2022/8/27, Sat.

ラファイエット・ヤング宛]
1970年10月25日


 […]このタイプライターから逃げ出すためにわたしは酒を飲んだりギャンブルをしたりしなければならない。ちゃんと動いてくれるこの老いぼれマシーンを愛していないということではない。いつ向き合えばいいのかを知り、いつ離れればいいのかを知ること、それがうまく付き合うコツだ。わたしはプロの [﹅3] 作家になりたいわけではまったくなく、自分が書きたいことを書きたいだけだ。そうじゃなかったら、すべてはやっても無駄なだけ。気高いことを言っているようには思われたくない。気高いことでも何でもなくて、どちらかと言えば、ポパイ・ザ・セーラーマンの世界だ。しかしポパイはいつ動けばいいのかわかっていた。「規律」について話し始める前のヘミングウェイもそうだった。パウンドもそれぞれが自分の「仕事」をすることについて語っていて、それはくそみたいなたわごとだったが、わたしは自分が工場や屠畜場で働き、公園のベンチでも眠り、仕事規律というのは汚らわしい言葉だと知っているので、彼ら二人よりもついていた。彼らが何を言いたいのかわたしにはわかるが、わたしに言わせれば、それはまるで違うゲームの話なのだ。ちょうどいい女のようだ。その女を相手に一日三回、週に七日、おまんこをやり続けると、それ(end179)ほどよくはなくなってしまう。どんなことでもきちんと調整されなければならない。もちろん、わたしには忘れられない女が一人いる、彼女とはそんなふうにことが運んだ。もちろん、わたしたちはワインを飲んでいて、ひもじい思いをしていて、死ぬことや家賃のこと、鋼鉄のように冷たい世間を思い悩む以外やることは何もなく、だからわたしたちはうまくいったのだ。(ジェーン。) しかし今やわたしはこんなにも年老いて醜く、女性たちが現れることはもはや滅多になく、だから相手にできるのは馬とビールだけ。そして待っている。死ぬのを待っている。タイプライターを叩きながら待っている。二十歳なら生意気でいかした野郎に簡単になれる。わたしはいつでも自分なりに精神薄弱だったのでそうはなれなかった。今のわたしは以前よりも強くも弱くもなったが、喉元にカミソリの刃を押し付けていて、決心するのかしないのか瀬戸際の状態だ。しかもわたしは人生をそれほど愛していないときている。たいていいつでも汚いゲームにしかすぎなかったからだ。生まれたところで死ぬ手配がついている。わたしたちはボウリングのピンでしかないのだ、我が友よ。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、179~180; ラファイエット・ヤング宛、1970年10月25日)




 いま一二時半前で食事中。冷凍のハンバーグをおかずにしながら「サトウのごはん」をもきゅもきゅ食っているが、そうしながら過去日記の読みかえし。きのうとちゅうまで読んだ2014/2/6, Thu. - 2/10, Mon.のつづき。「二月九日は十時半からはじまった。雪降りが過ぎたあとの気持よく晴れた空だが、近所の屋根の上に、ぱっと見たかぎりでもさらに十センチ以上の雪屋根が覆いかぶさっていた。これほど降った冬は物心がついて以来記憶になかった」とのこと。体重を量っており、このころは五四~五五キロ程度の重さ。それ以降基本的にはずっとそのくらいで、ゆいいつもっと重くなったのは鬱症状でオランザピンを飲んだ二〇一八年中のことで、あのときは六〇キロを越えていたはず。そのために腹回りもすこしだけ厚くなり、回復してからスラックスを履くときつくてはいらないという、それまでの人生で経験したことがなかった貴重な体験をした。いまはまた五五キロくらいにもどっているか、むしろそれよりさらに軽くなっている可能性もある。スラックスはいまかなりゆるくて(もともとぴったり合うくらいでベルトいらずだったのだが、太ってはいらなくなったときにすこしひろげたので)、腹から前側の布地のあいだにはけっこうなすきまが生じるし、履いているあいだたびたびズボンをちょっと引き上げつつワイシャツと肌着をととのえなおすようなことになっている。
 近所の(……)さんに会っての感慨。このひとももう亡くなったはず。おばさんはまだ生きているんだったか、かのじょのほうも亡くなったんだったか?

 道の両側にうず高くかたまりが積みあげられ、褪せた色の草も今は見えず、常緑樹も白い衣をまとい、いつもの景色が一変していた。近所のTさんのおじさんに出会った。こんにちは、と声をかけると、挨拶を返しつつも誰だか訝っているような顔があったので、それだけで通りすぎてしまおうかとも思った瞬間、こちらの顔に得心する様子が認められ、Fです、と重ねると、ああ、と吐息をもらし、手にもっていたバケツを置いて、どうもこのたびは、とお辞儀をしてみせるその動作のひとつひとつがゆっくりで、口調もいくらかもごもごとしており、もしかしたらいくらか頭の働きが弱くなっている、端的にぼけているのかもしれないという印象を持ったのは、昨日、近隣のなかで世話役を頼むことになったYさんが来て話し合っていたときに、Tのおじさんについて、今となってはそのような含みもあったのではないかと思えるような発言が聞かれていたからで、小学生の時分など通りかかるごとにいくらか話したりしてかわいがってくれた人物が、そのように老いに侵食されているのを見るのは切ないものがあった。祖母は亡くなった。自分は二十四になった。誰も老いて死んでゆく。

 大雪が降ったあとなのにわざわざ(……)まであるいて図書館に出かけている。道中の裏路地の、雪が降ったがゆえにかえってひとがたくさん出て活気ある雰囲気はよくおぼえているし、駅通路でころびそうになったその瞬間も、このとき履いていた靴もよくおもいだせる。

 (……)街道はまだ雪かきが進んでおらず、歩道の少なくない部分が埋まっていてときには車道に出ないと歩けないし、露出しているところも申し訳程度の細い道で、しかも随所に雪解け水がたまっており、出掛けにYさんがびしょびしょになってもいい靴じゃないとだめだよ、と言っていた意味がわかったが、裏通りのほうが歩きやすいだろうと踏んで曲がってみると案の定で、立ち並ぶ民家のあいだを抜ける裏道は近隣住民の勤勉さによって通りの真ん中にしっかりと道がひらかれているし、残っている雪も、表通りで歩行の邪魔をしている、靴が埋まるような柔らかいものとはちがって、時折り通る車にうまい具合に踏み固められており、中途半端に融けているよりもむしろ歩きやすかった。老いも若きもスコップを持ち出して声をかけあい、互いに嘆き、なぐさめ、十数年ぶりの大雪に畏敬を示している、そのなかを歩いた。駅についてしまえばこちらのものだと思っていたら、階段を下りて数歩目で踏み出した左足を濡れて滑りの増した床にとられ、傾いていく身体から思わず伸びた左手が地につくと同時に右前方に滑っていった足がとまって完全な転倒には至らず手首も痛めなかったとはいえ、頓狂な声をあげて醜態をさらしてしまったその原因は靴で、数ヶ月前からこちらの足を包んでいるのはかつて兄が懸賞で当てたものを未使用のまま譲りうけたいくらか厚めの革靴で、見た目には冬らしいもののそれなりに年季の入った代物であるから端のほうはもうだいぶすり減っていてこのような日に履くとリスクを高める呪われた装備なのだがしかし他に履く靴もなかった。

 図書館の新着CDにはWayne Shorter『Without A Net』。Wayne Shorterの二〇〇〇年以降くらいの作品も聞かなきゃ、とおもった。Danilo PerezとJohn PattitucciとBrian Bladeとでやっているあのカルテットも、かなりすごい演奏をしていたおぼえがあるので。このときはGary Karrなんて借りている。「新着図書で気になったのはデイヴィッド・リンゼイアルクトゥールスへの旅』(文遊社はほかにイヴリン・ウォーアンナ・カヴァンも気になる)、丸山健二『千日の瑠璃 下』(ひどく厚い)、いとうせいこう『未刊行小説集』、加藤哲郎『日本の社会主義』(岩波現代全書)、ル・クレジオ『隔離の島』、中里介山大菩薩峠 都新聞版 第一巻』、中村昇『ベルクソン=時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ)など」とのこと。
 図書館を出たあとの段落では、とうじはまだ(……)だった向かいのビルの喫茶店にふれつつ、以下のようになぜか読点を排したくだくだしい書き方で述べている。S.Hというのは中学の同級生である(……)のことで、やつともさいごに会ったのはたぶん鬱で死ぬよりまえだったのではないか。だから二〇一七年くらいだとおもわれ、そうだとするともう五年くらいは会っていない。神奈川のほうの、なんだったかよくわからない、社団法人みたいな、なんかそんな組織ではたらくことになったと聞いたおぼえがあるが、いまどうしているのかはまるで知らない。ここでふれられている会合は二〇一三年中のことだろう。「なんとなく誰かに会いたい気がして」連絡したと言っているから、このころはまだ人寂しさのような情をおぼえることがあり、したがって承認欲求もそこそこふつうにもっていた。Twitterをやってまるでどうでもよろしいことをつぶやいたりもしていたものだ。いまは承認欲求はともかく、人寂しさをおぼえることは自覚的にはまずない。アパートに来るとなったときも、いままで生まれてからずっとなんだかんだ家族とともに暮らしていてひとつ家のなかにほかにだれかがいるということが常態だったわけで、じぶんひとりだけになると曲がりなりにもことばを交わすあいてもいなくなるし寂しさや孤独をちょっとはおぼえるのではないかとおもっていたが、それはほんとうにまったくなかった。ひとりであることにかんぜんに自足している。まあいちおう職場には行くし通話もするからはなすあいてがいないわけではないが。しかし孤独というのはやはり自由と安息の条件ですよ。ひとり暮らしをはじめていちばんよい時間だとおもうのは、夜にスーパーに買い出しに行ったあと、夜道をひとりでしずかにゆっくりと風を浴びながらあるいて帰るその時間で、なんども書いているが、あそこにこそ諸縁を放下した自由と解放の時がある。行きではない。やはり帰り道なのだ。ハンナ・アーレントが言っていたことはまったくよくわかる。つまり孤独というのはじぶんじしんとともにあることだと。

 (……)ここには一度だけ入ったことがあって、その日は九月か十月か忘れたが秋ごろの月頭、もしかしたらまさに一日だったかもしれず、アイスココア一杯で何時間か粘りながら谷川俊太郎『東京バラード、それから』を読んでいると雨が激しく降りはじめ、雷も鳴っていたのを覚えているが、なんとなく誰かに会いたい気がしてS.Hに連絡すると了承されて午後七時頃から駅前の大衆居酒屋に入った我々は薄暗い店内で安いがまずくはない刺し身などを食べながら芸術家・批評家・学者(研究者)という三区分の話などをしたものだったがまだ自分が考えていることを人に話すということに興味があったし日記にも少なからず思考を書いていたあのころとはちがって最近ではもう思考を書くことにはほとんど興味がわかず自分が何を考えているのか書いてもあまりおもしろくないしそれだったらそこらへんの一本の木のほうがはるかにおもしろいわけでそれは思考を書くのに適切な書き方が見つかっていないということでもあってそれが見つかればおもしろく書けるようになるのかもしれないがひとまず最近の自分の嗜好は思考よりも明らかに感覚に向かっていて自分が何を考えているかよりも自分が何を感じているかのほうがより深遠なものを含むように思われることもあり言語にならない世界の具体性を具体性のまま執拗に追求していく力がほしいという思いは古井由吉を読む前から持ってはいたものの古井由吉を読んだあとではさらに加速されるのも道理で古井由吉およびムージルのラインは自分が文章を書きつづけるにあたってひとつの軸となるのではないかという予感を新たにした(……)

 帰路。「白壁がくすんだ市営の集合住宅の前を左に曲がるとふたたび表に出るが、この市営住宅には小中の同級生であるOが住んでおり、往路に裏道に入るときにこのOが近隣の女性と立ち話をしている横を通った。小学校二年生から四年生くらいのときはわりとよく遊んでいて家に行ったことも何度かあったとはいえこちらのことはもう忘れているだろうと思いつつ、通り過ぎたあとに振りかえるとOも同じタイミングでこちらを振りかえっていて目が合った」と。このOは「(……)」という名字の男子で、漢字はたぶん「(……)」だったかな。(……)の字がはいっていて三文字だったことはまちがいない。したのなまえはわすれたけれど、名字から取って「(……)」というあだ名で呼ばれていた。
 「時刻は午後三時半だった。いまだ何ものにもおかされず静かにたたずんでいる雪原が西陽に照らされると、その表面が青い影で点々と色づき、きめの細かい肌のようなかすかなおうとつが浮き彫りになった。林道に射しこむ木洩れ陽が風とともに路上をなでると、雪融けの水に光が宿って濡れたアスファルトは黄金色にきらめいた」という。なにもおもしろいところのない紋切型の文だが、この程度の描写ですら、もうちょっとよく感じてしまう。
 帰ると弔問客。

 帰宅して空腹をなぐさめていると弔問客が来訪した。Mさんだった。彼女は近所なので昔から顔を合わせる機会が多く、まだいくらか会話も成立したが、つづけて来たTさんのほうになると面識はほとんどなく、向こうも申し訳程度にこちらの存在にふれるのみなので端的に手持ち無沙汰で、いかなる場でもただ黙って座っていることができるという持ち前のスキルを発揮しつつ彼女の手の動きをずっと見ていた。わずか数秒でも手がじっと止まっているということはなく、膝をなでてみたり、カーディガンのすそを直したり、ハンカチをもてあそんだり、それを目元に持っていったり、頬をなでてみたり、髪をいじったり、もちろん会話に合わせてひらひらと動かしてみたりと実にさまざまな動きをしているものだった。ついでにソファに前傾姿勢で座った父の手も見てみると、組んでひとところに置かれてはいたが、揉み手をするようにいくらかさすっていた。

 Mさんというのにおもいあたるなまえが出てこなかったのだが、これはたぶん(……)さんのことではないか。かのじょはその後ノイローゼをわずらい、二〇一八年の三月に橋から飛び降りて自死することになる。Tさんのほうはだれだかわからない。「昨日は葬儀が終わってから日記を書きだそうと思っていたが、メモをとっていると書きたい欲求が高まってきて、今日の夜には書くかもしれないと思われた」とのこと。それでじっさい綴りだしている。


     *


 またしても明かりを落とさないままあいまいに寝てしまい、いちど覚めたのが五時か六時前くらいだったとおもう。消灯し、ふたたび寝ついて午前九時へと移動した。息を吐きつつ腹などを揉み、胎児のポーズもおこなう。胎児のポーズを取るのがやはり全身がほぐれるのでよい。くわえてストレッチのやりかたとしても、ことさらに息を吐きながらやるのではなくて、やはりポーズ付きの瞑想めいて呼吸はしぜんにまかせつつじっとしているほうが良い気がする。そうするとじわじわ芯からほぐれてくるような感じがあってきもちがよい。息を吐くと筋肉がよく収縮するから伸びるは伸びるのだけれど、ゆるむという感じはかえってうすい。パニック障害のことをかんがえるとからだの緊張をとるのが大事なはずで、となれば芯からゆるませることのできる方法のほうが合っているのではないか。
 九時三九分に起床していつものルーティン。パソコンをつけっぱなしにしていたのでここでもうNotionのきょうの記事を作成した。蒸しタオルまでやると寝床にもどり、Chromebookでウェブを閲覧。あいまになんどかまた胎児のポーズを取る。このあたりでは天気はまだ空に薄水色が透けるとはいえ曇りに寄っていたが、正午くらいから陽のいろが見えはじめた。一一時三二分から椅子のうえで瞑想し、便意がきざしたのでもうすこしつづけたいところだったが切ると、一一時五五分だった。便所に行ってクソを垂れ、食事へ。れいによってキャベツとセロリとリーフレタスとトマトとベーコンのサラダ。そして冷凍のハンバーグにサトウのごはん。食事中に過去の日記の読みかえしをした。
 食器を洗うと洗濯。陽が出ていたので、窓辺に吊るされてあるもののうち集合ハンガーだけ出しておき、そのほかはたたむ。そうしてあたらしく洗い出して、椅子につくとしばらく音読。そのうちに洗濯が終わったので、出していた集合ハンガーを入れてタオルなどたたみ、いま洗ったものをかわりにつけて干しはじめたが、とちゅうでまた便意がきざしたので便所に行ってクソを垂れた。べつに下痢ではないが腸のはたらきがよいらしい。窓をあければ空気は暑く、風もつよくて物干し棒にハンガーをかければその瞬間から圧力が手につたわって感じられるし、吊るしたものは左右によくふれる。正面、土曜日できょうはしずかな保育園の上空には練ったような雲がひかりの具合で縁にわずか灰色を乗せながら見下ろし顔で浮かんでいた。時刻はもう二時だった。もろもろ体操というかからだをうごかして血のめぐりをよくし、それから湯を浴びる。出るとまた扉のかげで全裸のまま背伸びして、バスタオルであたまを拭くと服を身につける。バスタオルはハンガーにつけて、そとにはもうスペースがないので出さないがひかりを受けているレースカーテンに寄せてカーテンレールにかけておいた。ドライヤーで髪を乾かし、それからきょうのことをここまで記せば三時八分。


     *


 布団のうえでストレッチ。胎児のポーズと合蹠やっているときはマジで半分寝てるわ。意識レベルが落ちたときに生じる夢未満のイメージ展開されるし。きもちがよい。プランクなどもやっておく。まいにちこうしてどんどん瞑想じみたストレッチのたぐいをやってからだをほぐし、鍛えていったほうがいいなとおもった。かなりすっきりするし。そのあと歯をみがきながら二〇一四年の日記のつづき、二月一〇日の部分まですべて読み終えた。湯灌のもようが以下。このときあつまった祖母世代の親戚連中はもうほぼみんな死んでいる。まだ生きているのは(……)さんと、あとたぶん(……)さんも生きているとおもうが。(……)さんは祖父の末妹でいま七五か七七かそのくらいだろうか。ジムにもかよっていて若々しく、ぴんと背すじが伸びた姿勢など凛としている婦人で、(……)に住んでおり、こちらのことは幼少のころからよくかわいがってくれて、なにかにつけては小遣いをくれたり茶をくれたりした。いまだに彼岸などには墓参りに来るので、母親はていねいすぎると言ってそのあいてをするのにちょっと辟易気味だが、近年こちらも同席してはなすことがいくらかあった。(……)さんは祖母のおとうとで(……)に住んでおり、たぶんもう九〇くらいなのではないか。いちおう生きているがあたまがもうゆるいという情報を何年かまえに聞いたので、ホームにはいったり、こちらの知らないうちに死んでいたりしてもおかしくはない。

 湯灌師は親子ほど歳の離れた男性と若い女性の二人で、男性のほうは目が細く、悔やみの言葉を述べるときや儀式の説明をするときはその目がさらに細くなって目尻もいくらか垂れて、いかにも死者を悼んでいるような表情を容易につくれる顔立ちだった。女性のほうは落ちついた物腰であまり喋らず、黙々と仕事をこなしていた。湯灌というものは簡略式としては体をふくだけのことが多いようだが、見ていると大きな黒塗りの風呂桶が持ちこまれ、そこに張った板の上に遺体を横たえて、タオルで覆って身体が見えないようにしながら洗っていった。親戚連中は大きな風呂桶に驚き、あんなのは見たことがないね、などと言って一時騒然とし、それに触発されて母もいくらかおろおろと動揺していたが、式自体はつつがなく進んだ。
 まず木桶に水を半分入れてからそこに湯を足してぬるま湯にする逆さ水というものをつくり、それを我々が順番に遺体にかけていった。かける際は左手で柄杓を持って足元から上体へとかけていき、「もどる」ということが葬儀ではタブーとされているので胸元で水をかけきってしまわなければならないのだが、Y.Hさんはいくらか鈍くさい人で説明を聞いていなかったのか戻そうととしてしまい、湯灌師に止められてもまだよくわからなかったようで、父は苦笑していた。
 それから湯灌師の二人がシャワーで洗いはじめた。玄関外にとめた車から二つのホースが伸びており、ひとつはシャワーから湯を出すためのもの、もうひとつは風呂桶から使われた水を回収しているものだという。「やっぱり亡くなった方を洗うのに使った水ですからね、嫌な人もいるでしょう、そこらへんに捨てちゃ問題になりますから、全部回収して会社に戻ってから捨てるんですよ」。女性は身体のほうを担当し、男性は洗髪を行った。それに使う洗剤も専用のものらしかった。「眠っているみたいだね」とか「首がまだやわらかそうだ」などという言葉があがった。そうして洗浄が終わってからまた順番に、タオルで顔をふいていった。ふくといってももちろんこすることはできず、全体を少しずつ押さえるのだった。水をかけるときにしてもこのときにしても、女性はみな何かの言葉を祖母にかけたが、三人いた男性のなかでは唯一父だけがやわらかな声で話しかけていた。自分は声を出さなかった。看取るときも黙って粛々と見守った。

 いま四時過ぎで、食い物は野菜はまだわりとあるし、きょうは用事もないからこもろうとおもえばこもっていられる土曜日である。直近で書いておきたいと欲求をかんじることがらがとくにないので(まあきのうの往路の天気などはちょっと書いておきたい気もするが)、日記を二〇日から順番にすすめるつもりだ。だいたいやっつけでやるつもりだけれど、それできょうじゅうにどこまで行けるか、というところ。いいかげんそろそろ現在時に追いつけてほかのことをやりたいのだが。


     *


 いま七時五三分。四時過ぎ以降はときどき席を立ってまたからだを伸ばしたりなんだりしながらひたすら日記に取り組んでおり、さきほど二三日火曜日の分まで投稿し終えた。意外とがんばってすでに書いてあることがらもあり、実質おおくつづったのは二〇日土曜日の会議のことと、二二日の通話中のはなしくらい。二四日の水曜日はあと勤務中のことだけで、これもたいしておぼえていないからそんなに書かないつもりだし、二五日は休みで図書館に出かけたことくらい、きのうはまだけっこう記憶があらただから書けば書くことはおおいが、がんばればきょうじゅうにかたづけられる気がしてきた。無理せず、あしたにまわしてもよいとおもうが。腹が減っている。洗濯物は五時ごろに取りこんで、直情の熱射という感じでなくすでにひりつきをおさえた晩夏の陽射しだったとおもうが、さすがにひかりもあり風もありでよく乾いていたので、その場ですぐにたたんでしまった。記事を投稿する段、Oasisが『Familiar To Millions』でやっている"Stand By Me"がなぜかやたら聞きたくなったのでながしつつ作業をした。ポップスもポップス、ドポップスみたいな、ストレートにすぎるキャッチーさだが、あまりにもさわやかできもちよくなってしまう。とりあえずそろそろ飯を食おう。


     *


 いま一一時五分。サラダとハンバーグとパック米という昼間となにも変わらないメニューでもって夕食を取ると、それからまた日記をすすめ、二四日二五日をさっと書いて仕舞えていま投稿した。これで実質あと書いていないのはきのうのことだけなわけで、なかなかよろしい。二時半くらいから取り組みはじめて、ときおりからだをうごかしたり飯をはさんだりと中断はあったものの、きょうはいままでずっと日記に邁進していたわけで、けっこうな勤勉さだと言ってよいだろう。二〇日の分から一気に六日間もかたづけた。やはり瞑想と、瞑想的ストレッチでもってからだをととのえ、血をめぐらせて緊張をほどき、弛緩ではなくゆるめて気負いをなくすのが先決ですわ。からだがととのえばそのからだがやるべきことなど勝手にやりだす。いまはさすがにいくらか疲れたのでそろそろ布団にころがって休みたいが、できればきのうのこともきょうじゅうに全部でなくても書いておきたい。夕食時のサラダは豆腐を入れた。七×六で四二のちいさなピースを手のひらからキャベツのうえにすべらせて乗せると、長方形のそれらはキャベツの褥におうじてほんのちょっとだけ湾曲するような感じになり、イソギンチャクの触手みたいな、海のなかで水流に揺れるある種の海藻みたいななびきかた。その他リーフレタスやセロリはつかわず、トマトを周囲からかこんで立てかけるように置き、タマネギの皮を剝いてつかいはじめた。


     *


 その後はさすがに主に寝床でだらだら過ごしてしまい、二六日分にはとりくめず。三時四〇分ごろ就寝。


―――――

  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「英語」: 783 - 794
  • 日記読み: 2021/8/27, Fri. / 2014/2/6, Thu. - 2/10, Mon.

帰宅後に休んでから夕食を取るときに夕刊を取って一面をおもてに出すと、アフガニスタンはカブールの空港付近でテロがあって、米兵をふくむ七〇人以上が死亡とのおおきな報があった。きのうの新聞で、米政府が空港付近でテロが起こる可能性が高いと、かなりたしかな筋からの情報として発表しちかづかないよう警告したという記事があったが、そのとおりの事態になってしまった。実行犯はISISの人間で声明も出ている。米兵およびタリバンの検問(米国は検問にかんしてタリバンに協力してもらっている)をくぐりぬけて自爆し、その後銃撃もあったという。とうぜんタリバンとISISの内通がうたがわれるわけだが、タリバン側は自組織の人間にも被害が出ており共謀はしていないと否定、ISISのほうも声明で、タリバン兵をふくめて殺した、と述べている。また、もともとISISはアル・カーイダから離反した組織だから折り合いが悪く、近年ではタリバンの戦闘員をひきぬいたりもしていて関係は悪化していたようだから、共謀はなさそう、とのことだ。ISISはここ数年アフガニスタンで何度か自爆テロを起こしており、まだ勢力はある程度健在で、米軍の撤退が決まってタリバンが実権を掌握したタイミングで存在感を示そうとことにおよんだのかもしれない、と。四月に正式に米軍撤退を宣言してのちタリバンの電撃的進攻をゆるして政府もうばわれ、あげく自国民や協力者の退避中に自爆テロを起こされたとあってバイデン政権はとうぜん批判されており、米国の信用や影響力の失墜はまぬがれないところだろう。

     *

いま二八日の午前二時半で、うえでDeep Purpleと書いたからひさしぶりにDeep Purple『Made In Japan』などながしたのだけれど、"Child In Time"を聞きつつ、ハードロックとかヘヴィメタルっていうのはやっぱり基本的にダサい音楽なんだよな、とおもった。非常にマッチョで、言ってみれば天へ天へとただひたすらに高い建物をもとめた塔型近代建築みたいな音楽というか、どれだけ高い声でシャウトできるかとか、どれだけ速くギターを弾けるか、どれだけ長くツーバスでドコドコしていられるか、すくなくともひとつの側面ではそういうのを競いあう大仰なバカどもの音楽なのだ(能力合戦的な部分だけがこれらの音楽のダサさのよってきたるところではないだろうが)。それはダサい。ダサいが、そのダサさを離れたところでハードロックもヘヴィメタルもけっして成立しえないし、そのダサさと接したところでしかハードロックやヘヴィメタルの格好良さは生じえない。単に「ロック」と呼ばれる音楽とのちがいがそこにあるような気がする。ロックはまだしもダサさを逃れうる。しかしハードロックやヘヴィメタルは、ダサさとの拮抗のなかにしか存在しない。

2022/8/26, Fri.

 (……)朝飯前のことだが、うるさいことばかり言うやつの役回りをわたしにはさせないでほしい。そんなものとはかけ離れた存在だ。わたしは言いたいことを言ってい(end165)るだけで、いつだってそうしている。白癬に冒された自分の心を自由に転がすだけだ。どんな時でも自分の心を自由に転がせようということは、うんと昔、ニューオリンズの路地裏で5セントのキャンディバーをしゃぶって暮らしていた時に心に決めた。これは「馬鹿者」になるということではない。あるいはもしかしてそうなのかもしれない。いずれにしても、午前二時にここでこうしてビールをぐい飲みしながら、タイプライター・デスクの上に置かれた死んだ両親から誕生日の贈り物としてもらった二つに引き裂かれたデスク・ランプに挟まれ、座り込んで気が変になるようにと与えられたタイプライターを打ち、スリフティのドラッグストアで19ドルで買ったラジオから流れるひどいピアノ・ミュージックを聞いていると、わたしは喋っていて、今夜また仕事を辞めたばかりで、ここに帰って来て同封した詩のひどい行を三、四行削除しようとしていて、気がつくともう十一本も(ビールのボトルを)飲んでしまっていて、ははは、何を喋っていたのかな?
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、165~166; パロマピカソ宛、1969年後半)




 覚めて携帯をみると九時過ぎ。曇り日の薄暗さである。布団をからだの左脇にどけて、鼻から息を吐き出しつつ腹を揉んだり胸をさすったり。脚もさすったり、あたまを左右にころがして首を伸ばしたりもする。そうしてからだをセットアップして、九時三七分に起き上がった。カーテンをひらき、洗顔や用足しへ。口をゆすいでうがいもし、濡らしたタオルを電子レンジに入れるといつもどおり水を一杯飲む。冷蔵庫で保存しているので水は冷たく、起き抜けのからだではそういきおいよく飲めないが、きょうは寝床にいるあいだに息をよく吐いていたので、水の冷たさにからだがさほど刺激されないのがわかる。そうして蒸しタオルを額に乗せてからふたたび布団へ。日記の読みかえしはサボってしまい、ウェブを閲覧しながらからだをあたためていって、一〇時半過ぎに床をはなれた。屈伸などしてから椅子のうえで瞑想。一〇時四五分にはじめて一一時一二分まで座っていた。まあまあ。窓外では保育園の子どもたちがにぎやかにしており、いくつもの声がもつれた毛糸のかたまりのようにひとつに混ざり合っており、そこから一語だけでも浮かび上がって聞き取れるときはあまりない。じきに絶叫や悲鳴が生じる。ひゃーっという甲高い音や、もうすこし鈍いうめきで泣きだした子がひとりいて、そうするとかたまりぜんたいの調子もいくらか変わってやや分離してくる。瞑想を終えるとまた屈伸したり開脚したり、布団のうえでちょっとストレッチしたりとからだをととのえた。朝起きてからものを食わないうちに深呼吸しながらなるべくからだをあたためてしまうのがよいような気がする。
 食事へ。水切りケースやながしのまわりに置いておいたプラスチックゴミを始末。きのうスーパーでキャベツを買うのに薄手のビニール袋をもらってきたので、まえの袋はもう縛ってしまい、鋏で切ったりつぶしたりしたやつをあたらしいほうに入れる。そうして洗濯機のうえにまな板を置いてキャベツやトマトを切ったり。きょうはセロリはまだつかわず、そのほかリーフレタスと大根とハム。そうして冷凍のハンバーグと唐揚げを加熱し、サトウのごはんもあたためて米を食う。この食事中に日記の読みかえしをした。一年前には特段のことはない。二〇一四年は二月六日から一〇日までひとつづきになった一記事で、祖母が死んだときである。二月七日が命日。日記をいちにちごとに投稿しなかったことについては、「茶を飲みながらゆっくりと過ごし、近所のYさんをむかえて葬儀について話し合い、三時半にYさんとYちゃんが帰宅したあとは特別にやるべきこともなくなり、ようやく自由に過ごせる時間を得たものの、どういうわけか日記を書こうという気にならなかった。ノートに記録はつけているが、このぶんではもしかしたら祖母の葬儀が終わるまでは書き出すことができないかもしれない、むしろそのほうがいいだろう、と直感が告げたのでその通りにするつもりだった」とふれられている。なんだかんだ肉親が死んで動揺し、なかなか心身の整理がつかなかったのだろう。記事の冒頭には、「入浴をすませて十一時半も過ぎると一日の疲労が腰のあたりに重く沈んでいたが、日記を書かないうちは眠る気になりそうもなかった。日の終わりに文章をつづることでもってその日一日を完結させているような気がした。日記を書き終わるまではその日は終わっていない、だから翌日まで日記を書かないと、前日を持ち越しているような気がするし、書き終わったときには今日もまた無事に一日を終わらせることができたという安堵を得るのだった」とあり、これは二月五日の夜のことを言っているわけである。六日の昼にそろそろやばいようだと知らせが来て、以下のように書いている。

 母からメールが入っているのに気づいた。今夜あたり危ないと病院から連絡があったとのことで、こちらも電話をしてみると、母の声は意外と悠長で、今すぐかけつけるというような焦りはなく、夕刻、医者に薬を取りにいったあとで病院に寄ってみると言う。だからバイトも休まなくていいよ。しかしそんな余裕があるのか? まだ大丈夫だと思うよ、今夜って話だから、と母は根拠なく繰り返したが、こうしている今も危ないのではないか――いつどうなるかわからないと言われながらも一年以上命をつないできたが、そのあいだ着実に祖母は弱っていった。倒れた当初はいくらかまだ言葉も発したものの、やがて声が出なくなり、口を動かすこともなくなり、単なるうなり声すら消え、ついにはこちらを見ているその瞳に認識の色は認められなくなった。その一年と半年を通じて、少しずつ祖母を看取ってきたのだ。今となっては焦りも動揺もなかった。来るべきものが来るのだと感じた。もし自分が中学生の相手をしているあいだに起こることが起こっても、しかたがないと覚悟を決めた。とはいえ、やはりその瞬間はそばで見守っていてやりたいものだった。

 それで勤務後の夜から病院へ。病室にはいってさいしょに見た祖母のようすは以下のような感じ。

 車をおりて空を見上げると月も星も見えない暗夜だった。林の闇にまぎれてうごめく黒い影はどうやら狸らしかった。祖母は一目でもうだめだとわかった。顔はぱんぱんにむくみ、左目は閉じ、右目もほとんどあいておらず、わずかに見える瞳も焦点があっておらず動くこともない。まなじりに赤くにじんだ血のせいで目は余計に細くつりあがって見え、狐の面を連想させた。透明な緑色の酸素マスクでつないでいる呼吸は荒く、たんがからむとのどの奥でごぼごぼとくぐもった水音が鳴り、どこか獣の息づかいめいて聞こえた。看護士が壁に設けられた汚物吸入器に管をつないで口や鼻から挿入すると、容器のなかに赤くにごった液体がたまった。痛ましい色だった。

 それで一時帰ったりもしながら七日の夜まで病院に詰め、午後六時過ぎに看取っているが、この間もちろん、祖母が死んでいくこのすがたを書きのこさなくてはというきもちはいだいており、とうじのじぶんとしては気張っていろいろ記憶しようとしたはずだ。喉のうごきをよく観察しているらしい。「祖母ののどを見つめた。息を吐くとのどが引っこみ、吸うとふくらんで、その動きに合わせて酸素マスクもくもってはまた晴れていく。表情はもはや動かず、目も閉じて、今や生命の証左はわずかに収縮と膨張をくり返すのどの動き以外になくなった」、「K.Hさんがやって来たころには、祖母の呼吸は前夜の荒さをひそめたかわりに弱々しくなっていた。しばらくは静かな息がつづくが、たんがからむとぜいぜいとあえいで、一度大きくのどを動かしてどうにか飲みこむとまた落ち着いていく、そんなことをくり返していた」、「四時半過ぎに戻ると、祖母はもうかなり危なくなっていた。呼吸はさらにゆっくりと弱々しくなり、透明な酸素マスクがくもらないほどだった」、「次第にのどの動きが小さくなってきた。首の側面の血管がひくひくと動いており、それが何回か脈打つごとに息継ぎのようにいびきめいた息が入り、その間隔がどんどん長く、そして吐息は小さく短くなっていき、ついに呼吸が止まると、しばらくして脈打っていた血管の動きもなくなった。午後六時十分だった。医師が来て、聴診器を胸に当て、ペンライトで瞳孔を調べて、十八時十三分です、と告げた」と、ときどきの推移を追っている。じっさい、病室でうごかずベッドに寝た瀕死者をまえにして、わずかに生命と呼吸をたもって脈動するそこくらいしか目に見えるうごきがなかったのだろう。プルーストを読んだりもしている。記事には記されていないが、さいご、息がかんぜんにとまるすこしまえに、いちど首の血管のうごきがなくなって呼吸も止まったときがあり、いよいよかとおもってたしか(……)さんがおばあちゃん、と悲痛な声をあげたのだが、まもなくいびきみたいな音をちょっと立てながら呼吸が復活し、みなで笑ったという一幕があったことをおぼえている。
 二月七日の夜から大雪になって、八日は家のまわりの雪かきをしている。その日の分まで読んで切りとし、食器を洗うとクソを垂れた。便器に腰掛けて腸のなかのものを肛門からひり出しつつ、床のうえにまた髪の毛が散らばっているのを見て、まいど気づいたときに二、三分でいいから掃除すればよいのだよなとおもい、ケツを拭いて水をながすとペーパーとルック泡洗剤でもってまず洗面台を拭いた。台の縁には髭剃り用のカミソリと石鹸が置いてあるのだが、この石鹸は置き台といっしょに実家から持ってきて設置はしたものの、べつにつかう機会がないから開封すらせず紙につつんだまま放置していたもので、それをとりあげてみるとシャワーのときに水が当たるから置き台のなかには液体が溜まっているし、石鹸の裏側も紙が溶けてでろでろになっていた。さっさと開封しておけばよかったのだが、それをようやく剝がして始末。しかしつかう機会がないことに変わりはない。ボディソープもあるし、ながしのほうにハンドソープもあるし。それからおなじようにトイレットペーパーと泡洗剤で床もいくらか拭いて髪の毛や埃をとりのぞいておいた。そうして席にもどると腹を揉んで消化をうながしつつ音読。一時一〇分くらいからきょうのことを書きはじめて、いま一時四七分。二時半には出なければならないのにまだシャワーも浴びなければいけないし、なかなか猶予がとぼしい。洗濯はあした。


     *


 この日の往路は水色のみえない曇り空でありながら陽光がそれをものともせずに透けてきて、すこし粘っこいように熱がこもってなかなか暑かった。公園にはあそぶ子どもらのすがた。風、というか空気のうごきはたいしてなかった気がする。(……)駅のホームをわたるさいに階段通路から南の空をみやると、真っ白はそうなのだがその裏に陽もつつまれているので、しかしかといってつやが生じるほどのあかるさはないので、鈍いままあかるい粘土のようなおもむきがあって、なにかあまりみない質感だった。ホームではベンチについて目を閉ざし、駅前の木々から吐かれるセミの残声とあるかなしかの風の行き過ぎを身に受ける。
 電車に乗ってまず(……)に移動。この日は乗り換えのための時間がみじかいので手近の階段口からひとびとに混じって一段とばしであがっていき、(……)線のホームへ。下りていき、先頭車両にはいるといつもよりひとがおおいような気がした。いちばん端の座席も両端はすべて埋まっていたので、車両の隅っこに立って携帯とイヤフォンをとりだし、発車直後にFISHMANSを耳にいれはじめた。片手で手すりを持って立位のまま静止するが、やはり腹のなかに圧迫感があり、また喉には痰がやたら出てきてわずらわしい。出るまえにヤクを一錠足してきたためか緊張はそこまで感じないが肉体じたいはそれを受けた反応のありようをしめしており、鼓動もいくらか高めな時間がつづいて、ただそれが糖衣でくるまれたようにからだにつよくは響いてこず、明確な不安感に結実することはない。とはいえつねにその可能性におびやかされているとはいえて、路程のなかほどくらいまではおちつかなかったし、ちょっとやばげな瞬間もときに生じた。じきにからだがだんだんしずまってくる。ヤクの作用が浸透していったということでもあるだろうし、あとはやはり目を閉じてじっとしているとほぐれてくるところがあるのだろう。この日と前日の体験からして、やっぱり瞑想とか、呼吸式ではない瞑想的ストレッチをやってからだをよくほぐし、肉体の緊張感を溶かしておくのが大事なのだろうとおもった。じっさい瞑想をある程度いじょうすると内臓というか体内もこごりがなくなってかるくなることはある。内臓じたいが緊張するということがあるのだろう。
 (……)に着くと職場へ。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 退勤は九時二〇分くらい。帰路のことは特段記憶がのこっていないので割愛する。帰宅後、飯は食ったが、また休んでいるうちに意識を失っていたはず。
 

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  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「読みかえし1」: 299 - 309, 310 - 315
  • 日記読み: 2021/8/26, Thu. / 2014/2/6, Thu. - 2/10, Mon.


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Samantha Lock and Léonie Chao-Fong, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 184 of the invasion”(2022/8/26, Fri.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/26/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-184-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/26/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-184-of-the-invasion))

Shelling temporarily disconnected the Zaporizhzhia nuclear plant from Ukraine’s grid. Fires caused by shelling cut the last remaining power line to the plant on Thursday, temporarily disconnecting it from Ukraine’s national grid for the first time in nearly 40 years of operation, the country’s nuclear power firm, Energoatom, said.

2022/8/25, Thu.

 (……)文学教授たちがここにやって来て、わたしの金玉を舐めるが、彼らはみんな似たり寄ったりで、威張っていて、バカで、ヒョロヒョロと背が高く痩せていて、人生と厳しく向き合っているかのような作品を書こうとしている。くそっ。一年のうち三ヶ月を費やしてとんでもない長編小説に取り組み、ベッドにいるわたしを起こして自分たちの書いた詩を見せ……タフガイが主人公の……六パックのビールを一緒に飲み、わたしをじっと見つめるが、わたしがどうしてこんなに太って、くたびれ果て、擦り切れてボロボロで、不健康で、腹を立て、やる気がなくて無関心なのかまるでわけがわからない。あるいは違うタイプのやつらもいて、カリフォルニアの海辺で暮らし、ルイジアナにも家を持っている金持ちの俗物たちで、「家庭は人を貧しくさせ、創造の泉を涸らせてしまう」などとほざき、あなたから来た手紙をもとにしてモダンな長編小説とやらをでっち上げ、あなたが手紙を返してくれと言ってもそれには応えず、それというのもあなたにとってそれが生活の糧になるからだ。あなたは家賃を払うだけ。ついているではないか。そこで家賃が払えるようにさせておき、その一方であのくだらないやつらは英語の1や2の講義で学生たちにいったい何を教えているというのか? 死ぬほどおぞましい内容に違いない……食事にありつけなかったことなど一度もなく、へべれけになって床の上に倒れ込んだこともなく、はたまたまったく世に認められず、火をつけずにガスを三時間もつけっぱなしにしたこともないあの手の博士野郎ども……学生たちに何を教えるというのか???? 何を教えられるというのか? 何もない。だから、それゆえ、誰も彼もが自分をクールでインテリで聡明なように見せるが、それは外面だけのことでしかなく、内側からは何ひとつとして実らなかった何世紀もの歳月が生み出す魚の腐ったような嫌な臭いが。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、162~163; ハロルド・ノース宛、1969年2月26日)




 いちど六時ごろに目を覚ましたのだけれど、そのときなぜか足が攣った。左足の裏、その内側側面のあたり。さいしょ息を吐きつつ足を引き寄せ、該当部をさすることでだまそうとしたのだけれど根治にいたらなかったので、足を投げ出した姿勢にもどり、一時引き攣るのは我慢してからだのちからを抜き、すると短時痛くなってはいったんほぐれ、というのを二、三回くりかえしたあとにおさまったので、あらためてさすっておいた。あたまはけっこう冴えていたがさすがに睡眠がみじかいのでもうすこし寝ることにして、つぎにさだかに覚めたのは八時台後半。鼻から深呼吸しながら腹や胸などをさすりはじめる。そのうちにちょっと起き上がって布団を奥のほうにたたんで寄せ、また枕にあたまを乗せる。天井にふれているあかるみや室内の色をみるにあきらかにくすんだ曇りの日である。横を向いたときにカーテンの端をちょっとめくれば、それでも窓の白さがしばらく瞳を刺激する。九時一八分に起床。洗面所に行って顔を洗って用を足すと、ルック泡洗剤はもうほとんど出てこなくなっている。そのあとうがいをし、水を飲んで蒸しタオルを額に乗せると布団のうえにまた寝転んだ。いつもどおり日記の読みかえし。一年前にたいしたことはない。往路の描写もわるくはないが特段のものでもない。ただ、さいごの「正面先の丘からはセミの唱和がわきたち、スズメがどこからともなく、いろいろな方向からつぎつぎに渡ってきて線路のむこうの梅の木につどい、宙をすべっていく彼らの影が足もとの淡い日なたのなかにただの振動としてのみ映りこむ」というのにはちょっと、おお、とおもった。二〇一四年は二月五日分。またぜんたいにわざとらしさがあり、日記で小説をしたいという罠にはまっているようだ。この前日に雪が降っており、それを受けて「雪降りが過ぎた翌日の朝は穏やかに晴れていて、屋根を覆う雪が瓦葺きに沿って白い畝をつくり、宝石でも埋まっているかのようにところどころ小さな光を放っていた。木や屋根から融けはじめた雪のかけらがぱらぱらとはがれ、地面に降り立つと、陽光のもとで動きを止めた大気をわずかに震えさせた。まだ外の景色を目にしない寝床でその音を聞いたときは猫の足音を連想したのだった」と書いている一節だけはすこしよかった。あとこの時期はVirginia WoolfのKew Gardensを訳している。勤務後は職場の女子ふたりに菓子をくれともとめられてグミやチョコレートを買ってやったらしいが、これはいまやったら規定違反で怒られる。というかとうじも規定違反だったのだろうが、いまよりもそのへんゆるかったのでこちらはたまに生徒といっしょに近間のパン屋に行ってすこしおごってあげたりしていた。とうじの室長だった(……)さんに、駄目だからね、と言われてやめたおぼえがある。女子生徒と帰路をとちゅうまでともにしたらしく、「ついこのあいだ何の感慨もなく年が明けたと思ったらもうひと月が過ぎたのだ。自転車を押して隣を歩く十五歳の少女がもし同じように感じていたとしても、それはこちらの感覚とはかけ離れたものにちがいなかった。二十四をもむかえると、冗談めいて流れてゆく日々のはやさに対する驚きにもいくらか慣れてきた。隣の少女はいつだって馬鹿みたいに騒いで瞬間瞬間を楽しみつくすかのように生きているのだった。凍てついた夜の空気のなかで声はいくらか落ちついた響きをまとっていたが、その顔には教室にいるときと変わらない笑みが浮かんでいた」などとやや芝居がかっているが、この女子がだれだったのかはおもいだせない。さすがに八年前の生徒となると。とうじは勤務中のことを書く習慣でもなかったし、日記をはじめてまだ一年だからこちらの記憶力も観察力もまだまだ涵養されていなかった。ただひとりたしかにひとなつっこかった八重歯の少女がいてなんとなく顔が浮かぶが、かのじょは(……)というなまえではなかったか? しかしこの女子がその子かどうかはわからない。ただパン屋にいっしょに行って買ってあげていたのはかのじょだったはず。
 ウェブを見て一〇時半ごろ再度の離床。屈伸などもろもろしたり水をまた一杯飲んだのち、瞑想をした。一〇時五二分から。なかなか長くつづいた。窓外では子どもらがきょうは涼しいからたぶん保育園でエアコンをつけずに窓をあけているらしくにぎやかにしているのが聞こえるのだけれど、瞑想中はからだの感覚を主にみていたのでそれらがBGMとなってほとんど意識されなかった。これといってまとまった思念はない。安定的にながくつづいてからだはだいぶなめらかになり、四〇分くらいかなとおもって両手をうごかし顔や胸や腕をさすってから目をひらくと、一一時三二分だったからまさしく四〇分ぴったりだった。それから食事へ。あるいはそのまえに、きのう洗って置いておいたプラスチックゴミを始末したかもしれない。豆腐の容器などを床の上に置き、しゃがみこんで鋏で切り分け袋へ。そうしていつもどおりキャベツを細切りにするが、もうのこりすくなかったのでわざわざ葉を分解せずにそのままザクザクやった。そうして大根とタマネギと豆腐をくわえる。タマネギも使い切り、のこっている野菜はもう大根だけ。きょう図書館の返却日なので返しに行ったその帰路にスーパーで買い物してくるつもり。この大根とタマネギは一八日の木曜日に買ったものなのでちょうど一週間保っているわけで、タマネギがたしか八〇円くらいだったとおもうが、それで一週間つかえるならなかなかながいではないか。大根はまだのこっているし。サラダのほかはドラッグストアで買った丸大食品の唐揚げだが、これはさほどうまい品ではない。あと五個入りのちいさなクリームパンののこり。
 食事中は(……)さんのブログを読んだ。あいかわらず騒音問題がつづいているが、したの抗議のしかたには笑う。

 (……)ベッドに移動し、「地の果て 至上の時」の続きを読み進めながら眠気の満ちるのを待っていたのだが、それまでもちょこちょこ騒がしかった上階から女の喘ぎ声がしはじめて、なんかリゾート時代を思い出すなとげんなりしながらスマホで時刻をチェックすると2時半だった。さすがにこれを注意する気にはなれないし、足音や椅子をひきずる音に比べたら全然たいしたことないアレなので、まあいいやとひきつづき書見していたのだが、一戦交えてひと息ついたころだろうが、ものすごく巨大なものをひきずるガリガリガリガリガリ! というクソやかましい音が頭上で響きだして、さすがにこれにはブチギレた。たぶん激しいセックスのせいで動いてしまったベッドをひきずって元の位置に戻したとかそういうアレだと思うのだが、たいがいにしろよと、いま何時だと思っているんだとあたまにきたので、椅子を頭上にもちあげてベッドの上に立ち、その椅子の脚で天井をガンガン叩いて「死ね色情狂が!」と抗議した。ここは学び舎の寮やぞ! 色事はよそでやれ!

 (……)さん当人からすれば迷惑千万だろうが、はたで読んでいると笑ってしまう。よほどうるさくて激怒してももおれぜったいこんな文句のつけかたできないわ、とおもった。そもそもここ一〇年ほどで他人にたいして声を荒らげたり、てめえ、みたいな口調になるほど怒った記憶がほぼない。むかし手のつけられない小学生が塾にいたときと、父親との悶着くらいだ。小学生というのは(……)というなまえで(「(……)」という読みだがこの字で合っていたかどうかは自信がない)、まだ三年くらいだったはずだがあそんだりあばれまわったりしてどうにもならず、とうじはこちらもまだにんげんができていないからさすがにいらだって、いちど荷物を入り口のほうまで持っていって投げ捨て、おまえはこの塾に必要ない、ここにいると邪魔だから帰れ、と言ったことがあった。少年はやだ! と言って帰らなかったが。その件はばあいによってはふつうにクレームになっておかしくなかったはずだが、家庭になんらか事情があったようで親もあまり子どものことをかまっていなかったのだろうか、いずれにせよそういうことがあったということが親に伝わりもしなかったのだとおもう。ちなみにとうじの室長は(……)さんで、この件があったあと入り口のところで、ありがとうね、おれのかわりに怒ってくれて、言いたいこと言ってくれて、と礼を述べられたが、べつにそんなつもりはなく、こちらはふつうにムカついたのでとにかく邪魔だし帰らせようとおもっただけだ。塾でこちらが苛立ちをおぼえる生徒というのは、やはり小学生にかぎられている。中学生になると自我がかたまってくるからたいがい言うことは通じるし、やんちゃなやつでもそれ相応の論理と態度があるから対応はしやすい。(……)少年に関連していえばかれの姉である(……)という女子もなかなかの悪ガキで、とうじ小五か小六だったはずだが、とにかく口がわるく、こちらを馬鹿にするようなこととか文句とか暴言とかわがままとか、四六時中際限なく吐くような感じだったからそれは苛立ちもする。かのじょと同学年で(……)ちゃんという子もおり、この子は生意気といえばそうだがちょっとちがって、なんというかやや中二病に寄ったというか、それもちがうのだけれど、ほかの平均的小学生とちょっとずれたような感じがありつつ、それはべつによいのだが、たしかこちらになんとかいうあだなをつけていて、わりと馬鹿にするようなことを言っていたはず。とはいえかのじょのそれはかなり毒性の高い(……)のものとはちがって、もうすこし邪気のないものだったからたいしたことはなかったのだけれど、ただ(……)ちゃんはたびたびバシバシこちらのからだをたたいてきて、それがかなり強いのでけっこう痛かった。小学生で苛立ちをおぼえたあいてはあとふたりおり、ひとりが(……) 。とうじ小五、小六。二〇一六年、一七年くらいの生徒だったはず。わりと近所というか実家の最寄り駅前のマンションに住んでいて塾外で顔をあわせる機会もおおかったのだが、歳を取るにつれてだんだん生意気になってきて、授業中もちゃんとやらなかったりこちらのはなしを聞こうとしなかったものだから一、二度キレかかったことがあったのだけれど、ただそのとき怒りの感情が盛り上がって鼓動が高まるにつれて体内が苦しくなって声を出したりことばを発することができなくなり、(……)は不思議そうに、どうしたの? という感じで見ていたのだけれど、緘黙ってのはこういうことなんだな、と理解したのだった。これはその後の変調のひとつのまえぶれというか、心身がやはりまだ疾患からのがれきってはいなかったことのあらわれだったとみてもよい。あとひとりは(……)さんで、かのじょはいまもかよっており、さいきんはあたっていないが去年くらいからけっこうみていて、よくしゃべるしわがまま放題でやりたくないところをやらなかったり、席を立って遊びに行ったりとあって、一時期苛立つことはあったのだけれど、こちらも歳を取ってよほど鷹揚になり、怒りの感情をおぼえることじたいがじぶんの精神衛生にわるくてめんどうくさいから、あきらめてまあ好きなようにやらせてやるかと菩薩のこころで接し、いろいろはなしを聞いていたところ、なんかかえってそのほうが言うことが通じるようになった気がする。さいきんはどうなのかわからないが。ちょうどきのうの勤務でひさしぶりにすがたを見かけたが。
 ここ一〇年どころかことによると生きてきたあいだでこちらがもっとも怒りをおぼえたのは父親との悶着の件であり、要は父親がいい歳こいて母親にたいしてババアとか暴言を吐いたり、すぐ大声を出して威圧したりと幼稚なふるまいを取っていたことだけれど、実家にいたころはそれで二度衝突した。そのうちの一度目はむこうがこちらの首を締めるかのようにつかんできたから必然つかみあいになり、とはいえもちろんじぶんは体格的に貧弱だから余裕で負けて洗面所と浴室の境の壁に追いやられたのだけれど、そのときはさすがのこちらも、てめえふざけんなよみたいな感じで暴力的な口調になった。ぶち殺すぞまでは行かなかったが、こころのなかではもちろんそうおもっていたわけだし、その後もおりにふれては殺すぞとはおもっていたし、父親の不愉快千万なふるまいを見聞きするたびに苛立ちとともに、今後これに堪えられなくなったら悶着の拍子にほんとうに衝動的に殺すことになるかもしれない、そういうこともあるかもしれないし、もしそうなったとしてもじぶんはべつに後悔しないだろうとおもっていた。いまは実家をはなれて距離を取ったので、そうするとにんげんいくらかやさしいきもちをとりもどせるものである。二度目の衝突はおなじことなのだけれど、このときはこちらもこいつはもう駄目だなとおもっていたし、激怒というほどのことはなくて、あいてがまたつかみかかってくるというかこちらのからだを押してくるのにやりかえす気も起こらなかったし、まえにもやめてくれって言ったのに変わってないのは、わるいとおもってないってことでしょ、反省してないってことでしょ、と言ったら、おまえはなんのたちばで、なにさまのつもりでそんなことを言ってんだ? おれがこうやって手を出すのは、おまえがそういうふうに口がうまいから、わざとおれを怒らせてそうさせてるんだよ、おれが怒って手を出すようなことをわざと言ってんだろ、とか陰謀論者めいたことを言い出したので、むしろ笑ってしまった。こちらとしてはもちろんそんな意図はなく、たんに母親のことを馬鹿にするようなことばを吐いたり、すぐ苛立って声をおおきくしたりするのは不愉快でよくないからやめてくれ、だいいち母親じしんだって嫌がっている、というだけのことだったのだ。反省していないと言われて激怒したというのは、じぶんでも身に覚えがあるというか、脛に傷持つ感がすこしばかりはあったということだろう。あとはおまえは三〇も越えて正職にもつかずに実家にいてまいにちなにをやってるのかもよくわからんし、そんなやつにじぶんのふるまいをただすようなことをいわれるすじあいはないというこころもあっただろうというか、それがいちばんおおきかったのではないか。それはおごりというものである。たしかにこちらは経済的主体としてはほぼ無能だったし(いまもそうだが)、経済的にだいたい依存しているということは精神的にもいくらかは依存しているということだろうから、たちばとしては褒められたものではなかったが、そうはいってもこちらもおなじ家のなかにいてそこで起きることに影響を受けるわけで、いやなことがあったらちょっといやだと言うくらいのことはしてもよいではないか。しかも、いやどころか、とんでもなく不快でストレスフルだったのだから。とはいえとうじもけっこうかんがえたのだけれど、この点をつきつめてかんがえると微妙というか、この件を道徳的問題としてとらえるとして、経済的に親に依存しているという継続的状況と個別断続的なある種のふるまいと、道徳的によりよくないのはどっちなのかよくわからん、みたいなことになってくるし、そのようにもろもろ理屈をこねたところで無駄というか、父親のいいぶんは偉そうなことを言うなにおおかた尽きるわけだから、それにどのようなかたちのものであれ理屈や正論をぶつけたところでたいして説得的ではないし、そもそもこちらには説得する気などなかった。とにかく不快だからやめろ、いますぐこの世から消えろ、というだけのことだったのだ。もし父親のふるまいを真に変えたかったら(その後、かれじしんも家にいづらいというか、母親と顔を合わせてばかりいても互いに窮屈だとか、いろいろ言われてうるさいし肩身が狭いというおもいがあったのか、山梨にちょくちょく行くようになり、そうするとやはり距離を取って余裕が生まれるから、こちらが不快におもうようなふるまいはあまりしなくなったようだったが)、まずおちついてはなしができる関係や状況や環境をととのえなければならず、そのためにはある種あいてに「取り入る」ことが必要なわけである。しかしこちらはとてもでないがそんなことをやるつもりもやれるつもりもなかったので、よほどのことがなければもう放っておいて我慢するということに決め、そのうちにここにいても埒が明かねえしともかくももう出ちまおうと、齢三二にいたってようやくそういうこころもちになった足の遅さでこの部屋に来たが、ここに来たところでもちろん変わらず埒は明いていない。
 食事中と食後はあとGuardianのウクライナ方面の記事をふたつ。Samantha Lock, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 183 of the invasion”(2022/8/25, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/25/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-183-of-the-invasion)とDan Sabbagh, “Five predictions for the next six months in the war in Ukraine”(2022/8/24, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/24/five-predictions-for-the-next-six-months-in-the-war-in-ukraine)。その後皿洗いしたり屈伸や背伸びしたり。手の爪も切った。FISHMANSの"バックビートに乗っかって"をイヤフォンから聞きながら机で切ったのだけれど、ドゥードゥドゥダダッドゥデッデッドゥーというさいしょのベースラインがながれだした瞬間から、いやめっちゃ音いいなとおもった。あとキックも。とちゅうの、「世田谷の空はとても狭くて」のところでベースなどが消えてドラムがむき出しになるけれど、そこのキックの響きなんてとてもきもちがよい。さいきんはFISHMANSを出勤の往路に携帯でしか耳にしていなかったからだろうが、パソコンにSansuiの古いアンプをつなげただけで、イヤフォンはDENONのたしか二〇〇〇円もしないような安物であるにもかかわらず、なにも問題なく満足できる。安い耳である。柏原譲のベースって日本のロックのひとのなかでも、プレイにしてもトーンにしてもやはりなにか際立っている気がするのだが。よくあんな重いトーン出せるなと。そうして音楽を耳に入れながら爪をやすり終えて、ちょうど曲も終わったのだが、活動や作業のまえに一、二曲であれ音楽をじっと聞いて英気を養う、これこそにんげんのもつべきすばらしき生活というものではないかとおもって、もうすこし聞くことにした。まいにちそうできればよいのだが、なかなかむずかしい。聞いたといっていつもの曲目、まず直後の"WALKING IN THE RHYTHM"を聞いたが、この曲は一三分もあるわけだ。John Coltrane Quartetかよとおもうけれど、一三分聞いてもぜんぜんながくない。すごい曲である。無数の声でタイトルがくりかえされる終盤だっていざ聞けば退屈でなく、きちんとつくられている。声がだんだん消えていって、かぼそいラジオみたいな音響で下方にまとまり、同時になにか風の吹くような音が一定のリズムではいってきて、そのままこの曲のビートとはちがうひとつの律動のかたちとなったそれらのちいさな音響がさいごまで持続する。すばらしい。しかもこの曲はさいしょからさいごまでおなじひとつの短いコード進行を変えずにひたすらループさせ、そのうえですべてが展開する。驚異的である。
 それからまた六一年のBill Evans Trioの"All of You"をテイク1から3までぜんぶ聞くかとおもい、それ用のプレイリストつくればいいじゃんとおもって三曲入れたのだけれど、Amazon Musicにある白いジャケットの三枚組『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』は、まえにも書いたとおりなぜかディスク1の"All of You (take 1)"だけがべつのときの音源になっていて、それがいまだになおっていない。なのでそれだけほかのアルバムから持ってきたが、まちがえて終盤に編集ミスがはさまっているやつにしてしまった。テイク2は白ジャケのやつで問題ないが、テイク3も白ジャケのアルバムは取り違えられているテイク1の音源となぜかまったくおなじものになっており、それをわすれていたのでおなじ音源のバージョン違い、縁に赤線がはいったやつをながしてみたところ、これはめちゃくちゃ加工的な音質になっていて、シンバルがやたらシャリシャリいっていたりして気持ちが悪く、これでは駄目だとなった。けっきょく、このライブをAmazon Musicで三枚組で瑕疵なく聞くのは無理そうだなと判断し、照明をバックにEvansの横顔が右下にあるジャケットの、三枚セットではなくて一枚ずつに分かれた音源をマイミュージックに入れておき、"All of You"もそれらから三曲、プレイリストにそろえておいた。
 "All of You"はテイク1を聞いているとやはりすごく、テイク2はMotianがずっとブラシで単調なバッキングをしてうごかないからこの三つのなかではもっとも地味だと言ってよいかもしれず、ただそのぶんEvansとLaFaroの対峙がみえると言えなくもない。テイク3はテイク3でまたちょっとほかとはなにかちがった感じがあって変だ。明晰な意識で目を閉じて音楽を聞くと、聞くというよりほぼ音を見ているような感覚になり、まぶたをとざされた視界のなかに音の配置と軌跡が抽象的な図として映るかのようなのだけれど、そうしてみると音楽ってやっぱり形式的純粋により近いような、じつに幾何学的な芸術なんだなあと(これもベルクソンがいう時間の空間化か?)。もちろん抽象形式だけではなくてトーンやニュアンスなどもあるけれど。ただこのBill Evans Trioを聞くときは、線と点と面でできている三者の軌跡の交錯を空間的に目の当たりにするという感がつよく、こちらの脳内もしくは意識内の表象の場のなかでそれらが踊っているようなイメージになる。音じたいがダンスしている。LaFaroのほうがうごきがはげしいからあきらかに踊りまくっているとおもわれるかもしれないが、意外にもEvansも、LaFaroとはちがうやりかたでかなり踊っており、ときに軽快に跳ねるようなことすらある。そういうのをじっと聞いているもしくは見ていると、メロディやフレーズを音楽として聞いているというより、それとはなにかべつのもの、そこにある音そのものを聞いているような感じが生まれる。音楽とは音のダンスだったのだ。音がダンスすることで音楽を形成する。そういうことだったのだ。とはいえこれはBill Evans Trioもしくはジャズに特有のものかもしれず、たとえばFISHMANSを聞いておなじようにおもうかというとまた違う気がする。
 それでもう二時を越えてしまい、シャワーを浴びたりして三時。あと食後に洗濯もして、きょうは曇りでひかりもぬくみもとぼしいのでなかに干した。さきほどものを食ったばかりなのだがなぜかまた腹が減って、冷凍の唐揚げやヨーグルトをまた食ったりし、きょうの記述をはじめたのはけっきょく四時ごろだったのではないか。それでいまもう六時一七分にいたっている。図書館に行かなければならないのだが。


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 いま二六日の零時三七分。東京新聞を見ていると、「暑すぎる中国南部、電力・飲用水・収穫がピンチ 四川などで計画停電延長、イルミネーションも自粛」(2022/8/25)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198045(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198045))という記事があった。(……)さんもまいにち四〇度でクソ暑いクソ暑いと言っているが、こんな状況だったのだ。記事中に写真が載っているが、重慶では熱波によって川が一部干上がっているらしい。やばすぎじゃない?

