2020-01-01から1年間の記事一覧

2020/11/19, Thu.

ビリーの読みの方法が、すべてを額面どおりに受け取ることにあるとすれば、クラガートのそれは、あらゆるヒナギクの下に人捕り罠を見ることにある。これは明白だと思われる。ところが、その実践においては、いずれの方法も厳密に支持されてはいない。純朴な…

2020/11/18, Wed.

マラルメが最も頻繁に省略する、あるいは別形に活用させる動詞が être であることは、決して偶然ではない。マラルメの統辞法的革命は、言語の認識論的ないしは存在論的な機能を脱中心化することに帰着する。多価的な主張、脱中心化された主張、あるいは失敗…

2020/11/17, Tue.

私たちが探しているその統辞法のコペルニクスとは、言うまでもなく、みずからを「深く綿密な統辞法の実践者[原注5: Letter to Maurice Guillemot, quoted by Jacques Scherer, L'Expression littéraire dans l'œuvre de Mallarmé (Paris: Droz, 1947), p. 79…

2020/11/16, Mon.

(……)詩句〔vers〕とは、その語源〔versus(……に対して、……に背を向けて)〕が示唆するように、リズムや脚韻において、旋回を実践することである。それはまさに、言語の倒錯的なあり方――すなわち、単純な代替の追求を裏切る〔失望させる〕こと――によって余…

2020/11/15, Sun.

私は諸々の意図から出発した、人々が――彼らは文体が中立的なものだと想像しているのだが――文体に関し、己の表現が飛び込みによって暗くなることも、また、ほとばしるはね返りでずぶ濡れになる〔溢れ輝く〕こともないよう望むように。すなわち、法則である代…

2020/11/14, Sat.

とはいえ、網膜に与えられる、表面[﹅2]とほとんど分離できないその下で[﹅2]、何かある煌めき[﹅3]が不安を与えなかったとしても、――疑念を呼び覚ます。そこで、読者の中でも悪賢い連中は、話を中断せよと要求し、この内容はまさしく理解不可能だなどと、生…

2020/11/13, Fri.

言葉の論理が発言者と発言とのある種の不連続性を全面的に回避不能にすることは、まさにそれを回避しようとするオースティンの試みによって事実上証明されている。というのも、彼が「純然たる行為=遂行〔mere doing〕」を名指すために使用する用語、芝居性…

2020/11/12, Thu.

(……)マラルメの詩学で革命的なのは、「対象」を排除していることより、むしろ、己を空虚化する非直観的な意味の装置を、まさにこうして体系的に構築していることである。マラルメのよく知られた晦渋さは、明白なものをくねらせ曖昧にすることにあるのでは…

2020/11/11, Wed.

(……)「ある種の行為遂行的発言は、舞台上の俳優によってなされたり、詩の中に導入されたりすると、独特の仕方で[﹅6]空虚になったり、無効になったりする[原注18: J. L. Austin, How to Do Things with Words (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1…

2020/11/10, Tue.

(……)このように、行為遂行的発言が本来的に自己 - 指向的な言語行為であるなら、それを生成することは、世界の中に新たな指向対象を同時に生成することである。これはだが、指向対象という概念を根本的に変換させることに等しい。というのも、もしそうなら…

2020/11/9, Mon.

(……)明白なことだが、行為遂行的発言と単なる発話行為を区別するには、行為遂行的発言の特性に関するさらなる条件づけが必要とされるだろう。というのも、オースティンみずからが問いかけているように、「われわれはどんな言葉を発する時でも、「何かを行…

2020/11/8, Sun.

換言するなら、散文詩と韻文詩のあいだの切断・修正作用は双方向に[﹅4]際限なく働いている。二つのテクストの各々が、他方の口実、すなわち前 - テクスト〔pre-text〕なのだ。いずれのテクストも他方に対する優先性を主張できない。つまり、〔切断・修正の…

2020/11/7, Sat.

このように、常套句的な花(黒いチューリップ、青いダリア)から常套句的な国(〈宝〉の国)に、故郷の港である「おまえ」から異国の岸辺である「おまえ」に向かうこの詩的な旅は、すべてがおなじみのクリシェの範囲内で行われている。つまり、修辞的な移動…

2020/11/6, Fri.

しかし、この「寓意的な花」のテクスト性は、『悪の華』への指向に限定されるものではない。というのも、この比類のない花は、単に新しい、あるいは二番煎じのボードレール的修辞によって構成されるどころか、よく知られた二つの別の文学作品の名――アレクサ…

2020/11/5, Thu.

こうした引用のコラージュから浮かび上がるメッセージは確かに単純なものではない。だが、それはまさに等価システムを永続させるプロセスにおいて[﹅23]そのシステムを超越する、という共通の方法を通じて、疑いなく、〈詩〉と〈資本〉の類似性を示唆してい…

2020/11/4, Wed.

