2021/11/4, Thu.

 ほとんどすべてのものから、感受せよとの合図がある。(end137)
 どの曲り角からも風が知らせる、思い出せと、
 われわれがよそよそしく通り過ぎた一日が
 いつの日か決意して贈り物となってくれる。

 だれがわれわれの収穫を計算するのか。
 だれが昔の、過ぎ去った年月からわれわれを切り離せるのか。
 われわれが初めから知り得たのは、なによりも、
 一つの物は他の物のなかでこそ自分を知るということだ。

 なんでもない存在がわれわれに触れると熱くなるということだ。
 おお 家、牧場の斜面、夕べの光、
 とつぜんおまえはほとんど一つの顔となり
 われわれに触れて立つ、抱き、抱かれて。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、137~138; Es winkt zu Fühlung fast aus allen Dingen,; 後期の詩集より)



  • 起きたのは一〇時半ごろ。きょうは水場に行ってきたあと、起床時から書見。塚本邦雄『荊冠傳說――小說イエス・キリスト』(集英社、一九七六年)。のちにも読んで、一〇〇ページほどを一気に平らげ、読了。つまらなくはないが、特別におもしろいものでもなかった。小説としていろいろ技法とか工夫が凝らされているかんじでもない。だからあとがきで述べられてもいるように、単純に、塚本邦雄がおもうイエス・キリストの像を物語のかたちで形象化したかった、という作品なのではないか。語りかたの面ですこしだけ気になったのは、語りの対象として焦点となる人物がいつの間にかすばやく移り変わっているということが何度かあった点で、自由間接話法的な、人物の心中独白を書いているのか話者の立場からの評価なのかがわからないような部分をみじかくはさんでいるうちに、前の人物は用済みとなって気づけばべつの方面に移行している、というかんじだった。ただそれはテクニカルに、技法として意識的にととのえてやられたものではないとおもわれ、もっとぎこちないというか、おのずとそうなってしまったような感触だ。というのは、そういうとき、だいたい語りの配分が不均等になっていたというか、ある人物の心理やその周辺についての情報の提示が充分に完結していないとおもわれる段階でさっさとつぎに行ってしまっていたからで、だから、読みすすめていっていつの間にか先の人物からはなれてつぎのシークエンスがはじまっていることに気づくと、あ、この件はもうこれだけで終わりだったの? ずいぶんはやいな、という印象をえることになった。面倒臭いので具体的な箇所を引かないが、そういうかたちで、ほんのすこしその内面に触れるだけで二、三人をつぎつぎに過ぎていくような場面もあり、それはいわゆる神の視点と言われるような三人称の語りだとよくあるのかもしれないが、そこであたえられる感覚はすこしだけ気になった。これはやはり、塚本邦雄はなによりも歌人であって、小説家としての鍛錬や洗練を経てはいないということなのかもしれない。あるいは、小説を書く人間でもそんなにこだわるものでもなく、こういう無頓着な語りをする作家というのもけっこういるのかもしれないが。
  • といってべつに下手くそな文章だというわけではむろんない。ただ、書抜きという点で見ても正式に書き抜こうという箇所も見当たらず、メモ的にみじかく切り取っておこうということばづかいがいくつかあったくらいだ。それはだいたいのところやはり風景とか人物とかを描く比喩や形容のたぐいで、すごく良いというわけでもないのだけれどすこしだけ良く、また、こういう言いかたはじぶんはつかわない、いままでつかったことないな、いちおう写しておいてじぶんのなかに取りこんでおくか、という動機でひろわれたものである。ほんとうにちょっとした部分。
  • 物語はふつうにヨゼフとマリアからはじまってイエス・キリストとその周辺を描いていくもので、この作品のなかではイエスにせよ使徒たちにせよ、超越的な聖人ではなく、人間的な俗味を多分ににおわせた、いわば実存的な人物として語られている。その点はあとがきで、私が書きたかったのは聖人、神の子としてのイエスではなく、我が友、隣人としてのイエス、苦悩や矛盾をはらんだ青年イエス・キリストである、みたいなことを塚本自身が言っていたとおりだ。母親のマリアからして、聖母としての典型的なイメージ、慈愛ややさしさをそなえた高貴なそれとはかなりかけ離れた、冷淡で辛辣で打算的な人間として描かれている。そもそもイエスの誕生自体、処女懐胎などではまったくなく、ヨゼフとの交わりですらなく、ローマの百卒長である若者との不義によるものだとされている(完全にそのように明言されてはおらず、マリア自身、なにがあったのかわからない、おぼえていないみたいな記述もあった気がするが、事があったのはほぼ確実であきらかというにおわされ方になっている――また、マリアと関係を持った、すなわちイエスの真の父親であることになるこのローマの若者は、どうものちの総督ピラトであるらしい、という点も暗示されている)。使徒にしても、ユダはイエスを崇敬しながらもおりおり冷静で批判的な視点を持ち、それが裏切りへとつながっていくかたちになっているし、ヨハネはイエスを熱愛するたんなる愛されたがりの坊っちゃんみたいな調子で、イエスのほうもこの弟子をとりわけ愛しているようすでやや贔屓を見せているし、そこには同性愛的なニュアンスが色濃い(ヨハネはたびたびイエスの膝を枕にして眠る)。この作品のなかでいちばん超俗的かつ英雄的なのは、イエスよりもむしろその又従兄である洗礼者ヨハネかもしれない。一五歳で父母をうしなうとすぐさま放浪に出て俗世を捨て、隠者のあつまりを探し当ててそこにくわわっているわけだし、さいしょからじぶんの使命は、じぶんのあとにあらわれる救い主までのつなぎでしかないと見極めており、じっさいにイエスがあらわれると、それまでじぶんを崇拝してつきしたがっていた弟子がはなれていくのも止めず、彼らがイエスに惹かれてそのあとをついていくのにまかせる(いちおう、行かないでくれ、みたいな思いも心中で漏らしてはいたが)。そしてけっきょくはやすやすととらえられ、数か月投獄されたあと首を斬られて殉死するわけで、そういう無私性とか使命への忠実さという点では、ほかのだれにもまして、いかにも聖人らしい。
  • エスは奇跡を種々起こすわけだが、その描かれ方はまったく劇的ではない。この小説にあって、奇跡は奇跡として認められてはいるが、語りの水準で特別なことがらとして演出されているわけではなく、それはただ起こるものでしかない。そもそもユダの視点などを借りれば、純粋な奇跡ではなくたんに偶然によってどうにかなったり、聖なるちから以外の要因に恵まれたりという場合も何度かあったようだ。それ以外に、たしかに奇跡としかいえないような超自然的なできごともイエスのちからによって容易に起こっており、それに歓喜する(あるいは反対に憎悪する)ひとびとの反応も描かれてはいるものの、その奇跡は語りによってまったく盛り上げられてはいない。語りは全般的に一定の調子でかなり淡々と、波をつくらずにながれており、どれかのできごとを特権化しようといううごきが見られない。一五年いじょう別れていたヨハネとイエスヨルダン川で再会した瞬間、たがいがたがいのことをたしかにみとめ、また来たるべき瞬間が成就したことを理解するところなどかなり劇的なものにしうる挿話だとおもうし、ここにはさすがに多少物語的な興趣がそえられてもいたが、それでもその記述は語りの基調から浮かび上がってはいない。
  • 休日でずっと家に滞在したし、特別に印象深いことはない。夕刻にはいつもどおりアイロン掛け。じぶんのワイシャツを手にとって襟をひらくと、左手の指になにかが触れてうごめく感触があり、なんだとおもうやいなやすこしチクリと来て、虫だと判明した。いてっ、と言いながら手をぎこちなくうごかすと虫は落ち、見ると黒光りしているちいさなやつで、麦チョコみたいなかんじだが、尻のほうが二本ほそくとがったかたちになっており、それで刺されたのだった。さほど痛くはなかったが。いままでにも見たことのある虫なのだが、どこで見たのかはわからないし、なまえも知らない。それで背後にいた母親に、虫がいたわと報告すると、やだねといいながらやってきた彼女はなにか紙にたからせて捨てようとしたのだが、そのころには虫は炬燵テーブルにとりつけられた布にまぎれてすがたを消していた。それから布を持ち上げてなかを覗いたり、炬燵をつけてテーブルの下を照らしたりしたが見つからず、放っておいてアイロン掛けにもどろうとおもったところで天板の際あたりに発見されたので、ティッシュを二枚引き抜いてさっとつかみとり、丸めたものを母親が受け取ってトイレに流しに行った。母親は、ごめんね、かわいそうだけど、とかいいながら始末していた。アイロン掛けを終えると五時半くらいだったとおもうが、あまりにも腹が減っていたので、カレーをつくるという母親を待たず、素麺を煮込んで食べることに。それでふたりはいると狭い台所でタマネギなど切り、こちらはこちらで用意。母親がつくるのはスパイスをもちいたカレーで、タマネギをよく炒めなければならないらしく、とちゅう、彼女が鶏肉を切るあいだにこちらがソテーを担当した。そのあとはまかせて煮込み素麺をつくり、ほか、白米と鮭で食事。煮込み素麺は上手にできて、マジでうまかった。なにが成功の要因だったのかはわからない。白だしを入れたのが良かっただけか、それかたんにあまりにも腹が減りすぎていたというだけかもしれない。

2021/11/3, Wed.

 たくさんの遠方を知る静かな友よ、感じてほしい、
 きみの呼吸が今なお空間を広げていることを。
 真っ暗な鐘楼の梁のなかで、きみの鐘を
 つかせてごらん。きみを響かせた空間は

 響きを鐘として力強いものとなる。
 変容しながら外へまた内へと向かうがいい。
 きみの一番つらい経験は何だろう、(end134)
 飲むのが苦ければ、自分が酒になるといい。

 充実しきった夜の闇のなかに浸って、
 自らの五官の十字路で魔力を発揮するといい。
 感覚同士が奇しくも出会うところに意味を見つけよ。

 地上にあるものがきみのことを忘れていたら、
 静かな大地に向かっては言うがいい、私は流れると、
 速い水の流れに対しては言うがいい、私は留まると。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、134~135; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、二十九)



  • 九時まえに目覚め。快晴の朝で、カーテンをあけると雲のない青空のなかに太陽がふくらんでいる。しかし陽射しを顔に受けてもさほどじりじりとせず、さすがにもう勢いは弱いなとおもわれた。きのうのながれで九時のアラームをそのままにしてあったが、それが鳴り出さないうちに布団を抜けて、携帯の設定を解除した。そうしてまた布団の下にもどり、しばらく喉やこめかみを揉む。意識はあかるくはっきりしており、二度寝の心配はなかった。きのうの外出のために下半身が全体的にこごっていて鈍く、脚をほぐしたかったので、水場に行ってうがいや用足しなど済ませてくると、また仰向けになって書見をはじめた。塚本邦雄『荊冠傳說――小說イエス・キリスト』(集英社、一九七六年)。九時半からはじめて一一時ごろまで。61から102くらいまで。つまらなくはないが、特段におもしろいわけでもない。序盤にくらべると、多少おもしろくなってきたかなという感は受けるが、それは物語的な興趣がいくらか出てきただけのことだとおもう。
  • その後瞑想。瞑想というか、やはり深呼吸である。さいきんはこれでからだをほぐしている。上階へ。両親とも不在。炊飯器には五目ご飯があり、そうするとハムエッグを乗せて液状の黄身を混ぜる気にならないので、固めに焼いてべつの皿に取った。食事。立憲民主党枝野幸男が退任の見込みと。国際面でイラクについての記事を読んだ。人民動員隊という武装組織が我が物顔にふるまって民衆を抑圧しているらしい。もともと二〇一四年にISISとの戦闘のなかで、さまざまな民兵組織を糾合するというかそれをまとめるような組織として生まれたらしく、構成員のほとんどはシーア派でイランから支援を受けており、中核部分はイランへの忠誠を示してもいる。ただ同時に、イラク政府直属の正式な組織としての位置づけも与えられているらしく、構成員は給料をもらっているようだ。ISISとのたたかいで功があり民衆からの支持はおおきかったのだけれど、その後抗議の弾圧で銃をもちいたことで人心がはなれ、いまは商店からみかじめ料をとりたてることなどで資金をあつめており、傘下の店で批判的なことを言った人間がつかまえられて暴行を受けたりしているといい、したがって人民からの支持はもはや薄い。それで先の選挙でも政治部門は大敗を喫したのだが、選挙結果をみとめずに突っ張っており、政権も始末をつけかねているというところらしい。ただイランのライシ政権にせよそこから支援を受けているこの人民動員隊にせよ、イラクのサドル派にせよ、いずれも反米強硬派ではある。
  • 食器をかたづけ、風呂洗い。もどるとコンピューターを用意し、LINEに返信。それからきょうのことをここまで記して一時一〇分。
  • ほかに特段の記憶もない。勤務時のことだけみじかく記しておくか。といってそれにもたいした印象はないのだが(……)。
  • (……)
  • (……)
  • (……)

2021/11/2, Tue.

 おお 来てはまた行くがよい。まだあどけない少女よ、
 少しの間でも、踊りの形を完成させ、
 あの踊りの一つを純粋な星座となせ。
 そこでこそ、鈍く秩序を守るだけの自然を

 無常な存在であるわれわれが克服できる。なぜなら、
 自然は、オルフォイスがうたうときにのみ、耳をそばだてて動いたのだ。
 きみはあのときから揺り動かされているひとだった。そして、
 一本の樹木がきみとともに聴きつつ歩くのを

 長くためらっていると、少しいぶかしがったものだ。
 きみはまだあの場所を知っていたのだ、竪琴のひびきが
 たちのぼる場所を――あのとほうもない中心を。(end133)

 その中心のために、きみは美しい歩みをこころみ、
 いつかあの聖なる祝いのほうへ友の歩みと顔とを
 向けさせようと望んでいた。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、133~134; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、二十八)



  • 八時四〇分ごろにおのずから覚醒した。目覚めはあかるく、混濁の気味はない。目を閉じて深呼吸をくりかえし、からだをあたためているうちに九時がやって来てアラームが鳴った。起き上がって携帯を止めるとまたすこし寝床で脚をほぐすなどして、九時一八分だったかに離床。水場に行ってうがいをし、ながながと放尿してもどってくると、コンピューターでLINEを見た。(……)電車の時間と着く予定もおくっておいて、時間がすくないので瞑想はやらずに上階へ。
  • 父親はテーブルについて新聞を読んでおり(さいきんこれについて母親が、新聞を読むのがおそくてこまる、いつまでもだらだら、こっちははやく食べ終えて掃除機をかけちゃいたいのに、と文句を漏らすことが何度かあった)、母親は掃除機をかけているところ。ジャージに着替え、屈伸をくりかえして脚をなだめ、洗面所で髪を梳かすとフライパンで煮込まれた温麺に水を足し、麺つゆもくわえて加熱。それを椀で一杯分だけよそって食事。「(……)」のひとびとと昼飯を食うはなしになっていたので、それだけですくなく済ませた。新聞はむかいの父親が読んでいるので、もっぱら窓外をながめながら食べる。きょうは寝床にひかりが射しこむ朝ではあったが、空には全面的に淡い雲が溶けこんでおり、太陽もその白さのなかに封じられてすこしく減退を強いられて、肌と目を射る旺盛さとは行かなかった。食卓についたこのときも陽が出たり無色化したりとおりおりだったが、ひかりがとおればけっこうあかるく、炬燵テーブルの天板の隅に白光は宿るし、近所の屋根の瓦もその襞にあわせてこまごま飾られていた。川沿いの樹々に色を剝がして褐色じみたものもいくらかあらわれてはいるが、緑の梢が薄陽を受けて羽根のように淡く抜けつつひかりの触れない内側には濃い翳をはらんでいるのは、一月か二月くらいまえにながめた朝の感触とそう変わりない。
  • 食事のまえに先に風呂を洗ってしまったのだった。温麺をさっさと平らげると食器をかたづけ、帰室。コンピューターを用意してさっそくここまでしるせば一〇時二四分。一一時半まえの電車で行くのでそう猶予はない。
  • 出発。すばらしい好天だった。十字路から折れて坂にはいると目の前をゆるくのぼっていく道の左右が貝殻の破片めいた小ささかたちの黄色い葉っぱに縁取られてあり、頭上の樹々の緑と陽に触れられて乾いた黄色の対照があざやかで、いかにも印象派の描くあの風景のかんじだなとおもった。すすめば木洩れ陽もある。この時間に出歩くことがほぼなくて見るとして夕刻のそれなので、記憶とは違った方向からふりそそいで地に宿るひかりだった。最寄り駅から乗車。
  • 記憶が大してたしかでないのでどんどんカットしていきたい。行きの車内では書見。塚本邦雄『荊冠傳說――小說イエス・キリスト』(集英社、一九七六年)。(……)で降りる。土産というか、菓子のたぐいを買っていきたかったためである。改札を抜けるといったん広場に出たのは、出がけに父親からポストに入れてくれと封筒をわたされたのだが、最寄りでそれを投函するのをわすれていたところ、たしかこの駅前広場にポストあったろとおもったのだった。やはりあったので投函しておき、引きかえして(……)の地階へ。てきとうにまわる。ロールケーキもいいなとおもったが、モロゾフのプリンが目についたのでこれにするかとはやばやと決定。いぜんにいちど、(……)家にも買っていったおぼえがある。チョコレートのものが三つしかなかったので、それをふたつとふつうのものをふたつにした。苺のプリンもあったのでそちらでも良かったかもしれない。ほか、大阪からやってきてまた帰る(……)個人にもということで利平栗なる栗をもちいたという触れこみのケーキ(シフォンケーキ的なふわっとしたもの)のたぐいを選び、六個入りの箱を追加。購入して女性店員に礼を言い、紙袋を提げて駅舎へもどる。
  • ふたたび電車へ。ここから(……)までは瞑目して休んだ。駅に降りて携帯を見てみると(……)からメールがはいっており、三人は渋谷だか原宿だかのマスタリングスタジオに行って見学とか相談とかをしていたのだが、着くのは一二時五四分になる、(……)と(……)くんが駅を出て(……)のある側の木のまわりにいるのでそこに行ってくれとあった。まだ五四分より前であり、こちらのほうが先に着いたので、ホームを下りて改札を抜け、くだんの場所に行くと、はやめに着いたからもうそこにいるわと返信をおくった。あたりにはハトがたくさんうろついており、横に座っていた女児は、ハトポッポ、ポッポ、ポッポ、いいの? 餌食べないの? みたいなことを呼びかけていた。そのハトたちが駅舎の屋根の縁にたむろしているすがたとか、宙を切って飛んできた一羽が方向転換をしてちょっと浮かんで細い枝のうえに着地するさまなどをながめて待った。あんな細い、しなやかに揺れる枝のうえにあやまたず飛び乗れるとは見事なものだ。じきに三人が来たので手をあげてむかえ、あいさつして(……)家へ。
  • (……)がトンカツと唐揚げをつくってくれるということだった。それでこちらは(……)くんからギターを借りて(新しく買ったというストラト)いじり、いつものことでてきとうに似非ブルースをやりながら待つ。じきにトンカツができてきたのでテーブルのうえをかたづけ、米や味噌汁の椀などをはこぶ。そうして食事。トンカツはうまく揚がっていて美味かった。ありがたくむさぼる。味噌汁もうまい。トンカツを平らげた時点でこちらとしてはもうわりと滿足だったのだが、唐揚げがつづくという。ただ、唐揚げをつくるための薄力粉が切れてしまったということで、(……)が食事を中断してすぐそばのスーパー(「(……)」)に買いに行った。そうして調理がつづいたのだが、(……)は揚げては運んでくるばかりでなかなか座につけず、みずからこしらえたものを食べるチャンスがとぼしかったので、じぶんで揚げたのにそれではとおもってわりと満腹したこちらは積極的に皿を運び、のちには揚げる役も代わって受け持ち、(……)にも食べてもらった。(……)くんが揚げ物をする彼女のことを店長! と呼び、(……)も応じて威勢のいい飯屋の男性店長みたいな小芝居をしていたので((……)くんのことを「にいちゃん」と呼ぶ)、それに乗っかって、店長、俺がやっとくんで、休憩はいってください、とか言ったり、唐揚げを皿に乗せて持っていく際は毎回、「お待たせしました。唐揚げです」という字義的言語を口にして遊んだ。
  • (……)
  • それで昼食を取って満足したあとは、きょう行ったスタジオでマスタリングしてもらった音源を聞いたり、ギターをいじって遊んだり、(……)におくるメッセージをつくったり。メッセージは一部こちらが代行というか、(……)が書くのに苦戦していたのでこちらがキーボードをになって意向を聞きながらしたためたりもした。ほか、なぜか唐突に"Let It Be"とか"Stand By Me"とかを歌いだしてしまったり、それでThe Bealtesの動画を見たりなど。似非ブルースをやるのはいつものことなのだが、きょうは弾きながらじぶんで弾いた音に合わせてメロディをそのまま口ずさむという、ジャズの連中(けっこうみんなやるが、ギターでそれをやるひととして印象深いのはやはりKurt Rosenwinkel)がよくやっていることをやってみたりもして、それはそれでおもしろい。のちほど帰宅に向かう直前に、(……)くんがさいきん入手したらしいアンプシミュレーターをとおしてギターを弾かせてもらい、そのときにもAブルースをやりながら合わせて口ずさんでいたのだが、このときのようすを(……)がみじかい動画に撮っており、あとでそれを見たところ、そこそこさまになっているというかそんなに悪くない弾きぶりのようにおもわれた。もうすこし長く撮ってもらって、てきとうに弾いているフレーズがどんなものなのか見たかったくらいだ。ちなみに(……)は動画を撮りながら、John Lennonに見えてきた、とつぶやいていたが、ジャケットに丸眼鏡のよそおいでギターを弾いているのが、たしかに先にながした"Hey Jude"の動画中のLennonにちょっと似ていないでもなかった。
  • あとは面倒臭いので割愛する。夕食はちかくの「(……)」という沖縄料理の店に行った。こちらが来るのは二回目である。ゴーヤチャンプルーとか豆腐とかラフテーとかサーターアンダーギーとかエイヒレとかを食ってどれもうまかったのだけれど、いかんせん昼飯が油の多いものだったのでその満足感が夜になってもつづいており、空腹感が薄かったのでうまさを味わいきれないみたいな感じがあった。あと、ひさしぶりにながく外出したためか、この夕食くらいから頭痛があって、それも邪魔くさかった。頭痛はその後帰路もつづいたが、電車内で瞑目しているうちに多少ほどけてながれていった。

