたのだけれど、水の気がやや残っている頭にヘッドフォンをつけるのに気が引けて、それでもうすこし乾くまで待とうと思ってベッド縁でウェブを見て、それから書抜き。書抜きは熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)に入っている。これも去年の三月に読んだ本なのだが。BGMはAmazonでSteinar Raknes『Chasing The Real Things』というのを流してみた。悪くはないが、すごく惹かれるわけでもない。基本、ウッドベースを弾きながらこのRaknesというひとが歌う趣向で、そこにコーラスとかブルースハープとかがくわわる。音楽性はブルージーだけれど、基本ベースがコードを担当していて、ほかにコード楽器もなかったような気がするし、ドラムなどもないからかなりものしずかな感じ。
  • 書抜き後は二八日の日記を書いたりだらだらしたりして、三時半に就床。あとこの日のこととしては、(……)との通話の内容を書いておかなければならない。
  • (……)との通話の序盤は、『浮雲』の話とCrowdworksの話だった。どちらが先だったかおぼえていないのだが。『浮雲』にかんしては、最近はなにを読んでいるのときかれたので、ベンヤミンなんていってもしかたがないしなとおもいつつ、まああいかわらずなんか小難しいやつを読んでるけど、と受けて、日本のものだと明治時代の小説を読んだといって内容を語ったのだった。言文一致をだいたい最初にやったものだといわれていて、言文一致っていうのは、明治ごろってまだ書き言葉は文語なんだよね、古文とか漢文みたいな文章で、じっさいに話してる言葉とはちがうわけだけど、それを話し言葉とおなじように書こうっていう話で、と説明。まあ、『浮雲』に載っていた桶谷秀昭の解説によれば、二葉亭四迷はべつに言文一致を野心をいだいてやったわけではなく、当時人気だった幸田露伴とかみたいにうまくてきらびやかな文章が書けなかったので、じぶんでもできる苦肉の策としてえらんだ、みたいなことが書いてあったとおもうが。それが十年か二十年くらいあとになって、国木田独歩とかをひきつけて先駆者として位置づけられるわけだから、わからないものだ。それでじっさい落語家が目の前でしゃべってるみたいな感じがあって、それは面白かったな、ただなんかストーリーが……なんかかわいそうっていうか、なんかなあ、みたいな感じだったね、ともらしておおきく苦笑をうかべ、文三の境遇や物語の展開を話した。めちゃくちゃ暴力的に要約すれば、役所をクビになって無職におちいったのを機に、両思いだとおもっていた女性と疎遠になって、彼女がチャラ男になびいていくのをとめられない、みたいな話なわけだ。それはたしかにかわいそうだね、そうするとけっこう共感できそうな感じ、と(……)は問うたが、それにこちらは首をかしげて、まあまったく共感しないではないけど、この主人公がまたはっきりしないやつでさ、実直で誠実なひととしてえがかれているんだけど、頭のなかでいろいろかんがえてはいるんだけど右か左かえらべなくて身動きがとれなくなっちゃうんだよね、だから全然行動力がなくて、おまえ、もうちょいなんか……やれよ! みたいな、といって笑う。そのあと、ほんとうに平凡な人間しかでてこないっていう感じだった、主人公が苦難にあいながらもがんばってのりこえるとか、成長するとか、そういうわかりやすい筋立てじゃないから、物語的にはそんなにおもしろくないというか、まあなんかなあみたいな感じだったけど、でもそういう意味でのリアリティはあったかもしれない、と述べた。
  • Crowdworksにかんしては、(……)がなにかのときに、水道の検針の仕事はいま全然募集してるみたいだから、といったのを機に(前に通話したときに、彼がやっているそれについて話をきき、そういう仕事もいいかもなともらしていたのだ)、ききたいことがあった、翻訳の仕事ってなにでやってんの、とたずねたのだ。Crowdworksというものの存在は知っていたし、たぶんそれではないかとおもってもいた。というか以前の通話でも、その名が出ていたかもしれない。Crowdworks自体もこちらはたしか昔に一度登録したことがあるような気もするのだが、それは気のせいかもしれない、登録までは行っていなかったかもしれない。(……)がやっているのは主に中国語を日本語に訳す案件だという。文書の種類としては、契約書やなにかの製品の説明書などが多い様子。あまりおもしろくはなさそうだが、そういった仕事でもやってなにかしら書き物で金をえなければ、いつまでたっても金をかせぐことができないだろう。ただ、割りはよくなさそうではある。容易に予想されることだが。時給に換算すると、五〇〇円とか六〇〇円くらいになっちゃうときもあるかな、というのが(……)の言だ。それにたぶん相当がんばらなければそこそこの金にすら達さないのではないか。だがまあ、そういうのも勉強にはなりそうだしな、とつぶやいておく。仕事を発注しているのはむろんだいたい企業だが、たまに個人での依頼もあるらしい。また、なかにはYouTubeの動画に字幕をつけてほしいみたいな仕事もあるとのこと。こちらから募集に応募することもできるし、あちらから依頼が来ることもあると。で、仕事が終わったあとの評価制度がもうけられているので、まじめに良い仕事をかさねていけば評判をたかめることもできると。やはりまじめに良い仕事をかさねていくことこそがこの世でもっとも重要な一事である。こちらは資格もなにもないわけだし、有効な手段になるのかわからないが、とりあえずそのうち登録して多少ためしてみてもよいだろう。
  • (……)は最近曲をひとつつくったといってギターをとりだしてきたので、それをきかせてもらった。素朴な感じだったが、思いのほかに悪くない。よくあるJ-POP的な感じとはちがっていてよいと評しておく。あまりあからさまにA・B・サビと構成をくっきりさせて物語的にもりあげていくという感じではなかったので。一応そういう構成にわかれてはいるわけだが。これを歌った音源に自作の絵もつけて動画に仕立てたというのでそれも見せてもらうと、鉛筆画なのだが、普通に絵がうまいなとおもわれたし、その数もかなり多かったので、これだけ描くのはたいへんだっただろうとねぎらう。記憶が刺激されて、たしか高校時代も絵を描いていたんではないかとおもったのでそうきいてみると、たしかに描いていたがそんなにやってはいなかった、それに(……)とか絵のうまいひとがいたしね、とのこと。(……)というのは(……)という名前の、バスケ部だったわりとイケイケな方面の男子で、彼は絵がやたらうまく、というのは自宅で母親が絵画教室をひらいていて、それで彼自身もおさないころからよく絵を描いてきたという事情だったとおもうのだが、数年前に会ったときの状況から変わっていなければ、いまは広告代理店的なよくわからん会社でデザインの仕事かなにかしているはずだ。高校二年生のときに我がクラスは合唱祭で"Soon Ah Will Be Done"という黒人霊歌をやったのだが、そのときに(……)が描いた、黒人がギターをかかえてつまびいているような感じの絵がやたらうまかった。(……)の家にはたしか一度だけ行ったことがある。なぜ行ったのかおぼえていないが。たぶん卒業後、大学時代のことで、同窓会的なあつまりに顔を出したときに、帰りにおくってもらうついでになぜか寄った、みたいな感じだったような気がする。彼の宅のアトリエというか、絵画教室がおこなわれているところを見た記憶もある。あまり詳細におぼえてはいないが。おそらく(……)も一緒にいたとおもう。(……)もバスケ部の一員だったやつだ。(……)は高校一年のときからなのか知らないが(……)さんとずっとつきあっていて、(……)さんはよく我々のクラスにやってきて(……)と仲睦まじく交流していたダンス部の女子であり、こちらは卒業式のあとに第二体育館みたいなところで卒業祭みたいな小規模のもよおしがひらかれた際にバンドでVan Halenの"Jump"をやったのだけれど、それがダンス部とコラボするという企画で女子ダンス部のひとびとが演奏の途中からあらわれてまわりで踊るという趣向になっており、それでわずかばかりのかかわりを(……)さんとえて以来なぜかすこしだけ仲良くなった。なぜなのかよくわからないのだが、こちらは高校時代、女子の一部から好意まではいかない幾ばくかの信頼感みたいなものをえていたようで、(……)さんもそのようなものをおそらく多少はこちらにたいしていだいていたようで、卒業後に何度か顔を合わせる機会があり、一度はデートでもないが二人でカラオケにいったことがある。なぜいくことになったのかわからないが。(……)さんはやたら歌がうまいひとで、このときもなにかしらのR&Bをやたらうまくうたっていたおぼえがある。こちらがなにをうたったのかはおぼえていない。(……)あとおぼえているのは、なにかの機会に数人であつまったときに、たしかそこには(……)さんもいたとおもうのだが、あともしかしたら(……)もいたかもしれないが、(……)さんが、他人と一緒に布団にはいって寝るのが好きじゃないみたいなことを口にしてこちらが同意したという一場面で、というかじっさいにはこちらが先にそういって(……)さんが同意をかえしてきたのだったかもしれない。当時は他人と同衾した経験も性交渉をもった経験もなかったしいまもないのだけれど、当時はあまりセックスをしたいという欲望も感じていなかったので、ひとと一緒にひとつの布団で寝るのはたぶん自分には無理じゃないか、ぜんぜんおちつかなくて心地よく寝られないとおもう、みたいなことを言ったのだったような気がする。いずれにしても(……)さんとこちらのかんがえが一致したことを記憶しているのだが、たぶんそのおなじ席で彼女は、当時は(……)とわかれていたのかあるいはまだつきあいがつづいていながらも恋情もしくは愛情がさめていたのかわからないが、たしか彼についてなんとか文句か愚痴をこぼしていたおぼえがあって、(……)さんがそれをきいていたわけだけれど、なぜかその場に同席していたこちらがだまって傍観者になっていると、二人のどちらかが、女性同士のいやな話をきかせてしまって、みたいなことを言ってとりなしたおぼえがある。さらに、どうでもよい連想なのだけれど、何年か前の四月にやはり高校時代の同窓会的なあつまりで花見に行こうとなったときがあり、当日はあいにく天気がわるくて急遽カラオケボックスのひろい一室に入ったのだけれど、そのとき参加していた男性はなぜかこちらだけで、あとからたしか(……)が来てそれで二人になったのだったとおもうが、女性はけっこうたくさんいてこちらはいつものことで言葉すくなにだいたい聞き役にまわっていたのだけれど、そこで(……)が元彼だったかそのとき好きだったひとだったかの話をして、たしか女子高生にとられたみたいなことだったとおもうのだけれど、そういう話をしているときにも(……)さんか(……)さんだか誰だかが女性同士のときにしか出ない嫌な部分を見せてしまっているね、みたいなことを口にして、こちらはそれに対していや大丈夫、おもしろいよ、だったか、それか勉強になりますとかなんとかかえしたおぼえがある。
