2023/4/12, Wed.

 断片とは、私たちは知っている、ロマン派の無限の約束であり、いまだ有効な近代の理想である。詩はそれ以来他の文学ジャンルに例を見ないほど、雄弁な空虚、投影に養分を与える空白と結びついている。幻肢と同じく「…」はまるで単語と癒合したかのように、失われた完全性を主張する。もしサッフォーの詩が無疵であったなら、かつて派手な色に彩られていたという古代の彫刻作品と同様に私たちは違和感を覚えることだろう。

 残された詩と断片は非常に短く、互いに脈絡もなく欠損しており、全部合わせてもせいぜい六百行ほどだ。計算によると、残されているのはサッフォーの作品の約七パーセントだという。これまた計算によると、全女性の七パーセントが女性にのみ、もしくは主として女性に魅力を感じるというが、ここに相関関係があるのかどうかは、計算によって証明することはできないだろう。

 文字の歴史には、未知のものや未定のもの、不在のもの、失われたもの、空白、無を表す代替記号が知られている。古代バビロニア穀物記録に記された〇(ゼロ)、代数方程式におけるx(エックス)の文字、発言が不意に中断される際の――。

…    …     …/羊飼い  欲望    汗/…    …     …/…の薔薇…/…

 絶句法、すなわち発言を中断する技法は、私たちは知っている、修辞上の文彩 [あや] である。偽ロンギノスもまた彼の崇高論の中でこれを取り上げたはずなのだが、不注意な図書館員や製本工のために、そ(end127)の部分は失われてしまった。途中で話を止める人、つかえたりどもったりし始める人、急に黙り込む人は、感情に圧倒され、その感情のあまりの大きさにただただ言葉を失うしかないのだ。省略記号はすべてのテクストに、言語化しえない感情、与えられた限られた語彙の前にひれ伏す感情の、あの大きな漠然とした世界への扉を開かせる。

…私の愛しい人…

 私たちは知っている、エミリー・ディキンソンが友人にして後に義姉妹となるスーザン・ギルバートに宛てた書簡を出版するにあたり、姪のマーサ、すなわちギルバートの娘が、その中に含まれる一連の情熱的な部分をとくに明示せずに削除したことを。こうして検閲された文章のうちの一つ、一八五二年六月十一日の手紙はこのようなものだ。「あなたがここにいたなら――ああ、あなたがここにいてくれたなら、私のスージー、私たちに言葉はいらない、私たちの目が、私たちの代わりにささやいてくれる。あなたの手を私の手の中にぎゅっと包んでいれば、話さなくたっていい」

 言葉を介さない盲目の理解は、言葉を尽くした無限の感情の誓いと同じく、恋愛詩の不動のトポスだ。判読しうるかぎり、サッフォーの言葉はきわめて誤解の余地のない、明確なものである。それは思慮深いと同時に情熱的に、すでに滅びてしまった言語、翻訳するたびに甦らせなければならない言語でもって、二十六世紀たったいまも何らその強度を減じていない天国的な力について語っている。人をまるで無防備にし、両親も配偶者も、わが子さえ捨てさせる欲望の対象へと、一人の人間が突然の不可思議な、残酷なまでの変化を遂げるのである。(end128)

エロスがふたたび私を揺さぶる、四肢を溶かす者が/苦くて甘い、屈服させがたい爬虫類

 私たちは知っている、古代ギリシャ人にとって、当事者同士が同性か異性かによってその欲望を区別する考え方は馴染みのないものであったことを。むしろ決定的なのは、性行為における役割が当事者の社会的役割に対応していたことである。成人男子は性的に能動的に振舞い、一方若者や奴隷や女性は受動的な役割を演じた。この支配と服従の行為を分けるのは男か女かではなく、侵入し所有する側か、侵入され所有される側かということであった。

 サッフォーの現存する詩において男性が名前入りで登場することはないのに対し、女性の名前は数多い。アガリス、アッティス、アナクトリア、アナゴラ、アバンティス、アリニョータ、アルケアナッサ、エイラナ、エウネイカ、ギュリンナ、クレアンティス、クレイス、ゴルゴーン、ゴンギラ、ディーカ、テレシッパ、ドリチャ、プレイストディカ、ミカ、ムナシス、ムナシディカ、メガラ。彼女たちこそ、サッフォーが優しい献身や炎のような欲望、熱い嫉妬や氷のような軽蔑をこめて詠ったものだ。

 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、127~129; 「サッフォーの恋愛歌」)



(……)トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山(下)』(新潮文庫、一九六九年)。510くらいから。のちにも読んでいま600すぎ。メインヘール・ペーペルコルンのはなしがつづいていたが、かれは死に、ショーシャ夫人もふたたびこの地を去る。ハンス・カストルプはこのふたりとそれぞれ独立の対話をして、その両方と、もうひとりのために「同盟」や「盟約」をむすぶ。ショーシャ夫人とはペーペルコルンのためによいお友達になり、ペーペルコルンとはショーシャ夫人のために「兄弟」になる。後者との対話のときにはじぶんがかのじょのいぜんの「愛人」(といってもじっさいには謝肉祭の夜にいちど、ハンス・カストルプが熱情に暴走して乱痴気的にはなしをしたにすぎないのだが)だったことをペーペルコルンに看破され、ことの経緯をはなすにいたる。おなじあいてをめぐる恋敵であるふたりが「兄弟」の盟約をむすんで和解したあとそのいっぽうが死ぬというのは、それじたいとしてはありがちな、予想される物語のはこびである。このそれぞれの対話においてペーペルコルンとクラウディアは、おなじことがらについてほぼ同一のことばづかいをしており、対称的(「対照的」ではない)なえがかれかたをしている。ふたりとも、もうひとりが不在のところであいてについてはなしをするのに気が引けている(529: 「ねえ、こんなふうにあのひとの噂をするのは、いけないことじゃないかしら」 / 556: 「あのひとのことをこんなふうにして噂するのは、いけないことではないでしょうか」)。ふたりとも、「同盟」もしくは「盟約」にかんしておなじかんがえをもっている(532: 「あたしたちもお友だちになりましょう、あのひとのために同盟を結びましょうよ、普通なら誰かを向うに回して同盟するんだけれど」 / 564: 「(……)あなたにお与えすることのできない償いを、私はあなたにこういう形で、兄弟の盟約という形ではたさせていただきたい。盟約というものは、普通は第三者、世間、あるいはある人間に対抗して結ばれるものですが、私たちはそれをあるひとに対する気持の上で結ぶことにしましょう」)。ハンス・カストルプからみたこのふたりへの関係には、対照的な側面もまたみうけられる。カストルプは、ショーシャ夫人には「あなた」ではなく「君」と呼びかけたいものの、夫人じしんにはそれをいやがられており、また恋心がばれていなかった段階ではペーペルコルンのてまえそうすることができなかった。いっぽう、兄弟の盟約をむすんだペーペルコルンはたがいに「君」呼ばわりをするようもとめるが、カストルプのほうではそれに気が引けている(568にその対照は明言されている)。ペーペルコルンはみなで滝の見物に遠乗りしてでかけたその夜に自室で自殺するのだが、かれの死は、自殺とは予想されないにせよ、病状の悪化への言及によってまえもって用意されており、またその当夜においても、「その夜、ハンス・カストルプの眠りが浅く短かったのは、自分ではまったく意識してはいなかったのに、何事かを心の中で待ち設けていたからであろうか」(586)と入り口をあきらかに舗装されている。ペーペルコルンが死んだところまでで説話としてはひとくぎりし、節がかわるとともに終演にむけてあらたな幕がはじまったというおもむきになって、ショーシャ夫人もいつのまにか去っているのだが、その別れは、「クラウディア・ショーシャがあの偉大なる敗北の悲劇に打ちのめされて、パトロンの生き残った親友ハンス・カストルプと慎み深く遠慮がちに「さようなら」をいい合って、ここの上のひとたちのところからふたたび去っていってしまって以来」(599)と、事後的に、ことのついでといった調子でわずか四行にまとめられているのみであり、ロマンティックな調子は皆無である。のこりは二〇〇ページ弱である。これいこうにかのじょへの言及があるのかどうかわからないが、カストルプをあれほどながいあいだ動揺させてきた恋と欲望の幕引きはじつにあっさりと、冷酷なほどにあっけらかんとしており、そのことには好感なのかなんなのかわからないが、なにがしかの印象をのこされる。

  • ニュース。

(……)新聞でウクライナ情勢を追う。すでにきのうかおとといみていたが、シリアで市民の無差別殺害を指揮した人物がウクライナ侵攻作戦の総司令官に任命されたと。ウクライナ検事総長によれば、キーウ近郊ではいまのところ一二〇〇人超の犠牲者が発覚している。また激しい市街戦がつづけられているというマリウポリでは、市議会がSNSに発信した情報によれば、ロシア軍が市民を殺害しており、その被害はすくなくともブチャの一〇倍いじょうにのぼるだろうということ。三五〇〇人は超えるということである。プーチンオーストリアの首相と会談。オーストリアは軍事的には中立をたもっている国だというが、侵攻にかんしてはやめるべきだと明言している。

フランス大統領選の第一回投票が一〇日におこなわれたが、事前の予想どおりマクロンが首位でル・ペンが次点。決選投票は二四日で、接戦が予想されており、このあいだ新聞でみたときには五二パーセント対四八パーセントくらいでマクロンが上回っているということだったが、ル・ペンが大統領になる可能性もふつうにある。前回も同様にこのふたりで決選になりつつもマクロンが六六パーセントだかをとって圧勝だったというから、ル・ペンはれいの「脱悪魔化」などと呼ばれているハード路線封印によって着々と支持をあつめており、今回マクロンが勝つとしても次回どうなるかはわからない。フランスで国民戦線(いまは国民連合だが)の大統領が生まれれば、ハンガリーやらポーランドやら東では右傾化している欧州のなかで、西にもおおきな楔がうちこまれることになる。

  • 天気。この時期から箇条書き方式をやめて段落と行開けの形式にしているが、これはどれくらいつづいたんだっけか。越してきて体調がふるわなくなってから、やっぱり箇条書きのほうがじぶんにあっている気がするとなってもどしたのが数か月まえだったはずだが。

 きょうは日中ずっとかなり暑くて、六月並みの陽気ときいたおぼえがあるが、たしかに空気の感触や外空間の気配は夏のてまえといった風情で、昼過ぎにねころがって書見しているあいだ、ベッドに接している南窓もベランダにでられる西窓もひらいて風をとりこんでいた。花粉の影響はかんじられなかった。読んでいるあいだにたびたびながれはうまれて、ときに風がそとのものにふれるひびきをともないながら二方のカーテンが、おおきくではなく半端なように、ふくらむまでいかずみじろぎ程度にもちあがって、左右にちょっとだけふりふりとひねるように襞のあいだの各所がぎこちなくうごいたが、カーテンがもちあがらないほどのながれでも、おそらく棕櫚の葉らしく窓外ちかくからパタパタとかるくたたくようなおとはきこえた。
 五時一五分ごろに上階へ行ってアイロン掛け。あいまにソファの側面に両手をつきながら前傾しつつ前後に開脚して脚のすじを伸ばしたが、そうしてみえる南窓のガラスのむこうの空は淡いみずいろ、みずいろとすらいえないようななめらかな淡さが一点の障害もなくただただひろがっており、夕刻をむかえてひかりを減らした青空はさらさらとしたむき身の風情、皮をはがれて果肉をあらわにしたくだもののように清らかだった。

  • (……)さんのブログから。以下、おもしろい。

 (……)さんは「中国スゴイ!」系の网红らについても言及した。このひと知っていますかといいながらスマホの検索バーに表示されている「矢野浩二」という文字をみせるので、あ、中国に来てから知りました、日本にいたときはまったく知りませんでしたけどといった。日本では有名ではないですかというので、たぶんほとんどの日本人は知らないんじゃないですかねというと、中国ではいちばん有名な日本人です、彼は「中国スゴイ! 中国スゴイ!」といって成金になりましたというので、笑った。そこから(……)さんと(……)さんの悪ふざけがはじまった。たぶんビリビリ動画や抖音上にいる「中国スゴイ!」系の外国人の物真似だと思うのだが、こんな大きな建物東京では見たことない! とか、なんて便利なシステム、なんて優れたテクノロジーなんだ! とか、中国は世界でもっとも偉大な国だ! とか、そういう紋切り型のセリフを日本語と中国語と英語でそれぞれ口にしまくったあげく、われらが国家主席は偉大だ! 世界でもっとも優れた指導者だ! 彼のような人物のいる国に生まれたことを感謝している! などと言及の対象がしだいにやばい方向にずれこみ、最終的に、Xi is the gift from God! と(……)さんがクソニヤニヤしながらぶちあげたので、これには爆笑してしまった。と同時に、日本語であればまだしも、英語はけっこう周囲にも理解できる人間がいるかもしれないので、こんな冗談言っててだいじょうぶなのかよとちょっと心配にもなった。(……)さんも(……)さんもこちらと同世代、ということは(……)先生とも同世代、ということは改革開放の恩恵をもっとも受けていた世代のひとであり、かつ、大学で外国語を勉強し留学もしていた人物であるから、やはり現政権にたいしてはかなり批判的なようす。現政権を批判する暗号として(……)さんが簡単な中国語のフレーズを教えてくれた。簡単といいながらこちらには理解できなかったのだが、彼の説明から察するに、日本語でいうところの「バックします、ご注意ください」というトラック音声のようなものらしい。政治体制が皇帝時代に逆行していることを揶揄する言葉として地下で流通しているとのこと。なるほど。

  • したはわかりやすい。

 欲求が要求に変わる瞬間、ひとつの離接が導入される。私たちは自分自身を言語によって表現しなければならないという事実のため、欲求が要求のなかで十分に表現されるということは決してない。私たちの欲求は、他人に向けられた要望や要求のなかで、決して完全には表現されない。その要望や要求は、つねに、欲望されるべき何かを残す。つねにひとつの残り物があり、ラカンはその残り物を「欲望」と呼ぶ。(…)
 解釈されたものとしての私たちの要求は、私たちが欲するものすべてをもれなく説明したり、カバーしたりしない。また、〈他者〉が私たちの要求への応答のなかで与える様々な対象が、私たちを十分に満足させることもない。幼いクマは、母グマに食べるべき蜂蜜を与えられれば、自分自身でがつがつと食べ、居眠りし、満ち足りる。私たちは、要求する毛布を母から受け取っても、車や、人形や、世界支配を夢見る。私たちにはつねに、さらに欲望すべき何かがある。私たちは、自分自身がさらなる何かを欲していることを見いだすが、しかし、その欲を満たしてくれるもの、その欠如を埋めてくれるものは何だろうか。(…)
(…)
 その問いに対するラカンの最初の答えは次のようなものだと思われる。すなわち、ひとりの主体として私が欲するのは、〈他者〉による承認であり、この承認は〔〈他者〉によって〕欲されること、というかたちをとる。私は欲されたい。欲されるために、私は〈他者〉が欲するものを知ろうとする。それを知れば、私は、〈他者〉が欲するものになって、欲されることができる。私は、私に対する〈他者〉の欲望を欲望するのである。幻想を表すマテームのなかの対象aは、ある程度まで、私に対する〈他者〉の欲望として理解することができる。かくして、私は、私の幻想のなかで、私に対する〈他者〉の欲望との関係における自分自身を、想像するのである。
 どうすれば私は、〈他者〉に欲してもらえる、あるいは欲望してもらえるのか。〈他者〉(たとえば両親)が欲するものを知ることができれば、私はそれになろうとすることができるだろう。私の両親は何を欲しているのか。この問いが、〈他者〉の欲望を探求し続け、探り続けるよう私を導く。私は、自分自身の欲望(それが何であれ)を知ることでは飽き足らず、〈他者〉に、「あなたは何を欲するのか」と尋ねる。私の考えでは、このように尋ねることは、欲されるために「私は何をするべきなのか」、「私は何であるべきなのか」という問いに答えるのを助けてくれる。
 〈他者〉が欲するものを発見しようとするこの試みは、しばしば分析のなかでも起こるが、分析家はその問いを主体へと差し返さなければならない。そんなことをしても最初から何か良い効果が見られるということはない。そもそも欲望が〈他者〉の欲望であるなら、主体が何を欲するか——あたかもそれが〈他者〉が欲するもの以外であるかのように——尋ね返すことが、何を意味するというのか。しかし、やはりそれは、主体を自我理想すなわちI(A)から離れさせるための一種の計算された試みなのである。分析家は、この二つを分離するために、すなわち、主体が欲するもの(…)を〈他者〉が主体に欲するもの(…)から分離するために、「お前は何を欲するのか」(…)という問いを掲げる。(…)
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』)

  • したのはなしおもしろすぎるでしょ。腹筋がつかれた。

 授業は5分はやく切りあげた。それでいつもより一本はやいバスにも間に合ったのだが、いや、わざわざ急ぐ必要なんてなかった、終点の西院に向かう女子学生の集団と乗り合わせるはめになったせいで、30分か40分ほどある道中ずっと立ちっぱなしになってしまったのだ。こんなふうになるんだったら一本遅らせるべきだった。立っているあいだもずっと書見を続けていたのだが、途中のバス停でおりるおばはんが、椅子からたちあがったあとの支えをもとめて、つり革に手をのばすでもなく柱に手をやるでもなく、なぜかこちらのわきばらあたりのセーターをその下にある肉ごと指先でぎゅっとつまむようにしたので、は? なんじゃこいつ? 新種の妖怪か? とびびった。ふつうにちょっと痛かったんやが。「いてっ!」とか言ってやればよかったんだろうか? そういえば、(……)には一時期、中学および高校時代だったと思うが、でかい音で屁をこくたびにバカ殿様を演じる志村けんみたいな高い声で「イテーーーーーッ!」と叫ぶという持ちギャグがあった。(……)は基本的にユーモアのセンスが壊滅的で、彼によるウケ狙いの行動および発言はことごとくそれがウケ狙いであることすら周囲から理解されないレベルでドン滑りするというのが日常だったので(と同時に、やつはあたまのネジが外れているタイプのヤンキーだったので、冗談でもなんでもない本人は本気のつもりのふるまいが、その突拍子のなさによって爆笑を誘うということはたびたびあった)、年に一度か二度、ウケ狙いの行動が一度でも成功すると、それを一日におよそ三十回、数年単位で続けるという最悪の悪癖があった(だいたい次のオリンピックまで続く)。だから、屁をこくたびにバカ殿様を演じる志村けんみたいな高い声で「イテーーーーーッ!」と叫ぶというふるまいも、当時はみんな飽き飽きしており、反応せず流すのが普通になっていた——というかそれを流そうとする意識すらなく流していたのだが(それは自衛隊のヘリコプターの音やセミの鳴き声や遠くを走る暴走族のバイクの音なんかと基本的に変わらないものだった)、しかし冷静に考えてみると、屁をこくたびに痛みを訴えるというのはクソおもしろくないか? これ書いとる最中、口の中にふくんだ白湯ふつうに吐きそうになったわ。

  • 覚めて鼻から息を吐いたりからだをさすったりしつつ窓外の声に耳をやって、保育園に子どもをおくってきたあいさつがあまりないのでもうだいたい終わったのかな、九時くらいかなとおもったところが、携帯をみてみると八時前でいがいとはやかった。ちょっとしてから身を起こし、カーテンをひらくと空は快晴。きのう予報をみたときには雨のマークがあったのだが、あらためてみなおしてみると曇りおよび晴れになっていた。ただし風はひじょうにつよく、近間の建物のあいだを吹きすぎる大気の、波が岸壁にぶつかってくだけるのをおもわせるひびきがカーテンをあけないうちから聞こえており、午後二時まえの現在までずっと、頻々とつづいている。いちど床をはなれると水を飲んだりトイレに行ったり。布団にもどってウェブをみたり一年前の日記を読んだり。(……)さんのブログも。それで九時半ごろになった。離床。背伸びしたり、かるくスクワットをやったりしておく。それから瞑想。一五分ほどでみじかく終えた。しかしこんないつもどおりの変化のないことわざわざ書かないでもええやんけとおもう。体調の面からいっても記述の負担をすくなくしていくべきなのだし。そういうわけでもろもろ省略していこうとおもうが、そうすると部屋の内にいるあいだは書くことがなくなってしまうのが現実だ。そとに出ればいくらでもあるのだが。食後はムージルの書簡をまたちょっと読んで、いままで基本併読というのができないタイプだったが(読み書きをはじめて初期のころは二、三冊並行して読み、書き抜きも読んだその日の範囲をすぐに済ませたりしていたが)、なぜかこれはつづいている。メインの読書とべつにもうひとつ、こういうでかいやつとか大長編とかをまいにちちまちまと読んでいくというやりかたもよいような気がするな。それこそ『特性のない男』とかをそれで読んでもよいだろう。ムージルは一九〇七年だから二六~七歳だが、アナという詳細不明の女性にたいする書簡草案を八つも書いていて、いちおうあいてを愛しているということをつたえる雰囲気ではありながら、実質内容のおおくはよくわからん抽象的な考察みたいなものになっていて、カフカにしてもそうだけれどなぜこいつらは愛するあいてにたいしてよくわからん観念的なことばをつらつらと送りたがるのか? そんなものもらっても困るとおもうのだが。
  • ティム・インゴルドの『生きていること』も読み終わった。さいごの一九章だけ、微妙ながらあきらかに翻訳の質が落ちていたようにおもう。誤字とかもたくさんあって、このへんしごとが間に合いきらなかったのかなという印象。校閲でチェックされないのか? とおもうが。もっとも論のはこびじたいもけっこう微妙でつかみづらいところがあったので、なんとなく、原文もそれまでとは調子がすこしちがっていたのかなとも想像された。おおまかには過去の人類学者のたちばを概観しながら記述的統合と理論的統合という対立軸をもうけて論じていくみちゆきなのだが、インゴルドじしんのたちばは前者にちかくありつつも、それに一致しきるものでもないようで、このあたりの整理がじぶんのなかで明晰になされていないのだけれど、所論の要約としては世界についてかんがえる研究としての人類学ではなく、世界とともにかんがえてにんげんの生や存在のありかたを探究するという意味のものとして人類学を復活させたいみたいなことで、そこでは観察は参与と分離されたものではなくむしろたがいがたがいの条件となるし、記述はフィールドから書斎にひきこもってなされる観想的な性質のものではなく、世界じたいにたいする呼応となるというはなしなのだが、じぶんが日記でやりたいというか、この日々の書きものをみている見方もだいたいはそういうものだろうし、いままでじぶんなりにちいさなものではありながらもそういうことをやってきたんだろうとおもう。「人類学者は、自分自身に対して [﹅4] 、他者に対して、また世界に対して、考えたり話したりするように、書くのである」(552)とか、「私たちは自分たち自身の哲学者になることができる。そして世界との観察的な関わり合いや、世界の住人との共同作業や呼応のやり取りのなかに哲学が埋め込まれているおかげで、よりよい仕方で哲学者になることができるのである」(556)という結語直前の一節あたりはしっくりくる。あるべき人類学の探索的・探究的な態度は呼応であるという点も、じぶんの日記にかかれているすべてではないがもろもろのことがらは、身の回りのものごとやできごと、そして世界の生成と流動と運行にたいするまさしく「呼応」でなくしていったいほかのなんであろうと。とくにあるいているあいだのことは。そとをあるいているあいだのことをじゅうぶんに詳細に書ければ、それは世界を書くとともに、その場所で世界とともにあったじぶんの知覚や観察や存在感覚のありかたをも同時に記したものになっている気がするのだが。

Ukraine’s President Volodymyr Zelenskiy has issued a strong statement urging international leaders to act after videos circulated on social media that appeared to show Ukrainian soldiers beheaded by Russian forces. One video being circulated appears to show the beheaded corpses of two Ukrainian soldiers lying on the ground next to a destroyed military vehicle. A voice says: “They killed them. Someone came up to them. They came up to them and cut their heads off”. A second clip, which may have been filmed in summer last year, judging by the appearance of foliage in the clip, claims to show a member of Russian forces using a knife to cut off the head of a Ukrainian soldier. The Guardian has not independently verified the origins and veracity of the two videos, but Ukrainian authorities are treating them as genuine.

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Serbia, one of the only countries in Europe that has refused to sanction Russia for its invasion of Ukraine, agreed to supply arms to Kyiv or has sent them already, according to a classified Pentagon document. The document, a summary of European governments’ responses to Ukraine’s requests for military training and “lethal aid” or weapons, was among dozens of classified documents posted online in recent weeks in what could be the most serious leak of US secrets in years.

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US intelligence reportedly warned Ukraine in February that it might fail to amass sufficient troops and weaponry for its planned spring counter-offensive, and might fall “well short” of Kyiv’s goals for recapturing territory seized by Russia, according to a trove of leaked defence documents.

The same leaked US military documents indicate that the UK has deployed as many as 50 special forces to Ukraine. The documents suggest that more than half of the western special forces personnel present in Ukraine between February and March this year may have been British. It is unclear what activities the special forces may have been engaged in or whether the numbers of personnel have been maintained at this level.

The leak of a trove of highly sensitive documents online could be a move by the US to “deceive” Russia, its deputy foreign minister was quoted as saying Wednesday. “It’s probably interesting for someone to look at these documents, if they really are documents or they could be a fake or it could be an intentional leak,” Sergei Ryabkov told Russian news agencies.

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South Korea has agreed to “lend” the US 500,000 rounds of artillery, a newspaper reported on Wednesday, as Seoul attempts to minimise the possibility that the ammunition could end up in Ukraine - a move that could spark domestic criticism of President Yoon Suk Yeol. Citing unidentified government sources, the Dong-A Ilbo said South Korea had decided to lend the shells rather than sell them - an approach it believes would lower the likelihood of them eventually being supplied to Kyiv.

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Russia’s upper house of parliament has voted to introduce electronic call-up papers via an online portal for the first time. The Federation Council’s vote came a day after the State Duma, the lower house of parliament, gave its approval to changes in the law. The bill will now go to President Vladimir Putin, who is now expected to sign it into law. Changes to the legislation would mean that once an electronic summons is received, citizens who fail to show up at the military enlistment office are automatically banned from travelling abroad.

  • (……)さんのブログにあったMansfieldの一節。ここは邦訳でも読んでいるわけだが(岩波文庫かもうひとつの新潮文庫だっけ?(集英社か?) どちらかわすれたが、そもそもAt the Bayはどちらかにしか載っていなかったかもしれないが、ロッティのさいごのセリフが「あたち」という一人称になっていたのをおぼえている)、原文で読んでも良い。

 "Wait for me, Isa-bel! Kezia, wait for me!"
 There was poor little Lottie, left behind again, because she found it so fearfully hard to get over the stile by herself. When she stood on the first step her knees began to wobble; she grasped the post. Then you had to put one leg over. But which leg? She never could decide. And when she did finally put one leg over with a sort of stamp of despair–then the feeling was awful. She was half in the paddock still and half in the tussock grass. She clutched the post desperately and lifted up her voice. "Wait for me!"
 "No, don't you wait for her, Kezia!" said Isabel. "She's such a little silly. She's always making a fuss. Come on!" And she tugged Kezia's jersey. "You can use my bucket if you come with me," she said kindly. "It's bigger than yours." But Kezia couldn't leave Lottie all by herself. She ran back to her. By this time Lottie was very red in the face and breathing heavily.
 "Here, put your other foot over," said Kezia.
 "Where?"
 Lottie looked down at Kezia as if from a mountain height.
 "Here where my hand is." Kezia patted the place.
 "Oh, there do you mean!" Lottie gave a deep sigh and put the second foot over.
 "Now--sort of turn round and sit down and slide," said Kezia.
 "But there's nothing to sit down on, Kezia," said Lottie.
 She managed it at last, and once it was over she shook herself and began to beam.
 "I'm getting better at climbing over stiles, aren't I, Kezia?"
 Lottie's was a very hopeful nature.


―――――

  • 日記読み: 2022/4/12, Tue.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/11, Tue.

 この顔のために、何だってしたではないか。髪の生え際をまっすぐにし、歯を矯正し、髪型と髪の色を変えた。あの阿呆な卑怯者どもが、この顔が彼らのものだと勘違いしたのも無理はない。彼女は睫毛を震わせるだけでよかった、世界中がその意味を勝手に解釈した。彼女の微笑みは神秘的。目は預言者的。頬骨は神的。くそっ。崇拝は終わりの始まり。そうしたらもう残るは硬直か自己犠牲しかない。くそっ。何が女神だ。化粧した間抜け、それが彼女だったのだ、これまで何年間も。男の役だって立派に演じられただろう。すらりと高い身長、広い肩幅、巨大な手足。だが、この身体を彼らは望まなかった。半裸のこの身体を見て、あいつらは逃げ出した。この呪われた面 [つら] には大きすぎる台座、培養液。それが彼女の真の敵だった。何が大理石だ。ただの仮面、空っぽの容器にすぎない。その裏側に何が隠されているか、皆が躍起になって知りたがった。後ろになんて何もありゃしないのに。何も!
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、112; 「青衣の少年」)



  • 一年前。往路。

 陽気はきょうも初夏、空気はやわらかで、服のうちで肌もほころびあるくあいだにふれてくる布地の質感がやけにさらさらとなめらかだった。公団付属のさびれきった小公園に立つ桜木ははや三色の混淆期にはいっており、といっても花はもうすくなくて、来たほうからみて正面にあたる東側はほぼ二色、葉の若緑と花弁の去った花柄の紅のとりあわせだが、それだとやや地味にうつり、花の白さがのこってみいろのいりまじったあの官能的なみだれぶりにはおよばない。木の間の坂を越えて最寄り駅にはいれば脇の広場ではこちらはピンク一色の、樹冠をまるくひろげふくらませた枝垂れ桜が満開で、すきまなく桃色をぬられたすじが何本も、ねじれた紐のように葡萄の房のように垂れさがって幹をかこんでいるさまの、下端から頂点までずいぶんながくたかいアーチをえがく傘のすがただった。

  • (……)さんのブログから。

 しかし以前からラカンを読んできた者なら、特定の命題、たとえば不安についての命願をまず突きとめ、それをさらに補強し、臨床的に応用することが、どれほど思うようにいかないことであるかを知っている。これはラカンの側での神経症的戦略、すなわち回避なのだろうか。ラカンはピン留めされることを回避しているのだろうか。ピン留めされれば一定の立場を取らざるをえなくなり、特定の命題や論証を用いるリスクも背負うことになり、その結果自分自身が去勢(限界確定や批判など)にさらされてしまうからだ。私は、神経症的回避をそんなに簡単に無視していいとも思わないが、とはいえ、それが本質的なことだともほとんど思えない。実のところ、この回避を神経症に分類するとき、その前提には、具体的な命題を提供することはそれ自体で価値ある目標である、という考えがある。言い換えれば、それは理論に対して強迫的なスタンダードを採用することである。これによると、理論は、私たちが検証(敬服あるいは嘲笑)できるように、個別的で識別可能な対象(糞便のようなもの)を生産しなければならないのである。
 非常に多くの理論的な書きものが、まさにこのような前提を採用している。この前提は、本質的には強迫的な偏見であり、その大部分が、遠慮なしにこう呼ばせてもらえれば、「肛門的で男性的な学術書きもの」に結びついている。なぜこんなものが、ラカンの書きものをはかる尺度でなければならないのか。おそらく、私たちはむしろ、最終生産物ではなくラカンの書きものの流れあるいはプロセスにこそ、すなわちその捻れと転回、再帰的スタイル、そして運動にこそ、目をみはるべきである。ラカンソシュールの仕事の何を評価したかについて考えてみよう。彼は『一般言語学講義』を「その名に値する教育、すなわち、それ自身の運動にのみ目を向けるような教育を伝達するという点で最も重要な出版物」(…)と呼んでいる。ラカンの考えでは、その名に値する教育とは、ひとつの完全で完璧な体系をつくりだすことで終わってはならないし、結局のところそんなものは存在しない。真の教育は絶えず進化し、自らを問いに付し、新しい概念をつくり続ける。
 要するに、強迫的なスタンスを採用するなら、ひとはこう言うことができる。すなわち、私たちにはラカンを寸評し、彼に価値があるかを確かめるための(肛門的)贈り物が必要なのに、彼はそれを与えるのを回避しているのだ、と。あるいはもっとヒステリー的なスタンス——ラカン自身のスタンスに近い——を採用するなら、こうも言える。ラカン自身、自らのテクストを、何らかの完結した理論や体系を構成するものとはみなしていない、と。1966年に『エクリ』が出版されたときに彼がその本を提示した仕方から見れば、それが作りかけ(ワークインプログレス)であることにほぼ疑いの余地はない。ここで特に、ジャン=リュック・ナンシーとフィリップ・ラクー=ラバルトの「文字の審級」読解に対する彼の1973年のコメントについて考えてみよう。ラカンはそれが、その時点までに自分の作品になされた読解のうち最も優れたものであると主張している(…)。しかしラカンの考えでは、彼らは、その本の後半部分で誤りを犯している。というのもそこで彼らは、ラカンにひとつの体系があると想定し、あまつさえその体系についてきわめて複雑なダイアグラムを提供しているからである。
 それに対してラカンは、自分自身の作品を、フロイトの作品を見るのと同じ仕方で捉えている。ラカンが繰り返し述べているように、後期フロイトを評価して、それと引き換えに初期フロイトを貶める、などということはできない(…)。フロイトの作品は、その捻れと転回、再定式化、新たな局所論の配置という水準で捉えられねばならない。フロイトの後期の定式は彼の初期の定式を無効にしたり取り消したりしない。後期の定式は、ある種の止揚(乗り越えのなかで押さえ込むと同時に維持すること)において初期の定式をさらに補強している。私たちがフロイトを本当に理解するようになるのは、エス/自我/超自我の局所論を把握することによってではない。特殊な理論的および臨床的な問題を扱うために次々と局所論を発明していくさまや、それらに満足がいかなくなった理由を見ることによってである。実際、ポストフロイト派の精神分析家たちの仕事に対しラカンが投げかける批判の要点は、彼らのフロイトの読み方に関係している。彼らは、あちらこちらから概念を取りだしては、まったく無関係な文脈にそれを置き、他方でフロイトの書きもののなかでそれを取り囲んでいた他の一切合切を置き去りにしてもよいと考えているのだ。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』 p.101-102)

Russia plans to increase air defences over its north-western border to counter Finland’s accession to Nato, a commander in its aerospace forces has said. Lt Gen Andrei Demin, the deputy commander-in-chief of aerospace forces, also said further reforms of Russian air defences were “undoubtedly planned and will be implemented”.

Col Gen Oleksandr Syrskyi, commander of Ukraine’s ground forces, has accused Russian troops of using “scorched earth” tactics in the embattled eastern city of Bakhmut. The situation in Bakhmut was “difficult but controllable”, he said, adding that the defence of the city continued.

The Russian-installed head of Ukraine’s Donetsk region said Russian forces controlled more than 75% of the besieged city of Bakhmut. It was still too soon to announce a total victory in the battle over Bakhmut, Denis Pushilin said on state television while visiting the embattled city in eastern Ukraine.

     *

More than 200 Russian and Ukrainian soldiers have returned home in a prisoner swap, according to both sides. Russia’s defence ministry said 106 Russian soldiers were released from Ukrainian custody as part of an agreement with Ukraine. Andriy Yermak, chief of staff to the Ukrainian president, said Russia freed 100 Ukrainian prisoners.

The US defence department has said an interagency effort is assessing the impact of the leak could have on US national security and on its allies and partners. Officials say the breadth of topics addressed in the documents – which touch on the war in Ukraine, China, the Middle East and Africa – suggest they may have been leaked by an American rather than an ally.

The documents suggest that without a huge boost in munitions, Ukraine’s air defences could be in peril, allowing the Russian air force to change the course of the war, the New York Times has reported. One of the documents, dated 23 February and marked “Secret”, outlines in detail how Ukraine’s Soviet-era S-300 air defence systems would be depleted by 2 May at the current usage rate.

Only 1,800 civilians are still living in the “ruins” of Avdiivka, the embattled eastern Ukrainian city that had a prewar population of 32,000, according to the local governor. “The Russians have turned Avdiivka into a total ruin,” said Pavlo Kyrylenko, Donetsk’s regional governor. In a separate statement, the Ukrainian general staff said Russian forces were continuing to mount offensive operations around Avdiivka but were suffering heavy losses of personnel and equipment.

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The president of Belarus, Alexander Lukashenko, held a meeting on Monday with Russia’s defence minister, Sergei Shoigu. Lukashenko said he needed guarantees that Russia will defend Belarus “like its own territory” in the case of aggression, state media reported.

Ukraine would like India to be engaged and involved in helping resolve its conflict with Russia “to a great extent”, its first deputy foreign minister Emine Dzhaparova has said. Dzhaparova, the first Ukrainian minister to travel to India since Russia’s full-scale invasion, said the Ukrainian president had requested a phone conversation with India’s prime minister, Narendra Modi.

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A Russian court has sentenced two men to 19 years in prison each for setting fire to a government building in a demonstration against the war in Ukraine. Roman Nasryev, a former driver for the Russian national guard, and Alexei Nuriev, an officer in the emergency situations ministry, threw a molotov cocktail on 11 October 2022 into an administrative building in the town of Bakal in Russia’s Chelyabinsk region in protest of the war in Ukraine and Russia’s “partial” mobilisation.

