2020/10/19, Mon.

 私は読むことの倫理を、自分自身を読み解こうとする作家たちの文例を通して探究してきたが、その探究の最終到達地点は、少なくとも目下のところは、読解はその規範としてのテクストに従属するのではなく、テクストが従属している規範に従属するという奇妙で難解な考え方であった。この規範は読者を、読解という行為のなかで、テクストを通してのみ達成できるより高度な要請の名において、テクストを裏切らせ、そこから逸脱させる。(……)
 (J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、165)



  • 一一時半前、現世に復帰した。両親が話している窓外の声で覚めたのだと思う。睡眠は消灯から数えて六時間二〇分ほどなので悪くない。正午を越えなかったのも良い傾向だ。夏のあいだにゴーヤとアサガオを育てていたネットを父親が外しているようで、カーテンの向こうがガサガサいっているなか、手首や手のひら、それに両の腕を揉みほぐした。そうしてじきに離床。鼻のなかをちょっと掃除してから、湯呑みを持って上に行く。
  • ジャージに着替えて整髪。頭を水で濡らし櫛つきのドライヤーで乾かしたあと、母親がいつか美容院で買わされてきたARIMINOのワックスを指先に塗って、髪になんとなくの流れをつけていく。できると食事。前夜のスンドゥブを使ったおじやと、吸い物めいたスープ。食べながら新聞を読む。二面にドナルド・トランプの動向が伝えられていたのだが、ミシガン州での集会で、支持者が同州知事のグレッチェン・ウィットマー(Gretchen Whitmer)を「収監しろ/刑務所に入れろ(lock her up)」と叫んだのに対し、ドナルド・トランプは初めはその言葉を流しながらも、最終的に「全員収監しろ(lock 'em all up)」と応じたと言う(Bloombergの「ミシガン州知事、トランプ氏を非難-「刑務所に入れろ」発言巡り」(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-10-18/QIE6RFDWX2Q101)や、元記事 "Whitmer Rebukes Trump After ‘Lock Her Up’ Chants at Rally"(https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-10-17/trump-renews-attack-on-toppling-monuments-linked-to-slavery)も参考)。いまにはじまったことではないが、完全無欠に絶望的な発言だと思う。まずもって支持者から"lock her up"の声が上がること自体が絶望的なのだが、さらに、一応いまだに世界最大と見なして良いだろう(「民主主義」)国家の最高指導者がそれを承認し、反対者を刑務所にぶち込め、と、仮に愚劣極まりない冗談だったとしても、公の場ではっきりと口にしたからである。これは言辞としては、普通に独裁者のそれだと思う。終末感がきわめて強いというか、末世の感がめちゃくちゃに漂っているように感じられる。通常の状況でも馬鹿げた発言に違いないと思うけれど、今回の件でとりわけまずいのは、現実にグレッチェン・ウィットマー州知事を誘拐し、あるいは殺害しようと目論む武装集団がいることが事実として明らかになっている状況下での言葉だからで("Six people charged in plot to kidnap Michigan governor Gretchen Whitmer"(https://www.theguardian.com/us-news/2020/oct/08/six-people-charged-plot-kidnap-michigan-governor-gretchen-whitmer))、ドナルド・トランプの発言は、本人の意図はどうあれ、そうした武装グループの行動にお墨付きを与えることになってしまうと思う。すくなくとも武装集団側が、ドナルド・トランプの発言を取り上げて自分たちの行動を正当化しようとする可能性は容易に予想できるはずだ。したがって、ひとつの(「民主主義」および「法と秩序」を重んじるはずの)国家の最高指導者が、その本心はどうあれ現実的な言葉の機能として犯罪行為を是認し、そそのかしているということに、どうしたってなってしまうだろう。
  • 一二面あたりには苅部直による源了圓への追悼文。戦後の日本思想研究を代表する人物で、一九二〇年生まれの九州男児には似つかわず(偏見かもしれないが、と苅部直はことわってもいた)柔和な性向であり、年下の研究者にも丁寧で人当たりが良かったが、それでいて指摘するべきことはきちんと指摘する人だった、と。丸山眞男の六年下とか書いてあったか? ほか、山内志朗中島隆博末木文美士(彼が代表とされていたはず)らが、「未来哲学研究所」なる組織を立ち上げたとのこと。ちくま新書から出ている『世界哲学史』の仕事の周辺から発展したような感じなのだろうか。一一月に会誌を出す予定らしい。ちょっと読んでみたい気はする。
  • 食後は母親の分もまとめて食器を洗い、風呂も洗う。天気は雨降り。緑茶を持って自室に帰れば、足もとがやはりいくらか冷たい。Evernoteを準備し、LINEやslackを覗いておのおの返信、さらにAmazon MusicからJeff Ballardの作品やTakuya Kuroda(黒田卓也)のアルバムなどをメモしておいた。そうして今日の記事をここまで記述。二時四〇分である。今日は二コマの労働。いつもどおり五時に出るのでそれまでに昨日の日記を仕上げ、柔軟と音読をしたい。そして今日の消灯は五時ちょうどを目指す。
  • そういえば、「死神が我が物顔に飛ぶ街で歌を止めない吟遊詩人」という一首をさっき作った。
  • 2020/10/18, Sun.を書いて完成。「夜歩きに出たきり消えた君を追い暗夜行路に身投げする日々」という一首も作った。
  • そういえば新聞の一面下部の書籍広告のなかに勉誠出版のものがあり、そこに「中国癌」うんぬんみたいな書名があって、本の主旨はあまりよくわからなかったのだが、この「中国癌」というのは中国という国が世界にとって「癌」だということなのかな、「武漢ウイルス」とだいたいおなじような、「反中」の姿勢を典型的に表すレトリックなのかなと思い、もしそうだとすれば勉誠出版という会社がそういう類の本を出すというのは意外な気がした。こちらの印象では、同社はだいぶコアな方面の、相当に専門的でありながらも重要かつ面白そうな研究書を色々出している重厚な会社だと思っていたからだ。それでいま検索してみたけれどこの本は林建良『中国癌との最終戦争 人類の未来を賭けた一戦』というもので(https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=1&products_id=101161)、目次の文言を見る限り、やはり「中国という名のガン細胞」が「世界中に転移」していくのをどう防ぐか、みたいな話のようだ。著者は一九五八年生まれ台湾出身の人で、「医師としての仕事のかたわら、台湾正名運動と台湾建国運動を展開」しているらしい。台湾の人でしかもそういう立場なら中国共産党を嫌うのはむしろ当然だとは思うし、内容の正当性はもちろん同書を読んでみなければ判断できないし、中国がその国家的動向においてさまざまな面で問題でありやばいのも確かだと思うけれど、それにしても「中国癌」などという、こちらには下劣としか思えない病理学的言辞をはばかりなく使っているあたり、それだけで抵抗感を覚えざるを得ない。
  • 運動。cero『Obscure Ride』を流してベッド上で合蹠していると窓がガンガン鳴るので、何かと思って見てみれば、父親が園芸の支柱みたいな棒を持って下に立っており、ひらくと、念のため鍵を閉めてくれと言う。というのはべつに防犯の問題ではなく、水を使ってやるから、と言う。つまり放水によってネットに残った草の残骸を綺麗にするという目論見らしく、承知して兄の部屋ともども窓を施錠した。それで柔軟にもどると、その後しばらくビームみたいな水の条が窓に撃ちつけられ、ガラスを襲っていた。
  • 四時を回って上へ。豆腐ひとつのみを食っていくことにして用意。水を切るとパックに入れたまま上に鰹節と麺つゆをかけてチューブの生姜を添える。こちらが台所にいるあいだ、母親は父親となぜか永山丘陵のことを話しており、なんだっけ、小学校の上のあの見晴らし台、とこちらにも訊いてきたが、そんなことは覚えているはずがない。そもそもこちらはさほど永山丘陵に入って遊んだことはなく、せいぜいグラウンド止まりである。母親は自分で、金比羅[こんぴら]さまか、と思い出していたが、その名前ならたしかに聞き覚えがあるし、実際行ったこともあったはずで、ぼんやりとした風景の感触が頭のなかに浮かんできた。
  • 卓に就いて豆腐を食べる。かたわら夕刊。チリで昨年の大規模な反政府デモから一年を期してふたたび運動が盛り上がり、一部が暴徒化して教会に放火したとか言う。ベラルーシでも八週連続だったか何週だったか忘れたが、毎週日曜日の抗議デモが続いており、二一〇人ほどが拘束されたとか。世界中、さまざまな国でデモが起こっているという話題が目立つ昨今だ。そしてデモが大規模化すると大概は暴徒が発生して破壊行動も行われる。無関係の人とか施設とかに暴力を働くのは道徳的に見ても戦略的に見てもただ有害なだけだと思うのだけれど、かと言って行儀良くやっているだけではどれだけの効果があるのだろうか、という疑問をこのとき抱いた。体制側に、暴動が起こるかもしれない、秩序が壊乱するかもしれないという脅威と恐怖を与えられないとやはりいけないのかなと思ったもので、その線から考えると、非常に限定され作為的に構築された形での、戦術的かつパフォーマティヴな破壊行動というものがあるいは必要なのかもしれないとも考えるわけだけれど、しかしそれはそれで有効性が疑問だし、パフォーマンスだったものから自然発生的に暴力が拡大してしまう恐れもあるし、そもそも体制側に要求を通すことにならずむしろ強権的な弾圧を招く可能性も普通にある。そう考えるとやはり非暴力のほうが良いのだろうか。非暴力での反対運動がさまざま効果を上げてきたという歴史も確かにあるはずで、そのあたりの調査も重要なテーマだろうし、そもそもこちらは実際の現場をまったく知らないわけで、その段階のくせに新聞の文字情報から観念的に考えていてもあまり大した意味はない。べつに積極的にデモに従事したいとは思わないし、大きな声を上げて主張したい事柄も特にないのだが、なんにせよ現場に身を置いてそこの時空を見ることはとりあえず大事だとは思っている。
  • 食事のあいだ母親が今度はギフトカタログを見て、なんにしようか、やっぱり米にしようか、肉もせいぜい六〇〇グラムくらいしかないし、とかなんとか言っていた。そのカタログはどうも父親の定年祝いで入手したもののようだったが、会社から与えられたのかそれともほかの誰かがくれたのかは知らない。当の父親はなんでもいいよそんなもんと言って関心がなさそうだった。
  • 手指の皮膚がいくらか荒れているというか、荒れているとまではいかないかもしれないがところどころガサガサして多少剝けてもいるので、洗面所にある保湿液の類とか「ユースキン」とかを塗っている。部屋にもどるとcero "Orphans"をバックに着替えて、歯も磨いた。ベスト姿で出発まで音読。猶予がすくなかったので「記憶」から一項目先に読み、そうして「英語」も時間いっぱい。なぜかわからないが音読をしていると眠くなってくることがわりとある。
  • 五時に至って上へ。母親は台所。父親は頭を青いタオルに包んで、炬燵テーブルの前で書類か何か見ていた。ラジカセからは松任谷由実の"守ってあげたい"が流れ出していて、洗面所で手を洗いながらちょっと聞いた。前にも思ったのだけれどこの曲で優れているのは、やはり非常に明快な開放感に満ちてキャッチーこの上ないサビよりも、その陰に隠れているBパートのほうなのではないか。ここの移行の仕方があってこそのサビだというような気がする。手を洗って「ユースキン」を塗っておくと出発へ。その前にトイレに入って排便。糞を垂れながら、偶然と必然もしくは運命(神の摂理)というのは、その地位において同等というか、世界を定める最終原理として捉えた場合、実は相違はないのではないかというようなことを考えた。こまかい理路は省くけれど、つまりこの世の物事がすべて法則的に解析でき、科学の知見によって分解・分析されつくして、どんなに微細な動きのひとつさえも数理的な組み合わせによって統御されているということが事実として完璧に明らかになる事態が訪れたとしても、ではどうしてそのような法則が成立しているのか、この世においてどうしてそうした動向が成り立ってしまえるのかということはおそらくわからない。科学の役割は世界がどうあるのかを正確に記述することで、世界がなぜそうあるのかを解明することではない、という話はよく聞くけれど、だから科学は物理的法則の意味や、さらにその向こうにあるかもしれないものを解き明かすことはできない。科学にとっては、そんなこと知ったこっちゃねえという話になる。人文学においてもそれを「解き明かす」ことはたぶん不可能だろうが、それに対してなんらかの姿勢を用意していくということはできるはずで、そこにおける了解方法としては、偶然と必然というのはあまり変わらないのではないかという話だ。「偶然」の立場を取れば、世界がそういう風になっているのは〈たまたま〉そうなっているだけだということになる。ある事象が〈たまたま〉そうなっているということをさらにこまかく分析して、どういう要素の結合からそれが成り立っているかを明かすことはできるかもしれないが、ではなぜそういった要素が結合したのか、ということを突き詰めていくと、最終的なところでは結局〈たまたま〉に帰着せざるを得ない。その〈たまたま〉を実は統御している高次の存在があるというのが「神」もしくは「必然」や「運命」を取る立場で、人間にはわからないこと、知ることのできないこと、理解できないことを、なんか知らんけどともかくそれはそういう風になっているんだ、というところで了解するか、俺らにはどういうわけなのかわからんけどそれを司って操作してしまえる力能の存在がいるんだ、ということで納得するかの違いというわけで、そう見るとこの二つの姿勢にはほぼ差がないような気がする。要するに超越性(超越的な存在という位相/審級)を導入するか否かの違いにすぎない。
  • 人間にはとにかくものを問うという悪癖があって、そこでもう終わりだろう、その先はないだろうという最終的な次元においても、問いを差し向けることがおそらくできてしまえる。すなわちある種の人間の精神は習癖として無限遡行を志向してしまうということで、人間にとってはだから常に問いがあり、謎が見出され、したがって知の可能性と、おそらくは意味が発生するということになる。「意味という病」という言葉はひとつにはたぶんそういうこととして理解できるはずで、問いを問うという精神の動きが、一方では人に迷妄と苦悩とをもたらさざるを得ないのだが、もう一方では生を生かすことにもなっているわけだろう。問いを問うというのは対象を対象化することであり、束の間そのものの外に位置することであり、すくなくとも部分的にはメタ視点に立つということであるはずだが(「部分的なメタ視点」などというものはあるのか?)、メタへの外出をひたすらに続けていくと、それ以上超出できない地点がついに訪れる。言語と論理が行き止まるその位置においてまさしく「信」の問題、宗教の問題が発生してくるわけだろうけれど、いまはそちらの方向に深入りしたいわけではない。うまく考えられないのだが、人間が問いを問うというこの働きこそが、世界を作っている(創っている?)のではないかという直観的な印象があって、つまり生産としての問い(知)もしくは問い(知)としての生産というテーマを考えたいのだと思うけれど、それにはまたべつの機会を待たねばならない。
  • あと、無限遡行ができるということ、そして最終的な次元(第一原理)に至ったあとでも、答えが得られないとしてもそれに問いを差し向けることだけはできる、という点が重要なポイントのような気がする。とすれば、人間にとって〈最終原理〉なるものは存在しないのではないか? 〈最終原理〉をその都度生産していくというのが人間であり、そうしなければならないのではないか? という発想が当然そこから即座に導出され、それは上の「知=生産」のテーマそのものであるわけだけれど、そのように落としこむと、これはわかりやすく単純であまり信用ならない感じもしてくる。
  • 排便すると出発。玄関を出ると、郵便が来ているかと言って母親がついてきた。傘をひらいてポストに寄り、開ければなかは空っぽ。道の先からは中学生が来ており、母親は、まだ聞こえないほどの距離があるうちからおかえりなさいとつぶやいていた。こちらは道に出て歩き出す。ジャージ姿の中学生女子は傘を持っておらず、避けがたく小雨を受けて濡らされながらこちらを抜かして先を行った。風がしばしば湧き、いくらかうねりをはらんで、吹く、と言って良いくらいの動き方をしてジャケットを着ていても普通に寒い。南の山は稜線付近がぼやけており、薄白く濁った霧の層に、冷たい空気のなかだけれど、あるいはなかだからこそなのか、温泉から湧き出す湯気を思って、山のなか一帯が温泉地になっているようなイメージを抱いた。
  • バッグを濡らさないように胸に抱きかかえて行く。坂を上りながら日記のことを考えた。ついつい毎日全力を尽くすとかなんらかの徹底性がほしいとか思ってしまうが、すくなくともこの日記という日々の営みにおいてはやはりそのようなものは不要なのだ。そもそも毎日いつも全力で頑張ろうなどという姿勢は続くものではない。そしてこの文章はとにかく死ぬまで続けるというその一事をひとつの大きな賭け金としているので、やはり無理なく、粛々と続けられるやり方や形態でなければならないのだ。何年も前からいつも徹底性への欲望と自然さへの志向とのあいだを行ったり来たりしているような気がするのだが、やはり自然に、気負いなく綴ることが重要だという地点にまた立ちもどっている。ただそれは、弛緩した文をだらだらと書くということではない。なるべくならそれはやはり避けたい。特に鋭い文章を作ったり見事な思考を提示したりする必要はないが、だからと言って適当に、だらしなく取り組むのではなくて、やはりある程度はきちんと心身を調えて行いたい。つまり、外を歩くときのように文章も書くということだ。道を歩くとき、こちらは完璧な歩き方をしようとか、格好良い歩き方をしようとか、歩みをめちゃくちゃ整えようとは思っておらず、力を籠めて頑張って歩いているわけでもない。ただ単に歩いているだけで、強いて言えば急がずゆっくり歩くことを望ましいと思っているくらいである。そして、そうだからと言ってだらだらと緊張感なく弛緩した歩き方をしているわけでもない。すごく頑張っているわけでもないが、特に怠けているわけでもない。ゆっくり歩いているだけだ。日記を書くこともこれとおなじ感じで良いのだろうと思った。急ぐことならびに焦ることは生を損なう、という認識はこちらにおいて絶対的な真理なので、それはできれば避けたいが、しかしことさらに速度を落とそうとする必要もない。好ましいのは落ち着いてゆっくり静かに書くこと、ただそれだけである。心身の落ち着きと静けさというのがやはりこちらにとっては重要なもので、それをなるべくいつも保っていたいと考える。それはべつに感情を殺すということではない。ただ静かな心身でいたいというだけだ。平静を高い価値とみなす点で、おそらくこちらはストア派およびエピクロス派に親和している。
  • 完璧とか全力とか徹底性を常に追究する思考の難点は原則と実行の乖離を生まざるを得ないということで、こちらの日記を例とすれば、たとえばやはりできるかぎりすべてのことを記録しないと駄目だ、とかいうやんごとなき使命感めいたものに撃たれたとしても、それに従って頑張れるのはせいぜい一日か二日程度のことだし、そういう気負いをみずから担うことによって、日記を書くという行為自体の敷居を高くしてしまうという問題が発生する。自分のキャパシティを超えた原則を立ててしまうことで、その大変さを思って実際にそれを行為する前から腰が引けてしまう、というよくある事態だ。何かひとつの作品を長期間かけて作るのだったらそれでも良いかもしれないが、このように毎日取り組む類の営みに関しては、それは明らかに不適である。日記を書くことはもっと気軽で、気楽で、いつでもはじめられ、いつでも終えられるようなものでなければならない。
  • 最寄り駅のホームには風が強く流れ、寒かった。立ったままメモを取りはじめ、車内でも続けたと思う。手帳のメモには青梅駅のホームを歩きながら今日は心身がかなり落ち着いていると感じたらしき言葉が見られるが、特に覚えていない。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路のことは覚えていない。夕食時に「the Covers」がテレビに映っており、原田知世が出演していた。名前は聞いたことがあるものの、どういう人なのか全然知らなかったのだが、映画『時をかける少女』に出演して主題歌を歌った人だった。松田聖子の"小麦色のマーメイド"と、竹内まりやの"September"、ナイアガラ・トライアングルの"A面で恋をして"の三曲を披露。どういう音楽性なのかと思っていたら、わりと洒落た感じで、原田知世の歌唱自体も、温度感が低めというか、冷たいというのは違うのだけれど落ち着きがあって控えめな感じで、シックとかスタイリッシュとかいう形容が相応しいような声色および歌い方で、こういう感じなんだなと興味深かった。トークをしている様子を見るにおっとりしたような雰囲気の人なのだけれど、歌になるとぐっと締まって、端正な成熟感みたいなものが発散されて、なるほどやはり歌手だなと思う。アレンジもそれに応じたというか、歌がアレンジに応じ、アレンジも歌に応じという相互関係だと思うのだけれど、なかなか悪くないクールなサウンドに構成されていて、これは伊藤ゴローという人の仕事だったらしい。最初の"小麦色のマーメイド"はイントロを中心として弦楽の動きが良かった。"September"に関しては原田知世トークで、間奏の、「借りていたディクショナリー明日返すわ/ラブという言葉だけ切り抜いた跡/それがグッド・バイ グッド・バイ」というところが好きだと言うのに、ホストのリリー・フランキーが、竹内まりやは当時この「借りていたディクショナリー」の文言を歌いたくない、こんな言い方しないでしょと言って「スタジオ内を一瞬凍らせた」らしいというエピソードを紹介した。竹内まりやは当時大学生で、けっこう暴れていたんですね、などとリリー・フランキーは言っていたが、この点に関しては竹内まりやの感性にこちらは与する。「借りていたディクショナリー」は普通にダサい。一応その場では、それを言ったらそもそも「セプテンバー」だって言わないじゃないかということで収まったらしいのだけれど、「セプテンバー」はまだしもその一語で比較的独立して使われているので(やや合いの手/掛け声的な構成ではあるが)許容可能である。しかし「借りていたディクショナリー」の日本語と英語の結合はまちがいなくダサい。一方、この曲の詞(今回取り上げられた三曲はいずれも松本隆の仕事である)のなかでは、サビの、(「セプテンバー」を除いて記すと)「そしてあなたは/秋に変わった」と、「そして九月は/さよならの国」がなかなか悪くないとこちらは思った。「あなた」の語と「秋に変わる」という変容・拡散・象徴化のテーマを結合させた点と、「さよならの国」という風に(「九月」を受けて)「国」の語を使った点である。
  • ナイアガラ・トライアングルというのは大滝詠一のユニットらしい。大滝詠一周辺も全然聞いたことがないのでさっさとディグする必要はある。"A面で恋をして"をこのとき一聴した感じでは、なるほどたしかに、とりわけ当時の(当時というのが何年あたりなのか正確に把握していないが)日本にはあまりないタイプのポップスなのかなという印象で、リリー・フランキー原田知世トークにおいて、大滝詠一の曲はすごく良いのだけれど、いざ歌ってみると何か手応えなくさらりと流れていってしまうようなところがある、と話し合っていたのがわかるような気がした。まずもってサビに当たると思われる部分の盛り上がりがある種弱いと言うか、サビを高々と見せ場にするというタイプの曲でないし、構成としてもサビ→AもしくはB→サビというループ構造になっていて、だからこれはサビと言って良いのかもよくわからず、一般的に言うサビというよりはそこにもどってくるホームのような形で位置づけられていると思う。洋楽だとこういう形はよくあって、その場合なんかVerseとかChorusとか、何かしらの用語があるのだと思うけれどそのあたりはこちらにはよくわからない。加えてそのサビ(と一応しておくが)のメロディの作りもちょっと面白いというか、冒頭の「A面で恋をして」の「A」の部分、「え」の音が「え~ぇ面で」、という感じで伸びるのもちょっと妙だし、なんだか飄々としているような感じで、いまの時代にはこういうのはたぶん流行らないのではないか。サビの構成としては二小節をひとまとまりとした八小節で、そのうち三つ目の区画、すなわち六小節目までは多少の異動はあっても大方はじめの二小節のやり方を繰り返しているわけである。だから楽曲としてもサビの内部としても、わかりやすく前進的に展開するのではなくて、反復的な気味が強い。それでいて最後の七・八小節ではきちんと終結させてみせる。物語的な展開(いわゆるジェットコースター的な構成と言っても良い)が希薄なくせに、なぜか終結部では見事に収まり、着地しているなという感覚があって面白い。加えてサビのメロディも、その変な手触りがかえって記憶に残りやすい。実際こちらもこのとき一度聞いただけで"A面で恋をして"のワンフレーズの部分を覚えてしまったというか、番組を見たあとしばらく、勝手に頭のなかに繰り返し再生されていたくらいだ。だから、全般的な雰囲気として淡々と、飄々としているくせに、すくなくともその一部分をひそかに聴者の脳内に植えつけてしまうというような、ウイルス的な機能を果たす曲、という印象。
  • 入浴中に短歌を多少考え、「神さまをやめたあの娘が泣く今宵雨になるには空が足りない」「音楽のなかった時代ひとびとが知っていたのは雨の音だけ」「注意せよ君の瞳にすむ夜が君を夢から奪わぬように」の三つを作成。

On Sunday [2020/10/18] Lara Trump, the president’s daughter-in-law and a member of his campaign team, said on CNN that Trump was just “having fun” at Saturday’s event. And Jason Miller, another Trump campaign official, said on “Fox News Sunday” that the president had no regrets about the incident.

     *

Trump in April issued tweets urging citizens to “liberate” Michigan, Minnesota and Virginia amid lockdowns in place at the time to combat the coronavirus pandemic. All three are led by Democratic governors.

The Federal Bureau of Investigation said that the kidnapping plot identified in its criminal complaint took root prior to Trump’s tweets.

Lee Chatfield, the Republican Speaker of the Michigan House, who also spoke at Trump’s rally, disavowed the “lock her up” chants. “It was wrong,” he said on Twitter. “She was literally just targeted. Let’s debate differences. Let’s win elections. But not that.”

In Muskegon, Trump targeted Whitmer several times, criticising state rules on the coronavirus, calling the governor “dishonest” and making light of the plot that was foiled by the FBI.

Thirteen men have been charged in connection with the plot, which included plans to storm the state capitol and hold some kind of trial. Trump took credit for federal law enforcement’s role in foiling the plot.

“They said she was threatened,” he said. “And she blamed me. Hopefully you’ll be sending her packing pretty soon.”

The chant of “Lock her up!” was a reprise of chants Trump supporters aimed at Hillary Clinton throughout the 2016 campaign.

     *

Lee Chatfield, the Republican speaker of the Michigan house, wrote: “Trump didn’t chant ‘lock her up’ about our governor. But others did and it was wrong. She was literally just targeted. Let’s debate differences. Let’s win elections. But not that.”

But Lara Trump told CNN’s State of the Union on Sunday the president “wasn’t doing anything I don’t think to provoke people to threaten this woman at all. He was having fun at a Trump rally and quite frankly, there are bigger issues than this right now for everyday Americans people … he wasn’t encouraging people to threaten this woman, that’s ridiculous.”

The president’s daughter-in-law also said: “Well gosh I would like to show people my social media and the threats against me, the threats against my children.”

  • 一応文章情報だけではなくて、動画があればそれを見ておくかと思ってYouTubeで短い抜粋を見たのだけれど、たしかにドナルド・トランプは、聴衆が"lock her up"のコールをはじめた直後は、苦笑めいた笑みを浮かべて手を払うように動かし、いやいやお前ら、それはちょっとやりすぎでしょ、というような感じを見せている。ただなぜかそのあと、やまない聴衆の声に応じて"lock 'em all up"とつぶやいてしまうわけだけれど、とはいえこれに関しても、あからさまに雄々しい叫びを上げるというような感じではなかった点に、一抹の安堵を得ないでもなかった。ドナルド・トランプ自身が"lock 'em all up"を本心として持っているのはたぶん確かだと思うけれど、この場面を見る限りでは、根本的な問題はドナルド・トランプよりもむしろやはり聴衆のほうだなという印象を受けるもので、ドナルド・トランプの"lock 'em all up"は、群衆たちの圧力と熱気に押されて、あるいはそれに誘われて、思わず引き出されたもののようにこちらには感じられる。オーディエンスのchantの前にドナルド・トランプが口に出した言葉は、"Now you got to get your governor to open up your state. Okay? And get your schools open. Get your schools open. The schools have to be open, right?"である。そして、このときの演説の書き起こし(https://www.rev.com/blog/transcripts/donald-trump-michigan-rally-speech-transcript-october-17)を検索する限り、これ以前にドナルド・トランプは"lock"の一語を口にしていない。それにもかかわらず、"get your governor to open up your state"を、"The schools have to be open"を受けた結果、聴衆から自発的に"lock her up"の叫び声が上がりはじめるという、このきわめて短絡的な事態の推移こそが恐ろしい。
  • この動画を見た結果として、いわゆる主体性ということについてとか、党派性・哲学・真理の追究・確信/懐疑・(自己の)特異性 - 単独性(にこだわり続けること)などのテーマについて思いを巡らせはしたのだが、それらの思考は特にまとまった形をなしてはいないし、記すのも面倒臭いし、そもそもよく覚えてもいないので詳述することはできない。


・読み書き
 13:48 - 15:13 = 1時間25分(2020/10/19, Mon. / 2020/10/18, Sun.)
 15:55 - 16:09 = 14分(2020/10/19, Mon.)
 16:39 - 17:00 = 21分(記憶 / 英語)
 22:59 - 23:26 = 27分(ニュース)
 26:00 - 26:55 = 55分(ニュース)
 28:21 - 29:00 = 39分(2020/10/19, Mon.)
 計: 4時間1分

・音楽

2020/10/18, Sun.