  • この日の(……)の話にもどると、こちらもなにか弾いてくれともとめられたのでアコギを出してAブルースをみじかく適当にやり、そのあとコード進行の話など。(……)は曲をつくるといつも定番の、決まりきった進行になってしまうともらした。だいたい4→5→3→6もしくは1とかになるらしく、これはまさしく定番中の定番だ。こちらはサブドミナントマイナーをおしえた。先ほどの曲をきいたときにも、マイナーの色合いがどうもすくないから、どこかでちょっとはさんだほうが刺激があるのではないかとおもっていたこともあって。あとBメロだとたいてい2度のコードからはじめたりするね、Bメロはちょっと雰囲気を変えたいことが多いだろうから、というと、(……)はいままではCのキーでいうとAm、すなわち6度のコードを使うことが多かったらしい。まあでも結局、枠はある程度かたまってるから、あとはそのなかでどうやるかでしょ、どういう装飾を入れるかとか、それこそブルースもスリーコードだけでもできちゃうわけだし、とこちらは言い、ポピュラー音楽のいままでの歴史のなかで名曲っていわれたり、ヒットしたりした曲を調べてみれば、だいたいコード進行はおなじだろうからね、とも言っておく。まあもちろん進行を、つまりは物語的な展開を試行する挑戦もあって良いわけだし、それはそれで大切だが。ほか、余計ながらアドバイスとして、コードもスケールもリズムもまったくかんがえずに、本当に指のおもむくまま適当に弾くみたいなのもけっこうおもしろいよ、なんか音楽にたいする感覚がやしなわれるような気がする、といって例の似非フリーみたいなやつを適当に実践し、こういうふうに指を動かすとこういう響きになるんだな、っていう感覚がつくような気がする、といっておいた。
  • 終盤は宗教関連の話。(……)は「(……)」に属していて布教活動に精を出しており、それをみずからの生きがいとさだめているのだが、日々のメインはそれじゃん、あとほかになにかやってる? とこちらがきいたところ、まあたまにこうやってギター弾いたり、曲つくったり、とかえり、自分はまあ、聖書のなかに人生のこたえっていうか、人間にとっての一番大切なことのこたえがあるって確信しちゃったから、だからそのおしえをひろめるっていうのは一生、死ぬまでやっていくとおもう、というような言があったたしかそののち、不思議におもう? という問いがあったので、いやべつに、俺も似たようなもんだろうし、とこたえながらも、神への宗教的熱情と一緒にしちゃまずいかなと、つまり相手が自分の熱意や使命感を低く見くびられたと感じるかなという配慮が立ったので、いやまあおなじなのかわからんけど、と笑みで濁しておいたが、(……)はおそらく布教活動のなかで宗教にたいする反感とか無理解とかをいろいろ経験してきたのだろうとおもわれ、だからこのときの話もゆっくりとした口ぶりで、すなわち、こういうことを話して大丈夫かなと探りながら、ややおそるおそる語るような調子だった。とりわけ日本だと宗教というものはすぐさまカルトにむすびつけられて胡散臭がられたり敬遠されたりする気味が強いだろうから。まあじっさいにそういう側面もいくらかはあるのだろうが。その後いくらか話したあとに、(……)さんとこういう話ができるとはおもってなかった、高校のときにちょっとはなしたときに、たしか宗教は嫌いだみたいなことを言ってた記憶があったから、とあったので、まあ俺は伝統的なというか、それこそ神を信仰するみたいなタイプじゃないけど、べつにいまは嫌いってことはないよ、高校のときはたぶんよく知らなかったんでしょ、単純に、とこたえた。こちらがおぼえているのは(……)の(……)の上にあったサイゼリアでミラノ風ドリアかなにか食いながらそのあたりの事柄について話したことで、たしかにそのときはちょっと議論めいた感じになったおぼえがある。というのも(……)が進化論をみとめないと言って、進化論も最終的には証拠がないというか、本当なのかどうかうたがわしい、神が生物を創造したというほうが信じられる、みたいなことを話したので、それに多少反論した記憶がある。当時のこちらは進化論を常識として普通に受け入れていたし、いまもべつにそうで、よく知らないものの特にその科学的世界観をうたがう動向は自分のなかにないのだが、こうしておもいかえすと当時の(……)の言い分は、アメリカ社会でおそらくいまもそこそこの勢力を占めているだろう聖書絶対主義の宗教者と大方おなじだったのだろう。いまもそうなのかどうかは知らないが、上で記したように聖書というテクストの価値を信じ高らかに称揚しているわけなので、たぶんいまもそうなのではないか。どちらでも良いが、(……)がこの日の通話でいっていた、こちらが宗教が嫌い、ということを表明したという情報は、いまおもいかえすと、十字軍とかを例にあげて宗教の力によって多数の人間が死に、殺されてきた、だから嫌いだ、というようなことをもしかしたら言ったのかもしれない。あまり明確にその記憶がないのだが、いかにも中途半端にものを知ってひねくれた小賢しい高校生が口にしそうなことではあるし、当時の自分がそういうことを言っていてもおかしくはない。宗教といういとなみのそういう残虐さはむろん一面の真実ではあるのだが、この日こちらが言ったのは、宗教っていうものは俺の理解だと、人間を謙虚にさせるものだとおもうのね、つまり宗教ってどれも、人間を超えたものを志向するわけじゃん、自分よりも大きなもの、自分を超えた領域があるっていうことをおしえる、そうすると人間なんてまったくちっぽけなものだということになるし、万能感がなくなって謙虚になるとおもうんだよね、たぶんどの宗教もそうだとおもう、で、神、っていうといかにも宗教、っていう感じになるけど、べつに自分よりも大きなものがあるっていうのは神でなくてもいいわけで、まあそれがたとえば俺だったら文学、とか、それか芸術とか学問とか、まあなんでもいいんだけど、なにかそういうものがあると人間は謙虚になるんじゃない、というようなことで、これは精神分析的にかんがえるとひとは超越によって去勢される、ということだろう。(……)は興味深く感じたような様子を見せながらいくらか熱をにじませつつそれに同意し、そう、宗教ってたしかに、テロとかやっちゃうひともいるけど、やっぱりひとをただしくみちびくもので、そうでなきゃいけないとおもう、というようなことをかえしたのでこちらは、テロリズムはまあ経済的な要因とかも大いにあるだろうからあまり一概には言えないけど、ただテロに走るひとはさ、あれは謙虚になれなかったってことなんじゃない、つまり神と自分を接続しちゃうわけだよ、で、自分こそが神の意志を体現しているってなるわけだよね、それは一種の思い上がりで、だって自分や人間を完璧に超えた存在を、自分ひとりが代表するなんておかしいじゃん、そんなことはできるわけがないでしょ? そこで同一化が起こっちゃうんだよね、みたいなかんがえを述べた。(……)はこれにたいしても同意をかえした。宗教というものが一方ではおそらく人間を去勢して有限性のなかの中庸やつつましさをおしえるものでありながら、他方では超越との同一化によってまさしく神的万能感をあたえて極端に走らせる危険があるというのは、不思議なようでもあり、またなやましい事柄でもあるのだが、問題はどうしたってやはり主体形成の観点になるわけで、結局は超越に吸収されるのではなく、超越の前にとどまりながら永続的に超越に対峙しつづけることに耐えられる主体をつくらなければならない、ということになるのだろうか? カフカの『掟の門前』をおもいださせるような言い分だが、やはりおのれが個であることを個としてみとめてそれに耐えることのできる主体、というか。ひとまずはそういう方向になるのでは? どうやったらそういうあり方を涵養できるのかは全然わからんが。それにはどうしたってニヒリズムの契機を一度通過することが必要とおもえるのだが。つまり超越を知るということは自分の矮小さを知るということで、それはすなわち去勢されるということだが、おのれの無価値を実感しながらしかしそれを単純にみとめて、そこを前提として立ってあらたな価値秩序を構成していく、という。たぶんだいたいそういうルートをたどるだろう。そこでおのれの無価値をそれとしてみとめられるかどうか、というのが分かれ目になるのではないか。そこでそれに耐えられないものは超越にすがってそちらに吸収してもらうわけだろう。ただ一方でニヒリズムというと、ニーチェの有名な定式句によれば、超越がもはやない、という状況でもあったはずで、そういう場合どうなるのかわからんが。しかしむしろ科学優勢の現代社会においては、そういう頼れるもののない遊動的な人間性のほうが多数なのだろうか? だからそこで不安をおぼえて、エーリッヒ・フロム的にいえば自由の無拘束性に耐えられないのかもしれないし、したがってなにかしらの超越を見つけるとそれに心酔して一気にそちらに殺到し、同一化を目指す、ということなのだろうか。オウム真理教とか、そういうことだった、というかんがえがわりと一般的というか、すくなくとも村上春樹が『アンダーグラウンド』のあとがき的文章で考察していた内容を考慮するとそういう話になるとおもうが。たしかなのは、構造主義だのポストモダニズムだのがかまびすしく語られ、AIだのポストヒューマンだのがうんぬんされる西洋暦二十一世紀ではあるけれど、主体論と承認論はまだまったく終わってなどいないし、今後も当分のあいだは終わりようがないだろうということだ。
  • だいぶ話がそれたが、そういった宗教および実存の話題を語り、それでだいたい話は尽きた。あとどこかのタイミングで昨日(……)と電話した、といったところ、おどろきめいた反応があり、そこで(……)の呼び方が「(……)さん」になっていたのだが、この件は今日すなわち五月二日、(……)と会った際に笑い話として彼にも話しておいた。そのことはおぼえていたら五月二日の記事にのちほど記す。