  • (……)さんのブログから。

それでたぶん中国つながりの話題からだったように思うのだけれど話がいつしかKさんのことにおよび、Kさんは日本語教師として中国にわたるまでのつなぎの仕事として京都か実家のある大阪でゴミ収集でもしようと考えているらしいけれどもわたしは反対だ、と、その時点でもう次にくる言葉はおおかた予想がついていたのだけれど、あんなのは部落のする仕事だ、四つのやることなのだ、と四本指をたててみせながらなにひとつ悪びれることもなければ秘密めかすこともなく大家さんは口にして、以前Kさんの働く和食屋へ行ったときにゴミ収集でもしようかなと考えているのだけれどまわりのひとたちにわりと反対されるんだよねとKさんが少し口を濁すふうにいっていたのも要するにたぶんこういうことなんだろうなとひそかに思っていたりしたのだったが、ああやっぱりなな展開の今日で、京都はこの手の差別意識が根強い。大学時代の同級生は京都以外の地域出身の人間のほうがむしろ多かったから身近なところでその手の発言に相見えることはほとんどなかったけれども、卒業後いちフリーターとして京都生まれ京都育ちの同僚らのいる職場で働くようになりだして以降は鮮度の高い差別意識を悪びれもせずに発露するひとびととかなり頻繁に出くわす毎日で、というかこれは要するに京都という地域のお国柄に帰する話ではなくって日本全国どこであろうとローカルな細部に分け入ってみればいやがおうでも出くわさずにはいられない醜悪さであるといったほうがおそらく適切で、この手の意識は陰に日向にまだまだ現役で色濃く影を落としているものなのだろうし、事実、じぶんの地元でもその手の話をちょろちょろと耳にすることがあるのだ。

  • 七時台にいちど時間をみたのだが、いま実家から帰宅後の午後一〇時。それなりの重さのリュックサックを背負い、おなじくらいの重みの紙袋を持って(……)駅から三〇分強あるいてきたので、からだはけっこう疲れている。とくに足のさきのほう。アパートに着いたのは九時まえで、そこからしかし休むことなく立位でティム・インゴルドを読んで過ごした。いましがたさすがに脚がつかれたのですこし横になってふくらはぎを揉んだりしたが。ティム・インゴルドは実家にいたあいだにも読みすすめて、きょうは394からはじまっていまもう512。けっこうなペースで、終わりもそろそろちかい。実家で起きたのは九時半ごろで、七時台にいちど時間をみたのだが、そこから深呼吸をしたりからだをさすったりしつつもあいまいな時間がつづいて、なかなか起きられなかった。ひさしぶりにゆめを見て、しかもそれがけっこうおもしろいものだった。さすがにこの時間になるとうしなわれたものがおおいが、おぼえているかぎりで書いてみよう。まずおもいだされるのはコンビニをおとずれたことで、ばしょとしてはなんとなく(……)の、(……)のほうにあがっていく坂のてまえあたりとして認識されているようだった。そこの道路の北側におそらくセブンイレブンであるコンビニがあったのだが、現実のそこにはなかったはずで、むしろ振り向いた反対側の角にむかしローソンがあった。入店してなにかを買おうとしたのだが、このコンビニは年嵩の夫婦が経営しているようでふたりそろってレジカウンターの向こうに立っており、ほかの客がものを購入しに行くと、この夫婦は自民党の熱心な支持者らしく、なんらかの政策に賛同する旨の署名をもとめられている。そんなのはいやだ、やめようとおもって退店し、つぎにおぼえているのはそのコンビニのひだりがわを奥にすすむ道をあるいていったことで、三人くらいともづれがおり、そのうちふたりは黒人か東南アジア系の兄弟だった気がする。コンビニいぜんにかれらは登場していた気もするがよくおぼえていない。ともづれといってもじぶんはかれらにとってほぼいないようなあつかいになっており、無視されているというか、こちらのすがたがみえていないような感じ。奥にすすんでいくと、そこは法面がたかく立っていたり、またのちには木々が茂って林の様相もみせていたが、なにか喚起されるものがあり、連れとはなれてひとりでひろい土台のようになった地面のうえにのぼり、視界のさきを見通すと、そこになにがあったのだったかわすれたが(トンネルだったか?)、その光景はじぶんの幼少時のおもいでにむすびついていたらしく、それがとつぜんよみがえってきて、うわなつかしい、ここだ、むかし来たことある、という感動におそわれて、そのことを連れになかば聞かせるようにことばに出したものの、反応はないし、この時点ではほぼかれらは消え去っていたかもしれない。それから林の縁にいると、木々のむこうにかいまみえるひとつうえの道に、若い男女の一団がいるのがみえて、そこに行こうと右手のほうへまわっていく。のぼる坂道がみつかったのだがそのさきには女性がひとり待ち受けており、行ってみると着物姿で、空間は林ではなく小綺麗ななんらかの施設内に変わっており、女性からはお待ちしておりましたみたいなねんごろな歓迎のことばを告げられ、案内される。ついていくあいだ庭園とかがあった気がするが、ある一室にいたり、そこで案内はおなじように着物姿のべつの女性に変わって、こちらでおもてなししますみたいなことを言ってしめすほうをみれば、べつの一室につづく入り口に「宏池会研修会」とかいう表示があって、いやこんなところに来るつもりじゃなかったし、さっさと帰りたいとおもっていると、いつの間にか小池百合子ともうひとり匿名的な男性がそばにいた。
  • 実家にいるあいだはたいしたことをしておらず、寝床でごろごろして書見している時間がおおかった。せっかく実家に来たのにやった家事もアイロン掛けくらい。天気ははかりしれないよさ。快晴のきわみで、最高気温も二五度くらいあったようだし、居間でスクワットなどかるくすればとたんにからだは汗ばんで、アイロン掛けをしているあいだも暑かった。覚醒後に寝床で一年前の日記を読むさいも、南窓で朝からたいそうあかるいのでChromebookの画面がみえず、いちどひらいたカーテンを半分閉めて太陽のすがたとひかりをさえぎり、そのうえ画面の明度をあげなければならなかったくらいだ。一食目は一一時ごろ食った。うどんを煮込むように用意してくれてあったのでそれを煮込み、そのほかさくばんの天麩羅やマカロニサラダのあまりと米。部屋にもどったあとしばらくしてから隣室にはいって、ギターも立ったまま弾こうとストラップをからだにかけて、一弦が切れていてほかも錆びまくり汚れまくりのテレキャスターをもてあそんでいたのだが、そのうちに左半身がよくない感じになってきて、やめようと自室にもどったところがその後もそのよくない感じがなかなか抜けきらず、それで文も書けなかった。いまも打鍵しているとわりとあるのだが。
  • 「偽日記」より。

保坂和志の小説的思考塾。今回は「ポリコレ問題」が主題。聞いている側としても緊張状態に置かれるような題材だ。以下は、内容の紹介でも、保坂さんの発言に対するコメントでもなく、話を聞きながら考えたり、思い出したりしたこと。

セクシャリティにかんする言葉遣いはここ十年、二十年くらいで大きく変化した。その影響は、例えば保坂さんが「性転換手術」と言ったときに、それは今は「性適合手術」と言うんだよなあと自動的に思ったりする程度には、ぼくも受けている。だけど二十年前には、同性愛とトランスジェンダー性同一性障害との区別の認識も曖昧だった。能町みね子のデビュー作は『オカマだけどOLやってます。』というタイトルだが、今の能町みね子は決して「オカマ」という言葉は使わないだろう(能町みね子の本は『結婚の奴』しか読んでないが)。しかし、2005年当時はまだ、社会に流通している言葉で自分を表現する言葉が「オカマ」しかなかったということだろう。セクシャリティーに限らず、ジェンダー意識の変化も大きくあり、例えば「女流作家」という言葉は完全に死語になったし、「女優」という語も、そう遠くない将来に消えるだろうと思う。

ある概念が流通することで、それまでただモヤモヤしているだけでうまく言えなかったことが言えるようになるということがある。例えば「トーンポリシング」とか「シーライオニング」という概念を覚えると、今までそういうやり方で自分に圧力をかけてきた(しかし、どう言い返したらよいか分からずモヤモヤしていた)相手に、明快に理屈の通ったやり方で反論することができるようになる。また、自分が過去に、あるいは今でもなお、そういうやり方で人に圧をかけていることがあるのではないかと反省することもできるようになる。

言葉の配置の変化、新たな概念の一般化は、ジェンダーセクシャリティー、秘められた(秘めている権利がある)内面などにかんする、権力関係の不均衡やバイアス、抑圧や暴力のあり方についての認識の解像度を上げ、それにかんする配慮を繊細なものにすることを可能にする。これはもちろんポジティブなことだ。

しかしここで、いくつか問題も出てくる。一つは、繊細な人が、他者に対してより繊細であることを自分自身に強いて、その強すぎる超自我が自分自身を強く抑圧し、縛り、傷つけてさえしまうのではないかという点。一つは、元々繊細で、他者に対する敬意を強く持つような人ばかりが、さらに配慮を強めることになって、本来ならそこに届けるべき、他者への敬意や権力への配慮の足りない人にはこの変化がなかなか届かず、むしろ(急激な言説的な環境の変化についてこれないことによる)逆ギレ的なバックラッシュを生み出してしまうこと。一つは、元々はポジティブであるはずのもの、あるいは見えなかった苦痛(加害/被害関係)を顕在化させるためものが、「他者を攻撃したいという欲望の発露」のための道具として使われてしまうこと。「正義」だと社会的に認定されたものを後ろ盾にして、他者を過剰に攻撃しようとする人の存在。

三つ目の問題は深刻で、この「正義を後ろ盾に他者攻撃の欲望を叶えようとする人」が、一人で、顕名であればまだしも、SNSの発達という環境の元、「正義」を後ろ盾にした匿名の多数が攻撃の欲望を炸裂させる。仮に誰かが「非難されて当然のこと」をしたとしても、炎上が起きてしまうと、正当な非難(その人のしたことの、何が、どのように問題であるのかを、その人に対して訴えること)すら困難になってしまう。誰だって攻撃されれば自動的に防御的(あるいは対抗的)な姿勢をとることになるので、過剰な攻撃はあり得たかもしれない対話・改善の可能性すら潰してしまう。そして多くの人が、炎上を避けるために身を固くして、常に気を使って安全策をとることを余儀なくされる。表現は萎縮し、元々、「他者へ敬意」から発したものだったはずが、たんなるリスク回避、セキュリティの問題に成り下がってしまう。

(ここに、二つ目の問題が絡んでくる。保坂さんが、クリーンな人ほどスキャンダルに弱いと言っていたが、元々、他者を傷つけないように配慮している人は、それが不十分であった時、「お前は他者を傷つけている」という指摘に深く傷つくが、初めから他者への敬意など持たない人は、そのような指摘で自分が傷つくことはない。むしろ「タブーを破ってやった」的なポーズとなる。これも深刻な問題だと思う。)

この回で保坂さんが問題としているのは、この一つ目と三つ目のことであると思われる。大雑把に言えば、一つ目に該当するような配慮しすぎるような人に対して、もう少し緩く構えて良いんじゃないかということと、そして、三つ目の「攻撃する人」にかんしては、基本的には気にする必要はない、ということではないか。まとめとしては雑すぎるが。

●他者への敬意としてあったはずのものが、セキュリティ問題になってしまって、過剰な抑圧になって表現が萎縮する例として、3月26日の日記に書いたChatGPTの振る舞いがあると思う。

ここでChatGPTは、ぼくの夢の中にある差別的なものの気配を鋭く察知して(そこまでは素晴らしいのだが)、それに最も安易な形で蓋をしようとする。その結果、決して間違ったことの言えない優等生の作文のような表現になってしまう。ヤバいものには初期段階で蓋をするという態度は、リスク回避としては有効だが、それは例えば「差別」というものにかんして深いところで思考する機会を失わせる。

(隙あらばAIを攻撃したいという人はたくさんいるため、AIがこういう防御的な振る舞いをしてしまうのは仕方がないのだが。)

●保坂さんは、差別の問題は「紋切型」の問題に帰着するというようなことを言っていた。ぼくはそれに加えて、「恐怖」というものが作用しているように思う。

紋切り型にかんしては、認知限界が絡んでくるように思う。一人の人が関心を持ったり意識したりできる範囲と量は限られており、当面差し迫って必要なことと、主に関心を持っていること以外については、大抵の人は、ふわっとしたイメージによって処理している。そしてこの「ふわっとしたイメージ」は多くの場合、かなり偏った紋切り型なのだ。そしてこの「ふわっとしたイメージ」の部分が、何かを判断するときに大きく影響する要素となったとき、その判断が、そうとは意識できないまま差別的なものになってしまうことがある。これを避けるためには、物事の一つ一つを丁寧に吟味する必要があるのだが、どうしたって認知には限界があるので、あらゆる場面においてそれを充分に行うのは難しい。

より厄介のなのが「恐怖」だ。人は、恐怖の対象について差別的になってしまう。というか、恐怖の対象であるにもかかわらず自分がそれを恐怖していることを認めたくない対象に対して、差別的になると思われる。自分の生活基盤が崩されているという感覚を持つ人が、「近い他者」に対して差別的になるのはこのためだと思われる。これを回避するためには恐怖を解消する(知識によって・コミュニケーションによって…)しかないと思うのだが、恐怖は、人間の最も根源的な感情の一つであり、最もコントロールが難しい感情の一つでもあると思うので、これは非常に困難だと思われる。

●権力は、その場に応じて様々な働き方をする。晩年の大江健三郎の擬似的私小説の主人公は、現実の大江に限りなく近い高名な作家であり、つまり「権威ある男性」そのものだ。彼は、権威ある男性であるからこそ、様々な人たち(女性たち、若者たち、家族たち、政治的に異なる立場の人たち…)からの批判や非難に常に晒されており、その批判や非難のいちいちを、正面から真に受けて、そのたびに大きな揺らぎを見せる(最も強い批判者は「息子の存在」かもしれない)。批判を真に受ける事によるアイデンティティーの揺らぎが、晩年の大江の小説を動かしている大きな力のうちの一つだと思われる。彼は、社会的な地位としては権威ある男性であり、家父長であるが、批判を真に受ける場においては、ほぼ一方的にパンチを喰らう側にあり、無力で受動的な位置に置かれた弱者となる。そして、しばしば彼は、自分を批判する者たちに加担し、「権威ある男性」としての社会的力を、批判者への協力のために献上しさえする。しかしそれでもなお、彼は「行動する者たち」から置いてきぼりにされ(裏切られ)、「向こう側」に渡りそこね、「こちら側」でそれを記述する役割に甘んじる。そしてここでも、お前は結局「書くこと」によって全てを制御する権力の位置にいるのではないかと批判され、その批判もまた正面から真に受けられる(例えば『水死』から『晩年様式集』への流れなど)。このような何重にも重なる、受動-能動の逆転と力のせめぎあいが「文」の中に折りたたまれていく。

権力の勾配や暴力的な抑圧のありようは、何重にも重ねられているし、その「場」によって様々に変化するので、常に個別的に「その場」について丁寧に見ていく必要があり、たとえ「権威ある男性」だったとしても、常に力の優位の位置にいるとは限らない(「権威ある男性」であることに変わりはないとしても)。

タランティーノの「政治的な正しさ」に対してずっとモヤモヤするものがあり、それは彼への不信(あるいは、彼を支持する人への不信)となり、『ジャンゴ 繋がれざる者』を最後に、それ以降の映画は観ていない。彼は、「デス・プルーフ」では女性たちの側に、「ジャンゴ」では黒人たちの側につく。それは政治的に正しい態度と言えるだろう。

「ジャンゴ」では、黒人たちがひたすら酷いめに合わされ、白人たちはひたすら酷いことをしつづける。さらに、黒人たちの中にも、白人にうまく取り行って、黒人たちを責める役割りに回る者もいる。そしてこの話は、史実にそれなりに忠実に作られているという。ここまではいい。

映画のラストは、それまでずっとずっと耐えてきた黒人女性が、とうとう反撃に出て、「悪い白人」を完膚なきまでに叩き潰す。それを観る観客は溜飲が下がり、スッキリする。だが、それでいいのか。ここで「悪い白人」を殺すまでに至る主人公の「怒り」そのものは、当然のことだと納得する。しかし、そのことと、それを観た観客が「スッキリしてしまう」こととは違う。ここでは立場が逆転しただけで、悲劇的構造は継続されたままであるから、観客がスッキリしていいはずがない(観客がスッキリするような形で作っていいはずはない)。この構造は、単純な勧善懲悪の「悪い奴をやっつけてスッキリする」エンターテイメントのものだ。だが、実際にアフリカ系の人たちが被ってきた酷い歴史的事実を、スカッとスッキリする単純なエンターテイメントのために利用してしまってよいのだろうか。

問題は何一つ解決されていない。ただ、優劣関係が逆転しただけで、対立構造そのものは変わらずすべてそのまま残されている。ここには、差別や暴力的な支配-被支配の関係を、ほんの少しでも改善し緩和しようとする努力の気配すらないままで、主人公の置かれた厳しい状況とそれへの強い「怒り」の蓄積、そして爆発を、観客をスッキリさせるための原資として利用してしまっているように、どうしても見えてしまう。

ここでタランティーノが、「背後に正当化できるもの」を何も置かずに、ただ、映画において人を殺していく快楽だけを追求していたとしたら、それが好きかどうかはともかく、不信は抱かなかったと思う。

●既に「正義」と認定されているものを後ろ盾にすることに対する不信は、ぼくにはどうしてもある。


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  • 日記読み: 2022/4/11, Mon.

2023/4/10, Mon.

 こうして彼女は立っていた、洟を垂らしながら。鼻水が流れ落ちた。だれもそれを止めてくれない。なんてみじめなの! 彼女の世話を焼いてくれる者はだれもいない。彼女に注意を払い、彼女がだれだか気づいて手を差し伸べてくれる者は。皆が通り過ぎていった。彼女のすぐそばを。手袋をはめた指でバッグの中をまさぐっている女のそばを。いまいましいクリネックスめ、まるで地面に飲み込まれたみたい。グランド・アーミー・プラザの噴水すら動いていない。これのせいで散歩を中止するなんて、まだ二ブロックも歩いてないのに。仕方ない、鼻水はすすり上げて、次の青の集団と一緒に道を渡っちまおう、そしたらもう実験はおしまい、フィフス・アベニューをちょっと下って、マディソン通りへ移ろう。グレーのスーツは間違いだった。また一つ間違いが増えた、それだけのこと。驚くにはあたらない。彼女はしょっちゅう間違いを犯した。目も当てられない。だけどいつもそうだったわけじゃない。昔は違った。あの頃はそんな馬鹿な間違いはやらかさなかった。自分の欲しいものが何か、どれくらい欲しいのか、いつだって承知していた。いい勘を持っていた。考える必要なんかなかった。じっくり考えることが何かの役に立ったためしはない。よく考えて何かを決めたことなど一度もない。うじうじ考えたって皺が増えるだけだ。これまでの人生で一度も、彼女は何かについてじっくり考えたことがなかった。考えるというのがどういうことか、それすら知らなかった。知的には彼女はどのみちゼロだった。とにかく何も知らなかった。まるで無教養で、本を読んだことすらない。では彼女が学んだのは何か。いろいろな頭の角度が意味するもの。頭を下げるのは相手に従うということ、頭を反らせるのはその反対、頭を軽く前へ出すのは同意を示し、高く掲げた頭は落ち着きと安(end105)定を表す。彼女がそれを覚えたことは驚嘆に値した。彼女は何も覚えない。とにかく何も知らない、あるのは夢遊病者的な直観だけ! それは頼りになった。まだちっちゃい坊やの頃から、彼女は自分のしたいことをちゃんとわきまえていた。いずれにしても昔は。それがいまは消えてしまった、あのむかつく直観め。いつの間にか霧のように消えていた。あの水着の化け物に無理やり身体を押し込んだ時、あの直観のやつは一体どこへ行っていたのだろう。回りつづけるカメラの前で、目を開けたまま破滅に向かって突き進んだあの時、純粋な自殺行為だった。頂上の空気は薄い。一度でも下を見たら負け。いまいましい恐怖に支配権を奪われる。そして何もかも失う。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、105~106; 「青衣の少年」)



  • 一年前の日記から『魔の山』について。ただ要約しているだけだが。

(……)トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(新潮文庫、一九六九年)下巻のつづき。500すぎくらいまで。あいもかわらずメインヘール・ペーペルコルンのはなし。ハンス・カストルプからするとショーシャ夫人もしくはクラウディアの旅の伴侶であるこの男(もう六〇歳かそのくらいのようだが)は恋敵になるはずなのだが、しかしハンス・カストルプは、さいしょのうちはいらだたしさもみせていたものの、かれにさそわれて宴会にあそんだ一夜のあとはむしろそのもとにたびたびおとずれはなしをするという友好的なふるまいをみせ、いあわせるショーシャ夫人はかれらの会話を「監視」しつつ、謝肉祭の一夜にあれほど度を失ってじぶんをかきくどいてきたこの青年がそんな調子でおちつきはらって男同士の敬愛をしめしているのでかえっていらだつ。しかしカストルプじしんはじっさいにこの老人がたいしたにんげんだとおもっているらしく、みずからすすんで「この人物の人柄の影響を受けようとした」(478)。なんについてもひとまず「傾聴に値する」とかんじていろいろなひととつきあう「愛想のよさ」は、かれ特有の性質であり、それがハンス・カストルプのまわりにひとをあつめ、たがいに敵対心や冷淡さをいだいているあいだのにんげんでさえも媒介的にむすびつけることになった、という点は488に述べられている。交際仲間一団の散歩にはすでに「ベルクホーフ」を出て婦人服仕立師の家に間借りしているセテムブリーニと、おなじ家の一階下に住んでいる同宿人レオ・ナフタもくわわり、論敵であるこれら啓蒙的自由主義者のイタリア人と、共産主義ユートピア神の国を同一視するテロリスト的イエズス会士とはあいもかわらずあるきながら高尚な議論をたたかわせ、王者メインヘール・ペーペルコルンもさすがにそれに口出しなどできず、「ただ額の皺を深めて驚いて見せたり、曖昧で嘲笑的な切れぎれの言葉をさしはさんだりするだけであった」が(502~503)、この「人物」のふしぎなおおきさや威厳によって議論の高尚さや重要性は格下げされ、「こういってはたいへん気の毒だが――結局こういう議論はどうだっていいのだという印象をみなに与えて」しまうのだった(503)。哲学者ふたりは根っから教育家的な性分であり、ハンス・カストルプへの思想的影響力をあいあらそっているのだが、そのふたりともメインヘール・ペーペルコルンのまえにあってはちっぽけな存在とうつってしまい、セテムブリーニはしかしそのことが理解できずにあんなのはたかだか「ばかな老人」(493)じゃないですかと青年に苦言を呈している。ところがハンス・カストルプがいまやみつけたのは、馬鹿とか利口とかにかかわりのないなんらかの優越性があるということなのだ。セテムブリーニはまた、カストルプがショーシャ夫人よりもじぶんの恋敵であるこの男にむしろ関心をもっているという点にも違和をとなえているが、カストルプはそれをじぶんが「男性的」(500)ではないということ、またペーペルコルンが「大人物」(501)でとてもかなわないということによって説明している。もうひとつ、ペーペルコルンはジャヴァでコーヒー農園を経営しているオランダ人であり、太平洋の島々などで原住民が利用する薬物や毒物についてかたってみせるのだが、それにおもしろみをおぼえるハンス・カストルプにセテムブリーニは、「そうでしょうとも、あなたがとかくアジア的なものにしてやられるのはよく存じています。いや実際、そういう珍しいお話は私などにはしてあげられませんからね」(499)といやみっぽいことばをむけ、あいもかわらぬアジア蔑視とヨーロッパ中心主義をあらわにしている(キルギス人のような切れ長の眼をしたロシア婦人クラウディア・ショーシャも、この「アジア」や「蒙古」に属する存在である)。

  • 天気は、「きょうはかなり暑く、のちに新聞の天気欄にみたところでは最高気温は二五度だという。寝床にいるあいだもひらいたカーテンのあいだで青海と化した空にたゆたうおおきな太陽がひかりをぞんぶんに顔におくりつけ、肌をじりじりとあたためてからだに汗を帯びさせていた」というようす。それできょうの天気予報をみてみたところ、最高気温は二二度で似たような初夏めきの陽気。
  • ニュース。

(……)新聞の一面からウクライナの情報を読んだ。ロシア軍がミサイルを撃ちこんだドネツククラマトルスク駅での死者は五二人に達したと。東部では住宅地や民間施設への攻撃が激化しているもよう。キーウ近郊ではブチャいがいにも銃殺された遺体がたくさん発見されているようだ。ロシアはいままで孤児をふくむ一二万人ほどを国内につれさったという情報もあった。プーチン生物兵器化学兵器、はては核を使用する決断をしないかという、そのことがいちばん気がかりである。香港の行政長官選挙で、前政務官であり林鄭月娥のもとでのナンバー2だったらしい李家超という人物が出馬表明という報もみた。警察出身で、民主派の弾圧を指揮してきた張本人であり、国家安全維持法を補完する国家安保条例みたいなものを制定するのではないかと危惧されると。選挙は親中派の選挙人による事実上の信任投票である。

  • 地元の美容室に行っている。その往路と帰路。

陽射しのひじょうにあかるい正午だった。みちをあるきながら坂下の家並みやとおくの山などをみやると、そのいろがずいぶんくっきりと、大気中になんの夾雑物をもなからしめる洗浄光のかわいた明晰さで空間にしるされている。風もたえまなくあたりをながれ回遊し、下草や林の樹々をなべてにぎやかしてはおとの泡を吐かせている。頭上をおおかたおおわれたほそい木の間の坂道にはいっても、樹冠のあいだがみずいろに澄み、みちのよこにひろがる草木の占領地にもひかりがかかって立ち木の枝葉をながれおちるよう、濃いのとあかるいのと、みどりがさまざまかさなりながらわきたっているそのむこうに、うえのみちの家の裏手のベランダにピンクや青やのあざやかなシャツがいくつか干されてあるのがのぞいた。足もとにわずかだが桜の花弁がまざっているのをみつけ、どころかのぼるあいだに宙をふらつく一、二片もあったが、あたりをみまわしみあげてもみどりばかりでもとがみつけられない。

一時くらいで終えて会計。ふたりにそれぞれむきながら礼とあいさつを言って退店。陽射しはあいかわらずさんさんと分厚くふりそそいで額を熱し、目をおのずとほそめざるをえず、街道沿いを行けばまえからやってくる車たちのフロントガラスにやどりこんだ太陽はほとんどギラギラとした感触で純白のおおきな球としてふるえては突出を八方に伸ばしている。コーラが飲みたくなって自販機で缶を買った。それをうえからつかむかたちでみぎてにもちながら車がとぎれるタイミング、もしくは工事現場でとめられた列のすきまをわたるタイミングをうかがっていたが、こちらがわでとまっても対岸の車線をくるながれがあったりしてなかなかわたれず、しかたないのでとりあえずさきにむけてあるきだし、ときおりふりかえってようすをみながら快晴のしたをぶらぶら行った。しばらく行くとようやく隙がうまれたので南側にわたり、来た方向にもどっていって木の間の細道をくだる。草木のあいまにはいるとこまかな羽虫が発生して顔に寄ってくるのがうっとうしい陽気となった。したのみちに出て家まで行けば、父親が林縁の土地でピンクの小花の円陣めいた群れにかこまれたなかでなにやら地面を掘っていた。玄関にはいるまぎわ、みちのむこうのべつの林縁で段上に立った紅や白の花木の、あかるい大気のなかでいろがみごとに凝縮的につよく小球を凛々とつらねたようにきわだつさまや、林のいちばんはじのみどりがひかりをまとってかがやきながら微風にそれをはじいているのにちょっと目を張った。

The documents suggest that without a huge boost in munitions, Ukraine’s air defences could be in peril, according to the New York Times, which added that it could allow the Russian air force to change the course of the war.

The documents also say Russia’s notorious Wagner mercenary group has ambitions to operate in African states as well as Haiti, and that it plans to source arms covertly from Nato member Turkey.

  • 覚醒するとちょっと呼吸。携帯は高くなった机のうえから布団の横、本や書き抜き箇所メモ用のノートが置かれているところにうつしてあった。みると時刻は九時。保育園では子どもやおとなの声が聞こえている。深呼吸をしたりからだの各所をさすったりして、九時二〇分ごろに床をはなれた。というか起き上がった。脚をさすったり首をまわしたりして、カーテンをひらくと、臥位のときから天井にもれているひかりの反映に色味をみてとっていたが、空は色濃く真っ青だった。立ってうがいをし、水を飲み、小用や洗顔。たしょう背伸びなどしておいて床にもどるとChromebookをもってウェブをみたり一年前の日記を読んだり。快晴の初夏日とはいえ起き抜けはまだ肌がいくらかつめたい。日記を読み終えて座布団や枕をそとに出し、布団を床からあげたのが一〇時半ごろだったが、よくかんがえたら一年前の日記を読みかえすのに一時間もかかるというのはわりとふざけているな。記事中に引用されている小泉悠の記事とかも律儀にぜんぶ読んだのでそうなったのだが。洗濯日和このうえないが、洗うべきものはきのうまでですでに洗った。瞑想。一〇時四〇分から五七分まで。わるくないが、座ってじっとしていると太ももの裏から尻にかけてが座部に圧迫されるから、やっぱりここが押されて血行がわるくなっていたんだろうなとおもった。その点、椅子に座ってやるのではなく、まえみたいなあぐらの姿勢のほうがよいのかもしれない。そのほうがまだしも接地面が減る気がするので。そうして食事へ。キャベツのあまりときのう買ってきたブロッコリーを豆腐やウインナーとともに温野菜にする。値下げされていたブロッコリーの値札をあらためてみてみると、もともと二七〇円とかで、それが九〇円になっていたのでたすかる。ふたつ買っておいた。電子レンジでまわしているあいだはストレッチをしたり、その場歩きをしたり。塩と醤油をすこしかけて立ったままで食う。パソコンをセットアップしつつ。平らげるとスチームケースをながしにもっていって汁をながし、水にちょっと漬けたあと即座に洗ってしまい、そのいっぽうで米をよそって納豆とともに食べる。その他バナナとヨーグルト。食後はすぐに歯磨きをし、白湯をつくってちびちびやり、比較的はやめに洗い物もかたづけ、ウェブをみたりGuardianを読んだり、ムージルの書簡を読んだりWoolfの英文を三つ音読したり。そうして一時過ぎから窓外の座布団と枕をとりいれ、ころがって書見。ティム・インゴルド『生きていること』のつづき。372から394。相互にからみあった系譜および分類の知識モデルを批判し、あらかじめ確立している前決定的な要素が輸送されるものとしての知識ではなく、環境のなかをうごきまわってそれとの関係において習得・熟練される、絶え間なく再産出される「複雑なプロセス」としての知(「複雑な構造」ではなく)というモデルを提出している。それはまた分類にたいして、「物語られる」知識でもある。このへんのはなしはロラン・バルトをおもいおこさせるところがある。ティム・インゴルドも終始一貫して固定を批判し生成運動のほうに視線をむけつづけているのでとうぜんのことといえばそうなのだが、バルトも「構造/構造化」とか「生産物/生産」とかを区別して、つねに動的プロセスを意味するほうの原理を好むことを表明していた(どこでだったかわすれたが、たぶん『ロラン・バルトによる』のなかだろう)。分類的知識というのは統合的に構造化されるものであり、それを移動の軌跡としてかんがえると、そのモデルは「輸送」であり、すでに構築されているある実体的なものが空間を(おそらく最短距離的に)横切ってべつの場所へはこばれるイメージになるが(それがいくつもむすびつけられたのがネットワークであり、また包括的統合図としての系統樹である)、物語とは移動のあいだのプロセスこそが問題となるありかたであり、その不規則な線条の過程のなかで、周囲の環境とのからみあい、巻き込まれのなかで知は創発され、ひとはあらかじめそこにある知をゆずられ獲得するのではなく、知にむかって成長することでそれを獲得し、そしてまたその過程は生と同様に終わりはない。こうした物語られた知識に相応する移動のモデルは、あいだの過程よりも目的地こそが重要視される「輸送」のそれではなく、「散歩」である。とこういうわけなのだが、蓮實重彦的「物語/小説」の分類法で行くなら(蓮實重彦的というよりもむしろ保坂和志的といったほうがよいか?)、むしろ「物語」のほうがきれいに構造化・体系化されうるものとして理解されているはずだから、それはティム・インゴルドのはなしのなかでは「輸送」に対応し、構造からこぼれ落ちる細部とか結節点のあいだのすきまをこそ重視する「小説」のほうが、「散歩」にちかいものとなるだろう。二時ごろからここまで記していまちょうど三時。レースのカーテンがひどくあかるく、明度を下げ、くわえてダークモードにしているモニター上の文字が見づらい。
  • この日は労働。その後あるいて実家へ。ひさしぶりに地元の夜道をあるいたわけだが、裏通りをゆっくり行っているうちにしずけさが周囲にも身の内にもひとつながりとなって満ちてきて、ひどくおちついた。ひとつの快楽だった。快感というとちがってくるが、おだやかでつつましい、しかしたしかな満足、充実の感覚。夜空は暗く、前方左右の屋根はそのなかに染み入るようになって境がわかたれず、とくに右手は林の木々もあわせて黒々とあつまり、空が家々のすぐさき、近距離にあってぶつかるかのような、空間がせまく閉ざされたかのような夜道だった。じぶんの靴音が打音としてはっきりと浮かび絶えずつれそってくるそのようなしずけさだが、かんぜんな無音の時間ばかりというわけではむろんなく、道沿いの家で風呂を浴びているらしき香りや気配、駐車場で降りた車のドアを閉める音や、とおくからつたわってくる車のひびきや耳のまわりを回遊する風の音がときに生まれ、まれにひとのすがたもないではないのだが、それらすべてがこの持続的なあゆみの時空を満たしているしずけさの構成要素として、積極的に還元されるではなくとも場に共存し、平行的に調和しているのだ。つまり包含の時だ。夜道をひとりでゆっくりあるいているときのこのおちつきと解放こそがやはりじぶんにとっての約束の地、絶えずかえりたい場であって、積極的な意味での故郷や郷愁の対象というものがじぶんにあるとしたらそれはいまかえってきているこの地元のまちでも実家でもなく、このしずけさにほかならないだろうとおもった。


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  • 日記読み: 2022/4/10, Sun.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/9, Sun.

 どうやら風邪を引いたらしい。鼻水が止まらない。最近鼻がつまっていたかしら。まったく記憶にない。信じられない。健康にはとても気を遣っているのに。あのいまいましいクリネックスはどこだっけ。たしかこの辺にさっきまであったはず。ちぇっ。とにかくティッシュなしでは出かけられない。ああ、あそこだ、鏡の下! ハンドバッグに入れて、帽子とサングラスをかけて、ドアを閉めて、さあ郵便局へ。今日はまたなんて廊下が臭いの。ああ、そうだ。月曜の清掃日だ。いつも早朝にクイーンズから掃除隊がやって来て、まるで狂ったサル軍団みたいに大理石の床をゴシゴシやりはじめる。日が昇らないうちに眠りを覚まされることもしばしばだ。この建物中で彼女ほど早起きする者はいないのだが。この洗濯女の臭い、少なくとも水曜日までは残るだろう。またも引っ越しを検討しなければならないかもしれない。いったい何度引っ越せばいいの! 泣きたくなる。とりあえずエレベーターはすぐに来た。このボーイも以前はもっと礼儀正しかったのに。お仕えしているのがだれか、聞いていないのかしら。だれだかわからないみたいなふりをしているけれど。挨拶の仕方を教わらなかったようね。まだひよっこのくせにもう堕落して。あのベビーフェイスで、何を自惚れているのやら。他に乗っている客はいなかった。それだけは幸いだ。それでも下までは永遠に時間がかかった。十七階は十七階だ。やっと着いた。少なくとも守衛はマナーをわきまえているらしく、門衛所から立ち上がって彼女のためにドアを開けた。ふむ、けっこう。おや! 空気は澄んでいる。ハゲタカどもの姿(end102)はない。彼女に注意を払う者はいなかった。新しいサングラスのおかげにちがいない。さてと、よし。選り好みしない性質 [たち] だったので、グレーのフランネルのスーツを着た男に行き当たりばったりに目をつけた。男はエレガントというには程遠かった。だが良い選択だ。男はイーストサイド方面へきびきびと歩きながら、人ごみの中を水先案内人のように進み、彼女に方向性とリズムを与えた。それだけでも悪くない。何度か見失いかけたが、すぐに追いついた。何といっても彼女は歩きの達人だった。歩くことは、彼女がある程度のレベルまで極めた唯一の種目と言えた。基本的にそれは唯一の楽しみ、宗教だった。カリステニクスは必要とあらば諦められたが、散歩だけは絶対に諦められなかった。ウィンドーショッピングも、うろつき回ることも、コースから外れることも。毎日最低一時間、できれば二時間。たいていはワシントン・スクエア・パークまで下り、また戻ってくる。たまに77ストリートまで上がっていくこともある。最初は他人のかかとにくっついて歩くのも悪くない。あてもなくさまようのはその後。迷子になんかなりようがない。それが島の利点だった。
 思ったよりも寒い。いずれにしても四月にしては寒すぎた。いくら東海岸といったって。いつだってくそ寒いか、くそ暑いかのどちらかだ、この街は。彼女がなぜここで暮らしているのか謎だった。この不快な、風の強い街では、風邪を引くほど簡単なことはなかった。三月にさっさとカリフォルニアへ行くんだった。毎年そうしているのに。三月が正解だった、三月になったらすぐ! たしかに死ぬほど退屈だけど、あそこは、だって何もすることがないんだから。だけど気候だけは完璧。新鮮な空気。太陽たっぷり。一日中素っ裸で歩き回れる。まあ理論上は。ばかげているのはシュリースキーがあそこを嫌いだってこと。おかげで何もかも自分で手配しなければならなかった。飛行機に運転手、それにマベリー・ロードの家が売られて以降は、ホテルまで。彼女は十分忙しいのに。もう何週間も前から手ごろなセーターを探していた。カシミアでなくちゃ。お気に入りのダーティピンクの。彼女の好きな色はサーモン、ライラック、ピンク。だけどやっぱりダーティピンクがいちばん。他にもい(end103)ろんな予定やくだらない約束が入っていた。たいてい断るけれど、断るのも楽じゃない。セシルがまた何か勘違いしているようね。適当なタイミングと場所を提案するとか、さらに悪いことに、都合を聞くとか言ってきていた。明日だとか三日後だとかにお腹が空いているかどうか、喉が渇いているか、彼に会う気があるかなんて、どうしたらわかるっていうの。いま体調が良くないことはとりあえず置くとしても。彼女の健康が万全だったことなどなかった。本当にいつも身体には気をつけているし、いつも温かい恰好をして、便器にだって絶対に腰かけないようにしているのに。ちょっと風が吹くだけでもう、おかしな風邪で寝込んでしまう。この前はメルセデスとお茶していた時にやられた。開いている窓にほんの少しの間よりかかっただけなのに。夕方にはもう喉が地獄みたいにイガイガしはじめ、いつものようにセーター二枚とウールのタイツでベッドに入ったにもかかわらず、翌朝目が覚めた時にはひどく具合が悪くなっていた。そこそこ快復するまでに何週間もかかった。基本的に具合が悪くない時を言う方が簡単だった。おまけにあのいまいましいほてりの発作が、青天の霹靂のように襲ってくる。とにかくぞっとする。いますぐ新しいパンティーが必要だ。ロンドンで去年の秋にライトブルーの膝までの長さのを見かけたっけ。セシルが書いてよこしていた、リリーホワイツにはロイヤルブルーかスカーレットレッドカナリアイエローのしかないって。だったらハロッズを覗いてくれたらよかったのに。いずれにしても買ってくると彼は約束した。今度はその手配もしなきゃならない。やっぱり彼に会おうかしら、パンティーのためだけに。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、102~104; 「青衣の少年」)



  • 一年前のニュース。

(……)新聞。編集小欄は「花疲れ」という季語を紹介していた。歳時記というのもおもしろそうだ。ウクライナにかんしては、住民の虐殺はロシアの意図的な行動であるとの見方がつよまっているとのことで、そうでないわけがないとおもうのだが、たとえばドイツの諜報機関は自転車に乗ったひとを撃ちころしたということをべつの兵に説明する兵士の通信を傍受していたというし、ブチャの市長がドイツの公共放送とのインタビューで述べたことには、三二〇人の遺体のうち九割には砲撃による負傷ではなく銃創があったという。ロシア軍兵だけでなく、民間軍事会社「ワグネル」の雇い兵も主要な役割をはたしたとみられると。きのうの新聞に出ていたが、この会社はアフリカはマリでも影響力をもって活動しているらしい。また、ロシア軍が市民をウクライナ軍との戦闘の前線で「人間の盾」として利用していたという証言もあるらしい。やっていることがISISなどと変わらない。

More than 30 children have returned to Ukraine and reunited with their families after they were taken illegally to Russia, according to the Ukrainian organisation Save Ukraine. “Сhildren abducted by Russians from the Kherson and Kharkiv regions have been reunited with their families after several months of separation,” it said.

Russia’s campaign to break down Ukraine’s unified energy system within the past winter period has “highly likely failed”, the UK’s Ministry of Defence said in its latest intelligence update. Large-scale long-range attacks on Ukrainian energy infrastructure have become rare since early March, it said.

Ukraine’s ministry of defence provided the latest figures on the conflict. It said 177,680 Russian troops have been killed and 7,020 armoured combat vehicles have been destroyed.

Ukrainians have been marking the first anniversary of a missile strike on Kramatorsk railway station in eastern Ukraine, which killed at least 58 people, including several children. The attack took place on 8 April 2022, when the station was packed with women, children and elderly people waiting to be evacuated.

     *

A Ukrainian government minister is due to visit India on Monday and will seek humanitarian aid and equipment to repair energy infrastructure damaged during Russia’s invasion, the Hindu newspaper said on Saturday. Ukraine’s first deputy foreign minister, Emine Dzhaparova, will make the first visit to India by a Ukrainian government minister since Russia’s invasion.