 (……)自分は内なる光を持っており、自己の中の自己、魂のなかのいまだ小さい神の声という伝統的な意味での良心に基づいて行動していると言う人がいたとしても、そうした基盤を実際に持っているかも知れないし、持っていないかも知れない。それを知るのは不可能なのだ。しかしカントが的確に論じているように、真の倫理的決断はすべて、絶対的要請に対するこのような反応に基づかなければならない。(……)
 (J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、134)



  • ひどく久しぶりのことで一〇時過ぎに確かな覚醒を与えられた。二度寝に取りこまれることもなく意識が保たれて、良い感じだ。窓の外にはこれも久しぶりで太陽が光っており、その明るさと熱(当然ながら夏の頃ほど肌にじりじり迫る感じはない)を浴びながら脹脛をほぐした。あいだ、短歌もなんとなく考える。「明け方は唯一ひとがみずからの傲りを知って懺悔するとき」、「「東京の街はいつでも嘘つきであなたに似てるだから好きなの」」、「祈りとは思考にあらず行為なりたとえば夜通し歩くみたいな」という三つが一応形成された。部分的にはほかにもいくつか。
  • 起き上がったときには一一時を回っていたと思う。コンピューターを点けておいて階上へ。寝間着を脱ぎ、ジャージに着替えるが、なぜか上着が見当たらない。しかし上半身を肌着のみで過ごしていると寒いくらいの陽気なので、べつのジャージの上着をとりあえず借りておいた。食事はタコ飯と豚汁。新聞には珍しく、書き抜こうと思うほどの記事はなかった。書評欄の冒頭には落合陽一の小文がある。Woolf会なんかでは落合陽一はわりと馬鹿にされている感じで、知的ぶったポーズだけであまり内容のあることは言っていないという評価が支配的で、そのとき貼られた動画を見る限りこちらもわりと似たような印象を得ないでもなかったが、東大の博士課程も通過しているわけだしなんだかんだ言っても普通に優秀な人ではあるのだろう。単なるスノッブなのか優れた思考者なのかも、彼の著作をきちんと読んでみなければ確かな判断は下せない。業界の第一線で活躍している人間は誰も、活躍しているからには実力はそなえており努力もしているものだろうと思うし、仮にその第一線自体がそもそも軽薄なものだったとしても、ある人物がそこで活躍しているという事実が持つ意味や、それによって学べることもまたあるだろう。そういうわけであまり分け隔てなく色々読んで参考にしていきたいとは思うのだが、一方でやはり性分として当節の趨勢みたいなものにあまり興味が湧かないことも確かだ。ショーペンハウアーなんかは、今現在書店に溢れている新しい書物などは間違いなくほぼすべてがゴミクズで、そんなものよりも時代を越えて伝わってきた偉大な古典をとにかく読めみたいなことを言っていて、それも無論わかるのだけれど、でもやはり現在のものも本当は読んでいかなければならないのでは? いまこの同時代に頑張っている人を見つけていかなければならないのでは? という気もする。まあ結局はときどきの興味に従うほかはないのだけれど、落合陽一に関して言えばいまのところ興味が向いているのは、清水高志および上妻世海との共著(たしか鼎談本だったか?)である『脱近代宣言』がせいぜいのところだ。
  • 書評記事では、中条省平の本や青山二郎の伝記などが紹介されていた。食後、皿を洗って風呂も洗い、緑茶を持って帰室。iTunesの最新版をダウンロードしたら再起動が必要だと出たのでシラー『群盗』を読みながら待ち、準備が整うとFISHMANS『Oh! Mountain』を流して昨日のことを記述。仕上げて投稿。今日のことも綴って二時前。
  • (……)六時を過ぎたあたりで切りとして上階へ。母親のいる台所に入り、ピーマンを細切りにしてひき肉と炒めることに。濃密な緑色の野菜を分割しているとインターフォンが鳴り、母親が玄関に出ていってよそ行きの声で礼を言っている。決して気を遣わないでね、とも添えていた。もどってきたところに訊けば、下のDちゃんかと思ったのがSくんだったと言う。今日、向かいの家に集まってバーベキューめいたことをやっていたらしく、騒がしくしたのでということで何か持ってきたようだ。それからタマネギもすこしだけ加えて炒め物を作る。レバーを左いっぱいにあけ、強火で炙りながらフライパンを振り、味つけは砂糖・醤油・味醂とした。できるともう食事を取ることにして、タコ飯と炒め物と生サラダを支度。母親はスンドゥブを作るようだったが、それを待たずに早々と卓に就いて箸を取った。マグロの刺し身も少量用意してもらっていただく。済ませて片づけると茶を注いで下階へ。
  • 音読。「英語」も「記憶」もともに。やはりなぜか、基本的に日本語の文章が収録されている「記憶」のほうはあまりたくさん読む気にならない。英文のほうがやはり声に出し、舌と唇を動かすにあたっては面白いのだろうか。一時間以上読んだのち、書抜き。図書館で借りている本を優先するべきだろうということでシラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年)から一箇所抜き、ロラン・バルトの本が終わったのでもとの流れにもどって巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)も写した。書抜きはとにかく一日に一箇所だけでも良いのでやっていかないと永遠に終わらない。書抜きだけでなくて日記も、その他の諸事もそうなのだが。
  • 九時を過ぎて入浴へ。湯のなかでは相変わらず指圧。今日は珍しく足裏(とりわけ縁のあたり)も揉んだ。ボールを踏んでいてもやはり細部や側面に近いほうなどは硬さが残っている。入浴は大方指圧の時間にするのが良さそうだ。上がるとさっさと帰室(……)。そういうわけで三時まで継続的にだらだら過ごした。合間、全然うまくない安物のカップタン麺やスンドゥブを持ってきて食った。怠けているあいだはだいたい脹脛を中心にして脚を揉んでいた。さほど強く正確に刺激せず、揉むというよりは肉を揺らすような感じで適当に触っているだけでもだいぶ良い感じになる。骨との接合部を簡単に和らげられるのも良い。膝頭を使った臥位でのマッサージでは、当然届かないのだ。
  • その後、The Seatbelts『COWBOY BEBOP Original Soundtrack』(https://music.amazon.co.jp/albums/B01MZ8UQ39)を流して新聞記事を移し、そしてここまで記述。『COWBOY BEBOP』の音楽は菅野よう子の仕事で、冒頭の"Tank!"がたぶん一番有名なのだと思う。#3 "SPOKEY DOKEY"のブルースハープなども大したもので格好良い。たしか同曲だったと思うが、スライドで奏でられるアコギのバッキングの一部が、Led Zeppelinの"In My Time Of Dying"を想起させるものだった。と思っていま聞き比べてみたのだけれど、初聴で得た印象ほどに似ていない。それは措くとして、このサウンドトラックでは何曲かでブルージーなスライドギターが披露されていてどれも良い感じなのだが、こういう演奏を聞くにつけ、本当にアコギでブルースをやりたいのだったらスライドができないとやはり駄目なのだろうなと思う。どの程度卓越した演奏ができるかは措いても、とりあえずボトルネックが扱えなければ、つまりスライドもきちんとできないのにブルースをやるなどと言っていてはまるで話にならないのだと思う。ゆくゆくは習得しなければならない。
  • 四時半。五時一二分以前に消灯する予定だったので、もうコンピューターを閉ざして書見へ。シャットダウン前、最後にGuardianにアクセスしてフランスの教師殺害事件関連の記事をメモしておいた。ベッド縁に座ってシラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年)を少々読む。
  • 36: 「それとも、志願して兵隊になるか――だが、そいつは問題だぞ、きさまらの面だましいを、第一向うで信用するかな――」: 「面だましい」: 「面魂: 強い精神・気迫の現れている顔つき」。
  • 37: 「みんなでどこかへ腰を据えて、そら、あのポケット本とか年鑑とかいうやつな、ああいうものを拵えるのだ、それから小遣かせぎには、ちか頃流行の批評でも書いたらどうかってな」: 「ちか頃流行の批評」: 『群盗』は一七八一年の作。その頃、「批評」が「流行」しはじめていたのか。(おそらくは「近代的」な意味での)「批評」のはじまりや、その発展史は重要そうだ。それこそ、ひとつの「起源」的な画期は一九世紀あたりかと思っていたのだが(サント=ブーヴが「近代的」な意味での「批評」を確立したというのがたぶん教科書的な理解だと思う)。古代ギリシア・ローマの価値をめぐる「新旧論争」とかいうものがルネサンスあたりにあったらしく、たしか新派側としてシャルル・ペローなんかがいたと聞いているが、「批評」の前身としてはそのあたりになるのか? 「批評」的な営み自体はもちろんそれ以前からずっと行われてきたはずだが。そういえば、杉捷夫にフランスの文学史だったか批評史みたいな大きめの本があって、一時期水中書店で見かけながらもずっと買わずにいたのだった(たぶん、『フランス文芸批評史 上巻』というやつだったのではないか)。参考書としてはあのあたりが良いのかもしれない(もっとも、『群盗』はドイツを舞台にしているわけだが)。
  • 47: フランツ、アマリアに対して: 「(彼女の胸をたたきながら)ここに、ここに、カアルがいるのですね、寺院に鎮まる神のように。現にも、あなたのまえに立つものは、カアルだ、夢にも、あなたを支配するものは、カアルだ、宇宙万物は、あなたのまえに融け合って、ただ一人の男の姿となり、ただ一人の男の影を映し、ただ一人の男の声となって響くのですね」: アマリアにとって: カアル=「神」。「宇宙万物」=「融け合って」、「ただ一人の男」に。〈融解〉のテーマ。
  • 56: フランツ: 「毒薬の調合法などというものも、今じゃ、おおっぴらに、科学の領域にはいってきたし、実験がものを言って、自然もとうとう限界を見破られちまった、心臓の鼓動の数なども何年も前から計算ができて、人は脈搏にむかって、こう呼びかけるのだ、ここまでは打て、そのさきは止まれ!」: 「科学」、「実験」、「自然」の「限界」などの文言。「科学」の営みが一般的なものになってきていることが見て取れる。「脈搏」に「打て」「止まれ」を「呼びかけ」てそれをコントロールできる、などという発想は、「西欧近代」なる世界について典型的に言われる思潮(「科学」技術の進展によって人間は「自然」を操作的に利用することができるようになった)の具体例だろう。ほとんど熱狂的な「自由」の称揚などを見ても、この小説にはいかにも「近代」という感じの発想が諸所散りばめられていて、やはりフランス革命と同時代の作品なのだなあという感は覚える。ただ一方で、「法」に関してはどちらかと言えば否定的なものとして扱われがちな気がするが、そのあたりたぶんルソーとの類同性があるのではないか。
  • 五時九分まで読んで消灯。すぐには布団をかぶらず、しばらく膝頭で脹脛をほぐす。眠気というよりは、なぜか頭が痺れるような、意識内に発生するノイズめいた感覚が襲ってきた。それで布団にくるまったあとはすぐに寝ついたはず。


・読み書き
 12:49 - 13:07 = 18分(2020/10/17, Sat.)
 13:16 - 13:52 = 36分(2020/10/18, Sun.)
 19:09 - 20:22 = 1時間13分(英語 / 記憶)
 20:39 - 21:11 = 32分(シラー / 巽)
 27:03 - 27:35 = 32分(新聞)
 27:36 - 28:32 = 56分(2020/10/18, Sun. / 2020/10/16, Fri.)
 28:35 - 29:09 = 34分(シラー: 34 - 57)
 計: 4時間41分

  • 2020/10/17, Sat.(記述・完成) / 2020/10/18, Sun.(記述)
  • 「英語」: 112 - 144
  • 「記憶」: 158 - 161
  • シラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年): 書抜き: 22 - 23 / 34 - 57
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き: 142, 146
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月3日(金曜日)朝刊: 2面 / 4面
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月4日(土曜日)朝刊: 2面

・音楽

2020/10/17, Sat.

 構想(conception)という語と、「一般に知られている性格の諸特徴を孕んだ人物を作り出した」という表現と、自然発生的に創り出すペンのイメージに見え隠れしている性的メタファーが、何も考えずに早く書くのが一番よいと論じている引用の後の一節で、さらに明瞭なものとなっている。この一節を読むと読者は、フロイトが、書くことを無意識的に禁じられた性行為と同一視しているが故にものが書けない患者について語っている一節を思い浮かべるかもしれない。書くことも、性行為も、液の流れ出る円柱状のものを用いる点で類似しているのだ。トロロープのその一節を引用する。

 自分の作品が最も早く仕上がった時――非常に早く仕上がる時が時々あるのだが――、そのスピードは加熱圧搾によって達成される。その加熱圧搾は構想を生み出す際のものではなく、ストーリーを語る際の加熱圧搾である。私は一日に八頁ではなく、一六頁書いた。一週間のうち五日間働くのではなく、七日間働いた。……ふつう私はこの仕事を山のなかの静かな場所で行った――社交も、狩猟も、ホイストも、通常の家事労働もない場所であった。このようにしてでき上がった作品には、これまでに生み出したなかで最上の真実、最も気高い精神が込められていると私は確信している。このような時、私は心の中を、それまで扱ってきた登場人物で完全に満たすことができた。私は彼らの悲しみに泣き、彼らの愚かさを笑い、彼らの喜びに対し嬉しさで有頂天になりながら、ひとり岩場や森のなかをさまよい歩いた。私の心は私が創造したものに満たされた。そして、ペンを手にして座り、目の前の仲間をできるだけ早く動かすことが、唯一私の胸を躍らせるものとなった。

 この異様な内容の一節では、構想(conception)という語のなかに隠れている性的なメタファーが、多少なりともはっきりとしたものとなっている。これとともに、次の事実も明らかになっている。即ち、ひとり夢想に耽るトロロープの習慣は、これこれの労働時間をかけていくらいくらのページ数を製造するかで価値判断される小説を作ったり売ったりする職人芸に変わったわけだが、しかしそう変化したからといって、この夢想に耽ることの危険性からは決して逃れられていないということである。ここでトロロープが言っていることは、社会のなかの同じものを同じものと交換する回路の中に小説は安全に入っているという定義付けの試みに反するものである。登場人物を生み出すことは、むしろ自己-愛であり、自己-受胎の行為である。トロロープは、ペンを手に、自分の中に自分自身の創造物を宿す。彼は自分自身の中で自分自身を二重化し、登場人物と、登場人物の母体である創造的意識に変わる。そうやって彼は自分自身の中でと[「と」は原文ママ]男性、女性両方の役割を果たし、よく言うように、独力でやる(go it alone)。自己が、創造する自己が、自身の想像力、意識、「良心」(精神の自己-播種の力を表すトロロープのキーワードとしての良心)のみを基にして創り出した想像上の複数の自己になる。この自己-懐胎という「加熱圧搾」の結果は、高揚した感情である。彼の創造力はエクスタシーを生み出し、その中でトロロープは、言わば忘我の境地になる。彼は自分が作り上げた登場人物の、想像の上での涙、笑い、喜びによって、突然に泣き、笑い、嬉しがるのである。彼の登場人物の涙、笑い、喜びは、彼以外に権威はなく、彼以外に源はない。この奇妙な自己-受精という行為によって違法的に、あるいは非合理的に生まれたものが、小説のテクストなのだ。このまがい物の産物は、その後合法的な貨幣として通用する。それは流通し、すでに述べたように、トロロープにとって社会への同化という結果を引き起こす。これは、あたかも見破られないくらいに精巧に作られ、見たところ本物のような贋金を使って金持ちになったようなものである。そしてそれが出回ったとしても、相場全体にはごく僅かなインフレしか引き起こさないので気付かれることはない。トロロープは自分の小説の中に、他者という幻想を作り出すことで、他者のようになることができたように一見見えるが、しかし彼は以前と同じように孤独であり、疎外されていて、同化できていないのである。彼は公に受け入れられている価値基準によっては判断できない、孤立した、異種の人間のままである。彼の小説もまた、そうした価値基準で測ることができないが故に、トロロープ自身に密かに類似している。
 (J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、128~130)



  • 午前中から二回くらい覚めていたと思うのだけれど、最終的な起床は一二時二五分。それでも久しぶりに一時台に入りこまないうちに起きられたので悪くない。やはり眠りに入る前に脹脛を柔らかくしておいたほうが良さそうだ。起き上がるとなぜかゴルフボールを踏みながら工藤庸子✕蓮實重彦『〈淫靡さ〉について』を読みはじめ、それで一時間くらい使ってしまったのだがこれは正式な読書ではないのでメモは取っていないし、日課記録にも反映されない。そういえば、夢を見た。と言って大して覚えていないが、Tが我が家にやってくる(遊びに来る)段があって、本当に来るのかと確信が持てないままなんだかまごまごしているうちに時間が経ち、家の前にいると母親が林のなかを下りてくる彼女の姿を見つけてこちらに教えた。Tは真っ赤な服を着ていたような気がする。こちらは寝間着だった。そのほか、(……)の住職がなぜか精神科医的なことをやっており、診てもらうことになっているという要素もあった。そう、それで医者に行く用事があったのだがそこにTが来ると言うので、電話をかけて予約を取り消そうかと思いながらもなんだか気が進まなくて躊躇しているうちに来客があったのだった。淡い目覚めのときには夢の内容をちょっと引きずっていて、受診に行くのが面倒臭いな、連絡など入れずにすっぽかしてしまおうかと思っていた。
  • 居間へ。両親とも不在。母親は知人と(……)に行くという話だったはず。父親は知らないが、のちほどクリーニングに出していた服を持って帰ってきた。食事はカレー。新聞を読みながら空っぽだった腹を埋め、皿洗いと風呂洗い。天気は雨降りで、風もあったらしく起きたときには窓ガラスに水滴がいくらか付着していた。
  • 室に帰ると茶を飲みながらまず2020/7/6, Mon.を綴る。三時一五分で完成。音楽はもちろんFISHMANS『Oh! Mountain』である。投稿する段に通知を流すためTwitterをひらいたところ、フランスで「シャルリー・エブド」が掲載した例の「風刺画」を授業中に生徒に見せた教師が首を切られて殺害されたという事件の報に接した。正確には、MDさんがリツイートしていた識者らしき人の、生徒の親のひとりが話している動画を紹介しながら内容をわずかに訳しているツイートを目にしたのだった。この保護者はたしかムスリムだったと思うのだけれど(と言いながらも自信がない)、被害者の教師はムスリムの生徒には「風刺画」を見たくなければ教室を出るようにとあらかじめ促していたと証言していたようだ。授業の主題は「表現の自由」。教師に差別的な意図はなかったと思う、ともこの保護者は述べていた記憶がある。
  • そういうわけでこの事件に関心を持ったのでGuardianに情報があるか見てみようと久々にアクセスすると、発生してまもない事件なのでまだひとつしか記事はない。それを読むことにし、ついでにドナルド・トランプ関連のニュースなどもメモしておいた。

President Emmanuel Macron has said France’s battle against Islamic terrorism is “existential” following the killing of a teacher after he showed his class caricatures of the prophet Muhammad from the satirical newspaper Charlie Hebdo.

Macron, who visited the site near a school in a Paris suburb, said the victim had been “assassinated” and that his killer sought to “attack the republic and its values”. “This is our battle and it is existential. They [terrorists] will not succeed … They will not divide us.”

     *

The victim was a 47-year-old history-geography professor – the subjects are taught together in France – but also gave the obligatory courses in “moral and civil education”. It was as part of these, and while talking about freedom of speech, that the professor showed pupils, aged 12 to 14, the caricatures. This sparked complaints from a number of parents and one family lodged a legal complaint.

The 18-year-old Moscow-born suspect is said to have shared photos of the attack on social media. Some reports said that he had Chechen roots. He was said to be a “perfect unknown” to the country’s intelligence service, but had a petty criminal record.

     *

After the contested lesson, an angry parent posted a video on YouTube complaining about the teacher. On Friday night, another parent posted below the video, defending the professor, writing: “I am a parent of a student at this college. The teacher just showed caricatures from Charlie Hebdo as part of a history lesson on freedom of expression. He asked the Muslim students to leave the classroom if they wished, out of respect … He was a great teacher. He tried to encourage the critical spirit of his students, always with respect and intelligence. This evening, I am sad, for my daughter, but also for teachers in France. Can we continue to teach without being afraid of being killed?”

     *

Macron, sombre and visibly moved, spoke briefly after visiting the college where the murdered professor worked. “One of our compatriots was assassinated today because he taught. He taught his students about freedom of expression, freedom to believe or not believe. It was a cowardly attack. He was the victim of a terrorist Islamist attack,” Macron said.

“This evening my thoughts are with all those close to him, with his family, with his colleagues at the college where we have seen the head teacher show courage in the last week. In the face of pressure [from parents], she did her job with remarkable duty.

“This evening I want to say to teachers all over France, we we are with them, the whole nation is with them today and tomorrow. We must protect them, defend them, allow them to do their job and educate the citizens of tomorrow.”

The education minister, Jean-Michel Blanquer, who was also expected at the scene, tweeted: “This evening, it was the republic that was attacked with this despicable killing of one of its servants, a teacher. My thoughts this evening are with his family. Our unity and our firmness are the only responses faced with the monstrosity of Islamic terrorism. We will deal with it.”

     *

In January 2015, Islamist terrorists Saïd and Chérif Kouachi gunned down 12 people in and around the Charlie Hebdo offices. The following day, gunman Amédy Coulibaly shot a policewoman dead and killed four Jewish people at the Hyper Cacher kosher supermarket. The Kouachi brothers and Coulibaly were killed in separate shoot-outs with police.

Joe Biden beat Donald Trump in their TV ratings battle from their duelling town hall events, figures showed Friday, while the president faced condemnation over his failure to disavow the QAnon conspiracy theory.

     *

Biden’s town hall on ABC averaged 13.9 million viewers, CNN reported, citing Nielsen, while Trump’s audience was about 13 million cross three channels. The president’s responses to questions about QAnon were drawing condemnation on Friday.

QAnon’s followers believe that Trump is trying to save the world from a cabal of satanic paedophiles that includes Democratic politicians and Hollywood celebrities. It has been linked to several violent acts since 2018 including at least one alleged murder.

The US president has praised QAnon adherents including a congressional candidate. At a televised “town hall” on Thursday, he repeatedly claimed to be ignorant of the movement, considered by the FBI as a potential domestic terror threat.

     *

The former vice-president conceded mistakes in a 1994 crime law that led to the mass incarceration of African Americans and promised to take a firm position on whether to expand the supreme court, saying people “do have a right to know where I stand. And they will have a right to know where I stand before they vote.”

     *

Much criticised for his handling of the Covid-19 pandemic, Trump claimed: “What we’ve done has been amazing, and we have done an amazing job, and it’s rounding the corner.” But more than 63,500 new cases were reported in the US on Thursday, the highest number since July.

     *

Biden holds a commanding lead over Trump in opinion polls and fundraising. Trump’s campaign, along with the Republican National Committee and related groups, raised $247.8m in September, well short of the $383m raised by Biden and the Democratic National Committee in the same period.

Recovered from the virus, Trump has entered a frenzied spell of campaign rallies in critical swing states but continues to show little message discipline. On Thursday he renewed his attacks against Gretchen Whitmer, branding the Democratic Michigan governor a “dictator” even as authorities announced charges against a 14th suspect in a plot to kidnap her.

Whitmer responded on Twitter: “One week after a plot to kidnap and murder me was revealed, the president renewed his attacks. Words matter. I am asking people of goodwill on both sides of the aisle – please, lower the heat of this dangerous rhetoric.”

  • 英文に触れたのは五時を回るあたりまで一時間ほど。久しぶりに英語を読むことができて良かったと思う。それから少々柔軟をしてのち、アイロン掛けをするために上階へ。母親が帰ってきていた。テレビは録画しておいたらしい『メレンゲの気持ち』を映している。あとで明らかになったのだが、今日の放送分である。それに目を向けながら炬燵テーブルの端に台を乗せてアイロン掛け。テーブル上では父親が何らかの申請書類みたいなものと難しぶった顔でにらめっこしている。年金関連のものだろうか? テレビにはなんとかいう男女の俳優がゲストで出ており、いわゆる「婚活」において書く自己紹介をあらかじめ作っておいたのをおのおの評価されていた。いかに相手からマイナスに思われないかという点が取り沙汰されて、戦略上は正しいことこの上ないし、「婚活」をする当人たちにしてみれば真剣極まりないと思うので当然の工夫だろうけれど、わりあいに薄っぺらいならわしという印象。そのあとはセブンイレブンファミリーマート・ローソンのコンビニ三社の冷凍食品およびスイーツが紹介された。こちらが普段利用するのはセブンイレブンのみだが、最近のコンビニの冷凍食品はたしかに美味い。近頃は買っていないけれど、手羽中とか炭火焼鳥とか普通にうまくてかなり満足できる。このときは牛の炭火焼き肉が紹介されていたので、今度買ってみようと思う。
  • アイロン掛けを済ませるともう食事。カレーの余りをいただくことにし、そのほかは小さな豆腐とキュウリだけでもう良い。豆腐には鰹節とネギを乗せて麺つゆを垂らす。キュウリは細く切り分けて麦味噌を添える。豚汁みたいなスープを母親が作っていてあと味噌を入れるところまで来ていたが、それはもらわなかった。新聞を読みながらものを食べるあいだ、テレビは『子連れ信兵衛』とかいう時代劇を映していて、高橋克典が主人公を務めていたが特に注視はしなかったのでどういう話だったのかわからない。主人公はわりといい加減な感じの雰囲気というか、気楽に飄々と生きているようなタイプらしく見えたが、同時に周囲からは頼られているようで、たぶん実は実力者で締めるときは真剣になって格好良く締めるという造形だったのではないか。新聞は夕刊には強い関心を惹く記事がほとんどなく、主に朝刊をいくらか読み足した。食後、チェックをつけたニュースを含むページだけ切り分けておく。たしかそのときテレビは『人生の楽園』という西田敏行がナレーションをしている番組に移っていて、埼玉県越生町(文字だけ記憶していて読み方がわからなかったのだが、検索したところ「おごせ」と読む)にあるなんとかいうパン屋が取り上げられていたのだけれど、店主らしき高年の女性、灰色の髪をした老婦人がずいぶんと穏やかな顔をしていて印象深かった。罪のまったくない顔というか、福々、というと違うのだが、何か周囲に静かな充足感を波及させそうな表情だ。髪色もあいまったのだろうが山梨の祖母のことを思い出した。やはりああいう顔をできたほうが良いのだろうなあ、と思う。なんとなくやはり鋭利なオーラみたいなものに憧れるところがあるのだけれど、あのような自足的で静かな穏和さを発散できたほうが周りの人間にとっても良いのではないかという気がする。
  • 皿を洗って帰室。緑茶を飲みつつ、先ほど英語の記事を読んだそのついでで、Andy Beckett, "Accelerationism: how a fringe philosophy predicted the future we live in"(2017/5/11)(https://www.theguardian.com/world/2017/may/11/accelerationism-how-a-fringe-philosophy-predicted-the-future-we-live-in)もいい加減読み終えてしまおうと思い、取り組んだ。Guardian誌のThe long readは面白い記事が色々あるのだが、いかんせん長い。いまのこちらの英語力ではだいぶ時間がかかる。しかし読了後はシリーズのページを遡って、またいくつも記事をメモしてしまった。The far rightというカテゴリも覗いて、そこからもいくらかメモ。中身はまだ見ていないのだけれど、タイトルを見る限り、アメリカではfar rightグループが各所で民主党州知事を誘拐する計画を目論んでいるらしく、マジでとんでもない国だなと思う。

Other members of the Warwick diaspora made less controversial accommodations with the modern world. Suzanne Livingston, a former CCRU member, joined the international branding agency Wolff Olins, and used PhD work she had done at Warwick on robotics and artificial intelligence to help technology corporations such as Sony and Ericsson. Steve Goodman set up the electronic music label Hyperdub in 2004, and began releasing skeletal, ominous dubstep records, by the lauded south London artist Burial among others, sometimes with accelerationist messages deep within. “It’s like an onion,” he says. “Our audience are welcome to peel off as many layers as they want – some will make their eyes water, so we don’t force feed.”

Between 2002 and 2014, Goodman also lectured in music culture at the University of East London (UEL), which, along with Goldsmiths College in south London, is a frequent employer of former CCRU members. “The Warwick lot are still a group of friends, devoted and loyal to each other,” says a former UEL colleague of Goodman’s. “That’s the good way of putting it. The other way is to say that the CCRU cult thing never stopped.”

Whether British accelerationism is a cult or not, Robin Mackay is at the centre of it. Besides publishing its key texts through Urbanomic, he has kept in touch with most of his former Warwick comrades, even Land, who he has known, and often defended, for 25 years. But Mackay is a less unsettling presence. Forty-three now, he has lived for a decade in a plain village in inland Cornwall. He met me at the nearest station, wearing a severe black shirt and playing complicated techno on his car stereo, with one of his children in the back.

In the living room of his half-renovated cottage, blinds down against the lovely spring day, Mackay talked about accelerationism and its serpentine history for hours, smoking throughout – an old CCRU habit – and blinking slowly between his long sentences, so deliberately and regularly you could see him thinking. Near the end, he said: “Accelerationism is a machine for countering pessimism. In considering untapped possibilities, you can feel less gloomy about the present.” Mackay said he had experienced periods of depression. His close friend, Mark Fisher, who also had depression, took his own life this January.

     *

Even the thinking of the arch-accelerationist Nick Land, who is 55 now, may be slowing down. Since 2013, he has become a guru for the US-based far-right movement neoreaction, or NRx as it often calls itself. Neoreactionaries believe in the replacement of modern nation-states, democracy and government bureaucracies by authoritarian city states, which on neoreaction blogs sound as much like idealised medieval kingdoms as they do modern enclaves such as Singapore.

In 2013, Land wrote a long online essay about the movement, titled with typical theatricality “The Dark Enlightenment”, which has become widely seen as one of neoreraction’s founding documents. Land argues now that neoreaction, like Trump and Brexit, is something that accelerationists should support, in order to hasten the end of the status quo. Yet the analyst of accelerationism Ray Brassier is unconvinced: “Nick Land has gone from arguing ‘Politics is dead’, 20 years ago, to this completely old-fashioned, standard reactionary stuff.” Neoreaction has a faith in technology and a following in Silicon Valley, but in other ways it seems a backward-looking cause for accelerationists to ally themselves with.

Without a dynamic capitalism to feed off, as Deleuze and Guattari had in the early 70s, and the Warwick philosophers had in the 90s, it may be that accelerationism just races up blind alleys. In his 2014 book about the movement, Malign Velocities, Benjamin Noys accuses it of offering “false” solutions to current technological and economic dilemmas. With accelerationism, he writes, a breakthrough to a better future is “always promised and always just out of reach”.

In 1970, the American writer Alvin Toffler, an exponent of accelerationism’s more playful intellectual cousin, futurology, published Future Shock, a book about the possibilities and dangers of new technology. Toffler predicted the imminent arrival of artificial intelligence, cryonics, cloning and robots working behind airline check-in desks. “The pace of change accelerates,” concluded a documentary version of the book, with a slightly hammy voiceover by Orson Welles. “We are living through one of the greatest revolutions in history – the birth of a new civilisation.”

  • Andy Beckettを読んだあとは久しぶりにアコギをいじった。隣室から持ってきて、最初は例によって適当にブルースで遊んでいたのだが、そのうちにFISHMANSの"いかれたBABY"の進行でも取っておくかとコンピューターの前へ。「聞々ハヤえもん」というソフトを使おうと思ったところが、なぜか音源ファイルがひらけない。古いソフトだからこのファイルの形式に対応していないのかなと思ってとりあえず最新版をダウンロードしたが、それでも再生ができない。検索してみると、ASIO4ALLをアンインストールすれば音が出るようになるとあったので、そのようにして解決。ひとまずスタジオ版ではなくて『Oh! Mountain』の音源に依拠したのだけれど、ベースはリフ的な感じで進行とぴったり合っているわけでないし、キーボードの和音も聞き取りづらくて二音くらいまでしかわからず苦労する。とはいえ最終的に、Em(7)→F#m7→Bm(7)→D / Em(7)→F#m7→D→D7という感じで行けば問題ないとわかった。これをもとにして多少変えても良いだろう。一周目の後半は、Bm→Bm on Aという感じにしたほうが良いかもしれない。二周目の最後もD on Cでルート音をセブンスにするとなかなか素敵になるように思う。ただ『Oh! Mountain』のイントロ部、歌が入ってくる前ではキーボードがEm→Bm→C#m→Dというような感じで進んでいるような気がして気になるのだが。正確には、二つ目はF#と(その上の)Dが聞き取れ、三つ目ではG#と(その上の)Eが聞き取られる。このG#が明らかにくせ者である。Bmのキーで考えると長六度の音になるわけで、すなわちドリアンモード特有の音だ。イントロのキーボードはB→D→E→F#という、完全にペンタトニックに沿った至極単純な推移でもってトップノートが上がっていくのだが、その三つ目でG#がたしかに聞こえたと思う。イントロと曲中では違うコードワークになっているのだろうか。
  • そのあと『男達の別れ』のほうも調べる。Amazon Musicからダウンロードするのが面倒臭かったので(たしかそれ用のソフトを使わなければダウンロードできないのだったと思う)、YouTubeを利用する。YouTubeはスペースで再生停止できるし、方向キーですこしだけ戻すも送るもできるので、意外と耳コピに向いている。『男達の別れ』の音源では冒頭で佐藤伸治が弾き語りをしているが、これは簡単で、GM7→A7を繰り返したあと、GM7→A7→Bm→Bm / GM7→A7→D→D7みたいな定番の感じでやっていたと思う。最後はGM7にもどって余韻を生んでから本篇へ。
  • 進行がわかるとそれに沿って適当に弾いて遊んだ。ここで適当に遊んでしまうのが所詮その程度というところで、本当に弾き語りをきちんとやるのだったら、ストロークのパターンとか、ポジションとか、こまかな装飾とか、アレンジとフレーズを定めなければならない。そのあたりはまあ追々、というところだ。普通に4ビートでウォーキングしてもわりとはまるような気はする。ただ、こちらはギター一本でウォーキングとコードを両方とも奏でるあの弾き方をできるほどの技量はない。ウォーキングで歌ったあとに、John Pizzarelliみたいな感じで声とユニゾンのソロをやればなんとなく格好良いんではないか。ただしそれができるほどの実力はまだない。
  • 一〇時前まで長く遊んだ。歯に食物の滓が付着しているのが煩わしかったので、歯磨きをしながらシラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年)をほんのすこしだけ読んだ。書見もやはりひとつひとつの文字と言葉をゆっくり丁寧に読んでいきたい。いわゆる「精読」をしたいわけではないのだけれど、しかし実際上、それとおなじことになるのだろう。単にすべての時間をより丁寧に受け取っていきたいというだけのことなのだが。そして、作品を読んでいて気づいたことや感じたことは馬鹿げたように些細なことでもやはりなるべく記録をしていきたいとも思うのだが、実際それはまさしく馬鹿げたように些細な事柄なので、いざ書くとなると記録するのも馬鹿げているような気がして書くのをやめてしまう、ということが往々にして起こるだろう。
  • そのあと今日のことを記述して、一一時ごろ風呂へ。居間に上がると寝間着姿で頭にタオルを巻いた母親だけ。下着を用意して浴室に。湯のなかでは首や肩や頭蓋をひたすら揉んだ。そのかたわら思ったのはふたたび丁寧にものを読みたいということで、本を読む人間というのはやはりたくさん何冊も読むとか、読み終わるとかいうことに囚われてしまいがちだと思うのだけれど、そんなことは本質的な問題ではないわけだ。一〇分とか五分とかしか読まなかったとしても、発生するものが発生するときはあるわけで、それをきちんと受け止められるような心身の姿勢を整えたいというだけだ。「読み終える」という観念はどちらかといえばやはり余計な気がする。蓮實重彦の言い分になってしまうけれど、本を(世界を)読み終わるという事態は、たぶん本質的には存在しないのだと思う。それは死が来るまでは生が決して終わらずにずっと続くということとおなじだが、そこまで考えたところで、生が必然的に終わるという捉え方も何かしら誤ったものなのではないかと思った。つまり通常は、死とはどんな生物にも避けられないまさしく運命であり、生が生である以上、生物が生物である以上、そこには必ず終わりが到来するという風に捉えられている。だからたとえばハイデガーなんかも、不可避かつ絶対的な死の運命性を直視し、それを我がものとして真正に引き受けることで人は生の本来性に目覚める、みたいなことを言ったわけだ(『存在と時間』はもちろん読んでいないので、かなり要約的で、粗雑で、俗流的ですらあるかもしれない理解になってしまっていると思うが)。しかしこのとき風呂のなかでは、死によって生が必ず終わるということではなくて、すくなくとも死が来るまでは生は決して終わらないという、この「終わらない」ことのほうに注目するべきなのではないかという反転的な考えが浮かんだ。「終わらない」ことのほうが、むしろ生の本来性なのではないか。死が訪れてくれば一応そこで生は終わったと見なされるわけだが、実はそこでも生は終わっていないのではないか。生とは本来的に終わらないものなのではないか。ただしそれは、人の記憶が死後も残るとか、その人が書いた文章や作ったものがのちの時代にも受容され続けるとか、ある営みが人の死後も受け継がれて時代を越えて続いていくとか、誰からも完全に忘れ去られるまで人は死んだとは言えないとか、はたまた輪廻転生の実在を本気で主張するとか、そういうことではない。そういったこととはまるで違った事柄や論理として、おそらく生の終わらなさを考えなければならない。だがそれがどういうことなのか、まるでわからない。ただすくなくとも、これは同時に世界自体の存在論へとつながっているはずで、つまり、最終的な起源なるものは存在しない(存在しなかった)のではないか、という考えと結びついているような気がする。この世界そのものに起源があったという発想が、こちらにとってはどこかしら疑わしい。常識的にはいわゆるビッグバンとかいう現象でこの宇宙が誕生したとかいう話になっているわけだけれど、そもそも世界の誕生と宇宙の誕生が同一のものかは不明だし、純粋な無の状態から何かが生まれるという想定自体がこちらにとってはしっくりこない(ビッグバン理論でも原初が「無」だったとは言っていないのかもしれないが)。それよりは、世界はそもそものはじめから(もちろん今現在とはまったくべつの様相で)ずっとあったと考えたほうが、こちらの感覚ではよほど納得できる。そう考えたとき、世界ははじめからあったし、それ以来ずっとあったし、これからもずっとある、ということになると思うのだが、これはおそらくパルメニデスの捉え方である。つまり、この世に「無」は絶対に存在せず、「有」もしくは「存在」しかない、「ある」が「ある」のみ、ということだろう。終わらないことが生の本来性なのだという発想は、おそらくこのことと何かしら関わっている。
  • 風呂を出ると鏡の前で髪を乾かし、保湿液を両手に塗っておく。洗面所を出るとストーブの前(気温が下がってきたので、数日前から石油ストーブが使われはじめた)に干されたタオルなどを畳んでおき、下階へ。部屋にもどって今日のことをここまで記述した。すると一時四〇分。夕食が六時だったから当然の道理として腹が減っている。豚汁を食おうかと思っている。今日は五時ちょうどくらいには消灯したいと思っているので、残り時間はあと三時間強だ。
  • どこかのタイミングで、大西順子『Musical Moments』の最終曲である"So Long Eric - Mood Indigo - Do Nothin' Till You Hear From Me"を聞きながら背を伸ばしたりしたのだけれど、一六分二〇秒に及ぶこのライブ演奏が、以前からそう思っていたけれどやはり名演で、文句なしにすばらしい。冒頭のテーマからして、このあととてもすばらしい演奏が繰り広げられるだろうと予感させるような熱が籠っている。大西順子のピアノは、名演と呼ぶべきジャズがどれもそうであるように、流れるものがおのずから溢れ出てくるという感じの闊達さに満ち満ちている。まさしく霊感を帯びたとしか言いようのない、何かが降りているかのような開放性とよどみのなさである。ベースはReginald Veal、ドラムはHerlin Rileyという馴染みのトリオで、この二人が弾いていればまあリズムが悪くなるわけがないのだが、それにしても、そんなに気張ったことはやっていないように思うのに、強く弾力的で、うねるように快楽的で、三者の呼吸に隙間がない。

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腹が減ったので豚汁を電子レンジで加熱して部屋に持ってきて、それを食ったあとはさらに緑茶も用意した。ポットから急須に湯を注いで茶を作っているあいだ家内に動きはなく、居間にあるのも時計の針の打音のみで、外では遠く、おそらく川の先からパトカーのサイレンがうっすら渡ってくるが、それは静寂を乱しはせずむしろ助ける。すばらしい。この明晰極まりない、鏡のような静寂が夜だ。その底から音楽がはじまりそうな、生まれてきそうな静けさ。こうでなければならない。

  • そのあとは、書抜きや作文、書見など、色々とやりたいことはあったはずなのに、なぜかひたすら怠けてしまって何にも取り組めなかった。消灯も目標の五時をはるか過ぎて五時四三分になってしまった。だらだらしながらも脇腹やら背やら腰やら首やらを指圧していたのだが、やはりおりにふれてマッサージで肉をほぐすことは必要だ。たぶんストレッチで筋を伸ばすだけでも揉みほぐすだけでも駄目で、両方やらないと恒常的なからだのなめらかさは整わないのだと思う。ベッドに転がると今日も膝を使って脹脛をひたすら刺激し続け、だいぶ柔らかくなったところで布団をかぶって眠りに向かった。


・読み書き
 14:25 - 15:16 = 51分(2020/7/6, Mon.)
 16:08 - 17:05 = 57分(Willsher / Smith)
 18:40 - 19:16 = 36分(Beckett)
 21:57 - 22:06 = 9分(シラー: 47 - 49)
 22:18 - 22:58 = 40分(2020/10/17, Sat.)
 24:04 - 25:56 = 1時間52分(2020/10/17, Sat.)
 計: 5時間5分

・音楽

2020/10/16, Fri.