2021/11/1, Mon.

 なんと鳥の叫びがわれわれの心をつかむことか……
 ひとたび創り出されたある叫びが。
 けれども子供たちはもう、野外に遊びながら、(end131)
 真実の叫び声のかたわらを叫びつつ通り過ぎる。

 偶然なる叫びを上げる、この、
 世界空間の中間地帯へ、(そこへ、
 人々が夢の中へ入るように、健やかな鳥の叫びが入っていくが)
 子供たちはそこへ金切り声の楔を打ち込む。

 ああ われわれはどこに存在しているのか。
 ますます奔放に、糸の切れた凧のように、
 われわれは中空を駆ける、風で引きちぎられた

 笑いで縁どりをして。――叫ぶ者たちを然るべく整えよ、
 うたう神よ! 彼らがざわめきつつ目を覚まし、
 流れとなって頭部と竪琴を運んでいくように。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、131~132; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、二十六)



  • 九時のアラームで覚醒し、ベッドを抜け出して携帯を止めるときょうは二度寝にもどることもなくきちんと起床できた。水場に行って、うがいをよくしておくと、もどって瞑想。しかしきょうは瞑想というより呼吸法というかんじで、例の息を吐ききるヨガ的な深呼吸をしばらくつづけた。これをやるとじっさいからだ全体があきらかにほぐれて楽になる。九時三五分まで。きょうはいちおう陽射しが見える天気ではあったものの、雲もおおくてひかりはうっすらとしたぐあいで、いま一〇時二〇分は空がすべて白さに覆われてしまっており、太陽もわずかにつやめきを漏らすのみとなっている。
  • 上階へ行き、ジャージに着替える。髪を梳かし、屈伸をして脚をやわらげると、ハムエッグを焼いて食事。両親はきょう、隔離されていた宿泊施設(といってけっこう出歩けたようだが)を出て(……)の新居にはいる兄夫婦の手伝いに出向いている。新聞はとうぜん衆院選の結果をつたえており、自民党単独過半数をまもり、立憲民主党は振るわず敗北、維新の党が躍進して第三党に、という情報だった。四六五議席のうち自民党は二五七を取り、公示前の二七六から二〇ほど減らしはしたものの、選挙前には単独過半数はあやういのではと伝えられていたわけだから、まあ無事に済んだというところだろう。立憲民主党は一一〇から九〇に減り、野党共闘は不発に終わった。ほかはほぼ公示前と変わらないなかで(れいわ新選組社民党はそれぞれ一議席を保ち、共産党公明党も安定、国民民主党は八で変わらず、立花孝志のNHKと裁判をしている党は一からゼロになった)、維新の党は一一から三七と三倍いじょう増加した。大阪の小選挙区で立候補した一五名は全員当選したというから大阪での人気はどうも圧倒的らしく、今回はさらにほかの地域でも頭角をあらわし、自民党立憲民主党からこぼれた議席をかっさらったかたちのようだ。自民はもう嫌だが野党も駄目だ、みたいなひとたちの受け皿になったとおもわれる。いまNHKのページで正式な結果を見たところ、自民党は二六一、立憲民主党は九六、維新の党は四一だった。維新の党は小選挙区だと大阪以外では兵庫で一議席取ったにすぎないのだが、比例代表によって各地で議席かせいでいる。
  • 皿を洗うともう一〇時直前だったので帰室。LINEを見るとしかし、(……)さんの体調が悪いということで通話は延期となっていたので了承。おもいがけず時間が生まれたかたちとなり、わりとありがたい。睡眠がすくないので、あとですこし休んだほうが良いとおもうが。それできょうのことをここまで記して、一〇時四五分。きょうはいつもどおり五時から労働。それまでにきのうのことを書き終えてしまいたい。あしたは「(……)」のひとびとと会うことになっているので、音源も聞いておきたい。(……)が日々音源をアップデートしまくっているのに、ぜんぜん聞けていない。
  • 作:

 かくり世の唄の秘密を知ったなら漂う春をつかまえにゆけ

 雪融けの声はかなしい子守唄他生の夢をねむれひとの子

 香月 [こうづき] よ寄るべなき夜のあとさきもおまえ次第で温情となる

  • きょうのことを記したあとはそのままきのうのこともつづけて記し、正午にかかったくらいで完成した記憶がある。それから書見。きのうポール・ド・マンを読み終えてそのつぎになにを読むかまよっていたが、塚本邦雄『荊冠傳說――小說イエス・キリスト』(集英社、一九七六年)に決めた。なにかしら小説を読もうとはおもっており、『トリストラム・シャンディ』でも良かったのだけれど、じぶんは放っておくと日本人作家のものをぜんぜん読まないからなるべく日本人にしようとおもい、それでこの本にした。三島由紀夫の『金閣寺』とか、夏目漱石とか、林京子とか堀田善衛『時間』とかでも良かったのだが。それにしてもこうしてあらためて積み本を探ってみると、翻訳本にくらべて日本人の書いた小説をぜんぜん持っていないことがわかる。特にいま現役で書いているようなひとの本はほぼない。高齢者のものならあるが、いわゆる中堅とか若手みたいな、いまの文芸業界の前線でがんばっているようなひとびとの本が。
  • 塚本邦雄は主には歌人だが、その歌集は持っていないくせになぜかこの小説作品だけ持っていた。二五時半現在で四〇ページくらいまですすんでいるが、いまのところとりたてて印象深い部分はない。ちょっと気になるところがないではないが、書いておくほどのことがらではないし、じぶんのなかに目立った反応をまだ呼び起こされていない。
  • 一時で洗濯物を取りこみに行った。空がややさむざむと白くなったので乾ききっていない。ついでに風呂を洗っていなかったことをおもいだして洗い、もどるとさらに書見をしたり、Oasisをながして臥位のまま「読みかえし」ノートを読んだり。ストレッチをおこなって各所の筋を伸ばしやわらげると三時半過ぎ。上階に行き、「赤いきつね」を用意してきて部屋で食べた。容器を始末して箸も洗ってくるとはやくも歯磨き。そうして出発前に鶏肉をソテーしておくことに。台所に行って冷蔵庫をのぞくとタマネギやブナシメジや小松菜があまっていたので、これらをぜんぶまとめて炒めものにしてしまうことに。それで野菜を切り、鶏肉もちいさめに切り分けて調理。鶏肉からフライパンに入れて、すぐに味醂や酒などをすこしくわえて、蓋をして蒸し焼き気味にした。そのうちに野菜も足して、醤油もまわしかけると最大の火力でジャージャー炒める。しあがると洗い物をして終了。それで四時四〇分くらいだったか。部屋にもどるとBill Evans Trio『Portrait In Jazz』から冒頭の二曲のみ聞いた。枕のうえに座ってからだを立てたままで聞いたが、やや眠気が混じってあまりたしかに聞けず。そうしてOasisの"Champagne Supernova"をながして口ずさみながら服を着替え、出発へ。
  • きょうも大気に動きはほとんどかんじられなかったが、まだ五時過ぎで比較的はやいためでもあるのか、虫の音は林縁からはしばし立ってピリリピリリと笛を吹く。地上はもうたそがれというほかない暗さによどんで宵の気味すらはやつよく、遺漏なく夜にかたむいているものの、空を見れば雲にしろしめされてはいても青の色味がまだのこり、よどみの点では地上とそう変わらないとしても色のさかいはあきらかで、頭上のひらきばかりはまだ夜に数歩分おくれている。ところが坂道を越えて駅に出て、ホームに立って見上げたときには青みがもはや失せており、空は雲を墨に落として暗色をいっぱいに受け容れながら、わずかな色彩を苦もなくはらい、涼しい顔で地上の夜に合流していた。
  • いま二時過ぎ。歯磨きのあいだ、Seamus Coyle, "Death: can our final moment be euphoric?"(2020/2/6)(https://www.bbc.com/future/article/20200205-death-can-our-final-moment-be-euphoric(https://www.bbc.com/future/article/20200205-death-can-our-final-moment-be-euphoric))をほんのすこしだけ読んだのだけれど、BBCとか向こうのメディアって、特にすごい文章ではないのだけれど、話題の展開にしても文のながれにしても修辞にしても、読みやすくわかりやすい文として実にきちんと書かれてまとまっているなという印象で、しかも"an expert on palliative care"だと自称する人間がそれをふつうにやっているのがすごい。日本だとれっきとした学者としての身分を持っているひとでも、たとえば経済方面のウェブ記事の文章などでこのあいだも見かけたが、てにをはや構文の一貫性からしてちゃんちゃらおかしい、みたいな文が堂々とまかりとおっていることがあるのだけれど、それにたいして苦痛緩和治療の専門家であるこの著者はこともなげにDylan Thomasを引いてみせるわけである。大英帝国アメリカ合衆国も、なんだかんだ言ってそういうところはやはりすげえなとおもう。なにしろボリス・ジョンソンでさえ大学ではラテン語ギリシャ語を修めて、『イリアス』だか『オデュッセイア』だかを暗唱できるというはなしだ。日本だと首相が『古事記』か『日本書紀』を暗唱するようなものだろうが、安倍晋三菅義偉にそんなことができるはずもないのはどう見てもあきらかだろう。そんなことで右翼だの愛国だの大和魂だの大日本帝国だのほざいてんじゃねえとおもう。右翼や保守を自称するならまず記紀神話に万葉古今新古今、源氏物語平家物語に、本居宣長平田篤胤北一輝あたりを読んでから名乗れと。とはいえ、じっさいに読んだかどうかが本質的な問題なのではない。すくなくともそういう姿勢があるかどうかが問題なのであって、安倍とか菅とかそのへんの人間がクソなのは思想的に右派だからではなく、知と歴史と言語に敬意をはらってきちんと学ぶということを知らないからだ。右翼をやるならやるで日本文化や右翼の先人たちの遺産をしっかり学んでやれとおもう。知と思想と文学をなめるんじゃない。なによりも、ことばをないがしろにするんじゃねえ。それだからよりにもよって中央省庁のレベルで、忖度だのなんだので文書記録の改竄がふつうにおこなわれて官僚が自殺するようなことになったのだ。文学とはことばを読むこととことばを書くことを学び実践するいとなみいがいのなにでもない。それを欠いて思考も政治も歴史も公共もない。ことばに敬意をはらえない国家などながつづきはしない。
  • (……)

2021/10/31, Sun.

 変化を希求せよ。おお 焔の働きに感動せよ。
 焔の中でこそ、一つの物がきみから離れ、変容の華々しさを示す。
 地上のものを支配するあの構想の精神は
 図形の躍動するなかで転換する点のみを好む。

 留まろうと身を閉ざすものは、それだけでもう硬直した存在だ。
 目立たない灰色の保護を受け、それで自分が安全だと思っているのか。
 よいか、硬いものでも遠方からさらに硬いものに狙われている。(end130)
 なんと、不在のハンマーがふり上げられているのだ。

 泉となって注ぎ出る者は、見る目もつ者に見分けられる。
 見る目に導かれて恍惚として、晴れやかに創られるもののなかを流れる。
 それはしばしば、開始しては終わり、終わってはまた始まる。

 巧みに開かれて、人々が感嘆しつつ通る空間は、
 離別のあとか、さらなる離別のあとに生じる。変身したダフネは、
 自らを月桂樹と認めて以来、きみが風に変身するのを願っている。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、130~131; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、十二)



  • 一一時まえに離床。もともと九時まえだったかに覚めており、しかもきちんと意識が晴れていて喉を揉んだりこめかみを揉んだりしていたのだが、布団を抜け出す決定的な気力だけが起こらず、そうしていつかまた寝ついていた。きのうおととい二日連続で長くはたらいたことと、前日までの好天から今朝一気に白曇りとなって気温が下がったことが寄与したのだろう。そうして一〇時過ぎにふたたび目覚めてからもだらだらとどまり、一〇時五五分になってようやく起き上がった。水場に行ってきてからきょうは瞑想をサボり、ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)をひらいた。もうあとすこしで終わりだったので、読み終えてしまいたかったのだ。そうして読了。いま見てみるとこの本は九月二八日に読みはじめているから一か月いじょうかかずらってしまったわけで、これはさすがに時間をつかいすぎた。もっとかるく、軽薄に、こだわらずにどんどん読んでいこう。
  • 上階へ。ジャージに着替えて食事。きのうのサバやナスとひき肉の煮物などをおかずに米。新聞は一面で衆院選の投票日をつたえており、こちらもあとで行かなければならない。国際面を見た。ニューヨーク市で職員にワクチン接種が義務付けられたが、消防士や警察官などの一部がそれに反発して抗議を起こしていると。ワクチン接種をおこなわなかった職員は一一月から無給休暇あつかいになるといい、警察消防で義務化にしたがわない人員はだいたい一割から二割くらいはいるようなので、けっこうな人手不足が発生すると。書評面はたいして見ていないが、オーシャン・ヴォーンのOn Earth Briefly We're Gorgeousの邦訳があった。地上にて僕たちはつかの間かがやく、みたいな邦題だったか。新潮クレスト・ブックス。この若い、たしかベトナム系だったかのアメリカの詩人(作家)のことは(……)さんがいぜん通話でなまえを出したことで知った。いま検索してみると、原題はOn Earth We're Briefly Gorgeousの順番で、Ocean Vuongという名はヴォーンではなくヴォンもしくはヴオンと表記することになっているようだ。ほか、国分良成にインタビューしたページがあったのでちょっと読みたい。
  • 皿と風呂を洗い、茶を持って帰室。昨晩、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』をベッドで聞いていたらいつの間にか意識をうしなっていたのだけれど、その後自動再生でKeith Jarrett Trio『Still Live』の"When I Fall In Love"がながれたらしく、そこで止めたままChromebookの電源を落とすのをわすれていたので、部屋にもどってきてコンピューターに触れるとそれが表示された。なぜかなんとなくEarth, Wind & Fireをながそうかという気になっており、しかもあまりにも有名な"September"を聞きたいような気がしていたのだが、せっかくだしこの『Still Live』をながすかというわけで冒頭の"My Funny Valentine"から再生した。なんだかんだふつうに良くはかんじる。Bill Evans TrioとくらべるとKeith Jarrett Standards Trioというのは高潮と沈静の対照がやはりわかりやすく、ボレロ的にとでもいうか三者一体になってじわじわと時間をかけてもりあがっていくさまもより劇的といえる。だいたいのところ音楽の構成は、しばしばピアノソロのしずかなイントロからはじまってテーマにはいり、おのおの次第に音数やちからを増しながら高まっていき、最高潮にいたったところで一気に落下する、という漸進的高揚・解放の動態をえがいているとおもう。だから必然的にカタルシスはつよくなるだろうし、ダイナミズムとしてもセクシュアルというか、要は射精的な気味もつよいはず(そのいっぽうで曲によっては、みじかい単位の進行をひたすらながながと反復しつづける、単調ともおもえるような水平的持続を見せることもおおいが――たしかBlue Noteでやった"Autumn Leaves"のアウトロがそんな感じだったとおもうし、『The Cure』のタイトル曲とか、『Tribute』の"Sun Prayer"とかもそうではなかったか)。くわえてJarrett自身が例の有名な(ばあいによっては悪名高いというべき)しぼりだすようなうなり声でもって高揚とか官能性とか苦と入り混じった快みたいなニュアンスを積極的に演出しており、それがゆえに「ピアノとセックスしている」なんて形容を過去にはあたえられたようだから、性的なイメージは余計に助長されるし、細部を聞いても展開の中盤あたりの音の埋め方など、言ってみれば「こねくりまわす」ような感触を帯びているとかんじられ、そこも愛撫と性行為としての演奏というメタファーに回収されることになる(愛撫じみた局所的な手つきのいっぽうで、そこからガッと一気に、はじけるようにしてひらく、きらびやかなするどさのフレーズもおりおりはさまれるもので、『Standards, Vol. 1』の"All The Things You Are"がそのあたり印象的だった気がする)。