2021/4/29, Thu.

 社会的言説やひどい社会的方言が集まる伏魔殿においては、二種類の傲慢さを、すなわちレトリック支配の恐るべき二形態を区別することにしよう。〈支配〉と〈勝利〉である。「ドクサ」は、勝ち誇(end231)ってはいない。支配することで満足しているのだ。ドクサはじわじわと広がって、ねばついてくる。合法的で自然な支配であり、「権力」の同意をうけて広がった、広範囲におよぶ覆いである。「普遍的な言説」であり、(何かについて)弁舌を「ふるう」というだけの事実のなかにすでに潜んでいる高慢さの形態である。だから、ドクサ的な言説とラジオ放送とのあいだには、本質的な類似性がある。たとえば、ポンピドゥーの死のとき、三日のあいだ〈それが流れ出て、拡散した〉のだった。逆に、戦闘的、革命的、あるいは(宗教が闘っていた時代における)宗教的な言葉づかいは、勝ち誇った言語である。それぞれの言述行為が、古代ふうの凱旋式になっているのだ。勝利者と敗れた敵とがつぎつぎと行進させられるのである。いろいろな政治体制について、それが(まだ)「勝利」したばかりの状況にあるのか、(すでに)「支配」している状況にあるのかによって、その体制を安定させる方法を判断し、その変化を明らかにすることができるだろう。たとえば、一七九三年の革命期の勝ち誇った態度が、どのようにして、どんなテンポで、どのような人物たちによって、すこしずつ落ち着き、広がったのか、そしてどのように「固まり」、(ブルジョワの言葉が)「支配」する状態に移行したのか、それを研究する必要があるだろう。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、231~232; 「支配と勝利(Le règne et le triomphe)」)



