2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

2021/6/30, Wed.

人間は、じぶんの理性のうちに変わることのない真理を発見する。感覚的な事物のうちには内在しない、完全な「ひとしさ」、ものには帰属しない、真に「ひとつである」ありかたを、精神がとらえる。すなわち、「完全なもの perfecta」(『真の宗教』三〇/五五…

2021/6/29, Tue.

ひとは真理をもとめ、真理を愛する。およそ真なるものへの渇望が存在しないとするならば、人間と神とは出会うことがありえない。神とは真に存在するものであり、真理であるからだ。アカデメイア派の懐疑論が反駁されなければならなかったのは、このためであ…

2021/6/28, Mon.

つづけてアウグスティヌスは説いている。私は、私が知ることについて、まさにその知るというはたらきにかんしては、欺かれることがない。「私は、私が存在することを知るように、私が知ることを知るからである」(同)。 徹底した懐疑論、すべてを疑う懐疑主…

2021/6/27, Sun.

懐疑論はまず、感覚への懐疑からはじまる。アカデメイア派は、真の表象と偽の表象というストアの区別を疑い(本書、一四一頁)、セクストスがつたえる「方式」の多くは感覚への判断中止をふくんでいる(同、一四三頁以下)。感覚が欺かれうるかぎり、世界は…

2021/6/26, Sat.

友人や恋人、一般に愛する者の存在には、「関係」という一語には尽きないなにかがあるのではないだろうか。愛する者は「もうひとりの」「他の」私というよりも、私の存在の一部である。私の存在は、愛する者と切りはなすことができない。だれかを愛するとき…

2021/6/25, Fri.

知性は一であろうとして、いまだ一ではない。「そのような知性に先だつ、驚嘆すべきものがある。それが一者であり、一者は存在ではないのである」( [プロティノス『エンネアデス』] 第六巻第九章五節)。 それゆえ一者は知性ではない。むしろ知性よりも先な…

2021/6/24, Thu.

「創世記」は「はじめ(アルケー)に神は天と地とを創造した」とはじまる。この「はじめに」は「時間にしたがって」(カタ・クロノン)という意味ではない。時間は、世界のあとに生成したからである(二六節)。あるいは「創造にさいして万物は一挙につくら…

2021/6/23, Wed.

せまい意味での古代懐疑論、あるいはピュロン主義について語るならば、その「はじまり」(アルケー)は「平静(アタラクシア)に到達したいという思い」である(セクストス『概要』 [セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』] 第一巻十二節)…

2021/6/22, Tue.

感覚的なものへの疑いということであれば、エレア学派にそのみなもとがある。じっさい、パルメニデスは感覚にしたがう道を思いなし(ドクサ)の途であるとし(本書、三三頁)、古代原子論者たちは、これに応えて、色や味は、たんなるノモスであると主張した…

2021/6/21, Mon.

ストア学派といえば、「アパテイア」(無感動)の理想が挙げられる。ひとは欲情や憤怒の虜となってはならない。そればかりではない。同情や後悔にとらわれてもならない。アパテイアは、戦場を宿とするアウレリウスにとって、ただの説教ではない。「波が絶え…

2021/6/20, Sun.

一六一年、マルクス [・アウレリウス] はルキウス・ヴェルスと共同皇帝に即位する。おなじ年、パルティア軍がアルメニアに侵入、親ローマの王を廃し、さらにシリアへと進軍する。以後、アウレリウスは、ほとんどの時間を戦雲のもとですごすことになる。一六…

2021/6/19, Sat.

自然のロゴスと人間の宿命とを同一視することは、一方では、人間についてもその自然本性を重視し、自然と一致して生きることを理想とする倫理的態度とつながっている。生の目的は、ゼノンによれば、「調和して生きること」である。ゼノンの直接の後継者であ…

2021/6/18, Fri.

神が世界に浸透し、いっさいのものの原因となり、すべてのものは相互にはたらきかけあい、作用をおよぼしあう。そこからみちびかれる帰結は、よく知られた、ストアの決定論である。(end126) かれらは、この宇宙がひとつであり、あらゆる存在をみずからのう…

2021/6/17, Thu.

ストア学派の「対話法」は、「意味するもの」と「意味されるもの」の区別をふくんでいる(『列伝』第七巻六二節)。意味されるもののうち重要なものは、語や句、文の意味、「表示されるもの」(レクトン)である。現在の目から見て興味ぶかいことは、ストア…

2021/6/16, Wed.

遥かのちにヘーゲルは、「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛びたつ」と語った。ギリシアの知恵の女神は、ローマではミネルヴァと名をかえる。ある時代の生を哲学が灰色の思考で描きとるとき、緑なす生自体はすでに過ぎ去っている、哲学とは一時代のおわりに、その…

2021/6/15, Tue.