京極:バルミロたちが手を染める臓器ビジネスと、心臓を神に捧げるアステカ神話が重ねられていますが、この二つを結び付けた経緯というのは何かあるんですか。

佐藤:臓器売買が先ですね。レッドマーケットと呼ばれる臓器ビジネスは、資本主義経済の行きつく先です。それを麻薬売買と並ぶ現代の悪として、書こうと思いました。

京極:心臓売買が先だったんだ。

佐藤:はい。『資本主義リアリズム』という本を読んだら、マイク・デイヴィスという批評家がジェイムズ・エルロイのクライムノベルを批判した文章が引用されていて。デイヴィスは腐敗した社会の観察者を気取るエルロイを、レーガンブッシュ政権の世界観を支えたにすぎない、とぶった切っています。この指摘に衝撃を受けて、デイヴィスに応えられないとクライムノベルは書けないなと痛感しました。アメリカの連邦議事堂に突入したQアノン信奉者を見ても分かるとおり、以前のように無邪気にフィクションと現実を区別できない時代に来ている。だったら暴力を解除する鍵も、作中にセットしておこうと。それがアステカの人身供犠を重ねて書く作業でした。

京極:信仰の最深部が社会構造の終焉部とシンクロして行くという妙ね。確かにそういう強いメッセージはあるんだけど、混沌とした意匠に覆われているために、お説教くさくなっていない。全編残虐行為だらけのこの小説で、一番胸が痛むのは、罪もない子どもたちが心臓を取り出されるシーンですよね。どこか遠くにあるように感じていた搾取の構図が、急に身近なものとして迫ってくる。ここも上手いですよね。

  • (……)
  • それで福嶋亮大の記事を読み終えると上階へ。三時四〇分ごろだった。アイロン掛けをはじめる。母親は背後、テーブルの端で雑多なものものをかたづけたり整理していたよう。(……)
  • アイロン掛けをしていると暑くなるので、ダウンジャケットは早々に脱いでいたし、とちゅうでジャージの上も脱いで肌着になっていた。終えるとそのまま台所にはいって料理。母親はスンドゥブでいいじゃんと言っていたが、麻婆豆腐にすることにして、フライパンに中村屋のソースをあけるとともに豆腐を手のひらのうえで切って投入。冷蔵庫にパックにあまった小松菜がすこしあったのでそれもよりちいさく切ってくわえ、加熱してブクブクやったあと、ネギをふんだんにおろしてくまなく全体に配置し、ごま油をかけてしあげた。それから味噌汁。タマネギと卵にしようとおもっていたのだが、冷蔵庫をのぞくと半分あまったタマネギがあったのでそれをつかったほうが良い。しかしそれだけだと具がすくないので、やはりあまっていたブナシメジのうち半分くらいを取って足すことに。だが、いざ切って鍋に入れてみるとそれでもさびしい気がしたので、先ほど麻婆豆腐につかったネギの残りも入れることにしてザクザク切った。そうしてからだを伸ばしたり洗い物をかたづけたりしながらしばらく煮たあと、味噌(たしか四国かどこかの麦味噌)を溶かして終了。具がけっこう多くなったので卵はよしとした。
  • 米も母親が磨いでおいたのをとちゅうでセットし、炊飯ボタンも押しておいた。調理を終えると五時一〇分。その他の品はなにかつくるなら母親にまかせることにして、こちらは帰室。投票に行かなければならないが、六時くらいに飯を食って七時くらいに家を出れば良いかなとおもっていた。そうしてきょうのことをここまで記しながらいま六時にかかるところで、空腹もたかまってきているのでそろそろ食事を取りたい。
  • 食事へ。じぶんでつくったもののほか、鶏肉と小松菜のソテーやサラダ。国分良成のインタビューを読んだが、それほど印象深い内容はなかった。食べ終えると皿を洗ってさっさと帰室。歯を磨き、服を着替える。面倒臭いし投票に行くだけなので、下だけ履き替えて、うえはジャージのままモッズコートを羽織ってまえを閉ざすことにした。それで財布と選挙通知だけ持って出発。ちょうど七時くらいだった。きょうの夜道はやたらとしずかで、大気がうごかずその場にとどまっており、物音がほとんど立たず空漠とした音空間がひろがっている。予想とはちがって、まったく寒くもなかった。右手、視界の端で、林の外縁にある石段上の草むらのなかにひかったものがあり、見れば投棄されたコーヒーの缶だった。(……)さんのまえあたりで、どこかの家から大相撲の行司らしき音声が漏れてきた。公営住宅では棟の階段通路をかつかつ上がる足音と、はなしている親子の声が輪郭を増幅されてひびいていたが、じきに扉の閉まる音とともに消えた。なにか甘いものが飲みたいような気がしていたので、十字路の自販機を見て、やみつきキャラメルラテというやつを帰りに買ってみるかと目星をつけて先へ。坂をのぼっていくと、ここでもしずけさがつよくきわだち、右は林で左はガードレールの先が一面草の詰まった斜面になっているにもかかわらず、虫の音もないし、やはりながれるものがほとんどないから葉っぱの触れ合う音すら立たない。視界はひらいて果てまでつづいているが空はすべて墨色に塗られて閉塞され、そのしたで市街のマンションの明かりが特にあざやかでもなく灯っている。右に折れてさらに坂をのぼり、街道へ。駅に電車が着いた直後だったのだろう、帰宅していくすがたが数人あった。車の隙をついて街道をわたり、またのぼっていくと、北の空は暗く、丘の黒さと不分明であり、眼鏡をかけてこなかったためにそのてまえの家並みのすがたやぽつりとさしはさまれる街灯の灯もややあいまいで、視界が全体として不明瞭に押し黙っていた。裏路地にはいって左に折れると、そのさきに投票所である(……)がある。そのすこしまえに低めの塀にかこわれた完全に木造の家屋が二軒あって、相当に年季の入った昭和の風情であり、こんな家はもう地方に行かないと、東京ではまず目にしないだろうな、と、木の筋が走っておりどす黒いその壁をながめた。
  • 投票。アルコールスプレーが用意されていたので手に吹きかけ、あいさつして葉書を差し出す。あるいてきたために、おもったよりも暑く、服のうちのからだに熱がこもっていた。また、こちらが着いたときには家族で来ている一組がいたが、入れ替わるようにして退出していったので投票人はじぶんただひとり、そのなかで左右からスタッフや立会人の視線にさらされるのですこし緊張して、こちらから視線をはしらせてまわりを観察する余裕もなかった。腹にものを入れたばかりだったことも多少は影響している。それで記入台で黙々と文字を書き(いくつかの記入スペースが仕切りをはさんでひとつながりになっているものだが、こちらが文字を書きつけるそのうごきですこしガタガタと揺れる)、(……)最高裁判所裁判官の国民審査はなにもわからないので特に罷免したいというあたまもない。いままでこの制度で罷免された裁判官もいないはず。数日前に新聞で今回の審査対象となる裁判官たちの情報を瞥見したが、みんなふつうに真面目そうな言い分だった。過去の判例をしらべて読むのが趣味だという仕事一徹みたいなひともいた。出身はほぼ東大法学部で、早稲田の法学部がひとりと、あとひとりどこか東大ではないひとがいた気がする。
  • それで退出。帰路はまあ来た道とはちがうルートを取るかということで駅のほうへと裏路地をすすむ。やはりきわめてしずかであり、あいかわらず大気にまったくうごきがないし、左右の家からはところどころひかりが漏れてはいるものの、そのなかにいるはずのひとの気配はすこしも伝わってこず、もう葉をだいぶ落として枝を露出させた庭の木もなんのうごきも音も見せない、と、そこで耳鳴りがはじまった。左耳からだったが、なんだかんだでしつこくつづいてさいきんときどき聞いていた、慢性のひそやかなあれとはちがって、ピー……とはっきりおおきな音で闖入し、しかしすぐに減退して去っていった。
  • 最寄り駅に出ると街道をわたっていつも帰路にとおる木の間の坂へ。ここでようやく風が生じ、路面に映っている枝葉の影がこまかくたわんだが、それでもその程度で葉擦れもほとんどなかった気がする。虫の音も一匹二匹、カチカチと散発的に立つのみで、今年は秋虫の声をぜんぜん聞かないままに過ぎたな、という気がした。くだっているあいだときおり、なんの予兆も見せずに葉っぱが落ちてきて、視界の端に音もなくひらりとあらわれると、路上に一瞬影をひらめかせてはゆるく降りながれて、かすかな着地音をもらしながらそれとぴったり一致していく。十字路に出ると先ほど見たキャラメルラテを買い、あたたかなそれをモッズコートのポケットに入れて帰宅。
  • 手洗いなどして帰室し、コーヒーを飲んだが特にうまくはなく、病みつくほどの味ではなかった。そこから入浴までは日記。二九日と三〇日をこの日で終わらせ、無事かたづけて投稿することができた。入浴に行ったのは一一時過ぎくらいで、あがっていったときテレビは『The Covers』という音楽番組を映していて、ひさしぶりに見かけたので同定するのに時間がかかったが、平原綾香が歌っていた。なんのカバーだったのかは知らない。平原綾香は父親がサックス奏者であることと、むかしなぜかヒットした例の、ホルスト組曲をもとにした"Jupiter"しか知らないし(この曲はあと、Deep PurpleのJon Lordが『Made In Japan』の"Space Truckin'"のとちゅうで弾いているのを聞いたことがある)、興味はないが、歌はずいぶんうまいなとおもった。活気のあるエモーショナルが歌唱でかなり高音まで出していたし、その高音部も、いきなりそちらに跳ね上がるみたいなメロディのながれもあったのだけれど、うまくあやまたずに突っこんでいくとともに蝶の翅のふるえめいたビブラートもおのずと付与されていた。終わったあと、リリー・フランキーといっしょにMCをつとめている若い女性が、すごいです、ゴスペルみたいで、と言っていたが、たしかにそういうかんじはあった。この曲は、Mrs. Green Apple "僕のこと"というやつだったようだ。ぜんぜん知らない。
  • 入浴後はおおむねだらだらしてしまって惜しかった。(……)四時四七分の就床となった。

2021/10/30, Sat.

 アネモネの牧場の朝を少しずつ
 開いていく花の筋肉。
 やがては花の胎内に、音高く鳴る空の
 多声の光が注がれる。

 静かな星形の花の中で、
 限りない受容のために張りつめている筋肉、
 それはときおりあまりの充溢に圧倒され、
 日暮れが知らせる安息への合図を受けても、

 大きく反り返った花びらを
 元に戻すことができないほどだ。
 おまえ、なんと多くの世界の決意であり、力であるものよ!(end129)

 われわれ、力ずくで生きる人間は、長く生きはするだろう。
 けれども、いつ、全人生のどこにおいて
 われわれはついに自分をひろげ、受け容れる者となれるのか。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、129~130; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、五)



  • きのうにつづき、九時のアラームで覚醒。やはりそれいぜん、八時になるまえ、七時四〇分ごろにいちど覚め、目を閉じると一瞬で八時二〇分まで移動し、そのつぎかさらにそのつぎで九時が来た。例によってしばらく臥位のまま喉を揉んだり脚をほぐしたりして、九時半に離床。きょうもまたかがやかしいひかりの晴天。部屋を出ていくと母親がおり、布団を干すという。洗面所でうがいをくりかえし用も足してもどると、ベランダにあらわれた母親に布団を渡して手伝い、枕はのこしておいて瞑想。脚の置き方がまずかったか、右足の先がしびれてきてしまい、それであまり長くできなかった。一〇時五分か一〇分くらいまで。
  • ゴミ箱や急須など持って上階へ。もろもろ始末し、髪を梳かして食事。きのうの天麩羅ののこりや大根の味噌汁。米は朝に炊いたばかりのもの。新聞にさほど興味深い記事もなかったが、ロシアでコロナウイルスの感染が再拡大して過去最大のペースになっているという報を読んだ。一日四万人いじょうの新規感染が起こっており、さらに多くのひとは重症化しないとPCR検査を受けないので、実態はもっとひどいだろうと。市民の多くはマスクをつけたりワクチンを接種したりという対策を取らず、接種率はまだ三割程度だとか。地下鉄なんかでもふつうにマスクなしで顔を露出したひとびとがごったがえしているようだったが、そのなかのひとり、二〇歳の大学生に言わせれば、感染しない可能性もあるのになぜわざわざマスクをつけなければならないのか、ということで、どんな理屈やねんとおもった。感染しない可能性も、ということはとうぜん感染する可能性もあると認識しているわけだから。感染する可能性もしない可能性もあるけれど、俺はしないほうに賭けるしマスクなどいらんわ、ということなのだろうか。ただの博打じゃないか。そういう対策の不徹底にはロシア人に特有の人生観もかかわっているのではないかと言われており、なんでもロシアの民は、じぶんに降りかかってくるのは幸運なことで、悪いことについてはかんがえなくて良い、みたいな人生観を持っているというのだけれど、そんなことははじめて聞いたし、胡散臭いはなしだ。ドストエフスキーを生んだ国の言い分とはおもえない。しかし博徒的な性分、ということなのだとしたら、プーシキンなんかでも賭博ゲームはやられていたし、チェーホフでも子どもらがカードであそびまくるみたいなやつはあった気がするし、ロシアの古典で賭けはよく描かれているような気はしないでもない。政府は政権への抗議活動は徹底的に弾圧しているものの、コロナウイルス対策ではあまり強硬策に出ておらず、月末から九日間くらいの休業期間をもうけて一部店舗以外の営業を禁止したというが、ひとびとはふつうに出歩いているし、また旅行の予約も殺到しているようで、ただの長期休暇になりそうだとのこと。
  • 食器をかたづける。洗うまえに、乾燥機のなかから乾いた皿を出して棚に入れておき、そうしてじぶんがつかったものを洗っておくと、風呂洗いも。出ると帰室してコンピューターを用意。きょうのことをさっそくここまで記述した。いまは一一時二四分。きょうはきのうよりさらにはやく、一時半には出なければならない。
  • いま夜の一一時一七分。夕食後に茶を飲みながら(……)さんのブログを読んでいる。二〇日の記事に「常徳桃花源空港」という固有名詞が出てきて、桃花源ってすげえなまえだな、桃の花の(出づる?)みなもとって、もろ中国だなとおもい、そこの地名なのだろうか、すげえ土地だなと検索したところ、陶淵明『桃花源記』という作品名が出てきて、そうか、桃源郷のはなしってこういう題だったか、とおもいだした。中学校だかの漢文で読んだ記憶がある。内容はなにもおぼえていないが。コトバンクに載っている日本大百科全書の説明によると、「中国、東晋(とうしん)の陶潜(とうせん)の著した物語。陶潜の編になるという『捜神後記(そうじんこうき)』に収められている。東晋太元(たいげん)年間に、武陵(ぶりょう)の漁師が桃の花の林に踏み迷い、洞穴(ほらあな)を抜けて不思議な村里へ出る。村人たちは、先祖が秦(しん)の始皇帝の圧政を逃れてここへきてより、外の世界と隔絶して平和に暮らしているのであった。漁師はしるしをつけながら帰り、太守に注進する。太守は漁師に案内させて探索させたが、しるしは消えていて、ついに尋ね当てることができなかった、という筋(すじ)である。これに似た話はほかにもあり、当時このような説話(仙郷淹留(えんりゅう)説話という)がはやっていたのだろう。なお、この物語より、理想郷を称して「桃源郷(境)」とする語が生まれた」とのこと。たしかにこういうかたちの異界譚は世界中のいたるところにあるだろう。「太守は漁師に案内させて探索させたが、しるしは消えていて、ついに尋ね当てることができなかった」という部分を読んだときにこちらがおもいだしたのはしかし、なぜか『ONE PIECE』のジャヤ(すなわち空島の過去)のはなしで、モンブラン・ノーランドがノックアップ・ストリーム(だったか?)によって空にぶちあげられたジャヤに再訪できず、王をたばかった嘘つきとして処刑されるあのエピソードだが、あれも筋としてはこのかたちの範疇に属しているはず。異界へたどりつくにあたっては、説話的に一種の境界というか、そこを越えてこちらからあちらへと移行するなんらかの通過点(ときには試練など)が要求されることが大半だろうが(そうでなければ異界が異界たることがむずかしくなる)、『桃花源記』における通過領域は「洞穴」であり、ノーランドのはなしでは大嵐がそれに対応していると見なせるだろう。そのなかでノーランドにしか聞こえなかった黄金都市ジャヤの鐘の音が、一行を異界へといざなうみちびきの糸となる。
  • 出るまでのあいだは「読みかえし」ノートをすこしだけ読むとともに、ポール・ド・マンを読みつつ脚をほぐしたはず。そうするともう一時を越えてしまい、時間がとぼしくなったなかなにかしらを腹に入れるために上階へ。買い物に行ってきた母親がスーパーのハンバーガーを買ってきたというのでそれをひとつだけいただく。また、もう時間がないと言っていると送っていこうかと申し出てくれたので、そのことばにありがたくあまえることに。そうすれば二〇分くらいは余裕が生まれる。それでハンバーガーを食べ、歯磨きをし、スーツに着替えて、余裕をもってそとへ。一時四五分ほどだった。玄関を出ると風に乗せられたなにかの植物の綿毛らしきものがとなりの敷地の縁にただよってきて、母親が出てくるのを待つあいだ、家屋もなにもなくただひかりだけが宿っているその空き地にはいって陽を浴びていることにした。(……)さんの宅が消え去ったここは、売りに出している不動産屋の広告旗も四隅にあるそのすべてビリビリにやぶれて文字が見えないどころかもはやほとんど掛かっていないくらいだからまったく体をなさなくなっており、足もとは黒いシートが敷かれたなかに草がいくらか生えている。きょうは風がよく踊って、林がたびたび大ぶりの鳴りを吐いていたし、晴天から降って身のまわりをつつみ肌に寄りつくあたたかさがあつまっては中和的に散らされた。母親が出てきて車をはこんでくると後部に乗り、職場へと届けてもらう。
  • この日もいろいろあったが勤務中のことをこまごまと記すのは正直面倒臭い。なるべく軽く行きたいとおもってはいるが書いているといつのまにか詳しくなっていることはままある。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)八時半まえくらいに退勤した。駅に入り、自販機で細長いかたちのポテトチップスとチョコチップクッキーを買い、電車内では瞑目して心身を回復させる。帰路に特段の印象深さはない。帰宅後は休んでから食事。サバなど。そのあと茶を飲みながら買ってきた菓子を食い、入浴。もどると日記を書きたかったのだが、とりかかるまえに音楽を聞きながら英気を養おうとおもって、『Portrait In Jazz』をながしたヘッドフォンをつけてベッドに乗り、臥位になるのではなくてヘッドボードと壁を背にしながらわりと起き上がった姿勢で休んでいたのだけれど、それにもかかわらずいつの間にか意識を取り落としていた。やはりそれなりに疲れていたようだ。いちど起きて自動再生されていたKeith Jarrett Trioを止め、そこから寝転がってウェブを見ていたのだが、またしても意識があいまいに融解しておぼつかなくなり、気づくと四時一七分になっていたのでしかたなく明かりを落としてそのまま眠った。

2021/10/29, Fri.