 公務員としてのトロロープのエネルギーと想像力は、英国およびその属領全体に亘って、場所から場所へ、あるいは人から人へ、極めて迅速で効率よく情報を伝達するという計画にとらわれていた。彼は柱型のポストの発案者であった。そして小説の創作活動に入ると、効率のよい情報伝達のイメージは、虚構の人物と彼らにまつわるストーリーを世間に行き渡らせることへと変わった――実際の社会から小説家を経て、印刷され、出版され、代金を支払われ、読まれる小説として、また社会へと戻るのである。
 トロロープにとって、小説の創作活動の本質は(小説の創作活動とは、支配的な社会的諸価値の自由な流通に、上記の形で参加することと定義づけられる)、プロットを作り出すことではなく、登場人物を作り出すことである。小説における登場人物は、「皆の知っている性格の諸特徴を孕んだ、虚構の人物である。私の考えでは、プロットというのは、こうした人物を創り出すための手段に過ぎない」(Anthony Trollope, An Autobiography, World's Classics ed. (London: Oxford University Press, 1961), 109)。小説中の登場人物は、すでに読者の知っている性格の諸要素を再編成したものである。こうした登場人物は、言うならば、読者に仕返しをする[自分自身の貨幣で返済する]。また、トロロープに倣って妊娠のイメージを使って言うならば、その小説を読む人々の性格的特徴との血縁的似寄りを持っている子供である。貨幣を鋳造することは、元からあったパターンを受け継いでいく点で受胎のようなものである。そしてこのメタファーを続けて使って言えば、小説のなかに創り出された登場人物は、その社会の中で通用する章と銘(例えば、女王の顔やガーター紋の銘文が挙げられる)のある新しい貨幣のようなものである。こうした新しい貨幣は流通し、その社会の中で、それと分かる価値を持つことになるだろう。そして、新しい貨幣は、その中で流通し、異質、評価不能、同化不能のものではなく、その中でそれと認識できる価値評価可能のものとなった社会の価値体系と同質のものとなる。こうした貨幣は、それが例示する正当性と価値の基準を是と認め、またそれによって是と認められるのだ。一八六三年の一月の『ナショナル・レヴュー』に載ったあるエッセイは、実際このような商業のメタファーを使って、英国社会において、トロロープの小説に出てくる登場人物がいかなる役割を果しているのかについて述べている。「その登場人物は公共の財産だ」とこの『ナショナル・レヴュー』は述べ、結果としてトロロープは「国家の一機関と言ってよい。……彼の人気は絶大で、主な登場人物は同国人になじみ深いものであり、彼の物語に寄せる関心は広く行き渡っている。それ故必然的に、彼の物語は、毎日の社会の商業活動の基である一般の手持ち商品の一つになっている」と言っている。この定言的表現は、トロロープの目的が達成されたことを証明している。その社会の諸価値を肯定し維持しながら、小説のなかの登場人物を、社会的コミュニケーションの媒体とするという目的である。
 (J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、118~119)



  • 午前中に二度ほど覚めたようだ。最終的には一時二五分に意識が固まったので、いつもどおりである。久しぶりで多少晴れて、陽射しの色も淡く見られる。枕をどかし、ベッドに直接後頭部をつけ、頭を左右にごろごろ倒して首をほぐしてから起床。(……)からメールが来ていた。slackにて(……)が一二月一四日の計画案を話しているので返信がほしいとのこと。コンピューターを点けておいて上階へ。
  • 母親は仕事。父親は家の外、こちらの部屋が面した南側にいるのが寝床の時点から感知されていた。米はない。冷蔵庫に天麩羅の余りがあったのでそれとカップ麺で済ませることに。

 午前中に二度くらい覚めたような記憶がある。最終的には一時二五分に意識が定かに。いつもどおり。久しぶりにいくらか晴れて、陽射しの色も薄く見られる。枕をどかし、ベッドに直接後頭部をつけて、頭を左右にごろごろやって首をほぐしてから起床。(……)からメールが来ていた。slackで(……)が一二月一四日の計画をしているので返信がほしいと。コンピューターを点けておくと上階へ。
 母親は仕事。父親は外にいるのがベッドにいるときから感知されていた。米はない。冷蔵庫に天麩羅の余りがあったので、それとカップ麺で済ませることに。洗面所で髪を整える。やはり焦りがある。起床をはやめなければどうしたって余裕が生まれるわけはない。そのためには当然消灯と就寝をはやめなければならない。昨日は目標の五時二〇分をちょっと過ぎてしまったので(それでも前日よりもはやくなっているので悪くはない)、今日は五時二〇分か一五分あたりの消灯を目指す。日記もいまは記録・記述の二段構えになっており、そのうちしかし記録のほうすら満足にできていない現状で、このままではどうにもならないことはわかってはいる。また一筆書き方式に移行するか。本当はそれが一番良いのだろうが、どうもそうする気になれない。日記の営みの一番の目的というのは、やはり生およびこちらが触れた範囲での世界のなるべくすべてを記録するということなので、記述は二の次といえば二の次ではある。つまり、第一段階としてさしあたりは記録さえ取れて残しておければ問題ないのであり、そこから先の記述段階は、ブログに載せて人目に触れさせたり、あるいはいずれ読む人がいるかもしれないということを考えると、文章を整えておきたいというだけのことにすぎない。あるいは、こちら自身の、単なる歴史的資料としてだけではなく、文としても読むに値するものにしたいという、一種の作品形成欲みたいなものにすぎない。だからとにかく記録に落とし込めていれば、ブログに発表できなくとも最悪問題はなく、極端な話、今日の記事を一年後に記述したってべつに良いとは言える。とはいえ一方で、やはりできればリアルタイムに近い形でブログに日々の記録を発表していきたいという気持ちもある。そうするにはやはり一筆書きに移らなければならないだろう。
 新聞を読みながら食事。居間の南窓は網戸になっており、空気が通ってかなり涼しい。清涼そのもの。爽やかな感触。新聞を読みつつ食事。キルギスで大統領が辞任表明。タイでは首都のデモで非常事態宣言に基づいた緊急措置。軍の動員も可能に。主導者二〇人ほどが逮捕。タイでも民主化を目指す活動家が夜道で襲われるみたいな事件が以前からいくつも起きているようで(New York Timesに以前そういう報告があった)、やばい感じ。
 洗濯物を取り込み、タオルをたたむ。食器と風呂を洗うと帰室。今日が(……)さんの誕生日だったらしい。LINEをひらくと皆が祝っていたのでこちらもおめでとうと言っておく。slackのほうにも二、三、投稿し、一二月一四日の件は忙しいので明日以降と言っておいた。それから緑茶を用意してきて、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しつつここまでメモ。五時には出るので猶予は少ない。運動と音読は必ずこなす。



 (……)さんのブログ。2020-07-13。
 「土曜日の夜だったか、寝るまでの時間、窓を開けたら風が入ってきて、レースのカーテンが大きく持ち上がり丸く膨らんで、すぐに吸い込まれて網戸にぴったりとへばりついた。部屋を風が、波のように行き来しているのだった。」


  • 2020/7/5, Sun.をようやく仕上げることができたのが一時半前。投稿する際に、すこし前からブログのタイトルを変えようと思っていたのだけれど、それをここでついに実行して、何のひねりもないそっけなさでただ「日記」の一語にした。ほかに何かないだろうかと一応ちょっと考えてはいたのだが特に何も思いつかないし、どういうワードにしても余計な気取りがつきまとうのでこの率直さが結局は一番良いだろう(あまりに工夫のないこのストレートさは、それはそれである種の気取りをはらんでいるように感じないでもないが)。
  • 七月五日分を仕上げたところでいったんヘッドフォンを外したのだけれど、父親はまだ階上にいるようだったので、もうすこし、二時くらいまでは日記を進めてみるかというわけでさらに2020/7/6, Mon.に取り組んだ。かたわら聞くのはJesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』。しかし空腹状態が長く続いて血糖値が下がってきたのかからだも頼りないような感じだし、なかなか鷹揚にかまえて集中できるものでもない。二時過ぎにヘッドフォンを外すとようやく居間が無人になったらしく判断されたのでやっと飯を食いに行くことができた。一〇時半ごろに帰宅して、食事を取るまでに空っぽの胃をかかえたまま三時間半も待たなければならなかったわけだ。昼間にものを摂取したのが二時頃だったので、そこから数えるとちょうど半日空いたことになる。

RullerとBrinkの"Love for Sale"すばらしい。
屈伸。脚の裏を伸ばす。


  • 風呂のなかで思ったのだが、というかそれ以前に七月の文を書いているあいだにすでにそういう心持ちになっていたのだが、(……)さんのスタンスを真似して「報告」のような感じで日記を書くのは良いかもしれない。いまはどうなのか知らないが(……)さんは以前、日記は(……)さんと深夜に喫茶店でだべって近況や日常のよしなしごとを「報告」しているのと感覚がほとんど変わらないと言っていたはずだ。その姿勢を学ぶべきではないか。文を作ると考えるからきちんと形を整えたいなどという欲求が湧いて足が重くなり、どうも一発では書きづらいなと思うわけで、誰か(その誰かとは現実の知り合いでも良いし、現在または未来にこちらの文章を読む実在の人間でも良いが、まとめて言って〈他者〉、すなわち(純粋に仮構的な)観念としての〈読者〉ということになるだろう。その〈読者〉とはまた、〈(いまではない)いつかの自分自身〉でもある)に向かって自分の生をひたすら喋っているだけだと捉えればもっと書きやすくなるのではないか。もちろんそこでもリズム、あるいは音調を整えるという志向(思考)は働くけれど、それは成型的基準から見た(書かれた)文としてのリズムというより、「報告」としての、すなわち語りとしてのリズムということになる。というわけでいま実際にそういう心構えで文を綴っているのだが、これなら記録→記述の二段構えを取らずとも書けるような気がする。
  • つまり、磯崎憲一郎『肝心の子供』に出てくるビンビサーラのあり方だ。「ビンビサーラは物心ついたときから以降もうまもなく臨終を迎えるいまに至るまで、途轍もなく長い、ひとつながりの文章をしゃべり続けている。途中には話題の転換や逸脱、休憩が入ることはもちろんあるにしても、彼がいま語っている事柄は常に、なんらかの形でそれ以前の話を踏まえたものにならざるを得ないのだから、それは長い長い一本の文章を語っているのと同じことではないか。だが、そこでラーフラは思い直した。これは人生の時間が途切れなく続いていることのたんなる言い換えに過ぎない」(磯崎憲一郎『肝心の子供』河出書房新社、二〇〇七年、79~80)。ただひたすらに、自分が見、聞き、感覚し、思考し、行為したことを、誰かに向かってくまなく報告し続ける自動機械としての存在性。

 風呂ではひたすら頭蓋や顔を揉む。



 四時二〇分。背をほぐす。"Love For Sale"。すばらしい。何度でも聞く価値がある。明日slackに知らせておこう。

2020/9/18, Fri.

 (……)日常語では、あることをこうむることに快楽を覚える者(そうでないとしても、ともかく、このこうむることの共犯者である者)を定義するのに、かれはあることを「自分にしてもらう」(ただ単に、あることがかれにたいしてなされる、ということではない)と言うことからわかるように、主体における作用者と被作用者の一致は、動きのない同一性の形態をもつのではなく、自己触発という複合的な運動の形態をもつ。そこでは、能動性と受動性がけっして分離されず、しかも、あるひとつの自己[﹅2]のうちにあって両者が一致できずに区別されたものとしてあらわれるというような仕方で、主体は自己自身を受動的なもの(あるいは能動的なもの)として立てる――あるいは示す――のである。その自己[﹅2]とは、自己触発の――能動的にして受動的な――二重の運動において、残りのもの(resto)として生まれるものである。このために主体性は主体化であると同時に脱主体化でもあるという形態を構造的にもっているのであり、このためにそれはその本質においては恥ずかしさなのである。赤面とは、あらゆる主体化において脱主体化をあらわにし、あらゆる脱主体化において主体について証言するところの、その残りのもの(resto)にほかならない。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、150)



  • 一二時過ぎに覚醒し、まどろんだり首を揉んだりしているうちに一時を回って正式に離床。洗面所に行って顔を洗い、うがいと用足しを済ませて上階へ。母親は仕事なのか姿が見えず、父親がひとりでソファに就いて書類を読んでいる。上階の洗面所にも入りドライヤーを使って髪を梳かし、食事は豚汁や鮭やカボチャの煮物。ものを食う一方で新聞から国際面の記事を読むが、父親がかけているラジオ(TBSラジオ『たまむすび』)の音声に乱されてあまり集中できない。食後は皿と風呂を洗って、もう食道は問題ないと思うのだが、一応今日も緑茶は控えて何も持たずに自室に帰った。コンピューターの準備を待つあいだに携帯で美容室に電話する。ここ数日何度か電話してもそのたび休みでつながらなかったのだが、今日は無事にYさんが出て、いつが空いているかと訊けばけっこう埋まっているらしく、来週の金曜日ではと言う。二七日の日曜日までに切りたいと言って迷っていると店主に替わって、二六日の土曜日でも良いと言うので、ギリギリのタイミングではあるが土曜のほうが勤務が短いしそうするかと決断し、一時に予約した。その後FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしてここまで短く記述。さしあたり今日やりたいことは四つ。昨日の日記を完成させること、一六日の記憶をメモしておくこと、六月二九日以降過去の日記をいくらかでも進めること、そして教室会議の計画文書を作ることである。
  • そういうわけで昨日のことを記述し、さしてかからず終えると投稿、さらにそのまま一六日のこともメモすれば時刻は四時前、寝床に移って脹脛を柔らかくする。五時を回って上階に行くと、父親が鍋を拵えていた。こちらは洗濯物を少々畳むが、この天気では仕方ないけれど大方まだ乾ききっていなかったので、扇風機の風を当てるようセットしておき、そうして昨日のキムチ鍋の余りを摂取する。
  • 五時四〇分から教室会議計画案を作成した。五〇分で終了。おおまかな形に過ぎないが、会議の目的・全体の流れ・アンケートの質問案・会議時配布文書構成案という区分でまとめた。そうして着替えて身支度を済ませたあと、コンピューターを持って階段下の室に行き、Evernoteで作った文書を印刷する。父親のコンピューターに繋がったハブ的なUSB接続器具からプリンターのケーブルを抜いて自分のコンピューターに挿し入れ、準備が整うのを待つ。ドライバーのインストールだかが即座に終わらず、これ間に合うかなと危惧されたものの、歯磨きをしながら待っているあいだに無事終わったので計画文書を二部印刷した。それをクリアファイルに入れてバッグに収め、そうして出発である。
  • 当然ながらもはや蟬の音は生まれず消え去って、かわりに鳴るのは凛々とした虫の声であり、どこから発するともなく遠く近く全方位から聞こえるごとく道の上を満たしているのは、響きが空間を構成する気体そのものになったかのようなひろがり方である。空は雲が全面にかかっているらしく薄墨色に曇ってなんの形も見られない。十字路前で坂から下りて出てくる人があり、サラリーマンの姿で片手に鞄を提げているそれはHさんだったかもしれない。すれ違ったあとに煙草の匂いが感じられ、坂に入ってからもほんのすこしなごっていた。
  • この時刻でも意外とまだ蒸し暑くて肌は汗を生む。路上には街灯に照らし射られたこちらの影が、のっぺらぼうの様相で濃く密に浮かび上がる。駅の階段通路に入るあたりで秋虫の声が頭上から大挙して降り落ち、かなり騒がしくて痺れのようなざらつきを耳に与えてきた。気温がやはり高めなのか階段には羽虫がけっこう飛び交っている。ホームに入るとベンチにバッグを置いてハンカチで汗を拭い、そうこうしているうちに電車がやって来た。
  • 車内では瞑目。降りると他人に抜かされながらだらだらと階段や通路を行き、駅を出るとすぐ脇に大きな身体の女性がいたが、それが(……)さんではないかという気がした。何年か前の生徒である。その名前を思い出せたことに自分でちょっと驚くが、あまり目を向けず顔も見なかったので本人かどうかは不明だ。
  • 職場に着くとさっそく(……)さんに教室会議計画案を渡し、神様、との称賛をいただいた。多少ポイントを説明して気になったことはあるかと訊くと、質問に対する回答の参考に例を挙げたほうが良いのではと言うので、確かにそうだなと同意した。その他いくらか話し合ってから授業。今日は(……)さん(高三・英語)に(……)くん(中二・国語)が相手だが、授業のあいだのことは何もメモされておらずまったく思い出せない。
  • 一〇時前に退勤。(……)先生と一緒になったけれど今日は話しかけず(もうずいぶん前だが、彼女が入ってまもないころに二回くらい並んで帰ったことがある)、黙々と前を行った。ホームの自販機前に止まったところで彼女はこちらを抜かして過ぎていく。飲み物を迷っていくつか自販機を見回った挙句、「ポンジュース」を選んだ。炭酸がもしかしたらまだ食道や胃に悪いかと思ってコーラを控えたのだが、しかしオレンジジュースも胃液を増やすのではなかったか? 胃に冷たい液体が入っていく感触を注視するほかに何もせず息をつきながらジュースを飲み、その後は瞑目で電車を待った。車内でも同様である。
  • 最寄り駅を出て坂道にゆっくりと歩を踏みながら、落ちている葉が蛾の大きいのが伏した姿のようで見分けがつかないなと思っていると靴先から跳ねるものがあり、本当に蛾が混ざっていた。道は乾いており端には茶色に近づいた薄色の葉が集まっている。木の実はまだ見られない。風もなさそうだけれど、弾けて擦れるような分離の音を静かに立てながら葉枝が頭上から落ちてきて、一度は頭頂に乗ったときもあった。それくらい歩速が遅いわけだ。
  • 平坦路を行くあいだ、カマキリに二度遭遇した。色は緑でなくて白っぽく、まだ生まれたばかりなのか小さくて一見すれば小枝だが、わずかながら影が落ちているのでからだを路面から浮かせているのがわかり、それでカマキリと判別された。ゴキブリらしいすばやい動きの黒い虫も途中で見られて、けっこう虫が多く出ているのはやはり気温の影響か。コオロギらの声はこれも雑音のない夜道だからそう感じられるのか、往路よりもしずしず控えているようで、抑制されたきらめきというごとき叙情性を思わせた。
  • 帰宅後はベッドで脚をほぐしつつ休息したあと食事へ。父親はソファで歯磨きをしており、母親はその周りでうろつきながら洗濯物をたたむなど。父親は酒を飲んだようで最初はまたテレビに反応してなんとか漏らしたり唸ったりしていたのだが、こちらが席に就いて食べはじめるとその種の声をほぼ上げなくなった。途中で母親が、もううるさいからと言ってテレビを消してくれたのもありがたい。その後両親とも居間を去ったが、そうして訪れた自分ひとりの静けさというものはやはり非常に落ち着き、心身に馴染むものだ。
  • 入浴ののち、そろそろ大丈夫そうだったので茶葉を少なめに抑えてあまり濃く出ないようにしながら緑茶を用意。帰室後は一時四〇分から書抜き。やはり常態として呼吸を見つめるというか、呼吸(と言って吸気は除いて大方呼気のほうだが)に志向性を向けるようにして、それを媒介にしながら(経由しながら)心身の感覚や現在時を捉えるというのが肝要なのではないのか。実際、呼吸に視線を向けて行動の連れ合いにすると、直線投射的な目的意識に飲まれることはなくなり、落ち着いて物事を進められるのは確かだ。書抜きのBGMはBrad Mehldau Trio『Live』。それから今日のことを記録して、そして就寝前にジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)をいくらか読んだらしい。


・読み書き
 14:18 - 14:38 = 20分(2020/9/18, Fri. / 2020/9/17, Thu.)
 14:53 - 15:51 = 58分(2020/9/16, Wed.)
 17:41 - 18:31 = 50分(教室会議案)
 25:43 - 26:38 = 55分(巽 / 新聞)
 26:40 - 27:12 = 32分(2020/9/18, Fri.)
 27:26 - 27:47 = 21分(2020/6/29, Mon.)
 28:30 - 29:12 = 42分(カラー: 117 - 141)
 計: 4時間38分

  • 作文: 2020/9/18, Fri. / 2020/9/17, Thu. / 2020/9/16, Wed. / 教室会議計画案 / 2020/6/29, Mon.
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き
  • 読売新聞2020年(令和2年)6月30日(火曜日)朝刊: 7面
  • ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年): 117 - 141

・音楽

2020/9/17, Thu.

 恥ずかしさにそっくり相当するものが、まさしく、近代哲学において自己触発と呼ばれ、カント以降、時間と同一視されるのが習いとなっている主体性の原初的構造に認められるとしても意外ではない。時間が内的感覚の形式、すなわち「わたしたち自身とわたしたちの内的状態とについてのわたしたちの直観」(Kant, I., Critica della ragion pura, Laterza, Roma-Bari 1981., p.77〔『純粋理性批判』〕B49)の形式である以上、時間を定義するものは、カントによれば、時間において、「悟性は、自分がそれの能力であるところの受動的主観〔主体〕にたいして、内的感覚がそれによって触発されると言ってしかるべきであるような行為をはたらく」(p.146〔B153〕)ということ、それゆえにまた、時間において、「わたしたちは、わたしたち自身によって内的に触発されるようにのみ、わたしたち自身を直観する」(p.148〔B156〕)ということである。わたしたちの自分自身についての直観にともなうこの自己様態化の明白な証拠となるのは、カントによれば、わたしたちは想像のうちで直線を引かないことには時間について考えることができないという事実である。その直線は、いわば、自己触発のふるまいの直接的な痕跡なのである。この意味で、時間は自己触発である。しかし、まさにこのために、カントはここで正真正銘の「パラドックス」について語ることができるのである。それは「わたしたちはわたしたち自身にたいして受動的なものとしてふるまわなければならない(wir uns gegen uns selbst als leidend verhalten mussten)」(p.146〔B153〕)という事実のうちに潜んでいる。
 このパラドックスをどう理解すべきなのだろうか。自分自身にたいして受動的であるとは、なにを意味するのだろうか。受動性が、単なる受容性、すなわちただ単に外部の能動的な原因によって触発されることを意味するのでないことは明らかである。ここでは、すべてが主体の内部で起きるのだから、能動性と受動性は一致しなければならず、受動的な主体は自分自身の受動性にたいして能動的でなければならず、「自分自身にたいして(gegen uns selbst)」受動的なものとしてふるまう(verhalten)のでなければならない。光によって刻印される写真のフィルム、あるいは封印の像を刻印される柔らかい蠟を、ただ単に受容的なものと定義するなら、みずからが受動的であることをいわば能動的に感じるもの、自分自身の受容性によって触発される[﹅17]ものだけを受動的と呼ぶことにしよう。すなわち、受動性とは――自己触発であるかぎりで――受容性の二乗なのであって、それは、受容性が自分自身を受苦し、みずからの受動性に情熱的になっているのである。
 ハイデガーは〔『カントと形而上学の問題』のなかで〕カントのこのくだりを注釈して、時間を「自己の純粋な触発」と定義している。それは「自己から~へと動く」ことであると同時に「振り返り見る」ことでもあるという奇妙な形式をもっている。このような複雑なふるまいにおいてのみ、このように自己から遠ざかりながら自己を見ることにおいてのみ、「自己自身」なるものが構成されることができるのである。

時間は、すでに眼前に利用できるものとなって存在している自己を打つ能動的触発ではない。純粋な自己触発として、それは自己自身にかかわる〔sich-selbst-angehen〕と一般に呼ぶことのできるものの本質そのものをなしている。〔……〕しかし、なにものかがそのようなものとしてかかわることのできる自己自身とは、本質的に、有限な主体である。時間は、純粋な自己触発として、主体性の本質的構造をなしている。このような自己性にもとづいてのみ、有限な存在は、それがあらねばならないもの、すなわち受容へと引き渡されたものとなることができるのである。(Heidegger, M., Kant e il problema della metafisica, Silva, Milano 1962.(木場深定訳『カントと形而上学の問題』ハイデッガー選集第19巻、理想社、1967年), p.249)

 ここで、引き受けることのできない受動性に引き渡されることとしてわたしたちが定義した恥ずかしさとの類似性が明るみになる。それどころか、恥ずかしさは、主体性にもっとも固有の情態性である。というのも、意に反して性的暴力をこうむる人間には、たしかに恥ずべきものはなにもないからである。しかし、その者が、自分が暴力をこうむることで快楽を覚えるなら、自分の受動性に情熱的となるなら――すなわち自己触発が生まれるなら――、その場合にのみ、恥ずかしさについて語ることができる。このため、ギリシア人は、同性愛の関係において、能動的主体(愛する者[エラステース])を受動的主体(愛される者[エローメノス])から峻別し、この関係の倫理性を保つために、愛される者[エローメノス]が快楽を感じないよう求めた。いいかえれば、主体性の形式としての受動性は、構造的に、純粋に受容的な極(回教徒)と能動的に受動的な極(証人)に分裂しているのである。しかし、だからといって、この分裂は、けっして自己自身の外に出るものではなく、けっして二つの極を分離するものではない。その反対に、内密性[﹅3]の形式、自己を受動性に引き渡すという形式、受動的になる(far-si passivo〔自己を受動的にする〕)という形式をつねにもっている。そして、そこでは、二つの極は区別されるとともに混じり合っているのである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、146~149)



