2021/8/5, Thu.

 労働は、レヴィナスによればしかし、たんに所有のみを創設するばかりではない。労働はまた、〈もの〉をつくりだすことで、実体 [﹅2] を、あるいは諸性質の基体 [﹅2] をつくりだす。労働は〈もの〉からなる世界を、実体がかたちづくる世界を創設する [﹅7] のである。
 〈始原的なもの〉とは、典型的には大気であり、水であり、かたちをもたないものであった。大気は、たとえば暖かく感じられ、また冷たく感じられる。そのように感じられるとき、暖かさや冷たさといった純粋な感覚質とはべつに、その背後でそうした〈性質〉をになっている基体としてのあるもの [﹅4] が存在するわけではない。暖かな大気が冷たくなるとき、それ自体としては暖かくもなく、冷たくもないあるものが持続的に存在し、そ(end57)の変化しない [﹅5] あるものが、変化の背後にあるのではない。たんに冷たい大気があり [﹅2] 、暖かい大気がある [﹅2] だけである。〈おなじ〉ものが〈ちがう〉もにになる [﹅2] のではない。たんに〈ことなり〉があるにすぎない。享受の対象となるものは、「純粋な〈始原的なもの〉からなるこの世界、基体を欠き、実体を欠いた質としてのこの世界」(146/204)であり、享受としての感受性(三・3)が感じとるものは「基体を欠いた純粋な質」(144/201)なのである。
 これにたいして、労働をかいしてはじめて「把持可能なもの」が「出現」する。「性質の基体 [﹅2] 」が出現する。どうしてか。労働によって〈もの〉が創設されるとは、「〈かたち〉なきものの形態化」であり、「固体化」(la solidification 凝固)(前出 [172 f./242 f.] )であるからである。労働とともに可能となる「所有が存在から変化を剝奪する」(172/242)。要するに所有が「ものを〈もの〉として構成する」(138/193)のである。――〈もの〉は把持され、蓄積される。「所有のみが、享受の純粋な質のなかに、永続性を創設する」(175/245)。享受される純粋な質、ものの諸性質の背後で持続し、それらをささえているあるもの [﹅4] とは、基体としての実体 [﹅8] にほかならない。〈始原的なもの〉は恒常的に存在する実体ではない。だが、所有される〈もの〉は実体となる。
 こうして、レヴィナスは主張することになる。「所有のみが実体にふれる。〈もの〉とのその他の諸関係は、属性に到達するにすぎない」(174/245)。エンゲルス [﹅5] がいうように、思考によってとらえられる「物質そのもの」は一箇の「抽象」である。ただ労働だけが(end58)〈物自体〉にふれるのだ [註36] 。――このことはしかし逆にいえば、物自体 [﹅3] とは所有の影にほかならないということである。所有への、存続しつづける〈もの〉への意志が、天変し生滅してやまない(環境)世界のただなかに、それ自体としては不変な実体という〈虚焦点〉(focus imaginarius)(カント [註37])を創設するのである。


註36: その意味では、「実践、すなわち実験と産業」が物自体をとらえるという『フォイエルバッハ論』の主張(ならびに、党内闘争を背景とした一箇の政治文書ではあれ、『唯物論と経験批判論』におけるレーニンの主張の一部 [﹅2] )は、みかけほど粗野な哲学的主張ではない。なお、本文でふれたように、エンゲルスの『自然弁証法』草稿群・最新層には、「注意せよ。物質そのものは純粋に思考の産物であり抽象である」という一節がある。Vgl. F. Engels, Dialektik und Natur, in: Marx-Engels Archiv Bd. 2, hrsg. von D. Rjazanov, Neudruck 1969, S. 234.


註37: Vgl. I. Kant, Kritik der reinen Vernunft, A644/B672.


 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、57~59; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 最終的に一〇時半の離床。クソ暑かった。暑気のためか何度か覚めており、しかしおなじその暑さの重みのためになかなかうごけず、リモコンに手を伸ばしてエアコンをつけることすらできずにかたまっていた。八時くらいにさめたときはまだ涼しくて意外と暑くないなとおもったおぼえがあるが、九時一〇時だともう駄目。寝ているあいだに熱中症になってもおかしくないとおもわれるような暑さ。かなりひさしぶりで夢見があった。友人らとどこかにむかっている。街中というか、車道脇みたいなところを。あるいはもしかしたら橋のうえだったかも。(……)がいたのだけれど、彼女のお兄さんがあらわれて、彼はさいしょわれわれに気づかれないように通りすぎようとしたか、あるいは逆にそれをよそおいながらもじつは気づいてほしい風だったのかもしれないが、いずれにせよこちらは人物を同定し、しかし関係がないので黙っていたところ、(……)くんではなかったような気がするのだけれど面識のあるひとりが声をかけて多少やりとり。(……)
  • その後、大学みたいなところに移動。どうも音楽練習室みたいなところに行って練習かなにかしようとしていたらしい。ただそのまえに、どこかの壁際に荷物とか道具とかがあつめられていて、それをはこばなければならないようで、こちらはなぜか寿司(丼か大きめの丸皿か、いずれにせよパックの寿司ではなくてそれよりも一段いじょううえのもの)を二つ、なにかの荷物のさらにそのうえに乗せてはこぶことになって、その寿司ふたつを上下にかさねて持たねばならず、不安定で、なかなか難儀しているうちにほかのみなはさきに行ってしまい、エレベーターに乗らねばならないのだが何階が目的のフロアなのかがわからない。それで困っていると、隣にあらわれた童顔の男性(さらさらと頭蓋を覆うようなみじかめの髪を薄赤い金色みたいなかんじに染めている)が小中高とおなじ学校だった(……)であることに気づき、(……)? と問えば肯定される。彼は音楽をやっているらしい(現実の(……)はじつにおとなしく気弱そうな人間だったはずで、バンドなどやりそうにはなかった――と書きながらおもったのだけれど、しかし、高校のときに(……)のバンドでなにかやっていたのだったか? 気のせいか?)。「イカれたやつら」みたいななまえのグループにいて、そこをやめてきたという。
  • 起きると水場に行ってきて瞑想。一五分。暑くて、肌に汗がにじんで肌着が皮膚にべたついてくるので、それいじょうできなかった。食事は(……)さんからもらったというアジフライをおかずにして米。新聞、ベラルーシの反体制派(ベラルーシを脱出したいひとを支援する団体の代表だったらしい)が隣国ウクライナで死体となって見つかったと。ジョギングに出たきり行方不明になっていたところが、ちかくの公園で首を吊っているのを発見されたといい、ウクライナ当局はベラルーシの情報機関がはたらいたものではないかとかんがえて、自殺ではなくて殺人で捜査をしているという。
  • ほか、レバノンベイルートの港湾で大規模な爆発(原爆をのぞけば史上最大のきのこ雲が発生したとか言われているようで、周辺の七万軒の建物が損害を受けたという)が起こってから一年と。レバノンの情勢は混迷の極みみたいな状態のようで、経済がマジで崩壊の危機にひんしているらしく、インフレがはなはだしくてドルにたいする通貨のレートが一〇倍以上下落したようだし、それでパンの値段とかもいぜんとくらべて七倍とかになって市民の生活はやばいと。反政府デモも大人数で起こっており、国のシステムを抜本的に変える革命が必要だとの声も聞かれているよう。
  • 食後、窓外をちょっとながめると、ひかりのとおった空間のむこうで山の樹々の緑がスローモーションになった炎のようにしてうねっているので風がいくらかあるようだったが、それもすぐにおさまって、そうするとうごくものといってほぼなく、鳥が宙をわたっていくか、あるいは我が家の梅の樹のてっぺんの枝葉の先が窓の下端からすこしだけ顔を出してわずかにふるえているのが見えるくらいで、しかしそれも姿勢をかえて椅子の背にもたれるように身をひけば見えなくなり、無動と化した風景のなかにただセミの声がジャージャージャージャーはいりこんでくる。
  • いつもどおり「読みかえし」ノートを読み、その後プルーストを書見。暑気でねむりが良くなかったのか、序盤はけっこう眠いようなかんじがあり、本を置いてしばらく目をつぶった時間もあった。太腿を踵でほぐしているうちにだんだんあたまが晴れてきたので、やはり血がめぐると意識もあかるくなるのだろうか。三時まえまで読み、そこからストレッチも。それでエネルギーを補給しようとうえに行くと、昼につくったらしい炒飯のあまりがあるというのでそれをいただくことに。あたためて持ち帰り、(……)さんのブログを読みながら食すと、母親が下階のベランダに兄の部屋の布団などを干していたのでそれを取りこんだ。そうしてここまでつづって四時まえ。
  • 「八月になったからには寝暮らしの君を覚まして川に逃げたい」という一首をつくった。
  • ヒバリという鳥名の漢字表記(雲雀)は良いなとおもった。雲のスズメ。日本人という連中のこういう無駄な詩心はなんなのか。告天子とも書くらしい。天を告げる子だぞ? もしくは、天に(あまねくなにかを)告げる子か?
  • 家を発つまえ、歯磨きしたとき、下階の洗面所の鏡台にヤモリがいた。窓のそとにとまっているのを見るときより、体色の白がくすんで不健康そうな印象。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • たしかこの日の夕刊だったはずだが、河村たかしが女子ソフトボールの日本代表選手と会見したさいに、彼女(ら)が獲得した金メダルを首にかけてもらい、それを突然噛んだ、という出来事があり、それにたいして批判が噴出しているという記事があった。河村たかしの行動は思慮を欠いたただのアホのものだとおもうし、無礼だとか選手にたいする敬意がないとか、記事に載せられていた批判のことばはどれもそのとおりだとおもったが、この件で名古屋市役所には朝からずっと苦情の電話がかかりつづけており、さらに苦情のメールが二六〇〇件届いたとあって(この翌日の朝刊ではそれが五〇〇〇件いじょうに増えていた)、そちらの数字のほうにむしろひっかかってしまった。二六〇〇件もメールがとどくようなことなのか? と。それもそれで異常ではないか、とおもってしまった。それだけスポーツファン、オリンピックファン、この女子ソフトボールの選手やチームのファンがおおいということなのか、ただ炎上騒ぎに加担したいというひとがおおいということなのか。河村たかしの政治的志向を問題視する左派のひとがこの件を良いきっかけに抗議メールをおくったとかいうのもすこしばかりはあるのではないかという気もするが。
  • 82: 「その二つの部屋は、田舎によくある部屋――たとえばある地方で、大気や海のあちらこちらがわれわれの目に見えない無数の微生物で一面に発光したり匂ったりしているように――無数の匂でわれわれを魅惑する部屋、もろもろの美徳や知恵や習慣など、あたりにただようひそかな、目に見えない、あふれるような、道徳的な生活のいっさいから、無数の匂が発散するあの田舎の部屋であった、それらの匂は、なるほどまだ自然の匂であり、すぐ近くの野原の匂とおなじように季節の景物なのだが、しかしそれはすでに居すわった、人間くさい、部屋にこもった匂になっている、そしてそれらの匂は、いわば果樹園を去って戸棚におさまった、その年のすべての果物の、おいしい、苦心してつくられた、透明なゼリーの匂、季節物であって、しかも家具となり召使となる家つきの匂、焼きたてのパンのほかほかのやわらかさで、ゼリーの白い霜のちかちかしたかたまりを緩和する匂、村の大時計のようにのらりくらりしていて几帳面な、漫然とさまようかと思うと整然とおさまった、無頓着で先の用意を怠らない匂、清潔な白布の、朝起きの、信心家の匂、平安をたのしみながら不安の増大しかもたらさない匂、そのなかに生きたことがなくただそこを通りすぎる人には詩の大貯蔵槽に見えながら、そのなかにいれば散文的なたのしみしかない匂である」
  • 84: 「隣の部屋で、叔母がただひとり小声でしゃべっているのが私にきこえた。彼女はかなり低い声でしか口をきかなかったが、それは自分の頭のなかに、何かこわれたもの、浮動するものをもっていて、あまり大きな声で話すと、それの位置が変わってしまうように思っていたからだ」
  • 111: 「夕方の五時に、コンブレーの家から数軒先の郵便局へ手紙をとりに行くとき、左手に、屋並の稜線を抜いて、孤立した一つの峰を突然そびえさせる鐘塔を目にしたときにせよ、反対の方向で、サズラ夫人の家に近況をたずねに行こうとして、鐘塔から二つ目の道路をまがらなくてはならないことを念頭に置きながら、鐘塔の尖端のべつの斜面が徐々に下降したあと屋並のあの稜線がまた低くなってくるのを目で追ったときにせよ、さらにまた、もっと遠くへ足をのばし、停車場まで行こうとして、あたかも旋回している物体の未知の一点をふいに照射した場合のように、横向きから新しい稜と面とを見せている鐘塔を、斜に見たときにせよ、または、ヴィヴォーヌ川のほとりから、遠望のせいで筋肉たくましく盛りあがった後陣が、尖塔を天心に投げあげようとする鐘塔のいきおいにつれて、自分も躍りあがろうとしているように見えたにせよ、いずれにしても人が立ちもどってこなくてはならなかった中心はつねに鐘塔であったし、つねに鐘塔がすべてを支配していたのであって、神の指のように――その神のからだは人間の群衆にかくれていても、そのために私が群衆とそれとを混同しなかったであろう、そんな神の指のように――ふいにあらわれ私のまえに高く天をさし示すその尖塔によって、鐘塔は家々に警告をあたえていたのであった」

2021/8/4, Wed.

 つぎに、〈目〉の例ではなく〈手〉の場合を考える。ひとが山道で下枝を手折るとき、もちろん、手折られるまえの枝は、幹から「切りはな」されてはいない。枝はもともと閉じた [﹅3] 輪郭を有してはいないということだ。大地の石を拾いあげることはどうか。いっけん石は、大地とは独立の輪郭をもち、その限界のなかで閉ざされ、どこまでが石であり、どこからが大地であるかはあらかじめ定まっているようにおもわれる。だが、そうだろうか。
 拾いあげられた石には、かならず土が付着している。ひとが大地から石を取りあげるとき、石にはつねに、大地と接していたことの痕跡 [﹅2] が、つまり土のあと [﹅2] が残される。とすれば、石はもともと大地にぞくし、いわば大地とまじりあって [﹅6] いたのだ、と考えることも可能である。そのように考えるなら、石にもまたそれ自体としての輪郭はない [﹅5] 。それを〈手〉にいれて、もち運ぼうとする者が石の輪郭を見わけ [﹅2] 、その者が石を〈手〉にとることで輪郭がいわば現成する。輪郭とは、大地から分離され、「〈始原的なもの〉から引き剝が」されることで生成する〈もの〉の限界なのである。(end55)
 じっさい、おなじく大地と接し、あるいは大地と入り混じっているもの [﹅2] のなかで、なにが石であり、どれが小石であって、どこからが砂となり、どのようにして土そのものと呼ばれることになるのだろうか。〈手〉でたしかにつかみうるもの [﹅2] が石(あるいは場合によっては小石)であり、〈手〉からいずれこぼれ落ちてゆくもの [﹅2] が砂であり、土そのものではないだろうか [註35: したがって、捏ねられて〈かたち〉をもつにいたった土 [﹅] は、すでに〈手〉との照応において〈もの〉となる。かくて、たとえば器 [﹅] がつくられることになるのであろう。] 。もの [﹅2] が〈もの〉となるのは、とりあえず [﹅5] は〈手〉の摑みにおうじているのである。その意味で、「〈もの〉は人間の身体との関係においてある照応を有している。その照応が〈もの〉を、享受にばかりでなく、手にも従属させる」。もの [﹅2] は、〈手〉にとられることで〈もの〉となる [﹅2] 。「他の〈もの〉をうごかすことなく、それだけをうごかし、もち運ぶことの可能性」(前出 [172 f./242 f.] )を有するにいたったもの、すなわち〈もの〉が生成するのである。――そればかりではない。「未来の享受」についてはどうか。
 〈始原的なもの〉から分離されたもの [﹅2] が〈もの〉でありつづけるために、それは〈始原的なもの〉から切断しつづけられなければならない。手折った枝を山道に捨ておけば、それは腐食して土にかえってやがて樹木の養分となり、石を大地にもどせば、ふたたびその輪郭は土のなかで混じりあうからである。〈始原的なもの〉から切断するために、私は、「手」をつかって「獲得したもの」を運搬し(もち [﹅2] はこび)、「把持し保存」し、「未来の享受」(同)にそなえなければならない。〈もの〉は、そして、どこか [﹅3] で把持され、保存されなければならないはずである。そのどこか [﹅3] は、〈始原的なもの〉から(すくなくともな(end56)にほどかは)守られたところ [﹅3] である必要がある。その〈どこか〉こそが、私の〈すみか〉なのである。
 〈すみか〉あるいは〈家〉とは、始原的な場所(トポス)のなかで、その場所からとりあえずは [﹅6] 切断されたところ、非 - 場所(ウー・トポス)なのであった(三・2)。だから、ものを把持し、〈もの〉を構成する労働は〈すみか〉をもたない存在には不可能 [「だから」以下﹅] なのである。
 こうして、「〈もの〉は動産 [﹅2] (meuble)」となる(前出 [172 f./242 f.] )。あるいは家具(meuble)となる。かくして、〈すみか〉のうちで私の所有が確立される。「労働」は「〈もの〉を把持し、家財の存在を、家に運搬可能なものをとりあつかうことによって」(172/242)所有を創設するのである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、55~57; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 正午直前の離床。きょうはそうとうに暑い。今夏一ではないかとおもわれるくらいの暑気。そのために起き上がれなかったのか、一〇時半にはめざめていたはずなのだがいつまでたっても意識が明晰ならず、けっきょくこの時間に。寝床にいるうちにすでにエアコンをつけてしまうくらいの暑さだった。それでしばし暑さをはらってから起き、水場に行ってきてから瞑想。一二分程度でまとまる。はやい。
  • 食事は五目ご飯。新聞には女子ボクシングで二〇歳のひとが金メダルとある。ほか、ベラルーシの女性陸上選手がオリンピック後ポーランドに亡命を希望したことについて、ベラルーシの国営メディアは「祖国にたいする裏切りだ」と非難したと。このひとの夫はすでにウクライナに移動しているらしい。ポーランドは亡命を受け入れており、関連高官が、苦難を強いられているひとのたすけになれてうれしい、みたいなことをツイートしたというが、ポーランドは冷戦中ソ連になやまされたのでベラルーシの後ろ盾となっているロシアへの反発が根強いとの補足が書かれてあった。同様の状況にあったチェコも受け入れできると表明していたという。
  • ほか、イランでエブラヒム・ライシが大統領に就任と。保守強硬派で、外交官などの人事も刷新して米国との対立姿勢をつよめるだろうと。核合意についても就任演説では言及せず。ただ、周辺諸国との関係を重視する方針らしく、サウジアラビアとも多少協調していきたいかんじがあるようで、ハメネイ外交政策についてはおもうところがある、今後大統領につたえるつもりだ、とか言ったらしい。バイデンはイランにたいしてわれわれの誠実さと要望はこれまでしめしてきたので、イランも行動をしめしてほしい、と言っているようだが、そううまくいかないだろう。
  • いつもどおり茶をつくって、さいしょに「読みかえし」ノートを読む。一時間ほど。脚を揉んだり、ダンベルを持ったり。それから授業の予習をすこしだけさっとやり、プルーストをこれもすこしだけ書見。三時ごろからストレッチ。合蹠がとにかくすごい。まとまる。ハムと辛子がはさまったパンをあたためて持ってきて食いながらここまで記述。三時四〇分。合間二時ごろに洗濯物を取りこんだ。そのさいに陽射しをいくらか浴びて身が漬けられるにまかせたが、やはり熱波が格別。
  • きのうのことをつづっていま四時半。しごとがなかなかすみやかでよろしい。音読するとマジで文がすらすらかけるようになる。思考と手の動きもしくはスピードがほぼ一致するようなかんじ。
  • いま(五日の)午前二時まえ。七月終盤の日記をブログに投稿するべく、読書メモとして本から文をうつしていて、BGMにChris Potter Undergroundの『Ultrahang』をながしていたところ、#3の"Rumples"がとても良い。テーマのPotterのサックスとAdam Rogersのギターのユニゾンで耳がとまり、その後のギターソロも格好良くて、おもわず打鍵の手をとめて聞いてしまった。こういう、なんといえばいいのか、Nir Felderとかもわりとちかい気がするけれど、現代のジャズとかフュージョン方面のひとがやる、メロディ感の希薄なアウト風うねうねフレーズみたいな、こういうやつもときに格好が良い。気持ちが良い。
  • 出勤路のこと。林を埋め尽くしているセミの声がやはりその厚さはげしさが格別のものになっていてそうとうにうるさい。ちょっと神経を圧迫してくるのではないかというくらいのさわがしさ。公営住宅まえから棟のかなたに見えている山が緑のうえに午後五時のオレンジ色をかけられながら水色の空を接しているのをぼんやりながめながらいく。坂道もとうぜん木がちかいからセミが圧倒的で、カナカナなど左右の近間からつぎつぎと立って宙をこすりながら身をつらぬいていくようなかんじ。木洩れ陽はきょうは晴れなのでよくあって、右手の壁に豊富にかかっている。のぼりながら右の膝が痛んだので、ストレッチをかえってやりすぎたかとおもってとちゅうでとまり、膝をちょっと揉んだ。身体というのもなかなかむずかしいものだ。ほぐしすぎてもかえっていためてしまう。
  • 坂の出口付近は陽射しがあらわでつよく、漬けられるようになって暑い。最寄り駅についてもまだ五分くらい猶予があり、ホームは西陽がよくとおって占拠しているはずなので、まだ行かず、駅のまえの日蔭で立ち尽くしてしばらく待った。待ちながらやはり両膝のまわりや脚をいくらか揉んでおくが、かがんで手指をうごかすそのうごきだけで汗が出る。そろそろだなというところでホームへ。階段通路にも太陽が旺盛に射しこむというか左ななめすこしまえのかなたに日輪はあらわに浮かんでおり、そのまぶしさでほとんど目を完全に閉じてしまうくらいにまぶしく、くわえてもちろん熱く、熱波にひたされて息苦しいようになりながらホームへ。はいるとそのままさらに先へ。左手、線路をはさんでむこうの段上で、スズメたちが何羽も木やらなにやらにあつまったりそこから飛び移って宙をわたったりしていくのだけれど、太陽のひかりはもっぱら西から来ており、小鳥らは東にむかって移動するので、集団の成員はことごとくみなからだの前面にくらべてうしろがわだけを西陽のためにほのかにあかるませて茶色をかるくしながらはたはた飛んでいく。
  • 帰路は徒歩。きょうも白猫に遭遇。触れながらまたせつないような、ちょっとかなしいようなこころもち。
  • 帰路、絶対に読み書きをしなければならないなんてことはまったくないのだ、とあらためておもった。べつにしなくてもよい。
  • 帰るとオリンピックの女子バスケ。
  • 勤務まえ、(……)について降り、駅を抜けて、職場にむかいながら裏路地のほうへ目をやれば、道の奥に立ったマンションがふたつ、西から来る太陽光を一面に受けて雲のない水色のもとであかるんでおり、ひかりはほぼ均一に、壁や窓のどこにも集束してかたまることなく側壁をうえからしたまですべてつつむようにひろがってなめている。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)そうしてこちらは徒歩で帰路へ。この夜も白猫に遭遇した。きょうはあちらから出てきたのではなく、当該の家のまえまでくると車のしたにそれらしきすがたが見えたので立ち止まり、しゃがみこむと、ささやかな鳴き声を漏らしながらゆっくりとあゆみだしてきた。そうしてまた道路のどまんなかにごろりと横たわって寝そべるので、腹を撫でたり、あたまや首のまわりを指一本でかるくこすったりしてやる。やはりこのくらいの時間になるとねむいようで、あくびをもらしたりして臥位のままあまりうごかず、ときおり寝返りを打って反対の姿勢になったり、うつ伏せ気味でややからだをもちあげて道の先をながめたりするくらいだった。ゆるく曲線をえがきながら地面に落ちている尻尾がときおり緩慢にもちあがってはまた落ちる。愛撫しているとちゅうからすでに、また神妙なというか、かすかにせつないようなかなしいようなこころもちが萌していた。日付替わりももうちかくこのくらいの時刻になると、裏道のうえをとおる微風もけっこうすずしく、セミは家々のむこうの林から間歇的にギイギイ声を散らし、頭上の夜空は雲がなくてここまで青いのはひさしぶりというくらいに澄んだはっきりとした青さのなかで星もまたひどくさやかにともっている。しばらくたわむれて別れても、やはりついてこず、路上にぼんやり寝そべったままだった。ときおり見返しながら行く。
  • 街道に出て(……)の商店の脇の自販機でジュースを二本購入。すすんで、裏道にはいってちょっと行ったあたりで、べつに日記など書かなくてもよいのだとおもった。いちおう、毎日十分に読み書きをするために、とりわけ日々の記録を書くためにこそ正職につかずいつまでもだらだら生きているという名目があって、いままではずっとそういうふうに、読み書きをしたいがためにという説明をじぶんにも他人にもしてきて、それはいまもまちがってはいないのだけれど、絶対に読み書きをしなければならないなんてことはまったくないのだとあらためておもった。(……)
  • 帰宅するとしばらく休んでから食事。零時をまわった。父親もまだ起きており、テレビでオリンピックを見ていて、こちらが食膳を用意したあたりでやっていたのは女子バスケットボールであり、まもなく試合終了して、どうも日本が勝ってはじめてベスト4に行ったとかで、実況の男性が、いま歴史が変わりました! みたいなことばでもりあげていた(女子ボクシングのたしか入江聖奈といったか二〇歳のひとも、金メダルを取って、歴史の扉が全開になっちゃった、みたいなことを言ったとこの日の朝刊にあったはず)。それで食べるあいだ、選手が三人くらいインタビューを受けて、父親はそれを見ながら笑みを漏らしたりうなったりしている。終わるとエアコンを切って窓をあけてくれと言って下階に去っていくので、そういわれたそばからもうエアコンは切り、あとで窓もすこしあけた。新聞でなにを読んだかは忘却。
  • 73: 「私に問いつめる人には私は答えたかもしれない、コンブレーはまだほかのものをふくんでいたし、ほかの時刻にも存在していた、と。しかし、そういうものから私が何かを思いだしたとしても、それは意志的な記憶、理知の記憶によってもたらされたものにすぎないであろうし、そんな記憶があたえる過去の情報は、過去の何物をも保存していないから、私はそんな残りのコンブレーを考えてみる気にはけっしてならなかっただろう。そうしたすべては、私にとって、事実上死んでいたのであった」
  • 74: 「過去を喚起しようとつとめるのは空しい努力であり、われわれの理知のあらゆる努力はむだである。過去は理知の領域のそと、その力のおよばないところで、何か思いがけない物質のなかに(そんな物質があたえてくれるであろう感覚のなかに)かくされている。その物質に、われわれが死ぬよりまえに出会うか、または出会わないかは、偶然によるのである」
  • 74~75: 「お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせたのであった、あたかも恋のはたらきとおなじように、そして何か貴(end74)重な本質で私を満たしながら、というよりも、その本質は私のなかにあるのではなくて、私そのものであった。私は自分をつまらないもの、偶発的なもの、死すべきものと感じることをすでにやめていた」
  • 75: 「あきらかに、私が求める真実は、飲物のなかにはなくて、私のなかにある。飲物は私のなかに真実を呼びおこしたが、その真実が何であるかを知らず、次第に力を失いながら、漫然とおなじ証言をくりかえすにすぎない(……)」
  • 76: 「思考の流をさかのぼって、紅茶の最初の一さじを飲んだ瞬間に私はもどる。ふたたび同一の状態を見出すが、新しい光明はない。もう一段の努力を、逃げさる感覚をもう一度連れもどすことを、私は精神に要求する」
  • 77: 「なるほど、そのように私の底でぴくぴくしているもの、それはあの味にむすびつき、あの味のあとについて私の表面まであがってこようとする映像、視覚的回想にちがいない」
  • 79: 「そして私が、ぼだい樹花を煎じたものにひたして叔母が出してくれたマドレーヌのかけらの味覚だと気がついたとたんに(なぜその回想が私をそんなに幸福にしたかは、私にはまだわからず、その理由の発見をずいぶんのちまで見送らなくてはならなかったが)(……)」

2021/8/3, Tue.