 称賛すること、それだ、称賛を使命とする人
 オルフォイスは現われた。まさに岩の沈黙のなかから
 青銅が現われるように。彼の心、おお それは
 人間にとって尽きることない葡萄酒のためのはかない絞り機だ。

 埃にまみれてもオルフォイスの声は嗄れることはない、
 神々の手本に彼が心うばわれているならば。
 あらゆるものが葡萄山となり、葡萄の房となる、(end119)
 彼の感受する南国で熟したならば。

 納骨堂のなかの王たちの遺体が腐敗しても
 彼の称賛を偽りときめつけるわけにはいかない、
 神々から一つの影がおちることがあっても。

 オルフォイスこそ永遠の使者の一人だ。
 いつまでも彼は、死者たちの世界のとびらの奥深く
 称賛するべき果実を盛った皿をささげる。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、119~120; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第一部、七)



  • 八時か八時半ごろにさいしょの覚醒。そのまままた寝つき、きのう早起きするために設定しておいた九時のアラームの解除をわすれていたのでそれが鳴り、そこで正式な目覚めを得た。寝床にもどりはしたものの、ふたたび眠りにとりこまれることはなく、喉やこめかみなどを揉む。天気はきょうも文句なしというほかない快晴で、窓ガラスのまんなかに太陽がまるくただよっており、純白のまぶしさとあたたかみであるひかりを顔におくりつけてくる。そのなかでしばらく臥位のまま過ごし、そのまま離床するのではなく九時半から書見をはじめた。脚をほぐしたかったので。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)の第一一章、「約束(『社会契約論』)」をすすめていたが、読み終わって最終章の「言い訳(『告白』)」にはいったところまで。言っていることはやはりごく部分的にしかわからないが、そんなことは問題ではない。おもしろい箇所がいくつかあったがメモはあとまわしにして読みすすめていった。そうして一〇時二〇分で起床。
  • 母親が掃除機をかけている音が聞こえており、水場に行くとその横の物置きの入り口にいた。こちらは用を足したりうがいをしたり。もどると母親が布団カバーを洗うと言ってはずしていたので手伝い、きょうは瞑想はせずに上階へ。髪を梳かし(そろそろ切りたい気がする)、食事は五目ご飯やけんちん汁のたぐい。きのうの炒めもののあまりに菜っ葉をくわえたらしきものも。新聞は政治面で選挙のはなしを読んだ。京都一区について。ここでは共産党が候補を出しているのだが、立憲民主党ほかはその支援をしていないと。共産党の候補は穀田なんとかという七四歳くらいのひとで、国対委員長かなにかわすれたがつとめて野党結集のために各方面との調整に奔走し、応援に来た小池晃が野党統一の立役者だと甲高い声でたたえたらしい。その事務所には小沢一郎赤松広隆為書きが掲示されているというが、立憲民主党の公式見解としては、京都はもともと革新勢力がつよい地盤だしそちらにまかせて協力はしない、為書きも個人的な人間関係でおこなったものだろう、とのこと。京都は府議会だったかでは共産党自民党に次いで第二党の位置につけているといい、その二党にはさまれて立憲民主党やその前身は苦労してきたという事情があるらしい。共産党に対するは自民党の新人である勝目康という四七歳のひとで、元総務官僚。京都一区はもともと伊吹文明の牙城で穀田も小選挙区では長年伊吹に勝てずにいたところが、伊吹文明はここで政界を引退したのでチャンスというわけだ。ただ自民の側ももちろん勝目を精力的に支援しており、伊吹文明みずから彼を引き連れて地元の後援者のあいだをこまかくまわり(三〇〇〇人いじょうに会わせた、と豪語しているらしい)、わたしに投票するとおもってぜひ投票してやってください、そだててやってくださいと呼びかけていると。
  • 皿と風呂を洗う。きょうは風がながれてさわやかな日で、風呂場の窓をあけるとあまねく日なたにつつまれた道路のうえで黄みがかった落ち葉がちいさな円舞を演じたりまっすぐ走ったりしているのが見られたし、離床後に水場からもどってきたさいに自室の窓をあけたときにも草葉を揺らすひびきとともに涼しさが部屋に差しこまれた。茶葉を入れた急須に一杯目の湯をそそいでおいて自室へ。コンピューターおよびNotionを用意し、上がって茶を取ってくると飲みながらさっそくきょうのことを記した。きょうは三時には出勤して最後まで勤務、あしたも二時過ぎくらいからさいごまで勤務なのでいそがしい。だが、時間があるだのないだの、そんなことは問題にならない。どうでもよろしい。やるべきことをやるだけだ。
  • きのうのことをしあげると一時過ぎ。出勤まえに前日のことをかたづけられたので、わりと勤勉ではある。火曜日水曜日にかんしては特におもいだすこともないし、あとはきょうの夜に二五日の通話のあいだのことをいくらか記して全部投稿してしまいたい。
  • いま帰宅後の一一時まえ。(……)が一〇月二二日の「(……)」で、「『ロル・V・シュタインの歓喜』(マルグリット・デュラス)についての講義で、精神分析的な用語を用いずに、精神分析的な考え方を導くにはどうしたらいいのか考えている。精神分析の理論を用いて小説を解読するのではなく、小説のなかから精神分析的な考え方がたちあがってくるのを、あくまで小説の形、小説の流れに沿った形で、小説の言葉を用いて掴み出したい」と書いているが、こちらはこういうようなことを『双生』でやりたいとおもっていた。あの小説は実際上、精神分析理論の知見にいくらかなりともとづいて書かれたわけだが、こちらは精神分析理論をよく知らないのでそもそもそれを利用した読解はできないし、具体的なテクストの外部からすでに確立された理論体系を援用して(言ってみればある種、パッチを当てて、というか)作品を変換し、通りの良い論述=物語をつくっても、それはなんかなあ、という気がしてしまう。多くの批評というのはわりとそういう向きなのかもしれないし、そのとき作品に当てる解読コード(意味や認識の体系)が文学理論のように整然とまとまったり、きわだった方法論としてととのったりしていないだけで、みんな文を読むときには、おのおのが持っている不完全で無数のほころびをはらんだある種の「理論」でおなじことをやらざるをえないのかもしれないが、ともかくもやはりそこに書かれていることばになるべくもとづいて、その範囲でわかることや生まれることをまずは見極めたいというのがこちらの欲求だ。とはいえ、蓮實重彦が『夏目漱石論』の一部でやっているようなこともなんかちがうかな、という気もする。つまり、「雨」だったか「水」だったか、意味や概念としてのそれ(たとえば雨の風景の描写とか)ではなく、「雨」という一語自体が書きこまれるとかならず作品の展開に変化が起こっている、みたいなことがあのなかのどこかで分析されていたとおもうのだけれど、そしてその発見や、ほとんど実直というべき読み取りの姿勢はすごいとおもうし、第一段階としてまずはそうあるべきだとはおもうのだけれど、それはそれで完全にはしっくりこない感じもある。蓮實重彦的には、そもそもそういう表層の読解が終わらないというのが文学であり、また映画だとかんがえられているはずだから、第一段階どころか読むというのは徹頭徹尾そういう愚直な苦役と労働の永続であるということになるのかもしれないが、ここで、表層的にわかる情報の範囲で果たして「読解」もしくは「解読」、あるいは「批評」が成り立つのだろうか? という疑問が生じる。そういうテクストもあるだろうが、そうではないテクストもあるはずで、あまり表層にこだわりすぎても、そこから論=物語にひろがっていけないということは往々にしてあるだろう。たとえば「雨」という一語がここに書かれてある、作品全体をとおしてそれはいくつ書きこまれている、その配置はこうなっている、というところまではまさしく客観的な観察として、すべての読者に共有されるはずである。これが真なる意味での表層だろう。ただ、そのあいだや周辺のほかの語とのあいだにどういう関係が生じているかとか、どういう機能を果たしているかとか、あるいは「雨」をそのことばそのものではなくテーマとして読むかとか(そうするなら、たとえば「水」とか「湿り気」とか、類似の、また拡張的なほかのテーマとつながっていき、体系が生まれるだろう)、そういった方向に思考をめぐらして、語と語のつながりをかんがえるとなると、読み手によるなんらかの補填はかならずいるのではないか。読むこととは(誤読・誤解であれ、正しいとされうる読みであれ)避けがたくなんらかの変換や翻訳・組み換えなのだとおもうし、カードの位置をずらしたりそれを裏返したりするようなその思考のはたらきは、最小の、語や文のレベルでつねに自動的に生まれているだろう。その最小単位での翻訳・組み換えが集積して、ときには連関したりときにはしなかったりした結果、総合的な作品の読みというのが成り立つはずで、大小もろもろの翻訳・組み換えや連関のありかたをある程度意識的にあやつったり、おぎなったりして基本的には統一的で一貫した認識体系をつくりあげるというのが批評と呼ばれる営為だとおもう。こうして書いてみるとあたりまえのことしか言っていないというか、なにを書いておきたかったのかよくわからなくなってきたのだが、もろもろかんがえていると、表層を読むとか解釈をするしないとか言ったときに、表層とは解釈とはどこまでがそうでどこからがそうでないのか? とか、そこに書かれてあることばにもとづくと言って、それはいったい……? みたいな困惑がもたげてくる。
  • 勤務へは徒歩で行った。三時過ぎに出発。この日もそうとうに天気が良かったので気持ちも良かったが、時刻が三時をこえて太陽がかたむきはじめたこともあろうし、前日よりも気温が低かったのかもしれないが、ながれる空気にはあきらかに冷たさがふくまれており、日なたにいれば暑くなるものの、そうでなければそこまで温和でもないようだった。坂にはいりながら川のほうにちょっと目をやる。あまり見ずに過ぎてしまったが、水はかなり深い緑、めちゃくちゃ濃い抹茶みたいなビリジアンを溶かして底に沈めており、いくらか波打ちながらも同時に鏡のようななめらかさでその色をおもてにあらわしていた。街道ではきょうも道路工事。蛍光テープが貼られたベストを身につけてヘルメットをかぶるとともに厚ぼったいような服を着た交通整理員らのひとりがもうだいぶ年嵩と見える女性だった。裏通りにはいるあたりで暑くなってきたのでジャケットを脱ぎ、バッグをつかむ右手の前腕にかけるようなかたちでいっしょに持っていく。空はきょうも雲をゆるさないきよらかな青の領域で、おもてから折れてさらに路地に折れてはいる角のところでおおきな蜘蛛が宙にこしらえた巣の糸が、くしゃくしゃにしたビニール袋の表面みたいな線条を水色のなかにきざんでいた。裏通りをあるいているとちゅう、うしろから抜かしてきた男性があって、見れば茶色のベストにワイシャツにスラックス、脱いだ上着をバッグを持ち運ぶ右腕にかけて、と、こちらとおなじ格好、おなじスタイルだった。髪はみじかく刈られており、歳は後ろ姿を見たところではこちらよりも上、靴だけはたしか黒で光沢を帯びており、こちらのものよりもよほど高そうで、鞄は衣服とはちがう質だがやはり褐色でそう大きくはなく、こちらもいくらか年季がはいった風合いで高そうに見えた。白猫は不在。そこを過ぎたあたりで前方から下校する小学生がつぎつぎとあらわれはじめた。
  • (……)を過ぎたところでまえからあるいてくる高校生がどうも(……)くんではないか? と見え、ちかづくとやはりそうだと同定されたので、手を挙げてこちらの存在を気づかせて、あいさつをした。(……)くんは、おおお、ああ、おつかれさまです、みたいなかんじでちょっとおどろいたような反応を見せたが、その実こちらに気づきつつも素通りしようとしていたのではないか、という気もちょっとした。帰り? と聞くと、(……)で勉強をしていたという。飲み物を飲みたかったが自販機が売り切れだったのでコンビニまで行ってきたところらしかった。がんばって、とことばをおくって別れ。
  • 職場に着いたのは三時四五分くらいだったとおもう。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 一〇時ごろ出ていそいで駅へ。帰路の記憶は特にないし、帰ってからもたいしたことはしなかったはず。二五日と二八日の記事はこの日に終えた。

2021/10/28, Thu.

 おお きみたち愛情こまやかなひとよ、ときには
 きみたちのことなど思ってもいない呼気のなかへ歩み行け。
 その呼気をきみたちの頬のところでふたつに分けるがよい。
 それはきみたちの背後に出て、ふるえつつ再びひとつになる。

 おお きみたち至福の人、まったき人々よ、
 きみたちはあらゆる心情の発端のように思われ、
 矢の描く弧であり、矢の向かう的であり、
 きみたちの微笑は涙にぬれて、いっそう永遠の輝きを放つ。

 苦しむことを恐れるな。その重荷は
 大地の重量に返すがよい。
 山は重い。海も重い。(end118)

 きみたちが子供のときに植えた木でさえ
 もうとっくに重すぎるほどになり、きみたちには運べない。
 けれども風は……けれども空間は……

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、118~119; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第一部、四)



  • 九時にアラーム。そのまえから一度か二度、覚醒していたが。きょうは朝から快晴で、九時に覚めたときにもガラスのなかに太陽が浮かび、ひかりが顔までよく通って覚醒をたすけてくれた。それでもしばらくこめかみを揉んだり喉を揉んだりしてから、九時四二分に離床。からだの軽さはまあまあ。睡眠としてはむしろすくないのだが。水場に行ってきてから瞑想をおこなった。眠りがすくなかったためか、あまりはっきりしないかんじ。
  • 上階へ行き、食事には例によってベーコンエッグを焼く。ほか、春菊らしき菜っ葉のはいった味噌汁。新聞に特段に興味深い記事は見当たらず、一面のものをてきとうに読む。衆院選の候補者にアンケートを取ったところ、ワクチン接種証明書の活用に賛成しているのが全体の六割ほどとあったか。自民公明では九割が賛成、立憲民主党はたしか四〇パーセントくらい、共産党は九割方反対、ということだった。じぶんでもおのれのあたまとこころに印象をたずねてみても、どっちがいいのかなあというのがわからん。共産党がしめしているように、いわゆる左派やリベラル派だったら、非接種者の差別や不利益につながりかねないという一点でもう反対するのがたぶんスタンダードなのだとおもうが。このあたりまだじぶんは優柔不断である。そこをたしかに決定するためには、もっと具体的な情報や想定をあつめたり、他人の意見にいろいろ触れてみたりしながらじぶんの位置づけを探らなければならない。そして、情報をあつめればあつめるほどかえってよくわからなくなるということもよくあるし、それはおそらく世の中のつねである。
  • 皿や風呂を洗って帰室。一〇時五〇分くらいだったはず。勤務は一二時からで、調べてみるとちょうど良い電車がなかったので歩いていかなければならない。そうすると一一時一五分には出たいからもう猶予がない。そういうわけでさっさと歯を磨き、排便を済ませて服を着替え、身支度をととのえて出発へ。正午まえの大気がひどくまばゆく、ひかりはそこらじゅうにながれただよい空間を占めて、今年は秋晴れらしい秋晴れもすくなかったがここに来てようやく文句なしのかがやかしさに出会うことができた。ジャケットを着ていると暑いくらいだ。徒歩なのでふだんとはちがい東にむかってあるきはじめ、すると坂道をくだってくるひとがいて、あれはもしかすると(……)さんではないかと見ながらもきちんと顔を合わせたことはないはずなので素通りしようとすると、あちらからあいさつをかけてきたので、こっちも一瞬止まってこんにちはとかえした。起きてからさほど経っていないのでからだがまだ鈍いが、あるいているうちにそれもほぐれてくる。余裕をもって着きたいのでいつもよりすこしだけ大股で歩調もゆるすぎず行き、街道に出てちょっと行けば道の反対側で道路工事をやっていた。
  • 裏通りへ。ここにも日なたがおおくひらいて、高い太陽から降ってくる陽射しがあたまから背をまるごとつつみ、肩口に宿る暖気がなかなか暑い。とちゅうの一軒のまえに生えたハナミズキの葉がワインレッドに熟しており、重力にさからわずちからを抜いて垂れ下がったすがたの表面は皺をつくって革のような質感を帯びていた。空から雲は完全に始末され、青さを乱す闖入者が見事に絶滅したつかの間の無音的な平和がひろがっている。
  • 駅前に出て丘のほうを見やると、緑の斉一性はもうだいぶ崩れ、常緑の色も鈍くなってきているし、黄色やオレンジのクレヨンめいた色彩がすこし混ざりはじめている。勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)帰路も天気が良かったし、徒歩を取った。やたらと天気が良くてあかるいし、これくらいの昼間に外出して陽を浴びるのは土曜日にはたらくときか遊びに行くときしかないので、ほとんど土日の昼みたいな感覚になるのだが、きょうはまだ木曜日である。(……)
  • せっかくだから陽をよく浴びようとおもい、文化施設のところからおもてに出た。そのてまえ、まだ裏道のとちゅうにいるときに、道のまんなかをそこそこおおきなイモムシが匍匐していた。イモムシもおもわずさそいだされてきてしまう、それくらいの陽気というわけだろう。前方にいる年嵩の女性が、おどろいたような顔で、また、どこに行くのかなとか、無事に安全なところまで行けるかな、みたいなかんじの表情でたびたびふりかえって見ていた。表通りに出ると陽射しをさえぎるものもすくなく嬉々として旺盛にふりそそぐそれに身をつつまれて、マスクをはずしたくなるくらいに暑く、汗をえる。さいきんあるいていなかったので知らなかったが、街道のとちゅうの一画で歩道があたらしく拡張され、ところどころに柵も設置されていた。もっと先でさいきん道路工事をつづけているのだけれど、それもたぶん似たような改良だろう。
  • 家まで来ると父親がそとに出ていたのであいさつし、夕方にまた行くからと言っておく。なかにはいって消毒や手洗いなど済ませ、室へ帰って着替え。ワイシャツはどうしようかな、吊るしておいてもういちど着ようかなとおもったのだが、汗をかいたためにやはりなんとなくにおうというか湿り気があって、それをいえば肌着もそうなのだけれど、夕方にはあたらしいワイシャツを着ていくかということにした。時刻は二時過ぎ。五時にはまた出るのでたいした間もない。きょうの日記をしばらく書いた。そのあとベッドにたおれて、脚を揉みながら書見。そうすればもう四時は越える。階をあがって洗濯物をたたむ。おにぎりをひとつつくって食い、歯磨きもすませると四時半。出るまえに豚肉とタマネギを炒めておくことにした。醤油で味付けするつもりだったが、そうすると全体に茶色くなってしまって見栄えがないので、ニンジンも入れることに。まあ、わりと親和的な色彩なのでたいして鮮やかにならないが。タマネギとニンジンをそれぞれ切り、油を引いたフライパンにチューブのニンニクと生姜を熱し、豚肉から投入。肉は少量、ラップにつつんで冷凍しておいた。だいたい色が変わったところで野菜もくわえ、そこでもうすぐに醤油や味醂、砂糖を足して、火力を最強にして汁気を飛ばしていくかんじで火をとおした。あいまに洗い物。そうしてしあがると五時まえ、のこっていた洗濯物をたたみ、まとめておくとくだって着替え。Bill Evans Trioの"Autumn Leaves"をながした。スーツになると出発へ。
  • もはやあたりに陽の色は一片もなく、たそがれた地上をあまねくしろしめす空は青白い平面性につらぬかれ、波も皺もなく固着した色素の海としてさらさらとひろがっているが、行く手、東の一角にだけ雲のすじが数本淡くながれてただよい、それはほとんど襞もうしなって黒影と化した現実の山のさらに上に空に埋もれた非在の幻想山がかくされており、その稜線だけがつかの間うつし世に浮かびでているかのようだったが、道をすすんで脇の樹々がとぎれて空が拡張されると雲の線のもとには、筆でいくらかぐしゃぐしゃとかき乱されたようなおおきな母体があったことがあきらかになり、もはやとおく去った陽の気配はその下端と地上の上端とのせまいあいだにわずか香るのみ、その残香がかろうじて青暗い雲の縁にのぼってあえかな層を添えていた。
  • 最寄り駅から移動してふたたび勤務。(……)
  • (……)
  • そうして九時まえに退勤。駅にはいって電車に乗り、家のある土地に帰る。帰路に特段の印象はない。帰り着くといつもどおりベッドでからだを休めた。(……)さんのブログを読みつつ。二七日から二四日まで四日分。無事に大学の寮にもどれたようで良かった。(……)さんが上海のホテルから空港に行って一夜を明かし、常徳にたどりつくまでの一連の日記を「小説」として絶賛していたが、一九日二〇日の記録はたしかにおもしろかった。小説的と言っても紀行文的と言っても良いのだが、こちらが(……)さんのブログに出会ってのめりこんだ当初にたびたびかんじていた、日記で小説をやっている、みたいな感覚をまたかんじた。もともとじぶんも、それですげえとおどろき、そういうことをやりたいなとおもって真似をしはじめ、詳細な日記を書くようになったのだ。それが二〇一三年の一月のこと。それいぜんもたしか一年間くらいはときどき日記的なものを書いていたおぼえがあるが。そのときはたぶん「(……)」をモデルにしていたはず。そうかんがえるとじぶんは完全に他人のブログに感化されて文を書くようになった人間なのだ。ブログ文化の落とし子、二〇一〇年以降の書き手である。
  • あとはたいしたこともなし。夕食のまえと深夜にきょうのことをすこし書き足したくらい。その他をおもいだすのが面倒臭い。
  • 作: 「うつくしき嘘をそだてよ火の夜に一千年後もきみであるため」「あやふやなことばばかりがいとおしい原初の秋の木もれ陽のような」

2021/10/27, Wed.