  • 一時半起床。涼しげな曇天である。からだを少々ほぐしたのち、上階に行って食事。味噌汁に、卵やキュウリやパプリカのサラダに、冷凍の中華丼。熱いものが食道にどうかなと思ったのだが、引っかかりがまったくないではないものの、ひりつくこともないし、もうほとんど問題ないくらいまで回復していた。となるとまた緑茶を飲みたくもなるが、ここで油断すると逆戻りしかねないので今日も茶は控えるつもり。新聞は菅義偉内閣の陣容を紹介し、また米ホワイトハウスイスラエルUAEおよびバーレーン間の国交正常化に関する調印式がおこなわれたと伝えている。九三年にいわゆるオスロ合意の調印がなされたのとおなじ、South Lawnが使用されたらしい。
  • 食後は食器と風呂を洗って帰室。携帯に高校の同級生であるO.Sからの連絡が来ていた。たぶん一〇年ぶりくらいだと思うが、最近TDと連絡を取って、こちらのアドレスが変わっていないと聞いたので送ってみたという話だ。腐れフリーターとしてだらだら生きていることを報告しておき、一方で職場にも来月の勤務希望のメールを送った。
  • 三〇分ほど日記を書いたあと、ベッドに行って三宅誰男『双生』(仮原稿)。「彼」とフランチスカの初夜のあたりなど読むに、普通にクソ面白いやんという感じ。こういうムージル路線の、底に流れている論理が見通せず隠されているように感じられる物語(論理がまるきりないのではなく、何かしらの理路が通っているように思われるのだがその実体が定かに掴めない物語)の可能性ってまだまだ汲み尽くされていないのでは? という気がするのだが。こういうあり方をきちんと吸収して取り入れた人って、すくなくとも日本にはそれこそ古井由吉くらいしかいないのではないかと思うし、海外文学でもムージルにめちゃくちゃ学んだという現代作家の情報など聞いたことがない。磯崎憲一郎も色々吸収しているとは思うが、彼の場合はそのままこの路線ではなくて、ちょっと毛色が違ってくるだろう。
  • メモ。「ほとんど間抜けですらあるその面構えをもって水面に映り込んだ彼自身のやはり同じように捉えがたい斜視を宿した面相であるとするお笑いぐさのような錯覚」
  • 「蟄居の日々のために儚くなった自らの裸の背中が、暗闇の中で鬼火のように青白くぼんやりと浮かび上がっているのを、寝床からの眼差しを借りる格好で彼自身はっきりと目にしたのだった」
  • 「幾つもの肖像が重ね書きされているその姿」
  • 「その先に控えているのはしかし、近親を犯し、同性を犯し、自らをもまた犯す、幾つもの禁忌のその結び目に重ね合わせられた、初夜の静まりとは無縁の魔道であった」
  • 「からからに渇いた咽喉から絞り出したつもりが、思ったよりも野太い輪郭をもって響いたのを、彼は他人の声として聞いた。いや、そうではなかった。他人のものとして聞いたその声こそが、自身初めて耳にする彼自身の声であったのだった」
  • 「理解の全く及ばぬ他者を前にしての幾らか訝しげな戸惑い——それ以上でもなければそれ以下でもないものを互いに浮かべ合っている二人がそこにいた」
  • 「彫りの深い顔立ちに宿る異国風の機微の、見れば見るほどおよそ彼には形作ることのできそうにもないその隔たり」
  • 「紛れもない彼の声による、紛れもない赤の他人に向けられた、紛れもない呼びかけとしての、紛れもない問いかけ」
  • 「つぶさに見てまわればそのひとつひとつが確かに悲劇的な調子を帯びているはずの、それでいて重なり合いひとつの全体と化せばどういうわけかほとんど祝祭じみた活気を呈しているようですらある無分別な賑わい」
  • 「山間の流れと大海の潮とはまるで別物であった。木造の小舟と鉄製の汽船とはまるで別物であった。死者を流れに委ねて彼岸に送り出すものと、生者を潮に逆らい別の此岸に送り届けるものとの、そう対置してみれば明らかな隔たりを無視するには、彼はあまりに繊細にできすぎていた」
  • 「そして次にそのことを意識した時、彼は既に寝床の中の人であった」: →『亜人』、17: 「敵船上陸の報せが夜目の利く伝書鳩によって館内にもたらされたとき、大佐は太刀を片手にだれよりもはやく馬上のひととなった」 → ムージルポルトガルの女」: 「二日後には彼はふたたび馬上の人となっていた」(川村二郎訳『三人の女・黒つぐみ』(岩波文庫、一九九一年)、63)
  • 「丸くなったその背に注がれているに違いないものを感じながら、火鉢によって温められてあったものの名残りも既にほとんどないひんやりとした空気に肌を晒すと」: 「その背に注がれているに違いないもの」: 「~する(される)もの」という言い方で名詞を表現することはこちらもおりおりやる書き方だが(こちらの日記では風を「流れるもの」とか言うことが多い)、「~するに違いないもの」と、「違いない」という確信的推量の表現を足した形で使われるのははじめて見たような気がする。 / 「火鉢によって温められてあったものの名残り」もちょっと面白い。この「もの」は「空気」を指していると思うのだけれど、ここでわざわざ「もの」の語を使う必要は意味的観点からするとほぼなく、「火鉢によって温められてあった名残り」と名詞を省いても良いだろうし、「火鉢によって温められてあったその名残り」と「その」でつないでも良いだろう。そこをあえて「もの」と言って、最大限に一般性を帯びていながらも紛れもない名詞である語を導入している。
  • 「彼は胡座を掻いたまま、しかし上体だけを捻るようにして、掛け布団を首元にまで引っ張り上げて横になっているフランチスカの、生首のようにそこだけ晒されてある顔に目を遣った。暗闇の中ではその色を窺うことはかなわなかった。手を伸ばし、掛け布団の縁を掴んだ。フランチスカは逃げようとしなかった。瘡蓋を剥ぎとるようにして捲り上げるべきものを捲り上げると、霜の降りた石のように白い肉体が現れた。夜を千度塗り重ねた向こうでも仄かな燐光を湛えて見えるに違いない、既に一糸纏わぬ姿であった」: 「かなわなかった」 / 「霜の降りた石のように白い肉体」 / 「夜を千度塗り重ねた向こうでも仄かな燐光を湛えて見えるに違いない」
  • 「出発の朝は白々しいほどに晴れ渡った。清潔な冷気に辺り一面澄み渡り、氷柱のように白い日射しが凍った地面のあちこちを突き刺して眩しい中、夜の間に僅かに降り積もったらしい雪は早くも溶け落ち、軒を伝う頻繁な滴りとなって線路に面した歩廊の上を黒々と染めていた」
  • 「一枚の皮膜となってどこまでも伸び広がろうとする青い水とその際限なさを縁取り区切ろうとする白い飛沫とが、眼下に向かい合った海面で形作られたそばから砕け散る富士の色合いに忙しなく生成明滅していた」: 「皮膜」 / 「富士の色合い」
  • 四時四五分まで。上階へ行き、おにぎりをひとつ拵えて夕刊を見ながら食事。父親は南の窓際に腰掛けて藤沢周平か何かの文庫本を読んでいる。米を平らげると下階にもどって身支度し、出発である。道を歩きながら心身の輪郭を探ってみるに、乱れてはいないけれど特別整いまとまっているというわけでもなく、明鏡的な静かな落ち着きには遠い。Sさんの宅前にかかりながら首を曲げれば、頭上に咲いたサルスベリはピンク色をいっぱいに集めて騒がしく、いかにも盛りといった調子で誇りかに満開だった。Kさんがちょうど車を車庫に入れているところだったので、前を通るときに軽く会釈を送る。Nさんが外に出ているのにも久しぶりに行き逢ったのでこんにちはと挨拶を送り、過ぎようとしたところでお父さんは、と声がかかったので振り向いていくらか近づいた。もう仕事は引退されたのかと訊くので、このあいだ終わりまして、ありがとうございますと答え、来年は祭りがどうなるかねえなどということをちょっと交わしたのち、また色々とお世話になると思いますので、よろしくお願いしますと向けると、いや、こちらこそいつもお世話になっていて、ありがとうございますなどと答えながらNさんは両手を脚の左右に合わせて、丁寧な礼をしてみせた。自分のような若輩にもきちんと礼を尽くすあたりまことに律儀な人柄と言って良いだろうが、その律儀さになんとなく戦前生まれという感を得たのは、しかし勝手なイメージだろう。軍隊生活を通過した者としての礼儀感覚をもしかしたら思ったのかもしれないが、Nさんの正確な歳がわからないし、仮に九〇ぴったりだとしても終戦の年には一五歳ということになるから、たぶん徴兵されていないのではないか。そう考えると、元軍人というのは日本国にはもはやほとんど存在していないのだろう。
  • 坂道の蟬は昨日よりもいくぶん力を取り戻しているような気がしたが、それでももう去り際に至ったものの最後の叫びの苦しさは否めない。空気は前日よりも蒸しているらしく、汗の滲み方がやや違う。駅に着いてホームに入り、ベンチにバッグを置いた瞬間に電車入線のアナウンスがかかったので、メモは取らずそのままマスクをつけて来た電車に乗りこんだ。横向きで扉際に立ったまま目を閉じ、心身の輪郭をなぞるようにしながら到着を待った。青梅に着くと駅を抜けて職場へ。
  • 今日の相手は(……)さん(中三・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中三・英語)。そんなに特筆することはない。(……)くんがよくできたので、もうすこし突っこんだ内容に触れたり、なんかもっと発展的なことができたら良かったな、というくらいだ。授業前の準備のときに(……)先生が突然泣き出した時間があって、(……)さんが即座に教室の奥に連れて行ってなだめていたのだが、どうして泣いてしまったのかまったく事情は知れない。塾に関する問題なのか、それともべつの場所で何かあったのかも不明である。何かしらできることをしてあげたい気はしたが、話を聞いてあげるほど親しい関係でもないし、仮に女性としての問題だとしたら男性には話しにくいこともあるだろう。そういうわけで(……)さんに任せ、せめて号令役を替わってあげようかなと、感情が乱れたあとで多人数(と言ってもそこまでの数ではないが)の前に立って声を出すのは大変ではないかと推してそう思ったのだが、結局躊躇して声をかけられなかった。これがこちらの弱さである。
  • 授業後は(……)さんに報告をしたり、シフトの調整を頼んだり、教室会議の計画を話したりしていてまた遅くなった。アンケートを実施するのはどうかという話が出ていたのだが、そのあたりについて相談し、明後日土曜日に共に作成することになった。それまでに気が向いたらどういうことを訊くかという案を簡単な文書にまとめてくる、という次第にもなっている。一応明日やろうと思ってはいるものの、なんか面倒臭い仕事ではあるし、もしかしたら雛型を用意せずに土曜日に直接作る方法を取るかもしれない。それにしても俺もずいぶん運営側にコミットするようになってしまったというか、単純に最近、仕事がかなり増えている。まずいなあというか、こんなに深入りするつもりはなかったというか、そんなちゃんとした立場を担いたくなどないのだけれど、たぶんもう実質サブリーダー的なポジションになってしまっているだろう。なんかそういう取りまとめるほうのポジションに就きたくないと自分では思っているはずなのだけれど、勤務年数がもう長い以上ある程度は仕方のないことだし、それを措いても頼まれると断りにくいというか、せっかくだから自分にできることはやろうかなという気になってしまうというか、本当にやりたくなければ嫌ですとにべもなく拒否すれば良いだけの話なのだけれど、どうもそうする気にはなれない。今回の教室会議の件だって仕事を増やしたくなければただ黙っていれば良かったのだけれど、むしろ自分からわりと積極的に提案をしたり働きかけたりしているわけで、まあなんだかんだ言ってもこちらはそういう点でけっこう人の良い、善良な人間なのだろう。
  • 九時前に退勤し、駅に入って電車に乗り、瞑目して到着を待つ。帰路に関しては大した印象は残っていない。帰り着くと服を脱いで部屋のベッドで『双生』を読みながら休み(上にはこのとき読んだ分までメモしてある)、一〇時過ぎに食事へ。キムチ鍋など。辛いスープを飲んでも一応大丈夫なあたり、食道はだいたい問題ないだろう。父親は髭を剃らずに放置しているので、口の周りや顎に白いものがのさばっている。テレビは櫻井翔有吉弘行の『夜会』というやつで、神木隆之介が出て高額なイヤフォンを買ったりアニメが好きだと話したりしていた。ものを食うと風呂を浴び、出て帰室するとウェブを閲覧。そういえば帰宅後、二八日を休みにできたとLINEに報告するついでに、二六日の夜に泊めてくれないかとTTに訊いていたのだが、すまんが余裕がなさそうで厳しいとのことだった。九月二七日はK夫妻のフォトウェディングなるものに呼ばれていて朝の一〇時台には品川にいなければならないのだが、ご存知のとおり普段のこちらは一〇時にはまだ寝ている。それでTTの家に泊めてもらえれば移動も楽だし、遅刻の恐れもあるまいと思ったのだったが、断られては仕方がない。二六日は労働から帰ってきたら早々に床に就くほかはあるまい。
  • 零時過ぎから今日の日記を記述。途中歯を磨きたくなったので中断し、先週のWoolf会で紹介されたものだが、ミラクルひかるが落合陽一のモノマネをしている動画とか、まだ売れる前のtofubeatsが小さなハコでライブをしている動画とかを眺めながら口内を掃除した。後者には最前列の観客として若かりし頃のUくんが映っているという話で、見ればたしかにめちゃくちゃたくさん映っていたのだが、その姿が思ったよりも若かったので笑った。一八歳くらいの頃だと言っていたと思う。
  • 二時直前まで今日のことを書き、それからさらに一五日のことをメモに取って、ちょっと休んだのち、過去の日記もいい加減進めなければというわけで六月二九日分を三〇分だけ記述。三時を回ると新聞記事をすこしだけ書き抜きした。本当は書物のほうも写したかったのだが、思ったよりも疲労感があって転がりたかったので今日は新聞のみでベッドに帰還。一時間ほどウェブを回っているうちに眠くなったので四時二〇分過ぎに就床した。


・読み書き
 15:06 - 15:38 = 32分(2020/9/17, Thu. / 2020/9/15, Tue.)
 15:44 - 16:45 = 1時間1分(『双生』)
 21:33 - 22:02 = 29分(『双生』)
 24:14 - 25:03 = 49分(2020/9/17, Thu.)
 25:15 - 25:55 = 40分(2020/9/17, Thu.)
 25:57 - 26:08 = 11分(2020/9/15, Tue.)
 26:32 - 27:05 = 33分(2020/6/29, Mon.)
 27:06 - 27:16 = 10分(新聞)
 計: 4時間25分

  • 作文: 2020/9/17, Thu. / 2020/9/15, Tue.
  • 三宅誰男『双生』(仮原稿): 「吐き出してみればあったのかなかったのか」の前まで。
  • 読売新聞2020年(令和2年)6月30日(火曜日)朝刊: 書抜き

・音楽

2020/9/15, Tue.

 二十世紀の倫理は怨恨[ルサンチマン]のニーチェ的な克服をもって始まる。過去にたいする意志の無力に抗して、いまでは取り戻しようもなくかつてあったものとなってもはや欲することができなくなってしまったものにたいする復讐心に抗して、ツァラトゥストラは、後ろ向きに欲すること、すべてが反復されるよう望むことを人間に教える。ユダヤ - キリスト教的な道徳にたいする批判は、二十世紀にあっては、過去を完全に引き受ける能力、罪をやましい良心からきっぱりと解放される能力の名のもとに、果たされる。永遠回帰とは、なによりもまず、怨恨[ルサンチマン]にたいする勝利であり、かつてあったものを欲する能力、あらゆる「このように在った」を「在ることをわたしはこのように欲した」に変容させる能力、つまりは運命愛(amor fati)である。
 これについても、アウシュヴィッツは決定的な断絶を告げている。『悦ばしい知識』のなかでニーチェが「もっとも重い重荷」というタイトルをつけて提案している実験のまねをしてみることにしよう。すなわち、「ある日、もしくはある夜」、悪魔が生き残りのかたわらに這い寄ってきて、かれにこう尋ねるとしよう。「おまえは、アウシュヴィッツがもう一度、そしてさらには数かぎりなく回帰して、収容所のどの細部も、どの瞬間も、どんなささいなできごとも、永遠にくり返され、それらが起こったのとそっくり同じ順番で休みなく回帰することを欲するか。おまえはこれをもう一度、そして永遠に欲するか」。実験をこのように単純に組み替えてみただけでも、それをきっぱりとはねつけ、こんりんざい提案できないものにするのに十分である。
 しかしながら、アウシュヴィッツに直面して二十世紀の倫理がこのように挫折するのは、そこで起こったことが残酷すぎて、だれもそれをくり返すことを欲することができず、それを運命として愛することができないからではない。ニーチェの実験においては、恐怖ははじめから計算に入れられており、悪魔の聞き手におよぼすその実験の最初の効果はまさに「こう語りかけた悪魔にたいして歯をむいて呪う」よう聞き手を仕向けるというものである。かといって、ツァラトゥストラの教えの失敗は、怨恨[ルサンチマン]の道徳をただ単に再興させることを意味するわけでもない。犠牲者にとって、その誘惑は大きいにしてもである。たとえば、ジャン・アメリーは「起こってしまったことは起こってしまったことだと認めて受け入れる」(Améry, J., Un intellettuale a Auschwitz, Bollati Boringhieri, Torino 1987., p.123)ことを単純に拒否する正真正銘の反ニーチェ的な怨恨[ルサンチマン]の倫理を定式化するにいたった。

支配的な実存範疇としての怨恨は、わたしの怨恨について言えば、個人の歴史的な長い進展の結果である。〔……〕わたしの怨恨は、罪人にとって罪を道徳的な現実にするために、かれに自分の悪行の真実を突きつけるために、実存する。〔……〕わが身に起こったことについての省察にささげられた二十年をとおして、わたしは、社会的圧力によって引き起こされる免罪と忘却が不道徳なものであることを理解したと思う。〔……〕じっさい、自然的な時間感覚は傷口が癒着する生理学的過程に根ざしており、現実についての社会的表象に関与するにいたっている。まさにこの理由により、その感覚の性質は道徳外のものであるだけでなく反道徳的である。あらゆる自然的な事象にたいして同意を表明しないこと、ひいては時間によって引き起こされる生物学的な癒着にたいしても同意を表明しないことは、人間の権利であり特権である。起こってしまったことは起こってしまったことだ。この文句は、真理であるとともに、道徳と精神に反している。〔……〕道徳的人間は時間の停止を要求する。わたしたちの場合、それは罪人をその悪行の前に釘づけにすることである。このようにして、時間の道徳的な逆行が起こってはじめて、罪人は自分に似た者としての犠牲者に近づくことができる。(pp.122-24)

 プリモ・レーヴィには、こうしたものはまったくない。たしかに、かれはアメリーが内輪でかれに付けた「赦す人」というあだ名を拒否する。「わたしには赦す性癖はなく、当時のわたしたちの敵のだれも赦したことはない」(Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991., p.110)。しかし、アウシュヴィッツが永遠に回帰するのを欲することができないのは、かれにとってはまた別の根拠をもっており、その根拠は起こったことの新しい前代未聞の存在論的内実を含んでいる。アウシュヴィッツが永遠に回帰するのを欲することができないのは、それは起こることをけっして止めておらず、つねにすでにくり返されているからなのである[﹅一文]。(……)
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、132~134)



  • 一時ごろ、意識が本格に浮上した。例によって脚や腕を伸ばしたり、首周りを揉んだり、「胎児のポーズ」で停まったりしてから起床。ゴミ箱と古い新聞、急須に湯呑みを持って上階に行き、ゴミを始末して食事。五目ご飯やキノコと豆腐のスープなど。大学芋なんていうものを久しぶりに食った。新聞は菅義偉自民党総裁に選出されたことを伝えており、「たたきあげ」だとか「苦労の人」だとかいうことが諸所で強調されている。一面下の小欄では、その経歴に「共感」を覚える国民も多いのではないかと書かれてあったが、仮に国民のうちの一定数が菅義偉に「共感」を抱くとしても、菅義偉のほうが国民に対して「共感」を覚えるかどうかは不明だし、そもそも「共感」を媒介として政治を捉えることが適切なのかどうか、望ましいことなのか否かも疑問ではある。国際面には韓国正義連の尹美香が在宅起訴されたとの報があり、この件でいわゆる元慰安婦に対する支援活動はめちゃくちゃダメージを受けるというか、もうほぼ終わってしまったんではないか? という気すらする。
  • 食後は風呂を洗ってからアイロン掛け。そのあいだ母親はソファの上で、ユニクロのパーカーを収納する小さな袋をメルカリに出品していた。アイロン掛けを終えるとその肩や肩甲骨のあたりをちょっと揉んでやり、そうして緑茶を用意して帰室。コンピューターを点けてLINEを覗くとTからメッセージが入っており、二八日はTDが東京にもどってくる貴重な機会だから良かったらK家に来てくれとあったので、労働だが明日室長に交渉してみると返しておいた。それでFISHMANS『Oh! Mountain』を流して今日の日記を書き出した。ここまで記すと三時半。今日は立川に出る。図書館の返却日なのだ。
  • ベッドに転がって三宅誰男『双生』(仮原稿)を読んだ。語り口がやはり独特だなあという感じで、何が独特なのかよくわからないが、たとえば「何とも半端な彼の態度の何とも頑ななその徹底を隠れ蓑として」という箇所を読んだときに、この「何とも」に引っかかったというか、三人称の小説の地の語りでこんな言い方はあまりしないのではないかという気がした。それを措いても全体にほかで見ないようなリズムで作られている印象で、例の長々しい修飾ももちろんその大きな構成要素ではあるのだろうが、問題はそれだけではないだろうし、それに今日読んだ部分にはそこまで長い修飾は出てこなかったような気がする。要するに固有の文体が明確にあるということなのだろうけれど、この作品の場合、「文体」というよりもなぜか「語り口」と言いたい気がする。
  • メモ。「彼にとって確かなのは去った片割れであり、現れたフランチスカであった。去りもせず現れもしない者らは皆ことごとく、去る者が去り現れる者が現れるその瞬間を自らの不動不変をもって浮き彫りにする、ほとんど書き割りじみた存在でしかなかった。関係とは彼にとって、いわば幽霊と取り結ぶものであった」。
  • 「自分自身のものとは似ても似つかぬ黄金色の頭髪」。「自身との隔たりに基づき造形されたかのような似ても似つかぬその姿」。「犬のように睦み合うには、あまりにも懸け離れた二人だった」。
  • 「誰も彼女の名を呼ばず、彼女もまた誰の名も呼ばず、それでいて一切がつつがなく果たされる暮らしであった」。「自らの発音に不備があったのかと疑いながら男は改めて同じ言葉を、しかし今度は敬称つきの彼女の名を宛名のように付した上で繰り返した。平生に復していたフランチスカの眉根が再び、先とは打って変わっていかにも苦しげに持ち上がったのはその直後だった」。
  • 「はっとして振り返ると、あるべき姿がなかった。振り返れば隠されるの謂いが、ここに至ってさらなる裏打ちを得たのだろうか? そうではなかった。彼の傍らを擦り抜けていつの間にかその前に踏み出していたらしいフランチスカの、座卓を挟んだ学生に向けて今にも飛びかからんとするほどの勢いで何やら猛烈にまくしたてている後ろ姿が、改めて前方に向き直った彼の視界を半ば以上塞ぐ距離で立ちはだかっていた」。
  • 「彼の、一日の大半をフランチスカと共に六畳に立て籠もって別室との交渉をほとんど持たず、何をするわけでもなくただ息を潜めて時をやり過ごす蛹のような暮らしは、外界から隔てられて半ば孤立している山間の有様に等しかった」。「陸路でもなければ水路でもなく、地形の隔たりなど歯牙にもかけず眼下の地上を余すところなく地続きと見なす空路をこそ侵入経路とする世界史的現実は、およそ目に見える隔絶全てを無化しかねぬほど厚かましく、ほとんど暴力的なまでに公平であった」。「山間が祝福すべき孤立を奪われたのと時を同じくして、二人は祝福すべき合一の赦しを与えられた」。
  • 「思い通りにならぬ事の次第にたちまち癇癪を起こしてみせるいかにも一人っ子らしい振る舞いではないかと顔を顰める者らの、道楽者の嫡子が何もない狭苦しい部屋にいつまでも引き籠ってなどいられるはずもないとする高を括った予想を裏切り、季節を幾つも跨いで続くことになる長い蟄居の日々のこれが遥かな始まりとなった」: こういう後挿入的な「これが」の使い方とそれによって生まれるリズムは好きである。
  • 「東の山が赤々と燃えるのを目の当たりにして初めて、山間の住人らは海を隔てた大国との開戦の火蓋が切られたことを知った。いや、そうではなかった。開戦の火蓋はとっくの以前に切られていたのだった。俗世の悪報は大小に関わらず全て対岸の火事だとばかりに打棄ってそれで終いとする、隔絶に胡座を掻き斜陽に開き直るあの不遜な流儀のために、浮世離れの謗りも恐れず今の今まで演じられていた太平であった」: 「浮世離れの謗りも恐れず今の今まで演じられていた太平であった」という文末が気になった。これは英語で言うところの名詞構文的な書き方というか、つまり大抵は、「浮世離れの謗りも恐れぬ太平が今の今まで演じられていたのであった」というように尋常な主述の順序で書かれる気がするのだが、ここでは述部(「今の今まで演じられていた」)が主語(「太平」)に対する修飾に回されて、文が名詞で終わる形になっている。これは一技術としてこちらもいずれ使う機会があるかもしれない。
  • 以下の部分は良い。

 (……)親族一同揃っての夕餉までに残された時間を二人は、晴れて好きなだけ歩きまわることのできるようになった屋外の、久方ぶりとなる空気を目出度く味わいながら過ごした。かつての習いをまるで二人してなぞるかのように水路に沿うてそぞろ歩きしていると、水の中に墨をひとしずくずつ垂らしていくように暮れていく辺り一帯の気配に抗うようにして鋭く引き絞られつつある痩身の西日が、立ち並ぶ蔵造りの向こうから僅かな間隙を縫って射し込む一本の長槍となり、傍らに立つフランチスカの髪を真っ白に磨き上げた。日差しは彼の足元に落ちてそのまま水路を斜めに一跨ぎし、その向こうにぽつねんと鎮座している石の祠の、まだ火のついている線香の先端を断ち落とす角度で真っ直ぐ伸びていた。そこからさらに幾らか上手に位置する水際には、桶を手にして突っ立っている一人の老婆の姿があった。緑色の藻の蔓延っているために映じるものも映じぬその辺りの淀みに向けて、老婆が手にした桶の中の物を思いのほか機敏な動作でぶち撒けると、睡蓮の上で羽根を休めていたらしい小さな羽虫らが一斉に飛びたった。飛びたったものらのそれでいて三々五々に去るわけでもなく、いつまでも落下しない飛沫のようにきらきらと瞬きながら水面近くに留まっているその傍から、ゆっくりと切り開かれていくものがあった。ぶち撒けられたものの余波を受け、不可視の舟が澪を引くようにして退けられていく藻の、その向こうから露わになった水面に柳の木の長い影が細かく打ち震えながら映じはじめると、その影の上をやがて、冬には珍しい派手な色をした花弁がくるくると回りながら二つ三つと流されてくるのが見えた。目に見えない障害物を避けるようにして時折身を捩りながらぷかぷかと運ばれてくるものの、実際は花弁ではなくどうやら野菜屑であるらしいのが眼前を通り過ぎていくその一部始終を、彼はまるで予めそうすることを約束していたかのように、傍らのフランチスカと共に黙って見守り続けた。眺めるべきものを眺め尽くした者は、眺めている自らをもやがて眺めるに至るものである。細かな水泡に取り囲まれて浮かぶ野菜屑の動きは実に緩慢であった。それを眺める者の時間までもが自ずと等しい緩慢さを宿してしまう、ほとんど呪術的なまでに遅々とした歩みを追ううちに、これは既にして余生なのではないかという考えが彼の頭を不意によぎった。傍らにいる女の白髪は見間違いでも何でもないのではないか? 全ては老いて久しい共白髪となったこの身を起点として始まる惚けた回顧の仕業なのでは?

  • なんかこういう風景があればそれだけで自分はわりと満足というか、この箇所で言えば「眺めるべきものを眺め尽くした者は」以降の気づき(啓示)も良いのだけれど、それ以前、「傍らのフランチスカと共に黙って見守り続けた」までの具体的な記述の連鎖だけで、こちら個人の性分としてはもうかなり満足するところがある。結局、こちらが小説作品にもとめているもののうちの大きなひとつは、こういう具体物の描写なのだろうと思う。
  • 一時間ほど読んで起き上がり、歯磨きしながらまたすこしだけ読んで、それから"頼りない天使"のなかで着替え。キャラメルみたいな色をしたPendeltonのチェックシャツと真っ黒なズボン。一度バッグに荷物を入れたのだが、余裕がないので今日はリュックで行くことに。そうして居間に上がると、窓外からは近所の幼子たちが何やら叫び合っている声が何度も響いてくるが、何を言っているのかまったく言語不明というか、そもそも音声としての形すら定かでない。
  • 出発。空気はまるい質感で涼しい。Sさんの宅の前の路上には、ピンク色のサルスベリが相変わらずまぶされていた。坂に入って上っているとオールバックの男性がこちらを抜かしていき、曇り空の裏から落ちてくる無色透明の自然光のなかで、整髪料をつけているらしいその髪の毛が弱い艶を帯びる。偶然にも普段出勤するときとおなじ電車の時間になったのだが、この人はその際にたびたび見かける人間だ。
  • 表通りに出て見渡した空は、東は深く淀んでいるのだが西は雲が薄くて明るめで、水彩的な淡さの青を乗せている。ホームに移れば丘からまだ蟬の声が薄雨のごとく響いてきた。乗った車内には山帰りの人がいくらか見られて、扉際には太い腕を露出した男性がガムを食いながら立っており、乗ったときにはよく見ずになんとなく外国人めいた印象を覚えていたのだが、あとで見ると普通に日本人だった。南空は湿った水色がところどころ滲んであるかなしかの色彩的起伏をなしている淡白な曇天である。背後からは山帰りの人たちが、立川から武蔵小杉……そこから横浜、とか話しているのが聞こえ、横浜って武蔵小杉から行けるんだなとはじめて認識した。この一団は扉際に立った腕の太い人とおなじグループだったらしく、青梅に着く間際にひとりが男性に話しかけて、たぶん「マスター」とか呼んでいたと思う。河辺で風呂がどうのとか言っていたので、「梅の湯」に入って汗を流していくのだろう。
  • 乗り換えて東京行きの車両をたどり、二号車に座を占めてメモをはじめた。それからジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)をひらいたのだけれど、眠気が寄ってきて話にならなかったのですぐに諦め、拝島から目を閉じた。頭が前に傾き落ちては目を覚ますということを繰り返すうちに、一応視界が更新された感じはあった。
  • 立川に到着。階段から人間が消えるのを待っていると、降りてきた女性に、あれも一種のスーツなのか上下合わせてまろやかなチョコレートみたいな茶色の、ジャケットとたっぷりとしたスラックスの装いの人がいて、格好良いなと目を寄せた。上って改札を抜けると、帰宅時なので人は多く、NEWDAYSの前では人波に隠れるようになりながら店員がなぜか「萩の月」を宣伝している。すれ違う人々のなかに女子高生二人がおり、その片方が(……)さんだったようだが、あちらに気づいた様子はなかった。北口広場では連合、すなわち日本労働組合総連合会が演説およびティッシュ配りをしていた。その脇を通り過ぎて歩廊をだらだら行き、歩道橋に出ると眼下ではライトを灯した車の群れが擦過音を立てながらも氷上にあるようになめらかに滑っていき、右方の交差点に向かって一方は赤、一方は白の光点たちが列をなして集まっていて、その上にさらに街のネオンや信号の緑なども添えられている。通路上を前から来る人がやたら多いのは、ビルの集まった区画から仕事が引けて帰ってくる人々だろう。高島屋とシネマシティのあいだを入っていくと、続々と帰路に就く人たちがやって来るが、やはりみんな歩くのがはやいなという印象で、こちらとおなじくらいのスピードで歩を進める人間はおらず、いたとしてスマートフォンを見ながら歩いているためだ。空にはまだ青味が残っており、すぐ近くに突き立ったビルの側面もガラスがその色を写しこんで冷ややかな青に染まっている。
  • 図書館に入るとゲート前にあるジェルを手に取って消毒し、それからリサイクル資料を見た。『大下藤次郎美術論集』という大きめの書を目に留める。全然知らない初見の名前だが、めくってみると「日本水彩画の父」みたいな文言が見られたのでとりあえずもらっておくことにした。いま検索してみたところ、なんと我が青梅にも住んでいたことがあるらしい。ほか、リチャード・H・ブラウン『テクストとしての社会 ポストモダンの社会像』というものもあり、いかにもなタイトルでそんなに期待できないような気もするが、これも一応もらっておいた。
  • ゲートをくぐって右の長い展示棚に並んだ新着図書を見聞する。山本省という人が訳したジャン・ジオノがある。この訳者はシャルル・デュ・ボスの論集も訳していた人だ。次に真鍋なんとかという人の『広島の記憶』みたいなやつ。たしか編著だったか? 広島関連はもう一冊、前回来たときに見たものもあった。続いて崎山多美という人の小説があり、初見の名だが西表島出身の作家らしく、覗いてみるとけっこう面白そうだった。ミシェル・フーコー『狂気の歴史』の新装版もある。装丁やなかのフォントが綺麗になってはいたものの、内容として旧版と変わった点はたぶんないのだろうか? 付録や補遺がいくつかついていたが、これは古い版にももともとあったのだろうか? 新訳をするべきだろうと思うのだが、そんなに大変な仕事をできる人もやりたいという人もなかなかいないのかもしれない。海外文学では水声社のジャック・ルーボー『環』。ウリポ界隈の人らしい。あとは東京大学出版会から出ているパレスチナの本(『インティファーダ』という題だったはず)や、中島隆博が訳した中国の思想の本(法政大学出版局・叢書ウニベルシタスのもので、普遍性を求める、みたいなタイトルだった)や、『幕末江戸と外国人』など。
  • 検索して正確な情報を記しておくと、まずジャン・ジオノの本は『青い目のジャン』というもの。真鍋禎男の本は『広島の記憶』ではなくて、『広島の原爆――記憶と問い』だった。編著でもなかったようだ。もうひとつの広島関連の書は、ラン・ツヴァイゲンバーグ『ヒロシマ――グローバルな記憶文化の形成』。崎山多美の作品は『月や、あらん』で、新装版あるいは復刊だったはず。パレスチナのやつは鈴木啓之『蜂起〈インティファーダ〉: 占領下のパレスチナ 1967-1993』。これは明らかにいずれ読まなければならない本だ。中島隆博の訳書は許紀霖『普遍的価値を求める: 中国現代思想の新潮流』で、ほかにも何人か訳に加わっているよう。『幕末江戸と外国人』は吉崎雅規という人の本だった。
  • 新着図書を見分したあとロラン・バルトを一旦返却し(次回来たときにまた借り出して書抜きを続けなければならない)、書架へ向かう。哲学や宗教の本を見ておこうと思ったのだが、カウンター近くの図書館学や書評本のところで早速ちょっと止まった。高山宏の書評本なんかが多少気になり、目次を覗いていると記事のタイトル内に巽孝之を褒めるような文言が見られた。それから哲学の棚に行って見分。読みたい本、興味を惹かれる本はいくらでもある。西谷修『理性の探求』が置かれていた。あとはやはり日本やアジア圏の思想にも触れていきたいなあという感じで、とりあえず中村元井筒俊彦あたりを読んでみたい。
  • その後伝記の区画やドイツ史の棚もちょっと見てから上階へ。CDを返却しようとカウンターで作業をしている人のところに近づいていくと、その男性が隣を示してそちらに行くようにと誘導したので会釈してそれに従ったのだが、この人はおそらく何かしらの障害を持っている人だったようで、腕が動かしにくいような様子だった。動かしにくいというか、いくらか曲がった状態で固まっているような感じだったのかもしれない。それでCDを返却すると文庫の新着を瞥見し、ついでに文庫棚の宗教関連の書もチェックしたが、意外と数が少なくて、これだったら宗教系は青梅のほうが面白いものがあるのではと思われるくらいだった。
  • 今日は何も借りずに退館。宵の歩廊を行くと、シネマシティのビルに光るネオンの化学的な色が、歩廊を縁取る石造りの壁の上面、手すりの取りつけられた表面にかかって反映している。空はもはや青味を失い暗んでいるので、先ほどは青かったビルも夜空の侵入を受けていまは黒く沈んでいる。歩道橋へ出ると、行きはなんともなかったのになぜかこのときは緊張が湧いており、交差点のほうを見通すのが怖かったので頭を横に動かすことなく、ただ前を見ながら黙々と進んだ。伊勢丹の横で歩廊上からエスカレーターで下の道に移ると、居酒屋の客引きらしい女性がぽつねんと、手持ち無沙汰な様子で突っ立っている。それを尻目にラーメン屋に行き、醤油チャーシュー麺とサービス券の餃子を頼んだ。音楽は今日もまたメロコア的なやつがかかっており、途中でELLEGARDENそっくりみたいな音楽も聞かれたが、もしかするとそのものだったかもしれない。ELLEGARDENをなんだかんだできちんと聞いたことがないので判断がつかない。けっこう腹が減っていたようでラーメンは美味かったのだが、ただ麺が足りない思いを得たので、チャーシュー麺にせず普通のラーメンで麺を増量すれば良かったなと思った。今度そうしてみよう。食べ終えるとちょっと息をついたあと、長居をせずに早々に退店。
  • 駅へ。路地から表に出るあたりで男子高校生が四人、馬鹿話をしているようで手を叩き笑いながらふらふら歩いていくのだが、こちらに負けないほどにのろのろとしてなおかつ締まりのない足取りにせよ、ちょっと太いシルエットでたるんだスラックスにせよ、いかにも男子高校生という感じだ。歩廊に上って駅舎に入ると改札前を過ぎてグランデュオへ。館内に入ると、飯を食った直後でまたちょっと緊張が湧いたのだが、ただそのなかに人がいるからとか他人に見られるからとかいう意識が含まれていないように感じられ、これはパニック障害時代とは異なる点であり、どういう心理的理屈なのかあまりよくわからない。ともあれ慌てることはないと足取りをゆるくして「(……)」へ。なんか生八ツ橋がやたら食いたくて買おうと思っていたのだが、なぜか見当たらなかった。それで母親に頼まれた鎌倉紅谷の「あじさい」というクッキーと、「プティガトー」という多種のクッキーが入った袋と、やはり母親がふりかけを買ってきてくれと言っていたので胡麻のふりかけと、あと緑茶もいくらかあったので、そのなかから「しゃん」という品を選んだ。「うおがし銘茶」という会社のものらしい。
  • 会計を済ませると館内から駅に通り、一番線の電車に乗って書見。ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)を青梅までずっと読み続け、青梅で降りて乗り換えを待つあいだも続行。最寄りに着いて以降、帰路のことはほとんど覚えていないが、自宅のすぐそばに来たところで、またいまもうこの時点に来ているな、という感覚が生じた瞬間があった。現在が意識されるとともに、すぐ先ほどまで確かに自分がそのなかにいたはずの過去がもはやなくなってしまったことに対する驚きの感、すなわちこの世界にその都度現在という時間しか本質的には存在しないことの不思議が思われたもので、これはこちらにおいてよくある馴染みの思念なのだが、このときはさらに、むしろ過去が記憶化されることのほうが不思議なのかもしれないと思った。過去というものを常に既に失われたものとして、仮象として、痕跡としてあらしめることのできる記憶などという脳 - 精神の働きのほうがよほど馬鹿げたものなのではないかと。
  • 帰宅後は日記を書くなどもろもろ活動はしたようだが、特に目立って蘇ってくる記憶はない。ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)からのメモを以下に。
  • 81: 「ファルス的批評に対するフェミニズム批評の側からの批判が豊かな説得力をもつほどに、男性批評家の狭隘で利害に基づいた解釈を分析し、位置づけるフェミニズム批評の見地は、幅広く抱括的なものになる(……)。実際、このレベルでのフェミニズム批評は、ちょうど「女性問題」が個人の自由と社会正義の根本問題の多くにあてはまる名称であるのと同様に、批評における性的抑圧の複雑多岐な現れに敏感なすべての批評に、ひとしくあてはまる名称である」
  • 84: 「ペギー・カムーフの意見では、「〈フェミニズム的〉と言えるのは、ファルス中心主義がみずからの虚構を隠蔽するために身にまとう真理という名の仮面を、曝露するようなテクストの読みかたのことである」(「女らしく書くこと」)。このレベルでの仕事は、男の読みに対抗する女の読みを確立することではなくて、テクストに現れる証拠を論証によって説明し、ある抱括的な展望なり、説得力のある読みなりに到達しようとすることである。このレベルでのフェミニズム批評が導きだす結論は、女としての体験をもっているならば共感し、理解し、同意できるという意味での、女に固有の結論ではない。むしろこうした読みは、男性の批評家も受け容れると思われるかたちで、男性の批評的解釈の限界を証明する」
  • 85: 「フェミニズム理論には第三の局面があって、そこでは男性的なものと理性的なものとの結びつきに異議がとなえられるのではなくて、理性的なものという概念自体が男性の利害と結びつき、それと共犯関係にあることがみきわめられることになる。このような分析のうちで最も鮮やかなもののひとつに、ルース・イリガレイの『鏡、もうひとりの女について』がある。この本は、女性的なものを従属的な位置に追いやり、女の根源的な他者性を単なる鏡像性に還元するために(女は無視されるか、さもなければ男を補足する者とみられる)、哲学的なもろもろのカテゴリーが発達してきたことを、母なる子宮と神性をおびた父なるロゴスを対照するプラトンの洞窟の寓話から出発して、論証しようとする」
  • 88: 「「子供たちとの不充分でゆるやかな紐帯を確認し、緊密化しようとする衝動」のために、男は象徴的な性格をもつ高度に文化的な仕掛けに価値をみいだすようになる。ここで、一般に隠喩(メタファー)的な関係と呼ばれるもの――たがいに代置可能な別個のものの間の類似の関係、たとえば父親と同じ名をもつ小型の複製=子供との関係――が、換喩(メトニミー)的な、近接に基づく母子の関係よりも重んじられる傾向を、予言してもいいのではないだろうか」
  • 104: 「読むことは分裂した非等質なものであって、読みが基点として役だちうるのは、それが何らかの物語として構成されたときだけである」


・読み書き
 15:10 - 15:29 = 19分(2020/9/15, Tue.)
 15:47 - 16:55 = 1時間8分(『双生』)
 17:40 - 17:47 = 7分(カラー)
 19:54 - 20:59 = 1時間5分(カラー: 206 - 227)
 21:25 - 23:04 = 1時間39分(2020/9/14, Mon.)
 24:48 - 25:35 = 47分(2020/9/14, Mon.)
 27:25 - 28:11 = 46分(巽)
 28:12 - 29:17 = 1時間5分(カラー: 80 - 112, 227 - 241)
 計: 6時間56分

  • 作文: 2020/9/15, Tue. / 2020/9/14, Mon.
  • 三宅誰男『双生』(仮原稿): 「そして次にそのことを意識した時」の前まで。
  • ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年): 206 - 241, 80 - 112
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き

・音楽

2020/9/14, Mon.