 にもかかわらず、ひとはしばしばもの [﹅2] といえば、石、木片、時計、リンゴ、バラ、といった〈もの〉を、つまりは広義の「物体」をおもいうかべる [註33: M. Heidegger, Die Frage nach dem Ding, in: Gesamtausgabe Bd. 41, S. 6.] 。その結果、ひとは多くのばあい「世界」を「物体」が適度に散乱した空間としてイメージすることになる。物体としての〈もの〉とはいっても、おそらく通常はたんに漠然とそのありようが了解されているにすぎないであろう。そのあいまいな理解の内容を強いて分節化して整理しておけ(end52)ば、〈もの〉とは、おおむね、一定のはば [﹅2] とかさ [﹅2] をもって「延長」し、しかも特定の空間を占有する「不可入」的な存在者であり、かつ外部から力がくわえられないかぎり不動な、あるいは一様な運動をつづける「惰性」的な存在者であると理解されていよう。
 もちろん、植物は「おのずと」成長し、動物は「じぶんから」運動する。生命体は、「惰性」的ではない。また、水の流れは、ひとがそこに足を浸すことができる「可入」的なものである。通常はまた、ひとははたして大気のかさ [﹅2] を、風のはば [﹅2] を意識するものであろうか。大気は無定型に重さもなくひろがり、風はただ一瞬ながれ吹くだけではないだろうか。
 そうであるとすれば、ひとが一般に〈もの〉の典型として念頭におくもの、「世界」の構造成素としてイメージする存在者は、ほんとうはもの一般 [﹅4] ではない。それはむしろ「剛体」にちかい物体なのである [註34: この論点については、廣松渉『存在と意味』(岩波書店、一九八二年刊)三九〇頁以下参照。『廣松渉著作集』第一五巻(岩波書店、一九九七年刊)も同頁。この問題は、すでに、『事的世界観への前哨』(勁草書房、一九七五年刊)一三二頁以下で検討されている。] 。――物体としての〈もの〉がなりたち、世界が実体的な存在者からなる世界としてひらかれてくるのは、所有と労働にたいしてなのだ、とレヴィナスはいう。
 物体 [﹅2] としての〈もの〉には、輪郭がある。一定の輪郭によって〈もの〉はある〈かたち〉をもち、また他の〈もの〉からへだてられて、特定の〈もの〉となる(二・3)。このことが決定的なことがらなのだ。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、52~53; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 一一時半離床。瞑想OK。窓外のセミの声がここさいきんの印象とくらべていっそうはげしくなっている。泡立つような、非常に微細な泡で空間全体が沸騰しているかのような音響。
  • きょう、業者が来てあたらしいガスコンロが導入された。ふたりで来て、うちひとりがきのう熱中症になっちゃってとはなしていたので卓につかせてつめたい麦茶をふるまったとのこと。四五歳くらいのがっしりしたひとだったという。気持ち悪くなり、きのうははやく九時には床についたというが、その翌日にもうはたらかなくてはならないのでたいへんだ。
  • 新聞は家庭生活面みたいなところに夫のモラハラになやむ妻の声が寄せられていて、エピソードを瞥見するに、こういう人間にだけはどうしてもなりたくないとおもう。専門家がアドバイスとして、あいてを変えなければならないとおもってしまいがちですが、モラハラをするひとを変えるのは本人がよほどおおきくのぞまないと無理なので、あいてを変えるのはあきらめてそれにとらわれず、じぶんがなにをやりたいのか、どう生きたいのか、なぜいまそれができないのか、と現実状況を問うて分析するほうが有益です、経済的事情などでどうしてもはなれることができないのだったら、さいあく夫を「ATM」とか「ルームシェアのあいて」とみなしてわりきるのもひとつの手です、と述べていて、それはそれでなかなかの割り切りようだなとおもってちょっと笑った。
  • 音読や書見。プルーストを読みすすめているのだけれど、プルーストの記述って、原文ではどうなのかわからないけれど、正直すごくきれいに隙なく無駄なく構築されているというかんじではなく、ひとつひとつのことがらの説明などみても、単純なはなし、べつにそんなに書かなくていいでしょ、みたいな余剰がおおくて、翻訳で読むかぎりすごく磨かれたというものではないとおもうのだけれど、そこがむしろ気になるというか、推敲のときに削減して切り詰めていくタイプの書き手ではなくて、むしろ隙間にどんどんあたらしいことばを埋めてさらに膨張させていくタイプの書き手の感触があって、めちゃくちゃ大雑把なはなし、とにかくこまかく詳細に書く、というかかたり、説明する(プルーストの書きぶりって、描写とか物語とかいうよりは、「説明」というかんじがいちばんちかいような気がするのだが)、という方向でつきつめているかんじで、こういうのじぶんでもやってみたいなとはちょっとおもう。
  • それにしても、開始一〇ページくらいはねむりから覚めたときに過去のいろいろな場面とか部屋のことをおもいだすというはなししかしていないし、そこからコンブレーの回想にはいっても、いま60くらいまで読んでいるけれど、一家のひとびとの説明とスワンの説明がながく、いちおう話者じしんに直接にかかわる中心的な件としても、スワンが客に来る日の夜ははやく寝室にあがらなくてはならず、母親とおやすみの接吻も満足にできずかまってもらえないからつらい、というはなしでしかないわけで、六〇ページついやしても物語の進行としてはその一件しか発生していないわけで、この第一篇が発表されたのは一九一三年だが、とうじのフランスで小説のスタンダードがどんなものだったのかわからないけれど、たとえばゾラみたいなものがわりと標準だったのだとすると、とうじこれを読んだひとが、阿呆かと、こいつなにやってんねん、ふざけてんのか? とおもったとしてもぜんぜん不思議ではないなとおもう。じっさい、さいしょにたしかアンドレ・ジッドがかかわっていた新フランス評論とかいう雑誌に掲載してもらおうとしたのだけれど採用されなかったのではなかったか。それでジッドがのちに、あのときのじぶんの判断は誤りだったみたいな、じぶんの目は節穴だったみたいなことを言っていたような気がするが。
  • きょうはけっこう風がつよく、よく吹いていて、九時か一〇時ごろ、まだ寝床に貼りついていたときなど、白めの空を背景に窓に見えるゴーヤの網などかなりばたばた揺れていたし、風が家にぶつかってきて音を立てながら揺れたときもあった。
  • 出勤は、母親が送っていってくれるというので、暑いし時間もほしいしとおもってそのことばにあまえることにして、五時二〇分くらいまで「読みかえし」ノートを音読した。車に乗って出発。街道に出ると、いまいるところは日蔭なのだけれど、道の先のほうには角度のあさくなった西陽の手がとどいて家も山も宙もオレンジ色にいろどられており、周囲のちかくで日蔭のなかにある家も通りすぎざまに窓ガラスには太陽の破片が鬼火のささめきのようにひらめいたりもして、はしっていくうちにわれわれもそのあかるみのなかにはいりこんでまわりがやわらかくほがらかに色づくわけだが、そのあかるさ、橙の色味のために、見慣れた風景がつくりものめいて見えるというか、よそから来たひとがつかの間接する異郷を見るときの視線感覚がやどったようになり、建物や車道沿いを行っているひとびとやら家のまえで微風に揺らいでいる緑の下草のちいさな海やらが物語のなかの存在のように映じ、それを見るこちらもそこから排除されてそとからながめているのではなくて、おなじ物語のなかにはいりこんで一片として位置を占めているようなかんじが起こった。車道沿いを行くひとはだいたいワイシャツにスラックスの勤め人風情で、なかに一組男女の連れ合いがおり、もうすこしすすんでより市街のほうに行ったときにはハーフパンツにアロハ風シャツで夏らしく軽装の若い一団がうろついているすがたも見られた。道はなぜかそこそこ混んでいて、とちゅう止まったときに右手の対向車線のほうでも停まっているわけだけれど、その車にも横から陽がかかって運転手である中年女性の顔が淡いあかるみと薄影でもって印象的にいろどられていた。
  • 母親は道中、父親について、ああやって(……)と行き来する二重生活をずっとおくって、もうはたらかないのかな、といつもながらのぼやきを吐いていた。それにつづけて、(……)は七八歳でまだがんばってるのに、と職場のひとりの名をあげるのもお決まりの比較だ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • きょうは電車に乗った。最寄り駅から木の間を坂をくだると、道をいくあいだずっと、頭上で翅音やギギ、ジジ、という声が途切れずに立っていて、これはどうもセミがコウモリのごとく暗闇のなかで枝葉から枝葉をわたっているようなのだが、それがあまりに途切れず、この日までこんなことはなかったので、やはりきょうからセミの数がずいぶん増えたのだとおもわれる。路上にもちからをうしなって死と朽ちることを待つものたちが散見される。坂の下り際あたりで道端の草のあいだにかすかなひかりがすいーっとながれていくのを二度見たとおもうのだが、目の錯覚でなければあれはたぶんホタルではないか。平らな道を行くあいだもやはりあたまのうえや林のほうでセミたちがさわいでおり、けっこうちかくバタバタいうこともあるので、急に飛んできやしないかとわりとビクビクしながらあるいていたところ、家のまえまで来て、隣家の(……)さんの宅とのあいだ、その勝手口におりていくほそい通路のあたりにとまっていたやつが果たして飛び出してきて背中にあたったので、おお、とおもわず声を出して身をかがめてしまった。
  • 家にはいると父親はタブレットでたぶんオリンピックかなにか見ながらしきりに独り言を吐いてじぶんひとり感じ入ったようにしており、母親は母親でテレビでなにかべつのものを見ている。帰室して休息。一二時ごろに食事へ。父親はまだ居間にとどまって食前やビール缶など出しっぱなしにしたままあいかわらずタブレットでなにかを見ており、やはりたびたび独り言を漏らして番組に反応し、感心したようにうなったりとか、こいつほんとうにバカだな、とか憎まれ口をたたいたりしているが、このときはたぶんオリンピックではなくてなんらかのドラマ(韓国ドラマのたぐいではないか?)を見ていたのではないか。こちらは膳を用意し(お好み焼きなど)、ひとことも発さずにただ無言で黙々とものを食べながら夕刊を読む。「日本史アップデート」は廃仏毀釈について。破壊の面ばかりが取りざたされるが、廃仏のはげしさには地域差があり、激しかったのは水戸学とか平田篤胤国家神道とか、尊皇思想方面に影響を受けた官僚がいた地方で、薩摩とか長野とかだった気がするが、けっこうゆるいところもあって、商人が破壊されるまえの仏像を買い取ってべつの地域の信者に売ったりとか、仏塔がべつの地域の寺に一〇年かけてうつされたりとかいうこともあったという。ほか、東北にまつわる作品とか本とかを紹介するコラムで、大牟羅良というひとが紹介されていた。敗戦後に古着の商人として盛岡付近の山村というか農村というかに出入りしたひとで、その見聞をまとめて岩波新書から『ものいわぬ農民』という本を五八年だったかわすれたがそのくらいに出したらしく、それがいまだに読まれつづけていて岩手の本屋などではさいきんでもけっこう売れているらしい。声なきものの声を聞き取りすくいあげることが大切だ、というようなことを言っていたらしい。実体験に根ざしたリアリティが読みどころだというが、そのために批判もあったという。つまり、農村の貧しさを誇張して書いているとか、恥をさらしたとか、そういったことも言われたと。このひとの甥だったかはヒッタイト方面の考古学者で、いまもトルコだかに滞在して発掘研究に従事しているようなのだが、伯父のことばをじぶんも胸にして考古学でも声なきものの声を聞き取ろうとがんばっているとのことだった。
  • 入浴後はきのうのことを記述。本文は終了。その後はわりとだらだらして、四時二〇分就寝。
  • (……)さんのブログの八月一日の記事をとちゅうまで読んだ。中国語のニュースの翻訳を校閲する業務をやっており、二七日に常徳市で(無症状ではあるが)コロナウイルス感染者が発見されたこととその後の対応をつたえる記事が引かれていて、(……)さんが、「これは準戦時体制にある国家や、戦争になったら間違っても日本が勝つことのできる相手ちゃうな、と思った」といっているとおり、そのうごきのすばやさと厳格さも目をみはるものなのだが、それとはべつでこちらは、カタカナ語が中国語でどうあらわされているのかなというのがちょっと気になって見てみると、まずKFCがあったのでKFCってどうなるんだと原文を照らし合わせて見てみたところ、「肯德基」というのがどうやら「ケンタッキー」ということらしい。あと、「スーパー」は「超市」でそのままだし、「センター」も「中心」でそのままなので笑う。「シェラトンホテル」は「喜来登酒店」のようで、「喜来登」が「シェラトン」で「酒店」というのが「ホテル」ということだろうか? なかなかおもしろい。
  • 50: 「私がさっきまで感じていた苦悩、そんなものをスワンは、もし私の手紙を読んで目的を見ぬいたとしたら、ずいぶんばかにしただろう、とそのときの私は考えていた、ところが、それは反対で、後年私にわかったように、それに似た苦悩がスワンの生活の長年の心労だったのであり、おそらくは彼ほどよく私を理解することができた人はなかったのだ、彼の場合は、自分がいない、自分が会いに行けない、そんな快楽の場所に、愛するひとがいるのを感じるという苦悩であって、それを切実に彼に感じさせるようになったのは恋なのであり(……)」
  • 57: 「「スワンにはたいへんな気苦労があるのだと思うわ、あの蓮っぱな女を奥さんにしたものだから。その女がシャルリュスさんとかいう男と、コンブレー中に知られながら、いっしょに暮らしているのですからね。町の語りぐさだわ。」 母は指摘した」
  • 61~62: 「彼はまだ私たちのまえに大きく立ちはだかっていた、白い寝間着につつまれ、神経痛をわずらって以来用いるようになったむらさきとピンクのインド・カシミアのマフラーを顔のまわりに巻きつけて、スワン氏がまえに私にくれたベノッツォ・ゴッツォーリの複製画にある、アブラハムが妻のサラにその子イサクのそばから身を離せと告げているあの身ぶりで。それからずいぶん年月が経っている。父のろうそくの光があがってくるのを私が見た階段の壁がなくなってからも、もう長い。私の内部でもまた、いつまでもつづくと思いこんでいたずいぶん多くのものがくずれさり、そして新しいものが築かれ、それがそのはじめには予想もつかなかった新しいつらさやよろこびを生むようになった、――古いものが私にとって理解し(end61)にくくなったのをおなじように」
  • 62: 「私にたいする父の行為は、そんなふうに恩恵の形で示されるときでも、何か自分勝手で、的はずれで、それが父の行為の特徴であったが、概していえば、それはあらかじめ考えられたプランからというよりも、むしろその場その場の都合から出てくるためなのだ」
  • 63: 「「この子自身にもわからないのよ、フランソワーズ、神経が立っているのね、早く大きなベッドを私がやすめるようにつくってください、それからあなたも上にあがっておやすみ。」 このようにして、はじめて、私の悲しみは、もはや罰すべき過失ではなく、一種の無意志的な病気と考えられたのであり、人がそんな私の病気を、私に責任がない神経症状として、いまこの場で公然と認めたことになったのである、私は涙のにがさにさまざまの懸念をまぜる必要もなくなったので気が軽くなった、罪を犯さずに泣けるのであった」

2021/8/2, Mon.

 労働すること、はたらくこととは、なによりもまず身体を、四肢をうごかすことをふくんでいる。とはいえ、たとえば〈足〉をうごかすことはそれ自体としては〈歩行〉でもありうる。それは、第一義的にはまだ労働ではない。〈手〉をうごかすこともまた、たんなる体操、〈あそび〉でありうる。だが、これにたいして、とくに〈手〉をうごかしてもの [﹅2] を〈摑む〉こと、さらにもの [﹅2] を移動させることは、すでにそれ自身として一箇の労働である。私は足を運動させることで、通常はまずみずから [﹅4] をうごかす。手を運動させることは、これにたいして、他のものにはたらきかけ [﹅6] 、他のもの [﹅4] をうごかすことである。「掌握」がそのものとして労働であり、また労働の原型となるのである。――森で樹木の下枝を手折ることはすでに一種の加工 [﹅2] であり、手折られた枝をついて歩くとき、枝はすでに杖、つまり一箇の道具 [﹅2] となっている。そこで私は、「〈始原的なもの〉から引き剝がされた〈もの〉を〈私〉にもたらし、〈私〉のエゴイスティックな目的のもとにもたら」している。じっさい石器の起源を考えてみれば、大地から石を拾いあげること自体が、すでに一種の〈加工〉のはじまりでもあるだろう。木の枝を杖として使用し、石で大地を掘りかえすと(end50)き私は、道具をかいして大地という〈始原的なもの〉にはたらきかけるが、そのさい直接には〈手〉が道具にはたらきかけている。アリストテレスがいうとおり、手は「道具の道具である」(オルガノン・エスティン・オルガノーン)からである。道具の道具として、ものを摑み、「欲求の目的とむすびつける [﹅6] 」ことが、そのかぎりでは、「手の本来のさだめ」、すなわち、それ自身としては「盲目な」手に負わされた固有の運命である。「手は把持と掌握の器官(l'organe de saisie et de prise)」なのである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、50~51; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 一一時半離床。瞑想OK。
  • 食事にはベーコンエッグを焼いて米のうえに。新聞、一面で、クーデターから半年を期してミャンマーのミン・アウン・フライン国軍総司令官が暫定首相に就任との報。三面にも関連記事。ミン・アウン・フラインはもともと司令官の任期が今年までだったらしいが、クーデター後に定年を撤廃しており、今後も権力をにぎりつづけるもよう。二〇二三年だか二四年だかに総選挙を実施することを誓う、と述べたという。NLDが勝った選挙は不正だったとの主張にもとづくもので、今後も国軍側は民主派を拘束したり、NLDを解党したり、民主派候補の立候補をみとめなかったりして対立者を排除しにかかるはずだから、総選挙をおこなったところでかたちだけの民政移管になるだろうとの観測。民主派の側も彼らの統一政府みたいなものをいちおう発足しており、戦力をつのって「連邦軍」をつくろうとしているらしく、民主派支持の市民のおおくは武力闘争に賛同しているようだから、内戦になるのではないか。もうなかばいじょう、そうなっているようなものかもしれないが。とはいえ、少数民族武装勢力も民主派とむすびつき、市民が彼らによって訓練を受けて兵となるとはいっても、軍事力とその規模はふつうに国軍のほうが高いのだろうし、民主派の暫定政府もいわば「オンライン政府」で国内に根拠がないから政権奪還は至難だろう、との見込み。
  • ロシアではプーチンが、二次大戦時のソ連ナチスの目的とか行動とかを同一視することを禁じる法をつくったという。EUではソ連独ソ不可侵条約をむすんだことでナチスポーランド侵攻をまねいたとする意見がつよく、だからソ連に一定の開戦責任を負わせようとする見方が支配的らしいのだが、それに反発するもの。「ヨーロッパの解放者」としてのソ連、という解釈しかみとめないというわけだ。
  • いま三時四〇分で、一時間まえくらいから曇って空が白くなっているのだが、それいぜんはふつうに晴れていた。とうぜん暑い。とはいえ、風呂洗いをしているときなど、はいってくる大気のながれがけっこう涼しい感触でもあった。二時ごろにベランダの洗濯物を取りこみながらちょっと陽を肌に浴びて眼下を見下ろしたが、ひとつの木の葉の先からべつの木の枝先へとわたっている蜘蛛の糸がこちらの姿勢の変化や糸のふるえにおうじてたまさか宙に浮かびあがり、飴細工のように淡く微光するそのときだけ目に見えるようになる。
  • 五時に家を出たころも空は白かったというか、ますます白くなっていて、全面白くなるどころかいくらか色が濁ってきており、雨が来てもおかしくはないなという気配で、公営住宅まえまで来ると棟のうえ、空間のむこうに南の山がのぞいているその稜線に触れながら、白を背景としながらやや濃い煙みたいな色の雲が、おさない画家の手によって気まぐれにわざわざそこだけぐるぐる塗り足されたといった調子でもやもやと浮かんでいた。木の間の坂にはいればきょうは西陽の色がないからもうけっこう薄暗く、そのなかでカナカナが左右のちかくから一心にかわるがわるに声をあげて宙をこすりながら埋めており、空は白くても左の斜面下で草むらの底にのぞく水の一所はやはり銀色に染まって散乱した鏡のようになっていて、すすめばじぶんじしんの影も足もとの路面にごくあわく湧いているのが見つかるがそれは夕刻の曇り空のわずかばかりのあかるみによるのではなく、道の電灯がもうつきはじめているためだろう。
  • (……)につくと、真っ白な空の地のうえにまさしく灰色といったかんじのわだかまりがこびりついていてますます雨をおもわせたが、じっさい勤務中に走ったときがあったし、帰路でも降られた。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)一一時に退勤。かなりひさびさのことだが、徒歩を取ることに。暗夜の印象。裏道を行きながら左右をのぞくと木をいただく庭などかなり暗いし、道の先を見ても静電気みたいな黄緑色の街灯の裏の空があまりあきらかならないというか、闇の集合がのしかかっているようなかんじ。白猫に遭遇。こちらからモーションを見せたわけでなく、立ち止まろうとしたわけでもないのに、足音を聞きつけたのだろう、当該の家のまえまで来ると車のしたからすがたをあらわした。しゃがんでむかえると、道のまんなかにごろりとねころがって身をさらすので腹をやさしくなでてやれば、からだをそらせるようにして伸ばしたり、あくびをしたり、手や足をなめたりしながら臥位のままごろごろたたずんでいて、とても可愛らしい。時間が遅いのでやはりいつもよりねむいのだろうか、道を前後に通り抜けていく微風を浴びつつしばらく触れてたわむれてから立ち上がって別れても、いつものようについてこようとせず、寝転がったままだった。あるきながら、なんといういたいけな生き物なのかとおもった。まあそのように、脆いとかこわれやすいとか、こわれもののようなものとしてとらえるのも、猫に無礼だというか、人間の傲慢というものだろうが、それにしても可愛らしい。なぜなのかわからないが、猫と遭遇してしばらくたわむれたあとの道行きは、だいたいいつもちょっと神妙なような気分になるというか、死をおもうことがおおい。生命に触れたような感覚なのだろうか。それもまたあまり当を得た見方ともおもえないが、ただたしかに、人間と接するときよりも、猫においては生命がよりむき出しにちかいかたちであらわれているような印象は受けないでもない。言語が介在しないことによるのか? あるいは身体性がよりむき出しということなのか? いずれにしても、夜道をあるいているときにじぶんの死をおもうことはおおいというか、夜道をある程度の時間あるけばかならずおもうといっても良い。じぶんもいずれ死ぬんだなあ、と毎回かんがえている。それはたぶんしずかな夜道をひとりでいくと現在がわりと浮き彫りになっていまの瞬間の生が意識されるので、そこからひるがえって反転的に死をおもうという経路なのだとおもうが、猫に触れると、じぶんではないものの死をもおもうようなかんじがある。それはあの白猫じたいの死でもあるのだろうし、あの猫もそのうち、たぶんじぶんよりもはやくいなくなるんだろうなあ、というかんじでそこにさびしさももしかしたらあるのかもしれないが、あの猫の死だけにかぎられているのではないような気もする。
  • とちゅうで、(……)携帯をとりだしてメールをしたためはじめたところが、ちょうどそのあたりで雨がはじまって、しかもそこそこさかりだして携帯の画面に雨滴があつまり、じぶんのワイシャツにも濡れあとがついてきたので、いったん中断して先をいそいだものの、あまり遅くなってもとおもったので家につかないうちにおくっておきたくて、それでまたとりだして雨に邪魔されながら文をつくり、送信した。顔をあげるとあたってくる雨粒がわずらわしいので終始目を伏せていかなければならないくらいの降りで、けっこう濡れて、あたまはツンツンになったし、スラックスなどもそこそこ湿った。
  • 帰るともう先に風呂にはいったらと母親がしきりにすすめてきたが固辞し、休息。

Research lead by the cognitive scientists Jennifer Clegg, Nicole Wen and Cristine Legare at the University of Texas, Austin, further illuminates these patterns and may help explain why conformity was so eyebrow-raising to psychologists. The research team had adults in both the US and Vanuatu, in the South Pacific, watch two videos of children making a necklace. In both videos, the child first watched a demonstrator make a necklace, then were given a chance to make their own. However, in one of the videos, the child assembled a necklace that precisely matched the one made by the demonstrator in its bead colours and sequence. In the other, the child produced a necklace with a different sequence of coloured beads.

When asked which child was “smarter”, 88% of adults in Vanuatu pointed to the “conformer”, compared to only 19% of US respondents. When asked why they selected the non-conformers as “smarter”, the adults in the US explained that the child was “creative”.

     *

While the diversity of kin-based institutions found around the world has been influenced by many factors, the European Marriage Pattern traces primarily to a religious mutation. Beginning in late antiquity, the branch of Christianity that evolved into the Roman Catholic Church began to gradually promulgate a set of prohibitions and prescriptions related to marriage and the family. The Church, for example, banned cousin marriage, arranged marriage and polygamous marriage. Unlike other Christian sects, the Church slowly expanded the circle of “incestuous” relationships out to sixth cousins by the 11th Century.

Despite often facing stout resistance, this enterprise slowly dissolved the complex kin-based institutions of tribal Europe, leaving independent nuclear households as a cultural ideal and common pattern.

To test the idea that the medieval Church has shaped contemporary psychological variation, it is possible to exploit the unevenness of this historical process by tracking the diffusion of bishoprics across Europe from AD 500 to 1500. Analyses show that Europeans from regions that spent more centuries under the influence of the Church are today less inclined to conform, more individualistic and show greater trust and fairness towards strangers.

  • 深夜に日記を書くあいだ、なぜかGuns N' Roses『Appetite For Destruction』などながしてしまい、作業に切りがついたときに"Paradise City"の終盤で、目を閉じてちょっと聞いたのだけれど、この曲でのSlashのギターソロはなかなかすごい。有名なプレイだとおもうが。これを完全に主演としてのソロにしないでわざわざ歌がのこっているその裏でやらせるあたり贅沢である。Slashって基本ペンタトニックベースでブルージースタイルなのだけれど、速弾き度合いもやろうとおもえばかなりのもので、レガートもできて、この曲のソロでもクロマチック的なレガートの部分など格好良く、レガートのやりかたもいわゆるテクニカル系の連中、たとえばフュージョンまじりのやつらとかあるいはネオクラシカル方面のひとびととか、もしくはPaul Gilbertみたいなやつとはフレージングがやはりちょっと違うような気がされる。レガートを措いてもフレーズのくみたてはかなりのもので、とくにチョーキングのうごきかたなどはやく、こういうながれでこの音に移動してこんなにはやくチョーキング上下させて、これアドリブでできるかー、といったかんじがある。しかも八七年だから、二二歳でこれをやっているとかんがえるとなおさらすごい。

2021/8/1, Sun.