  • 時刻をみたのが八時二〇分ごろ。息を吐いたりからだの各所をさすったりしてから起上。臥位のあいだは天気がつかめなかったというか、カーテンの裏からもれるあかるみが白かったのでまた曇りなのかなとおもったところが、あけてみれば青の空だった。しかし気温はきのうより低い印象で、起きてまもなくしばらくのあいだは肌寒かった。黒のマグカップでうがいをしたり水を飲んだりし、トイレに行って用を足したり。寝床にもどってウェブをちょっとみてから一年前の日記を読んだが、すぐに、米を炊いておこうとふたたび起き上がって、さくばんかたづけておいた釜を炊飯器から取り、冷蔵庫の横まで行ってしゃがむとそこに置いてある袋から米をすくってなかに入れ、おなじくそこに置いてある浄水ポットといっしょに流し台まで持っていくと水をそそいで炊飯器にセット、素手でちょっとかき混ぜたらもうスイッチを入れてしまう。ほんとうはしばらく置いたほうがよいのだろうが。日記を読んだあとは「読みかえし2」ノートも。そのあと(……)さんのブログもすこし読み、床をはなれたのはごろごろしているうちに便意が満ちたからだった。トイレに行って腹のなかのものをそとに出したが、その時点でもう一〇時をまわっていて、おもったよりも長居してしまったなとおもった。洗濯をすることに。それもながらく洗っていなかったシーツを洗える機会がやっとめぐってきた。それで寝床からはがして窓をあけ、したに通行人がないことを確認し(これいぜんにきのう干しても曇天と雨のためあまり乾かなかった集合ハンガーのものたちを出しており、それは窓外の左端にかかるので、視線がさえぎられて道の左方はあまりみえないが)、バサバサやってからたたんでネットへ。それで洗濯をはじめ、いっぽう椅子にすわって深呼吸兼瞑想。開始が一〇時一八分だった気がする。そして二五分は行かなかったはず。このときサイレンを聞いたようなおぼえがあるが、きのうも室内にいての瞑想中にも二度くらい耳にしたし、そとに出ればほとんど毎度遭遇する。救急車、パトカー、消防車がいそがしい町だ。食事にはつねのとおり温野菜をつくる。春キャベツののこりを皮を剝ぐのではなくもう直接ザクザク切ってしまい、そこに値引き品だった大根をいちょう切りにしてくわえる。もともと値引き品だったうえにたしょう時間を置いたので見た目や断面はあまりあざやかでなくなっている。あと豆腐とウインナー二本。電子レンジをまわしているあいだは窓外に出していた座布団をはやくも入れてそのうえにころがり、ティム・インゴルドの本を読みはじめる。一〇分ほどなのでたいして読むこともできないが。立つと、気温のためか足先がほぐれていないためか、深呼吸と瞑想をやったわりにからだがつめたくたよりなく感じられたので、固形物を食うまえに味噌汁を飲んで腹をあたためようと即席のそれを用意して、スチームケースとともに机上にならべるとパソコンを復帰させながら汁をすすった。きのうからスタンディングスタイルで作業するようになったが、とうぜん飯を食うのも立ったままにせざるをえない。しかしこれはこれでやってみればたいして苦ではない。立ち食いそば屋とかもあるしな。はいったことないが。野菜を食ってしまったあとは冷凍のヒレカツをおかずに炊きたての白米を食おうと用意したのだが、意外と食欲がないというか、からだが冷えていたところに食い物がはいっていったのでまだそれを処理するのに苦戦しているような感覚で、ヒレカツがあたたまってもすこし待って落ち着いてきてから取り出し、米のうえにのせてソースをかけて、すこしずつ食べていった。うまい。その他バナナとヨーグルト。ヤクは飲んだが、アレグラFXはきょうわすれた気がする。しかしそれでも、さきほど四時前から外出してきたけれど、花粉症の症状はぜんぜん出ていない。
  • 食後はRalph Towner『At First Light』をBGMにかけた。diskunionの新着情報でみかけたので。Ralph Townerはなまえだけでとくべつ興味を持ってはいなかったし、いままで聞いたこともなかったとおもうが、ソロギター作のようだったので。unionのページによれば五〇年ずっとECMでやってきてもう八三歳だという。Oregonのギターでもあるとあって、そうだったのかとおもったが、Oregonもなまえだけだ。じぶんも似非ブルースと似非インプロであそんでいるだけではなくて、もっとちゃんと曲のようなかたちで弾けるようになりたいな。
  • (……)そのあとWoolfの英文を読む。Donald Trumpまわりの記事も読んで、そうして臥位での書見へ。洗濯物はすでに干していた。たしかものを食べ終えて一二時ごろ。あとあれだ、書見にうつるまえに『ムージル書簡集』をほんのすこしだけ読んだのだった。こういうでかい本は重いから臥位で両手で持って読むということがしづらいので、机上でちょっとずつ読んでいくのがよい。シュテファニー・テュルカという、行政官の妻でグラーツにサロンをひらいていたという婦人にたいしてよく手紙をおくっている。一九〇五年三月二二日の(ということはムージル二四歳だが)手紙には『テルレス』についての自己解題みたいなことばがながながとあるので、これは書き抜くことにした。いつになるかわからんが。
  • それで書見はティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)のつづきで、きょうは327からはじまっていま372まで行っている。第一一章「サウンドスケープ概念に対する四つの反論」からで、つぎの第四部「物語られた世界」にはいって、第一二章「空間に逆らって」を過ぎていま一三章の「分類に逆らう物語」。ティム・インゴルドの中心的な概念やとらえかた、世界観はここまででもう出揃っており、いま読んでいるあたりはそれを各方面に適用してかんがえているようなおもむきなので、まえの内容とかさなるぶぶん、おなじとらえかたが語られるぶぶんもおおく、わかりやすくはある。しかしきょうはこのときなんだか読んでいてちょっとねむかったが。天気が良かったからか? 書見を切ると三時過ぎで、ストレッチなどし、日記を書こうかなというところなのだが、そのまえに椅子にすわって深呼吸していると、天気もよいし書くよりまえに買い物がてらあるいてこようかなというきもちが湧いてきて、どうしようかなとまよったのだが書きものなんてうっちゃっていませっかく生じたこの外向性に、心身の欲求にしたがうべきだと決定し(きのうは籠もってしまってあるいていなかったし)、立つとしたはさらさらとした薄手の真っ黒なズボン、うえは肌着のうえにブルゾンというかっこうに着替えた。かるいリュックサックを背負い、マスクをつけて部屋のそとへ。空気の質感はやはり少々涼しさを越えている感。みちにでると右に折れ、郵便局に行って記帳をしておきたかったのでふだんとちがいふたたび右に折れた。路上には日なたが敷かれ、そのなかにところどころ建物の影が食いこんでいて、陽にあたりきるでもなく陰につつまれきるでもなく半端なところをあるいて明暗をおのおの身にふれさせる。左手から葉の鳴りが聞こえて風のながれに気づき、向いてみれば、その奥に家があるのかなんなのかよくわからない、なんともいいがたい中途半端な土地に立った細い木が緑の葉をさらさらひかえめにゆらしていた。ここの道を行くといつも、右側のアパートのまえにあるダストボックスに目を落としてしまう。まっすぐ伸びていく道路のさきの空は無雲の水色、すこし前方には辻があって、四つ角のうち右奥が郵便局だがほかは建物が立って空間はほそくせまい印象で、いまそのあたりを温褐色と白の三毛猫がいっぴき、ちょくちょくとした小幅な足取りでゆっくり右へと横切っていった。すすんで郵便局前の駐車場にはいってみればその猫が端に座っており(そのまえに辻に出たあたりでカラスの鳴き声があたりに響くとともに、頭上を三匹ばかり電線や木から発ったのが渡っていく)、なかなか可愛らしいようすだったが、こちらを注視していたかれだかかのじょは警戒して、そこにあった黒い門を乗り越えて葉っぱの散らばった土地にはいり、するとその闖入にハトたちがさわいでのろのろ逃げ出し、バサバサっとすこしはなれたところにうつっていた。猫はこちらをみつめたままだが近寄ったりせず郵便局のほうにあるいて自動ドアをくぐる。ATMで記帳。(……)ほどまだのこっていて、あれまだこれくらいあったんだっけかとおもった。とはいえそうおおくはない。というかとてもおおいとはいえない。
  • 自動ドアを出たところで立ち止まり、陽とぬくもりの照るちいさな駐車場で通帳をまじまじとながめて項目を確認し、リュックサックをおろしてなかにしまうとあるきだした。スーパーに行くわけだが、まっすぐ行っても芸がない、散歩がてらというつもりだったので、辻をもときたほうにわたらずひだりに折れる。ここで折れたのははじめてだが行く道はとおったことがある。(……)のひろい敷地の西を縁取ってまっすぐ南の車道まで伸びる道路で、左側には歩行者区画をあらわす白線がないようだったので右岸に渡った。そうしてまっすぐ南へ。道沿いの家々の植物に目をやり、葉がゆれているうえに視線を蝶のようにひとときやどらせたりしながらすすむあいだ、まえからは車もおりおりはやいスピードで来るし、犬の散歩のひとや自転車ともすれちがう。自転車の三人連れが来たときにはまだはなれた時点で英語らしきことばが聞こえ、what you care? とか言っていたように聞こえたが、先頭をやってきた女性、というか少女だったかもしれないが、かのじょは自転車を飛ばしつつうしろにちょっと向きながら、I did! とことばをほうっていた。白人種ではなかったはずで、中国や韓国あたりの印象。ここで日本人だという可能性が出てこないというのも、ある意味へんなはなしかもしれないが。
  • 南の車道沿いに出ればいつもどおり一路西だが、太陽は左岸を越えてはるかな上空、ひだり斜めまえにつねに浮かんで、澄んだ水色の羊水めいたひたり場のなかからまばゆさを終始わたらせて、こちらの行く右岸に陰はなし、道に配された街路樹や電灯、そこにいるひとや通行人がみな一様におなじ角度で青味をひそかににじませた影を路上にななめに伸ばして引いて、ふしぎなことにとまってうごかない木や電柱のほうが影の輪郭線がおぼろにぶれているのにたいし、歩くひとや自転車のほうはすべるうごきのなかで日なたとの境界をかっきりしるしづけてみえるのだった。おなじ角度で湧き落ちている影をみながら行くうちに、じぶんのからだからもおなじ角度で出ているだろうと右を振り向けば、そばの家や塀にかかって折れたすがたがもちろんそこにある。ストアの横はちょっと草地になっており、その端でいま白くちいさな犬がちょこんと座って飼い主といっしょにたたずんでおり、尻尾のほうのふさふさとした毛の質感とあかるい緑の下草がまじりあっていた。横断歩道はちょうど青で、曲がってくる車があったのでポケットから手を出し、歩調をはやめて車に手をあげ会釈しながら渡る。越えるとまた手を布地の内にもどして鷹揚なあゆみぶりとなり、陽にあたるのを好んで裏にははいらず車道沿いのおもてを行った。まぶしさはつづく。(……)通りの横断歩道も青だったがちょっと遠く、しかし渡ってしまおうと行くと曲がる車がやはり待っていたので、渡るとちゅうで小走りになってなんとか抜け、すると行く手では踏切りが閉ざされているのへゆるゆる向かい、止まると首をまわしたりして電車が抜けていくのを待った。あけば向こうに自転車が何台もいるからはいらず脇にひいて通過を待ち、そのあとから渡っていくこのころにはだいぶからだがおちついてきて、歩調もそうとうにゆるやかになって、陽射しがあればおだやかなぬくもりがここちよく、みるものをあえて書こうともせずただみるような意識のかるさ、中華料理屋の裏から空き地のほうを見通すとあかるさのひろがったしたで緑が断片的に敷かれつつ風通しのよくなった淡褐色の穂草がまだ群れで立ち上がってかしいでおり、その脇の道に出ると土地の全貌があきらかになって視界がひろがり、向こうの病院やそれを越えた空まで視線がとおっていくのに、まえにもいちど書きつけたことだが、ストレッチをすれば筋肉が伸びるのとおなじように、視線と意識もまたこのように開放的に伸びていくことで伸縮を増してほぐれていくのだとおもった。ちょっと北側は最寄り駅そばの踏切りである。ちょうど閉まっていたそこまで来ると道端に幼児がひとり若い父親と立ち止まっており、父親はあ、来るよ、とか、見える? とか声をかけている。その言のとおり電車は右手から気配としてちかづいてきており、こちらはせまい踏切りの口の真ん前ではなくそこからちょっとひいたところに立ち、右足を横に出してすじを伸ばしたり首をまわしたりしながら電車の通過を待って、終わればひとびととともに向こうにわたって、ひだりに折れてパン屋のなかをのぞきながら通り、そこから駅前の細道にはいって行けばスーパーなのだがここでもあえて遠回り、マンションと寺のあいだの道のほうに行った。建物と木のために道はおおかた日陰につつまれている。このころになるとあるいてきたために小便がしたくなっており、しかしトイレを借りられるところとかないよな、寺のなかに便所があるか? とおもいながらもはいらず過ぎて、無雲の水色をみあげながら天空とは視覚が対象化するものではなくひかりじたいのことであり、ひかりもまたわれわれがそれを見るものではなくそのなかにあって見るものだというティム・インゴルドのはなしをおもいだしていると(このへんの環境もしくは流動的メディウムを主体と区分された客体的対象とみるのではなく、有機体がそのなかにつつまれ相互浸透することで知覚や能力(ものを見ること、聞くこと、触ること、生きること)を可能にする条件ととらえる見方は、レヴィナスがいうところの「始原的なもの」のあつかいにちかいような気がするのだが)、小便のことはしばしわすれて、おもてに曲がって歩道をスーパーのほうに折れてからまたおもいだし、そこに寺の塀のとちゅうに裏口が出てきたのではいってみるかと踏み入った。はいってすぐ右には住居らしく自転車の何台か止まった建物があり、細い行路の左側には白い小花をちらほらつけたツツジの茂みや、いたいけなちいささの真っ赤な鯉が散らばっている小池がある。抜けていき、広場に出て、トイレはないのかなとあたりをきょろきょろ見回しながらうごき、桶なんかがならんで水道もあるあのへんにありそうかなとそちらに行くと、男用便所はこちらと表示があったのでほそい通路をはいってトイレへ。真っ暗で、入り口に扉もなく外界との空気の交通がよかったが、踏み入れば自動であかりがつき、小便器ひとつ個室ひとつのこじんまりとした室だった。放尿する。水場はそこにはなく、通路をもどって脇に水道があるのでそこで手をかるく洗い、しかしハンカチをわすれてきてしまったのでしめったままポケットに突っこむほかはない。そうして裏口からそとにもどってとなりのスーパーへ。日曜の午後四時台、自転車は多く、いま漕ぎ出すひとも、買い物を終えてじぶんの停めた位置に来たひともおり、対岸で停まった車からは男性が出てきて、青になった横断歩道にガラガラとベビーカーでかかった女性もカーのうしろにバッグをかけつつ、トイレットペーパーはじぶんで持っているようだった。
  • 帰宅したのは四時四〇分くらいで、ちょうど一時間ほどの外出だった。そこからきょうのことを書き出して、ここまでで七時をまわっている。店内と帰路のことはあとで書けたら。おもてを行っているあいだも心身がゆるかったが、それとおなじような調子で、ちからをいれずゆっくりと記すことができた。打鍵によって左半身、主に肘や上腕のあたりがきしまないとはいえないが、しかしきのうとくらべてもましで、さほどのうっとうしさはない。きしんできたなとおもったらいったん切って、そのあたりやからだのいろいろなところをさすってやわらげながらつづけた。あととちゅうで椅子に座ってRalph Towner『At First Light』もすこし聞いた。五曲目の"Guitarra Picante"がよい。
  • スーパーにはいると入り口横のアルコール消毒でペダルをかしかし踏んで手に液をちょっと出し、それをすりつけたあと籠を取って、まず値引き品のラックを見に行く。きょうは豊富。バナナの高いやつが安くなっていたので買うことに。ブロッコリーもたくさんあったのでふたつゲット。安いほうのバナナもあり、さらには半額になっている苺のミニパックもあったので食いたくなって買うことにした。なにしろ果物は高いので、ふだんはバナナいがい買うことができない。その他白菜やキャベツや豆腐、あといまつかっているひとつのみしかなくなっていたティッシュなど。白米を食うときにいいかげんなんか納豆いがいのものないかなとおもってふりかけのコーナーを見に行き、鮭のやつも籠にくわえておいた。きょうは甘味にも惣菜にもパンにも冷凍食品にも興味がむかない。それで会計へ。あいてはよくみる眼鏡の、髪を横で編んでちょっと垂らしている高年の婦人。なまえをわすれてしまったので名札を盗み見ようとしたがみえず。機械で金を払って整理台へ。整理台もいつも行く時間だと空いているのでいちばん端をつかうのがもっぱらなのだが、きょうは日曜日の夕方前、埋まっているのでそのへんの空いているところにはいった。リュックサックとビニール袋に品物を整理し、籠を横のラックにかさねてリュックサックを背負っていると、会計を終えてカートを押してきたからだのたしょう難儀そうな老婆がはいる台をもとめているというかいちばん手近だったこちらのところが空くのを待っているようにみえたので、ビニール袋を取りながら会釈してゆずるような姿勢をみせ、そうして退店。横断歩道を待って渡る。裏道にはいっていくあいだ足はきわめてゆるい。たぶんほかのひとからあるくのおそすぎじゃない? とおもわれるくらい。むかし、実家からあるいて出勤していたときに、とうじの生徒だった(……)が友達といっしょに裏道でとおりかかって、あるくのおそっ、と笑われたことがあった。道中、たいした印象はない。ただ荷物を背負い、袋を右手に提げて、もうかたほうはポケットに入れながらゆるゆるあるいていた。たいした印象はないが心身がしずかによくおちついていまここの時空がかるくまた不純物のすくない明瞭なものとしてつづき、裏道を出ると向かいの小畑で菜の花がゆれていて、その横からまた細道にはいって日なたとじぶんの影をみおろしながら行けば右の一軒で高年の男性が車に泡をつけて洗っていた。公園前に出る。縁にある太い幹のやや屈曲するようにのぼっている桜木はもう若葉の風情がつよく、下方はまだちいさいとはいえぜんぶ緑色になっており、こずえのうえのほうになると白い薄片がちらほらあったり、中間的な鈍い臙脂の点々が混ざったりもしているが、初夏をよそおいはじめているなとおもった。左折してアパートへ。路地のさき、左右の建物、こちらの住むアパートのひとつうえの部屋に吊るされている洗濯物、路地を出たところにはさまる横道、その向こうでふたたび細くつづく路地と最奥に塗られた水色の空、あかるさ、この空間を(ティム・インゴルドは空間という語に純粋抽象的な意味合いをどうしてもみてしまうと反感をしめしていたが)前方に見通して、それを形容し記述するなんのことばもわかず、どういう感覚なのかわからなかったのだが、ただそこになにかがあるような、そこに、というよりはそれをみながらそことひとつながりになった道のうえをあるいているいまこの時間がなにかであるような、そのような言語と表象未満の原 - 感覚、未 - 感覚のようなものをおぼえていた、のかもしれない。そのときには視線を散らばしてただ見ていたのだ。背後からはガラガラというおとが聞こえてくる。ひだりにひらいた横道の向こうに西の太陽があらわになって、午後四時半の春の斜光をみちに降らせて日なたをひろく接続させる。おとはベビーカーらしくおもわれたから赤子を乗せているのだろうとおのずと予想していたら、こちらの右を抜かしていった婦人が押すそれに乗っていたのはちいさな犬だった。そうしてアパートに帰還。風があった。階段をのぼっているあいだも風が通路を満たして身をつつみおどる。
  • 帰ったあとは上述のように文を書き、七時すぎから食事。温野菜と納豆ご飯と苺。食うと八時くらいで、食後は洗い物をしたり歯を磨いたり、Guardianの記事を読んだり、Ralph TownerをBGMに(……)。九時になると一時間経ったからそろそろやるかときょうのつづきを書き出して、ここまでで九時半。打鍵をしていてもからだに軋みがほぼ起こらない。すげえ。立つだけで良かったのか? 座っていると下半身のながれが停滞してしまってやはりよくなかったのか。しかしそろそろ脚は疲れてきた。ときどきさすって延命しているのだが。太ももの裏側をさするのがとくによい。いま調子に乗って、このあいだ散歩に出たときにアパートまえの自販機で買ったサイダーを飲みはじめてしまった。それできのうのこともみじかく書き足して終い。あとは六日と七日だが、さすがにきょうじゅうには無理だ。ただ六日の外出路のことはできればきょう書いてしまいたいが。
  • いま一〇時四〇分。六日の記事の帰路まで書いた。あとこの日は通話中のことだけ。そうしていまふと気づいたのだが、きょうじぶんがじっさいに声を出したのは(Woolfの文の音読は無声音だしひとりだしのぞくとして)、スーパーのレジでポイントカードはと聞かれて手をふりながら「いや、だいじょうぶです」と言ったのと、読み込みが終わって値段を告げられたのに「はい」とかえしたのと、会計のために機械のまえにうつったところに店員が籠を送ってくれたのに「ありがとうございます」と礼を言ったこの三回だけなのだ。これはひとり暮らしあるあるだとおもうし、籠もっていればいちども声帯を実音で振動させない日もあるだろうが、いまちょっとあらためておどろいた。こんなに文を書き、あたまのなかでしゃべりまくっているのに、じっさいに声を出して他人とコミュニケーションしたのは三フレーズだけなのかと。そんなにもしゃべっていないという感じがぜんぜんしなかったのだ。
  • あしたの勤務後に帰る、一〇時半くらいになるとおもうと母親にSMSを送っておいた。せんじつ来たのに金曜の勤務後がいいかもと返したのだったが、それはやっぱりやめとして、月曜の勤務後にすると言っておいたのだ。それをあらためてリマインド。


―――――

  • 日記読み: 2022/4/9, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1344 - 1350
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/8, Sat.

 ピラネージは斧と松明でもって藪と夕暮れを切り拓き、ヘビやサソリを追い払うために火を放った。黒いケープに身を包み、月光に照らし出されたその姿は、まるで未来の小説の登場人物のようだ。つるはしと鋤で地中の王国に向かって掘り進み、台座や石棺を発掘し、古い防御施設や風化した橋の控え柱や支柱を測量し、石塀の接合部分や柱の配列を観察し、建物の正面 [ファサード] や土台を調べ、納骨堂の碑文を解読し、柱の縦溝の装飾とアーチの帯状装飾 [フリーズ] を模写し、土に埋もれた猛獣の檻や劇場の舞台の平面図と立面図、生い茂る植物に覆われた神殿や城砦の横断面図と縦断面図をスケッチし――さらに休みない手で、この途方もない建築物群を造るために必要だった梃や角材、鉤金具や鎖、振り子や担い棒を描いた。彼にとっては石ころ一つでも何も語らぬということはなく、もろい石塀や、損なわれた円柱基部の中に、かつて力に満ち溢れていたこの都市の身体を形成する手足や筋肉、この身体を養う血管や臓器を見出せないことはなかった。橋や幹線道路、水道や貯水槽、そして何より迷路のような最大下水路 [クロアカ・マキシマ] の、多数の手を持つ運河は、もっとも低次の欲求を統制するものであるにもかかわらず、いやむしろまさにそれゆえに、すべての建築術の頂点に位置するものであり、ピラネージの評価によれば、その壮大さは世界の七不思議をも凌駕した。百年前、処刑された殺人犯のまだ温かい死体を解剖した解剖学者ヴェサリウスのように、ピラネージもまたなかば朽ちかけた建物の本体、彼の目には罪なくして滅亡したように映る過去の帝国の残骸を解体した。
 生涯にわたり一軒の家も建てることのなかったこの建築家は、雄弁な瓦礫の山をもとに憧れの過去の見取り図を作成すると同時に、まったく新たな世界のヴィジョンを立ち上げ、彼の銅版画に描かれたその世界は、大地に縛られたいかなる建造物よりも多くの人間を虜にした。仕事場で冷たい滑らか(end86)に磨き上げられた銅板の上にかがみ込み、赤鉛筆の大まかなスケッチをエッチング用の地塗りに写していく時、彼のまなざしは堆積物や建材を苦もなく透視した。無数の線や点や鉤、染みのような形、震える線、まるで新しい針路をとるように、細部を描くごとに線の向きは変わるにもかかわらず、それらはごく稀にしか交わらない。彼は銅板を繰り返し腐食液に浸しては表面を取り除いていき、また別の版には液を滴らせてごく微細な溝にまで酸を浸透させ、彼が忘れたくない物、忘れられない物の姿を永遠に留めようとした。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、86~87; 「サケッティ邸」)



  • 一年前の日記から。ニュース。

(……)新聞一面からG7およびNATOの外相会合があってロシアを非難という記事、ならびにキエフやチェルニヒウ周辺からロシア軍はかんぜんに撤退したもようという報を読んだ。その兵力はいまベラルーシやロシア国内にひいているらしいが、これから東部に再配置されるはずで、そちらの戦闘激化が懸念される。国際面にはブチャの市民らの証言があった。男性は問答無用でなぐりたおされひざまずかされ、目隠しをしてあたまに銃をつきつけられた女性などもいたと。ロシア軍兵士は、おまえたちをナチスから救いに来たと告げ、ゼレンスキーはNATOにはいりたいだけのピエロだ、ナチスはどこだとおおまじめな顔で言っていたという。かれらが「ナチス」ということばでどのようなにんげんや思想を想定しているのかがまったくわからない。たんに「凶悪人」とか「われらの敵」ぐらいの、意味のはなはだひろいマジック・ワードのようにしてとらえられているふうにみえるのだが。たんなる方便でしかないのだ。そしておそらくこの例のような前線の兵はそれに気づかず、クレムリンプロパガンダを信じこみ、「ナチス」という語をじぶんに都合のよい意味で解釈し、行為を正当化するために利用している。プーチンや高官らにしてもほぼおなじことだろう。兵のなかにはまだ学生のようなあどけなさをのこした顔立ちの若者もおり、かれはいくらか動揺していたようだが、古参の兵はおちついてそのようなことを主張していたと。いっぽうで証言者によれば、酔っ払ったロシア兵の対立がきこえ、かたほうがウクライナナチスだらけだというのにたいし、もうひとりはプーチンは嫌いだ、戦争なんてしたくないといっていたという。

  • 述懐。

きょうの昼間のどこかのタイミングで、もうすこしじぶんじしんにつきたいとおもった。凡庸きわまりないことでもそのときじぶんがそうおもったりかんじたりしたのなら、凡庸さを凡庸さのままにいいはなってしまうふてぶてしさというか。もうすこし堂々と、厚顔無恥に書きたいと。たとえばきのうの記事でトーマス・マンの『魔の山』について記したとき、ひとをとらえる永続的かのような時間感覚の同化吸収作用が魔の山の「魔」性についての「もっとも標準的な理解となるだろう」みたいな書きかたをしたのだけれど、この「もっとも標準的な理解」というのはようするに、この作品を読めばだいたいだれでもこういうことはおもいつくだろうとくにおもしろくもない解釈だということをいいたいわけである。それをそのまま意気揚々とかきしるすのがしのびないので、自己相対化による皮肉的な水準をどうしてもさしはさんでしまうのだけれど、もうすこしこういうことわりをせずにありきたりなことを堂々と書きたいなあと。しかしまだそこまで自意識を廃することはできない。皮肉をはさむというのもそれはそれでいま現在のじぶん、どうしても相対化ぶってしまうじぶんについているともいえるのでまあべつによいはよいのだけれど、それはしょせんはじぶんはそのていどのことしかおもいつかず書くこともできない平凡者であるということをそのままみとめてしめすことができずに糊塗せざるをえない似非インテリの知的ポーズなのであって、蓮實重彦だったらせいぜい「相対的な聡明さ」にすぎないと言ってけなしたにちがいない性質である。「相対的な聡明さ」の反対がなんだったか、絶対的な愚鈍さなのか、絶対的な差異にふれる能力ということなのか、よく知らないのだが、べつにそれをほしいとまではいわないとしてももうすこし自己相対化なしでじぶんにつきたいなあと。けっきょくのところ問題はじぶんじしんに、それもじぶんじしんのまずしさに徹底的につくということなのだ。こういった思考傾向の発展には三つの段階がある。はじめに自己相対化を知らず、たんに無思考で無邪気な素朴さのレベルがある。つぎにあらゆるものごとを相対化して懐疑したり吟味したりする知的とよばれるふるまいの段階がある。それを経過して一周まわるようなかたちでさいしょの素朴さに、しかしなにかしらの深さや気配や自覚をたたえたような異なおもむきで回帰するのが三つめの水準である。ロラン・バルトはどこかでそれを螺旋状の回帰と呼んでいた。はじめとおなじ地点にもどるのだが、しかし位相がちがう。道元もたぶんそれにちかいようなことは言っているはずで、仏教のほうでもこういうかんがえかたはあるのではないか(バルトのネタ元もそうだったかもしれない)。

  • 出勤路。

徒歩。家から東の坂道にはいると日なたの範囲が先日よりもみじかく、背に来るひかりもそこまで厚みをもたずじりじりしないようにおもわれたが、それはもう三時だからだろう。風があり、左右の木立をさわがせ、とちゅうの篠竹のあたりでも葉擦れを起こしているそのおとが、先月の記憶とはひびきがちがってシズルシンバルのさらさらしたたなびきではなくもっとひっかかりのある重さをもっていた。斜面したのみちにある一軒の脇で桃紫のモクレンが盛りをはずれて蝶の花にくずれの気配をみせだしている。

おとといとおったときとはちがって水路は平常にもどりひびかず、かわりにきょうは風がひっきりなしにおどるかのようであたりのこずえはことごとくおとを吐き、ほそながい竹などさきのほうを押されてかなりかたむいていた。きょうも街道に出ると工事現場にとめられている車を待ち、去ったところでむかいにわたって東へ一路、背後から陽射しが肩口から尻や靴もとまでつつんでくるおもて通りは先日よりも時間がくだってむしろ熱い気がした。公園の桜はまだふくらみをたもって一見かわらないが、もう盛りは超えて、となりの家の砂利の駐車場には花びらがたくさん混ざって、歩道にもあり、すぎざまになかをのぞけば地にはふるいでおとされた小麦粉のように白い花弁がまぶされていた。

きょうは裏にはいらずおもてをそのまま行き、じきにさすがに首のうしろにたまった熱が重くなってきたので、ジャケットを脱いでかたてにもち、バッグとで両手ともふさぎながらみちをたどった。おもてみちにも風はあり、吹けばベストから出てワイシャツいちまいにおおわれたのみの前腕がすずしい。とちゅうでとつぜん砂っぽいようなにおいがマスクのしたの鼻にふれた瞬間があり、なんだとおもったらひだりにどす黒いような木の古家があるそのまえをとおるところだったので、ああこれは木のにおいだとおもった。ひかりをうけてあたたまった古木が吐いたのだろう。観光というほどの名所もないが、(……)の枝垂れ桜でもめざすものか、よそから来たらしい散策すがたの高年の男女一団がおり、木造屋の壁に貼られた古びた地図をまえにどこだとかなんとかはなしていた。前方には女子高生四人ほどがつれだって、こちらの足でも追いつきそうな気ままなゆるやかさで下校中、とおりのむかいではビルのわきの妙な像のあたりにこちらも下校中の小学生らがつどってにぎやかにあそんでおり、笑いさざめくその声が建物や空間に反響して女子高生らもそちらをみていた。ヒバリだかツバメだかなんの鳥だかわからないが、さえずりもしきりに路上に降って、対岸かららしいとビルのうえなど目をむけるがもとを視認できようはずもない。駅ちかくなって裏に折れて行くと、自転車にふたり乗りした男子高校生らがさわがしく追い抜かしていき、みちのさき、駅前に出る角ではべつの集団がたむろしていて、なかまらしく合流してなんとかいいあったあと、こちらがそこまであるくまえにほとんどのこらず発っていった。

  • 覚醒後の寝床で一年前の日記を読んだあとは、(……)さんのブログも何日分か読んだ。さいきん大雑把にのぞくばかりで正式に読めていなかったので。いまさらいうまでもないが、以下の言い分はひじょうによくわかる。

 食後、女子らはタクシーに乗って大学にもどるという。(……)くんが散歩がてら歩いて大学まで帰りたいというので、かまわないよと受けたのだが、地図アプリで大学までの道のりが4キロあることを知った途端、やっぱりタクシーに乗りましょうといった。軟弱なやっちゃ! ただただおしゃべりしながら歩くという行為の豊かさをまだ知らないのだな。(……)くんとカフェでだべったあの夜は、すでにかなり遅い時間であったにもかかわらず、われわれは一時間かけて大学まで歩き、そのあいだひたすらしゃべり通したものだった。日本でも中国でもおなじだ、カフェだの食事だの映画だのは単なる方便にすぎない、おまけでしかない、本当にゆたかな時間というのはただしゃべること、だべること、歩きながら語ること、それだけなのだ。こちらがこれまである程度親しい関係を築くことのできた人物は、みんなここのところを理解していたし、このよろこびを共有することができていた。

  • けっきょく友達と会う、遊ぶといって、なにかとくべつな場所に行ったり、アクティヴィティをしたりしてもよいわけだけれど、べつにもうただくっちゃべるだけでいいじゃんと。それがいちばんおもしろい。じぶんのいうこととか思考はだいたいいつもおなじなので基本つまらんのだが、他人のはなしを聞くことはほぼつねになにかしらのおもしろさをふくんでいる。かくいうじぶんもむかしはひととはなすことが得意ではなく、むしろ苦手なほうで、いまもとくべつ得意ではないが、やっぱり文学にふれはじめ読み書きをはじめてからひととはなすのはおもしろいという感性がはぐくまれてきたな。正確にいえばさいしょのうちは読んで書くいがいの時間など無駄だというかぶれた熱情状態にあったから、職場の飲み会とかもちろん時間の無駄でしかないとおもっていたのだが、何年か読んで書いているうちにそういう時間のなかにも興味深いもの、おもしろいものがふくまれていることに気づきはじめ、人生において退屈をおぼえるということがほぼなくなった(それは瞑想習慣の寄与したところもおそらくある)。そういう感性をそなえたいまのじぶんにとって、日々多数の一〇代(ときにはそれ未満も!)の若者もしくは子どもたちとコミュニケーションを取ることになる塾講師というしごとは、まあ天職とまでは言わないが、かなり向いているとおもう、おもしろいものになった。
  • その他引用もろもろ。

 いったい、あの世があるものか、あるとすればそこにはどんな眺めがあり、なりわいがあるかということほど、人々の大きな関心をひくものはありません。それもこうした世なればこそですが、明朝が倒されて清朝になり、戦乱あいついで匪賊が横行し、目を覆うばかりの殺戮がなされる。商家が興り農民が安穏を得たと思えば束の間で天災蝗害などが起こり、たとえこの世からあの世に行ったとしても、いわばそうした世変わりに過ぎず、あの世とても官僚が腐敗しきって、賄賂など行われるのが当然と考えていたのかもしれません。
(森敦『私家版 聊齋志異』)

  • 「たとえこの世からあの世に行ったとしても、いわばそうした世変わりに過ぎず」。すばらしい。

千葉 政治活動は、主体化にとって非常に大きな場だということですよね。ただ、政治活動以外でも、アーティストが芸術活動で主体化するように、人は何かに熱中することで主体化される。そうするとポイントは、目的志向的な活動は何か主体化を取りこぼす面があるということですよね。
 目的志向的に動いていると、何かが疎外される。つまり、目的志向活動の外部にこそ、主体化があるわけです。さらに言うと、この主体化という言葉は、主権化とも言い換えられると思うんです。國分さんはさきほど、目的志向的に活動すると、ある方向性に一致する人々は喜ぶけど、犠牲が出ると言いました。つまり、そこで振り分けが起こる。そこで取りこぼされた人たちは、自分たちの居場所がないという不満を持ってしまう。そうではないようにするためには、いかに主体化あるいは主権化の場を、目的の外部で確保するかが重要になるわけですよね。
國分 その場合、「主権化」というのはどういう意味だろう?
千葉 何が言いたいかと言うと、主権化を、いま言ったような意味での主体化というものに定義変更すべきだということです。いままで主権という言葉は、目的志向的な行動の強者の側に割り当てられるような響きを持っていましたから。
國分 主権というのは最終的な決定権のことだからね。いまの千葉さんの定義変更は大竹さんの議論ともつながるように思う。合目的ではない政治は、いままで決して政治的な主体とみなされなかった無力な者たちも包摂するような政治であると大竹さんは言っていて、非人間的なものや事物の政治の構想が語られている。
千葉 たとえばネグリが議論しているようなある種の開かれた主権性というものも、いま言った主体化の問題につながっていて、まさに無力な者たちがいかに主体化するかという話だと思います。さらにひねった展開をすると、トランプ支持者やブレグジット支持者の議論ともつながりますよね。
 あの人たちは、自分たちがある目的志向性から排除されて、主体化できないことを不満に思っていて、主体化させてくれと言ってるわけですよ。そのときに与えられるソリューションが、排他的なレイシズムと結びついてしまうことに今日の問題がある。だから、そうではない仕方で、その主体化あるいは主権化の要請にどう応えるかということが、政治の次の課題として問題になっている。
國分 非常に面白いですね。主権を求める人たちの声がなぜレイシズムに引っ張られてしまうかというと、主体化のモデルが敵に基づいているからだろうと思うんです。
千葉 そうです、そうです。
國分 敵をやっつけることで主体化するというモデルしかないから、主体化への要求が敵を打ち立てるレイシズムに結びついてしまう。すると、いま議論しているような目的を持たない遊びとしての政治は、アドホックには敵はあるかもしれないけれども、それが主体化のモメントになるのではなくて、参加して活動していることそのものが主体化につながっていくような政治であるのかもしれませんね。
千葉 根本的に敵対関係によって動機づけられるものではないような主体化、ということですよね。そのような政治は可能か。まさに反シュミット的な政治ですね。
 でも、それこそがコミュニズムだと思います。コミュニズムが言っている「コミューン」とは、敵友関係がない、遊びの共通地平を拓くということですよ。歴史的な共産主義運動は、はっきり敵を作ってやってきた。その歴史から言えば、いま言ったような遊びとしての共通平面を立てるというのは、どちらかというとアナキストが考えてきたことだと思います。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

     *

千葉(…)おそらくそこで重要になってくるのが、僕らが繰り返し議論している「権威主義なき権威」をどう作っていくかということです。それは歴史性を尊重することだという点は確認してきました。ただ、歴史性を尊重する、大事にするといっても、放っておけばそうなるわけでもありません。なんらかの意味で尊重させる、大事にさせるという強制性が伴うことになる。
 でも対談の冒頭に言ったような知の民主化がそこに立ちはだかっている。つまり、インテリの教養主義などふざけんなという反エスタブリッシュメントの動きが強まっている。それはそれなりに倫理的な重要性がある抵抗ですから、無視できないと思っているんです。
國分 それを無視できないというのは僕も共感します。では、そのうえでどうすればいいか。千葉君はどう考えますか。
千葉 まず大事なのは、自分が他のものに依存していることを認めることだと思うんですよね。いまの平等化は、みんなが自己権威化している状態になっている。個々人が小さな権威になってぶつかっているわけですよ。
 でも、人間が思考するときには、必ずその素材なり何なりをどこかよそから持ってきている。常に他者依存的に動いている。これはラカンを持ち出すまでもなく、何らかの他者のイメージとか他者の言語を参照しないことには、主体化はできないわけですよね。にもかかわらず、まるで自分が自分一人で存在しているような勘違いをしている人たちが多数いるのが現在の状況です。
 われわれが「権威主義なき権威」と言うことで何を呼び起こそうとしているかというと、われわれは常に何か、他なるものを参照してきているんだということ。根本はこれだと思います。
 そのうえで、われわれ人文学者は、そのことを「歴史性」という言葉で言っている。常に何かのテクストを参照して考える。それを絶対視するわけではないけれど、さしあたり、あるテクストに依拠して語るということをやっているわけですよ。
 僕が『勉強の哲学』で広めようとしたのも、自分は他者によっかかっているということです。それはある種の謙虚さを導入するということですね。
國分 なるほど。それも「使用」とつながってきますね。自己権威化とは自分が他者を通じて主体化したことの忘却であり無視である。人は必ず何かを使用することで主体化していってるはずですね。そのことが認められれば、自分が主体化するときに「使用」した他者や物に対する敬意やそれを慈しむ心も出てくる。
 これは何度でも強調したいところだけど、言語というのは社会や親から押しつけられて使用しているわけですね。言語は自分のものではなくて、他なるものである。
千葉 レイシズムの問題もそこにあります。他者を敵対的な鏡として使うことによって主体化する人たちが、いま、主体化で困っている人たちなわけですから。
國分 それは使用関係でなく、支配関係なんだよね。
千葉 そう。そこから使用関係に抜けていくことで、別の主体化に導いていく。そういう政治的実践はあり得るんじゃないかということですよね。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

 たいていの場合、ひとが助言を求めるのは、ただそれに従わないためである。あるいはもし助言に従うのだとすれば、それは助言をくれたそのひとを責めるためだ。
——アレクサンドル・デュマ『三銃士』
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』)

Russia or pro-Russian elements are likely behind the leak of several classified US military documents posted on social media, three US officials told Reuters. The unnamed officials said the documents provided a partial, month-old snapshot of the war and appear to have been doctored to play down Russian losses, according to Reuters. The New York Times earlier reported the documents provided details of US and Nato plans to help prepare Ukraine for a spring offensive against Russia. The US Justice Department said it has begun a probe into the leak.

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Russian Federal Security Service investigators formally charged Evan Gershkovich with espionage but the Wall Street Journal reporter denied the charges and said he was working as a journalist, Russian news agencies reported on Friday. Gershkovich is the first American journalist detained in Russia on espionage charges since the end of the cold war.

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Russia’s foreign minister, Sergei Lavrov, has threatened to abandon a landmark grain deal with Ukraine if obstacles to Moscow’s exports remained. The agreement last July allows Ukraine to export grain through a safe corridor in the Black Sea. “If there is no further progress in removing barriers to the export of Russian fertilisers and grain, we will think about whether this deal is necessary,” Lavrov told a news conference in Ankara alongside his Turkish counterpart, Mevlut Cavusoglu, on Friday

Ukraine can resume exporting electricity after a six-month gap, given the success of repairs carried out after repeated Russian attacks, the energy minister, Herman Halushchenko, said on Friday. Last October, Ukraine halted exports of electricity to the European Union – its main export market for energy since the war began – following Russia strikes on energy infrastructure. “The most difficult winter has passed,” Halushchenko said.

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Ukraine president Volodymyr Zelenskiy on Friday criticised Russia’s treatment of the Muslim-minority Tatar community in Kremlin-controlled Crimea and vowed to recapture the peninsula from Russia during a first official state iftar. Speaking outside the centre of the capital, Zelenskiy announced Ukraine was beginning a new tradition of hosting an official iftar, the meal breaking the daily fast during the month of Ramadan.