 他人の代わりに生きているがゆえの罪の意識が生き残り証人の感じている恥ずかしさについての正確な説明になるかどうかは、まったくさだかではない。まして、生き残って証言する者が無実ではあっても、生き残りである以上、罪を感じなければならないというベッテルハイムのテーゼは疑わしい。生き残りであるがゆえのものであって、かれが個人として行為したこと、あるいは行為しそこなったことには属していないこの種の罪を負うことは、倫理の問題をうまく解決できないといつも漠然とした集団的な罪なるものを引き受けようとするという世間一般の傾向に似ている。意外なことに、あらゆる年代のドイツ人がナチズムにまつわる集団的な罪を戦後になって進んで負ったということ、かれらの親やかれらの民族が犯したことに進んで罪を感じたということの裏には、同じくらい意外なことに、個々人の責任を確認し、個々の犯罪を処罰することにたいする消極的な気持ちが働いていたのだということについて想起するよううながしたのは、ハナ・アーレントであった。同様に、ドイツのプロテスタント教会は、ある時期になって、「われわれの民族がユダヤ人にたいしておこなった悪にかんして、慈悲の神にたいして、みずからが共同責任を負っていること」を公然と宣言した。しかし、この責任はじつは慈悲の神にではなく正義の神にたいするものでなければならないという不可避的な帰結、ひいてはこの責任は反ユダヤ主義を正当化するという罪を犯した牧師たちにたいする処罰をもたらすことになるという不可避的な帰結をそこから導き出す気まではプロテスタント教会にはなかった。同じことはカトリック教会についても言える。カトリック教会は、最近もまた、フランス司教団の声明を介して、ユダヤ人にたいするみずからの集団的な罪を認めるつもりでいることを明らかにした。しかし、カトリック教会は、ユダヤ人にたいする迫害と大量殺戮にかんする(そしてとりわけ一九四三年十月におこなわれたローマのユダヤ人の追放にかんする)教皇ピウス十二世の怠慢が明白で、重大で、資料によって裏づけられているにもかかわらず、それを認めたことはない。
 集団的な罪もしくは無実について語ってもまったく意味がないこと、自分の民族や自分の父が犯したことに罪を感じるということは比喩としてしか言えないことを、レーヴィは確信して疑わない。「裏切られ、誤った道へ導かれた、哀れなわが民族に重い罪がある」と、かれに偽善的に書いてよこすドイツ人に、かれはこう答える。「罪と過ちについては個々人がみずから責任を負わなければならない。そうでなければ、文明の痕跡が地表からすっかり消えてしまう」(Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991., p.146)。そして一度だけ、かれは集団的な罪について語るが、そのときにもかれが語ろうとするのは、かれが可能だと考える唯一の意味においてのそれ、つまりは「当時のほとんどすべてのドイツ人」が犯した罪のことでしかない。見なかったはずのないことについて話す勇気、それについて証言する勇気をもたなかったという罪がそれである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、125~127)



  • 一一時ごろに覚め、そこからまどろんだり、身体をほぐしたりして正午に至って本格の起床。覚醒して寝床にある時点で脚の筋を伸ばしたり、「胎児のポーズ」をやったりして早々にからだを和らげてしまうのが良さそうだ。また、就寝時には眠りが来る前にこめかみや目の周りを指圧する習慣をつけるのも良いだろう。
  • 洗面所に行って顔を洗ったりうがいをしたりしてから上階へ。母親は仕事で父親は在宅。食事は唐揚げと米と生サラダ。食べながら、今日は朝刊がないので前日の新聞を読む。ティモシー・スナイダーのインタビューが乗っていたが、情勢分析としてはだいたい標準的なもので、彼独自の見地というものはほとんど見えてこない内容だと思う。そのほか国際面と米国の科学政策に関する紙面を読むが(ドナルド・トランプ政権の科学政策の総合責任者みたいな役職は、三三歳の「俊英」が担っているらしい)、そのあいだなるべく身体の動きを停めるようにして、やはり何かをするにあたっては停止と不動が肝要点だ。当然の話だが、身体が動くとそれだけで意識の志向性がわずかに乱されるというか拡散する感じがある。というか、生活のなかでおりおり自分自身を観察すれば立ちどころに明らかになると思うのだが、たぶん自覚的に介入をしようとしない限り、意識が覚醒しているあいだ何の身体的動作も行わず何らかの肉体的行為を伴わない瞬間というのは、人間にはまず存在しない。つまり起きているあいだ、人は絶え間なく(ほぼ隙間のない)充実した身体的動作の連鎖のなかに(それがまるで抗うことのできない強制的な必然であるかのように)置かれ続けているということで、これはおそらくひとつのかなり大きな主題であり、問題でもあると思う。そして仮に身体的動作を完全に停める時間があったとしても、精神の動きをみずから停止させることは人間にはできない。
  • 父親は台所で食器乾燥機を掃除していた。立ち上がると、皿はあとで洗うから置いておいて良いと言うので言葉に甘え、風呂を洗いに行った。漂白剤のにおいを感知したのだが見たところ漂白されているものはないし、床にもかかっていないようだったので気のせいかもしれない。外からはまだ蟬の声が聞こえるが、曇天の今日はもうかなり涼しげな気候だ。居間にもどって緑茶を注ぎながら南窓の外を見やると、Sさんの宅の鮎幟りはうまく持ち上がらず力なく振れるのみで、ガラスの下端に覗く梅の梢も揺らぐ程度だから風と言うほどのものもないが、それでも入ってくる空気は涼しく肌に流れる。そろそろエアコンを点けなくても過ごせるようになるだろう。
  • 帰室するとコンピューターを準備し、まずFISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして各所を瞥見。LINEを見ると先日延期された「A」の会合は一〇月頭と決まり、加えてUくんが、一〇月から(……)に古井由吉についての講義をしてもらうことになったのだが興味がある人はいるかと訊いていたので、もちろん興味があると答えておいた。そうして日記。書きながらおりおりFISHMANSを歌ってしまい、そのときは打鍵を止めることになる。手を動かしながら歌ってしまうこともままあるのだが、そうすると結局、文も歌もどちらも半端にしかならずうまく味わえないので、今日は二重行為をする気にならなかった。自然とそうなったのだ。記事は前日分を完成させ、今日のことをここまで記せば二時四〇分。
  • インターネットに記事を投稿したのち、運動。からだを動かしながら、自分は身体感覚や身体性を希求しているようでいて実はかなり精神優位なのではと思った。上に書いた停止 - 不動の話題にしても、微細な動作感覚が夾雑的なノイズとして意識と拮抗するという話で、それをなるべく殺して意識野を〈きれいにしながら〉その志向性を単一方向に集束させようというのは、精神によって身体を成型し、かたどって統御することができるという発想があるわけだろう。だから〈精神 - 優位〉というか〈精神 - 基盤〉というか、精神が身体の上にそびえてその影によって全面を包みこみながら管理するというか、あるいは精神が身体の下に敷かれてもろもろの感覚を受け止め支える底部を成すというか、上下どちらの方向からも考えられるし、むしろ「背景/前景」という前後のイメージで考えたほうが良いのかもしれないが、いずれにしてもそこでは精神が本源的なものとして全体に影響力を及ぼすという捉え方がなされているような気がする。
  • 一方で音楽はFISHMANS『ORANGE』がかかっており、ベッド上で合蹠をして股関節などほぐしながら#8 "Woofer Girl"を聞いていたのだが、「からっぽだらけの僕の心(こんな気持ち)」という言い方はなかなか面白いなと思った。「からっぽ」というのは端的に何もない状態のことであり、一定の空間的範囲内に何もものが存在しないという事態は一般的にそれ全体で単一のものとして捉えられるはずで、「だらけ」というような言葉を付した複数体として考えられることはあまりないと思う。あるいは「からっぽ」という言葉を「空洞」と取って、「心」の内部に個別的な空洞が集まって無数に穴を開け、おびただしい虫食いのように(いわゆる「蓮コラ」のように)なったイメージを持っても良いのかもしれないが、これはこれで、「心」とか「気持ち」とかをそういう形象であらわすこともそんなにないような気がする。欠如でいっぱいのボロボロになった全体性、みたいな。また、「暮らしは爪を立てるけど/ずっと守ってあげるから」という一節もあるのだけれど、この「暮らしは爪を立てる」という表現も、ちょっとこちらには思いつけないなという感じがするし、仮に思いついたとしても使えるものとして採用するか疑わしいような感じもあって、佐藤伸治って歌詞を見てみてもだいぶ特異なほうの言語感覚を持っているのではないかという気がする。
  • そのあとベッドに移って脚をほぐしながら休み、四時一五分でからだを起こして、FISHMANS "ナイトクルージング"とともに着替えると上階へ。父親は外出しており家には誰もいなかった。出発。なぜなのかわからないが心身がかなりよく締まっていて、肉体の輪郭と意識の輪郭がほとんどぴったり一致して明鏡的に落ち着いている感覚があった。林からはまだ蟬の声がまばらにじりじり鳴っていて、飛行機の鈍い低音もその上の空に現れてかぶさり、林の向こうからは子どもの叫び声が聞こえてくるのだが、いったいどこで遊んでいるのか。上ったあたりの裏路地にいたのだろうか?
  • 空気は涼しげで、肌に摩擦もあまり生じない。Nさんを最近見かけないのだが、元気にしているのだろうか。坂に入るとともに鳴き出したツクツクホウシがあまりにも勢いに乏しくて、あんなに遅い六連符のツクツクホウシははじめて聞いたというくらいだった。一応だんだんテンポを速めてはいくのだが、夏場に比べると疲労困憊して衰えたという感が否めず、そろそろ寿命も尽きかけて息も絶え絶えに頑張っているという印象だ。坂を上るあいだ、淡いけれど空気の動きは常にあり、肌の上を過ぎていくものが続く。路面は湿っていて、緑に茶色、濡れて崩れてどす黒いような褐色に、裏を晒した薄色のものなど、葉っぱがさまざまな姿を見せて散らかっていた。
  • 横断歩道の脇に緑色のカマキリの死体が転がっていた。駅の階段を上りながら見た空はすべてが雲であり、丘陵じみてなだらかな起伏を見せるその絨毯は、たしか昭和記念公園にあったと思うがゆるい山型にふかふか膨らんだ巨大な白いトランポリンの遊具を思わせないでもない。西にほんのすこし淀みの薄くなって白さがはっきりしている場所があったが、そういう切れ目はだいたいいつも北西方向に見える気がするところ、今日は普段より南に寄っている印象で、つまりこちらの位置からほぼ真左にあらわれていた。
  • なぜかわからないが今日はやたらと人がいてベンチが埋まっていたので仕方なくホームの先へ。乗車すると扉際に立って瞑目した。眠いような感じが多少ある。降りると通路をたどって改札を抜け、SUICAに五〇〇〇円をチャージしてからコンビニへ行った。ガムとサンドウィッチ(照り焼きチキン)を買って退去し、駅前を行きながら古井由吉が言うところの外圧と内圧みたいな話を考える。電車内では目を閉じていたわけだが、そうすると当然脳内言語がよく見えるようになり、その動きがまったく停止を知らず常に絶え間なく発生を続けるものであることが露わにわかる。みずからの頭がほぼ完全に言語に占領されていることが明らかになるのだけれど、それはやはりひとつの負担であり、拘束であり、圧迫なのであって、それがあるということに単純に疲れることもあるし、もっと強く辟易することもときにはないでもない。頭のなかで言語が絶えず発生して続々と継ぎ足されていき、止めようと思っても絶対に止めることができないという事態は実際かなり不気味なものであるというか、あまり直視しすぎると狂いかねないという警戒を覚えたとして道理だと思うし、恐怖を感じる人間がいても何も不思議なことではない。事実、こちらも頭がおかしくなった二〇一八年の初頭にはそうだったわけだし、そのときに調べて知ったがたしか倉田百三なんかも「雑念恐怖」という症状を抱えていたらしく(たしか彼の場合は、脳内で自動的な数字計算が展開し続けて止まらない、というような形ではなかったか)、こちらの症状もある程度まではそれに類するものだったと考えておそらく的外れではない(ただし、こちらのいわゆる「殺人妄想」のようにそれだけでは説明がつかない現象もあった)。そういった自分の内から寄せてくる圧力に対して、視覚情報というのは多少の緩衝材になるというか、目を開けていれば一応内言を直視せずに済むからわずかばかりは紛らすことができるなと思ったのだった。といって外は外でまたべつの圧力があり、とりわけやはり人間がそうで、わざわざ言葉を交わさなくとも人と人がいればそこにはすでに意味の(したがって力の)やりとりが発生するものなので、だからちょっと顔を合わせたりおなじ空間に位置したりすれ違ったりするだけで、それがまたひとつの、かすかではあっても負担というか圧迫にはなるのだ。そんなことを言ったらおよそどんな情報でも人間にとっては一種の圧迫になってしまうではないかと問うたとして、たぶんそれはまさしく正しいのだけれど、そのなかでもいわゆる「自然」のようなものよりも、やはり特に人間の圧力が強く、率直に言って鬱陶しく疲れるというのはどういうわけなのだろう。ともあれ外を見ればそれはそれで疲れるし、と言って内を見ればまたそれはそれで疲れるというわけで、結局これは存在するということそのものにつきまとう負担なのだなあとか考えながら職場に向かった。
  • 労働。今日は二コマ。一コマ目は(……)くん(中二・数学)と(……)さん(小四・国語)。本当は(……)くんもいたのだが、彼は頭痛がきつくて、学校は行ったのだけれど塾はお休みするという話だった。残念ではあるが、以前の彼を考えれば、頭痛を抱えながらも学校に行けたというだけでかなりの進歩なのではないか。(……)とは久しぶりの邂逅。父親は(……)だかどこかの出身らしく、その付属校に入れたいと前々から言われているのだが、このままでは普通に無理である。それなので塾の授業後に毎回自習の時間を取らせるという話が出ているのだけれど、訊いてみても乗り気でなさそうだったのでひとまず今日のところは帰らせた。本人は勉強が大嫌いというわけでもないと思うしそこそこできるとも思うのだが、と言ってやる気に満ちているわけでもなく、当人としてはべつに私立大学付属校に行きたいという気持ちはないだろう。しかしそれではどうしたいのかといってあまり明確な望みもなさそうで、けっこう長く当たっているのだけれど信頼関係があまり深くは作れていないというか、欲望や関心がいまいち見えないところがある。(……)
  • (……)さんは入会したばかりで正式には今日が初授業。中学受験にいくらか興味があり、受けるかどうかまだわからないがとりあえずそれ用の勉強を試してみたい、という感じらしい。そういうわけで「(……)」というテキストをはじめたが、理解力や読解力はなかなか悪くなさそうな感じだ。やりとりにとりたてて難もないし、このまま続けていけばけっこう力がつくのではないか。
  • 二コマ目は(……)さん(高三・英語)、(……)くん(高二・英語)、(……)くん(中二・英語)。(……)さんはいつもどおり。個々の文法がうんぬんということもむろんあるが、それよりも全体的・基本的な英文の感覚に馴染めていないような印象なので、語と語のつながり方をこまかく確認していったほうが良いかもしれない。(……)くんはなかなかよくできる人で、いま使っている「(……)」だと本人が物足りないかもしれないと(……)さんに言ったところ、次回は「(……)」を扱って、どちらが良いか当人に訊いてみてくれとのことだったので、そのようにコメントを記しておいた。(……)くんは普段は部活や学校で疲れて眠ってしまい、話にならないことが多いが、今日は文化祭の振替えで休みだったらしくエネルギーが確保されていてきちんと取り組めた。何度も口頭で質問して語彙など確認したので、それらはわりと頭に入ったのではないか。授業後、(……)さんが迎えに来た父親のところに行き、週一コマ・英語で継続させてくださいと直談判してきたと言う。反応は悪くなかったと言うので、たぶん続けてもらえることになるのではないか。(……)くんとは仲が良いので、こちらとしてもそうなってくれればありがたいところだ。
  • なぜかわからんのだが今日も退勤は一〇時過ぎになった。九時半を逃せば次の電車が一〇時以降で結局待たなければならないのでべつに良いのだが、待つにしてもはやく行けばそのぶん本を読んだりメモを取ったりもできるわけである。基本的に急ぎたくない性分なのでたらたらやっているということはあるかもしれないが、それにしたって何にそんなに時間がかかっているのかよくわからない。というか、ほかの人たち、仕事はやくない? そんなにすぐ終わる? という感じなのだけれど。やはり授業中にもうコメントを書いたりもろもろ済ませたりしているのだろうか。
  • 退勤して発車間際の電車に乗り、扉際で待って降車。雨が降っており傘を持っていなかったが、そこまで厚い降りではなかったので急がず濡れながら帰った。帰宅後のことはあまり覚えていないが、一一時四〇分くらいまで休んでから食事に行ったようだ。自分ひとりしかいない居間で静かに落ち着いて食事を取れたはずである。黒沢清ヴェネツィア映画祭だかなんだかで銀獅子賞とかいうものを取ったという報があったと思う。食後はすぐには風呂に入らず、帰室して茶を一服してから入浴に行ったはずだが、そんなことはどちらでも良い。
  • 書抜き、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、194: 「自然なものとは、物質の「自然」の属性とはまったくちがう。それを口実にして、社会的多数派が身を飾りたてるものである。自然なものとは、ひとつの合法性である。それゆえ、その自然なものの下にある掟を、すなわちブレヒトの言葉によると「規則の下にある悪弊」を明らかにする批評が必要になってくる」。
  • Mさんのブログ、二〇二〇年五月九日。「分裂病親和性を、木村敏人間学的に「ante festum(祭りの前=先取り)的な構えの卓越」と包括的に捉えたことは私の立場からしてもプレグナントな捉え方である。別に私はかつて「兆候空間優位性」と「統合指向性」を抽出し、「もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」と述べた(兆候が局所にとどまらず、一つの全体的な事態を代表象するのが「統合指向性」である)」(中井久夫『新版 分裂病と人類』より「分裂病と人類」p.8)。
  • のち、この日の日記を少々書いてから音楽。FISHMANS『Oh! Mountain』から"夜の想い"と"頼りない天使"を聞く。前者は、「動き出してるこの空/走り出した白い犬」というところがやはり好き。後者は面白い。聞いているうちにドラムがキックを四拍すべて打ち出したのに気づいたのだが、四分を強調したその刻みがほかの楽器よりもわずかにはやいように聞こえ、一方でベースはそれよりもいくぶんもったりと、シャッフルなのかストレートなのか、どちらともいえない微妙な八分音符を奏で続ける。シャッフルとストレートのちょうど中間にあるという感じでもおそらくなく、加えてたぶん箇所によってわずかに揺らいでもいると思うのだけれど、この曖昧なビート感はちょっとすごい気がする。その上にさらにギターとキーボードが乗るのだが、この二者はリズム的にはほぼ一体化していたような印象で、しかもここでもまたリズム隊とのあいだにかすかに間があるようで、どちらかといえば歌のほうに寄っていたのではないか。したがって、ドラム・ベース・ギターおよびキーボードという三方向の楽器たちが互いに微妙にずれ合い、微小な隙間を挟みながら関係しているのだけれど、その繊細なずれが合わさって全体としてはうまく高度に調和しているみたいな、あまりよく意味がわからない事態が起こっているように思われた。そういう特殊なリズム感覚がこの演奏にはあるのではないか。
  • 二曲を聞くとベッドに移り、ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)を読みだしたのだが、すぐに眠気に捕まえられてやむなく就寝。やはり就寝の一時間か二時間前にはもう寝床に移らなくては駄目だ。とりあえず三時半くらいにはベッドに還って書見をするよう目指したい。


・読み書き
 13:49 - 14:48 = 59分(2020/9/13, Sun. / 2020/9/14, Mon.)
 26:32 - 27:03 = 31分(バルト/新聞)
 27:17 - 27:56 = 39分(ブログ)
 28:27 - 28:48 = 21分(2020/9/14, Mon.)
 29:01 - 29:25 = 24分(カラー: 195 - 208)
 計: 2時間54分

・音楽
 28:48 - 29:00 = 12分

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • FISHMANS『ORANGE』
  • FISHMANS, "夜の想い"、"頼りない天使"(『Oh! Mountain』: #4, #11)

2020/9/13, Sun.

 現代における死の零落について、ミシェル・フーコーは、政治用語を使ってひとつの説明を提示している。それは死の零落を近代における権力の変容に結びつけるものである。領土の主権という伝統的な姿のもとでは、権力は、その本質において生殺与奪の権利として定義される。しかし、こうした権利は、なによりも死の側で行使され、生には、殺す権利を差し控えることとして、間接的にしかかかわらないという意味では、本質的に非対称的である。このため、フーコーは、死なせながら生きるがままにしておく[﹅17]という定式によって主権を特徴づける。十七世紀以降、ポリツァイ〔治安統治〕の学の誕生とともに、臣民の生命と健康への配慮が国家のメカニズムと計算においてしだいに重要な地位を占めるようになると、主権的権力はフーコーが「生権力(bio-pouvoir)」と呼ぶものへとしだいに変容していく。死なせながら生きるがままにしておく古い権利は、それとは逆の姿に席をゆずる。その逆の姿が近代の生政治[ビオポリティック](biopolitique)を定義するのであって、それは生かしながら死ぬがままにしておく[﹅16]という定式によってあらわされる。

主権において、死は、君主の絶対権力がもっとも顕著にあらわとなっていた地点だったのにたいして、今ではその反対に、死は、個人がいかなる権力をも逃れて、自分自身のもとに戻り、いわば自分のもっとも私的な部分のうちに閉じこもる契機となる。(Foucault, M., Il faut défendre la société, Gallimard-Seuil, Paris 1997., p.221)

 こうして、死はしだいに降格していく。死は、個人や家族だけでなく、ある意味では集団全体が参加した公的な儀式の性格を失い、隠すべきもの、私的な恥のようなものとなる。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、109~110)



  • 一二時に覚醒。今日も忽然と覚めた感じがあったのだが、寝床にとどまっているあいだに、何らかの夢を見たような手触りが非常に薄く蘇ってきた。しかし内容は何ひとつ思い出せず。一二時半を近くして起き、上階へ行くと炒め物だったか何かと米で食事。新聞の書評面では田中和生という文芸評論家の人が瀬戸内寂聴の『いのち』を取り上げていた。河野多恵子と大庭みな子を中心に文芸界隈の人々のエピソードをふんだんに盛りこんだ自伝的もしくは私小説的作品らしいのだが、河野多恵子というのは蓮實重彦が女性の作家のなかでもっとも高く評価していた人ではなかったか? そういうわけでわりと気になる。
  • 帰室後は、以前Uくんに教えてもらったものだが、富田章夫という古代ギリシアの研究者の人が個人的に文献を訳したりして情報を集積した「Barbaroi!」というページを読む気になってアクセスし、素直に上から順番に見ていこうというわけでクセノフォンの『酒宴』をひらいた。この人は鹿野武一関連資料のページも作っているようで、そちらのほうも非常に気になる。

 ここで何が出来したかにすぐに気づいた人は、こう考えたことであろう、――美は自然本性的に(physei)一種王者的なものである、とりわけ、このときのアウトリュコスがまさにそうであるが、羞恥(aidos)と慎み(sophrosyne)を伴ってそれを所有する場合はそうである、と。(……)
 (第1章、[8])

     *

 (……)カッリアスも、「どうしたんだ」と言った、「おお、ピリッポス。痛みがおまえにとりついたのではあるまいね?」。すると相手はうめきながら云った、「ゼウスにかけて、そのとおり」と謂った、「おお、カッリアス、それも大きいやつが。というのは、人間界から笑いが滅びたので、わたしのすることもなくなったのです。つまり、以前は、わたしが食事に呼ばれた所以は、いっしょにいる人たちがわたしのおかげで笑って、好機嫌になるためでした。ところが今は、ひとがわたしを呼ぶのは、はたして何のためでしょうか? わたしとしては、真面目になるのは不死となるのと同じくらいできっこないし、さりとて、お呼ばれのお返しに誰がわたしを呼んでくれるでしょう、わたしの家に食事をもたらしてくるきっかけを思いつきもしないってことは、みなさんご存じのとおりだし」。
 (第1章、[15])

     *

 [8]これに続いて、この娘のために別の少女が笛を吹き、側に立っていた少年が踊り子のために輪を12まで手渡した。少女は受けとると、踊りながら同時に、ぐるぐる回る輪を投げ上げた、どれくらいの高さまで投げ上げれば、リズムに合わせてそれを受けとることができるか距離を測りながら。
 [9]するとソークラテースが云った。「他にも多くの事柄においてそうだが、諸君、この少女がすることでも、女の自然本性は男のそれと少しも違わない、ただ、知力(gnome)と体力(ischys)に欠けるだけだということは明らかだ。だから、もしもあなたがたの中で妻を持っている人は、彼女に知識しておいて欲しいと思うことは、思いきって何でも教えるがいい」
 [10]するとアンティステネースが、「それなら、どうしてなんですか」と謂った、「おお、ソークラテース、そうと認識していながら、あなたはクサンティッペーを教育しようともせず、現在の女たちの中で、いや、わたしの思うに、過去・未来の女たちの中でも、最も難しい女を妻としておられるのは?」
 「それはね」と彼が言った、「わたしは眼にするからですよ、――騎士になりたいと望む者たちも、聞き分けのよい馬たちではなく、気性の荒い馬たちを所有するのを。それは、こういう馬たちを手なずけることができたら、ほかの馬なんて扱うのは容易だと彼らはみなしているからです。だからわたしも、人間たちを扱いこれと交わることを望んでいるから、あの女を所有しているのです、この女を我慢できれば、ほかにはどんな人間たちといっしょになろうと、容易だと承知しているから」
 (第2章、[8]~[10])

  • その後はFISHMANS『Oh! Mountain』の終盤を歌ってしまう。そのまま"いかれたBABY"のスタジオ版とか、"Walkin'"とか"なんてったの"とか、ベスト盤に入っている"頼りない天使(Prototype Mix)"とか"あの娘が眠ってる(p.w.m. ver.)"とか色々流して歌いながら身体を多少動かした。FISHMANSの曲をアコギで弾き語れるようになりたいとは思うが、その形式でうまくやるにはかなり難しいタイプの音楽ではあるだろう。それからceroSuchmosも歌って久しぶりにたっぷり声を出すと、ベッドに寝転がってだらだらした。脹脛をほぐしながら五時過ぎまで。
  • 上階に上がって便所。もうそろそろ夏も完全に終わる頃だろうし、今日は晴れてもいないのに、ツクツクホウシがまだけっこう鳴き騒いでいるのが聞こえてきた。居間にもどるとアイロン掛けをする。そのあいだテレビに映っているのは相撲。力士のからだを横から改めて見ると、当たり前だが腹がめちゃくちゃ大きく前に膨れ上がって突き出していて、あれもすごい肉体のあり方だなと思う。解説は北の富士勝昭という人と舞の海。距離はもちろん離しているが、観客席にはマスクをつけた人々の姿が結構あった。相撲という競技もきちんと学んでじっくり見れば面白いのだろう。
  • アイロン掛けを終えると室に帰ってまたベッドでだらだらし、七時を越えると食事。おかずはサバや、ナスと肉の炒め物など。やはりひとりで自室で食事したほうが良いかもしれないなと思った。新聞を読みたいけれどテレビは点いているし、父親はタブレットでべつの番組を見ながら大きな声で独り言を漏らして鬱陶しいし、今日は特になかったが両親が馬鹿げた言動を交わすのを見聞きするのも不快である。勤務後の遅い時間に静かな居間でひとり黙然とものを食うときのほうがよほど落ち着く。自分ひとりの部屋がない生活はやはり自分には無理だろうなと思う。結婚した夫婦とかはあまり個々の自室というものを持たないイメージがあって、我が家にもないし、K夫妻の宅にもないと思うのだが、それでみんなやっていけるのだろうか。
  • 部屋にもどってくると一年前の日記。2019/8/6, Tue.。「フランス人の九九%ってのは、いってみれば中程度の馬鹿ですよね」という見下しきった発言をまったく躊躇なく言ってのける蓮實重彦のふてぶてしさに笑える。

 蓮實 そうなんですけどね。フーコーがやっぱりフランスが最も上質な部分において生産しうる人かというと、これ、正直いってぼくはいまだによくわかりませんけれども、〈新哲学派〉みたいなものが出てくるってことは、これ、よくわかっちゃうんですね。つまり教育制度のうえからいっても、社会制度のうえからいっても、官僚組織のうえでは国立行政学院がいま手に権力を握ってるから、「エナ」がやってることを高等専門学校、つまりエコール・ノルマルが非官僚的な組織のうえでやろうとしてるんでしょう。政治体制の面で「エナ」のやってるフランス支配みたいなものを、文化の面で「ノルマル」がやる。――フランス人の九九%ってのは、いってみれば中程度の馬鹿ですよね。中程度の馬鹿に向って、中程度の馬鹿よりはいささか利巧な一%ほどの連中がなんかものを言えば、制度の強化はともかくとして温存ぐらいはできる。たとえばレヴィにしても彼の文体というのは、さっきぼくはある種のオマージュをこめて、フランソワーズ・サガン的と言ったけれども、中程度の馬鹿には快い文章になってるわけですよ。そしてまた旧左翼というか、いにしえサルトルのところにいて、そこから飛び出したジャン・コーなんていう転向右翼が、最近の若い連中はほんとに文体に苦心してかわいらしい、なかなか立派な連中だっていうようなことを言ってからかってるところもあるんだけれども、たしかに文章の面でフランスのいわゆる一般の人が書く文章よりもはるかに魅力的だってことはある。そんな種類の連中をフランスは年に数十人ずつ生産しうる国だという点は、これはよくわかるし、さっきのトロイア的包囲状況の悪化につれて彼らがフランシオン神話を強化する方向で結束するというのもわかるんですけど、ところがフーコーみたいな人の存在ってのはなお現象としてぼくには不思議ですね。どれほどフーコーがすごいかというのを、実はぼく自身あんまり言ってなくて、猿みたいにすごいということしか口にしえないわけだけれども、そんな猿みたいなフーコーが出てきちゃうってのは、やっぱり非常に閉ざされたどうしようもない時代にフランスがさしかかってるのか。たとえばラシーヌが出てくるにしても、あの時代というのもどうしようもない時代なわけですよね。政治的にいっても文化的にいっても。どうしようもないというのは、少しものが見えている人たちは絶望的たらざるをえないような時代で、いま少しものが見えているような人は、その絶望に自分を埋めこむこともできないほどもっともっと絶望的にならざるをえない。つまり、誰も猿の出現なんか待望してはいないわけ。みんな「フランス論」を読んで程よく満足しているのだから。そこへ期待されざる不可解な過剰として身元不明の猿がけたたましく登場するというんだからやっぱりぼくにはわかりませんね。ただわかるのは、現在のフランスの感性的な鈍感さ、というか頽廃の蔓延ぶりってことだけで、さっきちょっと話の出たサルトルの映画ってのも、ぼくは、あれは実はもうほんとに吐き気がして、十五分で出てきてしまったんです。
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、300~302; 渡辺守章豊崎光一+蓮實重彦「猿とデリディエンヌ」)

  • 2019/8/6, Tue.はモスクワに向けて家を発ち、成田のホテルに着いて三〇〇〇円の海鮮丼を食っている。馬鹿げた料金だ。この世の仕組みはおかしい。はやく貨幣経済を超越したユートピアをつくろう。マルクスの思想ならびにその後のマルクス主義・(そしてそれ以前のものも含めた)社会主義共産主義の(実践と理論両面での)試みを誰かがアップデートしなければならない。
  • Kenny Dorham『The Complete 'Round About Midnight At The Cafe Bohemia』を流しつつ今日の日記を書き出し、九時前で風呂へ。今日も湯のなかで静止したが、やはり眠くなってしまう。
  • 部屋に帰ると今日と昨日の日記。2020/9/12, Sat.を完成させると投稿し、そのあと隣室に入ってアコギをいじった。右足にギターを乗せたほうが良いのか、それとも左足のほうが良いのか、弾くときの姿勢が一向に固まらない。左足に乗せると響きを感じやすく、また左手首の負担も減るようだが、腰の右側がだんだん疲れてくる。かといって右足に乗せても腰が疲れるのには変わりないし、当たり前だが楽器を弾くというのもきわめて身体的な行いだということを実感する。つまり、腕と手と指だけの問題ではなく、全身的な、あるいはそれが言いすぎだとしても少なくともからだのその他の部分にも密に関わってくる問題だということだ。戯れに満足すると目の前の兄の机にEric Claptonのブルース曲を集めたスコアがあったのでちょっと覗いた。"Before You Accuse Me"なんか見て、やっぱりまずはこのへんのブルースから弾き語れるようになろうかなと思った。『Unplugged』のなかでアコギでのブルースをいくらかやっているようなので、とりあえずそれを聞いてみるかというわけで自室にもどると、Amazon MusicでClaptonの作品を検索し、『Unplugged』と『Slowhand(35th Anniversary Super Deluxe)』、それに『Me And Mr. Johnson』や『Blues』をメモに追加しておいた。『From The Cradle』もブルース集だが、これはすでにコンピューターに入っている。あとJohn Mayall & The Bluesbreakers feat. Eric Clapton and Mick Taylor『70th Birthday Concert』というのもあったのでこれも記録しておき、そこからさらに「70th Birthday Concert」で検索するとDuke Ellingtonにもそういうアルバムがあることが判明し、そんなのあるのかと思ってこれも当然追加。ほか、湯浅譲二の音楽を取り上げたIchiro Nodaira(野平一郎), Keizo Mizoiri(溝入敬三), Kenichiro Yasuda(安田謙一郎), Dogen Kinowaki(木ノ脇道元)『Joji Yuasa's The 70th Birthday Concert Live 1999』と、Adrian Boult / Eileen Joyce / London Philharmonic Orchestra『John Ireland: 70th Birthday Concert』というのもメモしておいた。John Irelandという作曲家ははじめて名を知ったというか、正確には以前どこかで目にしたような気もするが、明確に認識したのはこれがはじめてだ。
  • そのあとはインターネットで漫画の情報を収集したりしながらただひたすら爆発的に、膨張的に怠け続けて、六時に至ってようやく就寝。


・読み書き
 14:05 - 14:38 = 33分(Xenophon)
 20:05 - 20:51 = 46分(2019/8/5, Mon. / 2019/8/6, Tue. / 2020/9/13, Sun.)
 21:36 - 23:10 = 1時間34分(2020/9/13, Sun. / 2020/9/12, Sat.)
 計: 2時間53分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Kenny Dorham『The Complete 'Round About Midnight At The Cafe Bohemia』

2020/9/12, Sat.