 レヴィナスは、欲求が人間にとって欲求であるのは、世界との隔たり、貧困という「危険をかえりみない亀裂」によるとかたっていた(二・2)。欲求を充足させているとき、つまり享受しているさなか、ひとは環境世界を同化している。環境にたいする依存は、つぎに飢え渇くまで「繰り延べ」られる。欲求とはこうして、「時間をかいした依存」である(二・3)。――享受は感覚である。あるいは「感受性が享受である」(144/201)。「この葉の緑、この夕日の赤」を、ひとはつうじょう「認識」するのではない。「ひとはそれを生き」、感覚するだけである(143/200)。感覚としての享受は、〈始原的なもの〉にいつでも〈遅れ〉をとることがある。享受の対象がすでに過ぎ去って [﹅5] しまうことがありう(end47)る。緑は消え、陽は私がその残照を愉しむまえに暮れ落ちてしまうかもしれない。地表を潤す雨は、ほどなく大地へと消失してしまうことだろう。この「〈始原的なもの〉にたいする感覚の遅延を、労働がふたたび取りもどすことになる」(149/209)。たとえば、流れ去る川の水は手で掬われ、雨水が容器にあつめられるようにである。
 ひとはたしかに、大気や光、風景によって [﹅4] (de)生きている。私と世界との始原的な関係は享受というかたちでかたどられる。だが、労働もまた「それによって [﹅4] 私が生きるもの」(ce dont je vis)となる。労働の必要は、享受の繰り延べをかいし、その延長上にうまれる。いまや「〈私〉は、大気によって、光によって、パンによって生きるように、私の労働によって生きる」(156/219)ことになる。
 労働の必然性は、「身体」が、渇きの危険と充足の歓喜との二重性、あるいは享受の「幸福」と「憂い」との両義性の「継ぎ目」であること(二・3)からうまれる。しかし同時に、およそひとがはたらきうるということ、労働の可能性もまた、身体によって保証されている。私は身体であることをつうじて [﹅4] 、身体によって [﹅4] 労働することができる。「労働は身体という構造を有した存在にとってのみ可能」なのである。身体であるとはしかし、〈他なるもの〉において自己を所有することであった。だから労働は、「〈私〉ではないものとの関係において [﹅6] (en rapport avec le non-moi)のみあるような存在にとってだけ」可能なのである(180/251 f.)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、47~48; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • Charles Lloyd『The Water Is Wide』をながしつつ「読みかえし」ノート。#8の"Song of Her"って、これって六一年のVillage VanguardBill Evans TrioがやっているLaFaro作の"Jade Vision"とほぼおなじでは? と気づいた。"Song of Her"はたしか『Forest Flower』か『In Europe』か、どちらかのライブの四曲目でもやられていた記憶があるから、六〇年代にはもうできていた曲のはず。
  • 夜ふかしをしたので正午の離床になる。きょうは瞑想できてよろしい。食事はカレーののこり。
  • 新聞、ミャンマーの記事。医療関係者がいわゆる不服従運動とコロナウイルス対策のあいだで板挟みになって揺れていると。あとあれだ、国軍に資金をあたえないため、企業にたいして納税拒否を呼びかけたり税をはらわないようにするうごきが三月いらいひろがっているらしく、関係者によれば民間企業の九割が市民の声を受けて納税拒否をしたというのだけれど、そんなにおおくなるか? 欧米も国軍系企業の海外資産を凍結するなどの制裁を課しているものの、もともと海外資産はそれほどおおくないからあまり打撃にはならないだろうとのこと。また、たしかきのうだったとおもうが、このおなじミャンマーについての連載では、国軍への抗議活動に参加するか否かで家族が割れたり、抗議者の側でも対立や葛藤が起こっているとのはなしがあった。味方/敵の二分法にもとづき、消極的態度が敵側への積極的加担と同一視されてしまうおなじみの状況ということだろう。民主派の側にも武装勢力があらわれて、国軍に加担しているとみなされた役人とかを殺害する事件が起こっている。
  • おとといにルート・クリューガーを読み終えていらいつぎはなにを読もうかなとまよっていて、きのうはバルトの『サド、フーリエロヨラ』でも読もうかなとおもっていちど手に取りはしたのだけれど、朝からの労働をすませてきたあとで睡眠がとぼしかったから一ページも読まないうちに眠気にやられて死んでしまい、その後もまよいつつきのうはだいたい「読みかえし」ノートを読みかえしていたのだけれど、きょうにいたって、なんか『失われた時を求めて』でもまた読もうかなという気持ちが起こって、光文社古典新訳文庫のほうも読みたいのだけれど、ちくま文庫井上究一郎訳が一巻だけあるからとりあえずそれを読もうとかたまった。それでいま三〇ページほど。プルーストの小説はいわゆる「無意志的記憶」とかいうタームでかたられ、回想とか記憶のはたらきとかをあつかったものとして有名だが、冒頭からまさしく回想と、話者が回想するさまをえがいているのだなといまさら意識する。「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ」(7)という例の有名な書き出しからして過去の習慣を回顧するいいかただし、眠りのあいだも「さっき読んだこと」(7)をおもいだしているし、すこしすすむと、真夜中にねむりからめざめたとき(はやい時間から寝るので、夜中になって目をさましてしまうということだろう)のあいまいな意識のなかで、「かつて住んだことがあったいくつかの場所」や「いつか行ったことがあったらしいいくつかの場所の回想」(11)が到来して、それが、夢うつつの状態でつかの間自己のアイデンティティをなくしていた「私の自我に独特の諸特徴を再構成する」(11)と述べられている。さらにまた、起きたときもしくはねむっているあいだの肉体の姿勢を媒介にして過去にねむりをすごした部屋の記憶がよみがえると言われ、おそらくはもうそこまで意識が茫漠としていないとおもわれる状態、「目ざめにつづく長い夢想のなか」でも、「ついにそれらの部屋のすべてを思いだすようになった」(13~14)という。その言につづけていくつかそうした部屋の描写がなされているが、冒頭から一〇ページほどつづくこういう想起への言及が終わって一行あけがはさまると、幼時をすごしたコンブレーの大叔母の家での生活が、もろもろの記憶のなかから、とくになんの根拠も明示されずになかば特権的ともおもえる無造作さで選び出され、かたりつがれることになる。そのまえ、一行あけの直前で、目が覚めて記憶に「はずみがつけられ」た「私は、すぐにはふたたび眠ろうとせず」、過去のいろいろな場所や生活や見聞きしたことを想起しながら「夜の大部分を過ごす」(16)といわれているので、これらの回想は不眠のテーマにもつらなっているのかもしれない。
  • 習慣についての言及も序盤はやくから見られる。15にすでにあり、コンブレーのはなしにうつった17でもまた登場するが、どちらにおいても習慣はひとの精神をしだいに麻痺させてさいしょはおおきかった苦しみを耐えられるものにしてくれる、というはたらきとして述べられている。幼時の記憶ではそのはたらきのおおきさがより顕著だというか、ひるがえって子どものころの話者の神経過敏な性質があらわで、おさないころの話者は母親や祖母からはなれて寝室におくられ寝床でじっとしていなければならないのが憂鬱で、その未来を先取りして夕刻にはもう苦しんでいるのだけれど、そういう話者をなだめるために家族は彼の部屋で夕食まえに幻灯を見せてくれる。その幻灯じたいはうつくしく魅力的なものだし、そこで展開されるジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの伝説にもおさない話者はひきつけられているはずだが、しかしいっぽうで、「そのために、私の悲しみは増すことにしかならなかった、なぜなら、照明の変化だけで、私が身につけている自分の部屋の習慣がこわされたからであり、そんな習慣のおかげで、就寝の苦しみを除けば、私の部屋はがまんができるものになっていた」(17)とも述べられるのだ。だから、それじたい魅力的なものであっても、それが闖入して安定した習慣的秩序をこわすというだけで苦しみをもたらしているわけで、おさない子どもの話者はそうとうに神経過敏というか、かなりかんじやすい、周囲の環境の変化に影響されやすい性質だと評価できるはず。
  • アイロン掛け。窓外ではセミが鳴きしきっており、アブラゼミやミンミンゼミが盛っているなかにカナカナの声も、ちょっととおくからだからあまり芯をかためず、空回りする鈍い金色のちいさな車輪もしくは指輪みたいなかんじでただよってきて、陽をかけられた南の山の緑の不動を見るかぎり風はあまりなさそうで、夏至はもう一か月以上まえになったがこの時間でもまだまだあかるく空に雲は見えないものの悠々とひろがっている水色は淡く、(ロラン・バルトがつかう「意味素」とかの語にならって)微雲素とかあるいは雲粒子とでも呼ぶかそういう雲のもとが溶け混ざっているようすのひかえめさであり、午後五時直前の橙色にかわいたひかりをかぶせられた山はその下であたたかにしずまってあかるい緑をさらにほがらかならしめている。しかしそれからちょっとシャツを処理してふたたび目をあげると、五時を一〇分すぎた時点でもう先ほどの山の緑と混ざった橙色が消えており、シャツをハンガーにかけたり吊るされた寝間着をたたんだりするために立ち上がれば、地上にはサルスベリのつよい紅色が点じられているものの、空は先ほどよりもますます淡くなりその下端からは乳白色がにじみだしていて、そのむこうから紫色もそろそろ浮かんできそうな風合いだった。
  • 二三日の記事をようやく書いた。楽に、すらすら書けてよろしい。いぜんもかんじていたが、一定時間つづけて音読すると、そのあとで文を書くのがかなり楽に、かるくなる。これはじぶんの体感としてはまちがいない。
  • いま九時まえ。なんか意識がすこしつかれているかんじがあったので、目を閉じて休もうとおもい、音楽を聞いた。Red Hot Chili Peppers『By The Way』のつづき。音楽鑑賞はいちおうアルバム単位でやっていきたい。"Tear", "On Mercury", "Minor Thing"の三曲(#12から#14)と、もどって"By The Way"に"Can't Stop"。#12と#13はとくになんの面白味もかんじないが、"Minor Thing"の小気味よさはなかなか好きだ。このアルバムでいちばん良いとかんじるのは、やはりなんだかんだいっても"Can't Stop"と、それにこの"Minor Thing"あたりだろうか。とちゅうの、半ラップ調というか、ラップというほどでもないがメロディがなくなってリズムに乗せたかたりみたいになるところは、うーん、なんかなあ、という気もするが。"By The Way"とか"Can't Stop"のラップ風のところはまあ良いとおもうのだが。とはいえこのアルバムでのAnthony Kiedisは全体的にわりとヘロヘロしていて、"By The Way"だってボーカルはリズム的にそんなに緊密にはまっているというわけでなく、もうすこしきっちりするどく切れたほうが良かったんでは? ともおもう。"Can't Stop"のほうは、テンポもおそめでもったりしたかんじの曲だし、あれでうまくなりたっているとおもうのだが。
  • 「楼閣をめぐる赤子の精霊よ今宵の月を死後にうつして」という一首をつくった。
  • 「太陽がいちばん大きかった日の焼け野原にも蝉は鳴いたか」という一首も入浴中につくった。
  • 新聞の書評ページで気になった本は、吉見俊哉『東京復興ならず』(木内昇選)、アリス・ゴッフマン『逃亡者の社会学 アメリカの都市に生きる黒人たち』(小川さやか選)、佐佐木隆『万葉集の歌とことば 姿を知りうる最古の日本語を読む』(飯間浩明選)、柯隆『「ネオ・チャイナリスク」研究 ヘゲモニーなき世界の支配構造』(国分良成選)、田中輝美『関係人口の社会学 人口減少時代の地域再生』(稲野和利選)、ダニエル・ストーン『食卓を変えた植物学者』(中島隆博選)、南博・森本恭正『音楽の黙示録』、田嶋隆純『わがいのち果てる日に』。田嶋隆純というのは巣鴨プリズン教誨師をつとめた僧侶らしく、そのひとによるBC級戦犯の記録で、六八年ぶりの復刊だという。Wikipediaを見ると、このひとは「チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者」で、河口慧海に師事したり、ソルボンヌに留学したりしている。ほかにとくに気になるのは、アリス・ゴッフマンと柯隆だろうか。俺はいつのまにか、政治学社会学方面が好きになったのか?
  • この前日だか前々日だかに(……)さんから手紙が来ていて、夕食時にそれを見せてもらった(草原みたいなところでなにかやっている(……)のうしろすがたとか、施設の祖母を正面から撮った写真なども同封)。便箋に自筆でつづられたもので、なかなか達筆風であり、内容はさいきんの日々の報告といったかんじの他愛のないもので、本人も「どうでもいいような情報ばかりですが」みたいなことを末尾に記していたが、~~をして、~~をして、という調子で毎日の生活行動(育てている野菜をみるとかそういったこと)をいくつも連続して列挙した一節があって、日常のささやかな具体性を志向するそのまなざしは良かった。あと、文脈からして「午後」かなとおもいながらも字が読み取れなかった一語があったのだけれど、ちょうど風呂を出てきた父親(この日山梨から帰ってきた)にこれなんて書いてある、とさしだしてきけば、やはり午後だろうという。しかし、どう見ても二字目が「後」の字に見えなかったところ、そういう書きかたの午後があるじゃんというのでのちに調べてみたところ、「午後」には「午后」という表記があるのだ。このときまでまったく知らなかった。正直けっこうなおどろきである。なぜ皇后の后なのか?
  • 母親は、ずいぶんうまく書いてるね、真似できないよ、みたいなかんじで褒めながらも、手紙だと返事を書くのがもう面倒くさくて、と漏らしていた。(……)ちゃんみたい、とも言った。(……)さんもおりに手紙を送ってくるからである。(……)さんは七三くらいで、(……)さんはたぶん七〇てまえか。母親は六二だかそのくらい。ひとに手紙を送るという文化をいまだ生活のなかにとどめている人間も、きっともはやこのくらいの世代までなのだろう。三〇代以下はたぶんもう手紙なんて書かないのではないか。じぶんじしんも、きちんとした手紙を書いて送った、という経験は持っていないような気がする。母親のようにもう手紙なんて面倒くさいという人間が支配的なのだろうし、(……)の(……)さんも、祖母の写真が送られてくることについて、ちょっと重くかんじてしまう、みたいなことをいぜんに漏らしていたことがあるらしい。
  • 効率と利便性に勝てる人間はこの世にいないのだが、効率と利便性が君臨しすぎると世は無味乾燥でクソみたいに退屈なものになる。効率と利便性は具体的官能性と(ほぼ)対立するからだ。官能性のない世界など願い下げである。
  • 9: 「ふたたび私は眠りこむのだ、そしてそれからは、ときどき目がさめることはあっても、一瞬のあいだ、板張の干割れる音をきいたり、目をあけて暗闇の万華鏡を見つめたり、すべてのものが陥っている睡眠をちらと意識にさしこむ光で味わったりするだけで、そのあとは、家具、部屋、その他のすべて、私もまたその小さな一部分であるそうしたすべてのものが陥っている睡眠の無感覚に、私はすぐにもどって合体するのであった」
  • 10: 「眠っている人は、時間の糸、歳月や自然界の秩序を、自分のまわりに輪のように巻きつけている」
  • 11: 「そのとき、私の精神は、自分が眠りこんだ場所のわきまえをなくしていた、そのようにして真夜中に目がさめるとき、自分がどこにいるのかわからないので、最初の瞬間には、自分が誰なのかを知らないことさえあった、私は動物の体内にうごめくような生存の感覚を、その原初の単純性のなかで保っているにすぎなかった、私のなかにあるものは穴居人よりももっと欠乏していた、しかしそのとき、回想が――いま私のいる場所の回想ではなく、かつて住んだことがあったいくつかの場所、またはいつか行ったことがあったらしいいくつかの場所の回想が――天上からの救のように私にやってきて、自分ひとりでは抜けだすことができない虚無から、私をひきだしてくれ、私は一瞬のうちに文明の数世紀をとびこえ、そして石油ランプの、ついで折襟のワイシャツの、ぼんやりと目に浮かぶ映像によって、すこしずつ、私の自我に独特の諸特徴を再構成するのであった」
  • 14: 「そしてそこでは、夜通し暖炉の火を落とさないので、ときどき燃えあがる燠火のあかりをもらすあたたかいけむった空気の大きなマントにくるまって眠るのだ、そんな空気のマントは、いわば触知できないアルコーヴ、この部屋のまんなかにうがたれたあたたかい洞窟で、その熱の輪郭にかこまれた圏内は、部屋のすみの、窓に近い、暖炉に遠いあたりから、私たちの顔をひやしにきてくれる風によって、換気され、燃えあがり、ゆらゆらと動くのだ」
  • 14: 「夏の部屋、そこでは、人はなまあたたかい夜に合体していたくなる、そこでは、月光が細目にあけた鎧戸に寄りかかり、ベッドの脚もとまで、その魔法の梯子を投げている、そこでは、光の尖端で微風にゆすられる山雀のように、人はほとんど野外と変わらない吹きさらしで眠るのだ」
  • 15: 「そこではまた、四角ばった脚の異様な無慈悲な姿見が部屋の一隅を斜に仕切って、私の平素の視野の快いふくらみのなかに、ざっくりと切りこみ、そこに思いもかけない傷口をぱっくりとあけていた」
  • 15: 「一方私は、やがて習慣がカーテンの色を変え、振子時計をだまらせ、斜を向いた残酷な姿見にあわれみを教え、ヴェチヴェールの匂を完全に追いはらわないまでもさして鼻につかないようにし、天井の目立つ高さをぐっとさげるようになるまで、私のベッドに横たわり、目をあげ、不安な聞耳を立て、鼻息をおさえ、胸をどきどきさせていた。習慣! 巧妙な、しかしずいぶん気長な調整者、それはまず手はじめに、われわれの精神を何週間も仮小屋で苦しみに堪えさせる、しかし何はともあれ、習慣を見出すことは、精神にとってまことにしあわせだ、なぜなら、習慣というものがなく、精神の手段だけによるとしたら、われわれを一つの宿に落ちつかせるのはとうていむりだろう」
  • 17: 「しかし、そのために、私の悲しみは増すことにしかならなかった、なぜなら、照明の変化だけで、私が身につけている自分の部屋の習慣がこわされたからであり、そんな習慣のおかげで、就寝の苦しみを除けば、私の部屋はがまんができるものになっていた」
  • 17: 「城と原野とは黄色だったが、私はそれらを見てからでなくても、その色がわかっていた、というのも、原板を枠にとりつけるまえから、ブラバン [ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン] という名の金褐色のひびきが、自明の理のようにその色を示していたからだ」
  • 17~18: 「ところで、その悠々たる騎行をとめることができるものは何もなかったのだ。人が幻灯を動かすと、ゴロの馬は、窓のカーテンの上を、その襞のと(end17)ころでそりあがったり、そのくぼみに駆けおりたりしながら、前進しつづけるのがはっきり私に見えた。ゴロ自身のからだは、乗っている馬のからだとおなじように超自然な要素でできていて、途中に横たわるすべての物的障害、すべての邪魔物をうまく処理して、それを自分の骨組のようなものにし、それを体内にとりこんでしまい、たとえそれがドアのハンドルであっても、彼の赤い服、または青白い顔は、ただちにそれにぴったりとあい、またその表面にぽっかりと浮かびあがって、その顔は、いつまでもおなじように高貴で、おなじように憂鬱だが、そうした脊椎骨移植のどんな苦痛をあらわすこともなかった」
  • 18: 「しかし、それにしても、いつのまにか私の自我で満たしきって、自我そのものにたいするのとおなじようにもはや注意をはらわなくなった部屋への、そんな神秘と美との侵入は、いうにいえないあるいやな気持を私に起こさせた。習慣というものの麻酔力が利かなくなると、私はあれこれの物を非常に陰気に考えたり、感じたりしはじめるのであった」
  • 19: 「私の父は両肩をそびやかして、それから晴雨計をながめる、彼は気象学を好んでいるのだ」
  • 21: 「祖母は悲しみ、落胆して、また出てゆくのだが、それでも顔はほほえんでいた、というのも、彼女は非常に心がつつましく、非常にやさしかったので、他人への愛情と、自分の身や自分の苦しみへの軽視とが、そのまなざしのなかで調和してほほえみとなるからで、そのほほえみには、それが多くの人間の顔に出る場合とは逆に、皮肉は彼女自身にしか向けられず、私たちみんなから見れば、彼女の目のくちづけのようなものしかあらわれていなかった。彼女の目は、彼女がかわいがっている人たちを、まなざしではげしく愛撫することなしにはながめることができなかったのだ」
  • 22: 「そして空に斜にあげたまま私たちのまえをくりかえし過ぎてゆく彼女 [祖母] の気品のある顔を見ていると、その褐色の、しわのよった頬は、鋤きおこされた秋の畑のように、更年期のためにほとんどモーヴ色になっていて、そとに出るときはすこし高目にあげた小さなヴェールにかくされるその頬の上には、さむさのためか、それとも何か悲しい思いにさそわれてか、知らず知らずに流れた涙の一しずくがいつも乾こうとしていた」
  • 26: 「それでも、妻の死をあきらめることはできなかった、しかし彼女のあとに生きながらえた二年のあいだに、私の祖父によくこういった、「変なものですね、かわいそうな家内のことはよく何度も考えるのですが、どうも一度にたくさんは考えられないのですよ。」 それ以来、「何度も、しかし一度にすこししか、スワンの死んだ親父式」というのが祖父のおはこの一つになって、ひどくかけはなれた事柄についてもそれが口に出るようになった」

2021/7/31, Sat.

 「家は、大地、大気、光、森、道路、海、川といった匿名的なものから撤退したところに位置する」と、レヴィナスはいう。ひとはつうじょう道路のまんなかに、あるいは川の流れのただなかに〈ねぐら〉をもうけることはない。ここまではよい。レヴィナスはさらにつづけて、〈すみか〉とは「そこで《私》がみずからを集約し、我が家にとどまる非 - 場所」であると主張する(167/235)。だが、なぜ非 - 場所 [﹅3] なのか。
 レヴィナスの行論のなかに明示的な解答はない。レヴィナスが家を非 - 場所とよぶ理(end44)由を考えてみる。
 家は、〈始原的なもの〉の環境のなかに建てられる。〈場所〉(トポス)それ自体もまた、大地にぞくするものとして、〈始原的なもの〉にほかならない。〈すみか〉とは、場所のうちにありながら、場所から切断されたものである。家をたてることが〈始原的なもの〉から手を切ろうとするくわだて、風雨から身をまもろうとするこころみであるかぎり、それはもはや始原的なトポスとしての場所ではない [﹅2] 。そのかぎりで、「非 [﹅] - 場所」である。――家は「四つの壁」の内部に〈始原的なもの〉を封じ込める。家のなかにも大気はあるが、〈すみか〉にはもはや風はながれない。家の内部では、水もその奔出をおしとどめられ、火すらが管理されている。〈すみか〉とはアルケーが管理され統御される場所(トポス)であり、非 - 場所 [﹅2] (ウー・トポス)である。
 非 - 場所、つまり場所の不在 [﹅5] とは、しかしまた「どこにもないところ」(実現不能ユートピア)であり、不在の [﹅3] 場所である。住居は、たしかにうちに空気を収容し、戸外を吹く風をさえぎっている。大気の流れは、だが、家の壁を抜けて不断に外へと漏れ出てゆく。逆にまた、家にもすきま風がたえず入りこむ。〈すみか〉は光をとりいれ、窓からは灯かりが洩れる。水はときに家を押しながし、火は〈すみか〉を焼き尽くす。だからほんとうは、「〈始原的なもの〉が家の四つの壁のなかで固定され、所有のうちで静まりかえる」(前出 [169/238] )ことはありえない [﹅5] 。住居によっても、〈始原的なもの〉は所有できない。〈始原(end45)的なもの〉は、ここでもやはり所有の限界をかたちづくっている。家による大気や光の所有は挫折する [﹅7] 。それでは、ほんらいなにが [﹅3] 所有され、どのように [﹅5] 所有されることになるのだろうか。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、44~46; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 「赤光のうつくしさたる凪の朝思い立ったら死ぬが吉日」という一首をつくった。
  • この日は朝から勤務。瞑想できず。母親に送ってもらった。こちらが居間で天麩羅を食っているあいだに階下から起きてきたとき、コロナウイルスのワクチンを前日打ったため、腕が痛いともらしていたが、熱はなかったようで、その後もとくに体調不良はないようす。
  • (……)
  • (……)
  • 帰路は電車。(……)のホームですわっていると、左方にカップル。男性のほうは英語圏の外国人で、女性はたぶん日本人だったような気がするが、英語でにぎやかにしゃべっていた。男性がスマートフォンかなんか見ておもしろがり、これ見ろよ、みたいなかんじでもりあがっていたようす。来た電車に乗るとしばらくしてこちらの右にあつまってきた一団も、中国か韓国かよくわからなかったがアジア極東の人間のようで、こんな田舎でもずいぶん顔ぶれが多国籍になってきている。
  • 最寄り駅で降りればとうぜんひかりがまぶしく照っていてすぐさまつつまれるのだけれど、帰路をいくあいだそこまでめちゃくちゃ暑くはなかったというか、たまには昼日中の陽射しを肌に浴びるのもわるくはない。ゴッホが手紙に、夏のひかりを浴びるとじぶんは気力が湧いてヒースの野原をぐんぐんわたっていく、みたいなことを書いていたのをおもいだす。線路のまわりがあかるい緑に染まっており、その先にひらいているトンネルの穴も草にお膳立てされるようにしててまえの左右を緑が占めて陽にくつろいでいて、そういうさまを見るに、なんとなくなつかしいようなとか、原風景とか、そういう形容もしくは語が浮かんだりもするのだけれど、日本のゆたかな自然と牧歌的生活をしのばせる原風景、とかいうものはフィクションだろう。原風景などというものはこの世に存在しない。風景はつねに風景であり、どこでも風景であり、それに起源などありはしない。ところでこの日の夜に「読みかえし」ノートから大津透『天皇の歴史①』を読んでいておもったのだけれど、日本の原風景としてなんか田んぼとか棚田とか稲穂の群れとかがよくいわれる気がするのは、つまり日本を根源的にあらわす象徴として米が前景化されるのは、まさしく神話的次元からしてそうなのだと。というのも、記紀神話のなかで天照大神が日本を「豊葦原の瑞穂の国」と呼んでいるらしいからで、これはむろん、稲がゆたかにみのった国ということである。だから日本書紀成立時点で、日本=米、というイメージはすでに確立している。たぶんそれがずっと受け継がれているということなのだとおもうが、米と稲作じたいはいうまでもなくユーラシア大陸から渡来してきたもので、日本起源というよりはアジア起源のものである。もっとも縄文時点でまだ「日本」などなかったはずだから、稲作の導入による定住化を発端として文明が発展定着し日本国(ヤマトもしくは倭)が形成されていくとかんがえれば、まさしく米こそが日本をつくったとも言える気もする。
  • (……)のホームにあがったときも、いまは電車のとまっていないホーム脇がひかりの満ち満ちてかよう空間をひらいて陽炎をあわくにじみあげており、そのむこうに待機中の電車がふたつくらいとまってオレンジのラインを引いた銀色の車体をてらてらつやめかせていたり、さらに先で丘や森の緑があざやかに視界の周辺を占めてどこを見てもその存在感をほこるようにあかるくなっているさまを受けるに、いかにも夏っぽい風景だなという感をえた。
  • 帰り道、坂下の平らな道を家までまっすぐあるいているあいだ、セミの声はとうぜん林からひっきりなしに騒がしく立っていて、青空は雲をいくつも浮かべているものの余裕はありそうで乱れる気配は見せず雨は遠く、左手の林縁でブナだかナラだかシラカバだかわからないが白っぽい、生まれたばかりでまだやわらかい象の皮膚みたいな色の幹が一本あかるくたたずんでいて、そこにいまセミが一匹、茶色の翅を見せながら飛んでいったのだが周囲の蟬時雨にまぎれてその翅音は聞こえず、とまったあとに鳴きだしたのかどうか、一匹分の声など合唱が容易に呑みこんでしまうからそれもわからない。
  • 昼過ぎの飯はカレー。食後、ギターをいじる。ペンタトニックというスケールはすごい。てきとうにやっていればどこを弾いてもそれなりになるし、それをいくらでもつづけることができる。ふつうの七音のスケールだともうすこしやりづらい気がするのだが。といってペンタでもむろん、五音だけでなくてときどきにいろいろくわえてはいるが。四時半くらいから眠ってしまった。七時過ぎまで。
  • 「読みかえし」ノートの音読をよくやった。番号でいうと13から50までやっているし、時間だとたぶんあわせて二時間くらいか? 文を口に出して読んでいると、やはりやる気が出るし、それだけであたまや気分が晴れるようになるということを再実感する。書抜き文の内容をおぼえようなどという目論見は無用だともあらためて理解した。ただ読むだけで良い。
  • 今週一週間は月からきょうまでずっと勤務があって、ようやくあした一日やすめる。しかしその一日が終われば来週もまた週五で毎日。こんな生活はやっていられない。はたらきすぎだ。
  • ひさびさに書抜きできてよろしい。
  • 北川修幹の"弱い心で"が好きで、ひさしぶりにこれがあたまのなかにながれて聞きたくなったのでAmazon Musicでながし、ついでに収録アルバムの『あいのうた』全体もながしたのだが、これがいぜんおもっていたよりも良かったのでおどろいた。まえは"弱い心で"いがいはそこまででもないとおもっていたのだけれど、冒頭の"バカばっか"なんて、はじまった瞬間に、すばらしくメロウでめっちゃいいじゃんとおもわれた。サビも良い。サビの後半で上がっていって、さいごがバックとのユニゾンで歌詞なしの高音のハミングで終わるのがとても良い。まえは、アルバムが全体的に、甘さと感傷にやや寄りすぎているようにかんじていたのかもしれない。

2021/7/30, Fri.

 〈すみか〉とはなによりもまず〈ねぐら〉である。ひとはすみか [﹅3] で横になってくつろぎ、さらには無防備に〈眠り〉につく。眠ることは、〈始原的なもの〉が接している、匿名的な「夜の次元」(151/212)からの解放であり、撤退である。――眠るときにこそ、「私はたったひとりである」。私の眠りはどこへも移りゆくことがない。私は〈私〉のなかにとざされ、眠りは眠りの内部にとどまっている。そこには「他動詞的」なもの、あるいは「転移する」もの(transitive)がなにもない [註27: Cf. E. Lévinas, Le temps et l'autre (1948), PUF 1991, p. 21.] 。私は眠ることで、たったひとりの、この〈私〉となる。逆説的ではあるが、眠ることはひとつの主体の誕生である [註28: 「意識とはまさに、われわれが不眠(insomnie)のなかでみずからを非人称化することで到達するこの存在〔=ここでは「ある」(il y a)のこと――引用者〕にたいする避難所(abri)なのである」(E. Lévinas, De l'existence à l'existant, p. 111)。] 。この〈私〉はその意味では、私の〈家〉で生誕するのである。
 私が身体をもつ [﹅3] といういいかたは、なにほどか奇妙にひびく。私は私の身体である [﹅3] 。〈すみか〉は、私がそれである [﹅2] とまではかたりえないにせよ、しかしたんに私がそれをもつ [﹅3] ともまたいいがたいような、私の〈ありか〉である。レヴィナスがいうように「家」はたんなる「道具」ではない。それはまた、たんなる「享受」の対象でもない。「家の特権的な役割は、人間の活動の目的であるということにあるのではない。それは、人間の(end41)活動の条件であり、その意味では、人間の活動のはじまりであるということにある」。さらに、「自然がはじめて世界として描きとられるためにも」必要な条件を「家」こそが準備する、とレヴィナスはいう(162/228 f.)。〈すみか〉はかくて、たんに所有と労働の条件であるばかりではなく、同時に世界が世界として立ちあらわれるための制約なのである。なぜだろうか。もうすこし敷衍しておこう。
 ここで、シェーラー以来の哲学的人間学に由来する概念対を援用してことばを整理しなおしておけば、〈始原的なもの〉の世界はじつはいまだ世界 [﹅2] ではない。自然の贈与に浸された世界は、むしろ〈環境世界〉ないしは〈環界〉(Umwelt)――レヴィナスのことばでいえば〈もの〉の「環境」――と呼ばれてよいであろう。ひとはたしかに環境世界のなかで生き、環界にひろがる〈始原的なもの〉を享受している。だが、人間は同時に、たんなる環境世界を超えた〈世界〉(Welt)のうちにある。あるいは世界にたいして「ひらかれて」いる。レヴィナスによれば、そして、たんなる環境あるいは環界を超えた世界、〈もの〉たちの世界を、〈家〉によってはじめて可能となる所有と労働が切りひらくことになる。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、41~42; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 一一時二五分離床。天気はよどみがちな曇り。窓のそと、ネットに沿って繁茂した蔓や葉のなかで、ゴーヤがいくつかおおきくそだって取りごろになっている。三三分から瞑想。二〇分間。暖気が窓のほうから肌のてまえまでちかづいてくるのをかんじるものの、すわっているだけで即座に汗が湧いてくるほどの暑さではない。セミは増えて、ジャージャージャージャー鳴き声を撒き散らしている。アブラゼミの拡散のなかにミンミンゼミがややうねるとともに、ツクツクホウシの声も今夏はじめてあらわれた。ホーシン・ヅクヅクヅク、ホーシン・ヅクヅクヅクと例のヘヴィメタルのギターとそっくりなリズムを刻んでいる。
  • 瞑想をしながらおもったのだけれど、いつまでも実家に置いてもらってもろもろの雑事などを担ってもらっている現状でさえ日記のいとなみが満足に立ち行かないありさまなので、やはり書くことを減らしていかねばならんなと。そもそも、こんなものはいつやめたっていいのだという、投げやりな気持ちを積極的によそおっていくこころになった。毎日日記を詳細につづるということを大前提にするからなかなか生がひらけないのであって、そんなことはどうでもよろしいと投げ捨ててしまえばどうにでもなる。死ぬまで毎日生を記録するという野心をいぜんはおりおりよく表明していたが、そんな誇大妄想はさっさと捨てたほうがよろしい。こだわりをひとつひとつ捨てて解放され、楽に生きるのが吉だ。とはいっても日々を書くことをまったくやめる気にはいますぐにはならないが、こんなものはべつにやめたっていいのだというこころをあらためて認識して、多少重荷が減った気はした。とりあえずは書くことがらをすくなくしようとおもう。もうすこし断片的に、一日をつなげず、おおきく印象にのこったことだけを記すように。日記にさく労力を減らせば、そのぶんものを読んだり、ほかの文をつくったり、家事をこなしたりもできる。といってそういう意図もこれまでに何度か漏らしていて、それなのにけっきょく実現できていないので、どうせまた気づいたら詳しく書いているのではないかとおもうが。
  • とにかくおのれを楽にすること。
  • 食事はうどん。母親は勤務。きょう、夕方に帰ってきたあと、六時半だかにコロナウイルスのワクチンを接種しにいくらしい。
  • 一時すぎか二時ごろだったか、雨が通った。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を読了。
  • Keith Jarrett, Jan Garbarek, Jon Christensen, Palle Danielsson『Sleeper: Tokyo, April 16th, 1979』をストレッチ中に。"So Tender"をきいたが、Palle DanielssonとJon Christensenのリズム隊はなかなかのものではないか。"Oasis"も色気はないがけっこうおもしろい。このパーカスはなんなのか、だれがたたいているのか。タブラか? もしかしたらJarrettがたたいているのかもしれない。フルートはJan Garbarekだろうし、ベースもきこえるし。Christensenかもしれないが。
  • 新聞。東京はきのうの新規感染者が三八〇〇人ほど。全国でも一万人をはじめて超えたとあったか? もう駄目である。地域面を見ても、我が町(……)も一〇人だし、(……)は五〇人、(……)や(……)も三〇人ほどで、潜伏期間をかんがえるに、一週間まえに街に出たこちらが感染していてもおかしくはない。
  • 国際面にミャンマー関連の記事。国連大使のなんとかいうひとが、二月のクーデターのあと、同月末以来国軍への抗議を国連の場で表明しているが、国際社会はそれにこたえられていないと。例のごとく、米英と中露で立場が割れているからである。国軍はこの大使にたいしてもちろん激怒しているらしく、このひとはいまどこにいるのか、国連本部のあるニューヨークにいるのかわからないが、ミャンマーに帰ったらふつうに殺されるのではないか。クーデター以来、弾圧によって殺されたひとも数百人規模になっていて、国民の声として、国連が行動を起こすには何百人の遺体が必要なのか、という言があって、それによって自責の念にかられたこの大使のひとが奮闘しているということだが、この市民の声はBob Dylanの"Blowin' In The Wind"を思い起こさせずにはいない。
  • 全米各地の孔子学院がつぎつぎに閉鎖されているとの報も。中国語をまなんだり中国文化の普及を促進するための機関で、大学内などにあるらしいのだが、中国政府の政治宣伝につかわれているからだと。一七年には一〇〇以上あった孔子学院が、いま四〇くらいにまで減っているらしい。中国側は、かたよったイデオロギーによる一方的な強制であるみたいなことを言って、むろん反発。
  • 四時。雨はない。雲もいくらかひいたようで、そとの家壁に多少陽の色が見られる。
  • 夕食時に母親が言っていたが、朝、出勤前に、居間のなかにヤモリがはいりこんでいたらしい。時間がなくてそとに出すことができず、帰ってきてからはすがたが見えないと。コロナウイルスのワクチンをきょう打ってきたのだが、いまのところ特に副反応はないようす。
  • 五時すぎで出勤。林から湧くセミの音響がもうかなり旺盛になっており、はげしい。いろいろ混ざって、ざらざらしたような質感になってきている。公営住宅まえを行っても公園に立っている桜の樹からミンミンゼミが鳴いていて、音までの距離がちかい。
  • そういえば家を発つまえに三分間くらいだけソファにすわって瞑目していたが、そうするとわりと涼しげなながれが窓からはいってきて、それが、あれは雨後の大気のにおいなのか、なんらかのにおいをはらんだもので、なにともつかないのだが土か草か水か不快なかおりではなく、湿っていながらもさわやかみたいな感触だった。
  • 最寄り駅のホームではベンチについて瞑目。風がそこそこ吹いて涼しくここちよい。
  • 電車内、座ったむかいに高校生か大学生か、若い男性が五人ほどならんでかけていて、みなおもいおもいの姿勢で寝たり起きたりしていて、漫画の扉絵みたいでちょっとおもしろかった。両端とまんなかの三人が眠っていてあいだのふたりが起きていたとおもうが、左端のひとは片脚を、組むのではなくて足先をもう一方の膝のうえに乗せるようなかんじで不遜じみたポーズのまま眠っていたし、まんなかの者は足をひらいてややまえに出し、あたまもうしろにかたむけていかにも無防備にねむっているというかんじの堂に入った眠りようだったし、右端のひとりは上体を完全にまるめてまえに倒し、じぶんの膝のうえに身を投げ出すようにして顔もみせずに眠っていた。右からふたりめの携帯をいじっていたひとはたしか黒シャツで眼鏡をかけており、短髪気味のあたまだったとおもう。左からふたりめはよく見なかったので記憶にない。
  • (……)について降りるとすぐあしもとに財布が落ちていて(茶色の、あれは縫い目がいくらかはいっていたのか、表面が完全になめらかではない革財布で、たたんだ状態だとほぼ正方形)、それをひろいつつ周囲を見たが落としたらしきひとは見えず、乗り換えていったひとが落としたのか、ことによると先ほどの若者らのだれかかもしれないとよぎったところで駅について運転席から出てきたらしい車掌もしくは運転手あるいは乗務員があるいてきたので、すいません、これ、いまここに落ちてたんですけど、と言ってわたした。ほんとうは乗り換え先の電車に乗って持ち主をさぐったほうが良かったのかもしれないが、すぐに発車してしまうところだったし、面倒臭いし、こちらも勤務にむかわねばならないというわけで、その駅員にまかせることに。
  • 夕刊、阿部寛がマレーシアの映画に出たらしい。庭師の役で、借景が重要なテーマになっており(たしかタイトルもその語だったのでは)、演じるために借景について本を読んで勉強し、庭師にはなしを聞いたり寺院にでむいたりしたところが石の借景の意味がどうしても飲みこめず、腑に落ちないまま撮影にはいったところ、石がでんと置かれているロケ地の風景を見て、こういうことなのか、と一気にピンときた、とかたっていた。
  • 帰り道、最寄り駅で降りると、夜空がときおりシャッ、とあかるむ。それにつづいてうなりがきこえるので、かみなりがとおくで生まれているらしい。坂をくだって平らな道をいくあいだ、ほとんど切れかかっている蛍光灯がつかの間かろうじて復活するようにして間歇的に天一帯をあまねくはしるその微発光(あかるみのはじまりから終わりまで一秒もない気がするが、あかるむと消えるまでずっと平板にひかったままでいるわけではなく、一秒のあいだにも何度かふるえる痙攣性のひかりというべきうごきであり、ひかればそのときだけ、昼のようにとはさすがにいえないものの、宵前の暮れ方くらいにはたしかにあかるくなって夜空の低みにわだかまっている雲の白さがあらわに映る)に魅了されたようになり、ほとんどずっと空を見つめていまかいまかとつぎの発光(とそれにつづいて遠くからつたわってくる、巨大ななにかか空間そのものがつぶれて崖崩れのごとく崩壊しているかのような、ぐしゃぐしゃとした、ある種水っぽいかのような質感の鳴りひびき)を待ち受けながらあるいた。
  • この翌日が朝からの労働で六時半にアラームをしかけたのに、三時すぎまで夜ふかし。
  • 勤務中のことは面倒臭いので省略。おもいだしたらまた書く。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 340: 「役割からはみ出すものだけが、わたしを晴れやかにする」

2021/7/29, Thu.