  • この記事のなかに、〈Loomer has previously described herself as “pro-white nationalism”, claiming “there’s a difference between white nationalism and white supremacy … and a lot of liberals and leftwing globalist Marxist Jews don’t understand that”.〉という一節があって、〈leftwing globalist Marxist Jews〉なんていうくくりがまだ生きているんだなとおもったのだが、これはたんにユダヤ陰謀論を信奉しているひとびとにとってだけのことかもしれない。とはいえ、左派やグローバリストをそのままマルクス主義者と等値するとらえかたが、西暦二〇二三年の日本に生きるこちらにとってはある意味で新鮮というか、まだそんな古臭い見方がのこっているのか、という印象を生じさせる。とはいえこれも反グローバリズム陰謀論者界隈にかぎったことかもしれないけれど、ただなんというか、日本では「マルクス主義者」なんていうレッテルもしくはくくりは、もはや化石的なひびきを帯びて聞こえる気がするのだけれど(しかしこれもわからん、さいきんだと斎藤幸平がゆうめいになったりしているので、マルクス主義的左派の復権がたしょうみられるのかもしれないし、マルクス主義はともかくとしてマルクスが左派思想にとってつねに重大な存在であることはうたがいないだろうが)、アメリカやヨーロッパなどではMarxistに日本とはちがったかなりおおきな意味合いが乗せられているんだろうなということを漠然と想像する。それはソ連との関係からくる歴史的事情があるのだとおもうが、ところでうえの〈leftwing globalist Marxist Jews〉というくくりかたは、第二次大戦中にナチスドイツがソ連にいだいていたイメージとまったくおなじだとおもうのだが。おまえはいつの時代を生きてんねんという感じだけれど、ということは要はトランプ派のこういうひとたちにとって(あるいはひろく右派にとって)、合衆国内の左翼というのは国内に旧ソ連勢力があるのとおなじようなことなのかもしれない。しかしいっぽうで、ソ連の崩壊を歴史的悲劇とかんがえ連邦もしくは偉大なるロシア帝国の復活をゆめみているであろうプーチンは、欧米の右派勢力のあいだにも支持者がおおい。
  • ちなみにこのDonald Trumpが起用を指示したLaura Loomerというひとの合衆国観はつぎのようなもの。〈In the same conversation with a white supremacist podcast, in 2017, Loomer said the US “really was built as the white Judeo-Christian ethnostate, essentially. Over time, immigration and all these calls for diversity, it’s starting to destroy this country.”〉
  • Marjorie Taylor GreeneはLoomerを嘘つきだと非難しているが、かのじょはかのじょでやはりユダヤ陰謀論の信奉者だ。〈“Laura Loomer is mentally unstable and a documented liar,” wrote Greene, who has risen to power in the Republican party despite spreading conspiracy theories including that wildfires are caused by space technology controlled by the Rothschild family and that the Parkland school shooting in Florida was a “false flag” operation.〉ロスチャイルド家がどうのとか、マジでいつまでそんなこと言ってんの? とおもってしまうが。
  • ところでかなりどうでもよいことではあるのだけれど、〈Loomer, Greene said, “can not [sic] be trusted. She spent months lying about me and attacking me just because I supported Kevin McCarthy for [House] speaker and after I had refused to endorse her last election cycle.”〉という箇所のsic(原文ママ)が、さいしょなんでこれがあるのかわからなかったのだけれど、つうじょうcannotのところがcan notに分かれているからか、とおもいあたった。それでちょっとおもったのだけれど、can not be trustedだと、not be trustedをひとまとまりにしてcanと分けるとらえかたができるのかなと。つまり、信用されないことが可能である、信用されない可能性がある、という読み方をする余地が生まれるのかなと(文脈上ここの意味は明白だが)おもったのだが、たぶんこれはかんがえすぎだろう。
  • 覚醒をみて時刻を確認したのが七時五三分。そこが起上だったとおもうが、それいぜん、布団のなかで鼻から深呼吸したり、からだの各所を揉んだりさすったりしていた。からだを起こしてからも腰の周辺を揉んだり首をまわしたりし、それからカーテンをあける。曇天である。立ち上がって水を飲むときょうは尿意がなかったのでそのまま布団のうえにもどり、掛け布団はたたんで奥に寄せておき、座布団二枚のうえにあおむいて旧枕をクッションがわりに胸のうえに置いて、Chromebookをそこに乗せてウェブをみたり日記を読みかえしたりした。(……)さんのブログも。九時半ごろ離床。ジャージに着替えると、すぐに椅子について瞑想をした。さいしょのうちはしばらく鼻から深呼吸して、じきに静止。きのうよりはましだが腰まわりがやはりいくらか硬いのが感じ取れる。それで静止のうちにもときどき深呼吸をして、からだの奥のほうまでほぐれるよう促進する。じっさい、深呼吸をしたあとは静止していても各所のほどけが加速されて、腰のあたりもだんだんだいぶ稼働性が高くなり、前後左右にゆれるようになってきた。とはいえ根源的なぶぶんはまだまだという感じがある。そもそもあまり大幅にゆらいでもまずいだろうし。背すじがすっとまっすぐ立つというよりも前傾しがちなのはやはり腰の筋肉が硬いために姿勢が反っているのかなという気がする。とはいえこの日は深呼吸によるいわばドーピング効果でながく座り、三〇分を越えて目をあけると一〇時をまわっていた。座っているあいだは保育園からおとなひとりと出てきたらしい子どもふたりの、いっぽうがまずお花がたおれてる、と言い、もうひとりもつづいてお花がたおれてるー! とくりかえすのが聞こえた。その他路上をすべる車の音など。土曜日に園にあずけられている子どもは平日とくらべるとかなりすくないが、それでもいるようだ。
  • 天気がふるっていなかったのだが洗濯はどうなのかなとYahoo! の予報をみてみると、一二時いこうは晴れそうだったので洗うことにしたのだが、しかし午後三時半現在、ここまでちっとも晴れていないどころか、ただでさえ濁りよどんでいた曇天がいっそう鈍さのほうに向かって、いまやかすかな青みをはらんだ白雲が全面にひろがりつくしている始末、雨が来てもおかしくない空と大気のいろあいで、吊るしたものもちっとも乾きそうもない。おとといきのうとことなり風はなく、ひびきは聞こえず、レースのカーテンのむこうにほとんど同化的に透ける影も緩慢で気まぐれなうごきをしている。食事は温野菜と、冷凍のヒレカツをおかずに米。バナナとヨーグルト。食べながらGuardianを読んだ。食後、なんとなくスタンディングスタイルでまたやってみるかという気になり、机の右方にとりつけられている高さ調節用のレバーをぐるぐる回し(ちなみにそこには携帯の充電器ケーブルもゆるく巻きつけられて場を得ている)、上昇させていったのだが、おもったよりも上がるな、こんなに高くなるんだっけ、という調子で、最高まで行きつかないうちに止めたし、そこからちょっともどしたくらいだ。左手にある収納スペースの下面をすこしだけ越えたくらいの高さにしている。それで歯を磨きつつ、なぜか『ムージル書簡集』をこれから日々食後にすこしずつ読んでいこうかなという気になったので、箱からとりだしたのを机上、パソコンの左側にひろげて読むが、本を置いて読むとなるとあまりよい高さではなく、文字はやや見づらい。しかも首が下方に曲がってかたむいた姿勢で固定されるので、こういうのでストレートネックになるのかとおもい、首の横とかうしろをそこらじゅうゆびでかるく揉んでほぐしておいた。書簡のはじまりは一九〇一年。ムージルは一八八〇年の生まれだから二一歳か二〇歳。三通目でさっそく「ヴァレリー宛?」と題された一通が出てきて、草案だとあるのでじっさいに出されたのかはわからないが、交流あったのか、とおもった。と書きながらいま検索してみたが、これはポール・ヴァレリーのことではなかった。この年譜(https://core.ac.uk/download/pdf/291680247.pdf)の一八九九年の欄に、「たぶんこの頃に若い女優へ強烈な恋心を抱き、彼の感情は「生まれて初めて金で刺繍されている緋色のマントを着る」。その後日記のなかで、この体験は「ヴァレリー体験」という客観的な名称を与えられ、彼の魂の研究課題となる」とあったから、恋慕した女性のようだ。
  • ムージル書簡をちょっと読んだあとはそのまま立位で四月一日と二日の記事を投稿。このときなぜかscopeのことをおもいだし、ひさしぶりに聞きたくなって、Amazon Musicにあったんだっけと検索してみると、ベスト盤である『アイノウタ』と『野中の薔薇』しかないようで残念だが、ベスト盤のほうをながした。初期の、こちらがもっていなかった音源からの曲もふくまれている。歌はしょうじきうまくないし時代をおもわせるような(その時代がいつの時代かわからないのだが、九〇年代ということか?)へんな癖があるけれど、メロディのとちゅうで一音だけファルセットで高音を入れてみせるつくりとか、コード進行なんかはけっこうソフトで、scopeは「ガレージAOR」みたいなことを自称していたとおもうけれど、そういういろははじめからすでにちょっとある。『太陽の塔』が好きでよくながし、歌ったものだ。聞いていると歌うたいてーとなる。投稿作業をすすめたあとはそのままきょうの記事を書き出したのだけれど、立位でもやはり打鍵するとからだがピリピリ来て軋むので、そうながくはつづけられず、そのうち寝転がっての書見に逃げる。ティム・インゴルド『生きていること 動く、知る、記述する』を進行。第三部「大地と天空」。八章の「大地のかたち」を終えて、九章「大地、天空、風、そして気象」の冒頭に来ている。ページでいうと234から280で、なんか読むのがすこしはやい。第八章は、子どもやおとなに、大地(earth)や天空(sky)はどのようなかたちをしていますか? とか、ひとはそのなかのどこにいますか? とか質問をしてその絵を描かせるという実験について触れつつ、存在が根付く経験的な地面という意味での大地と、科学的に真実とされる球形惑星たる意味での大地(地球)(という知識・認識)とは分離しており、「実験結果がハイブリッドなモデルのように見えるものだらけであることは、科学的理性が発達の途中段階にあることの徴候であるというよりは、科学そのものの基礎が矛盾していること、つまり認識することと存在することを科学が無理やり分離してしまったことの徴候なのである」(274)ということを述べるもの。つづく第九章は、大地と天空がおりなす「「開けのなかに」存在するということの意味をはっきりさせ」(279)、「空気を感じて地面の上を歩くということは、周囲と外的に触覚的に接触するということではなく、周囲と混交するということ」(279)を説明する企図をもったものだが、このあたりまさしくじぶんにちかしいテーマで、ずっとまえに差異=ニュアンスこそがひとを根源的なぶぶんで生かしているものであり(なぜならその動的生成がなければひとは化石のように固化した世界にあらざるを得ず、つまり端的に生きることができないだろうから)、差異=ニュアンスの最たる領域とはその日その日の天気と風景にほかならず、だからそれらは生命的なものなのだということをかんがえ、(……)さんの『囀りとつまずき』もそういう方面からとらえようとしたことがあったが(またどうじに、バルトが言っていた「差異学」「ニュアンス学」の一実例ではないかというかんがえも仮にしめしたが)、そういうはなしにちかいのではないかと見込んでいる。
  • 切りをつけて立ち上がると三時を越えたところ。机が高くなったので、臥位の視点でみるといっそう高く、いままでちょっとからだを起こせばそのうえにある携帯に手が届いて時間をかんたんに見られたところがとても手の届く範囲ではない。飯を食おうかなというところなのだが、ストレッチをしたり、ゆるいスクワットをしながら息を吐いたり、あと壁に両手の五指を立てて押すように前傾しながら息を吐いて腕にちからを入れるという、ストレッチの延長みたいなものだがそういうことごとをしてからだをあたため、飯を食うよりまえにきょうのことを記してみると、ここまでゆびはけっこうよくうごいてスムーズに書けた。ただ、体内はやはりひりつく。書いているとちゅうに雨音を感知したので洗濯物はさきほど入れた。

Japan fares poorly in international comparisons of female representation, ranking 165th out of more than 180 countries, with women comprising just 10% of lower house MPs, according to the Inter-Parliamentary Union.

Just over 30% of town and village assemblies have no female representatives, according to 2019 figures, and at the last lower house election, in 2021, of the 1,051 candidates, just 186 – or less than 18% – were women.

An alarming number of women who run for office say they are the target of sexual and other forms of harassment, including inappropriate touching and verbal abuse. In a 2021 cabinet office survey of 1,247 women with seats on local assemblies, 57.6% said they had been sexually harassed by voters, supporters or other assembly members. Many said they had been targeted with sexually explicit language or gender-based insults.

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Political parties have attempted to recruit more women to run for office after a 2018 gender equality law required them to “make efforts” to select similar numbers of male and female candidates.

While the more powerful lower house remains a male bastion, a record proportion of female candidates – 33.2% – ran in last summer’s upper house election, taking the country close to the government-set target of 35% by 2025. Of the 125 seats contested – half the chamber – an all-time high of 25 were won by women.

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Almost 30% of the centre-left CDP’s local election candidates are women, while the Communist party has made the most progress, with 41%. A record 489 women are among the 3,139 candidates for prefectural assembly seats, according to public broadcaster NHK,

Still, only 43 of Japan’s 1,741 municipalities have female mayors, according to a recent survey, in which half said they had struggled to launch political careers. Some had encountered voters who believed mayors should be men, and experienced abuse and harassment online, even from members of their local assemblies.

  • いま九時。ここまでで四月三日の勤務時をしるして仕上げ、四日と五日もちょっとだけ書き足して投稿した。きょうはなかなか良いペースで書ける。スタンディング・デスクスタイルをひさびさにやってみたわけだが、そのほうがやる気が出るようだ。脚がつかれたらごろごろしながらウェブをみるなり本や文を読むなりすればよいし。ただうえにもふれたように、打鍵をすればするだけからだは軋む。さきほど八時一八分から二〇分くらい瞑想をしてみたのだが、けっきょく左半身の各所、まさしく節々に散らばっているひっかかり、ノイズ、ざらつき、軋みの感覚はぜんぶつながっているということを看破しているので、全身のバランスをととのえていくしかない。深呼吸と瞑想はそのためにけっこう良い方法だ。あとはスクワットとかかなたぶん。それも深呼吸の延長みたいなものだが。瞑想で静止しているとじわじわとではあるが各所のざらつきが減って肉がほぐれていくのがわかるのできもちがよい。側頭部や耳の上のあたり、首すじ、手のひらや膝のあたりが比較的ほどけても、腰にはちいさなビスが挿しこまれたような感覚がのこっていたので、腰はひとつクリティカルポイントなのかもしれない。きょうはあと六日の夜歩きがとちゅうになっているのでできたらそれを書きたいのだが、ここまででけっこう打鍵してしまっているので無理かもしれない。できるとしても、これいじょう打鍵するのもよくないかもしれない。
  • ティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)より。これいじょう打鍵しないほうがよいかもといいつつ、すばらしくて書き写さずにいられない。
  • 308: 「私たちは自分自身を、何よりもまず、形成―済みの世界の地面の上に置かれたもろもろの対象のまわりを進んでゆく観察者にすぎないものとして考えるのではなく、形成―中の―世界のもろもろの流動のなかに自分たちの存在全体でそれぞれが没入している参与者として考えなければならない。私たちがそのなかで見ているところの日光のなかに、私たちがそのなかで聞いているところの雨のなかに、私たちがそのなかで触れているところの風のなかに没入している――。参与とは観察の反対ではなく観察の条件なのであり、それはちょうど、光が物を見ることの条件であり、音が物を聞くことの条件であり、感触が物を触ることの条件であるのと同じなのだ」: 「私たちがそのなかで触れているところの風のなかに没入している」! 完璧に同意。これがじぶんの経験だ。ついおとといもきのうもそれを経験している。
  • 311: 「地面とは、物質性そのものの表面などではなく、多様な素材からなる繊維なのであり、それはメディウムとそれが接するサブスタンスとのあいだの浸透可能な境界面を横断する動的な相互遊戯を通じて育成され堆積され編み合わされているのである」: すばらしい!
  • 311~312: 「ようするに、ハイデガーの表現を借りれば、気象とは「世界の世界すること〔world’s worlding〕」なのであり[Heidegger 1971: 181]、そういうものとしてそれは想像の産物などではなくまさに存在の気性 [﹅2] 〔*temperament*〕なのである[Ingold 2010: S133]」: 完全に同意。「気象とは「世界の世界すること〔world’s worlding〕」」、マジでこれ。これが天気ということだ。
  • 314~315: 「知覚的な経験がどのように感性的な感覚を基礎づけているかについての研究のなかで哲学者アーノルド・バーリアントは、流動的な環境が休止しないということが、「ひとの陸地的な実存を、そしてより大きな尺度では私たちの形而上的な存在の理解を、通常限定しているあらゆるパラメーター」に深く影響していると述べている。(……)「大気はそれそのものが流動的なメディウムである」[Berlean 2010: 139]」: 「私たちの形而上的な存在の理解」とか、それを「通常限定しているあらゆるパラメーター」の内実がよくわからないが、これはもしかしたらこちらがうえで触れたようなことを言っているのかもしれない。天気とは根源的に生命的な差異=ニュアンスであり、したがってわれわれの生を根本的にささえているということ。「大気はそれそのものが流動的なメディウムである」といわれているとおり、「流動的な環境」とは大気のことだろう。そして大気の流動とはそれが天気だ! マジで「きょうの(お)天気」という小説を書きたい。どういうものになるのかわからないが。でもこれらのようなインゴルドのはなしは、いぜん高校時代の断片的な記憶をもとにしてバルトの「偶景」みたいなのをやりたいとかんがえていたやつとテーマ的にぴったり相応しているんだよな。その小説案では語り手は一人称の主体としてそこにいるのだけれど、一人称は決してつかわず、ゆいいつ「こっち」という指示代名詞だけはつかってよいこととし、男か女かもわからないように書き、友人などとともにいることもあるのだけれど、印象としては世界そのものと同化しているような希薄な存在として書きたいとかんがえていたので。それをはじめて考案しだしたのは柴崎友香の『ビリジアン』を読んであのうすくてかるい文体がうらやましいなとおもった二〇一四年のことだったはずで、だからここ九年、読み書きをはじめてまもないころからいままでずっと、こちらの関心を引くテーマとか趣味とかは変わっていないことになる。
  • それでいえばブログの旧題は「雨のよく降るこの星で(仮)」だったが、これは小沢健二の”天気読み”のサビの冒頭のフレーズから取ったもので、その題に変えてはじめのうちはまさしく日々天気を読むだけの存在として立ちあらわれようというもくろみで風景や気候の記述だけを投稿していたのだったとおもったが、インゴルドの論にそくせばあれも天気を読んでいたのではなく、天気を生きていたというべきなのだ。「気象―世界のなかで知覚し活動することは、太陽や月や星々の天上的な運動や、昼夜や季節の律動的な交替や、雨と晴れや、日向と日陰にあわせて、自分自身を連動させることなのである」(315)というわけだ。完全無欠なまでに同意する。このひとが存命じゃなかったら前世のおれかとおもってるところだ。
  • 316: 「眼は、平滑空間のなかでは、諸物をめがけて [﹅5] 見やるのではなく、それらのあいだを [﹅5] 散策するのであり、固定された目標を狙うのではなく、道を探りながら進んでゆくのである。それは個々の対象を識別したり同定したりするために調律された眼ではなく、光と影の微妙な変化とそれがあらわにする表面の肌理を表現するために調律された眼である」: 「光と影の微妙な変化とそれがあらわにする表面の肌理を表現するために調律された眼」! すばらしい。
  • 夜、書きもののあいまにRob Mazurek & Exploding Star Orchestra『Lightning Dreamers』というのを聞いた。ヘッドフォンをつけて椅子にすわり、深呼吸もしくは瞑想がてら。全五曲で四〇分。これはdiskunionのジャズ新着ページをみてせんじつ作業の裏にかけたのだが、こういうコレクティヴ・インプロヴィゼーションと言ってよいのか、二曲目なんかわりとそういう感じだとおもうのだけれど、エレクトリックでややアヴァンギャルドないろの音楽を得意としているわけではなく、どちらかといえばあまりなじめない性分なのだが、せんじつ聞いたときにはJeff Parkerのギターがちょっと耳を惹いたのだった。Jeff Parkerなんぞなまえだけではじめてちゃんと耳にしたが。ほかの参加メンツでなまえを知っているのはCraig TabornとGerald Cleaverだけ。Chad Taylorというなまえもみられて、なんかみたことがある感じがあり、ドラマーだったかなといま検索してみるとそうで、Angelica Sanchezというピアノといっしょにやっているトリオ作があるが、このAngelica Sanchezは『Lightning Dreamers』にも参加しているのだけれど、Tony Malabyの連れ合いだという。Tony MalabyはタイトルをわすれたがPaul Motianがドラムの作品をいちまい持っていてけっこうよかったおぼえがある。このへんぜんぶChicago Undergroundまわりの人脈のようで、そもそもChicago UndergroundをつくったのがこのRob MazurekとChad Taylor。それであらためて聞いてみるとそこそこ行けるというか、意外とさほどとっつきづらくはなく、つまらなくはない。くりかえし聞こうという気になるほどでもないが。一曲目や三曲目の後半ではリフがあって、どちらもなんか気の抜けたようなつくりだなあとおもうものの、それにフリーっぽいソロが乗る。一曲目はギターソロが二種類あってどちらもJeff Parkerのはずで、ひとつめはほぼパキパキやってるだけみたいな調子なのでソロと言ってよいのかよくわからないが、こういう感じなんだというのはちょっとおもしろい。二曲目や四曲目はポエトリー・リーディング的な声もはいっていてリズム的にはかっちりしていない、気体的にもしくは流体的に構成されていたとおもうが、そのテクスチャーにいろいろ混ざっている感じもきらいではない。
  • その後もう日付が変わってからだったとおもうが、夕食というか夜食を取った。温野菜と、カップカレーうどん。そうして二時ごろに寝床にうつったとおもったがよくあることでじぶんの意図にさからって意識をてばなしており、気づけば四時台だった。就寝。
  • あとこの日、二食目を食べたあとになにをしようかと立ちまよった時間があって、文を書くにはまだからだがこなれきっていないし、かといって本やブログやウェブ記事を読む気にも、田子の浦にうちいでるごとくワールド・ワイド・ウェブの大海にくりだす気にもならず、そういうときはたまにある。それで机のしたのコットンラグをクラフトテープでペタペタやって掃除した。数日前にもいちどやったので、そんなに汚くなかったが。ついでに奥の壁際に放置していた雑紙類を紙袋に入れて始末しておく。そのへんに溜まっていた埃もテープで駆除。背後の洗濯機のきわや冷蔵庫とのすきまも。あと気になっているのは浴槽で、越してきていらいいちども掃除していないのでいまマジでそうとう汚いのだけれど、やろうという決心が起こる瞬間がおとずれない。あと便器のなかもやらないとまずいとおもうのだが、カビキラー買ってこないと。


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  • 日記読み: 2022/4/8, Fri.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/7, Fri.

 ローマの遺跡保護のために心を砕く者はごく少数だったが、ヴェネツィアからやって来たジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージほど炎のような好戦的な性格の持ち主はなく、彼を励まし経済的に支援してくれる人々とことごとく不和になった。よって人間よりも石と付き合う方を好んだこの男が、三十三歳にして一人の女性を見つけたことはほとんど奇跡に近い。彼が自分の少なからぬ持参金をすべて膨大な量の銅板に投資してしまったにもかかわらず、彼女はこの人間に耐え、彼のために五人の子を産んだ。軋轢と怒りの発作と並んでこの暗く光る目を持つ長身の男を特徴づけていたのは、献身と犠牲を厭わぬ心だった。ピラネージの近くに十五分いるだけで具合が悪くなると言った者は、何がこの暗い額の胆汁気質者を真に悩ませているのかを見誤っていた。まるで熱に浮かされた時のように遺跡が彼に語りかけ、安らぎと眠りを奪い、次々に映像を呼び覚ました。古代ギリシャの芸術がローマの芸術に勝っていると主張してはばからない若い世代や無知な輩の嘘を罰するために、彼はそれらの幻影 [ヴィジョン] を記憶に留めねばならぬと信じた。恋する者のような一途さで、彼は時代の無思慮を糾弾した。彼は毎回新しいパンフレットに書くのだった、現代のお粗末な無知は、過去の途方もない崇高さを知る者を絶望させざるをえないと。そしてピラネージはそれを知る者だった。彼は見たのだ。子どもの頃、アドリア海から押し寄せる波への防護壁を整備する技師であった彼の伯父の、潟湖 [ラグーン] のゆらめく灯りに照らされた小部屋でローマの歴史家の年代記を読んで以来、古代人が彼の夢の中に住んでいた。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、85; 「サケッティ邸」)



  • 一年前の日記からニュース。

(……)新聞をみるとロシア軍の残虐行為についての続報がつたえられている。きのうの新聞でみた情報では、ウクライナはロシア側の通信を大量に傍受しており、市民の殺害がロシア政府の指示だったことを立証しようとしている。また、New York Timesが調べたらしいが、ブチャではロシア軍撤退前の三月ちゅうから路上に遺体があったことが衛星写真の分析をとおして判明したと。その遺体はその後三月下旬になっても変わらずにずっとそこにあったので、ロシア側の、遺体はわれわれの撤退後にウクライナがでっちあげたものだという主張の正当性はうしなわれる。きょうの新聞にいわく、米国のブリンケン国務長官は民間人殺害などの残虐行為はロシアによる意図的な行動だという認識を表明したという。また、ゼレンスキーは国連安全保障理事会の会合にオンラインで参加し、ロシアがもっている拒否権によって安保理は世界の平和と安全をまもるための有効な機能を果たせていない、早急に改革をおこなうべきだ、それができないならばロシアを追放するか、それとも国連がみずから解体するべきだと主張したとのこと。またこれはきのうの新聞ですでにみたが、国営メディアの「ロシア通信」が、「ロシアがウクライナにするべきこと」みたいなタイトルの論説を載せ、そのなかで反露的なウクライナ人を「浄化」する必要性を主張したという。戦争中の悲劇は反露的な行動の抑止に役立つ、と述べ、「浄化」やエリート層の「除去」をとなえているらしい。「浄化」は即座に民族浄化(ethnic cleansing)という語をあたまに呼び起こすものだが、この語の意味からして、反露的ウクライナ人はロシアからみると一種の汚れ、あるべき状態を汚染している不純物だということになる。またぞろ純粋性のレトリックである。プーチンは開戦時の演説で「特殊軍事作戦」の目的としてウクライナの「非ナチ化」をあげ、またブチャで市民を弾圧したロシア軍兵士が「ナチス」はどこだと探していたとの報告もあり、くわえて捕虜となったあるロシア兵も「ウクライナにはナチスがいるとおもっていた」と証言しているらしいが、純粋性のイデオロギーはそれじたいがまさしくナチスドイツのものである。思想的にもじっさいの行為の面からしても、「ナチス」であるのはウクライナではなく、ロシアのほうである。ところがそのあからさまに「ナチス」的な政府の長や高官らが、ユダヤ人としての出自をもつゼレンスキーの政府や市民を「ナチス」と指弾し、国連の場でたしかな証拠をもって残虐行為を非難されても、代表大使はおおまじめな顔で、遺体や映像はロシアをおとしいれるための欧米の捏造だとそればかりをくりかえしてやまない。この現実を記憶し、記録しておかなければならない。ロシア軍によって殺された市民の遺体はおそらく今後各地でさらに出てくるだろうし、マリウポリや、ロシアが占拠している東南部の町々では、いまも現にひとびとが殺されたり、暴行を受けたり、強姦されたりしているだろう。ロシアがウクライナ人数万人をロシア国内の収容所に連れ去ったというたしかな情報がある、ともこの日の新聞には載っていた。

  • 本。

(……)『魔の山』下巻はいま420くらいまで来ており、ちょうど800くらいで終わりなのでのこりはんぶんというところ。つきあってみるとけっこうおもしろい小説ではある。山のうえの国際サナトリウムとその近辺というせまい範囲の舞台で、ハンス・カストルプはずーっとそこにいて生活もたいして変わりはしないのに、にんげんもようや形而上学的なことやユーモアや病や死など、いろいろもりこんであってなかなかのものだなとおもった。もろもろできごとや変化や発展はあるにしても、そこの生活や生やにんげんたちが本質的には「たいして変わりはしない」ということ、「低地」から隔絶されたとくべつな場でありある種の異界であるのかもしれないアルプス高山の、そこに停滞し沈殿し永遠につづくかのような、出口のみえずまっさらにひろがる回帰的な時間のありかたをえがいている小説なのだろう、とそんな感触。終章である第七章の冒頭では「時間そのものを純粋に時間として物語ることができるであろうか」(401)という問いがなげかけられ、404では、「実のところ、私たちが時間は物語ることができるかどうかという問題を提出したのも、私たちが現に進行中のこの物語によって、事実上これを企てているということを白状したかったからにほかならない」と述べられている。話者が物語ることをこころざすその「時間」とはどういう時間なのかはよくわからないが、この小説を読んでいるときの印象としては永劫のてざわりがつよい。ただいっぽうで、この作品は「ドイツ教養小説の最高傑作」(上巻カバー裏のあらすじより)と目されているらしい。教養小説とはいっぱんに主人公がさまざまな経験をえてにんげんとして成長していくさまを物語るジャンルとされている。成長とは変化変容のことだから、それは「永遠につづく」かのような「停滞」や「沈殿」の相とは一見して対立するはずである。じっさい、ハンス・カストルプも国際サナトリウム「ベルクホーフ」での滞在をとおして、主には思想的形成や知的興味の面であきらかに発展していることがみてとれる。しかしそれじたいが、この山のうえの無時間的な時間につつみこまれ、そのなかで、あるいはそのうえで、それを必要不可欠な条件として起こっている、という印象をあたえるものだ。読者はハンス・カストルプの成長や存在をとおして、アルプスの高所に鎮座しているこの永劫的な時間にこそむしろふれることになる。だから、ありがちないいかたをすれば、この作品の主人公はハンス・カストルプ青年(だけ)ではなく、この場所に存在しつづける時間そのものだということも可能だろうし、うえで表明されている話者の企図にはそういう意味がふくまれているだろう。ありていにいって、このままずっとつづくんだろうな、という感覚を読むものにあたえる作品で、それはもしかしたらすぐれた長篇小説のあかしなのかもしれない。ヨーアヒム・ツィームセンは蛮勇によっていちどはこの牢獄的な時間を脱走したものの、けっきょくまいもどってきてしまい、出口をみいだせぬまま、時間のいっぺんとして吸収され溶けこむかのようにあっけなく死んでいった。永遠に停滞しつづける時間の、ひとびとをひきよせ、とらえ、とりこんでいくその牢獄的な同化吸収作用こそが、「魔の山」の魔力だというのがもっとも標準的な理解となるだろう(ちなみにこちらが気づいたかぎりでは、この土地について直接「魔」という語をもちいて形容した箇所は、たしか上巻の中盤あたりにあったみじかい一箇所のみなのだが、メモをとっておくのをわすれたようでいまその文を同定できない)。物語としてハンス・カストルプがついに出口をみいだすにいたるのか、下界に帰還することになるのか、それはいまだわからない。

  • 音楽。

夜だったかどこかのタイミングで、Keith Jarrett Trio『Tribute』をまたきいた。”All of You”からはじめて”Ballad of The Sad Young Men”、”All The Things You Are”、”It’s Easy To Remember”。”All The Things You Are”がききたかったのだが、ひさしぶりにきいてみるときもちがよかった。むかしよりおとが追えるようになっているので、イントロのJarrettのごつごつしたコードプレイによるテーマがどういうことになっているのかというのもまえよりはみえる。本篇もスリリングな演奏で、Gary PeacockとJack DeJohnetteがここでは強力であり、派手なことはやらないが、ふつふつとしたはげしさをうちにこめつつ強靭きわまりない土台をかたちづくっており、そのうえにのるJarrettもそんなに息がながくないけれど、ベストなしかけかたをねらう集中力の気配をうかがわせながらリズムとわたりあうように駆けていて、きいているほうもすこし緊張する。Gary Peacockがベースソロでウォーキングをえらんだのは正解だとおもった(テンポ的にそれいがいやりづらいということもありそうだが)。ただ、ベースソロ後半からおちついてきて、DeJohnetteのソロもそんなにあばれないままテーマにもどって終わるので、爆発感が足りないような気はした。三者一体でもりあがるピークが一箇所あったほうがよかったのではないかと。ピアノソロも駆けまわってはいるのだがある種淡々と、あまりたかまらず一定の起伏におさまっていたし。ピアノソロの後半でもっともりあげる可能性もあったはずだが、そういうながれにならなかったのだろう。ところでこのライブ盤はスローバラードは三曲、”Little Girl Blue”と”Ballad of The Sad Young Men”と”It’s Easy To Remember”がはいっているのだが、どれも透明に美麗で質はたかい気がする。”Ballad of The Sad Young Men”がいちばん好みか。

  • めざめて時刻を確認したのがちょうど八時ごろ。起きた瞬間からきのうと変わらず、というかきのうよりもいっそうはげしく、そとを行き交う風の轟音がひびいており、午後二時前現在までそれは変わらず、まさしく暴風的な荒れ狂う春の嵐の様相で、瞑想中など屹立する巨大な風の壁がつくりだす渦のなかに封じられているような印象だった。寒さはない。天気はおおかた白茶けたような曇天、しかしときに薄陽がもれる瞬間もわずかにあった。とはいえ洗濯をしようとなる気候ではない。いちど抜けてもろもろ済ませてもどってから寝床には一〇時くらいまでとどまってしまい、その後からだをすこしうごかしてから瞑想。一〇時七分から三〇分くらいまで。座りやすくなってきているが、二〇分そこそこでしかない。食事はいつものように温野菜に納豆ご飯、きのうの夜スーパーに行ったのでバナナとヨーグルトも食べられる。米がなくなったので釜を水に漬けておいた。食後はさきに歯磨きをしてから洗い物をかたづけて、足首をまわしまくりつつWoolfの英文を三項目読み、ものを食ってから一時間ほど経った一二時半で臥位の書見へ。ティム・インゴルド『生きていること 動く、知る、記述する』のつづき。第七章まで終えていま234。第二部を通過したことになる。あいかわらず言っていることはやたらよくわかるつもり。ブルーノ・ラトゥールのいわゆるアクター・ネットワーク理論と、ティム・インゴルドじしんの「メッシュワーク」的世界観とのちがいについてなど。要はきのう書いたのとおなじことで、前者が固定的な、境界線の内側にくくりこまれて完結した要素あるいは対象を前提しており、したがってそこにおける「関係」とはそれらのあいだをつなぐものでしかないのに対し、後者の線は流動性のあらわれであり、有機体自体がそのような線の集合、からまりあいとして構成されているということ。したがって有機体と環境のあいだに境界線はなく、おのおのの線に沿っていとなまれる生のはたらきや力の作用は相互浸透的で、たがいにひらかれており分離不能というよりは混淆的である、というようなかんがえかたで、要約の厳密な正確性はれいによって保証しないが、これやっぱり仏教じゃんとはおもう。仏教思想やいわゆる「空」とか「縁起」についてもちゃんと勉強したわけではないのだが。「このことを表現するもうひとつの方法は、有機体は、アンヌマリー・モルとジョン・ローが呼ぶところの「流動空間」に住みついていると言うことである。流動空間にはっきり定義された対象や存在者はない。それどころか流動し、混ざり、突然変異する実体がそこにはあり、それは時にはうつろいがちなかたちへと凝結するが、再び溶け、再形成しても連続性を損なうことはない。流動空間におけるあらゆる線、あらゆる関係は、川床あるいは身体の血管や毛細血管のような流動の経路である。血流のイメージが喚起するように、生ける有機体はただ一本の線ではなくそのような線の全体的な束である」(211~212)という記述など、ほとんどそのまま無常観のバリエーションではないか? とおもう。また、「空気と水は行為する存在者ではありません。それらは物質的なメディウムであり、生ける物たちはそのようなメディウムに深く巻き込まれており、空気や水を渦や力、圧力勾配によって経験するのです。正確には、チョウだけで飛ぶのではなく、空気中のチョウが飛ぶのであり、サカナだけで泳ぐのではなく、水中のサカナが泳ぐのです。しかしそのことは、それがサカナをサカナと水のハイブリッドにしないのと同様に、チョウを飛行と空気のハイブリッドにしたりはしません。物が相互作用するためには、それらの物を取り囲むメディウムの渦が整えるある種の力の場に、深く巻き込まれていなければならないと認めることにすぎないのです。これらの渦から切り抜かれると、つまり、物へと還元されるとそれらは死んでしまいます [﹅8] 」(226)などという一節もあるけれど、これは道元がたしかまったくおなじことを言っていたはず。道元のはなしでは例が蝶ではなく鳥だった気がするが、魚と水の不分性をいうのはおなじだったはずで、要は図と切り離されて地はなく、地と切り離されて図もないというはなしだが。


―――――

  • 日記読み: 2022/4/7, Thu.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/6, Thu.

