2024-01-01から1年間の記事一覧

さいきんマジで目をつかうのがそこそこ辛い。それで本も読む気にならないのだ。目やまぶたのあたりの状態が胃腸とつながっているというのは何度か書いている通りだが、さきほど「三人の子ども」を書き進めようとおもってブログの投稿欄に前回の稿をコピーペ…

『säje』の二曲目は"(You Are) The Oracle"という題で、Michael Mayoという男性ボーカリストがフィーチャリングされてスキャットソロを取っている。派手なことはやっていないけれど、音程がずいぶん正確だし、気持ちがいい。このひとのアルバムは聞いてみた…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

三時すぎに外出。雨降りの日。それほどつよくはない。アパートを出てビニール傘をひらき、右手へ。路地を抜けてちょっと左へ推移し、渡ろうと振り向いたらパトカーが来ていたので見送って、そのあとから対岸へ。そこでたまには違う道を行くかという気になり…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

昼間、現代ジャズ方面の女性ボーカルが四人あつまったsäjeというグループの『säje』をスワイショウしながら聞いていて、四曲目で"In the Wee Small Hours of Morning"をやっているのだけれど、この題で一篇書けるなとおもいついた。 四人というのは、Sara Ga…

三月三一日日曜日の午後三時半ごろ、ひさしぶりに川にでも行こうかなという気になって家を出た。さいしょはジャケットを着ていこうとおもったのだけれど、陽射しもすこし出ていて暑そうだったし、シャツとズボンだけ。家を出ると右に折れて、すぐにまた右に…

働いてきた。エイプリルフールなるものがこの世に存在していることを、塾で生徒に会うまでわすれていた。 労働後に電車に乗り、T駅から三〇分かそこら歩いてきたので、けっこう疲労はある。とくに目が。じぶんの疲労やストレスによる負荷はやはり目に出る。…

ギター37( 37(20240330, Sat.)|F ) 38(https://note.com/diary20210704/n/n11ae0fa1cb59?magazine_key=m1a3ae8f71705) 39(https://note.com/diary20210704/n/n8ea43a9a20c1?magazine_key=m1a3ae8f71705)

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

三月一九日火曜日のつづきで、ムージルの「トンカ」の冒頭についてもうすこし。 とある生垣のほとり。一羽の鳥がさえずった。と思うと太陽は、もう藪かげのどこかに姿をかくしていた。鳥の歌がやんだ。夕方だ。百姓娘たちが歌をうたいながら野をこえてきた。…

ふうけいしゅう くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。 こ…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

外出。例によってスーパー行き。かっこうもいつもどおり、無印良品の茶色いシャツ、ブルーグレーのズボン、濃紺のジャケット。これかんぜんに、ブログの読者が偶然この地域に住んでいたら、あれ、あのひとがあのブログの書き手じゃないの? とわかる。いつも…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

三人の子ども イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

ちょっとまたあたらしいのを書き出してしまったけれど、これはもともと「夜のひとみは千のかがやき」という題でかんがえていたのが、じぶんのなかでやや奇形的に発展したものだ。短くていいとおもっているので、「塔のある街」よりはけっこう短くなるはず。…

夕暮れの季節(仮) イルとイリリとイリヤが三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。 一…

ふうけいしゅう くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。 こ…

きょうの外出。三時。かっこうはきのうとおなじ。きょうはアパートを出ると右へ。風がつよくてやはりそこそこ寒い。日なたを欲して対岸へ。左へ折れる。当たれば横断歩道がちょうど青なので渡ったが、そこの歩道もまた陰だ。両手をこすりあわせながら行く。…

きのうの外出。三時半ごろだったろうか。かっこうはいつもどおり、茶色いシャツ、青灰色のズボン、藍色もしくは紺色のジャケット。道に出て左折。前方、公園のあたりで自転車の婦人ふたりが立ち話をしている。右を向いてそこにある路地のなかをのぞけば陽射…

ふうけいしゅう くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。 こ…

ふうけいしゅう くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。 こ…

きのうのつづき。「トンカ」の一段落目。 とある生垣のほとり。一羽の鳥がさえずった。と思うと太陽は、もう藪かげのどこかに姿をかくしていた。鳥の歌がやんだ。夕方だ。百姓娘たちが歌をうたいながら野をこえてきた。こんな書きかたはくだくだしいか? だ…

一四日の木曜日のつづきで「塔のある街」の精読をすすめようとおもうが、そのまえにことのついでに、ムージルの「グリージャ」「トンカ」の冒頭について。まず前者の一段落目。 人生には、奇妙に歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも…

二時四〇分ごろだったかに外出。スーパーへ。とにかく風がつよすぎる。朝起きたときから豪風のひびきを聞いていたし、一一時台に洗濯物を干したときも窓をあければ右から左へ、北から南へと吹きつづけていて、圧力を受けて水平になろうとするパンツとかをか…

いまじぶんはTのはしっこのほうにある三万円くらいのワンルームアパートに住んでいて、おなじまちのなか、ここからあるいて三五分かそのくらいのところにA家という親戚がある。母親の妹であるYさんがとついださきで、むかしからかかわりや親しみが深い。きの…

ふうけいしゅう くるまのなか ふろんとがらすに、つぶがぶつかりだす かぜにほうこうをうしないうずをまくむし ゆきだ、とこえがあがる あまつぶをこえないおおきさに、たしかにしろさをもっている あたればまもなく、じわりときえる あとにいろはない。 こ…