 現にある私は、衣服を身にまとうことで、かろうじて身体の境界を外界にたいして確保しているにすぎないのではないだろうか。私は私の衣服を〈所有〉し、それを身につけることで、〈始原的なもの〉のなかでわずかに自己をたもっているといってよい面がある。
 そもそも、私が私の身体を〈所有〉していると考えること自体に、ほんとうはなんの根拠もないのではないか。私が所有しうるのは、とりあえず私にとって外的なもの [﹅5] であろう。身体はしかし、現にある私にとって「外的」なものではない。私にとって外的ではない [﹅2] ものを私は所有できない。また、じぶんがたしかにみずからの権能によって手にしたものが私の所有に帰するのであるとすれば、身体はさしあたり〈私のもの〉ではない。私が私の身体をたずさえて誕生したことについて、私はゆび一本ふれてはおらず、私はそのことに「インクの一滴」も寄与してはいない。私は大海を所有していないのとおなじように、私の身体も〈所有〉してはいない [註26: このいいかたは、むろんロックにたいするノージックの揶揄に由来する。] 。
 そうであるとするならば、私はまず衣服という私にとってさしあたり [﹅5] 「外的」なあるものを手にし、そののちに私の身体を、それが〈私〉である身体を手に入れることになる。(end39)そう考えることも、いちおうは可能である。「裸形の身体としての身体は最初の所有物ではない。それはまだ、所有と非所有とのそとがわに(en dehors de l'avoir et de non-avoir)ある」(174/244)。レヴィナスそのひともそう説くとおりである。
 レヴィナスのいう〈すみか〉は、そして、〈衣服〉とおなじ意味をもち、〈ころも〉と地つづきのところで考えられている。私はたしかに、衣服を身につけることでじぶんの身体の境界を意識するにいたる。だが、〈ころも〉一枚で、寒風の吹きすさぶ大地を、あるいは温暖な大気のなかを放浪しつづける者はやはり、身体の皮膚的なさかいめ [﹅4] を、いま現に私がそうしているようには意識できないのではないか。じっさい、衣服、あるいは〈ころも〉、つまり身をつつむもののいくらかは、私が手にいれなければならない最低限のものであるが、家、あるいは〈すみか〉もまた、私をおおい、身体をつつみこむものとして、〈ころも〉の延長であるととらえることもできるだろう。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、39~40; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 一一時二二分の離床。九時ごろから覚めていたのだけれど、やはりなかなか起きられない。むずかしいものだ。またアイマスクを導入しようかとちょっとおもっているのだが。きょうの天気も曇りに寄ったほうで、寝床にあきらかな陽射しはなく、起きてすぐ汗だくというほどではない。いつもどおり水場に行ってきてから瞑想をした。(……)さんの家で母親が子どもに怒っている。アブラゼミもさいしょは一匹で鳴き、鳥の声が隙間にはいって聞こえていたが、じきに何匹かかさなってはげしく噴出していた。
  • 上階へ。両親は墓参。(……)さんと(……)さんが来るので。洗面所でうがいをしてから、例によってハムエッグを焼き、米に乗せる。液状にたもった黄身を崩し、醤油をまぜて食す。新聞は一面でコロナウイルス情報があり、東京はきのう一日で新規感染者が三〇〇〇人超、過去最多を連日で更新し、全国でも九五〇〇人とかだったか、これも過去最多だと。あとは角田光代が新聞連載「タラント」を終えての感慨などをはなしているのをちょっと読み、国際面でベラルーシの記事。ベラルーシを経由して隣国リトアニアに行く移民難民(ほとんどはイラクのひとで、ほかコンゴ共和国ギニアなどアフリカ系のひともいると)が増えており、去年一年では七二人程度だったところが、今年は一月から七月二五日までで二七三五人だかをかぞえて三八倍になっていると。それは、ルカシェンコ大統領が人権や反体制派の件で対立しているEUにたいして報復の意味合いでおくりこんでいるのではないかとみなされているらしい。ルカシェンコはじっさい、快適なヨーロッパにむかうひとびとをわれわれは止めはしないと表明して、移民難民の移動を黙認することを明言したという。五月に航空機を強制的に着陸させて反体制派メディアの創設者を拘束する事件があって、EUが反発し、それいぜんから反体制派の抗議のたかまりもあったわけだが、リトアニアへの流入は特に六月から増えているらしい。同国には、スベトラーナ・チハノフスカヤも退避しているので、嫌がらせめいているわけだ。
  • 食器をかたづけ、風呂洗い。窓外の道路に日なたが敷かれており、浴室内の空気ももやもやとして、熱気がつたわってくるかのようだ。ただ、居間に出て茶をつぎながら南を見ると、このときはたいしてあかるみも見えず、曇り気味になっている。とはいえむろん暑い。とつぜん雨が落ちてきてもおかしくなさそうな雰囲気ではある。
  • 帰室して一服しつつ、さっさときょうのことを書きはじめてしまった。ここまで記すと一時。天気がやはり怪しく、空はおおかた雲に埋められて白と灰と薄青があさくうねっているので、これはもう入れてしまったほうがいいなというわけで上階のベランダにいき、取りこむだけ取りこんでおいた。
  • きょうは書見のまえに、「読みかえし」記事にあつめてある書抜きをいくらか読みかえした。いぜん「知識」と題していたノートで、タイトルなどまあどうでも良いのだけれど、書き抜いた記述のなかから再読したいものを集積しておいておりおり読みかえしていこうと。まえと同様、一項目二回でどんどん読みすすめていくことに。知識として積極的に身につけることはやはり面倒臭いのでやめ、ともかくも再読しておのずからのこっていくことに期待。デスクまえに立って手首を曲げたり、ダンベルを持ったりしながら読んだ。BGMはElizabeth Shepherd『Rewind』。
  • そうして一時半すぎくらいから書見。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』をすすめる。女性として生まれまた社会化され枠づけられたひとのかたりもどんどん読んでいかねばとおもう。305あたりまで行く。もう終盤。ところでこの著者はもうけっこうな歳のはずだがまだ存命なのだろうかとおもっていま検索してみたところ、つい昨年に亡くなっていた。八八歳。女性の立場から文学を読むことや、あとは低俗さ(キッチュ)についてもものしているようなのだが、たぶんほかの著作は邦訳されていないのではないか。
  • 二時半くらいで切ってストレッチへ。そのときBGMはJimi Hendrix『Blue Wild Angel: Live at the Isle of Wight』に移行していて、ディスク1の#6の"Lover Man"がかかっていたのだが、これが格好良く、こういうスタイルのブルースロックやっぱり格好よいなとおもった。その後の"Freedom"、"Red House"、"Dolly Dagger"もどれも格好良く、ソロを聞いてみてもたしかにすごくて、七〇年当時でこのスタイルでここまで弾けるひとってたしかにいなかったのかもしれないとおもった。ClaptonがおなじころにCreamはすでにやっていたはずだが。Beckもトリオはもうやっていたのか? Eric ClaptonJeff BeckJimmy PageJimi Hendrixと、たしかに六〇年代後半になってこういう連中が出てくるまでは、ここまでエレキギターでソロを展開することに傾注するやつらっていなかったのだろう。六〇年代だと、ファンキージャズの方面でもまだそんなにエレキをひずませてガンガンやるみたいなことはなかったのではないか。七〇年代にはいるとチョーキングをやりはじめるイメージだが。
  • 三時をまわって上階に行き、キュウリとなんだかよくわからない野菜がはいったスープをもってきて食し、ここまで加筆。きょうはきのうまでよりすこしはやく出なければならず、もう猶予がすくない。マジでぜんぜん二二日二三日を終わらせられないのだがどうすれば良いのか。
  • (……)
  • 帰宅後の休身中に、斎藤美奈子「世の中ラボ: 【第124回】小池百合子はモンスター?」(2020/8/5)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2109(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2109))を読んだ。昨年の都知事選前に出版されて「ベストセラー」になったという石井妙子『女帝 小池百合子』が、ほうぼうから良い評判が聞こえるけれど、「いくらなんでも予断がすぎる」ものであり、「ネガティブな証言だけを集めてモンスターのような小池百合子像に仕立て上げていく」そのやり口は「フェアとはいえず、ノンフィクションとしての質が高いとも思えない」と評している記事。この本はたしかに読売新聞の下部広告でも何度か目にしたし、なんか売れてるとかおもしろいみたいな評判はネット上のどこかでも目にして、それなりの興味をいだいていたものだけれど、この記事を読んだかぎりでは、斎藤美奈子の評価は正当なようにおもわれる。単純に証言者の断言的な「決めつけ」に頼って裏を取っていないと指摘され、記事下部の本紹介では、「世評は高く、小池嫌いの読者には受けるだろうが、小池本人をはじめキーパーソン(細川護熙小沢一郎小泉純一郎ら)に取材していない、証言者の声を検証せずに「事実」として伝える、週刊誌の記事に頼りすぎ、類推や憶測が多いなど、ノンフィクションとしては疑問も多い本。仮に小説だとしても、悪意が強すぎる」とまとめられている。もうすこし記事中の評言を見てみると、「とりわけ問題なのは、この本がきわめて質の悪い予断に添ってストーリーを組み立てている点だ」と言われており、「著者がことさらこだわる」ものとして、「小池の頬のアザ」にまつわる解釈がとりあげられている。「〈アザのことなんか、まったく気にしていない〉し、〈百合子ちゃんはすごく前向きだった〉という同級生の発言を受けて著者は書く。〈この言葉を聞いた時、私は小池がいかに孤独な状況にあったかを察した。アザをまったく気にしていない。そんなことがあるだろうか。気にしていないように振舞っていただけだろう〉」というはなしで、ここで小池がおちいっていたと推察されている「孤独な状況」からしてふつうにうたがわしく見えるというか、根拠薄弱に収束させすぎじゃない? というかんじはあるし、一六年の都知事選のさいに石原慎太郎が吐いた「大年増の厚化粧」という品のない揶揄を受けて、「生まれつきの頬のアザを化粧で隠しているのだと語った」小池にたいする解釈も、「〈小池はこの時を、待っていたのかもしれない。彼女の人生において、ずっと。そして、ついにその日を、その時を、迎えたのだ。生まれた時に与えられた過酷な運命。その宿命に打ち勝つ瞬間を、ようやく摑んだのだった〉」というありさまで、通有的な物語に毒されすぎという感はいなめない。ノンフィクションというより、大衆小説の作法だろう。斎藤美奈子も、「いくらなんでも予断がすぎる。対象が誰であれ、ひとりの人物像を描く上で身体上の欠陥を起点にするのは完全にルール違反だ」と言っており、ふつうに正論だとおもうし、「もし小池百合子の暗部を暴くのであれば、いつどんな経緯で彼女は日本会議に入って後に抜けたのか、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文送付を見送った背景には何があったのかなど、政治家としての本質にかかわる部分を追及すべきではなかったか」というのもそのとおりであるとしか言いようがない。
  • 文中に言及されている原武史『〈女帝〉の日本史』はちょっと気になる。NHK出版新書。『皇后考』もわりと気になるが、あれはやたら分厚かったはず。この新書の内容としては、「徳川時代の『列女伝』は〈女が政治をする、あるいは権力を握ると、その国は滅ぶ〉という説を広めた。そして〈権力をもった女性が否定的に語り継がれていく場合、非常に淫乱な女だったという話が再生産されるわけです〉」とすこしだけ引かれているが、政治的権力欲と性欲というのはかさねて見られる傾向があるのかもなあとかおもった。女性だけでなく、「英雄色を好む」とかいうのもそのたぐいだろう。とはいえ、対象が女性のばあい、そこに「淫乱」という語が付与される。それでおもったのだけれど、「淫乱」というその語じたいは中立的なのかもしれないとしても、じっさいにそのことばがさしむけられるのはおおかた女性にたいしてばかりではないか? と。男性について「淫乱」という語をあてることがあまりないような気がするのだが。「淫乱」を分割すると「淫ら」と「乱れる」にわかれるわけだが、「淫ら」は男性にももちいることができるとしても、性的な放縦を「乱れる」というばあいも、おおかた女性にかぎられるような気がするのだが。もしそのイメージがある程度正当だとすると、性的に「乱れる」のはもっぱら女性ばかりなわけである。つまり、男性が性的に奔放でも、それは「乱れ」ではないとみなされていることになる。「乱れる」というのは、「乱雑」とか「散乱」というような語をかんがえてもわかるように、秩序立った状態、あるべき正常な状態から逸脱した異常性という意味を持つ語だから、女性は性的に貞節であるというか、エロスに奔放だったり積極的だったり能動的だったりしない状態が女性の「正常」だということになる。そういう通念はむろんいままでの歴史上だいたいずっと採用されてきた男性の幻想的理想なわけだけれど、もう一語のレベルからしてそれが見えるのではないかと。
  • 夕食時、テーブル上に、きょう墓参に来た(……)さんや(……)さんがくれた品々があって、たとえばGRANDUOの緑色の袋のなかに鰹節とかふりかけとかがはいっていたり、横浜のどこかのホテルだかの品だったはずだが、肌色もしくはクリーム色風味のおおきめの紙箱のなかにチョコレートブラウニーやコーヒーがはいっていたりするのだが、そのそばに母親がドラッグストアかどこかで買ったらしい化粧品がビニール袋にはいっていて、見てみるとマスカラと、眉をえがくためのペンシルみたいなやつで、たしかマスカラのほうがINTEGRATEで、ペンシルのほうがマキアージュの品だった気がするのだけれど、このふたつのメーカーはこちらでも名を聞いたことがある。過去にテレビのCMで目にしたことがあるのだろう。マスカラのほうのパッケージに「マツイク」というカタカナの語が見られるのは、睫毛育成、ということなのか? ペンシルのほうのパッケージ表面には、「木の葉型芯」ということばとともにイラストが描かれているのだけれど、その絵の芯先端のかたちはどう見ても木の葉様には見えない。どのあたりが木の葉型なのか。母親にきいてみても不明。いままで化粧という文化に興味を持ったことがないが、化粧自体はともかくとしても、それにつかう道具類とかは見ていてけっこうおもしろいところがある。メイク用品にかぎらず、どういう分野でも、おのおの微妙な差異をはらんだ多種多様な品々や道具がおびただしくあるというそのバリエーションをおもったり、それらが商店でずらりとならんでいるようすを想像すると、けっこう面白味をかんじる。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 284: 「強制収容所に売春宿をイメージしている人もいて、わたしが強姦されたかどうかを知りたがった。そういうときは、いいえ、でももう少しで殺されるところでした、と言って、「人種の冒瀆」 [訳註: ユダヤ人と性的関係をもつドイツ人は人種を汚すとして辱めを受けた] という概念を説明した。というのも、絶対とは言わないにしても、かなりの程度までユダヤの女たちを守ったのが、ほかならぬその悪意に満ちた概念だったことをおもしろいと思うからだ」
  • 285: 「自分に価値がないような気がした。他人の目で自分を見つめた。自分は解放されたのでなく、這い出したのだ、いぶり出しで家からぞろぞろ這い出した南京虫みたいに、と何時間も考えた。そうしたイメージがナチのプロパガンダのなごりであったことは間違いない。ただ、女を蔑視する時代に、わたしが自分自身を蔑むのも無理はなかった」
  • 300: 「友だちは補いあうものだ。補うとは、欠けたものを完全にすることをいう。補いを必要とするには、あらかじめ毀れていなくてはならないけれど、同じ毀れかたをしている人はいらない。自分とは違う毀れかたの人がいるのだ」
  • 304: 「わたしのシモーヌは生き方の徹底性において、哲学者シモーヌと似ている。付和雷同を許さないものが彼女のなかにある。丸めこまれない。へつらわない。色目を使ったことがない。命令されるとがんとして譲らないが、必要とされ、頼まれればたちどころに譲る」

2021/7/28, Wed.

 未来は、繰り延べと引き延ばし [﹅5] という意味をもっており、それをかいして労働 [﹅2] は、未来の不確かさとその危うさを統御し、所有 [﹅2] を創設しながら、分離を家政的な非依存性として描きだす。このためには、分離された存在はみずからを集約し、表象をもちうるのでなければならない。集約 [﹅2] と表象 [﹅2] は、具体的には、〈すみか〉のなかに住みつくこと [﹅14] 、あるいは〈家〉として生起する(160 f./225)。

 ここでは、レヴィナス特有の用語に彩られたこの一文を解釈することはしない。一読してあきらかなことは、つぎの二点である。第一に「労働 [﹅2] 」とは、「未来の不確かさとその危うさ」にかかわり、また、とどまることなく変転しつづけ、かたちを変えてゆく〈始原的〉な世界のただなかに「所有 [﹅2] 」を「創設」するものであるということである。第二には、そのために「分離された存在」すなわち〈私〉は、みずからを「集約 [﹅2] 」する必要がある。その集約あるいはとりまとめは、レヴィナスにあってはそして、「〈すみか〉のなかに住みつくこと [﹅14] 、あるいは〈家〉」(habitation dans une demeure ou une Maison)というかたちをとることになる。
 さて、そのとおりであるとすれば、ここには異様なこと、すくなくともただちには理(end36)解可能ではないことがらがかたりだされている。というのも、レヴィナスによれば第一に、私は〈すみか〉に住み込むことですぐれて〈私〉となるとされるからであり、第二には、ひとは〈家〉をもつことではじめて〈労働〉することができ、〈所有〉することが可能となるとされているからである。
 通常は、むしろつぎのように考えられるのではないだろうか。私がまず存在している。私は(ハイデガー的な意味であれ、ふつうの意味においてであれ)世界のうちに存在している。その〈私〉が、世界のうちに〈住まい〉をもうけ、〈家〉をたてる。家屋を建築することももちろん一箇の〈労働〉にほかならず、家屋敷は典型的な私の所有物にほかならない。つまり、まず私があり、労働して家をたて、家屋を所有する。その〈すみか〉がそれじたい世界のなかにすまう住まいかたのひとつのかたちである。
 ふつうはそう考えられるのではないか。だとすれば、レヴィナスの説くところは、通常の思考のみちすじのちょうど反対の方向をたどっていることになる。
 本節で以下みてゆくように、〈すみか〉をもうけることではじめて〈所有〉と〈労働〉が開始されると考えるレヴィナスの思考については、その発想がすくなくとも可能であることを示すことができる(三・4)。だが、〈家〉のなかで私がはじめて〈私〉となるという論点については、レヴィナス自身がじゅうぶんな説明をあたえているとはおもわれない。それはむしろ、『全体性と無限』の第二部をかたちづくる「内面性と家政」全体の基本(end37)的な前提なのであるといってもよい。「分離」という事態、それによって私が〈私〉となるできごとをかたるとき、世界からいったん身をしりぞけて、〈家〉にとじこもるというイメージが、おそらくはおもい描かれている。レヴィナスにとっては、「〈私〉とはとくべつな同一性であり、自己同定という本源的ないとなみである」(25/35)。みずからをみずからとしてみとめること、自己同定 [﹅4] は、そしてレヴィナスにあっては、〈すみか〉の内部で生起する。あえて卑俗にも響くいいかたをすれば、ひとの内面性 [﹅3] は家の内部 [﹅2] でかたちづくられる。「家という親密性における集約」とは、なにほどか世界からの「撤退」なのである(164/231)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、36~38; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 九時ごろにいったん覚めたのだがまた取りこまれて、一〇時すぎに離床。下の(……)さんの家に来客があって男児があいさつしていたのだが、いつも元気にさわいでいるあの男の子は(……)さんの子ではなくてほかの家の子だったのだ。たぶん(……)さんの子だろうか。この子は(……)ちゃんのことを(……)ちゃんとカジュアルに呼んでおり、またもうひとり、(……)ちゃん(……)ちゃんと女子をたびたび呼んでいたが、たぶんこれが(……)さんの娘だろう。カマキリを見つけたとかで意気込んで報告しており、どうもまわりにたくさんうようよいたようで、女児もこっちにもいると発見し、そのなかでたぶん(……)ちゃんらしき男性が子どもに合わせていちばんおおきな声をあげていたのがおもしろかった。
  • 寝床を離れるといつもどおり洗面所に言ってもろもろすませ、もどると瞑想。陽射しがかならずしもあきらかではないのだが、空気には熱があって肌に寄せてくるのがかんじられる。セミがシューシュー泡立つようなひびきをひろげており、鳥の声はそのなかにまぎれがちである。二〇分ほどすわって一〇時四〇分で切り。上階へ。母親は勤務のはず。父親はどこに行ったのか知らないが不在。きのうと同様、冷凍の豚肉のきのうつかった残りを切って卵と焼いた。米に乗せて、醤油をかけて混ぜながら食べる。新聞、一面には東京でコロナウイルスの新規感染者が二八四八人確認されて過去最高だというのでもう駄目である。高齢者の割合は三パーセント弱で、おおかたは三〇代以下の若年層だと。三面にも関連記事があって、若い世代でもあなどれず、嗅覚とかに後遺症がのこるケースもあるし、ばあいによっては肺が損傷してずっと酸素吸入をしなければ生きられないということになることもあると。後遺症はたしかに怖い。オリンピックの報も一面にはあり、ソフトボール日本代表が米国に勝手金メダルを取ったらしい。
  • その他国際面からいくらか。中国は河南省の大雨による水害で当局の対応に批判が出て政府は警戒しているもようと。七十何人だったか亡くなり、被災者は一三三〇万人にのぼるとかで、この数的スケールのおおきさが中国だ。河南省省都鄭州市で二〇日に地下鉄が浸水して十何人か亡くなり、初七日にあたる二六日に追悼の花をそなえるうごきが見られたのだが、何者かが一時柵を設置して献花しにくくしたらしく、それが追悼が政府批判につながることをおそれた党の仕業なのではないかと言われているようで、ネット上ではいったいなにをおそれているのかと批判があがっていると。あとダムの放水がおこなわれたことで被害が拡大したのではないかという声もあり、責任者は放水をしなければ決壊してそちらのほうがおおきな被害を生んでいたと言っているのだが、放水の知らせがなかったという報告もあるようで、周知が充分になされなかったのではないかと。鄭州市の市長だか党の幹部は習近平とちかしいと見られている人物らしい。
  • あと、バイデンが年内にイラク駐留米軍の戦闘行動を終了させることでイラク首相と合意と。駐留自体はおなじ規模のままつづけて、イラク軍に軍事訓練をおこなったりするという。あとは二面に、国家安全維持法違反ではじめての有罪判決がくだされたという報があった。国家安全維持法が施行された二〇二〇年六月三〇日のすぐ翌日、七月一日に、例の「光復香港 時代革命」というスローガンを記した旗を立ててバイクに乗った二四歳の男性が警官隊に突っこんで負傷させたというはなしで、これが香港の分離ひとびとに煽動する行為として認定され、国家分裂罪だかテロ行為だかそういったものに該当すると。量刑はまだ。
  • 食器をかたづけて、風呂へ。風呂桶をこすってながす。このとき窓のそとに見える道には日なたがいっぱいに敷かれていて、正午にちかづき暑くなってきているようだったが、空には雲もあるようで陽の色は完全に屈託がないわけではない。出ると茶を用意。一杯目を急須についで、待つあいだにゴミ箱を持って室に帰り、Notionを準備した。そうして茶を取ってくると飲みつつウェブを見、きょうのことをここまでつづって一二時二二分。
  • そのまま書見にはいったはず。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)をすすめる。戦後、ドイツでの暮らしもすぎて、アメリカに移民したのちの「第四部 ニューヨーク」にはいる。二時まえにいったん部屋を抜け、洗濯物をおさめに上階に行った。天気は雲が増えて陽の色もなくなり、空は白っぽくなっていくらかよどんで、のちのち雨が来てもおかしくなさそうだったし、じっさい、このあとすこし通って、また夜の八時から九時にかけてのあたりにもにわかにはじまってしばらく降った。父親はシャツをまくって背と腹をすこし露出させたかっこうでソファに前かがみにつき、錦織圭となんとかいう海外の選手が試合しているのをだまってながめていた。海外の選手はイがさいしょについたなまえだったはずで、なんとなくハンガリーか? とおもったのだが、根拠はなにもない。吊るされてあったものを取りこみ、タオルだけひとまずたたんで洗面所にはこぶと階をもどる。そのあとまたすこし書見したのだったか? わすれたが、書見のあとはストレッチをおこなった。正直なところ、ストレッチは最強である。というかヨガ。こちらがやっているのはヨガというか、姿勢を取ってじっとしているだけの見様見真似のものだが、マジでヨガをやっているひととかは、からだのまとまりかたととのいかたがやはりかくだんに違うだろうなという気がする。
  • 三時ごろでまた上がって、食事を取ってきた。「ランチパック」のビーフカリー味があったのでそれをレンジであたため、あとはバナナを一本。たしか二二日の日記を書くまえに、先に食ったとおもうが。あとだったか? いずれにしても、出勤まえに二二日の日記をすすめて、そこそこ書きすすんだ。夜、モノレール線路下の広場まで行けたので、あとすこしでこの日の記述は終えられる。翌日の二三日がまた書くことがいろいろあるが。四時過ぎで切って外出の準備へ。歯を磨きながら(……)さんのブログの最新記事を読んだ。二六日分。そうして、四時二〇分から四〇分まで瞑想をしたはず。そうしてうえに行き、ボディシートで上体をくまなく拭いて(首のうしろや耳のきわなどまで拭く)、もどって着替え。薄青いワイシャツと紺のスラックスのよそおいにかわり、バッグをもって上階へ。うがいをしておき、仏間でものの整理かなにかしている父親に行ってくると告げて玄関へ。行くとき玄関を閉めていってくれと言われたので、出ると扉を閉ざして鍵をかけた。
  • 道へ。五時過ぎ。蒸し暑い大気。雨後だが涼しい風も通らず、もわもわとしたかんじがまとわりつく。(……)さんがきょうも家のまえに出て、脛を出したハーフパンツのすがたで身をかがめながら草をちぎっていたので近くからあいさつ。さらに(……)さんもやはり道に出て、宅のむかいのガードレール下の草を取っているので、こちらにも近くから声をかけ、雨が降ったけど、蒸し暑いですよねとはなす。車が通るあいだ、声が通りづらくなるので双方ともことばを発さずに待ち、その間のあとに、暑いですから、熱中症に気をつけて、と残して別れた。まもなく背後から、お父さんとお母さんもお元気で、とかかかってきて、ちょっと振り向いて、ええ、と肯定し、つづけてなにかを言おうとしたのだがうまくことばが出てこず、あいかわらずで、と半端な笑みで受けたのだけれど、これはほんとうは、お蔭さまで、的な定型句を言いたかったのだ。なぜかそれが出てこず、あたまのなかに二、三ことばがあらわれながら決めかねたあいだの短いが妙な間がはさまったのちに、うえのごとく変な言い方になってしまった。
  • 坂道へ。きょうも木洩れ陽がある。つまりこのころにはまた陽射しが出てきていたのだ。しかしやはり路上にかかるものはすくなく、左手のガードレールの隙間からほんのすこし漏れ出してごく淡いあかるみをにじませているが、まわりは全部日蔭になっているなかそこだけ濡れた路面の水気があらわに浮かんで、はぐれ者のようなひかりの切れ端のなかでこまかくちりちりと映っていた。まわりではアブラゼミが盛っていて、これ以上ないだろうとおもうほどの高音、ピアノ線をおもわせるような、これ以上いったらやぶれるだろうこわれるだろう破綻するだろうというような甲高さで、いきおいよく噴出する蒸気のように鳴いていた。街道まで出るときょうも西陽が露出しており、駅の階段を行くあいだはきのうと同様に身が漬けられて、こちらの影が右手に伸びて建物の屋根にはっきりとかたどられる。ホームではやはり日蔭のなか、それも柱で太陽がかくれる位置に立ちつくして待った。横向きの風があって身を通り、服の内まではいりこみながらながれていって、汗で湿った肌にそれは涼しく心地よい。丘のほうではセミがあいかわらず鳴きしきり、声は多方向から発生してひろく浮遊している。スズメがきょうは移動してこずすでに梅の梢のなかにはいっていて、電線にもあつまらずにあそんでいる。
  • 帰宅後、ベッドにころがって休みながら、ウェブ記事を読む。金井美恵子の連載、「切りぬき美術館 新スクラップ・ギャラリー」を最新のものまで読み終えたので、つぎは斎藤美奈子がwebちくまでやっている「世の中ラボ」という連載を読んでみようかなとアクセスし、読み出すまえについでにwebちくまの新着記事を見ていると、蓮實重彦が記事を書いていて、こんなところでやってたんかとおもって読んでみた。「些事にこだわり」という連載の、ひとつめ(「オリンピックなどやりたい奴が勝手にやればよろしい」(2021/6/10)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2427(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2427)))とふたつめ(「マイクの醜さがテレビでは醜さとは認識されることのない東洋の不幸な島国にて」(2021/7/15)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2459(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2459)))。とりたてておもしろくもなかったが。「ただ、そんな略語を口にするものなど一人としていないのに、新聞紙面には「W杯」だの「五輪」だのの文字が躍っている。「五輪」という語彙が恥じらいもなく書記的なメディアを駆けめぐっているのは、いったい何故か。それが宮本武蔵としかるべき関連があるのか否かも、謎といえば謎である。ことによると、野球チームの「侍ジャパン」という命名がそれを律儀に正当化しているのだろうか」などといっているのはちょっと笑ったが。オリンピックの「五輪」と『五輪書』をむすびつけて連想したことはなかった。第一回目のほうの記事は文調がいつもとちがって比較的簡素に訥々とかたるような感触とおもわれたが、二回目のほうは「わたくし」という一人称もつかっているし、ふだんとまあ変わらない。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 252: 「ところが、授業から伝わってくるのは具体的な事実に応用できない抽象概念で、崇高な秩序の永遠の法則に抵触しないものばかり。お門違いの場所にいるのだった。わたしという人間はなにしろ、一方ではメタファによって、もう一方では事実によってうかうかと横道にそれてしまう人間だったから」
  • 254: 「正直なところ、クリストフに恋していたわけではなかった。ただ、恋という概念が、異性の中にある自分と異なるものに魅了されることだというのなら、話は別だろう」
  • 257: 「クリストフとわたしがいっしょにいるのを何度か見かけた数人のユダヤ人学生が、まじめな話がある、とわたしを連れ出した。まずいよ、ユダヤの娘が非ユダヤ人 [ゴージム] とつきあっちゃいけない、おまけにドイツ人じゃないか。わたしはいきり立った。ドイツの女の子とつきあってるあんたたちはどうなのよ、どうしてわたしに指図できるの? いや、それとこれとは違う、おれたちは男だぜ、だれとつきあってもいいんだ」
  • 269: 「貧しかった。これまでの人生でお金がほとんどなんの役割もはたしたことがなかったので、わたしは貧乏というものを知らなかった」

2021/7/27, Tue.