  • 一二時半過ぎまでとどまる。久しぶりに正午を越える寝坊となった。滞在も八時間半に渡る。今日から連休なのでまあ良い。大阪行きは結局断念されたので連休中はたぶんほぼ家にとどまってだらだら過ごすだろう。せいぜいちょっと(……)に出て書店に行くくらいか。読書会の次回の課題書であるちくま文庫ギリシア悲劇集も買っておきたいし。旅行の飛行機代金の払い戻しも無事なされた。緊急事態宣言を受けて航空会社が対応してくれたのだ。
  • 天気は曇りもしくは雨。上階へ行き、卵を焼いて米に乗せて食事。新聞の一面と国際面は昨日から「奔流デジタル」とかいう特集を組んでいて、「動揺する民主主義」という連載がなされている。今日の一面はイランでクラブハウスなるSNSが人気で、それを使って女性にスカーフの着用を義務付けるのは法的に正当か否か、みたいな議論がなされたと。テーマごとに仮想の「部屋」がつくられ、登録者に招待されることで参加できるらしい。これを政府が黙認しているのは政府自身もこのクラブハウスを使って政治的宣伝をおこなっているからで、ただほかの権威的諸国と同様、広告の効果と体制の安定性への影響を考量した上で、後者のほうがまさると判断されればTwitterFacebookのようにこれも禁止されるだろうという話で、それはそうなるだろう。ほか、春の叙勲で森進一が旭日章のたぐいをもらったとかあり、せっかくなので受賞者一覧をちょっとながめてみたところ、馬場あき子という歌人と、建築家の伊東豊雄と、あとアン・マクレランという作家の名があった。このアン・マクレランというひとはAmazonを見る限り、"Cherry Blossoms: The Official Book of the National Cherry Blossom Festival"とかいう著作をものしている模様。
  • 食事を終えて母親が放置していった皿と一緒に食器を洗い、風呂洗いも。茶を持って帰室。昨日(……)さんがくれたクッキーを食べつつ一服。それと同時に、今日は"Robert Walser Turned Small Lives Into Incredible Fiction: An excerpt from 'Walks with Walser,' a revealing new book about the legendary Swiss writer."(2017/4/1)(https://www.vice.com/en/article/yp9kjm/robert-walser-turned-small-lives-into-incredible-fiction(https://www.vice.com/en/article/yp9kjm/robert-walser-turned-small-lives-into-incredible-fiction))をまず読んだ。最近英文記事を読んでいなかったので。この記事も三回にわけてしまったが、ここで読了する。このあたりで雨がやや通る時間があり、パラパラ音が響いていたはず。そのあとKendrick Scott Oracle『Conviction』を流して「英語」を音読、そしてベッドでヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。今日は「都市の肖像」シリーズのマルセイユからはじまったが、この文章は良かった。モスクワのそれとは違って文学的な具体性がおりおりある。そのあとのやつもなかなか良く、「ドイツのひとびと」という書簡アンソロジーに入ってすこしのところまで。一七八三年から一八八三年までの作家などの書簡をベンヤミンが選んで註釈や解説をつけたもので、こんな仕事していたのかと思った。なかなか面白い。作家などの手紙というのはそれだけでわりと面白いが。最初に載っているのはツェルターといってゲーテの晩年の友人だった作曲家がゲーテの死(一八三二年の三月一五日)を知らされてヴァイマルの大臣に送ったもの。次のやつはリヒテンベルクという物理学者でアフォリズムの名手だというひとが、二〇歳くらい年下の、当時一三歳かそこらの少女を家に住まわせるようになり、何年か経ってついには正式な式は受けていないものの妻とみなすようになって周囲にもそのように公にしようと思っていたところでその女性が突然死んでしまった、という内容の報告。リヒテンベルクというひとはたしか『リヒテンベルクの雑記帳』とかいうものが邦訳で出ているはずで、以前書店で見かけてちょっと気になっていた。いま検索するとたしかに、作品社から出ている。Amazonの紹介によれば、「ニーチェが「ドイツ散文の宝」と賞賛し、ホーフマンスタール、ウィトゲンシュタインフロイトベンヤミンブルトンら、二十世紀の思想や文学に巨大な足跡を残した人びとに多くの刺激を与え、エリアス・カネッティが「世界文学におけるもっとも豊かな書物」と呼んだドイツ・アフォリズム文学の嚆矢!」とある。やばくない?
  • 四時で中断。トイレに行ってきてから瞑想。窓を開けると雨で水気の豊かになった大気のなかに、煙のような余白的な暈をともなったヒヨドリの声が響いているのが即座に聞こえる。心地が良い。肌が気持ち良い。ある程度やって姿勢を解くと、そのまま臥位になって、深呼吸をくり返しながらまたしばらく止まっていた。四時五〇分頃になって起き上がり、今日のことをここまで記述すると五時一五分。
  • 上階へ。帰宅した母親は炬燵に入ってくつろいでいる。おかえりとかけて、麻婆豆腐をつくることに。また、冷凍の餃子が数個だけ残っていたことも思い出したので、それも焼くことにした。腹がたいそう減っていたのだが、あと前日の残りのサラダの小鉢やカボチャが少々冷蔵庫にあったので、麻婆豆腐をこしらえればこちらの食事はもうそれで良い。そういうわけで手を洗って、野菜室を覗けばキャベツがすこしだけ余っていたのでそれを芯の至近まで切り、小さな紫タマネギも半分余っていたのでさらにその半分をいただき、フライパンで炒める。炒めているあいだに豆腐二個を切り分けて皿に乗せ、電子レンジで加熱しておいた。そうして素をパウチから押し出し、豆腐もそこに加えて、多少味醂も足しておくとあとはしばらく沸騰させればOK。もうひとつのフライパンで餃子を焼く。合間に食器乾燥機の片づけなど。できると五時半過ぎだった。あとは汁物など、やるならやってくれと母親にまかせることにして、アイロン掛け。エプロンやハンカチ、ワイシャツを処理して、六時に達する前にもう食事に入った。ちょうどそのあたりで山梨に行っていた父親が帰宅。まもなく風呂に行った。食べながら新聞を読む。国際面の、「奔流デジタル」の続き。ベリングキャットについてなど。ベリングキャットというのは民間の調査会社なのだが、英国人の元ブロガーのひとがつくったらしく、このひとはリビア内戦で現地のひとがSNSなどに投稿した画像を調査し、当地の状況を分析するということをブログ上でやっていたようで、それが人権団体の目に留まったと。それでオランダ法人としてベリングキャットが創設され、いまスタッフは一八人だと言う。ずいぶんすくないんだなと思った。アレクセイ・ナワリヌイが毒殺されかかった件の調査もこの団体がしていて、ナワリヌイ自身も協力して政府の安全保障委員会書記の側近とかいうポジションの人間だと装って電話で計画に関連した人間と話し、相手は見事に騙されて計画の詳細を長々と語ったらしいのだが、その音声がベリングキャットによってインターネット上に公開されたのだという。すごい。ベリングキャットは各国のジャーナリストらに調査手法を教えるレクチャーなどもひらいており、資金はだいたいそれとか寄付でまかなっているらしい。
  • 食事を終えて皿を洗い、ポットの湯がとぼしくなっていたので薬缶で水をそそいでおき、帰室。(……)から昨日着信があって、夜にメールを送っておいたのだが、この日その返信が来ていてあとで電話して良いかというので一〇時半くらいで頼むと返しておいた。室に帰ってきてこのときはLINEをひらいて(……)に返信したりしたはず。それから茶をつくりに行って、もどってくると書抜き。Keith Jarrett Trio『Standards, Vol. 2』を最初流す。次に、男性ジャズボーカルを掘りたいと以前から思っているので、ディスクユニオンのそのカテゴリにアクセスして、適当にAmazon Musicで聞いてみることに。一番上にAl Smithという名があって全然知らないしなんの情報も記されていなかったのだが、このひとはEddie "Lockjaw" DavisやShirley Scottの参加を得て『Hear My Blues』というデビューアルバムを出したひとらしく、しかしもう一枚、『Midnight Special』というのを出しただけでどうもキャリアは終わってしまったようだ。Amazonにその二枚がひとつになったデータがあったのでそれを流す。いかにもソウルフルという感じの、熱のこもった歌手で、シャウトもたびたびあってわりと暑苦しい。路線としてはJimmy Witherspoonみたいな感じだが、Witherspoonはここまで暑くはないのではないか。シャウトとかしない印象だし。Eddie Lockjaw Davisってきちんと聞いたことがないのだけれど、ソロを聞くとトーンがざらついていて、楽器でありながらしわがれ声の人間が歌っているみたいなニュアンスがあって、さすがに大御所というか、なかなか良いなと思った。Miles Davisも自伝のなかで褒めていたようなおぼえがあるし。『Hear My Blues』はベースがWendell Marshallで、このひとはDuke Ellingtonのバンドに一時いたらしい。『Midnight Special』のほうはサックスはKing Curtisで、ギターがJimmy Leeとかいう知らないひとだったのだが、このギターはうまい。
  • その後、一〇時半から(……)と電話。変わりなくやっていると伝える。(……)のほうは知らないうちに(……)の店舗に移っており、くわえて来月から(……)に新しくオープンする店の店長に任命されていると。すごいものだ。まだ入社して三年かそこらしか経っていないはずなので、出世のペースとしては相当はやいほうのはず。ただ、(……)の店というのは営業成績トップの社員がいるところで、そいつをぶっ倒してやると意気込んで行ったものの、やはりどうしてもかなわないと、できるやつはちがうと思い知らされたらしい。どこがすごいのかと訊いてみると、特にすごく突出したところがあるわけではないのだが、皆がだんだんおろそかにしてしまうような基本的なことをしっかりやっているし、人柄も良く、仕事の効率も良いと。(……)はそのひとよりもはやく出勤し、また遅く帰っていたらしいのだが、それでも抜くことができなかったと。単純な話、たぶんこまかなところがとても丁寧なひとなのだろう。こまかくやるとその分手間と時間がかかるのが順当なはずだが、そのあたりはやはり優秀さ、要領の良さということなのだろうか。とはいえ(……)も店長をまかされるわけだから有望視されていることはまちがいないだろう。店ではコロナウイルス関連はどうなっているかとたずねてみると、むろん仕切りをもうけたりしているが、やはり対面で話したいという客が意外と多いから、普通に対面でやりとりをしていると。オンラインでの手続きというのも可能ではあるらしいが。客もどちらかといえば増えており、一番いそがしいくらいだという。コロナウイルスで収入が減って安い家に移るにせよ、あるいはテレワークに対応した住まいに変えるにせよ、やはり社会環境がだいぶ変わってしまったからそれにともなって引っ越すというひとが多いようだ。
  • 家は(……)のままだが、駅前のマンションにいたのがべつの駅前のマンションに移ったという。結婚した? と訊いてみると、まだだと。そろそろ言おうかな、とおもっていて、店長にもなるわけだから良いタイミングだとも感じているらしいが、ただ、本当に結婚して良いのかなというためらいも一抹あるような口ぶりだった。いやまあ、いいんだけどね、ととりなしてはいたが。(……)はもともとそれなりにあそんでいて、複数の女性と関係をもっていた時期もあったが、結局いまの相手ひとりにしぼり、しかしそのひとが家事などあまりやらず、俺が部屋の掃除をしたりもろもろやっていると不満を口にしていたのを聞いたおぼえがある。その後、変わっているかもしれないが。
  • あちらは休みが五月二日までだと言い、その二日に(……)で会うことに。モノレール下の広場に行きたいというので、良いではないかと同意する。飲み物でも買って野外で話せば、感染のリスクもそう高くはないだろう。歩くのも良い。こちらとしては本屋でちくま文庫ギリシア悲劇集を買いたかったので、街に出るのはちょうどよい。できれば図書館にも行って、リサイクル資料を見たいが。とおもっていまホームページを見てみたが、しかし緊急事態宣言の発出を受けて書架への立ち入りや貸出ができないとなっているので、そうするとリサイクル資料もたぶん出ていないだろうから、今回は見送ろう。
  • 一年前の記事を読み返し。椹木野衣が書いたジェフ・クーンズについての文章とか、岡崎乾二郎ボブ・ディランについて述べた記事とか、Dylan自身のノーベル賞受賞を受けての声明とか読んでいるので、「記憶」記事にいちいち引いておく。自分の文では、以下の一節が悪くない。