 【北京=白山泉】中国南部が「60年に一度」ともいわれる熱波に見舞われる中、四川省重慶市計画停電を当初の予定より延長している。影響は工業用電力だけでなく、一部の商業用電力にも拡大。熱波による干ばつが飲用水不足を引き起こしているほか、流域の農村部では秋の収穫に影響が出る恐れもある。
 中国中央気象台によると、25日も四川省重慶市江西省など長江流域で最高気温が40度を上回り、高温は29日ごろまで続く見込み。
 電源の8割を水力発電に頼る四川省は15~20日の予定だった工場の計画停電を延長した。中国メディアによると、計画停電の影響で四川省の電池メーカーが大幅に減産。商業施設はエアコンやエレベーターを停止し、電気自動車の充電スタンドは夜間だけの使用にとどめるなど民生用の電力にも影響が出ているという。
 停電が続けばサプライチェーン(供給網)への影響が懸念されることから、四川省成都にあるトヨタ自動車の工場では22日から自家発電で稼働を再開している。
 中国メディアによると、重慶市では市内90のダムが干上がり、約60万人の飲料水の確保が困難になっている。長江の水位が低下し、河川物流にも影響が出ているという。24日に開いた国務院常務会議では、李克強首相が人工的に雨を降らせるなどして水源を確保する方針を示した。
 長江流域での干ばつや電力不足の深刻化を受け、下流にある上海市は観光地の外灘(バンド)のイルミネーション点灯を22、23の両日、自粛した。


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 いま二七日の午後一〇時二〇分ちょうど。この日は午後七時前くらいに図書館にむけて外出。本を返さなければならなかったので。そうして帰りにはスーパーで買い物もした。道中、道のことはもうわすれたのではぶくが、電車内で緊張が高潮したことは記しておく。七時ごろの電車に乗ったわけだけれど、平日でこの時間はとうぜん帰宅にむかうひとびとでけっこう混んでおり、といって満員というほどではなくこちらが立った扉際も反対側はあいているくらいだったが、ヤクを一粒しか飲んでおらず追加せずに来たので目をつぶって揺られているうちに緊張が腹にわだかまって心臓が加速しだしたのだ。あまり吐きそうという感じではなかったが、みぞおちと臍のあいだが熱をもってひりつき、どくどくいうはげしめの脈動がからだにひびいて息苦しくなり、できればその場から逃げ出したくなるような感じ。つまりパニック障害の典型的な小発作で、まあふつうになんとかやりすごしたが、やはり電車は二錠飲まないとまだむずかしいなと判断された。それで帰路は電車に乗るのが不安になり、どうせだから歩いて帰ろうかなと、こういう機会でもなければなかなかあるこうとしないからそうしようかなとおもいつつ図書館から駅までもどっていくと、足が改札に向かないのでそうしようと決めて南口に抜け、やや南下したあと左折してひたすら東にあるいた。事前に駅通路内の地図看板でここをまっすぐ行けば(……)のまえにいたると確認していたのだが、これは二〇二〇年のはじめだったかに(……)家からおなじくあるいた道である。とちゅう、ここのFamily Martはたしかにみおぼえがあるなとか、この幼稚園もみおぼえがあるな、とみた。それで出た交差点は先日夜歩きしたときに反対側から来たところで、だんだん周辺のマップがあたまのなかで更新されている。(……)駅から(……)付近までは意外とかからず、二〇分くらいだったのではないか。三〇分はあるくとおもっていたのだが。実家から(……)駅までのほうがながい。
 図書館では借りていた三冊を返却。カフカ全集は書抜きが終わっていないのでこんどまた借りなければならない。それでブランショの『文学空間』を読まなければならないし、借りてもなんかあれなのだけれど、しかし書架を見て借りる気になったらとりあえず借りるだけは借りるかとおもって日本の小説から見分し、すぐに海外文学にうつって英米の詩のあたりをみていると、ゲイリー・スナイダーに目がとまって借りようかなという気になった。著作は三冊あり、『ノー・ネイチャー』というやつと、『絶頂の危うさ』というやつと、あと一冊なにかあったとおもう。また研究書がそれらのとなりに一冊あった。スナイダーじしんのあと一冊というのは、『リップラップと寒山詩』というやつだ。ゲイリー・スナイダーコレクションの一冊。このコレクションはたしか全四冊だったか? わからん。それで『絶頂の危うさ』がタイトルとしてかっこうよいのでこれを借りることに。その他目にとまったのはオーデン詩集とかパウンドとか。もう一冊借りてしまおうかなとそこから海外文学の棚を順番にたどってけっこう丹念に見ていき、ハイネ詩集があったのかとか発見するのだけれど、ドイツフランス南米ポルトガルイタリアロシアとたどっていちばん端のギリシアとかまで来てもうーんと決めきれず、一冊でいいか? とおもいつつ通路をもどって、日本の小説でも借りておくか? とふたたびはいってみるとそこに乗代雄介があったので、『旅する練習』を読んでみるかとそれを取って貸出しに行った。ちなみに新着図書には髙山花子の『鳥の歌 テクストの森』。これは春秋社のウェブサイトで連載していたもので、(……)くんにいぜん紹介され、同年代でこれを書いているのは勝てないとおもった、こんな文章はじぶんには書けない、とかれは称讃していた(とはいえべつに、(……)くんには(……)くんの主題や書き方や文体ややりたいことがあるわけで、勝ち負けではないとほんにんも付言していたが)。このひとはブランショの研究者で『ブランショ レシの思想』という本も出しており、これはフランス文学の区画にたしかあったはずだが、『文学空間』を読書会で読むからにはこれもほんとうは読んでおいたほうがよいのかもしれない。しかしまだその余裕はない。ブランショだと『謎のトマ』や『終わりなき対話』も棚にあり、前者はかなりむかしにいちど読もうとしたが挫折したおぼえがある。


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  • 「ことば」: 1 - 5
  • 「英語」: 771 - 782
  • 日記読み: 2021/8/25, Wed. / 2014/2/5, Wed.

出勤路へ。セミの声はまだだいぶのこっており、公営住宅脇の公園前をとおるときはそこの桜の木からジージーいう音が迫ってきたし、十字路周りの木立もざわざわした音響で埋められている。坂下ではまだ、涼しくもないけれど空気のうごきもあってさほど暑くないようにおもわれたのだが、坂をのぼればどうかなとおもいながら踏んでいくと、じっさいのぼりきるころには汗がべたついていた。坂のなかでは平ら道よりも空気がうごいて風らしくなり、とちゅうから涼しさが出てきたがそれは汗が湧いたからだろう。空は雲にまみれていてすきまにかぼそく覗く水色も希釈されているものの、坂を抜ければ太陽は駅のむこうの北西にあらわれていて、雲海に溶けひろがっているので陽射しはさほど甘くはないが、そのなかをホームに移動すると汗が盛り、先のほうで止まって立ち尽くしてからハンカチで首や額や頬や胸を拭かざるをえなかった。服の内では胸のほうは肌着が貼りついているのがわかり、背では汗の玉がいくつも皮膚をころがっていく。涼気が身に触れて抜けていくけれど、その涼しさはやはり大気のものというよりも汗の量の証左であろう。ハンカチを何度か顔のまわりにあてなければならない。正面先の丘からはセミの唱和がわきたち、スズメがどこからともなく、いろいろな方向からつぎつぎに渡ってきて線路のむこうの梅の木につどい、宙をすべっていく彼らの影が足もとの淡い日なたのなかにただの振動としてのみ映りこむ。


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Samantha Lock, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 183 of the invasion”(2022/8/25, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/25/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-183-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/25/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-183-of-the-invasion))

Russia plans to disconnect Europe’s largest nuclear plant from Ukraine’s power grid, risking a catastrophic failure of its cooling systems, the Guardian has been told. Petro Kotin, the head of Ukraine’s atomic energy company, said Russian engineers had drawn up a blueprint for a switch on the grounds of emergency planning should fighting sever remaining power connections. “The precondition for this plan was heavy damage of all lines which connect Zaporizhzhia nuclear power plant to the Ukrainian system,” Kotin said.

At least 22 people have been killed and 50 wounded in a Russian rocket strike on a Ukrainian railway station, as the country marked a sombre independence day, and six months since Moscow’s invasion started. Ukraine’s president, Volodymyr Zelenskiy, said the rockets struck a train in a station in the town of Chaplyne, about 145km (90 miles) west of Donetsk in eastern Ukraine. “Chaplyne is our pain today. As of this moment, there are 22 dead, five of them burned in the car, an 11-year-old teenager died,” he said adding that the death toll could increase as rescue operations continue.

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US president Joe Biden confirmed a further $3bn (£2.5bn) in military aid, including anti-aircraft missiles, artillery, counter-drone defences and radar equipment. US officials said the equipment, which will have to be ordered and will not be delivered for months or years, represented a longer-term investment in Ukrainian security. It is the biggest tranche of US military aid to date.

Moscow is making preparations to stage referendums in Russian-occupied areas of Ukraine, according to US intelligence. “We have information that Russia continues to prepare to hold these sham referendum in Kherson, Zaporizhzhia, and the so called Donetsk and Luhansk people’s republics,” spokesperson for Biden’s national security council, John Kirby, said. “We’ve also learned that the Russian leadership has instructed officials to begin preparing to hold sham referenda, particularly in Kharkiv as well. And these referenda could begin in a matter of days or weeks.”

Plans by Russian-backed authorities to try Ukrainian prisoners of war in Mariupol would be a “mockery of justice”, the US secretary of state spokesperson, Ned Price, said. “The planned show trials are illegitimate and a mockery of justice, and we strongly condemn them,” he said on Wednesday.

Russia has claimed that the slowing pace of its military campaign in Ukraine is deliberate, and driven by the need to reduce civilian casualties. Russian defence minister, Sergei Shoigu, said: “Everything is being done to avoid casualties among civilians. Of course, this slows down the pace of the offensive, but we are doing this deliberately.” Ukraine’s top military intelligence official, Kyrylo Budanov, said Russia’s offensive was slowing because of moral and physical fatigue in its ranks and Moscow’s “exhausted” resource base.

Britain is importing no energy from Russia for the first time on record. Figures from the Office for National Statistics (ONS) released six months after the start of the war found that in June the UK’s imports from Russia were down by 97% and stood at only £33m as sanctions took effect.


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Dan Sabbagh, “Five predictions for the next six months in the war in Ukraine”(2022/8/24, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/24/five-predictions-for-the-next-six-months-in-the-war-in-ukraine(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/24/five-predictions-for-the-next-six-months-in-the-war-in-ukraine))

1. The war will probably run on for a year at least but is essentially deadlocked and its intensity is lessening

(……)

There have been no negotiations between the two sides since evidence emerged of the massacres at Bucha, Irpin and elsewhere in territories occupied by the Russians north of Kyiv. But movement in the frontlines has been minimal since the fall of Lysychansk at the end of June. Both sides are struggling for momentum and increasingly appear combat-exhausted.

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2. Ukraine has no means of effective conventional counterattack, while guerrilla raids are an optimistic way to precipitate a Russian collapse

Ukraine would like to retake Kherson, on the west of the Dnieper river, but a senior administration figure admitted in private that “we do not have enough capacity to push them back”. Kyiv has shifted its strategy to mounting long-range missile attacks and daring special forces raids on Russian bases deep behind the frontlines.

The key presidential adviser Mykhailo Podolyak said the aim was to “create chaos within the Russian forces”, but while this will blunt the invader’s effectiveness, it is not likely it will lead to invaders collapsing in on themselves and voluntarily conceding Kherson, as some Ukrainian officials have hoped.

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3. Russia still wants to pound its way forward but its attention is likely to be shifting to holding on its gains and annexing Ukraine territory

Russia has no new offensive plan other than to mass artillery, destroy towns and cities and grind its way forward. It does this in part because it is effective, and in part to minimise casualties, having lost, on some western estimates – 15,000 dead so far. It continues to adopt this strategy around Bakhmut in the Donbas but progress is slow, partly because it has had to redeploy some forces to reinforce Kherson.

The Kremlin may not have achieved what it hoped at the beginning of the war, but Russia now holds large swathes of Ukrainian territory in the east and south, and is actively talking about holding annexation referendums. With cooler weather fast approaching, it is likely to focus on consolidating what it has.

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4. Winter will precipitate a fresh refugee crisis and create an opportunity for whoever can best prepare

Winter is uppermost in strategic thinking for both sides. Ukraine is already anxious about humanitarian issues because there is no gas heating available for apartment blocks in Donetsk province and other frontline areas. One humanitarian official predicted there would be a fresh wave of migration in the winter, with perhaps as many as 2 million people crossing the border into Poland.

Russians sees winter as an opportunity. Ukraine fears Russia will target its energy grid, making its heating dilemma more acute, and could simply turn off the vast Zaporizhzhia nuclear power station. Moscow also wants to prolong the west’s pain over energy costs and has every incentive to rack up the pressure.

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5. The west needs to decide if it wants Ukraine to win or just hold on – and it needs to match humanitarian help to the huge need

Ukraine would have been defeated without western military aid. But at no point so far has the west supplied enough artillery or other weapons, such as fighter jets, that would allow Kyiv to drive the invaders back. Politicians talk about the need to force Russia to the prewar borders but do not provide enough materiel to do it.

At the same time, Ukraine’s humanitarian need is growing. There is, for example, nowhere near enough money for reconstruction – and many homes north-east and north-west of Kyiv remain ruined five months after the Russians left, often with despairing residents living in garages or temporary structures on site.


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「政府の原発再稼働方針は「独裁的」 東海第二周辺住民「事故が解決した印象与える恐れ」」(2022/8/25)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198073(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198073))

 政府が来年夏以降、日本原子力発電東海第二原発茨城県東海村)を含む7原発の再稼働を目指す方針を示した。ただ、同原発の30キロ圏内の人口は全国最多で、自治体の避難計画策定が難航し、稼働への同意手続きもまったく見通せない。手順を無視した政府の方針表明に、地元からは批判の声が相次いだ。(原発取材班)

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 東海第二は東日本大震災で被災し、その経験から全国で初めて地元同意の対象が立地自治体だけでなく、周辺自治体にまで広がった。ただ、同意手続き以前に避難計画の策定でつまずいている。
 避難計画の策定が義務づけられる原発から30キロ圏内の人口は、全国最多の約94万人。多数の住民の避難方法を定めることは困難を極め、14市町村のうち9市町村は計画の策定すらできていない。約27万人が暮らし、避難計画がまだ策定されていない水戸市防災・危機管理課の保科竜吾副参事(46)は「避難するバスの確保など課題が多過ぎる」と頭を抱える。

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 実際には再稼働ができない可能性も残る。水戸地裁は昨年3月、避難計画の実効性を問題視し、原発の運転差し止めを命じており、判決が確定すれば廃炉は免れない。原電によると、東海第二は津波に備える防潮堤などの事故対策工事の最中で、2024年9月までかかる見通し。広報担当者は「来年夏から冬に稼働できる状況にない」と言い切った。


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「安倍元首相の国葬法の下の平等に反する」 木村草太教授 客観評価で説明を」(2022/8/19)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/196806(https://www.tokyo-np.co.jp/article/196806))

 「安倍元首相だけ特別扱いする理由があるのか。安倍氏にのみ当てはまる『国葬を行うべき理由』を説明できないなら、憲法の平等原則に違反する」。木村氏は問題の根幹を指摘する。
 憲法の平等原則は14条で、すべての国民は「法の下に平等」と宣言していることを指す。
 岸田文雄首相は安倍氏国葬実施の理由に関し、憲政史上最長の8年8カ月間の首相在任、経済再生や外交での大きな実績、選挙中の蛮行による死去で国内外から哀悼の意が寄せられていることなどを挙げる。
 木村氏は「『大きな実績』というのは、岸田内閣の主観的な評価にすぎない。国が行う儀式の対象とする以上、首相の功績の大きさは客観的評価が必要だ」と疑問を投げかける。

 憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 ②華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
 ③栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

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 「公金使用を正当化する公共目的があるか」との点も木村氏は問題視する。
 2020年の中曽根氏の葬儀は内閣・自民党合同葬で約1億9000万円を国と自民党が折半。今回の国葬は全額国費で、国の支出は大幅に上回る可能性がある。
 木村氏は「現状、岸田首相や閣僚の安倍氏の功績をたたえたいという感情に共感を求めることが国葬の目的と見ざるを得ない」と批判。「主観的な感情を広めるのは公共目的とは言い難く(内閣府設置法に基づく)内閣府の所掌事務の範囲外で違法ではないか。思想信条の自由の侵害にもなり得る」と警鐘を鳴らす。
 今後の首相経験者の葬儀も、国葬か否かは内閣の一存で決まることにもなる。木村氏は「公金支出には基準が必要だが、国葬の基準を決めるのは現実的には容易ではない」と指摘した。


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Peter Beaumont, “Lawrence Freedman: ‘Autocracies tend to make catastrophic decisions. That’s the case with Putin’”(2022/8/21, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/21/lawrence-freedman-autocracies-tend-to-make-catastrophic-decisions-thats-the-case-with-putin(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/21/lawrence-freedman-autocracies-tend-to-make-catastrophic-decisions-thats-the-case-with-putin%EF%BC%89))

2022/8/24, Wed.

 (……)酔っ払って、人生はほんとうに身の毛がよだつほどひどい、人も、社会の仕組みも、最後には死が待ち受けていることも、何もかもがめちゃくちゃだと、わたしが彼に言えば、彼はきっとこう答えることだろう、「どんな契約 [﹅2] にもサインなどしていないじゃないか、ブコウスキー、人生は美しくなければならないなどという」。そしてそれから彼はふんぞり返って、唇を(end161)ちょっと舐める、彼は自分の舌と唇とちんぽこで生計を立てていて、最高に美しい女に世話をしてもらいながら、髭は伸ばし放題、ブルージーンズを穿いてでっかい尻でぶらぶらうろつき回っている。敬服されるべきことで、そして、狭い意味では、それは蔑まれることにもなる。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、161~162; ハロルド・ノース宛、1969年2月26日)




 覚醒。携帯を見ると八時一八分だか。わりあいにはやい。窓外からは子どもの声とともにミンミンゼミが一匹鳴くのが聞こえ、空気の感触からするに気温もきょうはそこそこありそうで、夏のなごりの風情である。腹とか胸とかをさすってからだをあたためているあいだ、カーテンの端をちょっとめくってみたが、すると空は水色で、窓の下半分、磨りガラスになっているむこうで保育園の建物が朝のあかるみにふれられているその色が目に刺激をあたえてくる。カーテンをもどしても天井には上端からもれだしたうすびかりによってあいまいな明暗の帯やすじが模様をなしており、窓辺からはなれた室内の空気のみえかたも曇り日のものとはかなりちがう。からだの各所をさすってやわらげたのち、八時五七分に起き上がった。その場で脚もさすっておく。カーテンをひらくとさきほどは晴れだとおもったのだが空には意外と雲が混ざっており水色はだいぶ希薄だった。洗面所に行って顔を洗うとともに小便をはなち、出ると靴箱のうえに置いてあるガラス製のマグカップを取ってぶくぶく口をゆすいだあと何回かうがいをした。冷蔵庫からペットボトルを出して机上にあるべつの黒いマグカップに冷水をそそぎ、タオルを濡らしてレンジに入れるとそのあいだに浄水ポットから水を足しておく。椅子につくと水を飲みつつ、去年の一二月に(……)の結婚式でもらったちいさな消毒スプレーとティッシュで机を拭く。微細な埃というか塵がスプレーの水気によってわずかにかたまるのでそれを払い落としたりティッシュでぬぐい取ったり。パソコンもおなじように拭いてスリープを解除しておき、水を飲み終えると蒸しタオルを取って、角を持ってちょっと蒸気を吐かせたあとに背後にもたれて額に乗せた。そうして寝床に帰還。レースのカーテンもあけてあかるさをとりいれながらChromebookで過去の日記を読みかえす。一年前は車で職場に送ってもらう道中、定年をむかえた父親がまたはたらきださないことに繰り言を言う母親にいらだっている。「こちらとしては」以降はとうじのブログ記事で検閲されているのだが、嫌悪をおおっぴらに表明するのがあまりよくないとおもわれたようだ。一年経ったしもういいだろう。さいごの「叩きつぶしたくなるほどに気に入らない」というのはなかなかはげしいいいかたでいいなと笑った。

往路は母親が送っていってくれるというのでその言に甘え、そのおかげで出発前に二三日の帰路のことをとちゅうまで書けた。道中、兄の鼻の手術のことを聞く。きのうだかおとといにもすでに聞いていたが。鼻の骨がもともと曲がっていたらしく、そのせいで鼻水が溜まったりいびきが起こったりしていたので金曜日に手術をしたということだった。いびきは鼻の骨だけでなく太っているせいもあるとおもうが。そこからながれて母親は、(……)ちゃんや(……)くんを動物園に連れていってヤギだかアルパカだか犬とかに触れさせているのが、噛みつかれたりしないかと怖くてしかたがないと漏らすので(ViberかLINEかにそういう映像があがっていたのだろう)、それは過保護だ、転んだり動物に噛まれるくらいの怪我はしておくものだろう、と言った。だいいちそういう母親じしんだって、こちらや兄がおさないころは山梨の父親の実家に行くとたびたびちかくのヤギがいる施設をおとずれて、われわれがヤギにトウモロコシなどをさしだして食わせるのを自由にやらせていたのだ。それで、そういうふうに心配するのはじぶんがじっさいに育てていなくて祖母の立場だからだろう、俺や兄貴を育てたときはあなただってそこまで心配しなかっただろう、いつもそばにいていっしょに過ごしていれば子どもが意外に頑丈だとかわかるからそんなに気にしないのではないか、と告げると、そうかもしれない、とわりと納得したようすだった。ほか、父親にはたらいてほしいといういつもの言がくりかえされる。このままで終わってほしくない、まだ六〇代だし、八〇歳くらいまで生きるとしてあと二〇年もあるのに、せっかく能力があってなんでもできるのにもったいない、と。こちらとしては、完全無欠に余計なお世話で、うんざりするほど傲慢な言い分だとしかおもえないのだが。それで、なにを言っても不毛だということをわかっていながら、本人の好きにさせろよとつい口をはさんでしまった。しかし母親がこの件において説得されるということはおそらくありえないので、ほんとうはただ黙ってことばを吐かせているのがたぶんいちばん良いのだ。ところできょう両親は年金事務所に行って手続きをしてきたらしく、いつからか知らないが年金を受け取ることになったらしい。それだけじゃそんなに楽には生きていけないわけでしょ? だからそのうち多少なんかではたらいてすこし稼ごうとするんじゃない? と言ったが、年金額だけでもまあつましくやればなんとか、というかんじのようなので、それで満足するのではという懸念が母親にはあるのではないか。どうでも良い。母親のことばを借りれば、父親が「このままで終わった」として、それでなにが駄目なのかこちらにはわからない。なにか労働をして社会との接点をたもちつつ金を稼がなければ人間終わりだという観念がそもそも気に入らないし、その考えをじっさいに他人に適用してひとの生を勝手に「終わった」(終わりかけた)ものと規定している了見の狭隘さと傲慢さが叩きつぶしたくなるほどに気に入らない。

 二〇一四年は二月四日。こちらでも、なにがあったのか知らないがやはり母親にいらだっており、「母の愚鈍さは今にはじまったことではないが、それが妙に障る午後九時で、ざるに入れた米をぶちまけたい衝動をおさえて研ぐのに苦心した。もっと距離のある他人だったらこんな風に苛立つはずはなく、肉親だからこそこちらの胃を突いてくるということがあるものだが、それにしても常ならずこらえ性がない日で平静を保てないのが不思議だった」と言っている。「肉親だからこそこちらの胃を突いてくる」、「胃を突いてくる」といういいかたはなかなか良い。一月末から文のつくりかたについてなにかリズムをつかんだのかとおもっていたが、この日はまたわざとらしいような、ぎこちないような感じがおおくの部分にただよっている。むやみなこだわりを排した自然さはまだまだ遠い。
 その後、一週間前にChromebookでひらいてそのままだったVincent Ni and agencies, “Detained Hong Kong activists to plead guilty under China-style law”(2022/8/18, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/detained-hong-kong-activists-joshua-wong-to-plead-guilty-china-style-law)を読んだ。そうしてウェブをちょっとまわり、一〇時ごろふたたび寝床をはなれた。そういえばさいしょにからだを起こしたとき、窓辺に吊るされてあった洗濯物をもうたたんでおいたのだった。タオルや肌着。ワイシャツはまだそのままである。布団の足もとにある段ボール箱(椅子がはいっていたもの)のうえにも衣服類を放置してあり、それいがいにも散らかっている箇所はおおいのでかたづけたいのだがなかなかやる気にならない。一〇時二〇分から椅子のうえであぐらをかいて瞑想した。五二分まで。なかなかよろしい。いろいろと思念はめぐるが体系化はされない。窓外では低い位置にあるホースから水が出て落ちているような響きと、子どもらの高い声がいくらか聞こえる。ツクツクホウシが一匹鳴きのこったりもしている。からだの各所は座ってじっとしているうちにじわじわとほぐれてきてひっかかりがぷつぷつ消え、なめらかになる。腹だけでなく胸をさすっておくと肋骨がほぐれてたぶん呼吸が楽になるのだろう、からだがあたたまりやすく、ぜんたいてきにだいぶ楽さがちがってくる気がする。
 そうして食事へ。れいによってキャベツの葉を剝いで細切りにし、手のひらのうえに乗せた豆腐に一方向からは五回、べつの方向からは四回包丁を入れた。ということは六×五で三〇個に分かれたはずだが、その三〇個の小豆腐群をキャベツのうえにぐちゃっとてきとうに乗せ、そのうえからさらに大根やタマネギをスライスし、飴色タマネギドレッシングをかけて机へ。もう一品はきのう買った冷凍の明太子クリームのパスタ。それを木製皿に入れて電子レンジであたためはじめて、椅子についてものを食べだすよりまえにもうつかったまな板と包丁、スライサーを洗って水切りケースにおさめてしまった。そうして野菜を食う。食べているあいだは(……)さんのブログを読む。サラダを食い終えるのとだいたい同時に電子レンジが六分ほどの加熱が終わった合図を鳴らすので、大皿をながしに置いてから木製皿を取り出し、パスタをつつんでふくらんでいるビニール袋を鋏をつかって、蒸気が手に触れないように気をつけながらきりひらくと、淡いサーモンピンクみたいな色のクリームにまみれた麺をそのまま皿のうえにすべらせた。クリームの滓がのこっているビニール袋をもうながしてしまおうとながしに持っていき、そのままながすと排水溝の内蓋が汚れるのでそれをはずしてからゆすいで置いておく。そうしてまた椅子につき、箸でパスタをかきまぜて食す。(……)さんのブログは八月二一日。したがってあと一日で追いつく。「たびたび思う、学生らと散歩したりメシを食ったりするのも幸福な日常を感じる良い機会であるのだが、それ以上に、こうして文具屋や果物屋やパン屋やメシ屋のおっちゃんおばちゃんらと簡単なあいさつを交わしているときほど生活の美しさみたいなものを感じる瞬間はない、と、書いていて思ったのだが、じぶんも本当に変わった、(……)時代だったら絶対こんなふうなこと思わなかった、思ったとしてもここまで深い実感をともなうかたちでその思いをしみじみ味わうことはなかった!」などといっているので、(……)さんがこんなことをなんのてらいも屈託もなく言うようになるとは、そりゃ時もずいぶんながれた、時代もうつりかわるわなとおもった。あと、以下はさすがに笑う。「(……)しかるがゆえにやかましく感じはじめたというところが正解だろう。だったらふたりを別れさせればいいではないかとひらめいたので」と、じつにスムーズに順当につながっているのに笑った。

 冷食の餃子をこしらえる。キッチンに立っていると、上の階の住人がふたりそろって帰宅する足音が聞こえた。男のほうが爆弾魔と同一人物であるかどうかはわからないが、いずれにせよこの夏休み中に女が寄り付くようになったのは間違いない。たぶんいちばん最初、それまで静かだった上の階で突然人夫の出入りするような気配がたったあの日に、同棲のための家具だの日用品だのが持ち込まれたのだ。上の部屋が宮崎さんの部屋と同じ夫婦用の間取りであるとすると、これまでは男がひとりこちらの寝室には直接面していない(あるいは面していたとしてもわずかであった)部屋で生活していた、それがこの同棲生活のはじまりとともにこちらの寝室の真上にあたる部屋で日常的に寝起きするようになった、しかるがゆえにやかましく感じはじめたというところが正解だろう。だったらふたりを別れさせればいいではないかとひらめいたので、「黒魔術+破局」でググったところ、「丑の刻呪術研究会」というウェブサイトの「想い人を破局へと追い込む略奪愛の黒魔術」(https://noroi.xyz/?p=1648)というページがヒットした。いや、別に略奪愛ではないんだがと思いながらもいちおうチェックしてみると、「今回の魔術を行う上で、必要なものは以下の通りとなっています。」という文章に続けて、必要な道具がリストアップされていたのだが、その道具というのが、「羊皮紙の白い紙」「羽根ペン」「ブラッドインク」「黒いロウソク(黒く塗ったロウソクでも可)」「燭台」「大きな姿見の鏡」「あなた自身の毛髪」で、ふざけんなボケ! おれからこれ以上毛髪を奪うな! くだらんウェブサイト運営しとるひまあったらおもてに出てババアの畑仕事手伝ってこい! クソ根暗が!

 ヤクを一粒水で胃にながしこみ、パスタを食った木製皿はまた排水溝の内蓋をはずしてながしたが、洗い物はそのままいったんながしに放置しておいて、さきにきょうのことを記述しはじめた。とちゅうで立って屈伸したり開脚したり背伸びしたり。瞑想を終えたあたりで洗濯物は洗おうか否か迷ったのだが、きょうは二時半ごろの電車で行く予定だし、そうすると時間もあまりなし、溜まっているのもタオルとバスタオルと肌着くらいなのであしたでいいかと払った。ここまで記すと一二時三二分。とりあえずシャワーを浴び、ワイシャツにアイロンをかけなくてはならない。まあ薄紫のやつならたぶんかけなくても行けるが。そのほか時間までにはきのうのことを書けたりすればよいかな。昨晩一八日まで投稿したので、未始末なのは一九日以降。一九日は金曜日で労働があり、当たったあいてだけはメモしておいたが時間も経っているし、そんなに書くことはないはず。翌二〇日は職場で会議だったからそれよりもうすこし内容がありそう。二一日は休日なのでもういま書いてある分だけで終いとすることにして(たしかこの日はBill Evans Trioを聞いてまたしても感動した日だったはずなので、そのことだけは一言記してもよいかもしれない)、おとといの二二日は通話中のことをかたづけるのに骨が折れそうだ。しかしだいたいのところやっかいなのは二〇日と二二日で、その二日をどうにかすれば現在時に追いつけそう。だがそのあいだにまたきょうを生きるから、しかもきょうは労働があるので、それでまた書くことが増えるのだが。


     *


 出発は二時半ごろ。道に出ると風がよく吹いており、路上を落ち葉がいちまい、からから転がってくる。公園がちかづいてくると木々からセミの声がいまだしゃわしゃわ湧いているのが聞こえ、その向こうの、クレーンが空に突き立っている建設敷地の軋み音がそのなかに混じって和するようだが、ここでも風はあって、公園内にいつのまにか無数に落ちている褐色の葉がてんでに地をこすって回転しながらこちらへ向かい、小学生のかけっこめいていた。天気は曇りで陽射しもなく、気候はだいぶ涼しくなった。裏路地とちゅうの白サルスベリはふくらみをやや減じたようだが、側面からみるに、すきまがわずか生まれたおかげでかえってちいさな白さの群れが粒立ちをつよめ、いかにも群れており、風に枝先を浮かせて可憐だった。その風の吹き方が妙である。通りがかりの庭木のこずえをざっと揺らしながらもこちらの身には降りてこず、小公園でもひとつの木を鳴らしたかとおもえばすぐに音はおさまり、しかしこんどはべつの木のあたまが鳴って、木から木へと渡っていくような風情、陽の透けない曇天に空気のいろも鈍く、また道中、電線から飛んではちいさな楕円軌道でもどるヒヨドリがいたり、小鳥が宙をわたる黒い影やその声もいつもより目に耳にはいる気がされて、雨がちかづいているどころかまもなくぽつぽつ来ても不思議ではない不穏さだった。この往路には降らなかったがその後じっさい通ったようで、午後一〇時前の帰路では(……)駅のホームに水たまりができており、ばしょによって真っ黒なそれは浅い水のなかにホーム上の電柱とその周囲をおどろくほどきれいに鏡写しにしていた。


     *


 この日の勤務(……)。
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)


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  • 「ことば」: 11 - 15
  • 日記読み: 2021/8/24, Tue. / 2014/2/4, Tue.


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Vincent Ni and agencies, “Detained Hong Kong activists to plead guilty under China-style law”(2022/8/18, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/detained-hong-kong-activists-joshua-wong-to-plead-guilty-china-style-law(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/detained-hong-kong-activists-joshua-wong-to-plead-guilty-china-style-law))

Joshua Wong and a group of 28 Hong Kong pro-democracy activists charged under a controversial national security law have entered guilty pleas, in the largest joint prosecution in the territory in recent years.

A total of 47 defendants, aged 23 to 64, were charged with conspiracy to commit subversion under the sweeping national security law. They were detained in 2021 over their involvement in an unofficial primary election in 2020 that authorities said was a plot to paralyse Hong Kong’s government. At the time, the primary showed strong support for candidates willing to challenge the Beijing-backed local government.

     *

Media reporting restrictions were finally lifted for the cases, which will start next month at Hong Kong’s high court. Defence lawyers have previously argued that prosecutors have not properly detailed what the conspiracy is that their clients are alleged to have taken part in.

“The prosecution has been allowed to dance around and change and add [to the charges],” Gladys Li, a barrister, argued at one of the hearings. “We will not be held at gunpoint to offer a plea.”

2022/8/23, Tue.

[ロバート・ヘッド宛]
1967年10月18日


 […]反戦の詩についてだが、わたしはうんと昔、反戦が広く支持されたり、はやりには思われていない時に、それを表明していた。第二次世界大戦の時で、共鳴してくれる者は誰もいない状況だった。インテリやアーティストから見れば、いい戦争と悪い戦争があるようだ。わたしからすれば、悪い戦争しかない。わたしは今も戦争反対で、ほかのとんでもなくいろんなことにも反対だが、ちょっと別の状況のこともよく覚えていて、それは詩人やインテリたちが季節のようにどれほど目まぐるしく変わるのかということで、わたしの信念や立場の拠り所は自分自身の中にしか、自分がどういう人間なのかというところにしかなくて、今抗議している者たちの長い行列を見ても、わたしは彼らの勇気がどこか俗っぽさ半分の勇気でしかなく、通じ合える仲間うちだけでもて(end145)はやされることをやっているということがよくわかり、そんなことは誰でも簡単にできることなのだ。第二次世界大戦下、わたし [﹅3] が檻の中に放り込まれた時、そんなやつらはいったいどこにいたというのだ? あの頃は誰もがひたすらおとなしかった。わたしは人のふりをしている獣を信頼しないよ、ヘッド、それに大衆も大嫌いだ。わたしは自分のビールを飲み、タイプライターを叩き、そして待つ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、145~146)




 いちど目を覚ましたのは午前五時になる直前だった。れいによって明かりを落とさないうちに意識を落としてしまったかたち。立ち上がって扉のほうまで行き消灯し、デスク上のライトの台座にもゆびでふれて部屋を暗くすると(とはいっても五時だからすでにカーテンの端からほそく漏れる白さがいくらかあったが)布団にたおれこんでからだのうえにも布をかけ、就眠した。(……)が実家に来たみたいなゆめをみた。いくらかことばも交わしたようす。(……)はこちらとおなじ地元出身という設定になっていて、街道沿いにあって姉だかが住んでいる実家に行くとかなんとか。もろもろの詳細はわすれてしまった。つぎに覚めたのは九時一二分で、ここでもう正式な覚醒を得て、深呼吸したり腹をよく揉んだり、胎児のポーズを取ったりChromebookをひらいてウェブを見ながら腰や背中を座布団にぐりぐり押しつけたり、からだのこごりを取って活動にむかわせながら臥位に過ごし、九時五二分に起き上がった。紺色のカーテンをひらくと空は白曇り。そうして洗顔、放尿(やたら黄色の濃い小便だった)、飲水、蒸しタオル。屈伸もさっそくやっておいた。それでもうこのタイミングで一回瞑想してしまうのがいいかなとこのあいだはおもったが、きょうはそうする気にならずまたゴロゴロしながら日記を読みたかったので、寝床にもどってそのようにした。2021/8/23, Mon.と2014/2/3, Mon.。一年前は帰路の記述がながめ。白猫に遭遇していつくしみをおぼえながらたわむれたあと、「ひるがえって人間というものの鬱陶しさがおもわれ、猫にくらべれば人間など、誰も彼も例外なくあさましい存在だとおもった。意味とちからを絶えず交換しあい互いをつかれさせ不快にすることなしには生きていくこともできない無能者のあつまりだ。うんざりである」と嫌悪を表明している。つづけて、「来世は大気か樹木になりたい」と締めているのには笑った。レヴィナスいうところの始原的なものに還帰したいらしい。ひかりだの空だの雲だの風だの雨だの木々だの、じぶんの性向はずっとそちらばかりに向いている。書見はプルーストを終えてミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)にはいっている。二〇一四年のほうはなぜかわからないがブログに二月三日の記事はなく、とうじ投稿しなかったようだ。こんなクソみたいな駄文を公開してもクソなだけだという自己嫌悪におそわれたのだろうか。とうじはじぶんなりに文章の質にたいするこだわりがあって、それを満たしていなかったのかもしれない。どうせたいした文章でなく、ぜんぜん書けてなどおらず、その前後と変わりなどしないのに。いまは質の面でじぶんの文に満足できないということはまるでなくなった、というか質などどうでもよろしい。ただ、書きたかったことを十分に書けないというべつのかたちの不満が支配的で、ほぼつねにある。


     *


 寝床から起き上がると洗濯をはじめた。ニトリのビニール袋に入れてある肌着とかきのうのワイシャツなどと、昨晩洗面台のところで洗面器のなかに漬けておいたタオル。ワイシャツは洗濯ネットに入れる。注水がすすむあいだ屈伸して、脚を伸ばすさいに前かがみに両手を伸ばしてぶらんとしたような姿勢で前屈めいてみたが、どうかんがえても足先にすら手が届かない。注水が終わると洗剤を入れて蓋を閉じ、椅子にうつって瞑想。一一時一五分だった。下半身がすでにほぐれているので安定感がある。からだや肌の各所の感覚をひろって、肉体がじわじわと平滑化しまとまっていくのを感じつづける。背後の左側では洗濯機がぐわーっ、……ぐわーっ、……とながめのストロークでしばらくまわったあと、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっとみじかい一定のリズムを反復し、その律動がこちらの心臓や血流にもちょっと干渉して影響をあたえるかのようだ。先日もおもったことだが、主体としてのにんげんに課せられた絶対的単一性という条件のことをかんがえた。瞑想というとスピリチュアリズムがそこに侵入して、大地とか宇宙と一体化するとか、この世界の生命のながれにつつまれたような感じになるとか、そういった感覚を語る言説がいろいろあるわけだけれど、こちらの実感では瞑想をして浮き彫りになってくるのはむしろこのじぶんがどこまで行ってもこのじぶんでしかなく、このじぶんであることしかできないという、つつましやかな「一」としての存在感覚である。それは消えない。どうあがいてもじぶんがじぶんであらざるをえず、仮にいまのじぶんがまったくべつのにんげんであったとしても、それはそのときまったくべつの様態として、しかしおなじく「このじぶん」であるということ、つまりわたしはわたしとしての意識や視点や位置しか持てず、他者になれないということ、存在条件としてひとに課せられたこの絶対的単一性が、にんげんにとって原初のトラウマのようなものなのではないか。それはおそらく精神分析理論が言っていることでもあるはずである。そういうことをかんがえたときにキリスト教が説く原罪の観念がわずかばかり理解できたような気がしたのだけれど、それは罪というよりはむしろ罰、いわば原罰だろう。ひとは存在論的に原初の罰を課せられていると、一抹そんなふうに感じないこともない。どうあがいても「一」であらざるをえない存在が総体的に観念化された世界のすべてとつうじるというのが神秘体験であり、古代ギリシアいらい哲学者も神についてそうした構造をかんがえ、また宗教者はおそらくときにはその身にこの神秘を体感してきたのだろう。道元が生死をはなれて仏になると言っているのもそういうことなのかもしれない。葉に乗った一粒の朝露に世界のすべてが映りこんでいる、というような発想はなにかの和歌だかにもあったはずだ。またいっぽうで、全体と対照されるのが一というよりはゼロ、すなわち無であることもありうる。まったくの無でありゼロであるじぶんが、それがゆえにすべてのものを吸収したり、包含したり、無からはじまってなににでもなることができる、というような理屈だ。キーツが書簡で詩人の資質として語っているいわゆるネガティヴ・ケイパビリティも、論理構造としてはこのかんがえかたに属するだろう。いずれにしてもそこには極と極とがつうじあって反転するという構造があるけれど、じぶんはこのじぶんが全体と接続するという言説を信用していない(とはいえ、まさしくこういう境涯をひたすら主題化しうたったはずのホイットマンなんかにはだいぶ惹かれるのだけれど)。信用していないというか、じっさい神秘的な体験としてそういうことはあるにはあるのだろうけれど、それはたんなる神秘体験にすぎず、じぶんはそれをいまだ体験していないし、とくに体験したいともおもっていない。こちらがむしろおもい、感じるのは、ひとはどうあがいても単一のこのわたしであることしかできず、そこからゼロにもなれないし、二にもなれない、可能だとしてもせいぜいが〇. 七とか一. 二くらいにしかなれないだろうということである。そういう半端さで良いではないかと。わたしがわたしであるということの一見健全で堅固な主体性よりも、わたしはどこまでいってもわたしであることしかできないというひとつの傷もしくは瑕の実感こそが、なにかしらの出発点になるのではないのか。デカルトは主体と存在のこの契機に目を向けるべきだった。けれど、これはじつのところ、デカルトが説いたのとおなじことを言っているような気もする。
 そうこうしているうちに洗濯機は再注水をなんどかおこなっていて、永遠にはなたれつづける小便みたいな太い水音を立てたり、脱水の段にはいって内部の空気を低くうならせながらまわったりしているが、三〇分がめちゃくちゃながいなとおもった。三〇分というのはこんなに長かったかと。標準コースで洗い出したので、稼働時間は三〇分程度だったはずなのだ。体感としてはもうそれはとっくに越えているだろうと感じていたのだけれど、このくらいかなと目をあけると、一一時五四分に達していた。だからほぼ四〇分だったわけで、標準コースは三〇分ではなかったのか? 洗濯はもうあと一、二分で終わるところだった。それを待ち、洗われたものをハンガーにとりつけて窓のそとへ。陽射しが出てあたたかくながれていた。風もそこそこにあり、洗濯物は一方向ではなくてかわるがわる左右になびく。そうして食事へ。洗濯機のうえにまな板を置いてキャベツを切っているあいだ、FISHMANSの”Slow Days”で佐藤伸治が「人生は大げさなものじゃない」とうたっているのをおもいだした。まさしく生はおおげさなものではなく、ささやかなものだけれど、ただ同時に、ひどくおびただしいものだともおもった。ささやかで、おびただしいもの。磯崎憲一郎があれはたしか『眼と太陽』のなかで、カフェのテラス席でべつのテーブルに座った女性客の会話が聞こえ、シスターらしいそのうちのいっぽうがあいてに人生訓めいたものを説いている、みたいな場面だった気がするのだが、その女性のことばとして、わたしたちのひとりひとりが人生の一秒一秒を無数にかさねていまこの瞬間までいたっているのだから、みたいなことを書きつけていた。それはいかにも陳腐なことばである。しかし、陳腐なのはそのことばであって、そのことばがとらえようとしている事態そのもののほうではない。そして、いかにも陳腐なそのことばがあらわすことのありようを、わずかばかりでも体感してしまったにんげんにとって、生はひとつの、あるいは複数の、際限も途方もないおびただしさとなり、歴史は時間の狂気となる。
 食い物は野菜しかないわけである。キャベツは半玉がまだけっこうのこっている。大根とタマネギもそれぞれそれなりにあるが、逆にいえばそれしかない。それらを切ったりスライスしたりして大皿に乗せ、飴色のタマネギドレッシングをかけて食す。あと(……)くんからもらったボトル型の味噌(「料亭の味」)がもうわずかだったのでつかってしまおうとおもい、逆さにして冷蔵庫に入れてあったやつを取り出して椀に中身を押し出したのだが、空気のちからだけではすべて出すことはできず、あきらかに内部にまだ微妙な残余がある。キャップをはずそうにも素手では無理そうだったのでカッターを持ち出し、下端に差しこみながらうーんとやっているうちにキャップ側面に一箇所、浅い切れこみめいたものがあるのに気づいたので、ここを端緒にすればどうにかなるかとそのへんをがんばって切り、そうして横にいくらか剝がして引っ張るかたちで取り除いた。そのころには湯が湧いていたので、それをボトル内に少量そそいで振っては椀へ、ということをくりかえし、味噌がほぼなくなるとのこりの湯をくわえて机へ。そうして野菜を食ったり汁物を飲んだりしているあいだはウェブ記事を読んだ。食後は音読もいくらか。
 それでもう一時を過ぎていたはず。皿を洗うまえにながしのまえで背伸びしたりしていると、そとで車が停まり階段をあがってくる音がしたので、Amazonの荷物が来たかなとおもっているとベルがなったのでそうである。インターフォンで出て、短髪に金色を入れた兄ちゃんがAmazonからだというのを確認し、扉をあけて礼を言いつつ受け取った。おとといの夜に注文したBRITAの浄水カートリッジ四個セットである。あとあしたブランショの『文学空間』が来ることになっている。
 そのあとはきょうのことを書き出しつつもとちゅうでとめたり、シャワーを浴びたり、ひさしぶりに東京新聞にアクセスしてニュースをちょっと見たり、歯磨きをしたり。ここまで綴ると四時四四分。食い物がないので調達にいかなければならないが、トイレのルック泡洗剤と制汗剤シートも買いたい。それなのでスーパーまで行かず、近間のサンドラッグで済ませようかともおもっている。きのうの往路の電車内や勤務の序盤ではへその上端あたりがちょっとかたくなって緊張し、たぶんそれに対応しているらしく喉にもものが詰まっているような感じがあって、きょうもたしょうそれはのこっている。あと日記に取り掛かるまえ、三時一五分から二〇分ほどまた瞑想した。食後だからかちょっと眠気がにじんだが。洗濯物は四時二〇分ごろに確認してみたところ、まあひかりがあって風もながれるので乾きはとうぜんわるくない。スポンジも洗いものを済ませたあとに、泡と水気を吐き出させたうえで窓外の日なたに出し、除菌のために洗剤を垂らしてちょっと押し、泡をまとわせておいた。


     *


 そのあとはいったん休んだのだったかな。わすれたが、七時くらいまで、ほぼ一六日の記事を書くことについやされた。そこからまた休んで買い出しに出たのは八時過ぎくらいだったはずだが、寝床で横になって休んでいるあいだはウェブ記事を読んでいた。あと夕食後にも机で。東京新聞をひさしぶりにのぞくと旧統一教会関連でいろいろあったので、それら。要は自民党日本会議まわり、右派と統一教会の根本的イデオロギー性を棚上げした「野合」についてだが、なかなかおもしろい。買い物に行くまえ、七時四〇分くらいから二〇分ほどだったのではないかとおもうが、また瞑想をした。喉の奥になにかがちいさく詰まっているような、食道の先端で開口部の縁が剝がれてめくれているような、そんな感覚がつづいていたのでそれをよく見てみようとおもったのだ。そうして座っているとうっすら嘔吐につうじてきそうなその感覚がときにあきらかになったり弱くなったりし、たしかに胃のほうから来ているようでもあるのだが、最終的にこれが起因しているのは胸の違和感らしいぞと見定められた。みぞおちから右側、右胸のけっこううえ、鎖骨ちかくまでの範囲にうすぼんやりとしたひっかかりかきしみのようなものが感じられたので、瞑想を解いたあとに胸をさすっているとこれが有効なわけである。腹だけではなくて胸、肋骨などもよくやわらげておかなければならないようだ。揉んでもいいのだけれど骨が何本もとおっているから揉みにくいし、さすったほうが広範囲をあたためることができてやりやすい。そういうわけでいくらかさすっておいてから着替えて買い出しへ。Tシャツに黒ズボン。近間だしすぐだとおもって靴下は履かなかった。それで部屋とアパートを抜けると裸足が靴のなかでちょっとぺこぺことした感触になる。空は雲がかりで星をみつけられない。いつもは公園の手前側の角で曲がるのだけれど、このときは縁をとおりすぎていき、そうするとどうやら敷地端の草が処理されたらしく、茂みが薄く低くなったようだった。すこしまえまではなかを見るのにもうすこし遮蔽があったはずだ。公園にひとはいないかとおもいきや、こちらから見て正面反対側の端にあるベンチにだれかひとり腰掛けているようだった。角まで来ると右折し、おもてへ。道中もときどき胸をさすりながら行く。車道に出ると来ないタイミングをはかってわたり、中洲のようになっているストアの敷地は駐車場端に群れたネコジャラシなどの下草が、もう緑はかんぜんになくして老いた秋の色に脱色しながら、溶けるように裾成すようにくたりとしなだれてひろがっており、そこに陽があたればきっといかにも金色の小海めいてうつくしく透きとおるだろう。その草の端から駐車場に踏み入り、停まっている車のまえをとおって入り口へ。こちらのうしろからべつの渡りをとおって来ていた女性、黒いリュックサックを背負って帽子をかぶり、したはやや使い古した風合いのある薄青いジーンズのひとのほうが足がはやく、さきに入店していた。手を消毒して籠を持ち、まわる。目的はルック泡洗剤の詰替と制汗剤ペーパーなのだが、その他食い物も買おうとおもっていた。制汗剤ペーパーは壁際に男性用の区画があったのでギャツビーのものをてきとうに取り、泡洗剤を確保したのち、食品のほうに行って五個入りのクリームパンとか冷凍のパスタとか。あとヨーグルトも買っておくことに。勤務後の夜にちょっとだけでもなにか食いたいというときにヨーグルトはいいのではないかとおもったので。その他アイスふたつ、あと豆腐も。そうして会計へ。こちらが入店したときには数人の列ができていたが、このときは若い男性がひとりレジで携帯をつかって支払っているところで、すぐに番が来て、お願いしますと籠を台上に置いたがその声がずいぶん鈍くちいさなものになった。袋はいるかと女性が聞くのに、ここではああいや、だいじょうぶですともうすこし声をたかめてこたえる。そうして金を払い、整理台にうつってリュックサックとビニール袋に品物を分けて詰める。つめたいものをビニール袋のほうにまとめた。
 帰路はおなじルートをたどる。公園まで来ると人影があり、道沿いの縁、草のあちらでなにか水を撒くような音がして、老人らしきひとがいるのはさきほどとおくのベンチに座っていたひとと同一なのかさだかでないが、このひとが世話をしているのだろうか。あるいているうちにそのひともこちらとおなじ方向に移動し、水場でバケツに水をそそいでいるようだった。
 帰宅後は食事。サラダをこしらえて買ってきた冷凍のパスタ・ボロネーゼ。食事中は(……)さんの日記などを読んだはず。それで九時半くらい。この日は午後一一時から翌朝五時までちかくで水道管の点検をするとかで、水が濁るかもしれないという知らせが事前にはいっていた。それでさっさと皿はかたづけてしまおうと洗い、シャワーは昼に浴びたからよいとして、食後はまた胸や腹をさすりながらウェブ記事を読み、一六日の記事はまだ完成していなかったんだったかな。わすれたのだが、一六日の記事に載せた音源を、ブログにあげていいかとLINEでやりとりをはじめたのが一一時二〇分ごろになっている。一一時直前になって水が濁るまえにクソを垂れようとトイレに行ったのはおぼえている。そのくらいまでで書き終わり、投稿する段でふたりに許可をもとめたというながれだったか。いまは個人情報につながるような固有名詞はすべて検閲しているとかつたえて、しばらくやりとりしてOKとなったので投稿。そのまま一七日、一八日も投稿すると零時半くらいにはなっていたはず。
 そのあとは一六日に載せたあの演奏をなぜかなんどもリピート再生しながらウェブをまわったのち、寝床にうつってブランショの『文学空間』を読みはじめた。届くのはあしただとおもっていたのだが、買い出しのために部屋を出たとき、扉横の壁にとりつけられてある物入れケースみたいなやつに黒いビニール袋がはいっているのに気がついたのだ(水道料金請求書の封筒もそこにはいっていた)。朝の一〇時ごろにいちど階段をあがる音が聞こえて、Amazonが来たのかなとおもっているとこちらの部屋のまえあたりになにかを置いて去っていったので置き配したらしいとおもいつつ、昼に金髪の兄ちゃんが浄水カートリッジを届けてきたのであれはちがったのかなとおもっていたのだが、たぶんあのときやはり届いていたのだろう。気力がなかったのでまださいしょの数ページしか読めていないが、まあおもしろくはある。言っていることはやや晦渋というか抽象的でもあり、代替物である「書物」と対比されたときなにかしら超越的な領分にあるらしい「作品」概念のありようがいまいちつかみきれていないが。しかしまだ五ページ程度だ。訳注に引かれているヴァレリーのことばを読むに、ヴァレリーも読まなければなあとおもう。その後はだらだらして四時に就寝。


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  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「読みかえし1」: 289 - 298
  • 日記読み: 2021/8/23, Mon. / 2014/2/3, Mon.