 〈始原的なもの〉は、しかしそのようなしかたで視覚的に領有しつくされることもありえない。〈もの〉はいまその前面しか見えないとしても、他の無限の面が原理的には呈示されうる。〈もの〉は視覚的に無限に領有されうる、のかもしれない。だが、とレヴィナスはいう。「〈始原的なもの〉はひとつの側面しか有さない。海のおもてや、畑の表面、風の切っ先、といったようにである」。「〈始原的なもの〉の深さは、視点を引き延ばし、大地と空のうちに消失させる」。あるいは、ひとがけっして水平線に接近することはできず、地平線に近づくこともできないという意味では、「〈始原的なもの〉はおもてをま(end32)ったく有していない」(138/194)。
 ひとは光と大気にかこまれ、水の流れに区切られて生きている。ひとびとはまた、「世界のこのかたすみ」で、生まれ育った「この街」で生きている(145/204)。そうしたとき、たんに「ひとは〈始原的なもの〉に浸っている」(138/194)だけである。「〈私〉をささえる大地の堅固さ、〈私〉の頭上の空の青さ、風のそよぎ、海の波浪、光のかがやきは、なにかの実体に貼りついているのではない。それらはどこでもないところから到来する」。それらは、「私にはその源泉を所有 [﹅2] することができずに不断に到来する [﹅7] 」(150/210)。
 世界にはたしかにさまざまな〈もの〉が存在し、それぞれが「同一性」(identité)を有しているようにおもわれる。つまり、それぞれの〈もの〉はおなじもの [﹅5] でありつづけているかにおもわれる。ひとはそれになまえをあたえ、ある場合には、はじめて〈もの〉を命名すること自体が、その所有となり、支配となる。地上とそこに住むものたちを、神から託されたアダムのようにである。そのかぎりでは、「〈ことば〉をもった人間によって住みつかれた大地には、恒常的な〈もの〉たちがみちみちている」(148/207)。だが、〈始原的なもの〉にはおなじ [﹅3] でありつづける実体がない [﹅5] 。際限(ペラス)をもたないもの、〈始原的なもの〉を、ひとはけっして所有できない。
 ほんとうはしかし、〈もの〉の同一性も「不安定」(instable)なものであるにすぎない。建物はやがて朽ち果て、樹々も倒れ、石ですら風化する。「〈始原的なもの〉への〈もの〉(end32)たちの回帰」はとどまることがない、とレヴィナスはいう。であるとすれば、ひとが〈始原的なもの〉を所有することはないのはもとより、ひとは結局のところ、なにものも所有しえない [﹅11] のではないだろうか。じっさい、「〈もの〉は現に残骸となる途上にある」。残骸はなにものの残骸ともわかたれず、残骸を焼く煙はいたるところに棚びいてゆく。時の移ろいのなかで、〈もの〉はすべてまた移りゆき、かたちを失い、いっさいは消し去られる(148/207 f.)。〈もの〉はやがて大地へ、大気へ、水へと還帰してゆく。〈始原的なもの〉とは、その意味でもまさにアルケーの名にあたいする。すなわち、すべてがそこから生まれ、いっさいがそこへと滅んでゆくもの(アリストテレス [註25: Cf. Aristoteles, Metaphysica, 983 b 8-9.] )、と呼ばれるにあたいする。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、31~33; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 一一時一〇分に離床。きょうは曇りで、そこまでの暑さではない。床を離れると部屋を出て洗面所に行き、顔を洗って口をゆすぎ、うがいをした。トイレで用を足すともどって瞑想。一一時二〇分あたりから四〇分まで。(……)さんの宅で母親が子どもに、もうおーわーり! とか大きな声で言っているのが聞こえていた。
  • 上階へ。両親は買い物などに出かけているもよう。芸もなく卵を焼くことに。さいごのふたつである。卵だけというのもボリュームがすくないので肉をくわえたかったが、冷凍の廉価なこま切れ肉があるとおもっていたのがない。かわりに一パック豚肉が保存されていたので、それをレンジで解凍し、いくらか取って切り、フライパンで炒めた。そこに卵を割り落として、合間に小鍋のワカメの味噌汁を椀によそい、丼に米も盛っておいて焼けたものをそのうえに。そうして卓に移って食事。新聞を見る。いわゆる「黒い雨」訴訟で首相が政治判断をおこない、広島高裁判決の上告を断念したという記事が一面にあった。四五年八月六日の原爆投下直後に煤などをふくんだ「黒い雨」が降り、それによって被爆したひとが一定数いるところ、政府の指定した援護区域みたいなものの外にいたひとにたいしては被爆者健康手帳が交付されず、それにたいして八四人の原告が訴え出ており、広島高裁はこの八四人全員、健康被害が出ていなくとも被爆者と認定されるべきであるという判決を出していて、政府はもともと上告する方針だったのだがここで断念、という経緯。健康手帳交付の実務をになう県や市も政府にたいして上告断念をもとめていたらしい。首相は、原告のひとびとも高齢化しており、病をもっているひともいるので、救済するべきだと判断した、というような言を述べたもよう。原告側の弁護士かだれかは、首相の決断を歓迎する、四〇年におよぶ訴えがようやく聞き入れられてうれしい、とのコメント。ほか一面はオリンピックの報で、卓球の水谷隼および伊藤美誠のペアが卓球王国中国の選手を負かして金メダルと。さいしょの二ゲームとられたが、その後三ゲーム取ってフルゲームで逆転したという見応えのある試合だったよう。このふたりは地元がおなじ静岡県で、水谷の両親が運営する卓球教室に伊藤がかよっていたとかで、実家はすぐ近所で家族ぐるみの付き合いらしく、一二歳はなれているが兄妹のようなかんじで、その絆の勝利、みたいな文調だった。ほか、スケートボードでなんとか椛という一三歳の女子が金メダルを取って、日本人史上最年少での金メダルとのこと。
  • 食器をかたづけると風呂へ行って浴槽を洗う。緑茶を用意。あたらしい茶葉をあけた。といっても前回のとおなじ品、狭山茶である。急須に一杯目の湯をそそいで待つあいだ、自室にゴミ箱やティッシュ箱を持ち帰り、居間にもどってくるとソファについてちょっと空を見上げる。偏差なく真っ白である。風はなさそう。ただ、先ほどかすみ雨が通ったときがあったので、戸口のきわに吊るされてあったバスタオルをいちおう入れておいた。
  • 茶を持って帰室し、一服しつつウェブをまわって、きょうのことをここまで記せば一時四六分。
  • 例のごとく書見へ。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)である。四五年の二月。いわゆる「死の行進」の一環ということになるが、クリスティアンシュタットから徒歩で別所へ移動するとちゅうに、著者は義姉と母親の三人(プラス、チェコ人の女性三人)で逃亡する。その後最終的にバイエルンはシュトラウビングという小都市におちつき、そこで空爆を体験しながら、終戦、米軍の進駐をむかえることになる。
  • 三時ごろまで読み、ストレッチにはいった。尾骶骨の先のあたりがすこし痛かったので、指圧しておく。きのう合蹠をやりすぎたのだろうか。それでもきょうもやるわけだが。姿勢を取ってストレッチをしたあと、筋肉をゆるめたときに伸ばしたあたりをすこし揉んでおくと余計に良い気がする。
  • 三時半ごろでうえへ。両親は帰宅済み。母親は居間のテーブルにつき、父親は玄関で外気を浴びるように腰掛けにすわりながら新聞を読んでいた。野菜炒めがあるというのでそれをいただく。レンジで熱し、椀に盛った白米とともに持ち帰って、金井美恵子「切りぬき美術館 新 スクラップ・ギャラリー: 第22回 「机上芸術」と正座の人たち 清方と雪岱|1」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2021/05/-1.html(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2021/05/-1.html))を読みながら食べる。炒めものはモヤシとブナシメジなどをあわせたもので、カレー風味の味つけがされており、味は薄いがけっこう辛くて、白米の熱で口内が刺激された。成島柳北という名を知る。「天保生れの特異な漢詩人、維新前は「二千石の騎兵頭」、文明開化後は新聞記者、随筆家」らしく、『柳橋新誌』なる書を書いているらしい。中村光夫の『虚実』という本に「パリ・明治五年――成島柳北の『日記』」という篇がはいっているという。そのさいごにかたられているというエピソード(パリのサーカスで成島柳北が「美少女の曲馬芸」を見て、幼少期から和歌漢詩の鍛錬をしてきた者として「一詩がおのづから成」るものの、「念頭にもなかった情景と言葉が「詩」を作ろうとすると、「自然と顔をだす」ことに困惑」し、西洋という「別の世界を表わさなければならない事態に直面し」ておぼえた「空虚」と快さに、「これを文字にする術が、西洋にはあるのだらうか」という独白をいだいて終わるらしい)に記憶があるので、いぜんも金井美恵子がどこかでとりあげていたのかもしれない。パリ滞在の日記は、『幕末維新パリ見聞記―成島柳北「航西日乗」・栗本鋤雲「暁窓追録」』として岩波文庫にはいっているようだ。また、いまWikipediaを見てみたところ、「後には大槻磐渓の紹介によって、1874年(明治7年)に『朝野新聞』を創刊、初代社長に就任。1875年(明治8年)には、言論取締法の「讒謗律」や「新聞紙条例」を批判した」とあり、そう言われてみると高校日本史でもなまえを見たようなおぼえがある。「成島家は19世紀前半から『徳川実紀』、『続徳川実紀』、『後鑑』などの編纂を続けており、柳北も長じてこれに従った。徳川家定、家茂に侍講するが[3]、献策が採用されないため狂歌で批判し、1863年文久3年)8月9日に侍講職を解職される」というのも笑った。
  • 食べ終えるとほぼ同時に記事を読み終え、上階に行ってつかった食器をかたづけ。もどると歯ブラシを口に突っこんでガシガシやりつつ(……)さんのブログをちょっと覗いた。Pitaもしくはピーター・レーバーグが死んだとあって、死んだの、とおもった。とはいえじぶんはノイズ方面についてはなにも知らないし、聞いたこともない。ただ、むかし「(……)」というブログを読んでいて、そこでノイズミュージックまわりがよくかたられていて、そのなかにPitaとかMegoという名もよく出てきていたので、それでおぼえていた。ほかにカルコウスキーとかいうひともよく名を挙げられていたはず。これはZbigniew Karkowskiというひとだ。
  • ここまで書き足して四時半まえ。きょうも労働。今週は毎日労働で、来週もそうである。というか夏期講習中は盆の休みを除いてずっとそうである。土曜日は基本休みになっているものの、今週は追加されたし、今後もはいらないともかぎらない。
  • 外出まえに瞑想をおこなった。二〇分ほど。それで着替え。荷物、といってもぜんぜんすくないが、それもバッグに入れて出発の準備がととのうとすこし時間があまっていたので、音楽を聞くことに。Red Hot Chili Peppersの"Throw Away Your Television"と"Cabron"を聞いた(『By The Way』: #10 - #11)。先日からときどきこのアルバムの曲をすこしずつ聞いている。べつにたいしておもしろくはないが。『By The Way』でくりかえし聞きたい曲を挙げるとしたら、やはり"Can't Stop"になってしまうかな、というかんじ。"Throw Away Your Television"も悪くないが。ベースのリフはふつうに格好よいし、後半で、あれはギターなのかノイズ的な音がはいっているのも良い。John Fruscianteはたしか精神的にやばかった時期があって、そのころにつくったソロアルバムはノイズかなんかかなりコアな方面の音になっていたはずで、ロックファンからは到底理解されるようなものではなかっただろうし、こちらも図書館で借りてすこしだけ聞いたおぼえがあるがとうぜんすこしも良いとおもわなかったとおもうのだけれど、いまとなってはむしろちょっと興味がある。
  • 五時を越えてうえへ。出発。マスクをつけて玄関を出る。母親も青紫蘇を取るとか言っていっしょに出てきて、そこにちょうど下の(……)さんらしきトラックがとおったので愛想笑いで会釈していた。それを背後にのこして道をいく。林から降ってくるセミの雨は厚くなっている。きょうは曇り日だし、この時間になるとさほど暑くはない。とはいえ、(……)さんの宅のまえをすぎると家屋にかくれていた太陽が右手、北寄りの空に顔を出し、一瞬でまた梢にかくれたもののまぶしいひかりを送ってきた。坂道に折れると(……)さんがラフなかっこうで道端の草をむしっている。あいさつをかけて、かがんだからだや足もとがいくらか危うそうなのに、お気をつけてとのこしてすすんだ。左から来る木洩れ陽は路上に灯るというよりは地にはあまり触れずに右手の壁のうえに映ってあかるみをひらき、まえをすぎるこちらの影もそのなかでつかの間揺れ、とおっていくあいだヒグラシの声が左右からかわるがわる、かなりの近さで発生し、微妙に音のたかさが違う弦楽器風の鳴きはどれも、波というか潮騒の往復のようにして、光暈めいてゆたかな余白をまといながら意外なほどおおきくふくらんでは木立をつらぬいて宙に浸透し、またおさまって去っていく。すぐ脇のガードレールそばは薄暗いが、そのむこうにはまだあかるい夕づく陽をいっぱいに浴びて緑をかるくあざやかにした樹々たちが安らいでいる。
  • 坂を抜けて街道に出るとひかりがさえぎられずにとおって身に触れてくるので暑い。横断歩道を渡り、駅にはいって階段通路を上るあいだも、左前から斜めに光線が照射されて、まるで狙い撃ちにしてくるように終始粘り、そうなるとさすがに涼しい夕べだとはいえない。ホームにも日陰がすくないが、入り口そばのわずかな地帯にはいり、屋根をささえる柱でちょうど太陽がかくれる位置を探ってひかりを避けながら立った。風はとぼしく、線路まわりに伸び上がった草はほとんど揺れない。太陽が支配権をおよぼしている北西の空は小川にながされた薄衣みたいな雲に淡く触れられていて、その雲ばかりでなく地の水色も間近のみなもとからそそがれるひかりを吸ってそれじたい透けるように澄んでいる。北側は東のほうももうすこし濃い水色がひろがっているのだが、ふりむいてみれば南は雲が溶けた筋肉のようにつらなっていて、いくらか淀んだ様相だった。丘のほうを埋めているヒグラシの音をききながら立ち尽くしているとスズメが数羽つれだってどこかからあらわれ、線路を越えて正面、梅の木の梢とそのうえの電線にとまる。見ていればまた数羽つれだってそこにわたっていく。おおかたは電線のうえにおちついて、横に何匹もならんでとまっているすがたの、指人形というか逆向きに生えた実のようなかんじで、左右にいたいけにうごくものもあり梅の梢に飛び降りるものもあり、梢は上部に陽を受けているが風がないからスズメがそこに降りるときだけ日なたと蔭の細片がいりまじるようにうごき震えるのだった。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 219: 「わたしは眩暈のしそうな、ドイツ人の経験とは一致しない幸福感にまだつつまれていた。ドイツ人がすべてを失ったと感じているのに、わたしたちはすべてを、たとえば生命を手にできる希望に満ちている。シュトラウビング到着は、ほかの難民にはどん底であり、わたしには歓喜の頂点だった。自由な人びとが受付であれこれ不平を申し立てている光景は、わたしたちが体験した大量移送からは想像もつかない」
  • 228: 「強制収容所を生きてきて、そのはてにふたたびトラウマを背負わなければならなかった女たち。スターリンの軍隊は、罪を犯した国の女だけを襲うほどの繊細な差別主義者ではなかった」

2021/7/26, Mon.

 〈もの〉はつねにある背景のもとにある。もの [﹅2] が〈もの〉としてあらわれるために、つまり〈もの〉がそのかたちをあらわし、輪郭を浮き立たせるためには、背景としてのその地平が、あるいは「ある環境」(un milieu)が必要である。「〈始原的なもの〉と〈もの〉」と題された一節でレヴィナスは、つぎのようにかたっている。

 そこから〈もの〉が〈私〉に到来する起点となる環境には、相続人がいない。それは共有の基底あるいは領域であり、所有不可能で、本質的に《だれのものでもない》。すなわち、大地であり、海であり、光であり、都市である。いっさいの関係や所有は、所有不可能なもののただなかに位置している。所有不能なものは内含され包摂されることなく、内含し包摂する。われわれは、それを〈始原的なもの〉とよぶ(138/193)。

 ここには、「所有」をめぐるレヴィナスの基本的な視線の方向があらわれている。そのありようを、すこしだけていねいに描きだしてみよう。(end29)
 大気や「光」はだれのものでもありえない。「大地」や「海」も、ほんとうはだれのものでもない。大地にあらかじめ所有をへだて [﹅3] る境界が書き込まれているわけではなく、海にさかい [﹅3] が存在するわけでもない。大地にはほんらい「相続人」がおらず、入り江の潮はやがて大海にそそぐ。ひととひとをつなぎ、へだててきた海は「本質的に《だれのものでもない》」。「環境」は、「共有の基底あるいは領域」であって、「所有不可能」(non-possédable)なものである。
 「都市」ですら、考えてみればそうである。城塞にかこまれ、王権が支配する都市であっても、王がそのすみずみを支配し所有することは不可能である。そこではひとびとの暮らしが日々いとなまれ、ひとびとが絶えず往来し、王の支配と所有はつねに浸食されている。都市もまた、いっさいのいとなみがそのなかでかたちをあらわす光とおなじように、所有不可能なものである。光がそれを封じ込めようとする容器から漏れ出るように、水がどのような窪みにもみずからのかたちをあわせてゆくように、城塞や壁も、都市を完全に区画づけることはできない。むしろ、境界づけに由来する「いっさいの関係や所有は、所有不可能なもののただなかに位置している。所有不能なものは内含され包摂されることなく、内含し包摂する」のである。
 不定形で無際限なもの(ト・アペイロン)である水や光、大気や風を、ひとは所有し支配することができない。世界の始原(アルケー)を、ひとは手にすることができない。水(end30)は掌からこぼれ落ち、風は風のおもうままに吹くからである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、29~31; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • アラームでもって八時に離床。携帯をとめて寝床にもどる。睡眠がみじかいわりにそこまでからだが重くないようだった。とはいえ脚をほぐしながらしばらく休んで活力を待ち、八時半をまわって正式に起床。きのう感じた重たるさはもはやなく、からだの感覚は完全に平常にもどっている。部屋を出て洗面所へ。顔を洗い、うがいをするとともに個室に入って用を足し、もどって瞑想した。起きたときには曇っていて陽の色もなく、きょうは比較的涼しいなとおもったのだったが、このころには陽射しが出ていてやはり相応に暑い。午後二時半現在ではふたたび曇り気味になっているが。
  • 上階へ。母親はもうしごとに出たようで父親のみ。卵を焼いて米に乗せた。あとは即席のアオサの味噌汁。新聞は下部広告になっている『WILL』の記事名を見ていたので、本文記事をあまり読んでおらず、暴動が起こった南アフリカのその後をつたえるものをすこしだけ見たのみ。父親がながしているラジオ(伊集院光がだれかをまねいてオリンピックについてはなしていた)の音声に気を取られたこともある。『WILL』は櫻井よしこなどが中国の脅威を強調していたり、リベラル派によってつくられた世論に迎合してオリンピックを無観客にしたのは情けないみたいな記事名が見られたりしてあいかわらずだが、なかにNewsweek日本版に連載をもっている飯山陽の名があって、「弱い」パレスチナを「強い」イスラエルがいじめているというのは嘘、みたいなタイトルを掲げていたので、このひとってこういう方面のひとだったんだとおもった。
  • 食器を洗い、つづけていつものように風呂も洗う。出ると下階へ。九時半ごろだった。一〇時から通話だが、まだすこし間があるのでコンピューターをスツール椅子に乗せ、ベッド縁に腰掛けてNotionを準備したりウェブを見たり。そうして一〇時前に隣室へ。外のあかるさがはいるとモニターが見にくくなるのでカーテンを閉めておき、エアコンをつけてZOOMに接続。
  • (……)
  • (……)
  • 終えたのは一二時半。自室にもどり、ベッドに転がって脚を揉みながらしばらく書見。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける』である。眠りがすくないので、やはり多少眠いかんじはあった。通話中もあくびが何度か漏れたし。BGMにしたのはOscar Peterson, Joe Pass & Niels-Henning Orsted Pedersen『The Trio』。本はいま、クリスティアンシュタット(グロース=ローゼンの外郭収容所)のところをすすめている。クリューガーの書き方は、過去の出来事をそれだけでまとめて一気に語ってしまうのではなく、あいだにたびたび、それについておもうこととか、解釈とか、それにまつわるさいきんのエピソードとか、無理解な聞き手にたいする批判とか、いまの人間関係(主として母親とのもの)とかがさしはさまれる。一時半すぎくらいまで読んで、食事を取りにいくことに。エアコンを止めて階を上がり、まずベランダの洗濯物を入れた。このときも、かすかな日なたがベランダの床に映らないではなかったが、基本的には曇りの色合いだった。取りこんだタオルをすぐたたんで洗面所に運んでおき、それから食事。簡易の廉価なハンバーグがひとつあったので、それを皿にうつして電子レンジであたため、丼に米をよそっておくと、待つ合間はレンジの前で腕を伸ばしたりする。両手を軽く組んで、そのまま腕を背後に引っ張り伸ばすことで肩のうしろや肩甲骨のあたりをやわらげるやり方である。あとは組んだ両手を後頭部に当て、あたまを前にかたむけておさえながら左右の肘を多少内側に寄せるようにして、首のうしろの筋を伸ばすやりかたも。
  • わすれていたが、書見のあとにストレッチをしたのだった。眠いのでポーズを取ってじっとしているあいだも多少意識があいまいになるというか気づくとちいさな空白がさしはさまっているようなかんじだったが、ストレッチを通過することで眠気がわりと散った気がする。
  • ハンバーグ丼を部屋にもちかえり、ウェブをながめながら食事を取った。そのあときょうのことをここまで記して三時。きょうから毎日夕方から夜まで労働なので、猶予はちっともない。それでいて二二日以降の記事はあまり書けておらず、しかも二二日二三日は外出したから情報が多い。たいへんである。
  • しかし、まずふたたび瞑想。すわって目を閉じていると、やはりまだいくらか眠くなる。とはいえ、上体がぶれて姿勢にとどまっていられないほどの眠気ではない。眠くて意識がやや薄くなっても、ぐらつくことなく保たれているので、むしろすこし不思議なかんじ。外ではアブラゼミがジュワジュワと夏の大気を揚げていた。
  • やはりおのずと一五分ほどで切りになる。飯を食うのに使った丼と箸を上階に持っていき、食器乾燥機をかたづけてから洗ってそこに乗せておき、もどると二二日の日記を記す。
  • そういえば、きょうの新聞の一面はとうぜんながらオリンピックの報道で、日本勢は金メダルを四つ獲ったとかあった。たぶんいま合わせて五つなのか? 柔道の兄妹と、水泳のひとで、水泳のひとはじぶんでも「自己肯定感が低い」と言っていて、オリンピックに出るのも迷ったくらいで、メダルなど取れるはずがないとおもっていたので望外の喜び、というはなしだった。
  • 二二日の日記をすすめたのは四時過ぎくらいまでだった。そこからほんのすこしだけまた書見すると、歯磨き。そうして、外出前にとまたしても瞑想をおこなった。五時あたりまでだったか。今度は窓をあけず、エアコンの駆動音ばかりが聞こえるなかで。このときもやはり一五分くらいだったはず。そうして上階へ。下着や母親のパジャマなどもたたんでおき、マスクをつけて玄関を抜けた。階段を下りるとなにかの作業をしていた父親が家の横からあらわれたので、行ってくると告げ、ポストから夕刊を取るといいよと言って受け取ろうとするので渡して道をあるきはじめた。(……)さんの宅の手前で道の端に柑橘類の実がいくつもころがって道に沿ってならんだようになっており、路面にはそれがぐしゃぐしゃにつぶされてのち乾いて吐瀉物の跡のようになっているさまも見られる。そこの林に樹があっていくつも黄色い実がみのっているのだが、あれがなんの果実なのか知らない。すすむと(……)さんが家の横で車にシートをかけていたので、あちらが気づいたところでこんにちはとあいさつをおくる。これから、というのに肯定すると、暑いなかご苦労さまと来るので、さいきんもう暑いですよね、と受け、でもきょうはまだ曇ってるからね、とつづければ、風はないけどなあと返るので、そうなんすよと笑う。そうして別れたが、(……)さんの言ったとおり空気は停滞しており、坂道にはいって沢音がちかくなっても大気はわずか揺らぐのみで、ながれるというほどのものはない。空は曇りであきらかなひかりはないものの、草木に籠められた左の斜面の底にのぞく水の一部が箔を貼られたように白銀色に微光し緑の網のむこうでも容易に目にとらえられ、すぎれば樹冠がすこし途切れてひらいた空は隙間なく白ではあるけれどその雲の色が見えない夕陽のつやをたしかにおびている。
  • 最寄り駅につくとふたりすわったベンチのまんなかあたりにはいる。瞑目し、汗に濡れた肌のうえを空気が弱くすべっていくのをかんじる。丘のほうで鳴くセミのなかではカナカナがやはりきわだち、集団で鈴を振りつづけているようなひびきが暈をともないながら漏れつたわってくる。じきに電車が来たので乗車。席でひきつづき瞑目。むかいには大学生だか高校生だかそのくらいの男子らが四人連れ立って乗っていた。(……)に着いて降りるさい、そのうちのひとりがたぶん荷物を持ち上げたときだろうかべつのひとりの顔を誤って殴打してしまったらしく、かなりうろたえた高い声で、ごめん、めちゃくちゃ痛かったでしょ、マジでごめん、と謝っていた。
  • (……)
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 180: 「奴隷労働の本質は、従事している本人が労働の目的を欠くことにある」
  • 190: 「不正というものは、被害者当人の心境のいかんによって帳消しになるわけではない。わたしは九死に一生を得た。たしかにそれはそれですごいことだけれど、でも生き残ったからといって、亡霊からみなさんにお配りせよと袋一杯の借用証を持たされてきたわけではない。こんなことが通用するなら、つぎは加害者が被害者を赦してやる番になる。なぜって、被害者は、加害者に深刻な良心の苦痛をあたえたのだから」

2021/7/25, Sun.