この詩で言及されている「照応(物)」という概念は、ボードレールの時代に実際に流通していた芸術的隠喩観を体現している。スウェーデンボルグ〔スヴェーデンボリ〕からスタール夫人まで、そしてシェリングからコンスタン司祭まで、照応(物)という考えは…

2020/11/3, Tue.

(……)「私の子、私の妹」という冒頭の訴えでは、親密さ〔familiarity〕が家族性〔familiality〕と合致している。つまり、望まれている二つの隣接存在の結びつき(「一緒に暮らす」)は、発生論的類似性という自然記号のもとに置かれている。隔てられた二つ…

2020/11/2, Mon.

(……)フォンタニエが述べている[ところによれば](……)、隠喩が[は]「一つの概念を、それよりもさらに強烈でよく知られている別の概念のもとに提示すること(原注7: Pierre Fontanier, Les Figures du discours (Paris: Flammarion, 1968), p. 99.)」であ…

2020/11/1, Sun.

このように、散文詩「旅への誘い」における料理への言及が、詩的コンテクスト内への小説的あるいは写実的コードの侵入を示すとするなら――むろん、「詩的」が何を意味するかは依然不分明のままだが――、いわゆるこのコードの闘いの中で、いったい何が「叙情的…

2020/10/31, Sat.

(……)まず、男性と女性の位置は、エコー〔ナルキッソスを愛したが、やつれ果て、ついには声だけになってしまったニンフ〕とナルキッソスの物語を念頭に逆転されている。ここでは女性が池に映り、男性が無力に見つめている。あるいはまた、婦人の映っている…

2020/10/30, Fri.

人間が二つの生物学的な性に分けられていなければ、文学はたぶん必要とされないだろう。また、〔二つの〕性の関係がどのようなものであるかを文学が寸分違わず語ることができるなら、文学の多くはおそらく不要になるだろう。だが、ともあれ、それは文学にセ…

2020/10/29, Thu.

この誘惑と去勢の物語に関して興味深いのは、それがバルト自身の批評的な価値評価システムに図らずも反映されていることである。というのも、「原テクストは、自然な分割を何ら考慮されることなく絶えず破壊され、中断されるだろう」と予告する時、バルトは…

2020/10/28, Wed.

われわれの価値評価は一つの実践としか結びつけることができないが、その実践とはエクリチュールの実践である。一方に書きうるものがあり、もう一方にもはや書きえないものがある。……価値評価が見出すのは以下のような価値である。つまり、今日書かれうる(…

2020/10/27, Tue.

(……)差異は同一性間の空間に生み出されるのではない。それは自己同一性の総体化やテクストの意味の総体化をすべて不可能にするのだ。 脱構築批評のプロセスを特徴づけるのはこうした形のテクスト的差異である。だが、脱構築[﹅3]〔deconstruction〕は破壊[…

2020/10/26, Mon.

ある意味で、批評的差異を生じさせることは、しかるべき批評すべての目標と言えるだろう。批評[﹅2]〔criticism〕という言葉はまさに、「分離する、あるいは選択する」、すなわち差異を生み出す〔differentiate〕ことを意味するギリシア語の動詞 krinein に…

2020/10/25, Sun.

再読は、物語が一度消費(「貪り読み」)されたら、他の物語に移り、他の本を買うように、それを「投げ捨てる」ことを勧める、現代社会の商業的・イデオロギー的慣習に反した操作であり、ある周縁的なカテゴリーに属する読者たち(子供、老人、教師)にしか…

2020/10/24, Sat.

本書全般にわたって関心の対象になるものがもしあるとすれば、それはおそらく、文学ないしは理論の内で未知のもの[﹅5]が立ち働いている、ということの重要性である。未知のものとは断じて否定的=消極的な要因あるいは不在の因子ではなく、往々にして、意味…

2020/10/23, Fri.

ここでの読み〔reading〕は、さまざまな差異を、完全に同定あるいは除去できない別の差異を介して同定・除去する、という手続きにより進められていく。しばしば出発点になるのは二項的な差異だが、そうした差異はさらに把捉困難な差異の働きが生み出す幻想で…

2020/10/22, Thu.

したがって、差異の問題は分離可能性〔separability〕に関わる不確かさ、および同一性〔identity〕内部の漂いとして捉えることができる。そして、結局のところ、何かが与えているものが記述〔description〕なのか不同意〔disagreement〕なのか、情報〔inform…

2020/10/21, Wed.

互いに似てはいないが、割れ目ではぴったり微細な点まで合うという容器の破片のイメージは、翻訳と原作の関係に一致するように思われるだろう。そうした関係では、翻訳は逐語的で正確であり、隅々まで原作に合致していると考えられている。しかし実際にベン…