新聞からアフガニスタンの報。タリバン指導部は市民の安全を守らなければならないと下位に言い渡して融和姿勢を演出しているのだけれど、やはり実態はそれとは遠く、読売新聞の通信員が、空港周辺でタリバン戦闘員があつまった市民にお前らの乗る飛行機はないと言って追い散らしたりしている現場を目撃したと。北部では、つくった飯がまずいと言って調理人の女性に火をつけて殺したという事件も報告されているようだし、米国への協力者ではなかったひとの家にもそれを疑って問答無用で押し入ったり、そのほかにもいろいろの暴力行為が報告されているようすで、場所によっては女学校の閉鎖や女性の外出禁止もおこなわれていると。報道官は、イラン国営テレビの放送で、下位の人間が暴力行為におよんでいることを認めつつも、我々も人間だから過ちを犯すのはしかたがない、とひらきなおったといい、イスラーム法に照らしてそれは良いのか? とおもうのだけれど、いずれにせよ指導部も末端まで統制できていないし、おそらくはそもそも統制するつもりがないのだろう。カブール陥落とタリバンの実権掌握によって、米国がアフガニスタン政府に供与していたヘリとか弾薬とかもろもろの武装タリバンの手に渡ったという由々しき事態もつたえられており、そこからアル・カーイダにながれたり、あるいは中国に技術が流出したりするおそれもあって、米国は安全保障上のおおきなリスクに直面することになったと。

     *

帰路のことを先に。退勤したのは一一時直前だった。徒歩を取る。非常に蒸し暑い。からだから水も抜けていたので、ひさしぶりに路上でものを飲む気になった。それで駅から裏にはいってまもなく、一世帯用アパートとでもいうような直方体の無愛想な外観の家のまえの自販機でWelch'sの葡萄ジュースを買い、片手はバッグで埋まっているのでキャップは腕時計とともに胸のポケットに入れ、冷たい液体をちびちびからだに取りこんで息をつきながらあるく。すぐに飲み終えて、空いたペットボトルを文化センターそばのべつの自販機のゴミ箱に捨てた。月がもう満月らしくまるまると太ってよく照っており、空には雲が蜘蛛の巣めいてほつれながら複雑にかかっているものの光量は抜群で、ひかりが隠れる間もあまりなく、雲のかたちも隙間の水色もあらわに見える。一日休みをはさんで回復したためか、遅くなったけれどからだの疲労感はそこまででなく、ただとにかく暑くはあった。風も裏道のあいだはほとんどない。ひろい空き地に接したところまで来れば空がひらけて満月の威容が行き渡っているのがふたたびあきらかで、ひかりはさざなみめいて遠くひろがり月から離れた東のほうまで雲の模様が浮き上がっているが、その映りはぼやけてあまりさだかならず、もこもことした白灰色の薄綿といった様相、しかしその立体感のなさで埋まって天頂も裾も大した段差がないのが、かえって空のひろさを昼間よりもまざまざと見せるようで、ずいぶんひろいなと見上げながら過ぎた。

白猫がいたので道のまんなかでしゃがみこみ、しばらくのあいだ、寝転がった猫の腹や背や脚の付け根あたりなどを無心でやさしく撫でつづけるだけの主体となった。撫でられているあいだ猫はときおり両手両足をぐぐっと上下に伸ばして細長い姿態となったり、寝返りを打ったり、またその尻尾はゆるく曲がった先が地面についたままちょっと揺れたり、不規則に、ゆっくりとした動きで、母体からは独立した生命を持ってそれじたいで動いている蛇のように持ち上がりながらやわらかにうねったりする。猫に触れているときほどいつくしみというものをかんじることはないな、とおもった。ことばを発することなくしずかなのがとても良い。去って先をすすんだあと、ひるがえって人間というものの鬱陶しさがおもわれ、猫にくらべれば人間など、誰も彼も例外なくあさましい存在だとおもった。意味とちからを絶えず交換しあい互いをつかれさせ不快にすることなしには生きていくこともできない無能者のあつまりだ。うんざりである。来世は大気か樹木になりたい。

しばらくさすりたわむれてから立ち、たびたびふりかえりながらすすみはじめると、これははじめて見るものだがべつの黒い猫が一匹、脇の家から出てきて道をわたり、夜闇になかばまぎれながら一軒の車のそばにたたずんだ。白猫はすこしあるいてついてきていたので、このまますすめばたがいに気づいてなんらかの交感が生じるのではないか、と期待したものの、白いすがたはとちゅうの道端で止まってしまい、ちょっともどってさそうようにしてみてもそれいじょうすすんでこないようすだったので、あきらめてその場を立ち去った。

さいきんはまた夜でも暑い。裏通りにいるあいだは空気のながれもほとんどなかったようだが、街道に出れば、吹くというほどでなくともやわらかにひろく拡散するながれが正面からはろばろと寄せてきてそれなりに涼しい。とはいえ肌は全身汗にべたついており、ワイシャツと肌着の裏の布に触れられていないすきまで汗の玉が脇腹や背をくすぐったくころがっていくのがかんじられる。夜蟬のうめきはもはやなく、あたりの音響は秋めいており、見上げれば南の空をわたる月は、酸で溶けた衣服のようにぎざぎざの線をした雲の網の、牙のならんだ獣をおもわせてあぎと、とでも言いたくなるその間隙で、ひかりをいっぱいにひろげながら充実している。

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(……)書見は、プルーストを読み終わってつぎになにを読もうかなとまよっていたのだが、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)を読みだした。いちおう学問的範疇としては社会学のくくりにはいるのだろうか。セルトーじしんは歴史学や宗教学や神学などいろいろやっているようだし、この書も領域横断的なもののようだが。支配的な文化生産者(非常に大雑把には「エリート」や企業、学問共同体など)が押しつけシステム化する文化的・社会的体制に否応なしに巻きこまれ、とらわれてしまう無名の消費者たち(「大衆」)が、そこから逃れるのでもなく(そんなことは不可能である)、かといって完全に同化するのでもなく、無数の細部の組み換えや手持ちのさまざまな要素の組み合わせ(いわゆる「ブリコラージュ」)や、意味の再解釈や個人的なルールの開発などによっていかにして押しつけられた文化をひそかにじぶんのものとし(それは非 - 正統的な意味での生産者、いわば「モグリ」になるということではないか)、システムのなかでかくれながらうまくやっていくか(隠蔽者・寄生者・密猟者・(ことによると部分的には)収奪者として?)、そのささやかながら非常に多様な日常的実践の形態を記述し、かつそこからアンチ文化が生み出されていく(かもしれない?)その(転覆の?)動態を政治的意義の点から追って見定める、というようなはなしだとおもう。だからテーマとしては、政治的方面および権力論から見るに、フーコーの研究と重なり合う部分が大きいものなのではないか(とはいえセルトーじしんは、さいしょに置かれてある研究概略のなかで、フーコーの『監獄の誕生』の多大な意義をみとめながらも、それでもなお彼の研究は装置と規律生産の側にのみフォーカスしたものだった、というようなことを言っていた――だから、言ってみればこの本は、フーコーが『監獄の誕生』では記述しなかった側の視点からそれを補完するようなものなのかもしれない――つまり、権力機構とその作用のなかにとらわれ、規律を注入されて主体形成しながらかつがつ生きていくしかない、無名でふつうの無数の個人の側から――しかしまた、セルトーは、この研究の主題はそうした主体のあり方そのものではなく(だから彼らの実存や生なのではなく)、あくまで彼らが戦術的に駆使する日常的実践の「形態」なのだ、とも強調していた)。ときおり、学問的・科学的文章の領分をあきらかに逸脱したとおもわれる文学的表現が出現して、それがなかなか素敵な書きぶり(訳しぶり)になっている。


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 政府は1994年、霊感商法被害が社会問題化して多数の訴訟が起こされていた旧統一教会を、反社会的な団体と判断すべきだと問われ、「政府として、一般的に、特定の宗教団体が反社会的であるかどうかについて判断する立場にない」とする答弁書閣議決定している。今もこの方針を継続中というわけだ。
 日本は戦前戦中、当時の治安維持法などに基づき、反体制の団体や活動家らを取り締まり、宗教団体も弾圧を受けた。そのため、戦後は憲法で信教の自由が保障され、宗教を保護する宗教法人法が制定された。同法に基づく解散命令を受けたのは、オウム真理教や明覚寺といった悪質な刑事事件を起こした団体に限られ、その運用は抑制的だ。
 宗教学者島薗進氏は「ここまで多くの被害者を生んできた旧統一教会の問題に向き合う上でも、反社会的な問題を繰り返し起こす団体の宗教法人認証の取り消しができるような宗教法人法の改正を検討すべきではないか」と話し、こう続ける。「ただ、認証しない理由を明確な基準とするのは容易でない課題だ」

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 1994年以降、カナダやフランスなどで新興宗教太陽寺院教団」の信者らによる集団自殺が相次いだ。こうした事件に危機感を強めたフランスの国民議会は95年に報告書をまとめ、カルト(セクト)と判断するために「法外な金銭的要求」「反社会的な教義」「子どもの強制的入信」など10基準を示した。これに基づいて危険視する170以上の団体名も挙げ、旧統一教会も含まれた。
 2001年には「セクト規制法」が成立。特徴は、マインドコントロールなどで支配された状態の人に重大な損害となる行為を規制した点だ。違法な医療、詐欺、家族を遺棄するといった「セクト的逸脱行為」について、手を染めた個人だけでなく所属する法人も処罰対象に。こうした両罰規定の拡大に加え、法人やその代表が処罰対象になれば、解散命令を出すことも可能にした。

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 セクト規制法に詳しい山形大の中島宏教授(憲法学)は「フランスはセクトの定義を基に危険とされる団体名をリスト化して規制しようとしたものの、団体を名指しすることには、信教の自由を考慮して国内外から批判もあった。そのため違法行為に着目して規制するようになった」とした上で、問題視された法人の解散命令が出たケースはまだないとする。「日本が学ぶべきは、法規制とあわせたセクトを巡る情報提供や注意喚起、未成年者保護、宗教が絡む問題に対処するための公務員研修などだ」と語る。


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 蜜月の象徴的な場面があった。2000年代前半に全国で吹き荒れた「ジェンダーフリー・バッシング」だ。ジェンダー概念や性教育などが標的とされた。
 鹿児島県議会でも03年7月、「ジェンダー・フリー教育を行わないよう求める陳情」が採択された。
 提出団体の代表は歴史教科書批判の右派団体の事務局長で、陳情の紹介者は自民党の県議だった。
 この県議は当時、取材に1冊の冊子を示して「この内容に沿って県議会で質問した」と明かした。
 「これがジェンダー・フリーの正体だ」と題された冊子の発行元は、日本会議シンクタンク的存在である日本政策研究センター
 冒頭に「暴力革命は不可能になった代わりに、共産主義者は別の方法で必ず日本解体を目指す(略)ジェンダー・フリーによる性別秩序の解体という事態とは、まさしくこの『暴力革命』を代替する『別の手段』の一つなのです」と記されていた。

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 旧統一教会も当時、バッシングに狂奔していた。関連団体「国際勝共連合勝共連合)」の同年の運動方針「内外情勢の展望」には「共産主義者は青少年の堕落を誘うべく過激な性教育論を学校に持ち込んで(略)」とあった。
 右派は復古的な家父長制の尊重、同教会は教義に沿った「純潔教育」が主張の根底にあったが、その論理の展開は酷似していた。
 当時、国会でバッシングの急先鋒せんぽうだった山谷えり子氏(現・自民党参院議員)も旧統一教会の関連新聞「世界日報」の紙面に再三登場する一方、事務所のニュースレターには日本会議系団体が推奨する性教育批判の論文を紹介しており、双方に「配慮」していた。

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 日本会議は右派団体の連合体だが、天皇主義の宗教団体「生長の家」の元信者らが中枢を担ってきた。生長の家は1983年以降に自民党と距離を置くようになったが、元信者らの現役時代には「靖国神社の国家護持」を掲げ、「自虐史観の克服」を訴えていた。
 一方、韓国が本拠である旧統一教会は、戦前の日本のアジア侵略に対し「日本の国家的悔い改めが必要」「日本という国の存在が人類全体にとってプラスなのか?マイナスなのか?」(関連団体「全国大学連合原理研究会」の青少年問題研究報告書2005)という立場だ。
 にもかかわらず、両者の協調は長い。日本会議は97年に設立されたが、その準備過程ともいえる70年代後半の元号法制化運動では、熊本県生長の家政治連合(生政連)と勝共連合などが協力し、法制化推進のための県民会議を結成している。
 生政連が支援母体で、総務庁長官を務めた自民党議員、玉置和郎氏は勝共連合の顧問でもあった。
 この協調関係は右派系文化人らの動きからも明らかだ。日本会議と関係する大学教授らは同教会系の団体「世界戦略総合研究所」でしばしば講演していた。彼らは同教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の機関誌にも執筆している。

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 では、日本の右派や民族派はこぞって、こうした旧統一教会側との関係を持っていたのだろうか。必ずしもそうではない。
 勝共連合設立に向け、旧統一教会創立者文鮮明氏と笹川良一氏、白井為雄氏(児玉誉士夫氏の代理)、畑時夫氏ら右翼の実力者らは67年、山梨県本栖湖畔で会合を開いたが、赤尾敏氏(大日本愛国党総裁)らは呼ばれなかった。
 赤尾氏はその後、週刊誌で「あんなの(勝共連合)反動的ブルジョア反共運動だ。(略)現体制の擁護じゃないか」と批判した。
 さらに右翼陣営の一部を激怒させる事件が起きた。世界日報元編集長の副島嘉和氏と元幹部の井上博明氏が月刊「文芸春秋」84年7月号に執筆した旧統一教会内部告発である。副島氏らは編集方針の違いから解任され、同教会からも脱会していた。
 記事の中で、副島氏らは旧統一教会には文鮮明氏と家族を前に主要国の元首たちがひざまずく儀式があり、天皇陛下の役を日本の旧統一教会会長が担っていると暴露した。この記事が出版される直前、副島氏は何者かに刃物で襲われ、重体に陥っている。
 事件後、民族派団体「一水会」の代表だった鈴木邦男氏は「『彼らは反共だから味方ではないか』と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とてもそんなことはいえないはずだ。実際、『許せない』『こんな反日集団は敵だ』と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格は漠然と知っていたが(略)愕然がくぜんとする思いだった」と週刊誌に寄稿している。

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 だが、そうした批判が後に日本会議を設立する人びとに響くことはなかった。
 それはなぜなのか。
 ある右翼関係者は「日本会議を切り回す生長の家の元信者と原理研は『戦友』だから」と説明した。
 60年代末に学園闘争が盛んだった時代、長崎大などで民族派学生運動を担っていた元信者らと旧統一教会の学生(原理研)らは全共闘系の学生らとの衝突で、ともに闘った間柄だった。その「血盟」が続いているという解釈だ。
 一方、一水会の現代表である木村三浩氏は「勝共はカネも動員力もある。そして『反左翼』でとりあえず共闘する。同床異夢でも、安倍政権を支えることで一致していた」と話す。いわば、打算による野合だ。
 加えて「勝共の初代会長は立正佼成会出身の人物。『日本の統一教会と韓国のそれとは違う』と説明した可能性がある」と語る。

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 しかし、教会側にも利用する意図がある。相手が議員の場合、官憲からの組織防衛とともに、政策面への影響も狙ってきた。旧統一教会の月刊誌「世界家庭」(2017年3月号)には関連団体の総会長が活動方針の一つとして「議員教育の推進」を掲げている。
 「こちら特報部」が指摘したように、少なくとも自民党改憲たたき台案(18年)は、その前年に勝共連合が公開した改憲案と内容がほぼ一致している。
 日本人信者を食い物にした資金が、旧統一教会から北朝鮮の現体制に流れていた構図がある。旧統一教会の教典「原理講論」では、朝鮮半島における日本帝国主義の「虐殺」「殺戮さつりく」が説かれている。反共で一致するにせよ、旧統一教会との協調を日本会議などはどう正当化するのか。


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 「岸元首相は、本連合設立当初から勝共運動に理解を示し、陰に陽に支援、助言を行ってきた」
 勝共連合の機関紙「思想新聞」の1987年8月16日付1面には、同月7日に亡くなった信介氏の評伝が掲載され、先の一文がつづられた。広辞苑によると、「陰に陽に」とは「あるときは内密に、あるときは公然と」の意。親密ぶりがうかがえる。評伝はこう続く。「スパイ防止法制定運動の先頭に立ってきた…」
 この法律は、防衛と外交の機密情報を外国勢力に漏らせば厳罰を下す内容だ。信介氏は並々ならぬ思いを持っていたようだ。
 57年に首相として訪米した際、米側から秘密保護に関する新法制定の要請を受けて「いずれ立法措置を」と応じていた。晩年の84年に「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」が発足すると、会長に就いた。

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 日本のトップだった信介氏、韓国発祥の教団の流れをくむ勝共連合スパイ防止法を求めたのはなぜか。
 「根本的にはCIA(米中央情報局)」と話し始めたのは、御年89歳の政治評論家、森田実さんだ。「アメリカの政策は今も昔も変わらない。反共で韓国と日本の手を結ばせ、アジアを分断しながら戦いを挑ませる手法だ」
 信介氏は「米共和党に最も近い人物」といい、旧ソ連と向き合う上で「日本の関連法制では整備が不十分という米側の意向をくもうとした」。勝共連合の方は「権力や金のために日本に食い込むには米側に取り入るのが一番早かった」。

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 晋太郎氏の死から15年たった2006年、晋三氏は首相に就いた。思想新聞はここぞとばかりに「スパイ防止法制定急げ」「法の再上程を」と必要性を訴える見出しを付けた。
 安倍晋三政権は07年、海上自衛隊の情報流出疑惑を機に、「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」を米国と結んだ。米国と協定を交わした国が秘密軍事情報を共有する際、米国と同レベルの秘密保護が求められる。
 短命の第1次政権後、晋三氏は12年末に返り咲いた。翌13年7月の参院選で衆参ねじれ国会が解消したのを受け、力に任せた政権運営を展開。衆参両院で採決を強行して成立させたのが「特定秘密保護法」だ。
 防衛や外交の機密情報の漏洩ろうえいを厳罰化する同法は当時、スパイ防止法との類似点が指摘された。知る権利を侵す危うさをはらむが、思想新聞は「安保体制が大きく前進した」と持ち上げた。その一方、諜報ちょうほう活動をより強く取り締まる内容を盛り込んだスパイ防止法を制定するよう促した。

2022/8/22, Mon.

 わたしは基本的にいつでも"一匹狼"だ。生まれつきであれ、精神を病んでいる者であれ、どういうわけか人の中にいるのが苦痛で一人でいる方が楽なやつであれ、そんなやつらが必ずどこにでもいる。あなたは愛さなければならないという言い方にはもううんざりで、愛が命令になると、憎しみが快楽になるとわたしには思え、あなたに何が言いたいのかといえば、わたしはむしろ穀潰しをしている方がましで、あなたに訪ねてきてもらったとしても何の解決にもならないし、とりわけわたしが酔っ払って真っ赤(end139)な目をしていて、何をする気にもなっていなかったりしたらもうどうしようもない。わたしはもうすぐ四十七歳で、三十年間飲み続け、先はもう長くはなく、病院への通院を繰り返している。憐れんでもらおうなどとは少しも思っていない。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、139~140; ダレル・カー宛、1967年4月29日)




 アラームが鳴るまえに覚醒して携帯を確認すると七時半だった。目をつぶって音が鳴るまでまたまどろもうかともおもったが、わりともうあたまがはっきりしていたのでそうならず、息を吐きつつ腹を揉んだりしはじめる。腹はここ数日か一週間くらいでかなりやわらかくなった。いぜんのような浅いでこぼこの凝りがすくない。からだぜんたいとしても、瞑想をまた拡散式でからだを感じるタイプのものにもどし、ようするになにもしない非能動性のやりかたにもどし、かつそれとおなじような意識でストレッチをしばしばやるようになってからだいぶやわらかくなっている。肉体のほぐれレベルがかなり底上げされた。
 アラームはあらかじめ設定を解除しておき、お腹まわりのほか脚とか耳のまわりとか頭蓋とか各所かるくこまかく指圧してまわり、八時六分にからだを起こした。寝床で座布団に乗ったまま、まえにゆるく投げ出された脚の脛とか太もも側面とかを揉む。合蹠もこのときもうやっていたかもしれない。カーテンをあけると曇り空だが、昼を越えてのちにひかりのいろもたしょうみられた。洗面所に行って洗顔したり用を足したり、出るとうがいをしたり水を飲んだり。蒸しタオルも顔に乗せ、きょうは寝床にもどらずもうここで瞑想してしまうつもりだったので、そのまえにもうすこし血をながそうと屈伸したり背伸びしたり、胎児になったりプランクしたりともろもろ。そうして八時四八分から椅子のうえであぐらをくんで静止した。なかなかわるくない安定感。窓外の保育園では保護者のあいさつの声や子どもの泣き声うなりなどが聞こえる。目をあけるとちょうど九時二〇分だったので、三二分座ったことになる。それから脚を揉んでわずかにあったしびれを解消し、またちょっとからだをうごかすと食事の支度へ。一〇時から通話なのでそのまえに食べておきたかったのだ。もう食料はだいぶすくなく、サラダの素材もキャベツ、大根、タマネギ、トマトしかない。トマトはのこしておこうとおもい、ほか三つだけだと物足りないし大根とタマネギの辛みがちょっとつよくなってもしまうので、最後に一個のこっていた絹豆腐を手のひらのうえでちいさく分けてくわえた。飴色タマネギドレッシングをかけてハムを乗せる。もうひとつにはこれものこり一個になっていた冷凍のハンバーグを電子レンジで加熱して食す。むしゃむしゃやっているうちに一〇時がちかづき、食べ終わったのがちょうどくらいで、食器類を流しにはこんで置いておき、それらが去った机の左側にChromebookを置いて資料など出して、それでZOOMにログインした。すでにみな来ている。通話時のことはあとで。きょうは前回こちらが欠席のときにつぎの担当をきちんと決めていなかったということで雑談の回になったが、おもしろいはなしはいろいろあった。(……)
 通話を終えたのはちょうど一時ごろ。また屈伸したりして、食器も洗って水切りケースにかたづける。湯を浴びる段である。ひかりのいろがカーテンに見えていたので、そのまえにきのういらい吊るしっぱなしだった集合ハンガーやハーフパンツなどを出しておいた。そのほか肌着類は寝床から起き上がったさいにもうたたんでしまったのだった。あと、屈伸をしていると目が床にちかくなって、そうすれば髪の毛やこまかなゴミが無数に散ってまたいかに汚れてきているかがまさしく目に見えてあきらかなので、五分か一〇分だけでいいから掃き掃除をしようとおもい、扉の脇の角に立てかけてあるニトリで買った箒とちりとりのセットを手に取り、入り口のほうからいくらか掃いた。扉のまえの、床から一段あさく下がっていて靴を履くスペースのことを建築用語でなんというのかいつまで経っても知らないのだが、あそこからして埃がよくたまっており、角のほうなどちょっと蜘蛛の糸のようにかかってもいたので、そのへんから箒をうごかしてあつめ、毛先にまとまってついた埃のかたまりもゆびで取って処理し、ある程度あつまるとゴミ箱に捨てる。そうして扉前から椅子のしたあたりまで、たしょうきれいになったところできょうはもうこれでいいやと切ると、ちょうど一〇分が経っていた。一時一七分から二七分のことである。毎日このくらいですこしずつ部分的に掃除していければそれがいちばん良いのだろうが。
 その後、湯浴み。肌着を脱いで貧弱きわまりない上半身をさらしたところで陽のいろを見たので、出しておくかと窓辺のものをそとの物干し棒に移し、それから全裸になって浴室へ。からだとあたまを洗う。終えるとシャワーを止め、扉を開け、浴槽内で立ったまましばらくフェイスタオルでからだをぬぐう。このフェイスタオルがやはり濡らしてみるとけっこうくさく、生乾きのときに立つようなにおいをふくんでいて、しかしこれは実家から持ってきたタオルでもう古めだから、実家でつかっていたときにもおなじにおいを発していたような気がする。長年の雑菌が根を張って溜まっているのではないか。エマールとワイドハイターに漬けておけばたしょう改善するだろうかとおもい、きょう勤務から帰ってきたあとに気力があったらそうして一晩漬けてみることにした。浴室内、浴槽外の便器まわりも髪の毛がたくさん落ちて汚れているのが気にかかっていたので、ここも目のついたときにちょっとだけやればよいのだというわけで、トイレットペーパーとのこりとぼしいルック泡洗剤をつかってすこし拭き掃除をした。そうしているうちにからだは乾く。室から出ると足拭きマットのうえで扉の陰にかくれながらちょっと背伸びして、バスタオルであたまを拭く。服を身につけるとドライヤーであたまを乾かし、いまつかったバスタオルもハンガーにつけて出しておいた。一枚三回くらいはつかえる気がする。実質あたま拭くだけだし。
 そうすると二時ごろ。ひとつきりのこっていたチーズドッグで出勤前のエネルギーを補給。電子レンジであたためたものを箸でパックからとりあげてかじる。食うと音読した。ものを食ったあとに腹を揉みながら音読するのがなんかいい感じで半習慣化している。二時半ごろまで。四時半かそのあとの電車で勤務に出向くので、猶予はもうすくない。ほんとうはきのう聞いたBill Evans Trioのことなどを出かけるまえに書いてしまいたかったが、それは無理だなと判断。そうしてきょうのことを書き出したのだが、どうもねむい。これは睡眠がみじかかったうえにチーズドッグを食ったときに二錠目のロラゼパムをキメたから、たぶんその作用でもあったのだろう。あと食後の臓器負担とか血糖値の変化とかもあるかもしれない。それでなかなかしゃきっとせず、たびたび立って背を伸ばしたりスクワットの姿勢でとまったり、腰をひねったりとやったのだが、最終的にけっきょく屈伸を念入りにやるのがいちばんあたまが晴れた気がする。脚をうごかすということだろう。それでここまで記すと四時三分。もう身支度をして出かけなければならない。


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 現在帰宅後の午前零時三三分である。勤務後はつかいものにならんからなにも食わずなんだったらシャワーも浴びずにさっさと寝るのが吉だとこのあいだおもったわけだが、きょうは屈伸をよくしたためかそこそこ気力がのこっていて、ものを食べる気になった。といって、サラダである。キャベツと大根とひとつだけのこしておいたトマトとタマネギでこしらえる。そのほか職場からもらってきた菓子。帰宅後は扉をくぐってマスクを始末し、手を洗うと、まだ服をかえないうちに先日しばっておいたプラスチックゴミの袋をかかえて(五つもあった)、アパート横のゴミ出し場に持っていった。ごわごわした感触の古びたネットのなかに入れておく。そうしてもどるとワイシャツやスラックスや靴下を脱ぎ、上半身裸のハーフパンツすがたになって、うえに書いたようににおいのよくないタオルを漬け置きしてみるかと洗面所で洗面器に水をそそいで、そこにタオルを入れるとともにエマールとワイドハイターを少量ずつくわえ、ちょっと揉み洗い的にうごかしておいた。それで制汗剤シートでからだを拭う。気力がのこってはいても疲れているのはまちがいないし、ものを食うと消化のためにからだに負担がかかるからそれで一気にねむくなり、またシャワーを浴びることができないまま死ぬ可能性もおおいにあるのでその対策である。自宅について休息にはいったのは一一時半ごろだった。零時一二分に布団から起き上がって食事へ。いま零時四三分。気力がいちおうあるとは言い条、べつにわざわざ勤務後にがんばる必要もないのだけれど、さっさと寝れば良いのだけれど、というこころもちで、しかしいま飯を食ってしまったいじょうすくなくとも二時間くらいは横になれないから、このあとどうするかな、という感じ。食事中は一年前の日記を読み、食後もしばらく。あいかわらずプルーストの感想もしくは分析。

書見はプルーストをすすめる。第三部「土地の名、――名 [﹅] 」はバルベックとかヴェネツィアとかフィレンツェにたいするあこがれからはなしがはじまって、じっさいにその土地をおとずれたことのない話者は伝聞でえた情報やじぶんの想像などからひきだされたさまざまなイメージや観念をその土地のなまえに付与してしまい、固有名詞のそれぞれがほかとはまったく異なった唯一個別の存在として話者のなかでふくらみ、現実のその街よりも現実的な(現実の街はとうぜん、ほかのさまざまの街と共通した要素をもちあわせており、比較可能なのだから)、言ってみれば観念的実在性みたいな性質をもってあこがれをかきたてる、みたいなはなしなのだけれど(ただ、話者が固有名詞にこめるイメージは伝聞情報のほかに、その名詞の発音の響きじたいによってひきだされることもしばしばあるようで、655~656の一段落ではその例が列挙されており、そのなかからさいしょのふたつを挙げておくなら、「たとえば、赤味をおびた高貴なレースをまとってあんなに背が高い、そしてその建物のいただきが最後のシラブルの古い黄金に照らされているバイユー Bayeux、そのアクサン・テギュが黒木の枠で、古びたガラス戸を菱形に仕切っているヴィトレ Vitré」というかんじなのだけれど、語の発音(の全体または一部)から視覚的イメージをひきだすというこの性質は第一部「コンブレー」でもすでに話者が見せていたもので、そこではまず、幻灯にあらわれたジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの「ブラバン」は「金褐色のひびき」(17)といわれているし、また、ゲルマントの antes というシラブルは「オレンジ色の光」(288)を放射するものなのだった)、これはこの小説中、すくなくともこの第一巻をとおして何度もくりかえし方々にあらわれているテーマで、第一部では話者はゲルマント夫人にたいしてそのような観念的実在化をほどこしていたし、また初恋のあいてジルベルトにかんしてもそのような志向はあったはずだ(「メゼグリーズのほう」へでむいた散歩のとちゅうにはじめてジルベルトと遭遇して以来、おさない話者はその父親であるスワンの名(「ほとんど神話的なものになったスワンというその名」)を耳にしたいという欲望をつよく持ち、家族の口からその名を発音させようと目論むのだが(241~242)、ジルベルトおよびスワンの名にたいするフェティッシュな欲望と、家族にそれを口にさせようという画策は、パリはシャン=ゼリゼにてジルベルトと再会し恋心をつのらせたあとの第三部でそっくりそのまま反復されている(695~696))。また、第二部「スワンの恋」でも、話者のそれとすこしことなってはいるものの、嫉妬に狂ったスワンはおもいがけない道筋でオデット(の浮気)のことをおもいださせる語やなまえにかんして、「ひどい打撃をくら」ったように苦しんでいる(607~608)。第三部では序盤もしくは前半で、上述したもろもろの土地にたいするあこがれと観念的実在化の作用がかたられながら、そのあこがれによって興奮しすぎたために旅の出発を目前にした話者はたおれてしまい、医者から旅行の禁止を言い渡されて憧憬の土地にむかうことができず、パリに残ってフランソワーズに同行されながらシャン=ゼリゼで遊ぶほかない、という説話的展開が見られるのだが、そのシャン=ゼリゼで話者は初恋のジルベルトと出会ってその遊び仲間になるいっぽう、彼が家に帰ってからジルベルトについて想像しこころのなかにいだくイメージと日々シャン=ゼリゼで現実に目の前にするときの彼女の実像との差異もしくは乖離というテーマ(第一部でゲルマント夫人にたいしてすでに見られた心的作用で、もっともこの第三部のジルベルトにかんしては、前者とはちがって幻滅や失望は明確ではないが)がかたられるわけで(675~677)、だから第三部のなかばからは、物語としては話者のむくわれない恋やジルベルトとの関係がかたられつつも、固有名詞や観念と現実、という前半のテーマが引き継がれて考察される、という構成になっている。

 本文の引用も。682: 「三時になれば、フランソワーズが校門まで私をむかえにきていて、それから私たちは、光でかざられ、群衆が雑踏している街路、バルコンが太陽によって家から切りはなされ、まるで金色の雲のようにもやもやして、家々のまえに浮かんでいる街路を通って、シャン=ゼリゼに向かって歩きだすのだ」というのは、うわ、この光景わかるな、とおもった。しかしバルコニーがこんなふうになっている風景などみたことはない。それでもこういうことだろうなというイメージがじぶんのなかに喚起される。この日はやたらたくさん写しているが、目にとまったのはもうひとつ。

703~704: 「ボワはまた、複雑で、さまざまな、そしてかこいでへだてられた、小さな社交場のよりあつまりであって――ヴァージニアの開墾地のように、幹の赤い木、アメリカ槲などが植わっている農園風の土地を、湖 [ラック] の岸のもみ林につづけたり、しなやかな毛皮につつまれた散歩の女がけもののような美しい目をして突然足早にとびだしてくる大樹林のつぎにもってきたりして――それは女たちの楽園 [﹅6] でもあった、そして――『アイネーイス』のなかの「天人花 [ミルトゥス] の道」のように――彼女たちのために全部一種類の木が植えられたアカシヤ [﹅4] の道には、有名な美人たち [﹅4] が足しげく訪れてくるのであった。あたかも、おっとせいが水にとびこむ岩のいただきが、おっとせいを見に行くことを知っている子供たちを遠くからよろこ(end703)びで夢中にさせるように、アカシヤ [﹅4] の道に着くよほど手前から、まずアカシヤの匂が、あたり一面に発散しながら、遠くから、強靭で柔軟なその植物の個性の、接近と特異性とを感じさせ、ついで私が近づいてゆくと、アカシヤの木々のいただきの葉むらが、軽くしなだれて、その親しみやすいエレガンスを、そのしゃれたカットを、その布の生地の上質の薄さを感じさせ、その葉むらの上には、羽をふるわせてうなっているめずらしい寄生虫の群体のように、無数の花が襲いかかっているのが目にとまり、ついには、アカシヤというその女性的な名までが、何か有閑婦人の甘美な魅力を思わせて、そうした匂、葉むら、名のかさなりが、社交的な快楽で、私の動悸をはげしくするのであった」

 あと、なんの脈絡もなく急につぎのような嫌悪を表明している。インターネット上でなにかげんなりするようなことばづかいを目にしたのだろうか。

「自己満足」ということばの醜悪さ。ある活動をおこなうそのひとじしんがじぶんのおこないについて(誇らかにであれ自虐的にであれ)言うならばともかく、誰か他人の行為について、肯定的にであれ否定的にであれ、そのことばをつかって規定することに非常な傲慢と破廉恥をおぼえる。あたかも人間がなにかをするにあたって、その意味や意図やひろがりや感じ方として満足するか否かしかないかのような(ひとがなにかをするにあたって満足する/させることこそが目的であるかのような、かならず満足しなければ/させなければならないかのような)、理解の基準としてその行為が「自己満足」であるか否かしか存在しないかのような、そのすくいようもなく貧しい還元ぶりに嫌悪をかんじる。ほとんど「自己責任」とおなじくらいに腐った複合名詞だとおもう。主述に分解されていればまだしもゆるせるかもしれない。つまり、じぶんじしんで満足できればそれでいいってことでしょ、というようなかんじで、文のかたちになっていればすこしは醜悪さが減じるような気がしないでもない。しかし、「自己満足」という四文字に固定され名詞化されていると(タームもしくはワードになっていると)、もうそれだけで、その標語性にうんざりするような破廉恥さをおぼえる。

 ここまで書いて一時だが、案の定、消化がだんだんはじまったりあと血糖値のためか、からだもあたまも重くなったようで、あくびが湧くようになってきた。


     *


 午後四時、出勤前。ワイシャツにアイロンをわざっと(というのはいいかげんに、とか、大雑把に、という意味で、母親がつかっていたことばだが、たぶん祖母から受け継いだものではないか――とおもっていま検索してみたところ、高崎市のページがいちばんうえに出てきて、「「わざっと」は、「少しばかり」という意味のおらほうの言葉です。「わざっとだけど、とっときなィ(=少ないけど、受け取ってください)」というように使われます」という説明の文があった。母親も祖母も群馬にかかわりなどないはずだが)かけているうちに四時半の電車は間に合わなそうになったので、五時前のもので行くことに。いちおうそれでも準備時間に余裕がすくないがどうにかなりはする。きがえてリュックサックを背負い、部屋のそとへ。道に出るとひとのすがたが多く、一軒か二軒横の家では父親と中学生くらいの娘ふたりがそとに出て、父親の指示で娘がしゃがみこみ草に手を伸ばしているようすだったし、自転車や徒歩でとおるひとも何人かある。公園の木で鳴いているセミの声は距離を置いているうちはもうずいぶんおとろえたなと聞こえるのだが、間近まで来るとそれでもいくらか厚く降り、とはいえあたりの空気感はもはや晩夏から秋にわたりつつある風情で、風ともいえないくらいの微風に黄色くなりかかった葉が容易にはなれてそとの道にながれ、黄や黄緑や褐色など、落ち葉がいくつも散らばっている。右方、西へと曲がれば太陽は正面である。きょうは雲が多くひかりのもとはそのなかに埋まりながらも片手を眉にあてなければならないくらいのまぶしさは送られ、もちろん暑いには暑いがやはり盛夏のてざわりではない。西空では純白をまもる巨大な雲の左右に、これもおおきめのかたまりがふたつならび、陽射しのまばゆさによって表面をすこし青く濡らしながらも消えかかっているとちゅうかの薄さで、空と雲の層のちがいがあきらかならない。道を渡って裏路地をすすむ。ときおり見上げながら行っていると、小公園を過ぎたあたりで駅前マンションのうえにそびえてひろびろとした雲があらわれ、その下腹はひかりを裏に受けて隅をのぞけばぜんぶ青灰色に染まっているが、ばかでかいブルーギルのようなシルエットだから下腹というより側面というべきなのだろう。上部の左端だけがかわいた白さをあかるませ、まわりのほかの雲もおなじようになかを薄青くされている。駅につづく細道に陽はかげってたいした暑さはなかった。
 駅舎にはいるとホームを移る。この時刻だとひとがそこそこいてベンチも空いていないので、立ったままながれを浴びて数分、来た電車に乗って(……)へ。すでに音楽をながしはじめていた。James Farmの『City Folk』。着くときょうは乗り換えにさほど時間がないので手近の口から人中にはいってあがっていき、(……)線のホームに移動、端に行けばこの時刻の電車はおもったよりも空いている。もっと帰宅客がいるものだとおもっていたが。席について瞑目。ヤクのせいで耳をふさいでいるとねむくなってきて、まともに音楽を聞くことはできない。それで路程の半分くらいでイヤフォンははずして素の耳で瞑目したが、そうすると車内の音や気配や空気があらわになるから、ちょっと緊張して、腹をさぐってみればみぞおちのしたというよりへその上端あたりがややかたくなっており、喉にちいさなものが詰まったような感覚もある。やはり腹のこのあたりをよく揉んでやわらかくしておいたほうがよいのだろう。
 (……)に着くとさっさと職場に行った。帰路のことをさきに。退勤は一〇時をまわったあたり。駅にはいると改札をとおってすぐにある多目的トイレにはいり、クソを垂れた。そうしてホームに行き、いちばん端の車両に乗って着席。もうひとり中年のサラリーマンが端の一画に座っていたが、発車前に出ていった。帰路もはじめのうちは音楽を耳にながしていたが、やはりねむけがまさっておもしろくないのでじきにイヤフォンをはずして、瞑想じみた無動の休息へ。(……)に着くと起きて箱を出て、階段をのぼってすでにしまった店舗のまえを移動。時刻はすでに一一時ちかかった。(……)線ホームに下りていくのにこちらが踏むのは階段だが、横のエスカレーターでは老女がふたりくだっていて、かたほうがもうかたほうに寄り添って、あいての鞄や肩あたりに手をかけてくっつくようにしている。ホームに下りてからもそのままの姿勢でふたりはすすんだが、支えがなければあるけないということではなくたんにとても親しいだけのようで、ねんごろな別れのことばを交わしていた。いつものように端の車両に行って乗り、扉際に立つと片手で手すりを持って目をつぶる。立ったままからだのちからを抜いて静止のうちに揺られて待ち、(……)で降りれば目のまえにはマンションの灯がならんでいる。からだの芯にちょっと疲れと苦しさがあった。それは家を発ってからずっと水を飲んでいなかったので水分が足りないのではないかとおもい、ホームをすすんで自販機まで来るとポカリスエットイオンウォーター250mlを買って、その脇のベンチについて携帯で(……)さんのブログをチェックしながらその場で飲み干した。ボトルを捨てて帰路へ。駅を出るとそこにある「(……)」という寿司屋の側面、格子状の小窓から白さが見えているが、いつもはここにこんなひかりはない。細道を行くとスーパー(……)のなかからは七〇年代アメリカの女性ボーカルグループかなというような、軽快な音楽が聞こえてくる。夜道をひとりでしずかに行っていると、物思いの種などがなければ、そうしてあるいているじぶんの現在に焦点が合い、いまこのときのじぶんや、ここまで来ているじぶんというものが意識されることが多い。ありていにいえば、おれももう三二年も生きちまってこれからどうすんのかなあ、とおもったりするわけで、年下の若者らにたいしてじぶんのことをおっさんだとわざわざ言ってみせることはないし、まだ若いといえばいえなくもないけれど、無疵の若さではない。現在が意識されるとほとんどつねに、同時に反転的に死のこともおもわれて、だからといってそれに不安やおそれをいだいたり、悩んだり、じぶんはいつ死ぬのかとかんがえたり、死ぬまでになにをやりたい、やらなければとおもったりするわけではない。ただ死のこと、じぶんが死ぬということをおもうだけで、それいじょうのことはない。死はいつか来たるものである。しかしそれがいつ来るのか、どのように来るのかはわからず、来たところでその実態も、他人の死からして肉と自己の消滅に帰結するらしいとおもわれてはいるが、じつのところさだかではない。それゆえ死とはまさしくもっとも純粋な到来そのもののようでもあるが、しかし、こういうとき、現在を媒介にして死をおもうとき、なんだかもう死んでいるのとおなじであるかのような、そんな感じがありはしないか、とおもった。そうはいっても現に生きてあるいているわけだけれど、道や路面や家や街灯や夜空や宙やら、周りのものものに、すでにじぶんがいなくなったあと、この世から消えたあとのすがたを見ているようなこころになるのだ。おなじことは古井由吉が、『野川』か『白暗淵』かほかのものかわすれたが、どこだかに書きつけていたはずである(かれはいっぽう、松浦寿輝との対談で、「生前の眼」ということを言ってもいる。じぶんが生まれるいぜんに世を生きて死んだ無数のひとびとの眼が、じぶんが天気などものを見る目のなかに不可避的にふくまれている、というようなはなしだ)。死のことをおもうとハイデガーの理屈をかんがえることも多い。といって『存在と時間』など読んだことはないが、ひとは頽落した気晴らしの非本質的な生のなかで死の必然性とまともに直面し、それによっておのれの本質的な生を見出すというれいの論である。ハイデガーのばあい、究極地たる死から反転的に照射されたいまここの生は、けっきょくのところ民族や国家のような共同性のなかでこそその雄々しい本質を展開することになっていたはずで、それゆえにナチズムと親和してしまったのだろう。ハイデガーにとって死とまともに出会うまえのひとの生は端的な頽落であり、だから出発点は死のほうにある。そこが本質的な生の開始点である。ひるがえってそのようなヒロイズムを避けるためには、死をおもうことではなく、いまここの陳腐な生を陳腐な生としてまともに見ることからはじめなければならないのではないか。現在の生をおもうことは二極反転によってすぐに死をおもうことに転じるが、そこからさらにひとは、死の照射力によるなんの英雄化もなしに、陳腐な生へともどってこなければならない。往復の契機がなければならない。ハイデガーは死から生の本質へと一方通行である。あるいは、生の本質へといたったのかもしれないナチスの小英雄たちが、死をもおそれぬ行動に駆り立てられてそちらに向かっていったとするならば、死との遭遇からはじまって生を鞭打ち、そののちまた死へと回帰していくべつの往復を見るような気もする。この往復を、逆転させなければならないのではないか。
 横断歩道のある車道まで来たところで、路面が打ち水でもしたように濡れていることに気づいた。渡って裏にはいっても同様で、知らなかったがはたらいているあいだに雨がとおっていたらしい。ところによっては道のゆがみにちいさな水たまりすらできている。リュックサックを背負って両手は空なので左右のポケットに突っこみながらあるいており、前方に伸びては消えていくじぶんのほそい影も、手の先を消してどことなく不遜げなゆれかたである。空は一面に曇っており、夕方からさらに雲が増えてなじんだらしい。満開だった白サルスベリはまたふくらみをこぼしはじめていて、その向かい、道の右側にある消えかけの街灯はあいかわらずチャバネゴキブリの背の色や琥珀色を見せながら、いっそう不安定に呼吸し喘いでいる。アパートのある路地まで来ても路面はやはり濡れていて、ときどき靴の裏でジュッジュッという響きがもれるくらいには水気があった。


     *


 いま八月二七日の午後六時だが、この日の記事にもどってきてみれば意外と書いてある。勤務中のこともほんとうなら書きたいところだが、この日だれにあたったのかすらもうほぼわすれているし、断念しよう。通話中のはなしも詳しく書くのはめんどうくさいが、いくらかは書いておこうかな。(……)
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―――――

  • 「ことば」: 1 - 5
  • 「英語」: 747 - 761, 762 - 770
  • 日記読み: 2021/8/22, Sun.

2022/8/21, Sun.