 身体とは「〈私〉がそれによって生きざるをえない他性そのものを乗りこえてゆく」しかたである。身体である私は〈息をする〉ことで大気を摂取し、〈食べる〉ことで世界を同化してゆくからである。私は、私ではないものをそのときどきに身体へと摂りいれながら、〈私〉として生きている。私が身体であるとは、「他なるもの [﹅5] のうちで生きながら、私 [﹅] であること」(être moi tout en vivant dans l'autre)である。その意味では、「身体とは自己の所有そのものなのである」(121/169)。――身体が所有されているのではない [﹅2] (三・1)。(end26)私は、身体である [﹅3] ことにおいて、自己を [﹅3] 所有している。身体はしかも、〈他なるもの〉を内化 [﹅2] し、〈他なるもの〉ではなかったもの(かつてはそれがじぶんの一部であったもの)を外化 [﹅2] してゆく。私は息を吸い [﹅2] 、息を吐く [﹅2] 。そうした身体であることで、私は私でありつづけているのである。
 私は身体である [﹅3] 。私が身体であることは、しかも〈私〉にとって「偶然」ではない。延長する物体への魂の「挿入」という比喩はなにごとも説明しない。そこではむしろ「身体という延長に魂が挿入されていること」が解きあかされなければならなくなるからである(182/254 f.)。私はむしろ、あらかじめ・すでに私の身体である。私は身体であることによって欲求をもち、身体であることをつうじて欲求を充足させて、世界を享受する。私は世界によって養われながらも、世界を服従させる。世界は「欲求をもつ存在に従属する」(前出)。身体とはそのかぎりで、〈他なるもの〉における自己の所有にほかならない。
 それではしかし、私は身体であることをつうじ、また〈享受〉をかいして、世界を〈所有〉することになるのであろうか。世界はたしかに、自然の無償の贈与を提供している。私は、だが、贈られた世界をすでに領有 [﹅2] していることになるのだろうか。享受される世界は、すでに〈私のもの〉となっているのであろうか。これが問われなければならない。
 「享受する口や鼻、目や耳に」あたえられているとき、「対象は対象ではない」(97/137)。(end27)享受であるような「生とは、世界の糧を口いっぱいに囓りとり、豊穣さとしての世界に同意し、その始原的な本質を奔出させることである」(141/198)からだ、とレヴィナスはいう。享受においてあらわれる〈始原的なもの〉(élément; l'élémental)とはなんであろうか。そもそも、〈口〉へと差しだされるとき、〈もの〉はなぜ対象 [﹅2] たりえないのか。このことから考えてゆく必要がある。
 対象としての「〈もの〉はあるかたちを有する」(149/208)。〈もの〉は、特定の輪郭をもつことで、かたちを有する。〈もの〉の輪郭は〈もの〉と他の〈もの〉たちをへだて [﹅3] 、ひとは、輪郭においてその〈もの〉のかたちをとらえ、〈もの〉を見わけ [﹅2] る(三・4)。
 現に享受へと供されているもの、たとえばいま〈口〉のなかで咀嚼されているものは、その〈かたち〉をうしない、輪郭を喪失しつつある。享受するとは、享受する私と、享受されるものとのさかいめ [﹅4] を解消しつづけ、両者のへだて [﹅3] を不断に抹消してゆくことである。そもそも、享受される大気にはかたちがなく [﹅6] 、光そのものは輪郭を欠き [﹅5] 、水はいっさいを浸してゆくことで境界を曖昧にする [﹅8] 。〈始原的なもの〉とはとりあえず、水であり、大気であり、おしなべて不定形なものである。イオニアの哲学者たちがいっさいのアルケーとしてかたりだしたものにかかわるレヴィナスの思考のうちに、所有をめぐる第一の論点がある。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、26~28; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 一一時ごろ覚醒。いつもどおり暑く、またくわえてなんとなくからだが重たるいようなかんじがあった。こごってもいたので、しばらく各所を揉みほぐす。こめかみや腰など。離床は一一時四〇分。水場に行ってきてから瞑想をした。相当に暑い。大気にふくまれている熱気が濃く、身のまわりでわだかまっている。しかも草がすれあう音も立たないからそとに風もないようすで、はいってくるものもなくて熱が停滞している。目をひらくとやはりちょうど一五分経って正午に達していた。
  • 上階へ行って食事。カレーと、きのうの素麺のあまりを煮込んだもの。新聞は三面にタリバンの動向が報じられていた。タリバンの支配地域はアフガニスタン全土の五五パーセントまで増えており、地域によってアメとムチをつかいわけていると。北部クンドゥズ州のある町では住民の訴えを聞き入れて増税をとりやめたり、いままでの相場よりも高い報酬でなんだったか掃除かなにかの求人を出したり、住民に呼びかけて相談を受けつけたり、そういうサービスを提供するそぶりを見せているが、べつの町では女学校を焼き払ったり、女性の服装を規制したりして統制していると。女学校を焼くのはマジでゆるせん。知の機会と可能性をうばうたぐいの弾圧はマジでムカつく。しかもそれが女性にむけられたものであるだけに。タリバンを支持する国民は一割程度しかいないもよう。ただ、アフガニスタン国内にはアル・カーイダ系の戦闘員が五〇〇人残っていてタリバンは彼らと関係をたもっているらしく、アフガニスタンがふたたび「テロの温床」にならないかと各国は懸念している。ビン・ラディンのあとの世代のアル・カーイダ系の連中がタリバンの保護をもとめるのではないかとか、米国の撤退が勝利と喧伝されることで欧米にひそんでいる過激派を刺激しないかとか、危惧される可能性はいろいろあると。中露は基本的には傍観のかまえで、上海協力機構は、アフガニスタンの和平はアフガニスタン人同士の話し合いによってしか実現できない、と声明を出したらしい。だから、タリバンが勢力をとりもどしても介入しない、つまりタリバンの邪魔はしない、というわけだろう。タリバンの側でも、ロシアにたいしては国内の過激派は一掃すると言い、中国にたいしても新疆ウイグル自治区イスラーム主義者を支援することはないと明言し、テロリストが流入したり活発化したりするのではないかという両国の懸念にこたえている。
  • 体調がちょっと乱れていた。まず、鼻水が出る。これはここさいきんはなかったことだ。さらに、からだがやはりすこし熱かったりかたいようだったりして、ほんのすこし熱っぽいようなかんじがあった。それで、先日の外出でついにコロナウイルスにかかったか? とおもったが、二日三日で症状が出るのは潜伏期間が短い気がするし(かならず一週間とか潜伏するわけではないのだろうが)、咳はないし、単に寝冷えしただけともかんがえられる。なにかにかかっていたとして、コロナウイルスか風邪かの区別もつかない。いちおうその後、鼻水もなくなり、身体感覚はほぼ平常に復しているが。
  • いつもどおりの洗い物などすませて、茶をもって帰室。きょうは三時くらいまでだらだらしたはず。それからルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を読みはじめた。あおむけで読みながら、踵でもって太腿をよく揉みほぐす。四時を過ぎて切り、ストレッチへ。Gil Evans Orchestra『Plays The Music Of Jimi Hendrix』をながしていた。ストレッチはあいかわらず、合蹠・前屈・胎児・コブラの四種を二セットを基本にやっている。ポーズを取ったままじっとして肉が伸びるのを待つだけだが、だんだん姿勢を取ったままながくとどまっていられるようになっている気がする。もうすこし肉体の基本状態がやわらかくなるよう、日々調えたい。
  • 五時で上階へ。アイロン掛けをおこなう。きょうもけっこうたくさんあった。そばの扇風機をつけてその風を受けながらやっていたが、そとで草取りかなにかやっていたらしい母親がはいってくると、おおきな声で暑さと疲労をうったえながら(ことばの内容は参ったという意味なのだが、声色や声量は参っているというよりむしろ活発である)エアコンをつけた。食事にはカレーがのこっているのでほかにそんなにいらないが、ゴーヤチャンプルーをつくることにしたもよう。アイロン掛けをすすめて六時ごろ終えると、きょうはまだ夕食にせず、下階へ。またしばらくなまけてからだを休めてしまった。
  • 七時半まえくらいで夕食へ。カレーや煮込み素麺の残りやゴーヤ炒めなど。新聞は先ほど読んだタリバンの記事の続きを読んだ。テレビは録画したものか、『推しの王子様』というドラマを映していた。きちんと見ていないのでストーリーもよくわからない。女性主人公が「推し」に似ている駄目な男を理想の王子様的男性へとそだてあげる、みたいな趣向のようだが。父親は炬燵テーブルでタブレットをつかってオリンピックを見ているもよう。新聞の「あすへの考」が国立情報学研究所所長・喜連川 [きつれがわ] 優というひとの寄稿だったのであとで読もうとおもって部屋にもってきた。あと、日曜版の「ニッポン絵ものがたり」のページも。真鍋博「にぎやかな未来」の紹介。星新一の挿絵などを描いていたひとらしい。
  • 食器を洗い、また緑茶をつくって帰室した。一服しながらウェブを見たあと、九時まえからきょうのことを記述。ここまで記していまは九時四三分である。二二日以降の日記をぜんぜん書いていないのに明日から毎日勤務になるのでやらないとやばいが、まあ気楽に気分のままにやれば良い。(……)くんへの返信も書きたい。
  • そういうわけで、(……)くんへのメールを作成。一〇時ごろまでひとまず。その後入浴に行って、出てきてからすこし足して完成。

(……)

  • 風呂のなかでは湯船で停止して調身をはかる。きちんと停まることができれば、それが一〇秒であろうと価値のあることだ。藤田一照が『現代坐禅講義』のなかで、坐禅をしてなにかを得たり特殊な心身状態になったりすることに価値があるのではなく、時間やら義務やらなにやらに追われてつねにせわしない生活のなかでそれでもなにもせずただじっとすわるという時間を取れたことそれじたいに価値があるのです、みたいなことを言っていたが、それはそうだなとおもう。ひとにはあらゆる物事から離れて原子的に独立自存する時間としての自由が必要なのだ。その自由とは停止と無行動のことである。
  • ひとはたいていのばあい、なにかしらのながれのなかにいる。それは時間のながれであったり、社会のおおきなながれであったり、日々の生活のながれであったりいろいろあるわけだが、まずなによりも行為と行動のながれである。ひとはそれらのながれの、単にそのなかにいるというよりも、たいていのばあいはそれに呑まれており、かつ呑まれながされていることを意識しない。というか、それいがいのありかたや時間をあまり定かに体験しない。ふつうに過ごしていて、ながれのなかに埋没せずそこから浮かび上がり、ながされることに抵抗する、というよりは(完全にではないにしても)それと無関係になる時間の、いかにとぼしいことか。いま目の前にあるものたちをじぶんがいかに見ていないか、ひかりの色を見る時間が生のなかでどれだけあったか、風の音を聞いた経験がいかにすくないか、だれしもじぶんに問えばあきらかに実感するのではないか。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 157: 「わたしの知るかぎり、選別について書かれたどの報告も、最初の決定がくつがえされることはなかったと述べている。一方の側に送られて死を宣告された者がもう一方に行ったためしはないと。そうなのだ、わたしは例外なのだ」
  • 158: 「かのシモーヌ・ヴェイユは、文学にはたいてい疑いの目を向けた。文学では善はおおむね退屈で、悪はおおむね面白い、現実はまるっきりその逆なのに、とヴェイユは言った。(……)シモーヌ・ヴェイユは正しかった。わたしはそれをこのときの経験で知った。善は比較を絶していて、説明もできない。善はそれ自体よりほか原因をもたず、それ自体よりほか、なにものも望まないからだ」
  • 162: 「人間愛がもっともあり得ないものに思われ、人びとが歯をむき出しにし、すべてのしるしが自己保存の方向を示しながら、なお、ほんのささやかな真空が残されているドブネズミの穴の中に、自由は不意打ちとして出現し得る」
  • 164: 「女性収容所は、少なくともこの収容棟については政治囚に牛耳られていた。彼女たちは、ナチスが縫いつけた三角のきれが赤くて、ユダヤ人と同じ黄色でないことに鼻が高かった。(……)テレージエンシュタットで社会主義の核心としてわたしの心を射た人道的なすべての主張は、どこ吹く風だった。左、そこに心がある。ところがここの左翼の関心はただひとつ、自分が生き残ることだった。同胞にもあるいはいくばくか心を注いだかもしれない。だがユダヤ人はナチスにとって同様、最下等の存在だった」
  • 135: 「ひとつだけ注意をひいた言葉がある。「おまえら、もうテレージエンシュタットにいるわけじゃないよ」 まるで天国からやってきたと言わんばかりの口ぶりだった。あの人たち、わたしたちがアウシュヴィッツに来たばかりだから見下してるんだ、と呆然と思った。自分の立場がおぼつかなくなる。いまそこで喋っている人だって、同じ収容者ではないのか。わたしは番号に表される階級を学んだ。小さい番号の収容者は、ここに長くいるからほかの収容者よりも偉い。こんなところにいたい者はだれひとりないというのに。倒錯した世界」
  • 166: 「わたしは少しうぬぼれて、あそこを生きのびたのだ、アウシュヴィッツはわたしの死に場所にならず、アウシュヴィッツはわたしを捉まえておけなかった、と思ってもいいのかもしれない。けれど、自分の救命に自分が大きくあずかっていたと考えるのは、とんでもなく無意味だ。わたしが目にし、臭いを嗅ぎ、恐怖したあの場所、そしていま記念博物館としてのみ存在するあの場所に、わたしは属していない。あとにも先にも、一度だって属さなかった。あそこは保存にいそしむ人たちのための場所なのだ」
  • 167: 「しかも、これは、ここに書いている回想の問題でもある。わたしはいま、ガス室にもはや脅かされることなく、読者と共通の戦後世界のハッピーエンドに向かってまっしぐらなのだ。読者よ、あなたたちをそんなわわたしといっしょに喜ばせないためには、どうしたらいい?」
  • 168: 「読者がほっと胸をなで下ろすのを、どうやって阻もう? なぜなら、生きのびた人間がいたからといって、死者が助かるわけではないのだから」
  • 168: 「わたしたち生存者は、収容所で殺された人びとと共同体をなしていない。あなたたちがわたしたちと死者をいっしょくたにし、自分だけ暗い河の彼岸へ逃れるのは、はっきり言って間違っている」
  • 174: 「わたしたち双方にとって列車はひとつだった、彼のは外から見た列車、わたしのは中からの列車。そして風景はわたしたち双方に等しい。しかし等しいのは網膜にとってだけで、心情にしたがえば、わたしたちが見ているのはふたつの相いれない風景だった」

2021/7/24, Sat.

 ひとは、「大気」を吸い込み、日の「光」を浴び、さまざまな「風景」を目にし、それを愉しみながら生きている。より正確にいえば、それら「によって」(de)生きている。たんに呼吸することでさえ、大気を享受することである(cf. 154/216)。
 ひとは、しかし風の流れで大気を認識し、光のなかで〈もの〉のかたちを枠どることで、ある意味ではそれを構成 [﹅2] し、風景をみずからに表象 [﹅2] しているのではないか。そうもいわ(end20)れよう。だが、たとえそうであるとしても、世界を認識するためには、私はまず生きていなければならない。構成されたものであるはずの世界が、世界を表象するための条件、生の最下の条件をととのえている。「私が構成する世界が〈私〉を養い、私を浸しているのである」(136/190)。大気や光、世界の風景は、まずは「表象の対象」ではない。かえって、「われわれはそれらによって生きているのである」(Nous en vivons)(前出)。
 風や光や風景は「生の手段」でもなければ、「生の目的」でもない(同)。ひとは生きるために [﹅3] 呼吸をしているのではなく、呼吸をするために [﹅3] 生きているのでもない。私はただ、大気を吸い込み、そのこと、つまり〈息をすること〉によって [﹅4] 生きている。大気や光、水、風景は私の「享受」(jouissance)へと、つまりは「味覚」(113/158)へと供され、私の〈口〉に差しだされている。世界は私の「糧」(nourriture)であり、「糧を消費することが、生の糧である」(117/165)。世界を構成しようとする、たとえば超越論的現象学のくわだてが結局は「失敗」してしまうのは、世界が私の「糧」であるからである(cf. 157/220)。〈糧〉としての世界の受容こそが、比喩的にいえば、経験の原受動的な層をかたちづくっている。
 世界をたんに表象するとき、世界は私のうちにとりいれられる。そこでは「〈他〉が〈同〉を規定せず、〈他〉を規定するものはつねに〈同〉である」(130/182)。世界は私の外部に [﹅3] 存在するということ、世界は私とは〈他なるもの〉であること、つまり世界の「外部(end21)性」を、認識はけっきょくは否定する。認識され知られたかぎりでの世界は、認識と知の内部に [﹅3] 存在するからである。世界が提供するさまざまな「糧」によって生きている私は、これにたいして、世界の外部性を肯定する。それはしかも、「たんに世界を肯定することではなく、世界のうちで身体的に自己を定立することである」(133/187)。――身体はたしかに、「世界の中心 [﹅2] 」(ibid.)を指定する。知覚される世界は、身体を中心にひらけている。世界を認識する私は、世界に意味をあたえ、世界がそれにたいして立ちあらわれ、世界の意味がそこへと吸収される、つまり世界という〈他〉が〈同〉と化するような中心点である。だが、身体である私は、まず世界によって養われていなければならない。
 かくして、「裸形で貧しい身体」(le corps nu et indigent)が、なにものももたずに [﹅9] 、ただ身体だけをたずさえて世界に生まれ落ちた〈私〉が「いっさいの肯定に先だって、《外部性》を、構成されはしないものとして肯定している」(133 f./187 f.)。そのいみでは、「身体とは、いっさいの〈もの〉への《意味付与》という、意識へと帰属される特権への恒常的な異議申し立てなのである」(136/190)。純粋意識もまた身体のうちに受肉する。受肉した意識はもはや、無際限な意味づけの主体ではありえない。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、20~22; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 一一時ごろ離床。いつもどおりだ。きょうは陽射しが弱めで、窓外にひかりの色も薄く、どちらかといえば曇りと言って良い天気で、気温もそこまで高くなかった。覚めると例のごとくこめかみや眼窩や喉や腹などを揉みほぐし、そうして水場へ。顔を洗ったりうがいをしたりしたのち、下腹部に溜まった小便をトイレに捨ててからもどって瞑想をおこなった。一一時一四分から。窓外のセミの声がだんだん厚く盛んになってきており、拡散して下地をなすアブラゼミのシートのなかにミンミンゼミのうねりも混ざっている。父親が畑で耕運機をうごかしているらしく、そのひびきもきこえていた。ひとつの機械の駆動音のなかに、三種くらいのひびきが混ざっている。目を開けるとちょうど一五分ほど経って一一時半。だいたい一五分でこのくらいでいいかなとかんじる身体になってきている。
  • 上階へ行き、ひとりの居間で食事。お好み焼きの亜種みたいなものがすこし余っていたので、それをおかずに米を食べる。あとはミョウガと卵の味噌汁。新聞は一面とその裏のさいごのページである三〇面をひとつながりにつかってオリンピックの開幕を大々的につたえている。三〇面に浅田次郎の言が載っていたのでなんとなく読んだのだが、浅田次郎ってこんなかんじの文を書くひとなんだ、とおもった。こういう意見とか感慨とかを述べるエッセイ的なものと小説とではまた違うだろうが。意外と古めかしいような調子で、「だのに」とか、「かにかくも」とか「加うるに」とか、そんな言い方が使われていた。「なのに」を「だのに」と言うひと、たぶんもうあまりいないでしょう。五一年生まれだからもう七〇歳だし、キャリアも長いわけだし文調は安定していてかたちもきちんと整っている。
  • ほか、ミャンマー国軍が拘束したひとびとを拷問しており、死者も出ているという報。目隠しをつけられて三日間くらい飲まず食わずでぶったたかれたりしたという証言が出ていた。水だけは懇願して何度か飲ませてもらえたらしい。女性への性的虐待の報告もあるよう。クーデター以降、いままでに六〇〇〇人以上のひとが拘束され、そのなかで五三〇〇人以上がまだ解放されていないと言われているらしい。マジで終わっている。いつになったら地球は第二次世界大戦と二〇世紀を過去のことにできるのか?
  • 食器を洗ってかたづけ、風呂も擦って洗い、例によって茶を用意して自室に帰った。ウェブを見ながら一服したのち、いつものように書見へ。日記を書かないとやばいし、書きたいという気持ちもあるのだが、やはりまず脚をほぐしてコンディションを調えたくなってしまう。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』をすすめた。メモに取ろうとおもう部分は多い。二時ごろで切って、洗濯物を取りこみに。このときには多少ベランダに日なたが生まれていたものの、やはり色は薄く、空には雲がひろがっていて水色のほうがすくないくらい。取りこんだタオルをたたんで洗面所にはこんでおき、バスタオルのうち一枚だけまだ水気が部分的にのこっているものがあったので、それはハンガーに吊るしなおして網戸にしたベランダとの境のところにかけておいた。風が通るだろうから、それで乾いてくれないか。
  • そうして自室に帰ってくると、きのう買った一八冊の書の一覧をつくって記録しておいた。「購入書籍」というノートをつくってそこに記してある。今年はもうはじまって半年以上も経つというのについこのあいだまでは一三冊しか買っておらず優秀だったのだが、これで一気に三一冊に増えてしまった。箱入りの本がけっこうあるので、いちいちなかみをとりだして出版年を確認したりする。また、どうでも良いのだけれど、リストにおける書名のならべかたをどういう順番にするかも意外と迷う。日本の著者と海外の著者でわけるのは確定しているのだけれど、いぜんはそれぞれ名字のあいうえお順でならべていたところ、今回は現代詩文庫とか全集とかがいくつかあるので、おなじくくりでわけてその範囲であいうえお順にしてみるか、となった。新書は新書で三つまとめてならべ、現代詩文庫は現代詩文庫で、というかんじ。
  • ここまで記すと三時一六分。
  • それから、七月一九日月曜日の記事をすすめた。本文を終えたところで四時くらいだった。読んだ本からのメモを取ってさっさと投稿するか、それか二〇日のほうにもすすみたいところではあったが、ふたたび臥位になって下半身をやわらげることに。エアコンを止めて窓をひらき、(……)さんのブログを読みつつ太腿などを揉んで血流をうながす。二二日分と二一日分を読んだ。後者の冒頭の、コンタルドカリガリス/小出浩之+西尾彰泰訳『妄想はなぜ必要か ラカン派の精神病臨床』の引用から部分的に抜粋: 「精神分析的診断は、主体の構造によって初めて可能ですから、まさに構造的な臨床と言えます。転移が起こったときから、分析家は主体のパロールによって実験的に展開された構造に取り込まれてしまうと考えることができます。分析家は主体の構造の中で自らの位置を知るのです。つまり、患者のパロールによって分析家が置かれた転移的な位置から、診断が確定されるのです」、「分析家が、第三者の位置に立って、主体の言葉によって作られた転移をよく考えれば、主体が何ものであるかということを語ることができるのではありません。分析家が転移によって患者の構造に取り込まれたときに、患者の言葉が分析家を位置づける場所が重要なのです。分析家にとって診断を下すということは、患者のパロールによって位置づけられる分析家の位置を知ることと同じことなのです。ですから、診断はひとつの治療に他なりません。診断を下すことと、治療の中で起こっていること——分析家はそこに取り込まれています——を知ることは同じことなのです」
  • また、藤本タツキという漫画家の新作、『ルックバック』についての話題が以下。すばらしい作品らしい。「表層批評みたいなものって、もしかすると、十二分に消費されまくった上で過去のものになるのではなく、ほとんどその価値が理解されないまま過去のものになってしまうのかもしれない」というのは、ほぼまちがいないだろうとじぶんはおもっている。(……)さんの言っている意味とはちょっとちがうかもしれないが、表層批評的な分析というか、単純に、(文字テクストであれば)ここにこう書かれてあってここにこう書かれてあって、という唯物論的精密さを発揮するひとがすくないのは、そういう、手作業的労働としての地道な読みが好まれないということと、言ってみれば科学的精神みたいなものが読み手の多くに欠けている、ということではないかとおもうが。批評とか研究とかをするのであれば、それはむしろベースとして前提化されていなければならないはず。とはいえ、個人的な感想とか考察とかをインターネットやその他の場に書くくらいだったら、いろいろ深読みしたり、感情を述べたり、作者の意図なり思いなりを想像したりしても、まあべつに良いとじぶんはおもっている。それは個々人の自由だろうし、そういうことはだれだってやるにはやるわけだし、著述家にしたってたとえばエッセイというかたちでそれをおもしろくやることもできる。ただ、そこに書かれてあることと、そこからじぶんがおもったりかんがえたりかんじたりしたことをあまり区別していないひとがおおいのだろうな、いう気はする。そして、そこはほんとうはもうすこしきちんと区別されたほうが良いのだとおもう。そこに書かれてはいないことをじぶんが想像したり推測したりしているということを自覚し、なおかつ(修辞上の要請からして致し方ない場合もあるだろうが)基本的にはそれらをきちんと想像や推測として記述するということだ。そこがけっこうごっちゃになっているというのはべつにいまにはじまったことではなく、たぶんむかしもそうだったはずで、すくなくとも七〇年代当時はそうだったはずで、だから蓮實重彦が彼の仕事をやり、それがインパクトを持ったわけだろう。そしてその仕事によって状況が改善したかというと、残念ながらそれがこころもとないところで、ここ数年はむしろ悪化しているようにも見える。そこに書かれていないことを自分勝手に都合よく、かつ無自覚に想像して、さらにそれを特権化してしまうという振舞いが、もろもろの作品に触れるときのみならずより広範な社会一般に蔓延すると、たとえば陰謀論とか歴史修正主義みたいな、目に見えないどこかの闇の奥ばかりを志向する風潮が高まるわけだろう。くわえて修辞学的には、歴史修正主義者はみずからの著作を、その深い闇を切り裂いて隠されていた真実をあかるみにさらす光として提示している。というのは、いぜん、ハート出版だかどこだか、ああいうネット右翼的な言説の本ばかりを出している会社の広告が新聞の下部に載っていて(もちろんさいきんもおりにふれて載りつづけている)、そこにそういう文言がつかわれていたのだが。だから彼らは、イメージとしては言ってみれば「啓蒙」を標榜しているということになる。

(……)(……)さんから『ルックバック』が単行本化されるというニュースが送られてきたので、それについて少々雑談。ネット上の意見など見ていて思うのだが、映画であれば表層批評的に作品鑑賞することもできるだろうひとたちが、漫画になった途端いともたやすく深みの罠にからめとられてしまうのはどうしてなのか。仮にこの漫画を蓮實重彦が評することがあるとすれば、京アニには決して直截的に言及しないだろうし、表現者罪と罰みたいな抽象論には絶対触れないだろうに、割とみんなそのあたりに無節操に踏み込んでいくのだなという違和感をどうしても持ってしまう。こちらが初読時に印象に残ったのは、以前書いたとおり、ふきだしの使い方やコマの枠線の使い方であったり、描き文字の不在であったりしたのだが、そういう「技術」には触れられず、想像的に要約された「物語」ばかりが考察の対象になっている。もちろん表層批評をインストールした上での、一周した上での「物語」に対する言及であれば理解できるしこちらもどちらかというとじぶんをそういう立場に置いているのだが。表層批評みたいなものって、もしかすると、十二分に消費されまくった上で過去のものになるのではなく、ほとんどその価値が理解されないまま過去のものになってしまうのかもしれない。そしてそのこととSNSの勃興にはたぶん関係がある。すべてが想像的な意味として140字に要約されてしまう。

  • あと、千葉雅也の『動きすぎてはいけない』からの引用も。「ホーリスティックな発想における本来的かつ未来的な共同性への志向は、様々なエゴイズムで分断された世界から私たちを、いや、世界それ自体を解放せんとする一種の統制的理念であり、これは今日においても有効性を失ったわけではない。しかしながら、インターネットとグローバル経済が地球を覆い尽くしていき(接続過剰)、同時に、異なる信条が多方向に対立している(切断過剰)二一世紀の段階において、関係主義の世界観は、私たちを息苦しくさせるものでもある。哲学的に再検討されるべきは、接続/切断の範囲を調整するリアリズムであり、異なる有限性のあいだのネゴシエーションである」とあったのだけれど、ここのさいしょにある「ホーリスティックな発想における本来的かつ未来的な共同性への志向」というのは、このあいだ見たDavid ByrneおよびSpike Leeの『アメリカン・ユートピア』みたいなやつがそれにあたるのかな、とおもった。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 133: 「声をかけた相手、というよりどやしつけた相手を人間として追い立てながら、同時にその人をモノのように押さえつける憎悪に満ちたこの声を、わたしはその後もひきつづき聞かされることになる。そしてそのたびに縮みあがった。それは、はじめから相手を萎縮させ、感覚を麻痺させることだけに狙いを定めた調子だった。なにげない会話にどれほどの気くばりがふくまれているかに、たいていの人は気がつかない。怒ったり喧嘩したり、いや激怒しているときさえ、人は相手への気くばりを失っていないのだ。人は自分と対等の相手と喧嘩をする。わたしたちは敵でさえないのだった。アウシュヴィッツにおける権威的な身ぶりは、つねに収容者の人間としての存在を否定することに、存在する権利を剝奪することに向けられていた」
  • 137: 「いまでもはっきり読める。A-3537。「A」はより大きな数字を示す。それ以前に大量の殺人があったことの略称だ。映画やテレビでよく語られるような「アウシュヴィッツ」の略称ではない。こうした不正確さにわたしは憤慨する。ひとつはそれが空想だからだ。空想なのに、事実に忠実であると言いつくろい、回想にけちをつけている。もうひとつは、誤った脈絡をでっちあげる傾向にともなう熱意は、ほんの些細なきっかけで嫌悪感にひっくり返るたぐいのものだからだ。不思議にSS(親衛隊)の腋の下も、ひとしく入れ墨で飾られていた。栄誉と恥辱に同じものがほどこされていた」
  • 137~138: 「この入れ墨とともに、わたしの胸中に新しいものが目覚めた。陥っている状況の異常さ、そう、なんとも恐ろしい凄さが痛烈に意識に飛びこんできたのだ。喜びさえ感じたほどだった。いまこそ、証言に値するなにかを体験したんだ(……)わたしが迫害されたってことは、これでもうだれに(end137)も否定できない、迫害された人はいやでも尊重されるわ(……)。母の従弟ハンスの話を家族が固唾をのんで聞いたように、収容所番号をつけたわたしの話が真剣にうけとめられないはずはない――要するに、底の底まで蔑まれているという体験に、いみじくもその体験が名誉をもたらしてくれるかもしれないという一筋の未来を見つけたのだった」
  • 139~140: 「以前からそうだったが、今度も、(end139)リーゼルは彼女なりのやりかたでわたしを「啓蒙」した。殺害の内情を知っていた。父親が特務班だったのだ。父親は死体の処理を手伝っていた。リーゼルは下町っ子がセックスの話をしゃあしゃあとするのと同じ要領で、微に入り細を穿つように、死の話を平然と物語った。無意識の挑発と堕落への誘惑がひそんでいるところも、セックスの話そっくりだった」
  • 141: 「なにしろわたしはしじゅう喉が渇いていた。炎天下にえんえんとつづく点呼はとりわけこたえた。「あなたたち子どもは、アウシュヴィッツでなにをしていたの?」 このあいだ、だれかに訊ねられた。「遊んだ?」 遊んだって! わたしたちは点呼に立っていた。ビルケナウでわたしは点呼に立って、喉が渇いて、死の恐怖を味わっていた。それがすべてだ。それで十分すぎた」
  • 141~142: 「ビルケナウの中央ヨーロッパ人たち。ある女性の高校正教諭が、アウシュヴィッツに来て煙と炎を上げている煙突を目にするや、目にもあきらかなそれをありえないと一蹴して、一席ぶった。なぜならいまは二十世紀です、そしてここは中央ヨーロッパ、つまり文明世界の心臓部です。バカバカしい(end141)と思ったのを、いまも今日のように憶えている。彼女が大量殺人を信じようとしなかったからではなかった [﹅6] 。信じられないのは無理もない、この事態にはたしかに納得のいく説明はつかなかったのだから。(ユダヤ人皆殺しは、いったいなんのため?)」
  • 144: 「シーンその三。看守がひとり、鉄条網の向こうで、杖の先にパンを突き刺して散歩していた。なんという思いつき。自分がパンを泥まみれにする権力をもっていることを、飢えた者に見せつけようというのだ。ただ、わたしは空腹に慣れっこになってしまっていて、空腹とアウシュヴィッツをとくに結びつけては考えない。アウシュヴィッツにおける身体の記憶は(点呼の)暑さ、(収容所に充満する煙の)臭気、そしてなにより喉の渇きだ」
  • 145: 「老女がふたり、喧嘩をしていた。収容棟の入り口でののしりあっている。やせ衰えた手がしきりに動くのが見える。そこへブロック長かだれか、三人目の女性が現れ、ふたりの頭をつかんでガツンと打ちあわせる。あきらかに権限をもっているらしいその女性の情け容赦のなさは、自分の頭に一撃を食らったようなショックだった。途方もない驚愕だった。人間扱いというものがまったくなかった。あとになってから、あんなに驚いたのはバカだったし、あさはかだった、あれ以上にいやなことはいくつもあったのに、と考えた。いままた逆に、当時のショックはいたって正しかったと思いなおしている」

2021/7/23, Fri.