 じつは、『存在と時間』では、死に特別な役割が託されている。死は決意の体験であり、「死に向かう存在」の名のもとに、おそらくはハイデガー倫理学の究極の意図を体現している。というのも、人間は、おしゃべり、あいまいさ、散漫からなる日常の非本来性のうちに、つねにすでに、なによりも先んじて投げこまれているが、ここで生じる「決意」のもとで、その非本来性は本来性に変容するからである。そして、つねに他の者たちのものであり、本当の意味で現前することはけっしてない匿名的な死が、もっとも本来的で究極的な可能性に変じるからである。この可能性は、なにか特定の内容をもつわけではなく、あるべきものや実現すべきものを人間に提示するわけではない。反対に、死は、可能性として考えられるかぎり、絶対的に空虚であり、特定のいかなる輝かしい名ももたない。それは、ただ単にあらゆる行動とあらゆる実存の不可能性の可能性[﹅22]である。しかし、まさにこのために、死に向かう存在のうちで、この不可能性とこの空虚を根本から体験するものである決意は、いかなる不決断からも解放され、はじめて完全にみずからの非本来性を自分本来のものとする。いいかえれば、実存の果てしない不可能性を体験することは、人間が世人の世界に踏み迷うことから解放されて、自分自身に自分本来の事実的な実存を可能にしてやる方法なのである。
 したがって、ブレーメンの講演におけるアウシュヴィッツのありようは、なおさら意味深いものとなる。この観点からすれば、収容所は、死をもっとも本来的で究極的な可能性、不可能なものの可能性として体験することが不可能な場所ということになるだろう。すなわち、自分本来のものでないものが自分本来のものとならない場所、非本来的なものによる事実的な支配が転覆されることも例外を生むこともない場所である。このため、収容所では(この哲学者によれば、技術の無条件の勝利の時代における他のすべてのものにおいてそうであるように)、死の存在は阻まれており、人間は死ぬのではなく、死体として生産されるのである。
 しかしながら、本来の死を本来のものでない死から峻別したリルケのモデルの影響がここではこの哲学者を矛盾におとしいれていないかどうか、問うてみてもよいだろう。じっさい、ハイデガー倫理学においては、自己性と本来性は、非本来的な日常性よりも上に浮かんでいるもの、現実の領域の上位にあるイデアの領域ではない。それらは「非本来的なものを別の様態のもとでとらえたもの」にほかならず、そのとらえ方のもとで手に入るのは実存の事実的な可能性にすぎない。ハイデガーがたびたび言及するヘルダーリンの原理によれば、「危機のあるところでこそ、救うものが育つ」。すなわち、まさに収容所の極限状況においてこそ、本来化と救いが可能となるはずなのである。
 したがって、アウシュヴィッツで死の体験が阻まれるのは、本来的な決意の可能性そのものをあやうくするような別の理由、かくてはハイデガー倫理学の土台そのものを揺るがすような別の理由によるのにちがいない。じっさい、収容所は、自分本来のものと自分本来のものでないもの、可能なものと不可能なもののあらゆる区別がまったくなくなる場所である。というのも、ここでは、自分本来のものの唯一の内容は自分本来のものでないものであるという原理が立証されるのは、まさしく、自分本来のものでないものの唯一の内容は自分本来のものであるという逆の原理によってであるからである。そして、死に向かう存在において、人間が非本来的なものを自分本来のものにするのと同じように、収容所においては、収容者たちは日常的かつ匿名的に死に[﹅11]向かって実存する。自分本来のものでないものの本来性は、もはや可能ではない。というのも、自分本来のものでないものは、すでに自分本来のものをすっかり担っていたからであり、人間は、いかなる瞬間にも、事実的にみずからの死に向かって生きているからである。このことが意味するのは、アウシュヴィッツでは、死と単なる落命、死ぬことと「一掃されること」を区別することはもはやできないということである。アメリーは、ハイデガーのことを念頭に置きながら、こう書いている。「解放されたときには、死ぬことについて考えることを強いられることなく、死ぬことに苦しめられることなく、死について考えることができる」(Améry, J., Un intellettuale a Auschwitz, Bollati Boringhieri, Torino 1987(orig. Jenseits von Schuld und Sühne. Bewältigungsversuche eines Überwältigten, F. Klett, Stuttgart 1977; 池内紀訳『罪と罰の彼岸』法政大学出版局1984年), p.51)。収容所では、これは不可能である。それは、アメリーが示唆しているように見えるのとはちがって、死にざま(フェノールの注射による死、ガス室による死、殴打による死)について考えていると、死そのものについて考えることがそっちのけになるからではない。死についての思惟がすでに物質的に実現されていたところ、死が「些末で、決まりきったお役所仕事のようで、日常的」(Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991, p.120)であるところでは、死と死ぬこと、死ぬことと死にざま、死と死体の製造は、識別できないものとなるからである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、98~100)



  • 眠りに就いてから一時近くになって覚めるまでやはりなんの印象も残っていないというか、夢の記憶もにおいもないし、乱れなくぎゅっと詰まった無の空間のなかを息継ぎもせずにくぐり抜けてきた、という感じがある。今日の天気は雨。といってこのときにはすでに止んでいたようだが、外は煙っぽい白さで、窓を閉め切っていても暑くはない。寝床で身体を指圧したりもぞもぞうごめいたりして肉をほぐしてから上階に行った。
  • 母親は昨晩、明日は父親と一緒に映画に行くとか言っていたのだが、訊いてみると映画行きは取りやめたらしい。雨降りのためか? しかしのちほど、(たぶん母親ひとりで)リサイクルショップに行くつもりだということが知られた。今日は食事の前に風呂を洗っておき、それからエネルギーを摂取。食べるものは炒め物をアヒージョ風にしたものと米と即席の味噌汁。新聞を読みながら食し、皿を洗うと緑茶を用意する。そのとき窓の隙間から聞こえた音響からして、雨がふたたび降り出したようだった。下階にもどってから廊下の途中の窓を覗いてみれば、たしかに落ちて拡散するものがあり、ただしあまりはっきりと硬い雨でなく、粉っぽいような種類のものである。
  • TwitterにNさんからダイレクトメッセージが届いていたので、Evernoteを準備するとまずそれに返信した。

(……)

     *

(……)

  • 音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』。最高、すなわちもっとも高い。#4 "夜の想い"とか#5 "エヴリデイ・エヴリナイト"とか、#8 "感謝(驚)"とか、思わず作業(打鍵)の手を止めて歌ってしまう。
  • あと、先日Bill StewartでAmazon Musicを検索した際に見つけたさかいゆうという人の作品をメモ記事に移しておいた。『Yu Are Something』というアルバムに、John Scofield、Steve Swallow、Bill Stewartのトリオが客演しているようで、たぶんシンガーソングライター系の人だと思うのだけれど、この三人にバックアップされて歌えるとかどんな化け物やねんという感じだ。
  • 二時半から日記を書きはじめて、昨日のことを綴っているうちに四時を回ってしまい、今日は土曜日で電車がいつもよりはやくなるのでもういくらも時がない。2020/9/11, Fri.をインターネットに投稿すればベッドで脚をほぐす間もないので、FISHMANS『空中キャンプ』の流れているなかで屈伸をしたり合蹠を行ったりと下半身を伸ばしておいた。そうして着替え。バックに流れるのは"新しい人"。それを最後まで聞いてアルバムが終わると出発へ。
  • さほどの勢いでないが雨が続いていたので傘をひらいて道を行く。Sさん宅の前では雨のためだろう、強いピンク色のサルスベリがまたたくさん散って粗い点描をなしており、そこを抜ければミミズが一匹、水にふやけて崩れかけながら死んでいた。坂に入って上っていくあいだ、なぜかムージルの「合一」の二篇のことを思い出し、あれもまた読まなくてはなあという気になった。なんだかんだ言ってもとんでもない仕事であることは間違いないわけで、あそこにあるものを確かに見極めなければならないだろう。ムージルの仕事のなかでもひとつの方向においての極限に至っている文章のはずで、あれを引き受ける人間が古井由吉やごく一部の研究者以外にもやはり誰かいなければならない。
  • 駅に就くとベンチには先客がいたのでホーム先に行き、乗車して扉際でマスクをつける。車内の記憶が全然なく、何をしていたのかわからない。窓外を眺めていた記憶もないし、かといって車内の様子を観察していた覚えも蘇ってこない。首を揉んでいたのだろうか。ともかく降りると駅を抜けて職場へ。
  • (……)マネージャーが来ており、挨拶をして教室のレイアウト変更について説明を受ける。今日の午前中や昼で棚や座席やものの配置をけっこう変えて、講師が集まって準備や作業をする用のテーブルを設けたり、個々の生徒の資料や授業に必要な書類の管理をファイル形式に整理したりしてくれたのだ。まずもって以前は配置の関係上入口から授業の様子が見通しにくく、講師側としても、働いている途中にドアが開いてもいちいちちょっと出ていかなくては誰が来たのか確認できないという面倒臭さがあったのだが、そのあたり解消されて、入口からまっすぐ正面に席が置かれて視線が通るようになり、空間が明るくひらいたような印象で良い感じだった。
  • 今日は(……)くん(中二・英語)という生徒の体験授業を任されていた。準備することもさほどなく、中学三年生の模試の結果を読んだりなどしていると、新しく入った高校生が(……)さんの同級生だったらしく、自習席にいる彼のところに(……)先生の授業を受けていた(……)さんがやって来て受験について聞き、いままで何してたの? もう九月なのわかってんの? とか何だかんだと忠告的に世話を焼いていたので、かあちゃんかよ、と思わず突っこんで笑ってしまった。あとで話しかけてみたところこの男子高校生は(……)くんという名前で、(……)大学の小論文対策をしておりどう書けば良いかと困っていたので多少助言を与えておいた。のちほど(……)さんが言っていたところでは内部生らしい。
  • それで(……)くんの授業。この中学生はStussyのシャツを着ていた。礼儀はそなえているのだが、あまり反応がはっきりしないようなところがあるというか、ちょっと特徴的なリズムを持っているような印象。とはいえコミュニケーションに大きな難はない。序盤にいくらか話を聞くと、勉強は全体に好きではなく特に英語は苦手だが、理科は好きでそのなかでもとりわけ物質分野に小学生の頃から興味があると言う。ただなぜ面白いのかと訊いても、その点はわからない様子だった。まあ面白ければ理由などなんだって良いので、とても良いですねと称賛しておき、さらに勉強以外に好きなことはあるかと訊くと、ミステリーやホラーの小説を読むのが好きだと言う。理科は好きだけれど、科学系の本などは読まないと言うので残念。中学生時点で物語以外のそういった本に手を出している子どもというのはやはり少ないのだろうし、こちら自身のことを考えても中学生の頃などは新書というジャンルの存在すら知らなかった。講談社ブルーバックスとか、理数系が好きな子どもなら面白いものがたくさんあるだろうと思うが。またこの生徒は塾のすぐ近くに住んでいるにもかかわらずなぜか(……)にある(……)まで通っていて、その点なぜなのか訊いてみてほしいと(……)さんに言われていたのだが、何か事情があるのと直截に問うてみても、いや、べつにないですと返るのみで判然としない。しかし普通に行くならば、地域的条件からして(……)に通っているはずなのだ。理由が何もないということはない気がするのだが、何か言いたくないことがあるのかもしれないと思ったので、これは生徒本人に訊くよりも機会のあるときに保護者に尋ねたほうが良いだろうと判断し、それ以上は踏みこまなかった。(……)さんに与えられた事前情報によれば彼は小学生のころ(……)に通っていたらしく、したがって中学受験をしたと思われる。それに失敗したために、事情を知る友だちのいる近くの学校には行きづらかったということではないかというのが(……)さんの推測で、まあそういうこともあるかもしれないし、特にそれを示唆する情報や意味素は得ていないがいじめを受けていたということも可能性としては考えうる。ちなみに(……)はいま全校で五〇人も生徒がおらず、彼の学年は十何人かだと言う。
  • 授業に特段の問題はない。教科書を読み、ワークで文法問題を多少やった。授業のあいだに手書きで簡易な報告文書を作り、授業後には面談のためにやって来た父親と顔を合わせて多少次第を説明しておいた。教科書を読んでみるとけっこうよく訳せるので意味の面はあまり問題なさそうだが、文法面について訊いてみるとわからないということがままあったので、そちらの知識を身につけて、英文をどう書くか、並べ替え問題でどういう順序にすれば良いかといったことを理解していけると良いのではないか、というような内容だ。父親は落ち着いた感じで穏やかそうな人だった。(……)くん本人は、こちらが今日の授業のやり方はどうでした? などと訊いてみてもあまり反応が明確でなく、父親のほうを向いてどう言えば良いのか答えを頼るような場面も見られたので、まだいくらか自我が淡いというか、精神的自己確立というものがやや定かでないのかもしれない。
  • そのあとは模試の結果を写真に撮影したりなんだりして、授業時間が終わったあとは(……)さんとともに(……)先生の報告を聞いたり。そのあいだに写真撮影は(……)先生がこなしてくれたのでありがたい。小論文をやっていた(……)くんはさっそく月曜日から授業が入っていて(……)先生が当たっているのだが、そこで何をやれば良いか話すなどして今日も帰りは遅くなり、八時四五分ごろ退勤した。駅に入ってみれば土曜日なので電車の時間がいつもと違っていてあと一分しかない。これはもう駄目だなと努力する前から諦めて、降車客の流れてくる通路を歩いていくと、上り階段の途中で電車が発ったので実際走れば間に合ったのだが、しかし走るのは好きではないのでこれで良い。ホームに出るとたまにはスナック菓子でも食うかというわけで細長いポテトチップスを二種類買い、コーラも買って飲みつつ書見した。ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)である。
  • 電車が来てもすぐには動かず外のベンチで読書を続け、あと三分くらいになってから乗りこんだ。最寄りに着いて駅を抜ければモミジの葉っぱがいくらか地面に伏しているが、色はあまり赤くはなくて、ビスケットじみた茶色である。雨は降っていたが淡いので、傘を差さずに帰路を行った。
  • 帰り着くと安息の地であるベッドに帰還して一一時一五分まで休み、その後カキフライや餃子、お好み焼き風の料理や味噌汁などで食事。風呂のなかでは久しぶりに湯に包まれながら静止した。やはり瞑想的な、まったく何の行動もせずからだを動かさずにただ知覚と思念のみの存在になる時間が欲しい。しかし風呂だとじきに意識に眠気が混ざってきて思考が腐った林檎のように崩れ、半分夢みたいなイメージの展開がはじまってしまう。
  • 自室にもどると緑茶を飲みながらポテトチップスを食い、その後も怠けて、三時半からようやく活動をはじめた。書抜きである。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)および二か月以上も前の新聞記事。それでもう四時一五分に至ってしまったのでほかにいくらもできることはないが、この日のことを多少記述し、届かない範囲はメモにしておいた。途中でなぜか高校の同級生のS.Tのことを思い出して、インターネットで検索した。というのも以前Nに聞いた話では、彼はいまだに音楽活動をしていて何やら作品もリリースしたとかいう話だったのだ。実際、(……)というデュオらしいユニットの作品がAmazonで売られているのが出てきて、そこにSの名前もあり、さらには(……)というソロプロジェクトもやっているようで、Sは何でもデンマークに渡っていたらしく、そのあいだに宅録ではじめたのがこの(……)らしい。なかなか悪くない名前をつける。(……)のほうのライブの動画が出てきたのでちょっと見てみたが、アンニュイと形容されそうな風味もある静かで抑制的なポップスという感じで、高校のときに体育館(我が高校では「アリーナ」と呼ばれていたが)の舞台上で頑張って歌ったり(たしかHi-Standardの"はじめてのチュウ"とかやってはいなかったか)、卒業イベントでもIと二人で、何の曲だったか忘れたがアコギデュオとして弾き語っていたSが、一〇余年を経たあともこうしてギターを持ちそれを鳴らしながら人前で歌っているのを見ると、わりと感慨深いものはある。
  • 五時前からSonny Rollins, "A Night In Tunisia"(『A Night At The Village Vanguard』: D1#1)とMal Waldron, "Left Alone"(『Left Alone』: #1)を聞いたが、さすがにこんな時間だとやはり眠気が混入してあまり明晰には聞こえない。前者はDonald BaileyとPete La Rocaとのトリオなのだが、Pete La Rocaってこんなに叩く人だったのかという印象で、といってほかに彼が叩いている作品なんてJoe Hendersonの『Page One』くらいしか聞いたことはないと思うけれど、もっと控えめなドラマーだというイメージを持っていたところ、だいぶバシバシ突っこんでくるじゃんという感じだった。これだったらもうひとりのドラマーであるElvin Jonesに通じるところすらあるじゃんと思ったのだが、それは言いすぎというかあまりに大雑把すぎるかもしれない。Rollinsは絶好調という感じで、闊達極まりなく、淀みというものがほとんど一瞬もないのではないか。Mal Waldronのほうは、このスタイルで聞かせるというか、(ある意味で)歌い、聴者を掴もうとするというのもやはりすごいというか変な方向を取ったなあという印象。
  • そのあとジョナサン・カラーを少々読んで就寝。


・読み書き
 14:33 - 16:11 = 1時間38分(2020/9/12, Sat. / 2020/9/11, Fri.)
 20:53 - 21:25 = 32分(カラー: 192 - 202)
 27:34 - 28:14 = 40分(バルト/新聞)
 28:21 - 28:53 = 32分(2020/9/12, Sat.)
 29:09 - 29:35 = 26分(カラー: 186 - 196)
 計: 3時間48分

・音楽
 28:53 - 29:09 = 16分

2020/9/11, Fri.

 正直な知性が示す無理解にはしばしば教えられるところがある。プリモ・レーヴィは難解な作家を好まなかったが、パウル・ツェラーンの詩には惹かれていた。本当には理解できなかったにしてもである。「難解に書くことについて」と題された短いエッセイのなかで、レーヴィは、読者にたいする軽蔑のためか表現力が足りないために難解に書く者たちと、ツェラーンを区別している。ツェラーンの作詩法の難解さは、「すでにあらかじめ自殺していること、存在するのを望まないこと、望んでいた死がその仕上げとなるような世界逃避」(Levi, P., L'altrui mestiere, in Id., Opere, vol. 3, Einaudi, Torino 1990., p.637)のことを考えさせるというのだ。ツェラーンがドイツ語にたいしておこなう、かれの愛読者をたいへんに魅了した途方もない加工は、レーヴィによってむしろ――わたしが思うに考察に値する理由から――、ばらばらな吃音、あるいは死に瀕した者のあえぎになぞらえられる。

ページが進むごとに大きくなっていくこの闇は、ついにはばらばらな吃音に達し、死に瀕した者のあえぎのように人を驚愕させる。じっさいにも、それは死に瀕した者のあえぎにほかならないのだ。それはわたしたちを深淵が巻きこむように巻きこむ。しかしまた同時に、それはわたしたちを欺いて、言ってしかるべきであったことを言わず、わたしたちをむちで打って追い払う。ツェラーンという詩人は、模倣をするよりも、瞑想し、ともに悲しまなければならない詩人なのだとわたしはおもう。かれの詩はメッセージであるとしても、そのメッセージは「雑音」のうちに消失してしまっている。それはコミュニケーションではなく、言葉ではない。言葉だとしても、せいぜいのところ、晦渋で不完全な言葉である。死に瀕した者の言葉がまさにそうであるように。そして、それは孤立している。わたしたちはみな死に瀕したときにそうなるように。(ibid.)

 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、45~46)



  • 正午に覚醒。たしか八時台だかはやい時間にも一度覚めた気がするのだが、記憶がひどくあやふやなので気のせいかもしれない。そこから正午に目覚めるまでのあいだには何の印象も残っておらず、覚醒時には切り落とされたように出し抜けに世界が現れた、という感じがあった。天気は晴れだが寝床にいる限りではそこまで暑くはなかった。首や肩などを揉んで一時近くになってから起き上がる。母親はすでに仕事に行ったらしい。トイレに行って用を足してくるとそのまま上階には行かず、室に帰ってコンピューターを用意した。ウェブを覗いたりEvernoteで今日の記事を作ったりしたあと、食事へ。
  • 冷やし素麺というのか何というのか、冷やし中華の素麺バージョンみたいなものが冷蔵庫に作られてあったので、感謝していただいた。(……)
  • 食後は講師アンケート構成案及び教室会議案などを考えながら風呂を洗う。一応こういう感じでやったらどうですかというのを簡単な文書として拵えて(……)さんに提示しようかと思っているのだが、面倒臭いし頭のなかで詰めきれていない部分もあるのでいますぐ取り掛かる気にはならない。一〇月の何日に会議をやる予定なのかわからないが、まだ多少時間はあるので追い追いで良いだろう。緑茶とともに帰室するとFISHMANS『Oh! Mountain』を流してここまで書いた。
  • その後、BGMをJohn Mayer『Where The Light Is: John Mayer Live In Los Angeles』(Disc 2)に繋げながら2020/9/10, Thu.を綴っていると携帯が震え、表面の表示を見れば職場であり、なおかつ振動が続くので電話である。これは急遽出勤の要請だなと当たりをつけながら音楽(#2 "Slow Dancing In A Burning Room"の途中だった)を止めて出ると果たしてそうで、講師がひとり体調が悪くなってしまったので代わりに一コマ頼みたいと言う。了承。(……)さんは恐縮し、お願いばかりしていてすみません、この恩返しはいつかしますと言うので笑った。講師が足りなくなったのは二コマ分なわけだが、一コマはほかの人に回してこちらの割り当てを遅い時間の一コマだけに収めてくれたのがありがたい。昔だったら休日に出勤要請をされたら倦怠に支配されたり虚しくなったり怒りを覚えたりしていただろうが、もはやそんなこともない。
  • 昨日の日記を仕上げて投稿したのち、歯を磨くあいだだけ一年前の記事を読み、それから音読。今日も「記憶」は面倒臭かったので一一八番を一回読んだだけで済ませてしまった。そうしてベッドに移って三宅誰男『双生』(仮原稿)を読む。「波のまにまに接近するそのひとときを見極めて勇敢な跳躍を試みる腕白ややんちゃも少なからずいたが、せいぜいが三つ四つ続けば上出来という中で仮に七つ八つと立て続けに成功することがあったとしてもどこに辿り着くわけでもないという現実の困難に直面すれば、その意気も阻喪せざるを得ず、慣れない夜更かしに疲れた者から順に、或る者は女中におぶられて、或る者は年長者に手を引かれた二人揃っての格好で、耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする寝床の敷かれた自宅へと去っていった」の一文に含まれた「耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする(寝床)」という修飾がなんか気になった。挿入感が強いというか、英語を読んでいるときに関係代名詞のいわゆる非制限用法で長めの情報が差しこまれているのに行き逢ったときと似たような感覚を得た気がするのだが、ただべつにこの箇所は後置されているわけではない。「耳を澄ませば自ずと蘇る」という言い方で、子どもたちが寝床に就いたあとの時間を先取りし、なおかつその時点から(「蘇る」と言われているとおり)過去を想起する動きまでも取りこんでいる往復感が、英語で挿入句と主文を行き来するときの迂回感に似ていたということだろうか。
  • 「分かつ力のゆく果てに待ち受けていた神隠しだった。傷口ですら一晩のうちに揃いのものとする妖しい宿縁を有する子らともなれば、失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言い方はちょっと奇妙だというか、語り手の立ち位置に困惑させられるところだ。この話者はいったい誰の視点と一体化(あるいは近接)しているのだろうか? と感じさせるということで、いわゆる「神の視点」と言ってしまえば話はそれまでなのだが、事態はそう単純でもないだろう。このすぐあとで明らかになるが、死んだ祖父を送る小舟に乗って運ばれていった双子の片割れは、その失踪に気づかれないのでもなく忘れ去られるのでもなく、その存在がもとからこの世界になかったかのように失われるのだから、家の者や町の人々はそもそも「神隠し」を認識していないというか、端的に彼らにとってそんなことは起こっていないわけで、したがって「失踪に続く失踪」について「根拠」をうんぬん判断できるわけがない。ところが上記の文では双子が「子ら」と呼ばれているように、この視点の持ち主は双子が双子であったことを知っているし、「妖しい宿縁を有する」という風に彼らをまとめて外側から指示しながらその性質について形容してもいる。「神隠し」が起こったことを知っているのは残されたほうの「片割れ」である「彼」か、あるいはこの物語をここまで読んできた読者以外には存在しない。そして「彼」自身が自分たちを「妖しい宿縁を有する子ら」として捉えることはなさそうだから、話者はこの部分で明らかに(純然たる)読者の視点を召喚しているように思われる。「失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言葉は、その身に降りかかる運命をまるごと共有する双子において、第一の失踪に続いて第二の失踪が起こるに決まっているという読み手の予測に対して向けられた牽制のようにも感じられる。
  • とはいえ、この物語の主人公の座はここに至って明確に「彼」ひとりに集束させられている。したがって、片割れの運命を追って「彼」までもがこの世から「失踪」してしまっては、作品はすぐさま終わりを迎えてしまうということに読者もすぐさま気づくだろう。だからわざわざ先回りして読み手の予測に釘を刺す必要はないような気もするのだが、そう考えてくるとこの一文はむしろ、読者というよりも、この物語の文を書き綴る作者(語り手や話者ではなく、作者)の手の(そして思考の)動きの跡のようにも感じられてくる。つまり、作品のこれまでの部分にみずから書きつけて提示した「運命を共有 - 反復する双子」というモチーフの支配力、みずからが書きつけたことによって力を持ってしまった物語そのものの論理に書き手自身が抵抗し、そこから逃れてべつの方向に進むための格闘の痕跡のようにも見えてくるということだ。たぶんのちほど下でも多少触れるのではないかと思うが、(……)さん自身もブログに記していたとおり(『双生』は、「ここ数日ずっと『金太郎飴』を読んでいたために磯崎憲一郎的な文学観にたっぷり染まっていたはずであるにもかかわらず、それをしゃらくせえとばかりにはねつけるだけの強さをしっかりもっている」)、テクストや物語に対してあくまで対峙的な闘争を仕掛けるというこうした姿勢を、保坂和志 - 磯崎憲一郎的な作法(それは物語に対して「闘争」するというよりは、「逃走」することに近いものではないだろうか)に対する身ぶりとしての批評と理解することもできるのかもしれない。もっとも、保坂 - 磯崎路線もまたべつの仕方で物語と「闘争」していると言っても良いのだろうし、それを「逃走」的と呼べるとしても、物語から逃れようとしたその先で彼らは今度は「小説」と「闘争」している、ということになるのかもしれないが。
  • 語り手の位置の話にもどって先にそれに関してひとつ触れておくと、「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣のためにか、未だ大福のように白く清潔に保たれているその肌の瑞々しさばかりは生娘らしく透き通っていたものの、盛り上がった頬骨の縁に沿って落ちていく法令線は、微笑ひとつ湛えぬその面にも関わらず指で強くなぞられた直後のようにくっきりと跡づけられていた」という箇所でも話者の立場が気になった。「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣」という一節のことだが、この文が書きつけられているのはフランチスカが二年ぶりに「彼」の前に現れて二度目の邂逅を果たしたその瞬間であり、そしてこの場面には「彼」とフランチスカの二人しか存在していない。フランチスカは「彼」の妻候補として二年前に三日間、屋敷に滞在したが、言葉も通じない「彼」と仲を深めたわけでもないし、そもそも「その間フランチスカと彼は一語たりとも言葉を交わさなかった」し、記述からして二人が一緒に出歩く機会があったわけでもなさそうなので、「彼」がフランチスカの「習慣」を知ることができたとは思われない。したがって、ここで話者は明らかに「彼」の視点とその知識を超えており、語り手固有の立場についている。この作品の話者は基本的に物語内の人物にわりと近く添って語りを進めるように思うのだけれど、ところどころで誰のものでもないような視点にふっと浮かび上がることがある。それをいわゆる「神の視点」と呼ぶのが物語理論におけるもっとも一般的な理解の仕方だと思うのだが、そんな言葉を発してみたところで具体的には何の説明にもなっていないことは明白で、とりわけこの作品だったら語り手は(全知全能か、それに近いものとしての)偏在的な「神」などではなく、ときにみずから問いを発してそれに答えたり答えなかったりもしてみせるのだから、語り手としての独自の〈厚み〉のようなものを明確にそなえている。それを「神」と呼ぶならば、欠陥を抱えた「神」とでも言うべきだろう。
  • あと、上に引いた箇所についてべつの事柄に短く言及しておくと、「スカーフ」という語もちょっと気になった。つまり西洋語(異国語を表記したカタカナ)がここではじめて登場したのではないかと思い、漢字を豊富に用いて固めてあった文体中のその闖入感に、ここで出してしまって良いのかなと感じたのだが、正確にはそれ以前に「シャツ」という語もすでに導入されてあった。この先どれくらい異国語が書きこまれているのかもちろんまだ知らないのだが、だんだん作中に増えてくるのだとすれば、西洋人がはじめて物語に現れたこの時点で西洋語も同時に差しこんでおくというのはむしろ適切なタイミングなのかもしれない。
  • 「果たされたのはいわば、似姿を失うことで自らの姿形が止むを得ず描き直される、そのような改まりであったのだろうか? そうではなかった。むしろ、自らの姿形そのものと見なしていたものが視界から消え去ることによって、その視界の所有者こそが他ならぬ己自身であったことを初めて感得するに至る、そのような改まりであった。無我夢中で攀じ登りつつあった石垣から両手をいきおい離したのも、あるいは自らの実存が視界の外側ににべもなく弾き出されてしまったその弾みによってであったのかもしれない」という記述はたぶん精神分析方面に絡めた読解(理解)をするならば材料として使われる部分だと思うのだが、鏡像段階理論などよく知らないし理解していないので、こちらにその知見と力はない。
  • 以下の一段落の語り方はとても良い。

 血は水よりも濃く、水は血よりも速く、いずれにせよその流れの容易いはずがなかった。水の中の虜囚となった片割れの、彼と等しく歳月を経て儚くも精悍な顔つきとなっていくのを覗き込むたびに、一列に並んで水路を静かに運ばれていく小舟の夜の情景が蘇った。夜の往路にせよ明け方の復路にせよ、決して振り返ってはならぬとする遺族の戒めは、なるほど、一家を乗せて列をなしていた舟の上でこそ確かに遵守されていた。だが、運び去られていく片割れに向けた最後の一瞥はどうだったろうか? 果たしてあれをもって掟破りではなかったかと言い切ることができるだろうか? 回顧を重ねる彼の内心で疑いばかりが否みがたく育まれつつあった。石垣を攀じ登りながらも何気なく後ろを振り返ってしまったあの一瞬にこそ全ての責があるのではないだろうか? 禁忌を踏みにじる振る舞いが神仏の怒りを買い、死者の孫息子までをもこの世から隠すに至ったのでは? およそ道理に適わぬひとつの疑いに対しては、ますます道理に適わぬ別の疑いがぶつけられた。確かに結ばれてあるはずの辻褄を次から次へと解きほぐしていく底抜けの問いを前にして、新たな結び方も見出せぬままひとえに混乱を重ねていくだけの毎日、振り返ろうとしても遡ろうとしても曖昧に煙に巻かれてしまうてんで見極めのつかぬ水浸しの記憶にそれでもなお執拗に食い下がっては、正しい線引きを施そうと回顧の目を凝らし続ける誰そ彼時の日課であった。あるいは、そのような日々の営みもまた、遺族の禁忌をじかに踏みにじる冒涜的な振る舞いではなかっただろうか? 振り返ることが禁じられているのだとすれば、なるほど、回顧を習慣とする彼ほどの罰当たりも他にはいなかった。応報は神隠しとして顕れる。ならば今度は誰が姿を隠すことになるのか? 彼は今一度振り返った。誰もいなくなってなどいなかった。そこにはフランチスカがいた。

