2020/8/1, Sat.

 ナチ・ドイツによるソ連侵攻は、形式だけとはいえ戦時法規に則っていたこれまでの戦争と異なっていた。たとえば、開戦前からソ連住民数千万名の餓死を前提に計画が進められ、その分の食糧はドイツ軍民への供給に割り当てられていたからである。
 実際、食糧割当ての最下位とされたソ連軍兵士捕虜の場合、歴史家クリスティアン・シュトライトの調査によれば、独ソ戦全期間を通じて捕らえられた総計五七〇万名のうち、三三〇万名が亡くなったという。死亡率は六割に近い。こうしたドイツ軍の捕虜処遇は、世界史上類を見ないものであった。
 その明確な起点は、一九四一年三月三日、ヒトラー国防軍統合司令部への秘密の指示からである。

来るべき戦争は、もはや単なる武器をもっての戦争にとどまらず二つの世界観の激突にも導く。(中略)ユダヤボリシェヴィキ知識人は国民のこれまでの「抑圧者」として除去しなければならない。

 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、108)



  • 一〇時過ぎに覚醒。それからまもなく母親が戸口に来て、出かけてくるから洗濯物を頼むと言うので了承した。離床は一〇時二二分。空は今日もまた白いのだが、珍しく陽が洩れてベッドの上に灯っていた。
  • 上階へ。洗面所でうがい。母親が作っておいてくれた炒飯を電子レンジに入れ、昨晩の味噌汁も温めて新聞を読みながら食事。食後、体温を測ると三六. 二度だった。身体感覚としても平常にもどっている。食器を片づけると風呂を洗って緑茶を用意。南窓から見える山の上の空では雲がいくらか拭われてわずかな青さが覗いていた。
  • 室に帰ると緑茶を啜って汗をかきかきEvernoteを用意したりウェブを回ったりした。それからMr. Children『Atomic Heart』を流しだして今日のことをさっと記述。今日は五時ごろには労働に出る必要がある。
  • 七月三一日の記事を記述し、一二時一二分に完成させて投稿したあと、便所に行こうと椅子を降りつつ背後の窓を見やればいつの間にか空気の色が褪せている。降り出したのでは? と思いながら部屋を出て廊下のカーテンをめくって確認すれば、やはりサーサー鳴りながら空間を埋めるものがあったので、急いで階段を上り、洗濯物を取りこんだ。まったく油断のできない時季だ。扇風機も点けて吊るしたものに向けておき、下にもどるとトイレで腹を軽くして、歯ブラシを持って棲みかに帰るとインターネットを見つつ歯磨き、そうして口をゆすいできてからまた日記。
  • 七月二九日を進めるのだが、とても眠いのでやむなくベッドへ。ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)を読んでいるうちに仮眠に入った。途中、母親が来て二、三、会話を交わす。洗濯(物を取りこんだことに対して)ありがとうと礼を言い、いつ入れたのかと訊いてくるので、一二時半と答え、雨が降ったからと付け足しておいた。母親のいた場所では降らなかったらしい。
  • それからまた欲求に抗えず眠り、三時に至って頭を晴らすと『マクベス』を読み、本篇を一応最後まで通読した。「恐怖/勇気」及びそれと結びついた「男らしさ(男性性)」、そして「血」が少なくとも外観上はこの劇の主要なテーマもしくはモチーフであるように思われるが、しかしその体系性や展開の構造はまだこちらにはつまびらかでない。
  • 四時一〇分で上階に行き、母親が買ってきてくれたパンを二つ食う。米粉のものと、表面にチョコを塗られたそのなかにクリームが入ったもので、前者はけっこう味わい深くて美味かったのだが、後者はあれは砂糖なのか外側にまぶされたものがめちゃくちゃざりざりしていたし、相当に甘かった。
  • 身支度を済ませ、中村佳穂『AINOU』を流したなかで仕事着に着替え、四時五〇分に出発。道に出れば、家のそばの林のテクスチャーはさわさわ動きうねっている。その外縁部、道沿いの石段上にはHさんが世話をしている畑があるが、そこに低木が何本か生えていて、つるりとなめらかな緑色の果実(?)がぶら下がっていた。いまから思い返すとなんか唐辛子みたいと言うか、ハバネロみたいな感じだった気がするけれど、さすがにハバネロではないだろう。普通にピーマンか何かか? しかし、ピーマンってあんな木に生えるものなのか?
  • もう八月に入ったが、セミの網の向こうにウグイスの声がまだ聞こえる。空は山際から雲が湧いて塩を固めたみたいに盛り上がっており、全体にも雲が混ざって希薄な風合いになっているけれど、合間に青さもたしかに覗いてそのなかをトンビが悠々と羽ばたいていく。坂道の路面は濡れており、雨で落とされたらしくガードレールの脇には葉が散乱して、数種の緑や茶色のもの形があるもの崩れたものと重なり並び、上るあいだにも音もなしに葉が降ってくる。視線を落として歩いていると、突然目の前に糸で吊られたミノムシが現れてびっくりした。
  • 最寄り駅に着くとベンチに座ってメモを取りたかったところが、座席は高年の白人と、もうひとり何やら寝そべっている男性とで埋まっていたので、仕方なく久しぶりにホームの先に進んだ。紫もかすかに混ざったような濃いピンク色のオシロイバナが線路沿いを彩っており、カナカナの音が丘からしみ出て、陽射しは顔を斜めに包むがそれほど暑くもなくて、むしろ心地よいような質感だった。
  • 青梅駅で降りて階段に入ると、前から男子高校生が何人か急いで上ってきたのだが、そのうちのひとりが胸の前に何か食べ物を抱えていて、ケースに小さな球体が入っているのをパンか何かかとこちらは思ってすれ違ったところ、背後に続く女性の二人組が笑いながら、たこ焼き持ってたねと言うのが聞こえた。どうもそうだったらしい。まるでアニメの高校生みたいだと女性らは笑い続けていた。改札を通るとSUICAの残金がすくなかったので券売機に寄り、五〇〇〇円をチャージしてから職場に向かった。公衆便所の清掃人らしき老人が、掃除を終えたところらしく、自転車にまたがってよたよた不安定に走り出していた。
  • 職場。今日は(……)さんはおらず、(……)さんだけだった。講師は(……)先生。前夜、もらったシフト表を見たところ水曜日の最後のコマに勤務が入っており、水曜日は一〇時から読書会(Woolf会のことだ)があるので最後のコマは働けないと以前伝えておいたはずだがとメールを送っておいたのだけれど、その件は代わりが見つかりそうだとのことだったので了承して礼を言った。準備時間が迫るまで教室奥の一席で手帳にメモ。
  • 今日の相手は(……)さん(小六・国語)と(……)くん(中二・英語)。(……)さんは国語はそう得意でない。記述問題など見当外れのことを書いてしまいがちなので、問われている言葉と似た語句を本文中から探して、ヒントを見つけようと助言した。たとえば今日の箇所だったら、俳句の鑑賞文で、取り上げられた俳句の「情景」が書かれているのはどこかみたいな問いがあったのだが、本文を見てみれば「早春の景」という言葉が含まれた文があるわけである。となれば大方そこが答えの中心部分ということになるだろうという具合で見当のつけ方を教示した。ほかは俳句や短歌や古文漢文についていくらか。俳句の問題中には原石鼎という俳人の「浜草に踏めば踏まるる雀の子」という句が取り上げられており、これだけ意味がよくわからなかった。雀の子が浜草を踏んでいたら何かべつのもっと大きな動物や人間などに踏まれてしまった、ということなのか? と思ったが、だとするとなぜ「に」が使われているのかわからない。と今考えていてわかったのだが、たぶんこれは、踏もうと思えば踏み殺してしまえるほど小さくていたいけな雀の子が浜草の上で戯れている、という趣旨なのではないか。こちらは先ほどまで「浜草に踏めば」で捉えていたのでわからなかったのだが、「浜草に雀の子」という修飾関係なのだと思う。
  • (……)くんはまあいつもどおりだ。途中で寝てしまったが、教科書を一ページ予習できたので悪くはない。授業後、(……)さんについて(……)さんとちょっと話す。とにかく文を書く量を増やさなければどうにもならないので、二〇〇字くらいの作文例を写してくるというのを毎回の宿題に加えるべきではないかと提案した。本当は自分で書けたほうがもちろん良いわけだけれど、彼女の場合はいきなりみずから書いてくるというのは難しそうなので、まずは写すところから始めれば良いだろう。
  • 退勤して駅へ。電車に乗って扉際で待ち、最寄りで降車。暗夜である。北側の丘は空も林も別なく一様に黒く固まり籠められており、そのなかに乏しい家明かりのみが辛うじて浮かび、黒の支配の絶対性を乱している。自販機でコーラを買ってから階段を上っていくと、駅横のちっぽけな広場で花火をやっているようで、立ちひろがる薄煙と貧しい光が見えた。おそらく中学生ほどの子どもたちらしい。なかなか良いではないかと思いながら駅を抜け、横断歩道を渡って坂道に入ろうとしたところで、せんせー! と声が飛んでくる。先生って俺のことかと思いながら振り返ると広場の縁に人影があり、誰だ? と惑いつつ自分が呼ばれたのかどうかまだ疑っていると、(……)ー! と続いたので、(……)さんかと笑った。花火やってるー! と言うので、いいじゃんと答えるが、通りを挟んでいて遠いので車の途切れた隙に渡ってもどり、広場から出てきた彼女と顔を合わせた。(……)さんはボロボロのオーバーオールを身につけており、両膝の周りが破れて完全に露出しているので、なにそれ、ファッション? ファッションなの? とからかったが、単にボロくなっただけだということだ。花火はひとつ下の幼馴染及び弟と一緒にやっており、幼馴染はすぐそこの(……)牛乳屋の息子だと言う。中二と中三になっても一緒に花火で遊ぶ幼馴染なんて、なかなか良い関係ではないか。学校の成績が出たところだが、英語が五だったと嬉しそうに言うので、とても良いと称賛する。こちらだということがよくわかったねと訊くと、歩き方で絶対そうだと思ったと言うので笑う。たぶんこちらの歩みは特徴的なのだろう。まずもって脚を動かすスピードが大多数の人に比べて相当に遅い。あとは提げていたクラッチバッグも決め手になったらしい。どうせなのでと思って、先ほど買ったばかりのコーラをバッグから取り出し、まっすぐ差し向けて、あげるよと贈呈した。秘密ね、本当は奢っちゃ駄目ってなってるからと付け足しておいたが、この程度ならバレたところでどうなるわけでもない。幼馴染は中二だと言うので、じゃあ売りこんでおいてよ、と塾の宣伝を頼み、いい先生がいるって、と口にしながらみずから大笑いすると、やはり大きく笑った(……)さんも、F先生以外にね、と冗談を返すので、そう、俺以外いい先生だっつって、とさらに冗談を重ね、そうして別れた。ふたたび通りを渡り、コーラをあげてしまったので街道沿いの自販機で五〇〇ミリリットルのコカコーラゼロを買い直す。正直五〇〇ミリもいらなくて、二八〇ミリで満足なのだが。あげたボトルは二八〇ミリなので中途半端だし、(……)さんだけにあげるのではなくてついでにほかの二人にもあげたほうが良かったかなとも思ったが、今更もどるのも面倒なので先を進んだ。残りの帰路は、ああいう時間があるのだなあというようなことを思い巡らせていたようだ。ああいう時間というのはおそらく、花火に興じる子どもたちのことでもあるだろうし、そのなかの中三女子とこちらが交わしたやりとりや、現在持っている関係のことでもあるだろう。彼女もいずれ、歳を重ねて大人になり、こちらのことを忘れ、あるいは記憶しながら生き、死んでいく。
  • 帰宅するとシャツを脱いで靴下とともに洗面所に持っていき、手も洗った。明日は「(……)」とかいう懐石の店を二時に予約したと言う。部屋にもどるとベッドに転がって、ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)を読みながらしばらく休む。野崎睦美という人の解説も含めて一応全部読み終わった。多少気になるところがいくつか残っているので、気が向けば本文にもどって検討してみるつもり。「解説」には『マクベス』関連の批評史が概略されており、一八世紀のW・ワイターという人は、「一連の心象[イメージ]の総体に注目し、たとえば、マクベス夫人の独白(一幕五場)におけるナイフと毛布の結びつきから、その背後に当時の劇場の約束事を浮かび上がらせてみせるなど、いわば二十世紀の心象研究を先取りした感がある」(186)というのだが、これはテマティスムみたいなことをやっているのだろうか。彼が「開拓した批評の道の延長」には、「しっくりしない衣服」というイメージを考察したらしいC・スパージョンという人や、「「裸の赤子」に具象化された「憐れみ」の分析を通して劇の意味を鮮やかに説き明かした」(186)というC・ブルックスなどがいるらしい。
  • また、トマス・ド・クインシーも『マクベス』中、門番の場のノック音についての論文を書いていると言う。シェイクスピアに関するロマン主義的批評(というのがどういうものなのか知らないが)の集大成としては、二〇世紀初頭にA・C・ブラッドレーという人がいるようだ。「彼は全篇を覆う暗闇の雰囲気やそれがもたらす恐怖感を劇の精神として抽出し、それをマクベス夫人の反自然的感情に結びつけるなど、犀利な分析を行なう」(187)らしいので、すこし気にならないでもない。一方、「実証的な分野の研究」としては、「シェイクスピアの人間観が無意識の裡に[﹅6]いかにスコラ哲学の影響を色濃く留めているかを考察したW・C・カリーの『シェイクスピアの哲学的傾向[パターン]』をまず挙げることができる」(187)らしく、これもそこそこ面白そうな印象を受ける。
  • 九時まで読んで食事へ。素麺や天麩羅など。父親は酒を飲んだようで、ひとりでテレビに向かってぶつぶつ反応したり時に馬鹿笑いしたりと相変わらずうるさく、鬱陶しい。夕刊を読みながら飯を食っていると、タブレットが音を立てたので椅子から立ち上がって手に取ったが、表示をスライドする前に切れてしまった。ロシアの兄夫婦から電話が掛かってきたらしいが、用事はもちろん、父親が定年を迎えたことへの祝いだろう。まもなく再着信があり、父親が出て、画面にはMちゃんが映っているらしく相好を崩して呼びかけていた。洗い物をしていた母親もそのうちそこに加わり賑やかにやりはじめたが、こちらは黙々とものを食べながら新聞を読む。食事を終えて皿洗いも済ますと母親が、いまSくんも来ますからねとMちゃんに言っていたのでリクエストに応えてタブレットの前に行ったが、Mちゃんは恥ずかしがっているのか顔を隠していた。それからしばらく手を振ったり、呼びかけたり、言葉を交わしたりする。兄は顎髭をますます濃く黒く茂らせており、モスクワにいるくせに「I♥NY」のTシャツを着ていた。Tさんが言うにはロシアではもう対コロナウイルスのワクチンができたというのだが、マジで? という感じ。ずいぶんはやくない? そんな情報、見かけていないぞ。一〇時に至ったところで俺は風呂に入ると言ってMちゃんに手を振り、入浴に行く。
  • 風呂のなかでは今日の国語の授業を思い返して、学校教育とか受験制度の勉強ってマジでクソつまらんと言うか、本質的なものにほとんど何一つとして触れていないなとあらためて思い、そういうなかでどういうやり方ができるかなあということをいくらか巡らせたのだが、仔細に記録するのは面倒臭いので省く。風呂を出てくると通話はまだ続いていたが、そこには加わらずに緑茶を用意しコーラを持って室に帰り、冷たいコーラと温かな緑茶をちゃんぽんで飲むというハイブリッドな飲み方をキメながら今日の日記を書きはじめた。開始が一〇時四〇分あたりで、中村佳穂『AINOU』を聞きつつ進め、BLANKEY JET CITYBLANKEY JET CITY 1997-2000』に繋げて現在#3 "ロメオ"まで至っているのだが、時間を見ればもう零時二〇分、いつの間にか一時間四〇分も綴っていたわけで、生を記録するというのは本当に時間が掛かる。
  • それから書抜き。ひとまず通読したばかりの『マクベス』を今日は写すことにして二〇分間打鍵、そののち次に何を読もうかと積み本に目を向けたところで、柄谷行人『意味という病』に「マクベス論」が入っていたことを思い出し、ちょうどなんとなく実作ではなくて思想や批評の方面が読みたかったこともあり、これにするかと決めて本の塔をすこしずつ分割して目当ての文庫本を取り出した。ベッドで二時間読んだが、途中、いくらかまどろんでしまった。
  • マクベス論――意味に憑かれた人間」はこの本の最初に収録されている。冒頭にまず、シェイクスピア自身の芸術論を披瀝したと目されている『ハムレット』の台詞が引かれている。「芝居の目指すところは、昔も今も自然に対して、いわば鏡を向けて、正しいものは正しい姿に、愚かなものは愚かな形のままに映しだして、生きた時代の本質をありのままに示すことだ」というのがその一文であり、柄谷はここに記された「自然という言葉において彼[シェイクスピア]がアクセントを置いているのは、明らかに人間の内部という自然である。すなわち彼は精神というものを自然としてみようとしたのである」(9~10)と解釈しているが、「明らかに」などという強調を使って断言しているわりに、この引用文のみでは「自然」=「人間の内部」あるいは「精神」という等式が成り立つ理路は「明らかに」は見出せないとこちらは思うし、台詞の引用以外の根拠も特に示されない。『ハムレット』(野島秀勝訳、岩波文庫、二〇〇二年)に実際に当たってそのすこし前から引いておくと次のようになる。「動作を科白に合せ、科白を動作に合せるのだ。その際とくに注意すべきは、自然の節度を越えないこと。何であれ演[や]りすぎれば、芝居の目的に反する。芝居の狙いは昔も今も変りなく、いわば自然に向って鏡をかかげ、善には善の、悪には悪の、それ本来の姿形を、時代の現実にはその真相をくっきりと映し出して見せるところにある」(154)。ちなみにこの箇所に付された訳注によれば、ドーヴァー・ウィルソンはハムレットのこの台詞について、「『自然を映す』のではなく、『典型的な人間性を示す』という意味だ」と述べているらしい。「自然」の原語はもちろん"nature"だから、そういう理解は成り立たないこともないだろうと思う。
  • 文学とかについてよく言われる「鏡として映し出す」式の比喩がこちらにはいまいちわからないのだが、上の台詞にはまず前提として、「自然」そのものに直接目を向けてもその「本質」を掴むことはできず、鏡に映し出さなければそれは人の目には映らないという考えが含まれているだろう。もしそうではなくて「自然」そのものから「本質」を汲み取ることができるならば、鏡に映すなどという間接的な経路を取る必要はないはずだからだ。あるいはそもそも、人は直接的に「自然」に視線を向けることなどできはしない、という考え方がそこでは取られているのかもしれない。
  • 少なくともこのハムレットの台詞においては鏡は「自然」に対して向けられているわけで、だから鏡に映った像を目にするのは「自然」そのもののはずである。そもそも鏡とは、その前に位置するものがみずからの似像(イメージ)を見るためのものなのだから。ところで芝居あるいは演劇とは観客に向かって披露されるものだから、芝居が鏡だとして、そこに映し出された像は観客に対して提示されているはずであり、同時に、鏡が観客に向けられているのだとしたら、そこに反映された像はまた観客の姿でもあるはずだ。したがって、演劇を見る観客はおのおの、芝居のなかに自分自身のイメージが(直接的には捉えられない自分自身の「典型」もしくは「本質」のようなものが)表現されているのを見出すということになる気がするのだが、こう考えてみたとしてこの図式はあまり面白いものではなく、どちらかと言えば退屈な演劇観(文学観)だと思う。
  • 話をもどすと、ハムレットの台詞に含まれた「自然」を「精神」として読むことには、第一段階においては(第一義的には)確たる根拠はないとこちらは思うのだが、この「自然」という語は「マクベス論」においてかなり中心的な概念のようなので、柄谷の読みは一種の作業仮説と言うか、「自然」を「精神」として考えるとこういうことが見えてきますよと示すための前提的導入だと捉えれば良いかとさしあたり思っている。で、柄谷行人が考えるその「精神=自然」とは、十全に観察及び分析することが不可能な畸形性と言うか、どのように分節的に整理して理解しようとしても区分しきることのできない不定性みたいなものだと思われ、一〇ページにおいて彼は次のように述べている。「精神」を「自然」として見ようとするシェイクスピアの姿勢に含まれているのは、「"自己"というものがどんな分析をも超出してしまうばかりでなく、ほかならぬ自己自身をも拘束し破壊するという事態、存在しないはずのものが存在するばかりでなく、それほどに現実的なものもないというような奇怪な事態の経験である」。また、「精神という場所ではどんな奇怪な分裂も倒錯も生じるということをあるがままに認めたところに、彼の比類ない眼があ」り、「観察したり分析したりするには、この自然はあまりに手強い」。そして、たとえば心理学者らは「ハムレットマクベスの中に思想・性格・病理等々を見出すだろうが、何一つそんな形骸に分解しうるものはないのである」とのことだ。柄谷はこのような「精神=自然」を、二七ページでは「現実」と言い換えてもいる(シェイクスピアは「人間がどれほど奇怪な観念にとりつかれたとしても、それを病理としてみるのでもなく、道徳的な歪みとみるのでもなく、一つの「現実」すなわち「自然」としてみようとしたのだ」)。柄谷が考えているところをこちらなりの理解に置き換えれば、シェイクスピアは(あらゆる?)既存の意味づけの形式にもたれかからず、それを拒否し、たとえば「思想」とか「性格」とか「病理」とかに分節=整理(捨象的抽象化)される手前の不分明な領域としての「精神=自然」を「あるがままに」捉え、表現しようとした、ということになるのではないか。したがって、シェイクスピアにおいてはその意味づけの仕方(あるいは意味づけの拒否の仕方)に彼の独創性があるということになると思うが、この「マクベス論」は「意味に憑かれた人間」と副題されているので、たぶんこの先で、劇中人物たるマクベスの意味づけの仕方についても検討されるのではないか。だからそこには、「作者」であるシェイクスピアによる意味解釈と、作中人物であるマクベスによる意味解釈という二つの意味づけの水準があると思われ、もしそうだとしたら、その二層がどのように関係してくるのか、あるいはしないのか、という点がひとつのポイントになるのではないかと思う。
  • ほか、一五ページに『ハムレット』はエリオットの言うような失敗作ではなく、「間然するところのない「悲劇」なのだ」という一節があり、「間然」という言葉が初見でわからなかったのだが、これは「欠点をついてあれこれと批判・非難すること」という意味らしく、「間然するところがない」、すなわち完璧で非難するところがまったくない、という形でよく使われるようだ。また、一六ページには野島秀勝(岩波文庫版『ハムレット』の訳者)の『近代文学の虚実』の内容を要約するなかで、「完璧な「存在の偉大な鎖」におおわれた世界が分解していくというこの見方は、ヘーゲルを逆向きにしただけのことである」という批判が出てくるのだが、このなかに記されている「存在の偉大な鎖」って、ちくま学芸文庫から出ているアーサー・O・ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』とおなじ言葉やん、と思った。Arthur Oncken Lovejoyというこの人はたぶん相当にマイナーなほうの学者だと思うのだけれど、『存在の大いなる連鎖』は面白そうで(「充満」と「連続」という二つの原理が西洋的思考の根幹を形作ってきたことを跡づける「観念史」の試みらしい)注目していたところにこの一節に行き当たったので、柄谷自身だか要約元の野島のほうだか知らないけれどこんな本まで読んでいたのかと思ったところが、「存在の偉大な連鎖(great chain of being)」というのはどうも思想史における一般的な用語としてあるようだ。「ブリタニカ国際大百科事典」(https://kotobank.jp/word/存在の偉大な連鎖-90603)に解説されているところでは、「ルネサンス時代および近代の初期 (特に 17~18世紀初頭) に,西洋思想に大きな影響を及ぼした新プラトン主義の宇宙観。宇宙は連続する無数の存在によって満たされており,それらすべての存在は,最も完全な存在 ens perfectissimumないしは神へといたる階層的秩序のなかに組込まれていると説く。この観念は,ルネサンス時代および 17~18世紀初頭の頃は,ほとんど普遍的な観念であった」ということで、なるほどこれはたしかにヘーゲルだなと理解される。と言ってヘーゲル自身の著作など一冊も読んだことがないけれど。そう言えば今日(八月二日に)図書館に行ったところ、新着図書に熊野純彦が訳したヘーゲルの『精神現象学』(ちくま学芸文庫)が入っていた。
  • 書見後はブログを読んだり日記を書いたり。そして現在三時四八分。新聞記事を記録する。なるべく毎日、少しずつでもとにかく写していかないとどうにもならない。二〇二〇年六月八日月曜日朝刊である。七面、【イスラム過激派指導者を殺害/仏軍、マリで】(パリ支局 山田真也)。「フランス国防省は、アフリカのマリで3日に行った軍事作戦で、イスラム過激派組織「イスラムマグレブ諸国のアル・カーイダ組織」(AQIM)のアブデルマレク・ドルクデル指導者を殺害したと発表した」。「AFP通信によると、ドルクデル指導者はアルジェリア出身。AQIMは2016年に起きたブルキナファソでのホテルやレストランの襲撃を実行したなどと主張してきた。フランスのフロランス・パルリ国防相は5日、「大胆な作戦を実行した人々に感謝の意を表す」などとのコメントを出した」。
  • 一〇面、【コロナたたきとハンセン病差別/無自覚の民間が暴走】(文化部 小林佑基)。「新型コロナウイルスの感染者とその家族らに対する差別やバッシングが問題となっており、日本新聞協会なども、扇情的な報道にならないよう努めるとの共同声明を発表した」。

 ハンセン病市民学会共同代表の内田博文・九州大名誉教授は、ハンセン病患者への差別や偏見を作り出したのは国の強制的な隔離政策だったが、とりわけ助長したのは「無らい県運動」に象徴されるような、自覚のない民間の関与だったと指摘する。
 官民一体となって展開された無らい県運動は、戦前より戦後の方が強力に推進された。戦後は民間の関与が大きくなり、暴走したからだと、内田氏は説明する。例えば、小中学校は、児童・生徒の身体検査で患者の発見に自主的に協力し、住民の通報も奨励された。患者が見つかれば、自治体職員らは患者やその家族に隔離に従うよう強く働きかけ、家屋の徹底的な消毒も行った。その結果、患者だけでなく家族も地域にいづらくなった。
 民間が暴走した背景には、隔離の根拠が、戦前の「社会防衛」から戦後は「患者の保護や福祉」へと変わったことがある。「運動に参加する人々は、患者や家族の保護のために、良いことをしているという意識だった。差別の加害者との自覚はなかった」

  • 「無らい県運動」については次のような説明。「「らい病」と呼ばれたハンセン病の根絶を目指した国に協力するため、各県が地元警察などと連携して行った取り組み。自治体職員らが患者の家を訪問し、療養所への入所を勧奨した。1930年代に始まり、戦後も活発に行われた」。内田教授は「さらに、今回の外出自粛生活では、身体障害者や要介護者、経済的弱者らが、必要な支援を受けられない状態だとも指摘する。「『合理的配慮の欠如』という隠れた差別」と述べ、自粛の要請と支援がセットで行われるべきだったとする。だが日本では、同情心と差別心が表裏一体のことが多く、いたわりの対象だった弱者が声を上げると、一転してたたかれやすいという」とあるが、この最後の文に書かれていることはまったくその通りではないかと思う。
  • またちょっと日記を書いたのち遊んで六時一五分就床。


・読み書き
 11:44 - 12:12 = 28分(日記: 8月1日 / 7月31日)
 12:40 - 13:29 = 49分(日記: 7月29日)
 13:29 - 13:40 = 11分(シェイクスピア
 15:00 - 16:08 = 1時間8分(シェイクスピア: 115 - 174)
 16:25 - 16:35 = 10分(シェイクスピア: 176 - 180)
 20:42 - 21:00 = 18分(シェイクスピア: 180 - 188)
 22:36 - 24:21 = 1時間45分(日記: 8月1日)
 24:23 - 24:43 = 20分(シェイクスピア: 25 - 129)
 24:50 - 26:50 = 2時間(柄谷: 1 - 30)
 27:17 - 27:24 = 7分(ブログ)
 27:29 - 27:35 = 6分(日記)
 27:44 - 28:08 = 24分(新聞)
 28:14 - 28:31 = 17分(日記: 7月29日)
 計: 8時間3分

・音楽

2020/7/31, Fri.

 ワルシャワ・ゲットーは、一九四〇年一〇月半ばに作られたが、縦四キロ、横二・五キロの空間(市面積の2.4%)に約四五万名(一九四一年春。ワルシャワ人口の約30%)が詰め込まれていた。一九四一年一月から配給がはじまったが、一人当たりの一日の配給量はわずか二一九カロリーで、それも八月には一七七カロリーに減った。ちなみに欧米の平均的成人男性の一日最低必要カロリーは、二四〇〇カロリー(アメリカ、一九四八年)、二二五〇カロリー(イギリス、一九五〇年)とされている。ワルシャワ・ゲットー住民は、必要最低カロリーの9%に満たない量しか支給されなかったのである。多く見積もられたカウナス・ゲットーでは七五〇カロリー、ヴィルニュス・ゲットーでは五〇〇~六〇〇カロリーだったが、それでも25%程度であった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、87~88)



  • 二時まで眠ってしまった。父親が帰ってきたところらしかった。起き上がってみると鼻水は止まっており、咳も出ない。ただちょっと身体が重いような感じがないでもなかった。上階へ行き、洗面所でうがいをしていると、父親が体調は大丈夫かと声を掛けてくる。肯定すると、朝と夜に熱測れよと続けるのでああと受け、うがいをまたしばらく続けてから食事を用意した。前夜の残りで、米と布海苔の味噌汁とゴーヤの炒め物である。新聞を読みながらそれを食ったあと、体温を測ってみると三六. 三度だったのでひとまず大丈夫かと思うが、だるさみたいな感じはなんとなくないでもないし、コロナウイルスでなくても普通に風邪を引いている可能性もある。それなので、今日はもともと図書館に行こうと思っていたけれど、大事を取って外出しないことにした。
  • 風呂を洗ってから帰室。やはりちょっと身体が熱いような感じがないでもないので、体温計で出た数値以上に熱があるような気もする。これから症状が顕在化し、あるいは重症化してこないとも限らない。今日はだらだら過ごそう。
  • とりあえず上記を記述し、さらに前日、七月三〇日のことも書くと四時を回った。だらだらしようというわけでコンピューターとともにベッドに移り、脹脛をほぐしつつインターネットを閲覧し続け、六時手前に至ったところで夕食の準備をすることに。だるさみたいな身体感覚はほぼなくなったようだった。だるさと言うかちょっと眠いようだと言うか頭と視覚がほんのすこしぼんやりしているような感じなのだが、これが風邪もしくはコロナウイルス等の症状なのか、それとも風邪薬の副作用なのかわからない。いずれにしてももうほとんど平常の状態と言って良いだろう。上階に上がると父親が自治会館に行ってくると言うので了承し、台所に入って手を洗う。冷凍庫に鶏肉が二種類あったのでそれらをタマネギと炒めることにした。味噌汁もタマネギと卵で良かろうというわけで近くに吊るされてあったタマネギを二つ切り取り、皮を剝いて切断、四分の一は味噌汁用の湯のなかに入れ、それから解凍した鶏肉も切るとソテーをはじめた。肉がおおむね焼けるとタマネギもくわえて火を通し、味つけは醤油を少量と名古屋味噌。味醂も垂らしたかったのだが、もうなくなったようで見当たらなかった。味噌汁にも味噌を溶き、溶き卵もくわえて完成、野菜は胡瓜のスライスやポテトサラダが残っていたけれど、キャベツも切っておくことにして、大玉から葉をすこしずつ剝ぎ、そんなにほそくはない大雑把な千切りにした。そうしてこちらはひとり、もう食事。どの品もわりあい美味くできたと思う。新聞を読みつつ食事を取り、皿も洗ったあたりで母親が帰宅した。弁当が食べられなかったと言う。休憩がなかったらしい。勘違いしてたと母親は言うのだが、以前は普通に休憩を取ってそこでものを食べていたはずだし、一二時から一八時半まで休憩なしで六時間半、ぶっ続けで働かせるというのは法規的に合法なのだろうか? こちらの職場でもたしか一応、連続で働くことができるのは三コマまでで――すなわち五時間弱で――それ以上勤務が続く場合は休憩を挟まなければならないことになっていた気がするのだが。母親もその点疑問だったようなので、インターネットで調べてみて、もし違法だったら言ったほうが良いんじゃないのと残して部屋に下りた。
  • 夕食を取ってねぐらにもどってくると七時半前。去年の日記を読むことに。二〇一九年七月八日月曜日である。冒頭に、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』からの引用。小林によるNation Stateについての説明があり、とても基本的な事柄ではあるけれど押さえておくべきだと思う。

 小林 となると、近代的な歴史観ってなにかと考えなくちゃいけなくなる。当然ながら、近代が歴史をもたらしたときの最大のポイントは国家だと思うんです。国家は前からあったろうって言われるかもしれないけれども、そうではなくて、近代においてはじめて国家とネーションとしての国民、そして歴史というこの3つのセットが出てきたわけですね。いままで国とは統治者のことだった。どこにだって国はあって支配者はいた。しかし、近代国家の原理は統治者が誰であれ、この国家は全国民のものなんですね。つまりネーションステートなわけですよ。夏目漱石森鴎外もその事態を受け止めようとしていますよね。つまり、徳川幕府だって国は国なんだけれども、明治になって藩制度を廃止し、日本の国民の国家をつくろうとした。近代化ですね。でも、日本は、それをするのに、たとえばフランスとは正反対のやり方をした。フランスは王の首をギロチンで斬首することによってネーションステートをつくったわけですが、日本は逆に封建体制に封じ込められていたレジティマシーを復権させることによってつくるという奇手を使った。正反対なつくり方をしたわけですよ。近代国家のつくり方っていろいろあると思いますけど、少なくとも建前としては、国民という存在が歴史の「主役」ですという「意味」が浮上してこなければならない。なぜならば歴史は国家の歴史だったけど、じつは主体は国民なんだというイデオロギーですよね。そうなると、国民とはいったい誰なんだという問題が出てくる。これは自明ではないんですね。男だけなのか、女も入るのか。差別されていた人々はどうなのか、子どもは、外国人はどうなのか、とか。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、328~329)

  • Mさんのブログも四月一八日分を読んだのち、六月一八日の記事を書く。メモされている事柄がすくなかったのですぐに終わり、風呂に入ろうかと思って上階に行った。父親は自治会館ののちに市民文化センターに行ったらしく、それでまた迎えに行かなければならないと母親は言っていたのだが、Sさんという人が送ってきてくれることになったので迎車の必要はなくなったようだ。九時半くらいまで掛かるらしいとか先ほどは聞いていたのだが、自室を可燃ゴミを台所のゴミ箱に合流させるなどしているうちにはやくも父親が帰ってきたので、風呂は譲って室に帰り、今日のことをここまで記述した。やはりなんだか眠たいような感覚がある。
  • その後、アコギをいじっているうちに父親が風呂を上がったことが知れたので入浴へ。階を上がると母親が、明日は仕事かと訊いてきて、そうだと答えれば明後日はと続く。日曜日は休みである。飯を食いに行くようなことを言うのは、もちろん父親の引退祝いだろう。正直面倒臭いと言うか、両親と食事をしてもなあというような気分が先に立ったのだが、もし行ければ三人でなと父親が言うし、長いあいだ働いて家を支えてくれたわけでもあるので、やはり祝ってあげるものだろうと思い、了承した。おそらく二日後の日曜日に行くと思われる。店や食事の種類はなんでも良いので、どこでも良いと残して風呂に行った。
  • 入浴中は、今度から自分の肌着や衣服は自分で手洗いすることにしようかなとちょっと思った。もともと技術的発展による利便性の高まりとそれによって失われる手仕事の具体性みたいなことについて考えていたのだけれど、なんか自分の着た服を自分の手で洗うというのもやってみても悪くないかもしれないという気がなぜかしたのだ。もちろんそれで母親の仕事が大して減るでもないし、家族の衣服はどうせ彼女が洗濯機でまとめて洗ってくれるのでそこから自分の分だけ引き取ってもほとんど意味はないし、洗うにしても洗濯機を使ったほうが楽なことは疑いないのだが、なんかそういうもろもろの効率的思考から離れたところで、毎晩風呂に入りながら自分の服を手づから洗うという習慣をつけても悪くないのでは? という気持ちが起こったのだった。しかし本当にそれを実践するかは不透明で、やっぱり面倒臭いなと思って気を変えることも充分ありうる。
  • 湯に浸かっているとまた、日記を毎日死ぬまで書くというのもなんかそんなに大したことではないなと言うか、そこまで必死に頑張って追求するほどの目標でもないなという気がした。今現在もべつに必死こいて頑張っているわけでなく、もうやめようと思ったらやめれば良いと思っているのだけれど、こちらが最大限長く生きるとしてせいぜい一〇〇歳までだろうから長くてあと七〇年、もちろん長いけれどなんかそこまででもないと言うか、七〇年程度では読みたいものを充分に読むこともできないし、知りたいことを充分に知ることなどとてもでないが無理なので、結局、人間なんて一生涯を費やしたとしても大したことにはならないなというニヒルな気分がなぜか生じてきたのだった。もちろん今から七〇年間ずっと毎日の記録を残したとして、いままでの分と合わせて七六年分くらいの生の記述が生まれるわけで、もしそれが実現されたらとてもすごいことだとは思うけれど、それでもやはりなんかわりとどうでも良いなと言うか、結局ずっと書き続けることができるわけでもないし……みたいな、たとえば一〇〇〇年後とまでは言わずとも、二〇〇年後の世界すら見られるわけでもないし……みたいな感じがあって、一応いまのところは後世の人間に読んでもらえるつもりで書いているけれど、これらの記録がのちに残らず全部消えたとしたらそれはそれでべつに良いなという気がする。こういうときに思い出すのは「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」という言葉で、これはテレビドラマ『相棒』のなかで大杉漣が演じた人物が口にしていた言葉だったはずだが、こちらはこうした世界観にいつでも賛同するわけではないけれど、こういう感覚がわりとわかるような気はする。六月一四日の日記に公開した詩片にも記したけれど、所詮は人の身であるものが一生涯全身全霊で力を尽くしたところでこの世界のことを石ころひとつ分も知ることはできないというわけで、そもそもすべてを知る必要などあるはずもないし、すべてを知りたいという欲望があるわけでもないのだが、しかしそのように考えるとなぜか、まあそんなもんだし適当にやれば良いかなというわりと投げやりな気分になる。そうすると宗教ってたぶん、人間の身のこのちっぽけな有限性をどうにかもっと大きなものと接続させたくて生み出された仮構体系なのだろうなという気がして、やっぱりみんな終わりを認めたくないのかなあとか思うものだ。すべてが終わるということが認められないと言うか、何かしら終わらないものがあってほしいという願望がそこにあるのではないかと言うか、神も仏もそれによって捏造された巨大な概念なのでは? という気がして、仏教だって無常無常言ってはいるけれど、仏もまた滅びるとは言っていないのでは? とか思った。しかし仏教をきちんと学んだことがないのでわからないし、そもそも神はともかく仏ってそういうものではないのかもしれない。ただなんとなく、どうしたって限りと終わりのあるこの身を、永遠に終わることのない何か、すなわち不変で普遍な存在と結びつけ、すくなくとも部分的に自己のアイデンティティをそれにゆだねることで有限と終焉に対抗する慰めを得るみたいな、宗教ってそういうものとして開発されたのでは? とかいうことをつらつら思った。
  • 風呂を上がると帰室して、またアコギを弾くことに。先日録った音源は音質がクソだったのだけれど、普通にギターアンプを使えばもっとマシになるだろうというわけで、隣室からRolandの小さめのジャズコーラスを持ってきた。背面にPHONEのジャックがあるのでそこからコンピューターに直接つないで一度テストし、このほうがあきらかによく録れるなというわけで、録音をはじめた。最初は適当に弾きはじめたのだが、なぜか途中からFブルースに入ってしまい、しかし窓を開けていたので外から近所の人の声も聞こえてくるし、もう一〇時を過ぎていたこともあってあまりうるさくできないと遠慮が働き、思い切って集中できなかったので、これは駄目だなと一〇分ほどで切った。そうは言いながらしかし、そのあともいくらか弾き続けたのだが。一〇時半過ぎまで遊んで、その後今日のことを書き足して現在一一時四〇分。
  • それからベッドでまた怠けたあと、一時半からデスクにもどってWikipediaを読む。先日に続けて「カーボベルデ」の記事。全部読み終えると思っていたが、思いのほかにやる気が出ず、また途中までで切った。

独立当初、ギニアビサウカーボベルデ統一国家建設を目指していた。しかし1980年、ギニアビサウにおいてジョアン・ヴィエイラ首相によるクーデターが発生し、これによりカーボベルデ系の初代大統領ルイス・カブラル(アミルカル・カブラルの弟)が失脚したことで、カーボベルデギニアビサウとの統一の望みを捨て、PAIGCカーボベルデ支部は1981年にカーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)に改組した[4: 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p102-103、朝倉書店]。PAIGC/PAICVは一党制を樹立し、独立から1990年までカーボベルデを統治した。1992年には、再度憲法が改正された[5: 同上、p. 103]。

     *

政権運営後、増大する批判を受けて、PAICVは一党制を終わらせる憲法改正案を議論するための緊急議会を1990年2月に招集した。反対グループは集まって、1990年4月にプライアで民主運動(MpD)を形成した。(……)一党制は憲法改正によって1990年9月28日に廃止され、初の多数政党の選挙は1991年1月に行われた。MpDは国会での多数派を勝ち取り、MpDの大統領候補アントニオ・マスカレニャス・モンテイロはPAICVの候補者を破り、1975年から大統領職にあったアリスティデス・ペレイラからその座を継いだ。(……)

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カーボベルデは国家体制として共和制、半大統領制を採る立憲国家である。現行憲法は、1992年9月25日に採択されたもの。(……)

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年で、3選は禁止されている。首相は国民議会により選出され、大統領が任命する。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき大統領が任命する。

立法府一院制の国民議会である。定数は72議席。議員は比例代表制に基づき、国民の直接選挙で選出される。任期は5年。

     *

カーボベルデは緯度的にはサヘル地帯とほぼ同じであり、また周囲を寒流であるカナリア海流が流れることもあって非常に乾燥しており、降水量は130ミリから多くとも300ミリ程度にすぎない[9: 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p100、朝倉書店]。旱魃が何年も続くことがあり、農作物などが被害を受けやすい。国全体が深刻な水不足に悩まされている。さらにまれに降る雨は乾燥地特有の降雨パターンを示し、一度に集中して降るため、急峻な島々では土壌侵食も深刻な問題となっている[10: 「国の成り立ち2 地理」小川了(「セネガルカーボベルデを知るための60章」所収)p266-267  明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、小川了編著、2010年3月]。

     *

カーボベルデは他の小島嶼国と同様、典型的なMIRAB経済であるとされる。MIRAB経済とは移民(MIgration)、海外送金(Remittances)、海外援助(Aids)、官僚機構(Bureaucracy)の頭文字を取った言葉で、小島嶼国の経済は産業よりもこれらの要素によって成り立っていることを指すが、カーボベルデもこの例にもれず、過剰人口の海外移民とそこから祖国の家族への送金、先進諸国からの海外援助とそれを差配する官僚機構が経済に占める割合が非常に大きい。特に海外送金はカーボベルデGDPの20%を占めるとされる[14: 「カーボベルデ経済」小川了(「セネガルカーボベルデを知るための60章」所収)p278-279  明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、小川了編著、2010年3月]。

農業や漁業などの第一次産業GDPのわずか12%を占めるにとどまっており[15: 「カーボベルデ経済」小川了(「セネガルカーボベルデを知るための60章」所収)p280  明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、小川了編著、2010年3月]、従事者の多さに比べそれほど重要な地位を占めているわけではない。(……)魚介類は2013年のカーボベルデ輸出額の84.2%を占める主要輸出品となっている。(……)ただしカーボベルデの総輸出額は2013年度でわずか6,900万ドルにとどまっており[17: 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p262 二宮書店 平成28年1月10日発行]、産業の経済に占める割合自体が小さい。なお、同年の輸入額は7億2,700万ドルとなっており、大幅な入超となっている[18: 同上]。(……)

カーボベルデの主要産業はGDPの70%ほどを占める第三次産業である。カーボベルデは大西洋上の要衝に位置し、海運・空運いずれにとっても重要な位置にあるため、寄港する船舶並びに航空機が多く、この関連収入が重要なものとなっている。空運ではサル島の中央に大規模なアミルカル・カブラル国際空港が存在しており、ヨーロッパと南米を結ぶ航空機の給油地として重要な地位を占めている[19: 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p103、朝倉書店 ]。(……)

  • その後ウェブを閲覧したのち、二時四〇分から書抜き。今日から巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)に入った。BGMはNikolai Kapustin『Kapustin: Piano Quintet』。やはりあまりクラシックという感じが強くなくて、ジャズなどから取りこんだらしき香りが端々にあらわれる。#2 "Trio for Flute, Cello and Piano Op. 86/Ⅱ Andante"など、なんかジャズスタンダードにこんなメロディなかったっけ? という印象を受けるような曲。クラシックと言うよりも現代ジャズを聞いているような感覚をおりおり覚えた。まあ、コンテンポラリー・ジャズの一部領域とクラシックや現代音楽の境などもはやないのだろうが。
  • 新聞記事の記録もいい加減取っていかないと溜まる一方なので、もう当日から相当に間がひらいてしまったが、写していく。六月八日月曜日の朝刊である。まず二面に【海警 「戦時任務」を想定/中央軍事委 直接指揮も/中国 法改正着手】(北京=比嘉清太)。「中国の習近平政権が、沖縄県尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返す海上保安機関の中国海警(海警)について、「戦時」には軍の指揮下で任務に当たることを定める法改正に乗り出したことがわかった」。「全国人民代表大会全人代=国会)常務委員会が現在、海警を傘下に持つ武装警察部隊(武警)の任務や権限を定める「人民武装警察法」の改正作業を進めている」とのことで、「武装警察部隊」には次のような註が付されている。「中国国内の治安維持やテロ対策、核施設などの警備を任務とすう武装組織。2018年から、中央軍事委員会の直属となった。18年7月には、日本の海上保安庁にあたる海警局を傘下に編入した」。改正案は、武警は「「戦時」には、習近平国家主席がトップを務める中央軍事委員会から直接指揮を受けるか、中国国内で五つに分かれる「戦区」のいずれかから指揮を受けるとして」おり、「こうした規定は、海警にも適用される」。したがって、「改正案が全人代常務委で可決されれば、中国側が尖閣周辺が「戦時」に入ったと判断した場合、海警が東シナ海を管轄する東部戦区の指揮下に入り、海軍艦艇と共同作戦を行うことなどが「法的にも可能」(北京の外交筋)となる」わけだ。
  • 三面は【香港 窮地の民主派/無許可デモ断念/安全法制に萎縮/100万人デモ1年】(香港 角谷志保美 ワシントン 蒔田一彦)。「香港で昨年、反政府抗議運動の大規模化のきっかけとなった100万人デモから、9日で1年となる」。「7日午後、香港のビクトリア湾に臨む広場」で学生グループらが記者会見を行ったと言う。「学生グループらは当初、この広場を出発点にデモを予定していたが、当局の不許可で断念した。無許可であっても大規模デモを敢行した昨年とは雰囲気は異なる。香港紙・星島日報によると、昨年6月以降、警察に拘束されたデモ参加者は約9000人に上り、主要メンバーを欠くようになった。さらに、当局は新型コロナウイルス対策を理由にデモを許可せず、集まる人たちを即座に拘束している」。同じ記事の続きで、【頼みの米対抗策 不安も】の見出しのもとにはマイク・ポンペオ米国務長官の動静が伝えられている。彼は六月六日に「保守系ネットメディア「デイリーコーラー」のインタビュー」を受けたらしいが、「この日は第2次大戦で米英らの連合軍がナチス・ドイツ占領下の仏北部ノルマンディーに上陸した「Dデー」から76年の記念日だ。ポンペオ氏は中国の香港への介入強化をドイツの欧州侵攻になぞらえ、「権威主義体制は国土と権力の増大を求め、暴政の範囲を拡大する傾向がある」と非難した」と言う。


・読み書き
 15:14 - 16:14 = 1時間(日記: 7月31日 / 7月30日)
 19:24 - 19:53 = 29分(日記 / ブログ)
 20:06 - 20:18 = 12分(日記: 6月18日)
 20:36 - 20:55 = 19分(日記: 7月31日)
 22:38 - 23:39 = 1時間1分(日記: 7月31日)
 25:30 - 25:52 = 22分(Wikipedia
 26:40 - 27:03 = 23分(巽: 15 - 19)
 27:09 - 27:29 = 20分(新聞)
 27:32 - 28:19 = 47分(シェイクスピア: 150 - 160)
 計: 4時間53分

・音楽

2020/7/30, Thu.