 ひとにとって、さしあたり・たいていはあたえられている世界、私のまえにまずひらかれている世界は、デカルト的な物心二元論によって枠どられた、たんなる「延長」する〈もの〉の世界ではなく、近代科学が描きだす、客観化され数量化された対象の世界で(end16)もない。世界のなかで出会われる存在者は、〈目のまえに〉、手もとをはなれて「延長」する以前に、つまり客観的に計量可能なひろがりをもって存在するまえに、私の〈手もとに〉(zuhanden)存在している。ハンマーは、一定の質量を有する物体であるまえに、〈手ごろ〉な〈道具〉である。世界のうちの〈もの〉たちはまず延長物としてあたえられ、そののちに道具として使用されるのではない。〈もの〉はあらかじめ「実用物」(プラグマタ)として出会われ、「配慮的な交渉」(プラクシス)の相手として存在している。川は水車をまわし、日の光は路を照らし、ひとを暖める。自然物もまた、つねになにほどかは道具的な存在者である。世界は疎遠なものではない。世界はあらかじめ人間によって住み込まれ、〈もの〉たちはすでに使い込まれている。
 ことがらのこうした消息をあざやかに描きとったのは、だれよりもまずハイデガーであった。ハイデガーが分析してみせたように、ひとつの椅子には机が、椅子と机には部屋が、部屋には家屋が、そのつどの「道具全体性」としてあらわれ、そうした道具全体性に先だたれてはじめて、道具は道具として存在する。道具は、そこで「適所を - えさしめ」られている。――道具であるとは、なにかの「ためにある」(アリストテレス)ことである [註18: Cf. Aristoteles, De partibus animalium, 645 b 14. ] 。道具のうちにはすでに、あるものから他のものへの「指ししめし」(bedeuten)がやどっている。こうした指ししめしの全体が「有意義性」(Bedeutsamkeit)であり、この有意義性が、かくてハイデガーのまなざしのもとでは、「世界の構造 [註19: M. Heidegger, Sein und Zeit, 14. Aufl., Max Niemeyer 1977, S. 87. ] 」をかたちづ(end17)くることになる。
 ハイデガーにあってはこうして、たとえば「浴室のスイッチをおすことで、存在論的な問題が全面的に開示される [註20: E. Lévinas, Le temps et l'autre (1948), PUF 1991, p. 45. ] 」。だが、世界とのより始原的なかかわりを、ハイデガーは見のがしている。それは、ひとはハンマーを手にするまえに、呼吸し、飲みかつ食べなければならないということである。「ハイデガーの現存在は飢えをまったく知らない」(142/199)。ハンマーの手ごろさが確認されるに先だって、ひとは自然の贈与 [﹅5] を味わうことができなければならない。〈手〉もとにある世界は、そのまえに〈口〉にたいして差しだされている。ひとはたしかに〈手〉によって、また〈手もと〉にある道具をかいして世界にはたらきかける。だがそれ以前に、ひとは世界によって養われていなければならない。
 レヴィナスはいう。

 ひとりの〈私〉と一箇の世界とのあいだの具体的な関係から出発しなければならない。後者は、〈私〉にとって疎遠で敵対的なものなのであるから、とうぜん〈私〉を変容してゆくはずである。ところが、両者のあいだの真の本源的な関係、そこで〈私〉がまさしくとりわけて〈同〉としてあらわれる関係は、世界のもとで滞在すること [﹅6] として生起する(26/37)。(end18)

 「世界のもとで滞在すること [﹅6] 」とは、レヴィナスにあってのちにみるように(三・2)、具体的には、「世界を我が家とみなして [﹅8] 、そこに実存しながら滞在し [﹅3] 、自己同定する [﹅6] こと」、つまり〈家〉のうちに住まうことである(ibid.)私は家に住まい、家としての世界に住み込む。世界はたしかに、私ではない [﹅2] ものとして、私にとって〈他なるもの〉であり、そのかぎりで「疎遠で敵対的なもの」である。だが、世界に住まいをもうけることで、私は世界に敵対するのではなく、世界を利用し、かえって世界のうちで安らっている。だから、そこでは「〈私〉がまさしくとりわけて〈同〉(le Même)としてあらわれる」。ここではしかし、ことがらの消息をよりさかのぼって、「ひとりの〈私〉と一箇の世界とのあいだの具体的な関係」を考えてゆく必要がある。「両者のあいだの真の本源的な関係」は、じつは〈住むこと〉以前に生起する。レヴィナスによれば、「享受」として、なんのいさおしも寄与もなく、世界をたんに享受することとして生起する。自然からの無償の贈与をうけいれることとして生起するのである(二・2)。贈与こそが始原的なものなのである(二・4)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、16~19; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 九時のアラームで離床。瞑想OK。きょうもこどもの声が窓外できこえていたが、きょうはただ、えーんえーんと泣いているようすで、なだめているのか叱っているのかわからないようなひびきのもうひとりの声も聞こえ、それも子どものようだったが姉か? きょうはそとにいるのではなく、家のなかからもれてつたわってくるようだった。
  • 新聞は一面でオリンピックの開始を報じている。ラーメンズの小林というひとが、演出担当がなにかを解任されたという記事もあった。過去にコントのなかでユダヤ人虐殺をネタにしていたらしい。ドイツやフランスだったら逮捕されていただろう。本人は、過去のじぶんのおろかな言葉選びを反省している、というようなコメントを出したらしい。たしか「言葉選び」ということばがえらばれていたはず。小山田圭吾の声明よりもいちおう具体性があるのではないか。運営委員会は、小山田のさいにはいったん在任させようとしながら世論の反発を受けてその後本人から辞任、というかたちにしたのにたいし、今回は責任主体としてすぐ解任させたようだ。
  • 政治面には、立憲民主党共産党の関係について述べた記事があった。立民の支持母体である連合は過去に共産党とはげしく対立してきた歴史があるらしく、野党共闘とは言いながらも立民は共産とちかづきすぎたくない。枝野や福山はあきらかにそうらしい。日米同盟や自衛隊を否定したり天皇制廃止を党是としている共産と組むと保守票が離れるというあたまもある(しかし、立民支持の「保守票」とは? そもそも、いまこの日本で「保守」とはなんなのか?)。しかしさきの都議選で一部、独断的な共産党との連携がみられたという。該当候補を叱ると、都議選の選対委員長だったかなにか、たしか手塚とあったか、そのひとの許可はえていると返され、福山哲郎がその手塚氏を、都議選のことだけでなくて衆院選全体のことをかんがえろと叱責することになったらしい。とはいえいっぽうで共産票は捨てがたくもあるわけである。共産党小選挙区で候補擁立をひかえて支援してくれれば、それだけで一選挙区二万だか四万だかは票がえられると書かれてあったとおもう。野党結集の題目もほしいというわけで、六月一五日の本会議で枝野代表は消費税を五パーセントへと一時的に減税するという案を提唱したというが、それが唐突で、根回しもなかったようで、内部からもそんな調子でボトムアップの政治などとよく言う、と冷ややかな声がきかれたらしい。枝野はさいきん、九七歳で存命の村山富市に会いにいって(広島だか山口だかそちらのほうだったはず)、先生が元気なうちにリベラルな政権を実現させます、と言ったらしいが果たして、という記事の終わり方だった。
  • この日はきのうにつづき友人三人と会合。三時まえに(……)に集合だったが、どうせあちらまで出るならたいそうひさしぶりに古本屋に行って散財しようとおもい、はやめに出た。道中のことは忘却。
  • クソ暑かった。(……)の入り口付近にも正午をまわってまだまもない、粘るような暑さの旺盛な陽が射していて、それを背から受けて身に浸透させられながら汗をかきかき店外の一〇〇円棚を見たが、ここでは現代詩文庫を無造作に保持。安藤元雄、釋迢空、室生犀星、吉田一穂と、三人はよりむかしというか戦前のひと。釋迢空すなわち折口信夫が詩も書いていたのは知らなかった。和歌をやっていてそれ用のなまえなのは岩波文庫に歌集があるので知っていたが。ほか、明治記録文学全集みたいなものが一巻あって、なかを見ると横山源之助と、あと講談社文芸文庫にはいっていてすこしまえにはじめて知った田岡嶺雲の『数奇伝』も収録されていて一〇〇円だしちょっとほしかったのだが、全集は荷が重くなるからなあとひとまず見送った。中村元も参加しているアジアの仏教全集みたいなやつも二巻あって、ひとつは中国でもうひとつはインドで、これもほしかったが同様に見送り。
  • それで店内にはいって見分。まわったのは一時間強くらいか? ひさしぶりに来たので(……)さんにあいさつしたかったが不在だった。BGMが良くて、とちゅうで古き良き時代のソウルのいいところをまざまざとあらわしたメロウなソウルみたいなやつがかかったおぼえがある。購入品は以下の一八冊。一万三〇〇〇円強。いつもより詩がおおめになった。荷もだいぶ重くなったが、かさんだ原因のおおきなものは重くてでかい古典文学全集を三つ買ってしまったことである。したのものいがいに気になっておぼえているのは、ひとつはたしか石川学というなまえだった気がするが、東京大学出版会から出ていたバタイユ論で、これはなんだか良さそうな気がした(『ジョルジュ・バタイユ 行動の論理と文学』というやつだ。「第7回東京大学南原繁記念出版賞受賞作」とAmazonの紹介にあり、中島隆博の講評も載っている)。あともうひとつが、クリストフ・シャルルとかいう著者名だった気がするが、『知識人の誕生』というやつで、たぶんドレフュス事件を機に圧政とかに抵抗する者としての知識人像がどのように生まれて定着していったか、みたいな研究だとおもうのだけれど、これはいぜんに(……)くんかだれかに紹介されてそのときから興味を持っていたが、今回は見送り。やはりそう、クリストフ・シャルル/白鳥義彦訳『「知識人」の誕生 1880-1900』というやつだった。藤原書店。知識人論では平凡社ライブラリーから出ているサイードの『知識人とは何か』(という題だったとおもう)をかなりむかしに読んで、その後売ってしまったのだがもういちど読みたい気はするし、あとその本でも引かれていたようなおぼえがあるが、たしかジュリアン・バンダみたいななまえのひとが一九二〇年代か三〇年代あたりに知識人論の古典みたいなものを書いていたはず。『知識人の裏切り』というやつだった。宇京頼三訳で九〇年に未来社から出ている。宇京頼三というひとは、ロベール・アンテルムの『人間』の訳者だったはず(『人間』ではなくて『人類』だった。Wikipediaを見るに、第三帝国まわりでクソ重要そうな本ばかり訳している)。

大沼保昭/聞き手・江川紹子『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(中公新書2332、二〇一五年)
柳瀬尚紀『翻訳はいかにすべきか』(岩波新書(新赤版)652、二〇〇〇年)
渡辺靖『白人ナショナリズム アメリカを揺るがす「文化的反動」』(中公新書2591、二〇二〇年)
・日本マラマッド協会編『ホロコーストユダヤ系文学』(大阪教育図書、二〇〇〇年)
・『安藤元雄詩集』(思潮社/現代詩文庫79、一九八三年)
・『釋迢空詩集』(思潮社/現代詩文庫1002、一九七五年)
・『室生犀星詩集』(思潮社/現代詩文庫1035、一九八九年)
・『吉田一穂詩集』(思潮社/現代詩文庫1034、一九八九年)
田村隆一『詩集 1946~1976』(河出書房新社、一九七六年)
・田中裕・赤瀬信吾校注『新 日本古典文学体系11 新古今和歌集』(岩波書店、一九九二年)
・大谷篤藏・中村俊定 [しゅんじょう] 校注『日本古典文學体系45 芭蕉句集』(岩波書店、一九六二年)
・校注・訳: 松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集18 枕草子』(小学館、一九九七年)
・河島英昭訳『ウンガレッティ全詩集』(筑摩書房、一九八八年)
・クラウス・リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』(平凡社ライブラリー357、二〇〇〇年)
・ジェルメーヌ・ティヨン著/ツヴェタン・トドロフ編/小野潮訳『ジェルメーヌ・ティヨン レジスタンス・強制収容所アルジェリア戦争を生きて』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス982、二〇一二年)
・浅利誠・荻野文隆編/フィリップ・ラクー=ラバルト・芥正彦・桑田禮彰 [のりあき] 『他者なき思想 ハイデガー問題と日本』(藤原書店、一九九六年)
・塚越敏訳『(普及版)ニーチェ全集15 書簡集Ⅰ』(理想社、一九八〇年)
・塚越敏・中島義生訳『(普及版)ニーチェ全集16 書簡集Ⅱ・詩集』(理想社、一九八〇年)

  • レジは女性店員。半分くらいをリュックサックに入れることにして、重いやつらを紙袋に入れてもらった。礼を言って退出。しかしリュックサックが重すぎるようにおもわれたので、ちょっと駅のほうにもどったところで、たしか不動産屋の脇だったが植込みの段の一部がへこんでいてそこに腰掛けられるみたいな場所があったので、その日蔭に避難し、荷物をおろしてまず(……)駅についたときに買っていた葡萄ジュースを飲んだ。それからリュックサックと紙袋の配分を調節。背負っていて安定するようにバッグのなかの書物のおさめかたも整理し、そうして駅へ。
  • それから(……)に移動して、待ち合わせの時間までいくらかあったのでホームのベンチについて手帳にメモを取っていた。そうしているとそばに女性がひとりやってきて、立ったまま身をかがめてベンチに足をついていたのかなんだかよく見なかったがベンチをささえにするようにしながらあれはなにをやっていたのかわからないが、なにか靴下をなおすかなにかしていたのか、しばらくそうしたあとにホームの端のほうにむかってあるいていき、見ればそのむこう、階段のてまえに静止して待ち受けている男性がいるからあのひとと待ち合わせなのだなと判じられた。真っ白なジーンズにぴたりとつつまれた脚がやたらとほそくてながい女性だった。
  • 時間になって改札へ。出てまもなく発見し合流。(……)の髪型が生真面目でわりと洒落たものになっていた。移動。三人は、細田守新作の『竜とそばかすの姫』を観てきたという。中村佳穂が声優で主役を演じているやつだろうと受けると、やっぱり知ってたみたいな反応が来る。このときだったかのちだったか、(……)に、どこで知ったのかと問われたので、読売新聞の夕刊にPOP STYLEという連載がときどきあって、そこで中村佳穂がとりあげられてはなしていた、とこたえた。主人公は気の弱いというかじぶんに自信がないおとなしい少女で、ただ歌が好きで、ネット上でアバターをもちいて歌姫としての自分を得る、みたいな大枠のストーリーだったはず。中村佳穂は新聞記事で、この少女のさいしょのセリフだったかなんだか、なにかひとことを、どういうニュアンスで言ったらいいかといろいろ試行錯誤してなんども練習した、とはなしていた。あと経歴もちょっと載っていたが、たしか美大だかなんだかわすれたがそちら方面の出身で、美大にすすんだときだかはいったあとだかに、美術方面をやるか音楽をやるかでまよって音楽に決定したとあったはず。だから音楽をはじめたのはわりと遅いといえば遅いというか、二〇歳くらいのころだったはずで、歌はおさないころから歌っていたらしいが、曲作りはさいしょから苦労せず自然に出てくるかんじでできたみたいなことを言っていた。
  • 移動中やその後に(……)の評を聞いたが、とにかくやはり音楽が充実していてそれで持続させて満足できる、みたいなことを言っていたはず。あと、主人公の少女まわりで合唱をする女性の数人みたいなひとびとがいるらしいのだけれど、この女性らの合唱が前衛的というかかなり攻めていて質が高く、もっと聞きたかったのに出番がすくなくてその点すこし残念だった、とのこと。(……)は、役所広司が声優として出演しているようなのだが、彼の声が正直あまり合っていないようにかんじられたといい、こういう、いわゆるアニメ声優ではない俳優が声優をつとめることについて、業界の事情などを(……)くんに聞いていた。
  • 飯屋は「(……)」というところ。スイス料理を食う。料理の説明がしるされた紙をもらってきたのでそれを見ながらつづると、一膳は、牛乳パンに、「レシュティ」という細切りのジャガイモかためて焼いたやつ、「ビュンドナーフライシュ」という牛の干し肉、穴のあいたエメンタールチーズに「ミューズリー」というシリアル的なもので構成されていた。あと、「セルヴェラサラダ」というソーセージサラダも載っているが、これがあったかどうか記憶が定かでない。なんらかの野菜かサラダ的なものはふくまれていた気がするのだが、このサラダではなかったような気もする。「ミューズリー」というのは、「羊飼いが食べていた伝統的な食事をヒントに、スイス人医師のビルヒャー・ベンナーが1900年頃にサナトリウムの患者向けに考案したシリアル食品」という説明が付されていて、「サナトリウム」などという単語を見るといかにも一九世紀末から二〇世紀初頭の雰囲気が香ってくるもので、カフカのことをおもいだした。あとトーマス・マンとかバルトとか。膳のほかにヤギのミルクをつかったというジェラートを注文。こちらはひとりでひとつ、ほかの三人はひとつを三等分して食す。コロナウイルス対策だろう、店の側があらかじめ三つにわけて出してくれた。
  • 用紙のべつの面にはスイスの地図および言語分布が描かれてあるが、フランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏のほかに、ロマンシュ語圏というのも一部あって、ロマンス語ってなんだというのが話題になったがよくわからない。たしかロマンス語族みたいな区分があって、南欧のラテン系言語のくくりだった気がするのだが、だからイタリア語とかにわかれるまえの古いかたちの一言語なのでは? みたいなことを言うと、(……)もそんなかんじだったとおもう、と同意をかえしたが、真相は知らない。(……)
  • BGMはべつにスイス音楽だというわけではなく、スイスのラジオ局をかけているらしかったが、ジャンルもべつに統一されているわけではなく、メロウなソウルみたいな気持ちの良いやつがここでもかかったときがあったが、ほかには"Eye of the Tiger"とか、The Beatlesの"Lucy In The Sky With Diamonds"とかがながれていた。
  • 退店したあとは(……)のバッグを見に各所をまわるが、やつがピンとくる良いものは見つからない。移動中に、(……)がいぜん、ソ連映画特集みたいなものを見に行って、そこでタルコフスキーを見たというはなしが出たので、おお、と受けた。しかしやはり一般的な、ストーリーのある映画のテンポになれた身としては、眠くなるようだった、とのこと。なんかずっと風景みたいなやつなんでしょ? とたずねると、ぜんぜん動きのないカットがめちゃくちゃながくずっと映されて、そこでひとがよくわからないセリフをつぶやく、みたいな説明があったので、あ、でもセリフあるんだとおもった。まあいかにもアート映画、っていうかんじだろ、たるいだろ、とまとめたが、「たるい」(かったるい、退屈だ)というのはタルコフスキーのなまえにかけたわけではなく、口に出してからつまらん駄洒落ととられるおそれに気づいたのだが、そこはわざわざ言及せずに黙っておいた。ほか、タルコフスキーは『ソラリス』という映画も撮っているらしく、これはSF映画の古典みたいな位置づけをえているらしいが、そのなかで日本の首都高が映されるといい、それはタルコフスキーが日本に来たときに、ああいうかんじで都市のなかに高速道路が通っているのは海外ではめずらしいらしく、それにつよい印象をうけて映画に取り入れたらしい(その都市内高速道路はよく知らないがたぶん一九六四年の東京オリンピックのさいに建設されたもののはずで、先日(というのはこの二三日から見ると数日後だが)読んだwebちくまの蓮實重彦の時評みたいな記事では、それによって都市の景観が損なわれたことに若き蓮實重彦は激怒し、とりわけ生まれ育った六本木の交差点のながめが壊滅的に破壊されたことに怒り狂ったと記されてあった)。で、『ソラリス』というのはおぼえがあって、なんとかスタニスラフみたいななまえのSF作家が原作だろ、と言い、数年前に翻訳がたくさん出たときにTwitterで海外文学好きを標榜しているひとびとが盛り上がっていたのをおぼえている、とはなした。これはスタニスワフ・レムという名だった。ポーランド出身。書店で見かけてそこそこ気にはなっていた。国書刊行会から「レムコレクション」というのが出たのだ。沼野充義などが訳している。しかしWikipediaを見るに、「レムコレクション」は二〇〇三年か〇五年あたりから出ていて、こちらが知ったよりもずいぶんはやいなとおもったが、『短篇ベスト10』とか『主の変容病院・挑発』という巻が二〇一五年および一七年に出ているので、Twitterで話題になっていたのはこれだろう。これらが出るとともに、過去に訳されたシリーズもいっしょに書店で平積みされたということだろう。
  • 店をまわっているあいだは(……)とちょっとはなし。United Arrowsなどにもはいったのだが、まあこういうかんじのスタイルが好きでいままでずっとそれで来たけど、さいきんはもう飽きてきたな、とはなした。(……)の(……)でだいたい買っていたわけだが、ああいう駅ビルの範疇の品に飽きてきた、と。こういうかんじだというのがもうわかりきっていて新鮮味がないわけだ。ほんとうは街中でもっと小規模にやっている店とかにいって、ピンとくるやつを探りたい、それか古着屋がやっぱりいちばんおもしろいんだろうね、服が好きなひとにとっては、と。
  • その後、(……)をはなれて(……)家に行くために(……)に移動したのだが、家にむかうまえに駅前の(……)で鞄屋を見る。「(……)」という店。意外と洒落たものがある。(……)はやはり(……)で見たやつがいちばん良かったようでここでも買わなかったが、かわりにこちらが、POLOの小さなバッグを発見し、ピンときて、配色が良かったし、もともと二万の品が半額になってしかもそこからさらに三〇パーセント引きとされていたので、これふつうに買いだろとおもって購入を即決した。ビリジアン的な緑と黒と鈍くややくすんだ白が長方形として組み合わされたショルダーバッグで、札を見るに「USPA-1845G」というナンバーで、これ(https://item.rakuten.co.jp/sacs-bar/uspa-1845/(https://item.rakuten.co.jp/sacs-bar/uspa-1845/))の、左端が緑色になっている品。「オランダの画家、モンドリアンの抽象画にインスピレーションを受けた」などと記されてある。モンドリアンってオランダのひとだったのか。カンディンスキーにつらなるなまえなので、ロシアのイメージを持っていた。
  • (……)家ではだいたいエレキギターを借りていじるなど。似非ブルースならいくらでも弾いていられる。あと、こちらが尻を下ろすスペースとしてヨガマット的なものを引いてくれたので、他人の家だがストレッチをして下半身をやわらげるなど。夕食にはピザを取ってくれた。(……)を(……)に送るのだが、その文章の作成をいくらかこちらが担当する。文を書くとなるとやはりすこし熱中するというか、かたむきが生まれて、みなが到着したばかりのあたたかいピザをとりあげて食っているのにこちらは画面を見ながらキーボードに触れて文言をかんがえる。じきに(……)が替わってくれたので、それでようやく夕食にありつく。
  • 帰路と帰宅後は忘却。(……)くんが転職内定し、八月から九月の終わりまでだったか、めちゃくちゃ長く有給を取るという情報があったので、九月中にでもまた遊ぼうと。それか盆か。過去最高の感染者数を更新している現状、コロナウイルスがどうなるかわからないが、(……)家に行くくらいだったらそんなにリスクはないはず。それに、ワクチンも打つひとが増えているから、九月にはたぶんわりとおさまっているのではないか。しかし、オリンピック開催を強行してそのなかで感染者が過去最高となるのだから、不謹慎かもしれないけれどちょっと笑ってしまうようなお粗末な状況であり、ニュースで喋っているさまが映されたり、CMの合間にも登場して呼びかけをする政府の分科会の尾身茂会長の表情も悲痛になるわけだ。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 113~114: 「いつも感じることですけれど、死に瀕してしかじかのふるまいをするべきだった、と殺された人に要求するのは、生者の傲慢というものでしょう、英雄よろしく無益な抵抗をこころみてほしかった、殉教者よろしく平静でいてほしかったと思うのは、そう考えれば彼らの死がわたしたちにとって耐えやすくなるからです。彼らはわたしたちのために死んだんじゃない、わたしたちだって、ええ、彼らのために生きているわけじゃ(end113)ありません」
  • 115~116: 「そして今年 またこの年も(end115)/わたしたちの断食をもってあなたがたの断食を尋ねる/だがだれが穴中のあなたがたを捜し出せよう? わたしたちは目が見えない!」(「ヨム・キプール」と題されたクリューガー作の詩)
  • 120~121: 「わたしは読む、子どもたちはポーランドのビャウィストクから来た、そこはガス室の情報が知れわたっていた。子どもたちは十月に五十三人のユダヤ人「保護者」とともにテレージエンシュタットから移送された。みんな外国へ行くと信じていたが、行き着いたのはアウシュヴィッツでの死だった。保護者のなかにカフカの有名な愛妹、オットラがいる。亡くなったカフカはまだ世界文学の仲間入りを果たしていなかったから、当時のオットラはまだ無名だったけれど。その年の夏、カフカの六十回目の誕生日がゲットーで祝われた。オットラはその祝いに参加した。テレージエンシュタットでは文化(end120)は価値をもっていた」
  • 124: 「遊んでいる子どもにまじって、わたしの亡霊たちが見える。たいそうくっきりした輪郭をして、ただ透きとおっている。幽霊に似つかわしい、幽霊のあるべき姿。生きている子どもたちは堅固で、大声を上げ、地に足をつけていた。わたしはほっとして立ち去った。テレージエンシュタットは収容所博物館にならなかった。それは人間が生活する町だった。一八四〇年代にザールの兵士たちの陰鬱な町だった町、一九四〇年代に人でごったがえすわたしの通過収容所だった町は、また居住性と習慣を取り戻していた」
  • 125: 「人を生きながらえさせたのは希望だと言われる。けれど本当のところは、希望は恐怖の裏返しだった。恐怖は舌の上の砂のように、血管の中の麻薬のように感じられ、強い感覚をもたらすから、人を生きながらえさせる。希望の原理ではなく恐怖の原理と呼ばなければならないところだろう」
  • 126: 「絶望には、ボロフスキーが希望の上位に置いた勇気をふるいおこさせる絶望のほかに、もうひとつ「ムーゼルマン」という現象に現れた無気力な絶望がある。ムーゼルマンとは、強制収容所において生存意欲をすっかり喪失し、自動人形さながらの反応しかできなくなった自閉症のような人びとをさしていた。その人びとはもはや救いようがないと言われた。ムーゼルマンになるともう長くない、と忠告を受けた」
  • 131: 「狭い空間で死の恐怖を味わったことがある人は、体験を手がかりに、わたしが述べたような移送にたいする理解の橋をもっている。わたしが自分の移送を手がかりにガス室での死をある意味で理解するのと同じように、いや、理解したつもりになっているのと同じように、いったい、人間の遭遇するさまざまな状態に思いを馳せるとは、知っている事柄から認識できる事柄、似ていると認め得る事柄を導き出すこと以外のなんだというのだろう。比較なしには立ちいかないのだ」
  • 132: 「信じられないかもしれないけれど、アメリカ人のなかには、あなたたちの防空壕の体験を食事どきに持ち出すことを途方もない悪夢のように思っている人すらいる。ひょっとしたらあなたたちの家庭にさえ、もうそういう子どもが出てきているかもしれない。わたしはあのころ、戦争が終わったらわたしは面白くて大切な話しをしなければならなくなるんだ、と思い暮らしていた。ところが人は耳を傾けたがらなかった。たとえ聞くにしても、その態度はどこかぎくしゃくしていて、対話の相手に向きあうのでなく、不愉快なおつとめをしぶしぶ引き受ける者の気配があった。どうかすると嫌悪感にひっくり返りそうな、一種の畏敬の念があった。畏敬の念にしろ、嫌悪感にしろ、いずれにしろこのふたつの感情は補いあう。なぜなら嫌悪の対象も畏敬の対象も、人はわが身から遠ざけるものだから」

2021/7/22, Thu.