 そしてそれはほとんど少女であった。
 歌と竪琴がうまくひとつになって姿をあらわし、
 春のヴェールを通して明るく輝き、
 わたしの耳のなかに寝床をつくった。(end116)

 そしてわたしのなかで眠った。すべてが少女の眠りだった。
 わたしがかつて称賛した木々も、
 まざまざと感じとれる遠方も、わたしが感じ取った草地も、
 そして、わたしが受けたおどろきのひとつひとつが。

 少女は世界を眠りに収めた。うたう神よ、
 あなたは、彼女が目を覚まそうとは望まぬほどに
 少女をみごとにつくったのだ。見よ。彼女は甦って眠った。

 どこに彼女の死はあるのか。おお あなたは
 あなたの歌が消えてしまわぬうちに、この主題をつくりだせるか。
 わたしから離れて彼女はどこへ沈むのか。……ほとんど少女であった……

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、116~117; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第一部、二)



  • 一〇時ごろ覚め、一〇時半に離床。きょうは曇天だが、暗くはなく、肌寒いというほどでもない。水場に行ってきてから瞑想をおこなった。一〇時四〇分から二〇分ほど。
  • 上がっていくと、きょうはなんとなく風呂洗いをさきにすませた。きのうもいつもどおりふつうにこすったつもりだったのだが、夜にはいったときにぬるぬるしたところがけっこうのこっていたので、きょうは丁寧に洗う。浴室を出ると食事にベーコンエッグを焼いて米に乗せた。それときのうの味噌汁。新聞からはきのうと同様、スーダンのクーデターの報を見る。あたらしい情報はたいしてなかったが。七人が死亡、一四〇人ほどが負傷と。軍はもともと前政権時代にイスラーム武装勢力とむすびついて民主派を弾圧していた経緯があるらしく、だから軍と民主派が組んでつくったいまの体制はさいしょからつづくかどうか不安視されていたという。ほか、白土三平盧泰愚の訃報。
  • 食器を洗って帰室。どうにもやる気が出ない。心身が重たるいような感触で、面倒臭いという気分が先に立っている。労働に行かねばならないのがなにより面倒臭い。なにをやりたいというかんじもあまりないのだが、それでもとりあえずきょうのことをここまで記した。
  • その後、ともかくも音読するかということでOasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながして「読みかえし」を読みはじめた。そうすると読んでいるとちゅうから、けっこうあたまが晴れたようになってくる。よろしい。やはり声を出して口をうごかすのは有効なようだ。とはいえきょうは三時四〇分には出るようだから時間は多くないし、書き物をするほどの気分にはならなかったので書見をした。ポール・ド・マンをすすめる。もうだいぶうしろのほう。第二部はルソーの著作をそれぞれとりあげて論じているのだが、やはりむずかしくて正直なにを言っているのかだいたいわからん。まだまだレベルが足りない。寝転んで脚をほぐしながら読んでいるうちに二時台後半にかかり、そこからストレッチをして三時を越えてしまった。ほんとうは出るまえに麻婆豆腐か汁物だけでもつくっておきたかったのだが、果たせず。上階へ行き、母親が昼にソテーしたジャガイモののこりを皿に取ってレンジへ。加熱されたものを部屋に持ち帰り、本を前にしながら食す。すぐに平らげ、もういちど上がって皿を洗ってくると歯磨き。そうして服をスーツに着替えれば三時半をまわっていたのでもう出発へ。生活しているとそれだけで手のひらがいくらか脂っぽくなるというか、なにかうっすらとにおいがしてくるようですこしいやなので、外出前に台所で手を洗った。さいきんはそうすることが多い。また、季節が冬にちかづいて気温が下がり空気が乾燥気味になってきたからだろう、唇の皮が割れがちなので、ユースキンを塗った。そういえばリップクリームというものをつかったことがない。高校生のときなど、みんなよくつかっていたものだが。なぜなのか、じぶんでつかおうという発想をもったことがなかった。手も、甲のほうの指の付け根あたりがなぜかカサカサしてかゆくなりがちなのでさいきんはよくユースキンを塗っている。
  • 出発。玄関を出るとちょうど新聞配達のバイクがやってきたので、ポストのまえに停まってバイクからは降りないままこちらに背を向けて新聞を入れようとしているところにありがとうございますと声をかけて受け取った。いま閉めた扉の鍵をまたあけてなかに入れておき、道へ。このころには曇天の色合いが重苦しいように濃くなっていて、あるいは雨かとおもわれる鈍さだったので傘を持った。けっきょくつかう機会はなかったが。ヒヨドリが二羽、上下に分かれてそれぞれ電線にとまりながらしきりに声をしぼりだして鳴きあっていた。道と公営住宅の敷地の境にはフェンスがあるが、そのあたりの草が一掃されて一段下の敷地が見えやすくなっていた。一掃されたのはすこしまえからだったかもしれないが、くわえて敷地に生えていた木も伐られたようで、枝分かれのもと付近でみじかく切り詰められた裸のすがたがいくつか見られ、いぜんはたぶん何本かフェンスのあたりまで梢がのぼっていたとおもうのだが、どうもそれがなくなったために宙がひろくなったようだった。木の間の坂に折れるとミニチュアの電話が鳴っているかのような虫の音がひとつ浮かんだが、鳴くものはそのひとつきりでしずかな空気だった。よほどいそがずのぼっているが、やはり息がくるしくなるのでマスクをずらす。大気にほとんどうごきはないのだが、顔の表面に触れる感触がいくらか固く、つめたさをはらんでいる。
  • 最寄りから電車に乗って土地を移動。山帰りの中高年が多く、座席を占めており、車両にはいると即座に例の、加齢臭と香水のにおいが混ざったような特有の臭気が満ちているのを鼻がキャッチする。扉際に立って瞑目。左右のどちらからもざわざわとはなしごえが泡を立て、駅がちかづくと降車にむかううごきで登山用の服がごそごそこすれるその音も多く生じる。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 八時半ごろ退勤。駅にはいってベンチにつき、書見。ポール・ド・マンを持ってきていた。とちゅうで山のほうに行っていたらしく荷を背負った若い男性ふたりがあらわれて、待合室にはいり、~~が言ってたのはここかー、寝られるなとか言いつつ、若い男性特有の威勢の良さでときおり吹き出すような笑いをまじえながらはなしていた。ひとりはじっさい、ベンチのうえに横になっていたようだ。電車が来て乗ってからは書見をやめて瞑目に休んだ。最寄りで降車。こちらよりもうしろの口からもひとり降りた気配があり、だいたいのひとはスタスタあるいてさっさと帰路につくのになかなか抜かしてこないなと見ているうちにあらわれたのは、失礼ないいかただがいわゆるつるっぱげというか、河童のあたまの皿の範囲が側面のほうにまで精力的にひろがったというか、キリスト教の聖職者の剃髪(フランシスコ・ザビエル肖像画をおもいだすが)の強化版みたいなかんじの男性で、たまに見かける。べつに酔っていたわけではないとおもうのだが、歩みのリズムがちょっとがたついていたというか、ときどき踏み出しを誤ってつまずきかけたかのような瞬間がはさまっていた。

2021/10/26, Tue.

 樹木が立ちのぼった。おお、純粋空間へのぼる。
 おお オルフォイスがうたう。おお 耳のなかに立つ高い樹木よ。
 そしてすべてが口をつぐんだ。だがその沈黙のなかにさえ
 新しい始まりと、合図と、変化が起こっていた。

 静寂から生まれた獣たちが、ねぐらや巣から、
 解き放たれて明るい森のなかから出てきた。
 そこでわかったのだ、獣たちがひっそりしているのは
 ひとの目をくらますためでも、不安を感じているためでもなく、(end115)

 聴き入っているためだ。咆えるのも、叫ぶのも、妻よぶ声も
 彼らの胸のなかでは小さなことに思われた。そして
 その声を納める小屋のようなものもろくになく、

 暗い欲望から生まれかけた隠れ場所も、
 入口の支柱が危うくゆらめいていたのに対し
 あなたは獣たちの耳のなかに神殿を建てたのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、115~116; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第一部、一)



  • 一一時半ごろに覚醒し、四二分になって離床。からだのこごりがやや強かった。水場に行って洗顔やうがい、用足しを済ませてから瞑想。正午まえからはじめて一二時三五分まで。わりとふつうに三〇分いじょうすわれるようになってきている。永平寺の修行僧をめざしてがんばりたい。きょうの天気は良く、あたたかなひかりの色が空間に満ちており、寝間着のまま窓をあけてすわっていても肌寒さはなかった(くしゃみはたびたび出たが)。食事を取ってからだもあたたまってからもどってくると、すこし暑かったくらいだ。茶を飲んだのでいまはジャージの上着も脱いでいる。
  • 食事はピラフや煮込みうどん。新聞は政治面に、衆院選沖縄四区の解説。現沖縄・北方相であり復興相も兼務している西銘恒三郎自民党側の候補で、野党側は金城徹というひと。西銘家は地元政界の名門で、父親が琉球政府時代から議員だったらしく、兄も元参議院議員で弟もなにか地元で役職を持っているとあったはず。西銘恒三郎自身は北方相や復興相のしごともあってあまり現地入りができないが、そのあいだ兄が名代としてバックアップし、各方面に対応してパイプを活用していると。父親の時代からかぞえると西銘の名をかかげて選挙戦をたたかうのは三四回目だという。たいする金城徹は翁長雄志の側近だったひとらしく、もともと自民党県連の幹部だった翁長が自民から離反して知事になったときにいっしょに自民を飛び出してついていったらしい。今回もいわゆる「オール沖縄」として辺野古基地移設反対を前面にかかげている(選挙区の範囲自体では、名護市は沖縄三区だかにあたって四区ではないらしいが、金城徹は辺野古のことは沖縄全体の問題だと訴えている)。「オール沖縄」勢力は翁長の死後革新色がつよまって一部保守派の離反をまねいたらしいが、玉城デニーが知事をつとめているのでちからをたもっており、金城徹の集会にも玉城デニーや翁長の息子などが駆けつけて応援していると。沖縄四区でもうひとつ争点となっているのが石垣島の安全保障問題で、尖閣諸島の状況を根拠に陸上自衛隊がここに基地をつくろうとしているが、革新勢力はむろんそれに反対している。
  • 国際面にはアメリカやドナルド・トランプスーダンのこと。バイデンの支持率が下がっているなか、ヴァージニア州の知事選で共和党候補が追い上げを見せており、この選挙の帰趨が政権の先行きをも左右しかねないので地方選としては異例の注目をあつめていると。オバマ民主党候補の応援にはいっている。ヴァージニア州はもともと保守の地盤だったのだが、数年前から首都ワシントンに隣接している北部にリベラル的な層があたらしく流入して、ここ何回かのもろもろの選挙では民主党がずっと勝っていたらしい。今回あらそいが伯仲しているのは、ドナルド・トランプはさすがに駄目だとおもってバイデンに投票した郊外のやや保守的な白人層が共和党に回帰しているからだと。この票田を取れるかどうかが勝負を決めるポイントであり、したがって民主党候補は共和党の候補とドナルド・トランプのむすびつきを強調し、彼はトランプの主張する陰謀論をひろめるだけで経済やコロナウイルスについてなどなにもはなしていないと批判し、他方共和党側も、バイデンのもとで信じられない教育計画がすすめられていると相手方を非難する。その教育計画というのは人種間教育機会均等法みたいな、そういう政策らしいのだが、白人保守層はこうした左派的施策を、白人至上主義が米国社会に組み込まれているとかんがえる「批判的人種理論」なるものの押しつけだとして反発しているらしい。
  • ドナルド・トランプはといえば、大手SNSから排除されている現在、じぶんの経営する会社で自前のSNSサービスをつくることにしたらしい。その名も、「トゥルース・ソーシャル」。
  • スーダンでは軍がクーデターを起こし、首相は拘束、抗議をおこなった市民たちに発砲がなされて、(新聞を読んでいるあいだにちょうどテレビでながれた情報によれば)すくなくとも三人が死亡、八〇人以上が負傷した。スーダンはもともと政情不安定で、いまの政府も民主派と軍が結託してクーデターを起こした結果つくられたものだったらしいのだが、それから時間が経って二者間に反目が起こったということなのだろう。
  • 食事を終えると皿を洗い、ポットに湯がまったくなかったので薬缶をつかって水をそそぎ、風呂も洗う。磨りガラスになっている浴室の窓のむこうがわに、おおきめのバッタがたかってゆっくりのぼっていた。キリギリスかもしれない。浴槽を洗って出るといったん帰室し、コンピューターを用意してから茶をつくりにいった。茶葉がエキスを吐くのを待つあいだ屈伸などしながら用意して、帰ると一服。そうして二時からきょうのことを書きはじめ、いまは二時四三分にいたっている。空から青さが減って大気に陽の色も見えなくなり、西のほうなど雲がひろく垂れこめてきている。
  • それから「読みかえし」。下の詩は321番および322番。

 たくさんの遠方を知る静かな友よ、感じてほしい、
 きみの呼吸が今なお空間を広げていることを。
 真っ暗な鐘楼の梁のなかで、きみの鐘を
 つかせてごらん。きみを響かせた空間は

 響きを鐘として力強いものとなる。
 変容しながら外へまた内へと向かうがいい。
 きみの一番つらい経験は何だろう、(end134)
 飲むのが苦ければ、自分が酒になるといい。

 充実しきった夜の闇のなかに浸って、
 自らの五官の十字路で魔力を発揮するといい。
 感覚同士が奇しくも出会うところに意味を見つけよ。

 地上にあるものがきみのことを忘れていたら、
 静かな大地に向かっては言うがいい、私は流れると、
 速い水の流れに対しては言うがいい、私は留まると。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、134~135; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、二十九)

     *

 ほとんどすべてのものから、感受せよとの合図がある。(end137)
 どの曲り角からも風が知らせる、思い出せと、
 われわれがよそよそしく通り過ぎた一日が
 いつの日か決意して贈り物となってくれる。

 だれがわれわれの収穫を計算するのか。
 だれが昔の、過ぎ去った年月からわれわれを切り離せるのか。
 われわれが初めから知り得たのは、なによりも、
 一つの物は他の物のなかでこそ自分を知るということだ。

 なんでもない存在がわれわれに触れると熱くなるということだ。
 おお 家、牧場の斜面、夕べの光、
 とつぜんおまえはほとんど一つの顔となり
 われわれに触れて立つ、抱き、抱かれて。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、137~138; Es winkt zu Fühlung fast aus allen Dingen,; 後期の詩集より)

  • そのほかはわすれた。

2021/10/25, Mon.

 大地よ、おまえの望みはこれではないのか。
 目に見えないものとなってわれわれの内部に蘇生すること、これがおまえの夢ではないか、
 いつか目に見えないものとなるのが。――大地よ、目に見えないこと!
 もし変容でなければ、何がおまえの切なる頼みであろうか。
 大地よ、いとしい大地、わたしは引受けたい。おお、信じるがよい、
 おまえの頼みを引受けるには、おまえの春はいくつも必要ない。一つの、
 ああ、たった一つの春でもすでに血には多すぎるのだ。
 名づけようもなく、はるかから、わたしはおまえへと決意したのだ。
 おまえはつねに正当だった。死を親密と思うことこそ
 おまえの神聖な思いつきなのだ。

 見よ、わたしは生きている。何によってか。(end113)
 少年時代も未来も減りはしない……あり余るほどの存在が
 わたしの心の中に湧き出てくる。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、113~114; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie



  • 八時のアラームで起床。しかし携帯をだまらせると寝床にもどってしまい、正式な離床は九時直前となった。水場に行ってきてから瞑想。まあまあ。きょうは空がほとんど薄雲におおわれている曇りだが、このときはひかりもすこし透けてきていた。午後四時まえ現在だともっと雲が密にあつまって空を隠し、寒々しいような曇天になっている。
  • 上階へ行き、食事はきのうのカレーをもちいたドリア。新聞、バイデン政権がイラン核合意の再開を模索しているが、イランで反米強硬派のライシ師が大統領に就任して以来交渉がないままだと。米国はEUをとおしてはなしあいをはじめたいとおもっているようだが、ライシ側は合意を再開するにはアメリカの真剣さを見極める必要がある、制裁の解除は真剣さをはかる指標のひとつだと発言しており、要するにそちらが先に制裁を解除しないと交渉ははじめないぞという腹のようだ。それで米国が要求を飲むかというとそうでもなく、アフガニスタンの件などで支持率が下がっているバイデンはさらなる不人気を避けたいわけで、むしろ反対に制裁を強化して圧力をかけるような見込みもあるもよう。
  • 食器をかたづけると下階にもどり、隣室へ。(……)
  • 一時四〇分に通話が終わった。椅子にずっとすわっていたために脚がこごったので、自室にもどるとベッドに寝転がり、膝でふくらはぎを刺激するなど脚を揉みほぐした。すこしのあいだウェブを見ていたが、まもなく臥位のまま「読みかえし」の音読へ。BGMにはBill Evans Trio『Portrait In Jazz』をかけていた。295番から302番まで。三時になったところで切り上げて、出勤前の食事。カレードリアおよび母親が昼に煮込んだうどんのあまりがのこっていたのでそれをいただく。食べ終えてきょうのことをここまで記すと三時五〇分。きのうのことはあとBill Evans Trioについて書けば終わるので労働のあとで充分だ。風呂を洗い、米を磨ぐなどしておかなければならない。
  • 作: 「遠のいてゆく声ばかり聞こえ来て夏は待ってる雨の蘇生を」
  • この日のあとのことを書かないまま、もう一〇月三〇日土曜日の午前一時半にいたってしまった。通話のあいだのはなしだけみじかく記して終わりにしたい。(……)
  • (……)

2021/10/24, Sun.

