2020/8/30, Sun.

 (……)イーディスの生活は虫の羽音のように単調で、いつも母親の監視下にあった。(……)
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、63)



  • 一一時起床。なぜだかわからないが目覚めた直後からFISHMANS "いなごが飛んでる"が脳内に流れて止まらなかった。晴れ空からベッドに陽が射しこんできて顔に当たるのだが、そこにじりじりという感触はなく、窓を閉めているのに空気も大して熱を籠めておらず、肌も濡れていない。ここ最近のなかではずいぶん涼しい気候と思われたが、あとで新聞を見ると最高気温は三五度とあってよくわからない。洗面所とトイレに行ってくると瞑想。窓を開けたが、蟬の声も大したことがないように聞こえた。一方でエアコンの稼働音に耳を傾けたが、冷気を吐き出すのみのその無機質な響きからはそれ以上何のイメージも比喩も湧かず、べつの意味につながることがなくて、その最大限に散文的な意味の乏しさ(〈字義性〉)は悪くない。一三分ほど座って終い。とにかく肌感覚を鍛えたい。
  • 上階に行き、炒飯や昨日のスープの残りなどで食事。外はあまり風がないようで、明るさに染め抜かれた川沿いの樹々に揺れているような気配はほとんどない。食後は風呂を洗って緑茶を持って帰室し、スピッツ『フェイクファー』を流してAmazon Musicからジャズ作品をいくつもメモ。Kurt Rosenwinkelの作品や、Paul Motian参加のライブ音源など。それから、明日青梅図書館および立川図書館に行ってCDを返却するつもりなので、立川のほうで借りている作品の情報を打ちこんだ。Art TatumのほうのライナーノーツはBenny Greenが書いているのだが、わりときちんとした批評眼を見せているというか、この曲からこういうことがわかるという風に音楽の内容にしっかり即した文章になっているし、ライナーノーツを書くにあたっていま目の前には過去の批評記事が色々と用意されていると文中で触れられているように、同時代の評判もちゃんと調べて書いたらしく、好感を持てる確かな仕事ぶりだ。あと一枚、Judy Garland『Judy At Carnegie Hall』が残っているのだが、それはまたのちにすることに。

Robert Glasper『Fuck Yo Feelings』


1. Intro (feat. Affion Crockett) [Robert Glasper, Derrick Hodge, Chris Dave, Affion Crockett]
2. This Changes Everything (feat. Buddy + Denzel Curry + Terrace Martin + James Poyser) [Glasper, Hodge, Dave, Buddy, Denzel Curry]
3. Gone (feat. YBN Cordae + Bilal + Herbie Hancock) [Glasper, Hodge, Dave, Herbie Hancock]
4. Let Me In (feat. Mick Jenkins) [Glasper, Hodge, Dave, Mick Jenkins]
5. In Case You Forget [Glasper]
6. Indulging In Such [Glasper]
7. Fuck Yo Feelings (feat. Yebba) [Glasper, Hodge, Dave, SIR]
8. Endangered Black Woman (feat. Andra Day + Staceyann Chin) [Glasper, Hodge, Dave, Andra Day, Staceyann Chin]
9. Expectations (feat. Baby Rose + Rapsody + James Poyser) [Glasper, Hodge, Dave, Baby Rose, Marlanna Evans aka Rapsody, Davionne, Tim Maxwey]
10. All I Do (feat. SIR + Bridget Kelly + Song Bird) [Glasper, Hodge, Dave, SIR, Bridget Kelly, Theresa Wilson]
11. Aah Whoa (feat. Muhsinah + Queen Sheba) [Glasper, Hodge, Dave, Muhsinah, Queen Sheba]
12. I Want You [Glasper, SIR]
13. Trade in Bars Yo (feat. Herbie Hancock) [Glasper, Hodge, Dave, Herbie Hancock]
14. DAF Fall Out [Glasper, Hodge, Dave]
15. Sunshine [Glasper, Hodge, Dave, YBN Cordae]
16. Liquid Swords [Glasper, Hodge, Dave]
17. DAF FTF [Glasper, Hodge, Dave]
18. Treal (feat. Yasiin Bey) [Glasper, Hodge, Dave, Yasiin Bey]
19. Cold [Glasper, Curtis Jews]

Robert Glasper - keys
Chris Dave - drums
Derrick Hodge - bass
DJ Jahi Sundance
Taylor McFerrin - sounds (tracks 4,8,10,11,13,14)
Herbie Hancock - keys (tracks 3 & 11)
James Poyser - keys (tracks 2 & 9)
Terrace Martin - synths (track 2)
Keith Lewis - whistle (track 12)


Produced by Robert Glasper
Co-Producers: Chris Dave and Derrick Hodge
"Cold" Produced by Robert Glasper and Curtis Jews
Executive Producers: Vincent Bennett and Robert Glasper
Recorded by Qmillion at Henson Recording Studios
1st Assistant Engineer: Brian Rajaratnam
2nd Assistant Engineer: Stephen Sarkissian
Yasiin Bey recorded by Takahiro Yamaguchi (GROUNDRIDDIM) at Sound Inn Studio, Tokyo
Assistant Engineer: Anri Inagaki (Sound Inn Studio)
Recording Coordination: Makoto Miyanogawa (SONG X JAZZ Inc.)
Additional recording on "This Changes Everything," "Let Me In" and "All I Do" by Jahi Sundance at More Than Enough Studios
Mixed by Qmillion at Flying Dread Studios, Los Angeles, CA
Mastered by Chris Athens Masters

Cover Photography: Jon Chu
Additional Photography: Genéa Gaudet, Nico Navia, Samantha Whitehead & Ryan Pawlak
Design & Art Direction: Christopher Leckie


a black radio production
(P)&(C) 2019 Loma Vista Recordings
Universal Classics & Jazz
UCCO-1217

     *

Art Tatum『The Tatum Group Masterpieces: Art Tatum/Red Callender/Jo Jones』


1. Just One Of Those Thins [Cole Porter]
2. More Than You Know [Youmans - Eliscu - Rose]
3. Some Other Spring [Arthur Herzog]
4. If [Hargreaves - Evans - Damerell]
5. Blue You [Sampson - Mills]
6. Love For Sale [Cole Porter]
7. Isn't It Romantic [Rodgers - Hart]
8. I'll Never Be The Same [Malneck - Signorelli - Kahn]
9. I Guess I'll Have To Change My Plans [Arthur Schwartz - Howard Dietz]
10. Trio Blues [Art Tatum]

Art Tatum (p)
Red Callender (b)
Jo Jones (ds)


Recorded January 27, 1956

Produced by Norman Granz

Recording engineer: Val Valentin
Studio: Capitol Studios, Los Angeles
Cover photograph: Phil Stern
Liner notes: Benny Green


Pablo
Manufactured and Distributed by Victor Musical Industries, Inc.
VICJ-23537

  • 便所で糞を排出してくると、流れていたFISHMANS『Oh! Mountain』を"感謝(驚)"までもどし、屈伸をしたり開脚をしたりとちょっと脚をほぐしてから日記。ひとまず今日のことをここまで記述。
  • その後、昨日のことをさらりと短く仕上げてから身体をほぐすためにベッドに移った。一応毎日伸ばしたり揉んだり頑張って肉を柔らかくしているのに、一度眠って起きるとまたこごって流れが滞ったように重っているというのは一体なんなのか。どうにかならないものなのか。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読みながら脹脛や腰をほぐそうと思ったところが文字をいくらも追わないうちに意識が曖昧に暗んでしまい、覚醒したあともなんとなく本を取る気にならず、瞑目のまま静止して瞑想めいたり、脹脛をぐりぐりやったり、腰や首やその他の部位を揉んだりしているうちに五時も近づいた。外は曇りに寄った天気のようで陽の明るさはあまりなく、今日はやはり不思議と涼しい気候で、エアコンを消して窓を開けても汗をかくこともなく支障なく過ごせるほどだった。それからようやくホフマンスタールを読みはじめる。「チャンドス卿の手紙」を冒頭にもどって大雑把に再読した。
  • 112では、概念言語がうまく機能しなくなり、それにもはや馴染むことができなくなったあとの生活においてもときおり「活気あるうれしい瞬間」が起こり、そのときには「身辺の日常的な出来事」を媒介として「まったく名のないもの、いやおそらく名づけえぬもの」が「立ちあらわれてくる」と語られている。この「名づけえぬもの」(サミュエル・ベケットを思い出さないわけにはいかない)というのは、言語が追いつけずそれによってとらえることができず、概念的囲繞の枠を破って超出していってしまう圧倒的リアリティみたいなもののことだろう。要するに、事物のまったき事物性とでもいうか。そういうものが訪れる瞬間を意志的に招くことはできず(「この瞬間を意志で呼び寄せることはとうていわたしにはできません」)、そこにおいて言葉はあまりにも貧困で無力なものだとしか思われない(「いかなる言葉もそれを言い表わすには貧しすぎると見えてくるのです」)。
  • 以前のチャンドス卿においてはもちろん言語が正常に機能しており、世界の様相は言語的分節とおおむね一致して高度に統一的な姿を見せていたのだが(「ようするに、当時は、ある種の陶酔の持続のうちにあって、存在全体が一箇の大いなる統一体と見えていたのです」(106~107))、原因はわからないもののその言語的分節が乱れはじめ、言葉が明確な輪郭を失って世界をすくい取る機能を持つものではなくなってしまい(「抽象的な言葉が、腐れ茸のように口のなかで崩れてしまう」(109))、結果として当然、いかなる価値判断も困難になる(「宮廷の問題や議会での出来事、その他なにごとについても判断を下すことが不可能になっているのに内心気づきました」(109))。非常にありきたりな比喩を使えば、人間は通常、言語というフィルターを通して世界を理解し秩序づけているわけだけれど、その翻訳機がうまく働かなくなり、それによって明晰に分節されながら結びついていたはずの世界の統一的連関が(一定以上)失われたというのがチャンドス卿の精神状況だろう。ただ、概念的翻訳がうまくできなくなったそういう状態においてかえって、世界の実質らしきものが言語を媒介とすることなく直接的に身に迫り現前してくるという事態が起こりうる。それが上で触れられている「名づけえぬもの」の顕現の瞬間であり、そういう出来事はたぶん西洋の文学とか哲学とかでは「崇高」という言葉で形容されることがわりと多いようなイメージがあるのだが、チャンドス卿も何の変哲もない事物が「心を動かす崇高なしるしを帯び」る(112)とか、自分が思い描いたイメージは「きわめて崇高にして完璧な現在だったのです」(114)とか言っている。
  • ここで語られていることはまあわりと理解できるというか、こちらにおいてもそれに近いことは過去何度か体験的に生じており、日記のなかでもおりおり触れているはずだ。もっともこちらの場合は言語が危機に陥ったわけではないのだが、言語機能を保った状態でも、世界の実在感とか具体性みたいなものが不思議にまざまざと差し迫ってきて、そこにおいて自己と外界とがこの上なく調和し、強い陶酔や恍惚や感動や官能を得るという経験(磯崎憲一郎の語彙を借りれば「世界の盤石さ」の実感)は人間においてわりとあるし、文学や哲学の主題としてはほとんどありふれたものと言っても良いのだろうし、宗教の方面ではそれは神の現前とか啓示として捉えられるだろう。こちらも一年に一度か二度くらいはそういう崇高っぽい体験を得ていたけれど、それにもだんだん慣れてきたというか、回数を重ねるごとに事物の具体性が強く感得されても恍惚や官能を覚えるほどのことはなくなり、いまでは陶酔とか酩酊感みたいなものを強烈に感じることはほとんどないと思う。だからといってべつに世界がつまらなくなったとか鮮やかでなくなったということはなく、むしろますます面白くなっているようにも思うけれど、ところで先にも触れたとおり、こういう体験は宗教者だったらおそらく日常的な事物において神(の痕跡)が現前した瞬間として解釈するだろう。神とは端的に言って、言語で直接言い表すことのできない純然たる崇高さとして理解されているはずであり、したがってここにあるのは否定神学的なテーマだということになると思うのだけれど、こちらにしてみればこの世のすべての事物が本当はそうなのだ。つまり、意味論的 - 概念的様相や言語との関係において見ればこの世のあらゆる事物が神だというわけで、何しろそのへんに転がっているひとつの石ころとそれを記述する言語はまったく似ても似つかないものだし、言語がどう頑張ったところでものそのものになることなどできないということは自明であるように思われる。だからこの世のあらゆる事物とすべての瞬間のうちに「崇高」への回路は潜んでいるはずだと思うのだけれど、人間の心身と感覚器は粗雑極まりないものだからあまり頻繁にそれを経験することはできないし、そんなに崇高に撃たれて恍惚に浸ってばかりいても暮らしが成り立たなくなってしまうだろう。
  • 飯を作りに上がったところがもう母親がやってくれていたので引き返し、七時まで今日の日記を記述。そうして食事へ。スンドゥブなど。父親は飲みに行っているらしい。母親は祖母が出たあとの山梨の家(祖母はここで施設に入ることになったらしい)の処理を気にしている。どうするのかなとおりおり漏らしていてこのときもまた呟いていたのだが、そんなことはO家のきょうだいたちに任せておけば良いのであって、なぜ母親が横から気にしているのかがよくわからない。三鷹のZさんが入ってくれれば良いのにとか、Mさんが入ってくれれば良いのにとか言うのだが、そもそもべつに人が住まわずに普通に取り壊したって良いはずだろう。母親はそのあたり、やっぱりおじいちゃんが建てた家だから守っていったほうが良いんじゃないの(母親は常に、自分が「したい」かどうかではなく、(世間的価値観に照らして)「したほうが良い」かどうかという観点で物事を捉える)、みたいに考えているようだったが、それは(大部分、一般的通念に操作された)母親自身の考えであって、O家のきょうだいたちがどう考えているのかは不明である。山梨の家にもっとも関わりを持っている当人たちの考えや意見を聞かないうちから、どうするのかなとかああしたほうが良いとか気を揉んでいてもあまり詮無いことだろう。彼らが残したいなら残せば良いし、そうでないなら壊せば良いだろう。ぶち壊して更地にして売るなり、何かしらの施設として再利用するなり、僻地に住みたいという物好きな人間に入ってもらうなり、やりようはいくつもあるはずだし、O家のきょうだい四人だって年を取ったいい大人なのだから、そのくらい話し合ってうまい解決策を見出せるだろうと思う。だから母親とかこちらとかが気にかける必要はなく、ただ当人たちに任せておけば良いだけのことだと思うのだけれど、母親がそれを気にしてうだうだ言っているということは、おそらく何かしら自分のほうにも好ましくないような影響が波及してくることを懸念しているのだろう。母親自身はもしかしたら明確に気づいていないかもしれないが、こちらの見るところではそういう意識が多少なりとも含まれているような気がする。それはたとえば、我が家の父親はここで定年を迎えてわりと時間があるから実家の片づけを任されるだろう、そうするとゴミを色々持ち帰ってくるだろうけれどそれを自分が処理しなければならない、さらには現地での片づけ自体にも駆り出されるかもしれない、という意識であるかもしれないし、また母親本人がこのとき口にしたことによれば、この件を機にきょうだいの仲が悪くなって揉め事が起こったりすると面倒臭いという気持ちでもあるようだ。というのも母親が言うには、祖母の周りに集まってみんなで会食するときなどは仲が良さそうに見えるけれど、本当はそうでもないんじゃないかということがだんだん見えてきたらしいのだが、まずそもそも実家の処理という問題についてきょうだいたちが話す機会がいままであったのかも不明だし、母親も実際にそういう場に居合わせてやりとりを目撃したわけでもないようだ。だとすればなぜ、きょうだいたちは実は不仲だとかぎくしゃくしているとか言えるのかこちらにはよくわからず、どこからそう思ったのかと母親に訊いてみても判然としない。だからそのあたりは根拠薄弱な母親の想像に過ぎないのではないかとこちらは思っているのだけれど、たぶんひとつにはKさん(漢字が正しいか不明)から送られてきたというメッセージをきっかけとして母親はそういう印象を抱いたのではないか。Kさん(Zさんの妻)はこのたび祖母が施設に入るという件について、手配とか見舞いとかに全然関われなくてすみませんみたいなメッセージを送ってきたというのだが、母親の推測ではKさんには、Zさんが長男なのだから本当だったら自分たちがもっと積極的に祖母の世話をしなければならないし、そもそも長男として家を継いで実家にも入るべきだったのにそうはしなかったからほかのきょうだいたちから不満を持たれているのではないか、という意識があるように見えるらしい。そういう意識はまあ実際あるかもしれないが、あろうがなかろうがどちらでも良いし、あまり関われなくてすみませんと配慮の言葉を送ってきてくれたのだから、全然マシというかそれでべつに問題はないだろう。ただ、母親としてはたぶんこのメッセージを受けて、なんとなくきょうだい間に齟齬が生じてきているという印象を得たのではないかという気がする。まず第一に、上記したKさんの意図は母親の推測に過ぎない。第二に、母親の推測が合っていたとして、きょうだいたちがZさんに不満を持っている可能性というのも、今度はKさんの推測に過ぎない。このメッセージに関しては、そのように曖昧模糊とした推測が二重に積層しているのだけれど、母親はこの仮定領域を拡張的に重んじて、実際にきょうだいたちのあいだに不穏な空気が広がっているかのような〈雰囲気を感じた〉のではないか。加えて、母親のなかにも実際にZさんに対する不満があるのかもしれない。つまり、長男なんだから本当は彼が祖母の世話を主導するべきなのに、実際にはうちの父親ばかりがやっているという気持ちがあるのかもしれず、だからこそ母親はKさんのメッセージをそうした不満に対する配慮として読んだのではないか。もしそうだとすれば、きょうだい間に不和が生まれつつあるようだという母親の印象は、自分の不満感を彼らの関係にも投影的に当てはめた想像なのではないか。こちらとしてはそのあたりが事の実相に近いような気がするが、とはいえもちろん現実にきょうだいたちが齟齬を抱えているという可能性もないわけではない。だがそれはどちらでも良いことだ。仲良くするならすれば良いし、仲良くできないならしなければ良いし、対立するならすれば良い。こちらにとってはなんだって良く、特に重大な問題ではない。
  • 食後はまた日記(2020/8/28, Fri.)を進め、九時半ごろに風呂へ。酒を飲んで酔っ払ったらしい父親が髪の毛の乏しい頭を晒しながらソファに寝そべって休んでいた。
  • 風呂を出てくると一〇時過ぎからまた2020/8/28, Fri.にとりかかって完成させたのだが、それを投稿しようという段になってなぜかMaria Schneiderのことを思い出し、Amazon Musicで検索した。彼女の音源はベスト盤くらいしかなかったのだが、そこからさらにSantanaなんかも思い出して、するとあとは芋づる式にどんどんつながって音源を調べてはEvernoteのメモ用記事に記録していってしまい、結構な時間を費やした。Dollison and Marsh『Vertical Voices: The Music of Maria Schneider』(https://music.amazon.co.jp/albums/B00F4DHZP6)などというやばそうなアルバムが見つかった。Maria Schneiderの曲をボーカルでやろうという頭のおかしい取り組みらしい。あとLos Lonely Boysなんていう名前もめちゃくちゃ久しぶりに思い出したものだ。Santanaを想起したのは、Michelle Branchというボーカルを起用した"The Game Of Love"という曲があるのだけれど、高校生当時この曲がけっこう好きだったからで、それで当該曲が収録されている『Shaman』を流してみたところ、"The Game Of Love"はいま聞いても爽やかでそんなに悪くはないが、そのほかの曲はそうでもない。Santanaのギタープレイ自体はさすがだと感じさせるところがおりおりにあるし、ベースやドラムの演奏もときおり耳を惹くのだが(いま検索してみたところ、ドラムはDennis Chambersだというので納得である)、いかんせん楽曲がぱっとしないというか、それ以上にわりとダサいようなものがけっこうあって、プレイヤーは良いのに曲がそれに見合っていないなあという印象だ。普通に、曲としてもサウンドとしても通り一遍の退屈なR&Bみたいなやつがいくつかある。そのなかでCitizen Copeという人が参加したものは比較的良かったかもしれない。
  • その後、今日のことを書き足したのちはなんかひたすら怠けてしまい、大したことはしなかった。


・読み書き
 13:51 - 14:17 = 26分(2020/8/30, Sun. / 2020/8/29, Sat.)
 16:56 - 17:38 = 42分(ホフマンスタール: 102 - 121)
 17:54 - 19:00 = 1時間6分(2020/8/30, Sun.)
 20:02 - 21:21 = 1時間21分(2020/8/28, Fri.)
 22:08 - 22:35 = 27分(2020/8/28, Fri.)
 23:39 - 24:25 = 46分(2020/8/30, Sun.)
 計: 4時間48分

  • 作文: 2020/8/30, Sun. / 2020/8/29, Sat. / 2020/8/28, Fri.
  • ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年): 102 - 121

・音楽

2020/8/29, Sat.

 ストーナーの学位論文の主題は"古典的手法が中世叙情詩に与えた影響"だった。夏の大半の時間を、古代及び中世のラテン語の詩、特に死を題材にした詩作品の再読に費やした。そこでもまた、ローマの抒情詩人たちが死という事実を淡々と受け入れるその典雅さに、驚嘆を覚えた。まるで、待ち受ける虚無の闇が、自分たちの享受した歳月の豊かさへの賛辞であるかのような……。(……)
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、47)



  • 一一時二二分離床。六時台後半の入眠だったので、五時間も滞在していない。水場で顔を洗ったりうがいをしたりしてきてから久しぶりに瞑想。自分の身体を空間に嵌めこむような意識。だが嵌めこむと言って、パチっと嵌まってぴったり固定されるのではなく、流体的な大気に包まれているから微動すれば空気がまたそれに応じてこちらのからだをかたどってくれるような感じ。二〇分ほど座った。「(……)」みたいな構成の詩案を思いつく。
  • 上階へ行くと母親が帰ってきたところだった。こちらは髪を梳かすとハムエッグを焼いて米に乗せ、そのほかナスのソテーや冷凍食品のメンチやキノコの味噌汁やサラダとともに食事。新聞は当然だが、安倍晋三首相の辞任を伝えている。持病の潰瘍性大腸炎が悪化した由。後任候補には菅義偉石破茂岸田文雄の三人がさしあたり挙がっていて、ここに麻生太郎の名前がなくてひとまず良かったとは思う。テレビは『メレンゲの気持ち』だが大して目を向けず。清原なんとかという一八歳くらいの若い女性俳優が出演していたはず。
  • 風呂を洗うと緑茶を持って自室へ。母親が布団を干すと言うので手伝い、コンピューターを準備してスピッツ『フェイクファー』を流すと、青梅図書館で借りているCDのデータをEvernoteに写した。Yuji Takahashi『Poems Without Words』とJoe Barbieri『Dear Billie,  A Letter To Billie Holiday』。高橋悠治はFrançois Couperin、Gian Francesco Malipiero、Arnolt Schlick、Csapó Gyulaなどを取り上げている。後者三人は初見。マリピエロという人はイタリア・ファシズムと「微妙な距離をたもちつつ」、「ブルーノ・マデルナやルイージ・ノーノを教えた」らしい。チャポーという人は「モートン・フェルドマンジョン・ケージの教えを受け」たハンガリーの作曲家のようだ。まったくもってこの世には色々な人間がいる。

Yuji Takahashi(高橋悠治)『Poems Without Words』

François COUPERIN (1668 - 1733)
1. Les lis naissans.(花開くユリ)(1722)
2. Les roseaux.(葦)(1722)

Gian Francesco MALIPIERO (1882 - 1973)
Poemi Asolani(アーゾロ詩集)(1916)

3. Ⅰ. La notte dei morti.(死者たちの夜)
4. Ⅱ. Dittico.(二連画)
5. Ⅲ. I partenti.(出発する者たち)

Barlumi(きらめき)(1917)
6. Ⅰ. Non lento troppo, scorrevole.
7. Ⅱ. Lento.
8. Ⅲ. Vivace, alquanto mosso.
9. Ⅳ. Lento, misterioso.
10. Ⅴ. Molto vivace.

11. Yuji TAKAHASHI: Soradame Renku(空撓連句)(2016)
12. Arnolt SCHLICK (1455? - 1521?): Maria zart(優しいマリア)
13. Csapó GYULA (1955 - ) : Maria Zart Variations(「優しいマリア」変奏曲)(2018)


高橋悠治 ピアノ
Yuji TAKAHASHI, piano

ライヴ・レコーディング(2019.3.7 浜離宮朝日ホール
Live recording at Hamarikyu Asahi Hall, Tokyo, 7th March 2019.


表紙
"Décor de roses blanches"(Stained glass / 14th century)
Photo: (C) RMN-Grand Palais (musée de Cluny - musée national du Moyen-Âge) / Gérard Blot / distributed by AMF-DNPartcom

For this recording
DXD 384KHz, One Point Stereo Recording. Microphones; "Eterna Musicae" made by Didrik De Geer.
Damping alloy "M2052" is used for Master Disc.
DXD 384KHz、ワンポイント・ステレオ・レコーディング。デットリック・デ・ゲアール製マイクロフォン「エテルナ・ムジカ No. 13 & No. 14」使用。
制振合金「M2052」塗布によるマスター・ディスクを使用してのカッティング。

Tonmeister: Yoshiya Hirai
Sound Designer: Ken Ohtsuki

【表紙】タイトルもじ: 平野甲賀
【裏表紙】え: 柳生弦一郎

Production & Distribution: MEISTER MUSIC Co., Ltd.
MM-4059

     *

Joe Barbieri『Dear Billie,  A Letter To Billie Holiday


1. I'm A Fool To Want You [Jack Wolf - Joel. S. Herron - Frank Sinatra]
2. The End Of A Love Affair [Edward C. Redding]
3. The Very Thought Of You [Ray Noble]
4. I'll Be Seeing You [Irving Kahal / Sammy Fain]
5. I Get Along Without You Very Well [Hoagy Carmichael]
6. Dear Billie [Giuseppe Barbieri]
7. What A Little Moonlight Can Do [Harry M. Woods]
8. Don't Explain [Arthur. Herzog Jr. - Billie Holiday]
9. When You're Smiling [Mark Fisher - Joe Goodwin / Larry Shay]
10. You've Changed [Carl Fischer / Bill Carey]
11. Facendo I Conti [Giuseppe Barbieri]


Joe Barbieri: vo / g
Luca Bulgarelli: b
Pietro Lussu: p
Gabriele Mirabassi: cl


Produced by Joe Barbieri
Executive Production by Antonio Meola and Giovanna Maria Mascetti

Arranged by Joe Barbieri, Luca Bulgarelli, Pietro Lussu and Gabriele Mirabassi
Recorded, Mixed and Mastered by Stefano del Vecchio at Load Studio (Rome, Italy) (2018年)

Original Illustrations by Valentina Galluccio (VAGA), Graphic by Microcosmo Media
Photo by Angelo Orefice


the copyright in this sound if owned by microcosmo dischi.
(P)(C) 2019 Microcosmo Dischi

CORE PORT
RPOP-10029 CORE PORT, Inc.

  • 椎名林檎無罪モラトリアム』も借りているのだけれど、これはなんとなく面倒臭いから良いかなとデータ入力を怠り、便所で糞を垂れてきてからFISHMANS『Oh! Mountain』を流しだし、とりあえず今日のことをここまで書いた。心身の、もしくは意識の志向性をより拡張的で分厚いものにしつつ(広範囲に渡る面の様態に鍛え上げながら)、同時に強い集中性を確保できないかと思う。拡散(ヴィパッサナー)と一点集中(サマタ)という基本的に対立するはずの動態を矛盾的に二重化させられないか、あるいはそのあいだの移行 - 往還をよりすばやくできないか。
  • 続いて二七日のこともいくらか書いたあと、身体をほぐし和らげるためにベッドへ。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読みはじめたのだが、すぐさま意識が眩んで夢うつつになる。どうも単に眠いだけではないというか、頭が麻痺するような妙な感覚があったので、これはたぶん抗鬱剤離脱症状ではないかと思い、五時前だったかに起きてベランダに干してあった布団類を取りこんでおくと、セルトラリンを一錠飲んだ。そんなにすぐに効果は出ないが、のちには精神と意識がまとまって妙な感覚は消え去った。前回服用したのは二三日だから六日間経っているわけで、かなり期間がひらいていて良い感じだろう。そういえば離脱作用と関係があるのかわからないが、前夜の寝入り際にたしか幻聴を聞いたはずだ。幽霊だか精霊だか妖精みたいな不可視の存在がこちらの上に覆いかぶさるというか、すばやく近づいて上から覗きこむようにしながら、正確な文言を忘れたけれど、「こんなところで寝てるの?」みたいな声をかけてきたのだった。もしかしたら、「こんなところで寝ちゃ駄目だよ」みたいな禁止のニュアンスがあったかもしれない。三回くらい連続するとすぐに消えたが、相当にはっきりした幻聴で、自分の頭のなかだけで鳴っている音声や言語とは違い、現実の空間を振動させている声とまったくおなじように聞こえた。統合失調症の人が経験する幻聴というのもたぶんああいう感じなのではないかと思う。
  • それでこのときはせっかく二時間以上もベッドにいたのにだいたい意識が曖昧になっていたものだから、いくらも読み進められず。五時半過ぎで上階へ。料理は両親がやっていたのでこちらはアイロン掛けをした。外にもう残照の色はないが空は雲の一滴も受けず冷たい水色に澄んで明るく、子どもが産まれて殻が欠けた恐竜の卵みたいな月が白く現れはじめていた。仕事を終えるとはやばやと食事。ラタトゥイユというのか、マグロとかジャガイモとかをトマトソースで煮たような料理と、和風の煮物や鶏肉を乗せた生サラダなど。新聞を読みつつ食べる。
  • 夕食後は2020/6/27, Sat.の記述を進めた。七時直前からはじめたのだが、適当なところでいったん切ると八時半に至っていたので、もうそんなに時が経ったのかとちょっと驚いた。それから「英語」記事を音読し、九時で風呂へ。束子で身体を擦ると明らかに肌の質感がなめらかにほぐれる。束子の毛先でちくちくとこまかい刺激を受けることで筋肉が和らぐのだと思われ、たぶん料理のときに包丁で肉を叩いて柔らかくするのとおなじようなことではないか。
  • 自室に帰ると2020/6/27, Sat.をさらに進め、仕上げて投稿したあとは長くベッドで休憩して身体を休めた。一時前から三〇分昨日のことを書いたあと、豆腐とおにぎりと即席の味噌汁を用意してきて夜食を取りながらMさんのブログを読んだ。五月三日および四日分。そうして書抜きである。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)を三箇所と新聞で三〇分。三時を回った。とにかく作業中は基本的に身体の余計な動きを排除し、要するに無駄を減らして不動性を確保すること。
  • 三時半までまた今日のことを綴ったあと、コンピューターを持ってベッドに移り、ウェブを回ったのち、五時二〇分に就寝。


・読み書き
 14:06 - 14:37 = 31分(2020/8/29, Sat.)
 14:43 - 15:21 = 38分(2020/8/27, Thu.)
 15:21 - 17:38 = 2時間17分(ホフマンスタール: 131 - 149)
 18:56 - 20:29 = 1時間33分(2020/6/27, Sat.)
 20:30 - 20:53 = 23分(英語)
 21:50 - 22:13 = 23分(2020/6/27, Sat.)
 24:56 - 25:26 = 30分(2020/8/28, Fri.)
 26:00 - 26:25 = 25分(ブログ)
 26:33 - 27:05 = 32分(バルト/新聞)
 27:06 - 27:26 = 20分(2020/8/29, Sat.)
 計: 7時間32分

  • 2020/8/29, Sat. / 2020/8/27, Thu. / 2020/6/27, Sat.
  • ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年): 131 - 149
  • 「英語」: 268 - 273
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-05-03「身ひとつで捧げるものも他になしこの晴天を生贄とする」 / 2020-05-04「天罰は百科事典の中にこそ求めよさらば与えられん」
  • 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年): 127 - 130(書抜き)
  • 読売新聞2020年(令和2年)6月27日(土曜日)朝刊: 7面
  • 読売新聞2020年(令和2年)6月28日(日曜日): 1面

・音楽

2020/8/28, Fri.

 (……)「きみは、自分が何者であるか、何になる道を選んだかを、そして自分のしていることの重要性を、思い出さなくてはならん。人類の営みの中には、武力によるものではない戦争もあり、敗北も勝利もあって、それは歴史書には記録されない。どうするかを決める際に、そのことも念頭に置いてくれ」
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、42)



  • 一二時過ぎに現世に復活したのだが、例によってからだの指圧に時間を使って一時を回っての離床となった。上階に行き、父親に挨拶。すでに洗濯物を入れてくれたらしい。髪を梳かしたりうがいをしたり、もろもろの身繕いを済ませてからフライパンのカレーをよそって食事(電子レンジの前に立って加熱を待っているあいだ、勝手口の向こうから、蒸気が噴出するかのような蟬の声が撒き散らされているのが聞こえていた)。米ウィスコンシン州での抗議デモに一七歳の男性が発砲したらしく、二人死亡と言う。どうしてこうなってしまうのか。
  • 風呂を洗ったのち、ハーゲンダッツのストロベリー味と緑茶を持って帰室。もろもろ回ったり準備したりしてから、下の英文記事を読んだ。

More congenial to Levi were the anthropologists Claude Lévi-Strauss and Mary Douglas, whose work he translated in the 1970s and early 80s for the Turin publisher Einaudi. Unfortunately his English was not quite up to Douglas’s Natural Symbols; the eminent Italian anthropologist Francesco Remotti was therefore summoned to help with technical terms. In Remotti’s view, Levi himself was an “anthropologist – of the death-camp”. The view has more than neatness in its favour. Levi viewed Auschwitz as a giant laboratory experiment designed to transform the human stuff of mankind. In many ways, he was a writer of ethical meditation in the school of Montaigne, whose work stands as a marvel of luminous reflection on the ways of man. Writing itself was a moral act for Levi; his “crystalline” prose (as Goldstein calls it) served partly as an antidote to the language confusion – Yiddish, Polish, French, Hungarian – he had encountered at Auschwitz.

Toni Morrison’s introduction to this collection, oddly, has a flavour of the “wilful obs­curity” that Levi so distrusted. In solemn academic tones it lauds the Complete Works as “far more than a welcome opportunity to reevaluate and reexamine historical and contemporary plagues of systematic necrology; it becomes a brilliant deconstruction of malign forces”. Morrison speaks of the “Holocaust”, moreover, when Levi had made no secret of his dislike of the term. (“It seems to me inappropriate, it seems to me rhetorical, above all mistaken.”) From the Greek, “holocaust” means a sacrificial burnt offering to the gods: even by the barbarous standards of antiquity, Levi insisted, the Nazi genocide was not a ritual offering of victims.

  • 読むとすでに二時半。それから音読をすることに。最近できていなかったのだが。やはりなるべく毎日英語も日本語も声に出して読みたい。読む際は決して急がず、ゆっくりと、文から感じ取れるものを十全に感じ取れるようにしながら発語していかなければならない。あと動かないこと。結局、全部そうだ。何かをやるときには余計な動きをせずに身体を停め、心身を外部に向かってひらきながらゆっくりと行うことが肝要だ。
  • 歯磨きをしながら読書をはじめた。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)。バックはFISHMANS『Chappie, Don't Cry』。このファーストでは気の抜けたような感じがまだかなり強い。素人感というか。口を濯いでくると臥位になって書見を続ける。「ルツィドール」はやはり語り口や文の推移が初期二作とは明らかに違い、無駄なくきっちりと整っていて、通常の基準で行けばこちらのほうがよほどうまい作品ということになるのだが、困惑させるような奇妙さはまったくなくて、初期と比べると全然普通の小説になっている。それを抜けて有名な「チャンドス卿の手紙」にも入った。四時一〇分で切って"感謝(驚)"とともに着替えると出勤へ。
  • 今日はかなり余裕を持って出発することができた。空気は温まっており、流れるものがあってもなまぬるく、ツクツクホウシは林を満たして騒ぎ立て、路上では干からびかけのミミズが最後の微動を見せている。林の縁の石垣上ではネコジャラシが伸びて、大きな毛虫みたいな穂を明るい緑に染めていた。空はずいぶんすっきりと晴れていて雲はほぼなく、歩いていると前から風が長く厚めに吹いてきて、服と身体を押す感じすらあるが重くはないし、湿気もないようでさらさらしている。
  • 太陽が空の低みにまだ覗き、ときおり道に差し入ってくる時刻である。Nさんの庭のサルスベリが鮮やかなピンク色を誇っている。坂に入れば天然の赤色光が梢を抜けて木の間の空間のところどころを乾いた赤味で彩っており、淡色のひらいたそのなかで木枝の影が陽炎みたいに揺らめいていた。ひらひら宙を戯れるクロアゲハをまたしても目撃。出口付近では陽射しが露わに射しこんで、鬱陶しい恋人のように抱きついてきてひどく暑いし、通りを渡って上る駅の階段でも眩しさが直撃してきた。ホームでベンチに座ったところで五、六分余っていたが、これくらいの余裕があるのがちょうど良い。ベンチは太陽に包まれており、肌を汗で濡らしながらメモを取る。
  • 電車内でも立ったままメモを取ったが、いくらも文字を記さないうちに到着したので、え、もう? と思った。人々が出ていったあとにひとり残り、席に座ってメモを続けるが、さっさと職場に行ってそこで取れば良いかと立って降車した。ホームから階段通路に入るとコオロギか何か虫の声が降ってきて、線路の下を抜けるあいだもずっと続いてやたら響くので、鳥の声と同様に放送で流しているのかと思ったくらいだ。駅を出て裏路地を覗くと、道の先に突き立ったマンションをまさしく描かれた絵に変えてしまう空の青さだった。もうひとつのマンションのベランダでは、鳥よけのCDが揺れてときおり虹色のかけらを生み出す。
  • 勤務。一コマ目は(……)さん(高三・英語)と(……)くん(中三・社会)。(……)さんは九月四日に指定校推薦の確定結果が出るらしいのだが、それで受かってたら塾やめちゃうのと訊いてみると、やめよっかな、と言うので、塾側としては勉強しておかないとって言いますよ、推薦で受かったからって勉強しないと入ってからついていけなくなるって絶対言われますよと向けておく。何も不思議でないことだ。それから実際どうなのか、やっぱりついていけなくなるものなのかと問われるので、こちらはべつにそんなことはないと思うのだが、英語はたぶんどこでも必修であるだろうから、場合によっては大変かもしれないですねと応じ、大学時代のことを話した。大学名は伏せたのだが、こちらの通っていた早稲田大学はもちろん付属校があるのでそこから上がってくる人も多かったところ、彼らのうちのいくらかは英語が全然できなかった。あれは何の本だったか、洋書を順番に読んで訳していくみたいな輪読の授業があったのだけれど、そこで英文をまともに読めず当然訳すこともままならないという人がけっこういたものだ。あれはたぶん付属校でそう労せずして大学に上がれるからあまり英語を勉強しなかったということだと思うのだけれど、そういうことはありましたと語ると、じゃあ英語だけ続けよっかな、と(……)さんは漏らしていた。生徒が通塾を続けるか否かなど本質的にはあちらの自由なのでどちらでも良いのだが、こちらとしてもどちらかと言えば続けてくれたほうが嬉しいし、あとで(……)さんにこの件を伝えたところ、彼女としては(……)さんには講師になってほしいと思っているらしい。それも悪くないことだ。
  • (……)くんは模試の過去問。(……)点なのでよくできると言って良いだろう。歴史の問いを取り上げて、江戸時代の期間や三大改革、分国法などについて説明。日本史ももっと詳しく、きちんと学びたいのだが。(……)くんはコロナウイルスによる一時休業が明けたころに入った生徒だったはずで、そのとき二、三回当たったあとは今日がはじめてだったと思う。物静かで大人しそうな男子で、こちらが説明をしているときにも落ち着かなげに手や足を動かしていることがあったが、一方でおりにふれてこちらの顔をまっすぐ見上げて正面から瞳を合わせてくるときもあった。
  • 後半は(……)くん(中二・数学)、(……)くん(中三・国語)、(……)くん(中二・国語)。(……)くんはいつもどおり。数学は四則計算からはじまる計算問題集を使っているが、分数あたりから本格的にわからなくなりそうなので、そこまでは全部は扱わずにさっさと進めていくことに。一方でワークの確認テストを使って中二の内容も学習していきたい。(……)は、夏期講習の国語は今日が最後で、前回までは文法をやっていたのだが、最後だし文法なんかやってもつまんねえしというわけで、学校で扱うのはまだ先だろうが二学期中にはやるはずだからと魯迅『故郷』を扱った。魯迅のこの作品が日本の学校教科書に載っているというのも、どういう経緯なのだろう。近代中国の、すなわち一九世紀末から二〇世紀前半の清朝から中華民国に移るあたりの作家とか思想家とかも面白そうだし重要だろうとは思っている。
  • (……)くんは九月末で休会の予定なのだが、考え直してもらいたいと話してみてほしいと室長に言われていたので、そのあたりについて提案をした。まずどうしてやめることになったのかと訊くと、部活のあとに塾に来て九〇分の授業を受けると帰って食事を取ればそれだけでもう一一時過ぎにはなってしまい、疲れてもいるのでどうしても眠くなってしまう、それだったら一回六〇分の家庭教師のほうがうまく行くかもしれないと体力的な事情が挙げられた。実際、部活動はだいたい毎日あるはずだし、そのなかで週三日も塾に通うのも大変だろう。そういう事情に加えて本人のやる気の問題もあって結局家庭学習が身につかず成績も上がらないので、これ以上通わせても仕方がないと父親としては考えているのだろう。そうした状況を受けてこちらが考えたところでは、週三回通っているとは言ってもそれぞれ違う教科が一コマずつなので実際大した効能にはならないというか、効果が拡散してしまっていると思われるので、週二コマに減らして一教科に絞ったほうが良いのではないか。家庭教師をやるとは言っても塾と両方やっていけないことはないはずで、ただ家庭教師は週二回の予定らしいので、そうすると塾のほうも週に二コマ取るというのは厳しいかもしれない。塾側としては最悪一コマでもとりあえず継続してくれれば良いだろうが、週にたかだか一コマでは正直大したことにはならない。ただ、あちらがもし家庭教師と塾と両方やってくれるというならば、その二つのサービスをまったく分離させて考えるよりは、二つを調和させて相乗効果を生むように整えたほうが良いはずで、そのあたり両者で教科を分けるのか、それともおなじ教科を扱うのか、おなじ教科をやるとしてそれぞれどういう方式にするのかなど、色々と話し合う余地はあるはずである。家庭教師というのがどういうやり方を取るのかまるでわからないのだが、たとえば英語を例として、あちらが基礎的な文法などを固める方向で行くならば、塾ではひたすら長文を読むというような組み合わせ方だってもちろん可能だろう。そのあたりはより詳しい情報を入手し、また室長と保護者で話し合いを持ってもらわなければならないだろうが、今日のところはひとまず、週二コマか最悪一コマに減らして一教科で通塾という案を保護者に話して意向を聞いてきてほしいと伝えておいた。(……)くん本人としては普通に塾を続けたいと言っているし、こちらとしてもわりと仲良くやっているのでできれば続けてくれたほうが嬉しい。
  • 授業後は室長が生徒の相手などで忙しそうだったのでこちらが代わりに同僚たちの報告を受けた。もうだいたい教室運営側の一員に位置づけられてしまっている。本当はそういう役目を担いたくなどなく、単なる一講師のほうが良いのだが。しかし、残っていた(……)先生が高校数学の解答を作ってくれたというのにお疲れさまですではなくてありがとうございますと礼で応じているあたり、こちらの意識としても室長とおなじ側に立ってしまっているということなのだろう。
  • 今日も帰りは一〇時を越えてしまった。駅に入って発車間際の電車に乗り、最寄りで降りれば月が西空に照っていた。満月から見て三分の二ほどの大きさで、左上が欠けており、白味と黄味がちょうど良いバランスで混ざっているほどの色彩。街道の自販機前で何か買うかと品を見て、いいかと通り過ぎかけたところに「キリンレモン」が目に入ってなんとなく購入する気になり、一〇〇円の缶(三五〇ミリリットル)を入手すると遠回りして帰路を歩いた。空は藍色を含みながらすっきりと明るい。
  • 帰宅するとベッドで休み、零時近くになってからようやく食事に行った。例によってゴーヤの炒め物か何かだったのでは? あとカレーの余りとコンビニの手羽中も食った。そのあと入浴して部屋に帰ると、Virginia Woolf, To The Lighthouseをほんのすこしだけ訳し進める。次回の発表を担当することになったのでその箇所も訳さなければならないが、このときはそうではなくて進行中のところを作った。「けれど私自身としては、ほんの一瞬でも自分の決断を後悔したり、困難を避けて通ったり、義務をなあなあに済ませたりしたつもりはない。このときの夫人の様子は直視するのも恐ろしいくらいだったので、チャールズ・タンズリーについて手厳しく叱られた娘たちは、皿からときおり目を上げながら黙りこくっているしかなかった」という二文を付け足すだけのことに三〇分かかる。それから書抜き。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)と新聞を少々。そうしてベッドで書見しながら休んだのち、長くだらだらと過ごして七時前に入眠した。


・読み書き
 14:07 - 14:31 = 24分(Thomson)
 14:37 - 15:09 = 32分(英語 / 記憶)
 15:09 - 15:19 = 10分(2020/8/28, Fri.)
 15:23 - 16:10 = 47分(ホフマンスタール: 89 - 110)
 25:16 - 25:49 = 33分(Woolf: 5/L23 - L27)
 25:56 - 26:56 = 1時間(バルト/新聞)
 27:12 - 28:28 = 1時間16分(ホフマンスタール: 110 - 131)
 計: 4時間42分

・音楽

2020/8/25, Tue.