 ポーランド降伏の翌[一九三九年]一〇月七日、ヒトラーヒムラーを「ドイツ民族強化全権」に任命し、東方における民族新秩序計画の策定・実施を行うように命じた。このドイツ民族強化全権には、ヒトラーの指令によって、「ドイツ国家および民族共同体にとって危険をなすような異質な部分の有害な影響力を排除」する権能が与えられていた(第一条第二項)。これはヒムラー、さらにはハイドリヒの国家保安本部に、大量強制移送・殺害の実行権を与えるものであった。当面の具体的な目標は、スラヴ系民族の排除・強制移住、ドイツ人、民族ドイツ人(ドイツ国籍を持たない在外ドイツ系民族)の入植であった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、70~71)



  • 正午を回って離床。夢見があった。高校時代、こちらは三年B組に属していたのだけれど、隣のA組の男子たちの一部からは、嫌われていたとまではいかないだろうがいくらかいけすかない野郎だと思われていたようで、それが反映されているのか否か、このA組の連中に日記を馬鹿にされるような夢を見た。なんかA組の誰かがこちらの日記をまとめて晒しものにしているみたいな噂を夢中で聞いたのだ。それでのちほどインターネットを検索してみたけれど、特に晒されているような気配はつかめなかったので、あれはどうも、A組のなかだけで誰かがこちらの営みのことをおかしな行いとして流通させ、小規模な範囲で馬鹿にしているということだったらしいと判断した、とそれくらいの記憶しかない。それともなんらかの点で関連していたはずなのだが、剣道部の見学に行く場面もあった。御嶽のあたりまで電車で行くと、駅から直接つながった形で体育館があり――駅の様子は現実のそれとはまったく違って清潔な近代建築といった感じだったが――、なかに入ると剣道部が練習を行っていた。高校で実際に剣道部の顧問をしていた体育教師のMという人がいたようだ。
  • 上階へ。今日は四時過ぎから労働で、いま食べると勤務中に腹が減ってしまうだろうというわけで、もうすこし経ってから食事を取ることにして風呂を洗うのみで帰室した。六月一七日の日記を書くのだが、鼻水がやたらと湧き出て難儀する。気温が比較的涼しくなったのに加えて、胃が空なので体温が下がっているのではと推し量った。あるいは単純に昼夜逆転が祟って自律神経とやらが崩れているのかもしれない。
  • 一時四五分で切って食事へ。シチュー、サバ、米、胡瓜のスライスに小松菜。保険証持ってきてと母親が言う。父親の仕事が明日で終わりなので返却しにいくようだ。保険料を自分で払うようになるのかと訊くと、まだ二年はOB扱いで会社が出してくれるようなことを言っていた。いくらなのか知らないが、普通にけっこうかかるだろう。自分で払えねえぞ、そんなに稼いでねえぞとぼやいておく。
  • その後緑茶を飲みつつ六月一七日を仕上げると二時四五分過ぎで、電車に乗るならあと一五分しか猶予がない。普通に無理じゃね? と思い、歩いていくことにした。鼻水は相変わらずやたら出る。それから脚をいくらかやわらげておこうと思って、ボールを踏んだり転がって脹脛をほぐしたりしながらウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)を読んでいるうちに、三時一五分にも至ってしまった。用を足し、さっさと着替えて出発。
  • 林からミンミンゼミの鳴き声が湧出しており、サウンドスケープがだいぶ夏らしくなっていた。坂の入口付近から見える川はほとんど緑も含まれていないような淡い色で、ただ淡いと言って爽やかでもなく、濁り淀んだような淡さだ。クロアゲハがなぜだかたくさん木の間を舞っていて、坂を上るあいだに五匹は見かけた。先日同様、Uくんの真似をしてオンライン家庭教師でどうにか金稼げねえかなあとか無駄な皮算用をしつつ表へ歩いていく。
  • 鼻水はやはり湧いてくる。だましだましそれに耐えながら街道を行き、裏路地に入って進めばはやくもカナカナが鳴きだしており、丘の樹々から響きが拡散している。途中の家の小さな駐車スペースに、久しぶりで白猫がいた。去年はたびたび出くわしていたが、今年に入ってから見かけたのははじめてではないか。近づいてしゃがみ、頭や腹をちょっと撫でてやる。時間がなかったので一、二分しか割けずにすぐに立ち上がって先を行ったが、久々に会え、生きていることがわかって良かった。ちょっと急ぐかというわけで歩幅を大きくして進み、旧家然とした一軒の塀内に生えたサルスベリの枝先が白く膨らんでいるその下を通過する。それぞれ大きな荷物を抱えた小学生らと何人かすれ違った。そろそろ学期終わりなのだろう。
  • 職場。鼻水やばい。労働中もずっと湧いており、鼻をかんだと思えばまたすぐに垂れてきて、ティッシュで処理するために解説をたびたび中断しなければならなかった。(……)さんや(……)さんに風邪ですかと訊かれるが、なんか鼻水がめっちゃ出て、たまにそういう日あるんですけどと答えておく。実際風邪なのか否かわからない。新型コロナウイルスだとしたらちょっとまずいが、咳とか息苦しさとか熱っぽさとかはなくてとにかく鼻水が出るだけなのでたぶん違うのではないか。
  • 今日は二コマ、最初の時間は(……)さん(小五・算数)のみが相手。授業前に(……)さんも現れて、今日は本当は授業がなかったのに来てしまって自習をさせられていたが、この二人は仲が良いので雑談していたところに、そろそろ授業時刻だというわけでこちらも移動すると、(……)さんがこの人の授業は面倒臭くて嫌、みたいなことを(……)さんに言い、(……)さんも本人の前なのに、みたいに笑って、こちらも、俺めっちゃ嫌われてるやんと苦笑を見せた。(……)さんとは最近は当たっていないのだけれど、どうも面倒臭い相手だという印象が根づいてしまっているらしい。残念である。とても愛らしい子なので、どちらかと言えば気に入られたい。とは言え生理的に嫌われているというわけではないようで、のちに彼女が教室内をうろちょろしていたあいだにはあちらから近づいて話しかけてきてくれたが。たぶんこちらから距離を詰めようとするとかえって良くないのだろう。あちらからおのずと親しんでくるのを待つのが良さそう。(……)さんの算数は小数同士の割り算を扱い、だいたい問題なさそうだが、本当は単純にもっと勉強量を増やさなくてはならない。一応中学受験もする方針のようだし。それなので復習を宿題に加えたかったのだが、交渉に失敗した。と言うか普通に拒否された。
  • 二コマ目はもともと(……)くん(中二・英語)と(……)さん(中三・社会)だったのだが、(……)くん(中一・英語)がまちがえて来てしまったということで急遽追加されて三人になった。三人だとやはりそれ相応に忙しい。(……)くんは今日は元気なし。眠かったようだし、後ろの席の(……)くんが騒ぐのにも辟易していたのかもしれない。教科書を一ページ復習し、ワークの並べ替えをすこしだけやり、そのうちまちがえた一文を練習してもらった。この練習はかなり回数をこなしてくれたし、あとで別紙に書く際にも、もとの文を見なくともほとんど書けていた。悪くない。
  • (……)くんは嫌だ嫌だばかり言っていてなかなか進まない。(……)さんが途中でちょっときつい口調を向けていた。一応文法は理解しているようで、口で言うことはできるのだが、英単語や英文を書けるかというと心もとない。(……)さんは意外と進まず。世界三大宗教や西欧の主要五か国や西アジアなどについて確認。本当はもっと綿密にやりたいのだが、三人相手だとやはり限界がある。バチカン市国について、都市のなかに国があるんだよ、と言ってそのわけを説明すると、わりと興味深く感じたような反応があった。そういうところからだんだん面白味を感じてもらい、苦手意識をなくしてくれると良いのだが。
  • 授業後、記録をつけたり片づけをしたりして退勤。マスクはつけたままだった。電車は発車間近、駅に入って大股で階段を上り、乗車して扉際で到着を待つ。やはり鼻水が垂れるので、ハンカチで鼻を押さえる。最寄りで降りて抜けると木の間の坂道を下っていく。帰路をたどりながら身体の感覚を注視してみたが、熱っぽい感触はない。夜に窓を開けたまま寝ているので鼻腔のあたりが冷やされて弱くなるのでは? などと考えたが定かではない。
  • 帰宅後、着替えてからちょっと休もうとベッドに転がったところが、ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)を読みながら一時間近く過ごしてしまった。そうして九時半に食事へ。米、布海苔の味噌汁、ゴーヤの綿やミョウガの天麩羅、ゴーヤ炒め、ポテトサラダなど。食後、冷蔵庫にあった「ルル-A錠」を飲んでおいた。帰室して日記を書いていると、天井がどんどん鳴る。時刻は一一時ごろである。風呂に入るようにとのサインだが、一一時過ぎには父親が帰ってくるという話だったので、間に合わないだろうと思っていた。ひとまず上がっていくと寝間着姿の母親が入浴をうながしてきて、何時に帰ってくるのかと訊けば一一時半だと言う。先ほどは一一時過ぎと言っていたのでまちがいではないかと思ったが、はやく入っちゃいなよと言う母親の語調がなんだか不機嫌そうな感じだったので、何やねんこいつと思いながら風呂に行ったところ、やはりまもなく父親の車の音が聞こえた。それでも急がず普通に頭を洗って身体も擦り、一一時半ごろ出ていくとソファに就いていた父親が、こちらが鼻水を垂れ流しているということを聞いたのだろう、大丈夫なのかと訊いてきた。彼の懸念はもちろん新型コロナウイルスにかかっていないかということで、なおかつこちら自身の身を慮っているというよりは、やはり他人に感染させないかと恐れているようで、ほかの人にうつしたら大変だぞ、塾の子どもたちとか、と口にし、朝と夜に体温測れよと強めの口調を向けてくる。べつに異存はないが、人が体調をちょっと乱しただけでコロナウイルスかどうかも未確定なのに、「測れよ」などと強い命令調の言葉を発するあたり、自身の正当性を確信しきった言語使用の感が如実だ。自分自身と他人への感染を防ぐ努力はもちろんするべきだと思うけれど、個々人にできることと言って、場合と状況によってはいくらかの「外出自粛」をすることと、そのほかにはマスクをつけること、殺菌消毒の機会があればその都度すること、頻繁にかつ入念に手を洗うことくらいしか大方ないわけで、普通にそれらを実践していても感染してしまったらもう仕方ないのではないかと思う。だが父親の感じだと、もしこちらが実際に新型コロナウイルスに感染していると判明したとしたら、感染したことそれ自体を非難するような言表をくりだしてくるのではないか。まあそれはこちらの主観的な仮定の話なので実際どうかわからんが、仮にこちらが感染していたとしても、それをどこで拾ってきたのか、誰からもらったものなのかはまるで不明だし、たとえば実は父親や母親からもらっていたのだけれど彼らは無症状でこちらだけ症状が出ているという可能性だって普通にあるはずだけれど、そういったことを理解しているのだろうか?
  • 帰室後だったか夕食後だったか忘れたが、新型コロナウイルスについてちょっと検索してみると、もっとも典型的な症状としては空咳と発熱、倦怠感があるらしく、いまのところこちらの身体においてはこの三つとも観察されず、とにかく鼻水が出るだけである。鼻水はコロナウイルスの症状としては比較的すくないようなので、たぶん普通に風邪っぽいだけなのではないかと思うが。今日のことを途中まで記述し、その後零時半過ぎからベッドにコンピューターを持ちこんでだらだら。二時間経って二時四〇分ごろになるとデスクにもどり、青梅図書館で借りているCD三枚の情報を記録した。そののち、バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)の書抜き。ようやく最後まで終わらせることができたが、書抜きをしなければならない本はまだ一五冊以上溜まっている。四時前からふたたびベッドにコンピューターを持ちこみ、五時過ぎまで遊んでから寝た。


・読み書き
 12:54 - 13:45 = 51分(日記: 6月17日)
 14:18 - 14:46 = 28分(日記: 6月17日)
 14:48 - 15:14 = 26分(シェイクスピア: 110 - 121)
 20:36 - 21:28 = 52分(シェイクスピア: 121 - 150)
 22:44 - 22:53 = 9分(日記: 7月30日)
 23:33 - 24:36 = 1時間3分(日記: 7月30日)
 27:20 - 27:43 = 23分(ジョンソン: 247 - 250)
 計: 4時間12分

・音楽

  • Darcy James Argue's Secret Society『Brooklyn Babylon』
  • The Dave Brubeck Quartet『Time Out』

2020/7/29, Wed.

 一九三八年一一月八日、親衛隊長官(親衛隊全国指導者兼ドイツ警察長官)ヒムラーは、親衛隊将校団の中将以上を集めた定例全国幹部会議の席上で、以下のように話した。

 今後一〇年の間に、われわれは危機的対決に直面する。(中略)諸国家の闘争にとどまらず、世界のユダヤ人、フリーメーソンマルクス主義者、教会との世界観闘争に突入するのである。(……)

 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、64)



  • 早朝六時に就床し、自律訓練法めいて静止しながら眠りを待つうちにいくらか朧げになったようだが、はやくも七時あたりに覚醒を見て、そのときなぜなのか汗だくだった。布団を剝いで汗を引かせてからふたたび眠り、最終的に正午起床。今日も真白い空で、どうにも晴れが見られない。上階へ。母親は健康診断に出向いている。米がほぼなかったのでベーコンと卵を焼いてそれだけで食べることにし、したがって今日は黄身を液体にとどめずしっかり焼いて固化させた。そうして卓で食っていると母親が帰宅する。キュウリに味噌をつけて食べるかと訊くのでいただくことに。シャリシャリ食っていると母親は録画してあった『私の家政夫ナギサさん』とかいうテレビドラマを映しはじめ、多部未華子ってずいぶん綺麗になったね、あんなに可愛かったかな、とかなんとか言っていた。風呂は残り水が多かったので今日は洗わず。
  • 帰室してコンピューターを点け、起動を待っているあいだ、背後のひらいた窓からひそひそと入りこんでくる空気がかなり背中に涼しく、どうやら今日は気温が低いなと感じられた。緑茶をついでくると今日のことをはやばやと記録。「まどろむ」とおなじ感じで「おぼろむ」という言い方はないのかと思ったが、どうも存在しないらしい。造語しても良いけれど、ひとまず「朧げになる」で処理。
  • それから前日の記事と前々日の記事を完成させて投稿。音楽を流すために窓を閉める際、ガラスに近づいて外をちょっと見ると雨が降り出していた。わりとこまかいが同時にはっきりとした粒の質量もそなえており、すばやく流れて広がるような降り方。七月二七日分を投稿したあと運動をして、それから最近復読をしていないからやらなくてはと「英語」記事を読みはじめたのだが、現在、舌の先のほうに口内炎みたいなものができており(鏡で確認していないのでどうなっているか詳しくは不明だが)、thの発音をするときや舌をすばやく動かすときなどそれが歯に当たってけっこう痛くストレスフルなので、音読は治ってからにしようと気を変えてすぐにとりやめた。
  • 三時からVirginia Woolf, To The Lighthouseの翻訳。四ページ目をほぼ最後まで。この日新しく訳した箇所は以下に、いままでの訳文全体は下部に置いておく。

 (……)毎週毎週、何も変わらず単調に砕けつづける味気ない波を見ている、と思ったらものすごい嵐がやって来て、窓はどれも水しぶきでいっぱい、鳥たちはランプに激突、建物全体もぎしぎし揺れて、おまけに海にさらわれないようにドアからちょっと鼻を出すこともできないのよ? そんな生活、あなたはしたいと思う? と彼女は訊ねたものだ、とりわけ娘たちに向かって、語りかけるように。そしてすこし調子を変えて付け足すのだった、だから、慰めになるものなら何でも、できるだけ持っていってあげないとね。
 「風向きは真西ですね」と無神論者のタンズリーが、骨ばった指をひろげて吹き抜けていく風に触れながら言った。彼は、夕方の散歩でそこらを歩き回るラムジー氏のおともをして、テラスの上を行ったり来たりしていたのだ。真西というのはつまり、灯台に上陸するには最悪の風向きということだった。そうね、たしかに嫌な [disagreeable] ことを言う人ね、とラムジー夫人は認めた。いやらしい人、わざわざ余計なことを言って、ジェイムズをなおさらがっかりさせるんだから。しかし一方で、子どもたちが彼を笑いものにすることを彼女は許さなかった。「無神論者」と子どもたちは呼ぶ、「ちっちゃな無神論者」と。ローズも彼を馬鹿にするし、プルーも彼を馬鹿にするし、アンドリューも、ジャスパーも、ロジャーも、みんなして彼を馬鹿にする。もう一本の歯もない老犬のバジャーさえ彼に噛みついたけれど、それは、

  • 「そんな生活、あなたはしたいと思う?」と訳した箇所の原文は"How would you like that?"で、どのようにあなたはwould likeしますか? 欲しますか?→欲しないでしょう? という反語の意味で取ったのだけれど、「したいと思う?」だと問いかけとしてちょっと直接的すぎる気もしている。せっかくwould likeを使っているわけだし、もうすこし弱いニュアンスにしたいところだ。岩波文庫の訳も、「こんな生活をどう思う?」となっている。それに続く"she asked, addressing herself particularly to her daughters."の部分はaskとaddressの意味が近くてやや冗語的なのだが、address oneself toに語りかけるみたいな意味があるようだったので、この分詞構文を「~のように」と意訳した。しかも訳文は倒置形にしているので、どうかな? という感じもないではないが、リズムとしてはわりと流れる形になった気がする。その段落の最後、"So she added, rather differently, one must take them whatever comforts one can"は、意味の読み取り自体は問題ないのだが、直接話法にするのか間接話法にするのかという点は不分明だ。岩波文庫は台詞的に訳しており、こちらもそれに引きずられてよく考えず直接話法風に訳したのだが、のちほど読書会の場では、ここはaddedのあとにthatが省略されている通常の間接話法だろうという話が出たのだ。とすればthat節内の主語がoneと一般化されていることも合わせて間接話法で距離を置いたほうが良いのかもしれないが、しかしいま読んでいて気づいたのだけれど、間接話法だったら"one must take"にはならないのではないか? 普通に時制が調整されるのではないかという気がするが、しかしmustに過去形はない。こういう場合ってどうなるのだろうか、had toに変わるのだろうか? しかしそうするとたぶんニュアンスが変わってしまうだろう。また、この箇所は夫人の主観(思い)ではあるものの、"one must take(……)"ということが一般的な事実として述べられていると思われるので、不変の真理などとおなじように原形になるのかもしれない、とも考えられる。しかし最終的には不明。
  • もうひとつ、おなじ文のなかの"whatever comforts one can"の部分だが、こちらはここを、whateverが主語でcomfortsが動詞のまとまりだと捉えていたのだけれど、読書会ではKWさんが、whateverは疑問形容詞でcomfortsは名詞なのではないかという説を提出した。たしかにそう考えることもできそうだ。こちらはcomfortを自動詞的に、「~の慰めになる」みたいな意味で捉えていたのだが、comfortに自動詞の用法はないようなので、むしろKWさんの解釈のほうが文法的に正当なのかもしれない。ただ、ここでcomfortの目的語になるのは普通にthem=灯台の人々であるはずだが、それはすぐ直前にもう出てきているので、わざわざ繰り返さなくても良かろうと目的語が省略されたという可能性もありうると思う。文法的解釈は不明確だが、ただいずれにしても意味合いは変わらないはずなので、結局はどちらでも良いだろう。
  • あと、"Yes, he did say disagreeable things"という夫人の独白で、「嫌な」にあたる語が"disagreeable"だと明示しておいたが、これは二段落前、ラムジー氏の内言のなかにも使われていた語である。"never altered a disagreeable word to suit the pleasure or convenience of any mortal being"という部分で、こちらはここを、「この憂き世に生きるどんな人間を前にしても、その喜びや都合におもねって不愉快な [disagreeable] 言葉を言い換えてはならない」と訳しておいた。disagreeableな言葉でも躊躇せずにはっきりと伝えなければならないという信念を持っているラムジー氏を慕ってこの別荘にやってきたタンズリーが、実際、disagreeableな言葉を口にしてみせるわけである。だから自覚的にか無自覚にかは知らないが、弟子であるタンズリーは教師ラムジー氏の信念を共有しており、忠実にそれに従っていると言うことができるだろう。
  • 四時半まで翻訳。その後、料理へ。シチューを作った。と言って、こちらがやったのは野菜を切って鍋で炒めるところまでで、水を注いだあとは母親に任せた。最近出歩いていなかったし、散歩がてらコンビニまで行こうと思っていたのだ。しかしもうすこし時間が下ってから出ることにして、帰室するとゴルフボールを踏みながら過去の日記を読み流した。
  • 自分の過去の日記を読み返したあと、Mさんのブログを読むことにしてアクセスし、四月の記事に触れる前に最新記事をちょっと覗いたのだが、すると得体の知れない「焦燥感」に襲われてかなり消耗したらしい様子が記されてあったので、大丈夫だろうかと心配に思った。こちらがパニック障害時代にずっと苛まれてきた「不安」とはちょっと違うのかもしれないが、そこに存在していることそのものが恒常的な闘争になるという点はたぶんおなじだろう。あれはきつい。耐えがたい。一日で収まっていれば良いのだが。
  • 出発へ。服装は赤褐色の幾何学的な雰囲気のTシャツに、真っ黒いズボン。玄関を出ると隣家の車庫に男性がいて、あちらもこちらを認めたので挨拶をした。Tさんの息子さんだろう。雨が降っていたので傘をひらいて階段を下り、息子さんと言葉を交わしておこうと思って隣の車庫に向かっていけば、お父さんに似てるねとあちらから声が掛かる。苦笑で受けて、次男ですと教え、Yさんですかと訊くと肯定が返った。笑みが明るく、ほがらかな感じの高年男性だった。蕎麦屋を営んでいるほうの息子さんのはずで、たしかもうひとり兄弟がいたと思うのだが、その人の話は近ごろ聞かない。あるいは、息子さんと言ってTさんのおばさんがあと半年で一〇〇歳だからもう七〇代には入っているはずなので、兄弟の人が先に亡くなってしまったのだろうか? しかしさすがにそんな話があればこちらの耳にも届いて覚えているだろう。
  • 先日Tさんが救急車で運ばれたそうだが、それ以来体調は大丈夫なのかと訊ねると、大丈夫、問題ないとの返答があった。過呼吸になったらしい。やっぱりもうあの歳だから、いつ来るかっていうのがあるんじゃないの、だからちょっと調子が悪くなると不安になっちゃうんじゃないかって、医者はそう言ってたねと話す。実際、一〇〇歳も目前ともなれば、無事に明日の朝を迎えられるかも怪しいところだろう。ただ最近はまた草取りにも出ているようなので、やっぱり外に出られたほうがね、と受ける。いつもお世話になっていてと言ってくれるのでおなじ言葉を返し、うちのほうでも、できることはやりたいと思いますんで、よろしくお願いしますと挨拶を送って道に出た。
  • コンビニまでの道中で色々見聞きしたはずなのだけれど、現在この日から四日が経って八月二日を迎えており、かつこの道行きの記憶をメモすることを怠っていたので多くのことを忘れてしまった。もったいない。十字路を越えて坂を上りはじめたあたりまで傘を差していたのだが、後ろからこちらを追い抜かしていった女性が傘をひらいていなかったので、そこで確認してみるともうほとんど降っていなかった。坂を越えて裏通りを進むと一軒の前に低木が茂っており、濃いピンク色の大きな花が灯って葉叢を飾っているので止まってちょっと眺めてみれば、外周のたしか五弁のなかにもっとこまかな花びらが重なって、中心からは蕊が伸びていると、そんな構成だったと思う。何の根拠もなく、クレマチスという名がなぜか浮かんできたが、たぶんその花ではない。例によっていま検索してみたところ、ハイビスカスとかムクゲとか、こんな感じでなかったかと思うのだが、これはどちらもアオイ科フヨウ属の花らしいので、おそらくフヨウの類だったのではないか。夏芙蓉というのがたしか中上健次の小説作品において主要モチーフになっているという知識があるが(なんだかんだ言って彼の作品はまだ『岬』しか読んだことがないので、典拠は示せない)、実物を認識したのははじめてかもしれない。
  • そこを過ぎて歩く道に、雨後のことで虫の音も鳥の声も淡くひそやかで、その先に川を隠しているだろう道沿いの林のほうからいくらか洩れてくる程度だが、表通りに向かって曲がるあたりでウグイスが控えめに鳴き出した。街道に出て、客もなく立ち呆けているガソリンスタンドの店員を眺めながら、Tさんのことを思った。一〇〇歳がもう目の前に来るほど生きていても、やはりストア派的な不動心でもって死を受け入れることはできないものなのか。普段はもはやいつ来たって構わないと受け入れているつもりでも、いざ実際にその近まりを感じればやはり不安や恐怖が生じてくるものなのだろうか。
  • コンビニでは豆腐やら即席の味噌汁やらもろもろを買い、出ると来た道をそのままもどった。時刻は六時半くらいだったのではないか。往路は静かだった裏道にカナカナが鳴きはじめて、重なりあって立ち騒いでいた。あのセミの声はやはり少々気体的と言うか、輪郭が煙いよう、かなり声高ではあるけれど淡くて押しつけがない。あとそうだ、コンビニでは、もし帰りにもまだYさんがいたらおばさんにと言って差し上げようと思い、パンとか飲み物とかも買ったのだが、帰りつくと車庫にもう人の姿はなかったので我が家で消費することにした。
  • 夕食はシチュー。食後、緑茶を持って帰室し、飲みながらインターネットをちょっと回る。温かい茶を飲んでいるのでクソ暑い。汗だく。肌着がべたつき、自分の汗のにおいが肌から漂いだしてくる。八時前からMさんブログ、二〇二〇年四月一二日。「独哲学者マルクス・ガブリエルの思想は過大評価か? 福嶋亮大が『新実存主義』を読む」(2020/2/25)(https://realsound.jp/book/2020/02/post-510064.html)という記事が紹介されていたのでメモしておいた。Mさんが引用している箇所もひとつ写しておく。

(…)ガブリエルはもともと、構築主義を批判する立場から「新しい実在論」を掲げたことで名をあげた。構築主義とはごく単純化して言えば、現実なるものは存在せず、たださまざまな解釈や表象を現実と取り違えさせる社会的な作用(知、メディア、歴史……)があるだけだ、という考え方であり、かれこれ半世紀近く大きな影響力をもった。例えば、犬の鳴き声という不変の現実はない、ただワンワンやバウワウというさまざまな解釈が現実だと勘違いされているだけなのだ――このような立場に根ざす人文系の研究者は、いわゆる「言語論的転回」の名のもとに、言語的に構築されたカッコつきの「現実」の分析に向かった。現実そのものは実在せず、ただ任意のパースペクティヴからなされる解釈の連鎖しかないのだから、あとは現実になりすましている言語について考えればよいというわけだ。
 しかし、近年のフェイク・ニュースやメディア・ポピュリズム、あるいは歴史修正主義の猖獗を考えれば、構築主義は「いちばん声のデカいやつがそのつどカッコつきの『現実』を構築してそれを既成事実化する」という状況を追認しかねないのではないか? そもそも、本当に言語を超えた現実は「実在」していないのか、構築主義に反してでも実在性にアプローチするための哲学を組織し直すべきではないか……こういう問題意識を追い風にして、ここ十数年来、実在論唯物論が急速に脚光を浴び始めたのである。ガブリエルはこの潮流の有力な担い手として、複数の「意味の場」の客観的な実在性を強調した。

  • また、「夕飯。天ぷらが出たのだが、弟は天つゆを用意してくれていなかった。いったいいつぐらいからだろうか? たぶんこちらが学生の時分からだと思うのだが、高級料亭でもなんでもないそこらへんの飯屋でも、天ぷらには天つゆではなくて塩がいっしょに出されるようになった。本当にうまい天ぷらは塩をちょっとだけつけて食うのだ、それこそが通なのだというわけのわからないマウンティングが全面化してしまった昨今の天ぷら界隈を、こちらは全力で批判する。だまって天つゆ持ってこい! おまえたちはいったいいつまでブルジョワの身ぶりを模倣することでみずからの階級に目を瞑り現状否認を続けるのだ! 労働者は労働者らしくおれのように天つゆをがぶ飲みしろ! 弟はこちらのために天つゆをその場でちゃちゃっと作って出してくれた。味が薄かった。もっと体に悪そうな、ガツンとくるような、濃口の天つゆをくれ!」という記述に笑う。
  • 「偽日記」をめちゃくちゃ久しぶりに読む。ほとんど毎日覗いて瞥見してはいるのだけれど。二〇一九年一一月四日にRYOZAN PARK巣鴨というところで行われた樫村晴香トークについての言及。

●最初、保坂さんの『読書実録』第三章〔愛と幻想と現実〕の、ミシェル・レリスから引かれた文章、「さらに深まる空虚を埋め合わせる必要に迫られたとき、私は思弁的議論ではなく、経験の充実をもってこれに向き合おうとしていた」を取り出して、ラカン風に解説してみせる。空虚を、経験の充実で埋めることはできない。空虚は空虚によってしか埋められない。愛とは、自分の持っていないものを用いて相手を救うことであり、そのようにしてしか空虚は埋まらず、おそらく女(愛)-欲望において問題を抱えていたレリスの空虚は埋まらない。ラカンならそう言うだろうが、それは半分しか正しくない、と。空虚があるから欲望が生まれるのではなく、逆に、欲望という(人間を規定している)システム、欲望というOSが、空虚というものを生んでいる。そして、そのような「欲望というOS」が今や終わろうとしているのだ、と。

     *

●東アジアにしか存在しない独自の「下品さ」というものがある(たとえば、タイでは下品な人に出会ったことがない、と)。それは、日本、韓国、中国にしかみられない。ここでいう「下品さ」とは、自分に自信がなく、自分の存在を支える背景的な(隠された・隠喩的な)核のようなものがないので、その都度その都度、自分の存在を過度に誇示する威嚇的態度をパフォーマティブに、表出的に示すことによって自分の存在を支えているようなあり方のことだ、と。

今までに出会った、最も下品さの強度が強かった人は韓国のポン引きだった。街を歩いていると、いかつい男が近寄ってきて、耳元で「メ二ハイリマスヨ」と囁かれた。意味が分からず、「私は韓国語が話せません」と英語で言うと、「日本語ですよ、目に入りますよ」と言った。要するに、「目に入れても痛くないくらいかわいい女の子がいますよ」という意味だ。

  • その関連記事に出てきた二〇〇九年七月一三日の記事も読む。佐々木中について。

●「現代思想」6月号フーコー特集の佐々木中「この執拗な犬ども」は素晴らしかった。読んでいて、だんだん鼻息が荒くなって行くのが分かる。『夜戦と永遠』という本は素晴らしい本ではあるが、その第三部は、ぼくにはいまひとつよく理解出来なかった。例えば、第一部のラカンの部分ならば、ラカンを精密に読み込んで行くことを通して、ラカン自身によってラカンの理論が崩されてゆき、さらにその、ラカン自身によって崩されたラカンの先に、ラカンの別の姿、ラカンの別の可能性が、まったく別の風景がみえてくるという風になっていて、それこそが凄いのだが、第三部のフーコーは、フーコー自身によってフーコーが否定されてゆくというところまでは納得出来るのだが、ならば、フーコー自身によって否定されたフーコーの先に、新たなフーコーの(ポジティブな)何がみえてくるのかというところになると、そこが充分には(ぼくには)分からなくて、唐突に「ドゥルーズによるフーコー」(というか、端的にドゥルーズ)が導入されてしまうという感じで、丁寧に、執拗になされるフーコーの祖述と、その先にある結論のようなものの繋がりがよく納得出来なかったのだが(ほとんど唐突に出て来る「可視的なもの」と「言表可能なもの」との対比が、いまひとつよく理解出来なかった)、「この執拗な犬ども」を読むことによって、『夜戦と永遠』の第三部が、はじめて納得出来た。というか、この「執拗な犬ども」という形象によって、『夜戦と永遠』で描かれる、長々としたフーコーの祖述の必然性がはじめて理解され、さらにこの本で言われる「革命」という言葉が、はじめて説得力(と希望?、しかしこれを希望と言うことが許されるのだろうか?)をもって迫って来るように思われた。「この執拗な犬ども」とあわせて読むことで、『夜戦と永遠』は、それを「読む前」にはもう戻れないような、画期的な本となるように思う。「この執拗な犬ども」には、本当に勇気づけられるというか、興奮させられ、身を引き締めさせられた。また改めて(何度も)『夜戦と永遠』と「この執拗な犬ども」を、ぼくなりに自分の持てる全力を傾け、必死に食らいつくように、気合いを入れて読み返すことになるだろう。(でも、「文藝」の磯崎憲一郎『世紀の発見』の書評は、全然よくないと思うけど。)

  • ブログを読むと九時半に至り、Woolf会の開始まであと三〇分だったので、インターネット記事を色々メモして時間を使い、一〇時から隣室に移って会に参加した。今日ははじめに導入の雑談として、Jさんが今朝見た夢を話してくれたのだが、それがけっこう長くて、よくそんなに覚えているなと思った。全体的に虐げられる感じの難儀な夢だったようで、堆肥だか牛糞だかのなかを匍匐前進で進むような場面もあったらしい。
  • 今日のTo The Lighthouseは六段落目、'It's due west,'というTansleyの台詞からはじまる段落である。文法とか構文としてめちゃくちゃに難しいという箇所はないと思われ、意味もおおむね取りやすいと思うが、こまかなところを結構色々突っこんで話しているうちに時間がかかってあっという間に零時を過ぎた。文法的によくわからんのは段落最後の一節で、すこし前から引いておくと次のようになる。"Rose mocked him; Prue mocked him; Andrew, Jasper, Roger mocked him; even old Badger without a tooth in his head had bit him, for being (as Nancy put it) the hundred and tenth young man to chase them all the way up to the Hebrides when it was ever so much nicer to be alone." で、このなかに含まれているforの用法がいまいちわからなくて、こちらは深く考えずに、教科書的には「というのも」と訳される接続詞のforだと思っていたのだが、being以下はwhenが来るまで分詞構文的な形になっているわけで、分詞構文って普通、接続詞を省きたくて使う形のはずなのにわざわざ接続詞を復活させてんの? というのがよくわからんし、それは措くとしてもこのbeingに意味上の主語を付さなくて良いのだろうかという疑問もある。意味合いとしてはここは、TansleyがRamsay家の子どもたちから馬鹿にされており、歯抜けの老犬までもが彼を疎んでいるということの理由を述べていると考えられるから、being(……)the hundred and tenth young manの主語はTansleyであるはずなのだが、形としてはそれが明示されていない。この問題は、forを接続詞ではなくて前置詞として捉えるとしてもおなじように行き当たり、解決されないものである。それに対してKWさんが、mock O for ~という形なのではないかという理解を提示して、会の場ではどうなのかなと確定しきれなかったのだが、いま読み返してみるとその捉え方が一番すんなり通るような気がする。何より、この解釈ならばbeingの意味上の主語の問題が解決されるわけである(目的語のhimがそれを示しているので)。ただ、beingの前に直近の動詞として来ているのはBadgerの行為であるhad bitなので、果たしてbite O for ~という形はあるのかな? と思ったのだが、その場でSさんが調べてくれたところでは、一般的にはbiteにそういう用法はないらしい。とは言えここはmockとbiteがセミコロンで並列されているところでもあるし、そういう文法的規則に完全に当てはめて考えるというよりは、おそらくはmock O for~の形を念頭に置きながらも、ウルフはたぶんmockとbiteの文を書いたあとに、(カンマを挟みつつ)後ろから補足的にその理由を付け足したかったのではないだろうか。だから文法的解釈はともあれ、事実上、意味及び機能としては接続詞のforとおなじ働きを果たすことになっていると思う。
  • 零時半ごろに本篇が終わって、そのあと二次会と言うか駄弁りの時間みたいなものに入ったのだが、こちらのコンピューターはそれに入る直前に回線が切れてしまったのでちょっと経ってから参加するとLINEで送っておき、再起動を施しているあいだにコンビニで買ってきた卵蒸しパンを食べた。それで会話にもどったときには、KさんがもともとICUに行きたかったみたいな話をしていた。最初はイスラエルパレスチナ問題を勉強したかったらしいのだが、アラビア語に挫折して日本史のほうにかたむき、成瀬仁蔵という日本女子大学の創設者の研究をするようになったといういきさつだったと思う(ちなみにこの会話のときこちらは成瀬仁蔵を「なるせりんぞう」と聞き取っており、いま検索してもそれらしき人物が出てこないのでやや手間取った)。こちらもUくんにFさんは早稲田でしたっけと訊かれたので肯定し、一応早稲田の文学部で西洋史コースにいたが大学では何一つ学んでいない、卒論は一応フランス革命について書いたがゴミを生産してしまった感じだと手短に話した。
  • Uくんがこちらの日記に触発されて最近ブログを書くようになったという話から、彼がこちらの日記はやばいからとにかく皆さんいまここで読んでくださいと絶賛しながら呼びかけてくれ、その場でURLが貼られて紹介された。Mさんはこちらの営みを、一九世紀的すぎるでしょ、と評した。その含意はこちらにはよくわからないが、たしかに現代的にクールなフットワークの軽さ(?)というよりはロマン主義的な愚直さと言うか、近代的徹底性みたいなものを思わせる様相だと言えるかもしれない。Kさんは昔読んでいたブログを思い出したと話した。筆者がそれまでの人生を非常に些末なことまで思い出して跡づけるような感じだったのだが、最終的に書き手は自殺し、最後の記事はその人が自殺する様子の動画だったとかいう話で、自殺の件もあってそのブログはまもなく閉鎖されてしまったのだけれど、こまごまとしたことを詳しく記しているのが似ているかもしれないとのことだった。Kさんはその自殺者のブログについて、生のささやかな瞬間を書いているのが小説的だったと思うと言い、小説ってもともとそういう、正規の歴史に対する小さな歴史という意味合いもあったと思うんですけど、みたいなことを続けたが、たしかになあとこちらは思った。私史と言うか、むしろ卑史(そしてあるいは秘史)だったわけだ。そういう意識はこちらにもないではない――書かなければすべて消え去ってしまう歴史の断片を記し残しているというような感覚は。ただまあ本当は、この日々の文章というのは要するに毎日自伝を書いているということなのだろうと思う。biographyの正しく語源的な意味を実践している(生(=bios)を書き刻むこと(=grapho))というわけで、さらに言い換えれば、プルーストがやったことを一日単位でやっているということだ。
  • ほか、レトルトカレー談義やみんなの「簡単メシ」についてなど。ブログにも書いていたのだが、Uくんはレトルトカレーを電子レンジで温めず、冷たいままパックのご飯(こちらは温めてある)にぶっかけて食べるらしい。それがむしろ美味いと言うのだが、まずもってカレーを冷たいままに食うという発想をいままでの人生で一度も抱いたことのなかったこちらは、カレーは温かいものだというイデオロギーに支配されていましたよと笑った。Uくんは料理は全然しないらしく、食事がコンビニの弁当からレトルトカレーに変わったことが大きな進歩だと言うが、それでもやはりなるべく手間はかけたくないということで、カレーを温める数分間を待つのが嫌なようだ。数分くらいストレッチしてたらすぐやんと思ってこちらは笑うのだが、やはりできるかぎりさっと済ませたいみたいな感じがあるのだろう。そこからUくんがさらに、全然元気がなくて何もやる気がないとき、みんな何を食べますかと一同の「簡単メシ」を訊いていき、こちらは夜食はたいがいコンビニの豆腐と即席の味噌汁だと答えた。Jさんが、夏場などはお腹が減らない時期が周期的にやってきて、そのあいだはほとんど何も食べないような生活を送り、ふらふらしてきて低血糖が恐れられるような状態に至るとようやくものを食べる気になる、と語り、なかなかハードコアな食生活を取っているようなのだが、それで何か良い食べ物ないですかねと質問をした。こちらは、低血糖を防ぐにはナッツとか少量のものを一日のうちで頻繁に食べて食事の回数を増やすとかだいたい言いますよね、とか話し、Kさんは、「パルテノ」というヨーグルトに蜂蜜を混ぜて食べると美味しくて、食欲がなくても食べられるかもしれないと助言していた。「パルテノ」というのはそこそこ良い値のヨーグルトらしく、Jさんも存在は知っていたのだが、親に仕送りをもらっていることを考えるとそんなに高いものを食べちゃ駄目なんじゃないかみたいな躊躇にとらわれて手が出せず、高くて良いものが食べられないならもう何でも良いや、とかえって逆方向に流れてしまうのだと言う。そんなことを言ったら生計を完全に頼り切っているこちらなど飯を食えなくなってしまうのだが、それに対してKさんは、でも、元気がないときならほかのものは食べずに「パルテノ」だけで済むじゃないですか、だからほかの人が普通に食べるのと食費的には変わらないんだから、いいんですよとさらにアドバイスを送っていた。
  • あと何が発端だったのかYouTuberの話がなされた時間があったのだが、Jさんは「咀嚼系」の動画を色々見ているらしい。ものを食べるときの音をめちゃくちゃ高音質に録って(撮って)提供している人々がいるらしく、彼女いわく、そういう人たちはどういう風にものを食べてどういう風に音を出すかということにすごく気を遣って努力し、すごく鮮やかで綺麗な音を録っている、もうプロなんですよ、とのことだった。食事中に口をひらきながらくちゃくちゃ音を立ててものを食う人間は一般にわりと嫌悪されるもので、「クチャラー」という言葉で名指されたりもするけれど、Jさんが視聴しているのはそういう汚い感覚を与えるものではなく、とにかく高度に研鑽された咀嚼音の技術の実践らしい。こちらはその話を聞きながら、たぶんそういうのって禅宗で行われている食事の作法の訓練とかに近いのかもなとか思い(道元は『正法眼蔵随聞記』か何かのなかで、食事の時間もまた修行であると言っていたはずだ)、また一方で、そういうのって要はフィールド・レコーディングを聞いているのとおなじようなことかもしれませんねと口にしたのだが、Uくんも、JNくんという友だち(名前は前々から聞いており、八月八日に初参加するもうひとつの読書会でお話しできるはずである)がそう言ってました、技術的発展によって人類の(聴覚的)感性がようやく現代音楽のほうに追いついたんだ、ASMRとかが流行ってるのはそういうことなんだって、みたいなことを話した。ASMRってエロ方面も含めて色々あると思うのだけれど、たとえばキーボードの打音とか、一般的観点からして音楽的ではまったくないもろもろの物音にも快楽や心地よさなどを感じるという受容形式が現れている事実は、たしかにそういう方向から理解することも可能なのだろうし、もしかしたらジョン・ケージ的な世界の実現――とまでは行かなくともそれへの接近――とすら言えるのかもしれず、要はいまの技術で録ればどんな音でもわりと面白くなるんじゃね? などとも思ってしまうが、こちら自身としては自室で音楽を流して聞いているときと、外を歩きながら鳥の声や虫の音やさまざまな自然音や人工音を耳にしているときとでは、感覚的には何の違いもない。だからもう出先で音楽を聞くということはまったくなくなったし、携帯音楽プレイヤーも古いipod nanoが壊れて以来、数年間持っていない。こちらには必要のないものだし、むしろ外空間にいるときにイヤフォンで聴覚を閉ざしたくないと思う。
  • 三時を回ったところで挙手し、もう三時ですし、僕はそろそろ、帰ろうと思います、と申し出た。日記も書く必要があるし、と付け加えるとKさんが頑張ってくださいと言ってくれたので礼を返し、みんなにも挨拶を向けて退出した。それからなぜか自分のブログで最新の日記二日分くらいを読み返してしまったが、さっさと自室にもどろうと立ち上がり、コンピューターと周辺機器を運んでから夜食を取りに行った。今日コンビニで買ってきたばかりの豆腐とインスタント味噌汁に、もちもちチョコロールとかいうやつも二つ残っていたので加えて、三品を部屋に持ち帰るとWikipediaで「カーボベルデ」のページを読みつつ腹を満たした。「大西洋の中央、北西アフリカの西沖合いのマカロネシアに位置するバルラヴェント諸島ソタヴェント諸島からなる共和制の国家」であるこの島々は、Horace Silverの父親の出身地なのでなんとなく記事をメモしておいたものだ。「15世紀から1975年までポルトガル領であった」と言い、「独立に際してアフリカ大陸部のギニアビサウと連邦を形成する計画があったが、1980年に同国で発生したクーデターによって頓挫し、現在に至っている」とのこと。「国名は、カーボベルデ共和国の対岸にあたるアフリカ大陸西端の岬、カーボ・ベルデ(ヴェルデ岬、ポルトガル語で「緑の岬」の意)に由来する(ただし、ヴェルデ岬自体はセネガル領)」。一九世紀以降、「農業で暮らしていけなくなったカーボベルデ人の外国移住が始まり、特に多くがアメリカ合衆国へ向かった」とあるが、このうちのひとりがHorace Silverの父親だったわけだ。ひとまず「カーボベルデの国会成立と独立」のところまで読んだ。気になった情報は以下に。

カーボベルデ共和国(カーボベルデきょうわこく)、通称カーボベルデは、大西洋の中央、北西アフリカの西沖合いのマカロネシアに位置するバルラヴェント諸島ソタヴェント諸島からなる共和制の国家。首都のプライアはサンティアゴ島に位置している。

カーボベルデは島国であり、15世紀から1975年までポルトガル領であった。独立に際してアフリカ大陸部のギニアビサウと連邦を形成する計画があったが、1980年に同国で発生したクーデターによって頓挫し、現在に至っている。(……)

     *

国名は、カーボベルデ共和国の対岸にあたるアフリカ大陸西端の岬、カーボ・ベルデ(ヴェルデ岬、ポルトガル語で「緑の岬」の意)に由来する(ただし、ヴェルデ岬自体はセネガル領)。

     *

ポルトガルの冒険家が1456年と1460年に、最初にこの諸島に着いた時は無人だったが、卓越風、海流などにより、ギニア海岸地方よりセレール人、ウォロフ人、レブ人、ムーア人の漁師などが訪れていたと思われる。

     *

(……)その後[1455年以後]数十年の間に、エンリケ航海王子の仕事に就いていたカダモストとアントニオ・ノリが残りの島々を発見した。1462年にポルトガル居住者は初めてサンティアゴ島に到達し、熱帯最初のヨーロッパ人の居住地となるリベイラ・グランデ(今のシダーデ・ヴェーリャ)を創設した。植民地化が始まった当初は、マデイラ諸島やアソーレス諸島のようなポルトガル人の大規模移住は行われなかったが、16世紀には、アフリカから南北アメリカ大陸へ向かう奴隷船の中継拠点となり、奴隷貿易で栄えた[3: 市之瀬敦「クレオルの島カボ・ベルデ その形成とディアスポラ」『社会思想史の窓第118号 クレオル文化』石塚正英:編 社会評論社 1997/05]。カーボベルデには入植したポルトガル人と連行されたアフリカ人によってクレオール文化が築かれ、両者の混血も進んだ[3]。海賊がしばしばポルトガル人居住地を攻撃した。1585年、イギリスの海賊サー・フランシス・ドレイクはリベイラ・グランデを略奪した。(……)

     *

カーボベルデ諸島は18世紀終盤以降経験する頻発する旱魃・飢餓と、奴隷貿易の衰退によりその繁栄は緩やかに失われた。しかし大西洋奴隷貿易における中央航路の位置は、カーボベルデを理想的な補給港たらしめていたことから、19世紀には、サン・ヴィセンテ島にあるミンデロはその素晴らしい港により、重要な商業港となっていった。その一方で同じく19世紀には断続的な旱魃や、ポルトガルからもたらされた大土地所有制度の弊害などもあって、農業で暮らしていけなくなったカーボベルデ人の外国移住が始まり、特に多くがアメリカ合衆国へ向かった[3: 市之瀬敦「クレオルの島カボ・ベルデ その形成とディアスポラ」『社会思想史の窓第118号 クレオル文化』石塚正英:編 社会評論社 1997/05]。

     *

1951年にポルトガルのアントニオ・サラザール政権は、カーボベルデを含む各植民地のナショナリズムを緩和させるために、その法的地位を植民地から海外行政地域に変更した。しかし1956年、カーボベルデ人のアミルカル・カブラルとラファエル・バルボーザは、ひそかにポルトガル領ギニア(現・ギニアビサウ)で、ポルトガル領ギニアカーボベルデの独立のためのギニアカーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)を結成した。PAIGCはカーボベルデポルトガル領ギニアの経済、社会、政治状態の向上を求め、2両国の独立運動の基礎を成した。PAIGCは1960年にその本部をギニア共和国の首都コナクリに移し、1963年からポルトガルに対する武装抵抗を開始した(ギニアビサウ独立戦争)。武装闘争は結果的に1万人のソビエト連邦キューバのサポートを受けたPAIGCの兵士と、3万5,000人のポルトガル人およびアフリカ人の軍隊による戦争になった。

1972年までには、ポルトガル軍が駐留していたにもかかわらず、PAIGCはポルトガル領ギニアの4分の3を制圧していたが、カーボベルデは地理的に隔絶しており物流がさほどないことから、PAIGCはカーボベルデポルトガル支配を破壊しようとはしなかった。しかし、1974年4月25日にポルトガルで起きたカーネーション革命を受け、PAIGCはカーボベルデでも活発な政治運動となった。

     *

1974年12月にPAIGCとポルトガルは、ポルトガル人とカーボベルデ人による暫定政府の同意書にサインした。1975年1月30日にカーボベルデ人は国会を選出し、1975年7月5日にポルトガルからの独立の法的承認を受けた。

  • よく覚えていないのだが、五時直前まで日記を進めたあと、ベッドにコンピューターを持ちこんで遊んだようで、六時二〇分ごろ就寝した記録になっている。


・読み書き
 13:10 - 13:21 = 11分(日記: 7月29日)
 13:21 - 13:39 = 18分(日記: 7月28日)
 13:57 - 14:16 = 19分(日記: 7月27日)
 14:49 - 14:55 = 6分(英語)
 14:55 - 15:01 = 6分(日記: 7月29日)
 15:02 - 16:28 = 1時間26分(Woolf: 4/L14 - L41)
 17:03 - 17:33 = 30分(日記 / ブログ)
 19:52 - 20:19 = 27分(ブログ)
 21:05 - 21:32 = 27分(ブログ)
 27:36 - 28:13 = 37分(Wikipedia
 28:40 - 28:51 = 11分(日記: 6月17日)
 計: 4時間38分

  • 日記: 7月29日 / 7月28日 / 7月27日
  • 「英語」: 64 - 69
  • Virginia Woolf, To The Lighthouse, Wordsworth Editions Limited, 1994(翻訳): 4/L14 - L41
  • 2019/7/6, Sat. / 2019/7/7, Sun. / 2014/7/17, Thu.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-04-12「文体の異なる地方で信号を待つ日替わりの主語を数えて」 / 2020-04-13「街路樹の下で集めた囀りを母音と子音に分解する」
  • 「at-oyr」: 2020-04-22「お話」 / 2020-04-23「アキちゃん」 / 2020-04-24「禁酒時代」
  • 「偽日記@はてなブログ」: 2019-11-04 / 2019-11-08 / 2009-07-13
  • Wikipedia: 「カーボベルデ

・音楽

2020/7/28, Tue.