 この現世こそ、言葉になる物たちの時であり、地上がその故郷だ。
 語れ、そして打ち明けよ。かつてないほど
 物たちはうつろいゆく、体験しうる物たちは。なぜなら、
 それらの物をおしのけて替ろうとするのは、形のない行為だ。
 殻におおわれた行為だ。その殻は、
 内部から行為がはみ出し、別の境目ができると、
 じきにはじけてしまうのだ。
 二つのハンマーの間に
 われわれの心が立つ、舌が
 歯と歯の間にあるように。けれども
 称賛をする舌は健在なのだ。(end111)
 天使に対してこの世界を称賛せよ、言葉で言い得ない世界をではない。
 天使に対しては、華々しい感情の成果を掲げて競い合うわけにいかない。
 宇宙空間では天使の感じ方は奥が深く、そこではきみは太刀討ちできない。
 だから天使には素朴な物を示すがよい、世代から世代にわたり形づくられ、
 われわれのものとなって生き、いつでも手に取り、視野に入れられる物を。
 天使にはそのような物を言葉で示すがよい。すると天使は目を瞠り、立ちつくすだろう、
 かつてきみがローマの綱作りやナイルのほとりの壺作りのところで見とれたように。
 天使に示すがよい、一つの物がどんなに形よく出来、けがれなく、われわれのものであり得るかを、
 嘆きを発する苦悩さえ、いかに清らかに物のかたちとなることを決意し、
 一つの物となって奉仕し、あるいは死んで物となるのを、
 そしてかなたで清らかにヴァイオリンから流れ出るのを。これら
 限りある命を生きる物たちは、きみが讃えてくれることを分かっている。
 はかない存在である物たちは、最もはかない存在であるわれわれ人間に救いの手を期待している。(end112)
 物たちの願いは、われわれが彼らを、目に見えない心の空間で
 内部へ――おお、限りなく――われわれの内部へ変容させることだ。たとえわれわれがどんなにはかない者であっても。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、111~113; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie



  • 「読みかえし」より。282番。

 気づいたとき、他者がすでに呼びかけている。他者による「召喚」がつねに先だつ(138/166)。召喚に応じないとき、つまり応答しない場合でも、私はすでに諾否の選択肢のてまえで [﹅4] 応答してしまっている。呼びかけを叫びとして、叫びを声として聞きとってしまうとき、「ナイーヴで無条件的な《諾》」(《Oui》inconditionné naïf)(194/224)によってあらかじめ応えてしまっているのだ。そもそも、ことば [﹅3] にあって「本質的なもの」は、ほんらい「召喚」であり「呼格」(le vocatif)であろう。すべてのことばは、特定の情報の伝達であったり、一定の言語行為であるまえに [﹅3] 、聴き取られるべく呼びかける。他者が〈語ること〉を聴き取ること自体が、(依頼、懇願であったり、命令であったりする)その内容を拒絶することに先だって [﹅4] しまう、無条件な諾なのである。――そればかりではない。「私はなにもしなかった」。そうもいえよう。だが、無条件の諾ののち、なにもしないことにおいて [﹅12] 、私はすでに「つねに問いただされていた」のだ。無条件な諾とは、「われここに [﹅5] 」(me voici)である(180/211)。私が [﹅2] 応えてしまっており、私が [﹅2] 応答しつづけなければならないという、私の「唯一性」としての「われここに」(227/264)、「代名詞の(end270)《私》(je)が対格にあり」、対格 "me" において「他者にとり憑かれている」ような《われここに》なのである(222/258)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、270~271; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)

  • 一一時半に離床。きょうもひかりのまぶしい好天だったのだが、三時をまわった現在はあかるさがやや減じている。とはいえ空は淡い雲に巻かれながらも青いし、近所の家壁にすこし甘いようになった陽の色も見えるので、単純に日がみじかくなったということかもしれない。水場に行ってきてから瞑想。かなり良かった。いつもどおりしばらく深呼吸をしてから静止にはいったのだが、からだがあたたかくまとまるのが気持ち良く、長めに三五分くらいすわっていた。すわってじっとしていると、肉体の各所、たとえば首の付け根とか頬のあたりとか、いろいろなところの筋がおのずとゆるんでくるのが如実にかんじられるのだが、それは言ってみればからだが徐々に武装解除をしているような感覚だ。窓をすこし開けており、そとの大気はしずかでもう虫の音もはっきりとは聞こえず、弱い風が下草をわずかに撫でる衣擦れめいたひびきや、スズメかなにかの鳥がチュンチュンとかわいらしく鳴いている声だけが耳にとどく。
  • 食事へ。カレーやきのうの残りもの。新聞、国際面。南アフリカで白人の土地を接収することを主張する黒人中心主義の極左勢力、「経済的解放の闘士」(みたいななまえだったとおもう)がいきおいをえていると。一一月一日に統一地方選があるのだが、そこで伸長を見せるかもしれないという。もともと与党のアフリカ民族会議を離脱したひとが二〇一三年だかにつくった党らしい。与党内もシリル・ラマポーザ大統領とズマ前大統領の対立で荒れており、人種対立の拡大もあって政情は不安定、そこを突いて余計に分断を煽ろうという向きのこの党は、やはりいわゆるポピュリズム的な方向性のようで、白人の土地を没収して黒人に分けたり、富裕層の地域に黒人用の家屋を建設することとかをかんがえているようだ。そんななか、白人種のほうには分離独立をかんがえる一派もあると。ネルソン・マンデラが掲げた「虹の国」という多人種共生の理想があやうくなっている、とのことだった。
  • 食器を三人分まとめて洗い、ポットに水を足して沸かし、風呂を洗いに行った。こちらが浴室にはいるとほぼ同時にインターフォンが鳴ったが、これはたぶん(……)さんだったようだ。手ずからつくった里芋かなにかを持ってきたようで、母親が礼を言っていた。風呂を洗うとポットの湯がまだ沸いていなかったので先に室にもどり、Notionを用意したあと茶をつくってきた。一服しながらウェブをながめて、二時くらいから「読みかえし」を音読。280番から290番まで。Oasisの『(What's The Story) Morning Glory?』をBGMにしたのだが、Amazon Musicでながしていたところ、"Champagne Supernova"のあとにも曲がつづいて、アルバムが終わったあと似た曲を自動再生する設定をオンにしてあるので不思議ではないのだが、アコギで弾き語るその曲がなかなか良いもので、これなんだろうと立ってChromebookを見に行くと、なまえはOasisのままで"Talk Tonight"というものだった。それではじめて知ったのだが、このアルバムのデラックスバージョンみたいなやつはシングルのBサイドの曲をあつめたディスクが追加されているらしく、こちらがながしていたのはその音源だったのだ。そんなものがあるのは知らなかった。この"Talk Tonight"は正直かなり良い。じぶんでもこういうシンプルなやつをやりたいとおもう。
  • 三時ごろに読みかえしは切りとして、きのうのことをわずかに書き足して投稿、それからきょうのこともここまで綴って三時半過ぎ。
  • ストレッチをおこなった。ベッド上でやる四種類から立位での開脚などまで念入りに。からだがととのうと四時半まえだったので、もうはやめにアイロン掛けをしようということで上階へ。湯呑みを洗い、急須をハイターに漬けておいた。それからアイロン。母親のエプロンや父親のズボンなど。じぶんのワイシャツも一枚。となりの(……)さんのことをはなしていた母親が、おばさんが死んじゃったあとどうするんだろ、と漏らし、年取ると家なんかないほうがいいね、もっと狭い賃貸のほうが、といつもながらの言をくりかえすので、俺ももうCD処分しようとおもってるわ、と受けた。売りに行くなら(……)の(……)かなとおもっているが、いかんせん数が多いので面倒臭い。ブックオフじゃ駄目なの、と母親が言うのには、ブックオフはクソだから、と返した。ブックオフはぼったくりだから、あれは世にのさばっちゃいけない企業だから、と糞味噌にけなしながらも、じつのところそこまで強硬なこだわりを持っているわけではなく、ときおりふらっと行って本を買ったりもしてしまうが、しかしやはりできればブックオフは避けて、もっとローカルな店に品を提供したい。
  • アイロン掛けを終えると夕食の支度だが、カレーがあるのでそれでもうだいたい良い。母親がもらった里芋をつかっちゃいたいと言うのにはけんちん汁をつくってもらうことにして、あとは餃子を焼いて野菜をてきとうにスライスすれば良かろうと決めた。それで餃子を焼くまえに先ほど漂白しておいた急須を洗っていると、母親が、駐車場のうえにかかってる蜘蛛の巣がとどくかどうか見てみてよと言う。高いところに張っているのを取りたいらしく、アイロン掛けのさいちゅうから言っていたが、それで急須を念入りにゆすいだあと、サンダル履きでそとに出た。竹箒をつかえばふつうにとどくだろとあなどっていたところがたしかにずいぶん高いところにあり、屋根のちかく、玄関上の庇というか小屋根みたいなところと家屋全体の屋根とを左右の支えにして浮かんでいる。小屋根部分の縁につながった糸の端を切ることくらいはできそうだったので、首をおもいきりうしろにかたむけて頭上だけを視界におさめるかたちで体勢を固定したまま竹箒をめいっぱい突き出し、前後左右不安定にうごかしてすこし糸をかたづけた。小屋根の縁には何本もくっついていたし、取り除いていても箒の先にまつわる糸のさまに粘りがかんじられたので、なかなか年季のはいっていそうな立派な巣であった。これいじょう上、すなわち巣の本陣にはとどかないし、このくらいでいいだろうと屋内にもどりかけたところが、母親が(……)さんの家がなくなって以来空き地となっているとなりの敷地に立っていた旗の竿(いまや旗自体はながいあいだ風にさらされたためビリビリに破れ、残骸となって竿のまわりにひっかかったり地に落ちたりしている)に着目し、これならとどくんじゃないと勝手に引き抜きはじめた。とにかく問題を解決したいというときの人間のあたまというものはなかなかの創意を見せるものだ。こちらは面倒臭かったし、そこまでがんばらなくて良いだろうとおもっていたし、そもそもくだんの蜘蛛は屋根のあたりで暮らしているだけでなんの害もなしていないので、あいつなにも悪いことしてないじゃんと言って反対したのだが、けっきょく母親の言を容れて、竿を受け取ってそれを頭上に突き出し、蜘蛛の巣をからめとるようにして破壊した。ちいさくまわした棒の先にひっかかった糸が宙をおよぐすがたは、綿飴のようだった。それから林のほうに行ってふきとろうということで移動し、こちらが水平に落とした竿の先を、母親がそこに植わっているサツマイモのおおきな葉っぱでふきとり、からまった糸(と、もしかしたら蜘蛛じしんもそこにいたかもしれない)を始末した。これが人間種のおごりである。その存在が気に入らないと言って勝手にあちらが住んでいるところまで出向き、その棲みかを一方的に破壊してなきものにしたのだ。たとえば入植地のイスラエル人がパレスチナのひとびとにおこなってきたことはこれに近い。とはいえこのばあいのあいては人間ではなく、所詮はちいさな畜生のたぐいにすぎない。だが、あいては家のそとでただ生きていただけなので、特段の問題もなく生命として平和裏に共存できたはずなのだ。まあたかが蜘蛛なのでどうでも良いといえば良いが、室内にもどって大根やニンジンをスライスしながら、『トリストラム・シャンディ』の叔父(だったとおもうのだが)の精神をみならわなければとおもいだし、久方ぶりのその想起によって、ポール・ド・マンを読み終えたら『トリストラム・シャンディ』を読もうかなとおもった。この小説は岩波文庫全三巻をずいぶんまえから持っており、むかし一巻の終わりくらいまで読みながら中断した記憶がある。
  • 竿をもとあったところにもどしておいて屋内にはいると手を洗い、AJINOMOTOの餃子を焼き(フライパンにならべて加熱していればマジで勝手にいいかんじに焼けるので調理者はほぼなにもすることがない)、そのあいまとそのあとに野菜を桶にスライスして、けんちん汁は母親にまかせて帰室した。そうしてここまで記述すると六時を越えている。
  • いま一一時ぴったり。Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』を聞いた。さいしょから、八曲目の"Spring Is Here"まで。きのうのようにねむることなく音楽を聞きたかったので、枕のうえに尻を乗せて上体を立てる瞑想時の姿勢で聞いた。やはりめちゃくちゃすごい。何年もまえからずっとおなじことをなんども書いているが、Bill Evansの演奏でじぶんがもっとも驚嘆するのがそのペースの一定さや、あらかじめそう弾くことがさだめられていたとしかおもえないような均整のつよさである。今回は二曲目の"Autumn Leaves (take 1)"のとちゅうからそれを如実にかんじた。例のピアノとドラムがおりおりからんでくるベースソロだが、そこでのEvansのベースへの添い方は、フレーズの入りや終わりのタイミングにしてもそのあいだをつなぐ音のながれかたにしても、Evansだけはそのように弾くよう楽譜にしたため指示されていたかのような、端正きわまりない配置ぶりである。最大限に呼吸の合ったインタープレイとしばしば称される第一期のBill Evans Trioだが、Evansの打ち出している音を聞くかぎりでは、彼があいての呼吸を汲み取りそれに応じているという印象はまるでおぼえない。おそらく演じているときのじっさいの意識としてはそういう関与がとうぜんあったはずだが、そこにあらわれている音のみから受ける印象としては、Bill Evansは他者からの影響に侵入されることなく、三人でいながらも、あたかもつねにひとりで弾いているかのようだ。Scott LaFaroはそうではない。彼のフレーズやタイミング、またニュアンスのつけかたからは、Evansの音を待ち、それを聞き受けて反応しているなという気配がときにかんじとれる。Bill Evansにはそのような、演奏主体の意向がにじみでるような瞬間がまず存在しない。誤解をまねかずに説明するのがむずかしいところだが、ニュアンスということばをつかうならば、Bill Evansの音には操作的な意味でのニュアンスが付与されていない。それは彼の演奏が非常に平板であったり、ダイナミズムの変化に欠けていたりするということではなくて、いついかなるときにも過剰な瞬間、演者の個人性(というのはいわゆる個性のことではない)があらわに露呈されるような突出の瞬間がないということだ。あらゆる瞬間的な過剰さの欠如と、人間離れしているとおもえるほどの揺るぎなき統一性こそが、ひるがえって演奏全体としての過剰さを、まごうことなき特異性を生んでいる。それはどの曲でもそうであり、"Autumn Leaves (take 1)"で絡み合い的なアンサンブルが終わったあとのピアノのソロもまたそうである。つぎつぎと空間を埋めつらなっていく八分音符たちはリズムとしても非常に正確だし、一音一音の粒立ちもつねにきわめてあきらかで、ソロはさいしょからさいごまでほとんど単調とすらいえるかのような明晰さに支配されている。そこに存在しているとかんじられるのは、演者ではなく、ただ音のみである。みずからをあやつり統御する主体をうしなった音楽が、起源をもたずただそれだけで自律する機械仕掛けの天使のようなダンスをおどっている。Bill Evansには音を奏でる者としての衒いがない。意図や情念のようなもの、思想であれメッセージであれ陰影であれ表情であれ音楽にこめたり装わせたりしたいなにか、あるいはどういうふうに弾くかといった目論見や、共演者にせよ観客にせよ聞く者への視線など、最大限にひろい意味での私性が完全に欠如しているということが、Bill Evansを聞いたときにかんじる驚愕のもとであり、その異様さである。それはマラルメ的な非人称性の理想を音楽の領域で実現していると言うべきなのではないか。彼が演奏するとき、彼は音であり、そこにいるのは彼ではなくて音である。
  • 『Portrait In Jazz』は一九五九年の一二月二八日に録音された音源だが、Bill Evansの振る舞い方は、一九六一年の高名なライブでのそれとなにもちがいがないように聞こえる。クオリティの高さという意味であれ、演奏の仕方という意味であれ、スタジオとライブで質にまったく差がないというのも、やはりおどろくべきことだろう。ほかのふたりはといえば、六一年のVillage Vanguardと『Portrait In Jazz』とではけっこうなちがいを見せている。Paul Motianはそのあたり見極めるのがなかなかむずかしい、つかみどころのない演奏者なので微妙だが、それでもスタジオ盤ではいくらかは猫をかぶっているようにおもえるし、LaFaroのほうは比較的オーソドックスなフォービートが中心でライブよりもあきらかにおとなしい。リズム隊のふたりがライブにくらべてサポートに寄っていることで、それまでのピアノトリオのありかたからは離れつつもここではまだEvansが主役だという印象がおおきいのだが、それがゆえにむしろ演奏全体としてはつよく凝縮しているともかんじられる。より拡散的なMotianと、大胆と奔放の権化のようなLaFaroがあらわれ、融通無碍というほかない流体的な交錯を実現するには、六一年の六月を待たねばならなかった。LaFaroの死によってこのトリオが終わっていなければ、ベースとドラムはおそらくそのあとより拡散の度をつよめ、フリーにいたるすれすれのところまで差し迫っていたかもしれない。そして、これは妄想にすぎないが、そのなかでEvansだけは、神聖な頑迷さとでもいうような一貫性でもって、孤高の形式的統一をまもっていたのではないか。そこでは演奏を多方向へ切りひらこうとするふたりの趨勢と、それに飲みこまれまいと安定をたもつEvansのあいだでのっぴきならない緊張の渡り合いが演じられたはずであり、Evansがついにフリーへの誘惑に屈することがあったとしたら、その瞬間が同時にこのトリオの終幕でもあっただろう。主観的な断定をおかすならば、Bill Evansはフリースタイルに行ける人間ではなかったとおもうのだ。彼がもしフリーへの境目を踏み越えるとしたら、それはそれいぜんとはまったくちがったすがたへの完璧な変身、すなわち新生としてしかありえなかったようにおもう。実際上も、『Portrait In Jazz』の五九年から死の直前、八〇年六月のVillage Vanguardで演じられた『Turn Out The Stars』まで、Bill Evansの演奏は本質的なところでは変化しなかったのではないか(きちんと聞いてみないとわからないが)。Evansはフリーへと行ける人間ではなかった。もしそうだとして、そのことは彼の弱みではまったくなく、それこそがBill Evansの最大のつよみだったのではないかとおもう。枠組みを破壊してそこから立ち去ることなく、その都度すこしずれた極北において絶えず行き詰まりつづけることを選んだのが、Bill Evansの偉大さだった。
  • Eric Dolphyは『Last Date』の最終トラック、"Miss Ann"の演奏が終わったあと、最後の数秒で、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again."とかたっている。あらゆる音楽は、あらゆる時間的な物事と同様に、この仮借なき一回性を生きることを宿命づけられている。音楽とはほんらい、生のすべての瞬間とおなじく、一回かぎりのもの、一回しかないものである。あらゆる音楽家は例外なくこの事実を体感において理解しており、自覚的にであれ無自覚的にであれ、その瞬間にもっとも受け容れられる音を、瞬間からもっとも歓待される音を全身で追いもとめ、つかみ、生み出そうとしているだろう。ほかのどんな音楽にもまして、さだめられたその闘争を誠実に引き受け、ギリギリのところでそれをたたかっているとかんじさせてくれるのが、Bill Evansの演奏である。あらかじめ仕組まれていたわけでもなくそのときその場で生まれたはずの音が、これしかない、これしかなかった、と魔法のようにひとを撃ち抜くあの均整の相において、闘争が生きられたことをなまなましく物語っているようにかんじられるのだ。白銀色に透きとおった静謐さと入り混じって見分けのつかなくなった、うつくしくするどい苛烈さがそこにある。

2021/10/23, Sat.