夜歩き。暗い大気は涼しく、ちょうど良いくらいの肌触り。右手北側に見上げた林の樹影の隙間に明かりがあって、初めは電灯かと思ったがまもなく、どうも月だなと見分けられた。随分と強くはっきりした明るさで、じっさい樹々が途切れると全貌をあらわし、空は日中からずっと変わらず雲を排して澄みきっているので、頼みの綱をなくした月はどうあがいても身を隠せない。昨日とおなじくまだ孤月、曲り月だが、前夜に比べて結構太くなった風に見えた。左を向けば公営住宅の棟の口で、煙草に憩うているらしい人の影があり、あたりからは虫のノイズが、電気機械のノイズと区別がつかないごとく無個性無色に乾いて詰まった翅の音[ね]が、道の途中にぴんと張られたテープのように差してくる。気温はだいぶ上がったらしい。

  • 二時半頃から、2020/1/7, Tue.を読み返し兼検閲。(……)二〇二〇年一月七日のこのあたりの記述は感情的で恥ずかしいので、検閲する。

2021/4/28, Wed.

 言葉が観念をみちびいてゆくような言述はどれも、(価値的な判断からではなく)「詩的である」と言うことができる。もし、あなたが言葉の誘惑に屈するほど言葉を好きになれば、シニフィエを示すことや著述をおこなうことという掟から身を引くことになるだろう。そうなれば、文字どおり〈夢の〉言述となるのだ(わたしたちの夢は、目の前を通りすぎる言葉をつかまえて、そこから物語を作ることなのだから)。(わたしの考えだけでなく)わたしの身体そのものが、言葉に〈なじんで〉おり、いわば言葉によって作られているのかもしれない。今日、わたしは舌の上に、表皮剝離のように見える赤い斑点を見つける――しかも痛くないので、癌の症状ではないかと思う。だが、近くから見てみると、舌を覆っている白っぽい皮膜がすこしはがれた症状にすぎないとわかる。〈表皮剝離〉という、厳密ゆえに味わいのあるこの珍しい言葉を用いるために、このささやかな強迫観念的シナリオが作られたわけではない、とはわたしには断言できない。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、229; 「いかなる論理か(Quel raisonnement?)」)