 一九三九年三月一四日、チェコスロヴァキアが解体され、チェコがドイツのベーメン・メーレン保護領ボヘミアモラヴィア保護領)になる(……)
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、61)



  • 一二時半ごろ覚醒。カーテンをひらいたその先、アサガオとゴーヤの織りなすグリーンネットの隙間に覗く空は相変わらずの無差異な白で、風もあるかなしかその葉と花をふるわす程度。上階へ上がると、買い物か何か行っていたらしい母親がちょうど帰ってきたところだった。洗面所で髪を整えうがいをし、ベーコンとジャガイモのソテーなどで食事を取る。食後、風呂を洗っている最中に、なぜかシャトーブリアンのことを思い出した。この作家に『墓の彼方からの回想』という自伝があるのだが、『偶景』に収録されている日記のなかでロラン・バルトがこの本を毎晩就寝前に読んではたびたび絶賛し、これこそ真の書物だみたいなことを言っていたのを思い出したのだ(*1)。それで読んでみたいのだけれど、以前調べたときの記憶によれば古い和訳が一応あるようなのだが、原作はたしか数巻に渡る長いものだったと思うのでたぶん全訳ではないのだろう。だからいずれ英語で読もうかなと思ってあとで調べてみることにしたのだが、いまAmazonを見るとペーパーバックで二三〇〇円ほど、Kindleだと一三〇〇円で買えるようなので(https://www.amazon.co.jp/Memoirs-Beyond-Grave-François-René-Chateaubriand/dp/1681371294)、こういうのを見るとやっぱりKindle導入したほうが良いのかなあと思ってしまう。プロジェクト・グーテンベルクにも一応英訳があるのだが(http://www.gutenberg.org/ebooks/54743)、Alexander Teixeira de Mattosというまったく名前を聞いたことのない人物によるこの訳は一九〇一年のものらしいので、一〇〇年以上も前の英語だとどうなのかな? と思わないでもない。日本語よりはたぶん変動は小さいのだと思うが。
  • *1: 「『墓の彼方の追想』の中のナポレオンの話の続きを夢中になって読んだ」(ロラン・バルト/沢崎浩平・萩原芳子訳『偶景』(みすず書房、一九八九年)、88; 1979年8月24日)。「借りが少し返せると(分割払いで)、本を閉じ、『墓の彼方の追想』に戻って、ほっとする。これは本当の書物だ」(92; 8月25日)。「『墓の彼方の追想』を読み続け、心が踊る」(97; 8月26日)。「ベッドでは、現代物のつらい宿題は勘弁してもらって、すぐにシャトーブリアンの続きを読む。セント=ヘレナ島におけるナポレオンの遺体発掘に関する驚くべきくだりだ」(100; 8月27日)
  • 母親は図書館にも行ってきたらしく、以前から借りながらも読めないでいる『赤いヤッケの男』という怪談物と、京極夏彦などを借りてきたようだ。京極夏彦を見れば『虚談』という作品があったが、この本のデザインはそこそこ悪くなかった。それから帰室前に緑茶をついでいるとテレビで『ナイロビの蜂』という映画が始まって、ナイロビってどこだったかケニアだったかと思っていると母親がまさしくナイロビってどこ、と訊いてくるのでそのように答える。本篇に入る前の冒頭、やや荒涼としたような海沿いの景色が映されて、カメラの至近になんだかよくわからない機械か装置のようなものが一部アップで入りこみつつその奥で水平線が陽炎にぼやけているさまとか、茶色いような鳥の群れが浅い水の上を立ち騒ぐさまとか、それから今度はかすかな赤味をはらんだような白さの鳥群が飛びながら集団の形を微妙に変容させていくさまなどが見られ、何の変哲もない風景ではあるけれどそんなに悪くないのでは? と感じた。どんなものであれ、なんらかの風景が映っていればわりと面白いみたいな感じがこちらにはある。ただ、その場で母親が調べたところによるとこの映画はジョン・ル・カレの小説が原作らしいので、そうするとやはりどちらかと言えばストーリーを主軸とした作品なのかもしれない。監督はフェルナンド・メイレレス(Fernando Ferreira Meirelles)というブラジルの人。
  • 部屋にもどって今日のことを記述。すると二時四七分。
  • さらに今日のことと昨日のことを書き足したあと、何をしようかな? と迷いながらもとりあえず、明日Woolf会があるし翻訳も進めなくてはと思って取りかかったのだが、読み返しでまずつまずく。最初の段落に、"all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity,(……)"というジェイムズ・ラムジーに関する描写があるのだけれど、ここになぜ"already"が入っているのかその意味がよくわからないのだ。この"already"には「六歳という幼年に似合わずもう」というニュアンスが含まれかねないと思い、こちらも「この歳にして彼はもう」という風に訳していたのだが、"private code"や"secret language"を持つというのはどちらかと言えば子どもの特性ではないか? という気がするし、そのあとが"though"でつながれているということは、前段と後段は意味論的に対立させられているはずである。このあとの内容は、ジェイムズの容貌は際立った厳格さを帯びているのでそれを見ていると母親は思わず彼が裁判官にでもなって活躍している様子を思い描いてしまう、というようなものだから、"though"以降はやはり「大人っぽさ」を示唆する記述になっていると理解できる。だから"though"以前は反対に「子どもっぽさ」をあらわす部分だととらえるべきだと思うのだが、そうすると、この"already"なんやねん、ということになるわけだ。「この歳にして彼はもう」とか、「六歳という幼年に似合わずもう」という意味合いをそこに付与してしまうと、「子どもっぽさ」のニュアンスが拡散してしまう。だからすくなくとも「この歳にして」は省こうかなと思ったのだが、そうするとまたリズムを整えなければならない。まあでもひとまず「もはや」という語を使っておこうかなとかたむいて、この部分は一応、次のように固まった。「手押し車や芝刈り機、ポプラの樹々の葉擦れの響きや雨を待つ葉の白っぽい色、それにまたミヤマガラスの鳴き声や、窓をこつこつ叩くエニシダのノック、ドレスが漏らす衣擦れの音――こういったすべてのものたちが彼の心のなかではそれぞれ鮮やかに彩られ、はっきりと識別されていたので、それはもはや自分だけのひそやかな暗号を、いわば秘密の言語を持っているようなものだった。とはいえ、その秀でた額と激しさを帯びた青い目には妥協をまったく許さぬ厳格さがうかがわれ、人間の弱さを目にすればちょっと眉をひそめてみせるほどに申し分のない率直さと純粋さがこめられてもいたので、鋏をきちんと丁寧に操って冷蔵庫の絵を切り抜いている息子の様子を見まもりながら、母親は思わず、白貂をあしらった真紅の法服をまとって法廷に座ったり、国家的危機のさなかで容赦なく重大な計画を指揮したりする彼の姿を想像してしまうのだった」。「もはや」を使えば、「もう」というニュアンスも取り入れながら、同時にso that構文の持つ「程度」の意味合いもカバーして強調させた形にできるのではないか。
  • そのほかこまかな箇所をちょっと変え、また、四段落目の終わりにあるラムジー氏の独白を倒置の形にした。つまり、「俺の子どもならばまだ幼いころから、人生の厳しさを、事実の動かしがたさを、そして伝説に語られたあの土地への旅、この上なく輝かしい我々の希望も光を失い、我々を乗せて運ぶ小舟はもろくも闇に沈み去ってしまうというあの神話の地への旅には(と、思考がここまでくるとラムジー氏はいつも背すじを伸ばし、水平線を見つめながらその青く小さな目を細めるのだった)、何をおいても、勇気と真実と、それに苦難を耐え忍ぶ力が必要だということを心得ておかねばならん」だったのを、「俺の子どもならばまだ幼いころから心得ておかねばならんだろう、人生の厳しさを、事実の動かしがたさを、そして伝説に語られたあの土地への旅、この上なく輝かしい我々の希望も光を失い、我々を乗せて運ぶ小舟がもろくも闇に沈み去ってしまうというあの神話の地への旅には(と、思考がここまでくるとラムジー氏はいつも背すじを伸ばし、水平線を見つめながら青く小さなその目を細めるのだった)、何をおいてもまず、勇気と真実と、それに苦難を耐え忍ぶ力が必要だということを」としたのだ。そのほうがなんか心中の独白っぽい感じになるかなと思ったし、前の形だとやはり主述間の距離が遠すぎてなんか流れが悪い。
  • その後、'But it may be fine'という夫人の台詞からはじまる第五段落をいくらか進めたが、ここでけっこう挑戦してみたと言うか、岩波文庫御輿哲也訳よりもはやい段階で夫人の独白調をはじめてみた。該当箇所をまず引いておくと、"If she finished it tonight, if they did go to the Lighthouse after all, it was to be given to the Lighthouse keeper for his little boy, who was threatened with a tuberculous hip; together with a pile of old magazines, and some tobacco, indeed whatever she could find lying about, not really wanted, but only littering the room, to give those poor fellows who must be bored to death sitting rake about on their scrap of garden something to amuse them." という原文で、御輿訳ではここは「もし今夜中に編み終わり、明日本当に灯台[ライトハウス]に行くことになったら、この靴下は結核性関節炎の疑いがある男の子のいる灯台守にプレゼントする予定だった。そのほか古い雑誌の束やタバコなど、特に必要でもないのに部屋中に散らかっているもののあれこれも、灯台の人たちの気晴らしのためにできるだけ持って行くつもりだった。何しろあの人たちは、ランプを磨いたり芯を切ったり小さな庭の世話をする以外は、一日中何もすることがなくて死ぬほど退屈しているに違いないのだから」となっており、"to give"あたりから夫人の声に入っていく感じなのだが、こちらは次のような文章にした。「もし今夜中に編み終わって明日本当に灯台 [Lighthouse] に行けることになったら、その靴下は小さな息子がいる灯台守にプレゼントする予定だった。というのも、その男の子は結核性股関節炎におびやかされていたからだ。それと一緒に古雑誌の束やタバコなど、本当は必要でもないのに見回してみれば部屋中に散らかっている雑多なあれこれも、何でも持っていってあの気の毒な人たちを楽しませてあげましょう、何しろあの人たちは、やることといえばランプを磨いたりその芯を切ったりちっちゃな庭を掃除したりするくらいで、それ以外は一日中座りこんで死ぬほど退屈しているに決まっているんだから」。"to give"の箇所から夫人の声に推移していく点は変わらないが、"give those poor fellows(……)something to amuse them"を口語的に訳した点が御輿訳との違いである(御輿訳では"those poor fellows"は「灯台の人たち」とされており、"to amuse them"は「気晴らしのために」と付け加えられている)。やはりこの"those poor fellows"をどう理解するかが勘所だと思うのだが、このthoseは「それらの」というような感じで前に出てきた灯台守およびその息子を中立的に受けることもできるし、「あの」という感じにして夫人の視点を盛りこむこともできるだろう。こちらは後者の言い方を取ったもので、御輿訳もいったん「灯台の人たち」としておきつつ文を締めてからあらためて「あの人たちは」と言う方式を取っている。原文の書き方にもどってみると、まず"a tuberculous hip;"とセミコロンで締めたあとに、"together with(……), to give(……)"という風にうしろから情報を付け足す形になっているので、"together with"あたりから文構造が明確に固まらずほどけていくような感じがあるし、進んで出てくる"poor"の語からは夫人の主観が入ってきているのではないかという気がするのだ。加えて、この小説の大きなテーマのひとつとして経済的階級性というものがあると思われ("lawnmower(芝刈り機)"が必要なほどの庭をそなえた別荘を所有している時点で、ラムジー一家が金持ちであることは冒頭の数行目から明らかである)、たしか夫人は社会福祉活動に熱心だという描写もあとで出てきていたはずで、よく覚えていないけれど福祉支援にはげむ上流層の偽善性をいくらか皮肉るみたいな雰囲気も作中にあったような気がするので、「あの気の毒な人たちを楽しませてあげましょう」という風に、ちょっと「上から目線」っぽい言葉でとりあえず訳しておいた。"their scrap of garden"を「ちっちゃな庭」としたのもおなじ意図からで、岩波文庫では「小さな庭」となっているけれど、「ちっちゃな」という言い方にしたほうが「上から目線」ぶりが出るかなと思ったのだ。ただこれはいくらか踏みこみすぎかもしれない。
  • いまのところできている訳文は記事下部に載せておく。
  • 五時で切ったが、料理をする前に身体をほぐしておきたかったので、Mr. Children『Q』を流しつつ柔軟。運動しながら窓外を見やると、大気は微弱な雨にけむっているような色合いで、外に出て風を浴びたいが降っているとすれば傘を差すのが面倒臭いなと思ったところで、昔の家の縁側というのはこういうときに便利だったのだなあと気づいた。降っていてもさほど濡れることなく、外気の感触や音に接することができるわけだ。西洋と比較したときの日本の文化的特質として「自然」を対象化せずにそれと一体的に生きるみたいなことがよく言われると思う。この紋切型も、本当に確かなのかな? という疑問をこちらは感じるのだが、たぶんある程度までは当たっているのだろう。家屋建築の観点からすると縁側という場所はそれを象徴するような空間になっているはずで、そこで人はなかば家の内にありながらも同時に外界の「自然」と触れ合うことができるわけなので、つまり縁側は内外をつなぎ仲介する中間的な場だということになる。昔の日本の住宅様式は、西洋のそれに比べるとたぶん、外となかのあいだの移行(自然 - 文化間の移行)がゆるやかで段階的なのだろうと思う。ただ西洋圏にそれと似たものがないかと言えばそんなことはないはずで、たとえばバルコニーというものがそういう機能を果たすこともありうるだろうし、サルトルがミラノ旅行を伝えた手紙のなかでそんなようなことを書いていた記憶もある。というわけでいま書抜きを見返してみたのだが、これはミラノではなくてナポリの話だった。

 (……)ただ、それらの部屋が生あたたかく、薄暗く、強く匂うので、そして街路が眼の前にじつに涼しく、しかも同一平面上にあるので、街路が人々を引き寄せる。で、彼らは屋外[そと]に出る、節約心から電灯をつけないですますために、涼をとるために、そしてまたぼくの考えではおそらく人間中心主義から、他の人々と一緒にひしめき合うのを感じたいために。彼らは椅子やテーブルを路地に持ち出す、でなければ彼らの部屋の戸口と路地に跨った位置に置く。半ば屋内、半ば屋外のこの中間地帯で、彼らはその生活の主要な行為を行なうのだ。そういうわけで、もう屋内[なか]も屋外[そと]もなく、街路は彼らの部屋の延長となり、彼らは彼らの肉体の匂いと彼らの家具とで街路を満たすのだ。また彼らの身に起こる私的な事柄でも満たす。したがって想像してもらいたいが、ナポリの街路では、われわれは通りすがりに、無数の人々が屋外に坐って、フランス人なら人目を避けて行なうようなすべてのことをせっせと行なっているのを見るわけだ。そして彼らの背後の暗い奥まった処に彼らの調度品全部、彼らの箪笥、彼らのテーブル、彼らのベッド、それから彼らの好む小装飾品や家族の写真などをぼんやりと見分けることができる。屋外は屋内と有機的につながっているので、それはいつもぼくに、少し血のしみ出た粘膜が体外に出て無数のこまごました懐胎作用を行なっているかのような印象をあたえる。親愛なるヤロスラウ、ぼくは自然科学課目[P・C・N]修了試験の受験勉強をしていたとき、次のことを読んだ。ひとで[﹅3]は或る場合には《その胃を裏返し[デヴァジネ]にして露出する》、つまり胃を外に出し、体外で消化をはじめる、と。これを読んでぼくはひどい嫌悪感をもよおした。ところが、いまその記憶が甦ってきて、何千という家族が彼らの胃を(そして腸さえも)裏返しにして露出するナポリの路地の内臓器官的猥雑さと大らかさを強烈にぼくに感じさせたのだった。理解してもらえるだろうか、すべては屋外にあるが、それでいてすべては屋内と隣接し、接合し、有機的につながっているのだ。屋内、つまり貝殻の内部と。言い換れば、屋外で起こることに意味をあたえるのは、背後にある薄暗い洞窟――獣が夕方になると厚い木の鎧戸の背後に眠りに戻る洞窟――なのだ。(……)
 (朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』(人文書院、一九八五年)、83~84; オルガ・コサキエヴィッツ宛; 1936年夏)

     *

 (……)ナポリにはぼくたちがイタリアのどこでも見なかったものがある、トリノでも、ミラノでも、ヴェネツィアでも、フィレンツェでも、ローマでも見なかったもの、つまり露台[バルコニー]だ。ここでは二階以上の階の扉窓にはどれも専用の露台が附属していて、それらはまるで劇場の小さなボックス席のように街路の上に張り出し、明るい緑色のペンキで塗られた鉄格子の柵がついている。そしてこれらの露台はパリやルワンのとは非常に異なっている、つまりそれらは飾りでもなければ贅沢品でもなく、呼吸のための器官なのだ。それらは室内の生あたたかさから逃がれ、少し屋外[そと]で生きることを可能にしてくれる。いってみれば、それらは二階あるいは三階に引き上げられた街路の小断片のようなものだ。そして事実、それらはほとんど一日中そこの居住者によって占められ、彼らは街頭のナポリ人が行なうことを二階あるいは三階で行なうわけだ。ある者は食べ、ある者は眠り、ある者は街頭の情景をぼんやり眺めている。そして交流[コミュニケーション]はバルコニーから街路へと直接に行なわれ、部屋に一度入り、階段を通るという必要がない。居住者は紐でむすばれた小さな籠を街路におろす。すると街頭の人々は場合に応じて籠を空にするか、満たすかし、バルコニーの男はそれをゆっくりと引き上げる。バルコニーはただ単に宙に浮いた街路なのだ。
 (89~90; オルガ・コサキエヴィッツ宛; 1936年夏)

  • 運動ののち、料理へ。長いインゲン豆を茹で、ブナシメジと鶏肉をソテーする。ローズマリー、粉の出汁、味の素、ニンニク醤油、名古屋味噌、味醂などさまざまな調味料を入れて味つけ。おかげでなかなか美味いものになった。できあがると丼の米に乗せ、サラダとともにもう食事。新聞を読みつつ腹を満たし、皿を洗うと緑茶を持って帰室。今日の日記を書くのだが、To The Lighthouseについて記すのになぜか時間が掛かって、書きはじめてからもう一時間も経ってしまった。現在はちょうど七時半。やはり外気に触れたい気はする。
  • 上階へ。父親が帰ってくると言うので風呂に入ることにしたが、その前に玄関の外にちょっと出た。雨がそこそこの厚みで降っているなかに、隣家からただよってくるのか、コロッケみたいなにおいがわずかに感じられた。戸口を囲んでいる柵と軒のあいだに蜘蛛の糸が一本渡されているのが道の黒さに浮かんで見え、向かいの宅の前、電灯を掛けられた樹の梢は濡れた葉をこまかく光らせており、雨粒に打たれて宿り場が一瞬揺らぐためだろう、その光点は、虫が翅をひらいては閉じるように薄れてはもどる動きを至るところでくりかえす。風は流れず、空気の微動もほぼ感じられず、隣の空き地に立った旗も今日はくねらず沈黙しているが、それは雨水を吸って重くなったからだろう。数分のあいだ、雨と沢の音を聞く。
  • その後、入浴。さほど時間を掛けずに出て部屋に帰ると、アコギを弾いた。いつもやっている適当なブルースとか即興を録音しておけば一年後にでも聞いて成長がわかるかもしれないということで、先日マイクによる録音を試みたのだが、それは音質がクソだったので今日はラインで録ることにした。と言ってパソコンに接続されているオーディオアンプにギターから直接シールドをつないで、ソフトもWindowsに付属しているサウンドレコーダーを使うだけという手抜きぶりで、実際録ってみると音質はやはりクソなのだけれど、まあとりあえず聞ければ良いかということで適当に三回録った。これだったらマイクの位置を調整したほうが良い音になるかもしれないが、むしろもうそれなりのレコーダーをひとつ買ったほうが手っ取り早いのだろう。聞き書きをやるときにも使う予定だし。ひとまず今日のところは我慢し、九時四〇分ごろまで楽器で遊んで、録った演奏はブログとかにあげて残しておこうと思っていたが、noteの音声アップロードはmp3でないと対応しておらず、ところがWindowsサウンドレコーダーはなぜかwmaで録音される。それでOnline UniConverterとかいうサイトで変換しつつ、はてなブログには音楽をアップロードできるのかなと調べてみると、なんかよくわからんがDropboxを使わなければならないらしい。Dropboxは以前たしか登録した気がするのだが情報を忘れたのでGoogleのアカウントであらためて登録し、ダウンロードとインストールをしたのだけれど、そのためにコンピューターがやたら重くなったので一度落として回復させることにした。
  • それでシャットダウンし、ベッドに転がってウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)を読んだのだけれどじきにちょっと眠ってしまい、床を離れたのが一一時半過ぎ。コンピューターをまた点けて録った音源を聞いてみたところ、そんなに悪くないように思われ、格好良く弾けている箇所も多少はある気がする。mp3に変換したそれらをnoteに投稿しておき、Dropboxをせっかく用意したがそれを使うのもなんか面倒臭くなったので、はてなブログのほうにもnoteの記事を貼っておけば良いかと落として、演奏を聞きつつ六月一六日を書き(書くことがすくなくてすぐに仕上がった)、今日のこともここまで記せば午前一時。音源のURLは下。
  • 小さな豆腐とカレーの挟まったパンをコーンスープを用意してきて、Uくんのブログを見ながら食い、その後書抜き。バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス、二〇一六年)。かなり久しぶりにできた。毎回言っていることだけれど、書抜きもやっていかないといい加減やばい。この本なんて、三月下旬に読んだものだ。打鍵のあいだはnoteでまた自分の演奏を聞いていたのだが、遊びなのでもちろんミスもあるし拙い部分も多いけれど、意外に良いのでは? と思った。
  • その後、FISHMANS『Oh! Mountain』を流す。#3 "RUNNING MAN"で左から聞こえる音が良い。チャカポコやっているのでたぶんワウか何か噛ませたギターではないかと思うのだけれど、豊かな残響をまといながら波打つ感触が気持ちよく、耳を愛撫されているような感じ。書抜き後もウェブを見ながら聞いていたのだが、FISHMANSってやっぱりすごいなと思った。演奏はもちろんなのだけれど、#4 "夜の想い"の途中で「動き出してるこの空 走り出した白い犬/動き出してるこの空 走り出した白い犬/明日は何があるのかね あなたは誰に会うのかね/明日は何があるのかね あなたはどこに いるの」とくりかえす箇所を聞いたときにあるかなしかの叙情性が香りひろがって、いや、これでいいんだよなと思ったのだ。愛だの希望だの絶望だの哀しみだのなんだの、大げさな類型に落とし入れた感情を直接歌い上げるしか能のない人々はこの控えめさを見習ったほうが良いんじゃないか。こんなすかすかの、薄っぺらなこときわまりない言葉にもやわらかなにおいとほのかな彩りと、それでも確かな手触りを持った質を付与することができるのだ。これが機微というものだと思う。それはもちろん言葉だけの問題ではなく、その背景をなしている演奏とメロディ・リズム間の結合と佐藤伸治の歌声があってのものに違いないだろうが。#8 "感謝(驚)"もやはりこの上なくすばらしい。とりわけ間奏のベースとBパートのギターがすごい。ここまで気持ちのよいリズムを生み出しているバンド演奏をこちらはほかに知らない。かなり不思議なことのように思うのだが、充実して密に埋め尽くされた種類の完璧さとは違うタイプの完璧さ、隙間が至るところにひらいていて風通しのよい、浮遊的な完璧さみたいなものがここで実現されている気がする。全人類が聞いたほうがよい。
  • それからなんとなく久しぶりに音楽をきちんと摂取する気になったので、Bill Evans Trioを聞くかというわけで例によって"All of You (take1)"を再生した。以前の印象から進歩していないのだけれど、Bill Evansのピアノを聞いたときにまず顕著に感じるのはこの上ない均整の感覚で、音の配置がとにかく整っている。くわえて、最初から最後まで彼の呼吸(ペース)は一定であまりにも乱れなく、変な話なのだが〈展開しない〉というような感じがある。こう言ったとして自分の感じたことをうまく言い表せてはいないのだが、Scott LaFaroPaul Motianもそれぞれ音楽の流れに合わせて呼吸を変化させて〈展開する〉し、もちろんそれが再帰的に音楽の流れを生み出していくわけだけれど、Evansだけはそれらの揺動から触れられないところで、完璧に超然と我が道を行っているような感じを受ける。現実にはそんなはずはないと思うが。彼はほとんど最高度に洗練された構造主義者だと言うか、構造的感性がとにかくやばくて、何を弾いてもぴたりとはまってしまうような調子で、隙がまったく、一瞬もない。こういう弾き方をするにはやはり相当な集中力がいるのではないかと言うか、集中と言うよりほとんど音楽そのものになるというような同化的変容の能力が必要なのではないかと普通に思うのだけれど、一体何がEvansにこうさせたのか不可思議ですらある。苛烈なまでの、鋭く鬼神的な整い方だ。やはりなんか実存的な生理に根ざしたものがあったのだろうか?
  • 四時半で寝床に移ってコンピューターで遊び、六時直前に就寝へ。ホトトギスの声を聞いた。もう七月も終わりだから、なかなか長い。例年このころまで鳴いていたのだろうか?


・読み書き
 14:04 - 14:47 = 43分(日記: 7月28日)
 14:52 - 15:13 = 21分(日記: 7月28日 / 7月27日)
 15:21 - 16:59 = 1時間38分(Woolf: 4/L14 - L25
 18:26 - 19:31 = 1時間5分(日記: 7月28日)
 22:28 - 23:00 = 32分(シェイクスピア: 92 - 110)
 23:54 - 24:22 = 28分(日記: 6月16日)
 24:29 - 25:02 = 33分(日記: 7月28日)
 25:13 - 25:20 = 7分(ブログ)
 25:41 - 26:27 = 46分(日記: 7月27日)
 26:32 - 27:13 = 41分(ジョンソン: 238 - 241)
 27:40 - 28:03 = 23分(日記: 7月28日)
 計: 7時間17分

・音楽
 20:14 - 21:43 = 1時間29分(ギター)
 28:14 - 28:25 = 11分(Evans Trio)


 「ええ、もちろん、もし明日、お天気だったらね」 ラムジー夫人はそう言って、「だけど、ヒバリさんと同じくらい早起きしなくちゃね」と付け加えた。
 たったこれだけの言葉が息子にとってははかりしれない喜びをもたらすことになり、まるで遠足に行けるということはもう確かに定まって、幾星霜ものあいだと思えるほど長く待ち焦がれていた魅惑の世界が、一夜の闇と一日の航海とを通り抜けたそのすぐ先で手に触れられるのを待っているかのようだったのだ。彼はまだ六歳に過ぎないとはいえ、ある気持ちを別の気持ちと切り離しておくことができず、未来のことを見通してはそこに生まれる喜びや悲しみでもって、現にいま手もとに収まっているものにまで覆いをかけずにいられないあの偉大なる一族に属していたのだが、その種の人々にあっては、もっとも幼い時期からでもすでに、ほんのすこし感覚が転じるだけで陰影や光輝を宿した瞬間が結晶と化しその場に刺しとめられてしまうものなので、床に座りこんで「陸海軍百貨店 [Army and Navy Stores]」のイラスト入りカタログから絵を切り取って遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母親の言葉を耳にしたときちょうど手にしていた冷蔵庫の絵に、まるで天にも昇るかのような無上の喜びを恵み与えたのだった。その絵は、歓喜の縁飾りを授けられたわけである。手押し車や芝刈り機、ポプラの樹々の葉擦れの響きや雨を待つ葉の白っぽい色、それにまたミヤマガラスの鳴き声や、窓をこつこつ叩くエニシダのノック、ドレスが漏らす衣擦れの音――こういったすべてのものたちが彼の心のなかではそれぞれ鮮やかに彩られ、はっきりと識別されていたので、それはもはや自分だけのひそやかな暗号を、いわば秘密の言語を持っているようなものだった。とはいえ、その秀でた額と激しさを帯びた青い目には妥協をまったく許さぬ厳格さがうかがわれ、人間の弱さを目にすればちょっと眉をひそめてみせるほどに申し分のない率直さと純粋さがこめられてもいたので、鋏をきちんと丁寧に操って冷蔵庫の絵を切り抜いている息子の様子を見まもりながら、母親は思わず、白貂をあしらった真紅の法服をまとって法廷に座ったり、国家的危機のさなかで容赦なく重大な計画を指揮したりする彼の姿を想像してしまうのだった。
 「だがな」と、そのときちょうど通りかかった父親が、客間の窓の前で足を止めて言った。「晴れにはならんだろうよ」
 斧でも火かき棒でも、とにかく父親の胸に穴をぶち開けて彼を殺せるような何らかの凶器が手もとにあったならば、このときジェイムズはその場ですぐにそれを掴み取ったことだろう。ただそこにそうしているだけでラムジー氏の存在は、それほどまでに激しい感情の揺れ動きを子どもたちの心中にかき立てるのだった。ナイフのように痩せておりその刃にも似て鋭い細身の彼はいまもまた、いかにも皮肉っぽくにやつきながら立ち止まっていたのだが、それは単に息子の幻想を打ち砕き、また、(ジェイムズが思うには)あらゆる点で彼自身より一万倍もすばらしい夫人を馬鹿にして楽しむためばかりではなく、自身の判断力の正確さに対するひそかなうぬぼれに耽るためでもあったのだ。俺の言うことは本当だ。いつだって本当のことしか言わない。嘘なんてつけるはずもないし、事実に手を加えてねじ曲げたこともない。この憂き世に生きるどんな人間を前にしても、その喜びや都合におもねって不愉快な言葉を言い換えてはならないし、まさに自分の腰から生まれ出た子どもたちを相手にするならなおさらそうだ。俺の子どもならばまだ幼いころから心得ておかねばならんだろう、人生の厳しさを、事実の動かしがたさを、そして伝説に語られたあの土地への旅、この上なく輝かしい我々の希望も光を失い、我々を乗せて運ぶ小舟がもろくも闇に沈み去ってしまうというあの神話の地への旅には(と、思考がここまでくるとラムジー氏はいつも背すじを伸ばし、水平線を見つめながら青く小さなその目を細めるのだった)、何をおいてもまず、勇気と真実と、それに苦難を耐え忍ぶ力が必要だということを。
 「でも、晴れるかもしれませんよ――晴れるといいんですけど」とラムジー夫人は言って、そのとき編んでいた赤茶色の長靴下を、いらいらした様子でちょっとひねってみせた。もし今夜中に編み終わって明日本当に灯台 [Lighthouse] に行けることになったら、その靴下は小さな息子がいる灯台守にプレゼントする予定だった。というのも、その男の子は結核性股関節炎におびやかされていたからだ。それと一緒に古雑誌の束やタバコなど、本当は必要でもないのに見回してみれば部屋中に散らかっている雑多なあれこれも、何でも持っていってあの気の毒な人たちを楽しませてあげましょう、何しろあの人たちは、やることといえばランプを磨いたりその芯を切ったりちっちゃな庭を掃除したりするくらいで、それ以外は一日中座りこんで死ぬほど退屈しているに決まっているんだから。だって、一度に一か月も、それどころか嵐のときはもっと長く、テニスコートくらいの広さしかない岩の上にずっと閉じこめられていたいなんて思う? と夫人はよく問いかけるのだった。手紙も新聞も見られないし誰にも会えない、結婚していても奥さんにも会えないし子どもの様子もわからない――病気になっていないか、転んでしまって手や足でも折ってやしないか、それもわからないのよ。

2020/7/27, Mon.

 [「水晶の夜」]事件の捜査指揮はゲスターポの専権となったが、その後の刑訴手続きはナチ党裁判所が執り、犯罪行為についてどの刑事罰に相当するかの判断をナチ党が独占した。ヒトラーへの免訴願が出され、党による処罰も「真っ当なナチ党員の態度・出動準備態勢に即し目的を逸脱した場合に限る」とし、殺人・放火・破壊行為など荒れ狂ったにもかかわらず、正規の裁判所への犯人引き渡しは「不純な動機」にもとづく性犯罪(「人種醜態」)・略奪のみに限られた。ユダヤ人殺害も刑法犯罪にあたらず政治的行為であり、司法介入の余地はないとされ、犯罪を犯した者たちは罪を問われなかった。(……)
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、58)



  • 一二時三〇分ごろ離床。たぶんそれ以前には覚めなかったようで、記憶がなんら残っていない。曇天もしくは雨天で室内はだいぶ薄暗い。
  • 上階に行くとガス台の上のフライパンには肉じゃががこしらえてあり、即席カップのちゃんぽん麺も置かれてあったのでそれらを食べることに。普段は居間の食卓で新聞を読みながらものを食べるが、カップ麺の類はなんとなく自室でコンピューターを見ながら食えば良いかという気になるもので、風呂を洗ったあと(窓外に響くホトトギスの声)、肉じゃがとともに持って帰室した。食事を取りつつインターネットを回り、その後、そのまま数時間ものあいだだらだらしつづける。
  • 途中で茶をつぎに居間に上がったときだろうが、ウグイスと蟬たちとカラスの声が外空間で重なり合うのを聞いた。蟬で言えば最初に居間に上がった際にも南窓の網戸にとまって叫んでいるものが一匹いて、あれはアブラゼミニイニイゼミか、けたたましい声を室内にひろげていたが、トイレに行ってもどってくるとすでに去っていた。
  • インターネットを回って遊んだが、合間、ボールを踏んだりベッドで脹脛をほぐしたりしているのでそんなに無駄な時間でもない。六時前にいたるとようやく食事の準備に行った。と言って大したことをやる気はなく、と言うか米を炊いて餃子を焼くくらいのつもりしかない。炊飯器から余った米を取り、新たに四合弱を磨いでスイッチを入れておくと、餃子は米が炊ける頃に焼いてそのまま食事に入ることにして、一旦室にもどって今日のことを記述しはじめた。 amazarashi『MESSAGE BOTTLE』を流してみたのだが、いまのところ特に面白くはない。ボーカルの歌は低音域では息をはらみがちで、高音を出すときの声の張り方にしてもときおり付与されるざらつきにしても、いかにも切実という印象を与えるものであり、鬱々とした屈託をおりおりに示す歌詞もあいまって感情性がかなり強く、そうした暗い方面の情緒を澄んで綺麗な曲調にくるんで浄化的に昇華したという感じで、なんと言うかたしかに「今時の若者」に受けそうと言うか、ナイーヴ気味な陰鬱さを抱えているような人に好まれそうなセンチメンタルな色合いがあって、一定以上のひろい「共感」を呼ぶだろうということは容易に理解できるものの、こちらにとってはその感情性は重く、押しつけがましく、いくらか鬱陶しいと感じられてしまう。「透明感に満ちた」とでもお手軽に形容されそうな楽曲自体のいかにもな「綺麗」さとかコード進行とかにしても、いまのところ特に興味を惹かれる瞬間は見られず、たとえばThe FrayとかColdplayとかKeaneとかがやったことの範疇からほぼ出てはいないのではないか。普通にメジャーシーンに流通しているJ-POPの類もふくめてだいたいそうなのだけれど、こういったポップスの詞にはほとんど「感情」とか「思い」とか「観念」とか「イメージ」とか「比喩」とかしか出てこず、「風景」すらまったく描写されないことも多いし、なんらかの具体的な「時空」と、何よりも「事物」が圧倒的に欠けているのがこちらにはどうも腑に落ちない。もちろん、抽象的だからこそ人々がおのおのそれに自分を投影することができ、「共感」を呼び、世上にひろく流通するという仕組みになっているのだけれど、こちらにしてみれば、え、それでいいの? そんなに曖昧でふわふわしたコミュニケーションでいいの? とどうしても思ってしまう。と言うか、なんでそんなにやすやすと「事物」の手触りを捨象して「思い」に流れてしまえるのかな? という感じ。そこには結局のところ、自分しかないじゃん、と思ってしまうのだが。
  • 六時四〇分あたりで切り、上へ。餃子を焼く。AJINOMOTOの品。水も油もいらず、フライパンに乗せて熱しているだけで勝手にできあがるので楽だ。焼いている合間に冷凍されていた唐揚げを加熱してもう米を食べはじめる。餃子が焼けると米を追加してさらに食う。そのころには母親も帰ってきた。平らげて片づけると緑茶を持って帰室。六月一五日をまた進めているうちにほぼ九時に至ったが、なんだか重い眠気に襲われていたので休むことにして、Wes Montgomery『The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery』を流してベッドに仰向いた。音楽とともにまどろもうと思ったわけだが、その目論見は成功していくらか眠ったらしく、三曲目と四曲目を聞いた記憶がない。#5 "West Coast Blues"あたりから意識を取り戻したが、すぐには起き上がらずに自律訓練法めいて仰向けのままぴたりと静止し、死体を模しながらまだ休む。Wes Montgomeryの例の有名なオクターブ奏法というのはやはり特筆するべきなめらかさだ。停まっているあいだ、鼻の穴の付近がやたらと痒くなり、眠ったために体温も落ちたらしくややぞくぞくするような感じもあったのだけれど、意に介さずにその感覚を受け止めながら停止を続けた。
  • そうして九時半前に入浴に向かったところが帰ってきた父親が入っていたのでもどり、六月一五日をまた書いた。Wes Montgomeryが終わったのち、The Who『Live At Leeds』を流す。ものすごく久しぶりに耳にしたが、John Entwistleのベースプレイってわりと頭がおかしい類のもので、The Whoというバンドはこのライブ盤と『Who's Next』しかほぼ聞いたことがないのだけれど(図書館で借りた『Quadrophenia』のデータも一応手もとにありはする)、もっと集めて聞いてみても面白そうだなと思った。
  • 一〇時七分で仕上げて入浴へ。身体をいくらか伸ばしてから入湯。沢の響きが窓を埋める。それを聞いていると、やっぱり本当は一日一度は外に出て風を浴びたり世界の意味素を取りこんだりしたほうが良いのだよなあという気になって、あとで深夜にでも家の前に出て無為に耽ろうかなと思った。しかし本当にそうするか不確定。浴槽の横に出て頭を洗ったあと、排水溝のフィルターを掃除しておいた。おりおりやろうと思っているのだが、つい忘れてしまう。引っかかっている髪の毛を取り除き、湯に触れた精液のように白っぽく固まっている石鹸やシャンプーの滓をブラシで擦り取る。
  • 出ると母親がコーラ飲むと訊くのでいただくことにし、氷を入れたコップを二つ用意してまず母親の分を注ぎ、残りはもらって自室に持ち帰った。それを飲みつつ今日のことをここまで記述。一一時半である。何をしようか?
  • Mさんの『双生』をちょっと読みはじめてみることにした。相変わらずの修飾過剰な畸形的文構造。それ自体はMさんの持ち味だから良いと思うのだけれど、ただ、「未だその端々に辿々しさの僅かに残る発語もあるいはひょっとすると単なる老いの仕業でしかないのかもしれぬ口元」の「あるいはひょっとすると」とか、「祖父母の代に金品と交換して得たに違いない得体の知れぬ怪しげな家系図」の「得体の知れぬ怪しげな」とか、意味の距離がかなり近いと思われる類同的な言葉が連続して付されているのがちょっと冗語的で気になった。
  • 三段落目の冒頭、「道楽は芸事に限らなかった。町中を縦横斜めに走る無数の水路もまた遊興の的であった。狭く険しく荒ぶりながら山を抜けるのが本性でありながらその一帯だけは不思議に緩やかでたっぷりとしている流れの、二股に分かれたのがそのまま各々の道を辿るかと思いきや、膨らむだけ膨らんだのち再び萎んで一本に結ばれる復縁の相によって形作られた中洲に住まう人々であった」という箇所はちょっと、おっ、と思った。長い三文目の「(……)人々であった」という収め方にそう思ったもので、まずこの文では「(……)人々であった」に対応する主語が省略されている。普通、主語を省いて書くのだったら、それ以前の文で「人々」と置換されるべき語が主語として提示されているものだと思うのだけれど、ここでは一文目と二文目の主語はそれぞれ「道楽」と「水路」で、「人々」と交換 - 等置できるものではない。だからなんと言うか、この三文目はちょっといきなりな感を覚えると言うか、前の部分からわずかに隙間が挟まれているような感じがすると言うか、それは修飾部を取り除いて文を簡略化してみればたぶんよくわかると思う。この三つの文を構造的中核だけ抜き出した形で並べると、「道楽は芸事に限らなかった。水路も遊興の的であった。中洲に住まう人々であった」となるわけだ。二文目と三文目のあいだにかすかな段差が感じられないだろうか。なおかつ、この三文目の大半は「中洲」に付された修飾情報であり、ここで語られているような情報を提示するのだったら、通常はたぶん「人々」のほうを主語にして、「人々は(……)中洲に住まっていた」と書くほうが収まりが良いのだと思う。それに沿って先の要約を変換すると、「道楽は芸事に限らなかった。水路も遊興の的であった。人々は中洲に住まっていた」という連鎖になり、こちらのほうがたぶん流れとしてはスムーズに流れる感覚があるのではないか。ただ『双生』の語り方では、通常は主語に置かれると思われる「人々」が述部に回され、そこに向かって文中のほかの情報が修飾として一斉に収束し流れこんでいくような形を取っているわけで、これはなんと言うか、ばん! みたいな堂々とした提示感があるし、こういう書き方はこちらはやったことがないなと思って面白く感じたのだった。
  • Mさんの小説にはたぶん、「であった」という締め方の文を連続させる書き方がけっこう出てくると思うのだけれど、上に引いた箇所も、「町中を縦横斜めに走る無数の水路もまた遊興の的であった。狭く険しく荒ぶりながら山を抜けるのが本性でありながらその一帯だけは不思議に緩やかでたっぷりとしている流れの、二股に分かれたのがそのまま各々の道を辿るかと思いきや、膨らむだけ膨らんだのち再び萎んで一本に結ばれる復縁の相によって形作られた中洲に住まう人々であった。見ようによっては己の尾を噛む神話の蛇のようにひとつらなりとなっている流れによって外界と隔てられている一帯であった」という具合に三連続させられている。ただここでは、「であった」の内容はそれぞれ、「遊興の的」、「中洲に住まう人々」、「外界と隔てられている一帯」という感じで並列的である。その次の段落では、「不慣れな下駄履きがもたらしたのは乱脈であった。滅多矢鱈と掘り進められていく水路に応じてますます正確な拍子から逸脱していく一方の、こうなるとほとんど自暴自棄になって乱れ打つものとして聞こえなくもない一種狂おしい響きであった」という「であった」の反復が見られ、ここでは「乱脈」の内容が次の文でさらに掘り下げられ詳述される形が取られており、こちらはこういう語り方が好きである。同様の例として思い出すのは『亜人』のなかに書かれていた魅力的な比喩で、「生きるということは期せずして奏でられる音楽であった。はじまりからおわりへと心を方向づける旋律を厭い、なにごとかへの同期にむけて駆りたてるむきだしのリズムとささやかな音色の持続する変容だけがたしかな、ちょうど先住民らのあいだに代々伝わる儀式の伴奏を思わせる、そのような音楽であった」(17~18)というのがその記述だ。ここではどちらの文も「(……)音楽であった」で締めくくられており、それに対する修飾部が(プルースト(*1)を借用すれば水中花のように)展開させられているわけだから、同語反復的でもあり、換言的でもあり、掘進 - 詳述的でもある。この一節は『亜人』のなかでもかなり好きな箇所にあたるものだ。
  • *1: 「ちょうど日本人の玩具で、水を満たした瀬戸物の茶碗に小さな紙きれを浸すと、それまで区別のつかなかったその紙が、ちょっと水につけられただけでたちまち伸び広がり、ねじれ、色がつき、それぞれ形が異なって、はっきり花や家や人間だと分かるものになってゆくものがあるように、今や家の庭にあるすべての花、スワン氏の庭園の花、ヴィヴォンヌ川の睡蓮、善良な村人たちとそのささやかな住居[すまい]、教会、全コンブレーとその周辺、これらすべてががっしりと形をなし、町も庭も、私の一杯のお茶からとび出してきたのだ」(マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へⅠ』集英社、一九九六年、92~93)
  • ひとつの名詞のまわりにあらゆるイメージ・比喩・形容詞・アフォリズム、などなどをひたすら集めつづけることで名詞を〈混沌化〉させ(無内容化 - 真空化させ?)、もしくは宗教的儀式のように崇めたてまつるような小説というものはありえないのだろうか?(むしろ、詩でやるべきことなのか?) ロラン・バルトの語っていた「アルゴー船」(*2)と〈愛 - 言語〉(*3)。
  • *2: 「しばしば心にうかぶイメージ。(光輝く白い)アルゴー船だ。「アルゴー船員たち」がすこしずつそれぞれの部品を交換してゆき、その結果、ついにはまったく新しい船になってしまったが、船の名前と形を変えることはなかった。(……)ひとつの同じ名前のもとでさかんに結合をした結果、〈もとのもの〉はもう何も残っていない。アルゴー船とは、その名前のほかには何の起源ももたず、その形のほかにはいかなる自己同一性ももたない物体なのである」(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、52~53; 「アルゴー船(Le vaisseau Argo)」)
  • *3: 「(……)愛の呼びかけは、毎日、時の経過を通じて反復され、同じ文句で繰りかえされるものであるにもかかわらず、それは私によって発言されるその都度、ひとつの新しい状態をあらわすことになるのだ、と私には思われる。アルゴ船の一行がその航海の間に、船名は変えることなく、しかもその船には新装をほどこしていく、あれと同じように、愛し焦がれている主体は、同じひとつの感嘆のことばを通じて長い道のりを行く。そしてその間に、はじめにいだいていた求める心を次第に弁証法化しつつ、しかも最初の話しかけがもっていた白熱の光を曇らせることがなく、また、愛の働きと言語活動の働きとはまさに同一の文に対してつねにさまざまの新しい声調を与えることにほかならないと考え、そのようにして、いまだかつてなかったひとつの新しい言語を創作していく。それは、記号の形態は反復されるけれどもその記号内容は決して反復されることがない、という言語である。そこでは、話し手と愛する人は、ことばづかいというもの(および精神分析的な科学)によって私たちの心情すべてに強制されてしまうあの残虐きわまる《還元作用あるいは縮約作用》に対して、ついに打ち勝つことができるのだ」(佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルトみすず書房、一九七九年、174~175; ことばの働き Le travail du mot
  • 上とおなじ段落にはまた、「審美の豚となり浅ましく大地を穿り返す不届き者らの蛮行をとうとう見兼ねた土地の神による、それは一種の天罰だったのだろうか?」という文もあるが、こういう風に主部の「それは」を修飾のあとに回す形、挿入的と言うか部分倒置的と言うか〈シガーボックス的〉な書き方もこちらは好きだ。
  • あと、この点はMさんもやめると言っていたと思うけれど、やはり漢字とひらがなの表記は戦前戦後で変えるのではなくて作品全体をとおしてバランスの良い形に統一させたほうが良いような気がする。序盤を読んでみる限り、固いとは感じないのだけれど、漢字という記号の持つ短縮性と言うか、圧縮的な力がなんかもったいないなと感じられるところがあって、もっとひらがなを取り入れたほうが視覚的に伸び伸びとした感覚が出るのではないかと思う。たとえば、「夏の夕べには、腰を屈めて葉物を洗う夕餉前の姿や、熱を宿した裸足の爪先を浸して涼む人影が、畔の情景を恭しく形作った」という一文の終わりに「恭しく」という語が出てくるけれど、ここを読んだときこちらは、ああそうか、「うやうやしく」って漢字で書くとこうなってしまうのか、「うやうや」というひらがな二文字の伸びやかな反復が見えなくなってしまうのか、それはなんかもったいないなあ、という気がしたのだった。
  • 一時まで『双生』を読んだあと、Wikipediaから"Dancing mania"を読む。Dancing maniaと似た集団舞踏病的な現象としてイタリアには"Tarantism"というものがあり、これはLycosa tarantula(タランチュラコモリグモ)に咬まれることによって起こると信じられていたらしい。この蜘蛛は現在一般にタランチュラと呼ばれているあの毒々しくて巨大なやつとはまったく別物で、ターラントという街の近辺で見られる種だと言う。
  • 「三〇年つくり続けた折り鶴を燃やしたときの君の横顔」という一首が固まったが、そんなに面白いものではない。第五句(「とき」以降)は色々変えられると思うので、もうすこし探ってみたい気はする。
  • マクベスはダンカン王を殺す前は王殺しに対する「恐怖」をたびたび表明していたのだが、いざダンカンを殺害して自身が王位を得たあとはそれが「不安」に変わる。七六ページから七八ページにかけての独白にそれは語られており、そこではバンクォーが不安の対象として名を挙げられている(「バンクォーへの/おれの不安も根が深い。もって生まれた気高い気品は/不安の念を呼ばずにはおかぬ」、「あの男をおいてほかにはいない、おれの不安を/かき立てるものは」)。「恐怖」はたぶん、弑逆という行為そのものに対する情動で、ただ人を殺すこと自体には慣れているはずのマクベスが、「王」を殺すとなると途端に意気阻喪し怯えに支配されるのはなぜなのかという点がいまだ明確にわからない。ともあれ、それに対して「不安」は普通に考えればバンクォー(やほかの者)に王位を奪われることへのおそれなのかなと思ったのだが、七六~七八ページの独白を見ると、それよりもむしろ「無意味さ」への「不安」が強いのではないかと思われた。関連する行が多いので、やや長めに下に引いておく。

