2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

2021/5/31, Mon.

カントはゼノンの論点の一部に真理をみとめている。カントによれば、世界は有限でも無限でもないからである。ものごとはすべて世界のうちに位置をもち、世界内部の場所に存在する。もし場所が世界のうちにあるとすれば、それは世界のどこかに存在することだ…

2021/5/30, Sun.

いま、ひとつの論理的なすじみちの可能性だけを考えてみる。なにかがある [﹅2] 。そのなにかがある [﹅2] と考えられている以上は、それは同時にあらぬ [﹅3] ものであることはできない。ほかならないそのものがある [﹅2] 。ほかでもない [﹅2] そのものが…

2021/5/29, Sat.

女神が告げるふたつの道の一方は、「ある [﹅2] とし、あらぬ [﹅3] ということはありえないとする道」であり、それが真理へとみちびく道である。もうひとつの道は「あらぬ [﹅3] とし、だんじてあらぬ [﹅3] とするべきであるとする道」になる。これは探究…

2021/5/28, Fri.

世界をめぐる経験はさまざまな文体によって語りだされ、経験にかかわる思考は多様な表現によって紡ぎだされる。ヘラクレイトスはたとえば、神託ふうの箴言で世界に現前するロゴスをかたどっていた。箴言、つまりアフォリズムはアポ・ホリスモスに由来し、ホ…

2021/5/27, Thu.

ヘラクレイトスとおなじ時代クセノファネスが、おなじ [﹅3] 、ひとつの [﹅4] ものについて語っていた。それはまず、ホメロスやヘシオドスにみとめられる、伝統的な神のイメージを批判することをつうじてである。「人間たちは神々が〔じぶんたちと同様に〕…

2021/5/26, Wed.

ロゴスとはつまり、相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない。「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、おなじひとつのものとして私たちのうちに宿っている。このものが転じて、かのものとなり、かのものが転じて、このものとなるからである…

2021/5/25, Tue.

たしかに、「きみはおなじ川に二度と足を踏みいれることはできないだろう」(同箇所 [『クラテュロス』四〇二 a] )。水は絶えず流れさるからだ。それだけではない。ひとは「一度も」おなじ川に足を踏みいれることができないはずである。いっさいは、ひたす…

2021/5/24, Mon.

数や図形には、独特なふしぎさがある。数えられるものは感覚によってもとらえられるが、数える数そのものを見ることはできない。じっさいに描かれた直角三角形は、つねに一定の辺と角の大きさを有する特定の三角形でしかないけれども、たとえばピタゴラスの…

2021/5/23, Sun.

輪廻を繰りかえすたましいは、身体という存在のしかたを超えたものでなければならない。身体には感覚が帰属するのだから、身体を超えて永続するたましいをみとめるかぎり、一般に感覚を超えたものが存在し、感覚を超えたものは、感覚以外のなにものかによっ…

2021/5/22, Sat.

たましいは神的で不死のものであり、罪のために身体に封じこまれている。身体(ソーマ)はたましいの墓場(セーマ)なのであって、たましいは、いまは「牡蠣のように」身体に縛りつけられ、輪廻のくびきのもとにある(プラトン『パイドロス』二五〇 c)。人…

2021/5/21, Fri.

アナクシマンドロスはまた、このアペイロンを「神的なもの」と呼んでいたとつたえられる。その間の消息に触れた、アリストテレスの説明には、哲学的にすこし興味ぶかいところがある。そのことばをふくむ前後を引用しておく。 だがまた、かれらのすべてがこの…

2021/5/20, Thu.

アペイロン(無限なもの)ということばを使用した、はじめての哲学者であるかもしれない、アナクシマンドロスは、タレスが見てとったものを、べつのことばで語りなおそうとしていたと考えることもできる。タレスが見ようとしていたのは、自然の移りゆきのす…

2021/5/19, Wed.

たとえば、春につぼみが芽吹き、夏には葉のみどりが盛りを迎えて、秋とともに年老い、冬が訪れるうちに、みどりは死に絶えて、まためぐりくる新たな春に、いのちはふたたび甦る。植物ばかりではない。動物もまた生まれ、成長して、やがては死を迎える。すべ…

2021/5/18, Tue.

世界のはじまりを問うことは、それ自体としては神話的な問いでありうる。大地は、大河は、大海は、星々と天空はいったい、いつどのように生じたのか。鳥獣が、人間がどのように生成したのか。たとえば、ヘシオドス『神統記』が語りだすところによれば、はじ…

2021/5/17, Mon.

「果てしなく続く衣服を身にまとっている女性を(もし可能なら)想像してみてほしい。その衣服はまさにモード雑誌に書かれていることすべてで織りなされているのである……」(『モードの体系』より)。このような想像は、意味分析のひとつの操作概念(「果て…

2021/5/16, Sun.