 そこでわれわれはひしめき合い、地上の生を成しとげようとする、
 われわれの素朴な手の中に、あふれる眼差しの中に、
 そして言葉なき心の中に、それを保っておこうとする。
 われわれは地上の生になりきろうとする。さてだれにそれを渡すのか。
 最も望ましいのは、すべてを永久に保有することだ。……別の関連へは(end109)
 ああ 何を持っていったらよいか。この地上でゆっくりと会得した
 物を見るわざでもなく、地上のできごとでもない。そのどれでもない。
 それなら痛みはどうか、とりわけ重い生きざまは、
 愛の長い経験などはどうか、――つまり
 言葉に表わせぬものばかりだ。しかし、のちになって
 星の世界に赴くとき、それはどれだけの意味があろう。星の方がずっと言葉に表わせないものだ。
 思うに旅人が山の端の斜面から持ち帰るものは
 一握りの土、すなわちすべての人にとって言い難いものでなく、
 獲得された言葉、純粋な言葉、すなわち、黄色や青のりんどうだ。
 われわれがこの地上にいるのは、おそらく言うためだ、家、
 橋、泉、門、かめ、果樹、窓――
 せいぜい、柱、塔……と言うためだ。だが、わかってほしい、
 物たちですら、こんなに親密な存在感はもったことはないと思うほどに
 言うためなのだ。恋人たちの心を高ぶらせ、
 彼らの感情のなかで、ひとつひとつの物が有頂天になるよう仕向けるのは
 秘密にされているこの大地のひそかな計略ではないのか。(end110)
 敷居というもの――それは二人の恋人にとって何だろう。
 戸口にある自分たちの古い敷居を、彼らもまた
 少しばかりすり減らす、たくさんの祖先のあとを受け、
 これから後にくる人たちに先立って……軽やかに。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、109~111; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie



  • 八時のアラームで無事めざめたのだけれど、いちど布団を抜けておきながら携帯をとめてまた舞い戻り、そこからからだを起こせずにけっこう長々とまどろんでしまった。九時一〇分ごろにはっと気づき、あぶなかったとおもいながら起床。一〇時半には出る予定だったので(母親が買い物に行きたいらしく、送っていくと昨晩申し出ていた)あまり猶予がなく、水場に行ってきてからの瞑想は深呼吸でからだをほぐすのをメインにして、座禅的な無動の時間はほとんど取れなかった。上階に行って食事。安っぽくてちいさな餃子をおかずに米を食う。新聞からは国際面の記事をひとつ読んだ。英国の中国大使館がロンドンのタワー・ハムレッツという地区に移転する予定で、金融街であるシティの端にある由緒正しい建物(どういうものだったかわすれたが、むかし財務省だか造幣局だかがはいっていたとか書いてあったか?)に移るらしいのだが、その地域の市議だか区議だか(カーンという姓の女性で、バングラデシュ出身だかバングラデシュ系といっていたか? ムスリムらしくスカーフをあたまに巻いていた。いまのロンドン市長もカーンという姓のムスリムだったはずである)が中心となって中国によるウイグルや香港の弾圧に抗議するため(また、被弾圧者たちへの連帯を表明するため)、周辺の通りの名をそういう固有名詞を入れたなまえに改名するよう活動しているというはなしだった。街頭で通りの名がしるされたプラカードをかかげながらそのなまえを叫んで抗議しているひとびとの写真も載せられていた。そういえばきのうだかおとといの新聞で見たが、香港の区議たちが香港政府に忠誠を誓う宣誓を無効とみなされて議員としての立場をみとめられなかった、という報もあった。一六人だかが今回それで無効化され、いままでとあわせて五〇人くらいが排除されたらしく、民主派の一掃がほぼ完了したというはなしだった。
  • 食器をかたづけると風呂もあらわずすぐに下階へ。ほんのすこしだけでも口をうごかしておきたいというわけで、Notionを用意し、竹内まりや『LOVE SONGS』をながして「読みかえし」を読んだ。264番を二回読んだだけで一〇時一五分にいたって時が尽きた。そうして歯を磨き、服を着替えて出発へ。玄関を抜ける。きょうの天気はすがすがしく、ひかりがよくとおってひろがるとともに空には雲がはっきり浮かんで白も青もあかるいが、あとで職場の入り口に立っていたときなどは晴天のわりにぬくみがかんじられず空気が冷たいな、とおもった。このときはしかしひかりのただなかにあったのであたたかく、暖気によって背をなでられながら貧相な沢の脇に立ち、丈の低いケイトウといっしょにそこに植えられた青い花、紫もほんのかすか混ざっているような青さの粒がひかえめにつらなっているそのうえに、あれはモンシロチョウなのかそれすらわからないのだが白い蝶がちょっととまっては飛び立つのを見下ろしながめながら母親を待った。この青い花はリンドウではないかとおもったのだが、いま画像検索したかぎりではすこし違うような気がする。もっと粒がこまかかったような気がするのだ。もっとも、おとろえているような印象もあったので、枯死に向かってちいさくなっていたのかもしれないが。母親が車を出してくると後部に乗り、発車。
  • 職場のすぐ脇の裏路地でおろしてもらい、礼を言って別れ、勤務へ。(……)
  • (……)一二時四〇分くらいに退勤。駅へ。土曜日なのでひとが多い。電車に乗って瞑目し、最寄り駅で降車。このときも晴天はつづいており、ひかりをふんだんにはらみながらも涼しさに締まった空気がさわやかで、駅を出るとすぐ坂をくだるのではなく街道沿いの日なたのなかをおだやかさにつつまれながらぶらぶらあるき、(……)さんの家の横から林のなかを抜けて下の道におりた。
  • 帰宅。母親は一時半から知人と会う予定だった。こちらが着替えている横で干しておいてくれた布団をベランダから取り入れ、その後しばらくして出かけていった。じぶんは休息。睡眠がいつもより短いのでやはりすこし眠い感覚はあった。職場にいるあいだも何度かあくびが漏れた。とうぜんといえばとうぜんだが、ふだんだいたい七時間くらいは寝ているわけで、からだがいくらほぐれていてもそのくらい眠らないと眠気自体はすこし湧く。肉体はととのっていて疲れはあまりかんじないけれど、眠さはある、という状態になる。あまりにも自明の理だといわざるをえないが、人間は充分に眠らなければ眠気を完全に解消することはできない生きものなのだ。したがって、短眠法のたぐいなど、その根本からして胡乱げな代物だということになる。睡眠時間をみじかくしてそのぶん自由な時間をかせぎ、やりたいことややらなければならないことをやりたいというのはだれもがかんがえる夢想だろうが、そのような人間の生理に反するせせこましいことを画策せずに、胸を張って猫のように堂々と、七時間八時間九時間とたっぷり惰眠をむさぼろうではないか。それが健康で健全な人間の生というものである。個々人においてそれがゆるされないのだとしたら、それはひとりひとりのひとが悪いのではなく、世が誤っているのだ。史上高名なショートスリーパーたる例外者のことなど放っておくが良い。彼らはおそらく、他人に秘密で昼寝をしたり風呂のなかで眠ったりしていたのだ。
  • 二時で食事へ。煮込みうどん。あと母親が帰りに寄ってきたというパン屋のクリームパンなど。自室にはこんで食った。その後、洗濯物を取りこみ、風呂を洗っていなかったことをおもいだしたので風呂洗いもすませ、茶を飲んで一息。四時まえくらいから「読みかえし」を読んだか? 竹内まりやのつづきをながし、それが尽きるとJose James『New York 2020』。四時半で上階に行き、シーツを持ってきて寝床をセッティングした。そのあたりで母親も帰宅し、こちらはつづけてストーブのタンクに石油を補充したり、米をあたらしく磨いだり。勝手口のそとに保存してある石油がもう底を尽きたので、母親は帰ってきたばかりなのにまたそれを買いに行き、こちらはアイロン掛けをはじめて、石油のポリタンクが来るとそとに出てそれをはこんだ。そこにちょうど山梨に行っていた父親も帰宅。室内にもどるとアイロン掛けのつづきをすすめ、終えるとたたんでいなかった洗濯物をすべてかたづけて、皺を殺してなめらかにしたシャツを階段のとちゅうに吊るし、じぶんのものは自室に持ち帰った。それでついでに、ズボンなどハンガーにかけずラックに乗せたままで散らかっていた収納のなかを整理したというか、服の配置をととのえてすべてハンガーにかけておいた。そうすると六時一五分くらいだったのではないか。そこからふたたび「読みかえし」ノートを読んだ。したがってきょうは264番から279番までたくさん読むことができ、よろしい。リルケの詩がいくつもあったが、詩を声に出して読むとやはりなにか散文の文章とはちがう快楽が生まれる。あれがやはり歌の感覚というものなのだろうか。散文でもそういうふうになることは不可能ではないし、文学だけでなく思想方面の文章、それこそきょう読んだ熊野純彦レヴィナス』の文などは、そういうふうになる契機が比較的起こり得そうだった。そもそもソクラテスプラトン以前においては詩と哲学に区別などなかったのだ。パルメニデスは詩のかたちで存在論を述べたわけだし、ヘラクレイトスなど、断片としてつたえられているそれいぜんの哲学者の文も、だいたい詩的な箴言みたいなかたちだったはず。プラトンの野郎が勝手に、詩人とは真実の模倣物をさらに模倣するいやしい虚偽の徒であると断罪しておとしめたにすぎない。しかし作中にそういう主張を書きつけたプラトンが、もっぱら対話篇という文学的な形式をえらんだというのはどういうことなのか?
  • 食事。新聞、フィリピンのドゥテルテ大統領が苦境に立たされていると。麻薬対策として容疑者を殺しまくった件が司法省の調査を受けており、検死記録がない案件がいくつか確認されたとか。司法省の大臣だか担当者は必要があればさらなる調査をおこなうみたいな言を述べているようで、記事には国民の批判にたいするガス抜き的な意味合いでおこなったのだろうみたいなことが書かれてあったのだけれど、となるとこの報道はドゥテルテがみずから指示してやらせたと見ているのだろうか。それが実情なのか、司法大臣が主導したのか、ほかのうごきがあったのか、よくわからない。いずれにしても、任期を終えても権力を握りつづけようとする姿勢が国民から反発をまねいており、娘のサラを大統領の座につけようという目論見があやうくなりつつあるということだった。
  • 食後は緑茶を飲んで一服したあと日記。きのうのことを仕上げ、きょうのこともとちゅうまで綴る。一〇時四〇分で母親が風呂を出たので入浴へ。母親がはいったあとはいつも湯がやたら熱くなっていて、こう寒くなってくるとからだへの負担がおおきいので、たおれないようにはいるまえに慎重にからだに掛け湯をする。(……)
  • 風呂からもどってくるときょうのことをここまで記し、いまは零時半を越えたところ。
  • それからなにをしたのか、さっぱりおもいだせない。一時二〇分かそのくらいから音楽を聞きつつ休んだことはおぼえているのだが。ベッドにころがってすこし脚をマッサージしたのだったか。ながした音楽というのはBill Evans Trio『Portrait In Jazz』で、臥位になって楽にしながらひさしぶりにEvansを聞こうとおもったのだったが、だいたいのところ意識が曖昧化し、音楽をたしかに聞き取っていた時間はほとんどなかった。二時を越えて切りをつけたあともポール・ド・マンをすこしだけ読んだくらいで大したことはせず、四時直前に就寝。

2021/10/22, Fri.

 なぜ、現世のときを過ごすことになるなら、
 月桂樹となって、ほかのすべての緑よりも少し暗く、
 どの葉のへりにもささやかな波を(風の微笑のように)
 立てて過ごすこともできるのに――なぜ
 人間として一生を送らねばならぬのか――そして
 運命を避けながら運命に憧れるという生き方をせねばならぬのか……

       おおそれは幸福、すなわち(end108)
 やがて来る喪失の前にとりあえず利得があるからではない
 好奇心のためでもなく、心の訓練のためでもない。
 心なら月桂樹にもあるはずだ……

 そうではなく、現世を生きることがたいしたことだからだ。地上のもの
 すべてがどうやらわれわれを必要としているからだ。はかないものが
 奇妙なことにわれわれを、最もはかないわれわれを頼りにするからだ、
 あらゆることが一度、ただ一度だけ。一度だけで二度とない。
 そしてわれわれも一度だけ、二度とはない。
 けれどもこの一度存在したということ、たとえ一度だけであっても
 現世に存在したということは、取り消し得ないことであるらしい。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、108~109; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie



  • 「読みかえし」より。258番の一部。

 感受性の次元にあって、感覚するとはそのつど「留保 - なしに - すでに供されて - しまって - いること」(un avoir-été-offert-sans-retenue)である。諸感覚をつうじて世界にたいして開かれているかぎり、感受性は「防御帯」をもっていない。「感受性としての〈曝されていること〉は、惰性体の受動性よりもなお受動的である」。裂けやすい皮膚は防御帯にはならない。だが、皮膚が傷つきうることがないなら、皮膚はなにものも感受しえない。「〈留保 - なしに - すでに供されて - しまって - いること〉にあって、〔avoir-étéという〕過去の不定法が、感受性が現在では - ないことを、感受性がはじまりでは - ないこと、イニシアティヴでは - ないことを強調している」。ここに〈曝されていること〉の意味がある。大気の変容に気づいたときすでに [﹅3] 変容した大気を吸引してしまっている [﹅6] 以上、嗅覚による感知は現在では - ない [﹅2] (non-présent)。あるいは現在に追いついてはいない [﹅2] 。ゆびさきの痛みを感じるときもう [﹅2] 皮膚が裂けてしまっている [﹅6] かぎり、触覚の感受ははじまりでは - ない [﹅2] 。爆音が耳を切り裂くとき、聴覚にはイニシアティヴが(end222)ない [﹅2] 。感受性における現在への遅れ、端緒の不在、イニシアティヴの欠落は「いっさいの現在よりもふるい」受動性をしめしている。その受動性は、「作用と同時的で、作用の写しであるような受動性」ではない。その受動性は「自由と非 - 自由のてまえに」あるもの、留保のない [﹅5] ものなのである(120/146)。
 惰性体の受動性とは、「ひとつの状態にありつづけようとすること」であるにすぎない。それは端的な非 - 自由にほかならない(ibid.)。だが、感受性はそうした惰性、自己のうちに憩らうことではない。それはむしろ「自己のうえで憩らわ - ないこと」、つまり「動揺」なのである(121/146)。感受性が動揺 [﹅2] であるのは、感受性が現在を欠いており(non-présent)、すでに過ぎ去ってしまったものに追いつこうとして、しかしけっして追いつくことがないからだ。傷つきやすさとしての、傷つくこととしての感受性は一箇のとり返しのつかなさ [﹅9] である。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、222~223; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)

  • 262番の一部。

 そもそも「自己は自己のイニシアティヴによって生じたものではなく」、〈同〉はあらかじめ〈他〉を「懐胎 [﹅2] 」している(166 f./196)。私が身体の輪郭を劃定し、皮膚的界面の内部に閉じこもるためにすら、私は他者とのかかわりを必要とする。その意味で「〈私〉はじぶんの身体に結びつけられるに先だって、他者たちに結びあわされている」(123/148)。他を「懐胎」することに着目するなら、身体であることの原型とは「母性」(maternité)である(121/147, cf. 109/133, 111/135)。ただし子宮のうちに安らう母性ではなく、他を孕むことで傷を負い、他者に曝されつづけ、みずからと不断にことなりつづけ差異化しつ(end242)づける母性、つまり綻びてゆく主体性 [﹅8] としての母性なのである。母性という主体性のこの規定が、主体の自己差異化と、それをもたらす他者との〈近さ〉の比喩となっているようにおもわれる。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、242~243; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)

