2021/10/20, Wed.

 もとより、この地上の住人ではなくなるというのは奇妙なことだ。
 やっと習得したばかりの習慣をもう使わず、
 ばらや、その他ことさらに未来を約束する物たちに
 人間としての未来の意味を与えることをせず、
 限りなく心細げな両手に支えられている存在では
 もはやなく、自分の名前すら壊れた玩具のように
 捨ててしまうというのは奇妙なことだ。
 あれこれの願望をすべてもうもたないというのも奇妙なことだ。(end106)
 互いに関連し合っていたあらゆるものが、ばらばらになって
 空間にひらひら舞うのを見るのは奇妙なことだ。死者であることは
 苦労なことであり、生きたことの後始末をするうちに、
 だんだんに永遠というものの感触を
 知るようになる。――ところが生きている人たちは
 生と死をあまりにくっきり区別しすぎるという過ちを犯している。
 天使たちは(聞くところによると)しばしば、自分の歩いているところが
 生者の域か、それとも死者の域か、わからなくなるという。
 久遠の流れが、生死両界を通じて、あらゆる世代を引きさらい、
 両界においてすべての響きを凌駕するのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、106~107; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第四連)



  • おそらく一〇時ごろに覚醒した。ややまどろみながら意識がたしかにかたまるのを待ち、一〇時半ごろにあたまがはっきりした。こめかみや喉を揉んでから一〇時五〇分に離床。いつもどおり水場に行ってうがいなどしてから瞑想をおこなった。きょうの天気は晴れでひかりの色が見られ、きのうまでにくらべると気温も高めであり、窓をひらいても肌寒さはなく、ガラスのすぐそとにあるゴーヤの葉の残骸が緩慢にこすれる音がときおり聞こえるものの、空気のうごきは室内にまではやって来ず、肌に触れるものはかんじられない。しずかな空気。きょうはだいぶからだを感覚できたとおもう。なかなか良いかんじだった。
  • 上階へ行き、炒めものなどで食事。新聞は衆院選の開始をつたえている。いちおう一面の記事は読んだ。衆院選の開始とまるであわせるかのようにしてきのうの午前だかに北朝鮮弾道ミサイルを撃ったらしいが、こちらはまだ読んでいない。食事中、テレビのニュースが緊急で阿蘇山が噴火したとつたえた。すこしだけ青みがかったような灰色の噴煙が画面の奥をいっぱいに埋めている映像がながれる。
  • 食器を洗い、風呂も。出てくると父親がいて、おまえパソコンまた買い替えたの、と訊くので、音楽をながす用にもう一台買ったと説明し、Windows10か11かとか訊かれるのには、Chromebookっていうやつ、とこたえると、タブレットみたいなやつか、といわれるので、いやいちおうパソコン、とかえし、またWindowsがどうこういうのに、Chrome OSっていう……と言い、なんでも良かったんだけど、それがいちばんやすかったから、と落とした。そうして帰室。
  • Notionを用意し、ウェブをすこし見ると竹内まりや『LOVE SONGS』をながして「読みかえし」を読んだ。こうしてベッドに腰掛けながらにしてスピーカーから音楽を出して読みかえしをできるようになった。僥倖である。ガンガン読んでいきたい。一時一二分ごろまで読み、きょうのことをまず記述。きょうは三時半過ぎには家を発たねばならないが、きのうのことをぜんぜん書けていないので、出るまでになるべく綴りたい。労働もいつもより長めで、たぶん帰宅は一〇時か一〇時半くらいになると予測する。出勤までにはどうせ終わらないとおもうので、あまりがんばらず夜やあしたにまわすのも良い。
  • そういうわけで一九日の記事もこの二〇日の記事も翌日にまわし、二〇日のことはわりとわすれてしまったのだが、まずおぼえているのは往路に最寄り駅で(……)さんに会ったことだ。旦那さんもいっしょにいて、どこかに出かけるところだった。ホームをあるいていくとそのすがたが発見されたので、視線をむけているとあちらも気づき、会釈をしてあいさつをかけ、ちょっとだけ止まって立ち話をした。(……)さんはベスト姿のこちらに手を差し向けつつ、いつもすっとしてて、と言うので、いやいやと笑い、きょうはでも寒いでしょそれだと、と言われたので、そうですね、きょうは寒いですね、ほんとうはジャケット着てくればよかったんですけど、とこたえた。じっさいこの日はなぜかまだベストで大丈夫だろうとおもったところがけっこう肌寒く、行きの時点であるきながらまくっていた袖をきちんと留めることになったし、帰路は電車に乗らず徒歩を取ったのだけれどだいぶ寒くて、ジャケット着てくるべきだった、選択を誤ったわ、とおもったのだった。さいきんはもう、行きは電車に乗っちゃいますね、と問われもしないのに語り(というのは、いぜんは往路もあるいていたのでトラックでまわってくる八百屋で買い物をするために家のそとに出ている(……)さんとよく顔をあわせたのだけれど、さいきんはそういう機会もなくなったので)、帰りはけっこうあるくんですけどね、もう涼しいんで、とつけたすと、もう涼しいって、寒いでしょ、というような反応があった。はなしはそのくらいで、じゃあどうも、と会話を終わらせ、寒くなっているので、おからだに気をつけて、とのこし、旦那さんのほうにもどうも、とかけて別れた。この旦那さんにかんしてはいぜん(……)さんが、馬鹿とかなんとか、ひどいことばっかり言ってくるのよ、と愚痴っていたことがある。あまり辟易しているような雰囲気ではなく、おだやかなトーンで笑みを浮かべてもいたが。この旦那さんはじっさい、いわゆる昭和のおやじ風というか、風貌にしても雰囲気にしてもちょっと頑固そうなところがかんじられないでもない。どこの家でも、歳を取った男性というのはたぶんだいたいそういうかんじなのだろう。
  • 帰路は上述どおり、寒かったということに尽きる。あとは勤務。(……)
  • (……)

2021/10/19, Tue.

 声がする、声が。聞け、わが心よ、かつては
 聖者たちだけがした聞き方で。むかし巨大な叫びが
 耳傾ける聖者たちを地面から持ち上げた。ところが彼らは、
 おどろいたことに、ひざまずいたままそのことに気づかなかった。
 それほどに彼らは一心不乱に聞いていた。神の声に耐えるように
 というのではない。けれども、風となって吹くものを聞け、
 静かさから生じてくる絶え間ない知らせを聞け。(end105)
 その知らせが、いまあの若い死者たちからきみのところへ吹き寄せる。
 どこであれ、きみが足を踏み入れた、たとえばローマやナポリの教会で、
 若い死者たちの運命がきみに語りかけてこなかったか。
 あるいはさきごろサンタ・マリア・フォルモサ寺院であったように、
 一つの碑銘かけだかくきみに要請をすることがあっただろう。
 彼らはわたしに何を望むのか。彼らの霊たちの純粋な動きを
 ときおりいくらか妨げていることがあるという
 不正の印象を取り除いてくれというのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、105~106; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第三連)



  • 一一時半に覚醒。それまでに夢をけっこういくつも見たのだとおもうが、さいごに覚めたときのものだけおぼえている。小中の同級生に(……)(もはや漢字はわすれてしまったし、このなまえやその存在をおもいだしたのも相当にひさしぶりのことで、むしろよく記憶にのこっていたなとおもうくらいだ)という男子がいたのだが、彼といっしょに(ことによるとひっぱられるようにして)職場に向かい、はいると(……)がいた。同僚の講師としてはたらいているらしく、準備スペースで支度をしており、たぶん彼が職場にはいってはじめて顔を合わせた設定だったのだとおもう。ひさしぶりに会えてうれしいみたいなあいさつをしたかもしれない。それで(……)が授業についてどうしたらいいか聞いてくるのを先輩としてこたえているあたりで目が覚めたはず。出し抜けに覚めて、直前まで見ていた夢の内容をうしなわずによくおぼえていた。こめかみや喉をちょっと揉んでから一一時四五分に起床。水場に行ってうがいなどしてきて、瞑想をおこなった。悪くはない。からだの感触をわりとかんじることができた。もう寒いので窓は開けず。
  • 寒いと言ってもしかしきのうよりは幾分マシか。とはいえ天気は白に支配されてくすんだ曇りである。上階に行き、鮭や味噌汁などで食事。新聞からはいつもどおり国際面。中国で共産党中央委員会第一九期第六総会みたいな大会議がちかぢかひらかれるらしく、そこで習近平がおおきな「歴史決議」をおこなう見込みで、草案がべつの会合ですでにしめされて出席者各人が賛同している旨がつたえられているという。歴史決議というのはいままでふたりしかやっておらず、すなわち毛沢東と鄧小平であり、毛沢東が一九四五年におこなったそれは彼の権力を確立するのにおおきく寄与したし、鄧小平もまた決議によって毛沢東文化大革命を否定してその後の権威をたしかなものにした。三期にはいろうとする習近平も同様にみずからの統治を自賛する歴史認識をしめして、毛と鄧のふたりにならぶような権勢をうちたてようとするだろうと。文化面にはいわゆる「鈍器本」が売れているという話題。あまりきちんと読まなかったが、コロナウイルスで自宅滞在を強いられてそのあいだに読むものとして注目されたとか、あるいは手軽に情報がえられるインターネット時代の反面としておおきな書物を読みとおして体系的な知識をえたいという向きがあるのではないか、などと述べられていたとおもう。具体的な書としては岸政彦の『東京の生活史』(だったとおもうが)、あとブログが有名な「読書猿」の『独学大全』みたいなやつや、著者をわすれたが『読書大全』とかいうもの、そして橋本治の遺稿である『人工島戦争』(ではなくて『人工島戦記』だった)が挙がっていたが、なかふたつはともかくとしても、岸政彦や橋本治のしかもやたら分厚いやつがそんなに売れるわけがあるまい、とおもってしまうのだが。このスケールの本にしては特筆するほど人気が出ている、ということなのか。そのしたには前回ノーベル文学賞をとったルイーズ・グリュックのはじめての邦訳が出るとの報。出版元はKADOKAWAだというので、KADOKAWAが出すの? とおもったのだが、訳者いわく文を何百回も口に出して読み、ことばのひびきやリズムにおもいを凝らしてしあげたということだったので、良いしごとになっているのではないか。
  • (……)行くの? と母親にきかれた。やっぱり音楽をながす用のパソコンを買おうかなとおもって昨晩、あした行くかも、と言っておいたのだ。気が向いたら行くとこたえたが、行くなら「あじさい」(鎌倉銘菓)を買ってきてほしいという。兄夫婦のところに行くときに持っていきたいと。パソコン買うから荷物が増えると面倒くせえなとかえしたものの、そのくらいのことはするつもりではある。パソコン以外にイヤフォンももう汚くなっているのでてきとうなものをひとつほしいのと、アンプからパソコンにつなぐケーブルももう相当にくたびれているのでそれも新調したい。
  • 皿を洗い、テーブルを布巾で拭き、風呂をあらって茶を支度。もどって飲みつつウェブをちょっと見て、それからきのうの記事、きょうの記事と記した。いまは二時一六分。爪を切りたい。手も足も両方とも伸びている。とくに、手は鬱陶しいのでわりとすぐに切るが足は放置してしまうのでだいぶ伸びている。

知らなかった方は驚くだろうが、京都市財政破綻の危機に瀕している。現時点での「借金」は約8500億円。本年度(令和3年度)以降、毎年500億円以上の財源不足が生じ、このままでは10年以内に財政再生団体に転落する恐れがある。企業で言えば倒産だが、これまでに「倒産」した自治体は2010年の北海道夕張市しかない。

コロナ禍による観光客の減少以前の構造的な問題で、バブル期に行われた地下鉄新設などの大規模公共工事が一因だという。市による積極的なホテル誘致が住宅価格の高騰をもたらし、子育て世代が市外に流出したために住民税収入が減っているという報道もある。見通しの甘さや、赤字を埋めるのに「公債償還基金」を取り崩してきたことも含めて明らかな失政と言うほかない(……)。

アートや舞台芸術の愛好家として、最も心配なのは芸術文化関連予算がどうなるかだ。文化庁などの助成金は、いわゆる「半額助成」が多く、交付される金額と同額の予算を準備しておかなければならない。市から受け取る金が例えば1000万円から800万円に200万円減額されると、事業規模は2000万円から1600万円に、つまり400万円ほど縮小されることとなる。不採択の可能性も上がる。主催者にとっては大打撃だ。

     *

1978年10月、京都市は「世界文化自由都市宣言」を発表し、「京都は(中略)広く世界と文化的に交わることによって,優れた文化を創造し続ける永久に新しい文化都市でなければならない。われわれは,京都を世界文化交流の中心にすえるべきである」と宣言した。(……)

気になるのは、基本的に非課税の拝観寺院の存在だ。いまと同じように市財政が逼迫していた1980年代に、京都市と京都仏教会は古都保存協力税(古都税)をめぐって対立した。拝観停止という強硬手段が功を奏して、市は課税案を撤回。以後、古都税問題はタブーとなって現在に至る。「拝観は宗教行為であり、拝観者への課税は許されない」という仏教会の主張は詭弁としか思えないが、行政側のごり押しも対立を悪化させるものだった。

  • ふたつめの記事からの引用は以下。

 京都市の人口は140万720人(住民基本台帳、令和3年1月1日時点)。市区町村別では全国8位の規模である。しかし、前年比では8982人減となり、市区町村別で日本一の減少数となっている。
 (……)
 [京都市の人口の推移は] 緩やかではあるが、右肩下がりとなっている。直近18か月(2020年1月~2021年7月)で見ると1.0%の減少で、日本の総人口(日本人以外含む=推計人口)が同期間0.5%減だったことを考えると、減り方はやや大きい。

     *

 一方、京都市の転入・転出者の状況を見ると、過去10年間では直近の2020年度以外、1000~2000人前後の転入超過(出ていく人より入ってくる人の方が多い)が続いている。しかし、住宅購入を検討する若い子育て世代の転出が深刻だ。
 広い意味での「子育て世代」である25-44歳世代の2020年1年間の人口減少数は8501人(30代は4444人)にもなる(住民基本台帳ベース)。

25-29歳 0.56%減 
30-34歳 2.82%減 
35-39歳 2.94%減 
40-44歳 3.90%減

 当然、子ども世代の人口も減少だ。子ども人口(0-14歳)は15万7505人から15万5062人へと2443人減少(1.56%減)となっている。

     *

 2010年代以降のインバウンド拡大で京都に外国人観光客があふれる中で、ホテルの建設ラッシュや外国人による町家などの不動産取得が続き、そのあおりを受けて市内の地価が上昇し、住宅取得価格が跳ね上がってしまった。市内の住宅地の公示価格はコロナ禍で2020年こそ0.4%のマイナスに転じたが、まだまだ高い。
 2021年の住宅地の平均価格は中心5区(北区、上京区左京区、中京区、下京区)は1㎡あたり28万1000円で、コロナ禍にもかかわらず前年よりも600円アップしている。残りの周辺6区は17万800円で、こちらは下落したとはいえわずか900円のマイナスだ。
 そのため、子育て世代を中心に市内での住宅購入をあきらめ、京都市内よりも地価が安い滋賀県大津市草津市などへ転出する動きが続いているのだ。

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 年間観光客数が5600万人(日本人+外国人)を超えていた2015年をピークに、京都の観光客数は2018年まで微減し5275万人に。2019年は5352万人に盛り返したが、コロナ直撃で2020年は統計さえ集計できない状況となってしまった。(データ出典は京都市観光協会

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 最新の状況も厳しい。2021年6月のデータは次の通り。

日本人延べ宿泊数   2019年6月比  43.3%減
外国人延べ宿泊数      同    99.8%減
主要ホテル客室稼働率 20.6% (同60.2ポイント減)
客室収益指数     1857円 (同 82.9%減)

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 自治体の財政の健全性を測る指標に「将来負担比率」(現在抱えている負債の大きさを、その地方公共団体の財政規模に対する割合で表したもの)があるが、京都市は2019年度、その指標が政令指定都市の中で最下位だった。
 最大の原因は、バブル期に建設した地下鉄・東西線の建設コストと収支見通しの甘さで、市が赤字額約1000億円を一般会計から穴埋めした(2004-2017年)ことと指摘されている。
 加えて、歳入面にも構造的な問題を抱えている。高齢化に加え学生人口が市全体の1割という大学の街という特殊な構造のため就業層の割合が低く、人口に占める納税義務者の割合が43.1%(2019年度)と政令指定都市で最低なのである。また市内は、景観保護で高層マンションが立てられないため、固定資産税も増えにくい。また、市内に多くある神社仏閣は固定資産税がかからない。