 彼らは廃墟をまるで聖遺物のように崇拝し、その復活に望みをかけ、失われた、満足を知らぬ豪華絢爛にうっとりした。つねに何かが欠けていた。目は見る、脳は補う。断片は建物になり、死者の行いは甦る、かつて実際にあった以上に素晴らしく、完璧に。この神聖な街、歴史の首都で、かつて文化財保護という考えが生まれ、全国民がその継承者であると宣告されたのは、トラヤヌス帝が自らとその勝利を称えるために造らせて以来千年以上の時を経たドーリス式円柱を「この世が存在する限り [﹅10] 」無傷のまま保存すべきこと、そしてこれを損なおうと企てる者を厳罰に処すことを古代ローマ元老院が決定した時だった。ローマは滅びたのではない、過去は過ぎ去ってはいない、ただ未来がすでに始まったというだけ。この場所は時代と時代のはざま、世界劇場の半円の中で、古より押し寄せる大衆の愛顧を願うさまざまな建築様式の間に宙づりになっている。ロマネスク様式のバジリカと砂に埋もれた凱旋門バロック様式の教会の正面 [ファサード] と中世の切妻、煤けたピラミッドとルネサンス様式の邸宅――それは死んだ材料と生きた材料からなる、巨大な複雑に絡み合った有機体 [オーガニズム] であり、偶然と必然、そして太陽の法則によって支配されていた。
 これらの遺跡を、その住人たちの惨めな日々の暮らしと隔てる柵はない。彼らは遺跡に感嘆もせず、ただ他の場所と同じように暮らしている。アーチの下にたむろする半裸の乞食たち、壁で囲まれた柱廊の入口の陰で、傷みやすい商品を売りに出す魚売り。古代の公衆浴場で亜麻布を洗う女たち。崩れかけた神殿の中へ羊を追い込む羊飼いたち。羊たちは、かつて生贄として捧げられたその異教の祭壇の前で草を食んでいる。野生の獣や強情なキリスト教徒たちの骨が眠るフラウィウス円形闘技場の地下墓所 [カタコンベ] から、多孔質の黄味をおびた白色のトラバーチン石材を運び出す日雇い人夫たち。使える物はまた建築に充てられるか、船でどこかへ送られた。建材を再利用する商いが栄えた。遺跡は純然たる(end84)財産だった。といっても宝を掘り起こすのではなく、アルバニアの山から銅を採掘するように、準鉱石を解体するのだ。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、84~85; 「サケッティ邸」)



  • 一年前から音楽の感想と書きものについて。センチメンタルにすぎるが。

労働から帰宅したのは午後一〇時くらい。ちょっとやすんだのち、一〇時半ごろからThelonios Monk『Thelonious Alone In San Francisco』をスピーカーからながしだし、まくらのうえにすわってきいた。まえから好きな音源だが、とてもすばらしくて落涙した。タイトルにAloneとはいっているとおり独奏なのだが、ここまでひとりきりになれるものかと。この録音でのMonkはきくもののことをまったくかんがえておらず、そこにはただ音楽と演者とその関係のみがある、という印象をうける。作品としてリリースするために録音された演奏のはずだが、気負いやてらいや大仰さが微塵もふくまれておらず、見せもの性を極限まで排したただただしぜんな演奏の時間がここにながれている。Monkはこれいぜんにも何千回とこのように弾いてきたし、いつでもこのように弾けるだろうし、これいこうも何回でもこのように弾いていくだろう。かれはまいにち、だれもみていないところで、じぶんのためだけに、あるいは最大限にちかしいひとのためだけに、このような演奏をしてきたのだろう。そうおもわせるような、日常性としてのしぜんさ、ピアノを弾くことと生とがひとつのおなじものとなっているにんげんの、とくべつな行為ではないことの稀有な卓越性が記録されているようにきこえる。スタジオではなく、自宅の、自室での、だれもきいていないところで弾いたひとりきりの演奏をかいまみているような気になる。かれはスタジオ(ではなく、Wikipediaをみると、Fugazi Hallというホールだった)に来て、ただピアノを弾いただけで、それいじょうでもいかでもないし、それいがいのことはなにもないのだろう。それいがいのことがなにもないというそのことが、感動的なのだ。このアルバムのAlone、ひとりきりとは、超絶的な孤高のことではない。それはひそやかさとつつましさとしての孤独であり、そのひとりきりのありかたは、ほんとうに、うつくしい。

Eric Dolphyが『Last Date』のさいごにのこしたゆうめいなことばに、"when you hear music, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again.”というものがある。そのことをとてもつよくかんじさせるのが、このMonkの独奏だった。音楽とはいまそこで生まれ、あまりにもみじかいつかの間のみ生き、まもなく消えてなくなるのだと。その過程のしずけさが、はかなさが、かそけさが、記録されている。そしてこのアルバムのMonkはまるで、そのことをいつくしんでいるかのようにきこえる。ピアノを弾くことで、みずからが生んだ音と、音楽と、ピアノという楽器とをひとしくいつくしみ、それらにいたわりとこころづかいをむけているかのように。そのいたわりをとおしてかれはもしかしたら、じぶんじしんをもまたいたわっているのかもしれない。音楽と楽器とのあいだにこのような関係をきずけるということを、じぶんは心底からうらやましくおもう。じぶんはBill Evansには羨望をかんじない。しかしMonkのこのありかたは、こころからうらやましい。おれもこんなふうに音楽と接したかった。

Monkの独奏をきいたあと飯を食い、それから風呂にはいりながら聴取時の印象を追い、うえに書いたようなことをかんがえていたのだが、かんがえながら、これを書くときにはけっこう困難をおぼえるだろうなという予感があった。いまじっさいに書いてみるとそうでもなかったのだけれど、もろもろの印象や、それをあらわすことばや表現はあたまに浮かびつつも、いざそれらを文章のかたちでならべ、つなげ、整序するとなるとむずかしいなとおもったのだった。たとえばそとをあるいているときに見聞きしたものの記憶を書くのもそんなに変わりはしないはずだが、徒歩中はみちゆきというものがあり、感覚器を経由した空間的配置というものがある。つまり、ことがらの順序が物質的外界にわりとねざしているので、その記憶をつづるのは比較的容易なのだ。それにくらべると、音楽や、そこからえた印象を書くのは感覚的にも曖昧模糊としがちでむずかしい(うえの文はMonkの音楽というより、ほぼそこからこちらが勝手に得た印象しか書いていないが)。ともあれうえに記したようなことを、ある意味風呂にはいりながらもうあたまのなかでまえもって書いているわけだけれど、そうしているあいだに、じっさいに書くときの困難をおもいながら、しかしそのときにはいまこうしておもいうかべていることばやいいかた、おもいかえされるその記憶ではなく、そのときじっさいに書いているその時間にこそしたがい、そこに解をみいださなければならないのだとおもった。あたりまえのようでもあるいいぶんだが、しかしこれがやはり困難なこと、そしてハードなことなのだ。小説作品などを書くときにしても事情は本質的には変わらないとおもうものだが、じぶんが書いているこの文章はとりわけみずから経験した記憶をつづるものであり、そうなると順当にかんがえれば、文を書くときには過去の記憶につくことになる。もちろんそうなのだけれど、しかし、過去にとらわれるようにしてそうするのではなく、現在において過去の記憶につくというか、過去の記憶につくということの現在をとらえなければならないというか、そんなようなことをかんじたのだ。つまりMonkの音楽への感想を書くとして、風呂のなかでかんがえたことにとらわれて、それをくまなくおもいだして不足なく再現するというようなこころではむしろうまくいかないだろうなと。結果的に過去にかんがえたこととおなじ表現になるとしても、あくまでいま書いていること、いまあらたにはじめることとしてそのことばを書かなければならない。そのときにじぶんが書いていることば、書きつつあることばをこそ、よくみなければならないのだ。もちろんそれとどうじに記憶や、印象や表象をもよくみなければならないのだが、そちらにむかってばかりで書いている現在がおろそかになってはならず、書いている目のまえの現在をよくみることにこそ、そのときどきのこたえがあるだろうと。そこにおいてその都度に、なにかが生まれているはずなのだ。それは過去にいちど生まれたものとおなじものかもしれないし、たいていのばあいはそうなのだろうが、しかし都度にまたあたらしいものがそこに生まれてもいるはずである。過去のことにしても、それは絶えず書く現在において生まれ直しているだろう。生まれ直しているものとして、はじめて生まれるものとして、その都度にあたらしくはじめることとして、ことばを書かなければならない。それが徹底的に現在につくということの意味である。端的にまとめて、あらかじめかんがえたりあたまに書いてあったことと、いまじっさいに書いていることやその時間とは、まったくべつものなのだということだ。これは書くことにかぎらず、もっと一般的に、なんであれなにかをするにあたって肝に銘じておくべきことだとおもう。たとえば労働だってそうである。なにかをじっさいにおこなうまえ、行為の時間にはいるまえに、ひとはあらかじめいろいろとかんがえ、どういうふうにやればうまくいくかとか、どうするのが正解なのかとか、計画を立てたり戦略を練ったりさまざまおもいをめぐらせる。そこでたくさんかんがえることは重要であり、必要なことである。しかし、その事前の思考は、じっさいの状況にはいったとき、本質的には役に立ちなどしないということもたしかに認識しておくべきだとおもう。あらかじめ徹底的にかんがえつくし、そして、いざ行為の時間にはいって行動するときは、そのかんがえを捨て去らなければならない。捨てないにしても、それにとらわれて目のまえの現在をないがしろにすることがあってはならない。事前の思考を利用し、採用し、たよるにしても、いま現在に生まれ直したものとして、そのときにその場でそれを再誕させなければならない。そのことがやはりハードなのだ。端的に心身がととのっていないとそれはできない。なぜならそこにはささえがないからであり、たしかな場所を生き直すことでふたしかな場所を生きなければならないからだ。だが、そのふたしかな場所にしか、たしかなこたえや、なにかあらたなものは生じえない。それを引き寄せ、みいだし、それにふれなければならない。つねにではないにしても、おりおりそれは生まれているはずなのだ。

  • 往路。「花というより胞子の集合めいていて、ちかくからみれば枝先にいくつも毬様のまるいひらきがくっつきぶらさがっているのが青空にのって浮かぶさまの、きれいはきれいなのだがどちらかといえば奇特なようでもあった」という桜の花への印象は、ことしもまったくおなじことをせんじつおもった。夜にスーパーに出たさい、(……)通りの公民館的施設に接した公園の桜をみておもったことだが。花びらというより菌とか胞子のようだなという比喩と、うつくしいというより奇観にうつるという、あたまのなかでひとりごちた言い方がまったくおなじ。

洗濯物をとりこんだとき、ベランダに日なたがあかるかったのでそのなかでちょっと屈伸をしたり上体をひねったりした。出発は一時四五分くらい。みちに出れば林に接した土地ではピンクパープルの小花が群れ、すすんでいくと近間の宙を黄色い蝶が二匹、求愛か交尾かつれだってすばやくおどっており、いかにも春の爛漫の風情、どころか背に寄せるひかりは初夏の陽気だった。坂を越えてすすむとゆくてから風音がきこえてきて、しかし樹々がゆれないなと、鳴りだけであたりのみどりがしずかなのをいぶかりながら出所をさぐっているうち、風のおとではなくて斜面したの、ほそい水路のひびきと知れた。先日の雨で増水したらしい。それからみちばたのススキをぼんやりみながら行っていると、横の視界のそとからあいさつをかけられ、みれば(……)さんがいつもながら品良いかたむきで会釈をおくっていたので、こちらも一瞬足をひらいてそちらをむきながら、あ、こんにちはとかえしてすぎた。何年かまえから髪を染めなおさず白さの弱い灰色にとどめているようだが、それもあってか、からだは息災としても老いの印象をおもってしまう。いますぐではないが、一〇年二〇年すればあのひとも死ぬだろう。

ガードレールのむこうで斜面したから伸び上がってならぶ杉の木の、茶色の雄花を随所につけながら陽をあびせられてみどりあざやかな立ちすがたの壮観だった。街道に出るときょうも工事をしており、いま交通警備員が車を停めてむこうからやってくるのをとおすところだったので、さえぎるもののないひろびろとしたひかりのなかでしばらく待つ。停まってならんでいたこちらがわの車も去っていったあとから北側にわたり、歩道を東へあるいていった。工事はむかいの歩道を拡幅するもので掘られた溝に人足がドリルをさしこんでガリガリやっており、その音響がなかなかの圧迫をもった衝撃波として身に寄せてくる。起きたころにはもうすこし雲があった印象だがいつか去ったらしく、みえるのは東南の一角に淡く乗った溶けかけのひと群れのみ、直上をみあげれば吸いこむような、だいぶ色濃い青さがみだれなくひろがっていた。公園の桜は満開で、しかしここのはとおめにみてもひとつながりのたなびく雲というよりややすきまをもうけた粒の感がつよく、花というより胞子の集合めいていて、ちかくからみれば枝先にいくつも毬様のまるいひらきがくっつきぶらさがっているのが青空にのって浮かぶさまの、きれいはきれいなのだがどちらかといえば奇特なようでもあった。花とか植物というのはだいたいどれも、あらためてまじまじみてみると美よりもむしろ奇異の観にうつる。

週日のまんなかだが昼下がりの陽気のためか裏路地にそとに出ているひとがおおく、大学生ほどの若い男が乗った自転車がすぎていったり、駐車場の端で草をとっているしゃがみ姿もある。家々のあいだにひろくひらいたあまり舗装もされていないような共同駐車敷地にかかるとすこし土手になった線路とそのむこうの林がみとおせて、いつもこの林縁のみどりに風をみたりみなかったりするのだが、きょうはかれらは旺盛にゆれており、手招きでもないがなにか呼びかけるごとく左右にかたむきながら泡のようなひびきを吐いている。もうすこしすすむともう一箇所、さきよりはせまいがやはり駐車スペースから線路のむこうがのぞく場所があり、ここの樹々はもっとこまかく渦を巻くようなうごきをはらみ、そのうしろでたかくのびあがった杉の木もゆれさわいでいた。午後二時だから裏通りにもまだまだひかりはあって肩口を中心に身に寄っていたその熱を、服をつらぬく風が散らしてすずしさへと中和していった。ハクモクレンはこずえに花のひとつもなくなりはだかの枝先に新芽がはじまっていた。地面にも花の残骸はまったくみられず、すでにかたづけられた空間がつぎの季にうつっている。

(……)の枝垂れ桜が盛りというわけで淡いピンクの巨大な逆さ髪に似たそのまわりに訪問者のちいさなすがたもおおくみられ、こちらが行くみちのはたにとまって談義しながらながめる高年の一団もあった。職場について勤務。(……)

  • いま五時前。きょうは八時四〇分くらいの覚醒だったか? 起床時間の正確なところなどわすれたが、起きた時点ではまだ曇り空で、晴れる気配もあまり感じられず、天気予報をみてみてもむしろ正午ごろは雨となっていたので洗濯をひかえたが、けっきょく降らず、その後薄陽もながれてきて、いまはレースのカーテンの向こうで保育園の屋上の線に接して西陽に裏から照らし出された雲が、その身をちいさくひかりに満たしている。風のやたらつよい日で、さくばん歩きに出たあいだもよく吹いていたが、きょうは起床後に瞑想をしているあいだに巨大ななにかが転がっているような、吹奏楽の太鼓の低音が体育館にひびいているような音が聞こえたし(同時に飛行機のうなりも上空に浮かんでいた)、正午を越えたあたりからさらに吹きつのって、抑制されて実体のない平和な雷みたいな調子でroll的な重いひびきが頻々と立ち、春の嵐といった風情。それにおうじてか保育園の子どもらの歓声も立っていた。陽気は初夏。一食目を食べたあとは暑かったので、今年はじめてになるがしばらく窓を開放して外気を取り入れていた。いまも室内でさわがしく遊び回っている声が聞こえてくるので、こちらはもう閉めたが、あちらでも窓を開けているのだろう。
  • 起床後はひさしぶりに瞑想。たしか一〇時半くらいから一一時直前までだったか? もっとまえだったかな。からだがなかなかただじっと座っているという時間の持続に耐えられる状態にならない近頃だったが、深呼吸をするとやはり全身が内側からマッサージされるような感じでほぐれる。ひさびさにじっと静止して、からだの感覚を受け取りつづけるということができた。のち、書見に切りをつけて日記を書くまえにももういちどやったが、このときは短く、一五分程度だった。さいしょに座ったときには腰のあたりが硬くて、たぶん上体の土台であるそこが硬いので背中がすっと立たず、反るような感じになって負担がかかり、それで肩甲骨のあたりまで硬くなってしまって胃に来たり喉が詰まったりするのではないか。その後飯を食ったり、ストレッチしたりごろごろしたりするうちにけっこうほぐれてきたが。瞑想中に去来する思念は、そろそろもうひとつ学習塾ではたらきはじめたほうがよいがしかししょうじき体調もそんなによくはないなあとか、きょう(……)さんと通話するから、文章関連で金を得るというのは、ひとまずかれにたのんでひとりめの顧客にさせてもらおうかなとかそういったあたり。(……)
  • 書見はティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)をつづけており、第五章まで読み終えて189にいたっているが、ここまでマジで言っていることぜんぶほぼ同意でよくわかるという感じで、むかしなつかしき2ちゃんねるスラングをつかえば「はげあがるほど同意」という調子。存在を関係論的に構成されたものとしてとらえるたちばなわけだけれど、その関係性を「ネットワーク」概念ではなく、「メッシュワーク」という独自の構図でかんがえるのが独特なところで、要はネットワークは点と点のむすびあいであり、ネットワーク概念に依拠する理論はすべて要素よりも要素間の関係に重点を置くとはいえ、むすびつきをかんがえるためには要素と要素間のつながりがまず分離されなければならず、ということはけっきょく有機体や生命というものを境界線の内側にかこいこむことになってしまう、それにたいしてメッシュワークというのは無数の線的痕跡の織りなしやかさなりあいとして世界をとらえるものであり、そこであらゆる要素は動的で絶えず流動しつづけており、したがって実体的な要素と要素間の関係との区別がなく、線という形象に沿って生きられるその無数の流動の接触や交錯や交雑、相互作用や相互浸透こそが世界なのだというはなしだとおもう。したがってネットワークにおける点のように固定的な実体は存在しない、ということになるのではないか。読めばこれはほぼ仏教的な世界観なのでは? という類推はむろんはたらくし、南方熊楠のいわゆる「南方マンダラ」をおもいだしもする。このあいだ読んだ松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)をいま返却してしまっているので正確なところの比較はわからないが、ティム・インゴルドのこの本のなかでは、有機体をしめす図としてカンギレムを参照しながら(『生命の認識』(一九五二年)の、「生きるということは、放射状にのびることであり、基準となる標点から出発し、その周囲で環境を有機的に構成することである」という一文だが、ここでカンギレムが出てくるのもちょっとおどろくところだ)、いくらかうねりをはらんだ複数の線がまじわりあう線画が描かれているのだけれど(174)、「南方マンダラ」もこんな感じだった気がする。「南方マンダラ」がつうじょうの意味のネットワーク的世界観ではなく、ティム・インゴルドのいう「メッシュワーク」とか、あるいはカンギレムの論じた有機体や生命のとらえかたとおなじことを言っているとかんがえられるのだとしたら、その先駆性はかなりのものである気がするのだが。おなじ174では図のあとに、「有機体と人間はそのとき、ネットワークにおける節 [ノード] というよりもむしろ、結び目からなる織物の結び目 [ノット] である。そしてある結び目をなす撚り糸が、他の結び目では別の撚り糸と結びつきながら、メッシュワークを構成する」という説明があるし、すこしもどると、「そのような跡の一つひとつはさまざまな跡からなる織物の一本の撚り糸にすぎず、それらは一緒になることで生活世界の肌理を構成するのである。この肌理こそが、有機体は関係論的場の内で構成されると言っている意味である。それは互いにつながれた点からではなく、編み合わされた線からなる場である」(172)という説明もあるが、「織物」「撚り糸」「結び目」などという比喩をみるに、これはかんぜんにテクスト論的世界観じゃないですかと、とりわけ「肌理」なんてことばをつかっているのにはロラン・バルトじゃないですかとおもわざるをえないのだけれど、ただ参考文献にバルトの名はない。ティム・インゴルドが「線」という形象を重要視するようになった直接の参照元ドゥルーズおよびベルクソンらしいのだ。そしてこうした流動性や運動の優位、内と外の区別にもとづくのではない相互浸透的でひらかれた有機体のとらえかたというのはアニミズム的世界観もしくは存在論だとも言われており、それにもとづいて、というかそれをかんがえなおすことによって、いまの科学にうしなわれてしまったものを取り戻したり、いわゆる西洋的な思考の伝統的なありかたを再考しようというのがティム・インゴルドの企図だが、それでいえば去年あたりに奥野克巳と清水高志の『今日のアニミズム』という本が出ていて、それもこういうはなしをしているのかもしれない。図書館にあったのでそのうち読みたいところ。
  • こういう世界観がじぶんの性質と親和的なのはいうまでもなく、さらにとりわけ「驚き」と「驚嘆」を区別する点とか、風景について述べているあたりとかも奥底まで同意という感じなのだけれど、ただ流動的世界をおもうときにいつもおもうのはそれでいいのかなあということで、つまり固定点なくてだいじょうぶなのかなあということで、唯一神という絶対的な固定点の桎梏をつくってしまった西洋文明からすると第一原理的固定点というのはむしろ解体するべききわめて強固な拘束にもうつるとおもうのだけれど、流動的無常世界みたいなのは形而上学から下りてきて政治社会的に援用すると永久革命論になり、主体論に適用すれば主体はひたすらに変化・変容していけるという無境界的自由みたいなはなしになるはずで、それはそれで魅力的だけれどやっぱりなんかちがうなと、楽観的に過ぎる感じがあるとおもうのだ。有限性が大事ではないかと。ただじっさいティム・インゴルドのメッシュワークにしても、あるいはドゥルーズ=ガタリの論にしても、それがじっさいに無限的なというか永久変容みたいなこととしていわれているのかはわからないし、なんというか流動とはいってもその流動にも幅や範囲があるはずなので、固定点がないにしてもなんらかの有限性(総体としても局所的にも)は介在するのではないかとおもうのだが。しかし幅や範囲を導入すると、境界区分的囲い込みが発生してしまうようにもおもえる。有限であるということは境界区画とおなじなのか? という問いだ。一見するとというかふつうにかんがえるとおなじであるようにおもえるのだが、ただ流動性と生成変容とは言ったって、その流動にもまさしくそこまでのながれがあるでしょうというはなしで、そしてまたそのながれ、メッシュワークのいっぽんの線を可能にする条件があるでしょう。そういう環境的(そのいっぽんの線をまさにつつみこんでいる――「つつみこんでいる」のであって、「囲いこんでいる」のではないことが重要なのかもしれない)条件としての流動の範囲があるのではないかということで、ひらたくいって、にんげんにしてもほかのなにかにしても、そんなに革命的にがらっとはなはだしいかたちで生成変容できなくない? とおもうのだ。ドゥルーズ=ガタリの論ではむしろそういう純然たる「変身」みたいなものが称揚されているのかもしれないけれど、いかんせん読んだことがないのでわからない。しかしまた、そうでもないのかな。たとえばにんげんにしても死んで焼かれて灰になるというのはそうとうはなはだしい生成変容とおもえる。しかしそれは有機体としての生の範囲を越えてしまっているので、ひとまず有機体としての生のみちゆきでかんがえたほうがよいかもしれない。だがそれはまたけっきょくのところ固化的主体にこだわることになってしまうのではないか。
  • きょうのことを綴ったあとはまた寝転がってだらだらなまけてしまい、七時過ぎにいたってようやく起き上がった。八時から(……)さんと通話だったので、そのまえに二食目を取っておきたかったのだ。それで七時半ごろに煮込みうどんのさいごの一杯と納豆ご飯で飯を食い、通話。九時ごろまで。それから二〇分くらい瞑想をして、四月三日月曜日のことを書き出し、一〇時半前で一回切って、ちょっとそのへんをひとまわりしてくるかというこころになった。食料がもうとぼしいからスーパーに行くのがよいのだけれど、気分としては買い物までするこころではなく、ただちょっと散歩をするつもりだったのだけれど、ところがジャージを脱いでひさしぶりに薄手の真っ黒なズボンを引っ張り出し、うえは肌着にブルゾンの軽装に着替えるとやっぱり買い物もしてくるかというきもちになって、リュックサックを背に負った。部屋を出るとさっそくあたりから風が建物にぶつかる音が立って聞こえる。階段を下りて道に出ると右手の口から路地を出て、向かいに渡って道路の端を左折する。首を左方にひねってみあげれば月がまるまると架かっていて、空は雲が優勢だからむき身のつややかさではないがひかりは厚くて減退もわずか、雲を敷かれて黄みがかった淡い暈をまといながら本体はときに遮蔽を越えてみずみずしくなる。首をひねりひねり見上げ見上げすすむあいだ風は盛んで、布団屋のまえの旗がきょうも引きちぎれんばかりにはげしくふるえて身悶えしている。室内にいて文字やモニターばかりみていたあとの瞳に空間の像がややぼやけるようだったので、眼球の向きを変えつつシパシパとまばたきをくりかえしながらあるく。信号を無視して豆腐屋のまえに渡ったころにははやくもじつにいい空気だなと、こんな夜道をせかせかあるいてしまってはもったいないと歩調がゆるくなっており、(……)通りに曲がっても両手を黒ズボンのポケットに突っこんで視線を落としたり空にはなったり、てきとうにあたりに飛ばしたりの気楽なあゆみがつづき、公園で道沿いにあらわな桜木はもう花弁のいろはほとんどなくて、葉の緑がおおかたになっていた。まっすぐ伸びる通りを行くあいだも風は舞い、からだに感じられるその軌跡は微妙に揺動しながらときに方向を変え、大気はひっきりなしにうごいてあたりからシャッターの揺れなどものおとも立つが、不思議と身の至近だけはしずまってうごかなくなりながらそのそとや対岸では音とうごきがつづいている、そんな瞬間も生まれる。しかしだいたいは空気のながれをまとっているような状態で、その接触や押圧をからだの各所に感じながら、身をつつみかすめなでてつらぬき過ぎ去っていく複数の線状跡を想像し、ティム・インゴルドがいっていた無数の線跡の集積かさなりまじわりで生まれる世界の肌理とは風と大気そのものではないかとおもった。出口付近の向かいは小学校になっており、みやれば校庭を越えてかなたの空に視線はのぼり、くまなく貼り伸ばされた粘土じみて鼠色に平板なそのなかに遠くの電波塔が赤灯の点をひとつ呼吸させ、ひるがえって頭上には平板さのなかに墨汁を垂らしてなすったような雲のほころびが暗い口となり、通りを抜けて横断歩道で止まりながら左手をみあげれば駅前マンションのあたまからけっこうひろく雲間がみられ、ふたたび遭遇した南の月のまわりもどちらも抑えた白と黒と複雑に入り混じった様相を呈している。渡ると寺の角から裏にはいり、すぐに左折すればマンションのまえをとおって駅につづく暗い道、道脇の桜は枝ぶりこそおおきなつばさのようにひろげているが色はほぼみえず、月も寺の木々にかくれてこずえの先端にわずか明かりがもれるばかり、ここで風が一気にまさって正面から分厚く走り、するとさすがに涼しさを越えるいきおいもあるが、それも一瞬が何回かという程度で、冷たさにはほど遠く、肌寒さにもいたれるか否かかろうじてというところ、しかしながくつづいて駅前に来るまでやまなかった。駅からはいまちょうど電車を降りてきたひとびとがたくさん湧き出して道を行く。月は頭上にあらわにある。ひとびとのながれになかばまじるようにして踏切りのほうに行くと、こちらのまえにワンピース的なよそおいをした若い女性がひとりさきに線路を越えて、そのあとからこちらも越えてひだりに折れると行く方向がおなじなのですこしうしろにつくような感じになり、男に背後をあるかれるといやだろうからとむこうが歩道の左側をあるいているのをこちらは右にずれ、なるべく距離がはなれていくように歩調も落としていくそのあいだ、左手にはオレンジ色の街路灯をふりかけられた駐輪場があるのだが自転車はほとんど駅寄りにあるもうひとつのほうに停まっているらしく、こちらの区画にものはとぼしく閑散とした地面と宙にどことなくなじみづらいオレンジの明かりだけが浸透している。前方から男性の対向者が来たのでひだりにずれなければならず、駐輪場が終わるとそのつぎの土地はなにかの畑で、といって野菜が植わっているのをみたおぼえはなく、黒々としたゆたかないろの土が敷かれているがまもなく垣の代わりめいた低木のならびがはじまるのでそれもみえなくなる。前方の女性との距離はつつがなくはなれた。あちらはうしろすがたの固定ぶりからしスマートフォンをみながらあるいていたようだ。中華料理屋の裏をとおらずおもてまで行って左折し、するとさきほどの女性は向かいに渡るようで横断歩道のまえで止まっていたのでここで路程は分かれ、こちらはまっすぐ踏切りまで行き、渡って当たった通りを左折すればそのさきがスーパーになる。
  • 店内でのことはもうわすれた。帰路もあまりおぼえていないが、遠回りをしようというわけでスーパー前を渡るとそこの口にははいらず、ひだりに折れて、行きも来た(……)通りのほうから帰った。ここを行っているあいだに心身がいっそうしずまって、恍惚も官能もいまやないがただとにかくおちついて、夜、帰路、ひとり、風、ゆっくりとした歩み、それらの積算と混淆によって浮上してくる解放感、あのまじりけなしの自由の時が現成し、これがじぶんの生のなかでもっともおちつく時間であることはうたがいないとおもった。こういうとき、わりともう死んでもいいなというか、死ぬんだとしたらこういうときがいちばんもってこいじゃないかとおもったりもし(ところで金関なんといったっけ、アメリカ文学のひとが訳したネイティヴ・アメリカンの詩集で、『きょうは死ぬのにもってこいの日だ』みたいなタイトルのやつがあってかなりむかしに読んだ記憶がある――またいっぽう、ウンベルト・エーコ岩波文庫にはいっている文学の森七講義みたいなやつのさいごで、うつくしい星空をみたさいにいまこそ死ぬべきではないかとおもったみたいなエピソードを語っていたのもおもいだされるが、後者を読んだのはたぶん読み書きをはじめた二〇一三年中のことなので記憶がそうとう曖昧だ)、さらにいえばどんどん歩速を落としてしずかにあるいているいまここのじぶんが生きている、社会的秩序のなかで生活をしているというのがよくわからないような、ふしぎな、困惑させるような感覚が生じ、じぶんがもう死んでいるような、あるいは語義矛盾的だが死後を生きているような、ともおもわれるのだった。そういうところに行きもみとめた公園の桜が道の向かいで夜の宙にいろのあきらかでないこずえをひろげているのが目をとらえ、それだけでそこはなにかであり、脚をとめてしばらく、もしくはずっとそれをみていたいような気にもなるのだけれど、じっさいにそうするほどにまだ生活というものからはなれさることができておらず、緩慢ながらすみかに向かってあゆみはとぎれずつづいてしまう。
  • 通話時のこと。(……)


―――――

  • 日記読み: 2022/4/6, Wed.
  • 「読みかえし2」: 1338 - 1343
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/5, Wed.

 こうして私は研究に没頭し、あっという間にまる一冊ノートを埋めてしまった。さまざまな怪物や空想生物の形態的特徴、彼らの伝説を構成する要素、恐怖の渦巻く世界において彼らがそれぞれ担う役割をそこに書き留めていったのだ。正直なところ、私は少し失望した。同じ話の繰り返しなのは一目瞭然だった。どの新しい物語も旧知の物語の混合物であり、そこに登場するどの生物も想像と経験の少し意外な混血児 [あいのこ] であることが露見した。要するに種の多様性に乏しく、むしろ本物の自然の方が架空の物よりいくぶん奇抜だった。これらの怪物の物語がそろって証明していたのは、せいぜい典型的なストーリーとモチーフを飽かず繰り返す粘り強さくらいのものだった。五百年ごとに炎の中で焼け死んで、自らの灰の中から甦る不死鳥 [フェニックス] 、尊大なスフィンクスとその謎解き、メドゥーサやカトブレパスバジリスクの死のまなざし。最後に必ず退治される、ありとあらゆる種類の竜、硬い皮膚に覆われたその翼、大気を悪臭で満たす息、黄金への渇望、そして避けがたい彼らの血の海。異なる文化圏の空想動物すら、期待したような変化をもたらしてはくれなかった。基本的につねに同じだった。女性の純潔は守られるか、あるいは犠牲に供されなければならず、男性の勇敢さは証明されなければならず、獣は屈服させられ、異国の物は征服され、過去は克服されなければならなかった。こうした記述においてとくに気に食わなかったのは、わざと声を潜めて重大なことを話すような態度、前代未聞さを強調する大袈裟な身振り、迫り来る厄災あるいは太古に起きた厄災をほのめかす常習的手口だ(end68)った。そしてそれにもましてうんざりしたのは、そうした怪物の中に誤解された現実しか見ようとしない学者たちの導き出す結論だった。彼らには謎めいた物など一切存在しない。犬の頭を持つ民キノケファルは略奪行為をはたらくならず者の一団に過ぎず、不死鳥 [フェニックス] は輝く朝の太陽に溶け込むフラミンゴ、古い宗教的ビラに登場する海坊主は迷子のモンクアザラシ、一角獣はサイを間違って翻訳したもの、もしくは横から見たオリックス。ところがよりによって、なぜ竜はまぎらわしいほど恐竜に似ているのかという身近な疑問に対する納得の行く答えは、残念ながらどこにも見つからなかった。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、68~69; 「ゲーリケの一角獣」)



  • 一年前からニュース。

(……)新聞の一面をみると、きのうの朝刊や夕刊でもみたがロシア軍がキエフ近郊や各地で市民を虐殺し戦争犯罪をおかしたようだという報。きのうの夕刊の情報とおなじだが、すくなくともキーウ近郊で四一〇人の遺体が確認されている。きのうの夕刊の記憶ではこれはウクライナのイリーナ・ベネディクトワという検事総長が発表した情報で、かのじょはすでに一四〇人の検死を終えたといい、フェイスブックに、これは地獄だ、犯罪者をさばくために記録をしなければならないと投稿したということだった。Human Rights Watchなどもはいって証言をあつめているようで、ロシア兵が「ナチス」をさがしていたという目撃証言もあるらしい。ウクライナ軍の捕虜になったある兵士も、ウクライナにはナチスがいるとおもっていたと言っているらしく、したがってクレムリンプロパガンダが前線の末端の兵にまで浸透していたともおもわれると。きのうの朝刊の二面にあった記事には、ロシア軍の兵士が略奪した物品をベラルーシにて露店で売りさばいているというはなしもあった。

  • 音楽。

(……)二時すぎからKeith Jarrett Trio『Tribute』をながしてまたまくらのうえにすわった。このアルバムは父親がもっていた数少ないジャズのCDのなかにはいっていたのでそれなりにきいた。Keith Jarrett Trioは偉大なるマンネリズムではあるのだけれど、ちゃんときけばやはりおもしろいものでもある。Jack DeJohnetteのドラムソロの連打がずいぶん粒のこまかくてしかも流動的なもので、拍のあたまにアクセントもないからとらえづらく、ここがあたまだろうというのはききながらある程度とらえているつもりでいるのだがソロがあけて三者にもどるとずれていてむずかしいなあということがよくあった。DeJohnetteはバッキングもなんかへんというか、あ、そういうかんじなの? とおもうときがけっこうあり、オーソドックスではないけれどよくある拡散系でもなく、はげしくバシバシやるタイプでもなくて、地味といえば地味なのかもしれないしすくなくともバッキングちゅうは繊細さのてざわりのほうが顕著でそんなに我がつよいようにはきこえないのだけれど、しかしなにか我が道を行っているようなへんなかんじがある。Bill Evans Trioのモントルーのやつなんかではいかにも若者というかんじでもっとたたきまくっていた記憶があるが。二曲目の”I Hear A Rhapsody”のドラムソロでは突発的にめちゃくちゃおおきなおとになって連打しまくっており、ここの爆発はむかしからいつもおどろく。”Lover Man”、”I Hear A Rhapsody”、”Little Girl Blue”、”Solar”と四曲目の終わりまできいてそれで四〇分くらいなのだが、このなかだったら”I Hear A Rhapsody”がいちばん好きかな。ピアノソロの終盤からベースソロにはいるところのながれなどよく、Jarrettは後半からだんだん恍惚にはいりはじめたようで切り替わりの直前ではかなりの速弾きでおとを詰めまくりながら駆けているのだが、なんだかんだいってもJarrettは速弾きしてもくどくならずに必然性をもってきれいにきこえるのがすごい。それはやっぱり、あのうなり声から察するに、ほんにんの身体と同期しているからということなのだろうか?

Finland has become the 31st member of Nato after its foreign minister, Pekka Haavisto, signed an accession document and handed it to the US secretary of state, Antony Blinken, at a ceremony in Brussels. Sergei Shoigu, Russia’s defence minister, said the accession of Finland increased the risks of wider conflict. US president Joe Biden welcomed Finlands’ ascension and urged Turkey and Hungary to conclude their ratification processes for Sweden to join.

     *

Wall Street Journal reporter Evan Gershkovich, who was arrested and charged with espionage in Russia last week, met his lawyers for the first time on Tuesday, editor-in-chief Emma Tucker said in a message to staff. “Evan’s health is good, and he is grateful for the outpouring of support from around the world,” Tucker said in the letter, a copy of which was seen by Reuters.

     *

Lithuania’s parliament decided on Tuesday to ban Russian nationals from purchasing real estate in the Baltic country, citing risks to national security.

Polish farmers are threatening to derail a visit to Warsaw by Volodymyr Zelenskiy over claims that Ukrainian grain is flooding their market, in a move that would provide Russia with valuable evidence of a crack in western solidarity.

Donald Trump will appear in court on Tuesday afternoon to formally respond to charges over his involvement in a hush-money scheme, marking the first time in US history that a former president will face criminal charges.

The court appearance comes five days after a New York grand jury voted to indict Trump as part of a years-long investigation spearheaded by the Manhattan district attorney’s office.

     *

A grand jury voted to indict Trump last Thursday over allegations that he illegally reimbursed his former attorney, Michael Cohen, for a $130,000 payment to Stormy Daniels, an adult film star who claims to have had an extramarital affair with the former president beginning in 2006. Cohen paid Daniels in the final days before the 2016 presidential election, as she was preparing to go public with her story about the alleged affair. (Trump has said the affair never took place.)

Trump has acknowledged reimbursing Cohen, but he denies any illegal wrongdoing. The office of the Manhattan district attorney, Alvin Bragg, has been investigating the matter for months, and Bragg confirmed on Thursday that he was working with Trump’s team to coordinate his surrender.

     *

An arraignment is a court procedure wherein a judge reads formal charges against a defendant. This will be the first time Trump hears exactly what charges he is facing.

     *

Once Trump enters a plea, the judge will set a schedule for next steps in the pre-trial process. The trial itself is not expected to start for months. Once the arraignment comes to a close, Trump will almost certainly be released and allowed to return to Florida.

(……)

Even though the trial is probably still months away, Trump is already planning for a guilty verdict. In a message posted to the social media platform Truth Social on Friday, Trump attacked the judge assigned to his case, the New York State supreme court justice Juan Merchan, and pledged to appeal the ruling.

  • めざめるとしばらく鼻から深呼吸。保育園の気配からして、まだ比較的はやいなとみていた。しかし起き上がって時間をみてみるとじっさいには九時。晴れてはいるが陽のいろはややひかえめで、レースのカーテンをみあげて視線をとおした感じ、空の青さのなかに薄雲がしのばされているようにみえたが、その後もおだやかな晴天がつづいて、ときおりかげるものの午後一時現在あかるくよくうごく大気のなかで洗濯物がゆれうごいている。カーテンにかかるひかりにきらきらとしたつやはなく、影もまろやかな色味をしている。立って口をゆすぎうがいをし、水を飲んでトイレへ。放尿して顔を洗い、出ると腕振り体操をやったり背伸びしたり。寝床にもどるとChromebookでしばらくウェブをみたのち、一年前の日記を読み、Guardianものぞいた。ウクライナの概報とDonald Trumpが罪状認否で法廷に召喚されたという報を読んだ。Donald Trumpにたいする告訴のうごきがすすめられておりほんにんもじぶんは逮捕されるだろうとかいうことを先んじて述べているというはなしはすこしまえからヘッドラインで瞥見していたが、それが実行にうつされたところ。うえの記事いがいを読んでいないが、トップページの見出しをみるに、三四の容疑について無罪を主張したようだ。中心的な件としては、Stormy Danielsというアダルト女優と不倫関係にあったのだけれど大統領選にさいして関係を解消し、それを公表しないよう弁護士をつうじて金をわたしたというはなしがとりあげられている。
  • 離床は一〇時すぎ。座布団二枚をそとへ。ついでにきょうは掛け布団も窓外の柵にかけておき、敷き布団のほうはたたむのではなく立てておいた。おおざっぱに二つ折りして、折り目のところを壁際のダンボール箱と角のギターのすきまにさしこんでおくようなかたち。からだをちょっとうごかしてから食事へ。キャベツとチンゲン菜と豆腐とウインナーで温野菜をこしらえる。レンジをまわしているあいだはさきほど出した座布団をもうさっそく入れ、ねころがってティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)を読んだ。のちにも読んでいま第四章を読み終えたところ。160にきている。野菜があたたまると椅子に座ってものを食べる。納豆ご飯やバナナなども。平らげてちょっと休憩し、皿洗いと歯磨きを済ませるとWoolfの英文を読んだ。きょうはWavesははぶいてTo The Lighthouseのふたつだけ。あとでまた読むかもしれないが。正午に達する直前で椅子を下り、座布団二枚のうえに寝転がって書見した。第四章「板を歩く 技術に熟練する過程を考える」は副題のとおり技術や技能について鋸で板を切るという事例にそくして考察したもので、たとえば技術の実行には一般に準備・動き出し・遂行・完了という明確に見分けられる四つの局面があるけれど、明確に見分けられるとはいえそれらはかんぜんに区画された局面ではなく、独立でもないが不連続でもない過程的なものだ、とか。はなしはあいかわらずつねにおもしろい。道具の機能というものをかんがえるに、それらは文脈独立的にあらかじめそなわったり定義されたりするものではなく、それがつかわれる場合の周辺環境(その他のものの準備や配置など)や目的(文脈)との関係がおりなす総合的な体系性のなかであらわれるものであり、その機能がじゅうぶんに発現するには熟練した技能をもった行為実行者が必要なのだが、だからいわばものの機能というのは一種の物語としてとらえることができると。熟練者はあらかじめさだまっている道具の機能をただ盲目に反復するのではなく、かといってその都度あらたに生み出すのでもなく、その道具が使用されてきた過去の歴史(物語)を踏まえてそれに精通し、それをいわば想起・再生するようなかたちで語り直す。そもそもあるものをたとえば「鋸」というなまえで呼んだ時点で、そのものがどのようにつかわれてきたか、いまどのようにつかわれ(う)るかという物語を前提していることになる。鋸のような道具にかんしてはひとまず使用の概念をみとめてよいとしても、しかし鋸で板を切るためには鋸だけがあればよいというわけではとうぜんない。板を支えるための架台とか、その他もろもろの事物の配置や準備も必要だし、行為者の技術やもちろん手・足・目・耳などの身体も必要である。プラトンいらいの観念だとひとの手すなわち身体というのも、身体領域から超然としておりそれに意志としての命令を下す精神もしくは知性や理性によって使用されるというふうにとらえられていたわけだが、道具の使用とかそれをふくんだ技術的行為というのは関係的体系性のなかにあるのだから、ティム・インゴルドの言い方によれば、手はむしろ使用のなかに導き入れられるというふうにいうのがよいだろうと。ただ、たしかに道具とにんげんの身体とで差異もあって、端的に鋸じたいは過去の物語をそなえているとしてもそれだけで想起・再生をすることはできず、手が介入することによって(媒介することによって)はじめて物語が語り直される。そして手はその行為によってじしんの物語を語ることもできるわけで、言ってみれば鋸は伝記しかもたないが、手は伝記と自伝の双方をもっているということになる、など。おもしろいはなしはいくらでもあって、この章もだいたいぜんぶ書き抜くような感じなのだけれど、負担がおおきいのでこれいじょうの内容要約はしない。うえの要約もむろんこちらの理解したかぎりのはなしで順番など変わっているので、正確性は保証しない。使用概念にかんしては数日前の(……)さんのブログに一年前から引かれており、こちらも一年前の読みかえしでとうじじぶんの記事に引いたのを読んだはずだが、以下の引用が関連しているとおもうのでうつしておく。

國分 フーコーが晩年、古代ギリシアにあった「自己への配慮」というのを論じますよね。アガンベンはこの議論について、いい線まで行っているんだけど、フーコーは肝心なところで使用の関係を摑み損ねているために、自己の使用として語られるべきであった問題を、自分で自分をどう支配するかという問題にすり替えてしまっていると指摘するんですね。
 具体的にはフーコーも論じたプラトンの『アルキビアデス』という対話篇を引いています。対話の中でソクラテスは「使う者と使われる物は違いますよね」と言う。たとえば靴職人がナイフを使って皮を切るとき、ナイフと靴職人は別である。だから、使用関係において、使う者と使われる物は区別されねばならない。でも面白いことに、そこで話をやめておけばいいのに、ソクラテスがさらに議論を進めて、「しかし、靴職人は自分の手や目も使うのではないかね」と言うんだよ(笑)。そうすると「あれ?」となっちゃう。
千葉 ソクラテス、半端ないですね(笑)。
國分 プラトンがそこで「ここには支配関係と違う、使用関係がある」と気づいていたら、違う哲学史が始まったかもしれない。あらかじめ存在している主体が何かを使うのではなくて、使用の中で主体化が行われるという哲学が生まれたかもしれない。でも、プラトンはなんとしてでも使う者と使われる物は違うという図式を維持しようとするから、人間においては魂が身体を使っているのだ、魂が使う者であり、身体が使われる物なのだというわれわれのよく知る図式がそこに出てきてしまう。つまり、魂が身体を支配する関係で人間を考えてしまうわけです。
 僕は哲学史において、この時こそ中動態の論理が抑圧された瞬間ではないかと思うんです。『中動態の世界』の中で、「中動態を抑圧することで哲学ができあがった」というデリダの言葉を紹介しているけれど、使用を支配に還元したこの瞬間こそ、プラトニズムが誕生した瞬間ではないかとすら思う。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

  • 一二時半過ぎにたちあがってここまで書くと一時四二分。きょうは図書館に行ってもいいなというきもちになっている。天気も良いし。良いわりに暑すぎないような気もするし。しかしほんとうに行くかどうかわからないが。
  • いま五時四〇分。やっとこさ三月二五日土曜日の記事を書き終え、投稿することができた。日々の書きものの遅滞がはなはだしい。どうしてもなかなかからだがついていかないのだが、息をふーっと吐いて酸素や血を全身にめぐらせつつちょっとずつやるしかない。うえまで記したあとは二五日分をすこしすすめたり、寝転がってだらだらしたり、二食目を取ったり。干しておいた布団は二時くらいになかに入れたが、そのさい柵の内側にぐしゃっと落ちていて、じっさいきょうは午後から風がやたら盛って精霊のうなりめいたひびきも付近の路上や家々のあいだに鳴りを立てていた日で、柵のそとがわに垂れたぶぶんがちょっとあおられるのも見かけていたのだが、それが柵を越えて反対側まで落ちたらしい。そとに落ちるのでなくてよかった。布団バサミを買ったほうが良いかもしれん。洗濯物のほうは三時台だか、二食目を食うためレンジで温野菜をまわしているあいだに取りこみ、即座にたたんで始末した。いまもう六時がちかいというのにまだ暮れきっておらず、あかりをつけていないがそれで室内が暗すぎるわけでなく、レースのカーテンのむこうの空も青と白がそれぞれ最大限に淡く混じり合った夕方の乾燥したようないろをのこしている。

Suhail Ahmad Shah stood despairingly before the wreckage that for two decades had been his livelihood. Just hours before, he had been busy at the workshop when he heard an ominous crunch above him and the tin roof began to cave in. He barely made his escape before a bulldozer flattened the entire place.