  • 二つ上に引いた「果たされたのは(……)」のあとから、「神隠し」の夜の場面に立ち戻って「彼」の行動が語り直されたのちに上の段落に入るのだが、語り直しによる物語内容の拡張もしくは重層化を経て最終的にフランチスカの突然の登場に至る流れがとてもうまいと思う。しかも、この登場はのちになって、「彼」がある日の夕方に水路を前にして習慣的な物思いに耽っていたときの個別的な一場面だということが明らかになるというか、つまり上記にも引用したフランチスカとの二年ぶりの邂逅の瞬間に繋がっていくのだが、この段落の最後に書かれている「彼は今一度振り返った。誰もいなくなってなどいなかった。そこにはフランチスカがいた」の時点では、(これ以前に語られている彼の物思いが「日課」「習い」として提示されているわけなので)まだ具体的な時空に限定されきらないというか、どこでもないような時と場として形成されたひろがりみたいなものがあり、演出的にかなり決まっていてうまいと思う。
  • 今日のところまで『双生』を読んできてこちらに際立って感じられたのは端的に語りの卓越性であり、物事を提示する順序、情報の配置によって生み出される展開の整え方がうまく、ひとつの場面をどこまで語っておいてあとでどこから語り直すかというようなバランスが優れており、全体に物語が通り一遍でない動き方で、しかしきわめてなめらかに流れている。象徴的な意味の領域にも色々と仕掛けが施されているのだと思うけれど、それを措いても単純に物語としての面白さが強く確保されているということで、起こる出来事もそれ自体として面白いし、ごく素朴に次はどうなるのだろうと思わせて誘惑する魅力が充分にある。上にも言及したけれど、文体の面でも語りの面でも意味の面でもきちんと作品を作りこんでいこう、しっかり成型して道を整えていこうというこの姿勢は、磯崎憲一郎的な文学観、つまり言語(テクスト)自体の持つ自走性に同化的に従おうとするというか、すくなくともそれをなるべく引き寄せていこうというようなやり方に強力に対抗しているのではないか。磯崎憲一郎(ならびに保坂和志)は、作者(人間)よりも小説そのもののほうが全然偉くて大きい、みたいなことを言っていた記憶があり、それもまあもちろんわかるのだけれど、『双生』はあくまで人間主体として小説作品に対峙し、交渉し、できるところまで格闘しようというような、高度に政治的とも思えるような実直さが感じられる。ロラン・バルトの用語を借りれば、いわゆる「読みうるテクスト」を、つまりもはや書くことはできないはずの作品を、しかしどういうわけか書いてしまい、更新するような試みと言っても良いのではないか。ただそういう風に〈だけ〉理解してしまうと、これは非常にスタンダードな振舞いというか、小説家のあり方としてむしろ正統を真っ向から引き受けて継ぐ路線だろうし、いわば一九世紀的な古典に回帰するというような短絡的な反動に寄ってしまう気もするので、もうすこし考えなければならないところはあるはずだが、とはいえ保坂 - 磯崎的姿勢も、思想方面で言えばいわゆる構造主義以後、文芸方面で言えばいわゆるヌーヴォー・ロマン以後の典型と評価しておそらく間違いはないものなのだろうし、それらを踏まえた上でどのように〈もどり〉、どのように道をひらいていくかというのは、思想においても文学においてもこれからの作家が取り組まなければならないひとつの大きな課題となるのだろう。
  • 六時前まで読んで上へ。父親に急遽仕事になったと伝え、洗濯物を少々畳んでから食事。食事は父親が炒め物を二種作ってくれていたが、それはあとに回して豆腐とおにぎりとごく少量のカレードリアと、タマネギを肉で包んだものを食べる。豆腐には鰹節と生姜を乗せて麺つゆをかける。こちらがものを食べているあいだ、父親は何やらテレビの裏を掃除していた。
  • 食後は洗濯物の残りを片づけて下階に行き、歯磨きのあいだだけ(……)さんのブログを読んだ。そうしてFISHMANS "感謝(驚)"のなかで服を着替えて出発へ。玄関を抜けた瞬間から風が走って隣の敷地の旗が大きく軟体化しており、道に出ても林の内から響きが膨らんで、その上に秋虫の声が鮮やかともいうべき明瞭さでかぶさり曇りなく騒ぎ立てていて、歩くあいだに身体の周囲どの方向からも音響が降りそそいで迫ってくる。坂の入口に至って樹々が近くなれば、苛烈さすら一抹感じさせるような振動量を呈し、硬いようなざらついた震えで頭に触れてきた。
  • もはや七時で陽のなごりなどむろんなく、空は雲がかりのなかに場所によっては青味がひらいて星も光を散らしているが、普通に暑くて余裕で汗が湧き、特に首のうしろに熱が固まる。髪を切っておらず、襟足が雑駁に伸び放題だからだろう。駅に着いてホームに入ると蛍光灯に惹かれた羽虫らがおびただしくそこら中を飛び回っており、明かりのそばに張られた蜘蛛の巣など、羽虫が無数に捕らえられてほとんど一枚の布と化しているくらいだった。
  • ハンカチで汗を拭って電車を待ち、乗ると座ってメモ書き。(……)で降りて職場へ。(……)
  • (……)退勤は一〇時半となった。なんて勤勉なんだろう。しかしこんな時間まで働かなければならない世界は明確に間違っている。はやく全地球的にベーシック・インカムを実現してくれ。駅に入ると電車に乗り、固まった首をひたすら揉みほぐしながら到着を待つ。
  • 帰路の印象は特にない。帰るとやはり汗で肌が湿っていたので服を脱ぎ、帰室すると今日は休まずすぐに食事へ。新聞を読みつつものを食べていると、ソファに寝そべって多少うとうとしながらテレビを見ていた母親が、入道雲の入道ってなに、みたいなことを訊いてきて、坊さんのことでしょ、道に、仏道とかに入った人ってことでしょ、平清盛なんかも出家したからなんとか入道って呼ばれてなかったっけと答えたが、たしかに言われてみれば、なぜもくもくとした雲を指すのに「入道」の語を使うのかわからない。それで調べてみてよと頼んだところ、母親はスマートフォンに向かって、入道雲はなんで入道っていうんでしょう、教えてください、とか声をかけて、それに応じたAIがところどころイントネーションの揺らいだ女性の音声で何とかのたまうのだが、それは「入道」の語を雲に用いる由来ではなくて「入道雲」そのものの定義的な説明でしかなかったので、こいつ肝心なことに何も答えてねえじゃんと言って笑った。しかしいまはあんな風に、訊けば機械が情報を読み上げて答えてくれるような事態に至っているわけだ。実際そういう場を目にしたのははじめてだったので新鮮ではあったが、だからといってべつにとりたてて便利だとは思わない。ともかくAIはまだ求める答えをくれるほどの精度をそなえてはいないようだったのでこちらがスマートフォンを借りて普通に検索したところ、入道雲のもくもくした形が坊主の剃髪した禿げ頭に似ているからというのがひとつの解であり、加えて「入道」から派生して坊主頭の妖怪をもその語で呼ぶようになったらしく(大入道とか見越し入道とかいうのがいるらしく、海坊主も別名は海入道だ)、その妖怪の巨大なイメージも重なっているのではないかという話らしい。
  • 夕食中にはまたテレビでドラマがかかっており、新聞を読んでいる途中でふと気づいて目を向けてみると、なんか白っぽい金髪をライオンの鬣みたいに頭の周りにそなえた少年が、なぜか戦時中みたいに薄汚れた兵隊服を着た男性(博多華丸)になんとか訴えかけているところだったのだが、その演技というか声があまりにも平板で、仮にもテレビで流して人目に触れさせる正式な作品として、これでいいの? と思ってしまった。大きな声で感情的に叫ぶところなので、作法としてはむしろ大仰さに属する場面なのだが、その叫びの調子が本当にただがなり立てているだけというか、声色にせよ発語にせよ見事なまでにまっすぐな一本調子で、大げさに感情的であるにもかかわらず抑揚のない平板なわざとらしさに結実しているという、もしかしたらある意味で珍しいのかもしれない事態を目撃することになったのだ。短くいえば端的にものすごく大根役者だったということなのだが、そういういわゆる「熱血バカ」的なキャラクターとして造型されているにせよ、制作側はあんな調子で本当に良いと思ったのだろうかと疑問を禁じえない。
  • そのあと入浴し、湯のなかでひたすら首やら肩やらを揉みほぐして時間を使い、出てくると帰室してこの日の日記を綴ったのだが、『双生』の感想を書くのに時間がかかってしまい、二時間四〇分ほど費やしてもそこまでしか記せなかった。それからインターネットを閲覧して、五時前にベッドに移るとジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)をいくらか読んでから就寝。書抜きができていないのがよろしくない。

2020/9/10, Thu.

 証言のうちに証言不可能性のようなものがあることは、すでに指摘されていた。一九八三年、ジャン=フランソワ・リオタールの著作『ディフェラン〔文の抗争〕』があらわれた。それは、ガス室の存在を否定しようとする論者たちの最近の主張を皮肉まじりに取りあげて、そこにひとつの論理的パラドックスがあるのを確認することでもって始まっている。

言葉の能力をそなえた人間たちが、それがどういう状況であったのかをもうだれも報告することができないような状況に置かれていたことが知られるようになった。その大部分は、その時に死んでおり、生き残った者も、まれにしかそれについて話さない。たとえ話したとしても、かれらの証言は、この状況のうちの取るに足りない部分にしか触れていない。となると、この状況そのものが実在したのかどうかは、どうすればわかるというのだろう。報告者の想像力の産物ということはないのだろうか。その状況そのものが実在しなかったか、あるいは実在したとしても、その場合には報告者は死んだか沈黙しているはずであるから、報告者の証言はにせものであるか、のどちらかである。〔……〕ガス室を自分の目でじっさいに見たということが、それが実在すると語る権限を報告者に付与し、信じない者たちを納得させる条件であろう。しかし、報告者は、ガス室を見た瞬間にそれに殺されたことも証明しなければならないだろう。そして、それに殺されたことについての唯一認めうる証明は、死んだという事実によって提供される。しかし、死んだのであれば、それがガス室のせいであることを証言できない。(Lyotard, J.-F., Le Différend, Minuit, Paris 1983.(陸井四郎・小野康男・外山和子・森田亜紀訳『文の抗争』法政大学出版局、1989年), p.19)

 その数年後、イェール大学でおこなわれた調査のさいにショシャナ・フェルマンとドーリー・ラウプはショアーの概念を「証人のいない事件」として練りあげた。そして一九八九年、この二人の著者のうちのひとり〔フェルマン〕が、この概念をクロード・ランズマンの映画〔『ショアー』(一九八五年)〕にたいするコメントの形でさらに発展させた。ショアーとは、二重の意味で証人のいない事件である。というのも、死の内側から証言できる人はおらず、声の消失のために声は存在しないがゆえに、ショアーについて内側から証言することは不可能であり、外側にいた者は、定義上、事件の現場から排除されているがゆえに、それについて外側から証言することも不可能だからである。

〔……〕外側から真実を語ること、証言することは、じつは不可能である。しかし、すでに検討したように、内側から証言することも不可能である。わたしが思うに、この映画全体の不可能な立場と証言の努力は、まさしく、もっぱら内側にいるわけでもなく、もっぱら外側にいるわけでもなく、逆説的なことに、外側にいると同時に内側にいる[﹅14]ということにある。この映画は、戦争中には存在しなかったし今日もなお存在しない橋を内側と外側のあいだにかけようとする。両者を接触させ、対話させるために。(Felman, S., À l'âge du témoignage: Shoah de C. Lanzmann, in AA.VV., Au sujet de Shoah, Belin, Paris 1990.(上野成利崎山政毅細見和之訳『声の回帰』太田出版、1995年), p.89)

 この内と外のあいだの無区別な閾(あとで見るように、これは「橋」でもなければ「対話」でもない)こそは、証言の構造の理解に導くことができたかもしれないにもかかわらず、この著者が問い忘れているものである。反対に、わたしたちは、分析というよりも、歌の比喩に頼ることによって、論理的不可能性から美的可能性にいたる横すべりに立ち会わされることになるのだ。

この映画において証言の力を生み出し、この映画全般の力の源となっているものは、言葉ではなく、言葉と声のあいだの曖昧で人を困惑させるような関係、言葉、声、リズム、旋律、イメージ、文字、沈黙のあいだの相互作用である。証言はどれも、その言葉を越えて、その旋律を越えて、比類のない歌の上演のように、わたしたちに語りかけてくる。(p.139f)

 歌という急場しのぎの解決策[デウス・エクス・マーキナー]によって証言のパラドックスを説明することは、証言を美学の対象にすることに等しい。これは、ランズマンがやらないように気をつけていたことである。詩も歌も、不可能な証言を救出しようとして介入することはできない。反対に、証言のほうこそが、もしできるとすれば、詩の可能性を基礎づけることができるのである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、42~45)



  • 一〇時半ごろすでに覚めていたのだが、起床に至れず肉体の重みに苦しみながらたびたび意識を落とし、最終的に離床は一時半を迎えた。頭のほうに麻痺的な鈍重さがあってかなり淀んでいるような感じだったので、ここまで起きられなかったのは単なる疲労とか怠惰とかに加えて薬を飲んでいなかったこともあるかもしれないと考えて、セルトラリンを一粒服薬しておいた。前回の服薬は九月三日だったのでちょうど一週間ぶりということになる。
  • やはり就寝と起床をもうすこし早い時間にずらしていかなければならないだろう。時々によって、いやもういいわ、自分の身体の導きに従うわと思ったり、やっぱりもうすこし(世間一般的に言われる)「規則正しい」生活にしなくてはと思ったりするのだが、最近はまた後者の思いに傾いてきている。いつまでものうのうと寝ているのではなくてもういくらかは早く起き、読み書きだけでなく家事などの面でも自分にできることを多少はやっていかねばならないと。
  • 上階に行き、父親が作ってくれたというカレーを食す。なかなか美味かった。テレビはなんらかの映画で、兵士の格好をしたイスラームの信仰者がアッラーの語を口にしながら自爆テロを行うさまなどが見られたが、あとで新聞の番組欄を見たところ、これは『キングダム/見えざる敵』という作品だったらしい。Wikipediaによれば監督はピーター・バーグ。全然知らないが、制作にマイケル・マンという名があり、こちらの名前はなぜか知っている。ほかに見覚えのある名前はまったくない。
  • かたわら新聞を読んだが、どうも精神が拡散気味というか、志向性が文字にうまく集束しないような感じがあった。食後は風呂を洗い、緑茶を持って帰室。コンピューターの起動やソフトの準備を待つあいだ、ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)を少々めくる。そうして今日もスピッツ『フェイクファー』を流したが、このアルバムもそろそろ飽きてきた。ウェブを瞥見したのちに歯磨きしながら2019/8/3, Sat.のみ読み、それから今日のことをここまで記録。
  • 今日も勤務で五時過ぎには出る必要があった。時刻はすでに三時半前、外出前にはとにかく一時間くらいは脹脛をほぐして身体を軽くしておきたい。だからもうあまり猶予はないわけだが、それでも復読もしたかったので、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』とともに「英語」及び「記憶」記事から文を音読した。とはいえ「記憶」のほうは面倒だったので一項目のみ(118番)、それも二回ではなく一回である。そうしてベッドに逃避。ウェブを回ってだらだらしたのち、三宅誰男『双生』(仮原稿)を一五分だけ読み進める。「~であった」という終止がやはり多いと思う。とりわけ、長々しい修飾のあとに「(名詞)であった」と締められるときに独特のうねりと集束感みたいな、ほかではあまり遭遇しないリズム(律動)がある気がする。
  • FISHMANS "なんてったの"および"感謝(驚)"を流して一〇分だけ運動。「胎児のポーズ」を取って身を締めるように丸め、全身を和らげるのが良い。そのあと着替えて荷物を整えて上へ。母親が送っていこうかと言うが遠慮し、トイレで用を済ませてから出発。道を歩いているあいだに、今日のまどろみのなかで靴の欠ける夢を見たことを思い出した。現実にそうしているように靴べらを使って革靴を履いたのだが、足が収まったあとに見てみると靴の背というのかなんというのか、本でいうところの背にあたる部分、要するに踵に接する部位が上から欠けていることに気づいたのだった。踵を支えるために靴べらを差しこんだ際に、下に向かって圧をかけすぎて縁のあたりが破れたというか剝がれたというか割れたというか、ともかく損傷したような具合だったらしい。革靴の色は現実の明るい褐色とは違って真っ青だった、とそういう一断片があったのだが、昨日だかに見たギターのペグがひとつ取れた夢と合わせてこれらは「欠如」や「破損」のテーマである。となると通俗的想像力に沿うならば、これはこちらがなんらかの欠如感もしくは不満を抱えているとか、あるいは何か不安に思っていることがあるとか、そういう夢解釈になるのだろうけれど、夢というものがそんなにわかりやすい象徴的論理に従っているはずがなかろうと思う。
  • 落日の陽射しはない。空気に粘りも摩擦感もなく、さらさらと肌に同化して馴染む調子だ。坂に折れるところでちょっと空を見やったのだが、こびりついた雲に囲まれかたどられた小さな青が、特に珍しい景色でないが印象的で、というのは、そこには実際上何も存在していないからこそ青さが明瞭にあらわれているのだが、色の均一さ一様さがあまりにもなめらかなために、その純然たる空白がかえって高密度の充実感覚をもたらすのだった。空に対して「湛える」という動詞を使うのはそういうことなのだろう。涼しげな空気だと思ったところが、よほどゆっくりでも坂を上っているうちにやはり汗が滲んでくるのを避けられない。上り坂を踏むというのは、どうしたって肉体が多くのエネルギーを使うのだろう。
  • 駅の階段を行けば西空では無秩序な雲の縁がもう遠い陽を受けてほの明るんでいた。ベンチに就くとハンカチで首や腕や胸元を拭ってからメモをはじめた。電車内でも立ったまま続けて(……)に到着。今日も小学校の横の坂道を高校生らが下ってきており、昨日よりも人数が多くて八人か一〇人くらいはいたように見えたし、男子の姿もあったような気がする。いったいなぜあんなほうから現れるのか、何の理由や用事があるのか見当がつかない。
  • 職場。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 一〇時過ぎに退勤。駅に入ると電車に乗り、扉際で待つ。最寄りで降りたのち、帰路の記憶は特にない。帰ると母親は入浴中、父親はソファで歯磨きしており、テレビには「エイトブリッジ」とかいう芸人が映っていた。手を洗って自室に帰るとベッドで一時間弱休み、一一時半になって食事へ。夕飯はカレーの残りやスンドゥブなどである。新聞夕刊の音楽面を見ると、アルカトラズが三四年ぶりだったかで新作を出したといい、グラハム・ボネットがインタビューを受けていたが、グラハム・ボネットとかまだやってたのかよという感じだ。全然知らなかったが、二〇〇〇年くらいからアルカトラズとしてライブを続けていたらしい。新作にはChris Impelliterriとかが参加しているというが、さすがにYngwie Malmsteenは関わっていないようだ。Yngwieっていま何やってんの? Steve Vaiに話を持ちかけたら即座に六〇曲くらい聞かせてくれて、気に入った曲はどれでも使ってくれていいと言われたとBonnettは話しており、Steve Vaiのこの仕事ぶりと気前の良さはすごい。ハードロックに傾倒していた高校時代だかに読んだインタビューで、集中すると一日二日くらいは飲まず食わず眠らずでずっと仕事を続けると言っていた覚えがあるし、たしか『Real Illusions』を出した当時の「ヤングギター」誌のインタビューではないかと思うが、一時期は自分にしか理解できない言語で日記を書いていたとも語っていた記憶があって、わりと頭のおかしい方面の人間のようだ。紙面下部の小さな新譜紹介の端には碧海祐人という人が取り上げられており、ジャズ風味の混ざったシンガーソングライターだとかいう話で、石若駿が参加しているというのでちょっと気になる。Alan Hampton的な方向性か?
  • 食後、入浴しながら職場で提案した講師アンケートの構成案を考える。作ってくださいよと言われたのには明確に嫌ですと断っておいたのだが、こんな感じでどうですかという骨組みを提示するくらいはやっても良い。それを参考にして実際の用紙作成は(……)さんにやってもらうというつもりだ。とりあえずアンケート本篇は三分野に分けたほうが良いかなと思っているが、質問の文をどういう文言にするかというのも考えてみるとなかなか難しいところだ。
  • 室に帰ると茶を飲みながら(……)さんのブログを読んで、それから今日の日記を書いたのだけれど、身体が固くて集中できなかった。それを措いても最近はちっとも記事を完成させられていないし、溜まっている日の記述が全然解消できていないわけで、マジでやばいなというか、どうにかうまい方法を考えないとマジで一生記述が生に追いつかずにその距離がひらくばかりだなという感じ。そうは言っても急いで書きたくはないので、それなら書く内容を減らすしかないのだが、それもまた気は向かない。

2020/9/5, Sat.

 「責任(responsabilità)」という語の起源をなす spondeo〔請け合う〕というラテン語の動詞は、「ある者(あるいは自分自身)のために、ある者の面前で、あることの保証人となること」を意味する。したがって、婚約の場面で、父親が spondeo という文句を口にしたなら、求婚者に自分の娘を妻として与えることを約束すること(このため、その娘は sponsa〔婚約者〕と呼ばれた)、あるいは、もしそうならなかったなら賠償を確約することを意味した。じっさい、最古のローマ法においては、自由人は被害の補償あるいは義務の履行を保証するために自分が人質になること、すなわち捕虜になることを買って出ることができるのが習わしで、この捕虜の状態をもとにして obligatio〔義務・抵当〕という語が生まれている。(sponsor〔保証人〕という語は、債務者(reus)の代理をして、不履行の場合にはしかるべく弁済することを約束する者を指していた)。
 したがって、責任を負うというふるまいは、純粋に法律的なものであって、倫理的なものではない。それは高貴で輝かしいものはなにもあらわしておらず、ob-ligarsi〔或るものに自分を縛りつけること〕をあらわしているにすぎない。すなわち、法律上の拘束が責任者のからだにいつまでもまといついているという見方のもとで、債務を保証するために捕虜として自分の身柄を引き渡すことをあらわしているにすぎない。そうであるがゆえに、そのふるまいは損害の責任を負うことを意味する culpa〔罪〕の概念と緊密に絡まりあっているのである(このためローマ人は自分自身にたいする罪がありうることを否定したのであった。quod quis ex culpa sua damnum sentit, non intelligitur damnum sentire〔ある者が本人のせいで損害をこうむった場合は損害をこうむったとは解されない〕――すなわち、自分のせいで自分自身にたいして引き起こす損害は法律にはかかわりがないのである)。
 (……)
 イェルサレムの裁判のあいだ、アイヒマンの弁護側の一貫した路線は、かれの弁護人のローベルト・セルヴァティウスによって以下の言葉をもって明確にあらわされていた。「アイヒマンは、神の前では罪を感じているが、法律の前ではそうではない」。じっさい、アイヒマンは(かれがユダヤ人大量殺戮に関与したことは、起訴状によって主張された役割とはおそらく異なった役割をかれが担ったにせよ、十分に立証された)、「ドイツの若者たちを罪の重荷から解放する」ために「公衆の面前で自分で自分を縛り首にする」ことを望むとまで公言した。それでもなお、かれは最後まで、神を前にしてかれが負っている罪(かれにとって、神はHöheren Sinnesträger、すなわち、より高い良識の担い手にすぎなかった)は法律的には訴追できるものではないと主張しつづけたのであった。これほどまでに執拗に主張された区分法がもっている唯一ありうる意味は、道徳的な罪を引き受けることは被告の目からは倫理的に高貴なことに見えたが、その一方で、かれは法律的な罪(倫理的な観点からすればはるかに軽微であったはずの罪)を引き受けるつもりはなかったということである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、23~25)



  • 一時四〇分離床。一時ごろには覚めていたが、例によって首周りなどを指圧してから起きる。上階へ行き、素麺と天麩羅で食事。テレビは関西出身のタレントが関西弁やあちらの人々の精神性などについて語るバラエティで、ちょっと標準語を使っただけで地元の人には「魂売った」とけなされると言っていた。これは先日MUさんもWoolf会で話していた現象だが、こういうときにやはり「魂」という語(観念)が、すなわち「ソウル」が出てくるわけだ。ほかには、赤江珠緒というアナウンサーの幼少時のエピソードとして、蟬を捕まえるのが大好きで捕らえた蟬はパンツのなかに次々に入れていき、下半身をジュワジュワ鳴らしながら帰宅するのが常だったと話されたのが面白かった。
  • 食後、皿と風呂を洗うと蕎麦茶を持って帰室。スピッツ『フェイクファー』を流してウェブを覗いたあと、ここまで記録。今日は八時から「A」の会合があるのだが、それまでに課題書のホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を全部読みきることはできないだろう。昨日サボってしまったのがまずかった。これから読めるところまでは読み進めておくつもり。
  • そういうわけでベッドに移ってホフマンスタールを読みはじめた。本来だったらすこしでも多く読み進めておくべきなのだろうが、もう最後まで読みきれないことはわかっているので、「帰国者の手紙」まで読めればそれで良いだろうとかえって鷹揚な気になって、読書ノートにメモなど取りながら悠長に進めた。そのうちに、予想されたことで睡魔に襲われ、意識を海月のように曖昧化してしまい、気づけば六時前だからもう食事を用意せねばならない。と言ってチキンも天麩羅も残っているので、米を炊いて汁物でも作ればそれで良かろうと見込んでいた。
  • 上階に行き、笊に米をすくい取っていると両親が帰ってきた。米を磨いだあと、ナスを切って水に晒し、鍋は火にかけて味噌汁を作る用意を整える。母親がかたわらで小松菜も出したのでそれも茹で、ナスも小鍋に投入してしばらく待つと味噌を溶いた。そうしてもう食事へ。チキンや天麩羅や炒飯を温めて卓に並べ、新聞の国際面を読みながら平らげると食器を片づけ、母親が買ってきてくれた静岡茶をさっそく注いだ。茶壺に入れた茶葉のにおいを嗅ぐ限りではそんなに期待できないような気がしたのだが、部屋で飲んでみると穏やかでそう悪くない味だった。
  • 時刻は七時、会合までに「帰国者の手紙」を読み終えておこうというわけでホフマンスタールを取り、文を追いながらノートにメモ書きを記した。そうしてそのうちに全部は読めなかったと謝っておこうかとLINEのグループを見ると、申し訳ないが体調が悪いので延期にしてもらいたいとUくんが発言していたので、ほかの人たちに同じて大丈夫だと応じておき、とにかく眠って力を回復させてくださいと言を送った。とはいえせっかくなのでホフマンスタールに限らず何かしらくっちゃべることはしたいと思い、雑談してくれる方はいるかと呼びかけたものの、Iさんも台風のせいなのか頭痛がするので欠席と言い、ほかの二人からは返答がないのでこれは今日は不開催だなと見切りをつけて運動をはじめた。BGMはスピッツ『フェイクファー』の残りとFISHMANS『Oh! Mountain』。やはりとにかく肉の筋を伸ばすか揉みほぐすかのどちらかが絶対に必要である。今日は久しぶりに「胎児のポーズ」もやったが、これは腰周りや太腿などをほぐすのに絶大な効果がある。また、五キロのダンベルを持って腕の筋肉も温めたのだけれど、これもなるべくなら毎回やったほうが良い。べつにムキムキになろうなどという欲望はなく、ただ筋肉をあたためほぐしたいだけなので、一定の形でダンベルを持って音楽を聞きながら静止しているだけで充分だ。
  • そうして八時半を回って入浴へ。風呂場でも下半身を和らげたり、壁に手をつきながら腰をひねったりしてから湯に入る。片手でおなじ側の足首を持って上体のほうへ引きつける柔軟が、うまくやれば腰上の背面も伸ばせて良いと気づいたのだが、それをやっているだけで背中から汗の玉がだらだら湧いて肌の上を転がるのだった。
  • 風呂から出てくると一年前の日記の読み返し。過去の記録の確認もずいぶん遅れており、七月後半で止まっている。MさんのブログもSさんのブログも書抜きも何もかも遅れているが、もはや頓着はしない。結局のところ、心身がそれらのほうに向いたときに行うのが一番良いと悟ったので、毎日必ずこれをしなければという考え方はやめた。一応、書き物は毎日欠かさず、わずかばかりでも書けているとは思うが、それだってもういいやと思ったらやめれば良い。過去の日記は2019/7/23, Tue.から三日分読んだ。七月二四日の冒頭の書抜きは九螺ささら『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房、二〇一八年)で、「畳まれた浮き輪はたぶん比喩でしょう頑張れないまま死ぬことだとかの」(128)という一首がちょっと良かった。
  • そうして何をしようかなと迷ったのだが、とりあえず今日のことは書いておくかというわけで、FISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなかで日記を記述。かなりゆっくりと静かな指やからだの動きで急がず書けていて良い。常に心身の静けさを保つということがやはり重要である。いや、間違えた。今日のことを書く前に「英語」と「記憶」を音読したのだった。復読も今日はわりと目の前の言葉と一体になるというか、そこにある語の連なりをひとつひとつしっかり追うというか、受け取れるものは全部受け取るぞみたいな集中感でできたので良い。言葉にせよ音楽にせよそれに触れるときには、目の前にあるものを食い尽くすみたいな鋭く静謐な獣性めいたものがやはり必要だと思う。それで一〇時過ぎから日記をはじめて、FISHMANSのあとはArt Tatum『The Tatum Group Masterpieces: Art Tatum/Red Callender/Jo Jones』を流したのだけれど、古典的ではありながらもやはりさすがと言うほかないトリオで、古き良き時代のジャズのもっとも上質な部分という感じ。とりわけRed Callenderが良かったので、興味を抱いてAmazon Musicで音源を検索してしまった。
  • Amazon Musicをうろついているうちに一一時を迎えてしまったのだが、一方でArt Tatumのアルバムがきちんと聞けなかったというか、一曲終わって次の曲に移るときになぜかWinampが停まるという事態に陥って、これは一曲目から二曲目に移るときだけそうなるのかと思ったところが二曲目から始めてもおなじことになった。そもそもいまだにWinampなんていう時代遅れのプレイヤーを使っている人間などもはやほとんどいないのだろうし、iTunesにでも鞍替えするべきなのかもしれないが、とりあえずコンピューターを再起動してみることにして、機械を停止させるとベッドに転がった。そうしてふたたびホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読む。まず「道と出会い」という短いエッセイ。「旅行案内書の欄外」に書きこまれていた過去の自分の書抜きを発見するところから始まって、そこに含まれていた「虚空にのこる鳥の飛跡」という言葉にまつわって「黒い稲妻」のような燕たちの描写も挟みつつ、「出会い」にまつわる小論をぶってみせる流れは悪くない。何より、「光あふれる晴れやかなこの数日、鳥の飛ぶさまはすばらしいものであり」と最初に書き出すことで晴れ晴れしい天気の模様が一篇の背後に敷かれ、燕の描写もあいまってそれが篇の風通しを良くして思念偏重に陥ることを防いでいる。その後、典拠不明の引用に含まれていた「アギュール」という名前の主は、自分が夢のなかで見たあの男だろうと言ってその「夢」の描写に移行するのだけれど、そのような展開もそこそこ面白いというか、こういう繋ぎ方ができるのだなという感じだ。ただ、そこで語られる「夢」の内容自体はいかにも典型的なオリエント風のイメージに収まっていて大したものではないと思う。実際、訳者の付記によれば「アギュール」というのは旧約聖書箴言」の三〇章に出てくる人物だと言い、その名が含まれた冒頭の引用のほうはマルセル・シュウォブ『雑録集』(一八九六)からのものらしい。
  • そのあと「美しき日々の思い出」にも入っていくらか読み進めたが、こういう一応紀行文の体裁を取ったエッセイ的散文がこの本のホフマンスタールにあっては一番面白いような気がする。最初のほうの小説は奇妙な感覚を与えはしたものの形としてこなれてはいないし、「ルツィドール」になると今度は普通の安定した堅実な小説に収まっている。二つ目のパートに収録されたもろもろの「手紙」や「対話」はもちろん手紙の主の自分語りか対話篇であり、具体的な描写や空間の動きなどがあまり取り入れられず、思想や観念を説明することに偏りがちで、そうするとなんだか読んでいてあまり流れないというか、もうすこし物語か風景みたいなものが欲しいなという気持ちになってしまう。そのあたりのバランスが一番良く揃えられているのが紀行文形式なのではないかという気がしたのだ。
  • またしても途中でまどろみながらも、一時半前まで書見を進めた。それからコンピューターを点け、日記を書きながらふたたびArt Tatum『The Tatum Group Masterpieces: Art Tatum/Red Callender/Jo Jones』を流したのだが、やはり曲の移行時にWinampが停まるので、上に記したとおりiTunesにプレイヤーを変えることにした。Winampよ、いままでよく頑張ったが、貴様はもはや用済みだ。そういうわけで更新をせずに放置していたiTunesを最新版にアップデートし、いま流してみているが、これでiTunesまでも曲の移行ができずに停止したら笑えるぞ。
  • そんなことはもちろんなかった。忘れていたが夜半前から雨が激しくはじまって、ヘッドフォンをつけていても覆いをくぐって響きが耳に侵入してくるくらいで、窓を閉めていてそれだから規模がわかる。二時を越えると台所に行っておにぎりや味噌汁などの夜食を用意したが、からだを動かしながら、よくヴィパッサナー瞑想とかマインドフルネスの方面で「いまここ」の瞬間に最大限集中して注意を払う、みたいなことが言われるけれど、「瞬間」なんてものは本当はないのではないかと思った。「瞬間」とはおそらくまずもって幅のある時間との対比で、そのなかにおける位置づけとしてしか認識されないものだと思われるから、時空を「瞬間」という小片として捉える認識様態自体が回顧的なものであらざるを得ないというか、要するに(その幅がどんなに微小であれ)「現在」を通り過ぎたあとの地点から振り返る形でしか「瞬間」という形象は発生しないのではないかと思われ、本当に「現在」に内在しているときにはその「現在」は「瞬間」というよりはむしろ「全体」なのではないか。そして、この世の時空にはその都度その都度の「全体」、その流動的な生成 - 変身の繰り返ししか存在しない……。いや、その時空の連続性(のように見えるもの)をどのように(どのような形態として)理解すれば良いのかはまだわからないが、「現在」が「全体」であるというところまではたぶん確かではないかと思われ、ベルクソンが(例の「純粋持続」とかいう観念でもって)言ったことは大体そんなことなのではないかと推測する。
  • 二時半過ぎから書抜き、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)。167: 「愛と言語の作業とはまさしく、おなじ文につねに新しい調子をあたえることだと考えられる。そうして、記号の形態は繰りかえされてもシニフィエはけっして繰りかえされることがないという驚くべき言語を作りだす。言語(と精神分析学)がわたしたちの情動すべてに刻みつける残酷な〈単純化〉にたいして、話者と恋する者がついに打ち勝つ、という言語を作りだすのである」
  • 新聞記事の書抜きもすると台風のせいなのかインターネット回線が切れたので、回復を待つあいだに瞑想をした。窓をほんのすこしだけ開けたが、外にはもちろん雨音が満ちており、雨粒が空間を隅々まで埋め尽くしているなかをかき乱すように風も走って、大気の様相が高まっては静まって常に変成しているのが聞き取られる。そのなかで二種類の虫の声だけが不変の常数として宙を貫いており、そのひとつは八分音符を一瞬の間断もなくひたすら叩き続けるもの、もうひとつはそれよりわずかに速いテンポで何音かを刻むと一、二音分の休符を置いてすぐにまた鳴きはじめるというものである。雷も何度か聞こえ、最初の鳴りは押入れのなかで誰かがゴソゴソやっているような弱くくぐもった音だったが、そのあとにはトンネルを造るためにはるか遠くの山を爆破しているような太めの響きが伝わってきた。
  • 205: (ホテルの水差しや洗面器など)「ごくふつうのもの」が「現実離れし」、「幽霊じみて」見える。
  • 206: 「辻馬車の幽霊」を見て「軽い吐き気」を感じた。
  • 206~207: 「木」を目にすると、「永劫の無」あるいは「非在」から「風」が、「生ならぬものの息」が吹き寄せてくる。
  • 207~208: 「汽車の窓」から見える世界は「この世ならぬほどうつろ」で、そこに宿っている「生ならざるものは恐ろしい」。
  • 209: さまざまなものが「幽霊のごとき生ならぬ生」の「戯画としか見えず」、それは「金」に対する「嫌悪感」を引き起こす。
  • 212~213: ゴッホの絵には、「対象の奥にひそむ命が現前していた」。それは、「物の存在のずっしりとした重み」、その「不可思議」であり、そこではどんなものも「ひとつの実在」となっている。
  • 213: 「ぼくの魂にじかに語りかけたこの言葉」 → 121: (チャンドス卿における)「物言わぬ事物が語りかけてくる言葉」?
  • 219: 「物の色がぼくを支配するふしぎな時間がある、と言わなかったろうか。だがむしろ、ぼくの方こそが色を支配する力を手に入れるのではないだろうか」。 / 「奈落にも似て奥深い無言の神秘」: 「奈落」=無音性。 → 206: 「辻馬車」を見たとき、「底知れぬ奈落のうえ、永劫の空無のうえをつかのま漂うようだった」。
  • 220: 波や船などの「事物のうちに、全世界のみならず、ぼくの生のすべてが含まれているように思えた」。
  • 220~221: 「生のすべてが、過去が、未来が、尽きることなき現在のうちに泡だちつつ、ぼくにむかってうごめき寄ってきた」。
  • 221: 「色」は「一種の言葉」、「そのうちに無言なるもの、永遠なるもの、とてつもないものの立ちあらわれてくる言葉」であり、それは「音よりも崇高」なので、色に比べるならば音楽なぞ、恐るべき太陽の生のかたわらにおかれた弱々しい月の生のようなもの」に過ぎない。
  • 221: 「ぼくは、こうしたことすべてから何も感じない粗野で鈍い人間と、ぼくがただ呆然として眺めているほかない徴をさっさと解読してその意味を知ってしまう教養ある魂の持ち主との、ちょうど中間あたりにいるのかもしれない」。
  • 221~222: 「こうこうたる炎をちりばめた南方の空は、じっさい、まれにときおり、ぼくの全存在が静まりかえった水面のようにふくらみ昂まってゆく夜には、とほうもない約束となり、そのもとにあっては死ですらオルガンの響きのように砕け散ってしまうように思えたものだ」: 「ぼくの全存在が静まりかえった水面のようにふくらみ昂まってゆく夜には」、「死ですらオルガンの響きのように砕け散ってしまう」。
  • 222: 「言葉もなく身を閉ざしてぼくの前に横たわり、ただ重圧感とよそよそしさしか感じさせないものが、ふいに身を開き、愛の波に包むかのようにぼくをひとつに絡めとってしまうとき」、「ぼくは事物の内部にあってただひたすら一箇の人間に、あとにもさきにもないくらい自分自身になりきっているのではないのか」。
  • 223: 「ひとりきりになりながらもおのれを見失うことなく」、「名もなく」なりつつも「幸福」である。
  • 228: 「思うに、抱擁ではなく、出会いこそが、ほんとうの、決定的な愛のしぐさなのだ」。
  • 237: 「カタリーナが右手に眼をやると、サンソヴィーノの館があり、あの列柱、あのバルコニー、あの歩廊があり、夕方の光と影がそれらから、現実のものとは思えない情景――夜と昼とをともに招く祝祭の静かな始まりをつくりだしていた」: 「夕方の光と影」、「夜と昼とをともに招く祝祭の静かな始まり」。
  • 246: 「それは眠りであり、また、たえずあたらしい夢のなかへとあらたに目覚めてゆくことであり、所有にして喪失だった」: 「たえずあたらしい夢のなかへとあらたに目覚めてゆくこと」。
  • 247: 「眠りはすっかり滑り落ちて、石の床が素足に心地よく触れ、水差しからは、生きたニンフのように水がわれみずから躍り出た」: 「われみずから」。
  • 247: 「白い紙はあふれる朝の光にかがやき、言葉で埋めつくされたがっていた。おまえの秘密を教えてくれるなら、そのかわりに幾千もの秘密を教えよう、というふうに」。
  • 253: 「野薔薇の生籬[いけがき]にはさまれた道が長くつづいた。眼前を小鳥が一羽飛び去った。薔薇の花のひとつが落とす影よりも小さかった」。
  • 「帰国者の手紙」においては、事物がひどく「うつろ」に、非 - 生命的に恐ろしく映る事態と、「対象の奥にひそむ命」、物の「実在」感とがまざまざと差し迫ってくる事態の二つが言及されており、この二種の認識様態はどちらも日常的な知覚のあり方から解離したものという点で共通しているが、その方向性は真逆だと言って良いのだろう。前者から後者への転換を成したのはゴッホの絵画の力であり、したがって端的に「芸術」の力だということになるだろうが、本当はそのあたりのよりこまかい理路を追うべきなのだと思う。すくなくとも前者の認識様態は「金」に対する「嫌悪」と結びついているわけだから、資本主義的文明に対する反感というか、それへの馴染めなさ、つまりはそこからの疎外がひとつの要因としてはあるはずだとひとまず考えられる。
  • ホフマンスタールにおいては「見る」こと、つまりは視覚こそが世界との合一感を成し遂げる特権的な回路であり、「見る」ことを通してこそ、「事物のうちに、全世界のみならず、ぼくの生のすべてが含まれているように思えた」り、「生のすべてが、過去が、未来が、尽きることなき現在のうちに泡だちつつ、ぼくにむかってうごめき寄ってきた」りする。こうしたいわゆる主客合一、主体が世界のうちに溶けこみ融合するというテーマは、文学・哲学・宗教の分野ではありふれたもので、ここで語られていることは先日Woolf会で話題に上がった時間認識、一瞬のなかに世界のすべてが凝縮されているような高密度の〈瞬間〉という様態と相応しているだろう。ただこの本で重要なのは222から223にあるように、主客合一がなされるとき、自分は「事物の内部にあってただひたすら一箇の人間に、あとにもさきにもないくらい自分自身になりきっているのではないのか」とか、「名もなく」なってしまうとか述べられていることで、つまり、自己のアイデンティティが溶け消えて固有名を消失した地点でこそ、まさしく「一箇の人間」に、この上なく「自分自身になりきっている」という逆説的な論理が提示されている点にこそこちらは興味を覚える。〈存在〉そのものへの回帰のヴィジョンというか、そこから(再)発生してくる自己の本来性というか。
  • あとは246にある「たえずあたらしい夢のなかへとあらたに目覚めてゆくこと」というフレーズがやたら良く感じられる。作品のタイトルにでもできそうだ。