  • 出かけるまえのことにもどるとじっさい手も足も両方とも爪を切り、それから書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。この日は出先にも持っていって電車のなかでも読んだが、やはりあまりこまかいところにはいりすぎず、ひとまずこだわらずに読んでいくのがいいかな、とおもった。言っていることや書かれてあることを理解しようとするのではなく、気になる部分やおもしろい記述、くりかえし読みたい一節などを見つける、もしくは見分けるようなかんじで読むと楽だ。わかることを目指すのではなく、要するに書抜きたい箇所を見出すということで、むかしからずっと取ってきた方法であり、そういう姿勢のほうがやはりじぶんに合っている気がした。理解しようとなるとある語をべつの語に置き換えてうまくつながるかどうか試してみたり、明示されている意味の周辺にみちびきだされる領域を問いとして投げかけてみたりして多少の補足をこころみたりしなければならず、こねくりまわすようなかんじになるが、写したいところを見つけるような読み方ならもっと感覚的な意識になる。彫刻の表面を手で撫でて場所によってちがうその質感やまるみの具合を感じ分ける、というような。そういうわけで読み進め、四時まえくらいから外出に向かいはじめた。本をひきつづき読みながら歯磨きをし、服を着替える。気候が冬にちかいものになってきたのだが、シャツもズボンも冬っぽいものがあまりないのが困る。あたらしい服などもうずいぶん買っていないし。だからいつもどおりというかとくに新鮮味のない例年のかっこうにならざるをえず、うえはGLOBAL WORKのカラフルなシャツをえらんだが、これは七分丈くらいのものだし、生地のかんじからしてもほんとうはもうすこし暑いころの服である。したはUnited Arrowsの無地の褐色の、やや冬っぽいものだが、これはいまより腹回りがすこし太かった時期(たしか(……)さんが東京に来たときに(……)さんといっしょに(……)であそんだ日に買ったはずで、だから二〇一九年の二月初頭のことであり、それまでほぼ二〇一八年いっぱいつづいた鬱病様態のあいだにやや太っていたのだ)に買ったのでいま履くとゆるい。履けないほどではないし、極端にずり落ちてしまうわけでもないが、外出先ではたびたび上げなおさなければならなかったし、あるいているあいだはポケットに両手を入れてちょっと支えるようなかんじになった。上着は濃紺色のジャケット。鞄はリュックサックにした。
  • 四時半くらいに出発。道中について、これといった印象がよみがえってこない。カラスが二羽うろついており、電線にとまったのを見上げて、その真っ黒なからだに襞というか各部の段差が見て取られず、ほとんどひとつの面でできているようだな、とおもったくらい。空気はやはりそこそこ冷たかったが、きょうのかっこうならちょうど良いくらい。最寄り駅から乗車。電車が停まって待機しているあいだに先頭車両のところまで行ってそこから乗った。(……)に着くと乗り換え。乗り換え時間がほぼなかったのですぐ目の前の車両に移り、揺れるなかをあるいて二号車まで。着席するとポール・ド・マンを読んだ。平日のこの時刻なのでひとはさほど多くなく、右隣はずっと空いていたはず。(……)がちかづくと立ちすがたのひとも何人か生まれたが。
  • 降りて階段をのぼり、改札を出て北口へ。ひとまず図書館に行ってリサイクル本を見ることに。毎日の感染者ももう相当減っていて(きょう、二〇日は東京都内で四〇人強だったらしい)、新聞で確認するかぎり(……)から(……)にかけての範囲はここ数日ほぼひとりも発生していなかったとおもうし、いまは大丈夫だろうということでラーメンを食おうとおもっていたが、まだそこまで腹が減っていなかったので。北口広場ではなんだかよくわからないが関西出身だという男性三人組のパフォーマーがひとをいくらかあつめており、まだ開始時のトークの段階だったのでそもそもなにをやるひとたちなのかすらわからなかったのだが、とおりかかった女子高生らが見てく? どうする? とかいいあっていた。そこを過ぎて高架歩廊を北へ。歩道橋にかかると左のすぐ眼下ではもちろん一台一台の車のかたちや種類がよく見て取られるが、右に視線を振ると道が伸びる先は交差点で、左車線をそちらへ前進していく車らはすがたかたちをやや保ちながら尻に灯した赤いランプを五時半まえの青いたそがれにいくつも浮かべ、右車線は交差点のむこうから、車体を黒く呑まれてうしなうとともにふくらみひかるクリーム色の二つ目と化したものたちが続々とながれてくる。近間の電灯のもとで、かえって薄暗いようなオレンジ色のシャワーをかけられた街路樹が葉をふるわせていた。
  • さらにすすんでいくとホテルの横で通路に天井のついた区画にはいるのだが、頭上を閉ざされ空間の先の左右もビルにくぎられた視界のなかでせまく切りとられた空がそこだけ神妙なように青く、天井の下から出てあたりに立ち並ぶビルのうえに空がひろがれば、なめらかなその青味は着々と宵の濃紺にむかっているようだった。図書館にはいり、リサイクル本の乗ったカート的な棚に寄って見分。エティエンヌ・バリリエという作家のピコ・デッラ・ミランドラを主人公にしたらしい小説があって、エティエンヌ・バリバールとかいうなまえの作家がいたはずだがこのひとじゃないよな、と手に取り、のぞいてみればそこそこおもしろそうな気はしたが、もらうほどではないと判断した。ほか、ドミニク・メナールの『小鳥たちは歌う』みたいなタイトルの書もあり、これは河出書房新社から出ているなんとかいうシリーズの一冊で、このシリーズは装丁というか表紙の絵がきれいなものがおおくて図書館で目をつけており、それでこの本も既知だったのだが、やはり持って帰るほどではないかなと判断した。もらったのはミシェル・トゥルニエの『イデーの鏡』と、『レイプ・男からの発言』というやつ。後者はいま検索したらちくま文庫にはいっているらしい。このときいただいたのは単行本。『イデーの鏡』は地元の図書館にもあってこれもそれなりに気になっていたが、あとでちょっとなかを見てみたところではそんなに濃厚な本ではなさそうというか、軽めのエッセイくらいの雰囲気だった。ミシェル・トゥルニエミシェル・ビュトールがごっちゃになりがちなのだけれど、トゥルニエは『ロビンソン・クルーソー』を下敷きにしたフライデーなんとかかんとかを書いたひとで、この作は池澤夏樹が編集した河出書房の世界文学全集にはいっていたはず。また、図書館を出て歩廊をもどっているあいだ、井上究一郎が訳した『孤島』というやつが何年かまえにちくま学芸文庫にはいっていたあれはだれだったかな、となぜか連想したのだが、これはジャン・グルニエである。トゥルニエとひびきが似ているので記憶が刺激されたのかもしれない。
  • トイレに行きたかったので手を消毒してゲートをくぐり、新着図書を瞥見してから用を足しに行き、もどるとまた新着を確認した。マーカス・ガーヴィーだったか、黒人地位向上協会みたいな、わすれたがそういう団体をつくったひとについての本や、大塚楠緒子全集みたいなやつや、宮沢賢治についての研究本(たぶん生成研究的なやつだったか?)や、中村稔が森鴎外の『渋江抽斎』を読んだ本など。余談だが、『パウル・ツェラン全詩集』とかゲオルク・トラークルとかを訳している中村朝子は中村稔の娘らしい。また、ルネ・シャール全集だか全詩集だかを訳しているひとはその姉妹らしい。新着棚を確認すると退出。(……)はおもしろそうな本があまりにも多すぎてすばらしいことこのうえないのだが、(……)から借りている図書カードはたぶんもう期限が切れていて更新しないとつかえないようになっている気がするし、コロナウイルスのせいであまり行けず、ほとんど利用できず仕舞いだった。また(……)に言って更新してもらうのも手間をかけさせて悪いし。やはりじぶんで(……)に住むか、それかそこでしごとを見つけるしかない。(……)を利用するためだけに(……)の職場ではたらく価値は十二分いじょうにある。ただ、どうなのだろう、「通勤」というのは正社員としてきちんと会社につとめていないと駄目なのか? アルバイトとかで通っているのでは駄目なのだろうか。
  • 図書館を出ると歩廊をもどった。時刻は五時半過ぎくらいだったはず。まだラーメンに行くにはすこしだけ空腹が足りなかった。それで書店に行くか、と。(……)のほうは先日行って買うものも買ったので、(……)のほうにひさしぶりに行ってみて、なにかめずらしいものがないか見てみるかとおもった。とはいえ先日散財したばかりなのでよほどのものがなければなにも買うつもりはなく、ただ時間をつぶすために名目をでっちあげたようなものだった。それで歩道橋前で右折し、そのまままっすぐすすんでビル内へ。はいるときにすれちがった女性がTOWER RECORDの黄色いビニール袋を持っていて、ここにあるのHMVだよな? とおもった。洒脱なピアノトリオをながしている(……)とそのHMVを素通りして上階へ。入店すると、先日おもいだした矢内原伊作ジャコメッティについての本がここにないか美術の棚を見に行ったが、やはりさすがにない。そのまえにジャズの区画もちょっと見て、ジャズとかポピュラー音楽関連もけっこうおもしろそうな本はいろいろある。それから文庫のほうへ。壁際の中公文庫のならびを見ているときに、手塚富雄訳の『ツァラトゥストラ』を発見して、手塚富雄ってニーチェ訳してたんだ、とおもった。これはちょっと読んでみたい気がする。そのまま壁際をすすみ、岩波現代文庫を確認。ファインマンのエッセイ集とか、あと小平邦彦『怠け数学者の記』はまえからわりと読んでみたいとおもっていて、こういういわゆる理数系の学者のエッセイからそちらの方面にもはいっていけないかともくろんでいるのだが。周辺の文庫もちょっと確認。平凡社ライブラリーバタイユの『非 - 知』があったが、これが西谷修訳であることをはじめて認識した。
  • 文芸のほうへ。文芸区画はまたいぜんよりすこし減ったような気がする。日本の作家のならびはまえはもうすこしながかったような気がするし、詩も、量は変わっていないのかもしれないが場所が移動していた。壁際の海外文学は変わらず。平積み本のなかにタナハシ・コーツの新作があった。トニ・モリソンが「ボールドウィンの再来」と絶賛、みたいな売り文句が書かれてあった。あとフォークナーのなんとかいう未発見だった原稿みたいなやつとかはやはりけっこうおもしろそうだし、ほかにもなにかしらあった気はするが買っておくほどではない。棚のいちばん右端の、ちょっと壁に隠れたようになった狭い場所は幻想文学にあてられていて、ミシェル・レリスなんかはそこに割り振られていて『ゲームの規則』全四巻とかジャコメッティなどについて論じた美術論集とか(そういえばジャコメッティの『エクリ』のさいしょには、「ミシェル・レリスとルイーズ・エリス(だったか?)の思い出に」みたいな献辞が記されていたはず)、千葉文夫の『ミシェル・レリスの肖像』とかが置かれているのだけれど、きょうその横にクロソウスキーの『不吉なる欲望』(ではなくて、『かくも不吉な欲望』だった)があるのをはじめて発見した。これ、なかなかいまはもう入手しづらいのではないか? とおもったのだけれど、Wikipediaを見れば二〇〇八年に河出文庫から新訳が出ている。このとき見かけたのは単行本なので、現代思潮社の小島俊明訳のはずである。新訳は訳者が変わっているので、そうかんがえるとやはりけっこうレアなのかもしれない。Wikipediaでは一九七七年出版となっているし、Amazonだと一九六九年になっているので。初版がそんなむかしに出た単行本が、ふつう新刊書店にある? というかんじ。
  • 哲学思想の区画は見なかった。このあいだポール・ド・マンを買ったしいいかな、と。出るまえに文房具のコーナーをちょっと見たが、こちらがふだんつかうような、ポケットにはいるサイズで日付にくぎられたりしていないただのノート的な手帳のたぐいというのはおどろくほどにない。MDノートくらいしかほぼなかった気がする。もうすこしおおきいサイズだといくらかあるのだが。ちょうど良いものだとダイアリー的な手帳のたぐい、さいしょから日付ごとにちいさな区画がわりふられているようなやつばかりで、そんなものは欲していない。
  • そうして退出。そろそろ腹が減ったのでラーメンを食いに行くことに。「(……)」。コロナウイルスでつぶれたんじゃないか? まだ生き残っているのか? とおもったが、ふつうに残っていた。塩チャーシュー麺にした。BGMはあいかわらずSon of Dorkみたいなポップでメロディアスなパンクみたいなやつなどがかかる。店員はふたり体制。ひとりは厨房内でずっと調理をつづけ、もうひとりの若い男性が調理を手伝いながらもたびたびフロアに出てきて客の食券を回収したり、品をはこんだり食器をかたづけたりする。まだ六時半くらいで、平日でもあるし店内はさほど混まない。こちらはカウンター席に座った。テーブルのほうは入店したさいにはカップルが一組あり、その後男性二人連れが来てとおされて、カップルはまもなく帰っていた。水をコップにそそいでマスクをずらしていくらか口をつけているうちに、品ははやばやととどいた。食す。ふつうにうまい。ふつうにうまいのだが、ラーメン屋みたいにさわがしいBGMがわりと大きめにかかっている環境って、ものを味わって食うには本来向いていない場所だとおもう。たぶん自明なのだとおもうが。味覚への志向性がそらされたりみだされたりしてしまうので。それでもふつうにうまくいただき、食べ終えると長居せず水を飲み干してマスクをつけ直し、たちあがってリュックサックを背負うと礼を言って退店。
  • 胸のあたりに点状のこまかな痛みがすこし生じていたのだが、これは逆流性食道炎というか、胃液が食道まであがってきていたのかもしれない。何年かまえの一時期には深夜に胸焼けでめざめることがよくあった。いまはほぼそういうことはなくなったが(先日、夜食に煮込みうどんをつくって食った日にはひさしぶりにそうなった)、脂っぽくてボリュームのあるものを食べたので一時的に食道が侵されたのではないか。あるいは気づいていないだけで、意外とふだんから傷ついているのかもしれない。それでゆったりあるきながらおもてに出ていき、横断歩道をわたって電気屋へ。(……)である。ものを食べたばかりなのですこしだけ緊張しないでもなかった。つまり、パニック障害時代の嘔吐恐怖のとおいなごりだ。入店してiPhoneなどが売られている横を過ぎていき、エスカレーター脇のフロア案内で三階がオーディオ関連、二階がパソコンの売り場であることを確認し、先に三階へ。イヤフォンを見に行った。いまはもうだいたいBluetooth対応で(青い歯とはいったいなんなのか?)その種の品がプッシュされているのだが、有線の区画に行って見分。棚のあいだにはいったところにちょうどゼンハイザーのものがあって、イヤフォンはべつにZOOMで通話するときにつかうくらいで音楽を聞くにはヘッドフォンをつけるから音質などどうでも良いといえば良いのだけれど、それでもほかにもつかうかもしれないしやっぱりそれなりの音はほしいな、とおもった。それでゼンハイザーなんかいいのではないかとおもったのだけれど、しかしいちばん安い品でも四〇〇〇円はする。三〇〇〇円いじょう出す気にはならなかった。周辺を見回ってみてもそんなにピンとくるものもなく、棚の側面にいろいろ吊るされたなかにDENONの一二〇〇円くらいの安いやつがあり、ケーブルのこすれノイズを軽減するとか書かれてあったので、もうこれでいんじゃね? という気になって、決定。それからオーディオケーブルの場所へ。アンプとパソコンをつなぐケーブルがもう相当にくたびれていて、パソコンに挿すと位置関係上、変に曲がるようなかたちで固定されてしまうからそういう癖がついており、いまのPCだとなくなったがまえはジャックの挿しこみ具合によってノイズも生じていたし、新調することにしたのだ。まちがえないように古いケーブルを持ってきたのでそれを見つつ、この種のものだなと確認。ふつうにピンプラグ二つと、ジャックに挿せる端子がひとつついているもの。音質にこだわりなどないし良いものを買ってもわかるはずもないし、どれでも良かったのだけれど、オーディオテクニカの一品がすべて青く塗られたケーブルでなかなか格好良いようにおもわれた。しかしそれは一メートルだったか一. 五メートルだったかの長さしかない。一. 五メートルあれば充分ではないかという気もしたのだけれど、念のために三メートルの品を買うことにしたのでこれは断念し、その隣にあったもうすこし値段が高くて頑丈そうなやつに決定した。そうして会計へ。
  • 一階下りてノートパソコンを見てまわるが、どれもこれも一〇万とか一七万とかしてはなしにならない。端の一画に安い品がまとまった場所があり、まあこのへんだろと目星をつけた。ならんだなかのいちばん安いやつはいまつかっているPCにくらべるとけっこうちいさめのacerのもので、Chromebookだった。それが三万円強。音楽をながすだけだしもうこれで良かろうとおおかた決めながらその反対側にまわると、そこに眼鏡をかけた若い男性店員がおり、品を見ようとするこちらの動きを受けて失礼しましたと言いながら台のまえをちょっとはなれた。そちらにも安いものはあったが、まあさっきのやつでいいだろうとおもってそちらにもどり、札に書かれたデータを確認していると、先ほどの店員がややおずおずとしたようなかんじでやってきて、なにかパソコンでお困りですか、と声をかけてきたので、音楽をながす用のものがもう一台ほしいのだ、ぜんぜん安くてちいさいもので良いのでもうこのへんで良いとおもっている、と説明し、この品がこのカードのやつですかね、とたずねると、店員はひらいたPCのキーボードがついているほうの面の右下に貼られたシールとカードの番号を見比べて確認したのだが、そのあたりでこのひとは新人なのだなと気づいた。あとで見たところでは腕に「実習中」の腕章もつけていたのだ。それでこれをお願いしますとたのむと在庫を確認してくると彼は言い、そのあいだすわって待っていただく席をご案内します、というわけでエスカレーターそばにあったブースまで行ったのだが、このあたりの案内やその後のやりとりのさいのトークなどもまだまだ慣れておらず、本人の性格としてもおとなしそうでペラペラ営業的な言動ができるタイプではなさそうだし、苦労がありそうだったので、わざわざ愛想よくするわけではないが、冷淡に映ったり落胆させたりしてはいけないと余計な配慮がはたらいて、失礼のないようにお礼などをきちんと丁寧に言うようにした。待っているあいだにアンケートにご協力くださいというわけで紙に記入したが、インターネットの回線契約の種類がどうなっているのかというのが完全に父親まかせなのでわからず、空欄にした。どの業者なのかすら知らない。それで無事在庫はあって男性が箱を持ってきてくれたのだが、このブースはPCを買うひとなどにアンケートをもとにしてさまざまなサービスのセールスをおこなうためのものらしかった。まわりにも何人か店員と相談しているひとがいたし、こちらが腰掛けたスツール椅子のめのまえにあるカウンター上には、半分以上かくれていて仔細にはわからなかったが、なにやら家のリフォームめいた内容のサービスが種々しるされた紙というかシートみたいなものがあり、(……)っていまそんなこともやってんの? とおもった。アンケートは回収されて、男性はカウンターのむこうで先輩らしい女性とちょっとはなしており、回線契約が無回答だったのでそのへん聞かねばならないが新人にはまだ荷が重いと判断されたらしき雰囲気があって、女性のほうが出てきて丁重な態度ではなしはじめた。そんなに慇懃にならなくてもいいとおもう。とうぜん無回答欄について質問されたのでじぶんはぜんぜんタッチしていなくてわからないとこたえ、回線環境自体はあるので利用に問題はないことが確認されたところで男性の案内で会計に向かった。先導されて通路をあるいていき、二、三人会計中のひとがいたのでレジまえで少々待った。このあいだ、店員は箱をかかえてこちらの横に立ち尽くしながらレジのほうを見つめているだけで無言かつ無動の像と化していたし、なにか気さくに声をかけて雑談をしたい気がしたのだが、話題がまったくおもいつかなかったのでこちらも無動ではないものの無言のひとと化した。そうして会計。電気屋の店員の雇用形態とかシステムをちっとも知らないし理解していないのだが、パソコン売り場にいたこの男性はたぶん(……)自体の店員ではなく、どこかから派遣されてきているというかべつの会社に属しながらパソコン相談員的な役割としてこの現場に配置されている人員のはずである。しかしなんの会社に属しているのかはまったくわからない。いずれにせよレジにいた店員とのやりとりなどにもそのあたりが見えたのだけれど、ともかく会計をして品を入手。ポイントが五〇〇〇いじょうあったのでぜんぶつかっちゃってくださいとつぎこみ、二万五〇〇〇円くらいで買うことができた。レジのうしろからおおきなビニール袋を持って出てきた男性にきちんと礼を言い、品を受け取って退出へ。
  • その後の帰路にたいした印象はないので省く。電車内ではとちゅうまで本を読んでいたが、疲労感があったので半分くらい目を閉ざした。帰ったあとはさっそく品を箱から出してセットアップをはじめたのだが、Amazon Musicにつないでみたところブラウザが対応していませんみたいな表示が出てはいれない。対応していないもクソも最新のChromeのはずだぞとおもい、また推奨されているブラウザにもFirefoxSafariなどとならんでChromeの名があるのだが、とにかくつなげない。また、ChromeAmazon Musicを追加するみたいなやつもあってインストールしたのだけれど、これもやはりそれで飛んでも真っ白になるだけでつながらない。これはミスったか? とおもった。無駄な買い物をしてしまったか? と。そもそも先日、安いパソコンを調べたときに、ChromebookというのはChrome OSというやつを搭載しており、それはWindowsMacで対応しているものがけっこう対応していなかったりするという情報をキャッチし、Amazon Music大丈夫なのかな、検索してもぜんぜん情報が出てこないのだが、とおもっていたところが、そのことをすっかりわすれていた。それでとりあえずすすめられたFirefoxのリンクに飛ぶと、Linuxというのを有効にしてコマンドを入力し、Flatpakというものを導入してそのアーカイブ的なページからFirefoxをインストールすればChrome OSでもつかえる、みたいなはなしになっており、案内を見ながらこころみたのだけれど、Linuxを有効にしてターミナルというプログラミング画面みたいなものを呼び出すところまではふつうに行ったのだが、これを入力すればFlatpakをダウンロードできるというコマンドを入れてもなぜかエラーが出るばかりでそこから先にすすめない。いろいろしらべながら苦闘しているうちに、買ったばかりなのになぜかアップデートがどうのみたいな通知が出てきて再起動をすすめてきたので、ひとまず再起動をしたところ、画面下部のアイコンがならんだ欄にGoogle Play Storeのそれが出現しており、ふつうにここにAmazon Musicあるはずだろうとおもって検索したところ、やはりふつうにあり、ふつうにインストールしてふつうにつかえたので無事解決した。じつのところさきほどChromeAmazon Musicを追加するみたいなことをやったときにもGoogle Playを経由していたはずで、ところがつなげなかったのでどういうことやねんとおもいながらもういちどためしてみたかたちだったのだが、このふたつのAmazon Musicのアイコンは異なっていたので、さきほどのはブラウザに追加してブラウザ経由で呼び出すプログラム、今度のはデスクトップアプリみたいなやつ、ということなのだろう。そもそもアプリとソフトのちがいはなんなのか、むかしはソフトウェアと呼ばれていたはずのものがいつからおおかたアプリと呼ばれるようになったのか、たぶんスマートフォンの登場くらいからなのか、まったくわからないのだが、ともかくも無事に音楽が聞けるようになり、これでこのPCを買った目的は果たしたし、それ以外おまえに用はないというわけで、これ以降もっぱらAmazon Music再生機として活用されている。
  • あと、オーディオケーブルを新調したのでそれをアンプにつながなくてはならず、しかしアンプにとっては不幸なことだがそのうえに本が大量に積み重ねられて機械にとってはほとんど息ができないような状態になっており、そうするとケーブルもつなぎづらかったので、そのうちの一列をべつの場所に移動させた。これでアンプ上面の三分の一は露出し、すくなくとも窒息はしなくなったわけだが、片方のスピーカーのうえに載ったアンプのすぐそばにデスクがあるので、Chromebookはその端に置いておくことにした。デスクについて書抜きをするときにはすこし狭くなったが、たぶんできないことはないはずだし、いまはもうデスクについて打鍵する時間というのは書抜き以外にほぼない。

2021/10/18, Mon.

 そうだ、年々の春がきみを必要としているのだろう。
 いくつかの星は、自分を感じてくれるようにと、きみに求めてきた。(end103)
 過ぎ去った時間から大波が高く打ち寄せたり、
 あるいはきみが開かれた窓辺を通り過ぎるとき、
 ヴァイオリンの音が身をゆだねてきたこともある。これはみな委託だ。
 けれどもきみはその委託に応えたか。きみはいつも、
 すべてのものが恋人の出現を予告しているかのような期待により
 心もそぞろだったのではないか。(大きな未知の思想が
 きみのところに出入りし、しばしば夜には
 留まるというのに、きみは恋人をどこに隠しておこうというのか。)
 しかし憧れの思いがやみ難いなら、愛に生きる女たちのことを歌うがよい。
 彼女たちの世に知られた感情は、まだ十分に不滅なものとなっていない。
 あの棄てられた女たちのことだ。きみはほとんど妬ましく思うだろうが、
 あの女たちは、愛を得た女たちより、愛がはるかに強いことをきみも認めた。
 つねに新たに、けっして足ることのない称賛を始めるがよい。
 思ってもみよ。英雄は不滅の存在であり、没落さえも
 彼にとっては存在の口実にすぎず、彼の最後の誕生だった。
 けれども愛に生きる女たちを、消耗した自然は
 自分の中へ取り戻すのだ。あたかも、このようなことを為す(end104)
 力は二度と生じないというように。ガスパラ・スタンパのことを
 きみはそもそも考えたことがあるか。恋人に棄てられた女の子が
 愛に生きた女たちの高揚した実例を知って、
 自分もこの人たちのようになりたいと思う、それほどの思いをこめて。
 古来からのこの苦しみは、いまこそわれわれにとって
 実りあるものとなるべきではないか。われわれは
 愛する者から離れて、ふるえながらそれに耐えるべき時ではないか。
 矢が弦の張りに堪え、力を集めて飛び立つとき、
 矢自体以上のものになるように。なぜなら停滞はどこにもないのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、103~105; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第二連)



  • 一〇時台に覚め、ややまどろみつつ、一〇時四〇分ごろ意識がはっきりと晴れた。喉やこめかみを揉んだり脹脛をマッサージしたのち、一一時ちょうどに離床。昨晩、居間で母親がカーテン越しに窓を見やりつつ、月が見えるからあしたは晴れるかなと言っていたが、じっさい晴れて陽の色が見える朝となった。ただ、大気の感触はつめたくてきっと冴えたかんじがいくらかあり、はやくも冬の質感をおぼえさせられる。それで昨夜からハーフパンツではなくて寝間着を着るようになり、しかもそのうえにジャージを羽織った格好で寝た。水場に行って洗顔やうがいなどしてきてから瞑想。一一時三五分まで。ちょっと思念に沈みすぎて身体をあまりかんじずに終わってしまった。
  • 上階へ行って髪を梳かすと食事。煮込み蕎麦やシチュー、それにきのうの天麩羅ののこりである。新聞は国際面。習近平がいわゆる「寝そべり主義」を批判したということを共産党の理論誌がつたえていると。寝そべり主義というのは激しい受験競争とか就職戦争とか激務からはなれて無理にがんばらず最低限の生活で満足するという価値観だが、それは国家の目標である「共同富裕」のさまたげになると。過剰な社会保障をすることはできない、国家が怠け者をやしなうようなことはしてはならない、との言。
  • ほか、EUとイギリスのあいだで北アイルランドをめぐって悶着がつづいているとの記事。北アイルランドアイルランドとのあいだで宗教ほかの対立があるのでそのあたりを再燃させないよう、EU側の貿易ルールをのこすことになったのだが、そうするとこんどはイギリスから北アイルランドに物資をはこぶ際に検査などしなければならず手間になっていると。ルールを取り決める議定書が交わされているのだけれど、イギリス側は再交渉をしたいともとめるいっぽう、EU側は多少の譲歩案をしめしながらも再交渉の意思はないとはっきりことわっている。譲歩案というのはイギリスからはいる物資には特別なラベルを貼ってそれで検査を免除するという方策で、EU側のいいぶんによればそれで事務処理などかなりの割合がカットできるという。ただもうひとつ、イギリス政界の一部が問題視しているのが北アイルランド貿易にかんしてなにか紛争が起こったときに、それを解決するのがEUの最高司法機関である欧州司法裁判所だとされている点で、これは主権の侵害だと彼らはみなしており、独立の仲裁機関にゆだねるべきだと主張しているらしい。実務的な面と権利的・観念的な面がごっちゃにされたまま議論がつづくと泥仕合になる公算がつよいと記事は締めくくっていた。
  • 食器を洗い、湯呑みと急須にキッチンハイターを吹きかけて漬け、漂白しておいた。それから風呂を洗って白湯一杯とともにもどり、ウェブを見たあときょうのことをここまで記述。一時。
  • きのうのことを記述。通話をしたので書くことがたくさんあった。一時半ごろにいったん切って上階に行き、ベランダの洗濯物を取りこんだ。あかるい日なたがまだベランダの手前側にひらいていたので、そのなかにはいってしばらく体操やストレッチを軽くおこなった。肌に触れる日光のぬくもりがとにかく気持ち良い。空気がながれるとやはりそのなかに冬の先触れめいたつめたさがふくまれていて、それで余計に大気のうごきがとまったあとに肌に貼りつく温感がここちよいようだった。あおむけになってしばらくころがりたかったくらいだ。しかしからだをいくらかうごかすと室内にもどり、タオルや肌着類などをたたんでから自室にかえった。きのうの記事を完成させ、きょうのことをここまで加筆するといまは三時になる直前である。しごとがはやい。そこそこの余裕がある。
  • 先ほど足ふきマットだけはまだ入れずに出したままだったので、それを取りこみに行った。ついでにたたみきっていなかった寝間着などもかたづけて、もどるとベッドにころがって書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。きのうは良いかんじのペースで読めたのだが、きょう最前線を読んでみるとやはりむずかしく、こまかいところのつながりがわからずにまえにもどることになり、きのうはわりとこだわらず過ぎていった部分で、この文のなかのこの語はどういう意味なのか? とか、この文とこの文のつながりがわからんぞ、とかいうかんじではまってしまった。そうして時間をかければまあそれなりにはわかるので悪くないのだが、しかしどんどん読んでべつの本にもずんずん行き、ガシガシやっていきたい気持ちもあってなやましいところだ。四時ごろで食事を用意。三個一パックの豆腐をひとつあたため、おにぎりをつくる。もどって食いながら、またその後歯磨きしながら書見をつづける。四時四〇分かそこらで上がって、キャベツとニンジンを器具でスライスし、手抜きサラダをこしらえておいた。桶に水を張ったなかに漬けておく。シチューがたくさんのこっており米もあるのでだいたいそれで夕食は良い。ほんとうはもう一品、鶏肉があったので炒めるでもしておかずをつくったほうが良かったのだが、できなかった。父親がやってくれることを信じることに。
  • FLY『Sky & Country』をながしだし、スーツに着替えて身支度。きょうはやたら寒いので、この秋はじめてのことだがジャケットまで着ることにした。そしてそれで正解だった。仕事着になると五分ほどのみあまったのでまたすこしだけ本をひらき、そうして上階へ。居間のカーテンを閉めてマスクを用意し、用を足してから出発。とにかく寒い。自然と肩を上げて身をちぢめてしまうような冷え方だった。空は雲でいくらか汚れながらもなかのほうは水色に晴れて月も照っているものの、あたりにひかりはもはやなくて、ぬくもりの消え去った黄昏時の青さが刻々と色濃くしのび寄ってくる五時である。(……)さんが庭に出ていた。車庫との境に立って車のほうをむきながらなにやらしゃべっているようだったので、だれかとはなしているのかなとおもったが、どうもそうではなく、ひとりごとを言っていたのではないか。こちらがちかづくと車のそばをややはなれて、行ってらっしゃい、もうずいぶん寒いね、とほうってきたのだが、その声がなかなかおおきく張りのあるものだったので、もう九〇も越えてこの寒気が老骨に染みるだろうが、まだけっこう元気そうだなと見た。こんばんはとあいさつし、きょうすごく寒いですね、おからだに気をつけて、とかけて過ぎ、そこにまえから風が吹いてきたのに目をほそめていると背後から、風もつめたいねえ、と追ってことばが来たので、ちょっと振り向いてええ、と返して坂にはいった。
  • 駅につくとベンチに座り、しばらく瞑目。左右にながれていくものがあって寒いには寒いが、ふるえるほどではない。あたりからは多種の虫の音が交雑的に、しかしそれぞれのリズムとペースはほぼ一定に保ちつつ生まれつづけており、入り組んだ声のドームをかたちづくって人間たちをつつみこんでいる。線路をはさんで向かいの細道を車が行けば、聴覚野の左から右へその音がすべっていくのがかんじられるとともに、瞑目のうちにおのずから、正面の空間や道の様子とそこをながれていく車の想像的なすがたが(あいまいな想像なので車種もかたちも不完全であまりあきらかではないのだが)、音の場所と一致するようにしてあたまのなかに浮かんで動く。
  • 乗車。扉際で立って手すりをつかみながら目を閉じて待つ。きょうも山帰りのひとがおおかったようで座席は埋まっていた。(……)に着くと降り、ホームを行って、階段際で見上げれば空は例の沼のような青さに満ち満ちており、そのなかに雲がうっすら襤褸布のようにけむっているらしき濁りがかんじられた。駅を抜けてまた見上げると南に向かう空のまんなかあたりは雲たちの影がだんだんと音量を落としていく八分音符の連続のように整然とならんで伸びており、その下方から東にかけてはトワイライト・ブルーというべき醒めたうつくしさがなめらかに塗られて透きとおり、果てではもはや暖色をうしなって甘酒のように白っぽく褪せたひかりのなごりも水面下へと引きずられながら空気をもとめて抵抗するひとのように、かろうじて見える弱さで浮遊していた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 八時半過ぎで退勤。たまにはポテトチップスでも食うかとおもって自販機で購入。アルフォートのストロベリー味もあわせて。そうして徒歩で帰った。とにかく寒く、ジャケット表面に溜まるつめたさとか顔をこする空気の質感とかが冬のものにちかい。コートを着ても良いとすらおもうくらいだった。月は左下をすこしだけかくしたすがたでまた満月にちかづいており、ときおり雲に巻かれてぼやけながらもあざやかな金色円として高みにうちあがっており、淡い赤でふちどられたひかりのころもを雲床にひろくやどらせたその金円はあるくあいだにもますます高く浮かんだようで、街道に出たころにはずいぶんちいさく収縮して隕石のようになっていた。
  • 帰宅。消毒をしたうえにさらに手洗いもして帰室。ジャージに着替えるときょうも寝転がらず、ボールを踏みつつさっそく日記。きょうの記述をすすめた。一〇時半にいたらないくらいで夕食へ。一個七八円だかの廉価な餃子やモヤシなど。それらを電子レンジであたためるあいだにトイレに行って糞を腹から追い出し、ほか、シチューなどを用意。夕刊にめぼしい記事はなかったので朝刊にもどり、国際面や政治経済面など見ながらものを食べた。ロシアが日本海での軍事演習(先般は中国との共同演習もおこなったらしい)を活発化させており、日米の台湾への関与強化や米英豪が組んだいわゆるAUKUSを警戒して対抗心をつよめているようだと。インドは伝統的にロシアの友好国だったらしいのだが、そのインドもQUADに参加して米国側との連携をたかめているし、ロシアをとりまく安全保障環境が複雑化しているなか、中国との関係を強化してそなえているもようだ。ほか、ガス業者が二酸化炭素排出削減に本格的に乗り出していると。大阪ガスINPEX(旧・国際石油開発帝石)という会社が共同で合成メタンの開発にとりくんでいるという(新潟県長岡市にその施設があるらしい)。二酸化炭素を原料に水素と混ぜて合成メタンをつくり(メタネーションという)、それで家庭のガスをまかなうという計画で、メタンが燃えるときに二酸化炭素が出るらしいがもともと原料につかっているので実質相殺されるということだった。たしか東京ガス横浜市鶴見区で同様の実験をすすめているとあったはず。あるいはそれは合成メタン開発ではなく、水素の燃料利用の実験だったかもしれないが、そのあたりわすれた。
  • 一一時をまわったくらいで入浴。きょうは湯のなかでながく浸かり、瞑目に休む。わりと心身をほぐせた。出るとちょうど零時だった。緑茶を用意して自室にかえり、買ってきたチップスとチョコレートを食いながらウェブを見て、じきにふたたび日記へ。ここまでつづって現在時に追いつけば二時を越えたところだ。勤勉である。おのれの勤勉さこそがいつかおのれをすくうことになる。
  • 作: 「月のない夜をねらって旅に出よ無限の嘘が追いつけぬ日へ」、「恋人のほほえみばかりかぞえあげ十進法を知った人類」
  • 風呂からかえってきたときにデスクのまえに立ったまま"(……)"の音源を聞いて、LINEに気になった箇所をつたえておいた。(……)
  • 日記を綴ったあとは歯磨きして書抜き。ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)だけしかできず。石田英敬もすすめたかったのだが、さすがにからだがつかれていた。それでその後はだらだらして、四時半に就寝した。

2021/10/17, Sun.