 おれの頭上には実を結ばぬ王冠を押しつけ、
 おれの手には不毛の王笏[おうしゃく]を握らせておいて、
 それを血のつながらぬものの手にもぎとらせ、
 おれの子供にあとを継がせぬ気か。そうだとすれば、
 バンクォーの子孫のためにおれはこの手を汚し、
 あの慈悲深いダンカンを殺したことになる。
 バンクォーの子孫のためにおれはこの平和な心の杯に
 憎悪の毒をもったことになる。おれの永遠の魂を
 人間の敵悪魔に売りわたしたのも、彼らを王に、
 バンクォーの子孫を王にするためだったのか!
 (77~78)

  • つまりマクベスの「不安」は、せっかく弑逆を成し遂げて王位を手にしたはずなのに、結局その地位は彼自身の子孫には受け継がれないということ、したがって多大なる恐怖に耐えそれに逆らいながら敢行した「王殺し」という過去の自分の行為が無意味だったと証されてしまう可能性に向けられたものなのではないか、と思ったわけだ。
  • おなじ独白のなかで、バンクォーは「恐れを知らぬ」と形容されている(77)。したがって、彼はその点でマクベス夫人と性質を共有する存在である(四四ページでマクベスは夫人に向けて、「恐れを知らぬその気性からは、とうてい男しか/生まれまい」と言っている)。バンクォーの「恐れ知らず」な性格はたしかにほとんどその登場と同時にあらわに示されており、マクベスとともに荒野で三人の魔女に遭遇したとき、彼は「おれはおまえたちの好意も求めず、/おまえたちの憎悪も恐れぬ男だ」(19)と雄々しく言い放っている。また、ダンカン王が殺害されたことが発覚した際にも、発見者のマクダフなどは恐ろしい恐ろしいとくりかえすのだけれど、バンクォーはその形容詞を口にせず、ただ「あまりにも残酷な!」(64)とか、「この血なまぐさい残虐非道の所業」(67)とか言うのみだ。もっとも六七ページではその直後に、「いまは恐怖と疑惑にふるえるのみだ」と続けて「恐怖」という言葉を使ってはいるけれど、ここのバンクォーの台詞は一同に向けて王殺しの真相を調べようと呼びかけ反逆者と戦う決意を表明しているものなので、この「恐怖」はバンクォーの個人的な真情を述べたというよりは、フォーマルな建前と解することができるだろう。「恐ろしい」という形容詞はこの劇にものすごくたくさん出てくるもので、それは天候の様子にすら付されるのだが、「恐ろしさ」の意味素を集めてみればそれがなんらかの体系をなしていることがもしかしたら見えてくるかもしれない。そのうちにやってみようかと一応思っているが、さしあたりいまは「王殺し」に関連する部分のみ拾って記録しておく。
  • まずマクベス。「なぜおれは王位への誘惑に屈するのだ、/それを思い描くだけで恐ろしさに身の毛もよだち、(……)」(25)、「手のなすことを見るな、目よ、たとえ/見るも恐ろしい行為を手がなすとはいえ」(30)、「憐れみが(……)天童の姿となって目に見えぬ大気の天馬にうち乗り、/その恐ろしい所業を万人の目に吹きつけよう」(40~41)、「不動の大地よ、/おれの足がどこに向かおうとその音を聞くな、/でないとおまえの小石までおれの居場所を告げ、/この場にふさわしい恐ろしい沈黙を破るだろう」(50)、「もうおれは/行く気にはなれぬ。自分がやったことを考えるだけで/身の毛もよだつ」(55)。
  • あの「恐れ知らず」のマクベス夫人でさえ、三四ページで一度だけ、王の殺害を「恐ろしい」という言葉で形容している(「あわれみ深い人情が訪れて、私の決意をゆさぶり、その決意が恐ろしい結果を生み出す邪魔をしないように」)。殺されたダンカンを最初に発見したマクダフも、二度に渡りその恐ろしさを叫びたてている。「おお、なんと恐ろしい! この恐ろしいできごと、/思いもよらぬ、口にも出せぬ」(61~62)、「マルカム! バンクォー!/その墓から立ちあがり、亡霊のように歩いてこい、/この恐ろしい光景にふさわしく!」(63)という調子だ。したがって、この劇では「王殺し」という行為はほぼ無条件的に「恐ろしい」ものなのだが、そのなかでバンクォーだけが先の「建前」を除いてはその「恐ろしさ」に言及していないわけで、彼の「恐れ知らず」性は際立っていると言えるだろう。
  • 八六ページでマクベスは、「不安がつづくここしばらくは、/国王の地位にある身を追従の流れにひたし、/作り顔を心の仮面として、本心をかくさねばならぬ」と述べており、「仮面/本心」という表裏二元論が見られるのだが、これは三五ページで夫人がうながしていたことに実質上応じた振舞いである(「世間を欺くには/世間と同じ顔つきをなさらなければ。目も手も舌も/歓迎の色を示すのです。うわべは無心の花と見せて、/そのかげに蛇をひそませるのです」)。この夫人の台詞についてこちらは、表(外面) - 裏(内実)間の接続を〈切断〉するよう誘う言葉だと理解していたのだが、八六ページでマクベスの言を受けた彼女は、今度は「もうそのようなお考えはお捨てになって」と諭しており、したがって今度は〈切断中止〉をするように説得している。
  • 八七ページに続くマクベスの台詞と、三三~三四ページにある夫人のそれとは、あきらかに対応していると思われる。

 (……)さあ、瞼を閉じあわせる夜よ、
 早くきてあわれみ深い昼の目を包んでくれ。
 おまえの血なまぐさい見えぬ手で、おれを蒼ざめさせる
 あいつのいのちの証文を、ずたずたに引き裂き
 無効にしてくれ。薄暗くなってきた。カラスが
 森のねぐらに帰っていく。
 昼の正直ものたちは首うなだれてまどろみ出す、
 夜の暗闇の手先どもは餌を求めてうごめき出す。
 (87)

 カラスの声までしわがれる、ダンカンが私の城へ
 運命の到来するのを告げようとして。さあ、
 死をたくらむ思いにつきそう悪魔たち、この私を
 女でなくしておくれ、頭のてっぺんから爪先まで
 残忍な気持でみたしておくれ! 血をこごらせ、
 やさしい思いやりへの通り道をふさいでおくれ、
 あわれみ深い人情が訪れて、私の決意をゆさぶり、
 その決意が恐ろしい結果を生み出す邪魔を
 しないように。この女の乳房に入りこみ、
 甘い乳を苦い胆汁に変えておくれ、人殺しの手先たち、
 いまもどこかで姿も見せず人のいのちを
 奪っていることだろう。きておくれ、暗闇の夜、
 どす黒い地獄の煙に身を包んで、早く、ここへ。
 (33~34)

  • まず中核的な要素として、「夜」に対して到来を呼びかけるという身振りが共通しており、この点でマクベスは知らずして夫人を反復している。そのほか台詞にふくまれている語彙や意味素にも共通性が見られるだろう(「あわれみ深い」、「包んで」、「いのち」、「カラス」、「手先」。また、不可視性(「血なまぐさい見えぬ手」と「姿も見せず」))。


・読み書き
 17:51 - 18:27 = 36分(日記: 7月27日)
 18:32 - 18:42 = 10分(日記: 6月15日 / 7月27日)
 19:29 - 20:55 = 1時間26分(日記: 6月15日)
 21:29 - 22:07 = 38分(日記: 6月15日)
 23:09 - 23:28 = 19分(日記: 7月27日)
 23:33 - 25:03 = 1時間30分(『双生』)
 25:08 - 25:38 = 30分(Wikipedia
 25:50 - 26:15 = 25分(Wikipedia
 27:50 - 28:55 = 1時間5分(シェイクスピア: 70 - 92)
 計: 6時間39分

・音楽

2020/7/21, Tue.

 職業官吏再建法公布後まもない一九三三年四月二五日には、「ドイツ学校・大学過剰解消法」が制定される。そこでは、ユダヤ系の生徒や学生の入学を生徒・学生入学者総数の1.5%に制限し、学籍のあるユダヤ人子弟の全体数についてもドイツの生徒・学生総数の5%を超えてはならないとされた。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、34)



  • 一二時四五分に起床。滞在は八時間二〇分ほどで、けっこう長くなってしまった。今日もまた天気は白濁的な曇りである。上階へ行き、焼いた豚肉やサラダや前日のスープ(エノキダケとシソのもの)の余りなどで食事を取る。テレビは録画されてあった吉田類の『酒場放浪記』。(……)
  • 母親の分もまとめて食器を洗い、風呂も洗うと緑茶を持って帰室。Mr. Children『Q』を流しだし、インターネット各所を確認したあと六月一〇日の日記にかかる。本文はすでに書き終えてあり、あとは新聞記事を写すだけである。六月六日の土曜日分から写していなかったので、そこから一〇日分までを一気に片づけてしまおうと思ったところが、六日の一日分を写すだけで一時間以上がかかるありさまで、とてもでないが三日分も四日分もやる気にならない。それで六日分を記録したのみで六月一〇日の日記は完成とした。新聞を写すのも手間がかかって面倒ではあるが、やはりやらねばならないと思う。個人的な記録としても有益だろうし、いずれこの日記を読むに違いない一〇〇〇年後の人間にとっても貴重な歴史的資料になるはずだからだ。
  • 『Q』のあとにはMr. Children『DISCOVERY』を流した。#3 "PRISM"が昔からけっこう好きで、いま聞き、歌ってみても気持ちが良い。歌詞にせよ曲調にせよ陰鬱さが濃く漂っていて、その暗さが根っから内向的だった往時のこちらにはよく馴染んだのだけれど、こういう曲はたぶん現在のMr. Childrenには作れないのではないか。暗いだけではなくてメロディラインやギターの音色などにわりと澄んだ感じの綺麗な色もあり、〈透明な暗鬱さ〉とでも言うようなニュアンスが感じられる。
  • 六月一〇日の日記に新聞記事を写して投稿を終えると、もう四時。さすがに現実の生と記述のあいだのひらきがやばいなと思わざるを得ない。メモ - 下書き - 清書という三段階の記述方式から脱しない限り、おそらくいつまで経っても現実に追いつくことはできず、距離は大きくなっていくばかりだろう。だからと言って力のこもっていない弛緩した一筆書きに戻るつもりはないが、ゆっくり丁寧に言葉を刻みながらもなるべく一回で書き終わる、というやり方にシフトしていかなければならないと思う。
  • 四時半前から石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)に触れる。四〇分ほど。二六五ページから。まず「『テル・ケル』」の断章。「『テル・ケル誌』の友人たち」、すなわちフィリップ・ソレルスとかジュリア・クリステヴァとかのことだろうが、「彼らの(……)独創性や〈真実〉は、彼らが、共通の、一般的で、非身体的な言葉づかいを、すなわち政治的な言語を受け入れていることから来ている」と最初にある。だからすくなくともバルトにとって言語の一般性はそれだけですでに「政治的」なものであり、ここから言語はつねにすでに「政治的」であると拡張的な結論を導出してしまっても良いんじゃないか? それはわりと納得が行くことだと思われ、日常的な発話や文章作品においてどういう言葉遣いや形式を選ぶかという点が(広い意味での)政治性と密接に関わっているということは理解されるだろう。たとえばガルシア=マルケスに『族長の秋』という作品があるけれど、あの小説は六つの長い章のそれぞれにおいて最初から最後まで改行なしに言葉が緊密に連続するという形式を採用しており、そういった文章を読める読者というのはあきらかに限られているから、ここですでにどのような読者を対象としどのような読者を排除するか(あるいは〈挑発〉するか)という選択が介在しているわけである。そのような、作品における形式や言葉遣いを通して作家はおのおの大勢的=体制的な価値観に対するみずからの立ち位置を定め、いわゆる「社会参加」(サルトル由来の概念)を行うというのが『零度のエクリチュール』で考察されていたことだったはずで、だから上の点においてはそのデビュー時からバルトの考えは一貫している。そもそも言語とは基本的にひとりでは成立しない共同体的なものであり、共同体があるからには人と人との関係があるわけで、人が人と意味および力のやりとりを行えばそこにおいては(広い意味での)政治が(つまり調整とか、交渉とか、闘争とか、対立とか、和解とかが)不可避的に発生するのだから、言語がそれ自体で本質的に「政治的」だったとしても何も不思議なことではない。そのように、言語がそれそのものでつねにすでに「政治的」なのだとしたら、「文学」作品を「政治」から切り離そうと考えるいわゆる「芸術至上主義」的な態度など根本的には不可能だと言うか、端的にこの世には存在しないということになるはずで(第一、「芸術至上主義」だってひとつの「政治的」選択にほかならないだろう)、すくなくとも「芸術至上主義」の理解と定義を更新する必要があるだろうと思う。こちらは「芸術」がつねに明示的に「政治」を志向していなければならないとは思わないけれど、一見「芸術至上主義」的な作品がその外観を(あるいは書き手当人の理解や言葉を)〈裏切って〉、ラディカルな形で「政治」と接続しその領野における何らかの可能性を提示するという事態は普通にありえると思うし、作品に含まれているそうした潜在性を目に見えるように掘り起こしてみせるという仕事は、普通に面白いものになりうるだろう。
  • 同じ段落中には、「――それなら、なぜ、あなたも同じようにしないのか。――まさしく、わたしがたぶん彼らとおなじ身体を持っていないからであろう」という問答が書きこまれており、この時期のバルトにとって「身体」という語はほとんどマジック・ワードと言うか、本人の言葉を使えば「マナ - 語」だったらしいのだが、そのあとですぐに、「身体とは、還元できない差異」であると簡潔に述べられてもいる。つまりバルトにとっては「身体」という言葉はある人間主体の唯一性や固有性を言い表す単語であって、彼の「身体」的固有性は(ひらたく言えばおそらく、彼は個人的な生理とか性分として)言語の「一般性」に馴染めないということだろう(「わたしの身体は〈一般性〉に、つまり言語のなかにある一般性の力に、慣れることができないのだ」)。
  • 「身体とは、還元できない差異」だと述べられた一文では、それは「そして同時に、あらゆる構造化の原理でもある(なぜなら構造化とは、構造の「唯一者」だからである。「絵画は言語活動か」を参照)」とも説明されているのだが、この点はどういうことなのかよくわからない。「構造/構造化」の対立というのはバルトにおいてはよく出てくる図式で、そこではたぶん、静的に停止しひとつの形として確定された「構造」と、「構造」を(絶えず?)新たに形成(生成?)しようとする動態としての「構造化」とが対比させられていて、バルトは静的に〈固まった〉ものが基本的に嫌いなのでもちろん「構造化」のほうに肯定的な価値が与えられているわけだけれど、「構造化」は「構造の「唯一者」」であり、「身体」こそが「構造化の原理」だというのはどういうことなのか。この箇所に付された訳注では、「唯一者」という語はマックス・シュティルナーの『唯一者とその所有』由来のものであり、その意味は「このわたし」「自我」であると説明されている。「身体とは、還元できない差異であり、そして同時に、あらゆる構造化の原理でもある」というのは、人が何かを「構造化」するとき、何かの「構造」を捉えたりそれを形成したりしようとするとき、その動勢は主体の唯一性である「身体」にもとづいて組織されるということだろうか? そして、「構造化とは、構造の「唯一者」だ」という部分を先の訳注にしたがって言い換えるなら、「構造化とは、構造における「このわたし」、言わば構造の「自我」だ」ということになるはずだ。だから、固有の「身体」にもとづいた「構造化」の動きこそが、(あらゆる?)「構造」の〈核〉であり〈魂〉のようなものだというイメージになる気がするのだが、そう言ってみてもいまいち腑に落ちてはこない。
  • それは措いておきつつ先に進むと、この段落のその後の記述(265~266)は、「もし、わたしが〈わたし自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう。だが問題は、生きて欲動的で悦楽的なわたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとするこの方法を、政治的装置が長いあいだ認めるかどうかということである」となっており、この箇所も一応わかるようなよくわからないような微妙な感じだ。上では「構造化」という語を「構造」を形成(生成?)する動きとして理解していたのだが、「もし、わたしが〈わたし自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう」という仮定を読むに、「平凡なもの」の「構造」を揺るがせ組み換えることで(いくぶんかの)「テクスト」に変換するような操作 - 働きのことを言っているのだろうかと思われる。意味論的に頑固に〈固まった〉「平凡な」政治的言説を、揺動をはらみつついくらかの拡散を志向する「テクスト」へと〈ほどいていく〉というようなことではないかと思うのだけれど、その後の文によればしかしその「テクスト」はどうやら外観上はもとの「平凡なもの」とあまり区別がつかない様態らしい。だからここからさらに換言すれば、「平凡」で「一般的」な、つまりわかりやすく、ひろく受け入れられ、反復 - 流通するような単一の〈雄々しい主張〉としての政治的言説のなかにひそかに差異をもちこみ(〈植えつけ〉)、部分的に縫い目の組成を組み替えることで単一性に回収されない潜在的複数性を忍びこませる、みたいな話ではないかなあと一応理解しているのだが、この考えをものすごく大雑把に飛躍しつつひらたく翻訳すると、要はいわゆるキャッチーな「物語」としての体裁を保ちつつも矮小化された「物語」に収まらない複雑さを実現するということではないか。「わたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとする」方法というのはそんな感じでは? とひとまず捉えている。ここで「平凡さ」に「戦闘的な」という形容語がついているのがちょっと気になったもので、「戦闘的な」などという言葉はロラン・バルトにあまりにもそぐわない語なのだけれど、これはたぶん、単一の〈雄々しい(勇ましい)主張〉を押しつけるような言語形式に(基本的には)ならざるをえない政治的言説一般の様相を「戦闘的な」と言い表しているのではないか。
  • その次は「今日の天気(Le temps qu'il fait)」の断章(266)。この断章はわりとわかりやすいと思う。まず、「パン屋の女主人」と交わされた「天気」についての短い会話から、「わたしは、〈光を見る〉ことが高尚な感受性に属しているのだと理解する」のだが、ということは「感受性」にも「高尚な」ものと「低俗な(通俗的な)」ものがあるということになるだろう。この「高尚/低俗」の度合いはたとえば天気や大気の受けとり方(バルトが書いている例は、夏の快晴の光を「とてもきれい」だと思うかどうか)に表れるもので、したがって、「大気ほど文化的なものはなく、今日の天気ほどイデオロギー的なものはないのである」という結論がくだされる。受容的感性の形式は生得的なものではなく(その要素もいくらかは含むかもしれないが)、社会 - 文化的なもの、すなわち「イデオロギー的」(階級 - 政治的)なものだということで、したがって「感性」は〈訓練〉によって形成される(教育されうる)わけだ。世間における通常の(通有的な)「感性」は「自然」なものなどではまったくなく、社会的諸力によってかたどられ、枠付けられ、固定化されている(「こういうものには(こういうときには)こう感じるものだ」という圧力は誰もが感じたことがあるのではないか?)。そして、「文学」とか「芸術」と呼ばれているもの一般は、そういう感受性の〈凝固〉をほぐし、〈感性的解放〉を実現する役割をひとつには担っていると考えられ、したがって、「感性」の領野を戦場とした政治的闘争というものが考案されうるはずだろう。そこにおける戦略の素材として、バルトがどこかで提示していた「ニュアンス学」の概念を接続することもできるのかもしれないが、「ニュアンス学」というのはこちらの理解するところ要するに「文学」の効能のひとつで、この世のあらゆる「ニュアンス」(意味の細片)に対する繊細な感受性を養う試みということだ。「文学」とは人に「ニュアンス」を教え、体感させてくれるものである。こうした話は、小林康夫が『日本を解き放つ』のなかで言っていたこととだいたい同じだろう。

 小林 それはまさにそのとおりなので、「感覚的」と言ったときに、一番大きな誤解は、われわれが常に、もちろんいろんなものを知覚し、感覚しているんだけれども、その感覚が、多くの場合は習慣によって統御されているわけです、かならずね。感覚はすでにつくられてしまっているというか。アートの、芸術の力が必要なのは、まさに、つくり上げられた、鎧のように出来上がってどうしようもない、この人間の癖となっている、癖の塊である感覚にひびを入れるためですよね。そこにひびを入れることで、はじめて、もう1回、世界との直接的なコンタクトが、なんらかの仕方で生まれてくる。それがない限りは、この感覚をそのまま延長すればいいなんてことはけっしてない。それは禅の修行だってそうで、あらゆるものは全部そこを目指しているわけじゃないですか。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、43)

  • で、ちなみにこの断章では、「高尚な感受性」はたとえば、「「はっきりしない」眺め、輪郭も対象もなくて〈具体的な形象のない〉眺め、透明感のある眺め、見えないものの眺め」(「非形象的な価値」)を受容できるかどうかによって判断されるものとされており、対して「パン屋の女主人」は「「絵のような」光」しか認識することができない。したがってバルトの説明によればひとつには、非形象性(〈かたちのないもの〉)を認知し、受容し、享楽できるかどうかということが、感受性の「高尚/低俗」を分類する「社会的」な「指標」だということになるだろう。
  • 手の爪が、さほど伸びているわけでもないのだが鬱陶しかったので(爪が指の先端をすこしでも越えると日常のさまざまな場面で皮膚に固い感触がつきまとってくるので鬱陶しく感じる)切ることに決め、しかしその前に身体も和らげたかったのでまず運動をした。それで合蹠前屈をしている最中に思いついたのだが、いま日課の記録として設けられている「作文」と「読書」を「読み書き」として統合することにした。たとえば今日もそうだけれど、日記に新聞記事を写しているときなど、これは果たして「作文」に当たるのか、それとも「読書」に当たるのかどちらなのか、読んだ文章を写しているわけだから書抜きと同じでどちらかと言えば「読書」なのではとも思うが、しかし写しながら思いついたことを書きつけることもあるわけで、そうすると書き物の要素も含むし、という具合にまるでどうでも良いカテゴリー的困惑を抱えながらも、一応日記作成の時間ということで「作文」に分類していたのだが、「読み書き」としてひとつの範疇にまとめてしまえば良いではないかという単純な解決策を、今日にいたってようやく思いついたのだった。今日の日記からこの方式を適用する。
  • Mr. Children『IT'S A WONDERFUL WORLD』を流して歌いつつ爪を整え終わって五時半に至ると、もう腹が減ったので食事を取ろうと上階に行った。夕食の支度をサボってしまったので、せめてアイロン掛けはやろうと腹ごしらえの前にシャツの皺を取る。テレビは列車での旅の様子を映しており、まだらに白い急峰のつらなる景色からしてスイスあたりかなと安直に推測し、「ベルゲン急行」という字も見られたのでまさかドイツはベルゲン・ベルゼンアンネ・フランクが死んだ強制収容所があった土地である)か? と思ったのだが、そうではなくて、ノルウェーの鉄道だった。出演しているのは松尾諭[さとる]という俳優で、この人は二、三年前にNHK連続テレビ小説に出演して美人の女性漫才師(その役を務めていたのはたしか広瀬アリスという人ではなかったか?)と組んだ冴えないパートナー、という役を演じていたなと思い出したのだが、そのドラマのタイトルのほうが蘇ってこなかったところ、のちほど食器を洗ったあとに母親が検索したタブレットを借りてWikipediaを見てみると、『わろてんか』だったことが判明した。四四歳だと言うのでちょっと驚いた。風貌からして普通に三〇代だと思っており、そんなに歳が行っているようには見えなかったためだ。
  • そのテレビ番組をアイロン掛けのあいだ、そしてその後の夕食のあいだも眺め続けた。こちらが見はじめたのはどうもオスロからミュールダール(Myrdal)という土地に向かっている途中の行程だったようで、旅人はまもなくミュールダールに到着し、そこから「フロム鉄道」(Flåmsbana)という路線に乗り換えた。この鉄道はなんでも世界でもっとも美しい景観の路線とか言われているらしい。駅に入線してきた列車の車体はかなり濃く深い緑色を一面に湛えており、ホームに立ち並んでいる乗客らの姿が、水たまりにものが映りこむときに似てぼんやりと液体的に霞んだ写像でその上に反映する。多言語による車内アナウンスのなかには日本語の放送も含まれていた。あのようなほとんど極北の地においても、このちっぽけな我らが島国の存在がそこそこ尊重されているらしい。この鉄道はときおり写真撮影や風景鑑賞のために停車してくれるらしく、一度は何とかいう滝のそばで停まり、松尾諭も外に出て観光客の集団にくわわり滝の水が岩肌を白く流れ落ちるさまを眺めるのだが、その滝のすぐ脇には真っ赤なドレスに身を包んで踊り舞っている女性がいるのだった。滝の精か何かをイメージしたものらしい(しかし、だったら青系統の衣装のほうが良かったのではないか?)。ほか、途中の山間で停車したときに、松尾が乗って窓から顔を出している列車とすれ違う形でもう一本の線路上を対向列車が通り過ぎ、巨大な芋虫の緩慢さでゆったりと進みながら深緑のなかに去っていく様子が捉えられたのだが、静止した植物相のなかで唯一動き続けるほそく大きな存在を映し出したその場面には、あ、これは映画だなと思った。
  • フロムという土地はソグネ・フィヨルドという湾の玄関口らしく、このフィヨルドはヨーロッパで最大のものであり、全長がおよそ二〇〇キロメートル、水深は一三〇〇メートルに及ぶとか言われていたと思う。フィヨルドというのは氷河によって浸食を受け削られた土地に海水が入りこんでできたものだと番組内でも説明されており、中学校の地理で教えるのでこちらも教科書的な知識としてそのくらいの理解はあったものの、あらためてこの番組を見てみると、かなり山の高いところまで上ってきているはずなのに、その高所に「海水」が入りこむって一体どういうことやねんと疑問を覚えざるをえない。フィヨルド内では特別印象に残ったシーンはないが、船の甲板からすぐ眼下に映された水の深い色とそこに生まれる波の質感はやはりすごかった。
  • そこからウンドレダール(Undredal)という村に移動。ゴートチーズで有名な土地らしい。したがってまず山羊と松尾の戯れが映されるのだが、山羊たちはおとなしくて人馴れしており、正直けっこう可愛かった。村長なのかなんなのか、村の名前と同じ名字を持っているらしい男性が旅人を案内し、教会を紹介する。一一四七年の創建とか言っていたと思う。また、北欧でもっとも小さな教会だとも述べられていたはずだ。ウンドレダール氏は複雑なつやを帯びた金属色の聖水盤(あれが聖水盤というやつだと思うのだが)を取り出して、この村の人はずっとこのボウルで洗礼を受けてきた、私も一九五二年にこれで洗礼されたんだよと話した。それだけでこちらなどわりと素直に感動してしまうと言うか、ここにも確かに昔から人がいて、いまもいて、時間の厚みがあるのだなあということがほんの一抹でも感じられると、実にやすやすと感動してしまってときには涙を覚えもするというロマンティックな性向がこちらにはある。しかし、こういう場合に意味とか解釈とか感情とか思いとかへの読み取り - 還元は端的に不要で、この世界で何よりも驚愕するべきなのは、何かがかつてあり、そしていまもあるというその存在性の字義的な厚みそのものではないのか? たとえばこの番組内でもナレーションによって、「自分の住む土地に誇りを持つということの大切さを教えてもらいました」みたいな注釈が付されていたのだけれど、いままで映し出されてきた空間と事物たちの具体性をよくもこんなに貧しい意味 - 物語に抽象化してしまえるなと思わざるをえない。こんな貧困極まりない「人間的」命題よりも、たとえばウンドレダール氏の身につけていたベスト(ヘラジカの皮を使ったものらしく、その素材は「エルキ」と呼ばれていた)の質感とか、教会の聖水盤の色艶とか、もちろんフィヨルドを構成する水と山と植物の風景のほうがよほどすばらしく価値があると思う。事物そのものがはらんでいる具体性に比べれば、上のような「人間的」意味などただのゴミだ。
  • 食後、食器を片づけて緑茶を用意。そのときにはテレビ番組は移行しており、「自然」の典型性を表したような草花の景観の上に女性ボーカルのポップスが流れていたのだけれど、目が悪くて画面右上の文字が読み取れなかったので何の曲かと母親に訊けば、Swing Out Sisterだと言った。"Now You're Not Here"という曲。音楽の全体的な残響感(とりわけスネアのそれ)や曲調があきらかに八〇年代のものだったのでSwing Out Sisterという名前には得心し(と言ってこのグループの音楽をきちんと聞いたことはないのだが)、どうせ八〇年代だろうと思っていたよ、これはたぶん八六年くらいの音楽だなと適当なことを言って自室に帰ったのだが、検索してみるとSwing Out Sister自体はたしかに八五年のデビューではあるものの、"Now You're Not Here"は九七年の発表らしいので、こちらの耳は節穴である。
  • 今日の日記を記述しつつMr. Children『BOLERO』を流す。#2 "Everything (It's You)"はとてもわかりやすい歌でわりと気持ちが良いが、歌詞と曲調の明快さにもかかわらず、桜井和寿の声色とちょっとねじったような発音の感じが斜に構えて生意気そうな雰囲気を醸し出しており、実に若々しくて良い。
  • (……)それで、父親がそろそろ帰ってくるとのことだったので、本当は夜歩きに出たいと思っていたのだけれど、仕方ない、今日は良いかとこれも気を変えて入浴してしまうことにした。湯に浸かりつつ瞑想めいて静止すると、この季節なので汗がだらだら湧いてきて頭や顔面や首の上をつぎつぎに、ナメクジの集団じみた緩慢なくすぐったさで這い落ちていってわずらわしく、身をすこしも動かさずにいるのが困難である。そのうちに父親の車が帰ってきて停まった音が聞こえたので、停止を解いて浴槽を抜け、髪や身体を洗って上がった。
  • 湯浴みを終えて帰室し、ここまで綴ると八時四六分。いま、くるり『アンテナ』を流しはじめたところ。このアルバムの#1 "グッドモーニング"はもちろん弾き語りたい。あと、#4 "ロックンロール"と#10 "How To Go 〈Timeless〉"も。今日はここまで、上述したように記録を取らずに最初から正式な文章として書いているのだが、これでも全然行けるし、こうしないとやはり永遠にノルマは解消されないだろう。
  • 一〇時四〇分まで六月一一日の日記を書いたあと、ベッドで書見。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)をようやく読了。ちょっと時間を掛けすぎた。二七〇ページには魚料理にかかっているものとして「グリビッシュソース」という語が登場し、なんやねんそれと思ったのだが、Wikipediaによれば「フランス料理で使われるマヨネーズ状の冷たい卵のソース」だとのこと。「固ゆでした卵黄とマスタードをキャノーラ油やグレープシードオイルのような植物油で乳化して作る。刻んだピクルス、ケッパー、パセリ、チャービル(Chervil)、タラゴンを加えて仕上げる」らしい。
  • あと気になったのはこの書物の最後の断章、二七三ページの「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」で、気になったと言うか例によってよくわからんということだけれど、とりあえずまずは全文を引いておく。

 「果てしなく続く衣服を身にまとっている女性を(もし可能なら)想像してみてほしい。その衣服はまさにモード雑誌に書かれていることすべてで織りなされているのである……」(『モードの体系』より)。このような想像は、意味分析のひとつの操作概念(「果てしなく続くテクスト」)を用いているだけであるから、見かけは理路整然としている。だがこの想像は、「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしているのだ。「全体性」は、笑わせながらも恐怖をあたえる。暴力とおなじように、つねに〈グロテスク〉なのではないだろうか(それゆえ、カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができるのではないか)。

 べつの言述。今日、八月六日、田舎で。光り輝く一日の朝だ。太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き。何もつきまとってこない。欲望も攻撃も。仕事だけがそこにある。わたしの前に。一種の普遍的な存在のように。すべてが充実している。つまり「自然」とはこういうことなのだろうか。ほかのものが……ない、ということか。〈全体性〉ということなのか。
  一九七三年八月六日―一九七四年九月三日

 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、273; 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」)