この本には、格言的なアフォリズムの口調(われわれは、人は、つねに、など)がつきまとっている。ところで格言とは、人間の本性についての本質主義的考えかたに取りこまれており、古典的なイデオロギーに結びついている。すなわち、言語の表現形式のなかで…

2021/5/15, Sat.

あらゆる仕事の交わるところに、おそらくは「演劇性」があるのだろう。実際に、ある種の演劇性を扱っていない彼のテクストはひとつもない。見せ物とは何にでも適用しうるカテゴリーであり、その形のもとで世界はながめられるのである。演劇性は、彼が書くも…

2021/5/14, Fri.

しかしながら、〈身体のレベルでは〉、彼の頭がこんがらがることはけっしてない。それは不幸なことだ。ぼんやりして、頭が混乱し、いつもとは違った状態になったことがまったくない。いつも意識(end267)があるのだ。麻薬を用いることはありえないけれど、…

2021/5/13, Thu.

今朝、パン屋の女主人がわたしに言う。〈今日もいい天気ですこと。でも暑さが長すぎますね〉(ここの人たちはいつも、天気がよすぎる、暑すぎる、と思うのだ)。わたしが付けくわえて言う。〈そして、光がとてもきれいですね〉。だが女主人は答えない。また…

2021/5/12, Wed.

『テル・ケル』誌の友人たち。彼らの(知的エネルギーやエクリチュールの才能のほかに)独創性や〈真実〉は、彼らが、共通の、一般的で、非身体的な言葉づかいを、すなわち政治的な言語を受け入れていることから来ている。〈とはいえ、彼らのそれぞれが自分…

2021/5/11, Tue.

フーリエは、のちに刊行する「完全な本」(完全に明晰で、完全に説得的で、完全に複合的な本)の予告のためにしか、けっして著作を出していない。「本の告知」(〈刊行物案内〉)は、わたしたちの内なるユートピアを抑制する、あの時間かせぎの操作のひとつ…

2021/5/10, Mon.

彼の仕事の動きは戦術的である。重要なのは、移動することや、陣取り遊びのように敵を食い止めることであって、征服することではない。いくつかの例をあげよう。間テクストの概念はどうだろうか。これは、実際にはまったく建設的なものではないが、コンテク…

2021/5/9, Sun.

どこにいても、彼が耳を傾けていたもの、耳を傾けずにはいられなかったもの、それは自分自身の言葉にたいする他の人たちの難聴ぶりであった。彼らが自分の声を聞いていないことを彼は聞いていたのだ。だが彼自身はどうなのか。自分の難聴ぶりを聞いたことが…

2021/5/8, Sat.

美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をすることをやめられなかった。彼が賛同する政治的行動においても、そ…

2021/5/7, Fri.

(……)このように分析することは、「意味する」という動詞の語源を説明しているにすぎないのだろう。すなわち、ひとつの記号を作りだすこと、(だれかに)合図をすること、想像のなかで自分を自分自身の記号に還元すること、自分を記号に昇華することである…

2021/5/6, Thu.

(……)想像してみる(ひとつの想像にすぎないのだが)。〈わたしたちが語っているような、わたしたちが語っているものとしての〉性欲とは、社会的な抑圧、人間の悪しき歴史の産物、つまり文明のひとつの結果なのである、と。そうすると、性欲、〈わたしたち…

2021/5/5, Wed.

列車で、わたしのコンパートメントに、若い二人づれが席をとる。女性はブロンドで、化粧をしている。大きな黒いサングラスをかけ、『パリ・マッチ』誌を読んでいる。ぜんぶの指に指輪をはめ、両手のそれぞれの爪に隣の指とは違う色のマニキュアをつけている…

2021/5/4, Tue.

それは、知的な「移動」(「スポーツ」)のようなものだ。言語の凝固や、ねばり気、ステレオタイプ症状のあるところへ彼は徹底的に向かってゆく。注意ぶかい料理女のように忙しく立ち働き、言語活動にねばりが出ていないか、〈焦げついて〉いないか、と気を…

2021/5/3, Mon.

いつもニーチェのことを思う。わたしたちは繊細さの欠如によって学問的となるのだ。――それとは反対に、わたしは劇的で繊細な学問をユートピア的に想像している。アリストテレス哲学の命題 [訳注271: ここでは、アリストテレスが、学問を「理論」「実践」「制…

2021/5/2, Sun.

彼は暴力には寛容になれなかった。この気持ちはたえず明らかになったが、自分でも不可解なままだった。とはいえ、この不寛容の理由は、つぎの側面に見出せるにちがいないと感じていた。すなわち、暴力はつねに〈舞台〉でおこなわれる、ということである。さ…