 だれが、わたしが叫んでも、天使の序列から
 わたしの声を聞いてくれようか。もしも
 天使のひとりがわたしを胸に突然抱くとしたら、
 その強烈な存在のため、わたしは滅びてしまう。なぜなら美は
 われわれが辛うじて堪えうる恐しいものの発端にすぎないから。
 そしてわれわれが美をこのように賛美するのは、
 美がわれわれを破壊するのを何とも思っていないからだ。どの天使も恐ろしい。
  そこでわたしは自分を抑え、暗いすすり泣きとともに、
 誘いの声を呑み込んでしまう。ああ われわれは一体、
 だれを頼りにすることができるのか。天使はだめ、人間もだめ。
 というのは、勘の鋭い動物たちはもう、(end102)
 われわれ人間が、解明の進んだ世界にあっても
 確かな存在として居ついていないことに気づいている。
 われわれに残されているのは、おそらく、毎日再会するようにと
 斜面に立つ一本の樹木。あるいは昨日通った
 街路や、甘やかされて離れないちょっとしたくせ [﹅2] 。
 そんなくせ [﹅2] は居心地がよいと、そのまま留まり、出て行かないのだ。
  おお そして夜、世界空間を孕んだ風が
 われわれの顔を削ぐ夜、――切望されては、
 ゆっくりと幻滅を与える夜、ひとつひとつの心の前に立ちはだかる夜は、
 だれにも残されているだろう。恋人たちには夜はもっと耐え得るものか。
 ああ 彼らはたがいにそれぞれの運命をかくし合っているだけだ。
  きみはまだ知らないのか。きみの両腕から空虚を
 われわれの呼吸する空間に投げ入れよ。そうすればおそらく、
 鳥たちは一層心のこもった飛翔により、大気の拡大したのを感じるはずだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、102~103; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第一連)



  • きのうの記事に書くのをわすれたが、夕刊には池辺晋一郎の「耳の渚」があって、今年はサン=サーンスの没後一〇〇周年、またストラヴィンスキーの没後五〇年にあたるとあった。サン=サーンスは大家にくらべると知名度は劣るものの、モーツァルトに比肩するような天才で、うそかまことか二歳のときにピアノを鳴らしたあとその音が減衰して消えていくのをじっと聞いていたというエピソードがあるという。ハイドンモーツァルトからまなんで古典美を受け継いだ大作曲家であり、ひるがえってストラヴィンスキーのほうは二〇世紀の前衛として名高いこちらも大作曲家だが、『火の鳥』だったか『春の祭典』だかがパリで初演されたとき(一九一三年くらいだったはず)に、当時としては最高度だったその前衛性が観客に受け入れられず怒号が巻き起こり、その騒ぎで音楽が聞こえないダンサーたちは振付け役のニジンスキーが大声で怒鳴るリズムにあわせてようやく踊れるという始末で、支配人が登場してともかくもさいごまで聞いてほしい、と観客に懇願してなんとか公演がつづけられたというエピソードがあるらしいのだけれど、そのときに音楽が気に入らずはじまってまもなくさっさと劇場を出ていってしまったひとりがサン=サーンスだったのだという。それはまさしく二〇世紀初頭における音楽界の伝統と革新の遭遇、その転回=展開を強力に象徴するような瞬間であり、半世紀をはさんだそのふたりの没後アニヴァーサリーが今年かさなっているというはなしだった。ところでサン=サーンスは一九二一年にアルジェリアを旅行していたさいちゅうに死んだらしいのだが、一八三五年の生まれとあったはずだから八六歳まで生きたはずでだいぶ長生きではないか。
  • きょうは一一時四〇分に起床。いつもどおりである。いちど、八時台後半に意識をとりもどしたのだが、さすがにここで起きると睡眠がすくないしなあとおもってぐずぐずしているうちにまた寝ついてしまった。雨降りでやや肌寒い秋の日。雨はここさいきんではいちばん降っているとおもわれ、寝床にいたあいだにはけっこう雨粒の打音がひびいていた。こめかみや喉を揉んで起き上がると水場に行ってきて、瞑想。一二時一〇分まで。
  • 上階へ行って食事。一個七八円だかの廉価な餃子など。新聞では衆院選にむけた枝野幸男のインタビューをいちおう読み、ほか、「ハバナ症候群」について。アメリカのCIA職員や国務省のスタッフなどにここ数年、原因不明の体調不良があいついで発生しており、その総計は二〇〇人ほどにのぼって(半数弱がCIAの職員)、さいしょに確認されたのがハバナ駐在の外交官だったかともかくキューバハバナではじめて確認されたのでそこから取って「ハバナ症候群」と名付けられたという。とうぜん外国、主にはロシアの秘密工作がうたがわれるわけだが、可能性としては電磁波による攻撃がかんがえられると。症状は目まいとか吐き気とかで、ひどいひとだと目がよく見えなくなって車の運転ができなくなったり、脳損傷と診断されたりしたひともいるという。ただ決定的な証拠はないし、仮にロシアなどによる攻撃だったとして、大使などの幹部級の人員に被害がほとんどないというのが解せない、攻撃するならそこをねらうはずだ、という声もあり、究極的には原因はまったく不明だということだ。
  • ルーティンをすませると帰室して、茶を飲みながらきのうのことをつづった。一時半過ぎで終了。投稿もすませ、きょうのことも記述。うえの段落まで書いたところで二時にいたったので、LINEにいま行きますと投稿して隣室にうつった。(……)
  • (……)五時で通話は終了し、自室にコンピューターをもどすと上階へ。アイロン掛けをおこなった。台所にいる母親はまた天麩羅を揚げるなど。そこではラジカセからラジオがながれており、それがなかなかいい音楽だったというか、七〇年代から八〇年代くらいの古き良きソウルをおもわせるような曲がつづき、なかに一曲、Deep Purpleの"Lazy"と混同するようなハモンドオルガンのフレーズ(キーもおなじではないかと聞こえたのだが、もしそうだとするとFmということになる)がイントロになっているものがあり、女性ボーカルはStevie Wonderの"Ordinary Pain"(だったとおもうのだが)のバックでうたっているようなかんじの声で、気になったのでアイロンかけのあいまにわざわざ台所に行って、これだれ? と母親に聞いたのだが、わからないという。曲が終わったらもっかいなまえいうでしょ、聞いといて、とたのんだものの、天麩羅が揚がるフライパンのそばにいた母親はその音で聞こえず、またもともと聞く気もなかったようで、再度聞いてもわからなかった。84.7だといったからFMヨコハマのはずだが、いまFMヨコハマのページを見てみたところでは、あきらかにちがう。こんな曲はかかっていなかった、というなまえしか見当たらない。それでたぶん母親はFMヨコハマだとおもっていたところが、周波数がすこしずれていたのではないかとおもい、検索して前後の放送局をしらべ、おのおののホームページをおとずれてみたところ、NHKで「MISIA 星空のラジオ ~Sunday Sunset~」という番組が五時台に見つかり、なおかつ六時からの番組が岡田なんとかというひとになっており、六時になったときにたしかにパーソナリティが岡田なにがしと名乗っていたような記憶があったので、これではないかとおもった。オンエアリストを見てみても、Jimmy Smithの"Can't Hide Love"があるからあのハモンドはこれだったのでは? とおもってさっそくYouTubeで聞いてみたところ、しかしそんなにピンとこないというか、"Lazy"に似てなどいないし、"Can't Hide Love"ならいちおう知っている曲だから、ほんとうにこれだったかなあ、と確信がもてない。だが、距離があったからそうしっかり聞き取れなかったわけだし、雰囲気はあきらかにこちらの方面だったし、そのまえのInner Life "I Like It Like That"をながしてみてもたぶんそうだという気がする。Manfredo Fest "Who Needs It"をながしても、こういうフュージョン的なウネウネフレーズを聞いたおぼえもあるし、たぶんこの番組だっただろう。まあ、このMISIAのラジオでDJ MUROというひとが選曲したらしいリストを聞いてみると、どれもなかなかいいかんじなので、もしちがっていたとしても、もとの番組がなんだったかはもはやどうでも良い。
  • アイロン掛けを終えると台所にはいり、天麩羅をひきついだ。ネギやらニンジンやらなにやらを混ぜたかき揚げ。腹が減っていたので、それがすむともう食事へ。即席の味噌汁やサラダののこりとあわせて米と天麩羅を用意。食事中の新聞は一面から二面にかけてのジョセフ・ナイの寄稿を読んだ。冷戦時代はソ連の存在によって安全保障上のおおきな軸や中心点を持っていたアメリカは、九〇年代にはいってソ連が崩壊したことによりそれをうしない、二〇〇一年のテロを機にグローバルなテロとの戦いという題目をあらたな大義に据えたものの、それによって米国にとって中核的とはいえないアフガニスタンイラクにながく拘束され、結果的に米同時テロによってうしなわれた人命よりもはるかにおおくの命をうしなうとともに何兆ドルもの資金もついやすこととなった。そしていまや中国が台頭して「新冷戦」などともいわれているが、それをソ連時代の対立とおなじものだとみなしていると米国はあぶないぞ、というようなはなしだった。冷戦時代にはアメリカとソ連のあいだに社会的・経済的な交渉はほとんどなく、両国は明確に分離していたのだが、中国はアメリカの主要な貿易相手であり、また世界のほかの国々にとってもそうである。米国はたとえばファーウェイを5G計画から排除したりだとか、中国経済の切り離し、いわゆるデカップリングをはかってはいるものの、経済的依存を完全に脱却することは不可能だし、また気候変動やコロナウイルスのようなパンデミックなど、一国だけで対処できない問題にかんしては世界の協力をあおがねばならず、中国もとうぜんそのなかにふくまれる。それは中国側も同様ではあるわけだけれど、アメリからしてみればしたがって、経済分野やグローバルな問題については協力しつつ、同時に南シナ海などでは中国海軍をおさえるためにそれに対抗し、競争しなければならないような、より微妙で精密な舵取りが要求されると。また、米国の大局的な安全保障観において世界的環境問題のリスクについての見地が充分に反映されていないという指摘もあったのだが、そのあたりの具体的な内容はわすれてしまった。
  • 食事を終えると洗い物。母親が、あそこがどうしようもないよ、と言ったように、流し台が食器や調理道具でごちゃごちゃしていたのだが、まず野菜の屑などを生ゴミ用の袋に入れてからそれらの占領物たちを洗ってかたづけていった。そうして居間のテーブルを台布巾で拭き、部屋に帰還。Justin McCurry, "Tokyo Olympics: poll shows 60% of Japanese people want Games cancelled"(2021/5/10)(https://www.theguardian.com/sport/2021/may/10/tokyo-olympics-poll-shows-60-of-japanese-people-want-games-cancelled(https://www.theguardian.com/sport/2021/may/10/tokyo-olympics-poll-shows-60-of-japanese-people-want-games-cancelled))と、Kim Willsher, "Macron and the ‘French Trump’ trap Gaullism’s heirs in a political vice"(2021/10/17, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2021/oct/17/macron-and-the-french-trump-trap-gaullisms-heirs-in-a-political-vice(https://www.theguardian.com/world/2021/oct/17/macron-and-the-french-trump-trap-gaullisms-heirs-in-a-political-vice))を読んだ。後者を読んでいるとちゅうに母親がなんとかいいながら階段をおりてくるのが聞こえて、タブレットで兄夫婦からの着信を受けたのだとわかったが、階段下の父親とともにはなしはじめたのが聞こえながらもまだ出ていかずに記事を読みつづけて、呼ばれたところで合流してちょっと通話した。兄夫婦は帰国後にホテルに三日くらいとどめられていたのが終わり、いまは(……)というところにあるらしいコンドミニアムでひきつづき隔離生活をおくっている。画面に移された施設内はけっこうひろびろとしているようすで、ベッドのうえで(……)ちゃんが飛び跳ねてさわがしくあそんでいた。どういう施設構造になっているのかわからないが、ほかのひとたちはいるの? と聞くと、べつの棟というかんじで建物が分かれているのか、ともかくほかにもいるようだが見かけはしない、とのこと。外出はコンビニにちょっと買い物に出るくらいしかできないことになっており、毎日電話がかかってきていまどこにいるのか映して見せてください、ともとめられるという。とはいえその電話がかかってくるのは午前中にかぎられているので、夜などは出かけてもたぶんあちらにはバレないだろうが、とのことだった。一一月一日に出て、(……)の新居にはいる。こちらは労働があるので行かないが、その日、両親は手伝いにでむくことになっているはずだ。子どもふたりは元気そうであるきまわったり跳ねたり声を出したりしていたが、(……)さんは、どこにも行けないので退屈だと漏らしていた。閉じこもってふたりの子どもや兄とずっといっしょにいなければならないというのもそれはそれでストレスだろう。
  • おたがいにそろそろ食事を取るということで通話は長引かず終わり、こちらはついでに上階に行って用を足すとともに、きょうはいきなり冷えてハーフパンツの脚がけっこう寒いので、からだをあたためるかとおもって白湯を持ちかえった。それで飲みつつ先ほどの英文記事を読了。来春にひかえているフランスの大統領選にかんして、特に右派の共和党がおかれている苦境について。大統領に立候補している極右勢力としては、マリーヌ・ル・ペン以外にも、「フランスのトランプ」などとまたぞろ阿呆みたいな呼称をえているエリック・ゼムール(Éric Zemmour)というひとがいて、いまのままだとル・ペンか彼が二回目の投票でマクロンとあらそうことになる予測だという。このなまえでいま検索してみると、新潮新書の『女になりたがる男たち』という著書が出てくるので、そのタイトルだけでもだいたいどういうかんがえかたの持ち主かが推し量られるだろう。記事の文中にも、〈Debates have centred on Zemmour’s provocative Trump-like declarations that Islam and immigration are destroying France, his defence of the Nazi collaborationist Vichy regime and scattergun attacks on feminists, homosexuals, black people and Arabs, sparking introspective, existential reflections.〉という一節がある。ヴィシー政権擁護、すなわちナチへの協力を支持するというのはどういう理屈でそうなるのかぜんぜんわからないのだが、そもそも反ユダヤ主義をいだいていて、ユダヤ人をぶっ殺しまくったナチス自体をすばらしいとおもっているということなのだろうか?

Six months before a presidential election and France’s mainstream right finds itself squeezed – between the hammer and the anvil as they say here – without a candidate and facing an existential threat from either side.

On one flank are the far-right Marine Le Pen and Éric Zemmour, a polarising television pundit who wants to talk about immigration, identity and Islam – the three i’s – and ban “non-French” names such as Mohamed.

On the other is Emmanuel Macron, a self-declared “centrist” president who, nearing the end of a five-year mandate marked by the Covid epidemic, needs to woo centre-right voters to stay in power.

As Zemmour, who has been nicknamed the French Trump, dominates the airwaves hammering home his message, polls suggest if he stands either he or Le Pen will be facing Macron in the second round run-off.

Where does this leave the mainstream Les Républicains (LR), the traditional heirs of General de Gaulle and his “certain idea of France”, now faced with Zemmour’s accusations it has betrayed its hero and become a party of chochottes or French “snowflakes”?

     *

Five years on, the PS candidate, Paris mayor Anne Hidalgo, is trailing badly in the polls, while LR is engaged in a frantic race against the electoral clock to paper over the cracks before next April. A poll of LR’s 80,000 members has been postponed until 4 December, giving the winner four months to rally the electorate.

Jean-Yves Camus, director at the Observatoire des Radicalités Politiques of the leftwing Jean-Jaurès foundation, told the Observer: “For decades in France the right has given the image of unity but behind this are old fractures. In Les Républicains there are people who are true Gaullists and those who are conservative, even reactionary, but are with the LR because it’s a big party, has a hegemony on the right and because it’s complicated to be elsewhere.”

He added: “Zemmour’s possible candidacy has revealed this disparity of very different ideology inside LR and made it more evident. He has shown the unity is fictitious and made this fiction explode.”

     *

Debates have centred on Zemmour’s provocative Trump-like declarations that Islam and immigration are destroying France, his defence of the Nazi collaborationist Vichy regime and scattergun attacks on feminists, homosexuals, black people and Arabs, sparking introspective, existential reflections. Even France Inter’s morning news programme, the equivalent of Radio 4’s Today, was moved to debate: “Is the identity of France threatened? What does it mean to be French?” last week.

The saturation coverage Zemmour has been given is unprecedented and described by Hidalgo as “nauseating”. Romain Herreros, a political correspondent at the Huffington Post, believes Zemmour’s goal is to kill off LR and Le Pen’s Rassemblement National (RN) by presenting himself as the mythical “providential man” bridging the political terrain between the far-right and centre and halting the national decline he has highlighted; the classic firefighter-pyromaniac, starting fires in order to heroically put them out.

     *

Polls show Macron with a clear lead in the first-round vote, with Le Pen and Zemmour up to 10 points behind. Hidalgo, officially selected to represent the PS last Thursday, trails Yannick Jadot of Europe Écologie Les Verts (Europe Ecology/Greens) and the hard left’s Jean-Luc Mélenchon of La France Insoumise (France Unbowed).

  • その後、「読みかえし」を少々。九時で切るとポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)をしばらく読み、それからデスクで書抜き。BGMはFLY『Sky & Country』。だいぶ間が空いたが、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)の記述を写した。一〇時半過ぎくらいで歯磨きをしてから入浴へ。きょうはあまりながく浸からず。風呂を出てくるとここまで記して零時過ぎ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 夜半以降はまた書抜き(石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年))をしたり書見したり、夜食に蕎麦を煮込んで食ったり。三時四〇分で就寝。

2021/10/16, Sat.

 この内部にふさわしい外部は
 どこにあるのか。どんな痛みの上に
 この亜麻布は当てられるのか。
 どんな空が、このなかに
 この開いたばらの(end100)
 この屈託のない花々の
 内海のなかに映っているのか。ごらん、
 ばらはみなほどけかかり、ほどけた
 空間にやすらう、ふるえる手が触れたなら
 花びらがこぼれてしまうと恐れつつ。
 ばらはみずからを支えることが
 できない。多くのばらはいっぱいにあふれ、
 内部空間から昼の空間へ
 あふれ出ていく。昼の空間は
 ますますみなぎりつつ閉じていく。
 ついには夏全体が一つの
 部屋になる、夢のなかの一つの部屋に。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、100~101; 「ばらの内部」 Das Rosen-Innere; 『新詩集』『新詩集別巻』 Neue Gedichte und Der Neuen Gedichte anderer Teil より)



  • 一一時過ぎに起床。一〇時半ごろに覚めて、喉やこめかみを中心にからだを揉んでいた。さいしょは窓が一面白く染まりつくしていたのだが、そのうちにじわじわとその白さの明度があがってきて、まもなく太陽が雲の膜のうすいところにはいったらしくひかりがにじみだすとともに周囲の白さよりも凝縮的なするどい白のつやめきが生じて目を射った。起きると水場に行ってきてから瞑想。二〇分ほど。よろしい。なにか放送のようなものが聞こえるのは、きょう近間の中学校で運動会もしくは体育祭をやっているからだろう。風はなかなか旺盛だが気温はそう低くなく、肌寒さは生まれずさわやか。
  • 上階へ。髪を梳かし、ナスとひき肉の炒めものやオクラのスープで食事。新聞、アフガニスタン南部カンダハルのモスクで自爆テロと。死者三七人。シーア派の金曜礼拝がねらわれる事件がつづいている。八日にも同様の事件があって、そのときはISISが犯行声明を出した。
  • 皿と風呂を洗って帰室。コンピューターやNotionを用意し、ここまでしるせば一二時半過ぎ。
  • その後、きのうのことも書いて投稿。(……)からおくられてきていた結婚式のウェブ招待に出席で返事をして送信。そうするといま二時まえ。
  • 「読みかえし」を音読。二時半ごろ。そこからストレッチを少々。さいきんサボっていた。三時まえで上階へ。きょうも労働(会議)だが、アイロンかけをしておくことに。面倒臭いのですべてはかけず、じぶんのワイシャツ以外のものを優先しておく。それから食事。冷凍の安っぽい肉のこま切れを焼いて米に。炊飯器の米はそれでなくなった。ほか、ソーセージとピーマンの炒めものを少々。持って室に帰り、BBC Future team, "What we know and don't know about Covid-19"(2021/3/1)(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19))を読みながら食べた。記事をさいごまで読了すると上階に行き、食器を洗ってかたづけるのだが、まずは乾燥機のなかにスペースをつくらなければならない。それでまだすこし濡れている食器類を戸棚などにはこび、また、先ほどつかったフライパンをゆすぎ、水を入れて火にかけておく。そのあいだに食器を洗い、ナスとひき肉の柚子味噌炒めにつかわれたフライパン(泡に漬けておいた)も洗った。そうしてもうひとつのフライパンも熱湯をあけてキッチンペーパーで拭き、綺麗にすると、炊飯器を洗ってあたらしく米を磨ぐ。六時半に炊けるように設定。下階へ。そとで草取りをすこししたらしい母親が、下階の物置きからはいってすぐのところでアシカかなにかのようにごろりと横になって、つかれた、うごけない、と言っていた。ちょっと寝ればいいじゃんと受けて歯ブラシを用意し、部屋にもどると歯を磨きながら去年の日記を読むことにした。一年前の読みかえしもほんとうはすすめてブログを検閲しなければならないのだが、ぜんぜんやる気にならない。この一年前は文をきちんと書きたいという欲求と、しかしそれだと日々のいとなみがコンスタントにすすめられないという事情のあいだで板挟みになり、とりあえず記憶をメモに取っておいてあとあとそれを正式に記す、という折衷案を取っていたようで、しかしそれでもいとなみをうまく維持できず、メモと記述が混在したかたちで放置されてあった。それでブログには投稿されておらず、昨年中にはそういうふうに投稿にいたらなかった日がけっこうある。今回読み直し、いじらずにそのまま不完全なかたちで投稿。この日に2020/7/5, Sun.だから三か月いじょうもまえの日の記事をしあげて投稿したらしいが、そのさいにブログのタイトル(このまえは「雨のよく降るこの星で(仮)」だったはず)を「日記」という端的な一語に変えたらしい。その後、どこかのタイミングで「2014/1/5, Sun. - 」にまた変更したのだ。
  • 文がなかなかさらさらと書けず手が重くなってしまうという神経症的苦境について、(……)さんがいぜん言っていたことをおもいだしながら、だれかへの「報告」のようにして、書いているというよりはしゃべっているようにして書けば行けるのではないかという解決案を見いだしており、それはつまり磯崎憲一郎『肝心の子供』のなかに出てきたビンビサーラのありようだと言って該当箇所を引きながら、「ただひたすらに、自分が見、聞き、感覚し、思考し、行為したことを、誰かに向かってくまなく報告し続ける自動機械としての存在性」というなじみの幻想的イメージに回帰している。
  • その後、ここまでしるして四時半。
  • 瞑想をした。かなりいい感覚ではあったのだが、やや眠気が混ざって一五分ほどで切ることに。停止感というか、なにもしないという非能動性の感覚にかんしてはもうお手の物というくらいに習得してきたつもり。しかしそういうときにこそ、じつはできていないということが往々にしてあるものだが。ともかくもすわって、ある程度のあいだすわりつづけていれば身体と精神のうごきがどうあれもうそれでいい、というこだわりのなさになってきている。きのうの記事に書いた、生きていればだいたいなんでもいい、というのとおなじこと。状態を言語化したときに、「すわっている」という言述のほかに実質的にはなにもない、そのそとがない、というのが瞑想もしくは座禅であり、只管打坐ということではないのか。ある程度の時間すわってじっとしていれば、もうそれで良いわけである。質は問題ではない。
  • そのあとまだ出るまでに間があったので書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。きょうは臥位にならず、ベッド縁にすわってゴルフボールを踏み、足裏を揉みながら読んだ。そちらのほうがなんとなくあたまがはっきりはたらくような気がする。それであまりこだわらず、そこそこうまくながれるように読みすすめられた。といって八ページ程度だが。五時二〇分ごろで身支度。竹内まりやの"五線紙"や、北川修幹の"バカばっか"をながして口ずさみながら服を着替えた。
  • 出発。母親が、水道のまわりがちゃんとなってるかな、といいながらこちらのあとにつづいて玄関を出てきた。やっぱりなってなかった、というが、いったいどうなっていればちゃんとなっていることになるのかわからない。母親独自の、蛇口のむきだったりバケツの置き方だったりがあるようなのだが。道へ。家を出た瞬間には沼のように青くけむった南空にやや艶を帯びてあかるんだ半月が浮かびきわだっていたのだが、一分もすすまないうちにまた見あげるともうそのすがたが霧消していて、どのあたりで雲の裏にかくれたのかも見分けられなかった。この時刻になるともはやたそがれを越えて宵にはいった暗さである。(……)さんがまえからゆっくりあるいてきて、あいさつをしようとおもったところがこちらから見て道の右端で(……)さんの家のほうに顔をむけて、あまりはなしかけてほしくなさそうなかんじだったので声をかけずにとおりすぎた。坂に折れると(……)さんがおり、落ち葉の掃除かなにかしていたようだ。行ってらっしゃい、とかけてくるのであいさつをかえし、もうこの時間になるとずいぶん暗いですね、と世間話を投げた。何時ごろまでかと訊くので、きょうだと一一時くらいになっちゃいますね、きょうは遅いほうなんで、とこたえると、そんなに、というような反応が返ったが、でもまあそんなにながくないんで、と笑って受けて、別れ。のぼっていくとこんどは(……)に遭遇した。それでまたちょっと立ち話。テストがきのう終わったところだという。駄目だというが、Timed Readingでは一位だったとか。Timed Readingという単語をいままで聞いたことがなかったが、要するに文章がどれだけはやく読めるかみたいなことだろう。たいしたものだ。マスクをつけたまま坂をのぼってきたのでちょっと息がくるしく、はあはあいっていてややしゃべりづらかったのだが、眼鏡について触れた。あちらから触れてきたのだったか、こちらから話題に出したのだったかわすれたが、これ今週からかけはじめたんだけど、マスクつけてると曇るんだけど、はじめての体験ですよ、どうにかならないの? と、(……)も眼鏡をかけているのできいてみると、曇り止めをつかうしかない、とのことだった。曇り止めって塗るってこと? ときくと、そうだという。そういうものがあるのだ。別れるまえに、まあ元気でやってりゃなんでもいいですよ、と言をおくり、たのしい? とつづけてきけばたのしい、と返るので、たのしけりゃなんでもいいですよとゆるく落として笑いをもらい、じゃあがんばって、と言っておのおのの方向にすすんだ。
  • 電車はこの時間でも意外と混んでいる。きょうは土曜日だから山に行ってきたひとがおおかったのだろう、座席はすべて埋まっており、よく見なかったがにぎやかな会話の声も左右から生まれていた。左からは鈴の音がたびたび聞こえて、たぶんあれは最寄り駅でこちらとともに乗ったひとがリュックサックにつけていたのではないかとおもうのだけれど、熊よけのものではないか。
  • (……)に着き、職場へ。(……)駅を出て職場へ。空はもう黒い。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 「夜明かしの価値も知らないおまえらに用はないのさとっとと眠れ」という一首をつくった。
  • 帰路にたいした印象はない。きのうにくらべると気温の高い感触だった。肌寒さはない。それで水の抜けていたからだがさそわれたようで、文化施設裏の自販機でキリンレモンの缶を買った。その後、有効な授業方法や宿題の出し方などを、わりと個々の生徒にそくしてかんがえながらあるく。白猫はきょうはあらわれず。帰宅すると消毒や手洗いうがいをして自室におり、着替えると横にならずボールを踏みながらきょうの日記をつづった。帰り着いたのが一一時まえだったはずで、ちょうど零時まで書いたので一時間強。退勤のところまですすんだ。しごとがはやい。
  • 食事へ。コンビニの冷凍の手羽中などをおかずに米を食す。味噌汁はワカメとジャガイモのもので、ワカメの質感がトロトロしていた。朝刊の国際面を見た。タイの各地で大雨による洪水被害が起こっているが、政府は無策で手をこまねいていると(ちなみに文中では「手をこまぬく」になっていて、もともとはこちらの言い方をしていたのが音が転じたらしい)。タイは雨期の終わり、一〇月から一一月くらいにかけて毎年水害が起こるらしいのだが、今年のそれは大規模で、たしか全国で一都七六県だかそのくらいあるうちの、四割いじょうだったかそのくらいの範囲で冠水が確認され、被害を受けた世帯は三〇万にのぼるとあったとおもう。二〇一一年にも非常におおきな洪水被害があって、そのときは四〇〇万世帯が被害にあったと書かれていたとおもうが、当時の政府がその大災害を教訓として治水計画をすすめていたところ、二〇一四年に軍のクーデターが起こって中断し、その後の軍部主導の政府もあたらしい計画を立てるだけは立てたもののじっさいの建設などにはとりかからず、そうして放置しているうちに今回の水害をまねいたというわけで、政府になんの備えもなかったことが露呈し、とうぜん批判を浴びていると。プラユット・チャンオーチャー首相は九月に被害現場を視察に行ったのだが、そのときも市民たちから「役立たず」とか「帰れ」とか罵声を浴びせられたと言い、政府がおこなっている支援は避難所に食料をとどけるくらいのことで、肝心の洪水の収拾にかんしては雨期の終わる一一月になって自然と水が引くのを待つしかないという「お粗末ぶり」だといわれていた。ある地域では水位が基本的に一. 五メートルくらいの高さに達しており、場所によっては三メートルにもなると。だから一階が完全に浸水した家も多いようだし、二階まで水が達している家もけっこうあるとおもわれ、住民たちはおのおの板を渡したり、ボートで水のないところまで移動してから出勤したりと難儀な生活を強いられているようだ。そんななかでアユタヤの一画にある工業団地だけは二〇一一年の件を受けて独自に対策を取り、高さ六メートルにもなるコンクリートの堤防をつくっていたので今回も浸水はまったく起こっていないという。この水害で現政権への不信はとうぜんたかまったはずで、そうなると洪水がいちおうおさまったあと、くわえてコロナウイルスの感染も下火になって集会がまたできるようになれば(いまはまだ一日一万人くらいの感染者数があるらしいが)、若い世代による反政府抗議活動が再開され、コロナウイルス対策および洪水被害への対応で批判をまねいた政府への抗議はいぜんよりちからをえるはずである。そこでもし政権が市民を無理やりおさえこんで黙らせようとすれば、ミャンマーみたいなことになる可能性もかんがえられるだろう。そのミャンマーではちなみにアウン・サン・スー・チーをさばく特別法廷がはじまっているのだとおもうが、スー・チー側の弁護人が国軍からメディアへの発言などを禁じられたという報がこの日かきのうの新聞にあった。