 「それを見定めたきみの愛はいっそう強いものとなり、
  永の別れを告げゆく者を深く愛するだろう」

 スローンは視線をウィリアム・ストーナーに戻して、乾いた声で言った。「シェイクスピア氏が三百年の時を越えて、きみに語りかけているのだよ、ストーナー君。聞こえるかね?」
 ウィリアム・ストーナーは、自分がしばしのあいだ息を詰めていたことに気づいた。そうっと息を吐き、肺から空気が出ていくにつれて服が少しずつ皮膚の上で動くのを意識する。スローンから目をそらして、教室内を見回した。窓から射し込んだ陽光が学生たちの顔に降りかかり、あたかも体内から発する灯りが薄闇を照らしているように見えた。ひとりの学生が目をしばたたき、陽射しを浴びたその頬に和毛[にこげ]の細い影が落ちた。机のへりを固く握り締めていたストーナーの指から力が抜けていく。てのひらを下に向け、改めて自分の両手に見入ったストーナーは、その肌の茶色さに、爪が無骨な指先に収まるその精緻なありかたに、驚嘆の念を覚えた。見えない末端の静脈、動脈を血が巡り、かすかではかなげな脈動が指先から全身へと伝わっていくのが、感じ取れるような気がした。
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、14~15)



  • 一〇時ごろに覚め、寝床に貼りついたまま喉や首や腰などを指圧しているうちに一〇時半を迎えて起き上がった。コンピューターを点け、洗面所で顔を洗ったりうがいをしたりしてきてからEvernoteを準備。両親は買い物に行き、ついでに昼食も取ってくるらしい。起きた時点では曇り気味だったはずだが、いまはいくらか陽の色も見え、窓をすり抜けて肌に触れてくる温みがあるのでエアコンを点けた。スピッツ『フェイクファー』を今日も流して昨日のことを書き綴り、一一時半過ぎには完成させて投稿。「日記バックアップ用」のほうにも投稿しておくのだが、いままで検閲済みの文章を投稿していたところ、そもそも検索に用いるかもしれないのだから検閲されていては意味がないではないかと気づき、いまのところ記録してある三日分の記事の検閲を外し、個人名などをいちいち元にもどしていった。塾の生徒の名前も記されているのでもし情報が流出したらたぶん首になるが、情報漏洩が起こったとしてもこちらの責任ではないし、べつに人を殺したわけでもないので本質的には問題ではない。
  • そうして腹が減ったのでものを食うことにして上階へ。芸もなくハムエッグを焼いて丼の米に乗せる。醤油を垂らして液状の黄身を白米に混ぜながらむさぼり、かたわら新聞にも目を通す。食器を片づけると風呂も洗い、緑茶を支度して帰室。FISHMANS『Oh! Mountain』を流して今日のことをここまで短く記した。『Oh! Mountain』のなかに良くない瞬間というものは存在しないのだが、最近は、導入的な"Oh! Crime"を除けば一番最初にあたる"土曜日の夜"がとりわけ格好良いなと思っており、これも弾き語れるようになりたいのだけれど、アコギ一本でこの弾力を出すのは至難の業だろう。
  • それからどうしようかなと思いつつもやっぱりとりあえず日記を書いておくかというわけで、六月二六日の文を進め、一時四五分に至るところでいったん切って洗濯物を取りこみに行った。ベランダに出て吊るされたものを室内に入れていると、柵に取りつけられたシートみたいなものの隅に茶色い塊があるのに気づき、なんだこれと思ったら大きめの蛾だった。わりと大きくて、虫が嫌いな人だったら激しい嫌悪とともにかなり動揺するだろうというほどのサイズがあり、表面の模様にしても色合いにしても、なんかの木の樹皮が一部剝がれてそこに貼りつけられたかのような感じだ。そいつが室内に入ってこないように網戸を閉ざしてタオルを畳むあいだ、外では陽が照って明るい暖色が空間に被せられているけれど、蟬の声はもうあまり分厚く聞こえずカラスのほうが明らかに目立つくらいで、もう夏も終わりなのかと思われた。それにしても今年は夏がよほど短かったというか、曇りの日々がとにかく長くて、一時は二週間くらいほとんどずっと曇り空だった印象があるし、炎天らしい炎天に触れたのも一度くらいしかないんじゃないか。それはこちらの活動開始が遅くて外出するのがだいたい夕方からという事情が大きいのだろうが、炎天に襲われたただ一度の機会というのは八月一一日にT家に行ったときのことである。
  • 帰室するとまた日記に精を出すのだが、数日前からAmazon Musicに「My ディスカバリー」とかいうプレイリストが勝手に追加されており、どうもそれはAmazonのほうで(AIか何か使っているのか)おすすめしてくれる音楽のミックスらしく、そんなもん余計な世話だというかわざわざすすめてもらわなくてもいいっすと思うのだけれど、覗いてみると知らない名前のなかにStevie SalasとかDizzy Mizz LizzyとかBilly Sheehanとか曽我部恵一BANDとか中村一義とかが混ざっているので、意外と悪くなさそうじゃんと思っていたのをここで流してみることにした。一曲目はThe ピーズという知らないバンドの"喰えそーもねー"という曲で、ギターの音などは悪くないが旋律と声と歌詞はそうでもない。二曲目はStevie Salas "Disco Lady"で、思ったほど面白くはない。#3はChar "Bamboo Joint"だが、はじまった瞬間に、これLed Zeppelinじゃんと思った。アコギでやっているのだけれど、『Led Zeppelin』の#6 "Black Mountain Side"とだいたいおなじサウンドだと思うのだが。#5はDizzy Mizz Lizzy "Thorn In My Pride"で、Dizzy Mizz Lizzyってはじめてちゃんと聞いたけれど普通に格好良い。その次はDramagodsという知らないグループの"So'k"という曲で、これがけっこう良かったのだが、検索してみるとNuno Bettencourtのバンドだというのでなるほどと思った。次のPopulation 1というのもおなじバンドの別名らしく、これも良い。さらに続く#8 Mourning Widows "All Automatic"もやはりNuno Bettencourtのグループらしく、なんでそんなにこのギタリストを推してくるのかわからんが、この曲も格好良くて、Nuno BettencourtってExtremeとは違った形でけっこう面白いことやってんなと思った。
  • そういう感じでNuno Bettencourt関連は収穫だったが、ほかはべつにそうでもない。三時過ぎまで日記を書くと書見へ。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)を読了。やはり『鮫』が一番良かったように思う。あとは散文のほう、紀行文などを読んでみたい。自伝である『詩人』というのは以前Mさんにそそのかされてささま書店でゲットしてある。
  • 455: 「目がさめたら、けふも又俺だ!」: 川本真琴 "やきそばパン"とまったくおなじテーマ(「あたし 目が覚めたら今日もまたあたしだった」)。
  • 458: 「ほどらひといふことが ござる/ひとを好くにしても、憎むにも」: 「ほどらひ」: 初見。「(物事のちょうど良い)程度」というような意味だろうが、古語でもあり、大阪や京都や富山方面のことばでもあるよう。
  • 金子光晴のあとはそのままホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読み出す。九月五日に設定されている「A」の課題書。ホフマンスタールという作家を読むのははじめて。ひとまず最初に収録されている「第六七二夜のメルヘン」を読んだが、なんか変な感じで、よくわからん小説。肝心なところで曖昧さが差し挟まり、ご都合主義的な感じもいくらか覚えなくはないのだが、ほかではあまり見たことのない独特の奇妙さがある気がする。ただしだからといって面白いのかどうかは不明。
  • 五時半で上へ。食事の支度。ナスと豚肉を炒め、ブナシメジと母親が買ってきたなんだかよくわからない菜っ葉を合わせて味噌汁にする。父親は元祖父母の部屋で衣類を整理しているらしい。食い物ができるとそのまま食事へ。そうして部屋に帰るとgmailを確認したのだが、そのついでに大層久しぶりでfuzkueの「読書日記」を読んだ。最新の八月一六日の一日分のみ。一応自分も日記を書いている身としてfuzkueの人の試みを応援したいと思って購読しているのだが、実際全然読めていない。購読していればいずれ書籍版が送られてくるので、そちらで一気に読んでも良いとは思っているが。
  • 八時から新聞を二日分移す。BGMはたぶんこのときすでにCharles Lloyd『Rabo de Nube』になっていたと思うのだが、これはあらためて聞いてみるとすばらしいライブ盤だ。#3 "Booker's Garden"が昔から好きで、まだipodを使っていた時代など外出先で聞きながら揺られていたものだが、今日もこの曲のJason Moranのピアノソロに差し掛かると作業を止めて耳を寄せた。いわゆるモールス信号奏法というのか、Sonny Rollinsとかがたまにやるやつで要するにおなじ音をリズミカルに繰り返すだけのことだが、それを中心に据えたソロになっており、展開はよくまとまっていて、最後の大きな盛り上がりからソロの終末に至って一気に抜けていくところなど、気持ちの良いカタルシスというか一種の射精感みたいなものがある。それで新聞写しを切り上げるとAmazon MusicでCharles Lloydのライブ音源を探してはメモしていった。彼の最新作(ではないかもしれないが)としては、Charles Lloyd & The Marvels + Lucinda Williams『Vanished Gardens』(https://music.amazon.co.jp/albums/B07CZRTGDT)というやつを出しているようで、Lucinda Williamsというボーカルはどこかで名前を見たことがある。そのほか、Macy Grayの音源なども記録しておき、九時で入浴へ。風呂のなかでは久しぶりに束子で身体を擦ったのだが、以前と比べて明らかに束子が肌の上を滑るときの感触がなめらかで、これは全身の肉をおりおり指圧してほぐしているからだろう。
  • 出てくると、「これでお別れ」ではじまる八行を繰り返すタイプの詩を久々にいじっていくらか整えた。だいたいのテーマは出揃った感じで、あとはまだ思いついていない部分を埋めることと、こまかな箇所を詰めることと、それらをどういう順番に配列するかが解決できれば完成だろう。詩を四〇分ほど改稿して一〇時半に至ると石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)を書抜きし、さらにGeorge Steiner, "Drawn from silence"(2004)(https://www.the-tls.co.uk/articles/paul-celan-et-martin-heidegger-book-review-hadrien-france-lanord-george-steiner/)をようやく最後まで読んだが、そのあいだの音楽はJason Moran『All Rise: A Joyful Elegy For Fats Waller』とMacy Gray『Stripped』。Fats Wallerとかのかなり古いほうの音楽にも興味がある。Jason Moranのこのアルバムは彼の音楽をうまく現代風に料理しており、けっこう色々な感じでやっていてなかなか悪くない。"Honeysuckle Rose"とか、こんな風になるのねという感じだった。Macy GrayのアルバムはChesky Recordsの人が例のどこかの教会で録ったやつだったはずで、音の響き方はめちゃくちゃふくよかで良くも悪くも特徴的だが、最初の曲のギターソロなど音だけでも気持ち良い。Russell Maloneである。そのほかドラムはAri Hoenigが叩いているし、四月あたりにコロナウイルスに殺されたWallace Roneyも参加している。
  • 歯を磨くあいだの時間でVirginia Woolf, To The Lighthouseの翌日読む部分を確認すると、また寝床に転がってホフマンスタールの続きを読むが、途中、けっこうまどろんでしまった。最初の篇についていえば、召使いの娘が身投げする理由がまるで不明だったり(一応、「あるとき、怒りがとつぜんわけもなく湧いてきたのか」(9)と注釈されてはいるが)、二二ページで宝石屋の隣に温室があることを知ると突発的にそれを見たいという欲求を覚えていたり(「急に温室が見たくなり」)、また終盤でポケットのなかの金貨を探るときにも、「ふいになにやらはっきりしないことを思いついて動きがとまり、おぼつかないままに手を引き出した」(31)と曖昧さがつきまとった書き方をされていて、こういう点に、なんか妙だなという感覚を覚えるものだ。この最後のぼんやりとした手の動きによって宝石店で買ったアクセサリーが地面に落ち、それを拾おうとしたところに馬の蹴りを受けた主人公は結果、死に至って物語が終幕するわけなので、この中途半端な行為は一篇を幕引きにつなげる重要な分岐点であるはずなのだが、しかし彼が「手を引き出した」理由はいかにも不鮮明に記されていて、ご都合主義的な感じがしないでもないと上に記したのはそういうことだ。ただ、この箇所だったらわざわざ「なにやらはっきりしないことを思いついて」などと曖昧な言葉を挟まずに、ポケットを探っているうちにふと飾りが落ちてしまい、とか書けば良いはずで、そのほうがむしろすっきりするようにすら思うのだけれど、どうも不透明な要素が付与されることで妙な手触りが生まれているような気がする。それでいえばこの直前には、馬の「兇暴」で「醜悪な顔つき」を目にしたことで主人公が幼少期に見た「醜い貧乏人のゆがんだ顔」を想起する記述が短く挿入されているのだけれど、これもここに置かなければならない必然性が見受けられず、物語の進行上も、おそらく象徴的意味の上でも何も役割を果たしていないように思われるので、なぜこの描写を入れたのかわからない。
  • そういうなんだかよくわからん感じというのは二つ目の「騎兵物語」という篇でもわりとあって、44から46ページには曹長が村を通っていく際に出くわしたもろもろの人間や動物が列挙されているのだが、それらの描写は写実的観点から見てこまかいわりに現実感の表象を狙っているわけでもなさそうで、やはり変な雰囲気を帯びており、何の出来事にもならずただ騎兵の周りを通過していくのみなので、かなり無意味に近いような印象を覚える。そのすぐあとには曹長が橋をあいだに挟んで自分とまったくおなじ外観の騎兵と遭遇する場面が続き、距離が近くなるとそれは曹長自身であることが判明するのでこれはいわゆるドッペルゲンガーのモチーフである。最初の篇にもこういうホラー風味の、もしくは幻想風味の要素というものは盛りこまれていて、一篇目にあったそれはわりと悪くない感じだったのだが、ただここではドッペルゲンガーはあらわれるや否やすぐに消えてしまって、しかもその出来事がそのあとで何に繋がるでもない。先の44から46にかけての一連の描写は、この分身の出現を準備するような雰囲気を下地として敷くためのものだったとも考えられないこともなさそうだが、そのわりにドッペルゲンガーの登場自体はそれらの描写よりも遥かに短く済まされているし、明らかにこの篇の中心として取り上げられているわけではない。
  • ひとまず二篇を読んでみた段階での感触としては、どちらも篇の中核が見出せず、全体にもやもやと霧がかかったような感じがあり、文体を見てみても詳細ではあるのだけれどそれが力や色や味につながらないようなそっけなさがあり、フラットで、独特の〈静けさ〉をもって淡々と通り過ぎていくような雰囲気だ。それには翻訳も多少寄与しているのかもしれず、日本語の言葉としてわりと整っていると思うのだけれど、独特のリズムと固さみたいなものがあり、意味の推移に必ずしも瑕疵とは見えない〈ぎこちなさ〉めいた手触りが感じられる。
  • 話のつくりとしてうまく丸く完結するのではなく、書いたら書きっぱなしで隙間をひらいたままみたいなところがあるようで、緊密に組み立てて綺麗な形を作り上げようという気配がまるで感じ取れず、だから一面では下手くそなようにも見えるのだけれど、しかしどうもこれは拙劣さというものではなくて、そもそも関心の向かっている先が普通の小説と違うのではないかという気がする。綺麗な形をなさないといって、だからといっていびつな畸形を作っているというわけでもなく、むしろ形があまりないというか、定まった形を見出せない気体みたいな感触が強く、だからまさしく掴みどころがない、という言葉がぴったりなように思う。ほかではあまり触れたことのないような印象を覚えるけれど、しかし明確に面白いかというと疑問でもある。すくなくとも単純でわかりやすい面白さはないタイプの小説ではないかと思うが、それでは複雑でわかりにくい面白さがあるかといってもわからない。
  • 写実性(もしくはロラン・バルトの言う現実効果みたいなもの)に寄与することもないほぼ無意味と思われるような描写とか、ほかの事柄と繋がって集束することのない非完結性とかは、いわゆる「物語」的な約束事の外部を志向してそこにある種の「リアリティ」みたいなものや、(「物語」ではない)「現実」の感覚を与えることを目指して取り入れられることが多いと思うのだけれど、ホフマンスタールの場合はそういうことを狙っている感じもない。「物語」ではない「現実」ってこういう風に割り切れなかったり、奇妙だったり、まとまっていなかったり、説明がつかなかったりするものなんですよ、ということを提示するような気配はたぶんまったくないと思う。
  • 14: 「しなやかな枝を両手でかきわけてうしろにはねのけ、ひときわ木々の生い茂る庭の隅にもぐりこんでゆくと、蔓や小枝の織りなす暗い網目から、青空がしっとり濡れたトルコ石のかけらとなって降ってくる」: 良い。
  • 18: 「(……)言葉につくしがたいものも、すべてことごとくひとつかみの藻屑のようにいずこかへ打ち捨てられ、無みされてしまうかのように思えてきた」: 「無みする」: 初見ではないと思うが、ちょっと欲しい。
  • 20: 「この界隈にふさわしく、かなりうらぶれた店構えで、通りに面した窓には、質屋か故買屋で買いあさってきたようなつまらぬ装身具がところせましと並んでいる」: 「うらぶれた」: 初見ではないがいままで使ったことがないのでちょっと欲しい。/「故買屋[こばいや]」: 初見。「故買」は、「顧客から買い取りや交換を求められた品物が盗品であることを知りながら、その品物を買い取りまたは交換する行為のこと」で、「窩主買い(けいずかい)ともいう」らしい。
  • 「あっさりおいしい」と冠された薄味の日清カップヌードルと豆腐を持ってくると、それらを食べながらMさんのブログを読んだ。二〇二〇年四月三〇日と五月一日。一連の引用。

 差別をめぐって、差別者と被差別者にはいちじるしい非対称性がある。(…)フェミニスト江原由美子が指摘するように、差別者は差別を差別だと認識していない。そのため、被差別者は差別を差別だと認識させるために、あらゆる手立てを尽くさなければならない。この意味で差別批判とは、新しい差別を発見する/発見させる行為である。しかし、いっぽうで差別者からすれば、差別と認定される自身の言動は悪意のない、「普通」「あたりまえ」のことであり、取り立てて問題にする必要のないものでしかない。このように、差別が日常的な慣習と区別されるものではないために、非難された差別者の弁明(「わざとやったのではない」「そんなつもりでいったんじゃない」)は悪質な言い訳や言い逃れに聞こえてしまう。これがさらなる非難を呼び起こしてしまうのは、すでに指摘したとおりだ。
 ここでは近代的な法(刑罰)が前提とする「責任」の考え方がくずれている。差別においては、たいていの場合、差別を差別だと認識していないからである。これにたいして、反差別運動は被差別者が「足の痛み」を感じるかぎり、行為者に「責任」があるとみなしてきた。「責任」があるかどうかを決定するのは、行為者(とその周囲の状況)ではなく、その行為の影響をうけた人物なのである。このように、反差別運動において、法的な「責任」の考え方、責任の成立機制が転倒されたことで、「自律」的「個人」=「市民」による無自覚な、意図せざる差別の「責任」を追及することが可能になった。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.241-245)


 この点にかんして社会学者の北田暁大が興味深い指摘をしている。北田は、近代的な法における責任観を「弱い責任理論」、差別批判における責任観を「強い責任理論」と整理している。北田は「強い責任理論」を「近年日本でも注目を集めている他者性の政治学/差異の政治学/承認の政治学(以後、総称して「ポストモダン政治学」と呼ぶ)といった知的潮流において展開されている他者論・責任論」とみなしている。(…)そして、北田は、「強い責任理論」が反公害運動や反差別運動において重要な役割を果たしたことを認めたうえで、「強い責任理論」を社会的規準として採用することに反対している。北田によれば、「とんでもない責任のインフレ」と呼ばれる状態に陥るのだという。少し長くなるが重要な指摘なので引用しよう。

「何をしたことになっているのか」の定義権を行為解釈者に委ねることによって、水銀をたれ流す企業の行為責任の剔出に成功した「強い」〔責任〕理論は、一方で、指を動かし料理をしただけで「世界の秩序を乱した」ことにされてしまう魔女たちの責任をも承認してしまうのであった。もちろん、こうした魔女たちの災難は、何も宗教的なコスモロジーによって因果関係の知が規定されていた時代特有のものとはいえない。「社会が階級闘争で引き裂かれれば、ユダヤ人が労働者を扇動したと言われ」、「金融危機が起これば、ユダヤ人が金融制度を陰謀でコントロールして危機を引き起こしたと言われ」〔……〕続けてきた現代の「魔女」ユダヤ人のことを想起してもらえばよい。サルトルが『ユダヤ人』で鋭く指摘したように、すべての「悪しき」結果の原因をユダヤ人の行為に見いだす反ユダヤ主義の論理は、原因の除去という「善行」に専心することを鼓舞し、みずからの行為責任への反省を曇らせることとなる。このとき、反ユダヤ主義者たちはあくまで忠実に「強い」〔責任〕理論を己が行動原理として行為していることに注意しよう。魔女狩りを禁じえない責任理論の行き着く先は、無理やりにでも「悪い」出来事の原因を誰かの行為に見つけだし、自らの行為の責任をやすんじて免除する、壮大な無責任の体系とはいえないだろうか。

 つまり、北田は、魔女狩りユダヤ人排斥という不当な論理を排除できないという理由から、「強い責任理論」を、「道徳的行為・態度選択の指針を与える規範理論」としては採用できないと退けている。ところで、そのような「強い責任理論」が「道徳的行為・態度選択の指針を与える規範理論」として採用され、「責任のインフレ」が起こり、「壮大な無責任の体系」が広がっているのが現状ではないだろうか。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.247-249)


 しかし、人間は意図もせず、結果も予見できない行為の責任をとれるものなのか。主観的になんら悪いことはしていないのに客観的には責任があるという考えは、人間は生まれながらに罪を背負うというキリスト教の「原罪」に近いのではないか。先に紹介した鼎談本で、哲学者の千葉雅也がこの点にかんしても興味深い指摘をしている。アダルトビデオ監督の二村ヒトシが「いまインターネット上にあるのは人間の内面ばかり、傷つきからくる怒りばかりだよね。〔……〕しっかりした強さを持っていない者の集団が、社会的な力を持ってしまって何かを攻撃して抑圧しようとしていますよね」と発言したのにたいして、千葉はそのような集団は「ニーチェ」的な「畜群」=「弱者」だと指摘している。「畜群」は「恨みつらみ、ルサンチマンに基づいて群れることで、結果、強者よりも強くなる」という。『道徳の系譜楽』のニーチェによれば、罪は負債であり、道徳には、「負い目」という「負債」を強者に背負わせることで弱者が強者を支配する論理がある。その結果、人間は「自分が有罪であり、罪をつぐなうことができないほどに呪われた存在」となった。
 千葉の指摘を敷衍すれば、差別主義者も反差別主義者もみずからを「足の痛み」を抱えた「弱者」だと相手に提示して、「責任」=「負債」を他者に負わせようとしている、といえる。ポリティカル・コレクトネスが社会を覆う状況にだれもが息苦しさを覚えるのは、「とんでもない責任のインフレ」=「無限の負債」を感じるためである。そのうっとうしさから逃れようと、すべての「負債」を肩代わりしてくれる犠牲の羊(スケープゴート)を探し出し、「魔女狩り」のように「炎上」させ、「自らの行為の責任をやすんじて免除する」ことが繰り返される。
 行為者(の意図や予見可能性)ではなく、行為の結果を中心とする責任理論の転換は、近代リベラリズムにおける無自覚な差別を批判することを可能にした。しかし、いまやそのような責任理論は、マジョリティによるアイデンティティ・ポリティクスに流用され、ポリティカル・コレクトネスをめぐる言説のうっとうしさの原因となっている。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.250-252)


 刑罰理論における応報主義と帰結主義という考え方がここでは参考になる。たとえば、現在の日本では絞首刑による死刑が認められている。死刑とは政府がおこなう場合にだけ認められた合法的な殺人である。政府以外の組織や個人・団体の場合、その執行は認められず、殺人という犯罪とみなされる。つまり、刑罰とは、身体の拘束や財産の剥奪など、本来ならば(通常の市民生活にあっては)犯罪とみなされる行為を、政府が合法的におこなう、というきわめて特殊な制度なのである。この特殊な制度である刑罰を正当化するために、応報主義と帰結主義というふたつの考え方がある。
 犯罪者は自由に行為を選択して法を犯した。それゆえ、犯罪者はその行為に見合った罰を受ける。これは当然の報いである。このように刑罰を正当化する議論は、応報主義と呼ばれる。いっぽうで、刑罰は、ほかの犯罪を抑止するなど、さまざまな社会的利益を期待できるとして、その社会的利益をもって刑罰を正当化するような議論は帰結主義と呼ばれる。
 先に紹介したジョシュア・グリーンらは、刑罰理論における応報主義を修正し、帰結主義的に正当化すべきだと主張している。グリーンらは、「どんな犯罪者の犯行も、さらには我々すべての行為も、自らのコントロールの外にある諸原因によって決定されている」のだから「決定論的世界において犯罪者に対する応報主義的な態度は的外れであり、我々の適切な態度はむしろ憐れみ(と必要に応じた隔離)である」と指摘している。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.254-256)

  • その後は寝床でウェブを回って夜が明けてから就寝。


・読み書き
 11:12 - 11:36 = 24分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 12:30 - 12:47 = 17分(作文: 2020/8/25, Tue.)
 12:48 - 13:44 = 56分(作文: 2020/6/26, Fri.)
 13:57 - 15:14 = 1時間17分(作文: 2020/6/26, Fri.)
 15:16 - 17:31 = 2時間15分(金子: 455 - 469 / ホフマンスタール: 3 - 34)
 19:29 - 19:37 = 8分(fuzkue)
 20:00 - 20:28 = 28分(新聞)
 21:50 - 22:31 = 41分(詩)
 22:35 - 23:09 = 34分(バルト)
 23:10 - 23:47 = 37分(Steiner)
 23:51 - 24:07 = 16分(Woolf)
 24:09 - 26:21 = 2時間12分(ホフマンスタール: 34 - 54)
 26:32 - 26:55 = 23分(ブログ)
 計: 10時間28分

・音楽

2020/8/24, Mon.

 アウシュヴィッツユダヤ人犠牲者は何名だったのだろうか。
 一九四五年二月、「解放」直後から調査委員会を設けたソ連は、ドイツがベルリンで無条件降伏した五月八日に四〇〇万名と発表した。だが、ユダヤ人が何割を占めたかは明らかにしていない。
 ニュルンベルク国際軍事裁判では、ポーランド最高裁判所が提出した四〇〇万名(奇しくもソ連の発表と同数だが)という数字を採用した。だが、この裁判に出廷したアウシュヴィッツ司令官ヘースは、三〇〇万名と証言し、さらにガス殺が二五〇万名、五〇万名が飢餓・疫病・銃殺などによると供述している。ヘースはこの後、ポーランド人民裁判に送られ、一一三万五〇〇〇名と修正している。
 現在、最も信頼されている犠牲者数は、ポーランド国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ歴史研究センター所長フランチシェク・ピーパーのものである。アウシュヴィッツへ各国から強制移送された人びとは、残された移送記録から約一三〇万名で、そのうちユダヤ人は一一〇万名(ハンガリー系が四三万八〇〇〇名)だった。その後、他の強制収容所に約二〇万名(一九四三年までに二万五〇〇〇名であり四四~四五年に集中)が移送されている。したがってアウシュヴィッツでガス殺・銃殺・飢餓・栄養失調・病気・拷問などによって亡くなった人は約一一〇万名と見積もられる。この犠牲者数にはソ連兵捕虜やポーランドなど各国の政治犯も含まれ、彼らは多く見積もって数万名とされる。したがってユダヤ人犠牲者は百数万名ではないだろうか。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、226~227)



  • 九時半ごろに覚醒。窓外で父親がゴーヤおよびアサガオのグリーンネットに水をやっている音が聞こえていた。臥位のまましばらく喉を揉んだり肩や背をほぐしたりしてから一〇時に離床。コンピューターを点け、準備をさせているあいだに水場に行って用を足してくると、瞑想をした。ミンミンゼミの声はやや遠くをうねっており、カラスが何匹か切実ぶったような鳴きを繰り返している。目覚めたとき空は白かったが、陽射しも通ってシーツの白さを濃く厚くするのも見られたわけで、だから瞑想中も一方では肌に温もりが感じられるが、皮膚のうちのほかの場所には涼しげな肌触りもあった。結局、大事なのは皮膚だ。一〇分ほど座って上階へ。
  • 食事はこまかいキノコを混ぜたご飯やナスの味噌汁、前日の天麩羅の余りなど。新聞の文化面には蔭山宏というどこかの名誉教授が中公新書カール・シュミットについての本を出したとあったので情報を読んだ。向かいの母親が言うことによれば、先ほどI.Kの父親がやってきて、ちょっと話をしていったらしい。父親のほうについては忘れたが、Kの母親のほうはやはり同級生であるT.R(漢字がわからない)の実家の八百屋でパートをしているとのことだ。いま、外空間は明るく艶を帯びてきていて、山際を埋める雲は形を持ちはじめ、空もいくらか煙ってはいるものの稀薄な青さをあらわにし、ベランダではタオルやハンカチやパジャマといった洗濯物が光のなかで風に触れられ前後左右に振れ動いており、ものを食ったからからだは熱いがそこまで暑気の濃い日でもなく、涼気の揺らぎもほのかに感じる。晩夏なのだろう。
  • 食器をまとめて洗い、風呂は残り湯がけっこうあったから今日は良かろうと払い、出勤前の母親が洗濯物を入れはじめたので受け取ってタオルを畳んだ。畳みながらなぜか思ったのだが、「わかる」という語は「分かる」とも表記するように区別・分節するという意味をはらんでいるわけで、分割の身振りというのはプラトン以来の西欧的理解形態の伝統だとなんとなく思っていたのだけれど、日本語においてもわかることとは截然と分かつことであるという意識が見られるようだ。ただここで重要なのはやはり、「わかる」が自動詞の形に収まっていることなのだろう。日常的な用法を考えてみても「わかる」の語は「~~がわかる」という言い方で使うことがもっとも一般的だと思われるので、やはり自動詞的な表現である。だから日本語的意識においては、物事がわかるというのはこちらからの働きかけによってその本質を掴むというよりは、あちらが勝手に分かれてその姿をおのずと開示するというようなニュアンスが強いのではないか。こういう言語的様相にはいわゆる「自然」に対する姿勢の特徴があらわれているのかもしれず、そういう話に繋げると例の西洋/東洋(日本)という退屈な一般論に回収されてしまってつまらないのだけれど、まあたぶん一応そういうことはあるのだろう。その差異の根本部分をものすごく平たく述べるならば、日本的文化圏においては「自然」って最終的にはどうにもならないよね、という意識が支配的であるのに対して、いわゆる西洋においては、いや「自然」だってどうにかなるはずだ、どうにかしなければならない、というような積極性が顕著だということなのではないか。
  • 「わかる」と同種の言葉としては「理解する」という表現があり、ここに使われている「解」という字は「とく」とか「ほどく」とかとも読むわけだから、やはりもつれあってこんがらがっているものを正しく分離して明確な形と領分に収めるというような分節の意味が含まれているだろう。ところで西洋語において「わかる」「理解する」にあたる言葉としては英語の"understand"が真っ先に思いつくけれど、そういえばなんでこの語はunderstandなのだろうなと思った。underを副詞的な意味で取るなら何かの下に立つということになるだろうし、前置詞的な意味合いで取るなら何か立っているものの下、みたいな事柄を指すと思うのだが、いずれにしても英語的にはやはり何かを理解するというのは物事の基盤をなしている領域を見出し、そこへと赴くことなのだろうか、だとすればそれは、これも紋切型ではあるけれど表層/深層の二元論と繋がっているだろうし、そもそも西洋においては物事は全般的に垂直的複層構造として捉えられているのか? とかつらつら思った。ところが帰室してからunderstandの語源を検索してみると、underというのはもともとは(ゲルマン祖語においては)「~のあいだに」という意味だったらしく、だからunderstandは「~のあいだに立つ」というのが原義だったというわけで、とすればここでもやはり明確に分割の振舞いが見て取られることになるだろう。何かと何かのあいだに立った人にとっては、その左右において前者と後者が明らかに区別されるはずだからだ。
  • 今日のことを一時間書くともう一二時半前。それから昨日のことももう一時間綴って完成させ、さすがに眠りが足りないようで疲労感が重かったので寝床に転がってからだを休める。本当は仮眠を取るつもりだったのだが、横になってみると意外に瞼が下りないので三時までだらだら過ごし、それから豆腐とキノコご飯の余りを持ってきて腹を満たしつつウェブを閲覧した。そうして四時に至ったところで書抜きをはじめたのだが(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年))、やはり意識とからだ全体がまとめて痺れるような感じだったので、眠らなくては駄目だなとすぐに切り上げてふたたび臥位になり、FISHMANS『ORANGE』の流れているなかで眠りを確保した。横になったときには#5 "MELODY"が流れており、その次の"帰り道"までは耳に入った記憶があるが、その後はきちんと意識を失えたようだ。気づけば五時半に至っていたので、一時間ほど休むことができた。
  • 七時直前の電車で労働に行かなければならない。米だけは炊いておこうと思って上階に行くと台所には餃子やゴーヤ炒めなどができていたので、父親がやってくれたらしい。もう行くのかと訊いてくるので七時前に行くと答え、米を三合半磨いで炊けるようにしておき、帰室するとここまで記述。現在六時三分、FISHMANS『空中キャンプ』を流している。出るまでのあいだで何をしようか。
  • 書見しながら脹脛をほぐすことに。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)である。この編纂詩集を読んでくる限り、金子光晴には気の抜けたような詩篇もわりとあるのだが、鋭く整った作品もけっこう見られて、とりわけラブソング的な、要するに女性への愛情や恋愛関係などを歌ったものにはやはり佳作が多いように感じられる。感傷的なリリシズムと言ってしまえばそうなのだろうけれど、しかし決してそれだけに終わらない、もしくは「感傷的なリリシズム」を徹底したがゆえにそれがひとつの鋭さにまで至っているような、ひりつくような硬質の叙情性みたいなものを感じさせる恋愛詩が魅力、という印象だ。このとき読んだなかでは『風流尸解記』から収録された二篇がわりとそういう感じだと思うし、読んだのは昨日だが『愛情69』の最後、「愛情69」という表題作もなかなか良く、これらの三つは全篇書き抜くつもりだ。ちなみに「尸解[しかい]」ってなんやねんと思っていま調べてみたところ、「仙術によって、肉体を残したまま、魂だけ体外へ抜け出ること」という説明が出てきて、Wikipediaの「仙人」のページにも、「体道者が肉体の死を迎えた時、蝉や蛇の脱皮のように魂魄が死骸から脱け出て、後日その肉体を取り戻しにくる。そのため棺などから死骸は消失するとされる。死骸の消失にあたり、衣冠・仙経・刀剣・竹杖などを残すとされている」という記述が見られる。
  • 六時三六分まで書見したのち起き上がり、FISHMANS "感謝(驚)"をスピーカーから吐き出させながら着替え。曲を途中で停めるのが忍びなくて最後まで聞いているうちに意図よりも時が流れてしまい、しかも上階に行くとなぜか途端に便意を催してトイレに行かずにいられない。便器に腰掛けて糞を垂れつつ午前のことを、つまり「自然」に対する態度の文化的差異みたいなテーマを思い出したのだが、いわゆる西洋文明が「自然」を対象化してそれに働きかけ、コントロールする技術を築き上げてきたみたいなことが語られるとき、そこで言われる「自然」はだいたい「人間」と向かい合わされたもので、要するにそこでは主体/客体の図式が採用されていると思うのだけれど、しかし西洋の人々は、「人間」だって(その身体や意識の動きだって)ひとつの「自然」(すなわち世界)だということを考えなかったのだろうかと疑問を抱いたのだった。そして、おそらくは考えたのだろう。だからこそたとえば心理学とか精神分析とか、あるいは生物学、解剖学、神経科学とかそういったものが開発されて発展していったのだろうし、それは二〇世紀を待たずとも(すくなくとも近代以降においては)一九世紀や一八世紀くらいにはたぶん萌芽が見られたのだと思うし、いわゆる医学の分野などを考えるともっと以前からそういう視線はあったのかもしれない。ただ、「人間」を「自然(世界)」として捉えると言ってもそれにも色々な形や精神性があるような気もしており、そのあたりもうすこし具体的に調べ考えてみなければならない事柄ではあるだろう。
  • 便所を出ると電車まですでに六分か七分くらいしかなく、これは走らなければ間に合わないが汗をかきたくないなと思いながら玄関を出たところ、もう暗い道の向こうから二つ目を白く光らせて来る自動車があり、それが母親のものらしかったので、ちょうど良い、送ってくれるよう頼んでみようと思って駐車場に入ってきたところに近寄れば、窓を開けたあちらのほうから自発的に送っていこうかと言ってくれたので、渡りに船と依頼した。助手席に乗りこんで、意外と遅くなってしまって走らなければもう間に合わないのでと説明する。今日も仕事は大変だったらしく、輪投げをしていたところ、ほかの子が成功しているのが気に入らなかったらしいひとりがキレてしまい、「猿みたいに」ギャーギャー騒いで苦労したようだ。こちらは、髪を切りてえ、なんか新しい髪型試したい、などと返しながら運んでもらう。
  • 職場のそばで礼を言って降り、出勤して労働。授業始めの号令を任されることがわりとあって今日もやったのだが、多人数の前に立って衆目を浴びるというのはいつになっても慣れないもので、と言って昔に比べればよほどうまくこなせているけれど、それでもまだやはりいくらかは緊張するらしく、言葉を発しながら顔がすこし熱くなるのを感じた。授業の相手は(……)さん(高三・英語)と(……)さん(中三・国語)。(……)さんは語彙も文法も基礎がまだまだ。前回と前々回の授業日を休んでいたので理由を訊いてみると、偏頭痛を持っていて頭痛がひどかったからと言った。(……)さんは模擬の過去問を扱ったが、まあそこそこ壊滅的という感じで、たぶん評論文など全然意味がわからないだろうと思う。それですくない解説時間で論説を確認したのだが、これは愚策だった。それよりも『伊勢物語』について扱った大問五か、普通に小説を取り上げた大問三に触れたほうが良かっただろう。評論文など本人もたぶん全然興味がないだろうし、それならまだしも面白味を感じられるかもしれない物語の力を借りるべきだったのだ。
  • (……)マネージャーが来ていたので少々やりとりを交わす。そうして退勤し、駅に入ってベンチで書見。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)。労働のためにからだが渇いて息苦しかったので、クソマスクなんかつけてられねえと思って顔から外し、まったく涼しくないこともない夜気を吸う。線路の向こうの暗闇からはタンバリンでも振り鳴らすような、柔らかな鈴の音めいた虫声が頻繁に、定期的に立つけれど、あれはコオロギなのか何なのか知らないが明確に秋の虫のものである。
  • 最寄りに着くと例の独り言の老女がいたが、今日はなぜか独語を発してはいなかった。あるいは小さな声で呟いていたのかもしれないが、横をゆっくり通った際にそんな気配も感じられなかった。階段通路の蛍光灯に群がる羽虫はもはやなく、葉っぱの端からちぎれた屑のようにこまかな虫がいくらか宙をうろつくのみだ。木の間の坂道に入って下りていくあいだ、薄暗闇に抱かれた周囲の草木に目を向けながら、俺の目ももう相当悪くてこのあいだ本屋に行ったら棚の本の題もよく見えなかったくらいだし、この樹々も本当はこれよりもっと鮮やかで肌理がこまかいんだろうなと思い、視力という肉体器官的な問題ひとつで対象の見え方が変わってしまうのなら、客観的な世界の様相っていったいなんなんだろうな、そんなもんないんじゃないかと考えた。一応西洋哲学の系統ではこちらが日々見聞きしてその変化を感じ取っているこの現象世界とは超越的な領分にある本質世界の仮象 - 表象であり、その「超越的な領分にある本質世界」をたとえばプラトンイデアと呼び、カントは物自体と呼び、ラカン現実界と呼んだという風にこちらは理解していて、これはきちんと文献に当たって学んだわけではなくていつの間にかなんとなく身についていた知識なので、このような認識がそもそも哲学史的に本当に正しいのか否かわからんのだけれど、一応それに沿って上の三者の概念が共有している意味を取り出してみると、ものすごくひらたく言って「イデア」も「物自体」も「現実界」も「この世界の本当の姿」をあらわしていると理解して良いんじゃないか。で、カントとラカンは知らないけれどすくなくともプラトンにおいては、「イデア」というのは絶対不変の真実体であってそれがすべての本質であり、人間が感覚している現象世界の物事はすべてそれの影か分身のようなもので、その水準では世界は常に変化して見えるけれど実はそうではなくてその本質は不変なのだ、という話にたしかなっていたと思う。この帰路で草木を見ながらそのことを思い出したのだけれど、そこで、現象世界の背後もしくは向こう側にあると言われる本質の世界だって、固定された不変のものではなくて常に変容してやまないものなんではないかと思ったのだった。特に根拠はないのだが直感的には、この世界の本当の領域、すなわち真実の様相は不変だとか言われたって、そんなわけねえじゃんとこちらは思ってしまう。そもそも「イデア」とか「物自体」の世界もまた、中断することのない変容体なのではないか? もともと中断することのない変容体としてある世界を、人間の知覚器官や言語的意識などが第二の中断することのない変容体として捉えており、だからこの世界は二重の変容体なのではないか? とか思ったわけだ。そうした思考を正当化する根拠は特にない。ただこの地点でもしかしたらニーチェが手招きをはじめるのかもしれないという気はするし、また仏教が言うところの「無常」もそうした意味で捉えなければならないのではないかとも思う。というか、仏教の本など読んだことがないのでわからないのだが、もしかすると「無常」とか「空」とか言われているのはもともとまさにそういう意味だったのではないか?
  • そういうことを考えながら帰宅。やはりまだ暑く、服の内には汗が溜まっている。シャツや肌着や靴下を脱いで始末し、帰室するとベッドで休みながら書見。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)。三〇分ほど読んで一一時を越えると食事へ。母親によれば、父親が蟬の交尾の様子と、サルノコシカケに生えたキノコが胞子を発散している様子を動画に撮ったとか言う。新聞を読みつつ餃子やゴーヤ炒めやナスの味噌汁などを食い、皿を洗ったあとに胡瓜を切ってパックに入れておいた。風呂を出たら茶を飲みながら味噌をつけて食おうと思っていたのだが、いまこの部分を書くまで胡瓜を切っておいたことを完全に忘れ去っていた。
  • 入浴中になんか知らんが詩の萌芽のようなものが訪れたので、上がって茶とともに部屋に帰るとそれをひとまずの形に収めた。まだこれで完成ではないつもり。いままで作りかけの詩片は毎日の日記の下部にいちいち写しておき、気が向いたらいじるという風にしていたのだが、「詩: 進行中」というノートを作って全部そちらにまとめておくことにした。一応なるべく毎日このノートをひらくだけはひらくことにして、気が乗ったときに書き足していきたい。