現存するアリストテレスの著作の大部分は、リュケイオンにおける講義ノートであると考えられている。紀元前一世紀に講義録が再発見されたとき、それを編纂した当時のリュケイオンの学頭、アンドロニコスが、アリストテレス自身は「第一哲学」と呼んでいたも…

2021/6/14, Mon.

目的論的自然観はそれ自体、自然と人為(技術)をむすぶこころみである。アリストテレスにあって、問題は、もうひとつの局面であらわれる。制作とは区別される「行為」(プラクシス)の場面、つまりはたらきの目的をその外部(制作にとっての作品)にもつの…

2021/6/13, Sun.

可能態という存在の次元を承認して、それを現実態との相関関係においてとらえることで、他方では、自然の全体が生成の相のもとにあらわれ、また目的論的に統一された像をむすぶ。たとえば、河の流れはさまざまな土壌をはこび、それを河口に沈殿させる。潮流…

2021/6/12, Sat.

自然という語は、第一義的には「生長するものの生長」そのもののことをさす(『形而上学』第五巻第四章)。運動の原理としての自然は、アンティフォンの例に見るとおり、まずは素材であることである。けれども、木製の寝台から、ふたたび芽が出て、それがも…

2021/6/11, Fri.

まず、自然とはなんであるかが考えなおされなければならない。「自然によって」(ピュセイ)存在するものとそれ以外のものを区別し、前者の原理(アルケー)をあきらかにしなければならないはずである。アリストテレスは、つぎのように説いている。 存在する…

2021/6/10, Thu.

(……)「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する。その証拠は、感覚への愛好である。感覚はその効用をぬきにして、すでに感覚することそれ自体のゆえに愛好されるからである」。『形而上学』の冒頭でアリストテレスはそう述べるけれども、だれより知る…

2021/6/9, Wed.

(……)いったい、いつから、その法が法となったかを、ひとびとが忘れはててしまうことによって、法はまさに法となる( [『法律』] 七九八b)。――法は、ふるまいを二分して、正しい行為と不法な行為との境界を設定する。法の創設は、切断する暴力である。もっ…

2021/6/8, Tue.

感覚に与えられているもののうちで、或るものと完全にひとしい他のものは、ひとつとして(end86)ありえない。また、感覚がとらえる世界にあっては、いっさいが移ろって変化してゆくかぎり、変わらないもの、みずからとひとしくありつづけるなにものもない。…

2021/6/7, Mon.

難問は、ソクラテスがさらに鋳なおすことで、一見して完全ないき止まりを示すものとなる。「人間は、じぶんが知っているものも、知らないものも、探究することができない。第一に、知っているものを探究することはありえない。知っているかぎり、探究する必…

2021/6/6, Sun.

イデアという語は、「見る」という意味の動詞、イデインに由来する。イデアとは、だから文字どおりには「見られるもの」であり、もののすがたやかたちのことである。だがプラトンの語るイデアは、目で見られるものではない。もののすがたや、かたちにかかわ…

2021/6/5, Sat.

私のほうが、この男よりは知恵がある(ソフォーテロス)。この男も私も、おそらく善美のことがらはなにも知らないらしいけれど、この男は知らないのになにか知っているように思っている。私は知らないので、そのとおり知らないと思っている。(『弁明』二一d…

2021/6/4, Fri.

ソフィストとは知者であった。ソフィストの知は、時代のなかで力とむすびつく。かれらの言論における卓越が、権力を生んだのである。ソフィストは、その意味で有能な人間であり、有用な人物であった。けれども、有用さそのものはいったいなんのためにあるの…

2021/6/3, Thu.

『ソフィスト』のプラトンは、虚偽や誤謬が、「在るものども」(タ・オンタ)と反対のことがらを語るものであるから、現に誤謬と虚偽とがある [﹅2] 以上は、あらぬ [﹅3] もの、なんらかの意味で「非存在が存在する」、つまり無(メー・オン)がある [﹅2] …

2021/6/2, Wed.

デモクリトスについて現存する断片のほとんどは、じつは倫理にかかわる箴言あるいは断章である。「笑うひと」と呼ばれた、デモクリトスがもとめたものは、「快活さ」(エウテュミア)であったといわれるけれど、それはただの「快楽」(ヘドネー)ではない(…

2021/6/1, Tue.

アナクサゴラスもまた、エンペドクレスとおなじように、エレア学派の基本的な前提を受けいれたうえで、世界の多と動、多様性、ならびに生成と消滅という課題にとり組んでいたものと思われる。「生成と消滅について、ギリシア人たちは正しく考えていない。な…