 […]わたしは石に刻む、いつまでも残るからではなく、ただ目の前にあって妻のように口答えしたりしないから。わたしは石に刻む、未来の二、三人の善人たちがわたしを掘り起こして笑うだろうから。それで十分だ。わたしの世紀はこうしたことをわたしにあてがってはくれなかった。
 自分の地獄で四十六年間生きて(あるいは、生きたにもかかわらず)、手に入れたものはといえば、光り輝くちっぽけでくだらない栄光に包まれたゴキブリの唾液に濡れた黙想+わたしの左足の大きな指の下(多分)であげる掠れた笑い声で、それゆえにわたしは自殺と粉骨砕身の中間地点にとどまり続けられているのだと強く思う。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、138; マイケル・フォレスト宛、1966年後半)




 覚めて携帯をみると七時五四分。昨晩は労働後の疲れをさっさと癒やすため、ものも食わず湯も浴びずに零時四二分に消灯した。ちょうど七時間程度。腹がまったく空だったわりにおもいのほかながく寝たなという印象。寝床ですこし息を吐き、また腹をすみずみまでよく揉んでおく。その他腰とか頭蓋とかも。そうして八時二一分に離床。カーテンをあけるとまったき曇天である。雨はいまは降っていないがさくばんは降っていたし、空は真っ白でひかりの質もなく、いつまた降り出してもおかしくないようなよどみに空気はいろづいている。したの道にも湿り気がのこっているようにみえる。布団から立つと洗面所に行って顔を洗ったり用を足したり。口をゆすいでうがい、水を飲み蒸しタオルといつものながれである。きょうはやらなかったが、起きてすぐこのタイミングでもう一回瞑想してしまったほうがよいのかもしれないというあたまになってきている。もともと実家にいたときはそうだったのだ。水場に行ってもどってくるとそこで瞑想して、活動を開始していた。いちどやっておき、寝床にもどって脚をメンテナンスしながら日記の読みかえしをして、その後はやくも二回目、としたほうがよいような気がする。
 布団のうえであおむけになおって日記の読みかえし。2021/8/21, Sat.と2014/2/2, Sun.。後者には、電車内での緊張や不安にかんして以下のような記述。ちょっとわざとらしい調子があるものの、二〇一四年の記述にしてはきちんとしている。こういう幻聴めいた現象はむかしはそこそこあったけれど、いまはもうそれに気づくということはほとんどない。入眠時幻聴すら感じなくなった。瞑想時とか、ストレッチしながらなかばまどろんでいるときとかも意識レベルが下がっているだろうが、幻聴というよりも意識をなかばたもったままみる夢のようなイメージのかたちであらわれる。それはなにか物語的な一場面だったり、やりとりだったり、ひとつの瞬間的な視覚像だったり、いろいろだが、おおかたいまのじぶんとはまるで関係のない虚構的なもののようで、ロマンティックな想像力でいってみれば平行世界のじぶんや存在がつかの間召喚されたかのようなおもむきがないでもないが、いずれにしても明確な記憶としてあとにのこることはなく、まどろみの度合いがかるくなってはっといまのじぶんの存在がもどってくると同時にほぼかんぜんに消失する。

 車中では明確な息苦しさを感じた。深くゆっくりと呼吸をしても酸素がまわっている気がしない、久方ぶりの予期不安の感覚だった。薬を追加した。Virginia Woolf, Kew Gardensを聞き終えて、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』に音楽を変えた。今は音楽が必要だった、それもあまり激しくなく、なおかつ外界の音をきちんと遮断してくれる音楽が。電車内に物理的に閉じこめられているという認識は不安をあおるものではあるが、そもそも不安がなければ閉鎖感覚を意識することはない。どちらが先かという問題は微妙だが重要ではなく、一方が生じれば相乗的に他方も加速していく。そこから逃れるためにさらに音楽に閉じこもることは自らをより狭い領域に追いつめているようにも見えるが、しかし実際にはここで逆転が起こる。物理的な空間を離れた精神は音楽という媒質を獲得し、そのなかに溶けこみ、ほとんど一体化し、無限の広がりにたゆたうことになる。周囲の世界が感覚されることはほとんどなく、残るのは意識と音楽が溶けあった海のような空間のみだが、ここにおいて危険なのは、夾雑物がないぶん剝き出しのものとして精神世界が表出してくることだ。この日は眼を閉じてからしばらくのあいだ、重く海底に沈んでいるような感覚のなかで、黒一面の背景に白字で「家庭内暴力」などのネガティブな言葉がスクロールしていく映像が浮かんだり、「人間は水をとらずにいるとどのように衰弱していくのか」などと問う声がくり返し聞こえもした。しかし行程のなかばを過ぎたあたりから浮上しはじめ、水中を静かに漂うような軽い安定のあと、水面に浮きあがって目を覚ますと不安は消えていた。ちょうど(……)の一駅前だった。

 したのような帰路の描写もある。表現としておもしろかったりきわだったりする部分はないけれど、一文にリズムができており、無理をしてぎこちないというところがない。一四年の一月末からやはりなにかひとつつかんだようだ。ここの描写はまた、いまのじぶんの文章と本質的には変わらないなとおもった。もうここで原型ができている。とりあげている対象もいまだに変わり映えがないけれど、それを措いてもことばのリズムみたいなものがここから本質的には変わっていない。これをそのまま延長させ発展させたのがいまのじぶんの描写だとおもう。要は、これをよりながく、こまかく書けばいまの文になる。

 ビルの窓に写った空の色が洩れ出して空気は水中めいた薄青さに包まれ、地平線の彼方には薄紫色の膜が広がっていた。高架歩廊を歩いて駅前広場に出たとき、赤々と燃える落日が連なる建物の上空に見え、立ち止まってしばらく眺めた。人々は太陽に眼を向けることなく、向けたとしても歩みを止めることなく一瞬後には前を向き、右に左に歩き去っていった。図書館を出たときから気まぐれでイヤフォンを外していた。連絡通路に充満した人声が意味のなさないざわめきとなって身を取り囲み、その上を滑っていく駅員のアナウンスが唯一明瞭な声として聞こえた。帰りの車内ではほとんど眠って一瞬で地元に着いた。夜に移り変わる直前の藍色の空にひどく細い月が浮かんでいた。

 ふたたび寝床をはなれると屈伸などをよくやってから瞑想。一〇時から。しかしやはり足がしびれて一五分しかすわれず。屈伸をすればよいというものではないらしい。あと、さくばんなにも食わずに寝たので、腹がやたら減っていたということもあった。なにしろ午後三時くらいに豆腐を食ったきりだから、一九時間くらい水しかからだに入れていなかったことになる。そうして食事へ。きょうも大皿にサラダをこしらえる。セロリははやくもなくなってしまったので、キャベツにリーフレタスにトマトに、タマネギと大根をあたらしくあけた。タマネギの皮とうすく切り落とした両端はラップにつつんで冷凍庫に凍らせておく。あしたは燃えるゴミの回収日である。リケンのうま塩ドレッシングをかけてハムを二枚乗せる。その他冷凍のハンバーグとチーズナン。また、きのう職場でもらってきた菓子も食後につまんだ。Butter Butlerのガレットなど。食事中やその後は(……)さんのブログを閲覧。八月一七日付に二年前から引かれているしたのはなしが大事なことで、「本当に相手の考え方を根っこから変えたいのであれば、正論を大きな声で言うだけでは絶対に無理だ」ということに尽きる。

ニュースをチェック。Twitterで「Amazonプライム解約運動」というのがハッシュタグつきでおこりつつあるようだ。キャンセル・カルチャーはこうして日本でもすっかり一般化しつつある。先行している欧米の事例など見ていると、それだけでげんなりした気分になるが。エクストリーム化したポリコレ+キャンセル・カルチャーの合わせ技が、全体主義的な言論統制状態を結果的に後追いすることになるんではないかという危惧をどうしても拭えない。こういうことをインターネットの目立つ界隈で口にすれば、一部のキーワードに脊髄反射する有象無象らによって、こちらはたちどころにネット右翼として認定されるにちがいないという見込みがたやすく得られることも含めて、やはりげんなりする話だ。
インターネット上の言論といえば、匿名性に由来する難点ばかりが槍玉にあげられてきたし、それはそれで絶対に間違いのないことなんだろうが、同時に、実名性、というかこの場合は同一性といったほうがいいかもしれないが、それによる問題というのも多々あるんではないかという気がする。Twitterなど特に顕著だけれども、たとえ本名と自分の顔写真を使っておらずとも同一のアカウントで長らくつぶやきを続けていれば、当然そこには同一性が生じるわけであるし、同一性というのは首尾一貫性としばしば愚かしくも短絡される。結果、アカウント歴の長いユーザーであればあるほど——あるいは、フォロワー数(=目撃者)の多いアカウントほど、そしてまた、クラスタに対する所属意識の強いアカウントほど——「翻意」や「転向」の余地が失われてしまうという問題が生じる。
そんなことはない、誤りを拡散したり過ちを犯したりしたのであればその点を撤回し謝罪すればいいだけではないか、と反論する向きもあるだろうが、保守だろうとリベラルだろうとそう容易に「撤回」も「謝罪」もしないのは公然の事実だ。都知事選の真っ最中に宇都宮の餃子がうんぬんという宇都宮健児をにおわせるツイートをした枝野幸男が、その恥知らずなふるまいを撤回し謝罪したか? こちらの知るかぎり、本人に確認したところ単なる偶然でしかないことがわかったみたいなことを党関係者がツイートしていただけだ。法を無下にして子供騙しのような理屈で堂々と居直るそのようなふるまいこそが、叩くべき政敵がかくも長いあいだとりつづけてきた唾棄すべきふるまいそのものではなかったか? 同じようなツイートをしていた佐々木中も当然同罪だ。あの件で界隈の底が知れてしまった。大文字の法を原理原則としてそれにもとづく批判をくりだしていたはずが、みずからその法を裏切りかつ居直っている。これによって彼らの批判の多くが、法という原理原則に基づきなされたものではなく、対象ありきであることが露呈してしまった。
だからといって両者を公然とクソ味噌に言うつもりもいない。問題はことあるごとに「撤回」と「謝罪」をもとめる抗議活動を続けている当事者さえもが、その「撤回」と「謝罪」に抵抗を感じてしまう言論空間の性質にある。SNSというエコーチェンバー強化装置+フォロワーという監視装置によって両面張りされた首尾一貫性の魔力をたちきるためには、こういってしまってはいかにも軽々しいが、もっとカジュアルに「撤回」と「謝罪」、ひいては「転向」できる環境を整えるのがいちばんなのではないか。SNSによる社会の「分断」がさわがれはじめてひさしいが、そのような「分断」のコアにあるのが、「撤回」と「謝罪」、ひいては「転向」を許さない空気にあるような気がこちらにはどうしてもする。キャンセル・カルチャーによって四方八方から叩かれまくった人間が心の底から反省するとはどうしても思えない。失言をした人間が公的には「撤回」することもあるだろうし「謝罪」することもあるだろうが、本心からそうすることは稀なのではないか? それどころかむしろ、多くの場合、私的にますます鬱憤をつのらせることになるだけでは? それは本当に反省していないからだ、本当に反省するくらい徹底的に叩きまくればいいだけだという反論もたやすく予想されるが、そういう考えは結局、「転向」をうながす作業であるところの「説得」をあまりにないがしろにしているものと思われてならない。
これはここ数年ずっと思っていたことなのだが、ヘイトスピーチに対するカウンターカルチャー発生以降、「説得」がどうにもないがしろにされてしまっているんではないか。もちろん反ヘイト活動における「怒りの表明」の重要度を低く見積もるつもりはないが、「怒りの表明」を言い分にして、おそろしくわずらしく困難で、時間もかかるし効率も悪いが、かといって「議論」を対立の解決とするという大義を背負っている以上決して諦めてはいけないはずの「説得」が、ほとんどかえりみられなくなってしまっているんではないか。
そういうことを考えるのはやはりこちらが長いあいだ(……)で調停者としてふるまってきたからだろう。レイシストといえばレイシストだらけだった職場だ。というかポリティカル・アンコレクトなものをいっさいがっさいあつめて寄せ鍋にしたような環境だった。こちらの目と鼻の先でひどい言葉が毎日のように交わされてもいたが、おそらく「怒りの表明」に過度にのめりこんでしまっているひとは、そうしたこちらの話を聞けば、「どうしてその場で叱らなかったんだ!」とこちらを責め立てるだろうし、場合によっては「そんな職場どうして辞めなかったんだ!」というかもしれない。後者については、底辺労働者にはまず職場環境を厳選するようなゆとりがないという地べたの想像力を持ってもらえばと思うのだが(もっとも、大卒でありまだ三十代であるじぶんのことを底辺だと思うほどこちらの社会認識は甘っちょろくないので、そこは断っておく)、前者については、本当に相手の考え方を根っこから変えたいのであれば、正論を大きな声で言うだけでは絶対に無理だという当然の認識をまず持ってもらいたい。ものすごくわかりやすい例をいえば、(……)さんみたいな人間にいったいどうやれば正論が通じるのだということだ。(……)さんだけではない、(……)さんも(……)さんも(……)さんも(……)さんも(……)さんもがっつりレイシストだ((……)さんと(……)さんのふたりはまとめサイトの流言飛語を真実として受け取ってしまったタイプのいわゆるネトウヨだったので、ほかとはちょっと毛色が違うが)。たとえば、アルバイトとして採用されて出勤したその初日、目の前で彼らが差別発言を口にしたとき、「あなたそれは間違っている! 撤回しなさい!」と言ってだれが耳を傾けるのだ? という話だ。確信をもって言うが、仮にそう言ったとしても、「じゃあ、どう間違っているっていうの?」という反論は絶対に来ない。来るのは「大卒の若造がなにを偉そうな口利いとんねん殺すぞ」だ。正論うんぬんの話ではない。議論うんぬんの話でもない。論理が通じる通じないの話ですらない。じぶんの話に耳を傾けてもらいたいのであれば、まずそれを先方が良しとする関係性の構築からはじめなければならないのだ。こちらが念頭においているのはそういうレベルの話だ。それが地べただ。
こちらは四年かけて、少なくとも(……)さんと(……)さんにはある程度相対的な視点を持ってもらうことに成功したと思っている。もちろん、界隈のもとめる水準にはまったく満たない。それはたとえば、中国人観光客が毎回客室をひどく汚していくのを彼らの国民性に還元しようとするふたりにたいして、バブルのときの日本人も現在の中国人と同様に海外からマナーの最悪な観光客として認識されていた、それをまずいと思った政府が啓蒙活動がおこなった結果いわゆるマナーを守る日本人ができあがったのだという歴史的事実を了解させたという程度のものでしかないのかもしれない。だが、その了解をきっかけに、少なくとも相対的なものの見方というのが、こう言ってはなんだが中卒でろくに教養もないふたりにしかと埋め込まれたのをこちらは知っている。中韓に対するバッシングにかすかな留保がついたり、同じバッシングをそれまで向けることのなかった日本政府にも適用するようになるという、微妙な変化が生じたことにこちらは気づいている。それまでまったく興味もなかっただろう政治的トピックについて、あれは何が問題なのだとふたりのほうからこちらにたずねてくることも、最後の一年間にはたびたびあった。たったそれだけのことに四年もかかった!
もう何年前になるかわからないが、國分功一郎レイシストTwitterで相互フォローになっているとして界隈から叩かれまくったことがあった。と思ってあらためてググってみたが、ここにまとめがあった(https://togetter.com/li/729842)。Twitterで「ゴキブリチョン」がうんぬんかんぬんと書いている中宮崇なる人物と相互フォローになっているという理由で、ボロクソに言われているわけだが、この騒動のとき、こちらはやはり(……)の面々のことを考えざるをえなかった。というか國分功一郎という人物の日頃の発言であったり著作物に触れたことのある人間であれば、彼がある意味ではほとんどオールドファッションといってもいいほどの左翼であり、仮にレイシストと相互フォローになっているのであれば、それ相応の理由があるにちがいないとまずは考えるのが筋だと思うのだが、しかし残念なことに、現代の想像力はだいたい対象を過小評価する方向にばかり先鋭化してしまっている。國分功一郎は「俺の身近に問題行動を起こしている人物がいるとして、俺がそいつに働きかけないということがあるだろうか。地元で起こった政治問題にまで、全力で取り組んでいる。」「いいか、問題行動を起こしている人物を遠ざけたり、そいつと縁を切ったり、そいつを罵倒したりすることは、問題を解決することとは全く無関係だ。そんなものは当人の自己満足にすぎない。自分は正義の側に立っているという満足にすぎない。」「この前も講演会で言った。政治問題について意見が違うからといってそいつと絶交するのはやめようと。俺は言論の世界にいるが、「あいつと対談したあいつとは話しない」とかそういうくだらないことをやっているやつがいる。本当にくだらない。そうやって潔癖症で保身してれば満足なのだろう。」と言っているが、界隈はその発言に満足できず非難をくりかえす。そして國分功一郎はあらためて公式に事情を説明し、その説明はこちらからすれば行間からさまざまな事情のおしはかることのできるものであるのだが、それでもなお界隈は中宮崇ヘイトスピーチをやめさせろ! しか言わない。こういうのを見ると、このひとたちはマジで「他者」と接したことがないのではないか? あるいは同質性集団である運動(体)に肩入れしすぎるあまりそういう「他者」と接する機会をほとんど失ってしまっているんではないか? という気がしてならない。もし中宮崇ヘイトスピーチをやめさせたいのであれば、いや、やめさせるのではなく心の底から彼を「転向」させたいのであれば、まずは彼と個人的に転移関係を構築する必要があるし(國分功一郎は実際、中宮崇の発言の数々を「症状」だと語っている)、その上で長期にわたる段階的な対話が必要になることは明白だろうに、それをよしとせず、いますぐ白黒はっきりするようにせまった上で、黒であれば手を切れ! といってしまう、その短絡に心底うんざりする。
ウイグル人の置かれた窮地に注目が集まる昨今、たとえば中国政府から給料をもらって働いているこちらのような人間を指弾する向きもおそらくあるだろう。それに対してはたとえば、官(公)における対立を補償するものとして民(私)における交流があるのだという常套句で対応することができるだろう。あるいは、日本語学習を介して日本文化を学習することで、学生らに母国を相対化する契機を与えるという、いわば遅効性の種まきに尽力しているのだという論理も成り立つ(文学の授業を隠蓑にしてこっそり自由の尊さを吹聴する!)。少なくとも先の批判を口にする人間のうち左派は、このような論理にある程度納得してくれるんではないかと思うのだが(というか左派はそもそもそういう批判をせず、むしろそのような批判をする右派に対抗するかたちで先ほどこちらが述べたことと似たような論旨を口にすると思うのだが)、この構図というのは、こちらと(……)の面々、あるいは、國分功一郎中宮崇の構図と同じではないだろうか?
怒りの表明は重要だ。たとえば転移関係の構築できた(……)さんや(……)さん相手にこちらが沖縄のひとびとが置かれている窮状について語ったとする。その言葉をすべて鵜呑みにすることはないとはいえ、「あの(……)くんが言っていたこと」だからとなんとなくふたりのあたまの片隅に残っていたところ、当の沖縄人や支持者たちの「怒りの表明」がテレビや新聞でフォーカスされているのを見て、よりシリアスにその問題を受け止めるようになるということはおおいに考えられるだろう。地べたの説得と「怒りの表明」としての運動は、本来、このようにして相乗的に機能すべきであるはずなのに、度を超えた「怒りの表明」によって説得の現場である地べたが根こそぎ荒らされてしまっている——こちらの違和感とは要するにこういうふうに総括することができる。そもそも民主主義的な意味での「議論」とは、おまえは敵か味方かと相手にせまることではない。隠れキリシタンにたいするものであれシベリア抑留者にたいするものであれ、踏み絵とは常に弾圧者の身振りであった。

 食後は音読。「読みかえし」ノートはバーバラ・ジョンソンを越えて二〇一三年の四月ごろだったかに読んでいた詩のあたりに。長田弘と征矢泰子。したのやつは、「無残なことばをつつしむ仕事」というのがよいとおもった。

282

 愛しあわなければ、
 わたしたちは死ぬしかない。
 白い紙にそう刻んだのは、
 詩人のW・H・オーデンだった。
 だが、間違いだった、と詩人は言った。
 本当は、こう書くべきだった。
 わたしたちはたがいに愛しあい、
 そして死ぬしかない、と。
 わたしたちは、みな、
 死すべき存在なのだから。
 それでも不正確だ、と詩人は言った。
 不正確というより不誠実だ、と。
 たぶん、そうだと思う。
 わたしたちは、そのように
 愛について、また、死について、
 糺すように、書くべきでない。
 晩秋深夜、W・H・オーデンを読む。
 詩人の仕事とは、何だろう?
 無残なことばをつつしむ仕事、
 沈黙を、ことばでゆびさす仕事だ。
 人生は受容であって、戦いではない。
 戦うだとか、最前線だとか、
 戦争のことばで、語ることはよそう。
 たとえ愚かにしか、生きられなくても、
 愚かな賢者のように、生きようと思わない。
 We must love one another or die.
 わたしたちは、
 愚か者として生きるべきである。
 賢い愚か者として生きるべきである。
 明窓半月、本を置いて眠る。
 (長田弘『世界はうつくしいと』(みすず書房、二〇〇九年)、62~64; 「We must love one another or die」)


 征矢泰子というひとはセンチメンタルのきわみみたいなかんじなのだが、ここまで行くとずいぶんきれいでなんかちょっと突き抜けてるぞ、みたいな感触がある。ふたつめの引用がおさめられていた詩集からは、たしかぜんぶひらがなで書いていたのではないかとおもうし。ここには掲げないが286番の書抜きでは、「やわらかくなまめいてかいじゅうする/さくばくとくりかえすひびのさばくに」とか、「むひょうじょうなめにひをもやし」とか、「懐柔」「索漠」といったかたい語でもおかまいなしにひらがなでつかっている。「むひょうじょう」も、これをひらがなでやっちゃうか、とおもった。まあぜんぶひらがなというみずから課した統一ルールがあればそれにしたがわざるをえないから、苦ではないのかもしれないが。285の一節では、「なみだ」を「むしんでだいたんでむぼうでまあたらしいものよ」といっている一行がよいとおもった。

284

 からっぽの金魚鉢が
 あんなにさみしいのは
 たった今までその中で
 泳いでいた金魚のせいです
 からっぽの花びんがかなしいのは
 もちろん今朝すてた花のせいです
 なにかが失くなるとすぐ
 さみしくなってしまう
 たわいないからっぽ
 だからわたしはほしいのです
 底ぬけのからっぽが
 埋めようもなく
 失くしようもない
 たとえばすき透ったあぶくのような
 たとえばすみ渡った空のような
 わたしをやわらかくときほぐし
 わたしをそこらじゅうにばらまいてくれる
 からっぽを探しているのです
 くりかえす日々の中でわたしは
 からっぽのサイダーびんのような
 わたしを置く場所がないのです
 (『征矢泰子詩集』(思潮社、現代詩文庫175、二〇〇三年)、24; 「からっぽ」; 詩集〈砂時計〉(一九七六年)から)


285

 なみだよなみだ
 わたしのもっているもののなかでたったひとつ
 かぎりなくすきとおったものよ
 なみだよなみだ
 わたしのもっているもののなかでただそれだけ
 とめどなくあふれつづけるものよ
 そしてなにより
 としつきのなかでふとり
 てあかにまみれておもくなっただけそれだけ
 つつましくだしおしみおくびょうにおしかくす
 ならいせいとなったわたしのなかで
 むしんでだいたんでむぼうでまあたらしいものよ
 おまえはぬらせ
 わたしのこころを
 としつきにちゅうじつなからだのなかで
 としつきにおいつけないこころを
 せめてあたたかく
 おまえはぬらせ
 なみだよなみだすきとおったものよ
 (『征矢泰子詩集』(思潮社、現代詩文庫175、二〇〇三年)、29; 「なみだ」; 詩集〈綱引き〉(一九七七年)から)

 音読中はBGMを耳に入れる気分になったのでAmazon Musicにログインしてみたところ、さいしょのページにK-POP NOWというプレイリストがあらわれる。それでK-POP流行ってるっぽいし、塾の女子生徒や女性でもはまってるひとおおいし、どんなかんじなのかちょっと聞いてみるかとそれをながした。まあおおかたとくに音楽的にはおもしろみをかんじはしないのだけれど、そのなかでも、#4 Kep1er “Up!”、#5 NMIXX “Kiss”、#7 NewJeans “Attention”、#15 SEVENTEEN “_WORLD”あたりがたしょう耳を惹いた。ながれてくる楽曲はだいたいのところエレクトロ風味の混ざったキャッチーなさわやか明朗ポップスか、リズムを重めに強調してすばやい口調でこまかく歌うややオラオラ風味のパワータイプか、そうでなければAOR的メロウな半浮遊音楽みたいなところに大別できる気がするのだけれど、#4のやつは分類するなら二つ目で、なんかファンキーなベースはいっているし歌唱もこまかくリズミカルにはめていてキレがあるのではとおもった。しかしこのグループの曲はあとでもうひとつ出てきたが、そちらはとくにおもしろくはなかった。#5は一つ目のやつで、いかにもさわやかでメロウ風味もちょっとだけはいりながらメロディメロディきわまりなく、こういうのがEDMというやつなのかいまだにわかっていないのだけれど、たんなるわかりやすい王道的キャッチーだとしてもここまでやればまあ売れるでしょうという感じ。音楽的にいちばんこちらの好みに合っていたのは#7かな。これはメロウ路線ではあるのだけれど、現代ジャズのうちポップ方面にやや寄っている歌手とかがやりそうなテンション入りのコードワークになっていて、このグループだけはほかの曲も聞いてみてもよいかもしれない。SEVENTEENというのはゆうめいな男性グループだったはずで、そういえばBTSも一曲あったのでそれも聞いてみたが、ふたつともあわせてじつにストレートにメロウなコーラスグループで高品質だし、そりゃまあ売れるでしょうと。あと、TOMORROW X TOGETHER & iann dior, “Valley of Lies”というのが耳にしたなかでは唯一アコギのストロークをふくんでいて、ほど良いかんじにちからの抜けたフォークポップスというおもむきでこれもわるくはなかった。Jack Johnsonとかってこういう感じなのか? あと、Stray Kids “Mixtape : Time Out”というこれはもろに九〇年代のメロコアGreen DayとかBustedとかそのへんそのもので、あまりにもそのものなので笑ってしまうくらいだ。若々しい少年の生意気さと溌剌としたみずみずしいさわやかさがとりそろえられているのがいかにもそのもの。それにしてもぜんたいに、もうアメリカの音楽とほんとうになにも変わらないよねという印象。
 それで意外とながく、一時台まで音読してしまい、そののちだったかあいまだったかわすれたが食器類は洗って水切りケースにおさめておいた。洗濯もしようとおもってニトリのビニール袋に突っこんである汚れ物を洗濯機にうつしたのだけれど、よくかんがえたらきょうは天気もよくないし、部屋内に干すつもりなのでいつ洗おうがたいして変わらんのだから、湯を浴びてからそのときつかうタオルなどもまとめて洗えばよいとおもったのだった。それでシャワーを浴びる。クソを垂れてさほど時間が経っていないので、浴室の空気には大便のにおいがうっすらと混ざりのこっている。ルック泡洗剤がそろそろ切れるので詰替え用をきょうできたら買ってきたいが、そうする気になるかどうか。湯を浴びてあたまやからだを洗い、ながれだすものを止めると扉をあけ、浴槽内にとどまったままフェイスタオルでからだとあたまを拭う。それからちょっとのあいだその場に立ち尽くして目を閉じ、肌のうえをのこった水のしずくがいくつもながれおちていく感触などを感じつつ静止した。そうして室を出るとタオルを洗濯機にくわえて注水をはじめさせ、あいまに扉の影で背伸びをし、注水が止まると全裸のまま液体洗剤をキャップではかって投入し、蓋を閉じれば洗濯がスタートする。それからバスタオルをつかうが、皮膚のほうはもうほぼ乾いているので、実質あたまを拭くだけである。それなのでバスタオルはほとんど濡れず、まだつかえるだろうということでハンガーにかけて窓辺に吊るしておく。肌着とハーフパンツを身につけるとドライヤーで髪を乾かして、椅子のうえできょう二度目の瞑想をおこなった。しかしなんだかねむくてあまりつづかず。やはり一五分程度だったのではないか。食後だからか? だがそのまま寝床にながれてストレッチをはじめた。合蹠とか胎児のポーズとかをやっているあいだもやはりけっこうねむい。だがいろいろやっているうちに血がめぐるから意識がだんだん晴れてくる。そうしてじきに洗濯が終わったのでいま吊るしていたタオルとかをかたづけ、そのあとにあたらしいものをとりつけて、集合ハンガーとハーフパンツだけそとに出しておいたが、しかしいまここを書いている三時五〇分現在、窓のほうをみるとカーテンにちょっとあかるみが添えられていて、めくれば空は一面雲に埋められてはいるけれど、そこをもれてくる太陽のちいさなきらめきも見えて宙にうっすら光線がかかってもいたので、意外と行けるかもしれないとおもって肌着も追加で出しておいた。
 椅子に帰るときょうのことを記述。とちゅうでまた立って屈伸とか背伸びとかしたり。K-POPについての箇所を書いたあと、NewJeansのデビューEPをながしてみたが、やはりわるくない。洒落たR&Bという感じ(といって、じぶんはR&Bというジャンルをぜんぜん聞いてこなかったので、こういうのをR&Bと言ってよいのかよくわからないのだが)。しかしさきほどのプレイリストのならびのなかではあきらかに地味な部類にあたるはずで、こういうの売れんの? とおもうが。このグループはまだデビューしたばかりで、このEPも今月出たばかりらしい。ググってみると、K-POPのつぎのアイコンになるかも、とか、音楽番組で一位になったとかいう記事が出てくる。そういうもんなのか。あとK-POPって要はほぼアイドルなはずだから、音楽だけではなく、容姿やパフォーマンスやキャラクターをふくめたヴィジュアル面やメディアへの露出で決まるのだろう。プロデューサーは界隈の有力者らしく、ELLEも記事つくっているから、業界やメディア側としてもおおいに売り出しにかかっているようだ。
 いますこしまえに腹が減ったのでなんか食うとともにひさしぶりにクラフトコーラでも飲むかとおもい、きのう買った「いろはす」のペットボトルをもって部屋を抜けた。それで”Bad Junky Blues”を口笛で吹いて階段にひびかせながら建物を出て、アパート横の自販機に百円玉を入れてクラフトコーラを買い、もどりがてら郵便受けをチェックすると、れいの中国共産党をこの世から消滅させたがっている団体のチラシである「真相」というのがまたはいっていて、いやこれ二、三日前にもはいってたでしょ、そんなにいれてどうすんねんとおもった。もどると豆腐とかチーズドッグとかハンバーグを食い、コーラを飲みつつここまで記述。四時九分。やっときょうのことにまず切りがついた。あとは一四日と一六日を書けばまあだいたいどうにかなるかなというところまでは行くのだけれど、しかしきょうじゅうにかたをつけられるのは一四日がせいぜいかなともおもっている。(……)くんの訳文添削もしなければならないし。添削といっても見たところだいたい訳せていて、ややぎこちなかったりしても日本語として通じる文にはなっているし、おおきく直す瑕疵もさほどなさそうなので、じぶんだったらこう訳すというこちらの訳文をつくり、ポイントを解説、みたいなやりかたにしようかなとおもっている。
 あとそういえばnoteをのぞいたところ(……)というひとがあらたにフォローしていたのだけれど、このひとは二年くらい前だかやはりnoteに日記を載せていた時期にコメントをくれたひとだ。今回はこちらはだれひとりフォローしていないのに、また見つけられてしまうとは。あとnote内をちょっとうろついていると、BASEで日記を販売しているというアカウントも見かけて、金策としてこの日記を売るというのもありなのかもなあとおもった。たいして金にはならんだろうが。(……)くんなんかはけっこうまえからむしろそうしたらいいじゃないっすか、となんどか言っていたとおもう。去年だったかおととしだったかには、この日記はひとにも金にもなににもつながらず、外的な利益をまったくえることがないがそんなことは不問で膨大な労力をついやしてつづけられる無償のおこないとしてあらねばならない、それを体現し例証したい、みたいなことを書いたおぼえがあるけれど(それと同時にそういうこだわりも捨てたほうがよいのだろうし、いざ生きていくために金がいるとなったら背に腹は変えられんと転換せざるをえないかもしれないとも書いたおぼえがあるが)、そういうこだわりもまあべつにわりとどうでもよろしいかなというきもちになってきた。つづけられればなんでもよろしいと。だいいち、仮にこの日記を売ってわずかばかりの金を得たところで、じぶんがなんのためでもなくこれを書きつづけていることなど読むひとの目にはあきらかではないか? ちょっといま家計計上をめんどうくさがってサボっていて、またパニック障害のせいで六月七月の月収は三万四万程度だし、引っ越ししてばかりで余分な出費もいろいろあったから、ひと月の平均的な収支が正確にどういう感じになるのかというのがまだわかっていないのだけれど、まあ塾のバイトで八万稼いだとしてもうすこしだけでも金がなければ持続可能な生活はむずかしいだろう。しかしおれは週三日労働をくずすつもりはない。月水金というかたちで一日はたらいたら一日休まなければとてもでないがやっていけない。心身的にもついていけないし、あいだに休日がはいらなければ日記も追いつかない(というか休日がはいってすら追いつかない)。なので塾のバイトを週三日にくわえて、いよいよブログもしくはnoteで、似非オンライン家庭教師をやるみたいな、いっしょに文学とか哲学読むだけで金をくれるようなひとを募ろうかなとだんだんおもってはいたのだが、呼びかけてもそういうひとがそうそういるともおもえないし(こちらのnoteのフォロワー、いま五人だぞ)、それだったらふつうにこの日記を文章として売ったほうがはやいのかなという気もした。


     *


 いま午後九時三六分。さきほどようやっと八月一四日の記事を書き終え、ブログおよびnoteに投稿し、一五日もつづけてインターネットに放流した。ルック泡洗剤の詰替用を近間のサンドラッグに買いに行きたいとおもっていたがもうめんどうくさい。あと、六時から三〇分ほどBill Evans Trioを聞いて、Evansの孤高をまたかんじてしまったのでそのへんも綴りたいのだけれど、きょうはもう無理そうな気がする。(……)くんの和訳の添削もしなければならないし、またあしたひさしぶりに午前の通話に参加するからそう夜更かしするわけにもいかないし。コーラを飲んだのでカフェインの作用でからだが昂進したり緊張したりしているのが如実にかんじられ、額の奥はかたくなってうっすらと頭痛めいているし、アパート内で上階とか階段とかでひとが物音を立てるのが聞こえても過敏になっていて、いつもは気にしないくらいの音にうるせえなとちょっとおもったり、じぶんの反応がわずかに不安めいたものをふくんだものになっているのが受け止められる。


     *


 この日のことはあと忘却。うえでふれるのをわすれていたとおもうが、二〇一四年の日記の本文外には、「ぶれてはいけない。今はまだこのまま、丁寧に書いていくべきときだ。自分の文章を崩してはいけない。描写を鍛えていこう。この一年、少なくとも三ヶ月ほど前からはそうしてきた。黙々とやる。誰に評価されなくとも、書けるということだけで満足するべきだ」というみずからへの言い聞かせがあった。「誰に評価されなくとも、書けるということだけで満足するべきだ」というさいごの一文は、ヴァージニア・ウルフが日記のなかに書きつけていたことばだったはず。しかしこういうことをわざわざじぶんに言い聞かせてみせるというのはとうぜん、それ相応の承認欲求があるはずで、一四年ごろのじぶんはだから、じぶんが価値あるとおもってまいにちがんばっていることが世の大勢から、それどころかおそらく文学とかそういうのが好きな方面のひとびとからすら完膚なきまでにずれまくっていてとても評価されるもとではないということに、たしょうのルサンチマンめいた情をいだいていただろう。そういう排他的な、読み書きの時間いがいは無駄であるというような、直情的な使命感めいた情熱というのは二〇一五年くらいまでつづいていたおぼえがあるが、そのあたりからだんだんゆるくなった。職場の飲み会なんかもそれまでは時間の無駄だとおもいながらもいちおう出てはやく帰って本を読みたいとおもっていたり、あるいはそもそも出なかったりしていたが、日記のいとなみが時を経て書けることが増えてくると、職場での人間関係とか飲み会とかの場にもそれはそれでおもしろい、興味深い、書く対象になるものがあると見えてきて、だんだんそういう時間もそれはそれでわるくないとおもうようになった。その後瞑想実践なんかも深まって、生きていて退屈をかんじることがまずなくなり、生活内の時空における有益/無駄の二分法がかなり希薄化したので、ぜったいにまいにち読み書きしなければ、これだけがじぶんのやるべきことで、それいがいは無益だというような盲目的なこだわりは消滅した。それは身のほどを知り、なにがしかのかたちで去勢を受け、他者に目を向けるようになったということでもある。


―――――

  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「読みかえし1」: 273 - 287
  • 日記読み: 2021/8/21, Sat. / 2014/2/2, Sun.

(……)新聞はアフガニスタン情勢。タリバンは米国への協力者など、標的となる人物のブラックリストを作成していたらしい。国連の報告でそれがあきらかになったとか。だから、融和姿勢は見せかけで、各国の人員や外交官やいなくなったあとに標的を粛清しはじめるというシナリオもありうると。じっさいすでに現場では政府側の人間が処刑されたりという報告もあるようだし、この日の新聞にもまた、ドイツの放送局に属していたアフガニスタン国籍の記者の家族が殺されたとあった。標的はもちろんこの記者本人で、タリバンの戦闘員が一軒一軒まわってさがしていたという。そんななか、一九日は英保護領から独立して一〇二年目の独立記念日で、タリバンはカブールにはいって以降アフガニスタン国旗を撤去してタリバンの白い旗におきかえていたらしいのだけれど、首都カブールでは一九日の午後から国旗をかかげた抗議デモが起こり、東部でも同様のうごきがあって記念式典もおこなわれたらしい。とうぜん、それによってタリバンに殺される可能性はじゅうぶんにある。いっぽう、トルコからEUにかけての諸国は難民の流入を警戒している。英国はいちはやくボリス・ジョンソンが二万人の難民受け入れを表明し、英国はアフガニスタンを良い国にしようと努力し協力してきたすべてのひとにたいして恩義があると述べたというが、ほかの国はおおむね拒否か消極的な態度のようで、フランスのマクロンは難民の波から自国を守らなければならないと言い、ドイツのメルケルは二〇一五年のシリア難民のときの再来は避けざるをえないだろうから周辺国への支援を強化しなければならない、と言うにとどまり、トルコのエルドアンドナルド・トランプばりに難民を排除すると断言してイランとの国境地帯二〇〇キロにわたって壁を建設中で、すでに半分くらいは完成しているらしい。

2022/8/20, Sat.

 (……)おそらくわたしの気骨に似て、確かに、わたしは意気地なしで妬み深い黄色です。わたしは黄色でわたしは不屈でわたしは疲れてうんざりしきっていてわたしは酔っ払っていて、そして人生は屁のように雲散霧消して行き、わたしはその中を歩き続ける。[D・H・]ローレンスが自分の牛の乳を搾っていたことを考え続け、彼の相手のフリーダのことを考え続けていて、わたしは馬鹿者です。わたしは工場や檻の中や病院にいたやつらがどんな顔をしていたのか考え続けています。やつらの顔を哀れに思ったりはしません。みんな一緒で見分けられないだけです。風に吹かれて揺れているベリーのたくさんの実のように、誰かの彫像にひっかけられたたくさんの鳥の糞のように。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、120; ヘンリー・ミラー宛、1965年8月16日)




 六時ごろにいちど覚醒した。布団にうつった記憶がなかったのだが、しっかり布をかぶってねむっていた。ただしエアコンがドライでつけっぱなしだったので喉がすこし乾いていた。みぞおちのあたりが間歇的にちくちく痛んだのは、深夜にものを食ってそれからさほど経たないうちにねむってしまったからだろう。姿勢を横向きにしてやりすごし、さらに寝ると七時台。さらに寝て八時五〇分かそのくらいに目覚め、ここを正式な覚醒とさだめた。掛け布団をのけ、布団のうえでごろごろしながらからだの各部を揉む。でこぼこを均して通行をよくするような感じ。揉むといってもぜんぜん押しこまず、軽い。きょうは土曜日で保育園に来る子どもはすくないが、それでもすこし声はある。ペラペラ、と建物のまえでおとなたちといる女児の声が聞こえて、靴下か靴かなにか履かされていたようだが、そのペラペラ、はそういう一語というよりは、ペという音とラという音をつなげてためしてみたというようなおもむきが発語にあって、口調もじつにあどけない、舌足らずの、そうであるがゆえに言語を習得するためはっきり発音して練習しなければならないかのようなトーンだった。床をいちどはなれたのは九時三二分。カーテンをあけると雲混じり。洗顔や小用、飲水や蒸しタオルを済ませる。そうしてもどるとChromebookでウェブをみるとともに一年前の読みかえし。きょうも二〇一四年の分はサボった。一年前の八月二〇日金曜日では、「往路に出たころには頭上に雲がおおく、二時にベランダから見たときにすでに雲がわだかまっていた西空からさらにひろがりだしたようで、いまだ青さがのこっているのは東のとおくのみであり、道を行くうちにカナカナが一匹、林から鳴きだしそれについでむかいから風がはじまるとそのながれが間をおかずスムーズに厚くふくらんでいき、耳の穴のまえでバタバタ鳴るくらいになったので、涼しくて佳いがどうも雨の気配だな、とおもっていると、風がおさまったあとからはたして、はやくもぽつりぽつりと散るものがはじまって頬に触れてきた」という一文に、なかなかやってんなとおもった。なめらかに書いていやがる。この推移をこれだけ着実にひろって一文でながすか、と。寝転がったとちゅうからレースのカーテンもあけて空をちょっと見えるようにしておいたが、電線をかけられた天上は薄雲が混ぜられたり塗られたりはたはたまぶされたりと白っぽい部分もおおいけれど、水色もまた敷かれてはいて、弱められたその青さはメロンのまろやかな果肉のようでもあるが、それよりもさらに、カットしたものを食べたあと表皮の内側とのさかいにさいごにのこったあの部分をおもわせるような淡色だった。
 一一時過ぎに起き上がり、洗濯をもうはじめた。あと洗いものも昨晩放置したまま気づかないうち布団にうつっていたのだが、これは洗顔後、うがいをするまえにかたづけておいた。洗濯機をまわしだし、屈伸などしてから瞑想。一一時二五分から五七分まで。まあまあ。からだはよほどほぐれやすくなった。瞑想中はじぶんがじぶんでしかありえないということがにんげんに課せられた絶対的孤独であり一種のトラウマであり、キリスト教の原罪観念がほんのちょっとだけわかったような気がする、というようなことがあたまにめぐったが、いまはそれを詳しく書いている余裕がないのでまた機会が来たらそのときに。現在四時一八分で、そろそろ出勤に向けた準備をはじめなければならないので。瞑想後は食事。サラダとハンバーグひとつとナンにソーセージのはさまったチーズドッグ。食後はしばらく音読し、そのあともうシャワーを浴びたんだったか。洗濯物は、空が一面白くなって空気のいろあいがひややかになってきたからあやしいなとおもいながらも、それでも気温は高いだろうからと集合ハンガーとバスタオルだけ出していたのだけれど、シャワーから出て髪をかわかすさいにカーテンを分けて窓をあけてみるとぱらぱら来ていたのでとりこんだ。
 その後、書きもの。きのうの往路帰路をさきに書いてしまいたかったのでそれから。きょうもまたトイレとかなにかの行動で立ったついでとか、あいまあいまに屈伸とか背伸びとか開脚とかをよくやる。けっきょくそのようにしておりおりからだをすこしずつやしなうのがいちばんのメンテナンスだ。あと瞑想とストレッチ。ストレッチも、どこかのタイミングでやった。シャワーあとか? 書きもののとちゅう、三時過ぎには豆腐をひとつ食った。そうすると味噌汁も飲みたい気がされて、具がまったくないのもなんだしとおもって豆腐をもうひとつあけて手のひらのうえで一六分割し、椀に入れて味噌と湯をそそいだ。きのうの往路帰路は無事書き切ることができて、きょうのことをここまで記せば四時二五分。まあわるくはないが、一四日以降のことが書けない。きょうも労働だし。労働後はどうせ駄目だろうから、あした一日でできるだけがんばるほかないが、(……)くんの訳文添削のしごともある。
 食事中には(……)さんのブログを読んだが(八月一五日分)、したで昇龍拳みたいなことやっているのにはさすがに笑う。

 書見の合間に順手懸垂。プロテインも飲む。23時頃だったろうか、上の部屋でまたコツコツやりだしたのだが、そのコツコツがこれまでとちょっと違うテイストだった、杖で床を叩いているような、あるいはまな板をフロアに直接置いてそこで野菜をトントン切っているような、そういうタイプの音よりももう少し鈍く、またこれまでにないリズムだった。それで、あれ? これやってんじゃないか? セックスしてんじゃないか? と思った。だったらさすがに「うるせえ!」と叫ぶのはためらわれる。それでこれに関しては見逃すことにしたのだが、音はその後もしばらく続き、しかもいったんおさまったと思ったらしばらくしてまた再開されるなどして、だんだんとイライラしてきたものだから、最終的に、ベッドの上でジャンプしながら右手に持ったスリッパで天井をスパンと叩くという抗議をおこなった。静かになった。

     *

 いま二七日の午後四時一〇分。この日のことであと書いておくべきというかおぼえているのは職場での会議のことだけ。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 

―――――

  • 「ことば」: 1 - 10
  • 「英語」: 731 - 746
  • 日記読み: 2021/8/20, Fri.

(……)そのあと洗濯物をたたむ。二時にベランダから取り入れたときにタオルはたたんでおいた。そのさい、ベランダの日なたのなかでしばらく陽光を浴びて肌に吸ったが、西をふりあおげばそちらは雲がおおくわだかまって混雑しており、太陽もそのなかにあってほとんど一秒ごとにあたりのあかるみがうすれてはまたもどって、という時間もあった。ひかりが照ったときはからだがすべてつつまれてさすがに暑く、強力な、どんな対象からも水をしぼりだそうとするような苛烈な熱射であり、きのうは晴れのわりにもうけっこう涼しさがあった印象だけれどきょうは一時季節がひきかえしてまた夏めいていた。

往路に出たころには頭上に雲がおおく、二時にベランダから見たときにすでに雲がわだかまっていた西空からさらにひろがりだしたようで、いまだ青さがのこっているのは東のとおくのみであり、道を行くうちにカナカナが一匹、林から鳴きだしそれについでむかいから風がはじまるとそのながれが間をおかずスムーズに厚くふくらんでいき、耳の穴のまえでバタバタ鳴るくらいになったので、涼しくて佳いがどうも雨の気配だな、とおもっていると、風がおさまったあとからはたして、はやくもぽつりぽつりと散るものがはじまって頬に触れてきた。(……)

帰路は徒歩。疲労感がなかなか濃かった。きょうは日中は晴れて夜になっても気温が高かったようで、あるくうちに汗と熱がこもってワイシャツの裏の肌が湿ったし、ポケットに突っこんだ左手の手首で腕時計がその裏の肌に汗を溜めるのがわずらわしいのでそれを外して胸ポケットにおさめる、という行動を取るくらいには蒸し暑かったのだ。白猫は不在。室外機にもいない。空には雲が豊富に湧いて夜空に煙色をひろげていたが、もうだいぶ満月にちかづいた月がその裏にあってもものともせずにひかりをはなって赤とか黄のほそい光暈を微妙にまといながら白いすがたをあらわにし、そのために雲のかたちも白さも容易に見て取られた。

     *

ハムエッグを焼いて米と食す。新聞はアフガニスタン情勢。バイデンは米軍撤退延長も示唆と。アフガニスタン内にいる米国人の退避が終わるまでだということ。米国とタリバンのあいだで、すくなくとも米軍の撤退期限としてさいしょにさだめられていた九月一一日までは、タリバンがカブールにて空港までの道を妨害せず国外に出たい市民の安全な通行を保証する、という合意がとりきめられたということなのだが、じっさいには現場の連中は妨害行為などをおこなっているもよう。また、各地で反タリバンのデモが起こり、タリバン側がそれに発砲して何人か死者が出ている。元第一副大統領で暫定大統領だと自称しているなんとかいうひとは交渉というよりも徹底抗戦のかまえでひとびとにも呼びかけているらしく、まだたたかいが起こる可能性があると。ガニ大統領が逃げたのはアラブ首長国連邦だったらしいが、国内にもどれるようタリバンと交渉しているらしい。いっぽうでタリバン政権樹立のうごきはすすんでおり、元の政府の高官とかれらのあいだではなしあいがもたれている。幹部があきらかにしたところでは、民主的な体制にはならず、過去のタリバン政権のときと同様、シャリーアにもとづいた政治になり、最高評議会が設置されて最高指導者がその議長に就任するだろうと。タリバンはいま最高指導者(三代目だったか?)のもとに三人の副官がおり、ひとりはカタールに常駐して交渉を担当していた穏健派(創設者の義弟)、もうひとりはわすれたが、あとひとりは創設者の息子で、このひとだったかふたりめだったかどちらかがなんとかハッカニというなまえで、そのひとの名をとってハッカニ・ネットワークというテロリスト組織というかたぶん不定形な集団みたいなものがあるらしく、だからとりわけ米国などはもちろんその影響力でテロ活動が活発化するのではないかと危惧している。

     *

プルーストは「スワンの恋」を終えて第三部にはいった。スワンの恋はわりとしずかに、自然に嫉妬や恋情がうすれていって醒める、みたいな終わり方になっていて、こんなかんじだったかとおもった。そこにカンブルメール若夫人の魅力が介在しているというのはまったく記憶になかったところだ。コタール夫人とのやりとりはなんとなくおぼえがあったが。「スワンの恋」が終わって第三部がはじまると、そのいちばんさいしょから、わたしが夜に起きていままで過ごしたことのあるさまざまな部屋をおもいだしているとき、そのなかでコンブレーの部屋といちばん似ていない部屋はバルベックのグランド・ホテルの一室で……というはなしがかたられており、だからこれは第一部「コンブレー」と直結し、そこから順当にすすんでいる展開で、したがって第二部「スワンの恋」とはほぼ関係がなく、第二部全体が非常にながながとした迂回のように見えるもので、なんでわざわざあいだにながながしいスワンの恋の物語をはさんだのかな? とその必然性に疑問が生じる。まあ、プルーストにあってはそういうことはわりとどうでも良いのだが。もちろんこの「スワンの恋」ははるかのちにかたられる話者じしんのアルベルティーヌへの恋に前例として先行するというか、話者はそこにおいてスワンがオデットにたいしておもったことかんがえたことやろうとしたことを多くの面で反復するとおもうのだけれど(その核心はむろん、「占有」の欲求である)、そのくりかえしとひびきかわしとがあるにしてもこのタイミングで? ということはある。ただまた、話者とスワンの類同性というか彼らがいわば同族であるということは、アルベルティーヌを待たずにすでにあらわれてもいて、つまりスワンの恋はおさない話者と母親との関係にはやくも部分的に反復されており、そのことは明言されている(50: 「私がさっきまで感じていた苦悩、そんなものをスワンは、もし私の手紙を読んで目的を見ぬいたとしたら、ずいぶんばかにしただろう、とそのときの私は考えていた、ところが、それは反対で、後年私にわかったように、それに似た苦悩がスワンの生活の長年の心労だったのであり、おそらくは彼ほどよく私を理解することができた人はなかったのだ、彼の場合は、自分がいない、自分が会いに行けない、そんな快楽の場所に、愛するひとがいるのを感じるという苦悩であって、それを切実に彼に感じさせるようになったのは恋なのであり(……)」、また、500~501: 「彼はオデットの姿を見かけても、彼女がほかの男たちとともにしているたのしみをこっそりさぐるようなふりをして怒らせてはという心配から、長居をする勇気はなかった、そしてひとりさみしく帰宅して、不安を感じながら床につくのであったが――あたかもそれから数年後、コンブレーで、彼が私の家に晩餐にきた宵ごとに、私自身が不安を感じなくてはならなかったように――そうしたあいだ、彼にとっては、彼女のたのしみが、その結末を見とどけてこなかっただけに、無際限であるように思われるのであった」)。スワンは話者の、言ってみれば先行者、先達、先輩のようなものである。

     *

638~639: 「スワンがふとしたはずみに、フォルシュヴィルがオデットの恋人であったという証拠を身近にひろうとき、彼はそれにたいしてなんの苦痛も感じないこと、恋はいまでは遠くにあることに気づき、永久に恋とわか(end638)れていった瞬間があらかじめ自分に告げられなかったことを残念がった。そして、彼がはじめてオデットを接吻するに先だって、いままで彼のまえに長いあいだ見せていた彼女の顔、この接吻の思出でいまからは変わって見えるであろう顔を、はっきり記憶のなかにきざみつけようと努力したように、こんども、彼に恋や嫉妬を吹きこんだオデット、彼にさまざまな苦しみをひきおこし、そしていまではもうふたたび会うこともないであろうあのオデットに、彼女がまだ存在しているあいだにせめて心のなかでなりとも最後のわかれを送ることができたらと思った」

647: 「私にとって、海の上の嵐を見たいという欲望にも増して大きな欲望はなかったが、それは美しい光景としてよりも、自然の現実の生命のあらわな瞬間としてながめたいという欲望であった、言いかえれば、私にとって何よりも美しい光景とは、私の快感に訴えようとして人工的に工夫されたのではないこと、必然的であること、変えられないことを、私が知っているもの、――つまり風景の美とか大芸術の美とかいったものでしかなかったのであった。私の好奇心をそそったもの、私が知りたくてたまらなかったものは、私自身よりももっと真実だと私に思われたものだけであり、大天才の思想とか、自然が人間の関与なしに勝手にふるまっている場合の威力とか美しさとかを、すこしでも私のために見せてくれる価値をもったものだけなのであった」

651~652: 「それからは、単なる大気の変化だけで、私のなかに、そうした転調を十分ひきおこすことができるようになり、そのためには、もはや季節のめぐりを待つ必要がなかった。というのは、一つ(end651)の季節のなかに、しばしば他の季節の一日が迷いこんでいることがあるが、そうした日は、その季節に生きているような気持をわれわれにあたえ、その季節特有のよろこびをただちに喚起し、欲望させ、われわれがいま抱きつつある夢を中断してしまうものなのであって、そうした日は、幸運 [﹅2] のマーク入り日めくりカレンダーのなかに、他のページからはがれたそのマーク入りの一枚を、その順番がめぐってくるよりも早いところかおそいところかにはさみこんだようなものだ」

2022/8/19, Fri.

 (……)もしわたしが自分自身の墓碑銘を書くとしたら(そのつもりでいるが)、時には予定していたよりも早くなることもあるので、きっとそうなると思うが、今もこう書こうと決めている。名声も不朽もとこしえに我がものならず。実際の話、わたしはそんなものは欲してはいない。要するに、そんなものは身の毛もよだつようで少女向けでゾッとさせられるばかりで麻薬でぶっ飛んでいていったい何なんだ???しくじり、自分のちんぽこをあの長くて真っ黒な夜明けに意図的にぶち込みたがっている男は、心底自分のことを勘違いしているか、指の爪の中が汚れきっているに違いない。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、94; ジョン・ウィリアム・コリントン宛、1963年3月19日)




 覚醒すると深呼吸。しかしさいきんははじめから比較的からだがほぐれていることがおおく、身体的ほぐれ度が底上げされたような感じがあり、ちょっと息を吐けばもうすぐに意識はさだまるし、そんなに深く吐き切る必要もない。したがってすぐにふつうの呼吸にもどし、伸ばしていた足を膝を立てたかたちに変更し、その姿勢で静止してからだがじわじわやわらいでくるのを待った。窓外の保育園には子どもらがあつまってきて門をあけるときの電子音やおとな子どもの声が交わされているところで、その頻度や室内の空気の体感からして八時くらいかなと推しはかった。天気は晴れているらしい。そうしてしばらくとまっていちど時間をみると八時五六分、そこからすぐには起き上がらずに腹を揉んだり頭蓋を揉んだりこめかみや眼窩を揉んだり首を揉んだりとからだの各所をゆびで調節してながれをよくする。けっこうかんたんなはなしで、ゆびさきをすこしずつ移動させながらかるく押していって反発とか圧迫をえたりとか、わだかまりとかとどこおりがあるところをこまかく弱くなんども刺激して詰まっているものを取ったり溶かしたりするような感じ。頭蓋とか一晩寝るとマジで凝りしかない。そうして九時二三分に離床した。カーテンをあけるとやはり青空。洗面所に行って顔を洗い、用を足し、出ると口をゆすいでうがい。つめたい水を飲むと立って背伸びをした。このときにわかに保育園の子どもたちの声が高まって、それはそとに出てきたようだったのだが、保育士の女性がみんなにお伝えしておくことがありますと声をかけ、きょうあたらしいお友達が来ることになっていて(たしか「(……)ちゃん」といっていた気がする)、一一時に来てくれるということなのでみんななかよくしてあげてくださいね、みたいなことを、ちょっと高めのほがらかでやわらかい声音で述べていた。その声はやはり幼児たちにことばをかける保育士としての声というような感じで、ちょっと舞台上で発されているような、そういうほがらかさのトーンだったのだけれど、かのじょの発言が終わりきらないうちに子どものひとりが威勢よく、せんせー! せんせえ! と声をあげており、はなしが終わってからなんとかかんとかですか? と質問したその声の調子も、質問ということばのつかいかたの型をなぞっているような、質問というのはこういういいかたでやるのだということを練習しているかのような、そんなふうに聞こえた。つまり、無邪気ではあるかもしれないが、しぜんではなく、言語用法習得後のしぜんさのてまえにまだある感じ。保育士が保育士としてとうぜん役柄を演じているとともに、保育される子どものほうもときに保育士にたいする子どもとしての役柄を、意識無意識にかかわらず演じることがあるのだろう。そのようにしてきっと意識が発展していく。
 蒸しタオルで額付近をあたためると寝床へ。ウェブをみたあとに一年前の日記の読みかえし。起きた時点からさっそく、「天気はひさしぶりに晴れで、臥位のあたまをちょっと窓に寄せればガラスの端に白く濃縮された球である太陽がすがたをあらわし、そのひかりをひとみにとりいれながらまぶたをとじたりひらいたりしているその視界では、窓外のネットにやどったゴーヤの葉たちのすきまにそそがれている晴天の青がずいぶん濃く映り、葉の緑もあかるく透けかねないまでにやわらいでいるそのうえにほかの葉の影が黒っぽいもう一種の緑としてくみあわされてつくりかけでまだまだ未完成のまま放棄されてしまったジグソーパズルのようになっていたり、角度によっては葉のおもて面に白光が塗られてきらめいているのが頻々ととおりぬける微風によってふるふるおどらされている」という風景をみたらしく、一年前のこいつマジでまいにちなかなかやってんな、とおもう。その他アフガニスタン情勢やプルーストのはなしなど。きょうは二〇一四年のほうはなんだかめんどうくさくてサボった。読んだりウェブをみたりしていたあいだ、胎児のポーズをときどき取ったり、一〇時台後半にいたって起き上がったときも脚を揉んだり合蹠をいちどやったりしておいた。そうしてふたたび水を飲み、椅子のうえで瞑想へ。きょうは脚をよく揉んでおいたのでしびれることがなく、からだもぜんたいてきにほぐれていたのでながく座ることができた。たしか一〇時五四分からはじめて、終わりは一一時三二分。瞑想をやっていてあらためておもうのはじぶんの身体こそがひとつの場なのだということで、自己は外界の空間やさまざまなばしょに属しているそのまえに、どんなばしょにいようともまずおのれの身体に属している。しかしこれは自己=精神や意識と身体とを分割してかんがえる伝統的な二分論で、その点をもし難ありとするならば、自己は身体としてある、あるいは自己は身体であるといってしまったほうがよいのかもしれないが、またいっぽうで発生論的にはまずもって自己が形成されるまえに身体こそが世界の無償性によってやしなわれているのだから、自己が世界をさしおいてまずじぶんの身体に属しているというのは当たらないのかもしれない。そうした考慮はありつつも椅子のうえでじっと座ってからだの感覚を見、感じ、意識しているときにおもわれるのは、この身体こそがひとつの場なのだという感覚である。空間というにはいたらない。身体が自己の場であるといったときの身体とは、延長をもった物体的なそれでもあるのだけれど、感覚的複合体としてあるというか、どちらかといえば観念的な気味がつよいようにおもわれるからである。場所、というのも空間的なかたむきに寄るのであまりぴったりしない。感覚によって形成された観念としてのひとつの場である。ティク・ナット・ハンが、われわれはじぶんじしんをこそどんなときでも安心できるホームすなわち家もしくは住みかにしなければなりません、呼吸を意識することでどんなときでもそのホームに帰ることができる、みたいなことをいっていたのは、堅苦しく言うとうえのようなことではないのか。身体という器に本質としての自己や意識や精神がやどっているというかんがえは、心身二分論にもとづいた一般的な認識で、そうかんがえると身体が場であるというのはこの伝統にしたがったあまりめずらしくないかんがえかたのようにみえる。いっぽう、逆のいいかたをすることもできる。つまり、自己こそがむしろ場であり、そこに身体がやどっている、というような感覚もまた瞑想中にあるものだ。むしろこちらのほうがほんとうなのかもしれない。自己と身体が場としての地位を融通しあうことができるということは、そのあいだに分裂がなく、比較的統合と一体化がたかまっているということではないのか。いずれにしても瞑想時の身体や意識のありようは、ひとつの場として比喩化されうるというのがこちらの実感だ。そこにおいては思念や記憶や虚構的イメージや内言語、皮膚の表面や内側における肉体的な感覚、外界で発生するもろもろのうごきによる知覚刺激など、ひとつひとつの微細な感覚がすべてふくまれており、そのあいだに階層や序列は生まれず、絶えず混在しながら平等に生起し、存在している。知覚刺激は受容体であるじぶんの身体や脳において起こっているのだが、自己をひとつの場として比喩的にとらえたときには、その場はじぶんの身体だけではなく、周辺の外界をもふくみこむひろがりをもっているようにかんじられる。聴覚などの感覚的受容能力がおよぶかぎりでの空間的領域が、場としての自己の範囲である。いぜん『HUNTER×HUNTER』の念能力である「円」にたぐえて言ったのはそういうようなイメージだ。身体という場こそが自己であるという体感からはじまったはずの瞑想は、幾分かの時を経るにつれて構造が逆転し、自己こそが身体をも包含する場であるという感覚にいつのまにかすりかわっている。そして、禅僧などがよく言っているように、身体の輪郭はたしかにだんだんと希薄化してくるような感じもある。じっととまっているとだんだん身体内のノイズがすこしずつ除去されていってなめらかになるのだけれど、それがつづいているうちにからだの各部の感覚がかくれていくかのようなのだ。たしかに、じぶんの身体の輪郭がそのまわりの空間に埋没していくような、そんなイメージをおぼえないでもない。南直哉はたしか、坐禅が深まると、じぶんが波とかゆらぎのようなものとして感じられ、合わせている両の親指の先の感覚しかなくなる、ということを言っていた。たしかにきわまればそんな感じにはなるのかもしれない。しかしそれが主客合一なのかどうかは不明である。ここではまだ身体が消えるということでしかない。主体としての自己はのこっているのかもしれない。じぶんが波のようになって身体的感覚がおおかた消失したとして、そこで世界との境界線を無化し一体になったかのようにかんじるその自己はいったいどこにあるのか? というのは永遠の問いである。そんな俯瞰的位置など真には存在しないだろうという不信がこちらのならいなのだが、それに特段の根拠はない。いずれにしてもはなしをもどすと、自己もしくは身体は場であるといったときのその場にもうひとつ比喩をあてはめるならば、理想的には、と言ってよいのかわからないが、それはまた大気にもなるのだろう。身体が、ひいては身体としてあった自己が気体化するというのが、瞑想における体感の、ひとつのゆく先であるようにおもわれる。場=大気としての自己=身体などと書きあらわすと、いかにも文学的、もしくはフランス現代思想的な気配が出てくるもので、それは非明晰主義につながりかねない言語使用でもあるのでばあいによってはあまり褒められたものではない。しかしこれはあくまで主観的感覚をイメージ化したものにすぎない。