  汽水域

 
 生を生きて死を死ぬと言って
 思っていたほどきちんと区切られたもんでもなくて
 生が尽きたらそこでばっさり切り落とされて
 あの世にさっとワープできるわけでもなさそうだ
 その前からだんだん空気に死の粒子が混ざりはじめて
 生の原子は溶けて霧散し
 世界が稀薄になっていくけど
 たぶん死んだあともいくらかこの世の残り滓がついてくるんだと思う
 汽水域では何よりにおいが変わるね
 衛生的で
 なおかつ慕わしいような
 森の獣が吐く息のような
 あの夜のあの人の肌よりもおさないような
 記憶を投げ捨てた朝のような
 そんなにおいがひどく香り立つもんだから
 よくわかるんだ どうやら俺も
 そろそろ死んじまうみたいだなって

 俺もまあ曲がりなりにも何十年か生きてきて
 どれだけ生きたんだったかもう忘れちまったけど
 大して何も見てこなかったし
 大して何もしてこなかった
 したことといって食って歌って糞をひって
 あとたまに口づけを交わしたくらいで
 それだけできりゃだいたい満足だった
 俺の発生からいままでに
 世界は果てしないほど変わって
 ほとんど別世界になったくらいだが
 それだってどうせこの世界であることに違いはないし
 根っこのところは大して変わっちゃいないんじゃないか
 人の心も
 女の笑顔も
 うまい飯とまずい飯があることも
 誰も利便性に勝てないことも
 糞馬鹿どもがいいやつをみんな殺しちまうことも
 音楽と踊りが最高だってことも
 たぶん五千年前からずっとおんなじなんだと思うし
 五千年後だってきっと
 奴隷は権力者の靴を舐めたり
 ケツの穴を舐めたりしているんだろうし
 恋人たちは唇と唇で平等を気取って
 それからつぶれるくらいに顔を尻に押しつけて
 相手の糞の穴をやっぱりべろべろ舐めてやる
 そういうことが好きなやつだってきっとまだまだいるんだろうさ

  • ここ数日でこしらえた未完の詩断片をTwitterに流しておいてから、FISHMANS『LONG SEASON '96~7 96.12.26 赤坂BLITZ』とともに今日のことをここまで書けば午前三時。明日は休日。すばらしい。休みはいつだってすばらしい。なるべくはやく一年中休日である世界が来てほしい。
  • 台所に上がって胡瓜に味噌を添えたり即席の味噌汁を用意したりしながらちょっと思ったのだけれど、流れることと流されることとはおそらくまったく別種の事柄で、我々って流されることのほうはいつでもどこでも大得意というか、むしろたぶん普段はほとんどそれしかやっていないのではないかと思われるくらいで、それに対して流れることとはきっと高度に主体的な振舞いであり、そのためには熟慮された方法論と、成熟にいたるまでに涵養された感覚的繊細さとが必要なのではないか。たぶん我々はだいたいの場合、流れを見極めることも見定めることも掴むこともちっともできていないのだと思うし、だとしたら流されることから逃れて流れることなど、当然できるわけがないだろう。
  • 部屋にもどるとGeorge Steiner, "Drawn from silence"(2004)(https://www.the-tls.co.uk/articles/paul-celan-et-martin-heidegger-book-review-hadrien-france-lanord-george-steiner/)を読んだ。この記事もなかなか読み終えることができない。パウル・ツェランも読まなければならないといけないなあとは思うし、マルティン・ハイデガーという人間も、ナチズムへの関わりをもちろん含めてやっぱりとんでもない人間なんだろうなあと思う。その仕事の徹底性と卓越性というのはきっと気違いじみたものなのだろうし、彼のような人間がナチズムに加担するに至ったことの意味というものは考え尽くすことができない問題だろう。Uくんによれば西谷修の『不死のワンダーランド』がそのあたりについて多少扱っているらしいのだが。

(……)If the quotation is to be trusted – we lack independent corroboration – Celan, not long before his death, denied Heidegger’s notorious obscurity, as he denied that of his own poems. On the contrary, by seeking out its roots, by restoring to single words and even syllables their numinous, primordial energy, Heidegger had restored to language “its translucency, its clarity” (“sa limpidité”). Celan concurred with Heidegger’s emphasis on the functions of language which are “nomination” (the Adamic trope) and “unconcealment” (aletheia). Yet if phenomenological “visibility” was crucial (das Reden Sehenlassen), as Celan underlined in Sein und Zeit, audition, the capacity to hear what is at work within language that transcends human communicative utility”, may be even more important. Celan underlines, in Heidegger’s Introduction to Metaphysics, the pre-eminence of language over that which it designates: “It is in the word, in the saying that things come into being”, a virtual paraphrase of Mallarmé. In Heidegger’s Why Poets, Celan underlines Heidegger’s pivotal creed: “Language is the sanctuary (templum), which is to say the house of being … Because it is the house of being, it is by constantly passing through this house that we reach that which is”. And in the Letter on Humanism, Celan selects for emphasis what could well be the motto of his own poetics: “Language is the illuminating-concealing advent of being itself’.

  • その後、四時半からSさんのブログをちょっと読んだあと、音楽を聞いて眠ることに。FISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)とBrad Mehldau, "From This Moment On"(『Live In Tokyo』: D2/#3)の二つを聞いたのだが、しかしもう明け方でやはり心身が鈍っているのか、どうも音楽がうまくからだに響いてこず、永遠の名演である"感謝(驚)"に耳を傾けても今日はあまり反応が起こらなかったので、あれ、いままでこの音源をたびたび最高最高言ってきたけど、もしかしてそんなに大したことのない音楽だったのか? という疑いすら兆してしまったのだが、たぶんこちらの調律が整っていなかっただけだと思うし、アウトロのビートなどには多少こちらを巻きこんでくる感じがあった。Brad Mehldauのほうもあまりうまく音が見えなかったというか、入ろうとしてもなかなか入れないというか、視線が定まらず曖昧に霞んでしまうようなところがあって、やはり単純に眠かったのだと思う。それで音楽鑑賞は切り上げて、五時から一〇分瞑想をして眠った。
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)、373: 「いつの時代にも女の人は、そのときのはやりを身につけて、/変身[メタモルフォーゼ]しながら、ほのぼのとした肌あかりで存在の中心部をうきあがらせてみせた」: 「(ほのぼのとした)肌あかり」: 良い。欲しい。
  • 442: 「炮烙[はうろく]いろの焼石」: 「炮烙」: 初見。「焙烙」とも書くよう。「低温で焼かれた素焼きの土器で、形は底が平たく縁が低い」(Wikipedia)。また、辞書的には「1 あぶり焼くこと」および「2 中国古代、殷 (いん) の紂王 (ちゅうおう) の行った火あぶりの刑。炭火の上に油を塗った銅柱を渡し、その上を罪人に歩かせ、足を滑らさせて火中に落としたというもの」。
  • 446: 「うつりゆくものの哀れさも背[そがひ]に/盲目のごとく、眠るべし」: 「背[そがひ]」: 初見の読み。通常、「背向」で「そがい」と読むらしい。万葉集などに出てくる古語。どこかで使えるかもしれない。


・読み書き
 11:23 - 12:22 = 59分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 12:23 - 13:21 = 58分(作文: 2020/8/23, Sun.)
 16:05 - 16:18 = 13分(バルト)
 17:52 - 18:04 = 12分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 18:04 - 18:36 = 32分(金子: 370 - 398)
 18:40 - 18:45 = 5分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 21:55 - 22:14 = 19分(金子: 398 - 423)
 22:36 - 23:09 = 33分(金子: 423 - 455)
 24:20 - 25:20 = 1時間(詩)
 25:34 - 27:02 = 1時間28分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 27:12 - 27:20 = 8分(作文: 2020/8/24, Mon.)
 27:22 - 27:55 = 33分(Steiner)
 28:31 - 28:42 = 11分(ブログ)
 計: 7時間11分

・音楽
 28:43 - 29:00 = 17分(FISHMANS / Mehldau)

2020/8/23, Sun.

 一九四五年一月一二日、アウシュヴィッツ方面に攻勢を開始したソ連軍は、二七日騎兵を先頭に同地を占領した。すでに前年七月二三日マイダネク絶滅収容所を解放していたソ連軍は、西側連合軍よりかなり早くナチスの収容所に入ったことになる。
 ソ連軍は到着時、アウシュヴィッツ全体で七六五〇名の生存者を確認している。ほとんどが病人で、この後に亡くなった人も多く、二月六日にポーランド赤十字部隊が調査したときには、生存者は四八八〇名になっていた。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、224)



  • 一時半前まで寝坊。九時間近くの長い滞在になってしまった。今日の空気はあまり暑くはない。上階に行って中華丼の素を混ぜた野菜炒めと米などで食事。新聞の書評欄にいくつか興味を惹かれる著作あり。村田沙耶香黒田夏子の『組曲 わすれこうじ』を取り上げていた。テーブルの向かいで母親が父親について、せめて週に二日か三日はまた働いてほしいよ、毎日家にいても、と愚痴を漏らして、クソどうでも良いし知ったこっちゃねえという話なのだが、続けて母親は、本人の好きにさせろ? とこちらの考えを予想して言ってくるので、まあまさにそのとおりなんじゃないかと返答した。そもそも一応いままで四〇年くらい働いてきて家庭を経済的に支えてきてくれたわけだし、半年だか一年だか知らないがしばらくちょっと休憩しようと思ったとしても何も不思議なことはなく、それを横からまたすぐに働け家にいるなと要求するのは単なる母親のわがままの押しつけなのではないか。そういう要望を伝えること自体は良いとは思うが、それにしたって言い方とタイミングがあるわけだし、父親当人の身になって想像してみるに、長いあいだ働いてきて引退を迎え、ちょっとほっと一息ついてしばらくのあいだゆるやかな生活をしようかなと思っていたところに、また働け働けとやいやい言われたら、普通に考えて不快になるのではないかと思う。その程度の配慮にも思いを致すことができないのだろうか、という疑問がまずひとつこちらにはある。加えて、なんで家にいてほしくないのと尋ねてみたところ、だってもったいないじゃん、まだ六二なんだから全然働けるじゃんという返事があったのだが、経済的な問題を措けば労働するか否かなど完全に本人の勝手にすれば良いことだとこちらは思うし、生き甲斐がどうの、充実感がどうの、家にいても張り合いがなくてどうのと母親は言っていたが、それは母親個人の経験にすぎないわけで、父親が張り合いを失っているかどうかはわからないし、今現在、畑仕事などをやることに充実を感じているという可能性だって普通にあるだろうし、それにやっぱり労働の場で社会との関わりを持ちたいなとか本人が思ったら、周囲が言わずともまたおのずと働き出すだろう。こちらの見るところでは、もったいないじゃんとか、張り合いがないじゃんとか、父親当人の生を慮ったかのような理由を母親が挙げるのは単なる建前に過ぎず、実際のところは毎日長い時間顔を合わせていると鬱陶しくてストレスが溜まるというだけのことだと思うので、そうなんでしょ? と訊いてみたところ、それもある、と母親は明確に認めはしたものの、こちらの感じではそれもある、などではなくて、明らかにそれがほとんどすべてであり、すくなくとも理由のうちの中心部分を占めているように見えるのだ。だったら普通にそう言えという話で、そこを隠してもったいないだの何だのと、まるで他人を気遣ったかのようなもっともらしい言辞を弄することの欺瞞性にはやはりいくらか反感を覚える。べつにいつでもどこでも欺瞞を排さなければいけないとは思わないのだが、こういう形での欺瞞はなんか良くないものだという感じがしてわずかながら不快である。母親はまた、どこの家もそうなんだろうねと言って知り合いの宅のことをいくつか挙げてみせたが、まあ確かに定年後に時空をともにすることが増えて互いにストレスを感じる家庭というのはわりと多いのだろうとは思うけれど、それも知ったこっちゃねえというか他家のことなど本質的にはどうでも良い話だし、どの家庭であれそういうなかでうまく折り合いをつけてやっていくほかないのだから、いつまでも愚痴ばかり漏らしていないですこしはそれにふさわしい言動とか関係の持ち方とかを身につければ良いのではないか。それが嫌ならさっさと別居か離婚をすれば良いだろう。生活のおりおりで両親のやりとりを見ていて思わざるを得ないのは、なんでこの人間たちは人間としての関係の作り方がこんなにも未熟で下手くそなのかな? という疑問にほかならず、いままでの人生でそういうことを経験し考えてこなかったのだろうかと不思議でならないのだけれど、とりわけなんというか、対立を装いながらその実おざなりの態度で馴れ合っているというのがこちらからするとほとんど生理的に気色が悪い。つまりなんか口論的なやりとりをしたあとに(それは大概、母親の言葉に父親が不快を催して高圧的な態度を取るという形であらわれるのだが)、まるでそれがなかったかのようにすぐさまべつのどうでも良い事柄に移って笑い合ったりしているというのがこちらにはいかにもグロテスクに映るわけだ。だからすくなくとも父親に関して言えば、彼のなかでは不機嫌そうに振る舞うこととなんかどうでも良いことで笑うことの二つがそれほど遠く離れていないというか、そのあとに尾を引くような真正の怒りを感じない程度のささやかな事柄についても高圧的に振る舞わずにはいられないという事態が観察されるように思われるのだが、そんなにカジュアルに他人を抑圧しないでほしいと思う。母親も含めて彼らには単純に相手としっかり話し合って問題をわずかなりとも良い方向に進めていこうという気持ちがどうもないようで、いつでも事柄をなあなあに済ませて、対立と調和、不快と肯定を綯い交ぜにして放置したまま、怒りを発露したと思ったら次の瞬間にはもうへらへら笑っているわけで、この非生産的な停滞感と来たらまったく度しがたいものだ。端的な話、喧嘩するならちゃんと喧嘩してほしいし、対立するならきちんと対立してくれたほうがこちらにとってはまだマシである。彼らはたぶん対立することがとにかく面倒臭いのだと思うけれど、そのくせしてすくなくとも父親のほうは夫婦としての自覚と(ことによると)誇りめいた感情すらそこに持ち合わせているようで、しかしそんな風に、ひとつの人間個体としてきちんと対立することすらできず怠惰かつ怠慢に互いにもたれかかった関係が「夫婦」と呼ばれているものの一般形態なのだとしたら、人類などさっさと滅んでプランクトンあたりからやり直したほうが良いのではないか。
  • 食後、皿洗いと風呂洗いをして緑茶を持って自室へ。スピッツ『フェイクファー』を今日も流し、前夜に仕上げた六月二五日の記事を投稿。その際、noteに投稿するのがなんか面倒臭くなって、もういいかと思ったのでnoteへの投稿はやめてはてなブログに一本化することにした。そもそもnoteに日記を公開しはじめたのははてなブログとは違うメディアにも進出して読者層を広げていこうかなと思ったことがひとつ、また複数の箇所に投稿しておくことでバックアップとしても機能するだろうと考えたことがひとつなのだが、読者など大して広がりもしないし、広がらなくてもべつに良いだろうといまでは思うし、バックアップにしても非公開のはてなブログをもうひとつ作って日記はそこに記録しておくつもりだ。それなのでnoteはもはや用済みとしておさらばすることにしたのだが、一応いままで読んでくれた人へのお知らせは残しておこうというわけで一文したため、「雨のよく降るこの星で(仮)」のURLをそこに紹介しておいた。それから「日記バックアップ用」というブログも作って六月二五日分をそちらにも投稿。Evernoteに保存されてある日記はぜんぶそちらにも記録しておこうと思うのだが、面倒臭いのでおいおい、徐々にやれば良いだろう。
  • それから手の爪を切ることに。『フェイクファー』の終盤が流れるのを聞き、また歌いながら指先を整え、スピッツが終わると今日もFISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)をリピート。佐藤伸治の声と歌唱の軽さ、つまり感情や感傷の重力から大部分逃れている感じというのはやはり特筆物なのだろう。たとえば「yeah」とか言ったりシャウトしたりしても、彼の場合はそこに感情とか歌い手の内面とかがまるでまとわりついてこない感覚がある。そういう意味での、浮遊的で、これ以上なく〈軽薄な〉歌声。
  • 爪を切ったあとはなんか思いついていたので、詩の断片をちょっと作った。なんかやたらラブソング風の、それこそ感傷的なものになってしまった。冒頭はスピッツ "スカーレット"に「離さない 優しく抱きしめるだけで/何もかも忘れていられるよ」という一節があって、それを受けたもの。爪を切っているあいだにこの曲が流れて、それでなんとなく言葉が浮かんできていたのだ。これで完成ではなく、もうすこし何か付け足して形にしたいとは一応思っているが、まあ最終的にはどちらでも良い。

 君をやさしく抱きしめるだけで
 何もかも忘れていられる
 そんなことがあるわけなくて
 苦痛も、羨望も、迫害のことも、処刑のことも
 忘れてなんかいられないけど
 だからってぼくらの関係が偽物だなんて
 誰かが宣言できるはずもないだろう
 抱き合ったところでからだひとつ分け合うこともできやしない
 そんなぼくらがともに持てるのはことばくらい
 だけどたとえば、「大嫌い」でも、「月が綺麗ですね」でも
 「スパゲッティ食べたいね」でもなんでもいいけれど
 ぼくらが分かち合えるのはことばのおもての紋様までで
 その意味となればいつでも出会えずすれ違ってばかり
 だからこそ、この世は成り立って地球はとまらず回るわけだし
 そのなかでぼくらもなんとかやっていくことができるんだろう
 だからからだを混ぜ合う必要なんてどこにもないし
 肩と肩とで寄り添う必要だってない
 血色の悪い手なんかお互い握らずに
 拳四つ分くらいの距離をあけながら隣に座って
 一緒に歌でも歌えれば
 それでもう最高なんじゃないか

  • それから"感謝(驚)"がひたすら繰り返されるなかで今日のことを記述して五時半前。
  • 上階へ。料理は両親がやる様子だったのでこちらはアイロン掛けをする。テレビは『笑点』。24時間テレビとかいうわけのわからない番組の一部として生放送をしているらしい。ゲストとして佐々木希が出演し、テツandトモと一緒になって跳ねたりなんだりしていたが、特に面白いことはない。その後の大喜利では、24時間テレビのテーマが「動く」という言葉らしく、冒頭の自己紹介で噺家たちは「う・ご・く」をそれぞれ頭文字として一句作るように求められていたが、トップバッターの三遊亭小遊三が「美しい御婦人方が首ったけ」という句をこしらえて、「首ったけ」なんていういくらか古いような(昭和のにおいのするような)言葉を使ったのはちょっと良かったし、内容としても彼自身のキャラクターに合致していて悪くなかった。ほかには特に面白い点はない。
  • アイロン掛けを終えるとシャツなどを両親の衣装部屋に運んでおいてから帰室。隣室からアコギを持ってきていじりはじめ、しばらく適当に遊んでから、スピッツ "センチメンタル"を弾き語れるようにするかというわけで音源を聞いて音を取りはじめた。「聞々ハヤえもん」とかいうフリーソフトがあって、これは音源の再生速度やピッチも変えられるし一時停止・再生・巻き戻しなどの操作も簡単にできるので、ソフトウェアフォルダに残っていたこのソフトを使ってコピーすれば良かろうと思ったところが、Amazon Music Unlimitedのサービスでは音源のダウンロードはできないらしい。あるいは、いまは試用期間中なのでできないということだろうか? ともかくデータがダウンロードできなければ「ハヤえもん」で再生することはできないわけで、仕方ないとブラウザ上の再生ページでマウスをいちいちクリックして音源を止めたり始めたりしながらコードを取っていったが、シンプルな曲なのでべつにそれでも問題なかった。一応全篇を通してこんな感じで弾けば良いなというのは掴めたので、あとはこまかいところのリズムを詰めたり、間奏部をどうするか考えたり、練習して実際に歌いながら弾けるようにしたりするだけである。
  • 七時を回ったあたりで食事へ。ゴーヤ炒めやかき揚げや刺し身。テレビは『ナニコレ珍百景』。特に面白いことはない。新聞を読みながらものを食い、食器を片づけ緑茶を用意して帰還すると、以下の三つのニュースを読んだ。

 東京都がホームページで公開している小池百合子知事の記者会見録の一部を、担当部署が削除したり、書き換えたりしていることが、都への取材で分かった。都によると、本年度だけで少なくとも9件あった。事実関係が間違っている場合などに注釈も付けず改変していた。(……)

     *

 都政策企画局によると、改変は5月15日の定例記者会見など6回の会見で行われた。いずれも新型コロナウイルス対策に関連する質疑だった。

     *

 本紙が確認できた範囲では、石原慎太郎知事時代は発言の間違いは、当該部分に「※」を付けるなどして本文中で正しい説明を表記。例えば、2007年12月21日の会見で、石原氏は地球温暖化防止の京都議定書を批准していない国としてオーストラリアを挙げたが、会見録では注釈で「12月3日に批准」と付記した。
 小池知事になってからも、17年10月の会見で2028年夏季五輪の開催都市を「ロンドン」と言い間違えた際は、括弧書きで「正しくはロサンゼルス」と訂正している。

     *

 一連の改変は、7月の知事会見録で本紙記者との質疑が一部消えていたことを問い合わせて判明した。この部分は18日に元の発言のまま記載された。政策企画局は取材に「いつから現在の運用にしたかは分からない。正確な事実関係を伝えるためで他意はない。忖度でもないが、今後は書き換えや削除はせず、注意書きで補足する」と答えた。

     *

情報公開法では、文書の開示請求があった場合、30日以内に、開示について決定を行うこととされていて、事務処理上難しいときなどは、30日以内に限って延長、文書が大量なときは、特例として、「相当の期間」延長できるとされています。

この特例を使った開示期限の延長について、昨年度までの5年間に、防衛省の本省が受け付けた開示請求を対象に調べました。

それによりますと、特例を使って延長されたのは合わせて2528件で、延長の期間は、平成29年度までの3年間では、最も長くて「3年以上4年未満」でした。

その後、延長の期間が「4年以上」と長期間になるケースが相次ぎ、「4年以上」は、平成30年度は合わせて64件、昨年度は合わせて30件に上り、このうち最も長いものでは、「9年以上10年未満」とされたケースも4件ありました。

長期化の理由について、防衛省の公文書監理室は、情報公開請求の件数が増加傾向にあることや、特定の部署に請求が集中することがあるといった背景を挙げる一方、「最終的には、延長した期間よりも早く開示決定している」と説明しています。

  • ひとつめの記事について言えば、東京都政策企画局の担当者は文言を削除変更した意図を「正確な事実関係を伝えるため」と言っているが、何の注もつけずにそこにあった言葉をただ削除してしまっては、記者会見のその場においてそういう発言がなされたという「正確な事実関係を伝え」られなくなることは明らかではないだろうか? こんな風に、歴史とか文書記録とか言葉とかがあまりにも簡単にないがしろにされてしまう世の中では、文学とか哲学なんてものが流行らず不要物とされるのもむしろ当然のことだとしか思えない。こういう人たちは、人間の文明(の多くの部分)が(口承も含めた)言語記録によって(進歩か否かは措いてもすくなくとも)発展し変容してきたということについていくらかなりとも考えを巡らせたことがないのだろうか。
  • 歯磨きをしつつ去年の日記を読み返し。2019/7/21, Sun.ではNさんおよびYさんとクリスチャン・ボルタンスキー展を見に行くなどしている。展覧会の感想はいまの目で見るとクソつまらん文章だ。翌日は九螺ささら『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房、二〇一八年)の短歌が冒頭にいくつか載せられているが、「あくびした人から順に西方の浄土のような睡蓮になる」と「目玉焼きが真円になる春分は万物が平等になる一日[ひとひ]」あたりが良い。あとは「「牛乳を鍋で沸かしたとき出来る膜をあつめるしごとしてます」」というのもあって、これには笑ってしまうし、なかなか思いつくことのできない一首なんじゃないか。
  • 数日前に新聞で読んだのだけれど、三島由紀夫の『豊饒の海』というのは転生譚らしく、そのことを知って以来、俺も『百年の孤独』と輪廻転生を合わせてなんかやたら長い大河小説みたいなもの書けないかなあとか思っている。転生すれば国も地域も関係ないので、仏陀時代のインドから始まって輪廻転生にまつわる思想を最初のうちに提示しておき、中世のヨーロッパとか日本の戦国時代とかを通って最終的に現代世界に至る二五〇〇年くらいの歴史小説、みたいな。もし本当にやるとしたらきちんとした歴史の知識が相当なければできないと思うので、まだまだ先のことだろう。あとは魔女か吸血鬼あたりの長命種というかほぼ不死みたいな存在を中心に据えた『族長の秋』もやりたいと前々から思っているが、これもやるなら魔女狩りの歴史とかを知らないといけないので、いつになるかまったくわからない。後者に関しては『族長の秋』風の語りにヴァージニア・ウルフ的な精細かつなめらかな心理記述を組み合わせられないかとか思っているのだけれど、『族長の秋』ほどの語りおよび時空操作のスピードを本当に目指すとしたらウルフ的内面描写はとてもできないというか、普通にそのまま接合しようとしてもうまく噛み合うわけがないので、何か適した方法を開発するか、文体の着地点を見出さなければならないだろう。
  • 入浴して出てきた途端に父親がなんとか叫んで、スマートフォンで野球か何か見ているようで興奮しながらひとりで画面に向かって言語的反応を送っているのだが、普通にうるさくて鬱陶しい。帰室すると音楽が欲しかったのでFISHMANS『ORANGE』を流し、Uくんのブログを読むことにしてアクセスし、八月五日の「Skit 1」という記事を読んでいるうちに昨日の就眠間際の変調のことを思い出したので忘れないうちに記録しておいた。また、Uくんの記事のなかには「健忘」という語も出てきたのだが、そういえばなんでこの言葉に「健」という字がついているんだろうなと思った。「健」といってまず想起されるのは「健康」の熟語なので、「健忘症」という風に症状として扱われるような現象になんでそんな字が使われているのか、と。精神はものを忘れてしまうけれど肉体的には影響がなくて身体としては健康なままの忘却、というようなことなのか、あるいは「健」の字には程度が甚だしいという意味もあるようなので、普通の物忘れよりも激しく深刻な忘却症状ということなのか。
  • あと、前夜の変調のことを思い出したのは、頭のなかに乾いた砂が混ざってひりついているような感じというか、そんな風な感覚的差しこみが脳にもたらされたからだ。それでやはり薬を飲んでいないためかなと思って、洗面所に行ってセルトラリンを一粒摂取しておいた。現在ほぼ脱薬段階に入っており、医師からは自分で調整して適したときに飲んでくれれば良いと言われている。薬はちょうど半分減ってあと一四粒残っており、前回処方してもらったのは六月三〇日なのでおおよそ二か月を一四粒でもたせたことになるわけで、ということはだいたい四日にひとつくらいの摂取ペースなのではないか。
  • やっぱり極々単純な基本的原則として、ゆっくり動くこと、常に瞬間に集中し続けること、生成を最大限に見、感じ取ること、それが大事なのではないか。たとえば歌を歌っているときなど、正しい音まで声が届かないことがあるけれど、問題なのは声の調節に失敗したということではなくて、その失敗をよく見ることができなかったということのほうだと思う。だから、よく見て感じ取ることができているならば、失敗したところで何ひとつ問題はないだろう。
  • Uくんのブログの八月六日の記事には渡辺一夫『敗戦日記』が引かれていて、これはもちろん読みたい本である。引用の最初は一九四五年三月一一日の記述で、その日に渡辺が「あらためて日記の筆をとることに」決めたことが表明されているが、彼のその「気持ち」の変化はやっぱり東京大空襲と関わっているのだろうか。
  • その後、Virginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994)をほんのすこしだけ翻訳。"They must find a way out of it all."という短い一文を訳すだけのことに多大な時間をかけてしまう。"it all"の具体的な内容は措いておいても、普通に行けば「それを抜け出す道を見つけなければ」というような内容になるわけだけれど、こちらとしてはmustをむしろ「~に違いない」の意味で取って、「彼女たちは道を見つけるに決まっている」という方向性で訳出したかったのだ。ただ確信的な推量のmustはだいたいbeと一緒に使われる印象があったし、こういう用法において「~に違いない」の意味に取れるのか否かわからず、その点を検索してやたら時間を費やしてしまったのだが、結果としてはよくわからない。推量のmustはbe動詞や状態動詞と一緒にしか使わないとか、未来の事柄には使わないとかいう説明もあったのだが、でも「~しなければならない」というもとの意味が拡張されれば普通に「確実に~だろう」くらいのニュアンスにはなるわけだし、とか思って、語法的に正しいのかどうかは不問にして、こちらの一存で、「でも、あの子たちはこういう暮らしとは違った道を見つけるんでしょうね」という文を作った。ここはMrs RamsayがCharles Tansleyを馬鹿にしてやまない娘たちを叱ったあとの段落で、それ以前には男性を手厚く保護する原初の母性みたいなイメージとしての夫人像が出てきており、男性が女性に捧げてくれる敬意は非常に価値があるものなのだ、そのことがわからない娘には災いあれ、というような内容が提示されている。だからこの文の"it all"は、女性が持つ男性との関係のあり方などに関わっているだろうと推測され、加えてそのあとで、もっとうまくやれたかもしれないと夫人が思い返している事柄の具体例として、"her husband; money; his books"の三つが出てきている。だから夫人としては、男性という人々はやはり誠意を尽くして守ってあげるべき対象であり、だからこそCharles Tansleyを馬鹿にすることも許されず彼を厚遇してあげなければならないし、夫の助けになることもしなければならないのだけれど、彼女はその一方で彼らを甲斐甲斐しく世話することの苦労ももちろん感じており("There might be some simpler way, some less laborious way, she sighed"にそれはあらわれているだろう)、新しい世代である娘たちには何かべつの生き方があるはずだとも思っている、というような心理がここに書かれているのではないか。そして実際、同段落のあとのほうで娘たちは、パリにでも行って男の世話などせずに好き勝手やるような暮らし("a wilder life")を夢想しているのだけれど、こういう流れを勘案してきた際に、「娘たちは新たな道を見つけなければ」とするよりも、「娘たちはきっと新たな道を見つけるに違いない」としたほうがなんかうまく調和するような気がしたのだ。なぜそうなのかはよくわからないのだが、「見つけなければならない」だとなんかちょっとマッチョ感が強いというかなんというか。「きっと見つけるんだろう」としたほうが、"sigh"とも結びついて、私がどうこう言ったところで娘たちはどうせ違う生き方をしていくんでしょう、という諦観みたいなニュアンスも盛りこめるような気がする。そういうわけで、この日訳した短い部分は以下のようになった。

 でも、あの子たちはこういう暮らしとは違った道を見つけるんでしょうね。きっともうすこし簡単で、もうすこし骨の折れないやり方があるはずだから、と彼女はため息をついた。鏡を覗きこんだときなど、白髪は増えて頬もこけてきた五十歳の自分を目の前にして、彼女は思うのだった、色々なことをもっとうまくやれたのかもしれない、と――夫のこと、お金のこと、彼の本のこと。

  • 一文目の"find a way out of it all"をどう訳すかがやはり肝なのだけれど、この場合は"a way"をそのまま「道」としてしまえば、生の道行き、人生行路的な意味でうまく理解されるように思うし、それに合わせる"find"もまったくひねらず「見つける」という辞書的な直訳でうまく流れるような気がする。
  • 翻訳をして疲れたので、ベッドに転がって清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)を書見。二時半まででちょうど一〇〇ページ読み進める。読みながら、詩句の断片やイメージをいくらか思いつく。本で気になった箇所は以下。
  • 288: 「鶏血凍の朱の焼原」: 「鶏血凍」: 初見。珍奇。検索しても出てこない。「鶏血石」というものがあるらしいので、おそらくそこから作られた独自語だろう。ちょっと欲しい。
  • 289~290: 「瀬戸びきの便器のやうに/まっ白にぬりつぶした顔」: 良い。女性(「ぱんぱん」=娼婦)の「顔」に「便器」。
  • 293: 「血の透いている肉紅の闇」: 「肉紅」: 欲しい。中国語にあるようで、「ロウホン」と読むらしい。
  • 307: 「神ではないが、神と格闘するために生れてきた選手の逞ましさ」: 良い。
  • 319~320: 「神さまといふのは、ひよつとしたら、偶然とか、寸前尺魔とかいふほどのことを、人がさうよぶのではないでせうか」: 「寸前尺魔」: 初見。本当は「寸善尺魔」と書くよう。「この世の中には、よいことが少なく悪いことばかりが多いたとえ。また、よいことにはとかく妨げが多いこと」。
  • 369: 「女のこころは、/洗ひながした米の磨ぎ水のやうにうすじろくとごつて」: 「とごつて」: 初見。三河弁らしい。「沈殿する」の意。金子光晴は愛知県生まれである。
  • 書見後は豆腐やおにぎりなど夜食を持ってきてMさんのブログ。二〇二〇年四月二九日。

(…)私たちは道徳がないから差別をするのではない。私たち人間集団は「利己的な理由から、ある道徳的価値観を他の価値観より支持する場合がある」という「道徳部族=モラル・トライブス」(ジョシュア・グリーン)であるがゆえに、差別につながってしまうような言動をしがちなのだ。グリーンは、異なる道徳的な信念を持つ集団同士の対立を「常識的道徳の悲劇」と呼んだ。差別もまたその悲劇のひとつに数えられるだろう。
 ジョシュア・グリーンによれば、「リベラル」は「道徳部族」の偏狭さを超える「グローバルなメタ部族」であった(ちなみに、ふたつあるとされる「メタ部族」のもういっぽうは「リバタリアン」である)。これまで説明したように、ポリティカル・コレクトネスの中心になっているのは、「市民」の「尊厳」を守るために差別を禁止するというシティズンシップの論理である。私たち人間集団は、グリーンが指摘した「道徳部族」であり、自分が所属するローカルな集団内の道徳的価値観を他の価値観より支持する傾向があった。その道徳的な信念は、しばしば特定の宗教や民族といった、集団内の共通のアイデンティティに結びついている。たいして、シティズンシップの論理においては、どのようなアイデンティティを持つ者でも自身の「尊厳」が保証される代わりに、あらゆる他者の「尊厳」を尊重する「市民」としての振る舞いが求められるからだ。その意味で、ポリティカル・コレクトネスは、部族(アイデンティティ)の道徳を超え、部族にかかわらず適用される、メタ道徳であるといえるだろう。
 しかし、リベラリズムは本当にメタ道徳になりえるのだろうか。「第三章 ハラスメントの論理」で示したように、企業や大学で「ハラスメント」対策として実施されているPCは、それ以外の者からは「ブルジョワ道徳」だと見られているのである。先に述べたように、グリーンは「グローバルなメタ部族」として「リバタリアン」もそのひとつに数えているのだが、「リベラル」と「リバタリアン」のいずれも市場経済に親和的であることが重要である。
 ポリティカル・コレクトネスをめぐる鼎談本で哲学者の千葉雅也は、「グローバル資本主義」は「それまでの共同体の狭い規範を崩し、ありとあらゆるものをすべて交換できるようにしていくという趨勢」があり、「ポリコレ」とは「なるべく交換がスムーズにいくようにするということ」であると指摘している。そして、「#MeToo」とは「交換の論理」であり、「グローバル資本主義の論理」である、と。たしかに「リベラル」は「道徳部族」のちがいを超える「グローバルなメタ部族」であるかもしれないが、いっぽうでそれは「グローバル資本主義の論理」なのである。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.235-237)

  • 頭蓋がやや軋んでいて固く、さっさと寝たほうが良いかなと思いながらも日記を綴り、四時過ぎから音楽。slackに上がっていた「(……)」の音源をいくつか聞き、その場で短いコメントもさっと記して投稿しておく。聞きながら思い出した「tofubeats - Don't Stop The Music feat.森高千里 / Chisato Moritaka (official MV)」(https://www.youtube.com/watch?v=PyeFDMBw640)も聴取。この音源の森高千里の歌ってときどき明らかに音程がずれていて、適正の位置まで届いていないようなことがけっこうあると思うのだけれど、それはたぶんあえて直していないのだろう。
  • 五時前から一六分間瞑想して就寝。


・読み書き
 15:42 - 16:10 = 28分(詩)
 16:12 - 17:25 = 1時間13分(作文: 2020/8/23, Sun.)
 20:08 - 20:42 = 34分(ニュース)
 20:47 - 20:59 = 12分(日記)
 21:00 - 21:26 = 26分(作文: 2020/8/23, Sun.)
 22:04 - 23:02 = 58分(作文: 2020/8/23, Sun. / 2020/8/22, Sat. / ブログ)
 23:35 - 24:27 = 52分(Woolf: 5/L19 - L23)
 24:39 - 26:31 = 1時間52分(金子: 270 - 370)
 26:45 - 27:00 = 15分(ブログ)
 27:00 - 27:28 = 28分(作文: 2020/6/26, Fri.)
 27:29 - 27:48 = 19分(作文: 2020/8/22, Sat.)
 計: 7時間37分

・音楽

2020/8/20, Thu.