 (……)この稿があきらかにしたいのは、いわば「プロレタリア」であることへのレヴィナスのまなざしにほかならない。じっさい、私はこの身のほかになにものももたず [﹅8] に、この地上に生みおとされる。〈私〉はもともと存在という鎖いがいになにも所有していない。逆にまた、レヴィナスにとって、〈他者〉はたんに「異邦人」であるばかりではない。〈他者〉はまた、「プロレタリア」である(73/102)。なにものも所有しない [﹅10] 裸形のものが〈他者〉なのである。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、14; 第Ⅰ部 第Ⅰ章「問題の設定 ――〈身〉のおきどころのなさの感覚から――」)



  • 一〇時半ごろ正式な覚醒。もちろん暑い。陽射しも盛ん。こめかみやら腹やら喉やらを揉んでから一〇時四五分に離床した。いつもどおり、水場に行ってきてから瞑想。きょうはかんがえごとの割合が多い時間だった。(……)くんへの返信など。下の(……)さんの家の子どもか(……)さんのところの子か、あるいはいっしょになっているのかもしれないが、小児特有の狂ったようなにぎやかさと情熱で数人さわいでいた。なにか、ごっこというか、設定をもうけて演ずるみたいなことをしていたような気がする。島についた! とかなんとか言っていた。海賊か? 『ONE PIECE』か?
  • 上階へ。居間は無人。きのうのしょっぱすぎた炒めものと味噌汁で食事。新聞からはパキスタンアフガニスタンからの難民で困っているという記事を見た。タリバンが各地に攻勢をかけるにつれて難民も発生しており、パキスタンのイムラン・カーン首相は、パキスタンにはこれ以上難民を受け入れる能力や経済力がないと言って、タリバンを批判しながら一時国境を封鎖したりもしているらしいが、そもそもタリバンをもっとも支援してきた国がパキスタンなので、身から出た錆だという冷ややかな見方もあるという。難民による誘拐身代金事件が起こったりもしており、難民にたいして良い印象を持たないひともおおいようだが、それはどこの国でもどこの地域でもおなじだ。あと、感染者データを見たけれど、きのう一日は東京で一八〇〇人超とかで着実に増えており、きょう明日「(……)」のひとびとと会いに行くのだけれど正直あやういかな、というかんじも多少はおぼえる。地域面を見るかぎりでは(……)あたりはさほどでなく、基本、新宿より都心が主要感染地のようだが。東京のまわりだと埼玉、神奈川、千葉も何百人規模だが、山梨はプラス五人とかそのくらいでさすがだ。
  • 食器をかたづけ、風呂を洗って茶を用意。急須に湯をそそいでしばらく待つあいだ、ソファに座って脹脛を揉んでいたが、暑い。肌表面や肌着の内に熱がこもって汗もとうぜん避けられない。茶をつくると室に帰り、エアコンをつけて一服した。それからこの日のことをここまでつづって一二時半過ぎ。二時台後半の電車で行けばちょうど良いか、という印象。それまでにからだをととのえたい。
  • 書見した。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける』。収容所問題から感傷を排除することについて多少おもう。第三帝国下の収容所で殺されたひとびとの死をその有意味性においてすくいとるのではなく、その死が徹底して無意味であったということ、ほぼなんの意味もなく彼らは殺されたのだということを核心に置き、そしてそのことにおいてこそ怒らねばならないのではないか。死者の死に意味をあたえてそれをすくうことができるのは、もしそれができるとするならば、遺族とか、知人とか、子孫とか、ユダヤの出自にいるひととか、なんらかの意味でちかしい立場にあるひとだけではないのか。すくおうとすることがそういうひとびとのしごとなのだとしたら、部外者としてのじぶん(たち)のしごとは、怒ること、つつしみをもって怒り、無意味さをかんがえ、とらえることではないのか。意味は物語に通じ、物語は感傷に通じるだろう。
  • 84の記述は印象深い。「ゲッティンゲンで、博士志望の学生や大学の教授資格試験に臨む学究たちと昼食をともにする。ひとりがこんな話をする。ぼく、エルサレムハンガリーの老人と知りあったんです、そのおじいさんはアウシュヴィッツに収容されてた人なんだけど、ところがこの人ったら「そういう口の下から」アラブ人を糞味噌に言うんだなあ、連中はみんな悪党だって。アウシュヴィッツにいたって人が、なんだってあんな言いかたができるんでしょうね、ドイツ人がそう訊ねる。わたしは突っかかり、たぶん必要以上にきつい口調になる。あなた、いったいなにを考えてるの、アウシュヴィッツはなにかの学校だったわけじゃないのよ、ましてや人間性や寛容を教える場所だったはずがないでしょう。強制収容所からいいものなんて、なんにも生まれなかった。なのに、よりによって心が浄められただろうって? あれはもっとも無益で、もっとも役に立たない施設だったんです、たとえほかはなんにも知らなくったって、これだけは肝に銘じといてもらいたいわ」。こちらも、この学生らとおなじようにかんがえてしまっていたので、不明を恥じる。そして、クリューガーの言はたしかに真実だと感じるのだが、いっぽうで、プリーモ・レーヴィがそれと対立することばを述べていたこともおもいだすのだ。いわく、「もし後に私が知識人になったのだとしたら、それは確かにそこで得た経験が助けになったのだった。(……)私の場合には、リディア・ロルフィや他の多くの「幸運な」生き残りと同じように、ラーゲルは大学であった。それは私たちに、周囲を眺め、人間を評価することを教えてくれた」(竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』(朝日新聞出版、二〇〇〇年)、163)。なおかつ、クリューガー自身も迷っている。先のエピソードを語った直後の段落で、「わたし自身は苦境下の人間というものについて、のちにも応用できるなにかを収容所で学んだとは思っていないのか? わたしは比較を拒絶していない、だからこそ? それに、わたしが歯ぎしりして怒るのは、知ることに異議を唱えようとする人、ろくすっぽ見もしないで、ああいう場所だと人は行動の責任能力なんかなくなるものさ、と決めつけたがる人にではなかったろうか?」(85)と書いているからである。ことがらの明晰な一般化は困難である。したがって、順当なみちすじとして、事態を個別に即してとらえることが要請される。「どんな場合でもそうであるように、ここでもまた真実は具体的なのだ。強制収容所体験が人生にはたす役割は、あやしげな心理学の法則から導き出せはしない。各人各様なのだ。収容以前の出来事、以後の出来事、そして収容所でひとりひとりがどう生きたかによって、それは異なる。収容所は、それぞれの人びとにとって唯一無比だった」(85)と。これもまた疑いなく真実であるとおもう。そして、その真実は、収容所をかんがえる際に、共通の基盤的前提に据えられなければならない真実だとおもう。しかしなおかつ、そこで止まるのではなく、なんらかの一般化をこころみることが、ひとにとって不可避である以上に必要なことなのではないかとも同時におもう。
  • 一時四〇分くらいで切りとし、LINEを覗くと、四時に(……)とあった。即座に電車を調べて、(……)で行くとおくる。そうしてトイレに立ち、ついでに上階に行って洗濯物も取りこんでおいた。もどるとストレッチである。下半身をよくほぐしておき、二時二〇分ごろから外出の準備。歯磨きをさっとすませて上に行き、急須や湯呑みを洗ってかたづけておくとボディシートで肌をぬぐった。そうして着替え。裾がすこしみじかめのオレンジのズボンのことをおもいだしたので、それを履くことにして、自室の押入れの暗がりから引っ張り出す。いぜんより腹が痩せたので腰回りがどうかとおもったが、ゆるすぎず、わりとちょうど良いかんじだった。上はGLOBAL WORKのカラフルなチェックシャツ。靴下はカバーソックスで夏っぽくした。服を買っていないので、二年くらいまえの夏とよそおいが変わっていない。
  • ギターケースに荷をまとめて上階へ。タオルだけたたんでおき、トイレに行って放尿すると洗面所で髪にワックスをすこしつけた。後頭部に寝癖があっていろいろな方向にこまかく立っていたようだが、どうにもならない。短髪なので目立ちはしないはず。
  • 出発である。ケースは手に持ってはこぶのではなく、背負った。そうすると背中が熱くなって余計に汗をかくが。道脇の林にセミの声が増えている。公営住宅前には日なたがひろく描かれており、陰はとぼしいから避けようがなく、はいれば熱くまぶしくつよいのに目をほそめる。なかなかの重さである。(……)さんの庭の隅に生えているサルスベリがひかりに抜かれて葉をかたくしており、金属質にかたまりながらも風に揺れうごく葉たちに貼られた白さと陰影がくっきりきわだったそのなかで花のピンクを点じられたすがたが、視界を治めるあかるさのころもにつつまれていた。
  • たしか最寄り駅についたあたりで、「秋晴れのかみなりだけを記録する天使にもっともちかいひとびと」という一首をつくった。
  • (……)までのあいだは、半分は瞑目に休み、半分は手帳にメモを取っていた。あるいは逆の順番だったかもしれないが、どちらでも良い。駅に降り立ち、腹が減っていたので、スタジオ前にちょっと食べようとおもい、階段を上がってすぐ脇にあるパン屋に寄って見分。女性店員が愛想よく声をかけてくるのであいさつし、「プルニエ」という一六〇円のものを選んだ。ただ、四時からスタジオですぐに行くものだとおもっていたらそうではなく、五時からだったので、このパンは食べる機会を逸してしまい、のちほど帰宅後の深夜に胃に取りこまれることになる。女性店員は、お忘れ物がないように、と二回言った。ギターケースが大きいので、荷物が多いように見えたのか。
  • そうして改札を抜け、右に折れるとさっそく三人のすがたが見える。(……)が手を挙げるので返し、ちかづいてあいさつ。(……)の髪型が、左右に分けてやや垂らした先をほんのすこしうねらせたようなものになっていたので、売れない芸術家風の、いいかんじの胡散臭さだと褒めておいた。彼はこの翌日に髪を切り、分けるのはおなじだが短めの髪が垂れずあたまに乗ったようなかたちになって、そうすると今度は胡散臭さがなくなり、きっちりとまとまって生真面目めいていたが。スタジオにはまだ行かず、行きたいところがあると言うのであるきだしてついていくと、(……)へ。六階で服でも見るのかとおもったところが、これはもう半年過ぎたがこちらの誕生日プレゼントとして眼鏡を買ってくれるということだった。ただそのまえに六階に下りて、ボディバッグがほしいという(……)のために「(……)」という鞄屋にはいったが。見分。入り口からすこし奥にはいったところの壁際にボディバッグのたぐいがそろっていて、(……)が身につけていると男性店員がうしろから説明をはさんできて、たいていの品は縦向きなんですけど、それは横向きになっていて、からだにつけたままものを出せるので楽ですよ、というはなしだった。(……)はこの品が気に入っていたようだがけっきょくこのときは買わず、翌日に(……)などでも見たものの、やっぱりあれがいちばん良かったなとなっていたようで、大阪に帰るまえ、二四日に(……)に寄って買うと言っていたがじっさいに入手したのかどうか聞いていない。
  • 店を出ると一階あがって、「(……)」へ。ここで、こちらの眼鏡をプレゼントしようとおもっていたのだといわばサプライズ企画が明かされたわけだが、それにたいしてじぶんはぜんぜん驚かず、ああそうか、ありがとう、とおだやかに受けてしまったので、反応の薄さを突っこまれていた。それで品々を見分。まあだいたいこのへんかなというのはすぐに決まる。さいしょは『PEANUTS』とコラボレーションしていてスヌーピーがデザインにはいっている(つるというのか、耳掛けの接合部がちいさなスヌーピーの顔になっていたりした)シリーズの品がデザインとして良いのでこのあたりにしようかなとおもいつつも、『PEANUTS』に特に興味はないしスヌーピーいらねえんだけどなとその裏側を見ると、まあ似たようなデザインの通常の品があったので、このへんにするかと目星をつけた。選んでかければ、どれもよく似合うという評価をもらえる。(……)くんが、俺だったら横の部分(つる)が金色になってるのは避けるな、というのでこちらもその言にしたがい、ワインレッドのフレームで、レンズは真円ではないがけっこうそれに近い、丸っこい楕円の品に決めた。たしかまえに来たときも、これが良いとおもったのではなかったか。一一月後半くらいになって冬がちかづいたころの、水気をややうしなってあまりつやめかず渋いように、しかしおとろえず色味はあざやかに紅葉したモミジの赤、といったかんじの色。
  • きょう視力検査とか手続きとかもろもろやって眼鏡を買うのわりと面倒くせえなと正直おもっていたのだけれど、三人のようすが買うながれになっていたので、どうせじぶんでは面倒がって買いに来ないしここは受動性に徹してこのながれに身をまかせようというわけで、品を持ってレジへ。購入までのしくみがわからなかったのだが、カウンターの女性にはなしかけると、まずあちらで登録をと店内に設置された機械モニターをしめされたのでそちらに。画面や文字のパネルに触れて情報を入力し、登録をすませて出てきた紙を先ほどのひとに持っていくと、いくらか質問をされた。ずっとかける用途かそれともあるときだけかと問われたので、まあふつうにものはよく見えないしなとおもって常用を選択。コンタクトも使っていないし、眼鏡を買うのもはじめてであると言っておき、三番目の順番で視力検査をしますので、呼ばれるまで店内でお待ちくださいというのに了承し、三人のところにもどった。(……)もさいきん外に出るとまぶしくて目が痛いからサングラスを買うと言って一品えらんで会計に行ったのだが、そこで、二品まとめて買うと一〇パーセントオフで連れといっしょでも適用されるという表示を見つけた(……)くんがそれをつたえに行き、こちらの品とまとめることになった。時刻は四時半すぎくらいだったはずで、(……)はその後、五時になっちゃうからスタジオに先に行っていると言って離脱。こちらは店内の視力検査ブースのてまえ、腰をかけるための椅子やブロックが用意されてある待合スペースに移った。そこは店外の通路と接した場所で、すぐ背後には(……)くんと(……)が立って待ちながら談笑しており、こちらのギターケースは(……)に持ってもらっていた。前方には手洗いスペースがあって鏡がついているのだが、うしろの(……)は、脚を組んでじっと待っているこちらや彼らのすがたがその鏡に映りこんでいるのを見て、なんかちょっと絵画みたいじゃないかと言っていた。フーコーが『言葉と物』のさいしょでとりあげているというベラスケスのあの絵画、タイトルをわすれたがスペインの王族と、あれはその侍女なのかなんなのか矮人を描いていたはずの絵をおもいださないでもなかった。
  • それでそのうちに呼ばれて視力検査へ。若い男性が担当してくれる。さいしょにいちばんてまえにある一台で予備検査的なことをおこなった。台に顎を乗せて機械をのぞきこむだけで、片目ずつ、映った像、文字だかなんだかわすれたがそのピントが調節されてはっきり見えるようになり、それだけでもう終了だった。それから奥の検査機のひとつに移り、ここでも同様に顔を機械にぴったりつけながらのぞいて、スタンダードな視力検査、つまり一方向がかけた円みたいなあるいはそれぞれの方向をむいたCみたいな記号がうつされるのを受けて、穴があいている方向をこたえるという例のやつがおこなわれた。かなりちいさくなっても、いちおうこたえられるにはこたえられるので、じぶんはおもっていたよりも意外と目が悪くないのかもしれない。なにをやっているのか知らないが、これだとどうですか、と言って店員がなにか調節して、すると視像がややぼやけるようだったので、そうすると見えづらくなりますね、などとこたえてすすんでいき、そのつぎにレンズをためすための簡易的な眼鏡みたいなものをわたされて、見え方がどうか確認した。さいしょは〇. 八くらいにあわせたレンズだったらしく、これをかけるとものがめちゃくちゃよく見えて視界が非常にクリアになりおどろいた。「(……)」の店舗のむかいにはユニクロがあって、(……)と(……)くんが待っている通路のむこうに女性の写真パネルかなにかがとりつけられた柱があったのだけれど、かけないとそれがぼやけてどうにもならないところ、レンズをとおすとはっきりすがたがまとまるのだった。ただ、これだとけっこう度が強いようにもかんじられ、立ってちょっとうごいてみるとくらくらとする。そう言うと店員はもう一段階下げたレンズを用意してくれ、おなじように試すのだが、視界の明晰さではやはりわずかに劣るものの、こちらのほうが良いだろうなとおもわれた。ただいずれにしても、つけて歩くとレンズのなかの像とその外側の隙間に覗く像との格差ということなのだろうが、ちょっとくらくらするような感覚はあって、たぶんそのうち慣れるものなのだろうが、それをかんがえるともっとレンズの範囲がおおきい品にすればよかったかなとおもわないでもない。
  • それで決定し、ブルーライトカットを三三パーセントで入れてもらって、またすこし待つ。すぐに呼ばれ、会計をすませ、五時四〇分以降にできると書かれた証明書的な用紙を受け取り、退店。すでに五時が近かったはず。急いでスタジオへむかわなければならない。エスカレーターを下りていき、ビルから駅通路に出て、ひとびとの群れのなかを南へむかってあるきながら、(……)くんに視力どれくらいなのと聞いてみると、眼鏡をつけていて〇. 五とかいっていたか? だからかなり悪いのだとおもう。彼のばあいは映画用など、より度がつよい眼鏡も持っていると言っていたはず。駅舎をぬけると右に折れて歩廊を行き、階段をくだってさらに右手へ。西陽に漬けられてあちいあちいと言いながらすすみ、(……)から変わった(……)というビルに至り、なかにはいった。建物も設備もなにも変わっていないはずだが。店員はどうなのか知らない。はいるとすぐのところにアルコール液が用意されているのだが、これがドラムペダルに取りつけたもので、ペダルを踏むと液が出るついでにシンバルがシャンシャン鳴る趣向になっていてちょっと笑う。
  • カウンターの店員にあいさつをかけながら階段をのぼっていき、(……)に知らされていた室へ。五時一〇分か一五分くらいだったか? そうして準備。入り口から見て左方にの角ドラムセットがあり、そこには(……)がつき、ドラムセットの角から縦方向に正面の隅にはベースの(……)くんがつく。入り口は室の右端についているが、そちらの壁際にはマーシャルとRolandのJazz Chorusが置かれてあるのでこちらはそのあたりへ。アコギだし、まあJazz Chorusで良いだろうと選択。じぶんはむかしからわりとJazz Chorusをつかって、エフェクターでひずみを確保することが多かった。マーシャルもむろんつかったが。それで準備したが、アコギ本体についたボリューム調整のノブとアンプのほうをうまく適合させるのがむずかしくて手間取った。本体のボリュームノブをひらきすぎると途端にハウリングするからかなり下げなくてはならないのだけれど、ちょっとひらくだけでかなり変わるから、アンプのほうのボリュームをどのあたりに据えるかがむずかしかった。それでもいちおう設定を終えて、弾けるように。
  • (……)
  • 七時で終了。かたづけをして、物品をなるべくもとの状態にもどし、室を出て階下へ。スタジオ代はひとり一四〇〇円ほど。これはあとで飯を食うときに精算された。(……)が音源をながしていたスマートフォンをあやうくわすれかけて取りにもどったのを待ち、店員にあいさつをして退出。駅へもどる。眼鏡を取りにいくのだった。それで、そのうえのレストランフロアで食事を取れば良いのではとなった。営業は八時までなので時間はすくないが。裏通りからロータリーに出る角で八百屋の兄ちゃんが威勢の良い声をあげているのを横にすぎ、エスカレーターに乗って駅舎にはいり、ビルへ。こちらが眼鏡を取りに行っているあいだに三人にはレストランフロアにあがってもらい、店を決めておいてもらうことに。それで七階で下り、「(……)」へ。カウンターで用紙を差し出すと横手のスペースに誘導され、そこでやりとり。かけてみてつけ心地などを確認し、ケースを選んだ。スタンダードな黒の箱型のやつにした。そこそこ重いが、さいしょのひとつなのでまあ良い。(……)が買ったサングラスもあわせて受け取り、礼を言って退店。一階あがるとすぐそこに(……)と(……)くんがいて、背後から寄って声をかけると、そこにあった「(……)」か、韓国料理かだと。こちらはどちらでも良かったが、「(……)」のウィンドウを見るとうどんのセットがあって、うどん食いてえなとおもっていると、韓国料理のほうを見に行っていた(……)が来てあっちでいいかというので了承。店の入り口横に、画面とカメラの範囲にはいれば自動で体温を測ってくれる装置があったので計測。三六. 四度だったはず。アルコール消毒もして入店し、テーブル席に。店は「(……)」というなまえだった。こちらは豚トロ焼き定食みたいなセットを注文。(……)はチヂミ、(……)くんはビビンバのたぐい、(……)もチーズがやたらたくさん乗ったあれもビビンバだったか? べつの品だったかもしれないが、チーズがたくさん乗っていたのはたしかである。注文してまもなく、(……)がトイレに行くというのでこちらも立って小用へ。通路を行くあいだ、(……)は、(……)くんのあるきかたのモノマネするといって、リズムに乗るような、一歩ごとに足を柔軟に伸び縮みさせてからだを上下に揺らすようなあるきかたを披露したが、たしかにやつは高校時代そういうかんじのあるきかたをしていたおぼえがある。ダンス部で音楽も好きだったので、つねに乗っているような振舞いだったのだ。
  • 用を足してもどってくるとまもなく品が届いたはず。(……)がもどってこないうちにこちらのものと(……)のものがとどいてしまったが、時間もすくなかったので先に食べはじめた。キムチというものをあまり好まず、食べつけない身であるどころかほとんど食わない人間なのだが、このときのものはあくどいかんじがなくてふつうにうまかった。肉もうまく、米といっしょに頬張って咀嚼する。店員には韓国のひとが多いようで、名札にはたとえば(……)という文字などが見られる。なかにひとりだけ、日本人らしき発語の女性があった。男性の店員は見た範囲ではいなかったようにおもう。われわれのテーブルが接した壁には絵がひとつかかっていて、それに(……)が目を留めて、これなんの場面なんだろうと疑問をもらしていた。たしかによくわからないもので、おそらくは身分の高めな女性が寝所で寝るまえに下男に服を脱がせてもらっているところかとおもわれたのだが(画面手前には布団が敷かれてある)、屏風というか衝立的なものの陰から顔を出してそれを覗き見しているふたりの人物がいる。女性の服は、日本の平安貴族の十二単ほどではないだろうがいくらかかさねがなされていたようで、何色かの段が袖のあたりに見えていて、あるいはあれはじっさいにはいくつも重ね着しているわけではなくて一枚でそういうふうに見えるデザインなのかもしれないが、父親が見ている韓国ドラマでこういうかんじの衣装を見かけたようなおぼえがあるから、たぶん身分の高い女性なのではないか。寝所、(意味不明な)窃視、脱衣というテーマというか状況設定にくわえて、女性の胸もとに線がちょっとだけ入っていてつまり谷間をほんのすこし見せるようになっていることもあって、多少エロティックな雰囲気をかんじないでもなかったが、なぜ飯屋にそのような絵をかけているのか?
  • 会計はテーブル上でなされた。店員が八時をまえに金銭を置くための台というか、どこの店のレジにもある薄いあれを持ってきたのだ。それでスタジオ分もふくめて精算。金が揃うと店員を呼んで持っていってもらい、会計が済むとサービスとして飴が配られた。(……)
  • そうして退出。ふたたび熱を測っておいた(食事のまえとまったく変わっていない)。アルコール消毒もして、階をくだっていく。ビルを出てもまだ解散にはならず、(……)がおのずから北口のほうにあるきだし、モノレール下に行こうというのでついていく。アイスを食いたいというのでコンビニに寄ることに。じぶんもわりと食いたかった。それで歩廊を行き、とちゅうのエスカレーターで下りて、(……)に入店。店の片隅に設置されたアイスのはいったボックスを覗き、こちらはすぐにメロン風味のワッフルコーンに決定。それを選ぶと、意外なチョイスだといって笑われた。財布を取り出したりなんだりが面倒臭かったので、(……)にまとめて会計してもらうよう頼んだのだが、この日その金をわたすのをわすれてしまい、帰宅後におもいだしたので、この翌日に飯屋で渡しておいた。それでコンビニを抜け、横断歩道で信号を待つあいだにもうアイスを食べはじめてしまおうとカバーを外そうとしたのだが、これがなぜかめちゃくちゃ固くきっちりと嵌まっていてぜんぜん外れず、あまりつよくやりすぎると勢いあまって落としてしまったりとかアイスが欠けてしまったりするということを幼少期の経験から知っているのでなりふり構わずもできないのだが、それにしてもかなりつよくひっぱっても外れず、ぜんぜんはずれないんだけどと笑いながら苦戦しているところに、こちらの右に立っていた高年女性が、このひとは先ほどからなんとなくわれわれにはなしかけたがっているような雰囲気を出していたのだが、ひねるといいよみたいなアドバイスをかけてきたので、いやぜんぜん外れないですよと受けながらそれにしたがってひねってみるもやはり外れず、いやいやそんなわけないでしょというかんじで受け取って余裕の笑みでいた(……)くんも、まもなく、あ、これはマジだわとおどろき、こんなに外れない? と難儀するので、すげえ品にあたってしまったなと笑った。けっきょく(……)くんが爪を縁に差しこんで無理やりもちあげるみたいなかんじで外してくれて、無事食べられるようになったこちらは礼を言って、これでやっと食べられますよと隣の老女にも笑いをかけ、信号の変わった横断歩道をわたりながら一口やりはじめた。老女はなんとかのこしながらわれわれよりも先にスタスタいって、(……)のなかにはいっていった。たしかちいさいリュック的な背負いを身につけていたような気がされ、くわえて片手にビニール袋を持っていた。(……)は、あのおばあちゃんおもしろかったね、ひねるんだよ、って、いきなりはいってきて、と印象を受けたようで、これ日記に書いてよというのでああ、書くわ、と応じた。
  • そうしてモノレール線路下の広場にはいって、先にすすんでいる。けっこうひとがいて、やはり若者らが散発的に組をなしてあつまっているわけだが、なかにはアコギをジャカジャカやって歌っているやつなどもいるので、(……)くんだか(……)だかは、入れるじゃん、と言ったりもする。複数人ですわれるような場所はそういうひとびとにだいたい取られており、けっこうすすんで、広場の東側に飯屋がならんだあたりで、その飯屋のまえに段があったのでそこにたむろすることに。腰を掛け、アコギを出してブルースをてきとうに弾いて過ごした。
  • そのうちに、明日何時にあつまるかというはなしになった。あつまるというか、(……)は(……)家に泊まるわけだし、こちらが何時に出向くかということで、何時に来れる? ときかれたのだが、明日やることといって(……)のバッグを見繕うことと、(……)にある「(……)」という店で飯を食うことと、あと(……)についてはなしあうくらいで、(……)としてはこちらに午前中とかはやい時間から来てもらってはなしあいをしたかったようで、今日場所を(……)にしたのもこちらがそう遅くならず帰ってはやく寝られるようにとの配慮がふくまれていたようだが、こちらは毛頭はやく寝るつもりなどなかった。また、この前日に、労働後の帰路、一一時過ぎに最寄り駅で電話して、(出先でLINEが見られていなかったので)明日どうなったかと聞いたときに、明後日ならまあそこそこはやい時間から行けるとおもうとこちら自身そう言ってはいたのだけれど、日記を書いたりもろもろする時間も確保したかったので、何時に来られるかと聞かれてもどうしようかなと迷い、ぐずぐず明言せずに、明日はなしあうことってなにがあるのとか聞いて、どれくらいの時間で足りるか、どういうスケジュールで行くかあたまのなかで計算していたところ、(……)はだんだん消沈したようになってきて、たぶんこちらがはやくから積極的にでむくほど乗り気でないことにがっかりしたのではないかとおもうが、それならはなしあいはいい、通話でもやろうとおもえばできるし、みたいなことを言い出すので、まいったなとおもった。また、(……)が午前中に髪を切りにいく予定があるとか、彼のバッグをどのタイミングで見るかとか、「(……)」は遅い昼飯のつもりで三時に予約してあったのだが、はなしあいを先にするなら六時くらいに変えたほうがいいかもしれない、といったもろもろの要素があるなかで、こちらは、はなしあいといってそんなにながくかからないだろうし、きょうよりすこしだけはやく、三時ごろに(……)にでむいてはなしあい、飯屋に行くまえにバッグを見るというのはどうかと提案したものの、あまり賛同の雰囲気にはならず、けっきょく(……)が、バッグは髪を切りにいくときか、最悪明日見るからいい、予定どおり三時に(……)で飯を食い、それから(……)家にもどってそこで夜まではなしあえばよいのではないかと案を出して、ではそれで、とまとまった。こちらとしては(……)がどうしたいのか、そこのところをはっきり聞きたくて、(……)の理想はなに? ときいたのだけれど、そうすると、いや、やりたいことの時間をうばってしまうと申し訳ないから、なにも言えないな、ってなってた、という返答が来たので、それならばしかたがない。(……)
  • そのうちに、というか、資料はないにしても、もういまここで先に多少はなししておけばいいんじゃね、とおもい、そう口にすると、(……)も、ちょうどいまそうかんがえていたと言って、(……)をいくつかはなしだしたので、ギターをいじりながらそれを聞いた。(……)
  • それで、一〇時半まえくらいになって、そろそろ帰ろうとなり、ギターをしまって駅へむかってあるきだした。あたりには、スケボーに興じたり、自転車で前輪をあげるウィリーに情熱を燃やしたりする若者らがおりおりあらわれる。さらに、とちゅう、(……)の横あたりにあるベンチに男女が腰掛けていたのだけれど、事情は知れないもののその女性のほうが泣いていたのを受けて、過ぎたあと(……)くんが、いや、モノ下(「モノレール線路下広場」ということで、高校時代からこの略称が一般的である)おもしろいな、ドラマがあるなと言って目をかがやかせるようにしていた。
  • それで駅までもどり、改札をくぐって、通路のとちゅうであいさつを交わし(コロナウイルスの情勢下にもかかわらずふつうに握手をしてしまったのだが)、こちらひとり(……)のほうに下りて帰路へ。電車内ではたぶんほぼ寝ていたはず。そのあとの帰路もわすれたし、帰ってからのこともわすれた。金井美恵子「切りぬき美術館 新 スクラップ・ギャラリー: 第20回 子供の領分と絵の空間 青柳喜兵衛と小林猶治郎|1」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2019/06/1.html(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2019/06/1.html))を読んでいるが。前者の画家のなまえは、「きひょうえ」と読むらしい。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 81~82: 「残されたもの、出来事の起こった場所や石組みや灰燼に後生大事にしがみついてさえいれば、解決できなかったものが解決できるのではないだろうか、わたしたちはそう期待する。過去の犯罪の醜悪な、現実感のない残骸をとおしてわたしたちが敬っているのは、死者 [﹅2] ではない。収集したり保存したりするのは、わたしたちが [﹅6] それをなにかしら必要とするからだ。わたしたちはこの残骸によっていったん居心地の悪い思いをしておき、しかるのち(end81)に慰められたいのだろうか? 大量殺人や子ども殺しなど、タブーがいちじるしく破られたあとに残る解決できない難題は浮かばれない亡霊と化している。わたしたちはその亡霊にふるさとのようなものをあたえているのだ、ここなら化けて出てもいいですよ、とばかりに」
  • 84: 「若いふたりは気負いもなく、ごく自然にわたしの子ども時代に関心を示したが、がんとしてポーランド人とユダヤ人の違いを認めようとせず、ポーランド国民の反ユダヤ主義をどうしても自分たちの省察に組みこもうとしなかった。虐待された人びとは、是が非でも善人でなくてはならないわけだ。でなければ、加害者と被害者の対比の構図をどうやって維持できる?」
  • 86~87: 「その男の奥さんに、ホスト側の奥さんがわたしの来歴を話して聞かせた。返事はこうだった。「あのひとが収容されたはずはありませんよ、若すぎますもの」 それを言うなら(end86)「生き残るには若すぎますもの」だろう、収容されるのに若すぎるもなにもなかった」
  • 87: 「政治囚の一部はそもそも反ユダヤ主義的な環境で育った人たちで、優越意識をもち、ユダヤ人を軽蔑していた。俺たちは自分の信条ゆえに拘留されているけれど、ユダヤ人ときたら、逮捕されるなんの理由もないんだから、というわけだった」
  • 89~90: 「ひとたびここに立って胸が一杯になれば、たとえそれがなんのことはない、お化け屋敷の戦慄にすぎなかったとしても、感じた人は感じなかった人より高等な人間になった気がするだろう。感動したことそのものに鼻の高い人が、感動の質を問いただすはずがあろうか? 思うに修復をほどこした過去の恐怖の残り滓のこんな展示は、かえって感傷を招きよせはしないか? それは一見対象に注意を呼びかけているようで、じつは対象から目をそらさせ、感情の自己投影に横すべりさせているのではないだろうか?」
  • 91: 「なるほど、たしかに展示された写真や、文字になったデータや、事実やドキュメンタリーフィルムは助けになる。でも、強制収容所は場所 [オルト] だろうか? 場景 [オルトシャフト] 、風土 [ラントシャフト] 、風景 [ランドスケープ] 、海景 [シースケープ] 。――時景 [ツァイトシャフト] という言葉がなくてはならない」