     *


 瞑想後、食事に。キャベツを切って皿に乗せたりしながら、じぶんにとって小説って、事物、なにかのものが具体的に書かれていればもうそれだけでおもしろいのかもしれない、というか、じぶんが小説にいちばんもとめていることってそこに尽きるのかもしれないなとおもった。これはむかしからおりにふれて風景が詳細に書いてあればもうそれだけで満足、といっているのとおなじことで、その「風景」が「もの」に変わっただけである。もしそうだとすると、しかしそういう欲求にこたえてくれるような文章は、かえってジャンルとしての小説にかぎらない。エッセイでも日記でもおなじことはできるだろうし、もろもろのノンフィクション的書物でもやりようはあるというかそういう瞬間はあるだろう。というところからじぶんの欲望は要するにすべてをものとしてとらえてそれを記述したいということなのではないかとか、しかしもの化および言語化というのは固定することだから、いっぽうであきらかに生成と流動性に適合してそれをもとめてもいるじぶんの性質はどうなるのかとか、思考がめぐったが、まとまっていないので詳述は省く。サラダはキャベツにセロリ、リーフレタスとここまではたしょう階調がちがっても緑ばかりで皿の上が単調なのだけれど、トマトを乗せると一気にはなやいだ感が出て、色彩の面ではやっぱりパプリカがほしいなとおもっていたけれど、トマトの赤さはいろどりとしてそれだけでもかなりつよい。さいごに大根の白をくわえるとけっこうバランスがよい感じになる。そしてハムも。
 この日は休み明けさいしょの勤務で、四時半の電車で行くようだった。出勤までにはワイシャツとハンカチにアイロンをかけたり、きのうのことおよびきょうのことを書いたり。きのうのことは夜に買い出しに出た道中のことを書きたいとおもっていたのだが無事果たすことができ、この日のことも瞑想中にめぐった思念まで記すことができた。なかなかよろしい。それで三時過ぎだったので、もう湯を浴びてもろもろ支度をしなければならない。湯を浴びたのがさきだったかストレッチがさきだったかわすれたが、からだもやしなっている。ストレッチのみならずこの日はたびたび屈伸もして、膝を曲げて脚をたたんでしゃがみこんだ姿勢で何回か上下に微動すると脚を伸ばして前かがみになり膝のまわりや裏、太ももの側面やうしろがわをゆびでちょっと揉む、ということをくりかえすのだけれど、屈伸をおりにふれてよくやっておくとからだはよい。
 そうして出発したのは四時一五分ごろ。薄紫のワイシャツに紺色のスラックス。さいきんは手持ちカバンがめんどうくさくなったのでもうリュックサックを背負い、また靴も革靴ではなくふだん私服のときにも履いている茶色いやつで行っている。もう何年も履いていて古いやつだがボロボロというほどではなく、というかまだまあ行ける状態ではあって、かたちもフォーマルとカジュアルのあいだみたいな感じなのでワイシャツとスラックスをあいてにしても変ではない。部屋を抜け、道に出て南の公園方に左折すると路上にながれる風が、湯を浴びてもうけっこう経ったとはいえ水気をかんぜんにうしなったわけではない髪の毛をなでて顔からあさく浮かばせ、やわらかさをあたえていく。公園のまえまで来ると縁に立っている木からセミの声が一気にふくらんで降ってくる。まだ意外とはげしさをのこしている、摩擦のおおい声たちだ。そこで右折して駅のある西方へ。空には雲がおおく群れてほつれのなかに水色もみえるが、西南方面はひろくつながって雑味のまじった乳白色、右手、北側はのがれて露出した青がおおい。わたってまたはいる路地には工事現場の警備員みたいなひとがおり、太ったからだのうしろすがたはややもじゃもじゃした茶の髪の毛が肩口まで乗っていて、距離を置くと女性か男性かつかないようだが男性だったようだ。スマートフォンを見てサボっているような風情だったがこちらの接近に気づくとふりむいて、すみませんなんとかかんとかとか言った。そこはれいの切れかかっている電灯が定期的にチャバネゴキブリの背みたいな濃褐色をみせている地点なので、たぶんその電灯をこれから工事するということだったのではないか。すすむ道沿い、ひだりの塀のきわにはネコジャラシやら緑の雑草たちが生えており、なかにある種のブロッコリーみたいな、ひときわ濃い緑でまるで採って茹でれば食えそうないろのやつもながく伸びてまわりから抜け出している。小公園では幼児を連れた男女が子どもらをあそばせていた。しゃがみこんで土を掘るかなにかしていたようで、ちかくには補助輪つきのちいさな自転車もある。そこを過ぎると左にはあたらしめの住宅、右にはむかしからありそうな家がならび、左の一軒のまえに車椅子に乗ったひとがいて、もうひとり女性があらわれて家のとびらをあけていた。おもてに出るまえでマスクを口元にもどし、横断歩道がすでに青になっていたのでめずらしく足をはやめる。わたるとほそくまっすぐな一本道で駅へ。はいっててまえのホームから向かいへと階段通路をわたるあいだのぞく空をみやれば、南はやはり白さばかり西にまわっても余計にひろくわだかまった雲が、しかし西は陽のありかだからひろがりのなかに突かれた穴や下端の裾をうっすらあぶられて、縁に気のせいみたく赤みを混ぜている。線路の伸びるさき、これから向かう北側は比較的すっきりと水色している。
 ベンチにつき、セミの声を聞きつつ瞑目に待って、電車が来ると立ち上がっていちばん端に乗りこむ。扉際で少々。(……)につくと降りて、乗り換えに余裕があるのでひとつさきの口まであるき、そこから階段をのぼった。階段上のエレベーター前には、ベビーカーに乗せられた女児が耳目を引くはげしさで泣きさわぎ、恐竜めいた声もそうだがからだをまとめていっぱい振り乱すみたいな調子でいやだいやだというきもちをしめしていた。なにがいやだったのかはわからない。ホームをうつるまえに小便へ。そうして二番線の(……)行きに乗る。先頭。ここにはいつもおなじカップルがいて、こちらもそのカップルの座っているおなじ列の反対側につくことがおおい。カップルはしかしよく見ていないがそのどちらかが発車前に降りて別れるようだ。きょうはさらに向かい側にもこちらは高校生か中学生らしき男子女子があって、男子がわりと主導的に、たぶんライトノベルかなにかについてはなして(手に本を持っていた)、ひかえめそうな女子がそれにほほえんだりして応じるという感じで、なかなかよさそうな関係にみえた。携帯とイヤフォンをとりだしてFISHMANSで耳を埋める。からだはよほどほぐれているが緊張がないわけではない。出るまえにハムを一枚だけ食ってヤクを一錠ブーストしたが、なんというかほぼ平常ではあるものの、喉の違和感とかあがってきそうな感じとかがないわけではない。それらをしかし平静に見つつ、ある程度の位置をこえてちょっと不安にさしかかるとうごいたり唾を飲んだりして対応する、という感じ。そうしているうちに電車内の環境に慣れてくるのだろう、またヤクの作用でねむくもなってきて、すこしまどろむような感じになる。じきに(……)着。ここでは西空から太陽がもれていた。線路まわりの草や丘の緑が琥珀の色味をちょっと注入されて、ホームを行けば前方の足もとにはひときわひかりをあつめてつよくかがやいた四角があり、それはホームきわにあって滑り止めめいたラインを何本か引かれた板状部分だったのだが、発光体となっているあいだはかがやきのいろそのものなのでラインも表面の質感も呑まれてみえず、その稠密な白さは過ぎたあとも視界に残影をもたらした。
 帰路をさきに。駅にはいって改札をとおるとうしろから知ってるひと、先生、とかいう声が聞こえて、ふりむいてみれば(……)がいたので(……)、と声をかけた。こちらの知らない友人もひとり。しかしこのやりとりはいったんはぶき、電車内にうつると、先頭車両で席について、きょうは音楽を聞かず耳を素のままにして瞑目に休む。瞑想じみてからだの感覚に意識を向け、肉をやわらげて疲労を溶かそうとするのだけれど、そうしてみると自室とくらべて電車内は圧倒的にからだを見づらい。駆動音や走行音、風切り音やアナウンスなど、音がとにかくおおいからである。聴覚と触覚と知覚域がちがうにもかかわらず、皮膚感覚がそれらに呑みこまれてかくれてしまうような感じで、細部がちっともつかめない。
 そうして(……)へ。ホームからのぼり、(……)線のほうへ。ここでも先頭、というか最後尾の扉際に立つ。発車まで数分。手すりをもって目を閉じ静止のなかにそれを待ち、出てもそのまま。しばらくして(……)に着くので降車。停まった電車のむこう、おおきくひろいマンションの面はきょうも通路や階段の明かりを整然といくつも直列させており、上下左右つらなったその無数の照明のそろいときたら一種の威容の感すらある。ひとがはけていったあとのベンチについて、携帯で(……)さんのブログが更新されているのをチェックだけしながら持ってきたペットボトルの水を飲んだ。そうしてそとへ。駅を出て細道にはいると行く手にあかるい星がひとつあり、もうひとつ赤の点が、これは飛行機のたぐいらしく明滅して空に埋まっては浮かぶことをくりかえしている。前方からは大学生らしい女性四人がそれぞれ自転車をともなって道幅いっぱい横にならんであるいてくる。ちかづくにつれて端のひとりがまえに出て内側にはいったので、その脇を過ぎ、横断歩道にかかると左側はスーパーだが、店舗前の駐輪スペースでいま買い物を終えたばかりの女性がひとり自転車に乗るところだった。ちいさな肩がけのバッグをともない、薄手の上着をはおったよそ行きのかっこうで、おそらくはしごとがえりなのだろうが時刻はすでに一一時過ぎだからなかなか難儀だ。通りをわたると裏道へ。正面は東、夜空はおおかた晴れて星のともりもみられるが、注視しなければのがしてしまうくらいの淡い雲の帯が、虹の去ったあとにのこった影のようにして弓なりに引かれてもいる。道脇のアパートからはよくわからない音とかテレビの音声とかがもれだしてきて、前方にあかるい緑色のよそおいで電話をしながらあらわれたひともいたが、とちゅうで横道に折れていく。背後から照らし出されたじぶんの影が歩をすすめるにつれてまえの路上にだんだんながく伸びていき、同時に希薄化していっていずれ溶けこんでしまうのはどこの土地でもだいたいおなじだろう。街灯の配置によってはうっすらとした影が左右にいくつも浮かんでかさなりながら分身する。出口ちかくの白サルスベリは満開といってよいふくらみかただった。よく立てられたきめのこまかい巨大な泡をなすりつけられたような風情で樹端をくっきりとおおっている。横道に当たるともとの知れぬ煙草のにおいが香り、わたって路地をすすめば突き当たりの公園ではおそらく地にたおれたセミがつかの間生き返って地面をころがったらしく、キキッ、キ、という声とともに翅がばたばたいう音が聞こえた。


     *


 この日の勤務(……)。


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  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「読みかえし1」: 268 - 272
  • 日記読み: 2021/8/19, Thu.

きょうは一〇時に正式に覚醒することができてよろしい。そこからこめかみを揉んだり、膝とか踵をつかって脚をほぐしたりして一〇時四〇分に離床。天気はひさしぶりに晴れで、臥位のあたまをちょっと窓に寄せればガラスの端に白く濃縮された球である太陽がすがたをあらわし、そのひかりをひとみにとりいれながらまぶたをとじたりひらいたりしているその視界では、窓外のネットにやどったゴーヤの葉たちのすきまにそそがれている晴天の青がずいぶん濃く映り、葉の緑もあかるく透けかねないまでにやわらいでいるそのうえにほかの葉の影が黒っぽいもう一種の緑としてくみあわされてつくりかけでまだまだ未完成のまま放棄されてしまったジグソーパズルのようになっていたり、角度によっては葉のおもて面に白光が塗られてきらめいているのが頻々ととおりぬける微風によってふるふるおどらされている。

     *

新聞からは主に国際面。アフガニスタンの報を追う。昨晩の夕刊にも出ていたが、タリバンの報道官が会見して政権樹立方針を述べたと。女性の権利などはイスラーム法の範囲でみとめるとのこと。挙国一致政権というか、アフガニスタン中央政府の役人や対立する民族の人間などもふくめた政府をつくるといったり、米国への協力者に報復はせず前政府の人間や治安部隊員にも「恩赦」をあたえるといっていちおう融和姿勢を提示しているもよう。ガニ大統領は国外へ脱出したわけだが、第一副大統領だったひとがとどまって暫定大統領に就任したと表明しているらしく、だからこのひとが前政府側の代表として交渉にあたることになるのだろう。タリバンは融和や寛容をしめして国民にのこってほしいわけだが、カブールの空港にはいまも脱出をのぞむ多数の市民が押しかけているらしく、米国がそのうち六四〇人だか乗せてカタールに送ったときのうの夕刊にはあった。今次のアフガン騒動でバイデンの支持率は急落したともいわれており、四六パーセントだったかそのくらいになって、一月の政権発足以来最低と。Wall Street Journalとか国内メディアからも、撤退を正式に決定したのはたしかに前トランプ政権だが、期限を延長することは可能だった、二〇〇一年九月一一日から二〇年の節目という象徴的な意味合いを優先してそれに間に合わせるために拙速な対応になってしまった、という批判が聞かれているらしい。さいしょバイデンは、九月一一日までに撤退を完了すると宣言し、その後さらにはやめて八月末まで、と、けっこうつよい調子で断言していた記憶があるのだが、なぜはやめたのだろう。

     *

(……)プルーストはもう「スワンの恋」も終盤。スワンはオデットに愛されることをもはやあきらめ(サン=トゥーヴェルト夫人の夜会でヴァントゥイユのソナタをふたたび耳にしたことでそういう心境にいたったという点はいぜん読んだときには認識していなかったところだ)、彼女の過去の「悪徳」もあかるみにではじめて(スワンの訊問にたいして彼女じしんの口から明言されて)、スワンはおりにふれて回帰してくる苦しみのなかにとらわれている。スワンにとって、オデット本人のことやオデットの過去の行状とかを連想させたりおもいださせたりするような固有名詞(人名や地名)はおおきな苦しみのもととなっているのだけれど、この、あるひとつのなまえに莫大な意味が付与されてさまざまなイメージを喚起したり心情的作用をおよぼしたりするというのはこの作品にあってたぶん通底的な主要テーマのひとつで、すでに第一部「コンブレー」でも話者じしんが「ゲルマント」という名のひびきにオレンジ色のイメージを見ていたり、そこになにかきらびやかで神話的なようなイメージを付与していて、それがゆえにゲルマント公爵夫人当人を見かけたときに彼女がふつうの人間のように見えて、イメージと現実との格差に幻滅し落胆する、という展開があった。で、このあとに来る第三部「土地の名、――名 [﹅] 」というのもタイトルにしめされているようにそういうはなしだったはず。たしかここでバルベックとかヴェネツィアとかにたいするあこがれなどがかたられるのではなかったか。また、固有名詞を支えにした観念の実体化というか、たんなる記号にすぎないはずのことばがものすごく現実性をもって身体的に多大な影響をあたえるみたいなこういう現象はじぶんの体験にてらしあわせてもわりとよく理解できて、というのは、パニック障害がひどかった時期に嘔吐恐怖をもっていたのだけれど、そのころは文章を読んでいて「吐」という文字が出てくるとそれだけで不安を惹起されていたからだ。「はく」とかひらがなで書かれてあってもだめだったはず。ほんらいなら「吐く」という動詞にしても、その意味は前後のほかのことばのくみあわせ、つまり文脈でもって決まるはずで、唾を吐くとか悪口を吐くとか電車から乗客たちが吐き出されるとかそういったいろいろな文脈があるわけだけれど、それらにまったくかかわりなく、「吐」というこの一文字があるともうそれが自動的に一瞬で嘔吐の意味に直結されてしまい、その意味やイメージがじっさいの文脈においてかたられている意味やその他の連想的バリエーションをはるかに超過してあたまを占領し、恐怖を生じさせる、というかんじのことがそこでは起こっていたはず。


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 (……)さんのブログ、八月一四日。

 ところで、期待という言葉を目にするたびにこちらが思い出すのは、たしか「(……)」にも書き記したと思うが、夏のおとずれを期待するときのあの期待、そこにかすかに性的なニュアンスがともなうことになるあの期待で、ときどき思う、あれこそがもっとも雑味のない性欲なのではないか、と。夏とはいわゆる出会いの季節であるというような安っぽい物語的等式に由来するものではない、その対象が女性ではなく人間ではなくもっといえば生物ですらなく、ひとつの気候であり光であり気温であり湿度である、そのような性欲。あれもいずれはこの身体から去ってしまうことになるのだろうか。

2022/8/18, Thu.

 (……)タイプライターにまっさらな紙を差し込みながら時々考えることがある……おまえはもうすぐ死ぬ、わたしたちはみんなもうすぐ死ぬ。死ぬのは今それほど悪くないことかもしれないが、せめてまだ生きているうちは、自分の中の創作の泉がまだ涸れていないのならその水を使い切って生きるにこ(end85)したことはなく、どこまでも誠実でいるなら、トラ箱に放り込まれることも十五回や二十回はあるだろうし、何度か失業したり、一人か二人、妻と別れることもあるだろうし、もしかすると通りで誰かを殴ったり、時々公園のベンチで眠ったりすることもあるだろう。そして詩を書くということになれば、キーツやスウィンバーン、シェリーのように書こうなどとあれこれ思い煩うこともないだろう。もしくはフロストのように振舞おうなどと。強強格、字数、あるいは語尾が韻を踏んでいるかどうかなどあれこれ思い煩うこともないだろう。厳しく、ありのままに、そうでなければ、言いたいことを確実に伝えられるどんなやり方ででも、ただ書き記したいだけだ。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、85~86; ジョン・ウェブ宛、1962年10月後半)




 目覚める。部屋は薄暗い。そとの保育園から門がひらくときの電子音や子どもや保護者や保育士らの声が聞こえてきたり、カーテンの向こうからのあかるみの漏れ具合だったり、じぶんのからだの感覚だったり、そういったところからたぶん九時ぐらいかなと推しはかる。そうして携帯をみるとじっさい九時過ぎだった。布団をからだのうえで半端につぶしつつ鼻から深呼吸。しかしからだはたいしてこごっていない。すでにわりと通気がなめらかではある。腹をちょっと揉んだりするともうすぐに起きてしまうことにして、九時二五分にからだを起こした。カーテンをあける。このときはまだ雨がしとしと降っていたとおもう。空は雲でおおわれていたし空気は灰の気味がつよく、よくみなかったがしたの道路も濡れていたとおもう。洗面所に行ったり水を飲んだりして、寝床にもどるとChromebookで日記の読みかえし。きのうサボったので一年前の八月一七日と一八日をまとめて。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』からの引用がおもしろい。また、プルーストからはしたのぶぶんが目にとまった。

519~520: 「しかし、彼の恋はじつは肉体的な欲望の範囲を越えたひろがりをもっていたのであった。そこにあってはオデットの身柄さえ、大した場所を占めてはいなかった。彼の目が机の上のオデットの写真に出会うとき、または彼女が訪ねてくるとき、彼は肉体としての顔、または印画紙の顔と、彼のなかに住みつづけている苦しい不断の混乱とを、同一のものとは思いかねるのであった。彼はほとんどおどろきに似た気持でひとりつぶやくのだ、「これが彼女なのだ」、あたかも突然目のまえに、自分の病気の一つを、(end519)とりだして見せつけられ、それが自分の苦しんでいる病気とは似もつかないものだと知ったときのように。「彼女」、それは一体何か、と彼は自分にたずねようと試みた、というのも、ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで、その人間の神秘にたいするわれわれの疑問をさらに深めさせるのは、恋が死に似ているからであって、つねにくりかえしいわれるように、ほかの何かに漠然と似ているからではないのだ」

 目にとまったのはたんに「ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで」というように、「逃げさってゆく」ということばがつかわれていたからで、というのも『失われた時を求めて』の、第何章だったかわすれたがアルベルチーヌとの恋愛事情を主としたあたりは「逃げ去る女」という題がついていたからで、第一巻で語られるスワンの恋愛がそこで展開されるテーマやことの消息をあきらかに先取りしている、予告的に提示しているということがこの一語にも見て取られるとおもったからだ。ついでにいうとこれはきわめてレヴィナス的なテーマでもあるはずで、じっさいレヴィナスじしんも『失われた時を求めて』をじぶんの他者論と関係づける方向で論じていたとおもうし(その文章じたいを読んだことはないが)、ちょうどこの日引かれていた熊野純彦の本の記述をみてみてもつうじるぶぶんがふくまれているようにおもえる。
 翌一八日にメモされていたプルーストのなかからはつぎの箇所。

581~582:

 (……)そしてこのことがスワンにわかって、彼が、「これはヴァ(end581)ントゥイユのソナタの小楽節だ、きくまい!」と心につぶやく以前に、早くも、オデットが彼に夢中になっていたころの思出、この日まで彼の存在の深いところに目に見えない形でうまく彼がおしとどめていたあのすべての思出がよみがえり、それらの思出は、恋の時期をかがやかせていたあの光がまた突然さしてきたのだと思いこみ、その光にだまされて目をさましながら、はばたきして舞いあがり、現在の彼の不幸をあわれみもしないで、幸福の歌の忘れられたルフランを狂おしげに彼の耳にひびかせるのであった。
 「ぼくが幸福だったとき」、「ぼくが愛されていたとき」といった抽象的な言葉を、彼はこれまでしばしば口にして、それで大した苦痛を感じなかったのは、彼の理知が、過去から何も保存していないものをいわゆる過去の精髄だと称して後生大事に残していたからなのだが、そうした抽象的な言葉ではなくて、いま彼が見出したのは、あの失われた幸福の、特別な、蒸発しやすいエッセンスを、ことごとく永久に固定しているものなのであった(……)

 これも同様のはなしで、「いま彼が見出したのは、あの失われた幸福の、特別な、蒸発しやすいエッセンスを、ことごとく永久に固定しているものなのであった」という一節がさいごにあるけれど、『失われた時を求めて』の最終章は「見出された時」というタイトルだったはずである。そこでじぶんの文学を製作するという野心をあきらめかけていた話者は、たしかひさしぶりに行ったゲルマント家で嗅いだ糊のよくきいたタオルのにおいだったり、馬車がうしろから来るのにおどろいて舗石につまずいたときの感覚だったり、そういう偶然の知覚刺激からかつての記憶がまざまざと、ひじょうに明瞭によみがえってくるのを体験し、そこにいままで見出されずにいた真実があるとかんじて、歓喜とともにじぶんがとりくむべき主題を確信し、ついにこれから作品を書く、というところで小説は終わっていたはず(したがって、そのようにして書かれた作品がこの『失われた時を求めて』だ、というふうに読めるような構造になっている)。いわゆる無意志的記憶のテーマで、話者もしくはプルーストのかんがえは、理知によってある意味侵され変形をこうむってしまう意志的な記憶ではなく、まったくの偶然によって予測不可能なかたちでもたらされるそうした記憶にこそ過去の真実のすがたがあらわれている、というものだが、『失われた時を求めて』という小説はタイトルがまさしく明言しているように、はじめからさいごまで記憶の喚起というテーマによってつらぬかれている。そのなかにほかにいろいろ雑多なものがふくみこまれて、バルトがいうところの民族誌的な小説、あるいは一共同体における百科事典のかたむきをもった小説になっていると言ってよいだろうが、最終章でしめされる無意志的記憶の到来はもちろん、第一巻でコンブレーの記憶を縷々綿々と語りはじめるその端緒となる、れいのゆうめいなお茶にひたしたマドレーヌの挿話と相応しているし、そうした突発的なできごととしての相はうすいとしても、そもそも小説のはじまりからして不眠の夜にベッドにいるあいだにむかし過ごしたいろいろな部屋のことが想起される、というはなしがつらつらつづくのだ。そうした無意志的記憶のテーマと、逃げ去る女(他者)というこの小説におけるおおきなふたつの主題が、「スワンの恋」のなかですでにいくらか展開されている。
 一八日はまた往路帰路のことをよく書いていて、こいつなかなかやってんなという感じで、いまおれこんなに書けないかもしれないぞとおもったが、たぶんそうでもないのだろう。書きぶりや文体は変わっていないはずだし、むしろ余計にしつこくなっているかもしれない。それにしてもこんなふうに書いちゃってていいんだろうかという疑問をまた感じた。帰路のさいごの記述とか、演出しすぎではないか? と。日常の、身のまわりのありふれたもののことをこんなに比喩とイメージにまみれさせて、いかにも文学的に書いてしまってよいのだろうか? と。いちおうそのように感じたから、もしくはその場でそういうことばがおもいついたから、もしくは記憶をたどってそのとき感じた具体性をとらえることばをさぐっているときにそういう文や表現が出てきたから、そう書いているのだけれど。
 日記の読みかえしを終えたあとはGuardianにアクセスして、ウクライナの状況を概観した記事を読んだ。もうひとつ、Andrew Roth in Moscow and Pjotr Sauer, “‘I don’t see justice in this war’: Russian soldier exposes rot at core of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/i-dont-see-justice-in-this-war-russian-soldier-exposes-rot-at-core-of-ukraine-invasion)という記事も。前線にいた兵士のひとりがそこで見聞きしたできごとやじぶんたちがおこなったことを証言した記録を発表した、というもの。このひとはもともとロシアにとどまって逮捕されるつもりでいたのだが、支援者の説得におうじていまは国外亡命したらしい。証言録からの抜粋を紹介したらしき記事もあったが、それはまだ読んでいない。
 床をはなれると一一時すぎ。また水を飲んだり、からだをちょっと伸ばしたり。そうして瞑想。よろしい感じではある。からだの各所の微細なうごめきをよく拾い、かんじる。そとからは保育園の園庭の木にとまっているものか、セミの鳴き声が聞こえつづけている。しかし脚がしびれるのでやはりながくはつづけられず、一七分ほどで切った。それでもいぜんにくらべるとよほどからだがまとまるようになっている気がする。そうして食事へ。サラダをこしらえる。キャベツはのこっていたのをぜんぶ切ってしまったのでもうなくなった。レタスもあとほんのすこし、大根はそこそこで、豆腐は三個一セットの木綿豆腐のうちひとつしかのこっていない。豆腐をサラダにくわえるのはなかなかよい。いずれにしてもきょう、買い出しに行かなければならない。いま三時半まえでひかりが出ており、たまにはあかるいうちにそとをあるこうかともおもったけれどどうなるか。冷凍のメンチカツもさいごにのこっていたふたつを食ってしまい、冷蔵庫のなかみはかなり乏しくなった。
 食事を終えると皿はいったんながしでつけておいて、すぐに音読をはじめたんだったかな。胃のあたりとか後頭部とか眼窩とかをこまかく押しながら口をうごかす。そうしてたぶん一時くらいに立ち上がり、ちょっと屈伸とか開脚とかしたのち、便所でクソを垂れ、それから食器類を洗った。洗濯もするつもりだった。しかしこのときはまだひかりもほとんど見えていなかったし、雨が止んだとはいえ曇りがつづくものだとおもっていたから、部屋内に干せばいいやとおもって急ぐこともなく、まずはシャワーを浴びることに。全裸になって浴室にはいるとまず髭を剃った。いちど浴槽内にはいってシャワーから水を出し、それで顔を洗ったり顎の無精髭に水気をつけたりしておくとともに髪を濡らしてうしろにむかってかきあげ、そうしてふたたびそとへとまたぎ越して鏡のまえに立ち、シェービングフォームを顔に塗るとジレットの剃刀で剃る。各所剃り終えると剃刀を洗い、浴槽内にはいってまたシャワーから水を出してそれでもって顔をゆすいだ。その後湯を混ぜてあたたかくし、からだをながしたりあたまを洗ったり。済むと扉をあけはなしておき、しばらく浴槽内にとどまりながらフェイスタオルで髪の毛やからだをぬぐい、ちょっとしてから室前の足拭きマットのうえに降り立つとそこでもしばらく拭いたり背伸びしたりして肌表面の水気を蒸発させた。そうしてバスタオルでしあげると、服を身につけて髪をかわかす。つかったバスタオルはまだ行けそうだったのでハンガーにつけて出しておく。このとき明確に陽射しがあらわれており、空は雲が割れて白さが散り、そのなかに濃い青さがひろくそそがれていた。洗濯へ。準備してはじめさせ、洗っているあいだはまた音読したのか? きょうのことはまだ書き出していなかったとおもうのだが。きのう洗ったものたちはたたんでおいた。そうして洗濯物をひかりのなかに干すときょうの記述にとりかかり、ここまで記して三時三七分。


     *


 そのあと寝床にうつってとりあえず胎児のポーズをとったところ、そこからストレッチをおこなうながれになった。合蹠とか座位前屈とか、あるいはプランクをやってぷるぷるふるえてみたり、また前後に開脚してふくらはぎを伸ばしたりなど。胎児のポーズと合蹠と背伸びがいちばんなんというか安息する気がする。とくに前者ふたつは臥位というか身を低くしておこなうためか、姿勢をとってとまっているとなかばねむるような感じになってきてここちがよい。瞑想をやっているときの感覚にちかい、というかやはりストレッチもそういうふうにやるのがよいのかもしれないという契機がまた来ている。肉を伸ばそうとするのではなくて、姿勢をとってじっととどまり、呼吸もしぜんにまかせて、からだを感じる、という。そうするとじわじわ肉が伸びてほぐれると同時に、身の輪郭がぜんたいとして統合されてくるような感じになる。
 それで四時半くらいになった。ふつうに腹が減ったので、一四日に(……)家から帰るさいに一個だけもらったチキンラーメンを食うことに。電気ケトルで湯を沸かし、あと豆腐もひとつきりのこっているのでそれも食ってしまおうと冷蔵庫をあけたところで、レタスと大根があるのだからどうせならこいつらで貧相なサラダもつくって食うかとおもいなおし、レタスをちぎって大根をスライスし、手のひらのうえで切った豆腐をばら撒くだけの簡易な一皿を用意した。あとベーコン。チキンラーメンをいれた椀に湯もそそぎ、食す。さらにそのあと、椀をゆすいで湯をもういちど沸かし、味噌汁も飲んだ。具がなにもないのでまあベーコンでも入れるかとながいのを一枚取って素手でちぎって椀に入れた味噌のうえにくわえ、そこに熱湯をそそいでかき混ぜる。そうしてウェブを見つつエネルギー補給をすると洗いものもすぐにかたしておき、きのうのことを書き出したのが六時くらいだったはず。洗濯物はカーテンからひかりがうしなわれ、保育園の上空にかろうじて集束していた西陽のきらめきもみえなくなった時点でとりこんでおいた。きのうの記事にかたをつけるときょうのこともここまで足していま七時すぎ。さきほど席を立って小便をするついでにまた屈伸したり背伸びしたりとやったが、窓の向こうからは回転しつづけていたセミの声はとうぜんもう消えて、ちょっとリーリーいう感じの、玉のこすれるようなひびきを帯びた虫の音があらわれており、どうも秋めいているなとおもった。実家の部屋で聞いていたのとおなじ声だ。


     *


 それから一三日の記事を投稿したのだったか? わすれたが、七時半ごろには寝床にうつって休息にはいっていたとおもう。そこではGuardianの記事をふたつ読んだ。Pavel Filatyev, “‘They turned us into savages’: Russian soldier describes start of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion))という、朝に読んだ記事でふれられていたウクライナ前線でたたかった兵士の証言録を抜粋したものと、Gaby Hinsliff, “Stop drinking, keep reading, look after your hearing: a neurologist’s tips for fighting memory loss and Alzheimer’s”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers))。合蹠とかもまたすこしやった。そうして九時ごろになると起き上がり、ではない、八時四〇分ごろに起き上がって、椅子のうえでこの日二度目の瞑想をおこなった。それでからだのすじがいくらかやわらぐと買い出しに出向くことに。肌着のシャツとハーフパンツを脱いで、いつものTシャツと黒ズボンにきがえる。窓をあけて手を伸ばし、雨をさぐったが手にふれてくるものはないし、眼下の道もまったく濡れていない。財布とビニール袋だけ入れた空虚なリュックサックを背負い、マスクをつけて部屋を抜けた。道に出ると右へ。夜にスーパーに行くときは南側の、公園のほうの裏道から行くのではなくて、北方面から向かうことがおおい。車の来ない隙に通りをわたり、西に折れる。空気は涼やかだがながれはたいしてありはしない。視界の上端に月をおもわせるいろがみえたがそれは正面奥にある家の二階に灯ったあかりのいろで、頭上をあおいだり振り向いたりしても月のすがたはなく、空が晴れているのか曇っているのかも街灯が邪魔してよくわからないが、背後のとおくにひとつきらめいたものが足をとめてもうごかないのは、あれは星だなと見た。通り沿いの学習塾の室内はまだ電気に満たされていて、二階にあたるその室を通りがかりに見上げるとスタッフらしきひとが椅子についていてこちらを見かえしたようだった。横向きの道にあたって右折し、車がないので向かいにわたるとすぐ目のまえが豆腐屋の脇にある細道の入り口だったので、たまにはここから行くかとそのまま入った。夜気は涼しく、汗はとぼしい。葉っぱがいちまい路上に落ちてまるめた褐色の背を街灯にさらしながら浅い影をもらしていたが、夜道で葉っぱをみるとけっこうちかづかないかぎり虫などの生きものなのか葉っぱなのかの見分けがつかない。あるくうちに空が青いなと気づいた。あまりあかるくもないこの路地からだと夜空のいろが明白で、そう濃くはないけれど青みがぜんたいにわたっているのがよく見えて、もしかすると雲が希薄になじんでいるかともおもったけれどくすんでいるのは月がないためらしく、なめらかなひろがりのなか星が方々にちょっと散っているので晴れたらしいなと判じられた。おもてに出るとマスクで口を覆う。通りの対岸のさき、寺を越えたむこうには駅前のマンションが長方形のひかりをまばらにならべており、そのてまえに黒々としたなにかがあるのは寺の敷地の木々である。二車線の通り沿いにいったん南へすすむとコインランドリーがあるが、きょうはなかに客のすがたはひとつもなく、白いひかりに白い壁に白いテーブルと衛生的に無害ぶったあかるさの空間だけがそこにある。行く手の横断歩道で信号が変わって車がとまったので、こちらもそこに達しないうちに車道に出て横切った。そうすればそこがスーパーのまえである。横断歩道のほう、角にちかいほうの入り口から入店し、手をアルコール消毒して籠をもつ。野菜から。リーフレタスやトマトをすぐに入れる。ふつうのレタスよりリーフレタスのほうが嵩もすくないわりに高いのはなぜなのか。キャベツも確保。棚のまえに行くとゴロゴロならべられたやつらのなかにひとつ、すでに外側の葉をはがされて薄緑のみずみずしさをさらしているものがあり、おおきくて芯もきれいだったのでこれでいいのではと取ってみたところ、葉の表面にちょっとぽつぽつ茶色が点じられていたので、それで剝いだひとはやめたのだなとおもった。べつにそれでもよかったのだけれどもうちょい探ってみるかとべつのやつを見分していると、やはりおおきくてがっしりした楕円形で芯のいろが白っぽくてきれいなやつがあったので、剝がしてみてこれだなと決定した。そこにそなえつけられている薄手のビニール袋におさめて籠に。このビニール袋はいつもプラスチックゴミを入れて出すのに再利用している。重宝である。その他セロリとかドレッシングとか豆腐とかもろもろ。パプリカは今回は見送り。安くて何日か食をまかなえる野菜というとやはり大根とタマネギかなということでそれらは買った。スライスしてつかうのでなんかけっこうもつ。さいごのほうでたまにはアイス食うかとおもって壁際の冷凍食品のケースからながれて別の辺のガラスケースに移行して、ジャイアントコーンを取ったあとにもうひとつなにかとおもっていると、キャップをかぶってイヤフォンをつけた茶髪の若い女性がやってきてこちらの見たかった扉のまえに立ち、なかなかはなれなかったのでいったんこちらがはなれた。それで距離をとって動向をうかがっていたがけっこうじっくり見ていてうごかないのでならいいやと会計に。いつもの白髪混じりのおじさんである。名は(……)という。あきらかにベテランで、レジはこのひとがひとりで回していることもおおい。会計を済ませて台でリュックと袋にものを詰めると退店。
 横断歩道をわたってそこの路地へ。風というほどのものはやはり感じられないが、クリーニング屋の上方ではなにかがカタカタ鳴っており、いつもそうして空気のながれに鳴っているのだが、なにがうごいているのかわからないし確認したこともない。とちゅうにある小公園の草が刈られてきれいに消え、壇と土が露出していた。ネコジャラシなどが旺盛に生えて敷地のさかいをはみだしていたのだが、それらが一挙になくなって、植え込みや垣のようなものはのこっているけれどなかが見やすい。聞こえてくるのは地元で聞いていたのとおなじ、色気のないハンドベルをしゃらしゃらふり鳴らしているかのような虫の声で、秋の感がちかい。右手、すなわち南をみやりながらあそこに雲があるなと、屋根にほとんど接した低みに、機関車のえがいた煙のごとくあいまいに引かれた横線をみとめたが、すぐにこずえによってかくされてしまう。それで反対側に首をふると北の空は青さがより濃く、そこにもあった雲がこちらは白さとかたちがくっきりと映っていてうわっ、とおもった。よくこねたパン生地をてきとうに、半端にちぎったりまるめたり伸ばしたりしたような雲である。裏路地出口付近にある一軒の白サルスベリはすこしまえに花の層をうすくして貧相なよそおいになっていたのにまた花期をむかえて復活し、白さがふくらみなおして枝先によっては葉叢をかくす盾のようにすらなっている。その向かい、道の右側にはいくらかまえから切れかかっている街灯がひとつあり、不安定な呼吸をつづけてひかりをうしないそうになっているが、あかりが減衰したときのその電灯の濃褐色はちょっとあぶらを帯びたゴキブリの背羽のようないろだなとさいしょに見かけたときからおもっていた。いちどおもてに出てわたるとまた細道。このあたりでようやく風が出てきて、道と家にかたどられて正面から来る今夜はじめての風に肌をさらしながら足がゆるみ、公園前に出てみあげれば北東方面の空に雲がまたくっきり映っているのだが、あれがさきほど見たパン生地とおなじ雲なのか、かたちと配置もぜんぜんちがっているしわからない。アパートは公園から北にほんのすこしあるいたところである。この道でもまえから風がながれて涼しく、その質感を惜しむように、すこしでもながくそれを浴びていたいというようにゆっくり踏んで帰った。
 ポストには「真相」とかいう政治団体のチラシがはいっており、中国共産党は世界にたいする最大の害悪でありその存在を終わらせるために署名をつのっているとか、コロナウイルス拡散の責任を中共にとらせようとか、中共は臓器売買をしているとか、詳しく読まなかったがそういうことが書いてあった。こういう組織もあるんだなあと。中国共産党を敵視する勢力というか、右派といってよいのかわからんがそちらの方面のひとは、だいたい「中共」と略して呼ぶ気がするのだが、あれはなんか批判したり軽んじる意味合いがふくまれているのか? 買ってきたものを冷蔵庫に入れたり服をかえたり手を洗ったり。そうして食事へ。洗濯機と冷蔵庫のうえでサラダをこしらえる。おおきなキャベツはふたつに分割してラップをかけて保存する。買ってきたばかりのセロリもさっそく使用。これも二本はいっているうちの四分の一くらいをつかい、あとは半分にしてラップにつつんでおいた。セロリの香りはじつによい。官能的ですらある。じぶんが官能的というばあいはたいていべつに性感をいっているわけではなく、ひろい意味でのエロスのことで、こころ惹かれるような感じというか、胸がどきどきするような感じということだが。セロリのにおいには胸がどきどきするような感じがわずかばかりふくまれている。サラダのほかは冷凍のパスタとアイスを食した。
 その後の夜はカフカ書簡の書抜きをしたくらいであとはだらだら休むなど。きょうは気温も低かったし、汗もほぼかかず昼に湯を浴びていらいからだが汚れた感じもあまりなかったので、シャワーはあしたの日中でいいやと横着した。もうわりと昼間に湯を浴びる習慣になってしまっている。歯は磨いた。ほんとうはこの日のことを書いてしまいたかったのだが、気力が湧かず。夜更かしして四時半就寝。


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  • 「ことば」: 1 - 10
  • 「読みかえし1」: 254 - 267
  • 「英語」: 716 - 730
  • 日記読み: 2021/8/17, Tue. / 2021/8/18, Wed.


 2021/8/17, Tue.より。

 これにたいして、顔はその裸形にあって、たしかになにかをかたっている。しかも、つねに [﹅3] かたっている。指さきそのものには指示する意味が宿ることはないが、「まなざしの身ぶり [﹅8] 」(ビューラー [註76] )は、他者の注視している対象がなんであるかを示すことができる。無表情な顔も、無関心を、あるいは不機嫌をかたる。なにものもかたりかけない顔とはすでに死に絶えた顔であろう。生きて目のまえにいる他者の「顔は生きた現前であり、顔とは表出〔表情〕なのである」(61/86)。デスマスクですらときに、穏やかさや苦悶をあらわしている。つねになにごとか [﹅5] をかたりつづける顔は、それに対面する〈私〉にたいしてなにものか [﹅5] を訴えつづけている。「〈私〉が問いただされること、おなじことだが、顔における〈他者〉の〈あらわれ〉を、われわれはことばと呼ぶ」(185/260)。
 他者の顔とは「〈他者〉が有する絶対的な剰余」(le surplus absolu de l'Autre)(98/139)である。他者は、顔において端的に〈他なるもの〉であることをあらわす。つまり、あるものとして〈あらわれ〉ることで、同時にその〈あらわれ〉を超え、そのあらわれとは〈他なるもの〉となってゆく。他者は顔の裸形において現前し、かつ現前しない。それは、(end93)世界がその裸形においてはみずからと密着しつづけ、みずからとのいかなるずれ [﹅2] 、ことなり [﹅4] をも示さず、したがって一滴の意味も分泌しないのと対照的な、裸形の〈顔〉のありようであるといわなければならない。
 意味とは存在の余剰、あるいはずれ [﹅2] であった。〈もの〉にはそれ自体としては剰余がない。あるいはそれ自身として余計なもの [﹅5] は存在しない。裸形の世界には意味が宿っていない。裸形の身体の全体は意味が貧困であり、指さきも一義的な意味をもってはいない。ただ、〈顔〉だけがそれ自体として、それ自身の剰余であり、そのものとして意味している [﹅6] 。顔のみがほんらい裸形でありえ、コンテクストなく意味しうる。それは、顔が不断にすがたを変え、〈かたち〉を解体してゆくからである。顔は〈かたち〉を超えたところに〈あらわれ〉る。顔はたえず〈かたち〉を変え、一瞬まえの顔のかたちとのずれ [﹅2] とことなり [﹅4] をつくりだす。そのぶれ [﹅2] が、あるいは直前の〈かたち〉からの遅延 [﹅2] と余剰が意味である。「〈他〉として現前するために、〈同〉に適合的なかたちを解体するこのしかたが、意味すること、あるいは意味をもつことなのである」(61/86)。

 (註76): K. Bühler, Ausdruckstheorie, 2. Aufl., Fischer 1968, S. 205.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、93~94; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)

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519~520: 「しかし、彼の恋はじつは肉体的な欲望の範囲を越えたひろがりをもっていたのであった。そこにあってはオデットの身柄さえ、大した場所を占めてはいなかった。彼の目が机の上のオデットの写真に出会うとき、または彼女が訪ねてくるとき、彼は肉体としての顔、または印画紙の顔と、彼のなかに住みつづけている苦しい不断の混乱とを、同一のものとは思いかねるのであった。彼はほとんどおどろきに似た気持でひとりつぶやくのだ、「これが彼女なのだ」、あたかも突然目のまえに、自分の病気の一つを、(end519)とりだして見せつけられ、それが自分の苦しんでいる病気とは似もつかないものだと知ったときのように。「彼女」、それは一体何か、と彼は自分にたずねようと試みた、というのも、ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで、その人間の神秘にたいするわれわれの疑問をさらに深めさせるのは、恋が死に似ているからであって、つねにくりかえしいわれるように、ほかの何かに漠然と似ているからではないのだ」

 2021/8/18, Wed.より。

 それでは、他者の〈顔〉は私にどのように呼びかけるのであろうか。〈ことば〉は普遍的なものであり、ことばによって世界をものがたるとは「贈与によって、共有と普遍性とを創設すること」(74/104)であった(三・5・B)。他者のことばは、だから、世界を占有することを私に禁じている。「顔は、所有に、私の権能に抵抗する」(215/298)。顔は、他方また、「《なんじ、殺すなかれ》(tu ne commettras pas de meurtre)という、最初のことば」(217/301)である、とレヴィナスは主張する。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、95; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)

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(……)新聞はアフガニスタンの続報。タリバンは四月に米軍が正式に撤退を表明して以来、政府役人や各地の部族長とかと水面下で交渉をすすめていたといい、身の安全を保証するかわりに「無血開城」を飲ませて取ったという地域もけっこうあったらしい。とにかくアフガニスタン政府が信頼と正当性をえられていなかったということが大きかったのだろう。治安部隊員も複数の民族から成っていて、国への忠誠が薄かったとか。米国が各種支援や投資をおこなったにもかかわらずうまくいかなかった、さまざまな面で失敗した、責務を果たさなかった、みたいなことをバイデンは演説で述べてガニ大統領を批判したらしく、米国としてはむろんそういうふうに、われわれはやることをやったのだと言いたいだろう。じっさい、ガニ大統領はなんというか統治に意欲がないというか、やるべきことをやらないみたいなようすも見られていたらしいし、今回も駐留米軍トップが戦力の集中を助言したにもかかわらず反対に拡散させて、その結果タリバンの速攻をゆるしてしまったわけで、国外逃亡をしたこともあって(しかもそのさいに多額の現金をもちだしたもよう、とも伝えられている)元側近のひとりは「売国奴」などと呼んでいるらしいが、そういうもろもろを読むかぎりではたしかにガニ大統領の行動がむしろ積極的にタリバンを益したようにすら見えてくる。

     *

出勤は五時過ぎ。晴れてきたので林から湧くセミの合唱が厚くなっていた。空はふりむいたさき、市街のある東南方面をのぞいてすっきりとした水色をたたえており、雲が追いやられたそのあとに化石のような月が淡く浮かんでいる。路上にはこまかな葉や植物の屑が無数に散らばって、アスファルトとともに濡れて色を鈍くしながらほぼ同化している。公営住宅まえまで来ると雨後でやわらかな湿りをはらみながらもさわやかな風がながれてここちよく、十字路沿いの木々の列はそのてっぺんに横薙ぎの陽がかかってあかるんでいる。坂にはいると太腿の筋肉のうごきをたしかめるようにしながらゆっくりのぼっていった。やはり太腿をうごかすと血がめぐってからだがあたたまるようで、よほどゆっくり踏んでいてもじきにやや熱がこもり、マスクの裏の息もすこし苦しくなる。出口付近まで来て片側が木立でなくなれば、右手の斜面へは夕陽のオレンジ色が悠々ととおり、坂上の一軒をつつみながらその窓にひかりを凝縮させるとともに、斜面上にたちならんだ竹の、見上げる高さの先端から雑然と草にかこまれた根元までこちらもまとめてつつみこんでいた。

五時の太陽は北寄りの西空にあらわに浮かんでいるが駅の階段通路をのぼるときにはちょうど薄雲にひっかかっていて、漬けられるというほどの暑さは避けられた。ホームにはいるとしかし、柱のたすけでひかりに当たらない日陰をさぐって立ち、短時電車を待つ。沿道から一段下がってひろがっている線路区画の端、むかいの壁には草が群れて茂っており、そこは北側だからひかりは当たらず緑色もややかげっているのだけれど、そのかげりを背景にして線路のうえの宙には羽虫が琥珀色めいた点となってふらふら飛び交い、沿道に立った柱にまつわる蜘蛛の糸も水中の蛸のごとく大気のながれにゆらぎながらその身のすべて一挙にではなく一瞬ごとにことなる部分に微光をやどしてすがたをあらわに浮かべている。そのかなた、太陽のそばにはしぼり伸ばされたようにひらたく長い雲がふたつ引かれて、下腹を白くつやめかせていた。

     *

帰路は徒歩。職場を出ると、すぐに月があらわに浮いているのが目にはいる。夜空は晴れ渡って暗い青味があきらかであり、月だけでなく星もすがたをあらわし散っており、裏道から家々と線路のむこうの森のほうを見たときには空と梢の境も明白で、壁かおおきくもりあがりながら凍りついた波のように鎮座している木々列の、葉叢の襞の明暗もけっこう見てとれるくらいだった。夜道はもはや秋である。虫たちの音響にしても大気の肌触りにしてもそうだ。いつもの家のまえまで来て白猫はいるかと上体をかがめてみたものの、車のしたから出てくるものはない。それでさいきん不在だなとすすめばきょうはべつの一軒の隣家とのほそい隙間で壁に取りつけられた室外機のうえにちょこりと乗って、手足もからだに吸収されたような格好でしずかにたたずんでいた。いぜんもいちどだけここにいるのを見かけたことがある。ちかづいて手を伸ばしてみるものの、ねむいようすであまり反応をしめさない。道の端からだとぎりぎり手がとどかないくらいで、触れるにはその家をかこむごく低いブロックの段に乗らなければならないが、そこまでするのもなんだし、ねむいようだから放っておいてあげようときょうはあきらめて去った。

月は半月をすこし越えてふくらんだほどで、割れた恐竜の卵の殻が埋めこまれたようでもあり、巨大な親指がその先だけ夜空の開口部から顔を出しているようでもあり、街道と裏の交差部まで来るとあたりの街灯のあいだにのぞくからとおくの道の同種の電灯がひとつ見えているかのようでもあるが、いずれにしても黄の色味は街灯のそれよりもつよく、楕円のなかはなめらかである。ガードレールのむこうの下り斜面の底で、高く伸び上がる杉の木々にかこまれた沢がおもったよりも水音を増していた。道端にはユリのたぐいが生えていてここ以外にもいくつか見かけたが、どれも例外なくことごとくほそながい花部をくたりと曲げて垂れ下げており、死がもうすぐまぢかまでせまっていることを知った抑鬱のなかでしずかな苦悶の顔をかくしつつうなだれながら斬首を待っている囚人のようだった。木の間の下り坂にはいればジージーいっている夜蟬の気配はもうひとつきり、あとはコオロギの種なのか存在じたいがもっと大気にちかいかのように淡い声を回転させる虫が大半で夜気は秋めき、ひだりの木立の暗がりの先から川の音が、ひとつ下の道を越えてさらに斜面をくだればそこにあるからとおくないとはいえそれにしてもずいぶんそばでながれているかのようにうねりひびいてもちあがってくる。坂が終わるあたりでは視界がひらけて近所の家々のならびが見渡せるが、あいだに暗闇を満たしてしずまっている家並みのなかにともった街灯の白円はなにかを表示する暗号のようであり、暗号といってしかしそれがつたえるのはかくされた意味ではなくて道であって、つまり家を沈めた黒い海のなかに浮かぶ灯火がすきまのひろすぎる破線のようにして地上のそれとはことなり夜のあいだだけあらわれるもうひとつの道をつなぎつくっているように見えるのだけれど、一歩踏んですすむごとに街灯の位置関係は変化するから、その道もかたちや向きや角度をあらたにして絶えずむすびつきなおしては変成しつづける魔法の道のように映るのだった。

     *

581~582:

 (……)そしてこのことがスワンにわかって、彼が、「これはヴァ(end581)ントゥイユのソナタの小楽節だ、きくまい!」と心につぶやく以前に、早くも、オデットが彼に夢中になっていたころの思出、この日まで彼の存在の深いところに目に見えない形でうまく彼がおしとどめていたあのすべての思出がよみがえり、それらの思出は、恋の時期をかがやかせていたあの光がまた突然さしてきたのだと思いこみ、その光にだまされて目をさましながら、はばたきして舞いあがり、現在の彼の不幸をあわれみもしないで、幸福の歌の忘れられたルフランを狂おしげに彼の耳にひびかせるのであった。
 「ぼくが幸福だったとき」、「ぼくが愛されていたとき」といった抽象的な言葉を、彼はこれまでしばしば口にして、それで大した苦痛を感じなかったのは、彼の理知が、過去から何も保存していないものをいわゆる過去の精髄だと称して後生大事に残していたからなのだが、そうした抽象的な言葉ではなくて、いま彼が見出したのは、あの失われた幸福の、特別な、蒸発しやすいエッセンスを、ことごとく永久に固定しているものなのであった(……)

     *

589: 「また、音楽家にひらかれている領域は、七つの音の貧弱な鍵盤ではなくて、際限のない、まだほとんど全体にわたって知られていない鍵盤であり、そこにあっては、鍵盤を構成している愛情、情熱、勇気、平静の幾百万のキーのうちのいくつかが、わずかにあちこちに、未踏の地の濃い闇によってたがいにへだてられ、それらのおのおのは、ちょうど一つの宇宙が他の宇宙と異なるように、他のキーと異なっているのであって、それらは、数人の大芸術家によって発見されたので、その人たちこそ、彼らの見出したテーマと交感しあうものをわれわれのなかに呼びさましながら、どんな富が、どんな変化が、われわれの空虚と見なし虚無と見なす魂のあのはいりこめない絶望的な広大な闇のなかに、知られずにかくされているかをわれわれのために見せてくれるのだ、ということを彼は知るのであった。ヴァントゥイユはそうした音楽家の一人であったのだ」


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Samantha Lock, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 176 of the invasion”(2022/8/18, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-176-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-176-of-the-invasion))

A Russian strike on Kharkiv killed at least seven people and wounded 16 others, Ukraine’s state emergencies services said. Ukraine’s president, Volodymyr Zelenskiy, said a block of flats was “totally destroyed … We will not forgive, we will take revenge.”

Russia has replaced the commander of its Crimea-based Black Sea fleet after explosions rocked the peninsula this week. Russia’s RIA news agency cited sources as saying Igor Osipov had been replaced with Viktor Sokolov. If confirmed, it would mark one of the most prominent sackings of a military official in the war so far.

Chinese troops will travel to Russia to take part in joint military exercises “unrelated to the current international and regional situation”, China’s defence ministry has said. Other countries will include India, Belarus, Mongolia and Tajikistan. In July, Moscow announced plans to hold “Vostok” exercises from 30 August to 5 September.

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Ukraine has not lost any US-supplied Himars rocket launchers, the Ukrainian defence minister, Oleksii Reznikov, said in contradiction to Russian claims. Ukraine has received at least 20 of the US-made launchers, and has used them to attack Russian ammunition depots, command posts, and air defences.

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The first wartime shipment of UN food aid for Africa reached the Bosphorus Strait on Wednesday under a UN-backed deal to restore Ukrainian grain deliveries across the Black Sea. Marine traffic sites showed the MV Brave Commander taking its cargo of 23,000 tonnes of wheat across the heart of Istanbul bound for its final destination in Djibouti, Ethiopia, next week.

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Russia foresees a 38% rise in energy export earnings this year due to higher oil export volumes, coupled with rising gas prices, according to an economy ministry document seen by Reuters. Russia’s earnings from energy exports are forecast to reach $337.5bn this year, a 38% rise on 2021.


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Andrew Roth in Moscow and Pjotr Sauer, “‘I don’t see justice in this war’: Russian soldier exposes rot at core of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/i-dont-see-justice-in-this-war-russian-soldier-exposes-rot-at-core-of-ukraine-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/i-dont-see-justice-in-this-war-russian-soldier-exposes-rot-at-core-of-ukraine-invasion))

Filatyev, who served in the 56th Guards air assault regiment based in Crimea, described how his exhausted and poorly equipped unit stormed into mainland Ukraine behind a hail of rocket fire in late February, with little in terms of concrete logistics or objectives, and no idea why the war was taking place at all. “It took me weeks to understand there was no war on Russian territory at all, and that we had just attacked Ukraine,” he said.

At one point, Filatyev describes how the ravenous paratroopers, the elite of the Russian army, captured the Kherson seaport and immediately began grabbing “computers and whatever valuable goods we could find”. Then they ransacked the kitchens for food.