2021/10/15, Fri.

 昼の終わりに近い時間、
 この土地はどんなことにも備えができている。
 わが魂よ、おまえの憧れているのは何か、言うがよい……

 荒野になれ、そして荒野よ、広くなれ。
 平らな、とっくに消え去った国のうえに
 月が出たら、(end63)
 大きくなって、それとわからぬ
 古い古い巨大塚をもて。
 静かさよ、自らを造形せよ、物たちを
 造形せよ。(造られるのは、物たちの幼いあり方、
 それはあなたによろこばれよう。)
 荒野になれ、荒野になれ、荒野になれ。
 そうすれば、おそらくまた、夜と見分けのつかない
 あの老人がやってくるだろう。
 そして、聞き耳をたてているわたしの家に
 とほうもなく大きな盲目を持ち込むだろう。

 あの老人がすわって、物思いにふけっているのが見える。
 その思いがわたしを越えて遠く行くことはない。
 老人にとってはあらゆるものが内部にある。
 空も、荒野も、家も。
 ただ、歌だけは失われて、
 彼はもはやけっして始めない。
 たくさんの人の耳から、
 愚者どもの耳から、
 時間と風が歌を飲んでしまったからだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、63~65; Eine Stunde vom Rand des Tages, 『時禱詩集』 Das Stunden-Buch より; 第一部「僧院生活の巻」より)



  • 一一時半の起床。はやい時間から目がひらきながらも、どうも起きられない。いつものことだが。習慣どおり、水場に行ってきてから瞑想。きょうは瞑想するまえに屈伸して脚をほぐしたり、首をまわしたりしておいた。二〇分ほどすわり、皮膚がゆるむのをかんじる。天気はあかるめの曇りが基調だが、雲は薄く、ときおり陽の色も見られた。
  • 上階へ。きのうのカレーをドリアにしたものや煮込み素麺を食す。新聞、国際面。香港民主派の指導層で立法会議員もやっていた羅冠聡へのインタビュー。二〇二〇年六月末の国家安全維持法施行を機に英国にわたっている。二〇一四年の雨傘運動にかんしては、もっとおおくの参加者があればながれは変わっていたかもしれないといい、しかしそれいぜんに、二〇一九年に大規模な抗議の盛り上がりがあった時点では実質もう手遅れになっていて、じぶんたちに利益があるとおもえばなんでも約束しながらのちには何事もなかったかのようにそれを破る(もちろん一国二制度について言っている)という中国の「本質」を八〇年代から見きわめて活動できていれば、またことなった歴史になっていたかもしれないと。羅冠聡は二八歳だか二九歳だかだから九〇年代にはいってからの生まれなわけで、だから先行世代の民主派や市民がけっきょくは香港の「中国化」を座視してきてしまった、という批判なのだろう。英国で仲間たちと今後の方針を発表したりしているらしいが、正直なところ香港にふたたび自由をとりもどすのはきわめて困難だと当人も自覚していると。自由と民主主義は犠牲のうえに成り立ってきたものだから、民主主義国のひとびとにはそのことをよくかんがえてもらいたい、みたいな締めくくりになっていた。
  • 中国関連ではもうひとつ、「抗日戦争」後の国民党との内戦で自爆攻撃だかをしかけた「英雄」を微博上で侮辱したとして拘束されていた女性が七か月の判決をくだされたと。ネット上でなにかいえばすぐつかまってぶちこまれるわけだからおそろしい。おなじような事案では先日、朝鮮戦争(に中国が出兵したこと)の正義や正当性をいまかんがえなおす国民はすくない、みたいなことをネット上で発言したジャーナリストがやはり「英雄」を侮辱したとして拘束されていたはず。
  • ほか、レバノンベイルートで、昨年に起こった大爆発に関連してこの事件を担当する裁判長の解任をもとめていたシーア派の抗議者たちに突如銃撃がなされ、軍が鎮圧にはいって激しい銃撃戦となり、死傷者が出たと。攻撃をおこなった武装勢力は不明で、さいきんヒズボッラーが勢力を増しているのを嫌っている向きがあるというから、ヒズボッラーの敵対者なのか。ヒズボッラーはシーア派の組織なので、抗議者たちはわれわれの支持者だと声明を出したらしい。
  • 皿と風呂をあらって帰室。きょうのことをここまで記述して一時二〇分。
  • その後、一一日の記事を書いていたところ、とちゅうで机のほうの小間物を雑多に置いておくスペースにあった携帯の表面に文字が映っているのを発見し(つねにサイレントモードなので音も振動もない)、取ってみれば(……)の名が表示されていたので、ずいぶんひさしぶりだなとおもいながら出た。(……)くんですか、と問うてくるので、(……)くんです、と応じ、どうも、と告げると、俗に言う「草を生やした」みたいな状態で(……)はど、う、も、とくりかえしながら笑った。(……)の結婚式以来か? というと、もうそんなになるかと(……)はおどろき、五年ぶりくらいか、といった。用件は容易に予想されたとおり、(……)の結婚式の件だ。きのう、ウェブ招待状のURLをしるしたメールがおくられてきていたのだ。さそわれたか、行くか、ときくので、行くとこたえる。まだ(……)にいるかと聞かれるので、なにも変化なくあいかわらずだらだら生きているというと、また笑われた。(……)としてはほかに知っている者がいくのかわからず心配だったようだ。(……)もそのあたり、ほかにだれをさそったということをまったくつたえてこなかったのだが、(……)もふつうにさそわれているはずだ。
  • その後、一一日と一二日分を完成。いまは三時をまわったところ。二時過ぎに洗濯物をとりこみにいったところ、ベランダをながれる空気が穏和でやわらかく、非常に気持ちが良かった。ひかりの感触もさいしょはぬくもりくらいでほのかにともってここちよく、それで日なたのなかで屈伸などちょっとしたのだが、そのうちにあかるさが厚くなってからだぜんたいをうえから抱いてつつみこむような、ドーム状の精霊みたいなあたたかさにたっした。
  • 出勤までにはポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読んだり、瞑想したり、(……)さんや(……)さんのブログを読んだり米を磨いだり。(……)さんのブログの一一日の記事(島尾敏雄「出孤島記」についてふれている)のうち、したの二段落がおもしろかった。とくに、「だからここでは、まるで「神」を信じるように「死」をも信じることができるか?が試されていると言えるだろう。それが行き着く先は、当然もう日本も外国も敵も味方も問題にならない、戦争も平和も意味がない、もはや一個の抽象を信じることの可否だけしかない」という部分がするどいなとおもった。

「宿命」みたいなものは、一種の抽象であるはずで、その意味では「神」も似たようなものだと思うが、出撃の下令を待つ彼らは、まるで「神」を信じるように「宿命」を信じている感じがする。上層本部の決定や国家の戦略や手持ちの装備がどれほど愚劣で粗末であっても、そういうこととは無関係に、「宿命」にしたがうことが是とされている、この作品には、そのような「空間」が描かれているという感じがする。その「空間」とは、国家のことなのか民族のことなのか国民感情や共同体のことなのか同調圧力のことなのか、それはわからないが、なにしろそういう「空間」がたしかにある。それはとりあえず「日本の」なのか違うのか、どうか。

というか「死」も、最後まで具体的なものではありえず、それこそ抽象の最たるものである。だからここでは、まるで「神」を信じるように「死」をも信じることができるか?が試されていると言えるだろう。それが行き着く先は、当然もう日本も外国も敵も味方も問題にならない、戦争も平和も意味がない、もはや一個の抽象を信じることの可否だけしかない、しかも生と死、結局それはつまらぬ外的要因によって実際に来たり来なかったりする。そのとき極限にまで突き詰められた感覚の一番先端に、薄くまるで脇腹にさわられたような、妙な可笑しみが湧いてくる。

  • ポール・ド・マンは六章にはいっていてニーチェ矛盾律もしくは同一性批判みたいな文章についてなのだが、あいかわらず小難しくてなかなかすすめられない。もろもろすませて四時四〇分から「読みかえし」ノートを音読した。そうして五時にいたると着替え。Oasisの"Married With Children"をながしてうたいながら。それで出発へ。
  • 昼間には雲がそれなりにあったはずだがこのころには空はおおかたすっきりと晴れて薄紫色を端にはらみつつ淡い青さにひろがって、半分に割れた月が直立にちかくほんのすこしだけかたむきながらはやくものぼっていた。坂をとおって最寄り駅へ。ホームの先のほうにいき、バッグを足もとに置いて立ち尽くす。周囲から虫の声が絶えず湧き、いよいよ秋本番というかんじでおおく群れており、チュンチュンチュンチュンと、ちいさなレーザー銃を一定の速度で撃ちつづけているかのような音響だった。
  • 電車に乗って土地を移り、職場へ。(……)
  • (……)
  • 八時三五分くらいで退勤。徒歩で帰ることに。もうだいぶ肌寒いような夜気である。月は先ほどよりもややちいさくなって黄色味を増し、ときおり雲にひっかかってからまれながらも意に介さずすがたをみださず、ひかりをひろめて空と雲の色をあきらかならしめながらななめの舟となっている。白猫とひさしぶりにたわむれた。くだんの家のところまで来て車のまえでしゃがむと、ちょっと奥にはいっていたようだがか細く鳴きつつそのしたから出てきた。さいしょはしゃがんだこちらのまわりをうろついて、手を伸ばしてもすぐ移動してしまうようすだったが、膝と腿のあいだにすっぽりはいってたたずんだひとときを機におちついて、道端にすわりこんでうごかなくなり、こちらが撫でても逃げずにされるがままとなった。それでからだをゆっくり、おなじ方向にさするようにくりかえし撫でたり、あたまや首のまわりを指でやさしくこすったりする。そうしているうちにやはりまた、かなしみなのかせつなさなのかよくわからないがそれにちかいような情感をおぼえた。猫にふれているといつも、可愛らしいというおもいと同時にそういう情をえる。ちいさくもろいようなものにたいしておぼえるはかなさとか保護欲のようなものと、つきなみな解釈をしてしまってたぶん良いのだろうが(しかし人間の赤ん坊におなじ感情をおぼえることはない)、これは語源的に見ても正当な反応である。つまり「かわいい」に近似である「かわいそう」にちかい情だということで、検索したところでは「かわいい」の語源となる古語は「かはゆし」であり、「かわいそう」の意味のほうがもともと中心的で、「愛らしい」の意が生じて定着したのは室町時代からだという。「かわいそう」とあわれみのニュアンスのつよい語をもちいるとだいぶこちらの心情からずれるが、おおきな方向としてはそちらのもので、だからこちらの感情的反応は「かわいい」の意味的変遷をさかのぼるようなかたちでその源流を志向していることになる。
  • この情感は、要するに古文でいうところの「もののあわれ」に相応するものではないかとおもいあたった。
  • しばらくふれつづけて別れ。その後の帰路はゆるやかな、重さのない自由な気持ちであるいていた。けっきょく、夜道をひとりであるいているときだけがなにものからもはなれていられる。じぶんと風と事物しかない。べつに恍惚とするほどではないがそのときにはそれだけで充足していて、もうこれでいいわとおもっているのだが、家に帰ればそういう気持ちはなくなって、なにかをやったりやらなければならなかったりするのが人間の鬱陶しさだ。家の内に自由はない。じぶんいがいの他人の声や存在を聞かなければならないし、仮にひとりで暮らしているにしても、さまざまなものものや生活の事情によって欲望やら義務やらを喚起され、行動に追いやられる。強制ではなく内発心からなにかをやりたいというのもひとつの束縛である。夜と風と歩行がおりなすみじかい道行きの時刻だけがそういったことごとからじぶんを切り離してくれる。そういうときには、健康な心身をもってとりあえず生きていればもうそれでいいではないか、生きていて特段のことをなにもやらなくたっていいではないか、という気分が生じる。生においてなにかをやらなければならないということ、なにかをやりたいということ、そういった発想と生存原理からとっととおさらばしたい。結婚もしたくないし金もほしくないし、なにかを達成したくないし、なにかこれをやりたいということをもちたくもない。読みたい書きたいと言ってここ一〇年弱を生きてきたが、読むことも書くことも、ほんとうはどうでも良いのだとおもう。ただ存在しているだけで満足することのできないあわれであさましい矮小な生きものたちが、死なないためにおのおのそういう方策を開発してきたのだろう。あわれであさましい、というような形容評価はともかくとしても、精神分析的にはまさしくそういうことになるはずだ。だから、とりあえず生きていればそれだけでいいではないかとおもいつつ夜道をあるいていながらも、帰宅すれば日記を書くだろうということをじぶんは明確に知っていたし、じっさいにそうなって、帰っても臥位になって休まずにすぐにはじめて、この夜で前日分まで一気にしあげることになった。
  • 他人の存在がちかくにあるということはそれだけでつかれることだ。じぶんがあいてのことを嫌っていようが、好いていようが、愛していようが、どうでも良い存在だとおもっていようが、どれだけ気の合うあいてだろうが、いっしょにいて最高に楽しかろうが、それは変わらない。他人を定義するもっとも適切な一語とは、疲労である。なぜかといえば、ひとは他人を無視することができないからである。だれかがじぶんと空間を共有していれば、そのひとをそこにいないものとしてあつかうことは、ひとには決してできない。そのひとがそこにいないとき、そこに事物しかないときの心身の状態と、そのひとが感知できる範囲に存在しているときの心身の状態は絶対におなじものにはならない。人間が存在していれば、じぶんとのあいだに実質的になんの交渉も関係も生まれなかったとしても、それだけで情報の交換が発生し、意味とちからのやりとりがおこなわれるからである。したがって、ひとはひとを無視できないし、ひとはひとをものと同様にあつかうことは、ほんとうはできない。これが疲労の源泉であり、人間の鬱陶しさである。そして、ここにおいてこそ倫理がはじまるはずであり、真に倫理がはじまるべき地点はおそらくここ以外には存在しない。そのことを徹底的にかんがえようとしたのが、たぶんレヴィナスなのだろう。
  • 一一時まえまで日記。瞑想をしてから食事へ。夕刊に気になる記事はなかったので、衆院選関連の情報を朝刊から読む。三一日に投開票。もともと一一月七日投票がベストかという声がおおかったのだが、岸田文雄が首相に就任する直前、森山裕自民党国対委員長に会ったさい、解散から選挙までなるべく間がないほうがいい、就任会見で日程を発表すれば一〇月三一日のはやいスケジュールでも大丈夫だ、と助言されて、そのように決断したらしい。
  • 飯を食うと食器やフライパンなどを洗ってかたづけ、さっさと風呂へ。風呂のなかでも冷水を浴びては湯船にもどって瞑目、というかたちでなかば瞑想をくりかえしている。風呂は良い。風呂としずかな夜道と音楽以外にこの世にやすらぎはない。一二時半くらいまではいった。出ると茶を用意してもどり、日記。二時ごろまでやり、前日分までしあげた。その後、BBC Future team, "What we know and don't know about Covid-19"(2021/3/1)(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19))を読んだりだらだらしたりしてから四時をまわって就寝。

2021/10/14, Thu.

 あなたは来ては去る。扉の締まるときは
 並はずれてやわらかで、風もほとんど立たない。
 ひっそりした家々の道を通りぬけて行くすべての
 者たちのなかで、あなたは一番静かです。

 人はみんな、あなたの到来にすっかり馴れて、
 読みふける本にあなたの青い影が落ちて
 ページの絵に美しく着色しても
 本から目を上げることがない、
 物たちがあなたをたえず
 ときに低く、ときに高く響かせているからです。

 いろいろな感覚であなたを見ることがあるけれど、
 そのときあなたの姿はさまざまな形に分かれます。(end60)
 あなたが淡く光る鹿の群れとなって歩むと、
 わたしは暗い森となります。

 あなたが車輪なら、わたしはその脇に立ちます。
 たくさんの暗い車軸のうちの
 一つがいくたびも重さを増し、
 回転しながらわたしに近づきます。

 それが回帰を繰返すことによって
 わたしのやりたいと思う仕事は育っていきます。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、60~61; Du kommst und gehst. ……; 『時禱詩集』 Das Stunden-Buch より; 第一部「僧院生活の巻」より)



  • いつもどおり目覚めながらもなかなか起床に移行できず、一一時一四分。一〇時ごろにいちどひかりが射していて、顔のうえにかかったそれがとつぜん急激にあかるくあつくなってまぶしいときがあったが全体としては曇りの日。きょうの目覚めはあまりよくなかった。きのうにくらべるとからだがかたく呼吸をしづらかったようなかんじがあった。昨晩がわりと肌寒かったので、薄い布団と厚い布団と両方をかけて眠ったからかもしれない。水場に行ってきてから瞑想。正午まえまで。わるくない。
  • 食事はカレー。母親が、このあいだのほうがおいしかった、なんかうまくいかなくて、足りない味になってしまったと言ったが、たしかに食べてみると塩気がかんじられなかったので、ソースとケチャップをすこしかけて混ぜた。新聞は衆院解散および選挙の話題や、子どもの不登校が最多という報など。黒田夏子紫式部文学賞を受賞ともあった。『組曲 わすれこうじ』。黒田夏子は八四歳らしい。きのうだったか、泉鏡花文学賞の報もあって、村田喜代子というひとが取っていたがはじめて知るなまえだった。しかしこのひとももうベテランで、七六歳くらい。泉鏡花文学賞はいま金井美恵子が選考委員をつとめているから多少気になる。
  • 国際面にはミャンマーで拘束中のウィン・ミン(NLD政権で大統領)が首都ネピドーに設置された特別法廷に出廷と。クーデター時のことを証言したといい、いわく、二月一日に国軍の高官二人が家に押し入ってきて、健康上の理由で辞任すると表明しろ、ことわれば多大な損害をこうむることになると脅しをかけてきたが、わたしは健康だ、辞任を承認するくらいなら死んだほうがいいと突っぱねて拘束されたと。
  • もうひとつ、米国で対露強硬派として有名なヴィクトリア・ヌーランド国務次官がモスクワを訪問していると。このひとは二〇一四年にウクライナで親露派政権が崩壊したさいに裏で手引をしていたとロシアにみなされているらしく、ロシアから入国禁止措置を受けていたというが、今回交換条件で訪問がみとめられ、ロシア側の外交官や大統領顧問と会談をしているらしい。
  • 皿洗い、風呂洗いをすませて茶をつくり、帰室。ウェブをちょっと見てからきょうのことをここまで。一時半。きょうもあしたもあさっても労働で日記をかたづける時間がなかなか足りない。
  • 五時過ぎで出勤へ。母親がおくっていってくれるというので、図書館に寄って本を返却したかったこともあり、あまえた。図書館分館のすぐそとで下ろしてもらい、敷地内にはいってブックポストに詩集三冊を返却。そうして道にもどり、職場にむかってあるきはじめてまもなく、(……)そうして別れて道をすすむ。あたりの建物にかくれた西空の低みからほのかな茜色が海中のプランクトンのようにしてぼんやりと浮かびあがっているのが見える。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 夜にはAshley Reese, "This Is What You Get"(2020/5/28)(https://jezebel.com/this-is-what-you-get-1843733893(https://jezebel.com/this-is-what-you-get-1843733893))を読み、一〇月一〇日の日記をようやくしあげることができた。さいきんはまた瞑想の時間を増やしている。起きたとき、外出前、帰宅後に休んだあと、とだいたい三回。ほんとうは寝るまえにもやりたいのだが、そのころになると疲労と眠気でかたちにならない。時間をとればやはりそれだけからだのまとまりや落ち着きはちがう。

2021/10/13, Wed.