 アウシュヴィッツでの最初のガス殺は、一九四一年九月三日(あるいは五日)であった。これはユダヤ人が対象ではなく、二五七名のポーランド政治犯ソ連軍捕虜約六〇〇名などで「労働不能」とされた人びとだった。彼らは第一収容所内監獄の第一一ブロックに閉じ込められ、ツィクロンB[ベー]を用いて殺害された。
 これは「労働不能」と判定された人びとを殺害するにあたって、その効果を確かめる実験だった。のちにユダヤ人大量殺戮がツィクロンBで行われるが、これが一つのきっかけだったことは間違いない。ラインハルト作戦下の三つの絶滅収容所では一酸化炭素ガスが使われたが、アウシュヴィッツ絶滅収容所では、以後一貫して青酸ガスであるツィクロンBが使われることになる。
 このツィクロンBには、第一次世界大戦からの歴史がある。第一次世界大戦で敗北したドイツが締結したヴェルサイユ講和条約は、ドイツの化学兵器製造を禁止していた。そのため、ドイツ害虫駆除会社(略称デーゲシュ)が設立され、密かに研究が進められる。その結果、青酸を液体にして多孔素材に吸わせ、それを空気に触れさせ気化させることによって殺傷能力を持つ製品が開発されたのだ。当初は害虫駆除が目的であったが、これがツィクロンBになっていく。実際、一九二四年にはテッシュ&シュタベノ社という開発製品販売会社が設立され、ハンブルク汽船会社の船・ドック・倉庫、工場、鉄道貨車などの動物や害虫の駆除に使われていった。
 第二次世界大戦勃発とともにツィクロンBは、ドイツ兵士の制服・下着・兵舎、あるいはまた外国人強制連行労働者たちの収容施設の害虫駆除のため需要が急増した。一九四〇年七月には、テッシュ&シュタベノ社員がアウシュヴィッツにも派遣され、親衛隊員の隊舎の消毒を行っている。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、203~204)



  • 一時半まで寝坊してしまい、起床後の瞑想もできず。食事はうどん(に加えて素麺)やゴーヤ炒めなど。今日はもともと立川に行こうと思っていた。というのは一昨日出向いた際に靴を買うはずだったところが買えなかったし、異動して(……)に移る(……)さんが教室に来るのは明日が最後だと聞いていたので、餞別も用意しようと考えていたのだ。ところが起きるのが遅くなってしまったし、寝坊のために身体も重くて外出するのが億劫なのでやはりやめようと、そんなことを母親に話すと、菓子類を贈ろうと目論んでいることについて、丁寧すぎるんじゃないと言う。(……)さんが赴任してきたときも贈ったわけだし、共に働いた期間も短いので丁寧すぎると言われればそうだが、だからといってべつに大きな問題はないだろう。こちらとしては特に何のこだわりもなく、ずいぶんはやいけれど去るというので、新転地では正式な教室長として奮闘することにもなるのだろうし、じゃあ餞別の品でもあげるかというだけのことなのだが、そこを母親は、その人のことが気に入ってるんだねとか邪推してくるものだから、こちらとしてはハァ? みたいな気持ちになる。嫌いだったらわざわざ菓子をあげようという気にはならないだろうからもちろん嫌ってはいないけれど、といって特別気に入っているわけでもなく、ただ短期間ではあるが友好的に労働関係を持った同僚としてねぎらいといたわりと感謝を伝達しようというだけの話ではないか。そういう非常に微細な配慮と心遣いこそがこの社会の居心地をわずかばかりなめらかなものにするはずだと思うのだけれど、それを個人的な好みの問題として勘違いされるものだから、その世俗性にはほんのかすかな辟易を覚えないでもない。母親はさらに、ほかの人はあげるのとか、明日の勤務で渡すつもりだと言うと、(ほかの同僚から)見えないようなところで渡すんでしょとか訊いてきて、ここにもとにかく他人の視線を窺わなければ気が済まないという母親の性向が明瞭にあらわれているわけだけれど、この共同体依存はいったい何なの? とわずかな苛立ちを感じないでもなかった。ほかの人はこちらと同様に贈り物をするのかという問いは、他の同僚が何もあげないなかで自分だけあげる必要はないだろうと母親が考えていること、さらに穿って言えばそういう風にひとりだけ周りと違った行動をすることによって共同体内で目立ち浮いてしまうのを母親が恐れていることを示していると推測され、そのように内面化された世間知的道徳を母親はこちらの行動にも当てはめて考えたのだろう。(ほかの同僚から)見えないようなところで渡すんでしょという問いの意味ももちろんおなじことだが、なぜ餞別を贈る程度のことをわざわざ隠れてやらなければならないのかこちらにはまったくわからないし、まるで馬鹿げているとすら思う。母親の観点からするとおそらく、こちらひとりだけが贈り物をしている様子が目撃されることによって、たとえば同僚たちがこちらのことをやたら良い人ぶっていると思ったり、さらにはこちらの振舞いが同僚たちに対して同種の行動を取るように訴える暗黙の圧力(という言葉が強すぎるならば促し)として働いたりするという可能性が懸念材料なのだろうが(ちなみに母親自身はおそらく自分のそうした心理を明確に整理して自認していないと思う)、こちらに言わせればそんなこと俺の知ったことじゃねえという話で、良い人ぶっていると思われようがなんだろうがどうでも良いし、後者の可能性にしたってみんなだいたい二〇年以上は生きている人間なのだから、こちらの行動ひとつでどうこう悩むほど主体性の欠けた人たちでもないだろう。餞別を贈りたければそうすれば良いし、そうでないならそうする必要はなく、こちらはまあ一応何かしらあげるかという気持ちがあるのでそうするというだけの話だ。母親がこのような、他人との調和を装った形でありながらその実たんにとにかく周囲と波風を立てたくないという極めて世俗的な卑屈さを露わにするのみの主体性の欠如(すなわち「出る杭は打たれる」ということわざへの完全な同一化)を示すのはいつものことなのだけれど、正直に言ってこういう態度はまったく阿呆臭いとこちらは思うし、ほんのかすかにではありながらも苛立ちの情を心中に呼び起こしてしまうものだ。その苛立ちというのは、いつでもどこでも他人の判断基準にもたれかからないことには自分の行動ひとつも決められない人間に対する、およそくだらないという軽蔑の気持ちなのだと思う。こういう一種の〈雄々しさ〉が過ぎればそれはそれでまた問題だが、そのような気持ちがこちらのなかにあることは確かだ。
  • 緑茶と八つ橋を持って帰室したあとは、ずいぶんとだらだら過ごしてしまった。長寝したというのに、というかたぶんそのためにかえって身体が疲れているような感じがあって、六時半までベッド上でだらだら休んでしまい、ようやく起き上がると枕に座って瞑想をした。そのあいだも眠気が重ってまどろみのために頭が傾くありさまで、ここまでと目を開ければ体感よりもかなり短く一〇分しか経っていなかったのだけれど、しかしそれでも瞑想をやれば心身の調律はやはりいくらか正確になる。起床後と就寝前の習慣をまずは確立したいところだが、就寝前のほうはけっこうサボってしまいがちだ。
  • 上階に行くとアイロン掛けをして、そのまま食事へ。おにぎりとゴーヤ炒めと焼いた肉にタマネギなどを合わせた料理と、味噌汁に胡瓜とワカメのサラダといったメニュー。新聞を読みつつものを食って自室に帰り、音読が脳にもたらす効果について、日本語ではろくな情報が出てこないので英語で検索してみたのだが、こちらも大して深く掘り下げたページは見つからない。
  • それでまあ良いと払って2019/7/19, Fri.を読む。京都アニメーション放火事件について、「人間という存在が、こういうことが出来るのだということ、人間存在の悪辣さと言うか、黒々としたものを改めて感じさせる。仮に本当に盗作されたのだとしても、こうした事件を起こすまでの巨大な憎悪を募らせることが出来るのだということ、その激しさにはやはりぞっとするようなものを感じる」とのこと。
  • さらに「記憶」および「英語」ノートを少々復読してから運動。二〇分ほどからだを伸ばし動かすだけで肉体は相当になめらかになる。久しぶりに「板のポーズ」すなわちプランクも行った。
  • 日記にメモしておいた記事を整理したあと、やはりメモしてあった「偽日記@はてなブログ」二〇〇八年一〇月二五日付の記事を読む。古谷利裕・樫村晴香保坂和志でのトークイベントの記録。

ニーチェの生きた時代においては、記述は常に現実そのもの(世界そのもの)よりも貧しく、縮減されたものでしかなかったのだが(だからこそニーチェは因果関係や能動性を批判できたのだが)、ここ、2、30年の爆発的な科学とテクノロジー(と、あと多分資本主義)の発展によってその関係が反転してしまって、より密度と領域が増大した記述によって世界が梱包され、むしろ「記述のなかに世界が含まれる」というのがリアルの感触となって、あらゆるものごとが記述のもとに晒され(ということはつまり「無意識」が記述の形になって外部化されて露わになるということだと思うのだが)、そうなると転移というものが発動しなくなり、能動性という感覚が(リアルに)不能になってしまうので、そのような時代に一体「芸術」になにができるのかというシリアスな感情を(ニーチェの話で終わる)保坂さんの本を読んで感じた、という樫村さんの話(……)

     *

そこでぼくは、それは、転移と能動性(および自由意思)が失われた後にも残るであろう「外傷」をどのように処理すれば良いのかというような話ですか、と聞いてみたのだが、樫村さんは、その時に外傷は、いわゆる神経症的な外傷ではなくなって、「世界全体が(世界そのものが)外傷となる」だろうということを言って、ぼくはその言い方に感覚的にすごく納得がいって、だとすれば、樫村さんの言う、記述によって世界が梱包されてしまうような世界のありようは、決して悲観敵なものではなく、むしろ非常に楽しげな、魅惑的なものとも思われる(しかしこの楽しさの裏には、常に分裂病的な、切迫した刺々しさが貼り付いているのだが)。さらに言えば、樫村さんのこのような世界のイメージは(イメージという言い方は的確ではないと、樫村さんなら言うだろうが)、世界そのものの客観的な記述であると同時に、樫村晴香という人を表現するものでもあるように思えた。

     *

まずフアン・ルルフォの《そこへ子供たちの叫び声が飛び交い、暮れなずむ空の中で青く染まっていくように感じられた》という一節から。この感じに近いのがコスタリカの風景で、そこでは、太平洋と大西洋の両方から風がやってくるので雲の流れが複雑で、光がとても美しく、色彩が実在としてそこにあるように感じられる。この感じを文学として捉えているのがエミリー・ディキンソンで、彼女の詩には、比喩や表象としてではなく、色と言葉(文字)が同格のものとしてあらわれ、しかもそれがいきなり世界のなかから直接的に発見される(このあたりの話は、打ち上げの時に樫村さんからもう少し詳しく聞いたのだが、今、手元にディキンソンのテキストがないので、これ以上は突っ込んで書けないのだが、例えば《世界が落ちていた》と書かれる時、「世界」は表象ではなく、まさに「世界」という文字が、直接世界のなかに落ちていて、それが私によって初めて発見される)。この感触は紫式部にもあり、女性作家から感じられることが多いヒステリー的な感触と結びつく。(……)

     *

最後にレリス。《今朝、セマリンが自分のために小さなオウムを買った。》《昼間、ティエモロがセマリンに向かって、彼のオウムは大きくならないだろうし、それを買ったのは金を盗まれたようなものだと言ったものだから、セマリンは今にも泣き出しそうだった。》まず、アフリカでは、光が強く、あらゆるものが直接的で強烈に見えるので、風景というものが成立しにくい。そこで恒常的な風景ではなく、ここで書かれているような鳥のような、小さな対象関係を成立させる「もの」によって主体が一時的に担保される。日本は、あらかじめ最悪の結果が先取りされているようなニヒリズムの文化なので別だが、ヨーロッパでも、女性はちょっとお金があるとすぐに洋服を買い、そしてその買ったものが他人から否定されると、自分自身が否定されたかのように無制限に落ち込む。しかしまたすぐに次の洋服を買うので、その落ち込みはすぐ回復される。そこには男性が、権威を象徴するものとしてナイフや車を購入するのとはまったく異なったモノと主体との関係がある。一定の恒常性をもつ権威や真理や法といった大他者から見られること(超越性)を指向する男性的主体とことなり、女性的主体は目の前にいる他者との関係(目の前にいる他者との関係を表象するモノ---洋服や携帯電話や言葉を返して来るオウム)によって主体をたちあげる。だから、その他者(との関係を表象するモノ)がうまく行かないと主体は破壊されるのだが、そのかわりに次の他者(との関係を表象するモノ)がすぐにやってくる。
そこでぼくは、以前樫村さんから聞いた話---タイにはゲイが多いけど、そこにはグラデーションがあり、どこまで本気でゲイなのか分からない、たんに女性的なイメージと同一化しているだけみたいな人も多い---を思いだして、その女性的な主体の話と関係があるのかということを質問したら、樫村さんは、現代のような、(マッチョな)転移と能動性が困難な時代においては、(一定の恒常性がある)超越的な法や想像的な他者からの視線を意識して組織される主体よりも、ただ、目の前にいる他者(の視線)だけに向かってサーヴィスするという形で主体をたちあげた方が、世界からより多くの快楽を引き出し得る、ということなんじゃないかと答えた。

  • ブログを読むあいだはFISHMANS "感謝(驚)"(『ORANGE』: #7)をまたリピートしていた。永遠に聞いていられる。そうして入浴へ。湯に浸かりながら詩片をちょっと思いつく。頭を洗ったあと、排水溝の網蓋の毛を取り除いて掃除をしておいた。部屋にもどると詩片を日記にメモしておき、ウェブにいくらか遊んだあとに今日のことを記述すればもう日付も変わって零時一八分を迎えている。
  • 歯磨きをするついでにゴルフボールを踏みつつ書見。清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)である。口をゆすいでくるとそのままベッドの臥位に移行して読書を続ける。途中、なぜか眠気がかなり重って意識が閉ざされそうになったので、いったん本を置いてしばらく瞑目した。瞬間的な現世からの喪失と復活を繰り返して二〇分ほど休んだのちに書見に復帰し、一時半まで。
  • カップヌードルと胡瓜の味噌添えを用意してきて、食いながらちょっと文の練習をした。前々から考えている小説あるいは散文詩的なものの文体を探って、以下のような一節をこしらえた。一応こんな感じの形式でひとつ書こうと思っているのだけれど、しかしこれやってもべつに面白くないような気もしてなんかなあ、という感じもある。

 せみのこえがじゅうじゅういって くうきのなかにぎゅっとつまって みちのうえは林のかげで青くて白い 午後 かげは水 のようにひろがってうごかないし いしのかべもかげをかぶっていて 風がながれて葉っぱがゆれても かべのひょうめんはふるえない 葉っぱのかげはかべのかげのなか みえないところでゆらゆらしている みちのむこうで ひなたが白いオレンジ色をしいている

  • その後、Amazon Musicを「Live At The Village Vanguard」というワードで検索して音源を見分しつつ、立川図書館で借りてきたCDをインポート。なかにJudy Garland『Judy At Carnegie Hall』という音源があり、Judy Garlandといえば"Over The Rainbow"でもちろんこのコンサートでも取り上げられているのだが、こちらはRichie Blackmoreが率いるハードロックバンドのRainbowのほうを思い出してしまい、というか正確には『On Stage』の冒頭で流れる"we must be over the rainbow! ..."というあの少女の声(『オズの魔法使い』から取ってきたもので、まさしくドロシーを演じたJudy Garlandのもののはずだ)を思い出してしまったので、そういうわけで『On Stage』を聞きながら書抜きと新聞写しをした。『On Stage』は#2のメドレー中の"Blues"が良い。Blackmoreは粘っているし、キーボードもうまくやっており、Cozy Powellも普段のパワープレイと違ってそれらしく叩いている。書抜きは石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、新聞のほうは六月二三日のもので、これ以前の新聞は読みながらまだ写しておくべき箇所をチェックしていないころのもので、あらためて読み直して情報を拾い上げるのが面倒臭いので写さないことにした。また写した内容も日記本文のなかに加えると一年後の読み返しが大変になるので、本の書抜きとおなじ扱いで記事の下部に記しておくこととし、それをべつのノートにペーストしてさらに検索用に非公開のブログに投稿しておく。ブログでいえばもうひとつ非公開のものを作って、やはり検索用兼バックアップとして日記もそこに集積しておこうと思っている。
  • その後今日のことを書き足して、六月二四日もすこしだけ書くと四時四〇分に至り、音楽を聞いてから眠ることにした。まずFISHMANS, "感謝(驚)"(『ORANGE』: #7)、つまりスタジオ版。最高。緊密。バックのアンサンブルの結合と交錯のこの上ない調和は理解できる。しかしここに佐藤伸治の歌が乗ってしまえることがあまりすんなり理解できない。たぶん誰の耳にも明白だと思うのだけれど、正直佐藤伸治って歌はうまくないというか、声色にしても技術にしても彼よりいかにも歌らしくうまく歌える人は腐るほどいるわけで、彼は通常の「うまい」歌唱とはまるでべつの道をふらふら行っている変異種に属していると思うのだけれど、ところがすくなくともこの曲の場合、それがなんの欠如にもなっておらず、むしろスマートにうまいボーカルが乗ってもおそらくここまですばらしいことにはならないと思われて、そういうことが起こってしまうのは不思議なことだ。
  • 次に、『Oh! Mountain』のほうの音源も。スタジオ版とおなじく緊密なことこの上ないが、しかし同時にこちらでは風通しの良さの感覚も強い。ライブであることと音像の問題だろうか。それにしても、前々から繰り返し書きつけているけれど、この音源のBメロのギターと間奏のベースはとにかくすごく、ショットガン的なギターのカッティングもすばらしいが、とりわけこのとき間奏を聞いているあいだには、これちょっととんでもなくないか? たとえばJames JamersonとかChuck Raineyとか、あのへんのレジェンドの域に普通に到達しているんじゃないか? と思って感動し、思わず二回続けて聞いた。二回目は興奮がいくらか収まってわりと冷静になっていたので、James Jamersonとかはさすがに大げさに言い過ぎだったかなと思ったのだけれど、それでも最高にすばらしいことは疑いない。とにかく最高。もっとも高い。
  • 二曲聞いて五時を回ったのでベッドに移って瞑想後、就寝。
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)、152: 「おどけ鏡のやうに伸びちゞみする水のなかで」: 「おどけ鏡」: 初見。珍しい。
  • 154: 「馬来人」: マレー人のこと。
  • 155: 「鸞輿のやうに飾った暹羅[しゃむ]の女たち」: 「鸞輿」: 初見。天子の乗る輿という。「鸞」は中国の伝説上の霊鳥。同時に天子の旗などにつけた鈴も意味し、それは音を鸞鳥の声に擬したものらしい。
  • 157: 「ニッケル色のマラッカ海峡の水」: 「ニッケル色」: 欲しい。
  • 165: 「俺は、この傷心の大地球を七度槌をもって破壊しても腹が癒えないのだ」: 良い。
  • 172: 「水腫のあま皮をはがす剃刀のやうな/鋭利なあさあけ」: 良い。


・読み書き
 19:44 - 20:15 = 31分(日記)
 20:16 - 20:40 = 24分(記憶 / 英語)
 21:14 - 21:26 = 12分(ブログ)
 22:57 - 24:19 = 1時間22分(作文: 2020/8/20, Thu.)
 24:20 - 25:29 = 1時間9分(金子: 140 - 178)
 25:40 - 26:00 = 20分(練習)
 26:39 - 27:35 = 56分(バルト / 新聞写し)
 27:53 - 28:41 = 48分(作文: 2020/8/20, Thu. / 2020/6/24, Wed.)
 計: 5時間42分

・音楽
 28:41 - 29:03 = 22分(FISHMANS

  • スピッツ『フェイクファー』
  • Mr. Children『Q』(#1 - #7)
  • FISHMANS, "感謝(驚)"(『ORANGE』: #7)
  • Rainbow『On Stage』
  • FISHMANS, "感謝(驚)"(『ORANGE』: #7)
  • FISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)

2020/8/17, Mon.

 ガス殺は一九四三年秋には停止されたが、一方で銃殺は継続された。マイダネクの親衛隊員は特にサディスティックで、乳児や子どもたちを母親の目の前で殺害することを頻繁にやってのけたという。
 一九四三年一一月三日には、一万七〇〇〇名ものユダヤ人が機関銃で虐殺された。彼らは軍需生産のため特に重要な労働力として確保されたはずだった。この大量殺戮を行った理由は、現在でも判然としていない。同時期にソビブルやトレブリンカ絶滅収容所ユダヤ人の大規模な武装蜂起があり、親衛隊がこの虐殺を「収穫感謝祭」と呼んだことから、その報復だったとも考えられている。
 結局、マイダネク絶滅収容所は、一九四四年七月にソ連軍の侵攻が近くなり、閉鎖・解体される。ただし、ラインハルト作戦の収容所と違い、ソ連軍はほぼ痕跡を残したマイダネク絶滅収容所を確保し、多くの資料を得ることになった。
 ポーランドの公式の記録によれば、マイダネク絶滅収容所では、累計で五〇万名が収容され、総計二〇万名が殺害されたとしている。そのうちユダヤ人犠牲者は一二万五〇〇〇名であった。全犠牲者の死因の六割は飢餓、病気、拷問、衰弱、あとの四割がガス殺や銃殺などであった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、194~195)



  • 一二時三分に離床。今日もクソ暑い晴れ空。窓外のゴーヤやアサガオの葉はいくらか萎れたようになってきており、首を吊った小人の群れのように力なく垂れ下がっているこまかな葉たちは流れるものがなくともおりおりかすかに震えている。ティッシュで鼻のなかを掃除したり背や首をちょっと伸ばしたりしてから洗面所に出向き、用を足してもどってくるとエアコンをつけ、大層久しぶりのことで瞑想を行った。一二時一四分から三二分まで。枕の上に尻を乗せて瞑目し、からだをなるべく動かさず停めながら思念や体感を観察するだけの簡単な仕事。本当は窓を開けたほうが外の音が聞こえて面白いのだが、この時期はさすがに暑いのでエアコンを点けるために閉めざるをえない(まあ、窓を開けたままエアコンを点けても良いのかもしれないが)。めちゃくちゃ久々に坐ったが、瞑想をおこなうと感覚のひらき方と集束の仕方がわりとわかるような気がする。その後の感覚を見てもやはり時空がいくらか密になったような感じで、静かに動けるような気もされる。とにかく急がず焦らず(基本的には)常にみずからと一致しながら暮らしたい。焦燥は生を損ない、時空を(差異を)殺す。
  • 上階へ行くと居間の空気はクソみたいに暑く加熱されている。ケンタッキー・フライドチキンや天麩羅の余りなどで食事。今日は朝刊がないようだったので、昨日の新聞を部屋から持ってきて読みながらものを食った。パプアニューギニアラバウル戦没者追悼の式典がはじめて行われたとの報。ラバウルという地名は、さいふうめい・原案/星野泰視・漫画『哲也 雀聖と呼ばれた男』という麻雀漫画(阿佐田哲也すなわち色川武大をモデルにしたもの)の七巻あたりで出てくる「ドラ爆の鷹」とかいうキャラクターが俺はラバウルの死線をくぐり抜けてきたと頻りに自慢していて、こちらはたぶんそこではじめて知ったと思う。水木しげるが出征した土地としても知られているはずだ。
  • 食後、風呂を洗う。窓を開けてみても道沿いの木枝はふるえずしたがって当然、石壁上の影も揺らがず、風はほとんどないようで、大気は太陽をいっぱいに吸収して乾きに重り、光を満載されて動けなくなっているらしい。
  • 緑茶を持って帰室。廊下の途中に先夜殺害したゴキブリの死骸が放置されたままになっていたので、トイレットペーパーに包んで便所に流して始末しておいた。そうして今日もスピッツ『フェイクファー』を流しながらEvernoteを準備して昨日のことから綴りだす。#4 "運命の人"のなかにある「余計なことは しすぎるほどいいよ」という言葉はとても良い。繖形花について調べているときに唐傘のWikipedia記事に至り、そこに傘を差した明治時代の和装女性の写真が載せられていて、江南信國という写真家をはじめて知る。たぶん日本の写真史における最初期のひとりなのだろう。「雪のなかで傘をさす女性」として紹介されているのが先の写真で、おそらくデジタル技術であとから着色したらしき状態で提示されているのだが(と思ったのだが、リンク元flickrのページを見たところ、実はそうではないのかもしれない)、これはなかなかすばらしいような気がする。何がすばらしいのかはわからん。
  • 上記まで書くと二時半直前で、陽射しもいくらか弱まって空気の色が白っぽくなってきていたので、洗濯物を取りこまなければと思いだして上階に行った。ベランダに吊るされてあったものたちを室内に入れ、タオルを畳んでおく。大気はもちろん相変わらず暑く、蟬の声が空間表面をざらつかせているけれど、今日のその音響は思ったよりも激しくないような気がされて、沢の水音もあいだに明瞭に差しこまれて貫き聞こえるくらいだ。
  • 室に帰るとMr. Children『DISCOVERY』の流れるなかで短時運動。今日もダンベルを持って腕の肉を温めておく。それから前日の記事を投稿し、ここまで記して三時。四時半には出勤に向かわねばならないのであまり猶予はない。どんな日であっても必ず、常に時間が足りないというのはあらためて認識するとやはり驚くべきことだ。そこそこ無駄なく頑張っているつもりなのだが、一日のうちでやりたいことを十全に実行できた試しがない。したがって時間がないという必然的な事実にかかずらうのは無益な焦りを生んで生を損なうだけなので、そのときの気分(もろもろの条件によってかたどられた心身の〈傾向性〉)に全面的にしたがえばただそれで良いという原則に至っているわけだが、そうは言ってもWoolfの翻訳とか全然できていないわけで、うーん、という感じでもある。日記の未記述分も一向に減ってくれないし。
  • それからさらに2020/6/23, Tue.をいくらか作り、四時を前にして切って歯磨き。口内を掃除するかたわら新聞を読む。戦没者追悼式典での安倍晋三首相の式辞が載せられていたが、「同胞」とか「祖国」とか「御霊[みたま]」とか、やはり右派的な色を帯びた語彙がいくらか見られる。天皇の発言も載せられていたので、この二者の追悼の言葉をちょっと比較してみようかなと思っているのだが、果たして実際にやるかどうか。このとき見た限りでは、先の戦争の「犠牲者」について首相が「敬意と感謝」みたいな心情を表明しているのに対し、天皇のほうは「深い悲しみ」を覚えると述べていたはずで、そのあたり少々気になった。
  • その後、FISHMANS『ORANGE』を流して服を着替え、「英語」ノートを四時二〇分まで音読して出発へ。上階に行くとベランダが濡れていたので雨が通ったようだ。明確に認識してはいなかったがうすうす気づいていたというか、だんだん曇ってきて明かりを点けなければかなり暗いほどの空模様になってはいたし、雷のくぐもった低い鳴りも遠くに聞こえていたのだった。玄関を出ると雨後の風が生まれていて空気の肌触りはそれなりに涼しい。また雨が降る可能性をもちろん考えたが、面倒臭いので傘は持たなかった。道を行けばミンミンゼミの声が林から湧いて浅くうねりつつ大気をジュージュー焼いており、その一方でカナカナも朗々と立ち上がる。
  • 公営住宅前まで来ると、熱をこめられたアスファルトが濡れたときに放つ特有のにおいが立ち昇って鼻に触れる。と言って路面はそれほど濡れそぼってはおらず、すでに乾いた部分も見られ、道の中央付近に奇妙な形の通路が生まれて暗色帯のなかを割り、どこにも存在しない地形をあらわす平面絵図を作っていた。坂道に入ってだらだら上っていると腕に触れてくるものがあり、なんだと見ればアゲハチョウだった。いったん離れた蝶はすぐにまたこちらのシャツの上、脇腹のあたりにとまったので腕を上げたまましばらく見つめる。黒い枠とその内を塗るクリーム色で構成された網目紋様がその身にはそなわっており、それを歪んだ格子柄もしくはこまかな色片(パーツ)をはめこんで作ったモザイク模様と言っても良い。端のほうに赤橙色のかけらが少々添えられてアクセントをなしていた。
  • 坂道の出口近くに至ると風が流れて、そのなかにカナカナがまた明瞭に伸び、昆虫の声というよりは馬か何か動物のいななきみたいなニュアンスだ(しかし、「いななき」という語を使えるのは馬だけなのだろうか?)。駅前のモミジは車道側の一部がはやくも濃やかな臙脂色に染め抜かれているのだが、紅葉しているのはそこだけであり、すぐ隣は完全な緑であいだを繋ぐ過渡地帯がなぜかまったく存在しない。奥のほうにも変色した葉がわずかに見られるけれど、そこはオレンジと緑の配分がやや散らばっていて曖昧な色調の中間領域が用意されているのだ。
  • 今日は余裕を持って出たので電車まで七分も余っていた。これくらいのおおらかなペースで行動したい。ベンチに就いてメモを取りはじめたところ、風はあって涼しいものの雨後のことだから湿気も強くて服の内部に汗が溜まり、ハンカチで腕や額や胸もとを拭わずにはいられない。
  • 青梅に移って駅を出ると雨粒が肌に触れるのが感じられ、また夕立が走るかもしれないなと思われたのだが、実際、労働中に激しく降って地と空間を打ちつけるひとときがあり、それと同時に雨の幕の彼方で太陽がまさしく赤熱した金属のごとく空に焼けつき、熟して甘い西の光が大気を埋め尽くす水に溶けこみ精妙な色をあたりにひろげる一場も見られた。
  • 労働。今日は二コマで、一コマ目は(……)さん(高三・英語)、(……)くん(高三・英語長文)、(……)くん(中二・英語)。特筆するほどのことはないような気がする。(……)くんは今日もあまり元気がなさそうで、教科書を復習できたのは良いが新たなページを読むことはできなかったし、やはりワークにも至れない。並べ替えを三問だけとかでもやりたいのだが。
  • 二コマ目は引き続き(……)と、(……)くん(中三・英語)という初見の生徒と、(……)くん(中二・英語)。今日の二コマ目はうまく行かず、時間をけっこう過ぎてしまった。どうも配分が難しいというか、最近適当になってきている。授業終了一五分くらい前には終わりに入っていく方針を確実に実行するべきだろう。(……)くんは(……)さんと同級生で親交があるらしく、授業前に言葉を交わしていた。事前情報ではけっこうやばいという話だったのだが、まあそこまで壊滅的なやばさではないというか、この程度の生徒ならいくらでもいるだろうというくらいで、ゆっくりではあっても解説を読みつつ自分で解くことも一応できている。ただ、問いを説明して答えを確認したあとにすぐ、じゃあここは? と繰り返して解答を訊いてみると、正答が口に出てくるまでにちょっと時間がかかるということがあった。事前情報でも、知識は多少あるようなのだがいざ問題を解くとなるとなぜかかなり時間がかかるみたいな話があって、頭に入りにくい、単に覚えが悪いと言うよりは、どうも認知方面で何かあるのではないかという感触をかすかに得た。だがまあそれはどちらでも良い。
  • (……)くんはほとんど進められず。わりといつものことではあるが。授業後に(……)さんに話を聞いたのだが、彼は九月いっぱいで退会なのだと言う。結局のところ、家で勉強をしないので塾に通っていてもあまり意味がないと父親が判断したようだ。まあたしかになあという感じで、彼は付属の私立だから高校も普通にそのまま上がれるわけで、切迫感というのはないだろう。個人的には彼とはわりと信頼関係を築けていたと思うし、彼のほうもこちらのことを気に入ってくれていたようなので残念ではある。だがまあ学校の勉強なんてどうでも良いことなので学習塾なんていうどうでも良い業者に金を貢いでいないでもっと面白いことをやれば良いだろう。
  • 今日ももろもろ遅くなってしまって、いや僕マジで仕事遅いっすよと(……)さんに漏らしたのだが、彼女としてはさっとやってすぐ帰るのではなくて、ゆっくり丁寧にやってもらったほうがむしろ良いと言うのでありがたい。先生方の時間が大丈夫なら全然、と言うので、僕の場合、九時半の電車を逃すと次が一〇時過ぎなんで結局待たなきゃいけないんですよと笑うと、それならむしろ、それまでゆっくりやってってくださいと言ってくれた。基本的にこちらは授業中はほぼ常にそれぞれの生徒のあいだを回っている感じなので、たとえばコメントを書いたり次回のプリントを用意したりするような余裕がなかなか生まれない。ほかの講師の人々はあまりそういう積極的なやり方をしないようなので生徒が解くのを待っているあいだに書いたりしているのだろうが、こちらは生徒が解いている途中でも普通に見に行って手伝ったり突っこんだりするし、コメントに時間を使うのだったらその分生徒に当たってやりとりをするべきだろうという方針でいる。したがって、記録はまず必ず授業後になるし、授業前は教科によっては事前にテキストを見ておきたいし(高校生の現代文など、さすがに文章を読んでおかずに教えるのは厳しいだろう)、授業後も次回の勤務日の担当予定(変更されることもあるが)やその記録を確認しておきたい。そういうわけで授業外の準備ほかが多くなり、その時間はいままでは大方ただ働きしていて(事務的作業の給与については申請制になっているのだが、一〇分くらいに収めるというのが暗黙の了解だった)、労働組合に入って活動するほどの熱心さもないしべつにそれで良いと会社にとって都合の良い人材として使われてやっていたところ、(……)さんはそのあたりきっちり報いてくれて、ちゃんと記録をつけてくださいとまで言ってくれるのでこれはありがたい。もらえる金が増える。
  • 一〇時過ぎに退勤。電車で最寄りへ。木の間の下り坂に虫声さまざま。錫杖をシャンシャン鳴らすような意外なほど朗々とした声と、空間を水平に、波紋状にひろがっては消えていくような細い声の二種がメイン。
  • 帰宅後はまずからだを休めるためにベッドで清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)を読んでいたのだが、一一時を前にしてちょっと頭を癒やすかと瞑目しているとうっかり意識を落としてしまい、気づくとすでに一一時半が過ぎていた。夕食に行くが、品は忘れた。テレビは自虐ネタで一時期流行った芸人のヒロシが香港などを訪れて飯を食う番組。なんか迷宮駅前食堂、みたいなタイトルだったはず(『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』だった)。たぶん録画だろうか、香港編とベルギー編があり、ベルギーのほうはグラン・プラスなども映って、あそこ行ったねと母親は言う。クリスマス前で、市庁舎か何かの建物にいわゆるプロジェクトマッピングでさまざまな色の光が投影される催しがあったのを覚えている。二〇一四年のことである。『フランダースの犬』の最後でネロが、パトラッシュ、僕はもう疲れたよ……とかなんとか言いながら天使たちにいざなわれて天に召されていく有名なシーン(アニメ版)があると思うが、その舞台であるアントワープ大聖堂も映された。ところで母親に訊かれてあらためて思ったのだけれど、『フランダースの犬』って子どものころにアニメ版を見たことしかたぶんなく、文字で原作を読んだ覚えはまったくないし、作者も知らない。そういうわけでいま検索してみたのだが、この話を書いたのはウィーダという一九世紀イギリスの作家だというからベルギーの人じゃねえんじゃん。
  • あと、風呂に入る前だったか皿洗いのときだったか、母親が、アルゲリッチって知ってると訊いてくるので、マルタ・アルゲリッチ? ピアニストの? と訊けば果たしてそうで、彼女の映画がやっていたので録画したのだと言う。それで流れるのをほんの少しだけ見たのだが、どうもドキュメンタリーらしく、最初は女性の出産から始まってそこにArgerich本人のものらしきナレーションが添えられており(たぶんフランス語だったと思う)、出産しているのはArgerichの娘らしいがナレーションが語るのはArgerich自身と母親の関係で、と思っていたのだが、いま調べてみたところこれは違うようだ。この映画は『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』というやばいタイトルで、Stephanie ArgerichというMartha Argerichの三女の人が監督らしいので、ナレーションも彼女のもので私の母親はうんぬんかんぬん……と語っていたのはMarthaのことだったわけだ。病室には出産者のほかに彼女を見守る灰色の髪の年嵩の女性がいて、若いころの写真しか知らないのでこの人がArgerichなのかなと確信を持てないままちょっと見て居間を去ったのだが、やはりあれが現在のMartha Argerichその人だった。
  • 入浴中のことは忘却。帰室すると一時半から作文。
  • 2020/6/23, Tue.を完成させて投稿するころにはからだが凝り固まっており、とりわけ肩の周りがこわばって重苦しかったので、身をいたわるためにベッドに移った。コンピューターを持ちこみ、Mさんのブログを読みつつ脹脛を刺激する。二〇二〇年四月二四日にはガルシア=マルケスのフェイヴァリットを二四冊紹介した記事が載せられていて、マルケスには大いにかぶれた身なので一応覗いてみた。やはりアメリカ合衆国の文学から吸収したものはけっこう多いようで、なかでもナサニエル・ホーソーンやハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』やジョン・スタインベックが挙がっているのがわりと興味深い。また、Erskine Caldwellという名前も見られて、全然知らない人なのだけれど作品名はTobacco Roadとあり、この名前はこちらにとってはブルースの一曲として馴染みが深い。Richie Kotzenが『Bi-Polar Blues』の四曲目でやっているのがけっこう好きでよく聞いたし、きちんと聞いてはいないけれどDavid Lee Rothもなんかのソロアルバムで取り上げていた記憶があるが、オリジナルは一体誰なのかと思っていま検索してみたところ、John D. Loudermilkという人が一九六〇年に最初に録音したと言い、The Nashville Teensというグループが六四年にヒットさせて以来有名になったらしい。Edgar WinterやLou Rawlsなんかもカバーしているようで、Jackson 5も初期のレパートリーにしていたという話だ。
  • あとRobert Nathanという名前も初見で、この人の作品としてはPortrait of Jennieというものが挙げられているが、このタイトルもこちらはジャズスタンダードとして知っていた。Wes MontgomeryWynton Kelly Trioと組んだHalf Noteでの名ライブ(『Smokin' At The Half Note』)で取り上げていたし、売っぱらってしまったのだがDonald ByrdもPepper Adamsと組んだ六〇年あたりのライブアルバム(これもHalf Noteでの音源だったか?)で演じていた覚えがある。
  • またヴァージニア・ウルフの『オーランドー』と『ダロウェイ夫人』もマルケスの影響源として挙がっていて、本人もインタビューか何かで、僕はウルフが好きで大いに影響を受けたのに、その点を見抜いて指摘してくれた批評家はひとりもいなかった、とか言っていた覚えがあるが、たとえば『百年の孤独』とか『族長の秋』のいったいどこにウルフの影響が認められるのかこちらには全然わからん。
  • 『文豪の悪口本』とかいう書物のなかから紹介されている太宰治志賀直哉に対する罵倒もわりと笑った。特に面白かったのは「さらにその座談会に於て、貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使う、とあったけれども、おまえの「うさぎ」には、「お父さまは、うさぎなどお殺せなさいますの?」とかいう言葉があった筈で、まことに奇異なる思いをしたことがある。「お殺せ」いい言葉だねえ。恥しくないか」という部分と、それを受けた締めくくりの「貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴やっこの知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり」。「太宰などお殺せなさいますの?」にはさすがに笑う。
  • その後、Sさんのブログをたくさん読んだのだけれど、読みながらなんとなく、自分はやっぱりまだ全然ものをわかっていないんだなと思ったというか、どうも俺は物事を言語化して整理しただけでわかった気になってしまう向きが強いのでは、と思った。こちら自身としてはこちらの文章はわりと明晰なものになっているつもりでいて、もしかしたらそう思っているのはこちらだけで読んでいる人のほうからすれば全然わかりにくいのかもしれないが、ただこちらの基本的な性分もしくは原理として、自分に感じられ考えられたことを(ある程度)十全かつ正確に書き記すという方針があって、そういう性分はやはり区分と分節の振舞いにどうしたって繋がるものだと思われるので、記述として比較的分析的なもの、つまり物事を諸部分に分けながら各部について感覚および思惟を最大限表出し、それらを総合して繋げる、みたいなやり口にならざるを得ず、作家はみんな大体そういうことをやるわけだしべつにそれ自体は良いのだけれど、ただ物事とか世界とかって言語化されたときの様相みたいにそんなに截然とわかりやすく区切られたものであるはずがなく、もっとぐちゃぐちゃしたようなわけのわからんものだろうという気もするわけで、そういう様相を一抹あらわすようななんかうねうねしたような文章を書きたいなあという気持ちもちょっと生じたということだ。ある意味で〈蒙昧な〉記述というか。イメージとしてはJoe HendersonとかJohn Coltraneみたいな感じで、あるいは彼らよりもCharles Lloydみたいにもっとすかすかで、煙が漂いながらただ空転しているだけ、というか(人を〈煙に巻く〉文体?)。
  • その後また作文してのち、五時を前にしてなぜか音楽を聞く気になった。まずFISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)だが、いままで何度も繰り返しこの音源は最高だと書きつけているとおりやはり最高で、とにかくギター・キーボード・ベース・ドラムの四者(四つの線)の交錯と干渉とすれ違いと交合とによって生み出されるリズムがあまりにも旨く、美味で、要するにここでこの四体は乱交的なセックスをしているわけだろう。ただそこで、残った佐藤伸治のボーカルがどういう位置づけになるのかはよくわからん。
  • 次に、FISHMANS, "感謝(驚)"(『いかれたBaby/感謝(驚)/Weather Report(Live)』: #2)という音源もAmazon Musicにあったので聞いてみたのだが、導入部で佐藤伸治が発する"hey"という気の抜けた声に聞き覚えがあって、これYouTubeにも動画で挙がっていたライブだなとわかった。一九九六年三月二日に新宿のLiquid Roomで行われたもののようだ。これは『Oh! Mountain』の演奏と比べるとそこまで交合的な感じはないというか、いくらか緩い印象で、悪くはないがそこまでめちゃくちゃにすごいという感じも受けず、やはり『Oh! Mountain』の音源のほうがやばいのではないか。ただ、ギターのカッティングのバリエーションが『Oh! Mountain』よりも多彩で、特に終盤にスマートな小技をたくさん挟んでくるのはけっこう面白く見事で、わからんけれどこれはたぶん『Oh! Mountain』のときとは違う人が弾いているのではないか?
  • 聞きながら思ったのだけれど、音楽を聞く(というかこちらの感覚としては「聞く」というよりも音を「見る」ような感じが強いのだが)ということは何かを聞こうとするのではなくて、ただの純粋な〈聞く〉という様態(動詞というよりももはや名詞? もしくは形容詞?)と化すことを目指す試みで、つまり「聞く」に〈なる〉ということであり、それをさらに言い換えれば「聞く」(もしくは「見る」)の他動詞的様態から自動詞的様態に転換するということなのだろう。音楽空間のうちにある何かを聞こうとした時点で終わりというか、まあべつに終わりはしなくてそれでも普通に良いのだけれど、しかし何かしらの対象を聞くのではなくておのれの心身を(もしくは〈聞く〉を)空間全体に向けてひらいていくことこそが重要だというか、つまるところただひたすらに絶え間なく、全身的に〈聞く〉に一致しつづけるということで、おそらくその第一の同化を通してこそ音楽のなかに入り、音楽と一致し、音楽に〈なる〉ことができるのではないか。
  • 就寝前に瞑想。夜明けの刻だが蟬や鳥の声はまだ遠く、距離を挟んだ空間の先にある。わりと意識が深まった感を得た。臥位になるとこめかみ付近を丹念に揉みほぐしながら眠りを待つ。


・読み書き
 13:30 - 14:27 = 57分(作文: 2020/8/16, Sun. / 2020/8/17, Mon.)
 14:53 - 15:04 = 11分(作文: 2020/8/17, Mon.)
 15:07 - 15:48 = 41分(作文: 2020/6/23, Tue.)
 15:50 - 16:02 = 12分(新聞)
 16:09 - 16:21 = 12分(英語)
 22:33 - 22:53 = 20分(金子: 92 - 104)
 25:28 - 26:09 = 31分(作文: 2020/6/23, Tue.)
 26:25 - 27:35 = 1時間10分(ブログ)
 27:47 - 28:06 = 19分(作文: 2020/8/17, Mon.)
 計: 4時間33分

  • 作文: 2020/8/16, Sun. / 2020/8/17, Mon. / 2020/6/23, Tue.
  • 読売新聞2020年(令和2年)8月16日(日曜日): 7面
  • 「英語」: 258 - 263
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年): 92 - 104
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-04-24「搦め手に宿る不浄の年月よ蓼食う虫も好き好きという」 / 2020-04-25「封鎖した都市でノイズが絶滅の危機に瀕して和音に媚びる」
  • 「at-oyr」: 2020-05-08「胡瓜」 / 2020-05-11「生理食塩水」 / 2020-05-12「包丁」 / 2020-05-13「皮下」 / 2020-05-14「シュナン・ブラン」 / 2020-05-16「煙」 / 2020-05-17「プリズン・サークル」 / 2020-05-18「具体/必然」 / 2020-05-19「スープ」 / 2020-05-20「修正リスク」 / 2020-05-21「湯豆腐」 / 2020-05-22「モツ」 / 2020-05-23「精神0」 / 2020-05-24「精神、演劇1」

・音楽
 28:41 - 29:03 = 22分

2020/8/16, Sun.