“No notice was served to us,” said Shah, 38. “The officials came suddenly and demolished our workshop. No one is listening to us. We’ve been paying rent. Isn’t this an atrocity? They have snatched our livelihood.”

His workshop selling secondhand car parts in Srinagar, the summer capital of the beleaguered Indian state of Kashmir, was just one of dozens of structures across the region caught up in a widespread demolition drive in February. Many of these took place with little notice, even for those who had occupied the land for decades. The purpose, according to the government, was to “retrieve” state land that had been illegally encroached on. More than 50,000 acres of land were seized before the drive was paused.

But in Kashmir, the drive has been condemned as having a more sinister purpose. Many have decried it as part of a wider agenda by the Hindu nationalist government of the Bharatiya Janata Party (BJP), led by prime minister Narendra Modi, to displace and dispossess Kashmiris from their own land and shift the demographics of India’s only Muslim-majority state.

Since the Modi government came to power in 2014, bulldozers have been a popular tool for BJP leaders to target the Muslim minority in their pursuit of a religious nationalist agenda to establish India as a Hindu, rather than secular, country. In states such as Uttar Pradesh, Delhi, Gujarat and Madhya Pradesh, bulldozers have been used to crush the homes of swathes of Muslim activists accused of involvement in protests and of communities alleged to be illegal immigrants.

     *

Since independence in 1947, the Kashmir region has been the touchstone issue between India and Pakistan. They have gone to war multiple times for control over the disputed territory, which is split between the two countries. On the Indian side was the state of Jammu and Kashmir where, from the early 1990s, a violent separatist insurgency with an allegiance to, and funded by, Pakistan emerged.

Successive governments struggled to bring the violence under control. But in August 2019 the Modi government, fulfilling a long-held promise to its rightwing base, took unilateral action against the state, stripping it of its long-held autonomy and severing it into two territories under central government control. Thousands of troops were moved into the state, the state government was dissolved, local politicians were imprisoned and the world’s longest internet shutdown, lasting 18 months, was imposed.

Since then the BJP has thrown open the doors of the state, allowing outsiders to buy property and register to vote in Kashmir for the first time. More than 2 million new voters have been registered, a source of great concern to the many who believe that the government is trying to change the demographics of the state away from its current Muslim majority.

A redrawing of the electoral map has led to accusations of gerrymandering after it became clear the reshaped constituencies would split the Muslim vote in Kashmir, to the likely electoral advantage of the BJP.

     *

But those in the state tell a very different story – one of systematic oppression under increasingly authoritarian laws and where democratic freedoms, including free speech, political representation and the right to protest, have been crushed. Kashmir is now one of the most heavily militarised zones in the world, with more than half a million troops to watch over just 7 million citizens, with army checkpoints every few miles on the roads.

Those living in the state say that censorship, both of ordinary citizens and the media, is standard practice by the government, police and military, and anyone expressing criticism through activism or on social media is immediately taken in by police.

     *

Journalists have become a particular target. New laws were passed to strictly control their reporting, and the few journalists who still produced critical coverage of the region have been subjected to harassment and interrogation and had their phones and laptops seized.

Journalists have been publicly thrashed by police while some have been put on no-fly lists, barring them from leaving the country. In the local newspapers, editors and owners have deleted years of coverage that was critical of the government due to the increasing pressure, and once-independent newspapers have been reduced to pamphlets for government press releases. At least three Kashmiri journalists, Asif Sultan, Fahad Shah and Sajad Gul, have been jailed under terrorism laws.

     *

Democracy remains elusive. The state government was never restored after 2019 and regional elections have not been held for more than five years, leaving Kashmiris with no political representation or outlet to express their discontent.

Political leaders who had spent their careers promoting pro-India policies in Kashmir but were among those imprisoned after 2019 accused the BJP government of authoritarianism. Omar Abdullah, a former chief minister of the region and India’s former junior foreign minister, said government-appointed administrators in Kashmir had “absolute power with no accountability”.

Former chief minister Mufti said she and those in her party were “harassed endlessly”. “I am placed under house arrest quite often and not allowed to carry out political activities or reach out to people in distress,” she said. “No one here, be it a political leader, activist or even journalist, enjoys the freedom of speech to articulate the ground realities.”

     *

Militants have shifted strategy, carrying out more targeted killings of non-locals and minority Kashmiri Hindus. This has spread fear among the Kashmiri Hindus, commonly referred to as Pandits, 65,000 of whom fled the valley in the 1990s when they were targeted during a violent pro-Pakistan insurgency. In recent months another exodus of Pandits has begun.

“We do not feel safe in Kashmir,” said Rinku Bhat, who is among those who fled his home after the killings. “Our people are being killed in broad daylight by the gunmen, inside their offices, homes. We are demanding that we should be posted to safer locations but the government has not helped us so far.”

  • 前日の記事にも書いたとおり、この日の夜歩きと前日の夜歩きのどちらがどちらだったかいまいちさだかでないのだが、この水曜日もまたあるきに出て、ぐるっとひとまわりという感じで夜を渡った。道中の印象事はとくにない。


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  • 日記読み: 2022/4/5, Tue.
  • 「ことば」: 1 - 2

2023/4/4, Tue.

 パーカを着、登山靴を履いて外に出ると、まっすぐに森へ向かった。アオガラがさえずり、クビワツグミが高い声で鳴き、窪地には残雪がきらめいている。蛍光緑色に発光する、彫金細工のように繊細な腕を持つ繊維の塊がそこかしこの木の幹を覆っている。これもまた、自然界にはきわめて人工的に見える生物すら存在しうるという私の主張を裏づけるものだった。緑色の塊は簡単に樹皮から剝がれ、私の上着のポケットの中で乾いた苔のような感触を与えた。三十分ほど歩くと、峡谷がまるで傷口のように山腹にぱっくりと口を開けているところに出た。手の甲ほどの幅しかない細い橋板が、暗く湿った深淵にかかっていた。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、67; 「ゲーリケの一角獣」)



  • 一年前より、ニュース。ブチャの虐殺があきらかになっている。

(……)新聞一面をみるとキーウ州(数日前に日本政府が、キエフは今後ロシア語の読みにもとづく「キエフ」ではなく、ウクライナ語にそくした「キーウ」と呼び、表記するということを発表したので、新聞の表記もそれにもとづいている)全域をウクライナ側が奪還したと。ただ、近郊のブチャという町では、市長がAFP通信の取材にこたえて、街中に遺体が散乱している、女性や子どももふくめたすくなくとも二八〇人を集団墓地に埋葬した、遺体はすべて後頭部を撃たれていたとはなし、現地入りしたBBCも路上などですくなくとも二〇人の遺体を確認していると。民間人とおもわれ、後ろ手に縛られた遺体の映像も報道しているという。バビ・ヤールをおもいださざるをえない。地下室に手足をしばられた一八人のバラバラ遺体が発見されるということもあったらしい。ロシア軍が民間人虐殺をくりかえしていたのではないかとみられる。撤退するまえにさいごに、ということもあったのかもしれない。ロシア軍は死体や家屋などに地雷をしかけていったといい、その調査などがなかなか難航しているようだ。ほかの各地でも略奪や女性暴行の報はあるらしく、軍紀が低下しており脱走兵も出ていると。ロシア軍に包囲されているマリウポリでは赤十字国際委員会(ICRC)の支援で民間人の退避がすすめられているというが、ロシア側は、ウクライナ赤十字の準備不足のためになかなかすすまず遅れていると批判したらしい。いっぽう、首相の特使としてポーランドをおとずれている林外相は、ウクライナ人難民を政府専用機で日本に連れてくるかんがえをしめした。いまのところ二〇人が希望を表明しているという。今夜にも帰国する予定らしい。また、停戦交渉およびウクライナの安全を保証する条約にかんしては、ウクライナ側はロシアに拒否権をあたえるような枠組みは賛同できないと。そうなればとうぜん安全の保証がそこなわれるだろうから順当なことだが、ロシアはロシアで米欧と対等のたちばで参入したいだろうから、拒否権をもとめて同意しないだろうと。ウクライナ側はゼレンスキーとプーチンの会談への準備はかなりととのったと自信をしめしたものの、ロシア側はまだその段階にはないと否定している。

  • 往路。よく書いているといわざるをえない。

雨降りである。しかし玄関を出てみれば空気に暗さはまったくなく、曇天でもあかるく抜けるようなかんじで、空は真っ白だけれど沈滞や陰鬱の気は皆無で外気の開放感が顕著だった。肌寒いにはさむいものの、コートをまとえば首もとをまもらずともたいしたこともない。林の外縁にあたる石段上に、あれも桜なのかそうともみえないが、あるいは桃の木なのかつよいピンクの花の立ち木が二、三本あざやかで、みちに出ればそのいろがアスファルトのほころびであるみずたまりにとおくからでもうつってぼんやりと赤みを添える。降りはけっこう濃いものだった。頭上にはじけるものもボタボタというよりはバチバチというひびきにちかく、車庫のまえをとおれば瞬間生じた幻影の川に接したようなおとがふくらむ。公団の敷地脇まで来ると前方に付属小公園の桜があらわれ、ここが満開らしく和菓子のあまやかさを白っぽい薄紅にこめて雲のすがたにひろげているが、雨を吸って重ったようすもみせず、浮遊するいろどりからかけらのはがれる気配もなく、まさしくいまを盛りの充実で打つものに負けずしずまっているらしく、ちかづけばさすがに路上に付された小粒もあって、ふよふよ群れをはなれる白片も気のせいのごとくひとひらみえたが、いずれにしてもこのみずをいっぱいに吸ってきょうをすぎれば一気に散り時だろうなとおもわれた。坂へ折れてのぼっていく。ひだりのガードレールのむこうは下り斜面、そこをかんぜんに満たし埋め尽くした葉っぱの層が、きょうは褐色を雨に濡らして色濃く深め、みずあめを塗った栗の表面のような光沢にひかり、それが濃淡で一面にモザイクのごとくおりなされながら枝にかかったみどりの葉っぱのこれもてらてら濡れかがやいているのと対照されて、陽射しがなくともうつくしかった。出口まで来て樹冠がなくなり頭上が空漠となれば路面に反映する空とひとつの雲の白さの、やはり足もとからほのかに浮かびあがってかもされるようなあかるさだった。

  • めざめてしばらく鼻から深呼吸し、起き上がって携帯をみると九時半。カーテンをあければひかりのあかるさがある。布団をいちど抜けて水を飲んだり腕振り体操をしたり、トイレに行って放尿したり顔を洗ったり。それから寝床にもどるとChromebookでウェブを見るいっぽう、一年前の日記を読んだ。けっこうだらだらとどまってしまい、正式に離床するころには一一時半。膝立ちになり、座布団と枕を窓のそとに出しておくが、そのさい向かいの保育園の屋上に青空を背景にして男性の保育士らしきひとがいて、まともに見下ろされたわけではないが平日のこんな時間から寝間着すがたでもぞもぞ起き出しているのをみられたとおもうといかにもな体たらくにうつりそうですこしばつがわるい。布団をたたんでおき、また腕を振ったり立位でからだを伸ばしたりして、食事へ。温野菜ではなく野菜が生のままのサラダを食べることにした。トマトの三個セットが安くなっていたのをせんじつ買ったのだけれど、それをつかってしまったほうがよいので。それでひさしぶりに大皿にキャベツと白菜を切り、カットしたトマトを周縁部にならべ、ベーコンを乗せてドレッシングをかける。いっぽうで即席の味噌汁をつくり、からだが空っぽでたよりないのでそのあたたかい汁物から体内に入れていく。サラダのほか納豆ご飯にバナナ、ヨーグルトといつものメニュー。洗い物は立ったついでにちょくちょくかたづけるが、ご飯の椀や納豆のパック、米のなくなった釜は水に漬けておいてのちほど洗った。晴れの日だが洗濯はしていない。あしたの天気がどうかというのも確認していない。食後はしばらくしてからWoolfの英文を読み、するともう二時をまわっていたはず。書見へ。窓のそとから座布団や枕をはたきながら入れ、ハンガーにつけて窓辺に吊るしてあるバスタオルを、陽がよく射していたのでレースのカーテンの裏側にかけておき(むしろそとに出せばよいのだが)、寝転がって本を読む。ティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)。79からいま123まで。やたらおもしろい。ほとんどつねに書きぬこうとおもうようなはなしばかりがつづく。精神と物体の二元論を問い直し、ものをその物質性・(にんげんがそれにはたらきかける面としての)対象性ではなく、その前段階とみなされていた素材の領分でとらえかえし、その素材が生成変転する無数のながれの束、織り物のようなものとして世界を構想するとともに、にんげんも特権的な存在ではなくそのなかに参与し関係し位置づくひとつの有機体としてかんがえられ、すなわちにんげんの文脈で石をとらえるのと同時に、石もまた周辺世界・環境との関係のなかで独自の発展的な歴史や展開をもっているのだから、石の文脈においてにんげんをとらえることもしなければならない、というようなところがこちらなりに理解したここまでの中心的な著者の立場の要約になる。これはいうまでもなくじぶんの関心とドンピシャという感じだ。水声社の真っ赤なカバーのシリーズ、人類学のなんだっけ? 転回だっけ? いつもシリーズ名をわすれてしまうのだがあのシリーズにフィリップ・デスコラというひとの自然と文化の二元論を克服するみたいな本があって、それもまえから気になっているのだけれど、たぶんそれと軌を一にするはなしだと推測され、じっさい謝辞のなかにデスコラのなまえもふくまれていた(24)。ちなみに川田順造の名もあげられている(15)。うえの要約は第一部「地面を切り拓く」のうち「2 素材対物質」という章の内容のごくいちぶで、いま「3 地面の文化 足を通して知覚される世界」にはいってもう終盤であり、ここもいろいろおもしろい。はじめはダーウィンの進化論からはじまって、とうじのトマス・ヘンリー・ハクスリーという学者が(このハクスリーはたしかこのあいだ読んだ松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)にも出てきたハクスリーのはずで、ダーウィンの所論を忠実に引き継いで「ダーウィンの犬」だったかわすれたけれど、そんな呼び名をされたひとだとおもう)著書に載せた類人猿とヒトの骨格図をしめし、ヒトの特徴として直立姿勢と二足歩行、それによる手の自由化および操作性の確保をあげつつ、それが要は人類種を人類たらしめ動物よりも優位に置いた生物学的主要因であるというとうじの観念を説明するとともに、足にたいする手の相対的重要性、踵にたいする頭の優位という神話は西洋において古典古代までさかのぼることができるという指摘もなされている。またにんげんの感覚のなかで圧倒的に重視されるのは視覚および聴覚だが、その他の知覚、とりわけ触覚、かつ足による地面とのふれあいの観点から研究がすすめられるべきことを著者はうながしており、ブーツのような足を拘束する履き物の開発、また椅子の開発によって、西洋社会が足という人体の側面を抑圧してきたこと、ひるがえって手と、それにむすびついた知性を優勢化する発想を歴史的にはぐくんできたことを語る。その足にたいする手(および頭=知性)の優位というのはおそらく、身体と精神の二元論、物質(自然)とそれを対象化して操作するにんげんというよく知られた主客二元論と優劣評価の同一性とオーヴァーラップする、ということになろう。
  • きのうの帰宅後、零時四〇分くらいに母親からSMSがはいっていて、五日の夜に兄が来るというから来れないかとあり、しかしわりとめんどうくさいし六日には通話があるしどうしようかなとまよっていたところ、きょうの二時くらいに父親からも同趣旨のSMSが来ていたので、さきほど日記を書き出すまえに、六日に用事があってバタバタしてしまうからべつの日に行く、金曜日がしごとなのでそのあとが良いかもしれないとまったく同一の文面で両方ともに返信しておいた。ここまでで四時四六分。
  • 数日前の記事に書いた、まいにちいちどすこしでもいいからそとに出てあるくという習慣を、まあどうせ無理だろうやらないだろうとおもっていたところが意外とやっており、この日も夜からあるきに出て、詳細はもうわすれたけれど、出勤時とおなじように南の車道沿いをまっすぐ西に行って、踏切りを渡ったあたりで駅のほうにずれてもどってこようかなとおもっていたところが、予想外に興が乗ってこのまま(……)通りまで行こうとなり、病院などのおもてがわをすすんで幹線にあたると、いっぽん北にずれて裏の通りをひきかえしてきて、四〇分強あるいたのだったはず。ちょっとこの記憶が、この日のものだったか翌日のものだったかさだかでないが。帰りはスーパーの向かいの口から裏にはいったが、そのとちゅう、赤いひかりが家屋にひらひら反映しているのが前方にあらわれて、すすめば路地に接した駐車場スペースに救急車が一台停まって屋根のうえの赤灯をまわしつづけていた。過ぎがてら横を向いて目をおくると、後部のドアのまえで隊員がなにやら作業をしていた。たしかにあるいているあいだどこかで救急車のサイレンのおとを耳にしていたので、あれがこれだったのかなとおもった。


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  • 日記読み: 2022/4/4, Mon.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/3, Mon.

 私は彼らの心に養分を与えた憧れがいまなお見て取れるそれらの絵を、図書館の地図室の風通しの良くない広間でじっと観察した。問い合わせてみて知ったのだが、その広間の曇りガラスの窓は、資料保存のために開けられないようになっていた。スケッチの中には、ディスカバリー号の航海士が描いた海図もあった。彼は船から可能な範囲で島の大きさを測定し、大まかな地図を作成するよう指令を受けて、あまり大きくないその島の周りをスループ型帆船で一周したのだった。島の輪郭が二重線で縁どられたこの地図には、まるでもじゃもじゃの毛房のように見える大胆な線で丘陵が描き込まれ、二重の意味で不条理な表題がつけられている。筆記体の文字が華々しく、それが「ディスカバリーの島」であることを宣言している。余計な名前、そう私は思った。何の根拠もない主張。この名を生んだ古い習慣と同じく、不遜で馬鹿げている。
 というのも、浜辺にはとっくに島民たちが集まってきていたからだ。彼らは自分では気づかないうちに発見され、異国からの報告書に欠かせない原住民の役割を負わされることになっていた。そんなわけで、こうした目的のために島民たちはすでに浜辺に大勢並んで棍棒を担ぎ、槍を構えていた。茂みの陰からさらに多くの島民が続々と朝日の中へ姿を現すにつれて、彼らの喉の奥から発せられる歌(end35)もまた大きく、緊迫したものになっていった。彼らは武器を振りかざし、叫び声のリズムに合わせてそれを空中に突き上げた。それが威嚇なのか、それとも歓迎の意を表しているのか、何度望遠鏡の助けを借りて見ても判断がつきかねた。なぜなら接眼レンズの中でいつの間にか二百人ほどに膨れあがった群れは、明らかに大きく見えるようになってはきたものの、木と真鍮とガラスで作られたこの道具は結局のところ、はるかに重要度の高い疑問を解明するには役に立たないとわかったからだ。報告書の率直な好奇心にもかかわらず、また彼らの言葉や身振り、体格や服装、髪型や肌の入れ墨についての詳細な描写にもかかわらず、またこの部族を他の部族と比較する際の精確さにもかかわらず、あらゆる言葉以前にこれらの人々に向けられるまなざしには、本質的なことはすべて隠されたままだった。なぜならこのまなざしは、未知か既知か、類似かそれとも独自のものかという区別しか知らず、もともと一つであったものを分け、境界線のないところに境界線を引くからだ。それはまるで航海図の複雑に入り組んだ海岸線が、どこで海が終わり、どこで陸地が始まるか、知っているかのように見せかけているのと同じだ。
 私は長いこと考えつづけた。いろいろな合図を、だれが真に解釈できるだろうか。火縄銃や船の旋回砲の言葉、無数の右手や左手、それを上に挙げているか前に伸ばしているか、乱暴な仕草や穏やかな仕草、火にかざした串刺しの手足、互いに鼻をこすりつける仕草、まっすぐに立てたバナナや月桂冠の枝、挨拶の仕草、融和のシンボル、人肉食。何が平和で、何が戦争か。何が始まりで何が終わりか。何が慈悲で何が策略か。私はカフェテリアの暗赤色のビロード張りの椅子に身を預け、食事に夢中になっている周囲の人々を観察しながら自問した。同じ食事を分け合うこと、夜更けに焚き火の炎の照り返しを浴びつつ共に座ること、喉の渇きを癒すココナッツを鉄器やその他とるに足りない物と交換すること。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、35~36; 「ツアナキ島」)



  • いま四月六日の午後一〇時前で、この日のことはなにも書かれておらず、おぼえてもいないので往路と勤務時のことだけ書ければ。往路でも印象にのこっていることはすくなく、中華料理屋の裏をとおると、そこは向かいがマンションで裏手に陽など当たるはずがないのに、タオルなんかを吊るした集合ハンガーがふたつかけられ風に揺れており、抜けて病院手前の空き地まで来れば穂草の空き地とこれまでよく言っていたがもう草穂のたぐいはだいぶ減って、嵩を減じてほそくなったゆえにかえって硬いようにもみえる縦線の束がわずかになびきつつ茶色く立っているそのまわりで、地面のうえには緑の雑草がたくさん生えてそちらのほうが色彩の印象として優勢だった。北にちょっと行って西向きに角を折れ、裏通りをまっすぐすすんでいくと、病院と公園の境あたりまで来て道路をはさんでななめ向かいに生えている桜木のいっぽんがいま風にやられて花弁を大量に吐き出しており、近間の宙に吐かれてゆるく舞っている群れはさながら春や秋の路上でひかりのなかを浮遊する羽虫の風情、いっぽう息を吹きこまれたシャボン玉のように湧出のうごきでつぎつぎばーっと吹きながされているものたちは道路を越えてこちらのすすむ歩道のほうまでわたってきて、前方を行くひとの頭上やまわりにちらつきながら、なかなか落ちずに、しかしやがておのおののいどころを見つけゆくようだった。(……)通りの交差点まで来れば対岸のすこし左にあるコンビニの上空に午後四時半の太陽はまぶしく、車が左右に行き交う道路上にぬくみ色づく日なたもかかって、ビルの影とで境界線をつくっているその暗から明へ、つまり右からひだりへ車が抜ける瞬間、それまで日陰に同化してうつっていなかった車の影が歩道のほうへとななめに伸びてあらわれるとともに車内のひとの顔が暖色にあかるんで彫りを深くする、そのさまが目を引き、またたんじゅんに距離としてもちかいので、視線が行くのはひだりから右へとながれていく奥の車線よりももっぱら手前のながれのほうだ。渡って路地にはいると比較的はやい段階で向かいに渡った。巨大なマンションが建つらしい工事現場ではきょうもクレーンが二機、緑色の土台組みを高く伸ばしたそのうえに白と赤で組み合わされた上部構造がさらに高みへと上がりつつ首を曲げている。あるいているうちけっこう便意がある気がしたのだが、駅まで行って高架通路したのトイレにはいれば個室は使用中だったのでとりあえず小便だけ済ませた。すると曲がりなりにも下腹がかるくなったからか、不思議なもので便意も感じなくなり、電車に乗って(……)まで行き、ここでまた感じるようになったので改札前にある多目的トイレにはいって便器に腰掛ければすぐに出てくる。腹をすっきりさせた状態で勤務ができたのでよかった。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • この日は帰りも(……)駅からあるいたのだったとおもうが、その道中のことはなにもおぼえていない。(……)通りをあるいた。けっこうからだがたよりなく、寒いような感じで、そのせいで周囲の知覚や思考に意識が行かなかったのだ。


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  • 日記読み: 2022/4/3, Sun.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/4/2, Sun.

 こうして二隻の船は、帆が垂れ下がった状態で漂っていった。耳を聾するような静寂が訪れた。その静寂は、図書館にこもる私の調和に満ちた静けさとは根本的に違うものだった。それでも私には時おり、間隔をあけて押し寄せるうねり、あざけるような晴天、無限に寄せては返す波の音が聞こえる気がした。この波がかつてマゼランをそそのかし、この大海に「太平」の名を与えさせたのだ。不気味なまでの協和、荒れ狂う嵐よりもなお恐ろしい、永遠の無慈悲な音。何となれば、嵐はいつか必ず(end32)過ぎ去るからだ。
 しかしこの海は、平和でも静かでもなかった。光の届かない深部で、飼い慣らすことのできない巨大な力が再来する好機を狙っていたからだ。海底はひび割れて溝を穿たれ、地殻には海溝と海山によって深い皺が刻まれていた。それは太古の癒えない傷跡だった。いまだ分かれずに一つの塊として漂っていた大陸が、巨大な力によって引き裂かれ、地球のマントルに押しつけられた結果、プレート同士が重なり合い、互いに下へもぐり込んで、慈悲も正義も知らない自然の法則に従って、あるいは不意に深淵へ引きずり込まれ、あるいは明るい山頂へと押し上げられた。海水が火山の火口を覆い、無数の珊瑚がその縁に棲みつき、太陽の光を浴びて礁を形成した。新しい環礁の骨組みだった。その肥沃な土の上で、漂着した木の種子が芽ぶき、繁茂していった。一方、火の消えた火山は深く暗い海底へと沈んだ。無限ともいえるゆったりした速度で。そしてそれが耳には聞こえない轟きとともにいまなお起こりつづけている間、甲板の下では飢えた動物たち、牡牛、牝牛とその子牛たち、牡羊、牝羊、ヤギがけたたましく鳴いていた。牡馬、牝馬はいななき、孔雀とその雛たちは甲高い叫び声をあげ、鶏たちはガアガアと鳴きわめいた。クックはいまだかつてこれほど多くの動物を乗船させたことがなかった。王のたっての希望でノアの方舟の半分を引き連れ、その手本と同じく繁殖させることを目的としていた。クックは自問した、全船員と同じだけの食糧をむさぼり食う、腹を空かせた獣たちの餌を、ノアはどうやって工面したのだろう。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、32~33; 「ツアナキ島」)



  • 午後六時である。椅子にすわって両手のゆびでキーボードを打ち、文をつづるのがあいかわらずけっこう負担で、打鍵をするとからだがきもちわるくなるようなところがある。きのうおとといはまったく文を書かなかったはず。おとといは労働だったし、きのうは(……)くん・(……)くんとの読書会があり、先週の土曜日に小発作をまねいて以来遠出をして無事に帰ってくる自信がないので、オンラインにしてもらったのだが、オンラインでも画面をまえに数時間座りつづけているとそれだけでけっこうきもちがわるくなる。勤務のある日はたいがい疲れてしまって書けないし、休みの日でも打鍵じたいがからだに負担だからなかなかそちらに向かう気が起こらず、ひるんでいるようなところがある。いよいよおれもやばいかもしれない。営みの頓挫がちかいかもしれない。書けないなりに書いていこうとおもうが。健康が第一なので簡易版みたいな感じにしたほうがよいのだろう。むかし、二〇一四年の日記を読みかえして削除するというときに、まったく消し去ってしまうのもあれだからと簡易版なる記事をつくってそこにみじかい箇条書きでその日のトピックをまとめたが(その後、過去のじぶんをゆるせるようになり、一四年の日記で削除されたのはいちぶにとどまった)、イメージとしてはあんな感じ。日記というか、日誌みたいな、業務報告みたいなそっけなさにしたほうがほんとうはよいのだろうと。できる自信はないが、しかしある程度簡易版的な感じにしていきたい。体調がどうしてもついていかないようだったら、さいあく数か月くらい休むのもよいだろう。むかしはぜったいにまいにち書かなければならないという執念を燃やしていたけれど、いまはそこまでのこだわりはなくなっている。一年間鬱様態におちいった一八年のときも、読み書きができないからマジで生きていてもしょうがないなという感じだったが(まあその虚無感は読み書きにかかわらず鬱様態の症状だったのだろうが)、いまはそんなことにはならないとおもっている。読むほうはできるし。もう文を書かなくてもふつうに生きていけるとじぶんではおもっている。
  • 書くことをしぼっていくとすると念頭にあがるのはやはり天気で、きょうは離床した九時ごろにはまだ白く曇っていて、これじゃ洗濯はあれかとおもってひかえていたところ、午後からある程度のうすびかりが窓にやってきた。しかし時間ももうおそかったので洗濯はしなかったが。書見はきのうからティム・インゴルド/訳者多数『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)を読みはじめて、そのつづきをすこし。これはたしかおなじく左右社から出ているレベッカ・ソルニットの『ウォークス』と(またほかに三冊くらいまとめて)同時に買ったのではなかったか。『ウォークス』もそうだったけれど、これはじぶんの関心やかんがえかたや世界のとらえかたにたぶんかなりちかいことを書いている本だろうなとおもいつつ買ったのだが、じっさい読んでみればやはりそうで、言ってること全部同意みたいな感じ。まだ一章までしか読んでいないが。その序章はティム・インゴルドが「人類学を生きかえらせるために」(29)おこなってきたこころみを四つのフェーズに分けて概説するもので、「生産」、「歴史」、「住まうこと」、そして現在(この本の原著は二〇一一年に出ており、二〇〇七年には『ラインズ』の原著が、二〇一五年には『ライフ・オブ・ラインズ』の原著がそれぞれ出ている)は「線」がキーワード。めちゃくちゃ大雑把にながれを追うと、エンゲルスなんかでは生産というのは事前にいだいた観念的デザインをもとに目的志向的に対象にはたらきかけて改変する他動詞的な行為としてとらえられているのだけれど、それを自動詞的なものとして、つねに進行しつづけ、その「進行にしたがって生じるかたちによって節目づけられるようなプロセス」(34)、あるいは、「世界それ自体の変成に参加すること」(39)としてとらえたいということ、とすれば歴史も、物質世界から切り離されたものとしてとらえられるにんげんが世界にたいしてはたらきかけることでつくっていくものではなく、つまり、「社会の地平における人間としての大文字の「歴史」と小文字の自然の歴史の交錯ではなく、さまざまな人間と人間以外の動物が相互に巻き込み合う交錯が織りなすひとつの歴史である」(41)ということになる、そうした織り成されたネットワークのなかで具体的な関係の文脈においてなにかをしたり、生み出していったり、生成するものとしてにんげん(や動物や環境)をとらえるのが「住まう視点」だが、かんがえていくうちに、存在性を「住まう」という「区画された局所性のニュアンスを帯びて」(48)いる概念よりも、「生の道すじに沿って漕ぎ出す動き」(48)のようにとらえることが重視された、そうして「線」というテーマが出てくると。そことの関連で、ドゥルーズベルクソンホワイトヘッドという思想家たちが重要な示唆をあたえてくれたと述べられている。ちなみに、ティム・インゴルドがいた八〇年代初頭のイギリスでは、ベルクソンホワイトヘッドの著作は「まったくの流行遅れ」(49)だったという。日本ではむしろニューアカとかドゥルーズ受容からベルクソンが注目されて、いまでも現代思想方面ではベルクソンはかなり重要ななまえとして論じられている印象だけれど、イギリスではそうでもないのだろうたぶん。英国と大陸で思想界にも断絶があるみたいなことはよく聞くし。世界を織物的ネットワークの総体のようにしてかんがえ、にんげんも特権的な存在ではなくそのなかのいち参与者にすぎないみたいなこととか、生産を「世界それ自体の変成に参加することだと考える」(39)点とか、「人類学とは、世界という織り物のなかで繰り広げられていく人間の生成変化を探求してゆくことなのだ」(41)とか、「感受性をもつこととは、世界に対して開かれ、包まれ、己の内部を世界を満たす光と響きに共鳴させることである。光や音、感覚に浸され、知覚者であると同時に生産者である感受性をもつ体は、その連続変化に寄与するとともに、世界の展開の道すじをたどっていく」(48)とか、「知覚者=生産者は歩を進める散歩者であり、生産の様式とは拓かれゆく行程であり、たどられる道すじである」(48)、「私が言いたいのは、歩くことが、生き物が世界に生息する根本的な様式だということである」(48~49)など、我が意を得たりという一節がちょくちょくある。ネットワーク的な関係性の束、すなわちテクストとしての世界という観念はバルトを読んだあたりからじぶんのなかに生じていたし、むかし、実践的芸術家もしくは芸術的実践者という概念でもって、みずからの行為によってテクスト=世界になにかを書き入れ、それをつくりかえていく存在という発想をもったこともあった。
  • 一年前の日記より。きょうは朝の寝床で読まず、午後七時ごろになった。

(……)さんのブログの四月一日付けから。こいつは明快でおもしろい。とても大事なはなしでもある。「だから、この「法外なもの」について、もっと考えないといけない。たとえば、正義とは法外なものだというデリダの認識がありますよね。法に適うように行為することは、あらかじめ法によって正しさを保証されているわけだから、正義でもなんでもない。正義とはそういった法の後ろ盾がないところである判断を下し、行為することだと」というのは、かんぜんにハンナ・アーレントだとおもった。「後ろ盾がないところである判断を下し、行為すること」という点。かのじょはたしか道徳的判断というのはそういうものであると、それまでの法や道徳性が一挙に転換してしまったナチスドイツの経験をもとにかんがえ、”judge without a banister”と呼んでいたらしい(というのはNew York Timesでむかし読んだ記事で知った情報で、原典にはあたっていないのでちがうかもしれないが)。あと、千葉雅也が「すべてが空間化されている」というのは、なるほどそういうとらえかたができるのかと感心した。

國分 最近、一般に「責任」と翻訳されるレスポンシビリティ(responsibility)を、インピュタビリティ(imputability)から区別するべきではないかと主張しているんです(國分功一郎、「中動態から考える利他——責任と帰責性」、伊藤亜紗編、『「利他」とは何か』、集英社新書、二〇二一年)。責任がレスポンシビリティであるなら、それは目の前の事態に自ら応答(respond)することですね。それに対し、インピュート(impute)というのは「誰々のせいにする」という意味で、責めを負うべき人を判断することであって、これを「帰責性」と呼ぶことができます。
 今日の議論で言えば、いまはインピュタビリティが過剰になって、それを避けることにみんな一生懸命だから、レスポンシビリティが内から湧き起こってくる余裕がないという状態ではないか。レスポンシビリティはまさに中動態的なもので、「俺が悪かった」とか、「俺がこれをなんとかしなきゃ」とか、ある状況にレスポンドしようという気持ちですね。
 ところがレスポンスを待つ雰囲気がいまの社会にはない。とにかく誰かが俺にインピュートしてくるのではないか、俺のせいにしてくるかもしれないということばかり考えているから、責任回避が過剰になる。
 千葉君の話と結びつければ、日常生活でレスポンシビリティを待つことができていれば、インピュタビリティが過剰になったりしないと言えるのではないか。さらに言えば、レスポンシビリティは法外なものと関わっている。自分の気持ちだから。
 だから、この「法外なもの」について、もっと考えないといけない。たとえば、正義とは法外なものだというデリダの認識がありますよね。法に適うように行為することは、あらかじめ法によって正しさを保証されているわけだから、正義でもなんでもない。正義とはそういった法の後ろ盾がないところである判断を下し、行為することだと。
千葉 計算を超えるわけですよね。
國分 そう。一番わかりやすい例は、良心的兵役拒否です。たとえばベトナム戦争に私は行かないというのは、その時点では明らかに違法行為だけれども、それが正義だったことは後からわかるわけです。
 ポイントは時間にあって、ジャスティスのほうは時間がかかる。いまはむしろコレクトネスばかりで、それは瞬時に判断できる。判断の物差しがあるから。社会がそういう瞬時的なコレクトネスによって支配されているから、時間がかかるジャスティスやレスポンシビリティが入り込む余地がなくなってきている感じがします。
千葉 現在では法と矛盾するけれども。未来時点においてはコレクトになるかもしれないという別の時間性、時間の多重性を導入するのがジャスティスの問題ですよね。それは未来方向にもそうだし、過去からの経緯や歴史を踏まえることによって、瞬時的な判断とは別の判断を行うという形でも多層性を含んでいると思うんです。
 だから、歴史性を考慮することと、未来に向けてのジャスティスを考えることはつながっている。それがどちらもなくなっているというのは、やや抽象的に言うと、すべてが空間化されているということですよね。不可入性の原理、つまり一つの場所を二つのものが同時に占めることはできないから、どちらかを取るという話にしかならない。
 部分的に賛成と反対が共存することを複数の時間性において考えるようなことを言うと、「何をごちゃごちゃ言ってるんだ」という話にしかならず、議論にならないんですよ。逆に、すべてを空間的に並置して、不可入性の原理で話をすっきりさせることが民主化という話になっている。それがエビデンス主義のポリティカルな対応物だと思うんです。
 (國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