  • 「全体性」という概念の内実がいまいちよくわからないのだが、ひとまず、『モードの体系』の一節は「「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしている」と言われているのだから、すくなくとも第一段落において「全体性」がどちらかと言えば否定的な含意を与えられていることは確かだろう。一般的な意味で言う「全体性」とは何かと考えるに、ある物事をひとまとまりとして捉えたときのその全範囲とか、その全容を俯瞰的に(抽象化して)見たときの構造とか、たとえばそういう感じの説明になると思う。もちろん「全体性」にも物事の切り分け方によって異なるレベルがさまざまあるはずで、たとえば「東京都」を「全体性」として設定することもできるし、さらにひろく「日本国」の水準で考えることも、反対により狭く捉えて「(……)」の範囲に限定することもできるだろう。これは余談だけれど、以前東浩紀が「ゲンロンカフェ」でのイベントを収録した動画で(浅田彰と二人で対談したものか、中沢新一をくわえて鼎談したものか、それか千葉雅也をともなって浅田彰の還暦を祝ったときのものか、そのうちのどれかだと思うのだが)、哲学もしくは人間の思考というものは、いまや現実世界の「全体性」の拡大についていけていない、みたいなことを言っていた覚えがある。つまり、人の認識における「全体性」は、たとえば家庭→学校→地域共同体→国家という感じで範疇として拡大してきたのだが、いまや地理的・物理的に地球総体が「全体性」として繋がるような世界になってしまい、それに応じて概念としても「人類全体」という捉え方が過去のようにたんなる観念にとどまらず現実的な条件と重なるようになってきた。ところがどうも人間という存在にとっては、思考条件的に「地球全体」とか「人類全体」を「全体性」として考えることはかなり困難なようで、通常はせいぜい「国家」(すなわち、「国民国家」)のレベルまでしかその概念を拡張できないのではないか。ストレートに「全体性」の範囲を拡大していくやり方はもう行き詰まっているので、中身が充実していて隙間のない「全体性」として地球を捉えるのではなく、何かそれにかわるような形で世界や人類総体の捉え方を開発しなければならないというようなことを東浩紀は述べていたはずで、そのイメージとして、緊密に詰まっているのではなくて穴がぼこぼこ空いているような、ある意味で欠如や欠陥をたくさんはらみながら断続しているような「全体性」、という比喩を例示していたと記憶している。
  • それは余談である。バルトの本に戻ると、この断章の第一段落においておそらく「全体性」は、やや両義的でありながらもどちらかと言えば否定のほうにかたむいた概念として評価されていると思う。そもそも何かを「全体性」として捉えるとき、その物事の範囲と(大きな)形は確定され、輪郭と境界線が(つまり内と外が)さだかに区切られなければならないはずだから、これは「終わり」とか「完結」とかと順当に結びつく概念であるはずだ。「全体性」は完結し、終わりをむかえて閉ざされている。したがってそれはもっとも大きなレベルでは形態的に停止しており、〈固まって〉いるわけで、バルトは〈固まって〉いるものが基本的に嫌いだから彼が「全体性」を否定的に捉えていたとしても何も不思議ではない。この箇所で述べられている「果てしなく続くテクスト」という「操作概念」はもちろん、終わりに到達せずに「果てしなく続く」わけだから、端的に「完結」や「停止」に抗うものであり、その概念が「全体性」の「告発」を(ひそかに)「目ざしている」というのはたぶんそういうことだろう。
  • ただそのあと、「全体性」が「笑わせながらも恐怖をあたえる」というのはどういうことなのかいまいち体感として理解できない。その次の、それは「暴力とおなじ」で「つねに〈グロテスク〉」であるという点はまだしもわかるような気がする。ある物事を「全体性」として捉え確定させる思考のうちには、何がしかの「暴力」が含まれているように感じられるからだ。それはたとえば、ひとつの事態の複雑性を通有的な「物語」へと俯瞰的に抽象化するようなときに起こることだろうし、よりひらたく言えば、あらゆる人種差別的な主義信条だって典型的にそうなのではないか。「全体性」を(そのひとつの形態として)いわゆる(出来合いの、お手軽な)「物語」という概念にもし翻訳できるのだとすれば、「全体性」が「笑わせながらも恐怖をあたえる」ということも納得が行くような気がする。「物語」はたしかに面白く、容易に理解可能で、楽しみを与えてくれるものではあるが、「物語」に依存しすぎてそれに取りこまれてしまった思考には毒のような要素が含まれることもままあるし、その悪影響を外部に撒き散らすことももちろん多く、有害な種類の「物語」が力を持ちすぎれば「恐怖」という言葉が誤りになるほどの惨状をくりひろげることは充分にありうるからだ。そのことは二〇世紀の(まさしく「全体主義」の)歴史が証明している。そのあとに括弧で付されていることだが、そうした「全体性」が「カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができる」というのはやはりどういうことなのかまだよくわからない。まずもって「カーニバルの美学」とはいかなるものなのかこちらには何の知識もない。「倒錯」という言葉に集約されるような、日常的な秩序の一時的(例外的)逆転、というようなイメージくらいはあるけれど。
  • 後段に移る。『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のまさしく締めくくりである「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」の断章においては、上にもろもろ書いてきた前段よりも、むしろこの後段のほうが重要な意味を持っているのではないかという感覚があるのだが、ただその「重要な意味」を完全に明確にとらえることはまだできていない。「今日、八月六日、田舎で」というはじまり方にせよ、それに続く短い名詞の連続にせよ、書き手の〈体感〉を述べている点にせよ、この段落の記述には日記的なおもむきがあるけれど、それによればこの文を書いた主体はこの夏の朝に、「何もつきまとってこない」という感覚を体験したらしい。「つきまとう」という語は〈粘り〉のイメージを呼び寄せるものだが、ロラン・バルトは〈固まる〉ことと同様に〈粘る〉ことが嫌いである。面倒臭いのでいま正確な典拠を探すことはしないけれど、彼は色々な箇所で〈粘る〉ことを否定的に扱っていたはずだ(そもそも、「粘る」ことと「固まる」こととは類同的な状態ではないか)。この朝、ロラン・バルトは、「欲望」の〈粘り〉も感じず、「攻撃」に「つきまと」われることもなかった(何かから「攻撃」の意味素を受け取ることもなかったし、自分のうちに「攻撃」的な心的要素を覚えることもなかった)。こういう状態は、彼がたびたび述べていた〈中性〉という概念があらわす意味の一例ではないかという気がするのだけれど、しかしそれはおそらく「無為」とは違う。なぜなら「わたしの前に」は「仕事」が、すなわち〈やるべきこと〉があるからだ。だからいわゆる「東洋」の仙人風のイメージを帯びた「無為」とは異なり、バルトは意味からも義務からも完全に解放されているわけではないと思うし、このときはむしろ「すべてが充実してい」た。「充実」という語は密に詰まった状態を意味するから、そこには「動き」がなく、事象や事物は〈固まって〉いるのではないかという気がするし、そのことはここの記述の表現形式にもあらわされているように感じられる。なぜなら、彼がこの夏の朝に「田舎」(おそらくユルトの別荘を指しているはずだ)で体験した具体的な事物は、すべて名詞として並べられているからである(「太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き」)。名詞とは言うまでもなく、(すくなくとも日本語においては)活用せず、形としてほぼ変化しない(〈固まって〉いる)言葉である。もちろん現実の事態としては「暑さ」には波があるし、「花々」はたぶん大気の流れに揺らいでいるだろうし、「静けさ」が一瞬も乱されないということはないだろうし、「光の輝き」は一定の状態にとどまりはしない。ただ、ここで記述されている状況は、意味論的には〈固まって〉いるのではないかということだ。それにもかかわらず、それは〈中性〉に通じる事態としてとらえられているように見えるし、この「八月六日」の朝におけるロラン・バルトはあきらかに肯定的な状態を体験しているように思われる(こちら個人の主観では、バルトはここでほとんど恍惚的な自足状態に入っているようにすら感じられる)。
  • そして、おそらくさらに注目するべき言葉は次の一文である。「つまり「自然」とはこういうことなのだろうか」と書き手は自問するのだが、「自然」という語はロラン・バルトが一貫して闘いつづけ抗いつづけてきた、彼の最大の敵とすら言えるほどの概念であるはずなのだ。正確に言えば彼が闘争してきたのは「自然らしさ」に対してであり、それはまた「擬 - 自然」(偽 - 自然?)であり、要するに本当はまったく「自然」ではないのに歴史的起源を隠蔽されてあたかも「自然」であるかのように(この世の一番最初からそこにそのようにあったかのように)受け容れられている物事の暴力性なのだが、その闘争の果てに彼は、「自然」などというものはない、すべては「文化」であり(人為であり)「言語活動」であるという立場に至っていたはずである。ところがそういう個体であるはずのロラン・バルトがここでは、まさしくその身体でもって「自然」を〈体感〉している(すくなくともその可能性をみずから考え、認識している)ように見える。だからこの最後の段落は、この書物のなかでもロラン・バルトの活動全体のなかで見てもかなり重要なものなのではないかと思うのだけれど、そこで「自然」はまた、「ほかのものが……ない、ということ」、すなわち〈全体性〉なのだろうか、とも問われている。「ほかのもの」が「ない」ということは事態がそれ以上進まないということであり、付け加えるものが何もないということであり、意味がそこから滑り出していかないということであり、したがって「終わり」であり「完結」であり「停止」である。だからそれは上で見てきた「全体性」とおなじものであるはずなのだが、しかしこの書物における最後の文ではその「全体性」が、〈全体性〉に変化しており、あきらかに前段とは違う意味を帯びた言葉に変質している。だからこそバルトはこの段落の冒頭で、まず最初に、「べつの言述」という注釈を明示したのではないか。
  • 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」の断章前半において、「全体性」はどちらかと言えば否定的なニュアンスを与えられていたし、ロラン・バルトの活動を総体として見てもそうだろう。そして、「自然」の概念も同様なのだが、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の最後にいたって書き手は、それまでみずからが否定的なものとしてとらえ、闘争してきた対象が、反対に自分が長いあいだユートピアとして称揚してきた(それどころか「闘争」における戦術として利用すらしてきた)〈中性〉という概念に通じる側面を持っているということを、身をもって(「身体」において)まさしく〈体感〉してしまっているように見える。もしそのように理解することができるとすれば、この最後の記述はいわゆる「回心」の体験(たとえばルターやアウグスティヌスをはじめ、宗教者の経歴によく出てくるあの「啓示」)を書いたものとして読むこともできるのかもしれない。
  • さらに問題含みと言うか意味深なのは、最後の行に示されたこの著作の執筆期間をあらわす数字である。この二種類の年月日が執筆期間を示しているのは確かなことで、なぜなら書中のべつの断章(「友人たち(Les amis)」)に、最後の断章が書かれた日付としてこの「一九七四年九月三日」が明言されているからだ(「不思議な力によって、この断章は、すべての断章のあとに最後に書かれたのだった。いわゆる献辞のように(一九七四年九月三日)」; 85)。だから「一九七三年八月六日」のほうも素直に執筆がはじまった日を指していると考えて良いと思うのだが、そのときすぐに気づくのは、「八月六日」という日付は上でその意味合いを検討した最後の段落に書きこまれている数字であり、したがってバルトに「回心」が起こったまさにその日だということである。厳密に言えばこの「八月六日」は、「一九七三年」ではなく「一九七四年」のその日だという可能性もあるのだが、そのような偶然を考えてもそれ以上何の思考にも繋がらないのでそちらの道筋についてはいまは措く。この「八月六日」が「一九七三年八月六日」なのだとしたら、「何もつきまとってこない」「光り輝く一日の朝」を体験したそのおなじ日にバルトは『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の執筆をはじめたということになる。ということは、断章中で「仕事だけがそこにある」と言われていた「仕事」というのは、この書物のことなのか? また、この「回心」の体験があったからこそバルトは『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を書き出したのか? などと根拠のない想像をたくましくしてしまうことも避けられないが、しかしいま手もとにある情報の範囲ではそれを確定させることはできないだろう。いずれにしてもこの「八月六日」と「一九七三年八月六日」の一致は意味深長であり、意味深長であるということはその意味を明晰に見通して汲み尽くすことができないということなのだが、こんな一致はなんだかどうもできすぎじゃないかなあという気もしてくるもので、そうすると最後に据えられた数字も本当に真正な執筆期間を示しているのかどうか疑わしくもなってきて、作中すくなくとも三箇所に書きこまれているこれらの数字は、バルトがこの書物をひとつの「作品」として(虚構的に)構築するにあたっての戦略の一環だったのではないかという可能性も浮かんでくるけれど、先にも述べたようにそれを事実として確定させることはできない。
  • バルトを読み終えたあと、そのままウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)も読みはじめた。これは(……)くんに誘われたもうひとつの読書会(八月八日の土曜日にこちらは初参加する予定)の課題書である。小田島雄志の訳を読むのは初めてだが、日本語としてめちゃくちゃ精度が高くてすごいという印象は特に受けない。一一ページにはダンカン王に戦況を報告する将校の台詞として、「勝敗は定かではありませんでした、/泳ぎ疲れた二人がおたがいにしがみつき、/あがいているように」という言葉があるのだが、たんなる一介の軍人のくせにその台詞の一番最初からこのように比喩を用いて幾分回りくどい言い方をするあたり、なんだかシェイクスピアっぽいと言うか、いかにも昔の戯曲っぽいなという感じを受ける。
  • 一二ページには引き続き、敵の目の前に躍り出たマクベスが「別れのあいさつも握手も交わす間もなく、/みごと敵将の腹に突き刺した剣先を顎まで縦一文字、/その首をかき切って味方の胸壁にさらしました」と伝える将校の報告があるけれど、この描写はマクベスの膂力のすさまじさを短くも鮮やかに物語っているものと感じられ、ホメロスにでも出てくるような神話的英雄じみた戦士のイメージが喚起される。
  • 一四ページにいたるとまたべつの貴族(ロス)の報告によって、「戦の女神ベローナの花婿とも言うべきマクベスは、/無双の鎧に身を固め、(……)ついには暴れ馬の敵に轡をはめた次第」とスコットランドの勝利が語られるのだが、この「戦の女神ベローナの花婿」という表現は、先の将校の報告にあった「運命の女神も不義の軍にほほえみかけ、/逆賊の娼婦となるかに見えました」(11)というイメージと対応しているはずだろう。(「運命」もしくは「戦」の)「女神」は、一度はマクベスを裏切りほかの男に走ってふしだらな「娼婦」に身を堕とすかと思ったが、やはりマクベスのもとに戻ってきて彼を正式な「花婿」として認め、貞淑に受け入れてスコットランドに勝利をもたらしたというわけだ。
  • 一五ページ。「わがほうは、聖コルム島にて一万ドルの/賠償金支払いを命じ」とロスの発言に見られるのに、え、中世のスコットランドに「ドル」という貨幣単位があったの? この「ドル」はいまアメリカで使われている「ドル」とおなじなの? と疑問を持ったのだが、検索してみたところ、竹内豊「「マクベス」地誌考」(「室蘭工業大学研究報告 文科編」七巻・二号、一九七一年)という古い論考に、「ドルの起りは1519年ボヘミア Bohemla の Joachimsthal というところで採掘された銀を鋳造したに始まる。一方「マクベス」はマクベスがダンカンを殺した1040年が中心的時代であるから,この一万ドルというのはシェイクスピアアナクロニズムである」という註釈が発見された。
  • 一六ページでは魔女1の台詞中に、「あいつの亭主は船長で、いまアレッポに行っている」とシリアの都市が言及されているが、これもたぶん本当は一一世紀のスコットランドではまだ知られていなかった都市名なんじゃないか。英語版Wikipediaの"Aleppo"の記事にもMacbethにおけるこの参照は紹介されており、そこの説明によればOthelloにもやはりアレッポに対する言及があるらしい。
  • 一八ページの一行目では魔女三人が声を合わせて「運命あやつる三姉妹」と自称しているが、ということはこの胡乱な連中は一一ページに語られた「運命の女神」と、ある部分では性質をおなじくしていることになる。「運命の女神」に見はなされることなく気に入られ、おそらくそれと類同的な「戦の女神」の正式な「花婿」でもあったマクベスはしかし、この「運命あやつる三姉妹」によっていずれ破滅させられるだろう。
  • さて、マクベスとともにその魔女たちに遭遇したバンクォーはこの「三姉妹」の風貌を、「どう見ても/女のようだが、髭が生えているのは女とも見えぬ」(18~19)と語っている。したがってこの魔女たちは「女」でありながら同時に「非 - 女」でもあるわけなので、両義的な存在である。この連中の両義性は作品の冒頭、第一幕第一場からすでに示されているもので、と言うのも三人はそこで、「いいは悪いで悪いはいい」(10)と合唱しているからだ。この言葉はマクベスが舞台に登場してから最初に発する台詞のなかにもそのまま反響しており(「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18))、だからマクベスは、登場時点からすでにこの魔女たちの力に感染させられていると見なして良いだろう。
  • 読んでいて気づいたことは色々とあり、たぶん本当は関連する主題ごとにまとめて説明したほうがわかりやすいのだと思うけれど、論考みたいにきちんと脈絡を構成して書くのが面倒臭いので(この文章は単なる日記であり、つまり記録である)、ひとまずページの流れにそのまま沿って、出てくる言葉の順に触れていきたい。で、一九ページにおいて魔女たちの「万歳」三唱を聞いたマクベスは、バンクォーの台詞によれば「びっくり」して「おびえ」たような様子を見せているらしい(「なぜそのようにびっくりされる? いい知らせなのに/悪いことを聞いたようにおびえることはあるまい」)。マクベスが舞台にあらわれた直後、最初に明示する感情表現が「おびえ」であることは、おそらくそれなりに重要なポイントだと思う。彼は戦場での戦いぶりからして勇者であるとの評判をほしいままにしているのだが(「勇将の名の高いマクベス」(11)、「武勇の申し子のごとく血路を切り開けば(……)」(11)、「あっぱれ勇敢な男だ」(12)、「あの男こそ/真の勇者だ」(30))、そのマクベスがこの先で実際に提示していくのはむしろ不安や恐怖に苛まれるさまであり、その「臆病」さ(42)である。したがってこの一九ページの描写はそれらの表現の嚆矢となっていると言って良いと思うが、同時にまた、他者からの評判と間近で見た実際の姿が意味論的に逆転しているというのは、〈外面と内実の切断〉というこの劇の主要なテーマ(だと思うのだが)につらなる要素としてとらえても良いのかもしれない。
  • 上のバンクォーの発言からわかることはもうひとつある。彼にとっては魔女たちの「予言」(マクベスがこれから「コーダーの領主」になり、さらにいずれは「将来の国王」にもなるという予言)は明確に「いい知らせ」であり、「悪いこと」ではないということだ。したがってバンクォーは「いい」と「悪い」をさだかに区別し確定できるような精神性を持ち合わせているのだが、マクベスのほうはそうではない。なぜなら彼は魔女たちの「予言」が「いい」ことなのか「悪い」ことなのかしっかりとした判断をくだせず、バンクォーにとってはあきらかに「いい知らせ」であるものを「悪いこと」と混同して「おびえ」ているからだ。そのためにマクベスは〈動揺〉するのである。対してバンクォーは、魔女たちの言葉になど惑わされない堅固な〈不動性〉をその精神にそなえている(「おれはおまえたちの好意も求めず、おまえたちの憎悪も恐れぬ男だ」(19))。
  • 先のマクベスの〈動揺〉を証言する言葉の直後に戻ると、バンクォーは魔女たちに向けて、「おい、おまえたちは幻か、それとも見えるとおりの/実在するものか?」(19)と問いかけているのだが、これも魔女たちの曖昧な両義性をあらわす発言として理解できるだろう。
  • 二人に対して「予言」を済ませた魔女たちは突然ふっと消え去ってしまうのだが、「どこへ消え失せた?」というバンクォーの問いを受けたマクベスはそのさまを、「大気のなかへだ、形あると見えたものがふっと消えた、/息が風に溶けこむように」(21)と語っている。したがって、魔女たちはまた「形のなさ」、すなわち〈非形象性〉をその意味論的性質として持っていると言えるだろう。
  • 二二ページにいたるとロスとアンガスという二人の貴族があらわれ、スコットランド王ダンカンの「賞賛」をマクベスに伝達するのだが、その台詞のなかで、戦場におけるマクベスは「みずから築いた屍の山、不気味な死の様相にも/恐れを見せなかった」と描写されている。これはもちろんマクベスの「勇者」性を証言する言葉だが、それを短縮的に言い換えると、マクベスは言わば「反 - 死」の存在であり、(戦場で他者から見られた限り)「恐れ」と切り離された存在だということになるだろう。
  • 二四ページでは先ほど触れたバンクォーの〈不動性〉、すなわち落着き払った慎重さがふたたび観察される。「あなたの子孫が国王になるという望みも/かなえられそうだな、私をコーダーの領主にしたものが/そう約束したのだから」(23~24)と声を掛けてくるマクベスに対してバンクォーは、「あまり本気にしすぎると、/王冠にまで手をのばしたくなられるのではないか、/コーダーの領主では満足できずに」となかば戒めるような答えを冷静に返しているし、それに続けて、「よく聞く話だが、地獄の手先どもは/われわれを破滅に導くために、まず真実を語り、/小事においてわれわれを信頼させておいて/大事において裏切るという」とも述べている。したがって彼は魔女たちの言うことを無抵抗に信じこんでなどおらず、距離を置いてそれを眺め、「裏切り」の可能性があることを明確に認識しているわけだ。
  • そうしたバンクォーの地に足ついた〈不動性〉に対して、マクベスは浮き足立って不安定に〈動揺〉しつづける。まず彼は、「あの不可思議ないざないは/悪いはずはない、いいはずもない」(24)と独白している。したがって彼にとって魔女たちの「予言」は「いい」か「悪い」か確定できるものではなく、むしろ「いい」ものでも「悪い」ものでもない。それは「非 - 二元的」なもの、もしくは〈外 - 二元的〉とでもいうようなものである。そして、正式な論理学の規則においてはどうなのか知らないが、文学的なレトリックにおいては(文学作品に用いられるような修辞的約束事の理屈では)、AでもBでもないということはすなわちAでもBでもあるということだ、という転化 - 逆転の論理が往々にして見られると思うので、ここの記述も魔女たちの両義性の圏域にとらわれ惑うマクベスを描写していると見てもたぶん間違いではないのではないか。
  • それに続く二五ページの台詞は重要な言葉だと思われる。

マクベス (……)なぜおれは王位への誘惑に屈するのだ、
 それを思い描くだけで恐ろしさに身の毛もよだち、
 いつものおれにも似合わずおののく心臓が
 激しく肋骨を打つではないか? 眼前の恐怖も
 想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない。
 心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが
 生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで
 その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか
 存在しないように思われる。

 (ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)、25; 第一幕第三場 フォレス近くの荒野)

  • ここにはマクベスがそなえている主要な精神的性質があきらかに示されているように思う。「眼前の恐怖も/想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない」と言っているとおり、彼はいま目の前にあるものではなく、みずからの「想像力」によって生み出された未来の予測(すなわち表象)をこそ恐れる人間である。したがって彼は、戦場で目の当たりに迫ってくる敵兵たちや、彼らを殺して「みずから築いた屍の山、不気味な死の様相」(22)などに恐怖することはまったくないが、自分の意識が構成した「心に思う人殺し」の「想像」には恐れおののき、その先取りされた未来の「想像」は今現在の彼の〈心身〉にすら時空往還的に影響を及ぼすほどの力を持っている。こうしたマクベスの性質をここではひとまず〈精神 - 優位〉と名づけておきたいが、もっと一般的な言葉で言うと、要するにそれは「観念論的」だということだろう。彼の恐怖は視覚的なものではなく、唯物的基盤にもとづいてはおらず、表象的(抽象的)である。
  • そして、ここでマクベスが恐れているのは「心に思う人殺し」であり、それは「王位への誘惑」と結びつけられているのだから、この箇所で彼が漏らしている「人殺し」の対象とはスコットランド王ダンカンにほかならないだろう。したがって、魔女たちの「予言」を受け、直後に自分が「コーダーの領主」になったことを告げられるとともにその真正性を「本気に」するマクベスは、この時点ではやくも王殺し(弑逆)の発想を抱いている。ただ、マクベスはすでに戦場において「屍の山」を築くほどに人を殺しているのだから、殺人行為そのものを恐れるいわれは彼にはないはずで、なぜ王を殺すことにそれほどの(「身の毛もよだ」つほどの)恐怖を感じるのかという点が不思議ではある。その疑問に対する確かな回答をこちらはまだ見出せていないが、それが上に述べたマクベスの「想像力」、彼の〈精神 - 優位〉性にかかわっていることは間違いないだろうと思う。さらにもうひとつには、やはり「王」という地位そのものがまとっている権力性の観点からこの問いを考えることも必要なのかもしれないし、精神分析的な解釈が導入される余地もそこにはおそらくあるだろう。
  • もう一点触れておくべきだと思われるのは、この二五ページのマクベスにおいてすでに、「現実」と「想像」の境が曖昧になり、その二領域が融解 - 混淆しはじめているということである。「現実に存在しないものしか/存在しないように思われる」と彼自身が述べている事態はこののち、王を殺しに行く前の「短剣の幻覚」のシーンにおいて実現されることになるだろう。
  • 以上に述べてきたことを踏まえて、二五ページの段階までで理解できるマクベスの人物像をまとめておきたい。まず、彼は〈動揺〉する人間である。彼は外部からの影響を受けやすく(英単語を使うならばsusceptibleで)、魔女たちの言葉にやすやすと惑わされてしまうほど地に足がついていない。それを言い換えれば、彼の精神は確固とした形を構築していない非 - 定形な(もしくは不定形な)ものだということだ。そして、明確な「形がない」という性質はまた、魔女たちが去っていくときにあらわしたものでもあった(「形あると見えたものがふっと消えた、/息が風に溶けこむように」(21))。先の記述ではこちらはそれを〈非形象性〉という語に要約したけれど、その言葉を〈無形性〉と言い換えてみてもたぶん悪いことではないだろう。魔女たちに「形がない」のと同様に、マクベスの精神はまさしく〈かたなし〉であり、したがって彼はみずからの自我をさだかに固めて保つことができず、魔女たちの「予言」は至極容易にそのなかに侵入し、感染する。マクベスが登場の瞬間からすでに魔女的圏域にとらわれていることは、上にも触れたとおりである(「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18))。
  • さて、次に進むと、場を移って第四場のフォレスの宮殿ではダンカン王が、処刑を命じたコーダーの死にざまを聞かされて、「顔を見て/人の心のありようを知るすべはない。/あの男にはわしも絶対の信頼をおいていたのだが」と述懐している。根拠としてはいまだ弱いものの、この箇所を読んだときに、「顔」という〈外面〉(いわゆる「表層」)から〈内実〉(いわゆる「深層」)たる「人の心」をただしく見通すことはできない、というのがこの劇のひとつの原理なのかもしれないなとこちらは思った。そして、〈外面〉を手がかりとして〈内実〉に(ある程度は)到達することができるというのが世界の尋常な秩序なのだとしたら(実際にはそんなことはなく、「顔」と「心」が裏腹であるという事態もこの世にはごく普通に起こるとは思うのだが)、『マクベス』のなかでは一般的な二元的秩序が逆転しているということになるのかもしれない。それはまさしく魔女的世界のありさまである。つまり、通常はつながっているはずの〈外面〉と〈内実〉を結ぶ回路が切り離されてしまうとともに、通常は截然と区切られているはずの「いい」「悪い」の境界も曖昧に崩れ去り、ふたつの領域は混ざり合って区別できなくなる、ということだ。したがって、魔女たちの秩序反転的な影響力はもしかするとマクベスのみならずこの劇世界の全体に浸透しているのかもしれず、もしそれが確かだとすればその倒錯的作用は、〈接続から切断へ、分離から融解へ〉という定式に要約できるだろう。
  • 三一ページにいたると舞台はインヴァネスにあるマクベスの居城に移っており、マクベス夫人が夫からの手紙を読みつつ登場するのだが、そのなかでマクベスは魔女たちのことを「彼ら」という代名詞で読んでいる。これはたぶん原文では現代のtheyに当たる単語が使われているのではないかと推測するけれど、もしそうだとしたら、魔女たちは「人知のおよばぬ」存在であり、「女」でもあり「非 - 女」でもあるような超自然的存在なのだから、通常、人間の男性にふさわしいような「彼ら」という代名詞を用いるよりは、「やつら」とか「あれら」と訳したほうが良かったのではないかとちょっと思った。
  • ダンカン王の来訪を知らされたマクベス夫人はすぐさま彼の殺害を思い描き、「死をたくらむ思いにつきそう悪魔たち、この私を/女でなくしておくれ、頭のてっぺんから爪先まで/残忍な気持でみたしておくれ! 血をこごらせ、/やさしい思いやりへの通り道をふさいでおくれ」(33~34)と激しく願っている。ということはまず通念として、「女」は「残忍な」人殺しをはたらいたりはせず、「やさしい思いやり」に満ちた存在だという認識があるわけだろう。「女」である自分を「非 - 女」に変身させ、通常はつながっているはずの「女 - 思いやり」という結びつきを〈切断〉してくれと求めているわけだから、これは魔女的反転世界の希求であり、したがってマクベス夫人は言ってみれば〈魔女の手先〉である。「逆転」への志向はその直後、「この女の乳房に入りこみ、/甘い乳を苦い胆汁に変えておくれ、人殺しの/手先たち」(34)という言葉にも明確にあらわれている。
  • そのおなじひと続きの台詞内にはまた、「きておくれ、暗闇の夜、/どす黒い地獄の煙に身を包んで、早く、ここへ。/私の鋭い短剣がおのれの作る傷口を見ないですむように」(34)という望みも述べられているが、夫人自身が殺害の証たる刺し傷を目にするのではなく、「短剣がおのれの作る傷口を見」るという事物主体の表現は、この流れだとちょっと珍しいなと気になった。
  • 三五ページではダンカンに先立って帰城したマクベスをむかえた夫人が、「あなたのお手紙を読んで、なにも知らない現在を/たちまち飛び越え、いまの私はもう未来のなかに/呼吸している思いです」と気持ちをはやらせているけれど、この部分に夫人とマクベスの類似点および相違点がともにあらわされているように思う。相違点については今日(七月二四日に)読み返していてあらためて考えたものであり、いまこの二一日の日記を書くにあたっては面倒臭いのでまだ触れないけれど、類似点というのはこの夫婦の二人とも〈想像者〉だということだ。両者ともいま目の前にない観念的な未来を積極的に志向する人間である。ここまで読んだところで、特に根拠はないけれどなんとなく、マクベスが恐れているのは未来そのものなのではないか? という思いつきが浮かんできた。簡潔に振り返っておくと、彼において恐怖の対象となるのは目の前の(すなわち現在の)現実ではなく、想像によって表象された未来である。二五ページに示されていたとおり、仮構的に時を超えた先で生み出された未来の想像は、すぐさま時の回廊を駆け戻って現在のマクベスの身に波及し、彼の心身を圧倒する(「心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが/生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで/その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか/存在しないように思われる」)。三九ページの台詞(「やってしまえばすべてやってしまったことになるなら、/早くやってしまうにかぎる」)と読み合わせて、マクベスは想像によって生じた未来の不確定性そのものに耐えられず、それを恐怖し、事態を確定させることを志向するのではないか? とこちらは思ったのだが、これはしかしまだあまり確かな読みではない。ただこう考えたとき、二五ページの記述もそうだけれど、マクベスの心的性質は不安神経症の構造を明確に提示しているということは、不安障害患者だった自分にとってははっきりと理解できることである。不安神経症の患者にとってはまさしく、いま目の前にある現実よりもみずからが幻想的につくりだす架空の可能性のほうが恐ろしく感じられ、その想像上の恐怖が現実の世界を浸食し、その意味体系を完全に変容させてしまうのだ。具体的な例を挙げて説明すると、パニック障害の典型的な症状として電車に乗るのが怖くて仕方がなくなるというものがあるのだが、これはまず一度目の(原初的な)発作症状が発端となる。パニック障害の発作というのは、個々の症状としてはバリエーションがあるが、全般的に死を思わせるような苦しさとそれに伴う圧倒的な恐怖が主な特徴である。で、電車に乗ったときに発作が起こったという最初の体験がトラウマとなり、電車に乗るとまたあのような苦痛が起こるのではないかという予測(想像)によって心身が不安に占領され、そのあまり実際に電車に乗ることができなくなる、というのがよくあるパターンであり、こちらの身に起こったのもそういう事態だった。この予測的な恐怖のことを「予期不安」と呼び、それによって日常生活のさまざまな場面(電車、自動車、エレベーター、美容院、高所、買い物待ちの列、教室、食事処、面接、試験場などなど、この予期不安の対象はほとんどどこまでも拡大される可能性がある)で行動できなくなるというのがパニック障害という精神疾患の主な症状で、これを「広場恐怖」と言う。言うまでもなく予期不安の時点では、発作はまだ実際には起こっていないわけである。また、患者が多大な恐怖を覚える状況も、通常の人間にとっては何ら危険を感じさせることがないごくごく日常的な場面である。それにもかかわらず患者はそこに抗うことが非常に困難なほどの不安と恐怖を見出してしまうのだが、つまるところ彼ら彼女らの脳はみずからの想像によって意味論的体系を畸形化し、本来危険のないところにほとんど純粋無垢な(何も理由のない)危険を感じてしまうということだ。だから不安障害というものは、まさしく「意味という病」の一典型である。
  • それとともに思い出すのは、(……)さんが一時期不安障害的症状に苛まれていたときに死が怖いと言いながら北野武ソナチネ』の言葉をたびたび引いていたことで(「あんまり死ぬの怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」)、これは要するに、自分の身にいつ死が訪れるのかまったくわからず次の瞬間にもそれが来るかもしれないという不確定性を恐怖するあまり、それから完全に逃れるためにいっそのことみずからの手でみずからの死を確定させたくなる、という意味に理解できると思うのだが、マクベスもそんなような心的構造にあるのかなあとこちらはちょっと思ったのだった。ただ先ほども記したとおり、これはあまり確かな根拠をそなえた理解ではなく、単なる思いつきの類に過ぎない。ちなみに、現実に目の前にある状況よりも想像による不安のほうが怖いということはルソーも書いていたので、ついでにそれも引いておく。

 (……)今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先、襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。(……)
 (ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』光文社古典新訳文庫、二〇一二年、13~14)

  • で、この日は『マクベス』を五一ページまで読んだので本当はもうすこし言及するべき思考があるのだけれど、なんか面倒臭くなったのでもうここでやめて、この日の記事はこのまま投稿する。面倒臭くなったらとにかく無理にやらないのが吉である。また別の日に書きたくなったら書けば良い。
  • 書見は午前二時まで。下の(……)さん(つまり(……)ちゃん)の家に友人が来ていたようで夜半前から賑やかにしていたが、二時を越えて丑三つに入ってもまだ人声があった。夜食に米と納豆と豆腐を食う。音をあまり立てないよう慎重に洗って片づけると緑茶を持って帰室。
  • 三時前から、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)の書抜きをはじめた。この本も二六日の土曜日が返却日なのでさっさと書抜きを終えなくてはまずいのだが、正直それまでに終わる気がしない。「両義的な語(Amphibologies)」の断章の最後の段落(99)には、ロラン・バルトにおいて「称賛され求められているのは」、「多義性」ではなく(「すべてを(何でも)聞くことではなく」)、「両義性や二重性である」との証言が記されており、これはいくらか重要な点かもしれない。と言うのも、ロラン・バルト的な概念としての「テクスト」とか「エクリチュール」というものは、意味が無限に複数化していき永遠の逃走を続け、完璧に散乱的な(かつ、もしかすると〈産卵的〉な?)様相を呈するものだとこちらは理解していたからで(実際にはそんな「テクスト」などたぶん存在しないのだろうが、すくなくともユートピアとしてはそういう理想が措定されていたはずで)、それを言い表すためにバルトは「逸脱」とか「漂流」とか「悦楽」とかいう言葉をたびたび書きつけていると思う。しかしこの断章においてバルトの言い分はそうした十全な複数性からやや後退し、「両義性や二重性」の段階に留まっているのだが、彼当人もこのことにはもちろん自覚的で、段落の(そして断章の)結びとして「(その点で、わたしは自分が擁護しているテクスト理論よりも古典的なのである)」という補記を付している。
  • 九九ページ、「斜めに(En écharpe)」の断章。冒頭に、「ひとつには、大まかな知的対象(映画、言語、社会など)について彼が言うことは、記憶しておく必要などないということである。論文(何か〈について〉の論考)など、粗大ごみのようなものだ」という断言があって、対象確定的な文章に対するこの手厳しさには笑う。二段落目では、「彼にとってもっとも必要であるように思われ、彼がつねに用いる概念(つねに一語に包摂されている)を、彼はけっして明確には述べない(けっして定義しない)」とロラン・バルト特有の態度が自述されており、これも彼における基本的な点としてたぶん押さえておくべきなのだろう。「〈テクスト〉のほうは、隠喩的にしか近づけない」と明言され、そのあとに〈テクスト〉を暗示するさまざまな比喩が列挙されているが、そのなかでは「故障したテレビの画面」が一番こちらの好みだ。命題によって定義するのではなく、比喩によって寓意的に表す(またひとつバルト的な用語を使えば、〈形象化する〉)という姿勢は、〈固まること〉に対する彼の忌避感とおそらく関わりがあるのだろう。すべての具体を包含するような総合的定義によって語の意味を記述し尽くして(その可能性・潜在性を汲み尽くして)完璧に形態化してしまうのではなく、具体的なイメージを並べることで余白を保持しながら語が〈ゆるやかに〉かたどられていくような語りを採用し、風通しの良いその隙間からひとつの比喩がまたひとつの比喩を招き生み出すようにして、語の意味が絶えず横滑り的に拡張されていくような事態が目指されているのではないか。だからこれは、哲学的(演繹的)な態度に抵抗する文学 - 小説的(帰納的)な姿勢だと言っても良いのかもしれない。
  • 一〇〇ページから一〇二ページは「残響室(la chambre d'échos)」の断章。ここでも上の話題と同路線のことが記述されており、要するにバルトはある知の体系(たとえば精神分析理論やマルクス主義など)から概念を〈援用〉(と言うかむしろ「転用」ではないかと思うのだが)してべつの文脈や状況や意味体系にそれを「連結」させて(〈嵌めこんで〉)使う、ということが述べられている。そういう方法を言い表すイメージとして(またしても比喩だ)、「ラジオの使いかたがわからないときに、あらゆるボタンを押してみるようなものだ」とも言われているが、これはわりとわかりやすいし、いくらかの魅力もある。どういう効果や機能や〈化学反応〉が発生するか、語と文脈の組み合わせを手当たりしだいに試してみる、というわけだろう。こちらも性分として、こういう概念や語の〈援用〉をけっこうやるような気がする。なんか自分の思考形式はそういう〈軽薄な〉(おそらくは〈文学的な〉)やり口に比較的向いているのではないかという気もするし、そういう風にしてうまい言い方に遭遇できればそれは単純に面白いのだ。そのような思考の流れ方を見る限り、こちらの性質はやはり「哲学者」でも「思想家」でもないなと思う(そもそも、壮大で整合的な思想体系を建造したいなどという欲望はまったくないし)。だからと言って「研究者」であるはずもないし、「批評家」を標榜するつもりもなく、「作家」にしてもこの語はそれにつきまとう余計なニュアンス(〈雑味〉)が多すぎる。では何かと言って、べつにそういう称号がほしいわけでもなくただの一人間個体でかまわないのだが、強いて言えばやはり「作文者」か、この世界そのものを含む書物を読む人という意味と、読み - 書く人という二つの意味を重ねて、「読書人」とでもするのが妥当なところかもしれない(しかし後者の語はあまり格好良くはないと思う)。ただどういう身分を取るにしても、「専門家」とかその道の「プロ」になりたいなどとはすこしも思わず、いつまでもいかがわしい似非野郎でいたいと思っているのだが。

2020/7/18, Sat.

 ヒトラーは、バルト海沿岸のエストニア出身で、のちにナチ党の代表的なイデオローグになったアルフレート・ローゼンベルク(一八九三~一九四六)によって、『シオンの賢者の秘密』の存在を知った。ロシアとの協働も考えなかったわけではないヒトラーも、以後ソ連についてユダヤ・ボリシェヴィズムに支配された国という考えを持つようになる。
 ヒトラーは、自らが首相となって六周年にあたる一九三九年一月三〇日の国会向け記念演説において次のように語っている。

もしヨーロッパ内外の国際ユダヤ金融勢力が諸国を再び世界戦争の淵に突き落とすことに成功するようなことがあれば、その帰結は全世界のボリシェヴィズム化とユダヤ人の勝利ではない。むしろヨーロッパ・ユダヤ人種の絶滅に終わるであろう。

 ヒトラーはこの演説で、国際金融資本とボリシェヴィズムというまったく異質で相対立する現象をユダヤ人の陰謀という『シオンの賢者の秘密』の論理をそのまま引き写し融合させている。(……)
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、21~22)



 夢、何か変なものを見たはず。曇り空。アサガオ咲いてきている。

 (……)からメール。漫画教える。

 バルト書見。正午前まで。

 上行って食事。ハムエッグ。たこ焼き。母親帰宅。

 竹富島竹生島

 Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』。#12 "Champagne Supernova"が一番良い。

 日記。六月八日。書き方がまたゆっくりなようになりつつある気配。多田智満子が書いていた人みたいになっている。

 Rainbow『Difficult To Cure』。(……)。その後、Joe Lynn Turnerも流す。『The Usual Suspects』。本当は梶山章とやったやつを聞きたかったのだが。このアルバムが出た記念だった気がするが、Joe Lynn Turnerが来日したときに、原宿のアストロホールに(……)と見に行った覚えがある。まだ高校生だったはずなので、二〇〇六年か二〇〇七年のことだと思う。周囲はみんなたぶんRainbow時代から、つまり八〇年代からのファンらしき中高年の男女ばかりだったので、我々はかなり浮いていた。やはり女性ファンがけっこう多かったような記憶があって、Turnerに向けて手を捧げながら歌っていた。なんの曲をやったかは全然覚えていない。"Spotlight Kid"は確実にやっていただろう。もしかしたら開幕曲だったかもしれない。

 二時半で六月八日を完成。投稿。それからすこしだけ運動。三時直前になって外へ。母親に草取りを手伝ってほしいと言われていたので。風を浴びるついでにやってやるかというわけで、軍手をつけて玄関を抜ける。サンダル履きで。外気のなかに出ればやはり室内よりも遥かに気持ちが良い。やはり本当は一日一回は風を肌に浴びたほうが良いのだ。湿気が豊富にはらまれていてしなやかな、吸いついて添ってくるような涼気。家の南側へ。こちらの姿を見るやいなや母親は、そんな格好じゃ駄目だよと言う。半袖にハーフパンツだったので、蚊に刺されて仕方がないと。蚊に刺されるくらいどうでも良いので取り合わずにいたが、すると母親は虫よけジェルを持ってくると言って場を離れた。そのあいだにこちらはしゃがみこんで、フォークみたいな器具を手に取って土を掘り出す。雨で嵩が増した沢の響きが恒常的な基盤として空間の底に伏して広がっており、空からはウグイスの声が聞こえてくる。尋常に落ちるものもあるし、こまかくピキュピキュと騒ぐものもある。カラスも近くで鳴いていて、見上げれば家そばの林の梢にいるらしかったが、姿が見えない。最初のうちは間抜けたように気ままに鳴いていたが、あとになるとずいぶんと声を連ねて盛っていた。風はあまりなく、シュロや梅の葉先がわずかに揺らぐ程度だが、空気は涼しい。
 (……)
 (……)
 家の壁際に植えられて、ネットに育ってこちらの部屋の窓外を覆っている植物は葉っぱの形からして二種類あるようだと思っていたところ、やはり淡い赤紫色のアサガオのほかに黄色い花が咲いていて、これは何かと母親に尋ねてみたところ、ゴーヤだと言った。ゴーヤを植えていたとは知らなかった。数年前にも同様に植えていたが。

 三時半くらいまでやってなかへ。父親が頼んだ荷物が届いていたので整理。二〇一一年に被災した地方の支援らしく、三陸の海の幸もろもろ。タコとかホヤとか牡蠣の佃煮みたいなやつとか。味噌があったのが気になる。どういう味なのか。

 下階に戻るとギターをいじって遊ぶ。例によってブルース。また、Oasisのバンドスコアがあったので、"Wonderwall"などちょっと練習する。本当はカポタストを二フレットにつけてF#mのキーなのだが、面倒なのでEmのままでやる。スコアのコードの押さえ方は響き方が微妙な箇所があったので、一部変える。弾き語れれば良いわけだから、おおまかなコード進行がわかれば、あとは自分で良い感じにすれば良い。あっというまに二時間。五時四〇分に至る。アコギは面白すぎる。これが一本あれば一日中遊んでいられる。

 それから夕食の支度へ。こちらはレトルトのカレーを食うことに。小沢健二『刹那』を流し、米を磨いで炊く。母親はタマネギを豚肉で巻くとか言っていて、それは面倒臭かったのでこちらは味噌汁を作ることに。タマネギと卵。大方タマネギを煮ている鍋の前で身体をほぐしているだけの時間。横では母親が解凍した豚肉でタマネギを巻きこんでいる。タマネギが柔らかくなると味付けして、溶き卵も垂らして完成。その時点で六時半頃だった。米があと数分で炊けるところだったのでもう食事をはじめてしまい、新聞を読みつつ味噌汁を先に食べる。我ながら美味い。そう言えば、三浦春馬が首吊り自殺したらしいという報が、上階に来る前にTwitterで話題になっていたが、テレビのニュースにも取り上げられていた。『世界はほしいモノにあふれてる』で何度か見かけてわりと好感を持っていたので、ちょっと残念ではある。どういう動機なのか何もわからないが、もし精神的に鬱屈していたのだとすると、コロナウイルスの騒ぎもいくらかは寄与したのではないか。コロナウイルス騒動からくる不安やストレスなどで精神状態を悪化させた人というのはたくさんいるのだろうし、それによって自殺した(それが自殺の引き金になった)という人もたぶんある程度はいるのだろう。

 レトルトカレーや肉巻きやキャベツ・大根・紫タマネギ・キュウリのサラダなどを食う。帰室するとまたギター。一度さわりはじめるとすぐにやめられなくなるので困る。"Every Breath You Take"とか弾き語れそう。原曲のキーのままだと例の有名なアルペジオが難しいのだが、キーをGに下げれば簡単にできることに気づいた。この曲は後半でメロディもかなり高くなるので、その点からしてもむしろ都合が良い。

 またしても一時間半をあっという間に消してしまい、九時。それから今日のことをメモして、一〇時前。一一時から(……)さんと通話の予定。



 (……)は検索すると一三人。一七日時点で。前日比二人増とあった。ここまで影響が及んでいるようだ。

 二時三七分、Nikolai Kapustin『Kapustin Plays Kapustin Vol.1』。大変にすばらしい。よくもこんなに明瞭に、明晰に、淀みや濁りなく弾けるものだ。ここに音楽があるという感じ。

 六月九日を完成させ、七月二日もいくらか記録を厚くしたあと、ベッドに移ってインターネットをちょっと回り、五時五分に就寝。

2020/7/15, Wed.

 だが、開戦から二年後、一九一六年半ばから戦局が悪化すると、国内の高揚したムードに翳りが見えはじめる。食料不足・耐乏生活・大量死といった予想外の状況に国民の不満は蓄積していく。反ユダヤ主義者たちはその不満を見逃さなかった。彼らはこの機をとらえて「後方におけるユダヤ人の影響力増大」を訴える。ユダヤ人を戦時利得者であると強調し、ユダヤ人は祖国のために戦っていないと非難する。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、9~10)


 一二時四三分まで寝ふけってしまう。天気は今日もまた曇天。雨も降っていたかもしれない。明瞭な空の青さをもうずいぶん長く見ていない。夢で高校時代の三年A組の連中と一緒に移動したり何だりということがあったのだが、詳細は忘れた。こちらは三年B組で、この隣のクラスの男子たちはおおかた、高校時代のこちらのことをいけすかない野郎だと思っていたようだ。クールぶっていると思われていたのだと思う。ただ体調が良くなくて、陰鬱だっただけなのだが。

 上へ。うがいをする。食事はチキンや昨日の味噌汁。新聞一面を読む。テレビは録画で、『深夜食堂』なるもの。ストリッパーの女性が主人公。毎回変わるのかもしれないが。若いストリッパーが、伝説のストリッパーだという年嵩の女性とやりとりする。母親が、りりィって知ってる、この人、死んじゃったんだよねと言って、全然知らなかったのだが、こちらはその「りりィ」という名は語感からし若い女性のほうのことだと思っていたところ、いま検索してみると、年嵩女性のほうだったことが判明した。「長男は、ロックバンド・FUZZY CONTROLのJUON。DREAMS COME TRUE吉田美和は義娘にあたる」と言う。FUZZY CONTROLなどというバンドの名前をものすさまじく久しぶりに思い出したが、高校時代に数曲だけ聞いたときのうっすらとした記憶では、ちょっと変なファンクと言うか、けっこう面白い音楽だった覚えがある。また聞いてみたい。りりィに関しては、「その人柄と広い活動ゆえ、訃報に際してはDREAMS COME TRUE中村正人[11]、シンガーソングライターの泉谷しげる[12]、映画監督の青山真治[13]、アニメ監督の山崎理[14]など、多くの著名人から追悼のコメントが出されている」ともWikipediaにある。
 ドラマ中に掛かった音楽についてまた母親は、あがた森魚の曲だと言う。この名前ももちろんこちらは初耳である。"赤色エレジー"って知ってる、と言うがむろん知らない。ただ、『赤灯えれじい』という漫画があるのは知っており、これはたぶんこの"赤色エレジー"から取ったのだなと思った。

 母親の分もまとめて皿洗い。風呂洗い後、ミシンを元祖父母の部屋に運ぶ。居間を散らかしたくないのでそちらでやるとのこと。

 緑茶持って帰室。(……)さんから返信。了解を返す。

 (……)

 Mr. Children『Q』とともにここまでメモ書き。二時一二分。三時には出る必要があるので猶予がない。今日は労働して帰りはたぶん八時半頃になるし、一〇時からWoolf会があるのでけっこう忙しい。

 二時一五分から一五分だけ「英語」を読む。そうして運動。六分しかやらなかったが、それだけでもかなり変わる。

 歯磨きしつつ(……)さんのブログ。二〇二〇年四月一〇日。「ランプレドット」と「トリッパ」。モツ煮込みはほぼ食ったことがない。
 言語は停まらない。植物みたいなもの。言語の乱れとか、仕方ないと言うか、非難しても無益と言うか、植物に非を唱えるようなものでは? 「自然化」かもしれないが。

 便所。糞を垂れつつ、二〇一八年の夏の便秘を思い出す。

 送っていこうかと言われるが断る。久しぶりに歩くつもりだったので。移動のために車に乗ることほど退屈なこともこの世には少ない。車は要約的・縮約的に過ぎる。時空を。狭いし。装飾がない。音楽と風と窓くらい。電車はほかの人がいるし、揺れと音が音楽的なので。アヴァンギャルド方面のジャズみたいに。

 "ファスナー"とともに着替え。ほぼ三時。


 
 坂。(……)さんの宅の前あたり。ガクアジサイ。茶色くなっている。箒の毛のような色。その先、草の膨れ上がり。毛虫を思わせるような部品。花が咲くのか?

 サルスベリ。ピンク。塀の上と足もとに散らばり。のちには白も。枝先に湧き、生じはじめている。

 自動車整備工の斜向いの一軒のアジサイ。巨大。淡い黄緑。あれはアジサイなのか?

 道の果てに白い傘いくつか。下校中の中学生か高校生。こちらもよほど歩くのが遅いと自覚しているが、彼ら彼女らもかなり遅い。こちらの速度で距離が縮まって見えなかった姿が見えるようになったくらいだから。

 白猫はいない。去年はよく遭遇したが。日記にも出てくる。

 (……)越える。女子高生二人。よくわからないが、黒いものがあって、黴かと思ったが動いていて、みたいな話。アルバイト先でのことか? ときおりびしゃっと水が頭上から落ちてくる。電線からだろうが、鳥が止まって揺れたりしているのだろうか? (……)そばの一軒で人夫が作業。何か側溝みたいなものを作っていた気がする。ここは先般(と言って、もう結構前だったか?)取り壊されていたはずだが、真新しい家屋がもう建っていた。

 駅前に出るところ。燕一匹。地面すれすれまで下降して、また湾曲して飛び上がって過ぎていく。

 職場着。裏口から鍵で。

 (……)

 (……)

 (……)

 (……)

 駅へ。入車。発車間近。手帳にすこしだけメモ。ひとつの事柄につき、一語か二語程度で。メモの仕方も、とりあえず中核をメモしておくやり方が良さそう。やっぱり物事には構造があるんだなあと。中心(核) - 周縁(装飾)の。なんかすべての物事って、空間化されてしまうのでは? 人間の思考はそこから逃れられないのでは? ベルクソンが時間も空間化されているということを言ったらしいが、空間化されない思考のあり方なんてないのでは?

 最寄り。階段通路。水の流れる音。屋根の上らしい。どうやって排出しているんだろうというのが見えない。雨樋らしきものもないし。階段の終わりあたりに、配管があった。そこを流れる水音か。ぴちゃぴちゃという感じ。

 駅出て坂。沢音、増幅している。途中、落ち葉。六、七枚ほどまとまって枝についたまま落ちており、まだ真新しく、表面の緑色はつやつやと濃密。

 平ら道。風、前から。雨が寄せてくる。傘の端から、白い粒も垂れ落ちる。こぼれる。

 帰宅。手洗ったり着替えたりして食事。チキンと米。キュウリの和え物。ごま油、醤油など。ニンジンの和え物。マヨネーズなど。大根と竹輪の煮物。シーチキンとアサリ入り。テレビ、『家、ついていってイイですか?』。三菱重工だかなんだかで働いていた男性。妻の話。心電図。人生や過去があったというだけでちょっと涙を感じるところがある。ナイーヴで愚かだが。新聞はまだ朝刊。

 食後、皿洗い。急須と湯呑持ってくる。母親、もう出たよう。それでストレッチしてから入浴。父親の車。束子。

 メロン。食うと一〇時。Woolf会へ。
 進め方がだんだん固まってきたよう。固有名詞はコメントページにメモ。チャットも活用する。丁寧な説明や言動をおのおの心がけること。
 (……)さんという人と、(……)さん。(……)さん一一時半頃退出。ぜんぜん喋っていなかったが、次回も来ると。(……)くんがみんなを紹介する。こちらはまた、狂気的と言われた。このまま行けば世界一長い日記を書く人になると。伝説的な人物になるだろうとも。ありがたい。
 自由間接話法。
 二次会。
 階級性。
 小説の二種類。構造的なものと、絶頂的なもの。
 神学。真実作用としての男性的権威。
 (……)さん。好きじゃなかった。イライラしていたらしい。読みにくくて。芸術至上主義的な姿勢に?
 (……)
 政治性。
 内面描写をするための文体。
 難解さが忌避される風潮。
 (……)さん。簡単なものに難しい深みを見ることもできるし、難しいものの単純さを見ることもできる。
 こちらとしては、どちらもやれば良い。『ONE PIECE』とマラルメ。あるいはCarpentersDerek Bailey

 終了後、Bonnie Mannを紹介。LINEに。ギターをすこしだけ弾く。静かに。

 (……)くんにChris Lebronを紹介しようと思った。あと、コメントページに説明も書いておこうと。

2020/7/12, Sun.

 ホロコーストが、世界的に広く知られるようになったのは、一九七八年にテレビドラマ『ホロコースト――戦争と家族』が、アメリNBCで放映されてからである。日本でも同年秋に、翌年にはドイツでも放映され大きな反響を呼んだ。しかし、日本でより広く一般に知られるようになったのはさらに遅く、『シンドラーのリスト』などの映画を通した一九九〇年代以降ではないだろうか。(……)
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、ⅳ)


 夢見。自宅の居間にいる。普段座っている、テーブルの東側の席に就いている。右隣に(……)がおり、向かいには(……)がいて、雑談している。二人とも高校のクラスメイトで、バスケ部。話していると、(……)の身体からときおり、ぎゅるぎゅるいうような音が大きく立つ。空腹というよりは腹痛のような印象で、本人も音が鳴ると、不安なような、何かを我慢しているような表情になる。それで話している最中に、お前、腹が痛いのかと訊き、トイレに行ってきたらとすすめる。
 このとき自宅は何かホテルのような役割になっていたと言うか、もっと多くの人々が宿泊するような設定になっていた記憶がある。それでそのなかの何人かが風呂に入っていたのではないか。それにもかかわらず、自宅の様相は現実のそれと変わらず、だから一〇人とかそれ以上もの人が泊まるスペースなどあるわけもないのだが、そのあたりの事情は夢に特有のご都合主義的な超論理によって不問とされていた。

 一〇時頃覚め、脹脛をほぐしつつ、腰や首なども指圧。快晴ではないが、久しぶりに太陽の光が寝床に差しこんで明確な日向が生まれ、熱を与える日。一〇時二二分に離床し、コンピューターを点ける。準備が整うと、昨日買ったアコギをさっそく持ってきていじって遊ぶ。まったく良いおもちゃを手に入れたものだ。さしあたっては色々な曲を適当に弾き語れるように練習し、ゆくゆくは何かしらの曲を自作するつもり。

 John Mayerが『Where The Light Is: John Mayer Live In Los Angeles』の冒頭でやっている"Neon"を練習してみるかと思ってタブを調べたのだが、チューニングが普通の場合と違うようだったので、それじゃあ面倒臭えと思ってやめた。ただいま見直してみたら、ただ六弦がCに下がっているだけだったので、そのくらいならやっても良い。一一時半頃まで遊ぶ。

 食事へ。ハムエッグを作って丼の米へ。前日の味噌汁の余りもレンジで温めて卓へ。新聞読みつつ食う。岡井隆の訃報。九二歳。テレビは『うたコン』で、過去の映像を色々流しており、なかにキャンディーズが"暑中お見舞い申し上げます"とかいうような曲をやっていたのだが、コーラスがわりと綺麗で良い質感で、へえ、キャンディーズってこんな感じなんだと思った。母親は素麺を茹でて「すだちうどん」とかいうもののつゆを掛けて食うと言うので、少々もらった。多少酸味はあるものの、特にすだちの風味は感じない。近くの市有の花壇の草刈りをしていたらしい父親が汗だくで入ってきてシャワーを浴び、せわしなく食事を取った。こちらはゆっくり新聞を読む。両親は墓参に行くと言う。明日から盆に入るので。こちらはこのあいだ行ったので良かろうと残ることに。皿は父親が洗ってくれ、こちらは食後、風呂洗い。

 茶を用意していると、外の明度が落ちてきたし、風も吹いて(……)さんの宅の鮎のぼりが泳いでいるくらいなので、これはもう雨が降るんじゃないかと予感して、上半身裸でも怖じずに恥じずにベランダに出て、洗濯物をもう入れた。その際に、ベランダから仏間に続く戸の枠のきわに何か妙なものを見つけて、これなんだと母親に掛けながら目を寄せてみると、最初はキノコが生えているのかと思ったのだが、直後にカタツムリであることが判明した。見えるのは殻のみでからだは出ておらず、その殻もほとんど木化したと言うか、あるいは火で焼かれたように無骨な鈍い褐色になっており、一見して干からびて死んでいるように見える。だが母親は、水を掛ければ生き返るんじゃないと言って、アイロンのときに使う霧吹きでしゅっしゅしゅっしゅ掛けていたようだ。こちらとしてはもう普通に死んでいると思うが。しかし、カタツムリの死とは一体どういうことなのか? たしか、マイナス一〇〇度だか二〇〇度だか、そういう極寒の環境に置いても仮死で済んで、温度が上がればまた復活する動物がいたと思うが、あれはカタツムリの一種だったか? 別の生き物だったか?