  • 起床時のことは忘れた。新聞でこの日から「奔流デジタル」とかいう特集がはじまっていて、一面と国際面に載せられており、「動揺する民主主義」というテーマの記事なのだけれど、一面のほうで語られていたのはジンバブエの状況で、デジタル技術で益を得たのはもちろん反体制運動をする側だけでなく、政府の側もそれを活用して抗議者をピンポイントで摘発に来るようになったと。以前は集団でつかまえられて、牢屋で何日か過ごせばそれで終わりで釈放される、という大雑把な感じだったらしいのだが、もっと個で取り締まるやり方に変わってきているとのこと。ジンバブエはもともとムガベ大統領というひとがたしかずっと独裁的にやっていて、たしかけっこう前にめちゃくちゃなインフレを招いたのもジンバブエだったような気がするのだが、ムガベが死んでべつの指導者に変わったあともしかし本質は変わっておらず、抑圧的な体制が続いているようだ。国民のかなりの割合が貧困と言って良い生活水準らしく、しかし農村部など、電気も水道も引かれていないようなところでもスマートフォンはわりと皆持っているらしい。国際面のほうは中国について書かれてあり、武漢など都市では網格員という立場のひとが住民を受け持って管理していたと。要するに隣組的なもので、その網格員なる役職のひとが六〇〇人とか一〇〇〇人とかを担当して、相談にこたえたり、情報を提供したり、逆に情報をもらって上に報告したり、コロナウイルスで都市封鎖されていたときにはひとによってはかわりに買い出しをおこなったり、と働いていたらしい。それが専用のアプリのたぐいで連絡交換されていて、怪しい人間などがいたらすぐに党のほうに報告できるわけだ。マジで監視国家というか、市民たち自身の密告、チクりが横行して体制維持に大いに貢献するようになっているのだろう。人権派弁護士の家に訪問者があった、という情報も上がってくる、ともあったし。上がった情報はたしか警察のほうのビッグデータに集約される、ともあった気がする。それにしても、ひとりで六〇〇人とか一〇〇〇人とか担当するのはめちゃくちゃ大変ではないかと思うのだが。いくらアプリを使うと言っても。次々に相談が来たらとても回らないだろう。
  • 出勤までのあいだに特段のことはなし。家を発ったのは三時半過ぎ。あたりに鳥の声が散っているなかを急がず行く。眠たいというか、なぜか頭が重いような感じが多少あった。いますぐベッドに横になって何もせず呆けていたいような。しかしそうも行かないのでゆるく歩をすすめる。(……)さんの宅の前には、夜にここを通るとよく停まっているのだが、何者か不明の軽自動車。前方、小橋では、すぐそばの家に住んでいる外国人だったと思うが、板状の台車に乗せたものを沢のほうに次々投げ捨てているひとがいたのだけれど、何を捨てていたのか見えず。動きからしてそんなに重いものではなさそうだったので、掃除で集めた草とかか? 坂に折れると前から虫取り網みたいなものを持った子どもが来て、たぶん五歳から七歳のあいだくらいの歳だったと思うが、白人系の外貌をしている少年だったので、先ほどの異国のひとの息子だろう。すれ違って上っていき、余裕綽々で駅へ。ホームに入るとベンチに就いて脚を組み、瞑目して休む。寒くない。たしか陽はほぼなかった気がするが。わずかなあいだだけでも、目をつぶって止まっていればけっこう回復する。来た電車に乗っておなじように座席で休んで待ち、降りると駅を抜けて職場へ。頭の重さはわりと溶けていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • もろもろやって退勤は八時四五分頃だったか? (……)
  • (……)それで挨拶して退勤。今日は徒歩ではなく電車で帰ることに。Woolf会もあるし、体力を温存しておきたかった。駅に入って電車に乗り、瞑目して休息。最寄りで降り、誰からも離れて一番うしろをゆるく行く。たしか例の、気温が高くなってくるとあらわれる、ジージーいって無個性な持続ノイズ風の虫の音が発生しはじめていたはず。ホームから線路を越えて表通りのほう、どこかの草から聞こえていたおぼえがある。その他の帰路の印象は特にない。やや肌寒かったか? 体内が空だったし。
  • 帰宅し、着替えてベッドで休息。一〇時頃に食事へ。寿司だった。小僧寿しの海鮮丼。もう品があまりなくて、あんまりいいのじゃなかったけど、と母親は言うが、全然かまわない。実際食っても、小僧寿しなど本当に良い寿司からすればパチモンみたいなものなのだろうが、かなりうまかった。感謝の念が湧くくらいのうまさだった。やはり胃が空だったし、からだから水もけっこう抜けていただろうから、そういう状態で食えばたいていのものはうまい。手巻きも食い、あと小僧寿しは近年唐揚げも売っていて、そのけっこう大きめの鶏肉も一切れ食べて、たいへん満足。食器を片づけて下階にもどり、隣室に移ってZOOMにつなげたのがちょうど一〇時半頃。この時点での出席者はまだ(……)くん、(……)さん、(……)さんだけで、のちに(……)さんが来て、さらにのちに(……)さんもあらわれた。あと、(……)さんもいっとき滞在。一時頃におもいきり良く去っていった。(……)さんと(……)さんは聴講だったから、実質(……)くんと二人でやるみたいなもので、もうすこし待ったほうが良いかとも思ったが、ともかくはじめることに。それでこの日はこちらが担当なので、英文を読み、訳文も読む。前回と前々回は前から逐語的に訳すフェイズを入れたが、今回それを挟むのは中ほどのやたら長くてわかりづらいところだけにして、あとは英文を読んでそのまま訳文に行った。訳した文章は二五日日曜日の記事に載せたので割愛。(……)くんからはわりと好評価をもらった。「あれこれ考え合わせて、私はこのひとが好きなんだ、嫌いなんだ、って、そんなの、どうやって決められるっていうんだろう?」の、「って、」という部分が良かった模様。
  • 本篇が終了すると、『イギリス名詩選』。(……)くんはこのイギリス詩を読むのにも飽きてきたようだが。かわりにWoolfのエッセイを読むのも良いのでは、と言っている。こちらはどちらでも良い。ともあれ、94番の、Ralph Hodgson, "Time, you old gipsy man"というやつを選んだ。前に大雑把に確認したときに、なかなか良い詩だと思っていたので。平易な言葉で、一行をどれもみじかく書いているが、内容としてもなんか良い感じだし、まさしく馬車でゴトゴト、安定的にすすむかのごとき、いわばエイトビートのリズム感がある気がする。インターネット上で拾った原文を以下に掲示

TIME, you old gipsy man,
Will you not stay,
Put up your caravan
Just for one day?

All things I'll give you
Will you be my guest,
Bells for your jennet
Of silver the best,
Goldsmiths shall beat you
A great golden ring,
Peacocks shall bow to you,
Little boys sing,
Oh, and sweet girls will
Festoon you with may.
Time, you old gipsy,
Why hasten away?

Last week in Babylon,
Last night in Rome,
Morning, and in the crush
Under Paul's dome;
Under Paul's dial
You tighten your rein—
Only a moment,
And off once again;
Off to some city
Now blind in the womb,
Off to another
Ere that's in the tomb.

Time, you old gipsy man,
Will you not stay,
Put up your caravan
Just for one day?