 ラインハルト作戦の三つの絶滅収容所に続く四番目の恒久的施設として位置付けられるのが、マイダネク絶滅収容所(正式名称は「ルブリン強制収容所」)である。
 マイダネクはルブリン中心部から南東に四キロと近く、ラインハルト作戦の三つの収容所と異なり、隠蔽された施設ではなく広大な敷地のなかにあった。もともと、巨大な強制収容所と捕虜収容所の複合施設であり、その機能を引き継ぎながら絶滅収容所としても活用されたからだ。
 この地には、一九四一年初めから少数のポーランド人技師と作業員などによって収容所の建設が行われていた。だが、七月二〇日にルブリンを訪問したヒムラーは、グロボチュニクに対してマイダネクの地に強制収容所と捕虜収容所を併設した複合収容所の建設を命じる。(…………)
 独ソ戦の進行にともない、ソ連軍捕虜の収容が続々と行われると同時に、チェコ人・ポーランド政治犯、ドイツからも収監されていた囚人が送られてきている。結局収容所は、八月末になりようやく一部が完成する。
 秋になると、ルブリン・ゲットーからのユダヤ人が数千人単位で二度にわたって送られてくる。一二月にはルブリン要塞監獄からも七〇〇名のポーランド政治犯、税を滞納したポーランド人農民四〇〇名が連行されてきた。一方で、年末までに五〇〇〇名のソ連軍捕虜が飢餓・虐待・寒さのために死亡している。
 一九四二年四月になると、ユダヤ人と政治犯を含む一万二〇〇〇名がスロヴァキアから、五月には大ドイツ国家領域から囚人が送られてきた。この段階で一四四のバラックに四万五〇〇〇名が収容され、ベルリン中央でも基幹強制収容所と位置付ける、巨大な複合収容所となっていた。
 さらに、オランダ、ベルギー、フランス、ギリシアから、そしてポーランドからもユダヤ人の強制移送が行われる。一九四二~四三年のあいだに総計一三万人が収容された。給養・衛生状態など生活環境が破局的に酷く、赤痢で死亡する人が非常に多く出てきた。
 その最中、ポーランドの抵抗運動組織によると一九四二年一〇月半ばから、グロボチュニクの命令によって、ラインハルト作戦と並行してガス殺がはじまった。ここにマイダネクは強制収容所、捕虜収容所としてだけでなく、絶滅収容所としても機能するようになったのだ。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、192~194)



  • 一時台に覚醒。クソ暑く、汗だくで、気づかないうちに肌着のシャツをまくって腹と背を露出していた。しばらく呻いて、一時二七分に離床。陽射しの質感はあまりない曇天だがとにかく暑い。からだをちょっと伸ばしてから上階へ行って顔を洗ったりうがいをしたりする。それからうどんや天麩羅などで食事。父親は自治会の役目か何かで出かけていった。テレビは『開運!なんでも鑑定団』。佐久間六所および佐久間晴岳という親子の掛け軸が取り上げられ、一五万円の値がついていたが、これは秋田藩佐久間象山係累なのだろうか。と思っていま検索してみたのだけれど、そもそも佐久間象山は画家ではなく学者思想家の類だし、秋田藩でもなくて長野は松代藩の人である。それで気づいたのだが、こちらの念頭にあったのは佐久間象山などではまったくなく、秋田藩の小田野直武のことだった。この二人に共通点はまったくないと思うのだが、なぜこのような勘違いをしたのだろう? わからんが、「佐久間」という名の「佐」の字が秋田藩主の「佐竹」家と無意識のうちに結びつき、それで小田野に繋がったということはあったかもしれない。ほか、ナスカ土器二点(正確にはそのうちの一方はナスカ文明よりもあとのなんとか文明のものだったらしいが)が出されて二〇〇万の値がついたりもしていた。新聞は書評欄の入口に森本あんりという人のアメリカ・ピューリタニズムについての研究書が紹介されていて、ちょっと気になる。
  • 風呂洗い。父親がシャワーを浴びたので壁や蓋がめちゃくちゃに濡れている。なぜあんなに濡れるのかまるで理解ができない。それで蓋は浴槽にもどさずに洗い場に立てておくことにしたので、その旨母親に伝えておいて自室に帰り、緑茶を飲みつつウェブを回ったりここまで文を書いたりした。今日は本当は立川に出て図書館に行ったり靴やバッグを探したりしようかと思っていたのだが、寝坊のためにすでに時間が遅くなってしまったし、なにしろクソ暑いのでやめにして家に籠る。
  • 八月一一日に録音した"D"の演奏について説明文を作る。

 遅くなってすまんが、"D"について説明を。

【総括】
 何も準備をしていなかったので下手くそですまんが、ジャカジャカやっているアコギが入ると全体的にこんな感じになるよ、というのは示せたと思う。遊んだり練習したりで録音の時点ではすでに握力が尽きており、コードをきちんと押さえられるほどの手指の筋力が失われてしまった体たらくだった。終盤などは音が鳴っていない箇所も多く、そこが聞き所だ。

【コードについて】
 その場で音源と合わせて響き方を確認しながら和声構成およびポジションを決めた。大きく変えたのはまずAパートのCadd9をCM7にしたことで、なんかこっちのほうが響きが良いような気がしたのだ。あとBパートのCadd9もCsus2にしたのだが、これは要するにルートと5度以外に3度と2度(EとDの音)が両方入っているか2度のみかという話で、sus2のほうがすっきりして歯切れが出るのではないかと思った。反対に、間奏後3サビ冒頭の静かな部分(「思いきり飛び込んでみなきゃきっと(……)」)では響きに広がりを出すために、Csus2ではなくてCadd9にしても良いのかもしれない。
 サビを中心として全体にテンションや7度を削った箇所が多いが、これもなんとなくトライアドにとどめて響きを詰めたほうが良いかなと思ったものだ。ただ、7度のあるなしに関してはわりとどっちでも良い気はする。いずれにしてもこれはアコギが弾いているフレーズをコード譜にするとこうなるよという話なので、ほかの楽器はもちろん多少音を足したり変えたりしても良いだろう。
 サビのカッティングはすべて開放弦を使わずに3フレットから9フレットの範囲で弾いているのだけれど、これは開放弦を挟むとカッティングが難しくなること、また、やはり響きを固く詰めて密な刻みの感触を出したほうが切れの良いカッティング感が生まれるかなと思ったことが理由である。しかしそのせいでバレーコード(一本の指で複数の弦をまとめて押さえる手法で、セーハともいう)がひたすら続くことになってしまい、それによって指が疲労困憊して死に至り、握力が消滅したので、正式版ではもうすこし楽なポジションに変えたほうが良いかもしれない。
 サビの三周目から四周目に移る部分ではEmのあとにDを足してわずかな変化を導入しているのだけれど、クソみたいにありがちなやり口でもあるし、これはどちらでも良い。
 2サビ後の間奏の最後(「いつかなんて来ない(……)」の前)のコードはGM7に回帰する原案があまりはまらないように思われたので、A7のままsus4と3度を行き来する案にしてみたが、音源ではうまく弾けておらずわかりにくくなっていると思う。A7sus4→A7→Amという推移になるので、おわかりだと思うがD→C#→Cという半音下降が生まれることになるわけだ。

【曲構成について】
 構成といっても大きく問題なのは、①1サビから2Aへの移行、②上述した2サビ後の間奏、また③3サビ本篇への入り(「軽く飛び越えて」のあと)、④3サビの繰り返しに入る前(「自分も誰かもよろこぶことがきっとある」のあと)、⑤3サビから最後のAパートへの移行をどうするか、というあたりだと思われ、要するに各部のあいだのうまい繋ぎ方を定めなければならないという一言にまとめられるだろう。
 今回の録音時点で仮に変更したのは①1サビから2Aへの移行部分で、オルガンソロをEmで締めたあとに、Fの刻みでクレッシェンドしつつそのままF#→Gと半音上昇する感じでやってみた。こちらのイメージとしては、2Aの冒頭のGでブレイクし、一周目は(ギターに関しては)高めの音域のコードを長音で鳴らし、ゆるやかに静かに推移していく、という展開を考えていたのであのように弾いたわけだが、TDがまとめてくれた"(……)"の音源は大まかにはこちらのイメージと合致している。実際の録音では、2小節目のDsus4(コード譜に反映させるのを忘れていたが、ここはDとDsus4のあいだを行き来せず、一小節すべてDsus4)がなぜかよくわからんが妙な響きになってしまっており、3小節目のAmもコードチェンジをミスって小節頭に鳴らせなかったのだが、後者に関してはTDが修正してくれている。
 ただ、この高いポジションでのコード白玉はむしろエレキギターの役割なのかなという気もしていて、2A(の一周目)はブレイクして静かななかにアコギのジャカジャカいう刻みだけが残って、ほかの楽器はだんだんとその上に少しずつ装飾を加えていく、という感じでも良いのかもしれないといまは思っている。
 あと、イントロをつけるか否かという問題もあると思っていて、現音源ではカットされているけれど、以前のピアノの導入がそのままあっても普通に良いのではないかとこちらは思っている。

 とりあえず以上。

【追記】
 「軽く飛び越えて」後のギターや絡みが決まっているとTDは評価して気に入っているようだが、あそこは何かを狙っていたわけではなく、握力が死んでうまく弾けないなか、ともかく最後まで頑張らなくては……という一心で適当に弾いていたらああなっただけで、何も意図はなかったのでそもそもどういうことをやったのかこちら自身は覚えていないし、決まっているのか否かもよくわからない。

  • スピッツ『フェイクファー』を流して歌いながら上記を書くともう四時を回っていた。slackに投稿しておくと運動に入り、屈伸をしたり脚の筋を伸ばしたり背を反らせまた腰をひねったりしたあと、五キロのダンベルで腕の肉も温める。その後、歯磨きをしながら昨日の夕刊を覗いてみると、三面に閣僚四人が靖国神社を参拝したという報があり、そこに衛藤晟一沖縄・北方相および高市早苗総務相の言が紹介されていた。いわく、「衛藤氏は、中国や韓国が反発する可能性について問われると、「国の行事として慰霊しているわけで、中国や韓国から言われることではない」と強調した」らしく、また、「16年も参拝した高市氏は「国家、国民を守るために命をささげた方に感謝の思いを伝えるのは、一人の日本人として続けていきたいことだ。これは決して外交問題ではない」と語った」と言う。そこで思ったのだけれど、まず衛藤氏の理屈について言うならば、彼は自分の参拝行為を「国の行事」として位置づけているわけなので、ということは、彼はひとりの私人ではなくて国家の中枢を担う内閣の一員として国家の意志を代行する行いとして参拝をしていると理解できないだろうか。衛藤氏の発言がもしそういう意味だとすれば、先の戦争に対する国家的評価やその歴史的位置づけと密接に関連するはずの一国家の「慰霊」行為を、たとえば「中国や韓国」といった他国が一国家として批判したり、それに対して意見を述べたり、ときに「反発」したりすること自体は、その内容はひとまず措いても行為としては問題がないように思うのだけれど。つまり、中国や韓国から「反発」されるいわれはないとする彼の主張の根拠になっている「国の行事として慰霊している」という認識は、反対に、中国や韓国が日本に批判を向ける理由として立派に成立するもののようにこちらには見えてしまうのだが。あるいは衛藤氏の発言は単に、我々閣僚の「慰霊」行為はうちの国のなかだけの問題なので他国からどうこう言われる筋合いはない、というくらいの意味なのだろうか。
  • 次に高市氏の発言に関して述べると、彼女は衛藤氏とはまったく反対に、靖国神社への参拝は「一人の日本人として」の行為に過ぎないと言っており、「これは決して外交問題ではない」とすら断言している。だから彼女からすれば、自分の参拝行為(衛藤氏の言葉で言えば「慰霊」行為)は一私人としての行動であって国家的意志を表すものではないので、他国から(一国家として)抗議されるいわれはない、ということになるのではないだろうか。「現職閣僚」として四人で同日に参拝している点を考えるに果たしてそういう理屈が成り立つのかどうかにも疑問はあるけれど、こちらの興味を惹いたのは、閣僚内でも靖国神社を参拝するという行為の意味合いがまったく一致しておらず、相互に矛盾した言い分になっているということだ。なぜなら、高市氏が参拝行為は「決して外交問題ではない」と明言しているのに対して、衛藤氏は「国の行事として慰霊している」と言っているわけで、こちらの理解では「国の行事」(国家的行為)とはまさしく(完全にではないとしても)「外交」の領分に属するもののように思われるからだ。したがって、図らずもというかなんというか、この矛盾にこそまさに国家的意志の不在がまざまざとあらわれる事態になっていると思う。つまり日本国は、「現職閣僚」が靖国神社を参拝するという「慰霊」行為においてすら、国家総体としての(すくなくともその時点の政府としての)公式的な意味づけを確定させることができておらず、その点をなあなあに放置したまま閣僚個人に任せてなんとなく済ませている、ということが観察されるように思われる。
  • 上記まで記したあと、家事をするために上階へ。父親がケンタッキー・フライドチキンを買ってきてくれたと言う。自治会の用事かと思っていたところが、どうも祖母を見舞いに行っていたらしい。のちほど夕食中に動画を見せてもらったが、車椅子に座った祖母は元気そうで、表情は明るくしっかりしていて顔色も良いように思われた。夕食の支度は母親が進めていたのでこちらはアイロン掛けをすることに。『笑点』が過去の放送を振り返っている様子や(石原さとみがゲストに来て、各人の後ろを回りながら、「~~さん、勇気を出して!」とか呼びかける役目を務めた会だった)、その後の『真相報道 バンキシャ!』を眺めながら布を伸ばす。『バンキシャ!』はコロナ禍でも海に出向いたり公園で花火をしたりして遊んでいる若者らに話を聞いたり、都市を離れて田舎で自作の小屋暮らしをしている人を紹介したりしていた。
  • 小松菜だけ切ってと母親が言うので、アイロン掛けを終えると台所に立って菜っ葉を切り分け、三つの小鉢に配分する。そうして帰室。久しぶりにアコギをいじった。弾いているあいだの音を質にかかわらず録って記録しておこうと思っていたのだが、アンプを用意してコンピューターに繋いだりするのが面倒臭くて結局やっていない。やる気が起こったらやれば良いだろう。今日は序盤はあまりうまく弾けなかったが、だんだん流れるようになってきていままで弾いたことのないフレーズもいくらか出てきたような気がする。
  • ギター遊びに満足すると食事へ。鶏肉や天麩羅や青紫蘇風味のうどんなど。ロシアの兄夫婦は行楽に行った帰りにチャイコフスキーの家に寄ったとかで、母親の携帯を借りて写真をいくらか閲覧した。クリンとかいう町にあるらしい。新聞を読みつつ黙って飯を食うと皿を洗い、緑茶を持って帰室。Fabian Almazan『Alcanza』を流して音読。久しぶりに「記憶」ノートのほうも読めた。そうしてヨガのやり方などを調べたあと、入浴へ。
  • そういえば音読後だかいつだったか、歯ブラシを取ってくるために廊下に出ると暗いなかで素足に触れるものがあり、一度目は何かものが転がっていたのかなと気に留めなかったのだが、進むとまた触れてくるものがあったので、ちょっとビビってこれはたぶん虫だなと判断し、洗面所の明かりを点けてみればやはり床の上に小さめのゴキブリがあらわれた。なぜかすでに死にかけみたいな様子で、裏返った体勢で苦しそうに震えのたうっており、物陰にすばやく逃げることもできないようだったので、急がず用を足して歯ブラシを用意すると虫をまたぎ越して部屋にもどり、「キンチョール」の缶を持ってきて追い打ちをかけておいた。始末が面倒臭かったのでそのままひとまず放置。
  • 風呂場では入湯前にからだをほぐしたのだが、脚の付け根や股関節が日々なかなかほぐれないのでうまいやり方を探ったところ、合蹠した姿勢で両手を膝のあたりに置き、脚を左右にというか下にというか押し広げる方法が一番良いなと定まった。あとはやはり「胎児のポーズ」。「胎児のポーズ」は力の入れ方によって太腿の筋をほぐせるし、姿勢を変えれば腹筋も刺激できる。
  • そろそろいい加減に髪を切りたい。何か新しい髪型を試したい気持ちがあるのだが、整髪料を使ってセットしなければならない髪型は面倒臭いし、たぶん結局はいまのまま短くするだけに終わるだろうと思う。
  • 心身のペースを減速させ、現在の純粋持続に対する感覚を養うために、また瞑想を習慣化したほうが良いかもしれないという気が生じてきた。やるとしたら起床後と就寝前の一日二回で良いだろう。とにかく生を急がず、自分自身と一致しながら暮らしたい。
  • Amazon Musicスピッツ『名前をつけてやる』を流しつつ、昨日の日記にメモした英文記事を「あとで読む」ノートに移していく。#2 "日曜日"に、「晴れた空だ日曜日 戦車は唾液に溶けて/骨の足で駆け下りて 幻の森へ行く」という一節があるが、このなかの「戦車は唾液に溶けて」はなかなかすごく、思わず耳に残った。
  • それから何をしようかなあと迷いながらひとまず八月七日の記事を覗いてみると、書き足すことがそんなになさそうだったので、この日の日記を綴る気になった。そうは言ってもしかし、仕上げるまでに一時間四〇分もかかり、完成に至ったころには二時を回っていた。投稿時にはスピッツの作品をリリース順にたどるのをやめて小沢健二『So kakkoii 宇宙』を流してみたのだが、#1 "彗星"の開幕から彼特有の歌唱のダサさに磨きがかかっているなという印象で、小沢健二という人は昔の作品からだいたい一貫して歌に関しては独特の「ヘタウマ」的な感触があると思うのだけれど(1stアルバムがたぶん一番それが薄かったのではないか?)、歳を取ってそれがさらに顕著になっているような気がした。ダサさというのはたとえば、発声・発音のニュアンスとか歌声に対する力の入れ方とかアクセントの配分とかだ。おそらく彼以外にはなしえないであろう絶妙なダサさと言うほかはなく、楽曲自体はもろもろ賛否はあるとしても一定以上の質で洗練されていることは否定できないはずなのに、それと歌の野暮ったさの組み合わせはほとんど矛盾的なまでの不調和を生んでいて、こういう結合は物珍しい。
  • 腹が減ったので夜食を取りに行き、取り置きしておいたゴーヤの炒め物と白米を用意し、また五個入りの小さなクリームパンから三つをティッシュに包んでポケットに入れると帰ってきて、一年前の日記をひらきながら食べはじめた。2019/7/18, Thu.の冒頭には岩田宏ショパン」の第八部全篇が引かれていて、この詩句は読み返すたびにすばらしいすばらしいと言いながらそのときの日記に転載しているのだが、今日読んでみてもやはりあまりにもすばらしいとしか思えず、この世で最高の詩篇のひとつではないかとすら思う。こんな言葉の連なりをこの世界に生み出したいと心から思う。

 どんなにあなたが絶望をかさねても
 どんなに尨大な希望がきらめいても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が
 廃墟にささやかな住居をつくっても
 どんな旗が俄かに高々とひるがえっても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 あやまちを物指としてあやまちを測る
 それが人間ひとりひとりの あなたの智恵だ
 モスクワには雪がふる エジプトの砂が焼ける
 港を出る船はふたたび港に入るだろうか
 船は積荷をおろす ボーキサイト
 硫黄を ウラニウムを ミサイルを
 仲仕たちは風の匂いと賃金を受け取る
 港から空へ 空から山へ 地下鉄へ 湖へ
 生き残った人たちの悲しい報告が伝わる
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は!
 ふたたび戦争 かさねて戦争 又しても戦争
 この火事と憲法 拡声器と権力の長さを
 あなたはどんな方法で測るのですか
 銀行家は分厚い刷りもののページを繰る
 経営者はふるえる指で電話のダイヤルをまわす
 警官はやにわに駆け寄り棍棒をふりおろす
 政治家は車を下りて灰皿に灰をおとす
 そのときあなたは裏町を歩いているだろう
 天気はきのうのつづき あなたの心もきのうそのまま
 俄かに晴れもせず 雨もふらないだろう
 恋人たちは相変わらず人目を避け
 白い商売人や黒い野心家が
 せわしげに行き来するだろう
 そのときピアノの
 音が流れてくるのを
 あなたはふしぎに思いますか
 裏庭の
 瓦礫のなかに
 だれかが捨てていったピアノ
 そのまわりをかこむ若者たち
 かれらの髪はよごれ 頬骨は高く
 肘には擦り傷 靴には泥
 わずかに耳だけが寒さに赤い
 あなたはかれらに近寄り
 とつぜん親しい顔を見分けるだろう
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は
 けれどもかれらが耳かたむける音楽は
 百五十年の昔に生れた男がつくった
 その男同様 かれらの血管には紛れもない血が流れ
 モスクワの雪と
 エジプトの砂が
 かれらの夢なのだ そしてほかならぬその夢のために
 かれらは不信と絶望と倦怠の世界をこわそうとする
 してみればあなたはかれらの友だちではないのですか
 街角を誰かが走って行く
 いちばん若い伝令がわたしたちに伝える
 この世界はすこしもすこしも変っていないと
 だが
 みじかい音楽のために
 わたしたちの心は鼓動をとりもどすと
 この地球では
 足よりも手よりも先に
 心が踊り始めるのがならわしだ
 伝令は走り去った
 過去の軍勢が押し寄せてくる
 いっぽんの
 攻撃の指が
 ピアノの鍵盤にふれ
 あなたはピアノを囲む円陣に加わる。
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、170~175; 「ショパン」; 「8 モスクワの雪とエジプトの砂」; 『頭脳の戦争』より)

  • 勝海舟全集』がほしい。せっかく日本国に生まれたのだし、日本の近代の人物とかそれ以前の時代の文章も読みたいし読まねばならないとも思うのだが。
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)を書抜き。80ページに「ステファン・タナカや姜尚中もいうように、今日わたしたちが「東洋」として認識している概念は、実際には一八八〇年代に活躍した徳富蘇峰白鳥庫吉といった植民地主義者が、すなわち西欧型近代国家をめざす日本的主体が日本以外のアジア諸国を、とりわけ中国に象徴される過去の歴史を攻略するために編み出した準拠枠にほかなるまい」とあるのだが、この点はおそらくかなり重要なポイントなのではないか? というのも、「東洋」という概念はおそらくのちにおいて「大東亜」へと繋がっていくのではないかと思われるからだ。特に確かな根拠はないのでもしかしたら違うのかもしれないし、この推測が一応正しいとしてもそんなに単純に線的な発展過程であるわけがないだろうが、とはいえ「東洋」の誕生、そしてそこからさらに「大東亜」へと向かっていくかもしれない歴史の調査というのは、相当に重要な仕事のひとつであることは疑いないだろうと思う。たぶん似たようなことはすでに誰かがやっているはずだと思うのだけれど、こちらの学習の手始めとしてはまず福沢諭吉明六社とか、江華島事件とか、大久保利通清朝の関わりとか日清戦争とか、当時のいわゆる日本主義者(三宅雪嶺高山樗牛や、陸羯南なんかもそうなのか?)たちの言説とか、もちろん韓国併合とかについて調べなければならない。江戸後期(水戸学)以降の日本的ナショナリズムの歴史というものもめちゃくちゃ重要な研究対象だろう。
  • 書抜きを終えるとベッドに移って清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)。読みながら触発されて自分の頭のなかにもイメージや詩片が生じるので、それらを手帳にメモしつつ言葉をたどる。この日読んだなかで気になった言葉は二つ、87にある「繖形花」と、92の「乳かくし」。「繖形花」という語は初見ではなくて過去にも見かけたことはあるが(たぶんWikipediaで何かの花の記事を読んでいたときだと思う)、そういやこんな言葉あったなと珍しく映った。「繖形花序」というのは、「無限花序の一。花軸の先に、柄をもつ花が放射状につくもの。サクラソウ・セリ・ニンジンなどにみられる」らしい。「繖」という字は唐傘を意味するらしいので、花の集団が傘のように広がっている形ということだろう。「乳かくし」はブラジャーのことだと思うのだが(「桃色のヅロースや、レモン黄のシュミーズ、白の乳かくしなどが、そこらいつぱい、レビュウガールのたまり場でゞもあるやうにぬぎちらしばらまいてある」という一節に出てくる)、そもそもブラジャーのことをべつの単語で言うという発想自体がこちらになかったし、しかもそれが「乳かくし」などというクソ単純で直接的な言葉だったのでちょっと驚いた。


・読み書き
 14:45 - 15:05 = 20分(作文: 2020/8/16, Sun.)
 15:05 - 16:17 = 1時間12分("D"についての説明)
 17:03 - 17:47 = 44分(作文: 2020/8/16, Sun.)
 20:51 - 21:11 = 20分(記憶)
 21:11 - 21:45 = 34分(英語)
 23:32 - 24:02 = 30分(作文: 2020/8/16, Sun.)
 24:22 - 26:04 = 1時間42分(作文: 2020/8/7, Fri.)
 26:32 - 26:49 = 17分(2019/7/18, Thu.)
 27:05 - 27:16 = 11分(2020/8/16, Sun.)
 27:16 - 27:50 = 34分(巽)
 27:50 - 28:34 = 44分(金子: 68 - 93)
 計: 6時間38分

  • 作文: 2020/8/16, Sun. / "D"についての説明文 / 2020/8/7, Fri.
  • 「記憶」: 102 - 105
  • 「英語」: 237 - 257
  • 2019/7/18, Thu.
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 78 - 80(書抜き)
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年): 68 - 93

・音楽

2020/8/7, Fri.

 [一九四一年]一〇月四日、県知事[フリードリヒ・]ユーベルヘーアは、ウーチ・ゲットーへの二万五〇〇〇名の追加問題についてヒムラーに書簡を送った。そこでは、ゲットーへのインフラ整備の支出は不可能であり、軍のための生産保証の限界、伝染病、食料欠乏、治安・秩序紊乱などの危険を挙げ、伝染病蔓延の危険は、ウーチの「アーリア人地区」に暮らすドイツ人一二万名にとって看過できないとしていた。そして、ゲットーそのものを「大削減ゲットー」、つまり殺害を容認して移送を受け入れられる状態にすることを条件としていた。
 ユーベルヘーアは、一〇月九日に再びヒムラーに抗議の書簡を送った。ヒムラーはこれをはねつけたが、一一日にウーチ・ゲットー行政長官ハンス・ビーボから事態を知った国防軍国防経済部長ゲオルク・トーマス将軍が介入する。トーマス将軍はウーチ・ゲットーへの二万五〇〇〇名の追加は戦争に不可欠な生産活動を阻害しかねないとし、そのうえでヒムラーワルシャワなど他のゲットーへの移送の可能性を打診した。
 ヒムラーは[アルトゥア・]グライザーと協議し、ゲットーの「合理化」(移送・収容・給養・強制労働投入の同時過程円滑化・コスト削減)の必要性を確認した。そして、労働力として利用可能な者と「非生産的な」(労働不能の)者に二分し、後者に対し組織的・効率的に殺害する方法を選択するのである。この前提のもと二万五〇〇〇名がヴァルテガウ内のウーチ・ゲットーへ送られることになる。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、139~140)



  • 一二時二二分離床。クソ暑い。ティッシュで鼻のなかを掃除したり、洗面所に立ってうがいをしたりしたのち、今日は先にコンピューターを用意した。昨日の日課記録をつけ、今日の記事も作成してから上へ。父親は仏間にいる。食事の前に浴室に入り、浴槽のなかで身を屈めながらブラシを動かしていると、窓外でカラスがやたらと鳴き盛っているのに気がついた。ざらついているでもなく、かと言って間抜けたように伸びた鳴き方でもなく、なんだか珍しいような、空疎みたいな感じの声音。今日は曇りで明確な陽射しはなく、空気は白いのだけれど、しかしその色は明るめで、水っぽく淀んだ質感はなくて中和的に乾いている。
  • 野菜を詰めたスチームケースが冷蔵庫に用意されてあったのだが、それは夕食か出勤前に食べることにして、ハムエッグを焼いた。新聞を読みつつ食事。新聞の戦争証言はなかにし礼満州は牡丹江という土地に生まれたらしいが、そこは一九四五年八月九日のソ連軍侵攻まで戦況の悪化とは無縁で贅沢三昧の暮らしが続いていた、と言っている。しかし当時六、七歳の子どもの記憶だから覚えていないこともあろうし、生育環境的に見聞きしなかったことや気づかなかったことももちろんたくさんあるだろう。
  • 父親はどこへだか知らないが出かけてくると言う。ストライプ柄の開襟シャツにスラックスのわりときちんとした格好だったので、(……)か職場関連だろうが、そう言えば昨日母親が、明日(……)に行くときには髭剃ってねとか要求していたので、たぶん(……)に挨拶か何かで出向くのではないか。食事を終えたこちらは皿を洗い、湧き出る汗を制汗シート(「Ban」)で拭い、緑茶を持って帰室した。Twitterをちょっと覗いたときにThey Called Us Enemyという本がどうのという情報を一瞬見かけ、そこからpublic enemyという単語を連想的に想起し、さらに『Blue Muder』の#7 "Billy"に"They called him public enemy No. 1"という一節があったことを思い出し、と言うかその部分が頭のなかに流れたので、久しぶりにこのJohn Sykesのバンドのファーストを流すことにした。They Called Us Enemyというのはジョージ・タケイという日系二世のアメリカの人が戦時中、例のカリフォルニアの強制収容所に囚えられた経験を語ったものらしく、漫画と言うかグラフィック・ノベルのようだ。したがって当然興味を覚えるものだが、しかしいわゆるショアーを筆頭として強制収容所に対するこちらの関心は一体何なのだろうと思う。どこから来ているのだろう。関心があるということは単純に知りたい気持ちがあるということでもあるが、それ以上に、必ず知らねばならないだろうという、なんか妙な使命感(などという語では本当は強すぎるのだが)みたいなものがある。そういうロマン主義的とも言えるような大仰な感覚は個人的にあまり望ましくはないと言うか、本当はもっと淡々と、粛々と捉えたいのだけれど、ともあれ収容所への関心はもちろん、ジェノサイド一般への関心と密接に結びついている。いわゆるショアーをはじめとしたそれら非人道性の歴史(その一部はたとえば中国という国において紛れもなく現在進行中である)についての学びも進めなければならない。
  • 昨日の日記を記述。三時に至ったところで、洗濯物のことを完全に忘れていたことに気づいて上階へ。ちょうど父親が帰ってきたところだった。ベランダに出ると、明瞭な陽射しがあるわけでないのに大気の熱が分厚く重く、とても濃密で、(「空気抵抗」とか「水の抵抗」とか言うときのような意味で)〈抵抗的な〉熱気という感じだった。身を包みこむ熱がゼリーみたいにからだにまとわりついて動きを阻害するようなイメージ。タオルだけ畳んで洗面所に運んでおいてから帰室し、六日分をまた進めると三時半。八月六日は読書メモをまだ記していない。また、近いところだと八月三日と五日がまだ書けておらず、遠いほうは六月一九日を進行中だ。
  • 「英語」を読んだあと、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を書見。この本の前半に収められた論考はだいたい、人の精神や認識による「意味づけ」とそれ以前の世界あるいは「現実」を巡るもので、それは換言すればもちろん「物語化」と「自然」の対立図式ということになり、柄谷行人は後者を志向する作家に興味を覚えて評価しているようだから、すくなくともこの七〇年代前半時点での柄谷は蓮實重彦と近しい場所に立っていると言って良いと思う。柄谷の言う「自然」という概念は、やや乱暴にまとめてしまえば蓮實重彦の言う(「物語」に対するものとしての)「小説」とだいたいおなじものだと考えられるからだ。そのあたり『意味という病』の実際のテクストに沿って跡づけたり、また蓮實重彦のほうの姿勢も本当はそんなに単純なものではないはずなのでまた考えていかなければならないが、もう出勤する時刻なのでいまはその余裕はない。
  • 出発。空気はやはり停滞的で重く、かなり暑い。なかに草の饐えたようなにおいも籠っている。道を行けばクロアゲハがすぐ前を横切って林の茂みへ入っていって、先日も坂道で何匹も飛んでいたのだけれど、こんなに見かけるような虫だっただろうか? 歩みを進める身体は暑気にやられているのか、すでに疲れているような感じだ。木の間の坂道には蟬が叫びを撒き散らしており、距離が近いと侵入的な(まさしく頭蓋のなかに侵入してきて脳に触れるような)やかましさである。ガードレール先の木叢の一角では葉っぱたちが光の飴を塗りかぶせられててらてら橙金色に輝いている。
  • 最寄り駅に着くとベンチに座ってメモ書きをはじめたのだが、ちょうど西陽が直撃する位置および向きでクソ暑く、先ほどの葉っぱのように粘る光の飴に包まれて肌は汗を吹き出して、腕も首も腹も背も額もすべて水気に濡れる。さすがにハンカチで拭うけれど、そのなかに入っているだけで鼓動がはやくなるような暑さだ。
  • 涼しい電車に乗って(……)に移動し、職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤すると駅へ。ホームに出ると「濃いめのカルピス」のボトルを買い、ベンチに就いてマスクを外すと飲みながら手帳にメモ。目の前の一番線に停まっていた電車が発車する際に何やら騒がしい声が聞こえてきて、ああ、サッカー帰りの(たぶんサッカークラブだと思うのだけれど)少年たちだなとすぐに気づいた。電車が去ったあとから果たして、揃いの運動着をまとった男子たちが湧き出す雲のごとく不定形に群れてあらわれ、そのころにはこちらはカルピスを飲み終えていたので席を立ち、茶菓子として「アルフォート」(ブルボンのチョコレート)を買って帰ろうと何となく思っていたので菓子類の自販機に寄り、バナナ風味のものと塩バニラ味とかいうものの二品を買って電車に乗った。そうして引き続きメモ書き。
  • 最寄り駅を抜けると今日は遠回りすることにして坂に折れずに街道を行く。すると間延びした歌声が背後から聞こえてきて、ちょっとすると通りの対岸を若い男性の自転車が、"tell me what you want~"とか歌いながら過ぎていった。裏路地に入って下りていくと、八百屋のトラックが停まっていたので近づいて、運転席の暗がりに収まっていた旦那に挨拶。そのまましばらく立ち話する。新宿あたりの市場に仕入れに行くらしいのだが、都心のほうに店を構えている人のそばには寄らないようにしていると笑う。競りはたぶん大声を出さず、ハンドサインで行われているようだ。でもコロナウイルスなんて言ってもできることはそうないですからねえ、マスクつけて、手を洗って消毒するくらいしかないでしょと言うと相手も同意し、誰が悪いってわけでもねえじゃん? だから仲間とはロシアンルーレットみたいなもんだよなあ、つってるよ、と答えるので同意で応じつつ、この比喩はわりと言い得て妙かもしれないなと思った。ほか、遊びには行くのかと訊かれるので、(……)に出る程度で行くのもだいたい本屋くらいだと返すと、俺は山に入ると相手は言う。山菜を採りに行くのだと言うのでちょっと興味を惹かれた。例年は新潟まで遠征したり、また(……)のそのへんの丘や森にも普通に入ったりするらしいのだが、それで言やすぐそこの(……)さんのとこには、俺が見た限りでも一一種類は食えるもんがあったぜと言うので、マジかよと思った。そんなにぽんぽん生えているものなのか。しかし当然、山菜を採るにはそれを見分ける知識をそなえていないといけないわけで、植物や生物やもろもろの自然に対するそういう知見(〈野生の教養〉)にはこちらも惹かれるところがある。生物学とか植物学とか博物学とかについても本を読んでみたいのだが。
  • 帰宅後は書見しつつ身を癒やし、夕食は米やら素麺とハムなどをケチャップで炒めたものやらスチームケースに入った野菜やら廉価なハンバーグやら。食後はすぐに入浴。湯に浸かりつつ、存在感覚とか独我論とかデカルト的な主題などについてちょっと考えたが、こまかく思い出して記述するのは面倒臭い。ポイントとしては、(思惟ではなく)〈体感〉(皮膚感覚)の方面から存在感覚を考えまた捉えたいということ、存在性を対象化するということ(あるいはその不可能性?)、いわゆる独我論について、そして自己と他者のあいだにおける基本的条件としての完璧な認識論的断絶、など。独我論についてすこしだけ付言しておくと、いわゆる独我論というのは教科書的には、本当に存在しているものはこの自分だけで、自分以外の事物や世界や存在はすべて自身が錯覚している単なる幻影(幻想)であり本当に存在しているわけではない(かもしれない)という風に世界を捉えるような考え方だと理解しているのだが、これはこちらにとっては全然納得の行かない捉え方で、特に論理的な根拠はないのだけれど、自分だけが存在しているなんてことがあるわけねえじゃん、それだったら自分も含めてこの世界そのものが総体としてまったく存在しておらず実は完全な無だと考えたほうがよほど納得が行くわ、と思ったのだった。もちろんこれは、言語的には完璧な矛盾である。この世界総体が存在しておらず純粋な無なのだとしたら、この自分の思考や、もしかしたら錯覚でしかないとしても世界を認識する精神の働きも存在せず、起こり得ないはずだからだ。だが、こちら個人においては、「この自分だけが本当に実在している」といういわゆる独我論的な思考よりも、「この世界は実はすべてまったくの無である」という命題のほうが、それが言語的・意味論的・感覚的に矛盾していようがなんだろうがよほど〈リアリティ〉を感じる、ということだ。誰の目にも明白だと思うが、これは論理的に順を追って考えたことではなく、単なる直感的なこちらの感覚でしかない。いわゆる独我論そのものに関しても、素朴な形態としてのそれをマジで心から信奉して実存としてそれを生きている人間はおそらくほとんどいないと思うのだけれど、しかし独我論を突き詰めて考えていったときにそれを論理的に否定することはかなり困難であるのかもしれず(もしかしたら不可能ですらあるのかもしれず)、もしそうだとすれば、この世のすべての人間が独我論的な思考を考えうる、という点にこそ興味深い問題があるような気がする。だがこの観点自体もまたある意味で(素朴な独我論とは違う意味で)独我論的なのかもしれない。つまり、この自分が考えうることはこの世のすべての他者においても通用し考えうる、という見方を前提化しているということだ。
  • 零時を回って六月一九日の日記を仕舞える。投稿しようとインターネットに繰り出すと、『東京骨灰紀行』という作品の名前を見かけ、なんか面白そうだなと検索してみると、小沢信男という人の本らしく、ちくま文庫に入っている(https://www.amazon.co.jp/東京骨灰紀行-ちくま文庫-小沢-信男/dp/4480429891)
  • 現在一時二八分。新聞記事をちょっと写すことに。2020年(令和2年)6月9日(火曜日)朝刊。二か月も前の新聞を写すというのもわりと馬鹿げている気がするが仕方がない。25面に【ロベルト・コッホ賞に坂口氏】。「ドイツのロベルト・コッホ財団は8日、過剰な免疫の働きを抑える細胞を発見した坂口志文[しもん]・大阪大特任教授(69)に、今年のロベルト・コッホ賞を授与すると発表した」。「坂口さんは、病原体などを攻撃する免疫細胞のブレーキ役になる免疫細胞を発見し、「制御性T細胞」と名付けた」と言う。
  • 26面には訃報がいくつか。後藤比奈夫という俳人が一〇三歳で死亡。「大阪市生まれ。大阪帝大(現・大阪大)理学部を卒業後、高浜虚子の弟子だった父に師事し、1976年、俳誌「諷詠」の主宰を父から引き継いだ」。「06年に「めんない千鳥」で蛇笏賞、17年に「白寿」で詩歌文学館賞を受賞」。
  • 北構[きたかまえ]保男・考古学者・一〇一歳。「北海道根室市出身。5~12世紀頃にオホーツク海沿岸で栄えた「オホーツク文化」を80年以上研究し、遺跡の発掘や保存に取り組んだ」。
  • 石川恭子・歌人・九二歳。「東京生まれ。東京女子医科大卒。小学校時代から作歌を始め、医師として万物の命を平明に詠んだ歌などを数多く発表した。1994年に日本歌人クラブ賞を受賞。歌集に「木犀の秋」「Forever」など」。

The June 28 [in 2019] assault against Mr. Sirawith [Seritiwat], who had already been beaten up less than a month before, is one of about 10 cases over the past year in which democracy activists have been attacked by unknown assailants.