 わたしが生まれた根源であるあなた、暗闇よ、
 わたしは焔よりもあなたを好む。
 焔はある限られた区域に光を注ぐことにより
 世界を区切り、
 その外側にいる者はだれも焔を感知しない。

 けれども暗闇はすべてのものを受け容れる。
 さまざまな姿や焔や、動物たちやわたし、
 手当たり次第に、
 人々、そして神々――

 一つの大きな力がわたしの近くで
 動き出すかもしれない。

 わたしは夜々の働きを信ずる。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、54; Du Dunkelheit. aus der ich stamme,; 『時禱詩集』 Das Stunden-Buch より; 第一部「僧院生活の巻」より)



  • 九時ごろにいちど覚めて、わりあいはっきりしたあたまだったのだが、やはり眠気もあったので起きられないまままどろみつづけ、一一時四〇分に離床。おそくなってしまったが(といっていつもどおりだが)、気持ちの良い睡眠だった。休日の夕方前とかに昼寝をすると麻痺的な快楽をおぼえることがあるが、それにちかい感じがあって、通常の眠りでそうなるのはめずらしい。水場に行ってきてからきょうも瞑想。天気はひきつづき雨降りで気温も低めである。
  • 上階へ。きのうのカレーをつかったドリアを食す。母親はまもなく勤務に行った。父親も山梨に行っていてきょうは帰ってこないという。新聞からイラクアフガニスタン関連。イラクでは国会の選挙が終わって、定数三二九のうち反米の有力者でシーア派指導者のサドル師の勢力が七三議席をえて第一党を維持と。政権連立もとうぜん彼が主導することになるので、米国への対応がどうなるか、とのこと。駐留米軍は戦闘任務を今年までだったか、ちかいうちに終えるらしいのだが、その後も駐留自体はつづくようで、しかしサドル師はそれをみとめず追い出しにかかるのではないかと。ほかの勢力は国会議長かなにかの派閥とマリキ元首相の派が三八と三七で、サドル派も二〇伸ばしたというから前回は五〇議席ほどだったわけだがそれで第一党だったというから、ずいぶん小党分立的な体制なんだなとおもった。
  • アフガニスタンは一五日でタリバンが政権を掌握してから二か月になる。経済の混乱や市民の困窮がはなはだしいようで、タクシー運転手をやっていたひとの証言が出ていた。タリバンが政権を握るとともに燃料が高騰し、外国人も退避したため経済活動がなくなって解雇されたと。一か月のあいだ職をさがしているが見つからない。所持金も底を尽きたのでいまはモスクで寝泊まりし、妻と八人の子どもがはなれたところにいるが、子どものうちのひとりを子のない夫婦に「売る」ことをかんがえていると。また、望みではないが収入のためなら過激派にはいることもかんがえているとのこと。タリバン少数民族の元国軍兵士ら一三人を処刑するなどのふるまいをいっぽうで見せつつも、そういう状況だから欧米の人道支援を受けられなくなるのはまずいというあたまがあるようで、協調姿勢を見せている。先日カタールで米国とタリバン幹部が会談をしており、タリバンのほうは米国から人道支援の協力をとりつけたと発表したが、米国側の声明では協議をしたという表現にとどまっており、今後のタリバンの行動によって判断されるという点が強調されているよう。バイデンはアフガン撤退にかんしては批判を受けているし、人権重視の姿勢も標榜しているから慎重にならざるをえず、米国内でタリバンの資金の凍結はつづいている。ただ中国がタリバンに接近しているので、なにもせずにいても中国の影響力がたかまるのを座視してしまうことになり、タリバンに流用されずに資金を市民にとどけるうまい方法がないかと苦心しているらしく、現金を輸送して銀行などをとおして直接困窮した市民にくばるのはどうか、などの案が出ているらしい。
  • (……)
  • (……)
  • 夜は書抜き。リチャード・ブローティガン福間健二訳『ブローティガン 東京日記』(平凡社ライブラリー、二〇一七年)とニール・ホール/大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(彩流社、二〇一七年)。神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)も先般終わらせてあったのだけれど、手帳にページをしるしてあったこまかな箇所がのこっていたのですすめた。この日で終わらなかったが、しかし正式な書抜きはもうやったし、これはもうよかろうとあきらめることにして、翌木曜日には三冊まとめて返却してしまった。

2021/10/12, Tue.

 死はおおきい。
 われわれは死のものだ、
 口で笑ってはいても。
 生のただなかにいると思っているとき、
 死はわれわれのただなかで
 泣いているのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、48; 「結びの曲」 Schlußstück; 『形象詩集』 Das Buch der Bilder より)



  • 一一時二五分に離床。きのうの深夜はたぶんとちゅうから雨が降り出していたはずで、そこそこ肌寒かったのでジャージのうえを着たまま布団にはいったのだが、目覚めると汗だくだった。きょうも天気は雨で、だいぶ薄暗い。水場に行くと父親が階段下の室でパソコンをまえにしていたが、洗面所でうがいをしている背後でそのパソコンから中年くらいの女性の語りが湧いていて、早口ではないもののことばをかんがえる間をはさまずになにかについてのじぶんの意見をスムーズに、それでいて押しつけがましくなくやわらかい調子ではなしていたのだが、どうもなんらかのオンライン会議のようなものがひらかれていたらしい。(……)のほうの関係だろうか、主題を聞き取れなかったので不明。用を足してから部屋にもどると瞑想をした。二〇分少々。わりとうまくいった感。
  • 上階へ行き、髪を梳かしたりして食事。煮込みうどん。新聞にはきのうの夕刊にも載っていたが柳家小三治という噺家の訃報。落語というものにもいくらかなり触れてみたい。文化面はその関連と、先ごろノーベル文学賞を受賞したアブドゥルラザク・グルナ(Abdulrazak Gurnah)について。このひとは東アフリカはタンザニアザンジバルという島の生まれで、六〇年代に故郷の革命の混乱をのがれてイギリスにわたっていらいずっとそこで活動し、スワヒリ語母語のようだが英語で書いているらしい。いまWikipediaを見たら日本語の記事があったのだが、脚注部の典拠の閲覧日を見るとどれも一〇月七日か八日なので、ノーベル文学賞の発表を受けて急遽だれかがつくったページなのだろう。邦訳がない作家なのだが参考文献にいちおう邦文のものも四つあげられていて、どうやってしらべてきたのかなとおもう。ここに名がある粟飯原文子というひとが新聞の記事の寄稿者で、今回の賞はあまり知名度のない作家にあたえられたということで日本だけでなく世界的にもおどろかれているのではないかとおもうが、彼の筆力を知っているものにとっては納得の行くもので、いままで見過ごされてきたがここでおおきな評価をえることになった、みたいなことをさいしょに述べていた。作品世界としては東アフリカの風土や環境や状況をベースにやはり植民地主義やヨーロッパとの相克などを取りこんだ複雑な物語をつくっているというはなしで、くわえて、やはりノーベル賞を受賞したナイジェリアのウォレ・ショインカや、ケニアグギ・ワ・ジオンゴなど、先行作家を踏まえつつアフリカを背負って書いているという意識がかんじられる、という説明だった。ショインカはなまえと存在だけは知っていたが、ジオンゴというひとはここではじめて知った。近年は毎年のようにノーベル賞の候補として名があげられているらしい。
  • 柳家小三治についての記事は矢野誠一という「演藝評論家」のもので、故人とは六〇年くらいのつきあいがあって句会同人として毎月顔をあわせてはなすような仲だったというから、このひとの名もはじめて知ったけれどクソベテランというか業界の大御所じゃないかとおもった。古今亭志ん朝立川談志柳家小三治と、年下で仲良くしていたこの三人がもうみんな亡くなってしまってやはりさびしい、みたいなことを言っていた。柳家小三治はオートバイとかオーディオとか趣味がおおかったというが本も読むひとで、大佛次郎を『ドレフュス事件』から(大佛次郎ドレフュス事件について書いているなんてはじめて知ったのだが)、やたらながいらしい『天皇の世紀』というやつまですべて読み通し、さいきんだと永井荷風を読んでいたらしく、荷風的な性分や姿勢に親和的だったのだろう、とのこと。
  • もろもろすませて帰室すると茶を飲んで一服し、その後「読みかえし」。とりあえずただ口をうごかして声に出していればそれでいいと言っていたが、そうは言ってもやはり知識を身につけたいともおもうので、前回読んだ項目をもういちどくりかえし読むかたちですすんでいこうかな、とおもった。つまりきのうだったら224から228まで読んだので、これをきょうもういちど読んでからつぎにすすみ、きょうは229から236まであたらしく読んだので、あした以降この範囲をもういちど読んだらつぎにすすむと。一項目につき二回ずつ読んでいるので、あわせて四回ずつ読みながらすすむことになる。記憶にとどめるとなると、一日で一気に四回読むよりも、一日かそこら間をあけてから読んだほうが効果的だろう。読みながらひさしぶりにダンベルを持ったが、右手にくらべて注射を打った左手のほうがまだかたまっていてほぐれにくいかんじがあった。
  • その後、書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。四章の「生成と系譜(ニーチェ)」を終え、五章「文彩のレトリック(ニーチェ)」へ。四章のほうは『悲劇の誕生』について論じたもので、やはり大雑把にはわかるものの、こまかいところの論理接続とか、この文がおおきな論旨の枠組みとどう対応しているのかがわからん、みたいなことが往々にしてある。しかしプルーストの章のようにじっくり読み込もうという気は起こらなかったのでつぎに行った。五章はまだはじまってすぐのところまでしか読んでいないが、いまのところはだいたいわかる。わからないところがあったら、いろいろ言い換えたりしてこねくりまわしてかんがえることも大事なのだが、やはりとりあえず素読的におなじ範囲をくりかえし読みなおすのがいいなとおもった。それでおのずと意味がひらけてしっくりくるのを待つ。
  • 五時まで読んでうえへ。アイロン掛け。雨はたぶんまだつづいていたとおもわれ、そとは濡れてぐずぐずにくずれたような色合いで、室内もおうじてかなり暗かった。ひたすら手をうごかしてシャツなどの衣類を処理。腹が減ったが米がまだ炊けていなかったし、母親がつくってくれているカレーもとちゅうだったので、六時でいったん帰室して、きょうのことを記した。母親はきょうの昼前にスパイス講座みたいなもよおしに行ってきて、S&B食品のなんとかいうスパイス講師みたいな女性が先生だったらしく、要するにエスビーの宣伝と販売の一環でもあるわけだろうが、それでいくらか品を買ってきたようだった。そのなかのひとつであるカレーをつくったもよう。きょうはこのあと八時から(……)と通話することになっている。
  • いま二六時。図書館で借りた詩集の返却期限が今週の金曜日なので、それまでに書抜きをすませなければというわけでとりかかり、BGMをもとめてAmazon Musicにアクセスして、なににしようかなとおもっているうちにScott LaFaroの名が浮かんだのでそれで検索し、いちばんさいしょにあった『1961』という音源をながした。ありがちなことでよくわからんところから出ている編集盤みたいなもののようで、このまま検索してもなんのデータも見つからないのが困るのだが、冒頭が"I Hear A Rhapsody"で、それをたよりにしらべたかんじではDon FriedmanとPete La Rocaといっしょに六一年にセッションしたときの音源のようだ。Don Friedmanってこんなかんじなんだ、とおもった。Bill Evansの系譜といわれていた記憶があるのだが、ぜんぜん似てねえじゃん、と。"I Hear A Rhapsody"ではけっこう速く弾く場面があるのだけれど、そのときのこまかさというかテラテラしたかんじというか、波打ちのつくりかたなんかがEvansとはまったく似ていない。それいがいの部分は多少似ているのかもしれないが。Evansはすくなくとも六一年の段階では、激すること、指を衝動にまかせて部分的に突出するということ(Keith Jarrettはこれを非常によくやる)、逸脱すること、過剰になることが一瞬もない。さいしょからさいごまで完璧に一定のペースをたもっており、呼吸がみだれるということがすこしもない。それがBill Evansの人間離れした特徴である。晩年には六一年あたりとくらべてかなり熱をもつようになった印象だが、しかしそれもペースが全体として熱っぽくなったというだけで、均整と統一と一定の呼吸という点は変わっていないような気がする。
  • LaFaroはとうぜんだがこの音源だとEvansとやっているときとはちがって、やっぱりあれはEvans Trioだからできたことなんだなあとおもわざるをえない。ソロにはいると、あ、これはLaFaroだな、ということばづかいをしているところは散見されるが。
  • 八時から(……)と通話した。九時半くらいまで。だいたいは広島にうつるという話題の周辺。尾道のとなりにあたる(……)というところに越すという。瀬戸内海に面しているので海がすぐ見えるらしく、気候もおだやかで気持ちよさそうなのでたのしみだと。それはいいなあとこちらもおもう。とりたててどこに住みたい、どういうところに住みたいみたいな欲望がないのだけれど、穏和な気候でさわやかで海がちかくて、ときけば気持ちよさそうだなと惹かれるものはかんじる。海もいままでそうなんども見たことがないし。というかたぶん生きていて肉眼で海を目にしたのなんて、五回もいっていないのではないか? (……)は「(……)」に属していて中国人に聖書を講読することをやっており、たぶんそのついでに生活サポートなんかもやっていたのだとおもうが、それをやるグループが事情は知らないが「分解」したといい、その関連で広島に行くことになったのだという。現地で宗教活動以外になんのしごとをやって生計を立てるのかは聞いていない。(……)はそこそこの役割についているのか、スピーチをする機会がけっこうあるらしい。いまはオンラインだが、いぜんは各地の会館で聴衆(すなわち、会衆というやつか)をまえに舞台だか演壇だかに立ってはなしをするという機会が、月一だったかわすれたがそれなりの頻度であったというからたいしたものだ。じぶんだったら絶対にやりたくない。たくさんのひとのまえに立って演説めいたことをするというのはこの生でもっともやりたくないことのひとつである。広島というとやっぱり平和記念公園のイメージがつよいというか、それくらいしか知っているものがないというと、原爆ドーム、と(……)は受けた(しかしこちらのあたまのなかにあったのは原爆ドーム単体ではなく、あくまで「平和記念公園」の文字列であり、原爆ドームのほうはイメージ的にも文字としてもおもいうかべていなかった)。平和記念公園はふつうに行ってみたいし原爆関連の資料も見てみたいとおもうが、(……)はいぜんいちど広島に行ったとき、原爆ドームは見に行こうっていう気が起こらなかったな、と言った。なんか、気が滅入りそうで、とのこと。
  • あとはこちらの文章について。日記を書いているということはまえに言ったので知っているのだが、それは発表していないのかときくので、ブログにあげてはいる、とこたえると、URLをおしえてほしいといわれたのだけれど、(……)はとりたてて本を読む人間ではないし、こんなにながながとしたやつを見せてもしかたあるまいというわけで、いやまああんまり知り合いに見せるようなもんでもないし、などと言ってにごしておいた。そうして、そのうち気が向いたらおしえるよ、と落とす。さいきん読んだ本もきかれたので、このあいだワクチンの一回目を受けにいったときにひさしぶりに図書館に行って、そうしたら詩を読む気になって詩集を借りてきて読んだね、と言い、リルケっていうやつをひとつ読んでそれがいちばんおもしろかったかな、とこたえた。(……)はその場で検索しはじめたようだったので、リルケってのはまあなんかいかにも文学、みたいなやつ、と言をくわえておき、(……)もWikipediaかなにか見てそのような印象をえたようだった。あと、ニール・ホールっていう、このひとはさいきんのひとでぜんぜん有名じゃないとおもうけど、アメリカの黒人のひとで、黒人差別を批判する詩を書いているひとで、これもけっこうおもしろかった、おもしろいっていうかまあ良かったね、とおしえると、(……)は、(……)さんは感受性がゆたかなんだね、といったのでわらってしまった。感受性がゆたかどうこうという観点でじぶんを規定することがここ数年、まったくなかったので、そのことばのつきなみさとあいまって、なんだかおもいがけない形容を受けた、というかんじがあったようだ。(……)は、ああいうのって、ポエムをつくるのって((……)はなぜかこのはなしのあいだ、詩のことを「ポエム」という横文字で言うことがおおかった)、どういう……? どういうかんじなんだろう? みたいな疑問を表明したので、あくまで俺のばあいはという限定つきで説明した。俺はまあ小説もつくりたいといちおうおもってるわけだけど、小説ってわりとながいじゃん、で、小説をやるってなると基本は物語、ストーリーがいるんだよね、で、物語をつくるってなると、そこでうごく人物がいるし、その人物の性格とか、場所とか、環境とか、そういう具体的な設定をいろいろかんがえなきゃいけなくて、俺はそういうのにはあんまり向いてないんだよね、でも詩のほうは、わりと言語だけで完結できるのよ、一行書いて、それに合うもう一行を書いて、っていうふうにできるから、分量もすくなくて済むしね、小説だと具体的なことをいろいろ書かなきゃいけない、と。つまり小説のばあい、物語内容としての表象的な側面がつねにつきまとうもので、詩でもむろんそうした側面はあるものだけれど、小説のばあいはそれを基本的にはわれわれが生きている現実と似たものとして辻褄があうように構築・設計しなければならず、だからたとえばこの人物はこういう人生で、過去にこういう事件があって、こういう思想を持っていて、というような人物造形が必要になるし、場所や空間の歴史や人間関係の経緯などもかんがえなければならない。そんなものはじっさいに書きながらかんがえていき、書きすすめているうちにおのずと見えてくるものでもあるのだろうが、こちらはそういう設定をかんがえるのがどうも得意ではないというか、あまりそういう方向にあたまがはたらかず、だからたぶんそれにたいして興味がないということなのだとおもう。小説を書こうとおもうようなひとのおおくは、むしろそういうふうにじぶんのあたまで想像的に世界を構築することに魅力をかんじるものなのではないかとおもうのだが。じぶんのばあい、そういう、この現実世界を写し取るような、あるいはそれと似たものを言語をとおして映し出すような、すなわちみじかく言ってリアリズム的な表象行為にたいする欲求というのは、この日記でおおかた尽きて満足しているかんじがある。物語やおもしろいはなしをかたりたいという欲望もない。もちろん小説にはもっといろいろな側面がふくまれてもいるだろうが、だから小説を書きたい書きたいといままでずっと言ってきて、いまも書きたいという気持ちはじっさいあるにはあるのだけれど、ほんとうに小説を書きたいのか、どういう小説を書きたいのか、というのはよくわからない。もともと小説を書きたいとおもっていたのも、べつになにか書きたい題材があるとかつたえたいことがある、表現したいテーマや形象化したい時空などをもっている、というわけではなく、たとえば『族長の秋』とか『灯台へ』とかを読んで、こういうすごいやつをじぶんでもつくりたいなあとおもっていただけのことだし。磯崎憲一郎的なやりかただったらこちらでも小説を書けるだろうが、それだったら詩でいいじゃないかとおもってしまうというか、じぶんのばあいは詩のほうがむいているのではないかという気がする。とにかくながく書くのがたいへんだし。でもあれだ、ひとつ、『タンナー兄弟姉妹』をパクったようなやつは書きたい気はする。

2021/10/11, Mon.

 きみがだれであるにしろ、夕暮れにはそとへ出たまえ
 なにもかも知りつくしている自分の部屋をあとにして、
 きみの家の前には、遠い景色がひらけている、
 きみがだれであるにしろ。
 すりへった敷居からそとへ向くことのほとんどない疲れた目をあげて、
 きみはおもむろにくろぐろとした樹木をたてる。
 その一本の樹だけを、ほっそりと天空にそびえ立たせる。
 こうしてきみは世界をつくった。そのおおきな世界は
 心に秘めたまま熟してゆく一つのことばのようだ。
 きみの意志が世界の意味をつかむと、
 きみの目は愛情こめてその世界をときはなつ……

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、24; 「序詩」 Eingang; 『形象詩集』 Das Buch der Bilder より)



  • 九時にアラームを設定してあったが、それを待たず、八時四五分くらいに目が覚めて、そのまま数分後に起床した。アラームの設定は解除しておく。きょうはまた窓に陽の色と空の青さがひかっているあかるい秋晴れである。きょうは水場に行かず、すぐに瞑想をした。二〇分ほど。そうして上階へ行き、母親にあいさつをして、うがいなどもろもろすませてから食事。ビーフンときのうのナスの味噌汁ののこり。母親は暑い、こんなに暑くなるなんて、ともらしていたが、こちらの皮膚感覚としてはすずしくてさわやかな朝だった。しかしそれは起き抜けということがおおきかったのだろう、たしかにその後、午後にはいるとかなり汗ばむくらいの場面があった。新聞は休みなのでなにも読まず。ものを食べ終えるとすみやかに食器をかたづけ、風呂も洗って部屋にかえった。(……)
  • いま二五時。さきほどgmailを見たら(……)さんからの返信がとどいていたので、うつしておく。

(……)

  • (……)
  • (……)
  • (……)

2021/10/10, Sun.

 ひたすら耳をかたむけ、目をみはりつつ
 息をひそめよ、ぼくの深い深い生命よ、
 風がそっとおまえに伝えようとすることを
 白樺のふるえるよりなお早く、それと知るように。(end12)

 ひとたび沈黙が語りかけてきたら、
 あらゆる感覚をそれにまかせよ、
 どんなかすかなそよぎにも身をゆだねよ。
 するとおまえはやさしいゆすぶりを受けるだろう。

 そして、わが魂よ、広くなれ、広くなれ、
 深い生命が成就するように。
 思いをひそめる物たちのうえに
 晴着のように自分をひろげよ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、12~13; Vor lauter Lauschen und Staunen sei still,; 初期詩集 Die frühen Gedichte より; 詩集『わがための祝いに』の改版)