・読み書き
 15:17 - 15:27 = 10分(2020/9/5, Sat.)
 15:31 - 17:53 = 2時間22分 - 1時間(まどろみ) = 1時間22分(ホフマンスタール: 204 - 218
 19:05 - 20:04 = 59分(ホフマンスタール: 218 - 224)
 21:17 - 21:34 = 17分(日記)
 21:35 - 22:01 = 26分(英語 / 記憶)
 22:03 - 23:05 = 1時間2分(2020/9/5, Sat.)
 23:20 - 25:23 = 2時間3分(ホフマンスタール: 226 - 242)
 25:28 - 26:04 = 36分(2020/9/5, Sat.)
 26:36 - 27:27 = 51分(バルト/新聞)
 28:38 - 28:59 = 21分(Rodriguez)
 28:59 - 29:32 = 33分(ホフマンスタール: 242 - 254)
 計: 9時間40分

・音楽

2020/9/3, Thu.

 一九八三年、エイナウディ出版社はレーヴィにカフカの『審判』の翻訳を求めた。『審判』については無数の解釈がおこなわれているが、いずれも、それの政治的予言としての性格(絶対悪としての現代の官僚機構)、あるいは神学的な性格(裁判所は知られぬ神とされる)、あるいは伝記的な性格(有罪宣告はカフカが苦しんでいた病のこととされる)を強調している。法律がもっぱら裁判の形で登場しているこの本に法律の本性についての深い洞察が含まれていることは、ほとんど指摘されていない。法律の本性は、ここでは、一般に考えられているような道徳規範というより、判決、ひいては裁判なのである。しかし、法律の――あらゆる法律の――本質が裁判であるのなら、あらゆる法律(およびそれに汚染されている道徳)は裁判の法律(および裁判の道徳)にすぎないのなら、法律の執行も違反も、無罪も有罪も、遵法も不従順も、どれも同じことであり、意味を失ってしまう。「裁判所はおまえになにも望んでいない。おまえが来るときは迎え入れ、おまえが去るときは去るがままにする」。法律の究極の目標は判決を産出することであるが、判決は罰するつもりも報いるつもりもない。正義をおこなうつもりも真理を確保するつもりもない。判決そのものが目的なのであり、言われてきたように、このことに、それの神秘、裁判の神秘がある。
 判決のこの自己言及的な本性から導き出すことのできる帰結のひとつは――じっさいにもイタリアのさる偉大な法律家〔サルヴァトーレ・サッタ〕は導き出しているのであるが――、刑罰は判決から生まれるのではなく、判決そのものが刑罰であるというものである。「刑罰をともなわない判決はない(nullum judicium sine pœna)」。「むしろ、あらゆる刑罰は判決のなかにあるといってもよいであろうし、禁固や処刑といった刑罰の行為は、いわば判決の延長としてのみ重要であるといってもよいであろう(「処刑する(giustiziare〔「判決(giustizia)」から派生した語〕)」という言葉を考えてみていただきたい)」(Satta, S., Il mistero del processo, Adelphi, Milano 1994., p.26)。しかし、このことは、「無罪の判決は裁判の誤りを告白することである」ということ、「だれもが内的には無実である」ということ、しかしまた唯一本当に無実なのは「無罪放免される者ではなく、裁判のない生活に入った者である」ということをも意味する(ibid., p.27)。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、18~19)



  • またしても一時半まで滞在してしまった。八時台に一度覚めており、さすがに三時間ではまずいだろうと睡眠の継続を選んだのだが、そのあとまったく覚醒せずに正午を越えてしまうとは。天気は曇りで、空気はわりと蒸し暑い感触だった。首や眼窩などを揉んでから起き上がって上階へ。ABC-MARTで購入した革靴を持っていき、髪の繕いやうがいなどを済ませてから玄関に置いておく。食事は桜の酢漬けか何かが混ざったご飯に、ゴーヤやタマネギの味噌汁に、前日の肉じゃが。新聞一面には菅義偉自民党総裁選に出馬することを正式に表明したとの報があったが、正直全然興味が湧かない。文化面には長尺の映画が意外と人気を呼んでいるみたいな記事があり、きちんと読んでいないが、王兵[ワン・ビン]『死霊魂』とタル・ベーラ『サタンタンゴ』(一九九四年)の名が挙がっていた。後者は先日、Woolf会でKさんにおすすめされた人である。両方とも七時間とか九時間とかそのくらいあるらしい。それだけ長い作品を映画館で一気に見るというのもけっこうな体験だろう。
  • 食後、風呂洗い。ミンミンゼミの声がまた盛んに響いており、窓外に見える道の脇で石垣上に垂れ下がった林の枝葉は多少揺れてはいるものの、風の流れは大してなさそうだ。浴槽を擦って洗うと蕎麦茶を用意して室に帰り、スピッツ『フェイクファー』を今日も流してEvernoteを準備するとまずこの日のことを記述した。蕎麦茶を飲むあいだに、なんとなくそろそろかなと思って服薬しておいた。
  • それからすこしのあいだ、一昨日すなわち2020/9/1, Tue.の記事を進め、三時四〇分を過ぎるとベッドで脹脛をほぐすことに。寝床に転がる前に屈伸をしたが、尾骶骨の痛みは昨日よりはだいぶ和らいできたようだ。臥位になって脚をほぐしたり首を揉んだりしながら一時間休んだのち、四時五〇分で支度へ。FISHMANS "感謝(驚)"を流して服を着替えると、一昨日買ったバッグを紙袋から取り出して手荷物を入れた。そうして上階へ行き、靴べらを使って新品の革靴に足を収めれば出発である。
  • はじめのうちは指の関節の出っ張りが靴内部の天井に当たる感じがあって大丈夫かと思ったのだが、三分も歩かないうちすぐに馴染んできたようだった。駅に着くころには足と靴がぴったりうまく嵌まるような感覚ができあがっており、これはなかなか良い買い物をしたのではと思われた。道中、Sさんの宅の前あたり、すなわちTさんの家の横の林付近にサルスベリの花びらが散って濃く鮮やかなピンク色を路上に点灯させていたのだが、見上げても源となる木が見当たらない。空気に陽の感触はないけれど、南のほうでは青さがあらわれていて、その上を弱い衝撃波のような薄雲が曖昧なすじをなして漂っていた。
  • 坂道にはツクツクホウシの声が相変わらず忙しなく立ち重なっている。抜けて駅の階段に至れば西空が見えて落日の位置も明らかとなるが、今日は雲がその前に座しており、さほど厚いようにも見えないけれど光をやすやす通過させるほど甘く薄弱なものでもなく、地上に日向を生むことを許さない。時間にいくらか余裕があったので、久しぶりにホームの先のほうに向かった。そうしてやって来た電車に乗り、扉際でマスクをつけて、首の横を指圧しながら到着を待つ。車内にはやはり山帰りらしい若者たちの姿があった。
  • 青梅で降りると駅を抜け、モスバーガーの前にずいぶんたくさん散らかっている落葉の上を踏み越えて職場へ。今日は(……)さん(中三・英語)と(……)くん(中二・英語)を担当、そこに急遽(……)くん(中三・英語)も加わった。(……)さんは志望を私立単願に変えたらしく、いまのところは(……)が一番気になっているようだ。それで内申点の補助として英検を受けるということで、本人が持っている過去問を使ってその対策を行った。本当は文章読解をしたかったのだが、文法や語彙の選択問題のみで終了。
  • (……)くんはいつもどおり。ただ今日は教科書を読んだあと、そのなかから二文ピックアップして二回ずつ書いてもらうというプロセスを取り入れた。これは(……)くんに限らず、生徒たちにはおりにふれてやってもらったほうが良いかもしれない。そういうわけで(……)のほうも、ワークで間違えた三つの問いの英文を二回ずつ書いてもらった。間違えたところを説明・確認し、文を書かせていくらか印象づける、さらに宿題でももう一度やってきてもらう、という風にすれば、そこそこ頭に入るのではないか。
  • 今回はなぜか模試の成績が送られてくるのが遅いらしく、結果が来るのを待たずに生徒たちに己の点数を突きつけたいということで、コピーを取ってあるので採点をしてほしいと言われていた。それで授業後は社会の答案に丸つけをしていったのだが、全部終わらせるのは面倒臭かったので、大して片づかなかったけれど八時半で退勤にした。記述問題にはときおりコメントを付しておいたのだが、外様大名を説明する問いで(……)さんが、関ヶ原の戦い織田信長と一緒に戦い……みたいなことを書いていたので、関ヶ原の戦い(一六〇〇年)の時点では織田信長はもうこの世にいません、と註釈しておいた。
  • それで退勤し、駅に入ってコーラを買うとベンチに就いて身体を潤す。線路の先の暗闇から秋虫の音が絶えず発生し、あたりいっぱいに満ちている。コーラを飲み干すとホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を取り出し、乗車してからも読み続けて到着を待った。降りるとホーム上に風が湧いていて、東西に流れて前から身体に当たってくるそれの柔らかで涼しく、吹いてくるものの先を見やれば駅舎の上は真っ暗闇で、階段通路につけられている蛍光灯の白い破線を上端としてその外は無に切り落とされている。だからどうも曇りの暗夜らしいなと見たところが、ホームを進むうちに左方の南空には雲にいくらか浸食されてはいるものの、もうほとんど完成に近い満月があらわれた。往路よりも風は明らかに盛んになっていて、階段通路の出口に立った二本の旗も、海のなかの軟体生物のように身をくねらせている。
  • 足もとに映る枝葉の影が微細にふるえる坂道に、秋虫のアンサンブルが厚くなっていた。抜けて平らな道に出ると南にふたたび月がかかったが、それが先ほどよりも明白に小さく遠くなったように思われて、色も黄味が濃くなってバターめいている。たかだか数分でこんなに変わるはずがないと困惑しつつ、まるで別種の月がもうひとつあるかのように空に視線を走らせてしまったが、この世界には月はひとつと定まっている。いまようやく思い当たったのだけれど、最初に見たときには淡いとはいえ雲の向こうにあったので、黄味がいくらか薄れて白っぽい色になっており、また光が雲に宿って暈を作っていたためにサイズも大きく見えたのだろう。家のそばまで来ると空間の奥で鳴るものがあり、遠くから伝わってくる川のさざめきを思わせもしたが、それは林のなかで風が動いて生まれた響きが籠っているものらしかった。風は道には出てこず、林の外縁も揺らがない。
  • 帰宅すると部屋のベッドでいくらか休み、一〇時前に食事へ。夕刊には、米国がアフガニスタンでの米軍の戦争犯罪を調査するICCの調査官に対抗制裁を課すとの報。食事を終えると自室にもどり、今日のことを二〇分ほど記したところで風呂に行った。湯のなかでは各部の肉をほぐし、洗い場に出ると放置していた髭を剃って顔を整え、また束子で身体を丹念に擦り皮膚を和らげたのだが、上がったあとに鏡の前で頭を乾かしていると、手に触れる髪の毛が油を残している質感だったので、そこでようやく頭を洗うのを忘れたなと気がついた。身体を擦るほうに傾注しすぎてすっかり忘れていたらしい。久しぶりのことだ。以前もときおり、風呂のなかで考え事などに気を取られてまったく意識を向けず自動的に行為を済ませ、今日のように出て髪に触れてから洗うのを忘れたのに気づくということがあった。
  • 出て帰室するとほぼ零時。今日のことをふたたび綴り、一時を越えたところで身体が固まったので寝床に移って書見。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読む。これは「A」の課題書で、その会合は明後日の五日に迫っているのだが、正直それまでに読みきれるかどうか不分明だ。二時二〇分まで読んだのち、豆腐と味噌汁とキュウリを用意してきて食いながらMさんのブログを三日分読んだ。五月五日から七日まで。
  • その後、三時半から書抜き、バルトおよび新聞記事である。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』。
  • 151: 「反 - イデオロギーは、虚構のもとに忍びこむのである。まったく写実主義的ではなく、〈正確である〉虚構に。おそらくそれこそが、わたしたちの社会における美学の役割なのだろう。すなわち、〈間接的で他動詞的〉な言述のための規則をしめすことである(そのような言述は、言語活動を変化させることができるが、その支配力や良心をひけらかすことはない)」

On the night of March 11, 1972, thousands of Black Americans from around the country — Democrats, Republicans, socialists and nationalists alike — packed into a high school gymnasium in Gary, Ind., for the first National Black Political Convention. The room brimmed with tension, as the high ideals of Black separatists were set to clash with the pragmatism of elected officials. A congressman was booed and jeered at. The NAACP denounced the convention for excluding white people. Shirley Chisholm, the first Black major-party presidential candidate, boycotted the event because the conveners couldn’t decide whether to endorse her campaign.

Then the Rev. Jesse Jackson, a close ally of the Rev. Martin Luther King Jr., took the stage. The assassinations of King and Malcolm X in the previous decade had delivered a tragic blow to the civil rights movement, and Jackson had come to Gary hoping to unify the community with a bold call.

“I don’t want to be the gray shadow of a white elephant or the gray shadow of a white donkey,” he said at the convention. “I am a Black man, and I want a Black party.”


・読み書き
 15:01 - 15:44 = 43分(2020/9/3, Thu. / 2020/9/1, Tue.)
 20:40 - 20:58 = 18分(ホフマンスタール: 190 - 195)
 22:34 - 22:56 = 22分(2020/9/3, Thu.)
 24:10 - 24:59 = 49分(2020/9/3, Thu.)
 25:11 - 26:22 = 1時間11分(ホフマンスタール: 195 - 216)
 26:35 - 26:58 = 23分(ブログ)
 27:30 - 28:12 = 42分(バルト/新聞)
 28:17 - 28:37 = 20分(Rodriguez)
 計: 4時間48分

・音楽

2020/8/31, Mon.

 ところが、イーディスがセントルイスに行っていた数週間のあいだ、講義をしながらときどき、課題に没頭するあまり、無能さのことも、自分自身のことも、さらには目の前の学生たちの存在すら忘れてしまいそうになった。ときどき、興が先走るあまり、どもったり、身ぶりが過多になったり、いつも頼りにしている講義ノートを無視したりすることもあった。初めのうち、そういう自分の暴走が近視眼的な研究態度から来る悪癖に思えて、そのたび学生たちに謝罪したものだが、授業のあとに学生たちが寄ってくるようになり、またレポートや答案の中に想像力の兆しやためらいがちな向学心の発露が見られるようになって、誰からも教わった覚えのないこの講座運営の手法に開眼させられた。文学が持つ、言語が持つ、頭と心の神秘が持つ愛の力が、黒く冷たい活字から成る文字や単語の偶発的で霊妙で予測もつかない組み合わせの中に姿を現わした。今まで不法で危険なもののように内に秘めてきたその愛を、ストーナーは最初おずおずと、少しずつ大胆に、やがて誇らしく、表に出し始めた。
 ストーナーはこのわが道の発見を、一方で感傷的に、一方で心強く受け止めた。みずから意図した以上に、学生たちと自分自身の両方を欺いてきたような気がした。従来のストーナーの授業を機械的な反復努力によって消化することができた学生たちは今、当惑と恨みのまなざしを向けていた。今まで講座を受けなかった学生たちが、聴講に来たり、廊下で会釈したりするようになった。ストーナーは前より自信を持って講義を行ない、自分の中に熱く険しい厳正さが募ってくるのを感じた。十年遅れで、本来の自分を見出しつつあるのかもしれないと思った。その自分の姿は、かつて想像した以上のものであり、以下のものでもあった。ようやく自分が教師になろうとしている気がした。教師とは、知の真実を伝える者であり、人間としての愚かさ、弱さ、無能さに関係なく、威厳を与えられる者のことだった。知の真実とは、語りえぬ知識ではなく、ひとたび手にすれば自分を変えてしまう知識、それゆえ誰もその存在を見誤る心配のない知識のことだった。
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、130~131)



  • 二時まで糞寝坊してしまった。今日は灰色っぽい曇りの日。上階に行き、用を足したり顔を洗ったりうがいをしたりもろもろ済ませて、煮込んだ素麺とサラダで食事。温かな素麺を食べていると当然汗が湧き、襟足や首周りが濡れ、晴れていた昨日よりもかえって暑いような気もしてくる。食器を片づけて風呂も洗うと緑茶を持って帰室して、コンピューターを準備した。今日もスピッツ『フェイクファー』を最初に流そうというわけでAmazon Musicにアクセスすると、FISHMANSを聞いている人間へのおすすめとして七尾旅人とかZAZEN BOYSとかが提示されていて、このあたりの音楽もまったく聞いたことがないのではやいところ触れたいものだが、そのなかにLEO今井という初見の名があり、なんとなく興味を持ったので検索してみた。というのは、そのとき出てきたアルバムが『City Folk』という作品で(どうでも良いのだが、James Farmの二作目とおなじタイトルだ)、フォーク方面のことをやっている人なのかなと思ったのだ。Wikipediaを見てみると必ずしもそういうわけでもないようなのだが、高橋幸宏のバンドに参加しているとか書かれてあったと思う。『6 Japanese Covers』というアルバムも覗いてみるとなかに"ファックミー"という曲があったのだが、これはたぶん前野健太の曲ではないか。なかなか心憎い選曲である。そういうわけでこの二作はメモしておき、ついでに前野健太も検索して、『今の時代がいちばんいいよ』と『オレらは肉の歩く朝』も記録しておいた。本当はジム・オルークとかとやったライブ音源(たしかジム・オルークだったと思うのだが)が聞きたかったのだけれど、それはなかった。そうして日記を書き出すころにはもう三時である。
  • その後、前日の日記を完成。投稿する段になって通知を流すためにTwitterをひらいたのだが、そこで木下古栗の『サビエンス前戯』なる新刊が出たという報に接した。タイトルだけですでに笑える。この人の作品もまだひとつも読んだことがない。
  • 四時半から五時過ぎまで間が空いているのだが、何をしたのか不明。五時を回ると身体を休めることにしてベッドへ。最初は五時半くらいになったら上がっていって飯を作り、そのまま食事を済ませようと思っていたのだが、父親が何かやってくれているようだったし、横着して六時過ぎまでだらだらした。そうして上っていくと父親は風呂に入ったところ、フライパンには例によってゴーヤと肉と野菜を炒めたものが拵えてあり、冷蔵庫にはキュウリとワカメの和え物もある。ならばあとは汁物があれば良かろうとタマネギと卵の味噌汁を作ると食事に入った。父親が上がると同時に母親が帰ってきた。疲れた疲れたと漏らし、今日は人数はそれほどではなかったのだがクソガキが「凝縮」されていたと言うのに、この表現は面白いなと思ってちょっと笑いそうになった。
  • 帰室するとまただらだらウェブを回ったりなんだりして、FISHMANS "感謝(驚)"が流れるあいだだけ運動をしてから風呂へ。とにかく下半身を和らげることは肝要だ。屈伸をしながら脚を伸ばす際にしばらく止まって筋をほぐすのが良い。あとはやはり左右開脚。風呂を上がったあとは六月二八日の記事を綴ったのだが、途中でAmazon Musicから音源を追加したりSYNODOSの記事をメモしたりとインターネットをちょっと閲覧してしまい、完成させるには零時二〇分までかかった。身体、というか下半身は良いのだが肩や背中がめちゃくちゃこごっている感じがあったので、寝床に避難する。下半身はわりとそうでもないのだけれど、肩や首、背などの上半身に関しては、伸ばせば伸ばしたでしばらく経つと伸ばす前よりも凝りを感じるようになるのは一体なんなのか。
  • 二時まで休んだあと、「緑のたぬき」を持ってきて食い、そのあと緑茶も用意してきて三時から今日の日記。明後日がWoolf会で今回の担当を任されているので、To The Lighthouseもいい加減訳しておかなければならない。ところで今日はどこかのタイミングでJohn Lennon『Rock 'N' Roll』を流したが、このアルバムはなかなか良い。この作品を買ったのはまだハードロックに思い切りハマっていたころだったはずなので、当時はたぶん、たとえばDeep PurpleとかLed ZeppelinとかVan Halenとかそのあたりのロックと比べて全然激しくないじゃんとか思っていたような気がするのだが、そう考えると当時の自分はやはりまるで表面しか聞けていなかったのだなと思う。というかむしろ、表面すら充分に聞けていなかったことは明白だ。どうせギターの歪みが濃いか否か程度のことで音楽の激しさを判定していたのだろう。
  • 今日のことを記したあと、Virginia Woolf, To The Lighthouseの翻訳。四時四〇分まで。以下の短い文をこしらえるのに一時間四〇分を費やす。

 食事が終わればすぐさま、ラムジー夫妻の息子と娘たち八人は牡鹿のようにこっそりとテーブルから姿を消し、寝室へ、いわば彼らの要塞へと向かうのだった。家のなかで唯一そこだけは、どんな話題でも論じ合うことのできるプライバシーが確保されていたのだ。タンズリーのネクタイや選挙法改正案、海鳥や蝶々や他人の噂など、あらゆることについて彼らは話し、そのあいだ太陽はこの屋根裏部屋に注ぎこむ。

  • 原文は、"Disappearing as stealthily as stags from the dinner-table directly the meal was over, the eight sons and daughters of Mr and Mrs Ramsay sought their bedrooms, their fastnesses in a house where there was no other privacy to debate anything, everything: Tansley's tie; the passing of the Reform Bill; seabirds and butterflies; people; while the sun poured into those attics, (……)"というところで、本当はeverythingが先に来て具体的な話題が列挙されている順序を活かしたかったのだけれど、どうもそれは難しそうだ。また、そのあとがwhileで繋げられているのもけっこう難しく、このwhileなんやねんという感じなのだけれど、ひとつにはwhileには「さらに、その上」みたいな追加の意味があるらしいので、寝室は子どもたちにとって何でも話し合える隠れ家であることに加えて、太陽も注ぎこんで過ごしやすいみたいなことなのかなと思う。あとは普通に「~のあいだに」とか「~の一方で」みたいに背景的な情報の付加を導く接続詞なので、一応その線を取りたいというか、子どもたちが色々なことについて楽しく話し合っているあいだ陽射しが明るく降り注いで部屋を満たす、みたいな空間的イメージを演出したいと思うのだけれど、上記の訳の「そのあいだ」とかいう繋ぎ方ではちょっと駄目だ。さらに問題なのは、"while the sun poured into those attics, which a plank alone separated from each other(……), and lit up bats, flannels, (……)"という風に、atticsに対する長い補足説明が挿入されたあとにthe sunに対する二つ目の動詞(lit up)が出てくることで、なんやねんこの書き方というか、なぜわざわざここにやたら長い修飾情報を足して、poured intoとlit upの距離をこんなにも遠くひらいて記述の流れを途切れさせたのかがよくわからない。岩波文庫の訳ではwhich以下挿入情報のほうを先に訳したあと、「昼間には陽がよく差し込んで、クリケットのバットやフランネルの服(……)まで照らし出された」と、poured intoとlit upを近づけて一文内に収めており、そういう選択を取ったことはよく理解できる。このへんもうまい処理を見つけなければならないだろう。
  • それで五時を回ったところで音楽を聞くことに。まずFISHMANS, "感謝(驚)"(『Oh! Mountain』: #8)。もっとも高い。ドラムを後ろに敷いて真ん中のベース、右のギター、左の鍵盤というこのリズムの交錯と絡み合いはとにかくすばらしい。マジですごい。その風通しの良い緊密さのなかを佐藤伸治が陽気な道化の幽霊のようにヘロヘロ浮遊するわけだ……。
  • 次に、Charles Lloyd, "Forest Flower: Sunrise"(『Forest Flower: Charles Lloyd at Monterey』: #1)。Lloydの吹き方というのも独特で、何を吹いているのかよくわからないような靄っぽい気体感はほかではあまり聞かれないものだと思うが、ひとりJoe Lovanoがこの路線を受け継いでいるのだろう。それにしてもCharles Lloydってこのころからいままでずっと、ほとんど変わっていないのではないか? この音源だとやはりKeith Jarrettが聞き物で、ソロの入りの意気軒昂な鮮烈さはさすがにすごいし、後半にも耳を惹く音の連なりはあって、どうも音使いもしくはフレーズの感触がのちのスタンダーズ・トリオのときとは違うような気がしたのだが、どうなのだろう。こまかな点はわからない。
  • 聞くと五時半前。本当はホフマンスタールを読みたかったのだが、良い具合に眠気のにおいがあったのでそのまま就寝することにした。


・読み書き
 15:12 - 16:28 = 1時間16分(2020/8/31, Mon. / 2020/8/30, Sun.)
 21:53 - 24:19 = 2時間26分(2020/6/28, Sun.)
 27:02 - 28:39 = 1時間37分(2020/8/31, Mon. / Woolf: 6/L29 - L34)
 計: 5時間19分

  • 作文: 2020/8/31, Mon. / 2020/8/30, Sun.
  • Virginia Woolf, To The Lighthouse(Wordsworth Editions Limited, 1994): 6/L29 - L34

・音楽
 29:09 - 29:26 = 17分(FISHMANS / Charles Lloyd)