  • その後しばらくだらだらしたあと、買い出しに出ることに。八時。二食目を取ってからもう数時間経ってからだがたよりないようだったので、つまり外気がそこそこ冷たそうにおもえたので、ジャージのうえにモッズコートを羽織ることにした。したはいつもの青灰色のズボン。だらだらするまえに米をあたらしく炊飯器にセットしておいたので、スイッチを押してしばらく漬けてあったそれを炊きはじめるとともに靴を履き、マスクをつけてそとへ。階段を下りる。簡易ポストをのぞくとなにかしらのチラシがはいっている。道に出て右へ。すぐに路地を抜けて車の来ない道路を向かいへ渡りながらななめに左折。きょうも布団屋のまえに立った旗が風にうねっており、きのうの通話中に(……)くんが、「へんぽんと」というはためきをあらわすことばがどういう意味かわからなかった、知らなかったと言っていたのをおもいだす。空は一面の曇り。横断歩道にいたると渡り、歩道に乗ると右に折れてすでにシャッターの閉まった豆腐屋のまえをとおりすぎ、(……)通りへと左折。胃が空になっているからだに風はやはり肌寒く、あるきはじめてまもなくモッズコートのまえを閉めたし、首もとのボタンもこのあたりで留めることになった。公園の桜はみあげればみぞれ状、枝に花ももうすくなくて、低い位置などほとんどないようであまりいろもたしかならず、ただそのしたの地面の端には散った花びらが寄りあつまって帯なしており、ほのかに白くあかるむようで、左足もとに目を振ってこちらがわの端もみればおなじように散花が無数にかたよっているが、白に饐えたようなピンクのわずか混ざったその集合は、花びらというよりザラメ糖のようにみえ、もっといえば削ぎ落とされた魚のうろこじみてうつった。日曜の夜である。通りのとちゅうにあるちいさな喫茶店はなかにあかりをともしているし、自転車の対向者ともいくらかすれちがう。通りを抜けると当たるのは南北にまっすぐ伸びて二車線の明確な(……)通り、たどりつくまえに横断歩道の青が消えたが車がなかったので無視して悠々と渡り、寺の角から裏にはいった。もともとそのさきを曲がって寺とマンションのあいだの道を、塀内にならんだ桜をみあげつつ駅前まで行ってスーパーへとおもっていたのだが、曲がらずに路地をまっすぐすすむこころが湧いて、このみちびきにしたがおうとコートのポケットに両手を突っこみつつすすむ。せまい夜道で、まえから来るものの顔もむろんわからない。路地のとちゅう、まんなかにいちまいのみ、両端がちいさく焦げたような、鼻血のくっついたような広葉の、くすんだいろの葉っぱが表面あらわに落ちていて、あたりをちょっと見回してもどこから来たものかわからなかった。道の端に歩道というほどのものはないが、駐車場とか建物の敷地とかとの境はほんのちいさな段になっており、そのちょうど接触部から薄緑の雑草が意外とたくさん生えて小人の髪の毛じみた細葉を乱している。踏切りにかかるまえ、その口の脇でフェンスに張られたなんらかの掲示のうえに赤いひかりがひらひらうつり舞っており、右手の赤色灯はまだ電車の通過を告げていないよなと寸時混乱したが、背後からちかづく車の気配があり、ということはと横に来たのをみればパトカーだった。慎重すぎるくらいに踏切り前で間を置いてから渡っていったのは老婆がひとり渡りかかっていたからかもしれず、車とすれちがいながらこっちに来たそのひとを脇にひいて待ってからじぶんも越える。夜空をみあげれば月の位置はあそこだなというのが湯のなかでひるがえる卵の数滴のような白さでもってかろうじてうかがえるけれどそれいがいは星も差異もなにもなくおしなべて雲の埋め尽くす一面で、灰色といい煤色といい、たしかに骨が焼けたあとの灰とか紙が燃えくずれた煤とかで塗ったような白っぽい曇り方で、だからつつまれているわりに暗くはなく、建物の線との受け合いもあきらかでむしろあかるい。一軒の道側になんの木なのかわからないが小暗くわだかまったものがあり、大ぶりの花がいくつも地に落ちてぐちゃぐちゃと地獄のカボチャみたいな色であたりを汚しているのが花というよりつぶれた果実の散乱にみえる。路地のまっすぐ果ては(……)通りで、ちいさな出口に信号や街灯のあかりがいくつか満ちているのをしたわないでもなかったが、しかしきょうはこのへんで曲がっておくかと左に折れたのはおとといの出勤時にも曲がった角で、二ブロックさきはちょうど病院や公園の裏道にあたる。一ブロックすすんだ辻の路上にはさくら花がもともとそのような模様であったかのように道に点描をなしていて、それはそのさきにある病院の駐車場の縁にならんだ木々から降ってきたものだが、おととい通ったときには散り時で過ぎる間にも風につぎつぎはぐれていったとはいえまだしも白いたなびきを頭上にふわふわとどめていた花たちもいまとなればもうだいぶなかまを減らしたよそおいで、あいだに街灯を置いてもいろがあざやかならず鈍い混迷のすがた、道の宙に伸び出た枝の先端にのこっていれば白さがひとひら浮かびあがるが、内側のほうは灰色の空の内でぜんたいに水に浸かったようなほの暗さをまとっていた。病院裏の道は向かいにわたっていつもの歩道を左、駅のほうへと向かう。このくらいあるいてくれば肌寒さはとうになく、服の内はひかえめな体熱で充実し、風は涼しさといういじょうに軽さとなって肌を摩擦し、左手前方のさきには駅前マンションの一面が後景をひろく占めていて、左に向かって階段状にだんだんひくくなっていくかたちの内部はベランダのくぼみがあらわならず均されたうえに部屋部屋の窓あかりがカーテン越しのぼんやり顔で無数に乗って、大別すれば白と黄色の二種になるそれら灯火もおのおの微妙な明度色調の差をはらみ、角が欠けていたりもするし輪郭はやわらかくてあまり四角く立たないやつらが不規則にならんであいまに黒い一画もあるから独自の図模様をつくっており、その右にはもうひとつ、ほんとうは線路の向こうがわだが夜闇によってあいだの空間が消失し直接つながって立っているかにみえるべつのマンションもつづいていて、こちらはベランダのくぼみとそのまわりを画する太線が見て取られてひかりも四角く奥まってうつり、暗い褐色でわずかつやを帯びつつ縦横に行き来する壁の感じがチョコレートワッフルのようにみえる。恍惚とまでは行かないが、たびたびそちらに目をやってああー、となかば呆けたようになりながら、周囲のひとびとがだれもそちらを見ておらずそもそもまわりをあまり見ていないようなようすなのに、なぜだれもこれを見ないのだろう、なぜみんなこれを見て書き記したいとおもわないのだろうとおもった。こんなにも、こんなにも、とつづけて、こんなにもなんなのかはしかしわからず、すばらしいと言ってもよいのだろうがそういうことでもない気もするし、うつくしいとかあざやかとかもしっくりこない。こんなにも、このようにしてここにある、ここにあるのに、というほかなかった。これらのものたちをすべて支障なく、苦しむことなく粛々と書き記すことのできるからだをあたえてくれとおもった。じぶんが行く歩道の右脇には格子状の白く古びた門もしくは柵があって、左の道路を前方にすぎていく車の尾灯が穴と交互に配されたその縦線のうえをななめに赤く走ってながれ、正面奥には駅のまわりでオレンジっぽいひかりをひろげている街灯のひとつがいま門の裏にはいってこちらのあゆみに応じて隙間のなかでビカビカ点滅し、すぎればしかし高所でしずまりながらいまいち落ち着かないいろあいであたりを染めている。場所は穂草の空き地である。穂草といってこちらがわにはあまりなく、この時季をむかえて菜の花のたぐいがいま街灯によってやや乱された黄色の花を群れさせて、先端がこちらの顔くらいの高さにまで伸びているものもけっこうあるが、草花がまったくみられず根絶されたか黒い土だけの一画がひらかれてもいて、ここにもなにかを建てるのだろう。ひるがえって左、駅裏の駐輪場で無数の自転車が降るひかりをまとって橙がかっているのはそれだけで写真めく。踏切りをわたるとあたりにだれもいない無音に気づき、めずらしいなとおもったが、右に踏み出せばもう道のさきから自転車のライトがすべってくる。表、というのは行きに越えてきた(……)通りだが、そちらに向かいながら、ここにこれがあるということをただひたすら言いつづけたいとおもった。それだけを言いつづけるには、たぶんやはり、日記のようななんともいえない、中途半端な、作品化しがたい形式の文章が必要なのだろう。ここにこれがあり、そこにそれがあり、またあったということ。時空が、知覚感覚印象が、かたちや色やニュアンスが、ものたちが。なによりもものたちがある。無数のものたち、必要としてそこにあるものや、あってもなくてもよいものや、必要不要などとはかかわりなくたんにそこにあるものたち、そうしたものたちがそこにあり、世界を構成し、成立させているということがそれだけでじぶんをときに惹きつけ、書き記すことへと駆り立てる。ものがそこにあること、それはそれだけでなにかなのだ。そして梶井基次郎にいわせれば、みること、それもまたなにものかである。そしてまたそこにじぶんもあると言わなければならないのはいくらかいけすかないようであり、すこし不幸なようにも感じるが、受け入れざるをえないことだ。わがままを言ってもどうにもならない。
  • おもてに出て左折し、ひとに満ちたラーメン屋とか学習塾とかのまえを過ぎていけばスーパー。買い物をして帰路をたどってアパートに着いたのはちょうど九時くらいだった。一時間ほど出ていたことになる。着替えるとさっそくいましがたの外出路のことを書き出した。書き出せば肩はすぐこごってきて、蜘蛛か虫の霊が肌のうえかなかをうごきまわって取り憑いているかのようなもやもやとしたわだかまりがだんだん濃くなってきて、三〇分も書けばいちど立って腕を振らなければならず、そのようにしてなんどか休憩をはさみつついまここまで書いて一〇時四二分だから、一時間半くらいかかっている。しかしきょうは書けてよかった。ゆびもよくうごいたし、からだもそんなにやられてはいない。やっぱり前後の腕振り体操がいちばんからだがいい感じになる気がする。すっきりしてほぐれるというのもそうだけれど、やっていてなんだかリラックスしてくる、安心してくるというのがじぶんにとってはいちばん大事なところだ。パニック障害なので。
  • スーパーでは値引き品に特段のものはなかった。バナナやタマネギ、豆腐を籠へ。また、ドレッシングもほしかった。そろそろあたたかくなってきたし、ひさしぶりに温野菜ではなくて生のサラダをまた食おうかなというきもちが湧いており、それでせんじつ値引き品ラックにあった三個入りのトマトなんかも買ったのだけれど、そのとき肝心のドレッシングを買うのをわすれてしまったのだ。ごま油&ガーリックをえらぶ。その他ヨーグルトや、冷凍のメンチカツ。これもいぜんたまに買っていたが今回ひさしぶり。帰宅後にそれをおかずに白米を食った。しかしこのメンチはほんとうはフライパンで揚げる用のもので、それをレンジであたためているのでとうぜんながらぜんぜんカリッとはしない。よくかんがえればふつうにレンジ用のメンチカツ製品がほかにあるはずで、そっちを買えば良かったのではないか。あと、また味噌汁もしくは煮込みうどんでもつくろうとおもってエノキダケやタマネギも買ったのだけれど、味噌を袋から取って溶かすのがめんどうくさいというかわずらわしいので(袋のなかに箸かスプーンを突っこんでがんばってお玉に取らなければならないのがわずらわしい)、味噌味の鍋の素を買えばよいかとおもっていたところが、見当たらなかった。代わりにボトルの味噌でも買っておけばよかったかもしれない。レジはたしか「(……)」という中年いじょうの女性。まえにもなんどか当たったことはある。慇懃な態度だが、ほがらかさやあたたかみはない。ただこの日、こちらが読み込みを通過して機械のまえで会計しているさいちゅう、おなじように読み込みを終えてとなりの機械のまえに移動したつぎのひとにたいして、アボカドはこちらの袋にまとめてしまってよろしいですか? とたずねているのをみて、ていねいなしごとのひとではあるのだろうとおもった。客にたいして礼もよく言っているし。こちらも金を支払って籠を運びはじめるさいに礼を言って整理台へ。
  • 帰路、アパートの路地からいっぽん駅側の通りまで来たさい、そこを渡ってこちらがいつもはいる細道の角にちいさな畑があるのだけれど、そこで菜の花がたくさん生えて茎とともに黄色い花を風にすこしゆらしているのをみた。なんの野菜をそだてているのか知らないが、菜の花であるからにはアブラナ科のなにかなのだろう。帰宅後は上記のようにきょうの文を書き、その後夕食。生野菜サラダを食べようかなとおもいつつも、空腹の時間がながいからだはとうぜんあたたかくなく、野菜をつめたいままで食うのに気が向かなかったので、温野菜にした。キャベツと買ってきたチンゲン菜。その他メンチと白米、バナナにヨーグルト。食後は歯磨きをしたり、足首をまわしながらウェブをみたりし、一時まえになって燃えるゴミを出しておくんだったとおもいだした。この時間になるとそとに出るのがめんどうくさいようではあったが、冷凍庫に生ゴミがけっこう溜まっていたのでやはり出したい。それでゴミ箱から袋を取り出し、生ゴミをくわえてみると、余裕をのこしてぜんぶはいったのでよかった。ときどき生ゴミの数がおおいとき、それだけを入れるのにつかう五リットルの袋がもう切れてしまっていたので。パジャマのままでなにも羽織らずそとへ。夜気はそうつめたくはない。道に出てゴミをアパート脇に置き、もどりながらみあげると、やはり灰色のずいぶんあかるい深夜で、南のほうなど夜半というよりそろそろ明けてくるかのような、午前四時くらいのいろあいとみえるようだった。Joe Locke『Makram』をBGMに二三日の日記をnoteに投稿(二二日はさきほどすでに投稿しており、二三日もブログのほうにはあげたのだが、なぜかnoteにうつすのをわすれていた)。その後ここまで加筆。一時半。やはりからだがきしむ。きょうはもうやめよう。


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  • 「ことば」: 1 - 3
  • 日記読み: 2022/4/2, Sat.

2023/4/1, Sat.

 紀元前二九〇〇年頃の第一エジプト王朝期に由来する一巻のパピルスの巻物が残されているが、保存状態が非常に悪いため今日まで開かれぬまま、その中にどんなメッセージが含まれているのか私たちは知ることができない。私は時々こんなふうに未来を想像してみる。今日のデータ記憶装置、奇妙なアルミの箱を前にして、後の世代の人々は途方に暮れて立ち尽くす。その内容はプラットフォームやプログラム言語、データフォーマット、再生装置の急速な世代交代のために単なる無意味なコードと化しており、しかも物体としては、インカの結縄 [キープ] の雄弁かつ沈黙した結び目や、もはや戦勝の碑なのかそれとも哀悼の碑なのか知る由もない謎めいた古代エジプトオベリスクと比べて、明らかに発散するオーラが少ない。
 永遠に保たれるものはないにせよ、他のものより長く存続するものはある。教会や寺院は宮殿より長持ちするし、文字の文化は複雑な記号体系を持たない文化よりも持続する。かつてホラズムの学者(end23)ビールーニーは、文字のことを時間と場所を通じて繁殖するものと呼んだが、文字とはそもそも初めから遺伝と並行して、および血縁とは無関係に情報を伝える体系であった。
 人は書くこと、読むことによって祖先を訪ね、従来の生物学的な遺伝に対して第二の、精神的な遺伝系統を対置することができる。
 もじ人類それ自体を、時おり提案されるように、世界を保存 [アーカイブ] し、宇宙の意識を保存する神の器官として理解しようとするなら、これまでに書かれ印刷された無数の書物は――当然ながら神自身およびその多数の流出 [エマナチオン] によって書かれた本を除いて――この無益な務めを履行し、すべての物の無限性をその身体の有限性の中に止揚しようとする試みとして現れる。
 あるいは私の想像力の乏しさによるのかもしれないが、私には依然として本こそあらゆるメディアの中でもっとも完璧なメディアのように思われる。ここ何世紀か使われてきた紙は、パピルスや羊皮紙や石や陶器と石英ほど長持ちするわけでもないし、もっとも多く印刷され、もっとも多くの言語に翻訳された書物である聖書ですら、完全な形で私たちのもとに届けられてはいないのであるが。それは後の何世代かの人間に受け継がれる機会を高める複製芸術 [マルティプル] であり、執筆され印刷されて以降の過去の時間の痕跡が一緒に書き込まれた、開かれたタイムカプセルである。そのタイムカプセルの中では、あるテクストのどの版も、それぞれ廃墟と似通っていなくもないユートピア的空間であることが明らかになる。そのユートピアにおいて死者たちは雄弁に語り、過去は甦り、文字は真実となり、時間は止揚される。もしかすると本は、一見身体を持たず、本からの遺産を要求し、あふれるほど膨大な量の情報を提供する新しいメディアに比べて多くの点で劣る、言葉の本来の意味で保守的なメディアであるかもしれない。だが、このメディアは文章、挿絵、造本が完全に溶け合い一体となった、まさにその身体の完結性ゆえに、他のいかなるメディアもなし得ないように、世界に秩序を与え、時には世界の代わりにさえなるものである。さまざまな宗教による死すべきものと不死のもの――すなわち身(end24)体と魂――への観念的な分割は、喪失を乗り越えるための、もっとも慰めになる方策の一つであるかもしれない。しかしながら運び手と内容の不可分性は私にとって、本を書くだけでなく、造本もしたいと考える理由である。
 すべての本と同じように、本書もまた、何ものかを生き延びさせたい、過ぎ去ったものを甦らせ、忘れられたものを呼び覚まし、言葉を失くしたものに語らせ、なおざりにされたものを追悼したいという願いによって原動力を得ている。書くことで取り戻せるものは何もないが、すべてを体験可能にすることはできる。かくしてこの本は探すことと見つけること、失うことと得ることの双方を等しく取り上げ、存在と不在の違いは、記憶があるかぎり、もしかすると周縁的なものかもしれないということを予感させる。
 そして長年に及ぶ本書の執筆の間の、わずかな貴重な瞬間、消滅は不可避であるという考えと、書棚で埃にまみれてゆくこの本のイメージが私の目の前に浮かんだ。それはどちらも慰めであるように私には思われた。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、23~25; 「緒言」結び)



  • 一年前から。

この日は朝八時二〇分ごろに家を出て、帰宅したのが午後八時というわけで、一二時間をまるごとそとですごした。あいだに昼休憩はあり、移動の時間もあるから一二時間をすべてはたらいていたわけではないが、そんなに家のそとにいたのはひさしぶりのことである。これがいちにちだけで翌日は休みだったから耐えられるが、世にはまいにちこのような、朝早くに起きて飯を食ったり食わなかったりして家を発ち、夜まではたらいて帰ってくれば飯を食ってちょっと休んでもう寝て、よくじつまたおなじようないちにちをこなすという生活を生きているひともおおくいるのだろうから、この世界とこの社会はまったくとんでもないばしょだ。こちらはそのような生活をぜったいにやっていけない。精神を病んで自殺したりからだをこわしたりする自信がある。ところがそういうことに耐えられるというのがなぜだかわからないがいっぱしのにんげんの証明のようにおもわれて、そのことに誇りをいだいたり、その誇りを根拠としてそこに参入できない他人をみくだしたり糾弾したりするような風潮が、むかしにくらべればその拘束力はよほど弱まっただろうとしても、まだまだねづよくはびこっているのだから、そんな世で生きたくないといのちを儚むにんげんがおおく生じたとしてもまったくふしぎではない。たしかにしかたのないことではある。金をかせがなければ生きていけないという現実はあり、それを拒否するならば物質的な面での幸福はあまりみこまれないし、いろいろななにかを犠牲にしたり、だれかにおおきくたよったりして生きていかざるをえなくなる。資本主義の世でなければまたべつのしかたのない現実があるだろうし、あっただろう。だが、いずれにしてもそれらはたんなる現実や事実的な状態いじょうのものではなく、ぜったいてきな法ではない。現実がたんに現実であるということを法に転化してはならない。この社会がこの社会であるということにはもちろんなんらかの原因があり、ある程度までの必然性ももしかしたらあるかもしれないが、そこに理由はありはしない。

  • この土曜日は(……)くん・(……)くんとの読書会で通話した日。課題書は『フォークナー短編集』。ほんとうは(……)で会う予定だったが、せんじつ電車内で発作を来たしていらいからだもなんとなく不安定で、無事に行って帰って来られる自信がなかったので、オンラインにしてもらった。前回会ったさいに帰りが満員電車でけっこうやばかったということもはなすと、次回はふたりが(……)まで来てくれることに。かなり遠くなるとおもうのでそれもわるいが。ばしょは(……)のルノアールの予定。いぜんわれわれが毎度つどっていた(……)側のルノアールはもはやビルごとなくなってしまい、いま跡地がどうなっているのか通っていないからわからないがこれも諸行無常。(……)まで来てもらうのはわるいはわるいが、書店は充実しているので終わったあとに次回の本を決めるのにも都合が良いは良い。こちらとしてもあるいて行き帰りできるから運動にもなるし。次回の課題書は、オンラインにしてくれないかというメールを送ったさいの返信で(……)くんが大江健三郎が亡くなったところだし読んでみたいということで『万延元年のフットボール』を提案しており、こちらも(……)くんも異存はないので通話をするまえからそれに決まっていた。日にちは変わる可能性もあるがひとまず六月三日土曜日と設定。それで通話だがそんなにおもいだせないしこまかく書く気力も湧かないし、またこちらが言ったことはいつもながらのはなしばかりでじぶんとして目新しさもないのでほぼ割愛しようかとおもう。おおきな話題としてひとつあったのは、(……)くんが(……)さんといっしょにさきほどドラえもんの映画を見てきたということで、かれは(……)は(……)駅のちかくに住んでおりあるいて行ける距離に映画館があるらしい。タイトルはいま検索してみると『映画ドラえもん のび太と空の理想郷 [ユートピア] 』というもので、(……)くんは『ドラえもん』ファンと言ってよいのだろうか、シリーズの映画を子どものときからいままでほぼすべて見てきているというのだが、そのなかでもこんかいはトップクラスによい作品だったという評価を述べた。おとなでも楽しめると。大河ドラマの脚本をつとめたひとが脚本を担当したという。すじはいつものメンバーが大空のどこだかにある理想郷的国に行くというわけでラピュタやんという感じだが、そこは一見ユートピア的な良い国で、ひとびともみんな道徳的に非の打ち所のないいいやつみたいな感じなのだけれど、じつはそれが洗脳装置みたいなもので人為的に「完璧」な人格にされているというまあ典型的なディストピアものと言えばそうだろう。ドラえもんメンバーも洗脳の影響を受けておのおのいいやつになっていくのだがのび太ひとりはその洗脳がうまく行かず、ジャイアンが理不尽な暴力をふるわなくなりスネ夫が嫌味を言わなくなるのに違和感をおぼえ、こんなかれらはかれらじゃないとなじめずにいて、まあなんやかんやあって国の真実があきらかになり支配者的なやつらとたたかうというわけだろうが、のび太だけ洗脳がうまくいかないというのはやっぱりそうなんだと、さすが落ちこぼれだなと笑った。テーマはおおきく言えば画一性と多様性の対立および全体主義批判ということになるはずで、時代をいかにも反映していると言ってよいのだろうし、つくるがわもとうぜんそれをかんがえたとおもうが、よくよくかんがえると意匠としてはわりと典型的なもののはずで、そういう典型的な設定や筋立てがアクチュアルなものとしてきわだつような世の中に時代や社会のほうがなってしまっていると言うほうが正確な気もする。思想的なメッセージはわかりやすく子どもでも楽しみながら理解できるようになっているけれど、それでいて押しつけがましくなっていない、イデオロギー色がそんなに前面に出てくる感じでもなく良いバランスだというのが(……)くんの評言だった。藤子・F・不二雄はもう亡くなっており、藤子不二雄Aもさくねん亡くなったが、『ドラえもん』の映画はむかしからけっこう社会派的というか、シリアスなテーマをあつかうことがいくらかあるらしく、とくに藤子・F・不二雄のほうだかが環境問題にたいする関心がつよかったようで、ノアの方舟みたいなタイトルの映画は全世界が水没してしまいかねない危機があつかわれているといい、九二年くらいの映画だといっていたとおもうのだがそれだけ聞くと地球温暖化や気候変動を先取りしているようにも聞こえる。
  • 通話は二時から七時か八時くらいまでだったとおもうが、さいごのほうではかなり疲労したというか、まえにもあったれいの喉や背中が詰まって胸の奥が閉ざされる感覚が生じていて、すこし難儀だった。
  • 通話いぜん、正午くらいにはそとをあるいていた。きのうづけの記事に書いたとおりいちにちいちどは外出してたしょうあるくようにしたいなというわけで、また図書館で借りている本を返さなければならないという事情もあったので(返却期限は前日だった)、(……)にある出張ブックポストまで返しに行こうと。それであるいたはいいがこの日はほとんど燦々とした晴天で、陽射しも厚く、あるいていてもかなり暑くて、熱中症までは行かないとしてもとちゅうでけっこうくらくら来るときがあってたいへんだった。やっぱり血の巡りがわるいのだろう。じぶんではそうおもっていなかったが、低血圧なのかもしれない。帰ってくるとちょっと休んでからシャワーを浴びて通話というながれだった。

2023/3/31, Fri.

 さて、世界とはそれ自体、ある意味で自らの記録保存庫 [アーカイブ] である――そして地上のあらゆる有機物および無機物は、とてつもなく巨大で長い時間に及ぶ書き込みシステムによる、過去の経験から教訓と(end20)結論を導き出そうとする無数の試みの記録であり、分類学とは、多様な生物の混乱した記録保存庫 [アーカイブ] を見出し語の下に整理し、進化の系統のほとんど無限の混沌に一見客観的な構造を与えようとする事後の試みに他ならない。この記録保存庫 [アーカイブ] においては基本的に何も失われない。なぜならそのエネルギー量は不変であり、すべてのものはどこかにその痕跡を残すように見えるからである。ジークムント・フロイトの、夢や考えられたことが本当に忘れられることはないという、エネルギー保存の法則を思い起こさせる驚くべき言葉が真実であるなら、人間の記憶という腐葉土の中から、考古学の発掘に似ていなくもない努力によって、過去のさまざまな体験――受け継いだトラウマ、ある詩の中の互いに脈絡のない二つの行、幼い頃に雷雨の夜に感じた影のような胸苦しさ、ポルノ的な恐怖写真――を骨や化石や粘土の破片と同じように掘り起こすことができるだけでなく、その痕跡を探し始めさえすれば、数えきれないほど多くの滅亡した種の営みもまた冥界からふたたび連れ戻すことができよう。そして真実もまた、抑圧されたり削除されたり、または過誤行為へと変えられたり忘却に委ねられたりしたものも含めて、否定されることはなく、つねにその場に存在しつづけるだろう。
 だが、物理法則は限定的にしか慰めにならない。というのは、有限性に対する変化の勝利を謳うエネルギー保存の法則は、ほとんどの変化の過程が不可逆であることを言わないからである。燃やされた芸術作品の熱が何の役に立つだろうか。その灰の中にはもはや驚嘆に値するものなど見つからないだろう。かつての無声映画のフィルムから銀を取り除いた材料で作られたビリヤードの玉は、緑色のフェルト張りの台の上を無感動に転がっていく。最後のステラー海牛 [カイギュウ] の肉は、あっという間に消化された。
 確かに、すべての生命と創造にとって、その滅亡は存在の条件である。当然ながらすべてのものが分解・腐敗し、殲滅・破壊されて消滅するまでは、時間の問題にすぎない。大災害のおかげで存在を救われた過去の証にしても同様である。長い間解読されなかった、絵文字 [ピクトグラム] 的な古いギリシャ語の音節(end21)文字である線文字Bの唯一の記録は、紀元前一三八〇年頃にクノッソス宮殿を破壊した大火が、宮廷の収入と支出が記された何千枚もの粘土板を同時に焼き固め、伝承に耐える状態にしたことによってのみ保存された。ヴェスヴィオ火山の噴火の際に生き埋めになったポンペイの人や獣の石膏像は、その死体が腐敗した後、冷えて固まった岩の中に残した空洞に石膏を流し込んで作られたものだ。また、ヒロシマの家々の壁や道路に残された幽霊写真のような黒い影は、原子爆弾によって蒸発した人々の名残だ。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、20~22; 「緒言」)



  • 一年前から。ニュース。

(……)食卓について新聞の一面を読みながら食事を取った。三〇日の停戦協議でウクライナは米英、ポーランドや中国などもまじえた安全保証の枠組みを提案し、ロシアはそれを評価してキエフやチェルニヒウ周辺での軍事行動を縮小すると表明していたのだが、どちらの地域でもまだ攻撃はつづいていると。チェルニヒウでは一晩中空爆がおこなわれていたらしい。まだまだ状況のさきはながいようす。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によればウクライナ難民は四〇〇万人に達し、当初の予想をかなり上回るペースと数で増加していると。主要な受け入れ国としてはポーランドが二三四万人、次いでルーマニアが六一万人、ハンガリーが三〇万人くらいだったか。モルドヴァは人口の一割ほどにあたる数の難民が流入したといい、外務大臣だったかが、受け入れる余力はあと三万人程度もない、二一世紀の欧州で氷点下に難民キャンプをつくらなければならないという事態にはなってほしくない、と言明したらしい。

Russian authorities have arrested a US journalist working in the country and accused him of espionage, a charge that could carry a prison sentence of up to 20 years. Evan Gershkovich, a well-respected reporter from the Wall Street Journal, was detained on Wednesday during a reporting trip to the Urals city of Ekaterinburg.

The US is “deeply concerned” over Gershkovich’s detention. The state department “has been in direct touch” with the Russian government over the the journalist’s detention, “including actively working to secure consular access” for him, the White House confirmed.

     *

Turkey’s parliament approved a bill on Thursday to allow Finland to join Nato, clearing the way for the country to become part of the western defence alliance as war rages in Ukraine. The Turkish parliament was the last among the 30 members of the alliance to ratify Finland’s membership after Hungary’s legislature approved a similar bill earlier this week.

     *

Vladimir Putin has signed a decree to call up 147,000 Russian citizens for statutory military service as part of the country’s spring conscription campaign, Russian state media reported. The Russian leader last signed a routine conscription campaign in September, calling up 120,000 citizens for statutory service, the state-run Tass news agency said.

Russian authorities are preparing to launch a significant recruitment campaign aimed at signing up 400,000 new troops to fight in Ukraine, the UK Ministry of Defence said in its latest intelligence update, citing Russian media. Moscow was presenting the campaign “as a drive for volunteer, professional personnel, rather than a new, mandatory mobilisation”, it said, adding that in practice regional authorities might try to coerce men to join up. “It is highly unlikely that the campaign will attract 400,000 genuine volunteers,” it said.

     *

A Russian man who fled house arrest after being sentenced to jail for discrediting Russia in social media posts, following an investigation prompted by his daughter’s anti-war drawings, was arrested in Belarus, his lawyer said. Alexei Moskalyov, 54, was sentenced to two years for his criticism of Kremlin policies in social media posts. Police investigated him after his 13-year-old daughter, Maria, refused to participate in a patriotic class at her school and made drawings showing rockets being fired at a family standing under a Ukrainian flag and another that said “Glory to Ukraine!”.

  • いまもうすでに日付替わりも済んで四月一日の午前一時。きょうはよくあるいた。労働だったので二時四五分くらいに出たのだけれど、天気は陽射しのない曇天とはいえ白い雲海のなかに太陽のすがたが埋まってそこだけ吸いこまれたようになるくらいだから暗くはなく、気温も高くて昨冬以来はじめてモッズコートを羽織らずジャケットすがたを取ることになり、(……)駅まであるくあいだにああやっぱりあるくのはきもちがいいなと、ここ数日籠もっていたからなおさらそう感じたのかもしれないが、安穏とした快楽をえたのでそのときから帰路もあるこうとこころが決まっていたのだ。それでじっさい勤務を終えて九時ごろに(……)駅までもどってくるとそこからまたあるいた。ひさかたぶりの(……)通りである。できればスーパーに寄りたいとおもいつつもそうするだけの体力があるかあやぶんでいたのだが、ふつうに寄って買い物をし、上体をうしろに引っ張る重たいリュックサックとたいして重くはないビニール袋をともなって帰るくらいの気力があった。アパートに着いたのはちょうど一〇時ごろだっただろう。そこからすこしやすんで一一時にくらいには食事を取り(きのうつくった味噌汁と米のあまりに納豆と、職場からもらってきた煎餅やチョコ)、その後洗い物をしたり歯をみがいたりしてからまたあるきに出たのだ。行きで三五分、帰りでスーパーはのぞいてもやはり四〇分くらい、夕食後は周辺を二〇分そこらまわっていたとおもうから、きょういちにちで一時間半くらいはあるいたことになる。職場でも立っている時間も相応にあるのでそこそこうごいたと言ってよいだろう。あるくことの純粋な快と自由をひさしぶりにかんじた三月の終いだった。それでやっぱりいちにち部屋に籠もってうごかないのはからだにもあたまにもよくない、毎日かならずそとに出ていくらかはあるく生にしたい、いっそ食事を取ったらそのたびあるきに出る習慣にすればいいのでは? などとおもったが、この熱はどうせきょうかぎりであしたには冷めているだろうし、かりにつづくとしてもせいぜいあさって日曜くらいまでだなと見込んでいる。まえにもおなじようなことはかんがえているわけだし。しかし、食後の散歩の習慣化はともかくとしても、毎日かならずいちどはそとに出てあるくというのは健康のためになんとか身につけたいところだ。


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  • 日記読み: 2022/3/31, Thu.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/3/30, Thu.

 「歴史的資料は何を保存しているか。リエージュ占領の際に踏みつぶされたスミレたちの運命でも、ルーヴェン焼き討ちの際の牛たちの苦しみでも、ベオグラードの雲の形でもない」と、テオドア・レッシングは第一次世界大戦中に成立した著作『無意味なものへの意味付与としての歴史』の中で書いている。そこで彼は、理性的に進歩するものとして歴史を叙述するすべての試みが、形のないものに後付けで形を与えたにすぎないことを暴いている。初めと終わり、台頭と没落、開花と衰微という語りの原則に従った物語にすぎないと。
 どの生物が一定期間存続するかは、偶然と適応が複雑に絡まり合った相互作用により決定されることを進化の法則は示してきたにもかかわらず、啓蒙主義的な進歩信仰がほとんど無敗のまま命脈を保ちつづけているのは、立身出世的な歴史年表が単純な魅力を持つことと、それが西洋文化の直線的な文字の形に相応することによるのかもしれない――こうした状況を前に、信仰が意味を失った後ですらなお、人はあまりに易々と所与の現実を望ましい意味深いものと見なす誤った自然主義的推論に傾きがちである。不断の進歩という単純だが非常に説得力のある筋書きにおいて、過去の唯一の利用価値は新しい物よりも劣っていることと、歴史を――個人の歴史であろうと、国家や人類の歴史であろうと――必然的な、いずれにせよ偶然ではあり得ない進歩の歴史として思い描くことにある。しかしながら疑う余地なく、年代順に並べる方法、収蔵品が新たに加わるたびに連続した番号をふる方法は、どの保管員も知っての通り、その救いがたい首尾一貫性ゆえに、あらゆる組織体の原理の中でもっとも独創性を欠いている。秩序はただの見せかけにすぎないからである。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、20; 「緒言」)



瞑想するまえにまた書見したのだった。トーマス・マンの『魔の山』の下巻で、いとこたちがナフタの家を訪問したところに同宿人であるセテムブリーニもやってきて、また高邁な思想的な議論がはげしくかわされるのだが、ナフタはどうもイエズス会士らしく、原罪いぜんの神と直接につうじていた人間の原初的状態への回帰をとなえるというか、このさきで世界が神の国にいたるというのはそういうことでそれこそが人類の救済であり、その至上目的においてこそ科学も国家も意味をもつのであって(というかんがえかたはセテムブリーニからは「主意説」と批判される)、そこからはなれた純粋無垢な真実などは存在しない、世界は善悪、肉体と精神、精神と権力、自我と神などの相克をのりこえて国家も階級も存在しない原始的ユートピアにひとしい神の国をつくりださねばならない、そのためにはそれらの葛藤を止揚するためのテロリズムが必要である、そして現今の資本主義による金権的な世界、ほんらい「普遍的な神的組織」(121)であるはずの時間というものを悪用した利子のとりたてや経済的利益の追求などは端的な堕落なのであり、キリスト教は農民や職人など生産物をうみだして糧をえるものたちをつねに尊んできた、現代の社会主義共産主義の信奉者たちはこの点でわれわれと一致しており、無産者階級のつとめは恐怖政治を経由して神の国を実現することにあるのだ、というあたりがかれのかんがえのだいたいのところで、かんぜんにやばいやつなのだが、上巻のカバー裏にかかれてあった「独裁によって神の国を樹立しようとする虚無主義者ナフタ」というのはこういうことかとよくわかった。「虚無主義者」についてはどのあたりがそうなのか、まだよくわからないが。ハンス・カストルプはいろいろな知見やかんがえかたにふれながらどれにもかんぜんに染まらないで留保をたもちつつ、興味をひかれるぶぶんをつまみ食いするような「実験」的態度、セテムブリーニのいわゆる「試験採用(placet experiri)」の姿勢をナフタにたいしてもはたらかせており、じぶんのかんがえと一致する点を断片的に称賛したりしている。かれの教育者を自任するセテムブリーニは、ナフタの思想はみずからの立場をいまだ確固とさだめてもっていない青年に悪影響をあたえかねないとおそれて、その交際をこのましくおもわず、気をつけるようにと忠告している。

  • 往路。なんてことだ、すばらしいといわざるをえない。よく書いている。「うつむき顔にまとうた髪のごとく枝垂れた枝にまだ花をともさず赤みをためるにとどまったものもあり」の一節がいちばんよくかんじる。

風が林に厚くながれてこずえのつらなりから切れ目なく持続するざわめきを吐きださせていた。公団脇の公園の桜は嵩を増し、集合した花びらの織りなすかたちが明確になってきている。まだ散り時がはじまっているともみえないのだが、端のほうにはつつましやかな葉っぱの若緑がのぞくところもあった。坂をのぼっていき、最寄り駅の敷地にはいって階段通路に踏み入りながら付属の広場のほうをみやれば、花開いた桜もあるのだがもういっぽん、うつむき顔にまとうた髪のごとく枝垂れた枝にまだ花をともさず赤みをためるにとどまったものもあり、そちらのほうが白さを知った開花樹よりも赤のいろみがつよく塗られて、それでいて誇らずひかえめなので粋なようだった。ホームさきに行って線路をまえに立てばきょうも丘のきわの一軒の脇で木叢が風にかたむかされて、段上てまえにはみえないが畑がひろがっているはずでいまそこを男性がひとりいきつつ袋をたずさえているようなのは、たぶん土や肥料を撒くかなにかしていたのだろう。野球の実況のような、スポーツの試合をつたえる調子とひびく音声が、内容はききとれないうすさで線路むこうのどこかからただよっていた。微風が前髪をながし肌をなでるなかにウグイスらしき鳥の音をきく。

  • いま三時直前。ここまでのながれがあまりにもいつもどおりすぎて書くことがたいしてないのだが。離床は九時と一〇時過ぎ。午前のあいだは白曇りだったがきのうの天気予報ではきょうのほうが気温が高くあきらかに晴れるということで、寝床でふたたびみてみても午後からは晴れになっている。そのわりにそとが白いのでほんとうに晴れるのかとおもっていたが、じっさい正午前くらいから気配がみえはじめたので洗濯もやり、その後たしかに空が青くなり、雲もあってときおりかげるものの陽射しがレースのカーテンに吊るしたものや棒の影をうつしだす昼下がりとなっている。しかし、最高気温も二〇度とあったのだけれど、室内にいてなぜか肌寒く感じがちで、ジャージのうえにダウンジャケットを羽織ってしまう。食事なんかはいつもどおりなのでよいとして、そういえば朝方はやくにいちど覚めたさい、ゆめをみた。同居していた母方の祖父が出てくるもので、じいさんの顔なんぞひどくひさしぶりにおもいだしたが(実家の仏壇に祖母のものとあわせてちいさな写真がかざってあるのでたまに瞥見してはいるが)、実家のななめ向かいにある林縁の土地のところに祖父がいて、じぶんは行ってくるよとかはなしかけていた。そのさいの祖父の顔が生気のない、憔悴したような、死にそうなもので、ゆめのなかのじぶんも、死にそうな顔をしている、あれじゃもうながくないなとおもったはず。べつの場面として高校に向かってあるいているときがあり(ただし道は知らないもの)、高校生の身分にもどっていたのかそれとも意識はおとなのままだったのか判然としないが、日時は卒業か学期終わりか節目らしく、それまでサボっていたのだけれどこの日はさすがに行かなければならないみたいな感じだった。(……)に電話をしてそのへんのことを聞いたおぼえがある。
  • 覚醒後は鼻から深呼吸をしばらくして、離床したあともストレッチしながら息を吐いたり瞑想時にもそうして、すると背中は比較的すっと立ってこうして椅子にすわっていても楽ではある。書見は『イリアス』下巻のつづき。いよいよさいごの二四歌にはいった。二三歌の後半はパトロクロスの葬送としてアキレウスの呼びかけにおうじてアカイア勢の勇士たちが戦車競争とか相撲(「角力」と表記されている)とか槍や弓での競い合いとかさまざまな競技をおこなうのだが、註にもあるようにここのさいごのほうの叙述はとちゅうでやる気なくしたのか? という感じの、それまでとくらべると雑で簡易なものになっていて、後世の挿入ではないかといわれているらしい。二四歌にはいるとあいかわらずアキレウスパトロクロスをうしなったかなしみと怒りから解放されずヘクトルの死体をひきずりまわして傷つけているのだが、さすがに神々もそれを見とがめて、ゼウスがテティスアキレウスの母である海のニンフ)につたえてヘクトルを侮辱するのをやめさせようというところまで。352からはじめていま383。
  • 二食目はブロッコリー入りの温野菜とレトルトカレーとバナナ。『イリアス』はその後417まで行き、つまり本編は読み終え、あとは「伝ヘロドトス作 ホメロス伝」がのこるのみ。さいごの二四歌はゼウスに命じられた神ヘルメイアスのたすけにより、老王プリアモスはだれにもみとがめられることなくアカイア勢の陣中に、さらにはアキレウスの陣屋にはいりこむことができ、莫大な身の代とひきかえに息子ヘクトルの遺体をかえしてくれるようかれに嘆願し、聞き入れられる。食事を供され、ゆたかな寝床も用意されてねむっているあいだにふたたびヘルメイアスがプリアモスをみちびきだしてヘクトルの遺体は聖都イリオスへと帰還し、盛大に葬儀がおこなわれた、というところで終了。だからトロイア戦争じたいは終わっておらず、ヘクトルを悼む一一日のあいだはたたかいを起こさないようアキレウスプリアモスに約束したけれど、その後戦争は再開されたはずで、明確な終幕感はない。ゆうめいな「トロイの木馬」のはなしも『イリアス』中には出てこず、というのもあれはたしかイリオス城にしのびこんでついに陥とすというときの作戦だった気がするし、訳注によれば『イリアス』の後日談にあたり、どうも『オデュッセイア』でそのへんにたしょうふれた箇所があるらしい。だから『イリアス』の範囲ではイリオスじたいはまだ落ちていないし、アキレウスも死ぬことが予言されているがまだ死んでいない。そもそもホメロスいがいにトロイア戦争をかたった作品ってなにがあんのかと、「トロイの木馬」の原典はなんなのかといまWikipediaをみてみたが、「この伝説の主な典拠はウェルギリウスの『アエネーイス』である。またホメロスの『オデュッセイア』でも言及されている」とあったのでウェルギリウスだったのか。アエネーイス、すなわちアイネイアスはたしかに『イリアス』中にもトロイエ方の英雄のひとりとして出てきており、ちなみにかれの家系はプリアモスの家系とは折り合いがわるかったらしい。巻末の家系図によればトロイア王家の祖はゼウスの子どもダルダノスであり、そこから二代した、プリアモスからさかのぼって三代目にトロスというものがおり、これがイロス、アッサラコス、ガニュメデスという三人の子(それいがいもいるのかもしれないが)を生んでいて、ガニメデはよく知らないが神話に出てきてゆうめいななまえだったはずで、星座にもなっていなかったか。そのうちアッサラコスのあとがカピュス、アンキセスとつづき、そのアンキセスがアプロディテと交わって生まれたのがアイネイアスらしい。『イリアス』の冒頭では話者=詩人がムーサらに物語を語りたまえ歌いたまえと呼びかける前置きがあるのだけれど、二四歌のさいごにとくにそういった意匠はなく、まあ神話なので完成はないということなのだろう。膨大なる神話的時空が後世もふくめた多数の詩人らの著作によって部分的に拡張されたり掘り下げられたり異伝があったりというのは、現代の二次創作文化とある種似ているような気がしないでもない。さいご遺体としてもどってきたヘクトルは妻アンドロマケや母ヘカベ、そしてギリシアから連れ去られてパリスの妻となったヘレネから悲哀と悼みのことばをかけられるのだが、そのなかでヘレネは、よそものとして悪意にさらされるじぶんにもヘクトルはいつもやさしく、意地の悪いことばをかけられたことはなかった、というようなことを言っており、プリアモスにとってもヘクトルがもっとも可愛い、誇らしい息子で、たいして生き残った息子らには、「お前たちが、ヘクトルの身代りとなってみな一緒に船の辺りで死ねばよかった」とか、「あとには恥かしい屑ばかりが残った」(391)とそうとうな言いようをしている。ヘクトルはまたトロイエのひとびとにとってはにんげんの身でありながらほとんど神のような存在だったということもたびたび言われており、なんかアカイア側の英雄たちよりもかれのほうが英雄的に描かれているような気もしないでもない。たちばとしても侵略者から城都をまもりぬこうと奮戦するほうなわけで、イリオスの女子供たちをまもって勇敢にたたかったということもなんどか言及されている。たいしてアカイア方は総大将アガメムノンは冒頭からして傲慢な言動をみせてアキレウスを激怒させ、その後ながくかれが戦闘に出ない理由をつくってしまうし、そのアキレウスも怒りすぎでしょという、いくらなんでも引っ込みすぎでしょという感じで、アカイアの兵らがばたばた死んでいっているにもかかわらずかたくなをまもってなかなか戦場に出ようとしない。オデュッセウスは機略縦横と称されるがそのとおりでずる賢い感じもないではないし、両アイアスはけっこう粗暴、ディオメデスはバランスの取れた冷静な戦士かもしれないが、かれはたしか第五歌あたりでアテネにまで斬りかかろうとしていたはずで、勇猛さが蛮勇じみて行き過ぎな感もある。そもそもたぶん『イリアス』の価値観において英雄を英雄たらしめる徳性の条件はなによりもまず勇敢さとちからの強大さのはずで、仲間同士の友情からくる親愛とか気遣いとか礼節とかはあるにしても、他人にもしくは女性に優しく接するということがそんなに高い価値としてはみとめられていないのではないか。そもそも侍女が高価な釜よりもはるかに安い値と評価されながら競技の景品になったりしている世界なわけだし。だから町のひとびとから慕われ、ゼウスからも可愛がられ、ヘレネにうえのようなことをいわせるヘクトルが、素朴なはなし、いちばん「いいやつ」のようにみえてしまう。そもそもオリュンポスの上天にいます高貴の神々でさえ、たがいにいがみあったり意地の悪いことを言ったり罵り合ったりしているしな。


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  • 日記読み: 2022/3/30, Wed.
  • 「ことば」: 1 - 3

2023/3/29, Wed.