  • 一一時二五分に離床。わりとよく寝た。(……)から体調はどうかと問うメールが来ていたので、行けると返答。きょうは地元の施設で知り合いがライブをするということで、見に行こうとさそわれていたのだ。そうして水場に行ってきてから瞑想をした。二〇分ほど。やはりからだの感覚をよりかんじるのが大事だ。ヒヨドリが近間で何匹も鳴きあっていた。そのほかの声は虫も鳥もさして聞こえず、しずかだがあかるめの曇天。
  • 上階へ。食事は焼きそば。新聞には興味を惹かれる記事がけっこう多かったが、鶴原徹也がはなしを聞いてプラープダー・ユンが寄稿していたので、それを読んだ。プラユット・チャンオーチャー政権のもとで市民の政治的自由が弾圧され、軍部がのさばる体制はここ数年変化していないと。ただ二〇年に起こった学生たちの抗議、君主制の改革をうったえたそれには衝撃を受けたといい、君主制や王室について批判するのはいままでのタイではあきらかな禁忌で、じぶんの世代では想像もできなかったので(プラープダー・ユンは四八歳だというから七三年の生まれだろう)、あたらしい世代のあらわれをかんじたと。ただしその後、運動は軍政批判派と君主制改革派にわかれていきおいをうしなっているらしい。タイで真の民主化が起こるには社会構造的に根ざした既得権ネットワーク、社会の全域に張り巡らされている軍部や王室や経済界などのむすびつきが障害で、そうした伝統的・前近代的な要素をあらためなければ民主化は達成できないが、禁忌に挑戦した若い世代には力の後ろ盾がない。タイ王室が立憲君主制に転換したのは一九三二年くらいだったようだが、そのときなぜそれができたのかというと、西洋からまなんだ改革派勢力が軍部のなかにあって、彼らが決起したからだと。いまは国際情勢を見ても強権体制が勢力をえており、東南アジアは個々の国のちがいはあってもおおかた全部権威主義体制と見て良いらしい。ミャンマーは言わずもがなだし、それらの国のなかで統治者にとっていちばんモデルとなるのが、強権的に市民を統制しつつ経済をうまくまわして利益をえているシンガポールだという。東南アジアの領域を超えれば、とうぜん中国が理想的なモデルということになる。記事のさいごのほうでは幼少時の体験も踏まえて、絶望に抵抗する希望をあたえる芸術のちから、想像力のちからを信じたい、と語っていた。プラープダー・ユンは、『ゲンロン』にやや哲学的なエッセイもしくは紀行文的なものを寄稿している作家というイメージしかなかったのだが(といって読んだことがないのだが)、映画をつくったりデザインをやったりと多才らしい。物語を読むこと、映画を見ること、絵を描くことが大好きな小学生だったといい、学校の写生のときにひとりだけ空を青く塗らなかったら、そのときの先生が、これはすばらしい、幸福な偶然です、あなたには想像力がある、良い画家になれます、と褒めてくれたらしく、芸術的想像力によって別様の世界をかんがえること、そして「幸福な偶然」としての希望の存在を信じたい、みたいなはなしだった。
  • 三人分の食器をまとめて洗い、風呂洗い。残り湯を洗濯機に汲みこむポンプの先のほうがまたよくわからない垢みたいなピンクがかった汚れで汚れていたので、こすってきれいにした。球にちかいかたちでふくらんだその外面にこまかく細い穴もしくはくぼみがたくさん配されているのだが、そのすきまにそういう汚れがたまっているので、ブラシでちまちまかきだす。そうして浴槽も洗い、帰室。茶を飲みつつきょうのことをここまで記した。すると一時半過ぎ。待ち合わせは三時で、あるいていくつもりなので二時半過ぎくらいに出ればちょうど良いだろう。
  • いま八時半まえ。帰宅後、八日の記事をしあげて投稿した。投稿しながら、体育館から出たときの西陽の描写、「三時四五分ごろだった。夕刻がちかづいてかたむきくだった太陽が西の空にはえばえとおおきくひろがっており、あまやかな色味をやや増したひかりは地上をななめにさし駆けて水のように身のまわりをながれていた」というところを読んだのだが、この一文(「夕刻が」からの一文)はわれながら良い。特に物珍しい表現もないしすごくちからがはいっているわけでもないのだが、よくながれており、なにか気持ちの良いかんじがある。これこそ文だ、というかんじの一文。ちからのこもりかたとかがんばりの度合いでいうと高架歩廊から見た雲を書いた一段落のほうがあきらかにつよいのだが、ちからがこもっていたりがんばったりしていれば良い文になるかというとそういうわけでもない。こちらの感覚ではうえの一文はなめらかにながれているのだが、もうそのあたりのじぶんとしてのリズム感覚というのは確立しており、うまくながれる語のえらびというのは書きながらだいたい自動的にさだまるし、じぶんで言うのもなんだが形容修飾もしくは個々の部分への情報の付加のバランスも端正にととのっているとおもう。そして、それがつまらん、とおもうこともときにないではない。こちらのこういう描写文というのは世の基準からしてだいぶこまかく分割的に書くということはあるにしても、ながれかたとしてはあまりガタガタしておらず癖のないものなのではないかとおもうのだけれど、その癖のなさがつまらんということもひとつないではなく、ただもうひとつ、癖のなさうんぬんよりも、こういうじぶんのリズムがもうかたまって慣れてしまったのでいつもおのずとこういうながれかたになってつまらん、ということをたまにかんじないでもない。いつもおなじ口調、おなじ語り口じゃないか、と。ちゃんと文体を設定してやる作品ではなく日記なのでそれでいいのだが、それにしても、こちらはじぶんなりにうまくながれるとかんじる文をつくりつづけた結果いまのかんじにいたっているわけだけれど、おなじようにじぶんでうまくながれるとかんじる文を追究してもそれがまるっきり破綻としか見えないようなかたちになるひともたぶんいるはずで、そうかんがえるとやはりおもしろい。
  • 出発まえまではポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読んでいたはず。脚をマッサージしてほぐすのが習慣になると、よくほぐれていないとかえって感覚が鈍くて気持ち悪いみたいな執着が出てきて、それで読みながらだらだらやっているうちにけっこう時間が過ぎてしまい、二時四〇分ごろには出るつもりが三時まえになってしまった。服装はきのうとおなじでシャツにズボンでも良かったのだが、きょうはなんとなくボトムスにガンクラブチェックのやつをゆったり履きたかった。それにTシャツをあわせてブルゾンを着るかとおもったところが、Tシャツもこまかくはないが柄なので、そうするとやはり合わず、やむなくふつうのシャツに変えることにしたがしかしこちらもチェックとぶつからない無地のものがほとんどない。かろうじて白い麻の、ボタンの色がそれぞれちがっているやつがあったのでこれでいいかと決めて、ここにさらに上着を羽織ると暑いだろうとおもわれたからその上下だけで、数か月まえに買ったはいいがまったくつかっていなかったPOLOのちいさなバッグをおろすことにした。それで身支度をととのえてあがっていくと、こちらのかっこうを見た母親が、それだと変だよ、夏みたいだし、という。母親はいつもだいたいこちらのかっこうにけちをつけるのだけれど、実のところじぶんでもちょっと時節にそぐわないかなとおもっていたのでもどり、しかしもう時間もなかったのでしょうがねえとブルゾンを羽織ることに。そうすれば荷物は財布と携帯だけだからそれを上着のポケットに入れてバッグは不必要になった。そうして出発。
  • このブルゾンとズボンは両方ともFREAK'S STOREで買ったもので、ほんとうは上下でおなじ柄の品であわせることができるのだけれど、間を置いてそれぞれべつの店舗で買ったものなので、上着はグレンチェック、下はガンクラブチェックと微妙に柄がちがううえ、色合いも下のほうがやや黄や茶の雰囲気が混ざってやわらかく、ブルゾンはそれにくらべると灰色にちかくてつめたい。いぜんはこういうふうに上下で微妙にずれていてもそれはそれでいいとおもっていたのだが、きょう着てみたところではやはりしっかりあわせてセットアップみたいにしたかったなとおもった。家を発ったのは二時五〇分過ぎくらいで、そこそこ待たせることになりそうだったのであるきながらメールをおくっておいた。空に雲はおおく、とくに西空のほうにはもくもくとひろがって太陽をとらえていたものの、ひかりのあかるさをうばいつくすほどではなく、坂道をのぼっていけば足もとからじぶんの影がうっすらと生えていたし、太陽が雲をはなれてもっと日なたが生まれるひとときもあった。たぶんかなり汗が出る暑さだろうとおもっていたのだが、意外とそこまで暑くもなく、すこし蒸してからだは湿るものの、ブルゾンを着ていても袖をまくれば過ごしやすい。行く先の東のほうには青さが見えて、雲もそちらの低みでは白さが濃くて凝集したような立体感がよく見て取れるのは、直上にちかいものらとくらべて横からひかりに照らされてかたちがきわだっているということか。あいては(……)なので気をつかう間柄でもないのだが、それでもあまり待たせてはとつねになく足を勤勉にはこんでスタスタあるいていった。白猫が家のまえにすわりこんで平和そうにしていたが、時間がないのできょうはふれあえず。
  • 裏道をたどっていって(……)につき、おもてのほうに出てみたが(……)のすがたが見えない。電話をかけようとおもったところがアドレス帳を見ると電話番号が登録されていなかった。もうなかにはいったのかなとおもってひとまず建物の入口をくぐる。(……)が建て直されてこの施設になってからはじめてはいった。はいって正面には反対側の裏口まで通路もしくはちいさめのロビーみたいな空間がまっすぐ伸びており、右手の窓際にはカウンター席があるとともにそのむかいの壁には掲示物などが貼られていたはずである。入口から左方はふだんはカフェ的スペースになっているのだとおもうが、舞台のスペースもそちらにあって、いまもう演奏しているひとがいるようで音が聞こえており、舞台はこの位置からは直接見えないがそのてまえに椅子がならべられた観客席を横から見るようなかたちになった。客はそこそこはいっているようだった。受付はもう老人と言っても良いかもしれない年代のふたりの高年男性がつとめていて、なまえと連絡先とはいった時間を記す用紙をさしだしてきたのだけれど、こちらはまず(……)と合流したいとおもっていたからあたりを見回したりしつつの散漫な応対になってしまい、それでも用紙を記入して、ふとうしろをむくと(……)が入口からはいってきたところだったので、おう、と笑って記入を完了させた。(……)も同様に一枚記す。どこにいた? ときくと、散歩していたという。それでいったん通路のほうに行って、とちゅうの壁にこの日のスケジュールが映し出される電光板みたいなものがあったのでそこでくだんのバンドを確認した。(……)というバンドで、リーダーのひとが(……)の実家のマンションの一階上に住んでおり、なおかつ職場でも上司((……))なのだという。もう五八歳くらいではないかとのこと。情報にはハードロックと書かれてあり、(……)も、おまえがやってたのとおなじかんじ、おまえが弾いてた曲も弾いてた、というのでDeep Purpleかなとおもった。六〇てまえなら世代的にも七〇年代に一〇代だろうからリアルタイムで触れていておかしくない。その(……)は四時からでまだ間があったが、行く場所もないしもうはいっておくかということで客席へうつった。椅子はあれはメッシュ素材というやつなのか、座部がこまかい網状みたいになっておりすこし柔軟性をかんじるもので、そこそこすわりやすかった。(……)のまえの(……)というバンドが準備をしているところでまだはじまらなかったので、そのあいだに多少はなしをした。同棲してんだっけ? とだしぬけにきいてみたが、(……)はこころあたりがないというか、彼女なんていないと面食らったようなかんじで、前回会ったとき(たぶん去年の五月くらいだったのではないかとおもうのだが)、彼女がいてたまに連れこんでいるみたいなはなしだった、と告げてもしかし判然としない。あとで喫茶店でもそのあたりにすこし触れたが、そのさい、正式に恋人になったわけではなかったのか、というと、むずかしいこというねえ、とかえった。たまに家にきていっしょにゲームするとか言ってたとおもうけど、彼女まではまだいってなかったのか、そのてまえっていうかんじだったか、ともいうと、むずかしいこというねえ、とまたかえった。いずれにしてもいま(……)は平日は実家に帰っており、週末だけ(……)の家に行く生活なのだという。そのへんの事情はここではまだかたられず、のちの喫茶店でくわしいはなしを聞くことになった。
  • (……)時代にはイベントのためにホールがあって、それは一般的なホールのように階段型というかななめにおりていくように配された客席の先、いちばんしたに舞台があるかたちで、そこそこの人数を入れることができたのだけれど、いまは舞台も客席スペースもおなじ高さでならんだ平らなフロアの形式になっていて、ひろさもかなり縮小された印象だ。あれだとクラシック系のコンサートはできないのではないか。この点は施設が建て直されるときに反対の声が多少あったようで、共産党の(……)議員なんかがそういう情報を広報して異論への支持をあつめようとしていたようだが、こんな田舎のことだからとうぜんもりあがるわけもなく、計画はふつうにそのまますすんでいまの施設が建てられた。それに、(……)時代、ホールがあってもそのおおきさにたいして客が十分にはいらないということもたぶんあったのだろう。こちらも近年もよおしに出向いたのは(……)くんが(……)を率いてコンサートをやったときだけだし、そのときは客席がわりとスカスカだった記憶がある。有名人がくればまたちがうのだろうが、あれくらいのひろさのものをつくってもどうせひとがあつまらないし、規模を縮小してつましくやろうというあたまが当局にあったのだろう。世知辛いはなしだが、行政の判断としてはとうぜんそうはなる。
  • じきに(……)の演奏がはじまった。年齢層はたかめで、四〇代から五〇代というかんじか。見た目からすればキーボードの男性がいちばん年嵩だったようで、このひとは六〇代に行っていたかもしれない。編成はボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードでボーカル以外は男性。ギターのひとはボブっぽいようなすこしながめの髪で髭を生やしており、だからわりと音楽家っぽい風貌で、フルアコセミアコかわからないがあの方面をつかっていた。ベースのひとはあまりおぼえていないがたぶん短髪だったはずで、Tシャツかなにかラフでかるいよそおいだったとおもう。キーボードのひとがこちらが聞くかぎりではこのバンドのなかでいちばん実力者なのではないかという気がした。ソロの量もいちばんおおかったはず。ドラムのひとはボーカルとかぶってほぼ見えず。ボーカルの女性はMCに素人っぽさあるいはすこし抜けているのかもしれない性格を垣間見せており、あいまあいまでひとりごと的なつぶやきを口に出してマイクに乗せたりしていたが、こんな田舎町の小規模なイベントなのでなにも問題はない。コロナウイルスでみんな外出も旅行もできなかったところようやくこうして演奏することもできるようになったので、きょうはみなさんを音楽で世界一周の旅に連れていきたいとおもう、という前置きで、いろんな国の曲をやる趣向だった。さいしょとさいごは日本の曲だが、この二曲がじぶんたちのオリジナルということだろう。一曲目は"(……)"というタイトルで、さいごのほうは題をわすれたがロックンロール風の軽快なものだったので、両方ともそういう軽いブルース方面のかんじだった。二曲目は"Dreamer Little Dream On Me"(アメリカ)、三曲目は南米に飛んでコロンビアといっていたが、"Sabor a Mi"というこの曲はWikipediaによればメキシコのひとがつくったらしいので、まちがいか、それかもとにした音源がコロンビアの歌手のものだったのかもしれない。四曲目はブラジルで、曲名を言わなかったがElis Regina風味がつよかった。女性ボーカルで軽快にボサノヴァをやればだいたいElis Reginaになるかもしれないが。聞き覚えがあって、たぶんスタンダードの一曲だなとおもってのちほどいろいろ聞いて同定をこころみたのだけれど、これだなという一曲は見つからなかった。五曲目はイギリスのむかしのヒット曲だといって"Perfect"というやつをやったのだが、曲名を聞いただけではピンとこなかったものの、これも聞き覚えがあった。しかししらべてみるとFairground Attractionというバンドの八八年の曲で、全英一位を取ったらしいがぜんぜん知らない。聞き覚えがあったのは気のせいか。むかしのヒット曲、というし曲調を聞いても六〇年代くらいのやつなのかなとおもっていたが、意外とさいきんだった。これがいい曲で、サビで"It's got to be ...... Perfect"という一単位がさいしょに出てきて、それをベースに多少変形させながら四回くりかえすのだが、beのあとをながく、二小節分伸ばしたあとにperfectは調にたいして二度→三度というメロディで解決する。ながいあいまをはさんでperfectの語が強調されるとともに三度の音にさわやかに着地するのが、It's got to be perfectのフレーズが喚起する完全性や万能感と調和していて良かった(ほかの部分の歌詞を読んでみるとそんなに万能的多幸感にあふれたものではなかったが)。サビの終わりでこのフレーズが再度終結としてつかわれるさいに、"perfect"の部分は今度はバックとあわせて二拍三連を二度くりかえすかたちで強調されていたのだが、これはすこしだけくどいような感触をえた。とはいえオリジナルもそうなっていたし、うまく収束させるにはやはりこれくらいやったほうがいいのだろう。六曲目はイギリスからスペインに行って、ビールかなにかのCMにつかわれていたような気がする有名曲が演じられ、あのバンドなんつったかな、スペインでたぶんいちばん有名なグループの曲だったはずだが、とおもいだせなかったのだが、Gipsy Kingsである。"Volare"。ところがおどろいたことに、Wikipediaを見るとこのバンドはスペインではなくてフランス出身だった。南仏のスペイン系ロマの一家が出自だというのであまり変わらないのだろうが。
  • 演奏はめちゃくちゃすごいとかきわだって気持ちが良いというわけではなかったが、瑕疵もなくふつうに楽しめて、このつぎの(……)もあわせてこんな町なのにちゃんとしたバンドがあるもんだなあとおもった。一曲目を聞いた時点では、こういうジャンルをやるにしてはドラムの音が出すぎているような気がしたのだが、その後音響が調整されたのかこちらが慣れたのか気にならなくなった。ドラムは下手ではまったくないし、どこがどうという指摘もできないが、聞いていてばっちり気持ちが良いかというとそこまではいかなかった。たぶんやはりこまかいところまでアンサンブルがかっちり噛み合っているわけではなかったのだとおもう。その点はおそらくつぎの(……)のほうがまとまりがつよかった。(……)のドラムにかんしてはどことなく大味な感触もおりにないではなく、しかしさいごの曲だったかでドラムソロをやったときはうまくながれていたのだけれど、それもアンサンブルにもどるまえにキーボードほかと(あるいはキーボードほかが)キメをあわせるのに苦労していて、何度かくりかえしているうちにずれがちぢまって合致したのだが、ことによるとちょっとひとりではしってしまったのかなとおもわれた。あと、ベースの音は両バンドをつうじて音像がややはっきりしない音響になっていて、あまり明瞭に聞き取ることができなかったのだが、ハコのひろさなどかんがえるとこれはしかたがないのかもしれない。
  • (……)のほうはたしかにいかにもなハードロックで、さいごのメドレーいがいすべてオリジナルだったのだがギター(ストラトだったとおもうが)のリフにしてもそのトーンにしても、曲構成にしてもなににしても、隅から隅までずいぶんきちんとした、ほとんど手本みたいなハードロックをやるなという印象だった。ボーカルがとくにうまく、音程のコントロールやニュアンスの変化も確実だし、ハードロックにあった太い声をそなえていて、そのへんのバンドでもこんなにうたえるひとがいるんだなあとおもった。さいごにDeep Purpleのメドレーをやったさいにも、"Burn"の"you know we had no time"部分の最高音("no")を、悠々というほどではなかったがふつうに出していたし。全体として貫禄のある演奏というかんじ。(……)の知り合いであるベースのひとがもともと(……)の出身で、子どものころにいまはなき(……)の店主のおっさんに世話になっていたとかで、(……)のおっさんは店が閉じたいまこの施設の音楽監督的な立場をつとめているはずで、今回も彼から声がかかったというはなしだった。ステージ上からそういうはなしがされたときにはおっさんはうしろのほうにいて、こちらも中高時代にはよく世話になった身だしその後もたまに買いに行っていたのでひさしぶりにあいさつしようかなとおもったが、終わったころにはすがたが見えなくなっていたのでできず。Deep Purpleメドレーというのは"Burn"、"Highway Star"、"Smoke On The Water"で、このときはまえの(……)のドラムとギター、それにブラスの女性三人(トロンボーンふたつと、あとたぶんソプラノサックスだったとおもう)がくわわって大所帯で演奏された。"Burn"の"you know we had no time"の中間部が終わったところで"Highway Star"の冒頭に移行したので、なるほどここでつなげるのね、と笑った。"Highway Star"はツインギターでギターソロがやられたものの、例の速弾きのところはやらずに編集されていた。たぶん(……)のギターのひとなら弾ける実力があるとおもうが。Deep Purpleはじぶんも高校時代にやったわけだしなつかしく、見ていればバンドというのもやはりいいなあとおもわないでもなかったが、さすがにもうDeep Purpleみたいなかんじのハードロックをやりたいとはおもわない。せいぜいブルースロック程度の激しさでないともうできない。だからどちらかといえば(……)のような音楽のほうだ。
  • 演奏が終わると、どっか行って駄弁るか、ということに。(……)の母親も来ていたのであいさつし、(……)は荷物を持ち帰ってもらったよう。施設を出ると入口のところに(……)のベースのひとがいたので、あそこにいるじゃん、あいさつしとかなくていいの、とうながし、(……)が声をかけにいったそのうしろでこちらもとおくから会釈をおくる。駅前に喫茶店「(……)」があるからまあそこに行くか、ということに。曇り空のもとをてくてくあるいていく。しばらくして到着し、階段をあがってはいると、店内のようすはいぜん来ていたときと変わっていた。はいってすぐのところになんだかよくわからない雑多な品々とか書籍とかが置かれてあったし、BGMも、いぜんは古き良き時代のジャズがかかっていたのだが、ロックとか、それこそいま聞いてきたようなたぐいのハードロックとかになっていた。のちには山下達郎とか井上陽水なんかもきかれてよくわからないが。まえに来ていたころは老人が料理していて、そのひとが店主もしくは経営者だと勝手におもっていたのだが、経営主体が変わったのかもしれない。窓にちかい一席についたが、テーブルのあいだをくぎる衝立みたいなものにも、英国旗のもようが描かれているかもしくはそういう布がかけられてあって雰囲気がまえとちがう。また、入口にちかいほうにややモジャモジャした黒髪の若い男性など何人かがたむろしていて、さいしょはふつうの客かとおもっていたのだが閉店ごろになっても帰る気配がなくたまっていたので、どうもスタッフか常連だったらしい。
  • それで閉店の七時ごろまでひたすら駄弁る。(……)がいま平日は実家にいるというのは精神をすこしやったのだという。やつは中学のころから能天気というかヘラヘラ生きているようなかんじの人間なので意外ではあるが、職場のしごとが急にいそがしく、激務になってやられたらしい。(……)もともと午後三時にはやることがなくなってさてどうするか、と手持ち無沙汰になるくらいのゆるい職場だったのが、急に朝から夜中まで事務処理に忙殺されるようになって心身が耐えられなかったようだ。(……)だけでなく、部長が辞めたり、同僚や先輩も離脱してまだもどってこなかったりしているらしい。(……)が発覚したのが三月で、そこから五月くらいまでがんばっていたのだがこれはもう駄目だなとなり、(……)もそこは無理をしすぎずはやめに見切りをつける良い性分だからダメージが致命的にならないうちに、ちょっといったん休みます、医者行ってきますわ、と言って二週間だか休養をもらえたと。それで(……)の(……)という医院に行った(精神科というのはこの現代非常に流行っていて、つうじょう、精神科の初診予約というのは二か月や三か月待つことがざらにあるのだが、(……)のばあいは運良く、電話をかけるとちょうどキャンセルが出たところだといわれてすぐに診てもらえたという)。知ってる? ときかれて、なんとなくなまえをどこかで聞いたことがあるような気がしたのだが、やさしく良い先生だったという。(……)の症状としては鬱的なもので、セロトニン? とかいうのを分泌するみたいな薬をもらった、と言うので、それはなかなかだなと受けた。SSRIのことだろう。SSRIが処方されるとなるとけっこうなことのはずで、副作用で吐き気とかなかった? ときくと、四分の一錠からはじめてだんだん慣らす方式をとってくれたというので、それはいいやりかた、いい医者だな、と称賛した。なかなかそのあたりをきちんとやってくれる医者はおおくないと推測する(初診に行ったときも、医師はすぐに休んだほうがいい、と断言し、じぶんのなまえを出して、医者が休めと言っている、と言ってくれていいから、とバックアップしてくれたという)。それで一時一錠まで行ったがそこからまた減っていっていままた四分の一までもどってきたか、もうそろそろなくなるというはなしではなかったか。出てこれているくらいだからもう体調に問題はないのだろうが、診察を受けて上司(というのはつまり先ほどパフォーマンスを見た(……)のベースのひとである)に相談すると、わかった、俺のほうで承認する、と言われて診断書は不用となり、また、それだったらいちど実家に帰っておいたほうがいいんじゃないか、ひとりのままでいずにはなすあいてがいたほうがいいんじゃないか、といわれたのでそれにしたがって帰ってきたというはなしだった。まあいまはだれであれいつ精神を病んでもおかしくないような世界だし、むかしだっていまより精神科自体がカジュアルでなかったにしても短期的な不調とかちょっとしばらくノイローゼになるとかはふつうにあったのだろうが、それにしてもじぶんのまわりは精神科の世話になる人間がおおいなあという感を禁じえず、(……)がそのひとりになるとは予想していなかった。
  • あとのはなしはおおかた中学時代の同級生の噂とか、こちらの生活やしごとについてとか。なにかのときに、ゲームとか動画方面の話題になって、YouTuberとか俺ぜんぜん見ないけど、いまの若いひとの娯楽ってそれだよね、職場の同僚でも、YouTuberっていうかなんかそういうのの動画見るとか、ゲームやったりゲーム実況見るとかそういうかんじだわ、むかしはさ、むかしって昭和のことだけど、けっこうみんなラジオ聞いてたらしいじゃん、ラジオがいまそういうのになったかんじなんじゃない? というと、(……)もラジオを聞くと言った。radikoというアプリ(なまえだけは見たことがある)をつかってスマートフォンで聞いているという。だれの? をきけば芸人の、というので、まなんでんの? とつづけると、べつにそうではないという。おもしろい冗談のいいかたとかまなんでんのかとおもった、といったが、いまちょっとおもったのだけれど、もしかするとこういう、なんでも学びにむすびつけるというか、じぶんの糧にするみたいな発想はこちらの特質なのかもしれない。芸人のラジオを聞こうというひとの大半は、たぶんふつうに娯楽としてたのしんで聞いているだけで、話術をまなぼうとかトークの参考にしようとかはそんなにかんがえないわけだろう。この会話のときに、まったく意識せずともそういう発想が即座に出てきたあたり、じぶんの性分が知れるのかもしれない。それで芸人といって誰かと問いをつづければ、かまいたちとかいくつか挙がっていたので、ギリギリわかるわ、そのへんだとまだギリギリ顔が出てくるな、と応じた。
  • 七時で会計をして退出。おもてに出て、お互い徒歩で帰ることにして街道まで行き、別れ。喫茶店で麻雀のはなしがすこし出ていたのだが、雀荘に行ったことがないというと、こんど行こうぜということになった。(……)という同級生がいて(……)と彼はやたら仲が良く、一時は週一か週二くらいで会っていたはずだし、いまはもうすこし減ったようだが月一くらいの頻度で顔を合わせているらしいのだけれど、その(……)が「雀鬼」だといい(むろん誇張だろうが)、ほんとうかどうか知らないが新宿に出張って稼いでいた一時期もあったとかいうので(賭け麻雀は禁止されているはずだが)、戦後すぐの時代かよと笑ったのだが、その(……)も入れて行こうと。麻雀はいちおうルールは知っていてオンラインゲームでやったことはあるのだが、じっさいにやった経験はほぼないので牌を積むのすらおぼつかないし、サイコロを振ったあとの山のわけかたとかもよくわからない。とうぜん点棒計算もできないのだが、いまはもう雀荘も全自動卓だろうし、点棒も(……)がいるから問題ないとのことだった。
  • その後は特段の記憶もなし。夜、(……)さんに誕生日おめでとうのメールを送った。五日も過ぎてしまったが。おめでとうというだけのはなしなのだが、それだけだと味気ないので付け足しているうちにいろいろ書いてしまってながくなるというのはよくあることである。

 (……)

2021/10/9, Sat.

 彼らの観点――それは宇宙的だ。ここにいる一人の人間や、あそこにいる一人の子供は目に入らない。それは一つの抽象概念だ――民族、国土。民族 [フォルク] 。国土 [ラント] 。血 [ブルット] 。名誉 [エーレ] 。りっぱな人びとに備わった名誉ではなく、名誉そのもの。栄光。抽象概念が現実であり、実在するものは彼らには見えない。"善 [ディー・ギーテ] " はあっても、善人たちとか、この善人とかはない。時空の観念もそうだ。彼らはここ、この現在を通して、その彼方にある巨大な黒い深淵、不変のものを見ている。それが生命にとっては破滅的なのだ。なぜなら、やがてそこには生命がなくなるから。かつて宇宙には微塵と熱い水素ガス、それしかなかった。その状態がまたやってくる。いまはただの幕間、ほんの一瞬間 [アイン・アウゲンブリック] にすぎない。宇宙的過程はひたすら先を急ぎ、生命を粉砕して花崗岩のメタンに還元していく。すべての生命は運命の車輪から逃れられない。すべてはかりそめのものだ。そして彼らは――あの狂人たちは――花崗岩に、微塵に、無生物の渇望に応じている。彼らは造化 [ナトゥール] を助けようとしている。
 その理由は、おれにはわかる気がする。彼らは歴史の犠牲者ではなく、歴史の手先になり(end68)たいのだ。彼らは自分の力を神の力になぞらえ、自分たちを神に似た存在と考えている。それが彼らの根本的な狂気だ。彼らはある元型 [アーキタイプ] にからめとられている。彼らの自我は病的に肥大し、どこでそれが始まって神性が終わったか、自分で見分けがつかない。それは思い上がりではない、傲慢ではない。自我の極限までの膨張だ――崇拝するものと崇拝されるものとの混同。人間が神を食いつくしたのではなく、神が人間を食いつくしたのだ。
 彼らが理解できないもの、それは人間の無力さ [﹅3] だ。おれは弱くて、小さい。宇宙にとってはなんの意味もない。宇宙はおれに気づかない。おれは気づかれずに生きている。だが、どうしてそれが悪い? そのほうがましじゃないのか? 神々は目につくものを滅ぼそうとする。小さくなれ……そうすれば、偉大なものの嫉妬をまぬがれることができる。
 (フィリップ・K・ディック浅倉久志訳『高い城の男』(ハヤカワ文庫、一九八四年)、68~69)



  • 一〇時台に覚醒。注射を打たれた左腕には鈍痛があってうごかすだけでもけっこう痛く、からだ全体としてもたしかに風邪をひいたときのようなだるさや節々の痛みがあった。一〇時四五分を正式な覚醒とさだめたが、副反応のためにおきあがるのが億劫だったので、コンピューターをベッドにもちこんで脚で脚をマッサージしながらだらだらした。正午前にようやく離床。あがっていき、からだがいてえ、と母親に言う。食事は釜で炊かれたアジアンチキンライスとかいうものなど。新聞にはノーベル平和賞の発表が出ていた。フィリピンの女性ジャーナリストとロシアの男性ジャーナリストで、五八歳と五九歳であり、どちらも強権的な政府に対抗して報道の自由をまもろうとし、民主主義の価値を維持するのに貢献したと。テレビのニュースではブラジルでコロナウイルスの死者が累計六〇万人を超えたといい、しかし感染は減少傾向にあるので当局は来春のカーニバルを開催する意向、それに懸念の声が出ていると。海岸に白い布を吊るして死者への追悼を表現する行動をおこなっている団体の男性が、死者がこれだけ出たのは無能な政府のせいだと批判していたが、まあそりゃそのとおりだろうとおもう。ボルソナーロだし。ひるがえって日本の情報を見てみると東京都内は一八〇人だったか一三〇人だったかそのくらいの増加にすぎず、(……)でも(……)でもカウントされておらず、全国でも八七四人くらいだったのでかなり終熄してきている印象だが、このまますんなり終わるかどうかはもちろん不透明だろう。累計の死者数は一万七九〇〇人くらいだったはずで、直近の一日だと四六人増えていた。しかしブラジルの六〇万とくらべてもかなりすくない。
  • とにかく左腕とからだが痛い。食後、母親にたのまれて椅子のうえに乗り、食卓灯のうえなどを拭き、それから皿洗いと風呂洗い。風呂を洗っているさいちゅうに山梨に行っていた父親が帰ってきた。茶を用意して帰室。ウェブを見てまわり、ちょっと休んでからここまでしるして三時まえ。きょうの天気は曇り寄りで、背後をむけば水色が見えないわけではないがひかりはとぼしく、先ほど茶を飲んでいたときにはかなり暑くかんじたがいまはそうでもない。とにかくからだの各所が微妙にさわいでまとまりがわるいので、なかなかなにをやる気も出ない。
  • そういえば耳鳴りは改善して、起きたときからもうほとんど聞こえなくなっていた。たぶんまだ底のほうでかすかに鳴っているのだが、物音があればまったく聞こえないし、しずかな自室にいても目を閉じ耳をこらしてやっとかろうじて聞こえるかどうか、というくらい。
  • この日は休日だったし、副反応でやはり疲労感やだるさがそこそこあったのでたびたび目を閉じて休んだりもしてしまい、たいしたことはやらずにだいたいだらだらしていた。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読んだのと、アイロン掛けをしたくらい。熱はたぶんなかったはずだが、とちゅうまではどうしても節々が痛くてすっきりしなかったし、左腕はちょっとうごかすだけでもだいぶ痛かったのだが、夜半を超えるころにはけっこう回復していて、これだったら明日はほぼ平常だろうなと予想されたし、じっさいにそうなった。回復がはやい。一回目に打ったときのほうがむしろ左腕の痛みはながくつづいたような気がする。ちなみにきょう(一〇日)会った(……)はだいぶきつかった、死んだと言っていたがやつが打ったのはモデルナらしく、こちらはファイザーなので、やはりモデルナのほうがつよいのだろう。それでいえばおとといくらいの新聞に、デンマークスウェーデンが若年層へのモデルナの接種をやめるという報があった。接種後に心臓の炎症が起こるケースがあり、あきらかに因果関係があると確認された、みたいなことが書かれてあったのだが、そんなに確定的なのだろうか。

2021/10/8, Fri.