  • 九時台くらいからまどろみに苦しみ、なかなか起きられず最終的に一一時一六分起床。昨晩は四時半の就寝になってしまったわけで、そうかんがえるとそんなに悪くはないが。真っ白く冷え冷えとした曇天のためになかなか布団から抜ける決心がつかなかったようだ。水場に行ってきて瞑想。きょうもなかなか良いかんじでできた。ただ、かすかな耳鳴りがまたはじまっている。昨晩くらいからすこし目立つようになったが、ここ数日、その存在をおりに認知していた。起きて活動していればまぎれて聞こえないくらいのものではあるが、しずかに寝床に横たわっていたりするとわりと聞こえる。これはたぶん、一過性のものというよりは、じつは聞こえないくらいの音量でずっとつづいているものなのではないかという気がする。左耳なのだが、なんとなく穴のなかがむずがゆい気がするというか右耳とはちょっと違う感覚があるので、組織がすこし傷ついているのかもしれない。原因などわかるはずもないが、ただ、けっこうふだんから耳を引っ張ってほぐすことがあるので、それで損傷したのかもしれないとは思う。
  • 上階へ。無人。洗面所で髪を梳かし、ハムエッグを焼いて米に乗せた。昨晩の大根の味噌汁とあわせて食事。新聞からは李在明研究みたいなシリーズの下を読んだ。上中下の三篇構成だったようだ。政策としては大衆迎合的な面がつよく、バラマキと批判されているのだが本人は意に介していないと。市長時代から知事をつとめているいままで若者に商品券を給付したりとか、主婦層だかへの支援を打ち出してきたらしく、今回の大統領選にあたっても公約として年九万七〇〇〇円ほどのベーシック・インカムをかかげているという。ポピュリズムと言われているとはいえ、それがもしほんとうに実現できたらなかなかすごいことになるんじゃないかとおもうが、問題はむろん財源であり、李在明じしんは予算の組み換えなどで充分達成できると主張しているものの、批判もおおい。七月だかに討論会みたいな場所で議論がなされたが、財源はどうするのか、むずかしいんじゃないかといわれても、充分可能だ、あたらしいことをやろうとしない人間は文句ばかり言う、みたいなことをくりかえすばかりで議論は深まらなかったと。日本にたいしては基本的にまあ反日というか、過去には朝鮮半島分割にまつわって、侵略国家である日本のほうが分割されるべきだったとか、日本の教科書における竹島の記述にかんしても、歴史の事実をみとめない国家は衰退していくほかはないみたいな、後者はちょっとわすれたのでだいぶ不正確だとおもうが、そういった発言をしているようだ。そのあたりの路線は文在寅および現政権とだいたいおなじなのだろう。そもそも共に民主党の候補だし。
  • もろもろすませて茶をつくり、帰室。一服しながらウェブを少々見て、一時過ぎから「読みかえし」ノートを音読。竹内まりや『LOVE SONGS』をながした。文を声に出して読むとやはりなにがしかの満足感がある。二時くらいまでやり、ちょうどそこで音楽も終わって、Amazon Musicはアルバムが終わると似た楽曲を自動再生する機能があるのでなにかがはじまったなかで便所に行ったのだが、腹を軽くしてもどってくるとなかなか良さげなバラードがかかっていて、それはステーションという、なんか勝手にラジオみたいに楽曲をセレクトしてながしてくれるプログラムで再生されていたのだが、これはだれかなと再生履歴で見てみると吉田美奈子だった。『LIGHT'N UP』収録の"MORNING PRAYER"。吉田美奈子もまた細野晴臣やら松本隆やらの周辺の人物であり、このあたりのひとびとの音楽の一様な洗練ぶりはいったいなんなの? 『LIGHT'N UP』は八二年の作らしいが、ホーンにBrecker Brothersが参加しており、David SanbornとかMichael Breckerがソロを吹いているというからビビる。
  • その『LIGHT'N UP』をながしながら、きょうのことをここまで記述。三時前。
  • きのうのことも軽く書いて終わらせ、三時半まえ。
  • 四時をまわるところまで、ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読んだ。それからストレッチ。さいきんはストレッチをサボり気味であまりやっていなかったのだが、そうするとやはりからだがこごるようだ。きのうかおとといくらいからまたはじめた。コツはやはり、筋を積極的に伸ばそうとするよりは姿勢を取って停まりながら深呼吸をするという意識でやることだとおもう。息を深く吐くようにすればからだが勝手に伸縮してほぐれてくれる。合蹠もきょうはきちんとやったがそうするとやはりすっきりして、これだけでも毎日やったほうがいいなとあらためておもった。合蹠の体勢を取りながら深呼吸をくりかえしているとからだ全体がほぐれて筋肉がやわらぐのがよくわかり、そのあとは呼吸が自然と深く、なおかつ楽になる。やる気とか精神のおちつきというのはだいたいのところ、けっきょくそういうふうに肉体が芯からほぐれて呼吸が軽くなっているか、血がめぐっているかということにすぎない。
  • 四時半で上階へ。冷蔵庫のなかにあった焼売を先ほど食べずに取っておいたのでそれをいただく。電子レンジであたためて米とともに持ちかえり、ウェブを見ながら食事。それから皿を洗いに行って歯磨きをすませると着替え。dbClifford『Recyclable』をながしてひさしぶりにちょっと歌った。そうすると五時を越えたので出勤へむかう。バッグを持って上階にあがり、居間の電灯のちいさいほうをつけるとともにカーテンを閉め、先にサンダル履きでそとに出て郵便物を回収しておく。雨がすこし降りだしていた。ビニール袋につつまれた夕刊を居間に置いておき、マスクと眼鏡を顔につけて出発。きょうもまたなかなか寒く、もうコートを着たりマフラーをつけたりしてもいいとおもうくらいの気候になっている。雨はしとしとと、あるいはじわじわ、じりじりと聞こえるようなひびきでしずかに浸透的に降っており、水たまりをつくるほどではないが一面濡れたアスファルトの微細なおうとつに街灯の白い砕片がはいりこんでやはりじらじらとうごめいている。公営住宅前に出るとそこのアスファルトはまだ比較的あたらしくてなめらかなため、よりこまかく洗練された襞のうえをひかりは粗く砕かれずに伸ばしひろげられ、雨でも降らなければ視認できないほどのわずかさでへこんで水気のおおく溜まった部分が黒い帯となり密な縞模様をつくっている道のおもてを、横断歩道をわたるがごとく触手めいた白光のすじがつらぬきとおっていた。
  • もう夜にはいったように暗い木の間の坂道をのぼって最寄り駅へ。ホームには例の独語の老婆がおり、きょうも活発に見えないあいてと会話をしていた。バチカンの、牧師さんっていうかそう枢機卿ね、そのうちの何人かしか見れないなんとかかんとか、みたいなことを言っていた。そういうぐあいに、このひとの独言もしくは(自己とのなのか他者とのなのかわからないが)観念的な対話は小難しそうな話題だったり政治的なにおいのすることがらをとりあげていることもけっこうあるようなのだが、その内容の中核は決まって判然としない。電車を待って乗り、着席して瞑目のうちに(……)に移動。降りてホームを行き、通路を改札へ。とちゅうの脇に外国人(白人種)の若い男性が立っていたが、多目的トイレが空くのを待っていたようだ。駅を出ると職場へ向かい、勤務。
  • (……)
  • (……)
  • 帰りは徒歩を取らず電車。駅にはいってホームにあがると冷たい夜気にココアを飲みたくなったので、自販機でVan Houtenのやつを買い、ベンチにすわって味わった。飲んでいるとちゅうからもう本をとりだして読みはじめる。ポール・ド・マンである。なぜかきょうはひさしぶりに出先でも読もうかなという気になって持ってきていたのだ。気になった箇所のページと行番号を手帳にメモしながらすすめる。そのうちに電車が来たのでなかでもおなじことをつづけ、最寄り駅へ。(……)で待っているあいだには屋根や線路を打つ雨音がすこし高くなったときがあり、だからここでも降っているだろうとおもってすぐに傘をひらけるような格好で降りたところが止んでいた。発車した電車のパンタグラフが電線にこすれて一瞬とはいえバチバチとおおきな火花を発するのにけっこうおどろくのだが、あれはあれでいいものなのだろうか? 階段通路をとおって駅を抜けるとここですこし降り出したので傘をひらいて帰路を行った。木蓋にふさがれた坂道では周囲の草ぐさから打音が立ち、足もとの路面は氷のなかに封じられながらも意に介さず活発に生きのこっている微生物のように、一色の万華鏡めいた白光の反映がこまかくちらちら揺れうごいて、そこだけ見ていると視界がスローモーション化したかのような感覚が起こる。
  • 帰宅すると休身。しばらく休んでから、Monica Grady, The Open University, "Can physics prove if God exists?"(2021/3/2)(https://www.bbc.com/future/article/20210301-how-physics-could-prove-god-exists(https://www.bbc.com/future/article/20210301-how-physics-could-prove-god-exists))をとちゅうまで読んだ。そうして食事へ。新聞を読んだとおもうのだが、記憶にない。そのほかの記憶も特別よみがえってこない。風呂ではやっと髭を剃った。放置して長くなるとやはり鬱陶しいし、毛の根元あたりに脂とかが溜まるのか、顎とかかゆかったりすることもあるのでもっと頻繁に剃ったほうが良いのだが。電動髭剃りをつかわずにT字カミソリで顔全体をいっぺんに剃るやりかたを取っているので、毎日剃るのは面倒くさくてなまけているうちに日数が経ってしまう。
  • 翌日が午前からの労働だったので余裕を持って八時には起きるつもりではやめに眠ろうとおもっていたが、けっきょく三時を過ぎてしまった。深夜はだいたいきょうのことを記述するのに時間をつかったはず。眠るまえに合蹠などのストレッチをおこなった。それでいえば休んだあと、食事に行くまえにも合蹠だけ一回やっていたのだ。おりおりやるようにしたい。

2021/10/21, Thu.

 結局彼らはもうわれわれを頼りにしない、若くして世を去った者たちは。
 死者は、子供が母親の乳房からおだやかに離れて成長していくように、
 地上の習慣から少しずつ離れていくのだ。けれども
 われわれ、悲しみからしばしば聖なる進歩が生まれ出るという
 大きな秘密を必要としているわれわれは、死者たちなしで存在できようか。
 かつてリノスの死を悼む際に、迸る最初の音楽が(end107)
 干からびた空間を貫いて響いたという伝説はむだなものではなかろう。
 ほとんど神々しいばかりの青年が突然永久に去って行ったあとの
 驚愕の空間においてはじめて、空虚があの
 振動に変わり、それがいまもわれわれを魅惑し、慰め、力づけている。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、107~108; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」 Die erste Elegie 、第五連)



  • 「読みかえし」より。253番の一部。

 さきの例にもどる。私の掌につぎつぎと、壁の起伏が感じられる。ここで起伏は副詞的に [﹅4] 感じられ、壁は「突き出て」存在 [﹅2] し、「窪んで」ある [﹅2] 。そのばあい、壁の感覚はおなじ [﹅3] 感覚として継起し、しかもことなって [﹅5] ゆく。同一のものが差異化している。つまり「感覚的印象が、異なることなく異なって、同一性において他のものとなっている(autre dans l'identité)」(57/71)。――同一性における差異化のありかは、副詞が不断にえがきとる。あるいは、動詞としても表現される。壁は掌を押しかえし [﹅5] 、ゆびを引きこむ [﹅4] 。壁はそのとき凹凸である [﹅3] 。壁に起伏が存在する [﹅4] 。このある [﹅2] 、存在する [﹅4] 、という動詞そのものはなにを示しているのであろうか。(end201)
 動詞「ある」を修飾する副詞が示すのは、とどまるところのない感覚的変容のさまである。これにたいして、Be動詞がえがきとっているのは、「感覚が現出し、感覚され、二重化されながらも、みずからの同一性を変化させることなく変容する」過程そのものである。この変化なき変容 [﹅6] である「時間的変容」が、「時間の時間化」、つまり時間が時間であるということであり、「存在するという動詞」なのである(60/75)。存在する [﹅4] (essence、もしくは「存在する [﹅4] という語の動詞的な意味」をつよく示すために、正書法からの逸脱をデリダに倣ってあえて犯すとすれば、essance avec a [註116] )とは、時間が時間化する [﹅8] ことである。時間の時間化とは、同一性そのものの変容、同一性の自己差異化なのだ。
 カントの超越論的感性論ふうにいえば、時間とは、それをあらかじめ(ア・プリオリに)考えることで同時性と継起とがはじめて意味をもつにいたる「純粋な形式」である [註117] 。個々の感覚は継起する。だがしかし、継起する感覚の質の変化それ自体が時間ではない [﹅2] 。時間とは継起ということがらそのものであって、それ自身は継起し変容しながら、しかも変化しない [﹅2] 。存在すること [﹅6] が、時間であることそのものであるとすれば、感覚的経験があかす、それぞれの存在者から区別された存在そのものとは「時間的な奇妙な痒み」(61/76)にほかならない。だからこそ、時間 [﹅2] (の時間化)と(存在者の)存在 [﹅2] はさしあたり解きがたい謎なのである。――静まりかえった夜の闇のなかで、家具がわずかに軋む。(end202)それはほとんど「無声の摩滅」である。いっさいは「すでに質料を課せられて、生成」し、時のなかで「剝がれ落ち、みずからを放棄して」ゆく。すべての〈もの〉は、ほんとうは(色が輪郭をはみだし、輪郭にとどかない、デュフィの絵画のように)じぶんとそのつどずれて [﹅3] おり、みずからと重ならず、たえず移ろっている。時間とはだが、よりとらえがたく「形式的」な、「すべての質的規定から独立の、変化も移行もない《変容》」なのである(53/67)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、201~203; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)

  • きょうは一一時四七分起床と、さいきんのなかではすこし遅めになってしまった。昨晩、やはりいつもより労働がながかったためなのか、日記を書きながらも疲れが重って二時半にちからつき、ベッドにたおれてしばらく休んだあと三時半に正式にねむったのだが、そのわりになかなか起きられずにぐずぐずした。夢をひとつ。電車というか特急列車的なものに乗っており、二席でひとつになっているような座席がならんでいて、こちらがすわったとなりが金井美恵子だった。カレーを注文して食べたあと、この列車に用はなかったのか、なぜかじぶんは発車前に出る意思を持ち、いったんカレーの皿を持って立ち上がったのだけれど、どこに持っていけばいいのか返却のしくみがわからなかったのだろう、けっきょく食器を席のテーブル上にもどしてそのまま列車を出た。ちょっとしたうしろめたさとか、それでいいのかなという不安があったようだ。その後、なにかのタイミングで金井美恵子が撮った動画を見る機会があり、列車内のようすを見回すように映してときおり各所にズームアップした映像だったのだが、そのなかに隣席のじぶんのすがたが一部だけ映っていた。腕か上半身がすこしだけ見えるようなかんじで顔は映っていなかったはずだが、そのときこちらが着ていたシャツはこまかい花柄の青いもので、これはたぶん現実には母親の着ているものがもとになっていたのだとおもう。
  • 水場に行ってきて瞑想。きょうもなかなか良い。からだがそこにあることをよく感じとれている。三〇分くらい座った。上階へ。母親は友人の(……)ちゃんと昼食に行くと昨晩言っていて、それですでに不在。父親が飯を食いはじめるところ。父親も(……)の会合かなにかが二時からあると聞いていた。髪がぼさぼさだったので洗面所にはいっていくらかととのえ、食事を支度。シシトウと豚肉の炒めものや昨晩の野菜スープののこり。食べながら例によって国際面を読んだ。韓国の与党「共に民主党」の大統領候補に決まった李在明 [イ・ジェミョン] についての記事がひとつ。きのうの新聞にもあって、何回かシリーズでやるらしい。あるいは上下記事だったか。もともと貧しい農家の生まれで九人きょうだいの七番目、父親が博打好きで一家に金はなく、小学校は山道を五キロあるいて通うような土地だった。その後城南市に越して、学校に行かずはたらいていたが高卒認定試験みたいなものを取って大学で法学をやり、のちに弁護士となる。大学時代くらいに政治にめざめたらしい。当時は全斗煥の強権体制にたいする抗議が盛んだったころで、光州事件についても当初は暴徒の仕業だという当局発表を信じていたものの、軍が市民を弾圧し殺したのだという真実を知って政治に関心を持ちはじめたと。その後弁護士として労働者や農民団体の支援をするようになるが、このあたりの弁護士・民主派という経歴は盧武鉉文在寅とかさなるものだと。きょう読んだ記事ではやり口の強引さが批判を呼んでもいると記されていて、李在明はいま京畿道の知事なのだけれど、コロナウイルス状況のなかで信者に感染者が出ても保健所の立ち入り調査やPCR検査を受け入れようとしないキリスト教新興団体にみずから職員を率いて乗り込み(部下たちには、これは戦争だから信者の名簿を入手するまで絶対に撤退するなと厳命したという)、六時間交渉した末に要求をみとめさせ、山奥にいた組織の創設者にもPCR検査を受けさせたらしい。政敵にたいして攻撃的にふるまうやり方から「闘鶏」というあだ名を得ており、SNSをつかって相手をボロクソに叩くやり口がドナルド・トランプを連想させる、という声もあるようだ。たとえば城南市長だった時代にはFacebookで政策を批判してきた人間について、連絡先を知っているひとはいないかと呼びかけて素性をあばこうとしたらしい。またもろもろの腐敗疑惑もあって、世論調査では候補者のなかで道徳性の点では最下位を獲得しているものの、指導力とかそういった方面で高評価されていると。
  • ほか、欧州議会が今年のサハロフ賞をアレクセイ・ナワリヌイに授与することに決定したと。ロシアの反発が予想される。国際面がきょうは二ページあったうちの右側では、ドイツがナミビアと植民地支配時の虐殺について和解したのだが国内に反発の声があるという記事。ナミビアというのはアフリカ最南端付近の西側にある国で、たぶん南アフリカ共和国の隣接国だとおもう。ドイツがそこに入植していった一九〇〇年代のはじめごろに、ヘレロ人とナマ人という民族が強制収容所におくられたり殺されたりした歴史があり、ドイツはさいきんそれを公式に謝罪して補償金も支払うことになり、ナミビア政府も受け入れたところ、じっさいの犠牲者だったヘレロ人やナマ人の子孫で虐殺の歴史をつたえようとしているひとびとのあいだなどには反対の動きがある。というのも、ナミビアの政府はオバンボ人というまたべつの民族が主体となっており、彼らは一次大戦後から独立にかけて中心的な存在となって功があり、それでいまも権力をにぎりつつ腐敗の横行などが問題になっているらしいのだが、このオバンボ人はほとんどドイツによる虐殺の犠牲者にはなっていなかった。それでヘレロ人やナマ人を代表する野党は、じっさいの犠牲者だった民族の声が反映されていない、この取り決めでは政府が補償金をえるだけでヘレロ人やナマ人にまでその益がとどかない、と主張している。紹介されていた専門家も、政府はヘレロ人ナマ人とドイツとのあいだにはいる調停役をつとめるべきだった、国同士の交渉というかたちにこだわったことが混乱をまねいた、と言っていた。アフリカは植民地支配のために民族区分と国境区分が合っていないから、ヘレロ人もナミビアだけではなく周囲の国にもいるようで、だから国単位での交渉にそもそも無理があるという言い分もあるわけだが、ただ民族単位で交渉するとなるとどの国のどの組織やどこの誰が集団を代表するの? という困難な問題も出てくるだろう。
  • 食器と風呂を洗って帰室。LINEに返信してからTalking Heads『Remain In Light』をながして「読みかえし」を音読。熊野純彦レヴィナス』の引用。Chromebookの導入によりやはり音読はすぐやりやすくなったので良かった。活動のさいしょに文を読んだほうがあたまもよくはたらく気がするし、気軽にどんどん読みかえししやすくなったのは良い。二時でいちど切って洗濯物を入れにいった。薄陽はあったがきょうはあまりはっきりしない、曇り寄りの天気である。いま三時一六分だけれど振り向いて窓を見れば空はわずかに偏差をさしこんでときおりあるかなしかの青さをはらんで波打ちながらもすべて白く覆われている。音読は二時半くらいまでやり、それからきょうのことをここまで記した。きのうとおとといのことを書かねばならないが、もう出勤までそんなに時もないし、帰宅後でいいかとおもっている。
  • 夜に新聞で読んだ記事のことを先に。バングラデシュムスリムによるヒンドゥー教徒への襲撃が多発しており、双方あわせて七人が死亡、ムスリム側を中心に四七五人だかがいままで逮捕されていると。ヒンドゥーの祭りで偶像の膝のうえにコーランが置かれているのをあるムスリムが発見して通報し、それが情報拡散されて攻撃をまねいたと。ムスリム側は、ヒンドゥー教徒によってイスラーム聖典が侮辱されたと言っているらしい。記事を読んで、けっきょくどこもおなじというか、宗教じたいがどうとか人種じたいがどうとかいうことではないのだよな、とおもった。隣国のインドでは反対にモディ政権下でヒンドゥー至上主義がいきおいづいてムスリムを殺したりしているわけだし、アメリカでアフリカ系のひとびとが辛酸をなめているいっぽう、アフリカでは肌の白いひとのほうが差別を受けて、アルビノの人間が呪術の有効な素材になるという迷信によって殺されたりしているわけだ。
  • 一面には選挙の情勢予測があって、自民党議席を減らして単独で過半数(四六五議席中、二三三議席)を取れるかどうかが焦点になっていると。立憲民主党は解散前の一一〇から一四〇くらいには増やす見込みらしく、だからリベラル勢にとってはいちおうよろこびというか、一定の躍進にはなるのだろうが、もしじっさいに勢力伸長の結果になったとしても、それはコロナウイルスがもたらした恩恵のようなものなのではないかとおもう。たんに菅義偉が不人気を獲得してくれたというだけのことで、リベラル勢が積極的かつ本質的な支持を得たわけではないだろうし、自民党だけでなくどの政党が政権についていたとしても、コロナウイルス状況下ではたぶん支持率が下がっていたのではないかとおもう。
  • 出勤前にアイロン掛けをすこしだけ。出勤時に印象深いことはさほどない。やはり寒かったがきょうはジャケットを身につけたので問題はなかった。最寄り駅についてホームに立つと、まだ五時過ぎだが空が雲に閉ざされていることもあって、もはやたそがれをとうに越えて宵にはいっているような空気の暗さだった。
  • (……)
  • (……)
  • 帰宅後はちょっと休んでから一九日の記事を書き出し、しあげると前日二〇日の分もさいごまでつづった。その時点でもう一一時半くらいで、けっこう遅くなってしまったが夕食へ。麻婆豆腐など。風呂を出たあとはわりとだらだらしたのだとおもう。それか、二〇日の記事をしあげたのはこの深夜だったかもしれない。茶をつくって飲んだのはおぼえているのだが、それとともに、またそのあとになにをやったという記憶があまりない。