 緑茶持って帰室。暑い。そこにわざわざ温かい飲み物を飲むので、もちろん背は汗にまみれる。

 日記。一時から五時四〇分までぶっ続け。記録を見ると。そんな感じもなかったが。六月三日を完成させることができた。

 近藤和彦Substance』。大坂昌彦というドラマーは、かなりこまやかで巧みなほうではないか。なおかつ、#6 "Unexpected"の導入に聞かれるように、ときには密な重さもある。#7 "E-Z Pass"のサックスなどもよく流れて充実している。#10 "Black Beans"はイントロのピアノの和音が良い。片手間に耳にしているだけなのできちんと感受できていないが、全体的に質の高いアルバムだと思う。

 食事の支度へ。餃子を焼き、豚肉のこま切れもあったので野菜と炒めることに。母親は煮物。牛蒡・ニンジン・鶏肉・シイタケなど。昨日、(……)家で出たという話を聞いて食べたくなったらしい。餃子は冷凍でなくて生餃子。焼くあいだにタマネギやニンジンを切る。餃子は相当にうまく焼けた。底のきつね色の染まり具合がベスト。炒め物もわりとうまくできたと思う。生姜をたっぷりすりおろす。砂糖と醤油で味つけ。できるともう食事を取ることに。おのおの盛って卓に運ぶ。新聞読みつつ食べる。餃子がクソみたいな味だった。九個入り一〇八円の安物なので仕方がないが、よい色にこんがり焼いたにもかかわらず、ぜんぜんかりっとした感触になっておらず、何だったらちょっと固い。一個一二円なわけだが、これだったらうまい棒のほうがうまくて満足感がある。煮物は(……)の圧勝である。まずくはないが、店には出せない。

 食後、帰室。ギターちょっとまたいじる。弾き語りをしたいものは色々ある。小沢健二Mr. ChildrenDonny Hathaway、"エイリアンズ"など。あとは適当なブルース。と言うか、もはや何でもいい。コードを鳴らして言語に乗せてメロディを歌えば気持ち良いのはまちがいないので。

 八時から一時間、六月四日を進める。今日は何となく、久しぶりに散歩に出ようかという気になっていた。しかし復読はしたい。音楽を流せる時間のうちにやらねばと九時で切りとし、「英語」を読む。そうして九時半になると歩きに行くことに。赤褐色の幾何学風Tシャツをまとう。今日はいままでずっと上半身裸だった。上がって、皿を洗っている父親に行ってくると告げる。

 道に出ると、ヤマユリのにおい。玄関で嗅いだのと同じにおいなので。林のほうのどこかに咲いているのだろうが、見えない。ずいぶんと香る。林縁の石段上は繁茂の度合いがはなはだしい。盛り上がっている。伸び上がっている。草が。だいたい二、三メートルはあるだろうし、一番高いものだと五メートルくらいあるのではないか。空気はわりと涼しい。夜気。(……)さんの前あたり、道の右端には濃い茶色になった枯れ葉が溜まって道を縁取っている。草のにおいが流れる。たぶんそこの斜面は、刈られたのではないか。暗くて草の襞がよくわからなかったが、香ったということはそういうことでは。公営住宅の一棟の下、物置か何かよくわからない室の入口に、真っ黒な人影が座っている。たぶん煙草でも吸っていたのではないかと思うが、火の色は見えなかった。
 十字路で自販機に寄る。「WANDA」の缶コーヒーと、ロイヤルミルクティーと、「リポビタンD」に売り切れランプが灯っている。「Welch's まる搾りGRAPE50」を買う。二八〇ミリリットル。「Welch's」は一八六九年から続いているらしい。そうして先を進む。小橋の周り、沢の上は草が膨らんでいる。坂を上っていくと視界がややひらけて、暗い曇天と南の山の真っ黒な影が現れる。より近くにある樹々との境がまったくつかないそのまったき均された黒さはすごい。本当は白っぽく濁った空こそ何もものがない無の空間で、地上には山なり樹々なり家なりの襞があるわけだが、これを見るに、むしろその山影こそが完璧な無の平面的形象化で、空の広がりのなかを突然侵した闖入的な〈穴〉と言うか、いかにも文学的な常套句を使えばそれは完全に「深淵」のイメージだし、黒の空白、というような感じの非在的な様相。ただ、そのなかにも、乏しいながら川向こうの集落の明かりが、黄色く小さくいくつか花のように息づいてはいる。
 そういうものを見ながら裏通りを進むに、やっぱりゆっくり外を歩くことほど面白いことってこの世にそうそうないなと思う。本とか音楽とか映画とか、もろもろの創作物ももちろんとても面白いけれど、一番面白いのはやはりこの世界そのものなのではないか。こういう夜があと五〇年か、せいぜい七〇年も繰り返されれば俺ももういないわけだと思って、それはやっぱり残念だというか、長生きできたとしても一〇〇年程度ではやっぱり生は短いなあという感じがした。いま三〇歳なので、一〇〇歳まであと七〇年間見事に生存すると一応仮定して、七〇年を日数に直せば、三六五×七〇で二五五五〇という数字が導き出せて、あと二五〇〇〇回くらいこういう夜を過ごして書けると考えれば、けっこうたくさんあるような気もしてきて悪くはないが、しかし七〇年という年数で考えたり、いままで生きてきた三〇年という年月をあと二回重ねるくらいでだいたい終わりだと思うとやはり短い感じがしてくる。第一、実際にそんなに長く生きられる気もしないし。一〇〇年よりはやはり二〇〇年のほうが良かったし、できれば一〇〇〇年くらいあったほうがちょうど良かったのではないかという気がする。一〇〇〇年生きれば、もうそろそろいいかなという気分に自然になるのではないか。
 裏道から見上げる空はもちろん数分前とおなじく雲で白っぽく淀んでいるのだが、西方向のスクリーンは下降するにつれてその白さが黒さのなかに吸収されて、曖昧な暗さに沈んでいる。染まっている。街道に向けて曲がると、一体どういうわけでそこにあったのかわからないのだが、蜘蛛の糸が道の途中に浮かんでいたようで、右腕に付着してきてくすぐったい感触が生じるとともに、左腕のほうにもすぐ引っかかってきて、だから道の真ん中を横に張るようにあったと思うのだけれど、しかし一体どこからつながっていたのか? 表に出ると風が流れて涼しい。道端に何やら黄色い花が群生しており、ネギみたいに細長く突き立った上にその花は生えていて、足もとの葉っぱはかなり大きくて、アジみたいな感じでむしろ水辺に生えていそうな感じ。花はスープを作る最後に溶き卵を熱い湯のなかに入れて不定形に固まったときみたいな形をしていて、花弁の内側にはオレンジと言うか茶色と言うか赤っぽいような色の斑点が付されており、こまかな蟻がたくさんその花のなかや、そばの柵の横棒の上に集まっていた。で、例によって画像検索などをして名を調べてみると、これはカンナという花である。花の形と斑点の感じからしてまちがいないだろう。
 街道を進む。遠く、東の市街のマンションなどの点描された明かりが果てに見える。消防署や「(……)」のそばに来ると、ジョギングする人がいた。走っている人はほかにも、街道を行くあいだにあと二、三人見かけた。あと、裏通りを出るあたりで、腕に水の感触が触れはじめて、視認できないものの雨が散りはじめたことが知れて、その後もたまに点じられていたのだが、結局降り出しはしなかった。街道の途中、最寄り駅の手前には梅の樹がいくつか並んだところがあって、丸っこい葉っぱがたくさん散らばっていて避けようもない。あたりからは虫の声がいくつも立つが、この時季の虫声はどれも無機質で、秋虫のような色気と叙情的音楽性はまったくなく物質的で、SとZの音の中間みたいな響きでトゥルルルトゥルルルいっているのだけれど、そんな単純な音色であっても人間の声帯と言語記号は無力で、それを定かにぴったりと書き表すことができない。コオロギの種なのかなんなのか知らないが、その夏虫たちの声の字義性と言うか、色のなさと言うか、余計な意味を帯びず単なる振動でしかない大気性と言うか、要するに隙間の多い〈風っぽさ〉みたいなものは、それはそれで悪くない。梅の樹の下を過ぎると今度はピンク色のアジサイがいくつも咲いていたが、もう褪せ、いくらか黒ずんで色は濁りはじめている。
 風はおりおりあり、ときにだいぶ厚くもなって、汗はむろんかいているけれど暑くはなく、肌の感触は涼しい。街道をずっと東に進んでまた裏に戻るあたりで、John Lennonの『Rock 'N' Roll』をデータで買おうかなと思った。このアルバムは昔持っていたけれど売ってしまって、しかしこの作品の冒頭の"Be-Bop-A-Lula"が印象的でけっこう好きで、アコギも買ったし弾き語りできるようになりたいなと思ったのだ。二曲目には"Stand By Me"も入っているし。そういうわけでそのうちAmazonで買うかもしれない。裏に入るとガードレールの向こうに下り斜面があってその底から沢の水音がうごめき泡立ち昇ってくる。道に沿って沢音は続くが、家のそばに続く坂の上まで来ると、今度は林の向こうに川が近くなるので音響はより大きく広範なそちらに統合される。坂の入口付近にはここにも茶色い枯れ葉の帯ができていて、(……)さんの宅の隣の小斜面、つまり(……)の実家の土台の側面はたぶん最近刈られたのではないか。草が短くなっていたようなので。坂道を下りて出口では、下の道に家がいくらかあるからたぶんその隙間を縫ってくるのだろうか、川音がほそくなったかわりに、凝縮されて鋭いようになった気もする。ともかく響き方が変わった。ガードーレールの下で草音が立ったので止まって戻って、トカゲだろうかと草むらを見てみるものの、よくわからない。なんか草の上に何かしらのものがあるにはあって、ただトカゲとも見えず、植物の部品のようでもあるのだけれど、どうもけっこう大きめの、と行って手のひらに収まる程度だが、蜘蛛ではないかと思われた。なんか脚みたいなものが放射状にいくつもあったようなので。

 二〇一九年六月二八日金曜日。

 小林 『声字実相義』のなかで、サンスクリット文法の複合語の説明がえんえんと出てくるところは、現代のわれわれからすると、別におもしろくもない。注釈者もあまりそこのことは書いていないように思うのですが、こここそが、空海にとっての論理の「鍵」だったんだなあ、と思ったわけですね。なにしろその複合語のつくり方で、顕教密教の世界理解がわかれるわけですから。簡単に言えば、「実相は本質的に翻訳不能であり、それを簡単に言葉で埋めてはいけない」という真理隔絶の立場は、あくまでも顕教的な、大乗仏教的な浅い解にすぎない、と。それに対して、空海密教的立場では、「声」、「字」、「実相」は同格か、あるいはきわめて近接している「隣近釈[りんごんしゃく]」と理解しなければならないというわけです。「声字は即実相である」と言っているわけではないけれども、それこそ、「即身成仏」という論理とまったく同じです。つまり、直接に「身口意、即、仏」の論理につながっていくわけですね。しかも、3部作の最後の『吽字義』でも「吽」という1字のなかに、4つぐらいの言葉が一緒になっていますと言っているので、結局、空海はこの3部作の全部を、いわば複合語の論理に依拠して書いているんですね。すごい飛躍。なんという過激。わたしは、ここでは、空海をとても偉い弘法大師としてではなく、若いときの求聞持法の経験から出発して、こういう世界との向かいあい方を必死に理論化しようとしている知性として考えたいんですね。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、82~83)

 谷川俊太郎なども読んでいる。以下の二つの節が良い。

 普通ってのは真綿みたいな絶望の大量と
 鉛みたいな希望の微量とが釣合ってる状態で
 たとえば日曜日の動物園に似てるんだ
 猿と人間でいっぱいの
 (谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』青土社、一九七五年、21; 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」; 「7」)

     *

 水鳥の鳴声が聞える
 あれは歌?
 それとも信号?
 或いは情報?
 実はそのどれでもないひびきなんだよ
 束の間空へひろがってやがて消える
 それは事実さ
 一度きりで二度と起らぬ事実なんだ
 それだけだ今ぼくが美しいと思うのは
 (53~54; 「干潟にて」)

 Twitterで、(……)のあとに新しい古本屋ができるという情報をキャッチ。名を忘れたが、(……)、みたいな感じで、「(……)」という語が入っていたはず。



 バルト、書抜き。九二から、六二へ。「(二項)対立」に対する姿勢。

 京都大学医学部附属病院クラウドファンディングで募るのは、室内の空気が部屋の外に漏れないようにする陰圧室を整備するためで、少なくとも3000万円を目指すということです。
 簡易の診察室を陰圧室化すると国からの補助金の対象となりますが、対象外となる手術室や集中治療室などの施設でも改修工事が必要不可欠だということです。京大病院では3月下旬から新型コロナウイルスの感染拡大防止のため手術の件数を制限してきたため、工事の資金が不足しているということです。

 【AFP=時事】ドナルド・トランプDonald Trump米大統領が、自身の顧問を長年務めたロジャー・ストーン(Roger Stone)元被告(67)の刑を免除したことを受け、共和党ミット・ロムニー(Mitt Romney)上院議員は11日、ツイッターTwitter)への投稿で「前代未聞の歴史的腐敗」と批判した。(……)
 2016年大統領選におけるロシア介入疑惑をめぐってストーン元被告は、証人に対する不当圧力や下院による調査の妨害など7件の罪で有罪判決を受け、14日から禁錮3年4月の刑に服す予定だった。
 トランプ氏の弾劾裁判の投票では共和党議員として唯一賛成票を投じ、同氏を激怒させたロムニー氏は、11日にも一切手加減せず、「前代未聞の歴史的腐敗:米国の大統領は、まさにその大統領を守るためにうそをついたことで有罪判決を受けた人物の刑を免除した」とツイートした。

 検索用のデータベースを作るかと思う。情報はEvernoteにすべて集約して記録しているのだが、なぜかいかんせん検索が不便と言うか、検索するとかならずしばらくフリーズするので。ブログにあげておけばバックアップにもなる。そういうわけでもうひとつのアカウントを利用することに。と思ったが、無料アカウントでも三つまではブログを持てるようだったので、ならばdiary20161111で良いと戻る。「(……)」と簡明な名前のブログを作成。デザインは面倒臭いので「雨のよく降るこの星で(仮)」とまったく同じ。

2020/7/11, Sat.

 なんらかの対象を取り巻く「神話」が、その実物に照らして真か偽かを知ることは、もはや最優先の問題ではない。二十世紀の神話学者の関心は、どのようにして彼の社会が、最たる「人為」としてのステレオタイプを生産し、次いでそれを最たる「自然」としての生得的な意味のように「消費」しているかを記述することである。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、404~405; 「訳者あとがき 記号の森のなかで」)


 一一時のアラームで離床に成功する。寝床に戻りながらも二度寝に陥ることはなく、仰向けになって脹脛をほぐし、また喉や首の周りを指で優しく刺激して肉を柔らかくする。これ以前に覚めたときには、やや晴れていたのか、明るさがあったような記憶があるが、このときは、相応に明るみはあるものの、空はやはり白。

 夢見。学校を舞台にした、もしくはそれと関連したものをいくつも見たような気がする。一つはまさしく学校にいるもので、理由を忘れたけれどある女子に見つからないように脱出しなければならず、昇降口の下駄箱のところまで忍んでいくと、高校のクラスメイトである(……)と遭遇した。たぶんこちらには、(……)が件の女子と通じているのではという警戒があったと思うが、結局は挨拶を交わす。
 もう一つも学校制度の範疇。こちらは予備校だか塾だかに属しているらしい。「知…社」みたいな、三文字で「知」がついた名前だったと思う。それで模試を、あるいは模試ではなくて本番の試験だったかもしれないが、ともかく受けるところ、何やらトラブルがあったみたいな情報が伝わってくる。たぶん会場に移動する途中だったように思うが、情報がもたらされ、試験会場の建物の前の掲示を見ると、「知…社」の三四〇人(くらいだったと思う)は受験を認められないということが知らされている。聞いたところ、生徒の一人かあるいは複数人が、飲酒だか喫煙だかをしたらしく、それで連座的に全生徒の受験も取り消されたという話。不合理極まりないこのような連帯責任は馬鹿げていると思う。
 その後、池袋に行ったらしい。池袋と言っても現実のその街とは様相が全然違う。淳久堂に行こうと考えていたらしく、駅前を歩いて曲がるも、記憶の場所に淳久堂はない。駅前は小さなロータリーのようになっており、その周りに、中学生か高校生かわからないが体操服を着た学生たちが大勢並んで囲んでおり、体育祭もしくは運動会をやっているらしいのだが、彼らは並んで立ち尽くしているだけで何の運動もしていない。その集団のほかに人間の姿はない。淳久堂はどうも別の口の方面だったらしいと気づき、目を振り、遠くのほうにビルがいくつも建って栄えているらしき区画が見えるので、そちらに向かう。また、地図を見たかったのだが、マップの掲示板は体操服の集団の列の内側にあり、そこに入っていくのが何となく気後れされたので諦めて、歩道橋もしくは高架歩廊に上って目的地のほうへ移動しようと歩いていると、中学校時代の教師に出会う。この人は「サンマ」というあだなをつけられていた人で、明石家さんまにすこし似ていたからだと思うのだが、担当教科は理科であり、こちらはたしか一年A組(だったか?)のときにこの人が担任だったのだけれど(家庭訪問に来ていた覚えがあるからそれはたしかなはずだ)、それにもかかわらず名前を忘れてしまった。この教師は、話すときに、はしばしの言葉の区切りに、「……ねっ、……ねっ」という風に「ねっ」をたびたび置いて語調を整えるとともに言述を接続していく癖があったのだが、その特徴的な喋り方は当時生徒たちにものまねされていた。で、その人と遭遇し、こういうわけで試験が受けられなくなったのだと話す。
 ほか、何らかの小さな部屋に、高校のクラスメイトを含んだ女子もしくは女性数人といる場面。(……)さんがいたような気がする。こちらはコンピューターを前にしている。何かの拍子にログインするアカウントが複数あることに気づき、こちら自身のもののほかに、塾の生徒である(……)くんと(……)くん(下の名前は忘れた)のものが並んでおり、なぜかこちらは彼らのアカウントでもログインできるようなのだが、勝手に使ったらまずいだろうという気持ちもあり、また煩雑で余計でもあるので、それらのアカウントを削除しようとしたところ、誤って自分のアカウントを消してしまう。その後、ほかの二つも消したのだが、それで一からセットアップしなおすことになる。音声認識確認みたいな感じで声をかけることを求められるので、あ、あ、あ、とチェックしていると、同じ室にいる女子が何をしているのかと怪訝そうに見てくるので、セットアップしているのだと説明する。

 一二時まで上記をメモして食事へ。母親は蕎麦を茹でていた。うがいをして、トイレで用を足し、昨日の天麩羅の余りを温める。炊飯器に残った米もすべて払う。それで食事。蕎麦もいただく。テレビは『メレンゲの気持ち』。滝沢カレン。効率の良い洗い物のやり方を知りたいとかいうのにアドバイザーみたいな人が応えて紹介していて、皿洗いにすら効率を求める世なのかと思った。あのHey!  Say! JUMPのメンバーだったかほかのグループだか忘れたけれど、伊野尾というジャニーズの人は三〇歳でこちらと同年らしい。もっと若く見えるねと母親。たしかに童顔で、三十路という感じはあまりしない。愛玩犬みたいな顔立ちと雰囲気があるから、そういう「可愛らしい」男性が好きな女性とかにはモテそう。
 父親は昨日、深夜に帰ってきて(たぶん3時頃だったか?)、そのままソファで寝たらしい。五時半頃に下階に下りてきたとの母親の証言。そのときに、酒に呑まれているみたいなことを言ったら、なぜかわからないが激怒したと言う。その際だと思うが、また「クソババア」と言ったらしき情報もあった。愚かだ。酒を飲むこと自体はまったく構わないが、それで不当に他人を不快にしたり、感情的になって怒鳴ったり喚いたりするのは良くないと、こちらが一貫して言っているのはそれだけのことに過ぎない。それができないなら酒を飲むのをやめるか、少なくとも量を抑えるべきだと、これも以前に書いた。それで朝方にシャワーを浴びて出勤したらしいが、母親は、アルコールが残っていて酒気帯び運転になっていないだろうかと心配していた。
 いつまでもだらだら居座って飲んでいて、(……)でもはやく帰ってほしいと思ってるよと母親は嫌そうに言い、たしかに、向こうは客商売だから言い出せなくとも、そういうことはもしかしたらあるかもしれない。「(……)」のあとに「(……)」にも行ったのではないかというのが母親の見立て。仲間はたぶん(……)さんとかではないか。

 母親の職場の話。みんな健康診断を受けないというので驚いたと言う。パートなので会社側からは保障がないわけなのでそれはそうなのではないか。こちらも正職に就いたことのない黴類なので、大学のとき以来健康診断など一度も受けていない。母親は父親の会社から補助が出て、二万円くらいで受けられるようで、それが今月の二九日にあるとか。職場の人もだいたいみんな連れ合いの扶養に入っているはずだと言う。制度について何も知らないのでわからないのだが、会社によっては被扶養者まで世話はみませんよという感じのところもあるのだろうか? 資本主義的論理からすると、むしろそういう企業のほうが多いような気すらするが。あとは単純に、みんな金がなくて生活が苦しいということもあるだろう。「(……)」の「(……)饅頭」を職場に持っていったら、みんな、高級だ高級だと騒ぐので母親は当惑し、いやそんなに高級じゃないよ、うちだって別にそんなによく買うわけじゃないしとか弁明したというのだが、(……)さんはそうでも、うちらにとっては高級だよみたいなことを言われたらしい。じゃあ高級品だから味わって食えとか言えば良かったじゃんと答える。一個九〇円くらいだと言う。普通に、(……)饅頭を高級だと思うほど金がなくて、苦しい生活を強いられているわけでしょと受けて、茶を持って帰室。

 Mr. Children『Q』を流して歌いながら今日のことを記録。今日は(……)に行く。図書館の返却日だからだ。ついでに楽器屋に寄って安いアコギを適当に買ってしまいたい気もするし、(……)の(……)家に遊びに行きたい気もする。図書館は五時で閉まってしまうので、三時頃には出かける必要があるだろう。

 その後、六月二七日を記録。音楽は『DISCOVERY』へ。あまりしっかり身体を据えることができず、指はやや急いでしまうし、肉体も動いてしまう感があった。二時四〇分ほどでメモを終え、歯磨きしつつ二〇一九年六月二六日水曜日を読む。

 小林 それはまさにそのとおりなので、「感覚的」と言ったときに、一番大きな誤解は、われわれが常に、もちろんいろんなものを知覚し、感覚しているんだけれども、その感覚が、多くの場合は習慣によって統御されているわけです、かならずね。感覚はすでにつくられてしまっているというか。アートの、芸術の力が必要なのは、まさに、つくり上げられた、鎧のように出来上がってどうしようもない、この人間の癖となっている、癖の塊である感覚にひびを入れるためですよね。そこにひびを入れることで、はじめて、もう1回、世界との直接的なコンタクトが、なんらかの仕方で生まれてくる。それがない限りは、この感覚をそのまま延長すればいいなんてことはけっしてない。それは禅の修行だってそうで、あらゆるものは全部そこを目指しているわけじゃないですか。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、43)

 四つ作歌している。三つはどうでも良いが、「一〇〇年後のフランツ・カフカになりたくて手紙を書くけどフェリーツェがいない」という一つは正直、かなり良いと思っている。あと、「君がさみしくないように」というセンチメンタルなラブソング的な詩をこしらえているが、これは特に面白くはなく、退屈である。



 「(……)商店街」。クリーニング店や家具屋などは一応あるものの、もはや住宅街。しかしここが商店で活気づいていた時代もかつてあったわけだろうきっと。着物屋に気づく。「(……)」という名前。

 (……)家。
 食事は、胡瓜と生姜の漬物、ナスの煮浸し、前日の残り物だという煮物(牛蒡・人参・蒟蒻・鶏肉など)、コンビニの冷凍のエビチリとチキン、しらすご飯といった感じ。「アマノフーズ」のフリーズドライの味噌汁も最後に。デザートはスイカと、こちらが買ってきたフィナンシェ。どれも美味いが、煮物がちょっとびっくりするくらいに美味かったので絶賛する。とても柔らかくよく煮えていて、普通に居酒屋で出せるレベルだと思った。
 (……)ちゃんは今日、午前中から五〇キロほど自転車で走り、そのあと今度は自らの脚で一〇キロくらい走ってきたと言うのですごいが、その後はずっと酒を飲んでいたらしい。そんなに運動したあとに酒を飲んで大丈夫なの、血圧とか、身体に負荷が掛からないのと訊いてみると、耳が痛い様子だった。骨密度は(……)さんのほうが低いらしい。(……)さんも歩いたり走ったりしているのに。
 ボードゲームも何か一つたしなみたいという話。やはり面白いのは将棋か囲碁か麻雀かなと。将棋は羽生の動画がけっこう面白いと話す。勝っても全然嬉しそうでないところとか、あと解説者が誰も羽生の意図を理解できずに困惑するところとか。麻雀は(……)の連中は好きで(……)家の人たちなどとよくやっているようで、昨年の秋だかの台風のときに、(……)橋だかの一部が流されたか壊れたかしたときにも、集まってやっていたらしい(ちなみにそのとき(……)ちゃんは様子を見に行ったと言うので、それ完全に、畑の様子を見に行った人が流されるパターンだよと言った)。『哲也』の名を出す。阿佐田哲也という人がモデルで、『麻雀放浪記』という本も出していると。色川武大の名は触れなかった。
 コンビニで手羽中や焼鳥をよく買うと話す。(……)家よりも我が家のほうがコンビニをよく使っているのではないかと(……)さん。少なくともこちらの場合は行動圏内にスーパーがないので。スーパーに行くには、(……)まで行って(……)に入らなければならないと言う。昔は(……)駅前に(……)があったが、なぜか潰れてしまった。(……)駅前にスーパーを作らないと、(……)は滅びるねと適当に断じる。行商は? と(……)さん。(……)さんと(……)が来ると。市が運営する移動販売みたいなサービスをやれば良いのにと言うと、お前がやれ、政界に出ろと煽られるので笑う。しかし実際これはけっこう死活問題で、すぐ近くにコンビニがあればよいが、ないあたりの老人とか、スーパーに行きたい老人とかは、わざわざバスに乗って(……)の(……)まで行かなければならないわけである。もう少し何かやりようがある気がするが。
 ポテトチップスについて。(……)のダイエットの話から。ポテトチップスは三口目くらいまでが一番美味い。
 一番好きな食べ物。煮込みうどん。
 テレビは野球や、セブンイレブンの品物を料理の専門家というか評判の高い店の料理人が「合格」「不合格」でジャッジしていく番組。コンビニ側の人もいちいち一喜一憂してみせたり、料理人たちもわざとらしくしかつめらしい表情を浮かべたり、意味深にうなってみせたり、悩むようなポーズを取ってみせたり、大げさな茶番の感は否めない。麻婆豆腐丼は三二年間中華を作ってきて、麻婆豆腐も無数に作っては食べてきた人が、しっかりと本格派の美味しい麻婆豆腐と言っていたので、食べてみても良い。
 八時半くらいに(……)が帰宅。ドッジボールをやって副校長に怒られたと言う。生徒が怪我したらしく、学習指導要領にないことをやって怪我させたと突っ込んでくる保護者もいるかもしれないと。(……)さん。仲が良いらしい。いつもにこにこしていていい子だと言うが、塾ではそんなに快活だった印象はない。(……)は人権教育校みたいなものに指定されていると言う。五年ほど前に(……)から飛び降りてしまった子がいたので。その生徒はこちらの塾に通っていた。容姿を馬鹿にされていたと言うか、こちらからすると全然どうとも思わない顔だったし、塾で見る限り同級生とも普通に問題なくやりとりしているように見えたのだが、たしか「化け物」みたいなことを言われていたらしく、ややいじめられていたような感じだったようで、それを苦にして自殺したのではないかという話が当時出ていたと思う。ただ遺書などはなかったはずだ。それで副校長は生徒には必ず「くん」「さん」をつけて呼ぶようにと訓告しているのだが(……)としてはそういう一律的な接し方はあまり納得が行かないようだ。先輩の先生だったか、目をかけてもらっている人に(あるいはそれが副校長で、先に言った「副校長」は校長だったかもしれないが)、休み時間はどんな呼び方をしようが自由でいいが、授業のあいだだけは「くん」づけ「さん」づけで呼ぶのがいい、そうするとけじめがついて、生徒のほうも意識が切り替わるからとアドバイスされて、それがいいなと納得してやっているらしい。こちらもそのやり方は悪くないのではないかと思う。いまはとにかくハラスメントにうるさい時代だから、セクハラにせよパワハラにせよ、生徒が言葉の暴力を受けたという気持ちにならないように言動には気をつける必要があるだろうと言っておく。
 今度、はじめての保護者会をやると言う。それでできんの? とか聞き、緊張するけどやるしかねえとか言っていたのだが、たぶんその流れで、(……)が、祖母の言葉を言いだした。なんでも祖母もしくは祖父は、地震が怖いとか言ったときに、自分だけが揺れるわけじゃねえから大丈夫だとか言っていたらしい。それはちょっと面白かった。(……)はなぜなのかわからないが、こちらの祖母のことを大変に高く評価してほとんど尊敬しており、(……)のおばあちゃんは本当にすばらしい人間、世界平和に一番近い人間、とこの日も言っていた。たしかになかなかよくできた人ではあったと思うが。その祖母ももう死んでから六年と五か月になる。振り袖で病院に着てくれたじゃんと向ける。それが(……)の成人式があった一月で、そのすぐあとに亡くなったと言うから、(……)が成人したのは二〇一四年だったようだ。ということはいま二六歳だろうか。保護者会については、(……)は裏表がないから堂々としていれば大丈夫だと言っておいた。すると(……)ちゃんが、(……)もそうだよと言う。裏表がないと言うので、まあそうかなと肯定し、俺はいつでも堂々としていると豪語して受けておいた。
 (……)は仕事。今日は保護者会が終わった打ち上げとかで、どうも帰ってこないよう。たぶん恋人の家に泊まるのではないか。(……)から(……)に移ったということはこのあいだ聞いていた。仕事は変わらず、進路アドバイザーみたいなことをやっているらしい。
 九時半くらいからギターを披露。"Let It Be"を最初に弾いて多少歌う。(……)がリクエストしてきたので。"Don't Look Back In Anger"と同じ進行だったろうと思いだして。
 ほか、例によって適当にブルース。(……)ちゃんは称賛してくれ、興奮し、そのあまりに放屁したくらいだ。
 "いとしのエリー"も。(……)がスマートフォンでコード進行を調べてくれた。
 "なごり雪"。歌う。(……)ちゃんも声を合わせるのだが、なぜか金八先生武田鉄矢のものまねをさらにまねしたみたいな声色になっていた。その動画を(……)さんが撮って、母親に送ったらしい。

 一〇時半前に帰路へ。(……)は居間で仰向けになってアザラシのように寝ていた。戸口で(……)ちゃんと(……)と挨拶を交わし、身体に気をつけてと別れ、門の前で(……)さんとも挨拶。突然ですみませんでしたと言っておき、(……)の飯はいつも美味い、ありがたく、おいしくいただいておりますと礼を言う。別れてあるき出す。ぬるい夜気。コンビニの前で煙草に火をつけて吸っている男性。先端の微小なオレンジ色。べたつきながら通りを渡るカップルもいる。交差点を渡り、来たときと同じ道を行く。道端、街角で別れを惜しんで接吻しているカップルがいた。唇と唇ではなくて頬とかだったように見えたが。(……)行きに接続する電車まで一〇分もなかったので、大股で急いでいたのだが、だんだんと、これは間に合わないのではないかという気がしてきて、そもそもギターを抱えて混んでいるところに入って立つのも面倒臭いし、それよりは座っていきたいし、(……)で待つにしてもメモを取る時間が取れるのだから次の電車で良いわという気になり、駅前で歩廊上に上がった頃には完全に歩みを通常の速度に戻していた。コンコースではなく、西口みたいなほうに行く。通路が広く、がらんとしていて、こういうところでストリートとかできそうだなと見る。改札をくぐり、一・二番線ホームへ。ちょうど一番線の(……)行きが発ち、二番線がついたところだった。ホームの先のほう、東京側の端のほうへ行って乗る。マスクつける。いまさらだが。それで道中は全部メモ書き。乗客は乏しかった。発車するあたりからいきなり雨がざあざあ降りだしており、(……)に至っても続いていた。それで電車のなかをたどって屋根のあるところから降りる。

 ベンチで引き続きメモ。背後、反対側のベンチには意識が曖昧な人がいたらしい。駅員が声を掛けていて初めて気づいた。たぶん飲みすぎたのでは。電車にも乗れないような様子だったら、水でも買ってやろうかと思っていたが、どうも電車には乗らずに(……)で出るらしかったし、駅スタッフが、またお声掛けしますのでと言っていたから良いかと落とした。(……)を出るとき母親に、終電になるとメールを送っておいたのだが、何時頃(……)につくのかとあったのにそろそろつくと(……)で追送しておいた。すると、最寄り駅まで来てくれると言う。(……)駅でいったん外に出てコンビニで傘を買おうかとも思っていたのだが、それならと甘えることに。礼として「濃いめのカルピス」を自販機で買っておく。(……)行きは零時ちょうど。

 (……)行き内。いつもはだいたい一番後ろの車両かその次くらいに乗るが、ギターを濡らさないために屋根のあるところで降りようということで、今日は一番前の車両に。移動。座席で横になって眠っている人二人。一人は若い女性。珍しい。こういう人を見かけるたびに、声かけたほうが良いのかなあと一瞬、もしくは数瞬迷うのだけれど、わざわざ起こすのもと思ったり気が引けたりして結局放っておく。扉際で立ってメモ書きしつつ到着を待つ。

 降車。もうひとり、何か赤っぽい服の女性が降りて、この人はたまに見かける。たぶん公営住宅に住んでいると思う。ここでもベンチには寝そべっている男性がいた。自らここを寝床に選んだのだから、寝かせておいてやろうと素通り。夏だから死ぬこともない。階段通路にはこまかな虫が湧いて飛び交っている。蛍光灯のもとで。女性は煩わしがって手を振りながら、足音重くこちらを抜かして下りていく。出たところに母親の車があった。ただ、この頃にはもう雨は止んでいたので、もはや歩いて帰っても良かったのだが、後部座席にギターを乗せて、自分は助手席に。

 帰宅。服を脱いで洗面所。手を洗う。コップに氷水を作って、氷が溶けるのを待つあいだに下へ。ギターは兄の部屋に置いておき、荷物をリュックから取り出し、ズボンを脱いで収納へ。上がって、新聞チェックしながら水を飲む。結局、冷たい水が一番美味いなと思う。余計な味もにおいも重さもほぼなくて、からだに夾雑物がなにも取り入れられる感じがせず、冷たさだけが浸透していくので。臓器にやさしい。

 脚が疲労していたのでともかく休まなくてはと、ベッドに転がってほぐしながら、バルト。一七五頁には、「アウシュヴィッツワルシャワのゲットー、ブーヘンヴァルト強制収容所のできごとは、文学的性格の描写にはおそらく耐えられないだろう」というブレヒトの引用。バルトのテクストのなかに、他人の引用とはいえ強制収容所の名前が出てくるのはかなり珍しい気がする。もしかするとほとんどここだけではないのか? 同じ一七五頁の「マテシスとしての文学」中では、「文学は、もはや〈ミメーシス〉[芸術的な模倣]でも〈マテシス〉でもなく、ただ〈セミオシス〉[記号連鎖]、つまり言語の不可能性の冒険にすぎない」とあり、言っていることはまあわりとわかるし、バルト的だとも思う。それに続いて、「ようするに〈テクスト〉なのである」とあって、ここに〈テクスト〉概念の明確な一説明が書き込まれている(ただ、それはおそらく定義ではない)。それに付された括弧内には、「文学は有限な世界を〈表象する〉が、テクストは言語の無限性を〈形象化する〉」ともあり、〈表象〉と〈形象化〉の対比図式は何かに応用できるかもしれない。
 176には「「自己」の本」の断章。「彼は、自分の思想に抵抗している。彼の「自己」、つまり理性的な凝固物が、たえず抵抗するのだ」とある。「凝固物」というワードは〈固まる〉というバルトのタームの仲間であり、バルトにおいて(意味や言語が)〈固まる〉ことは常に否定的なこととして評価されているので、「理性的な凝固物」たる「自己」もバルトにとっては忌避の対象なのでは? という気がして、主体的自己の複数化による攪乱を擁護している人なのでそれは一面ではたぶん合っていると思うのだが、この部分の文脈だと、「自己」は「自分の思想」に「抵抗」するために役立つので、悪いばかりのものでもないと捉えられているような気もする。同じ段落内にはこの著作について、「〈後退的な〉(後ろへ下がり、おそらくは距離をとって見ている)本なのである」という結語があり、〈後退的な〉という形容は何か使えるかもしれない。
 177の「明晰さ」の断章には、「わたしが自分について書くことは、けっして〈最終的な言葉〉にはならない」とあり、これはそのとおりだと思われる。バルトが言っていることは、基本として踏まえておくべきではありつつも、内容としてはいまやそう物珍しいことではないと思うのだが、同じ意味内容でもその言葉遣い、言語的形態化、つまりはシニフィアン面の様相がやはり洗練されてはいて、表現として良い言い方、面白い言い方だなと思うことが多いし、それに〈〉なんかをつけられると、ちょっと必殺技的な感じもあって、おお、となる。
 182。「ドクサ」が語られるのと同じ「空間」には「わたし」は直接的には属しておらず、〈扉のうしろに〉いるのだが、そこで、「わたしもその扉を通りぬけたいと思う」と言っているのが重要で、意外なことに思われる。続けて、「その共同体の場にわたしも参加したいと思う」とも言っている。ロラン・バルトという人はほとんど生涯のすべてを通じて常に「ドクサ」に対する嫌悪と吐き気を抱えて生きてきて、それをいつも乱し、解体を試みてばかりいた人だと思っていたのだが、こういう箇所から判断するに、どうもそれだけではなく、両義的な態度を持っていたらしい。ロラン・バルトが、「ドクサ」の「共同体の場にわたしも参加したいと思う」などと書いているのは、ほとんど驚愕するようなことなのだが。「だからわたしはたえず〈自分が排除されているものに耳を傾ける〉のだ。そして呆然としてしまい、ショックを受け、人々の好む言語から切り離されるのである」などという言葉は、「排除」されることへのさみしげな疎外感すら感じさせなくもない。
 183には、自分は言語学用語をたびたびほかの分野のことを考えるための概念として援用してしまうみたいなことが語られており、それを「擬 - 言語学」、「隠喩的言語学」と呼んでいる。例としては「「中和」と〈中性〉の親近性」が挙げられており、そこに、「〈中性〉とは、倫理的なカテゴリーであり、提示された意味つまり威圧的な意味の耐えがたい指標を取り去るためにあなたが必要としているものである」と、バルトの重要なタームである〈中性〉についての一説明がある。特に、「倫理的なカテゴリー」であることが重要だろう。

 風呂へ。入湯前に体操。すると、窓にヤモリが現れる。最近頻繁のことだ。例の粘土っぽいような白さのほそながいからだの上部と下部に足が二つずつ横にちょこんと生えており、しっぽは長い。わずかに曲がりながら先がほそくなっており、爬虫類の尾というよりはネズミのしっぽを思わせるようであり、精子の鞭毛のようでもある。尾を除けば、からだと頭と足でいくらか曲がって歪んだ十字架をなしているようにも見えなくもないし、体の長さを措けば一応、人工的に培養された原始的な人間個体の誕生直後の姿のようにも見える。こちらが脚の筋を伸ばしているあいだ、ヤモリは動かずとまっている。バイクか何かが走ってきて、光と音が生じた際にほんのわずかにみじろぎしたのみ。彼らの意識というものは(それを「意識」と言えるのだとしたら)ほとんど大気の質感と温冷と明暗に同一化したその一部でしかないのではないか? しかしそのうちに、窓の下部に、なんか赤っぽいような色の微小な羽虫が現れうろつきはじめた。もしかして、これ食うんじゃないかとちょっと期待していると、果たしてヤモリは、上を向いていた頭の向きをまず変え、その次に思いの外にすばやく磨りガラス上を移動し、虫をぱくりと食べた。おお、と思って満足し、湯に入る。ああいう風に生きているわけだ。

 入浴後、(……)さんのブログを読む。「赤いきつね」食いながら。二〇二〇年四月七日。

 (……)「他者」は聖なるものではないし、不気味でもない。だが、親密でもない。「他者」との交通には、一つの〝飛躍〟がともなう。だが、それはエクスタシーの如きものではない。たとえば、「神との合一」という神秘主義的な体験は神と人間の本来的な〝同一性〟を前提しているが、異質なものとしての「他者」については合一などありえないからだ。extasyは、自己同一性のなかに回帰することである。しかるに、「他者」との関係における実存existenceは、自己同一性から出ることである。
 (柄谷行人『探求Ⅱ』p.252)

 “An Exhibition on Gabriel García Márquez’s Long Road to Becoming a Writer”(https://lithub.com/an-exhibition-on-gabriel-garcia-marquezs-long-road-to-becoming-a-writer/)という記事の内容としてマルケスがウルフから影響を受けていたらしいと紹介されており、たしかにマルケス本人もどこかのインタビューで、自分はヴァージニア・ウルフから影響を受けているけれど、そのことを見極めてくれた批評家はまったく(もしくはほとんどだったか?)いない、みたいなことを言っていた覚えがある。とは言え、マルケスの作品自体を見る限りでは、一体どの点にウルフの影響なんてあるんだよと言いたくもなる。まずもって彼は内面的描写をほぼしないではないか? 『ダロウェイ夫人』のSeptimus(セプティマス・ウォレン・スミス)をペンネームとしていたことがあるというのは初めて知った。

 (……)さんのブログ。何か文字面が変わったと言うか、行間が狭くなったような気がする。こんなものだっただろうか? フォント調整中なのだろうか。

 「次期大統領選の大きな変数に…韓国与党「あり得ないことが起こった」」(2020/7/9)(http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/07/09/2020070980232.html)。

 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は近頃も次期大統領選挙への挑戦への熱意を見せており、与党「共に民主党」など与党関係者と頻繁に接触していた。(……)朴市長は民選(人民が選挙すること)で3選した初のソウル市長で、与党の中で次期大統領選挙の有力候補の一人とされていた。(……)共に民主党では2018年の安熙正(アン・ヒジョン)元忠清南道知事に続き、今年4月には呉巨敦(オ・ゴドン)前釜山市長がMeToo騒動に巻き込まれて辞任し、政治人生を終えた。
 弁護士出身の朴市長は、2011年に補欠選挙で当選。市長に当選する前は、進歩派市民団体「参与連帯」を率いて市民運動を行っていた。
 しかし、朴市長は、部下の女性職員にセクハラ行為を行った疑いで、最近警察に告訴されていたことが判明した。(……)朴市長は昨日[二〇二〇年七月八日]、与党・共に民主党イ・ヘチャン代表に会い、政策協議を行った。(……)

 「行方不明のソウル市長 遺体で発見」(2020/7/10)(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200710000200882?section=society-culture/index

 【ソウル聯合ニュース】9日午前に公邸を出た後、行方が分からなくなっていた韓国の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が10日午前0時すぎ、遺体で発見された。
 青瓦台(大統領府)近くの北岳山一帯を捜索していた警察は、北側の粛靖門付近で朴市長を発見した。
 警察当局によると、朴市長の娘が9日午後5時すぎ、「4~5時間前に父親が遺言のような言葉を残して家を出た。携帯電話が切られている」と警察に通報していた。

 尾形聡彦(サンフランシスコ)「FB、止まらぬ広告引き揚げ ボイコットは約1千社に」(2020/7/9)(https://www.asahi.com/articles/ASN7964VDN78UHBI01B.html

 米フェイスブック(FB)から、世界の大手企業が広告を一時引き揚げる動きが続いている。広告を見合わせる企業は1千社近くまで拡大。ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)らが7日、ボイコットを呼びかける人権擁護の市民団体の幹部と会談したが、話し合いは平行線に終わったもようだ。

     *

 7日、ザッカーバーグ氏ら幹部との会談を終えた市民団体は失望感を示した。FB側は従来の同社の姿勢を説明したにとどまったという。(……)
 ボイコットは、全米有色人地位向上協会(NAACP)などの市民団体が6月半ば、ヘイトスピーチなど問題のあるコンテンツやトランプ大統領へのFBの対応を問題視し、企業側に呼びかけて始まった。
 市民団体によると、6月下旬に200社弱だった企業数はいま1千社近いという。米製薬大手ファイザーや、ジーンズ「リーバイス」を展開する米リーバイ・ストラウスなど有名企業が次々と参加している。
 (……)FBは昨年の売上高706億ドル(約7・6兆円)のうち98%を広告収入に依存しているが、その大半は中小企業による広告だ。大手企業の広告引き揚げは目立つが、金銭的な影響は大きくない可能性がある。(……)

 丸山ひかり「アイヌ差別の歴史に持論 萩生田氏「価値観違いあった」」(2020/7/10)(https://www.asahi.com/articles/ASN7B5GDXN7BUCVL00V.html

 北海道白老町で今月12日に開業する先住民族アイヌをテーマとする初の国立施設「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ)をめぐって、萩生田光一文部科学相は10日の閣議後会見で、アイヌの人々が受けてきた差別の歴史をどう伝えるのかと問われ、「原住民と、新しく開拓される皆さんの間で様々な価値観の違いがきっとあったのだと思う。それを差別という言葉でひとくくりにすることが、後世にアイヌ文化を伝承していくためにいいかどうかは、ちょっと私は考えるところがある」と述べた。
 さらに萩生田氏は「歴史に目隠しをするためにこの施設をつくったわけではない」と説明した上で、「仮に負の部分というか悲しい歴史があるとすれば、伝承いただける方が施設を通じて、お話ししていただいたり何か記録を残したりすることが大事だと思う。それは決して否定はしないし、目を背けるつもりもないけれど、せっかくの施設ですから、前向きにアイヌ文化の良さを広めていくことに努力したい」と語った。

     *

 アイヌの人々は、明治政府が進めた開拓で土地を追われ、同化政策により独自の文化も否定され、差別や貧困にあえいできた。昨年9月に閣議決定された政府のアイヌ施策の基本方針では「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、我々は厳粛に受け止めなければならない」としている。

 三時二〇分から書抜きに取り組んだものの、疲労しており、眠気が重く、臥位でなくモニターを前に座っているだけでまぶたが落ちてくるようなありさまなので、たまらずベッドに移って一時休み、まどろんだ。それからモニター前に戻ったが、やはり大したパフォーマンスが発揮できないので五時直前で中断。(……)五時半からこの日のことを記録して、六時一〇分に就床した。

2020/7/10, Fri.