“Like savages, we ate everything there: oats, porridge, jam, honey, coffee … We didn’t give a damn about anything, we’d already been pushed to the limit. Most had spent a month in the fields with no hint of comfort, a shower or normal food.

“What a wild state you can drive people to by not giving any thought to the fact that they need to sleep, eat and wash,” he wrote. “Everything around gave us a vile feeling; like wretches we were just trying to survive.”

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He railed at length against what he called the “degradation” of the army, including the use of dated kit and vehicles that left Russian soldiers exposed to Ukrainian counterattacks. The rifle he was given before the war was rusted and had a broken strap, he said.

“We were just an ideal target,” he wrote, describing travelling to Kherson on obsolete and unarmoured UAZ trucks that sometimes stood in place for 20 minutes. “It was unclear what the plan was – as always no one knew anything.”

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As frustrations grew on the front, he wrote about reports of soldiers deliberately shooting themselves in order to escape the front and collect 3 million roubles (£40,542) in compensation, as well as rumours of acts of mutilation against captured soldiers and corpses.

In the interview, he said he had not personally seen the acts of abuse carried out during the war. But he described a culture of anger and resentment in the army that tears down the facade of total support for the war portrayed in Russian propaganda.

Most people in the army are unhappy about what’s going on there, they’re unhappy about the government and their commanders, they’re unhappy with Putin and his politics, they’re unhappy with the minister of defence, who has never served in the army,” he wrote.

Since going public, he said, his entire unit has cut contact with him. But he believed that 20% of them supported his protest outright. And many others, in quiet conversations, had told him about a grudging sense of respect for the patriotism of Ukrainians fighting to defend their own territory. Or had complained about mistreatment by Russia of its own soldiers.

“No one is treating veterans here,” he said at one point. In military hospitals, he described meeting disgruntled soldiers, including wounded sailors from the Moskva cruiser, sunk by Ukrainian missiles in April, shouting a senior officer out of the room. And, in ZOV, he claimed that “there are heaps of dead, whose relatives have not been paid compensation”, corroborating media reports of wounded soldiers waiting months for payouts.


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Pavel Filatyev, “‘They turned us into savages’: Russian soldier describes start of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion))


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Gaby Hinsliff, “Stop drinking, keep reading, look after your hearing: a neurologist’s tips for fighting memory loss and Alzheimer’s”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers))

2022/8/17, Wed.

 あなたがわかっているただひとつのことは、ジョン、わたしがわかっていることだ。芸術は芸術で、どう名づけるのかは二の次だ。わたしたちは文学界の政治家ではない。ブラック・マウンテン、ニュー・クリティック、『Folder /フォルダー』、ウェスト・コースト、イースト・コースト、Aと一緒のG、Xと一緒のL、誰がどこの誰と寝ているのかわたしたちは知らないし、どうでもいいことだ。どうしてこうしたマスかき野郎たちは輪になるのか? どうしてやつらは文句ばかり言うのか? とんでもない数の無能やゲス野郎どもが自分たち以外のあらゆる発言を掃討しようとしている。それは極めて自然なことだ。サバイバル、生き(end82)残るため。しかしいったい誰がゲス野郎として、そのことを自慢したいやつは別として、生き残りたいというのか? ご存知のとおり、わたし自身も編集を少しはやり、とんでもないプレッシャーがあることもわかっている。あなたがわたしを出版してくれたら、それならわたしもあなたを出版しよう。わたしはJ・B一味の友だちだ(ここでわたしはマックリーシュのJ・Bのことを言っているのではない)。誰もが『トレース』を恐れている。[ジェイムズ・ボイヤー・]メイの詩はこの国の雑誌の半分か三分の二に掲載される、彼の詩がいいからという理由ではなく、彼が『トレース』の編集長だからだ。これは間違っている。確かに。そして詩の世界にはほかにも知らないうちにヘドロのように忍び込んでくるいろんな間違ったことがある。芸術は芸術で、芸術は自らのハンマーとなるべきだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、82~83; ジョン・ウェブ宛、1962年9月14日)




 昨夜はながく外出してきた疲れのために一〇時ごろに帰ってきてからはまるでつかいものにならず、寝床で休むほかなかったのだが、そうしているうちにれいによって意識を消失。その後ちょっと起きたりねむったり、四時ごろだったかまた起きて、明けるまでだらだらウェブを見たりまどろんだりしつつも、さすがに睡眠がみじかくてねむいからと正式にねむりにはいって、最終的に一一時の起床。洗面所に行って洗顔したり用を足したり。きょうは時間が遅くなったから寝床にはもどらず、歯を磨きながらウェブを見たり、ブログにあがっているじぶんの日記をちょっと読みかえしたりしてしまった。あいまは脚や胸をさすったりもしている。肋骨をさすったり揉んだりしてやわらげると、呼吸が楽になる。そうして一一時五四分から椅子のうえにあぐらをかいて瞑想。さいきんは意識して息を吐くことがおおかったが、きょう座ってみると呼吸を操作しているのかしていないのかじぶんでもよくわからないような微妙な感覚で息が持続され、それがしぜんさということではないのか。胸と腹をやわらげておけばはじまりからして息がしやすくて、ことさらに吐いて呼吸筋をほぐす必要もない。そうしてひさしぶりに静止して身体の各所に微細に生まれる感覚を受け取ることに傾注していると、それはやはりここちがよい。皮膚やその内がじわじわ熱をもったようになってきて、エアコンはドライで入れてあったのだけれどけっこう暑い。呼吸を統制するやりかたとしぜんにまかせる式のやりかたにはそれぞれ一長一短あって、吐く息を意識してながくつづけるようにするとあきらかに血のめぐりはよくなって、そうすればあたまも晴れるしからだも活動的になるからはたらきやすくはなるのだが、血がめぐるということはそれだけからだに負担が増えるということでもあり、行き過ぎるとかえって疲れたりもするし、またそこでえられるものはしずかな、ここちよいおちつきとはちょっと違う。からだのほぐれかたとしても、こちらは伸縮面でやわらかくなるといった感じで、肉が伸びるときのほぐれかたである。なにもしない式のそれをやっても血のめぐりはよくなるし、からだがぜんたいとして有機的にまとまる感覚にはなるが、それで活動性がたかまるかというのはその日のコンディションにもよる気がする。ただうまく行けばこれはなにしろここちよく、安楽で、細胞間の風通しがよくなるような、肉が芯からゆるむような感じのほぐれかたになる。さいきんは活動性をもとめて呼吸に注視しがちだったのだが、また拡散的な瞑想のほうを探究しようかなという気になった。道元がかんがえ実践していた坐禅ならびに仏陀ヴィパッサナー瞑想は後者のほうだと理解している。呼吸を積極的に操作して身体をコントロールするやりかたはおそらくヨガにちかい。それできょうは呼吸は気にせずじっととまって身体を感じつづけるようなやりかたをとっていたのだけれど、そこでおもったことに、呼吸でもって身体に対応するというのがひとつには瞑想実践なのだろうと。身体は精神や意識、もしくは自己にたいして過剰なものとしてある。あるいは逆に精神や自己のほうが身体にたいして過剰だとも言えるし、むしろそちらの言い方をこそしていくべきなのかもしれないが、いずれにしても身体と自己はたがいにとって異物である。そのあいだにはつねに齟齬があってふたつが一致することはほぼないのだけれど、その一致を、もしくはそこまで行けないとしてもすくなくとも調和をめざすのが、瞑想やヨガを筆頭に、たぶんもろもろの身体的実践術に共通の理念だとおもう。身体と自己とのあいだの距離を媒介し、それらを調和的につなげるための手段もしくは要素として呼吸がある。ヨガ方面ではそれを操作することで統合的なバランスをみずから生み出し実現しようとし、非能動性瞑想ではしぜんにまかせることのなかに自動作用を呼びこみ、自己が身体に吸収されるかのような統一のありさまをめざす。前者は高度な主体の自律をめざし、後者は身体への奉仕(まさしく身体としてあるじぶんじしんにたいする献身)をこころみるが、どちらにしてもなんらかの調和的統一がその目標だろう。そうしたことは余談なのだがきょう座っているあいだにじぶんが得た感じというのは、呼吸というのはそういう意味で、身体にたいするたえまない反応や対応なのだということだった。すべての呼気と吸気がみずからにたいする齟齬としてある身体への、瞬間ごとの応対である。ことさらに操作をしなくても、というかむしろ自己による操作を介在させないからこそ、ひとつひとつの息がからだに反応していることが感じとられるのだが、反対に身体もまた呼吸に反応することはいうまでもない。その呼吸から身体へと送られる作用のほうを重視したのがヨガだと理解してよいとおもうが、いずれにしてもふたつのあいだには循環的な相互フィードバックが形成される。きわめて陳腐な文学的クリシェをもちいれば、だから、瞑想とは呼吸と身体のあいだの対話の場を持続することだということになる。きょうのじぶんのやりかたは主体性を介在させないものだったので、どちらかといえば身体が主であり、そこにすでに異物として存在している身体に呼吸が刻々応答するというかたむきがつよかった。それを応対というよりは、応待と書いてみたい。その応待が歓待にいたることがあれば、おそらくそれがなんらかの意味での高度な達成なのだろう。道元坐禅は安楽の法だといっているのはそういう境地なのかもしれない。
 きょうの瞑想はそういうわけでなかなかここちがよかったが、しかし時間としては二〇分にも満たなかった。やはり脚がしびれてくるので。起きていちどめの瞑想は、まだからだがあたたまっていないので、どうしても脚がだんだんしびれてくる。事前によほど脚をさすったりしてほぐしておかないとそうなるだろう。したがって瞑想を切ると一二時一三分で、脚のしびれがとけるのを待ったあと、屈伸したり背伸びしたりした。瞑想にはいるまえ、日記を読みかえしているあいだに、もう洗濯してしまおうとおもって一一時半ごろはじめていた。その洗濯がもう終わっていたので、まずきのう始末せず吊るしたままになっていたものたちをはずして布団のうえにかさね、さきにいま洗ったものをハンガーにとりつけて窓のそとに干した。空は文句なしの曇天でいろにつめたさも感じられ、あやしいむきも感知されないでもないが、空気はとうぜんながらあたたかく、ひとまず出してみることに。数もすくない。そうして布団のうえのタオルやらなにやらをたたみ、食事にうつるまえに洗濯機のまえでまた両腕をまっすぐうえにかかげて背中や脇腹や腕を伸ばしていると、レースのカーテンには薄明るさがいまやどり、湯のなかでかたまった卵白のように下方にうっすら白みをかさね、なかばの位置にはいま干したばかりの、きのうまとったカラフルなチェックシャツがいろとすがたを透かしており、そうつよくもない風にふれられた半端なひとがたは、袖や腕や腹にあたる位置などでそれぞれ微妙にタイミングをずらしながらうごかされ、植物と同様、風にひたすら身をゆだねきることのできるものの無抵抗で、もしにんげんが同じうごきをしていたらそこになんの意図も読み取れないかあるいはなんの意味かつかむことのできない不思議さとなるだろう、そんな身じろぎを見せていた。しかし風の通りが一時やんでかたむきがなくなれば、ほぼ真横から見る角度になるのでシャツはカーテンのストライプの間に同化したごとく白さに溶けこみ、一見みとめられない希薄さとなり、ながれが生まれるとまた角度をつくって弱々しい色彩を透かす。
 食事はれいによってキャベツを細切りにし、セロリもなくなったし豆腐をサラダにくわえることに。ほか、レタスに大根。チョレギドレッシングをかけてハムを三枚乗せる。レタスも葉の感触がしんなりしてきているのでさっさとつかったほうがよいだろう。冷蔵庫のなかにあるものもすくなくなった。豆腐にかけていた鰹節もこのあいだ切れてしまったし。サラダのほかは冷凍のメンチカツにシュウマイとパック米を食ったが、この米ももうない。
 食後は皿を洗ったりペットボトルに浄水ポットから水を足したり。シャワーのまえだったかあとだったかおぼえていないが、ギターをちょっといじりもした。弾く音とユニゾンで口ずさみながらてきとうに二〇分ほど。きのう(……)くんとブルースとかで遊んでいるときもけっこうアドリブしながらメロディを口に出していたが、意外と行ける。うたいながら弾いたほうが、ながれがつくりやすいような気もする。シャワーを浴びるまえに窓のほうをみるとやはりどうも空気のいろがあやしいなあという印象だった。しかしとりこみはせずに浴室にはいって湯を浴び、出て服をまとい髪をかわかすとようやくNotionを用意するなど。日記は一三日以降がしあがっていないのだけれど、その一三日も翌一四日もきのうの一六日も外出してひとと会ったわけで、どうせきょうあしたで終わりはしないのだから焦ったところで無意味であるとかえってあきらめの腹が据わって、さいきんあんまり音読していないし口をうごかそうかなという気になった。それで三時から各ノートに記録してある他人の文をいろいろ読む。一時間くらい読んでしまった。あいまにまた立ってからだをうごかしたり、あと読んでいるときには腹を揉んだりしている。おなかをよく揉みほぐすとなんか体調よくなるような気がしてきた。やはり胃なのだろう。四時にいたると日記をやりたいところだがきょうは起きたあとに寝床で脚を刺激しなかったので太ももがなまっていてどうもやりづらく、それで布団に逃げて休息。ハイパートレーニング3を読んだり。四時半すぎでおきあがるとそのまましぜんとストレッチに移行した。ストレッチもうえに書いたのとおなじはなしで、意識して息を吐きながらやればよく伸びるのだけれど、きょうはやはり姿勢つきの瞑想としてやるような気になって、だからポーズをとりながら目を閉じてじっとしていると、からだがじわじわとほぐれていくいっぽうでちょっとねむいというか、なかばまどろむような感じになり、昼寝の甘美さにちょっとちかいここちよさを味わった。そうして五時にいたるときょうのことを書き出して、ここまで記せばもう日も暮れてカーテンのむこうもうつらない七時直前だ。きょうはあとどうすっかなあという感じだが、カフカ全集の書抜きもやらないとやばいので、それもいくらかはやりたい。あとは日記をすすめることだがそんなにやる気は出ていない。さらに(……)くんのつくった訳文の添削もしなければならないのだけれど、それにたいしてもあまりやる気は向いていない。しかしあしたが休みの最終日なので、あとまわしにせずきょうのうちにやっておいたほうがよいのだが。


     *


 その後の夜は主にカフカの書簡の書抜きについやされた。日記はけっきょくうえの記述を綴ったのみで、一三日以降は加筆できず。カフカ全集の書抜きはノートにメモしてある箇所は終わり、あとは手帳にメモしてあるほうのページだがこれがかなりおおい。いちど返却して、再度借り直して写すことになるかもしれない。書簡の文言をうつしているときの印象では、一九一三年にはいってからのカフカはほんとうに、じぶんはあなたとともにいられるような存在ではないのだ、あなたはじぶんと生活するとしたらそれに耐えられないだろう、あなたはこちらの本性をただしく見極めていない、ということをひたすら説得しようとしているような感じだ。それは、だからほんらいだったらわれわれは関係を断ってわかれるべきなのだという主張とほぼ同義のようにおもえるのだけれど、恋人にたいしてわたしたちは別れるべきですという内容の手紙をひたすらに送りつづけながらその手紙によって関係を保っている、これをそういう状況だとかんがえると、じつに奇妙な関係のありかただ。カフカは、あなたはじぶんのような人間(というかほとんど人間ですらないかのような、「不実な幽鬼」(281)のような存在)といっしょにいることはできないということはたびたび断言しつつも、じぶんはあなたとともにいたいということははっきり言っていないような気がする。おそらくそういうわけでもなく、似たようなことや、それを意味する文言はおりおり言っていたのだとおもうが、じぶんの欲求を明快なかたちで述べることはほぼないのではないか。あなたとわたしがともにいることはできない、のあとに、だがわたしはそれでもあなたとともにいたい、と「それでもなお」の論理がつながる瞬間はなかった気がする。もっともこの日書き抜いた記述のなかにも、「ぼくがいつかフェリーツェ、――というのはいつかはいつもということですから――あなたのすぐそばにいて、話すことと聴くことが一つのもの、つまり沈黙になったらいいのですが」(308)というロマンティックな共存の願いがありはするけれど、概してカフカはフェリーツェとの関係においてじぶんがどうしたいということは言明しない印象だ。じぶんについては卑下と否定ばかりを述べ、フェリーツェにかんしてはかのじょを賛美するのでなければ、その心情やじぶんにたいするかんがえを分析したり推測してばかりおり、あなたは~~でしょう、~~なのです、という二人称の文でしめされるその分析は、ときに確信をもった断言の気味を帯びる。まるでじぶんについてよりもフェリーツェについてのほうがよくわかり、たしかに知っているとでもいうかのようだ。いずれにしてもカフカの受動性というか非主体性というかそういうようすは、かれが書簡においてなんどか言明していた文言、じぶんは完全にあなたに所有されているということばと対応している。それは神をあおぎみる敬虔な信仰者の態度をおもわせるものであり、そこにカフカの宗教性を見出してきた読み手も、おそらくいままであまたいただろう。「所有」という語をもちいてそういう内容を述べた箇所がどこだったかいま正確にあとづけることはできないが、類似の言明としてはまさしくこの巻(カフカ全集第一〇巻)におさめられたさいごの書簡のさいごの文がそれを宣言している。「そしてただ一つあなたの記憶に留めて頂くようお願いしたいのは、どれだけ沈黙の時が流れ過ぎようと、あなたが心から [﹅3] 呼びかけるなら、それがどんなに微かであろうと [﹅14] 、今日もそしていつまでも、ぼくはあなたのものなのです」(356)。くわえて逆に、「ぼくが本当に怖れているのは――おそらくこれ以上口にするのも耳にするのも厭なことはないでしょう――ぼくが決してあなたを所有することはできないだろうということです」(320)という認識の表明もある。
 夜半前くらいからはけっこうだらだらしてしまったのだが、あしたが木曜日で燃えるゴミの回収日だったので、その始末だけはした。冷凍庫にラップにつつみこんで保存してあった生ゴミ(野菜の屑)もビニール袋に詰まったティッシュの底におさめて、午前一時ごろにそとに出しておいた。アパートを出てすぐ左の敷地、自販機や自転車が置いてあるところに出しておくのだが、ネットのなかにはこちらのよりもおおきい袋がひとつすでにあったので、その横に添えてネットをかぶせておいた。シャワーを浴びることはまたできず。日中にいちど浴びているし、夜が深くなると疲れがまさってあしたでいいかと横着してしまう。それで二時二五分に消灯、就寝。比較的はやめに寝られたのはよいことだ。


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  • 「ことば」: 11 - 14
  • 「英語」: 692 - 700, 701 - 715
  • 「読みかえし1」: 243 - 253

2022/8/16, Tue.

 それならばわたしはこの賞がわたしの喉元から刃先を遠ざけ続けるようなことにならないようにと願うばかりだ、そうなってしまうかもしれないが。それでも乾いたダリアを血まみれにさせたのはわたしよりもましな男たちだ。わたしは自分自身やほかのあらゆるものの上にもう少しだけでも光をあてられるものをこれからも叩き出せることを願っている。
 狂気から必死で逃れようとすることだけではなく、もちろん、このこともまたアーティストの目的のひとつだ。概して、あることに関してどれほど悲観的、分析的、もしくは厳密になろうとも、闘いはどこか気高いもので、いつでも死は完全には切り離せず、(end81)泣いたり笑ったり怒ったりする中で、わたしたちは愛のベッドでの自分たちの愛や夜のかけらや墓石以外に、刻み目や道のり、何かしがみつけるもの [﹅8] を少しは築き上げて来たと考えずにはいられない。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、81~82; ジョン・ウェブ宛、1962年9月14日)




 七時半ごろに覚醒。やや暑い。布団を半端にどかして呼吸しながら腹や胸をさする、もしくはこする。肋骨をさすってあたためるとなんだかおちつくしわりときもちがよい。腰のほうなどもよくさすりながらゴロゴロすごし、八時二五分ごろ離床した。紺色のカーテンをあけるときょうも曇天。それでも朝のあかるみが薄暗かった部屋にしみるので、レースのほうも半分ひらいて空をときおりみやりながら、すこしのあいだ布団のうえで脚をさすった。そうして洗顔や用足し、飲水や蒸しタオル。布団に帰るとChromebookでウェブをみまわり、過去の日記の読みかえし。一年前の八月一六日はカブール陥落がつたえられた日。

帰宅後やすんでから零時をまわって飯を取ったが、夕刊を見るに一面でアフガニスタン首都カブール陥落、政権崩壊とおおきくつたえられていたので、マジかよ、すごいことになったなとおもった。時間の問題という印象はあったものの、こんなにはやいとはおもわなかった。タリバンの戦闘員が大統領府に侵攻してすみやかに制圧したらしく、ガニ大統領の執務室を占拠したといい、その執務室なのか、府内の一室に銃をたずさえた髭面の戦闘員たちがあつまって我が物顔に座ったり立ったりいるなかで、役人なのかなんなのかひとりだけワイシャツにスーツの格好の男性がなんともいえないような表情で立ってたたずんでいる写真が載せられてあった。アル・ジャジーラが制圧のようすを中継したらしい。ガニ大統領は飛行機で国外逃亡。行き先はウズベキスタンだとかタジキスタンだとか。カブールにタリバンがはいったあと戦闘はほとんど起こらなかったようすだといい、治安部隊が展開していたのだけれど彼らはほぼ投降するようなかんじでタリバンを止めず、事実上の「無血開城」になったとのことだった。この翌日の朝刊で読んだ情報もここにもう付加しておくと、二五歳のある治安部隊員は上官から、もうタリバンが勝つから戦っても無駄だ、抵抗するなという指示をあたえられて、その言にしたがい、銃などを黙って手渡したとのこと。そのひとは、みんな戦おうとしないのにじぶんだけ戦っても意味がない、と言っていた。アフガニスタン政府の治安部隊は三〇万人おり、タリバン側は一〇万人規模なのだけれど、じっさいにはそういうかんじで投降したりたたかわずに敗走したり積極的にタリバンを支持したりしたケースも多かったようで、それは兵隊だけでなく、場所によっては州知事が花束をわたしてタリバンをむかえて州都を明け渡す、というところもあったらしい。アフガニスタン政府の求心力が相当に低かったということだろうし、またつよい権力を得そうな側につこうとする、長いものに巻かれる式の魂胆をもった役人もたくさんいたということなのだとおもうが、住民らは女性の自由や娯楽などを制限したり逆らう市民を公開処刑したりしたかつての極端なイスラーム主義支配が復活しないかととうぜんおびえており、難民もすでに数多く出ているわけだし、またカブールの空港には国外脱出をこころみるひとびとが殺到して飛行機によじのぼるという騒ぎになったり、その騒動のなかで銃撃があって五人くらい死んだりしたという。タリバン側は国外に逃げる市民を止めはしないと言っており、また平和的な権力の移行を望むこと、そして住民の生活と安全を守らなければならないという意志を表明しているものの、果たして、と。バイデンは米軍撤退の意向を崩さず、米兵の臨時増派を六〇〇〇人に増やして大使館員も退避させようとしており、ほかイギリスなども同様に大使館を閉めるか縮小するかのうごきにむかっているようだが、そんななかロシアとトルコは駐在をつづける見込みで、この二国はおそらくタリバン政権を承認することになるのだろう。

 勤務からの帰路では、「生活のなかでいちばんおちつき安息や自足をかんじる瞬間というのは、寒い季節はのぞくけれどそとをあるいていて風のながれに触れられるときではないかとおもう」といつもながらの言。二〇一四年の記事は二月にはいってついたちのものだが、「日記を読みかえすと言葉がどれもこれも空虚に思われてしかたがなかった。書いたときにはうまく書けたと思った文章でも、三日も経てばもう何の価値もなくなったように見えてしまう。そこからしばらくのあいだは自分なりに試行錯誤しながら欲求不満の日々を送り、ある日突然、今日は書きたいように書けたという手応えを得る。そして三日経つとまた欲求不満におちいる、そんなことを数ヶ月ずっとくり返して来たような気がする」と屈託している。
 日記を読みかえしたあともなにかちょっとだけ読んだ気がするのだけれどわすれた。一〇時にいたって離床。背伸びをしたり屈伸や開脚をしたりして、一〇時九分から椅子のうえに乗って瞑想をした。けっきょく呼吸を意識するもしないも、静止するもしないも、そのときのからだの感じにしたがえばよいのではないかとおもった。それできょうはさいしょに深呼吸をすることはせず、かといってなにもしないような状態にとまろうともせず、なんかしぜんな感じの呼吸と持続にまかせる。二〇分ほど。それからまたちょっと背伸びしたりとかして食事へ。キャベツ、セロリ、トマト、大根、ハムのサラダ。セロリはおおかた葉っぱの部分に軸がちょっとだけついたのがのこっていたのをつかいきる。葉っぱもさきのほうはもう黄色くなっていたし。その他冷凍のメンチカツ一個とシュウマイ二粒。米は食わず。
 食後は食器類を洗い、洗濯。そのまえに窓辺にかけてあった洗濯物たちをハンガーから取ってたたみ、始末した。それから水が溜まっていく洗濯機のまえでパンツ一丁のかっこうになって背伸びをしながら待ち、溜まって洗剤をいれるとじぶんが履いていたパンツもさいごにくわえて蓋を閉じ、浴室へ。きのうは用無しの日でいちにち部屋にこもっていたにもかかわらず、夜半あたりから急激に疲労におそわれて、またシャワーを浴びられなかった。それなのでここでからだを清潔にし、済ますとまたフェイスタオルで全身ぬぐったあと扉の陰でちょっと待って体表面の水気を蒸発させて、バスタオルであたまを拭くと肌着とあたらしいハーフパンツを身につけた。ドライヤーであたまを乾かす。それから歯を磨いたりなんだりしていると洗濯が終わったので干す。天気はよくはないものの、窓をあければ大気に熱はあり、風もときおり高いうなりを立てることがあった。予報を見ても降ることはなさそうだ。というか、三時前には出かけるのでもとよりそうながく出しておくつもりはなかったが。それで一二時半ごろ。きょう着ていくシャツとハンカチにアイロンをかけたのがさきだったか否かわすれたが、外出まえに太ももをほぐしておきたいという気になったので、寝転がって踵を太ももにちょっと押すようにすべらせて肉をやわらかくした。胎児のポーズもあいまにやったり。そのあいだに読んでいたのはハイパートレーニング英語長文3で、Unit6まで行ったのだったか。つぎの(……)くんの授業までにできればぜんぶ読んでしまいたい。また、添削もしなければならない。ところで横になっているあいだに気づいてシフトを確認したが、職場は一八日から休みが明けて再開するのだけれど、こちらの勤務はその翌日一九日からなのだ。休みは一七日までだとばかりおもいこんでいたので、ちいさくすくわれた気がした。そうして一時をまわって起き上がり、ここまで記すと二時を越えた。どうも胃の感じがよくない。そこから来ているのだろうが喉に詰まるような感覚もあったので、みぞおちやそのしたあたりをよく揉んでみるとけっこうすっきりはした。そろそろ準備をして出かけなければならない。
 

     *


 さて、いま八月二三日火曜日の午後一〇時一五分である。この日からすでに一週間経っている。やっつけでなるべく手短にかたづけたいとおもうが、この日は三時ごろから(……)で(……)の三人と会った日である。三時に駅通路の壁画前で待ち合わせて合流。前日だか前々日に(……)からLINEで、今年は七月四日の(……)の誕生日に祝うのをわすれており、それに気づいたのでこの日プレゼントをあげたいと伝えられていた。(……)にでも行ってなにか服を買い、そのほかみんなでケーキを食べようかとのことだった。こちらはこちらでなんか買ってやるかとおもったが、(……)がLINEで、わるいことをした、一六日当日に会ったときに謝ろうとおもうと言ってきたのには、もう事前に言っといてもいいとおもうけどね、と受け、誕生日は偏在するって言っときゃいいんじゃない、誕生日は神とおなじで偏在者だから、って、とてきとうなことを返しておいたのだが、それにしたがってかのじょは夜のうちに((……)は一四日から(……)家に泊まっていた)謝ったようだ。もうわれわれくらいになれば誕生日なんて一年のうちいつ祝ったってよいのではないかとおもう。
 それでまず(……)へ。電気屋のうえ。エスカレーターであがっていき、入店して(……)にあげる服を見繕う。ジャケットをあげたいと(……)は言っており、そのへんの品を見分して(……)もたしょう羽織ったり。しかしいい感じのサイズがないということで、(……)くんがオンラインで注文することになった。大阪のほうの店舗で受け取る設定にして、ちょうどきょう(二三日)、(……)は閉店時間ギリギリにゲットしたようだ。そのほか(……)が会社の株主総会で受付をやることになったらしく、かのじょもジャケットをちょっと見る。さいちゅう、女性物はやっぱ色味がたくさんあっていいなあともらしていると、ズボン(あいかわらずボトムスのことを「パンツ」という気になれない)がならべられた棚にひとつ、ビリジアンみたいな真緑のやつがあって、このあいだ駅前であのいろのズボン履いてるひと立て続けにふたり見たわ、とはなしたのだけれど、このあと街に出ているあいだも各所で同色のズボンやトップスなど身につけたひとをほんとうに何人も見かけて、たぶんぜんぶで八人くらい見かけたとおもうのだけれど、見つけるたびに、またあの緑だ、またあの緑着てるひとがいる、とみなに笑いながら報告した。
 その後駅にもどって、駅ビルの地階でケーキを買うというので、こちらはこちらで(……)の「(……)」で買ってこようといったん別れ。店に行き、土産などにけっこうよく買っている品だが(……)にはクッキー詰め合わせである「プティガトー」を買うことにして、そのほか(……)家にもついでになにかやるかとおもい、甘いものというよりなにか日々の食事とか料理につかうようなものにしようということで見分し、牛肉のしぐれ煮とかでもよかったがここはひとつ味噌をあげてつかってもらうかということで、いくつかならんでいるなかから赤だしのやつをとりあげた。後日(……)から礼が来たのでどんな感じだった? と聞いてみたところ、「濃くて奥行きがある味わいだ。鱈と野菜を赤味噌で煮込んだのだがはっきりした味で、ご飯が進む」とのこと。さいごにこのあとモノレール下に行くからそこでみんなで食えばよいのではとおもって、高野フルーツパーラーのちいさな粒のチョコレートがたくさんはいった袋もくわえて会計。紙袋を提げてもどる。もどるというか、駅ビルの地階へ。携帯に連絡が来ているかもしれないとはもちろんおもっていたが、あえて見ずにフロアをてきとうにうろついて合流できるかどうか試すことに。それでガラス戸をくぐってすすんでいると、しかしわりとすぐに見つかった。ケーキはすでに購入済みだったのでモノレール下広場へ。
 すこし奥のほうへ。といってもぜんたいのながさからするとたぶん半分くらいの地点か? そこにちょっと段もしくは壇のようになったところがあるので、そのうえに陣取る。(……)は持ってきたシートを敷いて座り、男どもは地べたにそのまま座る。周囲にはベンチがふたつだかあって、そこにもときどきメンツが変わりながらひとが座っていた。こちらはさっそくアコギをとりだしていじってあそぶ。いつもどおり似非ブルースをてきとうにやるだけ。(……)くんももってきていたのでてきとうにあわせたり。ケーキも食す。皿とか器がなかったのでケーキ(たしかマロニエの品だったはず)がはいっていた紙箱を解体して分割し、それに載せる。こちらがもらったのはモンブラン。さっさと食い終わっていると(……)が水がほしいというので、こちらも喉が乾いていたし、おれが買ってこようかと言って一〇〇円玉をもらい、すぐそこに見えていた(……)のFamily Martへ。一〇〇円で買えるやつがあるとのことだったが、見てみるとたしかに九六円だかのがあって、霧島連山の水ともうひとつなんだったか、新潟あたりのものだったかわすれたが、それぞれ硬水と軟水のやつがあったのでこれでいいやと二本取り、それを持って帰ってどっちがいいと選択肢をあたえた。(……)が取ったのは軟水のほう。
 (……)は五時半ごろには(……)を出るというはなしだったが、なんだかんだけっきょく六時すぎまでいた。そのあいだこちらはほぼずっとギターであそんでおり、(……)が(……)に英語の発音をアドバイス、かのじょはこのあいだこちらが歌って録った音源を聞いていいかたを確認し、ここはどんな感じかとかきかれればこちらもそれにこたえる。そうしてひととおりその確認が終わると(……)は帰ることになり、駅まで見送りに。別れを交わして三人になったあと、どうするかということで、こちらがいまだに大皿とおおきめの木製皿と椀の三つしか食器をそろえていないことを知った(……)は食器見に行こうよと言ったが、そういう気分でもなかったのできょうはいいよとことわった。ふつうにまたモノレール下でも行って駄弁っていられればそれでよかったのだ。そういうわけで「(……)」で寿司を買ってそとで食うことに。店に移動。もろもろ省略するが買ってまたモノレール下広場に踏みこみ、とちゅうにあった段(さきほどの場所とはちがい、もっと手前で、ここは昨年の七月に(……)くんと『アメリカン・ユートピア』を見たあとにもたむろしてかれがバレないようにと喫煙したばしょだが)の階段に腰掛けて食す。海鮮ちらし丼。しかしここは(……)の従業員出口そばで、勤務を終えたらしきひとがよくとおったので、邪魔になるからと食べ終わるとすぐに移動。それで(……)に行くことに。ふたりとも行ったことがないという。こちらもいぜん(……)と行ったいちどだけだが、なんか植物がたくさんあって、ホールもあって、とはなす。それでまたFamily Martに寄ってから行き、あがってみると広場にやはり植物がたくさんあり、座席もたくさんそろえられている。すでに宵にはいっていたのでそんなに混んでいなかった。座席にはじゅうぶんな空きがあるというかむしろひとのいない席のほうが多い。たしか池があったはずと言ってあるいているとあったので、そのまえのながいベンチに座ることに。まわりには草木がたくさんあるのでリンリンリンリン秋の虫が鳴いており、敷地内は薄暗く、われわれが座ったベンチは足もとから間接照明の灯がもれだしており、池の水には向こうにある店舗の看板などのひかりといろがうつりこんで、ロケーションとしてはクソロマンティック&センチメンタルみたいな感じなので、カップルで来たらいいだろうね、あの池にうつってるひかりを見てきれいだねーとかいいながら愛を語らうわけでしょう、と皮肉る。
 そこで駄弁ったりギターを弾いたり。さいきんは(……)がてきとうにお題を出して(……)くんがそれを即興で表現するということをよくやっているらしく、このときも「夏の夜」とか「砂漠」とかかのじょがいうのに(……)くんがすぐにてきとうにバッキングやフレーズをつくって曲にしていた。こちらは「果たしてわれわれはここからどこへ行けるのだろうか」という似非哲学者みたいなタイトルを即座に提出し、(……)くんは応じて短五度をはさみつつ四度進行をくりかえしだしたので、しばらく聞いてキーをさぐり、つかんだあとこちらも乗っかった。ペンタに沿っててきとうにやるだけ。(……)くんがふつうにジャストで八分を弾きつづけているのに、なぜかわりとはやい段階でシャッフルで弾きだしてしまった。だいたいのところうたいながらアドリブしたのだけれど、あとで(……)が携帯で録った音源をおくってきたので聞いてみたところ、まあまあうまくやっている気がする。これはふたりに聞いてOKだったらブログにあげてお聞かせしよう。こんな感じでたのしくあそんでいる。



 そのあとまたブルースをふたりでやってけっこう盛り上がったのだけれど、とちゅうで警備員がすみません、と声をかけてきて、敷地内での楽器演奏はご遠慮くださいと注意されたので、すいませんと謝って終了し、そこからはてきとうにくっちゃべった。こちらはきのうだかおとといだかBBCで読んだDhaka Muslinのはなしをしたり。それは(……)が履いていた花柄のロングスカートに足もとの間接照明があたって透けていたからである。
 それでもってわりとはやく、八時台のうちだったかとおもうが、帰ることに。帰路はわすれた。家についてもまだ九時を過ぎたばかりだった記憶がある。



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  • 日記読み: 2021/8/16, Mon. / 2014/2/1, Sat.


 2021/8/16, Mon.より。

帰路を先につづると、この日はあるいた。もともとあるく気分になっていて、傘を持ったのもそのためである。夜空は全面雲に占められているので星はむろん見えないし乱れのない灰色の一様性につつまれているのだが、その色は硬いわけでもなく粘土というような停滞感でもなく、方角と高さによっては青味がほんのかすかながら透けてかんじられるような気もされ、浸透的なひろがりかただった。裏通りにはいってまもなくぱらぱら散るものがはじまり、その後帰宅までずっと散ってはいたようだが、降るという段階にまでいたらず、傘を差すほどのことではなかった。白猫は車の下に不在。裏道を往路とおなじくかなりだらだらあるきながら、きょうは道がながいとかんじられ、それはひさしぶりに外出してあるいたこともあろうし勤務の疲労が足を覆っていることもあろうが、その道のながさが苦ではなく、心境と齟齬を生まずに調和しており、こころおちつくようだった。しかしとりわけおちついたのは街道の終わりちかくで微風が生まれてそれに顔をなでられたときで、生活のなかでいちばんおちつき安息や自足をかんじる瞬間というのは、寒い季節はのぞくけれどそとをあるいていて風のながれに触れられるときではないかとおもう。

2022/8/15, Mon.

 アトランタで電気のコードの先がほとんど見えなくなってしまったことがあった。切り取られて電球もついていなくてわたしは橋の上の掘っ建て小屋で暮らしていた。家賃は週1ドルと25セント。凍てつく寒さの中で必死に何かを書こうとしていたが、たいていは何か飲むものなしではいられなくて、ふるさとのカリフォルニアの太陽の光から遠く離れ、ちくしょう、少しは温まらなければとわたしは思い、手を伸ばして片手で電線を掴んでみたが、電気は来ていなくて、外に出て凍りついた木の下に立って霜で覆われた窓ガラスの向こうのあたたかな室内をじっと見つめていると、食料雑貨店主が女性客にまるまる一個のパンを売っていて、二人はその場に十分ほどいて他愛もない話をし、そしてわた(end58)しはやつらを凝視しつつ、くそくらえ [﹅5] !と悪態をつき、凍てついて雪に覆われて白くなった木を見上げると、その枝という枝はわたしの名前など知るよしもない空以外どこも指していなくて、それがわたしに告げたのだ。わたしはおまえを知らないし、おまえは何者でもない取るに足りない存在だ。そこでわたしはどう思ったのか。もしも神がいるのなら、神がやるべきことは、わたしたちを苦しめ、未来の世界でちゃんとやっていけるかどうかを試すことではなく、今まさにこの時わたしたちのためにいろいろ何でも助けてくれることではないのか。未来はただ悪い予感がするだけだ。シェイクスピアがわたしたちに教えてくれた。そうでなければわたしたちはみんなそこに向かって飛んで行くのではないか。しかし人が全世界を一瞬にして把握できるのは、その口の中に銃の先を咥え込んだ時だけだ。そのほかのことすべてはあてずっぽう、憶測でたわごとでパンフレットだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、58~59; ジョン・ウェブ宛、1961年1月後半)




 またしてもシャワーも浴びず、歯も磨かないうちにいつの間にかの意識消失ですよ。いちど覚めて消灯したのが何時だったかもおぼえていないが、たぶん三時ごろだったのではないか。そうして朝の六時台に覚めた。疲れでねむってしまうためにおもいがけず実家にいたころよりも格段に早起きになっている。鼻から深呼吸をつづけたり、腹や肋骨周辺や頭蓋を揉んだり。きのうはさすがにながく外出していたためにかなり疲れたとみえて、頭蓋がそうとう固くなっていた。あたまをほぐすのはけっこうたいへんだ。そうして七時一五分だかに離床。こんなにはやく起きたのはひさしぶりのこと。洗面所に行って顔を洗ったがきょうは尿意を感じていなかったので放尿しなかった。出るとガラス製のカップで口をゆすいだり、うがいをしたり。そうして冷蔵庫のつめたい水をステンレス製の黒いマグカップにそそぎ、そうするとペットボトルの水が尽きたので、浄水ポットから足しておく。蒸しタオルは昨晩帰宅後にやろうとおもってレンジで熱したままわすれていたので、それを出してあらためて濡らし、加熱する。そうして額をあたためると寝床へ。Chromebookをひらき、ウェブをちょっと見たあと日記の読みかえし。2021/8/15, Sun.と2014/1/31, Fri.。ほぼまいにち着実に、むかしの日記をいちにちずつすすめられている。よろしい。二〇一四年の日記は、やはりこの前日から記述がすこしましになっている気がする。ぎこちなくかんじられる部分が減って、リズムができているような。したはさいごの二段落。一段落目で遭遇しているのはしたのなまえをわすれたが(……)なんとかだ。やんちゃなほうの男子。(……)の南側の裏、中学校のちょっとてまえの家。二段落目でいっしょに帰っているのは、すこしのあいだおもいだせなかったが、(……)だ(「(……)」というなまえだが、この漢字で合っていたかわからない)。かれはだいたいいつも無表情で淡々としており、ちょっと独特の雰囲気やペースを持っていた男子で、その家はこちらの実家から坂をあがって出口で右に折れる細道をくだったすぐのところにあったので、何回かいっしょに帰ったり出くわしたりしたことがある。中学を卒業して高校に行ったあとも遭遇したことがあり、アニメのイラストを描きたい、専門学校に行くとか言っていたはずだ。じっさいたしか専門に進学したのだったとおもう。

 ほとんど春といってもいいくらいの暖かさで吹く風のなかにも冬の香りは見当たらなかった。たまには違う道を歩こうと思って裏道へ入り、塾の生徒の家の前を通るとそいつがいた。受かった、と開口一番報告するその声にしかしいつもの騒がしさはなく、いくらかの戸惑いとそれよりも大きな安堵がうちに含まれているように思われた。塾とはちがって敬語なのは親に聞かれるかもしれないとの配慮らしかった。別れて中学校の脇の坂をおりて街道よりも下の住宅街を抜けた。アパートや家々のなかにそれと外見上はほとんど変わらずあるスナックは午後三時だというのに営業中の札をつるし、なかからは過度なビブラートとエコーがかかった男性の粘つく歌い声が洩れて聞こえた。坂をのぼってうしろを振りかえると西南の空一面に太陽の白光が広がり、山がその下で青く薄く透きとおっていた。
 都立高校推薦入試の発表日であり、教室内の空気は受かったものと落ちたもので悲喜こもごもだった。昨日のように不安もなく、労働は支障なくこなした。今日までで退職し新しい職場へと移っていく同僚がいるので、その送別会も兼ねて飲み会が企画されていたが、はじまるのは最後の時限が終わったあとであり、そこまで待ってはいられないのでやめる同僚にきちんと挨拶はして帰宅させてもらった。我が家からほど近くに住む生徒と帰路をともにした。勉強のやりかたなどについて相談を受けたり、人生の先達ぶっておせっかいな助言などをしていると、少しの沈黙のあとにつらい、という声が聞こえた。闇に溶けそうなほど小さな声だった。結果はどうあれあと一か月の辛抱だった。星のよく見える澄んだ夜空だった。


 過去の日記を読み終えると(……)さんのブログ。そのあと食事中も読んで、最新の八月一三日分まで一気に追いついた。さいきん冒頭に引かれている木村敏の記述はどれもおもしろい。したのさいごの引用にある「生きているということは自らを絶えず環境との境界として生み出し続けていること」というのはめちゃくちゃよくわかるような気がした。ほんとうにわかっているのかわからないが、なぜかすごく納得感がある。

 個体の生命の「不連続性」に対して、「生命そのもの」を「連続的」と表現することは適当ではないでしょう。そこには連続的に持続するなにものも存在しないからです。連続・不連続というのは、実在の存在者についてのみ語りうる概念です。「生命そのもの」は実在(リアリティ)ではなく、「生きている」という現実(アクチュアリティ)として捉えなければなりません。それで窮余の策として「非・不連続」などという表現を使いました。このリアリティとアクチュアリティという二つのカテゴリーの重要性については、のちに立ち入ってお話しすることにしたいと思います。
 「けっして死なない生命そのもの」の非・不連続性に対して、「個々の生きもの」のもつこの不連続性を、通時的な次元で「死」と呼ぶとするなら、同じ不連続性は共時的次元では「他」と呼ばれることになるでしょう。ここではこの「他」は、人間的「他者」だけでなく、自分以外のあらゆる生きものを含んでいます。こうして、ある意味で「死」と「他」は等価だといえます。共時的観点で視野に入ってくる自分以外の生きものに自分自身の「死」をみるような精神構造が、いわゆる「輪廻」の思想を生んだと考えることもできます。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.39-40)

     *

 アクチュアリティactualityというのは、英和辞典を引いてみると「現実」「現実性」などの訳語がまず出てきますが、それと同じ訳語をもっているリアリティrealityと比べると、一つの非常に顕著な特徴によってそれとは違った意味をおびていることがわかります。つまりアクチュアリティには、リアリティと違って、「現在」とか「目下」とかの時間的な意味が強いのです。アクチュアルという言葉は、「行為」「行動」を意味するラテン語のactio(英語ではact)から来ていて、現実に対して働きかけている現在進行中の行為、あるいはそのような行為を触発している現実に関していわれる言葉です。これに対してリアリティのほうは、やはりラテン語で「もの、事物」を意味するresから来ています。ということは、それは主として対象的に認識可能な事物側の事実存在(実在)を表すわけで、認識が完了して事実が事実として確認されなければリアリティとはいえません。ただ、一般に使われている用法では、リアリティの中にときどきアクチュアリティが混じり込むことはあるようです。たとえば、遠く離れた出来事といまここでの観察との同時性を表す「リアル・タイム」などという言いかたが、そのひとつの例でしょう。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.41-42)

     *

 いわゆる調整音楽を構成するすべての音は、このようにしてそれぞれが他の音との関係を「内在」させ、その音自身が他の音との境界であることによってはじめて、音楽全体のなかでしかるべき位置と意味を与えられるのです。この事態は、Aと非Aの差異と関係そのものがAをAとして成立させるという、あるいは、Aはそれ自体Aと非Aの差異もしくは関係であり、Aと非Aの境界であるという、「非アリストテレス的」な論理のかたちで表現することができます(…)。そしてこの論理構造は、ハイデガーが彼のいう「存在論的差異」の構想のなかで、「存在それ自体」と「存在者」との差異こそ「真の存在」だと考えた存在論的な構造と同型なのです。
 これとまったく同様に、あらゆる生きものはその周囲の環境と接触し、他の個体たちと接触することによって生命を保っています。生きものの存在の意味は、生き続けること、生命を保つこと以外にありえません。この意味が実現されるということと、生きものが生きているということとは同じひとつのことであり、生きものが生きているということそれ自体において、生きものそれ自身が自分自身と環境世界との関係になっているのです。
 「生きる」ということは、生きものがそれ自身と環境世界との境界であることを意味しています。そしてこの意味を実現するために、生きものはその有機体を構成する個々の器官を道具として、環境世界とのそれぞれの局面での部分的な相即を維持し続けるわけです。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.47)

     *

 生きものがそれ自身と環境世界の境界であり、生きているということは自らを絶えず環境との境界として生み出し続けていることだとすれば、生きものに関して内部と外部を区別したり、外界からのインプットと有機体からのアウトプットを考えたりはできないことになります。つまり一般に考えられているのと違って、生命現象は「閉鎖系」だということになります。マトゥラーナバレーラが「オートポイエーシス」の概念を提唱したとき、もっとも受け入れにくかったのがこの「閉鎖系」という考え方でした。しかし、「閉鎖」と「開放」を対立する二つのカテゴリーとして考えること自体に問題がありそうです。境界には、内部と外部の対立がないのと同様に閉鎖と開放の対立もないはずです。生きものは絶えずそれ自身を環境との境界として生み出し続けている、これが「オートポイエーシス」と呼ばれる事態の本来の意味なのでしょう。
 ライプニッツの「モナド」が窓をもたないという一見理解しがたい表現も、モナドそれ自体が窓であるという解釈によって解決するでしょう。モナドそれ自体が世界との境界であり窓であるのなら、窓がさらにその窓をもつ必要は毛頭ないからです。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.47-48)


 ほか、中国事情。

 北門に向けてまっすぐ歩く。まもなくはじまる(……)くんの半社会人生活にからめてお金の話になる。中国人が金銭に対するこだわりが強いというのは一種のステレオタイプだと思っていた、しかし実際にこうして現地で暮らしてみるとステレオタイプでもなんでもない事実だと分かった、ただそう考える理由もいまでは理解できる、社会補償や福祉があまりにとぼしいからだ、特にコロナ禍でそのことが部外者のじぶんの目にもはっきりと見えるようになった、と、だいたいにしてそのようなことをいうと、(……)くんは突発性難聴で入院したときの経験をひいて、ほんの数日入院しただけで一万元(約20万円)もかかった、保険で出たのはそのうちわずか三千元のみ、母親は現在レジ打ちの仕事をしているがその給料と年金と合わせて毎月五千元しかもらっていないと語った。だからなにかあったときに備えてお金はためておかなければならないというので、医療費が高くついて首がまわらなくなるなんてそこだけ切り取ってみればやっぱりアメリカみたいだなと思いつつ、これも常徳におとずれてまもない頃に、たしか(……)ではなく(……)から聞いた話だったと思うが、中国では幼稚園の学費(?)がものすごく高いらしいねというと、(……)くんは力強く肯定した。これだけたくさん土地があるのだし、日本ほど騒音問題に敏感でもないお国柄であるし、幼稚園をガンガン作って値下げ競争させれば、少子化対策にもなるし雇用の創出にもなるだろうに、どうしてそうならないのだろうと不思議だとこぼした。(……)くんもその理由はよくわからないふうだったが、小学校や中学校の義務教育に比べると幼稚園の費用はやはり馬鹿高いらしく、日本でいう保育園みたいな公的なアレがあるのかどうか知らないがとにかく、毎月の給料が5000元かそこらで子どもを育てるなんて絶対に無理だ、一人だけでも厳しいのに二人も三人も産んで育てろなんてめちゃくちゃだといった。ネット上には少子高齢化がこのままもっと進めばいいという声もあるという。そうすれば国が本腰を入れて福祉や教育をもういくらかマシなものにするはずだと考えてのことらしい。


 せっかくはやく起きたからといつもよりそとのあかるさをとりいれることにして、カーテンの左半分はレースもまくって紺色の一枚といっしょにまとめて留め具にとめていた。空はやや希薄ながら水色。窓ガラスの上部は斜めに交差する格子線がはいっており、その向こうに物干し棒がまず走り、そうして電線が何本も空を背景に微妙にちがう角度でかかって、おのおのどこかへとつづいていくさきのみえない道か線路のようであり、なかの三本のとちゅうには接続具なのか白い球体、正確には球ではなくておそらく開口しており、だから小人がかぶるためのヘルメットのようにもみえたが、その白い表面が朝のひかりをわずかに塗られて点となったつやを乗せていた。寝床をはなれたのは九時台後半。椅子にすわって瞑想をはじめたのが九時五〇分。鼻から深呼吸をしばらくやって、それから静止。呼吸をじゅうぶんにやってからだをあたためておくと姿勢がかなり安定する。ちょっとおどろくくらいにしずかな瞬間もときに生じる。からだの感じを見つめ、このくらいかなと顔をこすって目をひらくと一〇時一四分だった。そうして屈伸したり背伸びしたりしてから食事へ。キャベツ、セロリ、レタス、トマト、ハムのサラダに冷凍のメンチカツとパック米。セロリは二本入りのものだとおもっていたら太めのやつが一本はいっていた。これはこれでよい。下端のほうはちょっとだけ切り落として除き、きょうは軸を刻む。キャベツが覆われるくらいにおおくなったのをばら撒く。メンチカツはソースをかけてそれをおかずに米を食うだけだが、なんかうまいなとおもった。食事中はひとのブログを読み、済ますと流しに置いた洗いものはまだかたづけず、きょうのことを書きはじめていま正午をまわったところ。流しを始末し、シャワーを浴びる。きょうはあと、日記をどれだけかたづけられるかが勝負、そういう日だ。


     *


 椅子から立ち上がって流しのまえに行き、食器類を洗って水切りケースにかたづけた。排水溝のカバーや中蓋というか物受けも金束子でこすっておく。流し内の表面も。もう金属臭はぜんぜん立たない。それから洗濯機を準備。ニトリのビニール袋に溜まった汚れものをひとつずつつかみあげてなかに入れていき、スタートして水をそそがせる。そのあいだにもうなくなっていたエマールのボトルに詰替用容器からあらたな液体をそそぎうつす。そうして洗剤を投入するとさいごにじぶんがいま着ていたパンツも脱いでくわえておき、蓋をしめて稼働させると浴室にはいった。湯を浴びる。蛇口をふたつひねって、出てくるものがちょうどよい温度になるまでのあいだはシャワーから出る水で顔をなんども洗う。とくに額のあたりを。そうしてあたたかい湯でからだを流し、首のあたりや耳のうしろなどをこすったりし、からだとあたまをそれぞれ洗うとシャワーをとめて、扉をあけておいてフェイスタオルで全身の水気をぬぐう。それから室前の足拭きマットのうえに出て、扉で身を隠すようなばしょだが、そこでちょっとまたからだを拭いたあとに全裸で背伸びしたり首をまわしたりした。そうしているうちに体表面の水気がけっこう蒸発するので、バスタオルで水気を取ったのはほぼあたまだけで、ぜんぜん濡れなかった。バスタオルはもういちどつかうつもりでハンガーにとりつけて窓辺にかけておき、肌着とハーフパンツを身につけてドライヤーで髪をかわかす。もうもさもさ伸びているので乾きがわるい。マグカップに水を一杯そそいで歯磨きをしていると洗濯が終わったので、口をゆすいでうがいしたあとに干す。天気はほぼ曇りといった感じで空は白いが、もれだしてくるあかるみが宙にみえないわけでなく、窓をあけて洗濯物を物干し棒にピンチでとりつけていると大気にも熱のこもりがかんじられる。風はとぼしい。ないとすら言ってよい。
 それからとりあえずすでにしまえていた八月七日分の記事を投稿することに。ブログに投稿し、そのなかから全部ではないがnoteにも投稿しておく。起きたあとの一段落とか、飯の用意したり湯を浴びたりしているところとかもふくめてしまったが、そんなもんおもしろがるにんげんいないだろうし、字数が増えても読まれないだろうし、むしろ読んだ本の感想とかにしぼったほうがよいのかもしれない。そのあとここまで足して一時四四分。八月八日いこうはさすがにもうおぼえていないから、だいたいやっつけになるな。


     *


 いま八月二一日の午後九時一九分で、この日のことはもうあとなにもおぼえていない。


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  • 日記読み: 2021/8/15, Sun. / 2014/1/31, Fri.