  • 三連目でぐっと時間の範囲が広大になって、古代バビロニアまで歴史をさかのぼり、そこからローマ帝国を経由しながら一気にぐあっと現在のロンドンにまで来るというダイナミズムが良いみたいなことを(……)くんが言い、その点はこちらも同感である。しかも一週間でそれがなされるわけだから。人間にとってははるか遠い時空の距離でも、時そのものにとってはたかだか一週間のことにすぎない、という風なたとえになっているわけだ。あと面白いのは、Off to some city/Now blind in the wombの言い方か。いまだ目も見えず子宮のなかにあって誕生を待っている未来の都市へ、ということで、cityにwombをあてるのが面白い。blindは註によればhiddenの意だといわれているのだが、普通に、胎児が生まれる前は目が見えない、もしくは目がないというイメージの重ね合わせとしてとらえても良いのではないか。
  • イギリス詩も読むと、そのあとは例によって雑談。こちらは(……)さんが来ていたので、聞きたいことがあって、と言い、生涯独身だったような女性の自伝とか伝記があったら知りたくて、と話した。このあいだ二葉亭四迷の『浮雲』を読んだらなかの台詞で、まさか尼さんじゃあるまいし、女が一生旦那ももたずに生きていけるもんかね、みたいな言葉があったのだが、しかし現実には江戸にも明治にもそういう女性は圧倒的少数派ではあれいたはずで、そういうひとの生とか考え方とかが語られている本があったら読みたい、と説明し、情報を乞うたが、やはりそんなにぱっと出てくるものではないようだ。(……)さんが一番に思いついたのは森茉莉だといい、森茉莉がどういう生涯だったかちっとも知らないのだが、そうかんがえるとたしかに、こちらは文学者のたぐいをなぜか排除してかんがえていたけれど、女性作家のエッセイとかを読むのが良いかもしれない、とおもった。まあできれば『浮雲』を読んで得た発端に合わせて、男性中心父権制社会のなかで独力で生きたようなひとのものが読めたほうが良いが、そこにめちゃくちゃこだわるつもりもないので、とりあえず女性作家の文章をいままでよりも意識してみたほうが良いかもしれない。実際、女性作家のものって全然読んでこなかったと思うし。あと(……)さんは『明治女性文学論』という本を画面越しに見せてくれ、また、彼女がいま書いている文章がそういう方面のものらしいので、(……)くんにうながされて、じゃあそれを今度おくります、と言ってくれた。
  • ほか、入管法の件やその抗議についてなど。(……)さんはこの日もデモに行っており、それで参加が一時過ぎくらいからになったのだった。当事者をまもるという意識が、メディアにも社会にもうすいのではないか、というような話がなされた。入管関連であれなんであれ、不条理な目にあわされている人間自身が声をあげてみずからの境遇や心情について語り、批判や告発をすることがあるわけだが、それはやはり非常なリスクをともなう行動でもあって、色々なところでバッシングを受けたり、ときには身の危険につながったりもするのだけれど、メディアの側はわりと言うだけ言わせておいてその後のフォローとかをせず、声を上げた人間をまもったりたすけたりするような環境構築もせず、それでいながらやはり当事者が語ることが大切だといってときにきわめて軽々しく「声」をもとめてくる、と。(……)そこから日本のジャーナリズム批判みたいな話が展開された。疑似中立というか、客観をよそおった事なかれ主義みたいな姿勢についてだったり、あと単純に記事や文章が面白くないということだったり。一応客観的とみなされる事実を伝えるのがマスメディアの役割であるという理解は一般的に共有されているとおもうのだけれど、それがかえって問題に踏みこめなかったり、価値判断をあまりにもしなさすぎるという姿勢につうじているのでは、と。New York Timesの名が挙がったが、海外の主要メディアは意見欄が充実していて、そのメディアとしての意見や態度や立場を明確に表明していると。New York Timesで言えばOp-Ed欄はたしかに充実しており寄稿者もいくらでもいるし、GuardianのComment is Freeを見てもそれは明白である。まずもってああいう場所で書いている人間の数が日本よりはるかに多い。Comment is Freeなんかは内容としても面白いものが多い。あと、記事に署名がないことと、出典をあまりこまかくあきらかにしないことが日本のメディアの問題点として挙げられた。紙の新聞を読んでいてもたしかに国際面の記事には特派員の名が記されているものの、政治など国内のニュースは基本的に無署名になっている。また、インターネットの記事を見るかぎりでは、海外メディアは文中にたくさんリンクを貼って、情報のソースとか、参考になるような情報とかをいくつも示している。だから、このひとめちゃくちゃ読んでるなというのがすぐにわかる、とこちらは応じた。あと日本の電子版の主要メディアでこちらが解せないのは、過去記事の検索が貧弱だというか、検索しても消えていることがよくあるし、いままでの記事をすべて集積したデータベースもない。New York Timesなどはマジで一〇〇年以上前の記事でも全部検索できたはず、とそういうと、日本の新聞もデータベースはあると言われたから実際にはあるらしいのだが、ただ有料だという。New York TimesはじめWashington Postであれなんであれ海外のメディアももうほぼ軒並み購読料が必要になっているのだが、それをかんがえるとBBCとGuardianはマジで偉大である。特にGuardianはマジでやばい。カテゴリ分けがめちゃくちゃこまかいし。あと(……)くんが言ったのだけれど、日本のメディアはいま直近で起こっていることを一応客観的に伝えはするけれど、その問題がどういう経緯を経てそこにいたっているのかということは充分には説明せず、情報をそういう広範囲の視野につなげるのが下手くそだと。それでいえばBBCは、たとえばいまだったらミャンマーがああいうことになっているけれど、ミャンマーがどうしてこういう状況になっているのか、という記事をかならず出しますね、まあわりと要約的ではあるけれど、それでも基本的な点を押さえたそういう記事を絶対につくって、それをミャンマー関連の記事には全部リンクするようにしていると思う、とこちらは受けた。
  • (……)
  • (……)
  • 結局終わったのはまた三時過ぎだったはず。(……)さんは(……)くんなどにいわせれば「できる人間」なので、早々に見切りをつけて去っていったのだけれど、我々はいつまで経っても話をやめることのできないさびしがりやというわけだ。こちらは(……)さんに申し訳なかったなと思い、ずっと発言せずにいたけれど、去りたいタイミングがあったのではないかと思って、終える前にその点言及したところ、いやいや、すごく勉強になりました、というような返答があった。それで通話を終え、それから入浴に行き、もどってくるとすぐに消灯して床に就いた。ちょうど四時だったはず。
  • あと、(……)くんはマンスフィールドを研究している、もしくはしていたひととやりとりをしているのだけれど、そのひとから紹介されて上田敏の訳詩をちょっと読んだらとても良かったと。上田敏といえば例のカール・ブッセの、山のあなたにうんぬんかんぬんというやつが有名なあれかとおもってそう口にすると、(……)くんが知ったのはロバート・ブラウニングという詩人のやつで、上田敏が訳した当該詩は『イギリス名詩選』のなかにも入っているのだけれど、簡潔な詩で、春の風景をうたって最後が「すべて世はこともなし」で終わるものであり、磯崎憲一郎が書くところの「世界の盤石さ」をおもわせるものだが、(……)くんはこれを読んだときに格好良いなとおもいつつどこかで聞いたことがあるぞともおもったところ、RHYMESTERがなんとかいう曲でこれをほぼそのまま引用していたもので、その曲を画面共有でちょっと聞かせてもらったが、ここで出てくるのかよとおもって笑ってしまった。ライムスターは(……)くんいわく全員早稲田大学出身らしく、やはりさすがだなとのこと。
  • 上田敏が訳した該当の詩文をWikipediaから引いておくと、「春の朝 [あした] 」というやつで、

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

  • 音調がほぼ全部五音でととのえられている。原文は下だが、The lark's on the wingを「揚雲雀なのりいで」と訳せるのは、たしかにこれはちょっと真似できないなという感じ。

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn:
God's in his heaven—
All's right with the world!

  • このころの日本の詩の連中って中原中也にせよ上田にせよ堀口大學にせよやっぱりみんな外国の詩を訳しているよなとおもって、まあべつにみんなではないのだろうけれどそうおもってそのように口にした。中原は世代的にはもうすこしあとか。日本のいわゆる近代詩がどこからはじまったのか全然知らないのだけれど、おそらく小説とも似たようなかたちで、たぶん西洋の詩を訳すところからはじまったのだろうし、最初に誰がやったのかとかそのあたりの歴史も知りたいのだが。それまではたぶん日本で詩といえば、漢詩か和歌のことだったのだろうし。そうかんがえると、小説はともかくとしても、日本のいわゆる近代詩って、そのほぼ全体が、西洋のエクリチュールの影響のもとに包括されてしまうというか、ジャンル全体としてもうほぼ西洋由来ということになるのか。いまさらだが。まあ一応、小説で江戸以来の読本とか古典文学の要素とかが多少入ってはいるだろうように、和歌漢詩の要素がいくらか入ってもいるだろうが。しかし明治以前、それに先立って江戸期の蘭学とかの連中がすでにやっていたりしなかったのだろうか? やっていないはずがないとおもうのだが。普通に医学とか実学とか学術ばかりでなく、文学や物語のたぐいも入ってきて読んでいたのではないかとおもうし、読んだら訳して似たようなことをやってみようとおもう人間がいないわけがないだろう。

2021/4/27, Tue.

 きわめてささいなものであろうと、いかなる事実にたいしても質問をくわえたくなる、という常に変わらぬ(むなしい)情熱がある。〈どうして〉という子どもの質問ではなく、意味をたずねる古代(end226)ギリシア人の質問である。いかなる事物も意味に身をふるわせているかのように、〈それはどういう意味か〉とたずねるのだ。どうしても、事実を観念に、描写に、解釈に変えねばならないのである。ようするに、事実にたいして、〈それとは違う別の名称〉を見つける必要があるのだ。この癖は、つまらない事実にたいしても特別扱いすることはない。たとえば、わたしは田舎にいるときは庭で小便をするのが好きだが、田舎以外ではそうではないと認める――あわててそう認める――とする。すると、すぐに〈それが何を意味しているか〉を知りたくなる。もっとも単純な事実でも何かを意味しているのだとするこの執着は、社会的には悪癖をもった人間であることを示している。〈名称の連鎖を切り離してはならない、言語の鎖を解いてはならない〉のである。過剰に名称をあたえることは、つねに嘲笑されるのだ(ジュルダン氏や、ブヴァールとペキュシェなど)。
 (無意味であることが価値となっている〈アナムネーズ〉以外は、本書においてさえも、何も意味をもたせることなく報告されているものはまったくない。事実を非 - 意味生成の状態にしておくことはできないのだ。いかなる現実の断章からも、ひとつの教訓や意味を引き出すのが、寓話の動きというものである。だが、それとは反対の本を着想することもできる。たくさんの「小さなできごと」を報告するが、そこから一行たりとも意味を引き出すことはぜったいに自分に禁じるという本だ。それはまさしく〈俳句〉の本であろう。)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、226~227; 「「それはどういう意味か」(《Qu'est-ce que ça veut dire?》)」)