 (……)これらの文彩をあるがままに見ると、ブルジョワ的宇宙の星占いの星座さながらに、二つの大きな区分に集約されるのがよくわかる。すなわち、〈本質〉と〈均衡〉である。ブルジョワイデオロギーはえんえんと、歴史の生産物を本質的タイプへ変換し続ける。烏賊が身を守るために墨を吐くように、ブルジョワイデオロギーはたえず、世界の恒常的な生産に、目くらましをあびせる。そして、世界を果てしない所有の対象として固定し、その財産目録を作り、それに防腐処置をほどこし、現実的なものに、その変形作用を、他の存在様式への漏れ出しをくい止めるような、浄化剤としての本質を注射し続けるのだ。このように固定され、凍結されて、財産はやっと数えられるようになるだろう。ブルジョワ的道徳は、本質的に計量の作業となるであろう。諸々の本質が、天秤にかけられるだろうが、ブルジョワ的人間は、その不動の天秤棒の役割を果たし続けるだろう。それは、神話の目的が世界を不動化することだからである。所有のヒエラルキーをきっぱりと固定してしまった普遍経済を、神話は暗示し身振りで示す必要があるのだ。こうして、日々いたるところで、人間は数々の神話によって、引き止められ、あの不動の原型へと送り返される。その原型が、人間の代わりに生命を持ち、内部の巨大な寄生物のように人間を窒息させ、人間の活動に狭苦しい限界線を引くのであり、その限界線の範囲内では、人間は苦しみに耐えつつも、世界を動かさないでいてよいのである。ブルジョワの偽 - 自然[フュシス]は、人間が自己を作り出すことの全面的な禁止である。神話とはたえまない、倦むことを知らないこの懇願、油断のならない、屈することを知らないこの要請にほかならない。それは、あらゆる人間が、永遠でありながら日付のついたあのイメージ、あたかもすべての時代のために作られたかのような、自らのイメージのなかに、自己自身を認めることを要請している。なぜならば、永遠化してくれるという口実のもとに、人間がそのなかに閉じ込められている〈自然〉は、一つの〈慣習〉にすぎないからだ。そして、いかに巨大であっても、この〈慣習〉こそ、人間が手に取り、変形するべきものなのだ。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、376~377; 「今日における神話」; 一九五六年九月)


 一〇時台に覚醒。夢見があったが、覚めるとともに大方消えてしまった。何か男と殺し合うという、物騒なと言うよりは漫画的な趣向があったはず。そのなかで、「先立つ知はすべて大いなる美に回収される」みたいな、古代ローマの格言にありそうな言葉が出てきた。しかもラテン語風の読み方がついていたような気がする。ほか、上の夢と繋がっていたと思うが、何かレースみたいなものに参加していて、沼沢地帯みたいなところを走っていく途中、豊かな草に覆われた斜面を登ろうとすると、上にいた人間から水をぶっかけられるような場面があった。しかもその人物は「ラカン」と名指されていたような気もする。
 脹脛をほぐしつつ夢を思い出そうとするもののほとんど蘇ってこない。天気は白曇。空間の果てでカラスが間歇的に声を放ち、伸ばしている。母親が来る。一一時からオンラインで職場の会議をやるとかいう話で、そのためのURLがなかなか送られてこないので困惑したらしいのだが、Meetというアプリケーションを用いるらしい。URLを送ってくるって言っているんだからそれを待って、来たらURLにただアクセスすれば良いだけだろうと言う。

 一一時直前に起床して洗面所でうがいし、用を足して便器のなかを黄濁させてから帰室してさっそく今日のことをメモする。前日のこともメモし、六月一日分も書き進め、正午を回って食事へ。前日の天麩羅の残りをおかずに米。母親は仕事へ行く。ほかにやはり前日のポテトサラダとキュウリの漬物の余りも食う。食いながら新聞をゆっくり読み、興味を惹かれる記事はすべて読んでしまった。洗い物のため台所に立つと、カウンターの向こうでテーブルが窓の白さを映しこんでおり、端に置かれたリモコンもその中性的で平板な明るみのなかにあって固まっている。それは位置関係上、曇り空が映っているわけだが、窓はと言えば視界のまっすぐ奥にあるから白天は直接は見えず、ガラスの上には川沿いの樹々の濃緑が密集しながら風もないようでぴたりと静まっている。

 風呂を洗って帰室。(……)さんから返信が届いていた。

(……)

 日記に邁進。六月一日と二日を進めてあっという間に四時間。なかなか勤勉だ。BGMはMr. Children『Q』、『深海』、『シフクノオト』ともっともメジャーなJ-POPバンドを流しておりおり歌ったあと、Sam Rivers『Crosscurrent: Live At Jazz Unite』へ移行。五時で書き物は一度切って、歯磨きしながら二〇一九年六月二四日月曜日の読み返し。

 中島 いまおっしゃったように、インティマシーの原型は母子密着の状態だろうと、わたしも思います。ところが、カスリスさんに言わせると、インティマシーの定義は、「親友に自分の内奥のものを伝えることなんだ」と言うわけです。
 小林 すばらしい!
 中島 これはおそらく、母子密着のインティマシーが、ある種変容し、再定義されたインティマシーだと思うんですよね。
 小林 そのとおりだと思います。まさに、一度、インテグリティーを通過したあとのインティマシーですよね。そこでは、インティマシーは、与えられた親密性ではなくて、みずからの内奥を打ち明け、与えることによって、まったく他人である存在とのあいだに、友情というインティマシーの関係を構築するという方向に跳んだわけですね。これはすごい、と同時に、とても西欧的。だって、キリスト教的な西欧文化の中心軸のひとつが、みずからの罪という秘密の内奥を打ち明けるという告白の伝統だからですね。西欧の近代は、ジャン=ジャック・ルソーが典型的ですけど、まさにこの問題を近代の根底に据えたわけですね。
 中島 近代的な内面性ですよね。
 小林 いや、これはなかなか難しい問題です。というのは、告白は究極的には「神」というインテグリティーが必然的に絡んでくるからで、ここにこそ、インティマシーとインテグリティーとの関係づけのキリスト教的な「解」があったわけですから。このような告白の観念は日本にはないでしょう。日本人にとっては、告白は君に恋心を告白する、ですから。西欧的には、インテグラルな自分を相手に開示することがインティマシーなのだという方向に行くわけで、これをわかっていないと、ヨーロッパ人とは真の友情が成立しない。おつきあいできないというか、単なる「おつきあい」で終わるというか。打ち明けられないインティマシーを打ち明けることだけが、友情の定義なのに。極端なことを言うと、日本人がヨーロッパに行ったときに、そこを見られているということが、多くの日本人にはわからない。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、22~24)

 二〇一九年六月二五日月曜日も。

 小林 物語というのは、まさに「物」が動いたことを伝えるわけでしょう。ヒューマンストーリーを語ることとは全然違っていて。
 中島 違う。全然違うんです。
 小林 今昔物語だってなんだってはっきりしていますが、なにかが動いた[﹅3]よね、そういうことですよね。最初にお話ししたわたし自身のインドの経験じゃないけれども、なにかが動いてしまったと、これですよね。これが原形。わからないわけですよ。つまり、人間の「心」のロジックでは解けないものが、人間の周りにたくさんあって、それが動いた、それを語らなければならない。人間の心は、歌にして歌いあげておけばいいんで、語らなくてもいい。「わたしはあなたに会いたい」と言えばいいんだから。でも、「物」は、それがどのような言語形式に適合するのかわからないんですよね。だから、こちらから見える形を語るしかない。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、39~40)

 細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』から、鳴海英吉「列」を引いている。「この鳴海の詩篇も優れた、実に生々しく鮮烈で、おぞましく酷薄な詩であるように思われる」と評しているが、いま読んでもやはりけっこう強い印象を受ける。ところで最終連の、「おれは罵倒するソ聯兵の叫びが/こんなにも無意味だと知ったとき/おれの眉毛が 突然せせら笑う」という流れが文形式として整いきっていないように思われたので、もしかすると写し間違えか漏らしがあったのかなと思って、四月四日に閉店間際の(……)書店で入手した鳴海英吉『定本 ナホトカ集結地にて』(青磁社、一九八〇年)を覗いてみたら、この部分は、「おれは罵倒するソ連兵の叫びが/慌てているんだと知った/おれの眉毛が 突然せせら笑う」となっている。細見が引いたのはおそらく初出時の形なのだろう。しかしそれが何という媒体だったのかまではこちらはメモしていない。『ナホトカ集結地にて』は、目次を見るとすべての篇が漢字一文字のタイトルで統一されて綺麗に整然と並んでおり、こういう形式的統一性への志向とか、「列」の内容の鮮烈さを見るに、もしかするとこの本は名作なんじゃないだろうかという予感を得る。なるべくはやいうちに読んでみたい。

  列

 ふりむくな と言われ
 おれは思わず ふりかえってみた
 
 砲撃でくずれ果てた町があった
 まず くすみ切って煙が上っていた
 くねった電柱があって黒い燃えカスだった
 黄色のズボンを下げた兵士が
 むき出した二本の足をかかえていた
 桃色のきれと 血を啜う黒い蠅が見え
 死んで捨てられた もの たちが見えた

 兵士の口のまわりには
 米粒が蛆色をして乾き 干し上り
 めくれあがった背中の大きな傷口に
 もぞもぞと動いている蠅
 おれは断定した
 あいつも飢えていたのだ
 おまえもおれも乾ききっていたのだ

 くだかれたコンクリートのさけ目だけが
 さらさらと白い粉末のようなものを流し
 果てしなく 乾いて そのまま流れつづける
 あれは女ではない
 おまえのかかえ上げたものは
 砲撃で焼かれつづけたさけ目[﹅3]
 しわしわと 死んでも立っているものを
 美しいと おれは凝視しつづけていた

 ふりかえるな 列を乱すものは射殺する
 おれは罵倒するソ聯兵の叫びが
 こんなにも無意味だと知ったとき
 おれの眉毛が 突然せせら笑う
 いつもお前の言い分は 列を乱すなである
 おれの眉毛の上に 八月のような
 熱い銃口があった
 整列せよ まっすぐ黙ってあるけ
 (鳴海英吉「列」; 細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、213~215より)

 軽い運動で身体をほぐす。Sam Rivers『Crosscurrent: Live At Jazz Unite』の最終曲、"Eddy"を聞きつつ。簡単で短い進行をループさせる単純な曲で、Sam Riversがソプラノで好きにやり、その周りでギター、ベース、ドラムも補強しながらおのおの良い感じに遊ぶという感じなのだが、ギターの技がこまかくてなかなか良い。巧者の印象。調べてみると、Jerry Byrdという人らしい。Brother Jack McDuffの作品などに参加しているよう。あとFreddy Coleの作品にはけっこういくつも参加しているようだ。

 Sam Riversが終わったあとはcero『Obscure Ride』へ。運動は六時前に切りとし、手の爪を切る。歌を歌いつつ。"Orphans"はやはり良く、とても感傷的で、音域が広がったからメロディも大方出せるようになったし(2Bの「姉がいたなら あんな感じかもしれない」の最後の「い」の音以外はたぶん出る)、カラオケに行ったらめちゃくちゃ歌いたいのだが、カラオケに行く機会はない。爪を切り終えるとまた六月二日をちょっと進めて、食事の支度へ。

 マグロを焼くようにと言い使っていた。マグロと言うか、メカジキというやつだと思うが。ほか、麻婆豆腐があったのでそれも作ることに。フライパンを熱し、油を垂らし、ローズマリーを散らし、ブロック状のメカジキ三枚を敷き、弱火で蓋をする。麻婆豆腐にはキャベツを加えることに。それで玉から二枚剝いでこまかく切り、素のなかに投入する。メカジキは「ビミサン」とかいう先日母親が買ってきた高いらしいつゆで味つけすることにして、それを水で嵩増ししたなかにチューブのニンニクと生姜、あと辛子をほんの少し混ぜて箸で溶く。そうしていると父親が帰ってきた。(……)でまた出ると言う。フライパンにつゆを注いで火を強めたのち、小さめの木綿豆腐二つを手のひらの上で分割して赤いスープに入れ(あるいは豆腐を加えたのがメカジキを味付けするより先だったかもしれないが、そんなことはどちらでも良い)、最後にとろみ粉を少量の水で溶いて加えれば完成。もう食事にすることに。米は丼に盛って麻婆豆腐を掛け、メカジキのほかに即席の卵スープも食うことに。卓に就いて夕刊を見ながらものを食べていると母親帰宅。本当はサラダも作るように言いつかっていたのだが、それは母親に任せるつもりで怠けた。母親はメルカリでスニーカーだか買ったらしく、その支払いのためにコンビニに寄ったついでにチキンを買ってきたので、それもいただく。(……)あたりで殺人事件があったとか言う。(……)

 父親の会合は(……)らしい。(……)に会ったらよろしく言っといてと頼んでおいた。食事中、テレビでNHKが、中国でいわゆる「人権派」の弁護士として活動していた王全璋のインタビューを報じはじめたので、一時新聞から目を離し、音量を上げて耳と目を向けた。二〇一五年の七月九日から始まった「人権派」の人々の拘束で逮捕され、国家転覆罪で五年間くらい服役していたらしい。朝六時から夜九時まで両手を上げたまま拘束されるという仕打ちが一か月ほど続き、当局の人間は彼の顔に唾を吐いたり蹴りつけたりしたと言う。当局は裁判をなかなか行わず、長期に渡って拘束するという処置を取ったが、これはもちろん拘束した人を身体的・精神的に消耗させるための卑劣なやり口だろう。裁判のときも、七人くらいが王氏を押さえつけて強行したと言っていた。王氏は香港の事態には当然、おそらくほとんど絶望的なまでの憂慮を抱えているはずで、「とても恐ろしいことだ」と悲嘆を表明していた。
 それを見終わるとまた新聞に戻り、読むべきものを読むと食器を片づけて帰室。緑茶を用意して飲みつつふたたび日記。六月二日。音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』と『ORANGE』。"感謝(驚)"は日本国で最高のポップソングの一つ。八時四五分で記事が完成し、投稿。それからまたこの日のことを記録するともう一〇時が目前だ。

 どうも母親が風呂に入ったようだぞと気配を感知しつつ、写し終えた新聞と湯呑みと急須を持って上へ。やはり入浴しており、無人の居間はテレビだけが稼働している。母親は、入浴中、必ずテレビをつけっぱなしにしている。なぜかわからないが、居間に誰もいないという状態が不安なのだと思う。本気でそう考えているわけではないと思うが、たぶん、無人のあいだに泥棒でも入るのではないかという心配があるようで、それで誰かいるかのように見せかけたいようだ。茶葉を捨てに台所に行くと洗い物が流し台に放置されていたので、ついでに処理しておいてあげることに。乾燥機の食器を片づけて洗いだすと、テレビでは何やら音楽演奏が始まり、たしかあれは川井郁子という人ではなかったかと思うが、ヴァイオリニストと、たぶん東儀秀樹だったのではないかと思うが横笛の演者と、あと一人キーボード奏者が、明らかに聞き覚えのある旋律を奏でるのだが、何という曲か思い出せない。"荒城の月"を思い起こさせるような、物憂げな濃闇風のマイナー調の曲なのだが。これはたしか、『美の女神たち』みたいな名前の番組だったか? それは美術に関係する番組だったか? 川井郁子が毎回ゲストを招いて共演しながら音楽を演奏する番組があったのは覚えているのだが。演奏の終わりに、DAIWA HOUSEの提供が明示された。
 そういうわけで検索してみると、これは『100年の音楽』という番組だった。川井郁子は「ゆうこ」という名前だと思っていたところ、正しくは「いくこ」だった。番組ホームページによれば先ほど聞いた曲は"遠くへ行きたい"というものらしいのだが、こんな曲知らんぞ。永六輔作詞、中村八大作曲らしい。一体どこで聞いたのか?
 洗い物を済ませたあと急須に一杯目の湯を注いでいると、一〇時に達してテレビは変わり、住宅街みたいなところにある何かよくわからん白い自動販売機を紹介している。九九〇〇円とか値段がある。それを背に便所に行こうと玄関に出ると、飾られている大きな白いヤマユリのにおいが強く漂っている。これは、家の向かいの林縁の土地を畑として使っている(……)さんが、誤って切ってしまったので良かったら活けてくださいとか言って昨日だか一昨日だか持ってきたらしいのだが、母親はたびたび、においがすごいねと漏らしている。たしかにきつい香りだ。トイレで放尿して戻ってくると、先の自販機は婚約指輪を売るものだと明かされていた。思い立ったが吉日ということで、決断したらすぐにプレゼントできるようにということで開発したらしい。サイズが問題だが、相手の指のサイズがわからなくとも、リング自体が閉じきっておらず、大きさを調節できるようになっているのだと言う。

 帰室すると、"荒城の月"と言えばこちらにとっては滝廉太郎よりもScorpionsの『Tokyo Tapes』なので、それを流す。こちらのコンピューターに入っているScorpionsの音源は、たぶんすべて(……)にもらったものだと思う。#5 "We'll Burn The Sky"は正直普通に格好良いと思う。Klaus Meineのボーカルもやはりすごい。この高さで、この織物的ななめらかな質感、〈手触りの良さ〉と芯をやすやすと結合させることはたぶんなかなかできない。音楽とともにここまでまた今日のことを記録。

 「英語」を復読。復読はやはりなるべく毎日やりたい。「英語」と「記憶」、どちらか一つだけでも。なぜかわからないが、どちらかと言うと「英語」のほうに意欲が向く。『Tokyo Tapes』の#8 "Fly To The Rainbow"まで流れたところで切りとして、それから入浴へ。洗面所で久しぶりに「板のポーズ」。以前のようにじっと静止して耐えるのでなく、プランクポーズから膝をついて背を反らす形に移行し、また腕立ての姿勢に戻り、ということをゆっくり繰り返す。筋肉のほぐし方、あたためかたがよくわかった。力を入れた状態で静止すれば良いと思っていたのだがそうではなく、ゆっくりと丁寧に動かせば良いのだ。中国の人々が太極拳をやっている理由が完璧に納得できた。
 風呂のなかでは、(……)くんが七月三日に話していたことを思い出す。つまり、オンライン家庭教師の話で、聞いたときにそういう発想はなぜか起こらなかったのだが、こちらもそれをやれば良いのでは? と思ったのだ。どうせこのままアルバイトをしながら読み書きを続けていても大した金は稼げないし、大した金が稼げなければいつまで経っても一人暮らしができないわけで、その行き詰まりを打開するための方策として有効ではないかと思ったのだった。とは言え、こちらにその能力が充分にあるかどうか。(……)くんはたぶん、顧客と一緒に本を読んで気づいたことや考えたことを話し合う形で教える、みたいなことをやっているのではないかと思うが、そのやり方を踏襲するとしても、顧客を満足させられるだけの知見をこちらが提供できるかどうか。(……)翻ってこちらは毎日しこしこ日記を綴っているだけの人間である。わざわざ金を払ってまでこちらという人間を生かすことに助力してくれる人がいるのかどうか疑わしい。とは言え、塾講師の仕事でこの先どうにかなるでもなし、たくさん売れて金になる文も書ける気もしないし、書けたとしてもあまり文章を金にすることには気が向かないので、浮き世をうまくサヴァイヴしていくための一方策として頭の一部に留めておいても良いだろう。塾講師の仕事は現在、準備時間なども入れて時給換算してみると一時間で一一五〇円くらいにしかならないことがいま判明して、思いのほかに少なかった。もっと割の良い仕事だと思っていたが、まったくそんなことはなかった。これよりは稼ぎたいので、もしオンライン家庭教師的なことをやるとしたら、時給一五〇〇円かできれば二〇〇〇円くらいには設定したい。ただ、本当にやるとしたら、金銭が介在するわけなので、本来はきちんと契約書とかを作らなければならないと思うのだが、契約書の作り方などもちろんまったくわからない。普通はやはり、弁護士とか行政書士みたいな人に依頼するのだろうか? だがそんな金があるはずもない。まあ副業程度でやるならば、口約束か、自分で適当に文書を作る形で良いのかも知れないが。また、もし仮にオンライン家庭教師的なことを始めたとしても、塾講師の仕事を完全に辞める気はいまのところはない。若い人たちと接するということもとても重要なことだし、やはり、具体的な現場は一つ、持っておきたい。実際に自分の身を運び、そのなかに置き、そこで個々の人間を目の前にして意味と力の交換をする時空というものが絶対に必要なのだ。

 赤城宗徳『あの日その時』はちょっと読んでみたい。改定安保条約騒動のときの政府内の動きが書かれているはず。

 書抜き。ジョンソンをゆっくり。Scorpionsが終わったあと、"Long Tall Sally"繋がりでThe Beatles『Past Masters』へ。D1#2 "From Me To You"のコーラス構成がけっこう面白いような気がした。特にサビの最後のまさにタイトルの語句の部分。別に珍しくはないのかもしれないが。何か聞いててあまり聞かない動きのような気がした。ほか、#12 "Slow Down"はなかなか良いし、#14 "I Feel Fine"も何だかんだ言ってやはり良い。#11 "I Call Your Name"は寺尾聰がライブでカバーしていて、一時期YouTubeにある音源をよく聞いていたが、あれはなかなか格好良い。#15 "She's A Woman"はJeff Beckが(『Blow By Blow』)、#18 "I'm Down"はAerosmithが(『Permanent Vacation』)でそれぞれカバーしている。
 その後、バルトも書抜き。ディスク二に入ると、#2 "We Can Work It Out"のBパートのメロディ及びコーラスの叙情性はすばらしいし、続く#3 "Paperback Writer"もちょっとすごいと言うか、変な曲だけれど格好良い。この曲とか次の#4 "Rain"とか聞くと、Paul McCartneyのベースってけっこうこまかくてよく動くし、わりとはしゃぐところがあると言うか、いやいや一六分とかそんなに刻んじゃって良いの? みたいな感じを受けるし、音色とゴリゴリとした質感の度合いは全然違うと思うけれど、動き方としてはYesのChris Squireなんかを思わせるところがある。#5 "Lady Madonna"のベースもすばらしいぞこれは。
 #7 "Hey Jude"のメロディのキャッチーさもやはりすごい。始まった途端に惹きつけられる。ものすごく綺麗に整った、美しいと言いたいほどの旋律の形をしていて、Paul McCartneyがポップソング製作者としての本領をこの上なく発揮している感がある。ほとんど感動的なまでの、明快極まりない構造性による快楽的なポピュラー性。このAパートのメロディラインを作れたら、もう完璧に勝ちでしょという感じ。

 かなり久しぶりのことで、詩をほんのすこしだけ書き足す。

 三時半からまた日記。六月二七日を記録する。BGMはBen Monder『Amorphae』。Paul Motianの最晩年の録音の一つだが、参加しているのは二曲だけ。書き物は五時まで。さすがに疲労し、頭のなかが痺れるようになる。それでもベッドに移ってからバルトを読もうと試みたが、当然まともに読めず、二ページで断念して五時一五分に眠りに向かった。

2020/7/9, Thu.

 3. 同一化 プチ・ブルジョアは〈他者〉を想像する能力のない人間である。もし他者が目の前に現れると、プチ・ブルジョワは目が見えなくなり、他者を無視して否定するか、さもなくば、他者を自分自身に変形してしまう。プチ・ブルジョワの宇宙では、対決の事柄はすべて反射の事柄であり、他者は同一者に還元される。スペクタクルや裁判といった、他者が露呈しかねない場所は、鏡となるのである。それは、他者が本質を傷つけるスキャンダルだからである。ドミニシやジェラール・デュプリエが、社会的実在に到達できるのは、あらかじめ彼らが、重罪院の裁判長や検事長の小さな摸像[シミュラクル]の状態に還元されていればこそである。それは、彼らを当然のこととして断罪できるために支払わねばならない代価だ。というのも、〈裁き〉とは天秤の操作であり、その天秤は同じものと同じものしか量れないからである。どんなプチ・ブルジョワの意識のなかにも、ならず者、親殺し、男色家などといった小さな摸像[シミュラクル]たちがあって、それを定期的に司法団体が自分の頭脳のなかから引っ張り出して、被告席に座らせ、激しく叱責して、有罪宣告をくだすのだ。裁かれるのは、正道を踏み外した[﹅8]類似者ばかりである。これは進むべき道の問題であって、本性の問題ではないからだ。なぜなら、人間はかくのごとくできている[﹅14]のだから。ときには――稀なことだが――〈他者〉が還元不可能なおのれの存在を現すこともある。突然プチ・ブルジョワの良心が咎めたからではない。その良識[﹅2]が〈他者〉と衝突するからである。或る人は白い肌ではなく、黒い肌をしている。また或る人は、梨のジュースを飲むが、ペルノー酒は飲まない。ニグロやロシア人をいかにして同化するべきか。救急用の文彩がある。エキゾティシズムだ。〈他者〉はまったくの対象、スペクタクル、人形芝居になる。人類の辺境に追いやられた〈他者〉は、もはやマイホームの安全をおびやかしはしない。これはとりわけプチ・ブル的な文彩である。というのは、ブルジョワのほうは、たとえ〈他者〉を実感できないまでも、少なくとも〈他者〉の居場所は想像できるからである。それが自由主義と呼ばれるものであり、承認されたそれぞれの場所に関する一種の知的倹約である。プチ・ブルジョワジー自由主義的ではない(プチ・ブルはファシズムを生み出すが、ブルジョワはそれを利用するのだ)。プチ・ブルはブルジョワの道程を遅ればせについていくのだ。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、372~373; 「今日における神話」; 一九五六年九月)


 久しぶりに一時前まで寝坊。午前中には雨が降っていた覚えがあるが、いまはやんでいた。しかし例によって真っ白い曇り空。寝床にいたこのあいだだったと思うが、窓外から面白い鳥の声。打音をこまかく細長い箱に詰めこんでひたすら連続させたみたいな感じで、おもちゃのドリルかマシンガンのようでもあるのだが、とにかく何の音楽性も味わいも色気もない鳴き声で、こんなに即物的な鳴き方の鳥がいるのかと思った。あれはたぶん地鳴きというやつなのだろうか?

 上階から伝わってくる母親の声からして、誰か客が来たようだった。上がっていくと(……)さんだと知れる。玄関にいるらしい。それで洗面所で顔を洗い髪をちょっと梳かしてからこちらも玄関へ。赤紫蘇ジュースを振る舞っていた。先日の件について聞いたりなどする。息が苦しくなってしまったらしい。ときどき目の前が真っ白になる感じもあったと。途中で電話がきて母親が立ち、二人でちょっと話す。もう死ぬと思ったと言うが、まあそれはそうだろう。しかし一二月が誕生日なので、あと半年もすればいよいよ(……)歳である。あと、祖父母の思い出話を聞く。祖父に祖母を紹介して引き合わせたのは何を隠そうこの(……)さんなのだ。祖母が(……)で(……)さんの隣に住んでいたらしい。それで(……)さんに会わせて、二人は(……)山へデートに行ったと。
 (……)さんの息子さんとはこちらはほぼ面識がないし、孫の代に至っては見たことすらないのだが、曾孫はいるの? と訊いてみるといないらしい。ひまご、ひまご……とつぶやいて、(……)さんは何やら不思議そうにしていた。何だろう? ほか、先日(……)ちゃんが入居したことを取り上げて、(……)さんの息子だってねと言うと、そう、(……)さんってのはどこなのよと訊く。すぐ近くの宅で、いままで関わりがまったくなかったとも思えないのだが、どうも多少やはり頭は弱くなっているのかもしれない。(……)歳が目前なので、そうだとしても当然の話だ。母親が戻ってくるとお暇となったので、一緒に外に出て隣家の勝手口へとおりていくのを見守る。手すりを掴んで一歩ずつゆっくりとおりていくのだが、それを見ているとやはり老いさらばえたなあという感じはどうしても受ける。本人も、もう歩くのがことなんだよと言っていた。母親は赤紫蘇ジュースとゼリーを一つあげた。あと、母親の電話は(……)さんからだったのだが、(……)ちゃんの旦那さんは元気なんだろ? と(……)さんは訊いた。この人はもう一〇年以上前に亡くなっている。そのことを母親が告げると(……)さんは、「おいやまあ」と二回繰り返したが、この驚きの語は祖母もよく使っていた個人言語だ。

 食事。素麺の煮込みなど。新聞読む。食後、風呂洗い。久しぶりに排水溝のカバーに溜まった髪の毛も始末し、カバーそのものもブラシで擦っておく。シャンプーや石鹸の滓なのだと思うが、白濁した、まるで精液が固まったような汚れが引っかかっているのだ。ここの処置をつい忘れてしまいがち。出ると茶を用意して帰室。the pillows『Wake Up Wake Up Wake Up』と『Once upon a time in the pillows』を流して五月三一日を綴る。四時前完成。新聞記事を見返して写すのが面倒臭いので今回は省いた。

 Mr. Children『Atomic Heart』流して投稿。"Dance Dance Dance"は正直かなり良いと思う。わりとファンキーな手触りがあって普通に格好良くて気持ち良い。あとそう、日記投稿時にURLを流すためにTwitterに入ると、ダイレクトメッセージが来ており、誰かと思えば(……)さんだった。大変久しぶり。ひとまず読むだけで返信はあとに。

(……)

 運動。柔軟のやり方がわかった。いままで筋を伸ばした状態で静止していれば良いと思っていたのだが、そうではなかった。微動することが大事なのだ。筋肉を揺らすと言うか、伸びて張った状態と柔らかく弛緩した状態を頻繁に行き来するほうが身体がよくほぐれる。そういうわけで屈伸や開脚や座位前屈や腰ひねりなど諸々の動作を、その方針にしたがって行い、四〇分ほどを使う。五時一五分で上へ。

 夕食の支度。天麩羅をやろうと母親。正直天麩羅は面倒臭いのだが仕方がない。ナスやズッキーニやタマネギなどを切る。油をフライパンに注いで用意し、タマネギから揚げる。揚げている最中は首を動かしたり腰を動かしたりして柔軟。もう空腹が極まっていたので食事を取りたかったが、まだ米が炊けていなかった。それで母親がポテトサラダを作り終えると天麩羅を任せて帰室。

 「英語」を読む。音楽はMr. Children『DISCOVERY』からMiles Davis『Bag's Groove』へ。六時四五分頃夕食へ。天麩羅や素麺の余りや米やポテトサラダ。ニュースによれば今日、東京の感染者は二二四人と。新聞読む。中国にせよロシアにせよ、反対派が拘束・逮捕されるという事態がやすやすと起こっており、いまに始まったことではないが強権性が強まっている。習近平は既に任期制限を撤廃しているし、プーチンも先日の国民投票改憲が定まり、(……)さんの言葉を借りれば「皇帝」路線を盤石にした。どうも困難な世の中だ。
 テレビはその後、『ANOTHER SKY』。録画したもの。世界の秘境特集とか。まず間宮祥太朗という人がアフリカだかどこか行って、サバンナでライオンを近距離で見る。雌ライオンの瞳が琥珀色と言うか金に近い黄色で、ずいぶんと綺麗な目をしているなあと思った。今しがたシマウマを喰って休んでいる雄ライオンも出てきたが、こちらは鬣で広い顔と言い均一に白っぽく染まって層のない瞳と言い、たしかに怖い顔をしている。
 知花くららザンビアで、あれはパラグライダーというやつなのか何なのかよくわからないが空飛ぶ座席みたいなやつで飛行する。母親があんなの怖いね、大丈夫なのかなというのに、よくあれで小便漏らさないね、俺だったらチビッちゃうよと受ける。飛行中に眼下に虹が生まれているという瞬間があり、虹よりも高いところを飛んでいるというそのモチーフもしくはイメージには正直ちょっと感動して、すごく詩的に感じた。詩か短歌にできそう。
 濱田岳はアルゼンチン。「手の洞窟」というやつ。岩壁に一面手形がびっしりついているらしい。何となくどこかで聞いたことはあるような気がする。洗い物をしていたのであまり映像は見られなかった。あとはマチュピチュなど。

 皿洗い、茶を用意して帰室。(……)さんへの返信を作る。

 (……)

 音楽はMiles Davis『Birth of The Cool』へ。冒頭の"Move"で、一番低音の管楽器、これはチューバなのか? わからないが、それが有効に効いていることに気づく。チューバだとすればBill Barberという人。たぶんバリトンではなくて、それよりも低いと思う。しかしこの音楽、これで一九四九年、五〇年録音なの? というのはやはりちょっと驚く。相当にすごいのではないか?

 昨日のことをメモもしくは下書き。小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』とともに九時半まで。終えるとなぜかB'zの"DEEP KISS"を思い出して、YouTubeで流す。まあ格好良いとは思う。音域は相当に高いし、さすがにこんなに出ない。ついでになぜか"ギリギリchop"も思い出したので流してみたが、こちらはまだ一部のシャウトとかサビの終わりを除けば、音域的には一応出すことはできる。もちろんただ出るというだけだが。あとこの曲ってたしかBilly Sheehanともやっていたよなと思いだして検索するとdailymotionに動画があったのでそれも見たが(https://www.dailymotion.com/video/x6yzovk)、音質が悪くてSheehanのプレイはあまりよくわからない。だが彼のベースってプレイにしても音色にしても、やはり普通にかなり気持ち悪いなとは思う。「気持ち悪い」と言ってもちろんけなしているわけではないのだけれど、まず速弾きぶりが気持ち悪いし、最高ポジションでやすやすとチョーキングをきめてみせるところも気持ち悪いし、極めつけにあのデジタルな音色は相当に気持ち悪い。普通あんな音にしないだろう。ほとんどアンドロイドみたいな、人工性の極致みたいな音だ。あとは稲葉浩志ってやっぱり歌唱はすごいはすごくて、日本のメジャーどころのロックボーカルとしては、ボイスコントロールは間違いなくトップクラスだろう。歌詞はけっこうダサいものが多いけれど。

 日記は今日、昨日、一昨日のことを記録。

 風呂前、便所に入る。すると外で、何やら鳥がぎゃあぎゃあ騒いでいる。それで朝聞いた即物的な鳥の声のことを思い出す。声の種類としてはまったく別物だが。

 風呂では念入りに柔軟もしくは体操。湯に入るまで、四〇分くらいはたぶんやっていたと思う。だから入浴自体は一時間を越えた。出て「十六茶」のペットボトル(先日の墓参りの際に(……)さんにいただいた)を持って帰室しようとすると、父親にそういえばお前、と呼び止められて、給与明細を求められる。ああ、そうだったと思い出す。のちほど、書抜きの最中に二〇一九年五月から一年分をまとめて用意しておいた。

 二〇一九年六月二三日日曜日。冒頭の書抜き。これはかなりそのとおりではないかと思う。

 中島 (……)おそらく日本語も、空海の時代の日本語に比べると相当変わってきている。それにもかかわらず、いまおっしゃったような構造的な問題が残っているわけです。よく日本は関係性を中心とする考え方をしがちなところだと言いますが、わたしはその考えはいつも不思議に思っています。逆に、カスリスさんもそうですが、アメリカの知識人としゃべっていると、非常に繊細な関係性の感度をもっているわけです。自分たちの抱えている、それこそインディビジュアリズムに対する批判を常にもっていますよね。日本の場合、それをすぽっと抜きにして、関係性だから大丈夫なんだという、非常にあやふやな構造があります。
 小林 それを、「甘え」の構造というわけですよね(土居健郎[たけお]『「甘え」の構造』弘文堂、1971年)。つまり、関係性が先立つ。関係性はすでにあるのであって、私はすでにその関係性のなかにいるのだから、私はそれには責任がないという方向に、日本の文化は行く傾向が強い。無責任体制、甘えですね。
 中島 そうですね。
 小林 まず甘えありきなんですよ。それは、たとえば母子融合的な関係に乗っかっているわけですよ。だって、当たり前ですが、母親と子どもの1対1の関係のときに、主語を明記する必要はないですから。いちいち「私は[﹅2]乳がほしい」とか言わなくていいわけですよね。基本的に言語の発生段階では、いちいち主語を明記して関係性を構築しなくていいわけです。でも、その後、その親密な1対1の関係が崩れると、今度は、他の人に対して自分がなんであるのかを、自分自身で責任をもって規定しなくちゃいけなくなる。そのとき自分をインテグラルに把握する必要が出てきます。ここの問題だと思いますね。
 近代ヨーロッパでは、君の責任において関係性をつくりなさいというモラルが押し掛かってくるので、非常に繊細な神経が生まれる。でも、日本人には、すでに関係はあるのだから、自分がつくらなくてもいいという考え方がどこかにある。これは、特に企業もそうですが、集団になったときに、そこに全部の関係性を押しつけてしまって、自分はそこから逃げる、つまり自然に免除されている状態に自分を落とし込んでしまうということがありますね。
 (小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、20~22)

 (……)さんブログ。二〇二〇年四月六日。以下の引用を読んで、さまざまな物事に触れそれを取り込んでいくことによって、より広く深く成長し、変容していけるというこちらの基本的スタンスは、本質的にはゆえのない無根拠な楽天性に基礎づけられているなと思った。「旅をすること、さまざまな他者に出会うこと、それは必ずしも〝他者〟に出会うことではない。そのことが、自分の経験的な自明性を徹底的に疑わしめるのでないならば」とか、「旅や探検を好む者は、その逆に、他者の他者性を奪うこと、差異を吸収すること、自己の内に所有することをめざす」とかいう一節は、こちらにとって痛烈な警句として響く。もちろんこちらの態度はある程度の段階までは真実だろうし、なくてはならないものだとも思うが、あまりそれに信を置きすぎることも警戒しなければならないだろう。

 超越論的動機は、「旅」や「探検」への動機と異質である。つまり、差異や多様性を経験したいという動機と正反対である。だから、レヴィ=ストロースは「旅人と探検家がきらいだ」と書きだすのである。だが、超越論的動機が、「旅」や「探検」と切りはなしえないことも事実である。デカルトは旅人であり、探検家的でもあった。旅なくして、彼のコギトはない。しかし、彼は旅に憧れたのではなかった。旅をすること、さまざまな他者に出会うこと、それは必ずしも〝他者〟に出会うことではない。そのことが、自分の経験的な自明性を徹底的に疑わしめるのでないならば。
 デカルトのコギト(絶対的な唯一性)は、たんに相対的な他者や異質性ではなく、いわば絶対的な他者性や差異性を体験することなしに在りえない。むろん、絶対的な他者が在るのではない。他者の他者性が絶対的であり、けっして自分のなかに回収できないということなのだ。旅や探検を好む者は、その逆に、他者の他者性を奪うこと、差異を吸収すること、自己の内に所有することをめざす。
 (柄谷行人『探求Ⅱ』p.230-231)

 もう一つの引用も。一段目は、「規則が共有されているならば、それは共同体である」までは自明なのだが、それに続く「したがって、自己対話つまり意識も共同体と見なすことができる」ということは、こちらにはいままで生まれたことのない発想だった。二、三段目もわかりやすいが重要だろう。

 (……)規則が共有されているならば、それは共同体である。したがって、自己対話つまり意識も共同体と見なすことができる。(……)
 第二に、以上と関連して誤解が生じやすいのは、「他者」の概念である。たとえば、人類学者あるいは民俗学者も、共同体の外部に在る他者(異者)について語っている。しかし、そのような異者は、共同体の同一性・反復のために要求される存在であり、共同体の装置の内部にある。共同体は、スケープゴートとしてそのような異者を排除するし、またそれを「聖なるもの」として迎えいれる。共同体の外部とみえるものが、それ自体共同体の構造に属しているのである。この種の外部はむしろ異界と呼ばれるべきである。
 異者は超越者であったり、おぞましい(アブジェクトな)ものであったりする。一方、他者はむしろありふれた存在である。たしかに、異者も他者も、私にとって異質な存在である。異者と他者の違いは、他者が単独性において見られているのに対して、異者が一般性(類型)において見られていることである。怪物、鬼畜、でぶ、ちび、奇形、外人、毛唐、――。異形なるもの、異様なるものが、そういわれるのと逆に陳腐なまでに類型的であることに注意すべきである。たとえば、サイエンス・フィクションでE・Tとかエイリアンとか呼ばれるものは、所詮爬虫類や昆虫の変様でしかない。ところが、他者はその単独性においてそれぞれユニークであり、多様である。E・Tであろうと、犬であろうと、その者を他者として知るときは、その類型(一般)的外見は消えてしまう。同時に、その者は何によっても取り替えられない単独性として外在する。逆にいえば、異者の「異質性」は他者の他者性を消す機能をはたすのである。すなわち、この異質性は他者の異質性(外在性)を消すのだ。
 (柄谷行人『探求Ⅱ』p.236-238)

 「サルバドール・プラセンシア『紙の民』――これは刊行当初けっこう話題になっていた覚えがある、と思っていまその刊行が何年であったか調べてみたところ、2011年7月とあって、マジかよ! もうそんな前になるのかよ!」とあって、これにはこちらも、マジで? 嘘でしょ? と驚愕せざるを得なかった。こちらが文学に触れはじめるより前の刊行だったの? 読み書きをはじめて二年くらい経った時点ではじめて書店で見かけた覚えがあるのだが。
 荒川修作小林康夫の対談の引用も。荒川修作という人の文章にはまったく触れたことがないが、さっさと触れねばならないのだろう。「名詞的なポジショニングというのを捨て」た「形容詞的なものが遍在する場」というのは、どういうものなのかよくはわからないのだが、ただとても面白そうなにおいは感じる。

小林  それは以前、荒川さんがおっしゃっていたんです。われわれはまだ形容詞について語れる段階に達していない、というふうに。さっき言われた、遠くて近い、高くて低いといった矛盾の一切、あるいは情動的なものというのは形容詞でしょう?
荒川  そう言われてみると、そうです。これは完全に、東洋の直観から生まれてくるもので、決して欧米の哲学からは出てこないと思う。
小林  ヨーロッパ的なコンテクストというのは主語と術語を非常に明確にするところから始まるけれども、それだけでは、荒川さんの言うごちゃごちゃのごみのような希望には到達できない。形容詞的地平、形容詞的場というのがあるような気がするんです。
荒川  すべてを反転させるための条件というのはすべてパラドクスで成り立っているんです。
小林  たとえば神、あるいは時間、空間、自我、コギトなど、何でもいいのですが、われわれはすべて名詞で定点を押える、つまり名詞でポジションを決めようとしてきたわけです。
 荒川さんのやってらっしゃることがある意味で非常にクレイジーでむちゃくちゃに見えるのは、名詞的なポジショニングというのを捨てて、形容詞的なものが遍在する場をつくろうとしてらっしゃるからだと思うんです。そういうことであれば、遍在するポジションというのは何となくわかるような気がするんですが、そうするとしかし、それはロマンティックにすぎるんじゃないですか?(笑)
荒川修作小林康夫『幽霊の真理』)

 (……)さんのブログ。二〇二〇年四月三日、「トラブルシュート」。「かたわらの担当者の声がけっこう上ずってしまっていたり、表情がこわばっていて頬が軽く引き攣ってしまっていたりすると、そういう相手を見ると僕はなぜか、かえって落ち着いてくるところがある。「こんなこと今まで一度もなかったですよ!」と身の潔白を証明しようとするかのようになんども連呼する相手に「まあ、大抵のトラブルははじめてやって来るものだと思いますよ…」などと、わざと普通の声で返したりする」という部分の冷静さにかなり笑ってしまった。
 続く四月四日、「私」の冒頭には、「買い物がてら、近所を散歩しながら、ぼーっと道行く人々を眺めていて、若い人も、子供も、老人も、男も女も、歩く人も自転車も自動車も、すれちがった様々な人々が、それを含めた何もかもが、もしかして全部自分だとしたらどうだろうか、と思った。自分と彼らは、ぜんぶ自分。今この私はそう考えているけど、すれ違ったあの人はそう考えていないだろう、しかし、それも含めてぜんぶ自分なのだ。そう考えた自分とそう考えていない自分、というだけなのだ」とあって、これはすごい。こういう小説を書いてみたい。三段目にも、「それは誰かに対する私の共感とか感情移入ではない。そうではなくて、はじめからどうしようもなく自分で、この世界全体がもともと自分で、それが状態に応じて分割され、自分とそれ以外になってるだけみたいな感じだ。(……)もっと極端に言えば、私は誰かを殺さないけど、誰かは私を殺すかもしれなくて、しかしそれはそう思わなかった私とそう思った私がたまたま出会ったことの結果にすぎない。だから殺された私は死ぬが、殺した私は生きている。私は死んでしまったり、生きていたりする」という説明があり、これをもし表現できたら、そのテクストは狂っている。これはすごい。やってみたい。全然わからんけれど、グレッグ・イーガンとかがもしかしたら、「文学」としてではなくてテクノロジカルなSFの領域から、そういう表現を追求しているのではないか。

 書抜き。ジョンソンの次の書抜きを見ると長くて面倒臭かったので、今日はバルトのみ。五箇所。書抜きながら、やはり常に自分の身体及び精神の感覚を見つめていないと駄目だなという気になり、自らを常に監視し統御するようにして指をゆっくり静かに動かす。つまりは常にこの瞬間に集中するということで、要するにヴィパッサナー瞑想の実践だ。BGMはSteve Kuhn『Remembering Tomorrow』。David Finck(b)とJoey Baron(ds)。いかにもJoey Baronという感じのタムなどの音回し。Wikipediaを覗いたところ、BaronはLaurie Andersonという人と仕事をしていたらしいのだが、この人は"an American avant-garde artist, composer, musician and film director whose work spans performance art, pop music, and multimedia projects"らしい。"Anderson is a pioneer in electronic music and has invented several devices that she has used in her recordings and performance art shows. In 1977, she created a tape-bow violin that uses recorded magnetic tape on the bow instead of horsehair and a magnetic tape head in the bridge"と言う。ルー・リードと結婚した人らしい。

 ブログに載せていた連絡先をgmailからTwitterに変更。gmailを覗くのは面倒臭いし、TwitterももうURLのみで個人的なことはまったく発しなくなったので、繋げても問題はないので。"contact if you like"という文言にして、わずかばかりの愛想を付与した。

 就寝前に六月一日をあと少し進める。さすがに疲労があり、肉体が消耗しているのが感じられる。カーテンに塞がれて見えないが外は既に明けており、もちろんとうに鳥が鳴きはじめていて先ほどは鶯がけたたましく狂っていた。文章を書く際はやはり身体をなるべく動かさずに静止するのが大事だと再認識した。そうすると、うまく行けば文により近づき、その質感を精密に感じ、ある程度同一化することができる。

 五時過ぎまで書いてベッドへ。明かりを点けなくともカーテンをひらけば本が読める。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)をひらいたものの、さすがにまぶたがおりてどうにもならなかったので、二ページだけ読んで五時二七分に就床。

2020/7/8, Wed.