それにしても二〇一六年のじぶんが書抜きしている部分を読んでみるに、やっぱりプルーストの心理解剖ぶりとかその叙述とかってなかなかすごいものだなという感が立った。えがかれているのはメロドラマ的恋愛心理の典型といえばそうなのかもしれないが、やはり分析が詳細にわたるためなのか読んでいても俗悪という感触をうけず、真実味をおぼえさせられる箇所がおおい(全体としてみれば陳腐な心理だとしても、個々の内容のつなげかたとその順序、つまりはひとに理解(や説得や共感)をあたえるまでのながれのつくりかたがうまいのではないか)。スワンが理知的な人間という設定になっているので、けっこう自己分析とか自己相対化をしているのだけれど、じぶんのある感情に評価や判断をくだして、さらにまたその評価や判断を対象化して今度はそれにたいして評価や判断をくだしたりべつの感情をおぼえたり、といったかんじの人間の思考の絶え間なさととめどなさと堂々めぐりとがよくえがかれているようにおもう。スワンはじぶんの恋情が狂ったようなものであるとか、それによってじぶんが不幸になったり苦しんだりしているとか、その恋情もいずれおさまって終わるときが来るだろうとか、じぶんで明晰に認識しているのだけれど、そういう理性的な自己分析をしてもだからといってそれが解決になるわけではなく、オデットへの恋と嫉妬によって苦しめられていることをよく知っていながら恋をやめることはできず、それどころか恋情がなくなって終わることを恐れている。しかし恋によって苦しめられつづけるのもまたつらいので、偶然にオデットが死ぬかじぶんが死ぬかしてこの恋愛状況全体がだしぬけにいっぺんになくなることを他方では夢見ている、という状態で、じぶんで不幸になることを明確に知りながらもしかしそのことをやめることはできず、そちらにむかっていくしかない、というのがスワンのいわば悲劇性なわけだけれど、それはいかにも理性的な主体の醒めた悲劇というかんじで、知らずにあやつられる悲劇(オイディプス)ではなくて知っていながら(むしろ積極的に)あやつられる悲劇という点で、『白鯨』のエイハブ船長の悲劇性をおもいおこさないでもない(積極性の度合いはスワンとエイハブとでけっこう違いがあるだろうが)。


 しかしながら、スワンはちゃんと気づいていた、自分がこうして懐かしんでいるのは落ちつきであり、平和であって、それは自分の恋にとって都合のよい環境ではなかったろう、と。オデットが自分にとって常に不在の、常に自分が未練に思う想像の女であることをやめるとき、彼女に対する自分の気持が、もはやソナタの楽節が惹き起こすのと同じ不思議な不安ではなくて、愛情や感謝になるとき、また二人のあいだに正常な関係がうちたてられ、それが彼の狂気や悲しみに終止符をうつとき、そのようなときにはおそらくオデットの生活にあらわれるもろもろの行為が、それ自体としてはさして興味のないものに思われることだろう――ちょうどこれまで彼が何回となく、そうではないかと疑ったように。たとえばフォルシュヴィルあての手紙を透かし読みした日がそうだった。スワンはまるで研究のために自分に細菌を接種した者のような明敏さで、自分の苦しみをじっと考察しながら、この苦しみから全快するときは、オデットが何をしようと自分にはどうでもよくなるのだろうと考えた。しかし実はこのような病的な状態のなかにあって、彼が死と同じくらいに怖れていたのは、現在の彼のすべてが死んでしまうそのような全快であった。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』(集英社、一九九七年)、212)


 彼女の行先が分からない場合でも、そのとき感ずる苦悩を鎮めるためならば、オデットの存在と自分が彼女のそばにいるという喜びだけがその苦悩の唯一の特効薬なのであるから(この特効(end239)薬は、長い目で見れば、かえって病状を悪化させるが、一時的には痛みを押さえるものだった)、オデットさえ許してくれれば彼女の留守中もその家に残っていて帰りを待ち、魔法や呪いにかけられたようにほかの時間とまるで異なっていると思われたそれまでの数時間を、彼女の帰宅時間によってもたらされる鎮静のなかに溶けこませてしまえば、それで充分だったろう。けれども彼女はうんと言わなかった。それで彼は自分の家へ戻ることになる。道々彼は、無理にもさまざまな計画を作り上げ、オデットのことは考えまいとした。そればかりか家に帰って着替えながら、心のなかでかなり楽しいことをあれやこれやと考えるのに成功さえした。ベッドにはいり、明りを消すときには、明日は何かすばらしい絵でも見に行こうという希望に心が満ち満ちていた。けれども、いざ眠ろうとして、習慣になっていたので意識さえしなかった心の緊張をゆるめたそのとたん、ぞっとするものが不意に湧き上がり、彼はたちまち嗚咽しはじめた。なぜこうなったのか、その理由さえ知りたいとも思わずに、彼は目を拭うと、笑いながら自分に言うのだった、「あきれ返った話だ、ノイローゼになるなんて」 それから彼は、明日もまたオデットのしたことを知ろうとつとめなければならないし、なんとか彼女に会うためにいろいろ力になる人を動かさねばと思うと、ひどい倦怠感を覚えずにはいられなかった。このように休みない、変化のない、そして結果も得られない行動が必要だということは、あまりに残酷なものだったから、ある日腹にでき物ができているのに気づいた彼は、ことによるとこれは命とりの腫瘍であり、もう自分は何ものにもかかわる必要がなくなるのではないか、この病気が自分を支配し、もてあそび、やが(end240)て息の根をとめてしまうのではないかと考えて、心の底から嬉しくなった。事実このころには、自分でそれと認めたわけではないにしても、よく彼は死にたくなることがあったのだが、それは苦痛の激しさを逃れるというよりも、むしろかわり映えのしない努力をつづけたくなかったからであった。
 (239~241)


 ときとして彼は、朝から晩まで家の外にいるオデットが、路地や広い道路で何かの事故に遭って、苦痛もなしに死んでくれたらと考えた。けれども彼女がかならず無事に戻ってくるので、人間の身体がこんなに柔軟で強靭であること、それをとりまいてさまざまな危険があるにもかかわらず(ひそかにオデットの死を願って、危険を数えあげるようになって以来、スワンは無数の危険がころがっていると思っていた)、いつもこれをことごとく巧みに防止し、その裏をかくものであること、こうして人間が毎日、ほぼなんの咎めも受けずに、欺瞞の仕事や快楽の追求に耽っていられることに、すっかり感心してしまった。そしてスワンは、あのマホメット二世、ベルリーニの描いたその肖像画が彼は好きだったが、そのマホメット二世の気持を自分の心のすぐ傍らに感じるのだった。この人物は、自分の妻の一人に狂気のような恋を感じはじめたと思ったので、ヴェネツィアの彼の伝記作家がナイーヴに伝えるところによると、自分の精神の自由をとり戻すためにその妻を短刀で刺し殺したのだった。それからスワンは、こんなふうに自分のことしか考えないのに腹を立てた。そして彼がこれまでに覚えた苦悩にしても、彼自身がオデットの生命をこれほど軽視している以上、なんの同情にも価しないもののように思われるのだった。
 (307)


 「(……)ね、オデット、こんな時間をいつまでも長引かせないでおくれ。これはぼくら二人にとって拷問だよ。その気になればすぐ片がついて、きみは永久に解放されるんだ。ね、そのメダルにかけて、いったいこれまでにこういうことをやったかどうか、言っておくれ」
 「だって、知るもんですか、わたし」と彼女はすっかり怒って叫びだした、「ことによったらずっと前、自分でもしてることが分からずに、たぶん二度か三度したかもしれないけれど」(end320)
 スワンはありとあらゆる可能性を検討していた。だがこうなると、あたかも頭上の雲のかすかな動きと私たちをぐっさり突き刺すナイフの一撃とが何の関係もないように、現実は可能性とおよそ無関係なものになる。なぜならこの「二度か三度」という言葉が、生きたままの彼の心臓に一種の十字架を彫りつけたのだから。奇妙なことに、この「二度か三度」という言葉は単なる言葉にすぎず、空中で、離れたところで発音されたものなのに、それがまるで本当に心臓にふれたかのように心を引き裂き、毒でも飲んだようにスワンを病気にさせることができるのである。スワンは知らず知らずにサン = トゥーヴェルト夫人のところで耳にしたあの「こんなにすばらしいものは、回転テーブル以来見たことがございません」という言葉を考えていた。いま彼が感じているこの苦痛は、彼がこれまでに考えたどんなことにも似ていなかった。それは単に、このとき以上に何もかもすっかり信用できなくなった瞬間でさえ、こんな不幸にまで想像を及ぼすことは稀だったから、というだけではない。たとえそのようなことを想像したときですら、それはぼんやりとしていて不確かで、「たぶん二度か三度は」といった言葉から洩れるような、はっきりとした、特有の、身震いするようなおぞましさを欠いており、はじめてかかった病気と同じように、これまで知っているどんなものとも異なったこの言葉の特殊な残酷さを持ってはいなかったからだ。にもかかわらず、彼にこういった苦痛のすべてを与えるこのオデットは、憎らしい女に思えるどころか、ますます大切な人になってゆき、それはあたかも苦痛が増すに従って、同時にこの女だけが所有している鎮痛剤、解毒剤の価値も増加してゆくかのようだった。彼は、まるで(end321)急に重病と分かった人に対していっそうの手当をするように、もっと彼女に心をかけたいと思った。彼女が「二度か三度」やったと語ったあのおそろしいことが、もう繰り返されるはずのないものであってくれと願った。そのためには、オデットを監視する必要があった。よく言われることだが、友人に向かってその愛人の犯したあやまちを告げると、相手はそれを信じないために、ますます相手を女に近づける結果にしかならない。だがもしその告げ口を信じた場合は、さらにいっそう相手を女に近づけることになるのだ! それにしても、いったいどうやったら彼女をうまく保護できるだろう、とスワンは考えた。たぶん、ある一人の女から彼女を守ることくらいはできるだろうが、しかし何百人という別の女がいるのだ。そして彼は、ヴェルデュラン家でオデットの姿が見えなかった日の晩、他人を自分のものにするなどという絶対に実現不可能なことを欲しはじめたあのときに、どんな狂気が自分の心を通り過ぎたかを理解した。(……)
 (320~322)

     *

(……)ほかに興味深かったのは(……)がさいきん中国人に聖書をおしえているということで、それをもっとうまく説明したいという意欲でもって中国語の勉強もけっこうがんばっているらしく、聖書の内容を中国語で説明できんの? ときいたら、わりとできる、と言っていたので、それはすげえなと受けた。また、中国人のひとが聖書とかキリスト教をまなぼうとするきっかけってどういうかんじなの、っていうのは、中国共産党ってキリスト教を弾圧してるじゃん? だからそのひとたちが中国に帰ったらやばいじゃん、っておもったんだけど、と聞いてみると、日本に来ているからにはやはり中国社会に馴染めずに違和感をいだいて、なにかをもとめて日本に来ているというひとがわりと多いといい、いまの中国は拝金主義というかとにかく金を稼ぐという価値観がけっこう支配的らしく、貧富の格差も相当になっていて、そういうなかで適合できずほんとうに大事なものはなんなのかとか、やはりまあ実存的疑問をいだいて聖書をまなんでみたい、という動機のひとがあるようで、じっさいに聖書をいっしょに読んでおしえてみると、ここに書いてあることはほんとうにそうだとおもう、わたしのおもいやかんがえとまったくおなじことが書かれている、という反応がかえることがけっこうあるという((……)の体感としては、日本人におしえてどうおもいますかと意見をもとめても、そのひとの自由だとか、好きにすればいい、まあいいんじゃないですか、とかいうこたえがかえることがおおく、このじぶんがどう感じるかどう思うかというのを明確に述べないことがおおいのにたいし、中国人は、わたしはこうおもう、こうかんじる、ここに書いてあることにわたしはとても賛成だ、といったことをはっきりと言明する傾向があるようにおもう、とのことだった)。そういうはなしを聞いているとちゅうでこちらは笑ってしまったのだが、というのは、共産主義というのはもともとは貧富の差をなくしてみんな平等な社会をつくろうという思想だったはずなのに、共産主義を標榜しているはずの現在の中国ではむしろ金を稼ぐことが支配的目標になっており、そのために中国が批判している資本主義社会とおなじくらいかもしかしたらそれ以上の貧富の格差も生じており、そこに堪えられないひとはもっと大切な内面的価値のようなものをもとめてほかならぬその資本主義国に脱出してくる、という状況全体の矛盾やアイロニーがおもしろくおもえてしまったからで、そのことを説明すると(……)も、いやほんとに、矛盾してるよね、と同意していた。

     *

Ronald Purser, "The mindfulness conspiracy"(2019/6/14)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2019/jun/14/the-mindfulness-conspiracy-capitalist-spirituality)も読了。マインドフルネスから一時ひらいて、ネオリベラリズム一般のイデオロギー的支柱もしくは原理(すべてを原子的な個人の領域に還元するとともに市場および資本の論理に従属させるので、社会変革の活動としても集団的なものを好まず、その領域をないがしろにし、たとえば環境問題(ゴミによる環境汚染などで、いまでいえばプラスチックによるそれ)にせよ個々人の行動によってのみ状況を変えられるというテーゼを強力に主張して消費者ひとりひとりの責任を問ういっぽうで、プラスチックを大量に生産したりつかったりしているはずの企業の責任は不問にふされたり、あまりひかりをあてられなかったりするというわけで、この原理のもとではスピリチュアリティとか精神的・感情的なことがらもやはりおなじように孤立化・個人化させられて、社会的・外的な要因が考慮されないまま、個人の努力やとりくみや生活改善によって精神的・感情的問題も解決できるとされてしまう、というのが筆者の論旨であり、とうぜんそこからはその裏面として、じぶんの精神を涵養しおちついたこころをえようとしたり感情マネジメントとかを実践しないのはそのひとが悪い、というかたちでまさしく「自己責任」の論理が精神領域にも適用されてしまうというわけだろう)を概説するぶぶんはけっこうおもしろかったのだけれど、ほかの箇所はだいたいきのうの記事に要約したような内容をほぼそのまま何度もくりかえすような記述になっており、具体的な事例や現場を詳述したりとか、もうすこし掘り下げるようなことをしてほしかった感はある。

2022/8/14, Sun.

 (……)くだらない! 優れた芸術が知的なのは、人をどやしたてて命を吹き込むからで、そうでなければただのたわごとでしかなく、どうすればたわごとを書いてシカゴの『ポエトリー』に載せてもらえるのだろう?(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、56; ジョン・ウェブ宛、1961年1月後半)




 昨夜はまたしても寝床で休んでいるうちに眠ってしまっていた。一一時くらいの時刻をみたおぼえはあるのだが。いちど覚めたときが三時一五分とかだった気がする。そこで明かりを落として就寝。朝は七時ごろから覚めはじめて、八時すぎに意識をさだかにした。鼻で深呼吸。目覚めたさいしょにやはりうごかず深呼吸をしばらくやっておいて、呼吸につかう筋肉をほぐしておいたほうがその後も楽な気がする。その他腹を揉んだり、胸をさすったり、もろもろからだをやわらげる。きのうの帰りにしゃっくりが出て吐きそうになったわけだが、そのときひっくひっくいうたびに背中も痛んだ。胃と背中というのはたぶん連動している。それで腹から胸にかけてかるく揉みながらちょっとずつ場所を移動させていくと、左の肋骨のいちばんしたの二、三本のあたりを揉むと背中がちょっと痛むことがわかったので、そのあたりを指先でかるく押してよくほぐしておいた。横になって背中のほうもたしょう。昨晩意識をうしなうまえ、一〇時半前に母親からSMSが来ていたので、それにも返信。また電車内で吐きそうになったことを報告しておき、気分と体調しだいで明日ちょっと顔を出すかもしれないと言っておく。兄はきょうの夜だかあしただかに行くらしい。
 そうして八時四三分に離床。屈伸したり背伸びをしたりしてから洗面所へ。顔を洗い、用を足す。出ると水を飲みつつLINEをチェック。きょうはもともと(……)および(……)とカラオケに行ったりする予定があって、きのうのことがあったから電車から降りたときにはとりやめようかなとおもい、だれもいなくなった(……)駅のホームでベンチに座って息をつきながら兄のSMSにこたえたときも、明日いこうはもう部屋にいるわと言ったのだったが、まあ吐きそうになるのは特定の場面だけだし、歌うたいたいしきょうはやっぱり行こうかなという気になっている。しかし明日、新宿まで出るというのはやはりかなり疲れそうだし、電車に乗る時間もながくて消耗しそうだし、そちらは休ませてもらおうかとかんがえている。そのかわりに実家に行くか否か、という感じ。まだつたえていないが。きょうは(……)に二時過ぎくらいに行けばよいようだ。
 蒸しタオルで額や目をあたためると寝床に帰り、ウェブをちょっと見たあと日記の読みかえし。昨年分はけっこういろいろ目にとまる部分がある。母親の繰り言についていらだっている記述は昨年当時はブログには公開しておらず(……)の記号によって検閲されている。いつまでも実家住まいでもろもろ依存しているくせに文句を言ったり、かのじょの心理や精神をさかしらに分析してみせるさまを衆目にさらすのはよくないかなという判断がはたらいたのだとおもう。しかしもう一年経ったしまあいいかとおもってしたに引いておいた。こちらの母親というにんげんはやはり息子であるこちらじしんとはかなりちがう、言ってみればもっとも身近にいる他者であり、その他者度がけっこう高いので、おりおり興味深さをおぼえて考察の対象になった。そんなふうにおらが親を観察対象である実験動物のように書いてみせるのもあまりよくない気がするが、とりわけじぶんは男性であちらは女性なわけだし、しかし母親について分析した記述をならべてみたらけっこうおもしろいんじゃないかともおもう。とはいえそこで書かれていることはたぶんだいたいいつもおなじだったとおもうが。だから母親が毎度反復する繰り言を受けてこちらもそのたびだいたい似たようなことを繰り返し書いていたのかもしれず、そうだとしたら繰り言がこちらの書きもののなかへべつのかたちに転化しながら転移したということになる。あとプルーストの感想もまたあって、去年のこちらはプルーストを読みながら毎日感想を書いているし、記事最下部にはその日読んだ範囲から気になった箇所の引用もならべていてなかなかよくやっているなとおもうが、感想部分を読んでみても小説の内容の要約がなかなかうまいなあとじぶんながらおもってしまう。けっこうよい紹介文になっているのではないか。メモ的引用のなかでは、〈418: 「あることがほんとうだからというのではなく、口にするのがたのしく、また自分でしゃべっていながら、その声がどこか自分以外からくるようにきこえるので、自分のいっている内容がはっきりつかめなくても、それを口にしていると、おのずから感じられるあの軽い感動(……)」〉という一節が、さすがだなとおもった。
 その後2014/1/30, Thu.も。「昨日の日記を書いたが、途中で絶望的に書けていないことに気づいた。書きたいことをまったく書けていなかった。言葉は一向に生まれ出てこず、ようやく出てきたものもはまるべきところにはまらず空転しつづけた。どうしようもないと思いながら午後二時まで書いた。午前中は晴れ空だったが正午には曇り、今や雨が降りはじめていた」という嘆きがある。段落のさいごに天気の経過を足してみるあたりにもういまのじぶんとつうじる性向があらわれている。書いているときの思考のながれがおなじなのだ。いついつまでなになにしたと置いたあとに、ここまでの天気のうごきはどうだったかなとおもいかえしてみせるという。そういえばまだ書いていなかったが、きょうは曇り日である。とおもっていたのだがいま右のカーテンのほうをみるとレースの向こう、保育園の建物の上方のなにかちいさなものがひかりを受けて白さを溜めているのがみえるし、右側にちょっと身をかがめて窓の上部に上目遣いをおくってみると、雲がありながらも青さがたしかに透けてみえる。カーテンの足もと、床ちかくの窓枠のあたりでも布がわずかにあかるみを帯びて靄めいた明暗のとりあわせをみせている。だんだんとそこから、ひかりのすじがほそくひらきはじめている。
 つぎのぶぶんは、この時期のじぶんにしてはわりと書けているというか、リズムにぎこちなさがないようにおもわれた。この日は全体的にそうで、もしかするとこのあたりでひとつなにかをつかんだのかもしれない。

 雨が去ったあとの穏やかな午後五時の空を眺めていると明確に日が伸びたように思われた。雨降りのあとだというのにマフラーをつけなくても冷えず、ただやけに白く濁る息が追い風にあおられて一瞬で広がり消えていった。それと同じような色の蒸気が車がしばしとまって立ち去ったあとのアスファルトからのぼっていた。乾ききらず残って散乱した水のかけらに太陽の最後の光を分けもった雲が映りこみ、路上が黄昏の色に染まった。濡れたアスファルトにトラックのヘッドライトが吸いつき、湿り気を帯びた光がその上を撫でるように渡っていった。
 昨日と同種の疲労感が家を出たその瞬間からあった。今すぐに部屋に戻ってベッドに倒れて眠りこみたかった。身体は動き精神も表面上は平静だが、内側からじわりじわりとにじみ出る不安が体内を侵食し、やがて筋肉の凝ったような身体の緊張と息苦しさに変わった。西天で残光に染まった雲の色や外気の涼やかさに一時は陶酔めいた感覚を覚えもしたけれど、波のように間欠的に高まる不安に薬を追加した。特有の重い安定感に浸りながらの労働となったが、わけもなく苛立ちや焦燥を感じもした。それは帰宅してからもいくぶんかはつづいた。苛立ちと焦燥が逆方向に転じて無気力に変わり、夕食後は本を読む気にもならず茶を飲みながら父が風呂から出るのを待った。日付が変わる前から日記を書き出して一時間半もかかった。

 そのあと(……)さんのブログもちょっと読み、一〇時をまわって二度目の離床。屈伸したり開脚したり、また水を飲んだり。一〇時二四分からちょっとだけ瞑想、というか大部分深呼吸したが。一五分ほどで切り、食事へ。キャベツを細切りにして大皿に乗せ、セロリをきょうはのこっていた葉のほうをシャクシャク切ってキャベツを覆うくらいにふんだんにばら撒く。その他トマトとダイコンとハム。しょうがドレッシング。あとはこのあいだコンビニで買った冷凍の唐揚げが二粒のこっていたのでそれを加熱して食す。食事中は(……)さんのブログを読んだ。八月七日の冒頭に、「11時半のアラームで一度目が覚めたが活動開始にいたらず。上階の物音にいちいちイライラしながらうとうとし続ける。椅子を引く音であったりミシミシいう足音だったり床をコンコン叩く音だったりが、ここ数日こちらの起床する時間帯にはほぼ毎日のようにくりかえされている。ババアの笑い声もときおりその中に混じる。物音はこちらが活動開始後ほどなく消える。つまり、午後になるころには静かになる。で、次にまたうるさくなるのはだいたい夜遅い時間、たとえば今日であれば21時以降である。つまり、爆弾魔は昼ごろに出かけて夜遅くまで帰ってこないという生活を続けているわけだが、そこにともなうババアが謎だ。母親か妻か恋人か知らんが、実在する人物なのだろうか、それともスマホかパソコンかテレビから聞こえる音声にすぎないのだろうか。マジでわからん。そもそも物音の主が本当に爆弾魔なのかどうかすらあやしくなってきた。以前はこんなにもうるさくなかったのだ。爆弾魔はすでに退去しており、別人が入居したという可能性だって十分に考えられる。」とあるのが、ちょっと不条理小説めいていて笑う。あとそういえばこれはきのう読んだ部分だけれど、『1984年に生まれて』(郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳)の記述が、こちらが精神的にやばかったときに言っていたことと似ているんじゃないかとしてひかれていた。たしかに類似もあるにはある。しかし詳しいことはいまは時間がないし書くのがめんどうくさいので、のちに余裕があったら。

「先生、ちょっと前までよりずっと良くなったと思います。最近は自分の問題が何なのか少しわかってきています」
 私は言葉を切ってしばらく待ったが、医者は何の反応も示さない。そこで私は続けた。「自分自身の観点がない、というのがパニックの元なんです。私の通ってた学校には宣教師がいたんですけど、いつかそのアメリカ人と話したことがあって、その人が言うには、毎日頭の中でいろいろな考えが浮かぶ、それはすべて何もないところからひねり出されたもんじゃないかと思うかもしれないけど、それは違う。脳内にひっきりなしに考えが閃くのは、すべて神様がお送りになったからなんだ。神は我々の霊魂の創造主だ、だから我々は神に感謝しなければならないのだ云々とね。当時私は全然納得できなくて、誰かに考えを流し込まれるのは嫌だったし、言われるままに信奉するのはごめんだった。だからこの宣教師の言うことは頭から聞き入れなかったんです。でも今思い出してみると、彼に反論することができないんです。頭の中の考えは本当に自分のものなのか。誰かが注ぎ込んだものではないのか。おそらく神ではないだろうけれど、数千数万もの人々の声が注ぎ込まれているんじゃないのかって。歴史、金銭、書物、ロック歌手、愚痴や陰口、それからあと何か、うまく言えないんですけれど。こういったものがもしかすると魂の創造主じゃないかと。これ以外に一言でもいいから自分の言葉というものがあるのだろうかって」
(…)
(…)「この問題がすべてのことに影響してるんです。肝心なことは、もし一切が外界のことならば、もしいかなる考えも自分自身のものではないというのなら、私に自由なんていうものがあるのか、ということです。自由を見つけたいなどというのは、ぜいたくな望みなのか、ということなんです。この恐怖は薬では解決できないものです」

 食後はすぐに皿を洗い、(……)さんの八月七日の記事をさいごまで読み、そうしてきょうのことをさっそく書きはじめた。深呼吸をおおくやっておくとさすがにからだがあたたまっていてすぐやる気になる。ここまで綴ると一二時半直前。シャワーを浴びる。


―――――


 いま八月二一日日曜日の午後四時半である。ようやっとこの日のつづきにとりかかることができる。道中はわすれたので一気に(……)に飛ぼう。ちなみに一気に未来の時間にうつる物語技法をflash-forwardというらしく、要はflashbackの逆だが、英文記事を読んでいるとたまにflash-forward to ~~ という前置きが出てくる。(……)駅に着いてホームから階段を下り、下り立ったところで二度左折して改札に向かって、そとに出るとそのあたりを見回してみたが(……)や(……)のすがたがなかったので携帯を確認。もうすぐ着くとメールがはいっていたので立ち尽くして待っていると、じきにあらわれたので手をあげてむかえ、あいさつ。カラオケはそこだと、駅前から車道をわたって間近のビルがしめされて、さっそく向かうことに。まねきねこである。階段をのぼって二階。はいり、先客を待って受付。だれもカードを持っていなかったので(……)がつくってくれた。かのじょが仕切りをもうけたカウンターのむこうの店員とやりとりをしているあいだ、こちらと(……)はちょっと下がってなにかてきとうにはなしをしていたけれど内容はわすれた。じきにスマートフォンを活用した登録手続きが終わり、ワンオーダー制二時間で入室。部屋へ。飲み物はミネラルウォーターにした。(……)もそう。(……)はチキンだったかポテトだったか、軽い食い物をたのんでいた。水がほしいというのである程度まで飲んだところでのこりをあげた。水というのはペットボトルの「いろはす」である。自販機で一〇〇円で買えるのが三〇〇円とかしたのだからよほどぼったくっている。いったいなににそんなに仲介費がかかるというのか? 資本主義社会における営利企業の道義的責任をかんがえるべきだ。きょうカラオケ行こうぜと言ったのはこちらで、アパートに来ていらいとうぜんながらおおっぴらに歌をうたうことができないので、歌いたい欲が高まっていたのだ。実家の部屋ではけっこう大声で歌っていたが、それもさいごのほうはわりとはばかっていた。自由に歌がうたえる環境というのは貴重ですばらしいものだ。そういう環境に身を置ければよいのだが。それで歌をうたうのはひさしぶりだったので、やはりぜんぜん声が出なかった。OasisとかFISHMANSとかてきとうにいろいろ歌ったが、いぜんはふつうに出ていたはずの音域でもちょっと高くなると出ず、つづかない。というかいわゆるミックスボイスの出し方を喉がわすれていて、筋肉がうまい具合に組み変わらず高いほうにいっても低音部とおなじやりかたで無理やり出すという、いわゆる張り上げになってしまうのだった。(……)はあまりうたわず。たぶんアニメ方面の女性ボーカルの曲を一オクターブ下でちょっと歌ったり、なぜか終盤ちかくで急に”Highway Star”をうたったりしていたが。(……)はふつうに歌い、”(……)”の英語版を歌うために英語曲を練習しているとかで、Avril Lavigneのなんとかいうやつを歌ったりしていた。それを聞いておもったことを、一六日に(……)がいろいろ指摘したりアドバイスしたりしていたようだ。
 あまり声が出なかったのでやや欲求不満ではあるが、歌をうたうのはきもちよくすばらしいことであり、自由とは好きな歌を好きにうたえるということにほかならないので、たまにひとりカラオケ行くのもよいかもしれないなとおもう。アコギの練習もできるだろうし。スタジオはいっているとやはり金がかかってしまうので、はいるならカラオケだろうな。とにかく部屋だとジャカジャカコードストロークできないわけで、アコギでストロークできなきゃはなしにならん。それでカラオケを終えると会計して退出。階段をおりたところで精算。ひとり一六〇〇円。ここで金をわたすときに小銭がひとつ財布からこぼれおちて、そこにあった店舗前のなんだかよくわからない、ものがごたごた置かれてシートがなかばかかったあたりに転がっていって、しかし急がず精算を済ませてから反対側にまわってはいりこみ、地面をさがしたところ、五円玉が落ちていた。じぶんとしては百円を落としたような気がしており、また(……)も、百円じゃなかったの? と言っていたのだけれど、そのあたりを引き続きさがしてみてもほかに金は見つからないので、百円だったとしてもよい、五円はもらったし、この店にくれてやる、と言い放っておさめた。
 それであるいて(……)家へ。道中、先日(……)と通話したときのはなしを聞いたり。(……)が世界遺産検定の二級だかを取得したというのはLINEですでに情報をみかけており、予想外でおもしろかったのだが、(……)いわくそれを取ろうとかれがおもったのは、地理と歴史を勉強したいというきもちはまえからあって、世界遺産なら両方のことがらをふくんでいるからやってみようという気になったということらしかった。勉強はテキストがあるので基本それを暗記するだけだという。二級といってどのくらいの感じなのか、ぜんぜんわからない。検定は一級までではなくてそのうえもあるらしいが。(……)
 (……)家に着いてからは背負ってきたアコギをケースから取り出してさっそくてきとうに弾いてあそんだのだが、じきに"(……)"の英語版を録音することに。いぜん、(……)がつくった歌詞をいっしょに確認して修正したりメロディをはめたりし、まあこんなもんかなというかたちにしてあり、てきとうなときにこちらがざっと歌ったのを携帯で録り、発音やリズムの参考にしてもらうというはなしになっていたのだが、パニック障害が再発したりなんだりでやっておらず、きょう録ることに。そのまえに(……)にも確認してもらう。それでかれがたしょう修正案を出したり、ここはどういうリズムかと聞かれるので口ずさんだり。あとはまたギターをいじったり、横になってゴロゴロくつろいだり胎児のポーズをとったりしていた。それでOKとなって歌を録ったのはたぶんもう八時くらいだったのではないか。一番ごとに録ることに。(……)の携帯でメトロノームを出してもらいながらすこし練習して、どんどん録っていく。べつに(……)が英語のいいかたとリズムを理解し下敷きにするためだけの音源なのでうまく歌う必要もなく、練習時は気楽にさらさら歌っているのだが、じゃあやろうと言ってかのじょが携帯をかまえるとそれだけのことなのにわずかに緊張するのがじぶんでわかり、からだがかたくなるので歌もリズムがあまりながれなくなったりする。それでも一番ごとに区切っていったんストップを押しつつまずさいごまで録り、二番だけ別案があるのでそれも録った。ぜんぜんたいしたしごとではないが終えると(……)がありがとうございました、と拍手しながらクランクアップです! とか言うので、それに乗っかって、いやー、いいしごとだったね! いい現場だった! などとおふざけを言って笑った。録ったものをながして確認。ぜんぜんうまくはないが、目的にたいしてはじゅうぶんだろう。
 それで夕食。ピザを注文することに。(……)くんが、かれはこの日THE IDOLM@STERかなにかのライブに行っていて不在だったのだが(一〇時ごろ帰ってきた)、注文するようにと代金を置いていってくれたというのでチラシを見てそれで(……)が注文。チラシで押されていて安くなるとかいう品で、いろいろチーズがはいったやつとイタリアン的なやつを合わせたやつ。またいっぽうでゴーヤチャンプルーをつくると。豆腐がないのでチャンプルーではなく、たんにゴーヤとか豚肉を炒めた料理になってしまうと言っていたが。こちらはなにか手伝うことがあればやろうとおもって申し出たのだけれど、そのときかんぜんにあおむけで寝転がってゴロゴロしており、しかも台所にいた(……)を店長! と呼んで(というのはいぜんかのじょが唐揚げをつくってくれたときにもおなじおふざけをしたのを踏まえているのだが)、なんかしごとないっすか? なんでもやりますよ、言ってください、こいつも(と(……)を巻きこみ)新人なんで、なんでもやりますよ、とロールプレイでふざけたので、いやこのバイトかんぜんにやる気ないでしょ、寝てるし、しごと舐めくさってるでしょ、と笑われてしまった。休憩中だったのだ。それで料理じたいは手伝わなかったが、テーブルを準備したりできたものを運ぶくらいのことはやった。食後は皿洗いも。(……)は注文したピザが三十分くらいで来ると聞いていたのでそれと料理とどっちがさきにできるかと勝負をしていたらしいのだが、ピザはなかなか来ず、ずいぶん時間がかかって余裕の勝利をおさめ、そのうちに連絡があって聞けば配達員がマンションのばしょをわからず迷っているという。スーパー(……)の向かいだということを(……)がつたえ、それで到着。おじさんだった、いかにも道に迷いそうなおじさんだった、という。それでピザはすこし冷めてあつあつというわけには行かなかったのだがなんでもよろしい。炒めものもうまかった。ところでこのときゴーヤ炒めを盛ったこちらの皿は縁にbuttercupという筆記体で書かれた英字とともに黄色い花の絵がちいさく描いてあるものだったのだが、buttercupってなんだっけ、ヒナギクだっけ? ととなりにいた(……)に聞くともなく聞いてみると、あ、そうだったかもしれない、とかのじょは応じ、ものを食べたあとにスマートフォンで検索しはじめた。しかし出てこないという。なんかロボットみたいな、へんな機械みたいなやつが出てくると。そんなはずあるまいとおもって携帯をのぞいてみると、グーグルの検索欄に入力されていたのはbuttercupではなくbettercapだったので、まちがっているとつたえながら笑い、これおもしろいな、いいね、これは(……)くんに報告しなきゃと言った。かのじょは携帯で文章を打つと打ち間違いが多発して、LINEに投稿するメッセージなどほぼ毎回なんらかの誤字とか脱字がふくまれているくらいなのだけれど、主に(……)くんと(……)がそれをとりあげてからかうことがおおく、(……)くんは気に入った言い間違いとかを記録してときどき笑っているくらいなので、これはなかなか質がいい、ぜひとも報告しなければとおもったのだった。それでこの日はわすれていたが、翌日LINEで(……)にわすれず報告してくれとたのんでおいた。それにたいして(……)は、「げげげ」と投稿していた。ところでbuttercupはけっきょくヒナギクではなく、キンポウゲだった(ヒナギクdaisy)。buttercupをなんか聞いたことがあるなという記憶の典拠としてあたまにあったのはマリ・ゲヴェルスの『フランドルの四季暦』で、そこになんかそういう語が書かれていた気がしたのだが(ヒナギクのはなしもされていて、いくつも呼び名をあげられていたはず)、Evernoteの書抜きをいま見返してみたかぎりではキンポウゲのはなしは見つからなかった。ヒナギクのくだりはあったので引いておく。

 四方八方から呼ぶ声が上がり、けなげなヒナギクは冬の眠りに別れを告げ、芝生に、土手の斜面に、あるいは敷石と敷石の隙間にも姿を見せます。
 蕾のときは真珠に似ています。だから早くも中世には、北でも南でも、フランス全土の吟遊詩人が、この花をマルグリットと命名したわけですが、それはマルグリットの元になるマルガリタが、ラテン語で真珠を意味するからです。
 でも、名前を一つだけにしておくには可憐すぎるヒナギクに、人々はパクレットという呼び名も贈ったのでした。開花の時期が復活祭[パク]と重なるからです。そんな由来があったからこそ、リエージュとその在では、初聖体の日を迎え、白の晴着で野道を行く少女たちに、「パケット」と呼(end56)びかける習慣が残っているのです。
 ほどなくして、日差しも暖かさを増してくると、黄金色の花芯を囲む花びらが、どれも薔薇色に染まっていきます。この微笑ましい色の変化から方々で伝説が生まれました。聖母マリア様がヒナギクを御覧になり、にっこり微笑まれたので、ヒナギクは嬉しさのあまり赤面した、というのです。フランドルの人がヒナギクのことを聖母の愛し子と呼ぶ所以です。
 ラテン語は花に植物学上の名をつける学術語ですが、その謹厳なラテン語も相手の可憐さに心を動かされたのでしょう、ヒナギクにこう呼びかけました。「ベッリス・ペレンニス」。永遠の美女、という意味になります。イギリスの人々はさらに愛情のこもった名前を思いつきました。デージーの語源は日と眼を意味する二つの単語ですから、これを訳せば「日の眼」となります。メアリー・ウェッブが花に語りかけた詩の中で「睫毛が長い日の眼」と歌っているのも、この語源を踏まえてのことです。ドイツに行くと、草原に散らばる、白い小さな群れのようなその姿から、ヒナギクは「鵞鳥の花」と呼ばれますが、これも言い得て妙ですね。それに、ヒナギクと同系統のフランスギクに目を向けて、そのギリシア語起源にさかのぼれば、ドイツ語の呼び名は正しいことがわかります。学名に含まれる「レウカンテムム」の一語は、端折って言えば「白いもの」を意味す(end57)るのですから。
 (マリ・ゲヴェルス/宮林寛訳『フランドルの四季暦』(河出書房新社、二〇一五年)、56~58; 「三月、そして春分」)

 
 ついでにとうじのこちらの評文もあったのでこれも引いておく。この本を読んだのは二〇一七年の九月二八日から一〇月五日のあいだらしい。

 マリ・ゲヴェルス/宮林寛訳『フランドルの四季暦』。明晰さと細やかさを併せ持った観察力による、緻密な自然描写に溢れた宝箱のような散文作品。季節とともに変容していく外界の差異=ニュアンスを、計測装置のような精密さでその隅々まで余さず感得しては、瑞々しいイメージの数々で豊穣に飾り立てずにはいられない幻視家の精神がここにある。

 様々な事物や現象の特質に対する書き手の敏感さは、ほとんどどの頁にも発露されていると言って良いくらいだと思うが、「ぬかるみには数えきれないほどの種類があります」(59頁)と述べられるのには、とりわけ目を惹かれる。大方の人間にとってぬかるみとは、水分を含んでどろどろとした軟質に特徴づけられる単なる土の一形態であり、そのうちにさらに複数の「種類」を見分けようとする者は、ほとんどいないだろうと推測されるからである。ここでは道路のぬかるみ、畑のぬかるみ、そして畑に通じる道にできるぬかるみと、三種類が紹介されるのだが、一番多く言葉を費やされ、個人的にも最も魅力的に描かれていると感じるのは最後のもので、「これこそ春のぬかるみ」だと言われるそれは、「滑らかで、美しい艶のある赤褐色のクリーム」と喩えられ、「写本の彩色文字を思わせる水たまりに囲まれ」、「なかなかに豪華な」ものだと評価されている。
 その次の断章では、「十七の娘」である「あなた」に語りかける二人称の形で、ぬかるみのなかを歩く時の感覚が記述される。ぬかるみに踏み入ってから水が靴に滲み込んでいき、ついには両足とも沈みきってしまうまでの過程が、諸々の段階に区分されて綿密に描出されるのだが、瞬間から瞬間へと次々に変容していく土/水と足/靴の状況を実に丹念に追って行く書き手の観察力は、例えばぬかるみが「縁を越えて」木靴に滲み込んでくる時の方向を、「踵の側から」とわざわざ指定してみせる細かな目配りを忘れない。ここには、上の「分類」とは異なって通時的な「分割」の形ではあるが、やはり物事のニュアンスに対する鋭敏な感受力が見て取られるだろう。差異への敏感さとはすなわち、分節への情熱のことである。


 (……)くんが帰ってきたときはライブあとの熱がのこっていたようでめずらしく目がギラギラしているような感じで、テンションがやや高かった。前日から豊洲のホテルにはいっていたようだ。こちらは一〇時台後半だったか一一時ごろだったかわすれたが、そのへんの電車で帰ることに。(……)くんに録ったボーカル音源を聞いてもらうと、「美声だな」と評された。カラオケでよく歌ったあとだったので、わりとふくよかにはなったようだ。帰路のことは特段ないので割愛しよう。


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  • 日記読み: 2021/8/14, Sat. / 2014/1/30, Thu.

麻婆豆腐をこしらえているあいだ、いっしょに台所にいる母親は、山梨に行っている父親について、あんなに蜂の箱をたくさんつくらなくてもいいのに、ひとつかふたつくらいだったらいいけど、できなくなったらどうするんだろ、蜂箱をもってきたひとをうらむよ、わるいけど、もうはたらかないのかなあ、七〇くらいからやるんだったらまだいいかもしれないけど、まだなんでもできるんだからさあ、という調子で、まさしく繰り言というにふさわしいいつもの愚痴を垂れていた。ほぼ毎日、このおなじ内容の愚痴を口に出しているとおもう。それを耳にするこちらはずっと黙っているだけだが内心ではけっこう苛立っていて、いい加減に黙れと怒鳴りたい欲求をかんじるくらいには苛立ちをおぼえながらも、麻婆豆腐の下ごしらえとして豆腐をゆでたり、左右に開脚して脚の筋を伸ばしたりしてやりすごしていた。母親はガスコンロのひとつでゴーヤのワタをつかったお好み焼きみたいな料理をまた焼いていたのだが、トイレに行くからちょっと見ててといって彼女がその場をはなれたときは、これで鬱陶しいことばを聞かなくてすむと安堵し、助かった、とほっとしたものだ。じっさいそこで一区切りついて、そのあと帰ってきても母親はもう愚痴を吐くことはなかったのでありがたかった。なぜじぶんがここまで母親の愚痴に苛立つのかというのはかならずしも詳細に明確ではないのだけれど、ひとつにはその純粋な反復性があることはまちがいがない。ほんとうに、毎回毎回おなじことば、おなじ内容なのだ。じぶんにあてられたものではないにしても、そういうかたちで日常的に文句を聞かされていれば、それはストレスになる。もうひとつにはその不毛さにたいする軽蔑という情もあるだろうし、あとは父親の自由とか意思とかたのしみとかをおもんぱかって尊重してやれないその態度に狭量さを見て苛立つということもあるだろう。この最後の点は父親個人の気持ちなどをかんがえて味方をしているというよりは、ひとにたいするより一般的な振舞い方の方針にかかわるものだとおもわれ、つまりそういうふうに個人の自由を尊重せずに横からぐちぐち文句を言うような態度一般が気に食わない、ということだとおもう。だからそれはいわば道徳的な問題でもあり、政治的・イデオロギー的な問題でもある。ただ母親の立場からしてみれば、勝手にいろいろやられても、年をとってそれができなくなったり父親が先に死んだりしたあとに(父親のほうがじぶんより先に死ぬということをなぜか母親はわりと確信しているように見えるのだが)、けっきょくじぶんが後処理をしなければならなくなる、というあたまがあるのだとおもう。ツケがじぶんにまわってくる、と。母親はここ数年来、そういうかんがえに取り憑かれていて、死ぬまえにできるだけかたづけをしておかないとあとにのこされたものがたいへんだということばを非常にしばしば口にしている。それはひとつにはうえのように父親にまつわってじぶんが負わなければならなくなる後処理をみこんでいるのだろうけれど、それだけではなく、母親はわれわれがいま住んでいるこの家についてもおなじことを言って、もっとかたづけたいけどなかなかかたづけられないとたびたび表明しているから、じぶんが負うわけではない後処理についてもそのなかにふくまれているようだ。それはおそらくあとにのこされるだろう子であるこちらや兄に面倒をのこしたくないという殊勝なおもいもいくらか寄与しているのかもしれないが、なんとなくそれだけではないようなかんじもあって、なんというか母親にとっては、生前整理をしないということ、かたづけをしないまま逝ってあとにしごとがのこされるということそれじたいが、あとに誰が処理をするかとか子どもがたいへんだとかいうこととはなかば分離したかたちで、それそのものとして避けるべきこととしてオブセッションと化している、というような印象も受ける。

しかし、こちらとしては、年を取ってできなくなったらどうするんだろ、という母親の疑問にたいしては、それ言ったらそもそもなにもできなくなるじゃん、というごく素朴な反問を単純におぼえてしまうのだが。ここにある母親の思考構造は、いずれ死ぬのだからなにをやっても無意味であるというニヒリズムのそれと共通している。内実はまったくおなじなわけではなくて多少差があるが、未来を先取りしてそれをもとに現在の事象を否定的に解釈するといういわば自己去勢の構造じたいはおなじものだろう。

     *

プルーストは413からいま456まで。「スワンの恋」のつづき。フォルシュヴィル伯爵も出てきて、スワンもヴェルデュラン夫妻から煙たがられるようになり、いよいよそろそろオデットとの関係に苦しみはじめるところだ。ヴェルデュラン夫妻とそのサロンにあつまる連中というのは、スワンが行き慣れていた貴族などがあつまる上流社交界の趣味や価値観からすると(スワンじしんはそこに慣れ親しんだことともちまえの皮肉ぶりでその上流社交界じたいも本質的にはたいしたものではないといくらか軽侮の念をもっているのだが)一段もしくは数段下がるというか、やや卑俗に映るような振舞いとか価値観の持ち主たちで、だから医師コタールがくだらない冗談を吐きまくってみんなが笑っているなかでスワンひとりはそれに乗れずお愛想としてのほほえみを漏らすほかないし、大学教授ブリショの軍隊式口調をまじえた長広舌は衒学的で粗野だとかんじられるし、ヴェルデュラン夫人をはじめとしてひとびとがじぶんより上層の公爵夫人などを「やりきれない連中」とけなし、まだあんなひとたちのところに行ってはなしあいてをしてあげるひとがいるなんて信じられない、などとこきおろすときにも、スワンはじっさいにその公爵夫人(というかレ・ローム大公夫人で、これは要するにのちのゲルマント公爵夫人である)と親しい知り合いなので、あの方は聡明で魅力のある方ですよと擁護せざるをえず、ヴェルデュラン夫人をカンカンに怒らせ、一座をしらけさせてしまう。そういう、ひとびとのスノッブぶりとか虚栄心とか、スワンの繊細さとか、それがどう受け止められるかとかのようすはおもしろく、また、読みながら、ああ……そうね……なるほど……みたいなかんじにならないでもない。そういうエレガントで理知的なスワンがオデットに恋したばかりに(その恋情もボッティチェルリの作品を重要な要素として介しているという点でだいぶ特殊なようにおもわれるが)つまらん連中の卑俗なサロンに出入りしなければならず、それどころか出入りすることに幸福をかんじていたりとか、オデットをいわば「啓蒙」するのではなく彼女の趣味にあわせて俗っぽい芝居を見に行ったりすることにやはり幸福をおぼえたりとか、まさしく恋に狂ったような心情におちいったりとか、そのいっぽうでじぶんのこころを冷静に分析するところもあったりとか、しかしそれは部分的なものにとどまって醒めるにはいたらなかったりむしろ恋情をうしないたくがないために都合の良い理屈をでっちあげたりとか、そういった恋愛者の心理や行動の解剖はまあやはりおもしろい。結末を先取りしてしまうと、たしかこの部のさいごでスワンは最終的にオデットとの関係に苦しめられることもなくなり悟ったような心境にいたって、「あんなつまらない女にこんなにのめりこむなんて、まったく俺も馬鹿な時間のつかいかたをしたもんだ!」みたいなことを吐いていた記憶があるが(そう言いながらもスワンはけっきょくオデットと結婚するわけだが)。

あと、プルーストは一般的・理論的(やはりあくまで文学者としてのそれなので、似非理論的とでもいうようなかんじだが)な考察とか説明をしたあとに、それは~~とおなじことである、あたかも~~のようなものである、とかいって、比喩をつけたして説明のたすけにすることがおおいのだけれど、そこで提示される比喩イメージはふつうの作家とくらべると相当に具体的というか微に入るようなもので、その記述がそれじたいかなりながくて何行にも渡ったりすることがままあるので、それ比喩として適切なのか? 説明としてむしろわかりにくくなってないか? とつっこんでしまうところがあっておもしろい。ただ彼は書簡のなかで、「個別的なものの頂点においてこそ普遍的なものが花開く」ということばを書いているので(正確な典拠は省くが、これはロラン・バルトコレージュ・ド・フランス講義録の三冊目、『小説の準備』のなかに引いていた)、その言にしたがったプルーストらしい作法だといえるのかもしれないが。

プルーストは368から370あたりにかけてオデットの自宅が描写されているのだが、そこには日本や中国や東洋の文物がふんだんに散りばめられている。まずもって家のまえの庭には菊が生えているし、サロンにも「当時としてはまだめずらしかった大輪の菊の花」がならべられてある。サロンにむかうまでにとおる階段通路の左右には「東邦の織物や、トルコの数珠や、絹の細紐でつるした日本の大きな提灯」がさがっているし、サロン内のようすにもどると、「支那のかざり鉢に植えた大きな棕櫚とか、写真やリボンかざりや扇などを貼りつけた屛風」もあり、まねきいれたスワンにオデットが提供するのは「日本絹のクッション」だし、果ては「部屋係の従僕が、ほとんどすべて支那の陶器にはめこんだランプをつぎつぎに数多くはこんできて」、室内をいろどりだす。「当時としてはまだめずらしかった」とプルーストじしんもしるしているように(この時点の時代設定はたぶん一八八〇年代後半から一八九〇年あたりが主となっているとおもうのだが)、そのころフランスにおいて日本趣味の流行があったらしく、たぶん当時のこういう「シック」な連中(もしくは「シック」を気取りたい連中)は東洋的文物を積極的にとりいれて宅に配置したのだろう。そのあたりのいわゆるジャポニスムにも興味が惹かれるが、それはプルーストの小説への興味というより、もっと一般的なフランスの文化史や社会風俗にかんしての興味である。ところでこのさいしょのオデット訪問のさいにスワンはシガレット・ケースをわすれてしまい、帰ってまもなくオデットからそれを知らせる手紙が来るのだけれど、(この訪問を描くながい一段落のしめくくりとして)そこに記されているのは、「どうしてあなたのお心もこれといっしょにお忘れにならなかったのでしょうね。お心ならば、こうしてお返しすることはなかったでしょうに。」(372)という文句で、これを読んだときに、まるで平安朝の和歌のような口ぶりではないか? じっさい、なにか有名な和歌でこんな内容のものがなかったか? とおもったのだった。日本の和歌俳句も一九世紀末かすくなくとも二〇世紀初頭にはたぶんフランスにすでにはいっていたとおもうのだけれど(たしかフランス人と結婚したかでむこうにわたって和歌アンソロジーみたいなものをつくった日本人女性がいたような記憶があり、これもロラン・バルトの『小説の準備』のなかで読んだ情報である)、プルーストがそこまで読んでいたかというとさすがにそこまでは読んでいなかったのではないか。だからおそらく、日本趣味にあふれた邸内のようすを記述する段落を閉じるこの一節が(こちらの印象では)和歌っぽいとして、それは偶然だとおもうのだが。

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新聞。国際面。タリバンはひきつづき攻勢をつよめて各地を奪取しており、夕刊では全三四州のうち一七州都をとったとあった。米国には、アフガニスタン政府軍がここまで対応できないとはおもわなかった、という誤算があるらしい。兵力じたいは政府軍が三〇万でタリバンが一〇万ほどだからふつうに政府軍が勝てそうなものだが、駐留米軍トップが、特殊訓練を受けた七万五〇〇〇の精鋭を要衝にわりふって拠点をまもるべきであるとアドバイスしたのをガニ大統領がきかず、あさくひろく各地に散らばらせて展開する方針をとった結果、各地でタリバンから奇襲を受けたりしてまともにたたかわないままに敗走を喫することがおおい現状らしい。カブールはいちおうまだいますぐどうという状況ではないという声があるようだが、じっさいのところ、カブールが落ちる落ちない、タリバンが政権を奪取するしないにかかわらず、現時点までですでに、政治的影響力とかたたかいでえられるものとかの観点からしタリバンの勝利でアフガニスタンおよび米国側の敗北と評価して良いことは新聞を読んでいるだけの素人の目からしてもあきらかではないか? ホワイトハウスにも、危機感とあきらめのいりまじった雰囲気がただよっている、と記事にはしるされてあった。二〇〇一年以来の二〇年を経て米国とアフガニスタンがえた結果がこれなのだ。米国がアフガニスタンにもたらした結果、と言っても良いはず。

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アイロンかけをしていたときに南窓のむこうに見えた空は端的な白一色のむらのない塗りつぶしで、きのうおとといは灰色がいくらかひきちぎったフェルトみたいにひっかかっていたのだけれど、雨降りのきょうはすべて一色でおおわれているために個別の雲すら存在しない白だった。山はその空に上方をやや侵食されている。このときだったかテレビのニュースでは各地で大雨のために道路が冠水したり川が激しくなったりしているという報がつたえられ、岐阜県飛騨川と長野県南木曽(「なぎそ」と読むことをはじめて知った)の木曽川と、あと佐賀県武雄市江の川というのがあげられていたとおもったが、記憶に自信がなかったのでいま検索したら江の川は佐賀ではなくて島根県だった。佐賀県武雄市が映ったのもまちがいはない。ところで江の川というのは「えのかわ」と読むのだろうとおもったところが「ごうのがわ」という読みで、「江の川」という文字が画面に何個か映りながらもアナウンサーが「ごうのがわ」と発音するのでその文字と声のあいだに連関をつけられず、ごうのがわってのはどういう字なんだ? どこに書いてあるんだ? とすこしのあいだ目を走らせてさがしてしまう、ということが起こった。

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風呂で止まって安らいでいるときになんとなくおもったというかおもいだしたのだけれど、こちらがパニック障害になって瞑想を知ったころ(パニック障害のさいしょの発作にみまわれたのは大学二年当時の秋だから二〇〇九年の、たぶん一〇月だった気がするのだが(まだ大学祭をむかえてはいなかったはずで、大学祭はたしか一一月のさいしょにあったとおもうので)、その後たぶん二〇一〇年中には瞑想をすこしばかりやるようになっていたはず――復学して大学三年生になった二〇一一年に、英文を輪読する(……)さんの授業でいっしょになった(……)なんとかいうスペインかどこかのハーフのすらっと背の高くて顔立ちも西洋人寄りだった女性がいて(たしかサルサダンスだかフラメンコだかを熱心にやっているというはなしだった)、そのひとにパニック障害のことをはなしたときに、瞑想とかやってみたらとかえされて、瞑想はときどきやってんだわ、とこたえた記憶があるので、二〇一一年中にやっていたのはまちがいない)、「マインドフルネス」ということばは、だいたい「マインドフルネス心理療法」というかたちで、あくまで精神医学方面の治療法のひとつとして提示されることがもっぱらだったな、と。だからあまり一般には知られていなかったはず。じぶんはたぶん休学中の二〇一〇年のあいだだったかとおもうが、図書館で関連書をひとつふたつ借りて読んだようなおぼえもある(とはいえいっぽうで、Steve Jobsがそういう瞑想を習慣にとりいれているというはなしもすでにそこそこ流通していたような気もするが)。そこから一〇年でずいぶん人口に膾炙してたんなるリフレッシュ法とかストレス低減のセラピー的なものとして大衆化したなあとおもったのだった。

そういうことをかんがえたときにはまだRonald Purser, "The mindfulness conspiracy"(2019/6/14)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2019/jun/14/the-mindfulness-conspiracy-capitalist-spirituality
をひらいてはおらず、ウェブ記事のURLをメモしてあるノートのなかでつぎに読むあたりの記事のなかに偶然これがあって読むことにしたのだが、まさしくうえでいったマインドフルネスの大衆化・商品化が、指導者や推進者の意図はどうあれ資本主義システムと結果的に共謀することになってしまっている、という論旨の記事で、いわく、マインドフルネスがおしえる現在の瞬間を無判断的に観察してあるがままにしておくという技法や、個人の不幸や苦しみは最終的にはそのひとのこころのなかの迷妄とかに帰せられるものでそこを解決すれば幸福になれるとかいう言い分とかは、すべての問題を内面性に還元してしまうもので(非常にひらたくいえば、すべてが「心の持ちよう」の問題になってしまうということだろう)、(仏教の知恵が本来もっていたはずの道徳的・倫理的側面を欠いており)個人の苦しみを生み出している外的な諸要因、つまるところ社会構造とそのなかでの権力の布置・配分・占有とかへの批判的視点を涵養しない、したがって根本的な問題の解決や解消や変革へと個々人を導くことがないまま、中途半端に現状に満足してストレス低減策になぐさめられながらそこそこうまくやっていく主体、いわばmindful capitalistを生産するばかりである、みたいなはなしで、なんかめちゃくちゃオーソドックスな左派的もしくはマルクス主義的論説だなという印象をえたのだけれど、たぶん西洋社会でのこの方面にかんする実態をわりとただしく記述しているんじゃないか、という気はした。まだとちゅうまでしか読んでいないが。そもそも、TIMES誌が特集したマインドフルネス特集のときの記事の一文句として、〈“The ability to focus for a few minutes on a single raisin isn’t silly if the skills it requires are the keys to surviving and succeeding in the 21st century,” the author explained.〉と引かれたりしているのだけれど、survivingはともかくとしてもsucceeding in the 21st centuryってなんやねん、マインドフルネスがそこから出てきた仏教のおしえやブッダはそんなことちっともかんがえていないどころかそういう発想からひとを自由にするということをこそ実践していたのではないのか、とおもった。それはともかくとしても、Jon Kabbat Zinというひとが西欧におけるいってみれば近代的もしくは現代的マインドフルネスの方法論の創始者とみなされているらしいのだけれど、いまマインドフルネスを実践しているひとびとのなかにはたとえば企業の幹部連とか役職者とかもけっこうおおいようで(Steve Jobsもやっていたわけだし)、彼らにマインドフルネスを指導しても、彼らの会社が従業員たちにどういう負担を強いているかとか、システム的にどういった問題があるかとかそういう方面には目をひらかせることにはならず(そういう方向に観察と反省をめぐらせるような指導のしかたはせず)、ただじぶんがバリバリはたらくにあたっての負担やストレスを緩和してより強力な企業活動を推進していくための単なる一ツールになってしまっている、というわけで、それはたぶんわりとそうなのだろう。それは幹部連まで行かずともふつうの労働者についても言えることで、現状を(根本的に)改善しないままそれなりに乗り切るための手助けにしかなっていないというわけだが(こちらじしんも、バリバリはたらかずにだらだら生きている人種ではあるけれど、日々をすこしばかり楽にするツールとして瞑想をつかっている側面があるのは否定できないところだ)、こういう分析はアドルノがジャズについてしていたものとたぶんだいたいおなじなのだとおもう。アドルノじしんの文章を読んだことがないし聞きかじりでしかないからよく知らないのだけれど、アドルノはジャズについて、労働者たちを踊らせることでつかの間慰撫してフォーディズム的生産体制のなかによりうまく適合させるための低俗な音楽でしかない、みたいなことを言っているらしく、踊るとか言っているのだとしたらアドルノがジャズとしていっているのはたぶんスウィングあたりのジャズのことのはずで、せいぜいビバップのはじまりくらいで、ハードバップまではたぶんふくんでいなかったのではないかとおもうのだが。だから時代的にいうとおそらくせいぜい一九四〇年代前半くらいまでのもので、一九五〇年以降のジャズはふくまれていないのではないかとおもうのだが。

個人的には、物事にたいして判断や評価をしないというのは、あるとしてもつかの間のことにすぎず、そのように生きていくのは最終的には人間には不可能だとおもうし、マインドフルネスというか瞑想的方法論において身につくのはたんなる相対化・対象化の姿勢、つまりじぶんのこの考えや認識は事実ではなくて判断である、とか、判断が判断である、感情が感情である、思考が思考である、ということをより明確に認識できるようになる、というくらいのことではないかとおもう。相対化というのは、確実なものはなにもないという全的ニヒリズムとしばしば同一視されるいわゆる相対主義や、相対化・対象化したその物事を否定するということとおなじではなく、ただそれが絶対なわけではないということを知る、というだけのことにすぎない。だからいってみれば、思考や認識にワンクッション分だけバッファーを置く、というくらいのことでしかないはず。それによって結果的により良い、より精錬された判断をできる、かもしれない、というのが、仏教の教義としてはそういうことは言っていないかもしれないが、マインドフルネスなるものの実際的効用(もしそれがあるとすれば)ではないかとおもうのだが(あとは、瞑想をしているとなぜかわからないがからだの感覚がまとまって心身がおちつき楽になるという、作用機序がよくわからない生理学的効果があって、それがまさしくストレス低減策・リフレッシュ法ということだろう)。あと、こちらの体感では、瞑想習慣をおこなうことで観察力がやしなわれるのはじぶんの内面にたいしてばかりではなくて、外界の物事にたいしてもひとしく観察力がみがかれるはずだとおもうし、その点についてはむしろより積極的に、そうでなければならないとおもうのだが。

それにしても、GuardianのこのThe long readのシリーズってじっさいけっこうながくて読むのもわりとたいへんなのだけれど、テーマは多様でおもしろそうなものがおおいし、思想方面もカバーしているし、これだけの量と質をもった記事を(Audio版をのぞいて)一週間に二つくらいはコンスタントにアップしているのだから、Guardianってマジでやばいメディアだな、と、マジで世界でいちばんすごいメディアだなとおもう。さいきんのを見てみても、Paul Gilroyについて詳細に紹介した記事とか、いまだに武装闘争をつづけているアイルランド共和軍の残党についてとか、中国がビデオゲーム界隈にどういう監視の手をひろげつつあるかとか、イラク戦争にまつわる米国の神話とか、英国のインド統治についてアマルティア・センがかたっているらしき記事とか、ポーランドハンガリーが近年なんであんなに反動的になっているのかとか、そういう話題が見られる。

     *

418: 「あることがほんとうだからというのではなく、口にするのがたのしく、また自分でしゃべっていながら、その声がどこか自分以外からくるようにきこえるので、自分のいっている内容がはっきりつかめなくても、それを口にしていると、おのずから感じられるあの軽い感動(……)」

2022/8/13, Sat.