Even more alarming, dissidents who had lived in self-imposed exile in neighboring Laos have turned up dead in the Mekong River with concrete stuffed in their bellies.

     *

Like many other political activists, Mr. Sirawith, 27, has also been embroiled in various court cases, with charges ranging from forming illegal political gatherings and being in contempt of court to contravening the nation’s notorious Computer Crime Act.

     *

In a gritty neighborhood of Bangkok, the veteran political activist Aekachai Hongkangwan lives under self-imposed house arrest, carefully locking his new gate every time a visitor enters his home.

Since January 2018, he has been attacked seven times, often by men on motorcycles with helmets obscuring their faces. Twice his car has been burned.

Most recently, his hand was broken and face beaten after four men surrounded him in May after he appeared in court for one of several cases against him. While the police have promised to look into the multiple attacks, most have gone unpunished.

  • 夜食に櫛切りにしたキュウリ(味噌添え)と即席の味噌汁を持ってきて、キュウリをシャリシャリ食いながら、(……)さんのブログから二〇二〇年四月一七日の記事を読む。

 実は、みんなが差別を批判できるようになったのは、つい最近のことなのだ。かつては差別を受けた当事者(被差別者)だけが差別を批判できる、という考えが支配的であった。この変化は、単に「差別はいけない」という考えがひろく世間に浸透したからではない。差別を批判する言説に大きな転換があったためである。その転換は「アイデンティティ」から「シティズンシップ」へ、とまとめることができる。(…)
 「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」という有名な言葉がある。差別は差別された者にしかわからない、という意味だ。いくら想像力を働かせたとしても、踏まれた他者の痛みは直接体験できない。だから、当事者(被差別者)以外の人間が批判の声をあげたとしても、当事者にたいして引け目を感じざるをえないはずだ。痛みを直接体験できない人間は正しく差別=足の痛みを理解しているのか、みずからに問いかけ続けるしかないからである。しかし、ここ数年の炎上騒動において状況はあきらかに異なっている。ひとびとは、自分は本当に差別をしていないか、と省みることなく、差別者を批判している。ここに、差別を批判するロジックが「アイデンティティ」から「シティズンシップ」にかわったことが見てとれる。
 差別は特定の人種、民族、ジェンダー性的指向や障害などを持つ人間を不当に扱う行為である。また、差別は個人が所属する社会的カテゴリーにたいする偏見から生じる。これら不当に扱われるアイデンティティ(帰属性)を持つ集団が、社会的地位の向上や偏見の解消を目指す政治運動をアイデンティティ・ポリティクスと呼ぶ。たとえば、フェミニズムは家庭に閉じ込められていた女性の社会進出をうながし、「女性は感情的だ」とか「母性本能」といった男の偏見にたいして闘ってきた。
(…)
 アイデンティティの論理ではなく、シティズンシップの論理が差別やセクハラの炎上騒動の背景となっている。それは、当事者/非当事者を問わず、ひとりの「市民」として差別を批判する立場である。ヘイトスピーチを例に出して見てみよう。
(…)
 アイデンティティ・ポリティクスを規準にすれば、在特会を批判できるのは、そのヘイトスピーチの対象となっている在日朝鮮人らだけである。では、どのようなロジックで日本人は、日本人による在日朝鮮人らにたいするヘイトスピーチを批判したのか。対レイシスト行動集団C.R.A.C.(前身団体「レイシストをしばき隊」)を結成した野間易通は、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズの「秩序ある社会」、そして「公正としての正義」を目指したと述べている。
 ここでは、同じくロールズに依拠しながら、ヘイトスピーチ規制法の必要性を訴えているアメリカの法学者ジェレミー・ウォルドロンを見てみよう。ウォルドロンはヘイトスピーチ規制法が保護するものについて次のように述べている。
 ヘイトスピーチを規制する立法が擁護するのは、(あらゆる集団のあらゆる成員のための)平等なシティズンシップの尊厳である。そしてそれは、(特定の集団の成員についての)集団に対する名誉毀損が市民から成る何らかの集団全体の地位を傷つける危険があるときには、集団に対する名誉毀損を阻止するためにできることをするのである。
 ここで重要なのは、法が守るのは「平等なシティズンシップの尊厳」であるということだ。この文の前の箇所では、尊厳とは「集団の個々の成員」の「尊厳」なのであって、「集団そのものの尊厳や、集団をまとめる文化的または社会的構造の尊厳」ではないと注意をうながしている。つまり、尊厳とは「市民」の尊厳であって、民族や人種といったアイデンティティの尊厳ではないのである。
 野間とウォルドロンの両者がロールズに依拠するのは、ロールズがあらゆる社会的アイデンティティにかかわらない正義を考えたからだ。『正義論』においてロールズは、ひとびとが正義の原理を選択する際に、「誰も社会における自分の境遇、階級上の地位や社会的身分」や「もって生まれた資産や能力、知性、体力」などがまったくわからない状態=「無知のヴェール」に覆われた状態を想定した。ここで注意すべきは、あらゆるアイデンティティが「無知のヴェール」に覆い隠されることだ。
 「市民」であれば、だれもが差別を批判できる。これがシティズンシップの論理である。差別やパワハラの炎上騒動で当事者以外の人間がとても雄弁だったのは、この正義を前提にしているからだ。
(…)
 シティズンシップの論理は、非当事者をふくめたみんなが差別を批判できる状況をつくった。しかし、いっぽうで差別批判を「炎上」という娯楽にしてしまったといえる。インターネットだけでなく、週刊誌・ワイドショーで消費される格好のネタになった。ここ数年の炎上騒動は、差別者を一方的に悪者に仕立て上げる傾向がある。それが可能なのは、みんなが自身が持つ差別性を問われることなく、安心して差別者を糾弾できるからだ。そのため、差別の原因や背景などが考察されないまま、どのような社会的制裁を受けるか・与えるかばかりに注目が集まり、そして新たな差別者の告発に躍起になる。しかし、本当に差別者だけが悪なのか。私たちだけが善なのか。シティズンシップの論理は、もしかしたら差別をしているかもしれない、とみずからに問いなおすこと、差別とは何か、と考えるきっかけを失わせている。
(綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』p.9-16)

  • (……)さんの友人である(……)さん夫妻の出産報告も。「名前であるが、「(……)」か「(……)」で迷っているというので、いやいや(……)コロナやろと応じた」にはさすがに笑う。結局どうも「(……)」が選ばれそうな雰囲気だが、たしかにこの名は格好良い。いかしている。
  • (……)さんのブログも。二〇二〇年四月二九日に今泉力哉パンとバスと2度目のハツコイ』(2018年)の紹介。「ふみはほとんどすべての結果を先取りして考えてしまい、そのことに絶望(自足)してしまう病気に掛かった人だ」という一文にちょっとほうほう、となる。(……)さんがいま書いている小説の発想源としているジャ・ジャンクー『青の稲妻』(2002年)についても。「久々の再見だが、ある巨大な丸太を一気にぶった切ったら、断面におびただしく大量の生き物たちの蠢きが猛烈に展開されていて、その有様をただ目を見張って見ているしかない…といった感じの作品だ。(……)アルコール会社のキャンペーンガールは荒涼とした土地にぽつんと停車したトレーラーの荷台で長い手足を振りながら踊る。タバコを吸いながらチャオチャオの踊りを凝視するのは、まごうことなき不良の目つきと表情をたたえた不良少年シャオジィだ。不良少年とはまるでその場所に生えた独自の草のようだ。割れた音質の歌謡曲と耳障りなバイクのエンジン音と埃と喧噪の中に生息する草。(……)」とのことで、 なんかすごそう。
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)の書抜き。「アメリカ新批評」における「後世に残る批評家たち」の一員として、F・O・マシーセンという名前が出てきたので、これはもしかしてピーター・マシーセンの父親とかか? と思ったのだが、どうも関係はなさそうだ。ちなみにほかにアレン・テイトという名前も挙げられているが、この人の『現代詩の領域』という古い本は何年も前に古本屋で入手して以来書棚に眠っている。アメリカ新批評の遺産もたぶんまだまだ全然訳されていないのだと思うけれど、面白そうだし、頑張ればたぶん英語でも読めるだろうからそのうち触れたい。
  • 一日の終わりにまた柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読んだ。163には夏目漱石の『こころ』について、「先生は自分が"やってしまった"行為をあとから考えているのだ。なぜやってしまったのかと問うているので、どんな意味づけをしてもよくわからぬ「行為」というものの謎を問うているのである」とあり、また同ページの終盤から次ページにかけても、「反アイディアリスティックな姿勢、すなわちイデアであれ主題であれ概念であれ、そういうものが先行するのではなく、"やってしまう"という人間の行為の結果がそれらしきものをつくり出すのだという姿勢」という定式化が見られるのだが、ここでジョルジュ・カンギレムのことを思い出した。というか正確には、何年か前に読んだグザヴィエ・ロートという研究者のカンギレムについての本(『カンギレムと経験の統一性: 判断することと行動すること 1926–1939年』というものだった)を思い出したもので、この著作はカンギレムをラニョー、アランという一九世紀フランスの「反省哲学」の系譜に位置づけながら彼の思想的変遷を丁寧に跡づけるみたいな感じだったと思うのだけれど、そのなかでカンギレムは最終的にデカルトを読み直しながら、人間が思考よりも先にまず何かを「やってしまう」、「行為してしまう」存在だということの意味について考えようとしていた、みたいな論点があったように思うのだ。詳しいことは全然覚えていないのだけれど、これはこちらにとってもけっこう大きな興味の対象であるテーマなので、この本をまた読み返したい。いま書抜きを見返してみるとこの書物を読んだのは二〇一七年四月のことだった。関連すると思われる部分を下に記録しておく。当たり前のことを述べていると言えばそうなのかもしれないが、その常識的認識がテクストの丁寧な読解によって哲学的に精密に基礎づけられるということの意味は決して小さくないだろう。

 学者にとっては、物質とはたとえば、認識すべき[﹅5]対象である。そして彼にとって目指すべきこととは、その物質についての普遍的で必然的な法則を明らかにすることであり、そのために、彼がその研究を行なっている環境に含まれる、あらゆる特殊なものを無意味化することである。だからこそ科学的分析は学者に対し、真理を探究しようという限りは、自らの欲望や欲求の圏外に身を置くようにと命じるのである。科学とは、いまそうであること[﹅9]を証明する機能を持つ、規範形成的な活動なのであって、普遍性のために特異性を無効化するものである――これは、それなくしてはもはや科学が真理について語ることが不可能となってしまう、議論の余地のない、必然的な手続きである。
 これとは逆に、技術者にとっては、事情は全く異なったものとなる。そこでは、この活動は<いま・ここ>〔l'hic et nunc〕に全面的に従属するのである。技術者にとって物質は認識すべき[﹅5]対象というより、必要を満たすために使用すべき[﹅5]対象である。つまり、技術的判断において実現される経験の序列体系では、有用性の価値の方が真理の価値に勝っている。そして技術者にとっては、物質の本質的な法則を知ることが問題なのではなく、彼が目指すのは、彼の置かれた特異な状況が要求する差し迫った効果を生み出すことである。そのようなわけで、初歩的な認識――あるいはカンギレムが『哲学原理』第四部におけるデカルトを引いて述べたように、ただ真実らしく思われただけの〔vraisemblable〕認識――であっても、技術者が実践的な問題を解決するには十分に役立つことができる。科学的精神にとって物質が、それについての純粋なる認識以外のなにものとも関わりを持たないという意味で<目的自体>〔fin en soi〕であるとすれば、反対に、技術的精神にとって物質とは目的を叶える<手段>であり、その目的は場面と時の特異性に刻み込まれた火急性を帯びている。これを反省という視点において見るなら、では技術とは認識による判断にその起源を持つものではないのだと考えられる。言い換えれば、科学的精神と技術的精神とでは、それにとって価値をなすものが一致しない以上、この後者と前者を混同してはならないということである。人間的経験におけるこの「多義性」が結果として、経験を統一するという哲学固有の使命を極めて複雑なものとするのは明らかであろう。科学的な領域において価値を持つものに対して、もし本当に技術的精神が無関心なのだとすれば、人間的経験の総体を統一するために、カントが科学的精神の分析から導き出したものである悟性の諸カテゴリーを召喚することはもはやできないのである。
 (グザヴィエ・ロート/田中祐理子訳『カンギレムと経験の統一性 判断することと行動すること 1926-1939年』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス1050、二〇一七年)、300~301)

     *

 恩師の非歴史的態度と袂を分かつ形で、カンギレムはまず一九三七年のテクストにおいて、デカルトにとっての技術の問題とは、ストア派――およびギリシアの哲学者全般――におけるのと同じ言葉遣いで論じられることはできないという点を強調する。それというのも、「ストア派哲学は神の摂理を主張すると同時に、人間の進歩を頑なに否定したのである」。首尾一貫した、神による道理が浸透し支配する、いかなる改良の可能性も残さない宇宙には、確かに技術の思想などというものの余地は全く存在しない。V・ギランが要約するように、「すべては既に、最もあるべき世界のうちに置かれているのである」。そしてそのような状態では、いかにして技術的な行動が最終的に何らかの価値を獲得しうるものであるのか、理解することはできない。しかるに、カンギレムは以下のように指摘する。

この学説に関して、デカルトの思想が一つの転回をなそうとしていたことは疑いない。[…]必然性をして徳となすということを放棄し、デカルトは自ら自身と我々とに対して、必然性についての認識を力へと転じさせることを提案するのである。

人間を「自然の主人にして所有者」とすること、それは確かに、<コスモス>の概念に結晶した古代世界の価値体系と根源的に断絶することである。それゆえにこそ、

デカルトの学説においては、原子論者たちの学説におけるのと同様に、実質なき質料、目的論なき宇宙が、技術の創造という力に対する信奉の形而上学的な理由となる。本性的な合目的性の断固たる否認は、デカルトの哲学において、自然についての機械論的理論と、技巧についての技術論的理論の、基礎条件となるものである。

不動であり完璧なものである構造がいかなる進歩の可能をも排除するような、完成された世界においては、真正に技術論的な思想は生じることができない。目的因と技術的行動は、互いに相容れないのである。だからこそ、カンギレムはデカルトと原子論者に続いて、それ固有の意図を持たない物体の衝突によってすべてが説明される機械論的宇宙が、あらゆる技術的思考を準備する条件となるのだと述べたのである。実はこのことこそ、カンギレムが引用する『物の本質について』第五巻で、ルクレティウスがはるか古くに失われた黄金時代の神話に対して進歩の神話を対置した際に、まさしくそこで考えられていたことなのである。「宇宙についての神の摂理によるあらゆる計画の否認」においてこそ、以下のことは可能となる。

それによって、常により巧妙で、より多くの知識を得る人間性が、自らと外界との関係を改変し、与えられていなかったものを自らに与え、そして労働を通じて、あらゆる神学的哲学において自らがそこから下ってきたものとされている完全状態にまで上昇することとなる、技術の進歩を主張すること。

確かに、世界は人間性のために作られているわけではない。しかしその歴史を通して、人間性は自然を利用し、事物の本性に刻まれているわけではない自らの目的に合わせて、自然をたわめることを学ぶのである。この点に関して、『方法序説』第六部におけるデカルトは、まさしく同じことを述べているとしか考えられない。
 (320~322)

     *

経験とは常に<遭遇>なのであれば、我々は自らの行動を完全な用心をもって開始できるほどに、それについて知っておくことなど決してできないだろう。しかし状況による火急性は、たとえ何らかの行動をとるために出会うこととなるリスクのすべてを見越すことができるほどの知識を備えていなくとも、我々に行動するように強いる。そのためにこそ、カンギレムはデカルトの哲学において、「『決定的』な分析をなす科学というものの不可能性」を「『決定的』道徳というものの不可能性」と結びつけたのである。彼によれば、デカルトによる「仮のものとしての道徳」への承認は、要するに、経験とは、それについて我々が持つことのできる認識を必ず超え出るものなのだという考えに立脚するものである。そして、そこからこそ、行動に普遍的に当てはまる規則の総体を規定してくれる「『決定的』な分析をなす科学」の「不可能性」が導かれることとなる。一九三七年から一九三八年にかけての自らの仕事を、いわば概括するような形で、カンギレムは一九三九年の『論理・道徳概論』に以下のように記している。

この(科学によって提供される予防の)体系がいかに厳密であるとしても(そしてそれは無限にそうでなければならない)、それはそれ自体では何も生み出さない。具体的な出来事の予見でさえ、この体系には恐らく禁じられている。この体系がなすことのできる予見とは、巨大な諸々の現象(天文学、「大数」、「種概念」)には及ぶものだが、それ自体として予見不可能であり、そして恐らく我々の統覚の尺度を超えて事物に実際にもたらされる生成に変化を与えるものである、創造的行動に対しては及ばないのである。

ここで再び問題となっているのは、あのコントの格率である。「科学から予見が生じ、予見から行動が生じる」という公式が「よく知られるとともに、人を惑わすものである」のは、それが行動的な人間性による傲慢な先取りというものを軽視しているからであり、それらの先取りこそ、上に引いたテクストでカンギレムがはっきりと「創造的行為」と見なしているものである。『論理・道徳概論』と同時期に書かれたテクストにおいて、彼は次のように述べている。

知識が予見に導くのは、未来が過去に似ている限りにおいてであり、いかなる力能も現象の必然的な進行を変えられない限りにおいてである。知識を力能に変換することが可能だと信じる前提には、以下のことが存在している。つまり人が認識していると主張するときには、知識の主体にして力の主体である人間が、認識され、またこれから認識されるべき事物の体系の外に、自らを暗黙のうちに位置づけているということである。

しかしながら、自らを回路の外へ置くこの位置づけとは、精神の観点によってなされるものである。そしてこの位置づけはそもそも、まさにデカルトが理解していた通り、「真の人間」とは「合一」であるという事実に由来しているのである。人間とは悟性であると同様に身体でもある以上、欲求と欲望による強制的なシステムに従うものであり、これらに対して積極的に応えなければならない。技術的活動とは、この「生きているものの要求」にこそ根ざすものである。しかし逆説的なことに、環境を飼いならそうという技術的な試みは、常に何らかの程度において、環境をよりいっそう思い通りにならない、不正確なものにしてしまう。あらゆる満たされた欲求は、新たに創出される欲求と通じている。創造は創造を呼ぶのであり、人間性はそのようにして経験を歴史的に展開することに寄与するとともに、しかし他方では、この経験を自らの科学的活動によって飼いならそうと努める。それゆえ、行動の次元におけるリスクと、そして認識の次元における誤謬とは、人間の生において不可分なのである。
 (370~372)

  • ほか、上にも触れたように、「あるがまま」の「自然」という概念(172ページにはまさしく「《物語化》以前のわれわれの経験」という言葉すら見られる)を媒介としてこの時期の柄谷行人蓮實重彦との共通性・親和性を考えることもできるはずで、そのあたりに益すると思われるような箇所は所在をメモしておいたのだが、それらをあらためて確認して記録するのは面倒臭いのでここでは行わない。また色々と読んでいくうちに見えてくるものはあるだろうし、『意味という病』を読み直そうと思うときも来るかもしれない。

2020/8/6, Thu.

 ガス・トラックを使った実験は、[一九四一年]九月一七日に行われた。五〇〇~六〇〇名のユダヤ人を中心とした労働不能者が一三時間にわたり改造されたガス・トラックに入れられ、一酸化炭素ガスで殺害された。
 翌一八日には、施設の浴室を使ったガス殺実験が行われ、約九〇〇名の周辺地域の精神障害者が殺害された。ガスにはツィクロンB[ベー]が用いられた。
 ガス・トラックの開発にあたっては、国家保安本部のヴァルター・ラウフ親衛隊大佐(一九〇六~七二)が関与していた。彼の文書はドキュメンタリー映画SHOAH ショア』(一九八五年。「ショア」はホロコーストと同義のヘブライ語)でも詳しく紹介され、「大量射殺が兵士にとってかなりの重荷になってきており、自分のガス・トラックはこの重圧から兵士を解放した」と転換の経緯が語られている。そこにみられる意識は、ヒムラーと同様であった。
 このように、ナチ・ドイツによるユダヤ人問題の「解決方法」は過激化していった。当初、ポーランド占領までは「追放」を考え、それまでの過渡期として「ゲットー」に押し込める。追放地として目論んだソ連の膨大なユダヤ人に対しては、「大量射殺」で臨んだ。だがその限界はすぐに露見し、独ソ戦が膠着状態になるとともに、最終的には毒ガスを用いる「大量殺戮」が求められるようになるのである。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、128~129)



  • 一二時二〇分に起床。滞在はちょうど七時間。昨晩は五時台に眠りに就いたわけで、これはここ最近の生活のなかでは比較的はやいほうなのだが、それなのにむしろ身体が重く、疲れているような感じがあった。一気に気温が上がって夏めいたために、あまり深く眠れなかったのかもしれない。
  • 茸ご飯などで食事を取りつつ新聞を読む。今日は広島原爆忌である。一面にはここ数日同様、戦後七五年の特集ということで戦争証言が載せられているが、この日は当然広島で被爆した人の話で、なんという人だったかいまちょっと忘れてしまったけれど、家の二階のベランダみたいなところに出て向かいの家の女の子と口喧嘩していたときに原爆が落ちたらしい(のちにべつの記事で読んだところによれば、広島に原子爆弾が投下されたのは午前八時一五分である)。一面の証言の終盤には、からだを焼かれた人々が水を求めて川に殺到していたという目撃体験が語られており、またこの人本人がその身において体験したこととしても、火傷でジュクジュクになった傷口に蝿が卵を産みつけて孵化した蛆が這い回る、それがとてもつらかったと語られていて、『はだしのゲン』を思い出さずにはいられなかった。べつに『はだしのゲン』に描かれていたことを疑っていたわけではないのだけれど、やっぱりマジでそういうことだったんだな、そういうことがあったんだなと思って、強い印象を受け取らずにはいられない。一〇面だったか忘れたが戦争証言の本篇みたいなページには、九五年あたりに寄稿された中沢啓治(『はだしのゲン』の作者)の文章も載せられており、彼はそこで、あの漫画は自分の自伝であり、あそこに描かれたことはすべて自分が実際に体験したことだと言っていた。『はだしのゲン』はご多分に漏れずこちらも小学校当時に図書室に置かれてあったのを読み、当時は平和だの戦争だの原爆によって生み出された悲惨さだのたぶんそれほど強くは感じず、普通に面白い漫画として読んでいたと思うのだが(強烈に印象に残っているシーンが出てこないというのはおそらくそういうことだろう)、今になってみると、やっぱりあれってかなりすごい漫画なのではないかという気がする。記録証言的作品として相当な価値を持つものなのではないか。あれを読んだからと言って、「平和の大切さ」とか「戦争の恐ろしさ」とかを必ず感じなければならないというわけではないし、核兵器の存在に反対する立場を必ず取らなければいけないというわけでもない。あの作品を読んだ人のすべてが反戦主義者にならなければならないわけではないし、そんなことは原理的にありえない。ただ、あそこに描かれたことの圧倒的かつ徹底的な具体性(たとえば川に飛びこむ被爆者の群れや、傷口を這い回る蛆虫)を否定することはこの世の誰にもできないと思うし、すくなくともそういう具体性が存在したというその一事だけは、まず知り、わきまえておかなければならないのではないか。
  • 部屋に帰還したあとは、なんか身体がこごっていたので、二時過ぎからベッドに転がって書見した。柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読み進めながらひたすら脹脛をほぐす。『意味という病』はなぜだかわからんけれど冒頭の「マクベス論」の印象が強く、たぶんこの本のなかで一番有名な論考もそれなのではないかと思うのだが、こちらとしては「マクベス論」よりも今日読んだ「夢の世界――島尾敏雄庄野潤三」のほうが面白かったような気がする。「マクベス論」より論旨もわかりやすいし、テクストに基づいた分析も納得が行くという感じ。わかりやすくまとまりすぎていると言えばそうなのかもしれないが。読んでいていくつか思ったことはあり、少量ながら読書ノートにメモも取ったけれど、いまは記すのが面倒臭いので、あとで(あるいは明日以降)気が向いたら書くつもり。
  • なぜか眠気が重くて振り払えなかったので三時半過ぎでいったん書見を中断し、Jesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』を流して仮眠に入った。眠りに入るまでのあいだ、また一時的に浮上した合間など演奏をいくらか聞いたのだが、今更ながらこのアルバムは名盤と言って良いんじゃないかと思う。ギターとピアノのデュオでこれ以上の作品は、たぶんほぼないんじゃないだろうか。
  • 四時四〇分からふたたび書見、六時過ぎまで。夕食を取りに行く。素麺を茹でてくれと母親が言うのでフライパンで三束を茹で(大鍋が見つからなかったので)、冷水で洗い、指に巻きつけてある程度のまとまりをつくりながら笊に取り、そうして食事。途中、風呂場で呼び出しボタンが押されたらしくアラームが鳴り、母親の手が放せなかったのでこちらがなんやねんと席を立って行けば、石鹸はないかと入浴中の父親が言う。洗面所を探しても見当たらず、トイレにあると母親が言うのでそちらに行き、なんか外国製の品を取って父親のもとに運んだのだが、これはロシアに行った際(ちょうど一年前になる)に買ったものなのかそれとも兄夫婦から送られてきたものなのか知らないけれど、母親は記念品だからと言ってなるべく使いたくないような様子で、それを受けて父親も、じゃあ今はわずかな残りでなんとかするから車のなかから持ってきておいてくれと言い、こちらは席に戻って食事を続け、その後母親が車中の石鹸を取ってきたようだ。
  • 夕食を済ませると緑茶とともに帰室し、Mr. Children『Q』を流して今日のことを記述した。上記の戦争証言のことを記しているあいだに涙を催してしまう感じがあり、と言うか昼間に新聞記事を読んでいた時点ですでにそうだったのだけれど、自分のことながらこういう感情性の介在は本当に良くないことだと思っている。感情性の存在そのものが悪いとは思わないが、なんかこういう形でのそれは良くない種類のものだという気がする。ただその理由はあまりよくわからない。生と歴史の具体性を捨象的な感動物語に仕立て上げて受容しているあさましい暴力のにおいがするというのが要因のひとつではあると思うが、それだけだとも思われない。恥ずかしいので日記にはいちいち書いていないのだけれど、新聞とかもろもろの情報とかありがちな良い話とかに接していて涙を招いてしまうということは実は自分にはけっこうよくあることで、こちらには性分としてそういうナイーヴでロマンティック的な部分があるのだが、これは本当は良くないなあ、望ましくないなあと思っていて、おのれの性質としてあまり好きではない。もちろんべつに感情をいつでもどこでも殺したいということではないし、感情性の介在ということもときには必要不可欠な事柄だとも思うけれど。
  • 「英語」記事を音読。やはり復読(音読)は毎日やるべきだ。それからMr. Children『深海』を背景に手の爪を切る。#10 "マシンガンをぶっ放せ"の2サビに"毒蜘蛛も犬も乳飲み児も 共存すべきだよと言って/偽らざる人がいるはずないじゃん"という一節があるのだが、このならびで「乳飲み児」という言葉が出てくるのはなかなかやるなと思った。意味的にはべつに大したことはないと思うのだけれど、赤ん坊とか赤子とかではなくて「乳飲み児」という言い方にした点を買いたい。たぶんメロディラインの要求する発音との兼ね合いが大きかったのではないかと思うが。
  • #11 "ゆりかごのある丘から"は知る人ぞ知る通好みの名曲みたいな語り方をされているイメージがあり、たしかに質は高いのだが、こちらとしては全体を覆い尽くしている感情性の舌触りがやや濃すぎて完全には乗りきれないぞ、という感覚を覚える。わずかながらも甘味が強すぎて、甘ったるさが舌につきまとうチョコレートみたいな感じ。物語自体は、自分が戦争に行っているあいだに恋人(明確な「恋人」関係にあったのかどうかは不明だが)がべつの人のもとに行ってしまったという内容で、今時の言葉を使えばいわゆる「寝取られ」物ということになるのかもしれないが、主題としては古典的と言ってもよいほどにありふれたものだとは思う。遅めのテンポでまさしく広々とした「草原」(曲世界の舞台はそこに設定されており、タイトルにある「丘」という語は歌詞中には一度も出てこない)を思わせるごとくゆるやかに流れる進行や、籠り気味で煙いようなギターの音色、気だるげな甘さを帯びたボーカルの声色及び歌い方など、曲調全体が(感情性と言うよりも)感傷性に結びつき貢献している印象で、(ロラン・バルトの言葉を借りれば言わば「読み得るテクスト」として)よく仕上がっていることは間違いないが、先述したようにこちらにとっては甘味がちょっと強すぎて、甘ったるさの領分に入りかけている。その甘やかな「切なさ」が良いのだという受け止め方はもちろん理解できるけれど、こちらとしてはあと少しだけ感傷性が控えめだったらちょうど良かったのに、という感じだ。ただ終盤のサックスソロは力の籠ったもので普通にすばらしく、Eric Dolphyを(控えめに)匂わせる瞬間すらある。これは山本拓夫かなと思ったのだが、そうではなくて小幡英之という人だった。
  • 爪を切ったあと入浴。風呂のなかでは先ほど柄谷行人の本で読んだ庄野潤三のことを思い出し、彼ってここ数年の、つまり晩年の作品なんかはめちゃくちゃ薄い感じのものらしく、Mさんがブログでヴァルザーみたいにスカスカだと評していた覚えもあるし、こちらも図書館で瞥見して変な感触を受け取りこれは読んでみたいなと思ってもいたのだけれど、柄谷行人の論考によればもう初期の頃からいわゆる〈中性〉と言うか意味の免除みたいなことをやっているらしい。庄野潤三はたしか『早春』という作だけ以前読んだことがあり、そのほか『水の都』と『ガンビアの春』というやつを積んであるので、さっさと読んでみる必要があるだろう。昔から考案中(「考案」などと言うほどでなく、漠然とイメージしているに過ぎないが)の小説を書くにあたって益するところがあるかもしれない。柴崎友香『ビリジアン』、ロラン・バルト『偶景』、そこに庄野潤三を加え、さらにもしかしたらサミュエル・ベケット黒田夏子なんかも加わるのかもしれないが、それらの作家や作品から学んだことを組み合わせた小説、もしくは散文詩みたいなものを書きたいとずっと前から思っている。
  • 部屋に帰るとVirginia Woolf, To The Lighthouseの翻訳をすこしだけいじった。例の"Indeed, she had the whole of the other sex under her protection"の部分で、前日のWoolf会ではここを「実際、彼女には、どんな男性に対しても護りの手を差し伸べてしまうようなところがあるのだった」としてお茶を濁していたのだけれど、Woolfがわざわざ"the other sex"と回りくどく書いている点を反映させるとともに、やはりもっと"had(……)under"のニュアンスを盛りこみたいなと思い、ベッドでまどろんでいるあいだに頭のなかで訳文を練っていたのだった。それで一応、「実際、彼女には、自分と異なるもうひとつの性に属するすべての人々をまるごと護り、みずからのもとに包みこんでしまうようなところがあるのだった」と改稿した。正直、改稿前のほうが意訳としてこなれていてうまく流れるのかもしれず、それに比べると現案は無益に堅苦しいような感じがしないでもないけれど、しかしここはこなれるよりもあえて頑迷な詰屈を取るべき箇所ではないかと思う。"the other sex"は「自分と異なるもうひとつの性」と訳出した。"the other"に含まれるはずの対照・対比・対峙・対岸的な意味をより強く盛るならば、たぶん本当は「もう一方の」としたほうが良いのだろうだけれど、それだとどうも音調が気に入らなかったので「もうひとつの」に留めたところだ。"the whole"も本来は「総体」としてのひとまとまりの意味合いがあるのかもしれないが、つまり「男性という性(種)そのものの全体」という感じなのかもしれないが、これは「すべての人々をまるごと」という言い方で反映を試みた。最後に"had(……)under her protection"について述べると、"protection"の意味はもちろん「護り」に入れつつ、さらにそこに「包みこむ」という拡張的な意味を導入し、「みずからのもとに包みこんでしまう」という言葉を後ろから付け足すことによって"under"のニュアンスを取り入れたものである。全体としてこの箇所から感じ取られる意味を最大限に写し取ることを目指したつもりだ。そのほかこまかなところをほんの少しだけ直し、この一節が含まれる段落全体だと以下のような記述になった。

 「馬鹿馬鹿しい」と、かなりきつい声色でラムジー夫人は口にした。自身から受け継がれた子どもたちの誇張癖は良いとして、また、何人か町に泊まってもらわなければならないくらいたくさん人を招いてしまうのも(そういうことがあるのは事実だが)さておき、来てくれた人たちに無礼があるのは許せない。特に若い人、教会のネズミみたいにみすぼらしくても、夫が言うには「飛び抜けて優秀」だし、彼を熱狂的に崇拝していて、休暇中にもここまで訪ねてきてくれるような人たちに対しては。実際、彼女には、自分と異なるもうひとつの性に属するすべての人々をまるごと護り、みずからのもとに包みこんでしまうようなところがあるのだった。何がそうさせるのか彼女にもうまく説明はできなかったが、おそらく彼らのそなえている騎士道的な礼節や勇敢さ、あるいは彼らが条約交渉を担ったりインドを統治したり、国家財政を管理したりしているという事実が理由のひとつではあるのだろう。しかし結局のところ、それはきっと、彼女自身に寄せられるある態度、女性なら誰でも好ましく [agreeable] 感じずにはいられないような、信頼のこもった、子どもみたいに純真で敬意に満ちた態度によるもので、年配の女性が若い男性からそういった好意を受け取っても、決して品格を損なうことにはならないのだ。だから、その価値とそれが意味するものすべてを骨の髄まで感じ取れないような娘には――どうか、我が娘たちのなかにはそんな女の子がいませんように!――災いあれ。

  • 新聞写し、2020年(令和2年)6月9日(火曜日)朝刊。8面に【トルコ 軍事介入で存在感/リビア内戦/支援の暫定政権 首都圏掌握】(カイロ支局 酒井圭吾)。「国を二分した内戦が続くリビアで、トルコ軍が軍事支援する暫定政権が、ロシアやアラブ諸国が後押しする軍事組織「リビア国民軍」を首都[トリポリ]圏から後退させた。トルコは、リビア沖でのガス田開発を視野に一段と関与を強める構えで、中東諸国は警戒を強めている」。まずリビア内戦については次のような簡易な説明。「2019年4月に東部を拠点とする「リビア国民軍」が暫定政権の転覆を狙って蜂起。産油国リビアの利権を狙い、露仏や主要アラブ諸国は国民軍を、トルコやカタール、イタリアは暫定政権をそれぞれ支援する「代理戦争」の様相を呈している」。それを踏まえた最近の情勢として、「政権軍は3月以降、国民軍がロシアの防空兵器で固めた軍事拠点を相次いで奪還した。今月4日には「首都圏」を端から端まで制圧した」とSNS上で表明し、6日には原油の輸出港に近い中部シルトへの空爆を開始した」と記されている。
  • 暫定政権軍は一時は劣勢だったらしいのだが、そこを救ったのがトルコだと言う。「トルコは1月、軍事顧問らを送り込み、ミサイルやドローンの供与を本格化させた。友好国のカタールには多額の資金供出を担わせているとされる」。そして、「劣勢に転じた国民軍は今月6日、支援を受けるエジプトを介し、8日からの停戦案を申し出た。しかし、AFP通信によると、政権側は「停戦は国民軍が(完全に)破れた時だ」としており、受け入れないとみられる」。
  • 「トルコが介入する狙いは、東地中海の天然ガス田にある。排他的経済水域EEZ)内にあると一方的に主張してガス田探索を強行するトルコに反発する周辺国をけん制するため、対岸に協力国家を築く戦略を描いている。タイップ・エルドアン大統領は4日、トルコを訪問したリビアの暫定首相とガス田の共同開発で合意した」と言い、同時に「暫定政権内では、アラブ諸国で抑圧されるイスラム主義組織「ムスリム同胞団」の影響力が増している。同胞団に近いエルドアン氏には、同胞団系政権をリビアで確立する思惑もある」ようだ。
  • 「トルコは元々、軍の国外派遣には慎重で、1990年に始まった湾岸危機や2003年のイラク戦争でも派兵は見送った。しかし、4年前にクーデター未遂を乗り切り、軍の影響力を排除したエルドアン氏は近年、シリアやイラク北部で軍事介入を進めてきた」らしい。
  • 11面、すなわち文化面に【萩原慎一郎さんの遺作/歌集『滑走路』を映画化/若者の不安・葛藤 多面的に】との情報。「32歳で命を絶った萩原慎一郎さんの歌集『滑走路』の映画化が決まり、今秋の公開が予定されている」と。監督は大庭功睦[のりちか]という人。「歌集『滑走路』は、萩原さんの死去半年後の2017年12月に初版500部で刊行され、8刷り3万部を超えるヒットになった」らしい。「萩原さんが所属した「りとむ短歌会」主宰で歌人の三枝昂之[さいぐさたかゆき]さんによると、文語と口語の混交体が主流の現歌壇で、萩原さんは完全口語の短歌を目標にし、実現の途上だった」とのこと。
  • インターネットを見ている最中に、Los Angeles Timesが原爆投下は不要だったという論説を載せたという情報に接し、即座に検索して該当のページにたどり着いてみれば、書き手のひとりがGar Alperovitzである(https://www.latimes.com/opinion/story/2020-08-05/hiroshima-anniversary-japan-atomic-bombs)。この人は六〇年代から原爆投下不要論を主張している学者で(*1)、界隈ではたぶんもう大御所みたいな感じなんではないか。米国内にもかかわらずこういう文章を載せることができるって、Los Angeles Timesってさすがだなあと思うし、なんだかんだ言ってもアメリカのメディアって捨てたものじゃないなあと思う。この記事はのちほど読まなければならないだろう。
  • *1: "(……)in 1965, historian Gar Alperovitz argued that, although the bombs did force an immediate end to the war, Japan’s leaders had wanted to surrender anyway and likely would have done so before the American invasion planned for Nov. 1. Their use was, therefore, unnecessary." (Ward Wilson, "The Bomb Didn’t Beat Japan … Stalin Did"(2013/5/30)(https://foreignpolicy.com/2013/05/30/the-bomb-didnt-beat-japan-stalin-did/#))
  • 新聞を写したのち、歯磨きしてまたベッドで書見。柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)の続き。しかしなんだかやたらと眠い感じがあって、途中いくらかまどろんでしまう。また、終盤一時が近づいてくるころには、なぜか文庫本を持つ手の先がかすかに震えはじめた。腹が空になってきたためではあるのだろうが、毎晩普通に空腹にはなっているわけで、それなのに手指が震えるということはここ最近はなかったのに、なぜか今日はそういう現象がこの身に訪れたのだ。脹脛をめちゃくちゃほぐしまくっていたことと関係があるのだろうか。
  • そういうわけで一時で書見を切り、夜食を用意してきて過去の日記や他人のブログを読む。
  • Sさんのブログを覗くと、八月三日付の記事で、入浴中に頭を洗いながら考え事をしていると、自分がいまシャンプーをしているのかリンスをしているのかわからなくなることが結構あると書かれてあり、さらに「酷いときには、今日いつ風呂に入ったのか、それがわからない、その記憶がないことに、ふと気付くこともある。で、そのことに気付く場所が、風呂のなかだったりもする。つまり今、風呂に入っているのだけど、いつどうやってここまで来たのか、おぼえてないし、現状で、身体をどこまで洗浄したのかもわからない」ともあるのだけれど、これめっちゃわかるなと思った。最近はもうそういうことはほとんどなくなったようだが(しかしその変化の理由はよくわからない)、昔は(と言うかおそらく去年くらいまでは)入浴のあいだずっと思念のほうに意識が行っていて、上がって洗面所に出てから、そう言えば俺は頭を洗わなかったのでは? と気づく、ということがわりと頻繁にあった。髪が伸びていれば洗ったかどうか質感でわかるが、髪を切ってまもないときだったりすると、あまり判別がつかない。たしかに洗っていないと判断できるときもあったし、感触からすれば洗っているはずなのだがその記憶がまったく思い出せないというときもあった。まあべつに洗い忘れたからと言ってわざわざもう一度入り直して洗うということはしないのだけれど、風呂場にいるあいだの行動やその手順というのはほぼ完璧に自動化されていて、そこに能動性はまるでなく(もしかしたら受動的な状態ですらあるかもしれず)、意識をそちらに向けなくとも心身が勝手に(何か外部的な存在に操られているかのように)適切に動いてくれるということだったのだろう。生活のなかでそういう風に〈全自動式機械〉として動いている場面は人にはけっこうあると思われ、たとえばトイレで用を足してから室を出るまでの行動なんかはそうなのではないか。
  • それから四月後半の記事を読むが、四月二六日に今泉力哉『愛がなんだ』という作品の感想があり、「最後に主人公のテルコがさりげなくマモルとすみれに気を遣いつつ、ちゃっかり自分の新たな相手候補として別の男と飲みに行こうとする、あのような大人びた、大人ズレした、ちゃっかりした、世間的にはスマートと言われるような行動を起こすことになる根底には、元々の相手への執念のような思いがあって、そのような心の中の猛火を隠してそつなくやっていくためにこそ、そんな洗練された態度は必要なのだと言わんばかりなところがすごい。けしてあきらめないことが、だからこそ表面的にはすべてから解脱したかのような態度を取らせて、そのうえであらたな戦略を組織するための準備に向けていくのだという、戦いを続けるために必要な知性というか、情熱にかたちを与えて取り組みを継続的なものにしていこうという果敢な姿勢に、感動させられもするし同時に慄いて引いてしまいもするのだ」という記述が興味深かった。「けしてあきらめないことが、だからこそ表面的にはすべてから解脱したかのような態度を取らせて、そのうえであらたな戦略を組織するための準備に向けていくのだという、戦いを続けるために必要な知性」。
  • 翌四月二七日には片山亜紀訳のヴァージニア・ウルフ「病気になるということ」の紹介。noteに公開されているこの新訳も、Sさんがブログに載せたこの四月時点で即座にメモしており、はやいところ読みたいとは思っているのだが、いまこの瞬間はまだ時と欲望とが満ちていない。Sさんの感想もとてもすばらしく、素敵な文章だと思う。