 しかし、ほかのなによりも、彼が最初に惹きつけられたのは、ジュリアナのへんてこりんな表情だった。これという理由もなく、ジュリアナは見ず知らずの他人にも、尊大で退屈そうなモナリザの微笑であいさつするものだから、むこうは一瞬虚をつかれ、ハローと呼びかけたものかどうか、とまどうのだった。彼女はとても魅力的なので、相手はたいていの場合ハローと声をかけるが、そこでジュリアナはすいすい通りすぎてしまう。はじめのうちはフリンクも近眼のせいだろうと思っていたが、やがてそれは彼女の心の奥底に濃く染みついた、ふだんは隠れている愚かさの現われだと解釈するようになった。そうすると、見知らぬ他人に対する彼女のそれとはない会釈が、まるで謎の使命をになっていると言いたげな、植物の(end27)ようにひそやかな歩き方と同様、気にさわりはじめた。しかし、結婚生活の末期、夫婦喧嘩のたえまのなかったあのころでさえ、彼はジュリアナを、なにかはかり知れない理由で自分の人生に投げこまれた、文字どおりの神のじきじきの創造物、としか考えられなかった。そしてそのために――彼女に対する一種の宗教的直観か信仰のために――彼女を失った痛手からまだ立ちなおれずにいるのだった。
 (フィリップ・K・ディック浅倉久志訳『高い城の男』(ハヤカワ文庫、一九八四年)、27~28)



  • 一一時にいたる直前に覚醒。耳鳴りはまだ残っていた。昨晩とおなじで、しずかでなければ物音にまぎれるくらいで、頭の角度によっては消える。寝床でしばらく腕を伸ばしたりこめかみを揉んだり、深呼吸をしたりしてから起床。一一時二五分ごろ。きょうはきのうから転じてまた暑くまぶしい快晴の日である。二回目のワクチン接種をしに行く。
  • 水場に行ってきて瞑想。そのあいだも窓外の虫の声や風のささめきの手前で、ほとんどまぎれて見えなくなりながらも耳鳴りがうすく乗りつづけている。上階へ行き、天麩羅や唐揚げの残りなどで食事。新聞、ミャンマー少数民族地域でインターネットが遮断されていると。国軍が戦闘のようすや情報をSNSに拡散されないように統制しているもよう、と。先月の七日に国民統一政府(NUG)が国軍との戦闘開始を宣言したが、以来、軍は武装市民への弾圧をつよめ、一般人の住居に銃撃したりもして無関係のひとが巻きこまれる事態がおおくなっているらしい。政治犯支援協会によれば、一〇月六日時点で一一五八人の市民が死亡。
  • 食器を洗い、風呂もあらって帰室。LINEに返信してきょうのことをつづりはじめた。とちゅうで電子レンジのなかに味噌汁をあたためたままわすれていたことに気づいたので、それを持ってきて食べた。ここまでしるすと一時一一分。二時過ぎにはでなければならないのでそう猶予がない。
  • ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読みながら脚の肉を揉みほぐし、一時四五分ごろにいたって切りをつけてうえへ。ベランダの洗濯物を取りこむ。陽射しは旺盛で、肌に染み入るような熱さ。タオル類などをたたんではこんでおき、制汗剤シートでからだをぬぐうと下階へもどる。歯磨きをさっとして着替え。前回はTシャツを着たが、今回は、なんといったかいまど忘れしたが、いちおうアメカジ方面のブランドだとおもうのだけれどけっこう高くてそこそこ品の良いメーカーの褐色チェックのシャツ。それに薄手で履いた感触がかるくて楽な真っ黒のズボンをあわせた。接種券と予診票とパスポートを前回もつかったクリアファイルにそろえて入れて、ポール・ド・マンもバッグに入れて出発へ。予診票を書いている時間がなかったが、電車の時間がはやいので、会場に行くまえに駅で時間をつぶすあいだに書けば良い。
  • そうして出発。きょう、ワクチンを受けたあと体調に問題がなさそうで気が向いたら(……)に行こうとおもっていたのだが、街に出るとなれば物々がよく見えたほうがおもしろかろうというわけで眼鏡をかけた。外出時にずっと眼鏡をかけていたのはきょうがはじめてのはず。実のところ、前回接種に行く日もかけようとしたのだけれど、玄関で鏡をまえにマスクをつけたときに、マスクをつけて眼鏡をかけると息がうえに漏れるので眼鏡がくもって鬱陶しいという事態に行き当たり、急遽とりやめたのだった。しかし今回それを甘受することにして、鏡のまえで位置を調整するとあまり曇らないポジションを発見したので問題ない。マスクを比較的うえまでひきあげ、かつ眼鏡を顔に引き寄せすぎずちょっとすきまをもうけると曇りづらい。
  • 眼鏡をかけるととうぜんながら事物の表情がよく見えて、午後二時の浮遊的なひかりを受けて憩うているとおくの山の襞のぐあいとか、そのすがたをほがらかにうすめているあかるみの膜の色合いなどが鮮明に映る。陽射しはこの時季にしてはやはりつよめで、汗を避けられない。団地に接した小公園の樹々の葉は濃緑のかわきかたに老いの感覚を少々ひそませ、もう枝にすくない桜の木の葉は色をあたたかく変えてたがいのあいだに宙をひろく抱き、道の端の地面には落ちたものらがいろどりをややうしなって薄くおとろえながら頭上の後続を待っている。
  • 坂道をのぼっていって出口がちかくなったところで右手の木立からなにかがうごいて草をこする音がちいさく立ち、見れば一本の木の幹をささっとのぼっていくすがたがあって、すぐに幹の裏側にはいってしまったので眼鏡をかけて強化された視力でも正体をとらえられなかったのだが、鳥ではあのように木に取りついてのぼれる気がしないので、あれはリスだったのかもしれない。あるいはキツツキだったらああいうふうにのぼるのかもしれないが。
  • 街道の横断歩道に出ると東のほうは道路の伸びる先ですっきりとした青空がややまろやかな色でひろがっていたが、反対側をむくと西はけっこう雲が占めている。とはいえ陽射しはとおっていて暑く、駅のホームにはいるとしばらく日陰で立ち止まって電車を待った。ホームの左右を縁取って伸びていく線路はやがて単線に合流するが、その先はいまちょうど電柱にさえぎられて見えず、線路脇をさらに縁取るようにいろどっている緑のうえで白や黄の蝶が舞い踊る色点となっている。アナウンスがはいると日なたに出て先頭のほうへ。乗って扉のまえで過ごす。
  • (……)で乗り換えて、(……)へ。ホームにおりるとベンチにつき、持ってきたポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を下敷きとして予診票を記入した。それからすこし書見。背後、南のほうから陽射しがかかってきてだいぶ暑い。いい時間になったところで立ってエスカレーターをあがり、トイレへ。前回来たときには空が曇っていて風がつよく、ここの窓からやたら吹きこんできたなとおもいだす。きょうも風は多少はいってきたが、そこまでのいきおいは持たない涼気で、東の空は雲もいくらかいだいてはいるものの青さが多い。手を洗って出ると通路を行き、階段に折れたところで、前回はここで小学生らがにぎやかに駆け上がってきたのだとまたおのずと記憶がよみがえる。駅を出ると三週間前とおなじルートで体育館へ。とちゅうの茶屋の横で年嵩の婦人がバケツに手を入れてなにかこすっていたが、これも子どもがいないことをのぞけば前回の帰路で見かけたのとおなじひと、おなじ光景だ。道沿いの街路樹が葉の色をまだらに変えつつしんなりとしたような質感で垂れ下げていたが、あれはたぶんハナミズキではないか。たしか秋にあんなような葉の状態になり、やがてワインレッドに染まり尽くすものだったような気がする。
  • 体育館へはいり、ホールへ。前回同様、入口の職員にあいさつし、検温へ。36. 4度だった。それから椅子がならんだ待合区画へ。前回ここで左隣が浅黒いようなかんじの異国のひとで、たぶん勘違いだとおもうけれどちょっとにらまれたような印象があったのだが、そのひとはきょうはこちらの三つ左だった。ピンクのポロシャツ。色はおぼえていないがたぶん前回もポロシャツだったとおもう。椅子につくと書類を用意し、職員が持ってきたバインダーにはさみ、体温の記入をわすれていたので先ほどの数値を書きこみ、待機。ド・マン『読むことのアレゴリー』を読んだ。あいかわらず第三章「読むこと(プルースト)」を行きつ戻りつしながらくりかえし読んでいて、言っていることはだいぶわかった気がする。わかりづらかった部分について、ここの文はこういうことだろう、というのを最初から最後までこまかく註釈的に書いておきたい気がするのだが、まあいずれ気が向いたら。ホール内のようすは三週間まえと変わりないのでたいして見渡さず。ただ椅子の数はかぞえた。横に一四席の一列が縦に一〇列分なので、一四〇席が用意されていたようだ。あと、前回よりもきょうのほうがひとがすくない気がして、待った時間もみじかかった気がする。しかしそのわりに接種後の待機が終わる時刻は前回とおなじ三時四二分だったが。
  • 前回とおなじ手順を踏んですすんでいくが、今回、医師の問診のまえに書類確認をしたひとは高年の、眼鏡をかけたすこし気の弱そうな女性で、パスポートに住所が書いていないので前回は暗唱をしたということをこちらからつたえると、いまは書かなくなったんですよね、と言っていた。前回のことをつたえる発言のさいごで、暗唱したんですけど、それでもいいですか? とたずねたのだが、それには明確なこたえはかえらず、これでなまえが確認できたので、大丈夫です、ということで通過となった。そのつぎに医師とはなすわけだが、前回たしかここには椅子がなくてそのまますぐに医師のまえに行った記憶があるのだけれど、今回は座席が三〇くらいもうけられてあって、そのうちの一席で番を待った。女性職員がふたり、誘導のために立ちはたらいており、年上のひとりは主にあたらしくやってきたひとに椅子の番号を言って案内する役目を果たし、もうひとりの若い女性、あれはパンタロンでいいのか、たぶんコーデュロイ素材の、裾がややひろがった茶色のボトムスを履いてゆったりとながれるようにうごくひとが、主に席のところまで来てバインダーを受け取り、それを左右ふたつ用意されてある医師の区画まで持っていったあと、こちらにむかって手をあげて呼ぶという役割をつとめていた。それでそのうちに問診へ。医師は年嵩の男性で、たぶん大阪か関西方面の出身らしい口調だった。署名を見ておのずと記憶したが、(……)というなまえだった。前回の医師はすぐさま体調わるくないですね、と聞いただけでとおしてしまうやっつけしごとだったが、今回のひとはさらに、なにか質問はないですか、と聞いてきた。いや、とくにはないですね、とこたえると、一度目の接種のとき、反応はどうでしたかとたずねられたので、まあ腕が痛くなったくらいで、大事はなかったです、とかるくこたえたところ、その日のうちから痛くなりましたかと質問がつづき、その日の終わりくらいからでしたねとかえしたあと、医師はなぜかちょっとかんがえるように黙り、まあやってみましょうか、と署名した。あそこですこしだけかんがえるような間があり、しかもゴーサインもあまり積極的なニュアンスではなかったというのはどういうことなのかわからない。ワクチンの危険性をかなり懸念しているひとなのか、あるいは本心では反ワクチン的なかんがえのひとなのか。ともあれそれでそのまま接種へ。前回は若い女性が打ってくれたが今回は五〇代から六〇代くらいではないかと見える年嵩の、細い声でやさしくひかえめながらほがらかで丁寧な喋り方をする女性で、子どもから見て「やさしいおばあちゃん」といわれるような像の典型みたいな印象のひとだった。ここでも前回はどうだったかときかれたので腕が痛くなったくらいで大事ではなかったとこたえながらシャツをまくり、二回目がきついってよくいってるのでわりと心配ですけどね、などと言っているうちにチクリという感触があって接種が終わった。前回はほとんどなんの感覚もおぼえなかったが、今回はそれよりはすこし痛い、というかんじだった。礼を言って退出し、書類に接種証明のシールを貼ってもらうのを待ち、待機区画へ。きょうはだいたい目を閉じてやすみながら待っていた。ときおり左腕や脚にぴりっとする感覚が生じることはあったが、ワクチンを打ったためだとおもわれるような明確なからだの変化はなし。むしろ打つまえに待っていたときのほうが、ちょっと緊張があったようでひさびさにパニック障害的な不安のごくごくかすかなものを腹のあたりにかんじ、からだのまとまりがみだれていたくらいだ。時間になるとそのへんの職員に礼を言って退出。
  • 三時四五分ごろだった。夕刻がちかづいてかたむきくだった太陽が西の空にはえばえとおおきくひろがっており、あまやかな色味をやや増したひかりは地上をななめにさし駆けて水のように身のまわりをながれていた。そういえばとちゅうの道端の葉のなかにピンク色をしたおおきめの花がいくつか咲いており、これはフヨウではなかったかとおもったのだが、いま検索してみるとたぶんそれで正解である。中上健次が夏芙蓉を象徴的なモチーフとしてつかっているらしいのだが、中上健次はいまだ『岬』しか読んだことがなかったはずだし、それもたしか鬱様態をいちおう脱してすぐのころだったとおもうので、記憶もさだかでない。体調がとくに悪くなったり変化したりしないので、このまま(……)に行くかとおもいながら駅にもどった。駅前の「(……)」の入口で若い男性店員がふたり準備をしていたのだが、そこに中年の眼鏡をかけた女性がちかづいて、もう飲めるようになりました? とたずねていた。店員のうち態度のこなれているいっぽうがそれににぎやかな声で肯定をかえし、やっとこれ入手したんですよ! と入口横に貼った札をしめしていたが、徹底検査証明、みたいな文字がそれには書かれてあったとおもう。女性はうれしそうだった。ずっと待ってて、こんど寄らせてもらいますね、みたいなことを言っていた。
  • 駅にはいり、ホームに移動すると、喉が渇いていたので自販機で葡萄ジュースを買った。その場に立ち尽くして電車を待ちながら七割がた飲み干し(二八〇ミリのちいさなペットボトルだが、このサイズがいちばんちょうど良い)、バッグに入れておいて、しばらく風を浴びたあとに電車が来ると乗って着席。たしかこの行きは瞑目して休んだのだ。すわったときにはなんとなくからだがすこし熱くなっている気がしたので、副反応で熱が出てきたのか? とおもったが、その後街を行っているあいだも疲労はおぼえたもののけっきょくたいした変化はなかった。
  • (……)で降車。改札を抜けて人波のなかへ。この行きも帰りにもどってきたときも、眼鏡をかけているためにとうぜんいままでよりも文字通り視覚の解像度があがっており、すれちがったり追い抜かされたりするひとびとの服装や表情、顔立ちやからだのかたちやあるきかたなどがよく見えて、それはやはりそれだけでもわりとおもしろい。いままでは人波のなかにいてもある程度の距離をおいた先はややぼやけていたはずで、だから言ってみれば色とかたちを溶かされたひとびとがなかば薄雲となってたなびきつらなり個別性を曖昧にしてつながっているような像だったはずで、それがきょうはたとえば待ち合わせのために壁沿いにたちならんでいるひとびとのひとりひとりがはっきりと映り、グループの区分も明確になって、その粒立ちの感覚は新鮮だった。駅を抜けると高架歩廊を行って書店へ。とちゅう、いかにもギャルっぽい声色と調子の女性の声が背後から聞こえ、通路にはいりながらそちらを見てみると、若いカップルのいっぽうが白い帽子をかぶったしたに茶髪をうねらせて厚めの化粧をほどこし目をぱっちりおおきくしたまさしくギャルといって良い女性で、あの声における「いかにもギャルっぽい」かんじというのはなんなんだろうな、とおもった。おなじように、「いかにも男子高校生っぽい」声とか喋りかたとかもあるような気がするのだが、不思議だ。ギャルにかんしていえば、言葉遣いとか語の選び方にはむろんその特有性が出るだろうし、語調、発話の抑揚とかの段階にもギャルっぽさというものがあってもおかしくはない気がするのだけれど、声の質感自体にもそれをかんじるというのが不思議なところだ。ギャルっぽいことばとギャルっぽい喋り方はわかるが、ギャルっぽい声なんてありうるのだろうか?
  • 歩道橋をわたり、歩廊を(……)のほうに折れると西が正面となり、眼下は風に葉をそよがせる街路樹にはさまれて道路が歩廊とおなじく前後に伸びており、したがって頭上の空がひろく開放されてあらわになるが、その空はいま青さをのこしながらも雲が圧倒するような勢力をほこってなかば以上をおおっており、背景の青さをすこし透かして地と混ざりながらあいまに無数のひびや溝をはしらせている白のシートは鱗の様態で、場所によってひとつひとつの鱗のおおきさが変異しており、最小の泡の集合めいたもの、飛沫のようなものとありながら、途中からはおおかたクラッカーのように四角くくぎられた部屋のならびとなっていて、コーヒーのなかのミルクのすじめいた青と白の混淆で襞をつくりながら直上から西の先までくだっているというべきなのかのぼっているというべきなのか、それすらわからずただ一挙にひろがりなだれるような雲の動きの、端的に壮観であり、いままであまり見たことのない奇観のようでもあった。
  • 入館し、手を消毒してフロア内へ。エスカレーターをのぼっていく。やはりからだがすこし不安定な気がして、手すりにつかまることになった。(……)に入店。すぐ正面にある思想関連の書架にはいる。棚のいちばん端にはいつもみすず書房の本がとりそろえられており、あたらしくおもしろそうなものを発見したはずだがなんだったかわすれてしまった。『エルサレムアイヒマン』とか、ジョン・ラスキンの『ヴェネツィアの石』(だったか?)とか、いぜんからほしいものはもちろんほしい。ジャコメッティの『エクリ』とあともうひとつなにかがあり、そういえば矢内原伊作が『ジャコメッティの肖像』だったかわすれたがそういう本を書いてじぶんが見たジャコメッティのようすをつづっていて、それが芸術とかをやろうという人間には非常に勇気づけられるものだと聞いたことがあり(佐々木中が『アナレクタ』かなにかで一〇冊かそこら名著を紹介しているなかにはいっているらしいのだが)、あれば買っておきたいなとおもってあとで美術の棚を見に行くことにした。みすず書房の棚の反対側にふりむくとそこは売れている新刊書の区画で、いつもそんなにつよく惹かれるものもないのだけれどこの日は『何もしない』という本が目にとまり、タイトルを意識したらしく白一色のなかに書名だけが記されたすっきりした表紙のそれは早川書房の訳書で、木澤佐登志推薦、と帯にあった。なにもしないというのはもちろんこちらに適合的なテーマなので手にとって見てみると帯の裏側にはオバマが年間ベスト本みたいなやつのなかに選んだ、みたいな売り文句が書かれてあって、なかをのぞいてみても悪くなさそうな雰囲気だったのでこれは買ってみようと決めた。しかしまだ手もとには取らずにまたふりかえって今度は雑誌のコーナーを見て、『午前四時のブルー』というちいさめのものをあたらしく発見し、こんなんあったんかとひらいてみると目次には小林康夫の名がおおく、うしろを見れば責任編集も彼で、こんなものを出していたとは知らなかった。あとは『多様体』の三巻目、「詩作/思索」と題されたやつもいぜんからわりと気になってはいるのだけれど、購入に踏み切るほどではない。『現代思想』の臨時増刊号だとハイデガーの黒ノートなどについて特集したやつとか、あと「陰謀論の時代」みたいなわりとさいきん出たとおもわれるやつが気になる。鈴木大拙もけっこう気になる。しゃがみこんで下段には「水声通信」がならんでいて、バタイユを特集したものがふたつくらいあり、バタイユもさいきんけっこう気になっているがまだ手は出せない。ジャン=ピエール・リシャール特集もいずれ買うつもりだが、手もとにフローベールのやつと詩のやつがあるのでひとまずそれを読みたい。ずっとまえから置かれているので、たぶん売れないだろう。『マラルメの想像的宇宙』もほしくて、海外文学の棚にあるのをこの日確認したが、一万円くらいするのでおいそれと買えない。
  • そうして言語哲学あたりに踏み出したのだが(やはり意味論、比喩論、オースティン、I・A・リチャーズあたりが気になる)、その時点で尿意をかんじていたのでさきにトイレに行くことにした。それで棚のあいだを出てあるき、漫画の区画のそばにあるトイレへ。膀胱をかるくしてもどってくると、思想のところまで行くまえについでに美術の区画に寄った。岡崎乾二郎の『抽象の力』という本があり、たしかおなじタイトルの展覧会をやっていたのだったかわすれたが、その関連の文章をnoteかどこかで読んだことがあって、それの正式な書籍版ということなのだとおもうがこれが亜紀書房というところから出ていておおきさのわりに四〇〇〇円くらいで安く(学術的な単行本で三〇〇〇~四〇〇〇円だと安いとおもうような価値基準になった)、ほしかったがひとまず見送った。ジャコメッティのあたりには矢内原伊作の書はなかった。ジャン・ジュネが書いたうすめのやつはあったが。それでしかたないのでもどる。あとあれだ、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの本も二冊くらいあってこれも気になる。(……)さんからもらった『イメージ、それでもなお』もはやく読みたい。
  • そうして哲学の棚にまたもどり、見分。目当てはポール・ド・マンと、さいきん訳されたロドルフ・ガシェのド・マン論で、その両方ともあった。ただ、ド・マンでは『理論への抵抗』はないことがわかっていたので、『ロマン主義のレトリック』を買うつもりだったのだけれど、もうひとつ、『ロマン主義と現代批評』といってガウスセミナーなるものの記録、とかいう本があり、そういえばこれもあったのだとおもった。ロドルフ・ガシェのド・マン論は『読むことのワイルドカード』といって月曜社の古典転生シリーズから出ており、このシリーズは、また月曜社全般も良さそうな本がそろっている印象。しかしこの三冊がどれも五〇〇〇円くらいした。くわえてド・マン関連では土田知則の『ポール・ド・マンの戦争』という彩流社のフィギュール彩シリーズから出ているやつがあり、このシリーズもおもしろそうな本がいろいろある印象で、この本は三〇〇〇円しなかったのでひとまず買うことにして、問題はあとの三冊をどうするかである。買っていますぐ読めるわけでないし、ガウスセミナーのやつとかはほうっておいてもまだわりと入手可能な気がするし、ガシェの本も出たばかりなのだからすぐにはなくならないはずだが、しかしガシェの本はなぜかほしかった。とするとあとド・マンをどちらか一冊買うか、それとも二冊とも買ってしまうかということになり、くわえてそこにガタリの『ミクロ政治学』というやつがあたらしく出ているのを発見してしまい、これが八二年だかにガタリ独裁政権下のブラジルにいって現地の活動家とかと対談したり講演したりしたときの記録などが収録されているらしい本で、正直これはかなりほしかった。しかしさすがに五〇〇〇円クラスの本を四冊買うとそれだけで二万円を超えるわけで、ほかに土田知則と何もしない本もあるし、またマラルメ詩集も買うつもりだったのでさすがにきびしい。そういうわけできょうはひとまずガタリはおいておいて家にある二冊をまずは読もうとおもい、かわりにド・マン関連はすべて買うことにした。それで通路を出て籠をもってきて、単行本たちを入れていく。あと、石川学というひとがバタイユをやっているのだけれど、東京大学出版会から出ていてこのあいだ(七月に)(……)で見つけておもしろそうだなとおもいながらも見送ったやつ(『バタイユと行動の倫理』みたいなタイトルだったはずだが)はきょうも見送り、かわりに七〇〇円で慶應義塾大学教養研究センター叢書というところから出ているやつを買うことに。『理性という狂気 G・バタイユから現代世界の倫理へ』。このシリーズはちいさくて薄めのものなのだけれどなかなか良さそうで、美術の棚を見にいったときにおなじシリーズから出ているラスキンと労働者教育についての本も見つけており(たしか横山千晶みたいな著者名だったはず)、おもしろそうだなとおもっていた。というかラスキンがそんなことをしていたなんてまったく知らなくて、プルーストが愛読した美術批評家といういじょうのイメージや情報がなにもなかったのだが、目次を見たところでは美術学校かなにかの講師をやっていた時期があって、そこで(あるいはその後?)絵画を描くことやものを見るということを有効にもちいて労働者の教育をかんがえたようだった。それでいえばいま読んでいる『読むことのアレゴリー』の「読むこと(プルースト)」の章には註でラスキンが引かれている箇所がひとつだけあって、そこの出典が、Fors Clavigera: Letters to the Workmen and Labourers of Great Britain となっている。だからわりと社会主義的な方面の知識人だったのかもしれない。
  • そうしてマラルメを買うために文学のほうへ。文庫の区画にも立ち寄ってざっと見たが、いまとくにすごくほしいものはおもいあたらない。新刊で、ちくま学芸文庫からフーコーの文学論をあつめたみたいな本が出ていた。抜けて、詩の棚へ。まえと配置が変わって文芸誌が棚のいちばん端、詩のまえに来ていて、文芸誌でいえば『子午線』もほしいとおもっており、とくに金井美恵子のインタビューが収録されているらしい三号目がほしいのだけれど、(……)はいぜん『子午線』を置いていた気がするのだが見当たらない。置いていたとしても三巻目はとうぜんなかっただろう。(……)がたしかとりあつかっていたはずだが、そこもやはりむかしの号があるかわからない。手もとに四号目と五号目があるのだけれどちっとも読んでいない。それで壁際の海外文学へと移行し、柏倉康夫訳のマラルメ『詩集』を保持。マラルメ関連だとあとはリシャールと、原大地というひとのマラルメ論が二冊あり、そのどちらかがマラルメの詩をかなりこまかく詳細に読んだというかんじだったし、どちらもおもしろそうだった。清水徹マラルメ本もたしかいぜん(海外詩の区画ではなくて)フランス文学のほうに見たなとおもってさがしてみたが、これは見当たらず。それできょうはほかのところはほとんど見ずにはなれ、先ほど行ったときにわすれていたのだけれど岩波文庫渡辺守章訳のマラルメも買うつもりだったので文庫の場所にもどり、籠に入れるとこれで会計するか、となった。レジへ。研修生という札をつけた女性があいてをしてくれたが、研修中のわりに堂々としておりこなれていた印象。むしろこちらのほうが客としてふさわしくほがらかにふるまうことがあまりできなかったくらいだ。紙袋に八冊を入れてもらった。