  • 「ハンカチに孤独を秘めてたたかいをうたう聖女の祝福に死ね」という一首を作成。
  • なぜかわからないがけっこうはやく覚めて、一〇時半過ぎには離床できた。今日は休みなので瞑想も充分おこなう。
  • 食事を取りながら新聞。ロシアでナワリヌイ派の団体が暫定活動禁止を課せられたとあった。検察が裁判所に要請して審査をするとか。ほか、イスラエルではワクチン接種がすすんでマスク着用義務化が解除されて、国民のなかにはコロナウイルスはもはや過去のことであり我々は解放されたなどという楽観論も聞かれると。そんなに簡単に行かないだろうと思うが。ただワクチンはもうそろそろ国民の半数くらいが二度目の接種を終えるとかあったか。七割が接種すれば集団免疫を獲得できるのではないかと言われているらしい。ただしファイザー製は効力が半年くらいらしいし、インドで新たな変異ウイルスが見つかってもいるようなので、予断はできないだろう。そのインドでは件の変異型が流行していて、いまは一日で三五万人が新たに感染しているらしい。日本はいまたしか一日三〇〇〇人くらいだと思うから、人数だけで見るとまあ一〇〇倍くらいか。総人口のほうはだいたい一〇倍くらいだと思うので、日本と比べると感染割合はかなり高そう。あと、『ノマドランド』という映画がアカデミー賞を取るか何かしたらしいのだが、その三九歳の女性監督が中国出身のひとで、過去に中国政府は嘘ばかり言っているみたいな発言をしていたようで、おそらくそれで中国ではこの受賞が無視され、全然報じられていない、という話があった。
  • 部屋にもどってLINEを確認。(……)
  • それでようやく二時くらいから横になって書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。二時半過ぎくらいで、この日は曇天気味であまり陽がなかったので、干されていた布団を取りこんだ。自分のものと、両親のものもそちらの寝室に入れておく。そうして自身の寝床を整えて、そこに転がって書見を続ける。「都市の肖像」シリーズからモスクワについての文章を読みすすめるのだが、つまらなくはないがとりたてて印象に残る部分が多いわけでもない。なんというか、モスクワを外から俯瞰的に見て考察し、述べているような文章で、ベンヤミン自身もしくは話者がそのなかで過ごした具体的な時間のことがほぼ出てこない。体験的エピソードなどがなく、それ自体は書かず、そこから得られたらしい知見とか分析とか都市の特徴とかを記すだけ、という感じ。したがって、作者ベンヤミンもしくは語り手がその都市とどのように交流したのかがわからず、都市のなかにおける彼の姿が見えず、遊歩者の感じがあまりないので、そのあたりがいまいち味気なく感じられるのかもしれない。風景的なものもないではないのだが、それを見て感得している主体の姿がなく、具体的な時空ではなくて、モスクワとはこういうものである、というような一般的な紹介や考察や報告の記述になっているので、身体的なニュアンスや彩りがないというか。あまり「身体的」とか「肉体的」とか、文章にかんして使いたくないのだが。
  • dbClifford『Recyclable』を久しぶりに流して歌をうたったのがこの日だったような気がする。かなり好きなアルバムで、洒落たポップスとして相当質が高いと思うのだが、もはや誰も話題にしない。発売当時にシングルカットされた"Simple Things"と"Don't Wanna"がちょっと知られたくらいだろう。この二曲も良いが、やはりシングルだけあってわかりやすくキャッチー。ほかの曲にはもっとジャズ風味だったりするものもあって、そちらのほうも面白いし良い。
  • 四時頃に母親が部屋に来て笑いながらやろう、とか言うだけで去っていくので何かと思ったが、先ほど、植木鉢などを片づけたいと言われていたのだ。それでサンダル履きで外へ。父親が帰ってきており、家の前に車が停まっていた。南側に行って、母親とともにゴミを整理。古くなって汚れている植木鉢を、そのあたりにあったシャベルを打ちつけて破壊し、ゴミ袋に入れていく。面倒臭かったので軍手をつけてこなかったのだが、するとシャベルを鉢に上から突き下ろすときの衝撃が素手に伝わって、けっこう痛い。豆ができるのではないかと思ったが、大丈夫だった。手のひらをよく揉んでおいて良かった。母親のほうはいらないホースを切ったりなど。こちらはひたすら鉢を破壊し、ゴミ袋のスペースがなくなってきたのでさらにこまかい破片にするのだが、意外となかなか割れなくて骨が折れる。なかにひとつ、弾力のある素材でできているものもあって、それは大変だった。
  • 終えてなかへ。もう五時くらいだったのではないか。何をしたのかおぼえていない。
  • 六時前。ブログに記事を投稿する。BGMとしてLINEのグループで紹介されている音楽を聞いてみようと思って、(……)さんが直近に投稿していたURLからアクセスしたのだが、それはBlacksmoke "What Goes Around Comes Around"というやつで、これ自体も全然悪くなくて、ああこういうのだよなあと思ったのだけれど、そのあとタブを閉じようというところで自動的にはじまった次の音源が一聴あまりにもメロウで良く、なんやねんこれと思って見てみると「[1981] Fuse One – Silk [Full Album]」(https://www.youtube.com/watch?v=9y63MnA7pMQ(https://www.youtube.com/watch?v=9y63MnA7pMQ))だったのだけれど、動画情報として記されてあるパーソネルを見れば、Stanley Clarke、Eric Gale、Ronnie Fosterの名があって、こんな音源あったのかと思った。全然知らなかった。まあフュージョンというかスムースジャズというか、そのあいだくらいな感じだろうが、プロデューサーはCTICreed TaylorでエンジニアがRudy Van Gelder。スムースジャズってべつにそんなに好きではないというか、むしろ昔はぬるいと思って敬遠していた口だし、フュージョンも、色々あるけれどそんなに好んではおらず、どちらかと言うとやはりアコースティックジャズのほうが好きな身なのだけれど、しかしこれはわりと良いのではないか。
  • Dee Dee Bridgewater『Live At Yoshi's』を流した。良いライブ。バックが良い。"What A Little Moonlight"をLINEのグループに貼っておく。また、のち、上でフュージョン的なやつを聞いてGeorge Bensonのことを思い出し、久しぶりに聞いてみるかと思ってAmazonで検索し、『Breezin'』を念頭に置いてはいたのだが一方で『Cookbook』のことが思い出されて、これはたしかこちらがこのアルバムの存在を知った頃、というのはたしか高校から大学に上がるくらいの時期だった気がするのだけれど、小沼ようすけ教則本を買ったところそのなかに小沼が選ぶ名盤みたいなコーナーがあって、たしかそこで紹介されていて知ったようなおぼえがあるのだけれど、その頃は廃盤で再発もされていないしレアだけれどすごい名盤で、みたいな評判だったような気がするのだけれど、いまやそんなことは関係ない時代となった。聞いてみればたしかにいかにもファンキーで、正統派だった頃のBensonが弾きまくっていて、冒頭曲などたしかにすごかった。小沼の教則本はいまだに部屋にあるので、いま見てみたところ、たしかに『Cookbook』が左ページの一番最初に取り上げられている。そちら側に紹介されているギタリスト四人は、BensonにGrant GreenWes MontgomeryにRobben Ford。Robben Fordだけ年代としても音楽としてもやや毛色が違うか。ただ紹介されている作品はRobben Ford自身のリーダー作ではなく、Rickie Lee Jonesの『Pop Pop』というやつで、ここでFordはガットギターで歌伴をしているらしいのだがそれがうまいと。右ページは一六枚のアルバムが紹介されており、だいたいもう知っているが、珍しいのを記しておくと、O'Donel Levy『Simba』というのがまずちっとも知らない。レアグルーヴ系のものらしい。P-VINEから出ている。あと、Emily Remler『Firefly』というのも知らない。三二歳で夭折してしまったらしい。あとはBeckの『Loser』があって、Beck自体は多少聞いたことがあるが、このアルバムは知らない。Jill Scottの『Who Is Jill Scott?』というのも知らない。Jill Scott自体も、名前だけで聞いたことはないはず。
  • この日はあと日記をすすめて、前日分まで完成、投稿。