とくにセクション2がとても素晴らしい。「現代の感染症患者の心性を描き出している」(片山亜紀による解説)とも言えるだろうが、それだけでなく、患者であるか否かを問わず、我々は本来皆が「横臥する者たち」であったはず、そうじゃなかっただろうか?と思いたくなる。なぜなら「横になってまっすぐ見上げたときの」この世のあらゆるものの信じがたいほどうつくしい有様が、ヴァージニア・ウルフらしさ満載で、ここには描かれているじゃないですか。というよりもここでは自然の光や花や空が描写されているわけではなくて、それを見たときのおどろきとよろこびと、それを誰かに言いたい思い、伝えたい嬉しさと恥ずかしさの混ざり合ったような、そういった心の内側の、自然の景色と同じくらいよく動き回る現象がとらえられているようで、というか、それがつまり描写ということで、それがそれに閉じることなく、なんでもなくまた次の言葉へ繋がっていく。この仕草、誰かの振舞いの流れ…ふだん自分の時間の多くを「直立人たちの軍勢」へ加担することに費やしてしまっていることを恥じ入りつつ何度も読み返したくなる。

  • その後六月一九日の日記を進め、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読んだりウェブをうろついたりしたあと、午前七時一〇分に就寝。
  • 『意味という病』の72ページには、「小松川事件」という出来事と、それによって死刑になったという李珍宇なる人の名が記されているのだが、これは完全に初見の固有名詞だ。Wikipediaによると「事件の概要」および犯人の供述は次のようなもの。

1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。同月20日に、読売新聞社に同女子学生を殺害したという男から、その遺体遺棄現場を知らせる犯行声明とも取れる電話が来る。

警視庁小松川警察署の捜査員が付近を探すが見あたらず、イタズラ電話として処理される。翌21日、小松川署に、更に詳しく遺体遺棄現場を知らせる電話が来る。捜査員が調べたところ、同高校の屋上で被害者の腐乱死体を発見した。

     *

小松川署捜査本部は9月1日に工員で同校定時制1年生の男子学生・李珍宇(当時18歳)を逮捕した。

犯人は東京都城東区(現:江東区)亀戸出身の在日朝鮮人であり、窃盗癖もあった。図書館からの大量の書籍の他、現金・自転車の窃盗を行い、保護観察処分を受けていた[1: 第30回国会 参議院法務委員会議事録(https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=103015206X00319581021参議院会議録 1958年10月21日付]。

李は、犯行当日プールで泳ごうと思い同高校に来たところ、屋上で読書をしている被害者を発見。彼女をナイフで脅し強姦しようとする。しかし大声を出されたため殺害し屍姦、遺体を屋上の鉄管暗渠に隠した、と自供。また彼は4月20日にも、23歳の賄い婦を強姦し、殺害。その後も屍姦したと自供した(強姦については法廷では否認、検察によって導かれた供述であるとした)。

  • 裁判ほか助命嘆願や被害者遺族の発言は次のようなものだが、この遺族の言葉にあらわれている無私性というか、その言葉ではあまりぴったりとしないけれどなんかそういった感じのものはすごい。いわゆるネット右翼の人が見たら発狂するんではないか。仮にいまの時代におなじような事件が起こったとして、果たしてこういうことは言えるのかな? と問うと、特に明確な根拠はないのだが、あまり可能ではないような気がする。やはり戦争がまだ遠くはなかったころの言葉ということだろうか、とも思うのだけれど、ただ当時だってべつにいわゆる在日朝鮮人のことなんて知ったこっちゃねえという人はいくらでもいたはずだし、むしろ問題の可視化とか取り組み方に関してはいまのほうが進んだのかもしれない。その点は全然知らんのだが、とは言え色々な方面から見て、現在にはもはや持ちえない、一九六〇年周辺のリアリティを帯びた発言のような気がなんとなくする。

李は1940年2月生まれで犯行時18歳であったが、殺人と強姦致死に問われ、1959年2月27日に東京地裁で死刑が宣告された。二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定した。

事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、大岡昇平[2: http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480702753/ ]ら文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった。大岡昇平木下順二、旗田巍、吉川英治渡辺一夫らは「李少年を助けるためのお願い」(1960年9月)という声明文を出し、

「私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、日本人としての責任を考えたいと思います。したがって、この事件の審理については、とくに慎重な扱いを望みたいのであります」[3: 野崎六助『李珍宇ノオト: 死刑にされた在日朝鮮人』p.35][4: 江口朴郎『シリーズ・日本と朝鮮』p.154][5: Proceedings of the International Conference on Japanese Literature in Japan、第24巻、p.152][6: 『別冊新日本文学』第1巻、第1~2号、1961年、p.146。]

と訴えた。また、被害者の遺族は

「これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪をおかしてきました。その大きな罪を考えると娘がこうなったからといって、恨む筋あいはありません。もしも珍宇君が減刑になって出所したら、うちの会社にひきとりましょう」[7: いいだもも、武谷祐三『戦後史の発見: 聖なるワイセツから「終末」まで』p.181(産報、1975年)][8: いいだもも、武谷ゆうぞう『「戦後」ってなんなんだ!?: 風俗+事件+人物でさぐる』p.541(現代書林、1988年)]

と申し出た。

  • この事件は当時の社会にはおそらくけっこうなインパクトを与えたようで、「事件を基にした創作」の欄には、木下順二大江健三郎大岡昇平、金石範、深沢七郎大島渚といった名前が並んでいる。また、「秋山駿はこの事件に関して『内部の人間』を著し」、「鈴木道彦もこの事件をきっかけに在日に対する日本人の民族責任を追及した」らしい。
  • 「夢の世界――島尾敏雄庄野潤三」中にはW・H・オーデンが引用している一二世紀アイスランドの古伝説(『ニャウル伝説』)が取り上げられ、その「併列」的な書き方について、「この伝説の書き手は一見「在りさうもない」[これは小林秀雄の言葉である]現実をあるがままに見ているのである」(83)と述べられ、柄谷はその「文体」による「リアリズム」に関心を寄せている。彼によれば、この書き手の特質は「「美しいもの」と「醜いもの」を同時に[﹅3]みることができる眼を所有していたこと」(84)であり、「そういう両義性の場所におそらく自覚的に立っていた」(84)ということである。柄谷はそれを、「文体」と一致した形での彼らの「思想」だとも言っている。
  • これは「マクベス論」でシェイクスピアを評価した観点と軌を一にしたものである。10ページにもどってみると、まず最初の段落で柄谷は、シェイクスピアの芸術観と結びついたものとして、「存在しないはずのものが存在するばかりでなく、それほどに現実的なものもないというような奇怪な事態の経験」があっただろうと推測しているのだが、これは上記の「一見「在りさうもない」現実をあるがままに見ている」態度とちかしいものだろう。第二段落にはまた、「「きれいはきたない、きたないはきれい」と、『マクベス』の魔女はいう。そして、これは時代の価値観の混乱を意味するよりも、シェークスピアが精神というものをありのままに見た言葉だというべきである。つまり、精神という場所ではどんな奇怪な分裂も倒錯も生じるということをあるがままに認めたところに、彼の比類ない眼がある」というこの劇作家への高い評価が記されているが、「精神というものをありのままに見」、「あるがままに認め」ると、「きれいはきたない、きたないはきれい」という「両義性」が生まれてくるというのは、「現実をあるがままに見」ることが「「美しいもの」と「醜いもの」を同時に[﹅3]みること」だという論旨とほぼ同一のものだと判断される。
  • この書物全体における柄谷の関心は、基本的に一貫してそういう「自然」「精神」「現実」を「あるがままに」捉えようとした作家に向けられていると思う。要するに、既製的な(規制的な)観念に還元することのできない(そこからはみ出してしまう)過剰性(という語がふさわしいかどうかには一抹の疑問がある)や畸形性(「奇怪な分裂」とかいう言葉を読む限りこちらのほうが良いような気もする)を見極め表現する試みを彼は一貫して評価していると思うのだが、たぶん「現実」とは常にそういう剰余的なものなのだろう。
  • 101には「夢」の様相に近い庄野潤三の小説を分析するなかで、「疑問は事物の既在性に圧倒されおし流されていく」とあるが、「既在性」という語はなんだか物珍しく映って、自分の語彙に取り入れられそうだなと思った。
  • 庄野潤三の小説(『静物』)については、「「心理的なもの」が一切省略されて」おり、「そのかわりにどうでもいいような[﹅9]ことがうんざりするほど丹念に書かれて」いて、それによって「意味」が排除されているという考察があるが(102)、これはロラン・バルト的なテーマ(〈意味の免除〉)であり、こちらの主要な関心のひとつにあたるものだ。したがって、庄野潤三という作家の作品をさっさと読まなければならない。
  • 105では「われわれは死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している」というモンテーニュの格言が引かれていて、これはそこそこ気が利いた言葉ではある。
  • 106には「「見る」ことは世界を「意味」によって汚染させること」であり、「近代文学における心理的解釈の拡大と視覚的描写の拡大は、実は同一の現象にほかならないのである」というテーゼが一瞬だけ触れられているが、これはたぶん、『日本近代文学の起源』で詳述されるテーマだろう(同書を読んだことはまだないのだが、そういう内容だと聞きかじった覚えはある)。『日本近代文学の起源』は一九八〇年に刊行されているけれど、この「夢の世界」が発表された一九七二年の時点ですでにそういう発想はあったわけだ。
  • 135は「私小説の両義性」。嘉村磯多(『故郷に帰りゆくこころ』)からの引用中に、「髣髴たる海天に青螺のごとく浮いてゐる美しい島々の散在」という比喩。初見の表現。
  • 159は「歴史と自然」という森鷗外論。やはり引用中(『山椒大夫』)に、「凪いだ海の、青い氈[かも]を敷いたやうな面[おもて]」という一節。「氈[かも]」が初見。「毛氈」という語では見たことがあるが。


・読み書き
 14:12 - 15:34 = 1時間22分(柄谷: 71 - 82)
 16:38 - 18:11 = 1時間33分(柄谷: 82 - 108)
 19:15 - 20:14 = 59分(日記: 8月6日)
 20:15 - 20:37 = 22分(英語)
 21:27 - 21:47 = 20分(Woolf)
 22:08 - 22:34 = 26分(シェイクスピア
 22:35 - 23:22 = 47分(新聞写し)
 23:26 - 24:59 = 1時間33分(柄谷: 108 - 134)
 25:09 - 26:01 = 52分(日記 / ブログ)
 26:30 - 27:45 = 1時間15分(日記: 6月19日)
 27:48 - 28:57 = 1時間9分(柄谷: 134 - 162)
 計: 10時間38分

・音楽

2020/8/5, Wed.

 だが、ソ連侵攻とともにはじまったユダヤ人の無差別大量射殺は、非常にセンセーショナルであり、直接の執行者たちに心理的抵抗を引き起こしつつあった。親衛隊のトップであるヒムラーでさえも、大量射殺をミンスクで実見し気分が悪くなったと伝えられている。のちに絶滅収容所へのユダヤ人輸送の最高責任者となったアードルフ・アイヒマンも、その名高い「イェルサレム裁判」(一九六一年)で、一九四一年九月ないし一〇月にミンスクで射殺の現場を視察し、死にきれず手足をなお動かしている女性を見て「耐えられなかった」と告白している。
 一九四一年八月一五日、ヒムラーはそのミンスクで、他の殺害方法の検討を国家保安本部刑事警察の責任者で行動部隊[アインザッツグルッペン]の指揮官ネーベに依頼した。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、126~127)



  • 一二時五〇分に至って離床。明らかに室内の空気の温度が高い。居間に上がってみても、窓外にいかにもな陽射しのかよった夏日である。あるいは真夏日なのか。洗面所で身だしなみをしたあと先に風呂を洗い、それから食事。コンビニのものらしきチキンやナスやインゲン豆がこちら分として取り分けられてあったので、それをおかずに米を食う。新聞には物理学者であると同時に俳人でもある有馬朗人という人の戦争証言。東大の総長を務めた人物らしい。勤労動員で工場の旋盤を扱ったが、その機械がすべて米国製で単位もインチで表されていたので、中学生ながら日米の技術力の差を明確に感じた、などのエピソードが語られていた。
  • 食後、肌着を脱いで制汗シートで上半身を拭い、皿を洗ったあとにベランダの洗濯物を取りこんだ。旺盛な陽射し。タオルのみ畳んでおいてから、緑茶を持って帰室し、もう一度居間にもどって昨晩切れたティッシュなども持ってくる。コンピューターを用意するとさっそくここまで記述した。
  • 今夜はWoolf会なので、昨晩訳したTo The Lighthouseの担当部分を読み返し、ほんのすこし直してからGoogle Documentの共有ページに貼りつけておいた。それからMr. Children『Q』を流して、久しぶりに「英語」を復読。舌の先端の口内炎がもうほぼ治ってth音などを発音しても痛くないので、ようやく音読することができた。合間に歌を歌うが、歌唱でも楽器演奏でも作文でも読書でもなんでもそうなのだけれど、結局のところ根幹的なのはそれにどれだけ集中できるかということで、もうすこし詳しく言い換えれば、その行為の対象と、その行為をしている自分の心身に発生するもろもろの変化や感覚を(そしてそれら主客間の相互的な影響作用、すなわち〈意味交換〉を)どれだけ精密に感じ取れるかということに尽きるのではないかと思う。復読は三時過ぎまで。「記憶」記事のほうは面倒臭いのでやらなかった。
  • 八月四日の記事を書き、四時前に仕上げるとベッドに移って脚をほぐしつつ休んだ。四時五〇分で上階に行くと、母親はすでに帰宅している。生のキュウリに味噌をつけて食い、それから下階に帰るとMr. Childrenの"Prism"を歌いながら服を着替えた。歯を磨くと出勤路へ。蟬のノイズがかなり激しく厚くなっていてやかましく、耳をつんざくような、と言ってみても良いかもしれないと思われるほどだ。なかにカナカナが浮かび伸び出て際立つのだが、やはり蟬のなかでもこの種は声のニュアンスが全然違い、まずそもそも響きの表面がざらついていない。張りがあっていかにも叙情的であり、感情性の忍びこむ余地を大いにはらんだサウンドで、古人が「ヒグラシ」と名をつけたのもよくわかる。
  • 空は淡雲混じりのすっきりとした水色。坂を上っていけば梢に隠されながら天の彼方に膨らむ西陽が、右脇の土壁にちぎれた形で宿っていて、そのとろけるみたいな濃い茜色はほとんど泥のようである。
  • 最寄りから青梅まで移動し、駅を出て職場に向かうあいだ、裏道の向こうに立ったマンションが、表面に暖色をかけられながら青い夕空に突き上がっているのが目に入り、おのおのの色が鮮やかに対照されてくっきりと接しあったその風景はなかなか良くて、ちょっと印象派的なニュアンスを感じた。
  • この日の授業は(……)くんと(……)くんと、あとひとり誰かいたと思うのだが思い出せない。帰路のことも覚えていない。駅前の坂を下りたはずだが。そう言えば濃いオレンジ色の、ほとんど陽色(火色・燈色)の月があったか。
  • 帰宅後はウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)を少々読んだあと、さっさと食事と入浴を済ませて一〇時からWoolf会。こちらが訳読の担当だったので、'Nonsense,"というMrs Ramsayの発言から始まる段落を一文単位もしくはある程度のまとまりで区切って読み、作ってきた和訳も読み、さらに逐語的に意味を確認していく感じで進めた。前日の日記に記したとおりけっこう難しい部分で、難所も大体日記に書いたあたりだと思うので会の本篇で話されたことは省略する。全部は終わらず、"and woe betide the girl"からの段落最後の一節を来週に回すことになった。
  • 零時半くらいから二次会というか雑談に入った。最初のうちは方言の話題が長く続いた覚えがある。MUさんは関西(神戸かその近くだったか?)出身、Jさんは宮崎出身で、いわゆる方言を使っているときといわゆる標準語を使っているときの意識の違いとか、言葉自体の持つニュアンスの差異などについて話されたのだった。MUさんの地元などでは標準語は男らしくないと捉えられ、標準語を喋っているやつなんぞは女々しい野郎だ、裏切り者だ、みたいな意識が強いと言う。こちらは生まれてから三〇年間ずっと東京都は青梅市の実家に暮らしてきている寄生的粘菌なのでいままでいわゆる方言に接する機会もさほど多くはなく、だから方言と標準語のあいだの齟齬みたいなことについて感じたり考えたりしたことがまるでなかったのだが、MUさんの話など聞く限り、(地域にもよるのだろうけれど)方言自体にわりと男性的なニュアンスが含まれることがあるようだ。彼の地元などではそのように喋る言葉によって仲間意識を強化するホモソーシャルな共同体が見られるようで、これは近代人たちがいわゆるNation Stateを作った際に取り入れた原理と(規模は小さいものの)おなじことだろう。標準語というものは方言と比べたときに女性らしさのような感触がいくらか出るらしく、その点はJさんも同様のことを言っていたと思う。彼女は宮崎から東京に来て標準語を喋るようになると、「女性」としての自分を意識せずにはいられなくなり、いかにも女性らしい女性を行儀良く演じているような感覚を覚えたというようなことを話していた。それがかえって楽しかったりもすると明かしてもいたけれど、とは言え一方ではやはりある程度の違和感は体験しただろうし、それによって精神の形態がいくらか変化したということもあるだろう。
  • 方言の話は女性の言葉の話とも繋がり、それはWoolfを訳すときに女性(いまのところはMrs Ramsay)の台詞をどうするかという問題とも当然繋がっていたのだが、たとえば「~だわ」とか「~かしら」みたいな、女性としてのステレオタイプ的な口調はどこから来たの? みたいな疑問が提出されて、Jさんがそれに答えてくれた。彼女によればそういう言葉遣いはもともと明治だか大正期あたりの女学生の言葉が発祥らしく、女学生の口調というのは当時は貴族や上流層の言葉と対比される形で粗野なものだと捉えられていたと言う。それが戦時あたりは逆に肯定的に捉えられるようになり、戦後も女言葉一般として残り、定着していったとかいう話だ(このあたりの詳しい経緯はよく理解していないのだが)。Jさんは岩波新書の一冊でそのへんの事情を読んだらしく、Sさんもおなじ本を持っていて紹介してくれたが、当該著作を忘れてしまったところ、いま検索した限りではこれはたぶん中村桃子『女ことばと日本語』という本だったと思う。女学生の言葉に対して、Kさんによれば山の手言葉というものがあったらしく、それは上で言うところの上流層の言葉ということだろうが、Kさんは大学の(遥か昔の)卒業生である老女と会って話す機会があったところ、その人は自然にそういう言葉遣いをしていたと言う。つまり、「~でいらっしゃいますでしょ?」とかいう感じらしい。
  • 上記の話のなかで興味を覚えるのはやはり言語そのものにそなわる権力性・権威性の性質や、諸言語のあいだの権力的緊張関係、また「女言葉」一般が形成されていくにあたってのとりわけ戦時から戦後にかけてのこまかな経緯あたりだ。
  • 言語における男性性・女性性みたいなテーマに接して思い出したのだが、蓮實重彦がどこかで、言文一致のころに樋口一葉がもうすこし力を持って日本語の(書き言葉の)スタンダードになっていたら現状の日本語(の書き言葉)も変わっていただろうみたいなことを述べていた覚えがあったので、蓮實重彦の名前は出さずにそういうことを聞いたことがあると口にした。たしか八〇年代から九〇年代あたりの対談のどれかか、あるいは『随想』のなかで触れていた気がする。というわけでいま書抜き記録を調べてみたのだが、しかしそのものずばりという記述は見当たらず、『随想』のなかに関連事項として以下のような文章が見つかるのみだった。もうすこし詳細に述べていたような気がするのだが。『魂の唯物論的な擁護のために』のなかに金井美恵子渡部直己などによるインタビューが収録されていて、そのなかで言語とセクシュアリティの話をしていたはずなので、そのあたりで触れていたのかもしれないが、書き抜いてはいないようだ。

 樋口一葉を改めて読み直したのは、八〇年代に、雑誌『季刊思潮』の編集責任者だった柄谷行人氏と浅田彰氏を中心として明治以降の批評の問題を考えようとしていたとき、小林秀雄中村光夫の両氏はいうまでもなく、江藤淳氏や吉本隆明氏を含めて、一葉の散文をほとんど読みこめてはおらず、その理論的な言説に彼女の歴史的な意義を取りこめていないし、また取りこもうとさえしていないことに気づいたからである。研究書はあれこれあるが、批評にとっての樋口一葉は、ほとんど未開拓の地平をかたちづくっている。
 そう思って読み進めて行くうちに、「言文一致」とは異なる文学的な近代性のありかが見えて来る。それは、まだ存在すらしていない「散文の危機」――この概念については第八章で詳しく論じている――ともいうべきものとあらかじめ遭遇してしまった作家の自己瓦解ともいうべき事態にほかならない。結核で夭折したといわれる彼女は、当人にとってのものではないはずの「散文の危機」をみずからの身に招きよせながら、文字通り書くことによって死ぬしかない存在だったのである。近代の小説は、言葉が何かを表象しうるという作家の思いこみを排したところにしか成立しえない逆説的な試みにほかならず、それはいわゆるリアリズムとは無縁のもので、そこには表象することのない文章が言語として露呈されている。一葉は、ほとんど意識することもなく、その露呈された言語と触れあいながら書くことを苛酷に実践しつくしたのだから、若くしてこの世を去らざるをえなかったとさえいえるかと思う。
 (蓮實重彦『随想』新潮社、2010年、199~200; 「12 「中秋の名月」が、十三夜と蒸気機関車と人力車の記憶をよみがえらせた夕暮れについて」)

  • こちらは四時で通話を離脱したのだが、たしかUくんとJさんとSさんが残って、その後もたぶん多少雑談が続いたのだと思う。色々と興味深い話題はあったはずで、メモも断片的な単語の形で取られてあるものの、それを見ても詳細が思い出せないのでこまかくは書けない。ひとつには美味い飯の話があって、Uくんはこの日だったかこの前日だったかそれとも数日前と言っていたか忘れたが、ともかくいままで食べた炒飯のなかで一番美味い品を食べたと言い、というか炒飯に限らず人生で食った食べ物のなかで一番美味かったかもしれないらしいのだけれど、それが代々木上原にある白龍という店のチャーシュー炒飯だと言う。ぜひとも食べてみたいものだ。値段も七〇〇円だというから全然高くない。
  • (……)
  • (……)
  • あとはUくんのオンライン家庭教師の話。彼は(……)インターネットで支援者を見つけ、一緒に本を読んだりざっくばらんに思想や政治などの話をしたりすることで金を得ているのだが、なんでも当人によれば(……)の老人ホームでいま彼の存在が「流行」しているのだと言う。まずたぶんひとりの老女がUくんの顧客になり、こういうことをやっていてと仲間に話した結果、それじゃあ自分も、みたいな感じで何人かに広がっていったのだと思うのだけれど、その女性は満州帰りの人で、その際のエピソードをUくんに話してくれた。いわく、その女性は朝焼けが怖いというのだが、それは日本軍に追い出されるような形で満州を逃れ難破船みたいなものに乗って海を漂っていたとき、四方をすべて果てまで続く海面に囲まれた状態で目にした朝焼けが恐ろしくて、その恐怖が(多少淡くなってはいるのだと思うけれど)いまになってもずっと続いているということだった。だから彼女は、海が見える部屋には住めないらしい。これはなかなかすごいエピソードで、それだけでもう小説ですねとこちらは受けたし、また、古井由吉が作品中に書いていたものだが空襲の明朝の禍々しいほどに赤く巨大な太陽と、時間も状況も意味合いもまったく違うがレヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』のなかに記していた一場面――ブラジル行きの船に乗っているあいだ、彼は甲板から空を眺めて雲の変化やそれと太陽との交合を観察し続けていたらしいのだが、その描写が八ページくらいずっと続く箇所があるのだ――のことを思い出しもした。古井はこの夜明けの太陽をたぶんいくつかの作品に書きこんでいると思うのだが、書抜きを見返してみた限りでは以下の記述しか見つからなかった。たしか冬の朝のように禍々しく巨大な太陽、みたいな言い方をしていた気がするのだが。レヴィ=ストロースのほうは阿呆みたいにクソ長いので一部しか引かない。

 空は黄味をふくんだ暗色に閉ざされて、明けたともつかず、地表から白み出す。それにつれて道の両側の煙の中から残骸がつぎつぎに、集まって来るように現われる。黒く焦げた柱が大小さまざまな得体の知れぬ杭のように立ちあがる。頭[かしら]を焼かれた樹が手先の欠けた腕を天へ伸べて、焼跡をさまよう人影に見える。まれに難を免れた家屋の、無事のたたずまいがなまじ、まがまがしい。さらに明けてくる中を歩くうちに、つい未明に焼け落ちたばかりの瓦礫の原が、もう十年も二十年も昔からそのままにひろがっていたかのように、昨日までのことが遠くへ断たれる。家へ向かうこの歩みだけが昨日を繫ぐ。急いではならない。急ぐほどに道は遠くなる。急いで踰[こ]えられるような距離ではない。時間も空間も永遠の相を剝いている。歩調を乱してもならない。立ち停まるのはまして危い。足を停めてあたりを見まわしたら最後、魂が振れて、昨日と今日との間にぽっかりとあいた宙に迷い出し、妻子の安否も忘れることになりかねない。
 血の赤さの太陽がいきなり行く手の中空に掛かった時には、ただ今の今を踏む足取りになっている。焦げた柱も樹木も、崩れた壁も赤い光を受けて、やわらかな影を流している。変わり果てた姿ながら、静かに明けた早朝の雰囲気に変わりない。長閑だ、狂ったように長閑だ、とつぶやいては、その声の長閑さをまた狂ったように感じる。先のことは見えず、過ぎたことは過ぎたところから消える。それでも何歩目かごとに、運命がそこで定まる境目へ踏みこむような、この一歩に妻子の安否が掛かっているような、空恐ろしさが膝頭から走り股間に迫る。乳の匂いが鼻の奥へのぼる。戦慄となりかかるものを爪先からそっと抜いて、置いて行く。つれて背が平らかに、まるで寛いでいるかのようになる。
 (古井由吉『白暗淵』講談社、二〇〇七年、19~20; 「朝の男」)

     *

 十七時四十分、空は西の方で、一つの込み入った構築物に乱雑に塞がれているように見えた。その構築物の下側は完全に水平だった。まるで水平線の上方に、或る理解しがたい浮力が働いたために、いやむしろ、目に見えない厚い水晶板が挿入されたために、海の一部が引き剝がされでもしたかのようだった。頂きには、不安定な堆積、膨れ面をしたピラミッド、凍りついた沸騰が、何か転倒された重力とでもいったものの作用で天頂に向かって懸かり、垂れ、雲の姿を装った刳形[くりかた]といった趣きを呈していた。しかし、雲が光沢を帯び、木を刻んで金泥を塗った浮彫りを想起させていた限りでは、刳形に似ていたのはむしろ雲の方かも知れなかった。この太陽を隠蔽した乱雑な堆積物は、時折閃光を発しながら暗い色調を帯びて次第に背景から浮き上がって行き、そのあいだ、堆積物の上部で火花が飛び交っていた。
 (……六段落省略……)
 十七時四十五分、第一段階の下絵が描かれた。太陽はすでに傾き、しかしまだ水平線に触れてはいなかった。雲の構築物の下側に現われた瞬間、太陽は卵黄のように崩れ、まだ懸かったまま離れきっていない形象を光で汚すかに見えた。この輝きの横溢は、すぐ隠遁に席を譲る。日輪の周辺は輝きを失い、大洋の上限と雲の下限とを隔てているこの虚空の中に、ついに今しがたまでは眩しくてそれと見分けられなかった蒸気の山脈が、今では尖った暗い姿を横たえているのが認められた。それと共に、初めは平たかったこの山脈が体積を増していった。堅く黒い微粒の数々がさ迷っていたが、それは、水平線から空へ向かって緩やかに上昇して行く赤っぽい巨大な板――それは色彩の段階の始まりを告げていた――を過[よぎ]っての、意味のない移動であった。
 少しずつ、夕暮の深い構築が折り畳まれて行った。一日じゅう西の空を占めていた塊りは、金属質の一枚の薄板に圧[お]し延ばされてしまったように見えたが、この薄板を背後から照らしていたのは、初め金色で、次いで朱色になり、さらに桜桃色になった一つの火であった。すでにこの火は、徐々に消え去りつつあった捩[よじ]れた雲を、溶かし、磨き、そして小片の渦巻きの中に取り上げようとしていた。
 無数の蒸気の網が空中に生まれた。これらの網は、あらゆる方向に向かって――水平にも斜めにも垂直にも、そして渦巻形にさえも――張られているように見えた。太陽の光線は、傾くにつれて(丁度、絃楽器の弓が倒れたり立ったりしながら、様々な絃に触れるように)、蒸気の網の一つ一つを、その各々が気紛れに専有しているかのように思われる色調で光らせた。光る番が来ると各々の網は、糸状のガラスの明晰さと、的確さと、脆い堅さとを示した。一方で、少しずつ網は溶解して行ったが、それはまるで、隈なく炎に満たされた空中に曝されていたために網の材質が過熱し、色は暗くなり、個々の区別が失われて薄い布に似た拡がりになって行くかのようであった。この拡がりはだんだん薄くなって視界から消えたが、代わって、それまで隠されていた、編まれたばかりの新しい網が見えるようになった。最後にはもう、曖昧な、互いに入り混った幾つかの色調しか存在していないように見えた。こうして、グラスの中で初め重なり合っていた、色も密度も異なる幾つかの液体は、見たところ動かないままでいながら、徐々に混り合い始めるのである。
 (クロード・レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』中公クラシックス、二〇〇一年、100~103; 「7 日没」)

  • で、その女性の娘さんが(……)の研究などをやっていた人で、この人もUくんの顧客となっており、だから母娘で彼を支援してくれているわけだ。俺もパトロンほしい。娘さんはもちろん文学を研究していたわけなのでそちらに造詣が深いのだと思うが、母親のほうも教養がすごいとUくんは言って、プルーストとか普通に読んでいるらしい。金をもらえるかどうかは置いても、なんかそういう風に誰かとひとつの本を定期的に、ずっと一緒に読んでいくというのはとても面白そうだと思うし、こちらもやってみたいものだ。


・読み書き
 13:58 - 14:08 = 10分(日記: 8月5日)
 14:38 - 15:12 = 34分(英語)
 15:14 - 15:54 = 40分(日記: 8月4日)
 20:38 - 21:02 = 24分(シェイクスピア: 39 - 55)
 28:31 - 29:21 = 50分(柄谷: 67 - 76)
 計: 2時間38分

・音楽

2020/8/4, Tue.

 ユダヤ人虐殺には、ロシア人の支配下にあったラトヴィア、エストニアリトアニアといったバルト三国ウクライナベラルーシでの現地の人びとの協力もあった。
 バルト三国は、早くも[一九四一年]七月上旬までにナチ・ドイツが占領した。バルト三国の人びとは、前年六月よりソ連に占領され、ソ連への反感からナチ・ドイツの侵攻を「解放者」として歓迎した者が多かった。
 この地域のユダヤ人は、特にリトアニアの都市部に多数居住していた。ソ連侵攻直後、ドイツ軍によってたちまち占領されたリトアニアの首都カウナスでは、行動部隊[アインザッツグルッペン]Aに唆された現地の人びとが、ユダヤ人を棍棒で殴殺していった。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、123)



  • 一一時半起床。それ以前に携帯にメールが入ったときの振動が聞こえてすでに目覚めており、二度目のバイブレーションを機に起き上がったのだった。メールは二通とも職場からだった。読書会があるため働けないと伝えていたはずの水曜日の最終コマに勤務が入っていたことへの対応と、五日と一四日の四時からのコマは入れるかとの打診だった。明日はなるべくWoolf会の準備の時間を確保しておきたいので断ったが、一四日は入れると送り返し、そうして上階へ。母親がカレーと煮込み素麺とアボカド・トマト・胡瓜のサラダをこしらえておいてくれた。素麺は除いてカレーとサラダを用意し、新聞を読みながら食事を取ると、皿洗いと風呂洗い。たしかに梅雨が明けたようで今日は陽射しが通る日で、窓外の道路はくまなく覆われ、浴槽のなかで身を屈めながらブラシを動かしているだけで汗が湧き、汗疹のできている肘の内側がちくちく痛い。
  • 緑茶と味噌つきの胡瓜を持って帰室し、コンピューターを準備。Mさんのブログの最新記事をちょっと覗いておいてから、Pat Metheny w/Christian McBride & Antonio Sanchez『Tokyo Day Trip Live EP』をかけて今日のことを記述。Pat Methenyと言えば、先日図書館に行ったとき、CDの新着にPat Metheny Groupの『American Garage』が入っていた。Metheny Groupの音源ってなんだかんだでほぼ聞いたことがなく、昔『Bright Size Life』を図書館で借りてちょっと聞いたくらいだ。と思ったのだがいま検索してみると、『Bright Size Life』はGroupの作品ではなく、Metheny自身のデビューアルバムだった。考えてみればJaco Pastoriusがベースなので、そりゃそうか。
  • 八月一日の記述を進め、一時半過ぎに完成させて投稿。トイレに立ったついでに階段を上り、もう行くんでしょと母親に確認する(彼女は二時から歯医者に行くらしかった)。(洗濯物を)もう入れたのと訊けばほとんど入れたと言うので了解してもどり、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに今度は八月二日に取りかかった。#8 "感謝(驚)"はこの世界で最高の音楽のひとつだ。
  • 八月二日は二時間のあいだ、四時直前まで進めた。すると疲労が満ちたのでベッドに転がり、六時まで身体を休めてだらだら。夕食の支度はサボってしまった。と言うか、カレーもあるし素麺もあるしべつに追加で作らなくても良かろうとひとりで決めこんだのだった。六時を回って起きると汗を垂らしながらしばらくギターをもてあそび、それから夕食へ。カレーと素麺とサラダを食い、部屋にもどったあとはまただらだら怠けた様子。八月二日の日記をちょっと書き足したあと九時を越えて入浴に行き、上がると帰ってまた日記。
  • 一一時前に八月二日の日記を完成。Guns N' Roses『Appetite For Destruction』を流して聞きつつ投稿。歯が痛むと言うか、虫歯とかではなくてなんか歯の奥の神経が軋むと言うかキンキンするような感じがあるのだが、これはやはり昼夜逆転生活のために自律神経とかなんとかが崩れているということなのだろうか。
  • そうして一一時からようやくVirginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994)を訳しはじめた。明日が会合なのにもかかわらず、担当箇所をすこしも作っていなかったのだ。一時間やると心身がこごったのでまたしても休み、のちほど四時から五時までまた一時間やってひとまず完成。

 「馬鹿馬鹿しい」と、かなりきつい声色でラムジー夫人は口にした。自分から受け継がれた子どもたちの誇張癖は良いとして、また、何人か町に泊まってもらわなければならないくらいたくさん人を招いてしまうのも(そういうことがあるのは事実だが)さておき、来てくれた人たちに無礼があるのは許せない。特に若い人、教会のネズミみたいにみすぼらしくても、夫が言うには「飛び抜けて優秀」だし、彼を熱狂的に崇拝していて、休暇中にもここまで訪ねてきてくれるような人たちに対しては。実際、彼女には、どんな男性に対しても護りの手を差し伸べてしまうようなところがあるのだった。何がそうさせるのか自分でもうまく説明はできないけれど、おそらく彼らのそなえている騎士道的な礼節や勇敢さ、あるいは彼らが条約交渉を担ったりインドを統治したり、国家財政を管理したりしているという事実が理由のひとつではあるのだろう。しかし結局のところ、それはきっと、彼女自身に寄せられるある態度、女性なら誰でも好ましく [agreeable] 感じずにはいられないような、信頼のこもった、子どもみたいに純真で敬意に満ちた態度によるもので、年配の女性が若い男性からそういった好意を受け取っても、決して品格を損なうことにはならないのだ。だから、その価値とそれが意味するものすべてを骨の髄まで感じ取れないような娘には――どうか、我が娘たちのなかにはそんな女の子がいませんように!――災いあれ。

 'Nonsense,' said Mrs Ramsay, with great severity. Apart from the habit of exaggeration which they had from her, and from the implication (which was true) that she asked too many people to stay, and had to lodge some in the town, she could not bear incivility to her guests, to young men in particular, who were poor as church mice, "exceptionally able," her husband said, his great admirers, and come there for a holiday. Indeed, she had the whole of the other sex under her protection; for reasons she could not explain, for their chivalry and valour, for the fact that they negotiated treaties, ruled India, controlled finance; finally for an attitude towards herself which no woman could fail to feel or to find agreeable, something trustful, childlike, reverential, which an old woman could take from a young man without loss of dignity, and woe betide the girl ― pray heaven it was none of her daughters! ― who did not feel the worth of it, and all that it implied, to the marrow of her bones!

  • けっこう難しい箇所に当たってしまったなという印象で、まずもって台詞的に訳すのか、多少なりとも距離を挟んで話者の視点から訳すのか、その点からして確固たる判断がつかない。岩波文庫では二文目は、「わたしから受け継いだ誇張癖はやむをえないとして、またわたしが客人を招きすぎて(……)」という風に、「わたし」という一人称主格を用いて自由間接話法的にMrs Ramsayの独白として訳しており、"Indeed(……)"の文から「実際、夫人の態度には(……)」と話者の位置にもどりながらも、残りはMrs Ramsayの視点に寄り添うような形になっている。こちらもおおむねそれを踏襲し、三人称の語りでありながらも、Mrs Ramsayの視点に(完全に同化的に一致するのではなく)寄り添うような文にしたつもりだ。岩波文庫では先にも記したように、「わたしから(……)、わたしが(……)」と、一時的に夫人の視点に同化しているのだが、こちらとしてはそこまで踏みこんでしまって良いのかわからなかったので、"the habit of exaggeration which they had from her"は「自分から受け継がれた子どもたちの誇張癖」という具合に「自分」の語を使って処理し、"she asked too many people to stay, and had to lodge some in the town"の部分は主語を省略して対応した。主語を明示せずとも文の連鎖が成り立つのが日本語の便利なところだ。
  • この段落内で一番の難所だと思われるのは"Indeed, she had the whole of the other sex under her protection"の一節で、逐語的に訳せば、「彼女は異性(男性)全体を彼女の保護下に置いていた」くらいの感じになるだろう。しかしこれではどういうことやねんと言わざるを得ない。男性という種そのものを総体として守るということなのか? とかも考えたけれど、結局は、この場合の"whole"はたぶん「全員」というようなことだろうと捉え、「どんな男性に対しても」と訳出した。ただそこを処理しても、"had(……)under her protection"をどんな日本語にするかというのが難しく、良い言い方(合格と判断できる言い方)が思いつかなかったので、ひとまず「護りの手を差し伸べてしまう」としてお茶を濁しておいた。岩波文庫だと「実際、夫人の態度には、何かすべての男性を守ってあげたい、とでもいった様子があった」と訳されており、「守ってあげたい」という風にMrs Ramsayの「気持ち」が導入された言い方になっているのだが、こちらはそこまで意訳するつもりはなかったので、「実際、彼女には、どんな男性に対しても護りの手を差し伸べてしまうようなところがあるのだった」として、意味を夫人の性格・人格・性質のレベルに留めておいた。


・読み書き
 12:44 - 13:33 = 49分(日記: 8月4日 / 8月1日)
 13:58 - 15:58 = 2時間(日記: 8月2日)
 20:52 - 21:12 = 20分(日記: 8月2日)
 22:02 - 22:43 = 41分(日記: 8月2日)
 23:02 - 24:02 = 1時間(Woolf: 5/L2 - L8)
 28:04 - 29:04 = 1時間(Woolf: 5/L8 - L16)
 計: 5時間50分

  • 日記: 8月4日 / 8月1日 / 8月2日
  • Virginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994): 5/L2 - L16

・音楽

2020/8/3, Mon.