 地球自体は周知のとおり、過ぎ去った未来の残骸の山であり、人類は色とりどりに寄せ集められ、互いに相争うヌミノース的な太古の相続共同体として、たえず獲得・変革され、拒絶・破壊され、無視・排除されなければならない。その結果、世間一般の想定に反して、未来ではなく過去が可能性の空間となるのだ。だからこそ、過去の解釈を変更することが、新しい支配体制の最初の公務の一つになる。私のように勝者たちによる聖像破壊、さまざまな記念碑の撤去といった歴史の断絶を体験したことのある者にとって、あらゆる未来のヴィジョンの中に未来の過去を見ることは難しくない。たとえば再建されたベルリン王宮が廃墟となり、今度は共和国宮殿の再建のために場所を護るのである。
 一七九六年、共和制五年めのパリのサロンにおいて、バスティーユ牢獄の襲撃やムードンの城の見(end18)取り図、サン・ドニ聖堂の王家の墓の冒瀆をスケッチに留めていた建築物画家のユベール・ロベールは、二枚の絵をルーヴル宮殿で展示した。一枚は王宮をルーヴルのグランド・ギャラリーに改造する計画案を示していた――ガラス天井のおかげで十分に採光できる、多くの人々が訪れる広間に、絵画や彫刻作品がたくさん並ぶ――そしてもう一枚は、同じ空間を廃墟として描いている。一方の未来図において天窓があるところに、もう一方では雲に覆われた空が顔を覗かせている。丸天井は崩落し、壁はむき出しの裸で、床には壊れた彫像が転がっている。ナポレオンの侵略戦争の戦利品だったベルヴェデーレのアポロ像だけが、煤にまみれつつも無傷のまま屹立している。破壊の跡を見に来た野次馬たちが廃墟の風景をうろつき、瓦礫に埋もれたトルソーを掘り出したり、焚き火で身体を温めたりしている。崩れた丸天井の割れ目から草が生えている。廃墟は過去と未来が一つになるユートピア的な場所だ。
 建築家アルベルト・シュペーアは、その思弁的な「廃墟価値」の理論によってさらに先へ進んだ。彼は国家社会主義 [ナチズム] の終焉から数十年後に、単なる暗喩 [メタファー] として理解すべきでない彼の千年王国構想が、とくに耐久性のある建築素材を使用する予定であっただけでなく、崩れた状態でもなおローマの遺跡の偉大さと肩を並べられるように、それぞれの建築物が未来の廃墟になった時の姿まで考慮したものであったと主張している。一方、アウシュヴィッツが廃墟なき破壊と呼ばれたのは、故なきことではない。それは徹底的に非人間化された建築物であり、その細部に至るまで指示され、何も残さず稼働をつづける工業的な絶滅装置は、何百万人もの人間を抹殺することにより、二十世紀ヨーロッパにおいて最大の空白を後に残した。被害者側と加害者側、双方の生存者とその子孫の記憶の中で、分裂した統合しがたい異物として、いまだ総括的な見直しを俟つトラウマである。ジェノサイドという犯罪こそ、喪失をどこまで追体験可能にしうるかという問いの緊急性をさらに高め、後世の少なからぬ人々の見解を、そこで起こったことはいかなる方法によっても表現不可能であるという、無力感に満(end19)ちた、しかし理解しうる結論に至らしめた。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、18~20; 「緒言」)



  • 一年前の日記。ニュース。

(……)新聞、『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞受賞と。アカデミー賞関連では、ウィル・スミスが授賞式でプレゼンターのなんとかいうコメディアンに平手打ちをくらわせたという一幕もあったらしい。なんでもこのコメディアンがウィル・スミスの妻の頭髪を揶揄するような発言をしたとかで、かのじょは女優であり脱毛症で治療しているということを公言しているらしく、ウィル・スミスはこの言動に激怒し、コメディアンのほうはジョークだったと弁明したものの、スミスはおまえはわたしの妻のなまえを口にするなとすら言ったらしい。その後おちついて謝罪したとのこと。この文脈だけきいたかぎりでは、ウィル・スミスが怒ってもしかたがないのでは、という印象を受けはする。ただ、だからといって平手打ちが良かったかというとそれは別問題だろう。公的な場だし、ことばであいてをいさめるやりかたもありえたはず。いずれにしても具体的にどういうジョークだったのかとか、もうすこし詳しい情報がないとたしかな判断はくだせない。

ロシアとウクライナは二九日にトルコ・イスタンブールで対面の停戦協議をおこなうみこみ。キエフ周辺にいたロシア軍のいちぶは一時ベラルーシまで撤退しているらしいが、それは来たるべき総攻撃の準備をしているということらしく、兵力をあつめるようすがうかがわれると。マリウポリの郊外は「完全に掌握した」とロシアが発表し、中心部でも激しい戦闘がつづいているという。チェルノブイリ付近に弾薬などをはこびこんだりもしているとか。ほか、ここで二次大戦中の米国日系人収容がはじまってからちょうど八〇年になるということで連載がはじまっていた。

  • 日記について。
  • いま帰宅後、もう日付替わりもまぢかである。夕食をとりながら一年前の三月二九日(月曜日)の記事を読んだ。印象にのこったのは以下。

あとはサヘル地域についての記事。ここもイスラーム過激派が台頭してかなり政情不安らしい。マリでは人口二〇〇〇万人だかのうちの四五パーセントが貧困にあり、食料を得られない人間も相当いるようだ。昨年、政府に対する市民の不満が爆発して大規模な抗議運動が展開されたといい、それを受けて軍がクーデターを敢行し、八月に軍事色の強い新政府ができたらしいのだが、状況は変わっていないとの声が聞かれるようだ。イスラーム過激派も地域に浸透しており、彼らは特定の民族と結びついて共同体に入りこむことで積年の民族対立の再燃を引き起こしかねない。一部の地域では連中によってISISみたいな統治がおこなわれているらしく、つまり水を運んでいる女性がヴェールをかぶっていなかったからと暴力を振るう、みたいなことだ。ただマリ政府関係者によれば、実際のところ、誰が過激派で誰が市民なのかを見分けることは不可能だとのことで、事柄の軍事的な解決はもはや見えず、したがって武装組織側と和平交渉をして社会に統合するしかない、という感じになっているらしい。

     *

その他のことは忘れた。たしかこの日だったと思うのだが、労働からの帰路に元生徒の(……)さんに会った。徒歩で帰っていて、駅前を折れた裏通りを行き突き当たりを横に曲がったところで、こちらがこれから入る裏道の続きから出てきた二人があって、一見してギャルだった。彼女らはなんとか話しながら表の方向へ折れ、こちらは彼女らの後ろで裏通りを進もうとしたのだが、二人の一方がこちらに気づき、ひとがいると思っていなかったようで、うわ、とびっくりした声を発していた。それでちょっと決まりが悪かったのだろう、紛らすように笑って街道に向かおうとしたギャルは、しかし足を止め、あれ? と疑問の声を続けてこちらをじっと見ている。こちらも立ち止まって見返し、え、とつぶやくと、塾の先生ですよね? と質問が来たので、そうです、と答え、どなた? と訊いた。すると、(……)ですとあったので、(……)? と間髪入れず聞き返せば、それで正解だった。このとき即座にフルネームを、しかも正しく漢字表記で(珍しい字面なので印象に残っていたのだろうが)思い出したこちらの想起の迅速さには自分でも驚かされたが、聞けば彼女が通っていたのはちょうど一年くらい前までだというから、まだ近い時期の子だ。二〇二〇年初に高校受験をしたわけだから、通っていた期間としては主には二〇一九年中になる。たしかに(……)さんが教室長だった頃の生徒だからそうなのだろうが、まだそれしか経っていないのか、という感が強かった。もっと昔の生徒のように感じられたのだ。(……)さんは、金だか茶だかよくわからないが夜道でも目に立つあかるい色の髪になっており、いかにもギャルという感じの雰囲気だったが、中三のときもわりとそちら寄りではあった。それでちょっとその場で立ち話をしたのだが、高校はもう辞めて働き出すのだと言う。もう働くの? すごいね、と言わざるを得なかった。水商売系のキャッチだとか言っていて、よくわからないが高校はもともとあまり行っておらず、「こっちにもいなかったし」とか漏らしていたので、都心のほうにでも行って夜の世界に踏みこんでいたのだろうか? たかだか一六歳くらいでしかないのだろうに大したものだ。しかしそんなにはやく働かなければならないとは、やはり家庭に金がないとか、そういう事情なのだろうか。あるいは単純に、勉強についていけないとか、勉強したくないとかいうことかもしれない。中三のときも学業はからきしという感じだったし。ただ、祖母のことを話すことが多くて、ギャル風ではあるが心根の優しいような子だという印象を持っていた。いまは(……)の桜を撮ってこようと思って行ったら、暗くてめちゃくちゃ怖かったので引き返してきたところだと言う。室長が変わったことを告げると知ってると言い、この子に聞いたと連れ合いの黒髪マスクの少女を指したので、誰かと思えばこれが(……)さんだった。全然気づかなかった。マスクもしていたし、夜道で暗いし、こちらの目も悪いし、距離も多少あったので。(……)さんは今年度の生徒で、受験を終えてこのあいだの二月までで辞めた子である。

それでしばらく話して別れ、黙々と夜道を歩いたのだが、そのあいだ、なんだかはかないような、むなしいような気分が差していて、これはやはり時の過ぎざまが目に見えたからなのだろうなと思った。このあいだまで中三の生徒だった女子が、ギャルに育って、もう働くなどと言っているのを受けて、時間が一気に過ぎたような感覚になったのだろう。なんというか、当たり前のことだが、彼女もまた生きているんだなあ、という感じだ。今回ここで遭遇したのはまさしく奇遇というほかなく、職場での仕事の片づけ方がちょっと違って、この位置を通るのがあと二〇秒も遅ければたぶん彼女たちとこちらは邂逅することなく互いに気づかなかったと思う。偶然というものが面白いのは、自分の見えないところで確かに世界がまわっているということ、営みが営まれているということを実感させてくれることだ。それは他者の生に対する想像力であり、自分などというものはどこまで行っても所詮は自分でしかなく、自分がいまとまったく違う人間になったとしても、あるいはいまの自分ではなかったとしても、それもまたたかだか自分自身でしかない。つまり人間が持てるのは最終的にはこの自分としての、一人称の視点と意識でしかなく、ひとはそれを逃れられず、自分ではなく他者であるという自己消失は不可能だし、自分でありながら同時に他者であるという二重視点もまあ大方は無理だろう。それはごくごく当然の事実にすぎないのだけれど、まったくもって退屈なことであり、その退屈さと、他者の見ているものを見たいという情熱とが、文学とか物語とかをこの世に生み出すにいたった要因のすくなくともひとつではあるのだと思う。

  • (……)さんとの遭遇を読みながら、いや、おれの日記おもしろいな、とおもった。とくに、「徒歩で帰っていて、駅前を折れた裏通りを行き突き当たりを横に曲がったところで、こちらがこれから入る裏道の続きから出てきた二人があって、一見してギャルだった。彼女らはなんとか話しながら表の方向へ折れ、こちらは彼女らの後ろで裏通りを進もうとしたのだが、二人の一方がこちらに気づき、ひとがいると思っていなかったようで、うわ、とびっくりした声を発していた。それでちょっと決まりが悪かったのだろう、紛らすように笑って街道に向かおうとしたギャルは、しかし足を止め、あれ? と疑問の声を続けてこちらをじっと見ている」というあたり。つまり、遭遇したあとのやりとりの内容やそこから受けた感慨など、そのできごとの中心部分、そのできごとをできごとたらしめ、記録されるべきものにしたであろうとみなされるぶぶんではなく、遭遇までのながれをいちいち順を踏んで書いているのが、読んでいてなんだかおもしろかった。記録という観点、日記という形式の一般的なとらえかたからすれば、こんな経緯は書かなくてもよいはずなのだ。二段落目の述懐もいつもながらの内容ではあるがまあわるくはないし、つまらなくもないのだが、それよりもこの遭遇までの数段をえがいた文のほうがおもしろかった。おもしろかったというのは、なにかしらの感覚をあたえるものだったということで、それはやはりリアリティとか、具体性とかいうことになるのだろう。なるのだろうというか、どうしてもそういうことばでとらえてしまい、またこの感覚をいいあらわすにあたってそういうことばしかじぶんのなかにみつからないのだが、端的に言って、この記述のなかで(……)さんが生きているのはこのさいしょの数文しかないわけだ。それいこうはぜんぶ(……)さんではなくてじぶんじしんを書いているものにすぎず、それはやはり退屈なことではある。記録とは、死にゆくものを、それが死につつあると知りながら、まるで生きているかのように、あたかもそれがまだ生きられるのだとでもいわんばかりに、かろうじてとどめようとするおこないなのだから。
  • こういうところ、記録として重要だとおもわれ中心とみなされる部分だけでなく、どうでもよいようなこと、書かなくてもよいようなことまでふくめてそこにあったことをすべて、できるかぎりですべて書きたいというありかたが、やはり日記という形式におけるじぶんの文章の特異さなのだろうなとおもう(しかしそれはまた、おおかた日記という形式でしかできないだろう)。じぶんの過去の日記を読みかえすとき、そういうふうに傍流的なぶぶんまでこまかく書いてあるのをみると、こいつはとにかく書きたいのだなと、どうでもよいようなことまでぜんぶ書きたいのだなと、そういう欲望がまざまざとあらわれているようにみえることがあり、そこになにかみずみずしいようなものをおぼえてちょっとだけ感動することもある。やっぱりこの世は書くにあたいする。そうとしかおもえない。すばらしいか否かとはかかわりなく、端的に書くにあたいする。じぶんがずっと書きつづけているというのはそういうことでしかない。
  • 帰路。

この日の帰路はなかなかいいかんじで、最寄り駅で降りて坂をくだるあいだくらいまではべつにそうでもなくふつうだったが、坂道には同道者がふたりおり、どちらも煙草を吸っていた。駅を抜けて車の来ない隙に街道をわたったところでまえにふたり男性がいて、ひとりはのそのそとしたかんじのいつも片手にビニール袋を提げてくだっていく中年でよく帰りがいっしょになってみかけるが、もうひとりは知らないにんげんだったし曇天のもとで暗いので風采もよくみなかった。さいしょはふたりともこちらよりさきにいて、先頭をいくのはビニール袋のひとで、もうひとりがそれにつづいてときおり煙を吐いたりたちどまったりしており、マスクを顎までずらして露出した鼻に大気に混じった香りがまえからふれてきて、煙草のにおいというのはむかしはあまり好きではなかったがいまはそんなにわるくなくかんじる。母親などは煙のにおいと喫煙者を蛇蝎のごとく嫌っているが。煙草を吸うにんげんというのもちかごろだいぶすくなくなったというか、数としても減っているのだろうけれど、分煙がすすんで喫煙所いがいで吸う者がゆるされなくなったので、みかける機会が減ったのだろう。ふたりめはあゆみが比較的おそかったしときおりたちどまってもいたので、こちらでも抜かすことができた。

したのみちに出てビニール袋の男が公団へと去っていったあとただひとりの夜道となったわけだが、首をちょっと横にうごかしてその公営住宅の窓からもれるオレンジ色の明かりや、そこにうっすら映っているようにみえるひとかものかあいまいななにかの影や、月はおろか星もまったくなくて練ったように一面のっぺりと暗んでいる空などをみているうちに、解放的な気分がきざしてきて、おうじてからだのちからがぬけて歩調がゆるくなり、恍惚まではいかないがうすい快楽とここちよさをはらんだ自由の時間が現成した。仏教のいう諸縁を放下するというのはこういうことだとおもうのだが、いまこのときしかない時間というか、じっさいにはそうではなくて過去も未来も念頭には浮かぶし、あしたまた労働がひかえていることも理解しておりあたまにもよぎるのだけれど、ただその拘束的なみとおしがいまこのときの心身になんの影響もあたえてこない、そんな独立の安息で、心身がこういう感覚になるのはほぼ決まって夜道をひとりでゆっくりとあるいているあいだである。朝にあるいたとしてもたぶんならないだろうし、周囲にひとがいてひとりきりでない状態ではぜったいにならないと断言できる。これがにんげんの自由というものだ。あるきながら、おれたちは無償性のみをなんとかそうして夜はかがやきなんとかみたいな短歌をまえにつくったなとおもったのだが、正確な文言がおもいだせなかった。かえってきてからみてみると、「われわれは生きるのだ無償性のみを夜はそうしてかがやきとなり」だった。夜はそうしてかがやきとなり! 小説のタイトルにつかえる。

  • 二〇一四年分も一日だけ読みかえして述懐している。

一年前の日記を読んだあと、過去の日記をあたまからぜんぶ読みかえしたいとおもって、まあそんなことをもくろみながらきょうしかつづかないことはわかりきっているのだが、とはいえじっさい読みかえして固有名詞を検閲しなおさなければならないのもたしかではあるのだが、ともかくブログに載せてあるいちばんはじめの記事である二〇一四年一月五日をみてみると、いま現在、きょうとまったく同様に、ハムエッグを焼いて米に乗せるという一回目の食事を取っており、そこに八年前からずっとじぶんの生活が変わっていないことがかんぜんに集約されているようにかんじられて、この変わらなさはなかなかおそろしいことだぞとおもった。しかもこの八年まえの正月もまた英文を音読したりもしているし、「晴れてはいたが雲が多い空で、南西の山の上空には列島のように連なった雲が長く伸びていたし、北西の山の向こうからは煙めいた雲がもうもうと湧き出ていた。西陽は隠れがちだが雲を逃れるわずかなあいだには穏やかながらたしかな暖かさをもったひとすじの光が地上を染めた」という風景描写をみてみても、本質的にはいまと書き方が変わっていないようにおもえる。(……)に出ているのもおなじ。植え込みのまわりの段でまちあわせしているひとをみているのもおなじ。八年経っても、書き方も、書いている内容もだいたいおなじ。なかなかにおそろしいことだ。「ひどく久しぶりに」とはいいつつも、瞑想もやっている。ただし、「ベッドに置いたクッションの上に腰掛けて四十回深呼吸をした」と書いているから、このころはまだ呼吸式のもので、無動の境地をみいだしてはいない。外出時に音楽をきいているのもいまとはちがう。もはやそとで音楽をきくこと、耳をふさぐことはかんぜんになくなったし、携帯音楽プレイヤーももっていない。帰りの、「四時半に帰宅すると、陽も落ちて空気が灰色めいていた。雲は一面にのび広がっていたが、層は薄く、その下から水色が透けて見えていた。南東の市街の上空には紫に染まった雲がわずかにのぞいていた」という描写はじつに気が抜けていて、とうじはこれでわりと精一杯だったのだろう。あと、行き帰りの道中、電車内とかあるいているあいだとかのことがまったく書けておらず、段落が変わると一気に(……)に着いている、みたいになっているのがまあ雑魚ではある。

The head of the UN nuclear watchdog has described the situation at Ukraine’s Russian-occupied Zaporizhzhia nuclear plant in south-eastern Ukraine as “very dangerous” and unstable. Rafael Grossi said his attempt to broker a deal to protect the plant was still alive, adding that there had been increasing military activity in the region without giving details.

The United States has not seen any indications that Vladimir Putin is getting closer to using tactical nuclear weapons in his war on Ukraine, after the Russian leader said he was moving such weapons into Belarus. Belarus confirmed it would host Russian tactical nuclear weapons, saying the decision was a response to years of western pressure. Poland’s prime minister, Mateusz Morawiecki, said Belarus would face further EU sanctions.

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Germany’s much-awaited shipment of 18 Leopard 2 battle tanks has arrived in Ukraine, the German defence ministry has confirmed. Berlin first promised 14 but increased that to 18 as part of a deal under which several EU states would contribute to a shipment of two Leopard 2 battalions and 31 American-made M1A2 Abrams tanks from the US.

The first British Challenger 2 main battle tanks have also arrived in Ukraine and will soon begin combat missions, Ukraine’s defence minister, Oleksii Reznikov, has said. The UK said in January it would send 14 of the tanks to Ukraine. Reznikov wrote on Twitter that the tanks had “recently arrived in our country” and posted a video that showed him sitting in one of a long line of tanks in an open field, all of them flying Ukraine’s yellow and blue flag.

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A Russian man who was investigated by police after his 12-year-old daughter drew a picture depicting Russian bombing a family in Ukraine has been sentenced to two years in a penal colony, according to a rights group. Alexei Moskalyov has been separated from his daughter Maria since he was placed under house arrest, and she was taken into a state-run shelter last month. Court officials said on Tuesday that the 54-year-old had fled house arrest and his whereabouts were unknown.

The International Olympic Committee has recommended that Russian and Belarusian athletes are allowed to compete in international sporting events under a neutral flag. A decision regarding next year’s Olympics in Paris and the Milan-Cortina Winter Olympics in 2026 would be taken “at the appropriate time”, it said. Germany’s interior minister, Nancy Faeser, said the committee’s decision was “a slap in the face for all Ukrainian athletes”.

Speaking at length to workers at an aviation factory in the Buryatia region recently, Putin once again cast the war as an existential battle for Russia’s survival.

“For us, this is not a geopolitical task, but a task of the survival of Russian statehood, creating conditions for the future development of the country and our children,” the president said.

It followed a pattern of recent speeches, said the political analyst Maxim Trudolyubov, in which the Russian leader has increasingly shifted towards discussing what observers have called a “forever war” with the west.

“Putin has practically stopped talking about any concrete aims of the war. He proposes no vision of what a future victory might look like either. The war has no clearcut beginning nor a foreseeable end,” Trudolyubov said.

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One western diplomat in Moscow described Putin’s message in the speech [“state of the nation” speech last month] as preparing the Russian public for “war that never ends”.

The diplomat also said it was not clear that Putin could accept a defeat in the conflict because it did not seem that Putin “understands how to lose”.

The person said Putin did not appear to be reconsidering the conflict despite the heavy losses and setbacks of the last year. The diplomat noted that the Russian president was a former KGB operative and said they are trained to always continue to pursue their objectives, rather than reassessing the goals in the first place.

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Over the winter, western military analysts and Ukrainian officials repeatedly warned that Russia, after drafting 300,000 men last autumn, would mount a major new attack.

But Moscow’s offensive across a 160-mile arc in eastern Ukraine, which started in February, has brought the country minimal gains at staggering costs. Western officials have estimated that there have been up to 200,000 killed or injured on the Russian side.

“Russia simply does not have the offensive capabilities for a major offensive,” said US military expert Rob Lee.

According to Lee, less than 10% of the Russian army in Ukraine is capable of offensive operations, with the majority of its troops now conscripts with limited training.

“Their forces can slowly achieve a few grinding attritional victories but do not have the capacity to punch through Ukrainian defensive lines in a way that would change the course of the war.”

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Despite the setbacks on the battlefield in Ukraine, the Kremlin has weathered any potential backlash against the war at home, crushing the remnants of Russia’s civil society and remaking the face of the country in the process.

“Many in the country have now fully accepted that this war will not go away and believe that they need to learn to live under the reality,” said Andrei Kolesnikov, a senior fellow at the Carnegie Endowment who has studied public attitudes towards the war since its beginning.

Kolesnikov said that the population’s ability and willingness to adapt to the new reality has turned out to be much stronger than many observers expected.

When Putin ordered a draft of 300,000 reservists in September, sociologists noticed a record uptick in fear and anxiety, with men concerned about going to fight and mothers and wives worried about their husbands, fathers and sons.

Yet within several months, the dread decreased, according to Kolesnikov.

“The propaganda campaign has been successful despite the initial hesitance of the people,” said a source close to the Kremlin’s media managers, referring to the early anti-war protests, which led to more than 15,000 arrests across the country in the first weeks after the invasion.

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Meanwhile, schools have been instructed to add basic military training and “patriotic” lessons that aim to justify the war in Ukraine. State rhetoric, including calls by Putin to get rid of “scum and traitors”, have led to a wave of denunciations by ordinary Russians of their colleagues and even friends.

“The country has gone mad,” said Aleksei, a former history teacher at an elite boarding school outside Moscow who recently quit after a disagreement with management over the new “patriotic” curriculum. “I had to stop talking to colleagues and friends. We are living in different realities,” he said.

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At a Moscow launch event in mid-March for the “International Movement of Russophiles,” a group backed by Russia’s foreign ministry and heavily populated with fringe European activists and conspiracy theorists, the message was dire.

“We are not just seeing neo-Nazism, we are seeing direct nazism, which is covering more and more European countries,” said Sergei Lavrov, the Russian foreign minister, during a speech.

     *

“Not everyone in this country yet understands what we’re going to have to pay to win this war,” said Alexander Dugin, a radical Russian philosopher and prominent supporter of the war. “People in our country have to pay for their love for Russia with their lives. It’s serious and we weren’t ready for this.”

Dugin’s daughter, Darya Dugina, was killed last year in a car bombing that may have targeted him. Putin has spoken several times about the attack on Dugina and her name was written on a briefing paper held by Putin during a recent security council meeting, video uploaded by the Kremlin showed.

“I don’t think people in this country fully understand what is happening after a year,” Dugin added.

“Of course there’s full support from the president but it hasn’t fully come into the hearts and souls of all our people … some people have woken up, some people have not. Despite the year of war, it is going very slowly.”

  • 覚めてしばらく鼻から深呼吸したり、胸とか首のうしろや背中とかをさすったり。起き上がって時刻をみるとちょうど九時だった。カーテンをあければ空は白い。首や肩をよくまわしておき、布団のしたを抜けると水を飲んだり用を足したり。米を炊いておくことに。さくばん空になった釜を漬けたままながしに放置していたのでそれを洗ってあらたに炊きだす。二合半。そうして寝床にもどるとウェブをみたり、一年前の日記を読んだり。Guardianものぞくとページのトップに、創設者が奴隷制に関係していたことを謝罪するという文言がみられ、特集が組まれていた。記事はまだ読んでいないがメモしておきたいところ。離床は一〇時半すぎで、空がいくらかあかるくなってきていたが、横になっているあいだにみたYahoo!の天気予報によれば午後からまた曇って場合によっては雨も少量落ちるらしく、洗濯をどうしようかなというところだったがひとまずシーツを剝ぎ取って窓外でバサバサやり、それとともに敷き布団も風に当てようとおもって窓の向こうのせまい柵内に二つ折りで立てておいた。空に青味がみえており陽が出る気配だったので洗濯もすることに。とはいえタオルと肌着と靴下だけにする。それでも円型ハンガーがいっぱいになり、肌着も二セットをそれぞれハンガーにかけるようだったが。洗濯機に注水しているあいだはまた腕振り体操をしてからだをやわらげ、洗いはじめると椅子について瞑想。一〇時五二分から。さいしょしばらく鼻で深呼吸し、それから静止した。一一時一三分まで。窓外では子どもらがかしましい。済んで背伸びなどしていると洗濯が終わったので干し、食事へ。温野菜はキャベツとチンゲン菜。後者はつかいおわったのでつぎからブロッコリーにはいる。その他豆腐とウインナーをいつもどおり乗せ、レンジで回し、回しているあいだは座布団二枚のうえにころがってGuardianを読み、レンジが止まると立ってスチームケースを取り出し塩を振る。いっぽうできょうは納豆ごはんではなくレトルトカレーを食べることにして、鍋に水を汲んで火にかけ、沸騰しないうちからパウチももう入れてしまう。このとき、というかすこしまえから部屋のそとで掃除機をかけている音が聞こえており、さいしょは上階からだったのがこちらのいる階にも下りてきていて、椅子について温野菜を食っているあいだに我が部屋の扉のまえ、その縁までかけているのが掃除機がコツコツあたる音でわかり、たまにこうして業者がはいっているのだろうかとおもった。業者だか大家ほんにんだか知らないが。あるいは上階のひとがわざわざ部屋のそとの通路まで掃除しているという可能性もあるが、よほどの奉仕心をもっていないと下階までやろうとはおもわないだろうから、たぶん管理方面のひとだろう。とちゅう、ありがとうございますと礼を言う男性の声も聞こえたが、うえから下りてきた気配ではなかったので(掃除機の音で感知できなかった可能性もおおいにあるが)、これがいまだそのすがたをみたり気配をかんじたりしたことのないふたつとなりの部屋のひとだったのではないか。野菜を食い終わるとスチームケースをながしにもっていって即刻洗ってしまい、大皿に米をよそって鍋の火をとめ、パウチの端をゆびでつまみあげてながしのうえで水滴を切ると、大皿を置いた洗濯機のうえにもっていって立てながら鋏で開封。なかみをあけて、パウチは汚れたプラスチックは燃えるゴミでよいというはなしなので細くたたんでカレーをできるかぎり押し出すと切れ端といっしょにゴミ箱に入れてしまい、ふたたび椅子についてものを食べる。その他バナナとヨーグルトも。ロラゼパムとアレグラFXも一錠ずつ飲んだが、花粉症の症状はもうほぼかんじなくなってきている。このくらいの時期で終わるものだったっけ? カレーの皿は流水でルーの滓をながしたあといったん漬けておき、歯磨きをしたあとWoolfの英文を読んだり、Guardianの記事を読んだり。うえのしたのほうの記事を読むに、ロシア国内は全般的にほんとうに戦時中の日本とおなじ調子になっているという印象。
  • 一時ごろで席を立ち、また腕振り体操をちょっとやったあと寝転がって書見。フォークナーを読み終わったのでホメロス/松平千秋訳『イリアス(下)』(岩波文庫、一九九二年)にもどっている。きのう238からはじめて313まで読み、きょうはそこからいま352まで行っている。もう終盤で、第二三歌であり、のこすはあと二四歌のみ。238ではパトロクロスの死を知っていよいよ蹶起し怒りにはやるアキレウスオデュッセウスがいさめてアガメムノンと正式に和解させ、その後戦闘がはじまり神々もゼウスのゆるしをえておのおの好きな陣営のほうに味方をしつつ神同士でたたかいもする。アキレウスの活躍は今風にいえばいわゆる「無双」状態で、アポロンのたすけによってヘクトルこそなかなかつかまらないが出くわした兵をことごとく殺しまわり、その屍で埋まってしまったスカマンドロスの河神は怒ってアキレウスを激流で追放しようとするが、人間離れしたアキレウスも抵抗して踏みとどまりつつ神に祈り、ヘレの指示でヘパイストスが炎で介入し、河はしずまる。神々のなかではたとえばアレスがアテネと、アルテミスがヘレと対立するが、前者はアレスが「この犬蠅めが」(294)とあいてをののしったり(争いでは負けるのだが)、後者ではヘレが「恥を知らぬ牝犬めが」(298)と叱りつけたりしており、尊貴の神々もなかなか罵倒の口がわるい。ヘクトルアキレウスとたたかう決心がつかず怖気づいて逃げ回り、聖都イリオスのまわりを三たび駆け回って逃げたのち、アテネの介入でいよいよ両者の一騎打ちがなされ、ヘクトルは討たれてその遺骸は船陣に引き上げていく戦車のうしろに引きずられるというはずかしめを受ける。そうして悲願を果たしたアキレウスならびにアカイア勢はパトロクロスの葬儀にはいり、かれの遺体を荼毘に付すまえに羊やら牛やら馬やらたくさんの獣がほふられるとともに、「勇猛トロイエ人の十二人の優れた息子たち」(342~343)もまた斬り殺されていけにえに供される。その後唐突に葬送競技がはじまって戦車によるレースがおこなわれているのが現在地。336に「腹癒せ」という表記があって、なるほど腹いせというのはそういう意味だったのかとおもった。また、349には「葡萄酒色の海の上で」といういいかたがあり、海のいろを葡萄酒色とする表現はほかにもなんどか出てきたが、これはJoyceのUlyssesに引かれている。Epi oinopa pontonというやつだ。英訳するとupon the wine-colored sea。序盤のバック・マリガンの台詞で、〈―God! he said quietly. Isn’t the sea what Algy calls it: a great sweet mother? The snotgreen sea. The scrotumtightening sea. Epi oinopa ponton. Ah, Dedalus, the Greeks! I must teach you. You must read them in the original. Thalatta! Thalatta! She is our great sweet mother. Come and look.〉というものがあるのだ。まえにつくったこちらじしんの訳をしめしておくと、「――いやはや! とおだやかにもらした。海ってえのは、アルジーが言ってたとおりじゃないか? 大いなる麗しの母だと。青っ洟緑の海。玉袋縮み上がる洋 [よう] 、ってとこだ。葡萄酒色の海の上にて [エピ・オイノパ・ポントン] 。なあ、ディーダラス、ギリシャ人だよ! おまえに教えてやる。原文で読まなくっちゃだめさ。おお、海原 [ターラッター] ! おお、海原 [ターラッター] ! ってな。 [別案: わだつ海よ! わだつ海よ! ってな。] われらが大いなる麗しの母だぜ。ほら、見てみろ」。Ulyssesは周知のとおり、『オデュッセイア』を下敷きにしているらしいのだが(そうはいっても具体的にどういうかたちで下敷きになっているのかよくわからないし知らないのだが)、この表現は『イリアス』だけでなく『オデュッセイア』のほうにもたぶんよく出てくるのだろう。
  • 二時を越えて立ち上がると、たしかに空にはまた雲がひろがって陽がうすれがちになっており、それでも射してはいるからもうすこし出しておくかと左右に腕を振ってからだを振り子状にうごかしていたところ、そのうちに空と空気のいろがよどんでふたたびの白曇りが完成したので、もう入れようと布団と洗濯物をすべて取りこんだ。肌着はたたんでもよさそうだったので始末したが、円型ハンガーのタオルのほうは端がまだすこし濡れていたので吊るしたまま。それからきょうのことを書き出して、とちゅうで立って運動を入れつつここまで記せば三時四七分。天気は急速に下り坂を駆け下りてきたおもむきで、白天を越えて青灰色が湧きひろがってよどみ、たしかに雨が来てもおかしくないようなほの暗さとなっている。
  • あとは籠もって書いたり読んだりだらだらしたりなので、特段のこともない。書きものは一週間前、二二日水曜日のこと、美容室での会話をすすめたのだけれど、六時くらいからはじめて腕振り体操をはさみつつ九時くらいまでやったのでひさしぶりにけっこうがんばりはしたが、さいごまで行かず。というかさいごでフォークナーの感想にながれてしまい、文庫本からいちいち文言を引こうとしているところでからだが耐えられなくなりちからつきた。燃えるゴミはまだ溜まっていないのでよいとしても、折込チラシの回収日も翌日だったのでほんとうは出しておきたかったのだが、その気力もなし。打鍵をおおくするとやはり左腕の付け根、上腕と腋の接触部あたりがひりついてきて、そこをさするとピリピリした。あと横向きの腕振り体操をしているとよくわかるが、左半身のひっかかりはやっぱり首から足のさきまでぜんぶつながってんだなと。夜はれいによって寝床にいるうちにあいまいに寝てしまい、四時台に覚めて正式に就寝した。


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  • 日記読み: 2022/3/29, Tue.
  • 「ことば」: 1 - 3, 4 - 6


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  静かに!

 静かに! ぼくは 棘を お前の心に打ち込む、
 なぜならば 薔薇が、薔薇が
 影と一緒に 鏡に映り、それは 血を流している!
 それは すでに血を流していた、ぼくたちが「諾」と「否」を混ぜ合わせたとき、
 ぼくたちが それを啜ったとき、
 テーブルから転がり落ちたグラスがひとつ 音立てたから――
 それは ぼくたちよりも長く暗くなった一つの夜の開始を鳴り告げ知らせた。

 ぼくたちは 飢えた口で飲んだ――
 胆汁のような味がした、
 だが それは葡萄酒のように泡立った―(end115)
 ぼくは お前の目の輝きの後を追った、
 そして ぼくたちのために まわらぬ舌は甘くしゃべった……
 (そう まわらぬ舌はしゃべる、そう いまなおしゃべる。)

 静かに! 棘は お前の心にもっと深く入り込む――
 それは 薔薇と結託している。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、115~116; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)

     *

  斧たちと戯れながら

 夜の七時間、覚醒の七年間――
 斧たちと戯れながら
 お前は 直立させられた亡骸たちの影のなかに 横たわる
 ―おお お前が切り倒さない木々――、
 口にされなかったことの華麗さを 枕元において、
 言葉のがらくたを 足元において
 お前は横たわり 斧たちと戯れる―
 そして最後に お前は斧たちのように きらめく。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、134; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)

     *

  一粒の砂

 石、それから ぼくは お前を彫った、
 夜が 自身の森を 荒らしたときに――
 ぼくは お前を 木のかたちに彫り
 そして お前を ぼくのほんのかすかな文句の茶色のなかにくるみこんだ
 樹皮でくるむように―

 一羽の鳥が、
 一番丸い涙からすべり出て、
 木の葉のように お前の頭上で揺れる――

 お前は待つことができる(end137)
 皆に見守られて 一つの砂粒がお前に輝き始めるまで、
 一粒の砂、
 それは ぼくが夢みるのを助けてくれた、
 ぼくが お前を見つけようと もぐっていったときに―

 お前は それに向かって根を伸ばす、
 大地が死で赤く燃えるとき、お前を巣立たせる根を、
 お前は 高く身を伸ばす、
 そして ぼくは一枚の葉となって お前に先立って漂う、
 あの門たちがどこで開くかを知っている葉となって。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、137~138; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)

     *

  一房の髪

 一房の髪、それをぼくは 編まなかった、それをぼくはなびかせるままにした、
 それは 去来によって 白くなった、
 それは 額たちの年に ぼくがその傍を通り過ぎた
 額から ほどけた― ――

 これは 万年雪のために
 呼び起こされる 一つの語だ、
 雪の方を見つめていた 一つの語、
 ぼくが 目たちに 夏のようにとり囲まれて、
 お前がぼくの頭上に張った眉を 忘れたとき、
 ぼくを避けた 一つの語、(end139)
 ぼくの唇が 言葉のあまり 血を流したとき。

 これは いくつもの語と並んでやって来た 一つの語だ、
 沈黙の像を写しもつ 一つの語、
 つるにちにち草と悲痛が そのまわりに茂る。

 遠いものたちが ここに降り立つ、
 そして お前が、
 薄片となった彗星が
 ここに雪と降り
 そして 大地の口に触れる。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、139~140; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)

     *

  遠方

 目と目をあわせて、冷たさのなかで、
 ぼくたちも こんなことを始めよう――
 ぼくたちを 互いの前から隠す
 帷を
 一緒に吸い込もう、
 夕べのとるあらゆる姿から、
 夕べがぼくたち二人に貸し与えてくれた
 あらゆる姿まで
 まだどれほど離れているかを
 夕べが測り始めようとするときに。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、144; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)