・石川学『理性という狂気 G・バタイユから現代世界の倫理へ』(慶應義塾大学教養研究センター選書、二〇二〇年)
・土田知則『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社/フィギュール彩101、二〇一八年)
・ジェニー・オデル/竹内要江訳『何もしない』(早川書房、二〇二一年)
・ロドルフ・ガシェ/吉国浩哉・清水一浩・落合一樹訳『読むことのワイルド・カード ポール・ド・マンについて』(月曜社/シリーズ・古典転生24、二〇二一年)
ステファヌ・マラルメ/柏倉康夫訳『詩集』(月曜社/叢書・エクリチュールの冒険、二〇一八年)
渡辺守章訳『マラルメ詩集』(岩波文庫、二〇一四年)
ポール・ド・マン中山徹・鈴木英明・木谷厳訳『ロマン主義と現代批評 ガウスセミナーとその他の論稿』(彩流社、二〇一九年)
ポール・ド・マン/山形和美・岩坪友子訳『ロマン主義のレトリック』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス604、一九九八年/新装版・二〇一四年)

  • そうしてエスカレーターへ。くだっていき、退館して高架歩廊のとちゅうに出る。来たときとは反対側から駅にもどることにした。眼鏡効果で強化された視覚でこちらを追い抜かしていくひとのうしろすがたをじろじろ見ながらあるく。駅舎にはいり、改札を抜けて二番線へ。先ほど買った葡萄ジュースがすこしだけのこっていたので自販機の脇で飲み干して捨ててしまい、それからベンチにすわって書見をはじめた。来た電車に乗ってからも同様。街に出てそこそこうごいたので疲労感はあり、あたまもかたいようになって頭痛までは行かないひっかかりがあったが、休むよりも本を読みたい気持ちがまさった。ページを行ったりもどったりして文字を追いながら過ごし、乗り換えをはさんで最寄り駅まで。そのあとの帰路は特に記憶がない。
  • その後の夜もなにをやったのかとりたてて記憶がなく、記録としてものこっていないのでたぶんずっとだらだらしていたのではないか。注射された左腕は次第にけっこう痛くなってきて、この翌日は腕をあげなくともふつうにうごかすだけでも痛かったし、からだ全体としてもこの八日の終わりくらいから痛みはじめたはず。しかし熱は、はかっていないが体感としてはないようだった。

2021/10/7, Thu.

 彼の手は忙しく筮竹をあやつり、彼の目は食い入るように爻を見つめた。これまでにもう何度ジュリアナのことで易に問いかけたことだろう? さあ、卦が出たぞ。植物の茎の受動的な偶然の作用によって生まれたパターン。それはランダムではあるが、しかし、彼の生きているこの瞬間、彼の生命がこの宇宙のすべての生命と粒子とに結ばれあったこの瞬間に根ざしている。必要な卦は、つながった線と二つに切れた線の組み合わせで、この瞬間の状況 [﹅2] を表わす。彼、ジュリアナ、彼の勤めていたゴフ通りの工場、通商使節団の支配、惑星の探査、もはや死骸とすらいえない十億もの化学物質の塊が累々と横たわるアフリカ、このサンフランシスコの掘立小屋の街に住む人びとのさまざまな願望、冷静な顔で狂気の計画をめぐらしているベルリンの狂った怪物ども――それらのすべてが、この瞬間の筮竹の動きとつながって、一冊の書物の中からこの場にふさわしい適切な知恵を選び出すのだ。紀元前十三世紀に始まり、中国の賢人たちが五百年をかけて篩いわけ、磨き上げて作り出した書物。その幽玄な宇宙論――と科学――は、ヨーロッパがまた長除法も知らない時代に、すでに体系化されていたのだ。
 (フィリップ・K・ディック浅倉久志訳『高い城の男』(ハヤカワ文庫、一九八四年)、26)



  • 一一時五分ごろ離床。きょうは曇り。きのうの夜に雨がすこし降ったが、その路線がつづいている。水場に行ってきてから瞑想。深呼吸をしばらくくりかえしたのち、自然な呼吸にまかせてしずかにする。そとで(……)さんの家にだれか女性がやってきていて、たぶん奥さんとはなしているらしく聞き取れたが、おおきな声でよく笑いくだけた口調のそれにおぼえがあって、(……)ちゃんのことを(……)と呼び捨てているところからして母親の(……)さんかとわかった。食べ物かなにかを持ってきたような会話だった。
  • 一一時四五分くらいまで瞑想し、上階へ。冷凍食品のナポリタンなどで食事。新聞は文化面。與那覇潤が『平成史』という本を出したと。平成時代を「子どもの成熟」としてとらえるものらしい。七〇年代あたりから進歩や発展の観念を基盤としたいわゆる戦後の行き詰まりがあらわになってきて、八九年のソ連崩壊および昭和天皇崩御が決定的になり、それはいわば父の死のようなものだったと。その後の平成はまあ子どもとして好き勝手自由にやればいいじゃないかという雰囲気が基調となり、他方であらたな父的依拠点や説得的な物語の構築を都度にこころみたもののうまく行かず、平成の終わり頃にはそれが常態化して閉塞とか疎外をもたらした。父の死もしくはその否定というのはじぶんに先行するものを受け入れないという姿勢とパラレルで、学問の方面でも先行研究を全否定するようなあまりにも「子どもっぽい」態度が見られるようになったらしい。そうした時代風潮には浅田彰がとなえたいわゆる「スキゾ・キッズ」の観念も影響をおよぼしたと。いまはさらにそれがすすんで一種の刹那主義にいたっているというか、現在と地続きであるはずの過去をそんなものはどうでもいいと無視し、いまが良ければいいとして確固たる基盤のない短期的な視点にとらわれる傾向がひろくはびこっており、たとえばSNSで突発的に盛り上がってすぐに消える抗議運動などにもそれがあらわれていると。こういう言説は非常によくいわれるはなしで、インターネットが普及したことで先行する過去の物々や情報が膨大なアーカイブと化し、それに自由にアクセスできるようにはなったものの、それはあくまで無方向的な集積なのでそこから準拠点を見つけたりとか、文脈を踏まえて理解したりとか、統一的な物語をつくりだすことがいまの人間(若者)にはむしろむずかしくなり、つまみ食いのようにしてところどころ単発的にひろいあげては消費するだけになっている、みたいなとらえかたはほかでも目にしたことがある。図式的にながれを要約すると、冷戦とかマルクス主義とか高度経済成長とかもろもろの父的枠組みがまだ強力に存在していた昭和時代にはとうぜんひとはその父的物語のなかにとらわれ、そのながれに制約を受けつつおのおのそれとの緊張関係をかかえ負わされた責任を引き受けながら折り合いをつけてやっていく。平成になるころにはその父的枠組みが失効し、同時にそのまえから枠組みに規定されず多所を(他所へと)移動しまわり分裂的に振る舞うことをとなえるかんがえかたが登場したので、父的責任から逃走し、いわば放蕩息子として自由にやる風潮がたかまり、社会の子ども化がすすんだ。しかしそれはあくまでもそれ以前の父が課してくる重力への反抗としてあったはずで、だからこの時点でもまだ父的観念(いわばその亡霊)は強固に作用しており、子どもはとうぜんながら父の影にとらわれている。令和の現在になるとそうしたオブセッションすら希薄になって、海のごとく無方向的なアーカイブ空間のなかでときにたまさか接近してくる餌を捕食しながらたゆたうクラゲのように、非常に拡散的でかたちをなさない根無し草の様態がつよくなってきている、というようなことではないか。こうした見方にどれだけ有効性があるのかわからないが、新聞記事の紹介を読んだかぎりでは與那覇潤のこの本はいかにも批評家的な時代のとらえかたをかたったものらしいという印象。実証に寄った歴史学者と、より抽象的な思考をする思想家のあいだで、社会にひろくただよっている漠然とした雰囲気とか風潮とか精神傾向のようなものをつかもうとするしごと、ということ。じっさいこの本でも思想家をとりあげた部分もあるらしく、丸山眞男とか江藤淳とか、平成以前の思想家がいまでも現在をかんがえるさいの過去の準拠点として有効だということを再確認しようという企図もふくまれているらしい。丸山眞男はともかくとしても、江藤淳とか浅田彰あたりはアカデミックに手堅い研究者としての歴史学者はたぶんまず口にしないなまえだろう。
  • その左には香月泰男についての記事があったがこれはまだ読んでいない。食器をかたづけ、風呂もあらって茶とともに帰室。ウェブをちょっと見ながら一服したのち、きょうのことをここまで記述。もう二時だ。

Abolitionists believe that incarceration, in any form, harms society more than it helps. As Angela Davis argues, prisons are an obsolete institution because they exacerbate societal harms instead of fixing them. “Are we willing to relegate ever larger numbers of people from racially oppressed communities to an isolated existence marked by authoritarian regimes, violence, disease, and technologies of seclusion that produce severe mental instability?” Davis has written. Even if we were to greatly diminish the current prison population, even if we were to cut it in half but keep the prison complex intact, we would still be consigning millions of people to isolation and violence—and that’s a form of inhumanity that abolitionists can’t abide. Moreover, Davis contends, mass imprisonment “reproduce[s] the very conditions that lead people to prison.”

Abolitionists don’t stop at the prison walls, however: They aim to reshape our society as a whole. We are not doing nearly enough to address the root causes of poverty, addiction, homelessness, and mental-health crises, abolitionists contend, and criminalizing poverty through harsh fines and debt regulation; criminalizing addiction through drug laws; criminalizing homelessness by conducting sweeps of people sleeping in parks; and criminalizing mental illness by turning prisons into de facto psychiatric hospitals is all treating the symptom instead of the disease. This is one of the key differences between reform and abolitionism: The former deals with pain management and the latter with the actual source of the pain.

     *

The three pillars of abolitionism—or the “Attrition Model” as the Prison Research Education Action Project called it in their 1976 pamphlet, “Instead of Prisons: A Handbook for Abolitionists”—are: moratorium, decarceration, and excarceration.

The first step, moratorium, is simple: “Stop building cages,” is how Critical Resistance co-founder Rachel Herzing described it. According to a Congressional Research Service report, “the number of state and federal adult correction facilities rose from 1,277 in 1990 to 1,821 in 2005, a 43% increase.” Five hundred and forty-four new facilities in 15 years works out to about one new prison opening every 10 days. (Since the 1970s, there has been at least a 700 percent increase in the state prison populations.) Though prison construction has slowed since, new prisons are still being built, and immigration detention has seen yet another construction boom since Trump took office.

     *

A bit more complicated is the second step—decarceration—which involves finding ways to get people out of prison. According to abolitionists, a lot of people in prison right now represent no threat to society, and therefore shouldn’t be languishing behind bars. In states that have legalized marijuana, for example, it’s particularly cruel to still be keeping people in prison for possessing marijuana. The Drug Policy Alliance estimates that there have been about 350,000 arrests for marijuana in California in the past 10 years (medical marijuana, meanwhile, has been legal in that state for over two decades, and recreational use is now also legal), and a total of 1 million people have reviewable convictions. The New York Times also recently reported that, despite what seems like a national relaxation of arrests and convictions for marijuana use, black and Hispanic residents of some parts of New York City are arrested at a rate 15 times higher than that of white people—for the same “crime.” Other decarceration strategies include creating review processes to reevaluate sentence terms, recognizing that many people are given long stints for petty crimes—especially under many states’ three-strikes rules.

Excarceration strategies—the third abolitionist pillar—could potentially be the most transformative for society: These involve finding ways to divert people away from the prison-industrial complex in the first place. According to abolitionists, many of the reasons people end up coming into contact with law enforcement can be solved through more humane means. Decriminalizing mental-health episodes, fighting homelessness, or decriminalizing drug use are three clear ways to keep people from getting pipelined towards prison. And for abolitionists, we don’t just stop at decriminalization: Adequately funding mental-health treatment, providing housing for those in need, and offering adequate rehabilitation services for people with substance dependence are all critical. As author Alex Vitale told me, “Housing-first initiatives for homeless people—that is police reform.”

     *

But what about those acts of extreme violence—what to do with people who have committed rape or murder? How should such truly harmful transgressions be handled in a post-prison world? According to abolitionists, one solution may be a process called restorative justice.

Through restorative justice, offenders are expected, as Vitale describes, “to fully account for their behaviors in dialogue with the individual and communities affected by their actions.… They must then work with those parties to develop actions to try to repair the damage done as much as possible.” The process is restorative because the goal is to restore the victim, their community, and the offender, to how they were before the transgression occurred. As Crispino put it to me, “People who commit violence are hurt by the violence they commit,” and therefore need to be part of any process that seeks to find justice for that violence.

One step further than restorative justice is transformative justice. Crispino defined this concept as asking the offender what in their life has led them to commit the act, and what we all can do to change those conditions. Through either restorative or transformative justice, the systemic analysis takes the place of individual interrogation and punishment.

These processes are hardly new: Abolitionists trace the roots of restorative justice back to a wide variety of indigenous and religious practices such as the Mohawk Nation of Akwesasne band council in Canada, which has established a indigenous people’s court according to Mohawk principles. As Bonni Cole, an indigenous prosecutor, explained, “It’s not just looking at penalizing… that’s old thinking—that’s outside thinking.” Likewise, the Jewish practice of Teshuva, or atonement, has been linked not only to punishing the offender but also to a holistic reparation of the relationship between offender and victim. Another Canadian indigenous people, the Mnjikaning, avoid the terms “offender” and “victim” altogether, focusing instead on the behavior of the individuals and how it impacts the community.

Restorative justice is being tried out in some schools as well, with districts from Oakland to Denver adopting some restorative practices, which are already showing promise.

     *

Even with instances of egregious abuse, as during Guatemala’s long Civil War, restorative justice pushes as much for bringing the offenders to justice—including airing out the crimes through truth-and-reconciliation processes—as for reparations for the victims and their communities. And though the outcome of Guatemalan efforts has been mixed, the restorative-justice model has brought in traditionally ignored voices (promoting women and indigenous lawyers) and has at least spotlighted decades’-old institutional harms that might otherwise have been overlooked or forgotten in sweep-it-under-the-rug amnesty bills. Guatemala’s Commission for Historical Clarification, as well, though slow and with wavering results—such as the nullification of a genocide conviction against the late war criminal Efraín Ríos Montt—has kept the harms of the conflict in the foreground—a key to healing.

It may be hard to imagine a victim of a violent transgression sitting down for a discussion with the perpetrator, but according to Vitale, there are many situations in which the victim or the victim’s family has actually been more fulfilled by a restorative process, or feel they have attained greater justice through restorative-justice models. An obvious benefit of the restorative model is that it takes account not just of the singular event, but the structural problems surrounding and leading up to the offense.

  • 二時にいたったあとはきのうのことを書きつづったはず。その後、「読みかえし」、書見といつもどおりのルーティンだったとおもう。特段の記憶もないので五時に飛ぼう。きょうの夕空は真っ白で一面がまったくすきまなくおおいつくされており、どこをとっても差異もかたちも見受けられず、露出した空の地の青がそのまますべて白におき変わったかのようだった。それ以降、職場までの道行きは忘却。
  • (……)
  • (……)帰路もはぶく。帰り着いて服を脱ぎ、ベッドにころがってやすんでいるあいだ、耳鳴りに気づいた。左耳で鳴っており、さいしょはパソコンか電灯から発されているノイズかとおもったのだが、立ち上がって移動しても変化しないし、明かりを消しても同様だったのでじぶんの耳において鳴っているものだと確定された。あたまの角度によって半音下がる。そんなにおおきな音ではないし、痛みや苦しみもなにもないが、地味に鬱陶しいものではある。その後疲労から回復するとともに音量がやや下がり、またあたまの角度によって消えるようにもなったのだがこの日はずっとつづき、この文章を書いているいま、一〇月八日の午後一一時現在もつづいている。こんなにながくつづくのははじめてだとおもう。突発性難聴というやつだろうか。めまいはないが、もしかしたらやばいのかもしれない。それにしても耳鳴りというやつはずいぶんと音程がはっきりしており、それが基本的に変化せず、途切れもせずにずっと持続するので機械が生み出している電子音のようだ。倍音をともなうばあいすらあり、いまは三度の音をメインにしてたまに一度がうすく聞こえることがあるし、昨晩は一度と五度の二音が聞こえていた。
  • 夕食のために上階に上がり、天麩羅を電子レンジに入れてまわしているあいだにトイレに行って放尿をはじめたのだが、するとそとを車がとおりすぎていくひびきの直後に窓がガタガタ鳴って、風が吹いたのか、車が起こしたのかと錯覚しかけたところでもういちどガタガタいったので、地震だなとわかった。ようすをうかがいながらも放尿をとめずにいると、まもなく正式な揺れがやってきて室がけっこう揺らされた。小便を終えてもまだすこし揺れがのこっていたのでまたちょっと気配をうかがい、とまったと判断されると水をながした。出て風呂場の母親のところに行き、扉越しに大丈夫だった? と聞くと、地震? とかえるので、けっこう揺れたなとこたえて居間にもどり、テレビをつけて情報を見た。震源は千葉県、埼玉の南部と足立区が震度五強とつたえられ、その後、二三区も震度五強とつけくわえられた。足立区は(……)さんの住んでいる区なので、大丈夫かなとおもった。我が家のあたりは地盤も硬いとよくいわれているし、近年ではいちばんおおきい揺れかただったとおもうが、たぶん震度四くらいだっただろう。
  • 夕食中に読んだ新聞記事をおぼえていない。風呂を出たあとはThe Nationの記事を読んだり、神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)を書き抜いたり。Amazon MusicをGilad Hekselmanで検索するとStephy Haik『The Longest Mile』という女性ボーカルの作品が出てきたのでそれを聞くなど。

2021/10/6, Wed.

 ちくしょう、なんてことをしやがったんだ、と彼は思った。死に絶えた部族の亡霊たちが浮かばれないぞ。彼らが抹殺されたのは、なんの国を作るためだ? だれにわかる! ベルリンの大建築家どもさえ、ひょっとしたら知らないかもしれない。自動人形の集団が、せわしなくなにかを建設している。建設? いや、磨り減らしだ。古生物学の陳列室から抜け出したような人食い鬼どもが、敵の頭蓋骨から茶碗を作る仕事に熱中している。一族ぜんたい(end22)が、まずその中味を――脳みそを――せっせとすくいとって食べる。つぎに、足の骨から便利な食器類を作る。自分の嫌いな人間を食べるだけでなく、その頭蓋骨を器にして食べようと思いつく、このがめつさ! 技術者のさきがけ! ベルリンのどこかの大学の実験室で、消毒ずみの白衣を着た先史人類が、人間の頭蓋骨や、皮膚や、耳や、脂肪にどんな利用法があるかを研究している。はい、先生 [ヤー ヘル・ドクトル] 。足の親指の新しい使い道です。ほら、この関節をすこし改造すれば、すばやく火のつくシガレット・ライターのメカニズムになります。あとは、クルップ閣下がこれを大量生産してくだされば……。
 (フィリップ・K・ディック浅倉久志訳『高い城の男』(ハヤカワ文庫、一九八四年)、22~23)



  • 九時台に覚め、それがだいぶ軽い調子の覚醒だった。からだのこごりがすくなかったのだが、しかし起き上がるまでにはいたらず、ちょっとまどろんだあとこめかみなど各所を揉んで、一〇時一五分ごろ起床。よろしい。水場に行ってきて瞑想をした。しばらく深呼吸をくりかえしてからだをほぐしたあと静止。きょうも晴れ晴れしいかがやきの日で、くわえてきょうは風が盛んですわっているあいだ窓外のネットにからんだゴーヤのしなびた残骸がバサバサ鳴らされ、それが耳かあたまの至近に、皮膚に触れてくるかのように聞こえる。一一時まえまでおこなってうえへ。両親は出かけるらしい。きのう母親が、タイ料理だかベトナム料理の店に行こうと父親をさそっていた。ハムエッグを焼いて米に乗せ、それと豚汁の残りで食事。新聞一面は真鍋淑郎というひとがノーベル物理学賞をとったとおおきく報じている。また、岸田内閣の支持率が五六パーセントとも。国際面を見るといわゆる正義連の代表だった尹美香の起訴状があきらかになり、慰安婦への募金を焼肉店やマッサージ店の支払いとか、所得税の支払いとかに私的流用していたうたがいだと。団体の口座もほぼ私物化していたようなかんじらしい。ほか、バイデンがインフラ法案をめぐって党内の分裂をまねき、指導力の欠如を批判されて苦慮していると。バイデンは肝いりのインフラ法案を成立させようと意気込んでいたのだが、そしてじっさい上院(五〇対五〇)ではすでに可決されていたのだが、下院(定数四三五のうち民主党は二二〇)にうつったところで党内の左派が、三・五兆ドル規模の気候変動対策財政支出法案をここであわせて成立させるべきだと主張しはじめ、それにたいして中道派が、そこまで大規模な支出をおこなう根拠となるような緊急性はいまない、せいぜい一・五兆ドルだと反対して状況が膠着し、左派も折れずに気候変動対策とあわせなければインフラ法案への賛成はしないとこだわっているらしい。ナンシー・ペロシはもともと九月末までにインフラ法案を成立させると宣言していたがそれでうまく行かず、一〇月末と期限を再設定したものの果たして、と。
  • 食器を洗い、風呂もあらうとベランダに出て陽を浴びた。きょうも暑い。雲のかすかな空は色濃い青さで、風がやはり絶えずおどって林や周辺の木の葉をしゃらしゃらいわせている。氷を入れた水をもって帰室。きのうのことをひとことだけ足して投稿し、そのあと、なにはともあれ手の爪が伸びていてかたい感触が嫌なのでまずはそれを切ることにした。窓を閉めて竹内まりや『LOVE SONGS』をながし、処理。そのまま「読みかえし」ノートをいくらか読み返したが、やはり窓を閉ざしているとだいぶ暑い気候である。それからデスクをはなれてきょうのことをここまで記し、一時をまたいだ。きょうは三時には出なければならない。
  • とおもっていたのだが、けっきょくまた四時まえの電車で行った。余裕はだいぶなくなるが、三時過ぎだとやはりはやすぎて、それだったらもうすこしべつのことに時間をつかいたいとなる。帰宅後はめちゃくちゃなまけて特段のことをしなかった。出勤まえにポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)をほんのすこしだけ読み、三時四〇分ごろ出発。午前はあれほど晴れていたのに二時あたりからにわかに曇りだして、このころには空はすべて白さにおおわれてその統制から逃れられた一片もなかった。下の道のとちゅうで(……)さんが道端の段にこしかけ、なにをするでもなくただそこにいたのであいさつ。むかいでは飼っているちいさな犬がつながれずにすわっていたので、たぶん毎日こうしてそとに出してしばらく過ごしているのだろう。坂の中途には、活発な風によって折られたのだろう、長めの枝が何本か落ちてころがっており、蛇が固形物に変身したかのような、あるいは抽象化されて形態のみとなったかのようなかんじだった。やや不穏な色に曇った空を見上げながら、ということは昼間のあの風は雨の先触れだったのか? すくなくとも雲を連れてくるものではあったらしい、とおもったが、じっさい夜には雨がすこし降った。駅のホームに立つと風が右から、すなわち東から盛んにながれて足もとに置いたバッグがすこし揺れるくらい、前髪も左端に寄せられ線路脇の草もなびいて音を吐き、大気には墨の色味がだんだんと混ざってきており、夕刻のおとずれを一時間ばかり先取ったような雰囲気だった。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • その後はとくにこともなし。