 (……)占領下でユダヤ人の射殺にあたったのが行動部隊[アインザッツグルッペン]であった。総勢約三〇〇〇名、表のように四つの部隊で構成されていた。バルト諸国、ソ連の相当数のユダヤ人は、親衛隊・警察体制の種々の部局から集められ編成されたこの射殺部隊によって殺害されていく。
 主な人員は、行動部隊Aを例にすると、武装親衛隊三四〇名、親衛隊オートバイ兵一七二名、保安部員三五名、刑事警察四一名、ゲスターポ八九名、補助警察八七名、普通警察一三三名、女性職員一三名、通訳五一名であった。
 (……)
 行動部隊は、ソ連侵攻と同時に殺人行動を開始していた。たとえばウクライナではキエフに近いバービー・ヤールの谷で行動部隊C所属第四a特別行動隊[ゾンダーコマンド]が二日間にわたって三万三七七一名を殺害している。
 ソ連侵攻後一九四一年末までの約半年間に、行動部隊だけで少なくとも五〇万名に近いユダヤ人を射殺した(……)。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、114~116)



  • 一時四〇分まで寝坊。と言って、朝方六時一五分の就寝だからそれほどだらだら寝耽ったわけでなく、七時間台に収まってはいる。しかしさすがに六時台に眠るのはまずいだろう。いい加減にすこしずつ就床時刻をはやめていかなければ。夢を見たが、特に面白くもなかったし記述するのが面倒臭いので省く。
  • 上階へ行き、台所にいた父親に挨拶して、洗面所で顔を洗ったり髪を梳かしたりうがいをしたり。鏡の前に立っているあいだ、ミンミンゼミの声が外から伸び入ってきて、梅雨も明けたらしく今日は陽射しもあるし、いよいよ夏っぽい。味噌汁のわずかな残りと、母親が弁当を作った際の余り物があったのでそれらを温め、加えてレトルトのカレーを食べることにした。フライパンで湯煎しているあいだに、卓に就いて味噌汁とおかずを先に食う。新聞はドナルド・トランプの政治手法の説明など。FOXニュースのなんとかハニティとかいう人気司会者と蜜月関係を築いているらしい。FOXニュースの視聴者ってCNNより多いと言うか、記事に載せられていた数値ではたしか倍くらいになっていたはずで、かなり影響力はあるようだ。
  • 二時半に立ち上がり、皿洗いと風呂洗いを済ませ、洗濯物をもう取りこんでおいたのち、緑茶を持って帰室。今日は六時から労働なのだが、この時間だったら普段は五時半前の電車で行っているところ、今日は二コマでもあるしたしか国語も当たっていたと思うし、なんとなく早めに行ったほうが良いような気がする。しかしこちらの地元は鉄道が貧弱なので、五時半より前の電車となると四時四五分のそれになり、それだとさすがに早くて出発までの精神的猶予もすくない。いま三時二〇分を回ったところなので、あと一時間もすれば出なければならないわけだ。まあでも一応その電車で行こうかなとかたむいてはいる。職場に行けばなんだかんだやることはあるし、それがないとしても、待つことに関してはこちらはまったく苦を感じない人間で、手帳にメモを取るか本を読むかぼんやりするかしていれば時間なんてすぐに過ぎ去るものだ。
  • Evernoteを用意し、今日の記事を作ったあと、便所で糞を垂れつつ、「本音でも建前でもなく欲動は真理を歌う風に吹かれて」というよくわからん一首を作った。部屋に帰るとここまで記述。
  • それから書見。柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)をちょっと進めつつ、ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社白水uブックス29、一九八三年)も読み返す。マクベス自身がみずから恐れや恐怖を口にしている発言が重要かもしれないなと思って大雑把にたどり返してみたのだが、どうもダンカン王を殺して自分が王位に就くまでのあいだでそれに触れているのは三箇所のみのようで、ほかにマクベスの「臆病さ」に言及するのは主には夫人の非難である。そして、王位を得たあとマクベスが抱く主要な心的状態は、「恐怖」というよりは「不安」のほうに傾いていく。彼がみずから「恐怖」を口にしている三箇所を記録しておくと、まず25ページの独白(「(……)なぜおれは王位への誘惑に屈するのだ、/それを思い描くだけで恐ろしさに身の毛もよだち、/いつものおれにも似合わずおののく心臓が/激しく肋骨を打つではないか? 眼前の恐怖も/想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない」)。もう二つはどちらも55ページ、王を殺した直後のことで、なぜか持ってきてしまった凶器の短剣を現場に戻しに行くよう求める夫人に対してマクベスは、「もうおれは/行く気にはなれぬ。自分がやったことを考えるだけで/身の毛もよだつ」と答えており、また夫人がみずから短剣を戻しに行ったあとはノックの音を聞いて、「なんだ、あの音は?/どうしたのだ、おれは、どんな音にもびくつくとは?」と漏らしている。
  • マクベス夫人は31ページで夫の手紙を読みながら現れるのだけれど、彼女が読んでいる文言の範囲では、王殺しについては何ひとつ触れられていない。ただ魔女の予言の経緯に言及しながら「地位が約束されている」と書かれてあるのみなのだが、それにもかかわらず、翌32ページの夫人の台詞を見ると、マクベスが王殺しを考えているということは彼女のなかで前提となっているように見えるし、34ページでは夫妻で弑逆を果たすという彼女の意志はより明確化される(「(……)決意が恐ろしい結果を生み出す(……)」とか、「私の鋭い短剣がおのれの作る傷口を(……)」などと言っているのだから)。ところが、35~36の夫妻のやりとりのなかでは、マクベスは王殺しの意図を一言も明言してはいない(彼が口にするのは、「いいか、だいじなおまえ、/ダンカンが今夜ここにくる」、「明日、とのことだ」、「あとで相談しよう」という三つの短い台詞のみである)。
  • そもそもマクベス当人が25ページで言っているとおり、予言が真実ならばみずから手をくださずとも王位はそのうち向こうからやってくるのだから、ただ待っていれば良いわけだ。ところがいったんそういう結論に達したはずのマクベスは、30ではもうまた王殺しを考えているし、夫人もなんの疑問も抱かずにはじめからそうするものだと思いこんでいる。しかし「常識的に」考えれば、ダンカンが事故死したり病死したりする可能性も充分にあるはずだ。
  • そもそも「予言」の場面にもどってみると、魔女は「万歳、マクベス、将来の国王!」(19)と言っただけなのだが、マクベスはそれを「いざない」(24)とか「王位への誘惑」(25)と取っているのだ。魔女の発言そのものを見れば、それは第一義的には何かを誘ったり、何かをするように促したりはまったくしていない。つまり、単なる「予言」を「誘い」と解釈する意味論的変換がここに明確に見て取れると思うのだが、なぜそのような意味の微動が起こったのか? 心理的解釈はこちらにはまだよくわからないし、そもそも心理的解釈をするべきなのかどうかもわからない。ただひとつにはこれは、物語そのものの論理から要請されたものではあるのだろう。というのも、マクベスが王を殺さなければこの劇のストーリー自体が成り立たなくなってしまうからだ。マクベスが冷静に落ち着いて王の死を待っていたら、この作品の物語は生まれなかった。作劇上、マクベスは弑逆へと誘われなければならなかった、という論理は一応見出せるが、しかしそう言ったとしても特に面白いわけではない。
  • 四時二四分まで書見したあと、着替えて荷物を支度し、出発。セミのノイズが林から旺盛に吹き出し空間を満たしており、拡散的に敷かれたその下地のなかにミンミンゼミの声が浮かんで波打つ。空気は思いのほかに蒸さず、そこまで暑くなく、第一段階では(第一義的には)むしろさらさらとなめらかで心地良いくらいの感触だった。坂を上っていくと木洩れ陽が見られ、左のガードレールの向こうでは樹々の合間のちょっとひらいた場所に光が降りとおり、葉叢に宿って、橙の色素をほんのわずか含んだ光の結晶(光学的結晶体)がいくつも生み出されてなだれ落ちている。
  • 陽のなかに入ればさすがに暑いが、しかし駅に至って電車に乗っても汗が吹き出してはこない。濃いピンク色のオシロイバナが線路沿いに点じられているのを見ながら最寄り駅を離れ、その後も扉際で緑を眺めながら揺られて青梅に至る。小学校の裏山を構成する濃緑の樹々を受け取る空は、雲混じりの淡色である。
  • 勤務。今日は二コマ。一コマ目は(……)さん(小六・国語)と(……)くん(中二・英語)、二コマ目は(……)くん(中二・英語)と(……)さん(中二・英語)。メモも取っていないし授業内容は忘れてしまった。ただ、(……)さんは初顔合わせだった。と言うか正確には以前一度くらい当たったような気もするのだが、ずいぶん前であちらもこちらも覚えていないし実質初見だ。英語は得意とは言えず、どちらかと言えばなかなかやばいほうだろう。今日海に行ってきた帰りだとか言っていて、海ってどこの海だかわからないが、青梅からではもっとも近くても東京湾か神奈川まで行くしかないはずで、そうするとかなり遠い。活発な子なのだろう。
  • 退勤して駅へ。ベンチに就くと反対側の席には発語からしておそらく中国人らしき女性二人組がおり、あたりの写真をたくさん撮りまくっていた。柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読みながら待ち時間を過ごしていると、ホーム上に何やら黒っぽい小さな塊があるのに気がつき、何か虫のようだなと判別されたが視力が悪いのでそれ以上こまかくは見えない。塊はそのうちにのろのろ這いだしたのでやはり虫だと確定され、黄線付近をうろうろ移動して一度はこちらのほうに近づいてきそうな気配も見せたものの、結局自販機の隙間に入っていったようだ。色味は灰色の感じが強く、体の上に何か模様があったのでカミキリムシのようにも見えたが、それにしてはけっこう大きいサイズだった。
  • 最寄りで降りると満月が南の空に掛かっている。遠回りで帰ることにして街道沿いを左に(東に)曲がると、マンションの入口前に黄色もしくは茶色の落葉がたくさん散らばっていた。すぐそばの道脇の樹から落ちたものだろうが、この樹はたしか桜だったはずだ。満月はバター色もしくはクリーム色に凝縮されており、あたりにひろがるその光によって空の青味はあまりに露わに公開されてかなり明るい。歩きながら作歌の頭が回ったが、形には収まらず単語が色々浮かぶのみだ。短歌よりもむしろ詩にしたほうが良いのかもしれない。裏路地に入って下りていきつつ、音が存在しない瞬間というものがないなと耳を張る。自分の足音は常にあるわけだし、坂に入れば周囲からおもちゃのプロペラが回るような虫の音がいくつも立つし、右手の茂みの奥からは別種のものが声を送って、左下方からはそれらをまるごと呑みこむ雲のようにして川の響きが昇ってくる。頭上からときおり、一瞬だけ、ゼンマイを巻くような音が聞こえてくるのはセミなのか。
  • 帰宅すると居間にいるのは母親のみ。まだ入浴前の姿で、メルカリを見ていたようだ。部屋に帰ると、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読みながら休む。52ページには、「ここで注意すべきことは、(……)魔女の予言が、実際はバンクォーをマクベスに劣らず一変させたということである」とあり、翌53にはその具体的な説明として、「予言を聞いて以来、バンクォーは現在に生きることをやめた。つまり彼はマクベスに殺される前に、すでに生きながら死んでいたのだ」と述べられており、たぶんこれは「予言」によってバンクォーの「現在」が無意味なものと化してしまい、したがって「予言はマクベスとは違った意味で彼を荒廃させたのである」ということになるのだと思うが、そこに引かれている第三幕第一場のバンクォーの台詞を見てもそのように読めるのか疑問だし、そもそもバンクォーは登場と同時に魔女に出くわして「予言」を聞くのだから劇中にそれ以前の彼の様子や思考は何ひとつ提示されていないわけで、だとすれば「予言」によってバンクォーがそれまでの彼から「一変」したとどうしてわかるのか、という素朴な疑問も感じる。
  • マクベス論」はここで最後まで読み終えたのだが、読んでみて感じるのは、柄谷行人って文学の読み手としてはめちゃくちゃ鋭かったり精緻だったりするというわけではなく、やはり思想とか哲学方面の人なのだなという印象だ。言葉よりも概念の人というか。文学作品を読むというより、文学を材料として自分の思考を発展・展開させていくというような感じで、だからのちに彼がいわゆる通常の「文学」を離れて(見限って?)哲学方面のテクストにより傾倒していったというのは納得が行く気がした。
  • 食事中のことは覚えていない。入浴前に母親がTくんの動画を見せてくれた。「コロコロ」と呼ばれる粘着性の紙を利用した掃除道具があるけれど、あれを床につけてベリッと剝がすとその音にTくんがびっくりして叫びを上げるという映像で、コロコロを持っている手はたぶんTMさんのものだったと思うが、彼女はそれを何度も繰り返してTくんを怯えさせているのだった。それを見てちょっと笑ったあと風呂に行きながら、やっぱりなぜ音が出るのかその意味がわからないのが怖いのかなとか考えた。赤ん坊はたぶん「粘着」という事態にいままで出会ったことがなく、そういう現象がこの世にあることを理解していないと推測されるから、きっとこれまでにああいう形で物音が発生するのに遭遇したことがなかったのではないか。つまり今回の遊びはTくんにとっては端的な「未知」で、その意味がまるで理解できない事柄だったからこわがったのかなとか思ったのだが、果たしてどうなのかはもちろんわからない。そもそも未言語段階の赤ん坊に「意味」の認識があるのかどうかも不明でこちらにはわからないし、もしあったとしてもそれは言語習得以降の人間が受け取り捉える「意味」とは違った形の何かではないかという気もする。
  • 入浴後は母親の代わりに洗濯機のなかにあった洗濯物(タオルや父親の作業着など)を干してやり、そうして帰室。その後のことはメモが残っていない。
  • 新聞写し、二〇二〇年六月八日月曜日朝刊、一〇面。託摩佳代(東京都立大教授)【1000字でわかるグローバル・ヘルス 3 アメリカの存在感】。

 (……)仮にアメリカがWHOを正式に脱退することとなれば、グローバル・ヘルスへの大きな打撃となる。アメリカはWHO歳入の約12%という最大の割合を負担していることに加え、その資金でもって緊急人道支援をはじめ、マラリアやポリオ根絶といった継続中の各種事業を支えている。WHOで働く約300人のアメリカ人職員をどうするのかという問題も生じる。
 (……)そもそもWHO設立を主導したのはアメリカであった。加盟国を国連加盟国に限定しようと主張する国も多かった中で、アメリカは敗戦国をも含む枠組みを主張して譲らず、「世界」保健機関が誕生した。保健や食糧などの機能的協力の積み重ねがリベラルな国際秩序の基盤になりうるというアメリカの期待を反映したものであった。
 その後に展開された各種事業もアメリカの関与がなければ成り立たなかった。WHO最大の功績として名を馳せる天然痘根絶事業は、アメリカがベトナム戦争で失墜した国際的信頼を回復すべく、1965年に参加を表明して以降、その資金と人員、ワクチンを活用しつつ展開された。エイズに関してもグローバル・ファンドや米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)など、資金調達枠組みの設立を牽引、2000年の国連安保理ではエイズに関する初の安保理決議採択に導くなど、リーダーシップを発揮してきた。総じて、アメリカの影響力とはその圧倒的な資金に加え、優れた医薬品や人員をはじめとする資源の提供、市民社会組織や製薬会社など米国アクターの関与、他国からの信頼を伴ったリーダーシップなど多様な要素に支えられてきたのである。
 (……)アメリカが抜けることで中国の影響が高まるのではという見方がある。確かに中国の分担金負担率は向上してきているが、自発的拠出金額は少なく、WHO歳入全体の0・97%を負担しているに過ぎない。これはクウェートパキスタン、韓国よりも小さい割合である。(……)

  • 同面、【明治維新の柔軟性 コロナ危機に必要/三谷博・跡見学園女子大教授が新刊】。東京大学名誉教授でもある三谷博という人が、『日本史からの問い』という新著を刊行したらしい。

 江戸時代の日本は天皇と将軍という2人の君主と、約260の大名で構成された「双頭・連邦」国家だった。三谷氏は、これが天皇による「単頭・単一」国家に変わる「集権化」と、武士身分が解体され、男性に限っては被差別民も含め平等な権利を持つ「脱身分化」を、明治維新の特徴に位置付けている。

     *

 明治維新は支配階級である武士の約3分の2が官職を失う大規模な階級変動だった。しかし、三谷氏は155万人が犠牲となったフランス革命と比較し、明治維新の過程の犠牲者が3万人と桁違いに少ない点に着目。維新を主導した人々が態度を柔軟に変更し、「節目節目で政治家たちが武力抗争の回避に努め、たとえ発生しても拡大を抑えようとしたことが大きい」という。


・読み書き
 15:09 - 15:25 = 16分(日記: 8月3日)
 15:27 - 16:24 = 57分(シェイクスピア / 柄谷: 42 - 51)
 21:42 - 22:14 = 32分(柄谷: 51 - 58)
 22:35 - 23:05 = 30分(柄谷: 58 - 66)
 24:24 - 24:51 = 27分(巽: 21 - 28)
 24:51 - 25:23 = 32分(新聞)
 28:01 - 28:51 = 50分(日記: 8月3日 / 6月19日)
 計: 4時間4分

・音楽

  • FLY『Year of the Snake』

2020/8/2, Sun.

 一九四一年六月二二日早暁、「バルバロッサ作戦」、つまりソ連侵攻作戦が実行に移された。ドイツ軍は、三六〇万名の兵力(このうち六〇万はフィンランドルーマニア、スロヴァキア、イタリア軍兵士)、二一個戦車師団を含む一五三個師団、三六〇〇両の戦車、二七〇〇機で、宣戦布告なしにソ連に侵攻した。
 軍組織は、北方軍集団、中央軍集団南方軍集団の三つに分かれ、北方軍集団バルト三国を経てレニングラードを、中央軍集団ベラルーシを経てモスクワを、南方軍集団はウクライナを経てヴォルガ河流域をめざし進撃を開始した。
 それに対する国境方面のソ連軍は、二九〇万名、一四九個師団、一万五〇〇〇両の戦車、八〇〇〇機を超える空軍機だった。だが、不意を衝かれたソ連軍は各地で国境を突破され、空軍機も初日だけで一八〇〇機が失われた。
 未曾有の規模だったドイツ軍は、攻勢開始当日から、国防軍を中心に親衛隊、通常警察、現地対独協力組織各部隊と緊密な連携のもと進撃し、バルト海沿岸からベラルーシを経て南東ウクライナにいたる広範な地帯を席巻していった。
 戦時法規を無視したソ連侵攻を計画していたドイツ軍は、緒戦から殲滅戦を推進していった。捕虜になったソ連軍兵士三五〇万名の死亡率は高く、一九四二年春までに二〇〇万名が死亡している。一日に六〇〇〇名が亡くなったことになる。
 また、特にユダヤ人に対しては苛酷であり、一九四一年末までに成人男子のみならず女性や子どもを含め五〇万~八〇万名のユダヤ人を殺害した。一日平均二五〇〇~四〇〇〇名を超える計算である。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、112~114)



  • ちょうど一一時に起床を達成した。上階に行ってうがいをしたり髪を梳かしたりしたのち、フライパンに入っていた煮込み素麺を温めて食事。二時から懐石料理を食いに行くので椀に一杯だけの軽い食事にした。新聞を見ると一面に歌三線奏者の人の戦争証言が載せられていて、沖縄戦に際して本島北部の山原[やんばる]まで徒歩で避難し、入った壕のなかで赤ん坊が泣き出したのに発見を恐れた日本兵が出ていくようにと告げて母子は実際に出ていったという挿話が語られていた。大田昌秀沖縄県知事の証言を思い出さないわけにはいかない。

例えば、住民がいたるところに壕を掘って家族で入っている。そこに本土からきた兵隊たちが来て、「俺たちは本土から沖縄を守るためにはるばるやってきたのだから、お前たちはここを出て行け」と言って、壕から家族を追い出して入っちゃうんですよね。一緒に住む場合でも、地下壕ですからそれこそ表現ができないほど鬱陶しい環境で、子供が泣くわけです。そのときに兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う。母親は子供を殺せないもんだから、子供を抱いて豪の外に出ていき、砲弾が雨あられと降る中で母子は死んでしまう。それを見て今度は、別の母親が子供を抱いたまま豪の中に潜む。すると兵隊が近寄ってきて子供を奪い取り、銃剣で刺し殺してしまう……。そういうことを毎日のように見ているとね、沖縄の住民から「敵の米兵よりも日本軍の方が怖い」という声が出てくるわけです。
 (堀潤辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀沖縄県知事インタビュー」(2015/7/3)(http://politas.jp/features/7/article/400))

  • 食後、皿洗いと風呂洗いを済ませ、メロン風味のカルピスを持って帰室。Evernoteを準備してまず今日のことをさっと記した。現在は一二時八分。
  • さらに一二時五〇分まで八月一日の記事を書き進め、そうして着替え。深青一色の麻のシャツと、ガンクラブチェックのズボン。一時二五分ごろ出るという話だったので、それまで脚をほぐしておきたいとベッドに転がり柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読んだ。じきに呼ばれたので荷物を持って上へ。
  • 助手席に乗車。走り出して街道に出れば、フロントガラスの向こうに雲混じりでまろんだ青さの空が広がり、淡い陽が空間を渡っている。六時一五分から一一時までの寝床滞在なのでさすがに眠りが足りないようで頭が重かったので、食事処に着くまでのあいだは瞑目して休む。
  • 「(……)」に到着。在所は(……)という地区。車から降り、黒い塀の脇に無人の野菜販売所があったので寄り、ナスやらトマトやらを母親が買う(四品くらいで五五〇円だったか)。それから店のなかへ。門を入ると竹や楓やらが立ち並んだ庭があり、サルスベリが何本か見られたのだが、まだほとんど花は咲いていなかった。あまり陽に触れないのだろうか? 休憩所を兼ねた蔵もある。母屋と言うか店本体の戸口をくぐると着物姿の女性らが出迎えてくれ、靴を脱いで二階へ、そうして奥の一室に通された。テーブルの窓際のほうに就く。窓外は庭を覆う樹々の梢が広がっており、楓らしき形の葉叢もあったが、いまはもちろん全面明るい緑である。建物のうちは古民家の風情で、立派な梁など通っており、色調は暗く、それに合わせたものらしく真っ黒なエアコンが天井のそばに取りつけられて稼働していた。あとで父親が仲居もしくは給仕の女性に訊いたところ、明治初期からある家を特に改築もせず基本的にそのまま使っているらしい。おそらく地主だか豪農だかがこのあたりにいたのだろう。BGMは最初、和笛の音が聞こえていたが、のちにはクラシックなども掛かっていた。
  • 料理の品目は献立の紙を回収してきたのでそれに拠る。

   笹 葉月 お献立

 前菜 法蓮草もろへいや浸し
    無花果胡麻クリーム
    鰻小袖寿司
    合鴨燻製
    若もろこしうす衣揚げ
    勾玉豆腐旨出汁ゼリー
    鬼灯とまと南蛮漬け
    茗荷甘酢漬け
    万願寺唐辛子揚げ浸し

 椀盛 オクラしんじょ
     椎茸 糸人参 酢橘 三つ葉

 向付 ごま豆腐
     さしみ蒟蒻 アスパラ あしらい一式
      割り醤油 芥子酢味噌

 焼物 鮎塩焼き
     蓼酢

 焚合 冬瓜すーぷ煮 共地餡かけ
     鶏オレンジ煮 二色パプリカ おくら
     糸賀喜 洗い葱 生姜

 止肴 夏野菜と鱧南蛮漬け
     白髪葱 紅蓼 黒胡椒酢ゼリー

 止椀 田舎味噌仕立て
     玉葱 煎り胡麻
 飯  さつま芋おこわ 黒胡麻
     黒胡麻
 香物 糠漬け 安芸紫 塩昆布

 水物 桃ミルク寄せ
     マンゴー くこの実
     ミント 刻み酢橘ゼリー
    さつま芋アイス
     丸十れもん煮 小豆餡 あられ

  • まず前菜では、「勾玉豆腐旨出汁ゼリー」が一番美味かった。ほか、無花果なんてものははじめて食ったところだ。向付のさしみ蒟蒻はさすがに質が良い感じがした。鮎の塩焼きなんてものもはじめて食べたかもしれない。棒に貫かれてよく焼けていて、骨や頭まで残さず食べることができた。蓼酢というものにもはじめて触れる。緑色の、パレットの上でかなり水っぽく溶かした絵の具みたいな調味液だった。冬瓜のスープ煮も美味い。「共地餡」なる言葉ははじめて見たが、「ともじあん」と読むようで、検索して一番上に出てきたページによれば、「汁と具を一つの材料から作った共地に、片栗粉などでとろみをつけたもの」とのこと。「糸賀喜」なる語も初見だが、これは鰹節の類だった。紅蓼というのは刺し身のツマなどになっているあの赤紫色の小さな葉っぱで、イヌタデとおなじものなのかなと思ったのだが、どうも違うらしい。さつま芋おこわは竹を敷いた器に入っており、それを持って顔に近づけると竹の香りが立ち昇って料理の風味と混ざる仕組みで、こうした趣向は新鮮だった。竹で言えば膳を置く下地としておのおのの前に敷かれていた和紙(顕微鏡で拡大して見た微生物のような、こんがらがった糸くずのような繊維の筋があちらこちらに散らばって不規則な模様をなしている)にも竹の葉の絵が描かれており、前菜の品のどれかも竹の幹を器にしていた。
  • 給仕は何人かおり、例外なく着物をまとった女性で、若い人から比較的年嵩と見える人までいたが、料理を乗せた器は巨大なものがけっこう多く、運ぶのはなかなか大変そうだった。デザートの器などは巨大なすり鉢みたいなものに氷がいっぱいに敷き詰められており、それまで我々と多少の雑談を交わしていくらか打ち解けていた給仕の女性は、これすごく冷たいんですよと言ってみせたが、冷たいのに加えてあれでは相当に重かったのではないか。
  • こちらは睡眠が足りなかったためか気分が万全とは言えず、けっこう早々に腹が膨れてきた感じがあって、また気持ち悪さの兆しのような感覚もかすかに感じられないでもなく、全部食べられるかなと思っていたのだが問題なく完食はできた。懐石料理というものを食ったのははじめてか、はじめてでなくともそんなに機会はなかったはずだが、美味いけれど如何せん貧しい舌しか持っていないので、そんなに高い金を払って食うものなのかなと思わないでもない。今回の食事はひとり七〇〇〇円くらいだったようなのだが、普通に一〇〇〇円くらいの飯でこちらは全然満足だぞと思う。味つけが複雑で微妙な料理ばかりなので、もっと繊細な舌を持っていないと真価を味わうことはできないのだろう。あと、最後にサービスで抹茶が出てきたのだが、これはなかなか面白かった。口に含んでいるうちは苦味があるのだけれど、喉に送って飲みこむと途端に苦さは消えて後味がほとんどなくさっと流れて、しかも何口も重ねているうちに苦味自体にも慣れてくるから、飲むたびにだんだんと味のニュアンスが変化していくのだ。抹茶というものもよく考えられている。
  • 二時間ほど食事をして、四時ごろ退店。そう言えば店にいるあいだ、こんな風にコロナウイルス対策をしていますということを知らせる掲示がテーブルの端に置かれていたのだが、それに目を留めた父親は脈絡なく――おそらくそれ以前に両親のあいだではなんらかのやりとりがあったのだろうが――、こういう風にちゃんと対策をしている店なら食事に行っても大丈夫なんだよ、そうじゃないところに行くと、かかっちゃったりするんだよと母親に向けて言い、そういう〈訓示を垂れる〉ような振舞い(しかも偶然そこにあったものを取り上げて文脈を無視しながら唐突に)は典型的な男性性を具現化しているように思われてなんだかがっくりくると言うか、要するにいかにも「おっさん」という感じがして鬱陶しい。行きと帰りの車中にもおなじような瞬間はあったし、夕食時にスマートフォンでテレビを見ながらひとりでぶつぶつ話したり感動したりしているのもそうなのだけれど、こうした振舞いはロラン・バルトの言っていた「ディスクールを聞かせること」を思い出させるような趣があり、要するに押しつけがましい意味の顕示だと思う。なぜわざわざ顕示するのか理解できず普通に鬱陶しいし、〈訓示を垂れる〉のはともかくとしても、自己完結的な感涙の唸りを(自己完結的であるにもかかわらず)目に見えるように漏らしたりするのは、感情性の意味素がそこに介在するだけに、かなり下品だとこちらは感じる。もうすこし慎みを考えてほしい。
  • 帰りの車中でも、先の「(……)」に来ていた客のなかにひとり、Tシャツに短パンのラフな格好をした男性がいたのだが、酒を飲んだ父親に代わって運転席に就いた母親はその人のことを取り上げて、けっこう良い店なんだからもっとちゃんとした格好すればいいのに、みたいなことを言い、それに対して父親は、そんなのいいじゃねえかよ、格好なんて気にしなくても、と返し、母親は、いや、いいんだけど、でも私だったらもっとちゃんとしてほしいと思うよとかなんとか答えるという具合で、クソみたいにどうでも良い言い合いが交わされて鬱陶しく、まったく驚くほどに世俗的な人間個体たちだなと思わざるを得ない。
  • 図書館の近くで降ろしてもらった。マスクをつけたまま通りを歩き、入館。手を消毒し、カードを忘れてしまったので用紙に個人情報を記入して、借りていたCDを返すと新着棚へ。The WhoのRoger Daltreyが『Tommy』をすべて演じたらしい最近のライブ音源があり、ちょっと聞いてみたい。Simon Townshendとかいう人が参加していたと思うが、これはたぶんPete Townshendの息子かなんかだろう。と思っていま検索したところ、息子ではなくて弟らしい。Pete Townshendは一九四五年生まれでSimonのほうは六〇年生まれだからだいぶ歳が離れている。ほか、Rammsteinとかいうグループの『タイトルなし』などという作品があり、パッケージ自体も真っ白で何の情報もなかったと思うし、解説書をめくってみてもライナーノーツの類もなくて一体どういった音楽なのかちっともわからなかったのだが、こういう徹底された愛想のなさは嫌いではない。帰ってから調べてみたところではドイツのバンドで、わりと過激なほうのパフォーマンスをするらしく、Wikipediaによれば、「1996年、デヴィッド・リンチにPV製作を依頼するが、リンチが多忙だったため実現せず、しかし翌年公開の『ロスト・ハイウェイ』で『Herzeleid』収録の「マリー・ミー (Heirate Mich)」と「ラムシュタイン 」の2曲が起用された」とのこと。『No Title』は二〇一九年発売で、「初めて全英チャートでトップ10入りを果たした他、日本のオリコンでも総合チャートで39位、洋楽チャートで7位を記録するなどの成功を収めた」と言う。
  • 新着にはまた高橋悠治『Poems Without Words』があって、二〇一九年のライブ音源でもあるしこれはやはり聞きたいということで保持。高橋悠治のソロピアノ作品は以前ほかにも見かけたことがあると思ってクラシックの棚を探ってみたのだが見つからず、あとの二枚は椎名林檎無罪モラトリアム』とやはり新着にあったJoe Barbieri『Dear Billie, A Letter To Billie Holiday』にした。CORE PORTだとあとはサラ・ガザレクをそのうち借りたいと思っている。
  • カウンターに寄って男性職員に貸出手続きをしてもらい、カード代わりの用紙を回収されかかったところに、まだ本も見たいのでと申し出て返してもらい、便意が迫っていたのでトイレに向かったのだが、その途中、カウンターで女性職員を相手にしていた老人がなんか厄介そうな感じの人だった。と言うのも、どうもコンピューターを使いたいと申し出ていたようなのだが、老人はこの日すでに一度インターネットを利用していたようで、女性職員が(たぶんコロナウイルス感染対策の関連で)コンピューターを使えるのは一日一度になっておりまして、今日はもう利用されていますから……と説明するのに、しかし老人は、ん? 何? みたいな感じですっとぼけた反応を返し、相手の言うことを聞かないふりを装って、何度も繰り返し女性におなじことを説明させていたのだ。そこにこちらの対応を終えた男性職員が加わって、そうですね、もう今日は一度利用されてますから、ともうすこしはっきりした声音で告げているところまで見てトイレに曲がったのだが、公共施設とか飯屋とかで客の立場に居直ってスタッフに偉そうな態度を取ったりむやみに相手を困らせたりする人間は、見るからに不快で生理的な嫌悪感を禁じえないのでそうした振舞いを改めてほしいとこちらは思うし、もしそれができないのならば例外なくこの世から消滅してほしいと願っている。
  • と言うかこの老人は、その後上階の本のフロアでも見かけたのだが、たぶん何年か前の一時期に河辺駅前の歩廊上で政権を批判しながら沖縄問題に関する集会への参加を呼びかけていたその人ではないかと思う。べつに政権を批判するのも沖縄の状況への注視をうながすのも彼の自由に決まっているけれど、この老人の場合その呼びかけ方がいくらか粗暴だったと言うか、それこそ押しつけがましい色合いがかなり強く、あんな言語操作ではただでさえ「政治的」な事柄を敬遠しがちな多くの通行人はただ引いてしまうだけだろうとこちらは見ていたのだった。
  • 新着図書や哲学の書架を確認し、本はどうせ貸出期間中に読みきれないのだからと思いつつもなんとなく借りるだけ借りておこうかなという気になり、新着棚にあったユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)とデヴィッド・グレーバー/片岡大右訳『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』(以文社、二〇二〇年)を借りることに。前者はまったく知らなかった人だが、「物の目録」というタイトル中の言葉には惹かれるし、ちょっとめくってみてもなんか面白そうだった。ブックデザイナーもやっている人のようで、この作品は「ドイツでもっとも権威のある文学賞」だというヴィルヘルム・ラーベ賞を受賞し、また「もっとも美しいドイツの本」なるものにも選ばれたらしい。後者は読売新聞に書評が載っていたような気がしないでもなく、まあそんなことはどうでも良いのだが、「民主主義」概念と「西洋的伝統」の固着をいくらかなりとも崩したり、そのほかの文化圏において「民主主義」に通じるような概念及び制度を見出したりするという――いわば比較政治思想論みたいな――試みは興味を感じるテーマでもあるし、色々と難しいことはありそうだけれど大きなアクチュアリティを持っているはずで、学ぶべき主題だと思う。ただ、先にも書いたとおり、これらの二冊を期限内に読めるかどうか、正直自信は全然ない。
  • ふたたび男性職員に手続きしてもらって退館。駅に渡るとちょうど電車が来たので乗り、着席して青梅へ。乗り換え電車を待ってベンチで書見していたのだが、あまりにも眠くてたびたび瞼が落ちた。電車に乗って最寄りまで来ると、帰ったらすぐ眠ろうと思いつつ駅を抜けて坂道へ。すると道の真ん中に芋虫が這っており、思わずしゃがみこんでしばらく眺めてしまった。明るい緑一色の細長い体に小さな輪状の模様が二、三、描かれており、その体を縮めては伸ばし蠕動しながらだんだん前へ進んでいく。ちょっと見てから立ち上がって進めば、今度は何か黒い蜂みたいな羽虫がこちらの周りを飛び回って離れないので急いで逃げ、すると次はカブトムシが細い足を地面に精一杯ひろげて緩慢に歩いているので、やたら虫に出くわすなと思った。やはり梅雨が明けて久方ぶりに陽が出たので、昆虫たちも活動を活発化させているのかもしれない。これはたぶんまた出会うなと思って下りていけば、果たしてクロアゲハが飛び交うところに行き逢った。
  • 帰宅すると服を脱いでベッドに転がり、書見。さっさと眠ろうと思っていたのだが、意外とまどろみが迫ってこないので、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読み進めてしまった。38~39には『マクベス』の本文が引かれており、そのなかに、「おれの平和を得ようとして、実はあいつ[マクベスが殺したダンカン]を平和にしてしまったのだ」という台詞があって、なるほど、「平和」を得ることがマクベスの目的だったというのは重要な点かもしれないぞと思った。ちなみにこの部分は、白水社小田島雄志訳では、「おれたちが安らかな心を得るために安らかな眠りへと送りこんでやった死人」(85)という風に、修飾として訳されている。いずれにしても、マクベスは「平和」とか「安らか」ではない状態(おそらくは恐怖や不安)から逃れたくてダンカン王を殺したという側面がひとつにはあるようだ。ところがダンカンを殺しても「平和」や「安らかな心」は訪れず、マクベスは引き続きバンクォーを相手に「不安」を覚え、「三度の食事も不安のうちにしかとれず、夜ごとの眠りも/(……)恐ろしい悪夢にさいなまれる」(85)始末だ。
  • 本文を読み返してみたのだが、マクベスは不確定性に恐怖すると言うか、不安定な宙吊り状態に耐えられないのではないか。不確定性とは意味論的に言い換えれば、もちろん曖昧な両義性(多義性)ということになる。「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18)と口にしながら登場するマクベスは、その時点ですでに両義性の時空にとらわれているわけで(三人の魔女たちがまさしく両義性を司る存在だということは以前にも書いたと思うし、面白いかどうかはべつとしてたぶんそう外れた理解ではないだろう)、魔女たちの「予言」を聞いたマクベスが(バンクォーの言葉によれば)「いい知らせなのに/悪いことを聞いたようにおびえる」(19)のは、魔女の「万歳」が「いい」のか「悪い」のか確定できないからではないのか。したがって彼はその意味を一点に定めようと欲し、「舌ったらずなもの言いをせず、はっきり言え」(20)と要求することになる。この台詞は換言すれば、言葉の意味を一義に確定せよという命令になるだろう。続けて発される「いったいおまえたちは/どこからこの不可解な知らせをもってきた?/また、なぜこの荒野でわれわれの行く手をさえぎり、/予言めいたあいさつをするのだ?」(20~21)という二つの質問も、「予言」の意味を明確化せよと求めている点で同趣旨だと思われる。24~25ページの独白ではマクベスは、魔女たちの「予言」は「悪いはずはない、いいはずもない」とやはりその意味を一義に定めることができずにいる。「悪いはずはない」ことの根拠は「予言」が「真実を語った」からである(マクベスは「予言」通りコーダーの領主の地位を得た)。一方、「いいはずもない」ことの根拠は「予言」が「王位」へと「誘惑」するからであり、それを言い換えれば、不確定な未来をかたる(語るとともに騙る)からだということになるのではないか。
  • 予言とは定義上、当たるか外れるかの二択しかない言語形式だと思うが、しかしそれは実現されない限りは当たったのか外れたのか不明であり続ける。マクベスが将来国王になるという例で行けば、この「予言」にはいつどこでとかどうやってという具体的な情報が何も含まれていないから、マクベスが「国王になる」その道筋はいくらでも考えることができ、たとえば彼が死を間近に控えた老齢に至ってからようやく国王になり、そのあとすぐに死ぬという可能性だって一応想定できるわけである。だから、どのような経緯を踏むにせよ、この「予言」が当たったか外れたか確定させるには、マクベスが実際に王位に就くか、それとも彼が死んで王位を得る可能性が完全に消滅するか、そのどちらかの事態を待たねばならず、そのどちらも実現されないうちは「予言」の真実性は不確定のままだ。したがって、もしマクベスが不確定性に耐えられず、「予言」によってもたらされた宙吊り状態から抜け出したいのなら、死ぬか、それとも王になるかするしかない。彼には自殺願望はないと思われるし、象徴的な位相を離れて現世的な欲望として王位への「野心」もいくらかは持っているようだから、「予言」を確定させるために彼が取りうる選択肢は事実上、王位にみずから近づいていくことしかないだろう。そして、王位を得るのに一番手っ取り早いのは、現王ダンカンを殺してその後釜に座ることである。
  • しかし25ページの独白でマクベスは同時に、みずから想像し描いた王殺しをひどく恐れてもいる。不確定性への恐怖と、弑逆への恐怖は別物だと思われるのだが、彼がなぜ王殺しをそこまで恐れるのかという点は相変わらずこちらにはよくわからず、筋の通った解答は見出せないでいる。
  • ついでに言っておけば、不確定性に対する忌避感というのはもちろん確定の欲求ということであり、それはちょっと言葉を変えればおそらく終わり(完結)への志向ということにもなると思うのだが、「やってしまえばすべてやってしまったことになるなら、/早くやってしまうにかぎる」(39)というようなマクベスの台詞には、この完結への志向が見出せるのではないかと思う。しかし、「こういうことはつねにこの世で裁きがある」(40)ので、やってしまったからと言ってそれで終わりということにはならず、「裁き」が続くのだ。それでマクベスは一旦は弑逆を躊躇し、ほとんど非難に等しい夫人の説得を受けても、「もしやりそこなったら?」(43)という懸念を表明している。「もしやりそこなったら」、当然、事態は完結せずにまだ先に続くわけである。そうしたマクベスの心を固めさせたのは、「お付きのものに/私たちの大逆の罪をなすりつければ、それで/片がつくではありませんか?」(44)という夫人の言葉であり、したがってマクベスは、「片がつく」=事態が終わる、という言葉を受けて説得されたということになる。ところが実際に弑逆を果たしても、物語も芝居も、彼の不安も終わることにはならなかったのだ。
  • 七時四五分まで本を読んだのち仮眠。九時過ぎまで。夕食中のことは覚えちゃいない。
  • 七月二九日の日記を進めたのち、入浴。風呂のなかで思ったことに、読書中に感じ考えたこと(読みの動き)を記録しておきたいのはやまやまなのだが、いつもそうしているとやはり途方もない時間がかかってしまうので、もうすこし主題選択のフィルターを絞って(〈検査部〉を働かせて)、一定以上の記録欲求を感じる事柄のみ記述するようにしたほうが良いかもしれない。読書ノートは取るにしても、そのなかから正式に日記に記すのはある程度の興味深さや面白味を覚える内容に限るという感じ。いずれにしても、記述的欲望をもうすこし精査して捉えたほうが良いだろう。
  • だらだら過ごして休み、夜半から打鍵に復帰して七月二九日の日記を完成させたのち、Larry Grenadier『The Gleaners』を聞きながら投稿。冒頭の#1 "Oceanic"からして良いなと思った。特にすごいことをやってはいないと思うのだが、アルコによって奏でられる和音の色彩が単純にすばらしく感じられたし、ECMの方式でウッドベースを録れば大方それだけで気持ちは良いんじゃないだろうか。Larry Grenadierのアルコで思い出すのはFLY『Year of the Snake』の#6 "Kingston"で、終盤でそれまでの演奏から一転して、譜割りがどうなっているのかよくわからん変拍子のこまかなフレーズを(サックスとも合わせながら)速弾きする場面があったと思うのだが、あそこも良い仕事だったしやはりカラフルな和音感覚があったように記憶している。
  • また日記を書いたり怠けたりして早朝に眠る。


・読み書き
 11:58 - 12:10 = 12分(日記: 8月2日)
 12:11 - 12:51 = 40分(日記: 8月1日)
 12:53 - 13:00 = 7分(柄谷: 31 - 35)
 13:10 - 13:23 = 13分(柄谷: 35 - 38)
 17:18 - 17:58 = 40分(柄谷: 38 - 46)
 18:21 - 19:17 = 56分(柄谷)
 19:21 - 19:44 = 23分(シェイクスピア: 読み返し)
 21:44 - 22:15 = 31分(日記: 7月29日)
 24:19 - 25:58 = 1時間39分(日記: 7月29日)
 26:16 - 26:24 = 8分(日記: 8月2日)
 26:47 - 27:34 = 47分(日記: 8月1日)
 計: 6時間16分

・音楽

  • Jesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』
  • Larry Grenadier『The Gleaners』