 (……)タイプライターの前で好きにさせてもらえたら、わたしは危険極まりない人間なのだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、55; W・L・ガーナーとロイド・アルポー宛、1960年12月後半)




 れいによって寝床で休んでいるうちにいつの間にか意識を落としており、いちど覚めたのが五時一五分ごろだった。エアコンは切ってあったので肌寒さは感じない。扉のほうの天井にある電灯とデスクライトをつけたままだったので、それらを消すために立ち上がるとからだがわずかに重ったが、スイッチを押してもどってくると就寝。そのあと二回目覚め、最終的に七時五〇分ごろに覚醒をさだめた。ニュースをみることをついわすれてしまうので世相にも天候のうごきにも疎いのだが、台風が接近しているとかで昨晩から雨風がつよまっている。おとといの夕方から雲が湧いて風がびゅんびゅん吹いていたのはそういうことだったのだ。鼻から呼吸しながら腹を揉んだり胸や腰や腕や額をさすったりする。床をいちどはなれたのは八時一七分。カーテンをひらいて雨の日の濡れたあかるみを部屋にとりこむが、はやくも電灯をつけなければならないくらいに室内は薄暗い。洗面所に行って顔を洗い、用を足し、水を飲み、蒸しタオルを額と目のうえに乗せる。Gmailをみると零時四〇分ごろに(……)くんからメールがとどいていたので、携帯のほうで返信しておいた。きょうはかれと、またイギリスに行っていた(……)くんと会うことになっている。後者と会うのはたぶん三年ぶりくらいか? かれがロンドンにわたるまえにも三人で会ったおぼえがあるが、それはたしかこちらが鬱的様態で一年間死んだあと復活してまもなくのころだった気がするので。二〇一九年の三月か四月ごろではなかったか。(……)の高架歩廊とちゅうにあるエクセルシオールにはいっていろいろはなしたが、そのとき(……)くんは秦郁彦従軍慰安婦についての本を読んでいると言って持っていたおぼえがある。新潮選書かなにかだった気がする。(……)くんとはたまに通話していたが、じっさいに顔を合わせるのはやはりそのときいらいだろう。きょうの会合のばしょは(……)で、はじめて行くので案内をたのむと送っておいた。
 寝床にもどってChromebookを持ち、しばらくウェブをてきとうにみると日記の読みかえしへ。きのうサボったので一年前の八月一二日から。冒頭、「(……)きょうは天気は曇りもしくは雨。きのうの夕刊を見たところでは、一週間ずっと雨がちな天気がつづくらしい。それで陽の色もないしこの昼は比較的涼しくて、水場に行ってきてから瞑想をやっても暖気は寄せず、汗もあきらかには湧かない。そのわりに窓外のセミの声はきのうまでよりかえって厚くなったような印象で、盛りをこえつつ一時もちなおしたというところなのか、永遠に発泡しつづける炭酸水のように音響がシューシューさわいでいるなかでミンミンゼミが鈍く、低調なような重さをもってあさくうねる」という天気や風物の記述があって、ここを読んだだけでやはりちょっと満足感をえてしまって、じぶんでまいにちおなじようなことばかり書いた描写をまいにちじぶんで読みかえしては飽きもせずたのしみをおぼえたりいいなとおもったりしているわけだから、すさまじい自己完結ぶりだなとおもった。世相については、「きのうのテレビのニュースですでに知っていたが、一面には全国の感染者数が過去最多とかつたえられており、東京も一時二〇〇〇人台まで落ちていたはずだが一日の新規感染者が四〇〇〇人台にまであがっているし、しょうがねえ、念を入れて(……)との会合はとりやめにするかとおもい、あとでその旨おくっておいた」とある。ところがいまはいちにちの東京の新規感染者が三万人を超えているレベルなのに、これから三日間連続で会合に出かけようとしている。ほか、井上究一郎プルースト一巻の感想とか引用とか。一二日からは以下のふたつの引用が目にとまった。

307~308: 「むろん、自然のそんな一角、庭園のそんな片すみは、ささやかなあの通行人、夢みていたあの少年によって――国王が群衆にまぎれこんだ記録作者によってのように――じっと長くながめられていたとき、自分たちがその少年のおかげで、この上もなくはかなく消えさる自分たちの特徴をいつまでもあとに残すようになろうとは、思いもよらなかったであろう、にもかかわらず、生垣に沿ってやがて野ばらにあとをゆずることになるさんざしのあの密集した(end307)花の匂、小道の砂利の上をふんでゆく反響のない足音、水草にあたる川水にむすぶかと見えてただちにくずれさる泡、私の高揚は、それらのものを、こんにちまでもちこたえ、それらのものにあのように多くの年月をつぎつぎに遍歴させることに成功したのであり、一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」

311: 「この二つの方向は、またそれらの印象に、ある魅力、私だけにしかないある意味をつけくわえている。夏の夕方、調和に満ちた空が、野獣のようにほえ、みんなが口々に雷雨に不平をこぼすとき、私だけが一人、ふりしきる雨の音を通して、目には見えずにいまもなお残っているリラの匂を嗅ぎながら恍惚としていられるのは、メゼグリーズのほうのおかげなのだ」

 前者は文学、もしくは書くことのみが過去をいまに(もしくはのちに)とどめ、永続させることができるのだという、『失われた時を求めて』の話者がもっているもっともおおきな認識をうかがわせる記述であり、「一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」が印象的だ。もちろん記録はそのものではなく、それどころかものですらないたんなる言語にすぎないが、しかしすべてが消え去っていくいっぽう、ひとつ書くことのみがそこからかろうじてなにがしかのものをすくいあげることができるということ、じぶんはやはりそれに惹きつけられてしまう。後者もおなじ系列の記述で、直接的には記録というよりは記憶の喚起にぞくすることがらだけれど、涙腺をちょっと刺激されるような感傷をかんじてしまった。過去はそれが過去であるというだけでうつくしく、時がながれることとおもいだすことのなかにはすでに感傷がふくまれている。やはり記録こそがじぶんのことだなとおもった。日々と生と世界をできるかぎり記録し、記録しつづけることだけが本質的にはじぶんの望みだと。なぜそうしたいのかはわからない。理由はない。強いていえば、すべてが消えてしまうからということしかおもいあたらない。すべてが消えてしまうにもかかわらずすべてを記録することなどできるわけがないのだから、そういう志向をもった記録は十全なものになることは決してできず、十分なものにいたることすらすくない。記述が生に追いつくことはないし、どれだけ十分に書けたとしてもそれが十全にいたることはないのだから、できるかぎりすべてを書きたいと望むものにとって記録が真に成功することはなく、それはあらかじめ失敗と挫折をさだめられている。実際上もさいきんは、内外のさまざまな事情によって、その全域を満足に記せたという一日はほぼない。主観的な満足にいたれれば御の字だが、そういう日はさいきんますますまれで、数少ない。決して成功することがなくつねに不十分だが、その失敗を失敗として日々につづけなければならないという点で、もしかしたらじぶんは、うまく書けることはほぼありえないし、まずくしか書けないのがほとんどいつものことで、そもそも書くことができないことすら多いが、書かなければならないというカフカとちかいところにいるのかもしれない。とはいえ、カフカは書かなければ生きている価値がない、生きることができないと書簡のなかで言っていたが、じぶんはそうはおもわない。こちらは、じぶんが書くことをやめるのはそうしようとおもえば可能だとおもっているし、書かなくてもふつうに生きていけるとおもっている(なにかべつのいとなみを見つけはするだろうが)。ところがじっさいには、さいきんはますます記録したいという欲求をかんじることが増えたような気がする。そとをあるいていてなにかが身にふれたり迫ったりしてくれば、このことをはやく書きたいというおもいがそこにつねに混ざってくる(時間が経ってわすれてしまい、けっきょく書けないこともおおいが)。昨年はこんなことをしていてもなににもならないし、いつやめたっていいのだとしばしばニヒルを気取っていたが、そんなことはもはやどうでもよい。それを前提として一周まわったような感じで、また記録したいというこころがつよくなってきた。とにかく書き、記したい。二〇一三年に読み書きをはじめてすこし経っていらいずっと、できるだけすべてを書きたいというその欲望に駆られてやってきたようなもので、むかしはそれがもっと排他的なかたちを取っていた。いまはちがい、寛容さをおぼえたり、身のほどを知ったり、べつに書かなくたっていいと言えるくらいになった。数年前のほうが切実で苛烈ではあっただろう。それでも記録をしたいというこころがうしなわれない。八年半ものあいだほぼまいにちずっとそうしてきたにもかかわらず、それでも欲望が尽きないというのは、冷静になってみるとじぶんのことながら、おどろくべきことではないかとおもった。ちょっとおかしいのではないかと。異常ではないとしても、すくなくとも異様ではある気がする。しかも、じぶんはまだぜんぜん行けるところまで行っていないという感覚もある。書けることをまだぜんぜん十分に書いていないと。
 その後二〇一四年と、去年の八月一三日も読んだ。プルーストの感想がながく、そこそこおもしろい。寝床を立ったのは一〇時すぎ。瞑想はサボった。あとでやる気になったらやればいいやと。水をまた一杯飲んで食事へ。床においてある水切りケースのなかからまな板や包丁や皿をとりだし、あいかわらず洗濯機のうえにまな板を置いて野菜を切る。キャベツの葉をちょっとずつ剝がしてまとめ、左手でおさえてザクザク細切りにしていく。しずかである(というフレーズを書くと、というかあたまのなかに浮かべるといつも、岩田宏が「独裁」のさいごのほうの連のはじまりをその一行にしていたことをおもいだす)。さきほどまではっきり聞こえていた雨音がいまはなく、風のうごきもかんじられず天気は一時よわまったようで、おなじ建物に住んでいるひとびとの気配もどこからもつたわってこず、うつむいた首のうしろ、頭上から降る電灯の暖色のなかで白いまな板のうえにちいさな包丁の影がほそく乗り、それがうごいて野菜を刻む音ばかり立つけれど、それでも物干し棒に雨がふれるのかそれとも柵にしずくが落ちるのか、窓のほうからときおりカンとひそやかに鳴るものがないではない。キャベツのつぎに半分に切ってラップにつつんでおいたセロリを出して、軸のほうをザクザク切った。包丁を入れるさいに、ゼンマイを一瞬だけうごかすような切断音が立つ。葉っぱのほうはいいかとまだつつんでおくことにして冷蔵庫にもどすが、このセロリは昨晩スーパーで半額になっていたのをやったぜとよろこんで二袋も買ったもので、つまり四本あり、半額になっていたのだからはやくつかったほうがいいのだろうがまだ二本半のこっている。その他レタスをちぎり、トマトを乗せ、大根をスライスし、チョレギドレッシングをまわしかけ、ハムを二枚さいごに置いて大皿にサラダが完成。それにオールドファッションドーナツを食うことに。米や冷凍の肉類とかはまたのときに。去年の八月一三日のさいごにならべてあるプルーストの引用を読み切っていなかったので、ものを食べながら読んだ。プルーストはやっぱりおもしろいなとおもう。『失われた時を求めて』、また読みたいわ。こんどは岩波文庫で読むか。
 食後ははやばやときょうの記述にはいることができた。とはいえからだがととのいきっておらず方々かたいので、とちゅうで立って屈伸や背伸びをしたり、胸や腹を揉んだりする。皿も洗った。ペットボトルの水が尽きたため。浄水ポットからボトルに水をそそぎうつすのに流しをつかうので、そこがかたづいていないとやりづらいのだ。そうしてここまで記すともう一二時一二分。(……)くんの返信には、(……)には駅直結の(……)店があるのでとりあえずそこにはいろうとあった。よくかんがえたら一時すぎには出る必要があるので、そろそろ時間がない。


     *


 そうして身支度をした。服装はいつもの黒ズボンではなくてガンクラブチェックのものを履くことにして、うえはGLOBAL WORKのオレンジっぽい基調のカラフルなチェックシャツ。POLOのショルダーバッグに財布や携帯、イヤフォンに手帳のみ入れる。一時すぎに出発。台風が来るとかいうことなので傘を持った。道に出ればぱらぱらきていたのでひらいていく。ときおり風が盛って傘にけっこうな圧力をくわえてくる。しかし駅ちかくまで来るといつの間にかほぼ降りはやんでいたので閉ざして提げた。こちらを追い抜かしていくカップルはそろってまださしており、うしろからはからだのした半分ほどしかみえない。(……)駅に着いてはいるといつもとはちがう方向に行くので、通路をわたらずホームを踏むと右に折れ、まだ時間があったのでゆっくりあるいて屋根のないほうに向かった。白い曇天のもとに出るとホーム上には浅い水たまりがいくらかできており、空や電線を灰色にうつしこんだその薄鏡はいましずくに応じて波紋を生むのではなく、あたりをわたっていく風の余波を受けて、見分けづらいがどれもわずかに皺を寄せている。右手は駅前マンションの脇の通路、そのむこうに木陰があって、巨大な手のごとくぐわっとおおきくひろがって網をなしたこずえのした、幹の間近にまたひとつ水たまりがあり、そちらが映す空は白っぽいけれど同時に木の下だから暗色もそそがれ、断片化されて世界に飛び散った沼のひとかけらがそこにたまさかやどったかのようだった。
 来た(……)行きに乗車。いちばん端の扉脇で立ったまま手すりを持ってゆられる。イヤフォンをつけてFISHMANSをきいていた。乗客はすくなく、気はわりと楽である。(……)まで所要時間は三〇分ほどだが、すわらずにずっと立ち、おおかた目を閉じて音楽にこもりながら過ごした。緊張がないわけではないし、むしろある。着くと降車。駅からすぐの(……)ということで、すでにはいっているとメールが来ていたので向かう。家を出るまえにどちらがわだなというのを見てきたので、改札を抜けるとこっちだなとすすみ、高架歩廊に出て右方をみると通路のさきにそれらしき文字がみえたのであるいていき、段をちょっとのぼって入店した。はいってすぐの席だというのでのぞきこんでいると、手をあげてここだとしめすふたりが見つかったのでおお、と受けて入席。ふたりがけのテーブルをあいだにちょっとすきまをあけてならべた一区画で、コロナウイルス対策だろう、いまは三人いじょうを同卓にするのはできないらしい。こちらが座ったのは通路からみて奥、つまり窓側で、ひだりに(……)くん、その向かいに(……)くん、こちらの正面の椅子には(……)くんがバッグを置いていた。(……)などいままで来たことがあったか記憶にないが(こちらの行動範囲には店がなかったはず)、店内はぜんたいてきにまああかるめの木目調で、ひだりを向けば(……)くんのむこう、仕切りを越えてさきの天井には巨大な風鈴のような、ガラスだろうかそれぞれ黄や緑やらいろどられた電灯がいくつかならんで下がっており、そちらのほうにある空調も天井から低い木箱がちょっと突き出したような見た目になっていた。注文はこちらがアイスココア、(……)くんも同様で(……)くんはなんか小豆なんとかみたいなやつ。くわえてふたりはちいさなパンケーキを頼んでおり、こちらもさそわれて三人でわけようといわれたのだけれど、おれはいいとことわり、その後パニック障害が再発してそとでものを食うのが不安だということを説明した。
 なにはともあれ(……)くんと会うのがひさしぶりなのであいさつ。三年ぶりくらいか? と聞き、一九年じゃなかったかというと、たしかに一九年の四月だかわすれたがそのへんから行ったと。ロンドンだとおもっていたのだが、こちらの勘違いでロンドンはそれいぜんに行っており、そこから帰ってきたとおもったらこんどはマレーシアに行かされたのだった。これはまったくおぼえていなかった、かんぜんに勘違いしていた。(……)のエクセルシオールにはいってさ、通路のとちゅうにある、で、そのとき秦郁彦従軍慰安婦の本もってなかった? ときくと、そのときか、という。
 (……)
 (……)
 ほかは安倍晋三暗殺と山上徹也の件や、中国の台湾侵攻についてなどもはなしたが、それについては素人談義や床屋政談の域を出ず(といってぜんぶそうだが)、あまり書こうという気にもならないので省こうかな。四時だかそのくらいあたりからは(……)くんが飼っているカメやレオパードゲッコーについて語りつづける時間がながくつづいた。ただこれもこちらは先日通話したときにだいたい聞いたはなしなので、再筆するほどのことはないか。ひとつ、パシフィコ横浜でおこなわれた大型販売会みたいなイベントのはなしは初耳だった。レプタイルズなんとかみたいななまえらしいが、爬虫類と銘打ってはいてもほかにワシやフクロウも売っていたり、サソリとか毒蜘蛛とかも売っていたという。(……)くんが蜘蛛をみて、いやーこれはさすがにとかおもっていると、店員のひとが、目をギラギラさせながら、どうですか! かわいいでしょう! とかはなしかけてきて、(……)くんが、これって毒とかあるんですかとたずねたところ、もちろんです! とちからづよく返ったというので、そこは前提なんだなと笑った。あれサソリとか、もしなにかでケースがひっくりかえって逃げ出したらやばいよねと(……)くんがいうのに、そうしたらワシを出動させないとと(……)くんが応じたのにも笑った。
 こちらはアイスココアをたのんだわけだけれど、これはソフトクリームがうえに乗っている品で、まあふつうにうまいのだけれど、たぶん腹がかんぜんに空だったところに甘ったるいものを入れたためだろう、だんだん胃の調子がおかしくなってきて、れいの空気があがってくるような感じだけれど、それでけっこう苦しくて喋りづらく、黙っていた時間もあった。本屋と帰路でそれがよりひどくなったのだが、その件はのちほど。ひととおりはなして六時くらいにいたり、(……)くんがトイレに立ったあいだに夕飯はどうするかと出たのだが、こちらはそんな調子だしパニック障害で外食も不安なので、おれはきょうは帰ると言明した。それで(……)くんがもどってくるとそのことを伝え、この三人でまた読書会をはじめることになっていたので(毎月だとみな厳しそうだったので今回は二月に一回、次回あつまるのは一〇月一五日と決まった)、その課題書をどうするかとなった。そこでこちらも、はなしておいてくれと言ってトイレに立った。便所はなかなかきれいな室で、便意があるような気がしていたのでズボンとパンツを下ろして便器に座ったのだが、けっきょく通じず。そとだと緊張してなかなか出ないということもあるのかもしれない。胃の調子についても同様で、やはり人中に出るとそれだけでからだが対外モードになって構え、気が張るということが、じぶんで感じ取れなくてもあるのだろう。もどってくるとはなしをつづけ、(……)くんは仏教とか禅宗についてちょっと知りたいと言った。そいつはいいなと受ける。なんでかときいてみるとなんと言っていたか、やはりしごとで負担や心労もおおいからだろうか、悟りにちょっと興味があるとか言っていたような気がするが、おれもパニック障害でむかしから瞑想をやってて、と言ってそのへんをすこし説明した。瞑想には大別するとおそらく二種類あって、いっぽうは呼吸などに傾注する一点集中式のやりかた、もういっぽうはいわば拡散式のやりかたで、仏陀がやっていたといわれるヴィパッサナー瞑想は後者だとかんがえられ、マインドフルネスというのが流行っているけれどそれはもともと仏教の瞑想をアメリカのにんげんが取り入れて西洋式につくりかえ、大衆化したものなのだ、とか、瞑想っつってもただ座って目をつぶってこうやって(とじっさいに両手を腹のまえでゆるく組んで目を閉じてみせる)じっとしてるだけなんだけど、そうしてるとなんかからだがなめらかになってくるんだよね、とか、瞑想にもいろいろやりかたはあるけど、いまここっていうことをみんなかならずいう、いまこの瞬間に起こっていることを追いつづけるっていうことを、たとえばからだのあちこちに生まれる感覚とか、あとあたまのなかに浮かぶおもいとか、感情とか記憶とか、そういうものを観察しつづけるってことはだいたい共通しているはず、などということだ。(……)くんが、瞑想とか悟りっていうと、やっぱりなにもかんがえないみたいな、無心みたいなふうにおもっちゃうけど、とはさんできたので、それは誤解で、と受け、なにもかんがえないってのは無理だから、どんなかたちにせよ瞑想をちょっとやってみてだれもがまず気づくのは、にんげんはずーっとなんかかんがえてて、それをなくすのは無理ってことよ、と言った。すると(……)くんは、じゃあそれはもう、受け流すっていうか、とかえすのでそうだねと肯定し、ある坊さんが言ってたことらしいんだけど、わかりやすいイメージだなとおもったのがあって、思念とかおもいってのはたんなる分泌物だっていうんだよね、脳(だかこころだかわからないが)の分泌物で、要するに唾が出るのとおなじことだ、っていう、と言った。
 そんな感じで禅仏教が俎上にあがりつつ、こちらは、直近で気になったやつだったら、『資本主義だけ残った』っていうみすず書房の本がちょっと読みたいねと言った。これはこの前日に読んだ中島隆博らの鼎談でふれられていた本だが、みすず書房の人文系ということでとうぜんながらいぜんから書店の棚にその存在は認識して目にとめてもいた。ブランコ・ミラノヴィッチというひとの著作である。ただみすず書房は高いから、六〇〇〇円とかするはずだから、と言い、ともかくもちかくに(……)があるので行ってみようということになった。
 そうして精算して退店。台風が来ているというはなしで、たしかにたしょう雨風がつよまっていた。ふたりの先導にしたがって徒歩で移動。どこをどういうルートでとおったのかまったくわからないのだが、ビルのなかをとおりぬけもし、またたいして遠くはなかった。(……)は四階建て。二階が人文系とか文学とか専門書など。はいってあがるとすぐに文庫の棚があり、まずそのへんを見聞し、鈴木大拙のなまえを喫茶店にいるあいだに挙げていたので、岩波文庫とかちくま文庫とかからかれの著作を見つけてふたりにわたしたり。あと講談社学術文庫に『禅と日本文化』という本もあったはずで、柳田聖山とかいう著者だったかわすれたが、これは所持している。実家の部屋に積んであったかそれとも持ってきた文庫本のなかにふくめていたかわすれたが、それも喫茶店にいるあいだに名をあげていたのでさがしたけれど、棚にはみあたらなかった。かわりに、なんだっけ日本の民衆仏教みたいな、仏教が日本の民衆層においてどのように受容されどういうかたちで信仰されたり展開したりしてきたかみたいなそういう本も学術文庫にあり、さきに言ってしまうとこれとちくま文庫鈴木大拙『禅』が候補としてさいごに二択でのこったのだが、最終的に禅についての(……)くんの関心を優先して後者に決定された。こちらとしても関心はおおきいところだ。おれは『正法眼蔵』をいつか読もうとおもっている。
 文庫を見分しているふたりからはなれて海外文学はどこかなとさがしに行くと、すぐ裏の壁際にあったのだが、このへんをみるとさすがに(……)の(……)や(……)とはくらべるべくもない。そもそも明確な国別の表示すらされていなかったとおもうし。こうしてみると(……)はやはり圧倒的だし、(……)という街は本屋もそんなだし図書館も宝の山で、高架歩廊上でライブやったりもしているし、駅からそう遠くないホールにSam GendelとSam Wilkes呼んだりしているのだから(ceroもおなじイベントに出ていたらしいが)、相当レベルの高い文化都市だといってよいだろう。よい共同体とは本屋と図書館が充実している共同体である。図書館が貧弱かどうかでその土地の教育的・教養的風土が決まる。なにを措いても図書館は充実させなくてはならない。なによりも子どもたちが本を読んで学んだりたのしんだり世界を知ったりする可能性を確保し、高めるためにそうしなければならない。しかし現代の子どもたちはもう本などたいして読まない。
 そういうわけで単行本はそこまで充実していなかったのでたいして見るものもなかったのだが、フロアをわたって哲学のほうとかも行ってみると、ここではまなざしの変え方みたいな、タイトルをわすれたがそんなような河出書房新社の本が新刊として提示されていて、けっこうおもしろそうじゃんと手に取ってひらいてみると、コロナウイルス状況について述べた章もふくまれており、あまり詳しく読んでいないのだけれどこの著者のひとはコロナウイルス騒動のもろもろの点で違和感や不自然なところをおぼえたらしく、仮にだれかが「パンデミック」を人工的につくりだすとしたらどのようにやるか、どんなふうにそれが可能か、なにが必要か、といった思考実験をしているようだった。ともすれば陰謀論にかたむきかねない立場だがほんにんもそれは自覚して明言しており、しかしそれでもやはり疑念を殺すことはできないということで、この本を刊行したばあいのリスクとか評判とかも考慮に入れつつもじぶんの思考や疑問をおおやけに問うことを決断したと。ぜんぜんきちんと読んではいないのだけれど、本文にはたびたび註がつけられて情報の典拠が着実に示されていたようだし、河出書房新社という知名度と信頼度があると言ってよいだろう出版社がこれを出すことをゆるしているわけだし、たんなる陰謀論者の妄言とは一線を画した本として読んでみる価値はあるのかもしれないとおもった。コロナウイルスをはなれても、まなざしを変える、世界の見え方(もしくは見方)を変えるというテーマはおもしろそうだし。批評もふくめて芸術のひとつの効用や機能やばあいによっては目的はそういうことだろう。それは同時に教育の旨とすることだ。
 そしてこのへんから腹の調子がいっそうわるくなっていて、わりと吐きそうになっていた。なんかもう胃のあたりが微妙にうごめいてあがってくるような感じ。とはいえそこまでめちゃくちゃ苦しくもなく、表面上は平静を保っている。胃は空だったはずなので吐くといっても胃液くらいしかなく、だからそのくらいで済んだのかもしれないが、しかし反対に、なにもものを食っておらず空っぽだったのでそのように気持ち悪くなったという気もしないではない。いずれにしてもふたりのところにもどって鈴木大拙『禅』を決定し、(……)くんはここで購入することに。そのまえに吐きそうだしとりあえずトイレに行ってみるかとおもってトイレどこかなと探したところ、男子トイレは一階うえだったがコロナウイルス状況のためか(?)使用不可になっていた。それならしかたがないと払って階段をおり、マジでわりと吐きそうだったのでとにかくそとに出ようと退散して、建物のまえで息をついて(……)くんに、なんか気持ち悪くなってきてわりと吐きそう、と苦笑し、だいじょうぶかと来るのにわからん、とりあえず薬を飲むけどと言って財布から取ったロラゼパムを一錠腹に入れた。そうして購入をすませた(……)くんが来ると駅へ。来たときとぜんぜんちがうほうからもどった気がしてルートがやはりよくわからん。駅につくと(……)くんはひとりべつ路線なので別れ。なかにはいって(……)くんとも別方向なので別れ。(……)くんも、もう海外出向はないだろうって言ってて、まあ日本にいてまたすぐ会えるから、あっさり去っていったね、と笑っていた。こちらはわりと吐きそうというのが支配的で、喋りづらく、ふたりともあまりうまく快活に別れることができず。ともかくホームに降りていちばん端にすすみ、これから三〇分ほど電車に乗らなければならないわけかとおもうとそこそこの負担だが、しかしもうべつにだめだったら吐けばいいやとあきらめにいたっていたので、ヤクを追加したこともあり逡巡せずに来た電車に乗った。車両のいちばん端の角につく。先頭車両だからひとがすくないのが救いではあった。それで立ち、携帯でFISHMANSをながして耳をふさぎ、目を閉じて手すりをつかんだまま軽い呼吸に集中しつづけることでやり過ごしながら到着を待つ。だめだったら吐くつもりだが耐えられるだけは耐えてみようと。しかしパニック障害におちいって嘔吐恐怖がならいとなっていらい、じぶんがじっさいに嘔吐した機会というのはたぶん一回しかないのだよな。それも二〇一八年の一二月、当時北区に住んでいた兄夫婦の家から車で帰ってきたあとの自室でのことで、このときの気持ち悪さはたぶん飲みはじめたSSRIセルトラリンだったか?)の作用によるものだったのだとおもっている。出先でじっさいに吐いたことはたぶんいちどもないはず。酒を飲んだひとなどけっこう容易に道で吐いたりもしているのだろうし、じぶんは吐くことをむやみにおそれすぎているような気もする。吐くことそのものよりも、吐きそうな感じやからだの違和感や緊張が生じてそのなかで耐えつづけなければならないことが負担だ。かんたんに吐くことができればむしろ逆に楽なのかもしれない。それはともかくこのときは、後半でからだもちょっとしびれを生じてきたし、わりとやばいところまで行ったつもりなのだけれど、なんだかんだけっきょく耐えきってしまったのがなんというか生真面目さというか。(……)に到着し、ついに着いたかと安堵して目をあけて、よろけるようにしてそとに出ると階段にむかうひとびとのなかでひとりとどまってベンチについた。そこで息をつき、心身をおちつけながら携帯をみてみるとSMSが来ており、ひらけば兄からで、あした実家に行くけどそのとちゅうに母親も出てきてもらって(……)で飯でも食わないかとあった。ある意味ひじょうにタイムリーだが、きょう出かけてきたらまた帰りの電車内で吐きそうになったからもうあしたあさっては家にいるわと返信し、パニック障害が再発して嘔吐恐怖があるから外食もきびしいということも言っておいた。しかしこのときはもう家でおとなしくしていようとおもったのだけれど、けっきょく今回の吐き気というのは緊張や不安によるものというよりは、おそらく空腹とアイスココアの組み合わせのせいなので、そのあたり気をつければ問題はないわけである。それなのでこの翌日はけっきょく予定通り、(……)や(……)と会いに外出した。帰路やその後のことはわすれたが、帰って横になって身を休めているうちに意識をうしなっていたはずである。むかしからこういう感じの嘔吐感におそわれたあと、帰宅して横になっているとけっこうすぐにおさまって回復し、その後ふつうに飯を食ったりできることがおおい。それもよくわからん。


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  • 日記読み: 2021/8/12, Thu. / 2014/1/29, Wed. / 2021/8/13, Fri.


 2021/8/12, Thu.より。

(……)きょうは天気は曇りもしくは雨。きのうの夕刊を見たところでは、一週間ずっと雨がちな天気がつづくらしい。それで陽の色もないしこの昼は比較的涼しくて、水場に行ってきてから瞑想をやっても暖気は寄せず、汗もあきらかには湧かない。そのわりに窓外のセミの声はきのうまでよりかえって厚くなったような印象で、盛りをこえつつ一時もちなおしたというところなのか、永遠に発泡しつづける炭酸水のように音響がシューシューさわいでいるなかでミンミンゼミが鈍く、低調なような重さをもってあさくうねる。

食事はカレー。きのうのテレビのニュースですでに知っていたが、一面には全国の感染者数が過去最多とかつたえられており、東京も一時二〇〇〇人台まで落ちていたはずだが一日の新規感染者が四〇〇〇人台にまであがっているし、しょうがねえ、念を入れて(……)との会合はとりやめにするかとおもい、あとでその旨おくっておいた。まあ、潜伏期間とかPCR検査の用意とかをかんがえるとその日の感染者数が反映しているのはだいたい一週間くらいまえの人流とか動向ではないかと推測しており、きのう感染者がたくさん確認されたからといってかならずしもきょうそれに見合ってウイルスが爆発的に蔓延しているというわけではないとおもうが。ほか、タリバンが九つの州都を落としたというか制圧したという報。きのうは八つだった。八月六日にはじめて州都をとっていらいもう九つなわけで、じつにすばやい、破竹の快進撃といって良いのではないか。EUの関連高官によれば、タリバンはいまや全土の六五パーセントを支配しているとみられるという。カブールもとうぜん狙っている。首都が落ちたらマジでやばいとおもうが、とはいえ、仮に首都を落としてもタリバン中央政府として統治をおこなうような能力はないという声もあるようで、だから和平交渉で優位に立つために進撃をつづけているという予測がなされているようだ。そういう目論見はとうぜんあるだろう。取れるものを取れるだけ取っておけば、たとえば中央政府内にポストをもうけさせることもできるかもしれないし、イスラーム的政策をみとめさせることもできるかもしれないし、自治区的なかんじで国内に一部領土を掌握することもできるかもしれない。バイデンは米軍撤退をひるがえしはせず、決断を後悔してはいないと表明しつつ、国境外からの空爆や物資支援などはおこなうという当初の方針。カタールタリバンの交渉代表が常駐しているらしく、米国の高官もそこにむかい、またEU周辺諸国からもあつまっているようで、そこでタリバンがどうでるかがポイントだと。


     *


(……)プルースト。これも四時あたりまでけっこうつづけて、310からはじめていま350くらいまで行ったはず。第一部「コンブレー」を終えて第二部「スワンの恋」にはいったが、第一部を読みとおしてみると、たしかにこのパートってマジでコンブレーの記憶をひたすらかたりつらねただけだな、というかんじ。冒頭、夜中にめざめたときにさまざまな記憶がよみがえってくる、というとりかかりからはじまるわけだが(単にそのことを説明するだけでも一〇ページくらいかけていたはずだが)、第一部のさいごにいたっても、このようにしてわたしは真夜中に起きてしまったときにそれいじょう寝られず、朝がくるまでベッドのなかでコンブレーのあらゆることを回想するのだ、みたいなまとめかたがされていて、だからマジで、大枠のはなしとしては、不眠の夜にたびたび子供時代のことを回想している、というだけのはなしになっている(いちおう菩提樹の茶とマドレーヌの挿話もあって、そこは夜中ではないわけだが)。その記憶の内容がずーっとひたすら三〇〇ページくらい紹介されている、という趣向。「スワンの恋」はヴェルデュラン家のサロンの説明からはじまっていて、そうかここでヴェルデュランからはじまるのだったかとおもった。そこにいたオデットがスワンと知り合って、スワンをサロンにつれてきて、そこでヴァントゥイユのソナタを聞いたスワンがオデットと恋愛してそのソナタはふたりの恋のテーマ曲みたいなものになる、という展開だったと記憶しているが、いまちょうどピアニストがヴァントゥイユの曲を弾いてスワンがそれを聞いているあたりまできている。ヴェルデュラン家というのは貴族階級ではなくて旦那はなんだか知らないが夫人は金持ちのブルジョアの家の出身で、そういう階級の鼻持ちならない人間として上流層にたいするコンプレックスがあるからその反動で本場の一流の社交界のひとびとを「やりきれない連中」として軽蔑しており、通人を気取りながら一握りのえらばれた仲間たち(「信者」)から構成される小規模なグループ(「核」)でもって夜な夜なあつまってたのしくやっているというかんじで、彼らのやりとりの記述にかんじられるその閉鎖的ないかにも内輪ノリのスノッブな虚栄心みたいなものは滑稽でもあるし鼻持ちならないものでもあるのだけれど、しかし同時に、読んでいるとなにかほほえましいようなもの、ある種の罪のなさみたいなものもかんじてしまった。それはわりと偉そうな見方でもあるのだろうが。つまり、超然とした位置から彼らを無邪気な連中だなあと、子どもの遊びでもながめるかのように笑って見ている、というような。とはいえ彼らはむろん実在する人間たちではなく、所詮は単なることばでしかない。所詮は単なることばでしかない人間たちにたいしてどのような印象をいだくかということにおいて、所詮は単なることばでしかないその彼らにたいして、直接的な道徳上の責任はたぶんない。しかし、彼らへの直接的な道徳的責任はないとしても、そのほかの道徳的・倫理的側面がそこに存在しないわけではないはずで、たとえばじぶんじしんにたいする倫理性というものはふつうに存在しうるはず。つまるところ、彼らにたいしてどのような印象を持ち、どのようなことば(とりわけ形容詞)をさしむけるかによって浮き彫りにされるのは、彼らの特徴とか性質ではなくて(それは作品に記されてあることばそのものをひろいあげてつなげることでしか浮き彫りにされない)、読んでいるこちらじしんの立場とかイデオロギーとか性質とか偏見とか感性とかだということ。とくに新鮮なはなしではなく、通有のかんがえかただが。つまり、文学作品とは読むもののすがたを映し出す鏡である、という紋切型に要約されてしまうはなしだが。


     *


307~308: 「むろん、自然のそんな一角、庭園のそんな片すみは、ささやかなあの通行人、夢みていたあの少年によって――国王が群衆にまぎれこんだ記録作者によってのように――じっと長くながめられていたとき、自分たちがその少年のおかげで、この上もなくはかなく消えさる自分たちの特徴をいつまでもあとに残すようになろうとは、思いもよらなかったであろう、にもかかわらず、生垣に沿ってやがて野ばらにあとをゆずることになるさんざしのあの密集した(end307)花の匂、小道の砂利の上をふんでゆく反響のない足音、水草にあたる川水にむすぶかと見えてただちにくずれさる泡、私の高揚は、それらのものを、こんにちまでもちこたえ、それらのものにあのように多くの年月をつぎつぎに遍歴させることに成功したのであり、一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」

311: 「この二つの方向は、またそれらの印象に、ある魅力、私だけにしかないある意味をつけくわえている。夏の夕方、調和に満ちた空が、野獣のようにほえ、みんなが口々に雷雨に不平をこぼすとき、私だけが一人、ふりしきる雨の音を通して、目には見えずにいまもなお残っているリラの匂を嗅ぎながら恍惚としていられるのは、メゼグリーズのほうのおかげなのだ」


 2021/8/13, Fri.より。

(……)新聞からはまず、エチオピアの記事。中央政府が攻撃を再開するというはなしだったとおもうが、北部ティグレ人勢力のみならず南の勢力、オロモ人みたいななまえだった気がするが、そちらの武装勢力(野党から分離した組織で、オロモ人はエチオピア内で最大の民族であり、その代表を標榜しているとあった)もティグレ人との共闘を表明し、したがって紛争は全国規模へとひろがるだろうとのこと。もうひとつには中国関連の記事。中国がコロナウイルス関連で米国を批判する論拠としたスイス人学者のFacebook投稿があったらしいのだが、在中国スイス大使館が、この学者はスイスに存在しない人間であると発表したらしい。調べてみるとFacebookのアカウント開設も投稿のわずか三日前だったから、工作というかフェイクの可能性が高く、中国の批判の根拠がうしなわれたと。


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きょうも「読みかえし」ノートを読み、またプルーストを書見。「スワンの恋」のパートにはいっており、『失われた時を求めて』はいままで集英社の鈴木道彦訳でいちおう二回ぜんぶ読んでいるのだけれど、その二回目、前回読んだとき(何年前だったかわからないが、たぶん二〇一六年か一七年くらいではないか)はたしか、この「スワンの恋」の部は恋愛小説としてかなりおもしろいなと感じ、ほとんどエンタメ小説のようにして物語的な面白味をおぼえてガンガンページを繰ってすすんでいったおぼえがある。今回はそこまで物語に引っ張られる感覚というものはおぼえていないが、とはいえ恋愛者の心理や行動(占有欲求としての恋愛の側面からうがった)が、プルースト特有のときどき理路がよくわからなくなる抽象的な考察ならびにかなり具体的にこまかいところまで描かれる比喩イメージをまじえながら詳細に記述されていてたしかにおもしろい。気になるのはやはりスワンがオデットをボッティチェルリの描いたシスティナ礼拝堂にある絵のなかの一女性とかさねて見ているというそのあたりの精神のはたらき、つまり芸術作品と現実の人間を二重化して見ることが恋愛感情におよぼす影響とかそのエゴイズムとかがひとつ。あとはオデットの家が日本趣味もしくは中国趣味にあふれていることも風俗的な側面からすこし気になる。ひとつのクライマックスというか盛り上がりとしてあげられるのはやはり、ヴェルデュラン家のサロンに行ってオデットが先に帰ってしまったことを知らされたスワンが、彼女をもとめて夜のパリを放浪するところからはじまる一連のながれ、とりわけそのあとオデットと行き会うにいたっていっしょに馬車に乗り、そのなかではじめて情事をおこなうその場面だが、ここでスワンが彼女のからだに手をつけるにあたって口実としてえらばれるのが、彼女が胸元につけていたカトレアの花(菊とならんでオデットのお気に入りの花)が馬車の揺れで乱れて取れそうになってしまったのでそれを挿しなおしてもいいか、ということで、いいですか? 挿しなおしても……おいやではないですか? それにしてもこの花はほんとうに匂いがしないんでしょうか、顔をちかづけて嗅いでみてもいいですか? おいやではないですか、ほんとうのことをおっしゃってください、とか言いながらスワンはオデットをはじめて「占有」するにいたるわけだけれど、ここは前回読んだときもそうだったのだが滑稽で、アホだろとおもって笑ってしまう。気取りがすぎるというか、いちおう洗練された教養のある知的文化人としてあからさまにガツガツあいての肉体をもとめるようなことはできずに駆け引きをするということなのだろうが、その洗練された迂遠さがかえって反転的にスワンのおこないや欲求の卑俗さや軽俗さを強調しているようにかんじられる。このさいしょの情事のあともしばらくはおなじ口実がつかわれるのだけれど、そのなごりで、こういう口実が必要でなくなったあとも「愛戯」のおこない、すなわちmake loveもしくはセックスをするときには「カトレアをする」という隠語がもちいられるというその後のくだりもこいつらアホだろと笑ってしまう。ただいっぽうで、そういうふうに造語が生み出されるというそのこと自体、その経緯とかようすそのものはおもしろいが。また、さいしょの情事にいたるまでの経緯の段落(さきほどのセリフがあるところ)と、その後の「カトレアをする」について述べた段落とのあいだには、スワンがオデットの顔に手を添えてオデットは首をかしげながら見つめかえし、スワンはいまからじぶんのものにする女性がじぶんのものとして「占有」されるまえの最後の表情の見納めにとその顔を記憶しようとしているかのようだ、みたいな記述の段落があるのだけれど、その前後が滑稽なわりにここは非常にロマンティックで正直良いなとおもってしまう。この、じぶんがものにするまえの女性の最後の表情の見納め、という男性のエゴイスト的発想には、前回読んだときにかなり驚いてすげえなとおもったのだった。今回読んでみると、発想そのものはべつにそんなにおどろくほどのものではないのかもしれないなといっぽうではおもいつつも、じっさい文章を読むにやはりなかなかすごいなとおもうかんじも他方にあり、比喩も独特で、子どもの晴れ姿を見に急ぐ母親、なんてあたりははまっているのかいないのか、ここにふさわしい比喩なのか否かよくわからないようなかんじでもある。

 彼はあいている一方の手をオデットの頬に沿うようにしてあげていった、彼女は彼を見つめた、彼女との類似を彼が見出したあのフィレンツェ派の巨匠の手になる女たちの、物憂げな、重々しいようすをして。その女たちの瞳のように、彼女の大きな、切れ長のかがやく瞳は、まぶたのふちまでひきよせられていて、さながら二滴の涙のように、いまにもこぼれおちそうに見えた。彼女は首をかしげていた、フィレンツェ派の巨匠の女たちがすべて、宗教画のなかにあっても、異教の場面にあっても、そうしているのが見られるように。そして、おそらく彼女がふだんから慣れている姿勢、こういうときにはうってつけだと知っていて忘れないように心がけている姿勢、そんな姿勢で、彼女は顔をささえるのに全力を要するように見えた、あたかも目に見えない力がスワンのほうにその顔をひきつけてでもいるように。(end391)そして、彼女が心にもなくといった風情で、そんな顔を彼の唇の上に落とそうとする寸前に、その顔をすこし離して、さっと両手でささえたのは、スワンであった。彼が思考のなかであんなに長いあいだはぐくんできた夢を、思考に駆けよらせてはっきりと認めさせ、その夢の実現に立ちあわせる余裕を、彼は自分の思考に残してやりたかったのだ、あたかも非常にかわいがってきた子供の表彰の席に参加させるために、その母親を呼んでやるように。おそらくまたスワンは、自分がまだ占有していないオデット、まだ自分が接吻さえしていないオデットの、これが最後の顔だ、と思って見るその顔に、旅立ちの日に永遠にわかれを告げようとする風景を眼底におさめてゆこうとする人の、あのまなざしをそそいでいたのであろう。
 (マルセル・プルースト井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)、391~392)

 彼はもう一方の手を、オデットの頬に沿って上げていった。彼女は、物憂く重々しい様子で、じっと彼を見つめたが、それはかねがね彼がよく似ていると思っていたフィレンツェの巨匠の描く婦人たちの目つきだった。彼女らの目のように大きく切れ長で、きらきら光っているオデットの瞳は、飛び出さんばかりに瞼の縁まで引き寄せられて、まるで二粒の涙のように今にもこぼれ(end94)落ちそうに見えた。フィレンツェの巨匠の婦人たちが、宗教画のなかでも異教の情景のなかでもみなそうやっているように、彼女も首をかしげていた。そして、たぶん彼女のいつもの姿勢なのであろうか、このようなときにふさわしいことを心得ていて、忘れずにそうするように気をつけている姿勢をしながら、まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く、スワンの方が彼女の顔を両の手にはさんで、少し自分から離してそれを支えた。彼は、自分の思考が大急ぎでそこに駆けつけて、こんなに長いこと温めてきた夢を認め、その夢の実現に立ち会えるように、その余裕を与えてやりたかったのだ――ちょうど親戚の女性に声をかけて、彼女がとても可愛がっていた子供の晴れの舞台に列席させるように。おそらくまたスワンは、まだ肉体を所有していないオデット、まだ接吻すらしていないオデットの、最後の見おさめにと、あたかも出発の日に永久に別れを告げようとしている眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする人のように、その視線をじっと彼女の顔に注いでいたのだろう。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』(集英社、一九九七年)、94~95)

鈴木道彦訳とあわせて引いたが、ふたりの訳のちがいを読みくらべるのも興のあることだ。一文の組み立て方、各情報の順序のちがいなど、なかなかおもしろい。ニュアンスにはっきりしたちがいが発生するのは、「(……)彼女は顔をささえるのに全力を要するように見えた、あたかも目に見えない力がスワンのほうにその顔をひきつけてでもいるように。そして、彼女が心にもなくといった風情で、そんな顔を彼の唇の上に落とそうとする寸前に(……)」/「(……)まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く(……)」の箇所ではないか。井上究一郎のほうだと、「ささえる」ということばがつかわれているので、オデットが苦心しているのは「姿勢」を保つことだという印象になり、スワンのほうに引き寄せる力に抵抗する、というニュアンスが比較的すくないが、鈴木道彦訳だと「抑える」ということばによってそこがよりストレートに表現されている。そして、それによってさらに、恋心もしくは欲望や陶酔によって、無意志的にスワンのくちびるへとじぶんの顔をちかづけてしまう、という含意が生まれうるもので、そのあとの「まるで心ならずもといったように」といういいかたはその理解にもとづいているのだろう。ひるがえって井上究一郎訳だとそのぶぶんは「心にもなくといった風情で」といういいかたになっている。「心にもなく」という表現はおそらく鈴木道彦訳と同様に無意志的であることもふくまれうるのだろうけれど、それよりは、本意ではない、というニュアンスをあらわすことがおおいいいかたではないか。そのように読むならば、鈴木道彦訳にはらまれていたロマンティシズム(「恋心もしくは欲望や陶酔」の介在)はここでむしろくだかれて、井上究一郎訳では対照的に、スワンを恋するふりをよそおって彼をよろこばせようとおうじる冷静で打算的な女オデットという像がたちあらわれるはずである。なかなかおもしろい。

また、例の子どもの晴れ舞台の比喩のなかでは、声をかけて呼んでやるあいてが「母親」と「親戚の女性」でちがっているが、フランス語ができないし原文もわからないのでこれはなぜなのかわからない。さいごの一文のなかでは、鈴木訳の、「眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする」といういいかたがすばらしい。井上訳のほうにある「眼底」の語も良いが、ここでは「目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする」のほうに軍配をあげたい。


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夕刊、米軍がアフガニスタンに三〇〇〇人増派と。アメリカ大使館の人員を退避させるためという名目。その三〇〇〇人は一日二日以内にカブールの空港に到着するといい、ほか、不測の事態にそなえてクウェートに四〇〇〇人を派兵し、また翻訳者など米国への協力者だったひとびとの退避を支援するためにカタールに一〇〇〇人を派遣とも書いてあったはず。国内にはいって、せめてカブールにはいって協力者らをあつめて逃がすことができないかとおもうが、それをするとたぶんタリバンに喧嘩を売るということになってしまうのだろう。タリバンは協力者らを殺そうとしているはずなので。

夜半すぎにBessie Smithを寝転がって聞いた。『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』の六曲目まで。#1, #4, #5, #6が良かった。とりわけ#4の"Muddy Water (Mississippi Moan)"か。たぶん一九二〇年代か三〇年代くらいの録音だとおもうので音質はむろん良いとはいえず、声の写実性もいまの録音とくらべるととうぜん低いが、じっさいに聞いたらたぶん声めちゃくちゃでかかったんだろうな、という印象。"Muddy Water"というタイトルからはどうしたってMuddy Watersをおもいだすし(それでこの翌日には二枚組の『Muddy "Mississippi" Waters Live』をひさしぶりにながしたのだが)、五曲目は"St. Louis Blues"で、そういうのを聞いていると、こういうところからすべてが(というのはジャズとブルースとロックということだが)はじまったんだなあ、という感慨が生じる。この日はきかなかったけれど九曲目は"Need A Little Sugar In My Bowl"という曲で、この曲をもとにしたかもしくはオマージュみたいなかんじでNina Simoneが"I Want A Little Sugar In My Bowl"という曲をつくっており、『It Is Finished - Nina Simone 1974』というライブ音源の五曲目でやっているバージョンがじぶんはとても好きである。


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 (……)さんのブログより。

 わたしたち人間の「こころ」のことはしばらく措いて、生物一般の話しにかぎってみても、個々の生物個体のどのような知覚、どのような行動に際しても、全身のすべての細胞がなんらかの仕方でそれに参加しています。いってみれば生物が身体として存在しているというそのことが、身体全体のレベルでも器官のレベルでも細胞のレベルでも、そのまま生物と環界との境界を形成しているのです。
 それだけではありません。生物にとって環界といえるのは、外部世界だけではないのです。有機体の内部状況も、いわゆる「内部環境」の形で相即の対象となります。生物が外界から栄養を取り入れるのは、餌が眼に見えたからというよりもむしろ、空腹が感じられるからなのです。主体を維持するための相即は、餌の捕獲に際してだけでなく、それ以前に自分の身体の内部状況に対しても保たれなくてはなりません。
 人間の場合にはさらに、精神分析のいう意識・無意識・前意識をすべて綜合した「心的装置」の全体が、あるいは生活史の意味での個人や共同体の歴史全体が、それとの相即においてのみ主体がその主体性を保ちうる環境として働いています。こういった生活史の全体は、外から入ってくる情報を処理するときの処理機構としてもはたらきますし、感覚情報といっしょに処理しなければならない情報として個体を拘束してもいるのです。
 だから、さっきお話ししたように主体は主体として成立するために世界との境界に向かって出立しなければならないのですが、実はこの「境界」というのは主体それ自身の存在のことなのです。そしてこれとまったく同じことが、複数個体によって構成される集団的な群れについてもいうことができます。群れの全体がその外部環境や内部環境——群れの内部環境としては、なによりもまずその群れを構成している各々の個体を考えなくてはなりません——と接触している境界のありかとは、実はその群れそれ自身の存在に他ならないのです。
 あるものが、そのものそれ自身と、それではないもの(環境)との境界——つまりそれ自身と環境との区別の生じる場所——である、抽象的ないいかたをすると「AはAと非Aの境界あるいは区別である」というのは、わたしたちがふだん慣れ親しんでいる論理形式からいうと非常に奇妙に聞こえます。わたしたちの通常の思考は、AはA自身と等しく(同一律)、Aは非Aではなく(矛盾律)、Aでも非Aでもないようなものは存在しない(排中律)というアリストテレス論理学の三大原則によって支配されています。だから「AはAと非Aの境界あるいは区別である」という「非アリストテレス的」な論理は、大変にわかりにくいのです。しかしこの論理は、実は生命を扱うすべての場面で重要な役割を果たしています。生命現象は熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)を破るということがよくいわれますが、それだけでなく、アリストテレス論理学をも破っているのです。生命の世界では、「主体」とは主体それ自身と主体でないものとの境界あるいは区別のことなのです。主体のこの論理——ヴァイツゼッカーの言葉を借りれば「反論理」——が、生命論の全体を基礎づけています。
 同種複数個体の群れにおいて、環境との境界がその群れの存在それ自体だとすると、群れを構成している各個体は、やはりその個体それ自身であるところの境界で環境との個別的な相即を保つことによって、群れ全体の環境との相即に参加し、群れ全体の集団的主体性を分有していることになります。各個体は、集団の構成員として集団的な主体性を生きるのと同時に、各自の個別的主体性をも生きています。ですから個々の主体は、それ自身がそれ自身と環境——この場合、同じ群れに属している自分以外の個体は、もちろんその個別主体にとっての環境の重要な構成分となるのですが——との境界であることによって、いわば二重の主体性を生きることになります。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.26-28)