 世界が神話に提供するものは歴史的な現実であり、その現実はどんなに遠い過去にまで遡らねばならないとしても、人間たちがそれを生産したり使用したりしてきたやりかたによって定義されている。そして、神話が再構成するのは、この現実の自然な[﹅3]イメージである。さらには、ブルジョワイデオロギーブルジョワという名前の欠落によって定義されるのとまったく同様に、神話は事物の歴史的性質の消失によって構成されている。事物は、自らの製造の記憶を神話のなかで喪失するのだ。世界は諸々の活動の、人間的行為の、弁証法的関連として、言語活動のなかに入り、諸々の本質の調和しあった一覧表として、神話のなかから出てくる。一種の手品が行われたのである。現実をひっくり返し、その歴史を取り出して中身を空っぽにし、自然を詰め込んだのであり、事物からその人間的な意味を抜き取って、人間的な無意味さを意味させようとしたのだ。神話の機能は、現実的なものを排出することである。現実的なものは、文字通り、たえまない流出であり、出血であり、こういったほうがお好みなら、蒸発であり、つまりは感じることのできる欠如である。
 いまやブルジョワ社会における神話の記号学的定義を完成することが可能である。神話とは非政治化された(dépolitisée)言葉である[﹅16]。当然のことだが、政治[﹅2]ということは、つぎのような深い意味で、すなわち、その現実的、社会的構造における、その世界を製造する能力における人間的な諸関係の総体として理解しなくてはならない。とくに接頭辞のdé- には、積極的な価値を与えなくてはならない。ここではそれは、一つの操作上の動きを表している。それはたえず欠落を現実化するのである。たとえば、ニグロ - 兵士の場合、排出されているのは、もちろんフランス帝国性ではない(まさにその反対に、それは現前させなければならないものである)。それは植民地主義の、偶発的な、歴史的な、つまり、偽造された[﹅5]性質である。神話は事物を否定することはしない。その機能は、逆に事物について語ることである。もっぱら神話は事物を浄化し、無垢にし、自然と永遠のなかに基礎づける。神話が事物に与える明晰さは、説明の明晰さではなく、確認の明晰さである。わたしがフランス帝国性を確認して[﹅4]、それを説明しなければ、わたしは危うくそれを自然な、自明のもの[﹅5]と見なしているところである。わたしはほっと安心する。歴史から神話に移行する過程で、神話が節約することが一つある。神話はさまざまな人間的行為の複雑さを取り消して、かわりに本質というものが持つ単純さを与えるのだ。神話はどんな弁証法をも消去する。直接的な目に見えるものの彼方への、どんな遡行も消去するのだ。神話は矛盾なき世界を組織する。深さのない世界は、明証性のうちに広げられ、幸福な明るさを築きあげるからだ。事物はひとりでに意味するように見える。
 だがいったい、神話というのはいつも非政治化された言葉なのだろうか。言い換えれば、現実的なものはいつも政治的なのだろうか。事物について自然な調子で語るだけで、その事物が神話的になるには充分なのだろうか。マルクスとともに、こう答えることができよう、最も自然な対象でさえ、政治的痕跡を、いかに微弱でいかに拡散しているにせよ含んでいるのだ、すなわち、その対象を生産し、整備し、使用し、従わせたり捨てたりした人間の行為の、多少なりとも記憶に残るものを含んでいるのだと。こうした痕跡については、対象言語は事物を[﹅]語るのだから、それを容易に表明することができるが、事物について[﹅3]語るメタ言語がこうした痕跡を表明するのは、それほど容易ではない。ところで、神話とはつねにメタ言語である。神話がもたらす非政治化の作用がしばしば及ぶのは、すでに一般的なメタ言語によって自然化され、非政治化されている基底、もはや事物を動かすことではなく、事物を謳いあげる[﹅5]ことをしつけられている基底に対してである。いうまでもなく、神話がその対象を歪めるのに必要とされる力は、一本の木の場合よりスーダン人の場合のほうがはるかに大きくなるだろう。スーダン人の場合には、政治的役割がまったく手近にあるため、それを蒸発させるには、多大な量の人工的自然さが必要である。樹木の場合には、政治的役割は遠方にあって、メタ言語の幾世紀にもわたる厚みによって浄化されている。したがって、強い神話と弱い神話があることになる。強い神話では、政治的成分は直接的であり、非政治化は粗雑である。弱い神話では、対象の政治的性質はちょうど色彩のように色あせた[﹅4]ものである。だが、ほんのささいなことで、それはやおら力を回復できる。海ほど自然な[﹅3]ものがあるだろうか。だが、『失われた大陸』の映画制作者たちによって謳いあげられた海ほど「政治的」なものがあるだろうか。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、361~363; 「今日における神話」; 一九五六年九月)


 一一時のアラームで意識を固める。ごろごろしつつ身体揉んだり脹脛刺激したりして、一一時二五分離床。

 夢。図書館。消毒をしないといけない。ゲート。借りる本も消毒。
 ほか、(……)。何かテーブルで食べるか話すか。椅子に手指を触れると、さわらないほうが良いと馬鹿にされる。
 何か馬鹿にされたり非難されたりする夢をこれ以外にもいくつか見たような覚えがある。

 University of Reading。

 茶つぐ。風ないよう。(……)さんの家の鮎は縦に力なく垂れ下がっている。首吊り死体の緩慢さで左右にほんの少しみじろぐ。

 五月二九日の日記に新聞記事を写す。ジョージ・フロイドの事件を写しながらちょっと涙を漏らしてしまって、まるで愚かで浅ましいことだなあと思うのだけれど、この愚かしさは必要な愚かしさなのだと思いたい。

 Mr. Children歌う。

 Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』をバックに五月三〇日。これは(……)からもらった音源なのだが、このアルバムの演奏は相当すばらしい気がする。Borodinの曲もShostakovichの曲も、路線は全然違うけれどどちらもすばらしい。Borodinのほうは"String Quartet #2 in D"で、Shostakovichは"String Quartet #8 in C Minor, Op. 110"。明らかに集中して聞く価値がある音楽だが、しかし一体いつになったらきちんとした音楽鑑賞を習慣化できるのか?

 五月三〇日も完成させられた。投稿後、(……)くんの面談記録をノートに。Mr. Children流し、歌う。身体をほぐすことを知ったので、かなり声がスムーズに出るようになった。このままアコギを買い、曲と詞を作り、似非シンガーソングライターとして遊びたい。

 上階に行って小さな木綿豆腐一つだけ食う。新聞。中印の抗争など。釘のついた棍棒でインド兵二〇人が殺されたと。ほとんど世紀末的な野蛮さ。

 帰室して歯磨きとともにバルト読み、着替え。OAM Trio & Mark Turner『Live In Sevilla』とともに「英語」を少し読み、この日のことをメモしてもう出発するよう。

 出発。風、乏しい。林の樹々の緑色は密に停まっている。隣の空き地の旗がかすかにくねっているだけ。
 道を西へ。右方、林縁の石段の上の無秩序な茂みのなかに、強いピンク色のアサガオ風の花。これはオシロイバナというやつだったか? いま調べてみたところ、やはりそのようだ。Wikipediaを覗くと、「南アメリカ原産で江戸時代始めごろに渡来」とのこと。「花は赤、黄色、白や絞り模様(同じ株で複数の色のものもある)などで、内、白と黄の絞りは少ない」とあるが、「絞り模様」という言葉をはじめて知った。画像検索して出てきたものを見る限り、色が細かく差し込まれて、ややまだらっぽいような複雑な様相になったもののようだ。「夜間に開き花筒が長いので口吻の長い大型の夜行性鱗翅目でなければ吸蜜は困難」らしい。「花弁はなく、花弁に見えるのはがく」なのだと言う。マジかよ。「根や種子に窒素化合物のトリゴネリンを含み、誤食すると嘔吐、腹痛、激しい下痢を起こす」らしい。
 道に沿って脇には葉叢が豊かに続いて織り重なっており、見ながらどこかの葉の上にカタツムリがいそうだなと思ったのだが、それはたぶん黄色っぽくなった落葉が葉の上に乗っていたのにカタツムリの姿を連想したためだろう。意外と出るのが遅くなって電車まで猶予がなかったので大股になる。通り掛かる家の庭では白い蝶が庭木に寄っている。公営住宅公園の桜の木は葉のいくらかを果物みたいな黄色に変えている。
 坂に入ると足をはやめてさらに急ぐ。雨後で木の下なので当然道は隅まですべて濡れており、湿り気が満ちているなかに、いまは陽がかろうじて出ていて白条がうっすらと横切り差し込まれ、そのなかだけ路面がきらきらと緻密に光る。途中、昨晩の帰りに見た木と花にまた目をやる。やはりヤマボウシだろうか? 似ているとは思うのだが、そのものかわからない。
 最寄り駅に至る。階段を行くあいだ、西空に太陽が、雲に巻かれつつもいくらか光って額に温みを触れさせてくる。坂を大股で上ってきたので既に脚が疲れ、筋肉が使われた感じがする。電車に乗るとメモ。到着しても切りの良いところまで記し、おりて職場へ。階段口に掛かったあたりで(……)方からの人々が降りてくる。階段をおりつつ、横をどんどん抜かされていく。

 職場。(……)
 (……)
 (……)
 (……)

 (……)くんとは今日さっそく飯に行くことになった。最初は街道沿いにあるガラス張りの、地ビールを提供する店に行こうとなって向かったものの、懸念どおり一〇時前で既に閉まっている。以前来たときはたしか零時くらいまでやっていたはずだが、おそらくコロナウイルスのせいで自粛しているのだ。次に、もとお好み焼き屋だった店が居酒屋になっているというので、街道をてくてく歩きそこに行ってみる。ここはもとは「(……)」という店で、と言うかそれが店名だったか覚えていないが「(……)」という名字の家がやっていたはずで、この家の息子がこちらの中学時代に教育実習生として学校に来ていた。その人は(……)に属していたようで(……)とか(……)所属の連中とは面識があったようだし、奴らが「(……)」に行こうぜとかどうのこうのとか言っていたことがあったのも覚えている。あとは、猥談好きな連中が、その(……)教育実習生に対してセックスしたことあんのとか、「セックス」という単語ではなかったと思うが、性経験の有無を尋ねて、実習生はそれに対して、いくらか照れたようにあるいは当惑したようになりながら、いや、ここでその話はまずいだろみたいな風に受けていたのも覚えている。
 で、その店はいまや「(……)」とかいう居酒屋になったらしいのだがここも普通に閉まっており、店の前の看板を見るとラストオーダーが21:00とあったのでさすがに笑う。これこそ(……)クオリティだと言いながら道を戻り、結局駅前の(……)に落ち着くことに。一応個室なのでと(……)くんが言って。

 入店。入口に一番近い室。好きなものを好きなだけ食べてくれと言う。内定祝いで奢るという話になっていたので。なんて先輩みたいなことをやっているのだろう! 信じがたい! レシートをもとに頼んだものを列挙しておくと、飲み物はパインサワーとジンジャーエール。食べ物はポテトフライ、枝豆揚げ、餃子、エイヒレ、シーザーサラダ、マグロ巻、鶏の軟骨揚げ。と言うかいまレシートをよく見てはじめて気づいたのだが、お通しが二つで八〇〇円もしていて、高すぎではないか? 「チャージ」とも書いてあるので席代も込みらしいが、たかが大衆居酒屋に席代なんていうものがあったのか? どうでも良いことだけれど、「(……)」の本社である(……)は武蔵野市に所在しているらしい。
 一つ開けて二つ隣の室にはたぶんわりと若いほうの男女が集っているようで、いや、俺、(……)くんと遊び行きたいんすよ~とか若い男が言っており、この(……)って(……)じゃねえだろうなとひそかに思っていた。ほか、女性の声が男性に向けて、童貞がどうのこうのとか語っていて、この店にお定まりのありきたりの猥談という感じ。ここの(……)は来るといつも、ほぼ必ずほかの席で猥談に盛り上がっている連中がいる。
 店員は金髪のやや身体の大きめな女性。この店の店員はいつも愛想が悪いというイメージがあったのだが、今日の人は特にそんなことはなかった。ものを運んできてくれるたびに礼を言う。
 就活は大体オンラインだったらしい。エントリーにせよ試験にせよ面接にせよ。面接環境を整えるのが面倒臭い。一度切れたこともあったらしい。
 ニヒリズム。あまりまともに向き合いすぎると、精神の調子を崩すけどねと。斜めに向き合わないと、と。ニヒリズムを通過すると生きることは楽しくなるよとひとまず冗談めかして言っておき、ニヒリズムがむしろ始まりでしょうという話をする。世界の無根拠性に気づいたからと言ってそれで何でもありとなるのではなくて、そこを踏まえて自分にとって確かなことを探究していくと。たぶんニーチェの「超人」とかってそういう方向に話だと思うのだが、ニーチェはまだ一冊も読んだことがないので確かなことは知らない。(……)くんの先生もそういうことを言うらしい。まあだいたいそういう路線になるだろう。ナラティヴ論でそういうことを言っていたと。ナラティヴ論とはつまりは「物語」のことだろう。ただ(……)くんはそこで、そういう立場も一つのナラティヴじゃないですか、しかもそのナラティヴがほかのもろもろのそれよりも上に置かれているじゃないですかということを言って、そこに疑問を感じて乗れないみたいなことを言った。いかにもポストモダン的な病に嵌まっているという感じではある。
 やっぱり哲学と文学って似てるんですかね、と。まあ共通点は大きい。どちらも人間と世界に関するあらゆることを扱う。ただ文学は具体へ向かう、もしくは具体から始まる傾向がある気がする。哲学は抽象から始まったり、概念へと向かう。こちらは文学から入ったが、すると言葉のニュアンスに敏感になって、哲学的概念の射程もわかりやすくなった。
 (……)さん。(……)の先生だった。どんな人だったか紹介。「ひとりびとり」。(……)。
 自分の生にもとづいて考えたり、応用できたりすると面白い。倫理学者が倫理的な行動をするべきか、という議論。
 面接で、法哲学ってどういう風に役立つんですかと。いじめを例にして説明したらしい。役立つか否かという問いが本質的なのだろうかと問うことが哲学。
 内定は(……)の子会社らしい。法務部。
 授業は法哲学行政法法哲学は哲学とあまり変わらないが、法規的な方面を多少絡めると。動物の権利とか。スイスとかでは魚の権利なども考えられている。ピーター・シンガーの名を思い出す。法哲学というからルジャンドルとかやるのだろうかと思ったが、さすがにそんなことはないようだ。
 デリダ。文学的な散文詩みたいなやつは気になる。講義録出版。数十巻になるとか。以前どこかで見た。『現代思想』の國分功一郎の発言だったか?
 デリダの動画。法政大学出版局の本。YouTubeの。積ん読ウンベルト・エーコも同じ。
 友だちいるらしい。読書会でもやってみればと。LINEで哲学的なことについてやりとりしたりはするようだが。デリダについて話したり。とてもいいねと。
 ドストエフスキー。プレゼントされたらしい。『地下室の手記』。中二病をこじらせまくった。これお前だからと言われたらしい。まあ、何かを真剣にやろうとしたら、みんな中二病だから、恥ずかしくならざるをえないからねと。
 書抜きの習慣について話す。一箇所でも書き抜く場所があれば、まあいいかなという感じになると。
 アニメ。多少見るがファンではないとのこと。二〇一八年の鬱期間中に違法アップロードされたハンターハンターをひたすら見ていたと話す。

 店の前で挨拶。とにかく一冊読み終わりますと。レヴィナス論を読んでいるらしい。形而上学倫理学のあいだ、みたいなとタイトルを言っていたが、これは検索してみるに、佐藤義之レヴィナス 「顔」と形而上学のはざまで』だろう。今年の四月に出たやつで京大の人が書いたと言っていたから符合している(講談社学術文庫入りしたのが今年で、単行本は二〇〇〇年に出ているよう)。初見の名前だが、二〇〇四年には『物語とレヴィナスの「顔」――「顔」からの倫理に向けて』なる本を晃洋書房から出しており、ちょっと気にならないでもない。

 雨のなかに出て駅へ。街路の植え込みのアジサイがずいぶんと大きかった。しかもまだごく淡い白緑で色づいていなかったのだが、ずいぶんと遅くないか? 粒はこまかく大規模に集合してシャーベット的な様相。ロータリーの周りのベンチに就き、雨のなか濡れながら、上半身をぐったりと完全に前に折り曲げ、頭を両脚のあいだにもたれこんでいる人がおり、大丈夫かな、声をかけたほうが良いかなと思ったのだが、雨もけっこう降っていたし素通りしてしまった。一体何があったのか。酒に酔い過ぎたのか、何か死にたいような気分だったのか? 駅に入るとベンチでメモ取りつつ最終の(……)行きを待つ。この時間だと人は相当少なく、来た電車から降りてくるのも何だかよたよたしているような人が多い。(……)行きが来ると乗り、最寄りへ。

 帰路。坂。黄色がかった電灯の光の靄で煙っている。煙草のにおい。坂に入ったあたりでは前を行く人がいたので(さっさと先に行って見えなくなったが)、その人が吸っていたのだろう。空気の煙っぽい様相とテーマ的に調和している。樹々が雨を溜めており、頭上からぼたぼた水が落ちてきて、それがけっこう大きな粒で、肩口を遠慮なく濡らすし、頭頂に当たれば髪の毛に吸収されずにそのまま頭皮を転がって側頭部や後頭部までくすぐる。
 坂出ると雨弱くなっている。かなり。足の早い、気紛れな雨。道行きながら、周囲から雨音。打音。当然、打つものによって違う。葉や木、車庫の屋根、あるいは風鈴か、金属質の明確な音程のある音。それらがサウンドスケープを成しており、それを聞くのは音楽に耳を傾けるのとほとんど変わらない。と言うか、こちらにとっては音楽だろうが本だろうが食事だろうが会話だろうが散歩だろうがなんだろうが、生のあらゆる瞬間に本質的な違いはない。全部、おおむね同じだ。差異とニュアンスと意味と質感と比喩とイメージと論理だ。

 帰宅。両親既に寝室に下がっている。着替えて入浴し、一時半から書抜き。だいぶ疲労していたが。バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇一六年)と石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)。それぞれ一箇所。一日一箇所で良いので書抜きを習慣化したい。まあ音楽鑑賞もそうなのだが。一日一曲でいいのでと思っているのだが。その後ベッドでバルト読み出すが、予想通り途中で眠りに落ち、四時に至る。遊んだのちに五月三一日ちょっと書いて五時二〇分に就床。

2020/7/7, Tue.

 おそらく、ブルジョワイデオロギーに対する反乱は存在するに違いない。それは一般に前衛[アヴァンギャルド]と呼ばれている。だが、そうした反乱は社会的に限界がある。依然として体制に回収されてしまうのだ。その理由はまず、その反乱がブルジョワの断片である少数派の芸術家・知識人のグループから生まれていて、まさに彼らの反抗の対象である階級よりほかに読者がおらず、彼らが自己表現するには、その階級の金銭に依存するにとどまるからである。それから、つぎの理由だが、そうした反乱は、ブルジョワの倫理とブルジョワの政治の非常にはっきりした区別から発想されている。前衛が異議申し立てをするのは、美術、道徳の分野におけるブルジョワジーである。それは、ロマン主義華やかなりしころと同じで、俗物、芸術のわからない俗人のことである。だが、政治的な異議申し立ては皆無だ。前衛が我慢できないブルジョワジーのなかの要素とは、その言葉づかいであって、その政治規定ではない。その政治規定だが、必ずしも前衛がそれを容認しているというわけではない。そうではなくて、前衛はそれを括弧に入れてしまうのである。どんなに挑発が激しくとも、前衛が最終的に引き受けるのは、見捨てられた人間であり、疎外された人間ではない。そして見捨てられた人間というのは、やはり、〈永遠の人間〉である。
 ブルジョワジーのこの匿名性[アノニマ]がますます厚みを増すのは、本来のブルジョワ的文化から拡大され、通俗化され、使いまわされた、それの諸形式に移行するとき、つまり、公共哲学とでも呼びうるものに移るときである。この公共哲学が、日常の道徳や、市民行事や、世俗の儀式、要するに、ブルジョワ社会にあって人間相互の生活の不文律の規範となっているものを養っている。支配的文化を定義しようとして、その創造的な核に帰着させるというのは、錯覚にすぎない。まったくの消費だけによるブルジョワ文化というものが存在するのだ。この匿名[アノニム]のイデオロギーに、フランス全体がどっぷりと浸かっている。われわれの新聞や映画、演劇、大衆文学、行事、〈正義〉、外交、会話、今日の天気、裁判中の犯罪、人びとが感動する結婚式、人びとが夢見ている料理、着ている洋服、あなたの日常生活におけるこれらすべてのものは、ブルジョワジーが自らとわれわれのためにつくりだす[﹅16]、人間と世界の関係についての表象に従属している。それらの「規格化」された形式は、その広まりぐあいに応じて、ほとんど注意を引かなくなる。その起源は、たやすくその広まりのなかに失われてしまう。そうした形式は、中間的な位置を享受する。すなわちそれは、直接に政治的にもならず、直接にイデオロギー的にもならずに、闘士たちの行動と、知識人たちの訴訟とのはざまで、穏やかに生きていくのである。どちらの側からも多かれ少なかれ見放されているそのような形式は、無関心になったもの、無意味化されたもの、つまりは自然というものの巨大なる量塊に引き寄せられる。とはいえ、ブルジョワジーがフランスに浸透するのはその倫理をつうじてである。国民的規模で実施されているブルジョワ的規範は、自然界の自明な法則と同じように生きられている。ブルジョワ階級が自らの表象を広めれば広めるほど、その表象はますます自然化するし、ブルジョワ的事実は不分明な宇宙のなかに吸い込まれる。プロレタリアでもブルジョワでもない、〈永遠の人間〉だけが住んでいるような宇宙のなかに。
 それゆえ、ブルジョワイデオロギーが最も確実にその名を失うことができるのは、それが中間層に浸透することによってである。プチ・ブルジョワジーの規範はブルジョワ文化の残滓である。それは、堕落し、貧弱なり、商品化され、やや古風というより流行おくれになったブルジョワ的真理なのである。ブルジョワジーとプチ・ブルジョワジーの政治的同盟は、一世紀以上も前からフランスの歴史を決定してきた。その同盟が解消されたことは滅多になく、そのつど束の間のものであった(一八四八年、一八七一年、一九三六年)。この同盟は、時とともに厚みを増し、徐々に共生的となった。一時的な覚醒もときには起こりうるが、共有されているイデオロギーが問題にされたことは決してない。同一の「自然な」練り粉がありとあらゆる「国民的」表象を覆いつくすのである。階級の儀式(富の顕示と蕩尽)に由来するブルジョワの盛大な結婚式は、プチ・ブルジョワジーの経済的地位とは縁もゆかりもないものだ。しかし、新聞雑誌、ニュース、文学をつうじて、その結婚式はだんだん、実際に経験しないまでも、夢見られるものとして、プチ・ブルジョワジーカップルの規範にさえなりつつある。深部のブルジョワ的規定を持つわけでもなく、想像のなかでしか、すなわち意識の固定化と貧弱化のなかでしかその規定を経験できないはずの人類全体を、ブルジョワジーは、たえずそのイデオロギーのなかに吸収し続けている。プチ・ブルジョワ向きの集団的イメージのカタログをつうじて、自分の表象をばらまくことによって、ブルジョワジーは諸社会階級のまやかしの無差別化を慣例として確立するのだ。ブルジョワ的な除 - 命名がその効果をいかんなく発揮するのは、月給二万五千フランの女性タイピストブルジョワの盛大な結婚式のなかに自分の姿を認める[﹅8]まさにその瞬間からである。
 ブルジョワの名称の欠落という現象はしたがって錯覚でもないし、偶然でもないし、付随的でもないし、自然なものでもないし、無意味なものでもない。それはまさにブルジョワイデオロギーそのものである。言い換えれば、それは、ブルジョワジーがそれによって、世界の現実を世界のイメージに、〈歴史〉を〈自然〉に変形する動きのことだ。このイメージには、それが転倒したイメージだという注目すべき面がある。ブルジョワジーの地位規定は、特殊で、歴史的なものである。ブルジョワが表象している人間は、普遍的で、永遠であろう。ブルジョワ階級はその権力を、まさしく科学技術の進歩の上に、自然の無制限の変形の上に打ち立ててきた。ブルジョワイデオロギーは、不変の自然を復元するだろう。初期のブルジョワ哲学者たちは、意味作用の世界に入り込み、あらゆる事物を合理性に帰服させ、それらは人間のために使われるものだと宣言した。ブルジョワイデオロギーは、科学主義的もしくは直感的となるだろう。それは事実を確認し、あるいは価値を認めるだろうが、説明を拒むだろう。世界の秩序は、自己充足的ないしは言い表しがたいものとされるだろう。それは決してシニフィアンとはならないだろう。そして最後には、改善の余地があって動かすことができる世界という最初の観念が、無限に繰り返される同一性によって定義された不可変の人類という転倒したイメージを生産するだろう。要するに、現代のブルジョワ社会では、現実的なものからイデオロギー的なものへの推移は、反 - 自然[﹅3](anti-physis)から偽 - 自然[﹅3](pseudo-physis)への推移として定義されるのである。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、357~360; 「今日における神話」; 一九五六年九月)  


 一〇時台に覚醒。正午頃、(……)と待ち合わせだったので本当は九時台に起きたかったのだが。布団を剝ぎ、臥位のまま脹脛をほぐす。空は今日も白。このときは水色も多少見えはしたが。風はあって、窓外のネットに育ったアサガオの蔓と葉がはたはたうごめいている。そのそばの宙には小さな蜘蛛がおり、脚を除けば一センチもないだろう。方向をたびたび変えながら回るようにうろついている。雨を呼んだり何かを召喚したりするような儀式的なダンスのよう。

 上へ。昼食の約束なので飯は食わず、水だけ腹に入れる。風呂を洗うと帰室し、LINEで(……)くんに返信。

 おはようございます。昨晩はありがとうございました。僕もとても楽しかったです。

 ただ、思わずぺらぺらと喋ってしまい、小難しいような雰囲気にしちゃってすみません。気づかないうちに、いけすかないクソスノッブ野郎になってしまっていました笑

 読書会って、いままで仲の良い友人と適当にくっちゃべる形でしかほぼやってこなかったので、これだけ人数がいて関心もばらばらだとなかなか難しいですね。

 ただ個人的には、ウルフは自分の手で訳したいというひそかな野望を以前から抱いていたので、いい機会をいただけたと思っております。こういう場でもなければ、To The Lighthouseを原文で読もうっていう気もそもそも起こらないですからね笑

 そういうわけで、できるだけ訳文は作っていこうと思いますので。次回もがんばりましょう。

 そうするともう11:40くらい。着替え。抽象画的図柄の白いTシャツに、ガンクラブチェックのスラックス風ズボン。準備し、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)を数分のみ読んで出発。

 葉が鳴るほどの風が道を行くあいだ、林に流れ続ける。坂に入ると前から老人が一歩ずつゆっくりと下りてきて、見れば(……)さんである。挨拶すると、お父さんにはいつもお世話になってとお決まりの礼が来る。ビニール袋を持っていたので買い物ですかと訊くと、上にね、と言う。「(……)」のことだろう。これから? と訊くのに、今日は休みで、友人と飯でもってことで、と受けると、ああ! そりゃあいい! と返る。そうして別れ。服装が変と言うか珍しいと言うか、川のなかに入って釣りをする人みたいな感じの格好だった。歩みはやはりだいぶ難儀なようで、相当に緩慢である。たしかもう九〇歳のはずだから不思議ではない。過ぎたあと、ああいう肉体の衰えとか弱りとか痛みとかの苦を引き受けなければならないのが老いというものなのだなあとありふれたことを考える。それはもちろん、誰もが自分自身で引き受けなければならないことで、他人がそれを肩代わりしてやることはできない。ただ、当人が痛みや苦しみを受け入れそれと折り合いをつけるための容量すなわちcapacityを多少広げるということは可能なのかもしれず、それがケアとか医療とか臨床とかの分野における重要な仕事の一つでもあるだろう。これはもちろん、ジョン・キーツの概念を医療分野に援用した形でのいわゆるネガティヴ・ケイパビリティ(negative capability)の話だ。

 駅に着くと(……)さんがいる。挨拶。走りに行くらしい。一緒に乗って座席へ。(……)だか(……)あたりまで行って五キロほど走るとか。コロナウイルス期間中は三か月くらい籠っていたらしい。運動不足解消のためだろうが、この人は前から色々と運動をしていて、見かけるときはほぼ運動着である。脚、脹脛の筋肉もけっこうついている。病院の面会がいま五分だけに限られていてと聞かないのに話し出す。母親の(……)さんのことである(下の名前は忘れた)。もうだいぶ長く入院している。ニベアNIVEA、すなわちボディクリーム)を身体に塗ってやるとか言う。実際はそれで一五分くらいいるらしい。

 (……)で乗り換え。(……)さんがさっさと降りて向かいに乗り、先に移動してしまうので、一応挨拶はしておこうとそのあとをとろとろ追い、相手が座ったところで、じゃあ僕は前に行きますんで、どうも、と掛けて(……)方へ。メモ取って(……)まで。
 
 改札抜けるが(……)の姿はない。立ち尽くしていると、駅の外からやってくる。黒いマスクをつけており、頭には地味な色の、粘土色みたいな感じのキャップ。右手を鷹揚に上げると、動きは変わってないなと笑う。飯屋へ。歩廊上を行きつつ、まだ(……)にいるのかと訊いてみると、もうずいぶん前に(……)に移ったと言う。こちらはあいも変わらず実家住まいで腐れフリーターだと話す。

 (……)のそばに飯屋があるとか言うので北方面へ通りを歩く。たしかに何とかいう小さい食堂みたいな店があった覚えはあった。ところが件の飯屋(「(……)」という店)は火曜日定休で閉まっている。しょうがねえからジョナサンに行こうというわけでまた歩き、しかし途中で「(……)」が見えたのでそちらで飯を食い、ジョナサンでデザートやらドリンクやらを飲みながらしゃべることに。

 「(……)」ではこちらはメンチカツカレー。(……)は普通にカツ丼か何かだったはず。
 結婚したのかと訊くと、結婚はもうしなくていいかなみたいな感じの考えらしい。まあ結婚した人間の面じゃねえなと、無精髭が口の周りを色づけているのをけなす。恋人はいないことはないと言って、一応付き合っている相手はいるらしい。同じ会社の女性に手を出してしまったと言う。ただ何だか付き合いが面倒臭くて、二週に一回くらいしか会っていないと。いまはコロナウイルスで出かけられないので、たいてい自宅でDVDを見たりとか。相手は二七歳とか言っていたか? その歳なら結婚も向こうは考えているわけだろう? と。ただ(……)は結婚をする気は起こらないらしく、あとで電車内では、むしろ俺ら(つまりこちらも含めて独り身の人間)は勝ち組なんじゃねえかって、と言っていた。こちらも結婚はしないだろうと思ってはいる。孫は兄貴が作ってくれたし俺はもう良いだろうと。ただパートナー的な人間はほしいかもしれないと前々から折に触れて言っていることをまた言う。だがそれをことさらに求めるつもりもなく、結局は成り行き主義だ。
 兄貴はモスクワにいると話す。このあいだの一月末に二人目が生まれた。連れ合いとはベルギー赴任中に知り合い、相手は界隈ではたぶん有名なオペラ歌手で、その人がなんでか知らないが兄貴が良いとなったらしく結婚したと。年上で、一人目も四二歳くらいで生んだのではなかったかと話す。
 鬱症状に陥ったことを話す。もともとパニック障害を持っていて治りかけていたのだが、二〇一七年末に急に体調が悪くなってまた変な感じになり、その後、何も感じなくなったと。本当に、嬉しいも悲しいも飯がうまいも何も感じず、ネガティヴな感情もなかったのであまり苦しいという感じもなかったのだが、その感情の消失自体が苦しかったみたいな説明。あとはとにかく死にたいという思いが毎日絶え間なく湧くと。その死にたいという思いには何の理由もない。何からも独立してただ希死念慮だけがおのれの脳内を支配していた。強いて言えば生がまったく無意味になったということの虚無感が理由ではあっただろうが。希死念慮について言うと、(……)は驚き、かなり深いところまで行ったんだなみたいなことを言うので、まあパニック障害になったとき以来、人生のなかで二度目のどん底ではあったと応じる。
 (……)の仕事は(……)。会社は(……)。今度工場に回されるらしい。もう煙草業界も下火だろうと言うと、電子タバコの生産に注力しはじめているらしい。まあそれはそうだろう。電子タバコというものの仕組みを全然知らないのだが、小型の機構のなかに煙草の成分を入れて蒸すような形で熱し、抽出されたものを吸うらしい。こちらは煙草を吸わないし、そのにおいも特に好きではないが、煙草の煙が健康にどうとか副流煙がどうとか強硬に言うつもりはなく、普通に分煙環境が確保されていれば個人が嗜好するのは何も問題ないと思っている。それよりも明らかに酒に酔った人間が起こすもろもろの無理性で馬鹿げた振舞いのほうが、こちらからすれば明らかに不快かつ有害だ。
 (……)と会っているかと訊かれるが、まったく会っていない。(……)とは(……)という同級生のことで、彼はこちらが中学当時に唯一音楽の趣味を共有できた相手で、よく彼の家に行って遊んだし、中学卒業後、大学までのあいだも何回か訪問した。大学以降、文学に目覚めてのちも二回か三回は会ったはずだ。東京大学を目指していたのだが果たせず一浪して(……)大学に入り、大学時代は音楽サークルに属してギターを弾き、Kurt Rosenwinkelなんかが好きだった。たしか修士まで行って、研究はルネサンスあたりのイギリスの医学とか生理学みたいなことについてやっていたはずで、だからたぶん、カンギレムとか金森修とかの仕事に繋がってくるようなことをやっていたのではないか。当時やつが名前を出していたのはなんという人だったかなと思って色々検索してみたところ、おそらくWilliam Harveyという人ではないかと思う。この人は一五七八年から一六五七年まで生きた医師で、血液循環説を唱えたらしいのだが、(……)も当時血液がどうのこうのとか言っていたような気がする。デカルトとの関わりがどうのこうのとかも言っていた気がするのだが、鈴木晃仁「医学史とはどんな学問か 第6章 科学革命期の新しい医学の発展 1620-1700」(https://keisobiblio.com/2018/04/11/suzuki06/)をちょっと覗いたところでは、「デカルトは、1628年に刊行されたハーヴィーの著作を1632年に読み」、「血液が循環すること」に関しては「それに賛成するという形でハーヴィーの偉大さを称賛した」とあるので、おそらくこの人物で間違いないだろう。(……)と最後に会ったのはたぶん五年くらい前ではないか。何をやっているのか知らないのだが、たしか独立行政法人みたいな感じの、通常の私企業ではないところに入ったとかで、神奈川のほうに行ったのではなかったか。

 ジョナサン。
 『ONE PIECE』についてちょっと話す。
 LINEはやっていない。そもそもガラケーだから。絶滅危惧種と。出先でインターネットとかまったく見ないと。渡部が不倫してようがなんだろうが知ったこっちゃないわけだと(……)。肯定しつつ、それももう二か月くらい前だろと笑う。
 日記及び読み書きの取り組みについて説明。
 (……)について。やつも「物語」を書くと言っていたらしい。そういうほうかと思っていたと。もちろん小説も書きたいと答える。短歌も作っているし、詩もほんの少しだけ。
 「(……)」についても。アコギ買って曲作って弾き語りたいと。
 やりたいことがたくさんあるなと。意外とフリーターでも忙しい。
 麻雀について。以前会ったときは雀荘に行くと言っていた。『哲也』。色川武大。麻雀は時間が掛かる。『アカギ』。やっと終わったらしい。
 タピオカ。神保町。
 弟。浅草らしい。二人いた気がするのだが。何か妙な様子だった。口ぶり。
 労働。いまは水曜日だけだと。面談をやってはいるが。三万くらいしか稼げてないんじゃない? と言うので、三万も稼げてないよと受ける。もうちょっとあったほうが良くない? と。本も買えるしと言うが、一応貯金もいくらかあるし、一〇万円も入ったし、まあいいかなと。普段はもう少しもらえるしと言っておく。
 ハンターハンター。アニメ見ていた。毎日。鬱症状中は。
 (……)は一応本は読むらしい。職場の帰りに(……)図書館に寄って借りると言うので、お前、文字読めたんだなと冗談めかして馬鹿にする。東野圭吾とかいわゆる大衆小説。趣味の大衆性を自覚しており、俺は本屋大賞を取ってるやつとか、流行ってるやつのなかで自分が好きそうなものを読むと。米澤穂信が好きらしい。住野よるの『きみの膵臓を食べたい』は読んだかと訊くと読んだと言うので、どういう話なのか尋ねてみると、膵臓癌で余命が短いヒロインと男子(口ぶりからするにたぶん高校生くらいの男女の印象だったのだが)が死ぬまでの思い出づくりをするみたいな話らしく、「青春っぽい」とか言っていた。最後にちょっとまあ落ちがあって、みたいなことを言っていたので、まあ仕掛けと言うか驚きの展開もしくは真相みたいなものがたぶんあるのだろう。タイトル通り膵臓を食うわけではどうもなさそうな気がする。五月二八日の日記に、"A Case of You"に絡めてこの本の名前を出したときには、普通にタイトル通り相手の内臓を食うような物語で、「「愛」の究極形態を表現する一手法としての「取り込み - 合一」のテーマ」を採用した話だと想定していたのだが、どうもそういうわけではなさそうだ。

 ジョナサンから駅へ。最近はミスチル聞いている、歌っていると言う。九〇年代の三作。『Q』と『深海』と『DISCOVERY』はいまでも普通に聞ける、悪くないと。ほか、Suchmosを説明。(……)はどこだかのフェスティバルみたいなイベントでライブを見たらしい。あの人たちは昔の洋楽のソウルとかが好きな人たちで、そういう音楽を取り入れていてけっこう格好良いねと。あとJamiroquaiっていうイギリスのグループがあって、カップヌードルのCMに使われてたやつなんだけど、それに似ていて最初のうちは和製Jamiroquaiとか呼ばれていたらしいと。ceroも名前は出しておいた。
 (……)駅近くで投票は行ったかと。もちろんと回答。宇都宮健児に一応投票したと。まあただ都知事選など興味がないので、桜井誠か立花孝志か、ホリエモン新党とか言っているわけのわからん連中でなければ誰でも良いと思っていたと言いながら、駅に入る。(……)は投票は行かなかったらしい。あとでベンチで訊いたところでは。いや何か忙しくてとか言い訳していたが、興味がないなら別に投票に行かなくても良いとこちらは思っているし、そもそも投票に行きましょうだの何だの真面目くさったことを優等生的に呼びかけるよりも、一人一票で一回の投票で物事が決まってしまうという不完全極まりない制度の有効性を問うことのほうが重要だろう。第一、投票を呼びかけていわゆる「サイレント・マジョリティ」とか呼ばれるような人々が、煽動されて、例えばドナルド・トランプみたいな人間を選び出してしまったり、今次の都知事選で言えば桜井誠を選出してしまったりするよりは、投票に行かないでいてくれたほうが普通にましだろう。

 (……)駅。ベンチ。(……)の話が出る。突然名が出てきたが、普通に覚えていた。正直自分でもよく覚えているなと思う。思い出したのは中学卒業以来ほとんどはじめてだと思うのだが。唇が厚かったやつだろ? と言う。たしか「タラコ」という何のひねりもないあだ名もつけられていたのではなかったか。わりと勉強はできるほうの男子だったはずで、こちらもたしか何の科目だったか忘れたが、学力別の選択クラスで一緒だった記憶がある。(……)に関してはあと、たぶん(……)とだった気がするが、彼がオナニーについて猥談していて、男性の自慰行為を「抜く」と言い表すその表現について、いやあれってまさにそうだよな、本当に、めっちゃ「抜く」っていう感じだよなと大げさに称賛していたのを覚えている。その(……)が最近、結婚したらしい。(……)に急に呼び出されて何かと思えば、婚姻届に名前を書いてくれと。よくお前を選んでくれたなと受ける。もう一人は誰かと訊けば、(……)だと言って、この同級生についても覚えている。何か角刈りで、柔道やってそうな感じのやつだろ? と受ける。ただいまはアパレル店員をやっているらしく、それは(……)が言うとおりちょっと意外だ。中学時代のイメージとはまるでそぐわないが、それ以降の人生で衣服の魅力に開眼したらしい。外見も中学当時の面影はなく、髪の毛も服装もそれらしい、洒落たような感じになっているらしい。横浜にいるとか言っていたか?
 (……)出身の連中とはときおり会っていて、なかでも(……)とはいまもよく会っており、一時期は週六で会っていたとか言うから、結婚してんのかよと笑った。(……)は運送会社((……))で働いており、身体がけっこう大きくていつも眠たそうな顔をしたのんびりとした感じの男子だった。
 あとは(……)。数年前に(……)の家で会ったと話す。そのときたしか旅行で九州かどこかに行って、風俗に寄って楽しんできたみたいなことを話していた覚えがある。職業は公認会計士で、仕事はとても忙しく、食事を取る暇もないとか言っていたのだけれど、そのわりにそれ以前と比べてかなり太っていた。あるいは、ゆっくり食べる時間がないから腹に溜まるものを急いでがーっと食うので、それで太ったということだったか。で、(……)はそのとき(……)の家の居間の卓を囲んでこちらの隣(たしか左隣)に座っていたのだが、すると鼻息を荒く漏らしているのが聞こえてきたので、デリカシーのないことにこちらは、お前、鼻息が聞こえるぞと指摘し、夜寝るとき、いびきかいてんじゃないのか、呼吸が止まっているかもしれんぞ、大丈夫か、とか訊いたのだった。すると(……)は、鼻息に関しては自分で気づいていなかったようでちょっとショックを受けて、え、鼻息って……それ、普通にデブやん、と漏らしていた記憶がある。そういうことを(……)に話した。

 電車内。(……)さんと(……)の話。(……)さんは一人称が「オレ」だった。それで覚えている。しかも、イントネーションは通常の「俺」のように平板でなく、「おら」と同じ高低。(……)と付き合っていたのははじめて知った。

 書店。漫画コーナー。泉光を紹介。面白いと。質が高いと言うと、いつもちょっと上からだよねと笑われる。



 帰り道。(……)さんの家の向かいの木。一本だけ白っぽくて樹皮の段がない幹の木。
 (……)さんのあたりで猫。黒っぽい墨色の毛色。腹などは白いが。こちらを振り向きながら歩いていく。(……)さんの家の駐車場に。距離を置いて止まって、手をあげると、途端に逃げ出す。残念。

 仮眠。

 夕食にだいぶ時間掛ける。一一時頃まで。新聞を読んでいるうちに。メニューはウインナー二本や米、鮭、マクドナルドのチーズバーガー、大根の煮物など。あと豆腐。(……)さんの奥さんからもらった竹筒に入った。まろやかでクリーミーではあるが目立った味わいがあるようには感じられない。
 父親が皿洗ってくれる。彼が帰宅して風呂に入り飯を食うまでのあいだ、こちらはずっと新聞に時間を使っていたわけだ。父親が飯を食っているのに全然気づかなくて、台所に立って洗い物をしているのを見て意想外の感を得たほど。



 (……)さんブログ。二〇二〇年四月五日。

 (……)彼[スピノザ]は「自由意志」を批判する。しかし、それは、自由や意志を否定することではない。実際は諸原因に規定されているのに〝自由〟だと思いこんでいる状態に対して、超越論的であろうとする意志(=知性)に、スピノザは自由を見出すのである。
柄谷行人『探求Ⅱ』p.225)

     *

 超越論的ということを、カントやフッサールの〝方法〟や対象領域に限定してはならない理由は明瞭であろう。現象学マルクス主義精神分析、さらにフーコーの〝知の考古学〟やデリダの〝ディスコンラクション〟は、それぞれ超越論的なのである。そう考えた上で、はじめて超越論的主体という問題が出てくる。これらの考え方は、経験的な私(主観)や自由意志を批判する。しかし、それは、主体を否定したり滅却したりすることではないし、そんなことはできはしないのだ。さらに重要なことは、私という主体はないと言うこと、ランボー流にいえば、「私とは他者だ」と言うことが、それ自体超越論的な主体によって可能だということである。
 そのような主体が在るというならば、それはただちに経験的な主体になってしまう。あるいは、超越的な主体になってしまう。超越論的主体は、そのような主体を批判することにおいてしか無い。いいかえれば、超越論的主体は、世界を構成する主体=主観ではなく、そのような世界の外部に立とうとする実践的な主体性においてしかないのである。超越論的であることは、主体的であることであり、その逆も然りである。
柄谷行人『探求Ⅱ』p.226-227)

 片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』の抜書きに、「主体が欲望を持っているということは、主体に何かが欠如しているということと等価です」と、それ自体は常識的に納得できると思われる説明があったのだが、これは本当にそうなのかなあと思った。なんかこういう捉え方とは別の思考を生み出したいような気がするのだが。
 それに続いて、以下のようなやはりわかりやすい説明があるのだが、これも、マジで? みたいな印象をなぜなのか受けてしまう。いままでこういう内容の精神分析の理論に関しては、(……)さんのブログで何度も読んできたはずなのに、なぜか今回はじめてそれを疑わしく思った。平易な言葉で要約されているためだろうか? もちろん精神分析理論はあくまで仮説と言うか、大いなるフィクションに留まらざるを得ないものだと言うか、最終的な証明はたぶん無理なのだろうが。

 だから母親が何かを欲望しているということは、母親に何かが欠如しているということと同義です。そして欠如しているものが欲望の対象である以上、母親に何かが欠如しているということと同義です。そして欠如しているものが欲望の対象である以上、この欠如はファルスの欠如だと言えます。つまりファルスとは、母親の欠如(=欲望の対象)そのものを表わす言葉なのです(…)。
 しかし、これが幼児にとっては耐えがたい発見です。なぜなら、幼児は母親に完璧な存在であってほしいと願うからです。お母さんには望月のように何も欠けるところがなく、自分のすべてを包み込んでくれるものであってほしいと幼児は願います。
 だからこそ幼児は、自分自身の手によってファルスの欠如を埋めようと思います。そのために彼はファルスに同一化しようとするのです。自分がファルスになることによって母親の欠如は満たされ、そして、母親は自分の傍にいてくれると幼児は空想します。
 「お母さんが何かを欲しているのは、自分に足りないものがあるからだ。その〈足りないもの〉が他のところにあると、お母さんはどこかへ行ってしまう。でも僕がその〈足りないもの〉になってあげれば、お母さんは完璧になるし、僕の傍にいてくれる」というわけです。幼児がまず望むこと、それは〈他者〉の欠如を埋めることなのです。

 と思っていたら、次の引用で、「ここまでの議論は多分に後付けの理屈であり、幼児が実際にこのようなことを思って行動したわけではありません。あくまで自分の不満(フラストレーション)を無くすために〈完璧な母親〉を作り上げようとしていたに過ぎず、お母さんにファルスがないのは「何やらおかしい事態」でしかありません」という補足的註釈があった。
 あとは、「おそらく、幼児が母親とお風呂に入ったり、着替えを見たりした時、彼女が現実的に(=物理的に)ペニスを持っていないことを発見してしまうのでしょう。先述の通り、女性器を見ることはペニスの欠如の発見の瞬間です(…)。子供がこうした現実的穴に触れてしまったとき、「母親には何か欠けたものがある」ということが否定できない事実として刻まれてしまうのです」という記述もあって、ここは(……)さんも異議を唱えていて、「「「〈ファルスがない〉ということがあり得るのだ」と知る時」とは、「現実的に(=物理的に)ペニスを持っていないことを発見」する時とイコールで結ぶべきではないのではないか?」と言っているのだが、こちらとしてはそもそも、「幼児」にとって、「女性器」が(ペニスの)「欠如」として本当に現れるの? という疑問がある。「女性器」=「現実的穴」が「欠如」として「発見」されるためには、「ペニス」がある状態=充実が通常の状況として前提にされていないといけないはずだと思うのだが、「幼児」においてそのあたりってどうなってんの? という疑問だ。「先述の通り」と記されているので、そのへんの説明がこれ以前にあったのかもしれないが。